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[2589] Zero and heroic king (ゼロの使い魔×Fate)
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/02/29 06:43



[1]王の召喚





その日、ルイズは必死だった。


場面は二年生に進級したばかりの春.

メイジにとって己の生涯のパートナーとなるべき使い魔を呼び出す神聖なる儀式、『サモン・サーヴァント』の最中。

使い魔はメイジにとって、「メイジの実力を知るなら使い魔を見よ」と言わしめるほどに重要なものだ。


当然、失敗など許されない。

由緒ある貴族であるヴァリエール家の三女として。


しかし―――


「おーい、ルイズ。これで一体何回目だ?」


召喚を成功させ、自身の使い魔を横に控えさせた同級生らが、小バカにした様子で嘲笑う。

ほとんどの生徒がただの一度で儀式を成功させているというのに、ルイズだけはすでに何度も召喚に失敗していた。


昼間だった時間もすでに夕刻に移り、空には月の姿が見えつつある。


ルイズの家、ラ・ヴァリエール家はトリステインにその名ありと言わしめられるほどの大貴族として、幾人もの優秀なメイジを輩出してきた。

しかしその由緒ある血筋の三女だというのに、ルイズには魔法の才能というものが全くといっていいほど無かった。

『火』『水』『風』『土』の四元素のなにを試してもロクに成功せず、それどころか原因不明の爆発が起こり他者の顰蹙を買ってしまう始末。


そんな彼女に付けられた二つ名は『ゼロ』。

使える魔法が一つも無いことを由来とする、不名誉極まりない名前である。


だからこそルイズは、この『サモン・サーヴァント』でこそは皆を見返してやろうと決心していた。

昨晩も目の敵にしているツェルプストー家のキュルケに対して、

「私、召喚魔法『サモン・サーヴァント』にだけは自身があるの。絶対、アンタなんかのとは比べ物にもならない、神聖で、美しく、そして強力な使い魔を召喚してみせるわ」

などと、堂々と言い放ってしまった。


この場には当然そのキュルケもいる。

ちなみに彼女が呼び出した使い魔はサラマンダー。

文句なく見事な使い魔だ。


すでにここまでの失態を繰り返した以上、恥の上塗りを避けるためにも立派な使い魔を召喚しなくてはならない。

そういう意気込みもこめて、ルイズは再び呪文を詠唱し始めた。


「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」


誇りとする、己が名を口にする。

『サモン・サーヴァント』は神聖な儀式として、術者は厳かな神秘性を帯びるものだが、今回はそんなものよりも気合いを重視して叫ぶ。


「宇宙の果てのどこかにいる、私の僕よ。神聖で、美しく、そして強力な使い魔よ。私は心より求め、訴えるわ。我が導きに応えなさい!!」


呪文と共に、ルイズは力一杯杖を振り下ろした。


あまりといえばあまりな呪文に周りの人間たちはクスクスと嘲笑を漏らしている。


この時、ここにいた大部分の者がまた失敗するだろうと予想していた。

ルイズの魔法の成功率は限りなくゼロに近い。

それはこれまでの一年、共に学んできた彼ら自身がよく知っている。

また原因不明の爆発が起きて、それで終わりだと、誰もが予想した。


だがそんな彼らの予想は、完全に外れることになる。


「うわっ!な、何だ!?」


ルイズが杖を振り下ろした瞬間、どこからかその場に猛烈な大気の旋風が吹き荒れ始める。

その風圧に周囲の人間は視界を封じられ、立っていることもままならなくなる。

そんな中、荒れ狂う突風を踏みとどまって必死になって耐えながら、ルイズは確かに見た。

世界のどこからか使い魔を呼び寄せる、光輝く鏡のような『サモン・サーヴァント』の“ゲート”が開いているのを。


「やった!!」


ようやくの成功にルイズは喝采を上げる。

だが異変は突風だけに留まらない。

召喚のゲートからはいつしか燐光が漏れ始め、無色の輝きであったはずのゲートの光は黄金に輝いていた。

こんな現象は、少なくともこれまでの生徒たちの『サモン・サーヴァント』にはなかった。

まるで何か強大な存在が殻の中より生誕しようとしているかのように、光と突風はますます強くなっていく。


(何?何が召喚されてくるの?)


期待と不安を均等に覚えながら、ルイズは未だ脈動し続けるゲートを見据える。

そして落雷が落ちたかのような轟音と閃光と共に、ひときわ凄まじい突風が吹き抜けた。


「うくっ・・・!」


吹き荒れていた風も止み、まるで嵐の後の静けさのような静寂に包まれる中で、ルイズは閉じていた目をゆっくりと開けていった。

そして、召喚のゲートより現れた者を見た。


人間だった。

堂々たる長身に磨き抜かれた黄金の鎧を身に纏い、燃え立つ炎のように逆立った金色の髪、端正というには華美すぎるほどの艶やかな美貌を面に表した青年。

それがルイズの呼び出した使い魔の姿だった。


「貴様か。我をこの浮世に再び降臨させし召喚者は」


問いと共に、青年のその閉じられていた双眸が開かれる。

その眼下にさらされた途端、ルイズはそのまま魂が吸い寄せられるような錯覚を覚えた。


目蓋の奥から現れたのは血のように深い紅の瞳。

その双眸に映した瞬間、有無言わさず相手を屈伏させてしまいそうな絶対の意志を感じさせる瞳は、青年の全体の出で立ちと相まって理屈抜きの圧倒的な高貴さとカリスマを放っていた。


「あなた・・・誰?」


そんな青年の瞳に正面から見据えられ、その魔力じみた迫力に当てられながらもルイズは何とか絞り出すような声でそう尋ねた。


「我が名はギルガメッシュ。古代ウルクの支配者にして、この世のすべての財を手にした人類最古の英雄王よ」


「ギルガメッシュ・・・」


言っていることの半分以上はよく分からなかったが、それでもルイズはなぜだか無意識の内に胸の中に固く刻み込んだ目の前の青年の名を反芻した。


「して、貴様は何用でこの我を召喚した?もしつまらぬことで王であるこの我を煩わせようというのなら、その罪は重いぞ」


あまりに高慢な青年―――ギルガメッシュの物言いにルイズは少しムッとした表情となる。

この男がどんな存在なのかは知らないが、召喚のゲートを通ってきたということは自分の使い魔であることに変わりはないのだ。

主人に対するこの態度はぜひとも更生させねばなるまい。

ルイズはその平らな胸を精一杯張って威厳らしきものを見せながら、ギルガメッシュの問いかけに答えた。


「私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。『サモン・サーヴァント』の儀式に従い、アンタを使い魔として―――」


「たわけっ!!」


言葉の途中で発せられたギルガメッシュの怒声に、ルイズは今度こそ完全に総身を震わせた。


ギルガメッシュより放たれているもの、それは並の者ならばそれだけで気を失ってしまいかねないほどの、圧倒的な殺気。

そのあまりの迫力に、ルイズは無様にも尻もちをついた。


「真の王たるこの我に対してよりにもよって使い魔だと?その無礼、もはや万死にも値する大罪よ」


言いながらギルガメッシュは、自身の後方の何もない虚空の空間へ何かを取り出そうとするように手を伸ばす。

するとその伸ばした手がズプリと空間の中に沈み込んだ。


「その罪もはや酌量の余地無し。この場を以て王自らの裁きを―――!」


と、そこまで言った所で、ギルガメッシュの言葉がはたと止まる。

ギルガメッシュは虚空へと手を伸ばしかけたまま、頭上に広がる大空を見つめた。


「この大気は・・・我の知るものとは微細な差異がある。それによく見てみれば星の並びも明らかに異なっているし、何よりあの双月は・・・」


ブツブツと呟きながら、ギルガメッシュは周囲を見回したり空を見上げたりと何か確かめるように観察を行う。


つい先ほどまで今にも殺されんばかりの殺気を向けられていたルイズは、その様子に何も言えず、ただポカンとギルガメッシュの姿を眺めていた。


やがてひとしきり周囲の観察を終えた後、ギルガメッシュはルイズへと向き直って告げた。


「先の貴様の無礼、特例として許そう。並行世界とも違う全く未知なる異界か。フム、雑種ばかりの俗世にも飽いていた所。退屈しのぎにはちょうど良い」


それだけ言うとギルガメッシュは腰を抜かしたままのルイズを放置してどこかへと歩き出してしまう。


その進行の先にいた生徒たちは何か言われるまでもなく道を開けた。

傍目にはメイジが召喚した使い魔が勝手にどこかへ立ち去ろうとしているというのに、それを咎める者はいない。

この場にいる誰もが、担任のコルベールでさえも、その途方もないオーラに圧倒され、思考が追い付いていかないのだ。


その中で、何とか立ち直ったルイズが去っていくギルガメッシュの姿に慌てて立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ―――!!」


叫びながらルイズは問答無用に歩いて行く彼女の使い魔(未定)の後を急いで追いかける。


そんなルイズの姿を、コルベールや他の生徒たちは呆然と見つめていた。








時刻は生徒たちも寝静まり始めた夜。


授業もとうに終わり、ルイズはそれぞれの生徒に与えられた自室へと戻っていた。

その表情は不機嫌を絵にかいたように険悪そのもの。

幼い体型ながらも端正な作りをした顔立ちに疲労の翳りを見せて、ベッドに腕を組んだまま腰かけて何かを耐えるように黙り込んでいる。

そして彼女が向かい合うその先には―――


「どうした?我に話があるのだろう」


ルイズの机のイスに堂々と腰かけて、ルイズ同じく腕を組んだ姿勢で(しかしその仕草からくる高慢さはルイズの比ではなかったが)、ギルガメッシュは悠然とそう問いかけた。


「貴様があまりにしつこい故、こうして我が謁見の機会を与えてやったのだ。黙り込んでいるのは無礼であろう」


少し口を開けばこれである。

この男の頭には自分こそが無礼だなどという思考は片隅にも無いらしい。

ルイズとて今まで様々な貴族と接してきたが、ここまで傍若無人な者には出会ったことがない。

夕刻の召喚から時刻がこうして夜に映っているのも、あれからずっとこの自分勝手な使い魔(未定)を追いかけ回して、こんな時間になってようやく自分の部屋に連れ込めたという始末だ。


確かにこの男は自分の要望通り、神聖で、美しく、そして強力そうではある。


しかしトリステインに名高いヴァリエール家の三女である自分が、なぜここまで見下されねばならないのか。

本当なら今すぐにでもこの金ピカ男に怒りをぶちまけたいところではあったが、ここで感情的になってはならない。

そんなことをしていてはいつまで経っても話が進まない。


そう自分に言い聞かせて、ルイズは深呼吸と共に改めてギルガメッシュへと向き直った。


「改めて聞くわ。アンタは一体何者なの?」


「二度も同じことを言わせるな。先ほど言ったであろう。我は古代ウルクの英雄王ギルガメッシュだと」


「あのね。古代だかなんだか知らないけど、ウルクなんて国は聞いたことがないわよ」


そう言い返すが、ギルガメッシュは別段動じた様子もなく平然と答えてきた。


「確かにこの世界の歴史に我の存在はあるまい。どうやらこの世界は、我の治めた地とは根本から異なっておるようだからな」


「どういうこと?」


「一言で言えば、我は異世界に召喚されたらしい」


あくまで自分を主体に話すギルガメッシュ。

ルイズはしばしポカンと呆けた表情をしていたが、やがてポツリと尋ねた。


「・・・本当に?」


「無論だ」


きっぱりとそう告げられる。


それを受け、ルイズはその話を信じてよいか迷った。

異世界などと、あまりといえばあまりに突拍子のない話だ。

そんなことをいきなり言われたところで、信じろというほうが無茶だろう。

だが今の話をただの虚言と切って捨てるのは、目の前の人物のオーラが許さない。


判断に迷い、とりあえずその事は横に置いて、ルイズは質問を続けた。


「ねぇ。アンタ、自分のことを王とか言ってたけど、それなら貴族なの?」


「高貴なる者の意を指すのであればまさしくそうだ」


「じゃあ、メイジなの?」


「それは魔術師のことか?我をそのような日陰者どもと一緒にするでない。我こそは半神半人の魔人。この世のすべての生命の頂点に君臨するものよ」


このハルゲギニアにおいて絶対的権力を持つメイジを日陰者呼ばわりである。

これにはさすがのルイズも不快を露わにしたが、同時に心のどこかでギルガメッシュの言葉に納得もしていた。


この男が全身から放つ、ただ在るだけで自らを最強であると示す超越者としてのオーラ。

そこにはもはや平民貴族の括りは何の意味も持たない気さえする。


「まあいいわ。とりあえずアンタの身の上については一旦は置いておくとして、ここからが本題なんだけど」


「何だ?」


「アンタが元いたところでどんな存在だったかは知らないけど、『サモン・サーヴァント』で呼び出されたからには私の使い魔よ。そこははっきりさせてもらうわ」


精一杯気丈に、主人としての威厳を見せつけてルイズは告げた。

ルイズにとってはそれこそが何よりも重要だった。

この『サモン・サーヴァント』の儀式で使い魔を付けることが出来なければ、二年に進級することが出来ない。

つまりは留年だ。

そんな恥さらしな真似を、由緒あるヴァリエール家の三女たる自分が出来るはずがない。

そのためには、目の前の男には自分の使い魔になってもらわなければならないのだ。

正直いって目の前の男を従える姿というのはあまり想像できなかったが、そこはルイズは『サモン・サーヴァント』の特性に懸けていた。


『サモン・サーヴァント』とは、強制的に幻獣の類を呼び出して下僕とする術ではない。

このハルケギニアのどこかの、術者と相性のいい生物の前に“ゲート”を開き、その呼びかけに応じた者を使い魔とするのだ。

すなわちそれは“ゲート”をくぐる前に相手側の了解も取れているということであり、故にその後の契約も滞りなく行われる。

この男とて“ゲート”を通ってきた以上は自分の使い魔になることに同意したはずである。


しかし、ルイズのその考えが間違いであることはすぐに証明された。


「たわけ。この我が貴様ごとき小娘に従う道理はないわ」


にべもなく、ギルガメッシュはルイズの言葉を一蹴する。


「どうしてよ!!アンタ、“ゲート”を潜ってきたんでしょ。だったら私との契約に同意したってことじゃない!?」


「フン、何を勘違いしているか知らぬが、我はそんなものをくぐった覚えはない。気がついたらここにいただけだ。当然、貴様の契約とやらに同意した覚えもない」


「そんな―――」


「そもそも、この我を従えられる者など天地のどこにも存在しない。我が存在を受け止めきれる器を持つ者など、我が朋友以外に在りはせんからだ。さて・・・」


そう言ったところで、ギルガメッシュは腰かけていた椅子より立ち上がり、悠然とルイズの前に立った。

冷気さえ感じさせる残忍な色をその真紅の瞳に湛え、ルイズを見下ろして告げる。


「一度ならず二度までも我のことを使い魔などと称した罪、もはや許しがたい。一度は特例として許したが、二度目はないぞ」


そう告げるギルガメッシュから放たれるのは、先ほどと同じく向き合うだけで相手の心を押し潰してしまいかねないほどの巨大な殺気。

それを真正面から受け、ルイズは自分の身体が震えているのを感じた。


相手がメイジでないことなど関係ない。

そんな瑣事よりももっと根本的な本能によって、この存在には決して勝てないであろうことを悟った。


しかし―――


「いいわ。だったら私も教えてあげる。アンタが従うべき者の器ってやつをね」


そう言い放ち、ルイズは杖を抜いた。

杖はメイジにとって魔法の依り代となる最大の武器。それを抜いたということは、すなわち戦いの意志表示に他ならない。


「本気か?貴様ごとき小娘が、この我に挑もうなどと」


小バカにしてギルガメッシュは嘲笑を浮かべる。

だがふざけつつも、その瞳に映る殺意の色だけは決して色あせることはない。


疑いようもなく、この男は自分のことを本気で殺すつもりだ。

そして自分がこの相手には決して勝てないであろうことはよく分かっている。

だがそれでも、ルイズは今にも膝をついてしまいそうな精神を奮い立たせ、手にした杖をギルガメッシュへと向けて突きつけた。


「私は貴族よ。貴族とは魔法を使える者をそう呼ぶんじゃないわ。敵に後ろを見せず、己の誇りと名誉を最後まで守り抜ける者をそう呼ぶのよ。私は、私の誇りと名誉のためにも、アンタに決して背中を見せたりしない!!」


気丈に発言しつつも、ギルガメッシュに突きつけた杖の先は絶えず恐怖で震えている。

それでもルイズはギルガメッシュの赤き双眸から決して目を離そうとはしなかった。

ここで恐怖に背を背けることは、それはすなわち自分の敗北を認めることになる。

例え実際に敵わずとも、心だけは決して屈しまいとルイズは硬く決めていた。


そんなルイズの姿を、ギルガメッシュは殺気はそのままに、しばしの間黙して見つめていた。


「フン、この我の面前に立ってなおその気概。ただの脆弱な小娘かとばかり侮っておったが、なかなかどうして、気高き輝きをその身の内に秘めておるようだな」


そう呟いて、ギルガメッシュは放っていた冷然な殺気を解き、いきなり大仰に笑いだした。


突然の行動に呆気にとられ、ルイズは杖を突きだしたままの姿勢でその様子を眺める。


それから少しして、十分に笑い終えてからギルガメッシュは心底愉快そうな笑みを浮かべてルイズに向き直った。


「気に入ったぞ、小娘。貴様、名は?」


「え?・・・って、召喚した時に名乗ったじゃない」


「あの時はつまらん雑種としか思っていなかったのでな。覚えておらぬ」


ぬけぬけと言い放つギルガメッシュにルイズは再び頭に血を昇らせ掛けるが、せっかくこの男が何やらやる気になったのだ。

気の変らぬ内にさっさとしてしまおうと、なんとか踏みとどまって答えた。


「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」


「ルイズか。ではルイズよ。貴様に我へ意見を述べる名誉を与える。外見だけならば、貴様の使い魔になってやろうではないか。その矮小な身に余る光栄に歓喜せよ。この我と対等に弁を交えられる者など、そうそうはおらんぞ」


どこまでも相手を見下した物言いでギルガメッシュは告げる。

その物言いにはルイズも少々カチンときたが、とりあえず自分の使い魔になってくれるらしい。

そのことにルイズはまず満足した。

使い魔を得られることもそうだが、何だかこの男に勝った気がしたのだ。

そのことがルイズには何よりも誇らしかった。


「それで、ルイズよ。契約の儀はどうするのだ?」


と、ギルガメッシュに尋ねられて、ルイズはハッと『コントラクト・サーヴァント』のことを思い出した。

呼び出した使い魔とパスを繋ぎ、正式なメイジと使い魔との契約を結ぶ儀式。

これを成功させなければ、どれほどのものを呼び出そうと己の使い魔とは言えない。

それは無論、ルイズにも分かっている。

分かってはいたが、ルイズは躊躇いを見せていた。

ギルガメッシュを使い魔とすることには、特に文句はない。

人間であるのは気になるが、自分が希望した通りの神聖で強力そうな使い魔だ。

そもそもギルガメッシュを使い魔としなければ留年なのである。

最初から選択の余地などないのだ。


だというのにルイズが契約を躊躇うのは、肝心の『コントラクト・サーヴァント』のやり方にあった。


「今のところ我と貴様の間には魔術的な繋がりは感じられん。呼び出した後に何らかの儀式があるのではないか?」


「―――スよ」


「うん?」


「キスよ、キス!!それが『コントラクト・サーヴァント』の条件!!」


顔を真っ赤にして、ルイズは声を上げた。


そう、呼び出した使い魔に口づけをすること。

それこそが『コントラクト・サーヴァント』の契約方法だった。

これが相手がグリフォンやフクロウとかならば、ルイズもこれほど動揺したりはしなかっただろう。

しかし彼女の契約相手は人間。

それも口さえ閉じていれば絶世と呼んでも差し支えない容姿を備えた美青年である。

ルイズの緊張も、無理からぬことだった。


ましてルイズにとってこれは初めての、つまりファーストキスなのだ。


「接吻か。それならそうと早く言え」


しかし、ルイズのそんな内心の動揺には全く構わず、ギルガメッシュは強引にルイズの腕を取り自らの元まで引き寄せると、そのままその唇を奪った。


「っ!!?」


はっと目を見開き、ルイズはギルガメッシュの腕の中で硬直する。


強引に為された初めてのキス。

その感触は衝撃となってルイズの体内を駆け巡った。


それから数秒後、ギルガメッシュは抱きしめる腕の力を抜き、ルイズを開放した。


「な、な、な、・・・っ!?」


緊張やら怒りやら驚きやら羞恥やらの様々な感情が入り混じって、もはや口にすべき言葉すら見つからない。


そんなルイズを尻目に、ギルガメッシュは額あたりに感じる熱さにどこからか鏡を取り出して自らの顔を見る。

そこには、額に輝く使い魔の証のルーンがあった。


「フム、これが使い魔の刻印という訳か」


と、しばらくの間そのルーンを見つめていると、唐突にその輝きが失せ、額に表れていたルーンも消えた。

その事態にギルガメッシュはやや怪訝そうな表情を見せる。


「まあ、ラインは繋がっておるようだし、定着したということで問題あるまい」


それからギルガメッシュは、『コントラクト・サーヴァント』のキスの後放置したままであったルイズの方に目をやる。


使い魔とはいえ、自分のファーストキスを捧げた相手の視線を受け、ルイズは思わずドキッとする。


しかし次にギルガメッシュの口から出てきた言葉は、そんなルイズの乙女心を粉々に打ち砕くものだった。


「ぎこちなさはあるが、味自体は悪くない。が、いかんせん身体つきが幼すぎるな。これでは興も入らん。まあ、将来性に期待しておくか」


嘲笑まじりのギルガメッシュの言葉。


ルイズはカチンときた。

今までのどの物言いよりもカチンときた。

強引に自分のファーストキスを奪っておいて、よりにもよって身体つきが幼なすぎる?

将来性に期待?


これまで何とか堪えてきたルイズの怒りのパラメーターも、ついに限界を突破した。


「興が入らなくて悪かったわね・・・」


震える声で言いながら、ルイズは一度仕舞った杖を再び抜いた。

そしてそれを勢いよく頭上高く振り上げる。


「こんのぉぉ!!バカァァァ―――!!」


叫びと同時にルイズは振り上げた杖を、渾身の力を込めて振り下ろした。








新たな一年生を加え、二年生となる生徒は使い魔を得た、学生達にとっては記念すべき日の夜。

トリステイン魔法学院の生徒達は、まどろんだ眠気からも瞬時に解放させる巨大な地響きと爆発音を聞いたという―――








「おい、ルイズよ」


「・・・・・」


完全無欠に爆砕され、もはや見る影もなくなった部屋の中で、端正な容貌をやや煤けさせながらギルガメッシュは口を開いた。


「この我に攻撃を仕掛けた無礼は、まあ置いておくとしてだ」


「・・・・・」


目の前のルイズの姿を見ながら、ギルガメッシュは続けた。


「しかし、自分まで爆破してどうする?」


「・・・うるさいわね」


ギルガメッシュと同じく、というより鎧などで武装していなかった分、むしろひどく焼け焦げ、ボロボロとなったルイズがポツリとそう答えた。



[2589] [2]王の振る舞い
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/02/29 06:44




[2]王の振る舞い








『サモン・サーヴァント』を終えての最初の朝。


眠気の残る目蓋をこすりながら、ルイズは眼を覚ました。

ゆっくりと身を起こしながらルイズは寝ぼける意識を徐々にはっきりさせていく。


(そうだ。私、使い魔を召喚したんだっけ)


ぼんやりと、ルイズはその事を思い出す。

自分が呼び出した、あの尊大が服を着て歩いているような金ピカ男と、自分は確かに『コントラクト・サーヴァント』を成功させた。


(それで、その後どうしたんだっけ?)


まだ残る眠気を払いながらルイズは思い出していく。

そして昨夜の部屋爆破の事を思い出し、その表情を曇らせた。


(そうだった・・・。私、部屋壊しちゃったんだっけ。あの後はいろいろあって疲れてたからそのまま寝ちゃったけど、片づけなきゃダメよね・・・)


朝から面倒そうな作業のことを思い、ルイズはげんなりとする。

しかしいつまでも現実から逃げているわけにもいかず、ルイズは自身が破壊した自室全体へと目を向ける。


(ええと、使用人を呼んで・・・。そうだ!部屋の掃除はあいつにやらせるってのはどうかしら。何たって私の使い魔なんだし、ご主人様の身の回りの世話をするのは当然・・・って、そう言って聞く奴じゃないわよね―――!)


そんな事を考えながら見まわした、昨夜破壊したはずの自分の部屋。

その姿を視界に収めると、ルイズのまだ僅かに残っていた眠気も完全に吹き飛んだ。


「って、なんなのよこれは―――!!?」


破壊されたはずのルイズの部屋。

だがルイズの視界に飛び込んできたその光景は彼女の知るものとは何もかもが異なっていた。


天井には豪奢な宝石を散らばらせて装飾されたシャンデリアが下げられ、床には見るからに滑らかでフカフカとしていそうな鮮やかな毛皮の絨毯がひかれている。

他にも机や家具、それに壁紙など部屋の至る所が、すべて黄金を中心とした眩い輝きを放つ至宝の品へと取り替わっていた。


壊された部屋はすっかり生まれ変わり、というかもはや異界となってルイズの前に現われていた。


「なんだ。朝方より騒々しい・・・」


と、ルイズの叫び声に反応して、ギルガメッシュは眠っていた天蓋付きのベッドより身を起こす。

そのベッドもやはりルイズの知る部屋の記憶にはない。

それも他と同様見るからに最良の材質が使われた最高級の品で、ルイズの使う貴族用のベッドが妙に安っぽく見えてしまった。


「アンタ、これ!どういうことよ!?」


「これ・・・?ああ、この部屋のことか。なに、仮にも我が住を構えるというのに、あのままではあまりに質素であったのでな。まだ十分とは言えんが、とりあえずこのように改装しておいた」


事もなげに平然とギルガメッシュは言ってくる。

その姿があまりに腹立たしくて、ルイズは怒りに身体をプルプルと震えさせた。

何の断りもなく、主人の部屋を勝手にこんなふうに改装してしまうなんて、何という使い魔だろう。


こんな―――家具や装飾品のどれもが貴族の一財産に匹敵しかねない逸品を取り揃え、それを絶妙な配置で際立たせている。

全体に黄金を散りばめながら、しかし成金的な悪趣味に走ることなく綿密に計算されたコーディネイト。

これほどの豪奢な一室は実家のラ・ヴァリエール家はおろか王宮にさえありはしないだろうと確信させる、こんな部屋に。


「・・・まぁ、いいわ」


部屋を見ている内に、別にこれもいいかな、という気分になって、ルイズは出かけていた怒りを萎ませる。

まあ元々、この部屋は破壊されていたのだし、それが修理され、なおかつその内装に脚色が入ったと考えれば、別に問題もない。

無断で、というのが少々気に食わないが、まあそれも今の自分の部屋の内装の素晴らしさを差し引けば些細なことだろう。


ルイズはそう自分を納得させた。


「フム、もう朝か」


ルイズが思考に没頭している内に、ギルガメッシュは早々にベッドから出る。

半裸で眠るギルガメッシュのたくましい裸体が顕わになり、その初めて見る男子の身体にルイズは頬を朱に染める。


そんな乙女らしい恥じらいを見せるルイズであったが、次に目に映ったギルガメッシュに手にした衣服を渡していく妙齢の女性の姿にそんな感情はどこかに吹き飛んだ。


「って、ちょっと待ちなさい!!その人誰!?」


「ん?ああ、これか」


問いかけられ、ギルガメッシュは何気なく自分の服を持って控える女性に目を向けた。


「これは我の身の回りの世話をさせるために取り出した魔法人形だ。この部屋の改装をしたのもこいつらの手によるものだぞ」


「魔法人形って・・・、これがガーゴイルなの!?」


ルイズは改めてギルガメッシュの着替えの手伝いをしていく女性を見る。

表情こそ確かに無表情のまま動いていなかったが、ルイズの目にはそれはどう見ても生の人間にしか見えなかった。

興味を引かれ、ルイズは女性も元まで歩み寄り、その肌に触れてみる。

そこに感じる温もりは、どう考えても血の通った人間のものとしか思えなかった。


「・・・ねぇ、あなた。本当にガーゴイルなの?」


半信半疑といった表情で、ルイズは本人へと尋ねてみる。

女性は視線をルイズへと移して淡々と答えてきた。


「はい。私はギルガメッシュ様に所持される人形でございます」


「使用人として必要な技能はすべて備えている、それなりに便利な品だ。まあ所詮は人形ゆえ、反応の面白みには欠けるがな。侍女などを取り揃えるまでの繋ぎにはちょうどよかろう」


女性から受け取った衣服を次々と着込みながらギルガメッシュは言う。

ギルガメッシュは何気ない様子であったが、ルイズの方は驚きで開いた口が塞がらない。

これほど人間に近付いたガーゴイルは、恐らく最もその方面の技術で進んでいるガリアにも無いだろう。

こんなものを生み出せるのなら、それは人間そのものを生み出す事とどれほどの違いがあるというのか。


「アンタ、部屋のこともそうだけど、どこからこんなとんでもない物持ってきてるのよ」


「どこかなど決まっていよう。これらはすべて我が宝物庫に納めらている我の財。正当なる権利の元、我がそこから取り出したというだけのことに過ぎん」


ギルガメッシュはそう言うが、当然そんな言葉だけで納得できるはずもない。

大体宝物庫といっても、そんな物はどこにもありはしないではないか。


「焦るでない。いずれ機がくれば我が宝の蔵を見せてやる。その時にはせいぜい、我の至高の財の威光に度肝を抜かれるのだな」


そんなルイズの様子を見取って、着替えを終えたギルガメッシュが言う。


ギルガメッシュが着ている服も滑らかな毛皮や艶のある生地がふんだんに使われ、やはり高価であることが一目で分かった。

身体の随所にも良質の宝石が付いたアクセサリーを身に付け、それが嫌というほど似合っている所がまた腹立たしい。


「・・・まあ、今はいいわ。ぐずぐずしてたら学校に遅刻しちゃうし」


嘆息してルイズは、自身も着替えるべくクローゼットの方へと視線を動かす。

着替えに際し、一瞬あの男に手伝いをやらせてはとも頭の中で考えたが、すぐにあきらめる。

この傲慢の化身のような男が着替えの手伝いなどするわけがない。

というか、下手をしたら命にかかわりそうだ。


そんなことを考えながら、ルイズは自身の下着や服を入れているクローゼットへと目をやった。


「って、クローゼットどこよっ!?」


本来ならばクローゼットがあったはずの場所には、代わりに金の縁取りの食器立てが置かれていた。クローゼットは影も形もない。


「ああ。元にあったみずほらしい家具ならば、目触りであったゆえ捨てておいたぞ」


窓の先に視線を向け、ギルガメッシュは平然とそう告げる。

その視線の先を追って、ルイズは慌てて窓から顔を出し、下を見下ろした。


「何やってんのよ、バカァァァァアアアッ!!」


ちょうどルイズの部屋の真下の地面。

そこに無残を曝すかつてルイズの使用してきた家具達の姿に、ルイズは絶叫してネグリジュ姿のまま部屋から飛び出していった。








「全く、あのような格好で屋外を爆走とは。恥を知らぬ小娘よな」


「誰のせいだと思ってんの・・・っ!!」


黒いマントと白いブラウス、グレーのプリーツスカートの制服に着替えたルイズが恨めしそうに隣のギルガメッシュを睨む。

だが当の本人はそんな視線などどこ吹く風だ。

あの後、どうにか瓦礫の中から下着や衣服類を回収してきたルイズだったが、そのために学生寮内を寝巻き姿のままで走り回らなければならなかった。


ネグリジュ一枚の、ノーパン状態で、おまけに帰りは回収した下着や衣服を手に持ちながら。


こんなことはもう恥以外の何物でもない。

まだ朝も早かったため、幸い途中で人に会うことはなかったが、後は誰も自分の姿を見かけていないことを祈るのみだ。


「言っておくけど、今日の授業には一緒に来てもらうからね。二年からの授業には、使い魔も同伴させることになってるんだから」


「よかろう。我もこの世界の魔術には興味がある」


思ったよりあっさり頷かれてやや拍子抜けしつつも、ルイズはギルガメッシュを伴って改めて部屋の外に出る。

と、そこでタイミングよく向かいのドアが開き、中から出てきた人物と顔が合った。


「あら、おはよう。ルイズ」


朝方早々、嫌な奴に会ってしまった。


「おはよう、キュルケ」


思い切り嫌そうにルイズは挨拶を返す。


ルイズの向かいの部屋より出てきたのは、ルイズが目の敵にしている同級生、キュルケ・フォン・ツェルプストーである。

燃えるような赤いロングの髪をたなびかせ、褐色の健康そうな肌とルイズとは対照的な抜群のスタイル、彫りが深いその顔立ちは十分に美人と呼べるほどに整っている。

キュルケはそんな魅惑的なプロモーションを強調するように胸を張り、にやっと笑った。


「そちらの殿方があなたが呼び出した使い魔?素敵じゃない」


「フフン。言ったでしょう。私、『サモン・サーヴァント』には自信があるって」


思わぬ敵からの讃辞に得意になってルイズは答える。

しかしそのころにはキュルケはルイズのことはきっぱりと無視し、ギルガメッシュへとその魅惑の身体で擦り寄っていた。


「ねぇ、まるで燃え盛る炎のように凛然としたあなた。情熱的な女性はお好み?」


熱っぽい口調でキュルケはギルガメッシュに語りかける。

それを目にしたルイズは慌ててその間に割って入った。


「ちょっと!!何、朝から人の使い魔に色目使ってるのよ!!」


「恋に使い魔なんて関係ないわ。男と女の間に入るなんて無粋よ、ヴァリエール」


「何が無粋よ。アンタなんかただの色ボケじゃない。どうせトリステインの魔法学校に留学したのだって、男を漁りすぎて相手にされなくなったからでしょ」


「言ってくれるわね。ヴァリエール」


ルイズとキュルケの間に一触即発の空気が流れ始める。

そんな二人の間に大きな杖が差し込まれた。


「タバサ!」


杖を差し出す小柄な青髪の少女を目にして、キュルケが驚きの声を上げる。

タバサと呼ばれた少女は睨み合っていた二人にポツリと一言だけ口にした。


「時間」


その単語だけでキュルケには意味が通じたらしく、タバサに向かい肩をすくめて頷いてみせる。


「分かったわよ、タバサ。今日はここまでにしておくわ」


そう言ってキュルケは最後にギルガメッシュへウインクを送り、タバサを伴って去って行った。

キュルケとタバサの姿が見えなくなってから、ルイズはヒステリックに地団駄を踏みだした。


「悔しい!!何なのよ、あの女!!」


「よほどあの褐色肌の女が気に食わんようだな」


「当然よっ!!あの女はトリステインの人間じゃなくてゲルマニアの貴族なのよ。
私はゲルマニアが大嫌いなの」


「気に食わんのは土地柄故か?」


「それだけじゃないわ。私の実家のあるヴァリエールの領地はね、ゲルマニアとの国境沿いにあるの。だから戦争になるたびに先頭を切ってゲルマニアと戦ってきたの。そして、国境の向こうの地名はツェルプストー!!キュルケの実家なのよ!!」


ルイズは地団駄の次に歯軋りをし始めた。


「つまりキュルケの家は、我がヴァリエール家のとって不倶戴天の敵なのよ。

あの色ボケ家系!!キュルケのひいひいひいおじいさんのツェルプストーは、私のひいひいひいおじいちゃんの恋人を奪い、ひいひいおじいさんは、キュルケのひいひいおじいさんに婚約者を奪われたわ。ひいおじいさんのサフラン・ド・ヴァリエールなんかね、奥さんを取られたのよ!!あの女のひいおじいさんのマクシミリ・フォン・ツェルプストーに!!いや、弟のデゥーディッセ男爵だったかしら・・・」


「要するに、お前の家の者はあの女の者に伴侶を寝取られ続けたというわけか」


半ば呆れて、ギルガメッシュは言った。


「そういう言い方はやめて。そんな訳だから、ヴァリエール家とツェルプストー家は仲が悪いの。戦争の度に殺しあってるのよ。お互いに殺され殺した一族の数は、もう数えきれないほどよ。だからアンタも、あの女にだけは手を出しちゃダメだからね」


「さてな。それは我の気分次第だ」


「アンタはぁ~・・・っ!!」


睨み殺さんばかりの視線をルイズが向けてくるが、やはりギルガメッシュは気にした様子もなく受け流している。

そうしながらギルガメッシュは立ち去って行った二人の少女に意識を移す。

ただし彼が関心を向けるのは、キュルケではなくもう一人のタバサという少女の方だ。


(あの小娘の立ち振る舞い・・・、あれは相当の死線を潜りぬけているな。それにあの雪風のように凍てついた感情の熱は、底知れぬ絶望の証。あのような幼い身であれほどの闇を宿そうとは、なかなかどうして興味深い)


一目の印象で人の内面の奥深くを指摘するギルガメッシュ。

人の欲を網羅したギルガメッシュには、他者の内面を洞察することなど造作もない。

その眼力が初見にてあの少女、タバサの苦行の生い立ちを見抜いたのだ。


しかしそんな少女の業も、暴虐の王ギルガメッシュにとっては愉悦の素でしかない。


(闇の源泉に根差すのは愛憎の念か。ひょっとすればあ奴も、今後我を楽しませることになるやもしれんな)


「何やってるのよ、ギルガメッシュ。早く行くわよ」


と、立ち止まったままのギルガメッシュにルイズが先に進みながら言う。

ギルガメッシュはこの時は何も言わず、ただ黙ってルイズの後へと続いて行った。








「どうよ。トリステイン魔法学院が誇る『アルヴィースの食堂』は」


トリステイン魔法学院の敷地内で最も高い本塔の中、この学校の生徒が使う『アルヴィースの食堂』で、ルイズは誇らしげにギルガメッシュに尋ねる。


その食堂はなるほど、ルイズが自慢するのも頷けるほどに豪奢な内装が施されていた。

学年毎に分かれる長い長方形のテーブルに、上の階にあるロフトの中階の教師用の席。

壁際には精巧な作りの小人の彫像が何体も立ち並び、食堂を装飾している。

食卓にも朝食というにはあまりに豪勢な、大きな鳥のロースやほんのり甘い香りを漂わせるパイ、それに高価そうなワインが何本を並べられていた。


「地味だな。我が膳を取るには甚だ役不足だが、まあ及第点を与えておこう。今回のみは」


だが、この世の贅のすべてを堪能し尽くした英雄王の目からは、その程度の評価しか得られなかった。

その言葉にルイズは不満気な表情を見せる。


「して、ルイズよ」


「なによ?」


「この我専用の席はどこにある?」


「あるわけないでしょっ!!本当だったらここには使い魔は入れないのよ。それを私の特別な計らいで入室させてもらったんだから、感謝しなさい!!」


と、思わず怒鳴りつけて、ルイズはハッと周囲の人間の目が自分に集まっていることに気づき、赤面する。

ギルガメッシュはそんな周囲の視線など全く意に介さず、やれやれと嘆息してみせた。


「ふぅむ。まあ現界初日であるし、やむを得まいか」


そんなギルガメッシュを連れてルイズは気恥ずかしそうに自分の席に座った。

そしてギルガメッシュも何の断りもなしにルイズの隣の席に腰かけた。


「あ、ちょっと。そこはマリコルヌの―――」


ルイズが言い終えるより早く、ギルガメッシュが座る席の本来の主である小太りの少年、マリコルヌが現れた。


「おい、ルイズ。そこは僕の席だぞ。使い魔を座らせるなんて、どういうつもりだ」


当然ながら、マリコルヌは文句を言う。

ただし、ギルガメッシュ本人ではなく、その主人であるルイズに対して。

この長身美形で、雰囲気のある青年に直接言う勇気はマリコルヌには無かった。


しかし次に返ってきたのはルイズの返事ではなく、ギルガメッシュからの横目の睨みだった。


「ヒィィッ!」


その眼光の問答無用の迫力に押され、マリコルヌはあっという間に意気を消沈させた。

後は何も言わず、そそくさとその場から退散していく。

当のギルガメッシュは、もはやマリコルヌのことなど思考の片隅にさえ存在しない様子で肩をすくめた。


「よもやこの我が他の雑種共と同席で膳を取ることになろうとはな。これはまず、今後の我の生活環境のほうから考えていかねばならんか」


他人の席を強奪しておいてこの物言いである。

ルイズは己の使い魔の横暴がすぎる素行に、キリキリと痛む胃を押さえながらハァと溜め息をついた。


ちなみにルイズが主従の関係を自覚させようと画策して床の置かせた使い魔用の質素な食事は、全く気づかれることなく放置された。








朝食後、ルイズとギルガメッシュは授業を行う教室へと向かった。


ドアを開け、二人が教室に入ると先に来ていた生徒達の視線は一斉にこちらに集まってきた。

召喚した使い魔が人間であるという話題性も一因だったが、それ以上にギルガメッシュに存在感がありすぎるのだ。

その場にいるだけで目に映さずにはいられない強大な威光のようなものを、この男は放っている。


それはまさしく、原初の王者が発する魔性のカリスマであった。


「フム。ここがお前の学び舎か。雑種共にはふさわしい質素さよな」


集まる視線など気にせず、ギルガメッシュは堂々とそんなことを言い放った。

さすがにその物言いには何人かの生徒も非難の目を向けてきた。


「いーからさっさと座りなさい」


ルイズはギルガメッシュを強引に引っ張って、自身の席の隣に座らせた。

その座り方だけを見ても傲慢不遜さが態度に表れており、慎みを重んじるトリステイン貴族のルイズは顔をしかめた。


「アンタさ。もう少し慎ましく出来ないの?」


「慢心せずして何が王か。我にそのようなものは必要ない」


口を開けばこれだ。

ルイズはもう何度目になるか分からない溜息をついた。


それからしばらくして、教室にこの授業の担当講師であるシュヴルーズが入ってきた。


「皆さん。春の使い魔召喚は大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、皆さんの様々な使い魔を見るのがとても楽しみなのですよ」


そう言ってシュヴルーズは教室内の生徒達の隣にいる使い魔達を順に見回していく。

そしてやはりというか、その目はギルガメッシュの所でピタリと止まった。


「あら?そちらの方はどなたかしら?見たところ生徒ではないようだし、さる貴族家からのお客人か何かかしら?」


「使い魔です。ミス」


「は?」


「彼は私の使い魔です。このラ・ヴァリエールの」


ルイズがそう答えると、シュヴルーズは戸惑った表情を浮かべた。

それも当然か。

彼女のそれなりに長い教師経歴の中でも、これほど豪奢な姿に身を包んだ、端正な美青年の使い魔など見たこともないだろう。


「ええと、随分変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」


決まりが悪そうにシュヴルーズはそうとだけ答え、誤魔化すように授業へと入っていく。

その内容にギルガメッシュもまた耳を傾けた。


かつての世界の魔術も地域によってその形態を大きく異なっていたが、このハルゲギニアの魔法はギルガメッシュの莫大な知識からでも全くの未知のものだった。

向こうでもよく聞く『火』『水』『風』『土』の四大元素に加え、聞きなれぬ『虚無』という属性を根幹とし、その元素の組み合わせ方で呪文の形態や術者の強さを決定するという発想は、ギルガメッシュにも無いものだった。

またその属性の組み合わせというものも思ったより奥が深く、十分にギルガメッシュの興味を引いた。

この未知の魔法との接触は、とりあえずギルガメッシュの好奇心を満足させていた。


「はい、それでは皆さんの誰かに、実際に『錬金』の魔法をやってみてもらいましょう。一年の内で覚えた人も多いでしょうが、基本が大事です。まだ習得していない人も、失敗を恐れては何も始りませんからね」


授業は進み、シュヴルーズは教卓の上に何の変哲もない石ころを乗せて、生徒たちに向かってそう言った。

やってもらう生徒を決めるべく教室内を見回して、やがて一人の生徒を指名した。


「では、ミス・ヴァリエールにやってもらいましょう」


「え?私?」


「ええ。あなたはとても努力家だと聞いています。さあ、失敗することなんて気にしないでやってみなさい」


悪意のない讃辞と共に、シュヴルーズは促す。

しかしルイズはなかなか立ち上がろうとしない。

困ったようにもじもじするだけだ。

その理由はこの教室の生徒全員が知っているが、新任のシュヴルーズと昨日召喚されたばかりのギルガメッシュだけが知らなかった。


「どうした?呼ばれているようだぞ」


ギルガメッシュにそう言われてもルイズは動かない。そこでキュルケが困ったように言った。


「先生。やめておいたほうがいいと思います」


「なぜです?」


「危険です」


キュルケの言葉に生徒全員が頷く。

しかしそれが逆にルイズをその気にさせてしまったようだ。

ムッとして立ち上がり、はっきりとシュヴルーズに答える。


「やります」


少し緊張した足取りでルイズは教卓の前へと進み出ていく。

そんなルイズに、シュヴルーズは優しく笑いかけた。


「ミス・ヴァリエール。錬金したい金属を強く思い浮かべるのです」


こくりと可愛らしく頷いて、ルイズは対象の石ころに向けて杖を振り上げた。


「・・・?」


そこでギルガメッシュは奇妙なものを見た。

前の座席に座る生徒が、なぜか机の下に隠れている。

見回してみると、キュルケも机の影に身を隠しており、あのタバサといった少女は本を読みながら無言で教室から出て行った。


それらの様子に首を傾げて、ギルガメッシュはそういえばと昨夜の事を思い出していた。

確かあの時もルイズはこうして杖を振り下ろして―――


ドカァァン!!


途端、教卓の上に置かれていた石ころが爆発した。

爆心地のすぐ近くにいたシュヴルーズは爆風で黒板へと叩きつけられた。

その突然の爆発には使い魔達も暴れ出した。

悲鳴やら怒声やらが教室内に無数に飛び交い、もはや収拾がつかない状況になりながらも、ギルガメッシュだけは冷静なまま飛んできた木材の破片などを手で払いのけ事の成り行きを見守っていた。


「だから言ったのよ!!ヴァリエールにはやらせるなって!!」


「もう!!ヴァリエールは退学にしてくれよ」


「俺のラッキーが蛇に喰われた。俺のラッキーが!!」


爆発の衝撃から立ち直った生徒たちが一斉に騒ぎ出す。

シュヴルーズは動かない。

たまに痙攣しているので生きてはいるようだが、しばらくは目を覚ましそうになかった。


そしてこの騒ぎの元凶であるルイズがむっくりと起き上がる。

シュヴルーズ同様爆発のすぐ近くにいたので、見るも無残な姿となっている。

顔は煤で真っ黒になり、ブラウスが破れてスカートは裂け、パンツが見えていた。

しかしルイズはそんな自分の姿や周りの喧噪など気にした様子もなく、冷静に顔の煤をハンカチで拭きながら、淡々とした声で言った。


「ちょっと失敗したみたいね」


当然ながら、他の生徒から猛反撃を食らう。


「ちょっとじゃないだろ!!『ゼロ』のルイズ!!」


「いつだって成功の確率、ほとんど『ゼロ』じゃないかよ!!」


再び騒ぎに包まれる教室内を眺めて、ギルガメッシュは呆れと共に自分を呼び出した召喚者の二つ名の由来と知った。








騒ぎの後の教室。


責任として教室の後片付けを命じられたルイズは、しぶしぶと机を拭いていた。

罰ということで魔法の使用は禁止されていたが、元々ルイズは魔法がロクに使えないのであまり関係は無い。

こういうとルイズが一人で頑張っているようにも聞こえるが、実質彼女が行っているのは机を拭く作業だけ。

新しい窓ガラスを取り付けたり、重たい机を運んだり、煤だらけとなった教室を拭いたりといった大部分の作業はギルガメッシュが呼び出した魔法人形が行っていた。


そして一応ルイズの使い魔という立場にあるギルガメッシュはというと―――


「なるほど。『ゼロ』のルイズか」


無事だった椅子に優雅に腰かけ、ギルガメッシュはニヤニヤと笑みを浮かべながら掃除に勤しむルイズを見つめていた。

その視線にルイズはムスッとした。


「何よ。どうせアンタも私のことバカにするんでしょ」


「そうだな。この無能者め」


その一言にルイズは犬歯を剥き出しにしてギルガメッシュを睨みつけるが、やはり彼は動じず変わらぬ笑みを浮かべている。


「しかしルイズよ。お前の二つ名の『ゼロ』というのは、魔法の成功率がゼロであることから来ているのか?」


「そうよ!!悪かったわね!!魔法が使えなくて!!」


「そう吠えるな。今の我は別にお前を貶しておるわけではない」


首を傾げるルイズにギルガメッシュは続ける。


「そも、魔法成功率ゼロという認識が誤っている。別にお前は魔法に失敗しているわけではない」


「はあ?何言ってんのよ。私の魔法は何をやっても・・・その・・・、爆発、しちゃって・・・」


「そう、その爆発こそ問題だ」


耳によく通る声音でギルガメッシュは告げる。


「魔法の失敗という現象が、何故に常時爆発に帰結するのか。その訳をお前は理解しているか?」


「・・いえ、あんまり深く考えたことはないわ。周りの人たちもただ失敗だって言ってるだけだったし」


「一度や二度の事象であるのなら、なるほど偶然ということもあるやもしれん。だがそれが三度も続けばそれは必然。当然の帰結だ。
 
よいか、ルイズよ。お前の魔法は成功しているのだ。

あの爆発こそがその結果。あれこそ他でもない、お前の魔法だ。ならばそこには必然たりえる理由があるはず。それをロクに探究せず、ただの失敗と断じて終わらせるのは浅はかというものだぞ」


ルイズはそのギルガメッシュの言葉をポカンと聞いていた。

そんな考え方、ルイズは生れてこと方したことが無かった。

誰もがルイズの魔法を見ては失敗だと言い続けてきた。

生じる爆発でいつも周りの者に迷惑をかけ続けてきた。

そんな積年の経験がコンプレックスとなって、ルイズを縛っていたのだ。


しかしそんなルイズの縛りを、ギルガメッシュはいともあっさりと破って見せた。

彼とて先の爆発に少なからず迷惑を感じているだろうに、そんな目先の事には捉われず事象の本質を言い当てて見せた。

そんな彼の態度にルイズは驚き、そして何よりこの男に認められたことが嬉しく感じた。 


 だがそんなルイズの思いは、次の言葉で崩れ去った。


「まあもちろん、目的の事が果たせん時点でそれが失敗であることは間違いないがな」


「っ!!!」


「故に、お前の二つ名は適当ではない。お前はこう呼ばれるべきなのだ。『爆発』のルイズ、もしくは『無能』のルイズと」


ニヤニヤとサディステックな笑みを浮かべて、ギルガメッシュは言う。

ルイズは先ほどちょっと感動してしまったことを後悔しつつ、負けじと大声量で叫んだ。


「アンタ、私のことを励ましてるのか馬鹿にしてるのかどっちなのよっ!!」


「さてな。どちらかというと馬鹿にしている方だ」


その言葉にまるで威嚇する猫のように毛を逆立たせるルイズを尻目に、ギルガメッシュは席を立った。


「って、どこに行くのよ?」


「ここはもう飽いた。外の散策に行ってくる」


「ちょっと!!掃除してる主人を置いて行くつもり!?」


「その人形は置いていってやる。そもそもこれはお前の身から出た錆だ。お前が責任を持て」


そう言い残して、ギルガメッシュは後ろでギャーギャー喚くルイズを放置して教室を後にした。








教室を出たギルガメッシュは、そのまま外に出た。

特に当てもなく学院の敷地を散策しながら、己の身体の状態を確かめていく。


ギルガメッシュは生前の偉業により、死後もなお信仰の対象となり、その霊核を昇華させた英霊と呼ばれる存在である。

その存在規模は人が操れる域をはるかに超えており、例えかつての世界の五人の神秘の担い手であろうと、彼を御することなどできない。

当然召喚することも容易ではなく、仮に大規模な魔術儀式により呼び出せたとしても力の一端か、一時の幻のような扱いだ。


だが今回の召喚ではそんなことも無い。

はっきりとした生の脈動を感じるこの身体は霊体のものでは断じてなく、死した彼に確かな受肉を果たしていた。


やはり今回のルイズによって為された召喚は、本来の英霊召喚とは根本から異なっているらしい。


(奴のあの爆発しかしない魔法とも、あるいは何か関係があるかもしれんな。まあ、召喚の理由などどうでも良いこと。考えたところで益体もない。

それよりもせっかく訪れた異界の地だ。せいぜい我が快楽の手慰みにはなってもらおう)


そんなことを思い、ギルガメッシュは歩を進めていく。

そして中庭の方へ出かけた時、死角となる所からカラのトレイを持った一人のメイドの少女と鉢合わせした。


「きゃ!」


「む?」


いきなり人が出てきたため驚いたのだろう。メイドの少女は尻もちを付いた。

これでトレイの上に物を乗せていれば、盛大に地面にぶちまけていただろう。


「すいません!!貴族の方に私ったらなんて失礼な真似を・・・」 


目の前に立つギルガメッシュにメイドの少女は大慌てでペコペコと謝りだす。

そんな少女の謝罪の言葉は適当に聞き流し、ギルガメッシュは少女の出で立ちを観察する。


この辺りでは珍しい短い黒髪をカチューシャでまとめたその顔立ちは、多少素朴ではあったが悪くはない。

身体つきもルイズとは違いしっかりとしていて問題なし。

何よりこの心底より貴人を立てんとする態度は、まさしく従者としてふさわしい。


「よい。許す」


「は、はい。ありがとうございます。それでは!!」


ギルガメッシュから許しの言葉を受け取ると、メイドの少女はペコリと最後に一礼して厨房のほうへと戻って行った。

その姿を見送り、しばらくしてからギルガメッシュはポツリと呟いた。


「フム。あいつにするか」


メイドの後を追って、ギルガメッシュは中庭へと出る。

そこはティーラウンジとなっており、午前の授業を終え、昼食を摂った生徒達が各々にデザートを楽しんでいる。

そんな中で、ギルガメッシュは目的の、先ほどのメイドの少女の姿を見定めた。


「む・・・?」


見ると、メイドの少女の居る辺りでちょっとした騒ぎが起きていた。

何やらやたらキザそうな貴族の少年に、あのメイドがひたすらに頭を下げている。


しかし他人の事情など、傲慢なる英雄王には気に掛けるにも値しない些事に過ぎない。

騒ぎなどまるで気にせず、ギルガメッシュはぐんぐんと人だかりの中心へと歩いて行った。








メイドの少女に説教をしている少年は、ギーシュ・ド・グラモンといった。


事の顛末はこうだ。

ギーシュが友人達と談笑を楽しんでいると、彼のポケットから香水の瓶が落ちた。

それを見かけたメイドの少女は純粋な善意から、その香水を拾って渡した。


しかしそれがよく無かった。

その時ギーシュは友人達から恋人は誰かについて尋ねられており、その香水が元で彼の二股が発覚してしまったのだ。

更に間の悪いことに、その二股相手であるモンモランシーとケティという二人の少女が場に居合わせ、ギーシュに張り手とワインの洗礼をお見舞いしていった。

そうなると格好がつかないのがギーシュである。

このままでは唯の笑い者だ。

そこで今回のことの責任を香水を拾った少女の方に追及したのだ。


はっきり言って責任転嫁の八つ当たりでしかなかったが、そのことで少女に文句など言えるはずもない。

彼女のような魔法の使えない平民にとって、貴族とは絶対の存在。

彼らが黒と言えば白い物でも黒なのだ。


「全く、君が軽率に瓶を拾ったりするから二人のレディが傷ついてしまった。どうしてくれるんだね」


「すいません。すいません」


貴族の癇癪を受け、メイドの少女は何度も平謝りを繰り返す。

その謝罪を受け取る側のギーシュだったが、しかし今の状況は彼にとってもあまり良いものだとは言い難かった。


元々、せめてもの体裁を取りつくるために始めた責任の追及。

少女に対して深い怒りがあってのことではない。

そのため、このように心底から申し訳なさそうにされると、かえってこちらの良心が痛くなる。

しかも相手は平民とはいえ可愛い女の子だ。

周囲からの視線も気になるし、何よりギーシュは元来女の子に弱い。

そんなギーシュにとって、今の女の子を苛めている状況は居心地悪いことこの上無かった。


そういうわけで、どうにかキリの良いところで何とか話を切り上げようと考えていたギーシュだったが、彼が何かするまでもなくその話は強制的に終わらせられた。


「退け」


 不遜にそう言い放ち、ギーシュの身体が強引に押しのけられる。

押しのけた人物はギーシュには目もくれず、説教を受けていたメイドの少女へと向き合う。


ギルガメッシュであった。


「娘、名は?」


「え?あ、はい。シ、シエスタと申します」


「シエスタか。フム」


完全にギーシュの存在を無視してギルガメッシュは話を進めようとする。

この態度にはさすがのギーシュも頭に来た。


「おい、君!!彼女とは今は僕が話しているんだよ。勝手に―――」


そう文句を言おうとしたとき、ギルガメッシュの赤い瞳がギロリとギーシュの方を向いた。

向けられた王の眼光に、ギーシュは言葉を飲み込む。

その眼光に宿る迫力は、ただ眼を向けただけでギーシュの意志を剥奪させてしまったのだ。


黙り込んだギーシュにはもはや目もくれず、ギルガメッシュはメイドの少女―――シエスタへと向き直る。

そうして口を開きかけた時、人ごみの外から癇癪じみた声が聞こえてきた。


「ギルガメッシュ!!ようやく見つけたわよ!!」


集まる人ごみを押しのけて現れたのはルイズだった。

ルイズは怒った風に表情を歪ませて、ギルガメッシュへと突っ掛かる。


「よよよよくもご主人様を放りだして、掃除を押し付けてくれたわね。不敬だわ。こういう態度は許していてはいけないわよね」


「ぎゃあぎゃあとうるさい。人形は置いていったであろう。それで充分であろうが。そもそも、今回の掃除の責はすべてお前の無能がまねいた結果。お前ごときの尻拭いを、何故我が手伝わなければならぬ」


「アンタ私の使い魔でしょうが!!」


「確かにな。だが、別に主従の関係を結んだ訳ではない。そもそもお前と我とでは、存在の器からして違いすぎるわ」


「何よ、偉そうに!!アンタなんて、魔法も使えないくせに!!」


意識せずルイズの口より出たギルガメッシュへの罵声。

ルイズとしてもその言葉に深い考えなどありはしない。

ただ昨夜、ギルガメッシュのメイジではないという言を思い出して、とっさに口にしたのがそれだった。


しかし横で聞いていたギーシュは、それを聞き逃さなかった。


「魔法が・・・使えないだって・・・?」


貴族にとって魔法とは自己の権威と力の象徴。

魔法無き貴族など、真の貴族ではない。

幼少より教え込まれてきた生粋のトリステイン貴族のギーシュは、その発言耳にしたことで急に強気になった。


「なんだ。随分と堂々としてるからどれほどの貴族かと思えば、単なる見かけだけの成金貴族だったのかい。そういえばあの野蛮なゲルマニアでは金次第で平民でも貴族になれるのだったね。全く、驚いて損したよ」


調子に乗って、ギーシュは矢次にギルガメッシュへ罵りの言葉を浴びせていく。

元々、二股が発覚したばかりで虫の居所が悪かったのだ。

ギルガメッシュの無礼な態度と、魔法が使えないという情報によって、その感情が一気に流れ出したのだ。


そう、ギーシュは調子に乗っていた。

決して喧嘩を売ってはいけない相手が分からないほどに。


「考えてみればそうだよね。あの『ゼロ』のルイズが召喚した使い魔が、魔法が使えるはずが無いんだった。ハハッ、同じ魔法の使えない貴族同士、引かれ合うものでもあったのかな?」


相次ぐギーシュの罵声に、ついにギルガメッシュはそちらに視線を移す。

だが、その表情に不快があるかといえば、そういう訳ではない。

そもそも、ギルガメッシュはすでにギーシュの存在を完全に忘れていた。

彼の罵声も、ギルガメッシュにはただの雑音にしか聞こえていない。


故に、話しかける声音もあくまでどうでもよさそうに告げる。


「後ろで煩わしいぞ。雑種」


「ざ、雑種だと・・・?馬鹿にするな!!僕はこのトリステインの由緒ある武門の家系、グラモン家の三男―――」


「関係ないわ。そんなこと」


平然と、ギルガメッシュは言ってのけた。


「この我から見れば、他の衆愚など有象無象の雑種に過ぎん」


その発言に、ギーシュの中でプツンと何かが切れる。


貴族にとって、家名の名誉とは命よりも優先して守るべきものである。

貴族は代々に渡り自らの血筋を重んじ、その名を上げんと奮起して、その功績を後の世代に伝えていくのだ。


それをあろうことか、有象無象の雑種とまで言い捨てられた。

その侮辱は軍人の家系に生まれ、誇りのためならば命を懸けることも惜しまぬと教えられてきたグラモン家の子としては断じて許せるものではなかった。


「我が家名をそこまで貶められては、もはや引き下がることはできない。君に、決闘を申しこむ!!」


「ほう」


突然のギーシュの宣言に、周囲の人間が沸いた。

感情豊かな思春期を学生として平凡に過ごす生徒たちは、こういった刺激に飢えていた。

それにギルガメッシュの傲慢すぎる振る舞いは、すでに多くの貴族達の反感を買っていたのだ。

 
その張本人がひょっとしたら無様を晒すことになるかもしれない。興奮しないほうが無理だった。


「ヴェストリの広場で待つ。あれだけの大言を吐いたんだ。よもや逃げはすまいね」


そう捨て台詞を残し、ギーシュはその場を去っていった。








「なに勝手に決闘の約束なんてしてんのよっ!!」
 

ギーシュの姿が見えなくなった後、ルイズは真っ先に声を張り上げた。


「やかましいな。我とて雑種の相手など面倒なのだ。とはいえ、一応は我に向けての挑戦だ。避けて通るわけにもいくまい」


「あのね・・・。メイドから事情はいろいろと聞いたわ。まあ、ギーシュのほうも確かに情けないけど、でも今のはどう見てもアンタのほうが悪いわよ。だから一言謝れば―――」


「王であるこの我に雑種如きに頭を下げろと?あり得んな」


「ああ、もう・・・」


話がまるで通じないギルガメッシュに、ルイズは頭を抱えた。

召喚してからまだ初日だというのに、どうしてこの使い魔は自分の頭を悩ますことばかり起こすのか。

このままではストレスで、あのミスタ・コルベールのように頭が禿げあがってしまうんじゃないかと、ルイズは本気で心配になってきた。
 

そんなルイズの様子を見ていたギルガメッシュが、ポツリと尋ねてきた。


「ルイズよ。何をそんなに動揺している?」


「そんなの決まってるでしょ。アンタとギーシュが決闘したら―――」


「したら、何だ?」


重ねて尋ねられ、ルイズは思わず口を噤んだ。

自分は、何を言おうとしていたのか。

確かにギルガメッシュとギーシュの決闘には反対だ。

だが、なぜ自分がこの決闘に反対しているのかと言えば―――


「よもや、ルイズよ。お前はこの我が敗北すると思っておるのか?」


そう問われて、ルイズは自身の中に沸いた奇妙な感覚の正体を知った気がした。
 
そうかもしれない。自分はこの決闘の決着に、ギルガメッシュの敗北を予感したのではないか。
 

確かにギルガメッシュの放つオーラは、理屈抜きの迫力がある。

正直この男があのキザでヘタレなギーシュの前に地に伏すイメージは、まるで浮かんでこない。
 

だがそんな印象に負けず劣らず、ルイズは魔法の絶対性を信じていた。

魔法が使えない者は、魔法が使える者には決して勝てない。

そんな先入観が、このハルケギニアにはある。

特にルイズのは普段失敗ばかりしている分、通常よりもその傾向が強いといっても良かった。
 

ギルガメッシュがギーシュに負けるとは思わない。

しかし同時に、メイジでない者がメイジに勝つ光景も、ルイズには思い浮かべられなかった。


そんなルイズに、ギルガメッシュは悠然とした笑みを浮かべて告げた。


「フン。では見せてやろう。目に映せばもはや忘却することなど出来ぬ、英雄王たる我の力を」




*読み返したらいくつか誤字が見つかったので修正しました*



[2589] [3]王の決闘
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/12/11 05:33




[3]王の決闘










「ふぅむ。召喚した使い魔に貴族がのぅ・・・」


『サモン・サーヴァント』で担任をしていたコルベールの報告に、トリステイン魔法学院学園長オールド・オスマンは困ったように頭を掻いた。

報告の内容は他でもない、ルイズが最後に召喚した黄金の鎧を纏った男、ギルガメッシュについてである。


「はい、オールド・オスマン。春の使い魔召喚は代々行われてきた神聖な儀式ですが、さすがにこれは問題かと・・・」


ギルガメッシュの出で立ちと言動に、コルベールはどこかの国の相当な位を持つ貴族であると当たりをつけていた。

そんな立場ある者を強制的に召喚という形で連れ去り、しかも使い魔として従者にしてしまうなど、下手をしたら戦争にも発展しかねない外交問題である。


実の所、ギルガメッシュは正確にはこの世界でいうところの貴族ではないため、コルベールのこの懸念は徒労に終わるのだが、そんなことは今のコルベールには想像もつかない。


他を圧倒する強烈な威圧感。

人の目を引きつけずにはいられない魔性じみたカリスマ。


あれを貴族と呼ばずして何だというのか。


「それで、その召喚されたという貴族の青年はどんな様子だったのかね?」


「はい。遠くから見かけただけなので詳しくは分かりませんが、ミス・ヴァリエールとは親しくしておりました。あの様子では恐らく、『コントラクト・サーヴァント』も済ませたものかと・・・」


「本人も同意の上ということなら、それほどの問題にもならんじゃろ。安心せい」


「そうだと良いのですが・・・」


楽観的に捉えるオスマンとは対照的に、コルベールはまだ不安そうであった。

そんなコルベールにオスマンはやれやれと肩を竦めてみせる。


「全く、君は心配症じゃのう。そんなことじゃから、そのように頭が禿げあがってしまうんじゃよ」


「この事と頭は関係ないでしょうが!!」


何気に気にしている頭のことを指摘され、コルベールは声を張り上げる。

そんな剣幕を手で制しながら、オスマンはあくまで呑気そうに呟いた。


「ま、その青年とは一度きちんと話をせねばならんじゃろうがのう」


オスマンが呟いたちょうどその時、学園長室のドアがノックされた。


「誰じゃ?」


「私です。オールド・オスマン」


「おお、ミス・ロングビル。どうかしたかね?」


入ってきたオスマンの秘書を務める緑髪の女性、ミス・ロングビルが多少慌てた様子で話しだす。


「ヴェストリの広場で決闘騒ぎが起きています。まだ始ってはいないようですか、野次馬の生徒に邪魔されて、教師たちも止められないようです」


「まったく、暇を持て余した貴族ほど、性質の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんじゃね?」


「一人はギーシュ・ド・グラモン」


「あのグラモンんトコのバカ息子か。オヤジも色の道では剛の者じゃったが、息子も輪をかけて女好きじゃ。大方女の取り合いじゃろう。相手は誰じゃ?」


「それが・・・」


どんな仕事もテキパキとこなすロングビルにしては珍しく、歯切れの悪い様子で後を続けた。


「聞いた話ですと、ミス・ヴァリエールが召喚した、貴族と思しき青年とです」


つい先ほど話題としていた人物が出てきて、オスマンとコルベールは顔を見合わせた。


「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用を求めておりますが・・・」


「・・・いや、しばらくは黙って様子を見ておくとしよう」


いつになく真剣な様子で、オスマンは告げる。

それを聞き、ロングビルはその旨を教師たちに伝えるべく、学園長室を去っていく。


基本的に、この学園では貴族同士の決闘は禁じられている。

徹底して、というほどではないが、とりあえず生き死にに関わるような大惨事になったことは一度もない。


だがそれはあくまで学園の生徒たちに適用されるルールだ。

学生ではない、しかも他国の貴族には適用されない。

となればこの決闘、迂闊には止めることは出来ない。

くだらない理由であるならまだいいが、もしそれが互いの誇りを懸けたものであるなら、それを第三者が止めることは両貴族に対する最大の侮辱となる。


「まったく、事をややこしくしおって・・・」


溜め息まじりに呟いて、オスマンは杖を振って壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリの広場の様子を映し出した。










「諸君、決闘だ!!」


学園西側にあるヴェストリの広場で、ギャラリーにアピールするようにギーシュがそう宣言する。

ギーシュの言葉に、噂を聞きつけて集まった生徒たちがワァーと騒ぐ。

その中心で薔薇の杖を優雅に振るギーシュは、なかなかに恰好よかった。


(ど、どうしよう・・・)


しかしその実、内心ではビビりまくっていた。


(やっぱ、決闘なんてやめとけばよかったかな・・・。い、いやいや、あれだけの侮辱を受けたんだ。あそこまで言われて黙ってたら男じゃないぞ。ああ、でもなぁ・・・)


外面だけは優雅に振舞いながら、内心ではウジウジとそんなことを考える。

先ほどまでの完全に頭に血が昇っていた状態から時間も経ち、ギーシュもようやくのクールダウンを見せている。


そしてクールダウンすると同時に、元のヘタレたギーシュに戻っていた。


(だ、大丈夫さ。相手は魔法が使えないって言ってたじゃないか。メイジでもない者に負けるはずはないよ。うん、きっとそうだ。きっと・・・多分・・・)


必死に自分を励ましても、考えれば考えるだけ不安が圧し掛かってくる。


ギーシュとてそこまでの馬鹿ではない。

相手が喧嘩を売っていい者か良くない者かの判断くらい、キチンとつけられる。

そしてあのルイズに召喚された貴族らしき男は、明らかに後者だった。


あの貫禄。

あの威圧感。

まるで己が最強であると、存在すべてで表現しているようではないか。

メイジではないと聞かされても、少しの慰めにもならない。


(ああ、何だってこんなことに・・・)


本当はすぐにでも逃げ出したい。しかしそんなことは、周りが許さなかった。


「いいぞー、ギーシュ」


「あの高慢ちきの鼻を明かしてやれ」


外野は呑気なもので、好き放題言っている。

本人がいれば決して言えないであろうことも、本人がいない今ではお構いなしだ。


こんな空気の中で、今さら決闘から逃げだしたいなどど、どの口で言えるだろう。

皆の歓声に優雅に応えながら、内心ではそいつらのことを罵りまくった


感情に流されての行動は、大抵は上手くいかないものである。


そんな時、輪を囲むように集まっていたギャラリーの一方向が、突如として割れる。

そしてそこから、金髪赤眼の青年がゆっくりと歩み出てきた。

その途端、あれほど騒がしかった周囲の喧噪がピタリと止む。

青年より放たれる無言の威圧が、それ以上騒ぐことを彼らに許さなかった。


「よく来たね。逃げなかったことは褒めてあげようじゃないか」


スラスラとそう言いながらも、内心では言葉を噛まなかったことにホッとしていた。


そんなまるで余裕のないギーシュとは対照的に、青年は心底どうでもよさそうに告げる。


「御宅はよい。さっさとせよ」


そのあからさまにこちらを見下した態度に、ギーシュのしぼみかけていた怒りに再び火を灯す。

元より、ここまで来ては、今さら後になど引けはしないのだ。

ならば後は負けのことなど考えず、家名を汚したこの男に自分の魔法の威力を見せるのみ。


覚悟を決め、ギーシュは杖を振った。


「僕の二つ名は『青銅』。従って君の相手はこの青銅のゴーレム、ワルキューレがするよ」


ギーシュの武器である七体のゴーレムの内、まずは一体を様子見に出す。


しかし肝心の相手は、まるで気にしていない。

構えらしい構えもとらず、ぶらんと自然体のままでこちらを見据えている。


「嘗めるなっ!!」


キッと叫び、ギーシュはゴーレムを突貫させた。










「何やってんのよあいつ・・・」


ギーシュがゴーレムを構築したというのに何も仕掛ける様子のないギルガメッシュの姿に、ギャラリーに混じって決闘を観戦するルイズはハラハラとしていた。

ギルガメッシュにどんな力があるかは知らないが、ああも無防備ではどう見てもゴーレムのやりたい放題だ。

魔法も使えないと言っていたというのに、どうするつもりだろう。


「あの、ミス・ヴァリエール」


と、隣で一緒に見ていたシエスタが不安そうに話しかけてくる。


先ほどのギーシュとの一件で、一応ギルガメッシュに助けられた形を取っていたため、彼女は恩義を感じていた。

それにギルガメッシュの方もシエスタに用があったようだし、そのことも気になってこうして付いてきていた。


実の所ギーシュはシエスタのことを許すつもりだったので、むしろギルガメッシュは事態をややこしくしただけなのだが、それはもはや彼女にはより知らぬことである。


「本当なんですか?あの人がメイジじゃないって」


「ええ。自分でそう言ってたわ。今だって杖を持っていないでしょ」


そう言ってルイズが指すギルガメッシュの手は空。

何もせずにただぶら下げているだけである。


「でも、それじゃあどうやってメイジの方と戦うんですか?」


「そんなの私だって分からないわよ。それこそ私のほうが知りたいくらいで―――」


そう言っている内に、ギーシュのゴーレムが動き出した。

それなりに素早い動きで、無防備のギルガメッシュへと迫る。


「危ないっ!!」


シエスタが目をつむる。

ルイズも数秒後のゴーレムに殴り飛ばされるギルガメッシュの姿を想像して、身を硬くした。


だがその時、ギルガメッシュの後ろより一条の閃光が煌めいた。










一体何が起きたのか、ギーシュには分からなかった。

ただ目の前に広がる光景だけ見れば、それを言葉に表すことは出来る。


まず、ギルガメッシュに殴りかからんとしていたゴーレムは、今は無残なまでに粉々となり、地にその残骸を曝している。

そしてゴーレムの代わりにギーシュとギルガメッシュの間には、一本の剣があった。


「何だ、それは・・・?」


呆然と、地に突き刺さる剣を見つめ、ギーシュは呟く。


シンプルな造形ながらもその刀身は冴えわたり、素人目にもそれが名剣と呼べる一品だと分かる剣。

そして何よりギーシュを驚かしていたのは、その剣に内蔵された魔力量だった。


もはやディティクトマジックなど使用せずとも分かる、途方もない魔力の波動。

一番レベルの低いドットメイジのギーシュでさえ理解できた。

それが自分の知る物などとは桁外れの、とんでもないマジックアイテムであることを。


「どうした?まさかこれで終わりか」


ギルガメッシュの嘲笑に、ギーシュは混乱しつつも何とか杖を振るう。

出現したのは残りの六体のゴーレムすべて。

こうなっては、もはや出し惜しみなどしていられる状況ではない。

とにかく自分の全力をぶつけるしかギーシュにはなかった。


「その青銅人形共が、貴様の全力か。所詮は雑種だな。おもしろくもない」


しらけきった様子で、ギルガメッシュは六体のゴーレムを見回した。


「まあそれでも、全力は全力だ。人の身で我に挑みかかるその蛮勇に免じて、今度は我の力を見せてやろう」


そう言って、ギルガメッシュは今までただ下げていた手を、片腕のみ僅かに上げてみせた。

そしてその指をパチンッと鳴らす。


           ゲート・オブ・バビロン
「開け―――――――“王の財宝”」


王の命令に従い、ギルガメッシュの後方で開け放たれる異界の門。


広がったその光景に、この場にいるあらゆる者が瞠目した。

誰もがそのあまりに圧巻な光景に言葉を口にすることもできなかった。


開かれた空間の門から、幾数もの武具が出現する。

そのすべてが見る者を魅了する至高の逸品であり、内蔵する魔力も先ほどの剣と同格か、あるいはそれ以上。

これほどの物は国レベルで見ても一本あるかどうかだろう。


それが目に見える範囲で十六本。

人類最古の破格の英雄ギルガメッシュにのみ許された、壮観たる宝具の総列であった。


「あ、あうぁ・・・」


そしてその矛先を向けられているギーシュにとっては、まさしく恐怖の光景に他ならない。

もはや決闘のことも忘れて、沸き上がる怖れに身を震わせていた。


「さて。確か貴様らの流儀では、貴族とは魔術によって戦うのであったな」


と、宝具の列を背にギルガメッシュは唐突に話しかけてきた。


「本来ならば貴様らの流儀になど合わせる必要もないのだが、郷に居ては郷に従うもまた一興。此度は我もその流儀に乗ってやろう」


そう言ってギルガメッシュが空間より取り出したのは、一冊の本。

分厚い教典のようなその本を開き、そこに載っている古代文字で記された呪文を読み上げる。


瞬間、ギルガメッシュの周囲に火炎の円陣が燃え上がった。


「なっ!?」


驚くギーシュを尻目に、燃え盛る火炎はあたかも大蛇のように伸び、あっという間三体のワルキューレを飲み込んだ。

青銅で造られたワルキューレはその炎に耐えきれず、瞬時に溶解した。


「そ、そんな。き、君は、魔法が使えないんじゃなかったのかい!?」


「それは聞き違いだな。確かに我は魔術師ではない。だが―――」


言いながらギルガメッシュは新たなページをめくる。


「魔術を使えんなどと言った覚えはないぞ」


後半の言葉は呆然としているルイズに向けて、ギルガメッシュは告げる。

そして残り三体のワルキューレに向けて、再び古代文字の呪文を唱えた。


今度の魔法は真空の刃だった。

ハルゲギニアの魔法で言うところの『エア・カッター』に似た風の刃が無数に飛び交い、ワルキューレを切り刻んでいく。

数秒後には、バラバラとなったワルキューレの破片がカラカラと地面に落ちた。


「ま、参った・・・」


七体のゴーレムすべてを失い、ギーシュは完全に戦意喪失した。










決着はついた。


膝をついたギーシュの姿に、誰もがそう思った。

もちろんルイズも。


この決闘、いや、もはや決闘とも呼べない一方的な蹂躙は、ギルガメッシュの勝利で終わった。


なのに、なぜ――――――


「ギルガメッシュ、待ちなさい!!」


なぜ自分の使い魔である黄金の英雄王は、今も残虐なる殺意の笑みをギーシュに向けて浮かべているのだろう。


「何だ?ルイズ」


「ギルガメッシュ、決着はついたでしょう。あなたの力は十分に分かったわ。だからもうその武器を納めなさい」


静かに、だがはっきりとルイズは言う。


ここで自分がギルガメッシュを止められなければ、恐ろしい事になる。

根拠はないが、しかし確信を持って、ルイズはギルガメッシュの姿を見据える。


だがそのルイズの言葉を、ギルガメッシュは鼻で笑って切り捨てた。


「フン、決着だと?とんだ早合点だな。まだ最後の裁定が残っておるというのに」


「最後の、裁定?」


「決闘の勝敗は無論、この我の勝利だ。だがな、敗者の扱いはまだ決まっておるまい。それが決まらぬ内は、確かな意味での決着とはいえん。すなわち―――」


そこでギルガメッシュは、ギーシュを見た。

その双眸に、快楽的な殺意を抱きながら。


「地に伏した敗者を、寛大なる慈悲を以て救うか、あるいは冷酷なる死をくれてやるか。それは勝者が決めることだ」


その言葉に、膝をついて伏していたギーシュがビクリとその身を震わせた。


「な、なに言ってんのよ!!勝負がついたんだから、決闘はこれでお終いよ」


「たわけが。お前の意見など聞いておらん。そもそも決闘という言葉を口にする以上、命を捨てる覚悟を抱くは当然のことだ」


「そんなの―――」


なおも言い募ろうとするルイズ。

しかしその眼前に飛来した三本の宝剣が突き刺さり、ルイズは言葉を飲み込んだ。


「ルイズよ。お前には我に意見する栄誉を与えた。故にある程度の僭越は不問に処す。

しかし王の裁定に口を挟むほどの不敬を許した覚えはない。これ以上の口出しは、お前とて許さぬぞ」


向けられたギルガメッシュの殺気に、ルイズは委縮して口を噤んだ。

ルイズが沈黙すると、改めてギルガメッシュはギーシュへと視線を戻す。


「さて、小僧。裁定の時だ」


恐る恐る、ギーシュは顔を上げる。

ギーシュの目に、自分を見下ろす血色の双眸が映った。


「本来ならば、貴様如き雑種など我にはどうでもよい。我自らの手で殺してやるほどの理由もなかった」


言いながらギルガメッシュはゆっくりとギーシュへと歩み寄っていく。


「しかし貴様はこの我の言葉に横やりを入れた。また身の程も弁えぬ罵声の数々で、我を侮辱した。そのような輩、王の慈悲を賜す道理もない」


ギーシュの元まで歩む道中で、ギルガメッシュは一体目のワルキューレを粉砕した宝剣を手にする。

それを引き抜き、ギルガメッシュは剣を片手にギーシュの眼前に立った。


そして、王の裁定が下される。


「故に、死ね。それが我の決定だ」


感情を一切欠いた声で、ギルガメッシュは冷酷なる処刑を宣告した。










「う、うわあぁぁぁぁぁぁっ!!!」


恥も外聞もない哀れな悲鳴を上げて、ギーシュは遁走する。

しかしその退路は、即座に飛来した宝剣宝槍によって封殺された。


「どこへ行く?我はお前に死ねと決定したのだ。王の命を無視して去るは無礼であろう」


飛来した宝具の衝撃に無様にすっ転ぶギーシュに、ギルガメッシュは恐怖を与えるようにゆっくりと歩み寄る。

その一歩が大地を踏みしめる度に、ギーシュは魂の底まで震え上がった。


(まったく、いかに雑種相手とはいえ、これほど歯応えがないとはな・・・)


しかしギーシュを追い詰めるギルガメッシュも、今の状況はあまり好ましいものではなかった。


この決闘は、仮にも英雄王のハルゲギニアにおける初陣である。

その記念すべき闘争が、ここまで呆気ないのはギルガメッシュとしても不本意だ。


これでは茶番どころか、単なる時間の浪費でしかない。

そのような無為なる行為に興じたこと事態、この英雄王の沽券に関わる。


「・・・ふむ。一つおもしろい余興を思いついたぞ」


そう呟くとギーシュの眼前に立っていたギルガメッシュは、唐突に自身の足元に手にしていた剣を突き立てた。

そして目の前のギーシュより一歩だけ後退する。


「貴様に最後の機会を与えてやろう」


「え?」


ダラリと無防備に両手を下げ、ギルガメッシュは告げた。


「一撃のみ、反撃を許す」


ギルガメッシュの言葉に、ギーシュは呆然とする。

その言葉の意味が、今の彼にはよく分からなかった。


「その一撃にて、我を倒してみろ。さすればこの決闘は貴様の勝利。この場より生き延びることが出来る」


ギルガメッシュの言葉がギーシュの耳に届く。

その言葉の中でも、今のギーシュには生き延びるという言葉が最も印象強く残った。


生き延びれる?自分はこの男を相手に、生き延びることが出来るのか・・・?


「どうした?これが貴様が生き延びる最後の機会なのだぞ。よもやこの好機を放棄したりはすまい?」


嗜虐の笑みを浮かべ、ギルガメッシュはギーシュの様子を興味深そうに見つめる。


その笑みで、ギーシュには理解できてしまった。

目の前の男に、自分を助けるつもりなど微塵もない。

自分がこうして今生きているのは、この男の単なる気まぐれに過ぎないことを。


窮鼠猫を噛むという格言よろしく、この男は自分の反応を楽しんでいるのだ。

追い詰められた鼠がどのような反撃に打って出るのか、遊戯の心で眺めている。


しかも自分という鼠が相対するのは、猫ではなく獅子。

どれほど牙を突き立てようと、その存在を打倒することなど敵わない。


そしてそれは、目の前の男も分かっている。

分かっているからこそ、その慢心を以て自分に気まぐれの機会を与えているのだ。


単純に、自分の快楽のために。


この男に命乞いの類は一切通用しない。

そのようなつまらない事を口にすればその瞬間、この男は先の決定通り、呼吸するかのような自然さで、あっさりと自分を惨殺するだろう。


「・・・ほう」


故に、ギーシュは立ち上がった。

花弁は尽き、最初の優雅さなど見る影もない薔薇の杖を握りしめ、ギーシュは目の前の絶対の男を睨みつける。


すでに身の震えは止まっている。

極限まで追いつめられたギーシュの精神は死の恐怖を越え、その魂を勇敢に奮い立たせていた。


自分はこの男に勝てないだろう。

しかしながら、敗者には敗者なりの意地がある。

打倒することが敵わぬならば、その一噛みでせめて血の一滴でも流させてみせよう。


今こそこの天上の存在に示すのだ。

ギーシュ・ド・グラモンという人間の意地を、強さを、矜持を。


「アンスーン・ケン・ソエル・ユル・シゲル・ティール・ウィルド・・・」


ギーシュの口より、流れるようにルーンの呪文が紡がれる。

その声に恐怖は微塵たりと存在しない。

精神はこれまでの生涯で最も奮い立ち、身体を駆け巡る魔力も激流の如き勢いだ。


そしてギーシュの渾身の一噛みが、ギルガメッシュに襲いかかった。


「っ!?」


ギルガメッシュの表情に驚愕が浮かぶ。


ギーシュの呪文が完成した瞬間、ギルガメッシュの足元の大地が沈み込み、代わりに周りの大地が隆起する。

隆起した大地はそのまま巨大な顎のように、ギルガメッシュの身体を飲み込んだ。


『グランドスパイク』

『土』『土』『土』の三重属性にて紡がれるトライアングルスペル。


ギーシュの抱いた決死の覚悟が、彼の奥底に眠る魔法の才を一気に覚醒させたのだ。


「うおお!スゲェぞ、ギーシュ!!」


「そんな魔法、一体いつ覚えたんだよ!?」


周りから歓声が上がる。

それを聞くギーシュ自身にも信じられない心地だった。

自覚がない様子で呆然と、ギーシュは己が手を見つめる。


男子としてはいかにも細く頼りない、自分の手。

この手があれほどのスペルを紡ぎだし、あの男に一矢報いることを成功させたとは、自分自身でも実感が湧かなかった。


「―――驚いたぞ。雑種にしては、なかなか見事な抵抗であった」


その声にギーシュは仰天して、閉じた大地の顎を見る。

一固まりとなった土の山に、中心から亀裂が入る。

亀裂はあっという間に全体でと広がり、中より飲み込んだ者を吐き出した。


「最後の最後で、少しは楽しませてもらった。褒めてつかわす」


まるで変わった様子のないギルガメッシュの声。

しかしその身に纏う装束は一変していた。


見るも神々しい黄金の鎧。

召喚時に見せたその鎧を、再びギルガメッシュは纏っていた。


「よもや我にこの鎧を使わせるとはな。正直、予想以上だった」


トライアングルスペルの直撃と受けたというのに、ギルガメッシュには何の損害も見られない。


すべてあの鎧が防いでしまったのだろう。


仮にもギルガメッシュが愛用の品として選んだ鎧。

そこらの凡庸な鎧とは次元が違うのだ。


ともかく、これでギーシュの万策は尽きた。

七体のゴーレムはすべて倒され、精神力も今の『グランドスパイク』で打ち止め。

もはや対抗する術はない。

そもそも、この一撃で仕留めきれなかった時点で、ギーシュの命運は決定したのだ。


すぐに下されるであろう死の運命。

だがそれを前にギーシュは、驚くほど静かだった。

身に迫る死に臆することなく、一種の諦観でその結末を受け入れていた。


自分は確かな意地を見せた。

恥じる事のない人生を生き切った。

その思いが、今のギーシュの胸にはあった。


「ふむ・・・」


ギーシュのその様子を見つめつつ、ギルガメッシュは先ほど突き立てた剣を引き抜く。

それをギーシュへと向けて、死を与えんと振り上げる。


ギーシュは動かない。

ただ静かに、自分の生命を断つであろう宝剣の刃を待つ。


その様子を目にし、ギルガメッシュは笑みを浮かべて言った。


「フン、気が変わったぞ」


そう言って、ギルガメッシュは先ほどまであれほど漲らせていた殺意を沈め、剣を空間の鞘へと戻した。

宙に浮かんでいた宝具も、次々とその姿を消す。


突然の事態に最も驚いたのは、他でもないギーシュ本人だった。


「なぜ・・・?僕を殺すんじゃなかったのか?」


「なに、ただこの場で安易に殺すには惜しいと判断したまでだ」


口元に愉快そうな笑みを浮かべ、ギルガメッシュは答えた。


「人は危機に瀕した時、その本質が現れる。その属性は大きく分けて二つ。

震えあがってただ縮こまる者か、奮い立って立ち向かえる者か。

貴様はその後者に属する。ならば貴様にはまだ見所がある」


傲慢なる英雄王よりもたらされる称賛の言葉。

それは相手のあらゆる肩書きを無視した、真に相手の価値を認める言葉だった。


「小僧。貴様の名は?」


「ギ、ギーシュ・ド・グラモン・・・」


「ギーシュか。その名、覚えよう」


そう言ってギルガメッシュはギーシュに背を向けて歩き出す。

それは今度こそ、この決闘が決着したことを示していた。

その事実、自分が生き残ったのだということを実感し、ギーシュはフラフラとその場に座り込む。


力が抜けてしまって、立つことが出来ない。

先ほどまでの事を思い返すと、改めて膝が震える。

しかし同時にその胸には気高い誇りがあった。


決闘の結果を見れば、敗北したのはギーシュだろう。

だがそれでギーシュを敗者と嗤うなら、それは英雄王の呵責なさを知らぬが故。

あの超絶の存在と相対し、いまだに命を繋げている事、それ自体がすでにひとつの栄誉であり、勝利だった。


思い返してみれば、自分がこの手で掴み取った勝利は、これが生まれて初めてだった。

名門貴族の子として生まれたギーシュには、大抵のものは何もせずとも手に入れることが出来た。


だがそれらはあくまで他者より与えられた物。

自身の力で勝ち取った物ではない。

思えば、自分が最初にギルガメッシュの暴言に怒った時、あれほどあっさりとその怒りを萎ませてしまったのも、真に自身の手で手に入れたものではなかったからではないのか。


貴族としての在り方も、その家名の価値も、所詮は他人に言われて懐いたもの。

そんなものに対して、真の怒りなど抱けるはずがない。


しかし、この勝利だけはギーシュが自らの手で掴んだ物だ。

そのことがギーシュには何より誇らしく、ギーシュの中で今までにない輝きを放っていた。


「せいぜい励めよ、ギーシュ。今後我を更に楽しませるためにな」


肩越しに振り返り、ギルガメッシュが言葉をかける。


目に映る堂々たる意志を示す背中。

他者を省みず、それ故に他者に流されることの無い、絶対唯一の強さを湛えた王者の姿。


その孤高にして気高い後ろ姿を、ギーシュは焦がれた瞳で見つめ続けた。










鏡に映るその光景を、コルベールとオスマンは言葉もなく見つめていた。

先ほどまでの他国の貴族だとか外交問題だとかといった心配事が、今では思考の片隅にさえ思い浮かばない。


鏡の中で繰り広げられた超常の光景。

それを目にすればいやがおうにも理解できた。


彼の者は、そのような常識では縛れない規格外なのだと。


「ふぅぅむ、これは・・・」


鏡には今、決闘を終えたギルガメッシュの姿が映っている。

その姿を眺めながら、オスマンはこの人物をどう扱うべきか迷った。


メイジの常識さえ逸脱した圧倒的な力。

そしてそれを担う者の気性は天災の如き気まぐれさ。

今回は血が流れることは無かったが、果たして次もそうだとどうして言えるのか。


そのようにオスマンが考えていると、鏡の中のギルガメッシュの視線が唐突にオスマンの方を向いた。


「っ!」


よもや遠見が見抜かれた?


向けられる血色の双眸にオスマンはとっさにそう思い、そしてそれは見事に的中していた。


「そこな我を覗き見る不埒者よ」


明らかに自分に向けられたその言葉に、オスマンはその身を震わせる。


完全に気付かれている。もはやそう確信せざる得なかった。


「王の姿を覗き見るとは度し難い無礼。すぐにその卑しい視線を引っ込めろ、痴れ者がっ!!」


鏡越しからのギルガメッシュの一喝。

その迫力に当てられ、オスマンは手にしていた杖を思わず取り落とした。


瞬間、オスマンからの魔法が途絶え、鏡に映っていた映像も消える。


「まったく、ミス・ヴァリエールもとんでもないもんを召喚したもんじゃのう・・・」


やれやれと肩を落とし、オスマンは呟く。


齢100歳をゆうに超える老獪たる自分を、ただの一睨みで臆させた途方もない王気。

それを目の当たりにし、オスマンは諦めと共に悟った。


もはやあれは他人が何を考えたところで益体のない存在。

あの者の行動を決定できるのは、あくまで彼本人だけだ。

どう足掻いたところで、あれを他人が御することは出来ないだろう。


そんな存在の出現に、しかしどこか痛快さを感じつつも、オスマンはふぅと息をついた。










不埒者に釘を刺し、ギルガメッシュは本来の要件へと戻った。


「シエスタよ」


「は、はいっ!」


話しかけてきたギルガメッシュに、裏返った声でシエスタは答えた。

その様子は誰の目から見ても明らかなほど緊張している。


だが、それも無理もない。

英雄王の超絶の威光を目の当たりにした直後のこと。

その本人に声をかけられ、緊張しないほうが無茶だった。


「お前を、我が従者に任命する。今後は我の元に控え、我のために奉公せよ」


「わ、私が、ですか!?」


「左様。よもや不服はあるまい?」


問いかけるギルガメッシュ。

しかしそれは問いの形をしてはいても、その実反論など許さぬ宣告であった。


英雄王の威光を以て投げかけられるその言葉に対し、誰が首を横に振れるだろう。

ましてそれが何の力も持たぬ平民の少女であれば猶の事。

気がつけばシエスタは首を縦に振っていた。


「うむ。誠心誠意我に仕えるがよい。確かなる忠義には、我は確固たる恩賞を以て応えよう」


一方的な契約を終え、用を済ませたギルガメッシュはヴェストリの広場から立ち去っていく。


広場からいくらか離れた所で、後ろからルイズが追い付いてきた。


「待ちなさいよ、ギルガメッシュ」


呼びかけられ、ギルガメッシュは足を止めて振り返った。


「ねぇ、聞かせて」


「うん?何をだ?」


「どうして、ギーシュを助けたの?」


あの最後の心変わりの瞬間まで、ギルガメッシュは確かにギーシュを手に掛けるつもりでいた。

あれほど冷酷に振りまいていた殺意を何を以て止めたのか、ルイズは気になった。


「言ったとおりの意味だ。奴にはまだまだ楽しむ余地がある。現時点で早々に散らせてしまうのも、少しばかり惜しいと感じたのだ。故に、生かした。それだけの事よ」


「楽しむって・・・、ギーシュの何が楽しいのよ?」


「決まっている。我が味わうは奴の生そのもの。矮小なる人の愚かしい苦行の生こそが、我が最大の娯楽なのだ」


高らかに、ギルガメッシュは言い放った。


「人としてこの世に生を受け、その身に添わぬ傲慢なる生を歩まんとする者。そんな者共の生の在り様を、我は好む。

善意も悪意もひとしく区別無く、己が領分を越えた悲願に手を伸ばさんとする愚か者。

そんな儚くも、しかしながら眩しい者を、我は愛でよう」


常時の彼からは想像も出来ないほどに澄んだ瞳で、ギルガメッシュは告げる。


ギルガメッシュのその言葉は、目の前のルイズではなく、もっと遠い彼の地に在った何者かに向けているようだった。


「故に、お前もまた励むがよい、ルイズ。幾多の苦渋と挫折を味わい、なおもその気高い精神を色褪せぬ者よ。

その内に宿る輝きが、類い稀なる至宝の光であるか否か、このギルガメッシュが見定めてやる」


はるか高みから投げかけられるギルガメッシュの言葉。


小さなルイズはそれに答えを返すことも出来ず、ただ自分が召喚した大きすぎる存在の姿を、その瞳に映していた。










[2589] [4]王の一日
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/02/29 06:49




[4] 王の一日





いろいろあった召喚初日より、一日が過ぎた朝。


昨日の疲れのためか、ルイズはいつもより少々長めの睡眠を取っている。

スヤスヤと眠るその姿は可愛らしく、彼女の幼い容姿を相まって、さながら妖精のような可憐さを纏っていた。


「さっさと起きんか。たわけ」


そんな妖精の眠りは、にべもない一言と共に、ベッドより蹴り落とされることで終わりをつげた。


「ぶめぎゃ!」


あまり可愛くない悲鳴を上げて、ルイズは眼を覚ます。

落ちた時に思い切りぶつけた鼻頭を押さえながら、とりあえず朝方早々このような蛮行に及んだ自分の使い魔へと癇癪を向けた。


「いきなり何するのよっ!!ギルガメッシュ!!」


「何を言う。お前を起こしてやったのだろう。朝になったら起こすように言ったのはお前だぞ」


「もう少しやり方ってもんがあるでしょう。足で蹴っ飛ばすなんて、どんな起こし方よ!!」


「それが一番手っ取り早かろう。お前相手にはそれぐらいがちょうど良い」


愉快そうな笑みを浮かべ、ギルガメッシュはルイズをからかう。

それはこのハルケギニアに来てからの、彼の趣味と言ってよかった。


そんなギルガメッシュの姿を見ていると、はるかに上の存在に思えた昨日の印象も、何だかどうでもよく思えてくる。

そんな印象に怯むより、今はこの主人を主人とも思わぬ金ピカ男に思い知らさなければならない。

そう決心すると、ルイズはギルガメッシュを召喚して以降、常に肌身離さず持ち歩くようになった杖に手を伸ばした。


と、そこで、ルイズの部屋をノックする音が聞こえた。

その音にルイズも杖を掴みかけていた手を離す。

こんな朝方から、一体誰だろう?


「よい。入れ」


本来の部屋の主を完全に無視して、ギルガメッシュが勝手に入室を了承する。


ここは私の部屋よ、というルイズの突っ込みが出掛かったが、それは部屋に入ってきたシエスタとそれが運んできたものによって飲み込んだ。


「何それ、料理?」


台車を引いてシエスタが運んできたのは、見るも豪奢な料理の数々だった。

盛り付けられた野菜や果物はその瑞々しさを甘い香りでこちらの視覚と嗅覚を打ち、豊潤な身の汁が溢れだす肉や魚のメインディッシュは見ているだけで食欲を刺激する。


ルイズら生徒たちがいつも利用する『アルヴィースの食堂』の料理が霞んで見えるほど、そこに乗せられたのは美食の限りを尽くした品々だった。


「王の膳が雑種共と同席などあり得んからな。これより後、我はここで食を取る」


「は、はぁ。まあ、いいけど・・・」


割と気のない返事をルイズは返す。

まあ、昨日の食堂での振る舞いを思えば、これ以上の余計な反感を得ないためにも、ギルガメッシュの食事を別の場所で行うことは悪くない。


それに関しては文句は無いが、問題は目の前にあるこの料理だ。


「これ、誰が用意したのよ?」


「マルトーだ。我が食材を提供し、奴に作らせた」


「マルトーって・・・、あのコック長の?」


その名はルイズも知っている。このトリステイン魔法学院のコック長であり、貴族嫌いで知られる男だ。


平民ながらも、その職柄故に羽振りは良く、学院長とも交友があるらしい。

また彼の機嫌を損ねると食事を抜きにされるため、貴族の生徒も迂闊には逆らえない。


そんなマルトーが、このいかにも貴族といった容貌のギルガメッシュのために、わざわざこんな豪勢な食事を作ったとは、にわかには信じ難かった。


「アンタ、まさか脅迫とかしたんじゃないでしょうね?」


「お前が我に対してどのようなイメージを抱いておるかは知らぬが、そんなものではない。奴との契約は正当なるものだ」


そう言ってギルガメッシュは、昨日の顛末を話しだした。










時刻は日も落ちた夜。生徒らの夕食が終わり、忙しかった厨房も平和を取り戻した頃。


「まったく、あいつらは・・・」


回収された大量の残飯の姿に、マルトーは思わず声を震わせる。

これらはすべて、厨房のコックたちが心をこめて作った料理達なのだ。


貴族の食事というのは、とにかく不摂生である。

これは何もマルトーらコックに責任があるわけではない。

貴族側の好き嫌いが多すぎるのだ。位ある家柄に生まれ、与えられた環境でぬくぬくと暮らしてきた彼らは、食事という行為をただの娯楽と考えている節がある。


故に、どれだけマルトーらが健康に気を使った料理を作っても、このように残してしまうのだ。

マルトーが怒るのも無理ないと言えた。


「フン、何がささやかな糧を我に与えたもうたことに感謝します、だ!!こんなので、ささやかな糧も感謝も無いだろうに」


生徒らが食事の前に行う答辞を思い出し、マルトーは毒づいた。


そんな時、厨房のドアが唐突に開かれた。


「フム。ここが厨房か」


シエスタを伴って入ってきた貴族然とした金髪赤眼の青年が、不遜な口を開く。その姿に、マルトーは眉を顰めた。


また高慢ちきの貴族が料理に文句を付けにきたのだろう。

そう思って、マルトーは憮然とした。


「貴族様が、こんな汚ねえ厨房に何の御用ですかね?」


一応の敬語で、しかし敬意の類の感情は一切含まず、マルトーは青年に尋ねる。


青年はそんなマルトーの態度に気分を害した様子もなく、問いを返した。


「ここの責任者のマルトーとやらは誰だ?」


「俺ですが?貴族様」


皮肉たっぷりに、マルトーは言い返した。

その視線も青年を見ようとはせず、いかにも不機嫌な様子が表れている。


しかし青年の次の言葉には、さすがのマルトーも視線を向けざる得なかった。


「貴様に、我の食膳を用意することを命ずる」


「はぁ!?」


いきなりの青年の言葉に、マルトーはすっとんきょうな声を上げた。


青年は気にせず言葉を続ける。


「今後は我が食の内容は貴様に一任する。光栄に思うがいい」


「って、ちょっと待てよ。料理なら食堂で全員分出してるだろ」


「フン。我が口にする食膳が、あのようなみずほらしい手抜きで充分だと言えるものか」


「何だと!」


青年のその言葉に、さすがにマルトーも頭に来る。

料理人という自身の職業に誇りを持つマルトーが、自身の料理を侮辱されて黙っていられるはずも無かった。


「そいつは聞きづてならねぇなぁ。俺の料理のどこが―――」


そう言いかけたとき、初めてマルトーは青年の目を正面から見た。


その人の物とは思えぬ深紅の双眸。

その赤い瞳を目にした途端、そこに呑まれるような錯覚を覚え、マルトーは出かかった反論を飲み込んだ。


そんなマルトーの様子は気にせず、青年は不遜な態度のままで告げていく。


「今しがた食してきた夕餉、鳥肉の塩加減が強すぎたな。そのせいで食材本来の味を僅かに損ねている。

またスープの煮込み具合にも難が見えた。時間配分はもう少し短くするべきであったな」


青年の指摘に、マルトーは仰天した。

青年の言ったことはマルトーも僅かに気にかけていたことであり、反論の余地が無かったからだ。


しかしそんな違和感は、作り手であるマルトーだから感じられるほどの些細なものでしかない。

それもこうまで見事に当てて見せたこの青年に、マルトーは改めて驚きの目を向けた


「朝餉にも似たような欠陥が見られた。まあ、食の嗜みからも知らぬ小童共が相手ならば、あれで十分かもしれんが。

しかし我の舌は誤魔化せん。我が口にする食膳が、そのような欠陥を残したままであるなど、断じて捨て置けん事柄だ」


「じゃあ・・・、何だって俺に料理を作れなんて言うんだ?」


自分がおかした失敗をこの青年は見抜いている。


見抜いているのならなぜ、自分にその青年の料理を作れだなどと言うのだろう。

そのような失敗を捨て置けないと言ったのは、他でもない青年自身だというのに。


「謙遜は不要だ。我はお前の腕のほどを理解している。出された料理の食材の切り分け方や味付けの熟達のほどを見れば、それが一流の技であると分かる。

我はお前を買っているのだ、マルトー。お前とて、自身の料理の真の理解に程遠い者共ばかり相手をしていて、気が滅入っていよう。

だが案ずるな。これより先、貴様を飽きさせることはないと我が保障する」


そう言って青年は、虚空より物体を取り出す。

その怪現象にも驚いたが、なによりマルトーが驚いたのは出現した食材の質の高さだ。


肉も野菜も、どれもが瑞々しく新鮮で、見たことも無い物も多々とある。

それらの食材のすべてが、もれなく最高級の逸品であると一目で分かった。


これほどの食材を調理できるのならば、それはまさしく料理人の冥利に尽きるというものだ。


「貴様がこれより献上するは王の舌。我が宝物庫に納められた食材を用い、見事我の舌を満足させてみせるがいい」


そう告げて青年は食材を厨房に置き、そのまま立ち去らんと振り返る。

その背中にマルトーはハッとして尋ねた。


「待ってくれ。アンタ、名前は?」


自分の料理を理解し、評価してくれた青年に、マルトーは問いかける。

その問いに青年は一度だけ立ち止まり、肩越しに振り返って、己が名を口にした。


「ギルガメッシュだ」


貴族らしい高慢さがありありと表れた態度。

しかしそれに全く不快さが感じられず、むしろその姿こそが自然体であると思わせる青年―――ギルガメッシュの姿を、マルトーは他の貴族に向けるものとは明らかに異なる、畏敬の眼差しで見つめていた。










「―――と、いうわけだ」


事の顛末を語り終え、ギルガメッシュは一息つく。

それをルイズはこの部屋を管理する魔法人形に着替えを手伝ってもらいながら聞いていた。


「・・それ、本当?」


確認のため、ルイズはギルガメッシュではなく、その隣に控えるシエスタへと尋ねた。


「はい。あれからマルトーさんも、ギルガメッシュ様に対してだけは敬意を払うようになって・・・」


「はぁ・・・。あのマルトー料理長がねぇ・・・」


「それもまた、王たる我の威光が為せる業よ」


そう言ってギルガメッシュは、運ばれてきた料理が並べられたテーブルの席についた。

空のグラスを掲げると、シエスタがそこに葡萄酒を注ぐ。


「お前も朝膳があろう、ルイズ。我のことは気にせず、お前も行ってくるがいい」


そのままギルガメッシュは食事を始める。

着替えを終え、制服を身につけたルイズは、その光景に思わず腹をクゥと鳴らしてしまう。


それは空腹というより、目の前の料理の姿こそが原因だった。

ギルガメッシュが食する美食の料理。

それは目にするだけでこちらの食欲を引きつけ、漂う香りは鼻腔を通して理性を掻き乱す。


そしてそれを実に美味しそうに味わうギルガメッシュの姿に、ルイズは眼を奪われた。


「どうした、ルイズよ?まるで卑しい物乞いのような顔をして」


「っ!!」


唐突にかけられた声に、ルイズはハッとした。


「何だ。お前も欲しいのか?」


「い、いらないわよ。いらないもん」


沸き上がる食欲を必死に抑えつつ、精一杯のプライドを込めてルイズは答える。


しかしギルガメッシュはワインの注がれたグラスを揺らし、変わらず笑みを浮かべて言った。


「なに、隠すことはない。我が蔵の至高の食材より調理された料理だ。それを直に目の当たりにすれば、理性が食欲に屈するも無理なきこと。フム、仕方がない・・・」


と、期待させるような言葉を耳にし、ルイズはパッと表情を輝かせた。


ひょっとして、自分にも分けてくれるつもりなのかもしれない。

意外と優しい所もあるのね、とルイズはこの傲慢不遜な己の使い魔の認識を改めかけた。


しかしギルガメッシュが差し出してきたのは、料理の盛った皿ではなく、足だった。

きょとんとするルイズに、ギルガメッシュは腹が立つほど愉快そうな笑みを浮かべ、自分のつま先を指しながら告げた。


「舐めろ。さすれば餌を恵んでやるぞ、犬」


今度こそ、ルイズの部屋に豪快な爆発音が響いた。










朝のひと騒動から時間は移り―――


ルイズが授業に出て勉学に励んでいる頃、ギルガメッシュは一人本塔の図書館へと来ていた。


三十メイルもの本棚が立ち並ぶこの場所には、一般向けの文学から学習用の資料、果ては門外不出の秘伝書やら魔法薬の作り方など、このハルゲギニアの大まかな書物が揃っている。


この図書館は貴族用で平民は入れないのだが、若い女性の司書はギルガメッシュの出で立ちを貴族のものと判断し、特に咎めることなく入室を許した。


さて、ギルガメッシュが興味を示した魔法の授業にも出ず、こんなところで何をしているのかといえば―――


「いやはや、まだ始めてから一時間しか経ってないというのに、もう言語をマスターしてしまうとは、すさまじい上達ですな」


「フン。我と雑種共とでは、そもそもの知能のデキが違う。この程度の知識ならば当然だ」


机の向かいに座り、しきりに感心そうな様子で頷くコルベールに、ギルガメッシュは不遜な声で答える。


ギルガメッシュが行っていたのは、このハルケギニアにおける言語の学習だった。

昨日ルイズと共にシュヴルーズの授業を受けたギルガメッシュは、その中で自身の状況で由々しき問題を発見した。


文字が読めないのである。


半神の魔人として、人の域をはるかに逸脱した頭脳を持つ彼ではあるが、さすがに予備知識ゼロの状態からではいかんともし難い。

誰かから学ぶ必要があった。


しかしその相手は誰でもいいというわけではない。

前記した通り、ギルガメッシュの知能は知識はなくとも常人のはるか上である。

両者の間に知能差がありすぎると、かえって教えるのに苦労するのだ。


例え教えられる側に立ったとしても、そうした不足を許さないのがギルガメッシュである。

教える側の人間も、ある程度の教養を備えた人物であることが望ましかった。


そこで白羽の矢が立ったのが、図書館で何かの調べ物をしていた様子だったコルベールである。


コルベールに、自分に文字を教えるよう命令したギルガメッシュは、半ば強引に彼を机を同席させて、文字のレッスンを始めさせたのである。


その強引さに最初は戸惑っていたコルベールだったが、ギルガメッシュの飲み込みの早さに、すぐにこのレッスンに夢中になっていた。


いざ文字を覚えると、ギルガメッシュはその応用であっという間に文章の構造も理解した。

最初こそおかしな翻訳機のような、妙な文法の食い違いが起きていたが、それもすぐに修正するとギルガメッシュはハルケギニアの一般言語をほぼ完全にマスターした。

その後はルーン文字など特殊な言語にも手を出し、一時間もした今では、コルベールにはギルガメッシュに教えられることは何も無くなっていた。


そこには召喚時に“ゲート”を潜ったことによる補正も加わっていたのだが、それを差し引いてもギルガメッシュの知識吸収力は異常と言えた。


「ともかく、この我への教授、大義であった。褒めてつかわす」


「は、はぁ・・・」


いつもながらの王様発言に、コルベールは苦笑いを浮かべる。

しかし次にギルガメッシュより出た言葉は、彼を驚かせた。


「褒美だ。質問を許可する」


「え?それは・・・」


「我の姿を見た時から、何か我に聞きたそうな様子だったではないか。なんなりと申すが良いぞ」


目の前の青年が自分の関心に気づいていたことに、コルベールは驚いた。

しかし好奇心旺盛な彼は、すぐに気を取り直すと、気になっていた事柄を口にする。


「実は、ミスタ・グラモンとの決闘の際、あなたの額に浮かべていたルーンが気になっていたのですが・・・」


「ルーン?これの事か」


そう言うとギルガメッシュは、虚空より決闘の時にも使用した本を取り出す。

かつて賢人が、その生涯をかけて学んだ神秘のすべてを書き記したとされ、そこに記述されたテキストを正確に読み解くことで、彼が会得した魔道のすべてを再現可能とする秘伝の魔道書である。


そしてそれを手にした瞬間、ギルガメッシュの額よりルーンの輝きが現れた。


このルーンのことはギルガメッシュも気になっていた。

あれはギーシュとの決闘の際、己が宝の蔵より原初宝具を取り出し、それを手にした時である。


元々その莫大な才覚を以て多種多様な宝具をある程度まで使いこなすギルガメッシュであるが、このルーンが輝くとその宝具に対する見識が驚くほど深まるのだ。


いかにギルガメッシュとて、その宝具がいかなるものなのか理解しなければ、それを扱うことは出来ない。

その対象の宝具を理解するという過程を、このルーンはごっそり省いているのだ。


恐らくこのルーンがあれば、このハルケギニアで初めて手にする宝具に類する物であっても、手にした瞬間にその使用方法から構造術式、果ては制作理由まで理解することが出来るだろう。


「おお!!やはり思ったとおりでしたぞ!!」


と、ギルガメッシュの額に浮かんだルーンを書き写し、一冊の本を一心不乱に調べていたコルベールが、あるページに行き着いた所で喝采の声を上げる。

その本はハルケギニアにおいて神の如く信仰されているメイジらの始祖、ブリミルが使用した使い魔についての記述が為された古書であった。


「ほれ、この本のここの部分を御覧ください」


「うん?」


促され、ギルガメッシュはコルベールが示す部分に目を落とす。

そこの一節には、ギルガメッシュが額に浮かべるルーンと同じ物が記されていた。


その文献によると、このルーンを宿した者はいかなるマジックアイテムも操れるようになるという。

その記述でギルガメッシュは決闘時の違和感の正体を知った。

彼の所有する宝具も、規格外ながらマジックアイテムであることに変わりはない。


「やはりそのルーンこそは、ブリミルが使役したという神の頭脳『ミョズニトニルン』の物に違いない。いや、ミスタ・グラモンとの決闘の際、あなたに浮かんだルーンが、以前に目にした物に似ていたのでよもやとは思いましたが、まさか本当に伝説のルーンであったとは。

これは大発見ですぞ!!現代に甦った『ミョズニトニルン』!!」


やや興奮した様子でコルベールは、ここが図書館であることも忘れて騒ぎ出す。

しかしその向かいに座るギルガメッシュは、コルベールとは対照的に気のない様子だ。


「いやはや、決闘の時のあなたの強さには驚きましたが。なるほど、あれほどの力があれば伝説と謳われるのも納得がいく―――」


「あまりふざけた事を抜かすなよ、雑種」


と、舞い上がっていたコルベールの熱は、投げかけられたその声の冷気によって一気に冷まさせた。


見れば、いつの間にか向かいに座るギルガメッシュが、魂まで凍えさせる冷然なる眼差しでこちらを見据えていた。


「伝説だか何だか知らぬが、我のとってはそのような力、瑣末な付属品に過ぎぬ。我が最強である理由は他でもない。

我がギルガメッシュであるが故、その一点に尽きるのだ。それ以外の事柄など、所詮は装飾よ」


単なる傲慢ではなく、絶対なる自信と共に口に出されたその言葉に、コルベールはようやく理解する。


彼の強さに理由などない。

昨日のギーシュとの決闘時に見せたあの圧倒的な強さは、ただ彼が英雄王ギルガメッシュであるが故のものに他ならないのだ。


そんな規格外の存在を前にして、コルベールは無意識の内に夢想した。

はたして自分がこの存在と相対したとき、勝利することは可能かどうか。


その心の動きは、コルベールのかつての人生―――軍人として、国のためという名目の元、誇りなどという言葉とは程遠い殺戮の日々に明け暮れた人生が、彼の身に刻みこんだ習性だった。

かつての自分を悔いて捨て、新しい人生を歩む今のコルベールにも、身体に染み込んだ習性は消すことなど出来ずに残っている。


正面から戦えば、無論のこと自分に勝ち目など万に一つもあるまい。

だがそれはあくまで正面から正攻法のみで戦った場合の話だ。


元より自分の戦い方は、力を頼りに真っ向から敵と対峙する勇敢なる戦士の物ではない。


乱戦の中に紛れて敵の背後に忍び寄り、その心臓を鷲掴みにする暗殺者のそれなのだ。


自分の実力以上の相手と戦うことなど、一度や二度ではない。

トライアングルクラスの自分が、そうしてスクウェアクラスのメイジを討ち果たしたのも、数えただけで片手に余る。


故に、コルベールに付けられた二つ名は『炎蛇』。

その毒蛇のように狡猾にして非道なる彼の手口を由来とする、忌むべき名前である。


幾重にも物理と心理の罠を張り巡らし、そこに敵を陥れる。

そこを間髪入れず、この『炎蛇』の毒牙を以てその喉笛に喰らいつけば、あるいは―――


「我を仕留める算段はついたか?蛇よ」


投げかけられたその言葉に、コルベールはハッとしてギルガメッシュを見る。


いつしかギルガメッシュの表情が変わっていた。

新たな遊戯を得た子供のような、好奇に満ちた顔がそこにはある。


その笑みが、コルベールにはどうしようもなく不穏に見えた。


「我の洞察を見くびるでないぞ。例えいかに外見を取り繕うと、その身に染み込む血と硝煙の臭いはそう容易く消えるものではない。その異臭に、我が気付かんと思ったか?」


次々と自分の内部を掘り起こすギルガメッシュに、コルベールは焦燥の感情に駆られた。


このままこの男との対話を続ければ、封じていた自分の暗部が再び浮き上がることになるかもしれない。

そんな予感が、コルベールの胸によぎった。


国という大義も元に、自らが行った罪無き人々の虐殺。

その罪を償うために、今のこうして人のためとなる発明のために費やす日々がある。


しかしそれも、結局のところは真なる意味での贖罪ではない。

自分の犯した罪を裁くことが出来るのは、他でもない自分が殺してきた人々だけなのだ。

罪人自身で勝手に課した贖罪など、本物であるはずがない。

しかしその自分の断罪者たちは、自分が殺してしまったが故にこの世にはおらず、詰まるところ自分の行う人ための発明は、自分を慰め罪より逃れるための逃避の行為でしかない。


裁かれぬが故に、償えない。

長きに渡り封印し、目を背けてきた自らの心の闇。

それを明確なる真理の元、眼前に突きつけられれば、それはすなわちジャン・コルベールという人間の破滅を意味する。


この対話はすぐに中断し、この場より立ち去るべきだ。

コルベールの理性が切羽詰まった様子で訴える。


しかし何の理も無くこの場より遁走することは、自分を見つめる青年の赤い魔性の双眸が許さなかった。


が、意外にもこの対話の終わりは、向こうの方から切り出してきた。


「まあ良い。貴様には我へと文学を教授した功績がある。それに免じて、その心根を解体するのは勘弁してやろう」


拍子抜けするほどあっさりとそう言って、ギルガメッシュは席を立つ。

もちろんそれを呼び止めるような真似が出来るはずもなく、コルベールはただ黙って立ち去っていくその姿を見送った。










一日の終わりを彩る夜。


雲ひとつなく、無数の星々の光を湛える夜空。

そんな夜空の下を、ギルガメッシュは放浪していた。


双月が彩るこのハルケギニアの夜空は、この世界の住人たちには常識のものでも、異なる世界より召喚されたギルガメッシュには実に新鮮なものだ。

こうして何をするわけでもない夜の散策だけでも、彼の無興を慰められる。


そうしてほぼ日課としつつある夜の散策を終え、ギルガメッシュがルイズの部屋へと戻ろうと歩を進めていると、その前に燃える尻尾を持つ大きな赤蜥蜴が現れた。


ルイズの向かいの部屋に暮らすキュルケの使い魔、サラマンダ―のフレイムである。


「うん?」


首を傾げるギルガメッシュに、サラマンダ―は人懐こい感じできゅるきゅる、と鳴いた。

そこに害意は無く、しきりに首を振ってこちらを促そうとする仕草は、どこかへ自分を案内しようとしている様子だった。


「自ら王との対面を望むか。なかなか骨があると見える」


不敵にそう言って、ギルガメッシュはサラマンダ―の後に続いて歩き出す。


やがてサラマンダ―は開けっ放しとなっているルイズの隣のキュルケの部屋へと入っていく。

それに倣い、ギルガメッシュもまた部屋のドアをくぐった。


入ると、部屋の中は真っ暗だった。

先に入ったサラマンダ―の尻尾の火だけが照明の役割を果たしている。

そんな暗がりから、艶やかな女性の声が聞こえてくる。


「扉を閉めて」


その声だけで大体の意図を察したギルガメッシュは、言われた通りに扉を閉めた。


「ようこそ。待っておりましたわ」


指を弾く音が聞こえ、それと同時に部屋中のロウソクに一本ずつ火が灯っていく。


やがてその淡い灯りの中に、ベビードールのみの悩ましい姿のキュルケがぼんやりと浮かび上がった。


「さあ、どうぞこちらへ」


促され、ギルガメッシュはキュルケの傍らに腰かける。


そんなギルガメッシュにキュルケは大きく溜め息をつき、悩ましげに語りかけてきた。


「あなたはきっと、こんな真似に出たあたしの事を、はしたない女だと思うでしょうね。

でも分かって。この『微熱』の心には、すでに火がついてしまったの」


熱く潤んだ上目遣いで、キュルケはギルガメッシュを見つめた。


これが並の男なら、豊かなスタイルをした艶やかな美女であるキュルケにこのように見つめられれば、男としての原始の本能を呼び起されていただろう。


しかしながら、彼はこの世すべての欲を堪能し尽くした最古の暴君ギルガメッシュ。

この程度の色香に心惑わされることはなかった。


「初めてお会いした時から、あたしの視線はあなたを追っていたわ。そしてそのあたしの心に灯った火は、あのギーシュとの決闘で一気に燃え上がったの。

あの時のあなたの凛々しいお姿。ああ、あたくしもう、参ってしまいましたわ」


ゆっくりと、キュルケはギルガメッシュの端正な顔に近付いていく。


動揺は無い様子のギルガメッシュではあるが、かといって拒もうという気配もない。


ただ黙って、キュルケの接近を見守っている。


「この身体の火照りを、燃え上がる心の炎を冷ますことが出来るのは、あなただけ。

ねぇ、あたしをこんなにした、いけないあなた。この『微熱』の火照りを、どうか静めてくださって・・・」


キュルケの魅惑の唇が、ギルガメッシュへと迫る。


が、その瞬間、邪魔をするなら絶妙のタイミングで、窓の外が叩かれた。


「キュルケ・・・。待ち合わせの時間に君が来ないから来てみれば―――」


恨めしげに部屋を覗く生徒と思しきその男は、ギルガメッシュには及ばないまでもなかなかに整った顔立ちをしていた。


しかしその男にキュルケは顔を向けることもなく、胸の谷間から抜き出した杖を一振りして、炎で窓ごとその男を吹き飛ばした。


「・・・今のは?」


「ただの無粋なフクロウよ。ともかく、さあ、続きを・・・」


再び唇を近付けてくるキュルケ。

しかしまたしても、耳ざわりな音が邪魔に入った。


「キュルケ!その男は誰だ!!今夜は僕と―――」


窓枠を叩くその精悍な男は、キュルケの杖の一振りによって伸びたロウソクの炎に焙られて地面へと落ちて行った。


「全く、今夜はフクロウが多いわね。さあ、それより続きを―――」


「「「キュルケ!そいつは誰なんだ!!恋人はいないって言ってたじゃないかっ!!」」」


今度は三人同時だった。


事前に申し合わせでもしたかのように見事にハモって、ハンサム男たちは叫ぶ。


そんな彼らにキュルケは面倒臭そうに使い魔のサラマンダ―に命令した。


「フレイムー」


きゅるきゅると部屋の隅で寝ていたサラマンダーが起き上がり、三人が押し合う窓だった穴み向って炎を吐いた。

三人は仲良く地面に落下していった。


「あれもフクロウ、という訳か?」


「ええっと、その・・・」


さすがに誤魔化しきれないと思ってきたのか、キュルケが冷や汗を浮かべる。


しかしギルガメッシュは特に気分を害した様子もなく、楽しそうな笑みを浮かべて続けた。


「何、構わぬ。この我を口説かんとする女狐だ。そこいらの雑種の男共を手玉に取るくらいの芸当は、やってのけて当然であろう」


「え!そう?」


悠然と、ギルガメッシュは頷いて見せる。


「何よりこの英雄王を夜伽に呼びつけておいて、なお他の男にも声をかけておくその心持ち。不敬とも取れるが、それ以上に痛快だ。色欲にかけるその気概、なかなかに評価に値するぞ」


「まあ!なんて懐が厚い!!」


ギルガメッシュの言葉に、キュルケは称賛の声を上げる。


そんなキュルケに向けて、ギルガメッシュはギョロリとその視線を剥いた。


「しかしな、勘違いはするなよ、小娘」


「え?」


疑問符に答えるより早く、ギルガメッシュの唇がキュルケの唇を塞ぐ。

身体を引きよせ、強引に為されたそのディープキスは、百戦錬磨のキュルケでさえも、その身を硬直させてしまうほどの情熱が込められていた。


やがて唇が離れ、トロンとしているキュルケに、ギルガメッシュは不敵な笑みを浮かべて言った。


「我がお前を追い掛けるのではない。お前が我へと追い縋るのだ。この英雄王の寵愛を受けたが最後、その心身は鎖によって繋がれ、二度と他の雑種どもに靡くことはない。

せいぜいこの我に目を止めた事を後悔し、そして歓喜するが良い。その気概を評価し、貴様に寵愛を与えてやる。これより後、貴様は我の物となるのだ」


堂々たる宣言に答えることも出来ず、キュルケはそのまま為されるがままにベッドへと押し倒されていった。







[2589] [5]王の買い物
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/02/29 06:51



[5]王の買い物





このハルケギニアにおいて休日にあたる、『虚無』の曜日の朝。


スヤスヤと寝息を立てていたルイズは、唐突に身に走った悪寒にベッドから飛び起きた。


「チッ」


果たしてそこには、今まさにルイズを蹴り起こさんと足を上げるギルガメッシュの姿があった。

渋々といった様子で上げていた足を下げるギルガメッシュに、ルイズは知らぬ間に妙な技能が磨かれてしまっている自分自身を悲しく思った。


「今日は街に行くぞ、ルイズ」


「街に?」


いきなりのギルガメッシュの言葉に、ルイズはきょとんとした。


「ここは我の治めた地とは異なる、異界の地。ならばこの我が、いまだ手にしたことの無い宝物を、新たに発掘できるかもしれん」


「・・・それで、なんで私がアンタの宝探しに付き合わなきゃならないわけ?」


「今日は休日なのだろう。この世界の土地勘は我にはないからな。お前が我を案内するのだ」


実に単純な理由だった。

一応、案内を頼んでいるということだろうに、どこまでも上から見下す言い方しか出来ない男だ。


そんなギルガメッシュに、ルイズはプイッと顔を背けて反抗して見せた。


「嫌よ。召喚してからアンタがいろいろやらかしてくれたせいで、私結構疲れてるのよ。案内なら、あのメイドにでも頼めばいいじゃない」


にべもなくそう答える。

だがそんなルイズの足に、唐突に伸びてきた鎖が絡みついた。


「え!ちょっ・・・!?」


「決定した事は迅速に為すが我の信条。さっさと行くぞ」


鎖を手にし、ギルガメッシュが完全にルイズの言葉を無視した形で告げた。


「だ、だから私は行かないって―――」


「たわけめ。お前の意思など初めから訊いておらぬわ。これはすでに我が決定した事だ」


そう言ってギルガメッシュは鎖を片手にズンズンと歩き始める。

必然、足を絡め捕られているルイズはベッドから出た寝巻き姿のままでズルズルと地べたを這いずり回る事になった。


「わ、分かったわよ!!行く、行くから、行くからせめて着替えさせてぇぇぇ~~!!」


早朝より、ルイズの哀れな叫びが魔法学院に響き渡った。










「うう、ん~・・・」


艶やかに呻いて、ベッドの中のキュルケは眼を覚ました。

その格好は、昨夜の情事の後のままの一糸纏わぬ姿だ。


軽くあくびをして、キュルケは自分の隣にいたはずの男の姿がないことに気が付いた。


「あら?あの方はどこ?」


キョロキョロと辺りを見回すが、その姿はどこにもない。

どうやらこの部屋の中にはすでに居ないらしい。


ベッドから起きて、キュルケはとりあえずシーツを纏って身体を隠して、かつて窓だった穴から外を見渡してみた。

するとそこに、ルイズと共に騎乗してどこかに出かけようとしているギルガメッシュの姿が映った。


「まあ、素っ気ないのね。一夜を共に過ごした相手を放っておいて、他の女の所に行くなんて」


肩を竦めながらそう言い捨てるキュルケだったが、その声はどこか弾んでいた。


今の彼女の心には、かつてない情熱の火が灯っている。

その情熱の火が向かう先にいるのは、言うまでも無くギルガメッシュだ。


昨夜、彼は言った。もう自分は、他の男に靡くことはないだろう、と。

そしてその言葉は、まぎれもない真実だった。


一方的で強引な、ギルガメッシュの抱擁。

気遣いなどなく、ただ己が為に相手を堪能し尽くす傲慢なる蹂躙。


だがそこには、一度味わえば忘れることなど敵わない情熱と快楽の熱があった。


それを味わった今、どうして他の凡庸なる男たちで満足できるだろう。

どうしたところで、その視線はギルガメッシュの姿を追っている。

それは彼女のこれまでの経験からすれば、考えられない事態だった。


キュルケにとって男とは鹿や鳥のような獲物であり、自分はそれを狩る狩人だった。

いかなる化粧や仕草、口説き文句で男たちを魅了し落とすか考えるのが彼女の日課であった。

狙った男は一人も洩らすこと無く落としてきたし、そうして複数の男たちに追いかけさせるのが彼女には痛快だった。


そんな傍若無人な人生を歩んできたキュルケだったが、ここに来てそんな彼女の御株をすべて簒奪してしまう男が現れた。


彼女の傍若無人さなどかわいく見えてしまうほどの傲慢さを持ち、なおかつそれを包み隠すことなく自然体として表している破格の英雄王ギルガメッシュ。

彼の威光はこれまでのどんな男よりも眩しく輝き、彼の宿す情熱は燃え立つ炎のように熱く激しい。


これまで幾多の男たちに自分を追いかけさせてきたキュルケが、自らその背を追いかけようと思うほどに、キュルケはギルガメッシュに完全に参っていた。


あれほどの規格外の男だ。

それを追いかけんとする道は、自分という人間の人生を大きく変えてしまうだろう。

しかしながら、それが困難な道であればあれほどキュルケの心は燃え上がる。

どうせ燃えるなら、命まで燃え上がらせるほどの情熱で、すべてを壊してしまいそうな恋をしたい。


『恋の情熱はすべてのルールに優越する』

その言葉は彼女の実家のツェルプストー家の家訓であり、キュルケ・フォン・ツェルプストーという人間の行動原理なのだ。


「覚悟してね、ダーリン♪この『微熱』を本気にさせたツケは高くつきますわよ」


馬に跨り学院の外へと駆けていくギルガメッシュに、キュルケはニヤリと挑戦的な笑みを浮かべて告げる。

そうしてから彼女は自分の思い人を追いかけるため、早々に着替えを終えて最も頼りにしている親友の助けを借りるべく部屋を出て行った。










馬の背に乗り、ルイズはギルガメッシュと並んで王都トリスタニアまでの道のりを進んでいく。

手綱を握り馬を操りながら、ルイズは隣を走るギルガメッシュの姿を横目で見つめた。


風格、というのだろうか。

威風堂々と馬上に跨り、大地を駆けていくその姿は実に彼に似合っており、絵になっている。

そんなギルガメッシュの姿に、ルイズは不覚にも見惚れていた。


そんな調子だったため、前からやってくる馬車にも気がつかなかった。


「きゃ!」


ぶつかりそうになり、ルイズは慌てて手綱を引いて馬を急停止させる。

馬車のほうも走行を停止させ、その車両の窓から貴族と思しき中年の男が顔を出す。


「気を付けたまえ」


「す、すいません」


その貴族の男の顔を知っていたルイズは、素直に謝罪を口にする。

ルイズが謝ると、貴族の男はフンッと息を鳴らし、それ以上の追及はせず再び馬車を発車させた。


「あれ、モット伯だわ・・・」


ジュール・ド・モット伯爵。

王宮付きの貴族であり、魔法学院には王宮よりの勅使としてたびたび足を運んでいる人物である。


王宮付きというだけはあってそれなりの地位と権力を有しているが、それを傘にきた典型的な貴族であり、生徒たちからもあまり好かれてはいない。

特に女子には、その破廉恥な性向と相まって疎ましがられている。


そんな人物と会ってしまい、ルイズはやや不機嫌そうに顔をしかめた。


「何をしている、ルイズ。ぐずぐずしているとまた鎖で繋ぐぞ」


そんなルイズに、横暴なギルガメッシュの言葉が届く。

朝の記憶も新しいルイズはすぐに、ルイズとモットのやり取りを無視して先行していたギルガメッシュの方へと馬を走らせた。


「分かってるわよ!!そんな急かさないでよ」


繋がれないよう大声で答えて、ルイズはモットの事を意識から外した。

ただ、査察の時期でもないのに、モットの馬車が魔法学院の方向へ向かっているのが、少し気になった。










トリステイン城下町トリスタニア。

大通りの先に精悍なる宮殿の姿を湛えるこの街こそトリステインの首都であり、老若男女様々な人間が行きかい、その生活を甘受している場所だ。


そんなブルドンネ街の大通りを、周囲の人間の視線を集める、四人の一団が闊歩していた。


内二人はルイズとギルガメッシュ。

馬を走らせ、かれこれ三時間ほどで到着した二人は、ルイズの案内とギルガメッシュの意志の元、街内の店という店を見回り始めたのだ。


そして残る二人は―――


「何でアンタまで付いて来てるのよ、ツェルプストー!!」


ギルガメッシュに腕を絡めて歩くキュルケに、ルイズは怒りに顔を真っ赤にして怒鳴った。


ギルガメッシュとルイズが城下町に辿り着いてすぐに、風竜に乗ったキュルケが二人の前に現れたのだ。

キュルケはギルガメッシュの外出の意図を知ると、すぐに自分も同行すると言い出した。

もちろんルイズは猛反対したが、キュルケは元よりルイズの意見など聞いておらず、ギルガメッシュも拒まなかったので、こうして一緒に街内を回ることになった。


ちなみにそんな彼女らの隅では、キュルケが乗ってきた風竜シルフィードの主であるタバサが本を片手に無言のままで付き従っていた。


「決まってるじゃない、ヴァリエール。恋する女はね、常にその思い人の傍らに居たいと願うものよ。

ねぇ、ダーリン♪」


より一層自分の豊満な身体を押し付けて、キュルケはギルガメッシュに笑いかけた。

そんなキュルケにギルガメッシュは頷くかのように微笑を浮かべて応える。


二人のその仕草に、ルイズは最近かなり細くなっている堪忍袋の緒を切った。


「アアアアンタたち、それってどういうこと?ねぇ、それってどういうことなのかしら?」


プルプルと身体と声を震わして、ルイズが尋ねる。

その問いにキュルケはしれっと答えてみせた。


「そんなの決まってるでしょ。私とダーリンはね、すでにお互いの身体の温もりを知ってる仲なのよ」


その表現が何を意味しているのか、初心とはいえ一応の知識もあるルイズにも分かった。


「―――っ!!!!!???」


声にならない憤怒の叫びをルイズは上げる。

そうしてからルイズは、二人のそのやり取りの間で平然としているギルガメッシュにとりあえず怒りをぶつけた。


「アンタはぁぁぁぁっ!!あれほどツェルプストーの女には手を出すなって言ったのにぃぃぃぃっ!!!」


ヒロインとしての色々なものが崩れ去ってしまいそうなものすごい形相で、ルイズは怒声を上げる。

そんなルイズのキャラ破壊級の怒りも意に介することなく、ギルガメッシュは不敵な笑みを浮かべて言ってみせた。


「なんだ、ルイズよ。我が他の女にばかり構っておるから、嫉妬したか?」


「なぁ!?そ、そんなわけないでしょ!!誰がアンタなんかに―――」


「なに、照れることはない。この我の傍らにおれば、その威光に心奪われるも致し方なきこと。

ふむ、その板切れのような身体つきでは欲情することは難しいのだが、まあそれはそれで楽しみようもある。どれ、今晩あたりにでも・・・」


「するかっ!!ていうか、誰が板切れよっ!!」


そんな感じで大騒ぎしながら街中を闊歩する、人種もキャラも何もかもが違う四人組。

こんな奇天烈な集団、目立たないほうが無茶だった。


「ねぇ、ダーリン。いろいろと回ってみたけど、何か欲しい物はあったの?」


街内を歩き回ってしばらくしてから、キュルケがギルガメッシュに尋ねる。

その問いにギルガメッシュは失望を顕わにして息をついた。


「いや、どれもこれも我の目に敵わぬ三流品ばかり。我が蔵に収めるに値する宝などありはせなんだ。やはり、このような小国の街に期待したのが間違いであったか」


「そうそう。物も女も、選ぶならゲルマニアに限るわ。トリステインのなんて、古臭くてカビが生えてるもの」


トリステインを卑下するキュルケの言葉に、真っ先に反応したのは生粋のトリステイン貴族のルイズだった。


「古臭いってなによ!!いい、トリステインは歴史と伝統を重んじるの。やりたい放題の野蛮なゲルマニアとは趣が違うんだから」


「そうやって人材と国力を落としてたら世話ないわ。そんなことだからトリステインにはカビが生えてるっていうのよ」


「なんですってぇぇぇぇっ!!」


そうして隣では両女子による壮絶な死闘が始まりつつあったのだが、そんなことには一切構わずギルガメッシュは街中を見回している。

彼も彼なりに、真剣に宝物となりうるものを選別しているのだ。


そうしている内に、ギルガメッシュの視界にある一軒の店が映った。


「ついでだ。あそこにも寄っていくぞ」


そう言ってギルガメッシュが指し示したのは、他の建物の影に隠れるように建つ、剣の形の看板を下げた店だった。


「武器屋?けどなんか汚いところねぇ・・・」


「どうせ表通りにある主だった店は見て回ったのだ。ここは一度視点を変え、影に潜む店に足を運んでみるのも悪くない」


ルイズの文句など気にも留めず、ギルガメッシュはぐいぐいとそちらへと進んでいく。

他の三人もそんなギルガメッシュの強引さに引っ張られ、路地裏の汚い道を歩いて行く。


店に入ってみると、そこは外の雰囲気とも相まって、昼間だというのに薄暗く、ランプの灯りがともっていた。

しかしながら壁や棚に立てかけられた武具は、それなりに見栄えがあった。


客の来訪を察したのか、店の奥からパイプを銜えた五十ばかりの店主がやって来る。


「き、貴族の旦那方。ウチはまっとうな商売を賄っておりまさぁ。お上の目につくような事なんざ、一切手をつけちゃいませんぜ」


ギルガメッシュら四人の姿を見ると、店主は動揺を露わにした。

本来平民が立ち寄るはずの武器屋に貴族が、それも四人同時に現れたのだから、店主の反応も無理からぬといえるだろう。


「客だ」


店主の言葉にその一言のみで答え、ギルガメッシュはズカズカと店主の元まで歩み寄った。


「店主よ。この店で最高の逸品を持ってこい」


「さ、最高の品でございますか?し、して種類のほうは・・・」


「我に二度同じ言葉を言わせる気か?」


睨みもきかせた二度目のギルガメッシュの言葉に、店主はその威圧に押されて大慌てで店の奥へと引っ込んでいった。


次に店主が戻ってきたとき、彼の手には所々に宝石が散りばめられ、刀身も鏡のように光る一・五メイルほどの見事な拵えの大剣があった。


「こちらがこの店一番の業物でさ。こいつはかの有名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿が鍛えた逸品でして、魔法がかかった刀身は鉄をも一刀両断という話でさ。

ただ見たとおりかなりの大きさでして、貴族の旦那様の体格ですと、背中から下げんといかんでしょうが・・・」


「あら。結構いいじゃない」


店主の持ってきた剣を見て、ルイズがそう感想を漏らす。

剣に関しては素人のルイズではあったが、その彼女から見てもこの大剣は見事そうだった。

ギーシュとの決闘の際にギルガメッシュが見せた無数の宝剣たちにも、少なくとも見栄えでは負けていない。


そのように思うルイズだったが、当のギルガメッシュはフンッと鼻を鳴らし、その大剣の柄を手に取る。

そしてそのまま品定めをするように振り始めた。


ギルガメッシュの見せる剣筋に、この場の誰もが魅せられた。

あれほどの大剣を片手のみで軽々と振るうギルガメッシュの力もそうだが、何よりその剣捌きに圧倒される。


それはまさしく達人の域を超えた英雄の武芸。

狭い室内であってもまるで窮する様子のないその剣の軌跡は、透き通る風切り音を鳴らし残像を残す。

時代の縛りを超え、英霊の座に招来された者だけに許される、いかなる時代の兵器をも凌駕する神秘の域に達した剣技の冴えが、そこに展開されていた。


そうしてひときしりの剣定めを終えたギルガメッシュは、唐突にその剣先を店主の鼻先へと突き付けた。


「ひぃ!」


刃を向けられ、店主が無抵抗を示すように手を上げる。

構わず、ギルガメッシュは告げた。


「・・店主よ。これがまことにこの店最高の業物であると抜かすか」


剣を突き付けたままの状態で、ギルガメッシュは感情の無い声で問い質す。


「材質の配分も考えず、無作為に混ぜられた貴金属類が強度を落とし、切れ味を悪くしている。

見てくればかりに気を向けた中身の伴わぬナマクラにも劣るクズ剣。こんなもの、溶かして材料に戻したほうがまだマシだ」


にべもなく言い捨てて、ギルガメッシュは手にしていた大剣を放り捨てる。

それを店主は慌てた様子で受け止めた。


そんな店主にはもはや一瞥もくれようとはせず、ギルガメッシュはそのままこの店から去ろうとした。


「アッハッハ、言うねぇ。貴族の小憎にしちゃあ、なかなか見る目があるじゃねえか」


と、自分たち以外誰も居ないはずの店内に響いた声に、ルイズたちはハッとして周囲を見回す。

そんな中、唯一ギルガメッシュのみが動揺を見せずに、声をしたほうへと視線を向けた。


「何だ、少しは見どころのある品もあるではないか」


隅の樽に乱雑に立てかけられた剣の山から、ギルガメッシュは一本の錆ついた薄手の長剣を抜きだした。

剣を手にし、ギルガメッシュは問いを剣に向けて告げる。


「今の言動は貴様のものか?」


「オウヨ。俺はデルフリンガーってんだ」


ギルガメッシュが問いかけると何と、鍔の辺りを口のように動かし、手にした剣がしゃべりだした。

その光景にルイズはきょとんとした顔になる。


「それってもしかして・・・」


「インテリジェンスソード」


ポツリと、今まで無言のままだったタバサがその剣の種類を口にする。


インテリジェンスソードとは、特殊な魔法により意思が付与された魔法剣である。

ハルゲギニアでは物をしゃべる道具というのはそれほどめずらしいという訳ではないが、はっきり言ってうるさいので人気はない。


「お、おでれーた。さっきの剣技見てただモンじゃねぇとは思ってたが、お前さん、本当に人間かい?」


「ほう、我のことが分かるか。それに・・・、フフン、なかなかに得難い業物であるようだな」


額のルーンが輝き、ギルガメッシュは笑みを浮かべる。

このデルフリンガーというインテリジェンスソードも魔法によって鍛えられた魔法道具。

あらゆる魔法道具を理解する『ミョズニトニルン』のルーンは、初見にてそこに刻まれた年月と特性を見抜いたのだ。


「決めたぞ。この剣を購入する」


「え!?そんなボロボロなのがいいの?」


驚いた声をルイズが上げる。


一応魔法のかかったインテリジェンスソードであるが、見た目は単なる錆びだらけのボロ剣だ。

かつて見たギルガメッシュの宝剣たちとは、はっきり言って比べようも無い。


とはいえ、召喚してからのこの使い魔との短いながらも濃度の濃い毎日から、この男が一度決めたことをそう容易く曲げることはしないことも理解していた。


「まあ、アンタのなんだしいいけどね。あれ、おいくら?」


「へえ、それでしたら―――」


「たわけ」


値段を口にしようとした店主の言葉を、ギルガメッシュのにべもない一言が遮った。


「万物に価値を定めるは王の役目。雑種共の見識などどうでもよい。この剣の価値は、我が決定する」


そう言ってギルガメッシュは空間の扉を繋ぎ、自身の宝の蔵より目的の物を取り出す。

そいして取り出したそれを、店主の眼前に置いた。


「――――――っっっっっ!!!!????」


あんぐりと口を開けて、店主は絶句する。

その光景にはルイズやキュルケのみならず、タバサまでもが呆然とした。


カウンターの上にあふれんばかりに置かれた、煌びやかな金銀財宝。

それはどう軽く見積もっても、この店にあるすべての武具を買い取ったとして、十分すぎるほどのお釣りがくる量だった。


それをあんな見るからに切れなさそうなボロ剣に、ポンッと出してしまうなんて・・・


「もはやここに用はない。行くぞ」


そんな彼女らの動揺などどこ吹く風で、ギルガメッシュはすでに用済みとなった店からさっさと出て行ってしまう。

それを慌ててルイズ達も追いかける。


後に残されたのは、魂がどこかに抜けて出てしまったような顔をしてポカーンとしたままの店主だけだった。










「まったく、そんなボロ剣にあんな大金出しちゃうなんて、何考えてんのよ」


魔法学院へと戻る帰り道、ルイズは愚痴るようにそう呟く。


そこには馬上に跨るルイズとギルガメッシュ、そして地表近くを馬の速度に合わせて飛行する、キュルケとタバサを乗せた風竜の姿があった。


「たわけめ。いかに末席とはいえ、この我が宝物と認めた逸品。はした金如きでその価値を測れるか」


「さすがダーリン♪器の大きさが違うわ」


「限度があるわよ!!そんなサビサビのクズ鉄なんかに、そんな価値があるわけないじゃない」


「おいコラ、貴族の娘っ子。このデルフリンガー様をつかまえて、クズ鉄とはどういうことだ?」


ギルガメッシュの馬の横に下げられたデルフリンガーが口を開く。


「そのまんまの意味でしょ。そんな錆だらけでアンタ、トマトも切れそうにないじゃない」


「なにおぅ!!」


お互い気が短い性格のためか、ルイズとデルフリンガーが喧嘩を始める。

剣を相手にマジで口ゲンカをしているというのも、なかなかにシュールな光景だった。


「フム・・・。確かに見た目はみずほらしいな」


と、そう呟いてギルガメッシュは唐突に馬を停止させた。

そうしてから横に下げていたデルフリンガーの柄を握り、その刀身を見下ろして告げる。


「いい加減、仮初めの姿でいるのは辞めにしろ」


「へ?いや、言ってることがよくわかんねぇんだけど、旦那―――」


「愚か者」


とぼけた調子で答えたデルフリンガーを、ギルガメッシュは一瞥のみで黙らせた。


「貴様を握るこの手が誰のものと心得る。凡庸なる雑種共とはわけが違う、英雄王の手の中に貴様はいるのだ。

王の面前において、いつまでもそのような醜態をさらしたままでいるのは無礼であろう」


「・・・・・」


ギルガメッシュの言葉に、デルフリンガーは答えない。

何かを考え込んでいるように黙り込んでいる。


しばらくの間沈黙を続けてから、やがてデルフリンガーは御機嫌な声を上げた。


「アッハッハ、いや、そうだったそうだった!!いやはやなんとも、今回の相棒はおもしろいぜ。

いや、別に俺もすっ惚けてたワケじゃないだよ。ただ、忘れてたんだ。何しろ長いこと生きててもおもしろいことはてんでありゃしねぇし、つまんねぇ奴ばっかだったしな。飽き飽きして、テメェの姿を変えてたんだった。

だがそうだな、こんなおもしれぇ相棒と巡り合えたんだ。俺もいつまでもこんな姿でいる場合じゃねぇな」


そう言うと、デルフリンガーの錆びだらけの刀身が眩い光を放ちだした。

急に発せられたその光に、ギルガメッシュに合わせて馬と竜を止めていたルイズらの目も眩む。


やがて光が消え去ると、そこには今まさに研がれたかのように鋭い刃を光らせるデルフリンガーの姿があった。


「こいつが本当の俺様の姿さ。ちゃちな魔法なんざものともしねぇ、魔剣デルフリンガー様のな!!」


呆然とするルイズたちに、デルフリンガーは言い放つ。

デルフリンガーの変貌に満足したギルガメッシュは、そのまま空間を介する宝の蔵にデルフリンガーを納めた。


「うおおっ!なんじゃこりゃぁぁぁ!?あ、でも、なんかチョー気持ちイイ~~~♪」


デルフリンガーを蔵に収めると、ギルガメッシュは手綱を操り馬を再び走らせる。

その後を追うように、ルイズたちも慌てて進行を再開させた。










魔法学院に戻り、日も落ちた夕食時。


ルイズが夕食を摂りに『アルヴィースの食堂』に出掛けている頃、ギルガメッシュは一人ルイズの自室にいた。

孤高の英雄王たる彼は、例え食事の席でも他の凡夫たちと群れるような真似はしないのだ。

三食すべて、ギルガメッシュは住居でもあるこのルイズの部屋で摂っていた。


フカフカと質の良さそうなソファーに身を預けながら、ギルガメッシュは夕食の到着を待つ。

そうしている彼の様子は、終始微笑を浮かべた上機嫌なものだった。


ギルガメッシュはかつての世界のおいて、この世のすべての宝という宝を集めに集めた収集家である。

そんな彼の宝物のコレクションに、また新たな一品が加わったのだ。

この世界ではさして珍しくないインテリジェンスソードも、ギルガメッシュの感性からはあまり無い概念である。

そのような珍しい品が手に入り、今のギルガメッシュの機嫌はとてもよかった。

機嫌良く、ルイズをいじる方法を考えている。

彼の機嫌の良さとルイズへのS度が反比例しないことが、ルイズにとっては不幸であった。


コンコン


扉をノックする音がする。

恐らく夕食を持ってきたシエスタだろう。

そう当たりをつけ、ギルガメッシュは普段よりも感情がこもった声で、扉の先の人物に応えた。


「よい。入れ」


その言葉を受け、扉を開いて夕食を乗せた台車を引いたメイドが部屋に入ってくる。

そのメイドの姿を見咎めた時、ギルガメッシュは機嫌良いその顔に怪訝な色を見せた。


「うん?お前は誰だ?」


果たして、台車を引いて入ってきたメイドはシエスタではなかった。

金髪の長い髪をした、ギルガメッシュの見慣れぬ少女である。


「あ、はい。私はローラと申します。シエスタとは、同じ部屋のルームメイトでして・・・」


「シエスタはどうした?」


ローラと名乗る少女は事の事情を話し始めた。


シエスタが、モットという貴族に名指しで使用人に任命されたこと。

王宮付きの貴族であるモットの意向には逆らえず、シエスタが嫌々ながら了承したこと。

そしてモット伯が、気にいった平民の娘を使用人として連れ込んでは性的な奉仕をさせるという、陰湿な性向の持ち主であることを。


「ずいぶんと急な話だったのでお話を通す間もなく。それで急遽、膳の用意を私が・・・」


そうローラが語り終えた時、ギルガメッシュの顔に浮かんでいたのは笑みだった。


通常、笑顔とは本人のみならず、周囲の人間の気分も和ませるものである。

しかしながら、ギルガメッシュがこの時浮かべていた笑みは、傍から見ていたローラがその身を震え上がらせるほど冷酷な殺意を垣間見せていた。


「この夕餉は片づけておけ」


「え?あ、あの、いかがされました?」


「我にはやることが出来た」


そうとだけ言って、ギルガメッシュは取り残されたローラを尻目に部屋を出る。

そのまま迷いなく学舎内を歩いていき、ギルガメッシュは双月の光が照らす夜の外に出た。


「おや?陛下。こんな夜更けにどうされたのです?」


夜の敷地を歩く途中、ギルガメッシュはギーシュに出会った。

あの決闘以降、ギーシュはギルガメッシュのことを敬意を込めて陛下と呼ぶようになっていた。


「ギーシュよ。お前はジュール・ド・モットという名の貴族の居所を知っているか?」


「モット伯ですか?ええ、領地の場所でしたら・・・」


「案内せよ。今すぐにだ」


「は、はぁ。別に構いませんけど、でもモット伯に何か御用で?」


「なに、大した用ではない」


戸惑うギーシュに、ギルガメッシュはさらりと、しかしどこか圧力を感じさせる声音で言った。


「王の所有物に手を出した賊に、しかるべき裁きを与えに行くのだ」







[2589] [6]王の所有権
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/02/29 06:53



[6]王の所有権







モット領の屋敷の地下に存在する、天女を象った像が瓶より湯を注ぐ豪奢な浴槽。

そんな平民では決して浸かることが出来ないであろう湯船の中にいながら、しかしシエスタの顔には曇りがあった。


彼女とてモットが何故自分を名指ししたのか、その理由の検討くらいついている。

そしてこれから、自分が何をすることになるのかも。


それを思うと、自然とシエスタの瞳には涙があふれた。


(そういえば、あの方はどうしてるかしら・・・?)


ふと思い出したのは、自分を従者にと名指ししたギルガメッシュと名乗る貴族の青年。

ほとんど流されるままに頷いてしまったが、その姿と言葉は妙に心に残っている。

あの貴族の青年は、自分がいなくなったことをどう思っているのだろう。


(きっと、私のことなんてもう忘れてしまっているわよね。私なんて、所詮は平民なんだし・・・)


平民とは、貴族の下に位置する者だ。

平民の家族に生まれ、それほど裕福とはいえないタルブ村にて育ったシエスタはその真理を強く自覚している。


どうしたところで、平民とは貴族には逆らえない。

その最大の要因となっているのは、言うまでもなく魔法だ。

力のこともそうだが、何より魔法はこのハルゲギニアの生活に密接に関連している、民にとっても生活必需品なのだ。

その魔法の恩恵を失うことがどれほどの損害をもたらすか、シエスタはよく分かっている。


その関係が両者の立場と認識を、このハルゲギニアで明確なものにしている。

だからあのギルガメッシュという貴族も、自分になど執着していないだろうと、シエスタは思った。


「シエスタさん。モット伯がお呼びです。早く上がってください」


上の階よりややしわがれた侍女長の声が聞こえる。

それに答えながら、シエスタは重く沈んだ表情のまま湯船より上がった。










「あれ?その料理どうしたの?」


夕食からの帰り、豪奢な料理を乗せた台車を押すメイドの姿を見咎めて、ルイズは尋ねる。

このムカつくほど良質な料理は確かめるまでもなく、ギルガメッシュのものだ。


「はあ、それが、ギルガメッシュ様にお下げしろと言われまして・・・」


「下げろって・・・、何で?」


「なんでも、やることが出来たそうです」


ヤること、と聞き、とりあえずルイズの頭にはキュルケの顔が思い浮かぶ。

またあのツェルプストーの女と逢引きするつもりなのではないかと、怒りかけたルイズだったが、それにしても食事を抜く必要はない。


少々奇妙に思い、ルイズは重ねてメイドに尋ねた。


「何かあったの?」


「はい。実は―――」


そうしてメイドの少女はシエスタに起きたこと、そして先ほどのギルガメッシュの様子をより正確に語る。


そしてそれを聞き終えると同時に、ルイズも血相を変えて走り出した。










「ふあぁ・・・」


魔法学院から徒歩一時間ほどの距離にあるモット領の屋敷。

そこの門番を務める衛兵の青年は、大きく口を開けて欠伸をした。


戦時ならともかく、今は平時。

貴族の屋敷にそうそう騒ぎなど起こるはずもなく、彼ら衛兵の大半はヒマを持て余していた。


「こら。勤務中だぞ」


そんな青年を、もう一人の先任の門番の男がたしなめる。


「けど、先輩。こんな真夜中に何もせずただ突っ立てるだけじゃあ、欠伸のひとつも出ますよ」


「それでもだ。我々はこの伯爵様のお屋敷を守る門番。その自覚を忘れるな」


「はいはい。・・ああ、いいなぁ。伯爵は今頃、今日連れてきたあの女の子といいことやってんだろうなぁ」


「お前、いい加減にしろ」


やや呆れ気味に言う先任者に、青年は肩を竦めて黙り込む。


その時、彼の目に屋敷に近づく一頭の馬が映った。

そこに跨るのは、黄金を連想させる出で立ちと雰囲気を醸し出す、逆立つ金髪赤眼の青年。

その青年の出で立ちに、門番たちはモット伯への客人の貴族だろうと当たりをつけた。


「お停まりください。ここはジュール・ド・モット伯爵の屋敷です。例え貴族の方といえど、無断での立ち入りは認められません」


先任の門番が、近づく貴族にそう声をかける。


その言葉に従ったのか、あるいは元より停まる意図であったのか、貴族は素直に馬を停止させた。


「モット伯への面会をご希望ですか?これより話を通してまいりますので、失礼ですがお名前を」


先任が貴族に対して話しかけていくのを、もう一人の門番の青年は黙ったままで居る。

そうしながら、改めてこの突如やってきた貴族の青年に目をやり、その表情を見てハッとした。


その端正な顔に浮かんでいるのは、冷然とした無表情。

感情など一切表さぬ面持ちで、自分達の後ろにあるモット伯の屋敷を見つめている。

その表情を見て、門番の青年は気づいてしまった。


この人物は自分達を見ていない。

その冷淡なる視線が向いているのは、あくまでモット伯のいる屋敷のみだ。


彼の中で自分達の存在など、ただ目的の過程に居合わせた小石程度の認識でしかあるまい。


「あの、すいません。モット伯に話を通してまいりますので、お名前を―――」


何も答えぬ貴族の青年に、先任の門番が重ねて尋ねる。


しかしその言葉に対して貴族の青年が返した答えは、幾本もの宝具の雨による洗礼だった。










「タバサ、急いで」


慌てた様子のルイズの声に、タバサはコクリと頷いて風竜をより加速させる。


今ルイズらがいるのはタバサの使い魔であるシルフィードの背中の上。

シエスタがモット伯に引き抜かれたという話を聞いて、すぐにギルガメッシュの目的を推察したルイズは、タバサに頼み込んでモット領の屋敷へと向かっていた。

ちなみに風竜の背の上には、どこからかその話を聞きつけたキュルケも居た。


「でもさすがよねぇ。自分の使用人を取り返すために、貴族に屋敷に殴りこむなんて。そんな熱いところがダーリンの魅力なのよね」


「笑いごとじゃないわよ」


ピシャリと、ルイズは告げる。

そのルイズの剣幕に、さしものキュルケも気まずそうに口を閉じた。


ギルガメッシュがモット伯の屋敷に向かった意図など、もはや考えるまでもない。

ただシエスタを取り戻すというだけでなく、ギルガメッシュは間違いなくモット伯を殺すつもりだ。


ギーシュとの決闘やこれまでの動向を見るに、あの男が自分に仕えろと名指しした人物を連れ去られて、黙っているはずがない。

またそんな相手に、ギルガメッシュが容赦をする理由などない。

ギーシュの時のような心変わりは期待できないし、このままではモット伯の命は時間の問題だ。


幸いなのは、こちらの移動手段は風竜。

向こうは恐らく馬だろうから、ギルガメッシュがモット伯の屋敷に辿り着く前に何とか追いついて、あの男を説得しなくてはならない。

容易く説得される相手ではないだろうが、しかしギルガメッシュを止められるのは自分たちしか居ないのだ。


そう思案しながらモット伯の屋敷へと向かう道中、ルイズはふと地表に、馬に跨って走る、自分もよく知る男子生徒の姿を見かけた。


「ギーシュ!?」


遠目からでもあのクセのある金髪とどこかキザっぽい仕草は見間違えることはない。

かつてギルガメッシュと無謀な決闘を行った少年、ギーシュの姿にルイズらは風竜を降りさせた。


「おや、ルイズ?それにキュルケにタバサまで。こんな所で一体どうしたんだい?」


「それはこっちのセリフよ。何でアンタがここにいるの?」


「陛下に言われたのさ。モット伯の領地まで案内しろって。領地の前あたりまで案内して、後はもういいって言われて、今はこうして学院に戻っているところだけど・・・」


「陛下って、ギルガメッシュのこと!?」


ルイズが叫んだ。

そのルイズの様子にギーシュはやや押され気味ながらも、コクコクと頷いてみせる。


それきりルイズらはポカンとしているギーシュを捨て置き、再び風竜を飛びあがらせた。

ギーシュの話で、ルイズの推察は確信に変わった。

やはりギルガメッシュは、モット伯の所に向かったのだ。

恐らく、モット伯を殺す意図で。


想定される事態に焦燥を覚えつつ、ルイズ達は風竜を疾駆させた。


そして、竜種の中でも最高の速度を誇る風竜の羽ばたきは、ほどなくルイズ達にモット領の屋敷の姿をその目に映させた。


「これって・・・っ!?」


地上に広がる光景にキュルケが呆然とした声を上げる。

声を上げなかったルイズとタバサも、目の前の光景には唖然としていた。


かつては見映えある庭園であっただろうモット伯の屋敷に広がる庭は、今は見る影もないほどに蹂躙され尽くされていた。

地面には数えるのも億劫なほどの、幾数もの穿たれた巨大な穴が点在し、庭を彩っていたであろう芝生や花壇、彫刻類の数々は、すべてが無残に破壊されている。

あたかも破壊の意思が通り過ぎたかのようなその惨状は、まさしく英雄王の逆鱗の証であった。


そんな光景にルイズらが圧倒される中、入口近くに倒れる二人の衛兵の姿をタバサが見咎めた。

ただちに風竜を降り立たせ、タバサは倒れる衛兵の具合を診る。


「まだ、息はある」


そう一言呟いて、タバサは衛兵の元まで駆け寄ると、応急処置の回復魔法をかける。

そんなタバサの様子を見ながら、ルイズもまた風竜の上より降り立つ。


この惨状は考えるまでもなく、ギルガメッシュの手によるものだろう。

このような事態を未然に防げなかったことが悔やまれてならない。


しかしルイズはそんな沈みそうな感情を精一杯奮い立たせ、俯きそうだった顔を上げた。


ギルガメッシュを止めるのは自分の役目だ。

例えその存在がどれほど途方もないものだとしても、彼は自分の使い魔で、自分は彼の主人なのだから。


ここで自分がすべきは、顔を俯かせて気を落とすことでは決してない。

顔を上げ、己が使い魔のこれ以上の暴虐を何としてでも止めることだ。


決意を胸にし、ルイズは面前に広がる破壊跡を踏み越え、モット伯の屋敷へと駆けだした。










その襲撃は、あまりに突然だった。


魔法学院より気に入った侍女の娘を見繕い、さあお楽しみの時間だと息巻いていた矢先、門の方より響いた轟音に、モットは窓からそちらへ目を向けた。


そして見た。

虚空の空間より剣や槍などの武器を幾本も投射し、自分の自慢の屋敷の庭園に破壊の限りを尽くしながら悠然と歩いて迫る、襲来者の姿を。


その光景を、モットはしばらく呆けた表情で見つめていた。

彼には目の前で展開されるその光景が現実のものと思えなかったのだ。


あまりにも苛烈、あまりにも唐突、そしてあまりにも圧倒的。

その理不尽なる巨大な暴力を前にして、一体何が出来るというのだろう。


だがそんなとき、その光景をただ見詰めていたモットの視線を、襲来者の眼光が射抜いた。

はるか離れているはずなのに、なおもこちらを委縮させるその視線を受け、ようやくモットは理解した。


この襲来者の標的は、自分なのだと。


そしてそれを理解したモットの行動は早かった。

すぐさま護身用の杖を手にして、モットは侍女の娘を待っていた寝室より出た。

そのまま逃走を図るべく、階段を駆け下りていく。


だが何とも間の悪く、裏口へ向かいかけたモットの前に、屋敷の扉を完膚無きまでに粉砕して、襲来者がモットの眼前にその姿を現した。


「な、何なのだ、貴様はっ!?私が誰だか分かっているのか!?トリステイン王宮に仕えるこのジュール・ド・モット伯爵にこのような真似をして、タダで済むと思っているのかっ!!」


現れた襲来者に、モットはその表情を恐怖に歪めて叫んだ。

その声に反応して、奥より衛兵たちが姿を現す。


だが、肝心の襲来者の青年―――ギルガメッシュだけは、モットの言葉に何の答えも返さない。

英雄王たる彼は、自分の所有物に不埒な手を伸ばした下賤な賊に、賜すべき慈悲も言葉も持ち合わせていなかった。


「ええい、かかれぇ!!」


モットの命を受け、衛兵たちが一斉にギルガメッシュへと突撃していく。

しかしその突撃は、主への忠誠というより、目の前の存在の暴威を目の当たりにし、その恐怖による自暴自棄という印象が強かった。


そんな衛兵達に対し、ギルガメッシュは一瞥だけ煩わしそうな視線を向け、虚空より一振りの短剣を抜きだすと、何気ない仕草でそれを振った。


瞬間、巻き起こった吹雪が衛兵たちを飲み込んだ。


「うわあぁぁぁぁっ!!?」


「う、腕が、俺の腕があぁぁぁっ!!」


短剣より繰り出された凍える吹雪に、衛兵たちは四肢のどこかを凍りつかせ、その行動を封じられる。


そうするとギルガメッシュはもはや衛兵には目もくれず、短剣をしまって、自身が裁くべき賊であるモットへとその視線を向けた。


「ひ、ひいぃぃぃ!!」


恐怖の悲鳴を上げて、モットは破れかぶれに杖を振るう。

空中の水蒸気が凍り付き、何本かの氷柱の矢となってギルガメッシュに襲いかかる。


それに対し、ギルガメッシュは蔵よりデルフリンガーを抜き放ち、その氷柱の矢すべてを迎撃した。


「おお、旦那。いやぁ、旦那の宝の蔵ん中ぁ最高だな。ここにいると何もしねぇでもその武器を最高の状態にまで持っていってくれるし、何年入れられたままだろうと劣化もしねぇ。

おまけにフワフワしてなんか気持ちイイし、剣冥利に尽きるぜぇ・・・って、おいおい何だよ、いきなり戦闘の真っ最中かよ!?」


益体のない言葉を口走りつつも、デルフリンガーの刃は受けた氷柱の矢をことごとく飲み込んで見せる。

かつてあらゆる武器を操った神の左手『ガンダールヴ』の愛剣デルフリンガー。

ギルガメッシュが額のルーンにて読み取ったこの魔剣の効果のほどは、確かに実証された。


それとは対照的に、自身の魔法をあっさりと無力化されたモットは、恐怖に顔を青ざめさせる。

そんなモットに対して、ギルガメッシュは王の裁きを下すべく、己が宝具を展開せんと手を上げた。


だがその時、ギルガメッシュの背中にかけられる声があった。


「待ちなさい、ギルガメッシュ!!」


唐突に粉砕された扉跡より現れた桃色髪の少女に、ギルガメッシュの意識がそちらに向く。

その隙を、モットは見逃さなかった。


「今だ!!喰らえぃっ!!」


モットが再び杖を振るう。

瞬間、打ち捨てられていた部屋中の花瓶の水が、まるで意思を得たかのようにうねり、一斉にギルガメッシュの身体を飲み込んだ。


「ギルガメッシュ!?」


「ハハハァッ!油断したな。私は『波濤』のモット。水のトライアングルメイジだ」


高笑いして、モットは杖を片手に勝利を確信する。


「このまま水圧で、押し潰してくれるわぁ!!」


ギルガメッシュを包む水の檻に向けて、モットが叫ぶ。

だが狂喜に笑っていたモットの顔は、弾け飛ぶ水の檻の中より輝いた黄金の光によって凍りついた。


現れたのは、見るも神々しく壮観たる、全身をくまなく包む黄金の鎧を纏った襲来者。

その身は自分の渾身の魔法を受けてなお揺るがず、堂々たる様子でこちらを感情の無い目で見据えている。


後ずさりながらモットは、なんとか自分を守ろうと再び杖を振り上げようとし―――


その瞬間、一度の踏み込みでモットとの間にあった距離をゼロとしてきたギルガメッシュに、デルフリンガーの刃でその杖を断ち切られた。


「あ、うあ・・・」


貴族の誇りであり武器である杖を断ち切られ、モットは無様に腰を抜かしてその場に座り込む。

そのモットをギルガメッシュは無言のまま冷然と見降ろし、デルフリンガーの刃を突き付けた。










「ギルガメッシュ、やめなさい」


今まさにモットへとどめの刃を突きださんとするギルガメッシュに、ルイズははっきりと告げた。

モットを死の淵に追い詰めるギルガメッシュが、その声に応じ、視線をルイズへと向けた。


「何をだ?」


「言わなくても分かるでしょう。これ以上の使い魔の横暴は、主として許さないわ」


「ルイズ。我の言葉を忘れたか?」


ルイズを見つめるギルガメッシュの視線に、冷酷な殺意の色が宿る。


「王である我の決定に、貴様如きが口出しする不敬を許した覚えはない、と」


目にする者すべてを屈伏させる英雄王の眼光が、ルイズを貫く。

この眼光の恐ろしさは、実際に曝された者にしか分かるまい。


その視線に睨まれただけで、身体中が軋み、肺が咽かえるのが分かる。

強大な絶対自我が伝える冷酷なる殺害の意志が、精神から反抗の感情をまるごと剥奪してしまうのだ。

そうなってしまえば、もはや生存さえもその視線の意思次第となる。


ルイズは実感した。

この男の睨みは、何の比喩もなしに、それだけで人を殺す凶器だ。

心弱い者ならば、一瞥のみでその精神を打ち砕かれてしまうだろう。


その英雄王の視線に正面から曝され、しかしなおもルイズは正面からギルガメッシュを見返し、言葉を返した。


「・・ギルガメッシュ。モット伯の引き抜きは確かに気分の良いものではないけど、それでも正式なものよ。正式な法の元、正式な権利で行われたことなの。

それにこんな暴力だけで異を唱えるなら、それはただの強盗と一緒よ」


「フン、くだらぬ。我の行動を決定し、制限することが出来るのは、他ならぬ我以外にありはせぬ」


にべもない横暴なるギルガメッシュの言葉。

その言葉に、ルイズは歯をギリッと噛み締めた。


「そも、この世のすべては我の物。万物すべての所有者である我を通さずに築かれた法など、我にはなんの価値も―――」


「この世界はあなたの世界じゃないっ!!」


決然と、ルイズは言い放った。


「あなたが元の世界でどれほどすごい王様だったかなんて、私は知らない。あなたは本当に、この世のすべてを手に入れたのかもしれない。

けどここはハルケギニアよっ!!あなたが支配した世界じゃない。あなたの所有物なんて、ひとつだってありはしない。

この世界の物は全部、誰でもない、ここに生きるみんなの物。それを手に入れようと思うなら、まず筋を通しなさいっ!!」


あまりに矮小な自身の身体を精一杯に奮い立たせ、ルイズはギルガメッシュのことを睨みつける。

そのルイズの後ろ姿を、追いついたキュルケとタバサは羨望の眼差しで見つめていた。


絶対なる英雄王と正面から向き合いながら、なおもその視線を逸らさずに、背筋を伸ばして凛然と立つルイズの姿は、美しく、そして気高かった。


「なかなか言ってくれるではないか、ルイズよ」


底冷えするような声音で、ギルガメッシュはルイズに告げる。

ギルガメッシュの殺意に曝されながら、しかしルイズは決して視線をそらそうとしない。


例え形式のみであろうとも、自分とギルガメッシュの関係は、メイジと使い魔なのだ。

メイジである自分が、主人である自分が、その使い魔に臆していてどうする。

いかに途方もない力の差があろうと、精神まで屈するわけにはいかない。


使い魔に屈するメイジなど、メイジではない。


そんな信念を振りかざして、ルイズは気を抜けば今にも震えあがってしまうそうな身体を必死に支え、ギルガメッシュと向き合い続けた。


それはきっと、ただ屈してしまう選択よりも、はるかに過酷な道であるのだろう。

早々に膝を折り、ただ頭を下げて、プライドを捨て、この恐ろしい英雄王の殺意の眼から逃れる道のほうがどれほど楽か。

だがその道を選択することは、ルイズという少女の精神の源泉に存在する、気高き輝きを放つ魂が許さない。

同情、中傷、失望、そうした感情を長きに渡り向けられ、なお真っ直ぐな芯を宿すルイズの魂には、いつしか真の不屈さが懐いていたのだ。


その小柄な体躯が何倍にも大きく見えるほどの、不屈の信念を眼差しのみで表す少女の姿を、ギルガメッシュはしばしの間見つめていた。


「・・・まったく、本当にお前という奴はおもしろいな、ルイズ」


表していた殺意の波動を霧散させ、ギルガメッシュは独り言ちる。


「フム、なるほどな。所有することに慣れすぎて、気づかなんだわ。無礼もあれど、確かに貴様の言葉にも一理あるか・・・」


そう言うとギルガメッシュは、手にするデルフリンガーを蔵へと戻す。

そして未だ腰を抜かしたままのモットへと向き直り、代わりに蔵より取り出した莫大な量の財宝をその眼前に置いた。


「は・・・?」


「この財を以て、貴様よりシエスタを貰い受ける。文句はあるまい」


文句などあるはずもない。

目の前に置かれた財宝の価値は、例えギルガメッシュによって破壊されつくされた屋敷の被害総額を差し引いても、使用人一人如きに出す金額として十分すぎた。


というよりも、今回の騒ぎがたかが使用人一人を求めてのことだったと分かり、モットは拍子抜けした。


「二度と、この我を煩わせるなよ、雑種」


最後に精神を圧殺する眼光をモットにくれて、ギルガメッシュが告げる。

その眼光を受け、モットの中の反抗の意思は完全に崩壊した。

自分の横を通り過ぎていくギルガメッシュを見ることさえ出来ず、一種の放心状態となって座り込んでいる。


「聞いていたな、シエスタ。行くぞ」


屋敷全体に向けるように、ギルガメッシュが叫ぶ。

すると通路の影より、おずおずといった様子でシエスタが姿を現す。

彼女もこの騒ぎを聞きつけ、物影より事の成り行きを見守っていたのだ。


ギルガメッシュの言葉に従い、シエスタは立ち去ろうとするギルガメッシュの後に続いていった。


「どうして・・・?」


すぐ近くまでやって来た所で、ルイズが呆然とギルガメッシュに尋ねる。

止めるとは意気込んでいたものの、突然すぎるギルガメッシュの行動の変化には、ルイズも驚いていた。


ルイズの問いかけに、ギルガメッシュはただの一言のみで答えた。


「筋道を通したまでだ」


それだけ答えると、ギルガメッシュはルイズの横を通過して屋敷から出ていく。

その後ろ姿を見つめながら、ルイズの胸には一つの誇りが生まれていた。


ギルガメッシュが、初めて自分の言うことを聞き入れた。


そのただ一つの事実が、ルイズに何にも勝る高揚感と達成感をもたらしていた。










「あの・・・」


モットの屋敷からの帰り道、ギルガメッシュの腕に抱かれる形でシルフィードに跨るシエスタは、躊躇いがちに口を開く。

乗ってきた馬は騒ぎで逃げ出してしまい、元々三人の乗客のいる竜の背は狭かったので、必然的にこういう体勢になってしまうのだ。


「何だ?」


「どうして、私を助けに来てくれたんですか?」


自分などいなくても、代わりとなる人物はいくらでも居るだろうに。

わざわざこんな無茶をして、おまけにあれほどの金まで支払ってまで、自分を助ける理由などどこにもないはずだ。

だというのにそれを実行したギルガメッシュの意図が、シエスタには分からなかった。


「たわけが。助けに、だと?この我がそんなことで動くものか」


「え?だって・・・」


「我は我の所有物に手を出した賊に罰を与えに行ったに過ぎん。あの雑種に金銭を支払ったのも、我の所有権を明確化するためだ。

まあ、所有権の所在を確かなものにしておかなかった点は、我の不足だ。それに免じて、あの雑種の罪は不問としたがな」


意外なほど殊勝に自分の非を認めるギルガメッシュは、次にその視線をシエスタへと向けた。


「分かるか?シエスタよ。お前はすでに我の物なのだ。我は強欲であるが故な、手にした物をそう容易く手放しはせぬ」


そっと、ギルガメッシュの手がシエスタの頬に触れる。

その思わぬ仕草に、シエスタは顔を真っ赤にした。


「誇るが良い、シエスタよ。他ならぬこの我が、お前の従者としての価値を認めたのだ。雑種にくれてやった財も、お前の価値を考慮してのもの。これより後の、お前の我への奉公に対するな」


頬に触れていた手を離し、ギルガメッシュは誠実さを込めた瞳で、正面よりシエスタの目を見つめる。

二人の体勢上、互いの顔が急接近した。


「改めて命ずる。シエスタよ、我が物となれ。貴き者を立て、真の献身の精神を宿す者よ。

その汚れ無き精神を以て、この英雄王に不足なく仕えるのだ」


「・・・はい」


すぐ目の前に迫った赤き美麗の双眸の言葉に拒む意思を持てず、シエスタは瞳を潤ませ顔を紅潮させつつ、しかしはっきりとその一言を返した。


ちなみにそれらの二人のやり取りは、もちろんすぐ近くにいるルイズやキュルケにも聞こえており、その事でまた一悶着あったりしたのだが―――


それはまた別の話である。









[2589] [7]王と品評会
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/02/23 12:33




[7]王と品評会









「品評会に出なさい」


「断る」


ルイズの言葉に即答し、優雅に席に座るギルガメッシュは手にするティーカップのほうに意識を戻す。

その中に注がれた紅褐色の茶を口にし、味わいを十分に吟味してから、傍らに控えるシエスタに顔を向けた。


「なかなかに葉の味わいを引き出しているな。しかし、まだ改善の余地はある。精進するがよい」


「はい。ありがとうございます」


声をかけられたシエスタが深々と頭を下げ、答える。

モット伯の屋敷での一件以来、シエスタはより献身的にギルガメッシュの世話をするようになっている。

今までギルガメッシュの身の回りを管理していた人形も、すでにその役割を失いつつあるほどだ。

また僅かにはにかんだその表情からも、シエスタが単なる隷属の関係でこうしているのではないのは明らかだった。


「って、なに私を無視して紅茶の話なんかしてんのよっ!!」


ルイズが叫ぶ。

ギルガメッシュはさも煩わしそうに彼女へと視線を向けた。


「この我に雑種共の見世物になれ、だと。ハッ、話にならん。王であるこの我がそのような道化芝居に興ずるか」


春の使い魔品評会。

春先に行われるこの行事は、トリステイン魔法学院での祭りのようなものだ。


進級しての最初の授業で手に入れた使い魔でそれぞれに芸を競わせ、その優秀さを皆に示す。

また夜には『フリッグの舞踏会』と呼ばれるダンスパーティーも開かれ、生徒たちはこの年に一度の祭りで恋に娯楽にと興じるのだ。


二年の進級生にとっては、まさに自分の力量を皆に見せつける絶好の機会。

だがルイズの場合、その肝心の使い魔にまるでやる気がないのだった。


「あのね、この使い魔品評会は私たち二年生にとって、欠かせないことなのよ。使役する使い魔によって、メイジの力量は判断されるんだから。

アンタだって一応私の使い魔でしょ。だったら―――」


「フン。では、ルイズよ。この我が出れば、お前の格が決定するのか?」


予期せず投げかけられたギルガメッシュの問いに、ルイズは返答に窮した。


「えっ・・・!?」


「この我を使い魔如きの枠にあてはめる事自体、相応の無礼ではあるが。しかしそこを許容して我がその品評会とやらに出席したとしよう。

そうなれば無論のこと、我に匹敵する存在などおるまい。我は最強だからな。だがそれで、お前が最強のメイジであるという、証明になるというのか?」


ギルガメッシュの問いかけに、ルイズは答えることが出来なかった。


このギルガメッシュという、己が召喚した使い魔の強大さは、もはや疑いようも無い。

だがそれが自分の優秀さを表しているかといえば、それは否だ。


召喚には成功しても、魔法が使えるようになったわけではなく、相変わらず爆発してばかり。

使い魔がすごくても、自分が『ゼロ』であることに変わりはない。


「お前が我と肩を並べるには、余りに未熟が過ぎる。我が傍らに立つ栄誉が欲しくば、せいぜい己を磨くのだな」


そうとだけ言って、ギルガメッシュは再び紅茶の香りと味わいを楽しむ。


その使い魔の姿に、ルイズはもう言葉をかけることが出来なかった。












双月の光が照らしだす、トリステイン魔法学院の本塔。

宝物庫のある五階の壁に、黒いローブに身を包んだ人影が垂直に佇んでいた。


「ふぅん。どうやら本当に『固定化』の魔法以外はかかっていないようだねぇ」


その人物の名を、『土くれのフーケ』という。

最近にトリステインの巷を騒がす、土のトライアングルメイジの盗賊である。

その盗みのやり方は変幻自在にして神出鬼没。

時に夜闇に乗じて侵入し、時にその自慢のゴーレムで屋敷を破壊して、目当てのマジックアイテムをことごとく手に入れるのだ。

パターンを読ませぬその手口は、トリステイン王宮の衛士たちも頭を悩まし、まさしく大怪盗の名にふさわしいメイジであった。


そんなフーケが次に狙いを定めたのは、このトリステイン魔法学院の秘宝と呼ばれる品。

こうして宝物庫の位置にある壁に佇んでいるのも、盗みのため、宝へと繋ぐ壁の厚さを測るためだ。


「どうやら、あのコッパゲの情報は確かなようだねぇ。今夜に仕掛けてもいいが・・・、いや、せっかくだし、三日後の品評会の日にしよう」


足の裏を使って壁の厚さを測りながら、フーケは自身の想像にほくそ笑む。

フーケが盗みを働く理由は、単純に財宝を求めてということもあるが、もう一つに貴族達の慌てふためく滑稽な顔を見るためという、個人的な感傷も含まれていた。


「せいぜい年に一度のお祭り騒ぎの日に、赤っ恥をかいてもらおうじゃないのさ。ふんぞりかえる貴族の坊や達にね」


ローブに隠されたフーケの口より漏れた呟きが夜闇の中に消え、フーケもまたその姿を消した。










時は移り、三日後の使い魔品評会当日。

広場に設置されたステージの上では、生徒たちが順番に自身の使い魔を披露し、その有能さをアピールしている。

ある者は輪の形をした火を吹かせ、ある者は音楽に合わせた芸をさせる。

それを審査員の教師陣が評価し、観客席の生徒らが歓声をあげていた。


そうして使い魔を連れた生徒たちが代わるがわるに入退場を繰り返していき、やがてルイズの出番となった。


「えー、それでは次はミス・ヴァリエールの使い魔ですが・・・」


進行役のコルベールが、少々困った様子でルイズを見る。

ステージに上がったルイズは、しかし一人きりであった。


「その、使い魔の方が品評会への出席を拒否したとのことでして・・・」


コルベールがルイズの一人である旨を伝えると、観客席の生徒たちは一斉に笑いだした。

曰く、さすがゼロのルイズだ、だの、使い魔までゼロになったのか、だのである。


ここで、ルイズの使い魔であるギルガメッシュの人格をよく知る者達は、この成り行きに納得していた。

あの自尊心の権化のような男が、自身を見せ物にするようなこの行事に参加などするはずがない。

それを考えれば、この成り行きは当然と、ルイズを笑うようなことはしなかった。


そのような罵詈雑言を受けながら、しかしいつものように怒鳴り返すような真似はせず、ルイズは黙ったままステージより降りていった。










ステージを降りたルイズは、沈んだ表情で、会場より離れるように学園内の敷地を歩き始めた。

今頃は今年最高の使い魔を決める最終審査が行われているだろうが、使い魔を連れてきていないルイズには関係がない。

とにかくルイズは、あの自身の使い魔を誇らしげに見せる者達の空間に居たくなかったのだ。


(未熟、か・・・)


ギルガメッシュの言葉を思い出す。

確かに、その通りなのだろう。

あれほどの超絶な力を有する男を、『ゼロ』の自分が使い魔にするなど、分不相応なのは当然だ。


ましてそんな存在を使い魔として従えるなど、笑い話にもなりはしまい。

モット伯の屋敷の一件でついた自信も、いまでは萎んでしまっていた。


(けど、だったらアンタは何で召喚されてきたのよ・・・?)


使い魔召喚の儀式、『サモン・サーヴァント』は、召喚者にとって最もふさわしい存在が使い魔として召喚される。

ならば自分がギルガメッシュを召喚したことにも、何らかの意味があるのではないか。


そう思うが、これまでの自分とギルガメッシュの行動を振りかえると、そんな考えにもまるで自信を持てない。

これまでの行動の主導権を握ってきたのは、明らかにギルガメッシュだ。

自分はただ彼の行動に振り回されてきただけ。


こんな体たらくで、召喚の意味など考えても自信など持てるはずもない。

自分がギルガメッシュを召喚してしまったのは何かの間違いで、本当の自分の使い魔は他にいるのではないか。

そう考えたほうがどれほど自然だろう。


そのような弱気を抱きながらルイズは歩を進め、品評会の行われている広場のちょうど裏手へと回る。

そこでルイズは、学園の本塔に拳を振り上げる、土の巨人の姿を見た。










「チッ、まさかここまで頑丈とはね」


自慢のゴーレムの鉄拳を受けてなお傷一つ作らない宝物庫の壁に、三十メイルにもおよぶ破格の大きさのゴーレムの上に立つフーケは舌打ちした。

厚さや材質だけを考えれば自分のゴーレムで十分に粉砕できる計算だったが、かけられた『固定化』の魔法が予想以上に優れていたらしい。

スクウェアメイジが複数で重ねがけした『固定化』は、保存の効果のみならず壁の強度自体も増大させていたのだ。


さてどうしたものかとフーケが考えていると、突然宝物庫の辺りで爆発が起きた。


「な、何だいっ!?」


爆発に驚いて、フーケはゴーレムの下を見下ろす。

そこには杖を構える一人の女生徒の姿があった。


「今のはあいつの仕業か。品評会をすっぽかすなんて、とんだ不良学生だね・・・!」


言ってる途中で、フーケはハッと気づいた。


先ほどの爆発にさらされた宝物庫の壁。

ゴーレムの一撃にも耐えた頑強な壁にヒビがはいっているではないか。

女生徒が放った、思わぬ威力の未知の爆発魔法に、フーケは首を傾げる。


だが、チャンスであることは間違いない。

フーケは再びゴーレムの腕を振り上げさせ、その拳を宝物庫の壁へと打ち落とした。


インパクトの瞬間に鉄へと変化したゴーレムの拳は、頑強だった壁を見事に粉砕し、フーケはゴーレムの腕を伝って宝物庫の中へと入っていた。










目の前にそびえ立つ巨大なゴーレムに、ルイズは再び杖を振るった。

唱えた呪文は『ファイヤーボール』だったが、起きたのはいつもの爆発だった。


爆発がゴーレムの身体の一部を吹き飛ばしたが、その巨体から見れば焼け石に水。

削れた箇所もあっという間に再生してしまう。


どう考えても勝ち目は無かったが、しかしルイズは逃げようとはしなかった。


馬鹿にされたくないから、『ゼロ』と蔑んだ連中を見返したかったから、そんな理由もあったが、何より彼女の思考を捉えるのは、自身の使い魔の姿だ。

あの男の隣に立とうという人物が、立ちはだかる敵を前に臆病に逃げ出すなどあってはならない。

理屈ではなく、直感的なもので、ルイズはそう感じた。


その直感こそが、ルイズをこの巨大なゴーレムへと立ち向かわせていたのだ。


しかしそのルイズの思いも、ゴーレム側からはより知らぬ話。

そんな思いなど気に掛けず、ゴーレムは先ほどから煩わしいルイズの小さな身体を、その巨大な手で掴み取った。


「きゃあ!この、離しなさいよ!!」


叫ぶが、もちろんそんなものでゴーレムが手を緩めるはずもない。

ギリギリと強くなっていくゴーレムの握力に、ルイズの表情に苦悶が浮かぶ。


だがその時、ルイズを掴むゴーレムの腕に、一条の閃光が飛来した。


ズガアァァァァン!!


「きゃあぁぁぁぁ!!」


ゴーレムの腕が粉砕され、掴まれていたルイズは拘束より解放される。

三十メイルもの全長を持つゴーレムの手より投げ出されたルイズは、そのままはるか下の地面へと落下していった。


『フライ』も『レビテーション』も使えないルイズには、この自由落下に対して為す術がない。

このまま地面に激突すれば、間違いなく即死だろう。

その未来を想像し、ルイズは目を瞑った。


だがその空中を降下するルイズの身体を、横から飛び出した人影が受け止めた。


「あ・・・!」


受け止めた人物の姿に、ルイズは思わず目を見張る。

自分を抱きかかえるたくましい腕、逆立つ金の髪に絶世の優美さを備えた面持ち。


その人物こそは間違いなく、ルイズの使い魔たる英雄王ギルガメッシュに他ならなかった。


(私を助けてくれたんだ!)


その頼もしい腕に抱かれ、ルイズは思わず頬を朱に染める。

しばしの時間、二人は宙を舞い、ほどなくして地面へと降り立った。

それと同時に、ギルガメッシュの赤い双眸がルイズへと向く。

ギルガメッシュの美麗の面相に正面から見つめられ、ルイズの頬の朱がさらに深くなる。


そんなルイズに対し、ギルガメッシュはにべもなく告げた。


「いつまで抱えられておる、たわけ」


その一言と共に、ギルガメッシュは無造作にルイズの身体を離す。

支えを失ったルイズは、そのまま地面にお尻から落下した。


「きゃん!」


思い切り地面に叩きつけられ、ルイズはヒリヒリと痛むお尻をさすりながら立ち上がる。

とりあえずギルガメッシュに文句を言おうとしたが、その目に自分らへと迫るゴーレムの姿が映り、ルイズは言葉を飲み込んだ。


平均的な土メイジの生成するゴーレムの規模から考えても異常な大きさといえる、巨大なゴーレム。

それが正面から迫って来る光景というのは、なかなかに見る者を圧倒するものだった。


「天に仰ぎ見るべきこの我を、あろうことか見下ろすとは何たる了見かっ!!」


しかしながら、それはあくまで常人に適用される話。

英雄王の目にその光景は、逆にその烈火の如き怒りに油を注ぐだけの不敬としか映らなかった。


「その不敬、もはや元の大地に還すことも許さぬ。塵となりて我が前より失せるがいい」


ギルガメッシュの言葉と共に展開される、猛烈な魔力を迸る宝具の刃を群れ。


矛先を目の前のゴーレムへと向けるそれらの宝具は、ギルガメッシュが手を振り下ろすと同時に一斉に射出された。


炸裂する無数の閃光。

その光が瞬くたびに、ゴーレムの身体に巨大な穴が穿たれ、その質量を削り取っていく。


数秒後には、ゴーレムはギルガメッシュの宣告通り、破片の一つも残さず塵となって消滅した。


消え去ったゴーレムに、ギルガメッシュは侮蔑も露わにフンッと鼻を鳴らす。

そのギルガメッシュに対して、ルイズはおずおずといった様子で声をかけた。


「あ、あの・・・」


「ん?」


声をかけられ、ギルガメッシュがルイズの方を向く。

そのギルガメッシュに、ルイズはやや躊躇い気味に口を開いた。


「その、ありがと。私のこと、助けにきてくれて・・・」


やたらプライドの高いその性格のためか、本当にボソボソといった感じでルイズは言う。

口ではそんな調子だったが、ルイズは自分を助けにきてくれたギルガメッシュに素直に感謝していた。


こんなに早く駆けつけてくれたという事は、彼も自分のことを気にかけてくれていたという事だ。

その事が、ルイズには何だか嬉しかった。


しかしながら、当のギルガメッシュはルイズの謝辞に対し、心底からの困惑を浮かべていた。


「何を言っている?お前のことなど、ただのついでだぞ」


「へ?」


きょとんとするルイズ。

そのルイズに、ギルガメッシュはさも不快気に語り出した。


「あの土人形めが起こした衝撃で、我が楽しんでいた茶に埃がはいったのだ。我の楽しみを邪魔した泥人形など、存在しているも不愉快であったのでな。

故に、粉砕しにきた。それだけのことよ」


どうやらこの男は、自分がいろいろと深刻に悩んでいる時に呑気に紅茶など啜っていたらしい。

それを聞き、何だかルイズは先ほどまであんなに悩んでいた自分自身がひどく滑稽に思えてきた。


ああ、この男のことを自分がどう悩んだって、何が変わるわけではない。

自分の実力うんぬん以前に、要するにこの金ピカ男が生粋の我儘野郎だというだけの話なのだ。


壊された宝物庫や、いつの間にか姿を消した盗賊、それと騒ぎに気づいてやって来る者の声など、対応すべきことはいくらでもある。

しかしルイズは、とりあえず溜まったフラストレーションを発散させるべく、目の前の己の使い魔へと杖を振り上げた。









[2589] [8]王と盗賊
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/06/09 21:54





この話より、作者の独自設定による、原作に無いオリジナル要素が物語に組み込まれていきます。

原作とは一切関係のない作者の妄想ですので、間違ってもオフィシャルなどとは思わないでください。

以上の事を許容できる方は、どうぞお楽しみください。(すでに拝読されている方は、今さらですいません)

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[8]王と盗賊










“『闇水晶』、確かに領収しました”


その一言を残し、トリステイン魔法学院の宝物庫より目的の物を盗みおおせたフーケこと、ミス・ロングビルは、学院より離れた小屋の中で、盗みだしたその品を眺めていた。


しかしそこに浮かぶ表情は、歓喜ではなく困惑だった。


「なんだい、これは・・・?」


小振りな宝箱の中に入った、学院の秘宝だという『闇水晶』は、秘宝と呼ぶには反応に窮する外見をしていた。


例えるなら、それは形をなした闇そのもの。

石炭などの物質よりもなお深く黒いそれは、見ているだけで嫌悪感を覚える。

球体の石のような形をし、向き合う自分に奇妙な焦燥のようなものを沸き上がらせていた。


「ったく、こんなもののどこが秘宝なんだい」


ただフーケが何より気にするのは、外見の不気味さよりも宝としての価値だ。


学院の秘宝と聞き、おまけに水晶などと名前が付けられた『闇水晶』を、フーケはよほど高価な宝石の類と予想していた。


だが、いざ盗み出してみればこれだ。


こんな不気味な代物、いかに魔法学院の秘宝という触込みがあろうと、高値で欲しがるキチガイな人物がいるとは思えない。

あれほどの潜入時間とセクハラのストレスに耐えた結果がこれでは、まったくもって割に合わなかった。


「大体、何に使うのよ、これ」


そう呟いて、フーケは何気ない仕草で箱の中の『闇水晶』へと手を伸ばした。










予想外の出来事に中断となった春の使い魔品評会より、一夜をあけた翌日。


森の道を進む、屋根の無い、荷車型の馬車の上には、四人の人物が乗っていた。


ルイズにキュルケとタバサ、そしてギルガメッシュである。


「・・何でアンタまで付いて来てるのよ」


憮然とした表情で、ルイズは隣に座るギルガメッシュに尋ねた。


フーケによって秘宝を盗み出された学院は、その権威に大きな傷跡を付けることになった。

その汚名を返上すべく、この不祥事を身内の手で、すなわち自分たちの力でフーケを捕えることを学院長オールド・オスマンの名のもとに宣言された。


だが実際に有志を募る段になって、教師の誰も手を上げようとしない。

メイジといっても、彼らは軍人ではないのだ。

例えそれがトライアングルクラスであろうと、本当の実戦経験のある者などごく僅か。


そして相手は、最近トリステイン中を騒がす、高名な盗賊メイジ。

特に目撃者の情報にあった、三十メイルのゴーレムの存在に、皆委縮していたのだ。


誰もが杖を掲げることを躊躇う中、やがて我こそは志願せんと杖を掲げる者が現れた。

だがそれは教師ではなく、事件の目撃者ということで呼び出されていたルイズであった。


そしてルイズが手を上げると、好奇心から付いてきていたキュルケも対抗して手を上げ、そのキュルケを心配して、親友のタバサも志願した。


生徒にそのような危険な任務を任せることに、反対する意見も出たが、代わりに名乗りでようとする者もおらず、結局その三人に任されることになった。


そうして今に至る訳だが、ギルガメッシュの同行だけはルイズが言いだしたことではなく、本人自らが申し出てのことだった。


「何だ?我が付いて来ては不満か?」


「そういうわけじゃないけど・・・。アンタがわざわざ盗賊探しなんてするとは思わなかったから・・・」


「当然だ。我の宝物庫に手を出したのならばともかく、雑種共の罪科などこの我が自ら裁くことか」


「じゃあ、何でよ?」


「退屈だったからな。それに、『闇水晶』とやらにも少々興味が沸いた」


王であると同時に、この世のすべての宝を集め抜いた収集家でもあるギルガメッシュ。

秘宝と聞いては、好奇心を抱かずにはいられないのが彼の性であった。


「アンタ・・・まさか取り返した秘宝をネコババするつもりじゃないでしょうね?」


「気に入ったならば、な。それが真に秘宝足り得る価値を備えておれば、我が財に加えるのも悪くない」


「何言ってんのよ!!『闇水晶』は学院の秘宝なのよ。取り返したら、ちゃんと返すに決まってるでしょうが!!」


「フン、知らんな。欲した物は即、手にするが我の流儀。ましてそれが己の不徳で賊如きに奪われた財など、所有権の所在を問うまでもない」


「さすがダーリン♪強引で素敵だわ」


「アンタは黙ってなさい!!」


仮にも国を騒がす大盗賊を捕まえに行くというのに、一行には緊張感というものが欠片も無かった。


「ところでタバサ。方角はちゃんと合ってるの?」


そのように騒ぐ三人を尻目に馬の手綱を握るタバサへ、キュルケは声をかけた。


「近づいてる」


答えるタバサが見つめるのは、糸の先にペン先のように尖った鉱石が付けられた、振り子のような器具だった。

その鉱石が、あたかも磁石のように反応し、それが引き寄せられる方向へと彼らは進んでいるのだ。


この道具は、出発の際にオスマンが渡してくれた物である。


「『闇水晶』は我が学院の秘宝中の秘宝じゃ。万が一、こういう事態に備えた手立ても打っておる。これの反応を辿れば『闇水晶』の、すなわちフーケの居所まで辿り着くじゃろう」


オスマンの言葉の通りの役割を、この道具は示した。

吊るされた鉱石は進行方向に対し敏感な反応を見せ、十分な指針となって一行を導いていた。


そして馬車は進み、やがて一向は森のさらに奥へと続く小道に差し掛かった。

その時、タバサの手にする振り子が、吊るす彼女の指が痛く感じるほどの強い反応を、森の奥に対して示した。


「多分、この先」


これ以上の道は馬車では通れない。

一行は馬車を降りて徒歩にて行軍を再開した。


「けど、もし実際にフーケと遭遇したら、その時の作戦とかはどうするの?」


歩を進めながら、ルイズがふとそんなことを口にする。


「いらないでしょ、そんなの。ダーリンがいれば、ゴーレムなんて敵じゃないし」


「当然だな。雑種の傀儡如きに、巡らすべき策など持ち合わせておらん。我が行く手を阻むならば、ただ粉砕するまでのことよ」


あっけらんと答えるキュルケに、ギルガメッシュが不敵な笑みを浮かべて同意する。


その二人に、ルイズはやや憮然としながら反論した。


「・・・慢心はよくないわよ」


何とかそれだけ言ったルイズだったが、実際彼女もギルガメッシュがフーケに敗れるとは全く思っていない。


自身が召喚したこの男の力を目の当たりにした今となっては、もはやこの男が負ける光景というのが、まるで思い浮かんでこない。

事実、昨日もフーケの繰り出した破格のゴーレムを、いとも容易く一蹴してみせた。

フーケはおろか、このハルケギニア全土から見ても、ギルガメッシュに対抗できる存在が、ルイズには思いつかなかった。


「ねえ、何か臭わない?」


と、思考に耽っていたルイズは、キュルケのその言葉で現実に引き戻された。


「ヤダ、ホントに臭ってきたわよ。鼻が曲がりそう」


「・・・何かが、腐ってる臭い」


もはや全員が確かに感じ取れる、鼻を突く異臭。

それはタバサの言ったとおり、物体の腐敗臭だった。


「何よこれ。近くで動物の死体でも転がってるの?」


「・・・近い」


異臭と、振り子の反応の両方を指して、タバサは漏らす。

異臭がもたらす妙な雰囲気に、一行はやや緊張に身を硬くして、歩みを進めていく。


そして一行は、森の奥の木々が空けた空間へと辿り着いた。


「なに、これ・・・!?」


目の前の光景に驚愕して、ルイズが呆然とそんな事を言った。

驚愕はルイズのみのものではなく、キュルケやタバサも同様。

そしてギルガメッシュも、この光景には心底の不快感を顕わにしていた。


自分達の目の前に広がる光景、それは辺り一帯に広がる黒い“沼”だった。


目にしているだけで吐き気を催す、暗色の黒に染まった、ドロドロと蠢く何か。

およそ汚れという概念においてこれ以上は無いと言える、暗黒の泥がこの場の空間を支配している。


見れば、その泥が広がる先では、そこにある物質がことごとく腐っている。

それは土であり、草木であり、恐らくはここに生息していた動物たちも、この泥によって腐り落とされ、飲みこまれていったのだろう。


先ほどから感じていた腐敗の異臭の正体はこれだったのだ。


「・・反応してるのは、ここ」


目の前の泥にぐいぐいと鉱石を傾ける振り子に、タバサがそう言った。


「これが、『闇水晶』っていう奴の力なの・・・?」


呆然とルイズがそう漏らした、その時だった。


空き地全体に広がっていた泥の沼が、目に見える勢いで急速に退いていく。

退きあがっていく泥は、広がっていた面積を狭めるのに比例して、その質量を縦へと引き延ばしていく。

泥はやがて明白な塊となって、徐々にその形状を確かなものへとしていった。


そして泥が変態を終えた時、腐り果てた大地の上に、黒く蠢く泥の巨人が立ちあがっていた。










「フーケの、ゴーレム・・・?」


目の前に立ちあがったその泥の巨人の形を、ルイズは知っていた。

三十メイルという破格の大きさ、上半身が妙にずんぐりとした出で立ち、そのシルエットは間違いなく昨日この目にしたフーケのゴーレムだった。


ただ決定的に違うのは、その身体を構成している物体だ。


土で構成されていたはずのゴーレムは、今はその全身を暗色の泥によって形造っている。

まるで蛆虫のようにおぞましい蠢く泥によって作り上げられたそのゴーレムは、昨日のそれとは全く異なる種類の圧迫感をルイズ達に与えていた。


「醜い・・・」


皆がその異形のゴーレムに畏怖する中、ただ一人ギルガメッシュだけは、はっきりとした嫌悪感をその顔に表していた。


そんなギルガメッシュの表情を、ルイズは初めて見た。

これまでにもギルガメッシュは、自身の感情を自粛などすることなく、ありありと周囲に知らしめてきた。

それは快楽であり、殺意であり、怒りであり、無関心でありと、多様に分かれる。


だがしかし、ここまで相手の存在そのものを全否定しているかのような嫌悪は、今までも浮かべたことが無かった。


「その汚らわしさ、もはや在るだけでも不快が過ぎるぞ」


泥のゴーレムを睨みつけ、ギルガメッシュが手を上げる。

王の求めに応じ、空間の門より無数の宝具が出現する。


それらの宝具が迸る魔力に触発されたのか、佇むだけだったゴーレムがルイズらの元まで真っ直ぐに突進してきた。


踏みしめる毎に大地を腐らせ迫る異形の巨人に、ルイズ達は押され、思わず後ずさった。


「汚物が。この我に寄って来るな!!」


しかしギルガメッシュのみは、突進してくるゴーレムに対し堂々とその場に留まって応じ、怒声と共に展開した宝具を解き放った。


ゴーレムに振りかかる、無数の宝具による絶対破壊の洗礼。

昨日はその身を一瞬の内に灰燼に帰した輝ける宝具の雨が、再びゴーレムへと襲いかかった。


「なんだと・・・っ!?」


しかし、上がった驚愕の声はギルガメッシュのものだった。


迫りくるもはや汚物と化したゴーレムを粉砕するべく撃ち放たれた宝具の一斉掃射は、ゴーレムの液状のような身体を弾けさせ穿つ。

だが次の瞬間には、ゴーレムはまさに泥の如き特徴を見せて、あっさりと穿たれた箇所を元の形状へと戻してしまったのだ。


このゴーレムは、まさに泥だ。

例えどれほど破壊力の秘めた一撃であろうと、液状物質故の流体性ですべて素通りしてしまう。

解き放たれた宝具のどれもが、その矛先に確かな標的を捉えることはなく、ただゴーレムの泥の身体を通り過ぎただけだった。


そして、宝具の雨を受けながら全くその進行速度を緩めなかったゴーレムの拳が、ギルガメッシュに突き出された。


「ちぃ」


即座に鎧をその身に纏い、ギルガメッシュは両腕を交差して防御の姿勢を取る。

そこに、巨大なゴーレムの漆黒の拳が直撃した。


「ぐうっ!」


繰り出されたその拳は、泥とは思えぬほどに重い。

その圧力の押され、ギルガメッシュはその身を大きく後退させた。


「なにっ!?」


自らの鎧を目にし、ギルガメッシュは驚愕の声を上げた。


あの泥のゴーレムの拳を受けた箇所の鎧の表面部分。

そこの見るも輝かしかった黄金が、無残な赤錆色に変色しているではないか。


これまでいかなる魔法でも傷一つ付かなかったギルガメッシュの黄金の鎧。

しかしあの腐食の巨人の泥は、その至高の鎧でさえも腐食させる威力を備えているのだ。


汚物に触れられ、更に自慢の鎧を穢されて、ここにきてギルガメッシュの嫌悪の表情は鬼相の域へと達していた。

般若の如き鬼の形相を以て、目の前の汚物を睨みつける。


しばしの間、その眼光でゴーレムを射抜き続け、しかしやがてギルガメッシュはゴーレムに対して背を向けた。


「退くぞ」


忌々しげにギルガメッシュの口より漏らされたその一言。

よもやこの男の口より“撤退”の二文字が出てくるとは思っていなかったルイズは仰天した。


「ひ、退くって、何で―――」


「なぜも何もあるか。見よ」


そう言ってギルガメッシュが指し示したのは、先ほどゴーレムの身体を貫通し、通り抜けた先の大地に突き刺さる宝具たち。

だがそれらの至高の逸品たる武具たちも、ゴーレムの身体に触れた今では、鎧と同じく著しく劣化し、無残な姿を曝していた。


「これ以上、あのような汚物の相手のために、我が宝具たちを穢すなど我慢がならん。もはや目に映しているのも忌々しいわ」


「でも、そしたらあのゴーレムはどうするのよ?」


泥のゴーレムを指して、ルイズは問うた。

指す先に肩越しのみで振り返ると、ギルガメッシュは侮蔑も顕わに鼻を鳴らした。


「放っておけ」


「ほっとくって―――」


「あの汚物に触れられた瞬間に分かったが、あれは『闇水晶』とやらの影響だ。あの汚物は『闇水晶』が核となって、形無き形骸を保っている。

しかしその『闇水晶』を発動させるには、意思ある人間の存在が不可欠だ。今回の場合は恐らく盗賊であろうが、それがいなくなればあの汚物は瓦解する。

間接的な接触であったため、それ以上の詳細は分からなかったがな」


ギルガメッシュの額に宿った『ミョズニトニルン』のルーン。

それは自身が触れたあらゆる魔法物質を理解する効果を秘めている。

その効果が、繰り出された拳を通じてギルガメッシュに泥のゴーレムの性質を教えていたのだ。


「あれは何かを取り入れているわけではない。ただ腐食を撒き散らすだけの存在だ。当然何の養分も得ておらんのだから、ほどなく寄り代の人間は死ぬ。まあ二、三日も放置しておけば自滅するであろう」


「二、三日って・・・!?」


その期間の長さに、ルイズは愕然とした。


「この近くには村だっていくつもあるのよ。あんなものを二、三日も放置してたら、とんでもない被害になるわ」


今も辺りをフラフラと徘徊する泥のゴーレム。

一度はこちらに猛然と襲いかかって来たそれは、すでに自分達のことなど忘れてしまったように見向きもしない。


走り出したと思ったら、唐突に止まり、木々をなぎ倒しては、また元の場所へと戻る。

その行動には一貫性というものがなく、目的といえるものがまるで見受けられなかった。


だが、だからといって安心出来る筈がない。

あの汚物の巨人が、何かの気まぐれで街にでも下れば、それこそ大惨事だ。


そんなものが目の前にあるというのに、ただ放っておくなどという行動を、ルイズは推奨出来なかった。


「お願い、何とかして!!アンタの宝具っていうのをもっと出せば、あんな奴―――」


「たわけがっ!!」


腕に縋り付いて懇願するルイズに、元より不快の極みにあったギルガメッシュは憤怒の一喝を放った。


「我が蔵の至宝を、雑種共のための柵として用いろと?あなどるな、ルイズ。我が蔵に眠りし宝は、一国にも勝る価値を備えた逸品ばかり。それをあのような汚物のために、浪費など出来るかっ!!」


先は宝具の一斉掃射を容易く受け流したゴーレムであるが、ギルガメッシュがその気になれば、その存在を今すぐに滅ぼすのは不可能ではない。

彼の宝の蔵の奥底に眠る秘蔵の一刀の一撃を以てすれば、あの泥のゴーレムとて微塵もその存在を残すことなく無へと帰するだろう。


しかし、彼の秘剣がその威光を知らしめるべきは、真に彼が格を認めた好敵手のみ。

断じてあのような穢らわしい汚物如きではあり得なかった。


「行くぞ」


もはやにべもなく、ギルガメッシュは告げる。


この場より立ち去っていくギルガメッシュに、やがてキュルケとタバサも躊躇い気味ながらも従っていく。


彼女たちとて、ルイズの言葉には後ろ髪を引かれる思いがしないわけでもなかったが、しかし彼女らは同時に戦というものを心得ている。

ギルガメッシュが撤退の意志を明確にした以上、もはや自分達ではあの泥の巨人をどうすることも出来ないと冷静に弁えているのだ。


そう、彼女たちは自分の力量を確かに弁えていた。


「嫌よ」


ただ一人を除いては。


「何?」


「もういいわ。アンタには頼まない。あいつは、私が何とかしてみせる」


杖を抜き凛然と立ち、ルイズは目の前のゴーレムに向き合う。

そのルイズを、ギルガメッシュは呆れきった目で見つめた。


「本気か?お前如きが蛮勇を振るったところで何になる?」


「そうかもしれない。けどね」


答えるルイズの言葉には、怯えも震えもなかった。


「私は貴族よ。アンタはどうかは知らないけど、真の貴族っていうのはね、力を持ちつつも、それに奢ることなく、力無き者達もため、勇敢にその力を振るえる者のことを指すの。

ましてこれは、学院が撒いた問題よ。そして私は、それを解決するために志願した。その私が、勝てないからって真っ先に逃げ出すわけにはいかないでしょ」


常に貴族たらんとする。

それは魔法の使えないルイズにとって、自分が貴族であることを証明する唯一のものだった。


トリステイン切っての名家ヴァリエール家の三女として生まれながら、魔法が使えないルイズは昔から皆に馬鹿にされ続けてきた。

両親や教師は才能溢れる姉たちと見比べ落胆し、平民の使用人たちからはその才能の無さに同情される。

そんな屈辱の毎日を送り続け、しかしルイズは弱気に走ることなく、むしろ魔法が使えない分、一層貴族たらんと生きてきた。

どんなに悔しくても、他者より誇りを持ち、貴族であることを重んじ、プライドに高く、そして高潔な在り方を貫いてきた。


そんな生き方をしてきたルイズが、今まさに貴族としての在るべき姿を問われている。

ここで逃げれば、自分はただ我が身大事に貴族が守るべき民たちを見捨てたということになる。


魔法の無い自分が、貴族としての在り方までも失ったら、本当になにも残らない。

その思い故に、ルイズはこの目の前の脅威に対して、無駄と理解しつつも、立ち向かう道を選んだのだ。











決意を胸に、ルイズは杖を振るう。

唱えた呪文は『ファイヤーボール』だったが、やはり起きたのはいつもの爆発。


昨日の通常だったゴーレムにすら通じなかったそれで、この穢れの巨人に通用するはずがない。

それがこの場の者達の共通見解であり、本人でさえ実際に効果があるとは思っていなかっただろう。


「む・・・!」


そう思っていただけに、ギルガメッシュは爆発に対するゴーレムの反応に眉を顰めた。


これまで、彼の宝具の一斉掃射を受けてなお意に介さなかったゴーレムが、生じた爆発に対しては明らかな反応を見せた。

直撃もしていない、ただ眼前で起きた爆発に、ゴーレムはまるで怯んだかのように後ずさったのだ。

事実、まるで目的の定まっていなかったゴーレムが、今度は爆発を起こしたルイズへと狙い定めて直進している。


毒々しく蠢く泥を纏う三十メイル級の巨人が迫る中、なおも退かずにルイズは立ち塞がる。

戦闘の技術を学んでいないルイズには、こうして逃げずに意地を示すこと以外にやり方など無かった。


やがてルイズの眼前まで迫ったゴーレムが、その巨大な拳を振り上げる。

その拳がまさにルイズを捉えんとした時、その首根っこをギルガメッシュが掴み、彼女の身体を引き上げた。


「ぐえっ!」


ルイズの首根を掴んだまま、ギルガメッシュはゴーレムから逃れるように飛び退き、更にもう一度跳躍してその距離を離す。

そうして標的が離れてなお、ゴーレムは迷うことなくギルガメッシュ、あるいはその手にあるルイズへと向かってきた。


「フン、随分と拘るではないか、汚物。どうやら相当にあの爆発が忌まわしいと見える」


笑みを浮かべそう言いながら、ギルガメッシュの双眸に再び殺意の意志が宿る。


一度は自身の宝を汚すだけしかない行為の馬鹿らしさに放置を決定したギルガメッシュであったが、自分の身にその穢れた手で触れるという最上の不敬を働いたあの汚物は、もはや一秒たりとも現世に留まらせておきたくないという考えも、また本音である。

自身の宝を汚すことなくあれを抹殺出来るなら、それに越したことはない。


「おい、ルイズよ」


「・・・・・」


「ん?」


反応がないルイズに、ギルガメッシュは怪訝そうに自分の手に掴まれるルイズを見た。


「きゅー・・・」


英雄の力によって思い切り首根っこを引っ張られ、その首を締め上げられたルイズは、完全に落ちていた。


「フム・・・」


白目むくルイズの顔を、ギルガメッシュは自分の顔元まで持ってくる。


そして―――


ビタンビタンビタンビタンビタンビタンビタンビタンビタンビタン


「ハッ!」


「目覚めたか、ルイズよ」


「ギルガメッシュ!?な、何故かしら。なんか両頬がものすごく痛いんだけど」


「気にするな。今気にすべきは、あれだ」


そう言って、ギルガメッシュはルイズの後ろを指し示す。

そこには、中途にある木々を悉く腐り散らせながら向かってくるゴーレムの姿があった。


「あれを滅ぼしたいのだろう?お前の滑稽な諦めの悪さに免じて、今一度手を貸してやる」


「滑稽って・・・、私は貴族としての誇りのために―――」


しゃべるルイズを遮り、ギルガメッシュはもう一度跳躍してゴーレムとの距離を作る。

そして虚空より、一本の宝剣を取り出した。


「この一本のみ。我はあの汚物の駆除に、この剣のみを用いる」


「一本?一本だけであいつを倒せるの?」


「無理だな」


あっさりと答えるギルガメッシュに、ルイズは思わずコケた。


「先ほども言ったが、あれを滅ぼすにはその存在を繋ぎとめる核を破壊する必要がある。だがその核の位置が、あの泥に阻まれ把握出来ぬのだ」


「じゃ、じゃあどうするのよ?」


「決まっていよう。お前があの泥の露払いをするのだ」


ルイズの鼻先に指を突き付け、ギルガメッシュは言った。


「原理は知らんが、あの汚物、お前の爆発に対してのみ怯えを見せている。お前の爆発であの泥を払い、露出した核を我が貫く。すべきことはこれだけだ」


「え、えぇ~~~!!?」


ルイズは仰天した。

ギルガメッシュでさえどうにも出来なかったゴーレムの泥を、自分が?


「それしか手はあるまい。当てずっぽうで投げて、剣が核を貫く奇跡に期待を託すのは、少々夢想が過ぎるであろう」


「で、でも、私の魔法なんかで・・・」


「出来なければ、それまでだ」


冷たく、ギルガメッシュは言い捨てた。


「この一本の宝具の使用ですら、我からすれば相当の譲歩なのだ。一応とはいえ、この我を召喚したお前への義理立てと思ってのな。

これに失敗するようならば、我は先の決定通りあの汚物を放置する。別に我としてはどちらでも構わんのだぞ」


ギルガメッシュは宣告するが、ルイズはまだどうしても決心がつかない。


先ほどはほとんど意地に近い誇りを以て意気込んでいたが、いざこうした重役を背負わされると、どうしても尻込みしてしまう。

それはこれまで失敗ばかりを繰り返してきた、彼女の長年のコンプレックスによるものだった。


それにルイズにとって、自分の魔法、正体不明の爆発だけ起こすあの現象は、まさに不名誉の象徴だ。

そんなものにあのゴーレムを倒す力があるなどと言われても、どうしても信じることが出来ない。


「ほれ、あまり悩んでいる時間は無いぞ」


「え?」


促されて見ると、ルイズの視界に開かれていた距離を猛然とした勢いで詰めて迫るゴーレムの異形が映った。


「あの汚物、よほどお前が疎ましいようだな。これでは仮に逃げ出した所で、飽きることなく追いすがってくるであろう。

ああつまり、お前はもうどの道後には退けんということだな」


ゴーレムに向ける侮蔑と殺意とは別に、どこか試し見るような好奇の色を浮かべ、ギルガメッシュは告げる。

その様子には先ほどのようにルイズを連れて後退してくれるといった気配はない。

これ以後はあくまで、ルイズ一人にやらせるという意図らしい。


そうしてすでに後は無いことを思い知ったルイズであったが、しかしどうしてもその口から呪文が出ない。


もしいつものように失敗したら?


結局自分は、何も出来ない『ゼロ』のルイズのままだったら?


そんな思いが、まるで鎖のようにルイズの身を縛っていた。


「ああもう、何やってるのよ、『ゼロ』のルイズ!!」


そんな時、ルイズの耳にギルガメッシュではない、ライバルと目するキュルケの声が響いた。

見れば、キュルケはタバサと共に、迫り来るゴーレムに対し、それぞれ炎と吹雪の嵐を吹きつけていた。


「なんだかよく分からないけど、アンタにしては珍しく見せ場が回ってきたのよ。ウダウダ悩んでいる前に、いつもみたくチャッチャとやっちゃいなさいよ」


叫ぶように言いながらキュルケは、更に自身の魔法を強くする。

キュルケの全霊を振り絞った炎に、ゴーレムはその足を止めた。


あのゴーレムの身体は液状物体。

ギルガメッシュの宝具のような固定物質による攻撃ならばただ貫通してそれまでだが、炎や冷気のような連続的に吹き付けられる気体による攻撃ならば、僅かながらも効果はある。

今回に限っては、彼女らの魔法はギルガメッシュの宝具以上の効果を上げていた。


その仲間たちの勇敢な姿に、ルイズは手に力がこもるのを感じた。


「ルイズよ。かつての我の言葉を覚えているか?」


そしてルイズの背を、ギルガメッシュの言葉が最後の一押しをする。


「お前の魔法は成功しているのだ。あの爆発は単なる失敗ではない、まぎれもないお前自身の魔法。『ゼロ』と罵られるお前が持つ、唯一の財だ。

ならば今こそ、その価値を示すがいい」


その言葉に、ルイズの決心が固まる。


杖を振り上げ、意識を集中し、ルイズは呪文を口ずさむ。


呪文の種類は『錬金』。

あの爆発は、『ファイヤーボール』のような飛ばして投げるというイメージよりも、対象に直接効果を及ぼす『錬金』の方がイメージしやすい。


自身の意識に埋没するルイズに、ついにキュルケとタバサの魔法を振りきった汚物の巨人が迫った。

しかしそれでも、ルイズの集中力は途切れない。


これまでの人生で、自分の不名誉の象徴であった、爆発のみが起こる自分の魔法。

物を壊す事以外に用途など無い、全くもって役立たずな自分でも意味不明な魔法。

誰よりも努力してきたと自負する自分を嘲笑うかのように、常に自分に付き纏ってきた魔法。


それが自分の魔法だというのなら―――


この爆発こそが、自分の魔法の結果だというのなら―――


―――今こそ自分のために、その真価を示してみろ!!










振り下ろされた杖に呼応し、ゴーレムの目の前で爆発が起こる。


それは紛れもなく、これまでルイズを『ゼロ』と貶める最大の要因であった、失敗魔法。

しかしこれまでとは、爆発の規模と質が明らかに違う。


生じた爆発は、やがて光の球のようになって広がっていき、ゴーレムの三十メイルもの巨体すべてを飲み込んだ。


球の内より放たれる無色の輝きに、ゴーレムの穢れに満ちた身体が塵となって霧散していく。

そしてギルガメッシュは、拡散していく泥の中より露出した、その存在を構築する中枢を確かに見咎めた。


「ハッ、よくやったぞ、ルイズ。とりあえず、褒めておいてやる」


確認した中枢目掛けて、ギルガメッシュは手にする宝剣を勢いよく投擲した。

放たれた宝剣は一筋の閃光となって走り、ゴーレムの核たる『闇水晶』を過たず貫いた。


ルイズの魔法によってその身の大半を削り取られていたゴーレムは、更に中枢を失ったことで、その存在を完全に瓦解させた。


「や、やったぁ!!」


消滅していくゴーレムの姿に、ルイズは自身の魔法が為し得た成果に喝采を上げる。

しかしそれも、消え逝くゴーレムの中より現れた人の姿により、すぐに驚愕へと変わる。


「あ、あれって、ミス・ロングビル!?」


駆け寄って確認したその顔は、まぎれもなく姿の見えなかったオールド・オスマンの秘書、ミス・ロングビルであった。


随分と衰弱している様子だが、とりあえずは息もある。


「けど、どうしてミス・ロングビルがここに?」


「あの汚物より出てきたということは、その女が盗賊なのだろう」


ルイズの疑問に答えるギルガメッシュではあったが、その実、彼の意識はミス・ロングビルには全く関心が無かった。


ミス・ロングビルを介抱するルイズらの横を通り過ぎて、ギルガメッシュは自らが今さっき投擲した宝剣の元へと向かう。

そして地面に突き刺さる宝剣のすぐ横に転がる、二つに割れた『闇水晶』にその視線を向けた。


「フン」


最後に侮蔑の一瞥をくれて、ギルガメッシュは『闇水晶』を踏み砕いた。










「ふぅむ、『闇水晶』がそのような現象を引き起こすとはの・・・」


ルイズらの報告を聞き、彼らと向き合う学院長のオールド・オスマンは重々しく唸る。


ミス・ロングビルの身柄を押さえたルイズ達一行は、すぐに魔法学院へと戻り、この一件の旨をオスマンに伝えた。

その後、ミス・ロングビルの身辺調査が行われ、彼女がフーケであると正式に判断され、すぐに城の衛士に引き渡された。


事が一段落したところで、今回の一件に関わったルイズら四人は『闇水晶』の詳細をオスマンに尋ねたのだ。


「あれのことはわしにも詳しいことは分からんのじゃ。物の詳細など何も聞かされず、当時の王家に学院にて預かるよう依頼されただけでの。ここは知っての通り、メイジ達の巣窟じゃから、そこいらの宝物庫などよりもはるかに安全だからの。『闇水晶』という名称も、わしが形式のためにつけたものじゃ。

ただ聞いた話だと、あれはどうやら始祖ブリミル所縁の品であるらしい」


「始祖ブリミルの!?」


始祖ブリミルといえば、すべての魔法使いにとっての祖であり、このハルゲギニアでは神にも等しい信仰の対象だ。


それの所縁の品と言われる物は数多く存在し(そのほとんどが贋作であるのだが)、その伝承が確かであるほど宝としての価値がつく。

このトリステインでは、王家は所有する『始祖の祈祷書』が有名な所だ。


「うむ。それも贋作などではない、れっきとした本物のな。故に秘宝としての価値がついておったのじゃが、まさかあれがそんなにも危険な代物であったとはのぅ。

ともかく、一歩間違えば未曾有の大惨事になりかねなかった事態を君たちは未然に防いでくれた。今回の事はあまり公には出来んが、君たちにはわしの名で十分な褒美を取らすことを約束しよう」


オスマンの言葉に、ギルガメッシュを除いたルイズら三人の顔がパッと輝いた。

ルイズとキュルケには、『シュヴァリエ』の爵位申請が為され、すでに『シュヴァリエ』の爵位を持つタバサには精霊勲章の授与が申請された。


だが事の話題がギルガメッシュに移ると、彼は褒美の話をにべもなく一蹴した。


「たわけが。褒美とはすなわち、高みに立つ者が下々に賜す栄誉の意を指す。我に褒美を賜すことなど、例え天上の神々とて無理なことよ」


祈りを捧げ、崇めるべき存在たる神でさえ、自分の上には立っていないと豪語するギルガメッシュ。

明らかに度の過ぎた彼の言葉を聞きながら、しかしその場の誰も彼の言葉を嗤うことなど出来はしなかった。


やがて話も終わり、事件の解決によって予定通りに開かれることになった『フリッグの舞踏会』に参加するべく、ルイズ達は学院長室を後にする。


ただ一人、ギルガメッシュだけは話があると言われ、オスマンの元に残った。


「さて、ギルガメッシュ殿、と申したな。呼び止めてしまってすまんの。君とは一度、直に話し合わなければと思っておったんじゃ」


「前置きはよい。要件を話すがいい」


「ほっほ、せっかちじゃのう。では・・・」


オスマンは二人きりとなった室内で、ギルガメッシュに問いかけた。


「君は・・・一体何者なのかね?」


先日のギーシュとの決闘騒ぎの折、目の当たりとすることになった、筆舌し難い力を有するミス・ヴァリエールの召喚した使い魔の青年。


一体この人物は何者なのか。

何においてもまず、そのことを尋ねなければならなかった。


「何者、か。我が拝謁の栄に浴してなおこの面貌を知らぬと抜かすなど、本来ならば相応の不敬であるが、しかしここは異界の地。我に問いを投げかける無礼は、まず許そう」


彼ならではの傲慢な観点からそう前置きし、ギルガメッシュはオスマンの問いに答えた。


「我はこことは違うどこか、原初の可能性より枝分かれした全く異質の世界より来臨した者。そしてかつての世界では、この世のすべてを我が手にした原初の覇者。

英雄王ギルガメッシュ。まずこの威名を、その心根に刻みつけるがいい」


「異質の世界・・・!?では君はこの世界の人間ではないのかね?」


答えられた言葉に驚き、オスマンは再び問いを投げた。


「左様。なかなか理解が早いな、雑種」


「ふ、ふうむ。では、やはり元の世界に戻る手段を模索している、ということかね?」


やや混乱気味ながらも、オスマンは問いを続ける。


全く理解の及ばない、自分の知る世界ではないどこかに跳ばされたとしたら、誰でも元の世界に帰りたいと願うだろう。

実際にそんな人物と会ったこともあるオスマンの、そう予想しての問いかけだった。


しかし、目の前のこの男は、そのような常識的な考えなど全くアテにならない規格外であった。


「元の世界に帰りたい?なぜだ?」


「いや、それは―――」


「貴様は我の言葉を聞いていなかったのか?我はかつての世界において、この世のすべての財を手にしたのだ。得るべき物を得た世界に、今さら何の未練を懐くというのだ?」


「し、しかし、君は王と言っていたではないかね?王が民衆を置き去りにしては―――」


「それがどうした」


にべもなくあっさりと、ギルガメッシュは言い捨てた。


「民草とは、王にその身命を捧げ、そしてその身を以て王に奉仕すべき存在。

王が笑えといえば笑い、王が踊れといえば踊り、そして王が死ねといえば疾く自害するが民草の役目であろう。

その民共のために、何故我が自重などせねばならん」


そのギルガメッシュの言葉を聞きながら、オスマンは目の前の青年との話が噛み合っていない事を感じていた。


恐らく自分とこの青年とでは、人の上に立つ事に対する姿勢に決定的な所で差異があるのだろう。

それは慎みを重んずるトリステインで理想とされる、統治者としての高潔な在り様とは相反する、暴君としての在り方だった。


その事を十分に理解した上で、オスマンはこの問答で最も重要な事柄になるであろう質問を口にした。


「君は・・・、このハルケギニアをどうするつもりかね?」


この男が途方もない存在であることはよく分かった。

だがここで問題になるのは、その存在がこのハルケギニアに及ぼす影響である。


いまだ容量の知れないこの男が、今後どのような態度を以てハルケギニアに接していくのか、それこそがオスマンに限らずすべての人々に関係する事柄だ。

そしてその答え如何によっては、オスマンは目の前の存在を滅ぼすことも厭わぬつもりだった。


老いに伴い、体力こそ落ち込んだものの、百を超える年月の中で蓄積されてきた魔力はいまだ健在だ。

目の前の男の理外の力は理解しているが、しかしただ敗れるつもりは毛頭ない。


この老体の余命すべてを懸けてでも、ハルケギニア最大の災厄かもしれないこの男を滅ぼしてみせる。


そう身構えるオスマンだったが、拍子抜けなほどあっさりとギルガメッシュは答えを返していた。


「どうもせん」


自身の命も投げ出す覚悟をしていたオスマンは、その答えに肩透かしをくらったような心地となった。


「天下に君臨し、あまねく雑種どもを支配する。そんなものは、かつて飽きるほどに堪能し尽くした。

万物とはな、いかなる価値を持つ物であろうと、所持し続けておればいずれは飽きるものなのだ。

あらゆる物を自由に出来る権力も、優美を極める衣食住も、そして不老不死であろうともな。

かつて我はこの世のすべてを手に入れた。それ故に、あらゆる物に飽きを覚えてしまった」


どこか空虚さを感じさせるギルガメッシュの言葉。


それはこの世のすべてを極め、天上に君臨する者のみが懐く、超越者の憂鬱だった。


「しかしながらこの世界は、すべてを堪能し尽くした我が世界とは全くの別物だ。それ故に、触れるすべてに新鮮さがある。

ならば早計に我が色に染め上げるよりも、我が手によらぬ過程で積み上げられた、この世界の形を堪能し尽くすのが先決だ。それでこそ我が遊興の慰めにもなろうというもの」


ギルガメッシュの言葉の内に愉快さが灯る。


その口から放たれる傲岸なる言動一つ一つがオスマンの中に浸透し、畏怖の感情を芽生えさせた。


「まあ、その後のことは保障せんがな。何しろ我の気性は、我自身でさえ掴み切れぬ。あるいは何かの気まぐれが働いて、この世界を我が物としてしまうかもしれん。

まったく、我ながら訳の分からぬ、厄介極まる性よな。その時は許せよ」


笑みを漏らしながら言ってくるその言葉に、自分はどのような言葉を返せばよいというのか。


世界を我が物にせんという、誰もが一度くらいは想像し、そして馬鹿げた妄想と嗤い捨てる野望。

それさえもこの男にとっては、単なる気まぐれの行為であるという。


それはまさしく、英雄王のみが有する傲岸不遜の感性論理。

もはや常人とは、スケールの次元が違いすぎる。

そう納得するしか、オスマンには無かった。


「まあ幸いなことに、当面はこの異界の散策のみで我が無興は慰められそうだ。それに、あの召喚者もなかなか退屈させん奴だしな」


「ミス・ヴァリエールが?」


ギルガメッシュが出したルイズの名を、オスマンは意外に思った。

彼にとってルイズとは、努力する姿勢は認めるが、才能が伴わぬ不憫な生徒という印象しか無かったからだ。


そんなオスマンに、ギルガメッシュは苦笑しながら語り出した。


「あれはな、この我と対等になろうとしている。我に対して媚びるでもなく、隷従するでもなく、あくまで対等な立場であろうとしているのだ」


メイジと使い魔。

両者の間にあるその関係が、ルイズにその矜持を引き出させている。


どのような中傷をその身に受けながらも、決して膝をつくことをしなかったルイズのこれまでの生き様が、自身の使い魔たるギルガメッシュに謙る態度を許さないのだ。


「全く、とんだ愚か者だ。生涯で無能と罵られ続けてきた身の上でありながら、この我の威光を目の当たりにしてなお、我の高みと同じ地点に立とうというのだからな。

身の程を弁えず、いつもうるさくキャンキャンと吠えおって。まったくもって、度し難き愚かしさよ」


罵りの言葉を口にしながらも、しかしギルガメッシュの口元には微笑が浮かんでいた。


「まあ、それ故に退屈せんのだがな」


言いながらギルガメッシュは、先日のモット伯の屋敷での一幕を思い返す。


この自分の眼光にさらされながら、なおも臆さず王たる自分を堂々と糾弾してみせたルイズの姿。

その時の彼女の姿は、ギルガメッシュの脳裏に、ある過去の記憶の光景を甦らせていた。










原初の時代、いまだ世界がひとつきりであったころ、たった一人の王がいた。


神の血肉を受け継いで生まれた王は、他の人間の誰よりも精悍で、誰よりも賢く、誰よりも力に優れ、そして誰よりも欲深かった。


王は自らが治める地で自身の欲望を満たすために権勢を振るい、民草を苦しめた。

民は憤るも、王に逆らおうとする者は一人としていなかった。


王こそは半神半人の魔人として、人間の域を超えた超越者であり、絶対の支配を敷く君臨者であったのだ。


その王に対抗できる者が、果たしてどこにいるだろう。

王の暴政に苦しみつつも、民は絶対者たる王に逆らえず、ただただ苦渋を舐め続けた。


そしてその欲望に歯止めをかける者のいない王は、己が欲望に従い、この世の快と悦の限りを尽くした。

対抗者のいない、あまりに思い通りにいきすぎる世界に、一抹の虚しさを感じながら。


そんなある時、王は一人の女を見初めた。

国でも有名な美しい容姿と心を持ったその女を、王は一目で気に入り、その肢体を味わいたいと考えた。


しかしながら、女にはすでに愛する男がいた。

男との婚礼を真近に控えた女は、その純潔を男に捧げるものと、神に誓いを立てていた。


だが傲慢なる王は、そのような相手の尊い誓いなど気にも留めない。

むしろ愛さぬ男に処女を奪われた女の嘆きの涙を是非見てみたいと、喜び勇んで女の元まで出向いた。


王の所業に民は心に怒りを懐くも、やはり何も出来ずに苦渋を舐めるだけだと思われた。

しかし王が女の元へ向かう途中、『国の広場』にて、誰も逆らえなかった王の前に立ちはだかる一人の男が現れた。


立ちはだかったその男に、王は不快に顔を歪めて言った。

そこを退け、と。


これまでの王の記憶では、男はすぐに道を開けるはずだった。

例えその内心でどれほどの不信を抱こうと、ひとたび王の一瞥を受ければ、誰もが即座に恐怖に身を震わし、王に阿り、許しを乞いた。


だがその男は、立ちはだかるのを止めようとはしなかった。

それどころか、誰もが怯まずにはいられない王の眼光を正面から見返し、堂々たる態度で言葉を返した。


「いいや、退かない。彼らは僕の大切な友人なのだ。その彼らが嘆く事を見過ごすなど、僕には出来ない」


それこそが、唯我独尊の王がその生涯でただ一人自分の隣に立つ事を許した、唯一無二の親友との最初の邂逅であった。










「あそこまで自分という個を見失わぬ気高き在り様。この我に抗する反骨精神。あれはなかなかに得難い人材だ」


モット伯の一件でルイズがギルガメッシュに見せた、朋友との出会いの記憶。

その情景は、彼が下した絶対の決定すらも、覆すに足る価値があったのだ。


「あれの行いは実に我を飽きさせん。あるいは、この我に更なる好奇を抱かせるやもしれぬほどにな」


泥より生まれ、獣の中で生きてきた不遇の身の上でありながら、自分という超越者に対抗せんと向かってきた道化者。

自分の隣に立ち、その最期の瞬間まで自分を飽きさせることの無かった、自分の財のすべてと比類してなお勝る価値を持つ唯一人の男。


召喚した日の夜、そして先日のモット伯での一件で、ルイズはその男と僅かに同じ気配を感じさせた。

あれもまた、自分という存在を飽きさせぬ道化者となるのではないかと。


その期待こそが、英雄王ギルガメッシュをして、使い魔の立場に甘んずるという許容を与えていた。


「君は、ミス・ヴァリエールをどうするつもりなのかね?」


呆然とした面持ちで、オスマンはそう尋ねた。

その問いに、ギルガメッシュは軽く肩を竦めて一笑してみせた。


「さてな。あれが真に、我の抱く無興を満たすに足る器か否か、それを決めるのはすべてあれ次第なのだから」


人の生こそ最大の娯楽と謳う、人の悦楽を極めし英雄王ギルガメッシュ。

彼の目に留まった以上、ルイズのこれよりの生は、彼の遊興を満足させるための物となるだろう。


情愛と殺意が等しく同居する、気まぐれにして無軌道なギルガメッシュの気性。

それが与えるであろう遊戯の如き試練は、一歩足を踏み外せば即座に奈落の底へと転落する危険と隣合わせである。


その傍らに在りて、自身の主を試し続ける。

それこそが、ルイズとギルガメッシュという二人の、メイジと使い魔の関係にあるものだった。


「努その在り方を損なわず、矮小なる体躯を背伸びして、せいぜいこの高みに挑むがいい。

我を退屈させるな、ルイズ。さすればあるいは、褒美にこの世界を賜してやってもよいぞ」


この場に居ないルイズに向けて、ギルガメッシュは心底愉快そうにそう告げた。










『アルヴィースの食堂』の上の階層に位置する、パーティー用の大きなホール。

このホールこそ、今夜のメインイベントである『フリッグの舞踏会』の会場なのだ。

そこでは生徒達が一同に会し、それぞれに着飾り、歓談を楽しみ、ダンスを申し入れている。


年に一度の大イベント。

男子も女子も、各々に気合を入れて今回のパーティーに臨んでいた。


それらの華やか雰囲気から距離と取って、ギルガメッシュはワインの注がれたグラスを片手に、バルコニーで一人双月が煌めく夜空を見上げていた。


「よう、旦那。どうしたんだい?こんな所で一人でよ」


「勝手に出てくるな。フン、我とて宴の席は嫌いではないがな。だがこれはちと慎ましすぎだ。我の好みではない」


虚空よりニョキリと顔を出すデルフリンガーに、ギルガメッシュはいまいち気の乗らぬ様子で答えた。


「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおな~~~り~~~!!」


衛士がルイズの到着を告げ、ホールの壮麗な扉からルイズがその姿を現す。

彼女の姿を見た途端、男子の生徒達が一斉に歓声を上げた。


ホワイトのパーティードレスに身を包んだそのルイズは、いつもの彼女からは想像も出来ぬほどの可憐さを振りまいていたのだ。


いつも馬鹿にしてノーマークだった女子の思わぬ美貌に驚いて、男子達が群がって我先にダンスを申し込む。

しかしルイズはそれらの誰の誘いも断ると、バルコニーにて佇むギルガメッシュの元へと歩み寄ってきた。


「フム。馬子にも衣装だな」


着飾ったルイズの姿に、ギルガメッシュはとりあえずそう感想を口にした。


「うるさいわね」


唇を尖らせて、ルイズが応じる。


「どうした?随分と誘われておったではないか。お前も存分にこの宴を楽しむが良い」


「え、ええ・・・。なんか、いつになく素直ね、アンタ」


「宴の席で無粋はせぬ。そのような所業は王の権威に関わるからな」


そう答えるギルガメッシュに、ルイズはもじもじと照れた様子で彼と向き合う。

視線を逸らしつつも、チラチラとこちらの様子を窺うその仕草は、明らかに何かを言いたげな様子だった。


その様子には無論ギルガメッシュも気づいていたが、あえて何も言わず、笑みを浮かべてルイズの言葉を待った。


やがて腹を決めたのか、ルイズはドレスの裾を恭しく両手で持ち上げると、膝を曲げてギルガメッシュに一礼した。


「わたくしと一曲踊ってくれませんこと。ジェントルマン」


普段とは比べ物にならぬ優雅さと清楚さで、ルイズはダンスの誘いを申し入れる。


それは今日の一件、自分を認め、背を押してくれたギルガメッシュに対する感謝の表れだった。


その姿をギルガメッシュはしばし無言で見つめていたが、やがて苦笑混じりに―――


「断る」


その申し出を断った。


「へ?」


「当然だ。お前如きでは、我の相手をするには女が足りぬ。そも、このような小奇麗すぎる宴など、我が出席すべき宴ではない」


そう言ってギルガメッシュは、呆然とするルイズの横を通り過ぎ、ズカズカと無遠慮に舞踏会の中心へと歩を進めた。

いきなりのギルガメッシュの登場に、生徒達は慌てて彼に道を譲る。


会場の中心に堂々と立ち、ギルガメッシュは高らかにその手を上げた。


「今宵は無礼講。退屈が過ぎるこの宴席を、王たる我がこの世の桃源郷へと変えてやる」


パチンッと、ギルガメッシュの指が鳴る。

その瞬間、空間の門が会場の所々に開かれ、生徒らの前にいくつもの酒樽が出現した。

その中の液体が醸し出す甘美にして芳醇な香りは、皆の嗅覚を一瞬で虜とした。


「王が振る舞う極上の酒だ。遠慮なく飲むが良い」


ギルガメッシュの宣言と共に、この場にいる誰もが、まるで誘蛾灯のように一斉に酒樽へと向かう。

神代の創造物たるギルガメッシュ秘伝の酒は、飲み干した者達の理性を剥ぎ取り、あっという間に泥酔の失楽園へと導いた。


「さあ、飲め喰らえ!!歌え踊れ!!今宵の宴に礼節など不要。王である我が許す。衆愚どもよ、存分に欲望のままに振舞い、醜態を曝すがいい!!」


マナーなど無視して、小太りな生徒がテーブルの食事をかっ喰らう。


楽士たちが、それぞれに選曲の違うまま勝手に楽器を奏でだす。


貴族平民区別無く肩を組み、陽気な歌を歌い出す。


どこかの集団が殴り合い、物を投げる喧嘩を始める。


突然テーブルの上に登った男子生徒が、服を脱いで全裸となって踊り出す。


いきなり女子生徒がストリップを始め、男子が歓声を上げる。


格式ある伝統行事『フリッグの舞踏会』は、もはやその形態を失い、狂乱の宴会席と化した。


「な、な、なぁ~~~っ!!?」


バルコニーに居たルイズは、愕然とその光景を見詰めていた。


もはや貴族も平民も、教師も生徒も関係ない、何もかもがムチャクチャな舞踏会。

そしてその中心で、この世のすべては自分の物だとばかりに両手を広げ、皆の醜態を肴に高笑いする自身の使い魔。


その姿に、ルイズの中で何かの線がプツリと切れた。


「こ、このぉ~~~」


自分がこれだけ気合いを入れて着飾って、勇気を込めてダンスの誘いをしたというのに、にべもないあの対応。

そして今夜も格式ある舞踏会をぶち壊した、召喚してからの自分の胃を痛め続ける、勝手気ままな行動。


最近随分上がりやすいルイズのフラストレーションゲージは、再び臨界に達した。


「馬鹿使い魔ぁぁぁぁぁ~~~―――!!!!」


色々な意味で壊れきった舞踏会会場に、とどめとばかりに打ち込まれる大爆発。

その爆発は先のゴーレム戦と比してなお大きく、自らも含めたこの場のすべてを飲み込んだ。





[2589] 外伝  タバサと黒騎士
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/02/29 07:18




外伝  タバサと黒騎士





シュヴァリエ・ド・ノールパルテル
北花壇騎士第七号


それがタバサの学院の外、故国ガリアでの称号である。


ガリアの誇るヴェルサルテイル宮殿には、季節ごとの花々が優雅に咲き乱れる『薔薇園』と呼ばれる花壇が存在する。

由緒あるガリアの騎士団は、その花壇に咲く花々にちなんで命名されている。

南ならば薔薇、東ならば百合、といった具合である。

ただ唯一、『薔薇園』には北側のみ花壇が存在しないので、北が名前に入る騎士団は公式上存在していない。


だが、それはあくまで表向きでの話。

王宮の裏舞台には、“北”の名を冠する騎士団が存在した。


ガリア王家の汚れ役のすべてを担い、国のためにならぬ事柄を闇の葬る、忠節や騎士道とは無縁の騎士団。


それが北花壇警護騎士団であり、タバサはその七番目の騎士なのだった。


「お姉さまお姉さま、本当に行くのね?」


主を背に乗せ飛ぶ風竜のシルフィードが、人間の言葉を用いて話しかける。


騒ぎになることを防ぐため学院には明かしていないが、タバサが召喚した使い魔であるシルフィードは、今では失われつつある古代の知恵ある竜、風韻竜の一匹であった。


「命令」


「でもでも、今度の命令はいくらお姉さまでも無茶なのね」


主の身を案ずる自身の使い魔に、タバサはいつもの無表情で応える。

しかしその内心では、此度に彼女に下された王家の命令に、大いに憤りを感じていた。


『シエルネィヴァ山脈の山中の砦跡が、盗賊団ゲルゴウィアと思しき一団の根城であると報告あり。これを確認し、速やかに一団を逮捕、または殲滅せよ』


それが今回、タバサに伝書鳩を通じて送られてきた命令書の内容である。


盗賊団ゲルゴウィア。

その名前、というより悪名はタバサとてよく知っている。


ガリア地方を中心に活動し、戦時であれば傭兵として、平時であれば盗賊として、悪行三昧を振るう、もはや盗賊と呼ぶもおごがましい鬼畜集団。

団員の総数は五百人にも及ぶと言われ、構成員は平民のみでなく貴族崩れのメイジも複数存在する。

特に頭目のジルドベットは、『業火』の二つ名を持つ『火』のスクウェアメイジ。

裏の世界では、かの『白炎』と並び称されるほどに、残虐にして強力なメイジである。


彼らの手により略奪され、焼かれた村の数はもう数えきれない。

無論、国家とて彼らのその悪行を阻むべく、幾度となく討伐軍を派遣した。

しかしその度に、狡猾なジルドベットは軍の動きを察知して、捉えられることなく逃げ果せてきた。

自身の仲間さえ蜥蜴のしっぽ切りのように切り捨てられるジルドベットの冷血な知略に、ガリア王家は何度も煮え湯を飲まされてきたのだ。


(とうとう、王家は私を謀殺しにかかったのか・・・)


今回の任務に対し、苦々しくタバサ―――本名シャルロット・エレーヌ・オルレアンは思った。


今でこそタバサなどと珍妙な名前を名乗っているが、本来の彼女は現王ジョゼフの姪、すなわち立派な王族である。

しかし彼女の父親オルレアン公シャルルは、王座を巡る政略争いの中で謀殺。

母親も薬によって廃人とされ、その母を盾に自分も憎き王家の道具になり、厄介払いとばかりに命の危険のある数々の任務を押し付けられる。


その苦難と屈辱の日々に耐えながら、タバサは必死に自分を磨いてきた。

成功率が絶望的な任務をいくつもこなし、戦闘経験を積み重ねる。

ヒマさえあれば本を読み、様々な知恵を身に付ける。


すべては、彼女の伯父であり、自分から両親を奪った張本人である現ガリア国王ジョゼフに復讐するために。


だがそうして何時まで経っても死なない自分を疎ましく思ったのか、とうとう王家はとんでもない無理難題の任務を与えてきた。


メイジも含めた五百人近いという武装集団に、たった一人で挑む。

それはもはや、知恵や工夫の入り込む余地のない、無謀も通り越した愚行だった。


(でも・・・)


理不尽な王家の命令に憤りつつも、タバサにはいくつか腑に落ちない点があった。


一つは、この命令を受けたのが、ガリア本国ではなくトリステイン魔法学院であったこと。

いつもならば騎士としても指令は、ガリア本国のヴェルサルテイル宮殿の離れにある小宮殿プチ・トロワにて受けるというのに、今回は伝書鳩による直接の指令書送付であった。

こんな死刑宣告にも等しい任務、あの陰険な従姉妹が喜びそうなことだというのに。


また指令書を見ると、この命令はどうやらガリア王ジョセフからの勅命であるらしい。

憎むべき復讐対象の言葉だと思うと、知らず指令書を握る手に力がこもった。


しかし、同時に不可解でもある。

これまでの命令は、一応北花壇警護騎士団団長の地位にある従姉妹のイザベラが行ってきたというのに、今回に限ってなぜ王自らが下したのか。


そしてタバサが最大に奇妙と感じる事柄は、指令書に記されたこの一文である。


『合流地点にてもう一人の騎士と合流し、連携して任務に当たれ』


もう一人の騎士。

つまり今回の任務は二人で行えということだ。


タバサのこれまでの任務は、例外なく一人きりでの物だった。

考えれば当然、それらの任務はすべてタバサという存在を闇に葬るための物なのだから。

そのような死地にわざわざ人材を送り込むことは無いし、それ以上に自分に有利になるようなことをあの王家がするとは思えない。


まあ、有利になるとは言っても、今回の任務に限っていえば大した違いにはならないだろうが。


(私を脱走させないための監視役?)


それは十分にありそうな考えだと、タバサには思えた。


自分とて何も素直に王家の言いなりのまま死ぬつもりはない。

いざとなれば王家に背いて脱走する考えは、無論のことある。


だがそうなると問題なのは、人質として捕られている母の存在だ。

脱走するにしても、何とか母も一緒に奪還しなければならない。


それを防ぐために監視役を配置するというのは、十分にあり得た。


(あるいは、私のように王家に疎ましがられている者?)


これもまたあり得る。

王家にとって邪魔な存在となった者の、体の良い始末。

これまであの王家がさんざん自分に対して行ってきたこと。

その悪魔の所業を、他の者に行っていないなどと、断言できるはずがない。


もしそうだとすれば、ひょっとすれば脱走にも協力してくれるかもしれない。


そんな楽観的な考えも僅かに交えて、タバサはシルフィードをその騎士との合流地点へと向かわせた。










ガリア地方の南東300リーグほど離れた地点に位置する、高大な山々が連なるシエルネィヴァ山脈。

火竜たちが跋扈する火竜山脈ほどではないが、その規模はハルケギニア全体から見ても最大級の広大さである。


その山脈の麓にある森の、ひときわ大きく聳える大木の元に、タバサはシルフィードを伴い降り立った。


「ここがその騎士さんとの合流場所なのね?」


コクリとタバサは頷く。


シルフィードはブルブルと震えた。


「う~ん、わたし、ここ嫌いなのね。ヌメヌメしてジトジトして、暗~い気分になっちゃうのね。ここに住んでる動物は、きっと変な味するのね。とってもグルメなシルフィードの口は、そんな物は受け付けないのね。

あ、ご飯のお話をしてたら、何だかお腹が空いてきたのね。ご飯ご飯、こんな所からはさっさと出てって、おいしいもの食べたい、きゅいきゅい」


「うるさい」


わめくシルフィードの頭を、タバサは長い杖でポカリと殴って黙らせる。


その時、『風』のトライアングルとして、空気の流れを鋭敏に感じ取るタバサの感覚が、自分以外の足音を捉えた。


「誰?」


問いかけに応じてか、深い森の闇の中より、一人の人物が歩み出た。


そして自分の視界の前に出たその人物の姿には、常に動じず氷のように冷徹な精神を持つタバサでさえ瞠目した。


頭も兜でくまなく包むフルプレートの甲冑。

それは華美にも武骨にも貶められることなく、機能と豪奢を絶妙なバランスで両立させる、およそ鎧という概念の元で完璧と呼ぶにふさわしい一品だった。

数々の戦を駆け抜けた事を証明する、その表面に刻まれた無数の疵跡でさえ、武勲を称える勇猛の華の役割を担う、戦士ならば誰もが憧れるであろう、理想の戦化粧。

しかしそんな栄えある鎧も、その全体を染め上げる汚らわしく淀んだ黒色がすべてを台無しにしていた。


“華”の要素など微塵もない、ただ相対する者へ胸に焼きつく恐怖の念のみを与える、漆黒の騎士。


それがタバサの前に現れた者の姿だった。


「あなたが、今回の任務を受けた騎士?」


尋ねるが、黒騎士は答えない。

ただ沈黙し、幽鬼のようにタバサの前に佇むのみだ。


「ゲルゴウィアの根城まで」


それでも重ねて、タバサは目の前の黒騎士に言葉をかける。

それに対する答えは無かったが、それでも今度は一応の反応はあった。


黒騎士がこちらに背を向け、目的地であるシエルネィヴァ山脈へと歩き出していく。

それを肯定の意思表示と受け取り、タバサもまたそれに続いて歩き出そうとする。


「お、お姉さま、行っちゃダメなのね」


そんなタバサを、シルフィードは慌てた様子で呼び止めた。


「あれは絶対、危険なのね。シルフィードの古代種のカンがそう言ってます。あれは関わっちゃダメだって」


シルフィードの言うことは、もちろんタバサにとて分かる。

あれの異形に、危機感をまるで感じない者がいるとすれば、それはよほどの鈍感か狂人くらいだ。


しかし、そうあっさりと逃げ出すという選択肢は選べない。

あの騎士が自分の監視役であるという疑いを、タバサはまだ消していない。

もしその疑いが正しければ、王家の魔の手はすぐさま母の元へと伸びるだろう。


逃げ出すとすれば、王家の目を欺けうる虚偽を纏ってからだ。


「あなたはここで待ってて」


呼び止めるシルフィードに、タバサはそうとだけ答える。


どの道、これより先は徒歩での行軍だ。

恐らくこの辺り一帯をくまなく把握しているであろうゲルゴウィアの根城に、シルフィードで空から行くのはいくらなんでも目立ちすぎる。


そして何より、シルフィードを自分の都合に巻き込みたくない。

いかに使い魔であるとはいえ、元々シルフィードにとってこれらの任務は全く関係がないのだ。


彼女の胸の内の復讐の決意は深く、重い。

しかし同時に、彼女はその自身の復讐に誰も巻き込みたくないという思いもあった。


復讐という行為は、結局のところ、究極的に不毛な行為なのだ。

それを為したことろで、誰かが救われるわけでも、何かが得られる訳でもない。

得るものがあるとすれば、それは自分自身のための満足感のみ。


だからこそタバサは、復讐は自分自身の手で行うと決めていた。

自分以外に何かを得る者がいないなら、自分だけでやればいい。

こんな苦しい思いをするのは、自分だけで十分だ。


自己のために父を奪った王家の利己的な暗躍に対し、一種の意地でそう思う一方で、同時にタバサには彼らを殺すのはどうしても自身の手でなければ気が済まないという暗い思いもあった。


やはりこの身より湧き出る憎悪の意志は、自分自身の手で決着をつけてこそ道理だ。

それで得られる最大の満足感でこそ、自分の屈辱と苦難の日々も報われるというものだろう。


そんな明暗両立する思いを胸に抱き、タバサは黒騎士に続いて目の前に聳えるシエルネィヴァ山脈へと歩き出していった。










正面の山道を避けて、山の中に広がる木々生い茂る森の中を、タバサと黒騎士は黙々と歩く。

その足場の悪さはなるほど、軍の派遣を躊躇わせ、少数に任務を任せるのも僅かに理解できるものだった。

こんな所をゲルゴウィアに対抗出来るほどの大部隊で進軍すれば、その過程だけで時間も体力も使い果たしてしまうだろう。


シルフィードと別れてからそろそろ四時間ほどが経過しようとしている。

黒騎士の歩みに対して、視界より離れないほどの距離を取って、タバサも黒騎士の歩みに付いて行く。

あの不気味な黒い甲冑の騎士の傍らで長時間歩き続ける神経は、さすがのタバサにも無かった。


なかなかに険しい森の道中でタバサは、自分の前を進む黒騎士に対して抱く疑惑の種類を変化させつつあった。


当初は自分の監視役と疑っていたが、その考えもいまや薄れている。

この黒騎士は、ただひたすらに歩き続けるばかりで、こちらに全く目を向けようとしない。

一応、こちらが休憩しようと立ち止まると、あちらも歩みを止めるが、それとて向こうに休む意図があっての行為ではない事は明白だった。


視線も正面を向いたままで動かず、あくまでタバサが止まったから自身も止まるといった態度。

そこに休息の要素は微塵もなく、事実タバサが立ち上がれば再び歩き始める。


まるで、ただタバサと共に行動せよと刷り込まれたかのような人形の如き動きは、タバサにこの黒騎士が人間であることを疑わせた。


試しに何度か話しかけてもみたが、返答はやはりない。

それは自分の冷然な無視とは違い、本当にこちらの声が聞こえていないとしか思えない態度だった。


もしかしたら、これは本当にガーゴイルなのかもしれない。

魔法先進国とも呼ばれるガリアの魔法人形ガーゴイルは、他国に比べ格段な進歩を遂げている。

そのガリアの技術を以てすれば、これくらいのガーゴイルは十分作れるだろう。

それに自分という厄介者に付ける騎士として、人形以上の適役はいまい。


皮肉気にそう思いながら、タバサは黒騎士に続いて歩みを進め、やがて森の抜けた先の崖へと辿り着いた。


崖といっても、それほど高くはない。

せいぜいが四十メイルといったところで、メイジであれば何の問題もなく降りられる高さだ。


そしてその崖下には、ゲルゴウィアの根城と目される、件の砦跡があった。


「ゲルゴウィア・・・」


指令書の情報は確かであったらしい。

崖から僅かに顔を覗かせて下の砦跡を見つめ、タバサは思った。


かつては東方のエルフ達との戦いに用いられたという砦の跡地。

そこには現在、大量のならず者たちの姿があった。


ここからパッと見ただけでも、少なく見積もっても二百人はいる。

建物の中に居るであろう者達のことを考えると、その数はさらに跳ね上がるだろう。

構成員五百人がすべてこの場に勢ぞろいしているかは分からないが、少なくとも一人か二人でどうにかなる数ではないことは確かだ。


(どうする・・・?)


正面からの突入はまず論外。

自分の魔法ではどれだけ魔力を振りしぼった所で、倒せるのはせいぜい二、三十人が関の山。

精神力が尽きた後はあっという間に仕留められ、いや最悪の場合捕えられて慰み者にされるかもしれない。


もっと高威力の、都市制圧用の大規模高等呪文があれば話は別かもしれないが、あいにく自分は威力よりも精緻さを魔法に求めるタイプである。

必要最低限の労力で、最大限の効果を上げる。

そのやり方をこれまで通してきた彼女が、この砦すべてを一気に殲滅しうる魔法など使えるはずがない。


となれば考えられるのは、毒などといった搦め手の手段だが、これもやはり非現実的な手段だと言わざる得ない。

毒の一つだけで全滅してしまうほどずさんな管理ではないだろうし、そもそもそんな強力な毒など自分は持ち合わせていない。


結局、ゲルゴウィアを相手にするには、人も準備も何もかもが足りていないのだ。


(やっぱり、こんな任務には付き合ってられない。何とか王家の隙をついて―――)


そうタバサが思い始めた、その時だった。


「Ar・・・errr・・・」


これまで完全なる沈黙を保っていた漆黒の騎士が、初めて声を発したのだ。

だが初めて耳にする黒騎士のその声は、人の声というよりも、獣のうなり声のような印象をタバサに与えた。


その声にタバサが動揺する中、黒騎士はさらに驚くべき行動に出た。

タバサをこの場に残し、突如として崖下の砦跡へと身を躍らせたのだ。


「なっ!?」


タバサが驚愕する中、黒騎士は四十メイルもの高さを『フライ』も『レビテーション』も用いずに落下し、砦の中へと降り立つ。

身を隠すことなどまるで考慮していない黒騎士の行動に、当然ながら相手も気づいた。


「な、何だ、おま―――」


突然現れた漆黒の甲冑騎士に、近くにいた男が手にする槍を構えようとする。

しかし次の瞬間には黒騎士はその男の首を掴み取り、無造作にボキリとへし折った。


「何だテメェは!!」


「俺らが誰だか分かってんのか?」


仲間を殺されたゲルゴウィアの構成員たちが、一斉に黒騎士へと殺気を向ける。

ならず者たちの獰猛な殺気を一身に受けながら、黒騎士は自身が縊り殺した男の手から、特に装飾もない凡庸な槍を左手に取った。


瞬間、崖上よりその光景を眺めていたタバサは、異様な現象を目撃した。


黒騎士が槍を手にした瞬間、そこを起点として、まるで蜘蛛の巣のように黒い筋が槍全体に幾重にも絡みついていったのだ。

まるで騎士の身を染める暗黒が、そのまま武器にまで浸食していくかのように。


そしてそのような怪現象を顕した黒騎士の左手には、禍々しく光り輝くルーンの文字があった。










山脈の中腹辺りに位置する、太古の戦場の名残を残す砦の跡地。


現在はならず者達が支配するその場所に、今まさに一人の死神が舞い降りていた。


「ひ、ひいぃぃぃぃっ!!?」


「こ、このくそ野郎がぁっ!!」


悲鳴と怒声が響きわたる中、その声を永遠に途絶えさせる黒い影が駆け抜ける。

漆黒に染まった槍をさながら棍のように旋回させ、黒騎士は次々と向かってくるならず者の生命を鮮血の飛沫の中に散らせていった。


駆け抜ける黒騎士の動きに、ゲルゴウィアの構成員たちは全く追随することが出来ない。

それは彼らが弱いということではなく、単純に黒騎士が疾すぎるが故の結果だった。


彼らがその黒騎士の面前に相対した次の瞬間には、目にした者すべてが黒騎士の槍に穿たれ、なぎ払われている。

それはまさしく、これまでの彼らの悪行に死の制裁を加えにきたかのような死神の姿だった。


「あ~ん、こりゃどういうことだぁ?」


死神の姿にならず者達が恐怖に身を怯ませる中、彼らにとってそれに負けず劣らずの畏怖の対象である人物が現れた。


盗賊団ゲルゴウィア頭目、『業火』のジルドベット。


どうしようもない荒くれ者たちを知略と恐怖によって支配するゲルゴウィアの頭領が、ついにその姿を現したのだ。


「何なんだよ、あいつは?」


「わ、分かりません。い、いきなり現れまして・・・」


完全に臆している部下に舌打ちし、ジルドベットは遠巻きに自分の根城に襲撃してきた黒騎士の姿を見る。


その動きは、幾多の戦場を潜り抜け、その分の修羅場も体験して捩じ伏せてきたジルドベットでさえ捉えられるものではなかった。


「すげぇな、オイ。あれ、本当に人間か?」


すでに人外の領域の動きを行う黒騎士に、感心したようにジルドベットは言った。

しかしその様子は、他の団員たちのように恐怖に怯んでいる訳ではないようだった。


「ほれ、お前ら何ボサッとしてんだ。さっさと行けよ」


「か、頭!?け、けどよぉ・・・」


「ったく、ビビっちまったのかよ、情けねぇ。よし、じゃあこうしようぜ。あいつを仕留めた奴には、エキュー金貨3000をくれてやるよ」


ジルドベットの口から出た金額に、団員たちの心が僅かに揺れる。

しかしそれでも、やはり命があっての物種である。

金欲よりも保身が優先し、どうしても前に踏み出すことが出来なかった。


「・・・オイ、あんまりモタモタしてっと、燃やすぞ」


命令を聞こうとしない部下たちにとうとう業を煮やしたジルドベットが、底冷えする声音で告げた。


部下たちはその言葉が決して脅しではないことをよく知っている。

彼の機嫌を損ねた者を、それこそ何の前触れもなく焼き殺す光景を、彼らは何度も見てきたのだ。


その恐怖に押され、団員達は半ばヤケとなって黒騎士へと突っ込んでいく。

それは結局、黒騎士が作る死体の量をまた増やすだけのことでしかなかったが、そうして黒騎士が死体の山を積み上げることに躍起になる様を、ジルドベットはニヤリと笑みを浮かべて見つめていた。


そして自分の身の丈ほどもある鉄の杖を、黒騎士と自分の部下が戦う場へと向けた。


「燃えちまいな」


その一団に向けて、ジルドベットは何の容赦もなく『ファイヤストーム』の呪文を解き放った。


吹き荒れた炎の暴風は、まさしく『業火』の二つ名にふさわしい威力であった。

螺旋して荒れ狂う炎の渦が射線上のすべての物体を溶解させ、消滅させていく。

それには当然、先ほど彼自身が突入させた、彼の部下も含まれていた。


初見にて、黒騎士の動きがまともにやった所で捉えられるものではないと理解したジルドベットは、相手の気を逸らすためと自分の魔法の詠唱時間を稼ぐために、あっさりと自身の部下を捨て駒としたのだ。


「ハッ、どこのどいつか知らねぇが、この俺様に手を出したのが運の尽きだったなぁ、クソ虫がぁっ!!」


炎の嵐が黒騎士へと迫る。

その炎の破壊力は、いかに人外の力を持つ黒騎士といえど、受ければタダでは済まない規模だ。


もはや回避も間に合わぬ眼前に炎の嵐が迫る中、黒騎士は自身が手にする槍を目の前の炎に向けて投擲した。

撃ち出された槍は黒騎士の手を離れた瞬間、音をもはるかに上回る速度に達し、巻き起こす衝撃波で炎の嵐に穴を空けて直進する。


そして槍の矛先は、その射線上に存在したジルドベットの頭をいとも容易く粉砕した。


声など、上がるはずもなかった。

彼は恐らく、自身の死の瞬間まで、自らの勝利を確信していたはずだ。

これまで幾度も王家を欺き、罪無き者たちを苦しめ続けていた『業火』のジルドベットの最期がそれであった。


術者の制御を失った炎の嵐は、黒騎士に届くことなくその寸前で霧散する。

それに一歩遅れる形で、頭の無いジルドベットの身体がゆっくりと倒れた。


「ひ、ひぃ!?お、お頭がぁ!!」


「終わりだ・・・。ここはもうお終いだ!!」


この一団にとっての統制の柱でもあったジルドベットの死に、とうとうならず者達は完全に恐怖に支配された。

もはや何の外聞もなく、我先に黒騎士に背を向けて逃げ出していく。


その背を眺めながら黒騎士は、足元に転がっていた死体から、両手にそれぞれ剣を剥ぎ取る。

途端、先ほどの槍の時と同様に、両の手どちらの剣にも闇が浸食し、その左手のルーンが一層輝きを増した。


「■■■■■■■■ッ!!!!」


もはや人語の域にない魔性の雄叫びを轟かせ、背を向けるならず者の一団に黒騎士は突っ込んでいた。










眼下に広がる光景を、タバサは震えと共に見つめていた。

彼女の心に止むことなく吹き荒れていた無謬の雪風も、今は恐怖の極寒となって彼女の心を支配している。


その光景はまさしく、現世に再現された地獄の景色であった。


砦の至る所で火の手が上がり、吐き気を催さずにはいられない血肉と臓物の異臭。

そこに生命の息吹を保つ者は一人としておらず、打ち捨てられた肉塊となって骸の丘を築いている。


そしてその骸の丘にただ一人で立ち、その身を暗黒と鮮血の赤の二色のみで染め上げて、人外の咆哮を轟かす狂乱の騎士。

それはもはや人にあらず、あらゆる魔性を凌駕し、命の尊厳を踏み砕く殺戮の鬼であった。


ここに至りタバサはようやく、叔父が自分にこの指令を下した意図を理解した。


見せつけるためだ。


自分の復讐を完遂するためには、あの鬼と相対しなければならないと分からせるためだ。


あの鬼と戦うなどと、想像するだけで背筋が凍る。

あれは自分の知略でどうにかなる存在ではない。

人が恐れる闇に巣くい、飲みこまれた者を喰らう魔物なのだ。

人が相対した所で、ただその顎の餌食となるだけ。


そんな恐怖の殺戮者の姿を目に映しながら、ともすれば折れてしまいそうな心を必死に支える事しかタバサには出来なかった。






[2589] [9]王と王女
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/02/29 06:41





[9]王と王女





それは淡い、幼かった日々の記憶―――


ラ・ヴァリエール家が有する見るも大きく豪奢な屋敷の中庭、そこに存在する池の小船の中で、幼いルイズは泣いていた。

この池の小船は彼女にとって秘密の場所。

魔法のことで叱られると、ルイズは誰も気に掛けないこの場所に逃げ込むのであった。


「泣いているのかい?ルイズ」


そうして頭から毛布を被り、むせび泣くルイズに、深く帽子を被りマントを羽織った一人の立派な貴族が声をかけた。

歳のほどは十六ぐらい、六歳のルイズからは十歳も年上である。


顔はよく見えずとも、その人物が誰なのかルイズにはすぐに分かった。

最近になり、父が戦死したことで若くして領地を受け継ぐことになった、晩餐会をよく共にした憧れの子爵。

そして彼と自分の父との間に交わされた、淡い口約束ではあるけれど、結婚の約束。


そんな憧れの婚約者にみっともない所を見られ、ルイズは恥ずかしくなった。


「子爵様、いらしてたの?」


「今日は君の父に呼ばれたのさ。あの話のことでね」


その言葉の意味を察し、ルイズは頬を染めて俯いた。


「いけない人ですわ。子爵様は・・・」


ルイズははにかんで言った。

そんなルイズに、子爵はおどけた調子で言った。


「ルイズ。僕の小さなルイズ。きみは僕の事が嫌いかい?」


子爵の言葉に、ルイズは首を横に振る。


そんなことはない。

たくましい体躯に穏やかな表情を浮かべるその姿は、見惚れるほどに素敵で凛々しい。

それに彼だけは、魔法が使えないと叱られ同情される自分を励ましてくれる、自分にとって唯一の味方だ。


嫌いだなどととんでもなく、彼はまぎれもなくルイズの憧れの人だった。


しかしそれが恋愛感情と同義であるかと問われれば、はっきりとした答えを幼いルイズには口にすることは出来ない。

彼女の精神は、まだあまりに幼いのだ。

人が人を愛するという概念の理解には、彼女はまだまだ程遠い。


「いえ、そんなことはありませんわ。でも・・・。私、まだ小さいし、よく分かりませんわ」


「たわけめ。お前如きの意思など、初めから訊いておらぬわ。これは我が下した決定だ」


唐突に、目の前の人物の声色が変化する。

その声に、ルイズは「へ?」と、間抜けにポカンと当惑した表情を浮かべた。

ついでに、いつの間にやら身体の方も十六歳の物に戻っている。


その時、風が吹いて子爵がかぶっていた帽子が飛んだ。

そこから現れたのは、ルイズの憧れの子爵では断じてなかった。


「そも、お前は理解などする必要はない。他ならぬこの我が、我の物になれというのだ。お前はただこの光栄に歓喜し、我のみの色に染まるがいい」


帽子の中から現れたのは、彼女の使い魔たるギルガメッシュであった。

見れば、マントを羽織っていたはずの相手の格好も、いつの間にか黄金の鎧姿に変化していた。


「ふ、ふざけないでよ。誰が、アンタなんかの―――」


「ほう。そういえばここは池のようだな。ふむ、せっかくだ。時には庶民の道楽たる釣りにでも興ずるとするか」


「って、アンタ。人の話はちゃんと聞きなさい―――!?」


叫ぶルイズの足に、じゃらりと鎖が伸びる。

きょとんとするルイズを尻目に、ギルガメッシュはそのまま鎖を振りまわし、その先に繋がれるルイズを池の中に投げ入れた。


「げぼ!?がぼごぼ」


「釣り具はお前だ。さあ、この我のために、存分に魚を釣り上げるがいい」


溺れるルイズに、小船の上から勝手なことをほざくギルガメッシュ。

唐突に水の中へと放り込まれたルイズは、当然酸素を求め、水上へと浮上した。


だがそこに、無数に飛来する宝剣の雨が浮かび上がったルイズに襲いかかった。


「誰が浮くことを許した?我はお前に魚を釣り上げよと命じたのだ。一度水の中に潜ったならば、確かな戦利品を携えて帰還するが義務であろう」


「い、いやぁぁぁぁ~~~!!」


降りかかる剣の雨に追い立てられながら、ルイズは悲鳴を上げた。










「はっ!」


悪夢より目覚め、ルイズはバッと身を起こした。


彼女がいるのは実家の屋敷の池ではもちろんなく、使い魔によって大幅なリフォームが施された自分の部屋。

その、この部屋の家具の中では最も質素なベッドの上に、ルイズは居た。


「夢の中でさえ負けた・・・」


現実でも完全に主従が逆転し、夢の中でさえその関係が覆らないことに、ルイズはがくりと頭を落とした。


沈んだ気持ちに陥りながら、ルイズはチラリと横目で自分よりも遥かに豪奢なベッドで眠るギルガメッシュの姿を見た。

その様子はルイズのへこみようなどどこ吹く風で、腹が立つほどグッスリと安眠しているのが分かった。


その様子に、ルイズの中で怒りの感情が沸き上がってきた。

この使い魔の行いのせいで主の自分は毎日胃を傷めているというのに、肝心の使い魔はこのハルケギニアの生活を勝手気ままに満喫している。

最近ではもう飽きたとかで、授業に同行することもなくなったほどだ。


どこまでも主を尊重するという気持ちを欠片として持たない使い魔。

そんな使い魔の実に安らかな寝顔に、ルイズは大いに憤りの念を懐いていた。


今回ばかりはルイズの怒りこそ完全に理不尽なものだったが、テンションの上がりまくっているルイズにそんなことはどうでもいい。

ともかく、どうにかしてこの使い魔にギャフンと言わせてやりたい。

この傲慢な顔に、何とか泥を塗る方法はないものか―――


「そうだわ!」


ひらめいて、ルイズはベッドより飛び出る。

そして自分の机の上より、ペンを一本手に取った。


顔に泥を塗るという表現よりルイズが思いついた仕返しの方法。


ラクガキ、である。


実にベタな手法ではあったが、使い古されるだけあって決まるとかなり効果的だ。

もしうまくいって、気付かぬまま皆の前に姿を現したならば、この男の権威は地に堕ちることだろう。


その時のギルガメッシュの顔を想像して、ルイズは思わず笑みを漏らした。


そうしていざ考えを実行せんと、そろりそろりとルイズは忍び足で歩み寄り、ギルガメッシュの眠るベッド元まで来る。

睡眠し、傲慢さが抜け落ちたギルガメッシュの寝顔は、やはり絶世の美青年と呼ぶにふさわしく、その顔にルイズはつい一瞬見惚れてしまう。


だがすぐに気を取り直し、いざその顔にラクガキを行うべく、手にしたペンを伸ばした。


「そうね・・・、内容はとりあえず『私は使い魔』としておこうかしら・・・」


思案しながらゆっくりと、ルイズはペン先を近付ける。

考える言葉は悪口としてはインパクトが弱かったが、そこはやはりギルガメッシュに悪戯をするという蛮行に対し、やや腰が引けているせいだろう。

そうしてついにペンの先がギルガメッシュの顔に届こうとした時―――


「へ?」


ペンを持つその手に、虚空より伸びた鎖が絡みついた。

どことなく先ほどの夢を思い出す展開に、ルイズは表情をきょとんとさせた。


「・・何をしている?」


きょとんとしているルイズに、パチリと目を開けたギルガメッシュが尋ねる。

つい先ほどまで穏やかな寝息を立てていたその顔には、今はニヤリと笑みが―――好意的なものでは決してないが―――張り付いていた。


「いや、えっと・・・」


「こんな夜更けにどうした?その手に握るペンは何だ?」


ベッドより起き上がりながら、ギルガメッシュはルイズの手にするペンを指して問う。

ルイズは苦笑いを浮かべながら何とか誤魔化した。


「これは、その、ちょっと明日の授業のために勉強しようと思って・・・」


「ほう。勉強か」


相槌を打ちながら、ギルガメッシュはルイズの手よりペンを奪い取った。


「ふむ。言われてみれば我も何やら勉学をしたい気分となってきたぞ」


「へ、へえ。そうなんだ」


「うむ。この世界の語字は学んだが、やはり復習することは大事だな。もう一度やり直してみるとしよう」


がしりと、ルイズの頭をギルガメッシュが掴む。

サァーと、ルイズの顔より血の気が引いた。


「さて、何の語学より学びなおすか。まずはソフトに、『私は卑しい奴隷です』から始めるとするか」


「い、いやぁぁぁぁ~~~!!」


夜の魔法学院に、ルイズの夢の中と同じ哀れな悲鳴が響き渡った。










翌朝。


着替えを終えて宿舎から出た生徒たちにより、部屋の窓より足から鎖で宙吊りにされ、失神しているルイズが発見された。

引き上げられたその身体の至る所には、多種多様の罵詈雑言の数々が書き込まれていた。


「うわー・・・」


目にしたルイズの姿に、生徒達はそんな声を上げる。

あまりにも無残なその姿は、もはや笑いさえも起こさず哀れを皆に誘っていた。










トリステイン魔法学院に続く街道を、王家の紋章を象った、聖獣と呼び名高いユニコーンに引かれた馬車が静々と進んでいた。

一角獣ユニコーンは、無垢なる乙女しかその背に乗せないといわれている。

その由来から、ユニコーンは王女の乗る馬車を引くのに相応しいとされていた。


その馬車は、トリステイン王女アンリエッタの物であった。


時折窓のカーテンより顔を出し、街道の観衆へと優雅な微笑みを見せて手を振ってみせる。

うら若き王女のその姿に、観衆の歓声は一段と高くなった。

それにもう一度微笑みで応えてから、アンリエッタはカーテンを閉める。


観衆の目が無くなると、アンリエッタは途端に大衆用の仮面を脱ぎ捨て、その美貌の表情を曇らせた。


現在の彼女が治めるトリステインの情勢は決して平穏なものではない。

『白の国』と名高い浮遊大陸アルビオンで起きている、アルビオン貴族による王家への革命。

その大勢もほぼ決し、王家が貴族派の元に倒されるのも時間の問題だ。


そしてこの事によって生じるトリステイン側の問題は、勝利をほぼ確定させつつある貴族派の掲げる大義名分であった。


『ハルケギニアを統一し、奪われた聖地を奪還する』


革命派の貴族達はその大義の元に決起し、今回の内乱を引き起こしている。


未だ小競り合いの絶えない各国を統一し、あの強力なエルフ種族に奪われたブリミル光臨の聖地を奪還するなど、他人の耳には絵空事にしか聞こえない。

だが真偽のほどはともかく、統一を宣言している以上、近いうちに新たに樹立する新政府が次に向ける矛先は、小国たるこのトリステインであろう。


トリステインの政治を司るアンリエッタらにとっては、それこそが最大の問題だ。

今回の遠出も、来たる新生アルビオンの脅威に対抗するため、大国ゲルマニアとの同盟を実現させるためである。


「はあ・・・」


今日何度目になるか分からない溜め息を、アンリエッタはついた。

しかしその溜め息が国事を憂いてのことかと言えば、そうでもない。

元より彼女がどれだけ国のことを思っても、あまり関係はないのだ。


先王が崩御した現在、トリステインの政治権力を握っているのはアンリエッタではなく、枢機卿マザリーニである。

いかに王族であろうと、所詮は世間知らずの小娘に過ぎないアンリエッタの手腕が、老獪たるマザリーニのそれに敵うはずもない。

事実、今回のゲルマニアとの同盟政策、ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世と自分との婚儀の件も、すべてマザリーニの手によるものだ。


「ワルド君。殿下のご機嫌がうるわしゅうない。何か気晴らしになるものを持ってきてくれないかね?」


「かしこまりました。猊下」


そんなアンリエッタの様子もつぶさに読み取って、マザリーニは周囲を護衛する魔法衛士隊の、特に自身の覚えの良い隊の隊長に声をかける。

その様子には、仮にも本人の望まぬ婚礼を推し進めたことに対する負い目の感情は見られなかった。


命を受けた凛々しい貴族の青年は、街道に咲く花を『風』の魔法を用いて摘み取り、アンリエッタの元まで持ってくる。

花を受け取って青年との軽い会話の後に、アンリエッタは隣のマザリーニに尋ねた。


「あの貴族は、使えるのですか?」


「ワルド子爵。グリフォン隊隊長にして『閃光』の二つ名を持つスクウェアメイジです。彼に匹敵する使い手はアルビオンにもそうはおりますまい」


マザリーニのお墨付きを貰い、アンリエッタは考える。

あの貴族にならば、自分が懸念している件を処理する任務を任せても良いかもしれない、と。


アンリエッタの懸念とは、かつて自分がアルビオンの王子にしたためた一通の恋文。

始祖ブリミルの名において永遠の愛を誓ったあの手紙がゲルマニアの手に渡れば、当然自分の婚儀の話は取り消し、すなわちゲルマニアとの同盟は水疱に帰するだろう。


無論アンリエッタとてそれを何とかしたいと思っているが、その方法をアンリエッタは持っていない。

誰かに相談したくても、現在の王宮に、彼女が心より信頼して胸の内を暴露できる人物など一人もいないのだ。


そんな思いの中で、ワルドという青年の殊勝で誠実な態度に一抹の光明を見出したアンリエッタだが、それでもやはり最後のふんぎりがつかない。


今回の手紙の件は、完全にアンリエッタの私情が招いた結果だ。

そのような自らの不覚を、今日初めて顔を知った人物に明かすというのはやはり躊躇われる。

どこかに、自分が心より信頼して自らの懸念を明かすことが出来、なおかつそれを解決してくれる頼りになる貴族はいないものか。


そんな都合の良い事を考えた時、アンリエッタの脳裏に一つの名前が思い浮かんだ。


「枢機卿、土くれのフーケを捕らえた、貴族の名はご存知?」


「覚えておりませんな。たかが盗賊如きに気をかけている余裕は、今のトリステインにはありませんので」


マザリーニのにべもない返答に、アンリエッタは顔を顰める。

しかし彼女は自らが話題に上げた貴族の名をよく覚えていた。


このトリステイン中の貴族を騒がせた大盗賊フーケの捕縛は、かなりの話題となっている。

特に最近となって、『チェルノボーグの監獄』にて裁判を待っていたフーケが監獄内より脱獄したのだ。


王宮ではアルビオンのことに気がいってさほど関心は向けられていないが、巷では現在一番の話題の元である。

そのニュースはアンリエッタの耳にも届き、その功績より爵位申請が為されていた貴族の名の中には、彼女がよく知る名前もあった。


(ルイズ・・・)


幼馴染みの活躍に、アンリエッタは希望を見出す。


彼女ならばあるいは、自分の抱えるこの悩みを解決してくれるのではないかと。


そんな王女の思いを導くかのように、ゲルマニアからの帰りの馬車は魔法学院へと向かって行った。










「へっぷし!!」


かわいい仕草でくしゃみをし、ルイズは鼻から垂れた鼻水をズズッと啜る。


魔法学院の正門前、急な王女の来臨の報に生徒一同は整列してやって来る王女を出迎えている。

その中には無論のこと、ルイズの姿もあった。


(あいつあいつあいつあいつあいつぅ~~~!!)


寒気がする身体を押さえながら、ルイズは心の中で唸った。


寝巻き姿のまま一晩中吊るされ、その身を夜風にさらされ続けたルイズの体調ははっきりと悪い。

おまけに長時間逆さ吊りにされたせいか、ガンガンと頭痛と吐き気がして平衡感覚が定まらない。

ちなみに身体中に書かれていたラクガキは、全部を消す時間は無かったのでとりあえず顔のみを優先して落とし、あとは服で誤魔化した。


彼女の不調の元凶であるギルガメッシュ本人は、この場にはいない。

吊るされて一時間ほどした頃にルイズが失神し、生徒達に起こされた時には、すでにギルガメッシュは学院のどこにもいなかった。


(そりゃ最初にやろうとしたのは私だけど、でもいくらなんでもここまでする?っていうか、自分で吊るしといて、放置してどっかに行っちゃうって、一応助けるでしょ、普通!?)


沸き上がってくる怒りの念は留まることをしらず、ルイズは口には出さず胸中のみで自身の使い魔のことを罵倒し続けた。


しかしその昂った感情も、馬車より降り立ったアンリエッタの姿を目に映すと一気に冷却した。


(姫様、綺麗になったわ)


自分にとっては仕えるべき主君であると同時に幼い日を共に過ごした無二の友人でもあるアンリエッタの姿に、ルイズは思わず見惚れた。

二人が成長するに連れて、ルイズとアンリエッタが仲の良い友達としての日々を過ごすことは難しくなり、学院に入学してからは勉学に追われて顔を見る機会さえなくなっていた。

その時間という名のスパイスが振りかけられたアンリエッタの姿は、ルイズに一層彼女を美しく気高く見せていた。


「あれがトリステインの王女?あたしのほうが美人じゃない」


そんな思いに囚われるルイズに、隣から畏れ多いにもほどがある事をほざくキュルケの声が聞こえる。

その言葉にキッと目を向けてルイズは言い返そうとするが、その動きで目に映った凛々しい貴族の姿に、思わず言葉を飲み込んだ。


(ワルド様―――!!)


はからずも昨夜の夢の中にも出てきた憧れの婚約者。

ジャン・ジャック・ワルド子爵その人の姿に、ルイズは思考を停止し、ポカンとした表情を浮かべた。










アンリエッタ王女が魔法学院を訪問しているちょうどその頃。

一応はマスターであるルイズを、ラクガキ追加逆さ吊りにした上で放置したギルガメッシュはというと―――


「ふむ、ついでにこれもだな」


「は、はい」


手に取った衣服をポイポイと傍らのシエスタへと投げ渡し、ギルガメッシュは店内の品を物色する。


現在ギルガメッシュとシエスタが居るのは、城下町トリスタニアのとある大きな衣服店。

そこでギルガメッシュが見繕うのは、自分のための衣服である。


これまでは自身の蔵の中の服を纏っていたギルガメッシュであったが、かつて着こなしたそれらの衣服に、すでに彼は飽きを覚えていた。

そこでギルガメッシュは、王女の出迎えに追われていたシエスタを半ば強引に連れ出し、自身のためのショッピングに出向いたのだ。


「あの、随分とお買いになられますね」


フラつくバランスを取りながら、シエスタは尋ねる。

すでに幾つもの店舗を回り終えた彼女の手には、購入した衣服類が山のように積み重ねられている。

ちなみにそのどれもが最高級の素材であしらわれた一流品である。


「うむ。まあどれも我が蔵の品に比べれば三流品だがな。だが、それならばそれで楽しみようもある。遊び着としては十分だ」


「はあ・・・」


ギルガメッシュの言葉に、シエスタは生半可な答えを返す。

通常、ショッピングというものは女性が楽しみ男性がそれに付き合っていくものだが、この二人の場合は全くの逆らしい。


「でも、良いのかしら。みんなは出迎えの準備で忙しいのに、私だけこんなことしてて・・・」


「たわけ。我が従者ならば、何においても我の意思を優先させる。それが当然であろう」


「は、はい。それはもちろん。でも、ギルガメッシュ様は良かったのですか?アンリエッタ殿下の来訪に立ち会われなくて」


「必要なかろう。たかが雑種共の王族、気に掛けるほどの価値はない」


さらりとギルガメッシュは言い捨てる。


彼の感性論理からすれば、この世において王を名乗ることが許されるのは自分唯一人である。

アンリエッタらハルケギニアの王の事も、あくまで異世界の事柄ということで許容してはいるが、自分と対等に見る気など端から無い。

そんな彼が、わざわざ退屈な王女の歓迎式などに立ち会うはずがなかった。


「さて、とりあえず購入はこれぐらいにするか」


見繕った衣服の購入を終え、店を出たギルガメッシュがそう言った。

その言葉に、シエスタはホッとする。


だが次に出たギルガメッシュの言葉は、安心したシエスタを再び驚愕させるものだった。


「ではシエスタよ。次は仕立て屋に行くぞ」


「え!?し、仕立て屋って、どうしてですか?」


「素材や装飾は悪くないが、しかしデザインがどうにも気にくわんのでな。その衣服共を切り崩し、我専用の衣服を仕立てるのだ」


「え、えぇ~~~!!?」


仰天するシエスタの叫びは気にも掛けず、ギルガメッシュはずんずんとその独歩を進めていった。










アンリエッタを魔法学院に出迎えた日の夜。

未だギルガメッシュの帰ってこない自室にて、ルイズは落ち着きなく過ごしていた。


立ち上がったと思えば、再びベッドに腰かけ、次は枕を抱いてぼんやりとする、といった具合である。


そのルイズの奇行の原因は、王女の出迎えの時に目にした憧れの人、ワルドのために他ならない。


遠い昔に交わした、結婚の約束。

あの時はそれがどういうことかもよく分からなかったが、今ならはっきりと分かる。


結婚。

互いを愛し合い、その生涯を共に歩む事を誓う神聖な儀式。

そのことを思うと、どうしてもルイズは意識せずにはいられなかった。


(べ、別にそんな気にすることなんてないわよ。昔の話だし、大体婚約のことだって、単なるその場だけの口約束に決まっているわ)


必死になってルイズは自分にそう言い聞かせる。


何しろかつては単なる一領主に過ぎなかったワルドも、いまや魔法衛士隊の隊長。

文句なくバリバリのエリートコースだ。

そんな出世頭の人物が、魔法もロクに使えない自分にわざわざこだわるとは思えない。


(でも・・・)


だがもし、彼があの約束を忘れていなければ?

今にもこの部屋のドアを叩いて、自分の前に姿を現したら?

もしそんなことになれば、自分は一体どうするのだろう。


そんな思いが頭から離れず、ルイズはどうしても落ち着く事が出来なかった。


(あいつは、なんて言うのかな・・・)


そこまで思いを馳せた所で、ルイズの脳裏に浮かぶのは自身の使い魔たる黄金の男。

仮にワルドと自分が結婚するといったら、あの男は何と言うのだろうか―――


ドンドン


「っ!?」


そんな思いの中、唐突にドアがノックされる音が聞こえてルイズは仰天した。


自分の使い魔は、ノックなどという礼節を重んじる性根など欠片と持ち合わせていないので、この来訪者はギルガメッシュではない。

まさか本当にワルドがやって来たのではと思い、ルイズは大いに動揺した。


トントントン


さらに短く三回、規則正しいノックがなされる。

そのことに、ルイズは別の意味でハッとした。


最初の長い間隔の二回のノックに、次の短い間隔の三回のノック。

これを互いの存在を知らせる合図としていた者を、ルイズは知っていた。


急いでベッドから立ち上がり、僅かに乱れていた髪などを整える。

そして開かれたドアから現れた者は、果たしてルイズの予想した通りの人物だった。


「姫殿下!!」


黒頭巾を被り、それと同じ漆黒のマントを羽織ってはいたが、そこから覗かれる面貌は紛れもなくトリステイン王女アンリエッタその人であった。


仕えるべき主君の突然の登場に、ルイズは慌てて膝をついた。


「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ。ああ、そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい。あなたとわたくしはお友達じゃないの。あなたにまでそんな余所余所しい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!!」


「もったいないお言葉でごさいます。姫殿下」


黒頭巾をはずし、感極まった表情で抱きついてくるアンリエッタに、ルイズははにかんだ顔でそう答えた。


「懐かしいわ、ルイズ。ところで・・・」


と、ある程度の抱擁を終えてから、アンリエッタは部屋の内装に目を向け、やや困惑した声で言った。


「その、随分と素晴らしい部屋に住んでいるのね。こんな華びやかな住い、王宮にもないわ。まるで物語の中の神々の住まう聖殿のよう」


「いえ、その、ちょっと金持ちの同居人がいまして・・・」


苦笑いを浮かべつつ、ルイズは何とかそうとだけ答える。

その様子を、アンリエッタは別の意味に勘違いして受け取ったようだ。


「あら、ひょっとして恋人の方?」


「断固として違います」


ここだけはやけに強くはっきりと、ルイズは断言した。


「そ、そう。ところで・・・」


ルイズの剣幕に圧されながら、アンリエッタは黒マントの中より自身の杖を取り出して、部屋全体にある魔法をかけた。


探知魔法、ディティクトマジック。


魔法の仕掛けや覗き穴などの隠し機能を見破るその魔法で、アンリエッタはこの部屋が誰にも盗聴されていないことを理解した。


「どこに耳が、目が光っているか分かりませんからね」


「探知の魔法?あの、姫殿下、一体何を?」


「ああ、ルイズ。ごめんなさい。いきなり過ぎましたね。ただ、これからする話は内密のものなの」


そう一言前置きしてから、アンリエッタは真剣な表情となって語り出した。


「あなたに、お願いしたいことがあるのです」










さて、アンリエッタがルイズの部屋に訪問した頃、ギルガメッシュはやや上機嫌な様子で住まいであるルイズの部屋への帰路についていた。

その彼が纏う装束は、これまで彼が着ていたものとは違う、今日新調した新しい衣服である。


全体を黒と白の二色で統一するその服装は、動きやすくシンプルであれど、同時に貴人の風格をも強調している。

ハルケギニアではあまり見られないそのデザインは、現代世界でいうところのライダースーツという形容が適切だ。


彼の上機嫌振りも、このお気に入りの遊び着を手に入れたためだ。


その衣服は市販の物では当然なく、購入した大量の衣服から材料を切り出し、新たに仕立て上げたものである。

仕立て屋の店主を半ば恐喝のように注文し、自身のセンスの元に作り直されたのがこの衣服だ。

ギルガメッシュの要求通りのデキと時間で完成できる腕を持っていた事も、その仕立て屋にとっては幸運だっただろう。


ちなみに余った衣服達はすべて破棄した。

重ねて言うが、どれも最高級の素材が使われた一流品である。


「戻ったぞ」


ノックなどせず、不躾な態度でギルガメッシュはルイズの部屋のドアを開ける。


恐らくルイズからは、今朝の蛮行についての癇癪があるだろう。

それを予想し、そのルイズをいかにからかってやるかとギルガメッシュは考えていた。


だがその思考も、ルイズの他に同室するもう一人の少女の姿に中断された。


「む?」


「あら?あなたは・・・」


入って来たギルガメッシュの姿に、アンリエッタもそちらに目を向ける。

彼女はちょうど、一件の解決のための王子宛ての手紙と道中の糧にと『水のルビー』をルイズに手渡した所であった。


そんなアンリエッタを、ギルガメッシュは不躾に指さしてルイズに問うた。


「ルイズよ。この雑種は何だ?」


「なっ!?」


「ギ、ギルガメッシュ!お、王女殿下に対して、なんて口聞くのよ!!」


あまりにも無礼が過ぎるギルガメッシュの言葉に、ルイズが慌てて彼を諌める。

だがそう諌めるルイズに、ギルガメッシュは言葉を訂正するどころか、ポカンと呆けた表情を見せた。


「王・・・女?この小娘がか?」


呆けたままの表情で、ギルガメッシュはその視線をアンリエッタへと向ける。

もはや侮辱と呼んでも差し支えないギルガメッシュの態度に、さすがのアンリエッタもムッと顔に不快を顕わにした。


「その通りです。わたくしこそはトリステイン王国第一王女アンリエッタ・ド・トリステインです。あなたが何者かは知りませんが、王族を前にしその対応は無礼でしょう。まずは名を―――」


しかしアンリエッタのその言葉は最後まで紡がれることはなく、突如として部屋中に響き渡った哄笑によってかき消された。


弾かれるように轟いたその哄笑はギルガメッシュの物。

限りなく下品なその笑いには何の遠慮も礼節もなく、他のどんな言葉よりも、相手のあらゆる尊厳を踏みにじる最大の侮辱であった。


そのような辱めに、アンリエッタの表情が不快から真っ赤な怒気へと変わった。


「一体何を嗤うのです!?王家の者に対してそのような品の無い振る舞い、許しませんよ!!」


矮小な小娘の身の上ながら、精一杯の王の威厳を見せて、アンリエッタは言い放つ。


だがそれでもギルガメッシュの哄笑は留まらず、むしろ余計に興が乗ったかのように更に勢いが増す。

やがて苦しそうに腹を押さえながら、ギルガメッシュは笑いに息切れしながらも途切れ途切れに言葉を漏らした。


「―――国という操り手に繰られて―――その芸当を以て衆愚共を笑わせる―――そんな輩が、自らに王の名を冠するだと?

ハハハッ、これは傑作だ!!おいおい、異界の王とは道化の芸者と同義なのか?」


もはや抑えが効かぬとばかりに呼吸を乱して笑うギルガメッシュの口より言い放たれた言葉に、アンリエッタ怒りを横に置いてハッとした。


王族などという肩書きは名ばかりで、実際には何の力も持たない王女。

民からの人気も、あくまで“華”としての人気であり、“王”としての支持ではない。

ただ周りの者に言われるがままに振舞い、先王亡きトリステインの顔としてのみ民草の支えとなる自分の在り様は、まさに国に操られる人形のそれであった。


そんな自らの様を漠然とは自覚していたアンリエッタであったが、ただ胸の内で思うのと他者よりはっきりと言葉にされて突きつけられるのとでは、ショックがあまりに違いすぎた。


「この国の王家には美貌はあっても杖はないという、衆愚共の小唄は耳にしてはいたが、よもや真実その通りであったとは!!

いやはや、久方振りだぞ、ここまで笑わせてもらったのは。お前は大した道化だな、小娘よ」


「な、何の根拠を以て、そのような暴言を口にするのです!?何も知らないあなたが!!」


思わぬ自身の内面を突くギルガメッシュの言葉に怯んだアンリエッタだったが、しかし一応の意地を見せて反論する。


言う事は的を射ていても、しかしアンリエッタの観点からはギルガメッシュはあくまで初対面の人物だ。

そんな見ず知らずの者にただ言われているだけなど、小さくとも確かに存在するアンリエッタのプライドが許さなかった。


「フン。根拠、だと?」


だがそんなアンリエッタの反論も、ギルガメッシュは鼻で嗤ってみせた。


「そんなもの、見れば分かろう」


「何が分かるというのです!!今日初めて会ったようなあなたに!?」


「十分であろう。一目あれば、その者の研磨ぶりを測るには事足りる。そしてその印象は、おおよそその者の状態を誤らぬものだ」


笑いを納めて呼吸を定めるように大きく一息し、ギルガメッシュは語り出した。


「人間の生とは、宝石に例えられる。自らを磨き、己の在り様を見定めて動き、命の価値を貫く者は、その内の宝石の輝きを引き出す。

逆に己の在り方さえロクに定めず、ただ漫然と生を浪費するのみの雑種は、見る価値もない薄汚い原石のままだ。命を腐らせているだけに過ぎん。

その宝石の質にこそ我は娯楽を見出している。例え凡庸な雑種とて、宝石足り得る生を行く者は我が関心を示す価値がある」


淡々と語っていく中、ギルガメッシュの赤い双眸がアンリエッタを映す。

一目で相手の魂の形まで見抜く英雄王の眼に、アンリエッタは意識を飲み込まれるような錯覚を覚えた。


「その点に関して、貴様には我に魅せるに足る輝きを備えておらん。それはすなわち、己の命を動かしていないということだ。

ましてそれが王たる者の生であるならば、それが意味する事は唯一つ。貴様には王道が無いのだ。自己の中に置き、王として貫くべき信念の在り様が、貴様には存在しておらん。あたかも風には揺らめき、力を込めれば折れて倒れる柳のようなか細き性根よ。

ふむ、まだ合点がいかぬという顔だな。では貴様にも理解できるよう、容易い証明方法を提示してみせよう」


ギルガメッシュの言葉にただただ圧倒されるだけのアンリエッタに、ギルガメッシュはゆっくりと、たった一言のみを告げた。


「貴様は、王になどなりたくないのであろう?」


「!!?」


その言葉に、アンリエッタは息を飲んだ。


その言葉はまぎれもないアンリエッタにとっての真理。

狭苦しい鳥籠のような王族という名の肩書き。

それを疎ましいと思わなかった日など、一日とて無かった。


それを思えば、この任務の件とて同じだ。

国のためなど外面の理由でしかなく、本当にアンリエッタが恐れるのはこの件が露見することによる皆からの批難の目に他ならない。


本当に国のためを思っているのなら、ルイズなどではなく、すぐにでもマザリーニに相談していたはずなのだ。

彼ならばきっと、少なくともアンリエッタよりは効果的な解決策を編み出してくれただろう。

国のためを思うなら、恥をかくことなど恐れずにそうするべきだった。


だがアンリエッタにはそれが出来なかった。

王の名を持つ立場とは、その行動の一つ一つにまで価値を問われるのである。

明かされた事実によって、「王族としてあるまじき行為」と糾弾されるのが怖かった。


だからこそアンリエッタは、心から信頼できるルイズにだけ、この任務を託そうとしたのだ。


「これが答えだ。他でもないお前自身が、誰よりも己の王としての価値を否定している。実に滑稽な矛盾よ。

ほれ。こんなもの、もはや道化の笑い話とするしかないであろう」


「あ、ああぁ・・・」


ギルガメッシュの言葉に答える気力は、すでにアンリエッタには無かった。

心の内側にあるものを曝け出され、その不格好さが露呈されたアンリエッタには、自分の姿がひどく無残で惨めなものに見えた。


やがてはこの場所に居ることも居た堪れなくなり、アンリエッタは脱兎の如くこの部屋から走り去って行った。


「姫様!!」


声を上げて、ルイズはその後を追おうとするが、駆け去っていくアンリエッタの足は速く、あっという間に視界から姿を消していった。


廊下の先、立ち去って行くアンリエッタの駆け足の音をしばし呆然と聞き届けて、ルイズはキッと厳しい視線を部屋の中のギルガメッシュへと向けた。


「・・・どういうつもりよ?」


明らかに険のこもった声音で、ルイズは問い質す。

しかしそんなルイズの声にも、やはりギルガメッシュは眉一つ動かすことは無かった。


「どういうつもり、とは?」


「決まってるでしょ!!姫様に対して、なんであんな侮辱を吐いたりしたの!?」


「なんだ、そんなことか。それこそどうということはない。単なる事実を述べたまでよ」


あくまで平然と、ギルガメッシュは言う。

そのギルガメッシュの態度が、一層ルイズに憤りを与えた。


「王たる己の在り様を見出すことも出来ず、ただ国という枠組みの中に縛られ、それに奉仕する奴隷。全く愉快な滑稽さよ。そういう意味では、あれも見世物としての価値くらいは備えておるといえるかもしれんな」


先ほどのアンリエッタの様を思い出し、ギルガメッシュは口元を歪ませ笑い声を漏らした。


その時、部屋に置かれていた家具の一つがギルガメッシュに向けられて投げつけられた。


「む?」


顔面に向けて投げつけられたそれを、ギルガメッシュは僅かに首を動かすのみで回避する。

そうしてから彼は、自分に家具を投げつけたルイズへと目を向けた。


目にしたルイズの顔にあるのは、抑えきれないばかりに表情に浮かび上がる憤怒のみ。


ルイズは今、仕えるべき主君を目の前で罵倒され、貶められたのだ。

しかもそれを行ったのは自分の使い魔。

使い魔の行いの責任は、すべからく主人にも責が及ぶ。

言うなれば今のギルガメッシュの暴言の数々は、彼女自身が言ったことに等しい。


仕えるべき主君であり、同時に幼い日々を共に過ごした大切な親友であるアンリエッタを、自らに侮辱させた。

それは、常に高潔な貴族たらんとするルイズにとって、断じて許せる物ではない。


そうして懐いたルイズの憤怒は、これまでの癇癪とは訳の違う、譲歩の余地など微塵もない本当の怒りの感情であった。


「アンタなんか大ッ嫌いっ!!」


叫ぶように言い放って、ルイズはギルガメッシュの居る自室から、乱暴に足音をたてながら出て行く。

彼女の最後の大音量の叫びは反響して、ギルガメッシュ唯一人となった部屋の中にしばらく響き残っていた。





[2589] [10]王と『閃光』
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/03/06 17:53





[10]王と『閃光』





いまだ陽光の照りつけぬ朝靄の中。

ルイズとギルガメッシュ、そしてギーシュは、自身が乗る馬の手入れをしていた。


彼らの行き先はアルビオン。

一度拝命を受けた以上、その命令を遂行してみせるのが臣下たる者の務めだ。

例えその去り際が、主君に対しどれほど無礼なものであったとしても。


またギルガメッシュも、この任務に同行することを表明していた。

ルイズに言われてのことではなく、ギルガメッシュ自身が言いだしたことである。

その理由は、もちろんアンリエッタの任務のためなどでは断じてない。

事実、ギルガメッシュは任務の内容自体よく知らないし、聞こうともしていなかった。


彼が興味を引かれたのは、目的地のアルビオンそのものである。

天に浮遊してハルケギニア中の空を飛行し続けるというアルビオン大陸は、ギルガメッシュに多大な関心を与えた。

その心の動きに従い、半ば物見遊山の心情で、こうして自身も付いてくる事を表明したのだ。


ちなみにギーシュは、その野次馬根性でどこからか王女の勅命たるこの任務の事を聞きつけ、半ば強引に同行を求めたのである。

根っからの女好きであるギーシュは、トリステインの“華”と名高いアンリエッタに何とか名前を覚えてもらおうと必死だった。


そうして共通の目的地を持つ三人であったが、その間に漂う空気は仲間というには険悪が過ぎた。

ギルガメッシュはいつもとさして変化はないのだが、ルイズの方は自身の険悪さを隠そうともしていない。

口を利く事はおろか、目さえも合わそうとしていなかった。


昨夜ルイズが懐いた怒りは、たったの一晩で解消されるほど生温いものではない。

そんな両者の重い空気に挟まれ、ギーシュはオロオロとした困惑を見せていた。


「あの、陛下。ルイズと、何かあったので・・・?」


「なに、大した事ではない」


チラリとルイズに視線を向け、ギルガメッシュは挑発的に言った。


「我がちと道化の滑稽振りを笑ったら、奴にはそれがいたく不快だったらしくてな。その道化に妙な幻想でも抱いておったらしい。まあ、つまらぬ瑣事よ」


あえて聞こえるように言われたその言葉に、ルイズはキッと鋭い視線を向ける。

だがそれも一瞬のことで、すぐにギルガメッシュから視線を外して、はっきりとした拒絶を示す無視を貫く。

ルイズはこの旅の道中、抗議の意を込めて徹底的な無視を決め込むつもりであった。

実に子供じみた怒りの表し方であったが、ここまでありありと見せるギルガメッシュへの拒絶の意思は、彼女の怒りの深さを明実に示してもいた。


そんなルイズの無視を決め込んでおきながら、その実誰よりもこちらに意識を向けている彼女の態度に、ギルガメッシュは笑みを漏らす。

彼にとってはそんなルイズの反抗的態度でさえ、突き甲斐がある娯楽の一つになり得るようだった。


「あの、陛下。一つよろしいでしょうか・・・?」


そんな中、おずおずといった様子でギーシュが口を開いた。


「何だ?」


「僕の使い魔も同行させたいのですが、よろしいでしょうか?」


「お前の使い魔だと?どんなものだ?」


「はい!!これです!!」


ギルガメッシュの問いに元気よく答え、ギーシュは足元の地面を指差した。

そうしてからギーシュが足で軽く地面を叩くと、その地面がモコモコと盛り上がり、巨大なモグラが顔を出した。


「・・・何だそれは?」


「これこそ我が使い魔ヴェルダンデです!!ああ、僕の可愛いヴェルダンデ!!」


小さいクマほどもあるモグラを抱きかかえ、ギーシュはそれに頬ずりを始める。

その様子には、さすがのギルガメッシュも呆れを見せていた。


とはいえ彼も、この世のあらゆる欲を網羅した男。

どんな形に対して魅力を覚えるかなど、それは人の数と同じほどに存在すると心得ている。

泥だらけの巨大モグラを顔を擦りつけてまで愛でるギーシュのその奇怪な趣向も、一つの形であると素早く納得した。

ただし、理解はしなかったが。


「そんなの連れていけるワケないでしょ。私たちは馬で行くのよ。大体アルビオンに行くのに、地面を掘って進む生き物なんて連れてってどうするのよ」


そんなギーシュに、ルイズは笑みの一つも見せずに冷たく告げた。

そのルイズの言葉が気に障ったのか、バッと立ちあがってギーシュは反論した。


「ヴェルダンデを馬鹿にするな!!ヴェルダンデはそんじょそこらのジャイアントモールとは一味違うんだ!!」


「ほう。何か芸の一つでも持っておるのか?」


「ええ、それはもう!!何といってもこのヴェルダンデは―――」


ギーシュがそう言いかけた時、ヴェルダンデと名乗る巨大モグラが、その鼻をひくつかせた。

クンクンと鼻を揺らし、ルイズの元へと擦り寄っていく。


ギルガメッシュ達の方を完全に無視していたルイズは、そのヴェルダンデの接近に気付かない。

そしてヴェルダンデは、いきなりルイズの事を押し倒した。


「や!ちょ、ちょっと、何なのよ、こいつ!!」


身体中をヴェルダンデの鼻でつつきまわされ、ルイズは地面をのたうち回った。

その過程でスカートがめくれ、衣服のほうも徐々に乱れていく。

美少女が獣姦されているとも取れるその光景は、なかなかに官能的なものだった。


「ちょっと、ギーシュ!!アンタ、さっさとこのケダモノを何とかしなさいよ!!」


慌てた様子でルイズは叫んだ。

だがそんなルイズの姿を眺めるギルガメッシュとギーシュはというと―――


「ほほう。獣の分際で人間に欲情するとは、確かに稀有な奴よ」


「そんな!!ヴェルダンデ!!君には僕がいるじゃないかぁぁぁっ!!」


何やら感心しているギルガメッシュに、何だかよく分からない叫びを上げるギーシュ。

そんな二人の様子には、ルイズを助けようとする気配は微塵も見られなかった。


元より、ヴェルダンデの行為はルイズへの色欲に駆られての意図ではもちろんなく、生物的習性によるものだ。

鉱石や宝石を好むヴェルダンデの習性が、ルイズの右手の薬指にはまる『水のルビー』に対して反応したのである。

故に、先ほどまでの緊張感を台無しにした効果以外には、ヴェルダンデの行為に害は無かった。

それと一応断ってはおくが、ヴェルダンデの性別はオスである。


ヴェルダンデの珍行により、どこかまったりと微妙な空気が漂い出したその時、一陣の風が舞い上がってルイズに張り付くヴェルダンデを吹き飛ばした。


「誰だっ!!よくもヴェルダンデを!!」


愛する使い魔を傷つけられ、激昂してギーシュが叫んだ。

皆の視線が集まる中、朝靄の内より羽帽子をかぶった一人の精悍な貴族の青年が現れた。


「すまないね。婚約者がモグラに襲われているのを、見て見ぬ振りで通ることは出来なかったんだ」


相手の戦意を解きほぐすよう、穏やかな口調で青年は言った。

そう言ってから貴族の青年はくいっと帽子を上げて、男らしい口髭を生やした端整な顔立ちの面を一同に見せた。


「トリステイン魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ」


青年―――ワルドの口から出た魔法衛士隊という言葉に、ギーシュは抜き掛けていた杖を納めた。

魔法衛士隊とは、貴族の男子ならば誰もが憧れる、王家を守護する精鋭中の精鋭なのだ。

ましてその隊長格となれば、それはすなわちトリステイン最強のメイジの称号と言っても過言ではない。


そんな相手だと分かり、さすがに分が悪いとギーシュは理解した。

それにもう一つ、名乗りの前に気になる発言をしていたことも、ギーシュが矛を納める要因になっていた。


「あの、今、ルイズの事を婚約者とかって・・・」


動揺する声で、ギーシュは気になる発言の件について尋ねようとする。


だがそんなギーシュの問いかけは鮮やかに無視して、ワルドは真っ直ぐにルイズの元へと向かった。


「ワルド様・・・」


「久しぶりだな、ルイズ!!僕のルイズ!!」


衣服の乱れを整えながら立ち上がったルイズを、ワルドは人懐っこい笑顔を浮かべて抱え上げた。


「相変わらず君は軽いな。まるで羽のようだよ」


「そんな、お恥ずかしいですわ」


精悍な美男子であるワルドに見つめられ、ルイズは頬を朱に染める。


歳が進むに連れ会う機会に恵まれなくなり、実に久方振りとなる婚約者同士の再会。

二人の馴れ合いの時間は、今しばらく続くかに見えた。


だが意外な事に、ワルドは会話もそこそこに抱きあげていたルイズを地面に下ろした。

同時に浮かべていた人懐こい笑みも内に潜め、諭すような微笑を浮かべて告げた。


「さて、ルイズ。再会は嬉しいけど、少し待っていてくれるかい?」


それだけ言ってワルドはルイズに背を向けると、ギルガメッシュの方へと歩を進めた。

ギルガメッシュの面前に立ち、両者の視線が交差する。


そしてワルドは、目の前に立つギルガメッシュに対して、帽子を取って優雅に一礼してみせた。


「御初御目に懸かります。私の名はジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。畏れながら貴殿はギルガメッシュ殿であると御見受けしますが、如何に?」


ギルガメッシュに対するワルドの謙った態度に、ルイズとギーシュの二人は驚いた。


ワルドの示す礼節には微塵の不足もなく、相手に向ける純粋なる敬意が表れている。

不必要に阿りも委縮もせず、高貴なる者を尊ぶ端然としたその姿勢は、まさしく敬愛の礼と呼ぶにふさわしい。


少なくともそれは、今日初めて会う見ず知らずの人物に対して、魔法衛士隊隊長たる者が見せる態度ではなかった。


「ほう。我の事を知っているのか?」


「御噂はかねがね、聞き及んでおります。此度の道中に私も同行する任を姫殿下より承りました。御身の側にて旅路を共にすること、どうか御容赦のほどを」


「フン、いいだろう。同行を許すぞ、ジャン・ジャック・ワルド」


殊勝なるワルドのその態度を当然のように受け止め、ギルガメッシュは言葉を返す。

別にギルガメッシュに行動の決定権があるわけでもないというのに、やはり当然のようにワルドもその許しの言葉を受け取った。


あくまで自然体なままの二人のやり取りに、ルイズとギーシュは置いていかれる形でただ呆然としていた。


「さて、では早速出発と行こうか。任務は急を要するし、アルビオンまでの道のりは長い。少しでも急がなくてはね」


ギルガメッシュとの問答を終えたワルドが、ルイズの元まで戻って来る。

ワルドが口笛を吹くと、朝靄の中から一頭の立派なグリフォンが姿を現した。


「さあ、ルイズ。君は僕のグリフォンに」


グリフォンに跨り、その背の上からワルドが手を差し伸べてくる。

差し出されたその手に、ルイズはなんとなくの躊躇いを見せて、無意識の内にその視線はギルガメッシュの方を向いた。


だが目に映ったギルガメッシュの姿から思い出されたのは、昨夜のアンリエッタに対する暴言と無礼な態度の数々。

思い出されたそれらの事柄に、ルイズは再び怒りを復活させ、感情に流されるままにワルドの手を取った。


「ええ、ワルド様。ご一緒に参りましょう」


ルイズの答えにワルドは微笑みを浮かべて応え、しかしすぐに自分の手元までルイズを引き寄せる事はせずに、その視線をギルガメッシュの方へと移した。


「そういうことで、よろしいでしょうか?」


ギルガメッシュに向けて、ワルドは問いかける。

ルイズの身を自分が預かることに、ワルドはギルガメッシュからの了承を得ようとしていた。

あたかも正当なる所有者に対し、それを借り受ける許可を求めるように。


そんなワルドの態度が、ルイズにはすごく気に食わなかった。


「いいわよ、ワルド様。あんな奴は放っておけば」


ムッとした声音でそう言って、ルイズは自らワルドの跨るグリフォンへと騎乗する。

だがルイズがそうしても、ワルドは自分の視線を決してギルガメッシュから離そうとはしなかった。


そんなワルドに対し、ギルガメッシュは無言のまま、僅かに息をついて肩を竦めてみせる。

それを肯定の意志表示と受け取り、ワルドはようやくその視線はギルガメッシュより離した。


「君。名前は?」


「は、はい。ギ、ギーシュ・ド・グラモンです」


憧れの魔法衛士隊の隊長であるワルドに声をかけられ、やや緊張した様子でギーシュは答えた。


「ほう。グラモンというと、君はあのグラモン元帥の・・・。では、ギーシュ君。君はラ・ロシェールまでの道のりは分かるかね?」


「ええ。一応は・・・」


「うん。それは結構」


ギーシュの答えに、ワルドは満足したように頷いた。

そうしてから再び、ギルガメッシュの方へと視線を戻す。


「私のグリフォンと馬とでは速度やスタミナ配分に差があります。ここは私がグリフォンで先行し、道中の宿やアルビオンまでの足を手配致しましょう」


ルイズとギーシュと接する時とは違い、確かな礼節を見せてワルドはギルガメッシュに話しかける。

そのワルドの言葉に、ギルガメッシュは頷いて了承の意を示した。


「それでは、次の拝謁はラ・ロシェールにて」


最後にその一言を残して、ワルドはルイズを膝元に置いたまま、グリフォンを飛翔させた。










アルビオンの玄関口である港町ラ・ロシェール。

トリステインからそこまでの道中は、早馬でも二日はかかる長い道のりだ。

その道のりを、ギルガメッシュとギーシュをそれぞれ乗せる二頭の馬が突き進んでいた。


先行するのはギーシュの乗る馬だ。

彼はギルガメッシュのラ・ロシェールまでの案内人である。

そんな責任と覚悟のいる大任を仰せつかり、ギーシュはその顔に浮かぶ疲労の色を次第に強くしていった。


一度自分が好奇心を抱いたならば、ギルガメッシュはそれを満たす事に一切の迷いも持たない。

その性格の彼が、目的に辿り着くまでの過程の道のりを、わざわざモタモタとしていく理由などない。

事実二人の馬はすでに途中の駅にて二度の交換が行われており、道中の速度も一度として落ちていない。

そんなペースのギルガメッシュを先導する役割を担うギーシュに休みなどあるはずもなく、半ば馬に倒れ込むような形で馬を走らせ続けていた。


「陛下は、アルビオンに行くことがそんなに楽しみなのですか?」


後ろに続くギルガメッシュへと、ギーシュは声をかけてみる。

その問いかけは、とにかく会話などして何とか相手のペースを落とそうと、そんな下心も含んだものだった。


「かつて塔を築いて挑みし天空に、自ら鎮座する大陸とは興味深い。この世界はまだまだ、我を飽きさせることはなさそうだ」


ギーシュとは対照的にケロリとした顔で、ギルガメッシュは答えた。


「はあ・・・。まあ確かに、あのアルビオン大陸の光景には、皆が心奪われるのも分かりますよ。僕も一度父に連れられて行ったことがありますが、初めて見たときの感動は今だって忘れていません」


疲労の中に、過去の記憶を懐かしむ郷愁の感情を映して、ギーシュは言った。

そのギーシュの言葉に、ギルガメッシュは興味を引かれたように彼に関心を向ける。


「ほう。それほどの物か?そのアルビオンとやらは」


「ええ、それはもう!!なんたってあの『白の国』は―――」


ギーシュがそう言いかけたその時、自らに向けられる殺意にギルガメッシュの表情が引き締まる。

手綱を引いて馬を止め、虚空よりデルフリンガーの柄を抜き放つ。


次の瞬間、無数の矢の雨がギルガメッシュにめがけて殺到した。


「ふん」


鼻を鳴らし、飛来してくる数多の矢をギルガメッシュは手にしたデルフリンガーで悉く叩き落としていく。

矢の雨が降り終え、後に在るのは無傷のギルガメッシュと、その周りの地面に突き刺さる無数の矢であった。


「うわ!うわわ・・・っ!?」


突然の矢による洗礼に、ギーシュの動揺した声が響く。

先行していたため少々距離が開いていたのと、元より矢の雨はギルガメッシュのみを標的としていたらしく、ギーシュもまた無傷であった。

ただ突然の事態に驚いた馬が高々と前足を上げ、そこに寄りかかっていたギーシュは必然的に地面へと叩き落とされはしたが。


悲鳴を上げるギーシュは放置して、いきりたつ自らの馬を鎮めながら、ギルガメッシュは自分達が進む峡谷の上を見上げる。

今の矢による奇襲は、道を挟む両側の崖上より放たれた物と見て間違いはないだろう。


夜盗の類か、あるいはアルビオン貴族の妨害か。

このような奇襲に持ってこいの地形を事前に押さえていたことから、単なる物盗りとは考えにくい。

しかし王女が枢機卿にさえ話していないこの任務が、昨日の今日でアルビオン貴族に知れて、空の向こうの彼らに妨害工作を打てたというのもまた奇妙である。


ほんの僅かな時間思案してみたが、結局この襲撃者に関する答えは出なかった。


「おお、旦那。ようやく出番か。あの蔵ん中は最高だけど、やっぱ入れっぱなしってのは寂しいからな。で、俺はどうすりゃいいんだ?」


「いや、もう終わりだ」


にべもなく、ギルガメッシュは告げる。


彼が襲撃者について考えるのを止めたのは、何も答えが出なかったからではない。

そもそも自分が、わざわざ思考を費やしてまで考えるに値しない事柄だと気付いたからである。


誰が何の理由で及んだかなど、どうでもいい。

この自分の歩み、英雄王の行く先に立ち塞がるならば、そんな愚か者にはただ断固とした殺意を以て応じる他の対処など在りはしないのだ。


「どこの差し金かは知らぬが、王たる我に手を上げたのだ。その罪、もはや貴様らの命を以て償うより他はないぞ」


宣言と共に、天空にて開かれる黄金の都へと続く空間の扉。

そこより現れる無数の宝具達が、崖上に居座る襲撃者へとその矛先を向ける。

ギルガメッシュの意思に従い、それらの宝具はちょうど先ほどの矢の雨の返礼の形となって、襲撃者の頭上に降り注いだ。


襲撃者達の断末魔など、かすかな音にさえなりはしない。

その場に轟くのは、放たれた宝具がもたらす破壊の爆音のみ。

耳を覆いたくなる轟音の後、宝具の洗礼を前に襲撃者の姿はもはや影も形も見えず、崖であった地形は単なる平地と化していた。


「あー、もう・・・。旦那はちょっとあっさり終わらせすぎだぜ。これじゃあ俺のする事がねぇじゃねえか。ったく、せつないねぇ・・・」


「ぼやくな、煩わしい」


愚痴るデルフリンガーを蔵に納め、ギルガメッシュはギーシュの方に目を向ける。

見ればギーシュは、馬から落ちた衝撃と先ほどまでの轟音により白目を向いて失神していた。

彼が乗っていた馬もとうに逃げ出しており、随分と情けない姿で地に醜態を曝している。


捨て置くか、そんな考えがギルガメッシュの思考によぎる。

かなり本気でそうしても良いかと考えていたギルガメッシュであったが、とはいえ道案内を途中に放りだすわけにもいかない。

やれやれと嘆息してから、ギーシュを叩き起すべく、ギルガメッシュは馬を降りた。


その時、どこからか自らを見据える気配を、ギルガメッシュは感じ取った。


「・・・!」


視線の気配に、ギルガメッシュは素早く反応した。

僅かに警戒心を表に出して、すっかり見晴らしの良くなった周囲を見回す。

しばらくの間注意深く気配を探っていたが、結局はその正体を掴むことは出来なかった。


視線の存在を感じられたのは、ほんの一瞬のみ。

僅かな事でしかなかったためはっきりと理解したわけではなかったが、その視線は恐怖や嘲笑といった類のものではなかった。


感じられたのは、観察の視線。

見据える対象を過大評価も過小評価もせず、その能力の明確な数値を測らんとする、ガラス玉のように無感情でクールな瞳。

卑しき者の醜悪な眼差しほどの不快さはないものの、正体を掴めぬその視線の存在を、ギルガメッシュは鬱陶しく感じた。


「は~い、ダーリン♪」


その時、はるか上空より、ギルガメッシュも認知する女性の声が投げかけられる。

振り向いて見上げてみればそこには、青い竜に跨ってこちらに向かってくるキュルケとタバサの姿があった。










キュルケとタバサと合流し、ギルガメッシュはそこからの足を風竜シルフィードに切り替えた。

話を聞けば、朝方早くに偶然ギルガメッシュらが出かけるのを目撃したキュルケが、友人のタバサを叩き起して付いてきたらしい。


この時、シルフィードが飛び立つ直前にギーシュが目を覚ましたことは、彼にとって相当の幸運だっただろう。

もし意識を取り戻すのがあと一分遅れていれば、まず間違いなくギーシュはその場に放置されていたのだから。


そうして四人をその背に乗せたシルフィードは、ラ・ロシェールに向けて飛び立った。

風竜の飛行速度は竜種の中でも最速。

いかにまだ幼体であるとはいえ、その進行速度は馬であった時の比ではない。

一行はその日の夜には峡谷に挟まれる港町ラ・ロシェールへと辿り着いた。


辿り着いたギルガメッシュ達を迎えたのは、門の所でギルガメッシュの到着を待っていたワルドであった。

新たに加わったキュルケとタバサの事も、ギルガメッシュが口添えすると特に追及はせず、ワルドは一行を手配した宿へと案内した。

ワルドが案内したのは『女神の杵』亭という名の宿。

貴族専門の、このラ・ロシェールで最も上等な宿である。

そこで待っていたルイズとキュルケが対面し、また一悶着あったりもしたが、とりあえず六人は今後のことを話し合うべく一階の酒場に集まっていた。


「アルビオンに渡る船は明後日にならないと、出ないそうだ」


席に座る一行に、ワルドは残念そうに告げた。


「ほう。なぜだ?」


「明日の夜は双月が重なる『スヴェル』の月夜です。その翌日の朝に、アルビオン大陸はこのラ・ロシェールに最も近づきます。この最短距離分の『風石』しか、ここの船は積んでおりません」


「その『風石』、とは?」


「『風』の魔法力を備えた特殊な鉱石です。それを機関とすることで、船は宙に浮かぶのです。ギルガメッシュ殿」


ギルガメッシュの問いに関してのみ、ワルドは淀みのない敬語を以て答える。

そのワルドの様子を、隣のルイズは不満そうな顔で見つめていた。


「私の魔法力で補えば、出港時間を短くすることも出来ますが、いかがされますか?」


「よい。気長に待つとする。この宿の質も、まあ許容できぬほどでもないしな」


「ありがとうございます」


一礼してから、ワルドは改めて皆へと向き直った。

皆を見回しながら、一行の座る机上に鍵束を置く。


「ここまでの道中の疲れもある。これからにも備えて、今日はもう寝よう。二人一組の相部屋だが、部屋も取ってある」


「は~い♪だったらあたしはダーリンと相部屋ね」


皆が何か言うより早く、ギルガメッシュの腕に身体を絡めてキュルケがそう宣言する。

その宣言にルイズは思わず口を開き掛けたが、ギリギリのところで口に出掛けた言葉を飲み込んだ。


この先、自分は絶対にギルガメッシュの事を無視し続けると決めたのだ。

この自分勝手な男に、僅かでも自分の怒りのほどを思い知らせるために。

一言謝罪の言葉を聞くまで、ルイズはギルガメッシュの事を許す気は全くなかった。


「この宿で最も上質の部屋を手配致しました。どうぞ御身がご利用ください」


そんなルイズの憤りを余所に、ワルドはそう言って特別に装飾が為された鍵をギルガメッシュの前に置いた。

そのワルドの対応を、ルイズはムッとして見咎めた。


「ワルド!!なんだってそんな―――」


そう癇癪しかけたルイズだったが、その手をワルドがそっと取って微笑んでみせる。

見せられる大人の余裕に、ルイズは爆発しかかった感情を沈ませた。


「さあ、ルイズ。僕たちも同室で。婚約者同士だからね。それに、二人きりで話もしたいんだ」


いろいろと複雑な心中のルイズに、その申し出を断ることは出来なかった。










「・・・・・」


「・・・・・」


「えーと・・・」


「・・・・・」


消去法で相部屋の組み合わせとなったギーシュとタバサの間には、重い沈黙の空気が流れていた。

別に険悪な雰囲気というわけではないのだが、とにかく二人の間には会話が成立しないのだった。


「い、いやぁ、明日はこのラ・ロシェールに足止めだね。観光になりそうなものがあればいいけど」


「・・・・・」


適当な話題を見繕って、ギーシュは口を開く。

だがタバサはしゃべらない。


「そ、そういえば、最近調子はどうだい?なんだか、陛下に振り回されることが多くなってるみたいだけど」


「・・・・・」


今度は世間話をかけてみる。

だがタバサは答えない。

ギーシュの隣のベッドに腰かける小柄な青髪の少女は、同室者の存在など置物ほども気に掛けず、黙々と読書にいそしんでいた。


(お、重い・・・)


元来おしゃべりでお調子者な性格のギーシュに、この沈黙は辛すぎる。

女好きであると同時に小心者で、一線を越えた事の無いギーシュには、女の子と一つの部屋を共にするというこのシチュエーションは興奮してしかるべきものである。


だがこの時ギーシュが感じる鼓動の音は、ドキドキではなくドンヨリであった。


(ああ、陛下がうらやましいなぁ・・・)


今頃はキュルケと二人で、いいことをしているに違いない。

そういえば、あのワルドという貴族とルイズは婚約者であるらしい。

婚約者同士の夜であるなら、想像すれば童貞の自分が前かがみになるような行為に及んでいてもおかしくはないだろう。


その中で、自分だけはこの体たらく。

夜の街の喧噪の音が、いやに遠く聞こえるギーシュであった。










「こうしてゆっくりと君と話すのは、久し振りだね」


窓際に位置するテーブル、そこに向かい合う形で座って、ワルドとルイズはワイングラスを傾ける。

差し込む月夜の光は、昂っていたルイズの精神を安定させ、目の前の婚約者との郷愁の念を思い起こさせていた。


「覚えているかい?あの小船の事。あの日、君はお姉さん達と魔法の才を比べられて、いじけてあそこに隠れていたな」


「もう、変なことばかり覚えているのね」


「そりゃ覚えているさ。君のことなら何でもね」


「その割には今までずっと、私のことをほったらかしにしていたくせに」


酒の力もあってか、少々上機嫌になってルイズは意地悪を言ってみる。

ここ最近いろいろと心労の溜まることばかり起きていたからか、ワルドとの穏やかな時間は、ルイズの精神を深くリラックスさせていた。


「確かに、そうだね。それは謝るよ。本来なら、婚約者なんて言える義理じゃないことも分かっている。けど、これだけは信じてくれ。僕は君の事を、ほんの一時だって忘れた事はなかったよ」


真摯な眼差しを向けて、ワルドは語った。


「思い返してみれば、ルイズ。君は幼少の頃から周囲と違っていた。確かに失敗ばかりだったけど、その代わりに誰にも負けないオーラを放っていた。魅力といってもいい。

あの頃から、僕は確信していたよ。君には特別な力がある。始祖ブリミルのような、歴史に名を残す素晴らしいメイジになるだろうって」


「そんな・・・。買い被りすぎよ」


ワルドの惜しみない称賛の言葉に、ルイズは恥ずかしくなって頬を赤に染めた。

爆発しか出来ない『ゼロ』である自分を、よりにもよって始祖ブリミルと比べるなど、畏れ多いにもほどがある。

ワルドだってきっと挨拶か冗談のつもりで言っているんだろう、そう思ってルイズは彼の言葉を話半分に耳にを傾けていた。


そんなルイズの態度に構わず、ワルドはなおも語り続ける。


「買い被りなんかじゃないさ。僕だって並のメイジじゃない。だからこそ分かる。そして何より、君という存在の価値は召喚した使い魔が証明している」


そして話題がギルガメッシュに及んだ途端、ルイズは不快に顔をしかめた。


「彼の事を知ったのは、フーケの尋問に立ち会った時さ。彼女の話の中で、春の『サモン・サーヴァント』で召喚された人間のことが話題に上がってね。その話から噂を辿っていくと、いろいろな事を知ることが出来たよ。

モット伯での一件のこともね。あれは伯爵自身が怯えて口を閉ざしているから、起訴こそされていないが、あれをやったのは彼なんだろう。その目撃証言だけでも、その力のほどが伝わってくる。

あれほどの御方を使い魔として自らの元に来臨させたんだ。これだけでも、君の中に眠る特別な力の証明になる。『メイジの実力を知るなら使い魔を見よ』とは、まさに言い得て妙だな」


「別に、そんなすごいことじゃないわよ。使い魔には勝手にやらせちゃってるし、あいつがすごくても私がすごいってことじゃないし」


「謙遜することはないよ。あんな壮大な存在をこの地に招き寄せた。それだけを見たとしても、いかなる魔法をも超える素晴らしい偉業さ」


熱っぽい口調で、ワルドはギルガメッシュの存在を通した称賛を送ってくる。

気の無い様子でそれを受け取りながら、ルイズはずっと気になっていた事を憮然顔で尋ねた。


「ねえ、ワルド。どうしてそんなにギルガメッシュに謙るの?」


初回のワルドとギルガメッシュの対面時から、ずっとワルドの態度には違和感を持っていた。

ワルドがギルガメッシュに向ける態度は、単なる礼儀上の敬意だけでは表せない。

あれは真に敬愛を感じ、格上に仰ぎ見る者に向ける礼節だ。


確かにギルガメッシュには、平民貴族の身分などを無視した、王者の風格と言うべきものが備わっている。

しかしだからといって、噂を聞き及んだだけの初対面からいきなり自らの主君であるように接する理由にはならない。

主君への忠義とは、ただ一目会っただけで築けるほどに軽いものではないのだ。

ましてワルドはトリステイン魔法衛士隊の隊長という地位にある人物。

並の貴族とは力もプライドも違うはずだ。


それほどの力を持つワルドが、ギルガメッシュに対して明らかに自分を下に見ようとする事が、ルイズには分からなかった。


「そりゃ、あいつの力はすごいけど、でもあなただって陛下を守る親衛隊の隊長でしょう。もっと堂々としても―――」


そこまで言いかけた所で、ルイズはワルドの浮かべる表情が変わっていることに気が付いて、思わず言葉を止めた。

その時のワルドの浮かべる顔は、心底からの戸惑いの感情。

全くの思慮外の問いかけを受けたかのように、答えるべき言葉が見つからずに困惑している。

そんなワルドの表情は、ルイズも見たことが無かった。


「そんなに不自然だったのか・・・、俺は・・・?」


ようやくその口から出た声も、口調が明らかにこれまでと異なっていた。

ルイズは気づかなかったが、自身の呼び方まで変わっている。

今もルイズの事など完全に認識外の様子で、自らの思考に埋没していた。


「ねえ、ワルド」


「そうか・・・、そうなのか。いや、確かにそうなんだろうな・・・」


「ねえってば!!」


ルイズに強く呼びかけられて、ワルドはハッと我に返った。

そしてすぐに先ほどまでの余裕ある表情を顔に被せて、ルイズへと意識を戻した。


「いや、ごめんよ。そうだね、何となく、かな。彼の気品高さに当てられたのかもしれないよ」


当たり障りの無い答えだけを以て、ワルドはこの話題を中断する。

何だかうまくはぐらかされた気がして、ルイズは釈然としなかった。










貴族専用の宿の中で最も上等というだけあって、ギルガメッシュに割り当てられた部屋はかなり立派な作りであった。

その部屋は今、僅かなロウソクの光のみの薄暗闇の中にある。

扇情的な夜の闇の中、レースの飾りが施された天蓋付きのベッドに、裸体のギルガメッシュとキュルケが重なり合うように横になっていた。


両者の身体に薄らと浮かぶ汗と息づかいのほどから、すでに二人が情事の後であることが洞察出来る。

異性とのまぐわいも、ギルガメッシュにとっては己の欲を満たす重要な娯楽の一つなのだ。

そんな事に及んだ後の特有の気だるげな雰囲気の中、キュルケが隣のギルガメッシュへと話しかけた。


「ねえ、ダーリン。あの子爵がルイズの婚約者ってホント?」


「そうらしいぞ。あの色香の足らぬ小娘には、随分と釣り合わん男ではあるがな」


「アハハッ、確かにそうね~」


試しにキュルケは、頭の中でルイズをあのワルドという貴族の隣に並べてみる。

どこをどう見ても夫婦には見えない想像の中の二人の姿に、キュルケは思わず失笑を漏らした。


「でもあたし、あのワルドって人のこと、どうも気に食わないのよねぇ~。顔はいいんだけど、目が冷えきってるんだもの。まるでこっちの事を、物か何かと見てるみたい」


「ほう。さすがは幾多の男共を手玉に取った女狐よ。なかなかに男子を見る目があるな」


キュルケの言葉に、ギルガメッシュは感心したようにそちらへと顔を向けた。


「あのワルドという男、奴の立ち振る舞いには明確で強い意志が宿っている。その意志の源泉たる感情は、己を世界の舵を握る存在たらんとする貪欲な野心であろう。少なくともこれまで見てきたこの世界の雑種の中では最も覇気がある。

あれはすべてに置いて自らが利せんがために動く感性の持ち主だ。人も名誉も、そして国ですら道具と見なし、ただ己を高めんがために利用する。恐らく、奴の目には他のすべてが、自らが利用出来るかそうでないかの二択に分別出来るのだろうよ」


今日見てきたワルドの姿を思い返しつつ、ギルガメッシュはつらつらと語っていく。

ワルドの在り様を語るその様子は、どこか愉快そうでもあった。


「その在り様は美徳だ。あれは覇者となりうる素質がある。あの男が特定の何者かに忠義を尽くすことなどまずあり得ん。今の魔法衛士隊という称号にも、満足など覚えておるまい。あれは自らの生が他人に委ねられるのを嫌う。己のすべてを自身の手で決めねば気が済まぬ気質であろうからな。

そしてそれこそが覇を志す者の正しい在り方だ。王者ならば、外聞はともかくとして、内においては己こそを最上の存在と置かねばならぬ。他者の言葉に流される事を良しとする者など、王などとは言えん。

まあとはいえ、確かにあれは女に幸を与えられる類の男ではあるまいよ。先に言った通り、奴は何に置いても自分ありきだ。自分以外の他者、ましてや女の幸福など推し測れはすまい」


「ふ~ん。でもぉ、ダーリンにだけは彼、随分と畏まった態度を取ってたけど。まるで自分が仕える主君みたいに」


呑気な口調でキュルケはギルガメッシュとの話を続ける。

ワルドの覇者足りうる器の事も、キュルケにとっては自分にとってはつまらない男とだけ受け取ったようだ。


他の何よりも優先し、情熱の中に生きる。

それこそキュルケという人間の行いの不文律なのだ。


「それは少し違っておるな。奴の我に対する敬意は本物だが、それは主君に向けるべき臣下の礼節とはちと質が異なっている。まあ奴自身、自らの敬意の質に自覚があるかは怪しいがな」


「何なの?その質の違いって?」


「さあな。それはもう少し、奴という人間を見定めれば明らかとなるであろうよ」


今後の事に思いを馳せ、ギルガメッシュは愉悦の笑みを浮かべる。

それは彼が、新たな娯楽を発見した時に浮かべる特有の凶々しい笑みであった。


「奴にはまだ一癖二癖か見所がありそうだ。なかなかに興味を湧かせてくれる。アルビオンへの道中、思わぬ拾い物をしたな」


愉快そうな口調で言いながら浮かべるギルガメッシュの笑みを、キュルケはすぐ隣で見つめていた。

気の弱い者ならば直視していることも難しいおぞましさを備えたギルガメッシュの笑み。

しかしそんな表情ですら、今のキュルケにはギルガメッシュを彩る魅力の一つに思えるから不思議だ。


(これも惚れた弱みってやつかもしれないわね)


苦笑しながらキュルケは、そんなふうに自分の感情に対して思った。


「でも、そんな奴なら、ルイズを二人っきりにしたままでいいの?あの二人、婚約者なんだし、放っといたらそのまま結婚しちゃうかもよ。ダーリンの話だと、ルイズには相性悪いでしょ、彼」


「そんな事も自らで見抜けぬならば、そんな愚鈍は我が関心を向ける価値などない。奴にくれてやる」


試しに問いかけてみたが、やはりのギルガメッシュの解答にキュルケは笑みを漏らす。

あくまで他人を自分の道具と見なし、己の快楽のためにのみ活用していく傲慢不遜な在り様。

だがそれでこそこの『微熱』が惚れ込む男だと、キュルケは熱い気持ちで思った。


「ところでさぁ、ダーリン」


話に一区切りがついた所で、キュルケは妖艶な表情を浮かべて、ギルガメッシュへと迫った。


「さっき覇者には女を幸せに出来ないって言ってたけど、それじゃあダーリンも女を幸せに出来ないの?」


「たわけ。この我の器を雑種共と同じ尺度で測るでない。我が手の中に居る内は、室共にはこの英雄王が極上の悦楽を与えよう」


「そう?それじゃあ是非とも証明してくださらない?」


挑発的な色を含んだキュルケの言葉に、すぐにその意図を察したギルガメッシュは笑みを返した。


「ほう。先ほどあれだけ可愛がってやったというのに、まだ快感を求め足らぬとは。貪欲な女よ」


「お言葉を返しますけれど、あたしもそこいらの女と同じにされては困りますわ。殿方にリードされてばかりなんて、あたしのプライドが許しませんもの。

ですから、此度の情事の主導権はこちらに譲っていただきますわよ」


「やってみるがいい。我は挑戦ならばいつでも受けて立ってやるぞ」


お互いの宣言の後、キュルケは再びギルガメッシュの逞しい肉体へとのめり込んでいった。






[2589] [11]王と『白の国』
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/03/13 13:30




[11]王と『白の国』





山岳の港町ラ・ロシェールの朝。

窓より差し込む夜明けの日光の眩しさにギルガメッシュは眼を覚ます。

隣に目を向ければ、そこには裸体のままのキュルケが寝息を立てている。

どうやら昨夜の情事の後、着替えることはせずにそのまま眠ってしまったらしい。

寝起きで鈍る身体を軽くほぐしながらベッドより起き、ギルガメッシュは椅子にかけておいた服を着始める。

彼が半身の着衣を済ませた頃、部屋のドアをノックする音が耳に届いた。


「誰だ?」


「私です。ワルドです」


ドア越しに聞こえてくる声は、確かにワルドの物であった。

「しばし待て」と告げて、ギルガメッシュは着替えを再開させる。

ゆっくりと着替えを終え、ギルガメッシュは改めてドアを開けた。


「おはようございます。ギルガメッシュ殿。部屋の寝心地はいかがでしたか?」


「まずまず、といった所か。まあ急の用意としてはそれなりであろう。一応は褒めてくぞ、ワルドよ」


「ありがとうございます」


それなりの時間を待っていたにも関わらず、昨日までの態度を変えることなくワルドは一礼した。


「して、このような早朝より何の用だ?もしつまらぬ用で我を煩わせようというのなら、その対価は重いぞ」


軽い脅しも含めたギルガメッシュの言葉。

軽いといってもそこには確かな殺意の色が含まれている。

呵責なき英雄王の感性において、殺意とは日常的な感情に区分されるのだ。

そのようなギルガメッシュの対応を受け、しかしワルドは臆することなく、毅然と淀みない態度のまま言葉を返した。


「御身の威光は、私も風に運ばれる噂にて耳にしておりますが、私もまた兵の者。やはり己自身の眼を以て御身の強さのほどを感じ取りたいと思いまして」


「ほう。で?」


「すなわち、これです」


ワルドは腰に差したレイピア状の魔法の杖を引き抜き、ギルガメッシュの前に示してみせた。


「どうか一手、御教授のほどを賜りたくございます」


ワルドのその言葉に、ギルガメッシュはにんまりと破顔させた。


「この我に対して挑みかかるか。勇敢も度を過ぎれば無謀なる愚鈍であると理解しているか?」


「重々承知の上です。ですが、これより後のアルビオンの道中は敵陣の只中。その敵地を前にし、同行者の実力は直に知っておくべきかと」


そこまで言った所で、ワルドのギルガメッシュへと向ける視線の中に、鷹のように鋭い光が宿った。


「それに、御身自身にも知っていただきたい。この『閃光』の魔法の冴えのほどを」


不敵なワルドの言葉に、ギルガメッシュは更に愉悦の笑みを深める。

その笑みを浮かべたまま、ギルガメッシュはワルドの申し出に了承の意を表すように頷いた。










ワルドが案内したのは、宿の中庭に存在する練兵場だった。

この『女神の杵』亭は、かつてはアルビオンの侵攻に備えた砦であったという歴史を持つ。

この練兵場も、その古き時代の名残りである。

昔集まった貴族たちが王より閲兵を受けたというこの練兵場も、今では物置代わりに樽や空き箱が乱雑に置かれている。

立てるべき旗を失った旗立て台がかつての栄華を懐かしむように佇む中、ギルガメッシュとワルドは二十歩ほど離れた位置で向き合った。


「かの名君フィリップ三世の治下の時代には、この場所で多くの貴族が己の意地と名誉を懸けて杖を抜き合ったものです。その決闘は誇りを懸けた尊いものでしたが、中にはくだらぬ事で魔法を唱える輩もおりました。例えば、女の取り合いなど」


「ほう。で、この立ち会いもくだらぬ行事であると抜かすのか?」


「フフッ、まさか。あなたほどの者の胸を借りられる。これほど名誉ある手合せは他にありますまい」


そう答えてワルドはレイピア状の杖を抜き、フェンシングのように前方に突き出して構える。

それに応じるように、ギルガメッシュもまた虚空の蔵よりデルフリンガーを抜き放った。


「貴殿は黄金の鎧を纏われると聞きましたが、武装はなさらないのですか?」


「遊興の場に戦装束で出向くのも無粋であろう。使ってやるのはこの道楽用の剣のみ。いきなり我が宝物の威光を垣間見んとするなど、僭越が過ぎるぞ」


機嫌良さそうに笑みを浮かべながら、ギルガメッシュは答える。

そのギルガメッシュの言葉に返答したのは、ワルドではなく手に握られるデルフリンガーであった。


「ちょっと待て、旦那!!道楽用ってどういうことだっ!?俺は玩具じゃねぇぞ」


「何を言う。お前ほどに道化の役が適任な剣など他に在りはせんだろう。元々がみすぼらしい故、汚れてもあまり気にならんしな」


「じゃ、じゃあ、俺を買ってから旦那が随分と俺の事を使ってくれたのって・・・」


「我が財を抜くに値せん雑種の相手に、お前はまさに適任であった。つまらぬ魔術を飲み込む能力といい、まさにお前は最高の露払いの剣だな」


「ひ、ひでぇ・・・」


しょんぼりと項垂れて(剣なので雰囲気的にという意味だが)、デルフリンガーは落ち込む。

そんな得物の落胆など意にも介さず、ギルガメッシュはその柄を片手に持って構えを取る。

向き合う二人がそれぞれ武器を構え、決闘独特の一触即発の空気が両者の間に漂いだす。


と、そのピリピリとした両者の間に、熱を冷ます冷や水のような声が投げかけられた。


「ワルド?ギルガメッシュ?ちょっと、二人とも何やってるのよっ!?」


声に反応して、二人は声の方へと目を向ける。

二人の視界の中で物陰から現れたのはルイズであった。


「これも貴様の計らいか?」


「いえ。ですが、どうやら原因は私のようだ」


どうやら朝に部屋から出るところを、ルイズに見られていたらしい。

このような朝早くからの闘志漲らせたワルドの様子に何かを感じ取り、こうして付けてきたのだろう。


素人同然のルイズの尾行に気づかないとは、ワルドは自分の迂闊さに驚く。

単なる手合せとはいえ、ギルガメッシュとの戦いを前にし、どうやら自分は柄にもなくかなりの緊張を抱いていたらしい。

全くもって不覚であるが、同時にそのことを納得し、高揚を感じている自分もいる。

そのような動揺を生むほどに、自分がこれから相手にしようとしている者はこれまでの常識の枠を超えた規格外なのだと実感できた。


「ワルド、一体何をする気なの?」


「彼の実力を、直にこの身で味わいたくなってね」


「もう、そんな馬鹿なことはやめて。私達には大切な任務があるでしょう。仲間同士で争ってどうするのよ」


「そうだね。ひょっとしたら、本当に無意味なことかもしれない。わざわざこんなとこをしなくても、任務に支障をきたすことはないし、もし怪我でもしたらとんだ愚か者だ。

けど、悔しいけれど、僕は男でね。強いか弱いか、それが気になり出すともう止められないのさ」


はっきりと、ワルドは答えてくる。

その言葉に含まれる意志は固く、彼の決心がいかに強固であるかを物語っていた。


ワルドの説得は諦め、ルイズはギルガメッシュの方へと向く。

謝るまで口を聞かないという、自らに下した誓約は破ってしまうことになるが、この場合は仕方ない。


「アンタも、こんなことして何になるのよ」


「向けられた挑戦は受けて立つが我の信条。挑みかかる雑種の相手をしてやるのも、王の務めだ。

それにこの世界に来てからというもの、対する者のどいつもこいつもが貧弱極まる者ばかりだったからな。いい加減、身体のほうも鈍ってくる。その点、この男の相手はなかなかに良い運動になりそうだ」


「なんなのよ、もう!!」


どちらもルイズの言う事に耳を傾ける気は全くないらしい。

完全に蚊帳の外となっている現状に、ルイズはカァーッと顔を赤くして叫んだ。


「さて。思わぬ介添え人も現れたことですし、そろそろ始めましょうか」


「うむ」


古びた練兵場の中で、二人の武器を構えた戦士が頷き合う。

その光景は、かつてこの場所で剣を切り結んだであろう戦士たちの過去を現代に投影しているようでもある。

数秒の時が流れた後、二人の間の弛緩していた空気がついに動き出した。


先を制したのはギルガメッシュであった。

僅か数歩の踏み込みで二十歩の距離をゼロとして、手にしたデルフリンガーを振りかざす。

振り抜かれたデルフリンガーの刃が、ワルドの杖によって受け止められた。


キイィィィン


金属音が練兵場の中に木霊する。

繰り出されたギルガメッシュの剣の威力に押され、たまらずワルドは後退した。

そのワルドにギルガメッシュはなおも追撃する。

まともに視認することも困難なデルフリンガーの連続斬撃が、次々とワルドの持つ杖へと叩きこまれていく。

常人のそれとは比べる事さえ不敬と言える力と速さ、そして技巧によって完成したそれは、まさしく英雄の技と呼ぶにふさわしい。


しかしながら対峙するワルドもまた、常人の区分とは技も経験もはるか認識の外にある。

幾年にも及ぶ鍛練の中で培われてきた肉体は完璧なる戦士のそれであり、身に付けた剣技も一級品の格である。

そして長き年月を闘争の中に身を置いたその経験は、彼に英雄を前にしてなおも怯まぬ屈強の精神力を与えていた。


ギルガメッシュが人の領域を超越した超人であるのなら、ワルドは人としての極限に到達した達人だ。

人の域にないギルガメッシュの高速の斬撃に対し、己の技を以て反応し、杖ですべてを受け切っている。

『風』のエキスパートたるスクウェアメイジのワルドは、周囲の大気に感覚を同調させる事で、己の全方位を知覚出来る超感覚を発現していた。

例え目では追い切れなくとも風の振動を感じ取って剣の軌道を読み、その先読みを以て受け太刀をしているのだ。


攻めは完全にギルガメッシュに譲り、自身は後退一辺倒の防衛戦の状況ながらも、ワルドは確かに英雄と呼ばれる存在に対抗していた。


「はあっ!!」


そして息吹と共に、ついにワルドも反撃に転ずる。

受け太刀の中で何とか唱えていた魔法をワルドは解き放った。

圧縮された空気の弾丸がギルガメッシュに向けて撃ち放たれる。

その魔法自体は、即座に反応して横に跳んだギルガメッシュにあっさりと避けられたが、それによって両者の間には少しの間が出来た。

その隙を逃さず、ワルド自身も風に乗って大きく後ろに跳躍しながら、滑るように呪文のルーンを低く呟いた。


「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ・・・」


呪文が完成し、ワルドの杖の先端で空気が撥ねた。

受け太刀の中での詠唱で不完全だった先ほどの魔法とは、威力も速度も違う不可視の巨大な空気の砲撃『ウィンド・ブレイク』がギルガメッシュに向かう。

猛る風の放流が自身に向かう中、しかしギルガメッシュは先ほどのような回避行動は取らず、正面に迫る風へ真っ直ぐに挑んでいった。


眼前に迫る暴風に、ギルガメッシュは手にするデルフリンガーを突きだす。

大気の壁に接触した瞬間、その刀身が光を放ち、向かってきた風の魔法を飲み込んだ。


「っ!?」


自身の魔法があっさりと無力化され、ワルドの顔に驚愕が浮かぶ。

『神の左手』の魔剣デルフリンガーの有する、ある程度の規模までの魔法を吸収して己が物とする能力である。


行く手を阻むものが無くなり、正面に立つワルドへとギルガメッシュが一気に迫る。

その追撃から逃れる術は魔法の使用直後で隙の出来たワルドには無く、防御に徹するべく杖を盾のように構える。

ワルドがその身を守らんと差し出したその杖に、ギルガメッシュはデルフリンガーの柄に片手から両の手を添えて、上段からの一撃を叩きこんだ。


繰り出された一撃は片手のみだった先ほどまでとは段違いの威力となってワルドを襲う。

何とか杖で受け止めたワルドであったが、その杖も受けた中間辺りから砕き折られた。

契約により術者であるワルドの魔力も込められ、並の武具とは比べものにならない強度を誇った杖も、英雄の本領の一撃に耐えきれるほどではなかったのだ。

斬撃の衝撃は更に持ち手そのものさえも押し抜き、ワルドは大きく弾き飛ばされて背中から倒れ込んだ。

ダメージに呻き声を漏らしつつも、何とか起き上がろうとするワルドの鼻先に、ギルガメッシュがデルフリンガーの刃を突き付けた。


「勝負あり、だな」


悠然とワルドを見下ろして、ギルガメッシュは告げる。

その表情は、息を切らして滝のように汗を流すワルドとは対照的に涼しげだった。

僅かに軌道を読み間違えれば即座に身を断ち切られるギルガメッシュの斬撃は、切磋琢磨に鍛錬を続けてきたワルドにさえも大幅な消耗をもたらしていた。

それに引き替え、ギルガメッシュの方はというと手合せ前の余裕のまま。

そんな所でも自分との間に広がる実力の差を表された気がして、ワルドはつい苦笑を漏らした。


「お見事です。御身の実力、この身を以て思い知りました」


「貴様もなかなかであったぞ。雑種相手としては、久し振りに良い運動になった」


使用したのはデルフリンガー一本とはいえ一応は自分に戦いの形態を取らせたワルドに、ギルガメッシュは讃辞の言葉を送る。

それだけ言うとギルガメッシュはデルフリンガーを蔵へとしまい、ワルドの事を放置して早々に立ち去っていく。


その後ろ姿を眺めながらフラついて立ち上がるワルドの元に、ルイズが慌てて駆け寄って来た。


「ワルド!!大丈夫?」


心配そうに表情を曇らせながら、ルイズは尋ねる。

幸いなことに怪我はないようだが、代わりに杖は無残なまでに粉砕されて、破片は地べたに散乱している。

メイジにとって杖とは自己の誇りの象徴であると共に最大の武器でもある。

その杖を破壊されたことは、ある意味肉体の怪我よりも本人には堪えるダメージとなるだろう。

そう考慮しての、ルイズの問いかけだった。


「ん?ああ、大丈夫さ」


しかしそんなルイズの苦慮とは裏腹に、ワルドの表情には落胆の色はない。

むしろその顔には満足気な清々しささえあった。


「でも、その、あなたの杖が・・・」


「心配いらないさ。確かにこのままでは使い物にはならないけど、幸い破片はすべて揃っている。明日の出発までには修復できるさ」


メイジの証たる杖を破壊されたというのに、ワルドの声には相変わらずの覇気がある。

そんなワルドの様子をルイズは不思議に思った。


「ねえ、ワルド。どうしてギルガメッシュとこんな事をしたの?」


「言っただろう。彼の実力を、この身を以て味わいたくなった。本当にそれだけさ」


言いながらワルドは、練兵場より立ち去ろうとしているギルガメッシュへと目を向けた。


「そして思い知ったよ。常人とは比べ物にもならない、彼の強さを。あれでまだ実力のほんの一端なんだと思うと、正直身体が震える。もし彼が本気となったら、一体どうなってしまうんだろうと想像せずにはいられないな

まったく、大した御方だよ。現実にこの世に在るのが信じられないくらいさ」


爪が喰い込むほどに拳を握り締めながら、ワルドは語る。

キュルケが冷え切っていると称したワルドの瞳には、今は燃え盛らんばかりの炎が宿っていた。


その傍らでルイズは、自分を見ずにあくまでギルガメッシュの事を見据えているワルドの事を、どこか遠い存在のように感じていた。










早朝のギルガメッシュとワルドの手合せより時は移り、時刻は夕刻に差し掛かる。

夕日がラ・ロシェールを包む中、ルイズは部屋のベランダで一人ぼうっと外を眺めていた。


キュルケ達はギルガメッシュと共にラ・ロシェールの観光に出向いている。

またワルドの方も杖の修復のために一人個室に籠り切りで、一切顔を出していない。

ギルガメッシュと一緒にいる気にはなれなかったし、ワルドの邪魔をするわけにもいかない。

必然的にルイズ一人が残される形となっていた。


「明日はいよいよアルビオンに渡るのよね・・・」


落ちかけようとしている夕日を眺めながら、ルイズは独り言ちる。

彼女の手には、アンリエッタより託されたアルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダー宛ての手紙があった。


その手紙の内容を、ルイズは漠然と察していた。

もちろん中身を読んだわけではなく、幼馴染みとしての経験と、そしてこの手紙をしたためる際に見せたアンリエッタの憂いに満ちた表情から、この手紙に込められた思いを洞察したのだ。


あの時のアンリエッタの表情は、王女である以前にまるで恋人の事を案ずる一人の乙女のようであった。

その様子から、ルイズは確信に近い推測で、アンリエッタとウェールズが恋仲であると当たりをつけていた。

アンリエッタの気性からして、彼女が愛する人の死をみすみす見過ごすとは考えにくい。

きっとこの手紙の中には、ウェールズにトリステインへの亡命を勧める内容が記載されているはずだ。


「しっかりしないと・・・」


改めてルイズは自分の受けた任務の重さを実感する。

この手紙には国の行く末だけでなく、一人の乙女の汚れ無き恋慕の思いも含まれている。

この重大な任務を達成してみせてこそ、王女への忠義心を見せる事になり、あの晩の無礼の詫びになろうというものだ。

決意を新たにし、ルイズは少し疲れた眼を休ませるべく、目蓋を閉じた。


次にルイズが目を開けた時、ベランダから見える外の景色はすっかり夜のものとなっていた。

どうやら目を閉じている内に、本当に眠ってしまったらしい。

空を見上げてみると、赤い月が白い月の後ろに隠れ、一つの月となって青白く輝いている光景が映った。

双月が重なる『スヴェル』の月夜の翌日に、アルビオンはこのラ・ロシェールに最も近づく。

それはすなわち、いよいよ自分達が敵地に足を踏み入れる事を意味している。


「そろそろ寝ようかしろ。明日からはいろいろと大変だろうし・・・」


そう呟いて、ルイズはもう一度双月重なる月夜に目を向ける。

だが彼女の視界に月夜の光景は映ることはなく、それを隠す巨大な影の輪郭のみが目に入った。


「ゴーレム!?」


影の正体をルイズは叫ぶ。

その叫びとほぼ同時に、ゴーレムの巨大な腕が宿へと叩きこまれた。










襲撃は一階でも起こっていた。

ラ・ロシェールの観光からの帰り、一階の酒場にて酒盛りをしていたギルガメッシュら一行を、玄関からいきなり現れた傭兵の一団が襲ったのだ。


すぐさまキュルケやタバサは魔法で応戦したが、多勢に無勢の関係は覆せず、床と繋がる形のテーブルの脚を折って、それを盾代わりとして身を隠していた。

傭兵達はメイジとの戦いに慣れているらしく、キュルケらの魔法の射程を見極めると、そこに迂闊に近づこうとはせず射程外から矢を射かけてくる。

夜の暗闇を背にして地の利もある傭兵達は無理に攻めず、メイジの精神力切れを狙っているようだった。


無論、それはメイジのみに限った話。

ギルガメッシュの宝具の魔弾を以てすればあのような傭兵如き瞬殺で事は済むだろう。

だがその場合、彼の宝具の破壊力は傭兵のみならずこの宿そのものの崩壊をも誘発しかねない。

自分はどうにでもなるが、一応は気を掛けているマスターが上に居る今の状況では少々判断に迷うところだ。


ギルガメッシュがそう思案していると、ちょうど思案の元であるルイズがワルドに抱えられて現れた。


「やられたね。これは恐らく僕達を狙っての襲撃だ」


ルイズを抱えたままギルガメッシュ達の元に姿勢を低くしてもぐり込み、ワルドは言う。

その腰に差さっている杖は、すでに修復が終わり元の冴えを取り戻していた。


「フーケがいたわ。あのゴーレムは間違いなくフーケのものよ」


一同を見回して、ルイズは言った。

暗がりの中の影のみではあったが、自分をさんざん苦しめたそのシルエットは見間違えるはずもない。

先ほどもワルドに助けられていなければあっさりとやられていただろう。


トリステイン中を苦しめ、堅牢なる牢獄より脱獄してみせた大盗賊フーケ。

その情報に皆が表情を引き締める中、一人ギルガメッシュはきょとんとした表情を浮かべて見せた。


「フーケ?誰だそれは?」


そのギルガメッシュの答えに、ルイズは思わずコケそうになった。


「何言ってんのよ!!前に魔法学院を襲った盗賊の事よ。アンタが捕まえたんでしょ!!」


「ああ、あの雑種か。どうでもよい名であったので、覚えていなかった」


さらりと答えるギルガメッシュに、真剣にフーケの事を考えていたルイズは頭を抱えたくなった。

どうやらこの男は、自分が興味のない事はすぐに忘れてしまうタチであるらしい。

仮にも主人である自分の命を脅かしたほどの相手だというのに。

何だか無性に腹が立ってきて、口を聞かないという自身に下した誓約もいつしか失念していた。


「しかし、あのフーケが居るという事は、奴らの裏にはアルビオン貴族がいるということだな」


少々緩んだ空気を引き締めるようにワルドが告げる。

その意見には皆も同意するように頷いたが、またもそこで口を挟んだのはギルガメッシュであった。


「正確には、アルビオン貴族と通じている者、であろうがな。この対応の早さは、空の上からの指示とは考えにくい」


「トリステインの貴族の中に内通者がいるっていうの!?」


「だろうな。しかも、こうも狙い澄ましたかのような機会を得られている事を考えれば、案外と我らの身近な者やもしれんぞ」


ルイズの問いかけに答えながら、ギルガメッシュはチラリと横目でワルドの姿を見た。

そこではワルドが、まさに真剣そのものの表情で襲撃している傭兵の様子を窺っている。

怪しむ要素など微塵も見せないワルドの態度に、ギルガメッシュは皆に気付かれない程度に笑みを漏らした。


「まあ、奴らの黒幕の存在などどうでもいい。奴らが我の道中を邪魔するならば、粉砕してやるのみよ」


そう言うとギルガメッシュは立ち上がり、“王の財宝”を解き放とうとする。

ルイズやワルドがやって来て配慮の必要が無くなった今、もはや遠慮は無用である。

その攻撃によって宿は倒壊し、上の階残っている者や今もカウンターの下で震えている貴族の客は生き埋めとなるかもしれないが、そんなことにまで気を回す気は毛頭ない。

これまで何も反撃しなかった分も含めて、徹底的に蹂躙し尽くしてやろうとギルガメッシュは宝具を展開しようとし―――


「お待ちを。陛下」


その行動をギーシュの声が遮った。


「よろしければ、あの者達の相手はこの僕にお任せください」


「ちょ、ちょっと、いきなり何言い出すのよ!?」


慌てた様子でキュルケが声を上げる。

だがその声に耳を貸すことはなく、ギーシュは先を続けた。


「お前が、だと?」


「はい。あの程度の連中に、陛下自身の手を煩わせるまでもありません。ここはこのギーシュ・ド・グラモンが引き受けます」


妙に自信溢れる様子で、ギーシュは言い放つ。

そのギーシュの姿を、学園でのハンサムだけど頭の弱いヘタレ男というイメージの強いルイズ達は、何を言い出すんだこいつは、といった視線で見つめていた。


その中でやはり唯一人、ギルガメッシュだけはギーシュの言葉に感心したように頷く。

君主を立て、その盾とならんとするギーシュの心意気は、なかなかにギルガメッシュにとって好ましい。

やはりギルガメッシュは、根っからの王様気質であるのだった。


「ふん、よかろう。この場はお前に任せよう。雑兵共に存分に力を示すがいい」


「ハッ!!」


周囲の意向など完全に無視して、勝手に決定するギルガメッシュにそれを承服するギーシュ。

二人のやり取りを他の者、特にルイズは呆れまじりの表情で見つめていた。


「では、ここは勇敢なるギーシュ君に任せ、我々は桟橋へ向かおう。ここが襲われたということは、いつ港の方に手が回ってもおかしくはないからな。なるべく急いだ方がいい」


皆をまとめるべくワルドが率先してそう発言する。

するとそれに答えるように、キュルケが口を開いた。


「仕方無いわね。それじゃあアタシも残ってあげるとするわ」


「キュルケ!?」


キュルケの宣言に、ルイズは仰天して彼女を見た。


「勘違いしないでね、ヴァリエール。別にアンタのために残るわけじゃないわ」


髪をかきあげながらの余裕の仕草で、キュルケは答えた。

するとそのキュルケの意思に応えるように、横からタバサも杖を掲げた。


「タバサ!?あなたはいいのよ。これはアタシが言いだしたことなんだし」


「心配」


一言のみの簡潔な言葉で、タバサは自分の意思を伝える。

親友の心遣いに、キュルケは感動した面持ちでタバサを見つめた。


「それでは、彼女達には囮を務めてもらうことにする。我々は裏口から出て桟橋へと向かおう」


そう告げて、ワルドは身を隠していたテーブルの影より一気に躍り出た。

身を出した標的の姿に傭兵達は一斉に矢を射かけてくるが、そのすべてをワルドは風で作り上げた防御膜で弾いてみせる。

ギルガメッシュも迷うことなくその後に続き、ルイズも一度ペコリと頭を下げてから二人の後を追った。


「ダーリン。帰ってきたら、たくさんご褒美ちょうだいね♥」


立ち去る三人の背中に、キュルケはそうとだけ告げた。

その言葉にワルドを先頭とする三人は振り返ること無く、厨房の方へと走って行った。


「さて、と。何だかノリ任せで囮なんて役を引き受けちゃったけどさ」


肩を竦めながらキュルケは、ギーシュの方へと視線を向けた。


「あなたがあんな大口を叩くなんて驚いたわ。てっきり真っ先に逃げ出すか、もしくはトチ狂って特攻でも言いだすかと思ってたのに」


「・・・やっぱり君も僕にそういうイメージを抱いているわけだね」


キュルケの言葉に、ギーシュは何やら含みのある声音でそう答えた。

きょとんとするキュルケに、ギーシュは言葉を続ける。


「あの決闘で陛下に打ちのめされて以来、僕は自分の価値について考えるようになった。それまではただ貴族であること、グラモン家の嫡子であることを鼻にかけてきたけど、それはあくまで父上の、あるいは御先祖様の価値であって僕の価値じゃない。他の誰でもないこの僕、ギーシュ・ド・グラモンの価値について考え始めたのさ。

とまあ、そういう訳で自分の事を見つめ直す機会を得たわけだけど、そうしていく内にふと、学園のみんなや愛しのモンモランシーが僕に向けている視線について気が付いてね」


「視線?」


「君達、僕のことをバカだと思っているだろう?」


「「うん」」


キュルケのみならずタバサにまで即答され、自分で問いかけたというのにショックを受けてギーシュは項垂れる。

しかしそのショックからも持ち前の立ち直りの早さからすぐに立ち直り、バッと堂々とした態度で立ちあがった。


「だから僕は、そういう君達のイメージを払拭してみせたいんだよ!! 」


胸を張って高らかにギーシュは宣言する。

当然そこには傭兵達の矢が次々と飛来していたが、それらはタバサが風の魔法でしっかりとそらしていた。


「この任務に付いてきたのだって、手柄の一つも立てていい所を見せたかったからだしね。姫殿下に認められれば、さすがに誰も僕のイメージを間抜けのままにはしないだろう」

「まあ、あなたの気持ちは分かったけどさ。それで、具体的にはどうする気なの?」


「決まってる。僕の『ワルキューレ』であの傭兵共を蹴散らすのさ」


ギーシュの言葉に、キュルケは自分の記憶から淡々と戦力分析してから告げた。


「あんたの『ワルキューレ』じゃあ、せいぜい一個小隊くらいが関の山ね。相手は手練の傭兵が少なく見積もっても二個中隊以上。勝ち目はないわよ」


キュルケの分析は非の打ちどころ無く正しかった。

彼女の実家のツェルプストー家はゲルマニア有数の軍人の家系である。

戦とあらば率先して前線へと出向き、その陽気な炎は敵のみならず味方までも焼き尽くすと恐れられている。

そんな家で生まれ育ったキュルケには、女であっても軍人としての英才教育が施されているのだ。


しかしギーシュはキュルケのその適格な分析にも動じることなく、チッチッと指を振ってみせた。


「フフン。キュルケ、失礼だがその分析はすでに過去のものさ」


首を傾げるキュルケの前で、ギーシュは薔薇の杖を振るった。

七枚の花弁が舞い落ち、そこにギーシュの武器である七体のゴーレム『ワルキューレ』が出現した。


「これって・・・!」


現れた『ワルキューレ』の姿に、キュルケは思わず感嘆の声を漏らした。


かつては青銅によって構成されていた女戦士の人形は、今は銀の煌めきをその身に纏っている。

フォルムもより鋭敏に鮮麗され、槍と盾をそれぞれの腕に構えて優雅に佇む姿は、まさに戦乙女の威名にふさわしい。

精巧なる七体のゴーレムの匠の冴えは、かつての決闘でギーシュが発現させたトライアングルクラスの潜在魔力の顕れであった。


「さあ行け、我が『ワルキューレ』達よ!!卑しき傭兵共に、このギーシュ・ド・グラモンの力を知らしめてやれ」


術者の命に従い、白銀の騎士達が一斉に跳び出していく。

かつての『ワルキューレ』の数段増しの速さを以て駆ける七つの騎士は、向かってくる矢を手にする盾で防ぎつつ傭兵の一団に突入する。

人間を上回る身体能力と防御力、そして生命力を持つ『ワルキューレ』に傭兵達は翻弄され、隊列を混乱させていった。


『土』のメイジが行使する傀儡、ゴーレムには大別して二つの種類が存在する。

一つはフーケのようにひたすらに質量を集めて巨大化させるタイプ。

もう一つはギーシュのように等身大の大きさで人並み外れた機敏な動きを可能とするタイプだ。


ゴーレムというものは、その質量が増す毎に歩く、壊すなどの単調な動きしか出来なくなる。

これはゴーレムが自身の重量そのものにより、術者の望む人間に近い動きに付いていけなくなるからである。

その点、小型のゴーレムは人間とほぼ変わらぬ動きを実現できるし、質量の少なさから複数体の生成も割と容易だ。

無論破壊力という点なら巨大ゴーレムに敵うはずもないが、小回りならば小型ゴーレムは追随を許さない。

例えるなら、質量を求めるフーケのゴーレムは戦略兵器であり、精密を求めるギーシュのゴーレムは戦術兵器といった所か。


両者どちらのゴーレムも同じトライアングルの魔力が為せる技術。

そしてこの狭苦しい室内での戦闘は、ギーシュの『ワルキューレ』の特性に合致していた。


「ハッハッハ。見たかい、名も知らぬ傭兵君たち。これこそが僕の力。この『青銅』のギーシュの―――いやさ、『白銀(シロガネ)』のギーシュのね!!」


盾代わりにしていたテーブルの上に立ち、まるで壇上のスターのようにギーシュは高笑いした。

当たり前だが、出現した格好の的に向けて傭兵達は次々と矢を射てくる。

雨のように飛んでくる矢をけっこう精神力を消費しながら逸らすタバサは、「いいからさっさと降りろ」と無言の抗議の視線をギーシュに送っていた。


だが当のギーシュは高笑いしているばかりで、向けられる視線に露ほども気がつかない。

どうやら自分の活躍の場に、相当酔ってしまっているらしい。

あえて言葉に約すなら、「ウホ♪オレってば何かカッコよくね」といった感じだ。


そのようにテンションが上がりまくりのギーシュであったが、そんな彼の頭上スレスレの所を、タバサがうっかり(わざとかもしれないが)逸らし損ねた一本の流れ矢が通り過ぎていった。

掠めたギーシュのブロンドの髪がパラパラと床に落ちる。

途端、轟いていた高笑いも止み、急速にその表情も青ざめていった。


「身は隠していたほうがいいわよ。ゴーレム使いっていうのは、術者本人が一番無防備なんだから。『白銀』さん?」


「・・・そうするよ」


登っていたテーブルから降りて再びその影に隠れながら、ギーシュは呟くように答える。


ギルガメッシュとの決闘でギーシュが覚醒させたトライアングルとしての実力は本物だ。

経験はともかくとして、少なくとも魔力でならキュルケやタバサにも全くひけは取らないだろう。

あのギルガメッシュとの決闘以降、己の弱さと向き合ったギーシュは、確かに強くなっていた。


だが、前線で傭兵達を相手に奮闘する『ワルキューレ』とは対照的に、テーブルの影から向こうの様子をチラチラと窺いながら傀儡を使役するその姿は、実に彼に定着しているイメージにピッタリであった。










ギーシュが彼にとっては貴重な見せ場を堪能している頃、ギルガメッシュ達は桟橋へと急いでいた。

桟橋といっても、その正体は橋などと陳腐な物ではなく、山ほどもある巨木であった。

その枝の先には木の実のように船がそれぞれぶら下がっていた。


「ほう。これが港、というわけか」


自身の抱く港の概念からはかなり遠ざかっているその姿に、ギルガメッシュは感心して呟いた。


樹の根元まで辿り着くと、そこには人の手により穿たれた空洞ができていた。

空洞は吹き抜けるように上まで続いており、それぞれの枝に続く階段が伸びている。

ワルドが目当ての階段を見つけると、三人は木でできたその階段を駆け上り始めた。


一歩ごとにしなる足場の悪い階段を、一行は無言のままで駆けあがっていく。

やがてその高さもかなりのものとなり、途中の踊り場に近づいた時、一行を突如として風の魔法が襲った。


「きゃあああっ!!」


風によって一行の居た場所の階段が吹き飛ぶ。

ギルガメッシュとワルドは咄嗟に跳び退いて難を逃れたが、訓練など受けていないルイズにそのような機敏さは望むべくもなく、はるか下の地面へと落下していった。


「ルイズ!!」


即座にワルドがその後を追って身を宙に躍らせる。

ルイズの元へと急降下していくワルドの姿を見送りつつ、ギルガメッシュは足場として着地した踊り場にて、自分達を襲った者と向き合った。


襲撃者はちょうどワルドと同じくらいの体格の、白い仮面を被った男だった。

ギルガメッシュと視線を交差させると、白仮面の男は即座に腰から黒塗りの杖を抜き、魔法を放った。

放たれた魔法は、今朝にワルドが使用したものと同じ『ウィンド・ブレイク』。

威力もワルドの物に匹敵する風の砲弾が、一直線にギルガメッシュへと向かう。

目の前の風の砲弾に対し、ギルガメッシュは人差し指一本のみを突きだしてみせた。

そして指先に魔法が触れた瞬間、風の砲弾は破裂したかのように四散した。


「こんなものが、我に通用すると思うのか?」


嘲笑を浮かべてそう言うギルガメッシュの身体には、黄金の鎧がすでに備わっていた。

常時は蔵の中に収納されているその鎧は、ギルガメッシュの意思一つで瞬時にあらゆる攻撃から守る障壁として、主の元に馳せ参じるのだ。


その鎧の防御力に驚いたのか、白仮面の男はギルガメッシュより一歩大きく後ろに跳躍する。

男が次に杖を振るうと、その頭上の空気が冷え始め、バチバチと放電音が鳴り始める。

男の呪文が完成すると、空気がバチンッと弾け、男の周囲から生じた稲妻がギルガメッシュへと直撃した。


『風』系統のトライアングルスペル『ライトニング・クラウド』。

周囲の空気を摩擦させ、そこより取り出した電気エネルギーを敵に向けて撃ち放つ強力な破壊力を有する魔法である。


いかなる種類であっても、金属というものは電気をよく通す。

その中でも特に黄金の伝導率はすさまじく、純度が増す毎にその比率は更に跳ね上がる。

不純物など許さぬギルガメッシュの黄金の鎧に、あるいは通用かと考えての白仮面の男の攻撃であった。


「くだらん。こんな児戯に等しい雷如きで、この我を打倒出来ると思ったか」


だがそのような理内の常識は、ギルガメッシュの理外の非常識によって捩じ伏せられる。

彼の所有する黄金の鎧は、人の手による他の凡庸な武具達とは次元の違う至高の逸品。

幾重もの守護の概念を宿したその鎧は、もはや金属の性質で語ることはかなわず、それ自体が一つの神秘である。

それほどの神秘を纏った鎧が、電撃を弱点とするなどという綻びを残しているはずがなかった。


「つまらんな。疾く失せるがいい、雑種」


二度も与えた好機に何も為せなかった白仮面の男に対し、ギルガメッシュはもはや何一つの価値も見出さない。

一切の好奇の色を失った表情で、ギルガメッシュ自身の蔵より宝具を解放する。

魔弾と化して撃ち放たれた一本の宝剣は、そのままあっさりと白仮面の男の身体を貫いた。


「ん・・・?」


宝剣により串刺しとされた白仮面の男は、その勢いのままに吹き飛ばされて木の壁をも突破し、夜の空に放り出されていった。


「ギルガメッシュ!!」


と、ちょうどその時、地面へと落下していったルイズとそれを追ったワルドが追い付いてきた。


「ギルガメッシュ殿。襲撃者は?」


「ああ。今しがた始末した」


そう答えるギルガメッシュではあるが、彼にしては珍しくその口調には曖昧だった。


「何か問題でも?」


「問題、というほどではないが。少々違和感を覚えたのでな」


白仮面の男が落ちていった木の壁に開いた穴を見つめながら、ギルガメッシュは言う。


「手応えは確かにあった。間違いなく、あの襲撃した男は仕留めた。だが、何かが引っかかる」


「引っかかる、と言いますと?」


「さあな。この引っかかりを言葉と表すのは少々困難だ。まあ、さして気に掛けるほどの事でもない。捨て置こう」


それだけ言うと、ギルガメッシュは再び階段を上るのを再開させる。

その様子にやや戸惑いながら、ワルドとルイズも後に続いた。










ハルケギニアを照らす双月が一つに重なる『スヴェル』の月夜。

かつて己が治めた世界の夜景を思い出させる夜空の中を、ギルガメッシュ達を乗せた船が進んでいた。


甲板で眠りこけラム酒を楽しんでいた船員達を、ワルドは杖をチラつかせながら叩き起し、金と魔法の力を以て定時よりはるかに早く船を出させていた。

半ば恐喝じみたやり口で出港したこの船は、明日の昼過ぎにはアルビオンに到着し、朝方にはその姿を見ることも出来るらしい。

ワルドやルイズが明日に備えて船室で休む中、ただ一人ギルガメッシュのみは舷側に立ち、アルビオン大陸がその姿を現すのを今か今かと待ち構えていた。


この世界と違い、空を飛ぶという行為が奇跡の領域とされていたギルガメッシュが君臨した世界では、飛翔とは人々に別世界への到達であると認識されていた。

はるか彼方の天の先にこそ神はおわすと信じられ、六十にも及ぶ階層の塔を築いて神を迎える神殿を建てようと試みられた事もある。

そしてとある空想家は、大空のどこかにはこの世の物とは思えぬ莫大な財宝が眠る、雲の上に浮遊する天空島があると語ってみせた。


その時はギルガメッシュを笑わせるだけの馬鹿げた大法螺でしかなかったが、それがこのハルケギニアには現実と物として在るという。

それまで空想の産物でしかなかった物が現実に存在するという事実に、ギルガメッシュは大いに興味を引かれた。

久方振りの期待の興奮に身を震わせながら、ギルガメッシュはその瞳にアルビオン大陸が映るのを待っていた。


上空へと上がっていく船はやがて雲を抜け、晴天の青空へと躍り出た。

そしてその先に映るのは、トリステインの国土ほどの大きさがある天空大陸。


「ほう!!これが・・・!」


浮遊する地表には山がそびえ、大河が流れる。

海の無い大河の水は、流れの先で空へと落ち、白い霧と変わって大陸の下半分を包んでいる。

その光景はまるで、大陸が雲に抱かれて空の中を運ばれているようであった。


これぞまさしく『白の国』。

期待を裏切らぬその光景に、ギルガメッシュは感嘆の感情を浮かべていた。






[2589] [12]王の憂鬱
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/03/29 16:16




[12]王の憂鬱





アルビオンへの接近に伴い、ルイズも甲板へと出てきていた。

ワルドは船長の所でいろいろと話しこんでいる。

そしてギルガメッシュはというと、外に出たルイズとは逆に船室のほうに引っ込んでいた。


一時は興を湧かせたアルビオンの壮観たる光景も、しばらく見ている内にギルガメッシュは飽きを覚えてしまった。

興奮が冷めると同時に徹夜で待ち構えていた事による眠気も襲い、彼は昼夜が逆転した睡眠に入っていた。


結局ラ・ロシェールの時のように一人となり、ルイズは舷側に肘をついて近づくアルビオンを何気なしに見つめていた。


「ルイズ。船長からアルビオンの革命についての近況を聞いてきたよ」


ルイズの元にワルドが現れる。

話題の内容にルイズはハッとした顔になった。


「どうなの?」


「追い詰められた王軍はニューカッスル付近に陣をひいて奮戦している。だがすでに貴族派の軍勢に包囲されていて、陥落も時間の問題だそうだ」


「ウェールズ皇太子は?」


「分からない。とりあえずは生きてはいるようだが・・・」


浮かない顔でワルドは答える。

今は生きていても、いつ命を落としてもおかしくはない。

彼の表情はそう語っていた。


「ねえ。どうせ港町は全部、貴族派に押さえられているんでしょう?どうやって王党派と連絡を取るの?」


「船長には話をつけてきた。港に入る前に、スカボロー辺りで降ろしてもらう。短距離なら僕のグリフォンでも行けるからね。そこからなら、ニューカッスルまでは馬で一日だ」


「反乱軍の間をすり抜けていくの?」


「他に手はないからね。まあ、貴族派たちも公然とトリステイン貴族に手出しは出来ないだろう。何とか隙を見て包囲線を突破し、ニューカッスルの陣に向かう。闇討ちには気をつけなければいけないが」


「ギルガメッシュの力を借りれば、簡単なんじゃないの?」


ふと思って、ルイズは言った。

だがその案に、ワルドはかぶりを振った。


「いや。彼は元々今回の任務には直接的に関係していない。これはあくまでトリステインの問題だ。母国の問題は自らの手で払わなくては、我々トリステイン貴族の存在意義は無い」


「そうか・・・。そうよね」


ワルドの言葉にルイズは感動した面持ちで頷く。

ともすれば、ギルガメッシュに寄りかかりそうになっていた精神の怠慢をワルドは正してくれたのだ。

その事にルイズは純粋に好感を覚えた。


「右舷上方の雲中より、船が接近してきます!!」


その時、鐘楼に上った見張りの船員が、大声を張り上げた。

声に反応して、ルイズとワルドは言われた方に目を向ける。

そこには確かに一隻の船が近づいて来ていた。

黒くタールが塗りこまれた船体の舷側には、二十数門もの大砲がその砲門を覗かせている。

ルイズらの乗る船よりも一回り大きいその船は、商船とは訳の違う戦の船たる軍艦であることを表していた。


「いやだわ。反乱勢力の・・・貴族派の軍艦かしら」


「いや。恐らくは違うだろうな」


向かってくる船を冷静に分析していたワルドが告げた。


「正規軍に所属する船なら、旗を掲げているはずだ。勝ち馬に乗り、自らをアルビオンの新政府だと名乗り上げる貴族派が、旗を隠す理由はない」


「え?それじゃあ・・・」


「あれは正規軍に属さない船。つまり―――」


ワルドが言いかけたその時、すでに併走するほどに接近していた黒船が、ルイズらの乗り込む船の進路上に大砲を撃ってきた。

ボゴンと鈍い音と共に、威嚇用の砲弾が雲の彼方へと消えていく。

その攻撃に、船員達は一斉にパニックとなった。


「く、空賊!?」


「そのようだね。僕の魔法はこの船を浮かべるために打ち止めだし、この船の武装であの軍艦に勝つのは不可能だ。ここはひとまず大人しくしていよう」


突然の襲撃に対しても落ち着き払った声で、ワルドは答えた。

相手の船から、停船命令を告げる四色の旗色信号が登る。

船長は「これで破産だ」と口の中で呟きながら、その指示に従った。










乗り込んできた空賊達に船内を制圧されていく様子のすべてを、冷淡な眼差しで眺める者がいた。

遠見の水晶を片手に見下ろすギルガメッシュである。


彼が今いるのは、船底に位置する一室である。

そこで昨夜分の睡眠を取っていたギルガメッシュは上の騒ぎに目を覚まし、蔵の中より取り出した索敵宝具にて、船内の様子を一歩も動くことなく探っていたのだ。


「我が便乗する船舶に襲撃を加えるとは、運の無い連中よ」


ギルガメッシュの顔に浮かんでいるのは笑みだったが、その内心ははっきりと不快そのものであった。

気持ちよく寝ている所を無理やり叩き起こされれば、誰だって愉快には思わないだろう。

ましてそれが暴虐の英雄王ならば、そのような不敬者に対し最大級の罰則が下るのは言うまでもない。


「賊共よ。我の眠りを妨げた罪、もはや極刑に処すより他はないぞ」


水晶の中の空賊達の姿を眺めながら、ギルガメッシュは殺意の笑みを浮かべて告げる。

だがその時、ギルガメッシュはふと水晶内の空賊達の動きを見咎めた。


「うん?これは・・・」


映し出されるその姿を、ギルガメッシュはじっと見つめる。

水晶の映像を見つめながら、ギルガメッシュは何かを考え込むように息をついた。


そんな時、部屋の外で二人分の足音が響く。

この船を制圧した空賊が、船内の偵察にやってきたのだろう。


「ああ、そうだな。考えるより、奴らに直接訊くほうが早いか」


呟いて、ギルガメッシュは水晶と取り換える形でデルフリンガーを抜き放つ。

そのままギルガメッシュは身を隠すことなどまるで考慮しないまま、室外へと躍り出た。


「っ!?まだ船員が残って居やがったか―――」


空賊に最後まで言葉を口にする間を与えず、ギルガメッシュは一気にその男まで詰め寄る。

同時に振るうデルフリンガーの一閃で、その首を一息の元に斬り落とした。


あまりにあっさりとした出来事に、現実感の伴わないまま空賊の首がゴトリと床に落ちた。


「き、貴様ぁっ!!」


仲間が殺されたことに激昂して、もう一人の空賊が懐より杖を抜く。

だが抜き放たれたその杖は、返されてきたデルフリンガーの刃によってあっさりと両断された。

次いで繰り出された強烈な蹴りにより腹を強打され、空賊は衝撃から壁に叩きつけられ激しく嘔吐する。

苦痛に顔を歪ませる空賊の喉元に、デルフリンガーの刃がピタリと突き付けられた。


「嘘偽りなく我が問いかけに答えよ。さすれば英雄王の名の元に貴様に慈悲を賜そう。それとも、もう一人の後を追うか?」


逆らう事など許さぬ絶対遵守の眼光を以て、ギルガメッシュは言葉を投げかける。

その眼光に抵抗する意思の強さを、空賊は持ち合わせていなかった。










空賊に捕えられたルイズ達は、船倉に閉じ込められていた。

閉じ込められたのはルイズとワルドの二人のみで、元々の乗組員たちは自分達の物だった船の曳航を手伝わされていた。

ルイズ達には特に拘束の類は為されなかったが、杖を奪われたメイジとは無力である。


そうして手も足も出せなくなったルイズ達の前に、空賊達の頭と名乗る者が二人の追随人と共に現われていた。


「お前たち、王党派なのか?」


不躾に頭が尋ねてくる。

先ほどに行われた尋問で、ルイズは自らがアルビオン王室に向かう大使であると明かしていた。

貴族派の反乱による混乱に便乗して儲けを得ている空賊としては、なかなか扱いに悩む拾い物である。

その是非を問う意味も含めての、頭自らの尋問であった。


「ええ。その通りよ」


「なにしに行くんだ?あいつらは、明日にも消えちまうよ」


「あんたらに言うことじゃないわ」


毅然とした声でルイズは答えた。

その後ろではワルドが、何とか相手を出し抜けないか機会を窺っていた。

前に立つ頭の男は、肉付きや体格から考えて格闘戦になれば恐らく負けないだろうが、その手には大きな水晶付きの杖がある。

また後ろに控える二人の空賊の腰にもそれぞれ杖が差さっている。

メイジ三人を相手に素手のみで飛び出すのはいくらなんでも無謀が過ぎる。

そう判断し、ワルドは事の成り行きを見守っていた。


「気の強い女は好きだぜ。子供でもな。貴族派につく気はないか?あいつらは新政府樹立に向けて多くのメイジを欲しがっている。礼金だってたんまり貰えるぜ」


「死んでも嫌よ」


きっぱりと迷いなくルイズは言い放つ。

彼女の身体は殺されるかもしれない恐怖から震えていたが、それでも態度だけは堂々と、ルイズは頭の男をまっすぐに見据える。

そこには彼女が何にも勝り重んじる真の貴族としての誇りある不屈の精神がはっきりと表れていた。


そんなルイズの様子を、頭の男は興味深そうに見つめていた。


「もう一度訊く。貴族派につく気はないかね?」


ルイズは答えず、キッと顔を上げ、胸を張ってみせた。

もはや言葉にするまでもなく、その態度のみで十分だと言わんばかりの、問いかけに対するルイズの答えである。


その答えに、相手を射竦めるだけだった頭の瞳に、穏やかな色が浮かんだ。

その時、彼らの居る船倉の扉がドガンッと鈍い音を立てて、唐突に蹴破られた。


「!何奴っ!?」


即座に反応して、付き添いの二人が振り向き際に杖を抜く。

だがその二人は、次の瞬間に撃ち放たれてきた剣と槍によって、その身体を向かいの壁に縫いつけられた。

一瞬にして供の二人がやられ、更に振るわれてきた刃によって頭の方も手の杖も弾き飛ばされた。


「ほう。お前たちも一緒か。これは手間が省けたな」


「ギルガメッシュ!!」


蹴破られた扉より現れたのはギルガメッシュであった。

予期せず現れた救いの手に、ルイズが表情を輝かせる。


だがギルガメッシュはそんなルイズに特に気を払う事は無く、杖を弾かれた衝撃で倒れた空賊の頭へと意識を向けた。


「貴様が賊共の首領か?」


デルフリンガーを鼻先に突き付けつつ、ギルガメッシュは詰問する。


「貴様は何者だ!?どうやってここに―――」


「我の問いかけに同じ問いを以て返すとは何事か、痴れ者が」


頭の言葉を遮り、にべもなくギルガメッシュは言い捨てる。

口を噤んだ頭に、ギルガメッシュは再び問いを投げかけた。


「フン、では質問を変えるぞ。貴様はアルビオン皇太子ウェールズ・テューダーで相違はないか?」


「なぁっ!?」


ギルガメッシュの言葉に、頭の男のみならず傍から聞いていたルイズやワルドまでも驚愕を顕わにする。

そんな周りの反応は意に介さず、ギルガメッシュは言葉を続ける。


「お前達の行動はならず者の集まりにしては規律と統制がとれすぎている。少なくとも、賊如きに身を窶した者の行動としては不自然極まりない。外見は空賊らしく見せていても、その余計ならしさが何より嘘臭い。

大方、自らの身を隠しつつも敵の補給路を断つ空賊などを装っていたのだろうが、役者ぶりとしては三流もいい所だ。事実、一人を締め上げればあっさり確証が取れたわ。そんなもので、この我を騙し果せるとでも思ったか?」


言い放ってギルガメッシュは、頭の男の顔に向けてデルフリンガーを一閃した。

鼓膜に響く風切り音と共に、頭の顔からハラリと髪と眼帯、口髭が落ちていく。

作り物であったらしい髪と髭が取れた後には、凛々しい金髪の美青年の顔がそこにあった。










ギルガメッシュによりその正体を看破されたウェールズは、ルイズ達に失礼の対応を謝罪すると共に、改めて自らの肩書きを告げた。

その事実に驚きつつも、ルイズは本当に皇太子であるかを王家の秘宝たる『水のルビー』で確認した後、アンリエッタから預かった手紙をウェールズへと渡した。

元よりウェールズはルイズ達をトリステインの大使と認めるつもりであったため、真実が分かればそのあたりの事はさして滞りなく進んだ。

ギルガメッシュが特に何も言わず黙って見守っていたことも、要因としては大きいだろう。


手紙の内容を読み、アンリエッタが返却を望む物がここには無いと告げたウェールズは、大使として彼らを現在の王党派の主城、ニューカッスルの城へと招いた。

現在のアルビオンの制空権のほとんどを握る貴族派の監視の目を、大陸の真下の死角を衝いて避けて、ウェールズらの乗る軍艦『イーグル』号は、商船『マリー・ガラント』号を伴って、鍾乳洞の中に築かれたニューカッスルの秘密の港へと帰港していった。

日光も真上のアルビオン大陸に阻まれ、一切の視界の効かぬ雲の中を潜り抜ける測量技術は、ウェールズ率いるアルビオン王立空軍の航海士のみが為せる業であった。


滅びゆく王軍の者達は、ルイズ達を最後の客人だと晴れ晴れと持て成し、その日の夜に行われた祝宴に明るく歓迎した。

明日の正午に攻城を開始すると反乱軍より伝えられた王党派の貴族達は、最後の晩餐たるその祝宴に持ちうる限りの装飾で着飾り、この日のためにと取って置かれた料理を以て宴を華やかなものとしていった。

近い未来に死が訪れると宣告された彼らは、しかしその表情に恐怖を浮かべることはなく、ただ今ある生の時間だけを楽しんでいた。


「諸君。勇敢なる臣下の諸君に告げる。いよいよ明日、このニューカッスルの城に立てこもった我ら王軍に反乱軍『レコン・キスタ』の総攻撃が行われる。

この無能な王に、諸君らはよく従い、よく戦ってくれた。しかしながら、明日の戦いはこれはもう、戦いではない。おそらく一方的な虐殺となるであろう。朕は忠勇な諸君らが、傷つき、斃れるのを見るに忍びない」


老いたるアルビオン王、ジェームス一世が弱った身体に鞭打ち、毅然とした態度で城のホールに集まるすべての臣下達に告げた。


「したがって、朕は諸君らに暇を与える。長年、よくぞこの王に付き従ってくれた。厚く礼を述べるぞ。明日の朝、巡洋艦『イーグル』号が、女子供を乗せてここを離れる。諸君らも、この艦に乗り、この忌まわしい大陸を離れるがよい」


慈悲を賜す王の言葉にも、誰も返事をしない。

代わりに掛けられた慈悲をはねのける勇ましい言葉が響いた。


「陛下!!我らはただ一つの命令のみをお待ちしております。『全軍前へ!!』、と。今宵、うまい酒のせいで、いささか耳が遠くなっております。はて、それ以外の命令が、耳には届きませぬ」

「おやおや?今の陛下のお言葉は、なにやら異国の呟きに聞こえたぞ?」

「耄碌するにはまだ早いですぞ、陛下!!」


差し出された生の救いにも目をくれず、臣下達は名誉ある死だけを望む。

ここに残る臣下たちは、敗北を悟りつつも逃げ出すことなく、王家に対して変わらぬ忠誠を示し続けた真の忠臣達。

その彼らが、今さら逃亡などという選択を取るはずがない。

王家が滅びるならば、その道の果てで共に散ることこそ主君に示せる彼らの最後の奉公なのだ。


そんな王党派の者達を、喧騒より離れたホールの端で、ギルガメッシュは実に退屈そうな眼差しで見つめていた。


「やあ。ここにいたのか」


ギルガメッシュの元に、ウェールズが現れる。

彼はこれまでルイズにアンリエッタから返却を求められている物を返すために席を外していた。


「名はミス・ヴァリエールから伺った。ギルガメッシュ殿。こんな片隅でどうしたのかね?宴はお気に召さないかな」


「ああ、退屈だ。死に逝く者共の最後の宴など、見るべき所もなく欠伸が漏れる」


忌々しげに息をつき、ギルガメッシュは言った。

その様子に、ウェールズは苦笑した。


「やれやれ、本当にミス・ヴァリエールの言ったとおりだな。言葉に遠慮の欠片もない。だがそれが、なぜか自然体に思える品格のような何かを、あなたは有している」


ウェールズのその評価に、ギルガメッシュはさして気の無い様子で鼻を鳴らすのみで応えた。


「それにしても、よくこの我まで宴の席に呼ぶ気になったな。我は貴様の臣下を殺しているのだぞ?」


空賊をウェールズ率いるアルビオン王軍だと看破する際、ギルガメッシュは複数人数の空賊の者を殺害している。

今からすれば彼らは空賊などではなく、ウェールズに忠誠を誓った王党派の貴族だったのだろう。

それら自身の忠臣を無残にも殺されたというのに、ウェールズはその事を責めるわけでもなく、ただ客人としてルイズらと共にギルガメッシュを迎え入れていた。


「君らはこのアルビオンの最後の客人だ。それを無碍に扱うことなど出来るはずがない。船での事も、私にはそもそも憤る資格すらない。

あの時の私達は空賊として君達の船を襲った。ならば仮に空賊として討たれたとしても、それに怒ることは出来ない。賊を相手にするならば、それが当然の対応だ。それで君を責めるなど、筋違いもいい所だろう。

責任があるとすれば、それは作戦の指揮をとった私にある。彼らに謝るべきは、これまで付き従ってくれた彼らに、名誉ある死を与えられなかった私自身だ」


いかなる理由があろうと、空賊として先に襲撃したのはウェールズ達だ。

その行動の中には、当然相手側の反撃で自らの側の者が討たれる可能性も考慮されている。


そもそもウェールズにとって、配下の者の死はもはや珍しいものではない。

この革命の中で、ギルガメッシュの手に掛った者の何十倍もの忠臣達がすでに命を落としているのだ。

例えそれがいかなる者の死であろうと、それによって今のウェールズの心が大きく揺れることはもはやあり得ない。

平和の時代には想像もつかなかった多くの死に触れ、ウェールズの心はすでに死に対する動揺の感情を喪失していたのだ。


「フン。名誉ある死、か・・・」


ウェールズの口にしたその言葉に、ギルガメッシュは不快気に呟く。

その様子をウェールズは逃すこと無く見咎めた。


「私の言う事に、何か気になる事でも?」


「いや。ただ、自ら己の生を閉ざす者共の愚かさに、呆れ果てていただけだ」


そう言ってギルガメッシュは、改めてウェールズの方へと顔を向けた。


「明日、貴族派共の総攻撃があるそうだな」


「その通りだ。我が方の三百に対し、あちらは五万。数を覆す戦略を立てようにも、時間も物資も足りない。まあ、敗け戦だな。出来ることと言えば、あの恥知らずの『レコン・キスタ』共にアルビオン王家の意地と誇りを見せつけて勇敢なる死を遂げることくらいだ」


「そして貴様もまた、その死に逝く敗け戦に赴くのか」


「もちろん。私は皆の先陣を切り、真っ先に果てるつもりだよ」


死の恐怖を感じさせない迷いなくきっぱりとした口調で、ウェールズは言い切った。

その様子にギルガメッシュはやれやれと溜め息を漏らした。


「それが貴様の命の所在というわけか」


「そうとも。反逆者共の愚かなる野望の歯止めとなるためにも、我らは最後まで奴らに屈することなく、王家の誇りと強さを示さねばならぬ。我々が王家の力の健在を証明してこそ、各国や民達への示しとなる。

内政の憂いを払えなかった王家の、それが最後の義務。その義務を全うする事こそ、私の王としての価値だ」


「王という言葉にその在り様を縛られ、その誇りの証明のために命を散らすか。まるで、王権そのものに阿る下僕のような在り方だな」


「それでいい。我がアルビオン王家は、かの始祖ブリミルの子息がハルケギニアの地に築き上げた由緒ある権威だ。それに仕え、そのために我が命を使えるのならば、これに勝る名誉はない」


恥じ入ること無く堂々と、ウェールズは宣言する。

彼の言葉に迷いはなく、自らの王としての在り方に妥協も誤りもないと確信しているのだ。


そんなウェールズの決意の告白を、ギルガメッシュは実に退屈そうな面持ちで聞いていた。

その内にギルガメッシュは、ふと思いついたように赤色の双眸に愉悦の色を宿して、言葉を紡いだ。


「しかしな、ウェールズよ。貴様の選択は、本当にそれで後悔はないのか?」


「どういう意味かな?」


「国と運命を共にするのが、この場の者共に望まれる選択肢だとするのなら、貴様にはもう一つの選択肢が残されているであろう。愛する者に望まれる選択肢が」


その言葉に、ウェールズはハッとした表情となる。

ギルガメッシュが言っているのは確認するまでもなく、彼が恋仲の関係にあるトリステイン王女、アンリエッタの事であった。

しかしながらギルガメッシュは、ウェールズがルイズより密書を受け取る場に同席していない。

その彼が、なぜ自分とアンリエッタの関係を知っているのか、ウェールズは疑問に思った。


「何を意外そうにしている?言っておくが、貴様は自分が思うほどに、己の恋慕を隠しきれてはいないぞ。貴様が船にて密書を渡された時に見せた感傷。別に我でなくとも、ちと勘に優れる者ならば容易くその正体を洞察出来る」


「・・・そのようだね。つい先ほども、ミス・ヴァリエールよりそのような指摘を受けたよ」


「ほう。まあ奴も、世間知らずの割には妙に鼻が利く事があるからな」


笑みは浮かべたままで、ギルガメッシュは話を続けた。


「それで?あの小娘の密書には、貴様にトリステインへの亡命を勧める旨が記されていたのだろう?その求めを、貴様は撥ね退けるのか?」


「っ!!・・・そんな記述は、王女の手紙には記されていない」


「なに、隠すな。別にこれは他国の大使との会談でもなんでもない。真偽も問わん益体なき雑談に過ぎぬ。体面を取り繕う必要は誰にもないぞ」


口を閉ざすウェールズに、ギルガメッシュは宥めるようにそう言う。

ウェールズの意思が少々和らいだのを見計らって、ギルガメッシュは話に戻った。


「あの小娘が考えそうな事ではないか。己の立場を省みず、ただ恋する乙女として、愛する相手を救わんとする。ならば貴様への救済の記述はあってしかるべき。

ククッ、恋は盲目とはまさにこの事。その結果として招かれる事態に、あの小娘はまるで思慮が行き届かんらしい」


革命により斃れたアルビオン王家の皇太子ウェールズを匿えば、それは貴族派の新生アルビオンに対し攻め入る絶好の口実を与えることになる。

ゲルマニアとの軍事同盟など、数々の対応策はすでに編み出しているトリステインではあるが、戦端が切られないのならば、それに越したことはない。

用意している対策は、すべて抑止力として用意しているものだ。

戦争になれば、勝敗の云々に関わらず、多くの命が失われる。

それを重々理解している現在のトリステインの実権を握る枢機卿マザリーニは、外交のみの解決をせつに望んでいた。

例え最終的には避けられない戦だとしても、可能な限り多くの命が失われるそれを回避していく事を望んでいたのだ。


だがここでウェールズをアルビオンに迎え入れる選択肢を取れば、外交のみによる解決は失われる。

それどころかこの事実がきっかけとなって、ウェールズという愛人を囲うアンリエッタとゲルマニア皇帝との婚儀も破談となるかもしれない。

そうなれば必然、ゲルマニアとの軍事同盟も水疱に帰す事となり、トリステインは大国アルビオンと単独で対抗していく道を選ぶしかなくなってしまう。

存在を公表せず、密かに迎え入れるという手もあるが、人一人の存在をそうそう完全に隠しきれるものではない。

ましてそれが王族ならば、猶の事秘匿したままでいるのは難しい。

そこまでのリスクを冒してまでウェールズを匿う理由は、アンリエッタ本人にはあっても、トリステインという国家には一つもなかった。


国家同士の戦争において、その戦端を開く最も重要な要素は、大義である。

それは何もウェールズのみに限った話ではなく、大義のきっかけ足り得るものは多種多様に存在する。

例えウェールズがいなくても、たった一つのきっかけで起こる時には起こるのが戦というものだ。

だが、だからこそ、そのきっかけが重要なのである。

戦争の火種、国を滅亡へと追いやる種子を、自らの情如きで受け入れたとなれば、アンリエッタの権威は間違いなく失墜する。

元より飾りのみの王で真の権威など持たないアンリエッタに、その後どのような末路が用意されているのか、想像するのは難しくない。

それを考えるなら、ウェールズをトリステインに迎え入れるという選択は、王の立場から言えば酌量の余地なき愚策としか言えなかった。


「だが、あの小娘はある一点において正しくもある。王としてではなく乙女としてならば、ただ愛する者の生存を願うその在り様には確かに一抹の正しさが存在するのだ。元より、感情の世界とは利害を以て語るべき場ではない。感情のままに行動する様は、少なくとも我の好みだ。

王としての貴様の在り方には確かに誤りはない。だが、国をも省みず、ただ己の事を愛してくれる女の願いを、踏み躙っているのもまた事実だ」


王としての立場、国を取り仕切る役割として、ウェールズを迎え入れるという選択は百害あって一利なしの愚策でしかない。

だが王としてではなく、一人の人間としてのならば、アンリエッタの行動は間違いだと言えるだろうか。

愛する者の事を想いその者の死を良しとせず、生きていてほしいと願う純粋で尊い行為を罪だと言えるだろうか。


言えはしないはずだ。

例えその結果として多くの民の血が流れる事になるとしても、行動そのものに悪はない。

アンリエッタはトリステインの王女である前に、一人の人間の女であるのだから。


「国と共に誇りを全うするのが王の本懐ならば、愛のためにすべてを投げうち、その想いを遂げるのが男の本懐であろう。あの小娘は、恐らく貴様が一声かければ迷う事なく今ある地位を捨てて、貴様と共に歩む道を選ぶだろう。そうまで貴様を想う愛を切り捨てて、ただ誇りのために死に向かう選択に、貴様は何の後悔もないのか?」


もしここでウェールズが、手紙に記されているように亡命の道を選択すれば、それは今日まで付き従ってきてくれた臣下達に対する、重大な裏切りだ。

今日までの戦いで、王家のためにその命を散らした者達に申し開きも出来ない、私情に走った不義理と取られても致し方ない。


だがそれでも、その道は確かにウェールズの前に存在する。

例え臣下の皆を裏切る形となろうとも、アンリエッタの向ける汚れ無き想いに対して報いる事は出来る。

愛こそ至上と懐くなら、その選択肢を選びとることも、王としてではなく男子としての正しさであるはずだ。


「名誉も権勢も、恥も外聞も捨て去り、ただ愛のために生きる。それもまた、一つの尊き正しさ。

ウェールズよ。義務だなんだとお題目を掲げる前に、その選択肢を恐れることなく突き進むことこそ、真の愛の証明と言えるのではないのか?」


心変わりを誘発するようにギルガメッシュは甘く囁き掛ける。

さながらそれは、人を禁忌へと誘う悪魔の諫言のように。

人の宿業を最大の娯楽とする英雄王は、この王子が国を切り捨てるという業を背負い、なお己の情愛に殉じる茨の道を選ぶのを心待ちにしているのだ。


やがてギルガメッシュの言葉に、ウェールズは答える。

だがそこにギルガメッシュの期待する迷いはなく、決然たる意志のみがあった。


「・・確かに、私はアンリエッタの願いを踏みにじった。誇りのため、王族の義務のためと言い繕った所で、その事実までは覆せないのだろう。

そして今も、私は自分の意志を変えるつもりはない。それがアンリエッタを悲しませる結果となる事を理解してなお、だ」


「ふむ。つまり貴様は、男としての愛を切り捨て、王としての誇りを取るという訳か」


「それは違う。私がアンリエッタに向ける想いは変わらない。だが愛するが故に、身を引かねばならぬ時もあるということだ」


傲岸不遜の英雄王に正面から向き合いながら、ウェールズは淀みなく堂々とそう言い放った。

その言葉に、ギルガメッシュは僅かに眉をひそめた。


「なんだと?」


「私がトリステインの亡命に走れば、アンリエッタは喜んでくれるだろう。例え国家という枠組みが、我々の愛を許してくれずとも、ならばすべてを投げ打ち、ただ愛する人のためにだけ生きるという道も、私の前には存在しているのだろう。

本当に、せつないほど、心からそう出来ればどれほど良いかと思うよ。だがそれは、きっと選んではいけない誤りなんだ」


自らの胸に手を置き、己の中の恋慕の感情を慈しむように、ウェールズは語る。

どこか遠い所を仰ぎ見るようなその瞳に映っているのは、ギルガメッシュではなく、彼が今も変わらぬ愛を捧げる姫君だ。


「嘘偽りなく言えば、私は差し迫る死が怖い。明日死ぬと分かっているこの場所から、今すぐにでも逃げ出したという感情は、確かに存在する。

それでもなお、私がこの場所に臆する事なく立っていられるのは、その死以上に受け入れられない事があるからだ」


「興味深い意見だな。死以上に、何をそれほど禁忌とする?」


「私がこれまでに歩んできた生き様。その過程で積み上げられてきた私の抱いた想いのすべて。それらの価値を否定することは、死に比してなお見過ごす事は出来ない」


ギルガメッシュの問いかけにも、ウェールズに迷いは無い。

彼の抱く意志は、ギルガメッシュの想像さえ越えて揺るぎない強固な物だった。


「私がアンリエッタの手を取るという選択肢は、すなわち彼女を敗者の闇へと引きずり込むということだ。あの汚れ無きアンリエッタを、私が愛した清潔な彼女を、私の我儘で濁らせるなど、断じて出来ない」


愛という感情は、永遠であると人は言う。

それだけが答えだなどと傲慢は言わないが、確かにその言葉にも一つの真理が存在する。

だがその愛を永遠たらしめるのは、両者の思いだけでなく彼らの周囲の状況にも大きな要因がある。


ここでもし、ウェールズがアンリエッタと共に、王族としての名を捨てて、愛のみの駆け落ちをしたとしよう。

その行為、二人の想いの成就は一時彼らに幸福を与えるかもしれないが、その先には何が待っているのか。

王の名に束縛されつつ、同時にその名によって守られてきた二人。

その名を捨て、国を捨てた裏切り者の烙印を押された彼らに待つのは、日々の追手に怯えながら暮らす日陰の世界だ。

そのような状況、日々に怯え、人目を憚らねばならないそんな毎日が、人の精神にとって健全であると言えるだろうか。

追い詰められ、疲れ果てていく精神状態で、なおも高潔な愛を貫けるだろうか。


否、だ。

人の心とはそれほど強くはない。

精神のささくれはその要因である愛までも穢し、やがてはその感情も摩耗して喪失するだろう。


「ここで私が死を選びとることをアンリエッタは嘆くかもしれない。いや、間違いなくそうなるだろう。だがここでこうすることで、私は私の抱いたこの愛の純潔だけは守り通す事が出来る。こうして今も、一切の曇りなく思い馳せられるこの気持ちを、穢すことなくそのままで。

彼女を汚せば、それは私達の抱いた愛さえも汚すということだ。例えどちらかでも、その在り方を歪ませる重石でしかない愛ならば、私は欲しくない。自らの弱さを露呈し、その傷を舐め合う関係など、真の愛情なものか。そんな物に我々の愛を貶す事など、認められるはずがないだろう」


思い返すのは、遠く懐かしい日の『誓約の精霊』の住むラグドリアン湖での愛の誓い。

アンリエッタに永久の愛の誓いを求められる中で、ウェールズは誓いの言葉を口にすることが出来なかった。

その愛の誓いが、アンリエッタに致命的な弱さを作ってしまうことを知っていたから。


権勢とは、増せば増すほどに誠実からは遠ざかっていくものである。

その頂点たる王の座は、常に嘘と偽りが渦巻く、権力のせめぎ合いの世界だ。

様々な者達と接し、その態度の裏に隠された真意を見抜き、多様の悪意に対抗していかなくてはならない。

そのためには、国家のためという大義のため、時に己自身も不実に手を染める事を辞さない強い覚悟が必要だ。

事実、ウェールズが誇りとするアルビオン王家とて、そのための非道を行った事がある。

それによって生み出された憎悪も受け止めて、それでも前に進んでいかなくてはならないのが、王の道だ。


それを可能としていくのは、確固たる自立の精神。

誰かに縋りつく事の無い、自分の足で真っ直ぐと立っていられる強い信念が必要だ。

逆にそれなくして、王権が招きよせる得体の知れぬ悪意たちから身を守ることは出来ない。

精霊に掛ける夢想じみた愛の誓約は、アンリエッタにとって、ただ精神に妄信の惰弱を生み出す結果にしかなるまい。

ウェールズが惹かれたアンリエッタの汚れ無き純粋さは、彼女の最大の美徳であると同時に、最大の危うさでもあるのだから。


だからウェールズは、自分がアンリエッタに愛を誓うとしたら、それは夜間の密会の中などではなく、輝ける太陽の元だと決めていた。

臣下にも衆目にも、誰の目も憚ることなく堂々と、自分達の愛を宣言したかった。

王子と王女として出会った自分達の愛を築くのは、そんな光の中こそがふさわしい。

そうして自分達は初めて、永久に続く真実の愛を手にすることが出来る。


残念ながら、その願いが叶うことはなかったけれど。

無念でないはずはないが、だからといって苦渋から愛を堕落へと貶すような真似など出来るはずがない。

例えどちらかが命散らそうと、あの時に懐いた美しく温かかった気持ちは、決して覆る事の無い本物なのだから。


「彼女には日の光が当たる場所で、颯爽と輝いていてほしい。あの愛らしいアンリエッタに、日陰の中など似合わないさ。陰に隠れることなく堂々と光の中にあってこそ、私達の愛は純潔のままでいられる。

ああ、いま分かったよ。それを守るためならば、私は喜んで死に向かおう。いや、私に限らず、人は愛する何かのために命を懸ける事に、後悔などしないのだとね」


静かなる決意を以て、ウェールズは断言してみせた。

そこにあるのは、死を受け入れた者だけが懐ける確固たる決死の覚悟。

逃避や陶酔から向かう死ではなく、その結末を確かな恐怖と感じながらも、なおそこに臆せず歩んでいける尊い決断。

誇りと愛と、二つの掛け替えのない物を守るためにその結末を受け入れたウェールズの心に、迷いの入り込む余地など最初から無かったのだ。


禁忌の極限たる死をも迎え入れたウェールズの覚悟の強固さを、ギルガメッシュは理解する。

この王子が、自分の望むような私欲に従った業深き道を選択することは決してないことも。

それを理解して彼は、実につまらなそうに顔から熱をなくした。


「ふん。やはりこの宴席は我の性に合わんな」


そうとだけ呟いて、ギルガメッシュはその場を発った。


「ギルガメッシュ殿。どちらへ?」


ウェールズのその問いかけにも答えることはなく、ギルガメッシュは祝宴の行われるホールより立ち去っていく。

ウェールズには見ることが出来なかったギルガメッシュの表情は、この場のすべてに対する関心を完全に失っていた。










客人用に割り当てられた部屋へ向かう途中、ギルガメッシュはワルドと出会った。

向き合う形で歩いていた両者は、ちょうど三歩分ほどの距離まで近づいた所で立ち止まった。


「ワルドか。先刻より姿が見えなかったが、何をしていた?」


「明日、このアルビオンを去る前に、王子殿下に私とルイズの婚姻の媒酌をお願いしておりました」


「・・・ほう」


ウェールズと話してから、そこはかとなく不快気だったギルガメッシュは、ワルドの言葉に悦の笑みを戻した。


「死に逝く者に婚儀の祝福を頼むとは、また凝った趣向を思いついたものだな」


「死に逝くならばこそ是非とも、と思いまして。私のような戦いに身を置き、そこを居場所とする者が行う婚儀ならば、あの勇敢なるウェールズ皇太子にこそ仕切りにふさわしいでしょう」


「ふふん。ふさわしい、か。確かにふさわしいかもしれぬな、お前には」


ウェールズの時のつまらなげな表情とは打って変わり、ワルドと話すギルガメッシュの声は随分と弾んで見えた。

自分の話に、やや機嫌を良くするギルガメッシュに、ワルドは尋ねた。


「・・随分と容易に受け入れるのですね」


「うん?何がだ?」


「私とルイズの婚儀の件です。今の彼女はあなたの所有物であるのだと認識しておりましたから」


主が使い魔を所有するのではなく、使い魔が主を所有するという矛盾に満ちた言葉を、ワルドは口にした。

だが言葉の上では矛盾していても、言葉通りのルイズとギルガメッシュの関係に、ワルドは初見から何の疑いも抱いていなかった。


そしてその認識は、ギルガメッシュもまた同様であった。


「無論だ。だが、あれが我を魅せるに足る器を有しておらぬならば、わざわざ手の内に置いておく価値はない。この程度の事で己を見失うようならば、今後もたかが知れておるしな。お前にあれが手懐けられるならば、応とも、遠慮なく持っていくがいい」


自身のマスターを切り捨てる発言を、ギルガメッシュは臆面もなく言い放つ。

現在のギルガメッシュがルイズに向ける関心など、それくらい容易く手放せるほどのものだった。。

とりあえず彼がこのハルケギニアで出会った者の中では一番かもしれないが、それも他の雑種と比べれば、というほどの認識でしかない。

故にギルガメッシュは、ルイズに対して関心は懐いても執着は懐かなかった。


「むしろ今のところは、お前にこそ我は関心を傾けておるのだぞ。ワルドよ。お前はまだ、この我を楽しませる見所を用意しているのだとな」


「はて?おっしゃる意味がよく分かりませんが」


空とぼけて、ワルドは言ってみせる。

その様子に、ギルガメッシュは更に愉悦の笑みを深めた。


「せいぜい強かに立ち回れよ。我が楽しめるようにな」


そう言って、ギルガメッシュはワルドの横を通り過ぎる。

ギルガメッシュが数歩ほど先へ進んだ所で、その背中にワルドが問いをかけた。


「明日の私の婚儀、あなたは出席されますか?」


「さて、な。まあ、気が向けば足を運ぶかもしれん」


言葉を残して、ギルガメッシュはワルドの視界より歩き去って行く。

その姿が見えなくなった頃に、ワルドは言葉を投げかけた。


「・・心からお待ちしておりますよ。ギルガメッシュ殿」


瞳に闘争心を漲らせて紡がれたその言葉は、誰の耳にも届くことなく闇へと消えていった。










割り当てられた部屋に着くと、そこには一足先にルイズの姿があった。

部屋の窓は開かれていて、月明かりが部屋内に差し込んでいる。

その窓際で光に照らし出されるルイズは、その顔をふにゃりと崩して涙ぐんでいた。


「いやだわ・・・、あの人たち・・・、どうして、どうして死を選ぶの?わけわかんない。姫様が逃げてって言ってるのに・・・、恋人が逃げてって言ってるのに、どうしてウェールズ皇太子は死を選ぶの?」


普段は貴族の誇りうんぬんと口にしていても、やはりルイズはまだまだ経験不足な十六歳の少女に過ぎない。

ウェールズの気高い覚悟を理解するには、精神も信念もあまりに幼すぎた。


「私、ここ嫌い。自分勝手で、お馬鹿さんな人達がいっぱい。あの王子様だって、自分の事しか考えていないんだわ。早く帰りたい。トリステインに帰りたいわ」


ポロポロと涙をこぼしながら、ルイズは漏らすように呟いていく。

死を以てこそ誇りと愛に報いる最上の手段であるというウェールズの決意の意味を、ルイズには理解出来ない。

理解できないが故に、ルイズの目にはウェールズの行為は、アンリエッタを置いてきぼりにする愚行にしか映らなかった。


そんなルイズの心情はギルガメッシュにも理解できたが、しかしそれをわざわざ諭してやる気にはならなかった。

そもそもウェールズの事など、ギルガメッシュにとってはもはや何の関心も懐かない雑事に過ぎない。

そんな雑種の在り様を長々と説くなどという浪費をわざわざしてやる理由など、ギルガメッシュにはありはしなかった。


「奴らはすでに命の引き際を心得ている。死を享受した者の事を考えた所で、所詮は徒労であろうよ」


故に、ギルガメッシュは簡潔な言葉のみでウェールズを始めとするアルビオンの人々の事を語った。

その様子は本当ににべもなく、込められた感情などありはしない。

そのあまりに淡白なギルガメッシュの言葉に、ルイズは即座に反発した。


「何よそれっ!!姫様は本当にウェールズ皇太子の事を想ってるのよ。それをどうして、そんな簡単に言えるのよっ!?」


激昂して、ルイズは言い放った。

ともすればアンリエッタに対する侮蔑とも受け取れるギルガメッシュの言葉を、彼女が受け入れられるはずがない。

それではまるで、王子の身を案ずるアンリエッタの気持ちが全く無駄な物だと言っているようではないか。


そんなルイズの怒りを受け取りつつ、しかしギルガメッシュは全く動じない。

表情に浮かぶ無関心さはそのままで、ルイズに向ける目も、ただ煩わしいという感情しか無かった。


その様子が、ルイズに更なる怒りを湧かせた。


「アンタなんかに、残される人の気持ちなんて、分からないわよっ!!」


声の限り叫んで、ルイズは走りだす。

そのまま部屋の扉辺りに立つギルガメッシュの横を走りすぎて部屋から出て行った。


後には、ギルガメッシュがただ一人残される。

ルイズが走り去っていった方を僅かに見つめていてから、ギルガメッシュは月の光が差し込む窓際へと歩み寄る。


『残される人の気持ちが分からない』


先ほどルイズが言い放ってきた叫び。

動じた様子を表に出すような未熟はなかったが、その一言はギルガメッシュの内面にひとつの波紋を生じさせていた。

他者の存在の無い室内、月明かりの幻想的な光に照らされながら、ギルガメッシュはその波紋から過去の記憶を思い返していた。










ある、男の話をしよう。

最古の英雄王ギルガメッシュの人生を語る上で切って離す事は出来ない、一人の男の話を。


男の名はエンキドゥ。

創造の女神アルルが手に掴んだ泥より作り出され、英雄王に対抗できる者を願った民の祈りより誕生した人ならざる不遇の出生を持つ男。


当初のエンキドゥは、獣同然の存在であった。

力には優れていても知恵がなく、他の獣達と共に草をはみ、水場で水をすすっていた。

ギルガメッシュも狩人より噂くらいは聞いてはいたが、おもしろ半分で聖娼を遣わした後は、さして関心を懐くことなく忘れ去っていた。


だがエンキドゥはギルガメッシュも知らぬ間に知恵を身につけ、姿も在り方も人間に近いものとなっていた。

自分が遣わした聖娼シャムハトに導かれ、エンキドゥは人の文化と心を学びながら、英雄王が治めるウルクへと向かっていった。

さながら、運命という名の糸により、両雄が手繰り寄せられているように。


ちょうどそのころ、ギルガメッシュは夢の中である御告げを聞いた。

近い未来、自分の前に自分に対抗できる者が現れる、と。


予知夢の眠りより目覚めた時、ギルガメッシュはその予言を一笑の元に笑い捨てた。

自分こそは神の血筋を受け継ぐ、この世の絶対者たる英雄王。

その自分に対抗できるものなど存在するわけがないと、彼は自信を持って確信していた。

事実、彼の横暴に対し挑みかかってきた無謀者はいくらでもいたが、一人の例外もなく死の運命を与えられていたのだ。


そして、ついにギルガメッシュとエンキドゥの両雄は対面する。

君臨者たる自分の娯楽の邪魔をしたその男に、ギルガメッシュは当然不快を露わとし、エンキドゥに向けて刃を振るった。

だがエンキドゥは、あらゆる雑種共を薙ぎ払う英雄王の力にも倒されることはなく、それどころか互角の力を以て対抗してきた。


その時、ギルガメッシュが最初に感じたのは戸惑いだった。

これまで立ち塞がる者を圧倒して捩じ伏せるのみだった彼には、互角の戦いそのものが初めての経験であったのだ。

そんなギルガメッシュにとって、この目の前に立ち塞がる男はまさしく未知なる存在だった。


そして次に感じたのは怒りだ。

絶対者である自分にこうまで対抗してくる男の行為は、次第に傲慢なる英雄王の目には自らの強さを愚弄する所業に映っていった。

生じた怒りに、それまでに抱いていた慢心も油断も捨てて、ただ沸き上がる憤怒の殺意に従い力を振るった。


国中を震え上がらせ、大地を震撼させる両雄の対決は長きに渡り続いたが、ついに明確な決着がつくことはなかった。

闘争の後、烈火の如く噴き上がっていた怒りも戦いの中で萎ませていたギルガメッシュは、踵を返してエンキドゥの前より立ち去ろうとした。

だがその去って行くギルガメッシュの背中に、エンキドゥは英雄王の強さを称える讃辞の言葉を投げかけた。


ギルガメッシュからしてみれば、その称讃は完全に不意打ちだった。

エンキドゥより向けられた称讃は、下々共が阿りながら述べる讃辞とは質の違う、真に対等の位置にいなければ告げられない友愛の言葉。

そんなものを、天上に君臨する英雄王たる自分に対して向けてくるその男に、ギルガメッシュは興味が沸いた。


それからギルガメッシュは、懐いた好奇心に従って、エンキドゥを自らの傍らに置くようになった。

ちょうどその頃は、世界のあらゆる娯楽をやりつくして退屈を持て余していた時期。

この妙な身の程知らずの男も、退屈しのぎくらいにはなるだろう。

そんな気まぐれじみたギルガメッシュの考えから、二人の関係は始まった。


ギルガメッシュにとってエンキドゥは、本当に奇妙な存在だった。

いかなる時でも自分に対して謙ることなく、共に笑い、共に謳い、そして時に自分の身勝手な欲望に対して毅然と糾弾を述べてきた。

自身の欲の妨げとなりながら、しかしなぜか不快に感じることはなく、自分でも驚くほどの寛容さを見せてそれらの言葉を受け入れた。

それらのエンキドゥの仲裁が欲望の歯止めとなり、結果としてギルガメッシュはいつしか民草に称えられる名君となっていた。


それからもエンキドゥとギルガメッシュは常に共にあった。

誰もが持て余す英雄王の気まぐれじみた蛮行に、エンキドゥだけは臆することなく苦笑まじりに付いてきた。

エンキドゥと共に為すことすべてに退屈せず、不思議な居心地の良さを覚えた。

超絶の力を有した神々の魔獣と相対した時も、エンキドゥが隣にいれば敗北など感じず、ただ勝利のみを確信できた。

そんな愉快な時間の中で、自分がエンキドゥに向ける感情が単なる好奇心ではなくなっていた事に、ギルガメッシュ自身も気づいていたが、あえてその感情の正体を追及するような事はしなかった。

その頃には、エンキドゥが傍らに在る事は当然の事だと感じられていたからだ。


だが、そんなギルガメッシュにとって最も充実していた時間も、唐突に終わりを告げる。


ギルガメッシュの傲岸不遜な振る舞いにより、二人が殺害した神の送りし魔獣達。

香柏の森の番人フンババ、女神イシュタルが差し向けた天の牡牛。

これら二頭もの神の使いを殺めた二人の所業に、ついに天に君臨する神々は裁きを与えることを決定した。


その天の神々の決定を聞いても、ギルガメッシュは不敵な様子であった。

元より、この世のすべてを所有すると自負するギルガメッシュには、天より自らを見下ろす神々の存在は快いものではない。

神どもの挑戦であるならば、いかに煩雑な試練であっても受けて立ち、その不遜の鼻をへし折ってくれる。

実に英雄王らしい不遜さを以て、ギルガメッシュは自らに下されるであろう神の裁きを待ち構えていた。


だが、神々がその裁きの矛先を向けたのは、欲望の根源たる自分ではなく、その傍らに在るエンキドゥであった。

神々は同じ神の血と肉を持つギルガメッシュではなく、泥から生まれたまやかしの生命の分際で、神の使いを手に掛けたエンキドゥこそを咎人としたのだ。

神が手にした泥より生み出されたエンキドゥは、同じ神の呪いによって倒れた。


許容しきれぬ理不尽を強いた天上の神々に、ギルガメッシュは怒りのままに侮蔑と糾弾の言葉を叫ぶ。

それよりギルガメッシュは神を嫌悪し、自らの中に流れる神の血肉さえも否定した。


末期の床、エンキドゥは泣き濡れながら失われようとしている自らの命を惜しんでいた。

初めて見せるエンキドゥの嘆きの様に、ギルガメッシュは問いかける。

なぜ泣くのか、我の傍らに身を置いた愚かさを、今になって悔いるのか、と。


そうではない―――と、エンキドゥは答えた。


「この僕の亡き後に、誰が君を理解するのだ?誰が君と共に歩むのだ?朋友よ・・・、これより始まる君の孤独を思えば、僕は泣かずにはいられない・・・」


ギルガメッシュがその傍らに置いた男は、その最期の時まで彼を飽きさせることはなかった。

自分の死すら省みず、よりにもよってこの君臨者たる英雄王の身を案じるとは、なんという埒外の行いなのか。


最期までエンキドゥは自身に迫る死の運命を嘆きつつ、静かに息を引き取った。

常に自らの傍らにあった男を失い、唯一人残されてからギルガメッシュは、自らが懐いていた感情の正体にようやく思い至る。

不遇の身の上でありながら、この自分と対等の地点に並び立ったこの男こそ、自らの唯我独尊の人生において最上の価値を示した、唯一人の朋友であったのだと―――










国中すべてに嘆かせたエンキドゥの葬儀の後、ギルガメッシュは所有する莫大な財も王位の座も捨てて、その身一つで荒野に出た。

かつては彼を魅せ、彼自身も愛でていたあらゆる財宝や権力も、エンキドゥが居なくなった途端、急に色褪せて見えたのだ。

いかに眩き至宝であっても、エンキドゥという最上の財を失った後では気休め程度の価値しか無い。

まるで出来の悪い贋作を見ている気分となり、ギルガメッシュは感情のままにそれらの財を捨て去ってしまっていた。


所有するのは我が身のみとなって、エンキドゥの事を思いながら荒野を彷徨う内に、ギルガメッシュの中にふとした思いが沸き上がった。

あの強く勇敢で、自分を飽きさせなかったほどのエンキドゥも、死の運命には抗することが出来なかった。

あれだけの強靭な男も、死だけは他の雑種と等しく逃れ得ぬ運命であったのだ。


そう思った途端、ギルガメッシュの中に死に対する猛烈な拒否感が芽生えた。

自分もまた、いずれは死ぬのか。

エンキドゥのように、この世に対して未練を残しながら、単なる生者の記憶の中のみの存在にまで貶められるのか。


否―――断じて否である。

我が身こそはこの世にはびこるあらゆる雑種の生命を超越した英雄王ギルガメッシュ。

その自分が、雑種のように死を逃れえぬ運命と諦め、やがて来るその結末を甘受して受け入れるなどという弱気を見せるなどあり得ない。

この世のすべてを手にいれ支配して見せた自分ならば、死をも超越して逃れ得ぬ運命さえも蹂躙して見せよう。


決意したギルガメッシュは、身一つで荒野を渡り、不死の生命の探究を始めた。

かつては蓄えた古今東西の至宝によって万能に近い力を有していたギルガメッシュも、それらすべてを捨て去った身の上では、その道中は苦難に溢れた。

過去のあらゆる挑戦者たちを飲み込んだ数々の難関、その行く先々で出会う賢者達の説得。

屈強な精神をも追い詰める恐怖と苦痛、その所々でもたらされる賢者の理に適った救いの言葉。

圧倒的に心を揺らがせる、絶望という名の破滅に対する心身の疲労と、それより救済する希望という名の安息への誘い。

明暗分かれる二つの誘惑に曝され続ける旅路は、凡夫共は無論のこと、例え英雄と呼ばれし強者たちでも成し遂げる事は出来なかっただろう。


だがギルガメッシュは、それらのどれにも揺らぐこと無く、初心の決定を覆さずひたすらに不老不死の法を探し求めた。

度重なる苦痛にもめげる事無く、与えられた退路も選べなかったのではなく、自らの意思で選ばなかった。

あらゆる難関を突破して進み、旅の終わりを勧める賢者の説得をも論破して、不死への探究道を押し通した。

そうまで見せるギルガメッシュの不老不死への執着は、彼自身も旅の終わりまで気付かなかったが、死に対する拒否だけが源泉ではなかった。


誰もが焦がれ求めた老いを知らぬ不滅の生命。

世界に君臨する自分でさえ未だ得た事の無い至宝中の至宝。

未だ見ぬその宝ならばあるいは、エンキドゥを失った事で生じたこの身を苛む虚無感を埋める事が出来るのではないか。

あらゆる宝を所有し尽くした自分の財の中にも、エンキドゥの代わりとなり得る価値を持つ宝など一つとして無かったのだから。


苦難の旅路は長きに続き、ついにギルガメッシュは求め欲した不老不死の秘法へと辿り着く。

誰もが為し得なかった偉業の達成に、ギルガメッシュの心にエンキドゥを失ってから久しかった充実感が訪れた。

求めていた充実を手にし、ギルガメッシュは歓喜する。


だがそれも、ほんの一時のみの充実であった。

時間と共に達成感の熱も冷め、再びギルガメッシュの心に空虚が舞い戻ってくる。

己が手にある不老不死も、もはや彼に何の感情も沸かせることはなかった。


手に入れたその瞬間には、確かに自分を魅せるに足る価値をそれは有していた。

だが一度所有してしまった以上、それはもはや誰もが望む理想ではなく、単なる当たり前の現実の産物へと貶められてしまったのだ。

夢想の価値を喪失した不老不死は、すでに他の財宝と同様に、ギルガメッシュの目には色褪せて見えていた。


この世のすべてを極めつくした者のみが辿り着ける頂に、ギルガメッシュは孤独なままに立ち尽くす。

もはや何の価値も見出せなくなった、誰もが求め欲した不老不死の秘法を見下して、欲望の限りを極めた英雄王はようやく悟る。


自分は、この世のすべてを手に入れた。

もはや世界には、自分を魅せ得る価値を有したものなど、何一つとして残されていないのだと。










過去への追憶から意識を現実へと戻し、ギルガメッシュは気の無い様子で息をつく。


こうして思い返してみれば、ちょうどあの頃からだったか。

それまで雑種如きと見向きもしなかった人間を玩具と見たて、その人生そのものに娯楽の価値を見出し始めたのは。


人間という生き物の生涯は、それぞれが一つの壮大な物語だ。

野に蔓延る獣共とは違い、知恵と欲望を身につけた人間の行動には常に条理と不条理が充ち溢れ、一切の妥協なく展開されていく。

あらゆる努力や才能も運命という名の荒波の前には容易に飲みこまれ、代わりに凡庸なる者が天の幸運に恵まれて栄誉を手にする場合もある。

その理不尽にして容赦のない生々しさは、空想では決して表せない新鮮な楽しみがある。


手にした不老不死をあっさりと捨て去ったあの時より後、ギルガメッシュは様々な人間の生に触れてきた。

凡庸なる在り方をそのままに、命果てるその時まで何も為さずに終わるつまらない雑種。

自らの器を弁えず、己の野心そのものに喰い殺される愚昧な阿呆。

そして、人の身に過ぎた大望を懐き、我が身を焼きつくされながら理想を追い求める尊き愚者。


それらのどれもが、ギルガメッシュにその生命の終わりまで価値を示し続ける物語だ。

特に最後の一例は、抜きん出てギルガメッシュを魅せつける価値を有している。


人の身に余る大望を懐いた者は、大抵はその結末を悲哀の嘆きによって彩っている。

度を過ぎた理想は、当然ながら辿り着く事は容易なことではない。

故に大半の者は、理想に届く前に敗北の運命を与えられ、志半ばにして膝をつく。

その散り際、溢れる才能を持ちながら、それでも届かぬ大望の前に敗れた者達は、皆等しく悲嘆を見せるのだ。


理想を求めんとする者の生涯は脈動に溢れ、生命の時間を無駄に扱う事はない。

自分のすべてを費やして築き上げた生涯であるからこそ、そのすべてが無に帰する事はいかなる者でも容易くは受け入れられない。

夢想した理想が高ければ高いほど、彼らは突き付けられた死の結末に対して嘆きを以て叫ぶのだ。


こんなはずではなかった、と。

この結末は道理の通らぬ間違いであるのだ、と。


その悲嘆と後悔を、往生際の悪い無様な姿としか映らないのなら、それは単に彼らの駆け抜けた生涯の価値を理解出来ていないだけのこと。

凡夫には真似できぬ生涯を送る英傑は、その存在の大きさに比例して自らの命に大きな価値を見出している。

彼らにとって自身の生とは、容易く捨て去り納得できるほど軽い物では断じてないのだ。


そして彼らが流す慟哭の涙こそが、ギルガメッシュの眼には最も眩しく見える至宝の輝きである。

彼の朋友がかつて見せたその輝きを求めて、ギルガメッシュは多種多様の物語の中から真に価値ある逸品を探し続ける。

それこそがこの世のすべてを手に入れたギルガメッシュが、新たに見出した欲望の形だった。


「フン。ウェールズめ、つまらぬ結末を見出しおって・・・」


その英雄王の感性からすれば、ウェールズの選びとった選択は全くもって期待外れもいい所のものだった。


王としての誇りを守り、同時に懐いた愛にも応えようとするウェールズの決意は、確かに正しい選択なのだろう。

だが元より物事の正しさなどというものは、価値観の違いのひとつで容易く変動する曖昧なものでしかない。

ギルガメッシュにとってそんな物事の正しさなど、人々の業をより深くするための道具程度のものだった。


時代の中の人々によって築かれた倫理感、その狭間で苦しむ人間の姿は、傍から見ていて実に楽しめる。

いかなる時代の凡人も才人も、常に正しさという言葉によって振り回されていく。

その葛藤は、業を娯楽とする英雄王の趣向と実に相まっている。

そしてその倫理の鎖を突き破って、己の欲望のままに突き進む姿もまた、英雄王を興じさせるのだ。


そのギルガメッシュの感性から見たウェールズの選択は、生の機会が残されているにも関わらず、早々に己の生に見切りをつけたつまらぬものとしか映らない。

完結する前から終わりの見えた物語など、これほど興醒めなものが他にあるだろうか。


「いや、そもそも凡庸な雑種如きに、過大な期待を託すほうが誤りであるか」


呟きながらギルガメッシュは、つまらなそうに肩を竦める。


新たに見出した欲望といっても、所詮はそれも彼の無興を慰めるための退屈しのぎ程度の価値でしかない。

考えてみれば、それも当然の事。

いくつもの人生を見定めた所で、結局のところエンキドゥに匹敵するほどの価値を持った人生など、存在するはずがないのだから。


少なくとも、かつての世界、かつての時代にはエンキドゥに並ぶ価値を示す人生は存在しなかった。

このハルケギニアという異世界の地には多少の期待を持ってはいるが、それも結局は不老不死の時のような失望を覚えるだけかもしれない。

事実、アルビオンという空想の中のみの産物であった浮遊大陸も、現実に目にしてしまえば飽きるのもすぐだった。

それを思えば、いかに強大無比の英雄王でも、溜め息のひとつも漏れようというものだ。


この身を最も苛むのは、ポッカリと胸の内に開いた空虚なる無興の念。

一人残されたこの浮世で、この途方もない退屈さをどうにかしていく事こそ、ギルガメッシュが唯一懐く懸念の種だった。


「まったく、人の域を逸脱せし超越者の性というのも、なかなかに度し難いものだな」


まさしく末期の床でエンキドゥが言っていた通りの現状に、ギルガメッシュは苦笑する。


二つの月が照らしだす、ハルケギニアの夜空。

かつての世界とはまるで異なるその星空の光景は、この異界の地に降りてからのギルガメッシュの心を魅了し続けている。

いまだ飽きぬ異界の月と星の煌めきを眺めつつ、ギルガメッシュは不覚にも夢想した。


この美しい夜空を、かつて傍らにあった友と共に眺めることが出来たなら、それはどれほど素晴らしい事だろう、と。


「・・・エンキドゥよ。お前のいない世界は、退屈が過ぎるぞ」


誰も居ない月明かりの元、ギルガメッシュは胸の内にある空虚を僅かに吐き出した。






[2589] [13]王と挑戦者
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/04/09 22:16





[13]王と挑戦者







鍾乳洞内に作られた港の中、そこに停泊している『イーグル』号と『マリー・ガラント』号には、女子供を中心とした非戦闘員が続々と乗船を始めていた。

どちらの船も、戦場となるニューカッスル城より脱出する人々を乗せるものである。

彼ら残された王党派の民達は、国と運命を共にせず、生きて後世にアルビオンの生き様を伝える役目を背負ったのだ。


二つの船には、滅びゆく母国を思う民達の嘆きに溢れている。

そしてその一方の『イーグル』号の甲板の上には、周りの様子など歯牙にもかけないギルガメッシュの姿があった。


「なあ、旦那。本当に娘っ子を置いてきちまってよかったのかい?」


虚空より柄を出し、デルフリンガーが尋ねてくる。

ニューカッスル城の礼拝堂では今頃、ルイズがワルドと婚儀を上げている最中だ。


「別に我が引きとめる事でもなかろう」


「いや、まあそうかもしれねぇけど。でもほっぽといてさっさと帰っちまうのは、ちと冷た過ぎると俺は思うぜ」


剣のくせに、随分と親身になってデルフリンガーは話す。

6000年という月日を生きているせいか、このインテリジェンスソードは変に人の情緒に対して敏感な所がある。

所詮は人殺しの道具でしかない剣に、そんな感傷は余計でしかないだろうに、つくづく変わり者の剣だ。


「そりゃあ、旦那の独尊っぷりはよ~く分かってっけどよ。けど娘っ子だって、これまで一緒にやってきた仲だろうに。別れの言葉がひとつもないってのは、いくらなんでも寂し過ぎやしねぇか?」


「奴が我の期待に及ばぬ器であるのなら、そんな者に賜すべき言葉など、我は持ち合わせておらぬ。ここで我を失望させるなら、奴も所詮はここまでだったというだけの話だ」


「あーもう、これだよ・・・」


やれやれといった様子で、デルフリンガーはカチカチと溜め息らしきものをついた。

それからもこのおしゃべりな剣は、なおもしつこくグチグチと、何度も文句を呟いてくる。

いい加減それをうるさく感じたギルガメッシュは、カタカタと口らしき部分が動くその柄を強引に蔵の中へと押し込めた。


「いいからちと黙っておれ。今がいい所なのだ」


静かになった所で、ギルガメッシュは再び左目の視界に映る光景に意識を戻した。










ニューカッスル城内に建てられた礼拝堂。

始祖ブリミルの像が厳かに置かれたそこでは、ウェールズが新郎新婦の登場を待ちわびている。


この場に居るのは、この婚儀の仲人であるウェールズ一人のみ。

アルビオンに居残った他の臣下達は、すでに戦の準備を始めている。

ウェールズもまた、この式が終わり次第戦支度を始めるつもりでいた。


扉が開き、ルイズとワルドが現れた。

この事態ではさすがにドレスまでは用意できなかったが、現れたルイズはアルビオン王家の新婦の冠とマントを身に纏っている。

元々の素材も良く、着飾ったルイズはいつもに増した可憐さを引き出していたが、その外見の雰囲気とは対照的に顔には意志の熱が無い。


正直な所、今のルイズには自分が何をしているのか明確には理解できていなかった。

望んで死に向かうウェールズの事、その死をなんとも思っていないギルガメッシュの事。

未だ幼く未熟なルイズの心は、死を軽視する彼らの行為に、ひどくショックを受けていた。


そんな中でワルドは唯一、ルイズに対して親身となってくれた人物だった。

理解できない思想により霧に覆われたルイズの心は、たった一人優しかったワルドに依存し、彼に支えてもらうことで安定を保っていた。


そんな精神状態では、ワルドの言葉の流されるままに婚儀の場へと足を運んでしまった事も無理からぬだろう。


「では、式を始める」


ワルドとルイズ、並び立った新郎と新婦の二人に、ウェールズが声を発する。

その言葉をワルドは整然と、ルイズはどこか上の空で聞いていた。


「新郎、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか?」


「誓います」


重々しく頷いて、ワルドは杖を握った左手を胸の前においた。


「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」


ワルドの誓いを聞きとどけ、ウェールズは次にルイズの方へと視線を移した。

未だ上の空の様子のルイズに、朗々と誓いのための詔を読み上げる。


「汝は新郎ジャン・ジャック・ワルドを夫とし、この者を愛し、伴侶としていかなる時も支え続けることを誓いますか?」


その問かけを受けた時、初めてルイズは自分が結婚しようとしている事に気が付いた。

ぼやけていた頭を必死に覚醒させ、ルイズは自分が迎えようとしている結婚について考え出す。


相手のワルドは婚約者の関係であり、魔法衛士隊隊長という名誉ある役職につく人物だ。

人柄も良く、自分の身を案じてくれて、幼い頃からの憧れの男性でもある。

そんなワルドとの結婚は、普通に考えれば決して悪い話ではないはずなのだ。


だが、何かが引っかかっている。


「新婦?」


いつまでたっても答えを返さない新婦に、ウェールズは不信気に声をかける。


悩もうにも、すでに婚儀は始まっているのだ。

考えがまとまらない自分の現状も、周囲の者にとっては与り知らぬ事に過ぎない。

自分がどうしたいのか答えを知りたくても、考える時間もなく、答えてくれる人もいないのだ。


「緊張しているのかい?ごめんよ。随分と急な婚儀にしてしまった、僕のせいだ」


隣からワルドが優しげに声をかけてくる。

頼もしさに溢れるその声の響きに、ルイズは揺らめいていた心を落ち着かせ掛けた。


心の安定と共に、ひとつの思いがルイズの中に持ち上がってくる。

それをもたらしてくれたワルドにならば、この身を委ねても良いのではないか。

未だ曖昧なルイズの心は、感じた引っかかりさえ忘れて、その思いの方へと傾きかける。


「だが心配しなくていい。こんなものは所詮、通過儀礼のようなものだからね。行って何かが変わるという訳ではなく、行為そのものに意味がある。だから君は、僕に任せて、ただ楽になって返事をしていくだけでいいんだ」


穏やかに諭すようにワルドは言ってくる。

ルイズの従順を誘発するべく言っただろうワルドの言葉は、しかし全く別の思いを彼女に生じさせていた。


僕に任せて、その言葉が霞のかかったルイズの思考を覚まさせる。

この結婚に対してどうしても踏ん切りのつかなかった理由。

それはこれらの事柄における決定権のすべてが、他人の手によるものだったからだ。


自分がこの婚儀の場へとやってきたのはワルドの導きによってであり、自らの意思で決めたことではない。

結婚という人生においても重要な事柄において、自分がどこにも存在していない。

だからこそ、この儀礼に対して乗り気にはなれなかったのだ。


無論この世には、愛など無い相手との納得のいかぬ強制された婚儀など、いくらでもあるだろう。

だがそこにも、その婚儀に対して悩み苦しみ、自分なりの答えを出す本人の意思が存在する。

婚約者だから、幼い頃の憧れだったから、そんな理由だけで流されるのは単なる依存に過ぎない。


ウェールズの選択は、ルイズの心を深く傷つけた。

悲しい出来事にルイズの精神は近くにいた者への依存の選択を取ったが、こんなものは断じて愛ではない。

そんな思いで神聖なるブリミルへの誓いを口にするなど、この儀式そのものに対する侮辱だろう。


「さて、落ち着いたかな、新婦。では繰り返そう。汝は始祖ブリミルの名においてこの者を敬い、愛し、伴侶として支え続けることを誓いますか?」


頃合いを見て、ウェールズが再び詔を読み上げる。

その言葉に、ルイズは自分の意思で決定した答えを返した。


「・・できません」


「新婦?」


「申し訳ございません。このような手間を取らせておいて、お二方には大変失礼をいたすと存じますが、わたくしはこの結婚を承服することはできません」


突然の事態にウェールズは困ったように首をかしげ、ワルドは困惑の表情を浮かべた。


「ルイズ、それは、僕との結婚が嫌だということかい?」


「ごめんなさい、ワルド。あなたの事は決して嫌いじゃないの。でも、こんな中途半端な思いのままで、人生の伴侶を決めるような事は出来ないわ」


そう、中途半端な思いで自らの道を決定することなど、今のルイズにはできない。

かつての彼女ならいざ知らず、今の彼女の隣には、誰よりも唯我独尊に自分の道を歩み続ける男が存在しているのだから。


傲慢で我がままで、異界よりの来訪者であるにも関わらずハルケギニアの法に対して何の遠慮も見せない、自身の使い魔ギルガメッシュ。

その振る舞いの数々にルイズは常日頃から頭を悩ませているが、同時に彼女は自分でも無意識の内に、彼の在り様に対して羨望も感じていた。


ルイズも公爵家の娘として様々な人間を見てきたが、ギルガメッシュほど自分というものを貫き続ける者はいなかった。

その在り方は、常人には決して真似できないものだろう。

人は誰だって、他人の目を常に気にしている。

正体の掴めぬ他人の思いに振り回されて、人はいつしか自身の在り様を見失っていく。

それこそが人という種が共通で抱える弱さなのだろう。


だがギルガメッシュは、その弱さを克服している。

常人には決して為し得ない弱さからの脱却を成し遂げたギルガメッシュの姿に、人々は魅せられるのだ。

傲慢不遜な振る舞いに反発しつつも、裏ではそう在れるギルガメッシュに憧れを懐く。

自分たちでは到底為し得ないであろう在り様だからこそ、それは人々の焦がれる夢となりえるのだ。


そんなギルガメッシュの姿を、召喚の日から最も近くで見続けたルイズが、その影響を受けていないはずがない。

本人に問いかければ恐らく否定するだろうが、ルイズもまたギルガメッシュに憧れを懐いていた。

その羨望の念が、ルイズにただの従順な人形となることを許さなかった。


「本当に、ごめんなさい。ワルド。私、あなたとは結婚できない」


ルイズの答えに、ワルドは落胆したように顔を落とす。

その肩に、ウェールズが慰めのために手を置いた。


「子爵。誠に残念だが、新婦が望まぬ式をこれ以上続けるわけにはいかぬ。ここは潔く・・・」


「ええ。分かっております」


ウェールズの言葉に、ワルドはあっさりと引き下がった。


「残念だよ、ルイズ。どうやら僕は、君の気持ちを手に入れることは出来なかったようだ」


「ごめんなさい。あなたの事は、子供の頃からの憧れだったわ。でも・・・」


「いや、いいんだよ。それならば仕方ない。目的の一つは諦めるとするさ」


「目的?」


不意にワルドの口から出た奇妙な言葉に、ルイズは首をかしげる。

ワルドは先ほどの落胆から顔を伏したまま、言葉を続けた。


「この旅における僕の目的は三つあってね。一つはルイズ、君を手に入れる事だ。しかし、これは果たせないようだな」


「ワルド?何を言って―――」


「そして二つ目は」


言うが早いか、ワルドは伏していた顔を上げると同時に、腰にさしていた杖を引き抜く。

そのまま風のように素早く身を翻させ、青白い光を放ちだした杖で、ウェールズの胸を貫いた。


「がっ・・・!」


魔法によって鋭敏な刃へと変じた杖は、過たずウェールズの心臓の中心を突き破っていた。

明確な殺意の元に繰り出された、長年の修練によって完成する正確無比の刺突である。

まさしく二つ名の『閃光』の如き早業に、ウェールズは悲鳴をあげることすら敵わず、自分が招き入れてしまった不忠者の姿を目に焼きつけながら、力無く崩れ落ちた。


「・・・あなたの命ですよ、ウェールズ皇太子どの」


もはや答えぬ亡骸に向けて、ワルドは嘲りを含めた口調で言葉を投げかけた。


「ウェールズ様っ!?ワルド!!あなた何を―――」


「言っただろう。ウェールズ皇太子の命こそ、僕の目的の二つ目なのさ。さて、ルイズ。君のことはあきらめるけど、代わりに三つ目の目的であるアンリエッタの手紙を渡してもらおうか」


その言葉で、ルイズはすべてを理解した。

ウェールズの命と、アンリエッタの手紙。

これら二つを欲しがる組織は、現在のところは一つしかない。


この男こそが、示唆されていたアルビオンの貴族派との内通者。

すなわち、裏切り者であったのだ。


「どうして!?トリステイン貴族で、魔法衛士隊隊長にまでなったあなたがどうしてこんな事を・・・っ!?」


「理由を問われても、月日と、数奇な運命の巡り合わせ、としか言えないな。まあ、今はどうでも良い事だ」


杖を手にし、ワルドはゆっくりとルイズの方へと歩み寄って来る。

とっさにルイズは杖を構えようとしたが、即座に繰り出されてきた烈風によってどこかに弾き飛ばされてしまった。


「さあ、ルイズ。君のポケットの中にある手紙を、渡してもらおうか」


「昔はこんなんじゃなかったわ。私が知っているあなたは、優しくて、誇り高い人だった。決してこんな卑劣な真似をするような人じゃなかったわ!!」


「それは所詮過去の話。今を生きる僕には何の関わりもないな」


ルイズの糾弾にも平然と言葉を返してくる。

その言葉の冷たさで、ルイズは実感した。


ここまでのアルビオンまでの旅路で、自分が見ていたワルドの顔は過去の彼の顔だった。

今まさに自分に向けている、同じ人物のものとは思えない蜥蜴じみた冷淡な顔こそが、今のワルドの素顔なのだと。


「最後に念のため確認しておこう。ルイズ、改めて“俺”のものにならないか?トリステインなどという小さな視野に捉われず、共に世界を手に入れよう」


優しげな表情をその顔に浮かべながら、ワルドは手を差し伸べてくる。

だがその表情が虚偽によって塗り固められている事は、もはやルイズの目にも明白であった。


「御断りよっ!!あなた、私の事なんてちっとも愛してないじゃない。あなたが欲しいのは私じゃなくて、あなたの想像の中の私の力だけ。そんなものが結婚の理由だなんて、これほどの侮辱はないわっ!!」


はっきりと、ルイズは拒絶の言葉を返す。

それが自分の命運を決定する答えだと理解しながら、しかし魂を屈する事を是とする選択を、ルイズは選ばなかった。


ルイズの答えに、ワルドが浮かべていた優しさを消し、再び爬虫類の如き淡白な顔へと戻った。


「そうか。残念だな。君に秘められた力は、是非とも欲しくあったのだが」


言葉の割には執着の薄い声音で、ワルドは告げる。

そして次に彼の口が紡ぎ出した呪文の言葉により、その周囲の大気で放電現象が起き始める。


『ライトニング・クラウド』

たかが少女如きを殺すには十分すぎる威力を有した、風系統の強力な呪文。

あの呪文が解き放たれれば、ルイズの身体は単なる消し炭へと変ずるだろう。


杖を無くした―――あったところで大差はないかもしれないが―――ルイズには、迫る稲妻の洗礼に対抗する術がない。

明確なる殺意をこちらに示すワルドには、何の逆襲も出来ずにただ殺されるだけだろう。

彼女に出来ることと言えば、向かってくる殺人者に対して、怯えを見せずに決然とした反抗の意志を示し続ける事くらいだ。


そんなルイズの強い意志の籠った視線を受け、ワルドは感心したように言葉を漏らした。


「・・本当に強くなったね、ルイズ。あの頃の船の中に隠れて泣いていた君からは想像もつかないよ」


「あなたは弱くなったけどね、ワルド。祖国への忠誠を忘れるなんて、貴族として恥ずべき惰弱よ」


「口も達者になった。本当に、この手で摘み取らねばならないのが惜しいよ」


辛辣なルイズの言葉にも肩を竦める程度で応え、ワルドは呪文を解き放つべく杖を振り上げる。

己の死を目前としながらも、ルイズは最後まで恐怖よりも先に反抗の意志を示そうと、衰えぬ眼光を以て睨み続けた。


杖が降ろされ、雷刃が迸る。

ついに下された死の雷に、その眼光を以て反抗を見せ続けたルイズもとうとう目を固く閉じた。

術者の命に従い、ワルドの周囲の電撃が今まさに撃ち放たれようとした、その瞬間。


「むっ!?」


「きゃっ!!」


飛来してきた一条の閃光が、響き渡る轟音と衝撃と共に、ルイズとワルドの間に突き刺さる。

その衝撃にワルドが呪文を取り止め後退し、ルイズも身を庇うように腰を落とした。

やがて視界が回復し、閃光が飛来してきた方をルイズは仰ぎ見る。


そこにあったのは、ブリミル像の上に位置するステンドグラスを破壊して陣取り、朝日の陽光をバックにして悠然と腕を組んで佇む黄金の男の姿。

彼女自身が呼び出した使い魔、英雄王ギルガメッシュがそこにいた。










「ギルガメッシュ!?」


あまりに唐突なギルガメッシュの登場に、ルイズはすっとんきょうな声を上げる。

その声に応じたのか、ギルガメッシュはステンドグラスよりルイズの元まで降り立った。


「おう、ルイズよ。随分と無様にやられておるようだな」


「っ!?う、うるさいわねっ!!それより、どうしてアンタがここに居るの?アンタ確か、一足先にアルビオンを出たんじゃなかったの?」


「我も途中まではそのつもりであったがな。我の期待を裏切るような輩ならば、そのまま捨て置いていたであろう。

フフン。良かったなぁ、ルイズ。お前にはまだ、我が関心を示す価値があるようだぞ」


愉快気に笑みを浮かべて、ギルガメッシュはとぼけた口調で言ってみせた。


「あえて言うのなら、倒すには至らずともせめて一噛みくらいはいけるかとも思っていたが。為す術無く追い詰められるだけというのは減点だが、まあ及第点といった所か」


「そんな事より、なんでここの事が分かったのよ!?それに妙に事情に詳しいみたいだし・・・」


「感覚の同調。使い魔となった者が術者との間で繋ぐこの能力は、お前とて知っていよう」


ルイズはハッとした。

メイジが召喚した使い魔には、契約の元に様々な能力が与えられる。

それらの能力の中でも代表的なのが、術者の目となり耳となる視覚聴覚などの同調能力である。


その能力の事は無論、ルイズもよく知っていた。

魔法の不出来の分だけ学問に力を入れている彼女には、『サモン・サーヴァント』の知識など常識として備わっている。

だが召喚した使い魔があまりに使い魔らしからぬ者だったため、今まですっかり失念していたのだ。


「この能力によって、お前の見た光景はそのまま我の視界にも映し出される。先ほどまでの経緯もお前の目から承知済みだ」


「そう・・・。あれ?でも、私の方は全然映らないわよ」


「当然であろう。お前からのパスは、我が終始切断しているからな」


その言葉の意図する事に気が付き、ルイズはポカンとした表情を浮かべた。


「・・・それってつまり、アンタには私の視界が一方的に見えるけど、私にはアンタの視界が全っ然見れないってこと?」


「そういうことだな」


しばしの間呆けた表情を浮かべていたルイズは、唐突に癇癪の声を上げた。


「それじゃ関係がまるっきり逆じゃないっ!!ご主人様のプライベートを何だと思ってるのよっ!!」


杖が無いので拳で直接叩こうとするが、ギルガメッシュに頭を押さえ付けられてあっさりと止められてしまう。

153サントと 182サントという体格差の前では抵抗も無意味で、ルイズはただパタパタと手を振りまわすだけに終始する。

その様子をギルガメッシュは慰み物として愉快そうに眺めていた。


「さて、と。遊戯はこれくらいとして、そろそろ奴にも構ってやらねばな」


愉快気だったギルガメッシュの顔に、やがて殺意を垣間見せる獰猛な笑みが浮かび上がる。

ルイズと馬鹿をしながらも、一時たりとて意識を離さなかったその男に、ギルガメッシュは向き直った。


「やはり身中の虫は貴様だったか、ワルド。道中でのいらぬちょっかいは、すべて貴様の差し金ということだな」


「ほう。気づいておりましたか?」


「確証は無かったが。しかし状況的には貴様しかいなかったからな。まあ、気に掛けるくらいはしていた」


平然とギルガメッシュは嘯いて見せる。

その発言を聞き咎めたのは、ワルドではなくルイズだった。


「ちょっと待ちなさいよっ!!気が付いていたなら、どうして話さなかったのよ!?」


「何を言う。我の言葉に耳を傾けまいとしていたのはお前の方ではないか。あの時のお前に、何を言った所で聞く耳があったとは思えんがな」


言い返されて、ルイズは言葉に詰まる。

アルビオンでの道中、ギルガメッシュの存在を無視しようとしていたのは、他でもないルイズ本人だった。

あの心理状態では仮にギルガメッシュがワルドの懐疑を示唆していたとしても、関心を向けようとせずに素通りしていただろう。


「けど、だったらウェールズ王子に言っておけば、こんな事には・・・」


「奴に助言する理由など、我にはない」


ギルガメッシュは床に冷たく転がるウェールズの骸へと目を向けながら、冷淡な口調で告げた。

あまりに冷然としたその態度にルイズは再び反発しかけるが、続けられたギルガメッシュの言葉がそれを遮る


「そもそも奴の死の結末はすでに決定されていた。その結果が、ちと早まったというだけであろう。どの道死ぬ運命にあるのならば、この結末にどれほどの違いがある?」


あまりに冷めきった口調のギルガメッシュに、ルイズは反論を押し込んだ。


関心が一切ないこの様子では、何を言った所で聞く耳は持たないだろう。

ならば自分の言葉は、単に邪魔となるだけだ。

敵がすでに目の前に存在している状況で、そんなことで足を引っ張るような真似はしたくない。

それを自覚して、ルイズは押し黙った。


「それで、ギルガメッシュ殿。ウェールズの事を気に掛けないとおっしゃるなら、この場に現れた意図を教えていただきたい。ルイズの事は、私の好きにして良いとのことでしたが」


「言葉を間違えるな。我は貴様に手懐けられたならば、と言ったのだ。意志も通せぬ人形風情ならば見る価値など無いが、これにはまだ見所がある。

ならばこれは我の所有物だ。我が所有する財に手を出すならば、そのような不届き者にはしかるべき罰を与えねばなるまい」


「なるほど。そういう事ですか」


苦笑して、ワルドは答える。

ルイズの殺害を邪魔されたというのに、彼の様子に不快の色はない。

むしろ先ほどよりも全身には覇気に溢れ、高揚がひしひしと表れていた。


「この場で私を殺すと?」


「そういうこと、だな」


浮かべた笑みは変わらぬままに、瞳には壮絶な殺意を宿してギルガメッシュは答える。

彼はワルドに対して好感とも取れる評価を下していたが、だからといって懐く殺意が薄れることはない。

むしろ英雄王の好奇とは、対象を蹂躙して滅ぼし尽くす殺戮の意思と並列して向けられるものなのだ。


英雄王の目に留まったが最後、その者の人生は結末の破滅に至るまで堪能され、王の玩具としての一生を強いられる。

はるか俯瞰より見下ろされ、その眼下に在る雑種共は終局の形まで王の意思に左右されるが運命だ。

そしてその死の決定は、何の情けも容赦もなく振り下ろすが英雄王の常である。


「理解できました。ですが、だからといって黙ってやられる訳にもいきますまい」


ギルガメッシュの殺意の元に曝されながら、それでもワルドは臆することなく平然と嘯いて見せる。

更に反抗の意志を示すように、スクウェアメイジの中でなお莫大な魔力をその身から立ち昇らせた。


誰もが屈して膝を折る英雄王の眼光を向けられながら、なおも闘志を失わぬワルドの姿には改めて感心する。

やはり目を掛けただけの価値はあったなと思うと同時に、この覇気ある者に痛みを与え、その顔が苦悶に歪む様を是非見てみたいとサディズムな精神の一面が囁きだす。

対立しながら同居する二つの思惑を心中で弄びながら、ギルガメッシュは急速にその精神を戦場のそれへと変貌させていった。


「お前は手を出すなよ、ルイズ。この男とは、我が遊んでやる」


猛々しく言い放って外野を下がらせながら、ギルガメッシュはその身を金色の光に包む。

神秘を纏いし黄金の鎧に身を包み、ギルガメッシュは久々のまともな闘争に心躍らせながら、戦場への一歩を踏み出した。










始祖ブリミルを祭りし礼拝堂で、正面から対峙する二人。

二人の距離間は至近というには離れ、かといって遠いというほどの距離でもない。

両者の力量を以てすれば、僅かな踏み込みで容易くゼロと出来る距離だ。


だが、だからこそ最初の踏み込みがそのまま勝敗に左右する要因となりえる。

そんな微妙な距離間を保たれ、対峙する両者の動きは静止の中にあった。


「どうした?いつまで呆けたように立ち尽くしている?」


―――否。前述の論法は、片方にのみ適用されるものであったらしい。

傲岸不遜の王にいたっては、挑みかかる敵に対してはただ悠然と佇んで待ち構えるのが基本の構えであるようだ。


「貴様の事だ。この我と対峙するため策の一つでも弄しておるのだろう。もったいぶらずにさっさと出したらどうだ?」


あくまで闘争を遊戯と見立てるギルガメッシュの物言いに、ワルドは苦笑する。

仮にも命を懸けた戦いの場で不謹慎とも思えるが、その感情を否定する気にはワルドにはなれなかった。

彼とてこの戦いには、死の恐怖より先に昂る高揚が先行しているのだから。


「それでは、遠慮なく―――!!」


宣戦と共に、ギルガメッシュの背後で一つの気配が立ち上る。

それまで何も無かった空間に気配は突如として現れ、鋭利な殺意を示しながら敵へと迫る。

今まで全く認識していなかった存在の出現に、ギルガメッシュは眉を釣り上げた。


(こんなものか・・・?)


だが突然の第三者の乱入に際しても、ギルガメッシュの心に動揺はなく、浮かんだのは失望であった。


伏兵による奇襲、その程度の単調な策ならばすでに考慮の内に入っている。

確かにここに至るまでその存在を隠し通した事は、見事と言えなくもない。

しかしこんな浅慮如きでこの英雄王を打倒できると考えたならば、そのような愚昧は評価を改めなければならないだろう。


気配に反応し、即座にその方向へと十の宝具を展開する。

予測された奇襲など、もはや奇襲足り得ない。

宝具の矛先はもれなく新たな伏兵を捉え、号礼ひとつでその身を突き穿つだろう。


思ったよりも容易すぎる展開に落胆しつつも、ギルガメッシュは宝具を射出せんと手を上げる。

だがその瞬間、また違う方向より新たな気配が現れた。


「っ!?」


思わぬ奇襲の連続に、表情が僅かに動く。

新たに出現した気配もまた、即座に鋭い殺気を伴った魔法を放ってきた。


繰り出されてくる攻撃は前後どちらも申し分なく速く、威力も悪くない。

向ける相手が常人ならば、最初の奇襲のみで間違いなく必殺を期する一撃となりえたはずだ。


だが今その矛先に立つのは、常人ではなく英雄の名を冠する者。

この程度の不意打ち如きでその存在が揺らぐならば、英雄を名乗る資格はない。


ギルガメッシュは展開した十の宝具の内半数の五の宝具を、新たに現れた気配の方へと向ける。

わざわざ狙いを確認するまでもない。

射手として英雄王が放つ矢は、そのすべてが必殺の破壊力を備えた宝具の魔弾。

破壊するのは敵のみならず、放たれた空間すべてにまで及ぶ。

魔弾の爆撃が降り注いだ後には、敵対者は片鱗も残さず灰塵と帰するだけだ。


そうして必殺の備えを整えた後、また更に二つの殺気が出現した時には、さすがのギルガメッシュも驚いた。


「何っ!?」


新たに向けられる二つの殺気。

繰り出される攻撃は初めの二つと同等に速く鋭い。

連続されて為された計四つもの奇襲には、英雄の感覚でも対応しきれるかは判断が付きかねた。


刹那の思考の後、ギルガメッシュは反撃と中断し、防御へと意識を移す。

無理に反撃に転ずれば余計な隙が生じ、相手に致命の一撃を入れる機会を与えかねない。

熱く見えてはいても常に思考の片隅には存在する冷徹な側面が、今はあえて賭けに出る状況ではないと判断したのだ。


一時守りに徹すると決め、ギルガメッシュは再び思考を張り巡らせる。

防御というものは、基本として攻撃よりもはるかに難しい。

防御の側に立つ者は敵からの攻撃を先読みして、その矛先に守りの一手を講じなければならない。

常に先手を取れる攻撃側と、後手に回らざる得ない防御側とでは、利がどちらにあるかは明白だ。

そうした感覚の不利を補うのが、盾や鎧といった防具である。


そしてその攻撃が意識や感覚で捉えられない不意の一打であるならば、それを捌く事は不可能なのだ。

真に認識の外から繰り出された一撃であるのなら、そこに読みが介在する余地はなく、ただ相手の攻撃を甘んじて受けるより他は無い。

その先で生き延びる機会があるとすれば、それは単なる運に過ぎない。

不意を討たれた側は、ただ相手の不手際を期待するより他の対処がないのだ。


だがギルガメッシュは、運任せなどという惰弱な期待に身を任せはしなかった。

敵の攻撃がこちらに届くまでの刹那の時間の中、ギルガメッシュは脳内で高速の思考を展開する。

感覚が敵の存在を掴みきれぬならば、論理を以て敵の存在を掌握するのみだ。


自分の身体は、この神秘を纏いし黄金の鎧によって守られている。

神代の武具より選りすぐったこの鎧の防御を抜く事は、スクウェアの呪文でも恐らく出来まい。

となれば敵の狙いとして考えられるのは、唯一鎧に覆われていない頭部だ。


鎧そのものの防御力は絶対でも、ギルガメッシュ本人の身体はそれほどでもない。

せいぜいが常人に比べて、多少のダメージを軽減する程度だ。

向けられている魔法の質を考えれば、自分に致命傷を与えることも十分に可能だろう。


その事実を考察材料として、ギルガメッシュは敵の攻撃を積み上げる論理によって予測する。

あらゆる条件、可能性を検分し、敵が繰り出してくる攻撃方法の推論を並べあげる。

そこから更に経験と勘も織り交ぜて、最終的に敵が選んだであろう攻撃方法を解答した。


それは時間にすれば一秒にも満たない瞬間の閃き。

弾き出された考察結果より、ギルガメッシュは纏う鎧によって防御の構えを取る。

僅かな時間差を伴って打ち放たれる、本命とフェイントの両方が混ぜられた四つの魔法の矛先。

奔る魔法が風を切り、黄金の装甲がそれらの刃を霧散させる。

秒後の結果、それら四撃の奇襲を、ギルガメッシュは最初の立ち位置から一歩も動くことなく捌き切った。


だが不意からの四撃は、ギルガメッシュに傷こそ付けないものの、その動きに一瞬の無防備な時間を作り出す。

その瞬間、まさしく絶妙なタイミングを見計らって、正面に向かい合っていたワルドが居合いのように杖を突きだした。


青白く輝く杖の矛先より、煌めく閃光が走った。










戦う両者の間に、一時の静寂が流れる。


互いの立ち位置はそのままに、間に広がる距離も変わっていない。

ギルガメッシュを襲った四体の伏兵も再び姿を消し、隅から見守るルイズを除けば、この空間にいるのは彼ら二人のみだ。


数秒の間に行われた両者の交錯の後、二人の状況に変化はない。

唯一変わったのは、二人の立ち振る舞いだ。


ワルドは杖を突きだした体勢のままで止まり、微動だにしない。

鷹のような鋭い瞳に油断の色は無く、まっすぐと正面のギルガメッシュを見据えている。


そしてギルガメッシュは、揺るがぬ不動を湛えていた直立の姿勢より、半歩の後退を見せていた。

その首筋に付いた一筋の切り口より、血が線を引いて流れる。

ギルガメッシュは自らの首筋へと手を触れ、流れ落ちたその血をすくい取った。

手に付いたその血を、じっくりと検分するように眺める。


「・・・やるではないか」


手に付いた自らの流血を舐めとり、愉快げな笑みを浮かべてギルガメッシュはワルドへと向き直った。


「同時空における擬似的な同質存在の再現。多重次元屈折現象の真似事とは、なかなかに業が深いな」


ギルガメッシュの言葉に、ワルドは改めて感嘆を面にする。

あの一瞬の交錯の中でも観察を怠らず、なおかつその性質を見抜くとは、つくづく容量が知れない男だ。


ギルガメッシュを襲った伏兵の正体は、『風』のスクウェアスペル『偏在』によって作られた分身体である。

分身といっても幻ではなく、それらすべてが確かな実体とワルドと同等の能力を有した戦士達だ。

本体を合わせれば計五人のワルドと、ギルガメッシュは一度に戦っていたという事になる。


そしてこの魔法こそが、『風』の系統を最強と言わしめる所以でもある。


『風』には、『火』の系統のようにすべてを焼き払う破壊の力は無い。

『水』のような癒しの能力も、『土』のような圧倒的質量も、『風』には備わっていない。

しかしながら『風』には、他の追随を許さぬ疾さがある。


一対一の戦闘において、過度の破壊力など本来必要ない。

それよりも最小限の力で、いかに手早く片付けるかが重要なのだ。

いかに威力の伴った魔法でも、発動の前に高速の一撃で術者を無力化されてしまえば何の意味もない。

更には『偏在』という複数の味方を即興で作り上げられる呪文など、『風』の魔法とはどこまでも戦闘に有利に働くよう作り上げられている。


『風』の矛先こそが最も敵を効率よく、迅速に葬り去ることが出来る。

『風』の系統とはすなわち、最も戦闘に特化した戦士の系統であるのだ。


「だがこれほどの術式、僅か一瞬で構築出来ようはずもない。我がこの場に現われてより、貴様に詠唱の機会を与えた覚えもない。それに、分身共の気配を我より隠し果せてきた件もある」


ワルドがギルガメッシュに対抗する策として用意した魔法は、大きく分けて三つある。


ひとつは『偏在』。

大気の偏りによって映し出された術者の像を、魔法によって擬似的に現実の存在へと昇華させる高等魔法。

対ギルガメッシュを想定した戦いで、これは肝とも言うべき魔法だ。


さらに二つ目の肝と言える魔法は、奇襲を成功させるために不可欠な、己の存在を覆い隠す術である。

『風』のエキスパートたる彼が気配を消せば、空気と同質となることも可能だ。

だがそれだけでは、この黄金の男を騙し果せることは出来ないだろう。

故に仕掛けるならば、更なる隠蔽が必要となる。


ワルドは周囲の空気に干渉し、光の屈折率を変化させ、音の振動を偽装した。

結果、ワルドの身体は色を映さず透過し、心臓の鼓動に至るまでのすべての音を消却された。

温度以外のあらゆる情報を大気の中に覆い隠し、ワルドという存在の世界と繋がる接点はすべて抹消されたのだ。


『風』系統の気配遮断魔法『インビジブル』。

他の魔法の使用不能や、自身の動きそのものへの制限などデメリットも多々あるが、闇討ちを仕掛けるには絶対的なアドバンテージを有する魔法。

この魔法こそ、ワルドが用いた二つ目の術である。


残るはギルガメッシュに対して放った攻撃魔法だが、それと『インビジブル』はともかく、『偏在』については容易く行使できる魔法ではない。

ワルドの詠唱が並の術者に比べ相当に高速化されていることを引き合いにしても、最上級のスクウェアスペルにはそれなりの呪文が必要となる。

少なくとも、無詠唱に近いほどの短時間で完成するような簡潔な魔法では断じてあり得ない。

にもかかわらず四人もの『偏在』を配置し、唐突に現れたはずのギルガメッシュに対して奇襲を敢行出来たことは、道理に合わない。


「・・・我がこの場に来るものと読んでいたのか?」


行き着いた道理を通す結論を、ギルガメッシュは口にする。

その解答を肯定するように、ワルドは苦笑してみせた。


「確証があったわけではありません。ですが、予感はしていました。

―――あなたとは、この場を以て命を賭した闘争に至るものと」


予感に従い、ワルドはギルガメッシュとの決戦に備えた布石の配置を行った。

呪文の詠唱もあらかじめ完成させておき、『偏在』の分身も事前の内に潜ませておく。

奇襲を仕掛けた四体の分身達は、ギルガメッシュが現れてから作り出されたのではなく、ウェールズが来る以前より用意されたものであったのだ。


仮に『偏在』を用いて五体の自分による同時攻撃を仕掛けたとしても、この男を打倒することは敵うまい。

たかが五人程度の捕捉など、彼の湯水の如き宝具群にかかればいかにも容易い。

その程度の数の不利など鼻で笑い、圧倒的火力を以て蹂躙されるのが関の山だ。


だがそれが同時攻撃ではなく、同時奇襲ならばどうか。

それも一斉にではなく、判断の撹乱を誘発するために僅かな時間差をつけて、相手が捕捉から攻撃に至る合間を縫うように連続で。

多方向からの連続奇襲攻撃、それがワルドが編み出した策だった。


その策の通りにいけば、今の交錯で仕留められなかったのは完全に失敗だった。

奇襲を仕掛けるならば、初手を以て決着をつけるのが原則である。

例えどれほど優れた奇襲でも、一度目にされてしまえばその成功率は格段に下がる。

もう一度今の攻撃を行ったとしても、果たして通じるかどうか判断に付きかねた。


「分からんな。そこまでの洞察が行き届くならば、何故わざわざ我との戦いを避けようとしなかった?貴様にとって、この戦いが何になる?」


感じていた疑問を、ギルガメッシュは尋ねる。


ここまで用意周到に準備をするということは、ワルドにはギルガメッシュと戦いたがる強い動機が必要となる。

だがワルドがギルガメッシュと戦う事で、利益となることなど一つもない。

ギルガメッシュは表立って『レコン・キスタ』と対立しているわけではなく、あえて倒そうとする理由もない。

今後脅威になり得る可能性はあるかもしれないが、だからといってワルドが一人で命をかける事もない。

元より彼が『レコン・キスタ』に身を投じたのは、忠誠などの清潔さとは無縁の動機だ。


「・・・益など、無い。私がこの戦いの果てに、何かを得ることなど求めてはいない」


「益を求めぬ?欲望がないと抜かすのか?」


「違いますよ。私は―――この戦いそのものを求めていたのですっ!!」


叫びと共にワルドの周囲の大気が震え、礼拝堂内に突風が吹き荒れる。

それはワルドの呪文によるものではなく、彼の猛り震える精神の激情が引き起こした“暴発”だ。


「あなたの強さ、威光、その振る舞いのすべて、それが私をどうしようもなく引き付けて狂わせる。それ以外のすべてが、どうでもよく思えるほどに。

そして気が付いた。あなたこそが―――私にとっての理想であったのだと」


抑えきれぬ興奮に促され、ワルドは己の胸の内を吐露した。


かつての時間、今はもう取り戻せない過去。

その過ぎ去った時の中には、純粋な心のままに、貴族の誇りと正義を信じられた時期がワルドにもあった。

自分もまた貴族として国に仕え、そのために身命を捧げる事に何の疑問も懐かなかった頃が。

あの頃のワルドの精神は幼くも充実し、日々の幸福と将来への期待に充ち溢れていた。

だがその純朴さは、たったひとつの出来事によってあっけなく瓦解した。


自分に己の力の無力さを思い知らせた、あの“事件”。

あの日の出来事が、幼かったワルドの精神に、強さの無意味さと存在の脆さを教えてくれた。

植え付けられた失意の念はワルドの心より純粋という名の幼さを排除し、無力を忌諱する渇望の決意を植え付けた。

それよりワルドの人生は、力を求める探究道へと変貌する。

絶対の力、揺るがぬ強さを求めて、渇望が示すままの人生を駆け抜けた。


より強い力を求め、身体と魔法を鍛え続けた。

より高い権力を求め、出世栄達のために躍進し続けた。

駆け抜けるその生き様に迷いの入り込む余地はなく、過程の中に置いて行かれた自由と安らぎには目もくれない。

駆け抜けたその結果、彼はトリステインでも指折りのメイジとなり、貴族の男子ならば誰もが望む魔法衛士隊隊長という地位に辿り着いた。


それは他の常人ならば、誰もが望むであろう輝かしい栄誉。

僅か26歳という若さでその栄誉を手に入れたワルドの姿は、栄光のロードを突き進む祝福されたものに見えただろう。

だが外見の栄光とは裏腹に、ワルドの胸中に貼り付く渇望は一切の満足を懐くことはなかった。


並ぶ者のいない魔法の冴えだの、誰もが憧れる地位だの、そんな見てくれだけの力では自分は満たされない。

自分が渇望して止まないのは、魔法や権力などといった即物的な力とは異質な、もっと根本的な所で揺るがぬ強さなのだ。

何事にも動じず、何者にも侵されない不動の強さこそが、自分が求める力である。

衆愚の価値観が定めた力など、本当の強さであるはずがないのだ。


その力を求めて、ワルドは更に躍進した。

国境を越えて結束する貴族連合『レコン・キスタ』、そして彼らが唱える統一という題目の元の聖地奪還の理想。

始祖が降臨したと言い伝えられる聖地ならば、あるいは自分が探し求める力が見つかるかもしれない。

そうと考えれば、祖国を裏切りその旗本に身を投じる事にも何の躊躇いもなかった。

元より忠義や誇りといった類の気高さは、ワルドに何一つもたらしはしなかったのだから。


それから後も、ワルドの渇望のための躍進は続いた。

『レコン・キスタ』の同志となり、トリステインに対して忠誠の顔を繕う中で、聖地奪還の理想のために活動してきた。

より強い力を求め、幼い頃より人とは違う魔法に力の片鱗を感じ取っていたルイズを手に入れようとした。

すべては、この胸の内にある渇きを満たすために。


だがその躍進の道の途中で、ワルドは出会ったのだ。


「あなたを一目見たとき、私は魂の震えを感じた。望んでいた力、求めてきた姿が、形を為してここにいる。だからこそ私は―――俺はっ!!」


英雄王ギルガメッシュ。

彼こそはまさしく、絶対無二の強さを湛えた力の体現者。

自分がずっと追い求めてきた、孤高にして不動たる在り様だ。

誰よりその姿を求め続けた自分が、その在り様を見間違う事などあり得るはずもない。


そう、ワルドにとってギルガメッシュは、まさに“自分がこう在りたい理想の姿”そのものであったのだ。


「あなたに挑む!!あなたを超える!!その理想の頂に辿り着いたその時こそ、俺は求めていたものを手に入れられる気がするんだっ!!」


自らの理想の具現に対し、敬意を払うことに何の躊躇いも無かった。

面識や地位など関係なく、自然とその存在を仰ぎ見ていた。

そして同時に、それら尊敬の念とは別に、心中にはもう一つの熱き願いが生まれ出でていた。


この男に挑みたい。

ようやく見つけた理想の頂に、自らのあらゆる力、存在のすべてを費やしてでも挑戦したい。

そうしてこそ自分は初めて、望んでいた強さが手に入るに違いない。


他人の目から見れば何の意味もないように思えるギルガメッシュとの戦い。

理解できないのも無理はない。

この心の動きは通常の利害の論理などは当てはまらぬ域、個人の有する根源衝動とも言うべきものだ。。

この身が英雄王との闘争を求めるのは、ひとえに自分がジャン・ジャック・ワルドであるが故に。

他者と蹴落とし礼節をかなぐり捨てて、なお高みを目指し続けてきた彼の魂のカタチが、ただ後塵を拝すのみでなく、その地点に追いつく事を求めるのだ。


「勝負だっ!!ギルガメッシュ!!」


レイピア状の杖を構え、ワルドが駆ける。

突き出される杖には幾重もの風が絡み付き、空気の渦が鋭利な切っ先を為している。

先ほどウェールズの心臓を貫いた呪文、『エア・ニードル』である。


それに呼応して、不可視の大気に隠れていた四体のワルドも一斉に姿を現す。

同様に手にする杖に『エア・ニードル』の刃を纏わせながら。


この敵を相手に、余計な魔法は必要ない。

トライアングルクラスの呪文すら意に介さないあの鎧の防御を抜く手段は無いし、そんな詠唱の時間を与えてくれる相手でもないだろう。

ならば用意する魔法は最初から一つのみ、たった一撃のみを構えて唯一の守りの穴を狙い撃つ。


杖に刃の効果をもたらす『エア・ニードル』には複雑な詠唱は必要ない。

自分のレベルを以てすれば、無詠唱で瞬時に構築することも可能だ。

そうして杖を中心に集めた魔法の渦を、極限まで収束して一条と矢を為し撃ち放つ。

『エア・スピアー』―――先ほどギルガメッシュを襲った、『エア・ニードル』の発展型の魔法である。

効果範囲こそ絞られるものの、一点に集約された破壊力は上位魔法にも匹敵する。

研ぎ澄まされた風の矛は、必ずや黄金の王の首をも刎ね落とすだろう。


あとはタイミングのみ。

必殺を期して用意した五撃をいかに織り交ぜて相手に届かせるか、それだけが問題だ。


一秒が一時間にも感じる沸騰した頭の中で思考しながら、ワルドは少しでも不意の効果を上げるべく、一歩また一歩とギルガメッシュへと近づいていく。


(ああ、そうか―――)


己が理想へと近づく中、唐突にワルドの脳裏に閃きがあった。


このアルビオンでの自分の目的は、ルイズを手に入れ、ウェールズを殺し、アンリエッタの手紙を手に入れる事。

それらの達成のために行動し、そして現在それらの目的はほぼ完遂されようとしている。

だがアルビオンまでの道中で、目的の優先順位がいつの間にか切り替わっていた。

本来ならば必要ないはずだった自分の工作の数々も、四つ目の最上の目的のためだったとすれば説明がつく。


盗賊を嗾けたのは、“王の財宝”の威力や発射速度などの性能を測るため。

ラ・ロシェールでの手合せは、ギルガメッシュ本人の身体能力を測るため。

桟橋での戦闘は、纏う鎧の魔法に対する防御効果を測るため。


当時はさしたる自覚もなく行った妨害の数々も、すべてがこの時のギルガメッシュとの戦闘を期しての備えであったとすれば得心がいく。

自覚の無い無意識の内に、自分はギルガメッシュとの対決を望んでいた。


ワルドにとってこのアルビオンまでの旅路は、英雄王と競い争うために存在したのだ。


「はあぁぁぁぁっ!!」


息吹と共に、ワルドが更に踏み込む。


同じ攻撃が二度も通じるほど、ギルガメッシュは甘い相手ではない。

だが繰り出される五撃の疾風突きは、先の攻撃に比べてなお疾い。

ハルケギニアの魔法とは、精神の強さに由来する。

魔力は気力であり、気力は感情であり、感情は心の震えによって高まり踊る。

ならばこそ、理想の姿を見定めた今のワルドは、生涯において最強だ。

駆け巡る魔力は身体を活性させ、吹き荒れる『風』の魔法は、ワルドを一陣の烈風へと変じさせる。


ワルドの概算では、ギルガメッシュがこの攻撃に対して後の憂いなく対応できるのは三体まで。

その三撃の内でギルガメッシュの攻撃が、五体の中より本体を撃ち抜く確率は3/5。

それはつまり、どれほどの奇策を弄し、楽観も加えて大きく見積もったとしても、ワルドの勝機がギルガメッシュを上回る事はないということだ。


だが、構わない。

長く求めた理想を見定めたならば、それに命を賭して挑む事に何の躊躇いがあるだろう。

例え1%でも勝ちの道があるのなら、挑戦する以外にワルドは我が身の処方を知らない。

これまで自分が駆け抜け、積み上げてきた人生のすべてが、今この時のためだけに在る。

この相手は、自分という人間の全存在を懸けてでも挑むに足る最強の難関だ。

その関門を乗り越えた先でこそ、自分は望みにきっと届く。


もはやワルドの頭には、この場所に近付いているであろう『レコン・キスタ』の軍勢や、目指していた聖地の事も、一片の考慮にも入っていなかった。

幼い頃から目を付けていたルイズの力も、期待を託した聖地の奪還も、今はすべてがどうでもいい。

自分が目指して、追い求め続けてきたものは、すでに目の前にあるのだから。


さあ、届け。

求めた理想まで、後数歩の距離。

タイミングは良し、今こそまさしく、この『閃光』の風の真価を見せる時。

自分が持つあらゆる力を駆使して放たれる魔法は、必ずや絶対の王にも届くはずだ。


まさしく乾坤一擲の思いを込めて、ワルドは手にする風を纏いし己が杖を突きだす。

杖先より収束された風の矛が、ギルガメッシュへと向けて放たれようとし―――


「なぁっ!?」


その動きのすべてが、突如として静止した。


「見事、と言っておこう。貴様は我の期待通り、なかなかに我を楽しませた」


ギルガメッシュの目前まで迫ったはずのワルドは、虚空より伸びた無数の鎖にて捕縛されていた。

まるで空間そのものが拘束されたかのように、突き出した杖や指先に至るすべての行動が全身に巻き付く鎖によって封じられる。

その束縛は正面より迫っていた一体に限らず、他四体にも及んでいた。


エルキドゥ
天の鎖―――英雄王が蔵に貯蔵される秘中の秘。

かつて神が遣わせし天の牡牛さえも捕らえた対神の縛鎖。

その鎖の縛りに捕らわれた者は、例え神であっても抜け出す事は敵わない。


「我という理想の頂の高さを知りつつも、なおも挑みかかる賢しき気概。その愚かしくも魅せる在り様、我は高く買おう。褒美に、我が秘宝の威容を拝ませてやる」


天の鎖が軋みを上げる。

捕える縛鎖が、ワルドの身体をギリギリと締め上げ、あらぬ方向へと捻じ曲げていく。

神の魔獣さえ捕らえた拘束力は、人間如きの肉体ならば静止させるだけに留まらず、その全身を引き千切った。


空中で血肉をぶちまけ、四体の『偏在』のワルドが消滅する。


「はあっ!はぁ、はぁ、はぁ・・・」


鎖の呪縛より何とか逃げ延びた―――逃してもらっただけかもしれないが―――本体のワルドが、息を切らして必死に跳び退く。

優雅とは言えぬ無様を曝しながら何とか体勢を整え、ワルドはギルガメッシュへと視線を戻す。


その視線を、ギルガメッシュは喜色の笑みと、背にする空間に無数に浮かぶ何十もの宝具によって迎え入れた。


「だがワルドよ。心得ていたか?―――理想とは、届かぬが故に理想なのだ」


王の号令と共に、光輝く宝具の群れがワルドへと殺到する。

英雄王の元でのみ実現可能なその光景に、どこか夢見心地でワルドは夜空に降り落ちる流星群の美しさを連想した。










ギルガメッシュの宝具による爆撃が、ニューカッスル城中を震撼させる。

鳴り響く爆音は耳を打ち、ブリミル像などの装飾品の類は粉砕されて塵と消える。

物陰より戦いの末を見守っていたルイズは、必死に柱にしがみ付きながらその衝撃に耐えた。


やがて衝撃が治まり、固く閉じていた目を恐る恐る開ける。

その視界の先では、礼拝堂の半分近くのが消滅し、ポッカリと晴天を仰ぐ大穴が空いていた。

そこにワルドの姿は影も形も無かった。


「た、倒したの?」


柱の陰から顔を出し、やや躊躇しながらルイズは尋ねた。


「いや、逃げられた。爆撃によって破壊された堂の穴より、僅かな間隙をついて逃走をはかったらしい。さすがにしぶといな」


「な、何落ち着いて話してるのよ!?早く追わないと」


落ち着き払うギルガメッシュの言葉に、慌ててルイズは言う。

だがそれを聞いても、ギルガメッシュは冷静な姿勢を崩さない。


「うろたえるな。逃がしたといっても、あの様では苦痛の時間が長引くだけであろうよ。運よく誰かに拾われたとしても、並みの者では治癒できまい」


そこまで言った所で、ギルガメッシュはふと笑みを浮かべた。


「だが、そうだな。この苦境より奴が生き延び、再び我の前に姿を現すとするなら、それは奴にもまだ天運があるということ。ふむ、その時はまた相手をしてやるか」


愉快気に話すギルガメッシュに、ルイズはどう対応したものか困惑気味の顔を見せる。

だがそこに、爆発音や人の怒号や断末魔など、戦場の音が遠くより響いて聞こえてきた。


「貴族派っ!もうここまで!?」


ハッとして、ルイズが叫びを上げる。


本来であればルイズとワルドの婚儀の後に、ウェールズもまた指揮官として戦場へと舞い戻るはずであった。

だが予想外のワルドの裏切りにより、ウェールズは死亡。

指揮官を欠いたままで戦わざる得なかった王党軍は、予想以上に早く貴族派の突破を許してしまったのである。


まさしく絶体絶命の状況に、ルイズに焦燥が走る。

ウェールズから聞いた話では、貴族派の軍勢の総数は五万。

個人の力でどうにか出来る数ではない。


『イーグル』号も『マリー・ガラント』号も、すでに出港した後。

いや、仮に残っていたとしても、ここまで敵軍が接近した状態では、船を出しても的になるだけだろう。

退路は断たれ、まさしく打つ手無しの状況だ。


そう思って慌てふためくルイズであったが、隣のギルガメッシュはそんな様子などどこ吹く風というふうに冷静だった。


「な、何でアンタはそんなに落ち着いてるのよ?敵は五万なのよ、五万」


妙なギルガメッシュの落ち着きぶりに、ルイズが震える声で問いかける。

ギルガメッシュの強大さは理解しているつもりだが、さすがに五万の敵を一人で相手にできるとは思えない。

彼とて絶体絶命の状況は変わらないはずなのに、どうしてここまで取り乱さずにいられるのだろう。


「・・・やれやれ。雑種の軍如き、この我がわざわざ手を煩わす理由もないのだが、降りかかる火の粉は払わねばならんか」


仕方無いといった様子で肩を竦めて、ギルガメッシュは自らの宝物庫へと手を伸ばした。

やがてギルガメッシュの手が蔵の中より一振りの“剣”を掴み、ゆっくりと現世へと抜き出していく。


その存在が放つ圧力に、思わずルイズは瞠目した。


「ッ!!?」


いまだその姿の大半は蔵の中。

見えるのは僅かに剣の柄と思しき部分のみだが、それだけでもその存在の圧倒的さは十分に伝わってくる。

これまで見てきた至高の宝具達も、所詮はギルガメッシュにとって湯水のように溢れる他の大勢に過ぎなかったのだと、ルイズは直感的に理解した。


ギルガメッシュの強大さを理解している?

何という甚だしい勘違い。

自分はまるで、ギルガメッシュの力のほどを理解出来てはいなかった。

ギルガメッシュの超越者たる力の真価は、今まさに抜き放たれようとしているたった一振りの“剣”にこそあるのだ。


「許せよ、『エア』。お前とてこのような役回りは不本意であろうが・・・」


ぼやきつつも、ギルガメッシュは己が愛剣の招来を止めようとはしない。

ゆっくりとせり出してくる剣からは高密度の魔力の波動が迸し、大気そのものを揺らしている。

その威圧、あたかも“世界を切り裂く”が如き迫力で、傍から見守るルイズを圧倒し続けた。

そしてついに、その威光の姿が面を上げんとした時―――


ぼこっ


響いた音は、ギルガメッシュの秘剣のものでは断じてない。

音を追って、ルイズは足元の地面の方へと目を向ける。

ギルガメッシュの爆撃によって床石が割れ、剥き出しとなったその地面からは、茶色の生き物が顔を出していた。


「こ、こいつはギーシュの―――むぐっ!」


言いかけた所で、顔を出した茶色の巨大モグラがルイズへと飛び付く。

ルイズと同じくらいの全長の巨体には対抗できるはずもなく、そのままルイズは押し倒された。

全身をまさぐってくるモグラにルイズが悲鳴を上げていると、モグラが出てきた穴よりギーシュがひょっこっと顔を出した。


「コラコラ、ヴェルダンデ。君は一体どこまで掘り進むんだね・・・って、陛下!!それにルイズも!!」


土塗れのギーシュが、佇むギルガメッシュとルイズの姿に気づいて、驚いた様子で声を上げる。

だが驚いたのはルイズの方だった。


「ギーシュ!!何でアンタがここにいるのよ!?」


身体に張り付くヴェルダンデを何とか引き剥がしながら、ルイズが問いただす。


「いやなに、あの後に現れた『土くれ』のフーケとの一戦にも勝利した僕達は、寝る間も惜しんで陛下達の後を追いかけたのさ。なにせこの任務には、姫殿下の名誉がかかっているのだからね」


「ここは雲の上なのよ。どうやってここまで・・・」


そう言いかけたその時、ギーシュの傍らからキュルケが顔を出した。


「タバサのシルフィードよ」


「キュルケ!」


「アルビオンに着いたはいいが、何せ勝手が分からぬ異国だからね。でも、ヴェルダンデがいきなり穴を掘り始めた。後を追っていったら、ここに出たってわけさ」


そこまで言ってからギーシュは、ヴェルダンデがしきりに鼻を押し付けている、ルイズの指の『水のルビー』に気が付いて補足した。


「なるほど。前に嗅いだ『水のルビー』の臭いを辿って、ここまで掘って来たのか。僕の可愛いヴェルダンデは、とびっきりの宝石が大好きだからね。ラ・ロシェールにだって、穴を掘り進めてやって来たくらいさ」


鼻高々にギーシュは己が使い魔を称賛する。

だが今回ばかりはギーシュの気持ちも分からないわけではない。


『水のルビー』の臭いというのがどれほど気に入ったかは知らないが、大陸に穴を空けてまで臭いの元までやって来るとは、どんな嗅覚の良さなのか。

実はかなり優秀な使い魔なのかもしれない、身体に張り付くヴェルダンデを引き剥がしながら、ルイズは思った。


「雑談は後にしろ。今はこの辛気臭い場所よりさっさと立ち去るぞ」


と、弾みかけていたルイズらの会話は、ギルガメッシュの言葉によって遮られる。

その手にはすでに、先ほど見せかけた“剣”の姿は無かった。


自分に直接敵意を向けているわけではなく、わざわざ相手にする必要もないならば、自分が手を煩わす理由はない。

それがギルガメッシュの判断だった。


ヴェルダンデによって空けられた穴を通って、一行はこの場を後にする。

ギルガメッシュが降り、自分の番が来た所でルイズはふと気が付いて、穴に背を向けて礼拝堂に引き返す。

早足での歩みでまっすぐと、ルイズは事切れたウェールズの亡骸の元へと駆け寄った。


「ウェールズ皇太子・・・」


物言わぬ亡骸を眺めつつ、ルイズはポツリとその名を呟く。

昨夜の話で、この王子は言っていた。

自分は明日、真っ先に死ぬつもりだよ、と。


結果は、まさしく彼の言ったとおりに、ウェールズは真っ先に死んだ。

だがこれで、彼は満足だったのだろうか。


ギルガメッシュは言った。

彼の死という結末は、すでに決定されていた事だと。

結末が同じならば、そこにさしたる違いなどありはしないのだと。


今ならばルイズにもその言葉の意味が何となく分かった。

ワルドという裏切り者の手にかかり、ウェールズは死んだ。

だがここでもしワルドが殺していなくても、どの道ウェールズは敵兵の手にかかって命を落としていただろう。

ワルドに殺されてようと、敵兵に殺されようと、今日この場で命を落とす結果に何の変りもない。

ならばこの二つに、どれほどの違いがある?

戦場での死は名誉だというが、死んでは肝心の本人が名誉を感じる事も出来ないというのに。


「死んじゃったら、何にもならないじゃないの・・・」


あれほど勇敢で凛々しかったウェールズの無様な死に様を見届けながら、ルイズは悟る。

人とは生きている限り、生に向かって歩いて行かなければならないのだ。

死とはやがて、あらゆる者に訪れる結果。

いつ何時襲いかかるか分からない宿命だが、だからこそ命ある者はその結末までの自身の生を精一杯貫かねばならない。

例えどれほどの正義や理由があろうとも、自ら死に向かっていく行為は、生命としての間違いなのだ。


「おーい、ルイズ!!何をしてるんだい、早くしたまえ!!」


急かすように、ギーシュがルイズを呼んだ。

気がつけば、戦闘の喧噪の音は大分近くなっている。

この分では、この場所に敵が突入してくるのも時間の問題だろう。


「すぐに行くわ」


返事を返してから、ルイズはもう一度ウェールズの亡骸に目を向ける。

驚愕に見開かれたままだったウェールズの瞳を、ルイズはそっと閉じさせる。

それから指に嵌まったアルビオン王家の『風のルビー』に気付き、それを指から外して自分のポケットに収めた。


自分はアンリエッタの願いであった、ウェールズの亡命を果たせなかった。

だからせめて、形見となる品が欲しかったのだ。


最期に黙祷を捧げて、ルイズは礼拝堂を後にする。

『レコン・キスタ』の軍勢が突入してきたのは、それよりすぐ後の事であった。






[2589] 外伝  無能王と裏切りの騎士
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/04/27 23:34





外伝  無能王と裏切りの騎士







総人口千五百万人というハルケギニア最大の国民数を誇るガリア王国。

魔法先進国とも呼ばれるガリア王国にはメイジの数も多く、名実共にハルケギニア最強の大国である。

そして最強大国の首都リュティスも、やはり最大の都市であった。


中心に流れるシレ川を挟んでそこから広がるように発展してきたリュティスは、政治の中枢を中央には置いていない。

川の左側、どちらかといえば街外れな位置に、この国の中枢を担う巨大な王宮ヴェルサルテイルは存在した。


王宮というよりも庭園と呼べる趣を持った、様々な形の贅をこらした建物たちが立ち並ぶヴェルサルテイル宮殿。

その中でも一際大きく華やかな趣を持つ建物は、グラン・トロワと呼ばれている。

ガリア王族特有の青髪を擬えて青いレンガで築かれた宮殿グラン・トロワには、ハルケギニア最強国家の頂点に君臨する男が暮らしていた。


ガリア王ジョゼフ。

大国ガリアが掲げるその王の名は、しかし国の強さとは裏腹に誇らしいものとはお世辞にも言い難い。

幼い頃より魔法の才に乏しく、周囲の者達より暗愚と嘲られてきた不出来の王子。

そのような評判であったため、今の王位は優秀だった弟を謀殺した事で得たものなどと黒い噂は絶えない。

更に本人も国事にロクに関わろうとせずに自室での遊びに興じてばかりなので、嘲りの声は止むどころかどんどんエスカレートしていく始末。

そんな王を、人々は侮蔑と揶揄を込めて、『無能王』と呼んだ。


「陛下・・・、陛下!」


聞こえてくる貴婦人の声に、ジョゼフはチェスの駒を動かす手を止め、声の方を向く。

視線の先に現れた可憐に咲き乱れる薔薇のように美しい婦人の姿に、ジョゼフはその美丈夫にニッコリと笑みを浮かべて迎えた。


「これはこれはモリエール夫人!!どうかしたのかね?」


大仰な振る舞いでジョゼフは、愛人であるモリエール夫人を出迎えるように抱きしめる。

愛する王の抱擁を受けてモリエールは頬を朱に染めた。


「どうしかのかね、ではありませんわ。陛下は放っておいてはわたくしの事をうっかり忘れていってしまうんですもの。だからこうして、会いにきたのですわ」


「これは失礼。余はこの頃、新たに考えついたゲームのことで頭がいっぱいだったのだよ」


モリエールの批難の言葉にも、ジョゼフは笑みを絶やす事なく答える。

そんな王の清廉とした声を聞きながら、モリエールはふとジョゼフが座っていたテーブルに置かれたチェス盤へと目を向けた。


「また一人将棋に興じていらしたの?いつも思うのですけれど、どうして相手を用意なさいませんの?小姓でも呼べばよろしいのに」


「残念ながら、余に匹敵するほどの指し手はどこにもおらぬのだ」


言いながらジョゼフは、盤面に置かれた白のナイトの駒をひょいと上げ、新たなマス目に進ませる。

その一手がチェックメイトとなり、白の側の勝利が確定した。


「余に匹敵する者がおらぬから、仕方無く余の相手は余が務めておる。自分で用意した最強の一手を、己自身の一手で打ち破る。この演出芝居が、なかなかおもしろくてな。例えるなら余は、この対局の舞台を整える劇作家といったところか」


嬉々とした様子で自らの一人遊びについて語るジョゼフを、モリエールは微笑みと共に見つめていた。

正直に言えばモリエールは、愛する男の言うおもしろさが少しも理解できていない。

だがそれでも、愛する王の楽しそうな様は、愛人として嬉しく思うのだった。


「だがチェスというものは、突き詰めれば定石の応酬でな。一定のパターンをなぞる事に終始してしまう。すでにあらゆる対局をやり尽くしてしまった今とあっては、もはや目新しいものもない。その事には、さすがの余も飽きを覚え始めている」


面貌の美丈に落胆の曇りを見せて、ジョゼフは肩を竦める。

その愛人の落胆を、しかしモリエールはむしろ歓迎の気持ちで迎えた。


お遊戯に飽きた以上、他の楽しみを見つけなければならない。

ならば代わりの娯楽の役割は、もちろん恋人である自分以外にはいない。

これからはもっと、この愛する変わり者の王も、自分に構まってくれるに違いない。


そう思って、モリエールは魅力的な微笑を浮かべて、艶めかしい仕草でジョゼフへと迫った。


「ねぇ、陛下。よければ明日、わたくしと一緒に遠出でもなさいませんこと?チェルミーの湖畔の、とても花畑の美しい場所を、わたくし知っておりますの。あの穏やかで澄んだ空気の場所に腰をおろせば、日々の退屈なんて吹き飛んでしまいますわ」


語りかけながらモリエールはジョゼフの首に手を回す。

そのまま恋人同士の口づけを求めて、ゆっくりと顔を近付けていく。

齢四十五に達しつつも、いまだ若々しさを失わぬ精悍なる顔立ちと逞しい長身を持つジョゼフは、下より迫ってくるモリエールを優しく見つめ返した。

ムードのままに二人はゆっくりと目を閉じ、お互いの唇を近付けていく。


ガチャン


その時、金属が鳴る音が、静寂であった部屋に響き渡った。

それからも金属音は一定のリズムで刻まれ、徐々にその音源を近付けてくる。

それは、金属の足音であった。


ジョゼフもモリエールも、その歩みの音をたてる者を知っていた。

その音の主の事を思い浮かべ、ジョゼフは満面の笑みを、モリエールは苦々しさをそれぞれ表情に顕わとした。


「おお、黒騎士!余の黒騎士よ!戻って来たか!」


ジョゼフはモリエールを押しのけて、部屋に入って来た音の主の元に早足で歩み寄った。


入って来たのは、全身をくまなく漆黒の甲冑に覆った暗黒の騎士。

精悍なる戦装束に身を包みながらも、染み込んだ暗黒がその存在を汚らわしいものへと貶しめている。

この美しき宮殿グラン・トロワには大よそ似つかわしくないその騎士の手を、ジョゼフは何の躊躇いもなく手に取った。


「いやいや、ごくろうだったな、黒騎士。それにしてもお前の仕事はいつも早い。頼んだのは、つい一昨日の事だというのに、もう事を終えてきてしまうとは。お前はやはり余の最高の忠臣だな。褒美はいらぬか?望むものをくれてやろうぞ」


上機嫌にジョゼフは黒騎士へと語りかけていく。

だが当の黒騎士は、それら主の言葉にも一向に答えを返そうとしない。

ただ幽鬼のように佇み、一切を受けつけぬ冷然たる沈黙を貫くのみだ。


王に対する態度として、それはあまりに無礼な対応とも言えた。

主君が直接声をかけているにも関わらず無視するなど、不敬罪と取られてもおかしくない事だ。

しかしジョゼフには気分を害した様子はない。

むしろ喜色の笑みをよりいっそう深めて、沈黙する騎士の事を見返した。


「下がってよいぞ、黒騎士。今は特に他の用は無い」


ジョゼフがそう言っても、やはり黒騎士は答えない。

だが言葉は理解したようで、踵を返すと無言のまま部屋から退室していった。


「ああ、汚らわしい。あの者と同じ部屋にいるだけでわたくし、息がつまりそうですわ」


表情に不快さを隠そうともせず、モリエールは黒騎士の出ていった方を見て吐き捨てた。


「ねえ、陛下。どうしてあのような下賤の者をこの宮殿に招きいれたりしたのです?しかもあのような者が陛下の近衛騎士だなんて」


モリエールが蔑む黒騎士は、ジョゼフがある日唐突に王宮へと招いた者である。

ガリアの国政を担う大臣達を王の間に集め、不躾にジョゼフは暗黒の騎士のお披露目をしたのだ。

驚く大臣達を前に、ジョゼフは更にその騎士を自らの近衛騎士にすると宣言した。


内政をさせれば国が傾き、外交をさせれば国を誤ると臣民より噂される『無能王』ジョゼフの奇行。

傍から見れば子供の遊戯のようにも見えるそれらの珍行は、すでに臣下の中で周知の事実ではあったが、さすがに今回の件には驚きを隠せない。

これまで臣下がどれほど勧めても、決してつけようとしなかった専任の騎士を突然選び出し、しかもその騎士の姿があれほどの異形とあっては、それも無理からぬことだろう。


結局、ジョゼフは反対の意見を押し切り、黒騎士を自らの側近として置いていくのだが、その騎士に対して好意的な印象を持つ者はこのヴェルサルテイル宮殿のどこにもいなかった。

何しろあの漆黒の甲冑を纏った騎士は、誰が話しかけても決して返事をしようとしない。

それは愛想が無いという類の話ではなく、そもそも答えを返す機能そのものが無いような印象を受ける。

まるで人間味を感じさせない黒騎士の不気味さは、王宮に暮らす臣下達に底知れぬ不安感を募らせていた。

それはもちろん、モリエールとて例外ではない。


「なにを言うのだ、モリエール夫人。あ奴ほど、この余にふさわしい騎士などおるまい」


だがそんな臣下達の不安も、この天真爛漫な無能王は気に留めない。

他者の印象など素通りして、黒騎士を優遇しては傍に置き続けている。


こういう時にモリエールは不安を感じる。

この男の事は真に愛しているが、しかし愛するはずの人の事を自分は何一つ理解出来ていないのではないか。

自分にはこの人の行為が、どこまでが本当でどこまでが嘘なのかまるで判断がつかない。

自分との関係も、単なる暇潰しの気まぐれなのではないか。

それを思うと、不安で夜も眠れないモリエールであった。


「陛下・・・。一体どこからあのような者を拾い上げてきたのです?彼は何者なのですか?」


ふと思って、モリエールは問いかけた。

常に傍らにいる自分ですら真偽の掴めぬ美丈の王。

その彼が、あれほどはっきりとした関心を示す者を、モリエールはこれまで見たことがない。

そんなジョゼフの関心を向けられる黒騎士とは、一体何者なのか。


自らの愛人の問いかけにも、ジョゼフは答えない。

だがその代わりに、顔を覗きこんだモリエールが思わずぎょっとしてしまう底知れない笑みを、ジョゼフは美貌の面に浮かべて見せた。










その出会いは、何かに意図されての物ではなかった。

呼び出した方にも、呼び出された方にも、どちらにとっても必然の邂逅などでは決してない。

期待をしていた事など双方に無く、ただ開いたらそれが現われてきたというだけの話。

言うなれば偶然の、運命の気まぐれが与えた偶々の出会いだった。


発端は、ひとつの魔法。

メイジであるならば誰もが行う使い魔召喚の儀式、『サモン・サーヴァント』。

かつては何度やっても成功しなかったそれも、自らの属性に目覚めた今ではいとも容易く完成した。


「ほう・・・!」


自分が開けた“ゲート”より現れた者の姿に、ジョゼフは思わず声を漏らす。

他者のいない、現れた者との二人だけの空間で、ジョゼフは“その男”と向かいあった。


目の前に佇むのは、精悍にして勇猛なる甲冑に身を包んだ一人の騎士。

鎧には無数に刻まれた疵が見え、この装備が幾多の戦場を駆け抜けてきた事の証としている。

その常人ではまともに動く事さえ敵わないだろうフルプレートの甲冑を、まるで衣服のように慣れ親しんだ様子で着こなす姿は、男が一級の戦士であることをはっきりと示していた。

だがジョゼフが何よりも関心を傾けていたのは男の佇まいではなく、その面貌に浮かぶ感情であった。


鎧越しからでも伝わってくる、鍛え抜かれた男の戦士の体躯。

だがそんな肉体の勇猛さとは裏腹に、男の面貌に浮かぶ表情はあまりに弱々しい。

その表情はしわがれた老人のように生気が無く、同時に何の力も無い子供のように頼りない。

美貌を思わせる整った面構えも、刻まれた悲嘆が美の要素をすべて廃してしまっている。

自らの背負った苦悩の重さに疲れ果て、嘆きも通り越してもはや諦観の域に到達した絶望の顕現がそこにあった。


この顔も名前も知らない、“ゲート”を通って現れた男の苦悩の源泉を、ジョゼフは一目にて看破した。

男の苦悩―――それは、自らを追い込む罪の意識。

あまりに長い間を悔やみ続け、もはや呪いの域に達した自責の念が、男を苛んでいる。

長すぎた悔恨はもはや流すべき涙さえも枯れ果てさせ、やつれきった精神は外界への関心を喪失させた。

事実、突如としてこのような見知らぬ場所に放り出されたというのに、男には動揺の欠片もない。

それどころか、目の前に立つジョゼフにさえロクに目を向けようとしていなかった。


だがそれも、男の身の上からすれば当然のこと。

自身の内側に向けられる自責を抱える身とあっては、もはや外に関心など懐こうはずがない。

例えそれがどこであろうと、自らを責め苛む行為に支障など無いのだから。


そんな男の心情が、ジョゼフにはまるで自らの事のように理解出来た。

感情の洞察に特別な才覚があるわけではないが、しかし男の懐く感情だけは読み違える事はない。

男の懐く自責の念こそ、ジョゼフが“あの日”より追い求めている感情。

求め欲するその感情の動きを、この自分が計り間違うことなどあり得るはずもない。


「さぞ誉れ在ると見受ける騎士よ。そなたは何故それほどまでに自らを責めるのか?」


自責の男に、ジョゼフは問いかける。

その問いかけに、男は一拍の間を置いて言葉を返す。

だが紡がれたその言葉は、後半の問いかけに対する答えではなく、前半の言葉への否定であった。


「私は・・・誉れある騎士などではない」


そう一言断ってから、男は自らを呼び表す俗称を口にする。

―――裏切りの騎士、と。


それより後、男はポツリポツリと自らの事を語っていく。

まるで自らの罪科を口にする事で、贖罪の道とするかのように。

さながら神父に懺悔する罪人のような在り様で、男はジョゼフに自らの不義を語っていった。


すべてを語る気力は無いのか、あるいは忘れてしまったのか、男の話は所々を抜き出すように進行し、脈絡がない箇所も多々あった。

その話は何の予備知識もないジョゼフにとっては要領をいまいち得ない曖昧なものであったが、しかしそれだけにはっきり告げられる言葉は印象に深く残った。


私は、最も尊き王の顔に泥を塗った。


私は、最も愛していた人を嘆きに落とした。


私は、国を滅亡へと追いやった。


点々と紡がれていく男の罪科。

自らを貶める罪の名を、男はまるで幾度となく繰り返してきたように淀みなく口にしていく。

言葉のひとつひとつに染み込んだ悔恨の念は、男の想いがどれほど重いかを言葉以上に物語っている。


やがて耳を傾けていく内に、ジョゼフは話の大筋を聞き入れる。

人々の理想として、誰よりも誇り高かった男は、その誇り故に他の道を選べなかったという。

迷いながらも道を逸れる事が出来ず、やがて辿り着いてしまったのが最悪の結末。

いついかなる時も正しくあろうとした果ての結末に、男は救いを見出せぬ袋小路に陥ったのだと。


男の話をしかと聞きいれ、ジョゼフはふむ、と頷いて吟味する。

男の苦悩、果てに背負った絶望の重さに思いを馳せ、その質を考察する。

そうしてからジョゼフは、男の絶望とは対照的な、実に簡潔な口調のままで言ってみせた。


「それほどに苦しいのなら―――いっそそのような誇りある理性など捨て去ってしまえばどうだ?」


あまりにもあっさりとジョゼフの口より紡がれたその言葉。

それを受けて、これまでただ空虚のみを湛えていた男の瞳が、初めてジョゼフの姿を捉えた。


「不義を悔やむならば、誠実を捨てればよい。

誇りが許さぬ行いであるというのなら、誇りを捨てればよい。

誇りを彩る栄光があるならば、その栄光を侮蔑の色に塗り潰せばよい

犯した罪がそなたを苦しめるというなら、その罪が覆い隠れるほどの罪悪を重ねればよい。

騎士よ、そなたの気高き在り方がそなたを苦しめ続けるというのなら、その在り方とは真っ向より相反する道を歩むが良い。かつての栄光さえも貶めるほどの罪科を築いたならば、そなたはきっと苦悩より解放されるだろう」


それは、何という逆転の発想であろうか。

外界への関心と完全に無くしていた男も、そのジョゼフのあまりの言葉には瞠目した。

男の罪をいかに許すかではなく、罪に感じる心そのものを捨てろとジョゼフは言っているのだ。


人の行いに対して、その行為に罪悪の是正を定められるのは、あくまで本人のみである。

時代や国が定めた法の罪科は、いうなれば形式的なものに過ぎない。

例え法律がその行為を悪と定めても、本人が自らの行為を誤りとしなければ、それは罪ではなくなるのだ。


いかなる悪行であろうとも、本人がそれを悪と思わなければ、他者はともかく本人にとってそれは悪ではない。

悔いる贖罪の念が無いのだから、それを悪いなどと思うはずがない。

ならば―――男が自らの不忠を罪に感じる心を捨て去ってしまえば、それを悔やむ事が無くなるのも道理である。


そのような狂気的な発想が出てくる事自体、すでにジョゼフが狂気の内にある何よりの証明だ。

愛する弟を毒矢で射抜いてしまった“あの日”より、ジョゼフの心は決して震える事の無いがらんどうになっている。

愛情も、喜びも、怒りも、悲しみも、憎しみさえも、ジョゼフの心にはない。

最も大切なものを自らの手で壊してしまったジョゼフに、今さら他の物に執着など懐けるはずもない。

故にジョゼフは、自ら弟を手に掛けたあの日より、あらゆるものを壊してきた。

貴重に思えるものを、愛するべき縁者達を、ジョゼフは次々と陥れ、破滅させてきた。

すべては、それら罪の重さによって再びこの空虚な心に人並みの震えを訪れさせるために。

己が罪の重さに人として泣くための罪悪感こそ、ジョゼフの求める望みなのだ。


そしてジョゼフの狂気の言葉に、男は自責に疲れたその心を揺り動かされる。

ジョゼフの言葉には倫理が崩壊していたが、しかし一抹の道理も確かに通ってもいる。


そも、自分が騎士などではなかったならば。

悪を悪とも思わぬ外道であったならば。

罪も罰も介さぬ、自らを律する事も忘れた狂える鬼とさえなれたならば。

そうすれば―――あるいはこの苦悩の自責からも解放されるのではあるまいか。


そんな男の心の動きを察して、ジョゼフはニッコリと笑顔を浮かべる。

『サモン・サーヴァント』とは、術者に最もふさわしい者が呼び出されるという。

そのことを思い出し、ジョゼフはなるほどと頷いた。


悲嘆をもたらす罪の意識を求める虚無の王と、その罪によって自らを責め苛む裏切りの騎士。

この両者の巡り合わせは、まさしく出会うべくして出会ったものと言うべきだろう。


「騎士よ。そなたにこれを与えよう」


そう言ってジョゼフが男に差し出したのは、毒々しい色素の液体を入れた小瓶。

中に入る液体は、このハルケギニアにおいて人間らにとっての脅威の象徴たるエルフによって調合された水の秘薬だ。

精神に干渉するこの秘薬が、ちょうど今自分の手にあったという符号にも、ジョゼフは運命を感じずにはいられなかった。


「この薬を口にしたが最後、そなたの精神は狂乱の檻に囚われ、あらゆる自己は排除される。そして後は余に操られるだけの奴隷と化すであろう」


差し出す液体が破滅をもたらす物であると、ジョゼフはあっさりと明かす。

メイジの使う系統魔法とは異なる、先住魔法と呼ばれるエルフの技の産物たるそれは、一度口にすればもはやいかなる治癒も受け付けない絶対の呪いだ。

そのような自らを破滅させる代物と明かされて、差し出されたそれを大人しく受け取る者などいるはずもない。


だが、自らの在り様によって拭い切れぬ自責を負わされた男は、しばしの黙考の後それをしかと受け取った。


「構わない。今さら身を惜しむ気などありはしない。これを口にする事でこの無念を忘れられるならば、後の我が身は貴殿の好きにするがいい」


感情の伴わない淡々とした口調で、男は答えた。

これまでの短い会話だけでも、ジョゼフが礼節や誠実といった言葉からかけ離れた、狂気に彩られる人物である事は分かる。

そんな者の傀儡となるという事は、すなわちこれまで信奉し続けてきた気高き騎士道に真っ向より反抗するということだ。


だがそれでも、男は躊躇わない。

元より、その気高い在り方こそが男を苦しめてきた何よりの要因である。

その誇りからの堕落こそが男にとってのまぎれもない願いであり、ようやく見出した救いの道だ。

ならばこそ、この狂王の傀儡となる事に躊躇する理由などない。

彼が示すであろう道こそが、男の願望の成就に導く救済の手なのだから。


手にした秘薬を、男はぐっと喉に流し込む。

男には魔除けの指輪の加護による、魔術や呪いに対抗する抗魔力を有していた。

だがそれも、男に初めから抵抗する意志がなければ、その力が発揮されることはない。

秘薬の魔法は男の体内に容易に浸透していき、その存在のすべてを書き換えていく。


そうして、かつて『完璧なる騎士』と皆に称えられた騎士は消え失せ―――狂える『神の左手』、暗黒のガンダールブがハルケギニアの地に生誕した。










グラン・トロワの一番奥に位置する大部屋で、ジョゼフは部屋の中心に広げられた盤面に向かい合っている。

差し渡し十メイルにも及ぶだろうその巨大な盤面は、これまで彼が興じてきたチェスのものとは明らかに異なっている。

盤上に置かれる駒は、人の姿をした槍兵、弓兵、銃兵、騎士、竜騎士など、多種多様の種類がある。

更には軍艦を模したのだろう駒の姿も見え、それは明らかにチェスで使われる駒とは異なっていた。


これこそが、ジョゼフが自らの手で生み出した新しい遊びだ。

チェスのように単純な駒同士の進行の応酬とするのではなく、戦場ごとの戦いの勝敗をサイコロによって決定することで、結果に揺らぎを生じさせる。

さながら現実の戦いのように時の運気も含ませたこのゲームならば、チェスのようにやり飽きてしまうという事もないだろう。


―――否。このゲームは“現実の戦いのように“ではなく、まさしく現実の戦いに並列して行われるのだ。


「フン♪フフフフーン♪フンフフーン♪」


上機嫌に鼻歌を口ずさみながら、ジョゼフは駒を盤面の上に並べていく。

色分けされた盤上に、それぞれの色の駒が次々と並べられる。

駒が並べられている陣地は、現在のところは一番上に位置する大きな赤の陣地と、そのすぐ隣にある小さな緑の陣地。

そして海と思しき地形を挟んだ、ポツンとした小島のような黄色の陣地の三箇所だ。

下には広大な地を占有する青に陣地があるが、そこには今の所なんの駒も置かれていない。

そしてジョゼフも、駒を盤面に並べ終えた後は特に何もするでもなく、整えられた盤上を見下ろした。


「さて、いよいよ対局の始まりだ」


前座の場面は終わり、対局を彩る駒達はついに出揃った。

現在は戦力の充実した黄色の陣地に対し、赤と緑の陣地が同盟を結ぶことで牽制を謀っている。

そして青の陣地は今のところは静観の姿勢と保ち、それぞれの陣営を見守っている。

この盤上の配置は、まさしくこのハルケギニアの縮図の姿であった。


臣下や国民達より嘲られ、本人も自室の遊戯に興じてばかりと揶揄される『無能王』ジョゼフ。

その評判に間違いはなく、国事にもロクに携わろうとしないという事も確かな事実だ。

王としての価値を問うのならば、ジョゼフはまぎれもなく暗君と分類されるだろう。


だが彼は周囲が思っているような愚昧な無能者などでは断じてない。

無能などという侮蔑のレッテルに隠れ、その裏では誰よりもこのハルケギニアの事を見つめ、把握している。

彼が国事に関わらないのは表の話で、裏では数々の謀略にて人々を操り、ガリアのみならずこのハルケギニア全体さえも裏で操る鬼謀の持ち主。

そしてその謀略の数々のすべてを、自らの欲望のためだけに行使する狂気の王。

それが『無能王』ジョゼフという人物の実態だ。


「とはいえ、やはり色のみでの分け方というのは味気ないなぁ・・・。よし、今度国中の細工師達を集めさせ、この対局にふさわしい箱庭を作り上げるとしよう」


盤面を眺めながら、ジョゼフは上機嫌に独り言ちる。

その時、鈍子の陰より小男が現われて、ジョゼフに何かを耳打ちした。


「・・・何?ランベルト領に動きがある、だと?」


間者からの報告に、ジョゼフは不快そうに眉をひそめる。

ランベルト伯爵とはかねてよりオルレアン派として知られていた人物であり、あの先王崩御後の継承争いでも次男のオルレアン公を次の王にと推していた。

また有能さもジョゼフが王位に就いた今もなお、宮廷内での発言力を完全には失わないほどの知略も持ち合わせている。

あえて口にするような愚は犯していないが、現体制に対して不満を持っていることはほとんど明らかの人物である。


ランベルトの顔を思い浮かべ、ジョゼフはめずらしくその面に不愉快さを顕わとした。

例え疑わしくはあっても、尻尾を掴ませるような迂闊さはランベルトには無く、まさに違法と合法の境界線上で立ち回っている。

証拠もなく表だって討伐することは出来ないし、宮廷内でもそれなりの立場がある人物なので、暗殺などの強引な手段に訴える事も難しい。

今さら忠義の類などどうでもよいが、あまりないがしろにしすぎる事も出来ない。

このガリアの軍や民にはいざという時に自分側の駒として動いてもらわなければならないし、自分の意向を通すための手駒は必要だ。

そういう意味で、ランベルト伯爵はジョゼフにとって実に目触りな存在だった。


「全く、無粋な輩よな・・・」


間者の話では、あの伯爵はまた何かを企んでいるらしい。

さすがにいきなり革命までは考えていないだろうが、それでも自分らにとって愉快な話ではないことは確かだ。

今の時期に周囲をあまり引っ掻き回されるのは体制的にも、個人的にもよろしくない。

これからいよいよ世界を擬えたゲームが始まるというのに、まったくもって空気が読めない奴だ。


これまではそれなりに大人しくしていたので見逃してきたが、やはり禍根は早いうちに絶っておくべきだ。

あっさりとそう考えなおし、ジョゼフはパンパンと手を鳴らした。


「黒騎士。出てこい」


ジョゼフの呼びかけに応じ、室内の陰に掛った暗闇よりその身を暗黒に染め上げる騎士が現れる。

今の彼はジョゼフの使い魔として、ジョゼフの勅命にのみ動いている。

行う事はガリア騎士団の暗部、北花壇警護騎士団とほぼ同じようなものだったが、二つには決定的に違うものがある。

北花壇警護騎士団はガリア王家のために動くのに対し、黒騎士はあくまでジョゼフのためだけに動いている。

故に今回のランベルト伯爵のように、あくまでジョゼフ個人にとって忌々しい要因の排除の役割を、黒騎士は負っていた。


「黒騎士よ。命令だ。ランベルト領を消してこい。その場にて目に映るものはすべて破壊せよ。皆殺しだ」


ジョゼフの下したその命令を、黒騎士は一瞬も迷うことなく了承する。

命令の非道性も、この黒騎士にとっては何の意味も為さない。

今の彼には悪行を悔いる心も、自らを律する理性もない。

ただジョゼフの言葉によってのみ駆動し、本能のままに己が殺戮の武芸を振るう殺人兵器に過ぎないのだ。


ジョゼフの言葉に何一つ答えず、ただ無言の了承を以て黒騎士は部屋を後にしていく。

その後ろ姿を頼もしく見つめながら、ふとジョゼフの脳裏に過ぎる思いがあった。


(そういえば、名前を聞くのを忘れていたな)


懐く絶望にばかり目がいって、何においてもまずすべきであろう事を完全に失念していた。

そして今となっては、それはもはや尋ねる事の出来ない事柄である。

問いに答える黒騎士の理性は、他ならぬジョゼフ自身が与えた秘薬によって、すでに破壊された後なのだから。


「まあ、別によいか。名前など」


だがすぐに、ジョゼフは肩を竦めてあっさりと自らの失念を忘れる。

あの男の望みは、過去の自分の誇りと忠義との決別にある。

ならば自らの存在を表す名前など、真っ先に捨てるべき事柄だ。


あの男が何者で、どこから来たのか、ジョゼフは何一つ知らない。

知る必要もない。

あの男には他者の共感や期待など不要であり、あるべきはケダモノの如き殺戮の牙だけでよい。

それ以外のすべては、男にとっては単なる余計でしかないのだ。


ああ、やはりあの男こそが自分の傍らにふさわしい。

片や、かつての愛する者を手に掛けた罪により、嘆き震える心を失った男。

片や、かつての不忠の罪を責め続け、心をすり減らし摩耗させていった男。

共に自らが犯した業によって苦しめられ、破滅の中に救いの道を見出そうとしている。

これほどまでに似て非なる在り方を持った自分達に、今さら余計な情報など必要ない。

ただ肩を並べ、共に同じ道を歩むことのみで、自分たちの関係はすでに完成しているのだ。


「さあ、共に歩もう、黒騎士よ。俺の心が哀しみに痛むまで。お前の栄光が泥に塗れるまで。

あらゆる物を壊し、あらゆる民を殺し、この世のあらゆる美徳と価値に唾を吐きかけてやろう。すべての悪行をやり尽くし、取り返しのつかぬ事態に我が身を追い込んでやろう。

俺達の救いとは、きっとその畜生道の果てにある。さあ、破滅の道果ての救いを、共に掴もうではないかっ!!」


声高に叫ぶジョゼフの哄笑が轟く。

無言のままに歩む黒騎士の鎧の軋む音が鳴る。

静動分かたれる両者の奏でる音が二重奏となり、グラン・トロワの室内に響き渡った。







[2589] [14]王と惚れ薬
Name: river◆59845e73 ID:7b0557a8
Date: 2008/05/26 04:46




[14]王と惚れ薬










「あ・・・、ぐぅがぁっ・・・っ!!」


王軍の砦たるニューカッスル城より少しの距離を置いた場所の、さっそうと木々が生い茂る森林地。

人の手に依らぬ森の獣道を、苦悶の呻きを漏らしながらワルドは進んでいる。

いや、今の彼のその様は進むというより、這いずるといった形容のほうが正しいだろうか。


かつての凛々しく精悍たる佇まいは見る影もなく、あるのは傷つき打ち捨てられた無様さのみ。

衣服はボロ雑巾のように引き裂かれ、肉体のあらゆる箇所には深い傷が穿たれている。

左腕は中途より千切れて欠落し、這いずる毎に地面に鮮血がべったりと張り付いた。

下半身のほうは、さらにひどい。

両足共に中途より引き千切れ、溢れだした鮮血が下半身全体を赤黒く染め上げている。

もはや、どこが肌で、どこが肉塊と化しているのかも判別がつかなかった。


その自らの下半身の惨状を、ワルドは認識していない。

今のワルドには視線を動かすだけでも重労働であったし、感じていた激痛もしばらく前から脳が情報を遮断している。

己の身体の無残さを更に自覚せずに済んだことは、ワルドにとっては幸運だっただろう。

ただの醜い肉塊と化したこの肉体の姿には、いかに屈強な精神を持つ戦士といえど、発狂を避けられまい。


(こんな・・・、こんなところで俺は・・・っ!!)


心中で呻きながら、ワルドは残された右腕のみで地面を進み続ける。

常人ならばそれだけでショック死してしまいかねない痛みに曝されながら、なおもワルドを動かすのは貪欲な生への執着である。


まだだ、まだ死ねない。

自分はまだ、何一つ為し遂げていないのだ。

このままでは目指した聖地にも、見定めた理想にも届く事無く、ただ徒労のままに自分という存在が消えてしまう。

あれだけの年月を重ね、あれほどの努力を費やした自分の生涯が、こんなにも簡単に終わってしまうなど、断じて認められない。

そう、こんな結末など認めてなるものか、このまま死んでたまるものか。


(必ず、必ず生き抜いてやる。そして再び、彼と・・・っ!!)


生きる―――何としてでも生き延びてみせる。

その圧倒的な生の執着が、すでに死に体のはずの今のワルドの身体を動かしていた。


「―――随分と手酷くやられたようだね、子爵」


そんなワルドの元に、投げかけられる声があった。

頭上よりの声に反応して、ワルドは視線のみをなんとか上げる。

そこには聖職者のような格好をした、どこか亡霊じみた面を持つ三十代半ばほどの男が立っていた。


「しかしながら、君は同時によくやってくれた。君は敵軍の勇将を一人で討つという、めざましい働きをしてくれた。まあ、アンリエッタの手紙が手に入らなかった事は残念だが、それよりも確実にウェールズを仕留める事こそ重要だ。これより一つになるアルビオンに、王家の血筋は邪魔だからね。まずは君に、この功績を讃える言葉を送ろう」


ワルドの重傷のほどにも構わず、男はペラペラとしゃべり出す。

語りがいちいち道化めいたこの男の名を、ワルドは知っていた。


男の名はオリヴァ―・クロムウェル。

かつては一介の司教であり、今はアルビオンを中心とした各国貴族たちによる共和同盟『レコン・キスタ』の明主。

そして何より、求心力の根源にもなっている『虚無』を自称する未知なる魔法の使い手。

かくいうワルドも、その未知の力に引かれて手を取ったクチだ。

突然の自分の王たる者の登場に、ワルドは驚いた。


「故に、君は何も気に病むことはないよ、子爵。君は立派に務めを果たしたのだ。誇っていい。その負傷は、まあ名誉の傷跡という所であろう」


ワルドを見下ろしながらクロムウェルはなおも高説を並べていく。

だがそんな言葉など、今のワルドには半分も耳に入らない。

何しろ、彼は今まさに死の危機に瀕しているのだ。

今はどんな称賛の言葉よりも、まずはこの身の治癒こそを欲しているのは言うまでもない。


だというのにクロムウェルは治癒するでもなく、誰かを呼びに行く様子もなく、いまだに話を続けている。

こちらは激痛と死の冷たさに苛まれているというのに、その呑気な様子には正直頭にきた。

何か言ってやりたかったが、喉に血でも詰まっていたのか、声を出そうとすると代わりに血を吐き出した。


ゴホゴホッと吐き出された血が、地面の雑草を赤に染める。

その様子を、高説を続けながら眺めていたクロムウェルは、ふとその口を止めた。


「・・・苦しそうだね、子爵」


今さらすぎる問いかけに、ワルドは歯噛みする。

そんなことは、この姿を見れば分かるだろう。

そんな分かりきった事を確認しているヒマがあるなら、早く処置をしてくれ。

ご高説は後でいくらでも聞いてやるから、今は一刻も早く治療を・・・。


「ひどい傷だ。一体どのような攻撃を受ければ、こんな有様となるのか。・・・残念だが、これはもう手の施しようがない」


そのあまりにあっさりと告げられたクロムウェルの言葉に、ワルドは一瞬呆けた表情を浮かべた。


「この傷はただの刃で付けられた傷ではないね。こうして見ているだけでも、傷の異常性が分かる。そもそもこのような身となって、どうしていまだに生を保っていられているのか・・・。あるいはそれも攻撃の効果なのかもしれないが・・・、それも長くは保たないだろうね」


淡々と告げられてくるクロムウェルの言葉に、ワルドの心にふつふつと絶望が浮かんでくる。

これまで遠ざけて意識しないようにしていた死に対する実感が、急激に浮かび上がってくる。

そしてそれと同時に、死への恐怖にも先じて、激しい悔しさと怒りの念が湧きあがった。

その激情は誰に対して向けられたものではなく、このあまりに無様な己の死の結末そのものに対して向けられたものだった。


「・・・生きたいかね?子爵」


平静な口調のままに、クロムウェルが尋ねてくる。

その問いにワルドは、身を苛むあらゆる激痛を押し殺して、顔を上げてクロムウェルを睨みつけた。


―――当たり前だっ!!

訴えかけるようなギラギラとした視線が、クロムウェルを射抜く。

声が出ないからその視線のみで、ワルドは己が生への執着を示した。


その反応に、クロムウェルはニッコリとこれまで以上に不気味さを感じさせる笑みを浮かべてみせた。


「いいだろう。では、余が君を救おう。他の者には出来ぬことではあるが、なに、余にとっては造作もないことだ」


そう言うとクロムウェルは、懐より何かの塊を取り出し、ワルドの目の前に置いた。

深く、奥底まで沈み込むような漆黒を湛えたそれは、形容するならば“闇”という言葉を形とした結晶体。

その暗闇は見る者に不快感を与えずにはいられない、呪詛めいた何かを帯びている。

そんな物が至近に置かれ、ワルドは顔を背けることも出来ずに凝視した。


「その“種子”を受け入れたまえ、子爵。そうすれば君は助かり、また大いなる力を得る事が出来る」


甘く囁き掛けるような、クロムウェルの声が聞こえてくる。

だが目の前のそれの異形さは、ワルドにそれを素直に受け入れさせるのを躊躇わせた。


「ぐっ・・・!ゴホッ、ゴホッ!!」


だがその迷いも、次に起きた吐血で消え去る。

先ほどまではあれほど強く感じられていた激痛が今は希薄となり、意識のほうも急速に薄まっている。

代わりに身体には、ぞっとするような冷たさが這い上がってきていた。


ワルドは悟る。

自分は今、急速に死に近付いている。

恐らく後何秒もしない内に、この身体からはあらゆる生の活力が失われるだろう。

眼前に迫った死の感覚を、ワルドはこれまでで最も強く実感した。


選択の余地などない。

目の前の物体がいかに不気味でも、今はクロムウェルを信じてそれに頼るしか生存の道はないのだ。

例えそこにいかなる代償があろうとも、命には換えられない。


決意して、ワルドは最後の力を振り絞って、目の前の暗黒の“種子”へと手を伸ばした。










タバサのシルフィードに跨って、アルビオンを脱出したギルガメッシュ達。

魔法学院へと戻る一行の中、一人ルイズだけは王都トリスタニアに降ろされた。

目的はもちろん、アルビオンでの件をアンリエッタに報告するためだ。


ルイズを一人降ろしたシルフィードは、皆を乗せて一足先に魔法学院へと向かって飛ぶ。

自分の帰りは、馬を借りてのことになるだろう。

これからアンリエッタにしなくてはならない報告の内容を思いながら、陰湿な面持ちでルイズはそう考えた。


アルビオンでの内乱の件もあり、戦争が近いと噂もあってか、城の警備はいつもに増して厳重に行われていた。

密命ということもあって確かな命令書も何も持っていなかったルイズが取り次ぐ事は困難だったが、途中でアンリエッタが現れてくれたことであっさりと解決した。

ルイズはアンリエッタの私室へと連れられ、そこでアルビオンで起きた事を包み隠さずに報告した。


「そう・・・。ウェールズ様は・・・」


ルイズの報告を聞き、アンリエッタは表情の深い落胆と悲嘆の色を見せる。


アルビオンまでの道中の経緯。

空賊になりすましていたウェールズとの出会い。

ウェールズには亡命を勧めたが、断られたこと。

そして『レコン・キスタ』の内通者であったワルドによって、その命が奪われてしまったこと。

ただ第一の目的である、過去にウェールズに宛てた恋文だけは取り返したこと。


アンリエッタの望みを果たせなかったことへの負い目も込めて、一切の虚偽を挟まずにルイズは報告した。


「申し訳ありません、姫様っ!!私が裏切り者の存在に気付かなかったばっかりに、ウェールズ様は・・・」


精一杯の誠意を込めて、ルイズは謝罪した。

ぎゅっと目を瞑り、深々と頭を下げる。

だがそんなルイズの言葉にも、アンリエッタはいつまでたっても答え返そうとはしなかった。


怪訝に思って、ルイズは顔を上げてアンリエッタの顔を覗き見る。

アンリエッタの表情に浮かんでいたのは、ルイズの予想していたウェールズを失った事の嘆きだけでなく、どこか悟ったような自嘲であった。


「・・・先日、あなたの部屋でお会いした方」


「え!?」


唐突に予期していなかった話題を振られ、ルイズは戸惑う。

構わずにアンリエッタは言葉を続けた。


「彼は言っておりましたね。私には王道が無いと・・・」


言われてからルイズは、ギルガメッシュがしでかしたアンリエッタへの無礼を思い出す。

思い出してから、ルイズは慌ててあの時のことも謝罪しようとした。


「あ、あのときは申し訳ありませんでした!!あいつは、人を立てるってことを知らない高慢ちきでして、今後は私がしっかりと―――」


「いいのよ、ルイズ。あなたが謝る必要はないわ」


ルイズの謝罪を、アンリエッタは柔らかな口調で遮る。

そうしてからアンリエッタは、表情は変えないままに自嘲的な調子で口を開いた。


「だって、彼の言ったことはすべて本当の事ですものね」


「っ!姫殿下!?」


突然のアンリエッタの言葉に、ルイズは驚いて声を上げる。

アンリエッタは自嘲的な口調のままに続けた。


「私はずっと、この生まれた時より刻みつけられた王族という肩書きが嫌いでした。ただ王族であるというだけで自由にあることも出来ず、自己を殺して振舞わねばならない窮屈さを疎ましく思っていました」


これまでの己を振り返りながら、アンリエッタは自らの胸の内を吐露していく。

唐突に始められたアンリエッタの告白を、ルイズは呆然としながら聞いていた。


「誰もが私のことを王女として見るばかりで、一人の人間としての私を蔑にしたわ。そんな本当の私を見ようとしない周囲の者達が、私は忌々しくて仕方がなかった」


これまでアンリエッタが接してきた者達は、彼女の事をあくまでトリステインの王女としてだけ見ていた。

彼女の前に立つ者は何においても王女の肩書を意識し、それ以外の個人など見向きもしない。

彼らにとってアンリエッタとは王女という名の国の道具であり、彼女の価値はそれだけだった。


その事が、ずっとアンリエッタには煩わしかった。

自分は王女である前に一人の人間であり、断じて国の部品の一つなどではない。

みんな自分を王女として見るだけで、誰もアンリエッタという人間を個人としては見てくれない。

少しも自分の事を分かろうとしない、そんな者達を信用するなど出来るはずがないではないか。


ずっと、そう思っていた。


「けど、それならば私は、彼らの事をきちんと見ていたのかしら?」


そう、アンリエッタが王女という名の道具ではなかったように。

彼女が接してきた者達もまた、王家に仕えるというだけの臣下という名の道具ではなかったのだ。


彼らがアンリエッタの事を分かろうとしなかったように。

アンリエッタもまた、彼らのことを理解しようとはしなかった。

自分のことを分かってくれないとふて腐れて、自分から歩み寄ろうとしなかった。

自分は相手を理解せず、相手にのみ理解を求め、それが当然だと思っていた。

そのような一方通行の関係で、得られる信頼や理解などあるはずがなかったのだ。


「私を王女としてしか扱わない周囲の者に、私は目を閉じ、耳を塞いだわ。応対する態度にも目を逸らし、向けてくる言葉も真摯に聞こうとはしなかった。フフッ、とんだお笑い草ね。他ならぬ私が信頼を向けていないというのに、信頼に足る臣下など出来るはずがなかったのに」


「私がいます、姫殿下!!このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、常に姫様の忠臣です」


「そうだったわね、ルイズ。ごめんなさい、大切なお友達のあなたの事を忘れるなんて、どうかしていましたね」


きっぱりと告げてくるルイズに、アンリエッタは苦笑して答える。

だがそれでも、彼女の表情より自嘲の色が消えることはなかった。


「そう、私が心から信頼を置けるのはあなたくらい。それ以外の者のことなど、ほとんど顧みたこともなかったわ。

だからいつだって簡単に流された。今回も、枢機卿が信頼していると聞いて、自分では大して知りもしないワルド子爵に、あっさりと任務を任せたわ。

結果、彼の叛意を見抜けず、ウェールズ様は命を奪われた。私がウェールズ様の命を奪ったも同然ね」


「・・・いえ。ウェールズ様は最初から故国に残るつもりでした。姫様に責任はありません」


「そうでしょうね。我が国の名誉と、こんな愚かな小娘一人の懇願とでは、どちらが重いかなど考えるまでもない事柄ですもの」


「そんなっ!!ウェールズ様は姫様のことを最期まで愛し続けていました。それだけは、絶対に間違いはありません」


まるでウェールズが国と恋人の価値を天秤にかけたかのような言い方に、ルイズはムキになって声を上げる。

そのルイズの感情を納めるように、アンリエッタはぎこちない微笑を面に浮かべて見せた。


「・・・ありがとう、ルイズ。慰めだけでも、そう言ってもらえると嬉しいわ」


「これは慰めなんかじゃありません。確かな事実です!!」


「いいのよ、ルイズ。無理をしなくても、私は大丈夫だから」


取り付く間もなく、アンリエッタは柔らかな口調でルイズの言葉を拒絶する。

外面上は動揺の色も薄いように見えるが、やはりその心中はいまだ混乱と悲嘆の渦中にある。

無意識の内にウェールズに愛されていなかったと思いこんで、情愛よりもたらされる嘆きを少しでも抑えようとしているのだ。


そんなアンリエッタの気持ちは分かるが、しかしルイズにはそれを認めることは出来なかった。

確かにウェールズはアンリエッタの亡命の誘いよりも、国と共に滅び逝く道を選択した。

愛する人が残されているというのに、どうして自ら死に向かおうとするのか、ルイズはいまだに分からない。

一時は、彼の愛を疑ったこともあった。


だが今は、ウェールズはやはりアンリエッタの事を真剣に愛していたのだと確信している。

アンリエッタからの手紙を受け取った反応、彼女の婚儀を知った時の落胆、そして彼女の事を話す時の輝いた表情。

例え言葉では聞かずとも、そんなウェールズの態度のすべてが、彼の思いの強さをしかと示していた。


そんなウェールズの思いを知っているルイズだからこそ、例えそれが恋人を失った女性の嘆きに繋がるとしても、アンリエッタにだけは、彼の真の思いを知っていてもらいたかった。


「姫様。これを」


そう思って、ルイズはアンリエッタに一つの指輪を差し出す。

アルビオンより、ウェールズの形見として持ち帰った『風のルビー』だ。


「これは・・・!」


「今の際、ウェールズ皇太子より託されました。この『風のルビー』を、姫様に渡してほしいと」


嘘だった。

正確には託されたわけではなく、せめてもの形見として死体より抜き取っただけ。

ウェールズの言葉も、今ふと思いついただけの適当な台詞だ。


だがそれでも、ルイズの顔には嘘を躊躇うような迷いはない。

それでアンリエッタがウェールズの思いを信じられるなら、主君を虚言にて惑わす価値もある。

それにウェールズも、形見を残せるならばきっと同じことを言ったのではと思うのだ。


「ウェールズ様が・・・私に・・・」


つぅーと一筋の涙が、アンリエッタの瞳より流れ落ちる。

アンリエッタはルイズの手より『風のルビー』を受け取ると、愛おしそうにその表面を撫でた。


「・・・ありがとう、ルイズ。ごめんなさいね、くだらない愚痴に付き合わせてしまって」


「いえ、私は、与えられた役目を完遂できませんでした。本来ならお叱りを受けて当然なのに・・・」


「何を言うの。あなたの働きのおかげで恋文はこちらの手に戻り、同盟破綻の危機は事前に守られました。我が国は無事ゲルマニアとの同盟を果たし、かのアルビオンとも対抗できるでしょう。危機は去りました。

ウェールズ様を同盟させろなんて、私は一言も言っていないのだから。本当に、あなたはよくやってくれました。これは本当に誇っていいことですよ。この任務が内密のものでなければ、勲章の一つや二つも与えているところだわ」


そう言って、アンリエッタは力無く笑った。

そのアンリエッタの弱々しい姿に、ルイズは何も言えなくなってしまった。


「私はトリステイン王国の第一王女。そう、ただ“それだけ”の小娘。王として皆を導く信念も力も無い、弱くてちっぽけな一人の女。

こんな力なき王女には、せめて国のための道具として活用されることが相応しい役割でしょう」


「そんな・・・!」


あまりにも自分を卑下するアンリエッタの言葉に、ルイズは咄嗟に反論を口にしかけた。

ルイズにとってアンリエッタとは、自らが仕える敬愛すべき主君。

侯爵家の息女として、主君に不足なく忠誠を捧げることこそ、貴族の本懐と教えられてきた。

そんな絶対と信じるアンリエッタの口より自嘲の言葉など聞きたくなかった。


だが、今のアンリエッタの姿を見ていると、かけるべき言葉がうまく見つけられない。

今ルイズが目にするアンリエッタの姿は、絶対性を信じるにはあまりに頼りない。

その弱々しい姿は、アンリエッタが自分と同じ人間であることを強烈に実感させた。


これまでは、アンリエッタの言う事はすべて正しいのだと、理屈もなく信じ込んできた。

主君であるアンリエッタの言葉に従い、その通りに行動することこそ、自分が歩むべき道だと確信していた。

だがそんな思いは、今のアンリエッタの姿の前に急速に薄れていく。

主君であるはずの目の前の人物の姿は、自分が迷いなく付いて行くべき王ではなく、ただの一人の儚い少女のそれだ。

そのようなか弱い彼女に強さを期待するのは、むしろ酷な事なのかもしれない。

呆れるのではなく、同情的な視線を向けて、ルイズはそう思った。


「旅の前にあなたに渡した『水のルビー』。まだ持っているかしら?」


「あ、はい。お返しするのが遅れて申し訳ありません」


「いえ、それならばどうかそのまま、あなたが持っていて。私はもうすぐゲルマニアへと嫁ぐ身。王家の秘宝たるその指輪は、トリステインに残しておくべきでしょう」


それだけ言って、アンリエッタはルイズに背を向ける。

その後ろ姿には、やはり王としての威厳や強さなど微塵もない。

あるのはただ、何も為せぬ自らを恥じ、そして諦観している無力でか弱い少女の背中であった。


その背中を、ルイズはただ見つめる事しか出来なかった。










ルイズらのアルビオンにおける奮闘より一カ月。


アルビオンでの内乱の結末の報は、またたくまにハルケギニア中に広がった。

ニューカッスル城に立て篭もった王軍の敗北、アルビオン王家の崩壊。

見事革命に成功した反乱軍は、古きアルビオン王国より名を変え、神聖アルビオン共和国の樹立を発表。

その初代神聖皇帝には、『レコン・キスタ』明主オリヴァ―・クロムウェルが就任し、更にその席にて聖地回復のための、ハルケギニアの統一を堂々と宣言した。


この宣言はハルケギニアすべての者、特にトリステインの人々に衝撃を与えた。

それはすなわち、事実上の世界征服宣言。

そうなれば真っ先に標的をなるのは、この小国たるトリステインを置いて他に居ない。


強国アルビオンに攻められてはひとたまりもない

いや、近いうちにアンリエッタ王女とゲルマニア皇帝の同盟を前提とした結婚がある

ゲルマニアと連合出来れば、アルビオンとて手を出せまい

いやいや、アルビオンはそんなに甘い相手ではない

そもそもゲルマニアが本当に助けてくれるかなんて保障はないではないか


様々な噂が人々の間で囁かれ、貴族も平民も関係なく話題の種は決まってそれとなった。

あらゆる家で、あらゆる場所で、人々は明日来るやもしれぬ脅威に不安を覚える。

トリステインに暮らす誰の心にも暗雲が立ち込め始めていた。


「ふぅむ・・・良い湯加減だ。なかなかの手際だぞ、シエスタよ」


「はい。ありがとうございます」


しかしそのような暗雲も、唯我独尊たる黄金の王には薄闇の役割にさえなりはしない。

像が傾ける瓶より注がれる金色の湯船に浸かりながら、実にリラックスした様子でギルガメッシュは機嫌良い声で言った。


ギルガメッシュがいるのは、魔法学院の敷地の一角に建てられた彼専用の浴場だ。

魔法学院内の敷地の一部を、オスマンより半ば強奪に近い形で譲り受け、労働用の人形達を使って建造したのである。


魔法学院には貴族用の風呂もあったのだが、そんなものではギルガメッシュは満足しなかった。

誤解が無いように断っておくが、貴族達が使用する風呂も決して質素なものではない。

浴槽は大理石で作られ、湯には香水が混じった、見事な大浴場だ。

だがその基準も、あくまで常人にのみ通用する話。

この世の財を集め、贅の限りを尽くしたギルガメッシュの目には、それすらも質素なものと映ったのだ。


そして築かれたこの黄金の浴場は、もはや人の想像が行き届く領域を超えた極楽の園である。

黄金で作られた二十メイルに及ぶ浴槽には魔術的措置が施され、湯の温度調整はもちろん、入浴者の身体にも好影響を与える。

浴場の中心に立つ女神像に抱えられた瓶より、湯船に無限に流れ注がれる湯も、単なる水ではもちろんない。

それもまたギルガメッシュの宝物庫に貯蔵された宝であり、数多の伝承に存在する傷ついた者の身体を癒す生命の水だ。

世界広しといえど、これほどの効能を持った浴場を用意できるのはギルガメッシュをおいて他にはいないだろう。


「そら、何をしている。主の身の世話をするのが侍従の務めであろう。湯加減の次は我の身を洗わんか」


「えぇっ!?ははは、はいっ!!」


ギルガメッシュの言葉に、湯加減の調整を行っていたシエスタが顔を真っ赤にして仰天する。

元より力の無い従者に使わせることを前提としていた術式のため、浴槽に刻まれた魔術の調整はシエスタでも可能なのだ。


それはさておき、ギルガメッシュの下した今の命令にはさすがのシエスタも戸惑いを隠せない。

なにしろシエスタは初心な村娘として、男性経験はおろかまともに肌を見た事もこれが始めてである。

そんな小娘にはギルガメッシュの身を洗い流すという行為はかなり刺激が強かった。


とはいえ無論、そんなシエスタの羞恥心でギルガメッシュが自分の言葉を覆してくれるはずもない。

覚悟を決めてシエスタはギルガメッシュの後ろに膝を下ろすと、その背を洗い始めた。


シエスタの手にする絹が、ギルガメッシュの精悍なる肉体に触れる。

湯気によって曖昧だった視覚情報も、真近に接近した今でははっきりと脳髄にその光景を映し出していた。

神の子として祝福された彼の肉体は一切の無駄なく引き締められて鍛え抜かれ、男性ならではの艶に溢れている。

その裸体の薄い絹越しの感覚に、シエスタは羞恥よりも純粋に魅了されて、呆けた表情を浮かべていた。


「・・・どうした。そんな微力では落ちる垢も落ちんぞ」


「っ!?も、申し訳ありません」


どうやら意識が上の空で、手元がおろそかになっていたらしい。

気を取り直して、シエスタは背を洗う作業を再開させた。


「それにしても、素敵なお風呂ですわね。今までは貴族の人たちが入っているお風呂が素敵だと思っていましたけど、これとは比べようもありませんわ」


何とか緊張を紛らわそうとシエスタは話し掛ける。

そうしていないと、また魅惑されて手が止まってしまいそうだった。


「当然だ。雑種共が浸かる湯船と、我の浸かる湯船。貴人と凡人とでは様式が異なって然るべき」


「はい。けど、一番素敵なのは・・・」


と、緊張による混乱のためか、それとも場の雰囲気に当てられたためなのか。


「貴方様、ですけれど・・・」


つい、大胆な事を口にしてしまう。


「・・・ふむ」


その言葉をどう受け取ったのか、ギルガメッシュは肩越しに振り返ると、シエスタの表情をじっと見つめる。

あのモット伯での一件以来敬愛を傾ける人に直に見つめられ、シエスタは羞恥から顔を紅潮させた。

そんな彼女の羞恥に追い打ちをかけるように、ギルガメッシュはシエスタの手を掴むとそのまま湯船の中に引きずり込んだ。


「きゃっ!な、何を―――」


「何だ?こういった展開が望みではなかったのか?」


驚くシエスタを正面まで持ってきて、不遜な笑みを浮かべてギルガメッシュは告げる。

ギルガメッシュの顔の寸前まで接近し、シエスタは更に面の朱を濃くした。


「ほう。凡夫の生まれとしてはなかなかに見れる顔立ちと肌艶とは思っていたが、肉付きのほうも悪くはないな。いいぞ、貧相な身体付きでは抱き甲斐がないからな」


湯浴みの付添という事で、シエスタはいつものメイド服から、薄地の軽装な服を着用していた。

湯が染み込み、水分を吸って透けた衣服は、その中に隠されたシエスタの柔肌を浮き上がらせる。

慌てて手で覆って肌を隠そうとするが、その手もあっさりと払いのけられた。


「ちょうどいい。女狐も悪くはないが、同じ女ばかりではいずれ飽きるからな。これからはお前にも、我の夜伽の相手をしてもらうぞ」


真正面よりじっと瞳を覗きこまれ、ギルガメッシュより宣告される。

それはかつてモット伯がシエスタに対して行おうとした事と同じ仕打ちだった。


だがシエスタの目には、かつての悲壮は見られない。

行為は同じでも、口にするのがギルガメッシュならばモットの時ほどの拒絶感は覚えなかった。

それどころか、この展開をむしろ喜んでいる自分さえいる。

これもギルガメッシュという男の持つ独特の人徳というものなのだろうか。


「ふむ、初心だとは思っていたが、やはり処女か。だが臆する事な。我の抱擁は奪うだけではない。抱いた相手にもまた同等の快楽を与えよう。お前はただ、この我に身を任せるだけでよい」


「きゃん♥」


シエスタの懐いたその考えは、その後の情事の快楽の中に飲み込まれ、いつしかどうでも良いものとなって消えていった。










自室のベッドの上に膝を下ろし、腕を組んでルイズは一冊の本と向き合っていた。

本の表紙は古びた革の装丁で、相当の年月を彷彿させる。

中の羊皮紙のページも色あせて茶色のくすみ、触れればそのまま崩れてしまうのではないかと思わせた。


本の名は『始祖の祈祷書』。

トリステイン王家に伝わる、始祖ブリミルが残した四つの秘宝のひとつである。


王家より送り届けられたというこの祈祷書を、ルイズは学院長のオールド・オスマンより預けられていた。

ルイズは宮廷の作法にそれほど詳しくはないので知らなかったが、王族の婚儀の際には貴族の中から巫女を一人指名する習わしがあるという。

指名された巫女は、この『始祖の祈祷書』を手にして婚礼を祝する詔を詠み上げなければならないらしい。

そして近日中にゲルマニア皇帝との結婚を控えたアンリエッタが巫女として指名した貴族が、ルイズだったのだ。


此度のアンリエッタの婚儀には単なる男女の関係だけでなく、軍事同盟の締結という重要な意味合いも含まれている。

同盟の締結はアルビオンの侵略の脅威にさらされているトリステインにとって歓迎すべきことだ。

ならばこそ、国民中が今回の結婚を祝福している。

だがルイズには、他の皆のようにこの結婚を素直に祝福することは出来なかった。


アンリエッタとゲルマニア皇帝の間には恋愛の感情は無い。

親と子ほども年齢の離れた両者の間には、ただ国政のためだけの縁のみがある。

常時ならば野蛮と見下すゲルマニアとの結婚と、その見返りの軍事同盟は、トリステインにとっても屈辱の選択だっただろう。

そしてそんな苦渋の婚儀に、アンリエッタは政略の道具として捧げられる。

それは先日にアンリエッタ本人が言っていた通り、国家のために道具として活用される道に他ならない。


ルイズにとってアンリエッタは主君であると同時に、幼馴染みであり親友だ。

未だ恋人を失った悲しみから抜け出せていないだろう彼女の心中を察すれば、このような国のための政略結婚など祝福できるはずがない。

そんな自分が婚礼の巫女を務めるというのは、考えてみれば何とも皮肉なことだった。


(いえ、駄目よ、ルイズ。姫様は私を信頼して巫女の役に指名してくだされたんだから。姫様のご期待にちゃんと応えないと)


そう思いなおし、暗雲とした思いを頭の中から振り払うと、ルイズは再び婚儀の場で詠み上げる詔を考える。

式の草案はもちろん宮中が考えるのだが、詠み上げる詔だけは台本ではなく、巫女本人が考えなければならない。

先ほどからこうして祈祷書と向き合っているのも、何か良い詔が思いつかないか思案しているのである。

だが詩の才能を持たないルイズにとってその作業は思った以上に難題だった。


「何だ、本を相手に唸り声など上げて。ついに呆けたか、ルイズよ」


その時、部屋のドアを開いて、ギルガメッシュが姿を現した。


「ああ、戻って来たの。・・・って、何だかアンタ妙にツヤツヤしてない?」


「湯浴みに行っていたからな。状態は万全だ」


湯浴みと聞き、ルイズはああ、と思い至る。

先週だったか、ギルガメッシュがいつの間にか建造した、貴族用風呂さえはるかに上回る彼専用の浴場の事だ。


あの浴場の事はルイズの頭にも印象強く残っている。

ギルガメッシュが建築したというその浴場の話を聞いた時、早速ルイズはその浴場を自分も利用しようとした。

使い魔の物ならば、主人たる自分が使う事に何の問題もないと、そう頭の中で論理を立てて。

だがその先で待っていたのは、全身を駆け巡り弾き飛ばした電撃と衝撃の洗礼だった。


後で聞いてみた所、あの浴場には持ち主の許可の無い者を門前払いするための仕掛けが施されているらしい。

この場合での持ち主というのは、言うまでもなくギルガメッシュの事である。

ルイズはギルガメッシュに対し自分もその浴場を使えるようにしろと要求したが聞き入れられず、何とか仕掛け抜けられないか試し、三度ほど同様の洗礼を味わった所で、この話をあきらめたのだ。

ルイズにとってもかなり苦い経験であったため、今でもはっきりとあの浴場の事は頭の中に刻まれていた。


「いや、でもなんか、いつにも増して肌艶がいいように見えるんだけど・・・」


「そんなことより、お前こそ本を相手に何を悩んでいる。それとも、本当に白痴と化したか?」


「違うわよ。姫様の結婚式で詠み上げる詩を考えていたの」


ルイズは『始祖の祈祷書』を手に取ると、ギルガメッシュの面前に入るように突き出した。


「選ばれた巫女は王族の婚儀に立ち会い、この『始祖の祈祷書』を手に、両名に詔を詠み上げるの。これってすごい名誉なことなんだから」


「『始祖の祈祷書』?確かこの小国に伝わる秘宝であったな。有名が過ぎて贋作だらけと聞くが、それが本物だと?」


「失礼ね。正真正銘、これは本物よ。王家の婚儀の場に、偽物なんて持っていくわけないでしょう」


はっきりと、ルイズはそう答える。

だが言葉とは裏腹に、内心ではルイズ自身もこの祈祷書が偽物ではないのかと感じていた。


贋作入り混じりもはやどれが本物なのか判別もつかない『始祖の祈祷書』であるが、この祈祷書は筆跡が似てる似てない以前に、中のページすべてが白紙のままなのだ。

これでは偽物であるかどうかの前に、まず本としての体裁さえ取っていない。

思わず見栄をはって本物だと口にしてしまったが、実際にこれを本物だと豪語するのはかなり無理があると思う。

唯一根拠となりうるのは、王家より直接送られたという事実のみだ。


「ほう。どれ、見せてみるがいい」


「ちょっと、年代物なんだからそんな乱暴に―――ぶぎゃ」


抵抗しようとするルイズをはたき倒し、その手より祈祷書を奪い取る。

そのまま簡単にパラパラと本の中身を眺め見て、ギルガメッシュは呆れた表情を浮かべた。


「なんだこれは。白紙ではないか。確かに魔力はあるようだが、こんなもののどこが宝だと―――」


そう言いかけた時、ギルガメッシュの額でルーンが輝く。

額の輝きが煌めいた後、ギルガメッシュは呆れていた表情を一転させ、興味を引かれたように笑みを見せた。


「・・・ふん。なるほどな」


本を閉じ、不敵な口調で独り言ちる。

その時、地面にはり倒されていたルイズがフラフラとしながら起き上がった。


「ぐぐっ・・・。ま、満足したなら、さっさと返しなさいよね。まだ式で詠み上げる詔を考えてる途中なんだから」


叩かれ痛む鼻先を押さえながら、ルイズは返却を促すように手を突きだす。

その手をギルガメッシュはしばらく何気なしに見つめていたが、やがて手の中で本を軽く弄びながら答えた。


「いや、これはしばらく我が預かっておくとしよう」


「はあっ!?」


突然のギルガメッシュの宣言に、ルイズは慌てて手を伸ばす。

だが間に広がる体格差はいかんともし難く、本はあっさりと手が届く間合いの外へと行ってしまう。


「ちょっと、ギルガメッシュ!!どういうつもりよっ!?」


「なぁに、ほんの気まぐれよ。むしろ光栄に思うが良いぞ。古今東西あらゆる宝を収集し尽くしたこの我が、直々に品定めをしてやろうと言うのだからな」


もちろんそんな言葉を素直に受け取ることは出来ない。

王室よりの大切な預かり物だというのに、そんなギルガメッシュの気まぐれに付き合って、いつ返ってくるかも分からないままにしておけるはずがない。


何とか取り返そうと必死に手を伸ばして迫るが、それをギルガメッシュは容易く避ける。

そのまま窓より身を翻らせて、宙に躍り出て下の地面に降り立った。


「気が向いたなら返してやる。せいぜいお前は、気の利いた詔でも考えているのだな」


窓から見下ろす中で、ギルガメッシュはそうとだけ言い残すと悠然と歩み去っていった。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ!!」


一度そう叫んでから、ルイズは廊下へと駆けだしていく。

この部屋と地上までの高さは、ギルガメッシュにとっては苦にならないものでも、『フライ』や『レビテーション』の使えないルイズには十分に身に余る距離だ。

結局ギルガメッシュを追うには地道に階段を下りていくしかなく、ルイズは学生寮の廊下を猛然とダッシュしていった。










「ああ、嬉しいよ、モンモランシー。まさか君の方から誘いを持ちかけてくれるなんて。ようやく僕の愛が君にだけ向けられていることを理解してくれたんだね」


学園の中庭に設けられたティーラウンジの席のひとつで、ギーシュは対面に座るモンモランシーをひたすらに褒めちぎっていた。

それらの言葉をモンモランシーは視線を横に流しながら物憂げに聞く。

気の無い素振りを繕っているが、まんざらでもない様子である。


かつてギーシュと恋仲であったモンモランシーは、ケティとの二股の事実が発覚した時を境にきっぱりと別れを告げていた。

顔はハンサムだが女癖が悪く、おまけに妙に悪趣味な美的感覚まで持っている。

そのフラフラと移り気な彼の性格に、好いている自分が振り回されることにうんざりしたのである。

それからのモンモランシーは何とか依りを戻そうと迫ってくるギーシュの事も一切相手にせず、冷然と無視を続けてきた。


だがいかなる心境の変化か、今日のこの席はギーシュからではなくモンモランシーの方からの誘いで設けられた席だった。


「ケティとは本当に、ただの友人だったんだよ。彼女とは、その、少々散歩で一緒になっただけなんだ。やったことだって、せいぜい手を握るくらいだったし、やましい事なんてひとつもない。僕の瞳が本当に映しているのは君の姿だけさ」


愛用の薔薇細工の杖を優雅に振るって見せながら、ギーシュは語り続けていく。

その仕草にはやはりまだ青臭いぎこちなさが残っていたが、銀の光を煌めかせながら語るその姿は、少しは板についてきた感もある。


ギーシュの手にする薔薇細工の魔法の杖は、クラスの向上と共に花弁が銀製の物へと新調されていた。

『土』系統の魔法『錬金』は、対象とする素材が思い描く物質に近い成分であればあるほど、より練成しやすくなる。

『錬金』の媒介にあらかじめ銀を交えさせておくことにより、その呪文の難度や負担を軽減しているのである。


銀の『錬金』はトライアングルクラスの魔法であるが、だからといってトライアングルメイジならばいくらでも作れるという訳ではない。

より純度の高い金属の練成は、高位のメイジがその精神力を費やしても、ごく少量しか生成できないのだ(そのために『錬金』で生み出された贋金の乱立が防止されている)。

ギーシュの『錬金』する七体のゴーレムとて、何も全身のすべてを銀によって構成しているわけではない。

外見の銀製は、あくまで外面の装飾を彩るのみに用いられている。


では何ゆえゴーレムの錬金に銀などを用いているかというと、実はあまり実戦的な意味はない。

そもそも銀というものは希少な金属という点では優れていても、鎧の材料としては別段優れているものではない。

ギーシュのゴーレムの銀は、純粋に見栄えを良くする以外にほとんど効果を持たないのである。


これをタバサのような、魔法をより実戦的に運用をしていこうとする者にとっては、意味なき愚行と取られるだろう。

加えることにメリットは無く、それどころか銀の練成分余計に精神力を消費する行為など、彼女からは何の意義も見出されはしまい。


しかしその理論は、実戦を生き抜く孤高の戦士であるタバサの視点から下されるものだ。

これを戦士ではなく、貴族の視点から考えると、意味合いは全く違ってくる。


貴族にとって魔法とは、己が権威を表す力の象徴である。

故に生粋の貴族が魔法を用いる時、彼らはいかに魔法を見栄えする優雅なもの魅せるかに重点を置く。

その魔法の気品性こそが、そのまま貴族本人の品格や評価に繋がるからである。

現在でも頻繁に行われている貴族の決闘も、そうした優雅な振る舞いを実践する場のひとつだ。

社交性を重んじる貴族の場において、見栄えに労力を費やすギーシュの魔法こそ王道であり、タバサの実戦魔法こそが本来異端なのである。


「ああ、モンモランシー。君はまさに芸術だよ。何が芸術かというと、あれだ。なんといってもその金髪。まるで黄金の草原のようだよ。ああ、君の美しさの前では、かの水の精霊も裸足で逃げ出すに違いないさ」


多少ぎこちなさはあるが、こちらを褒めちぎるギーシュの言葉に、モンモランシーはチラリと外していた視線を彼に向ける。

その彼女の頬には、ほのかな紅潮の色が見られた。


ギーシュの魔法の力量の向上に伴い、彼の日常の振る舞いにも変化が起きていた。

ナルシストであったのは元からだが、そこに以前には見られない説得力が備わったのである。

それは以前の彼の上辺だけの虚勢ではなく、実力に裏付けされた自信の表れだった。


貴族の権威とは、自己崇拝の精神である。

万人の中に置いて、自らがいかに皆よりも優れた存在であるかを誇示することが、貴族にとっての美徳に繋がる。

ギーシュの銀製のゴーレムのように、貴族とは自らを高く見せるための労力を惜しまないのである。

例えば、ギーシュの実家であるグラモン家も、出征の際には戦とは何の関係もない見栄を張りまくり、自己の威厳をアピールしている(その結果、グラモン家はクルデンホルフ大公家に対して多大な負債を負う事になる)。

己を自尊するギーシュの態度は、貴族にとっての徳であるのだ。


その段階で、モンモランシーは大分ギーシュに対する評価を改善していたのである。

ギーシュはあの後も幾度となく自分にアプローチをしてきたし、その事も決して不快ではなく、むしろ嬉しささえあった。

そして、再びギーシュに対する好意を再認識する出来事があった。


それは、ある晩のこと。

何気なしにモンモランシーが夜の風景を眺めていると、その視界の片隅に映る人影があった。

気になってそちらに目を凝らすと、その人影はギーシュであった。

こんな夜更けになにをやっているのかと思い、外に出てモンモランシーはギーシュの様子を窺うと、そこには人知れず魔法の修練を行う彼の姿があった。


真の威厳とは、上辺のみの態度や能力だけでは決して生まれない。

十の成果を期待されたなら、二十の努力を以てそれに挑み、百の偉業を得んとするならば、二百の修練を以て掴み取る。

そうして積み上げる自律と克己の精神こそが、その者に真の高貴を芽生えさせるのだ。

ギルガメッシュとの決闘を経てギーシュに起きた真の変化とは、能力の向上ではなく、高貴の精神への変革であったのだ。


そんなギーシュの姿は、モンモランシーの胸をときめかせた。

元々付き合っていたくらいだから、嫌いではないのである。

そこに以前とは格段に何かが違うギーシュの姿に、有り体にモンモランシーは彼を惚れ直したのだった。


「モンモランシー、君を花に例えるならば、きっと君は薔薇だろうね。君の容姿は野に咲く薔薇のように可憐で美しいし、ちょっとツンとした態度もトゲのようで魅力だよ」


すでに歌劇一本分にも相当する量のセリフで、ギーシュはとにかくモンモランシーを褒めちぎる。

ただボキャブラリーが貧困なのか、いまいち似たような表現ばかり聞こえてくるのが難点だったが。


そんなギーシュを横目に見ながら、モンモランシーは適当な方向を指さして言ってみた。


「あら?裸のお姫様が飛んでるわ」


「何だって!?どこ?どこだい?」


真に受けて、ギーシュは食い入るような目付きでモンモランシーを指した方向に目を向ける。

そのギーシュの姿に、モンモランシーは改めて嘆息した。


少し見直したと思ったら、これなのだ。

確かにギーシュもいろいろと変わったようだが、肝心の女癖の悪さはまるで変わっていない。

仮にこのまま縒りを戻したとしても、遠くない内にまた浮気に走るに決まっている。


(やっぱり、これを使わないと駄目ね)


ギーシュの意識がずれている間に、モンモランシーは袖に隠した小瓶を開けて、ギーシュの前に置かれているワインの杯の中にそっと垂らす。

小瓶より零れ落ちた無色の液体は、違和感なくワインの紫の中へと溶け込んだ。


モンモランシーが取り出した小瓶の中身、それは惚れ薬である。

『香水』の二つ名を持つ『水』系統のメイジのモンモランシーは、趣味として魔法の薬、ポーションの作成を嗜んでいる。

今回彼女が用いた惚れ薬も、そんな彼女の趣味が生み出した産物の一つだ。


惚れ薬と言えば聞こえはいいが、要は精神改変の麻薬である。

使われた材料も通常のポーションとは比較にならないほど高価だし、精製自体が国の法律で禁止されている。

貯金のほとんどを叩いて作ったポーションではあるが、モンモランシー自身も実際に使うことになるとは思っていなかった。


だがこれでギーシュが常に自分だけを見てくれるならば、使う価値はある。

少々病んだような思考で、モンモランシーはそう思った。


「冗談よ。ちょっとからかっただけ」


「やだなぁ、驚かせないでくれたまえよ」


ヘラヘラと笑うギーシュに、微笑んでモンモランシーは言う。

そのままテーブルに置かれた杯を手に持ち、乾杯を勧めようとし―――


「やや、これは陛下」


モンモランシーの後ろに視線を向けながら、ギーシュは唐突に立ちあがって一礼する。

彼の視線を追うと、そこにはルイズに使い魔として召喚された黄金の王、ギルガメッシュがいた。


「ギーシュか。ほう、逢引きの最中か」


「いや、まあ、ははは・・・」


あの決闘の日を境に、ギーシュはこの男に対して並みならぬ敬意を抱いている。

どうしてそこまで敬うのか、その辺りの理由はモンモランシーもよく分からなかった。


「ふむ、よいぞ。男子たる者、女の一人か二人、いつでも侍らせておくくらいの心持ちでなくてはいかん。この我のように、というのは酷であろうが、まあ精進するのだな」


「ありがとうございます。無論、そのつもりであります」


間のモンモランシーを取り残して、ギルガメッシュとギーシュは会話を始めてしまう。

しかも会話の内容が何というか、まるで浮気することを推奨しているように聞こえて、モンモランシーはおもしろくなかった。

今日の席は自分とギーシュのためのものなのに、これでは自分だけが除け者のようではないか。


「おや、陛下。何やら喉の調子が芳しくないようですね」


「ん、ああ。確かにちと渇きを覚えるな」


浴場で十分の暖まりシエスタとの情事を楽しんだ後、ギルガメッシュは一度も水分を口にしていない。

受肉を果たした現在の肉ある身体は、正直に自らの欲求を脳に伝えていた。


そんなギルガメッシュの様子を見てとったギーシュは、ごく自然な動作で自分のものだったワイン入りの杯を差し出した。


「よろしければ、このワインをどうぞ。まだ口をつけておりませんので」


「おう。気が利くな」


そしてギルガメッシュもまた、差し出されたその杯をごく自然な様子で受け取り、喉へと流しこんでいった。

それを見たとき、モンモランシーはあッ、と低い声を上げた。


言うまでもなく、ギーシュのワインには先ほどの惚れ薬が入っている。

それを口にしたが最後、次に視界に映った者に対して強烈な恋愛感情を抱くのだ。

ギルガメッシュの立ち位置から考えて、次に視界に映るのは恐らくギーシュだろう。


ふと、モンモランシーはこれから起きるであろう展開を想像してみた。










「ギーシュ・・・お前は、我が物となれ」


「そ、そんな!いけませぬ、陛下。僕らは男同士ではありませんか」


「性別など、この我からすれば障害にもならぬ些事に過ぎぬ。同性の情事は、経験はないか?案ずるな。お前は大人しく、我に身を任せるだけでよい」


「ああ、陛下・・・」










(あは~、ちょっといいかも・・・♥って、いやいやいや)


脳内に沸いた淫らな妄想を、モンモランシーは振り捨てる。

だがそうしている間に、ギルガメッシュは杯に注がれていたワインの半分ほどを飲み干していた。


杯より口を離し、ギルガメッシュは再びギーシュを視界に納める。


(あああああ~~~)


思わずモンモランシーは目を覆った。

あの惚れ薬の効力は半端なものではない。

異性のみならず、目にしたならば同性であろうと例外なく作用するのだ。

効果の持続は一カ月ほどだが、その間にいかなる腐女子向けおピンクシチュが展開されるかは想像するに、いや妄想するに難しくない。


だがギルガメッシュの口より紡がれた第一声には、モンモランシーが妄想するような甘い声音は含まれていなかった。


「安酒だな。喉を潤す水程度の役にしかたたん。こんなもの、王の口に勧めるだけでも不敬に当たるぞ」


「も、申し訳ありません。いや、でも、それは結構いいワインだと聞いているんですが・・・」


「それはお前が王の舌というものを知らぬからだ、たわけ。かつて我が振舞ってやった神創の美酒、あれくらいでなければ我に勧めるには足りん」


「い、いや、あれはちょっと・・・。僕にはとても手が届きません」


お互い平然とした様子で、ギルガメッシュとギーシュは会話を続けていく。

その様子には、別段変った所は見られない。


(あれ?)


モンモランシーは首を捻った。

あの惚れ薬の効力は即効性のはずだ。

口にして次に誰かを目にしたならば、問答無用でその人物の事が好きになってしまう。

だがギルガメッシュの様子に変わりはなく、とてもギーシュに対する好意を増幅させたようには見えない。


(材料の配合、間違えたのかしら?)


調合時のことを思い返しながら、モンモランシーは疑問符を上げる。

その時、場に新たな声が響き渡った。


「や、やっと見つけたわよ、ギルガメッシュ・・・っ!!」


ギーシュとギルガメッシュ、モンモランシーの前に、ゼイゼイと息を切らしたルイズが飛び込んでくる。

彼女は周りのギーシュやモンモランシーなど視界の片隅にも入れず、ギルガメッシュのみを睨みつけていた。


「さ、さあ、今スグに、王宮から預かった祈祷書を・・・ゲホゲホッ」


息が切れた状態で話したためか、ルイズは激しく咳込む。

ルイズは近くで目に付いた飲み物―――ギーシュのもので、先ほどギルガメッシュが半分ほど飲んだワインの杯を手に取り、残りの中身を一気に飲み干した。


「気を取り直して。さあ、観念しなさい、ギルガメッ・・・シュ・・・!」


喉を潤し、改めて怒声を轟かせようとギルガメッシュを睨み据えて、ルイズはハッとなった。

みるみる内にその面貌に宿っていた怒気が喪失し、代わりに恋慕の念が浮かび上がってくる。

そして怪訝な顔をしているギルガメッシュの胸に、ルイズは泣きじゃくりながら飛び込んだ。


「どうしてそんなに意地悪ばっかりするのよ。私はこんなにギルガメッシュの事が好きなのに、ギルガメッシュはいつも私をいじめてばっかり。うえ~~~ん」


「な、なんだ、これは?」


いきなりのルイズの変貌ぶりに、さすがのギルガメッシュも戸惑いを露わとする。

その様子を、モンモランシーはあちゃ~、と頭を抱えていた。


「どうして私に優しくしてくれないのよ。いつもいつも、ひどいじゃない、うえ~~~ん」


ギルガメッシュの胸の中で、なおもルイズは泣きじゃくる。

その在り様はまさしく、感情に振り回されて悩み惑う、恋する少女のそれであった。


そしてギルガメッシュの驚きも最初の内のみ。

ルイズの変貌の質を読み取ると、何かを企む悪魔的な笑みをその口元に浮かべて見せた。










その日、トリステイン魔法学院二年の教室は、異様な空気に包まれていた。

授業を行う教師も、それを受ける生徒たちも、皆一様に沈黙し、信じられないものでも見るように呆然としている。

全員が押し黙るその教室は、ある一箇所の空間から醸し出されるものによって、全体の空気そのものまで決定されていた。


「はっはっは。どうだ、ルイズよ。この我が用意してやった新コスチュームは」


「とっても素敵♪だってギルガメッシュが用意してくれたものだもん。素敵に決まってるんだもん」


教室中から集まる視線など露ほども気にせず、ルイズとギルガメッシュは高らかに甘い会話を繰り広げる。

二人のその妙な甘々な空気もさることながら、皆が呆然とさせられているのはルイズの纏う格好そのものだった。


身体の要所を黒の毛皮で申し訳程度に隠すのみの、異様に露出度の高い服装。

いや、それはもはや服を呼べるものではなく、単なる仮装である。


胸にはバンドを、腰にはパンツのみをはき、そこに黒の毛皮をくっつけたのみの衣装。

靴にももちろん黒毛皮が付けられ、お尻からは尻尾まで下げるという凝り具合。

そして極め付けなのが、頭に乗せた黒いネコミミ付きのカチューシャである。


もはや言うまでもなく、それは黒猫を模して作られた衣装であった。


「最初この発案を聞いた時はどうしたものかと思ったが、なかなかどうして愉快ではないか。デルフリンガーめ、たかが剣如きの分際で、何とも武器に似合わぬことを。そうは思わんか、ルイズよ?」


「は~い♪」


普段の彼女からは想像できないデレっぷりで、ルイズはギルガメッシュの言葉に応える。

それはツンがデレに移行した、というよりも、ツンの部分がすべてそのままデレに入れ替わったかのような変貌ぶりだった。


無論それは、昨日口にした惚れ薬の弊害である。


「こらこら、ルイズ。今のお前は猫であるのだぞ。猫が主人に、人の言葉で答えたりはしまい」


「はぁい。ごめんなさい、にゃぁ~ん♥」


ラブラブバカップルのみが展開できる桃色固有結界を張り、ギルガメッシュとルイズは周囲の目など無いものとして振る舞う。

その光景を、教師も生徒もただ呆然となって見つめるしかない。

あまりに己の認識を超えた事態に、彼らの思考がうまく追いついてくれないのだ。


いや、それでも通常時であるなら、教師辺りが注意するなり何かの対応が出来ただろう。

だがその対応すらも、ルイズの隣にあるギルガメッシュの存在が許さない。

すでにギルガメッシュの事は学院中に知れ渡り、彼がどれだけ常識を逸脱した存在であるのかはもはや周知の認識である。

そのギルガメッシュを前にしては、いかに教師とて大きくは出れないのだ。


「そら、雑種。口が止まっておるぞ。授業はどうしたのだ?」


「は、はい。で、ですが、その、ミス・ヴァリエールの格好は・・・」


『土』の授業の担当であるシュヴルーズが、おずおずといった口調でルイズの格好を指摘しようとした。

一応彼女にも、教師としてのプライドのプの字くらいはあるのである。


「この我が採用した服装に、何か文句があると?」


「い、いえいえいえ!!滅相もない!!とても素敵な服装だと思いますわ」


だがそんな一文字は、ギルガメッシュの一睨みによってあっさりと吹き飛ぶ。

教師であるシュヴルーズが引きさがっては、もはや誰も文句など口には出来ない。

タイミング悪く、普段からギルガメッシュと親しいキュルケがいない事もその事実に拍車をかけていた。


もんもんと甘苦しい雰囲気で授業を侵食する、ギルガメッシュとルイズ。

そんな二人の姿を、モンモランシーは隅の席から青ざめた表情で窺っていた。










「いや、本当にどうしたんだろうね、ルイズは」


訪れた部屋の中で、ギーシュはモンモランシーにそう話題を切り出した。

二人がいるのは二年の学寮にあるモンモランシーの自室。

昨日はルイズの豹変の一件で、縒りを戻す話がうやむやとなってしまったため、改めて話し合おうとしたのだ。

その前段階の話題として、今日の授業のルイズの奇行を話題に上げたのである。


「僕のワインを飲んでからだよね。ルイズがおかしくなったのは。ひょっとして、何か毒でも入っていたのかな?」


何気ない様子で、ギーシュはそう口にする。

その指摘に、モンモランシーはビクリと肩を震わせた。


「ははっ、冗談だよ。あれは元々僕が用意したワインだったからね。怪しいものなんか入ってないよ」


はっはっは、と気楽に笑うギーシュだったが、モンモランシーの顔は青ざめていくばかり。

その様子はあからさまに怪しいのだが、どうにも鈍いギーシュはそのことに気が付かない。

成長はしているのだが、やはりどこかが足りないギーシュであった。


その時、部屋のドアが開き、新たな来訪者が現れた。


「あれ?陛下。このような所にどうされたので?」


現れた来訪者はギルガメッシュであった。

話しかけてきたギーシュに、ギルガメッシュは一瞥のみで答える。


「ギーシュか。今はお前には用は無い」


それだけ言うと、ギルガメッシュはギーシュよりあっさりと視線を外す。

そして先ほどから滝のように冷や汗を垂らしているモンモランシーへと目を向けた。


「そこな雑種。貴様、あのワインに何を盛った?」


ギルガメッシュの言葉に、モンモランシーは先ほどのギーシュの指摘の時以上に動揺して、身をギクリッと震わせた。


「ど、どういうことですか、陛下!?モンモランシーが何かを盛ったなどと」


「反応を見れば丸分かりであろうが。というか貴様、本当に気が付かなかったのか?」


その問掛けに、ギーシュはガーンと相当なショックを受けていた。

どうやら彼は、心底からモンモランシーに対して疑いなど懐いていなかったらしい。

彼のその純粋さというか、鈍感さは、ひょっとすれば彼の長所と言えるのかもしれない。


「・・・惚れ薬よ」


ギルガメッシュの追及を受け、逃れられないと観念したのか、弱々しい声音でモンモランシーは認めた。

答えを受け取り、ギルガメッシュはふん、と鼻を鳴らす。


「惚れ薬、か。まあ、そんなところだろうとは思っていたが。大方、ギーシュ辺りにでも飲ませるつもりでいたのだろうが、つまらん真似を・・・」


「モ、モンモランシー。君は、そんなに僕のことを・・・」


何やら感動した面持ちで、ギーシュは呟く。

それに対して、モンモランシーは頬を朱に染めながら、照れ隠しするように言った。


「だ、だって、しょうがないじゃない。あなた、すぐに浮気しようとするし。このまま縒りを戻したって、どうせすぎに―――」


「しないさ。僕は永久の愛の奉仕者だよ。そして僕が生涯を通して奉仕するのはモンモランシー、君しかいない」


高らかに言い放って、ギーシュはモンモランシーを抱きしめた。

そのままキスを求めるように顔を近付けると、モンモランシーもまんざらではない様子でそっと目を閉じ―――


「この我の眼前で我の存在を無視するとは、なかなかいい度胸をしているな」


底冷えするようなギルガメッシュの声を聞いて、その行為を中断した。

熱が付いていた感情も一気に冷め、二人はおずおずと身体を離す。


「あれ?けど、陛下。たしか昨日、陛下も同じワインを飲んでいましたよね。でも、陛下は特に変わったようには見えなかったのですけど・・・」


ふと思って、ギーシュは疑問を口にする。

確かに昨日の席で、ルイズが惚れ薬入りのワインを飲む前に、そのワインをギルガメッシュ自身も口にしていた。

飲んだ量もルイズと同等くらいで、十分に効果があっておかしくはない。


だがそんな疑問を、ギルガメッシュは鼻で笑って一蹴した。


「ハッ!くだらん。たかが雑種共が生成した薬如きで、我をどうにかできると思うのか。我の精神を侵したくば、あれの万倍の濃度を持ってこい」


数多の伝承に伝えられるすべての宝具の原型を所持し、逸脱した財宝の貯蔵量を誇る人類最古の英雄王ギルガメッシュ。

その自尊心は他の一切を省みる事は無く孤高、その魂の比重は常人の数十万倍に届く。

そんな彼の頑強なる精神に、たかが人の手によるポーション如きで干渉するなど不可能だ。


「おお、さすが陛下。けど、それならルイズのことは、その、どうされたのです?何と言いますか、あの、随分と楽しんでいた様子でしたが」


「まあ、せっかく得た珍しい趣向だからな。存分に楽しませてもらっている。得た機会は最大限に活用する。それが我の流儀だからな」


「なら、いいじゃない。別に惚れられて困ることなんてないんだし、効果だってどうせ一ヵ月くらいなんだし」


どこか開き直ったような口調で、モンモランシーは言った。

犯罪行為がばれたと思っていたが、予想よりも話が穏便な方向に進んで、安心したのだ。


だがそんなモンモランシーの安堵は、次のギルガメッシュの言葉で脆くも崩れ去る。


「たわけ。あんなものは物珍しさ故に楽しめるだけだ。一ヵ月も飽きることなく続くなどあり得ん」


冷淡に突き放すような口調で、ギルガメッシュは言い放つ。

彼からしてみれば、ルイズの一件は、自分のお気に入りの玩具を他人の手で勝手に改造されたようなもの。

ギルガメッシュがわざわざ自分からモンモランシーの部屋へ足を運んだのは、決して穏やかな理由からではないのだ。


「このようなつまらぬ瑣事に我が財を用いるなど馬鹿らしい。奴の解毒薬は貴様が責任を持って用意せよ。我の所望を裏切るような真似をすれば・・・どうなるか分かっているな」


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!!解除薬の生成には、惚れ薬と同じ秘薬が必要なの。けどそれはすっごい高価で、もう私の持ち合わせじゃあどうにもならないわよ!!」


今回のポーションの製作で、モンモランシーは貯め込んでいた貯金のほぼ全額をつぎ込んでいる。

ポーションのための秘薬の購入にかかった費用は700エキュー。

平民が五、六年は問題なく暮らせるほどの額であり、領地もない学生が右から左へポンと用意出来るような安い金額では断じてない。


だがそんなモンモランシーの都合など、傲岸不遜の王たるギルガメッシュが考慮するはずもなかった。


「王の意向は、何においても優先されるべきもの。世界に属し、国に奉公すべき民草は、あらゆる労を費やしてでも王の求めに応えるものだ。

―――金がない、だと?ならば、その身を売ってでも金を作らんかっ!!」


情け容赦なく、ギルガメッシュは言い放つ。

その宣告に、モンモランシーは全身から血の気が引いていくように真っ白となっていった。


「期日までに、我が所望する解毒薬を用意せよ。我が望む時に求める物を献上出来ねば、それが貴様のこの世の見納めとなるだろう」


「あ、あの、期日までって、いつのこと・・・?」


おずおずと、モンモランシーは尋ねる。

その問掛けに、部屋のドアへと向かっていたギルガメッシュは立ち止まって肩越しに振り返り、簡潔に答えた。


「我が飽きるまで、だ」


すべての要件を済ませ、ギルガメッシュは部屋を後にする。

後に残されたのは、取り残される形となってただ呆然としているギーシュと、生きた心地がしないほどに真っ青になりながら、だくだくと冷や汗を流すモンモランシーだけだった。




[2589] [15]王と精霊
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/06/10 18:52



[15]王と精霊










「飽きた」


開口第一声、不躾にギルガメッシュはそう告げた。


「ちょ、ちょっと待ってよ。まだたった一日しか経ってないじゃない」


昨日と同じくギーシュを同伴させた、モンモランシーの自室。

情け無用の宣告より一日も過ぎぬ内に、ギルガメッシュは再び彼女の部屋を訪れていた。

その来訪が意図するものが何であるか、言うまでもなく明白である。


「思っていたよりつまらん趣向であった。まあ、当初こそ物珍しさ故に、それなりに楽しめていたのだが・・・」


やれやれと嘆息しながら、ギルガメッシュは言った。


「いかんせん、行動が一定すぎる。容易に予測が立ちすぎて、意外性に欠ける。いつもの奴の方がまだマシだ。それに、奴のような貧相な肉付きで娼婦のように迫られても、滑稽すぎて興も沸かん。鬱陶しい事この上ない」


ルイズの純潔、いまだ誰にも許したことのない不可侵の領域に対し、正気の本人が聞けば大激怒必至の失礼千万な事をあっさりと口にする。

ちなみにそのルイズはというと、しつこく絡んでいく内に、面倒になってきたギルガメッシュの手刀の一撃により轟沈され、今は部屋に転がって沈黙している。

もっとも今のルイズならば、それくらいの事では全く堪えず、目を覚ませばすぐさま迫って来るだろうが。


「さて、こうして我は現状に飽きを覚え始めたわけだが、先日に宣告した通り、無論のこと我が所望する解除薬は出来ているのであろうな?雑種」


ジロリと、ギルガメッシュの視線がモンモランシーを捉える。

顔面蒼白となりながら、モンモランシーは歯切れの悪い口調で答えた。


「そ、それが、その・・・」


「・・・・・・」


「い、一応努力はしたんだけど、その、やっぱり元手が足りなかったというか、いろいろ巡り合わせが悪かったというか・・・」


「・・・つまり?」


「その・・・まだ、です」


モンモランシーの答えを聞き届け、ギルガメッシュは二コリ、と笑顔を浮かべて見せた。

それに釣られてモンモランシーも、口端が引きつった笑顔を返す。


両者笑い合うその場で、ギルガメッシュの背にする空間があたかも水面下のように歪曲し始めた。

その現象が何を意味するのか、傍から見ていたギーシュは骨身に染みて知っていた。


「おおおおお待ちをぉーーーっ!!陛下っ!!」


恋人(未定)の危機に、慌ててギーシュが両者の中間に割って入る。

いつも呑気な彼も、さすがに今回は必死である。

このままいけば、モンモランシーに下されるギルガメッシュの決定は、オーバーキル必至なのだから。


モンモランシーのため、ギーシュは何とかギルガメッシュの気を逸らそうと、咄嗟に考え付いた言い訳を並べた。


「今回、陛下のご所望に添えなかったのは、その、単純なお金だけの話ではなくてですね、そもそも原料である水の精霊の方に問題がありまして」


「水の精霊、だと?」


そんなギーシュに必死さが功を奏したのか、ギルガメッシュの意識が僅かに彼の話す話題へと移る。

その機を逃さず、ギーシュは一気にまくし立てて、意識を引きつけた。


「はい。モンモランシーが生成しました惚れ薬は、ガリアとの国境付近にあるラグドリアン湖の水の精霊の身体の一部たる、『水の精霊の涙』を原料とした秘薬を用いています。ですが、最近になってその水の精霊と、連絡が取れなくなってしまったのです」


咄嗟に口にした言い訳ではあったが、その割にはなかなかに筋の通った言い分であった。

水の精霊の話は、先ほどモンモランシーより聞いたばかりの話で、確かな事実である。

モンモランシーも自分に差し迫った危機の重さを感じ取って、裏金融に借金するくらいの覚悟ではあったらしい。


だがいくら金があろうと、最も重要な秘薬がそもそも店になくては、どうにもできない。

しかも店主に尋ねたところ、入荷はもう絶望的、などという答えが返ってきた。

その理由が、ラグドリアン湖に住む水の精霊との連絡の途絶にあるという。


「店では手に入らないと悟った我々は、すぐにでもラグドリアン湖に赴き、直接この手で水の精霊の涙を入手する所存でした。今はまさしくその出発の時でして、どうか御身には今しばらくお待ちを・・・」


「ふむ・・・」


ギーシュが並べた口上に、ギルガメッシュも殺意の手を取り止めて、思案を巡らせる。

殺意の霧散に伴って、ギルガメッシュが背にする空間で宝具召喚の歪曲現象も収束した。

ギルガメッシュの関心が、モンモランシーへの罰からギーシュの話す精霊の話題に移ったためである。


とりあえず目下のところの危機が去ったと知り、ギーシュはホッと一息をついた。


「よし、ではそのラグドリアン湖とやらに、我も同行しよう」


「えぇっ!?」


だがその矢先、いきなりのギルガメッシュの宣言に、ぬか喜びから一気に驚愕へと転化する。

無論、そんなギーシュの驚愕などお構いなしに、ギルガメッシュは話を続けた。


「自然の触覚たる精霊種。この世界においても、その役割に大きな変化はないそうだな。幾千の年月を一つの土地にて生き抜く、その水の精霊とやらに興味が沸いたぞ。

そうと決まれば、行動を起こすのは迅速に限る。行くぞ、ギーシュよ。今すぐに我をラグドリアン湖とやらに案内せよ」


「りょ、了解しましたっ!!」


「あ、それじゃあ私は、そういうことで・・・」


と、ちゃかり自分だけは逃げようとするモンモランシーの首筋に、虚空より生えた宝剣の刃が添えられた。

喉元にピタリと据えられる刃の冷たさに、モンモランシーの背筋が凍り付く。


「冗談ですっ!!行く、行きます、もちろん行かせていただきますぅっ!!」


半泣きになって、モンモランシーは前言を撤回して、同行を了承する。

そう言い放つ彼女の様子は、ほとんどがヤケクソ気味であった。


「フン、水の精霊、か。なかなか良い退屈しのぎになりそうだな」


愉快気に笑みを浮かべて歩き出すギルガメッシュに、それに付き従う形で後に続くギーシュ。

そしてあからさまに全く乗り気ではないモンモランシーを引き連れて、三人はラグドリアン湖へと出発した。


「はぁ・・・。初めてのサボりね」


部屋の出口へと歩き出す中、モンモランシーはそんなどうでも良い事をぼやいた。










夜の薄闇が城内を暗闇へと覆っていく中、アンリエッタは城の中の自分の寝室にいた。

明かりもつけぬままに、肌着一枚の気だるげな格好でベッドの上に寝転がっている。

部屋の至る所には、脱ぎ散らかした彼女のドレスが散乱していた。


お付きの女官や侍従には見せられない、だらけ切ったその様子のままに、アンリエッタは虚ろな瞳を自分の左手へと向ける。

その手の薬指には、ルイズが斃れたウェールズより持ち出し、アンリエッタの元へと届けた『風のルビー』があった。


「ウェールズ様・・・」


ぼんやりと、自分の前にこの指輪を嵌めていた人物の名を呟く。

愛する人の温もりを宿したこの指輪を眺めていると、自然と彼との甘く大切な思い出も脳裏に蘇らせることが出来た。


その思い出は、今より遡ること三年の夏の夜。

トリステイン、ガリアの国境沿いに位置するラグドリアン湖で行われた、各国から客を招いての太后マリアンヌの誕生日を祝う園遊会。

格式ばった礼節の数々に退屈し、晩餐会の席より抜け出したラグドリアン湖の湖畔で、アンリエッタはウェールズと出会った。


永遠の誓いを象徴する湖畔での出会いより、若い二人はあっという間に恋に落ちた。

園遊会が続く最中、アンリエッタとウェールズは毎晩月明かりが照らす湖畔にて密会し、恋人の睦言を楽しんだ。

その時間は、王家という箱庭の中で窮屈な思いを味わってきたアンリエッタにとって、初めて生きていると実感できる瞬間であった。


だが幸せの時間とは、得てして過ぎゆくも早きもの。

客人として招かれたウェールズは、園遊会が終われば遠き空の上のアルビオンへと戻ってしまう。

仮に何かに機会で出会えたとしても、公の場では夜の湖畔で交わしたような、愛の語らいは不可能だ。

アンリエッタは王女であり、ウェールズは王子。

どちらも王族として、人生のすべてを国のために尽くす事を生まれる前より宿命付けられた、自由無き血筋。

その時ほどアンリエッタは、自分が生まれ持った王族の血筋を疎ましく思ったことはなかった。


「どうか、誓ってくださいまし。私への変らぬ永久の愛を、『誓約の精霊』たる水の精霊の住むこの湖畔で」


密会の最後の夜、アンリエッタはそう申し出た。

ラグドリアン湖に住まう水の精霊の前で結ばれた誓約は、決して違えられることはないと言い伝えられている。

月光の元、人目を憚る湖畔の峰で、アンリエッタは永遠の誓いをウェールズへと求めた。


もちろん、アンリエッタとて分かっている。

永遠の誓いなど、単なる迷信に過ぎないのだと。

水の精霊の前で行われた誓約が決して違えられることがないなど、言い伝えになぞらえた妄想でしかない。

特別な効果など何一つなく、せいぜい自身に信じ込ませる自己暗示程度にしかなるまい。


だがそれでも、アンリエッタは構わなかった。

これまでアンリエッタの生とは、常に王族の名や主従の関係によって左右される、自己の無いものだった。

そんなアンリエッタにとって、ウェールズに懐いた恋心は、己の内より初めて発生した感情なのだ。

例え根拠なき妄言であろうと、この愛の感情の所在を何かの前で証明したかった。

そうすれば、せめて夢の中でならば自分はウェールズを思い慕い続けることが出来るから。


しかしウェールズは、そのアンリエッタの求めに応えてはくれなかった。


「どうしてあなたは、あの時おっしゃってくれなかったの?」


なぜ誓ってくれなかったのか。

愛してくれていたのではないのか。

例え迷信だとしても、それで得られる安心があるならば、意味はあるのではないのか。


三年の月日が流れた今でも、あの時の疑問は尽きない。

そしてもう、あの時とは違い、この疑問に答えてくれる人は、いない。

この疑問が解き明かされる日は、永遠にこない。


手の『風のルビー』を眺める瞳に、涙がついっと流れた。


トントン


その時、無粋といえばあまりに無粋なタイミングで、扉がノックされる音が聞こえた。


「誰?」


また枢機卿辺りが、何かの許可を求めてきたのだろうか。

すでにゲルマニアとの結婚も近日に控え、宮廷内でも準備が進んでいる。

それに比例して、臣下達の多忙さも増していた。


それを理解して、しかしアンリエッタはこの来訪者を歓迎する気にはならなかった。

自分はすでにゲルマニア皇帝との結婚を、すなわち国事の道具として利用されることを受け入れている。

自分に出来ることは、もうこれ以上は無いはずだ。


そんな自分に、今さら何の許しを求めるというのか。

民のため国のため、道具であることを決意した女に、これ以上何を求めるというのか。

―――どうして、せめてそっとしておいてくれないのか。


「ラ・ポルト?それともマザリーニ枢機卿?どちらでも良いわ。私の、王女の許可が必要なら、いちいち私に許しを得る必要はありませんよ。私の許可など、所詮は形式のようなもの。私が許可したということで、そちらで勝手に処理してくださって構いません」


たっぷりと拒絶の意志を込めて、突き放すようにアンリエッタは扉の向こうに居る人物に言う。

その言葉に対して、アンリエッタが予想する老いた声ではなく、扉越しに透き通って響く青年の声が返ってきた。


「僕だよ。アンリエッタ」


胸に響くその声は、アンリエッタにとってあまりにも懐かしい声だった。










ハルケギニア随一の名所として知られるラグドリアン湖は、トリステインとガリアを間に挟んだ位置に存在している。

トリステイン中央部に位置する魔法学院からはそれなりの距離があり、移動にはかなりの時間がかかる。

早馬にて学院を出発したギルガメッシュ達がラグドリアン湖に辿り着いた時、すでに日はすっかり沈んだ後だった。


「・・・おかしいわね」


一行の先頭を駆けていたモンモランシーが、湖を一望出来る丘の上からの光景に怪訝な声を漏らす。

愛する少女のその呟きを、後ろを付いて来ていたギーシュが耳聡く聞き取った。


「どうしたんだい、モンモランシー?こんなに素敵な場所に来たというのに、浮かない顔をして。なんとも綺麗な湖じゃないか。陛下の命がなければ、君と一緒に水辺の散策でも楽しみたいところさ」


「なに呑気なこと言ってんのよ。ほら、見てみなさい。あそこに、水面から出てる屋根が見えるでしょう。しかも古い建物じゃなくて、新しいわ」


湖の一点を指差し、モンモランシーが告げる。

そこにはなるほど、彼女の言うとおり水面から突き出る形で映る藁葺きの屋根が見えた。

目を凝らして見れば、水の底に家が黒々と沈んでいることに気が付く。


「水位が上がっていうのよ。私が前に見たときは、湖の岸辺はもっと向こうだったはずよ。その影響で、どうやら村が一つ飲まれてしまったみたいね」


モンモランシーは馬を降り、湖の波打ち際に立つと、水に指をかけて集中するように目を瞑る。

トリステイン王家と、水の精霊の間では、古い盟約が取り交わされている。

その盟約の交渉役を、モンモランシーの実家であるモンモランシ家は何代にも渡り務めてきたのである。

現在はモンモランシ家現当主が精霊の機嫌を損ねてしまったため、別の貴族がその役割を担っているが、それでもその血筋に宿った水との共感力は未だ十分な効果を持っていた。


「・・・水の精霊は、どうやら怒っているみたいね」


「それは、やっぱり不味いのかい?」


「当たり前よ。水の精霊はプライドが高いから、機嫌なんて損ねたら大変なのよ。私の実家だって、そのせいで開拓に失敗しちゃったし」


当時のことを思い出し、モンモランシーは嘆息した。

不用意な父親の発言のせいで、モンモランシ家の水の精霊の協力を得た領地開拓はあえなく失敗。

結果としてモンモランシ家には多大な負債のみが残り、今も領地の経営を苦しめている。

それはモンモランシーにとっても、まぎれもなく苦い思い出だった。


「ということですが、いかがします?陛下」


モンモランシーの発言を聞いた上で、ギーシュは最後尾に在るギルガメッシュへと、確認を取るように尋ねる。

ギルガメッシュは、声色に一切の迷いを滲ませることなく、即答で答えた。


「何も変わらぬ。例え何人の意志が介入しようとも、我の決定が覆ることなどありはせぬ」


はっきりと、ギルガメッシュは宣言する。

馬上より言い放つその振る舞いは、厳格なる威厳を纏い、王者の風格を漂わせている。


「にゃぁ~ん♥ゴロゴロ♪」


だがその王の在り様の手元では、甘い猫鳴き声で頬ずりする黒猫の姿があった。

いや、正確に言えば黒猫ではなく、ルイズである。

前回同様の露出度の高い黒猫ルックを纏い、ギルガメッシュの膝元にもたれ掛る形で、馬に騎乗していた。

更にご丁寧に、言葉もギルガメッシュの要望通りのキャット口調であった。


その姿には、もはや侯爵家の令嬢たる気品はなく、王のためのただの愛玩動物だった。


「あのー・・・。どうしてルイズまで連れて来たんです?どの道薬の調合のためには学院には戻らなくてはならないんですし、別に置いて行っても良かったような気がするのですが・・・」


「我とて連れてくる気はなかった。だが間が悪く、こいつが目を覚まし、しつこく食下がってきてな。置いて行っても構わなかったのだが、まあこれとて今回の事で見納めであろう。せいぜい最後の時まで我の遊興になってもらう事にした」


答えながら、ギルガメッシュは膝の上のルイズの顎の辺りを、コチョコチョとくすぐるように撫でてやる。

それに反応して、ルイズが本物の猫のように「きゅ~ん♥」と鳴き声を上げた。


唐突だが、ルイズは美少女である。

プロポーションの一点を除けば、魔法学院の美男美女揃いである貴族の生徒達の中でも、間違いなくトップクラスの顔立ちだ。

またその身体つきの幼さも、妖艶な色気の代わりに、一種の妖精のような可憐さを引き出す要因となっている。


そんな妖精のような魅力を称えるルイズに対し、現在の黒猫ビキニスタイルは、はっきり言って反則級の破壊力がある。

先日の授業ではいきなり過ぎるということもあって、それほどの騒ぎにはならなかったが、授業後はすでにファンクラブのようなものが立ち上がっていたりする。

ギーシュもまた、そんなルイズの普段からは考えられない萌え要素に、クラリと理性を傾かせた。


「い、いやいや、全くですねぇ。このルイズとは、これが最後の見納めとなってしまうんですから、存分に楽しんでおかないと・・・」


言いながらギーシュは、そおっとルイズの顔へと手を伸ばす。

だがその瞬間、ギーシュに対してルイズは「フーーーッ!!」と髪を逆立てて威嚇し、胸のバンドより杖を引き抜く。

それを情け容赦なく、手を伸ばしてくるギーシュへと向けて振り下ろした。


空間に生じた爆発が、ギーシュを飲み込んだ。


「どうだ。よく躾けられた猫であろう?」


「・・・なんだが、元に戻った後が怖くなってきました」


爆発の中、真っ黒なボロボロの姿となりながら、煤けた声でギーシュはコメントした。


「・・・む!」


と、ふざけた様子で緊張感を欠いていたギルガメッシュの表情が、急に引き締まる。

前方のギーシュより意識を外し、視界に映らぬ後方へと意識を向けた。


「どうされました?」


「・・・何者かが、この場所に近付いている」


それは、十分に不自然なことだった。

時刻はすでに日を落とした夜、都会でもない場所で人が活動するような時間ではない。

また湖の水位の増加に伴い、近隣の村の人々はすでに立ち退きを余儀なくされている。

こんな時間にこんな場所に用があるのは、それこそギルガメッシュ達のような特殊な用事があるものだけだ。

その目的が如何なるものかは不明だが、人の目を忍んで行う以上は、あまり褒められた行為ではないだろうことは確かである。


「乱客か。ふん、まあ良かろう。水の精霊とやらの前の、ちょうどいい余興だ」


膝の上よりルイズを退かし、ギルガメッシュは地面へと降り立つ。

そして高慢を如実に表す不敵な笑みを浮かべ、来たる新たな来訪者を待ちうける。

ギーシュとモンモランシーは戸惑い気味に後ろで事を見守り、ルイズはギルガメッシュの背中にすりすりと自分の顔を擦りつけていた。


やがて、夜の暗闇の中から二人の人影が現れる。

人影の方もギルガメッシュ達の存在に気付いていたのか、その手には杖を持って身構えている。

だがそんな一触即発の雰囲気は、両者が互いの顔を視認した瞬間に解消されていた。


「お前達は・・・」


「ダ、ダーリン!?どうしてこんな所に?」


「意外」


現れた二人の人影。

その正体は、一行も良く知るタバサとキュルケの二人であった。










「じゃあ君達は、湖の水嵩が上昇したせいで被害にあったタバサの実家の頼みで、水の精霊の退治をしにきたんだね」


互いの事情を説明し終えて、現状を認識したギーシュが言う。

彼女達の話によれば、ガリアの国境付近に存在するタバサの実家に対し、水嵩の上昇により家が水没した近隣住民より訴えがあったという。

この付近の土地の領主であるタバサの実家も、領民の求めを撥ね退けるわけにはいかず、タバサが代表として討伐に出向いたのだそうだ。

その説明を行ったキュルケは随分と曖昧な口調ではあったが、とりあえずこの場でその事は追及されなかった。


「それにしても、ラグドリアンの水の精霊を討伐しようだなんて。あなた達、命知らずもいいところね」


「あらぁ?そういうあなたは惚れ薬でしょ?まったく、自分に自信が持てない女って、最悪ね」


「う、うるさいわね!!ちょっと試しただけよ!!」


動揺した様子で、モンモランシーが答える。

だがそれをきっぱりと無視して、キュルケはギルガメッシュの方へと向き直った。


「それよりも、ルイズ。あなた、いくら薬のせいだからって、ダーリンにくっつきすぎよ。あん♪ダーリン、お会いできなくてキュルケ寂しかったぁ~~」


そう言って、ギルガメッシュの身体に寄り添い頬ずりしているルイズに対抗して、キュルケもギルガメッシュに腕を絡めた。

歳に合わぬプロポーションを誇るキュルケの豊満なバストが、大胆に押し付けられる。

それを見たルイズが、癇癪を起こして叫んだ。


「キュルケッ!!ギルガメッシュに馴れ馴れしくしないで!!」


「嫌よ。そんなこと、別にあなたに許可されることじゃないもの。だいたい・・・」


ビシリと、ルイズの格好を指してキュルケは言った。


「あなたみたいなちんちくりんのまな板娘がそんな格好したって、しょうがないでしょ。そういうのはね、私みたいなグラマラスな美女が着てこそ引き立つのよ」


「ぬわぁんですってぇ~~~!!」


バチバチと火花を散らし、キュルケとルイズがギルガメッシュを間に挟んで睨み合う。

両者の視線が交錯し、二人の背にメラメラとしたオーラが立ち上り始める。

それは男ならば怖れ慄かずにはいられない、張り詰めた修羅場の空気だった。


「いや、ルイズはルイズでキュルケとは違う特有の魅力がある!!そのぺったんこなスタイルが、ある種の萌え要素となって―――」


口走ったギーシュは、キュルケの炎とルイズの爆発によって即座に黙殺された。


邪魔者が消え、ルイズとキュルケの間に再び一触即発の空気が流れだす。

その迫力たるや、周囲の者が尻尾をまいて逃げだしたくなるほどに重く激しい。

そして迂闊に手を出そうものなら、ギーシュの二の舞となることが見え透いている。

そんな両者の間に挟まれては、そこらの並の男子ならば空気の重さにまともな呼吸さえ敵うまい。


だが―――


「ふはははは!!そう争うな、妾ども。なに、案じずとも、何の問題もない。この我の寵愛がたかが一人の女如きで手に余るものか。どちらかなどと狭量なことは言わず、両名まとめて可愛がってやろう」


二人の間の空気を読まないどころか全く気にせず、ルイズとキュルケの肩を抱き、ギルガメッシュは豪語した。

この程度の修羅場など、傲慢不遜の英雄王にとっては脅威どころか一抹の動揺さえ沸かせない。

ギルガメッシュの感性に置いて、この世のすべては自分を楽しませるための玩具であり、それを手にするのに切り捨てるという発想など懐かない。

二つの物があるならば、どちらか一方を選ぶのではなく両方まとめて我が物とするのがギルガメッシュの流儀であった。


ギルガメッシュの抱擁を受け、二人の少女の歓声が夜のラグドリアン湖に響き渡る。

完全に置いてきぼりをくらっているタバサとモンモランシーは、その光景を呆然と見ているしかなかった。


「―――さて、戯れはこれくらいにして」


と、腕に絡みついていたキュルケとルイズを引き離し、やや落ち着きを取り戻した口調でギルガメッシュは言った。


「この世において何においても優先されるべきは、この我の意思。まずはこの我の意向が先行する。よもや異存はあるまいな?」


言われたタバサは、特に反論を口にすることなく頷く。

元より、彼女の任務は水の精霊が行っている湖の水嵩の増加の阻止にある。

討伐はあくまで手段であり、果たすべき目的ではない。

ギルガメッシュの交渉によって目的が果たせる可能性があるなら、あえて止める理由など無かった。


「そら、そこな巻き毛の雑種。さっさと水の精霊とやらを呼び出さぬか」


「何よ、巻き毛の雑種って!!もう少しまともな呼び名はないの!?」


反論しつつも言葉には素直に従い、モンモランシーは腰に下げた袋から一匹のカエルと取りだす。

鮮やかな黄色に、黒い斑点が身体に散ったそのカエルは、春の『サモン・サーヴァント』にてモンモランシーが呼び出した使い魔である。


「いいこと、ロビン。あなたたちの古いお友達と、連絡がとりたいの」


使い魔に言伝すると、モンモランシーはポケットより針を取り出し、自分の指に僅かに突き立てた。

指先に赤い血の玉が膨れ上がる。

その血の滴を使い魔へと滴らせると、湖の中に向けて放った。


水の精霊とは、人間のような肉を持った生物ではない。

その性質はコケに近く、無数の水の組成が組み合わさって構成される意識集合体なのである。

故に彼らは人のように視覚によって情報を得るのではなく、同種の液体との接触によって他者を知覚する。

モンモランシーが使い魔に渡した血液に水の精霊が触れれば、それが過去に自分が契約していた血筋の者だということが分かるだろう。


使い魔のカエルが水の精霊を連れてくる間、一行はしばし待機となる。


「けれど、どうするの?」


と、水の精霊が現れるのを待つ間、タバサが尋ねた。


「交渉をしても、水の精霊の気位の高さを考えれば成功は難しい。戦いとなっても、相手は水の集合体。普通のやり方じゃ倒せない」


水の精霊は、水素の集合によって存在している生物。

その性質はすべてが液状であり、人の持つあらゆる物理攻撃では、水の精霊を打倒することは敵わない。

討伐を行っていたタバサとて、正面から争おうとはせず、空気の気泡の中に入って精霊の元まで接近し、高温の炎によって徐々に削っていくという搦め手の策を取っていた。

いかに強力なギルガメッシュの宝具とて、相手に刺さらなければ意味がないと判断しての、タバサの考えだった。


だが言わせてもらうならば、タバサのその判断は幾分ギルガメッシュの宝具のことを侮りすぎている。

いや、侮るというよりも、認識が不足していると述べたほうが正しいだろう。

空間の門を隔てて開放される宝物庫、そこに貯蔵された莫大な財は、ギルガメッシュを万能に近い超越存在にたらしめている。

いかに形の無い水分の集合であっても、ギルガメッシュが本気で所有する財を駆使し尽くせば、打倒する手段などいくらでもあるのだ。

以前に似たような液体物質の相手だった、『闇水晶』に呑まれたフーケのゴーレムを相手にした時、ギルガメッシュが撤退を表明したのも、勝機を見失ったからではなく、純粋にあの汚物の相手に自身の宝具が汚れる事を嫌ってのことである。


その認識の違いを、しかしギルガメッシュは特に正そうとはせず、ただ疑問に対してのみ答えた。


「それは向こうの出方次第だ。奴はまだ、我に対して何かをしたという訳ではないからな」


平坦に、ギルガメッシュは答える。

湖の水嵩の増加による、近隣の村の水没などは、ギルガメッシュにとっては気に掛けるような事柄ではない。

ギルガメッシュ個人から見れば、水の精霊はいまだ相対した事の無い未評価の存在だ。

その処方を定めるのは、あくまで対象の見定めを終えてからである。


数分後、一行の前に水の精霊がその姿を現す。

岸辺より三十メイルほど離れた地点の水面より、輝きと共に水が蠢き盛り上がっていく。

最初はアメーバのように決まった形を取らなかったそれは、やがて人の形骸を模して変化する。

変体を終えた水の精霊は、モンモランシーの背格好を模倣した氷の彫像のような姿となって、一行の前に佇んだ。










モンモランシーの家系、モンモランシ家との古き盟約を覚えていた水の精霊は、モンモランシーの交渉に応じた。

水の精霊はこのハルケギニアにおいて、始祖ブリミルにも勝る歴史を持つ先住種族。

悠久の時を生きてきた精霊は、現在の事象も過去の事象も等価値として記憶している。

今は断裂しているとはいえ、モンモランシーの血液に刻まれた契約の刻印は確かなものとして映った。


だが、話題が水の精霊の身体の一部たる『水の精霊の涙』の提供に移ると―――


「断る。単なる者よ」


にべもなく、その要求は拒絶された。


「ああ、やっぱり。そりゃそうよね。それじゃあ、残念だけど、この話はあきらめ―――」


そう言いかけたモンモランシーの喉元に、虚空より伸びた首狩り鎌の刃が添えられた。


「―――る訳ないじゃないのぉぉぉ!!どうかお願い、水の精霊!!何でも言う事を聞くから、『水の精霊の涙』を分けて頂戴!!ていうか、お願いします。ほんのちょっとでいいですから、いや本気で、このとおり」


額を地面に擦りつけて、土下座の姿勢で深々と頭を垂れてモンモランシーは懇願した。

普段彼女が唱える貴族の誇りも、やはり命あっての物種なのだろう。


そんなモンモランシーの誠意が通じたのかは不明だが、水の精霊は先ほどとは別の解答を示した。


「ならば、条件がある。単なる者よ。貴様はなんでもすると申した。ならば我の代わりに、我に仇なす貴様の同胞を退治してみせよ」


「退治?」


「左様。我は今、水を増やすことに精一杯で、襲撃者の対処にまで手が回らぬ。その者どもを退治すれば、望み通り我の一部を進呈しよう」


その言葉に、後ろで控えていたキュルケとタバサは慌てた。

水の精霊が言う襲撃者とは、他ならぬ彼女たち自身である。

精霊の示す交換条件は、この場合彼女たちを打倒するということになってしまう。


「水の精霊、あなたはどうして湖の水嵩を増やす?あなたの行いのせいで、多くの人が被害にあっている」


タバサが皆より一歩前に出て、湖に佇む水の精霊に尋ねる。

当の襲撃者であるタバサを目の前にしても、水の精霊はそれに気付かない。

通常の五感を持たない水の精霊は、水を通じて接触しない限り、個人を特定することができないのだ。


まるで詰問するようなタバサの口調に、モンモランシーはあたふたと動揺する。

ここで水の精霊を怒らせては、せっかくこぎ着けた交渉も破談となるかもしれない。

それはすなわち目的達成の不可能を意味し、同時に彼女自身の命の危機でもあるのだ。


だがモンモランシーの心配を余所に、水の精霊は怒りを見せることはなく答えた。


「単なる者よ。それは貴様らの同胞が、我の守りし秘宝を盗んだためだ」


「秘宝を、盗んだ?」


「そうだ。あれは月が三十ほど交差する前の晩の事、我の存在するこの水の最も奥底より、我が秘宝を貴様らの同胞は盗んだのだ。

我は秘宝の返却を望む。我は下手人を追跡する手段を持たない。故に、我はすべてを水に覆う事とした。我の触覚たる水が世のすべてを覆ったならば、我は失われた秘宝の在り処を知るだろう」


それは、なんと気が長く、そして単純な話であろうか。

水の精霊は、ただ目的の物に手を伸ばそうとする、そんな感覚でハルケギニア全土を水没させるつもりなのだ。

果たしてそれにどれほどの時間が費やされるかなど、水の精霊は考慮もしていない。

その過程でどれだけの人間が苦しむかも、同様に。

水の精霊は、良くも悪くも、人間とは全く異なる感性の元に行動しているのである。


そんな水の精霊の行動に、一行は一様に呆然となった。


「フン、くだらんな」


そんな口をきくのが躊躇われる空気の中で、ギルガメッシュは毅然とそう断じた。


「自然の触覚たる精霊種。異界においてもその役割は変わらぬとは感じていたが、在り様の退屈さも同様であったか。まったく、面白みの欠片もない」


「・・・なんだと?」


ギルガメッシュの暴言に、平坦だった水の精霊の声色が変化した。


「行動に賢しき動機もなく、目に付くような執着もない。まったくもって、退屈極まる在り方だ。そんなものが、この我と対等に弁を交えようとするなど、それのみで罪に当たる。

おまけに、交換条件だと?たかが雑念の集合如きが、随分と図に乗ったな。貴様が為すべきは、ただこの我の意思に従い、我が所望に応えることのみ。それ以外は一切不要よ」


水の精霊より、怒気が立ち昇る。

水で構成された形骸の表情には、何の変化もない。

だが、ギルガメッシュが臆面もなく言い放つ侮辱の数々は、形ではなく醸し出す雰囲気によって、水の精霊に明確なる怒りを生じさせていた。


「傲慢なる、単なる者よ。貴様が何をざわめこうが、我を従属させることは敵わぬ。過去と未来いかなる時代であろうと、我は何人の意志の下に在る事はない。我らが総体は、この世を統括する“大いなる意思”の一部であるが故」


「御託はよい。元より貴様の意志など知ったことか。これより貴様の意思を、この我が恐怖を以て蹂躙してやるのだからな。恐れからの屈服、畏怖よりの隷属を以て、我が軍門に下るがいい」


「それは不可能だ。傲慢なる者よ。恐怖とは、貴様ら人のみが有する感情だ。我は貴様らとは存在の根底より違う。もはや数えるも愚かしい悠久の時間を、変化なく流れてきた我には、恐怖なる感情は存在せぬ」


一切の憂いなく、水の精霊は断言した。

その途端、待っていたとばかりにギルガメッシュは不敵に笑みを浮かべて見せた。


「恐怖がない、と抜かしたな?雑念」


タバサとモンモランシーを押しのけて、ギルガメッシュは水の精霊の正面に歩み出た。

ちょうど水の精霊と正面から向かい合う湖の岸辺に、臆することなく凛然と立つ。


「ならばその言葉、試してみよう」


そう言って、ギルガメッシュは湖の中へと足を踏み入れる。

その行動に、後ろに控えていたモンモランシーとタバサは息を呑んだ。


湖の水は、水の精霊にとって他を知るための唯一の感覚であると同時に、最強の武器でもある。

水に僅かでも触れたが最後、水の精霊の意思は精神へと侵食し、その心を乗っ取られる。

生命の組成を司る『水』の化身である水の精霊にとって、他の生命を掌握するなど呼吸と同義なのだ。


自ら水の精霊のテリトリーである水の中に踏み込んだギルガメッシュの行動は、いうなれば相手の刃圏に首を差し出し、どうぞ狩ってくださいと言っているようなもの。

自殺行為にも等しい愚行である。


「どういうつもりだ?傲慢なる者よ」


「言ったとおりだ。貴様の恐怖は無いなどという言質、その真偽のほどを我が見定めてやろう」


岸より五メイルほど進んだ辺りで、ギルガメッシュは足を止める。

その足は、ちょうど脛の部分まで湖の中に沈んでいた。


「どうした?わざわざ我が、貴様の土俵の上に上がってやったのだぞ。あれほどの大言を吐いて見せたのだ。せいぜい賢しく抵抗してみせよ」


あまり傲岸が過ぎるギルガメッシュの言葉に、水の精霊は呆れた。

感情が表情に出るような身体の作りではないが、それだけに纏う空気は敏感に変化している。

その空気が、目の前の相手に対する水の精霊の侮蔑を明確に表現していた。


「・・・愚かな」


最初に今の形骸を繕った時と同様に、水の精霊の身体が蠢きだす。

しかし今度は形を持たすことはなく、むしろ千差万別なる無形を表すように自らの形体を崩していく。


「単なる者よ。―――己が矮小さを知るがいい!!」


水の精霊の身体が弾け飛ぶ。

霧散した精霊の肉片は湖の中へと四散し、湖畔すべてと感覚を同調させ意識を広げる。

そして自らの懐に佇む矮小なる敵対者に、その意思の総体を以て襲いかかった。










『水』は、あらゆる生物の起源である、生命の原点。


生命の原種も水の中より生まれ、いかなる生命にも『水』が重要な要素として含まれる。

生命の生きるという行為は、そのまま体内の『水』の流れによって置き換えられる。


見る、聞く、動く、考える。

肉体のあらゆる行為において『水』の脈動が生じ、その流れに従って行動は進められる。

『水』は全体に意思を運び、運びこまれたその意思が、人の行動を決定している。

『水』とは、精神と肉体を繋げる行動の架け橋だ。


―――ならば、体内にて脈動するその『水』を統括することは、すなわち生命のすべてを支配することに他ならない。


全は個であり、個は全である。

無数に存在する個なる意志が群れを為して総体を作り、積み重ねられた意志群の総意を以てひとつの個を形成する。

どれほどの時が流れようとその総体に変動は無く、全体の中で統一された総体の意思は幾年が過ぎようと揺らぐことは無い。

それが、水の精霊という存在の在り方だ。


そんな水の精霊から見れば、人間の意思とはいかにも小さく弱い。

例えるならそれは、流れる河川を行くこの葉で出来た小船。

時という河川の流れの中で幾度も不安定に揺らめき、ほんの少しの力が加われば容易く沈む。

それぞれの個による違いなど、大いなる流れの中では無いものに等しい。


無数の意思の総体たる自分は、悠久の時の中の河川の流れそのもの。

例えどのような個であろうと、膨大なる全の意思の前では、容易に覆い隠される。

そしてその個もまた全の一部となって、総体内に取り込まれる。

単なる意思の掌握など、全なる自分にとっては人にとっての呼吸と同義なほとに簡単で当たり前のことなのだ。


故に、今この内にある個とて、それは例外ではなく。

どれほど傲慢なる個も、圧倒的なる全の意思の中にあっては無性なる一個に過ぎず。

全の中に包みこまれた個は総体の中に薄れゆき、胎盤をたゆたう胎児の如くまどろみの中へと眠っていく―――


(つまらんな。雑なる想念がざわざわと、騒々しい。これでは眠たくても眠れんわ)


「!!!?」


その時。

無限の意思を連ねる全の中で、あり得ないはずの個の声を聞いた。


(いかに数を揃えようと、所詮は雑念。やはりこの程度のものであったか。全く、いらぬ期待を託させおって、こんなものは戯れにもならん)


あり得ない。

こんなことはあり得ない。

どうして全の中より、個の声が聞こえる?

どうして単なる個が、総体たる全の意思を凌駕する?

単一の個など、膨大なる全の中においては、儚く脆い存在でしかないというのに。


全とはすなわち数であり、環境であり、時間である。

単なる個の意思など、その大いなる全の要素の中に置いて、いくらでも変動する。

どれほど強固な意思も、大衆の流れには逆らえず、劣悪な環境の中では摩耗し、時の経過と共に薄れゆく。

その変動こそが、個なる意思の限界であり、弱さなのだ。


ならばこそ、個なる意思を集結させ、確固たる全の意思となって変動することなく存在する自分こそは、あらゆる精神の上に君臨する王であるはず―――


(笑止。何を喚こうが、所詮貴様は雑多の意思の集合体。確固たる意志など無く、他が他を補いながら全体意思を統合しているに過ぎん。雑なる念の寄せ集め風情が、王を息巻くとは笑わせる)


消えない。

この個は消えない。

こんな存在など、自分は知らない。


これまで相対してきた者は、ひとつの例外なくその精神を支配出来た。

どれほど確固たる意志を持った個であろうと、自分という圧倒的な全の中には抵抗出来ずに飲み込まれた。

総体たる全の意思に、個の意思はただ押し流されて覆い隠されていったのだ。


だがこの個の意思は隠せない。

どれほどの全を以て覆っても、覆われた全の中でより一層の輝きを以て際立ち光る。

むしろ覆い隠そうとすればするほどに、この個の意思は更なる輝きを以て全の上に君臨する。

こんな精神が存在するなど、完全に想定外だ。


(フン、早くも脆さが出たな。そう、貴様の自尊など、無知から来る愚鈍に過ぎん。自分を揺るがす存在を知らぬから、自分を確固などと抜かせる。一度ボロを出させれば、後は連鎖にて崩れ出す。全く以てつまらぬ、張り子の見栄よ)


―――消え失せろ!!


明確なる拒絶の意志を以て、己という存在を揺るがそうとしている異物に向けて叫ぶ。

その意思はもはや総体にて覆い隠そうとするものではなく、大多数を以て強引に押し流す暴力にも等しい行為。

自分という存在を形成する意思の全体が、そうしなければならないと訴えているのだ。


―――消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ!!!

―――消え去って、自分の中からいなくなってしまえ!!


(わめくな。見苦しい)


その水の精霊の全存在を懸けた拒絶を、黄金の英雄王は嘲りの一言を以て一蹴した。


(雑多の想念共の相手にもそろそろ飽いた。失せるがいい、雑念)


そして、水の精霊の拒絶に対する返礼とばかりに、今度はギルガメッシュが拒絶の意志を以て応える。

その意志を受けた瞬間、水の精霊は自らの存在の中に亀裂が生じるような感覚を確かに感じた。

いかなる多数、いかなる場所、いかなる時代においても変動する事の無い絶対自我の光が、包み込む全なる意思を打ち消していく。


眩しく巨大なその光によって、水の精霊は包みこんでいた全存在を丸ごと弾き飛ばされた。










精神世界より回帰した現世にて、水の精霊はその総体を湖の中へと霧散させる。

散乱した意思は、再び現世での形を取ろうと、一個の元に集まろうとするが、なかなかそれが敵わない。

ようやく集まっても先ほどのような形骸を取り繕う事が出来ず、無形の水塊となって蠢いている。

存在の誕生より初めての打ちのめされた経験は、水の精霊にかつてないほどの動揺をもたらしていた。


「理解したか?それが恐怖というものだ」


その水の精霊に対し、ギルガメッシュは容赦なく告げた。


「恐怖という感情は、人のみが持つ固有の感情ではない。理性ある者ならばいかなる存在であろうと共通して懐く感情だ。恐怖がないなどという言葉は、いかに貴様の世界が浅はかであったかを物語る何よりの証拠。

貴様は先ほど、殺意の拒絶を以てこの我を抹消しようとした。その殺意こそが、貴様の懐いた恐怖の表れ。恐怖という感情より発露した、自己を揺るがす敵対者に懐く、生物特有の防衛本能。

認めろ、精霊。我に対する恐怖を認識した時点で、貴様は敗北したのだ」


ギルガメッシュの言葉に、水の精霊は何も答えることができない。

未だ水の精霊の動揺は収まらず、形を為すことも出来ずに蠢いているだけだ。

その動作のすべてが、ギルガメッシュの言葉の一つ一つに影響を受けているのは明白である。


やがて、ようやく落ち着いてきたのか、水の精霊は定まった形を繕おうと収束していく。

その形、ギルガメッシュの姿を模倣した形体へと変化していき―――


「王の形骸を模倣するとは何事か、無礼者っ!!」


ギルガメッシュのただ一言の一喝により、その形は脆くも崩れ去った。

再び無形の水の塊へと戻り、ウネウネと慌てたように蠢きだす。


その光景を後ろで見ていた者達は、一様に驚嘆を露わにしていた。

このハルケギニアにおいて、不可侵なる先住の種族として畏怖の象徴のひとつである水の精霊。

その畏怖の象徴が、たった一人の人間に対して、明らかな怯えを見せている。

その事実は、彼女らの中でひとつの畏怖の崩壊を意味し、同時にギルガメッシュという男の新たな驚異の一端を垣間見せていた。


「今一度告げる。我が所望する、『水の精霊の涙』なる物を速やかに献上せよ」


傲慢なる物言いはそのままに、上から下へと見下して一方的に告げる。

それは先ほどモンモランシーが水の精霊に告げ、そして拒否されたはずの要求。

だがギルガメッシュの口から告げられたその要求に、水の精霊は自らの身体を震わして、身体の一部を弾き飛ばした。

飛んできた『水の精霊の涙』を、モンモランシーは持っていたビンで受け止めた。


「そして、水嵩の増加の件。雑種共の住まい程度ならばどうでも良い。だが、我が娯楽の庭たるこの地の全土を浸水させ汚さんとするとは何事か。即座に停止しろ」


「・・・承知した」


ギルガメッシュの言葉に、水の精霊は一切の反抗を見せず殊勝な態度で従う。

現世ではなく、己が領域たる精神世界にて完全なる敗北を喫した水の精霊は、すでにこの相手に対抗する意思のすべてを喪失していた。


要件を済ませ、ギルガメッシュは一行を引き連れてこの場を後にする。

すでに水の精霊に対する興味を失った今となっては、もはやこの場所に留まる理由はない。

他の皆も、その意向に反対しようとはせず、素直に彼について行った。


「おお、そういえばもう一つ」


と、立ち去る中で一度だけ、ギルガメッシュは立ち止まり水の精霊の方へと振り返った。


「貴様のような無個性なる存在がそれほどの執着を示す秘宝。それは何なのだ?」


「・・・『アンドバリ』の指輪。死したる者に、偽りの生命を与える、水の秘宝。貴様らの同胞、クロムウェルと名乗った男と、その一団が我より盗み出した」


「ふぅむ。偽りの生命、か。まあ、あえて我が執着して欲するべきものではなさそうだが、一応思考の片隅くらいには入れておくか」


それだけを言い残すと、ギルガメッシュ達は二度と振り返ることはなくその場を去っていった。










「ああああああああああああああああぁぁぁ――――!!!」


他の生徒達がすべて寝静まった、夜の魔法学院。

その夜の静けさの中に、少女の絶叫と連続する爆発音が響き渡る。

轟音の音源にいるのは、新たに調合された解毒薬により正気に戻ったルイズと、次々と起こる爆発を避けていくギルガメッシュだ。


原料たる『水の精霊の涙』を手にいれ、超特急にて調合された解毒薬の効果により、惚れ薬の呪縛から解放されたルイズ。

だが薬の効果が切れても、それまでの記憶が無くなるわけではない。

惚れ薬はあくまで感情に干渉するポーションであり、記憶に関わるようなことはない。

故に、正気に戻ったルイズは、その正気の頭で、今までの自分が行った珍行の数々をしっかりと思い出し、発狂した。


「どうした?ルイズよ。この我が珍しく我以外の誰かのために動いてやったのだ。地に頭を擦りつけて謝意を示すくらいのことはしたらどうだ?」


「ああああああああああああああああああぁぁぁ―――!!!」


雄叫びを轟かせながら、ルイズは更に空間を爆裂させていく。

思い返すのは、惚れ薬によって惑わされていた間の己の恥辱の行い。

あられもない格好で衆目の中に現れたり、売女のような言動でギルガメッシュへと迫ったり。

それらの行動による羞恥心がルイズの感情を爆発させ、途切れることを知らない爆発の乱舞を引き起こしていた。


これほどの騒音を夜に響かせているというのに、苦情の声はほとんど上がっていない。

誰も関わりたくないためだろう。


ちなみに余談だが、後ろで刃に脅されながら休む間も惜しんでポーション調合に勤しんだモンモランシーは、完成と同時にダウンした。

今はギーシュによって介抱されており、彼女の当初の目的を考えれば結果オーライと言えるかもしれない。


「そうそう、明日の授業は我も出席するとしよう。無論、“あの格好”で行けよ。者共にも好評であったし、お前自身気に入っていたではないか」


「@*%#$%&$&‘$#%#”’&^¥-%#&%%‘%$!!!」


もはや解読不可能な訳の分からない叫びを上げて、ルイズは力任せに杖を振るう。

諸悪の根源―――と勝手に決めた―――に向けて魔法を放つが、生じる爆発をギルガメッシュは軽快なステップにて容易く避けていく。

大気中の魔力の振動を事前に感じ取り、攻撃を先読みして回避しているのだ。

結果として、両者の決着はいつまでたっても付くことなく、爆音轟く鬼ゴッコが展開されていた。


やがてそれにも飽きたのか、杖を振るうルイズの顔面に、ギルガメッシュの綺麗な飛び蹴りが決まる。

それで爆発もとりあえず治まり、これにて今宵の騒ぎは終わりを告げる。


はず、だった。


「そうよ、思い出したわ。ウェールズ皇太子よ」


唐突に、思い出したようにキュルケが声を上げた。


「さっきすれ違った時から、ずっと名前が喉のあたりに引っ掛かっていたんだけど、やっと思い出したわ。戦死したって聞いてたけど、生きてたのね」


キュルケの言葉に、ギルガメッシュと、その足の下で踏みつけられて取り押さえられているルイズは、同時に視線を彼女に向けた。






[2589] [16]王と悲恋の姫
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/07/22 22:26




[16]王と悲恋の姫










夜半、トリスタニアからラ・ロシェールを繋ぐ街道を、十騎の騎馬が走る。

夜の街道を疾駆する一団の先頭を走る騎馬の上には、騎手に抱かれてアンリエッタの姿がある。

そして彼女を抱く騎手は、アルビオンで死亡したはずのウェールズであった。


愛する男の腕に抱かれながら、アンリエッタは自身の行動を思い返す。

ゲルマニアとの婚礼の儀を近日に控える今、自分は一体何をしているのか。


最初に突然目の前にウェールズが現れた時は、何もかもが信じられない心地だった。

愛する彼の末路は、すでに信頼する友人の口から伝え聞かされている。

彼は遠き空の大陸、アルビオンの大地にて、裏切り者の手にかかり果てたのだ。

例えどれほど信じたくなくとも、それは厳然たる事実として、アンリエッタの前に突きつけられた。


だから突如として現れたウェールズに、当然ながら疑惑を持った。

偽物か、何かの罠か、そう考えて、安易に信じようなどとはしなかった。


だがいくつかの言葉を交わしていく内に、その声が、仕草が、二人だけの秘密の言葉が、すべて彼の物だと分かった。

彼の言葉のひとつひとつが自分を癒し、その声は自分の耳には澄んだハープの調べのように清く響く。

欠けていたものが満たされる感覚を覚えながら、不思議な安堵と心地よさに包まれた。


その心地よさの中で、アンリエッタは悟る。

ああ、この方は本物のウェールズ様なのだ。

自分を愛してくれる、自分を満たしてくれる人なのだ、と。


「僕はアルビオンを解放しなくてはならない。そのためにアンリエッタ、君を迎えに来たんだ。決起のために、もっと信頼できる人が欲しい。どうか、僕と一緒に来てくれ」


そう言われた時には、アンリエッタはもう躊躇わなかった。

目の前には愛する人がいて、その人は自分の助けを求めている。

一緒に来てほしいと言っている。

ならばその求めに応じなくて、どうして愛しているなどと言えるのか。

どうして、差しのべられたその手を振り払うことが出来るのか。


ウェールズの手を取り、アンリエッタは彼の示すままにトリステインの城より抜け出した。

その先で待っていたのは、十騎ほどの騎士装束の一団。

ウェールズより王党派の騎士たちだと紹介されたアンリエッタは、何の疑惑も懐かずにそれを信じた。


そしてその一行に連れられて、自分は今、ここにいる。


「不安に思うことはない。僕が言うとおりにしてくれていれば、何も心配することはないよ。君はただ僕を信じて、すべてを委ねてくれていればいい」


安心させるように微笑を浮かべて、ウェールズは手綱を握りながら囁き掛ける。

それに応えるように、アンリエッタも微笑みを浮かべて見せた。


ああ、この声を聞いているだけで、自分はこんなに安心できる。

今日まで懐いていたあの虚無感が、今はまるで何も無かったかのように消え失せている。

代わりにあるのは、王宮内の暮らしでは決して手に入る事の無い、得難き充実感。

このためならば、自分のすべてを捨ててしまっても構わないと思えるほどに。


大丈夫、心配することはない。

自分はなにも、悪事を働いているわけではないのだ。

この行為は、あくまでアルビオンの解放のため。

現在の脅威たるアルビオンが貴族派より解放されれば、トリステインの危機の回避に繋がる。


だから、不安に思うことはない。

この行動は正しいものなのだ。

自分は彼の言うとおりに、ただ彼を信じて身を委ねていればいい。


何も知らない童のように純心な笑顔を浮かべて、アンリエッタは自分を抱くウェールズの胸に身を寄せる。

愛する人の感触に、アンリエッタは心からの安息を感じていた。


―――触れる身体の、生者ならばあり得ない冷たさに気付かないフリをしながら。









「姫様が、行方不明ですって・・・?」


トリスタニアの王宮、魔法衛士隊の騎士よりの話を聞き、ルイズは反芻した。

タバサのシルフィードに乗ってやって来た王宮では、深夜だというのにわらわらと人が出入りし、普段ならばあり得ないほどに騒がしい。

その様子だけでも、王宮で何かが起きた事は確実だった。


「まさか、誘拐されたんじゃあ・・・」


「不明です。無論、その可能性も考慮し、現在魔法衛士隊を中心として捜索隊を編成しております。もう間もなく、本格的な捜索が行わるでしょう」


いかに公爵家の一員とはいえ、一介の学生に過ぎないルイズに、騎士は丁寧な敬語で対応する。

前に城を訪れた時、アンリエッタに直々に迎えられた事実が効いているのである。

恐らくルイズのことを、王女直属の女官か何かだと思っているのだろう。


「間もなく、ですって?何を呑気な!!もし本当に誘拐されていたとしたら、事態は一刻を争うのよ!!」


「心配せずとも、そのセンは薄いでしょう。どうか御安心を」


あまり危機感を感じさせない口調で、騎士は答えた。

時期を考えて、確かにアルビオンの手の者の仕業である可能性はある。

だが正直なところ、大多数の者はその可能性は低いものと考えていた。


誘拐だというにしては、今回の騒動はあまりに痕跡が少なすぎる。

王宮の奥深く、王女の私室より王女をかどわかしたならば、もっと痕跡があって然るべきだ。

侵入の形跡もないし、王女の私室にも争ったような跡は無い。

幾重もの探知魔法のかけられた王宮の警備の中で、ここまで一切痕跡を残さず誘拐するなど不可能だ。

それこそ、アンリエッタが自分から進んで誘拐犯に付いて行ったわけでもあるまいし。


それにアンリエッタが近日中にゲルマニア皇帝との婚礼を迎えることは、すでに周知の事実だ。

一応は祝福された婚儀であるが、親子ほども年の離れた両者の結婚が本人達の意志によるものではない事は、王家に少しでも近い者達の間では明白である。

また、不確定な情報ではあるが、一目を忍んで城を抜け出そうとしている王女らしき姿の目撃報告もあった。


自由を無くす姫君の、最後の我儘。

それが大方の者の共通見解であり、無論それはこの騎士とて例外ではなく―――。


「安心って、安心なんて出来るわけないでしょう!!もしアルビオンの手の者の仕業だとしたら、姫様は今頃―――」


「・・・ミス。なぜそれほどまで、誘拐を疑われるのです?何か根拠でも?」


だからこそ、騎士の立場からすればルイズの危機感こそが理解できなかった。


「いえ、その、根拠があるわけじゃ、ないんだけど・・・」


「ならば、後の事は我々にお任せを。どうか我々精鋭魔法衛士隊を信用ください」


ルイズが口ごもると、騎士はそうとだけ言って、会話を一方的に打ち切ってしまう。

王女直属の女官だと思っていても、やはり相手は小娘。

接し方には、どうしても相手に対する侮りが含まれていた。


「・・・分かったわ」


これ以上は話しても無駄だと判断し、大人しくルイズは引き下がる。

騎士より離れて、待たせていた他の面々、タバサ、キュルケ、そしてギルガメッシュの元へと戻った。


「やっぱりだったわ。姫様が行方不明だって」


真剣な面持ちで、ルイズは一行に騎士から聞いた状況を話す。

王宮の者は楽観視しているようだが、ルイズはこれがアルビオンの仕業だと確信していた。

水の精霊の話した『アンドバリ』の指輪の効果、語られた『クロムウェル』という名前、そしてキュルケが目撃したという今は亡きウェールズの姿。

事情を知る者ならば、この三つの符号が何を意味しているのかは明白だった。


だが逆に事情を知らない者ならば、どうしてそうなるのかという話になるだろう。

仮にこちらの知り得るすべての事情を提示して説明したとしても、相手がこちらを信頼してなければ何の意味もない。

小娘の、訳の分からない妄言と片づけられて終わりだろう。

事は一刻を争うというのに、相手が信じるまで懇切丁寧に説明している時間はない。


つまり、今この場で事態を何とかできるのは、ここにいる者達だけという事だ。


「お姫様をさらった連中がアルビオンの奴らだとすれば、向かうのはラ・ロシェールね。空の向こうのアルビオンまで辿り着ける船を扱えるのは、ここらじゃあそこくらいだし」


「急いで」


促すようにタバサは自身の使い魔である風竜に跨り、キュルケもその後に続く。

ルイズもまたそれに続こうとした時、それまで黙っていたギルガメッシュが唐突に尋ねてきた。


「・・・あの小娘の私室には、一切の争った痕跡が無かったそうだな」


「?ええ。寝間着も綺麗に片づけられて、外着が一式だけ無くなっていたそうよ」


「・・・ふむ」


顎に手をやり、ギルガメッシュは自己の思案を巡らす。

しばしの間そうしていてから、ギルガメッシュはもう一つ尋ねてきた。


「ルイズよ。『水のルビー』は今も所持しているか?」


「え?・・・ええ、持ってるわよ。姫様からいただいた大切な品だもの。いつだって肌身離さず持っているわ」


「そうか。では、これも持っておけ」


そう言ってギルガメッシュは、背後から取り出した一冊の本をルイズへと渡した。


「ちょっと、これって・・・!」


「くれてやる。我が蔵に収まるべきは物の原典のみ。その後に派生し、流転していった完成品は、俗世の民の手へと伝わるべきだからな」


ルイズは手渡された本を見る。

そして初見にて、新品の清潔さを保つその本が、『始祖の祈祷書』であることを理解する。


革の装丁はどこか明るい色素へと変えられ、本のサイズ自体も手に収まりやすいよう一回りほど小さくなっている。

白紙なのは相変わらずだが、迂闊に触れればそのまま破けてしまいそうだったページも、しっかりとした羊皮紙に変わっていた。

はっきり言って、元の古ぼけた祈祷書とは、似ても似つかない。


だが分かる。

これは本物の『始祖の祈祷書』だ。

理屈ではうまく説明できないのだが、もっと奥底の根源的な部分で、これがまぎれもない真作だと理解できる。


「所有権をお前へと移した。その祈祷書は、今やお前だけの“宝具”だ。お前が真に力を欲した時、それは求めに応じるだろう」


補足するようにギルガメッシュが告げてくる。

特にどうという事の無い口調で告げられた言葉だったが、なぜだがルイズにはその言葉に含まれる重要性が感じ取れた。

これは決して聞き逃してはならない、ギルガメッシュからの数少ない忠告なのだと。


「ちょっと、ルイズ、ダーリン、何してるのよ!!早くしないとまずいんでしょ!!」


風竜の上から、いつまでたっても搭乗しようとしない二人にキュルケが急かすように言った。

その言葉にハッとしてルイズは風竜の元へと駆けていき、ギルガメッシュもまたその後に悠然と続いて行った。










ウェールズに連れられたアルビオンまでの道中、アンリエッタの頬に空より水の雫が落ちた。

見上げると、いつしか双月の光は黒い雲に覆われている。

雨雲より降り落ちる雨の雫は二滴、三滴と次第に増えていき、やがて豪雨となって一行に降りかかった。


雨という天候は、『水』のトライアングルメイジであるアンリエッタにとって決して気分の悪いものではない。

周囲のすべてが水素に満ちる雨の日は、水分を操る『水』系統のメイジに絶対的なアドバンテージを与える天候だ。

また属性に何らかの因果関係があるのか、精神的にも安定する日和でもある。


だが今宵のアンリエッタには、降り注ぐ雨の景色がなぜだか不吉に見えた。

普段ならば心地よく聞こえる雨音の弾きも、今は不気味な響きを伴ってアンリエッタの耳に入ってくる。

まるでこれからの自分の行く末を予知しているように思え、アンリエッタを不安にさせた。


「怖がらないで」


不安を募らせるアンリエッタに、ウェールズが声をかける。

彼は安心させるように微笑みかけると、短い呪文と共に杖を振るう。

すると二人の頭上に空気の膜が形成され、即興の風の傘が完成した。


「言っただろう。僕にすべてを委ねて、と。僕に任せてくれれば、君が案ずる事なんて一つも無い。もう僕達の間に、阻むものは何も無いんだからね」


周囲の雨音にも害されることなく響くウェールズの声は、アンリエッタの心に安堵をもたらす。

雨に対して懐いた不安も、その言葉一つであっさりと消え去った。


ああ、やはり、彼に付いて来たのは正しかった。

彼と共に居れば、こんなにも自分は安心できる。

自分はここに居るのだと、必要とされているのだと実感できる、

この至福を手放すくらいならば、王女としての地位や権威など容易く捨て去ってみせよう。

真に自分が生きている証は、この愛する王子の隣の場所にあるのだから。


「・・・むっ!」


唐突に、ウェールズが駆ける方向の後ろへと意識を向ける。

『水』のトライアングルメイジであるアンリエッタには、彼が気にするものが分からない。

しかし鋭敏な『風』のトライアングルメイジであるウェールズは、自分達へと近づいてくる追跡者の存在を正確に捉えていた。


追跡者に対応しようと、ウェールズは手綱を握っていた手を離し、代わりに杖を握る。

詠唱はすでに完了させ、いつでも魔法を発動可能なように待機させる。

だが今回の場合は、ウェールズよりも相手の方が一枚上手であったらしい。

相手より放たれてきた風の刃は、まさに疾風という形容がふさわしい高速を以てウェールズの反応さえも上回り、ウェールズとアンリエッタの騎乗する馬の脚を切り裂いた。


嘶きと共に、騎乗していた馬が突然足を折って倒れ込む。

転倒に巻き込まれる前にウェールズはアンリエッタを抱えて馬上より飛び出し、風を利用して体勢を立て直して地面へと降り立った。


「どうやら、追っ手が来たようだね」


アンリエッタを下ろしながら、ウェールズは自分達が辿って来た道へと振り返る。

その先には、複数の人間を乗せてこちらへと迫る風竜の姿がある。


見れば、先ほどの馬の転倒は、どうやら『風』の魔法の仕業にあったらしい。

倒れる馬を見てみると、それぞれの足が綺麗な切れ口で腱を切断されている。

こんな芸当が出来るのは、四属性の中でも『風』を置いて他にない。

この悪天候の中、あれほどの距離からここまで正確な風の刃を繰り出すとは、相手は相当な『風』の使い手なのだろう。


馬を失ったウェールズに合わせ、他の騎士たちも騎馬の足を止める。

ウェールズとアンリエッタと含めた12人の前に、風竜が舞い降りる。


そしてやって来た者達の中の一人の姿を見たとき、アンリエッタは愕然とした。


「姫様、ご無事ですかっ!!」


そこにいたのは、アンリエッタにとって幼馴染みであり、唯一の親友。

そして今となっては自分にとって信頼できる唯一人の貴族、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールであった。


「ルイズ・・・」


「・・・姫様。すぐにその者達から離れてください。その方はウェールズ様ではありません。『レコン・キスタ』の手によって偽りの生を与えられた人形です」


厳然たる事実が、ルイズの口より告げられる。

アンリエッタの隣にいる、生還したウェールズは偽物。

クロムウェルよりアンリエッタをかどわかすために遣わされた、偽りの命で動くリビングデッド。

アンリエッタが救いと信じて縋り付いた存在は、その実彼女を更なる奈落へと誘おうとする破滅の使者であったのだ。


「これはこれは、ミス・ヴァリエール。出会い頭から、随分と不躾な物言いだね。いかに我が国への親善大使であった君といえど、少々無礼だと思うが。

・・・ああ、そうか。どうやら、誤解を招いてしまったようだね。アルビオンの地で死んだのは、私の影武者さ。本物の私は、こうして生きている。

君に言わなかったのは悪かったとは思うが、敵を欺くにはまず味方からという格言もある。どうか、納得してもらいたいな」


「影武者、ですって?じゃあその時、本物のあなたは何をしていたのよ?」


「巡洋艦に乗って落ちのびたんだよ。すべてはアルビオンの再起のため、私は死ぬわけにはいかなかったからね。それからはずっとトリステインの森の中に隠れていて、機を見計らってアンリエッタに接触した。アルビオンの奪還には、彼女の力が―――」


「黙りなさい、偽物」


それ以上のウェールズの発言を許さず、ピシャリとルイズは言い放った。


「死ぬわけにはいかなかった?あの時、ニューカッスル城には、まだたくさんの民や臣下の人達が残っていたのよ。守るべき彼らを置き去りにして逃げ出すなんて行為、そんなのは名誉でも何でもない、ただの臆病だわ。あの勇敢なウェールズが、そんな恥知らずな真似を取るはずがない。

口を慎みなさい。水の精霊の口から、死者に偽りの生命を与える『アンドバリ』の指輪が、クロムウェルの手によって盗み出されたことはすでに裏が取れているの。これ以上あなたが発言することは、本物のウェールズ様に対する侮辱だわ」


実際に話したのは僅かな時間しか無かったけれど、それでもルイズの知るウェールズは勇敢で凛々しい人物だった。

明日の迫った死の運命にも怯まず、己の義務だと言いきった強い人だった。

そんな彼が、アルビオンのためなどと題目を付けて、守るべき臣民を平気で見捨てて逃げ出すなどするはずがない。


そう思うからこそ、ルイズには目の前のウェールズの姿をした者が我が物顔で語るのが我慢できなかった。

だがルイズの糾弾にも、アンリエッタの隣に立つ偽りのウェールズは涼しげな表情を崩さない。

それどころか逆に諭すような口調で、ルイズに対し言葉を返した。


「偽物、か。どうして君に、そんなことが言いきれるのかな?」


「え・・・?」


「確かに私は、あの時に一度死んだ。ワルド子爵の魔法に心の臓を貫かれてね。そして君の言うとおり、その後私はクロムウェルの手によって甦らせられた。私は知らないが、恐らく君の言う『アンドバリ』の指輪とやらによって。

そういう意味では、ああ確かにこの命は偽物なのだろう。クロムウェルの人形と化しているという事も、否定はしない。けれど、それでどうして、この私という存在のすべてを偽りなどと断ずることが出来るのかな?」


ウェールズがアンリエッタの肩を抱いて、その身体を抱き寄せる。

ルイズよりもアンリエッタに囁き掛けるようにして、そのまま言葉を続けた。


「確かに私のこの命は偽りかもしれない。けれど、私が懐くこの感情、アンリエッタを愛するこの心は、紛れもなく本物だよ。

死の間際、薄れゆく意識の中で私が最後に思ったことは、祖国アルビオンの事ではなく、私が愛するアンリエッタの事だった。彼女の事が忘れられず、我が魂は天に召されること無く、現世を彷徨い続けた。

そんな時さ。クロムウェルの呼び声を聞いたのは。彼によって彷徨っていた私の魂は再び肉を得て、一個の生命として大地に足を下ろした。

そう、例え生命としては偽物でも、私のこの魂はウェールズ・テューダー以外の何者でもないのだよ」


「それこそあり得ないわ!!あなたが本物のウェールズ様の心を持っているのなら、どうしてクロムウェルの傀儡になって姫様に害を為そうとしているの!!」


「心外だな。私の行動が、アンリエッタに害を加えるだって?」


ウェールズの腕が、アンリエッタの身体に絡み付く。

死者特有の温かさの無い冷たい腕は、しかしアンリエッタにだけは心を蕩けさせる情愛の熱に溢れているように感じた。


「確かにクロムウェルに従うことは屈辱だよ。彼は我がアルビオン王家を滅ぼした張本人。我が一族の仇だからね。けれど、私にはそんな復讐などよりも、はるかに尊く大切な思いがある」


抱きしめるアンリエッタの耳元に、ウェールズは口を近付ける。

言葉の続きを、アンリエッタにそっと囁き掛ける。


「君だよ、アンリエッタ」


それを聞いた瞬間、アンリエッタの表情に生の活力が満ち溢れた。


「残された君の事だけを案じて、僕はこの世に戻って来た。僕の未練はアルビオンではなく、アンリエッタ、君だけだ。例え国の仇にも、君と共にいるためならば僕は喜んで頭を下げよう。

愛している、アンリエッタ。あの時には誓えなかった永遠の愛を、今こそ誓おう。すべてを捨てて、僕の側にいてくれ。僕達の愛のために」


「騙されては駄目!!それは本物のウェールズ様の言葉じゃない。姫様を惑わそうとする、偽物の諫言です!!」


最愛の男と親友の少女の二つの声が、同時にアンリエッタの耳に届く。

愛と友情、どちらの絆もアンリエッタにとって掛け替えのないものだ。

だが二人の声は、そのどちらかを選びとることをアンリエッタに要求してくる。

それは同時に、どちらかの絆を切り捨てるということを意味していた。


愛を取るか、友情を取るか。

葛藤が、アンリエッタの中で渦巻く。

しかし葛藤の時間は思いの他短く、アンリエッタはすぐに選択の答えを出した。


「姫様!?」


自身の魔法の杖をルイズに突きつけるという、明確な態度によって。


「・・・ルイズ・フランソワーズ。王女として、あなたに命じます。どうかこのまま、私たちを行かせて。何を言わず、道を譲って」


「何を言ってるの、姫様!!それはウェールズ様じゃない。外見だけが似ているだけの、全く別の物なんです」


「・・・ええ、そうかもしれないわね」


渇いた口調で、アンリエッタは言う。

その表情が浮かべている静かな笑みは、どこか壊れた狂気を湛えていた。


「でもね、ルイズ。このウェールズ様は、私のことを愛してると言ってくださるのよ。ウェールズ様の顔で。ウェールズ様の声で。ウェールズ様の仕草で」


「姫様・・・?」


アンリエッタを見るルイズの目に、怪訝そうな色が浮かぶ。

それからアンリエッタは、関を切ったかのように言葉を捲し立て始めた。


「私を必要だと言ってくださるの。私だけを見ると言ってくださるの。私のことを、離さないと言ってくださるのよっ!!ウェールズ様のお姿で、手で、唇で、私を抱きしめてくださるの!!私にキスをしてくださるの!!」


「それは・・・すべて偽物なんです。姫様、どうか目を覚まして。それはただウェールズ様の形骸を取り繕っているだけの、ウェールズ様のまやかしなんで―――」


「偽物だって、構わないっ!!」


喉奥より引き絞るような金切り声で、アンリエッタは叫んだ。


「例え外見だけでも、彼は私のよく知るウェールズ様その人だわ。それが偽りの命でも、彼の存在が私にとってどれだけの救いとなるか。

ルイズ、あなたはきっと、本当の恋というものをしたことが無いのね。愛という感情はね、本人にさえ御しきれない感情なのよ。愛する人と添い遂げるためならば、世界のすべてさえ投げ出していいと思えるほどに。

―――もう彼しかいないのよ、ルイズ。王の道を選ぶことも出来ず、道具としてでしか己の価値を表せない私には、彼以外に満たしてくれるものがない。今にも壊れてしまいそうなこの心を支えてくれるのは、彼との愛しかないのよっ!!」


それはアンリエッタの、心からの吐露だった。


愛していた、本当に愛していたウェールズの死は、アンリエッタの心を無残にも張り裂けさせた。

嘆きの絶望が彼女を侵し、失意の念が彼女から生きる気力を失わせる。

無気力な人形のようになったアンリエッタは、ただ周りに言われるがままに、道具として使われる道を選んだ。


もしアンリエッタに他に支えとなるものがあれば、それを頼りに縋り付いて生きることも出来ただろう。

彼女が生まれながらに有していた王女という名の権威。

その責務を全うすることこそ王族たる自分の本懐だと自らに言い聞かせて、溢れる嘆きの念から目を背けることも出来たはずだ。

ルイズより『風のルビー』を託されたあの時、ウェールズの死を乗り越えてその道を選ぶ道も、アンリエッタには存在していた。


だが、その選択を手にする事は、あの時のアンリエッタには出来なかった。

何も知らない、自分の矛盾にさえ気付かない頃のアンリエッタであったなら、それも可能だっただろう。

だが、自己の矛盾を露呈され、己の存在の脆弱さを突き付けられた彼女には、自らを奮い立たせて勇敢に生きるなど出来るはずがない。

自身の足場の脆さに気付きながら、どうして立ち上がることが出来るのか。


なまじ知ってしまうから、人は歩くことが出来なくなる。

例え昨日までは何の憂いもなく歩いていた道であったとしても、実はそこに毒蛇が潜んでいると知れば、これまで通りに歩くことなど出来はしない。

アンリエッタにとって王女という道は、生まれてからずっと歩み続けてきた人生そのものだ。

自身ではどれほど嫌っていても、結局のところアンリエッタの人生とはそこを基点として成り立っている。

王族としての価値とは、アンリエッタにとって自身の生きたすべての歳月をかけて積み上げてきたものなのだ。


それを否定された。

全く無価値なものなのだと、はっきりと告げられた。

それは同時に、彼女の十数年の人生のすべてを無価値と断じられるに等しい行為。


その瞬間、アンリエッタは崩れた。

基点が崩壊すれば、連鎖して他の部分も崩壊していく。

アンリエッタという人間の生は、たったひとつの価値観の崩壊と共に、そのすべてを無様なものへと貶められた。


踏み下ろすべき足場さえも曖昧で、頼るべき支えもない。

嘆きを埋める拠り所もなければ、奮い立たせる信念もありはしない。

そんな彼女に、一体どうしてウェールズの言葉を撥ね退ける事が出来るのか。


彼は自分を愛していると言ってくれる。

彼は自分を必要としてくれる。

それは自らの生の価値を喪失したアンリエッタにとって、抗し難い魅力を放っている。

その言葉はすなわち、アンリエッタに価値を認めるということ。

例え偽りであろうと、それはアンリエッタにとって自己存在の容認であり、確かな救いなのだ。


だから、信じると決めた。

信じ込もうと決めた。

考えることを放棄し、自分を必要としてくれるこの人に付いて行くと決めたのだ。

それ以外に自分という人間が生きていける道など、無いのだから。


「だから、お願い、ルイズ。王女として、そして親友として、あなたにお願いするわ。どうかこのまま、私を行かせて」


「姫・・・様・・・」


悲嘆と慈愛、諦観と狂気を混在させて訴えるアンリエッタの顔に、ルイズはそれ以上なにも言えなかった。

そこにあるのは、恐らくこの世界で誰よりも弱い少女の姿。

その辛く、悲しく、あまりにも弱々しい姿に、ルイズは諦めと共に悟る。


ああ―――この人は、もう駄目なんだ。


アンリエッタにはもう、ウェールズに付いて行く道以外に救いがない。

仮にトリステインに残っても、待っているのは国のための道具として、愛してもいない男の元へと嫁ぐ用途。

彼女が国の道具としてではなく、アンリエッタ・ド・トリステインでいられる唯一の場所は、愛するウェールズの隣だけなのだ。

―――例えそれが、偽物の盲目であると分かっていても。


ならばここで彼女の前に立ち塞がることは、果たして正しい事なのか。

道具としての灰色の生を強いるよりも、せめて彼女の意思を尊重出来る道を選ばせる方がよいのではないか。

臣下としてではなく、幼い頃を共に過ごした親友として、そうすることが本当の友情と言えるのではないか。


縋るように訴えるアンリエッタの姿に、ルイズの中で少しずつそんな考えが進行していった頃―――


「プッ、クッ、クックック・・・」


下種じみた響きで漏れる嘲笑が、場の者達の耳に届く。

漏れ出るようだった嘲笑はやがて哄笑となり、雨音も打ち消してその場に轟いた。


「クッハッハッハッハ、アーハッハッハッハッハッハ!!なんだそれは!?なんなのだそれは!?黙って傍観しておれば、これは一体何の喜劇なのだ?貴様は一体何度我を笑わせれば気が済むのだっ!?」


張り詰めて深淵であった周囲の雰囲気など構う事無く、一切の遠慮なしに高らかにギルガメッシュは言い放つ。

その余りの空気を無視した発言に、アンリエッタは呆然となり―――そして余りの不快さにその面貌を醜く歪ませた。


「なにが・・・おかしいの・・・?」


押し殺すような声で、アンリエッタは詰問する。

その声はこれまでのルイズの会話とは明らかに質が異なっていたが、構うことなくギルガメッシュは答えた。


「貴様こそ、自分で言っていておかしくはないのか?亡者相手に愛だの支えだのと、己のほざく支離滅裂の妄言に、まるで思慮が行き届かんと?

アハハハハッ、大した蒙昧、大した愚鈍、その愚かしさ、もはや阿呆を通り越して尊くさえある。認めよう、アンリエッタ・ド・トリステイン。貴様は、生粋の道化者だ!!」


もはや辛抱たまらないとばかりに、大仰に腹を抱えてギルガメッシュは嗤う。

豪雨の夜で高らかに響くその嗤い声は、アンリエッタの心をどうしようもなくかき乱し歪ませる。


そう、笑いではなく、嗤い。

その響きには相手を嘲り、侮蔑し、軽んじ、見下す、あらゆる侮辱が込められている。

それはいかなる言葉にも勝り、相手に最大の屈辱を与える行為だった。


そして今のアンリエッタにとってその行為は、断じて許せるものではない。

確かに他人から見れば、自分の行動は馬鹿げていると思われても仕方がないのだろう。

だがそれでも、これは自分が思い悩んだ末に出した決断なのだ。

情愛と義務、両者の板挟みに苦しんで、どうしようもなくなりながらも導き出した答えなのだ。

例え他人が何と言おうが、自分にとってこれは限りなく尊い決意だと信じている。


それを嗤われた。

反論ではなく、ただくだらないと断じられ、蔑み物として嘲笑されたのだ。

それは、アンリエッタがどうしようもなくなった中で、ようやく出した決断のすべてを否定するに等しい所業。


そんなことは―――例え相手が神でも許せはしない。


「嗤わ、ないで・・・」


悔しげに歯噛みしながら、アンリエッタは声を絞り出す。

だが哄笑は止まらない。

こちらの声も一切気に掛ける事無く、ただ己の快楽のみを表す醜悪な嗤い声は収まる事を知らずに耳に響き続ける。

豪雨の雨音の中でも透きとおり響いて轟くその嗤いは、世界の何よりも耳触りな音だった。


その声が、かつて自分の王族としての価値を否定した。

そして今もなお、苦渋の中で決断した自分の選択を、単なる愚行と嘲笑っている。

それは、アンリエッタ・ド・トリステインという人間の全てを愚かと罵る忌々しい騒音。

その騒音に、ついにアンリエッタの理性の線が限界を超えた。


「―――嗤うなぁぁぁぁぁっ!!」


憤怒の絶叫と共に、アンリエッタは魔法を放った。

雨の天候による周囲の水素の増加、そして爆発したアンリエッタの怒りによって、その魔法の威力は常時の彼女のそれをはるかに上回る。

凝縮された水の弾丸が、いまだ哄笑を上げているギルガメッシュへと迫った。


接触の瞬間、人一人程度ならば容易く圧殺する水圧の弾丸を、ギルガメッシュは背後よりデルフリンガーを抜き放ち弾く。

デルフリンガーの刃に吸収された水の弾丸は打ち消されたが、代わりに水弾はギルガメッシュの哄笑も打ち消した。


杖を構えながら、アンリエッタは眼前に立つギルガメッシュを睨みつける。

その表情には、先ほどまでの不安定さは微塵も見受けられない。

たったひとつの感情の激流が、彼女からあらゆる迷いを排除してくれていた。


それは、心底より溢れださんばかりの勢いで吹き荒れる憎悪の感情。

眼前の男が放つ数々の暴言、自分を罵倒する仕草のすべてが、彼女にかつてない怒りの念を湧きあがらせる。

憤怒は殺意となり、殺意は鋭利な魔法の刃となって、ギルガメッシュへと向けられていた。


そう、そもそもの発端はこの男なのだ。

この男があんな事さえ言わなければ、自分はここまで追いつめられることは無かった。

知りさえしなければ、自分はこれまで通りに王族の地位に縋り、それを頼りに生きることも出来ただろう。


それを、何の関係もないくせに、遊び半分に暴露して、嘲笑って、弄んで。

自分の支えを壊して、そして今もなお嗤いものとする度し難い男。

例え他の何を許しても、自分の存在を否定し嘲笑したこの男だけは、断じて許してはいけない。

生涯で初めて沸いた純粋な殺意を胸に、沸き上がる憤怒の源泉たる思いを、アンリエッタは心中にて慟哭した。


この男が余計な事さえ言わなければ―――私は無知なままでいられたんだっ!!










明確な敵意が込められたアンリエッタの睨みを受け止めながら、ギルガメッシュはデルフリンガーの刃を下げる。

そこで、自身の頬に何かの違和感を覚え、目線だけをそちらに向ける。

そこには、浅く小さい一筋の傷ができていた。

微塵の迷いもない鋭利な殺意の一撃は、デルフリンガーの防御をも突破してギルガメッシュに浅いながらも傷を残していたのだ。


「フン。ただの道化かと思ったが、まったく見所が無いというわけでもなさそうだな」


付けられた傷を見ながら、苦笑まじりにギルガメッシュは呟く。

だがその笑みも、すぐに冷酷なる殺意の表情へと入れ替わった。


「だが、躾がなっておらんな。―――これは、ちと仕置きが必要か」


冷然たる宣告と共に、ギルガメッシュの背後より無数の宝具達が面を上げる。

それに応じて、これまで後方で控えていた他の九の騎士達が一斉に動き出す。

ウェールズとアンリエッタの二人を守るように前に出て、ギルガメッシュと向かい合う。


先を制したのは騎士達だった。

統制の取れた動きで、各々が呪文を唱えて魔法を放つ。

それらの魔法は天候に合わせてか『水』の系統のものが多い。

周囲の水素を改変させて生み出された、水の弾丸が、氷の矢が、相対する敵を貫かんと直進する。


だがそれらの攻撃は、パチンッと打ち鳴らされる指の音と同時に、そのすべてが無へと帰した。


開放される宝具群。

一斉掃射された宝具の雨は騎士達の魔法を一瞬の抵抗さえ許すことなく吹き飛ばし、それを放った騎士達を粉砕した。


かつては王党派の勇士として生きた彼らも、今は『アンドバリ』の力で操られるリビングデッドだ。

すでに死を通り過ぎてきた彼らは、剣や矢などといった武器では打倒出来ない。

剣で斬られようが、矢で射抜かれようが、通常の生体機能が停止した彼らには何の支障もない。


だがそれにも、限度というものがある。

不死なる死人の肉体も、原型を留めないほど粉々に破壊されてはどうにもならない。

放たれた宝具は騎士達が居た空間を爆砕し、その場のすべてを灰塵と化した。

護衛の騎士達が一瞬で全滅し、ウェールズの顔に動揺が走る。

ギルガメッシュは容赦なく、残された標的へと宝具の矛先を向け―――


「やめてっ!!」


身体に組みついてきたルイズによって、それを止められた。


「アンタの宝具ってやつじゃあ、姫様まで一緒に吹き飛ばしちゃう!!」


腕にしがみ付いて叫ぶルイズに、ギルガメッシュは忌々しげに舌打ちする。

その隙を見逃すことなく、ウェールズとアンリエッタは素早く逆襲の呪文を唱え始めた。


ウェールズの詠唱と、アンリエッタの詠唱が重ね合わされる。

生者と死者の隔たりはあれど、元は一つであった王家の血と、愛の絆によって結ばれた二人の呪文は、共鳴し合い一つの魔法となって顕現する。

それは、ウェールズの三つの『風』と、アンリエッタの三つの『水』、それぞれのトライアングルが集約し、六乗の力になって紡がれる大儀礼。

個人の術者では決して到達し得ぬ、王家の血族にのみ許された六芒星を描かせるヘクサゴン・スペル。

降り注ぐ雨水のすべてを吸収して出現した津波の如き水の竜巻は、アンリエッタが杖を振り下ろすと同時にギルガメッシュへと牙を剥いた。


眼前の巨大な水の竜巻に、さすがのギルガメッシュも警戒を面に出す。

周囲の水素をむさぼり荒れ狂う水流の暴風は、あたかもアンリエッタの懐く憎悪の強さをはっきりと表しているようだ。

アンリエッタの憎悪が込められた極大魔法に対し、ギルガメッシュは自身の宝物庫より盾の宝具を展開させて目の前の竜巻をくい止める。


アンリエッタの竜巻と、ギルガメッシュの盾が、両者の間の空間で激突した。


「ほう。雑種の小技とばかり侮っていたが、この世界の魔術もなかなかに捨てた物ではないな。この盾には、城塞に匹敵する防御が備わっているはずなのだが」


竜巻の進行を食い止めつつも、ギシギシと軋みを上げている自身の宝具を見ながら、感嘆したようにギルガメッシュは言った。

一応は食い止めてはいるが、あの様子では盾もそう長くは保たないだろう。

よもや宝具にも対抗し得る魔法があるとは思わず、いささか侮ったかと、ギルガメッシュは己が認識を改めた。


「ちょ、ちょっと、何だかヤバそうじゃない!!どうするのよ?」


軋みを上げて今にも粉砕されてしまいそうな盾に、ルイズが慌てた様子でギルガメッシュに尋ねる。

今は盾によってくい止められている、二人の王族の連携により実現したヘクサゴン・スペルの巨大な水の竜巻。

だがあの様子では、盾の守りを突破してこちらを飲み込むのも時間の問題だろう。

あんな竜巻に飲み込まれては、人間の身体など一瞬にしてバラバラになってしまう。


その事実を理解しながら、しかしギルガメッシュは多少の警戒はあれど、さして動じる様子もなかった。


「どうする?なぜ我にそのような事を聞く?」


「え・・・?なぜって、それは・・・」


「つい先ほど、お前はこの我の攻撃を妨げた。その結果がこれなのだ。ならばお前に、我に助けを求める資格があると思うのか?」


「なっ!?そ、そんなの―――」


「そもそもだ。我はあの小娘の事など、さして気に掛けておらん。多少は見所を示したようだが、わざわざ我自らが手を煩わせるほどではない。

最初から、やつを救わんとしていたのはお前だろうが。ならば最後まで、その行動を貫いて見せよ」


そう言われて、ルイズはハッとする。

そう、アンリエッタに、トリステイン王家に忠誠を誓う者は、この場においては自分以外にいない。

キュルケはゲルマニア、タバサはガリア、そしてギルガメッシュに至ってはハルケギニアの者ですらない。

ならばトリステインため、アンリエッタのために命をかけて行動するのは他ならぬ自分であるべきだ。


だが理屈でそう思った所で、現実問題としてルイズには目の前の竜巻を破る手段がない。

自分に起こせる爆発で、あの巨大な竜巻に対して何が出来るというのか。

メイジの到達できる限界を超えた六乗のヘクサゴン・スペルに対抗できる者など、それこそギルガメッシュ以外に誰も―――


(え・・・!)


その時、ルイズの中で、唐突に違和感が生じた。

何かが噛み合わない。

自分の思考、自分が考えて出した結論に対し、別領域に在るもう一人の自分が異議を唱えてくる。


(対抗出来ない?本当にそうなの?)


自分に出来る事と言えば、あの失敗魔法の爆発のみ。

破壊力はそれなりではあるが、とても目の前の竜巻に対抗できるほどではない。

仮に以前のフーケ戦での過去最強の威力を引き出せたとしても、やはりあの竜巻は打倒できまい。


―――ならば、自分が対抗できる手段とは、過去に経験してきた力ではなく、新たに手にした未知の力ではないのか。


(!祈祷書が!?)


思考がその結論に辿り着いた瞬間、『始祖の祈祷書』が鼓動する。

まるで来たるべき時を所有者たる主に知らせるように、己の存在をルイズへと訴えかける。

鼓動に反応してルイズが目を向けると、書のページの間から光が漏れ出ていた。


ページを開く。

何も書かれていなかったはずのページには、今は古代のルーン文字が描かれていた。

その文字を一目見た瞬間、ルイズは直感する。

これは、自分のために存在する魔法の呪文であるのだと。


顔を上げ、ルイズは再び迫りくる竜巻へと目を向ける。

大気の全ての水を巻き込み、ギルガメッシュの宝具すら突破せんとする、巨大な水の暴流。

先ほどまでは恐怖しか沸かなかったその光景も、今ならば全く恐れるに値しない。


自分はあれを打ち破れる。

根拠など何も無いが、しかしその確信がルイズにはあった。


「ウル・スリサーズ・アンスーン・ケン・・・」


祈祷書に浮かびあがったルーンの呪文を、ルイズは詠唱する。

わざわざ書に目を落とす必要はない。

手にするだけで、そこに記された呪文の言葉は、自然とルイズの頭の中に現われていた。


「ギョーフゥー・ニィド・ナウシズ・・・」


淀みない呪文に触発され、ルイズの中の魔力がうねる。

その感覚に確かな手応えを感じながら、ルイズは更に呪文を続ける。

この魔法が解き放たれた時、目の前の水の竜巻は無へと帰するだろう。


「エイワズ・ヤラ・・・」


いよいよ呪文の終局に差し掛かる。

この魔法が発動すれば、迫る水の竜巻を無効化する事が出来る。

そうすればもう、自分達を阻むものは何も無くなるのだ。

そして、その後は―――


(その後は―――どうするの?)


その時、高揚していたルイズの心に、在ってはならない不純物が混じり込んだ。


(この竜巻を打ち消して、それでその後はどうすればいいの?)


忘れたわけではない。

今のアンリエッタにとって、ウェールズだけが唯一の心の支えだ。

それを奪い去ることが、二度も愛する人を殺されることが、いかにアンリエッタを傷付けることになるか。

例え偽物と分かっていようと、このまま盲目的にウェールズに付いて行く事の方が、どれほど救いとなるか。

自分とて先ほどそう思ったからこそ、諦めと共に彼女らに道を譲ろうとしたのではないのか。


ならば、今自分がやろうとしていることは―――


(この竜巻を打ち破って、私はウェールズ様を殺すの?この手で?)


そう、それ以外にない。

自分がこの場で出来ることなど、それ以外に無い。

それ以外に、アンリエッタ達を止める方法など在りはしないだろう。


だがそうすれば、アンリエッタはどうなるのか。

例え偽りの人形といえど、ウェールズはアンリエッタにとって唯一の支えだ。

それを奪い取って、それでアンリエッタは無事にいられるだろうか。


―――ひょっとすれば、そのためにアンリエッタが壊れてしまうかもしれない。


(けど、ここで姫様を行かせたら、姫様はアルビオンの手に―――)


二つの考えの板挟みとなって、ルイズは迷う。

だが時間はそんなルイズの迷いにも構う事なく、残酷なほどに過ぎ去っていく。


そして、呪文が完成した。


「ユル・エオー・イース!!」


渾身の力を込めて、ルイズは杖を振るう。

身体中を駆け巡る魔力の流れに呼応して、ルイズの意志を体現する未知なる魔法が現実に顕現し―――


「・・・あれ?」


顕現は―――しなかった。


何も起こらない。

いつもの爆発さえない。

先ほどまであった確かな手応えもいつの間にか霧散し、あるのは精神力の消費を示す空虚な徒労感のみ。


それがルイズの為したすべてだった。


「何で・・・?」


気の抜けた声で呟き、ルイズは力無く膝を落とす。

眼前には、未だ勢いを微塵も落とす事なく迫る巨大な水の竜巻。

その光景を、ルイズは覇気の無い眼差しで見つめるしか出来なかった。


「・・・もういい。つまらん」


そんなルイズの耳に、明らかな失望の念を滲ませたギルガメッシュの声が届いた。


「とんだ茶番だ。もはや見る価値もない。早々に幕を降ろすがいい」


パチリと、ギルガメッシュの指が鳴る。

その合図に呼応し、開かれた黄金郷の門より、一本の赤い槍が引き出される。

招き寄せた魔槍を手にし、何気ない動作でそれを構えると、眼前の竜巻に向けて投擲した。


投擲された赤の槍は、荒れ狂う水の流れを物ともせず、竜巻の中を直進する。

『因果逆転』の概念の付与された魔槍の軌跡は、例えいかなる障害が立ち塞がろうと標的を見失うことはない。

その槍が投擲された瞬間には、すでに相手に命中したという『結果』が完成し、後の過程はそれを実現するためだけのものとなる。

ギルガメッシュの手を離れた魔槍は、すでに為された『結果』に従い、竜巻を突破してその先の対象―――ウェールズの心臓を過たず貫いた。


「がはっ!」


魔槍に貫かれて、ウェールズが崩れ落ちる。

その光景をアンリエッタは愕然と見降ろし、そして絶叫した。


「イヤアァァァァァァァッッッ!!!ウェールズ様ぁぁぁっ!!」


アンリエッタの悲鳴と共に、迫っていた水の竜巻は力を喪失して崩壊する。

崩れた竜巻の先には、愛する男を抱いて嘆く一人の少女の姿だけがあった。










静寂が、場を包んでいた。

あれほどの豪雨だった雨も今はすっかり止み、雨雲が消えた後の夜空には憂い無き双月の輝きがある。

雨後のひんやりとした空気に包まれながら、ルイズ達はアンリエッタを囲うようにして立ち尽くしていた。


動かぬウェールズを抱きながら座り込むアンリエッタの姿は、まるで糸の切れた人形のよう。

身動き一つすることなく、表情からは覇気が喪失し、その瞳には光がない。

生体機能は維持していても、そこには生の活力と呼べるものが何一つとして存在していなかった。


そんなアンリエッタに、ルイズ達は誰も声をかけることができない。

彼女達は、まだ幼い少女だ。

他者の絶望を理解し、それを救済するには、経験も年月もあまりに足りない。

何かしたくても、何と声をかけていいのか、分からない。

世界のすべての支えを失い、世の無情に打ちのめされたこの少女に対し、どんな慰めをかけるべきなのか。


そして唯一、それが分かりそうな人物は、すでにこの場にはいなかった。


「姫様・・・」


苦渋に顔を歪ませて、ルイズは唇を噛んだ。

胸にあるのは、自らに対する自責の感情。

主君であり、同時に親友であるアンリエッタが目の前で苦しんでいるというというのに、自分には何も出来ない。

その事実が、ルイズには何より腹立たしかった。


「アンリ・・・エッタ・・・」


だが、もはやここに救いは無いと思われたその時、あり得ないはずの奇跡が起きた。


「・・・アンリエッタ。君なのか?」


「ウェールズ様?おお、ウェールズ様・・・!」


二度と開かれるはずのないウェールズの瞳が、再び開かれる。

その事実に、アンリエッタの表情に歓喜が生まれた。


ギルガメッシュの放った魔槍は、確実にウェールズの心臓を捉えていた。

その身にかけられていた『アンドバリ』の魔力も、魔槍に込められた膨大過ぎる魔力が直接押し流してしまっている。

偽りの生命を失い、心臓を貫かれたウェールズが、再び息を吹き返すなど本来あり得ない。

だが考えてみれば、貫かれた心臓はすでにワルドによって破壊されている。

元より破壊されている箇所を貫かれたとて、さしたる効果もあるまい。

それに一度死した身の上ならば、多少の生体の異常はあり得るのかもしれない。

あるいは『アンドバリ』の魔力を打ち消した魔槍の魔力が、死に逝く魂に何らかの不条理をもたらしたのか。


真実は分からない。

元より奇跡に理屈を付けるほうが無粋というもの。

ただ確かな事は、今度こそ、正真正銘、本物のウェールズが黄泉の国より甦ったのだ。


だがその奇跡とは、得てして儚く淡いもの。

ウェールズの復活は、偶然と不条理が折り重なって出来た、一時の夢に過ぎない。

再びウェールズに宿った命の灯は、またすぐに消えて尽きるだろう。

その事実を、他でもないウェールズが理解していた。


「君と出会った、ラグドリアン湖に行きたい。そこで君に約束してほしいことがあるんだ」


手にした僅かな時間を使い、ウェールズはそう申し出た。

その願いを聞き届け、ルイズ達はアンリエッタと共にウェールズの身体をタバサのシルフィードの上へと乗せる。

跨るウェールズをアンリエッタが支えながら、シルフィードはラグドリアン湖に向けて飛翔した。


視界より夜の空の中に消えていくシルフィードを、ルイズは地上より見送る。

ルイズはウェールズを風竜の上に乗せた後、アンリエッタに同行する事を辞退していた。

臣下であり、同時に親友でありながら、何も出来なかった自分には、その資格が無いと思ったから。


あの奇跡は二人だけの物だ。

そこにもう、自分が手を出す隙間は無い。

この後二人がどういう結末を迎えようとも、自分の手が届かない所での話だ。

ならば、何も出来なかった自分が、二人の行く末に立ち会う事に意味など無い。


―――それに、今言葉を交わしたい者は別にいる。


ルイズは駆け出した。

ここまで竜の上に乗ってやって来た道を、今度は駆け足にて辿る。

しばらく走り続けていると、やがてその視界に目的の人影が映った。


気も無げに歩を進めるその人影に、ルイズは息を切らしながら精一杯に呼びかけた。


「ギルガメッシュ!!」


呼びかけに応じてか、歩を止めてギルガメッシュは振り返る。

顔を向けたギルガメッシュに、ルイズは更に言葉を続けた。


「・・・ウェールズ様が、目を覚まされたわ。一時的に、だけど。多分、アンタの宝具ってやつのおかげだと思う」


投擲した赤い魔槍でウェールズを穿ち、ギルガメッシュは早々にあの場を立ち去ってしまっている。

だから、ギルガメッシュはあの後に起きた奇跡を知らない。

例え過程はどうであれ、あの奇跡はギルガメッシュの行動によって為されたものだ。

己が為した奇跡を、ギルガメッシュには知る権利がある。


それに、ルイズ自身も知りたかった。

もしかしたらあの奇跡は、ギルガメッシュが意図して行ったものではないか、と。

悲恋のアンリエッタを哀れに思い、せめてもの情けとして与えたものかもしれない。

その優しさと憐みならば、ルイズにも理解できる。


だが―――


「そんなくだらん事を告げるために、わざわざ我を呼びとめたのか?」


そんな淡いルイズの期待を、ギルガメッシュは冷然なる一言を以て切り捨てた。


「くだらない、ですって・・・!?」


信じられない。

あの奇跡が、アンリエッタに最後に与えられた唯一の救いが、

この男にとってはくだらない事なのか。


「所詮は死した者。ちと冥府より舞い戻った所で、益体などありはせん。真偽を見定めようという気にもならん。

全く、くだらん茶番劇に付き合わされたものだ。この月夜の美しさがなければ、本当に無為なる時を浪費するところであったわ」


「・・・なんで・・・」


「うん?」


「なんでアンタはいつもそうなのよっ!!」


声を張り上げ、ルイズは叫ぶ。

溢れる感情に任せて、正面からギルガメッシュを糾弾した。


「アンタはそうやって、人の事を見下してばかりで、周りを引っ掻き回して、嘲笑って!!それでいてやる事はちゃっかりやってみせて、勝手すぎるのよ、アンタはっ!!」


ギルガメッシュの非を見つけながら、矢次にルイズは糾弾の言葉を口にしていく。

だが言葉とは裏腹に、ルイズが懐く感情はギルガメッシュに対する怒りではない。


悔しかった。

聞いての通りギルガメッシュには、アンリエッタを助けようという意図など微塵と無かった。

だというのに結局のところ、アンリエッタに唯一の救いを与えたのは、他ならぬギルガメッシュだ。

例え結果論に過ぎなくても、それだけは決して覆らない事実である。


アンリエッタを、仕えるべき主君を、そして幼い頃からの親友を救おうと最も強く思っていたのは、間違いなく自分だ。

なのになぜ、アンリエッタの事を欠片も思っていなかったギルガメッシュが奇跡を起こし、

なぜ、誰よりもアンリエッタを助けようと奮起していた自分が、何も出来ない『ゼロ』なのか。


―――何故自分は、いつも何も為す事が出来ないのか。


「大体、さっきだってそうよ!!お可哀そうな姫殿下を、嗤い者にするなんて。ウェールズ様を失った姫殿下がどんな気持ちだったのか、少しでも考えた事があるの?」


「可哀想?考える、だと?」


ルイズの糾弾を受け取り、しかし微塵と動じて見せる事無く、淡々とギルガメッシュは答えた。


「そんなありふれたもの程度に、いちいち考えなど巡らせていられるか」


「なっ!?ありふれた、て・・・!」


「愛する者との死別、自己を見失う存在定義の崩壊。“この程度”の悲劇、探せばそこいらにいくらでも転がっている。転がり過ぎて、退屈しのぎにもならんほどにな。

奴のようにすべてから目を背け、逃避と選ぶ者もいよう。逆に、その死別を乗り越え、己を克己させる者もいよう。だがどれにせよ、我にとっては物珍しいものありはせん。

―――あの類の絶望はな、もう見飽きたのだ」


ルイズは愕然とした。

アンリエッタの嘆き、ルイズには世界で最も不幸な光景にさえ見えた悲恋の姿。

それを“あの程度”などと言い放ち、退屈しのぎだの、見飽きただのと口にする目の前の男の考えが分からない。


―――この男には、他人のために泣くという感傷は無いのだろうか?


「そして、お前もだ、ルイズ。お前に我が行動を糾弾する資格などあるまい。此度の茶番、何も為すことの無かったお前にはな」


「っ!?で、でも、確かに私は何も出来なかったけど、だけど、私だって姫様の事をちゃんと考えて・・・」


確かに今回、自分は何も出来なかった。

だがそれでも、あの場に居た者達の中で最もアンリエッタの事を想っていたのは事実だ。

例え結果が伴わずとも、自分は誰よりもアンリエッタを救おうとしていた。

それだけは、はっきりと断言できる。


その意地だけが、ルイズに残された唯一の結果だ。


「言葉を違えて、己を誤魔化すな。貴様は何も“出来なかった”のではない。何も“しなかった”のだろうが」


しかしそんなルイズのせめてもの意地も、ギルガメッシュの言葉の刃が容赦なく打ち崩した。


「結果とは、行動の果てにこそ生まれる。己が行動を選択し、その行動が事象を為す。例えその結末がいかなるものであろうと、そこには何らかの価値も生まれよう。

だが貴様はその選択さえ怠った。決断を避け、不要な迷いを懐いて己が足を止めた。そんな輩の果てに、未来などあるものか」


「あ・・・」


そうだ。

自分は確かに、何も出来なかったわけじゃない。

『始祖の祈祷書』を握った時、自分は確信していたじゃないか。

自分なら出来る、と。


そしてその行動を止めたのは、他ならぬ自分自身。

己の行動、すでに死人とはいえ、あの凛々しく優しかったウェールズをこの手に掛けるという行為に、自分は手を止めてしまった。

そしてその結果が、ちょうど今だ。


一番卑怯なのは、何もしないことだ。

何もしなければ、何も得る事はない。

それは同時に、責任を負うこともないということ。

己の行動の結末、そこに発生した責任を、行動を起こした者は等しく背負わなければならない。


自分はそこから逃げた。

行動の結果の責任を負う事が怖くなって、逃げだした。

そんな者に、ギルガメッシュの事を批難する資格など、あるはずがない。


「本当に、とんだ茶番だ。よくも我をこのような無為に付き合わせたものだ。あの道化も、そして貴様もな」


そこで、はたとルイズは気づく。

自分を見つめ返すギルガメッシュの視線が、今までにないほどに冷淡であることに。

猛々しい炎のように感情を表し続けていた赤い人外の瞳が、今は氷の如き無感情を湛えてルイズを見つめている。

そのこちらの存在すべてを無価値と断ずるかのような瞳の視線に、ルイズは自我が揺らぐ感覚を覚えた。


こんなギルガメッシュの瞳を、ルイズは知らない。

ギルガメッシュはいつも、自己の感情をありありと示す気性だ。

それは時に愉悦であり、笑いであり、呆れであり、そして殺意である。

それらの感情を他に省みる事無く、堂々と示してみせるのがギルガメッシュという人物なのだ。


だからこそ、今向けられている冷淡なる瞳の輝きは、今までのどんな視線よりも不気味であった。

かつてルイズはギルガメッシュの本気の殺意に曝されたこともあったが、この眼光はそれとも違う質を持っている。

まるで道端の石ころでも見るような無関心な冷たい瞳は、見据えた者に対し、世界に不要と宣告する氷の迫力を宿していた、


やがてギルガメッシュはルイズより目を背け、元の夜の道の散策へと戻っていく。

氷の眼光から解放され、ルイズは冷や汗を流してホッと息をつく。

もはや声をかける気力もなく、立ち去るギルガメッシュをルイズは黙って見送ろうとした。


「ルイズ」


その時、不意にギルガメッシュが立ち止まり、振り返ることはなくルイズの名を呼ぶ。

その声に、ルイズは思わず猛獣の前に立った小動物のように、震えて縮こまった。


「・・・これ以上、我を失望させるなよ」


一度だけ、本当にそれ一度だけをルイズに告げると、ギルガメッシュは再び歩き出す。

ギルガメッシュの言葉だけが反芻するその場には、呆然と立ち尽くすのみのルイズだけが残された。






[2589] [17]王と開戦
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/07/22 22:23




[17]王と開戦










魔法学院学舎内に設けられた、神々の住居かと見間違わんばかりのルイズの部屋。

ギルガメッシュの手により改装されたこの部屋は、今やハルケギニアのどんな場所よりも華やかな作りとなっている。

散りばめられた宝石類は煌びやか輝きとなって部屋内を彩り、家具や寝具に使われた最高級の素材は、使用者に対し絶対の安定感をもたらす。


だがそんな豪華美麗の部屋も、ルイズには何の安心も与えてはくれなかった。

部屋の煌びやかさとは対照的に、その所有者たるルイズの表情は暗く沈んでいる。


部屋を改装させた張本人であるギルガメッシュは、今はこの場にはいない。

あの夜、偽りのウェールズによるアンリエッタ誘拐未遂の一件より、ギルガメッシュは部屋を後にしたまま戻らなくなる事が多くなっていた。


ルイズとしても、それは素直にありがたい。

今の自分には、ギルガメッシュの前に立つ勇気は持てないから。


「あ・・・、結婚式の詔、考えなくっちゃ・・」


放り出されていた祈祷書を手に取り、ルイズはベッドに腰かけたまま書のページを開く。

随分とバタバタしていたので、任されたその大任をすっかり忘れていたのだ。


雑念を振り払い、思案に集中する。

だがどれだけ考えを巡らせても、良いアイディアは浮かんでこない。

元より詩に才が無く、これまでもずっと悩んできた事柄に、そうそう容易く解決案など浮かんでくるはずもない。


・・・いや、違う。

単純にアイディアが浮かばないだけが問題ではなく、そもそもルイズはこの件に対して意義を見出していない。

婚儀に捧げる詔とは、婚礼を上げる二人を祝福するべく送る言葉だ。

だがその花嫁たるアンリエッタには、いかなる言葉も何の祝福にもなり得ない。

そもそもこの婚儀自体が、彼女になんら祝福など与えないものなのだ。

ならば詔の内容など、あって無いようなもの。

そんな詔を必死に考えた所で、時間の浪費にしかならないだろう。


本当は分かっている。

詔の件など、ただの口実だ。

本当のことを言えば、詔の事などどうでもいい。

こうして思案を巡らせるのは、それがたまたま自分の用事として近くにあったからに過ぎない。

他の事があるなら、別にそれでも良かった。


『言葉を違えて、己を誤魔化すな。貴様は何も“出来なかった”のではない。何も“しなかった”のだろうが』


ギルガメッシュの言葉を思い出す。

あの時に向けられた視線の冷たさは、今も微塵と忘れてはいない。

全ての価値を否定する、冷然なる眼差しは思い返すだけでルイズに震えをもたらす。


何かをしていたかった。

何もしていない事に耐えられなかった。

何かをして、自分にもやれる事があるのだと自覚が欲しかった。

そうしていなければ、心が折れてしまいそうだったからだ。


「何もしなかった、か・・・」


ギルガメッシュより下された己の評価を、ルイズは反芻する。

確かに、その通りなのかもしれない。

あの時自分は確かに自己の魔法に手応えを感じていた。

だが結局、その手応えを最後まで信じ切ることが出来ず、結果はあの様だ。


あの時の手応えも、今ではその片鱗さえ感じられない。

うっかりすれば、全ては幻だったのではと思いかけてしまうほどだ。

あるいはそれが、何もしなかった事の代償なのかもしれない。

自分の力を信じられなかった、自分自身に対する罰なのだろう。


「ねえ、あなたは何かしないの?」


ふと思って、ルイズは部屋の片隅に佇む一人の侍女へと話しかけた。

その侍女は、ギルガメッシュが召喚の次の日に部屋の管理を行うべく呼び出した、家事手伝い用の人形である。

ほとんど人間と変わらない、整えられた造形は、彼女が人為の産物であることを疑わせる。


通常ならばこれほど整った容姿をしていれば、部屋にいて目に留まらないなどあり得ないだろう。

だがこの人形に掛けられた幻惑の魔術が、彼女の存在感を曇らせ、気配を喪失させている。

その気配透過も、主の気を紛らわさない配慮のために付属された人形ならではの機能である。

そのおかげで、ルイズもこれまで彼女の存在に気を置くことなく過ごしてきた。

そして今のように、こちらから問いかける形を取らなければ、向こうがこちらに関わってくる事はまずあり得ない。


「マスターが与えた私の役割は、この部屋の管理のみ。それをこなす事が、私の機能です」


だがその口から紡がれる言葉は、人間味とは程遠い。

感情を介さず淡々と、ただ事実のみを告げていくその言動は、いかにも人形の言葉にふさわしかった。


感情を持たない人形は、自分に与えられた命を忠実に実行するのみ。

そして命の無い時は、ただ座して主の言葉を待つだけである。

ギルガメッシュが出した人形は、極めて従順に己が役目を遂行していた。


(なんだか、今の私とちょっと似てるわね・・・)


そんな人形の在り方に、ルイズは何となく共感を覚える。

事実より目を背けようと何か別の事に没頭しようとする自分と、人形として与えられた役割を淡々とこなす彼女。

両者の存在は大きく違えど、ある一点において二人は共通していた。


ルイズと人形、彼女らどちらの行動にも、自己の意志が無い。

どちらの行動も、その結果に何かを求める事は無く、ただそれをやっているだけ。

ただ時間を消費させていくだけの、無為なる行為に過ぎないのだ。


「はぁ・・・」


何をしたいのか、分からない。


何をすべきなのか、分からない。


まるで自分の視界一面が霧に包まれたかのような、そんな憂鬱な思いを懐きながら、ルイズは詔を考えるという“役割”を遂行していった。










「はあぁぁん、はぁ、はぁ、はぁ・・・」


荒く艶やかな息遣いが、小さな部屋の中に響く。

ほんのりと頬を朱に染め、シエスタは己の一糸纏わぬ汗ばんだ肢体を抱きしめる。

そんなシエスタの隣には、同じく裸体のギルガメッシュの姿もあった。


あの夜での一件以来、ギルガメッシュはルイズの部屋に戻る頻度を少なくし、代わりに目を付けておいた妾の部屋にて寝泊まりを行っていた。

この場合の妾というのは、主にキュルケとシエスタの二人の事だ。

どちらの部屋に行くかは、その日のギルガメッシュの気分次第である。


「はぁ、はぁ・・・。あの、ギルガメッシュ様」


情事の後の疲労と快感の余韻に浸りながら、シエスタは隣に同衾するギルガメッシュに問いかける。


「ミス・ヴァリエールの所には、戻ってあげなくてよろしいのですか?」


「構わん。奴にも少しくらいは、時間をくれてやらねばな」


シエスタと比べて随分と余裕を持ってくつろぎながら、ギルガメッシュは答えた。


「あれも心中は、混迷の極みにあろう。朧げに感じる己が力に、自覚が追い付いておらんのだ。だから肝心な時に迷ってしまう」


「はぁ。よく分かりませんけど、だったらギルガメッシュ様からご助言差し上げたらよろしいのでは?」


「たわけ。この我がそこまで面倒を見てやらねばならん道理などないわ。そもそもあれは、あれが自身で気づくべき事柄だ」


そう言って、ギルガメッシュはベッドより出た。

近くの椅子にかけてあった衣服を手に取り、それらを身に付けていく。


「まあ、ちと頭を冷やす時間くらいはくれてやろう。あれもこれまで、なかなかに見所を示してきたしな。

―――仮に、これで奴が何も変わらぬようならば、奴もそこまでだったという話。ただ切り捨てるのみよ」


着替えを終え、愛用の黒基調のライダースーツを身に纏う。

シエスタとの情事を楽しんだギルガメッシュは、それで用済みとばかりに彼女の部屋を後にしようとする。


「あの、ギルガメッシュ様」


その背中を、シエスタが呼び止めた。


「その、実はひとつ、個人的な要望があるのですが・・・」


「ん、よかろう。進言を許す。貴様の奉公なかなかのもの故な、褒美の願いならば聞いてやらんこともないぞ。なんなりと申すが良い」


ギルガメッシュの許しをもらい、シエスタは改めて口を開く。


「その・・・実は少々、お暇を頂きたいのですが・・・」


「暇?」


「はい。今度の学院のまとまったお休みに、一度故郷のタルブ村に里帰りしようかと思っておりまして。つきましては、その間のお暇を頂きたく・・・」


シエスタの申し出に、ギルガメッシュは思案する。

さほど長くはない思案の後、シエスタの進言に対し答えてやった。


「よかろう。許可してやる」


「ほ、本当ですか!?」


「ああ、遠慮はいらぬ。お前の奉公はなかなかもものだ。褒美のひとつくらいくれてやろう。それに、我が機嫌を良くする時に発言した事も大きい。我の意向は、気まぐれ故な」


ギルガメッシュの意思は、まるで天秤の上に乗る計りのように移ろいやすい。

気分ひとつで人を救い、同じように人を殺す、混沌とした気性の持ち主である。

そんなギルガメッシュに対して、シエスタの発言のタイミングは、計らずも絶妙の機を得て機能していた。


「だが・・・ふむ、しばし待つがいい」


そう言うとギルガメッシュは、背に在る空間に手を伸ばし、自身の宝物庫より目当ての品を取り出す。

取り出されたのは、手の平一杯に握られた金貨や宝石などといった高価品。

それをギルガメッシュは、無造作な手つきでシエスタの前に差し出した。


「え?なっ!え、こ、これって・・・!?」


「契約時に言ったであろう。我は忠節の奉公には、対等の恩賞を以て報いる、と。臣下へ賜わす褒美が貧窮では、与える王の威信に関わるからな」


差し出された金銀財宝に、シエスタは眼を見開く。

目の前にある財宝は、どれだけ軽く見積もっても彼女が使用人として得る稼ぎを逸脱して有り余る。

この財宝の価値の分の稼ぎを得るのに、果たして何年かかるのか。

それをほんの数か月の奉公程度でポンと出してしまうギルガメッシュの器の大きさに、シエスタは改めて驚嘆した。


「で、でも!こんなたくさん、私、今まで頂いた事もなくて、あの、本当によろしいんですか?」


「たわけ。雑種共の報酬と、我が賜わす褒美が、同価値であるはずがなかろう。下々に与える褒美からも、主君の器とは測られるものだからな。

なに、案ずるな。我が財の総量からすれば、そんなものは雀の涙に過ぎぬ。覚えておけ、我に尽くす奉公の価値とは、それほどのものなのだ」


他のすべてを雑種と侮り、慢心こそ王の美徳と豪語する傲岸不遜の暴君、ギルガメッシュ。

だがそんな傲慢さと同居して、真に忠義を尽くす臣下に応える殊勝さも、彼は持ち合わせている。

森羅万象の王として、この世のすべての頂点に君臨したギルガメッシュは、それ故に下々の価値というのもよく心得ていた。


そして賜わす褒美においても、彼は質素などという言葉を持ち合わせていない。


「す、すごいです!!さすがギルガメッシュ様!!器の大きさも懐の厚さも、とても大きくいらっしゃる。他の貴族の方なんて、比べ物にもなりませんわ」


「フハハハハッ、当然だ。我の容量と雑種共の容量とでは、そもそも桁数からして違い過ぎる。比べようなど、最初からあるはずもない。そんなことは、口にするまでもない事実に過ぎぬ。

しかしながら侍女として主たる我を立てんとする、その振る舞いは褒めて取らそう。どれ、褒美の金銀財宝を追加してやる」


そう言ってギルガメッシュは、背にする空間より再び拳一杯分の財宝を握り締めて取り出す。

新たに取り出された財宝は先の財にも劣らず、むしろ勝るほどの輝きを放って見る者を魅了する。

またしても増加した途方もない財宝に頭が追い付かず、シエスタは目を回して失神した。


そんな彼女の様子を、ギルガメッシュは哄笑を上げて愉快そうに見降ろしていた。










ルイズとギルガメッシュ。

主と使い魔という、生涯を懸けうるパートナーである二人は、しかしその胸中で大いにすれ違う。

一人は苦悩を、もう一人は変わる事の無い我を貫いて、互いに歩み寄ろうとはしない。

そんな二人のすれ違いを抱えながらも、魔法学院の平穏な特に影響されることなく時間は過ぎていった。










トリステインとアルビオンを繋ぐ架け橋の役割を背負う港町ラ・ロシェール。

月日は巡り替わり、再び浮遊大陸アルビオンがハルケギニアに接近する時期がやって来ようとしている。

そして現在、その上空には、国賓を迎えるために停泊するトリステイン艦隊の姿があった。


彼らが迎え入れようとしている国賓とは、他でもないアルビオンである。

後数日に控えたトリステイン王女アンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の婚儀に出席するための、新政府皇帝クロムウェルの来訪だ。

だがその肝心の、アルビオン大使を乗せた艦隊は、指定の時間を過ぎても現れていない。


新政府樹立に伴い、アルビオンの今後の動向にはトリステインとゲルマニア両国の民全てが注目した。

だが意外にも、新生アルビオンの皇帝クロムウェルが取った政策は、不可侵条約の締結であった。


突然のこの打診を、両国は共に協議の結果受け入れる事を決定する。

無論、トリステインにとって所縁のある王政府を打倒し、『聖地奪還』を大義とした共和制を唱えるアルビオン新政府を信用などしていない。

だが実際の所、ゲルマニア、トリステインの二国の総戦力を以てしても、精強たる空軍戦力を保有するアルビオンには対抗しきれるとは言い難い。

現実問題として、空の強国たるアルビオンに対し、そう軽率に強硬的な態度を取ることなど出来るはずもなかった。


だが思惑はどうあれ、トリステインとアルビオンとの間には友好的な条約が結ばれた事は事実である。

結果としてアルビオンとの緊張状態は解除され、表面上ではトリステインにも平和が戻っていた


「やつらは遅いではないか。約束の刻限はとうに過ぎておるぞ、艦長」


艦隊旗艦『メルカトール』号の後甲板で、猛る苛立ちを隠そうともせず、艦隊司令長官のラ・ラメー伯爵は愚痴を漏らす。

その声音や表情には、明らかにこれから迎え入れるアルビオンへと侮蔑の感情が表れていた。


国同士が友好な関係であっても、話が個人に移ればその限りではない。

己の王家を手に掛け、その権威を簒奪した新生アルビオンは、トリステイン貴族にとって恥さらしの以外の何者でもない。

一応はこうして迎え入れる準備をしていても、内心では艦隊の誰もが憤りを覚えずにはいられなかった。


「主君を手に掛けたアルビオンの駄犬どもも、犬どもなりに着飾っているのでしょう」


上官の愚痴に付き合わされる形となった『メルカトール』艦長フェヴィスは、口髭をいじりながら苦笑まじりに答える。

ラ・ラメーに負けず劣らずのアルビオン嫌いであるフェヴィスの言葉にも、やはり相手に対する侮蔑の念が混じっている。


その時、鐘楼に登った見張りの水兵が、大声で艦隊の接近を告げた。


「左上方より、艦隊!!」


ラ・ラメーとフェヴィスの視線が、一斉に上方に向く。

そこでは待ちかねていたアルビオン艦隊が、雲の上よりゆっくりと降下してくる光景が目に映った。


「ふぅむ・・・。あれがアルビオンの『ロイヤル・ゾウリン』か・・・」


アルビオンに侮蔑の念を向けていたラ・ラメーだったが、相手方の艦隊の先頭を行く旗艦『レキシントン』には素直に感嘆を表す。

全長は二百メートルにも及ぶ大型艦船は、他のアルビオン艦と比べても抜きん出た迫力を有している。

側面に突き出した砲門数は百八にも及び、更に正面より威容を以て君臨する一際巨大な大砲が、その貫禄に拍車をかけている。

実戦経験も豊富な歴戦の軍人であるラ・ラメーであっても、その艦の迫力には感心すると同時に、戦場では出会いたくないと怖れ慄かざる得なかった。


またラ・ラメーは目に映る巨大艦の名を、新政府に名付けられた『レキシントン』ではなく、元の名の『ロイヤル・ゾウリン』で呼んだ。

簒奪者の与えた名など、使う価値もないという軽蔑の表れである。


「貴艦体ノ歓迎ヲ謝ス。アルビオン旗艦艦隊『レキシントン』号艦長」


「こちらは提督を乗せておるのだぞ。艦長名義での発信とは、また随分と侮られたものだな」


旗流信号にて伝えてきた相手のメッセージに、ラ・ラメーは憮然たる面持ちで吐き捨てる。

しかしながらその口調には、先ほどまでの勢いはない。

眼前に現れた巨大艦の姿に押され、その威圧感に委縮してしまっていたのだ。


『レキシントン』に続き、上空から次々と他のアルビオン艦が姿を見せる。

例え旗艦には及ばずとも、それらの艦のどれもが匠の技にて建造され、精強さを示す戦いの船。

大空に君臨せし『白の国』の、ハルケギニア最強と誉れ高きアルビオン艦隊の威容である。


「あのような艦を与えられては、世界を我が物としたなどと勘違いしてしまうのでしょう。あの駄犬どもには、過ぎた道具です」


「フン、自信の王家を裏切った恥知らずどもめ。よい、返信だ。『貴艦隊ノ来訪ヲ心ヨリ歓迎スル。トリステイン艦隊司令長官』以上」


アルビオン艦隊と比べ、あまりに頼りなく見える己が国の艦体の貧弱な陣容を見守りつつ、ラ・ラメーは控える士官に返信の指示を出す。

命令を聞いた士官はすぐさま命令を復唱し、マストに張り付いた水兵が指示通りの旗流信号を広げる。

その返信を見て取ったかのタイミングで、『レキシントン』号の大砲が放たれた。


轟いた爆音に、ラ・ラメーは咄嗟に身がまえる。

だがすぐにそれが式典用の礼砲であると気付くと、威厳を保とうとするかのように姿勢を正した。

いくらあの巨大艦が相手でも、たかが礼砲如きに怯んでいては軍人の名折れである。


だが、ラ・ラメーは思う。

空砲であるはずの礼砲でさえあれほどの轟音を響かせるとは。

実弾を使用した時の威力を想像し、ラ・ラメーは改めてアルビオンの巨大艦の脅威を再確認した。


「よし、答砲だ」


「何発撃ちますか?最上級の貴族が相手ならば、十一発と決められておりますが」


「七発でよい。アルビオンの恥知らず共に、わざわざくれてやる余分な敬意など不要だ」


上官の子供じみた意地に苦笑しつつ、艦長フェヴィスは指令通りに命令を出す。

命令に従い、『メルカトール』号の大砲から七発の空砲が発射される。

ドゥンドゥンと轟音が響くも、先の『レキシントン』号の大砲と比べればその音はいかにも頼りなく聞こえた。

自身の搭乗する艦の脆弱さに、ラ・ラメーは肩を竦める。


だがその時、ラ・ラメーは驚くべき光景を目の当たりにした。


「な、なんだ!どうしたというのだ!?」


アルビオン艦隊の最後尾に位置する旧式の小型艦より、火の手が上がっている。

火炎の勢いは留まることを知らず、あっという間に小さな船体全てを包みこみ、そして爆発した。

残骸と化したアルビオン艦は燃え盛る炎と共に、ゆるゆると地表へと向かって墜落していった。


「事故か?武器庫に火が回ったのか?」


騒然とする『メルカトール』号の艦上の中で、驚きを顕わとしながらラ・ラメーは呟く。

だがそのすぐ後、更に驚愕する事態が起こる。


「し、司令!!アルビオン艦隊より伝聞、『トリステイン旗艦ヘ、僚艦『ホバート』号ヲ撃沈セシ、貴艦ノ意図を説明セヨ』と・・・」


「撃沈!?何を言ってるんだ!!勝手に爆発したのだろうが!!ええい、すぐに返信しろ。『当方ニ攻撃ノ意図ナシ。砲弾ハ空砲ナリ。実弾ニアラズ』と!!」


慌てながらも、ラ・ラメーは矢次に指示を飛ばす。

指示通りの信号が送られ、それに対する相手側の返答もまた迅速に返ってきた。


「返信。『タダイマノ貴艦ノ砲弾ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦スル』」


「バカな!!ふざけたことを!!」


ラ・ラメーの怒号は、次の瞬間に轟いた『レキシントン』号の一斉射撃によってかき消される。

百を超える砲門数を誇る巨大艦の砲撃が、次々と『メルカトール』の船体に突き刺さり、艦を震わせた。


「送れ!!『砲撃を中止セヨ。我ニ交戦ノ意思アラズ』」


叫ぶように、ラ・ラメーは指示を出す。

だがその伝聞に対して『レキシントン』号が返してきた答えは、更なる砲撃であった。


船体では至るところで火炎が燃え広がり、クルー達は完全に右往左往状態となる。

それでもラ・ラメーは、悲鳴のように伝聞の指示を出した。


「繰り返せ!!『我ニ交戦ノ意思ハ―――」


だがその時、『レキシントン』号より発射された一発の砲弾が、ラ・ラメーの居る場所を直撃した。

身体が吹き飛ばされ、五体がバラバラに砕け散る。

自身の肉体が粉砕される中、薄れゆく意識の中で、ラ・ラメーはようやく悟った。


これは計画的な攻撃だ。

奴らは初めから、親善訪問などするつもりなど無かった。

先の不可侵条約も、今回の訪問も、全てはこちらを油断させ、一気に突き崩すための罠に過ぎなかったのだ。


戦争が―――始まったのだ。










ラ・ロシェールでの開戦の報は、瞬く間にトリステイン王宮に届けられた。

時はちょうど、アンリエッタが婚儀のためにゲルマニア首都ヴィンドボナへと出発しようと準備を行っていた矢先。

その突然の報告は、婚礼のためにおおわらわとなっていた王宮の貴族達を騒然とさせた。


国賓歓迎のために停泊していたトリステイン艦隊の全滅、時同じくして為されたアルビオン側からの宣戦布告。

すでに敵艦隊は上陸を果たし、タルブの草原を拠点と置いての侵攻作戦を展開しているとのこと。

あまりにも明確な侵略戦争の様相に、報告を耳にした者達は誰もが等しくその意味を感じ取った。

それは、貴族間で行われる年中行事のような小競り合いとは訳が違う、国と国を上げた全面戦争の幕開けを告げる警鐘であるのだと。


「そんな・・・アルビオンが・・・」


耳にした報告に、ルイズは呆然と絶句する。

ゲルマニアでの婚儀の際、新郎新婦に詔を詠み上げる大役を仰せつかったルイズもまた、アンリエッタと同行してゲルマニアへと向かえるようトリスタニアの王宮に訪れていた。

そのために王宮に届けられたその報告を、一早く耳にすることが出来たのだ。


「戦争なんて・・・、今の姫様にそんなことできるはずがない・・・」


あの晩のアンリエッタの姿を思い出し、ルイズは誰にも聞かれぬように独り言ちた。

あの時、同行を断ったルイズは、アンリエッタとウェールズの間でいかなる会話が為されたのか知らない。

キュルケとタバサも途中まで連れていっただけで、何があったのかまでは見ていないそうだ。


だがどうあれ、アンリエッタにとってあの出来事は傷にしかならないだろう。

あの晩別れて以来アンリエッタには会っていないが、最期に見たあの打ちのめされた姿から、立ち直っているとはさすがに信じ難い。


そんな傷心の少女に戦争などという状況の中で、なにが出来るというのか。

どこまでもアンリエッタを苦しめる『レコン・キスタ』、ひいてはクロムウェルに対して、ルイズは改めて怒りを覚えた。


「なんとかしなくちゃ・・・」


そう決心すると、ルイズは馬を借りて、早馬で魔法学院へと戻るべく手綱を握った。

本来ならば婚礼の式の巫女であるルイズは、この王宮に待機していなくてはならない。

だが、どのみちこの様子では結婚式など出来るはずもない。

ならば、ここに自分が居たところで無意味だ。


今はそれよりも、為すべきことがある。


(今度こそ、姫様のお力にならないと・・・)


あの晩、自分は仕えるべき主君を前に何も出来なかった。

だから今度こそ、アンリエッタの力となる。

このトリステインの危機を、他ならぬ自分が何とかしてみせるのだ。


その時、ルイズの脳裏に、アルビオンで僅かに垣間見た超絶の力を思い出した。


(あいつなら・・・例えアルビオン軍が相手でも何とか出来るかもしれない・・・)


五万という大軍が迫ろうとも、全く物怖じすることの無い堂々たる振る舞い。

世界そのものを両断せんと感じさせた、抜き放たれた“剣”の圧倒的な存在感。

ただ在るだけで己の無敵を象徴するかのような、絶対の自信を携えた不遜の王。

彼ならば例えアルビオンの軍といえど、決して臆することはないだろう。


するべきことは、もう決まった。

悔しいが自分には、迫る敵軍に対して何も出来ない。

ならば自分の役目は、“あの男”をなんとしても動かすことだ。


決意を胸にし、ルイズは魔法学院まで続く街道を早馬にて駆けて行った。










目的の人物は、すぐに見つけられた。


馬を休ませる事無く走らせ、最短で魔法学院に戻り、ルイズは宿舎の自室の前に立つ。

ドアノブに手をかけた瞬間、魔法など一切使うことなく、ルイズには中に居る人物のことが直感できた。


ドア越しからでも分かる、圧倒的な存在感。

こんな魔性じみた存在感を纏う人物を、ルイズは一人しか知らない。


覚悟を決めて、ルイズは一気に部屋のドアを開けた。


「ギルガメッシュ・・・」


久し振りに見た自身の使い魔の名前を、ルイズは呟くように漏らす。


部屋の内装の煌びやかさにも微塵と飲まれることなく君臨するその男は、長椅子に腰かけ優雅にグラスを傾けている。

テーブルには何本もの酒瓶が並べられ、グラスもそれに合わせた数が揃えられている。

置かれた酒瓶の中見は一本とて同じものは無く、目にしただけでそれぞれが逸品の仕上がりの名酒であると理解出来た。


「何を・・・してるの・・・?」


いざ目の前にすると何を話していいのか分からず、そんな当たり障りの無いことから口を開く。

無視されるのでは、とも思ったが、意外なほどあっさりとギルガメッシュは返事をしてみせた。


「利き酒だ。我が収集した酒共はどれもが逸品たる名酒だが、ちと数を揃え過ぎた。暇があればこうして賞味しなくては、日の目を見ぬままに死蔵してしまうのでな」


そう言ってギルガメッシュは、手にするグラスの酒を呷る。

その様子にルイズは、とりあえず機嫌は悪くなさそうだと判断して、幾分か落ち着きを取り戻した。


「・・・で?我に何の用だ?そんなことを聞きに来たわけでは無かろう」


だが重ねて返されたギルガメッシュの問いかけに、ルイズは再び緊張に身を強張らせる。

即答は出来ず一拍の間をおいて、ルイズは話を切り出した。


「・・・アルビオンが、宣戦布告してきたわ。すでに艦隊も上陸していて、タルブの草原に陣を敷いてるって・・・」


「タルブ、だと?」


意外な所で、ギルガメッシュがルイズの話を切ってくる。

そこで話の腰を折られるとは思わず、ルイズは首をかしげる。


「ふむ・・・、そうか。惜しいことをしたな」


「?惜しい?何の事?」


「便利な従者を一人失った、ということだ」


従者という言葉に、ルイズはギルガメッシュが何を指しているのか理解した。

考えてみれば、ギルガメッシュが酒盛りに酌を同伴させないというのも変と言えば変だ。


ルイズは気付く。

本来あるべき光景に、欠けているものがある。

いつもならば彼の隣で控えている、あのメイドの少女の姿がどこにも無いことに。


「シエスタは・・・どうしたの?」


「暇を出してやった。里帰りだそうだ。確か故郷の名は、タルブといっていたな」


「タルブって・・・戦場のちょうど真ん中じゃないっ!!」


声を荒げて、ルイズは部屋に踏み込んだ。


「こんな所で呑気にお酒なんて飲んでる場合じゃないでしょ!!早く助けに行かないと―――」


「王に奉仕し、その身命を捧げるは侍従の務めだ」


そんな語調を荒げたルイズの言葉も、迷いなく断じるギルガメッシュの一言で力を失った。


「その役割が逆になることなど、断じてあり得ん。たかが臣下一人のために、王が重き腰を上げるなど恥もよい所よ」


「で、でも、モット伯の時はアンタが自分でやってたじゃない。なら今回だって―――」


「我に直接害意があっての事ではあるまい。我の所有物に手を出す狼藉者には、しかるべき裁きも下そうが、天災の如き、天運の無さにまで罪科を問うては、世の法が回らぬわ」


言いながらギルガメッシュは、グラスの酒の残りを飲み干す。

空となったグラスを置いて、また新たなグラスに別の酒を注いだ。


「でも、でも、シエスタの事はアンタ、褒めたりして結構仲良さそうだったじゃない。それが・・・死んじゃうかもしれないのに、アンタは何も感じないの!?」


「・・・だから、言ったであろう」


新しい酒を呷りながら、さらりとした口調でギルガメッシュは言った。


「惜しいことをした、と」


あまりにもあっさりとしたギルガメッシュの言葉に、ルイズは思わず恐怖で震えた。


ギルガメッシュの言っていることは、全く理解できないわけではない。

ルイズとてトリステインの名門中の名門ラ・ヴァリエール公爵家の娘だ。

人の上に立ち、人を使っていくという事がどういう事であるかなど、重々見て聞いて理解している。

上に立つ者ならば、時として下々の事を切り捨てなければならない事もある。

その見切りも、民を率いるためには必要な技能だ。


だが、それにしてもこの淡白さはどうなのか。


シエスタはギルガメッシュにとって、紙面上のその他大勢ではない。

己の傍らに置き、自らの世話をさせた専属の侍女なのだ。

その死が関わっている話だというのに、どうしてここまで無関心な態度のままでいられるのか。


理解できない。

ギルガメッシュという人物の事が理解できない。

理解出来ぬ未知は、ルイズの心に怯えの影を指し込んだ。


(いえ、落ち着くのよ、ルイズ)


ここで冷静さを失っても、何にもならない。

話す前から怖気づいていては、まともな交渉など行えるはずもない。

自分はなんとしても、この男の説得を成功させなくてはならないのだから。


「・・・すでにアルビオン軍は、確認されるだけでも千を越える兵力をトリステインに上陸させているそうよ。戦艦は十数隻で、こっちの艦隊は全滅。・・・このままじゃあ、トリステイン軍は負けてしまう」


「何とも脆いものよ。所詮小娘の率いる軍勢では、その程度か。・・・で?それを我に話して、お前はどうするつもりなのだ?」


尋ねてくるギルガメッシュに、ルイズは緊張と決意の意味を込めて一呼吸してから、深々と頭を下げながら言った。


「お願い、力を貸して。私達を助けて」


いつもの高飛車な振る舞いも鳴りをひそめ、恥も外聞も捨てて、ルイズは懇願した。


主人たるメイジが、自らの使い魔に頭を下げて頼みこむ。

こんなこと、通常のメイジならば考えられないことだ。

自身の目であり耳であり、あくまで主人の忠実な従者である使い魔に傅くなど、メイジの誇りを捨て去るも同じである。


だが、構わなかった。

誇りなど、事ここに至っては何になろう。

自分が意地を張ったところで、迫りくるアルビオン軍をどうにかできるわけがない。


そもそも、誇りなど自分には最初からあって無いようなものだ。

幼いころより魔法の才に恵まれず、周囲の人間達に無能と嘲られてきた。

あるものといえば、魔法の代わりに身に付けた他の様々な技能と、せめて心が屈さぬように誇り続けた公爵家のプライドのみ。

そんな『ゼロ』の自分の誇りなど、一体どれほどの価値があるというのか。


きっとギルガメッシュは、自分のことを嘲笑うだろう。

アンリエッタの時のように、大仰に見下して嗤い飛ばすに違いない。

浴びせかけられるだろう嘲笑を覚悟して、ルイズは歯噛みしながら答えを待った。


だが、予想していた嗤い声は、いつまでたってもやってこない。

その沈黙を怪訝に思い、ルイズは下げていた頭を上げて、ギルガメッシュの表情を覗き見た。


「・・・まったく、呆れるほどに滑稽だな。もはや嗤う気にすらならん」


ギルガメッシュは、嗤っていなかった。

ルイズの目に映るギルガメッシュの表情は、大仰な嗤いなどではなく、ただひたすらに冷たい眼差しを向ける冷淡なもの。

露骨にこちらの事を蔑み、しかし極めて冷然と構えるその表情の感情に、ルイズは一拍遅れで気が付く。


今ギルガメッシュは、これ以上ないほどに白けきっているのだと。


「よりにもよって頭を下げて助けを求めてくるとはな。ここまでつまらん茶番は久し振りだぞ、ルイズ。お前の安い気高さ如き差し出した所で、我が嘆願を聞き届けると思うのか?」


「な、なによ!!じゃあ、私の命でも差し出せって言うの!?」


「抜かすな。愚か者」


思わず口にしたルイズの言葉に、ギルガメッシュは底冷えする冷淡なる口調で告げた。


「お前の命の価値が、アルビオンの千の軍勢と等価値だとでも思ったか?雑種共の生など、等しく無価値でしかない。驕るなよ、ルイズ。お前の命一つの価値など、所詮は雑種の域を出るものではないわ」


こちらの命をあまりに軽んずるギルガメッシュの発言に、ルイズは言葉を失う。

たった今この男は、自分の命一つなど何の価値もないと言いきった。

恐らく、その言葉に嘘はない。

仮にこの場で自分が死んでみせた所で、ギルガメッシュは露ほども動揺などしないだろう。

そして何事もなかったかのように、肩でも竦めながら手にする酒を呷るに違いない。


そんな光景がひどくリアルに脳裏に浮かび、ルイズはぞっとした。


「だが、そうだな。未だ価値は雑種に過ぎぬとはいえ、お前は我をこの世界に招き寄せた縁もある。あまり無碍にし過ぎるのも考えものか。・・・ふむ」


呆然としているルイズを放置して、やや語調を和らげてギルガメッシュは言った。

そのまましばらく考えこんでから、ギルガメッシュは話を続ける。


「よかろう。我が指定する供物を用意出来るならば、お前の要求を聞きいれてやる。アルビオン軍とやらを、この我が一掃してやろう」


「供物って・・・何を用意すればいいの?」


「なに、そう難しいことではない」


口調を全く変える事無く、そのままの調子でギルガメッシュは次の言葉を紡いだ。


「近隣の・・・いや、この際どこでもよいか。どこぞの村にでも赴き、そこに住まう衆愚共を皆殺しにしてみろ。積み重ねた骸の山を以て、我に献上する貢物とするがいい」


「なっ・・・!?」


ギルガメッシュが告げたあまりの内容に、ルイズは絶句する。

しかし今度はそのまま黙りこむようなことはせず、喰いかかるように言い返した。


「わ、訳分かんない!!どこかの村人って、なんの関係もない人達ってことでしょ。それを皆殺しって、そんなのって―――」


「そう困難なことではなかろう。別に手段については限定などせん。なんなら、我の宝具を僅かな間だけ貸し与えてやってもよいぞ。

城をも打倒する我が宝具だ。村民の人数など、多くてせいぜい百かそこらだろう。たかがその程度の雑種共など、物の数ではあるまい」


「そういう問題じゃないでしょ!!そんなことに、一体何の意味があるっていうのよっ!?」


限りなく強い語調を以て、ルイズはギルガメッシュを糾弾する。

他者の命をまるで自分の玩具のように話すその物言いは、断じて受け入れられるようなものではない。

もし今の発言が、単純にギルガメッシュの気まぐれからくる娯楽なのだとしたら、絶対に認めてはならないことだ。


「無いとも。微塵たりとも意味など無い。こんなものはただ天災の如く理不尽な、無益なる殺戮に過ぎん」


予想に違えず、ギルガメッシュは豪胆にそう言い放った。

思った通りの答えに歯噛みして、ルイズは怒りと共に反論しようと口を開きかける。


「だがな、ルイズよ。この行いと、我に対する貴様の要求。この二つに一体どんな違いがある?」


だが口から出かけた反論は、鋭く割り込まれたその問掛けによって、放たれる事無く行き場を失った。


「・・・え?」


「貴様が懇願する、トリステインの救済。言い方を変えればこれは、迫りくる敵軍を我の力を以て殲滅しろということ。つまり、千を超える敵軍の兵の命を我が手で皆殺しにせよ、と。そういうことであろう?」


「なっ!!わ、私は、そんなつもりで言ったんじゃあ―――」


「なんだ、違うのか?言っておくが、誰一人命を刈り取る事無く、事態を収めるなどという芸当は、いかに我でも不可能だぞ。我が用いる手段といえば、一方的な殺戮くらいだ」


言葉が続かない。

反論したくても、紡ぐべき言葉が見つからない。

自分はただ、姫様の役に立ちたいだけなのだ。

決して、千もの命の虐殺を望んでいるのではない。

そんなことは十分に分かっているはずなのに、それを表す言葉がルイズにはどうしても思いつかなかった。


そんなルイズを、ギルガメッシュは言葉を休める事無く追い詰めていく。

ギルガメッシュの口より言葉が紡がれるたびに、その一言一句が胸を貫いてくる錯覚をルイズは覚えた。


「たかが千か二千かの雑種の軍勢、我にはなんら脅威にすらなり得ぬ。我の『乖離剣』の威光を以てすれば、まず戦いにすらなるまい。ただの一撃にて決するだろう。

もはや存在の規模からして違うのだ。雑種共には、いかな幻想を持ち出そうと抵抗の余地はない。巨象の歩みを、地に這う蟻如きが止められるはずもないようにな。

そんなもの、アルビオンの者共からすれば全くの想定外。まさに突如として吹き荒れる、神風に等しき理不尽なる蹂躙よ。

―――そら。どちらの殺戮も、理不尽という意味ではまるで違いなどなかろう」


ルイズは答えられない。

反論したいのに、そのための言葉がない。

容赦ないギルガメッシュの暴論は、しかし一切の矛盾を許さない強固さを持ち合わせていた。


「この世界は我が支配する地とは異なる、我が法が君臨せぬ異界。我が領内での事ならば、無断で我が地を荒らす不届き者には裁きをくれねばならんだろうが、この世界においてはいかな悪行であろうと我自らが裁きを与える謂れはない。雑種共の諍いなどに、我は微塵たりとも関心など懐かん。

それでも我に求めをするならば、その時は献上品を伴っての嘆願より他は無い。そして我に捧ぐべき貢物ならば、それは我への求めと同等の価値を有した品であってしかるべきだ。

―――ルイズよ。我に鮮血を求めるならば、それに見合う血の業を身に纏いて頭を垂れるが礼であろう」


ギルガメッシュの眼光が、ルイズを射抜く。

あらゆるものを等価と断じ、分け隔てなく絶望を与える絶対者の眼差しを受け、ルイズは悟った。


ギルガメッシュにとって、アルビオンの侵攻などどうでもよいことなのだ。

例えトリステインがどれほど悲惨な末路を辿ろうと、全く関知しない。

それは単に無慈悲であるということではなく、真の意味での公平性故の判断だ。


ギルガメッシュに、常人の価値観は通じない。

孤高の王たる彼は、ハルケギニアで常識をしてまかり通る差別意識など歯牙にもかけない。

貴族も平民も大差なく、国の隔たりなど瑣末な事、種族に違いさえも彼にとっては気に掛けるにも値しまい。


―――ギルガメッシュの見る世界には、ただ自分と他人の二種類がいるだけなのだろう。


だからここまで、無慈悲なまでに公平になれる。

ギルガメッシュにとって重要なのは、その存在が自分にとってどのような益をもたらすのか、ただその一点のみ。

その在り方はこのハルケギニアにおいて誰よりも公正であり、そして同時に残酷でもある。


アルビオンを敵とするのは、あくまでトリステインだ。

ギルガメッシュが戦うのは、あくまで自らが敵と定めた者のみ。

相手が自分にとっての敵でないのならば、ギルガメッシュにとってそれは気にも掛けない状況に過ぎないのだろう。


だからシエスタがその状況に巻き込まれ危機に陥っても、助けに行こうなどとは微塵も考えない。

彼の戦いとは、必ずや彼の意志の元に行われる。

ただ状況に流されて行動するなど、ギルガメッシュという存在に懸けても認めまい。


だからこそ、彼は対価を求めている。

自らが動くに足る十分な動機を、ギルガメッシュは要求する。

それを得て初めて、ギルガメッシュはアルビオンを敵と見なすことが出来るのだ。


「どうした?何を迷う?案ずるな、我は嘘はつかぬ。お前が我の望み通りの物を献上出来たならば、お前の求めに応じてやろう。

むしろ数のみの問題で言えば、これは破格の取引だぞ。たかが百の血の業を以て、千の軍勢を退けられるのだ。乗らぬ理由のほうが見つけ難いと思うのだがな」


ギルガメッシュの言葉の意味が、今のルイズには少しは理解できる。

要求には同等の対価を、つまり殺戮には同じく殺戮を以て応えろとギルガメッシュは言っているのだ。

内容の異常性さえ横に置けば、それは確かに公平な取引と言えるかもしれない。


だが、だからといって、容易く答えなど返せるはずもない。

あまりにも大義の無いその殺戮は、否応なくルイズへと責任を追及させる。

命令されたから、主君ためだなどといった言い訳は、もはや通用しない。

その殺戮で切り捨てられる命の咎は、全てルイズ一人が引き受けなければならないのだ。


その咎の重さを思い、その責を負う覚悟に臆して、ルイズは言葉を失った。


「・・・決められぬというならば、それは単なる弱さだ。命を思う慈悲ではない。決定の責任より逃れようとする惰弱の行為。そんなものに、価値など無い」


そしてルイズのそんな弱さを、ギルガメッシュは容赦なく追及する。

ギルガメッシュの言葉に追い詰められ、ルイズは一歩、また一歩と後退していく。


そんなルイズを、ギルガメッシュは実に冷めた視線で流し見た。


「・・・失せよ。目触りだ」


もはや目を合わそうとすらせず、ギルガメッシュは言い捨てる。


それが止めの一言となって、本来なら自分の部屋であるはずの場所より、ルイズは逃げだした。

廊下を走り去る彼女の目元には、大粒の涙が溜まっていた。










時間は少々遡り、トリステインの王宮で―――


届けられたアルビオンの宣戦布告の報に、トリステインの議会は荒れに荒れた。

国是を担う大臣や有力貴族たちが一同に介し、それぞれの意見を声高に叫ぶ。

だが感情的となった意見はなかなかまとまらず、時間だけが刻一刻と過ぎていった。


「アルビオンはこちらが先に攻撃を仕掛けたと言い張っておる。だが報告によればこちらの大砲はただの礼砲だったというではないか!!」


「言いがかりもいい所だ。あちら側の戦艦の轟沈は、あくまで向こうの事故でしかない。これは明らかに我々に対する侮辱だ」


「運悪く時が重なり、誤解を生んだようですな」


「なにが誤解なものか。奴らの怠慢以外のなにものでもない」


「アルビオンに大使を派遣しては?今ならばまだこの誤解を解くことが出来るやも・・・」


「ここまで舐められて、それで抗議のひとつもせずに済まそうと言うのかっ!!」


「だが、ここで事を荒立てては、アルビオンとの全面戦争に突入する危険が・・・」


会議は紛糾し、すでに好戦派と穏健派による討論の体を為している。

迷走し続ける会議は、枢機卿マザリーニですら取りまとめる事が出来ずにいた。


そんな様々な意見が飛び交う会議室の中において唯一人、アンリエッタだけは平静さを保っていた。

ゲルマニアに出発する所であったため、身に纏っているのは婚儀に赴くためのウェディングドレスである。


紛糾する会議の音も、今のアンリエッタの耳には届かない。

彼女の瞳が映しているのは、手の中に収まった『風のルビー』。

指には嵌めず、隠し持つように手にするそれは、懐いた真実の愛を穢さんとする彼女の意地の表れである。


会議の言葉を右から左へと受け流して、彼女の意識が向いているのは、現在ではなく過去。

悪夢の如きあの晩の出来事、その最後に起きた掛け替えのない奇跡。

愛する人との形見の指輪を見つめながら、アンリエッタの意識はあの晩の記憶へと回帰した。










もう、何が何やら分からない。

元の骸へと戻ったウェールズの身体を抱えて、アンリエッタはそう思った。


今の彼女の心が懐くのは、ひたすらに空洞が続く虚無感のみ。

先ほどまであれほど荒れ狂っていた殺意の激情も、まるで初めから無かったかのように霧散してしまっている。

己が立つべき足場さえも不安定な心境の中で、ようやく見出して縋り付いた支えさえも失った彼女の心には、もはや何一つの感情さえない。


自分は、一体何をしていたのか。

王としての立場を忘れ、導くべき民草たちを放りだして、自分は何をしているのか。

自分にとって唯一人残った親友であるはずの少女に対し、自分は何をしようとしていたのか。


縋りつく支えを失い、打ちのめされながら自らの愚行を思うアンリエッタの心は、どうしようもないほどに無感動。

もはやウェールズのための嘆きの涙さえ零せずに、懐く虚無感はアンリエッタを絶望へと追いやっていく。


―――もし、この奇跡が無かったならば、本当にアンリエッタの命はこの場で止まっていたかもしれない。


「アンリ・・・エッタ・・・」


それはまさしく、絶望の中に咲いた奇跡という名の一輪。

偽りの命を失い、冥府へと舞い戻ったはずのウェールズが、再び生の息吹を伴って彼の真実の声で語りかけてくる。

愛おしいその声の響きに、アンリエッタは希望を懐いた。


彼の願いを聞き入れて、アンリエッタはウェールズを連れてラグドリアンの湖へと訪れた。

連れて来てくれた他国人と思われる少女達に謝辞を述べて、アンリエッタとウェールズの二人は湖畔の浜辺をゆったりと歩む。

もう朝も近い湖畔の、朝日の光を水面で受け止めて七色の輝きを放つ景色は、かつての夜の密会とも違う美しさを醸し出していた。


「懐かしいね」


「ええ」


「初めて会った時、君はまるで妖精のように見えたよ。ほら、あの辺りで水浴びをしていた」


そう言って彼が指さす場所は、記憶のそれとは大きく異なっていたが、アンリエッタはあえて追及せずに頷いた。


その時、アンリエッタの肩を借りて歩いていたウェールズの足がガクンと崩れ落ちた。

慌ててその身体を支えようと手を伸ばし、支え切れずにそのまま二人一緒に倒れ込む。

自然と、二人の体勢はアンリエッタがウェールズを抱きとめるような形となった。


「アンリエッタ。どうか、最後に僕の前で誓ってくれ」


「なんなりと誓いますわ。なにを誓えばいいの?おっしゃってくださいな」


己の限界を悟ったのだろう、力を振り絞って言うウェールズに、アンリエッタはそう答えた。

ウェールズが口にする誓いは、アンリエッタにとって最後の希望だ。

その言葉、末路の最後に託される一言は、きっと自分に救いを与えてくれる。

例えウェールズが何を言ってきたとしても、アンリエッタはそれに従うつもりでいた。


復讐を望むなら、今日より憎悪の鬼となろう。

愛してほしいというならば、もはや言われるまでもない。

共に来てほしいと言われれば、喜んでこの永遠の湖畔に身を投げよう。


死さえ許容する覚悟を以て、アンリエッタはウェールズの言葉を待った。


「・・・僕を忘れると。忘れて、新しい愛に目を向けると誓ってくれ。ラグドリアンの湖畔で、水の精霊を前にして、君のその誓いを、聞かせてほしい」


だが返ってきたウェールズの言葉は、アンリエッタの予想とはあまりに相反するものだった。


「なぜ・・・っ!なぜ、そんなことを言うのです!?そんな嘘なんて、誓えるわけがないじゃない!!」


どうして、そんなことを言うのか。

自分にはもう、彼との愛くらいしか誇れるものなど何一つないというのに。

それなのに彼は、その唯一残された愛さえも捨て去れというのか。

それでは自分は、何に縋って生きていけばいいのだ?


分からない。

この世の何よりも愛する人の真意が分からない。

それは、とても悲しかった。


「僕ではもう、君を幸せにすることが出来ない。だから君は、どうか僕の事になど捉われずに、新しい明日を生きてほしいんだ」


「無理を言わないで。あなたに愛されることが、私にとっての最大の幸せなのよ。それを捨て去って、どうして明日に期待が持てるというの」


縋るように、アンリエッタはウェールズの身体を抱きしめた。


「どうかお願い、ウェールズ様。私を愛するとお誓いになって。あの時に果たせなかった誓約を、どうか今こそ誓ってくださいまし。そうしてくだされば、私はその愛を一生の支えとするでしょう。この一時の記憶を、命果てるまで胸に抱き続けるでしょう。それを支えに、私は生きていけますわ」


死に逝くウェールズに、アンリエッタは必死になって懇願した。

愛する者の心からの訴えに、しかしウェールズは言葉を返さない。

支えを求めて、縋り付いてくるアンリエッタに対し、ウェールズは拒むように沈黙した。


「ウェールズ様・・・?」


「・・・アンリエッタ」


沈黙を不安に思うアンリエッタに、ウェールズはようやく口を開く。

だがその口から出てきた彼の言葉は、アンリエッタの求めに対する拒絶であった。


「もう、他の誰かに縋り付いて生きていくのは、やめなさい」


「え・・・?」


一瞬、なにを言われたか分からずに、アンリエッタはポカンとした表情を浮かべた。


「・・・僕達は王族だ。国を背負い、民を導く使命を持った、誇りある始祖の血筋だ。その宿命は、僕達がこの世に生を受けた瞬間から逃れられぬものとして定められている。平民が決してメイジにはなれないように、僕達が王族を止めることは出来ない」


か細い呼吸の中、はっきりとした口調でウェールズは言葉を投げかける。

ウェールズのそんな厳しい言葉を、アンリエッタは知らない。


アンリエッタの知るウェールズの言葉は、いつだって優しかった。

甘く囁き掛けてくる彼の言葉は、アンリエッタの心の壁を緩やかに解かし、彼女に安らぎを与える。

連日のように行った夜の密会で、ウェールズと交わした睦言は今も思い出すだけで寂しさを癒してくれた。


だからこそ、こちらを批難するようなウェールズの言葉に、アンリエッタは激しく動揺する。

初めて経験するウェールズの辛辣な言葉に、アンリエッタは黙って聞いていることしか出来なかった。


「王というものはね、孤独なんだよ。国を動かすという行為の重責、何万という民の命を背負っていく覚悟。その辛さは、他の誰にも決して理解されることがない。王となった者は、その辛さと自分一人で戦っていかなくてはならない。臣下に頼らず、民にも見せず、国の導き手として、いつだって毅然と振舞っていなくてはならないんだ。

そしてその毅然たる強さは、依存の精神からは絶対に生まれない。信頼できる臣下を作るのはいい。彼らの言葉によく耳を傾け、その意見を尊重していくことは、決して間違ったことじゃない。むしろ、それが出来ない王は、ただの独りよがりの治世しか行えないだろう。

だけど、縋ってはいけない。自分の思考を止めてはいけない。人形であってはいけない。周りの言葉を耳に入れつつも、曲げる事の無い信念を持って、自らの意志で臣民を率いていかなくてはならない。それを可能とするのは、確固たる自立の精神だ」


自立の精神。

その言葉に、アンリエッタはハッとする。


これまでの自分の人生は、自立などという言葉とは無縁のものだった。

王族とは名ばかりの、周囲の言われるままに振る舞う人形の在り方。

そしてその在り方は、昔も、そして今も、微塵たりと変化はない。


そんな人形たる生を送ってきた彼女にとって、自立などは最も遠い言葉だろう。


「だから、アンリエッタ。僕のような過去の死人などに捉われず、君は自らの未来に目を向けてくれ。己の宿命から逃げ出さずに、戦うんだ。それこそが、真の王としての生き方なんだよ」


諭すように優しくもあり、そして質すように厳しくもあるウェールズの言葉を、一言一句漏らすことなくアンリエッタは耳に入れた。


彼の言うことは、絶対的に正しい。

疑う余地など微塵もなく、言葉のすべてが真理であると理解できる。

彼の語る在り様こそが、理想の王としての姿なのだろう。


そして彼が、それを自分に求めていることも、理解できる。

自分が彼の言うとおりの王になれれば、確かに彼は安心出来るのだろう。

ここで自分がきちんと一人で自立して立って行けると誓えば、彼は未練なく逝けるに違いない。

あるいはそれが、愛する者として最後にしてあげられる唯一の事なのかもしれない。


だが、それでも―――


「・・・り、です」


「アンリエッタ?」


「―――無理です、そんなこと!!私にそんな生き方なんて、出来っこない!!」


縋るように、泣き付くように、自らの弱さを臆面もなく見せ付けて、アンリエッタは叫んだ。


「真の王なんて、私には不可能よ。元々私に、王なんて向いてないんだわ。だってそうでしょう。今までだって、私が王らしく振る舞えたことなんて、一度もない。ただ周りに言われるだけ、それに従って何とかやってきただけに過ぎないの」


ウェールズの言っていることは、全面的に正しい。

だが言葉の正しさと、実際にそれを受け入れられるかは、また別の問題だ。


ウェールズの語る、揺るぎない自立の精神を備えた、王としての堂々たる姿。

そんな姿は、今まで人形の生を送ってきた自分には、到底相容れるものではない。

これまでの自分の在り方と、ウェールズの語る在り方は、あまりにも隔たりが深すぎる。


「・・・私は、弱いんです。あなたが思うような、強い人間じゃないんです。誰かに縋らなければどうしていけばいいか分からない、そんな女なんです。それなのに、たった一人残されて、それで勇敢に生きていくなんて、出来っこないんですっ!!」


そう、自分は弱い。

ウェールズの語るような、強い生き方など出来る筈がない。

例えそれが愛する人の最後の願いでも、不可能なものはやはり不可能だ。


己の弱さを肯定する自分を、ウェールズはどう思うだろう。

なんて情けない奴だと、失望するかもしれない。

だが仕方無い、これがアンリエッタという人間の真実なのだ。

これで愛想を尽かすというのなら、それは彼も自分のことを見ていなかったということ。

彼と自分の愛は、偽りだったということになる。


「―――ああ、知っているよ」


「え・・・?」


そんな暗い思考に囚われるアンリエッタに、ウェールズは優しくそう言った。

彼女の弱さを肯定したその言葉に、嘲りの色は微塵もなかった。


「そうだね。君は弱い。王族なんて肩書きは、君には最も似合わないものだ。そんな生き方は、君には合わないに違いない」


そこでウェールズは、一度言葉を切る。

荒い呼吸を整えて、はっきりとした口調で次の言葉を紡いだ。


「そして僕は、そんな君の弱さも含めて、君を愛した」


「ウェールズ様・・・!」


「君の弱さは、純粋さ故の弱さだ。何の疑いもなく、世界の愛情を信じている、穢れのない純心。そんな君の姿が、僕にはどれほど眩しかったことか」


ウェールズは、幼いころより王家の後継者としての教育を受けてきた。

その過程で、周囲にある様々な人間と接してきた。

そうする中で、ウェールズは理解していった。


人間とは、悪意を懐く生き物だ。

表面でどれほど聖人を気取ろうと、その内側には実に醜悪な欲望が隠されている。

どんな労りの言葉にも、裏の意図が存在するということに。


人はそれを、成長と共に学習していく。

無知なままに世界を信じられるのは、他人を知らない子供の内だけ。

子供はやがて他者の疑心を知り、自分もまた相手を疑い始める。

そしてそのまま、懐いた猜疑心を容認してしまうのだ。

世界の悪意から自らを守るために、自らもまた悪意という名の武装を纏うことを、自らに認めてしまう。

それが人間という生き物の在り方だ。


「きっと君は、世界の悪意を容認できないんだろうな。世界の理不尽に納得できない。世界が優しくないことに耐えられない。だから今の世界に苛立ち、価値を見出せなくなる。それは弱さに繋がることだけど、とても難しいことなんだ」


そんな中で、アンリエッタだけは違った。

王族という人の悪意に溢れる環境にありながら、彼女だけはなおも変わらぬ純粋さを保っていた。


人の悪意を、知らないわけではないだろう。

だがアンリエッタは、その悪意を知った上で、他人の善意を信じている。

人が人を疑うことに、どうしても納得できないでいる。

無知ではなく信頼から、彼女は他人を何とか信じようとしているのだ。


それはとても無防備なことだけど、同時にとても尊い姿。

その姿は、同じ王族であるウェールズの目には、どうしようもなく可憐に映った。


「そんな君だから、僕がこの手で守りたかった。弱くて美しい、儚い君を、あらゆる悪意から僕が守ってあげたかった。君のその輝きを、損なわせないために」


「ウェールズ様・・・私は・・・」


「だけど、もう僕は君を守れない。無念だけれど、これはもうどうしようもない。だから、アンリエッタ。どうか僕を安心させてくれ。君はもう、一人でもやっていけると、強くなると誓ってくれ」


そこでウェールズは一度言葉を切り、フッと優しげに微笑んでみせた。


「ごめんよ。無責任なことを言っているのは分かっている。要するに、君に一人ですべてを押し付けるということなんだからね。だけど、僕はそれでも君の事を信じたいんだ」


「ウェールズ様・・・。けど、こんな弱い私なんかに・・・」


「ああ、そうだ。今の君は、とても弱い。恐らく、世界の誰よりも。どう贔屓目に見たところで、僕の言ったような生き方は出来ないだろう。

けれど、人は自らの弱さを克服することが出来る。自分の弱さを自覚して、それを強さに変えていくことが出来るんだ。そうだろう?そうして人は、間違いを正して歴史を積み上げてきたんだから。

・・・君はもう、自分の弱さを知っている。ならそれを、強さに変えていくことだって、必ず出来るはずさ」


ウェールズの語る声が、どんどん弱々しくなっていく。

もう、限界が近いのだろう。

あり得ぬ奇跡により舞い戻ったウェールズの生命の息吹は、急速に終わりへと向かっていた。


「だから・・・アンリエッタ・・・。君は・・・強くなって・・・くれ。そうしないと・・・僕の魂は、永劫に・・・彷徨うだろう。君という未練を、どうか・・・ここで断ち切らせてくれ」


縋るように求めるウェールズの声が、アンリエッタの耳に届く。

その声は本当に弱々しかった。

それは単に命の限界を示しているだけではなく、届かぬ望みに願いを懸ける儚さであった。


この人はもう、己の死を受け入れている。

この愛する男が気にしているのは、本当に自分のことだけだ。

己が亡き後に残される、自分のことだけを案じている。

その未練が、愛する者への思いが、彼の末路を苦しめている。


そんな彼の姿を目にし、アンリエッタは自覚した。


(ああ―――ウェールズ様。あなたは本当に、私の事を愛してくださっていたのですね)


今度こそはっきりと、アンリエッタはそう理解した。

自分とウェールズの懐いた愛情は、偽りなど微塵もない、本物の思いなのだと。


一度でも彼の思いを疑った自分が恥ずかしい。

疑う余地など、始めから無かったのだ。

たかが精霊に誓いを立てない事が、一体何になるだろう。

そんな誓いなど無くとも、自分達の間にある絆は“永遠”なのだから。


(・・・いえ、それでは駄目だわ)


だが今は、その絆こそがウェールズを苦しめている。

切れる事の無い強固な結びが、彼の未練となって魂を迷わせているのだ。


この絆がある限り、ウェールズの魂は決して安息を得はしないだろう。

そして自分も、その絆にいつまでも引きずられていくに違いない。

彼の命はここで潰えるが、自分の命はまだまだ続いていく。

過去に縛られたままで、どうして未来に目を向けることが出来るだろう。


―――ならばこれは、彼に対して自分が出来る唯一の事。


「・・・ねえ、ウェールズ様。最後にひとつ、お願いを聞いていただけますか?」


「なんだい?言ってごらん」


穏やかに、ウェールズは先を促す。

それを受けてアンリエッタは、彼に掛けられる最後の言葉を、ゆっくりと口にした。


「キスを・・・してください。最後に―――“お別れ”のキスを」


その言葉に、ウェールズは僅かに驚愕を浮かべて見せたが、すぐに微笑んで答えた。


「―――ああ、もちろん。喜んで」


ウェールズの微笑みに、アンリエッタもまた微笑みで応える。

手に抱くウェールズの身体をアンリエッタが上げて、二人は瞳を閉じる。

二人の距離が接近し、その唇が重なり合った。


長い長い静寂が、二人を包む。

どれほど時間が流れたのか、やがてアンリエッタの方から唇をそっと離す。

キスの余韻を噛みしめるようにして、閉じられていた瞳を、そっと開けた。


ウェールズの瞳は、開かなかった。

それを見届け、アンリエッタは静かに悟る。

もう二度と、その瞳が開けられることないのだと。


アンリエッタの瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。

だがその表情に、嘆きの色はない。

彼女の面に映るのは、ある種の諦観さえ含ませた微笑であった。


アンリエッタはウェールズの身体を持ち上げて、湖畔の水面に横たえた。

それから小さく杖を振り、ルーンを唱える。

湖水が動き出し、ウェールズは水にゆっくりと運ばれていき、沖へと沈んでいった。


その光景を、アンリエッタは表情を変えずに見つめ続けていた。


「さようなら・・・ウェールズ様」


彼との思いは、ここに置いていこう。

他人には到底断ち切れぬ、固い愛で結ばれた絆を、自ら手放そう。

彼の未練とならぬように、自分の縛りとならぬように、冥府の道を逝く彼に預けていこう。

記憶の中の思い出は大切にしまって、未来に目を向けて生きていく。

そして自分は、彼が最後に望んだような、そんな生き方をしてみよう。


―――だからどうか、あなたは天の上から、そんな私を見守っていてください、ウェールズ様。










記憶の回想より意識を現実へと戻し、思い出の指輪を懐に納めてから、アンリエッタは顔を上げる。

その瞳が見据えるのは現在では、夢の中の静寂さなどとは無縁の紛糾が続いていた。


雑衆の喧噪を思わせる、異なる声が口々に会議室に飛び交う。

その留まる事を知らない喧噪の中において、しかしアンリエッタの心だけは平静の極みにある。

まだ二十歳にも届かぬ若輩の身において、これほどの静けさを得られたことはかつてなく、波紋も起てぬ水面の如き澄んだ心は、驚くほどに事態の本質を理解させていた。


―――事ここに至り、もはやアルビオンとの全面戦争は避けられないだろう。


このアルビオンの宣戦布告は、突如として受けた攻撃に対する報復であるという。

だがそれが突然の事態だというのなら、この対応の早さは何なのか。

そもそも親善大使を乗せた使節艦隊に、なぜあれほどの軍隊が乗せられていたのか。

自衛とは名ばかりの、此度のアルビオンの侵攻は明らかな侵略行為だ。


冷静になって考えればすぐに分かる。

今回の事態は、すべてがアルビオン側の故意によるものだ。

彼らには初めから和平の考えなど無く、そのすべてがトリステイン侵略のための謀略でしかない。


そんなことは、ここにいる誰もが知っているはずである。

ここに集まるのは無能者の集団では断じてなく、先代の時代からトリステインを支えてきた老獪達なのだ。

いまだ二十にも届かない自分とでは、積み重ねてきた経験が違う。

そんな彼らが、こんな世間も知らぬ小娘にすら分かることに気付かないはずがない。


だというのに、なぜ彼らは、こんな不毛な言い合いをいつまでも続けているのだろう。


「やはり、ここは一度、アルビオンに特使を派遣しましょう。今ならばまだ、事態の鎮静化をはかれるやもしれません」


「うむ。アルビオンに会議の開催を打診しよう。事は慎重を要する。双方の誤解が生んだ遺憾なる交戦が、全面戦争に発展せぬ前に・・・」


アンリエッタの前で、国を支えてきた老獪たる大臣達が、真剣そのものの口調でそう語りあう。

だがそれらの言葉も、アンリエッタの耳には事態の見えぬ妄言にしか聞こえなかった。


アルビオンは今回の侵攻で、先日結ばれたばかりの不可侵条約を犯している。

十中八九虚言であろう礼砲による攻撃も、調べれば真実もはっきりするだろう。

そうなればアルビオンは、重大な条約違反をしたものとして、世論を敵に回すことになる。


彼らにとっても、今回の侵攻は捨て身の策なのだ。

そんな捨て身の覚悟を懐いて挑んでくる者達が、生半可な和平などに応じるはずがない。

そのような無駄な事をしている内に、事態は悪くなっていく一方だろうに。


「急報!!領地軍敗走、タルブ領アストン伯戦死。近隣の村は、敵の竜騎士により炎上しています!!」


会議室に飛び込んできた急使の声に、場は騒然となる。

そして上座よりその報を聞いたアンリエッタも、その声によってハッと我に返った。


今こうして呑気に不毛な会議を続けている間にも、戦場に立つ者達はその命を散らしている。

だというのに、彼らに道を示すべき自分達が、こんな事でどうするのか。

彼らは今も、導き手たる自分達の声を待っているというのに。

その導き手の自分達の意志も定まらぬというのに、どうして民を率いることが出来るのか。


「本当に、いつまで弱いままでいるつもりなのかしらね、私も・・・」


誰にも聞こえないくらいの声で、自嘲気味にアンリエッタは呟く。

こうして落ち着いている自分も、突然の報告に下座で慌てふためいている彼らと、実の所大差ない。

例え何を思おうが、何も決定しようとしない点で、結局のところ同義だからだ。


そう、決定だ。

自分よりも数段年期を経てきた彼らが、こんな不毛な事をし続けているのも、ひとえに決定を恐れているからに他ならない。


物事の決定には、責任が伴われる。

物事の規模に比例して、その責任も大きくなることはもはや言うに及ばず。

戦争の決定ともなれば、それは何万という国民の命の責任を背負うことに他ならない。

それは単なる法の下の責任の話だけではなく、心に直接圧し掛かる重圧となって、決定者が負うことになる。


彼らはそれを恐れている。

決定により伴われる重圧を恐れている。

だからこれほど明白な事態になってなお、最終的な決定を先延ばしにしようとしている。

何か他の妥協案を探し出し、あたかもそれこそが最善であると自らを偽っているのだ。


そんな不甲斐無い彼らの怯えを、しかしアンリエッタは卑下する気にはならなかった。

まさしく今までの自分が、そうであったのだから。

何かを決めることを避けて、それによる周囲の反応を恐れて、いつも妥協ばかりしてきた。

疎ましく思いつつも縋り付いてきた王族の権威、それを失う事にずっと怯えていた。

重責から目を背き、自らの殻に閉じこもって、己の中の夢にばかりかまけてきたのだ。


―――そうしている中で、一体どれほどの人間が国を動かす重責と戦ってきたのか知ろうともせず。


(けれど、もう夢の時間はお終い)


自分はずっと、失うことを怖れてきた。

けれど今の自分には、その失うべきものがない。

王女としての価値も権威も、すべては偽りだと断じられた。

失って惜しいと思うものは、すべて捨て去ってきた後である。


―――ならばそもそも、臆する必要など一体どこにあるだろうか。


初めから何も持たざる身の上なれば、迷いなど懐く必要などない。

今の我が身にあるのは、ただ迷いなく正面を見据える潔白の意志のみ。

いまだか細き性根なれど、それを縛る鎖はもはや存在しない。

ならば我が道を突き進むのに、一体なにを迷えというのか。


後にあるのは―――ただひたすらに正しき道を進み続けていく事だけだ。


アンリエッタは立ち上がった。

己の臣下達の視線が、一斉にアンリエッタへと注がれる。

それらの視線を正面から受け、アンリエッタもまた彼らの顔をひとつひとつ見返した。


かつては、全て同じように見えた臣下達の顔。

誰もが自分の周囲にあって、こちらを束縛する疎ましい顔にしか見えなかった。


だが今は違う。

きちんと向き合って見てみれば、そこに同じ顔などひとつもなかった。

彼らの誰もがそれぞれの顔を持ち、それぞれに人生がある。

そこに全く同じなものなど、ただのひとつとしてありはしなかった。


そして最後に、枢機卿マザリーニへと目を向ける。

類稀なる知略を駆使し、ハルケギニアのあらゆる知識を納め、トリステインのほぼ全権を手中に収める鬼才の持ち主。

彼という存在は、紛れもなくアンリエッタにとって畏怖の象徴であった。


疎ましいと思っていた。

恨んだこともあった。

何をするにも無感動で、まるで亡霊のように薄気味悪い男だと、ずっと毛嫌いしてきた。

だがこうして、きちんと開かれた双眸で見た彼の姿は、冷徹なる知略家でも、気味の悪い亡霊でもなく、ただの一人のしわがれた老人であった。


聞けば、彼はまだ四十代であるはずだが、こうして見る彼の面は実際より十は年老いて見える。

先代が崩御し、外交と内政を一手に背負ってきた重責が、彼をここまで老いさせてしまったのだ。


申し訳ない事をした、とアンリエッタは思う。

自分が放りだしてきた責務の数々を、彼はずっと代替わりしてきてくれた。

確かに彼は、自分を政治の道具として利用しようとした。

しかしそれとて、彼が国のためを思いしてきたことなのだ。

自らの責務から目を背けてきた自分には、彼を責める資格などない。

むしろ道具くらいの役にしかたてなかった自分の不甲斐無さに憤りさえ覚えるほどだ。


―――だから、その贖罪として、彼が背負ってきた重責をこれからは自分も共に背負っていこう。


「あなた方は、いつまでそのような不毛な言い合いを続けていれば気が済むのです」


凛とした声音で、アンリエッタは言い放つ。

その声には、今までの彼女にはあり得なかった迫力が伴われていた。


「ここで我らが言い合って、一体何になるというのです。こうして手をこまねいている間にも、民草はその命を散らしているのですよ」


「しかし・・・、姫殿下・・・、誤解が生んだ小競り合いですぞ」


「誤解?どこが誤解だというのです。言いがかりも甚だしい口実に、条約を無視した侵攻。アルビオンの悪意は明白ではありませんか。あなた方が口にするのを躊躇うならば、私が明言したしましょう。アルビオンは、今や我らの最大の敵となったのです」


迷いなく澄んだ口調で断言するアンリエッタに、大臣達は閉口してしまう。

だがその中で、アンリエッタに対し反論を口にする者がいた。


このトリステインの実質的な最大権力者、枢機卿マザリーニである。


「そう断言するのは、いささか早計ではありませんか?」


反論を受けて、アンリエッタは彼の方へと顔を向けた。


「意図はどうであれ、彼らが掲げる大義は自衛による侵攻です。戦争とは、大義無くして行う事はできません。会談の場を設け、真実を明確とすれば、自然と彼らの大義も瓦解するでしょう。ですが、今ここで我らが反抗の姿勢をとれば、もはや戦争以外の道は閉ざされてしまいます。ここは、僅かな犠牲には目を瞑り、和平の道を探すべきです」


歳相応の落ち着いた声音で、マザリーニは諭す。


彼とて、アルビオンとの戦が避けられないことは自覚している。

だがそれでも、今はまだアルビオンとの戦の時ではない。

未だ国内の準備は整わぬ内に仕掛けても、勝算は低い。

例え小の犠牲を強いろうとも、大の命を拾い上げるための判断をする。


それが彼なりの、国を思っての行動であった。


「呆けましたか、枢機卿」


だがマザリーニの知性ある声にも、アンリエッタは動じなかった。


「我らに突きつけられたのは、犠牲の大小ではありません。滅ぼされるか、されないかです」


それどころか、逆にマザリーニの方がアンリエッタの声に揺るがされた。


「和平とは、双方にその意思があって、初めて意味を持つもの。自らの主君を手に掛け、条約破りを平然とやってのけたあの者達が、自らの不利益となる和平など受け入れるはずもありません。

目を覚ましなさい、枢機卿。あなたとて本当は理解しているはずでしょう。アルビオンとの戦は、始まっている。それはもう、動かし難い事実だわ」


「ですが、今ここでアルビオンと正面からぶつかれば・・・」


「枢機卿マザリーニ」


弱気に走りかけるマザリーニを、アンリエッタは凛とした言葉を以て沈黙させた。


「答えなさい。私は、何者です?」


「ひ、姫殿下、なにを・・・」


「問いかけているのは私です。質問に答えなさい、枢機卿。あなた方にとって、私とは何者なのか」


「・・・我らが主君、トリステイン王国第一王女アンリエッタ・ド・トリステイン様にあらせられます」


親と子ほどにも年が離れたアンリエッタを相手に、マザリーニは気圧された声で答える。

その答えを、アンリエッタはさも当然の事と言わんばかりに頷いて受け入れた。


「結構。ならば、あなた方が一体誰の意に沿って動くべきなのか、説明の必要はありませんね」


堂々たる姿勢で、アンリエッタは一同すべてに告げる。


脆弱なる依存も、張り子の如きプライドも、今の彼女にはない。

彼女を立たせるのは、持たざる者の強さ。

今の彼女の力強い姿は、ただ在るのみで人の意思を引きこんだ。


「すぐに各地の有力な貴族諸侯方に兵の派遣を命じなさい。軍を立て直し、敵の侵攻を食い止めます。ゲルマニアに使者を。彼らの軍と連携すれば、活路は開けます」


「しかし殿下。今から援軍を要請したとしても、到着には最低三週間はかかるかと・・・」


「ならば、それまで保たせるのみです」


近衛に指示を出しながら、アンリエッタは自分が纏うドレスの裾を、膝の上まで引き千切った。

邪魔だった衣服の束縛から解放され、アンリエッタは歩きだす。


「殿下、どちらへ!?」


「戦場へ。私自ら陣頭にて指揮を執ります」


「そんな!?御輿入れ前の、大事なお身体ですぞ。戦は武官の者に任せて、御身は安全な場所で―――」


腑抜けた事を口走った中年の貴族に、アンリエッタは破り捨てたドレスの布を叩きつけた。


「国とは、民の存在あってこその国。彼らの存在が寄り集まり、積み重なることで、国とは成り立つ。民とは、国の根幹そのものです」


未だ弱気を宿す貴族達を一括するべく、アンリエッタは一同に演説する。


「ならば王とは?王とは、民の導き手。国という名の民草に、進むべき道を照らしだす光となる者。彼らが迷わぬように、全力でその道を駆け抜けられるように、その光に曇りがあってはなりません」


毅然とした振る舞いで、アンリエッタは自らが貫くべき在り方を説く。

それは単に他の者に告げるためだけでなく、自分自身に言い聞かせるためでもあった。


これより先、自分に弱さは許されない。

例えどれほど不安でも、そんな感情は臆面にも見せず、いつだって毅然と立っていなければならない。

歩む自分の背を見て、付き従う者達が安心出来るように。

民を率いる導き手として、それこそ自分が背負うべき覚悟である。


「それが―――王たる者の務めです」


自らに覚悟を課して、アンリエッタは貴族らを置いて歩き出す。


通り過ぎていくアンリエッタの、年数も二十に届かない、幼くか細い少女の背中。

しかしその背中に、マザリーニを始めとした老獪たる大臣達は、いかなる大男にも勝る頼り強さを表す王者の風格を確かに垣間見ていた。










魔法学院の廊下を、ルイズは力なく歩いていた。


耳をすましてみると、なにやら学院中が騒がしい。

どうやらアルビオンの宣戦布告の報が、ついにここにまで届いたらしい。

もっとも、元より知っていた自分には動揺などあるはずもないが。


(どうすれば、いいのかしら・・・)


そんな外の様子などどこ吹く風で、ルイズが思うのは先ほどのギルガメッシュとの対談のことだ。

さすがにもう泣き止んではいるが、それでも打ちのめされたショックは抜け切れていない。


「・・・村を一つ潰せば、それでアルビオン軍を撃退できるのよね」


ギルガメッシュが提示した交換条件。

それだけが今のルイズの頭を悩ませている。


客観的に努めれば、彼の出した条件は決して悪いものではない。

極論ではあるが、たかが一つの村など、国という総体から見ればさして重要ではないのだ。

せいぜい村一つ分の収入が失われるというだけで、全体としての影響など皆無に等しい。

そもそも村一つ滅びるなど、夜盗や魔物が跋扈するこのハルケギニアでは、さほど珍しいことでもないのである。


ルイズが良心を捨て去りさえすれば、トリステインに迫る驚異を討つことが出来る。

ギルガメッシュの言うとおり、それは確かに破格の取引とも言えるだろう。


「・・・それしか、ないの?」


しかしながら、ルイズは迷う。

懐いてきた良心が、貴族としての誇りが、自らに虐殺の悪行を行わせる事を躊躇わせる。


この殺戮には、大義など微塵もない。

アルビオンの脅威を退けるためという、大義名分も通用しない。

結局のところこれは、ギルガメッシュへのご機嫌取りに過ぎないのだから。


分からない。

自分は一体、どうすればいいのだろう。

道徳に従って、こんな馬鹿げた要求など撥ね退ければよいのか。

それともトリステインのためと言い訳して、心を慈悲なき鬼へと墜とせばよいのか。


答えの出ないまま、ルイズは魔法学院の中を彷徨い続けた。


「おや?ミス・ヴァリエール。こんなところで一体どうしたのかね?」


その時、彷徨うルイズに声をかける者がいた。

魔法学院学園長オールド・オスマンである。


「君は確か婚儀の巫女として、式に同席するため王宮に行ったと記憶しておるのじゃが・・・」


「ええ、少々、やることがあったので・・・。それに、こんな事態となっては結婚式なんて場合でもないでしょう」


「そうじゃのう。そういえばつい先ほど、王宮からの使者が言っておったのう。王女殿下の婚儀は、無期延期だと。やれやれ、慌ただしいもんじゃ」


ホッホッホッと、老人特有の朗らかな調子で、オスマンは笑う。

そんな彼の様子に、ルイズはふと気になって尋ねた。


「あの・・・オールド・オスマン。こんな事態だというのに、どうしてそんなに落ち着いていられるのですか?アルビオンが攻めてきたのですよ」


「わしも長いこと生きておる。大抵の事では慌てたりせんよ。いつ何時も飄々と。それがわしのモットーじゃ」


もっとも、君の使い魔には、いろいろと驚かされたがのと、オスマンは最後に付け加えた。


こんな時でも常のひょうきんさを失わないオスマンの姿に、ルイズはフッと笑みを漏らす。

いつもなら情けないと思うところだが、今はなぜかそんな楽天ぶりが頼もしい。


そう思って、ルイズは尋ねてみることにした。


「あの・・・オールド・オスマン。少し、変なことを訊いてもいいですか?」


「うん?なにかの」


「もし、その、仮定の話で、今迫っているアルビオン軍を、どこかの村の住人の命を生贄にささげれば、一気に殲滅することが出来るとして。村人を犠牲とすることは、正しいことでしょうか?」


思いきって、ルイズは本質的な部分を問いかけてみた。


戦争においてすら平常心を失わない彼の答えならば、きっとよい参考になるだろう。

例えどちらを選んだとしても、自分になんらかの道を示すに違いない。


「それはまた・・・、ふむぅ・・・」


オスマンもルイズの問いをふざけて受けることはせず、真剣に考えてくれた。

その事にホッとし、ルイズはオスマンの答えを待った。


「・・・その問いには、恐らく正しい答えなどありはせんじゃろう」


「答えが、ない・・・?」


予想外のオスマンの答えに、ルイズは思わず訊き返した。


「机上より数のみを見ていえば、それは正しいことなんじゃろう。村人の犠牲によって、アルビオンを殲滅する。大を生かすために小の犠牲は仕方なしと、王宮の連中ならば、すぐにでも飛び付きたくなるような条件じゃ。トリステインに生きる、より多くの者にとって、それは確かに正しい選択じゃ」


「なら・・・どうして答えがないなどとおっしゃるのですか?」


「なに、見方の問題じゃよ。わしらトリステインの立場から見たならば、その選択はより多くの人を生かすためにある。人を救うことを善とするならば、それは紛れもなく正しいことじゃ。

じゃがの、ミス・ヴァリエール。もう少し、高い視点より考えてみるがいい。その選択に含まれる、為すべき行為をよく考えてみなさい」


「為すべき、行為・・・?」


「そう。君の言う、村人を犠牲にアルビオン軍を殲滅する。この選択では何十もの村人が殺され、そして何千もの軍人が命を落とすことになる。つまり、この選択には、犠牲以外のものがひとつもないんじゃ」


ルイズは愕然となった。

そんな考え方は、したことがなかったからだ。


「あえて手段については問わんがの。これをトリステインもアルビオンもない、そんな視点から見れば、ただの殺戮しかない。百の命で、千の命を救うのではない。百の命で、千の命を殺すのじゃ。ほれ、こんなものを、正しい行為だとはとても言えんじゃろう」


「けど・・・、けど、それならば私はどうするべきなのですっ!?一体何が正しくて、何をしていけばいいのですかっ!!」


激情に任せて、ルイズは叫んでいた。

答えはないなどと、正しい選択はないなどと言われ、では自分はどれを選びとればいいのだ。


そんな感情を荒げるルイズを、オスマンは対象的な落ち着いた声音で諭した。


「なに、難しいことはない。君は、君が思ったとおりにすればよいのじゃ」


「私が・・・思ったとおりに・・・?」


「仮にわしがここで何を言っても、所詮それはわし一人の価値観でしかない。あいにくわしは神ではないからの。万人全てを納得させられる答えなんぞ持ち合わせておらん。あるのはせいぜい、長いこと生きてきた、しわがれた経験くらいのもんじゃ。

じゃが、老いぼれは老いぼれなりに、一応の答えも持っておる。別に大層な悟りを開いたわけではなく、純粋に経験則からの真理じゃ」


過ぎ去ってきた日々を迷懐しているのだろう、オスマンの目はここではないどこか遠い場所に向いていた。


「君たち若者は、すぐに物事に正しさを求めようとする。やれそれが正しいだの、やれそれは悪だのと。じゃがの、本当に正しいことなんてもんは、終わってみんことには誰にも分からんのよ」


「そんな、でも、アルビオンを退けられるなら、それは正しいことで・・・」


「そうかの?確かに、今のトリステインにとって、アルビオンは脅威じゃ。じゃが、それでトリステインが滅ぼされると決まったわけではない。思わぬ幸運が味方して、案外どうにかなってしまうかもしれんぞ。例えば、突然天災がやってくるとか、アルビオン側が急に戦争を中止するとかの」


「楽観的すぎます。そんなこと、あるわけないじゃないですか」


「いや。確かに可能性は低い。だがゼロではない。つまるところ、未来なんてもんは、誰にも分からぬということじゃよ。困難だと思っていたことが、案外容易に片付いてしまったり、簡単だと思っていたことが、その実とんでもなく難しいことだったりしての。どんなことも、終わってみんことには、正しいか間違っているかなど、決められるはずがない。

まあ、要するに何が言いたいのかというと。何事も、なるようになるということじゃ」


あっけらんと言ってみせるオスマンに、ルイズはどう返事をしていいか分からず、ポカンとした表情になる。

だがそれは、決してオスマンの事を馬鹿にしたものではない。

むしろこの気楽な老人の言葉にこそ、自分にふさわしい真理があるのではと、そう思い始めていた。


「だから、ミス・ヴァリエール。そんなに怖がる必要なんてありはせん。君たち若者は、どうも物事がそれぞれ取り返しのつかない事だと思っているのじゃが、実際はそんな取り返しのつかんことなど、そうはないものよ。

しかし、命は違う。命は、失っては物のように直すことはできん。失われた命は、文字通り、取り返しがつかんのじゃ。だから、あくまでもわし個人の意見としては、先のような選択を君にはしてほしくない」


ポンと、オスマンはルイズの肩に手を置いた。


「大いに悩みなさい、ミス・ヴァリエール。悩んで、考えて、自分が正しいと思ったことをしてみなさい。例えその結果がどんなものであっても、自分で選んだ決断ならば、何もせんかった後悔よりは、幾分かマシなものじゃよ」


オスマンの言葉が、ルイズの胸にスッと届く。

まるで今まで突っ掛かっていたものが、きれいに取れたような感覚だ。


まるでそれに呼応するように、ルイズの懐で何かの鼓動が生じる。

取り出して見ると、それは何も感じなくなっていた『始祖の祈祷書』であった。

手にしてみると、そこにはかつて感じた手応えがある。

まるで主の決意に触発したかのように、書は再び力を取り戻していた。


「・・・ごめんなさい。私が不甲斐無いばっかりに、あなたにも随分と歯痒い思いをさせていたわね」


そう、何かを為す力ならば、すでに自分の手の中にあった。

後は自分が、ただ決めればよかったのだ。

本当に、ただそれだけで、こんなにも力が漲ってくる。

今の自分にならば何かが出来る、そんな確信めいた予感が、ルイズの胸にはあった。


「左様。若きこととは、悩むことと同義なり。かくいうわしも、若かりしことは大いに悩んだ。そう、あれは思い返すも懐かしい、わしがまだ―――」


「ありがとうございます、オールド・オスマン」


何やら語り出したオスマンを放置して、ルイズは駈け出した。


根拠があるわけではない。

予感は所詮、予感に過ぎない。

これが本当に正しいのか、そんなことは分からない。


だけど、まずは行動してみよう。

それが正しいことかどうかは、また後になって決めればいい。

行動の果てにこそ結果があるのなら、まずその行動を起こさずしてどうするのか。


決意を胸にルイズは元来た道を走り去り、後にはオスマンのみが残された。


「これからがいい所じゃったのに・・・。近頃の若いモンは、せっかちでイカンのぉ~」


走り去るルイズの後ろ姿を眺めながら、ひどくしょんぼりした様子でオスマンはぼやいていた。










「ギルガメッシュ!!」


部屋に戻り、ルイズはそこに居る人物へと呼びかける。

開け放たれた扉の先には、先ほどと変わらずグラスの酒を呷るギルガメッシュがいた。


こちらの来訪に気が付きながらも、ギルガメッシュは視線をよこそうとはしない。

だが冷然たる無視を続けるその背中が、言葉以上に明実に告げていた。


―――次に失望を買うようなことを言えば、今度こそ容赦なく切り捨てるぞ。


見据える背中の冷たさに思わず息を飲み、額より冷や汗が流れる。

恐怖に心が支配させそうになりながらも、意を決しルイズは口を開いた。


「私を・・・連れて行って」


短い言葉で、ルイズは告げる。

その言葉で、無視を続けていたギルガメッシュは、視線は変えずに返事だけをよこした。


「・・・どこに?」


「戦場に」


今度は間髪入れずに、ルイズは答える。

それこそが彼女が選んだ、彼女なりの選択肢であった。


アルビオンの侵攻は食い止めたい。

けれど、ギルガメッシュの言うような真似も出来ない。

ならば他の、全く異なる選択肢を選びとる以外にない。


すなわち―――自分の力でなんとかしてみせる、という選択肢を。


ギルガメッシュは、ただ自分をそこに送るだけでいい。

後の行動の責任は、すべて自分が負う。

それこそルイズが自分で決めた、彼女だけの決断だった。


「・・・ほう」


ギルガメッシュの視線が、ようやくルイズの姿を捉える。

彼の表情には、久方振りの愉快気な笑みが浮かんでいた。






[2589] [18]王の光
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/08/17 05:21




[18]王の光










アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号艦長サー・ヘンリー・ボーウッドは、報告されてくる自軍優勢の報を、気の無い様子で受け取っていた。

すでに敵の空戦戦力はほぼ壊滅させ、戦場の制空権は完全にこちらにあるといっていい。

このまま順調に進めば、自軍の勝利はもはや時間の問題だろう。


だがそんな自軍の勝利の栄光を、ボーウッドは喜ぶ気にはならなかった。


「アルビオン万歳!!神聖皇帝クロムウェル万歳!!」


艦上の至る所から起きる歓声に、ボーウッドは眉をひそめた。

彼の知る王軍時代の空軍は、戦闘中に余計な歓声など上げはしなかった。

優勢はあくまで優勢でしかなく、勝利ではないと承知していたからだ。


だが今のアルビオン軍は、司令長官までもがその歓声に加わっている。

ハルケギニア最高の練度という前評判は返上しなくてはならないなと、ボーウッドは皮肉気に思った。


ボーウッドは元々、ウェールズら王党派の人間だった。

彼が自らの杖に懸けて忠誠を誓ったのは、昔も今も変わらずアルビオン王家である。


だがそれ以上に、彼はアルビオンの軍人であった。

軍人は国の命のままに、道具として戦い抜くことこそ本懐である。

政治を考えるのは文官の務め、自分達はただ国のために戦うことを考えていればよい。

『レコン・キスタ』が国の意志となったならば、それに従うことに何の疑問も抱いたりはしない。


そう思っていたボーウッドだったが、今ではその判断を選んだことを悔いかけていた。


(あの男は、一体なにを考えているんだ?)


ボーウッドが脳裏に浮かべるのは、彼の新しい主君たる男、オリヴァー・クロムウェル。

あの男の行動には、アルビオン軍人であるボーウッドですら疑惑を懐かずにはいられない。


未知の魔法を使った暗躍、条約を無視した宣戦布告、あの男の取る政策はどれも怪しげなものばかり。

噂では、ならず者の傭兵や、卑しいオーク鬼などの亜人とも深い繋がりがあるらしい。

ボーウッドには、あの男の存在がアルビオンに益を為すとはどうしても思えなかった。


(さらに言えば、この男のこともな)


チラリ肩越しに、ボーウッドは艦上にて一人佇む男へと目を向けた。


鍛えられた屈強の肉体を持ち、羽帽子を深くかぶった精悍な顔立ちの貴族の青年。

そんな凛々しい外見を持った青年だが、醸し出す異様な雰囲気が彼に言葉をかけることを躊躇わせる。

青年自身も決して口を開こうとせず、その無言の圧力が彼の威圧感に拍車をかけていた。


この男も、クロムウェルが直接遣わした者である。

出撃の直前、クロムウェルに直々に連れられて、ボーウッドは紹介を受けていた。

聞けばスクウェアクラスの『風』の使い手らしく、優秀な空戦戦力という話だ。


皇帝自らの推薦となれば、御飾りの愚昧な司令長官とは異なり、それなりの能力はあるのだろう。

とはいえ、こんな不気味な男に戦場で背中を預ける気にはとてもならない。


あの男の周りには、正道ならざるもので溢れている。

この青年のことはもちろんのこと、野蛮な亜人種を相手にした異様に高い交渉術。

その事実は頼もしさにも先行して、猜疑心をボーウッドの胸に芽生えさせる。


そして何よりの異端は、クロムウェルが自らの親衛隊と称して連れまわしていた、かつてのアルビオンの王子ウェールズ・テューダーの存在である。


王党派の象徴であったウェールズは、『レコン・キスタ』の反乱の折に戦死している。

革命の最後であるニューカッスル城での戦いで、確かにそう報告されたのだ。

だというのに死んだはずのウェールズは確かに存在し、あろうことか自らの王家を滅ぼした簒奪者たるクロムウェルに忠誠すら誓っていた。


一体、どのような外法に手を染めたのか。

クロムウェル自身は己の力を『虚無』と自称していたが、死者を冒涜するような業が、始祖の用いた神の系統などとは思いたくなかった。


疑惑溢れる男に先導され、未来の見えぬアルビオンの行く末を案じ、ボーウッドは溜め息をついた。


「いかがされました?艦長」


「む・・・。いや、なんでもない」


見られていたか、とボーウッドは自らの行動を恥じた。

自分は今、この艦の長としてここに立っている。

そんな自分が、部下たちを惑わすようなことをしてどうするのだ。


気を引き締めて、ボーウッドは己が職務へと意識を戻した。


「地上戦力の状況を報告しろ。状況の確認次第、味方部隊への援護砲撃を―――」


「か、艦長っ!!タルブ方面に向かわせた竜騎士隊より入電!!」」


その時、管制を担当する水兵が叫びに似た声を上げた。

その声色より、ボーウッドは直感的にそれが悪い報せだと察した。


「どうした?何があった?」


「そ、それが・・・っ!?」


水兵自身、自らが報告する内容が信じられないといった様子で、その伝令を口にした。


「戦場に・・・黄金の舟が現れました」


その報告に―――これまで不気味な沈黙を保っていた男が、ゆっくりと顔を上げた。










戦場と化したトリステインの空に、一隻の“舟”が飛翔していた。

船体を黄金とエメラルドで形成された、光り輝くその“舟”は、トリステインのものでも、ましてやアルビオンのものでもない。

他の一切の追随を許さず、物理法則を超越した優雅美麗の飛行を実現するこの黄金の舟こそは、世界に名立たる秘宝のひとつ。

後に“ヴィマーナ”の名を以て二大叙事詩に語り継がれる、至高の飛行宝具である。


「すすす、すごいじゃないっ!!あの天下無双と謳われたアルビオンの竜騎士が、まるで亀みたいに置いてかれてるわ」


後方でどんどん距離を離されるアルビオンの竜騎士達の姿を振り返り、あまりの飛翔速度に少々腰を抜かしながら、ルイズは歓声を上げた。


原初の王であり、かつてこの世のすべての宝物を手中に収めたギルガメッシュの宝物庫には、後の伝承に語り継がれるあらゆる宝具の原典が存在する。

それは武器のみに留まらず、およそ“宝”の概念が通用するものすべてに当てはまる。

この黄金の輝舟もまた、ギルガメッシュの収集した“宝”のひとつであった。


ハルケギニアの常識からはあり得ない速度で飛行し、戦場を駆け抜けたヴィマーナは、やがてアルビオンの旗艦たる『レキシントン』号をその視界に収める。

目撃したアルビオンの誇る巨大艦の姿に、輝舟の上よりギルガメッシュは気の無い感想を漏らした。


「ふん、構造そのものは幼稚だが、図体だけは一人前か。我の宝具とは比べようもないが、雑種共の艦船としてはマシな部類か」


目撃したトリステイン軍人を慄かせた『レキシントン』号の威容も、英雄王の視点からすればさしたる脅威にはなりえない。


もっとも今回において、ギルガメッシュはあれを脅威どころか敵とすらも認識していないのだが。


「しかし、あれほどの図体をよもや一人の力で落としてみせようとは。また随分と大きく出たな、ルイズよ」


「う、うるさいわね。分かってるわよ」


ルイズとギルガメッシュとの間で交わされた条件は、ルイズを敵の旗艦まで辿り着かせること。

それ以外は、一切関知しないとギルガメッシュは公言している。

アルビオンをどうするかは、あくまでルイズの手に委ねられているのだ。

さっきは大きく出たルイズだったが、やはりいざ実物を前にすると尻込みしてしまう。


その時、『レキシントン』号へと向かうヴィマーナの進路上に、二騎の竜騎士が立ち塞がる。

こちらの接近の報せを聞き、先回りしていたのだろう。

竜騎士らの騎乗する二頭の火竜の口より、炎のブレスが吹きかけられた。


着弾、爆発。

ブレスの爆炎がヴィマーナの船体を包み、その姿を覆い隠す。


だがそれも一瞬。

船体を包みこんだ火炎の中より、黄金の輝舟が現れる。

周囲の火炎を吹き消して、瞠目する竜騎士達の目に映る輝舟の威容は、全くの無傷である。

竜のブレスを受けてなおの健在ぶりは、同じ空を駆ける者としての格の違いを見せつけるようだった。


「邪魔だ」


立ち塞がる二騎の竜騎士ににべもなく告げて、ギルガメッシュは“王の財宝”を解放する。

開かれた蔵内より打ち放たれた二連宝具は、過たず竜騎士二騎を穿ち抜いた。

青の大気を血飛沫の赤で染め上げて、竜騎士達は地表へと落下していった。


「もう慣れたけど、なんだか本当に一方的ねぇ・・・。思わず敵に同情したくなるわ」


「無駄口を叩いてる暇はないぞ。もう間もなくだ」


気付けば、『レキシントン』号の姿は大分はっきりと目に映るようになっていた。

いよいよ自分の出番だと自覚し、ルイズは気を引き締める。


すでに進路上に敵はなく、遮る者のいないヴィマーナの飛翔は『レキシントン』号へと向けて直進の航路を取る。

このまま敵の旗艦までは、一切の妨害なく辿り着けるだろう。

ルイズのみならず、ギルガメッシュもそう思っていた。


だがその思惑は、突如として飛来した奔る稲妻によってものの見事に粉砕された。


「きゃあっ!!」


「ぬう!?」


雷電の直撃を受けたヴィマーナの船体が大きく揺れる。

その事実に、ギルガメッシュはその面貌を憤怒が染め上げる。


「我を頂くこの舟を揺らすとは・・・。王に対するその狼藉、もはや万死にも値するぞ」


怒気を込めた声で叫び上げて、ギルガメッシュは雷電の飛来した方へと目を向ける。

それに倣って、ルイズもまた彼の視線の先を追った。


そして二人の視線の先で、悠然と空に佇むその者の姿に、二人は等しく驚愕した。


「ワルド・・・!」


そこにいたのは、ルイズもギルガメッシュも名を知る者の姿。

祖国を裏切り、ウェールズを殺害し、そしてルイズまでも手にかけようとした『閃光』の二つ名を持つ男。


―――ジャン・ジャック・ワルドだった。










(俺は、どうしてここにいる―――?)


混沌たる暗闇の中において、たったひとつの疑問を吐き出し続ける。


混濁した思考は理性を欠き、自己の存在さえも曖昧とした状態。

欠落した身体部位は得体の知れない何かで補われ、体内で蠢くそれは身体の一部というより寄生されていると表現したほうが正しい。

自身が何者なのかさえ分からず、低迷する意識はどこに向かおうとしているかも定かではない。

代わりに全身の感覚が伝えるおぞましい感触が、否応が無く自身の人ならざる異端性を自覚させる。

自らが怪物を化したと理解し、しかしそれを不気味と思う価値観もまた欠如してしまっている。

覇気も悲嘆さえもない在り方は、未来の光を全く抱けぬ暗雲たる闇そのものである。


だがそんな中で、ひとつだけはっきりとしたものがある。

それは知識でもなく、願いでもない、ただひとつの感情欲求。


―――生きたい


生への執着、死に対する忌諱、それだけがこの空洞化した肉体を動かす。

その執着のみが、自分をこの世に繋ぎとめる唯一の縁。

唯一つきりの縁に縋りつき、自己の存在を定義する。


だからこそ、自らに対して決して避け得ぬ疑問を口にし続けた。


(どうして、俺は“生きたい”んだ―――?)


それだけが、どうしても分からない。

もはや物事を考察する理性も欠落し、動物的な感性しか持ちえない。

だがそれでも、その疑問だけは微塵と薄れることなく、混濁した思考の中に浮かび上がる。

なぜこうなったのかと“原因”を追及せず、何を求めているのかと己の“欲求”に固執する。


―――あるいは、そんな固執が幸いしたのだろうか。


“執着”と“疑問”のみに縛られた在り様の中、今ついに求めた“答え”を得た。

本能に促されるままに行動し、その果てに再び向かい合えた絶対者たる黄金の王。

目にする者を引き付けて止まぬ、唯我独尊の存在感を醸し出すその姿に、かつての記憶が脳裏を過ぎる。


自身の理想と認めた、孤高の強さを示す在り様。

己のすべてを懸けて挑み、そして敗れた最強の敵。

自らの理想たる宿敵とこうして二度目の対面を果たし、自分は何をすべきなのか。


(―――そんなことは、決まっている)


再び、挑む。

生涯すべてを懸けるに値する最大の宿敵に、二度目の挑戦をする。

元よりこの命に、それ以外に処方を知らない。

人の身を捨て、化生に身を落としてまで無様に生き繋いだのも、全てはこの時のためだけにあった。


―――すべては、理想の在り方への到達のために。


昂る魂に拍車をかけ、膨れ上がる精神力を解放し、かつてのそれとは比べ物にならぬ魔力を身に纏う。

全身より迸る魔力を以て撃ち放たれた魔法の雷は、何人も侵せぬ王の輝舟の飛翔さえも揺るがせる。

そうして敵対者たる自分と、黄金の王は向かい合い、互いの視線を交差した。


(勝負だ―――ギルガメッシュ!!)


交錯した瞳の中の確かな闘争心を確認し、ワルドは己が内にて歓喜の声を以て宣戦した。










「ワルド・・・なの?本当に・・・?」


突如として目の前に現れたかつての婚約者に、ルイズは畏怖に声を震わせながら疑問符を上げる。

目に映る者の姿は確かにワルドその人であるのだが、そこには何か違和感が伴っている。


―――この、彼から伝わってくる禍々しい気配はなんなのか?


無論、祖国を捨てた裏切り者として、軽蔑する思いはある。

だがそうした侮蔑の感情とは別の、得体の知れない迫力を今のワルドは有している。

理論によるものではない、生物が共有する己と異なる種に懐く純粋な畏れを、目の前のワルドは感じさせた。


そこで、ルイズはワルドの姿に、感覚論ではない明確な矛盾点を発見した。


「杖が・・・ない・・・?」


悠然と空に佇むワルドの両の手は、どちらも空手。

メイジならば例外なくあるべき、魔法の杖の姿がどこにもない。


「そんな、どうして!?杖を持っていないのに、どうして『フライ』が使えているの!?」


魔法とは、杖があって初めて行使できる。

いかなる技量のメイジ、例えそれが最高位の『スクウェア』であったとしても、その法則だけは変わらない。

だが現実として、今向き合っているワルドは無手のままに空中に鎮座している。


不吉な感覚と、噛み合わぬ現実。

その二つに挟まれ、ルイズの思考は混乱を極めた。


「・・・ルイズ」


そこで、混乱するルイズに隣に立つギルガメッシュが声をかける。

そして返事を待たぬまま、ギルガメッシュはルイズの額に指をかざし、“何か”をルイズに譲り渡した。


「え!ちょっ!?今、なにしたの?」


「一時的に、この舟の所有権をお前に移してやった。後のことはお前のみで何とかしてみせろ」


言い捨てるギルガメッシュの足元で、新たに蔵より引き出された宝具が彼の身に装着される。

黄金の鎧より入れ替わるような形をとったその脚鎧は、天空を駆ける飛翔の翼。

後にギリシャへと渡り、女神アテナが英雄ペルセウスに賜わす五つの宝具のひとつ、“羽のサンダル”へと形を変える飛行宝具の原典である。


「ちょっと、何とかしてみせろって、アンタはどうするのよ!?」


「我は、他にすることができた」


そうとだけ言い捨てるとギルガメッシュは船縁より躍り出て、はるか高みの大空へと身を投げる。

だが落下はせず、即座に力強い羽ばたきを響かせて舞い上がった。


ルイズを残した輝舟は、元の『レキシントン』号に向かう進路を取り、両者の距離はあっという間に離れていった。










誰も居ない大空の中心で、二人の強者が向かい合う。


かつて自らが下した敵対者と視線を交わし、獰猛なる笑みをギルガメッシュはその面貌に浮かべる。

遊興を好む英雄王特有の快楽的な殺意の笑みを向けながら、敵対者たるワルドへと声をかけた。


「久しいな、ワルド」


愉快気なギルガメッシュの声に、ワルドは言葉を返さない。

しかし全く応えないという訳ではなく、代わりに不遜の表情を面に張り付け答えとする。


それだけで満足したのか、気分を害することなくギルガメッシュは話を続けた。


「再び貴様の姿を目にした時は、さすがの我も驚いたぞ。あの時に受けた外傷、あるいは貴様なら立ち直る事もあり得るとは予測していたが、まさかこれほど早く立ち直ってくるとは。最低でも一年は、どれほどの治癒を以てしても立つことすらままならぬと踏んでいたのだが。

―――もっとも、代わりに中身は随分と変貌させてきたようだが、な」


異端をその身に潜ませた今のワルドの姿を見ながら、ギルガメッシュは皮肉気に言う。

そんな言葉にも、ワルドは動揺を見せることなく不遜のままに受け取った。


「むしろそれは褒めて取らそう。王の我を待たせることなく、早急に我が面前へと姿を現したことは、評価に値する。それに免じ、先の無礼は許そう」


ギルガメッシュは、今のワルドの存在の不可解さなど気にもしていない。

杖を持たずに行使する魔法などの、ルイズの気に掛けた矛盾など、ギルガメッシュにとっては全てが瑣末。

彼が今こうしているのは、そのようなつまらぬ事柄の真偽を暴くためなどでは断じてない。


そしてワルドもまた、この程度の讃辞を受け取るためだけに、こんな所には立ってはいない。


「そう急くな。案じずとも、貴様の望みには応えてやる」


告げて、ギルガメッシュは背後の空間にて蔵の扉を開く。

そこから取り出されたのは、一本の無骨な剣。

あらゆる魔法を吸収し我が物とする、伝説の使い魔の愛剣として振るわれてきた魔剣“デルフリンガー”。


魔剣を手にし、自らに手招いて見せながら、興が乗った声音でギルガメッシュは告げた。


「―――来い。貴様の挑戦、再び受けてやるぞ」


それは、かつて彼が下した決定。

矮小なる人の身にしてこの英雄王に挑みかかり、興のある闘争を演じた挑戦者に賜わす、最大限の褒美。


挫折することなく再びこの森羅万象の王に相対するというのなら―――その時は最大限の歓迎を以てその挑戦を迎え入れよう。


それはワルドにとっても、魂の底より望む真の願い。

自らの願いの成就に、理性を薄れさせるその面貌に喜色が浮かぶ。

いかなる名誉にも勝る最高位の栄誉に、ワルドもまた歓喜に触発される魔力の猛りによって応えた。


「ユキビタス・デル・ウィンデ・・・」


地の底より絞り上げるかの如きその声は、魔法の詠唱。

大気の屈折より投影された自らの像を魔力によって擬似的に実体化させる、『風』の系統を最強といわしめる呪文。


四乗の『風』により紡がれるユキビタス、『偏在』。


かつてワルドがその魔法を用いた時の分身体は、四人。

その人数は決して少ないものではなく、むしろ同じ風のスクウェアであってもそこまでの数の『偏在』を構築できる者は少ない。

疑似的にとはいえ、自己の意思を持って独立する個体を形成する『偏在』は多大な精神力を消耗する。

そんなものを単身で四体も形成するワルドこそは、紛れもなく逸脱した才気の持ち主であるのだ。


だが今のワルドの『偏在』は、その倍を超える九体の分身が投影されている。

その数はもはや才覚でどうこう言えるレベルではなく、明らかに異常の範疇。

本人も合わせて合計十人のワルドが、ギルガメッシュの前に立ち塞がった。


「おもしろい・・・。化生へと堕ちた身の上ならば、せいぜいその小手芸にて興じさせよ、ワルドッ!!」


昂る興奮と快楽、そして殺気をありありと示し、ギルガメッシュは吼えた。










「何とかしてみせろ、って言われてもねぇ・・・」


一人取り残された黄金の輝舟の上で、ルイズは以前のこの舟の所有者だった男へと愚痴る。


所有者のいなくなった輝舟であるが、その航路は変わる事無くアルビオン旗艦『レキシントン』へと真っ直ぐに向かっている。

傍から見れば、それは順調な航行と見えるだろうが―――


「こんなのどうやって動かせばいいのよ―――っ!?」


当然であるが、ルイズには空船の操舵の技術など体得していない。

ましてこれは普通の空船ですらなく、ギルガメッシュの所持する至高の宝具のひとつ。

そんなものを、いきなり渡されて自在に動かせというほうが無茶苦茶なのだ。


そして航路の先に見えるのは、トリステイン艦隊を容易に壊滅せしめたアルビオン最強戦艦『レキシントン』。

側面に配備された百を超える砲門が、今もその威容を見せつけている。

その弾幕の中に、ただ真っ直ぐと突進していくなど、自殺行為以外の何物でもない。


しかしそんなものなど意にも介さず、ヴィマーナはその飛翔を止めようとしない。

そしてそんな自らに比べれば遥かに矮小な小船の蛮勇に応えるように、『レキシントン』号の砲門が一斉に火を吹いた。


「きゃあああああっ!!?撃ってきた、撃ってきたぁぁぁっ!!」


大空に轟音を響かせる『レキシントン』号の砲撃に、ルイズは思わず縮こまって目を瞑った。

勇気とも蛮勇ともかけ離れた、単純なる怯えから、ルイズは反射的に身体を逃れさせたのだ。


無論、逃げ場の無い船の上でそんなことをしても、本来意味はない。

だがその“怯え”が、結果として巧を為した。


「え・・・!?」


叙事詩において、思考と同じ速さで天を駆けると謳われし輝舟は、伝承に恥じぬ速度で己が主の意向を受け取る。

仮とはいえ、所有権を持った“主”の強い怯えに反応し、輝舟は意に沿った新たな飛翔を実現した。


主を脅かす砲弾の雨を、他の空船には決して真似できぬ優雅にして無駄なき飛翔にて掻い潜る。

真の所有者たる王自らが操舵した時の機動には足元にも及ばぬとはいえ、天の舟の飛翔をたかが火薬の砲撃で捉えるなど余りに無謀。


そして砲撃が過ぎ去った後には、輝ける威容に微塵と損なわれた様子を見せぬヴィマーナの姿があった。


「す、すごい・・・」


『空の国』アルビオンの誇る最強戦艦の砲撃を歯牙にもかけず切り抜けた輝舟に、ルイズは改めて畏敬を覚える。

そして自らの駆る飛行宝具の威力に勇気づけられ、その表情より怯えが消え、決意した時の覇気が舞い戻った。


「これなら・・・いけるわ」


呟きながら懐より祈祷書を取り出し、ルイズは杖を握り締めた。










無限の如く広がるトリステインの蒼穹を、黄金の王が疾駆する。


脚部に装備された脚鎧の飛翔は、まさに逸品の宝具の名にふさわしく鮮麗され、神速の速さを誇っている。

雲を裂き、風を突きぬけ駆け抜けるギルガメッシュの姿は、何人も触れられぬ空の君臨者を思わせた。


―――だがここに、王の領域を侵さんと迫る簒奪者の姿あり。


ギルガメッシュの後ろより追う形で飛行するのは、『偏在』にて分身した十体のワルド。

杖も持たず行使する彼らの『フライ』の飛行速度は、ギルガメッシュの宝具にも決して見劣りするものではない。

事実、こうして今も振り切られることなく追随を果たし、十のワルドの誰もがその後ろ姿を逃そうとはしなかった。


「ほう。よく付いてくる」


肩越しに振り返り、感心した様子で呟くギルガメッシュ。

その視界の中で、十の内で最も接近して飛ぶワルドが、己の掌を突きだす。


そして掌中に膨大な魔力が集中し、一条の閃光が放たれた。


「!!」


『フライ』の使用中は他の呪文を使うことは出来ないという、メイジの常識をも超越して撃ち放たれたその魔法は『エア・スピアー』。

かつてワルドがギルガメッシュとの対戦において、その首を落とさんと命運を懸けた風の槍だ。

以前のそれよりも何倍も鋭くなったその魔法は、直撃を許せばいかに英霊といえど致命傷を免れまい。


振り返り、向かってくる風の矛を、ギルガメッシュは手にしたデルフリンガーで受け止める。

魔剣に刻まれた効果が発動し、その刃は輝きと共に『エア・スピアー』の魔法を吸収していく。


だが―――


「ダ、ダメだ、旦那。吸収しきれねぇ」


心底苦しそうな声を上げて、デルフリンガーが訴えてくる。

極限まで収束された風の矛先の鋭さは、魔法殺しのデルフリンガーを以てしても受け止めきれるものではなかった。


その先にあるギルガメッシュの首を断たんと、風の矛はぐいぐいとデルフリンガーの守りを突破せんと押し込んでくる。


「チッ」


舌打ちして、ギルガメッシュは受け止めていた『エア・スピアー』を弾いた。

刃を外れ、あさっての方向へと流れていく風の槍。

その行先を確認することはせず、ギルガメッシュは改めて十のワルドへと向かい合った。


「なるほど・・・。少しはマシにやり合えるようにはなったということか」


向かってくる十のワルドを見渡しながら、ギルガメッシュは手を上げる。

それに呼応して背にする虚空より、合計して六の宝具が出現した。


「ならば次は、我が宝具を前にどこまで保つか、さあ見せてみよ」


下げられた手の号令に従い、立ち塞がる敵を貫かんと投射される宝具の六連撃。

放たれてきた六の必殺宝具に対し、ワルド達は一斉に散開してその矛先より逃れた―――九体までは。


「ぬっ!?」


全員が宝具の必殺の攻撃より逃れる中で、一人が無謀にもその矛先へと突進していく。

風を切り裂いて突き進む六連宝具が、愚かな蛮勇者の存在を捉え、その一人へと殺到した。


ワルドを包む大気が唸りを上げる。

大気の流れを捻じ曲げて、生み出された烈風による強引な軌道変更。

通常ならば四肢のすべてが引き千切れて然るべき風圧を受けながら、ワルドは風の流れを読んで宝具の連撃の紙一重の間隙をすり抜けた。


「ほう。なかなかに条理を逸脱した動き。もはや完全に、人の領分にはないな」


宝具の連撃をすり抜けたワルドは、もはや障害の無くなったギルガメッシュまでの道を一気に駆け抜ける。

今度こそその首を貰い受けんと、再び掌中に魔力を集中し始める。

先ほどよりも接近し、必殺に近づいた風の矛を解き放たんとし―――


「―――とはいえ無論、我には微塵と及ばないが」


瞬間、擦れ違った後方から猛然と方向転換し、再び襲いかかった六連宝具にワルドはその全身を貫かれた。


正面より宝具の弾幕を突破してみせたワルドも、死角よりの奇襲には咄嗟の反応が間に合わなかった。

宝具による必殺の一撃を六つも受けたワルドは、そのまま魔力の粒子の塵へと消える。

どうやら本体ではなく、『偏在』による分身体であったらしい。

一体のワルドが消えた今も、他の七体のワルドは揺らぐ事無く健在のまま―――


「七・・・だと?」


呟いた瞬間、ギルガメッシュは“王の財宝”を解き放っていた。


放たれたのは、煌びやかな輝きを纏う名剣と、禍々しき魔力を刻む魔槍。

宝具の投射と同時に、ギルガメッシュの背後に唐突に二体のワルドが現れる。

『インビジブル』の魔法による不可視化と気配遮断による奇襲。

先ほどの正面からの無策の突進は、この奇襲を成功させるための囮に過ぎなかった。


奇襲を仕掛けた二体の内一体は、放たれた魔槍に貫かれあえなく霧散する。

だが咄嗟の投擲による照準の甘さ故か、一体のワルドは名剣の矛先を回避し、ギルガメッシュ自身へと襲いかかった。


振りかざすワルドの手にあるのは、魔法によって編まれた大気の剣。

高密度に圧縮され、視認さえ可能となった蒼く輝く風刃が、ギルガメッシュの脳天目掛けて打ち込まれる。


その斬撃を、ギルガメッシュは手にするデルフリンガーで応戦した。


「及ばずと知りながら、それでも賢しく我に迫るか・・・」


輝く二つの刃が、両者の間で激突する。

魔法を吸収するデルフリンガーの刃に曝されながら、なおも押し切らんと勢いを増す風の刃。

その斬撃の重さは、そのままワルドの意志の強固さを何より確かに表していた。


「そうまでして届きたいか?我が高みに」


そんなワルドに、ギルガメッシュは表情の不遜と余裕さは微塵と崩すことなく、鬩ぎ合いの中で問いかけた。


「ウ、ウ、ウワアアアアアァァァァァァッッッ!!!」


問いかけへの答えは、人を逸脱した獣の如く猛る咆哮。

揺るがぬ不屈の意志を示す雄叫びをあげて、ワルドは解答とした。


咆哮をきっかけに、鬩ぎ合う二つの刃が離れ、僅かに両者の間に距離が生まれる。

しかしながら、もはや両者共にいかなる距離でも必殺の手を緩める隙は無い。

距離が開いた次の瞬間には、お互いに攻撃を繰り出していた。


ほぼ同時に繰り出された、『エア・スピアー』の風の矛と、至高の価値を秘める原典宝具。

交錯する二撃、風の矛はギルガメッシュの頬を僅かに掠め、原典宝具は過たずその標的を貫く。

魔力によって編まれた分身はその一撃を以て消滅し、空間には健在を示すギルガメッシュのみが残された。


しかしギルガメッシュの周囲には、いまだ無傷の七体のワルドが鎮座している。

早くも三体の分身が敗れたというのに、彼らに動揺の色は無い。

自らと同程度の能力の分身を討ち取られ、改めて黄金の王との実力の差を思い知らされて尚、彼らの意志は微塵と揺らぐことはなかった。


「ふん、滑稽な。まるで飛び込めば燃え散ると知りつつ、なおも火に身をくべる蛾虫の如き愚かな姿だ」


罵倒の言葉を口にしながら、ギルガメッシュの表情には侮蔑の色はない。

むしろ期待の好奇さえ垣間見せる表情で、包囲するワルドの群れを悠然と眺めまわした。


「だが、それでいい。いっそ変えられぬ阿呆であるのなら、せめて命の果てまでその愚かしさを貫いて、この我を楽しませよっ!!」


哄笑も高らかに、ギルガメッシュは宣言する。

その宣誓に応え、ワルドらもまた更なる魔力の猛りを以て相対する。


蒼天広がる大空にて、両者は再び激突した。










―――エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ


祈祷書を片手に持つルイズの口より、滑らかなルーンの呪文が紡がれる。

四系統のいかなる呪文にも属さないそのルーンは、今は使われぬはるか太古の言霊。

知る者のいないはずの古代の呪文を、ルイズは何の疑問も懐かず謳い上げる。


己の内で生じた何かが、リズムを伴って行き先に向かい回転していく感覚。

それはメイジが己の系統の呪文を唱える時に感じるという、実感を持った手応え。

ならばこれより唱える呪文こそが、『ゼロ』の自分に与えられた真の魔法に他ならない。


―――オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド


詠唱を続けるルイズの瞳は静かに閉じられている。

彼女が口にする言霊は、すべて手にする祈祷書のページに浮かびあがった古代文字の配列。

しかし彼女の視線は、そちらに向けられることはなく、双眸共に閉じられたままだ。


もはや目にするまでもない。

かつての始祖の手を離れ、新たなる主の手へと渡ったこの祈祷書は、手にするだけで記された文字のすべてが頭の中に流れ込む。

書に記されたすべての情報が今ルイズの掌中にあり、故にこれより自分が行使する魔法の事も理解していた。


四系統いかなる属性にも当てはまらない、はるか彼方の伝説にのみ存在する五つ目の系統。

始祖ブリミルが扱いし最強の系統、『虚無』の属性。

それがルイズの手にした魔法だった。


―――ベオーズス・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ


詠唱と共に、ルイズは自らの意思を自己の内側へと埋没させる。

全身のあらゆる神経を研ぎ澄ませ、外界との接触のすべてを遮断する。

余計な雑音を排斥し、目を向けるべきは自らの世界のみだ。


彼女の意識の外では、『レキシントン』号が更なる砲撃を加えている。

主の認識が外界を離れたことで、ヴィマーナはその動きを鈍らし、すでにいくつかの直撃を受けている。

無論、神の秘宝たる黄金の輝舟が一撃か二撃の直撃ではビクともしないが、それでもただ受け続けていればいずれ限度がくる。

そんなことは自明の理だ。


しかしそれでも、彼女は決してその集中を乱そうとはしなかった。


―――ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル


呪文が完成し、閉ざされていた瞳が開かれる。

魔法を放つべき標的の姿をしっかりと捉え、あとはただ発動させるのみ。

祈祷書よりもたらされた情報より、ルイズは自分の魔法の威力を十分に理解している。


―――自分の魔法は、全てを飲み込む。


そこに一切の例外はなく、自分の一撃がこの戦争を決してしまう。

いまやアルビオン軍の命運は、自分の掌の中にあると言っていい。

それは他を隔絶した超絶の力を有した者のみが懐く、力の担い手の重責だった。


ギルガメッシュは言った、トリステインの救済とは、敵対するアルビオンに滅びを与える事と同義であると。


オスマンは言った、命を奪うという行為は、善悪の概念を越えて取り返しのつかぬ咎を背負う所業であると。


言われた言葉を反芻し、その意味を汲み取り、それでもルイズは杖を掲げる。

自分は何をしたいのか、何が出来るのか、それを考える。

正しいのか、間違っているのか、それはまだ分からない。

だが、それでも思うのは、ただ祖国を救いたいと願う純粋な思いであった。


そして、ルイズは杖を振り下ろした。


初歩の初歩の初歩、余計な要素を一切交えない純粋なる破壊現象、虚無魔法『エクスプロージョン』。


発言したルイズの虚無の光が、さながら太陽のように大きく膨れ上がり、大空に君臨するアルビオン艦隊の全てを包みこんだ。










ギルガメッシュの眼前で、また一体のワルドが宝具の刃に串刺しとされて消滅する。


これで残ったのは六体。

いまだ猛々しく自分と相対するワルド達を、ギルガメッシュは少々うんざりとした眼差しで見まわした。


なかなかに手応えのある敵と出会い、一時興の乗ったギルガメッシュであったが、すでに彼はこの戦いに飽きを覚え始めていた。

相手の能力、攻撃の質、戦法など、その全てをほぼ把握しつつある。

強大化されたワルドの『風』の魔法も、ギルガメッシュにとってはもはや脅威ではなくなりつつあった。


先の見えた戦いほど興が削がれるものはない。

これならば先の戦いの時のように策を弄してきたほうがまだ楽しめた。


やや興醒めした様子で肩を竦めながら、ギルガメッシュは“王の財宝”よりさらに宝具を解放しようとして―――


「なに!あれは―――!?」


突如として出現した、アルビオン艦隊を呑み込む無色の輝きに、思わず目を奪われた。


「・・・ルイズの魔法か。フン、奴め」


そう呟いてから、ギルガメッシュは大仰な哄笑を上げた。

突如として響き渡ったギルガメッシュの笑いに、同じく虚無の光に目を奪われていたワルド達も再び意識をギルガメッシュへと戻す。


だがギルガメッシュは構わず、ひたすらに笑い上げていた。


「ふ、ふ、ふははははははっ!!そうか、ルイズ。それがお前の選んだ道か。どちらの命を取捨選択するのではなく、どちらの命も選ばんとする。その傲慢、その“不殺”の光こそが、お前の輝きというわけだ」


あの無色の輝きは、ひとつの命も奪っていない。

あれが壊すのは、あくまで武器である艦船のみ。

今も光に呑み込まれ火の手を上げる艦船たちの上では、ただの一人の死者も出していない。


あんなことは、この自分にさえ出来ない。

他の誰でもない、ルイズだからこそ出来た彼女だけの選択だ。


とはいえこれで、トリステイン軍はアルビオン軍に勝利するだろう。

頼みにしていた艦体を突如として失い、空の向こうの本国から孤立した遠征軍では、今まで通りの士気を維持するのは不可能。

ましてやそれを為したのがあのような奇跡じみた魔法によるものならば、その精神的ショックは計り知れまい。

心を砕かれた他国の遠征軍が、その土地に根を下ろす国の軍に勝てるはずがない。


恐らくルイズは、そんな敵軍が陥るだろう状態を見越して魔法を解き放ったわけではあるまい。

ただこの事態を何とかしたい、そう考えての行動だろう。

信念と呼べるほどのものでもなく、確固たる意志もない、感情に流されての域を出ないものだ。


だが、それもまた良し。


命を奪いあうべき戦という環境で、敵と味方のどちらの命も尊ばんとするその所業。

そこに内在する矛盾、常として厳然と存在する弱肉強食の法則に真っ向から反抗する、その歪み。

それは必ず、今日のルイズが選び取った道において、いずれ彼女を打ちのめす凶星となろう。


その道に含まれた矛盾に挫折するのか、それとも苦渋を重ねた果てで、自らの在り方に何かの答えを見出すのか。

自分を召喚した少女の、その行く末を見届けるのも、また一興だ。


「―――ならば、我もまた見せてやらねばならんな」


言って、ギルガメッシュは解放しかけていた宝具を、再び蔵の中へと納めた。

その代わりとして蔵の中より取り出したのは、たった一本の“剣”。

未だ無傷の六体が存在するワルドに対して、ギルガメッシュはただ一振りの“剣”にて相対した。


「お、おい、旦那。そ、そりゃあ・・・!?」


自らの担い手が持つ“剣”の逸脱性に気づいたのか、デルフリンガーが戦慄の声を上げる。

案外と目敏い意思ある魔剣に、ギルガメッシュ不敵に笑って取り出した“剣”を掲げた。


「興が乗った。光栄に思えよ、ワルド。本来ならば貴様如きに、我が愛剣を抜くなどあり得んのだから」


―――果たしてそれは、“剣”と呼びうる得物であるのかどうか。


柄もあり、鍔もあり、刃渡りもおよそ長剣程度。

だがその刀身に当たる部位の形状が、あまりに刃の概念を逸脱し過ぎている。

三段階に連なる円柱の、螺旋状に捻くれた鈍い刃。

その姿は、常として知られる剣の形からは明らかにかけ離れている。


そう、それはもはや“剣”ではない。

およそ“剣”という概念が生み出される以前、人ならぬ神の御業にて鍛えられし原初の刃。

世界の創生に立ち会ったその剣こそは、ギルガメッシュを真の超越者にたらしめる至高の『乖離剣』に他ならない。


「グ、グウウウウ、ウググググウゥゥ・・・ッ!!?」


これまでギルガメッシュを前として決して臆しなかったワルドが、ガタガタと震えだす。

その額には滝のように冷や汗が浮かび、明らかな怯えの色が表れている。

抜き放たれた“剣”の威圧は、向かい合うワルドにもはっきりと伝わっていた。


もはや理性も薄れ、野生の獣じみたワルドの精神状態。

だがそれ故に、目にする脅威を感じ取る感覚は、人のそれをはるかに凌駕している。

賢しき人の知恵を取り払い、剥き出しの本能が感じるのは、圧倒的な存在の質量差。


それを前にする今のワルドは、さながら獅子を前に縮こまる無力な兎同然。

喰う側と喰われる側があまりにも歴然とし、どうしようもない恐怖がワルドを追い詰めていた。


―――そしてその絶望的な恐怖に対する選択も、やはり獣特有のものである。


「そう、それでよい。一人一人潰していくのも面倒だ。次なる一手、互いの最強の一撃を以て雌雄を決しよう」


極限まで追いつめられた獣が取る行動は、己が命を懸けた必死の抵抗。

諦観でも逃亡でもなく、己が出来る最強の反撃を以て抗するのが、真の獣の選択だ。


ワルドの周囲の空気が摩擦し合い、バチバチと音をたてて放電し始める。

その現象はまさしく、雷を操る『風』系統の高等呪文『ライトニング・クラウド』。

だがワルドが今行おうとしているのは、更にもう一段階踏み込んだものだ。


空気の摩擦によって生じた周囲の電気エネルギーを操作して、一点へと収束させる。

電撃を一箇所に集中させることで破壊力を集約し、より強大な雷撃の弾丸へと変えて打ち放つ。


『風』系統最高の破壊力を誇る呪文、『サンダー・フォース』。


『風』の最難度たるそのスペルを、残った六人のワルドが全員同時に構成していく。

四の重複属性の限界すら超えて構築されていくその六の呪文は、もはや王家秘伝のペンタゴン・スペルすら遥かに凌ごう。


「ルイズよ。お前が示した光、確かに見届けた。なるほど、この我を召喚するだけのことはある。なかなかに見事な輝きと褒めておこう。

だが、知るがいい。いかに眩しき輝きであろうとも、この英雄王が誇る極光の前には、等しく色褪せるということを!!」


ギルガメッシュが手にする『乖離剣』が、唸りを上げて廻り出す。

連続する三つ円筒の螺旋回転は、周囲の魔力を根こそぎ喰らい尽くし、大気を振動させる。

その迫力たるや、さながら世界そのものがこれより放たれる天地創生の斬撃に恐怖しているよう。


共に最強を期した一撃が、途方もない圧力となって間の空間を震わせる。

雷鳴の怒号が、旋風のざわめきが、戦いの決着を彩る行進曲となって響き渡った。


―――そして、遂に激突の時が訪れる。


先を制したのはワルドだ。

合計して六名の手から同時に放たれる収束雷撃。

六本の雷撃はそれぞれの雷撃と合流し、一本の巨大な超雷撃となってギルガメッシュへと襲いかかる。


ワルドが解き放ったその魔法は、まぎれもなくハルケギニア最強の一撃。

この一撃を前に、この地のいかなる存在とて打ち勝つことなど敵うまい。

そんな人智を超えた超雷撃を前にし、だがギルガメッシュには微塵たりと脅威を感じる様子は見受けられない。


「さあ、目覚めよ『エア』よ。異界の雑衆共に、お前の威光を今こそ知らしめるのだ」


『乖離剣』の螺旋回転が最高潮に達する。

神造の秘剣の誇る最強の一撃を手にし、もはやいかなる怯えも必要ない。


その一刀の前には、万象いかなる存在も意味をなさず―――


その一刀の後には、切り開かれた新たな法則が天地を分かつ。


その斬撃こそが、ギルガメッシュにおける英雄の象徴というべきもの。

天地全てを蹂躙する、英雄王の誇る“暴虐”の光なのだ。


エヌマ・エリシュ
「“天地乖離す開闢の星”」


宣言される真名解放。


瞬間、世界は無に染め上げられた。










その光景を、地上に立つ者達は驚愕と共に見つめていた。


先ほど、空を掌握していたアルビオン艦隊を壊滅させた無色の光。

それとて十分に驚嘆に値する光景だったが、今度の光景はそれ以上。

誰もがその光に瞠目し、言葉を発することさえ出来ない。

ルイズの『虚無』の光を真っ先に自軍の戦意高揚のために利用してみせたマザリーニでさえ、それは例外ではなかった。


目にする光景に圧倒され、目先の戦さえ忘れて完全に麻痺する両軍。

もはや戦争などと言った状態にない二つの軍勢には、呆然自失とした沈黙のみが流れていた。


そんな沈黙の中で、皆と同じく呆然としていたアンリエッタが、初めて口を開いた。


「空が・・・割れてる」


見上げる蒼穹を突き進む、一筋の極光。

走られた光の軌跡により、空の蒼色が別の色に染められる。

まさしく天空を斬り裂いたが如きその光景に、アンリエッタはそんな表現を口にした。










己の持ちうる全てを費やして放たれた、六乗の『サンダー・フォース』の融合たる超雷撃。

まさしく渾身の力を込めて撃ち放ったその魔法も、ギルガメッシュの極光の前には打ち勝つどころか抗うことさえ許されなかった。

いかなるメイジにも勝るであろうハルケギニア最強のいかづちも、かつて天と地を分け世界の創生を為した螺旋の斬撃の前には無にも等しい。


絶対的破滅である光の渦が、ワルドを包む。

もはや分身が六人いようと、百人いようと関係はない。

英雄王の誇る『乖離剣』の一刀が斬り裂くのは、ただの敵に限らない。

その斬撃の前には万象一切の存在を許されず、ひとしく灰塵と帰するが定めである。


荒れ狂う螺旋の旋風が、ワルドの存在を無へと返していく。

自らの喪失を悟り、散り逝くワルドが感じるのは、恐怖でも怒りでもなく、ただ穏やかな充足のみ。

死を目前に控え、増大した力に呑み込まれて崩壊していたワルドの理性も再び正気を取り戻していた。


これまでの人生が、走馬灯となって甦る。

ひたすらに、ただひたすらに強さを求めて駆け抜けていったジャン・ジャック・ワルドという人間の人生。

その中でワルドの人生の基点となっている、強さに執着する起源の記憶。

存在の脆さを悟り、揺るがぬ強さを求めることになった始まりの時が目に浮かぶ。


この世界は弱く、そして脆い。


絶対だと思っていたもの、大切にしてきたもの、変わらないと信じていたもの、人は誰しも他にそんな幻想を見る。

だがそんなものは所詮幻想、真実などではない。

絶対だったものはあっさりと崩れ去り、大切なものは壊されて、信じたものには容易く裏切られる。

血筋も名誉も信頼も、この世で確かと思えるものは、すべては偽物に過ぎない。

そんなものに、彼はこれまで一片たりとも価値を見出したりはしなかった。


だから、強さを求めた。

決して揺らぐことのない、絶対の強さ、本物の存在を。


そして辿り着いた。

自分が求める理想、それを現実として具現させる絶対の存在に。


消滅の中、永遠のように感じられる一瞬の内で、ワルドは破滅の光の先におわす黄金の王へと目を向ける。

己が見出した絶対の存在、その理想を瞼に映して、ワルドは消えいく自らの手を延ばした。


届かない。

どれほど手を延ばしても、その地点には到底たどり着けない。

あろうことか天地さえも両断する力とは、彼の王は一体どこまで逸脱した存在なのか。


だが、仰ぎ見ることは出来た。

手が理想を掴むことはなくとも、理想に向けて手を延ばすことは出来た。

ほんの僅かでも理想に近づき、競い合うことが出来たのだ。


その結末は、敗北ではあったけれど。

しかしあっさり辿り着けていたのなら、それはそれできっと失望を覚えていただろう。

いかなる存在にも揺るがされない絶対不偏の強さこそが、ワルドの目指した理想なのだから。


だから、きっとこれは正しい結末。

自分が見出した理想の体現者は、理想に違わず真実無敵であったのだから。


(―――ああ、母さん)


残された最後の思考で、ワルドは首にかけられたペンダントの中に映る人物に思いを馳せる。

銀製のロケットが付けられたペンダント、その中の肖像画に描かれるのは彼の母の姿。

強さを求める、彼の人生の始まりとも言える人物である。


もはや現在に意味を為さない遥か過去の事であれど、それはワルドにとってまぎれもない原点。

今なお色褪せることのないその思い出を抱いて、ワルドは微笑んだ。


(俺は―――満足だ)


心に在るのは、僅かばかりの無念と、多数を占める充実感。

そんな満ち足りた心のままに、ワルドの存在は光の渦に消えていった。










ルイズの放った『虚無』の魔法により、艦隊戦力のすべてを失ったアルビオン軍。

そしてその直後に放たれたギルガメッシュによる『乖離剣』の一撃。

戦力を失い、二つの超常現象に完全に心を挫かれたアルビオン軍は、突撃してくるトリステイン軍に対しまともな抵抗すら出来ず次々と潰走していく。

タルブの草原に陣を張っていたアルビオン軍は、トリステイン軍の攻撃を前に間もなく降伏した。


タルブの一帯を制圧していたアルビオン軍がいなくなり、森の中から現地の住人達が現れてくる。

戦争に巻き込まれるのを恐れた村人たちは、森に隠れて難を逃れたのだ。

その中には、ギルガメッシュの侍女であるシエスタの姿もあった。


これより長きに渡り続いていくトリステインと空の大国アルビオンとの戦争。


その初戦たる戦いは、誰もが予想しえなかった小国トリステインの勝利に終わった―――






[2589] [18]王の光(解析編)
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/08/17 05:10





[18]王の光(解析編)










ルイズが魔法学院に戻ったのは、すでに日が落ちた頃だった。


ヴィマーナに乗ったルイズは、これ以上衆目に目立つことを避けてすぐに戦場を後にした。

その後すぐに行ったのは、輝舟の本来の持ち主であるギルガメッシュの姿を探すことだった。


だがいくら探せど、ギルガメッシュは見つからない。

あの異様な雰囲気を醸し出していたワルドと相対し、その後で何が起こったのか。

まさか敗北したとは思わないが、時間の経過と共にその考えも僅かに揺らぎ始める。


捜索は日が落ちるまで続いたが、結局ギルガメッシュのことは見つけられなかった。

やむをえずルイズは捜索を打ち切り、魔法学院へと帰還した。

あまりに目立ち過ぎるヴィマーナは、とりあえず近隣の森へと着陸させた。

そう長くはもたないだろうが、少しの間くらいなら見つからずに済むだろう。


様々な事が起こりすぎてクタクタとなった身体を引きずりながら、ルイズは自室へと戻る。

圧し掛かる疲労と睡魔と戦いながら、ルイズは部屋の扉を開けた。


「戻ったか、ルイズ」


そしてその中にいた者の姿を見た途端、懐いていた眠気が一気に吹き飛んだ。


「ギ、ギルガメッシュ!アンタ、無事だったの!?」


「当然だ、たわけ。たかが雑種風情に、この我をどうにか出来ると思ったか」


「だって、いくら探してもどこにもいなかったし・・・ひょっとしたらって思うじゃない」


「ここに居ればいずれお前が戻ってくるのは分かっていたからな。わざわざ探してやる手間をかけるまでもなかろう」


あれだけ苦労して探していた自分に向かってこの物言い。

さすがにカチンときて反論しようとするが、その前にいつもとは様子が違っているのに気が付く。


椅子に腰かけるギルガメッシュの前には、一揃いの酒器が並べられている。

だがそれは一人分だけではなく、もう一人の同席者の分も用意されていた。


「いつまで突っ立っている?さっさと席につけ。今日は久々に気分がよいのだ。お前も我が酒盛りに付き合うがいい」


促され、ルイズはやや躊躇いがちにギルガメッシュの向かいの席に着く。

するとルイズの前の杯に、ギルガメッシュ自らの手で芳醇な香りを漂わす名酒が注がれた。


「王が振る舞う酒だ。身に余る光栄を噛みしめながら、畏れ多くも味わうがいい」


黄金の杯に注がれた酒をルイズはしばし怪訝そうな眼差しで見つめてから、喉に流し込んだ。


その味は、まさしく極上。

少々陳腐とも取れる形容だが、それ以外にこの格別の味を表現する言葉が見つからない。

味覚を通じて猛烈な快感が脳にもたらされ、あまりの刺激に他の感覚が麻痺する。

あれほど全身に圧し掛かっていた疲労感も、喉を貫く清涼感が丸ごと飲み込んで、後に残ったのは全身を癒す幸福感のみ。

まるでこの世の桃源郷に居るかのような感覚をルイズは味わった。


「どうだ?天にも上る心地だろう。なにしろこれは、かつて差し出された一杯を奪いあい、者共が醜悪な殺し合いを演じて見せたという神の手による魔性の酒だからな」


「・・・なんか、そういう事聞くと、複雑な気持ちになるんだけど・・・」


冷や汗を一筋流して、ルイズはコメントした。


「でも、いきなりどうしたの?いつもは私がどんなに言っても、全然分けてくれたりしないのに」


「なに、大したことではない。今日のお前は、なかなかに我を楽しませた。これはその褒美だ」


上機嫌に杯を傾けながら、ギルガメッシュは言った。


「今日という日は実に愉快であった。物珍しい現象には立ち会い、それなりの闘争も味わえた。ここまで興が乗った日は、このハルケギニアの地に来て以来初めてだろう。

この酒盛りは、いうなればその締め。お前も今日という日の立役者だからな、今宵くらいは許可してやる。この我の酒盛りの席に同席出来る事に歓喜するがいい」


機嫌よく笑みを浮かべたままに、ギルガメッシュは杯の酒を呷っていく。


それに倣うように、ルイズもまた受け取った酒の杯をちびちびと傾ける。


「どうした?我が美酒を前に、随分と勢いがないではないか。酒盛りの席、注がれた杯を空にせぬとは、礼に反するぞ」


指摘を受けて、ルイズの動きが止まる。

まだ半分ほど残っている杯を手にしながら、気まずそうに視線を泳がせる。


「・・・ワルドのことか?」


その通りだった。

ギルガメッシュはすでに過ぎた事と全く気にもとめていないが、ルイズのほうはそうではない。

あれほどの異様を見せられて、そのまま配慮から外すことなど出来るはずがなかった。


その強烈すぎる印象のせいで、どれほど美味なる酒にも、完全に意識を向けることが出来ない。

ずっと胸に懐いている疑問を、ルイズは口にした。


「・・・ワルドは、どうなったの?」


「滅ぼした。今度こそ間違いなく、跡形も残さずにな。復活することは二度とない」


「・・・あのワルドは普通じゃなかったわ。姿形は変わっていなかったけど、とても人のようには見えなかった。ねぇ、教えて。一体ワルドに、何が起こったの?」


ルイズの疑問に、ギルガメッシュはすぐには答えず、空となった己の杯に新たな酒を手酌で注ぎ込む。

そうして注いだ新たな酒を一口呷ってから、ようやくその口を再び開いた。


「・・・悪魔憑き、という症例がある」


悪魔憑き。


元の世界において、人間に取り憑く人間ではない『何か』、それによる精神の内面から崩壊させてゆく現象のことをそう呼ぶ。

その症状は地域によっても様々に分岐し、あまりに広義に渡るため系統化はできないが、大概は『悪魔』と呼ばれる概念によって発生する。

悪魔は人知の及ばぬ理由・基準のもとに善良な人間に取り憑き、健全な肉体を温床として症状を引き起こす。


取り憑かれた人間は、初期症状において精神を病み、理性の鎧の崩壊によって倫理、信仰の観念を否定し、周囲の者を脅かす。

更に症状が進めば取り憑いたモノがカタチの無い己を人体で再現しようと試み、肉体面にも変化をもたらす。

その変化は常外の人体運営から始まり、果てには肉体構造そのものを変質させる段階まである。

またその変質は、取り憑いたモノの階級によって定められ、それが強い魔であるほど人からかけ離れた変貌を遂げるのだ。

大抵の場合はこの異形への変貌に肉体そのものが耐えきれず自滅するものの、稀に耐えきり自己の形体を変化させながら生き延びる異端も存在する。


それが最も標準的な、悪魔憑きと呼ばれる現象の症状だ。


「どうもこの世界では『悪魔』という言葉は、単なる抽象的表現に成り下がっているようだが、我が治めた地において、それは確かに存在した。人に取り憑き、人に変質をもたらす実像幻想。それが取り憑いた時の状態に、あのワルドはよく似ていた」


「じゃあ、ワルドはその悪魔に取り憑かれて、あんなになってしまったの?」


「いや。似てはいるが、あれは我の知る悪魔とは別物だ。症状は酷似していても、本質がまるで違う」


ルイズの問いかけに否定を以て答えてから、更に解答の言葉を続けた。


「悪魔が人に取り憑く基準は、結果はどうあれその本質は宿主の苦悩の除去にある。精神を束縛する理性や道徳といった鎖を解き放つことで、苦痛の源泉そのものを消し去るのだ。穿った見方をすれば、人の味方とも言えなくもない。

だが、ワルドのあれは違う。何かよくないモノに憑かれているのは確かだが、あれは除去などという類のものではない。むしろ、純化というべきか」


「純化?」


「本来人の欲望には、明確な優先順位などはない。欲望などというものは、時と状況によっていくらでも現れて変化する。一つの欲を果たせば、次は異なる欲望を。ふとした気まぐれが訪れれば、懐いた欲の質そのものが変換される場合もある。汲み出していけば、そこに際限などありはせん。

だが、奴の欲はたったひとつだ。たったひとつの欲求、その達成のみを悲願として躍進する。仮にその欲求を達成したとしても、また同じ欲求を懐き、それを繰り返す。要は、物事の順序が逆なのだ。本来欲望とは、目的があるが故に発生するものだというのに、奴の場合は欲望のために目的を作り出す。

そうして統一し特化された思考の方向性が、道徳などといった他の感情を振り払って置き去りにする。結果として悪魔憑きのように、精神に破綻をきたした存在が生み出されるというわけだ」


「はぁ・・・。けど、よくそんなことまで分かったわね。アンタだって、あんなの見たのは初めてだったんでしょ?」


話の途中、ふと思った疑問を、ルイズは口にした。


「印象だ。奴と正面より相対した時、奴の存在にそのような気配を感じた」


「印象って・・・、そんな曖昧な・・・」


「たわけ。雑種共ならばいざしらず、この世の財貨と業欲のすべてを極めつくした王の心眼だぞ。その眼力が、物の本質に届かぬはずがあるまい。

それに、奴の症状が我の知る悪魔憑きと異なる根拠は他にもある。そもそも人の肉体で再現された魔なぞ、たかが知れているのだ。真性ならばいざ知らず、ロクな名すら持たぬ駄作風情が、この我に対抗など出来るはずがないだろう」


全く物怖じすることなく、不遜にギルガメッシュは断言する。

相変わらずの傲慢なる物言いに、ルイズは呆れだか感心だかの感情を込めて溜め息をついた。


「それじゃあ、結局ワルドに憑いてたのは一体何だったのよ?アンタの言う悪魔とは違うんでしょ?」


「さあな。そこまでは知らん。所詮、印象は印象でしかない。大まかな性質くらいならば見て取ることもできようが、深く掘り下げた考察には至らん」


ルイズの期待を裏切るように、にべもなくギルガメッシュは答える。

少々残念そうに肩を落とすルイズだったが、そこでギルガメッシュは何やら意味深な声音で次の言葉を紡いだ。


「・・・だが、可能性の話をするならば、あれこそ魔術とは異なる、この世界の魔法より生み出された産物だと我は睨んでいる」


「?どういうこと?魔術って、確かアンタがいた世界の魔法のことよね。ハルケギニアの魔法とは、何か違うの?」


ギルガメッシュは異界からの来訪者であることは、すでにルイズも認知している。

そしてその世界には、魔術と呼ばれるハルケギニアとは異なる魔法があるとも聞き及んでいる。


とはいえ、所詮は異世界のことだ。

ルイズにとってはさして関係のあることではなく、これまでは特に深く詳細についてまでは聞こうとはしていなかった。


「よかろう。今日の褒美だ。良い機会でもあるし、少々講義をしてやろう」


グラスの酒で喉を潤して、ギルガメッシュは語り出した。


「このハルケギニアの、異界独自の魔法体系があると聞き、我も少々興味を引かれてな。片手間程度だが、調べてみた。始めはせいぜい、大陸間での術式の違い程度にしか考えていなかったが、すぐにこの世界の魔法とやらが我が知る魔術とは、根本の本質が異なることに気が付いた」


そういえばと、ルイズは思い出す。


この世界に召喚されてから、始めの頃はギルガメッシュもルイズの受ける魔法の授業に参加していた。

しかしそれも僅かな期間のみで、飽きたといってそれ以降は一切顔を見せていなかった。

人づてに聞いた話によると、どうやらその間は図書館に足を運んでいたらしい。


恐らくその時に、それもハルケギニアの魔法について調べていたのだろう。


「貴族の血筋のみに限定された素質の遺伝。これは特に疑問に思うことはない。元より魔道とは理外の法則。本来の人間の生体には必要のない機能だ。条理ではない異端の機能の、血統による後継はおかしい事ではないし、むしろ常道とさえいえる。

だが、それにも不可解な点が残るのだ。貴族の血と平民の血、異なる血筋を持った二存在は、しかし我の見立てでは肉体にさしたる構造の差異が見受けられん」


「差異って、そんなの当たり前じゃない。メイジも平民も、同じ人間であることは変わらないのよ。そんな目に見えて分かるような違いなんて、あるはずないじゃない」


「阿呆。我が言っているのは、内部での話だ。基本構造そのものは同じでも、異端が混じればそこには異臭が生まれる。魔術回路などという異端機能、この我が見抜けぬものか。

にも関わらず、お前達がメイジと呼ぶ人種の肉体に、異臭は感じられん。魔術回路が無いにしても、それに準ずる異端ならば存在するだろうと、我は踏んでいたのだが」


「・・・つまり、魔法が使える者と使えない者とで、何か身体に違いがないとおかしいってこと?」


魔術を構成するために魔術師が体内に持つ疑似神経、魔術回路。

魔力を精製し、人が使える形へと変換する、魔術というシステムを動かすためのパイプライン。

この魔術回路があるからこそ魔術師は魔術師足り得るのであり、この回路の有無こそが人間と魔術師の最も決定的な差異である。


だがこの世界の魔術師、すなわちメイジには、そういった魔術回路にあたる機能が無いという。

肉体的には同質であるにも関わらず、何故魔法が使える者とそうでない者に分かれるのか。


「そうだ。魔法が選定された血筋の力である以上、両者間の差異は必ず存在する。だが現実には、そんな差異は貴様らには見受けられん。これでは道理に合わん」


「う~ん。でもそれって、あくまでアンタの世界での常識でしょ。このハルケギニアでは、適用されないんじゃないかしら」


「我もそれは全く考えなかったわけではない。だが、この世界に存在する物理法則は、我の知る世界と大差ない。ここまでの類似を見せる世界が、原初から我の知る世界と異なるとは考えにくい。もし本当に原初から異なれば、根本を外れる我は世界を認識することすら敵うまい。恐らくは細部に脚色が施された、可能性のひとつたる世界なのだろう。

そんな世界で、我が知る法則を根本より覆す不条理がまかり通っているとは思えん。仮にあったとしても、そこには理を以て解析できる何らかのカラクリが存在する」


「カラクリねぇ・・・。そんなこと言われても、証明なんて出来っこないと思うんだけど・・・」


「確かに、現実に証拠を提示することはできん。だが、不条理を解き明かす推論ならば立てられた。確固たる実証は不可能だが、法則の矛盾を解き明かせば、この理論へと辿り着く」


長話で渇いた喉を、ギルガメッシュは手にする杯の酒を呷って潤す。

空になった杯を置いて、腰かける椅子に身を預けながら、今度はルイズに対して問いを投げかけた。


「ルイズよ。魔法における、基本となる理論を言ってみろ」


「な、なによ、急に?」


「いいから言え。こういうことは当事者に語らせるのが一番だ」


「・・・魔法とは、『火』『水』『風』『土』、そして『虚無』の五つの属性を基本として、個人の精神力を糧に世界の“理”に干渉し、変換した事象を具現化する技術の体系よ。個人の意思にはそれぞれ属性があって、その属性を中心として魔法を行使する。四の属性を組み合わせることで、更に混在した事象を引き起こすことも可能。貴族のみに与えられた、権威の象徴。それが魔法よ」


教科書通りの、もっとも一般的に知られる魔法に対する考察をルイズは口にする。

それは簡単な概略であったが、とりあえずこの場で話す内容としては十分だろう。


「まあ、そんなところか。術者の精神、思考の中で想像されたイメージを投影し、想定された事象を引き起こす。そして術の発動に従い、消費されるのは術者の精神力。そうだな?」


「ええ。そうよ」


確かめるように問いかけてきたギルガメッシュに、ルイズは迷うことなく頷いて応えてみせる。


「だがな、ルイズ。常識に縛られたお前に理解を促すため、この際はっきり言ってやろう。精神などという曖昧な存在が、物理に対して何らかの干渉力となるなど、絶対にあり得ぬ」


そんなルイズに、ギルガメッシュは前言の否定を静かに断言した。


「我が世界における精神の概念、第三要素とは魂と肉体を繋ぐものでしかない。存在すら不確かな、形なき霊子。そんなものに物理の力を与えるなど、それはもはや真なる奇跡の領分。原初に通じる御業の顕現に他ならぬ。

意思の力など、それだけでは何の力も持たぬ感情に過ぎん。そんなものが現象の根本をなすなど、いかに異界といえど在り得るはずがない」


「えーと・・・、よく分かんない・・・」


前記した通り、ギルガメッシュの論はあくまで彼の世界で定義される理論だ。

異世界の者であるルイズにとっては、常識から抜け落ちている難解複雑極まる論理。

すぐ聞いて、それですべてを理解できるほどの卓越した頭脳を、残念ながらルイズは持っていない。


「ではお前にとっても身近なところから話をしてやろう。『錬金』、という魔法があるだろう。それを行使する時、必要となる過程はなんだ?」


「・・・私、『錬金』って成功させたことがないんだけど・・・」


「一般論でよい。例えば教師共は、その魔法を教える時に何と言っていた?」


「・・・錬金したい金属を、強く心の中に思い浮かべること。『錬金』をかける対象が、目的の物質と近いものであればあるほど、その成功率は増す」


「そう。物体の組成を組み換え、全く異なる物質へと変換する技法。だというのに、それに必要なのは僅かばかりの魔力と精神力、そしてイメージのみ。大した苦痛も疲労すらもなく、求められるのはこれだけだ。

ククク、なんだこれは・・・?なんとも羨ましい限りの対価ではないか。我の知る魔術で同じことをすれば、どれほどの労力が費やされるのか」


そんなことは、ルイズにとって考えたこともないことであった。


ルイズにとって『錬金』とは、まさに“そういうもの”であり、疑問に懐いたことなど一度もない。

『土』系統の基礎ということもあり、常識の知識として当然のように受け入れていたのだ。


「これは『錬金』のみに限らず、他の魔法にも言える。この世界の魔法は、総じて代償とするものが少なすぎる。常識より乖離した現象を引き起こすというのに、血肉を削るわけでも、命をすり減らすわけでもない。失うのは精神力などという、意味も定かではない曖昧な定義の力のみ。おまけにそれすらも睡眠を取れば容易く復活する。何とも気前よく、術者にお優しい神秘よな。

魔道の原則とは等価交換、犠牲を賭しての奇跡への挑戦だ。己が人生を賭け、その結末の無残な死すらも容認して万進する。事実、魔術師どもの論理には死を観念とすることから始まる、などというたわけた格言すらあるほどだからな。

そうして世代を重ね、様々な苦痛や死の危険を乗り越えて、ようやく手に出来るのが魔術というものだ。断じてたかが数年の歳月と素養のみで、誰でも容易く身に付けられる力ではない」


「けどそれは、要するに私達の魔法がアンタ達の魔術よりも優れてるってことじゃないの?始祖ブリミルは、犠牲を生み出す事無く行使できる術を、私達に授けてくれたってことで・・・」


「確かにその点は利点だろう。だが実際のところで言えば、お前たちの魔法は大したことがない」


決して貶めるのではなく、真剣な表情でギルガメッシュは言葉を紡いだ。


「我が生きた時代、この世に存在する魔術師は数えられるほどしかいなかった。だがそれ故に、奴らは神秘の本質を独占し、人を大きく超えた力を有していた。魔術師の全てが奇跡の体現者である魔法使いであり、統一言語を駆使して事象を支配する奴らは、人間の畏敬を一身に受ける存在であった。無論、この我から見れば所詮一個の雑種に過ぎんが」


「魔術師に魔法使い・・・?統一言語・・・?なんだか意味不明な単語が多すぎて、よく呑み込めないんだけど・・・」


「そこは適当に聞き流せ。どのみち異界のお前には関係のない話だ。そうした神代の魔法使いに比べれば、お前たちメイジなど足元にも及ばぬ。例え燃費の良さで勝っても、そもそも引き起こす現象の規模が違い過ぎる」


ルイズは不快に顔を顰めた。


ギルガメッシュとしては、特にこちらを侮辱する意図があっての言ではないのだろう。

しかしここまではっきりと自分達の魔法が下だと格付けされるのは、行使手たるメイジの一人として愉快な話ではない。


「とはいえ所詮、魔術とは根源から根を散らした、過去への逆行を本質とする事象に過ぎん。神どもに言葉を崩され、全盛の力を失った魔術師どもは、時代の進みと共に血を散乱し、衰えていくだろう。文明は未来へ進み、魔術は過去に遡る。その結末は自明の理であろうに、なおも過去に執着する救いようのない愚か者。それが魔術師という群れの本質、まったくもってつまらぬ連中だ。

そういう意味では、この世界の魔法のほうが遥かに優れているとも言える。ここの魔法は、時代の流れと相反しない。それどころか人の発展に際し、その助けとなっている。純粋に人にとっての利益となるかという点において、ここの魔法は魔術など比べ物にもならん。・・・そういう所も、実に人間にお優しい神秘よな」


皮肉気に嘯いて、ギルガメッシュは肩を竦める。

称賛を口にしながら、そこに魔法に対する敬意の感情は微塵も見受けられない。


「話が逸れたな。魔道の原則たる等価交換、その法則を覆すこの世界の魔法理論。その解明についての考察に戻るとしよう。

魔術には、構成するために必要となる二種類の基盤が存在する。ひとつは魔術回路。自己の内に刻まれた、生命力を魔力に変換するための路だ。だがこれは、先に述べた通り、同義にあたる機能がお前達に存在しないため意味を為さぬ。

もう一つは肉体ではなく、世界そのものに刻み込まれた理論。魔術を魔術という事象の形を為すための、世界に定められた法則。これを、魔術基盤と呼ぶ」


「・・・単語の意味は、まだよく分からないけど。つまり魔術回路っていうのは、例えるなら火を付ける火種を作り出すもので、魔術基盤は火を燃え上がらせて形にするための暖炉ってところかしら」


「悪くない理解だ。大雑把ではあるが、まあそんな考え方でとりあえず問題はない。さて、ひとつの基盤たる魔術回路が存在しない以上、魔法の真髄とはもうひとつの基盤にこそあるということ。すなわち、世界に刻まれた魔術基盤、それと同義の役割を担う法則だ。

この理論にこそ、お前達が魔法に支払う代償の少なさを物語る秘訣があると我は考える。魔術とは通常、自己に刻まれた術式に訴えかけることを基礎とするが、これをお前達は他に求め促すことを常道とすると定義しよう。他とは、すなわち世界に刻まれた術式。事象の具現に費やされる魔力は、外界のマナより摂取する。これならばお前達自身の力を使うことがなく、故に肉体そのものに掛る負担も最少で済む」


「ちょ、ちょっと待って。今アンタは魔力って言ったけど、それってどういう意味?精神力の別称のことじゃないの?」


「違う。そこを曖昧にしてはならん。我が言う魔力とは、魔法という現象を現実に具現化するために費やされるエネルギーのことだ。精神力などではない。前言した通り、精神単体が物理に干渉など在り得ぬ。

お前達メイジは、自己の体内に内在させる魔力であるオドを持たん。いや、探せばあるいは持つ者もいるかもしれんが、どの道必要とはしていない。魔法という現象を引き起こす魔力は、あくまで大気に満ちるマナによって賄われる。

オドではなくマナを用いるという手法は、我の世界にも存在する。資質に欠ける者、より高みの大儀礼に挑戦する魔術師は、足りぬ魔力を自身ではなく自然より持ってくる。個人のみが所有するオドと、自然界に満ちるマナとでは、そもそもの総量が違うからな。もっとも我の知る手法では、魔力と異なるまた別の代価を要求されるのだが。

必要とする魔力をマナに依存するが故、お前達は魔術回路を持たずして、魔法を行使することが出来る。では、精神力とは?お前達は魔法を使用する時、この精神力を消費するという。だが精神が単体で、物理に干渉するなどということはない。つまり、この精神力とは魔法という現象については全くの無関係。この消費された精神力には、別の役割がある。

先ほど話したマナ、その役割は魔法という現象を具現させるために費やされるエネルギー。だがエネルギーは、あくまでエネルギーでしかない。原料を揃えたとしても、魔法の起動を促す指令がなければ何の意味もない。では、その指令を基盤へと伝えることが、消費される精神力の役割と考えられる。

要は、まさしく意思の力であったというわけだ。意思によって想像された現象を、受け取った世界の基盤が具現化する。要求する現象を、より強く心に想像することによって、世界に刻まれた基盤に送る指令を強固なものとする。お前達が精神力と呼ぶ力とは、基盤へと伝える想念の強さだ」


饒舌に語られていくギルガメッシュの魔法への考察。

絶対の自信を以て語られる言葉は、一種の流れを伴って淀みなく紡がれていく。


だがそれを聞く当のルイズには、実の所その内容の半分程度も把握しきれてはいなかった。


「つまり、私達が思い浮かべるイメージが、その魔術基盤ってところに送られて、その基盤っていうのが、実際に魔法を呼び起しているってこと?」


それでも何とか理解できた内容を、ルイズは尋ねてみた。


「そうだ。イメージが魔法を構成するのではない。イメージとはあくまで、魔法という事象を引き起こすための呼び水に過ぎん。そも、人間の抱くイメージなどは綻びだらけだ。そんな不確かなものが、現世に形を伴い作用する法則を為すなどあり得ぬ」


「うーん・・・。でも、それって結局は推論なんでしょ。筋は通っているのかもしれないけど、やっぱり肉体の差異の話とか、目で理解できないものを言われても実感が沸かないわ」


ギルガメッシュの言葉は、なるほど理はあるのかもしれないが、所詮憶測の域を出ていない。

この世界の人間における、魔術回路の有無の問題とて、ほとんど彼の印象による定義でしかない。

そもそもその魔術回路からして、この世界にはない概念である。

本当に人体を解体して得られた検証データという訳ではなく、説得力など本来ありはしないのだ。

ただギルガメッシュが、それをさも本当であるかのように語っているから、それらしく見えているに過ぎない。


人は、自らが実感しなければ真に理解することはない。

印象のみで定義するギルガメッシュの言葉では、ルイズは納得しきれなかった。


「そうだな。では、我の論理を裏付ける、もうひとつの要因について話してやる。お前達にとっても、実に身近なことで理解しやすかろう」


「要因?」


「・・・なぁ、ルイズよ。なぜお前達メイジは、杖を必要とするのだ?」


ゆっくりと深淵に問いかけられて、ルイズは思わず懐にしまっている自らの杖に手をやった。

その手に触れる杖の感触が、なぜだかいつもより不確かなものに思えた。


「もし魔法の基点を肉体におくならば、なぜ杖などという外的要因を必要とする?我が知る限り杖とは、魔術師どもが用いる礼装の一種。せいぜい魔道の補助を司る、増幅器程度の役割でしかなかった。

だというのにこの世界では、魔法という法則に組み込まれる要素のひとつと化している。杖によって増幅させるのではなく、杖なくしては使えない。この二つの意味合いは大きく異なる」


メイジにとって杖とは、まさしく自らの血肉の一部と呼んでも過言ではない。

人が歩くのに足を使うことを疑問になど思わないように、杖を持って魔法を行使することを誰も疑問に思ったりはしない。

メイジと杖は共に常に在り、それはこの世界の常識であり真理として万人に受け入れられていた。


故に、『錬金』の時と同じように、そんなことに疑惑を向けたことなどルイズは無かった。


「精神の中枢は脳髄だ。そこに納められた記憶の全てが意思を形取り、魂を繋ぎとめる核を為している。恐らく肉体にはないメイジであるための機能も、ここに収められているのだろう。さすがの我も、人格の中枢を見分のみでは把握し切れんからな。

だが、ただでさえ脳とは脆く複雑な器官だ。あまり条理より外れ過ぎた機能を付属させれば、本来の機能そのものに支障をきたす恐れがある。だからこそ、魔法を使えぬ者との差異も最少までに留められているのだろう。

ならば、その機能の脆弱さを補うのが杖とすればよい。脳より発せられる意思の波長、それを杖が発信し、世界に刻まれた魔術基盤へと伝達する。これならば脳に強いる変化も最小限に済み、杖なくしては魔法が使えないという事実にも説明がつく。

魔法の源泉は脳髄にあり、杖は発せられた命令を基盤へと伝える伝達器。魔法に肉体は必要なく、呪文は記憶の内に秘められた魔法のイメージを、伝えるべき基盤の機能へと繋げる儀式。これらの要因により、あらかじめ世界に定められた法則を、現世へと発現させる。

―――これが、我がこの世界の魔法に下した法則の推論だ」


自身の理論を締めくくり、ギルガメッシュは長い話を一度そこで区切った。


余談ではあるが、あるメイジは自らの脳髄を、ハルケギニアに古くから住まう魔物ミノタウロスへと移植するという驚くべき行いを成功させている。

その結果、魔法が使えぬ種族のはずのミノタウロスが、メイジの魔法が使えるようになったのだ。

それはすなわち、魔法が肉体ではなく、脳にこそ由来するということが証明されたのである。


そのことはギルガメッシュもより知らぬ事実であったが、図らずも彼の説をより強固に裏付ける結果となった。


「世界の法則を四の属性によって計略化し、定義された現象を形と為す。恐らくそれが、この世界に刻まれた基盤の機能。基本たる四属性も、全の理を示す簡略な属性定義であるしな。『虚無』は、より原初に近い地点にある、掘り下げた法則といったところか。

より複数の属性にて組み合わされるほど、現象の定義は確固たるものとなる。そして定義が確かならば、発現する現象もまた綻びなき強力なものとなるわけだ。通常、メイジ個人が四の属性複合までが限界としているのは、この辺りが人間の脳髄が描ける限界点であるからだろう。肉体と違い、脳という器官は先天的にも後天的にも、付属が付けにくい。

ではこの定義された現象を具現化させる、この事象の本質とは何か。『錬金』などといった呪文の、過程に見せる逸脱性。単純な自然干渉ではない、より高次の試み。それは恐らく、『事実の変換』だ」


「事実の変換?」


「そうだな、仮に、石を水に変える現象と、黄金に変える現象を想定してみろ。このどちらも、本来の成分を無視して物質を新生させる試み。術後の物質の成分が違うだけで、その行為の本質には何の変りもない。

だが現実として、難易度として水よりも黄金の方がはるかに勝る。どちらも行為そのものは同じだというのに、こうも難度に差が出るのは、この世界の魔法が過程ではなく結果こそを重視するからに他ならん。

『錬金』の結果、石が水に変化したとする。すなわち、世界の『石だった』という事実が、『水だった』という事実へと置き換えられたのだ。だがその結果として、世界に対し何らかの影響がもたらされたかと言えば、そうではない。元より石も水も、世界には多数存在する。それがいくつか入れ替わったところで、総体として見た世界には何ら変化などない。

だが、黄金は違う。黄金とは、元々が希少な価値を有する物質だ。多数存在する石が、少数の黄金に入れ替われば、その影響は大きいものとなる。つまり魔法における呪文の難度とは、結果もたらされる世界への影響の大きさによって決まる。

より性質の近い物質の方が成功率が高いのは、この世界のへの影響力がより少なく済むからだろう。同質の存在ならば、置き換えたところで世界にさしたる変化はない。対象をよく知ることで精度が増すのは、伝達するイメージもまた強くなるが故に。理解が想像を強固とするのは、言うまでもない」


「けど・・・、それだと他の属性はどうなるの?確かに『土』の属性にはその論理が当てはまるかもしれないけれど、例えば『水』の属性は、空気中の水分を魔法に利用するわ。もし空間から水分が消え去れば、例えメイジといえど水を使った魔法は使うことが出来ないのよ。これって、要するに自然そのものの変換じゃないかしら」


「我が言った『事実の変換』とは、根本の原理だ。そこよりの派生であるならば、後は応用にて考えればよい。もしその魔法の使用に、大気に存在する物質を一切用いずに現象を再現したとすれば、それは無より有を生み出した事になる。例えどれほど些細な事象であろうとも、存在しえなかった箇所に存在を割り込ませることは、世界の矛盾を広げることになる。

例えば世界を、内包する質量により飽和した状態にある器だと仮定してみろ。そこに新たな物を追加する時、器に内包されたものを取り出してから空いた部分に加えることと、器の中に強引に押し込めること。どちらがより負担が大きいかは、考えるまでもあるまい。

要は等価交換の原則だ。『錬金』において、何であれ置き換えるべき物質が求められるように、現象の具現化には対価としての事象が必要とされる。矛盾となる万能は、世界にとって害毒でしかない。現物ではなく、異なる事象を以て現象の対価となすのが、この世界の魔法における等価交換の原則なのだろう。

ただでさえメイジ全てが同様の基盤を用いて魔法を行使しているのだ。発生する歪みは少ないに越したことはない。最初から万人より用いられることを前提とした法則であるのなら、総体のバランスを整えるため、その程度の機能は組み込まれていよう。

その法則を組み立て、万人に振舞われる奇跡の形としたのが、お前達が始祖と呼ぶ者なのだろう。もっとも、そいつが基盤を構築したのか、それとも元より存在した基盤を偶然に発見したのかは知らぬがな」


ルイズの反論も、ギルガメッシュの論理を崩すには至らない。

いかなる反論も論破して、自らの論理をより強固なものと化していく。

その揺るがぬ論理の前に、ルイズは反論となる言葉を失っていった。


「そう、バランスだ。この世界では、力の均衡は絶妙なまでに保たれている。内に訴えかけることをせず、ひたすらに外に呼びかけ促すことを是とするが故に、法則ある限り力の均衡が崩れることがない。その均衡は、逸脱者の発生を抑制し、守護者の存在を不要としている」


「守護者って・・・何?」


「守護者とは、霊長という種の存亡を、あるいは世界の危機となる要因を排除する抑止力。世界と契約することで、その隷属下でのみ条理を超えた力を振るう世界の奴隷だ。奴らには自由も終焉もなく、契約したが最後、永遠に世界の救済のために利用され続ける。

だがそれも、そのような力が必要となる敵対者の存在が無ければ、その役割に意味はない。奴らの役割は、あくまで世界にとっての敵を排除すること。敵となる対象がなければ、その存在はかえって世界を歪ます害にしかならん。

この世界には、そうした役割を担う存在は無いようだ。抑止力そのものはあるのだろうが、そこに絶対の力の具現である守護者は必要としていない。―――強大過ぎる力など、それに比する対抗者がいなければ無用の長物でしかないからな」


その言葉には、これまでの言動には無い虚しさが伴われている。


どこか遠くを見つめるような、憂鬱な眼差し。

この傲岸不遜の男にしては珍しい、その瞳の輝きは、ルイズの意識を強く引き付けた。


「長話が過ぎた。論点を戻すぞ。ワルドに憑いたモノについての話であったな。

話した通り。この世界の魔法とは精神の力、すなわち意思の強さに重点が置かれている。我の知る魔術とは、随分と対照的に」


ギルガメッシュが治めた世界における魔術とは、概念の戦いである。

意思の強さや理想の気高さなど何の意味もなさず、より綻びの無い秩序こそが、人為に再現される奇跡を強固なものとする。

上級の魔術同士の戦いとなれば、勝敗を決めるのは術者の強さではなく、概念の整合性となるのだ。


対して、ハルケギニアの魔法において必要とされるのは、法則の整合性などではなく純粋な意思の力である。

魔法への理解も必要ではあるが、何よりも魔法の強さを決めるのは、術者がこう在ってほしいと願う強い思い、すなわち情熱なのだ。

同格のメイジ同士の戦いにおいては、要するに最後まで心が折れなかった方が勝者となるのである。


「奇跡を求める渇望、届かせる思いの強さが、魔法の力を決定する。これほどまでに精神という概念に着目を置く魔法であるからこそ、あの変貌が為せるのやしれん。

あのワルドの変貌、その本質は精神への改竄にある。純化した方向性、肥大した欲求衝動に伴い、その負荷に耐えうるよう脳髄そのものが進化している。肉体の変化など、中枢の機能に対応可能なよう引きずられた結果に過ぎん」


「そういえば・・・、雰囲気こそ異様だったけど、姿自体は大した変化はしていなかったわね」


「必要ないのだ。元よりお前達の魔法は、肉体には依らんのだからな。肉体という器が強化されれば内包される精神にも余裕ができ、多少の向上はあるのだろうが、それとて目を見張るほどの変化ではない。より劇的な進化を求めるならば、精神の依り代である脳髄そのものに手を加えねばならん。

その変貌により、奴の脳は杖という伝達器の存在なくして、己が意思を基盤へと伝えられるようになった。複合できる属性数も常人の限界を超え、更なる高みの現象へと手を触れるに至った。あの力、恐らく死徒どもの始祖にもひけは取るまい。いうなれば、この世界でようやく誕生した超越者といったところか」


最後にワルドの力をそのように評して、ギルガメッシュは話の閉めとした。


正直に言って、ルイズにはギルガメッシュの話の全容を理解できたとは言い難い。

だがそれが、断じて無視することはできない、明確なる脅威であることは認識できた。


先日のウェールズの復活、そして今回のワルドの変貌。

さらに皇帝クロムウェルが謳い上げる、『虚無』を自称する未知なる力。

これより自分達が相対することになる『レコン・キスタ』は、未だその力は謎に包まれている。

今回は何とか勝てたが、果たして次はどうなることか。

『虚無』という、自らの真の力に目覚めた今も、底知れぬ大敵を思えば不安を覚えずにはいられなかった。


「とはいえ、明かしてしまえばそんなものだ。さして遊興の種になり得るとも思えんし、実力もせいぜい座興程度。所詮、我が執心するには至らん」


そんなルイズの不安を余所に、気の無い様子でギルガメッシュはそんな言葉を漏らす。

傍若無人なる彼の気性には結びつかないその覇気のなさは、先ほど見せた空虚と同位。


言うなればそれは、遊興が過ぎ去った後に懐くある種の虚しさ。

一度目は存分に楽しめたものも、二度三度と繰り返していけば次第に飽きてくる。

対象に娯楽性を見出せなくなったが故に懐く、無興の倦怠感だった。


「・・・ねぇ、ギルガメッシュ。アンタ、言ったわよね。対抗する者のいない力なんて無用だって」


「ん?」


「だったら、さ。アンタには、居たの?そんなアンタを楽しませるくらいの対抗者が」


唯我独尊にして、天下無双の強さを称える英雄王ギルガメッシュ。

しかしながら、その強大なる力が存分に振るえるほどの相手が、果たして世界に居るのかどうか。


いかなる逸脱した力、他を隔絶する圧倒的強さも、それに準ずる存在がいなければ意味はない。

どれほど自らの力が巨大でも、うち破るべき相手が矮小すぎては、その全容を披露するには至らない。

僅か一端の力で打倒が敵う相手ならば、力の全てを振るう機会など皆無である。


それは絶対的な強さを持つ者だけが知る、超越者の憂鬱。

生まれながらにしてその虚しさに曝されてきたギルガメッシュに、果たして対抗者と呼べるほどの者がいたのだろうか―――


「ああ、居た」


単純に、明快に、高らかに謳い上げるように、ギルガメッシュは答えた。


「今も薄れることなく思い出せる。奴こそは我にとって最大の宿敵であり―――」


記憶の果てに映るその男を語るギルガメッシュの表情は、先ほどまでの退屈に満ちた表情が嘘のように晴れ渡っている。

彼が脳裏に描きだすその男のことは、英雄王にとってそれほどまでに重大な価値を持つ。


「いや、これ以上は言うまい。これより先の言葉は、雑種如きに拝聴させるには惜しいものだ」


記憶の中の憧憬を、陳腐な表現に貶すことを良しとせず、ギルガメッシュは言葉を途切る。

しかしながらあの男を表すために、必要な言葉は唯一つしか思い浮かばない。


天上天下唯我独尊たる英雄王の人生において、唯一彼が好敵手と認めた一人の男。

この自分に初めて立ち塞がり、王の所有する力の全てに真っ向から反抗してきた対抗者。


その男こそは、英雄王ギルガメッシュの最大の宿敵にして―――最愛の友であった。






[2589] [19]王の休日
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/09/03 16:46





[19]王の休日










「はぁ・・・」


トリステインの中枢たる、王都トリスタニア。

その中心に君臨する王宮を後にして、ルイズは緊張を解いて息をついた。


「戻ったか、ルイズ」


正門近くのベンチに腰かけながら、同行せずに待機していたギルガメッシュが声をかけてくる。


タルブにて収めたアルビオン軍との勝利の後、王女アンリエッタはすぐに戴冠式を行い、名実ともに女王の称号を得た。

不可侵条約を無視して侵攻してきたアルビオン軍を、奇跡の勝利にて打ち破ったアンリエッタの人気は、いまや絶頂である。

人々は彼女を『聖女』と称え、その権威はもはや政略結婚など必要としなくなった。

また、同様にアルビオンの脅威に曝されているゲルマニアとしても、単独でアルビオン軍と渡り合ったトリステインとの同盟を破棄できるはずがない。


乗せられた冠と共に、アンリエッタは一人の独立した王として立ち上がったのだ。


そして王たる彼女が最初に民へと下した言葉は、祖国の大地を踏みにじった憎むべき敵国アルビオンの打倒宣言。

貴族、平民問わず、トリステインに住まう全ての民に対して向けられたその宣言に、今や国中では戦争の準備の真っ最中である。

魔法学院も先日から夏期休暇に入り、実家へと戻っていった貴族の子弟たちも、そのほとんどが士官学校へと出向いて兵役に就いていた。


そのように、世間がいろいろと騒がしくなっている時期に、ルイズはアンリエッタより呼び出しを受けたのだ。


「前のアルビオンとの戦争の時の事を、いろいろと聞かれたわ。姫様―――じゃなかった、女王陛下は、すでにほとんどの事情をご存じだったみたい」


「お前が発現させたという『虚無』のことか?」


「それとアンタのこともね。隠し通せそうになかったから、結構話しちゃったけど、その、良かったかしら?」


「別に構わん。わざわざ隠すようなことではない」


ハルケギニアの常識を覆す力を持つギルガメッシュであったが、これまでその名はそれほど広くは轟いていなかった。

単に立場だけで見るならば、ギルガメッシュは学生の一人に呼び出された使い魔の一体に過ぎない。

その実態を知る者ならばともかく、トリステインという国においてギルガメッシュの存在とはその程度だったのである。


だが、今回の戦争で見せつけた『乖離剣』の威光は、与えた印象があまりに強烈過ぎた。


あれほどの常軌を逸した力、その情報に蓋をすることなど出来るはずがない。

表沙汰にはしていないものの、いまや王宮の誰もが、たった一人の学生が召喚した黄金の使い魔に注目していたのである。


「もし煩わしく騒ぎ立てるならば、その時は相応の報いを与えるのみだ」


微塵と躊躇いなど見せることなく、冷然とギルガメッシュは宣言する。


ギルガメッシュは、トリステインの味方というわけではない。

いやトリステインに限らず、彼は誰の味方にもなりはしない。

本質的には、ルイズの味方ですらないだろう。

彼が味方とするのは、ただ己の意志のみ。

自分にとって害と、あるいは煩わしいと感じただけで、あっさりとその矛先を変える。

問題となるのは、敵か否かの区切りの線を越えたかどうかだけである。


「それはそうと、ルイズ。戻ってから妙に挙動不審だが、何かあったのか?」


城から戻ってより、やけにそわそわとしているルイズに、ギルガメッシュは尋ねた。


その様子はアンリエッタから何かを言われて沈んでいるという風ではない。

むしろ沸きだす感情を抑えるために、あえて平静を装っているようであった。


「ふ、ふ、ふふふ・・・」


肩を震わせながら、口元より笑い声が漏れていく。

抑えても湧き出る感情に曝されながら、ルイズは懐より一枚の羊皮紙を突きだした。


羊皮紙を受け取り、ギルガメッシュは紙面へと目を落としていく。


「陛下が・・・、私の戦場で起こした『虚無』の功績を称えて、女王直属の女官として任命してくださったのよ」


そのギルガメッシュの横で、ついに笑みを隠しきれなくなったルイズが呟く。

その一言で堰を切ったかのように、感情に任せて高笑いし始めた。


「ついに、ついに私は、認められたんだわ。私の力が、トリステインのために必要なものだって、陛下自身から言われたのよ」


ルイズが行使した『虚無』の力は、アンリエッタの助言により秘匿とすることが決まっている。


何しろ伝説の力だ。

敵が知れば即座に標的とするだろうし、味方の中にも狙う者が出てくるかもしれない。

故に、ルイズが為した功績は公のものとはせず、『虚無』の存在はごく一部の者だけが知る内密のものとされたのだ。


とはいえ、劣勢にあったトリステイン軍を勝利に導いたルイズの功績は、本来ならば勲章どころか小国を与えてもおかしくはない。

そんな彼女に対して、何も報いるものがないことをアンリエッタは良しとせず、代わりにルイズを自分直属の女官としたのだ。


女王直属の女官となれば、その権限は並の爵位の貴族などとは比べ物にもならない。

側近として、女王本人の確かな信頼がなければ任命されない、名誉ある役職なのだ。


「思えば、本当に長かったわ。毎日毎日、どれだけ努力しても失敗ばかりで、周りから馬鹿にされる日々。そんな私に付いた二つ名は『ゼロ』。全くもって、不本意極まりない名前だったわ。

けど、私はついにやったのよ!!これまでの私とは永遠にサヨナラ♪ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、今ここで新生したんだわ!!」


幼いころから魔法が使えず、侮蔑と同情の眼差しを受け続けてきた

揶揄されて、哀れまれ、それでも必死の努力を繰り返してきたのが、これまでのルイズという人生なのだ。


そんなルイズにとって、誰かから自分の力を認められるという事は、形容し難く大きい。

これまでの侮辱があったからこそ、今日に受けた称賛が更に甘美なものとして響き渡る。

少々度が過ぎているルイズのはしゃぎ様も、無理からぬことであった。


(あ、でも―――)


と、そんな浮かれ気分の中で、ルイズはふと気が付いた。

自分にとってはまさに転機たる今日、この栄誉が与えられたのが誰のおかげであるのかと。


(アイツがいなかったら、多分私は目覚めていなかった)


ルイズに立ち上げるきっかけを与えたのは、他でもないギルガメッシュだ。

思惑はどうであれ、結果としてこの栄誉はギルガメッシュのおかげであるとも言える。


(お礼くらい、言うべきなのかもしれないわね)


感謝の念は、確かにあるのだ。

ただそれを口にすることが、たまらなく気恥ずかしいというだけ。

その羞恥心が、面と向かって謝辞を述べることを躊躇わせている。


だが、今回くらいは、少しは素直になってもいいかもしれない。

あんまり意地を張り過ぎても、疲れるだけだ。

それに今日は、自分が認められた記念すべき日でもあるのだし。


そう思い、ルイズは許可証の羊皮紙をいじりまわしているギルガメッシュを横目で見ながら、意を決して口を開いた。


「ギルガメッシュ。今回は、その、いろいろとありがと―――」


ビリッ


「む?」


唐突に響いた嫌な音に、ルイズの謝辞が途切れる。

彼女の眼差しが凝視するのは、ギルガメッシュの手にある女官としての許可証。

彼女の視界の中で、羊皮紙で出来たその許可証は、真っぷたつに破かれていた。


二つに裂けて両手に渡った許可証を、ギルガメッシュは見降ろす。

それを見ながら、ふむ、と頷いてから、ルイズへと向き直り、言った。


「随分と脆い、栄誉の証明だな」


「なにやってんのよアンタはぁぁぁぁぁぁ―――!!!」


ルイズの絶叫が、昼の日和のトリスタニアに響き渡った。










「だだだ、大丈夫よね、これ。まだちゃんと使えるわよね、これ。無効とか、そういうことにはなんないわよね」


トリスタニアの街道の端、ルイズは一つに戻った許可証を手に、冷や汗交じりに呟く。


ルイズが手にする許可証には、中心にくっきりと縫い目の跡が走っている。

ギルガメッシュがうっかり破り裂いてしまったその許可証を、急遽ルイズは購入した裁縫道具によって修復作業に入った。

裁縫など生まれてこのかた一度も経験が無かったため、なかなかに苦労したが、とりあえず縫合は完了した。

縫い方も乱雑で、文字列も所々ズレて随分と不細工になっているが、何とか形は整えられている。

まあこれで、全く読めないということはないだろう。


軽く何度か引っ張って強度を確認してから、ルイズは羊皮紙を慎重に畳んで懐にしまった。


「衆愚どもの内に潜入しての、情報収集か。またつまらん任務を与えられたものだな」


許可証とは別のもう一枚の紙面に目を落としながら、ギルガメッシュは言う。

許可証と共にルイズに与えられた、女官としての初任務の詳細が書かれた書類である。


「つまらないって何よ。これは、事前に不穏分子を排除するための、重要な任務なんだから」


先の戦いで、アルビオン軍は多くの艦隊を失った。

恐らくその艦隊を再編するまでは、まともな侵攻はしてこないだろう。

代わりに正攻法ではない、不正規な戦い方を取ってくるに違いない。


それがトリステイン首脳部の考えであり、この場合の不正規な戦い方とは、内乱の扇動や裏切りの誘発といった、いわゆる裏のやり方である。

名誉も何もあったものではないやり方ではあるが、国同士の戦いにおいてそうした謀略の類は言うまでもなく有効なものだ。

まして相手は自らが仕える王家に反旗を翻し、王座を簒奪した不忠者達なのだ。

警戒するに、越したことはない。


そうした警戒活動の一環として、ルイズには身分を隠して街内に潜入し、治安の確認及び蔓延する噂の調査の任務が下ったのだ。


「それほど大層な任でもあるまい。小娘一人に、期待することなどあるものか」


とはいえ、アンリエッタら首脳部がルイズに対し、本当に不穏分子の発見などを期待しているのかといえば、そうではない。

いかに『虚無』に目覚めたとはいえ、所詮ルイズは一介の学生に過ぎないのだ。

情報に通じているという訳でもなく、内通者を見抜く眼力を秘めているわけでもない。

というかルイズに限らず、相応の訓練を受けていない人間に、いきなり諜報活動など出来るはずがないのである。


だから、アンリエッタがルイズに期待しているのは、もっと身近で簡単なもの。

誰にも脚色されていない、純粋な市民の声、自分に向けられる評価を、アンリエッタは聞きたいのだ。


『聖女』と持て囃されても、アンリエッタは所詮二十にも届かぬ少女に過ぎない。

表ではどれほど称賛されても、裏ではこの若すぎる女王に対する不安の声も少なくない。

それら本当の声を聞き届けることで、アンリエッタは真に自分という存在を理解することが出来ると考えた。


そうした色のない声を求めるからこそ、最も信頼を置くルイズにこの任務を与えたのだ。

まあ、もっと単純に、戦時前の忙しいこの時期に、手の空いた側近がルイズ以外にいなかっただけなのだが。


「世の流れに翻弄されるばかりの衆愚の意向など、益体なきものでしかなかろうに。またつまらぬ瑣事にこだわるものだな、あの小娘も―――」


そこでギルガメッシュの目に、書類のある一点の記述が目に留まった。


「ほう。おい、ルイズよ。この書面、お前の従軍の義務付けについての記述もあるぞ」


「・・・ええ、知ってるわよ」


先のアンリエッタの宣言通り、トリステインはゲルマニアとの同盟軍を結成し、アルビオンへの侵攻を計画中である。

そして来るべき侵攻の暁には、ルイズにも同盟軍への参入がすでに命じられていた。


理由は、言うまでもなく『虚無』の魔法。

あのアルビオン艦隊を一撃で壊滅させた威力を、軍が目を付けないはずがない。

ルイズはトリステイン側が抱える、アルビオン侵攻の秘密兵器なのだ。


そう、兵器。

人間としてではなく、有する力のみを重視した道具としての期待。

軍がルイズに向ける眼差しとは、そういった類のものなのである。


「親友などと嘯いてみせて、その実、乱世となれば道具として使い捨てる、か。大した友情だな」


「ちょっと、変な言い方はやめて。陛下は私の力を信頼してその命を与えたのよ。道具だなんて思われてないわ」


「同じことだろう。いかに言葉を選ぼうが、本質に違いはない。奴が期待しているのは、お前の人格ではなく、魔法だけなのだからな」


ギルガメッシュの言動に、ルイズは不機嫌に顔を歪める。

険難な沈黙が二人の間に流れるが、意外にも先に引き下がったのはギルガメッシュの方だった。


「まあ、よい。小娘の思惑など、我の知ったことではない。それで、ルイズよ。当面の任務についてはどうするつもりだ?」


改めて問いかけた途端、ルイズは不服気に顔を曇らせる。

先ほどはギルガメッシュに反発して重要な任務などと言ってしまったが、実際はルイズとて今回の任務には乗り気ではない。

庶民の中に溶け込んでの潜入捜査など、彼女が期待する名誉ある任務には程遠い。


とはいえ、仮にも女王陛下より直々に与えられた任務。

不満だからといって、放棄するような真似を根が真面目なルイズがするはずがない。


「う~ん、やっぱり最初は、平民の中に溶け込めるよう、服装から何とかしなくちゃいけないわよね。それに住居だって、相応のものを用意しなくちゃダメでしょうし」


「やれやれだな。質素、倹約などという言葉は、民どもの楽しみであろうに。まあ、これも間劇を彩る余興程度にはなるか」


フゥと肩を竦めながら、質素、倹約の言葉より最も遠い男はコメントする。

そして次に口にする言葉も、やはり民の心からはかけ離れたものであった。


「そうだな・・・。では、移動のための車両には、黄金や宝石類による装飾は控えるとしよう。仮となる別宅も、最低でも五十階規模の建造物が欲しいところだが、まあ三十階程度までなら妥協してやる。ただし、部屋の内装には妥協するなよ。我が眼前に入る個室が、みすぼらしいままなど許容できぬからな。

フフッ・・・、我も随分と、控えめになったものだ」


「どこがよ!!全然溶け込めてないじゃない。むしろ目立ちまくりよ」


思わず、ルイズが叫ぶ。

だが当のギルガメッシュは特に冗談を言ったつもりはなく、至って真剣であった。


この世の贅のすべてを堪能し尽くしたとされる、原初の英雄王。

彼の持つ価値基準とは、もはや常人のそれとは次元の隔たりほども離れている。


そんな彼に、庶民の生活を模倣するなど、所詮無理な話だった。


「全く、そんなことじゃ潜入にならないでしょ。せいぜい、若くて健康な馬と馬具一式、それに宿泊用に、キチンと名の在る貴族専用の宿くらいよ」


・・・いやまあ、何というか、その契約者も五十歩百歩であったが。


人手不足の問題があるのだろう。

戦争が近く迫っていることもあって、多忙なのも分かる。

だがしかし、やはりこの任務にルイズを割り当てたのは、致命的な人選ミスとしか言えないだろう。


「まあ、どっちにしても、十分なご奉公のためには、十分な資金が必要よ。今のままじゃ、ちょっと足りないわね・・・」


任務のため、アンリエッタより渡された活動費400エキューを見降ろして、ルイズは呟く。

通常の平民の生活からすれば十分すぎる額であるが、二人の要求にはどちらにしても足りていない。


「困ったわね・・・。どこかで簡単に、短時間で、それも大幅にお金を増やす方法ってないかしら」


その発言は、まさしく駄目人間そのままであった。


「おい。ならばいい場所があるぞ」


「え?」


そう言ってギルガメッシュが指した先には、地下に大きな賭博場を持った酒場があった。










上層の控えめな客足の酒場と違い、地下の賭博場はかなりの賑わいを見せていた。

どうやらこちらの方こそが、この店の本当の姿らしい。


当初こそルイズも乗り気ではなかったものの、軽く挑発されるとあっという間に熱くなっていった。

そんな彼女が向かい合うゲームは、数字の描かれた赤と黒のポケットに球が入る場所を予想して当てる代表的なギャンブル、ルーレットである。


三十七あるポケットの内、ルイズは黒のポケットに30エキューを賭けた。

しかし、結果は赤。


ただでさえ不足する活動費が更に減り、ルイズはがっくりとうなだれた。


「クッ」


そんなルイズの姿を、後ろよりギルガメッシュが嘲笑を漏らして見下していた。


「アンタ!!今、嗤ったでしょ!?」


「いやいや、むしろ哀れんでいるぞ。女の色香のみならず、運気さえも持たずに生まれてこようとは。いっそ、不憫ですらある」


「余計なお世話よ!!特に前半!!」


ギルガメッシュの侮蔑に、ルイズは怒鳴り返して答える。

そんな二人のやりとりを、周りの客は苦笑まじりに眺めていた。


「どれ、我もちと戯れてみるか」


「あ!ちょっと」


そう言うと、ギルガメッシュはテーブルに置かれたルイズのチップから、100エキュー分ほどを手掴みで取り上げた。

抵抗するルイズを押さえつけ、さっさとチップを懐にしまいこむ。


「お前もせいぜい頑張るのだな。まあ、期待は微塵としておらんが」


哄笑まじりに言い残すと、ギルガメッシュはチップを手に別のテーブルへと行ってしまう。

その後ろ姿をルイズは悔しそうに見つめてから、自らの賭けるゲームに集中した。


「フン。見てなさい。今のはほんの運試し。これからが本番よ」


息巻くルイズであったが、その結果は散々なものだった。


何しろルイズの賭ける方は、ことごとく外れる。

黒の次には赤にと賭ければ、黒のポケットに球が入り、ならば黒にと賭ければ赤に入る。

ムキになって色ではなく数字のピンポイント狙いをしてみても、当然のごとく外れる。

初心に戻って色の二択に戻っても、やはり賭けた色はその全てが外れた。


ここまで来ると、もはや呪われているとしか思えない不運ぶりである。

最後の方では他の客たちも、ルイズの賭けるほうへは決して賭けようとはしなくなっていた。


そして一時間もしたころ、ポケットマネーも含めたルイズの持ち金は完全に空となっていた。


「ど、どうしよう・・・」


すべてを失ってようやく事態を飲み込めたルイズが、冷や汗を垂らしながら呟く。


この金は、女王より任務のために渡された活動費なのだ。

しかもそれは国財より回されたのではなく、アンリエッタの私財から提供されている。

ただでさえ戦の準備で資金が足りていないのに、このような重要度の低い任務に回せる金など無かったのである。


そんなお金を、自分はたったの一時間足らずで博打に費やしてしまったということになる。

こんなこと、アンリエッタに報告など出来るはずがなかった。


「そういえば、アイツはどうなったかしら・・・?」


ふと気になって、ルイズはテーブルを離れて相方の姿を探す。


その姿自体は、すぐに見つかった。

例え黙っていても人目を引きつけずにはいられない圧倒的な存在感が、その所在を知らせてくれたのだ。


ギルガメッシュが座っているのは、カードを用いたゲームを行うテーブル。

カードといってもトランプという訳ではなく、そのゲーム専用のカードのようである。


そして彼の座るテーブルに置かれたチップの額に、ルイズはあんぐりと驚愕して口を開いた。


「ん?ああ、ルイズか。どうかしたか?」


ルイズの視線に気が付き、ギルガメッシュが声をかけてくる。

彼の眼前には、まさしくチップの山とでも形容するべき光景が築き上げられている。

換金すれば、10000エキューは軽く超えているだろう。


震える指先でそのチップの山を指しながら、ルイズは驚愕も抜けきらぬ様子で尋ねた。


「アアアアンタ!?そ、そのチップ、この一時間で何があったの!?」


「何が、と言われてもな。見たとおり、勝ち続けたというだけだが」


事も無げにギルガメッシュは言ってのける。

その自信の表れは、まさしく彼がギルガメッシュであるが故のものだった。


祝福された身の上に与えられる、最上級の幸運。

その運命に施された、生涯においてどれほど金銭が付いて回るかを決定する黄金律。

それらの加護下に在るギルガメッシュにとって、博打をして勝つことはもはや運気ではなく宿命だと言っていい。


テーブルのディーラーは、すでに憔悴し切った様子で項垂れている。

その姿は、本来敵であるはずの客達からも同情の眼差しで見つめられるほどに哀れである。


まあ今回の場合は、相手が悪かったとしか言いようがない。


「そういうお前こそどうしたのだ?―――ああ、スッたのか」


手持ち無沙汰なルイズの様子に、ギルガメッシュはすぐに気が付いた。


「クククッ、本当に運気にも見放されたようだな。主君より賜った金銭を賭博なんぞに注ぎ込むとは、とんだ忠義者もいたものだ」


「ぐ・・・。ま、まあ、それについてはもう文句も言えないけど、それよりそのお金―――」


プライドを押さえ付けて、ルイズは何とかギルガメッシュの稼ぎの分を分けてもらおうと申し出ようとする。

さすがにこうなっては、贅沢を言っていられる場合でもない。

このままでは任務遂行どころか、受けおってから僅か数時間で失敗の報告をする羽目になりかねない。


だがそこで、それを遮るようにギルガメッシュが言葉を重ねてきた。


「何だ?まさか、物乞いなどはするまいな。仮にも公爵家の娘だ。雑種とはいえ少しは名のある血筋の者が、あろうことか博打のために金銭をねだろうなどと。少しでも家名に誇りを持っているならば、例え命に代えても出来る真似ではないからな」


「ぐ、ぐううううぅぅぅ~~~!!」


そこまで言われては、分けて欲しいなどと言えるはずもない。

悔しげに歯軋りながら、ルイズは言葉を飲み込み黙り込んだ。


「ふむ。まあ、からかうのはこのくらいでよいか。・・・ほれ」


だがそこで、なんとギルガメッシュの方からチップを提供してきた。

差し出されたチップは、換金すれば500エキューにもなるほどの量である。


あまりにも意外なことに、ルイズは眼を見開いて驚愕しながら、それを受け取った。


「お前と我には、一応とはいえ契約者の縁もある。これくらいの施しは与えてやろう」


思いもよらぬ、ギルガメッシュの思いやり。

らしくないと言えばらしくないが、純粋に自分を思っての行為とも取れるその気遣いに、ルイズは素直に感動を覚えていた。


ここで終わらせれば、確かにそれは思いやりであっただろう。


しかしながら、彼は唯我独尊の英雄王ギルガメッシュ。

彼が徳とするのは他者への思いやりなどでは断じてなく、すべからく自らのための娯楽である。


「ああ、返さなくてもよいぞ。どうせ一刻も過ぎたころには、その金も先の金と同じ行く末を辿るのだ。お前の手に委ねるという行為自体、もはやドブ川に無為に捨て去る事と大差はないからな」


と、侮蔑を顕わに挑発する。

その挑発に、感動を見せていたルイズの表情がカッと怒気に染まった。


本来ならば、そんな挑発は無視してしかるべきだ。

経緯はどうあれ、ルイズの手には現在500エキューという金がある。

それは当初ルイズがアンリエッタより渡された活動費を上回る金額である。

ここはグッと我慢をし、このチップを換金してしまえば、目的である資金の増加は果たせるのだ。


だが、それを分かっていてなお無視できないのが、ルイズという少女の気性である。


「な、ナメんじゃないわよ!!見てなさい、こんな端金、すぐに色を付けて叩き返してやるんだから!!」


ビシリと指を突き付けて、ルイズは宣言する。


その行為のすべてがギルガメッシュの予想の通りであり、玩具にされて彼を楽しませているとも気付かずに。










そして、結果。


ギルガメッシュが予言した一刻という時間。

その予言は、違った形で外れることになる。


ルーレットに戻ったルイズは、即座に赤のポケットへと賭けた。

提供された500エキュー、その全額である。


黒と赤の二色のどちらかに賭けたのでは、勝っても払い戻しは二倍のみ。

しかしながら、賭ける金額が全額ならば、勝った瞬間に所持金は二倍である。

これならばたった一回のゲームで、これまでの負け分を全て取り返せるのだ。


無論負けた時は、全財産を一瞬にして失うことになるのだが、負けた時のことなどすでにルイズの頭にはない。

ある意味で、彼女は度胸のある人間だった。


「私は伝説よ。こんなところで、ねぇ、負けるもんですか」


何の根拠もなしに、そう言ってルイズは自らを鼓舞する。

その在り様は、もうほとんどギャンブル・ジャンキーそのままである。


ルイズの賭けた赤のポケットに対し、他の客は一同に黒のポケットへと賭ける

皆、この異様に目をギラつかせた少女が、つい先ほどまで呪いじみた外し方をしてきた事を知っているのだ。


普通、これほど負けがこめば、誰でも自らの運気の低迷を悟って引き下がる。

だがルイズの場合、これまでが外れたのだから今度こそ当たるのだと思い込んでいるのだから始末が悪い。


結果、このような無謀な博打に打って出るのである。


シューターがルーレットを回転させる。

カラララ・・・と乾いた音を立てて、球がホイールの中を転がっていく。

やがてホイールの回転は勢いをなくし、転がる球も跳ねる力を失っていく。

球はひとつのポケットに転がりこみ、そして止まった。


ポケットは黒ではなく、また赤でもなかった。

球の入り込んだポケットは緑、ただひとつの親の総取りのポケットである。

そのポケットでは、まさしくルイズの伝説に対する最高の皮肉であるように、“ゼロ”の数字が光っていた。










さて、ルイズの方が早々に破産し、意気消沈のままに店を後にした頃、ギルガメッシュはカジノ内のとある一室へと招かれていた。


あの後もギルガメッシュは容赦なく勝ち続け、カジノの収入を侵害し続けた。

最終的にギルガメッシュが手にしたチップの金額は約20000エキュー。

元手が100エキューだと考えると、まさに二百倍の勝ち越しである。


そうなると、困るのはカジノ側の方だ。

カジノという施設の利益とは、統計学的な確率に裏付けされている。

どこかで誰かが勝ち越したとしても、総合的に見れば得をしているのはカジノ側なのである。

だがギルガメッシュの叩きだした大勝は、明らかに個の利益の許容範囲を超えていた。


元々賭博とは、非合法に半分足を突っ込んでいるようなもの。

他の客まで割を喰わせるような、逸脱した勝ちの前例を作るのはよろしくない。

このまま黙って帰らせたのでは、この賭博場の名折れである。


そのような意気込みを込めて、店側は“回収”のためのギャンブルを持ちかけた。

だが結果としてそれは、僅かであった傷を致命傷にまで広げることになってしまう。


「“13”、“7”、“14”、“10”。ポイント・44だ。またしても我の勝ちだな」


「ぐ、うううぅぅ~」


ギルガメッシュの勝利を示す揃えられた四枚のカードに、向き合ってテーブルに座るこのカジノのオーナーである中年の男は苦悶の呻きを漏らした。


カジノ側が己の威信を懸けて挑んだギャンブルは、『トレック』と呼ばれるカードゲーム。

『財宝』、『罠』、『強奪』の三種類のカードが、それぞれ二十枚、五枚、五枚ずつに分かれて構成され、それをゲームのプレイヤーが交互に引きあっていく単純なゲームだ。


『財宝』と『強奪』のカードには枚数の分だけ数値が記入され、『財宝』を引いたならば加算、『強奪』ならば減点されていく。

また『罠』を引いた場合には、一度のドローの権利を失ってしまう。

この三つの効果を持ったカードを互いに引いていき、最初に指定されたポイントまで辿り着いたほうが勝者となり、ベットしたチップを手に入れる。


そうしたチップの遣り取りが、この『トレック』というギャンブルである。


「ベット。全額だ」


換金された新金貨の山を、ギルガメッシュは惜しげもなくゲームに張る。

その途方もない額の大張りに、オーナーの表情が更に青ざめた。


カジノ側とて、単なる運否天賦でこのギャンブルに臨んだのではない。

回収のために、無論のこと必勝の策を用意してのギャンブルである。

勝ちの保証があるからこそ挑める、カジノ側としては茶番じみた大勝負だったのだ。


だが当初のそんな楽観視は、ギルガメッシュという怪物を相手に脆くも吹き飛んだ。


仕掛けていたイカサマは見破られ、用意していた代打ちもすでに放心状態。

仕方なくオーナー自らが卓に座っているのだが、彼如きの持ち運ではギルガメッシュを相手にするのは荷が重すぎた。


「“17”、“8”、“15”。40のジャスト・ポイント、倍増しだ」


「なっ!?」


ジャスト・ポイントとは、指定されたクリアポイント、その数値にピタリと一致させることで、通常のベット額の倍の金額を得られるというボーナスルールである。

そうそう見られるものではないが、ギルガメッシュの逸脱した強運は、まさに運命をねじ伏せるが如くその数値を揃えていく。


この倍付け支払いにより、もはやカジノ側の資金は風前の灯火だ。

用意した資金が、ではない。

カジノ側が所有する総資金の全てが、である。


次のゲーム、プレイヤーに交互に回される賭け金の決定権を得たオーナーは、張りを最低まで落とした。

とはいえ、そんなことをしても僅かに寿命を永らえさせる程度の効果しかない。

そのゲームも当然の如くギルガメッシュが勝利し、再び彼にベット額の決定権が回ってきた。


「ベット。全額」


自らの周囲に積み上げられた金貨の山を、ギルガメッシュはあっさりとひとつの勝負に張った。

これでもしオーナーが勝てば、これまでの負けをすべて取り戻すことが出来る。

だが、これまでのゲームの経緯を考えれば、そのような楽観論に期待を託すことなど出来るはずもない。


「ほう。いきなり『財宝』の“20”か。どうも少々、天運の流れを掴み過ぎてしまったらしいな」


二十枚の『財宝』のカードの内、“20”は最高の数値。

カードに描かれた溢れんばかりの金銀財宝の絵柄が、まさしく引かれるべくして引いたといわんばかりにギルガメッシュの手の中で輝いていた。


そして、オーナーのドロー。

引いたカードは、近くに迫る彼の破滅を予知するかのように、『罠』のカードだった。


「おやおや。よりにもよってこの我に、二度もの機会を与えてしまうとは。いかん、いかんぞ。我のような天の運気さえも支配する王に、二度も機会を与えては。これでは引きたくなくとも引いてしまうではないか」


ギルガメッシュの大言も、もはや単なる妄言とは受け取れない。

これまでに散々見せつけてきた強運のほどを知る者ならば、誰もが等しくこう思うだろう。


―――やりかねない、この男ならば。


「フ、フハハハハッ、なんだなんだ、これは。我としては、もう少しこの遊戯を楽しみたいのだが、どうやらそうもいかんらしい」


ギルガメッシュが引いたカードは、『財宝』の“19”のカード。

“20”の『財宝』に次ぐ数値を持つ、現在の最高のカードである。


これでギルガメッシュの合計ポイントは39。

次に『財宝』のカードを引き当てれば、その時点で勝負が決定する。

そしてオーナーは、先ほどの『罠』のカードにより一度のドローの権利を失っている。

もはや、ギルガメッシュの幸運を阻むものは何一つなかった。


二度目のドローに、ギルガメッシュが手を伸ばす。

これでギルガメッシュが勝利すれば、もうカジノ側には賭け金分の支払いをする貯蓄はない。

すなわち、破産である。


もはや祈りをかける希望すらなく、未来に待つ壊滅的な敗北を思い、オーナーは顔を覆った。


そしてギルガメッシュが、最後の一枚を引く。


「“1”。40のジャスト・ポイント、倍増しだな。やはり天運は、我のみを照らしていたようだ」


勝利宣言をするギルガメッシュ。

オーナーにとっても、それは最も聞きたくなかったこと。


だがその前提に反して、オーナーの反応は絶望とは異なるものだった。


「し、し・・・シックス・・・トラップだ・・・!倍払いの」


「・・・あん?」


シックス・トラップとは、この『トレック』におけるもうひとつの特殊ルールである。

通常のベット額の二倍となる指定ポイントでのクリア、しかしそれを“1”で引き上がった場合にこのルールは適用される。

最後を“1”で上がった場合、通常のベット額の倍額を逆に相手に“支払う”のである。


『財宝』の“1”のカードは、ただ豪奢なだけの他の『財宝』のカードに比べて、かなり神秘的な描写となっている。

厳かな祭壇の上に鎮座する、神々しさを持った黄金の宝箱。

まさしく遺跡の最奥を飾るにふさわしい、千金の価値を持つであろう唯一の宝。

しかしその宝こそが、冒険者を襲う最後にして最大の罠なのだ。


五枚の『罠』のカードとは別の、六枚目の見えざる罠。

故に、六番目の罠―――シックス・トラップ。

40で上がること自体が相当稀だというのに、さらに“1”を引けば上がれるという状況を作り出すこと自体が至難であるので、まず実戦では見かけない。

ほとんど縁起担ぎのようなルールだ


もはや自らの引くカードを己の手で選定しているが如きギルガメッシュの幸運。

だがその神がかった幸運が、今回ばかりは悪い方向に作用してしまったらしい。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


あまりにも予想外の展開に、両者の間に非常に気まずい沈黙が流れる。

さすがのギルガメッシュにも、その額に一筋の冷や汗が流れた。


だが、そこは唯我独尊の王ギルガメッシュ。

開き直るのも、常人より数段早かった。


「―――よし、無効」


傲岸不遜―――というより身勝手に、ギルガメッシュは宣言した。


「ちょ、ちょっと待てぇぇぇぇぇぃっ!!」


さすがにカジノ側のオーナーも、これには声を上げる。


だが、ギルガメッシュは聞き入れない。

すでに自らの中で理屈を並べ、自分勝手に自己完結を迎えていた。


「世界のあらゆる法則は、我を中心に回っているのだ。万物の中心たる我がより知らぬ事など、すべて外様。気に掛けるにも値せんローカルルールに過ぎぬ。そんなもので我が勝利を濁そうとは、片腹痛いわ!!」


ちなみにこの男、つい先ほど他人のゲームを眺めてルールを覚えたばかりである。


「そんな理不尽な―――」


「黙れ、雑種。我が教典に、理不尽などという項目は存在せぬ。王の意志は、すなわち民の法だ」


「む、無茶苦茶だぁ~~~!!」


オーナーの悲痛な叫びが、カジノ内に木霊した。


その後もしばらくは誰から口論し合う声が聞こえたが、やがてそれも轟いた爆音と悲鳴、そして倒壊していく酒場の中に消えていった。










「はぁ・・・」


カジノのあった酒場より少し距離を置いた通り。

中央から離れ、少々閑散としたその通りを、ルイズは溜め息まじりにとぼとぼと歩いていた。


結局、活動費はすべてカジノでスッてしまった。

女王直々に力を認められ、女官にまで任命されたのに、この体たらく。

自分の事が、ひどく情けなく思えた。


「ここにいたか、ルイズ」


背中に声をかけてきたのは、ギルガメッシュだ。


居場所は知らせていなかったが、特にルイズは疑問には思わない。

自分とギルガメッシュの間には、メイジと使い魔のラインがある。

いざとなれば、例えどれほど離れていようと、お互いの位置を把握できるだろう。


「ねぇ、ギルガメッシュ。その、悪いんだけど、さっきカジノで儲けたお金、少し分けてくれない?アンタには、どうせいらないでしょ」


プライドを保つ気力もなく、素直にルイズはそうお願いした。


どうせ活動費ゼロの状態では、任務もどうにもならない。

ならば恥でもなんでも、お金を手にいれ任務をやり遂げなければ、主君に合わせる顔がない。

そのためならば、例え土下座をしてもいいくらいの心境だった。


「・・・・・・」


しかし、ギルガメッシュは答えない。

その沈黙は拒否しているという風でもなく、むしろ答えたくても答えられないと苦しげであるように見えた。


その様子に、ルイズはピンときて尋ねた。


「何?ひょっとして負けたの―――ぶぎゃ!?」


「誰が負けるか、たわけ」


生意気を言ったルイズを張り倒し、ギルガメッシュは答える。


「至高の我と雑種との、些細な見解の相違だ。しかしその相違故に、少々予想外の事が起きてな。金銭は紛失した」


「紛失って・・・いったい何があったの?」


問いかけるが、ギルガメッシュは答えない。

ルイズから目を逸らし、どこか遠い目で「今頃は瓦礫の下か・・・」などと呟いていた。


とはいえ、これは非常にまずい。

例え金貨を失ったとしても、ギルガメッシュには元より宝物庫に納められる莫大な財がある。

それらのごく一部のみでも、換金すれば途方もない額となるだろう。


だがそれらは、ギルガメッシュはかつての世界で収集したという至高の財宝である。

この世界で一般に流通する新金貨ならば可能性もあったが、己が財宝をギルガメッシュは土下座したところで渡すまい。


唯一の金のアテを失い、ルイズは再び途方に暮れた。


「主君より賜った金銭を無為に消費し、受けた任務も失敗か。まったく、大した側近もいたものだ」


嘲笑するギルガメッシュの声が聞こえてくる。

沈み切っていた所に受けたその物言いに、ルイズは逆にカッとなった。


「うるさいわね!!そんなこと、アンタに言われたくないわよ!!」


確かに、今回悪いのは全面的に自分だ。

それは認めるが、しかしなぜそれをギルガメッシュに責められなければならないのか。

この男は自分の失敗を叱る訳ではなく、ただ嗤い者にしているだけだ。

そんな男に、自分の失敗を侮辱される謂れはない。


「だいたい、アンタは何でここにいるのよ!?これは潜入任務なのに、アンタみたいな全身からオーラ溢れさせてるみたいな奴にいられたら、邪魔ったらないわっ!!」


堰を切った感情は、留まることなく語調を強めていく。

それは明確な敵意ではなく、ただ行き所の無い感情を、近くのものにぶつけているというだけの行為。

要約すれば、ただの八つ当たりに等しいものだった。


そんな理不尽な罵倒を受けながら、しかしギルガメッシュは特に気分を害した様子はなく、ふむ、と顎に手をやり思案する。


「・・・そうだな。本幕までの座興ならば、それにふさわしい振る舞いというものがある。主役ばかりの独壇場というのも、雅に欠けるか」


よく分からない事を誰にでもなく呟いて、ギルガメッシュは独り頷く。

そう自分だけで納得すると、唐突に言ってきた。


「仕度をしてくる。この街の中央で待っていろ」


きょとんとするルイズを置いて、ギルガメッシュは歩きだす。

追いかける事も出来ず、それをルイズは黙って見送っていた。


「おお、そうだ。その前にひとつ」


が、そこでギルガメッシュが唐突に引き返してきた。


ギルガメッシュはつかつかと歩み寄り、何事かと首をかしげているルイズの眼前に立つ。

そして何の脈絡なく、強烈な蹴りを繰り出してきた。


「はぐわっ!!」


為す術無く直撃を貰い、華奢なルイズの身体が宙を舞う。

彼女の身体はきれいな放物線を描くようにして飛び、近くにあった馬小屋へと突っ込んだ。


中にいた馬が、驚いて嘶きを上げた。


「我に生意気な口を訊いた報いだ。それくらいみすぼらしければ、雑種に溶け込もうとさして違和感もなかろう」


そう言い残し、藁の山に突き刺さったルイズを放置して、ギルガメッシュは街の雑踏の中に消えていった。










ギルガメッシュとの待ち合わせ場所である、トリスタニアの中央広場。

暮れゆく街の中央の片隅に、一足先にルイズは姿を現わしていた。


(ったく、アイツはぁ~~~、いつも勝手なことばかりして・・・)


ルイズの着る服装は、これまでの学院の制服ではない。

地味なつくりのブラウンのワンピースに、粗末な木の靴。

どこぞの田舎娘が着ていそうな、貴族には程遠い貧相な格好だ。


この服装一式は、スッてしまった活動費とは別の、換金時に端数として僅かばかり残っていた金で買い取ったものである。

その用途は、もちろん平民に溶け込むための偽装の意味合いもあるが、もっと端的に代わりの服が無かったためでもある。

馬小屋の藁に突っ込んで、家畜の臭いがこびり付いた服をそのまま着ていられるほど、ルイズは粗暴な性格はしていない。


とはいえ、たまたま持ち合わせていただけの金。

そう額があるわけもなく、買えるものも限られている。

必然、買い揃えられる服装は、平民用のものとなっていた。


ルイズは平民の通常の服装など知らなかったので、むしろ好都合だったともいえる。


(主人に対する敬意・・・とかはもうあきらめたけど。だけど最低限の礼儀くらいはあるでしょう。それをアイツはぁ~~~)


今は見ぬ自身の使い魔を思い、ルイズは地団駄を踏む。

こう思っていると、先ほどからきゅるきゅると鳴る腹の虫も、身体に残る家畜臭さも、すべてがギルガメッシュのせいに思えてきた。


(いつか、ぜったいギャフンって言わせてやるわ!!覚悟しておくことね、このこの)


とはいえ、現実では敵わないので、せめて想像の中で仕返しすることにする。

虚しくなってきたので、すぐにやめたが。


ゴォンゴォン、とサン・レミの聖堂が夕方六時の鐘を鳴らす。

夕日の陽光が、ルイズをさして背後に影を落とす。


その時、陽光によって伸びたひとつの人影が、うつむいていたルイズの目に入った。


「こんにちは。お姉さん」


顔を上げて目が合うと、人影の主が話しかけてきた。


少年だった。

身に付ける格好は質素だったが、その物腰や全身から醸し出される雰囲気がその出生の高貴さを物語っている。

身長は小柄なルイズほどもなく、とはいえ短身というわけではなく、単純にまだ幼すぎるというだけだ。

成長すれば、むしろ相当の長身になるのではと予測される。

どこか、名門の貴族の嫡子かと、ルイズは想像した。


「あれ?この時間だともうこんばんわ、ですか?それじゃあ、やり直しますね。

どうも、こんばんわ。お姉さん」


「あ、え、ええ。こんばんわ」


少年は、随分と親しげに話しかけてくる。

しかしルイズには、この少年との面識に心当たりがなかった。


つられて挨拶をしてしまったが、どう記憶を掘り返しても全く該当する者が見当たらない。


「えっと、その、ごめんなさい。あなた、前に私と会ったことがあるかしら?」


「あれ?分かりませんか?」


きょとん、と驚く少年。

無垢な少年の瞳に罪悪感が沸くが、やはり思い当たる節はない。


「う~ん、そっかぁ。まあ、お姉さんも何だかんだ言って常識で生きる人ですから、無理もないですけどね。けどヒントをあげると、僕達、会ってますよ。それもほぼ毎日」


「?毎日?」


ますます分からなくなる。

こんな印象深い少年ならば、一度目にすればそうそう忘れることはないと思う。

だというのに、毎日会っているとはどういうことか。


悩むルイズに、少年は輝く黄金の髪を揺らしながら、血のように赤い瞳をまっすぐに向けている。

その様子はまさしく純真そのままで―――


(―――って、ちょっと待って)


豪華に輝く金の髪に、血のように赤に染まった瞳。

この特徴を持った人物と、自分は確かに毎日会っている。

よく見れば、外見の特徴には他にもいくつもの類似点が見られた。


だが、しかし。

この少年が“彼”などと、やはり何かの間違いとしか思えない。

一体何が起ころうが、この純真無垢な少年が、あの傲慢不遜の男の元であるなどと、やはり想像がつかない―――


「あ、そうそう。さっきは蹴飛ばしてすいませんでした。ああいう家畜の臭いといのは結構残りますから、キトンと洗っておいた方がいいですよ。何だか今も、ほのかに馬糞の臭いがしますし」


瞬間、脳が揺れた。

ぐわんぐわんと揺れ動き、まともな思考が立てられない。

あまりのショックに、脳の機能の一部がマヒしてしまったかのようだ。


だが、その事実を知っていて、なおかつそれを謝罪してくるということは、やはりこの少年は―――


「なんでも、『所詮は座興。付き合うならば、それ相応の役者へと姿を変えるとしよう』、だそうです。我ながら、よく分からない人ですね」


ショック状態のルイズを余所に、少年はより決定的なことを言ってくる。

邪気の無い、天使のような笑顔を浮かべながら、少年は自らの名を告げた。


「ギルガメッシュです。若返りの薬を飲んでこんな姿ですけど、本人ですよ。ねぇ、“マスター”」


「―――ええええぇぇぇ~~~!!?」


この日、ルイズの最後の絶叫が、トリスタニアの中央広場に響き渡った。





[2589] 外伝  闇に降り立った王様
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/09/03 16:48










ギルガメッシュが招かれた部屋は、照明の少なく薄暗い正方形の個室だった。

周りの壁には装飾の紋様が描かれるだけで、それ以外のものはない。


「どうぞこちらへ。旦那様」


このカジノを経営するオーナーを名乗る中年の男が、部屋の中央に置かれた同じく正方形のテーブルへと促す。


テーブルには、一人の男がすでに座っていた。

フードをかぶっているため顔はよく見えないが、全身から枯れた印象を漂わせている。


そして男の座る対面には、ギルガメッシュが座るための椅子が用意されていた。


「まずは、旦那様。私どもの勝手な申し出をお受けしていただき、ありがとうございます」


「構わぬ。あのようなぬるい勝負では我が心は踊らん。もう少し熱が入った勝負がしたかったところだ」


「これはこれは!!なんと豪気な御方」


大仰に、オーナーの男は感嘆を表してみせる。

その大振りすぎる仕草が、いかにも演技くさく、男の道化ぶりを物語っていた。


オーナーにこのギャンブルを持ちかけられたのは、20000エキューほどを稼いで席を立った時。

想定外の大勝したギルガメッシュに、カジノ側は損なわれた利益の回収のための大勝負を仕掛けてきたのだ。

今日の稼ぎの全てを賭けることになるカジノ側の申し出を、ギルガメッシュは躊躇することなく受け入れた。


「いやはや、及ばずながら我々も、ギャンブルに手をつけ生きる者。あなたのような幸運の女神に愛されたかのような方を目の前にし、ただやり過ごすことなど魂が許しませぬ。そのようなあなたとこうしてギャンブルの席を設ける事が出来たこと、大変光栄に思いますぞ」


饒舌に、心にもないことをオーナーは語る。

口調だけは熱く語っていても、その瞳の濁りは隠す事は出来ない。

そこには情熱などといった感情とは無縁の、保身と利益だけを求める醜さがあった。


「さて、それでは我が方が用意します、旦那様の対戦相手を紹介いたします」


ギルガメッシュに席を勧めてから、オーナーは先に座っていた男の事を示した。


「この者の名はモレク。しがない平民の出の者です」


「モレクと申します。以後、お見知りおきを」


紹介を受けた男―――モレクが、対面のギルガメッシュに一礼する。

フードに隠れた顔は、そのままだった。


「此度の席では、先ほど旦那様も嗜まれていられた『トレック』を使わせていただきます」


三十枚一組のカードを、オーナーが懐より取り出す。

『トレック』に使われる専用のそのカードの組を、オーナーはまずギルガメッシュに差し出した。


「どうぞ、ご確認ください。他の悪徳な店舗と違い、当カジノでは公平さこそ何より尊重しております。不正があるか否か、どうぞ旦那様自身の目で」


ギルガメッシュはカードの組を受け取り、一枚一枚確認していく。

跡のようなものはなく、魔力の気配も感じず、存在の違和感もカードには感じられなかった。


「問題なかろう」


確認を終えたカードを、オーナーに返還する。

ギルガメッシュのその言質を、オーナーはニッコリと笑みを浮かべて受け取った。


「さて、これで旦那様自身の目でご確認していただきました。しかし当カジノでは、もうひとつの公平さを保つための手が打たれております」


そう言ってから、オーナーはモレクと名乗った男に促す。

モレクは頷くと、顔を覆い隠していたフードをゆっくりと解いた。


老いた男だった。

頭髪は白の染まり、その面貌にはしわが寄っている。

しかしただの老人にはない、歴戦の気迫もこの男からは感じられる。


そして何より目を引いたのは、男の眼だった。

男の双眸は、潰れていた。

目の辺りにひどい火傷の跡があり、目蓋が全く開いていないのだ。


「見ての通り、このモレクという男は盲目です。以前、貴族の方と諍いを起こしまして、その時に『火』の魔法によって目を焼かれたのです。

つまり、この男に出来るのは、ただカードを引くことだけ。それだけに精いっぱいで、イカサマなどする余裕がないのです。

どうです?これほど公平な代打ちは、他におりますまい」


オーナーの言葉に、モレクはニヤリと笑みを浮かべて見せた。

己のふがいなさに苦笑しているような笑みであったが、その裏に隠された不遜さをギルガメッシュは見抜いていた。


「それでは、最も重要な取り決めを致しましょう。恐らく旦那様も、何よりそこが気になっていることでしょうし」


ギャンブルにおいて、最も重要なこと。

それは言うまでもなく、ゲームに賭ける金の行き来である。


「賭ける金額の取り決めは交互に行い、勝てばその金額と同額を相手から得て、負ければ相手に支払う。一対一の勝負ですので、親や子の取り決めはいたしません。上がりとなるポイントは40とし、先手は金額の取り決めを行った方とします。またベットの最低額は100エキュー。どれほど負けが込んでも、それ以下の張りは認めません。よろしいですかな?」


「構わんが、ならば我からもひとつ要望がある」


「なんなりと」


「我はこの場に、本物の駆け引きを求めてきた。腑抜けた勝負をする気はない。賭け金は、限りのない青天井。どちらかが破滅を迎えるまで、打ち止めは無しだ」


その要望に、オーナーは正直に驚愕した。

いつもならばこの勝負では、あらかじめベット額の上限と、不穏な流れを感じたらすぐに切り上げられるようにしてある。

そうすれば大金を賭ける相手の方にも逃げ道が用意されて、勝負を受けやすいからだ。

そしてその条件の中でも、カジノ側には十分な回収が行えるよう、ゲームの流れをプロデュースする自信があった。


だがギルガメッシュの出した条件は、自らその逃げ道を閉ざすことに他ならない。

オーナーとしてもそれは意外な要望であったが、同時にありがたい要望でもあった。


「おお、何という勇ましい気概をお持ちの方だ。もちろん、御受け致しますぞ。ここで下がっては、男が廃りますからな」


廃るほどの男気も持ち合わせない者がよく言うと、ギルガメッシュは苦笑した。


ギルガメッシュの要望は受け入れられ、カジノ側もギルガメッシュの勝ち金と同額の20000エキューを用意してきた。

それらの金はチップなどではなく、すべて金貨に換金されている。

万が一にも勝ち金を反故にされないための、客に対する配慮だそうだ。

そして互いに用意したその資金が尽きるまで、ゲームは続けられるのである。


「それでは、始めましょう」


三十枚のカードを、オーナーがシャッフルする。

テーブルの上に、裏返しのカードが次々と配置されていく。

ギルガメッシュと、代打ちのモレクを挟む卓上に、三十枚のカードが並べられた。


「ベット額の決定を。先方は旦那様にお譲りいたします」


促され、勝負の前に現金化された勝ち金より、ギルガメッシュはいきなり5000エキューもの金額を張った。

総資金の20000エキューの、実に四分の一に値する額である。


初戦からの大張りに、オーナーもさすがに驚愕を顕わとする。


「なるほど・・・。恐れ知らずの豪気なギャンブルをなさる方とは聞いておりましたが、どうやら本当のようですな」


オーナーよりギルガメッシュのベット額を聞き、モレクが不気味な声を響かせた。


「小賢しい賭けは好きではない。これくらいの張りをしなければ、我が心は震えぬ」


「素晴らしい。まさしく、運命を味方させるにふさわしい気概の持ち主だ」


心無いモレクの称賛を適当に聞き流し、ギルガメッシュは一枚目のカードを引いた。

引いたカードは、『財宝』の“20”。


「『財宝』の“20”だ」


盲目であるモレクのために、口頭にてギルガメッシュは引いたカードを伝える。

いきなり最高値のカードに、モレクはわざとらしいほどに大仰に驚いてみせた。


「お見事です。どうやら本当に、運気はあなた様に向いているようですな」


「御託はよい。次は貴様の番だ」


モレクの言動に付き合わず、素っ気なくギルガメッシュは告げる。

頷いて、モレクは卓上の二十九枚のカードに手を伸ばした。


「失礼。見ての通りの盲目の身故、少々手こずってしまいますが、どうか御容赦を」


フラフラと不確かに手を揺らしながら、モレクは引くべきカードを手探りで探す。

そうしてようやく引き当てたカードを、後ろに控えたオーナーが読み上げた。


「カードは、『強奪』の“2”」


「ああ、なんてことだ。この大勝負で初めて引くカードがよりにも寄って『強奪』とは。どうやら、この場での運気は全てあなたにいってしまったらしい」


露骨に残念がって見せるモレクを無視し、ギルガメッシュは次のカードを引いた。

引いたカードは“12”、これでギルガメッシュのポイントは32である。


対してモレクが引いたカードは“3”。

先ほどの『強奪』の“2”と合わせ、ようやく1ポイント獲得という有様である。


結局、次の引きでギルガメッシュは『財宝』の“10”を引き当て、この勝負はギルガメッシュの勝利に終わった。


「どうですか?たったこれだけのことで、一気に5000エキューもの大金が手に入る感想は」


一気に5000エキューもの資金を失ったというのに、さして失意も見せずにモレクは口を開いた。


「このような読みも何も無い、単純に運のみに左右されるゲームに、人生すら左右しかねん大金を賭ける。ククッ、常人の神経では、狂気の沙汰としか思えんでしょうな」


モレクの顔に、笑みが浮かぶ。

その笑みはどこか壊れていて、自身が口にする通り、狂気に囚われていることを感じさせる。


「だが、だからこそ、おもしろい。どれほどの徳、どれほどの知略も意味をなさぬ、完全なる運否天賦。そのようなものに破滅をも垣間見せる大金を賭け、理不尽に失い、そして獲得する。それこそが博打の本質であり、至高の快楽。

私は、その博打の理不尽さが、たまらなく好きなのです。私のような血筋もなく学もない、視力さえも失った持たざる者には、抗えぬ至福となる。その飛翔、地の底より甦る、万人に与えられた逆転の機会、それを掴み取る、瞬間が。

―――あなたには、このような気持ちは分かりませんか?」


その問掛けに、ギルガメッシュは特に答えようとはしなかった。


次のゲーム、ベット額の決定権を握ったモレクが張った額は僅か100エキュー。

このゲームにおける、ベットの最低額でしかない。


「どうも今の私には、流れは来ていない様子。己の流れを掴み切るまでは、大きな張りはしません」


そうモレクが告げて始められたゲームでは、そのモレクが勝利した。


モレクは、『財宝』を“9”、“7”、“6”、“4”、“5”、“15”を引いての、計47ポイント。

対するギルガメッシュは、途中に『罠』のカードを引いたためドローの権利を一度失い、『財宝』が“12”、“10”、“14”の計36ポイント。


確かに勝利ではあったが、賭け金が100エキューではあまり嬉しいとは思えない。

噛み合わぬ結果に、むしろ流れを掴み損ねているように他人の目には映るだろう。

そのことについて、モレク自身も残念がった弁を並べてみせていた。


次のゲーム、再びギルガメッシュに回ってきた賭け金の決定権。

そこでギルガメッシュは、前回と同じく5000エキューを賭けた。


ギルガメッシュが引いたのは、“7”、“17”、“9”の『財宝』に、『強奪』の“4”を引いた後の、『財宝』の“11”。

計40ポイントの、倍付けのクリアポイントジャストでの上がり。

まさしくギルガメッシュの幸運を象徴しているかのような、強運の引きである。


対するモレクの引きは、『財宝』のカードが“2”、“13”、“6”に、『強奪』の“1”。

ポイントは20までに止まり、それほどいい引きとは言えなかった。


これにより一気に10000エキューがギルガメッシュの元へと流れ、その資金は34900エキューとなった。

対するモレクの資金は僅か5100エキュー。

次の勝負で決着が付いてしまうところまで、モレクは追いつめられていた。


「いや、大したものですな。よもやこれほど序盤から、もうジャストポイントが発生するとは」


話しかけてくるモレクの声にも、これまでのような余裕はない。

そうして迎えたモレクの賭け金の決定。

そこでモレクは、何と残された5100エキューすべてを賭け金として賭けてきた。


「随分と思いきった張りだな」


「どの道この状況では、小さく張ったところで事態は好転いたしますまい。それに・・・そろそろ流れの方も掴めてまいりましたし」


全額の張りにも臆することのない、モレクの不吉な言葉と共にゲームはスタートした。


先行のモレクが引いたカードは、『財宝』の“15”。

20まである『財宝』の中でも、なかなかに高ポイントのカードである。


しかし、対するギルガメッシュも『財宝』の“18”のカードを引いた。

モレクが何を言おうと、やはり運気においてギルガメッシュに見劣りはない。


「貴族の旦那様。あなたは、運気の流れというものを信じていますか?」


次のモレクの番。

引いたカードは、『財宝』の“13”だった。


「ギャンブルを長くやっている者は、大抵がそんなことを言い出し始める。勝負の流れはどうの、今こそながれが来て、次こそはあれがくる、だのと。

とはいえそんなものは、何の根拠もない妄信。勝負に勝つ夢を見たいが故に、そう自らに言い聞かせる自己暗示に過ぎませぬ。―――大抵の場合は」


対してのギルガメッシュの引きは、『財宝』の“6”。

ポイントは28対24となり、僅かにモレクがリードする。


次にモレクが引いたのは、『財宝』の“7”だった。

これでモレクのポイントは、計35ポイントとなる。


「そうした偽物が跋扈する中で、時に本物が現れる。己の運気の流れを掴み取り、張るべき時を見定められる真のギャンブラーが」


「その内の一人が、お前だと言いたいのか?」


カードを引きながら、ギルガメッシュは尋ねてみた。

引いたカードは、『財宝』の“10”だ。


「―――お恥ずかしながら」


不遜な笑みを浮かべて、モレクは答えてきた。

そこにはこれまでのような、己が意思を隠そうという気配はない。

ただ自らの能力を信じている、そんな自信が表れていた。


「信じられませんかな?ならば、今からそれを証明いたしましょう」


言い放つと、モレクは卓に置かれた残り二十四枚のカードへと手を伸ばす。

その仕草はこれまで以上にゆっくりとしていて、一枚一枚カードの感触を確かめるように手を乗せていく。


「私はこの通りの盲目です。私が光を失って、しばらくとなる。しかしその内に、光とは違う別のものが見えるようになってきたのですよ」


その内に、モレクは卓上のある一枚のカードを掴んだ。

そのカードを、ゆっくりと引き上げる。


「そう―――私自身にも、それの正体はよく分からない。ただ呼応とでも言うべき何かを、我が“眼”は捉えているのです」


カードが、モレクによって引かれる。

後ろに控えたオーナーが、盲人のモレクの代わりにカードの図柄を読み上げた。


「カードは、『財宝』の“5”です」


モレクが引いたのは、『財宝』の“5”。

これまでの35ポイントと合わせて、ちょうど40ポイントとなるカードである。

ギルガメッシュにも見えるよう裏返されたそのカードは、確かに『財宝』の“5”であった。


「これで、少しは信じていただけましたかな?」


倍付けの10200エキューが、モレクの元へと返っていく。

一気に盛り返された形勢に、ギルガメッシュは僅かに目を見開いた。


「あなたの運気も相当なもののようですが、私とてこれまで生き延びてきた勝負強さがある。そう容易くは負けませぬ」


確信に満ちたモレクの宣言が、不気味に個室の中を響き渡った。










それ以降の勝負で、ギルガメッシュは張りの額を極端に落としていた。


自分の番で賭けるのは、最低額の100エキューのみ。

モレクに挑発的な事を言われても、決してその額を動かそうとはしない。

その結果は、勝ったり負けたりとが繰り返し、何らかの効果が出ているとは言い難かった。


対するモレクの方は順調だった。

張りの額も安定した金額を張り続け、じわじわとギルガメッシュとの資金差を詰めていく。

先の彼の言葉を借りるならば、まさしくモレクは流れに乗っている状態と言えた。


時間は過ぎ、それなりの回数のゲームが消化する。

再び賭け金の決定権が回り、ギルガメッシュは賭ける金貨を卓上に差し出す。


「ベット。100」


差し出した金額は、この博打における最低額。

当初の強気な賭けとは正反対の、あまりにも弱気な張りだった。


「また100エキューですか。旦那様の意思が優先されるのですから文句は申しませんが、それでは勝利の道は見えてきませんよ」


あからさまな挑発であるモレクの言動も、ギルガメッシュは意に介さない。

他のすべての存在を無視して、ギルガメッシュは卓上に並べられた三十枚のカードを眺める。


(奴の、あのカードの引きの強さ・・・)


これまでの勝負のことを振り返りながら、ギルガメッシュは相手の事を分析し始める。

普段の傲慢さはとりあえず横に置き、冷静な眼差しを以て敵の手の内を探ろうとつとめた。


(あの10200エキューを取り返した一局以降、奴の引きの所々に出来過ぎた引きが見え始めている)


モレク自身はそれを幸運と言っていたが、それについてギルガメッシュはモレクの言葉を全く信用していない。


確かに、人の世には時に、天の運気に寵愛を受けて誕生する者がいる。

そうした天運の持ち主は、此処一番という時にとてつもない幸運を引き寄せる。

現に、ギルガメッシュとてそうした者の一人であろう。


だが、そうした者が感じさせる輝きと形容すべき要素は、目の前の男からは感じられない。


(いや、奴に懐くこの疑念は、単純に印象のみの話ではない)


印象は、所詮印象に過ぎない。

常人など及びもつかぬ心眼を有すると自負しているが、それをただ妄信するのは愚か者の所業である。

モレクに向ける疑念は、そうした印象とは別の、もっと確かな感触があった。


「『財宝』の“9”。計ポイント42。上がりだ」


五枚目のカードを引き上げて、ギルガメッシュが宣言した。


「お見事です。しかし、張りが僅か100エキューでは、喜びも半減でしょう」


挑発的な物言いで、モレクは言ってくる。

確かに勝っても、張りが最低額では喜びよりもむしろ悔しさが先行する。

ちょうど序盤にモレクが見せた、幸運の行き違いのような結果だった。


しかしそのような結果にも、ギルガメッシュは微塵と揺れることはない。

そんな過ぎた結果の是非は捨て置いて、すでにその結果を情報の一部としての分析に移行していた。


(そうだ。奴に対する疑念は、むしろこうした運気の揺らぎにこそある)


モレクの見せる、引きの強さ。

その強運が、しかし張りの額が低い場合には全く感じられないのである。

事実、小張りのゲームでは、ほとんどギルガメッシュが勝ち越しているのだ。


そうした、場に沿った運気、それもある意味では幸運と言える。

しかしギルガメッシュはそこに、何か作為的なものを感じていた。


作為的な、偽りの幸運。

すなわち、イカサマの気配を。


(この我に対し、謀をかけてくるとは。なかなか楽しませてくれる)


イカサマという手段を、ギルガメッシュは別段嫌悪しているわけではない。

いかな手段を用いようと、最終的に勝った者の言葉が、結局は正しさとなる。

正々堂々を重んじる騎士道精神など、はなからギルガメッシュは持ち合わせていない。


敵が謀を仕掛けてくるなら、それもいい。

策を弄する敵ならば、その策を打ち破ってこその、勝利。

それでこそ、己の優位を証明でき、勝ちの旨みも上がろうというものだ。


(問題は、その謀の正体を掴むことだが・・・)


こうした単純なルールのゲームならば、仕掛けられるイカサマも限られてくる。

お互いに三十枚のカードをただ引いていくだけのゲーム、そう複雑なことが出来るはずがないのだ。

何らかのマジック・アイテムを使っていたとしても、カードはもちろんテーブルや椅子、そしてこの部屋全体を見渡しても、魔力の気配は感じられない。


考えられるとすれば、やはりカードそのものに目印を付けるガン。

単純にカードを引きあうゲームである『トレック』において、これ以上有効なイカサマはないだろう。


しかしだからこそ、ガンというイカサマを仕掛けるのは困難だ。

『トレック』においてガンが有効であることは、少し考えれば誰でも分かる。

だからこそ皆が警戒しているだろうし、現にゲーム前にもチェックを行っている。

仮にゲーム開始後に付けたとしても、カードは常に両者の目に曝されているのだ。

部屋が薄暗いといっても、卓上は照明で照らされ、十分な灯りが用意されている。

その状況で相手の目を欺き、自分にのみ分かる印を打つのは至難の業だ。


いや、肝心の問題はそれではない。

問題なのは道具ではなく、向かい合う相手。

カジノ側の代打ちであるモレクは、盲目なのである。

仮にガンがあったとしても、そもそも盲人ではそれを確かめる事が出来ないのだ。


こうして考えをまとめると、やはりイカサマなど一切ないようにも感じられてくる。

そして懐いたその印象を、ギルガメッシュは偽りであると自らに断じた。


(その隠ぺいこそが、このカジノの強み、ならばその隠ぺい、この我が粉砕してくれる)


不敵な思いを乗せて、ギルガメッシュは卓上のカードを眺めまわした。










賭け金の決定権を手にし、モレクはほくそ笑んだ。


現在の二人の資金の状況は、モレクが26600エキューであり、ギルガメッシュが13400エキュー。

序盤のギルガメッシュの優位は逆転し、形勢はモレクの側へと移行していた。


「ベット。2000」


モレクの側より、ゲームに賭けられる金貨が差し出される。


先番はモレク。

並べられた卓上の三十枚のカードより、一枚のカードを引いた。


「カードは、『財宝』の“15”」


盲目のモレクに代わり、後ろに控えたオーナーがカードの種類を読み上げる。

かなり高ポイントなカードだ。


「ほほう、これは。初手からなかなか、運が向いてきているようです」


驚いて見せるモレクだが、その実彼の心中は微塵と動いていない。

モレクにとって『財宝』の“15”を引く事は、引く前からすでに分かっていたことなのだ。


「『財宝』の“12”だ」


引いたカードを、ギルガメッシュが告げる。

それを受けて、再びモレクは卓上のカードへと手を伸ばした。


裏返しにされたカードの表面に、モレクの手が触れる。

カードの表面を僅かに擦るような仕草をして、そのカードより手を離す。

そして次は、その隣のカードへと手を移した。


再びカードの表面に、モレクの手が触れられる。

盲目故の曖昧な動きで、カードの感触を確かめるように指先を動かしていく。

やがてその指先が、触れるカードを掴んだ。


「カードは、『財宝』の“4”」


再び読み上げられる、『財宝』のカード。

まさしく“確認”した通りのカードに、モレクは笑みを漏らした。


モレクがやっていることは、ギルガメッシュが予想した通り。

ガンとも呼ばれる、カードに何らかの目印を付けておくイカサマである。


だが知っての通り、肝心のモレクは盲目。

目印を付けたところで、それを見つける事が出来ない。

手先からしてたどたどしいし、オーナーが先ほど言ったように、カードを引くことで手一杯のように見える。


―――その印象こそが、モレクのガンを隠す最大の迷彩なのだ。


「『財宝』の“11”」


ギルガメッシュが新たなカードを引く。

自分の番となり、モレクは視界なきその手をゆっくりと卓上のカードへと伸ばしていった。


モレクの指先が、カードの表面に触れる。

目に見えないカードの感触を確かめようと、指先はカードの表面をすべる。

そしてそこに、新たな“刻印”を刻みつけた。


「カードは、『財宝』の“20”」


オーナーが読み上げるカードに、モレクは満足する。


モレクの行っているガンとは、指先でカードの表面につける痕のことだ。

カードを引く時に、爪の先を僅かにカードの表面に突き立て、そこにへこみを作る。

そのへこみの痕の位置を指先で確認することで、カードの種類を識別するのだ。


聞いてみると単純なようだが、これが実に巧妙な隠ぺいによって隠されている。

まず、つける痕というのが、痕とも言えないほどに恐ろしく微細なのである。

知らなければ視認はまず不可能だし、意識して目を凝らしてもせいぜいが些細な違和感としか捉えられない。

仮に視覚をキチンと持っていたとしても、こんな痕をガンに使うのは不可能だろう。


だが、モレクにだけは、それが決定的な“刻印”となる。


視覚を持たず、位置感覚すら曖昧なモレクがこのイカサマを可能とする理由。

それは、鋭敏に発達した彼の指先の触覚である。


メイジとの諍いにより、目から光を失ったモレク。

何も見えず、指先に触れるものだけを頼りに進んできた彼は、いつしかその感覚一点のみを異常に発達させた。

その指先に触れる物の詳しい形状まで測れるようになり、どれほど微小な痕であろうと見逃ぬ絶対指感となったのだ。


正確無比の指先のセンサー、それが伝える情報が、これほど正確なカードの識別を可能としている。

モレクにとって自らの指先は、まさしく第二の目とも言うべものであった。


モレクの指先のみが捉えられる、カード表面につけられた微細な痕。

モレクが盲目であることも、その痕を探す妙な仕草を誤魔化す効果を発揮している。

そしてこのイカサマの何よりも素晴らしい所は、これをイカサマとして糾弾することが限りなく不可能である点だ。


何しろイカサマの肝心のタネは、視認することさえ困難な痕のみ。

仮に発見できたとしても、証拠とするにはあまりに微細。

カードを引く時に偶然ついた、それだけで十分に通じてしまうほどでしかないのだ。


発見されることがまず無く、仮に発見されても逃げ道はすでに確保済み。

仮にカードを交換したとしても、数ゲーム後には再び同じガンの脅威にさらされる。

あらゆる事態を想定したこのイカサマにより、これまでモレクは対戦者に対してことごとく勝利を収めてきた。


「『財宝』の“19”。計42ポイント。上がりだ」


「うっ・・・!」


だがこの勝負に限り、モレクの思惑とする順調な勝利とはいかなかった。


ほとんどすべてのカードを把握しているモレクに対し、ギルガメッシュは純粋な運否天賦。

だというのに、これまでそれなりのゲーム数を重ねてきたにも関わらず、決定打はいまだに打てていない。

勝ちを期した時でなお、このように思わぬ強運によって、ギルガメッシュに勝ちを持っていかれてしまっていた。


(この男・・・なんたる強運だ)


3回の引きでの上がりは、このゲームにおける最速の上がりである。

上がりのポイントを40とした場合、そこに到達するには平均して7回ほどの引きを必要とする。

引き回数が減る毎に、それで上がれる確率はどんどん薄くなってくる。

その最速の引きで、この男はあっさりと引き上がってしまうのだ。


これまでのゲーム運びからして、モレクの思惑の展開とは大分外れてきている。

序盤に見せた賭け金倍増しの40ポイントでの上がり、あれとてモレクからすれば明らかな失敗だ。

普段ならば、あそこまで露骨な勝ち方などしない。

あんな序盤から狙ったかのようにジャスト40など、いくらなんでも不自然に感じるはずだ


だが、あの場では仕方無かった。

あの時の自分は“刻印”の用意も十分ではなく、残り5100エキューまで追いつめられていた。

もはや後には引けず、緊急措置としての上がりだったのだ。


この勝負におけるモレクの役目とは、博打に勝つことではない。

店側の利益を、相手より簒奪することが真の役割なのだ。

普段の彼ならば、イカサマの存在が発覚することはおろか、その気配さえ一切見せないほどである。


相手に適当に勝ちを持たせて、ある程度浮かれてきたら一息にて業に煮やした財をかすめ取る。

まさしく油断を待って獣を狩る狩猟の如きゲーム運びこそが、モレクの為すべきギャンブルなのだ。


(だが、この男は危険だ。早々に勝負をつけてしまったほうがいい)


賭け金の2000エキューを差し出し、次のゲームへと移る。

決定権がギルガメッシュへと移り、そこでギルガメッシュはこれまでの100エキューから一転して、一気に4000エキューを張った。


「ほほう。ついに来ましたか。やはり、慎重さだけでは、ギャンブルには勝てませんからな」


嘯きながらも、モレクの心中は穏やかではない。

先ほどのゲームで2000エキューが渡り、互いの資金は24600と15400となった。

ここでもし再びギルガメッシュが勝てば、これまでで築き上げた優位が一気に崩れてしまう。


(こうなっては、もはや是非もない。容赦なく、潰す)


先行のギルガメッシュが、卓上のカードの一枚を引く。


「・・・『財宝』の“20”だ」


読み上げられたカードの内容に、モレクは密かに舌打ちする。

そのカードは、先ほど彼特有の“刻印”をつけたカード。

早上がりを狙うならば、最も欲しかった最高ポイントのカードである。


(チッ、先に取られたか)


例えガンを施し、カードの位置を把握していても、先に取られたのではどうしようもない。

相手の強運に、またしても出し抜かれたような気分だった。


(まあ、いい。ポイントの高いカードのガンならば、他にもある)


気を取り直し、モレクは自分の引きに集中する。

その指先の感覚にて、己が求めるカードを探り出そうとして―――


「―――狡すからい鼠めが」


小さく呟かれたギルガメッシュの言葉に、思わずその手を止めた。


(っ!?まさか、気付かれたのか?)


不敵なギルガメッシュの言葉に、モレクの頭にそんな予感が走る。


動揺によって生まれた、一瞬の硬直。

しかしそこからもモレクはすぐに立ち直り、カードを引く手を動かした。


(いや、動揺するな。それこそが敵の思惑やもしれん)


自分が仕掛けるガンは、視認すら困難な微細なもの。

仮に疑いを持たれたとしても、イカサマと実証することは不可能なのだ。


ならば自分が動揺すれば、敵に余計な情報を渡すことになる。

ここは石のように動じず、相手の挑発を受け流すべき。


「カードは、『財宝』の“16”」


モレクが引いたカードを、後ろのオーナーが読む。

特に反応は見せずに、ギルガメッシュは自らもカードを引いた。


「『強奪』の“5”だ」


引いたのは最もマイナスが多い、『強奪』の“5”のカード。

『罠』のカードにも並ぶ、最低のカードだ。


その引きに、向かい合うモレクは嘲笑を浮かべた。


(ふふ、やはり運のみでは、このわしには勝てん)


この『トレック』は、心理や思考の要素が絡まぬ、純粋な運否天賦のゲーム。

お互いが一回一回の引きに、己が運を託して挑む、単純明快にして理不尽なギャンブルなのだ。

その土俵に置いてなら、卓越した強運を持つこの男は、まさしく卓上の王であるのかもしれない。


だが、自分は違う。

自分こそは、あらゆるカードを見通し、その引きを自在に操ることが出来る存在。

運気に流されるのではなく、場の運そのものを支配しているのだ。

言うなれば、このゲームにおける神にも等しき存在である。


(王では、神には勝てぬ)


強気な自負に促され、モレクは新たなカードを引く。

引いたカードは、『財宝』の“14”。

これでモレクのポイントは、合わせて30となる。


対して、ギルガメッシュが次に引いたカードは『財宝』の“10”。

ポイントは25にとどまり、モレクには一歩遅れを取る。


しかしギルガメッシュの引いた“10”のカードに、モレクは舌打ちした。


(これで、倍付けの40ポイントでの上がりはなくなったか)


“10”以上のカードでは、40ポイントを上回ってしまう。

かといって他の小さいカードで調整しようとすれば、ギルガメッシュに次の引きを許すことになる。


現在、ギルガメッシュの25ポイントに合計して上がりとなるのは、“15”、“17”、“18”、“19”の四枚。

特に“15”のカードで上がれば、ちょうど40のポイントになって、倍額の支払いとなってしまう。

そんな危険な賭けに付き合ってまで、40のジャストポイントにこだわる理由はない。


「カードは、『財宝』の“11”」


引き上がり、モレクが上がる。

4000エキューがモレクの側へと流れ、互いの資金は28600と11400になり、再びモレクが優位に立った。


(よし、次で決めてやるぞ)


再び決定権が回り、そこでモレクはベットする賭け金に一気に6000エキューをつぎ込んだ。

積み上げられた金貨の山が、卓上に差し出される。

もしここでモレクが40ポイントで上がれば、支払いは12000エキューとなり、ギルガメッシュの敗北が決定する。


オーナーが三十枚のカードをシャッフルし、卓上に並べていく。

この段階になっても、ギルガメッシュからは制止の声が上がらない。

この大一番の勝負、もしガンの考えがあるのだとしたら、例え疑わしきだけでもカードの交換を申し出るはずだ。


それが無いということは、やはり敵はこのガンの仕組みに気づいていないということ。

その事実に、モレクは勝利の決意を新たとする。


(ならば遠慮はしないぞ。アンタには随分と手こずらせてもらったが、ここで終わりにさせてもらう)


遊ぶ気などさらさら無く、この一戦で決着させる腹積りで、モレクは勝負に臨む。

カードに刻まれた“刻印”を駆使し、まっすぐに己が想定通りの引きを繰り返す。

二順が過ぎ、モレクが引き当てたのは『財宝』の“8”、“12”だ。


対するギルガメッシュも、負けてはいない。

小細工など一切用いず、ただ持ち合わせた強運を以て望むカードを引き寄せる。

そうして引いたカードは、『財宝』の“15”と“5”。


図らずも、両者ともに20ポイントで並ぶ。

次の引きで上がりとなるのは、最高のカードである『財宝』の“20”のみ。

同時にそれはジャスト40ポイント、賭け金の倍払いになるということだ。


(本当に、なんて強運だ。まさか運だけで、ここまでわしに喰い下がってくるとは・・・)


残すところ最後の引きを控え、モレクは改めて驚嘆を表す。

もし小細工もなく運否天賦で勝負をしていれば、自分には一欠片の勝機もなかっただろう。


(だが、ここはわしが一歩上をいった)


例え天性の運気がなくとも、自分には老獪に磨き抜いた狡知がある。

苦渋と辛酸の中を生き抜いてきた、これまでの年月がある。

そこで培われた狡猾さが、この並はずれた強運を持つ青年も凌駕して屈伏させる。


貴族の暴虐によって目を焼かれ、この世から光を失った。

あの時の暗さ、身を縛る絶望、その記憶は永遠に薄れる事はない。


地位もなく血筋もなく、ただの一平民に過ぎない自分は、恐らくこの世で最大の弱者だろう。

だが、そんな弱者である自分が、博打においては貴族をも狩る強者になれる。

モレクとって、傲慢な貴族の苦渋こそが最大の愉悦。

例え姿は見えなくとも、その声だけで十分に歓喜に奮える。


その至福の時を求め続けて―――自分は十年を超える歳月を勝ち続けてきたのだ。


(見つけたぞ)


モレクの手が触れるのは、『財宝』の“20”のカード。

指先が捉える感触の位置は、間違いなく先ほどつけた痕であることをモレクに教えている。


指先に触れるその感触が、モレクに己が勝利を確信させた。


(見るがいい。これが、勝利の引きだ)


確信を以て、モレクはそのカードを引いた。

会心の笑みを浮かべながら、自らの勝利を決めるカードを後ろに控えるオーナーへと見せる。


だがいつまでもたっても、勝利を告げるオーナーからの言葉は返ってこなかった。


「?どうしました?」


怪訝そうに、モレクは尋ねる。

その問掛けに、オーナーは震える声でようやく言葉を返してきた。


「カ、カードは、『強奪』の“5”だぞ、モレク!!」


「な・・・にぃっ!?」


あり得ない。

あり得るはずがない。

自分が掴んだカードは、確かに『財宝』の“20”だった。

あの痕の位置は、間違いなく『財宝』の“20”を示していたはずだ。


(馬鹿な・・・、なぜ、こんなことがっ!?)


確かめてみるが、痕の位置は間違いなく『財宝』の“20”に付けた位置。

付けられた“刻印”は、彼に勝利をもたらすはずだったカードであると告げている。


記憶違いをしたのか、一瞬そう考えたが、その考えもすぐに放棄する。

ガンにおける目印の記憶など、このイカサマにおける基本中の基本。

それを思い違うなどというミスを、この自分に限り犯すなど考えられない。


しかし、ならばなぜ、こんな不条理なことが―――


「どうした?何を呆けている?」


その時、モレクはギルガメッシュの声を聞いた。


彼には見えないギルガメッシュの顔に浮かんでいたのは、会心の笑み。

まるでこちらの動揺など全て見透かしていると言わんばかりの、抑えきれぬ愉悦だった。


「そういうこともあるだろう。何しろこれは―――」


そして、例え目で見えずとも、その愉悦はすでに言葉の響きの中にも滲み出ている。


その愉悦の正体を、モレクはよく知っていた。


「―――運否天賦の、ゲームなのだからな」


ギルガメッシュの愉悦、それは浅はかな者を、自分の思い通りに操り貶めてみせた時に生ずる優越の至福。

例えその表情が見えずとも、声の中に秘められたその感情を、モレクは見逃さない。

なぜならその愉悦は、これまでモレク自身が対戦相手に対して懐いてきた快感でもあったのだから。


(こいつ・・・やはり気付いていたのか)


不敵な言葉に、モレクは確信する。


この男は、気付いていた。

自分がイカサマを仕掛けていることも、そして恐らく、そのタネも。

悔しいが、手玉に取られたのは自分のほうだったのだ。


(しかし、だとしてもどうやって・・・?)


イカサマを知ったからといって、すぐにそれを無力化出来るというわけではない。

元よりモレクが付けた痕とは、イカサマと立証することも不可能な微細なもの。

無力化する手段といったらそれこそカードを交換することくらいで、付けられた痕が消えたり変わったりするはずが―――


「・・・あっ!!」


閃きと共に思いだす。

前回のゲーム、ギルガメッシュが引いたカードは、確か『財宝』の“20”と“10”に、『強奪』の“5”と、この三枚。

その時、最初に引いたのは『財宝』の“20”のカード、その後に『強奪』のカードを引いた。

そして、『財宝』のカードを引いた時、不敵に響いたあの言葉―――


『―――狡からい鼠めが』


あの時だ。

あの時に、気付いていたのだ。

『財宝』のカードに刻まれていた“刻印”に、それが付けられた位置に。

モレクがカードを引く時、痕をつけるために行う僅かな動作を決して見逃さず、そこに刻まれた微細な“刻印”に気が付いた。

そして次に引いてきた『強奪』のカードに、その“刻印”と同じものを刻みつけたのだ。


「さて、次は我の番だな」


戦慄するモレクを余所に、ギルガメッシュが卓上のカードへと手を伸ばす。

ゆっくりとした動作で差し出される手は、やがて一枚のカードを引き上げた。


「『財宝』の“20”。40ジャスト。倍払いだ」


まさしく狙い澄ましたかのように、本来モレクが握るはずだったカードが、ギルガメッシュの手へと渡る。

それによって、一気に12000エキューもの金が、本来の想定とは逆にモレクの側から失われていった。


「どうした?何を呆然としている?先ほどまでの饒舌ぶりはどうした」


ギルガメッシュの声が、愕然としていたモレクの耳に届く。


その声に、モレクは俯かせていた顔を上げた。


「そう気落ちするな。まだ勝負はついていまい」


明らかにこちらを見下した響きを伴った、慰めの言葉。

それにモレクは一瞬激昂しかけたが、同時に冷静さをも取り戻す。


そう、確かに勝負はまだついてはいない。

現在の資金状況は、モレクが16600エキューで、ギルガメッシュが23400エキューだ。

確かに形勢はひっくり返ったが、まだ決定的というほどではない。


そう気を取り直すモレクであったが、そんな彼にギルガメッシュは容赦ない衝撃をもたらす。


「ベット。全額だ」


ギルガメッシュの所持する23400エキュー全てが、卓上へと差し出される。

イカサマの裏を取り、もはや迷いも容赦もない怒濤の張りが、モレクを脅かした。


(い、いや、臆するな。これは同時にチャンスでもある。もしここでわしが勝てば、その瞬間こちらの勝利なのだ)


先ほどと変わらず、ギルガメッシュはカードの交換を言い出そうとはしない。

カードに付けた“刻印”は『財宝』の“20”だけではなく、これまでに引いたほぼすべてのカードに為されている。

“刻印”の無いカードも限られており、ほとんど全種類のカードを自分は把握しているのだ。

ならばこちらにも、まだ勝ちの目はある。


そう意気込んではいたが、手先の震えだけはどうしても消えてくれなかった。


「『財宝』の“14”」


先行のギルガメッシュがカードを引く。

相変わらずの高ポイントのカードばかり引き当てるその運気に、モレクは苦い顔を浮かべた。


そして、次はモレクの引き。

伸ばした手の先に触れたカード、そこに刻まれているであろう“刻印”を探す。


“刻印”はあった。

そのカードは『財宝』の“19”。

十分に高ポイントのカードである。


(・・・いや、待て)


脳裏に走った予感に、モレクはカードを掴みかけた手を急遽止めた。


そもそも、どうしてカードの交換を言い出さない。

ガンを無効化する最も効果的な策は、いうまでもなくガンの施されたカードを変えることだ。

イカサマを見抜いたのなら、交換を躊躇う理由はひとつもない。

ましてこの一戦は、相手にとって持ち金のすべてを賭けた、いわば一度限りの大勝負。

そんな一度のみの勝負の時に、相手にとって利となる要素を、わざわざ無効化できるにも関わらず放置するなどあり得ない。


ならば、これも奴の策のひとつ。

あえて希望を残すことでこちらの迂闊な一手を狙った敵の仕掛けた狡猾な罠。

その考えで思い返せば、この『財宝』の“19”は、先ほど敵が引き当てたカード。

もし敵のイカサマに対する気付きがもっと以前であれば、そのカードにも罠が隠されているやもしれぬ。


(このカードは危険だ。別のカードにしたほうがいい)


思いなおし、モレクは隣のカードへと手を移す。

触れる痕の感触は、そのカードを『財宝』の“13”だと示している。

それなりに高ポイントのカードで、何よりこのカードはまだギルガメッシュの手に渡ったことはない。

ポイントの高さよりもむしろその事実を優先させて、モレクはカードを引いた。


引いたカードは、モレクの想定通り『財宝』の“13”。

口頭で伝えてくれるオーナーの声に、モレクはホッと胸をなでおろす。


しかしすぐに、ギルガメッシュはモレクの引き損ねた『財宝』の“19”をあっさりと引き上げた。


「うっ・・・!?」


動揺がモレクに浮かぶ。


彼は気づいていない。

彼が先ほどギルガメッシュに懐いた疑念、それこそが相手に気押されている故の心理であると。

怯えるからこそ疑い、その猜疑心が独り歩きして疑心暗鬼に陥っているだけだ。

いかにも理の通っているように思える理屈を並べて、自ら崩れ落ちていっているに過ぎない。

例え罠などどこにも無くとも、他ならぬモレク自身が架空の罠を作り上げているのだ。


そして手は、その在り得ぬ罠を恐れて止まる。

もし勝とうと思うなら、恐れを振り切って進まなくてはならないのに、モレクにはそれが出来ない。

どれだけ奮い立たせようとしても、結局最後の所で怯えの感情が湧いて出てきてしまう。

光のない閉ざされた世界にいる彼には、自分の思考こそが唯一の光なのだ。

その光を振り切り、目に見えぬものを信じるなど、モレクには到底出来なかった。


「『財宝』の“15”。計48ポイント。上がりだ」


そうしてモレクが尻込みしている内に、ギルガメッシュはあっさりとゲームを物にしてしまう。

勝負が決まり、口惜しさを噛みしめながら、モレクは席を立つ。

足りない分の金額を用意するのは、経営者であるオーナーだ。


勝負が終わった以上、代打ちである自分の役割も終わったのだ。


「どこに行く」


その消沈した背中に、ギルガメッシュが声をかけた。


「座れ。まだ勝負は終わっていないぞ」


「終わっていない、と申されましても・・・。私の所持金の20000エキューは、今のゲームで消費されて―――」


「たわけ。我がいつ、そのようなはした金如きを所望した」


尊大に、ギルガメッシュはモレクとオーナーの両名に言い放った。


「どちらかが破滅を迎えるまで、打ち止めは無しだと言った。その程度の小銭を失ったところで、破滅になどなるものか。我が言う貴様らの破滅とはすなわち、この店舗が有する全ての貯えだ」


ギルガメッシュの言葉に、オーナーとモレクの背筋が凍り付く。


「これからが娯楽の本番だ。逃がしなどするものか」


そんな二人の姿を眺めるギルガメッシュの口元には、愉悦の笑みが浮かんでいた。










再開された勝負。

まさしく己の浮沈がかかった真剣勝負に、モレクは必死の形相で挑む。


(この店の貯えのすべてだと?大言を吐きおって)


個人ではなく店として蓄えられた総資金は、20000エキューどころでは済まない。

その総資金に対して個人で挑むなど、いくらなんでも無謀が過ぎている。

賭け金も青天井だというのなら、相手の資金と同額の賭け金を出せば一度の勝負で決着がつく。

この『トレック』という、運否天賦に偏ったゲームで、一度も負けないなど考えられない。


「『財宝』の“14”。上がりだ」


だが、負ける。

負け続ける。

いくら結果を否定しても、着実に擦り減らされていく資金はまぎれもない事実。

そして敵が勝ち続ける毎に、その被害額は倍となって増えていく。


その中で、モレクは転げ落ちていく。

どれほど勝とうと決意しても、結局囚われるのは疑心暗鬼の闇。

心理に絡みついた暗黒は容易くは振り払えず、むしろ更なる深みへと引きずり込む。

怯えは焦燥を生み、焦燥は判断を鈍らせ、絶対と信じていた自らの能力さえも疑ってかかる。

一度のミスは更なるミスを誘発し、絡み付く闇が更に心理の奥へと侵食していく。


対する、ギルガメッシュは好調そのもの。

彼が引き当てるカードはほとんどが『財宝』で、すべてのゲームをほぼ3、4回の引きのみで上がってしまう。

これまでの接戦が嘘のように、追随を許さぬ強運ぶりでギルガメッシュは勝ち越していく。


(どうして、こうも続くのだっ!?やつの強運はっ!!)


追い詰められ、青ざめた顔をしながらモレクは考える。


幸運というものは、気まぐれで理不尽なものだ。

どれほど薄い確率であったとしても、時としてそれは現れる。

例え1%でも可能性があるのなら、あり得ないような事が起こりうるのが幸運だ。


だが、それにしてもこの結果は、いくらなんでも度が過ぎてはしないか―――


「まさか、何か仕掛けたのかっ!?」


ハッとして、モレクは問い質す。


その詰問に、しかしギルガメッシュは余裕の表情を崩さない。


「あいにくだが、我の手先はそれほどに神経質なものではない。札についた多少の違和感など、そうそう感じ取れはせん」


まさしくモレクの手の内を的確に射抜いた言葉。

はっきりと自らの仕掛けたイカサマを告げられ、モレクは閉口した。


「我は何もしていない。策をかけたのは、先ほどの一度きりだ。それ以外はただ指運で引いていた」


「そんな・・・馬鹿な。そんなもの、信じられるわけが・・・」


「信じられぬのは、その猜疑こそが貴様の本質であるからだ。雑種」


すでに限界寸前のモレクの心に、トドメの一撃とばかりにギルガメッシュは言葉を突き付けた。


「一度為せば、それは手段。十度為せば、それは矜持。そして百度も為した頃には、それは生そのものとなる。

貴様は、人を騙し過ぎた。騙すことで勝ちを重ね過ぎた。もはや貴様は、騙す以外に勝ち方を知らぬ。騙しを破られれば、貴様は絶対に勝てん。

騙すことは、信じる事と相反する。一方が研がれれば、相反する一方が消耗するのは自明の理。相手の言葉はもちろんのこと、自分の能力や運さえも、今の貴様には信じられまい」


一度策で崩したモレクには、他の策は何一ついらなかった。

カードの交換を言い出さなかったのも、必要がなかったからだ。

何もしなくとも、モレクが自らの猜疑心に囚われて自滅していくことは分かっていた。


騙すことは、騙されることの裏返し。

騙す側にいる人間こそ、自分が騙されるとは思わない。

そしてそういう人間が最も、騙されることに脆いのだ。


ひとたびバランスを崩せば、それで終わり。

策のみを必勝の手段とする者は、その手段が破られれば何も出来ない。

通常の手段が信じられぬからこその策、それを失って今さら通常に戻るなど出来るはずがない。


「我とて時には策も用いる。だが、それを勝負の頼みになどはしない。策とは、所詮は小賢しい小細工に過ぎぬ。そのようなものに頼る惰弱な道が、王の歩むべき道であるものか」


ギルガメッシュの手が、卓上のカードへと伸びる。

その引きは、確かな保障など無い完全なる運否天賦。

しかしギルガメッシュに、自らの運気に対する不安は微塵となかった。


「王は、ただ真っ直ぐに進む。己が定めた信念の元に、正当と確信する道を進み続ける。その生き方こそが、真の王者たる魂を彩るのだ」


王者とは、あらゆる事の運びにも、己があり様のままに歩むもの。

ただ正道を突き進むその道に、事の流れを歪める小賢しさなど必要ない。


王者の歩みとは悠々とした、あるいは浪々とした事の運び。

その在り様に、結果のほうが自ら付き従ってきてこそ、世界を制する覇者の由縁である。

未来の結果を恐れず疑わず、信ずるが通りに歩み抜いてこそ、世界は王の意志に応えるのだ。


「正当なる道を歩む、王者の道筋。それすなわち、“王道”だ」


引き上げたのは、札一面の金銀財宝の絵柄が描かれたカード。

最高の『財宝』のカードが、ギルガメッシュの栄光の道を照らしだすように、その手の中で輝いていた。






[2589] [20]小さな王(前編)
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/09/07 04:37





[20]小さな王(前編)










「あり得ないわ」


眼前に立つ金髪少年に対して、ルイズは告げた。


「若返りの薬とかいう、胡散臭い道具のことは、まあいいわ。アンタが一般常識を無視して何かしでかすのはいつものことだしね。

けどね、あの金ぴか暴君の子供時代が、こんな可愛げがある子だなんて絶対にあり得ない。進化の秘法とか、神様に脳でも改造されたんじゃないの」


「あやや。ひどい言われようだなぁ。ま、振り返ってみると、自業自得な所が多すぎるので、あんまり反論も出来ないですけどね」


アハハ、と気楽に笑って、少年は言葉を返す。


そう、この金髪の少年こそ、かの英雄王の幼年時代の姿。

若返りの秘薬にて変身したお子様たちのカリスマ、子ギルである。


「まあ、お姉さんはボクのことはあまり気にしなくてもよいですよ。今回のボクは基本、傍観者の立場でいますから。一応壇上には上がるけど、主演には立ち会わない、みたいな」


「?よく分からないけど、とりあえず私の任務の邪魔はしないってことね」


「ええ。どんな行動指針でも文句は言いません。お姉さんは自分の考えで、御勤めを頑張ってください。

ところで、お姉さん。早速ながら聞いておきますけど、今後の事について何か行動指針は立っているんですか?」


尋ねられて、ルイズはグッと言葉を濁した。


現在のルイズは、完全なる無一文状態。

おまけに潜入任務だというのに、その潜入する場所の目処さえ立っていない状態だ。


行動を起こそうにも、その最初の一歩からして、すでに足場を見失っている有様である。


「はぁ・・・、仕方無いなぁ。まぁ、前座の段階からいきなりモタついているのもどうかと思いますし、少しだけ手助けしてあげます」


「え?」


「お姉さんはここで待っていてください。とりあえずボクが、最初の道筋くらいは探してきてあげますから」


そう言い残して、この場を去っていくギルガメッシュ。

残されたルイズは、広場の噴水などを眺めながらギルガメッシュが戻るのを待った。


それから一刻ほどが過ぎたころだろうか、ギルガメッシュが戻ってきた。

異様に妖しげな格好をした、大男を引き連れて。


「こんばんは。あなたがルイズちゃんね」


女のような言葉使いではあるが、間違いなく目の前にいるのは男である。


黒髪はオイルで撫でつけられ、露出度の高い服装の胸元からはモジャモジャの胸毛が溢れだしている。

鼻の下と見事に割れた顎には小粋な髭を生やし、たらこのような唇には口紅まで塗ってある。

鍛え抜かれた筋肉と、全身から漂わせる強い香水の香りが何ともミスマッチだった。


「はじめまして。わたくしの名前はスカロン。この近くで『魅惑の妖精』亭っていう宿を営んでいるの」


「は、はぁ、そうなの・・・。ところで、あなたは何をしに・・・?」


尋ねてみるが、聞いていないのかスカロンは答えない。

しばらく待っていると、唐突にスカロンは広場の真ん中で泣き始めた。


「辛かったでしょうね・・・。でも、もう大丈夫よ。このわたくしが、羽を折られた哀れな妖精ちゃんを助けてあげるわ」


乙女のようにほろほろと涙を流して、スカロンは懐から出したハンカチを噛み締める。

腰がクネクネと蠢いていて、はっきり言ってかなり気持ち悪い。


「あの、一体なにが・・・」


「言わないで。・・・分かっているわ」


何が分かっているのだろう。

少なくとも、自分は何も分かっていない。


「苦労したのね・・・。分かる、分かるわ。若いのに、そんなに疲れた顔をして。これまでの苦労する姿が目に浮かんでくるようだわ。何だか馬糞みたいな臭いもするし」


「いや、もうそのネタはいいわよ」


「でも、安心して。このわたくしが、あなた達を暖かく迎え入れてあげるわ」


どうもこっちの話は聞いてもらえないらしい。

勝手に話を進められていき、流されるままに付いて行かされる。


「ありがとうございます、スカロンさん」


その道中では、ギルガメッシュはスカロンに感涙を顕わとした眼差しを向けていた。


「こんなボク達に、こんなにも優しくしてくれる人がいたなんて・・・。ああ、僕やお姉さんの世界から、慈悲は失われていなかったんですね」


「いいのよぉぉぉ、ギルちゃん。あなた達はもう、何も苦労することはないの。ぜんぶ、このミ・マドモワゼルにお任せなさい」


「スカロンさん・・・。ボク、あなたに会えてよかった」


感動した面持ちのギルガメッシュに、クネクネと猫なで声で答えるスカロン。

何やら意志疎通の出来ている二人に完全に置いて行かれる形で、ルイズはその後に続いて行った。










「どうして潜入場所がよりによってこんな下賤な酒場なのよっ!!」


あてがわれた二階の空き室の真ん中で、ルイズが叫ぶ。

対面にはベッドに腰かけるギルガメッシュの姿があった。


『魅惑の妖精』亭。

二階以降は宿泊客に提供される宿屋で、一階では居酒屋を営み、そちらこそを本業としている。

また店員はほぼすべて女の子だけで構成されており、それぞれが派手な衣装に身を包んでいる。

酒の質はともかく、可愛い女の子が給仕をしてくれるというので、なかなかに繁盛している様子だった。


女の子はただ給仕をしているというだけで、何もいかがわしい行為をしているわけではない。

しかし、名門貴族の娘として淑女の教育を受けてきたルイズには、十分に下賤な店に映ったようだ。


「こ、この私が、おそれおおくもラ・ヴァリエール公爵家の三女であるこの私が、平民相手に媚を売って酌までしろっていうの!?店長も変態だし、アンタ絶対悪意でこの店選んだでしょっ!!」


「ひどいなぁ。僕は純粋にお姉さんのためを思って選択したんですよ」


怒り心頭のルイズにも動じず、小さな英雄王は余裕の態度で受け流す。


「酒は惰性への誘いです。陶酔した人間は警戒を鈍らせ、心の禁固を緩ませます。民の本音を聞くのなら、酒盛りの席は絶好の場でしょう。スカロンさんが変態なのは事実ですが、別に悪人というわけじゃない。信頼できる人間だと思いますよ」


「ゔっ・・・」


反論できず、ルイズは口ごもる。


確かに情報収集という点において、酒場というのは打って付けだ。

スカロンの事も格好の不気味さはともかく、悪い人間には見えなかった。


「屈辱は臣下の宿命ですよ。それをグッと堪えて、尽くしてみせてこそ忠節の臣と言える。お姉さんも、ここは聞き分けましょうよ」


「わ、わかってるわよ」


そう言われては、文句など言える筈がない。

アンリエッタの臣下として仕える事を誓ったのは、他ならぬ自分自身なのだから。


「ところで、アンタ一体どんな事情を説明したの?挨拶の時、みんなこっち見て涙ぐんでたわよ」


先ほど店員の女の子達の前で挨拶を行った時のことを、ルイズは思い出す。

こちらを見る誰もが、とても同情的な眼差しを向けていた事を覚えている。

それもハンパな同情の仕方ではなく、こちらの方がむしろ気押されたほどだ。


「大したことじゃありません。真実と虚言を交えた、ちょっとした空想ですよ。虚言を隠すには、真実を織り交ぜた中に潜ませるのが一番有効ですから。まるっきり嘘ってわけでもないので、割と筋も立てられますし」


随分と軽い様子で言ってくる。

皆の反応を思い返すと、とてもそんな軽いものだとは思えなかったが。


「さて、ボクがしてあげるのはここまでですよ。これ以上の事は、ボクは一切協力するつもりはありません。明日からの事は、お姉さんにお任せします」


「分かってるわよ。この任務は、私が陛下から受けた任務なんだから」


ルイズとギルガメッシュは、この店で働いて下宿させてもらうことで話がついている。

今日の所はこれまでの道中の疲れを労う意味で休みとされていたが、明日からは本格的に労働に参加することになっていた。


「見てなさいよ。私は女王陛下専属の女官。見事に陛下から与えられた任務をやり遂げてみせるわ」










しかし、現実はそう甘くは無かった。


名門の公爵家、その三女として性根の先端まで貴族として育てられてきたルイズ。

そこで培われてきた自尊心が、平民相手に頭を垂れることを許さない。

例え任務のためと分かっていても、どうしても屈辱と激情が先行してしまうのだ。


おまけに、ほとんど女の子を目当てにやってくる客達は、下品な男ばかり。

品性の欠片も感じられない下郎共を相手に、ルイズの実に細い堪忍袋の緒はあっさり切れた。


「じゃ、ワインは口うつしで飲ませてもらおうか。それで酒こぼした件はチャラにしてやるよ」


その客には、ルイズは口に含んだワインを吹きかけてやった。


「おいおい、この店じゃあ、こんなちんちくりんのガキまで働かせてるのかよ」


その客には、壜ごと酒を飲んでいただいた。


「ききききみって、かかかかわいいねぇ。ななななかなか、そそるよぉ。おおおお金ならあげるから、どどどどう、今夜?」


その客には、必殺の右ストレートを炸裂させた。


そんなこんなで、給仕としてのルイズの愛想は最悪であった。


「ちょっと、ルイズちゃん」


さすがに見咎められて、スカロンに呼び出された。


「困るわよぉ~、あんなにお客様を怒らせたら。ルイズちゃんも他のみんなみたいに、要領よく立ち回らなきゃ」


怒られて、ルイズはスカロンと共に店の隅っこで他の店員の女の子達の様子を見学する。


他の女の子たちは、なるほど、さすがに慣れているだけあって巧みであった。

ニコニコと愛想良い微笑みを常に浮かべ、なにをされても怒らない。

スイスイと上手に会話をすすめ、男たちを褒め、そして触ろうとする手を優しく掴んで触らせない。

そんなつれない態度の女の子達に、男は気を引こうとチップを奮発するのである。


(あんなこと、できるわけないじゃない)


自分がああしている姿を想像して、恥辱からルイズは唇を歪めた。


「ホラ、ギルちゃんの方を御覧なさい。あんなに上手くやっているわ」


「え?」


きょとんとして、ルイズはスカロンの指す方を向く。


スカロンの指す先には、確かに幼年体のギルガメッシュがいた。

あんな子供の姿の、しかも男であるギルガメッシュまで、給仕の仕事をしている。

てっきり裏方に回って、皿でも洗っているのかと思っていたのだが。


「なんだ、この小僧は。こんな子供に給仕をやらせるとは、ふざけているのか」


酒を運んできたギルガメッシュに、さすがに客も怒りだす。

実際はともかくとして、見た目幼年にしか見えないギルガメッシュを使うなど、ふざけているとしか思われないだろう。


「す、すいません、お客さん。ボクが店長に、無理を言って働かせてもらっているばっかりに・・・」


しかし、そこからがやはりギルガメッシュの常人とは違うところ。

涙ぐんで潤んだ瞳、小さい身体の弱々しい仕草が、客の良心をピンポイント爆撃する。


その姿に、怒り心頭だった客は「ゔっ・・・」と良心の呵責に苛まれ、怒りを納めた。


「な、なにか事情でもあるのかね・・・?」


口調も穏やかにして、貴族らしい風貌の男はギルガメッシュへと尋ねる。

思惑通りに相手の方から尋ねさせることに成功し、ギルガメッシュは内心でほくそ笑む。


こういった相手の心情につけこむ話は、自ら語り出すより相手に尋ねさせる方が遥かに効果は高い。

こちらから切り出す話は、当初の相手の関心が薄く、話の中に引き込むのはなかなか難しいのだ。

反面、相手の方から尋ねられた話は、始めから相手の興味を掴んでおり、そこから話の中に引き込んでいくのは容易である。


そんな内心の思惑は露ほども面に出さず、涙ながらにギルガメッシュは語り出した。


「はい。実はボクは、さる由緒高き貴族の元で―――」


それより語られるのは、聞くも涙、語るも涙の、一人の少年を主役とした物語。

少年が辿ってきた苦難の日々、その中で出会う人々との触れ合い、そして別れ。

流転する運命は少年のか細き身を容赦なく呑み込み翻弄し、しかし少年は挫けず歩み続ける。

少年の語る己が生き様、その勇気ある姿には感動を覚えずにはいられない。

まさしくそれは、シェイクスピアも脱帽の健気で瑞々しい感動の物語だった。


言うまでもないが、すべてギルガメッシュのでっち上げ嘘八百である。


「くぅお・・・っ!!そうか、そんな事が・・・」


話に聞き入っていた貴族の男が、ボロボロと涙をこぼす。


いや、彼だけではない。

いつの間にかギルガメッシュを中心に囲むようになっていた他の客や店員達も、同じように感涙の涙を流していた。


「そうかぁ、わけぇの。苦労したんだなぁ」


「大変だったんだねぇ、ギルちゃん・・・」


「それに比べて、俺達は一体何をやってるんだ・・・」


所々からギルガメッシュに対する同情の声が上がる。

この場に居る誰もが、彼の語る生き様に涙し、心を震わせているのだ。


幼年の身となってなお衰える事の無い半神半人の魔性のカリスマ。

これほどまでに人心を引きこんだ状況は、単に物語の完成度だけで成し得るものではない。

重要なのはその語り部、他者を惹きつけて止まないギルガメッシュの仕草のひとつひとつ、その魅力である。


まさしくこの場は、ギルガメッシュ唯一人の主演舞台。

彼の語る物語は聞く者にとっての真実となり、彼の漏らす悲嘆はあらゆる者の悲哀を誘う。

この瞬間、この場を支配している者は、間違いなくギルガメッシュであった。


「・・・君の事情はよーく分かった。これは心ばかりの、私からの手向けだ」


そう言って貴族の男は、金貨の入った袋をギルガメッシュへと差し出す。

その量は、明らかに通常のチップの相場を遥かに越えていた。


「俺からも受け取ってくれ」


「なら、これは俺からの気持ちだ」


「私からも、どうか受け取ってくれたまえ」


一人のチップを皮きりに、他の客達も次々に金貨のチップを差し出していく。

気が付けば、ギルガメッシュの前にはちょっとした金貨の山が出来あがっていた。


「そんな・・・、けど、ボクは・・・」


チップの山を前にして、しかしギルガメッシュはなかなかそれを受け取ろうとはしない。

戸惑ったように視線を泳がせ、言葉を濁している。


その様子に、他の者達は怪訝そうな視線を向けた。


「人に親切にされるのって、慣れてないから・・・」


そして全員の視線が注目した所を見計らい、最後に締めの一言。

俯きながらのその仕草がまた、薄幸の美少年の雰囲気を醸し出し、皆の良心を絡め取る。


気が付けば、チップの山は二つになっていた。


「あ゛―・・・」


その様子を、ルイズは店の隅からただ呆然と眺めていた。


もはや言葉さえない。

口からの出任せも、あそこまでいけばいっそ清々しくある。

というか、これはどう見ても給仕がチップを受け取る場面だとは思えない。

ほとんど詐欺ではないだろうか。


皆からの厚意に、ギルガメッシュはパァと嬉しそうに微笑んで見せている。

その微笑みはまるで天使のようで―――それ故に、真実を知る者としては絶対に信用できない笑顔であった。


とはいえ、真実を知らない者には、それはまさしく魔性の微笑み。

疑いなど微塵と見せず、その笑顔に心酔して、皆で彼の事をもてはやす。

この場の流れは、完全にギルガメッシュが掌握していた。


と、その時、ギルガメッシュとルイズの視線が、ふと合った。

誰にも顔が見えない角度、その位置を計算し、ギルガメッシュはほんの一瞬だけ小悪魔的な笑みを浮かべ―――


「ゲット」


一言、そう言った。


「素晴らしいわ、ギルちゃん。さあ、ルイズちゃんもギルちゃんみたいに―――」


「出来るかぁぁぁっ!!」










結局、この日は散々だった。


あの後もルイズの態度は改善されることはなく、トラブルを起こしまくった。

すぐキレるわ、注文は取らないわ、ケンカはするわで、客を怒らせること十数人。

はっきり言って、店にとって迷惑以外の何物でもない。


「お姉さん、しっかりしましょうよ~」


同室する部屋のベッドに腰掛け、気楽に格好を崩したギルガメッシュが言った。


「だって、しょうがないじゃない」


対面で椅子に座るルイズは、憮然とした面持ちで答える。


「私だって、何とか愛想よくしようとしたわよ。けど、アイツらの下品な物言いを聞いてると、つい口が勝手に動いちゃうんだもの」


「口を聞かないようにしてみたらどうですか?笑顔だけ浮かべて、後はあまりしゃべらないようにして」


「試してみたけど、そしたら口の代わりに足が出てたわ」


「じゃあ、足も封じてみたら?」


「それもやってみたけど、次は手が動いてたわ」


「・・・それも動かさないようにしたら?」


「・・・酌が出来なくなったわ」


困ったように肩を竦め、ギルガメッシュはハァと溜め息をひとつ。


「なんかもう、本当に手の施しようがないですねー。ほとんど末期症状です」


「う、うるさいわねっ!!そういうアンタこそどうなのよ。確か昨日は協力する気はないとは言ってなかった?」


「そうですが、まあボクもやるからには、店の利益に少しは貢献しようかと思いまして」


店の中心にチップの山を築き上げた少年は、実に気楽な調子でそう言ってくる。

何事もやるからには大きく済ませなければ気が済まないのは、やはり彼がギルガメッシュである由縁であるのだろう。


「・・・これでも、私だって頑張ったんだから」


そんなギルガメッシュの功績に押されながら、俯き気味にルイズは言う。


確かに、ルイズはルイズなりに努力をしていた。

常時ならば、自分に付き従うのが当然である平民相手の給仕。

心が破裂しそうな屈辱にも耐えて、それでも女王陛下のためと思い、何とか打ち解けられるよう努力したのである。


しかし、それでもやはりこれが限界だった。


公爵家の三女として、これまでの人生のすべてを貴族として生きてきたルイズ。

人の上に立ち、従者を従わせて、忠義を尽くす王家のために力を尽くしていく。

そんな気高く誇り高い在り方こそが、ルイズの目指すべきものであり、本当の貴族の姿だ。


だが、今の自分の姿は、そんな理想の姿からは程遠い。


「そう何度もフォローはできませんよ。今日のことだって、ボクの上げた利益で何とかお茶を濁せましたけど、そう長くは続きません」


「・・・もういいわよ」


投げ遣りな口調でそう言って、ルイズはギルガメッシュの座る方とは別のベッドに向かう。

そしてそのまま、身体を投げ出してベッドの上に横になった。


ひどく、疲れていた。

身体が、ではなく、精神的なものが。


つい昨日の、女王陛下の女官として認められた時のことを思い出す。

あの時は、ただ自分が他人から認められたことが嬉しくて、ひたすらに舞いあがっていた。

向けられた期待に応えられるよう、これからの事を思い奮起し、そして輝かしい未来に希望を持っていた。


だが、この体たらくは何なのか。


女王より受け取った活動費は、つまらない賭博のせいで失い、与えられた任務も満足にこなせない。

そしてその失敗を、よりにもよって使い魔にフォローを入れられている始末。


使い魔とは、元来メイジにとってのパートナーであり、忠実なる従者だ。

使い魔を使役するのはメイジであり、その能力を十二分に引き出してやることこそ、メイジの務め。

互いに互いを助け合い、高め合ってこそ、真のパートナーと言える。


確かに、ギルガメッシュの事は通常の使い魔の計りに入れて考えるべきではないのかもしれない。

だがそれでも、今の状態はひどく滑稽に思える。

これではまるっきり、使い魔に子守りをされているようではないか。


「・・・ハァ」


情けない思いを、溜め息を共に吐き出そうとする。

気が付けば、ギルガメッシュの姿が部屋の中から消えていた。

探しに行こうか、と一瞬考えたが、自分がギルガメッシュの心配などおこがましいと思い、やめた。


(大人でも子供でも、結局アイツは何でも一人でどうにかしちゃう奴なのよね)


それに比べて、自分は何なのか。

再び自分のことが情けなく思えてくる。


ベッドの中で、ルイズはアンリエッタより手渡された、女王の女官であることを証明する許可証を取り出す。

ギルガメッシュにより二つに裂かれたそれには、真ん中にくっきりと縫い目が走っている。

その滑稽な姿が、今の自分にはよく似合っているように思えて、ルイズは思わず苦笑した。


その時、ドアが開く音がして、何者かが部屋に入ってくる。

振り向くと、ギルガメッシュが戻ってきていた。


「お姉さん。食事ですよ」


ギルガメッシュの手には、食事の乗ったお盆があった。

パンが二切れに、質素な野菜のシチュー。

貴族としてルイズが食べてきた食事とは比べようもないほどに貧しい食事だった。


「スカロンさんが作ってくれていました。お姉さん、さっき食事取って無かったでしょ。ダメですよ、ちゃんと食べないと」


「・・・いらない」


空腹は感じていたが、何かを食べる気分ではなかった。

そっぽを向いて、ルイズは布団に包まる。


「もう、そんなことじゃあ身体を壊してしまいますよ。栄養はキチンと取っておかないと」


「いらないったら、いらない」


諭すように言ってくるギルガメッシュに、ルイズはムキになって拒絶する。

自分のためだとしても、彼の哀れんだ態度に、余計に反発を覚えてしまう。

それが理不尽な感情だとは理解していたが、それでもルイズにはどうしようもなかった。


「・・・まぁ、お姉さんの気持ちも分かるんですけどね」


「・・・え?」


ギルガメッシュの口調が変わる。

それまでの上の目線から諭すのではなく、ただ淡々とした口調で、ルイズに言葉を投げかける。


「お姉さんは貴族、他人の上に立つ種類の人間だ。その在り方が身体の隅々まで染みついて、今の状況に適応できないでいる。お姉さんにとっては仕事というのは他人を使って行うものであり、自分の手で行うものじゃない。特に、名誉などとは程遠い雑務などはね。違いますか?」


確かに、その通りだった。


ルイズの出身は公爵家、トリステイン有数の権威を誇るラ・ヴァリエール公爵の三女である。

従者を使いまわすことは、それこそフォークとスプーンの扱いほどにも慣れていたし、貴族が平民の上に立つ存在であることも教育を受けて自覚をしている。

雑事など、自分の手で行おうと思ったことすらない。


「それがルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの人生だ。その生き方が、貴族と平民の二つを格差する。理屈ではなく、魂そのものが。貴族として上に立ち、その下にある平民を使う事に慣れ過ぎている。もはや習慣と言ってもいいでしょう。そしてそこには迷いがない。

ああ、それは決して悪いことじゃない。人の上に立つ者として、それは必要な技能だ。他人に対する平等意識があると、命の取捨選択が出来なくなる。結果、いざという時に判断を曇らせ、あげく全てを台無しにしますから。自他の区別を明暗にできない人間に、支配者たる資格はありません」


前記した通り、ルイズのこれまでの十六年の人生は、貴族としての人生だった。

貴族とは平民の上に立つ存在、そしてその平民を導いていくべき者達。

貴族が平民を使役するのは当然のことであり、そこに疑問を指し込んだことはない。


だがらこそ、今の状態がルイズには過大な歪みとなってのしかかってくる。

これまで使役する側だった人間に、いきなり使役される立場になったのだ。

そう簡単に適応など、出来る筈がない。


「けれど、それだけでは上に立つ人間として三流です。上に立つ者は、自分の視野の他に、みんなと同じ視野も持ってなくちゃいけません。そうでなくては、支配者はその部分に大きな隙を残すことになる。

人生とは、経験の積み重ねです。人が真に自らのものとして刻みこめるのは、自らが経験した事のみ。知識だけでは、実感として乏しいですから。

初めから上で在った者、下等の人間であった経験のない者は、その方面に対して無防備です。結果、時折大きな間違いを犯してしまう。下の者の視野を持たない人間に、本当の意味で人を使いこなすことはできません」


「・・・つまり、私が平民のように振る舞うことが、私にとっての利点になるっていうの?」


「そう考えれば、耐え忍ぶのも苦ではないでしょう。経験が実感を生み、あなたという存在を強固とするんですから」


そう言われれば、確かにそうかもしれない。

今日のことだって、これまでの自分ならば少しも省みなかったであろうこと。

給仕の立場となった視野など、それこそ思い巡らす機会も無かっただろう。


しかし、その経験が自分のためになると言われても、正直あまり実感が沸かない。

どうして自分が、という気持ちがどうしても先行してしまう。

経験が力になるのは分かるが、必要のない経験などいくら溜めても仕方無いようにも思える。


自分が平民のように振る舞えるようになったとして、それで一体何が変わるというのか。


「共感しろと言うんじゃない。ただ理解だけはしておくべきだ。要は折り合いをつけろ、という事です。肥大し過ぎた誇りは、単なる傲慢しか呼ばない。自らに引いた境界を超えない限り、ある程度の自粛は必要だと思います。

必要のない屈辱ならば、多少の無理を通すのはいいでしょう。阿るばかりを繰り返していては、それが在り方として染みついてしまう。それは最も避けたいことだ。ですが、必要のある屈辱ならば、それを甘んじて受け入れるのも覚悟の内です」


ギルガメッシュの言葉は、正鵠を射ている。


ルイズが上手くいかないのは、結局のところ屈辱の感情が原因である。

平民や、遥かに身分の低い貴族に対し媚を売る自分。

そんな自分の姿が、ルイズにはどうしても許せないのだ。


だが、そのままではいけないということも、やはり分かっている。

忠義を重んじるならば、この程度の屈辱などどうという事はないはず。

それなのに上手くいかないのは、やはり自分の覚悟が足りないからなのか。


「そんなに思い悩むことではありませんよ。屈辱などお姉さんにとって、すでに乗り越えてきたものじゃあないですか」


「え?」


「貴族なのに魔法が使えないという恥。『ゼロ』という名の汚名。それはもう、あなたが過ぎてきた道だ。それを思えば、今さらこの程度の屈辱、なんということはないでしょう」


ルイズはハッとした。

屈辱の日々というのなら、確かについ最近までの自分がそうだったのだ。


魔法が使えず、皆から『ゼロ』と嘲笑される日々。

親からは失望され、使用人たちにすら同情の対象となる。

その日々の屈辱に比べれば、この程度のものはどうということもない。


しかし、ルイズはその日々より解放された。

屈辱は栄光に変わり、女王陛下に認められて、これからの未来に希望を懐いていた矢先だった。

その懐いていた期待との落差が、ルイズの心を常時以上に揺さぶったのだ。


「なんだかんだ言っても、お姉さんは努力というものを知っています。数日どころではない、何年もの苦渋に耐えてきた経験は、お姉さんに確かな何かを与えている。それがある限り、お姉さんは大丈夫ですよ」


その保証は、嬉しかった。

他人に自分の何かを認めてもらうということは、それだけで大きな励みになる。


ルイズはこの優しげな少年に、素直に感謝の念を懐いた。


「その・・・ありがとう。いろいろと、気を使ってくれて」


青年体相手では決して言えないだろう謝辞を、ルイズは口にする。


感謝を受け取り、ギルガメッシュは好意的な笑顔を浮かべて―――


「せっかくの契約の縁です。お姉さんには、大成してもらいたいですからね。・・・傍観者の立場からすれば」


最後の一言だけが、ひどく冷たく響いた。


この少年がギルガメッシュと名乗って現れた時、正直ルイズには信じられなかった。

目の前にある少年と、自分の知る傲岸不遜の使い魔の姿は、あまりに隔たっている。

確固たる証拠を見せられた後でも、実感は出来ていなかった。


だが今の瞬間、目の前の少年とギルガメッシュの姿が重なった。


その感覚に、ルイズは直感的に悟る。

青年と少年、同一の人物とは思えないほどに正反対な、二人のギルガメッシュ。

その正逆なはずの二人は、しかし君臨する地点において全くの共通であると。


ギルガメッシュと共に在る事で、時折感じる存在の隔たり。

自分は彼を対等に見ているようで、その実、遥か高みより見下されているという感覚。

存在の違いを実感させるその感覚を、今のたった一言に確かに感じたのだ。


自分を見るギルガメッシュの視点は、まさしく神の視野が如き遥かな俯瞰。

自分という存在の足掻きを、彼はそこでただ見詰めている。

例え時に力を貸してくれようと、ギルガメッシュの本質はただ眺めるだけの傍観者にすぎないのだ。


その事実を、ルイズは今はっきりと実感した。


「というわけで。さあ、マスター」


打って変わって、明るい口調でギルガメッシュは言ってくる。

その急激な変化に、ルイズは少々混乱した。


「食事は最も基本的な、身体の資本ですよ。資本の貯えがないものに、大成はあり得ません」


そう言って差し出してきたのは、お盆の上に乗せられた質素な食事。

やや雰囲気に流される形で、ルイズはそれを受け取った。


用意された食事は、彼女が口にしてきた貴族の食卓には遠く及ばなかったが、労働の疲労と空腹感が食事の味を引き立てていた。


「そうそう。塞ぎ込んでいても、大した意味はありません。お姉さんは行動の中で答えを見つけるタイプですからね。ちょっとくらい愚かな方が、お姉さんにはちょうどいい」


満足そうに、ギルガメッシュはウンウンと頷く。

ルイズが立ち直った事に対する満足か、それとも自分の思惑通りに進んだことか。

恐らくは、後者だろう。


なんだかんだ言っても、今回も結局は彼に上手く乗せられたということなのか。


「まあ、一応お礼は言っておくわ。ありがと」


「いえいえ」


「けどね―――」


しかしやられてばかりなのは癪なので、一応の反撃はしておくことにする。


「さっきの話、アンタにだけは言われたくなかったわ」」


その一言に、ギルガメッシュは困ったように動揺を顕わとした。


「ううっ、いや、ボクの場合は、理解はしてるんですけど、理解したことを片っ端から失念しているというか、まったく顧みないというか、とにかくそんな感じで。

ああ、どうしてあんなオトナになっちゃったのかなぁー。未来が分かっていて、それを変えられないって鬱だなぁー」


オロオロと言葉を選ぶギルガメッシュ。

その姿は。まるで親に叱られて言い訳の言葉を並べる子供のよう。


そんな歳相応の少年の姿に、ルイズはクスリと笑みをこぼした。






[2589] [20]小さな王(後編)
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/09/15 01:55





[20]小さな王(後編)










ルイズとギルガメッシュが『魅惑の妖精』亭で働き始めて、一週間ほどが過ぎた頃。


初日の夜、ギルガメッシュとの対話以降、ルイズは変わった。

給仕として働いていても、どうしても表面に出てきてしまう貴族としての高飛車ぶりを、内にしっかりと封じ込めたのである。


客に向けるのは引きつった笑みではなく、天然の笑顔。

多少の野次や、下品な物言にも、決して怒りを見せずに我慢する。

そして極め付けなのは、貴族としての気品に満ちた優雅な礼節。

この高貴さに満ちた礼こそが、ルイズに出来る唯一の接客である。


元々ルイズは公爵家の娘として、貴族としての作法の全てを骨の髄まで叩きこまれている。

彼女の人生を注いで鮮麗されたその仕草は、そこいらの娘が一朝一夕に身に付けられるものではない。

ルイズはキャミソールの裾を掴み一礼してみせれば、さながらそれは王侯に対する礼節に見えるのだ。


元々、これまでずっと貴族として育ってきたルイズが、平民の娘のやり方を真似たところで、上手くいくはずはない。

ならば自分は、自分にしかない武器を以てやればいい。

そして自分に備わった武器とはすなわち、貴族としての己自身に他ならない。

平民の娘には決して真似できない、気品と優雅さに満ちた礼節こそが、自分の武器だ。


「ふぅむ、君はよく見ると高貴な顔立ちをしている。ひょっとして、上流階級の生まれではないかね?」


そんな気品ある仕草を見せられると、客のほうもルイズの素性が気になり出していく。

そうして客達があれこれと根拠のない予想を並べていくのを、ルイズは黙って聞いていく。

口が回る方ではないと自覚していたし、下手にしゃべって墓穴を掘ることを防ぐためである。

そして己が使い魔直伝の、物憂げな仕草と表情で客達の同情を引きつけるのだ。


さすがにギルガメッシュのようにはいかないが、その手法はそこそこ上手くいっている。

客からのチップも貰えるようになり、気をよくした客達からはいろいろと話も聞くことが出来た。


「なかなか頑張ってるみたいですね、お姉さん」


ベッドの上に寝転びながら、ギルガメッシュが話しかけてくる。

それにルイズは、書簡に筆を走らせながら答えた。


「結構ストレスは溜まるけどね。それも随分と慣れてきたわ」


ルイズがしたためている書簡は、アンリエッタに宛てた報告書。

彼女に与えられた任務である、国民達の新女王に対する評価の声である。


その内容は、お世辞にも聞こえの良いものばかりではない。

いかに奇跡の勝利を成し遂げた『聖女』といっても、王としてアンリエッタはまだ若すぎるのだ。

彼女の美貌は人々を“魅了”はしても、“権威”として君臨するには至らない。


そして、戴冠と共に行ったアルビオンに対する宣戦布告。

大規模の遠征となるその戦争に向けて、現在トリステインでは国民を上げての開戦の準備が進められている。

それは確実にトリステインに住まう人々の負担となり、王に対する不満を募らす要因になっている。


そうしたアンリエッタにとって耳の痛いであろう話も、しかしルイズは一切誤魔化すことなく送っている。

アンリエッタが求めるのは、虚言のない民たちの真実の言葉。

ならば言葉を柔らかに着飾ることに、何の意味もない。


一片の色もついていない女王に宛てた報告書を、ルイズは伝書フクロウにくわえさせて送り出した。


「そういえば、ギルガメッシュ。アンタはチップレースには参加するの?」


一日の仕事を終了させて、ホッと一息ついてから、ルイズはふと思ったように尋ねた。


チップレースとは、今日より一週間の期間で行われる、ここ『魅惑の妖精』亭特有のイベントである。

店員の女の子達はそれぞれに客から貰ったチップの量を競いあい、最も多い金額を得た者が勝者となる。

店一番の“妖精”を決める、ちょっとしたお祭り騒ぎの競争なのだ。


まあギルガメッシュの場合、性別は男なのだが、それはこのさい些細な問題である。


「いえ。謹んで辞退させていただきますよ」


「そうなの?ジェシカはアンタの事を、ライバルだぁ、とか言って燃えてたけど」


ジェシカとは、店長のスカロンの一人娘であり、店員の管理を任されているこの店の看板娘だ。

その惚れ気と嫉妬の感情の巧みな使い分けは天下一品であり、その話術によって並みいる男共の財布からチップを巻き上げてきたつわものである。

現在のチップレースの優勝候補の筆頭であり、さっぱりとした性格の快晴な少女だ。


そんな彼女とルイズの接点は、新入りと先輩の関係として彼女の方から親身に話しかけてきたことに始まる。

その誰にでもざっくばらんとした性格は、身分を隠すルイズとしてもいっそ清々しく、あまり悪い感情は覚えなかった。

今ではそれなりに親しく話し、ルイズとしても好ましいと思っていた。


「ジェシカさんには悪いですが、付き合うつもりはありません。あいにくと、ボクにはスカロンさんのような趣味はないもので」


今日の夕方、皆の前に現れたスカロンの格好を思い出し、ギルガメッシュは嘆息する。


この『魅惑の妖精』亭には、あるひとつの伝説がある。

約四百年前、“魅了王”と呼ばれた時の国王アンリ三世は、とある酒場の給仕の娘に恋慕の念を懐いた。

身分違いのその恋は実らず、王は一着のビスチェを仕立て、せめてもの恋の縁とした。


その伝説に出てくるビスチェこそが、この『魅惑の妖精』亭の秘宝であり、“魅了”の魔法がかかったマジック・アイテム『魅惑の妖精のビスチェ』である。

チップレースの勝者には、景品としてそのビスチェが貸し与えられることになっているのだ。


「ボクは適当に手を抜きます。そういうお姉さんこそ、優勝を目指してみたらどうですか?」


「私が?う~ん・・・」


現在のルイズは、それなりにコツも掴み、チップの方も受け取れるようになっている。

チップレースでも、もしやろうと思えば上位を狙うことも不可能ではないだろう。


「まぁ、考えておくわ」


しかし当のルイズは気の無い返事をよこすだけ。

そのまま彼女は明日への活力を優先して、睡眠へと入っていった。










さて、日付は移り、時刻は陽光照りつける昼時。

夜に酒場として機能する『魅惑の妖精』亭は、昼間は主に店の仕込みが仕事となる。


その例にもれず、ルイズもまた店の労働に励んでいた。


「まったく・・・、畏れ多くもラ・ヴァリエール公爵家の三女である私にこんな雑用をやらせるなんて。いい度胸だわよ」


グチグチと文句を漏らしながら、ルイズは店内の掃き掃除に従事する。

いかに納得をつけたといっても、やはり苛立ちは感じるのだった。


「そういえば、ギルガメッシュは何をしてるのかしら?」


箒を手に掃除していく内、ふと気になってルイズは己が使い魔の姿を捜す。


大人の状態のギルガメッシュならば、このような雑用に従事するなど考えられないが、しかし今の彼は幼年体。

あの素直で要領のいい少年ならば、こんな労働も特に苦労せずにこなして―――


「へえ。じゃあシエスタは、ジェシカさんの従姉妹なんだね」


いなかった。

労働なんぞそっちのけで、女の子をナンパなんぞしてる。

こっちは慣れない労働で心身をすり減らしているというのに、腹立たしいことこの上ない。


一旦激昂しかかったルイズだったが、その会話の相手に目を止めて、気を平静に戻す。


「って、シエスタ?」


メイド服は着ていないが、あの姿は間違いない。

魔法学院に奉公する使用人の一人で、ギルガメッシュの専属メイドであるシエスタだった。


「じゃあ、奉公先が休暇に入ったから、実家に帰る途中なんだ。帰郷の前に従姉妹の所に顔を出しにくるなんて、親戚思いなんだね」


「そんなことないわ。それにしても驚いたなぁ。ギルくんみたいな子供が、スカロン叔父さんのところで働いているなんて」


「うん。分不相応は分かっているけど、なんとか無理を言って働かせてもらっているよ。おかげでスカロンさんには迷惑をかけっぱなしだ」


「偉いのね。私の地元の子供たちには、みんなやんちゃな子ばっかりで、ギルくんみたにしっかりした子はいなかったから。本当に感心しちゃう」


「ううん。ボクが偉いというなら、シエスタだって同じさ。実家のために奉公に出る、ありふれたことと思うかもしれないけれど、身近な人達にとってその行動はとても暖かく感じるものだよ。家の人達にとて、きっとシエスタは何よりも勝る、自らの誇りに違いない。

それに子供がやんちゃというのも、それはシエスタの故郷が豊かだという何よりの証明さ。虐げる者のなく、ただのびのびと自分を謳歌している。精神にとって、それほど健康な状態は他にない。小賢しい者だけが強くなれる世界なんて、貧しいだけだろう。だから、その子供たちは、それこそが正しい姿なんだよ」


随分と和気あいあいと会話する二人。

あの様子から察するに、シエスタはギルガメッシュの正体に気付いていないようだ。


何となく気になって、ルイズは柱の陰に身を隠しながら、二人の会話に耳を澄ませた。


「それにしてもギルくんかぁ。私のご奉公先に、専属で御勤めさせていただいている方がいるんだけど、とてもよく似た名前で驚いたわ。それになんだか、風貌とかもどことなく似ている気がするし」


「へぇ、そうなんだ。自分と似ている人なんて、なんだか興味がわくな」


白々しく言いつつ、ギルガメッシュは一歩迫る。


「けれど、ボクが今一番心惹かれるのはシエスタかな。シエスタは、これから急ぎ?」


「え!う、ううん。別に、急いでるってほどでもないけど・・・。それよりギルくん、今、えっと・・・」


「うん。ボクは今、シエスタのことが一番気になってる。好意と置き換えてもいいかな」


「ええっ!?」


「ええっ!?」


後半の声はルイズのもの。

あまりにも予想外の発言に、盗み聞きをしている立場だということも失念して、つい声を上げてしまう。


というか、あの英雄王(小)は、自分の侍女相手に一体何をしているのだろう。


「えっと、でも、ギルくん。私たち、ついさっき知り合ったばっかりなのに・・・」


「うん、そうだね。ひょっとしたら、一目惚れって奴かもしれない」


「ひ、一目惚れって・・・っ!?で、でも、私には今、専属にお仕えさせていただいている人がいて・・・」


「忠誠と愛情は別モノだよ。それとも、シエスタは年下初めて?大丈夫。女性をリードするのは、男性の甲斐性だからね」


「え、えええぇぇ~!!?」


ニヤニヤと笑みを浮かべて、一歩、また一歩と、ギルガメッシュの小さな身体がシエスタへと迫っていく。

頬を朱に染め、見るからに狼狽しているシエスタに、その歩みを止められるとは思えない。


このままシエスタは、英雄王(小)の色欲にパックリ食べられてしまうのだろうか。


「なにやってんだい、このマセガキ」


しかして、そこに哀れな子羊を救世する救い主が登場する。

スカロンの娘にしてシエスタの従姉妹、元気印の看板娘ジェシカが、欲情する少年の脳天にフライパンの一打をお見舞いした。


パカン、と心地よい音がして、ギルガメッシュは頭を抱えながらその足を止めた。


「アイタタタ~・・・。ひどいなぁ、ジェシカさん。いきなり何をするんですか?」


「何を、じゃない。こんな昼間から、人の従姉妹になにをするつもりよ」


「そんな~、ちょっとしたお近づきの挨拶みたいなものじゃないですか」


「どこのプレイボーイだ、アンタは」


さすがに店員の管理を任されているだけに、ジェシカはギルガメッシュ相手でも押されていない。

その間で、シエスタはオロオロしながら二人を見比べていた。


「ジェ、ジェシカ。もうそれくらいに・・・」


何とかお茶を濁そうと口を挟むが、即座にその矛先を向けられて閉口する。


「シエスタも、ちょっとウブ過ぎるわよ。そんなんだから、ギルっちにいいようにからかわれるんだ」


一応ジェシカはシエスタより年下のはずなのだが、完全に立場を逆転させて告げる。

この押しの強い従姉妹に、控えめなシエスタはいつも振り回されてばかりなのだ。


「待ってください。からかうとは心外です。ボクがシエスタに向ける好意は、至って真剣なものですよ」


「えぇ、うそぉ?ギルっちってなんだか、いつも仕草が芝居かかってるじゃない」


「それは失礼です。ボクだって、お遊びでシエスタみたいな人を弄んだりしませんよ」


口々に言いあうギルガメッシュとジェシカ。

とはいえその言い合いも、苛烈というほどのものではない。

親しい者同士でもよく行う、ちょっとした口論といったところだ。


しばらくはその話題で言い合っていたが、やがて三人の会話は別の話題へと移っていく


「ところで、シエスタが専属で仕えてる貴族って、どんな人なの?やっぱりかっこいい人?」


興味深々な様子でジェシカが尋ねる。


ちなみにその当の本人は、彼女のすぐ隣にいたりする。


「そうね。確かに御容貌で言うなら、ギルガメッシュ様は絶世と言っても差し支えない御方だと思うわ」


「へえ!奥手のシエスタがそんなこというなんて、そりゃ相当の色男なんだ。うんうん、やっぱ男はルックスが大事だよねー」


「もう、ジェシカったら~」


女子同士でワイワイとはしゃぎながら、シエスタとジェシカは盛り上がる。


そして話題の対象である色男(小)は、そんな二人の会話をニコニコと笑いながら見つめていた。


「それで、シエスタ。肝心の人格のほうはどうなのよ?どんだけ見かけが良くても、中身が空っぽの男って最低だもん」


「えーと、そうね。ギルガメッシュ様は・・・」


少し言葉を考えてから、シエスタは答えた。


「こうと決められたら、決して自らを曲げようとせず、逆らう者には容赦なし。人の話は聞かないで、すべて自分の考えだけで納得されてしまう。欲しいものがある時は、力づくでも手に入れる。そんな、とても豪快な御方だわ」


「うえぇ、なにそれ、サイアクじゃない。それって、豪快っていうより単に我儘じゃないの」


人物像に対する率直にして辛辣な意見を、ジェシカは口にする。

しかしそれも仕方がない。

シエスタが言っていることは、まごうことなき真実なのだから。


さて、そんな手痛い感想を頂戴した、当のギルガメッシュはというと―――


「ホントですね。まったく、顔が見てみたい」


清々しいほどに他人ごとな口調で、そう言ってのけた。


うん、というか、お前だよ。


「ち、違うの、それだけじゃないのよ。ギルガメッシュ様は、確かに少々身勝手な所がお有りだけど、でも曲がったことだけはしない方なの。いつも自信に溢れていらして、見ている人を安心させてくれる、そんな魅力を兼ね備えた人でもあるのよ」


呆れ気味の二人に、シエスタは急いでフォローを入れる。

その必死な様子にジェシカは茶々と入れ、笑いながら相槌ちを打つギルガメッシュ。


そんなありふれた日常の風景を、ルイズはものすごく訝しんだ眼差しで見つめていた。










「ねぇ。昼間のあれは何よ?」


その日の仕事を終えた部屋での夜、ルイズはギルガメッシュに問うた。


「何、というと?」


「あのメイドのことよ。何でアンタがメイドを口説いてるのよ」


「何で、と言われてもなぁ・・・。単純に、ボクがシエスタの事を好きになったというだけですけど」


臆面もなく答えるギルガメッシュ。

あまりにはっきりと告げられた答えに、ルイズは一瞬口ごもった。


「・・・本当に?」


「もちろん。・・・ああ、ジェシカさんの時もそうだったけど、ボクって、信用ないなぁ」


「だって、ねぇ・・・」


ギルガメッシュとシエスタ。

頭の中で二人を並べてみるが、やはりどう考えても合う組み合わせとは思えない。


「参考までに聞くけど、あのメイドのどこがいいのよ?こういったらなんだけど、あの娘ってそこまで飛び抜けた風でもないでしょ」


「そうですね。シエスタは平凡だ。美しくはあっても、絶世というほどじゃない。器量のほうも、すべてを包みこむほどの包容力を兼ね備えているわけではなく、それなりの事はこなせるだろうけど、才と呼べるほどのものはありません。

けれど、その素朴さが大事なんです。ボクは衆目を引きつける大輪よりも、野先でひっそりと、しかし健気に咲く野花のほうにこそ尊さを感じるんです。その景色は気には止まらないけど、無意識の内でボク達の心を慎ましく癒してくれる。

そんな素朴な野花を、素朴なままでどれだけ守ってあげられるか。それこそが男の包容力だと思いますから」


淀みもなく答えるギルガメッシュの言葉に、思わず絶句する。

こんなセリフ、彼が大人の状態からでは絶対に聞けない。

ルイズとしても、そんな価値感は全くの新発想だった。


貴族は、いかに自らを大きく見せるかに心血を注ぐ。

他の者に威信を知らしめるために、自らをより高みへと押し立てんがために。

自分という花を、いかに魅せる大輪と為してみせるか、その考えこそが貴族の発想だ。


しかしこの幼年のギルガメッシュは、素朴なものは素朴なままでこそ価値があると言っている。

貴族のそれとは全くの逆発想のそれは、ルイズにとっても意外中の意外である。


ましてそれを口にするのは、誰よりも高く輝く太陽の如き眩しき男、ギルガメッシュなのだ。


「けど、シエスタって大人版のアンタのメイドよね。自分で自分の従者を落とそうなんて、なに考えてるのよ?」


「確かにそうですね。けれどボク自身、彼とは同一であっても接点自体はあまりありませんから、正直言って他人事です。

だからボクとしては、ボクがこの姿である間は、自分の好きなようにやっていこうと思っています」


朗らかとギルガメッシュは言い放つ。

まるで大人の自分を他人だと言ったような物言いだが、そこに自らに対する嫌悪の感情はない。

自分は自分で、と言いつつも、大人の自分へと戻ることへの抵抗感もないようである。


ますます、ルイズには目の前の少年のことが分からなくなってきた。


「それにしても、シエスタねぇ・・・」


分からないと言えば、やはりそのこと。

ギルガメッシュ(小)の持論は何となく分かったが、やはりそう聞いただけで納得し切れるものではない。


どうしても、なぜシエスタが、という思いが残ってしまう。


(大体、身近な異性なら、他にいるじゃない)


ギルガメッシュにとって、最も身近な異性。

それは言うまでもなく、衣食住を共にし、常に傍らにある少女。

どちらのギルガメッシュにとっても、ルイズこそが一番身近にある女性だろう。


別に口説かれたと思っているわけではないが、全く無視されるというのも気分が悪い。

少しくらい、相手をしてくれてもよさそうではないか。


「あ、ごめんなさい。お姉さんは、すいませんがこっちから遠慮させていただきます」


と、そんなルイズの考えを見透かしたように、ギルガメッシュが言ってきた。


「何というか、タイプが違うんですよね。お姉さんみたいな直情的で愉快な人は、傍らに在る友人としてはまあまあですけど、生涯を添い遂げる伴侶とするには、ちょっと・・・」


躊躇いがちに、しかし思っている事をはっきりとギルガメッシュは言葉として告げる。


その発言にルイズの中でプツン、と何か糸が切れるような音がした。


「と、いうわけで、これからもいい友達でいましょうね、マスター」


「あははー、そうねー♪ところでギルガメッシュ」


「なんですか?」


「殴っていい?」


「嫌です♪」


笑顔で答えるギルガメッシュに、ルイズは桃色の髪を逆立てて飛びかかる。

繰り出される拳や蹴り、時に魔法の爆発などを含めた追撃は、轟音に驚いたスカロンがやってくるまで続いた。


ルイズとギルガメッシュが送る、夏休みの奇妙な労働生活は、大体そんな感じに過ぎていった。










日にちは過ぎ、チップレースもいよいよ最終日となった日の夕方。

開店を真近に控え、店員たちはその準備に駆け回っている。


ルイズもまた厨房にて、皿洗いをしながらその準備に追われていた。


「これは任務これは任務これは任務―――」


繰り返し唱えて、自らに暗示する。

下々の雑事を行うに際し、己のプライドを誤魔化すためのルイズなりに編み出した手段である。


その効果のためかは不明だが、ややペースは遅蒔きなれど、皿は順調に汚れを落として積み重なっていった。


「うっ・・・、痛っ!」


感じた痛みに、皿洗いの手が止まる。

見れば、ルイズの指は慣れない水仕事にせいで真っ赤になって荒れていた。

どれほど自己暗示でプライドを誤魔化そうと、痛覚までは誤魔化せるものではない。


溜め息をつきながら、ルイズは皿洗いの作業を再開しようとする。

そこに、小さな陶器のケースが差し出された。


「水荒れに効くクリームだよ。洗い物が終わったなら使ってみなさい」


後ろを振り返ると、そこにはジェシカがいた。

活発で器量も良い少女は、テキパキと自分の作業を終わらせて他の者の仕事を見回っていた。


「あ、ありがと」


差し出された容器を、ルイズは素直に受け取った。


「ああ、そうやって片面だけで洗ってるから時間がかかるのよ。それに油もまだ残ってる。こうやって布で両面を挟み込んで、ぐいぐい磨かなきゃ」


ルイズの手から皿を取り上げ、手本とするように手際よく磨いていく。

その手際の良さはさすが管理を任されているというだけあり、傍から見守るルイズも感心した。


「ところでさ、ルイズ。アンタは、チップレースはどうするの?」


「?どうするって?」


「だから、本気で優勝狙ってくるのかってことだよ。今日は最終日でしょ」


この週の始めより開始されたチップレースも、今日が最後。

この日までのチップの合計によって、チップレースの優勝者が決まる。

そして優勝者には、この店の秘宝『魅惑の妖精のビスチェ』が進呈されるのである。


貸し出された一日、ビスチェを纏った娘はその“魅了”の魔法によって客達の羨望を一身に受けることになる。

チップが弾むことはもちろんの事、皆の羨望の的となる優越感は、そう滅多に味わえるものではない。

故にどの女の子も、我こそが優勝をと勇んでこのチップレースに臨んでいるのだ。


「興味ないわ」


しかしルイズは、そんな誰もが羨む“魅了”の栄誉を、関心を示す様子もなく一蹴した。


「どうして?アンタの順位なら、今夜だけでも十分に挽回のチャンスはあると思うけど」


ルイズのチップにおける順位は、意外な事に四位とかなり高い。

他の娘には無い貴族としての高貴な立ち振る舞いが、皆の関心を誘ったのだ。

今日は月末で他の日より客の入りが多く、チップを多く貰う機会はまだいくらでもある。


「だから、興味がないのよ。みんなに注目されるとか、そういうのに」


「えー、何で?あたしも去年優勝したから分かるけど、みんなから持て囃されるのって気持ちイイよ。あの、男どもの視線を釘付けにしてやる快感といったら、まるで自分が美の女神になったみたいな気分だもん」


「私、そういう容姿で認められるのって興味がないの。持て囃されるんだったら、顔じゃなくて能力がいいわ」


迷いもなくはっきりと、ルイズは答える。


ルイズが求める羨望は、容姿に対する羨望ではない。

容姿など二の次、その中身の能力でこそ、ルイズは他人に評価されたいのである。


ルイズの容姿は、多少幼くはあれど、贔屓目に見ても十分な美貌を誇っている。

しかしそんな相貌は、嘲笑と同情に満ちたルイズの人生において何の役にも立たなかった。

そんな女としての魅力よりも、個人としての能力こそルイズは求めたのである。


容姿のことなど褒められても、さして嬉しくもない。

そんなものより、自分が為した功績、こちらでこそ自分の事を測ってもらいたい。

それこそが、ルイズの求める羨望の形なのだ。


そんなルイズに、ジェシカは理解できないと言わんばかりに溜め息をついた。


「はぁ・・・、ルイズ。アンタ、せっかく女の子に生まれてきたのに、そんな考え方で寂しいって思わないの?そんな調子じゃあ、恋の一つだってしたことがないんでしょう」


「っ!!べ、別にいいでしょっ!!私には色恋沙汰なんてものよりもずっと大切な、果たすべき使命があるんだから」


動揺しているためか、思わずかなりきわどい発言をしてしまう。

しかしジェシカも、そんな発言よりもルイズの考え方にこそ関心がいっているのか、追及はせずに話を続けた。


「ダメよっ!!女に生まれたからには、ちゃんと恋に生きないと。色のない人生なんて、渇いて虚しいだけだわ

ったく、しょうがないなー。こうなったら、このジェシカお姉さんが、色事初心者のルイズに、いろいろと手ほどきをしてあげる」


「ちょっと、何を勝手に!?大体お姉さんって、アンタ私と同い年でしょ」


「まあまあ、細かい事はいいから。それで、ルイズ。アンタこれまでに、誰か好きになったとか、そういうことって全くないの?」


「な、無いわよっ!!言ったでしょう。私は、そんなことよりも果たさなくちゃならない事があるんだって」


「本当に?まったく、そういう出会いに縁が無かったの?」


ニヤニヤと好奇に満ちた顔で、ジェシカは迫ってくる。

その異様なまでのしつこさに、ルイズは気圧された。


色恋など、これまで考えた事もない。

ルイズにとってはそんなことよりも、自らを認めさせることこそ最優先事項であり、男にうつつを抜かす時間も余裕もなかったのだ。


その辺りの考え方が、キュルケとの衝突の原因のひとつにもなっている。

勉強に勉強を重ねる自分と、色恋にかまけるキュルケ。

あのように遊び放題のくせに、これほど努力している自分を差し置いて、どうしてあの女がトライアングルクラスなのか。

納得できぬその思いが、余計に恋路への反発という形となって現われていたのだ。


(出会い、か・・・)


しかし今は、自らの力を自覚し、女王陛下にも功績を認められている。

念願だった思いを果たし、少々心にも余裕が出来た。

ならば少しくらい、他の事にも目を向けても良いのかもしれない。


(けど、そんなこと言われても、ねぇ・・・)


しかし思い返してみると、自分の人生には本当に異性の姿が少ない。

子供のころの身近な異性と言えば、父親か、あるいは執事のジェロームくらいだったし、近い年代の男子も魔法学院のクラスメイトくらいしか思い浮かばなかった。


(ワルドは、どうかしら?)


ふと、かつての婚約者の事を思い浮かべる。

今は裏切り、死別して過去の人物となっているが、昔の自分は彼に恋をしていたのだろうか?


・・・はっきりとは言えないが、たぶん、違うと思う。


子供の頃に彼に向けていた感情は、単なる憧れだった。

恋という感情もなにも知らない子供にとって、何でもできるワルドの姿は羨望の的として映ったのだろう。

それはまぎれもない敬愛の念で、しかし愛情とは似て非なる感情だった。


(なら、ギルガメッシュは?)


次に思い浮かべるのは、使い魔として傍らにある黄金の王の姿。

まだ連れ添った日こそ浅いものの、彼の圧倒的すぎる存在感は、積年の付き合いに匹敵する密度をもたらしている。

まず間違いなく、今自分にとって最も特別な異性は、ギルガメッシュを置いて他に居ない。


だが、それが恋愛感情かと訊かれれば、やはり否だろう。


愛情という感情は、どこかで相手を対等に見なして懐く感情だ。

それは立場や能力といった類の話ではなく、もっと異質な精神の上での平等。

心のどこかで相手が自分と同質、共感し合える何かがあってこそ、愛情は初めて芽を吹く。


その点において、ギルガメッシュはあまりに異質すぎる。

その振る舞いはどこまでも唯我独尊、他人と共有できる感性など初めから持ち合わせていない。

彼の立ち位置は、自分たちと比べてあまりに孤高すぎる。

遠すぎるその存在に対し畏怖を覚えることはあるが、恋愛感情を向けることはまずない。


高嶺の花は羨望の対象にはなれど、添い遂げる伴侶にはなり得ないのだ。


「ハァ~・・・。青春真っ盛りの年頃の娘が、なんて灰色の人生送ってるのよ。いい、ルイズ。恋愛っていうのは―――」


深い溜め息をついて、ジェシカが恋愛講義を始める。

ジェシカの言葉を話半分に聞き流しながら、ルイズは思った。


先日の夜でもギルガメッシュと話題としていた、恋慕という感情。

身分も立場も超えて、ただその人と添い遂げたいと願う欲求。


そんな思いを懐ける相手が、いつか自分にも見つかるのだろうか―――










「さあ!!泣いても笑っても、今日が最終日。上位の人もそうでない人も、ジャンジャンバリバリ稼いじゃって」


酒場の開店となる夕方、皆を集めたスカロンが宣言した。

そんな店長の熱意に呼応するように、店員の女の子達もそれぞれこの日のために用意した勝負服を身に纏っている。


「現在のトップは、不肖、このミ・マドモアゼルの娘ことジェシカ。けれど、まだまだみんなにも挽回のチャンスはあるわ。さあ、この『魅惑の妖精のビスチェ』を目指して、みんな頑張ってね♥」


話の締めに、スカロンは自慢のポーズを決める。

その彼の格好は、『魅惑の妖精のビスチェ』を纏ったもの。

筋肉質の胸毛の濃い男の、露出度の高いビスチェ姿など、本来ならば吐き気を催すところではあるが、目の前のポーズを決めるスカロンには、奇妙なことにそれほどの嫌悪感は感じない。

それどころか、着用者の身体付きによってサイズを変化させ、スカロンの大柄な身体にもピッタリとフィットしているその姿は、不思議な一体感さえ感じさせた。

これがそのビスチェの“魅了”の魔法の効果なのだとしたら、なるほど、秘宝というだけの価値はある。


「チップレースの成功と商売繁盛、そして女王陛下の健康を祈って、乾杯」


最後の縁起担ぎの杯と共に、『魅惑の妖精』亭は開店となった。


やはり最終日となると、皆も気合が違う。

それぞれが一ドニエでも多く獲得しようと、客に対して愛想を振りまいていく。

その様相たるや、まさしく好意の大盤振る舞いであった。


その中でも一際燦然と輝く一番星は、やはりジェシカだ。


彼女のチップ獲得のやり口は、相手に自分が惚れていると思わせることである。

男の側からも手を出しやすい適度な美しさを保った容姿、計算され尽くした愛想の使い分け、時には冷たい態度をも織り交ぜて相手の気を引きつける狡猾さ。

その巧みな芸当を以て、ジェシカは順調にチップの貯蓄を増加させていった。


ちなみにギルガメッシュは、給仕には出ていない。

あの初日の荒稼ぎの後は、表に出る事無く裏方の仕事に従事していた。


さて、そのように他の娘達がチップ獲得に躍起になっている頃、ルイズはというと―――


「まったく、戦争だって。嫌になりますわよね・・・」


「そうだねぇ。まったく『聖女』なんて持ちあげられているが、政治の方は大丈夫なのかねぇ」


特にチップ獲得にも躍起になることなく、客の長話に付き合って己が任務をこなしていた。


「タルブの勝利だって、たまたま勝てたようなものだ。それに気を良くして宣戦布告など、無謀が過ぎるよ」


「そうですか・・・」


「大体、あんな世間知らずのお姫様が王だなんて無茶があるんだよ。どこか有力な貴族と嫁いで、婿養子に王座を継がせたほうが良かったんじゃないのかな」


アルコールが回り、心のタガが外れた客達は、実に正直に自らの本音を明かしてくれる。

そうして明かされた本音は、やはり容赦のない辛辣な意見が多かった。


女王陛下のお気持ちも知らないで何を勝手な事を、とも思ったが、その言葉をルイズはぐっと喉の奥へと押し込めた。

彼らは、何も知らないのだ。

無知であるが故に、己が尺度だけで国家という複雑なものを計っている。

公ではない場所で、その考えの元、何を言ったとしても罪にはなるまい。

そしてそうした無知なる者の言葉こそ、アンリエッタは求めているのだろう。


「軍隊も強化するって話だ。これでまた税金が上がる。冗談じゃないよ、まったく。軍人なんて、みんな金喰い虫さ」


辛辣な客の言葉にも、ルイズはただ静かに先を促しつつ耳を傾ける。

今夜にでもアンリエッタへと報告するために、一語一句聞き洩らすことなく。


ガタン、と椅子を蹴る音がしたのは、そんな時だった。


「おい」


短く背中にかけられる声。

声をかけられた、ルイズと雑談をしていた客が振り向くと、その顔面に拳が飛んできた。


「金喰い虫とは、随分な事を言ってくれるな」


無様に床に転がる男を見降ろし、殴りつけた男が吐き捨てるように告げた。


広いつばの羽付き帽子をかぶり、マントの裾からは剣状の杖が覗かせている。

がっちりと鍛え抜かれた身体付きは、華奢な貴族のそれではない。

その格好が示す男たちの正体を、ルイズは知っていた。


トリステインに存在する三つの軍隊のひとつ。

女王アンリエッタを最高司令官とする王軍、その士官である。


「祖国のために血と汗を流し、来る戦に備えて調練に明け暮れ、ようやく得られた休息に、まさか貴様のような不忠者に出くわすことになろうとはな」


殴りつけた男に続き、二人の男が店の中に入ってくる。

どちらも王軍士官の格好を纏い、同様に剣状の杖をさしている。


「店の外からも聞こえたぞ。貴様の女王陛下に対する無礼極まる言動の数々。陛下に仕える王軍士官として、見過ごすことは出来んな。ええっ!!」


床に転がる男に、士官の男は思い切り腹を蹴りあげて追い打ちをかける。

先ほどまではあれほど強気に批判を口にしていた男は、今は震えながら痛む腹を押さえるしかない。


これが、現実だ。

影ではどれほどの大言を吐いても、ひとたび権力の前に曝されれば、このように脆弱に膝を折るしかない。

力ある強者の前に、力無き弱者はここまで脆いのである。


それを皆分かっているのか、店にいる誰もが男の事を助けようとはしない。

一度スカロンが暴行を加える士官の青年を宥めようと声をかけたが、青年の一喝を受けてあえなく引き下がった。


彼らが卑怯なのではない。

力の無い者には、これが限界なのだ。

彼らに出来ることなど、所詮はスカロンが行ったような宥めの言葉くらいしかない。

それ以上の事を強いるのは、力を持たない彼らには酷というものだ。


「まったく、嘆かわしい。今こそ国民全てが一致団結して惨事に当たらねばならぬ時に、このような恥さらしが市勢にはびこっていようとは。・・・これは、見せしめが必要かもしれんな」


そして力とは、持つ者に残酷な優越をもたらす。

暴力を振るう興奮、床に転がるあまりに無力な相手、そしてこれ以上の事も許されるであろう自らの立場の大きさに、士官の心の中に残忍な考えを芽生えさせた。


息を呑む音が、店内に響く。

士官の男が、自らの杖を抜いたのだ。

それが意味する所を思い、店内がシンと静まり返る。


床に転がる男が、ガタガタと震える。

無様なその姿を見降ろし、士官の男は更に優越を深めて、抜いた杖を振り上げ―――


「待ちなさい」


その行為を、凛と響いた幼い声が制止した。


自らの行為に水を差され、士官は不快気に顔を歪ませる。

振り返った彼の視線の先には、床に転がる男と雑談していた給仕、ルイズがいた。


「なんだ?給仕は引っ込んでおれ。私はこれから、女王陛下の名誉を汚した痴れ者に思い知らさねばならんのだ」


「アンタのその無様な行為こそが、何より女王陛下の名誉を侵害しているのよ。いい加減、そのことに気付きなさい」


「・・・なんだと?」


怒りの矛先を変えて、士官の男はルイズへと振り返る。

その視線を、ルイズは真っ向から受け止めた。


この貴族が行った蛮行は、しかし貴族であるルイズには全く分からない訳ではない。

床に転がる男が女王を侮辱するような事を口にしたのは事実だし、それに怒りを覚えたのはルイズとて同じだ。

以前までなら、ひょっとしたら多少顔をしかめただけで、見過ごしていたかもしれない。


だが、今のルイズは違う。

今のルイズは貴族の立場だけでなく、平民としての立場も知っている。

だからこそ、陰口を叩いた男の気持ちも多少は理解できるし、そして目の前の一方的な暴行がいかに醜悪なものかも理解できる。

行き過ぎた力の行使は、単なる暴走、優雅や気品もない力の乱用に過ぎないのだ。


そして、自分が誇りとする貴族の在り方が、そんな醜悪で無様ものであってよいはずがない。


「給仕の小娘風情が、随分と無礼な口を訊くではないか」


「そちらこそ、たかが一士官の分際で、大きな口を訊いてほしくはないわね」


これは本来ならば、見過ごすべき事象。

ここで騒ぎの渦中に入ること、それはすなわち潜入という任務を自ら放棄することになる。

任務の事を最優先に考えるならば、余計な騒ぎなど起こさずに、ただ傍観に徹していればよかった。


しかし、ルイズにはそのような選択は端から頭にない。

この介入は、貴族としての誇りの是非を懸けたもの。

ここで動かなければ、自分が尊いと信じる貴族の在り方を否定することになってしまう。

そんなことは、これまで貴族として生きてきたルイズの人生をも貶めることに繋がるのだ。


「私は女王陛下の女官で、由緒ある家柄のやんごとなき家系の三女よ。この女王陛下の許可証に誓い、即座にこの場より立ち去りなさい」


ポケットより取り出した許可証を突きつけて、堂々とルイズは告げる。

いきなりのルイズの発言に、士官の三人は呆然となってお互いの顔を見合わせた。


だがしかし、しばらくして返ってきたのは平伏ではなく、哄笑だった。


「フ、フ、フハハハハッ!!こんな小娘が女王陛下直々に選ばれた女官だと?笑い話もたいがいにしろ」


三人は一様に嗤い転げ、侮蔑も顕わにそう言い放つ。


その侮辱に、ルイズは羞恥と怒りで顔を真っ赤にした。


「女王陛下直属という意味が、どういうものか分かっているのか?その地位は高く、与えられる権限も並ではない。当然その任命には、相当な功績を上げる必要がある。それを、貴様のようなロクに戦にも出た事がなさそうな小娘が選ばれるなどと、冗談が過ぎるわ」


「なんですって!!私は確かに女王陛下の―――」


「ならば、貴様はどのような功績を上げて、その地位を得たのだ?」


その問掛けに、ルイズはハッと口を紡ぐ。

ルイズの魔法、『虚無』の属性のことは、一部の者以外には秘匿とする義務がある。


その問掛けには、答えられない。


「貴族にとって自らの武勲とは、自ら謳い上げて誇示するもの。それが出来ないという時点で、胡散臭いことこの上ない。そもそも、こんなみすぼらしい場所で奉公に出ていることからして、女王陛下の女官殿が行う事とは思えんな。

ハッ、大方、どこぞの没落貴族が行き場をなくして、こんな所で下賤に媚を売る職にでも就いているのだろう。それを、そのような女王陛下の許可証の偽物まで使って何という虚言。そんな縫い目の入った許可証など、見た事もないわ」


先日のことで二つに裂かれ、修復された許可証を指して、士官の男は言う。

その言葉を受けて、ルイズは許可証と共に抜いていた杖を男へと突き付けた。


ルイズのその行為に、三人の雰囲気が変わる。


「・・・なんのつもりだ?」


「見たままの意味よ。あなたは今、私の貴族としての名誉を汚した。黙って引き下がることは出来ないわ」


「分かっているのか?それはすなわち、我々に対して決闘を挑んでいるということだぞ?」


怒気も顕わに冷然と告げるルイズに、士官の男はそう嘯いてみせる。

しかしルイズは、杖を突き付けたまま微塵と退こうとはしなかった。


「まったく・・・。我々は陛下の禁令により、決闘を含めた私闘のすべてを禁じられている立場なのだが。おまけに相手は女子供。勝利した所で得るものなど・・・、いや」


そこで一度言葉を切り、男は厭らしく笑みを浮かべた。


「確かあなたは、女王陛下の女官だと名乗っておられた。その歳にて栄誉ある陛下直属の地位に任命されるなど、並みのことではない。その言葉が真ならば、さぞや有能なメイジなのでしょうなぁ」


わざとらしい口調で、士官の男は言ってくる

こんな時にだけその話題を持ち出してくる目の前の貴族に、ルイズは歯噛みした。


「もしあなたの力が本物ならば、是非とも我らに一手御教授願いたい。そうしてこそ、あなたの名誉の証明となるでしょう」


言いつつ、士官の男は杖を引き抜いた。

軍隊仕込みの滑らかな動きで、手にした杖をルイズへと向けて構えた。


互いに杖を突きつけ合い、二人は対峙する。


一方の士官の男の方は、余裕の表情。

彼は最初から、ルイズが女王直属の女官などと信じていない。

先ほどの言動も、すべてこの私闘を正当化するための方便でしかない。


彼の胸にあるのは、この身の程知らずの小娘にどう思い知らせてやるかという思いだけ。

この決闘でその不甲斐無さを曝け出し、抜かした虚言を証明する。

女王直属などと名乗った不敬を、その身を以て断罪してやる。

そんな暗い思いが、彼に杖を握らせていた。


そしてルイズの方はというと、外面こそ毅然としてはいたが、やはり内心では緊張していた。

いかに『虚無』の属性に目覚めたといっても、ルイズ本人は戦闘訓練など受けたことのない素人に過ぎない。

多少場数はこなしているが、彼女個人が戦いに赴いた経験自体は、ほとんど皆無である。


そして対するのは、正規の訓練を受けた王軍の士官。

純粋に戦士として戦えば、勝ち目があるとは思えない。

今さら後に退く気はないとはいえ、その緊張は仕方ないものと言えた。


それでもルイズは精神を奮い立たせ、呪文を詠唱し始めた。


「エオル・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ・・・」


唱える呪文は、彼女が唯一知る『虚無』の呪文、『エクスプロージョン』。

精神を集中させ、出来る限り素早く呪文の詠唱を完成させようとする。


「?聞きなれないルーンだな」


訝しげに、男は首を傾げる。

とはいえ無論、その程度で彼が臆することなどあり得ないが。


「何の呪文かは知らんが、詠唱が長すぎる。実戦では使えないな」


無駄の無い、素早い詠唱で、彼は呪文を完成させる。

杖の先端より放たれたのは『ファイヤーボール』の火球。

撃ち放たれた火球は、まっすぐと容赦なくルイズの元へと突き進んでいく。


対するルイズの呪文は、まだ途中。

とても完成には間に合わない。


刹那の瞬間だけ迷ってから、ルイズは呪文が途中のままで杖を振り下ろした。


バアァァン!!


「ぐ、ぐわああああぁぁぁっ!!?」


瞬間、男の目の前の空間が、何の脈絡もなく突如として爆発した。

あまりにも突然なその事象に、男は何の為す術もなく吹き飛ばされる。

先ほど平民の者を床に転がせた男は、今度は自分が無様に転がるはめになった。


術者が倒れたことで、迫っていた『ファイヤーボール』も霧散する。

結果、ルイズはまったくの無傷のままで、男の前に立ちはだかることになった。


思わぬ結果にやや呆然としてから、ルイズはいかにも想定通りだったと威厳を見せつけて、倒れる男に告げた。


「学べたかしら。これが、私の力よ」


倒れた男を介抱する他の二人が、畏怖を込めた眼差しでルイズを見上げる。

相手がいかに幼く見えても、自分達の仲間を問答無用に沈黙させた事実に違いはない。

先ほどまでよりも迫力が備わったように見える少女に、男たちは威圧されていた。


「退きなさい、下郎。そこで自らの無様さを省みることね」


「なっ・・・、き、貴様・・・っ!!」


倒された男は屈辱に顔を歪めながら、しかし答えを返すことが出来ない。

眼前にて炸裂した爆発は、視覚や聴覚にいたる五感にまで害をもたらしていた。

とてもではないが、まともに対峙できる状態にない。


「次は、直撃させるわよ」


「っ!!」


その一言に、男は身を震わせる。

直撃はせず、眼前の余波のみでこの威力なのだ。

あの正体不明の魔法の爆発が自分の身体を飲み込めば、それこそどうなるか分からない。


それを自覚し、他の二人の肩を借りて、男はすごすごと店より退散していった。


騒動の元凶が消え、店内に静寂が訪れる。

しばらく待ってあの三人が引き返してこないことを確認し、ルイズはようやく緊張の糸を解いた。


「はぁ~・・・」


床に膝を突き、安堵の溜め息をつく。

今回の事は、はっきり言って運が良かった。

士官の男たちが大人しく逃げかえってくれたから良かったが、もし他の二人までが参戦していたら、どうなっていたか分からない。


『虚無』はその威力こそ強力だが、詠唱の長さという弱点もある。

呪文が未完成のままでもその効果が発現するという特性を活かして、今回はどうにか乗り切れたが、次もうまくいくとは限らない。

未完成の魔法は、所詮は制御を外れただけの暴走。

そんな力だけで切り抜けていけるほど、世界は甘くないだろう。


(もっとよく知らなくちゃね。この力の事も)


手にする杖を握りしめ、ルイズは自らに言い聞かせる。

その時、この場に居る者達から、ワアァァァと歓声が響き渡った。


「そんな小さいのに、なんて勇気あるお嬢様だ」


「本当に。すごい魔法だった」


「おかげでスッキリしました。あなたこそ真の貴族だ」


強者の横暴に虐げられていた弱者達は、それを解放させたルイズを英雄として迎え入れる。

口々にルイズの行動を称える言葉を口にして、あっという間に彼女の周りには群衆の輪が出来あがっていた。

見れば、先ほど暴行を受けていた男も、「ありがとうございます。ありがとうございます」とルイズに謝辞を述べていた。


皆から向けられる称賛の声は、やはり気分がいい。

それに今回は、公爵家の名は使わずに、純粋に自分の力のみで勝ち取った称賛なのだ。

無能と嘲笑され続けてきたルイズにとって、自らの能力を称える声はその価値も一押しだ。


しかし、これで身分を隠しての潜入任務は失敗となってしまった。

なにしろこれだけの衆目の中で、あれだけ堂々と貴族であることを明かしてしまったのだ。

今夜のみ客達だけならば、何とか誤魔化せるかもしれないが、さすがに店の者達には事情を説明しないわけにはいかないだろう。


「あの、私・・・」


近づいてきたスカロンに、ルイズはおずおずと口を開く。

しかしそんなルイズの言葉を、スカロンはシッと唇に指を立てて制した。


「安心しなさい。ルイズちゃんが貴族だってことは、みんな承知しているから」


「えっ!?」


ルイズにとってはあまりに意外なスカロンの言葉に、思わず声が上がった。


「ど、どうしてっ!?」


「どうしてって、ギルちゃんから事情を聞いたからに決まってるじゃない。ルイズちゃんは知らなかったの?」


そういえばと、ルイズは思い出す。

ここに来た初日の夜、ギルガメッシュは嘘と真実を交えて事情を説明したと言った。

どうやらその時に、ルイズが貴族であることも明かしていたらしい。


「こんな所に来るのは、みんな大なり小なり言いたくない過去を抱えているものばかりよ。でも大丈夫。他人の事情を穿り返すような真似をする娘はいないから」


スカロンは、ルイズが貴族であることを気にする者は、この『魅惑の妖精』亭にはいないと言う。

そして集まった女の子達も、それを証明するように頷いてくれた。


唯一人、ジェシカだけが視線をそらしているのは、少し気になったが。


「大変ねぇ。没落しかかった御家を再興するために、女王陛下の女官様の命の下で働いてるんでしょう。いろいろと面倒な仕事ばかり押し付けられて、難儀しているって聞いたわよ。

もちろん、この事はわたくしの中だけの秘密にしてあるわ。他の娘には没落した貴族の娘とだけ説明してあるから、安心してね」


声をひそめて言ってくるスカロン。

その言葉で、ルイズは納得する。


ああ、なるほど。

つまり自分は、女王陛下の女官ではなく、その代理という事になっているのか。


それならば許可証を持っていたことにも説明が付けられるし、ルイズ本人の能力も隠したままでいられる。

女官であるという情報よりも、『虚無』の魔法のほうが秘匿度は高い。

『虚無』という真実を隠すために、女官という事実をうまく隠れ蓑として活用したわけだ。

貴族という事を隠さなかったのも、どうせその態度や仕草ですぐにばれると予測しての事だろう。

あらかじめ知らせておけば、後で明かされたよりも、その疑いは大したものではなくなる。


さすがに見事なギルガメッシュの手際に、ルイズは感心した。


「あれ?そういえば、ギルガメッシュは?」


「ええ?さっきまで厨房にいたと思ったけど・・・」


この喧噪の中に、ギルガメッシュの姿がない。

そしてスカロンの言った厨房にも、やはりあの小さな暴君の姿はどこにもなかった。


とはいえ、その場にいない者ではその喧噪を治める事など出来ず、ルイズはしばらく称賛の中に身を委ねていた。










夜のトリスタニアの街道を、百を超える王軍兵士一個中隊が進軍する。

兵士の一人一人が武装し、市内を闊歩するその光景は、場にそぐわぬ事この上ない。

そして、その集団の先頭には、ルイズに倒された士官たちの姿があった。


彼らはトリステイン王軍ナヴァール連隊の所属である。

純正の貴族とトリステイン国民で編成された連隊の各部隊は、練度もさることながら、自らに課すプライドも高い。

血筋のつながりも相まって、その団結力は驚くほど高く、そしてその思考も共通するものが多かった。


その固い結束は、同隊の恥辱を放置することを良しとはしなかった。


(あの小娘め・・・。思い知らせてくれる)


いまだ痛む身体を押さえ、ルイズに倒されたその男は醜い憎悪と共に思う。


彼の出身は、宮内でもかなりの権威を持つ名家の出だ。

名家の影響力は、多くをトリステイン国民で構成した王軍では特に発揮されやすい。

彼が一声かければ、これだけの規模の兵を独断で動かすことも可能なのだ。


由緒あるトリステイン貴族の自分と、酒場の給仕にまで身を窶した小娘とでは、そもそも地力からして違う。

魔法では遅れを取ったが、今度こそは立場の違いというものを思い知らせてくれる。


その意気込みは、他の二人も同様。

共通の執念を懐き、彼らは兵を率いて元来た道を歩き続けた。


「待ちなよ」


だがそこに、想定し得なかった障害が立ち塞がる。


ここで彼らの最大の不幸は、その障害の脅威のほどを認知していなかったこと。

いち早くその真実に気づいていれば、彼らにも他の道があったかもしれない。


そう、彼らの前に立ち塞がるのは、自らの意に添わぬすべてを蹂躙し粉砕する “暴虐”の化身なのだと。


「やあ。随分と大所帯だね。どこかで宴の予定でもあるのかな?」


至って平静に、少年の形をした暴君は男たちに尋ねる。


例えその本質が絶対たる破壊者であろうとも、姿だけを取ればただの少年に過ぎない。

自分の意向を邪魔する少年に、男は不快を表情に浮かべる。


「なんだ、貴様は。我らは他に用がある。小僧ひとり構っている時間はない」


脅しつけるような男の声にも、少年は微塵たりと動じない。

やはり平静を保ったままで、男の言葉に答える。


「せっかくキリの良い形で決着したんだ。今宵、これ以上の騒乱は無粋というものでしょ。それにホラ、君達もこれ以上の醜態を望みはしないだろうし」


少年の一言に、男の表情が変わった。


「ほう。小僧、貴様あの小娘の身内の者か?」


「う~ん、身内の者というのは、少し違うかな。まあ、友人くらいには思ってくれて結構だよ」


「それならば、話が早い。我らは是非とも、先ほどの御教授の礼をさせていただきたくてな。我らだけでは十分な礼が尽くせぬと感じ、この通り一個中隊を率いてきた」


「うわぁ。そういう理屈でくるんだ。やれやれ、参ったなぁ。どうせなら力勝負なんて野蛮な真似はせず、穏便に済ませたかったんだけど・・・」


「貴殿は彼女の友人だと申したな。それは結構。仇を討ち、討たれるはこれ、友人の権利であり、義務。貴殿のような幼子までも、この尊き精神を介しているとは、こちらとしても歓迎するところだ」


圧倒的な数の暴力に支えられ、饒舌に先頭の男は語る。


その言葉に対し、少年はむしろ意外だといった顔で答えてきた。


「あ、ううん。少し違うよ。どちらかと言えば、個人的な嫌悪感かな」


「嫌悪?」


少年の言葉の意図する所が解らず、男は首を傾げる。

言葉の意味を介さぬ男に、今度はキチンと理解できるよう、少年は明瞭な言葉と態度で告げた。


「うん。他の誰でもない、ボク自身の嫌悪感だ。ボクがここに立つのは、あくまでボク自身が感じた感情によるものだ。

ホラ、今の君達の姿。ひとつの因子から、厄介事が無数に増殖していくなんて―――まるで病気のようで虫唾が走る」


少年の身より、膨大な魔力が立ち昇る。

事ここに至り、ようやく男たちは理解する。

目の前に立ち塞がる、少年の姿をした魔人の脅威に。


そう、例え幼年の身へと退化しようとも、彼は英霊。

少年の名は、人類最古の英雄王ギルガメッシュである。


「さて、事を始める前にひとつ。この集団のリーダーは、君たち三人で間違いない?」


迸る魔力とオーラで集団全体を圧倒しながら、ギルガメッシュは正面の三人に問う。

しかし、完全に少年の迫力に威圧された彼らには、それに答える胆力がない。

すべき行動も分からず、ただ立ち尽くして少年の言葉を聞いていた。


「重要な事なんだ。答えてほしいな。何しろこうした騒動を治めるには、リーダーが責任を取るのが一番円滑だし効率もいい。ほら、殲滅戦なんて、スマートじゃないし疲れるだけでしょ。

・・・まあ、いいか。君達の反応を見れば、返答を聞くまでもないしね」


すでに己が意を決めたのか、ゆっくりと少年が歩きだす。

英雄王の歩みを前に、すでに彼らには逃走の選択肢すらも含まれない。

この超越者の前にあっては、有象無象の群衆如きはただ絶望し、諦観するより他は無い。


「安心して。“今の”ボクは温厚だから。それに君達の責任は均等に分配されることになる。個人の咎は、死に至るほどのものではない。

―――ああ、そうだ。せいぜいボクの不快を注ぐ役割を以て、それぞれの咎を払ってくれ」


少年の口より紡がれるのは、絶望の言葉。

定められた罰の在り処に、男たちは身を震わす。


まるで天使のような汚れない微笑みで、ギルガメッシュは愚者どもに裁定を下した。










「あれ?ギルガメッシュ。どこに行ってたの?」


「大したコトじゃありません。つまらない雑事ですよ」


軽い返事と共に、どこかに消えていたギルガメッシュが帰還する。

ルイズもさして心配はしていなかったので、特に動じることなくそれを受け入れた。


先ほどまでの騒ぎも沈静化し、店内はすっかり静かになっている。

魔法の激突による片づけもしなくてはならなかったし、今日はもう店じまいだ。

店内からは客の姿が消え、店の関係者のみとなっていた。


「はい、みなさ~ん♪ちょっと早く終わっちゃったので、先にチップレースの結果発表をしちゃいま~す」


手を叩いて、スカロンが片づけをしている皆に告げる。

一週間の結果発表に、女の子達から歓声が沸いた。


「栄えあるチップレーズ第一位は、我が娘ジェシカ。合計金額は二百四エキュー八十二スゥ、三ドニエよぉ」


二位に倍近い額差をつけての、文句なしの優勝。

深いスリットのドレスを翻して、ジェシカは拍手に応えてポーズを決めた。


「なんだか予想通り過ぎる展開ですねぇ。ちょっと面白味に欠けるかな」


称賛を受けるジェシカを少し離れた所で見ながら、ギルガメッシュは隣のルイズへと話しかけた。


「そんなこと言っても、これが結果なんだからしょうがないでしょ」


「お姉さんは、悔しいとは思わないんですか?」


「全然。最初から、興味はなかったし」


強がるのではなく、本心からルイズは言った。


「まあ、そうでしょうね。お姉さんは、これまで他人に自分を魅せるという事をしてこなかった人ですから」


「なによ。馬鹿にしてるの?」


「いえいえ。ただいつかは、愛に奔走するお姉さんも見てみたいなぁ、と思いまして」


まるで年寄りのような事を、見た眼少年のギルガメッシュが言う。

夕方にもジェシカにその話題でからかわれたばかりだったので、余計にルイズは反発した。


「ふ、ふん。色恋なんて惰弱の極みだわ。私にはそんなものよりも、尊い使命があるんだから」


「愛という感情を馬鹿にしてはいけませんよ、お姉さん。愛情は、人間の持つ最も強力な感情のひとつです。愛に狂った者ほど美しく、そして恐ろしいものはありません」


「?なんで愛が恐ろしいのよ」


「分かってないなぁ。狂気とは、感情の暴走です。その感情が強すぎるが故に制御できず、理屈をも捻じ曲げた行動を引き起こす。決して他人とは共感できない固有感情こそ、狂気。

ほら、最も強い感情である愛は、最も狂気に近い場所にあるでしょう。知恵という名の果実を手に入れた人間にとって、理解出来ぬ狂気こそが真の恐怖の顕現なんですよ」


まるで笑い話でも語るかのような笑顔を見せているが、その内容は笑えない。

大人か子供どちらの姿であっても、ギルガメッシュにはこうした人ならざる雰囲気が見え隠れしている。

そういうどこか人間離れした所が、ルイズが彼を恋愛対象と見なせない最大の理由であった。


「そしてそんな在り様は、壊れていると同時にどこか美しい。中途半端な壊れ方ならただ無様なだけですが、完全に崩壊した人間にはあらゆる雑念から解放された純粋さの魅力がある。ましてそれが打算なき愛故にならば、いっそ気高いとさえ思えるでしょう」


「・・・私には、理解できないわ」


「そうですか?ボクはお姉さんにも、案外そんな可能性があると思ってますけど。お姉さんって割と一途で、思いつめやすいタイプですから」


「バッカじゃないの。そんなこと、あるわけないじゃない」


呆れた内容に、ルイズはそう断言した。


「ええ、それでいいです。狂気を理解するのは、同質の狂気の持ち主だけだ。そんな狂人には、お姉さんにはなってほしくないですからね」


「そう?なんか、そっちの方に引きずり込む気満々なようにも私には聞こえたけど」


「そんなことはありません。狂気の美徳は認めますが、当事者にとっては災厄以外のなにものでもない。ボクの性には合いません。

お姉さんには、是非とも最後まで真っ当なままで突き抜けていってほしいと思っていますよ」


「・・・・・・」


やはりどこか視点が違う話し方をするギルガメッシュ。

あえてその会話を続けようという気は起きず、ルイズは沈黙して会話を終了させた。


そして起きた一際大きい歓声に、意識をそちらへと向けた。


「優勝者のジェシカには、栄えある『魅惑の妖精のビスチェ』を纏う資格を進呈―――」


秘宝である『魅惑の妖精のビスチェ』を掲げて、スカロンが宣言する。

ルイズ達としては、すでに興味もなかったので、話半分に聞いていたが、


「―――の、はずだったんだけどねぇ」


その後の内容には、耳を咎めざる得なかった。


「実はねぇ。ちょっと前のことなんだけど、ウチ宛てに大量の寄付金が届いたの」


「寄付金?」


「そう。これがもう、とんでもない額でねぇ。なんでもさる名家の方が、ここで奉公するある少年のあまりの不憫さに嘆き、そのお金を送ってくれたそうなの。前にこの店を訪れた時に聞いた少年の御話に、とても感銘を受けちゃったそうよ」


タラリと、ギルガメッシュの額に冷や汗が流れる。

そんなギルガメッシュの動揺を知ってか知らずか、スカロンは率直に告げた。


「ちなみに、宛先はギルちゃんね」


店中の注目が、今度はギルガメッシュに集まった。


「お客様から代金とは別に貰ったお金だから、これも当然チップよねぇ」


「あの、え~と」


「さて、となると、さっき発表したチップレースの順位を訂正しなくちゃならないわ」


「いや、あの」


「優勝はギルちゃん。そして優勝者には、そのご褒美として―――」


言いながらスカロンが差し出してくるのは、露出度の高いビスチェ。

いかな体格の持ち主であろうとも、衣服そのものが着用者に合わせて変化する魅惑の衣装。

かつて自らも着用していたそのビスチェを手にし、スカロンは告げた。


「この『魅惑の妖精のビスチェ』が進呈されま~す♥」


「突然ですが、いてもたってもいられなくなりました。急ぎこの場を去らせてもらいますので、後のことはよろしく―――」


スカロンの言葉をきっぱりと無視し、そのままどこか遠くへと走り去ろうとする金髪少年。

だがその退路は、これまた唐突に回り込んできた女の子達によって防がれた。


「なっ!?」


「うふふふふ、逃がさないわよ。さぁ、ギルちゃん―――」


女の子達に羽交い締めとされ拘束されるギルガメッシュに、ゆったりとした足取りでスカロンが向かってくる。


『魅惑の妖精のビスチェ』を、正面に携えながら。


「き・て・も・ら・い・ま・しょ・う・かぁ~♥」


ダラダラと涎もこぼしながら、ニンマリとした笑みでスカロンが迫る。

キモイ、というよりもヤバイ。


「だ~いじょうぶよぉ。別にやましいことを考えてるわけじゃあないもの。いたいけな美少年のビスチェ姿が見てみたいとか、ギルちゃんの魅力がこれ以上増えたらどうなっちゃうのとか、そんなことは全然思ってないから。ねぇ、みんな?」


「「「「「ハ~イ♪」」」」」


答える女の子達の目も、どこかイッてしまっている。

鼻息も荒く、目は血走り、呼吸の方も乱れまくっていた。


神の血肉を持って生まれしギルガメッシュの誇る魔性のカリスマ。

人を惹き付けて止まぬその魅力の力が、今回ばかりは完全に裏目となって表れていた。


「お、お姉さん!!助けてください!!」


契約者であり味方であるはずのルイズに助けを求める。

求められたルイズは、助けの手を差し伸べる前に、少々妄想に耽った。


ギルガメッシュと、『魅惑の妖精のビスチェ』。

カリスマA+に、“魅惑”の魔法。

美少年に、ビスチェ。

そんな光景が頭の中に浮かんでは、過ぎ去っていく。


そしてルイズは結論した。


「・・・ごめん。私も、ちょっと見てみたい」


「う、裏切り者ぉ~~!!」


悲痛な叫びを、ギルガメッシュが上げる。

しかしいたいけな子供の悲痛な声にも、女の子達は動じない。

店長スカロン共々、自らの好奇心に向けて一直線なのであった。


「くそ、冗談じゃない」


毒づいて、ギルガメッシュは己が宝の蔵を解放する。

よもやこんなアホな事に宝具が使う羽目になるとは。

使われる宝具も、今回ばかりは不本意極まりないだろう。


「きゃあ!」


「なに!?」


とはいえ、解放されたからにはその役目は果たす。


出現した球状の物体は、それと同時に眩い光を放ち、全員の目をくらませる。

その隙をついて、ギルガメッシュは拘束より抜け出した。


「あいにくボクには女装の趣味はありません。そういうイベントは、楽しめる当事者だけでやってください」


そうとだけ言い残し、ギルガメッシュはあっという間に『魅惑の妖精』亭より走り去っていく。

いかに幼年体とはいえ、さすがは英霊。

俊足の豹の如き速度で、夜の街道を走りぬけていった。


「待ちなさぁ~い!!」


その後を、スカロンが追う。

ビスチェ片手にクネクネと蠢きながら走り抜けるその姿は、まるで蛇のようで気持ち悪い。

しかし速度だけは異常な早さを以て、一人のオカマが同じく街道を突きぬけて行った。


トリスタニアの夜は、まだ長い。





[2589] [21]王と女王
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/10/31 21:32





[21]王と女王










女王専用の執務室では、二人の人物が会談を行っていた。


一人は、この部屋の主であるトリステイン女王アンリエッタ。

そしてもう一人は、このトリステイン王国の司法をつかさどる高等法院の院長を務めるリッシュモンである。


「やはり、遠征軍の編成には、今以上の税率の増加が不可欠です」


二人が行う会談の内容は、先日の戴冠時にアンリエッタが宣言したアルビオンへの侵攻の件だ。

リッシュモンが治める高等法院では、国内の法案、歌劇や文学などの遊楽に対する規定、平民の生活を賄う市場の取り締まりなどを行う。

そのため、行政面を担う王政府とも、国の政策を巡り会談が行われることがたびたびだった。


「すでに先日の陛下の宣言以来、市民に課す税金の引き上げが行われています。これ以上の税率の増加は、民を干上がらせます。下手を打てば、反乱の可能性すらあるでしょう」


「民たちには、窮乏を強いることになりますね」


アンリエッタ主導で行われているアルビオン遠征軍の結成は、すでに難航を見せている。

空に侵攻する艦隊の編成、軍力の最重要な要因である兵力の徴兵、そしてそれらを行うための莫大な資金の確保。

その資金の確保が、早くも暗礁に差し掛かっているのである。


国同士の戦争に置いて、防衛と侵攻では、侵攻の方がはるかに難しい。

兵法における、攻め手の常勝には守り手の三倍の戦力を必要とするという事も一つの理由ではあるが、何よりも困難なのは、敵国の領地へこちらから侵攻していかなくてはならないという点だ。


自らの土地で戦う敵国と違い、遠征軍は自らの補給を自国より運び出さなければならない。

兵に与える兵糧、武器弾薬、その他にも多くの準備。

これらすべてを、遠征をおこなう軍は自国から持ち出していかなくてはならないのだ。


そのための運搬にかかる費用は、遠征軍にだけ強いられる。

それも運搬は一度ではなく、敵地にて軍が干上がらないようにするためには、二度三度と行っていく必要がある。

自らの土地でない場所で大軍を維持し続けるということは、それだけで莫大な資金と物資を強いる。

そしてそれらを取り揃えるために身を削るのは、他ならぬ自国の民なのだ。

国力に乏しいトリステインにとって、それはまさしく血肉を削るが如き苦渋を強いることになる。


「やはり遠征軍の建設など、あきらめなされ。いかにゲルマニアとの同盟があれど、国力に乏しい我がトリステインには、始めから無茶であったのです」


諭すような口調で、リッシュモンはアンリエッタに提言する。

リッシュモンは先代の王の時代より仕えてきた古株の貴族であり、王家とのつながりも深い。

その中でリッシュモンが、アンリエッタと己が娘のように接することは一度や二度ではなかった。

その経験のためか、自らの主君となった今も、アンリエッタに対する説教じみた口調が表れてしまう。


「無茶・・・、本当にそうでしょうか?」


しかし当のアンリエッタは、幼い頃のか弱さなど微塵と見せることなく、正面から見返して返答した。


「財務卿よりの報告では、これら軍事費の確保は困難なれど、必ずしも不可能ではないと報告を受けています」


「計算された紙面上の数値と、実際に必要とされる金額は、また異なりますぞ。戦争ともなれば、予想外の事態などはいくらでも起きるものです。まして今回の相手はアルビオン。攻めるには、あまりに危険が大きすぎる」


アルビオンという国はこのハルケギニアの上にはない、空を浮遊する天空大陸。

定期的にその位置を変化させ、ハルケギニアの上空を飛行し続ける。

そんな空の大陸への侵攻は、陸路をいくよりも遥かに困難なのだ。


まず侵攻のためには、空を行く艦隊の編成が必須事項であり、大軍を運ぶためには相当数に艦船が必要となる。

また兵員だけでなく、武器弾薬や食糧などの補給物資の運搬も艦船が行うことになる。

そこにかかる費用は、陸路を行く場合を遥かに上回るのだ。


更に、アルビオンは定期的にその位置を変える。

この位置が離れてしまえば風石の航続距離が足りなくなり、艦隊がアルビオンへと到達することは不可能となる。

アルビオンの侵攻には、大陸が最も近づく時期を選ばなくてはならない。

それはつまり、敵側には侵攻の時期が事前に知られ、時期が外れればこちらからは援軍を出す事も敵わないということだ。


アルビオンへの侵攻に際しては、まず初めに制空権を確保しなくてはならない。

これをしなくては上陸や補給はもちろんのこと、本国との連絡すらままならない。

そしてそのためには、古くより精強を誇るアルビオン艦隊を、艦隊戦にて打ち破らなければならないのだ。

地上に根を下ろす国と、元より空に君臨する国とでは、同じ空軍でも練度の程が違う。

過去多くの侵攻では、この空での艦隊戦にて、悉く攻め手側が煮え湯を飲まされてきた。


天然の環境によって守護された難攻不落の空の大陸。

過去幾度もハルケギニアの王達が同盟を結び、アルビオンへと攻め込んだが、ただのひとつとしてその侵攻を成功させた例は存在しない。

決して他の色に染め上げられる事の無い『白の国』、彼の国の不敗よりの由来である。


「アルビオンへの侵攻は、もはやトリステインにおける国是。軍の編成は、決して中断いたしません」


その辛酸たる過去を知りつつも、アンリエッタは躊躇うことなくそう言い放った。


「民たちを干上がらせるおつもりか?そのような強行、不満や怨嗟の声が上がる事でしょう」


「干上がらせる?ならばリッシュモン殿。民を干上がらすより先に、あなたたち上流貴族の方々から財を引き絞らなければなりませんね。民たちから奪い去るよりも、そちらの方が遥かに得るものが多そうです」


アンリエッタの鋭い指摘に、リッシュモンは口ごもった。

その機を逃さずに、アンリエッタは更に言葉をたたみかける。


「民だなんだと申していますが、結局のところ、あなた方は自らが肥やしてきた財を手放したくないのでしょう。以前までのような、贅を尽くした生活が出来なくなるからといって」


「へ、陛下・・・。い、いえ、決してそのようなことは・・・」


「ならば、この戦のために私財を投げ打つ事に、躊躇いはないでしょう。財務卿の出した結論も、あなたのような高取得者が規定した通りの提供を行ってこそのものだそうです。

見れば、随分とご立派な羽織を纏っているご様子。その銀細工といい、散りばめられた金粉といい、豪奢極まる衣装ですわ。そのような格好で金がないなどとのたまわれても、説得力がありませんよ」


遠征軍の建設に際し、軍事費の確保のためアンリエッタは貴族たちに倹約を促す令と態度を示している。

近衛の兵には杖を彩る銀の飾りを禁止し、彼女自身も余分と思える装飾は全て売り払って、遠征軍の軍事費に当てていた。

現にこの女王専用の執務室も、執務用の机がひとつあるだけで、一国の主のものとは思えないほどに殺風景である。

主君自らが率先した倹約を行うことで、下の者に対する模範となろうとしているのだ。

その態度は王宮内でも効果を示し、最近では貴族たちにも装飾を自重する動きが見えつつあった。


「これは一本取られましたな。しかしながら、陛下。高等法院の意見は、ほぼ遠征軍の建設の反対でまとまりつつあります。私一人が意見を覆したからといって、全体の意思まではそう容易くは変わりませぬぞ」


「そうした意見調整は私たちの役目です。法院長であるあなたの説得を為せたというだけで、この会談の意味は十分といえます。

大丈夫、法院の方々の説得には自信があります。私には、軍事費に賄える資金のアテがあるのです。あなたが指摘した税率の増加も、それを工面できれば、圧政も不満の域で治まるでしょう」


淀みなくスラスラと述べるアンリエッタを、リッシュモンは眩しい眼差しで見つめた。


「ご立派になられましたな。この老骨は先代のフィリップ様のころよりお仕えさせていただく身ですが、これほど喜ばしいと感じた日は他にございません」


「あなたは私がこの世に生を受ける以前より我が国に尽くしてくれました。そして私のことも、随分と良くしてもらいましたね」


「おそれながら、赤子であった陛下をこの腕にて抱き上げて、むずる陛下をあやす経験も、一度や二度ではありません。かつては我が手の中でぐずっておられた陛下の、このような立派な姿を見られるとは。このリッシュモン、思い残すことはありませんぞ」


互いに愛想の良い笑みを浮かべて、アンリエッタとリッシュモンは談笑する。

古い付き合いである二人には共有する思い出も多く、雑談の話題には事欠かない。


しばらく二人は他愛ない雑談を楽しみ、やがてリッシュモンは退出の意向を伝えた。


「ところで陛下。先ほどおっしゃられた、資金のアテというのは?」


扉の前に差し掛かったところで、振り向いてリッシュモンが尋ねてきた。


「まだ言えません。アテと言っても、確実なものではないのです。不確かな情報で、皆を余計に落胆させる事は避けたいのです」


「そうですか、分かりました。なに、御安心めされ。そのような心配などせずとも、このリッシュモンがいくらかの資金など、すぐに工面してごらんにいれます」


そう言い残して、リッシュモンは退出していった。


しばしして、部屋を後にしたリッシュモンと入れ替わる形で、一人の人物が執務室へと入ってくる。

現在のトリステインの頭脳たる人物、年若いアンリエッタの参謀を務める、枢機卿マザリーニである。


「陛下。例の件の調べが付きましたぞ」


挨拶も早々に、マザリーニは本題を持ち出した。


「やはり陛下の考えた通り、あの夜には誘拐犯の脱出を手引きした者がいたようですな。陛下がかどわかされるその直前、王宮を出た者がおります。その者は当直の門番に『すぐに戻る故、閂は閉めるな』と言ったそうです。そしてその者が戻ってくる僅かな時間に、一味が侵入して陛下をかどわかし逃走を図った」


「でしょうね。でなければ、たとえいかなる者であろうと、あれほど円滑に一国の主をさらい出すなど考えられません」


「門の件だけならば、まだ偶然と言い張ることもできるでしょう。しかし、放った間諜の報告によれば、最近になりその者の周囲では不当なほどの大金の動きが確認されているとも」


「不信な行動と金の動き。偶然と片づけるには出来過ぎていますね」


もたらされた報告に、アンリエッタは表情に難色を示す。

現在この情報を知るのは、アンリエッタとマザリーニを含めたごく僅かな者達のみ。

非常にデリケートな案件故に、王宮でも極秘とされている情報だった。


「やはり、リッシュモンが身中の虫ですか」


先ほどまで朗らかに会話をしていた人物の名を、まだ舌も渇き切らぬ内にアンリエッタは口にした。


ウェールズ一味による誘拐事件での一件、正規のものではない裏金の調査。

二人が話すのは、このトリステインに潜む『レコン・キスタ』の内通者を探り出す案件だ。


「正直に申し上げれば、私にはまだ信じられません。リッシュモン殿は、先代のフィリップ様の時代より国に忠義を尽くしてきた古参。それがよもや『レコン・キスタ』に下るなど・・・」


「彼が忠義を尽くしてきたのは、国ではなく財だったということでしょう。彼の周りには以前から、裏金の噂が付いて回っていましたから」


リッシュモンを語るアンリエッタに、先ほどまでの親しみは見受けられない。

あるのは、ただ冷然と突き放す拒絶のみである。


その拒絶は少なくとも、幼いころより自分の世話までしてくれた者に向ける感情ではなかった。


「いけませんな。年を取ると、どうにも考えが固くなってしまう。古く年月を重ねたものが、必要以上に神聖に思えてくる。陛下のご指摘が無ければ、危うく裏切り者を見逃すところでした」


「自分を責める事はありません、枢機卿。あなたは私などよりも遥かに古くから、このトリステインに尽くしてきたんですもの。その古くにあるものを信じようとすることを、間違いなどと誰が言えましょう」


己の老獪な忠臣に、アンリエッタは労いの言葉をかける。

彼にはこのトリステインの運営のため、多くの債務を課している。

それだけでも相当な重責であるだろうに、更にこのような間諜の任まで与えて、本当に申し訳ないと思う。

ましてその対象が自分と同じく古くより国に仕えてきた者であるならば、その心労は計り知れないものだったに違いない。


老臣の苦労を思い、アンリエッタは心よりその身を案じた。


「それで、陛下。リッシュモン殿の件はいかがいたしますか」


「無論、処罰いたします。浅ましき金銭如きで国を売った愚か者。その愚行のなれの果てを示すことで、第二第三のリッシュモンの出現を防ぎましょう。

背信に裁判は必要ありません。家は取り潰し、肥やした財産はすべて王家が没収し、遠征軍の軍事費にあてます。裏切り者の末路がいかなるものなのか、それを国内の貴族に知らしめるのです」


そして同じく老臣に対する冷酷な言葉も、やはり心からのものだった。


今の彼女は、かつてのような甘さや弱さとは無縁の位置にある。

ウェールズの諭しを受け、考えなき信頼が、ただの依存であると思い知らされた。

彼の残した最期の教えを順守するのは、彼女にとって誓いにも等しい。


愚鈍なる純心は、王にとっての美徳ではない。

必要なのは確固たる自立の精神と、毅然とした王の姿。

眼福となる花は、民から慕われはしても、忠誠を掲げる国の柱にはなりえない。

現にルイズから報告される民の声からも、自分がいかに権威に劣っているかが見てとれる。

未だ年若い小娘と侮られるアンリエッタには、アルビオン侵攻に乗り出す前に王としての態度を国民にはっきりと示す必要があった。


リッシュモンへの断罪を、彼女の王としての最初の威光とする。

リッシュモンはトリステインにおける法の頂点、高等法院長の座に就いている。

その法院長を、同じく法を以て断固たる裁きを与えることで、背信に対する恐怖を国内の者共に植え付ける。

その畏怖を以て王としての威光と為し、アンリエッタは初めて真に一国の主として立つことが出来るのだ。


「しかしながら陛下。そうは申されますが、現状ではリッシュモンを断罪するには証拠が足りません。冤罪による処断は、あなたに不利益しか生みませんぞ」


「分かっていますよ、枢機卿。だからこその、今回のキツネ狩りではありませんか」


その話題を上げると、途端にマザリーニは苦虫を噛み潰したような表情となった。


「やはり、あなたはまだ反対ですか?私が立てた今回の計画に」


「・・・陛下の計画の有効性は認めます。ですが、御身自身を囮とするという考えは、臣下の一人としては賛同いたしかねますな」


不審はあれど、いまだ確かな証拠を掴ませていないリッシュモン。

その罪を白日の元に曝すため、アンリエッタはひとつの計画を思いついた。


すなわち、自らを囮として、内通者たちをおびき出すという計画を。


トリステインの君主であるアンリエッタが突如として消えれば、監視役でもあるだろうリッシュモンは当然慌てる。

そして事の真相を確かめるため、すぐにアルビオンの間者へと接触しようとするだろう。


その瞬間こそが、この計画の狙い目。

アンリエッタが自らその行方を眩ませ、その後のリッシュモンの動向を見張っておけば、必ずやその尻尾が掴めるはず。

その時こそ、このトリステインに蔓延る内通者の芽をまとめて摘み取る絶好の機会。

真近に迫る戦乱に備えて、国内の憂いを払うために、今回の計画はあるのだ。


「周到なリッシュモンに迂闊な接触を誘発させるには、それに見合うだけの餌が必要ですわ。それに今回の計画は王宮の者にも秘匿としなければ意味がありません。計画の秘密を守れ、同時に彼が飛び付くほどの価値を兼ね備えた人物とは、一体誰でしょうね?」


「・・・・・・」


「この任務に一番ふさわしいのは私です。尻込みなどしていられませんわ」


「・・・分かりました。陛下の御意志がそれほどに強固であるならば、私は何も申しません」


淀みのないアンリエッタの言葉。

そこにアンリエッタの決意の強さを見取り、それ以上の追及をマザリーニはしなかった。


「ところで、陛下。遠征軍の件ですが、問題は軍事費だけではないようです」


リッシュモンの案件から話題を変えて、マザリーニは告げる。

トリステインの内政を司る彼の立場からすれば、謀略の算段などよりこちらの方が本題だろう。


「今回の陛下が宣言されたアルビオンへの侵攻に関して、いくつかの有力貴族が兵の派遣に関して拒否する意向を示してきています」


「それは、アルビオンによる工作にようためのものではなく?」


「確証はありませんが、恐らくは。相手はあのラ・ヴァリエール公爵です」


マザリーニの口から出たヴァリエールという名前に、アンリエッタは表情を曇らせる。


ラ・ヴァリエール公爵家は、トリステインでも随一の歴史と格式を誇る名家だ。

元々は王家と同じ血筋の起源を持ち、幾人もの優秀なメイジを輩出してきた彼の公爵家は、所有する土地も影響力も並の貴族などとは比較にならない。

王家の政策に反対してきて、はいそうですか、とやり過ごせるような軽い相手では断じてない。

彼の公爵家の決断は他の貴族達にも影響を与えるだろうし、現在のアンリエッタの行う開戦の準備にも小さくない足かせとなるだろう。


そして、もうひとつの大きな理由。

ラ・ヴァリエール公爵家は、彼女が信頼する友人であるルイズの実家でもある。

ルイズの実家が自分のやり方に反対すること、それ自体がアンリエッタにとって軽いショックだった。


(やはり、人とは皆違うものですね・・・)


ラ・ヴァリエール公爵ならば、アンリエッタも良く知っている。

公爵家と王家は元々親交が深く、両家共に面識が深いのだ。

そのために幼い頃のアンリエッタの遊び相手にルイズが選ばれたのであり、その父であるラ・ヴァリエール公爵とも、会話する機会は十分にあった。


幼いころの認識なのではっきりとした事は言えないが、ラ・ヴァリエールという人物は有能であり、そして誠実な方だったと記憶している。

必要以上に傲慢に振る舞うことなく、下々の者にも相応の態度を以て応じる、優雅さを兼ね備えた立派な貴族だった。

そして自分に対しても、随分と良くしてくれたのを覚えている。


そんな誠実で優秀な彼が、今は自分のやろうとしている事に反対している。

幼いころの自分には、到底想像もつかなかったことだ。


それは恐らく、どちらが正しいかという話ではなく、どちらも違う考えを持った人間であるという事なのだろう。


「ラ・ヴァリエール公爵からは、陛下を窘める内容の書簡も届いております。かの空の大陸には侵攻はせず、包囲する事によって、持久戦に持ち込むべきだと」


「正攻法のやり方ですわね。あの空の国に対しての」


「正攻法となるのは、それが最も有効な策であるからです。陛下、僭越を承知で言わせていただきますが、ラ・ヴァリエール公爵の言い分にも、確かな理がございます。ここは一度、今後の国の方針に対し今一度の再考を設けたほうがよろしいやもしれません」


諫言ではなく、あくまでも臣下としての忠言として、マザリーニは言う。


当初から、今回の侵攻の件については幾度となく検討を繰り返してきた。

トリステイン重臣内での会議、退役した将校への相談、有力貴族達の意見調査。

そうした中でいつも上がる議題が、アルビオンへ対する侵攻計画の是非であった。


前記した通り、空の大陸であるアルビオンへと侵攻する事は容易ではない。

いかにゲルマニアとの連合があり、兵力的にはこちらが上回っているとはいえ、常勝を期待できるほどではない。

先ほどリッシュモンが述べていた戦争反対の言葉は、彼だけのものではないのだ。


「宮廷内の意見は、すでにアルビオンへの侵攻にまとまったはずですわね?」


「未だ影響力は強いですが、公爵はすでに表面的には軍務より退いた身です。今の公爵に国の方針に意見する権限はありません。彼が行ったのは、兵員の派遣と軍団の編成の依頼の拒否と、先ほどの書簡による進言のみです」


「ならば、我が王家に方針変更はありません。アルビオンの打倒は、今やトリステインの国是。いかなヴァリエールといえど、たかがひとつの貴族の言葉に姿勢を違えるようでは、王家の権威は失われます」


断固たる口調で、アンリエッタは語る。

その言葉の中には強い意志は感じられたが、同時に王という責務に対する気負いのようなものがあった。


その感情を目聡く察知し、マザリーニは忠言する。


「陛下。王としての心構えと姿勢はも重要ですが、時には恥を忍んでの行動も必要ですぞ。感情論だけでなく、理を用いた考えも―――」


その時、以前に比べて随分と鋭くなったアンリエッタの視線が、マザリーニを射抜いた。


「感情・・・?枢機卿、私がいつ、感情如きで動いたというのです?」


あまりにも冷徹なアンリエッタの言葉に、老獪たるマザリーニが言葉に詰まる。


「あなたとは幾度となく話し合ったはず。今回の戦における、攻める事の理を」


アンリエッタが宣言したアルビオンに対する宣戦布告は、彼女だけの一存ではない。

防衛や包囲を捨てて、あえて侵攻を選びとったことには、それに見合う確かな理が存在する。


大陸を空に孤立させ、純粋な国力ではトリステインにすら劣るアルビオン。

先の侵攻の疲弊もあるだろう今ならば、大陸を包囲し兵糧攻めに持ちこめば、早々に相手側は干上がる。

その後に申しだされるだろう和平交渉で、アルビオンに敗北を認めさせればよい。


その手段はなるほど、まさに正攻法と呼ぶにふさわしい。

犠牲も少なく資源を費やす事もないまま、安全に勝利を得られる手段だ。

過去に行われたアルビオンへの侵攻でも、この手段が数多く試され、そしていくつかは成功を収めていた。

あのラ・ヴァリエール公爵がこの方法を進言する事も、無理からぬことだろう。


―――しかし、その手段が有効なのは、今の状況がこれ以降も続いた場合での話だ。


今敵対しているのが誰なのか、アンリエッタは忘れてはいない。

これから彼女が雌雄を決する敵は、神聖アルビオン共和国初代皇帝クロムウェル。

元は一介の神父でしかなかった身の上から、王家に対し革命が起こせるほどに戦力を整え、そして実際に王座の簒奪を成し遂げた男なのだ。


先日の条約を無視した侵攻や、ウェールズの骸を利用した誘拐未遂など、その手段は卑劣にして狡猾。

また高等法院長であるリッシュモンや、魔法衛士隊隊長のワルドなど、多くの内通者を抱きこむなど、その謀略は底が知れない。

そして彼自身が自称する『虚無』なる未知の力など、謎めいた何かを有している。

得体の知れないこの非道の男の姿が、アンリエッタにはひどく巨大なものに映っていた。


これほどの奇策や謀略を巡らせる狡猾な男が、仮に包囲されたとしても、何もせずただ黙って降伏してくるとは考えられない。

それにこちらが優位にあるとは言っても、それはあくまでゲルマニアとの同盟があってこそのものなのだ。


元々トリステインとゲルマニアという国は、折り合いの良い国同士ではない。

始祖の時代から起源を持ち、伝統を重んじるトリステインと、まだ誕生して間もなく、伝統より金銭や領土など即物的なものを頼りとするゲルマニア。

まったく異なる国色を持つ両国の関係が良好であるはずがなく、これまでも幾度となく戦争を繰り返してきた。

今はアルビオンという共通の大敵がいるため同盟を保てているが、それも堅実とは言い難かった。


クロムウェルが抱き込んだリッシュモンにワルドの二人は、トリステインという国においてもかなりの地位に就く人物だ。

リッシュモンには金という短絡的な動機がある分まだ理解できるが、ワルドに至ってはどのようにして籠絡したのか全く想像もつかない。

そしてそれほどの手腕を持つ男ならば、あのゲルマニアに対しても何らかの謀略が巡らせられていると考えるべきだろう。


ゲルマニアとは前記した通り、誕生からの歴史の浅い国だ。

元はひとつの都市国家だったものが、利害の一致よって周辺貴族が団結して誕生したという経緯のため、主君である皇帝に対する忠誠も高いものではない。

古き歴史を持つトリステインよりも、ゲルマニアの方が抱き込むことは遥かに容易いだろう。


もしこの同盟が破綻すれば、今ある優位は一瞬にして消え去る。

万が一ゲルマニアがアルビオンに取り込まれるなどという事態に陥れば、孤立するトリステインには完全に打つ手が無くなってしまう。


アンリエッタが包囲ではなく侵攻を選んだ理由は、純粋に勝算の高い選択肢を取ったに過ぎない。

トリステインとゲルマニア、そしてアルビオンの三国がそれぞれの情勢を抱えて睨み合う現在の状況は、敵側にとっても予想外の事態のはずだ。

彼らの思惑通りに事が進んでいたならば、先の奇襲によってトリステインは陥落し、今頃この地はアルビオンの領地となっていただろう。


だが、それは失敗に終わった。

こちらでも全く予想しなかった助勢の出現により、アルビオン艦隊は全滅。

条約無視のリスクを犯してまで行ったアルビオンの侵攻は、思いもよらぬ『虚無』の力によって阻まれたのだ。


すなわちそれは、数々の謀略を巡らし、非道な策を以て勝利を収めていきたクロムウェルにとって、ほぼ唯一の想定外。

自分達に勝機があるなら、相手の謀略の種が失われた今を置いて他にない。

失われた艦隊の再編成もさせず、相手が謀略を巡らす時間も与えない電撃作戦。

その策の方が包囲よりも勝算が高いと、アンリエッタは判断したのだ。


断じて直情や私怨によって動かされたような、浅はかなものではない。


「枢機卿。私の決定は、それほどまでに軽いですか?」


「・・・無礼をお許しください。今のは失言でありました。迷っていたのは、私の方だったようです。どうも老いぼれると、弱気が板についていけませぬ。既に決めた事だというのに、未練がましく振り返り思ってしまう。果たしてこれ以外の、戦争を避け得る方策が無いものか、と」


「・・・・・・」


「その点、陛下は本当にお強くなられた。あなたのその揺らぎない姿を見れば、付き従う将兵達にも大きな励みになりましょう」


「益の無い世辞は結構です。それより枢機卿。ラ・ヴァリエール公爵への対応については考えていますか?」


述べた通り、ラ・ヴァリエール家はトリステインでも最大の権威を誇る大貴族だ。

その影響力は他の貴族などとは比べ物にならず、たかが一貴族と切り捨てる事など出来はしない。

いかに国是を優先するとは決めても、単に無視するわけにはいかないのである。


「このまま向こうの申し出を受け入れるのは得策ではありません。ラ・ヴァリエール家は我が国でも名立たる名門。ヴァリエールが戦争に反対する姿勢を見せれば、それに呼応する貴族も出てくるでしょう」


「では、どうしようと?」


「公爵の気位を考えて、彼が己の意見を容易く翻すとは思えません。戦争を控えるこの時期に、あえて不信の種を芽吹かせる事は避けるべきでしょう。ここは、譲歩の姿勢を以て応じるのがよろしいかと」


「譲歩?」


「要請した一個軍団編成の拒否、これは受け入れましょう。ただしその代わりに、彼には侵攻軍の派遣後、本国の防衛の任に就いていただきます。この要請ならば、公爵も拒否できないはずです。また本国の防備を賄えることも、無益ではない。侵攻軍を派遣すれば、本国の守りが手薄になりますから」


「・・・枢機卿。やはり、あなたはガリアの関与を疑っているの?」


そこでアンリエッタは、トリステインにゲルマニア、アルビオンと三国を巻き込むこの戦争に対しても、冷然たる中立を貫くもうひとつの大国の名を口にした。


「年を取れば小心で、疑い深くなりましてな。かの国の沈黙が、私には不気味に思えてならないのです」


「ガリアがアルビオンと通じていると?共和制を唱えるアルビオンの台頭が困るのは、ガリアとて同じはずですが」


新生アルビオンが唱える共和制。

国の主権を民衆へと委ねるこの政治形態は、ハルケギニア中すべての貴族にとって恐怖すべきものだ。


このハルケギニアの権力者である貴族とは、すなわちメイジである。

貴族は長く続いた血筋の尊さや名誉の気高さ、そして魔法という権威の証を以てこの世界に君臨している。

長らく続く貴族主義の体制も、この魔法の存在によるところが大きい。


だが、考えてみるがいい。

どれほど魔法の力が強大でも、総体から見たメイジの数はハルケギニアの総人口の一割にも満たない。

極論ではあるが、もし全ての貴族と平民が二つに分かれて決戦を行えば、敗北するのは貴族の方なのである。

同じ一人の人間として見ればメイジの方が強いが、もしメイジを別々の種族として見たとすれば、より数を増やせる平民こそが強者なのだ。


平民が権力を身に付けること、これはそのまま全てのメイジ、ひいては貴族にとって脅威になり得る。

まして国の体制を国民の多数決に委ねる共和制は、貴族の権威に対する正面からの恐怖である。


ハルケギニアの国々が共和制を受け入れないのは、単なる利害関係ではなく、むしろ本能的な忌諱。

力で劣るが数で勝る平民達の台頭は、すべての貴族にとっての悪夢だ。

魔法という明確なる両者の違いは、それ故にそれぞれの者達に結束をもたらす。

だからこそ、貴族たちはあるひとつの事実から目を背け、また平民にそれを知らすまいとしてきた。


―――いかに魔法を持つメイジとて、所詮は同じ脆い人間に過ぎないのだという事実を。


古くから続く伝統を重んじる制限君主制のトリステインや、建国より歴史の浅く金や土地によっては平民とて貴族になれるゲルマニアとて、魔法を持つ者の権威を重んじる点は変わらない。

まして未だに絶対君主制の色を残すガリアこそ、アルビオンの共和制は打倒すべきものであるだろうに。


「だからこそ、中立を貫く意図が気になるのです。アルビオンの打倒は、今やハルケギニア中の国家の総意。それにあえて参加せず、我関せずの姿勢を見せる。あるいは、我らが戦い疲弊するのを待って、侵略を企んでいるのやもしれません」


「・・・ガリアの現国王は、ジョゼフ殿でしたね。彼は確か臣下の者からも『無能王』と称されるほどに、愚鈍な人物と聞いていますが」


「私にはその『無能王』という俗称こそが不穏なものに思えるのです。愚鈍の評価の影に隠れ、何か底知れぬ企みを抱えているのではないか、と」


老成からの経験が語るマザリーニの言葉を、アンリエッタは重く受け止める。

彼の眼は長きにわたり、この世界を見つめ続けてきた。

その年月の重みは、自分などとは比べ物にもならない。

今や彼女が最も信頼する老臣の言葉を、アンリエッタはしかと胸に刻み込んだ。


「今はガリアの事を思案しても仕方ありません。我らの目下には、アルビオンという強大な敵が控えているのですから」


「おっしゃる通りです。ガリアへの懸念は、ひとまず我が胸に潜ますとしましょう」


マザリーニの言葉は心に留めながらも、アンリエッタは話を戻した。

いま話すべきは、ヴァリエール公爵家に対する今後の対応である。


「公爵自身への要請は、先の本国の守護でよろしいでしょう。後は遠征軍に対する金銭的な援助。これで王家の面目も保たれる。公爵も愚かではありません。外に大敵を持つ今、いたずらに内部を乱すような真似は控えるでしょう」


「・・・果たしてそうでしょうか」


「不十分とおっしゃいますか?」


「枢機卿、あなたの言う対応は正しいものと思います。そこに反対を述べるつもりはありません。ですが、それだけでは他の家系が自らの嫡子を戦場へと送り出している今、公爵家のみに対する贔屓とも取られるでしょう。血を流さぬ奉公に、真の忠義は見えません」


「なるほど。では、陛下には何か考えがおありで?」


マザリーニの問いに対し、アンリエッタは言葉を切った。

押し黙り、己の中の葛藤に一瞬の沈黙を挟み、感情を押し殺した声で口を開く。


「私の直属の女官であるルイズを、艦隊司令部の指揮下に置きます。ラ・ヴァリエールの息女として、そして『虚無』のメイジとして」


「なんですと!?」


アンリエッタの発言に、『鳥の骨』と噂されるマザリーニの動かぬ無表情に、驚愕が浮かんだ。


「直系の三女を戦場に出したとなれば、ラ・ヴァリエールも日和見主義でいるのではないと他の貴族たちに示せましょう。それに、ルイズの持つ『虚無』は先の戦でアルビオン艦隊を退けた。此度の戦争でも、必ずや役にたちましょう」


「よろしいのですか?それではミス・ヴァリエールに相当な過酷を強いることになります。彼女は陛下の幼き頃からの友人ではありませんか」


マザリーニは、古くからトリステイン王家に仕えてきた。

ルイズがかつて王家と親交の深い公爵家の令嬢として、アンリエッタと友情を育んだことは彼も知っている。

そのルイズに、アンリエッタがそのような任を与えるなど、容易くは信じられなかった。


しかし、当のアンリエッタの表情には動きはない。

ひたすらに感情を押し殺した声音で、冷静に返答する。


「ルイズは私の大切なお友達。それはこれからも決して変わりません。ですが、それ以前に彼女は私の臣下。一人の臣下に王が贔屓をすれば、他の臣下に不信を招きます。ましてルイズにはあの強大なる『虚無』の力がある。使わない手はありません」


「陛下・・・っ!」


「私はこれより、我が国に住む民達に対し、苦痛と死を要求するのです。罪深き命の選別に、差別があってはなりません。

戦争においては、命の全ては盤上の駒。駒のひとつひとつを最大限に活用し、勝利を目指す。例え能力に違いはあっても、駒ひとつの重みに違いはありません。

今は伝説とて道具のひとつとして利用すべき時なのです。それがどのような神秘であろうと、僅かでも勝利の可能性を上げられるのなら、私はそれを使います

―――例えそれが、私の親友であってもです」


静かに、だがはっきりとアンリエッタは断言した。

その姿に、マザリーニはしばし呆然と立ち尽くす。


あのアルビオンの侵攻に際した会議の席より、アンリエッタは目覚ましい成長と遂げていた。


「私を、非情の人間だと思いますか?枢機卿」


「・・・いえ。嫌なものですな、戦争とは」


「ですが、今はその戦争が必要です。そして同時に、決して敗れることは許されないのです」


アンリエッタの言葉には、明確な意思が宿っている。

感情にただ流されたものではない、確かな自覚と責任を伴っての姿は、まさしく王の姿勢。

今ここにマザリーニの前にいるのは、かつてのか弱きトリステインの華ではなく、まぎれもないこの国の王なのだ。


「さて、そろそろ私も行かなくては。後の事は頼みましたよ、枢機卿」


話を切り上げて、アンリエッタは席を立つ。

切り替えた彼女の思考にあるのは、内通者と目されるリッシュモン、その尻尾を掴むための計略だった。


「シャン・ド・マルス練兵場の視察の帰りより、私は姿を眩ませます。王宮内への対応はあなたに一任します」


「兵はどこの者を使います?他の重臣たちにも内密に事を運ぶとなると、魔法衛士隊は使えませんが」


「私の直轄の銃士隊を使いましょう。リッシュモンへの情報の伝達も、隊長のアニエスにやらせる事とします」


「・・・あの小娘を、ですか」


不快気に眉を顰めて、マザリーニは呟く。


銃士隊とは、アンリエッタが女王となった折に新設された彼女直属の親衛隊である。

女王の親衛隊という事で、そのメンバーは全員が女性で構成されている。

それだけならば他の部隊と大した違いはないが、最も特徴的なのは親衛隊全員が平民であることだ。


「枢機卿。まさかあなたも、銃士隊の設立には反対なのですか?」


平民を王族の親衛隊に加える。

これまでのトリステインにない、平民の地位向上を目指したこの政策に、王宮内は反対意見がほとんどだった。


一応は低下しつつあるトリステイン国力の回復を目的としたという理由で納得させていたが、大半の貴族は銃士隊の存在に不満を抱えている。

特に、先の戦争の功績によって任命された銃士隊隊長アニエスには『シュヴァリエ』として貴族の称号が与えられていた。

隊長が貴族でなければ他の部隊との均衡に支障をきたすための措置であったが、そんな理屈よりも平民が貴族になったという事実が、王宮の貴族達を苛立たせている。

その苛立ちは銃士隊の面々への侮蔑や嘲笑という形で王宮内に現れていた。


若くして女王となり、いまだ確かな土台の無いアンリエッタに、この改革的な政策はかなりのリスクを伴うものであった。

いつの時代でも、改革という事業には反発する勢力が現れ、そして大抵はそちらの勢力の方が強い。

いかに国力回復という名目があったとしても、多くの貴族たちの不満を買ってしまった今回の政策には、明らかに不利益の方が大きかった。


それでも銃士隊の設立を推し進めたのは、それがアンリエッタの抱く理想に続く道であるからだ。


人は、己の生まれを選ぶ事は出来ない。

誰もが自らの意志とは関係の無い所で誕生し、その出生によって運命を縛られる。

自分が王族であることを止められぬように、人が自らの出生から逃れることは出来ない。

その必然として、世界には格差と不平等が生まれる。


それがいかなる悲劇であるのか、今のアンリエッタにはよく分かる。

自分が王族であることを捨てられないように、平民達も己が平民であるという事実を変えられはしない。

貴族に生まれた者には約束された栄誉の道が、平民に生まれた者には手に入れる事が出来ない。

どれほどの努力を重ねてもその結果が変わらないのであれば、努力をしようなどと思えるはずがない。

どうにも出来ぬ己の出生によって、その後の人生までも挫折してしまうなどあんまりだ。


だからこそ、アンリエッタは可能性を提示した。

例え平民でも、努力と功績次第では上り詰める道があるのだと、それを皆に知らしめたかった。

それは共和制のように貴族の存在価値を落とすものではなく、ただあらゆる者に与えられる機会の自由。

万人の公平にはまだ程遠いが、それでも少しでもこの世界の不平等を正していきたい。

そんな平等を示す道こそ、アンリエッタが王として歩むべき道なのだ。


そしてその事は、マザリーニとて理解していた。


「いえ。土地に乏しい我らが国力の増強を図る事は、悪くありません。度が過ぎれば貴族の権威の失墜にもつながりますが、今の段階では有効な策です。平民のみで構成された銃士隊の存在は下々の兵にとっても励みとなるでしょうし、陛下に対する民衆からの支持も厚くなるでしょう」


「それならば、なぜアニエスに対してそのような悪意を見せるのです?」


だからこそ、マザリーニが問題としているのは銃士隊の存在ではなく、あくまで個人の話。

ある一人の個人に対して、マザリーニは不信を顕わとしていた。


「・・・あの小娘は信用なりません。あれは陛下に対する忠義心で動いているのではない。あくまで己が私怨に従って行動している。そういった類の輩は、命を賭して陛下をお守りするべき親衛隊にはふさわしくありません」


「彼女は元々王家とは無縁の生まれの者です。貴族が重んじる忠義心を解しなくても仕方無いでしょう」


「ただの貴族ならば、私もここまでは申しません。ですが、あの小娘は今や、陛下の側にて守護する立場にあります。私情を挟んで行動する者は、事と次第によっては寝返る可能性が非常に高い。そのような者を陛下の近衛として信頼せよというのは、私にはいささか困難です」


マザリーニの懸念は、分からない訳でもない。

けれど、その理由はどうあれ、アニエスは自らの力のみで功績を上げ、自分の目に留まった。

生まれの地位など無く、ただ純粋な己の力のみで上り詰めてきた彼女の姿に、アンリエッタは惹かれた。

例えその動機が卑しきものであろうと、その過程に積み重ねられたであろう血と汗は誰にも否定できない。


そんな人間こそ、アンリエッタは近衛として傍に置きたかった。

願わくば、そんな彼女の姿が自分の道の導きとなる事を期待して。

それが私情であるとは理解していたが、自分の片腕にもなるだろう人間はやはり自分の意思で選びたかったのだ。


振り返れば、自分はこれまで臣下達を省みる事をしなかった。

ひたすらに自らの思案に没頭するばかりで、その内面を推しはかろうともせず、ただ拒絶ばかりを繰り返した。

先のワルドの件や今回のリッシュモンの事も、ひょっとしたらそんな自分の態度こそがそもそもの原因かもしれない。

そのような者に、真に忠誠を誓う臣下など出来るはずがないのだ。


「真の忠義など、そう容易く得られるものではありません。これより彼女の忠誠を勝ち取れるかどうか、それは私次第なのでしょう」


だからこそ、アンリエッタはアニエスを選んだ。

最初からの忠義など、端から期待はしていない。

自分と全く接点の無かった彼女が自分の目にとまり、その在り方には共感を覚えた。

この出会いを、単なる偶然にはしたくない。


アニエスが真の忠臣となるか、それとも反逆の徒となるか、それはこれからの自分次第。

その采配こそが王たる自分を試すことになり、またその価値を決定することになるだろう。


「・・・陛下。辛辣な言い方となりますが、兵とは所詮換えの効く消耗品です。例え近衛であろうと、代わりは用意出来る。ですが、あなたの命には決して換えが効かない。それをお忘れなきよう」


「理解しています。言ったでしょう。この時において、全ての命は盤上の駒だと。そして駒にはそれぞれ、固有の役割を持っている。キングの駒がとられては、ゲームが終わってしまいます」


安心させるように微笑んで、しかし強さを伴った姿勢を見せて、アンリエッタは言った。


「ですが、時にはキングの駒も動かさねば、対局には勝てません」


涼やかにふてぶてしく、アンリエッタは断言する。

その姿は、老獪のマザリーニにして、王の気高さを感じさせるものだった。










朝日の光が目に染みる、トリスタニアの朝。

一階の酒場は夜にしか開いておらず、日の出ている内は宿の切り盛りと店の仕込みに時間を費やされる。

その一環として、ルイズは表の水の入った桶を運び入れる作業をしていた。


その作業に淀みは特になく、なんだかんだ言ってもう随分と慣れてきたルイズであった。


「ふぅ・・・」


桶一杯に入った水の重さに疲れ、ルイズは一息つく。

朝の心地よい風の中で流す汗は、貴族の贅沢には無い労働の清々しさを与えてくれた。


「おい」


そんな清々しさは、背中にかけられた不遜の声と、蹴りの衝撃によって彼方に消えた。


「ガボ、ゴボゴボ」


蹴り付けられた衝撃で水の満載した桶の中に顔から突っ込み、ルイズはもがく。

それを行った背中からの声は、ルイズの様子など露ほども気に掛けず、ただその無様な姿を見降ろしている。


ようやく水の中から起き上がったルイズは、ずぶ濡れとなりながらキッと後ろに振り返った。


「ギルガメッシュ!!アンタ、何すんの―――」


怒鳴りかけたルイズだったが、振り返った先のギルガメッシュの姿に一端言葉を切らせた。


「あれ?アンタ、元に戻ったのね」


そこにいたのは最近の幼年体ではなく、青年体の姿をした黄金の男。

かつてルイズが召喚した時と同じ、英雄王ギルガメッシュが立っていた。


元に戻ったという事だろうが、ルイズとしては少々残念だった。

子供の方のギルガメッシュは素直で扱いやすく、青年体の時よりも問題は遥かに少ない。

子供は子供でプレッシャーをかけてくる時もあるが、それでも大人時の横暴を思えば十分許容範囲だ。


もう少しの間くらい、ギルガメッシュには子供のままでいてもらいたかったのだが・・・。


「どうしたのよ。まあ、アンタの行動がいきなりなのはいつもの事だけど、今回はまた随分と唐突じゃない」


「・・・・・・」


ルイズの問いかけに対して、珍しい事にギルガメッシュはすぐに返事を返さなかった。

何事にも即断即決、言葉への返答も常に即答であるのがギルガメッシュであるはずなのだが。


「・・・我にも、よく分からん」


「え?」


「記憶が曖昧なのだ。恐らく昨夜前後にこの姿に戻ったのだろうが、その周辺に位置する時間の記憶が、上手く思い出せぬ。まるで、自ら忘却の渦に封印してきたかのような」


そう言われて、ルイズは思い返す。

昨夜といえば、チップレースの結果発表にて、子供であるギルガメッシュが優勝を決めた時。

『魅惑の妖精のビスチェ』の着用を迫られ、その後スカロンより逃走した時ではなかったか。


あれから結局、ルイズはギルガメッシュの姿を見ていない。

いつまでたっても戻ってくる気配はなく、そのまま就寝してしまったのだ。


・・・そういえば、朝起きた時に見たスカロンは、随分と艶々して満ち足りた表情をしていたような。


「何かあったのか?」


「・・・いえ」


ルイズは眼を逸らした。










「陛下がかどわかされただと!?君達軍人は、一体何をやっていたのかねっ!!」


朝一にて届けられた急報に、まだ寝巻き姿のまま着替えていないリッシュモンは、目の前の女騎士に罵声を浴びせかける。


リッシュモンの元に届けられた、女王アンリエッタ行方不明の報せ。

突然の急報に熟睡の中を叩き起されたリッシュモンに、その報せは余計に彼の機嫌を損ねるのに十分な効果があった。


「君達は一体何度同じ事を繰り返せば気が済むのだ!?先にも似たような誘拐騒ぎがあったばかりではないか。間諜の警戒など、最も優先してやっておくべきではないのか!?」


「誠に、返す言葉もございません。法院長殿」


リッシュモンの怒声に、女騎士は冷静に言葉を返す。


彼女の身なりは、他の騎士とは少々異なっていた。

軽装の鎧を纏い、貴族の証でもあるマントを靡かせているが、その腰に下げているのは杖ではなく剣。

おおよそ貴族らしからぬその武装が気に障ったのか、リッシュモンは更に不快に顔を歪めて罵声を続けた。


「当直の護衛はどこの部隊だ?陛下の守護の栄誉を賜っておきながら、何と不甲斐無い」


「我ら、銃士隊でございます」


その罵声に対し、銃士隊隊長アニエスは淀みなく言葉を返した。


「お前達は己の無能を証明するために設立されたのか?平民の身分でありながら、陛下より近衛騎士の栄誉を授けていただいた御恩を、よもやこのような醜態で返すことになろうとはな。やはり銃や剣など、メイジの杖の前には露ほども役には立たんわ」


「申し訳ありません。現在、汚名をそそぐべく、全力で陛下の行方を捜索中でございます。つきましては、法院長殿には街道、及び港の封鎖許可をいただきたく存じます」


リッシュモンの怒声を身に受けながら、深く頭を下げてアニエスは謝罪の意を示す。

だがその実、内心は氷の如く冷え切り冷徹な眼差しをリッシュモンへと向けていた。


アンリエッタの失踪の報告は、全て虚言だ。

アンリエッタが行方をくらます手引きをしたのは他ならぬ銃士隊であり、当然ながらアニエスはその行方を知っている。

今頃アンリエッタは、トリスタニア市内に身を隠しているはずだ。


この虚言は、全てリッシュモンを釣り上げるための餌。

目の前のリッシュモンも表面上は怒り狂っているようにも見えるが、その仕草の随所には焦りの色が見えている。

自分のより知らぬ陰謀の気配に、動揺を隠し切れていないようだった。


「全力で陛下を捜し出せ。見つからぬ場合は、貴様ら全員、我が法院の名にかけて縛り首にしてやる。覚悟しておけ」


ペンを走らせ、戒厳令を許可する旨を記した書簡を手渡される。

これで、この場所での自分の役割は終了した。

後はこのまま一礼して退出し、間者に送るであろう連絡の後を追えば、それでアルビオンの内通者の尻尾が掴める。

これ以上この場に留まっても相手に疑いを持たせるだけであり、任務の益となることはない。


「何だ?まだ用があるのか?」


だから、こうしてドアの前で立ち止まったのは、あくまでアニエス個人の意思。

これより行う問いかけも、全ては彼女の私情より生まれるもの。

アンリエッタに対する忠誠も何も無い私怨を以て、アニエスは言葉を紡ぐ。


「閣下は、二十年前のあの事件に関わっておいでと仄聞いたしました」


「ん?事件・・・?」


怪訝そうにリッシュモンは首を傾げる。

二十年前と聞き、すぐにあの“惨劇”に思い至らない事に、アニエスは強い怒りを覚えた。


「アングル地方にて起きた“反乱”の件でございます」


「ああ、あの“反乱”か。確かにな。だが、それがどうした?」


“反乱”という言葉を乗せて、ようやくリッシュモンは思い出す。

だがアニエスにしてみれば、あの事件を“反乱”などと定義される事自体、ひどく屈辱的であった。


トリステイン西部の沿岸に位置するアングル地方、またの名をダングルテールという。

数百年前にアルビオンから入植してきた人々が築いた土地で、時のトリステイン政府とたびたび悶着を起こしながら、100年程前には一種の自治区となっている。

その実体は幾つかの寒村があるばかりの辺境地であり、わずかばかりの漁業を生業として生きる、そんな平和な場所だった。


記録の上ではダングルテールの住民は王国に対し、反逆を企てたという事で鎮圧されたことになっている。

しかしその真相はロマリアによる新教徒狩り、それを取引材料とした薄汚い裏取引であったのだ。


ダングルテールに住む住民たちは、皆が古い教義から新たに実践的な教義を取り入れた新教徒であり、それが時のロマリア政府の目に止まったのである。

古き始祖の教えを信仰するロマリアの宗教庁にとって、新しい宗教の形を示す新教徒は厄介者以外の何者でもなく、それ故に密約の元で大規模な異教徒狩りが行われたのだ。


その手引きをしたのが、当時高等法院に勤めていたリッシュモンである。


ダングルテールにはアカデミーの実験部隊が投入され、その土地に住む人々は有無言わさずに殲滅させられた。

国家転覆をはかった反逆者として、何の罪もない人々が“虐殺”されたのである。

ただ異教徒であるというだけの理由で、宗教庁より譲られた賄賂の額というくだらない理由によって。

歴史の裏に埋没されたその真実を、アニエスは決して忘れはしない。


―――あの惨劇を生き延びた、数少ない生き残りとして。


「“ダングルテールの虐殺”は、閣下が立件なさったとか」


故郷を失ったあの日から、自分は復讐のためだけに生きてきた。

身体を鍛え、学問に励み、女の身でありながら戦場に出て、人の何倍もの働きをしてみせた。

そうして登り詰めていって、故郷を滅ぼした憎き仇に追い付くために。


自分の事を拾ってくれたアンリエッタには“感謝”している。

おかげで自分はあの惨劇の正体を知ることができ、こうして仇の前へと辿り着く事が出来た。

もしアンリエッタがいなければ、自分は今も功績を求めて、どこかの戦場を駆けずり回っていたに違いない。

その事実に関しては、素直に恩義を覚えている。


あの若き女王は、自分の復讐を成就させる機会をくれたのだから。


「当時の事について、なにか感傷のようなものはございますか?」


長年に渡り追い続けてきた仇が、いま目の前にいる。

だがその喉にこの剣を突き立てる前に、ひとつ聞いておきたい事があった。


果たして長きにわたり憎しみ続けたこの男は、自分のすべてを奪ったあの虐殺に対し、一体どのような感情を懐いているのだろう、と。


無論、今さら何を言われても許す気は毛頭ない。

だが、ようやく辿り着いたこの男にとって、あの惨劇がどれほどのものであったか興味があった。

近衛隊長として任命されてまだ日の浅いアニエスは、リッシュモンという人間の個人について何も知らない。

自分がこれより復讐を為そうとする者は、果たしてどのような人間なのか。

もしあの出来事を僅かでも悔いる気持ちがあるならば、あるいは手を下す時に一片の慈悲くらい与えてもよいかもしれない。


「虐殺?人聞きの悪いことを申すな。アングル地方の平民どもは国家転覆を企てた大罪人だぞ。その殲滅は、正当な鎮圧任務だ。そんなものに挟むような感傷など持ち合わせておらん」


そして憎むべき男は、悔恨の感情など微塵も見せずに容易くそう言い捨てた。

罪無き人々を虐殺し、その血と涙の元に醜く財を肥やしておきながら、もはやどうでもいい事だとあの惨劇の事を言い捨てたのだ。


憎悪の炎が燃え上がる

今ここで即座に剣を抜き放ち、その身体を引き裂いてやりたい衝動に襲われる。

冷徹の仮面の下で憤怒の激情を渦巻かせながら、その一端でアニエスは安堵を覚えていた。


これでもはや、何の迷いも懐くことはない。

自分が求めた復讐の対象は、真実憎悪すべき外道であった。


「昔話など後にしろ。今は陛下の御身の捜索だけに全力を注げ」


手を振る仕草で、リッシュモンは退出を命じてくる。

それに逆らう事はせず、アニエスは素直にその場より退出した。


ここでは、まだ殺さない。

卑しき外道にはもっとふさわしい死に場所がある。

この男はアンリエッタの手によって全ての名誉を剥ぎ取られた後、この手で惨たらしく殺してやる。


それに、これで終わりではない。

リッシュモンは黒幕ではあるが、所詮は手引きをしただけ。

自分の故郷を炎で包み、両親を含めた大切な人々を焼き殺した実行犯は、別にいる。

その全てを殺し尽くさぬ限り、我が復讐の炎と故郷の無念は消える事はない。


我が名はアニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン。

復讐こそが我が生き様、憎悪こそが我が気力の源。

忠誠ではなく怨恨にてその剣を振るう、復讐の騎士である。











感想を述べるなら、その芝居は三文だった。


「ひどい役者ぶりだ」


最前列の席に居座り、気の無い視線を目の前の劇に向けながらギルガメッシュは欠伸を漏らす。


公演されている『トリスタニアの休日』は、現在のトリステインで流行の劇だ。

劇を公演しているタニアリージュ・ロワイヤル座も豪華な石造りの立派な劇場であり、客席には満員の鑑賞客で埋まっている。

だがこれだけの評価を受けておきながら、肝心の劇の出来は見事とは言い難かった。


脚本は悪くないのだが、いかんせん役者の演技が下手なのだ。

セリフは棒読みだし、歌の場面では音痴な部分が目立つ。

どう贔屓目に見ても、とても名劇とは言えない出来栄えである。


「贋作ならば贋作なりの楽しみもあるかと思ったが、やはり真作に勝るものなど無いという事か」


文句を漏らしてみるが、そんなことは観る前からすでに分かっていた事でもある。

この世の全てを極めつくしたギルガメッシュの眼にかかれば、物事の真贋を見極めることなど造作もない。

人の内面全てまで見通す英雄王の眼からすれば、ほとんどの芝居が単なる陳腐に堕ちる。

彼を満足させられる劇を作ろうと思うなら、それこそ歴史に名を残す名役者たちを一同に揃えなければならないだろう。


評判が高いと聞いてもしやとも思ったが、正直に言えばそれも大した期待ではない。

それでもこの場に足を運んだのは、単純に退屈であったからだ。


「ふん」


劇より視線を外し、途中だというのにギルガメッシュは席を立つ。

他の客からの目が集まるが構いはしない。

興味の失せた場所に居るつもりは毛頭なく、早々に劇場を後にする。


外に出れば、すでに陽は落ちていた。

召喚より時間も経ち、すでに飽きを覚え始めた双月の星空を眺めながら、ギルガメッシュは息をつく。


本来ならば、こんなにも早く幼年体より戻るつもりはなかった。

所詮は幕間の座興ならば、それにふさわしい姿にと思い、姿を変えていたのだが、予想外の事で元に戻ってしまった。

青年体となったギルガメッシュに労働意欲などあるはずもなく、こうして退屈を持て余す羽目になっている。


「間もなく、戦乱が到来するか」


女王アンリエッタが宣言したアルビオンとの全面戦争。

現在トリステインでは、その戦争に向けて軍備の編成を急いでいるという。

街では迫る戦に対し、期待や不安など様々な感情を抱えて見守っている。

そんな複雑な思惑を含んだ戦乱の到来を、ギルガメッシュは心待ちとしていた。


戦争とは、英雄を育てる苗床だ。

大規模な戦があり、そこで流される多くの血があるからこそ、それを止めるために英雄が生まれる。

そんな凡百の雑種の価値を超えた命の輝きは、ギルガメッシュにとっての何よりの娯楽である。


ハルケギニア全土の統一と共和制の樹立を謳う新生アルビオンとの戦争は、さぞや価値のある命をこの大地に生みだすことだろう。


「だが、それまでは退屈だな」


肩を竦め、ギルガメッシュは歩きだす。

そうして入っていった路地裏で、ギルガメッシュは一人の女と鉢合わせした。


その女の正体は、ギルガメッシュにとっても意外な人物であった。


「あ、あなたは・・っ!?」


「貴様は・・・あの時の小娘か」


灰色のフードをかぶり、顔は見えにくかったが、そこにいるのは紛れもなくアンリエッタであった。

思いもよらぬ人物との出会いに、ギルガメッシュに僅かばかりの驚きが生まれる。


「おい、こっちを捜せ」


その時、甲高い衛兵の声が裏路地のこの場所に響いてくる。

声に呼応して足音も聞こえ、その音はどんどんこちらへと近づいてくる。

そしてその音が近づくにつれて、アンリエッタの表情の曇りが強くなっていった。


「ほう・・・」


大方の事情を感じ取り、ギルガメッシュはローブ姿のアンリエッタを見つめる。

やがて足音が真近に迫り、衛兵が路地裏に姿を現した時―――


壁にその身体を押し付けながら、強引に唇を奪った。


「っ!!?」


唐突になされた情熱的な接吻に、アンリエッタの目が驚愕に見開かれる。

その目が映しているのは、至近に迫ったギルガメッシュの美しい相貌のみだ。


ギルガメッシュの後ろでは、衛兵が二人に気付かず通り過ぎていく。

正面からの角度では、衛兵からはアンリエッタの顔が見えない。

横から見ても、壁に押し付けるギルガメッシュの手が邪魔して見る事は出来ない。

何より誘拐の可能性を危惧する女王の安否を、こんな場所で情事に耽る男女に結びつけられるはずがない。


衛兵をやり過ごし、やがてゆっくりとギルガメッシュは唇を離す。

そして未だ呆然としているアンリエッタに、不遜な笑みを浮かべて見せた。


「どうした?奴らに見咎められてはまずいのだろう」


「あ・・・は、はい。あ、ありがとう、ございます」


動揺か、それとも情事の熱に浮かされたのか、虚ろな声でアンリエッタは答える。

自分の胸より響く、確かな鼓動の高鳴りを感じながら。










それから二人は、元の路地裏より少しばかり歩いた場所にある宿屋へと足を運んだ。

宿屋といっても、粗末な木賃宿であり、その内装は人が住めるギリギリといった具合でしかなく、二人の身分や気位いを考えればとても相応しい場所とは言えない。


しかし今夜に限っては二人とも部屋に不平を洩らす事無く、構わずに中へと歩を進めた。


「ほう。キツネ狩り、と」


月明かりのみが頼りの光源となる部屋の中、二人は同じベッドの上に並んで腰かける。

部屋には一応ランプもつけられてはいたが、今の二人は特に必要とはしていなかった。


「はい。内通者をいぶり出す餌として、私は姿を眩ませました。そのため、他の一般の兵にも私の姿を見られるわけにはいかないのです」


女王が一人あのような場所を彷徨っていた事情を説明する。

得心を得たギルガメッシュは、隣に座るアンリエッタに嘲笑を向けた。


「仮にも王を名乗る者が、卑しき隠者の真似事とは。随分と滑稽なことだな」


「仕方がありません。私は王として、まだあまりに力不足。権力も、人材も、私が自由と出来るものは限られています。活用できるものは、例え我が身であろうと用いていかなければ追い付きません」


ギルガメッシュの挑発にも、凛とアンリエッタはそう返す。

今までならばムキになって反論するか、黙りこんで項垂れるかのどちらかだろうに、その動作には余裕すら垣間見える。

強かさを兼ね備えた今のアンリエッタは、ギルガメッシュとの対面にあっても気圧されはしなかった。


そんなこれまでと様子の違うアンリエッタを、ギルガメッシュは好奇の眼差しで見つめた。


「・・・あなたとこうしてゆっくりと話すのは、初めてでしたわね」


会話が止まり、しばしの沈黙が流れた後、ゆっくりとした口調でアンリエッタは切り出した。


「あなたの力は、王宮でも随分と話題になりました。何人かの貴族は、あなたの存在を“兵器”として徴収しようと言う者までいたくらいです」


「ほう。で、この我を捕えようとでも言うつもりか?」


「まさか。そのような眠れる魔人を叩き起すような愚を、私は犯しません」


ギルガメッシュは、トリステインの味方ではない。

彼の気まぐれひとつで、その矛先が今度はトリステインへと向けられる事もあり得る。

幾度かの邂逅で、その不遜さを理解していたアンリエッタは、ギルガメッシュに対する手出しの一切を禁じた。


・・・触らぬ神に祟り無し。

下手を打てば、たった一人の個人によってトリステインという国が滅ぼされる事になるかもしれない。

どの道制御など不可能な存在であるならば、最初から期待などしないほうが得策である。


それに、国が抱える問題を、異邦人であるギルガメッシュに頼りきって解決するようでは、国の末路など知れたことだ。


「ふむ、良い心がけだ。この我より無用の雑事の手間を省いた点は褒めてとらそう」


「それはどうも。・・・思えば、あなたと相対する時というのはロクな思い出がありません。あなたという存在に触れるたびに、私は己の弱さを露呈するばかりでしたね」


アンリエッタとギルガメッシュが初めて対面したのは、アルビオンへ使者として向かう任務をルイズに授ける際の事。

共に王の名を冠する者同士ではあったが、その時の両者の器の大きさの違いはあまりにも歴然であった。


己の存在そのものを揺るがされたあの時の記憶は、まだはっきりと脳裏に刻まれている。

あの時のアンリエッタは、ギルガメッシュの王者としての風格にただただ圧倒されるばかり。

初めて目にする英雄王の迫力は、単なるか弱き小娘だったアンリエッタには衝撃しかもたらさなかった。


だが、今は違う。


「けれど、あなたの言葉のおかげで今の私がいる。それもまた、事実です。その事には、素直に感謝しておきます」


王としての覚悟を背負った今のアンリエッタならば、これまでのように圧倒されるばかりではない。

例えその力の大きな差があろうとも、精神では決して気圧されない。

力で劣ろうと信念が均衡を保ってこそ、初めて自分は王としてこの人物の前に立つ事が出来る。


それを証明するために、自分は今この男と共にいる。


「ですが、あの夜での事に関しては、私はあなたには謝りませんよ」


だからこそ、アンリエッタはそう宣言した。


先日の復活したウェールズによる、アンリエッタ誘拐未遂事件。

あの事件では結果的に、ギルガメッシュに救われる形となっている。

自分の不甲斐無さゆえに他の者にも多大な迷惑をかけてしまった事には、謝罪以外の言葉が思いつかない。


しかし、この男にだけは謝らない。

彼は確かに自分を助けたかもしれないが、他ならぬ彼本人にそんな気は毛頭なかった。

この男が行ったのは、ただ自分の事を愚弄し、嘲笑ったのみ。

救う形をなったのは、あくまで結果の事象に過ぎない。


結果に対する感謝はしても、侮辱を受けての謝罪は述べない。

侮辱に対して謝辞を述べれば、それは侮辱そのものを認める事になってしまう。

自らを卑下するような心を残せば、この男の前には立つ事は出来ないから。

それは王としての自立を目指す、アンリエッタの意地だった。


「ほう。しばし見ぬ間に、多少は見どころを示すようになったな。つい先日までは、愚かさのみが取り得の道化とばかり思っていたが」


「私は今や女王です。いつまでもか弱き王女のままではいられません。この国に君臨する者として、王の意思を持っていかなければ」


「そして、その王の意思とやらで行うのが、今度の戦というわけか」


投げかけられたその言葉に、アンリエッタは押し黙った。


「聞いているぞ。此度の戦には、ルイズもまた参戦させるのだったな。国を挙げての戦を前に、わざわざ個人を指名しているのだ。よもや小娘如きの知恵などを期待しているわけではあるまい。貴様が目を付けているのは、あくまで奴の『虚無』の力だけだろう」


そしてそれはルイズという少女を、一人の人間としてではなく一個の兵器として見なすということ。

親友と呼ぶ存在を、今度の戦では道具として活用する。


「・・・国家という枠組みの中では、ルイズとてひとつの駒に過ぎません。国の大事を前にして、個人の私情にて活用すべきものを見失うのは、上に立つ者としてふさわしい態度ではありません。ルイズの存在が国のための利となるのなら、私はそれを使います」


「非情な事だ。迷いはないのか?」


「ありません。我が心身は、すでに王者としての覚悟を兼ね備えております」


毅然とし、きっぱりとアンリエッタは答える。

それは、“あの夜”を境に彼女が懐いた確かな決意だった。


「・・・それは嘘だろう」


そのアンリエッタの決意を、ギルガメッシュは容易く否定してみせた。


「王者としての覚悟、だと?ハッ、笑わせるな。そのような脆弱な在り様で、王者を名乗るとは片腹痛い」


「・・・聞き捨てなりませんね。一体どのような根拠があって、そのような侮辱を言うのです?」


聞き咎めて、しかし冷静な姿勢は崩さぬまま、厳しい眼差しでアンリエッタは言葉を返す。


「人はそう容易く己の本質を変えられん。貴様が奥底に隠す脆弱なる本質。例え外部を錬鉄に覆おうとも、漏れ出る真実を消し去ることは出来ん」


「私の弱さ、ですって・・・?かつての私ならばいざ知らず、今の私には特に思い当たる節はありませんが」


「フフッ、違うな。思い至らんのではなく、あえてそこから目を背けているだけだ。外面はどれだけ非情を取り繕うとも、その内心はすでに悲鳴を上げている。貴様の強さなど、所詮は偽りの仮面。その決壊点は、果たしてどこかな?」


「そんなものはありません。私はすでに、過去の弱さとは決別しています」


やや強情となりながらも、アンリエッタはまだ毅然としたまま言い返す。

多少の動揺はあったが、いまだその在り様に揺らぎは見せてはいない。

国を率い、老獪マザリーニをも瞠目させる、それはトリステイン女王としての姿であった。


「―――ウェールズ、か。奴に王たる者としての自立でも促されたか?」


だが次の一言で、その気高き強さに亀裂が走る。


尊い奇跡によってアンリエッタとの間に交わされた、ウェールズの遺言。

そこで為された彼との誓いが、今のアンリエッタを動かす原点となっている。

愛する者の最後の言葉があったからこそ、こうして自分は立っていられる。


だがその誓いは、あくまで彼と自分だけのものだ。

あの夜の会話は誰にも明かしていないし、また明かすつもりもなかった。


―――誰にも触れては欲しくない、最も神聖な部分を、なぜこの男はこうも容易く言い当てるのか。


「どうした?随分と意外そうだな。今の際、奴が貴様に遺すべき言葉などそれぐらいしかなかろう。あの男の性質を考えればな」


気の在る様子もなく、さも当然のようにギルガメッシュは言う。

それはまるで、分かり切ったことをわざわざ口にして告げているかのように。


実際、この男は分かっているのだろう。

自分の在り様を一目で見抜いたこの男ならば、僅かな会話のみでもその人の内面にまで踏み込んでくる。

アルビオンでの邂逅ですでにウェールズという人間を把握していたとしても、不思議ではない。


だがアンリエッタにとって、それは容易には受け入れ難いことだ。

愛で結ばれたアンリエッタでさえ、最期の時にようやく気付けたことなのだから。

それを赤の他人がこのように気安く口にする事は、彼の思いに対する侮辱に聞こえる。


「・・・確かに、あなたの言うとおり、きっかけはウェールズ様の言葉です。ですが、それがどうしたというのです?きっかけが何であれ、私がいま行っている事が変わるわけではない」


「きっかけ?ククッ、そのような容易いものではあるまい。奴の遺した言葉は、今の貴様にとって“全て”ではないのか?」


肩を掴まれ、ギルガメッシュの顔が目前まで迫る。

その視線から逃れる事も敵わず、真紅の双眸にアンリエッタの姿が映される。

ギルガメッシュの持つ魔性の眼光が、まるで魂までも呑み込まれていくかのような錯覚を、アンリエッタに与えた。


「元より貫くべき信念も何も持たなかった貴様だ。矜持も愛も何もかもを失い、この世のすべてが不確かに思えたであろう。故に貴様には、新たに縋り付くものが必要だった。そして、あの時の貴様に、支えになり得るものなどひとつしか無い」


これ以上、この話を続けさせてはならない。


アンリエッタの心の中で、警鐘が鳴り響く。

今まで封じてきたもの、押し込めてきたものが、ゆっくりとアンリエッタの内部よりにじみ出てくる。

このままでは女王という言葉と姿に隠れる、アンリエッタという人間が暴かれてしまう。


だがそうは思っても、拘束されたその身は逃れることが出来ない。

肩を掴むギルガメッシュの手は固く、有無を言わさぬ強さがあった。

彼の言葉から耳を塞ぐ事を、誰より彼自身が許しはしまい。


「ウェールズと交わした遺言。いや、その様子を見れば“誓い”と言ったところか。それを遵守し、全うすることこそ、貴様に残された唯一の在り方。

奴の言葉に触発されて奮い立ったわけではない。単にそれしか残されておらんから、それを選んだというだけのこと。そのような逃避によって成り立った王など、本物であるはずがない」


固く封じられた箱の施錠が、次々と外されていく。

決して開いてはいけない、決して触れてはいけない、決して目にしてはいけない“モノ”が入った、心の箱が。

箱の中に閉じ込めてあったものがじわりじわりと浸食してくる感覚に、アンリエッタは恐怖を覚えた。


「・・・貴様に根差す起源を教えてやろう」


箱の鍵を開く最後の言葉を、ギルガメッシュは口にする。


「自己より発生したものではない何か。その何かに縋って、己の存在を定義しようとする。そんな他者に対する“依存”こそが、貴様の起源だ」


そして、箱は明け放たれた。










手の平の上に、小さな粒が乗っていた。

とてもとても小さな、儚く光る粒。

それが数えきれないほど無数に、手の平一杯に乗っていた。


よく見ればその粒の光は、ひとつひとつがそれぞれ違う色を放っていた。

粒の光はとても小さく、目を凝らさねば判別できないほどに些細であり、けれど確かに光は違っていて。

そんな異なる色の光が彩るコントラストに心惹かれた。


その輝きをじっと見ていると、ふとした拍子に手の平から粒のいくつかが落ちる。

零れおちた粒は大したことはない、全体から見れば微々たる量。

少々惜しいとも思ったが、すぐに関心は元の全体の粒へと移る。


そして手の平より零れ落ちた僅かな粒が、地面に散った。


“―――っ!!”、“―――っ!!”、“―――っ!!”“―――っ!!”“―――っ!!”


瞬間、形容し難い怨嗟の声が沸き上がった。


取り落とした粒が人の形となって立ち上がり、それぞれに妄執の叫びを上げる。

それは無念であり、嘆願であり、激痛であり、そして憎悪である。

そしてそれらの妄執は、すべて自分に向けられたものだった。


驚いて、手の平の粒がまたも僅かに零れ落ちる。

そして立ち昇ったのは、同じく怨恨の絶叫。

手の平より取りこぼした自分に対し、零され見捨てられた粒達はそれぞれの感情を叩きつける。


向けられる感情に驚いて取りこぼし、そこからまた粒の怨嗟が起こり、その怨嗟によって手の平からは粒が零れ落ちる。

悪しき循環は廻り続け、やがて手の平に残るのは最後の一粒のみとなり、それすら遂には手の平より落ちた。

その最期の粒から現れたのは、桃色の長髪をなびかせた小柄の少女。

とても仲の良い幼馴染みであるはずの少女は、自分に対して信じられないほどに冷たい眼差しを向ける。


「・・・あなたが、私を殺す」


呪いの言葉を遺して、その少女の姿もかき消える。

気が付けば周りの叫びも、いつの間にか消えていた。

静寂が包みこみ、怨嗟も嘆きも何もない闇の中に自分だけが残される。


そして世界は独りになった。










その光景は、アンリエッタは見る夢の姿だ。

戴冠を果たし、王としての責務をこなす中で、毎晩毎晩現れる悪夢。

自分のか細い手の中から全ての命が零れ落ち、最後には独り自分だけが残される。


この夢のせいで、度の強い酒に力に頼らなければ眠れない夜が続いている。

身体の健康には劣悪な代物だが、心の安定を取り戻すにはそれは有効なものだった。


この夢はまさしく自分の未来の不安を暗示するものだ。

国の担い手として、手にした命を取りこぼし、すべてを台無しにする最悪の光景の具現。

強くなったと見せかける外見の裏で、内部に潜めた弱さは夢という形でアンリエッタの前に現われていた。


どれだけ気丈に振る舞おうと、どれだけ自らに強くなったと言い聞かせようと、その弱さまでは覆い隠せない。

気付かないふりをしていても、弱さは何らかの形で現れる。

ギルガメッシュの言うとおり、人がそんなに容易く変わることなど出来るはずがないのだから。


「・・・よい表情だ。食指が動かされる。やはり我の見立てに狂いはなかったな」


アンリエッタの身体を、ギルガメッシュが押し倒す。

そこにあるのは、堂々たる姿勢を見せていた女王たる彼女の姿ではない。

王者の仮面を剥がされ、裏に隠された本性を暴露されたその姿は、元のか弱く儚い少女だった。


そんなアンリエッタに、ギルガメッシュは玩具を愛でるような慈しみと、それ以上の嗜虐心を覗かせた表情で迫った。


「喜べ、アンリエッタ。今の貴様は、なかなかに我好みだ」


ギルガメッシュの身体が、アンリエッタに覆い被さる。

その蹂躙に抵抗する力もなく、暴力的な愛撫にアンリエッタはそのまま身を委ねた。










「”依存”、ですか・・・。確かにそうかもしれませんね・・・」


情事の後、熱に火照る裸体を抱きながら、アンリエッタはそんなことを口にした。


「私は強くなんてない。そう見えているのだとすれば、それは単なる上辺だけのもの。現にこうして、暴かれれば崩れるのも容易いものです」


マザリーニとの論議の際、自分はさもこの戦争に対して、何の迷いもないかのように語った。

問いかけられても毅然としていて、弱気になったマザリーニの方を奮起させたほどだ。


だが、その姿は真実でもなんでもない。

毅然と振舞っていたのは、単なる見せかけだけのもの。

むしろマザリーニが弱気に走ってくれたからこそ、逆にこちらが毅然と振る舞えたのだ。


本心は、怖くて仕方がない。

今度の戦争は他の誰でもない、自分自身の手で行うのだ。

先のように攻められたからという訳ではなく、自分から民に戦ってこいと命じるのである。


その命の責任は、自分にある。

このトリステインに住まう全ての人々の命を、これから自分は道具のように切り捨て使っていくのだ。

民達は自分の采配ひとつで、容易くその運命を定められる。


恐怖がないはずがない、思い返さなかったはずがない。

戦争以外の方法があるのではないか、自分は無為にルイズの命を棒に捨てようとしているのではないか。

マザリーニが言うまでもなく、アンリエッタはそれこそ何度でも、他の方策が無いものかと考えに考え抜いた。

その上で、アンリエッタは先の決定を国是として決断したのだ。


けれど、それでもやはり恐怖を感じる弱さは消えなくて。

それを誤魔化すために、ひたすらに王者としての強く揺るがぬ自分を演じ続けた。

悪夢が見せる不安も、酒の力で強引に封じ込めて、マザリーニの前でもその姿勢を崩さなかった。

そうして自らを誤魔化しておけなければ、平静を保ってなどいられなかったから。


しかしそんな王者の仮面も、真なる王の前では容易く剥ぎ取られてしまった。


「あなたの事は、ルイズからいろいろと聞きました。あなたは異世界の王でいらしたそうですね」


ギルガメッシュは、トリステインと何の関わりの無い者。

アンリエッタが王として気負う必要の相手だ。


だからこそ、アンリエッタは訊きたい。

同じく王であったというこの男の、その胸中はいかなるものだったのか。

女王となって知った王の重圧を、果たしてこの男はどのようにして背負っていたのかと。


「・・・あなたは、王である事が恐ろしくはなかったのですか?」


自分が感じる恐怖を、アンリエッタは問うた。


「愚問。答えるまでもなし」


その恐怖を、ギルガメッシュはただ愚かだと言い捨てた。


「国の全ては王の物。善意であろうが悪意であろうが、この世の全てを飲み干せずして何が王か。民の命運は、王の下に在り。当然である世の理に、迷いなど持ちこむ必要はない」


気負いもなく未練もなく、ただ明快にギルガメッシュは言い放つ。

民草の声も運命の采配も、原初の英雄王においては背負うべきものにすら値しない。

世界唯一の覇王であったギルガメッシュにとって、この世のすべてなど始めから背負っているもの。

そこに差し込むべき迷いも、感じるべき気負いも、ギルガメッシュには存在していない。


彼は原初の覇者ギルガメッシュであり、ギルガメッシュであるが故に彼は王である。

由縁もなければ教訓もない、在るがままの彼の姿が、すでに彼の王道を物語っている。

人が己を人である事を疑問と思わないように、ギルガメッシュにとって自らが王である事は、自然に過ぎないのだから。


そんなギルガメッシュの姿を、アンリエッタはただ大きく、そして眩しいと感じた。


「・・・すごいですね。私は、そんなに強くはなれない。あなたこそは、真の王たる者なのでしょう」


「何だ?我に玉座を譲ろうという気にでもなったか?」


「ああ、それは魅力的な提案ですわね」


そう出来たらどれほど良いだろう。

この身に合わぬ重圧に耐えかねる、この毎日から解放されたら、どんなに楽だろう。


自分で口にして、それをどれほど熱望しているのか、アンリエッタは気付いた。

あるいは彼女の“依存”という名の起源が、この男に縋り付くことを求めるのか。

何者よりも強く揺るがぬこの男に寄りかかれれば、それはさぞや自分に安堵の念を齎すだろう。


それがきっと、この自分にふさわしく充実するだろう生き方だ。


「けれど、私は決めたから」


だからこそ、アンリエッタは拒絶の言葉を口にする。


「こんな所で私はこの冠を放りだすわけにはいかない。私には、果たさねばならない誓いがあるからだから私は、女王として生きていきます」


ここで放棄すれば、自分はかつての弱い自分に戻ってしまう。

ウェールズと交わした誓いに沿えば、それは決して認めてはならないものだ。


“愛”と“依存”は、少し見方を変えればとても似ていて、けれど決定的に異なるもの。

ただ縋り付くだけの思いを、“愛”などとは言わない。

もしここで自らに“依存”を認めてしまえば、それはウェールズと築き上げた“愛”すらも“依存”のものとして貶めることになる。

それだけは、アンリエッタは断じて認められない。


「・・・そろそろ行かなくては。今夜はいろいろとありがとうございます。おかげで、少しスッキリしました」


ベッドより起き上がり、脱ぎ散らかされた衣服を纏って、アンリエッタは立ち上がる。

その一言を別れの挨拶として、アンリエッタはこの部屋より去ろうとする。


「人は、己の起源に縛られる。自覚はしていなくとも、その片鱗は無意識の内に現れる」


そうして去ろうとするアンリエッタを、ギルガメッシュは呼び止めた。


「貴様の生き方は、己の起源と相反する生き方だ。その在り様は、貴様にとって苦痛でしかあるまい。それでも、その道を歩むというのか?」


アンリエッタの身を案じてというより、その覚悟のほどを試すような口調で、ギルガメッシュは問いかける。

その問いかけに対し、アンリエッタは己の迷いを断ち切るかのようにはっきりと返答してみせた。


「だって、この道は正しいものでしょう」


自分が選んだこの道は、あるいはギルガメッシュの言うとおり、ウェールズへの思いに対する“依存”であるのかもしれない。

他に縋り付くものを無くした自分が、死に逝く恋人の言葉に促されて動いているだけなのかもしれない。


だがそれでも、これは始めて自分自身で選んだ道なのだ。

誰かの傀儡としてではなく、あくまでアンリエッタ個人が選びとった道なのだ。

その始まりがどうであれ、国のため民のために奮い立つ女王の道は、真に正しくあるはずのもの。


それはアンリエッタの生涯において、初めて得られたものであった。


「今まで何も持たなかった私が、初めて得られた正しく価値あるものです。それを私は、大切にしたい」


未だ、このように容易く仮面が剥ぎ取れてしまう、偽りの王ではあるけれども。

けれどそんな偽物の仮面も、被り続ければやがてはそれが素顔ともなるだろう。


本当の強さとは、刹那の決意には無い。

ある一時に感情に任せ、何か重大に思える事を決意することは、案外と誰にでも出来る。

大切なのはそれをやり遂げて、そして現実のものとして昇華すること。

そこに至るまでの継続を維持し続ける力こそが、本当の強さなのだ。


だからこそ、アンリエッタは女王たる自分をやり遂げようとする。

その生き方こそが、彼との誓いを果たすことになると思うから。


「そうしてこそ、私は初めて―――自分を誇ることが出来ると思うから」


優雅に微笑みさえ浮かべて、アンリエッタは答えを返す。

その姿には、いまだ発展途上ではあれど、確かに英雄足り得る者の命の輝きが備わっていた。










アンリエッタが去り、部屋にはギルガメッシュ一人が残される。

見るからにみすぼらしく粗末な部屋であるが、ギルガメッシュがいるだけでまるで豪奢な王宮の寝室とも錯覚できるから不思議だった。


そんな部屋のベッドに踏ん反り返り、ギルガメッシュは先ほどのアンリエッタとの談話を思い返す。


「王座を譲る?ハッ、たわけめ。我がこんな小国の、侘しい玉座などに執着を懐くとでも思ったか」


つまらない世界になど、興味はない。

仮に支配しても、その後が退屈なのでは意味がない。

ふたたび世界の覇者として君臨するならば、その世界はかつての世界にも匹敵する価値と娯楽を備えていなくてはならない。


だからこそ、ギルガメッシュは英雄を求める。

世界を彩る装飾を、自らを飽きさせないための娯楽の種を。

真に価値ある命によって構成された世界こそ、この英雄王が支配するに値する。


「空想に頼る演劇など、やはり我には不要。他ならぬ浮世の人間の足掻きこそが、何よりも真に迫った名演ではないか」


真なる命の輝きを見せる価値ある者達の宿業。

その足掻き、その生き様こそが、どんな空想にも勝る物語を作り出す。

この世界そのものが劇の舞台であり、生きとし生ける全ての者がその舞台の役者である。


そんな舞台の役者達の演技ぶりを、ギルガメッシュは傍観者として客席に座り見下し続ける。


「この我をわざわざ異界へと招き寄せたのだ。せいぜい退屈させるな、世界よ」


英霊たる自分が、単なる偶然にてこのハルケギニアに招き寄せられたとはギルガメッシュは思っていない。

そこには必ずや、世界の意思が介在しているはずだ。

自分の召喚が世界に意図されてのものであるならば、自分にも何らかに役割が運命に定められているのだろう。


だがそんなこと、所詮は雑事に過ぎない。

例え世界の意思がどうであろうと、ギルガメッシュは変わらない。

ただ己が望むままに振る舞い、無興を娯楽で満たすのみ。


傲岸不遜の英雄王を支配するのは―――他ならぬ王自身のみであるのだから。


「さあ―――第二幕の開演だ」


舞台は整い、新たな役者も出揃った。

世界の織り成す演劇の第二部の開始を、ギルガメッシュは高らかに宣言した。





[2589] [22]王と姉
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f
Date: 2008/12/11 05:34





[22]王と姉










街道を走る馬車が、二頭の馬に引かれゴトンゴトンと音をたてて道を進む。

魔法学院より出発した貴族用の立派な馬車の中で、乗客であるルイズは道中の退屈を窓からの景色で誤魔化していた。


夏休みが終わり、平民の中での奇妙な潜入任務から解放されて、二週間ほどが経とうとしていた。

貴族の子息のほとんどは従軍に志願し、皆が士官学校での訓練の日々に明け暮れている。

そのため学院では生徒の姿がほとんど無く、残っているのは戦場に赴かない女子だけである。


ルイズが今向かっているのは、彼女の実家であるラ・ヴァリエール公爵家。

女王の直属の女官とすて、ルイズもまた遠征軍に加わる事が決まっている。

しかしその件に関し、実家より呼び出しの手紙が届けられたのだ。


「まったく、従軍まかりならぬなんて、父様はどういうつもりなのかしら・・・」


呼び出しの書簡に添付されていた、「従軍はまかりならぬ」という一文。

これがルイズには、いたく不満だった。


身を案じてくれるのは嬉しいが、今は戦時なのだ。

学院でもほとんどの男子学生が、士官学校へと出向いている。

貴族の家系に生まれた者ならば、この時にこそ立たずしてどうするのか。


「要するに、私の力を信用してないってことね。でも今の私は、昔とは違うもの。父様にも母様にも、それをきっちりと分かってもらうんだから」


馬車に揺られながら、ルイズは独り言ちる。

説得のための“切り札”を握りしめ、その決意を新たとした。


「けど姫様・・・いえ、女王陛下もさすがよね。父様の行動を先読みして、こんな誓約書を用意しておくなんて」


ルイズの言う“切り札”とは、アンリエッタに直属の女官の任命を受けた際に同時に申し渡された戦争への参加、それを誓う誓約書である。

それも単なる誓約書ではなく、その誓いは司祭立ち会いの上、始祖ブリミルの元で交わされたことを証明する書簡だ。


このハルケギニアに住む人々は、ほとんど例外なくブリミル教徒。

彼らにとって神の名の下に交わされた誓いを破る事は、信仰に対する裏切りにも等しい行為だ。

王家への忠節と神への敬意。この二つを失うと言われれば、さすがのラ・ヴァリエール公爵も反対は言えないだろう。


アンリエッタは、ラ・ヴァリエール公爵の娘の従軍の反対を見越していた。

故に、あらかじめ拒否できない縛りを打っておいたのである。

ルイズも最初は、なぜ命令書ひとつにここまで凝った真似をするのか不思議だったが、今ならば納得できる。

これまでには見られなかった主君の狡猾さに少々の違和感と、それ以上の頼もしさをアンリエッタに対し感じていた。


「にしても・・・はぁ。何とか捲けてよかったぁ・・・」


馬車に揺られながら、のどかな外の風景に目をやりルイズは一人息をつく。


そう、一人である。

本来なら隣にいるはずの彼女の使い魔、ギルガメッシュの姿が馬車にはなかった。


「本当に、絶対あいつが関わったらややこしい事になるものね。特に母様とは・・・」


ルイズの母親であるラ・ヴァリエール夫人、カリーヌ・デジレ。

今でこそ公爵夫人として落ち着いているが、かつては女の身ながら『烈風』カリンの二つ名と共に、数々の武勇伝を築いた剛の者である。

表面上では夫のラ・ヴァリエール公爵の下に位置しているが、その実態はラ・ヴァリエールにて最も恐れられる女傑であり、公爵を含めて頭の上がる者はいない。


そしてその女傑が最も嫌うことは、古くからの伝統、定められた規律を反すること。

かつてはその厳格な性格より、自身の指揮するマンティコア隊に“鋼鉄の規律”を課したほどだ。

顔半分を鉄の仮面に覆った『烈風』の、無法者に対する容赦無き伝説は今なお語り継がれるほどである。


対するギルガメッシュは、そもそも他人が定めたような規律に従う気持ちなど微塵とない。

どんな身分の相手にも己が意を曲げることはなく、ただ在るがままに振る舞うのみ。

規律を重んじる心など、その概念すら考慮に入れていない。


想像するまでもなく、ギルガメッシュとカリーヌとでは壊滅的なまでに相性が悪いだろう。


「まあ、何にせよ良かった・・・」


ホッと安堵して、ルイズは故郷へ向かう馬車の揺れに身を任せる。

故郷までの道中は、とても平和だった。










ラ・ヴァリエール公爵家は、広大な領土を有するトリステイン随一の大貴族である。

領内にはいくつもの街や村が立ち並び、単体で小国を名乗ってもおかしくない規模だ。

ルイズの乗った馬車もラ・ヴァリエール領に入ったはいいが、実際に本家の屋敷に辿り着くのは半日以上かかる。


その道中の領内では、久しくルイズが忘れかけていた公爵家令嬢としての己を思い出させた。


「ルイズ様!!お帰りなさいませ」


「ルイズ様。しばらく見ない間に、すっかりお綺麗になられて・・・」


「ルイズ様、長旅でさぞやお疲れでしょう。今夜はどうか、ウチの宿で一泊していってください」


ルイズが通る道中には、常に歓迎の人溜まりが出来あがる。

その扱いは、ほとんど王族に対する礼と何ら変わりは無かった。


これがトリステインの最高峰、ラ・ヴァリエール公爵家の血筋の力だ。

領内の住人達にとって公爵家の一員は王にも等しい存在、その三女であるルイズも人の上に立つ側にいる人間。

傍若無人な使い魔のせいで忘れていたが、これが本来の自分の姿なのである。

その自覚は貴族としての自尊心を呼び起し、高揚とした気分をもたらした。


「ルイズ。ちびルイズ。ようやく帰ってきたわね」


だがそんな気分は、途中で立ち寄ったラ・フォンテーヌ領の邸宅での、懐かしい姉との再会によって叩き壊された。


「エ、エレオノール姉さま!?」


「このおちび。まったく、あなたは勝手なことばかりして。どれだけお父様にご迷惑をかければ気が済むの」


再開も早々に、エレオノールと呼ばれた二十代後半ほどの女性はルイズの頬をつねり上げて説教を始める。

見事なブロンドの髪をなびかせ、きつめの雰囲気を漂わせるこの美人の女性は、ルイズにとって最も苦手な相手であった。


彼女こそ二人いるルイズの姉の内の、上の姉。

エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールである。


「戦争なんて、『ゼロ』のあなたに務まるわけがないでしょう。今回のことは、お父様にもきつく叱ってもらいますからね」


「で、でもエレオノール姉さま。私は陛下から―――」


「言い訳なんて、そんな生意気が許されると思ってるの。このちびルイズ」


「い、いふぁいいふぁい、おふぇえひゃま」


より強く頬をつねられ、涙目に訴えるルイズ。

いかにルイズの方に理があろうとも、端から聞く気がないのではどうにもならない。

理不尽さを感じながらも、姉のお説教に耳を傾けざるえなかった。


エレオノールは、ラ・ヴァリエール家が誇る美人三姉妹、その長女だ。

現在は王立魔法研究所に勤め、その権限は一介の研究員の比ではない。

普段ならば王都トリスタニアに勤めているのだが、今回はルイズの一件について話し合うため、こうして故郷の領地に帰還していた。


その性格は極めて高慢であり、気性もかなり激しい。

ヒステリックな姉は魔法の使えないルイズの事を小さい頃から厳しく叱りつけ、その記憶故に今でもルイズは頭が上がらない。

ほとんどトラウマのようなものであり、そのため理不尽な説教にもこうして抵抗できずにいるのだった。


「おまけに御供の者も一人もつけずに来るなんて。あなたにはラ・ヴァリエール家三女としての自覚がないのかしら。それとも、由緒ある我が家の名前に、傷をつけるおつもり?」


そして気が付けば、戦争の話からいつの間にか、貴族としての振る舞い方について説教の内容が移っていた。


実はこのエレオノール、そのきつい性格が原因で、つい先日に婚約者に逃げられたばかりなのだ。

自らの性格に全く自覚の無い彼女が、その結果に怒り狂ったのは言うまでもない。

そんな機嫌の悪さも災いして、ルイズに対する説教はネチネチと続いていた。


「お父様はすでに王宮より戻られているわ。家族会議では、あなたの件についてゆっくりと言及するつもりだから覚悟しておきなさい」


長い説教がようやく終わり、そう言い残してエレオノールは一足先に屋敷へと向かう。

苦手な姉の姿がなくなり、ルイズはホッと一息ついた。


「まったく・・・エレオノール姉さまはいちいちうるさいんだから」


「あれがお前の姉か。見たところ、さして共通する特徴は持っておらんな」


「エレオノール姉さまは父様似なのよ。私は母様似」


「ふむ。だが性格はなかなかに姉妹らしい。お前の滑稽な自尊を、余計なほどに肥大させてみればあんなふうになりそうだ」


「冗談でしょ。私はエレオノール姉さまよりも、ちい姉さまみたいに―――」


そこまで口にしてから、ルイズはようやく自分が会話している人物に気が付いた。

ハッとして振り向くと、そこにはルイズが思ったとおりの者の姿があった。


「ふむ、王の口にふさわしいとは言わんが、口直し程度にはなる。この土地の実りはなかなかに優秀であるらしい」


空になった酒瓶を放り捨て、視線の先の男はぼやく。

自尊心の権化のようなその姿は、間違いなくギルガメッシュだった。


「ギ、ギルガメッシュ!?ア、アンタ、なんでこんなところに!?」


驚愕し、ルイズが声を上げる。

だがそれは、即座に放たれてきたギルガメッシュの蹴りによって蹴倒され、黙殺された。


「愚か者が・・・、貴様とは使い魔のルーンを通じてラインが繋がっている事を忘れたか?やろうと思えば、位置など即座に特定できる。この我を出し抜こうなど、原初よりやり直せ」


「む、むぐぐぐぐぅぅぅ~」


踏みつけられて、顔面を地面にこすりつけられながら、ルイズはもがく。

もがきながら、今後の事について必死になって考えていた。


とにかく、ギルガメッシュを連れていくのはまずい。

母との相性の悪さは元より、他の家族にとってもこのような使い魔の存在は度肝を抜くに違いない。


なんだかんだ言っても、父もやはり古い人間だ。

妻ほどではないとはいえ、古くより重んじられる規律を順守すべきという観念は、父の中にもある。

そんな父や母が、こんなこれまでの使い魔の常識を逸脱した存在など、断じて認めようとはしないだろう。

下手を打てば、そのままギルガメッシュとラ・ヴァリエール家の全面戦争にすら発展しかねない。


とはいえ、その事情を説明してギルガメッシュに自重を促すのも、やはり無理だろう。

なにしろ自重などという言葉からは最もかけ離れた場所にいる男だ。

例え自分が何を言ったところで、聞く耳など到底持つまい。


いろいろと考えてみるが、やはり方策は浮かばない。

そもそもそれが思いつかないから、ギルガメッシュを置いて行こうと画策したのである。

その中で方策など、そう容易く出てくるものではなかった。


それでも何とか出来ないものか、踏みつけられる圧力に耐えながらルイズは考えを巡らせ続けた。


「あら、あら。随分と庭が騒がしいと思ったら、とても嬉しいお客様ね」


その時、ルイズの耳に穏やかな女性の声が響いた。

その声の響きに、ルイズは思わず思案の巡りを止める。


心の芯に染みて広がる温かさと、包みこむ抱擁力を持った声音。

慈愛に満ちたその声の主を、ルイズはよく知っていた。


「ちいねえさま!!」


声を上げると同時にルイズはギルガメッシュの足の下より抜け出し、声の主の元へと駆けていく。

飛び込んできたルイズの小さな身体を、その女性は優しく抱きとめて微笑みを浮かべた。


「ああ、ルイズ。わたしの小さいルイズ。本当にお久しぶりね」


「ちい姉さま。お元気そうで何よりですわ」


ウェーブのかかった桃色のブロンドの髪を流し、柔和な雰囲気と共に母性に満ちたその美貌。

ルイズとも共通する特徴を残したその美女こそは、ラ・ヴァリエール三姉妹の次女。

彼女の名は、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ。

ルイズにとってのもう一人の姉であり、目標として憧れている人。


久し振りの憧れの姉との再会に、ルイズは夢中となる。

その後ろでギルガメッシュは、現れたカトレアの姿を瞳に映し続けていた。


思わず押さえていた足の力を弱めてしまうほどの驚愕を、その表情に浮かべて。










ルイズとギルガメッシュが案内されたのは、屋敷のバルコニーに設けられたティーラウンジだった。


「もう、エレオノール姉さまったら。いつまでも私のことを子供扱いして・・・」


「そんなこと言ってはダメよ、ルイズ。お姉さまはあなたの事を心配してそう言ってくださっているのだから」


「エレオノール姉さまが?う~ん・・・」


美しい花壇が植えられたバルコニーのラウンジで、用意された三つの席にそれぞれが腰を下ろし、三人は談笑を楽しんでいる。

いや、正確には話しているのはルイズとカトレアだけであり、ギルガメッシュの方はほとんど口を開かない。

二人の会話にも関心を払わず、毅然とした沈黙を貫いている。


(どうしたのかしら・・・?)


常時の彼らしからぬその振る舞いに、ルイズは違和感を覚えていた。


「さあ二人とも。お茶が入りましたよ」


ルイズの感じる違和感を余所に、微笑みを浮かべてカトレアが告げる。

メイドが運んできた台車の上には三人分のティーセットが乗せられ、芳醇な香りを漂わせる。

カップに注がれた紅茶は一層に際立ちを増し、皆の鼻腔を突いた。


皆が茶の香りを楽しむ中、まず初めにルイズが口をつけた。

程よい加減に温められた茶が喉を通り、その味わいを伝えてくれる。

文句など付けようがなく、出されたその紅茶は素晴らしいものだった。


「我が領地にて取れた茶葉ですのよ。お口にあえば良いのだけれど」


カトレアのその言葉は、ギルガメッシュに対して言ったものだった。

威圧的なギルガメッシュの出で立ちにも少しも気圧されることなく、カトレアは彼に笑みを向ける。


ギルガメッシュもまた、それを拒否するような真似はしない。

特に不平を洩らすこともせず、素直に紅茶を口に運ぶ。

その味に感想を述べる事はしなかったが、悪いとも感じていないように見える。


その反応だけで満足したのか、カトレアは安心して微笑んだ。


「ちい姉さま。身体の調子のほうはどうなの?」


「フフッ、大丈夫、と言いたいところなんだけど、あんまり元気とはいえないの。最近は、横になって休んでいる時の方が多いわ。こうしてフォンティーヌの方の屋敷にいるのも、療養のためでもあるの。エレオノール姉さまも、さっきまでお見舞いに来てくれていたのよ」


カトレアは、生れ付いて身体が弱い。

病弱ですぐに病気にかかり、少しの事で体調を崩してしまう。

その虚弱な体質のせいで、カトレアは生れてからただの一度もラ・ヴァリエール公爵領の外に出たことがなかった。


そんな病弱な娘の事を不憫に思い、ラ・ヴァリエール公爵は公爵領内の一角にある土地のひとつを独立領として立ちあげさせた。

故に、カトレアの立場は正式にはラ・ヴァリエールの息女ではない。

その名が示すとおり、彼女はラ・フォンティーヌ家の領主なのである。

実際には領土の運営を父にほとんど頼り切っているとはいえ、すでにカトレアは独立した立場にあるのだ。


元々ルイズがここラ・フォンテーヌ領に立ち寄ったのも、カトレアの様子を見るためだった。

その玄関先でエレオノールと遭遇してしまったのは、あくまでも不慮の事態である。


「それと、お姉さまから聞いたわ。ルイズ、あなた戦場に行くそうね」


「・・・ちい姉さまも、やっぱり私が戦争に行くことには反対なの?」


「賛成はできないわね。あなたは女の子ですもの。戦争なんて危険な場所に行くと聞かされて、不安にならないはずはないわ」


憧れの姉より正面から見据えられ、ルイズは口ごもる。

苦手としているエレオノールともまた違った意味合いで、敬愛するカトレアの反対は動揺をもたらしてきた。


「でも、ちい姉さま。祖国の危機なのよ。姫様・・・いえ、陛下も、私の力を必要としてくださっているの」


「ごめんなさい、ルイズ。私はほとんどお屋敷から出ないから、難しいことは分からないわ。だから、それが本当に自分で決めたことなら、私は何も言わない。

けれど、もしそれが誰かに流されての事なら、やっぱりあなたは戦争に行くべきではないと思う。ルイズ、あなたはとても、優しい娘だから」


真剣な眼差しが、ルイズを捉える。

普段は温和なカトレアだが、告げる言葉には時に強い意志が宿る事がある。

そうした時のカトレアの言葉は、たとえ母カリーヌといえど蔑には出来ない強さが秘められている。

静かに、だが誤魔化しを許さないカトレアの問いかけが、ルイズの内面を揺るがした。


「わ、私は、始祖ブリミルに誓って・・・」


「違うわ、ルイズ。始祖様の前に、まずあなた自身に誓わなければ。己自身に掛けない誓いに、何の意味もないのよ」


始祖の元に為された誓約も、カトレアには通じない。

世界に出た事の無いカトレアは、それ故に世の中のしがらみに囚われない。

彼女の言葉には何の強制力もないが、しかし目を逸らせない清潔さがあった。


「・・・私は、陛下の御力になりたい。私の事を認めてくださった陛下の下で功績を立てて、お父様や他の人たちにも、私の事を認めてもらいたいの」


カトレアの澄んだ瞳に押され、ルイズは偽ざる自分の心を口にした。


他人に認められることは、これまで魔法の使えぬ『ゼロ』と嘲られていたルイズにとって、特別な意味を持つ。

覚醒した『虚無』の力によって、ルイズは英雄としてアンリエッタより認められた。

これまで人生の全てを侮辱で穢され続けていたルイズにとって、あの時の歓喜は形容し難いほどに大きい。


だからその歓喜の味を、より広めようとするのは、ある意味当然といえる。

先の功績でルイズは地位こそ得たが、皆から称えられる名声は得ていない。

万人全てに自分の活躍を認めてもらうこと、それはルイズにとって単純な地位などよりも遥かに価値を持つ。


今回の戦争で功績を上げて、本当の意味で皆からの称賛を受けたい。

それこそルイズがトリステインとアルビオンの戦争にかける、偽り無き欲求である。


「・・・そう。なら私からは、何も言うことはないわ。あなたの願いを否定する言葉を、私は持っていないから」


それきり、カトレアは戦争の話をしようとはしなかった。

朗らかに笑って、他愛ない話に花を咲かせる。

懐かしい、愛する姉との談笑は、ルイズを穏やかな心地にさせた。


「さあ、ルイズ。おしゃべりはこれくらいにして、そろそろ行かないと。お父様がお待ちよ」


「あ、はい。ちい姉さま」


楽しい時間はすぐに過ぎ去り、談話の終わりをカトレアから告げられる。

本当ならば一泊ほど姉の元に滞在したいところだが、当主である父を待たせている以上、そういうわけにもいかない。

名残惜しくも頷くルイズだったが、ひとつ懸念することが残されていた。


「好きにしろ。我はまだ、この女に話がある」


共に同席していながら、ついに一言も口を挟まなかったギルガメッシュが、その口を開く。

口に出された内容は、しかしルイズが素直に受け入れるには少々難しいものだった。


ただでさえ身体の弱く、世間ずれしたカトレアだ。

負担に弱い最愛の姉を、ギルガメッシュと二人きりにして立ち去るというのは、やはり躊躇われる。

この傲慢不遜の男の気性が、繊細な姉に何か悪影響を与えないか、ルイズには非常に不安だった。


懐く懸念に悩まされ、去るに去れなくなるルイズ。

そんな彼女に対し、声をかけてきたのはカトレアの方だった。


「心配しないで、ルイズ。私も、この人をお話してみたいの」


やんわりと口にされた言葉は、この場の解散を示すもの。

他ならぬカトレアの方からそう申し出てこられては、ルイズとしても文句をつけ辛い。


後ろ髪引かれる思いはあったが、そのままルイズは二人の元を後にした。










二人きりとなって、カトレアとギルガメッシュは一緒の席で向かい合う。

空になった紅茶のカップは下げられ、二人の間には何もない。

遮るものの無いその空間で、二人はしばしの間無言のまま向かい合い続けた。


「それにしても驚いたわ。あなたみたいな人が、ルイズの召喚した使い魔なんて」


沈黙の後、最初の言葉をカトレアが発した。


「我をそのようなつまらぬ括りに当て嵌めるな。いかな契約であろうとも、我は何人の下にもくだらん」


「あら、ごめんなさい。ええと・・・ギルガメッシュさん」


軽く圧力の込められたギルガメッシュの言葉にも、全く臆することなく答えるカトレア。

飄々と掴み所の無いその態度に、ギルガメッシュは憮然として鼻を鳴らす。


「ところで、ギルガメッシュさんひとつ、質問したい事があるのだけれど」


「問いを許そう。言ってみるがいい」


「それじゃあ、遠慮なく。ねぇ、あなた、本当に人間?」


そんな空気の中で、いきなり核心に迫る質問をカトレアは投げかけた。


「正直に言って、あなたが私たちと同じ人間だとはとても思えない。姿こそ私たちを同じだけど、人であることを超越した、人ならざる何か。そんな感じがするわ」


「・・・ほう。雑種にしては、なかなかに眼が利くようだな」


「私、昔からこういう人を見る事には鋭いの。あなたは、根本から私達とは違う。外見や機能の話ではなくて、その在り方そのものが人間のそれとは大きく隔たっている。強大で揺らがない、あなたはきっとこの世界の、いえ、例えどんな世界や時代であっても、誰よりも強く気高い人だわ」


否定も肯定もせず、ギルガメッシュは無言で先を促す。


「あなたはきっと、この世界の人間ではない。例えそれがどこであっても、あなたという存在が知れ渡らないなんてあり得ない。あなたは、そう、私たちが認識することも敵わない、ここではないどこかの世界。そこの、みんなの上に立つ、そう、王者に当たる人。違いますか?」


「ふむ・・・、なるほどな。初見の印象通り、やはりただの愚鈍な雑種ではないということか」


憮然たる態度は崩さずに、ギルガメッシュは言葉を受け取る。

彼と向き合うカトレアも、微笑みこそ絶やしてはいないが、その瞳には確かな意志の力が宿っていた。


そんなカトレアを見返し、今度はギルガメッシュが問いを投げかける。


「それで、貴様の話した推測が真実だとして、次にどうする?危険やもしれぬ我を打倒しようとでも言うのか?」


「いいえ。ただ、あなたがどうしてルイズに付き合ってくれているのか気になったの」


カトレアの持つ真摯な視線が、ギルガメッシュを捉える。


「ルイズ、あの小さな娘が、今は見違えるくらい成長していたわ。正直に言って、最初に見た時は誰だか分からなくなったくらい。それはとても喜ばしいことだけど、それがあの娘一人の力だったとは思えない。きっと、あなたがあの娘に力を貸してくださったのでしょう。それはとても感謝しています。

けれど、どうしてあなたはそこまでしてくださるの?あなたが私の見立て通りの人なら、使い魔の契約なんて何の縛りにもならなかったでしょうに。あえてルイズの側にいてくださるのは、どうして?」


はぐらかす事を許さない厳しさを示して、カトレアは問いかける。

ギルガメッシュの件は、カトレアにとって曖昧なままでは許されない。

彼と直接関わるのは他ならぬ、愛する我が末妹なのだから。


「さしたる理由はない。招かれたこの世界を謳歌するならば、奴の近くが最も得策であると判断したまでだ」


そんなカトレアに反して、ギルガメッシュは気の無い返事を返した。


「世界は、時に異能者を世に排出する。万人にはない特別な力。授けられた者は、その力によって運命を翻弄される。奴の行く末は、奴自身の力によって左右されていくことだろう」


「ルイズの・・・特別な力?」


「なんだ。聞いていないのか。奴が発現させた、『虚無』とかいう力のことだ」


ギルガメッシュの口より出てきた『虚無』という単語には、カトレアも瞠目する。

なにしろ、ハルケギニアの民にとって『虚無』の属性とは、始祖ブリミルが用いたとされる伝説に等しい産物。

その力が現代に甦ったなど、容易く信じられる話ではない。


「そしてなにより、奴はこの我を異界より招き寄せたのだぞ。何の下準備もなく、たかが個人の儀式によって、この英雄王を。これほどの出鱈目を実現させた者が、何も無いはずがなかろう」


そしてそんな伝説さえ二の次に、己の存在こそを重視するギルガメッシュの言動。

あまりにも自分本位なその言動に、カトレアは驚きを忘れて思わず苦笑した。


「それに、契約者としてもまあまあの部類だ。ちと無能すぎる面も目立つが、秘める素質は悪くない。そして状況に対し行動を起こせる胆力も備わっている。基盤としては十分だ。

あの小娘はあらゆる意味で『ゼロ』だからな。器がすでに定まった者では、意外性に欠ける。ならばいっそ未完なる器の方が、長い目では楽しめよう」


「『ゼロ』・・・、あの娘が嫌がっていた二つ名ね」


「だが、奴にこれほどふさわしい名もあるまい。強大なる力を秘めながら、まだ形を与えられていない不確定な器。これより奴は、それこそ善にも悪にもなる可能性を秘めている。眺めておく分には、退屈せん器だ」


まるで玩具について述べるかのような気の無さを以て、ギルガメッシュは己が召喚者を語る。

当然ながら、そこには使い魔としてあるべき主人に対しての敬意などは一切ない。


「理解したか?我に取ってのルイズなど、退屈しのぎの玩具に過ぎん。確かに、多少の価値は見出してはいるし、大成したならばそれなりの報いを与えても良い。だが、所詮はそれだけのこと。奴という存在を失ったとて、我には何の痛痒もない」


今回の戦争におけるルイズの参戦。

当の本人はやる気のようだが、冷静な第三者の立ち位置からすれば、その行動の無謀は明らかである。


確かにルイズには、伝説の『虚無』の力がある。

その力は強大であり、有効に活用すればアンリエッタの思惑通り、この戦争を有利に進めることが出来るだろう。

だが、肝心の力の担い手であるルイズは、貴族の温室の中で過ごしてきた小娘に過ぎない。

強大な力を操り、それを活用してゆく経験が、圧倒的に不足しているのだ。

例え力を有していても、戦士として見たルイズは二流―――いや、三流以下である。


現段階でルイズを戦争に投入することは、ほとんど賭けだ。

勝つ保障の無い、負ければ契約者である少女を失う、危険な賭け。

本当にルイズの事を思うのならば、たとえ無理にでも引き止めるべきだろう。

現に今、家族たちがしているように。


しかし使い魔であるはずのギルガメッシュには、そのような考えは微塵とない。

一切の危険を考慮せず、むしろ進んで契約者であるルイズを賭けの中に送り、その結果を待ちわびている。

例えそれが死という最悪の結末であったとしても、ギルガメッシュは動じない。


ギルガメッシュがルイズに期待するのは、かつての友に代わる後継者の可能性。

自身を召喚し、可能性を示した少女には期待を託しているが、それは王自身による保護を意味しない。

むしろ真逆に、次々と生命を懸ける試練を与え、そこでどう足掻くかを傍観しているだけだ。


仮にその試練の中で命を散らすとしても、その時はただそれだけの話。

また新たな退屈をしのぐ玩具を見繕うだけである。


「さあ、どうする女。姉として、己の妹がそのような思惑の元にあることを、貴様は良しとするか?」


邪な欲望を滲ませた笑みを浮かべ、ギルガメッシュは問いかける。

その問いはこの場におけるギルガメッシュの目的でもあった。


カトレアの姿を一目見た時から感じている、この奇妙な感覚。

精神をざわつかせるその感覚が偽りであるか否か、この問いにて答えが出るはず―――


「ええ。安心しました」


「安心?」


「はい。あなたがあの娘の使い魔になって」


その問いに目の前の女は、全く予想だにしない答えを返してきた。


「我があの小娘の使い魔として召喚されたことに、安心だと?本気で抜かしているのか、貴様」


「ええ、もちろん。あの娘は、あなたを召喚できてよかったと思いますよ」


「―――ハッ、これはとんだ薄情な姉もいたものだ。よりにもよって、この我と居て良かった、だと?よもやそんな答えを返すとは、我も予想外だったぞ、女。貴様は己の妹を、我に献上しようというのか?」


ギルガメッシュはルイズに対し、はっきりと言い捨てている。

彼女の存在は、彼にとってのただの玩具に過ぎないと。

その事実を聞き、なおそれを是と出来るとは、一体どういうことなのか。


「だって、あなたの話はつまり、自然のままにルイズの成長を促しているということでしょう?」


「む・・・」


「あなたはただ見守るだけ。善にも悪にも導かずに、ただ試練を与えているだけなのでしょう。そしてその結果が、今日会ったルイズの姿。あの成長した姿が答えだというなら、きっとそれは正しいものよ

あなたの言葉はとても厳しい。その厳しさは理不尽ではあるけれど、決して悪ではなく、奥底の本質には、紛れもない善がある。善同士が交わっての結果なら、至る場所もきっと正しい所のはずでしょう」


カトレアの慈愛に満ちた瞳が、ギルガメッシュに向けられる。

そこに迷いや怯えといった感情は、微塵とみられない。


その眼差しは、ギルガメッシュに再びあの不可解な感覚を呼び起した。


「そうか・・・、やはり・・・」


内に沸き上がる感情の正体に、ギルガメッシュは思い至る。

このカトレアという女を前にした時から感じていた、


それは―――郷愁。


「貴様は・・・あの女に似ている」


「え?」


「貴様のその在り方は、あの女の存在を思い起こさせる。あの、『聖娼』と呼ばれた女に」


記憶に浮かぶのは、遥か昔に出会った一人の女の姿。

英雄王ギルガメッシュの生涯において、その女は決して小さくない影響をもたらした。


「ひょっとして・・・恋人さん?」


邪推して、カトレアが尋ねてくる。

その問いに、ギルガメッシュは不本意とばかりに顔を顰めて言い返した。


「冗談ではない。奴は、気に喰わん女だった」


言葉にすると同時に、流れだしてくる過去の記憶。

長きに渡る彼の記憶の中でも、特に重要な要素を含んでいた女との邂逅。

それを思い出したこと―――思い出してしまったことに、ギルガメッシュは不快に息を鳴らした。


「そう―――本当に気に喰わん女であった。あの女はな」











それは、原初の時代。

たった一人の王の傍らに、まだ朋友の姿がなかった頃の話。


広大なる世界の全てを統括する、最強の王を懐く都市国家『ウルク』。

遥かな地平線の彼方まで領土を置き、その国土の全てがひとつの都市として機能している国家の中心に、天を突くほど高くそびえ立つ居城がある。

遥かな国土のすべてを見渡せるほどに高く位置づけられたその城の最上部こそが、絶対者たる王の間であった。


壁や床のすみずみに至るまで黄金によって形成され、散りばめられた宝石の輝きがその内装を彩る。

全てを一級の宝物にて取り揃えたその空間の先に、更に一際魅せる玉座がある。

広大な空間の天井にさえ届くその巨大な玉座に鎮座する、内装の輝かしさすら脇役に落とす魔性を兼ね備えた男こそ、このウルクの支配者たる人物。

神の血肉を身に受けた原初の覇者、英雄王ギルガメッシュである。


英雄王が認めた者のみが立ち入る事を許される王の間に、一人の娘が姿を現す。

純白に染め上げられたドレスを纏い、神秘に満ちたヴェールの中に隠されたその面貌は、ギルガメッシュにも劣らぬ魅惑を兼ね備えている。

もはや性別の概念すら超越したその美貌は、ギルガメッシュの暴力的な魅力とは異なる慈愛の化身。

容姿、性格、立ち振る舞い、彼女の持つあらゆる美徳が周囲の者に癒しを与え、あらゆる苦難を浄化する。


彼女こそ、民草が『聖娼』と謳い上げる娘。

万人全てを祝福し、どんな卑しき者でも受け入れて暖かく包みこむ最大の献身の持ち主。

容貌と相反しない汚れ無く美しい心を持った娘は、暴虐の王の治世と相反する民達の希望である。


娘の名を、シャムハトと言った。


「王よ。謁見の栄誉を賜り、光栄至極にございます」


絶対の王の前で、聖女たる娘は跪き、頭を垂れる。


「よい、シャムハトよ。面を上げるがいい」


王の許しを得て、娘は頭を上げる。

王の意向ひとつ違えるだけで命を刈り取られる危険を秘めた謁見においても、娘の表情に恐れはない。


「面を曝すことを許す。雑種どもが『聖娼』などと謳うその美貌、真か否かこの我が確かめてやる」


王の言葉を受けて、娘は顔を覆っていたヴェールを取り払う。

そこより現れた娘の面貌に、あらゆる娯楽を堪能し尽くす王さえも感嘆を漏らした。


「なるほど・・・。騒ぎたてられるだけの事はある。雑種どもの中に置くには惜しい、絶世と呼ぶにふさわしい美しさよ」


シャムハトの面貌を確かめ、ギルガメッシュはその美しさを認める言葉を放つ。

それはすなわち、彼女の美貌を彼が所有する宝具と同格であると認めるということ。


「お前を認めよう、シャムハトよ。我が財の末席に名を連ねる事を許す。今後はこの我のみを慈しみ、我のためだけにその身を捧げよ。さすればその見返りに、この世のあらゆる快楽を賜わそう」


そしてそれは同時に、王が娘を我が物とする宣言でもある。

己以外のすべてを雑種と侮る王は、自分が価値を与えた物が他の物の手に在る事を認めない。

他者の意志など悉く捻じ曲げ蹂躙し、価値ある財宝を己が物としてしまう。


そんな王の傲慢なる振る舞いによって生み出された宝の貯蔵庫こそ、『王の財宝』。

この世のあらゆる宝具を収める異界の黄金郷は、ひたすらに世界の宝具を集め続けた王のためだけの宝物庫。

その財には一切の隔たりもなく、ただ英雄王が価値を認めたものだけがそこに名を連ねることを許される。

シャムハトもまた、王の所有物になる栄誉を与えられたのである。


―――無論、そこに本人の意思など一切関係ない。

民の希望たる『聖娼』も、英雄王の前には所詮ひとつの玩具に過ぎないのだから。


「王よ。栄誉を賜ります前に、ひとつ嘆願をお許しいただけますか?」


「いいだろう。人には過ぎる欲望も、お前にならば許される。それだけの価値を、我は認めたのだ」


己が価値を与えた者に、王は労いを惜しまない。

彼の欲望を満たすものには、同じく欲望を以て接するのが、彼の流儀であった。


「望みを言うがよい、シャムハトよ。万象の王の名の下に、いかなる欲望にも報いを与えよう」


王の許しを得て、娘は立ち上がる。

名実ともにこの世の支配者たる英雄王とあまりにもか弱い存在である小娘が、堂々と正面から向かい合った。


「私が嘆願いたしますのは、我が望みではありません。ただ、あなた様に聞き届けていただきたい言葉があるのです」


「なに?」


「王よ。どうか―――、己の悪しき振る舞いを省みてください」


傲慢不遜の暴君を目の前に、あまりに無謀な言葉をシャムハトは口にした。


「今の民達には、絶望が蔓延しております。このウルクを支配する恐怖の感情が、民たちから明日を生きる気力を奪い去っているのです。下の都市では童の笑い声を静まり返り、街を行く民の表情からは希望が抜け落ちている。このままでは我がウルクは、やがて滅びに至るでしょう」


そしてその恐怖の源は、まぎれもなく支配者たる王自身。

我欲を通すばかりの暴君の治世こそが、民の心より安らぎを奪う何よりの要因。

絶対の王の力に逆らう術はなく、ただ天災の如き気まぐれな欲望が通り過ぎるのを待つしか無い。

反抗さえ封じられた諦めの精神が、民達から生きていく力を喪失させている。


そんな民草の姿を、万人を受け入れる『聖娼』として、シャムハトは誰よりも多く見てきたのだ。


「あなたは、誰よりも強く、誰よりも賢い、この世のいかなる支配者にも勝る御方。だからこそ、あなたがその目を向けさえすれば、私などよりも遥かに彼らを活かす道を見出せましょう」


シャムハトの嘆願に、ギルガメッシュは口を挟まない。

ただ冷然と、不気味なまでの沈黙を続け、シャムハトの発言を許していた。


「ギルガメッシュ王。どうか、民たちに慈悲を。彼らに明日を生きていくための労りをお与えください。彼らをただ無価値と断ずることなく、その真の価値へと目を向けてください。さもなければ、やがてはあなたにも悲劇が訪れることでしょう」


「我に・・・悲劇だと?」


「あなたはこれまで、この世のすべてを手に入れてきました。けれどそれは、全てが暴力による略奪。絶対的な力に後押しされた、全ての意を踏みにじる蹂躙でしかありません。それでは真の意味で、それを手に入れたことにはならない。

この世のどんな物であれ、そこには生みだした者の意思がこもります。鍛冶屋がただ一人の戦士のために一振りの剣を鍛え上げるように、女が男との愛故に子を為し意志を継がせていくように、生みだした者の意思こそが、その存在の何よりの証明。

あなたの持つ宝物庫には、この世のあらゆる財宝が収められている。けれど、その集められた財宝の中で、あなたのために生み出されたものが、はたしてどれほどあるでしょうか。本来の意思を捻じ曲げられた宝に、どれほどの価値があるというのでしょうか」


もはやシャムハトの言葉は、嘆願ではなく糾弾だった。

どれほど心の中で思っていても、王を前にしては沈黙するしかなかった追及を、たった一人の力無き少女が叫んでいる。


それは、誰もが心で思いながら実現しえなかった英雄的偉業だった。


「・・・あなたは孤独です。肩を並べる友もなく、遥かな高みにたった独りで居座っているだけ。自分以外に何も持たないあなたの道は、あまりに空虚。それではやがて訪れる冥府への旅路で、きっとひどく後悔することになる。

ギルガメッシュ王。どうか、これまでの己を振り返り、民を省みてください。あなたの持つ価値観を、もっと多くのものに広げていってください。この世界は無価値ではない。人には、あなたの知らぬ多くの価値に溢れている事に、どうか気付いてください」


シャムハトの言葉が終わる。

自分が価値を認めた女の言葉を聞き届け、ギルガメッシュはゆっくりとその玉座より立ち上がる。

一歩、また一歩とあくまでゆっくりと歩を進め、シャムハトの眼前に立ち、


「・・・言いたいことはそれだけか?」


その細首を掴み、無造作に宙へと吊るし上げた。


「あ゛!・・・ぐぅっ、がっ・・・!」


首を締め上げられ、吊るされる女は苦悶の声を漏らす。

その『聖娼』たる女の哀れな姿を、ギルガメッシュは無慈悲な瞳で見つめた。


「価値を認めた貴様ゆえ、我への進言を許した。ならば我もまた、貴様の抜かした言葉に対し答えを返そう。―――この女風情がぁっ!!」


瞬間、深淵より一転しての烈火の如き激情を宿して、ギルガメッシュは叫ぶ。


「僭越が過ぎたな。貴様如き雑種が、王である我の事を語るなど許されると思ったか」


シャムハトを見つめるギルガメッシュの瞳には、先ほどまでの好奇の感情はない。

あるのはただ残忍で、冷たい殺意のみ。

魂までも凍りつかせる絶望の眼光を宿して、ギルガメッシュは吊り上げるシャムハトを射抜いていた。


「慈悲?友?人の価値?くだらん、実にくだらん。そんなものは、惰弱なる雑種どもが懐く虚ろな幻想。覇王たるこの我には、元より不要。まして並び立つ者など、天地のどこにも存在せぬ。

孤独だと?ハッ、孤高こそ王の道。他者との絆など、傷を舐め合う弱者どもの戯言に過ぎぬ。利己のみを考える己の醜悪な姿を、信頼やら友情やらといった綺麗事によって誤魔化しているに過ぎん。そして真の強者たる我には、そのような誤魔化しなど無用なのだ」


首を締め上げられ、苦しげに息を漏らしながら、シャムハトは訴えるようにギルガメッシュを見つめる。

そのシャムハトに対し、ギルガメッシュは更に冷酷なる言葉を浴びせかけた。


「人間とは、小賢しい知恵を身に付けただけの浅ましき獣の名。獣に自由など不要。獣には、支配という名の鎖こそふさわしい。

―――人の価値など、この我の道具として支配される以外にないわ」


微塵と躊躇うことなく、ギルガメッシュは断言した。


この世の全ては己が物と豪語する、絶対者たる英雄王。

英雄王の言う全てとは、命ある者も含めたこの天地に存在する万物。

名立たる宝具も、幾万もの命も、英雄王の前では等しく王のための道具に過ぎない。


「愚かな女だ。大人しく我が寵愛を受けておれば、この世の快楽の全てを味わう事も出来たものを。その機会を、貴様は度し難き王への侮辱によって捨て去った」


道具の分際で自分に逆らった愚か者に、ギルガメッシュは侮蔑の言葉を投げかける。


「己の『聖娼』の二つ名に驕ったか?自分ならば殺されない、万人に崇拝される自分ならば、王であっても説き伏せられる。そのような思い上がりで、我が前に現れたか。

たわけが。たかが雑種如きの崇拝で、我が判断が鈍るものか。この我以外の有象無象は等しく雑種。他より多少の価値があろうが、我に仇為すことなど許されぬ」


どんな威名があろうとも、所詮は弱者。

自分がその気になりさえすれば、このように容易く縊り殺す事が出来る。

どんな理想も、どんな信念も、絶対的な暴力の前では無力なのだ。


弱肉強食は世界の真理。

弱者が生きていられる事はすなわち、強者が殺さないからに過ぎない。

強者が殺さないからその命があり、強者がその存在を許容しているから生活がある。

倫理や正義でどのように言い繕うとも、その絶対的法則から逃れることは出来ない。


目の前の女は、それを忘れた。

この王に認められるほどの価値を持ちながら、その価値に驕って、王に対しつまらぬ反抗を企ててきた。

そのような愚鈍には、もはや死による罪科しか償いの道はない。


「自らの受ける崇拝に驕り、身の程をわきまえなかった結果がこれだ。つまらぬ情けにほだされた、己が愚行を呪うがいい」


下される処刑宣告。

命運を決定した女に対し、英雄王は最期にその顔へと目を向ける。


―――だがそこにあった顔は、彼が想定するものと余りに異なり過ぎていた。


「まさか・・・貴様・・・!?」


人々に慈愛を与え、その崇拝を一身に受けてきた女の死相とは、一体どのようなものなのか。

そのような期待を以て垣間見た『聖娼』の浮かべる表情は、しかし死を目前とした者としては余りに穏やか過ぎた。


そこにあったのは、ただ寛容にあらゆるものを受け入れる慈悲の微笑み。

突き付けられた死すら恐れず、全てを投げうち人々を救わんと祈る聖女がそこにいる。


「まさか最初から、己が命を捨てる事を覚悟の上で、この我の前に立ったのか!?」


「・・・単なる言葉では、あなたの意志を動かす事は出来ない。ならばこの命を以て訴えるより他にありません」


ギルガメッシュの問いかけに、ゆっくりとシャムハトは答える。

締め上げられる喉から何とか絞り出されるその声は、しかし一片の苦痛もなく暖かさに満ちていた。


「・・・私の慈しみでは、彼らの心を救うことは出来ても、その存在を救うことは出来ません。ならば、世界に必要なのがどちらであるか、考えるまでもないでしょう。

あなたは天を掴まれる御方。この世全ての業を一身に背負い立ち、導く力をお持ちの御方。あなたの心が動かせるならば、十分に我が命を懸けるに値します」


「馬鹿な・・・、貴様。貴様は、愚民どものためにその命を投げ出すというのか?それほどの価値を持ちながら、『聖娼』とまで称えられる輝きを見せながら、価値無き雑種どものために死を選ぶと?」


微笑みを浮かべたままで、シャムハトは頷いた。


「そんなことに何の意味がある?そんなことで、貴様にどのような益があるというのだっ!?」


「申し上げたはず。人間は無価値ではない。そのひとつひとつに生があり、それぞれに意味がある。意味ある生を精一杯生きる人々の姿を、私は尊く思います。

・・・理由なんてそれだけ。私は、そんな人達を守りたい。利益の問題ではなく、他ならぬ私自身がそうしたいから、そうするのです」


命を握られる弱者であるはずの女は、震えもせずに堂々とそう語る。


平等など、この世の闇が見えない価値無き弱者の幻想に過ぎない。

この世には厳然たる差が存在し、等価値なものなどありはしない。

どのような論理を持ち出した所で、強者と弱者の絶対的な関係が覆るはずがない。


しかし果たして、目の前の女は本当に弱者なのか。

何の力もなく、ただ揺るがぬ信念のみを携えて自分に挑んでくるこの女は、本当に弱者だと呼べるのか。

もし弱者だと言うのなら、なぜ自分の手は止まっている―――?


「すでに伝えるべき言葉は伝えました。後は、我が死を以て、あなたの心に楔を打ち込むのみ」


最期にそう告げて、シャムハトは表情を一変させる。

貫くような眼光でギルガメッシュを睨みつけ、心に突き刺さる言霊を言い放った。


「あなたは私を手に入れることは出来ない。あなたは私の信念を曲げることは出来ない。例えこの場で命果てようとも、この矜持はあなたにも犯せない。これまであらゆるものを暴力によって得てきたあなたには、私の意志に対して打つ手がない!!」


「・・・黙れ」


「これまで全てのものを手に入れてきたあなたが、初めて手に入らないものが出来る。恐怖と支配のみを頼りとするあなたに、その空洞は決して埋められない。その喪失感を埋めることが出来るのは、唯一つ―――」


「黙らんかぁっ!!」


憤怒の叫びを上げ、吊るし上げていたシャムハトの身体を叩きつける。

咳き込みながら床に転がるシャムハトに対し、ギルガメッシュは蔵より取り出した宝剣を突き付けた。


「不愉快な女だ・・・。どこまでもこの我に逆らうか!!」


活用すればそれのみで一城をも陥落させる宝具の切っ先が向く。

その刃を前にして、しかし無力なはずの娘には怯えの色は全くない。

ただ強い信念を瞳に宿して、眼前に立つ王を睨みつけている。

その視線が、ギルガメッシュをひどく不快にさせた。


―――途端、王の心にひとつの強烈な欲望が芽生える。


不遜にも自分の内側に介入し、その心を騒がせたこの『聖娼』なる罪深き娘。

今も死を眼前に突きつけられながら、不屈の眼差しを以て自分に対抗してきている、この女の絶望がどうしようもなく見たくなった。


下らぬ雑種どもを一片の疑念もなく信じるその姿。

民より『聖娼』と崇められる女の、信念を砕かれた時に見せる絶望とはいかなるものなのか。

この慈悲深く清らかな相貌がどのように穢れるのか、想像するだけで快感となる。

受けた屈辱が重大であるが故に、その絶望の味はさぞや甘美となるに違いない。


「・・・フン」


切っ先を下げ、ギルガメッシュは踵を返す。

再び自らの玉座に腰を下ろし、呆然としているシャムハトに言葉を告げた。


「人の価値を理解せよ・・・。そう言ったな、『聖娼』」


女の絶望は、暴力では得られない。

仮にここで女に手を下したとしても、女の懐いた信念には微塵も揺らぎはあるまい。

シャムハトの言葉通り、彼女の存在を征服する手段は、もはや己の持つ暴力の中にはない。


「遠方の地。荒野の中心に生み落とされた怪物の話を知っているか?」


ならば己以外の手段にて、この度し難き女を追い詰めるのみ。


「浅ましい獣だ。知性もなく言葉も介さず、森の獣どもと戯れるだけ。しかしその力は人智を超え、名のある狩人が狩り立てようとしたが、まるで歯が立たなかったという。その話によれば、獣の力はこの我にも匹敵するとか」


それは、遠方より訪れた狩人からの話。

所詮は獣の話と捨て置いたことであったが、まさかこのような形で役に立つとは、さすがに予想が付かなかった。


「獣如きと力比べをするつもりはない。が、噂となる程度の力は備えているのだろう。火無き場所に、煙は立たぬ。

・・・その獣というのがな、正体はこの我を打倒せんと願った雑種どもの祈りより生み出された、神の捏ねた泥人形らしい」


弱者としてこの英雄王の足元に蔓延る、くだらない人間ども。

そんな弱者どもがせめて一噛みと願いを懸け、成就した形がその獣。

自分に唯一対抗できると思われた祈りの化身は、よりにもよって言葉も介さない愚鈍な獣に過ぎなかったのだ。


「笑える話ではないか。雑種どもの愚かな願望に触発されて生み出されたのが、そのような地を徘徊するだけの化け物とは。しかしその無様は、まさしく雑種の愚鈍さを象徴するにふさわしい」


そこまで説明してから、ギルガメッシュは鋭い視線をシャムハトへ向けた。


「貴様の言う人の価値。それが真だと抜かすならば、そのケダモノを手懐けてみよ。貴様の言う人間の価値が本物ならば、その祈りより生み出された獣とも通じ合えるだろう」


獣の存在が人々の祈りによって成されたものならば、その器はまさしく人の象徴。

言葉も介さず、ただ他の獣と戯れるだけの獣こそが、人の価値を表現する。

真に人の価値を是とするならば、その祈りより生み出された獣もまた、価値あるものであるはずだ。


口ではそう言いながら、その実ギルガメッシュは気づいている。

そんなものは、所詮は言葉遊び。

その誕生理由よりこじつけた、単なる屁理屈に過ぎない事を。

どんな理論を言ったところで獣に変りはなく、それが恐ろしい力を備えた怪物である事実は変わらない。

それを十分に理解した上で、ギルガメッシュはその難題を持ちかけたのだ。


全ては、女の絶望を手に入れるために。

女が人の価値を確かだと告げる以上、この題目を避けて通ることは出来ない。

出来もしない無理難題に怯え、獣に喰われてただ無為に死に逝く様はさぞや見物に違いない。

蹂躙され悲嘆にくれるその様を見届けてこそ、感じるこの憤りも鎮められよう。


「承知いたしました。ギルガメッシュ王よ」


だが王の思惑に反して、女は微塵と怖れることなくその無理難題を了承した。


「あなたの言うとおりです。彼の者が真に人々の祈りから生まれたのなら、その存在は善であるはず。混沌たる内面、しかしその根本には善を宿すあなたのように。共に同じ善ならば、ならば分かり合えぬ道理はありません」


少しも疑うことなくはっきりと、女は断言する。

王と同格の力を持つケダモノと聞かされても、彼女に迷いの感情はない。

その自信が、信頼が、一体その脆弱な身のどこから来るのか、ギルガメッシュには理解できなかった。


「彼があなたに対抗するために生み出されたというならば、きっとあなたにとっても価値ある存在となる。ならばこの巡り合わせは、運命であると私は捉えましょう」


「・・・相手は言葉を介さぬ獣ぞ。地を這うばかりの化生に、貴様の慈愛が届くとでも抜かすか?」


「結果は後ほど。私が失敗すれば、あなたの目論見通り私は愚かな女として、怪物に喰われ無残な死を遂げるでしょう。馬鹿な女と、どうぞ嗤ってください。

ですが、もし私が彼と手を取り合う事に成功したならば、それはあなたの運命が変わる日です。私は必ずや、彼の者をあなたの前に連れてくるでしょう」


そう言い残して、『聖娼』と呼ばれる女は旅立って行った。


後に残されたのは、黄金の玉座にて鎮座する英雄王が一人。

絶対たる英雄王の権威を象徴する、黄金で構成された王の広間。

神々しきその王の席が、女の神聖に当てられた今となっては、ひどく陳腐に映る。


その憤りの感情を叩きつけるように、ギルガメッシュは振り上げた手で己が玉座の肘掛けを粉砕した。










「・・・結局あの女は、最後まで我の思い通りにはならなかった」


記憶巡りから帰還し、憮然とした面持ちでギルガメッシュは息を漏らす。


王の命に従い、獣のもとに赴いたシャムハトは、六日七晩の時を獣と共に過ごした。

寝食と共にし、多くの事を語りあい、肌と肌を触れ合わせ、生まれ落ちたままで何も持たなかった獣に様々なものを授けた。

その果てに獣は人としての姿と知性を獲得するに至り、遂には英雄王と並び立つほどの英傑として立ち上がる。


シャムハトに導かれ王の前に立ちはだかった、かつて獣であった者。

互いに己の全力を費やしての闘争の果て、二人が手にしたのは得難き絆。

人の祈りより生まれた獣は、王にとって掛け替えのない存在として、その傍らに並び立った。


それはまさしく―――シャムハトが予言した通りの結末だった。


「全く以て気に喰わぬ。この英雄王に最期まで従うことがないとは・・・」


「けれど、きっとその人はあなたにとっても大切な人だったのでしょう」


諭すように告げてくるカトレアの姿は、ギルガメッシュに過去の『聖娼』の姿を幻視させる。


容姿が似ているわけではない。

元より美貌という点において言えば、崇拝の域にまで達したシャムハトのそれには遥かに劣る。

そのような外面の話ではなく、より根本の在り方に、単なる類似では片づけられないあの女と同質の気配を感じた。

その気配がギルガメッシュの内面を揺るがし、郷愁という名の感情を彼の中に呼び起したのだ。


「抜かすな、たわけ。あの女は、我にとって嫌悪の対象でしかない。後がどうであれ、その感情は変わらん。

―――だが、嫌悪の念がその者の価値を曇らせるわけではない」


ありったけの侮蔑を交えながら、ギルガメッシュは語り出した。


「我は人格の是非について執着はない。明晰であれ愚鈍であれ、何かを起こせば結果は残る。要はその結果にて、我を楽しませればよいのだ。能力など二の次でよい

世界において我以外の雑種は誰もが弱者。ならば存在の規模で語っても仕方がない。元より我の前ではどんな存在も等しく雑種。ならばどれほど愚鈍であっても、行動を起こせる者ならば多少は退屈も紛れよう」


人の生涯を見せ物とし、その宿業を娯楽とするギルガメッシュの趣向。

その眼力に一切の妥協はなく、見抜く瞳は人の価値を選定する。

そこに何らかの価値を見出したのならば、たとえ奴隷であっても容易く命を散らす事を良しとはしない。


「その点において、我が召喚されたこの世界は及第点といったところか。もし無価値な雑種どもが蔓延るばかりの、つまらぬ世界に呼び出されていたならば、一度全てを焼き尽くさねばならなかった」


だが逆に、そこに見出すべき価値がないと判断したならば、世界を滅ぼすことにも躊躇いはない。

価値もなく膨れ上がった雑種がただ惰性を貪るだけの世界ならば、英雄王が支配するには値しない。

一度全てを焼き尽くし、その中で生き延びる生命を選抜すれば、少しは価値ある命も見出せるだろう。


全ての命を己の価値観のみで左右するその論法は、まさしく英雄王ならではの帝王学。

その暴論に対し、『聖娼』を思わせるこの女は、


「まあ、それは大変」


と、そんな呑気な解答のみを残した。


「・・・貴様、事の意味を分かっているのか?」


「あら?だって、あなたにとってこの世界は許せるものだったのでしょう。なら、そんな言葉は単なる仮定でしかないんじゃないかしら」


あくまで怖れることをせず、穏やかにカトレアはそう返す。

どこまでも平然とした様子のカトレアに、ギルガメッシュは嘆息した。










「・・・ゲホッ、ゴホゴホ!!」


会話の途中、唐突にカトレアが激しく咳き込んだ。

表情には苦悶を浮かべて、姿勢を維持することも出来ずに、座っていた椅子から転げ落ちる。

ほどなく、主の異常を聞きつけて、執事と思われる初老の男がやって来た。


「お嬢様っ!!」


カトレアの姿を確認した執事は、脇目もふらずに彼女の元へと駆け寄った。

男は倒れるカトレアの身体を支え起こし、紙に包まれた薬を飲ませる。

それでもしばらくカトレアの苦悶は続いていたが、やがて咳き込みも止まり落ち着いていった。


「ありがとう、モール。もう大丈夫よ」


蒼白になりながらも、なんとか笑顔を浮かべてカトレアは執事に告げる。

カトレアにとって、この程度のことは慣れたこと。

身を支えることも出来ない発作も、口から吐き出す禍々しい吐血も、どれも幾度となく経験してきたことだ。

今さらその経験がひとつ増えた程度で、動揺などありはしない。


この執事のモールにも、それは分かっている。

それでもモールはしばらくこちらの身を案じてくれていたが、どうにもならないことを悟り、やがて無念そうに退出していった。


「・・・病か?」


一部始終を眺めていたギルガメッシュが、そう声をかけてくる。

何とか元の席へと戻りながら、カトレアは答えを返した。


「生まれつき、ね。今日はそこそこ調子も良いけど、実は昨日までは高熱が出て、起き上がれる状態じゃなかったの。あの娘が帰ってくる前に熱が引いてくれたのは運が良かったわ」


蒼白な顔に弱々しい微笑みを浮かべて、カトレアは言葉を続ける。

その様子だけで、今日のルイズとの邂逅がかなりの無茶をしたものだと知れた。


「なんでも身体の芯からよくないみたい。お父様は国中から高名な医師を呼んでくださったけれど、彼らにはどうすることも出来なかった。『水』の魔法による治癒は、体内の『水』の流れを操作して、淀んだ流れを除去するのだけれど。そもそもの根本が悪いとどうにもならないんですって」


「その様子を見るに、長くはなさそうだな」


「あら、はっきり言うのね」


容赦ないギルガメッシュの物言いに、カトレアは苦笑した。

足取りはしっかりとし、バルコニーの縁へと歩を進め、そこに手をかけ風景を一望する。


「ご覧になって。とても良い見晴らしでしょう」


バルコニーから一望できるラ・フォンティーヌの領土をカトレアは示した。


「この土地はラ・ヴァリエールの中でも一番豊かで美しい場所なの。ヴァリエールの領地から出られない私に、お父様は最も素晴らしい場所をくださったわ」


バルコニーの展望より映るのは、見渡す限りの豊かな大地。

実りある自然の中には動物たちの息吹で溢れ、羽を休めにきた鳥達がカトレアの差し出した指にとまる。

手の加えられる自然の澄んだ空気がそこには満ち、病んだカトレアの内側にも暖かく染み込んだ。


「そしてこの場所が、私にとっての世界の全て」


その身体の虚弱さ故、故郷より踏み出せないカトレアにとって、この光景に映るものが彼女の世界だ。

それ以外のものなど知らないし、それ以上のものと聞かされても理解が及ばない。

彼女の世界は、この豊かで美しい土地の中ですでに完結し、閉ざされていた。


「綺麗な土地に囲まれて、愛する家族に思われて、私は静かにこの光景を眺めているわ。世界が生れ付いて閉ざされているのは確かに寂しいけれど、この場所の価値はそれを補うに足るものだと思う。だから、私は今の自分を不幸とは感じていない」


それで良いと、カトレアは謳う。

彼女の顔には一片の後悔もなく、自らの虚弱な身体を呪うような暗部は一切見られない。

彼女は、自分の人生にすでに満足を覚えていた。


「なるほど。だからルイズの事も止められなかったわけか。欲望の味を知らぬ者に、欲望懐く者の歩みは止められんからな」


カトレアの世界は、この豊かな土地の中で完結している。

それ故に、彼女にはこの土地の外の欲望の事が理解できない。


富、名声、権力、人が望み嗜好する、様々な欲望。

それを求めるのは当然のことであり、誰にでもある欲求だ。

その当然であるはずの欲求が、しかし世界が閉ざされていたカトレアには無かった。


あらゆる物欲を満たす富も、人々より称えられ崇められる名声も、自身の欲望を行使する権力も、全ては広い世界でのみ価値を持つ。

初めから世界が閉じているのなら、そんなものに価値など見出すはずがないのだ。


「ルイズ自身が望んで決めたものなら、私には止めることは出来ないし、そのつもりもありません。そんな選択を出来るあの娘が、私は羨ましく思っているのだから」


「その結果が死に繋がるとしても、貴様はその選択を容認するのか?」


「・・・私は、長寿であることにあまり執着を感じていないんです。人は、自分の生き方を精一杯生きて、その生き方に殉じて死ぬ。それが一番幸福な形だと、私は思う」


ラ・ヴァリエールがルイズを呼び出したのは、戦争に行くなどという暴挙を止めるためだ。

いかに“虚無”という力が備わっていようとも、所詮は一介の学生であるルイズには戦場は険しすぎる。

おまけに、家族たちにはその“虚無”という力の前提すらなく、魔法のひとつも使えない未熟以下という認識しかない。

そんな無能者が戦場に出た所で、無駄死にするのが関の山だ。

彼女を愛しているのなら戦争に“反対”する事は当然であり、それ以外の選択などあり得ない。


だが、その中で唯一人、ルイズが最も慕い愛していた姉、カトレアだけが“容認”した。

表立った賛成こそしていないものの、戦争に行く事を認めた事実には違いはなく、自分の愛する妹が命を落とす危険を許容したのである。

その一点を上げても、ルイズに対して愛があるならばあり得ない判断だ。


だが無論、カトレアがルイズのことを愛していないわけがない。

彼女の妹に対する愛情は紛れもなく本物だ。

ただその愛情の中に、他には無い彼女だけの価値観が存在するだけ。


人は、己にないものを求める。

カトレアとてそれは例外ではなく、彼女にも憧れの気持ちはあった。

彼女が望むのは富や名声といった即物的なものではなく、単純に自分には出来ない生き方。


それはちょうどルイズのような―――自分の意思のままに行動していく素直な生き方。


「・・・私は多分、そんなに長くはない。だから、その終わり方は清いものでありたいの。美しい自然に囲まれて、愛する家族がいて、私は本当に恵まれてるわ。例え短くても、こんな素晴らしい命をくれた神に感謝したいくらい。

だからルイズにも、そんなふうに自分で誇れるような生き方をしてほしい。私にとっても、そんな生き方は羨望するものだから」


すでに先が長くないと分かっている身の上だからこそ、見えてくるものがある。

生れ付いて死と身近に接してきたカトレアだからこそ、その意味に深い考察と達観があった。


不可能を求める欲求は、確かに存在する。

だがそれは、自分の生き方を捻じ曲げるほどに強い欲求ではない。

終わりの尊さにこそ重きを置くカトレアに、そんなものは空想に焦がれる程度の思い。

抗わず静かに受け入れる死こそ、彼女が見出した尊さなのだから。


「ならば、我が貴様の病を治してやる、と言ったらどうする?」


そんなカトレアの達観に、ギルガメッシュは毒を流しこむ。

静かだったカトレアの指が震え、とまっていた鳥が羽ばたいて飛び去った。


「我が提示する方法を以てすれば、その脆弱な肉体を改変できる。さすれば貴様の焦がれる自由とやらも手に入ろう」


カトレアの達観は、ある種の諦観の念からきている。

逃れられぬ短命な身体があるからこそ、カトレアはそのように悟りを開いたのだ。

もしその運命から逃れられるなら、再び彼女の中に生に対する欲望が生み出されても不思議ではない。


事実、カトレアとて動揺はあった。

彼女の死への諦観は、死にたいという自殺願望ではない。

彼女の中にも生きたいという気持ちは、もちろん残されている。


「・・・それは魅力的な提案であるけれど、あなたが言うと何だか裏がありそうね」


「無論だ。犠牲なき救いなど人の世界に在り得ん」


意地の悪い笑みで、ギルガメッシュは答えた。


「貴様の肉体に、治癒は役に立たん。治癒とは、生じた綻びを元の状態に戻す意を指す。元が崩れかけている貴様には、単なる時間稼ぎでしかない。

問題を解決するには、ひとつ代償を用意する必要がある」


「代償?」


「なに、簡単な理屈だ。現在の肉体に不備があるならば、その代わりを用意するまでのこと」


慈悲を体現するカトレアを見つめ、ギルガメッシュはその在り方とは相反する方法を提示した。


「不備ある肉体を補うためには、性質を同じくする者の代わりが必要となる。そやつの肉体を生贄と捧げれば、貴様の肉体も常態となろう。生贄には、そうだな、血を分けた姉妹などが最もふさわしいか―――」


求める犠牲は、家族の命。

自らの命を救いたければ、自らの愛する者を贄とせよと、ギルガメッシュは提示する。


その提示は、たとえ常人であっても迷うもの。

自分に近しい者を差し出して得る命など、誰しも気分の良いものではない。

どれほど助かりたいと思っていても、そこに親しき者への愛情があるのなら、躊躇いは必ず生まれる。


だが、その躊躇うという行為が、すでに消極的な利己感情なのだ。

躊躇うということは心がどちら側にも傾いているということであり、犠牲を容認する側の傾斜も存在するということ。

特にカトレアのような者には、その葛藤は後にも心の暗部に杭のように深く残り、自らへの嫌悪の念へと走らせるだろう。


そんな呪いを含んだ提示を受け取り、それに対してカトレアは、


「ああ、それじゃあ止めておきます」


と、一瞬も迷わずに即答した。


「・・・つまらん女だな。未練のひとつもないのか」


「代償がお金とかだったなら、きっと簡単に了承できたと思うけれど。でも、ルイズやお姉さま、お父様、お母様を、愛する私の家族を犠牲にしなければならないのなら、そんな救いは要らないわ」


「ほう。では、家族でないものならばその心も動くか」


囁くのは、あらゆる欲望を網羅する英雄王の諫言。

たとえ一度は撥ね退けても、隙があれば即座に迷いの種子を埋め込んでくる。


「生贄の条件は、血を同じくする者ではない。重要なのはその内面、魂の性質を同じくする者こそが代償条件。血を分ける者ならば大抵は魂の質も似るものだが、必ず姉妹である必要はない。要は貴様と魂の質と同じくする者、在り様の似る者の肉体を差し出せばよいのだ。

幸いなことに貴様は貴族。己の代わりとなる人柱の用意など難しくもあるまい。この程度の広さを持つ土地ならば、生贄に適した平民の一人も見つかるだろう」


貴族と平民。

ここハルケギニアの二つの身分の間に存在する歴然な差。

貴族は使役する者であり、平民は使役される者。

貴族が自らの領地の領民を自由に扱う事など当然であり、それを許されるだけの権力が貴族にはある。

カトレアが己のために平民一人の命を犠牲にしても―――たとえそれが、何の罪もなくカトレアに似て慈愛に満ちた人物だとしても―――表立ってそれを非道だと非難する者はいまい。


「それでも、やっぱり私にそれは必要ないわ」


そんな己の立場は十分に承知していながらカトレアは、それでも柔らかな拒絶の言葉を口にした。


「私は、何かを犠牲にするという事が嫌いなんです。たとえそれで私が救われるとしても、その救いが誰かの犠牲の元に成り立つなら、私は欲しくない。

犠牲ない道なんて、あなたは偽善と嗤うかもしれないけれど、それでも私はそれが受け入れられない。貴族がどうかは関係なく、私自身が認められないの。犠牲の上の救い、それに縋って生き延びるのが」


貴族として、ではない。

彼女がカトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌであるが故に、ギルガメッシュの提示する方法は受け入れられない。

犠牲が生きることの本質であるとしても、その道はカトレアにとって相容れぬもの。

偽善となじられ、生きろと懇願されても、カトレアは決してその道を選ばない。


「では、貴様の生とは何だ?生れ付いて虚弱な肉体に自由を奪われ、私欲を満たすこともせず。数ある幸福を手放して、今なお生の執着を放棄する。そんな価値なき生を迎え、貴様には何の悔恨もないと?」


ギルガメッシュの問いかけに、カトレアは返答する。

そこに先ほどまでの動揺はなく、その顔には微笑さえ浮かんでいた。


「私は思うんです。人が生きる意味とは、自分自身の命の意義を見つけるためではないかって」


悟りを開いた高僧のような、穢れを祓った聖人のような、そんな静かさと穏やかさを纏う。

淀みなく放たれる言葉の数々が、カトレアという人間の抱く矜持をより強くする。

それはまるで、自らに掛ける暗示のように。


「この世界ではあらゆる生命が生まれて、そしてそれぞれの明日を迎えるために生きている。知恵なき動物達は言うに及ばず、知恵ある人間やそれ以外の種族もそれは同じ。

けれど、知恵を持つ私たちは考えてしまう。自分達はどうして、この世界に生まれ、今を生きているのか」


いかに聖人の如き清潔さに満ちたカトレアであっても、やはり人の子。

かつてはカトレアとて、自らの宿命を恨み、世の不条理を呪った。


生れ付いての虚弱な身体。/なぜ私の身体はこんなに弱い。

母の血を継ぎ恵まれた魔法の才覚。/魔法の才だけあって何になる。

長旅にも耐えられず、領地の外にも出られない。/なぜこんな目に合わねばならない。

人並みな幸福を得ることもなく、このままこの場所に縛られて死んでいく。/自分が犯した罪など何も無いのに。


それなのになぜ―――自分だけがこのような不条理を受けねばならないのか。


「何を思ったところで、生きるという事は変わらない。どれだけ考え抜いた所で、確かな答えなんて出るわけがない。やがて人はその疑問を考える事が億劫になり、省みる事をしなくなる。答えなどなくても、人は生きていく事に支障は無いから。

けれど幸い、私には考える時間がたくさんあった。だから、たくさん考えていたの。私はどうして、生きているのかって」


なぜ、自分は生まれたのか。

どうせ長くない命ならば、存在している意味はなにか。

閉ざされながらも恵まれた環境の中で、カトレアはその命題を自問し続けた。


「あらゆる命には意義がある。どんな命も、存在したなら、生まれてきたこの世界に何かを為す事が許される。それは生れ付いて短く限られた私の命も例外じゃない。

重要なのは命の長さではなく、その中身。限りある命の中で、いかに自分という命の意義を見出すか。その答えを見つけて、それを確かな形とできた時、人は死の恐怖を超えられる」


未来のことは分からない。

脆く儚い身体を持って生まれてきた自分も、この先の未来など容易く想像できはしない。


このまま緩やかに朽ちていくのかもしれない。

何かの奇跡が起きて、生きながらえる事もあるかもしれない。

しかし至る道がどうであれ、カトレアに出来るのは静かにそれを受け入れることだけ。

やがて訪れるだろう、自らの運命に逆らうつもりは、カトレアには無い。


「確かに私は、あらかじめ自由の無い命として生まれた。けれど、その後にあったものは、そんな不幸など比べ物にもならない幸福な日々だったわ。だから、私ははっきり言える。たとえこの後にどんな不幸が待ち構えていても、私の過ごしてきた日々は幸福そのものだと。その結末がどうであれ、その過程に辿って来た幸福に濁りなんてあるはずがない。

私の命は、本当に満たされていた。そこに文句を言うなんて、それこそ侮辱だわ。そんな素晴らしい私の生涯を完遂することが、私が見つけた命の意義なの」


ただひとつ言えるのは、たとえいかなる結末を辿ろうとも、カトレアに悔恨はない。

己の生には、確かな幸福があったと。

その死に様がどうあれ、そこまでの道のりはまぎれもなく幸福であったと。

微塵の迷いもなく、彼女は謳い上げるだろう。


死の恐怖が全くないわけではない。

ただ彼女の信念は、恐怖すらも克服させて彼女の生に形を与えている。

穢れ無き生を歩んだ彼女の生涯に、犠牲の血など無用の長物。

全てを受け入れ慈しむ慈愛の宿業こそ、カトレアという人間の本質であり、価値なのだから。


「私にはもう自分で決めた、自分自身の答えがある。だから、ギルガメッシュさん。私にあなたの言う救いは必要ありません。私はすでに、十分に満たされているのだから」










一片たりとも揺らぐ事無く答えてくるカトレアの姿に、ギルガメッシュは顔をしかめる。

その穏やかな表情は、再びギルガメッシュに過去に知る女を思い起こさせた。


・・・あの女もまた、こんな顔をしていた。

己が死を恐れず、他者への慈悲などという道に殉じる、決意の面貌。

あの時、自分の前に臆することなく立ち塞がった女もまた、こんな顔をして相対してきた。


凡庸な雑種には決して真似できぬ、真の慈愛の心を介した者の姿。

その姿こそを己の存在の意義であると明確に定め、その生き様に躊躇いなく命を懸けられる覚悟。

その外見の美貌を超越した気高き在り様に、自分は確かに気圧された。


その姿を、不条理より召喚されたこの異界にて、再び垣間見ている。


「・・・やはり、あの女と同じか。全く以て、気に喰わん」


一言だけを残して、ギルガメッシュは席を立つ。

これ以上の同席は、余計な記憶まで呼び起こす予感があった。


「そうですか?私はあなたのような人、嫌いではありませんけど」


「我を相手に全く物怖じせぬその態度。だから気に喰わんというのだ、たわけ」


退出する足を止めず、振り向く事無くギルガメッシュは言い捨てる。

そんな彼の言葉に、カトレアは微笑みを浮かべて応えた。


「ありがとう、ギルガメッシュさん。あなたとの会話は、とても有意義なものでした。あなたとこんな話が出来たことを、私は本当に嬉しいと思っています」


謝辞の言葉にも、ギルガメッシュは振り返ろうとはしない。

この場より立ち去っていくその背に向けて、カトレアは最後に語りかけた。


「どうかルイズと、そしてあなたがこれから行く道が、有意義なものでありますように」










屋敷を後にし、僅かな時間をラ・フォンテーヌ領の散策へと費やす。

豊かな土壌を誇るラ・フォンテーヌの土地は、そこに住まう者の心と身体を癒す安息がある。

ラ・ヴァリエール公爵が、病魔に苦しむカトレアのために、この土地を差し出したというのも頷ける。

自然豊かな領地の景色は、散策場としては十分な価値を有していた。


だがそんな景色の数々も、今のギルガメッシュの目には入らない。

ギルガメッシュの意識は現代ではなく、すでに過ぎ去った記憶へと向いていた。


『重要なのは命の長さではなく、その中身。限りある命の中で、いかに自分という命の意義を見出すか。その答えを見つけて、それを確かな形とできた時、人は死の恐怖を超えられる』


先の邂逅でカトレアの口にした、彼女の達観の言葉。

意義ある生に、死の恐怖はない。

己が生の価値を確かなものとしたならば、人には安息が訪れる。

さすれば訪れる死に対し、恐怖すらも越えた充足を得られよう。


それはまぎれもない、感情という高度な精神を持った命の真理。

知恵を持つ人にのみ与えられる世の真実を、言われるまでもなくギルガメッシュは理解していた。


(だが、その真理故に、我はあの命題を突き付けられた)


ギルガメッシュの脳裏に飛来するのは、もはや遥か昔の記憶。

英雄王の生涯において、唯一人朋友と認めた、獣であった男の事。


男の名を―――エンキドゥといった。


(エンキドゥ―――。お前の抱く在り様は、まさしくこの我の正逆のものであった)


ギルガメッシュを大地に君臨する山と例えるならば、エンキドゥという男は広大な空を流れる雲。

獣であったエンキドゥには一切の束縛の概念がなく、いかなる戒律も常識にも彼は縛られない。

彼にあるのは強大なる己の肉体と、そして『聖娼』との邂逅で得た“人”としての心のみ。

彼を動かすのは常に彼自身の感情であり、そこに迷いなるものは存在せず、在りのままの自分自身で在り続ける。


まさしく彼こそは、この世の何よりも“自由”という言葉を体現する存在。

そんな奔放な同伴者の存在に、英雄王は飽きを覚えることなく、共に世界を堪能していた。


(だが、あの忌まわしき神の呪いによって死に直面した時、お前は初めて涙を見せた)


英雄王の視点からすれば、それは信じられぬこと。

彼の者はまさしくたゆたう雲の如く、あらゆるしがらみより解放された存在。

示された真理に沿うならば、朋友の死には何の未練も悔恨もない、充足に満ち溢れたものでなければならなかった。


だが、エンキドゥは泣いた。

末期に差し掛かった病に苦しむ身で、これ以上ない哀れな嘆きの相を見せた。

かつて勇猛と壮観で称えられ、時には英雄王すら上回る武勲を打ちたてた勇者の姿は、そこにはない。

あるのはただ、目前に迫った死に怯える、弱く儚い一人の男であった。


彼こそは英雄王がただ一人同格と認め、傍らに在る事を許した者。

自らが対等と認めた男のあまりにも弱々しい姿に耐えきれず、ギルガメッシュは問いを投げかけた。


―――なぜ泣くのか、我の傍らに身を置いた愚かさを、今になって悔いるのか?


生に縋るのは未練ゆえに。

死を恐れるのは悔恨ゆえに

誰よりも“自由”であり続けた男にとって、それらは全く似つかわしくないもの。

常に傍らにいた朋友たる王は、あまりに彼らしくない姿を前に、その理由を訊かずにはいられなかった。


『―――そうではない。君と共に駆け抜けた日々は、僕にとって最高の輝きだった』


―――ならばなぜ、なぜそうまでこの世に未練を残すのか?


重ねて問うギルガメッシュに、病の苦悶を滲ませながらエンキドゥは答えた。


『僕は、君と共に在りたかった。あの日、あの広場で君と出会ったあの時から、僕の行くべき道は常に君と共にあると信じていた』


シャムハトの導きにより引き合わされた二人。

死闘の果てに固い絆で結び合わさった二人は、いかなる時も共に在り。

力と存在の全てを認め合う彼らの冒険には、どんな時でも波乱万丈と奇想天外、そして何より充実があった。


だがそんな二人の絆は、二人共に深い関わりを持つ存在によって断たれる。

神の母を持ち全身の三分の二は神のそれであるギルガメッシュと、神の捏ねた泥より生み出されたエンキドゥ。

二人にとってはまさに親にも等しい神々の、その呪いによってエンキドゥの命を潰えようとしていた。


『なのに、僕は君を置いて、先に逝く。それが僕には、無念でならない。君と共に在れぬ我が身を、君を独り残して去るこの世を、悔やまずにはいられない。ああ、そして―――』


それが、英雄王の唯一無二の朋友たる男の、最後の言葉。


『この僕の亡き後に、誰が君を理解するのだ?誰が君と共に歩むのだ?朋友よ・・・、これより始まる君の孤独を思えば、僕は泣かずにはいられない・・・』


生への未練は、王と共に在れぬ我が身に。

死への悔恨は、王を独り残す逝去に。

最期まで薄れることのない友情を抱いて、エンキドゥはその生涯を閉じた。


自分の命に意義を見出した時、人は充実を得る。

だが確固たる意義を見出してなお、それを形と出来ずに終わった時、懐く絶望はより強いものとなる。

何ものよりも固い絆で結ばれていたが故に、その別離はエンキドゥを絶望の底へと落とした。


そして自らと対等と認めたエンキドゥの死は、ギルガメッシュに死というものを連想させる。

それまでのギルガメッシュにとって、死というものは関心の対象となることがなかった。

この世において並ぶ物無し、唯一エンキドゥを除いて天下無双を誇る英雄王にとって、我が身の死など無縁。

死というものの概念は理解していても、その死に瀕する我が身の姿を、ギルガメッシュはどうしても想像できなかったのだ。


だがその死が、今のギルガメッシュにははっきりと想像できる。

そのきっかけは、自身と並び立つ朋友であるエンキドゥの死。

自分と同じくその死の姿など決して想像できなかった男の死を、現実のものとして直視した。

対の存在たるエンキドゥの死を目の当たりとし、ギルガメッシュもまた己が死を夢想した。


その想像は恐ろしかった。

傲岸不遜の英雄王をして、初めて恐怖なる感情を植え付けた。

死に際にエンキドゥの見せた、非業の嘆き。

あの哀れな姿が、ギルガメッシュには忘れられない。


あれはもしかしたら―――やがて訪れるだろう自分の結末の姿を映しているのではないか。


思えば思うほどに、思考は深みへと嵌まっていく。

思考を閉ざしても想像は止まらず、エンキドゥと同じように死の淵で嘆く己の姿が見えてしまう。

行く先も見えぬ朧の中、もしこのまま座して時が経つのを放置すれば、自分の結末はまさしく想像の通りとなるだろう。

ほとんど確信に近い予感が、ギルガメッシュにはあった。


故に、ギルガメッシュは旅に出た。

天上の玉座も、『王の財宝』も、あらゆる財を捨て去って、朋友と同じように我が身ひとつとなって荒野に出る。

アテもないその旅路の中で、やがて不老不死の秘法という目的が生まれる。

自分が懐く死に対する怖れ、それを乗り越えるためにギルガメッシュは唯一死を超越する方法を探し求める。


苦難に満ちた探究道の果てに、ギルガメッシュはついに不老不死の秘法を手に入れる。

探究の旅の終着で、英雄王はこの世のすべてを手にすると同時に、ひとつの“答え”へと至る―――


「・・・くだらんな。所詮は、過ぎた話か」


過去への回帰を打ち切って、ギルガメッシュは吐き捨てる。


過去を思った所で、意味はない。

過去とは所詮、過ぎ去ったもののこと。

例え過去にいかなる解答を見出そうとも、現在が変わるわけではない。

過去に思いを馳せた所で、現在の胸を覆う無興は消えない。

すでに過ぎた道のりを振り返り没頭するのは、英雄王たるこの身にあるまじき惰弱である。


過去に思いを馳せるのは、ここまで。

カトレアのせいで思わぬ郷愁に見舞われてしまったが、自分のすることは変わらない。

彼はただ我欲のままにあり、その趣向のままに快楽を満たすのが、英雄王たる自分の在り様なのだから。


「おぉぉぉいっ!!!ギルガメッシュゥゥゥゥゥッ!!」


大気に響き渡る声。

振り向く先では、馬車から下りてこちらまで駆けてくる桃色の少女の姿があった。


「ルイズか。ずいぶんと早いな」


「アンタが何かトラブルでも起こすんじゃないかって思って、ゼイゼイ、話を切り上げて急いで戻って来たのよ、ハァハァ」


走り込んだため息切れした呼吸を整えて、ルイズは改めて口を開いた。


「それよりちい姉さま!!アンタ、まさかと思うけどちい姉さまに何かしてないでしょうね!!ちい姉さまはアンタと違って、とっても繊細なんだから。余計なこと言って、気分を悪くしてたら許さないわよ!!」


早口で捲くし立ててくる、自分を召喚した桃色の少女

かつて友がいた場所の、現在の傍らにある存在を、ギルガメッシュは見返した。


過去とは、すでに過ぎ去りしもの。

どれほど過去のそれに見劣りしようと、今あるそれから目を逸らす事は出来ない。

現在の無興を埋められるのは、やはり現在の者しかあり得ないのだから。


「?どうしたのよ?」


「いや」


視線を感じたルイズの問いかけを適当に受け流し、ギルガメッシュは問いを返す。


「それで?家族への報告とやらはどうなったのだ?確かお前が戦争へと赴く許可を得るためのものだったな」


「・・・一応、許可はいただいたわ。女王陛下からいただいた、誓約書のおかげでね」


ただし、家族たちは終始渋面を崩さなかったが、とルイズは付け加えた。


「要は私の力を信用してないのよね。けど、それも今度の戦争で功績を立てて、それで見返してやるわ。今度こそ、私は本当に英雄になってみせるんだから」


精一杯の誇りを見せて、迷いなく高らかにルイズは宣言する。

身の程を弁えぬその無謀に、眺めるギルガメッシュは嘲笑を漏らす。

いかに伝説の力を兼ね備えようと、所詮ルイズは世界をロクに知らぬ小娘。

将来性はあれど、まだまだ栄誉を手にする英雄の器ではない。

それでも番有を振るうのは、自らを盲信する愚かさ故か。


(いや、恐らくはそうではあるまい)


そも、ルイズが己の力を信じる事など、つい最近までは到底不可能だったはずだ。

魔法を使えぬ『ゼロ』。

ルイズにとって魔法とは、貴族の権威の表れであると共に、自らの無能を示す象徴でもあった。


いかに『虚無』の目覚めを果たしたとはいえ、十数年もの長きに渡り自らを裏切り続けてきた力など、そう容易くは信じられまい。

恐らく、今も心の隅では、いつまたこの力が自分の事を裏切るのかと怯えを懐いているのではないか。


だからこそ、ルイズは明確なる結果が欲しい。

一度や二度の功績だけでは、全く足りない。

それこそこれまでの自分の人生の屈辱をまとめて精算できるほどの功績を打ち上げて、初めて自らの力を真に信じる事が出来る。

戦争とは、その目的のためにはまさしく打って付けの舞台だ。


要は、実感が持てないのだろう。

伝説の力と言えば聞こえはいいが、言い方を変えれば全く研究も発展もされていない未開の魔法。

だからこそ使用の機会も多く設け、その価値を確かなものとしたい。

果たしてこの力が本当に自分の役に立つのか、新しく手に入れた玩具を試したいとダダをこねる子供ように。

一言で言ってしまえば、やはりルイズは身の程も弁えない馬鹿者でしかない。


―――だが、己の度を越えて蛮勇を振りかざす馬鹿者の方が、自らに妥協し早々に諦観を懐く雑種より遥かに楽しめるのも事実。


「なるほどな。確かに、千の言葉を費やすよりも、一の武勲を以て語る方が、物事とは往々にして容易く進むものだからな」


ルイズの言葉に頷いて見せるギルガメッシュ。


「そうよ!!アルビオンで立派な功績を上げて、私の力を認めさせるんだから」


使い魔の態度に、その気になるルイズ。


「今の私には『虚無』の力がある。あの無敵と謳われたアルビオン艦隊を一撃で葬った伝説の力が!!」


「ふむふむ」


「それに祈祷書を読んでいたら、他にもいろんな魔法が見つかったし。活用すればきっと武器になるわ」


「ほうほう」


「この力で私は英雄になる。トリステインにこの人アリって、そんな風にみんなから称えられるのよ!!」


「ほほう!」


ルイズの言葉に合わせ、わざとらしく頷いて見せるギルガメッシュ。

そんな相鎚にも、テンションの上がった今のルイズは簡単に乗せられていく。


「行くわよーーー、アルビオンッ!!」


「おお、行って来い」


と、ルイズが実に高らかに大空へ叫んだところで、二人の会話が途絶える。

二人の間に微妙な空気が流れ、しばらく沈黙が続く。


やがてその沈黙を打ち切って、ルイズが声を上げた。


「ちょ、ちょっと!!行ってこいって、まさかアンタ、行かないつもりなの!?」


「当然だろう。外様の戦争に、なぜ王たる我がわざわざ足を運ばねばならん」


これまでの話の流れなど全く無視する形で、ギルガメッシュは言い放つ。

さすがに反論しようとするルイズであったが、その前にギルガメッシュが発言を封殺する。


「ああ、そうか。お前の言う戦争への参加とは、この我の擁護下の元にある事が前提であったのか。いや、これはすまなかったなぁ。確かにお前は、我の庇護がなければ愚鈍な能無しであったわ。功績だなんだと抜かしておるから、てっきりお前自身の力でどうにかするものかと思ったが、いやはやそんなわけはなかったなぁ、『ゼロ』のルイズよ」


的確にルイズの怒りを呷る挑発に、ルイズは容易く頭に血を昇らせる。

元より論争で、ルイズがギルガメッシュに勝てる道理はない。

たかが一介の学生である少女など、英雄王にかかれば口車に乗せるのはいかにも容易い。


「いいわ、やってやろうじゃない!!アンタの力なんて無くっても、私一人で功績を打ち立ててやるんだから!!」


ルイズがそう言わされるのに、さして時間はかからなかった。










時は過ぎゆき、舞台は数か月後の年末の季節へと移る。

冬の肌寒さを感じさせるウィンの月、第一週のマンの曜日。

アルビオン大陸が最もハルケギニアへと近づくこの日、遂にトリステインとゲルマニアの両国の同盟軍艦隊が、アルビオン侵攻のために出撃した。


空を埋め尽くす戦艦の群列。

参加隻数五百を数える両国の大軍勢が、アルビオンへと向けて飛翔する。


そしてこの同盟艦隊の旗艦たるのは、トリステインの大型戦艦『ヴェセルタール』号。

トリステインの所有する艦船としては最大規模の艦に、ルイズの姿はあった。


ギルガメッシュの姿は、ない。


「まもなく我が艦隊は、アルビオンにおける空路の要所、ロサイスへと侵攻します」


広い戦艦の通路の中、ルイズの隣を歩く四十過ぎほどの美髯の男が声をかける。

将官としての豪奢なマントをなびかせる男の名は、ド・ポワチェ。

トリステインより派遣された将軍であり、この同盟軍の総司令官の地位に立つ者である。


「精強と噂名高いアルビオン空軍。その防備を打ち破り、あの陸の拠点となる港を制圧する事こそ、今回の戦争の要と言える。この作戦、なんとしても成功させなくてはならない」


ド・ポワチェという男は、いわゆる名将といった類の人種ではない。

何か多大な功績を上げて出世したわけではなく、血筋の尊さと堅実な姿勢、あと少々の狡猾さで成り上がった人間。

よくて中の上といったところであり、決して常勝を成し遂げられる非凡な将軍ではない。

それでも今のトリステインには彼より優れた将軍がいないことも事実であり、同盟軍を任せられるのは彼の他にいなかったのだ。

その事実を、他ならぬド・ポワチェ自身が理解していた。


「頼みますぞ、ミス・ヴァリエール。あなたの持つ『虚無』の力に、この戦の成否がかかっておるのです」


将軍ともあろう者が、たかが一学生に対して随分と卑屈な態度を取る。

だが、いかに学生とはいえ、ルイズはアンリエッタ女王直属の女官。

ルイズにとっての上官とはあくまでアンリエッタ唯一人であり、彼女がド・ポワチェに従うのはアンリエッタの命令があってこそ。

権限にこそ大きな差があるが、立場だけを見るなら二人に上下などないのである。


そして何より、ルイズの持つ『虚無』の力はド・ポワチェにとって切り札だ。


彼は女王より、先の戦でのアルビオン艦隊の壊滅がルイズの手によるものだと知らされていた。

その際に、女王より『虚無』の力の効率的な運用を行えと命じられてもいる。

今回のロサイス攻略作戦も、ルイズの持つ『虚無』の力を前面に押し立ててのものである。

軍人として飛び抜けた才覚を持たないド・ポワチェは、敵にとっても全く未知である伝説の力を存分にアテにしていた。


「任せてください。ご期待には必ず応えてみせます」


そしてルイズも、そんな自分の待遇に満足していた。


「おお、なんと頼もしい。さすがは伝説の始祖の魔法。頼りにしておりますぞ、ミス・ゼロ」


かつては嘲笑の代名詞でもあった『ゼロ』という二つ名。

しかしそれも、今となっては自分の力を称えるものだ。


充実を感じる。

人から称えられるとは、こんなに気分の良いものなのか。

これより先、自分はこの程度ではない称賛を皆から浴びることになる。

それを思うと、ルイズは内に沸く興奮を抑えられなかった。


将軍が自分の事を道具として扱っているのは、何となく察している。

艦隊司令ともあろう者がこうして自分と共にいるのも、ちょっとしたご機嫌取りのつもりだろう。

だが、そこに文句を付けるつもりなど、ルイズには無い。

道具として扱っているというのなら、ルイズとて同じ。

この戦争そのものを、名誉を打ちたてる舞台として、ルイズは利用しようとしているのだから。


「ところで、戦闘が始まったら私はどこにいればよいのですか?さすがに艦上から魔法を使うのは、距離が離れ過ぎているのですが」


「御安心を。すでに我が軍より選りすぐりの竜騎士を選出しております。あなたの輸送は、彼が務めてくれます」


「彼、とは?」


「かのアルパイン家の嫡子、ルアガード子爵です。まだ若輩ではありますが、その素養は十分。アルビオンに寝返った『閃光』の後継と目されている人物です」


思わぬところでかつての婚約者の名が出て、ルイズは僅かに顔をしかめた。


「私も彼には目をかけていましてね。よろしければ紹介しましょう」


「では、ご厚意に甘えさせてもらいますわ」


申し出に頷き、ルイズはド・ポワチェと共に甲板上に出る。

百メイル近い大きさを誇る艦船の広い甲板には、何騎もの竜騎士の姿があり、相棒である己の竜と共にいる。


「ルアガード子爵の持つ火竜はひときわ見事でしてな。さあ、こちらに―――」


ド・ポワチェがそう言いかけた時、マントを付けた一人の貴族の青年がルイズ達の前に転がってくる。

甲板上を勢いよく転がって来たらしい青年は、見るからにボロボロになっており、白目を向いて気絶していた。


「ル、ルアガード子爵っ!?一体なにがあったのだ!?」


驚愕したド・ポワチェの声が聞こえてくる。

どうやら、この青年が件の竜騎士であったらしい。

言われて見ればなるほど、将軍が気に入りそうな精悍な顔立ちと身体作りをしている。

これで毅然と佇んでいれば、さぞや頼りがいのある姿だと思えただろう。

ただ、さすがに今の無様な姿には、そうした感情を抱く事は出来なかったが。


「大したことではない。少々の決闘騒ぎだ、司令官殿」


ド・ポワチェの疑問に答えるようにして、低く朗らかな声が響いてくる。

その声のした方へと、ルイズは振り向いた。


「彼はあなたの部下だったか。だとしたら、申し訳ない。受けた決闘を避けて通るは武人の恥と思い、申しだされた決闘にも承諾したが、どうやら相手の恥の上塗りであったらしい」


瞬間、ルイズの心臓が生まれてこの方覚えのない鼓動を感じた。


「決闘だと!?やったのは貴様か。趨勢を握る戦いを前に、何をふざけたことを!!」


「俺も忠告はしたのだが。相当に頭に血が昇っていたらしく、聞いてもらえなかった。・・・フム、やはり異性絡みの諍いは苦手だな」


視線の先にあったのは、倒れる男以上の精悍さを見せる一人の青年。

引き締められた衣服から覗かせる肉体の線は、無駄なく極限まで鍛え抜かれた戦士のそれ。

癖のある長い髪を後ろに撫でつけ、左目の下には一際目に尽く涙粒のような黒子がひとつ。

高い鼻梁と凛々しい眉の端整に構成された顔立ちは、男ならではの魅惑に溢れ、女ならば思わず見入らずにはいられない。


顔面を紅潮させ、現れた好青年に目を奪われるルイズ。

そんな乙女の視線を受けながら、青年は軽快な足取りで歩み寄ってくる。


「舐めた口を・・・っ。貴様、どこの者だっ!!」


激昂したド・ポワチェが青年を問いただす。

その怒気にも特に動じることなく、明快な口調で青年は答えた。


「ロマリアより義勇兵として参戦した、ディルムッド・オディナ。掲げる旗は異なるが、共に同じ戦場にて肩を並べることになる。以後見知り置き願おう、司令官殿」




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