『あれ、兄さん?』
『よっ』
『なに、ひょっとして、待っててくれたの?』
『まぁ、なんだ?日の落ちるのも早くなったし?一応お前も女だし?』
『なんだよ、一応は余計だろ』
『なによりあれだ、見た目からじゃ中身はわからないからな!上っ面にだまされる奴も居ないとも限らないし!!』
『………』
『あ、おい!冗談だって!お~い!!』
『ん?』
『なんだよ、そんな見え透いた手に引っかかる私じゃ』
『ちげ~って、今むこうのほうで』
『ん?資料館のほう?』
『そっか、そういやあっちは』
『どうしたの?』
『あれ、人目を気にしてたんだよな…、たぶん』
『え、なに?ひょっとして不審者とか?』
『…、ちょっとお前、戻って誰か呼んでこい』
『え?!、ちょっ?!』
『うわ、あの人おもっきし器物損壊だよ?!』
『うわ、何でお前いんの?!』
『そ、それより中入ってくよ、あの人!今度は不法侵入?』
『ちっ、いいからさっさと誰か呼んでこい!』
『何か捜してやがんのか?』
『ここ、なんか値打ちものってあったっけ?』
『うわ、何でお前いんの?!』
『うわ、大声出しちゃダメ~!』
『………』
『………』
『………、奥いったみたいだな』
『兄さん、これ』
『おう、サンキュ…?』
『あいつは?』
『いやいやまてまて、おま、何でこんなもんが』
『前の顧問の先生が居合いもやっててさ ダイジョブ、刃はついてないよ』
『それでもあぶね~だろ!、こんなもんそこらにほっぽってあるのかよ!』
『まさか、ちゃんと鍵かけてあるよ』
『じゃぁなんで…』
『鍵もってる』
『………』
『目当てのもん、見つけたみたいだな』
『兄さん、わたしが物陰伝いに近づくからタイミングを見て気を引いて』
『あいよ、ただし役割は交代だ』
『え?』
『あのな?俺おとこ、お前おんな ついでに俺が兄貴でお前妹、OK?』
『あ、もう!』
『動くなよ、声出すだけでいい 出来るだけ頭も引っ込めてろ』
『誰か~っ!!』
『な?!』
『もらいっ!チェストー!!』
 「あ~………」
 真っ青な空を流れていく雲をなんとなく見送る。
 「知らない天井ですらないとか………」
 力なくボソボソつぶやく誰かの声が、他ならぬ自分のものであることに気づくまでしばし。
 それにしてもいい天気だ………?
 「あれ………」
 妙な違和感を覚えるものの、頭にもやがかかったようにものを考えること、それ自体ががおぼつかない。
 上体を起こしてしばし。
 そもそもなんでこんなところで昼寝をしていたのだろうか?
 年頃の娘にあるまじき………。
 「おこられちゃう……… んしょ………」
 手に持った何かを杖代わりに立ち上がる。
 「ん………? なんだこれ………?」
 なんだこれ?ではない。
 見ればわかる。
 亡くなった先代の剣道部顧問が居合いの練習用にと置いていた練習用の刀。
 まだ誰もいない早朝などを使って教えてもらったこともある。
 あいつの孫に俺の剣を仕込むのも一興とか言って笑ってた。
 学園を去るときに譲られた二振りのひとつ。
 亡くなったときは悲しかった。
 みんな大好きだった老人の形見を独り占めするのと、祖父のライバルに師事したのがなんとなく後ろめたかったのがあって、武道館に併設されていた資料館に預けていた刀。
 フランチェスカ生え抜きの私は知ってる、編入組の兄さんは知らない………?
 「!!」
 ようやく、しかし一瞬で覚醒する。
 「兄さん?!」
 最後に眼にしたのは兄に驚いた不審者が取り落とした何か、皿のような円盤状のようなそれが割れる様。
 その何かからまばゆい光が溢れ出し………、いやあんなところにあるあんな物が、あんなふうに光りだすわけもなし。
 おそらく男がなにか隠し持っていたのだろう。
 光と音で人を昏倒させる武器があると云うし。
 そこまで考えて戦慄する。
 
 空の様子からして、どう少なく見ても半日かそれ以上不覚を取っていたことになる。
 そしてその場には敵がいた。
 膝から下がフニャりと崩れそうになる。
 すぐにでも下着の中を確かめたい衝動を抑えつつ、周囲を見回す。
 見渡す限り何もないそこは、敵が隠れる場所もなかったが、同時に身を隠せる場所もなく、さらには一人きりであるという事実までも押し付けてくる。
 「おちつけ、おちつけっ」
 口の中で音になる前に噛み殺しつつ、それでも呪文のように繰り返す。
 声を出したら、動き出したらたちまちパニックになる予感があったから、必死で手を、足を、心を押さえ込む。
 わけのわからない状況だからこそ、平常心だけでもなければ。
 「よし、おちついたっ!」
 太陽の位置から時間を知るなんて器用なことは出来ないが、まぁ、たいした時間はたっていないであろう。
 われながら強靭な精神力。
 「すごいぞ、わたし」
 太陽の位置から時間を知るなんて器用なことは出来ないが、携帯みればどれくらい経ったかはわかるな。
 「だめじゃん、わたし」
 そもそも最初に時間確認してなかったんだから、どれくらい経ったかなんてわからないよな。
 「だめだめじゃん、わたし」
 でも、今の時刻は判るよ!
 つまり結論………。
 「ぜんぜんおちついてなかった………」
 そもそも、真っ先に携帯に思い当たらないあたり、女子的にどうよ?
 いいもん、電話あんまり好きじゃないし、メールとかも好きじゃないし。
 
 嘆息しつつ内ポケットから携帯を取り出し、手首のスナップと指先だけで弾くようにして開く。
 「圏外………、予感はあったけど………?」
 時間と日付を確認して、パタンとたたむ。
 「………、こわれてる?」
 再度、先ほどのように手首のスナップと指先だけで弾いて開く。
 たとえ圏外で、オートの時間あわせが効かなかろうとそうそう時間がずれたりすることもないだろう。
 だが、表示される時間は校舎を出たときから換算しても二時間も経っていない。
 あの時はもう暗くなり始めていたのに、今はどう見ても昼間だ。
 学校で昏倒した私を拉致って、飛行機で昼間の地域まで高飛びし、どことも知れぬ荒野に置き去り。その間わずか二時間。
 「ありえないし………」
 カメラやプレイヤーは起動するのを確認し、なんとなく腑に落ちないものを感じながらもポケットに戻す。
 立ち上がり、再度周囲を見回す。なにか、行動の指針となるような変化はないか?
 ふと、右足のかかとに何かが触れた。
 見るとそこには見慣れたカバン。制服に合わせた青いナップザックタイプのそれは、自分のもので間違いあるまい。
 こんな物にすら気づかないでいたとは。
 拾い上げ、中からベレータイプの制帽を取り出す。
 暗い資料館の中で落とさないように突っ込んでおいたものだが、幸い型崩れはしてない。
 ついでに鏡も取り出して帽子の角度を決める。
 長い習慣であるから、特に見なくてもそれなりに決まるのだが、そこはそれ。
 「ん、よし」
 鏡をカバンにもど………すのをやめ、しばし。
 きょろきょろと辺りを見回す。
 カバンを地面におきそこに鏡を立てかける。
 しばしの逡巡の後………。 
 「なにしてるかな………野外でとか………」
 結論から言えば「証」は無事だったのだが。
 小さなカバンの陰に身を縮こまらせるように隠れ、いや、多分ぜんぜん隠れてはいなかったろうが。
 おそるおそる確かめて、それと判ったときには安堵のあまりちょっと泣いた。
 そして涙がおさまると一転、妙にテンションが上がり、遠くに何かが見えた気がしたのを良いことに意気揚々と歩き出してしまった。
 いろいろありすぎて、やはりちょっとテンパっていたのだろうか?
 屋外で「くぱぁ」とか、ありえん。
 けして軽くなかった不安がひとつ解消されたとはいえ、ちょっといろいろ、いろいろすぎやしないか?
 などと考えつつも足は前へ。
 本人に自覚はないものの、こんなふうにうじうじ自省できるのはまさにその「けして軽くなかった不安がひとつ解消された」ことにより、心の天秤がすこしづつ平衡を取り戻しつつあるためではあるのだが、だからといって「くぱぁ」した事実は消えない。
 もし見られてたら恥死できる。
 そんなこんなをつらつらと考えつつ。
 どうやら何か見えたのは気のせいでもなかったらしい。
 道というにもお粗末な、せいぜいが荒野に残った轍の跡が消えずに残っている程度のものではあるが、それでも何かが行き来してはいるのだろう。
 そんな道が右から左へ、あるいは左から右へ。
 太陽は道の向こう、やや高くなってきていて、まもなく正午といったところだろうか?
 携帯を確認しても相変わらず圏外、時刻はまもなく午後九時半。
 「さて………」
 どちらに進もうか。
 地理がつかめない以上勘に頼るしかないわけだが。
 「先生、おねがいします!」
 訂正、どうやら師の英霊に頼るらしい。
 鞘に納まった刀を垂直に立て、そっと手を離す。
 よほどバランスが良かったのか、しばし静止、固唾を呑んで見守る。
 ごくり。
 かちゃん、と音をたて、師の英霊が導く。
 太陽に向かって突き進め!!
 「いやいや、それは無しの方向で!道なりに北か南でお願いしますって」
 なんじゃ、つまらん。
 二度目の「かちゃん」は微妙に投げやりな響きがあったような無いような。
 
 「分けわかんないなら、わかんないなりに………」
 考えることが大事だよね、と。
 なにがどう判らないのか、それをも考えずにいれば、いざヒントがあっても気づかないかもしれないし、うん。
 やはり、最大の疑問はなんでこんなところにいるのか?だろうか。
 ストレートに考えれば盗賊に攫われたのだろうが、そもそも攫う理由は?
 顔を見られたと思ったか? 兄に対する脅迫?
 いくら名門私立とはいえ、あの資料館の展示物などたかが知れている。
 しかし誘拐となれば官憲の追及も違ってくるだろう。
 そのリスクを加味してもなお、私を攫うメリットなどあるのだろうか。
 これがそもそも名門の子女を攫うのが目的だったとして、ならなんでこんなところで捨てられた?
 「う~ん、私が可愛かったから、つい持ってきちゃった、とか?」
 言ってみたかっただけです。
 「で、途中で重くなって捨てた、と」
 なんだとう!
 傍で見ている人がいればなかなかに愉快な見ものだったろう。
 「あ~………」
 そもそも、なぜ誘拐犯は刀を取り上げなかったのか。
 刃のついてない練習用とはいえ、殴れば骨ぐらいパキパキである。
 さらにナップザックのこともある。
 動きの邪魔にならないよう、いざとなれば牽制代わりに蹴り飛ばしてぶつけてやろうと思って足元に置いていたそれまで拾って持ってくる理由はなんだ?
 そして結局は、なぜそこまでして攫ったのにこんなところで捨てるのか? という最初の疑問に帰っていくのだった。
 だがここはひとつ、無理やりにでも状況を説明できる設定を考えてみよう!
 「まずは………」
 いきなりこわい考えになってしまった。
 フィクションでもやや食傷気味になってきたデスゲーム系のやつとか、マンハントとかの獲物にされているパターンだ。
 なにが怖いって、考え付く疑問の全てにそれなりに説得力のある説明が出来そうなところだ。
 気絶してる間にたべられなかったことも、持ち物が全てそろってることも、『獲物は生きがいいほうが楽しめるから』で、説明できてしまわないか?
 「やめ、これは無し、ダメ、ぜったい」
 気を取り直してパターンそのに。
 「謎の光に包まれて、気づいた先は見知らぬ荒野。これはもう、伝説の勇者として異世界に召還されたとしか!!」
 おい。
 「あとはもう、夢オチくらいしかないよね」
 ほんとかよ。
 「夢だったら、まぁ眼が覚めるまですることもないし?目覚めたあとで今のこと覚えてるとも限らないし。」
 こうして
 「と、ゆーわけで! ここからは伝説の勇者として活動していきたいと思います!!」
 当面の行動指針(?)が決まった。
 決まってしまった。
  
 だがまぁ、無理やり上げたテンションも、てくてく歩いてるうちに醒めてくるもので。
 「う~、こういうのって普通巫女さんとか僧侶とか王子様とか魔法使いとか、あと王子様とかが説明キャラとして出てくるものじゃないの?」
 失礼、まだ酔っ払っていたらしい。
 「召還即野垂れ死にのコンボから始まる物語なんていやすぎる」
 そこから始まってしまったりするとホラー一直線だ、いさぎよく終わっとけ。
 「そろそろ始まりの街が見えてくるべき」
 右手で庇を作るようにして、ついでにちょっと背伸びもしながら行方をみる。
 すると、何かが見えた気がした。
 少し足を速め、ときどきぴょんぴょん跳ねてみたりしながらその「なにか」に目を凝らす。
 どうやら何か動くものが居るらしい。
 頭の隅にちらっと「パターンそのいち」がちらつく。
 だが、ここは身を隠すものもない荒野。
 相手が乗り物に乗ってたら逃げ切ることは出来まい。
 ここは………。
 「覚悟を決めるべき………」
 ザックの背負い方を変え、いつでも投げ捨てられるように右肩に背負いなおす。
 そうしてるうちに影は人の型を取り始める。二人、それも年端も行かない少女のようだ。
 刻一刻と得られる情報が増えていく。
 徒歩、ではなく走っている。
 走っているのではなく追われている、逃げている。
 追っ手は三人、こちらも徒歩。いずれも男。
 「パターンそのいちなら、女の子達は私と同じ被害者で追っ手は敵だ」
 早足から小走りに。
 「パターンそのになら、女の子を助けるべきだよね、勇者的には」
 小走りから本格的に走り出す。
 「夢オチなら、楽しいほうを選ばなきゃ損だ!」
 そして全力疾走へ。
 自分でも意外なほどに体が軽い。
 風になったような速度から、天井知らずに早く速く!
 すでに少女たちの表情まで見て取れる。
 亜麻色のショートヘアーの少女が銀髪のツインテールの子の手を引くようにして走ってくる。
 どれほど走り続けてきたのだろうか、苦悶にゆがんだその顔がこちらを向き、視線が交わった。
 そこに浮かんだのは絶望。
 挟み撃ちに、罠にかけられたとでもおもったか?
 「ちがう、あれは………!」
 こっちに逃げてきてしまったせいで、私も巻き込んでしまった、もう逃げられないと………。
 にげて、と口元が動くのが見えた気がした。
 「なんて優しい子」
 おもわず笑みがこぼれる。
 カバンを投げ捨て最後の距離を走りぬく。
 3………2………1………0で少女たちとすれ違う。
 後ろの男たちはいつの間にか足を緩めていた。
 そもそも体力もコンパスもちがう少女たちをなぶって楽しんでいたのだろう。
 それでも少々息が荒れているあたりがいかにも雑魚っぽい。
 無力な少女を駆り立て、追い立て、弱った獲物を取り押さえ、いざお楽しみというところで、そこに新たな獲物が飛び込んできた。
 そんな下種な考えが透けて見える。
 垢じみた不潔な身なり、抜き身でぶら下げた刀は見るからになまくらで、錆が浮いている。
 こんな奴らが口にする台詞なんてお決まりのものに決まってる。
 「よぉ、ねぇちゃん、痛い目みたくなきゃぁおとなしく………」
 ほらね?
 だからこういう時こそアレをやるチャンスなのだ!
  
 「黙れッ!! そして聞けッ!!」
 少女の口から出たとは思えぬ大喝が野盗どもの臓腑を射すくめる。
 両の眼に苛烈な怒りを滾らせ、少女はこの世界に堂々たる名乗りを上げる。
  
 「わが名は北郷! 北郷ふたば!! 悪を断つ剣なり!!!」