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[25472] 『自由帝国の王』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:5acfeff4
Date: 2014/07/25 21:58
 内政とか転生とかチートとか。

 あと勘違い系がもりもり。

 かっとなってやった。反省はしていない。



[25472] 第一話 『自由帝国アフェバイラ』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:5acfeff4
Date: 2014/07/25 21:57
 なんだこれは――。



 まだ朝日の差しきらぬ、わずかに赤く染まった平原に、蠢き轟くは人の群れ。
 その全ての者が、重厚な装備に身を包むか、逆にあらゆる無駄をそぎ落とした最低限の荷物のみを持ち、控えている。
 ある者は作戦の確認の為に地図を開き、ある者は装備の確認を怠らず、またある者は目を瞑りひたすらに体力の浪費を抑えている。

 その光景を始めてみたグニラダは、一瞬でも気を抜けば自分が肉体ごと飲み込まれそうになり、震えるものを抑えることが出来ずに居た。
 
 方向性は違っていても、彼ら、そしてあるいは彼女らのそれは、これからの激戦を、いかに勝利の雄叫びをもって迎えるかだけを目的としていることを如実に語っている。

 話には、聞いていた。
 事前知識も確かにあった。
 だから、いまこの眼前に広がっているソレは、予想されたものであったはずだった。

 だが、どこかで、彼はそれを「ありえない」と軽んじていたのだ。
 その結果、彼は目の前の現実を「ありえない」と驚愕することになる。


「何万――いや、何十万人いるのだ!?」

「約20万ほどですな、グニラダ大使殿」


 思わず口に出してしまったグニラダの悲鳴のような疑問に、すぐ横から低く落ち着いた声で、その答えが示される。


「20万……ですか。そして、それすらも一部だと?ザックバン殿」

「然り」


 グニラダの再度の問いかけに頷くのは、アフェバイラ帝国の第四歩兵騎士団の副団長である、ザックバン。
 彼は今、海を越えた隣国からの大使、グニラダの案内を努めている。

 武官としても文官としても優秀な彼は、護衛として、そしてグニラダの質問に答えるだけの知力を遺憾なく発揮し、さらに無骨ながらも礼節に満ちたその佇まいには、グニラダも好感を抱かずには居られなかった。
 その彼が言う言葉だ。
 誇張も見えも無く真実のみがあることを、もはやグニラダは認めざるを得ない。

 事実、彼らがいる平原の監視塔から見える光景は、その数字が真実であることを裏付けるものでしかない。


「全体の数を聞いてもよろしいか?」

「現在、神殿を挟み反対側の平原においても、ほぼ同数が待機しております。また、神殿内部には15万が、これからの聖戦に向けての供給物資の準備を行っております」


 くらり、と気を失いそうな数字が、グニラダの耳に届く。


「そして全てを三日間で決着させる、と?」

「そうです。全ては繰り返されてきたこと。我らはこの度の聖戦においても、必ずや輝かしい戦果を挙げ、喜びを分かち合うことでしょう」


 ザックバンは、この男にしては珍しく強く感情のこもった瞳で、平原のツワモノ達を見つめ、誇らしげに言った。

 聖戦――彼らの言うそれが、決して「聖なるもの」ではないことは、『彼ら自身』も当然分かっているだろう。
 その戦いの先にあるのは、栄光、欲望、自己満足――そういった、『俗』と言われるものたちの塊だ。

 だが、だからこそ彼らはそれを尊ぶ。

 国家ですらそれを認め、そして保障する
 
 それが故に、アフェバイラ帝国は、様々な詐称で世界中の人々から呼ばれることになる。
 
 曰く――最後の楽園、蛮族集落国、混沌の夜明け等々。
 その中でも、より多くから呼ばれる名が二つ。


 一つは、『堕落帝国』。

 大陸全土に広がっている『フェリス教』の総本山、『フェリス法国』が、公式にアフェバイラに対し使用する名前である。
 そしてそれは、必然的にフェリス教に信心深い者達も使うことを意味し、一部を除きフェリス教の影響の強い、大陸の西側六割に住まうものたちは、この名を呼んでいる。
 アフェバイラという国名を使わない。すなわち、国家としてフェリスの民は認めない、という意思表示でもあった。

 そして、もう一つが――


「これが――自由帝国の力、か」


 グニラダの呟きは、非常に小さく、隣に居るザックバンにも届かず、明け方の冷たい空気に溶ける。

 アフェバイラ帝国――通称『自由帝国アフェバイラ』

 国王であり教王として君臨するたった一人の帝王の支配下にありながら、『自由』の名が掲げられるアフェバイラ。
 発端は大陸の中心より、北北東に位置する小さな国だった。

 フェリスの認める「神に許された亜人」である四腕族。同時に長命種としても有名な彼らが主として治める国の第三王子。
 彼の起こしてきた数々の奇跡とも言うべき手腕は、枚挙に暇が無く、その伝説的なエピソードは虚実含めて溢れかえっている。
 そして、僅か200年の間に、国を、文化を、世界を、そして常識を変え続け、ついには彼を君主とするこの『アフェバイラ』を建国するに至る。
 その知性はすさまじく、のちのち多くの賢者達が讃えていった。
 帝王没後、とある高名な歴史研究家によって書かれた研究書には、こう書き記されている。


「最終的に大陸全土を支配下に置いた、自由帝国。その初代帝王は、確かにあらゆる分野において数々の驚くべき功績を残した。
 しかしながら、彼の持った「力」を別としてそれらの多くは、決して天才的な知能が必要なものではなく、むしろ、そうでないもの達にこそ理解が可能な、発想の転換や発見であった。
 その一つ一つは、単なる小者のちょっとした思い付きに近いものであったり、荒唐無稽な願望なのである。
 だが――彼の脅威は、それを月に一度、多いときには週に三度と生み出していくことである。
 人知を超えるまでの、柔軟な思考力と発想力。
 それは、今の我々の用いている様々な道具や概念、社会システムのほとんどが、彼の発案が元になっている事実からも、疑うものではない。
 その知性は、彼の持つ『あの力』と比べても、決して劣るものではないと、私はここに我が名をかけて結論付けるものである」


 そんな彼の思考は常人の理解を超えていても、誰しもその信念だけ解っていた。
 そしてそれは、国民の共通の理念としても根付いている。


 「我々は、自由を愛し、その自由を守るために努力を惜しまぬことを、自らの責任とする」


 それだけであった。

 全ての自由が許される――ということではない。
 当然、法があり、社会を正常に保つための規約はあり、税などの義務があり、労働という束縛を持つ。
 人を害すことを、許しはしない。
 だが、心を束縛しない。考え方を束縛しない。すなわち――価値観を束縛しない。

 その結果、どうなったか――。

 50年で数世紀分の発展を起こしたといわれる文化革命、産業革命。そして、意識革命。
 さらにはフェリス教により「悪」と断罪され、大陸の端へと追いやられていた様々な土着宗教や、精霊信仰の民から熱烈な支持を受け、さらには交流の遮断が当然とされた、いわゆる『神に見放されたモノ』と言われる亜人の集落すらも、なんら躊躇い無く講和を結んでいき、大陸北東を統治するのにやはり50年。
 アフェバイラ帝国の建国、そして首都『アフェバイラ』を中心とした内政により社会を整えるのにさらに50年。

 その最後の50年間において、建国一年目にフェリス教より正式な「交流」として、まずは帝国建国の祝福と賛辞があり――
 フェリスを国教とする法の整備と財務義務、そして『禁忌』に該当する亜人からの財産没収と隷属化、没収した財産を浄財という名の寄付、『使徒軍』への参加義務等々――。
 実質上の、フェリスへ教の属教にして属国化の要請――命令があった。
 しかしながら、これは当時の大陸における「国」の常識でもあった。
 どこの国をしても、全ての条件を飲むのではないにしろ、ある程度それを受け入れるしかない。
 教団の意向に反して、争いになること――それ自体は、対抗するだけの軍備を持てば良い。

 だが、各国の統治者が恐れたのは、「異端者」、そしてさらには「神敵者」に認定されることである。
 「異端」とは、『神に見放された者たち』と同種とされ、神の加護を失ったことを意味する。

 多くの場合は、「敵」はこちらに認定される。

 そして「神敵者」――それは、異端ですら生ぬるく、神に敵対し世界を貶めようとする「世界の敵」だ。

 教団が組織され「法国」建設後800年の歴史において、これに認定されたものは、二名しか居ない。
 そして、神敵者に認定された者、それをかくまったもの、「石を投げなかった」者は、直接間接問わず、一族郎党『浄化』――拷問と火あぶりとされることになった。
 その数、およそ数千とも数万とも言われている。

 『使徒軍』そのものは、強大ではあっても決して太刀打ちできないわけではない。
 だが、たとえ「異端」であれ認定された場合、いかなる権力者も、基本的にフェリスの信徒である民達から支持を受けることは難しくなり、軍の士気も落ち、さらにはこれ幸いと別の権力者が「フェリスの敵を討つ!」と大義名分をもって攻め込んでくる。
 何より、「神に見放される」こと――

 それが何よりも恐ろしいのだ。

 冷静で現実的な者たちは、「神敵」は別にしても「異端認定」が肥沃し権力争いと悦楽に溺れた司祭達の、欲によってなされた脅迫であり恫喝であることは、理解している。
 ただ、多くの民はそうではないし、やはり「神に見放された者」とされることは、禁忌を感じずに入られなかったのだ。
 だからこそ、国教化は最低限の前提として、ある国では金で、ある国では物資で、ある国では人で(それは軍であり、女であり、小姓であった)でそれを賄ってきたのだ。


 だが、帝王は――


「全てを拒否する」


 僅かな迷いもなく、教団からの使者にそう返した。


「我が国は自由を愛する国。よって、国教というものは必要が無い。それは民達個人が自らの意思で選ぶものだ。我らは全ての神の存在を認めるが故、フェリスの布教、そして活動も自由である。我が国の法を厳守した上で、自由に行ってよいと認めよう。財務については、それが国家間の『協力嘆願』としてならば、善意と友好の証として『援助』することは検討する。亜人については論外だ。我々の建国、そして社会は貴方達の言う『神に見放された者』たちの協力、そして今までの尊い犠牲、そして善意によって成り立っている。我が国が公表した『変えざるべき理念』にもなんら差別を行わないことは宣言されていることだ。知らぬとは言わせん。使徒軍?我が国は国民皆兵制度だぞ?これも国家間の協力嘆願なら、状況によって検討しよう」


 要約すれば、「ちゃんとうちのルール守るつもりがあるなら、活動しても良いよ。別にアンタの家来じゃないんだから命令は聞かないけど、お願いなら検討するよ」である。

 言ってることは、極めてまっとうなことだった。
 何しろ、フェリスにしても建前上は「対等の関係」を求めて「善意からの友好」のものであるからだ。
 でなければ、僅かとはいえ冒頭で祝福と賛美を行ったりはしない。
 今までずっと、暗黙の了解を使って脅迫をし続け、それが当然のことだと思い込んでいただけだ。
 だが、明確に拒否されたとき、彼らは激高した。
 それが、今までの「対等な関係」が「善意」「友好」が、所詮は建前であると自ら認めたことに気づくことなく。

 何度かの「異端認定」をちらつかした交渉――脅迫は、彼らの怒りの強さがホンモノであること示しており、且つ、「異端」をちらつかせるだけで尻尾を振るだろう、という甘い目論見であることも確かだった。
 だが、帝王はその全てを無視した。「好きにすれば良い」と。
 続けて、爆弾発言がなされる。


「問おう。『異端認定』するのは、フェリスか?人か?」


 その問いかけに、フェリスの使者は答えることが出来なかった。
 異端認定――それは、法王によって為されている。
 彼は確かにフェリスの最高権力者であり、同時に信仰から敬われる存在だが――人なのだ。
 開祖であるフェリスは例外として、その他の「神に祝福された者」「神に許された亜人」たちは、須らく神の子であり、人である。
 教団の聖典に、明確に書かれた事実だった。

 だから、使者は答えられなかった。

 「異端」とは、そもそもとして聖典には存在しておらず、あくまでもフェリスが布教のため、反発者を処断するために創り出したものなのだから。

 フェリスと答えれば、それは聖典に背く。
 人と答えるなら、そもそもとして「異端」が単なる政治的な決め事でしかないと認めることになるからだ。

 そしてこのエピソードは、瞬く間にアフェバイラ、そして周辺国家に広まることになる。
 それは、教団に直接属さない多くのフェリス教徒たちの、アフェバイラと帝王の支持へと繋がった。
 「最後の踏ん切り」といえば良いのだろうか。
 アフェバイラの大いなる治世と、帝王の魅力に惹かれながら、教団ではなく(教団の腐敗はそれなりに認知されていた)フェリスの神への純然たる信仰から、「異端」にされる恐怖を持っていた者たちが、国内にも周辺国家にも多数居たからである。

 その後、ついに痺れを切らした教団が正式に異端認定し、何度か教団からの軍事的侵攻が行われたが――
 その全てが、アフェバイラ軍の圧勝で終わった。

 大きな被害を受けたフェリスの使徒軍は、戦闘行為こそ自重し始めたものの、アフェバイラを「堕落国家」として呼ぶようになり、国交を断絶。
 その結果、大陸中央にある山脈を挟み、西と北東を分断した対立関係が起こった。

 南東部の諸国連合は、フェリスに敵視される踏ん切りもつかず、かといってアフェバイラより得られる様々なメリットを捨てきれず、うまくフェリスにのらりくらりと結論の引き伸ばしを行いながら、アフェバイラとの国交を結んでいる。
 この関係は、実のところフェリスにしてもアフェバイラにしても、利点があった。

 宗教と国家、そしてもうひとつの最大勢力――商人だ。

 かれらは、思想も信仰も超えて、信頼と金を支持する者たちだ。
 だからこそ、アフェバイラもフェリスも関係なく取引を行う。
 彼らの存在により、アフェバイラ→アフェバイラ族国、大陸南東部の国→フェリス法国、大陸西方部フェリス属国。そしてその逆の流通が発生したのだから。

 とまれ、そうといえども新たにどちらかに付こうとする国は発生し――今回のグニラダのように、時には海を越えた隣国より視察を申し込む国も増えていく。

 こうして瞬く間に、大陸最大規模の国家、そして唯一のフェリス教の支配から離れた国家が生まれたのである。
 面白いことを一つ記すなら、アフェバイラはフェリス教より断罪されながら――国内では、フェリス教の教会、そしてそれを統治する組織があることだろう。

『自由帝国』は、すべての価値観を、確かに許容するとの宣言のとおりに。



[25472] 第二話 『聖戦の始まり』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:5acfeff4
Date: 2014/07/25 21:59
「……」

「やはり、驚かれましたかな、グニラダ大使殿」

「いえ、いや、ええと…………そうだな、確かに、驚くべきことだ」」


 はっと思考の海に迷い込んでいたグニラダは我に返り、だが、指先がおぼつかないように小刻みに震えることを、彼は隠すことも出来ない。
 それでも、強く拳を握り締め、一瞬だけ唇をかんで、すぐに狼狽した精神を落ち着かせた胆力は、大使として選ばれただけのことはあったのだろう。
 虚勢をはるでもなく、驚愕した事実を受け止め肯定し、だが、萎縮を良しとせず『対等』であることを誇示する大使を見て、ザックバンは僅かながら口元の髭を動かした。
 やはり、この大使は聡く、そして中々の人だと。

 グニラダは、改めて塔から見える平原を一望した後、ザックバンに向き直り、


「人数の多さもさることながら、何より驚いたのは亜人の――ああ、すまない、この国では全て『人』であったな。『人間種』以外の種族の多さだ」


 彼の言うとおり、平原には多くの亜人種が混ざっている。
 否、3割もいるのなら、混ざる、という言い方のほうがおかしいのかもしれない。
 
 アフェバイラの租となる、帝王の生まれの国は確かに四腕族中心ではあったが、もともと人間種に比べて数が少ない。
 というより、大陸においては人間種が圧倒的な数を持っているのだ。
 その人口比のまま国を拡張し大国になったため、アフェバイラにおいても四腕族は5%ほどだという。
 実際、ザックバンは人間である。

 だが、それはいい。四腕族は「神に許された者」である亜人であるため、人間種と同じ扱いを受けている。

 しかし――


「ちょっと見ただけでも、馬人族、竜蛇族、土小人族、あの小さいのは……妖精族か?豚鼻族、牛角族……まて、伝説といわれた魔鬼族と天翼族が隣り合って檄を飛ばしているのは、私の見間違いだろうか?」

「いえ、そう見えたのなら、おそらくは下位歩兵団の団長の二人でしょう。魔鬼族のデラーモと、天翼族のサミールが、今こちらで指揮を執っているはずです」

「……魔鬼族と天翼族が貴国に属していることも驚きだが……その二種族は天敵同士であると思っていたのだが?」

「そうですね、120年前までは種族間で敵対……とは言わずとも、お互いを軽視しあっていたと聞いております。しかし、彼らもまた『帝王』の力、そして在り方に惹かれ、そして共に協力し建国に尽くしてくれました。少なからず、それぞれの族には心の中で相手憎し、とする者もいるでしょう。それは、我らは自由の名の下に制しません。ただ、どちらも同じ『人』とする環境だけを用意した結果――時間をかけて多くのものが相互の理解に至ったのです。もともと、帝王のお力に惹かれ、そしてアフェバイラを愛する者たちですから、私達はそれは必然の結果であったと信じております」

「その結果が、あの発展、ですか」

「然り」


 アフェバイラの力は、人間種の身体能力を大きく上回る亜人種たちの協力、さらには人間種が長年培った『戦略』が組み合わさったことによる軍力。
 そして様々な技術と社会システムによる産業力である。

 人間種では行えない血統魔法や、海底や火山口にある鉱石や動植物の採取。秘伝とされる工法。
 それらが惜しみなく種族間に提供されたとき、技術の革命が起こった。

 さらに、帝王の「発想」が絡み合い、生まれたものは全ての生活を激変させるような、機械といわれる技術の仕組みに、多種にわたるマジックアイテムの数々。
 創り出されたそれらの輸出による莫大な利益。それはアフェバイラの発展に拍車をかけることになる。

 だが、それは決して一方的ではなく、必要な物資、食料、特産品、観光等、輸入と娯楽によって相手国にも大きく返還された。

 よどみない流通が、近隣国家との関係を維持し、さらにお互いの依存度を高めあう。
 もはや、いかにフェリスが口を出そうとも、そう簡単にアフェバイラとの関係を切ることはできない。
 なにせ、品物を手に入れても、その仕組みがよく解らないのだ。亜人たちの長年の秘伝を、長年研究するならともかく、僅かな間で見抜くことなど、まず無理だ。
 技術を盗もうとしても、アフェバイラを愛する彼らはそうそうとその秘密を漏らすことはないし、たとえその仕組みや技術を手に入れたとして、量産するには彼ら亜人たちの協力が必要不可欠なのである。
 そして、その亜人たちの多くが「神に見放された者たち」なのだ。


 彼らに国内で量産できるだけの協力をしてもらうには、国家全体で彼らを受け入れる意思を示さなければならない。

 イコール、フェリスに正式に敵対することになる。

 軍事力で使徒軍に負け、さらに国民の意識もフェリスへの依存がある彼ら小国に、そんな愚挙は出来ない。
 もしフェリスとの関係(あくまで教団としてであり、宗教を捨てるわけではないが)を切るのだったら、初めからアフェバイラの属国になったほうが、遥かにマシだ。
 彼らは「自由」の名の下に、多くの国の自治権を認めた上での属国化を行っている。
 
 もちろん献上すべき金銭物資は必要だが、他国のそれを見る限り、決してひどいものではなく、むしろ勝者による蹂躙が珍しくないこの時代においては良心的であるとすらいえる。
 また、「自国の民」「同士」への攻撃を、彼らは許さない。
 
 自ら攻撃を仕掛けることはないが、怒らせたのなら烈火となって敵を蹂躙するだろう。フェリスから間違いなく守ってくれるのだ。
 なにより、彼らの支援によるインフラ整備や技術流通による恩得は計り知れない。


 結論として言えば――属国化は、物理的なメリットだらけなのだ。
 あるのはフェリス信仰と、属国化するというプライドの問題だけ。


 アフェバイラは結論を迫らない。この関係を続けていくのも悪くは無い。
 だが、フェリスはおとなしくしているが、いつ決断を迫ってくるか解らない。
 決断を迫られ、その後選択する時間があるなら良いが、アフェバイラと縁を切らなければ即異端、そして戦争、となる可能性も大きいのだ。

 決断の日はそう遠くない。

 その最後の一押しを求めて、グニラダは万感の思いで大使としての視察を行っているのである。
 自分の国そのものがかかった視察だ。責任が想いどころではない。
 国、そして多くの民の人生がかかっているのである。


 だが、もはや考えるまでもなさそうだ。

 実はグニラダの驚愕は、もう一つ存在している。

 それは、今ここに居る数十万の錬度の高さだ。

 意思疎通の難しいとされる竜蛇属や牛角族へ、人間種の歩兵団長が雄叫びと手によるサインを駆使しての命令伝達をしていれば、プライドの高い馬人属や竜蛇属に対して怯むことなく檄を飛ばしているのは、亜人の中でも軽視されるという豚鼻属の若者。だが、彼らは何一つ不満を言わずに従い、ただ聖戦に向けてその気合を高めていた。
 それはすなわち、少なくともこの場において、全ての種族が対等であり、また命令系統が厳守されていることを意味している。
 そして彼らは、そして彼女らは、それを受け入れているのだ。
 聞けば、先ほどの魔鬼族と天翼族は夫婦だというから驚きだ。

 さらに、ここに居る半数以上は、常備軍ではないのだ。
 だが、聖戦に志願し、常備軍に勝るとも劣らない行進や気合はどうだ。彼らを正規軍としても、誰も疑問を抱かないに違いない。


「騎兵隊、今から数百人追加だ。人員の整備に向かえ」

「っは!」

「ドラグーン隊、予定通り空からの監視に付け。時間が押している、急げ!」

「AGYAAAA!」


 指揮しているのは、さすがに正規軍だが、そんな彼らが急にあわただしく動き始めた。
 そんな気配を、平原で待機する猛者たちも敏感に感じ取ったのか、一瞬ざわめきが大きくなり――そして止む。
 ここで余計な音を立て、指揮官達からの命令や合図を聞き逃し見逃す愚かさを、彼らは誰よりも強く理解しているのだ。


「これは……」

「ふむ、時間のようですな。間もなく、帝王よりお言葉があり――そして、聖女から聖戦の合図が為されます」


 グニラダは、塔の窓に、ふらふらと近づいていく。
 なるほど、数十万の猛者は、全員が直立不動で、そのときを今かと待ち構えて、神殿の頭上を見上げている。
 これほどまでに人が、僅かな乱れも見せず同じ姿勢をとっているのは、壮観ですらあった。

 彼らの視線をなんとなく追うように、グニラダも塔から神殿へと目を向けると、魔法のものであると思われる白煙が立ち上った。
 そして、どこからか大規模な魔法の光――集団での儀式魔法と思ったが、後ほどアフェバイラの開発したマジックアイテムによるものと知った――が当てられて、


「こ、これは……あの方が……」

「帝王です。お静かに」


 白煙に映し出されたのは、長命とはいえ一代による僅か百数十年で大陸のおおよそ四割を支配した、アフェバイラの王。
 その「力」、そしてその「人柄」によって種族を超えて民に愛され支持される、帝王にして、自由であることを理念とし新たな世界のあり方を導く教王。
 四本の手の一つに『聖典』を携え、彼は精悍な顔で白煙に映し出された。



「帝王!帝王!」

「我らがアフェバイラ帝国の王!」

「同志の長よ!」

「GYA!GYAI!IA!IA!]

「偉大なる賢王!」

「ていおーさまー!」

「貴方のお力の恩得を我らに!」

「アフェバイラに自由あれ!」

「アフェバイラを愛する全ての種族に幸あれ!」




 怒号ともいえる歓声が、平原と神殿、さらに神殿をはさんだ反対側からも聞こえてきた。
 この声、アフェバイラ全土に届けとばかりに、帝王に我が心は貴方と共にと見せるように、彼の持つものと同じ『聖典』を振り上げる。

 その圧倒的な支持にグニラダは目を離せない。
 これが、これが帝王か、と。

 帝王が、その声援に応えるように、聖典を持たない側の手を『二本』上げると、僅かな間もなく全ての民がその声を止め、あたりは静けさだけがあった。


「私が愛するアフェバイラの民よ。我がアフェバイラを愛する全ての者よ。そして自由を愛する者たちよ。君達がこの聖戦に集まってくれたことに、私は感動を抑えることが出来ない。
 今この場には、人間族、私と同じ四腕族はもとより、幾多の種族が集まっている。
 これは、今の我らには当たり前のことだが――同時に、君達と、君達の祖先たちの努力によって為しえてきた結果であり、奇跡的な光景でもある」


 静まり返った平原に、僅かに音が漏れる。
 それは、震え伝わる涙を抑えようとするものであり、あるものが力強く拳を握った音であった。


「これから行われる聖戦は、その集大成である。例えこの場に居なくとも、遠方より心をはせる同志達がいることだろう。力及ばずこの地にこれなかったものが居るだろう。もちろん、聖戦を軽視するものも、または拒否するものも居るだろう。――だが、それすらも自由である。我らは自らの中に収める限り、またはそれを同志と共に共有する限り、全ての考え方の自由を認めるのだから。だからこそ、その自由なればこそ、この聖戦は意味と価値を我らに与えるのだ」


 一呼吸おいて


「この戦いで、幾多の勝者と敗者が生まれるだろう。戦果を上げられないものもいれば、栄光をつかむものもいるだろう。
 だが諸君、私は願う。君達全てが勝者となることを。それが不可能であることは承知の上で、願う。
 そして何より――全ての民が無事に戻ることを渇望する。聖戦は、此度で終わりではない。次なる戦いの準備は、この戦いの直後から始まるといっても過言ではないのだから」


 そして、帝王は聖典を掲げる。


「これより、聖女クギュミルの合図をもって、聖戦の開始となる。心せよ。……君達の奮闘を期待する。――我ら、アフェバイラの自由と共に」



『我ら、アフェバイラの自由と共に!』




 一糸乱れぬ唱和。



 なんというカリスマ。そして、民の士気。
 これは、ただの帝王からの言葉の拝聴どころではない。

 儀式だ。
 崇高なる儀式だと、グニラダは身震いする。


 その興奮冷めやらぬ中、「聖女」は現れた。
 純白の衣装に身を包んだ、美しくも気高さを感じさせる、一人の少女。

 帝王のときに匹敵する歓声。
 そしてまた同じように、すぐさまの静寂―― 


「この地に集まる、全ての愛すべき自由の戦士に、我は宣言します――」










間。











間。











間。










間。












間。













「これより、第二十八回同人コンテンツ即売会――『聖戦・アフェバイラ☆パラダイス』を開始します!
 いっくぞー(はぁと)!
 みんな、怪我なんてしちゃ駄目だからね!……べ、別にアンタが心配なわけじゃないんだから!ていおーさまが心配してるだけで、私はどうでもいいんだから!……でも、次もアフェ☆パラやりたいから……ほんとに、注意してね?」


















「うっひょおおおおお!」

「クギュミーキタコレ!」

「FUUUUU!MOOOOOOOOO!」

「萌え!燃え!小さい子良いよなぁ」

「あ、ごめん、俺ババア萌えだから。イッツバーニング!ババァ!結婚してくれ!」

「なんだと!……っく、だが俺も自由の民、貴様の嗜好に口はださねぇぜ」

「なーお前どこから攻める?」

「馬人族の族長の息子が出すって言うケンタウルスさん若奥様イチャイチャ本」

「え、なにそれ、超見てえ。馬耳可愛いよね」

「魔鬼族とかガチ過ぎる。なにあの角。さわってこりこりして『や……そこは敏感だから触っちゃらめえ』とかいわせたい。なんで100年前のやつらはそれに気づかないで争ってたんだろうな。あとスタッフやってた歩兵団長のサミールもげろ。デラーモさんいいなあちくしょおおおお!」

「はあ……風鳥族の男の子と土小人族の王子様のカップリング……これね!」

「あらそれ、順序が逆でしょう?常識的に考えて」

「MOOOEEEEEEEEE!」

「おーいそこの牛角族のにーちゃん、クギュミー見れて嬉しいのはわかったから、おちつけ、なー?」























「どうしてこうなった」

帝王の呟き。



その正体は長年アシスタントとして技術だけは持っていた売れない漫画家である。

なぜか前世の記憶だか転生だかをしてしまい、余りにも自分の国に娯楽が無いので一人漫画を書いたり、手が四つあるからすごい早く効率よくかけるよこれ!とかテンションあがってたり、たまに地球の道具が恋しくなって「こんな道具あったら便利じゃね?」とかいってみたり
簿記の資格をもってたからちょこっと自分の国の財務大臣に貸借表やら勘定元帳やらの書き方や概念を教えて自分の勉強を楽にしようとしたりとかしてたら


「なにこのチート職人達」


国の職人や賢者さんが大ハッスルしてどんどん開発、改良しちゃうし。

ぶっちゃけ彼はほとんど何もしてなかったりする。
さらには漫画って概念が大うけした結果、いつの間にか全国民がはまってしまい、様々な物語を第三王子に求めるようになったり。
その売り上げが税収を潤わせたり、フェリス教の教えがいろんな話の禁忌に触れまくったから
「じゃあいいよ!そんなの!」
とか言ってたら漫画が読めなくなると思った国民が賛同しちゃったり。


「だって亜人かわいいんだもの、フモフモしてて」


そんな感じでいろんな漫画を描いてたら、それを「偉大なる力」とか言い出す人も居てもう止まれない。
今更地球の名作をパクリましたとかいえない。

みんなここまでドハマリするとは思っても無かった。

フェリス教が戦争吹っかけてきたときはびくびくしてたけど、国民も亜人さんも「俺たちの愛する漫画やアニメ(チート職人さんがついに水晶球によるマジックアイテムTVをつくった)を守れ!」とか頑張ってくたりして、いつのまにか帝王になってからもう吹っ切れて権力使って同人誌即売会やってみたら、ドンドン人があつまってとんでもないことになったり。


「まあ、いいや…………馬人族のギンちゃんが出すって言う、ケンタウルスさん本、買ってこよう」


レッツ現実逃避。



こうして、今回の聖戦も、盛大に行われていくのであった。


これは、なぜかわからないけどオタ文化によっていつのまにか世界を支配してしまった「ていおーさま」の、
生誕から聖戦開催までの数々の伝説的なエピソードや、その後のフェリス教との戦いがエロ漫画とかアニメとかのHENTAI文化とかが原因になったりとかその他内政チートとか勘違いで帝王さま武力も最強とかもうなんかカオスな話を適当に気の向くままに書いていったりする壮大な物語である。



[25472] 第三話 『赤く染まる雪 前編』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:5acfeff4
Date: 2013/09/18 01:44
 雪が降る。

 しんしん、しんしんと、全ての世界を穢れ無き純白に変えながら。


 どこかの詩人が、それを乙女に例えたのは、暖かな暖炉のある家の中から外を見て、白の世界の美しさに囚われたのか。
 恋に浮かれた世間知らずの青年が、真実の愛だと家を飛び出し、白い柔肌の彼女に抱かれて凍りつく。

 それを永遠の愛だと感動するのは、夢に浮かれた愚者達だけだ。

 春までの時間が経って想いが『冷』めれば、彼女は去っていく。
 あとは、空腹に起き出した獣達が、永遠の愛とやらを美味しそうに咀嚼するだけ。


 だから、山に住む者たちは知っている。


 いつまでも彼女を愛したかったら、蹂躙せよ、と。
 極寒をものともしない屈強な体と、処女雪を散らし陵辱するかのごとく、己の痕跡を刻んで前へと進む強靭な精神を持つものだけが、その彼女の魔性の愛を受けて生を得るのだ。
 なに、どうせ彼女を犯したところで、何度でも白に塗り替えられるだけだろう。



 雪が降る。


 しんしん、しんしんと、吹雪くことなくただ降り積もる。


 絶世の美女であり狂気の魔性を持つと謳われるクェルリマ山は、己の肌に優しく白い、死の化粧を付けていく。

 恋人を待つ、乙女のように。


 そして――



「何故だ、何故、裏切った!」

「……俺が、信じるものの為に」


 柔肌の上で殺しあう戦士達を、祝福するように。


「頼む、投降してくれ。まだ間に合うんだよ!オレはお前を殺したくない!」

「ああ、俺もだよ。そして今からでも戻れば俺が殺されることは無いことも知っている。だが――俺は行く。だから引いてくれ」


 それは、二人の心からの望み。
 だが、お互い譲れないことを、再確認するだけ。

 交差する鉄の音が、何度と無く山に鳴り響き、そして、止む。
 その場に立つのは、一人の男。

 手にしたそれは、赤く、赤く。

 滴る鮮血が、破瓜の証のように雪肌を朱に染める。
 男の目から頬に伝わる透明な雫は、凍りつき、悔恨すら許そうとしない。


「………おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 全てを呪うかのような、獣の咆哮が一つ。
 おおおん、おおおん、と、慟哭のように山に伝わり、消えていった。







 雪が降る。

 しんしん、しんしんと、雪が降る。











 大陸北東部において有数の寒冷地帯であり、白く染まるマカル山脈の光景が一つの名所となるガダン領。

 人々はそんなマカルの山々を敬意と畏れを持ち、少し距離を置いた山林と裾野に生活圏を築いていた。
 そんなガダンの僻地にて、山より降りてきた狩人と、おそらくは山菜や魚、そして木を採取するために山に向かう樵が、村から続く小道で出会う。


「ほーい、今日も寒いねぇ」

「あいー、寒かなぁ」


 出会い頭にお互い寒さを口にするのは、この地域一帯における挨拶の形。
 それは、寒さが日常であり、逃れられない現実であるならば、むしろ受け入れて組み込んでしまえという、諦めと逞しさで作られた文化である。
 のどかさを興じていては生き残れない。だがユーモアを失っても人々は緩やかに死に向かう。
 絶望は病魔に等しいことを、本能的に生き物は知っているのだ。
 寒さの確認という挨拶が終われば、次はマカル山脈の話題だ。

 「綺麗」「壮大」

 そんな言葉を重ねて、ようやく仕事に戻ったり、本題に入るのが暗黙の決まりごとである。
 ただ、今日はそこに、変化がある。


「しっかしまあ、今日は『お山』が騒がしいなぁ。んだばこっち、『山』の獣達も、いつもよりビクビクしとる。まあ、よんく警戒してオラのことがすぐに見つけられたり、逆に何かに脅えるように動かず震えておったり。……足して引いてで仕留めたんは結局いつもどおりの数だったわい」

「だなあ。遠くから見たてば、鳥達が騒がしゅう飛び回っておった。『向こう』で何かあったんかね?」


 狩人と樵は、マカル山脈を見上げる。

 彼らの言う「山」には二種類あり、一つは普段から狩りや採取に入る、それは今まさに入ろうとし、そして降りてきた「ただの山」だ。
 国としては明確な名前があるのだろうが、彼らにとってそれは「山」でしかない為、僅かな者を除いて名前を覚えていない。
 そしてもう一つは、マカル山脈の山々である。
 マカルという固有名詞のほか『お山』という場合こちらを指すのが通例だった。


「『向こう』か……まあ、オラたちはマカルには近づかねぇんだ。気にしてもしかたねぇけどな」


 彼らは、マカルに入山したことが無い。
 これは別に、それまでそういう法律や慣わしがあるからではなく、単純にマカルの踏破が危険だからであり、存在しないが国境線でもあるからだ。
 ガダン領が属していたガダン国は、主張としてマカル山脈をはさんだ東部の領域全土を我が国家の領土と宣言していた。
 が、それを周囲の国は認めてはいない。いないにも関わらず、そのことが近隣諸国との火種となっていなかったのは、そこがそれほど広大でもなく(とはいえ一つの国家が出来るくらいの大きさはあった)、極寒と言われるガダン領すら超える寒冷地であることが解っていること。そして最大の理由は――


「ただ、亜人たちのすることだしなあ。警戒はしとくべぇ」


 亜人、それも「神に見放された者たち」に属する亜人だ。

 フェリス教により、大陸東部に追いやられた多くの土着宗教の人間と、亜人たち。
 その中で、「神に許された者」とされる一部の亜人たち――例えば四腕族や風鳥族、三眼族などは、人間と同じ扱いを受けているが、多くの亜人は「神に見放された者たち」として、フェリスの言う異端と同じ扱いを受けてきた。
 土着信仰の人間達も異端ではあるが、人間と亜人で最も大きい差は、その個体数である。たとえ固体性能が勝っていても、「社会」となったとき彼らは必然的な弱者になった。

 フェリスという強者に蹂躙され恨みながら、自分達も同じ事をしてそれを正しいことだと正当化する。
 結局は何も変わらない構図が、マクロからミクロへと変わるだけだった。

 結果、彼ら亜人は、影響が西部、南部ほどではないとはいえ多数のフェリス信者がいる大陸北東部にて、異端信仰をする人間達と同様、社会の隅でおっかなびっくり紛れて生きていたり、生存圏を必然的に過酷な地域へと移すことになった。
 強靭な力を持つものは、より過酷な環境に住まうことで、人間からの干渉を防ぎ、そこで小さいながら街や国を作るという。

 そして、マカルの東部に住むという夜叉族は少数ながら、単体での戦いならば、伝説といわれる魔鬼族、天翼族に匹敵する力を持つ亜人であった。
 彼らは一部の土小人族や雪樹族などの協力の下、非公式ながら国を作り統治しているという。
 マカルから東にいくには、海から回り込むか、大陸南部から回り込むか、マカルを横断しなくてはならない。だが、大陸反対側には危険海流と魔獣が生息しており、小船を利用した一部のルートでしか海路が確立しておらず、大陸南部に軍隊を通らすことは宣戦布告になりかねない。さらには難攻不落のマカルの山々を軍を引き連れての横断は死の行進と変わらない。
 ようやく辿り着いても、そこはガダンを超える凍りつく世界、待ち受けるは最強の一角を持つ夜叉族。
 早い話が、どれだけ領土を主張したところで、実質的に占領も統治もなにもできていないのだ。
 そうして、「存在しない国境線」として聳え立つマカル山脈。
 『向こう』とは、「存在するであろう国」、夜叉族の国を指し、近くにありながら別の世界であったのだが――


「やっぱり、『あの方』がガダンに視察に来られてることと、なにか関係あるのかのう」


 狩人が呟く。


 四腕族の治める、アフェバイラ王国。ガダン国の隣国――だった国の第三王子。

 今では、ガダンを統治下に納め、大陸北東部をマカル東部を除きほぼ制圧下に置いた、大国アフェバイラ王国の、事実上の最高権力者である。
 彼が、今何故ガダンに来ているのかは、ただの村民である二人には解りようが無い。
 ガダンなど、最近アフェバイラに属したとはいえ、辺境も辺境なのだから、観光にしたってマカルを眺めるくらいしかないだろうに、と。

 アフェバイラとガダンの関係は、割と昨今の出来事で構築されていた。
 以前より大陸北東部の国々を吸収し、領土を広げ、20年ほど前ついにガダンまでその手が近づいたとき、戦争になるかと誰もが不安に陥ったという。

 ところが、彼らは攻めてくるどころか、極めて友好的に接してきた。さらに言えば、ほぼ「贈呈」ともいえるような支援を自ら提示、全て実現をしていく。
 開発されたマジックアイテムの提供、インフラ整備、アフェバイラへの移住の簡略措置化、アフェバイラへの留学者費用の完全負担等々。

 このとき、多くの大臣達が「我らガダンの権威と栄光に平伏しておるのだな。『神に許された者』とはいえ亜人には眩しかろう」などと傲慢な笑みを崩さなかったのだが。
 その笑みは、5年後に凍りつくことになる。

 設備が整い、さらには様々な物資がある程度安定供給されたあるころ――アフェバイラは「支援はもう良い頃ですね」と『贈呈』を打ち切ったのだ。
 それを当たり前だと勘違いしていた彼らは、そのときになって初めてアフェバイラに完全依存して生活をしていたことに気付く。
 マジックアイテムの多くは、魔力が切れたり壊れたりすればそれまで。再入荷が必要だし、インフラの多くは運用に職人や亜人の協力が必要だったのだ。

 さらに、『あの方』の力にほれ込んだ優秀な人材の多くが『留学』し、さらにアフェバイラ領地では亜人の多くが堂々と生活できると『移住』している。
 一度知ってしまった「便利さ」を人は二度と忘れることが出来ない。
 だが、正規の値段で物品や運用依頼を取引しても、その膨大な費用は国家そのものを揺るがしかねない。

 止めとばかりに、『あの方の力』は国民達の意識までも大きく変えるものだった。


 そんな中、アフェバイラより行われた通達は、
 「もしアフェバイラに帰依するなら、ある程度自治権を認めたうえで、『我が国の為』として今までどおり支援をするよ。もちろん、今までどおり『友好』的な関係でも良いよ」」
 であった。

 しかも、ガダンの国民にも伝わるように、国境の関所を通る商人に大々的に告知。
 ガダンの国民たちは『戦争するなんてとんでもない』『アフェバイラは我らの誇りも認め自治権と王家を存続させてくれている」と完全にアフェバイラに付いた。


 そしてとどめは、ガダン王の一言である。


「確かに、物資や設備が止まったら、我らは苦しむだろう。だが、何よりも恐ろしいのは、『あの方の力』が国民に渡らず、その笑顔が消えることなのだ」


 ニスティア暦1012年。
 後に、アフェバイラ帝王の生誕を起原とする大陸暦の、113年のことであった。


 数々の常識をものともせず、起こした奇跡は常に人々の幸福を導くそのあり方に、フェリス教に変わる「道」として『力』を惜しみなく使うアフェバイラ第三王子。
 彼らが神聖視するマカルの異変が、彼の者に関連してしまうと思えるくらいには、ガダン最辺境に住む彼らにも信奉されていたのである。


「うーんさすがに考えすぎだとは思うが……まあ、『あの方』だしなあ。亜人にもいろいろ居るって考えさせられたのは、あの方のお導きのお陰だ。『向こう』への交流も、いつかは実現すっかもな」

「だなあ。……さて、オラはそろそろ獲物を捌かねばなんね」

「ああ、んだな。俺も、樵小屋に戻るべぇ」


 思ったより話しこんだせいで、お互い少し寒さに震えている。だが、挨拶以外でそのことを口にするのは、自らを情けないものと叫ぶようなものなので、お互い触れない。
 なにより――アフェバイラより届いた、火の精の力を細かく砕いた鉄片に封じ込めたという、特性のマジックアイテムの懐炉が、服の下で彼らを暖めていてくれたのだから。


 二人、距離が離れたところで、樵が最後に「ほーい」と別れ代わりの声を掛けると、狩人も同じように返す。

 まだ太陽は真上に昇りきっていないとはいえ、ガダンの昼は短い。
 仕事は、まだまだ残っている。

 樵は、よっこいせ、と呟きながら、入山し小屋へと向かった。











 樵が自分の樵小屋に辿り着いたとき、最初に感じたのは妙な不安感だった。

 とはいえ、自らの命が脅かされている、というようなものではなく――
 ああ、そうだ、これは数年前嫁に行った妹がまだ幼い頃、よく寂しいと泣き出しては自分を困惑させたときのあれに近いのだ、と、妙に懐かしい気持で納得した。
 だが、それも小屋の扉に近づくと、ざわり、と明らかな敵意が樵を襲い――

 ドスン、と。


「……あ?」


 樵が身構える間を与えないまま小屋の扉が勝手に開き、そこから倒れこむように現れたのは、全身赤毛の体毛に覆われ、手には赤黒い『何か』に染まった鎚を持つ、巨体の何か。
 一般的な人間種の成人男性の1.5倍はあるかというその大きさと赤い体毛に、樵は一瞬、こんなところにいるはずのない『魔獣』かと息を呑む。
 だが、その何かが息を荒げながら、杖を突くように鎚を支えに上半身を持ち上げて――


「あ、亜人?」


 それは、樵の記憶には見た覚えの無い亜人だった。
 ごうごうと燃える様な赤い髪、体毛と、冷たい宝石のような青い目。無骨ながら狼のそれを思い出すような2本の牙には、獲物の生き胆を食らったのか、それとも内臓を痛めて自ら吐き出したのか鮮血が滴る。
 何よりも特徴とすべきは巨木をも片手で持ち上げそうな豪腕とその体躯。
 見たことは無い、だが、知識だけなら該当するものを知っている。


「や、夜叉族!?」


 魔獣よりなお在り得ない、いや、あってはならない存在が、そこに居る。
 腰を抜かしそうになる。
 だが、そして逃げる手段を失えば、自分に生きる術は無いのだと、がくがくする足を必死で押さえつけながら、樵は背中に背負った斧を取り出した。
 それを見咎めたのか、血走った青い目で樵を睨み、その夜叉族は鎚を大きく振り上げて――「ごふっ」っと口から血漿を吐き、そのまま、どさり、今度こそ完全に倒れこんだ。
 夜叉族が鎚を振り上げた瞬間、「ひっ」っと固まっていた樵は、その出来事に唖然としながら、とりあえずこの亜人が生きてるかどうか斧でつつこうとして――


「やめて!」


 突然の声に、ぎょっとして小屋を見上げれば、そこには扉のヘリを支えに立っている、5歳ほどの真白い肌の少女が一人。


「おじ……ちゃんを……いじめないで」


 さきほどの制止の声とはうってかわって、か細い声で少女が言う。
 ふらふらと足取りはおぼつかなく、その顔は手足のそれとは違いのぼせたかの如く赤く色が指している。
 のぼせた、というより、そう、まるで熱病に浮かされたようで――


「あ、いや。別にいじめるつもりじゃ……ってお前、熱あるんじゃねえべか!?」


 そう樵が言った時には、夜叉族の男をかばうかのように、彼の背に倒れこむ少女。
 余りのことに呆然としながら、それでも何かを考えようと必死になるが、樵の頭は混乱の渦の極みにあった。


「なんてこった……あー、もう、何が起きてるんよ。わっけわかんねえ!」



 無理も無い。

 なにしろ、今まで平穏無事に、戦争にも1度しか参加したことが無く、ただ樵として生きてきただけの男なのだ。
 教養もかろうじて読み書きと簡単な計算ができるだけで、誇れるのは山で生きる知識だけ。


「た、助けなきゃ?でも夜叉族だぞ?てかなんでこんなところに?じゃあ女の子だけたすけでもそれじゃ見殺しとかなんか罪悪感がうああああああ!」


 もし、このまま彼が混乱したままであったなら。

 もし、ガダンが20年前にアフェバイラに統治されていなかったら――きっと、この物語はここで終わっていただろう。
 的確な治療も出来ず――もしくは、治療することを放棄したり、あるいは少女は別として夜叉族は危険とその命を絶っていたかもしれない。
 夜叉族の男、謎の少女は息を引き取り、もしかしたらその後の大陸のあり方が大きく変わっていたのは間違いない。


「……見捨て、られないよなあ……」


 だが、やはりそこで彼らを救い、そして樵の気高き精神をも救ったのは、『あの方』の導きであった、と、のちの歴史学者たちは述べている。





「俺だって、ここで見捨てちまうような小悪党や脇役じゃなくて、ヒーローになりたいからなぁ……」







 こうして――

 十数年後、自由帝国と呼ばれたアフェバイラ帝国の精鋭軍武将の一人として、「常勝将軍」「アフェバイラの鬼神」、
 さらには「赤い月光」「千種のUNKNOWN」「死を生み出すもの」「精神戦車」など、数々の異名を誇る、夜叉族の戦士、オアド。

 「神に見放された者たち」と、人間種、「許された」亜人種との、友好の架け橋の中核を担い、朝日に祝福された少女と謳われたモニン。



 二人の伝説が、始まったのであった。




 自由帝国建国まであと17年、大陸暦133年のことである。



[25472] 第四話 『赤く染まる雪 中編』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:fd53a325
Date: 2013/09/18 01:45

「おおおおおおお!」

「せっやりゃあああああああああ!」



 白く染まった山林の中、二頭の赤い獣が雄叫びで謡い、手にする鈍器で奏で合う。

 戦いを祝福するバトルソングは、戦う者たち自身で紡がれるのが伝統だ。
 演奏者は二人。それぞれの手にした楽器が鈍く光る。

 一人は鎚、もう一人は大剣。

 剣といっても初めから刃は潰されて、叩き潰し、潰して切断することを目的としたそれは、剣を模した金属の塊というべきか。
 己の奏でる音色に迷い無し、と、獣――その二人の亜人たちは咆哮を上げる。

 凶器が空を切る音は猛禽類の嘶き。ひゅうん、きゅうんと、鳴き続ける。
 鈍器が重なり合った瞬間に、雪崩を起こすかのような轟音があたりに響――く間すら開けず、すぐさま攻手、守手の入り乱れた連撃が前の音を追いかけ、交じり合う。

 がぁん、ごぉん、と一拍ずつだったはずの鈍音は、ゴギガギゴゴギ……と間隔をなくし、いつしか和音にすらなっていた。

 それは、武『術』といえるようなものではない。

 ただ、速度と重さのみが全てを決める、単純な力と力のぶつかり合い。
 技などという歴史に研磨された伝統など、どこにもない。

 とある流派に、手首を返し、円の動きに導くことで無駄を削り、責めの速度と鋭さを増すという『奥義』がある。

 またある別の武術には動きに虚実を交えて翻弄する『秘技』がある。

 今、彼らの戦いには、確かにその『奥義』『秘技』と同じ動きが組み込まれて入るが、二人はそれを『技』などとは認識してすらも居ない。
 ただ、より早く、より鋭くを求めていたら円の動きになっていただけであったし、もっとも良い好機に反射的に攻撃を仕掛け、時には避ける動きが、単に虚実と同じものを創り出しただけだ。

 それも、その状況においてそれが最適だと感じたからこそ。

 最強を求めて、生み出し研磨するのが『技』ならば、『最強』が行う最適の一手が『技』と一致するのは道理である。

 二人の『最強』は一合ごとに、どこかの誰かが辿り着いた奥義を使い――その瞬間に忘れてしまう。
 その技が必要になったなら、またその瞬間に『思いつく』だろう。

 戦いに型は無し。故に全ての武術に通ず。

 それが、『最強』の一角を担う、夜叉族の戦いであった。


 最強同士の戦いに、矛盾は起きない。

 なぜならば、最強の『矛』と、最強の『矛』の戦いなのだから。
 決着は、矛の使い手の純然たる力の差で決まるのだ。




 ぐぁぁぁぁん、と一際大きな音が、この歌劇のフィナーレを告げる。

 鎚が大剣の刃を斜めに打ち抜き、衝撃に負けた受け手は、指こそ得物を握り締めたままでは合ったが、その体ごと吹き飛び幾つかの樹をなぎ倒してなお止まらず、雪を纏いながら斜面を転がる。


「ぐっ……がはっ!」


 木々と激突した瞬間、本能的に頭を丸め急所をかばったが、首と背骨の骨がみしり、と内部から響くように音を立てた。

 夜叉族の鋼の如き体を持ってしても負った損傷は、常人ならまず間違いなく致命傷といっていいものだった。
 頚椎、視神経を破壊されたのであれば、もはやまっとうな生は歩めまい。

 だが、彼は僅かの間倒れ付したまま、目を瞑ると、すぐさま立ち上がる。
 ぎしり、みしりと鈍痛が響くが、『この程度』であれば一週間も休めば全快するものだ。

 事実、倒れこんだ瞬間は明らかに切断されたはずの脳と体との命令系統が、先ほどの僅か「3秒の睡眠」によって、ぴくり、と反応し始めたのだから。

 夜叉族の恐ろしきはその武力と耐久力。そしてなにより、生命力と回復力である。

 もっともそれも安静にしていれば、の話しだ。
 彼らから見て小童のような他の種族相手であればどうにでもなるが、同じ夜叉族との戦いの最中におけるこの深手は、すでに致命傷である。

 力、速度、全てが2.3割が殺された今、五体満足である自分と同じ程度の力の同族と激突すれば、もはや防御に徹しない限り一瞬で勝負は付いてしまう。
 防御に徹したところで、ただ時間が先延ばしにされるだけで、結末は変わらない。

 互いが最強であり、全く互角の矛と矛だからこそ、僅かでも天秤が動いたのならそれはもう決着と変わらない。
 ざ、ざ、と、雪を踏みしめて歩いてくる音が、負傷した夜叉族の青年の下に聞こえてくる。

 彼の最大の好敵手であり親友。最強と呼ばれる夜叉族の、なおその中で最強の一人とされる者。

 その彼が、自分の止めを刺すためにやってくるのだ。


「……勝負は、付いたようだ。オレの負けだ」


 そういって、刃の半ばほどでポキリと折れた大剣を構える敗北者。

 決着は付いた。それは紛れようも無い事実。

 自ら敗北を口にて、それでも武器を構えるのは、『戦闘』が終わっていないからだ。
 戦いを神聖視し、その結末を尊ぶ夜叉族は、決着が付いていようと最後まで戦うことを誇る。

 たとえ「詰み」になり、10手で敗北することが確定したとしても、その10手を最後まで刺しきるのが、彼らだった。

 だから、親友がその鎚を持って自分の命を奪うことを、その夜叉は受け入れる。
 敗北した夜叉は、何故、親友が夜叉族を裏切ったのか、未だにわからない。
 その理由が知りたくてたまらない。


 だが、自分は負けたのだ。
 だから、もう、いい。


 彼は、最後の瞬間まで夜叉族として死のうと、笑みを浮かべて親友を見る。
 ゆらり、と、親友が鎚を振り上げ自分に向かってくるのを見据えながら――なぜか、視界の片隅に一人の幼き少女の存在を見留めた。

 なぜ、自分の処刑場となったこの場所に、そのような幼児がいるのかと、刹那の瞬間の中で夜叉は思考する。
 その幼女が、「パパ!」と叫びながら親友の下に走りよって行く様を最後にして――

 ドスっという鈍い音と共に、痛みも無くその夜叉の意識は閉じていった。















 ぱち、ぱちと火の爆ぜる音。

 ざわざわとまとわり付くような熱い空気。


 まだ開かない目の変わりに耳と体の体毛が周囲の様子を探っていた。

 夜叉族は、死ぬとその誇りが高いものほど、素晴らしい戦いをしたものほど、業火が一面を埋め尽くした荒地――「辿り着く場所」にて神々との戦う権利が与えられるという伝説を信じている。

 神々が何か、はわからない。力の根源だとも、全ての命を生み出したものとも言われているが、神々は戦いを尊び――それは武に限らず、あらゆる競い合いである――、その戦いの勝者を祝福するのだ。
 その場所に、オレは来れたのか――と、夜叉は肺に詰まった瘴気を全て吐き出すかのように大きくはきながら、むくり、と上半身を起こす。
 目を見開き、耳をそばだて、くるうりとあたりを見渡すと、そこは暖炉のある少し広めの部屋の中だった。
 さらに、部屋の隅に灯されたランタン――にしてはやけに光量が強く、火の揺らめきも無い不思議な光源の下、一人の若者が机に向かって一心不乱に何かを書き綴っている。
 見知らぬものの存在に、すぐさま戦士としての本能が動き、己の武具を取ろうとする。

 が、自らの傍にそれらは無く、いつの間にか武装解除されていることに気づいた。

 なにより、大切な大切な存在が見当たらず、危うくそのまま男に素手で組み伏せ問い詰めかねぬほどに精神が高ぶるが、優秀な戦士である彼はそのような迂闊な行動が帰って事態の悪化に繋がることを知っていた。
 鈍重そうな体に見合わぬ、ゆらぁりと重力を消したかのような動きで自分が寝ていた寝台から音も無く降り立ち、もっとも簡易な戦闘準備――すなわち拳を握り締めて、机に座る青年に声をかける。


「もし、そこの……」

「……む?」


 書き物に熱中していた青年であったが、声を書けるとすぐに夜叉族の彼へと顔を向けた。
 そして、ぱたりとペンを置いたその手をよく見れば、肩口から下に、もう一つの「それ」があった。


「四腕族……」

「そうだ。我が種が珍しいかね? 伝説の夜叉族よ」


 四腕は僅かに口元を曲げ、精悍であったその顔に「興味」という意味をあからさまに浮かべた。

 息を呑んだのは夜叉である。

 伝説――その四腕の言うとおり、自分達夜叉族が伝説の一角と人間、亜人たちに言われていることはは、知識だけは持っている。
 だがそれよりも、『神に許された者たち』である亜人、四腕族の男が、『神に見放された者たち』とされている夜叉族の自分を前にして、嘲りも、戸惑いも、なにより恐怖も無く自分を見ていることに、驚きを隠せなかった。

 『あの』噂は本当だったのだろうか。

 だが、これだけで全てを信頼するほど、夜叉は世界を甘く見てはいなかった。


「失礼した。四腕の者よ。……オレは、助けられた、と思ってよいのだろうか?」

「ふむ、直接助けたのは我ではない。だが、我としても貴殿が我らに害を与えようとしない限りは、支援するつもりだ」


 もっとも、助けられるかどうかは、保障しないがね、と四腕は一対で腕を組み、もう一対で自分の顎をさすりながら言った。

 その言葉の意味が、脅しではないことは、夜叉も理解した。
 辛うじて体力や傷は治療によって癒されつつあるが、根源たる「命力」が危険であることを、四腕は気づいているのだろう。


「一番初めに貴殿達を助けたのは、マカル近くの山に住む樵の男だ。我らは連絡を受けて向かったが、あの樵小屋では治療が出来ぬと、この街に貴殿達を連れてきたのだ。生き残れたのなら、後で礼に向かうと良い」


 たち、という四腕の言葉に、夜叉はくわっと目を見開き、


「そうだ! もう一人、幼き子が居たはずだ! あの子は?」


 言葉こそ荒いものの、その巨体に動揺は無く不動の姿勢で問いかけ――ているようで、その拳がぎりりと握り締められていることに、四碗は一瞬だけ視線を走らせた。
 本来言葉少なき武人である夜叉の者が、もっとも雄弁に物を語るのがその目である。
 返答しだいでは恩人だろうと容赦は無い。
 夜叉の宝石のような蒼き瞳がそう告げている。


「安心せよ、夜叉の者よ。あの稚児は熱病にかかって――ああ、そう焦るな。正しき治療をすれば命に問題は無い。だが貴殿にうつしかねぬと今は離れを病室としてそこで医師に見せている。我が従者の専属医ゆえ、腕は確かだと我が保証する。貴殿が動けるなら、すぐにでも案内させよう」


 専属の医師、ということは、この四腕族の男は豪族なのだろうか、と判断しながら、夜叉は深く礼を述べた。
 そしてすぐにでも会いたい、と告げる。
 四碗は一言、「承知した」と言うと、机の上に置いてあるベルを鳴らす。

 入ってきたのは、白い帽子を被った従者らしき褐色の女。どうやら人間種らしい。
 全身を白い着物に身を包んだその姿は、肌の黒さに相まって、見事なコントラストが艶やかに冴える。
 種族が違うとはいえ、明らかな美として夜叉もごくりと息を飲んだ。


「彼を彼女と会わせる。我も行こう」

「は。承知いたしました。……では、客人。まずはマスクをしていただきます」


 四碗に促され、女が夜叉に手渡したのは、白い布に妙な糸の輪が付いたもの。
 はて、なんだこれはと四碗を見れば、彼も同じくそれを受け取り、口にあてがい糸の輪を耳にかけている。
 もしかしたら魔法詠唱を阻害するマジックアイテムなのかもしれないが、もとより夜叉に詠唱魔法は使えない。
 訳がわからないが、これがこの地の風習なのか、と同じように口につけた。


「これで……よいのか?」


 少し声をくぐもらせながら、夜叉が女に確認すると、彼女は表情を変えぬまま頷き、


「はい。付け心地に問題はありませんか? 息苦しくは?」

「少し耳が引っ張られている」

「ああ……サイズが小さいようですね。申し訳ありませんが、それが一番大きいもので、しばらく我慢していただきたく思います」

「……これは?」

「?……ああ、ご存じないのですね。これは医療用のマスクで、病気の感染を防ぐためのものです」

「護符にしては魔力らしきものは感じないのだが。これで病の精霊に打ち勝つことが出来るのか?」

「直接的な魔法は使われておりませんわ。いくつかの病は病原菌……そうですね、病の元となる毒が患者の中で増え、咳やくしゃみにより空気に撒かれ、それを他者が呼吸により吸い込むことで移ることが我が国の研究でわかっています。これは、その毒の進入を制限するものですわ」


 そんな単純なことで?とあからさまに疑っている目を向ける夜叉に、女は特に思うでもなく、淡々と続ける。


「ちなみに、たったこれだけのことで、いくつかの病の感染者は6割から7割近く減りましたわ」


 見越されたかのような女の言葉に、夜叉は「む」と唸るように呟いた。

 歴戦の戦士として誉れ高い夜叉族の戦士が、体格で言えば小娘のような女に翻弄される様は、第三者から見れば滑稽にも見える。

 しかし夜叉の戸惑いが、なによりその女が自分に対して全く脅威らしいものを感じていないからこそのものだとすれば、その異常性がわかるだろうか。
 つまりそれは、その女が夜叉族という「神に見放された者たち」であり且つ圧倒的な死を生産する戦士を前にして、ただ「客人」として受けているということだ。

 女は、失礼します、と言付け、四碗と夜叉を先導する。

 それだけで、夜叉はこの四腕がそれなりに高い地位のものであると確信した。
 四碗が病室の場所を知らないというわけではないだろう。

 ただ、四碗が客を案内するということは、それだけで客人との関係が対等、もしくは下であると暗に意味をするからだ。
 だから、形式的にとはいえ従者を呼び、先導させているのだろう。

 しかしながら、自分と並んで女の後を歩いていくのは、同時にこちらへの敬意を払っている証でもある。
 高い地位を持ちながら、奢り高ぶるでもなくそう振舞う四碗に、恩人ということを差し引いても交換を持つ夜叉。
 無言のまま廊下を歩み、とあるドアの前で女は立ち止まり、


「こちらになり……」


 と言葉を発した瞬間


「いやぁぁぁぁ!」


 扉の置くから、少女の悲鳴。

 誰よりも早く動く夜叉。破壊したとも言うべき勢いでドアを開け、中の光景を見る。
 そこには、大切な、なによりも大切な存在が恐怖の色を顔に浮かべ、震えていた。
 そして、その前には小さな刃物らしきものを持って襲い掛かろうとする、痩せ細った陰湿そうな男。
 ぎらり、と手に持つ凶器の先端が光るのを見るや否や、夜叉は鬼神となる。


「おおおおおおお!」


 吼え猛りながら、その男に拳という鉄槌にて血肉へと変えようとしたそのとき、


「ぬ、ぐ!?」


 ドアの前で押しのけたはずの、あの従者の女が、指先から発する緑色に光る魔力の縄で夜叉を縛り上げ、そのまま地面に転がした。


「動くな」

 それまでの使用人めいた雰囲気ではなく、従者――近衛としてのそれを纏い、命令するかのような声でシトリーが断ずる。


「ぐ、う、動けんだと? 馬鹿な!この程度の魔法でオレが……」

「まったく……例え一対一では無敵といわれる夜叉族とは言え、『命力』がそこまで削った上体で、無理をするものではないですよ。それに……この程度、とは舐められたものですね。たとえ貴方が万全であろうとも、そう簡単に破れるものではありません」


 魔法を放った反動か、被っていた白い帽子が地面に落ち、女はやれやれと相変わらずの表情でそれを拾い上げる。

 その頭の「それ」を見て、夜叉は再び「馬鹿な」と呟いた。


「その角……魔鬼族!?」

「そうですよ? それが何か?」


 伝説の三柱の一つ、夜叉族。

 その存在自体は誰しもが知っていることだ。


 しかし、残りの二柱――天翼族、魔鬼族は、現時点での存在自体が噂や伝承でしか聞かないような、幻とも言われる存在だ。

 「神に許された亜人」でありながら、フェリスの在り方が受け入れられず(フェリスにおいては環境の変化に耐え切れずに絶滅した、とされている)数百年前に隠れるかのように消えた少数種族――天翼族。

 それに敵対するといわれた『神に見放された亜人』の中でも、極めて『神敵』に近い位置に居るという魔鬼族。

 どちらにせよ、種として生き残っているかどうかすら危ぶまれていたはずの、二柱のうちの一つ。
 そのうち魔鬼族は魔法に長け、その力は夜叉に勝るとも劣らずと、伝承は語っている。

 そうか、そうか――だから、この女は動じなかったのだ。
 いざとなれば、油断した自分を間単に束縛できる自信があったからこそ――。

 悔やんでも悔やみきれない。目の前で、大切なあの子が蹂躙されるのを成す術も無く見ていなければならぬか、と――


「おじちゃん! おじちゃんをいじめちゃ駄目!」


 とてとてと彼に走りより、夜叉の前で手を広げる少女。

 逃げろ、逃げるのだ!と必死に叫ぶ夜叉。











「………えーと、私、何か悪いこと、しました?」


 そして、手には、所在なさげに注射器を持って、一番うろたえているのは、白衣を着た痩せ細った一人の医師の男。




「うつけめ」


 四碗が、ぽつりと呟いた。












「すまぬことをした」

「そうだな、反省しろ」



 押し問答の末、ようやく誤解が解け、注射という医療の説明、さらには少女をあやしながらの注射による投薬が終わったのは、おおよそ時計の長針が円の二分の一ほど動いたあとだった。
 夜叉の謝罪の言葉に、容赦なく気って捨てる四碗。

 とはいえ、はっきりといいながらも嫌味を感じないのは、彼の言葉が本音であり、且つ、なんら攻め立てるものではないからだろう。


「だが、大切なものを守りたいという気持ちは、どの種の者であろうと変わらぬ正しいものだと理解できる。そして、貴殿はその心を持っていることは先ほどの件でしかとわかった。ならば――貴殿は信頼できる御仁なのだろうよ」


 現在は、病室の中央にある机を挟み、四碗と夜叉が向き合っている。
 魔鬼は、お茶を双方に注いだ後は、そこが定位置と主張するかのように、四碗の斜め後ろに控えた。
 ちなみに、医師より「診察の結果感染する病ではありません」と全員マスクをはずしている。


「ところで、事情は聞いても良いのか?」


 二人は一度だけ茶をすすり――香りの付いたお茶に夜叉は非常に驚いていたが――、四碗はようやくか、と話しを切り出した。


「その前に、失礼を承知で聞かせてもらいたい」

「ふむ? 構わん。『答えられる』ことであれば、『応え』よう」

「この国では……オレのような『神に見放された者たち』相手にして、全てお主たちのような反応なのだろうか?」

「多くの者はそうだろう。だが、全て、とは言えんな。我が国にもフェリスの影響はある。意識などは相当変わってきたが、それでもわだかまりを持つ者や、よくは思わぬ者もは居るだろうよ。……だが、それでもいきなり刃を向ける者は狂人以外はないと断言できる。もっとも、貴殿のような『伝説』が目の前に現れたのなら、狼狽くらいはするだろうがな」


 貴殿が我が従者を見て驚いたようにな、とくつくつ笑う四碗。


「少なくとも、我と、我の周りに居る者たちにとっては、『そんなこと』はどうでもよいことだ。『神に見放された者たち』『異端』、……ああ、『神敵』だろうとどうでもよい。我々を害する聖なる存在より、我々と共に生きようと努力する邪の存在を、我は友と呼びたい。そう思うことは、それほど不可思議なことではあるまいよ」


 なあ、と隣に佇む従者に声をかける四碗。
 女――魔鬼族が、当然です、と相変わらずの無表情で応える。が、どことなく嬉しそうに思えてしまうのは、夜叉の勘違いではあるまい。

 「神に見放された者たち」にして神敵に近い存在を従者にする、この若者――長命種であるため、実年齢は自分よりも上かもしれない――を見、夜叉は「これが最大の好機ではないか」と、己の計画を修正することを決意した。


「お主は、この国でもかなりの地位を持つ御仁とお見受けする」

「……ああ、まあ、そうだな」

「命を救われ、尚厚かましいとは承知! だが、是非ともお頼みしたいことがある。代価が必要であれば、オレにできることなら何でもしよう。命が必要とあれば、差し出すこともいとわん」

「聞こう」

「あの子を、守って欲しい」

「あの――人間種の子をか?」

「そうだ」


 夜叉と共に居た少女。

 彼女は、確かに人間種であった。夜叉族と共に住むといわれているのは、共にマカルを超えた少数の土小人族と、大陸の寒冷地全土に住む雪樹族。
 確かに、異端とされた人間種が、夜叉族と共にマカルを超えていないとは限らない。
 極寒の地で生き残れるとは思えないが、可能性が全く無いとも限らないだろう。
 だが、不思議なのはそこではない。


「……話しが見えんな。単に保護したい、というなら、我でなくても良いだろう。貴殿のことだ。単に良い暮らしをさせたいから地位の高いものに預けたい、ということではあるまい?」

「あの子は――」


そこで、夜叉は一度だけ言葉を切り、


『神敵』なのだ」


 ぴくり、と四碗の肩が動く。

 魔鬼も、本当に僅かではあったが、目を大きくさせた。


「ふむ、それはどういう……いやまて、それよりも先に聞かせてもらおう。ならば何故、マカルを超えてこちらに来た。貴殿の国であれば、確かに人間種が生きることは困難であろうが、それでもこちらで「神敵」とされる危険よりも遥かにマシだと思われるが?」

「……あの子は神敵で――そして、災厄の魔女、だからだ」


 災厄の魔女。

 その言葉に、四碗は「そういうことか」とため息を付く。


「つまりあの子は――夜叉族同士の親から生まれた、人間種なのだな」


 フェリスの指定した神敵は二名。
 そのうちの一人が、夜叉族に伝わる「災厄の魔女」とされる存在だ。

 はっきり言ってしまおう。

 この「神敵」認定は、もう一人の「神敵」とは違い、完全にフェリスの権威保持のためだけに作られた、生贄である。


 数百年前、一人の少女が、ある魔法を使った。

 それは、「癒し」の魔法。
 人間種、そして「神に許された者たち」の亜人、その中でも優秀な者のみが使える、秘術だ。天翼族が特異とする術でもある。

 その術は純粋に天性だけで使えるものとされ、使えるものはまさにフェリスにより選ばれたものだと信仰された。
 また、癒しを使える者たちには天翼族以外は総じて、体の一部に決まった刻印が刻まれていることも、より信仰に拍車をかけた。
 当然、その少女もそのようにもてはやされ――両親が夜叉族のものだと判明した瞬間、断罪された。


「神に見放された者たち」である夜叉族から生まれた人間種。


 それはすなわち、過去に夜叉族と交わった人間が居ることを指し、それだけですら忌まれるにも拘らず、そんな「神に見放された者」が「癒し」を使った。

 あってはならないことである。

 それを認めてしまえば、それまで主張してきていた「癒し」とフェリスの関係が、全て崩れてしまうからだ。

 だから、当時の法王含むフェリスの幹部達は、こう宣言した。

 この存在は「神敵」であり、「神敵」が我々敬虔なフェリスの使徒を惑わさせ堕落させるための「偽」の聖者なのだと。

 その粛清は、少女のみだけにとどまらず、当然の如く少女を庇おうとした両親、そこから連なる縁者、援護者全てに及ぶこととなった。

 戦士である夜叉族は、確かに使徒軍相手に数倍の被害を与えるほどの猛者たちがいた。
 だが、彼らは「戦士」ではあったが、「軍人」ではなかったのだ。
 絶対数の差、社会基盤の有無、そういった生活そのものが脅かされ、戦えぬ女子供(夜叉族の女性は総じて人間種の女性と同程度の力しかない)たちを守ることを考えれば、彼らはマカルへと逃げることしか出来なかった。
 「戦」で負けたため、勝敗の掟を受け入れる彼らに、迫害そのものの恨みは持たない。ゆえに、敵対した人間種、亜人種そのものに対して恨むことは無い。

 だが、原因となった「災厄」そのものの存在は別だ。


「夜叉族同士に生まれた人間種の女子、さらに刻印を持ち癒しを使える存在。それが、災厄の魔女」


 確認するように、四碗が区切りながら言葉にする。


「そうだ。『こちら』でも、『むこう』でも石を投げられ、罵倒され、そして、命を狙われる……それが、あの子なのだ」


 砕けよとばかりに食いしばった歯から、ぎりぎりと音がする。


「だから、オレはあの子を連れてこちらに来た。土小人の商人達から聞いた、アフェバイラの話を信じて。たとえ『神に見放された者たち』であろうとも受け入れるという、幻想のような甘い噂だけを希望として」


 すぅすぅと寝息を立てている少女のほうを向いて、夜叉は一度だけうつむく。


「とある同志から、アフェバイラの王はたとえ神敵であろうと受け入れてくれるかも知れぬ、と聞いた。だから、本当は我が命をかけてアフェバイラの王と謁見するつもりであったのだ。だが……そんな噂よりも、オレは自分の目を信じたい。頼む。我が命、命より重い我が誇り、全てなげうっても構わぬ。あの子をこちらで守ってやって欲しい」


 夜叉は、四碗の前で手を突き、額を床にこすりつける。


「贅沢をさせる必要も、甘やかす必要も無い。あの子が愚鈍に生き、怠け、行き倒れたのなら見殺しにして構わぬ。ただ、理不尽な罵倒から、虐げられることから、守って欲しいのだ。……オレは、あの子が、あの優しい子が、ただ平穏に一生懸命に生きていくだけを望みながら罵られることが、耐え切れぬ。それだけを望み、マカルを超え、友を見捨ててもアフェバイラを目指したのだ。頼む。王ではなく、他でもないお主に、どうか!」


 慟哭のような独拍が終わる。
 しん、と静まった部屋の中で、暖炉の炎と少女の寝息の音だけが、響いている。


「その頼み、聞けぬ」


 絶望の鎌が、四碗より振り下ろされた。


「そう……か」


 どこかで、そうなるだろうとは思っていた。
 夜叉は、甘すぎた己の判断を後悔しながら、それでも、まだ少女を守ることはあきらめない。


「無理を言った……済まん。……だが、あの子が回復するまでは、居させてもらえんだろうか?」

「ああ、構わない。だが、条件がある」

「条件? 金なら、宝石を持ってきている。お主が満足するほどではないだろうが……」

「たわけ。そんなもの欲しくて助けたりなどせんよ。我は、まだ貴殿の名を聞いていない」


 む、と夜叉は唸る。

 確かに、怒涛の如く物事が進んでいたため、失念していた。恩人に対して非礼にもほどがあるだろう。
 また、無理難題にこそ冷徹に懇願を拒否したが、やはりこの四碗の本質は良きものであるのだろう。

 助ける代価は「品」ではなく「礼」。

 それだけで、彼は何の利益も無いにも拘らず、自分達という災厄を一時的にとはいえ守ってくれるのだから。
 それに、ここで名を名乗ったところで、もともとこちらでは根無し草。
 たとえ手配がされたとしても、いざとなれば偽名を使うだけでよく、困ることは無い。
 夜叉は、すっくと立ち上がり、四碗の目を見据えて、堂々と宣言する。


「失礼した。オレは夜叉族の戦士、オアド。後ほど本人からも述べさせるが、娘の名はモニン。しばしの間世話になる。オレとモニン、共にこの恩は忘れぬ為にも、お主の名を記憶に刻みたく思う」


 手を差し出す夜叉――オアド。
 そこには、何一つ雑念の入り込まない、敬意と信頼のそれがある。


 四碗はそれを見、すぐさまニヤリ、と笑って


「アノン・カーター・テイ・オーウ・アフェバイラ。長ったらしいので好きに呼ぶが良い。この国の前王の第三子にして、現在は正式に王をやらせてもらっている」


 四碗――アフェバイラ王の言葉に、極寒のマカル山脈ですら耐え切った肉体が、ピシリと凍りついた。 

 その様子を、隣で見ていた魔鬼の従者は、


「シトリーです。……まあ、頼んでる相手が王なんですから、王に頼まない、ってのは、無理ですよね」


 と、今までの無表情がただの仮面であったかのように、くすくすと笑顔で呟くのだった。











 「わたしは、ただ、皆と笑っていたいだけだった」

 「オレは、ただ、あの子に笑っていて欲しかった」

 純白の思いを、後悔の血が汚すとき、世界は残酷な顔を見せる。

 「この国ならば、神敵や災厄の魔女だろうと、普通に生きていけるかもしれない、か。……甘いな。本当に、甘いのだな、オアド。それは、いくらなんでもこの国を甘く見すぎている。どうしたって――その少女という、犠牲は必要なのだよ」


 次回、『赤く染まる雪 後編』

 お楽しみに。 



[25472] 第五話 『赤く染まる雪 後編』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:e486881d
Date: 2013/09/18 01:46
「で、だ」


 奇妙な自己紹介が終わり、夜叉も硬直から解け始めたのを見据えて、四腕の王は空いた一本の腕で頬を支えながら問いかける。


「お前は、これからどうするつもりなのだ?」

「どう、とは?」


 謎掛けのようなアノンの言葉に、思わずオウム返してしまうオアド。

 アノンはそんなオアドの反応に「ふむ」と何かを確かめるようにうなずき、そしてなんとなく視線を暖炉へと向わせた。
 ぱちん、ぱちんと、静かに、だがはっきりと響く音に、彼はリズムを取るように、頬に添えた人差し指を動かした。そして、視線を暖炉から動かさないまま、つまらなそうに答える。


「あの子を守る……つまりは、社会から守れ、ということは、まあわかった。こちらで生活させたい、ということもな。だがな、お前がこれからどうするのか、我はまだ聞いていない。お前は言ったな。『あの子が愚鈍に生きたのなら見捨てて構わぬ』と。……おかしいではないか。まるで、そのとき、お前の存在がモニンの側には、いないかのようだ」


 戦いで虚を疲れたかのごとく、つん、と夜叉の体が震えたのを、魔灯に照らされた影がアノンに伝える


「……先に言ったとおり、オレはあの子が守られると約束するなら、命だろうと何だろうと差し出す覚悟。だから……」

「オアド」


 ここで、アノンは視線をオアドに戻した。
 戦えば一瞬で首の骨を折られるであろう夜叉を、彼は恐れることなく縫い付けるような目で貫く。


「偽るなら、我も今後はこの話において偽りを含めるぞ」


 誠実さを求めるなら、誠実であれ――。アノンは、暗にそう言い含める。


「お前が命を差し出す覚悟を持っているのは、本当だろう。だが、それが理由ではあるまい?」

「なぜ、そう思われるのか?」

「お前があの子を本当に思っていると、我は確信しているからだ」


 それが前提。
 そして揺らがぬ真理であると宣言するように、アノンは言う。


「ならば、お前はできうる限りあの子を守ろうとするはずだ。お前が我を信頼した、ということを疑ってるわけではない。だが、たった半刻の会話で『命より大切なものを預ける』ほどの信頼というのは築けるものなのか?」


 問い詰めるのではなく、まるで同じ研究をする学徒に問いかけるように。
 彼はただ純粋な疑問を、夜叉に向ける。


「おかしいのだよ、オアドよ。それほどまでに大切なのであれば、お前は我にこう頼んでいるはずなのだ。あの子を理不尽から守ってくれ。そのためならなんでもする。『その約束が守られる限り』……と」


 公式の矛盾。

 成立しない等号。


「あの子が守られる……そんな保証はないのだよ。現時点では。なれば自分を担保に約束を守らせるのが道理だ、にもかかわらず、お前はあの子を我に託し自分はその場にいない、という未来を前提とした願いを言った。となれば、考えられることは限られる」


 与えられたXを元に、改めて解を求める
 王の指が、一つ立てられる。


「一つ目は『打算』。モニンを我に預けることそのものが、何らかの目的の布石だった場合。預けるまでがモニンの価値であり、それ以後はどうでもよいということ。……まあ、我が誰がを知らずに持ちかけたのだ。それはあるまい」


 一つ目の解は否定される。


「二つ目は『愚者』。我が約束を反故にする可能性をお前が考慮に入れていない場合だ。……だとすれば、そんな愚か者を一角の者だと手を握った我は、相当に人の見る目がないということになる。そして、三つ目は『妥協』。何かやらなければならないことがある場合だ。モニンの為か、お前のためかはともかく、やるべきことのため苦渋の思いでモニンから離れる。その妥協点が我だった」


 二本、三本と立てられ、ようやく『≒』が見つかった。
だが、イコールではない。


「さて……本当は、三つか五つと、切りのいい数で閉めたいが、これが最後だ」


 四本目の指が立った。


「『無念』。したくても、それができない。……たとえば、お前の命がもう残り少ない、とか、な」


 ひらひらと、彼は親指以外が開かれた手を振りながら、オアドをにらんだ。
 オアドは、一度喉を鳴らして、


「アノン殿……どこまで、気づいておられるか?」

「たいしたことはわかってはおらぬよ。ただ、シトリーがな」

「あの女人が?」


 すでにこの部屋から去った彼女を思い、オアドはなんとなしにドアに顔を向ける。
 驚きの顔を隠さずそんな行動をとった夜叉に、四腕の王は以外に可愛げのある男だと思いながら、表情を変えずに自分の解を伝える。


「お前の命力が、ありえない勢いで消耗している。そう言ったのだ。伝説に在るとおりであるなら……お前、『飲んだ』のだろう?」


 オアドは、表情を変えない。
 そして、体も動かさない。
 だが、アノンは確信を持って言葉を続ける。


「夜叉の一献を」






 『夜叉の一献』


 夜叉族の男が常に持ちあるくと言う、酒のことである。

 それは、必ず一人一つ持っており、その作成方法は謎。しかしその味は極上のものとされる。
 だが、それを飲んで生きていけるのは、夜叉族のみ。
 あまりの強さに人間や他の亜人では、血液が沸騰して死に至る、と噂される。
 そして、その夜叉でさえも、寿命を縮ませ、命力を減らすと言う。


 だからこそ、夜叉は末期の酒として其れを飲む――。


 人々が噂する伝承だ。

 だが、一部の研究者ではすでに認知されていることだが、実際は酒ではなく、夜叉族の奥歯近くにある、一本だけ左右非対称に生える牙のような歯のことだ。
 これを、命力――この世界において存在が明確に確認された力であり、法則の一つ。
 魔力に対する、あらゆる生命の根源の力――を込めて砕き、そこから出る血と歯を飲み込むことで、夜叉族は能力上昇や致命傷からの回復すらも可能とする、超人的へと体を作り変えるのだ。
 だが、その代償として命力を急速に放出し続けることになる。

 本来肉体の内なる部分に集まるそれを外部へと広げることで、爆発的な力を出力しているためだ。
 さらに一度広げてしまえば、たとえ『力』への変換を止めたとしても完全にふさがることは無く、少なからずの命力がこぼれ続けることになる。

 燃料を排出するバルブと配管を想像すると理解が早いかもしれない。
 一気に開かれ限度を超えて消費される燃料は、確かに一時的に大きな炎を作り出すだろう。
 だが、それは同時に枯渇の時期を大幅に早めることになる。
 そしてあわててバルブを閉めたところで、配管があまりのエネルギーの奔出によって破損しており、火にもならず漏れ続けるのだ。

 命力が尽きれば、体力、傷、病によらず、あらゆる生命はその幕を閉ざす。
 それが、この世界の法則だ。

 故に、それは末期の酒。
 夜叉は、命を代価に勝利という美酒に酔う。


「ああ……使った。オレの命は、このままではおそらくあと10日で尽きると思われる」

「ふむ。では、可能性の三番目と四番目……妥協と無念の両方が、正解だったということか」

「アノン殿、其れは違う」

「む?」


 一人納得し、四腕を組んで頷いていたアノンは、オアドの否定に繭を少しだけ動かした。


「オレは、アノン殿を信じた。もともと頭は悪いのだ。『愚者』はただ直感を信じるだけだ」

「……」

「そして、オレはもう命がない。ならば、いつかはどこかで誰かに託すことを選択しなければならない。……これは『妥協』だろう」

「ふむ」

「もう一つ、オレは夜叉族だ。……死ぬのならば、戦いで死にたい。戦場いくさばを用意できるのは、民ではない。支配者だ。ならば、アノン殿を選ぶのは、オレのための『打算』」


 ここでオアドが一息ついたとき、アノンは「ほう」と相槌を打った。その顔は、にやにやと頬が緩むのを隠そうとしていない。
 この掛け合いが面白くてたまらない、そんな顔だ。


「では、当然、『無念』もあるのだろうな?」


 アノンの問いに、頷きで返すオアド。

「……あの子が美しく聡明に育つ姿をオレは見られぬ。それだけが『無念』だ。つまりだ、アノン殿。貴方の流儀で言うなら、4つ全てが正解なのだろう」

「っくっく。………たわけが」


 夜叉を一言で切り捨てるのは、王の一言。
 だが、その声の抑揚が持つのは王の威厳ではなく、悪戯好きな子供のそれだ。


「なるほど。なるほど。これで丁度切がよくなった。五つ目、『賭博』か。……何不思議そうな顔をしている、オアドよ。愚者が打算し妥協して無念を残す。それをな、人は『賭け』というのだ」

「賭けに勝ったか、オレはそれを見届けることなどできぬが、な」


 楽しい談笑は終わり、アノンは「は」と笑うようにため息をつく。


「ひどい話だ。結局のところ、お前が我に差し出そうとしたものは、もはや燃えつきかけた油の壺だったわけだ」

「だが、それでもその火は、僅かな時で城をも燃やしつくせると自負している。……最後の命の炎、必要があれば如何様にもお使いくだされ」


 赤き体毛の夜叉の蒼き瞳に、戦士としての炎が宿る。
 その言葉には、なんら誇張もないのだろう。そして、己の命の使いどころを覚悟した、漢の目だ。

 っち、とアノンは不満そうに舌打ちをする。

 それは夜叉を罵ったのでも疎んだのでもない。
 過去に、同じような存在を何度も見て、また、見るだけしかできなかった己をふがいなく思ってきたであろう、多くの人の上に立つ者の持つ、悔恨だ。


「一つ聞きたい。なぜ、そこまでする? ……あの子のお前への呼称。そして話を聞く限り、あの子はお前の子ではなかろう?」

「友の、最後の頼みゆえ」

「……続けろ」、

「オレの親友で、ライバルだった男だ。あの子の父親だ。……オレが、最後に見捨ててしまった男だ」

 机に置かれたオアドの手に、ぐぐっと力が込められる。

「オレは誓った。くだらぬ言い伝えを信じ、モニンを殺そうとしたオレの償いと、そしてあの誇り高い男の意思を引き継ぐため。そして自らの命を削ってまでオレを救おうとしたモニンを守ると」


 アノンは、「モニンを殺そうとした」というオアドの言葉にも驚いたが、それよりも気になることがあり、それを問う。


「命を削る?」

「あの子の治癒は、魔力だけではなく命力も使う。夜叉の一献ほどではないが、人の身を考えるなら、決して軽々しく使える大きさではない。そして、友との戦いに敗れたオレはモニンの治癒によって救われたのだ」


 それは、幼さによって命の儚さを理解していないが故の、死というものを曖昧にしか捕らえられないが故の、現実を知らない子供の優しさから出ただけのものかもしれない。
 もっとも、それはこの夜叉の男もわかっていることなのだろう。
 が、そんなことは関係ないのだな、と、アノンは口に出さず理解し、ただ、嘆息したのだった。

 戦いのみが全ての一族の、その中でも誇り高いであろう男、オアド。
 その彼は同じく尊敬する友に負け、託され、そして自分が殺そうとした相手が命を削って救われた。

 それが、全てなのだ。


「オレの話は、これで全部だ。隠してることは何も無い」

「ふむ、了解した」


 アノンは、感傷には浸らない。

 それで何かが変わるわけではないし、そもそもとしてオアドがそんなことを望んでいない。
 今、やるべきことを、大事なことを、間違えてはならない。

 彼は、王である。



「オアド、お前、我に命を預ける、と言ったな」

「うむ」


 アノンは、悪魔が誘惑するような、魅惑的且つ歪んだ道楽心を含んだ笑顔をして――


「ならば……もう一つ、『賭け』をする気は無いか? チップはお前の命。そして勝利の商品も、お前の命だ」
















「ぬぅ……」


 大理石のような、つるつるとした岩肌の部屋で、真白いベッドに真白い肌着を付けて寝かされる、夜叉の男。


「おじちゃん……」


 その彼の手をぎゅっと握り、目に涙をためる、人間種の童女。


「おじちゃん、お別れなんて、やだよ」

「そう、悲しそうな顔をするな。モニン。安心して眠れぬではないか」

「うん」


 あの会合より一週間。彼らはこのアフェバイラの首都にやってきた。

 今いるここはアフェバイラの王家公式の医療所の一室である。
 そこで、夜叉の男、オアドは永い眠りにつこうとしている。


「きっと目覚める。何年かかるかわからぬが、きっと、だ」

「うん……」


 オアドは、永い眠りにつこうとしている。だが、永遠の眠りを望んで、ではない。


「……アノン殿、シトリー殿。……この子を、お頼みする」


 少し離れた場所に立つ、四腕の男と魔鬼の女。


「ああ、任せておけ。だが、甘やかしはせぬぞ?甘やかしたいのであれば、生きて戻り、お前がしろ」

「お任せください、オアド様。王は、基本的に甘やかす人なので、きっちり私が見張ります」


 ジロリ、とアノンは隣の魔鬼を睨むが、すらり、と無視するあたり、いつもの光景なのだろう。
 ふん、と照れくさそうにアノンは首を振り、


「オアド、オレは、お前の僅かな命なんぞいらん。お前への貸しは、お前が生きて我に役立ち返済するのだ」

「……心得た」

「そして、約束どおり、9年だ。この子がこの国での成人の年齢となる、9年は待ってやる。あの子への加護の保障は、そこまでだと思え」

「……うむ」


 少女が数えで14となるそのときまで、衣食住、そして生命の保証はする。
 その代価に、オアドはこの「実験」に参加する。
 それが、契約であり、賭けの道具だった。


「よろしいですか?それでは、最後に確認させていただきます」


 もう一人、ようやくか、と部屋の隅に立っていた白衣の男――モニンに注射しようとしていたあの医師が、全員のもとにやってくる。


「今回の実験は、仮死状態に近づけての、命脈の回復の確認です。命脈は自然回復する――その仮説の証明がテーマとなります」


 あらゆる生命は生きるというそれだけで、必ず命力を消費する。
 だが、それは休息によって肉体の核の核の核である命源から補充され、0にはならない。
 しかし何かの拍子――たとえば血が失われたり呪いにかかったりと、大きく命力が奪われれば、補充が追いつかず死に至る。
 また、命源にある命力が尽きた場合も、肉体に命力が補充されなくなり死――いわゆる老衰するのだる。
 その中で、命源から肉体への配管――すなわち命脈が破損する病気が存在する。
 すると、命源にはまだ命力が残っているのにもかかわらず、肉体にいきとどろかなくなったり、または命源から必要以上に命力が零れ落ちてしまう。
 この両方の現象が起きているのが、『夜叉の一献』の副作用だ。

 命脈は、自然回復すると言われている。

 が、その回復はあまりに遅く、数十年がかりだという。……数値的に、誤差の可能性があるとしかいえない程度の結果しか出ていないのだ。
 そして命脈が本当に回復するのか確認が取れぬまま、人、亜人は死んでしまう。

 そこで、だ。

 命力の消費を仮死によってできる限り抑え、且つその仮死の者が生き残ることについては間違いなく最高位である夜叉族の戦士ならば?
 もしかしたら、命脈の回復が命力の枯渇を上回るかもしれない。

 そしてもしそうなったのであれば、それは「命脈は自然回復する」という実証が得られることになる。
 これは、医学会におおきな進歩をもたらすだろう。
 だが、これは何の保証も無い賭けだ。
 全てが未知数のため、計算による可能性の算出も精度的な意味をあまり持たない。
 つまり、戦士としての誇りある死を果たせぬまま、ただ死ぬことも十分にあるだろう。

 だが、オアドはこの道を選んだ。


「これもまた、命を掛けた戦いだ」と。






 ゆっくりと、注射がなされる。


「う……むぐっ……」

「おじちゃん!」


 苦しげな声。
 徐々に、オアドの意識が薄くなる。全てが、白い闇に近づいていく。
 魔力と薬物のその混合剤は、仮死を引き起こす――とされている。
 されている、だ。
 保証は無い。
 ……これは、オアドには伝えていない実験の一つであった。


「ぐ……ぬ……………」

「睡眠状態に入ったものと思われます。脈拍、命力の波動、安定しました」


 医師の言葉に、アノンは頷く。


「大丈夫だ、モニン」


 アノンは、モニンの肩を叩いた


「おじちゃん……」

「いくぞ、モニン。……お前には、やるべきことが、山ほどある」


 約束は、守る。
 だが、生きるために必要なのは、加護ではない。
 本人の努力だ。

 その為に、すべきことはいくらでもあった。

 アノンは、動かないモニンの肩への力を強めようとして――


「……王。今は……」


 シトリーに止められた。


「あの、ね?」


 ぽつり、と言葉を漏らす、モニン。
 だが、その体は人形のように動かない。


「みんなね、そういうの」


 その瞳も、動かない。
 ただ、オアドの顔を見つめている。


「ママも、パパも、『大丈夫』って。絶対に、戻ってくるって」


 部屋に、少女の言葉だけが、音として響く。
 たとえ王であっても侵せない、神聖な祝詞のように。


「でも……ね。帰ってこないの。ママは、土の中でお休みしてて。パパも、雪の中にもぐっちゃって。帰ってこないの」


 祝詞をあげる巫女はそこで振り返り、この部屋に入ってから初めて、オアド以外の顔を見る。


「おじちゃんは……起きるよね?」


 アノンと、シトリーのその顔を。


「モニンちゃん!」


 思わずモニンを抱きしめたシトリー。
 大丈夫、などという安っぽい言葉は、この聡い少女には意味を持たない。


「ふぇ……ふぇええええええええええっ……」

「泣きなさい……今は、何も考えず……オアドさんのことだけを思って、泣きなさい……!」

「うえぇぇぇぇぇん!」





 部屋を立つのは、王と医師。
 そして――王はため息をつく。


「本当に、外道だな、我は」

「察します」

「……すまぬ」


 アノンは、一度だけ立ち止まり、そのまま振り返る。
 閉した扉の向こうで、モニンの声だけが聞こえている。


「そうだ、今はまだ、泣いておけ。どうせ、泣く暇も無いほどの、苦痛と疲弊が、お前を待っている」


 ぐっ、と、握り締めた4つの手。
 爪が食い込んで、なおそれは強くなる。
 そして、その一つから、ぽたり、ぽたりと赤い鮮血が滴り落ちた。



 白い床に広がる赤。

 赤。

 赤。




 それはまるで、赤く染まる雪のように見えた。









「モニン……ああ、俺の至宝の若芽よ。……先に言ってなさい。おじちゃんのいうことを、よく訊くのだよ?」

「うん……おじちゃんのいうこと、訊く。パパは?」

「後から行くよ。だから、元気に、いい子にしてるんだよ?」


後悔の過去



「王?」

「モニンを……災厄の魔女を、公開断罪する。それにより、我らは亜人と手をとりつつも、フェリスの教えに従順であるというアピールになる」


悪意の進む現在



「そんな……裏切ったのか!アノン!」

「何を言う。モニンの成人まで、たしかに守った。……その後はしらんよ」


希望なき未来




全てがつながり――そして、真実という名の絶望がやってくる。



次回 『赤く染まる雪 終幕』

お楽しみに



[25472] 第六話 『赤く染まる雪 真実編』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:e486881d
Date: 2013/09/18 01:46
 暗闇の中を進む。

 体にまとわりつくのは水のような抵抗。その中を押し出されるように進んでいく。
 これが他の亜人の言うところの、『泳ぐ』という感覚なのだろうか、と、オアドは混濁する意識の中でなんとなく思った。


 夜叉族の男は例外なく泳げない。

 あまりの筋肉の発達により比重がとても重く、どうあがいても体が沈むからだ。
 とはいえ並外れた肺活量があるため、水にもぐったことがまったく無いわけではない。川底や浅い海底を歩き漁をすることは珍しくない。
 だが、底の着かない水の中で、かき抱くように進むのは、経験の無いことだ。

 だからオアドは、これが現実ではなく夢の中なのだと、特に理由はなく納得する。


 ああ、そうだ。これは夢。
 過去を懐かしみ、そして悔やむ、悔恨の夢――だってほら、すぐそこに、あの日の光景が見えてくる――






「この子が、災厄の魔女、だと?」

「そうだ。我らが親方様が触れを出した、その災厄の魔女――俺の娘のモニンだ」


 唐突に自分は吹雪から逃れるための洞穴に座っていて、目の前に現れたのは、すでに亡きはずの親友の戦士。その膝元には、小さな人間種の少女。
 オアドは悲鳴にも似た歓喜の声を上げようとして、それができない。
 だた、その『自分』は淡々と彼と会話を交わしている。

「ほんとう……なのか」

「ああ、俺のこの大鎚に誓って」


 過去の夢。
 あのときの夢。

 そう理解してしまえば、『彼』の精神はいつの間にか夢の自分と溶け合うように意識が同調する。


「災厄の魔女は、お前の娘だったのか。……そして災厄の魔女を探し、捕らえるという親方様の触れがでたから、離反したのだな。だが、なぜ今それをオレに伝える」

「この子が、お前を救おうとしたからだ」


 戦士の無骨な手が、少女の髪を優しく撫でると、彼女は少しだけくすぐったそうに顔をほころばせた後、


「もう、大丈夫?」


 オアドにそう問いかけてきた。


「……うむ」

「もう、お怪我、いたくない?」

「ああ、大丈夫だ」


 これが、オレが殺そうとした「魔女」なのかと、混乱したまま、オアドは素直に頷くと


「うん……よか……った……」


 そのまま倒れるようにモニンは眠ってしまった。
 オアドは驚きのあまりに思わず立ち上がりそうになるが、目の前の戦士は軽く手をあげてそれを制する。


「大丈夫だ……お前を救うために、我らが災いと歌う『癒し』を使い、体力を消耗しているのだろう」


 どういうことか、とオアドの問いかけに、彼は続ける。


 彼女の『癒し』は、魔力ではなく己の命力を消耗するということ。
 それが命を縮めると知っていながら、モニンはオアドを救うためにそれを使ったこと。
 オアドが辛そうに戦っていたのをこの洞窟から見ていて、優しい人だと思ったからということ。

 そして――禁地であるマカルの向こうには、「神に見放された者達」であろうと向いいれるという『アフェバイラ』という国があるらしいということ。


「そんな国――本当にあると?」

「信頼できる土小人の商人に聞いた。……もっとも、その商人にしても、別の亜人種から聞いた噂でしかない、と言っていたがな」

「それを、信用するのか?」

「……するしかないのだ。もう、他にこの子を幸せに生きていける方法が、俺には思いつかん」


 頭が悪いのは、俺らの種族の最大の欠点だ、と彼は笑う。


「まったくだ」


 オアドはそう返して――


「だから、まあ、そんな愚か者が一人増えても、構わんだろう?」


 眠りこけるモニンを見ながら、そんなことを言ったのだ。










「逃げろ!このままでは追いつかれる!……あれは魔人形兵だ」

「一族の遺産兵器ではないか!……オアドよ、親方様は、本気らしいな」


 舞台は変わる。


 これは、親友と別れた、あの時の光景。
 そしてオアドの意識も、一瞬で過去の自分に同化する。

 追っ手は数百の人形たち。戦うだけならば勝てない相手ではない。
 だが、モニンがいる。
 人形はモニンのみを狙ってくる。
 そして、なにより人形たちは寒さにも疲労も関係なく追い続ける。どうしても、後手に回ってしまう。


「オアド」


 そんなときだ。
 その男が、声を上げたのは。


「なんだ?」

「この子を連れて、逃げてくれ」


 厚手の防寒布(とある魔獣の毛皮)にくるまれて、熱にうなされながら眠る、モニンを両手で差し出す。


「何を言っている?」

「もう、もたぬのだ」


 その言葉で、戦士であるオアドは気づいた。


「お前……まさか『飲んだ』のか?」


 それを意味する言葉は、一つだけ。

 一献を、飲んだのだ。


「実は、お前と戦う前から、な。……それしか、方法が無かったのでな。さすがに、あんな人形とは違う夜叉の精鋭たちだ。いい戦士ばかりよ」


 追っ手は、オアドだけではない。
 当然、オアドとの戦いの前から、夜叉の戦士は追っ手として動いていた。

 呆然とするオアド。
 そして、モニンが目を覚ました。


「……ぱぱ?」

「モニン……ああ、俺の至宝、希望の大樹の若芽よ。きっと、健やかに、優しく、幸福にあれ。……先に、オアドと行くんだ。オアドの言うことをよく訊くのだよ?」

「うん……おじちゃんのいうこと、訊く。パパは?」

「後から行く。だから、元気に、いい子にしていなさい」

「うん」


 そのあとのことを、オアドはよく覚えていない。
 ただ、少女と友の使う大槌を託されたことだけを、魂に刻まれたように記憶している。

 そして最後に思い出すのは―ー


「さあ!俺は夜叉族最強の戦士、ン・ツク!人形たちよ!お前たちに恐怖と言う感情を教えてやろう!」

 夜叉の戦士の見せた、最後の雄姿であり、


「ぱぱ!ぱぱぁ!」
「だめだ!モニン!」


「おおおおおおおオオオオヲヲヲっ!」


 そして、数百の人形を巻き添えに雪の中に沈む、親友の姿だった。

 親友の最後を見届けながら、オアドは思う。
 きっと、自分もそう近くないうちに、この子を守るために『一献』を飲むだろう。

 そう、予感めいたものを感じながら、オアドはモニンを抱きしめ、振り返らずに山に向かった。







 変わる。
 公演が変わる。


 世界は闇。


 だが、自分が確かな光の下にいるのだと実感するのは、なぜだろうか。

 この感覚にはオアドも経験がある。
 光の差し込む場所で目を閉じている。

 そんな状態を感じた―ーその時だ。


「神敵ですぞ!? 本気ですか、王よ」


 眠りの長い時間の中で、深い眠りと浅い眠りがあることを、書物の知識ではなく経験として知っていた。
 夜叉の肉体、そして五感は驚異的な力がある。
 浅い眠りのとき、肉体が休んでいる分鋭敏になった聴覚がどこか遠くの会話を拾い、それを夢に見ると言われている。

 だからこれは夢であり、そしてどこかで起きている会話なのかもしれない。
 体の動かぬオアドは、ただ耳に伝わるその会話を、何の感情も持たないまま、ただ記録するように受け止める。


「ああ、本気だとも」

「確かに、我らは法によりいかなる信仰や思考も保護され、その対象も保護しています。ですが……その、建前である部分も確かです。フェリスの影響を加味して、暗黙的に避けるべきところは避けているでは在りませぬか」

「建前上、か」

「神敵が保護されるとあれば、当然フェリスは処刑の要求や引渡しを求めるでしょう」

「然り。フェリスの影響は国内はもとより、直接本土に火をまくことになりかねませぬ」

「だがな、我は、アフェバイラ内のみでいえば、機は熟し最高のチャンスとも思っている。亜人との交流もようやく普通のことと思われ始めた。……乗り越えるべきは、フェリスの呪縛なのだ」


 その会話の中の一つの声、王と呼ばれる人物の声に、聞き覚えがあった。
 だが、夢でしかないそれに、感情は何も動かない。

 会話は続く。


「……確かに、そうかもしれませぬ。ですが、フェリス法国は必ず口を出してきますぞ?その結果、戦争に発展する可能性もあります。……負けるとは言いませぬ。また、いつかは戦いになる覚悟もあります」

「だが、今ではない。そうではないですかな?」

「ようやく夜叉族を取り込めそうなこの時期、災厄の魔女を囲うのは、厳しいのでは?」

「建前……下らぬものかも知れませぬが、それがアフェバイラの平穏につながっている、ということも、確かなのです」

 次々とあがる、王に反対意見。

「建前、そう、建前だ」

「王?」


 ここで、しばしの沈黙があった。


「仕方ない。オアドとの約束、『保護』というのも、建前であったのだ。モニンを……災厄の魔女を、公開断罪に掛ける。それにより、我らは亜人と手をとりつつも、フェリスの教えに従順であるというアピールになる。また、これで夜叉の一族にも面目もたつだろう」


 会話は続く。
 そこに欲望と打算があふれたまま、忌まわしい談合が続く――








 夢。

 夢を見ている。

 それは現実の写しなのか、それともただの悪夢か、見ている者にはわからない。



「魔女め!神敵め!」

「石を投げろ!血を流させろ!」


 それはどこかの決闘場の中央。

 高くせり上がった舞台の一角のようなその場所で、少女が貼り付けにされている。


「いやぁ……やだぁ…」


 くぐもった悲鳴はか細く、それは怒声に掻き消される。



「冒せ!侵せ!犯せ!」

「災厄の魔女!神敵は殺せ!」



 鞭で、石で、そして汚らわしい男の欲望で。

 次々と少女が嬲られる。



 夢。

 されど、鼻につく血と噎せ返る体液の匂い。


 夢。

 されど、忌々しき少女を罵る声。


 夢。

 されど、目に焼きついて離れない、少女の汚され傷ついた肢体。


 そして――


「助けて……助けて!おじちゃん!」


 愛しき少女の、悲鳴。












 まずは、光があった。

 それ以外には、何も見えない。
 真っ白に染まった視界は、まるで雪の世界。

 鈍痛が引くように徐々に世界が色づいていき、最初に認識できたのは、天井に突き出すように上げられた、己の腕だった。

 それは悪夢を払いのけようとしたのか、救いの手を伸ばしたかったのか、伸ばされたかったのか――

 ただ、確かに何かを求めたのだと、混濁した意識がクリアになるのを感じながら、そんなことをオアドは思う。

 夜叉の男の、目覚めによる切り替えは早い。たとえいかなる眠りであっても、先頭に反応する戦士のものだ。
 だから、自分が眠る前にどんな状況であったのか、先ほどの光景が夢でしかないということ、そして自分は今目が覚め、起き上がったのだということを、彼はすぐさま理解する。


「ここは……?」


 眠りにより明らかに前よりも痩せた上半身を、引きつるような痛みに耐えながら起して見回せば、そこは眠る前のあの医療所の一室ではなく、どこか別の、私室のような場所だ。
 どうやら寝ている間に、なんらかの意図により別の場所に移されたらしい。


「……オレは、生き残れたのか」


 これがもし、優しい夢や死後の世界ではないと言うのなら、自分は、やったのだ。
 夜叉の一献を飲んで、そして生き残った。
 賭けに勝ったのだ。


「感謝、いたしますぞ、アノン殿」


 乾いたままのせいか、喉がひりついてうまく言葉を発せないが、それでも何とかそう口に出す。

 あとは、モニンに一刻も早く会いたいが、今時分のいる場所もよくわからないのだ。待つしかないだろう。
 ふと見れば、少し離れた扉の近くに家具、その上に水差しがある。
 断る必要も無いだろうとそれを飲もうとベッドから降りる。


「……っつ!」


 引っ張られるような感覚と、指すような痛み。
 気づかなかったが、己の体に何本も管のようなものが刺さっていた。
 しかし、そのままにしているわけにも行かず、オアドはぶちぶちとそれをはずし、まだうまく動かない体をのっしのっしと引きずるように歩いて、水差しを手に取った。

 一息に飲み干す。

 妙な味だったが、長いときを経て体が求めていたせいか、「うまい」と漏らさずにはいられない。
 人心地がつき、さてどうするか、とオアドが考え始めたそのときだった。


「……!」

「……だな。……も、う……くいか……」


 扉の向こうから、声が聞こえてきた。
 おそらくは、この館を管理、もしくは守っている誰かなのだろう。
 なら、彼らに現状を訊き、アノンとモニンに連絡を取ってもらうのが手っ取り早い。
 そう思い、扉のノブに手を伸ばそうとして、


「さすが、俺たちの王だな。あんなふうに災厄の魔女を利用して、国を安定させちまうんだから」

「夜叉の国も、これで万々歳ってわけだ。魔女の最後が見れて、安心してアフェバイラに属してくれるだろうぜ!」


 肉体が活性化しはじめ、夜叉の驚異的な聴力が戻りつつある中、その耳にありえない会話が聞こえてきた。


「どういう……ことだ?」


 オアドは、呆然としながらすぐに扉を開けることはせず、その会話に改めて意識を持って耳を向ける。



「それにしても……神敵、『災厄の魔女モニン』の最後、か。俺も行きてえな」

「まあ、今この国の一番の関心ごとだしな。きっと最後にいい声で鳴いて、楽しませてくれるに違いないぜ」

「ちがいない!そういう意味じゃ俺たちはほんとラッキーだったよ。なにしろ魔女が幼いころから楽しませてもらえたんだしな!」

「そうそう!いやー、あれはよかった。俺らがちょっと激しくしてやるだけで、いい感じに反応してな。へへ、そっちの趣味なんて無かったはずなのによ!」




「……なんだと」

 オアドは夢を思い返す。

 あの会話を。
 そして悪夢を。


「ま、魔女相手が筆卸っていうやつも多いだろうし、まったく、これで最後なんてもったいないことだぜ」

「仕方ないさ。王の決めたことだ」


 脳内に蘇る、汚されるモニン。
 石と罵声を受けるモニン。
 そして、断罪されるモニン――!


「きさまら!どういうことだ!」


 痩せ細っても、獅子は獅子だった。


「うぇ?へ、へぇぇぇぇぇ!!!」

「うわぁぁぁ!」


 野獣の咆哮が、オアドが飛び込んだ部屋いっぱいに響き、衛兵達(服装が眠る前と変わっていなかったのでそう判断した)は突然のことに腰を抜かしてしまう。


「答えろ!どういうことだ!今、モニンはどこにいる!」


 二人のうち、オアドに近いほうの衛兵をつかみ自分の高さまで持ち上げて壁に押し付ける。


「あ、貴方は……オアド殿!目をさま……」

「答えろ!モニンはどこだ!」


 血走ったオアドに完全に萎縮したその衛兵は、ぶるぶると震えた手で窓の外を指差す。
 その先には、ひときわ高く立っている塔があった。


「あの……塔のすぐしたの……神殿、です。あ、あの!」


 それを聞いた後の記憶を、オアドは覚えていない。

 ただ、真っ赤になった世界を延々と走った事だけが、彼に残っている記憶だった。


 本来なら、一時間は全力疾走できるはずの夜叉の体だが、疲労しきった肉体、命脈が直っただけでろくに命力がたまっていないその状態はすぐに無理が来た。
 気づけば、神殿の中に作られていた――「断罪の祭壇」のすぐ近くで、衛兵達に捕らえられた後だった。
 魔鬼、四腕、牛角、そして人間の衛兵に、魔法と武具によって完全に身動きを封じられる。
 さらに、喉を押さえられ声を上げることもできない。

 なんとか視線を祭壇に向ければ、そこには一人の美しい少女――モニン。

 成長し、少女の可愛らしさを残しながらも麗しく成長した、親友の娘。
 その姿、どれだけ変わっていても、彼女の持つ優しさと麗しさは変わらない。

 そんなモニンを、見間違えることはありえない。


 彼女は、モニンだ。


 そして、モニンは、ボロボロの、その美しい肌を隠し切れない布切れのような服をまとい、さらにその首にはなにか首輪のようなものが付けられている。
 その周りに取り囲んでいるのは、この断罪を楽しむために集まった、下種な者達だ。

 なぜ、こんなことになっているのか。
 信じたくは無かった。
 だが、どう考えても結論は一つ。

 かっかっか、と、妙に規則正しい足跡。


「……ふむ、目が覚めたらしいな、オアド」

「……!」

「おっと、声が出せないのか。……おい、はずしてやれ。ただし大声は出せないように、沈音の術はかけておけ」


 夜叉の前に現れた、あの男。

 アフェバイラの王。

 押さえつけられたオアドの前に立つアノン。
 その構図は、まるで王にひれ伏し手いるようにも見えた。 


「そんな……裏切ったのか!アノン!」

「何を言う。モニンの成人まで、たしかに守った。……その後は知らんよ。丁度今日が彼女の成人でな」


 そんなことを、事も無げに語る、アノン王。


「貴様……キサマァァァァ!」

「静かにせよ。これから始まるのは断罪の最後の儀。神聖な儀式だ」


 気づけば、静まり返っている、神殿。
 怪しげな松明に照らされ、祭壇中央のモニンの体がゆらゆらと影を作る。




「……おっ!おっ!おっ!おっ!おっ!」

「……おっ!おっ!おっ!おっ!おっ!」

「……おっ!おっ!おっ!おっ!おっ!」




 影に誘導されるかのように、祭壇の周りの民が声を上げ始めた。
 拳を上げ、モニンに向けて叩きつけるように、何度も何度もそれを振り下ろす。
 ゆらり、ゆらりと火は揺れて、奇妙な高揚感が神殿中を支配する。


「モニン!モニン!」

「黙れ」


 アノンの合図に、衛兵がすぐさま口を布で塞いだ。
 むー、と声なき声を上げながらモニンに視線を戻すと、祭壇にはフードによって顔を隠した数名が、その手におどろおどろしい意匠が凝らされた、鎌、太刀、斧などを持っている。


「ふむ、始まるな」


 あれで、モニンの命を奪うつもりなのか――。
 そして、その凶悪な刃が、微動だにしないモニンの頭上に掲げられて、


「……ぐうおおおおおおおおお!モニーン!!!!」


 猿轡を噛み千切った、夜叉の絶叫が、断罪の合図となって――






















「きゃっほーい!『いけない魔法使い♪』のモニンちゃんでーす!さあ!私達、神敵(モニン'ズ)娘。のラストコンサート、みんな、応援してね!」

















 振り下ろされた武器は、モニンの体を掠めながら、きゅるきゅるとまわり、見事なジャグリングでフードたちの手を飛びかった。


 YEAH!


 と大きくモニンが手を突き上げたのを合図に、いっせいにそのフードを取り払う。

 その下から現れたのは、全員、見目麗しい少女達だった。
 さらに、手にしていたはずの巨大な凶器たちは、いつの間にか小さな鈍器マイクへと姿を変えている。






「あたし、ポタポもいるわ!」

「コッシスだよ。みんな、今日の『断罪』!最後まで精一杯戦おうね!」

「フラン。……うちも、最後までがんばる」






「ひゃほおおおう!」

「いっけない!いっけない!魔法使い!キャッホウ!」

「モニンちゃーん!今日もおへそがキュート!破れドレスがもう神敵すぎる!」

「ポタポちゃーん!俺だ!結婚……じゃなかった一騎打ちしてくれ!」

「コッシスちゃん、解散してもソロコンサートには参戦するよー」

「フラン殿!そのクールなところが神敵ですぞ!」

「いっけない!ソレ!いっけない!」

「MOOOEEEEEEEEE!」

「おーいそこの牛角族のにーちゃん。神敵(モニン'ズ)娘のラスト・コン・サァトに参加できて嬉しいのはわかったから、おちつけ、なー?」






 神殿会場のボルテージが上がっていく、その一方。

 ここは関係者用通路では、コンサート開催直線に取り押さえられたことになっているオアドと、衛兵達とコン・サァト責任者のアノン。
 とはいえ、アノン本人がここに来ているのは、民には内緒である。


「ふむ、つかみはOKだな。さすがモニン」

「…………」

「……おっと、もう沈音は解いてよい。どうせ観客達の歓声のほうが大きいだろう」


 魔法が解かれると同時に、オアドたちの周りには歓声とステージ上のモニンたちの歌声が響き渡る。






『ゴメンネ、今日もキミのハートを捕らえちゃう、いけない魔法を使っちゃうの!』

『使うわ!』

『するよ!』

『……していい?』





「きめ台詞キター!」

「つかっちゃう?どんどん使っちゃう!?」

「おへそがいけなすぎる!ふとももがいけなすぎる!唇もいけなすぎー!」

「買います!グッズ……じゃなかった、断罪の戦い記念品全種類買います!」

「僕らの財布に災厄キタコレ! 僕らのハートに幸せキタコレ!」

「モニンお姉さまー!あたし達を妹にしてええええ!」




 このまったく見たこともない異様且つ謎の状況に、オアドは脳内がぐるぐると回転するのを感じながら、


「……アノン殿?」

「む、なんだ?」

「これは、その、一体……」

「ふむ」


 そして、アノンは語り始める。

 あの会議のことを。








「仕方ない。オアドとの約束、『保護』というのも、建前であったのだ。モニンを……災厄の魔女を、公開断罪に掛ける。それにより、我らは亜人と手をとりつつも、フェリスの教えに従順であるというアピールになる。また、これで夜叉の一族にも面目もたつだろう」


 そんな、アノン王の発言に対して、家臣たちは



「正気ですか!王よ!」

「ありえません。モニンちゃんにそんなことするなんてありえません」

「あんな優しい子になんて恐ろしいことを! わたくしめが疲れているからと差し入れにスープ作っていただいたのに!」

「お、おおおおお……なんということを。わしの、老後のわしの憩いを王は奪うとおっしゃるのか……モニン殿はわしを『おじじ』と呼んでくれたのですぞ!」

「私こそ『お兄ちゃん』と呼んでくれたのだ!』

「王!大臣方、僭越ながら、近衛兵のわたくしは、『おにい』って呼ばれております!」

「えー、なにその響き。すごくいいじゃない。なんかずるい」

「ワシ、モニンちゃんのしてくれる肩たたきが唯一の楽しみでのう……お小遣い上げたら、あの子はそのお金でワシの杖を買ってプレゼントしてくれたんじゃ!」



 すっかり餌付けされてやがる高官の皆さんである。

 だが、そんなことはアノンも承知である。
 静粛に、と一度声を張り上げて再び会議の支配権を受け取ると、彼は先ほどの話の続きをする。


「公開された場所で、モニンに対し国民が断罪する。そんな『戦い』をするのだ。神敵に無理やり世界の平和や幸せ、そして愛の賛歌を歌わせよう。フェリスの言うとおり神敵が邪悪な存在なら……それはまさしく拷問であろう? 神敵はきっと、時には呪詛の歌……そうだな、失恋とか別れとかそんな悲しい歌や踊りもしてくるかもしれん。しかし! そんなときは我らは耐えてみせよう。疲労するまで断罪は続けられ、さらに我らは神敵を罵倒するのだ。この魔女め!神敵め!と。貴様の行動や仕草は神敵にふさわしい、とな。そうだな……この戦いを、我は『コン・サァト(アフェバイラの古き言葉で、声による儀式の意)』と名づけよう」


 王の言葉に、臣下の者達は初め、その意味がわからなかった。

 その中で最初に動いたのは、のちに数々の『断罪対象者』を見出し、『公開断罪コン・サァト』を成功させることになる天才、イアマスであった。

 彼は、アノンの言葉の意味を一瞬で咀嚼し、理解したのである。


「王よ……。その公開断罪は、アフェバイラの国各地の神殿の広間で大々的にやるのはどうでしょうか? 戦いには費用が必要ですから、特別税として神殿に集まった民からは金銭を徴収します」

 イアマスの意見に、さらに数人の賢しいものが「っは!」っと顔を上げた。


「ふむ……イアマス、貴様すでにそこまで読み取ったか。……続けよ」

「御意。……さらに考えますは、神殿に集まった民には神敵との戦いに参戦した証に、神敵のイラストをモチーフにしたバッチなどを販売してはいかがか?」

「採用だ。我も似たようなことは考えていたが、そこに気づくとは素晴らしい」


 どよどよと、会議の間にざわめきが広がり始める。

 新たな賢者が、イアマスに続き手を挙げた。


「王!戦いにおいて神敵を見間違うといけませぬ!姿写しの魔法紙を使い、モニン殿に多種の衣装を着せさらにさまざまなポーズや構図で記録。有料の手配書として大量に印刷するのは?」

「大臣、次の査定、期待しておくように!……しかし、だ。そこまではすでに想定済だ。我はサンプルを用意してある」


 差し出された手配書のサンプルが、シトリーにより持ち運ばれる。
 ここで、会議に集まった全ての臣下が、王の意思を理解した。




「おおおおおおおおおお!?」

「これは、モニンちゃんの寝顔?」

「こっちは犬と戯れるモニン殿だ!」

「女性衛生兵の制服……だと!?」

「……もしモニンちゃん水着姿とかでこれやったら、性の目覚め発動する男の子たくさんいるだろうな」

「利き手を使った筆卸ですねわかります」



 会議室はすでにお祭り状態である。

 だが、さらにとんでもない火薬が、ここに投下されることになる。


「もう一つ、伝えたいことがある」


 そんなつぶやきのような王の発言にもかかわらず、更なる言葉を拝聴しようと、部屋は一瞬で静まり返った。


「モニンは神敵であるが、さらに災厄の魔女でもある」


 ごくり、と誰かの唾を飲み込む音。


「災厄の魔女……つまり、彼らの伝承では禁忌を犯し、災厄を呼び込む魔法を使うわけだ。……つまり、だ」


 誰しもが、王の挙動を見逃すまいと、視線を一つにしている。
 そんな家臣たちを頼もしく思いながら、アノンは続けた。










「つまり、とってもいけない魔法を使う、ということだ」






「いけない……魔法、ですと?」

 ぶるぶると震える手で、大臣の一人が目を見開きながら、アノンに言葉を繰り返す。












「うむ。『いけない魔法使い、モニンちゃん』……………どうだろうか?」
















 王家に嫡子が生まれたときに匹敵する歓声が、そこにはあった。









「まあ、そんなわけでな。さらに探したら同じような立場な女の子結構いて、シトリーの案でユニット組ませてみたら大人気だ」

「あ、ああ……そう、か……だが、それでアノン殿。我らの国の親方――王は納得したのだろうか?」

「納得も何も、あれを見よ」


 そういってアノンが指差す方向には、


「おおおお!モニンちゃーん!ポタポちゃーん!」


 祭壇の最前列で大声をあげ、腕を振り回す巨漢の男。というか夜叉族。


「……親方殿ぉぉぉぉ!?」

「うむ、今では神敵娘。の大ファンだ。今回で解散となると訊いて、ワンワン泣いておった御仁だ。……おい、夜叉の長よ」


 呼びかけると、夜叉の親方は気づいたのか、少し名残惜しそうにしながらも、その巨体を震わせてアノンたちに近づいてきた。


「おお、アフェバイラの王よ!最前列の確保、ありがたく思うぞ!」

「なに、我らが同志となるのだ、長よ。我らは身内と同志に協力は惜しまぬ」


 そんなのんきな会話を始める、二人の王。
 オアドは少し震える声で、自分の王に話しかけた。

「……お、親方様?」

「おお、オアドか、お主達にはすまぬことをしたな。……ワシも災厄の魔女という伝承に踊らされ、さぞかし邪悪な存在だと思い込んでいたのだ……まあ、確かに彼女達のために夜叉の国はなくなりアフェバイラ領となったのだから、滅ぼされたと言えなくも無いがな!ぐわっはっはっは!」

「どういうことです?」

「我が凍土の土地は、アフェバイラに編入される。自治は俺らにあるがな」


 訊けば、この10年近い間にすっかり国交が成立し、とんとん拍子に決まったそうである。
 今では夜叉族はすっかり他の亜人、人間となじみ、友好関係ができているとかなんとか。


「そんな……いや、喜ばしいことなのだろうが……ン・ツクのことを思うと何かがやるせない……」

「ちなみにお前の友人とか言うやつなら、神敵娘。のマネージャー・広報担当をやっている。向こうでグッズ売ってるのがそうだ。ちょっと前にマカルで雪崩があってな。その中から壊れた人形兵とともに、仮死状態になってた夜叉の男が見つかって、その後すぐに蘇生した。そいつも一献を飲んでたらしいが、仮死状態になってたのが幸いしたな。……お前ら丈夫過ぎだろ」






「――は」






 腰から崩れ落ちるオアド。

 そのまま倒れこむ上半身は、大理石の主柱の角に盛大にぶつかり、さらに衛兵の一人が立てかけていた大戦斧の刃に吸い込まれるようにオアドの額が叩き込まれて――
 ゴォォォォォォォン!というものすごい音と共に、オアドは血の噴水を上げながら気絶した。


「む、オアドが倒れた」

「オアドォォォォォ!?おい、どうした?ワシが属国の決断したのがショックだったのか!?」

「衛生兵(医療スタッフ)!衛生兵ー!」



 そんな騒ぎの一方で――ステージのボルテージは最高潮になっていた。








「みんなー!モニンは、みんなの笑顔が、大好きだよー!」














そして、時は流れて――

帝国暦2年、大陸暦152年。



「せい!はぁ!とうりゃあああ!」


 窓から見下ろすその先には、帝国の王家親衛隊の、鍛錬の様子。


「そうだ!そのままだ!いいぞ!」


 采配を振るうのは、親衛隊長、オアド。


「腕の振りが甘い!まだだ!そんなことではオレ達の心は届かない!」


 我が国の歩兵において最強の男であり、忠義に厚い戦士である。


「肉体を!心を!そして命を燃やすのだ!それこそ、親衛隊のあるべき姿なのだ!さあ、声を振り絞れ!」


 そして、そんなオアドの支持によって、精鋭たちは士気を挙げていく。
 それは――










『モーニン!ッオイ!モーニン、ッオイ!』

「ダメだダメだ声が小さい!腕の角度もダメだ!」

『マッショー!マカショー!モーニン!ヘヘイッ!』

「そうだ!その動きを忘れるな!」


 見事なウェーブ、そして響き渡る手拍子と高速の腕の動き、そして一斉の跳躍により響く激震。



















「どうみてもオタ芸です。本当にありがとうございました」










「どうしてこうなった」

 帝王の呟き。


 まさかここまで夜叉族達がアフェバイラのオタ文化に染まるとは思わなかった。
 ただ、『親方』に訊いて納得もしてしまう。


 完全凍土の土地、厳しい環境。そして夜叉族の戦いに向けられた執着――
 早い話が、娯楽、趣味になるものがまったく無いのだ。あの国は。

 歌を歌おうにも、寒さに喉がやられる。在るのは夜叉の男の咆哮だけだ。
 彫刻や絵画?武具を触らせば一流でも、ノミや筆などどうやってもてになじまない。
 せいぜいが汎用性の低いカードゲームが関の山。
 それにしたって痩せた土地での農耕と狩猟が主であるなら、金などろくに使わない以上、賭けのチップは罰当番がいいところだ。

 そんな場所に、暖房器具の普及、新しい農耕方法、作物、漁の伝授が入り、生活が恐ろしく豊かになって、生まれるものは――余裕だ。

 余裕があれば、娯楽に人は手を出す。

 そして持ち込まれた、大量の『オタ文化』
 男も女も、全員ドハマリである。

 娯楽には金が必要。
 ならば、金を手に入れるにはアフェバイラにいくのが手っ取り早い。

 なにせ、炭鉱にしろ農耕にしろ開拓にしろ建築にしろ、その力の需要はいくらでもあるのだから。
 あれよあれよと言う間に、人材はどんどんアフェバイラに移っていく。

 ここで、もし夜叉族の『親方』が政治的な能力があったら、東ドイツのような壁を作っての囲い込みもあったかもしれない。
 だが、人望はあっても、彼らは結局のところ体育会系であった。
 最終的に、自治権を認めることでプライドを保ち、インフラと娯楽、そして「アフェバイラの金」という外貨のため、属国化に承諾することになる。

 ちなみに、これに対する反発などはきわめて微小であった。

 なにしろ、侵略どころか一方的な支援である。
 さらには彼らに「国」という概念が薄い。もちろん、縄張りという意識はある、
 だが、自治が認められている以上アフェバイラは同じ大陸に住むものであり、同志であり、協力し合う仲間なのだ。

 「税」として物品や作物や労働を行うが、アフェバイラはそれだけの恩得を夜叉の縄張りに提供する。
 アフェバイラという大きな土地に、自分達の縄張りがある。
 多くの夜叉はそう認識していた。


 そして、今に至る。



 すっかりアイドルオタとなり、いけない魔法使いモニンちゃん親衛隊隊長になったオアド。

 モニン含む、神敵の歌姫、亜人の歌姫達は、少なからず残っていた亜人、フェリスの確執や、新しき土地での交流に大きな影響を与えていたため、国家から下す護衛の面でも「王家公認モニンちゃん親衛隊」というブランドを発揮して、親衛隊への参加人数はどんどん増えていった。

 あれから10年がたった今でも、現役の『断罪対象者』――フェリス法国との縁が完全に切れたいまでは「アイドル」という新しい名前によって活躍中のモニンである。
 そのファンの数は、幾多のアイドルが増えたこともあり、またすでに年も20代中頃となり、最盛期の数こそ下回ったものの、いまだにトップアイドルの一人として活動している。

 また親衛隊の彼ら――正しくはオアドがはじめたパフォーマンスは、アイドルの応援と共に、戦場での士気向上の演舞としても使用されている。

 フェリスとの戦いにおいて、馬の戦車に乗りさまざまなオタ芸アクションをとりながら戦場を駆けるその雄姿に、フェリスの使徒軍は大きな恐れを持ったといわれている。

 そのパフォーマンスは多岐にわたり、それを見事に指揮、そして実際に演じるアクションの数々は「赤い月光」「千種のUNKNOWN」「死を生み出すもの」「精神戦車」と名づけられ、それはそのまま彼の異名にもなったのだ。
 一応、戦いによって生まれたものとして、「常勝将軍」「アフェバイラの鬼神」などもあるが、こちらはあまり目立ってはいなかったり。


 もともと当時書いていた漫画の締め切りに追われて、『王は原稿上がるまで缶詰の刑』とシトリーに連れて行かれたのがマカルだった。
 あそこは寒いのでまず外に出る気が起きないイコール部屋から出ないで原稿を書ける、という、恐ろしい仕打ちである。

 政治より漫画かよ!とアノンは言いたかったが、実際問題、アノンの描く漫画によって国民の支持率から、国民の仕事の貢献度などが変わるほどの影響力が生まれているので、おろそかにできないのは間違いない。
 というか大臣達、おまえら早く続きが読みたいだけだろ、とも思わないでもなかったが。

 それがきっかけでオアドたちと知り合ったのだから、世の中わからないものだ。

 さらに、眠ったオアドにすがりつくように泣いているモニンを見て、

「あんなふうに健気に泣く幼女マジかわいい。次の漫画のネタにもらった」 


 とか考えたり、


「こんな可愛い子、いろいろとプロデュースしたらすごくね?」


 とか思って実際にやってみたりする自分も外道なオタかもしれないけど、こいつらだって相当のダメ人間――ダメ夜叉だよなあ、と、誰に言うでもなく頷いてしまう、ていおーさま。



 ぴー!と大きな笛の音が、訓練場に響いた。
 どうやら、今日の鍛錬はこれで終わりのようだ。


「よし!それでは仕上げだ!最後に我らがアフェバイラ帝国、その国旗とアノン帝王に……」


 一同が、宮殿の頂点に掲げられた国旗に向かい――


「敬礼!」


 数百人の、一斉の敬礼。

 そして、帝王の姿を見つけ、にやり、と笑うオアドがそこにいた。





「ま……いっか。幸せそうだし」


 いいらしいです。



[25472]  番外編 「赤く染まる雪 おまけ編」
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:e486881d
Date: 2013/09/18 01:47
「あれはラジオ、ある場所から様々な音を国中に伝える道具です。こちらは電球。魔力のこもったイカヅチを使い発光させる、ランタンの発展したものだと思ってください」

「う、うむ……」


 あれからモニンとの再会も済み、いろいろあって、ようやく落ち着いたオアド。

 これからどうするかなど、決める事はたくさんあるが、指し当たって住居が必要だろう、と、王宮のすぐ近くの兵舎の一角を一時的な住まいとすることになった。
 今後、夜叉の国に戻るにも、こちらに定住するにも、いろいろと手続きや準備が必要になるためだ。

 しかしながら、文化的に発展していたとは言いがたい夜叉の国からアフェバイラにたどり着き、すぐに眠ってしまったオアドである。
 当時ですら、他国に比べてありえない発展をしていたアフェバイラであるが、彼はそれの技術力などを見る暇がなかった。
 さらにアフェバイラの10年は、他とは比べ物にならないほどに発達している。
 オアドにとっては、アフェバイラの様々な技術やインフラ設備は、すでに異世界のそれだといっていい。
 まあ、アノンの『前』の記憶が元となった技術が多いので、ある意味で本当に異世界のものではあるのだが。

 そんな未知の道具に触れ驚いている姿は、とても歴戦の戦士のものとは思えない。
 説明するシトリーも、どこと泣く笑いを堪えているようだ。


「くっくっく。可愛いものだな」


 そしてまったく笑いを堪えるつもりの無い、アノン。


「ふん、どうせオレは時代遅れの田舎モノよ」

「すねるな、オアド。……時代遅れもなにも、我が言うのもなんだが、このアフェバイラが異常なのだ。いくつかの外地とは取引があるものの、西側のフェリス法国はもちろん、東でも南の諸国には、こんな技術はない。初めてアフェバイラの地に降り立ったものたちは、みな同じような反応をするだろう」


 そういわれれば、唸るしかないオアドである。

 結局のところ、このような技術が提供、支援されるとなれば、大抵の国々は諸手を挙げて属国を選ぶのは、無理も無いのかもしれない。
 夜叉の凍土も、今では人間種や他のか弱い亜人も移住するくらいに、生活が楽になっていると訊く。
 なにより、アフェバイラに属した国々での、亜人、フェリス以外の宗教の者たちの扱いがまったく違う
 フェリスに怯えなくてもいい、むしろアフェバイラではフェリスを信仰しながら神敵であるはずの『神敵娘。』を敬愛してやまない人々もいるというほどのフリーダム。
 「神に見放されたものたち」である亜人や、土着宗教を信仰する者達が、フェリスの神殿で孤児院の手伝いやボランティアバザーをしたり、フェリス賛美歌を娯楽として聴きに行くこともあれば、フェリスの神官がモニンのバッチをつけていたりするカオス。


 正直、こんな光景を見てしまえば、今までの種族間のいざこざなど本当にどうでもよくなってしまうから不思議だ。
 だが、アノンやシトリーの話を聞けば、それは並大抵のことではなかったことの理解は難しくは無い。
 実際、アノンがそういった行動を始めて、80年近い年月を経たからこその、この光景なのだから。


「そして、この使い方ですが――」

「ま、まってくれシトリー殿。少し頭が疲れてきた」


 とまれ、便利で平和な生活には、それなりに覚えることが多く、オアドはついに白旗を揚げる。


「くすくす……では、少し休憩にしましょうか」

「助かる。……むう、こんなところをモニンに見られなくてよかった」


 モニンはといえば、神敵娘。は解散しても、まだまだお仕事がたくさん入っているため、他のメンバーと共に巡業中だ。
 もともと、「神敵娘。」は、アフェバイラ王家の保護下によって成立した一つの事業であり、神敵のイメージを取り払うための政策でもあったのだ。
 デビューするまでの厳しいレッスン、さらにアノンの様々な「宗教的な規約により迫害される優しい女の子」が主人公の漫画とそのラジオドラマにおける中の人効果。さらにこの話はモデルとなった事実があった、という噂をばら撒き、フィクションの「主人公」と、実際の「モニン」を重ねあわさせることで、大衆はあっさりと彼女達を迎え入れたのだ。
 まあ、あれである。
 実際のところ、どれだけ「神敵」などと銘打ってフェリスのような『断罪』をうたったところで、立場を変えて第三者視点から見れば、単なる虐めと理不尽な迫害以外の何者でもないのだからして。
 それを、アフェバイラでもっとも影響力の高い「漫画」で、国民の98%が読むのである。もちろん作品の中では「ファリシュ教」や「神の敵対者」などと名前は変えていたが、何が元なのかは言うまでも無い。
 少数ながら、フェリスを貶めているという批判意見が出たことはあったが、

「え?だってフェリスは実際にこれやってたじゃん」

 という圧倒多数の意見により埋没する。
「それは相手が邪悪だからいいのだ」
 という切り替えしは、彼らもブーメランになることを理解していたのだろう。
 それを言ったが最後、

「じゃあ、たとえフェリスの教えとして神敵になる存在も、優しい、とてもいい子ならフェリスは神に祝福されたものとして扱うんだね」

と、返されるは必須である。
 フェリス法国の支配権なら、「神敵は必ず邪悪。それは全部我らを騙す策略」と言い切ることもできるかもしれないが、3割近くが神に見放された亜人と土着信仰の人間たちであるアフェバイラでは不可能だ。
 あっというまに総スカンになる。
 そんな状況下で、華々しく「断罪対象者」としてデビューする神敵娘。の彼女達。

 すでに訓練されすぎている国民達は、『手配書』や『参戦』の呼びかけ、さらに『断罪の方法』の告知を見て、すぐさま状況を理解した。
 「あの物語」の「あの女の子」が実在の子であり、さらにはラジオドラマでのヒロインの「中の人」であると発表されれば、国民達の熱狂は止まらない。
 彼ら、そして彼女らは、完全にモニンたちを「理不尽に迫害され、それでもがんばる元気なヒロイン」として捉えた。
 アフェバイラにおいて、フェリスからの精神的な離脱が行われた瞬間として、歴史書に残ることは、このとき誰も知らなかった。

 まあ、そんなどうでもいい話はさておいて。


「ふう……すまぬ、シトリー殿。基本的なことを訊き忘れていたが、水差しはどこだろうか? 緊張で喉がひりついてしまった」


 少し掠れた声で、オアドが言った。
 シトリーが、「そういえば、水道についての説明はまだでしたね」と台所に案内した。


「水道?」と首を傾けてオアドが着いていけば、部屋の片隅にある奇妙な鉄管の前。

「こちらが、水道です。ここをひねれば、このように水が出ますわ」

「ほほう、これは便利なものだ」

「ええ。なので、コップはありますけど水差しはありません。必要があれば、用意いたしますけれど」

「いや、こんなものがあるなら、大丈夫だ。いちいち汲み置く必要が無いというのは、モノグサ者からすればありがたい」


 ではさっそく、と、オアドは初めて宛がわれた玩具に喜びながら、水道をひねりコップに水を満たす。
 それを一気に飲んで、


「……ぷぅ!うむ、冷たくて美味い」

「汲み置いた水は、腐ることもありますから、流動する水道水を使用されることをお勧めしますわ」

「ああ……そういえば、オレが起きたときに部屋の水差しから飲んだ水は、確かに妙な味だった気がする」

「え」

「え」






「え?」







 上から順に、シトリー、ぼけっとしていたアノン。そしてその二人の反応に驚くオアド。


「水差し……って、あの部屋に置いといたっけ?」

「いいえ、王。……備品の管理はしていますが、そのようなものは特には……あ!」


 何かに気づいたらしいシトリーが声を上げ、そのままアノンに何かを耳打つ。
 そして、無言になる二人。


「……気にするな、忘れろ」

 なぜか妙に優しい声のアノン


「……ファイト、です」

 謎の言葉を吐きながら、なぜかオアドから少し後ずさりするシトリー。

 

 
「え、なに、その反応」

 とてつもない不安になるオアドである。







「ああ、うん、お前が水差しだと思ったのはただの『おじちゃん!遊びに来たよ!』びんだ」







 丁度仕事を終わらせてやってきたモニンによるナイスフォローにより、真実は闇の中。



[25472]   蛇足的な人物紹介
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:e486881d
Date: 2013/09/18 01:47
ここに書かれる情報は、話が進むにつれてちょっとずつ更新されます。


・アノン・カーター・テイ・オーウ・アフェバイラ
 一応この話の中心人物。
 前世だか憑依だかわからないが、「前」の自分の記憶がある。
 もと売れない漫画家。しかしアシとしての能力は中井さんを超えるとか。
 現在なぜだか露伴やスーパーアシJ並の漫画作成技術を持つチーター。
 彼の能力はほんとにそれだけ。
 最終的なオチ担当でもあるため、出番が少ない。
 名前の由来は
 「あの方」「帝王」「アフェバイラ」
 というやっつけっぷり。
 ちなみに「テイオー」がペンネーム。
 「ていおーさま」と呼ばれるのは、単にペンネームがそうだから。


・シトリー
 魔鬼族の秘書兼原稿回収の担当。
 ていおー様は頭が上がらない。 
 名前の由来はソロモンの一柱。


・オアド
 地上最強のアイドルオタにしてモニン親衛隊の隊長。
 帝国王家親衛隊隊長でもある。
 いろいろと苦労したため、最終的に「ふっきれた」人。
 名前の由来はオタ芸の一つ
 「オーバーアクションドルフィン」、通称OADから。
 あと、彼の異名は何らかのオタ芸のもじり。さあ、みんなで元ネタを考えよう。

・モニン
 いけない魔法使いにして、初代の聖女。
 名前の由来は言うまでも無い。

・ン・ツク
 モニンのとーちゃんにして地上最強のマネージャー。
 凍死しかかったというか、仮死状態になってた半死人。
 しかしそのおかげで、奇跡の生還を果たす。
 そのおかげでアノンから「夜叉族の生命力はゴキブリ以上」と認識されている。
 名前の由来は言うまでも無い。

・親方
 夜叉族の長。脳筋。
 言い伝えを信じて、夜叉の一族とその国を滅ぼさないために、災厄の魔女を捕らえ処刑しようとした。
 しかし夜叉族の中で一番先に神敵娘。のファンになったロリコン。
 解散ラストコンサートでは号泣していた。

・イアマス
 人間族の文官。そして紳士的なロリコン。
 アイドル育成とイベント営業の天才である。
 名前の由来は765のゲーム
 多分もう出番はあまりない。



[25472] 第七話 『愚者と賢者の狂想曲 ~序幕~ 』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:c03cb43a
Date: 2013/09/18 01:50
 コツコツと、規則正しい音がする。

 時計の針が刻むリズムと半歩ずれて起きているそれは、耳聡い兎耳族のものであれば、それが意図的に行われた「演奏」だということに気づいたかもしれない。
 単調な音は、単調であるがこその美しさを持つ。
 そのメロディの美しさにあわせるように、朗々と『祝詞』とも言うべき言葉を紡ぐのは、この部屋を支配する一人の女。
 腰まで伸びたブラウンの髪を、優雅にそして清楚に纏め上げて、その女は部屋を歩く。
 彼女の背中、服の切れ目から生える天翼族の血を引く証拠の小さく白い双翼が、指揮者の指のように僅かに揺れることが、また一層の神秘となってその空間の支配者としての存在を確かなものとしていた。

 女の控えめな双丘の前に掲げられた一冊の楽譜には、古より今に伝わる伝承が記されており、彼女はそれを素晴らしい抑揚を込めて歌い続ける。
 観客達はそれを決して聞き漏らすまいと真剣な面持ちで耳を傾けていた。


 時計の音と、彼女の靴音。そして歌声。
 三つが重なり、和音が生まれる。

 部屋の端で不意に立ち止まり、舞踏会でのそれのように、くるうりとターン。
 一瞬だけの、きゅ、とした床のこすれる音。

 だがそれも、曲を盛り上げるための一音だった。



 奏でられる英雄単にも似た物語はまさに佳境に、そして終盤へと差し掛かっている。



 誰もがその歌声に心奪われ没頭し――ているようにも思える空間ではあるが、やはりどこにでも例外はあった。

 単調な音は、単調であるがこその美しさを持つ、とは先ほど述べたとおりだが、その美しさは心の高揚ではなく安定へ偏ったものでもある。
 つまり――桃源郷への誘い道でもあった。
 視界がぼやけ、しかしそれを不思議に思えない、独特の浮遊感。
 まどろみに身を任せ、さあ、麗しの楽園へ、と進もうとしたそのとき、ぽすん、と誰かに頭を叩かれて、彼ははっと頭を上げた。

 見上げれば、そこには伝承を語る巫女――世間一般では「教師」と呼ばれる彼女が、手にした教科書を丸めて佇んでいた。

 慌てて目を擦りながら、「すみません」と一礼する土小人の少年に、一度だけ呆れるように嘆息した後、彼女は再び授業を再開した



「さて……こうして、長年にわたり繁栄と栄光とともに大陸全土を統治していた、アフェバイラ帝国は、ついに終焉を迎えることとなり現代私たちの世代へと続く、大陸でもっとも最初の民主国家、アフェバイラ国となりました。初代皇帝没後167年、帝国歴317年のことです。どうしても初代に比べられてしまい、普通帝王、無才王と揶揄され続けた二代目帝王コノーですが、民との話し合いの機会を何度も持ち、一切の血を流すことなく貴族院を説得し、自ら帝国制を降りた彼は、世界の史実を通して比較するなら極めて先進的かつ、寛容さと決断力があり、その治世も多くの年月にわたり良政を敷いた、5本の指に入るであろう優秀な王だったことが、最近の研究での定説となっています。また、帝王制を廃した後も、初代の総理大臣として政治に大きく貢献し、また同時に我々アフェバイラ国の象徴である『二代目自由皇』として名を残しています」


 教壇に戻り、彼女がぱちんと指を鳴らすと、微弱な魔力波を捉えた白いボードに、帝王、貴族院、国民の関係図が示された。
 少年、少女たちがそれらをノートへと記述する時間を十分に与えると、教師はゆっくりと生徒達を見回して、


「帝国の終わりを貴族院へ宣言したとき、彼が語ったとされる『時代に新たな風が来たのだ。そして我が父が民に巻いた種が、今その風によって芽吹いたのだ』という言葉は、その時の聖女の詩にも残されており、それが現在のアフェバイラ国の国歌へと繋がったことは、トリビアとして覚えておけば、ちょと自慢できるかもしれませんね。……さて、ここまでで何か質問は?」


 そこに、待ち構えていたとばかりに、一人の少女――豚鼻族と風鳥族のハーフらしい――からの手が挙がる。


「はい、先生! 自由皇の地位は貴族制度が廃された後、つまり帝王アノンの没後に出来たと思うのですが、なぜ二代目帝王コノーが、自由皇も『二代目』となっているのですか?」


 実は自らが一息を付くためだった質疑応答の呼びかけは、だが真面目で優秀な生徒達には通じなかったようだ。
 しかし、真剣に言葉を聞き、学ぼうとするものへ教えることは、労力に勝る喜びでもある。
 嬉しさの余り、はたり、と羽がはためくことを抑えることも忘れ、彼女は笑顔で答えた。


「とてもいい質問です。本当は次回の授業で話すつもりでしたが、ちょうどいいので説明しましょう。それは、初代帝王アノンの求めた『自由な価値観』こそアフェバイラ国象徴の自由皇の存在を表すものだ、というコノーの提案に基づくものです。これが元となり、アフェバイラの歴史において最初の、法律に関する市民投票として、初代自由皇をアノンとするかどうかのその賛否が、採決されました。結果、94.5%の支持を持って可決されていることが、当時の政府の記録として残されています。ここ、テストにでますからね?」

 はい!と声をそろえる生徒達。


 幾人かの生徒は「テスト」という言葉に顔をしかめたが、多くの聡い彼らは、よく考えてみればこれはテストの問題と答えを教えているようなものであることを理解してる。
 どこかの学校で、テスト問題と回答野の盗み出しというカンニング未遂事件があったらしいが、どう考えてもこういった小さな「事前告知」を集めたほうが点をとるのには効率がいいのであるからして、これは喜ばしいプレゼントだとテンションがあがるのも当然であった。

 女教師が、こほんと咳払いをして、


「さて、そろそろ時間ですね。では、最後に宿題も含めて、初代帝王アノンのちょっとしたエピソードを紹介しましょう。
 本日の講義にて説明したとおり、彼の為した様々な功績は、現代における技術、社会システムにもその一部が使われていることからも、その秀逸さはわかると思います。
 その斬新さと発想、そして何よりフェリス教の影響が強かった当時において、帝国となる前のアフェバイラ王国時代、王宮内ではさまざまな衝突があったとされています。しかし、帝王アノン――当時、第三王子でありながら国王に勝る国民から莫大な支持を得ていたため、他の王位継承者や権力者たちは、彼を容易には失脚させることは難しかったと言わざるを得ません。そういったとき、多くの場合行われるのは――」


 ここで、もったいぶるように一度言葉を区切る。、


「そう、暗殺です。事実、その計画書や陰謀を図った貴族達がやりとりした手紙などが発見されていますが、不思議なことに、暗殺そのものは一度たりとも実施されたという記録は発見されていません。未然に防がれたのだとしても、通常は粛清の記録が残されるはずなのに、です。そのときの貴族達の手紙の記述から、一説によればアノンは直接的な粛清ではなく、叛意を持つ要人達の家族の暗殺を匂わすことで、恐怖政治を強いていたのでは、というものもありますが――決定的な証拠はありません。よってこの『不可解に防がれた暗殺』については、現在でも帝王アノンの謎のひとつとされています」

 最後の締めめくりとして、彼女はにこやかうに笑う。
 ついでに、先ほど居眠りをしていた少年を、ちゃんとやるんですよ、という叱責の視線も込めて、皆にこう告げた。



「そこで、宿題として、貴方達が自分なりにその理由を考えてみてください。もちろん、正解は未だ不明なことです。だからこそ、皆さんの自由な調査と、自由な発想で、その謎に触れてみてください――」








「これは由々しき事態である!」


 怒りの声とともに石卓を叩いたのは、王宮第三級の地位を持つ法武官、『顎鬚』である。

 その名のとおり、たっぷりの顎鬚に、ぎらぎらとした野心を隠さない釣りあがった目。人間種である彼は亜人と比べてそれほど精強な肉体を持ってはいないが、それでも怒りは力に変換されたためか、硬い石卓ですら揺るがすほどであった。
 どん、と部屋に響く鈍い音は、だが強固な清音の魔法により部屋の内部にて吸収され、外に漏れることは無かった。

 然り、と。

 『顎鬚』の言葉に大きくそれに頷いたのは、彼に続く第四級の地位であり法神官の『聖老』。
 「老」と名を冠する彼であるが、それは彼のもつ老獪な思考に与えられたものであり、実際の年齢はまだ40後半といったところである。
 もっとも、50年生きれば人間種としては一般的とされるこの世界において、すでに「老」と称するには十分だともいえた。
 だがやはり、その飄々としながらも陰湿さと確かな知を感じさせる独特の雰囲気こそ、その名をあらわしたものであると、誰しもが思うだろう。

 彼は、白髪ではあるが太い眉を片方だけ持ち上げて、


「そうだ、『顎鬚』よ。ついにあの我侭王子は、『神に見放された者たち』である亜人種まで保護の対象とし、アフェバイラの民と同等の権利を与えると宣言しおった。これは看過することなど、我ら神官一同は大いなる神に祝福された子として、そしてフェリス様の遺志を継ぐ僕として、ワシはできはせぬ!」


 ぎりり、と口を噛むその姿には、彼の老獪さは見るべくもなく、ただただ焦りの表情がある。

 すでにアノンの「力」によって国内のフェリス教への帰心が薄れつつあることは、彼には度し難く、また見えない何かにフェリス教が蝕まれていくかのような恐れがあった。
 今はまだいいが、このままそれが続けばいずれフェリスの本山、フェリス法国からどのような措置がなされるかわかったものではない。また何より忌々しいことに、教会へ行われる寄付が、年々恐ろしい勢いで減っているという事実がある。
 この大陸で「神に祝福された者」である人間、そして「神に許されたものたち」である一部の亜人種たちの支配する地域において当然の国教であるフェリス教には、このアフェバイラにおいても同様に、国の国家予算より各教会へと十分な運営資金が送られている。
 だが、『浄財』にて神官たちが得られる膨大な資金がなければ、いかにして新たな家や宝石を手に入れればよいというのか。

 美しいもの、豊かなもの、芳醇なものを、我々高貴かつ正しきものこそが正しく得ることこそ、神の意思に沿うものなのにも関わらず、彼らはそれをおろそかにし、王子の「力」を求める。確かにその「力」は素晴らしいものではあったが、それこそそれは、平民や亜人ではなく我々が独占すべきものではないだろうか。

 そんな『聖老』の慟哭を感じ取ったのか、正面に座る四腕の女――『聖老』と同じく第四級の地位を持つ法税官、『監視者』が、「癖」をそのままに口を開いた。


「確かに王子の考えられたあの新しい帳簿、資産管理法……簿記だったか? それに『見放された者』である亜人の連中たちに作らせた筆記用具や紙の生産は、我々の国に利益を与えてはいる。だが、そもそも『見放された者達』がアフェバイラ王国に尽くすのは当然ではないか!追い出されずに黒パンとスープを与えてやっていることだけでも感謝するべきだろう!それを保護するだと?アノン王子の我侭に付き合い切れん!」」


 多くの四腕族が持つ、下の腕を組み、上の腕で頬を擦るという癖は、多くの四腕が行ってしまうからこそ、貴族の四腕は会議のような場所ではそれを抑える意識をする。だが今、彼女がその癖を露わにしているのはそれを露わにしてしていることは、その憤慨がどれだけのものであるか、想像に難くは無い。


 貴様はどうだ、と横を向いた『監視者』は、さきほどから黙っている、『鼠の耳』へと発言を促した。

 この中で、もっとも「表」での位が高い、第二級の法務官であり、情報収集にたけるそのずんぐりとした男、『鼠の耳』。
 だが同時に思慮深く、それゆえこの四人の中では日和見主義とされる『鼠の耳』は、柔和そうな笑顔を崩すことなくだが確かな威厳と胆力を持って、自分の考えを述べる。


「うむ。だが、陛下はすでにアノン第三王子を後継者として選ぶことに決定された。……平民からの、そしてフェリスの教えをないがしろにするあの貴族院たちからの人気は絶大だぞ? 失脚させようにもその材料が無さ過ぎる。……些細なことを大きくすることもできなくはないが、今までの実績がある以上、生半可なものでは……」

「わかっている!」


 再び、『顎鬚』による石卓を叩く音。


「だからこその、このワシらの集う『賢しき隠者の会』が開かれているのだろうが」

「第一王子も、第二王子も……すでに第三王子の傀儡に近かろう。……まったく、この国はどうなるというのだ」


 続く、『聖老』、『監視者』。


 しばし、無言の時間が流れる。

 風が無いにもかかわらず、ゆらり、ゆらりと飾台の蝋燭がはためく度、彼らの影を大きく揺らす。
 影が重なり合うようにして部屋の壁に写し出されたそれが、時折4人が5人へと見えるのは、気のせいだったろうか。


「……いっそのこと……アノン王子には『お隠れ』に鳴っていただくことは出来ぬかな?」


 唐突な聖老の言葉に、空気が「怒」から「驚」へと変わった。

「本気、であるか?」

「なにっ?」

「……」


 『顎鬚』『監視者』『鼠の耳』の三人の反応を、『聖老』は愉しむように見回して、

「いやいや、ワシはただアノン王子の身を案じているだけだとも。なにしろいつどんなご不幸が起こるやも知れぬ。そのための『看取り人』を用意してはおいて、損は無かろう?」

 ごくり、と誰のものともわからない、つばを飲み込む音が、部屋に響く。


 看取り人。

 王族がその命を散らす際、最後の言葉を聞くための専属の法務官である。
 その最後の言葉は、遺言と同列の命令として、拝聴される。
 そのため、見取り人の言葉が勅命と同様となることもあり、王家にとって公私共に最も信頼に足るものが選ばれるのが一般的だ。
 たとえどんな拷問を受けようと、愛する者の命が駆けられようと、王の言葉を正しく伝える者――在る意味では狂人ともいえる存在、看取人。
 もちろん、そんな存在の『看取り人』を買収、屈服させることは、鉄壁の城を落とすより難しいだろう。
 だが、それを王ではなく他のものが用意すること――つまり、


「『影」なる看取り人、か……その者は?」

「うむ。赤の3番、ここへ」


 『顎鬚』の言葉に返すように、聖老が合図するとまるで霞から実態が浮かび上がるように現れたのは、一人の女。

 赤い――

 それが、聖老を以外の三人が最初に思ったことである。

 ゆらり、ゆらりと揺れる朱色の髪は、燭台の炎の揺らめきに溶け、同化するかのようだった。
 鋭い猛禽類の目と嗅覚を持ち、猫の素早さと、音を立てず歩くその能力は、暗殺者としては天性の才を持つ――隼描族。ピンとはった頭上の耳と、やはり赤毛で染まった尻尾が、その確かな証であった。

 一度はっきりと認識してなお、そこにいる存在が幻のように三人は思う。


「我ら、アフェバイラ王国フェリス教が、古より用いる『影』の部分よ。『神に見放されたもの』である亜人に、大いなる慈悲を持つ我らはその価値を正しく教え込んでおる。我らの『モノ』であるということに喜びを持つ、ワシの可愛い愛玩動物よ」


 下劣な顔の『聖老』に、そういう意味かと見下そうとした『監視者』であったが、確か聖老は病気にて「槍が折れた」と聞いている。ということはまあ、つまりはそのとおり本当にただの愛玩動物であるとも取れる。
 まあ、どちらにしろ些細なことか、と『監視者』は考えるのを辞めた。


「亜人にお優しい殿下だ。亜人に看取られることも本望だろうて。なあ?赤の3番」

「はっ。ご命令あれば、すぐにでも『お隠れ』いただけるよう、準備は整えております」


 愛玩動物の言葉に、満足げにうなずく聖老。

 不適に笑い、どうかね? と三人を見やる。


「……これは明確な王家への反逆だぞ。わかっておるのか?」

 『顎鬚』のあっけに取られたような声にも、『聖老』は楽しそうに応える。

「わかっている、ああわかっているとも!だが、このまま我が国が堕落するのをそのままにしておいて良いはずが無い。それを防ぐことこそ、ワシら家臣の真の忠義といえるのではないか?」

「む……」


 それをもし『異界の知識』を持つアノンが聴いていたのならば、「まさしく正しいテロリストの思想だ」と一蹴したことだろう。
 だが、フェリスという面からの自らの正当性を肯定するそれは、『顎鬚』にはとても甘い正論に思えた。


「だが……判明したら、死罪……で済めばよい。一族全体が粛清にされても不思議ではない。私は正義のためになら命など惜しくは無いが、まだ幼き娘まで、家族までは巻き込むことは躊躇わざるを得ない」


 意外にも子煩悩である『監視者』の言葉に同調するように『鼠の耳』が声を上げる。


「もう一つ……噂だがアノン王子の手足となっている『闇の近衛』がいると聞く。……我らのように賢き隠者として潜まぬ、愚かにも反発を露わにした法務官たちの家族が不審な死を迎えていた件は、そのせいではないかとも言われておるぞ」

「はっ!」

 『聖老』の嘲笑。

 『鼠の耳』の持つ情報網は、確かに広く、そして頼りにはなる。
 多数の情報は物事を多方面から見ることで、真実を浮かび上がらせることに役に立つからだ。
 だが、同時に多すぎる情報は、その精査においては逆に非常に障害となりうることも、『聖老』は知っている。


「不審な死が続いたこと、『闇の近衛』という『噂』があったことは本当だろうて。そこは『鼠の耳』を疑っておらぬ。だか暗殺? 家族を人質? あの『お優しい』王子が、か?『見放された者達』の直訴ですら僅かな懲役刑で許し、あまつさえその直訴内容を吟味するあの『甘い』王子が、か?」


 三人が、ううむ、と唸る。

 確かに、発覚した場合、当事者である自分達は死罪の上、「当家」の財産没収は免れない。
 だが、家内や息子、娘へその罪がかかることは、まず無いというのはあのアノンの性格からして間違いないだろう。
 また、分与済みの私財ですら、おそらく没収されない算段が高い。

 ならば、賭ける価値はあるのではないか、と考えたのだ。
 すなわち彼らは、自分たちの命をチップにするくらいには、焦っていたし、恐れていたし、そして歪みながらも国を思っていたのである。

 また、ここであえて宣言しておくのなら、アノンは決して『甘い』施政者ではないし、現代地球において言われるような聖人君子でもない。
 必要があれば、例えばより多い犠牲が生まれるのであれば、一部の民を見捨てる決断を苦悩はしてもすぐさま取れるし、真に憎き者であれば復讐のためだけに拷問した上での生かさず殺さずの極刑だって行うこともあるだろう。
 罪を憎んで人を……などという、真理を含みながらもある意味では本末転倒な考え方をよしともしない。

 だが――だが、だ。

 例えば直訴が許されない理由を、異界の知識と、この世界で学んだ帝王学からも理解している。
 しかし彼が解するのは「政治としての理屈」であって「文化としての理屈」ではなかった。

 一言で言ってしまえば彼は、どこかの青い星の、どこかの極東の島国ではほとんどの者がそうであるような、「極めて善良且つ俗物な普通の小心者」だったのだ。

 自分が我慢できる程度の労力で、目に見える誰かが大きく救われるならそうしてあげたいし、できうるのなら面倒は出来るだけ少なくした上で沢山の人を救いたいし、ついでといえば民から愛され賞賛されたいのである。

 だから、この社会における身分制度の重要性や必要性、それにあるべき支配者としてのとるべき態度を理解しながらも、一方で「一生懸命に生きる者の誠意ある態度」に弱い。
 自分たちが善良だと思って好き勝手に人を害するものたちより、たとえそれが悪とされても、誰かを害する以外の手段で必死に訴える者に応えたいと思うのは、それほど不思議なことではないだろう。

 だがそれゆえ、この世界の支配者弓の常識において、それらは異質として浮き彫りとなってしまった。
 にもかかわらず反発が少ないのは、彼の「力」の恩恵を受けるものが多いためだろう。


 考え込む三人に、『聖老』に苛立ちが募り始めたとき、『鼠の耳』が顔を上げた。


「なるほど。その決意とやるだけの価値を、確かに私も感じはした。だが、どちらにしろ今は待て。準備が整っているのは判った。しかしまだ事を急くのはまずい。情報はまだ集めるべきだ」


 同じく、『監視者』が「そうだ」、と述べた。

「幸い、まだ『見放された者達』の保護案は、正式な議題となる前の段階。議題にあがったとしても、それが通るかどうかはまだ不明だ。それらの状況を見て動いたほうが良いのではないか?」

「左様、まだ健闘の余地があるにもかかわらず、敵方の情報もなしに武力侵攻をするのは、戦略としても愚作だ」

 最後に『顎鬚』が意見を述べ、視線は再び『聖老』へと戻る。


 『聖老』は考える。

 なるほど、確かにどれも一考の余地がある。
 できる限り万全を尽くしたいのは、自分も同じ思いだった。

 不安があるとすれば、自体が急速に動くことで対応が間に合わなくなることと、この『賢しき隠者の会』の中から心変わりするものが現れないかという点だ。 
 しかし、それはここで事を急ぐリスクに比べて、はるかに小さいものであると思える。


「『聖老』よ。本日我々が議会を持てる時間もそろそろ終焉が迫ってきている。どうだろう。ここはいったん『お隠れ』頂くのはしばらく様子を見るとし、それまではそこの赤の三号とやらに、殿下を『影から見守らせる』というのは。そして定期報告させれば、私の眷属たちの耳と合わせ、さらに情報が集まり、最適な行動が選べるのではないか」


 『鼠の耳』の言葉はある種の統括者としての命令としての力も込められたものであったが、絶対ではない。
 しかしながら、その提案を受け入れることに特別な反意も無い以上、同意しても良いと思われた。


「うむ……残り二人はどうだ」

 結論は出ていても考えるそぶりを止めぬまま、二人に問う。


「我に異議なし」

「私もだ。賛同しよう」


 『顎鬚』『監視者』の同意。
 ならばもう、議論を重ねる必要は無いだろう。


「……よかろう。わしも賛成だ」


 そして、その日行われた最後の議会――非公式ではあるが――は閉幕となった。
 全員が椅子から立ち上がるのを見届け、『聖老』は己の僕へ命じる。


「では、行くが良い、『影なる見取り人』よ。殿下のいかなる挙動も見逃さぬよう、『お守り』し、情報を得るのだ!」

「は!」





 こうして、部屋にいた4人と1匹は、部屋を出るときには入ってきたときと同じように、再び四人となり――
 また、己の本来なすべき場所へと、散っていく。

 『顎鬚』『聖老』『監視官』『鼠の耳』はその名が消え、本来のモノへと戻っていく。







 部屋に残されたのは、炎が消えたはずの燭台のみ。

 だが、まるで空気中を炎が歩いているかのように、ゆらゆらと揺れる赤い何かがそこにはあった。


 ゆらゆら、ゆらゆら。
 狂気にも似た熱い炎が、蝋燭に点されることも無く、そこで笑っていた。

 ゆらゆら、ゆーらゆらと。
 これから起こる惨劇は、いったい「どちら」に降り注ぐのかと、ただただ楽しそうに笑っていた。



[25472] 第八話 『愚者と賢者の狂想曲 ~監視者~』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:434c7d0d
Date: 2013/09/18 01:48
 初めてその話を聞いたとき、取るに足らない噂だと、『聖老』は白い眉を動かしながら唇を歪めた。
 そんな噂におびえる者たちを笑ったのだ。


 『裏の機関』は、確かに存在する。

 国の重鎮である自分は、国の暗部といえるさまざまな機関があることを知っている。
 それはたとえば、近隣諸国の情報を探るための諜報部隊であったり、逆に王国に侵入した諜報員をとらえた際の、情報収集のための拷問部隊であったり、戦争が起きていないため長らく使われていないが敵国の要人に対する暗殺部隊などがそれである。
 ただそれらは、「暗部」とはいえ、言ってみればどの国でも「存在して当然の組織」でもある。
 もちろん対外的には存在しないことになっているし、もしどこかの国にその存在を問われたとしても「んんー?何のことかな?」としたり顔で堂々とすっとぼければよいだけだ。

 そして『聖老』は、それを咎めようとは思わない。
 清廉潔白、正々堂々。
 確かに民や、一部の「正義」のプライドに凝り固まった貴族はそれを重視するかもしれない。
 『聖老』もそれらが「あったことにこしたことはない」とは思っている。
 事実、彼が準じているフェリスは教えとしてそういうことを賞賛しているのだし、それらを尊び、実践する者たちを好ましくも思う。

 だが、それでもなお、それに固執し目的を見失うことを愚かだとも思っている。
 実際、「愚」の集である民ならそれでいいのだろう。理想という枷に死んでいく一部の貴族も似たようなものだ。
 だが、自分はこの王国の重鎮であり、そんな「愚」である民を愛し、フェリスと王家に傅く者として、結果に責任を持っているのだ。

 なれば、清濁を併せ持たなければならぬ。

 でなければ、守れない。
 王国と、フェリスを守れない。
 人が進むべき道を守れない。
 悪から、不条理から、神に見放された者からの侵略から守れない。

 それを自らの使命と、努力する彼のありようは、後の「帝国」以降の者たちには歪んだものに見えるかもしれないが、それは時代による価値観の違いであるとしか言いようがない。
 彼は、『聖老』という称号の文字にあるような「聖」では決してないが――それでもこの時代特有の価値観を除けば、善人に近しいものではあったのだ。

 そんな彼の「会議」での提案は、身の破滅を覚悟したものであったことからも、決して目先の欲望のためでないことは疑いようがない。

 そう――身の破滅、は構わない。
 だが、そこに親愛なる者たちを巻き込む覚悟はと言われると――「会」の出席者たちでは、自分と――そして「彼女」も持っては居ないだろう。


『闇の近衛兵』

 王子に害をなそうとする者たちを、様々な形で恐怖させ、従わせるという都市伝説――王宮伝説ともいうべきその存在。
 当事者の抹殺だけではなく、当事者にとって最も大事な存在を家族を、親友を、恋人を貶め、勾引かし、傀儡とすることで脅迫し、どれほど屈強なものであろうと従えるという。
 それは、確かに噂に過ぎない。
 あの「お優しい」王子がそのような形で首謀者以外の無関係なものを処断するとは到底思えない。
 だが同時に、否定しきることもできないのが現状だった。
 それほどまでに、反乱分子たちの心移りが多いのである。

 あの『鼠の耳』ですら正体が掴めていないということが、そもそも存在しないからなのか、それほどまでに隠蔽された組織だからなのか――。

 ばかばかしい。
「ない」ことの証明など、できるわけがない。

 ならば――存在しないのである。

 だから『賢しき隠者の会』の会議にて、再びその噂を「鼠の耳」から聞いたとき、情報の多さが返って虚像を作り上げて迷走するという、『鼠の耳』特有の失態が起きたかと思った。

 故に、『聖老』は笑った。
 取るに足らない噂だと、『聖老』は白い眉を動かしながら唇を歪めた。
そんな噂に「怯える者たち」をわらった。


「ああ、そうか。……わしも、その一人かよ」

――自嘲ったのだ。





 その日、僅かながら機嫌がよかった『監視者』は、子供たちへお菓子のお土産を「下」の右手に持ちながら、一週間ぶりの自宅への道を急いでいた。
 最近は「亜人」に対する王子の提案関連と、それを支持する大多数の貴族、法官たちに頭を痛め、むっすりとした毎日だっただけに、僅かとはいえその顕著に見える。

 なんのことはない。
 八つ当たり気味にいつも以上に黙々と「監視」を実施していたら、とある悪辣貴族の不正を発見したのである。
 計上された帳簿を、新式の帳簿管理法にて再度計算してみたら、明らかな数値のずれが発見された。
 人間であるにもかかわらず、肥えきった豚鼻族と粗雑で滑舌の悪い蛇尾族を足して割ったようなあの男が、よくもまあ今までごまかし続けたものだと、ある意味見直してしまうくらいに、それは巧妙に作られていたのだが、今回の調査でそれらをことごとく発見することができたのだ。

 今回のことを抜きにしても、以前より嫌悪の対象としかならないような言動を繰り返していた男であり、 そのような者を廃絶できたこと、また不正分の財産を差し押さえ国庫に入れることができたことは、胸のすく思いであった。

 まあ、不正発覚のために使った新帳簿管理法が、王子の知恵から生まれた複式簿記と呼ばれる記載法だったことは、少し思うところがないわけではない。
 しかし、有益なものは有益と認めるべきであり、心の中はどうであれ人や物の評価は公平であるべきだというのが、『監視者』である彼女の信念でもあった。

 自分は正義の人である。

 それが、彼女の持つ心の主柱であった。

 たとえば彼女は決して差別をしない。
 それを、フェリスと自分の誇りと愛する子供たちに掛けて彼女は誓うことができる。
 神に祝福された者も、神に見放された者も、公平にルールを用いるだけである。
 ただ、フェリスの教えによって培われた社会の価値観――「ルール」事態が「祝福された者」と「見放された者」で不公平にできているだけなのだ。
 だから、彼女のするそれは「区別」であり、決して「差別」ではない。

 ゆえに、「見放された者」を不必要に、しかも己の愉悦のために痛めつけるような輩には虫唾が走るし、また同時に「躾」はきっちりしなければならないとも思うのだ。

 彼女を『聖老』が評価すれば、それは「理想に死んでいく一部の貴族」、すなわち「愚」の領域に入る人物だろう。
 泥をかぶることを嫌い、正しく堂々とすることを尊ぶそのありようは、だがしかし、『聖老』の信念と相反するわけでもない

 彼女は、汚泥をかぶることは嫌いであるが――覚悟はしているのだ。
 でなければ、『聖老』はあの場で「影なる看取り人」についての提案を決してすることはなかっただろう。

 『聖老』と『監視者』の信念の違い。

 それは、自らの行いを悪と自覚しつつも自ら信じる正義のために目をつむるか、自ら信じる正義のための行いはすべて正義なのだと目を見開いて叫ぶのか、それだけである。

 『聖老』は前者で『監視者』は後者。
 どちらが「良い」のかどちらが「悪い」のかはきっとフェリスにもわからないだろう。
 ただまあ、両方とも「たちが悪い」ことには違いがないだろうが。


 とまれ、その日一つの不正を発見できたことは、彼女には喜ばしいことであり、幾分か心に余裕が生じた彼女は子供たちへの菓子を購入。
 きっと、これを見て喜ぶ息子と娘の笑顔を見れば、さらに気分は良くなると、そんな未来も予想して。

 過去に患った病により子供の為せない自分が、こんなにも子煩悩になるとは夢にも思わなかった。
 以前は子供などはうるさいだけの存在だと毛嫌いしていたというのに、何の因果かあの二人、四腕の男の子と人間の女の子を引き取ることになり、ぐちぐち文句を言いながら子育てに悪戦苦闘。夜泣きする子らに、なぜおまえらは「人」なのに言葉が通じぬのだと、無茶なことを思う。怒りにまかせて右上の腕――四腕にとって「上の利き手」は感情で無意識に動く最たる利き手である――を振り上げては、それでも唇を噛んでそれを振り下ろすことを耐えた。

 それでも、いつか自分には限界が来る。
 いつか、この二人を殺め、そして自戒で自ら命を絶ちかねない。

 
 そう思う毎日を繰り返して――

 

「まぁまぁ」

「まうむぁー」

 

 
 心臓を貫かれた。

 そうとしか言えない衝撃だった。



 あの煩わしい悪魔たちが、「言葉」として初めて口から発したのが、自分を『母』と呼ぶ音。

 それだけだ。

 それだけで、あらゆるものが逆転した。

 「なんだこれ」
 と。

 そのとき彼女は自分がらしからぬ口調でそう呟いたことを、今でも鮮明に思い出せる。

  何がなにやらわからないまま、再度子供たちをみれば、そこには天使がいたのだ。
  姿は何一つ変わらないのに、自分は、二人をそうとしか見ることができなかった。

  
「まぁー」

「むぁみゅー」

 先ほどよりさらにつたないのに、それが自分を母と呼んでるのだと、彼女ははっきりとわかった。
 気づけば、彼女は眼から溢れ出るそれを留めることなく、嗚咽を繰り返しながら、二人を抱きしめる。
 むぃー、きゅあー、と、今度こそまったく意味のない声にもかかわらず、それが愛しくてたまらない。

 自分は母だ。
 この子らの母なのだ。

 そう誰かに叫びたくて仕方なかった。
 自慢したくて仕方なかった。

 

 そして――

 
「うちの息子と娘がな!私を母と呼んでな!ふふふ、まだあんなにも幼いのにもうしゃべれるとは、さすが我が子たちと言わざるを得ない!」

 

 彼女は翌日、実際に自慢を開始した。
 親バカ誕生の瞬間である。

 二人が赤子のときはその感情の爆発に付き合うことがうれしく、成長して幼子になってからは教育を施すことがうれしかった。

 もう少し成長してからは――

 自分は正義の味方。
 誇り高く、かっこよく、いつだって正しい。

 そんな存在として、子供たちの尊敬のまなざしを受けることが喜びとなった。
 実際、子供たちも母である彼女をそういう存在だと心から思い、慕ったのだ。

 
「ふふふ、今日はこの菓子と一緒に、あの男の不正を暴いた私の活躍でも語るとするか」

 『監視者』は、菓子が箱の中で形を崩すことのないように、十分に注意をしながら、足を速める。
 歩を進める街道の両脇に連なる奇妙な柱からは、『監視者』を街の奥へと導くように淡い光が揺らめいていている。
 埋め込まれた魔力水を元に、「芯」となる魔球が決められた時間消えることのない疑似炎を生み出してあたりを照らすこの「街灯」もまた、王子の知恵と「見放された者」の技術によって生まれたものであるが――今はその光が『監視者』にはありがたい。
 設置に対しては予算の問題などでひと悶着はあったが、出来上がってしまえばその利便性は計り知れなく、また犯罪の大幅な減少から治安の安定、そこからの税収の増加からは投資額をすでに改修済みだった。

今もまた、『監視者』の向かいからはランプも持たずに安心して荷物を運んでいる馬車がやってきているし、またその後ろからは自分と同じように独り者の誰かがすれ違って――

「――」

 そこに、本来意味はなかった。

 なんとなくの違和感。
 なんとなくの予兆。

 その程度のものでしかない。

 ただ、「なんとなく」を確かに感じたのだ。

 だから、『監視者』は、振り返った。

 

「……?」

 
 そこにあるのは、ごとごとと音をたてて進んでいく、荷馬車の後ろ姿だけ。 

 「私は今、誰かとすれ違った……のか?」

 口に出すことで確認しようとしたにも関わらず、出てきたのは疑問の言葉だ。
 それくらい、それは存在が希薄だったのだ。

 気のせいか、と思えてしまうほどに。
 気のせいだ、としか結論づけられないほどに。

 ならば――それは気のせいに違いない。

 肩をすくめ、『監視者』は再び帰路を進む。




 もし、それが武官である『顎鬚』であれば、己の直観を信じ「誰か」を捜索したかもしれない。そうであれば、たとえその「誰か」が発見できずとも、痕跡は見つけたられたのたかもしれない。
 だが、そこにいたのは『監視者』だった。
 自らが、そして自らの大切なものが監視される側になるとは思いもしない、『監視者』だった。

 
 それだけのことである。

 
 揺らり、ゆらりと『闇』が躍る。
 街灯の光から逃れるように。
 その光により新たな闇が生まれたことを、喜ぶように。

 
 どこかの部屋の、赤い炎のように、ゆらゆらと。
 「笑う」ように誰かが「嗤う」。

 
 帰宅した彼女が、子供たちの有り様に絶望するその瞬間を、嬉しそうに嘲笑う。

 

 

 
 そして翌週――

 
 『監視者』は、『賢しき隠者の会』からの脱退を宣言した。

 

 
 部屋にいた『誰か』が、「一つ、了」と呟いた。



[25472] 第九話 『愚者と賢者の狂想曲 ~幕間~』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:69210daf
Date: 2013/09/18 01:49
 もし――もし『闇の近衛兵』が存在するとして、己が大切なものを贄とされるとして、最後までそれに立ち向かうのは『顎鬚』だろうと『聖老』は考えていた。

 そして最初に堕とされるとするならば、おそらくは『監視者』。
 彼女の子煩悩な様子は、月に一度は発症する彼女の子供自慢びょうきでいやというほどわかっている。
 子供たちに危害が及ぶとなれば、あっさりと降ってしまうのではないかと思う。

 それに次ぐのは、孫に甘い自分だ。

息子夫婦ならば、まだ切り捨てられる。
あれは自らが育てた子であり、またその教育においてもフェリス信徒たるものかくあるべしと言い聞かせ、責任を持って成人させたのだから。

 自分が立派に育てたという恩を、子は親を超えていくという形で返してくれた。
 なれば今は、息子と父親という立場はあれど、今は対等な存在だ。

 もちろん、息子のためになら自らの命は惜しくないが、フェリス、王国という自らよりはるかに大いなるもののためになら、法神官にしてフェリスの信徒である自分はその胸に短剣を突き立てるだろう。

 だから、たとえ『闇の近衛兵』に息子が狙われ命を散らしたとして、その死が自らに原因があるというなら、その業を背負おう。
 きっと息子はそれを恨まず受け入れるはずだ、。
 その逆があろうと、当然のことと笑って受け入れられる、自分の自慢の息子だからだ。

 だが、孫は違う。

 その教育と成長に責任を持つのは親であるべきなのだから。
 自分はただ可愛がればよかったのだ。

 だから、『監視者』のような溺愛ではないとはいえ、ついつい甘やかしてしまう。
 特に初孫は実の子とは別の感慨深さがあるのだ。
 厳しく接しているつもりではある。男ならば傷は勲章と、武芸の稽古では容赦なく打ちのめすことなどしょっちゅうだ。
 腕白であるべきだとも思うため、一日や二日いなくなったところで、多少気にはかけても慌てふためいたりしない。


結果出来上がったのはお世辞にもできた子ではなく、勉強をサボっては何かをやらかしトラブルを起こす、聖老にため息をつかせるのが得意な子。

 だから――だから、可愛い。

 きっと自分は、孫のためになら膝を折ってしまうと思う。
 提案し、皆を煽った者として不甲斐なく、不義理であることは承知であるが、それでも。
 正確には、その場にならないと実際自分がどのような選択をするかはわからない。
 屈するだろうと推測はしても、実際に「そう」となってから始めて自分の非常さがでるかもしれないし、やはり甘さという感情には負けるのかもしれない。

 そう――わからないからこそ、怖いのだ。
 どちらの選択でも、自分は後悔するのだろうから。


 『聖老』はそこまで思考を巡らせたあと、嘆息を付きながら「そういえば自分は何を考えていたのだったか」と自問し、その答えに気づいて「ああ」と声を上げる。
 そうそう、志が折れるとすればどの順か、という考察だ。そんな考えをしている時点で自分は折れているようなものではあるのだろうが、それでも考えずには居られない。答えのなき考察は恐怖を加速させ、心を蝕むと知ってなお、考えるのがやめられないのが人間である。その悪循環を、聖老は「自分が折れたとき誰に託すかを決めるため」というとってつけた理由を挙げて軽減させるが、所詮は気休めだろう。
 彼はそんな自分の精神の脆さと、すぐに思考が別のほうに飛んでしまう集中力の脆さに自らの老いを嘆きつつ、再び思考を開始した。

 そう、折れるとすれば、『監視者』、そして『聖老』の自分。
 『鼠の耳』は正直わからない。一番利己的で、一番論理的に考える彼は、逆に言えばロジックに従うわかりやすい思考を持つはずである。だが、同時に何を考えているかがさっぱり見えないことが、彼には多い。多すぎるといっていい。
 とはいえ、それが情報量の差からくるものとすればそれまでだ。
 よって、単純に折れるだけの理由となる情報が入れば折れ、そうでなければ現状維持となると考えられる。
 彼にも、「私」において「公」より優先すべき守るべきものはあるのだろうから。


 そして、『顎鬚』だ。
 彼は、折れないだろう。

 とはいえ彼にあらゆる誘惑や苦難を耐える鋼の精神力があるか、と聞かれれば、否、だ。
 決して凡人の器ではなく、将に将たるだけの能力は持っており、行動第一のモットーを持ちえど考えることを怠る蛮人ではないが、それでも「普通に優秀な人間」でしかないのである。
 単に武人としてみれば傑物といえるだろうが、それ以外では前述の評価が正しいだろう。
 ではなぜ聖老が彼を託すべき者として候補に挙げているかといえば、その理由はひとつ。

 彼には、失うべきものが、居ないのである。

 彼に妻子はいない。
 失ったわけではない。初めからいないのだ。
 決して異性に興味がないとか、男色というわけでもない(もっとも軍ではそのような性癖がなくとも男を相手にすることは珍しくないのだが)。
 休日には普通に娼館に繰り出すし、彼がアプローチをかけた者も、またその逆も居なかったわけでもない。
 ただ、優先度が高くなかったのだ。
 縁がなかったといえばそれまでだが、将として、武人としての行き方しかできない不器用な男の悲しさがそこにはあった。
 現在、多少であれば気心の知れた女人もいるが、だからといって彼女たちがどのような目にあおうとそれを無視できる程度には、彼は将として正しく薄情であり、また己の信念に準じていた。

 また、彼には友人は多くいた。親友といえるものも、だ。
 だがそのほとんどは戦友であり、多くが散り、残った僅かな者たちも顎鬚と同じような精神の持ち主である。
 相手が拷問されたとしても、お互いがお互いを「見捨てられる」だけの信頼と強さがあったのだ。
 彼の家族である部下には、そもそも「命を惜しむな」を地で行く教育をしている。

 では、立場や身分、金銭での懐柔、またはその逆の恫喝はといえば――考えるまでもない。
 そんなもののための保身など、彼奴きゃつが選ぶはずもない。最下民へ落とすと脅されても、笑って落ちぶれてみせることだろう。

 そういった彼のあり方を、聖老はよく知っている。

 今、彼には「私」において何一つ守るべきものがないからこそ、「公」としてこの国のあり方を守ろうとしている。
 ゆえに、彼が最後まで折れない者だ。

 聖老はそう確信していた。 
 何か自分にあれば意思を託すものとして、聖老は顎鬚を信頼していたのである。


 ある日、『監視者』が『隠者の会』にて「折れた」宣言を行い、残る三人に衝撃が走る。
 当然、彼女への問い詰めは行われたが彼女はしばらく何も発しなかった。そして小さく「子供たちが……」とつぶやいた時、三人は「まさか」と驚愕しつつ、そして同時に「その結論」にいたり、それ以上の追求は行わなかった。行えなかったのだ。
 そして彼女は続ける。

「自分は、お前たちを裏切らない。この会のこと、そしてこの会で私が知ったことを誰かに漏らすことは決してない。……だが、今はこれ以上、この会に関われない」

 『今は』という部分を微妙に強く言っていたように聞こえたのは、耳が遠くなりつつある『聖老』の気のせいだったろうか。
 もしそれが気のせいでないとすれば――それは、『監視者』が自分たちに送ろうとしているギリギリのメッセージなのではないだろうか。

 だが、そう思案する『聖老』に答えは出ない。

 そうこうするうちに、『監視者』を半ば罵倒し、だがそれでも彼女を責め切れないのか、『顎鬚』は肩をいからせて部屋を出て行く。
 それを宥める様に、『鼠の耳』が追った。

 部屋に残った二人。
 『聖老』は、意を決して危険な領域に、それでも大丈夫だと思えるラインに踏み込むことにする。
 それを聞かなければ、今後への心構えをすることすらできなさそうだったからだ。

「なあ、『監視者』よ。そして子煩悩な『母』たるおぬしよ。……次は、やはりワシなのだろうか?」

 その質問に、『監視者』は一瞬だけ驚愕したように体を震わせ、そして四つの腕をだらんと力なく垂らしながら立ち上がった。
 そして、虚ろな、それでいて確実な理性のこもった目を『聖老』に向けて、

「……『聖老』、お前が聞きたいのがなんのことかわからない。何も知らないはずの私に、わかるわけがない。そうだろう? だから答えることはできないが……ただ意味もなく、なんとなく『誰か』を挙げろというのなら」

 言葉を切り、


「次は――の可能性が高いと見るよ」



[25472] 第十話 『愚者と賢者の狂想曲 ~顎鬚~』
Name: ぐったり騎士◆606dffd0 ID:1b0573ec
Date: 2013/09/18 01:49
 外では兵士たちの訓練が終了し、徐々に気が抜けた声が聞こえ始めた夕刻。
 一方王宮ではそんな兵士たちとは真逆に、様々な官たちがそれぞれの任務を果たすべく慌しく動いていた。
 ここ、とある集団の中では『鼠の耳』と呼ばれるその法務官も例外ではない。もっともそれは「表」だけでなく「裏」もふくめてのものではあるので、自業の結果ではある。

「以上が報告となります」
「ご苦労、では下がってよろしい――いや、しばし待て。今書類を書き上げるので、それを法税官殿に持っていってもらいたい」

 部下けんぞくの『メス鼠』からの報告に一度うなずいた『鼠の耳』。
 だがすぐに彼女を呼びとめ、書きかけだった「表」の仕事における書簡にペンを走らせる。
 『メス鼠』は、主の注文オーダーに一度だけ「はっ」と答えると、そのまま無言でその場に立ち尽くす。

 かりかりと、虹色に輝く羽ペンを走らせる『鼠の耳』。
 すぐにできあがると思われたその書簡は、思った以上にチェックすべきことがあったのか、室内にはペンの音が長く長く響いている。
 その無言の空間に、耐え切れなくなったためかどうかはわからないが、『鼠の耳』はおもむろにこんなことを言い出した。

「ねえ、君。もし――もしも、世捨て人で何も弱みをもたず、拷問でも意思を曲げないような強者つわものを精神的に屈服させる場合、どんな方法があると思う?」
「……しばしお待ちを。考えます」

 唐突な質問に、だが『メス鼠』は戸惑いもなく考察を開始した。
 主がこのように、何の脈略もなく不可解な質問をすることは、珍しくないためだ。
 それが彼の趣味なのか、それとも意味があるのかはわからない。
 だが、眷属ぶかの自分は、それに真剣に望めばよいだけである。

「単純に、力によって征服すればよいのでは?」
「そうだね、それもひとつの方法だ。正解ではあるだろうね。だが、さっきもいったとおりとんでもなく強い相手だからそれはとても労力がかかるし、それに力といっても様々だろう。たとえば武力を誇る者に権力で征服できたとして――相手は心から屈服すると思うかい?」
「それは――」

 たしかに、それは敗北とはいえ心を折ることにはならないだろう。
 一時的に従いはするかもしれないが、その反意を「折る」のは難しい。

 
「では、恫喝というのは?」
「そうだね、それもまたひとつの方法だが――どうやって? 相手に弱みはないんだよ?」

 むう、と唸ってしまう『メス鼠』。

 では、懐柔?
 いや、前提条件で「何も弱みを持たず、拷問は通じない」とある。
 つまりは、そういうもの全般が通用しないという暗喩だろう。
 では、どうすれば――

「すみません。私の頭では、前提条件を乗り越えるだけの方法が思い浮かびませんでした」

 彼女は、頭を下げる。
 彼女の主は、物事を考えずに「わからない」と答えをねだる者を嫌悪するが、ちゃんと深く考えた上で「わからない」という者には肝要である。
 むしろ、「わかったふり」をする者をなによりも嫌う。
 そして今回も主である『鼠の耳』は、満足げにうなずいて微笑んだ。

「いや、十分だよ。君の答えも正解だと思う。単に、僕とは違う回答だったってだけだからね」
「では、主。主のお考えの答えは、どのようなものなのでしょうか」
「ああ、僕なら、恫喝する」

 はあ、と。
 思わず首を傾げてしまう『メス鼠』。
 それは、自分の答えと何が違うのか、と。

「うん、君の疑問はもっともだね。確かに君の回答と同じだからね。ただし――」





 夕刻となり赤く染まり始めた王宮の廊下を、ずんずんと歩いていく巨漢が一人。

 『顎鬚』である。

 第三王子アノンのいる執務室は、王宮内の文官たちの働く部屋の中心に存在した。
 本来、王族たちは王宮に隣接する特別な離れにて政務を行うのだが、アノンは「責任者が離れにいたら緊急時に困るだろうが」ともっぱらそこにいる。
 そういう「実」を優先するやり方と、働く官僚たちと同じ目線で政務を行うという考え方は、実際に戦場で現場指揮する『顎鬚』には、非常に共感できるものではある。
 だからとはいえ、それが彼の失脚をあきらめる理由にはならないのも間違いないが。
 失脚――そう、失脚でよいのだ。本当は。
 ようは、彼の価値観が王子の『神に見放されたものたち』を受け入れるというあり方に忌諱を持ってしまうだけであり、それ以外の様々なことについては、その力を認めてすらいる。
 だが、その失脚が困難だからこそ――。
 『聖老』の提案に、決行を先延ばししたとはいえ乗ったのだ。
 自分が敵意を抱いていることにアノンが気づいているとは思えないが、それでも敵地に乗り込む心境で、『顎鬚』は廊下を進んでいく。
 急な王子の呼び出しだが、手続きを踏まない日中の急な呼び出しはそれほど珍しいことではない。
 ただ、実際その用もたいしたことではないことが多い。
 事実、三ヶ月前と一ヶ月前での用件を知っている部下たちから、
「たいちょー、また見合いの話っすかー」
 と笑いながら言われたのがその証拠だ。
 実際、今回もそうであったとしも、不思議はないと『顎鬚』は思っている。

「見合い、か。……ふん、今更よ。伴侶など今の俺には枷にしかならぬ。それにもはや俺は剣に生きて、死ぬだけでしかない」

 彼は、自分の不器用さを理解している。
 女が嫌いなわけではない。商売女相手に卑猥な言葉をかけたり、軽口をいったりすることはしょっちゅうだ。だがそうでない普通の女となると、そうも行かない。やれプレゼントだの、やれ甘い言葉だの、女心だのなんだのを理解しろだの、面倒くさいのである。
 性欲の処理なら高給取りの自分は夜の街にでれば困ることはないし、遊ぶだけなら気のあったバカ野郎たちとバカ話をすればすむのである。
 今更家庭など、考えるだけでため息が出てしまう。
 それでも、夜に一人毛布をかぶって寝るときに、指先に誰も触れないことへの寂しさを感じてしまうことを、自覚しないではないのだが。

 そして、アノンの待つ部屋の扉の前で。
 『顎鬚』は一度、服の乱れを直して、ノックをした。

 どうぞ、と。
 あの一級法務官の鈴のような声が聞こえて、『顎鬚』は扉を開けた。

 アノンの執務室。
 そこにいるのは、アノン、従者、そして『顎鬚』の三人のみ。
 儀礼的なやりとりが終わり、アノンがようやく本件だ、と紙の束を『顎鬚』に渡す。
 そこにある、とある女性の姿見。 
 『顎鬚』の心臓に、鼓動がひとつ。

「どうかな、法武官。先方もその気でな。この提案をお前が受け入れてくれるなら話を進めてみたいのだが」

 にんまりと、四つ腕を組んで、微笑む王子アノン。
 その笑顔が、『顎鬚』には悪魔の微笑それに見えた。
 だが、その誘惑に抗うことがきそうもないことを、彼は足元からくる震え――喜びのそれとともに、理解していた。

 ――その日、彼は運命と出会ったのだ。






 とある文官の執務室にて。
 男は、部下の女に言葉を続ける。

「ただし――弱点を作ってからね。例えば弱みがないなら弱みとなる存在を与えて・・・しまえばいいんだよ」

 はい、と。
 男はただの世間話が終わったとばかりに、書き上がった書簡を彼女に手渡した。
 その際、一瞬だけ女に触れた、男の指先。
 彼女には、それが、とてもとても冷たく感じた。
 『鼠の耳』と呼ばれているその男から感じた感覚は――ああ、『メス鼠』である彼女には、よくわかった。わかってしまった。
 睨まれたなら動けなくなる、つまりはそういう・・・・ことだ。

 あの冷たさは、哺乳類ネズミのそれではない。





 爬虫類へび、だ。









 ある日の『賢しき隠者の会』にて。

 『顎鬚』が、計画の無期延期を提案した。

 


 部屋にいた『誰か』が、「二つ、了」と呟いた。



[25472] 第十一話 『愚者と賢者の狂想曲 ~鼠の耳~』
Name: ぐったり騎士◆60b29e57 ID:9fc6919f
Date: 2014/07/15 22:50
 『顎鬚』が部屋を出て行った後を、『聖老』はただ呆然と見守っていた。
 『監視者』とは違い会には参加し続けるといっていたが、明確に計画に反するという点でむしろ『監視者』よりその手が遠くなったといえる。
 もし自分が計画を進めるとすれば、『顎鬚』はそれを阻止してくるのだろう。
 『鼠の耳』より、先日『顎鬚』が王子に呼び出され、何かしらの交渉を持ちかけられたということは聞いている。
 もちろん詳しい内容についてはいかに『鼠の耳』とはいえ探れなかったようで、それ以上のことはわからない。

 とりあえず、情報としては王子に何かしらのアクションをとられ、それによって心変わりしたと見るのが妥当ではある。
 だが、不可解なのは彼の立ち位置だ。
 計画の早急な実行は阻止しようとするにもかかわらず、会に対して、そして自分に対して敵対するといったようでもないのだ。また、彼の主張は延期であって明確な中止ではない。
 本当に『顎鬚』が自分たちを裏切り(それが『顎鬚』にとって止むに止まれぬ何かがあったとしても)王子側についたというなら、さっさと計画についての密告を行いこの会の首謀である自分、そして『鼠の耳』を生贄にしているはずだ。
 そうすれば、こうやって集まったこの場が格好の捕縛のとなり、今回の『顎鬚』の報告まで警戒もしていなかった『聖老』たちはあっさりと取り押さえられたことだろう。
 わざわざこの場で警告めいたことをいう必要などない。

 いくつか考えられることは、確かにある。
 たとえば「お隠れいただく」という叛意としては究極の位置であるそれに、『顎鬚』はたしかに実行計画そのものについては保留の立場だった。そういう意味では、彼はもともと穏健派ではある。
 だから、今このときになって、日和見な考えに動いたことということも、ないことはないだろう。
 しかし、王家に密告したところで、これまで謀反の計画があることを知りながら王家に報告をしていないことそのものが、加担者と認識されてもおかしくない。
 よって、計画の密告は自分の首を絞めることにもなるからそうしなかった、ということだ。

 が、『聖老』はそれをすぐに頭の中で否定した。
 だとするなら、『監視者』と同じく「会に関わらない」でいいはずなのである。

 自分たちが計画を実行して事態が発覚したとして、そのときに会から抜けた『監視者』の名を出すつもりは、『聖老』はさらさらない。
 いや、たとえ会に属したままだとしても、実行のときに賛同、協力がなければあくまで自分含めた実行者のみの計画であり犯行だと主張するつもりであった。
 間違っても、そのとき協力しなかったものたちを恨み、巻き添えにしようなどと思うわけがない。
 たとえ裏切られて密告されようとそれは同じだ。それだけの覚悟が自分にはある。

 それにもし裏切るなら堂々と。
 自分が王国の為と王子を裏切るように、自分の大切なものを守るために「会」を裏切るのもまた道理である。
 ならば、憎むべくもなし。

 それが覚悟を決めたものたちの矜持というものだ。

 自分がそうするであろうことを、武官とはいえ優秀な『顎鬚』が理解できぬはずもなく、また信頼されている自負もあった。
 だから、彼は自己保身だけなら「今」、会を抜けるべきなのである。

 だが、それをせずに計画の無期延期(つまり中止ではない)を提案するということは――


「つまり王子がお隠れになられたら困る、ということだな」


 は、っと。
 まるで自分の心をそのまま読みあげたかのような声に振り返れば、膨らんだ腹を揺らす青年――『鼠の耳』。
 情報を扱うものの長として、やはりその思考の明瞭さは健在であった。
 おそらくはこの状況から推測できるそれを、彼は『顎鬚』の発言を聞いた時点で導いていたのだろう。
 ただ、黙り込んだ自分を見て、彼には一瞬だった解でも『聖老』には時間が必要なのだと、頃合を待っていたに違いない。

 彼の能力のひとつである「状況把握」は、ともすれば空気を読む、といったことにも長けているのだから。


「うむ、そういうことだろう。……だが、その真意が読めぬ。命の覚悟はしておるのは当然だろうし、金や地位で懐柔されるような奴ではない。万が一懐柔されたにしろ、この距離感は不自然だ」

「ああ、もし趣旨換えして王子側についてたならただ我らを捕縛すればよい。あやつの場合まずありえないが命惜しさの自己保身なら、管理者と同じく会を抜けるだけでよいはずだ。だがあえて会に残り計画の停止を提案したということは、計画の停止さえ為せれば王子のやり方に反する立場は変わらないということになる」


 『鼠の耳』も、当然のように『聖老』と同じ答えにたどり着いていた。
 そしてその一歩先に進むのも、やはり『鼠の耳』だった。


「そこから考えられるのは二つだな。一つは王子からなんらかの恩恵を賜りそれを欲した場合だ。王子に権力があればこそ発生する利益を求めたのなら、あの提案は納得できる……まあ、金も権力も興味ない『顎鬚』だ。可能性では低いとは思うがな」


 一度言葉を切り、彼は少しだけ声のトーンを落として、


「もう一つは――脅迫を受けた場合だ」

「……それも有り得ぬのではないか?欲するものがないということは、守るべきものもないということだ。命の覚悟はしておる以上、それに屈するとは思えぬ」

「確かに。だがな『聖老』。それはある意味で『監視者』も同じだったはずだ」

「いいや、『監視者』は子供が――」

「あれらは、『監視者』の実の子か?」


 そこで、『聖老』は自分でも驚くくらいに間抜けな声で「あ」と叫んでしまった。
 そして、気づいてしまった。


「押し付けられた子供達(プレゼント・チルドレン)! ……まさか、弱みそのものを与えられていた?」

 どこかで――赤い何かがゆらりと揺れる。
 まるで、誰かが心に隠した激情が燃え尽きるのを隠したかのように。


「ああ、別に『監視者』のケースが意図的なものとまでは言わん。『監視者』に子が任されたのは数年前だからな。今の状況を見越して数年前に弱み作りが画策されていたなど思いたくもない。だが、弱点そのもの、守るべきものは『与える』場合でも発生するという良い事例だよ。子供に限らず、誇りや矜持もそうだろう。……あるいは、女、とかね」


 それこそ、悪い冗談であるが、と、『鼠の耳』は自らの言葉に皮肉げに笑った。
 ある程度心を交わす情婦がいないわけではないだろう。
 だが、せいぜいが「お気に入り」程度であることは、『鼠の耳』も知っている。

 性欲としての女好きではあれど――『顎鬚』が異性との関係そのものを面倒くさがっているのも、眷属から聞こえている情報だった。
 だが、それでも――。


「……」

「ああ、すまないね『聖老』。女は冗談にしろ、持たざることが強みなら、与えてしまえばよいというのは確かではあるのだよ」

「なるほどな……それは確かに思いつかなんだわ……だが、推測でしかなかろう?」

「……そうだね」


 『鼠の耳』のその返答が、ほんの少し遅れていたことに、『聖老』は気づいただろうか。
 気づいたとしても、それを不審には思えないではあろうが。


「まあ、今はまだ情報が足りない。それに『計画』についても早急に動く時期ではないのは、『聖老』も承知していたことだろう。眷属も今は動かすのは危険だと思っている。ま、しばらくは、慎重に動くとしよう」

「うむ、異議はない。どのみち、武道会が終わるまで王子には活躍していただかなくてはならぬからな」

「武道会……ああ、君が楽しみにしているというアレか。確かに今王子がお隠れになったら、中止になってしまう。それは避けたいか」

「うむ、ワシの我がままですまぬがな。……調べるのに、わしの『赤』を使うか?」

「いや、いいよ。君のペットが見取り人として優秀なのは知っているけどね。ただ、鼠には鼠のやり方があるし、『こちら側』については眷属のほうが優秀だ」


 鼠は、間諜として非常に優れた生き物だ。
 臆病で、敏感で、すばしこく、闇に紛れ、ずるがしこい。
 一匹は弱くとも、集まりさえすれば自身の数倍の猛獣ですら食い殺す。
 また、たとえ一匹であれど、ひとたび牙で傷を与えれば、そこから毒を撒き散らして死に至らしめる。

 間諜と暗殺の両方に長けた存在であり――だが、本当の恐ろしさは、「そんなこと」ではない。

 天井裏で。床の下で。壁の中で。
 炊事場の陰で。倉庫の片隅で。廊下の端で。会議室の真ん中で。
 見つかってはあわてて消え、時には見つかってなお堂々とふんぞり返り、見つからなければ見つからないで食事で荒らした痕跡すら隠さない。

 誰もがその脅威を知りながら、誰もがその恐ろしさを知りながら、厄介な存在だと知りながら、あきらめたようにその存在を認めてしまう。

 噂話が好きなメイド、城庭を散歩するのが好きな老兵、施しや炊きだしに群がる物乞い、小さな騒動を起こしては一晩牢屋で世話になるチンピラ。
 噂話からは隠匿されていた事実を、散歩から兵の配置や攻め込みやすい場所を、施しの内容からは領内の財力を、牢の中からは町の暗部を。
 それらを毎日のように、いつものように繰り返し、「当たり前」を作り上げる。

 メイドが、『たまたま』核心をついた話を求めても。
 老兵が、『たまたま』散歩のコースを変えていても。
 物乞いが、『たまたま』偽善溢れる貴族から施しを受けても。
 チンピラが、『たまたま』大規模事件の下っ端として働いていても。

 「そんなこともあるのだろう」と誰も気にしない。

 見つからないように動く隠密ではなく、いつでもどこでも現れるからこそ、誰の目からも確認されているがゆえに怪しまれない。
 それが、『鼠の耳』の眷属である、『ネズミたち』の怖さであった。


「といったものの、今は相当厳しい状態だけれどね」


 そんな「ネズミたち」にとって、もっとも困るのは「駆除」に動かれたときだ。「どこにでもいるネズミ」そのものをターゲットとして警戒されれば、彼らは動くことが難しくなる。
 ずるがしこいネズミは、罠の脅威を理解するが故、罠が仕掛けられたことを知れば活動ができないのだ。
 まさに、今の王宮内がそれである。

 さらに『鼠の耳』いわく
 「一番重要な場所の周りには、王子の飼う優秀なメス猫もいるからねえ」
 とのことだった。


「ではどうすると?」

「確かに眷属が動くのは厳しい状態だ。だけれど」


 鼠の恐ろしさは、前述したとおり、「いつでもどこでも見つかってなお怪しまれない」ことにある。
 そして、存在そのものについて「駆除」に動かれると弱いことも、述べたとおりだ。
 だが、そんな追い込まれたはずの『鼠の耳』――親鼠は


「けれど、ネズミ捕りにネズミがかかっていても―ーそれだって『当たり前』の光景だろう?」


 にやり、と笑った。

 その笑みに、『聖老』は体の奥からゾワリとした何かが通り抜けた気がした。
 同志としての信頼があり、それでもなお恐ろしさを感じさせるこの男。
 人の良さそうな柔和な笑顔と、愚鈍そうな腹を揺らすその姿に、汲み易しと思い込んでどれだけの者たちが破滅していったのか。
 『聖老』は、先ほどからこみ上げている震えをかろうじて抑えながら、『鼠の耳』に問うた。


「信用して、よいのだな」

「もちろんだとも、『聖老』」

「その言葉、信じようぞ」


 はっきりとしたその返答に、彼の確かな自信と、底知れぬ恐怖を感じた『聖老』は、ゆっくりと頷いて部屋を去っていく。
 『鼠の耳』は、そんな『聖老』に敬意を示す別れの礼である、己のへそに右手を当て頭を垂れる形をとって見送る。

 部屋に一人残された『鼠の耳』は、それでもまだ顔を上げない。
 床に向けられた顔には、さきほどまでと変ることのない笑顔がそこにある。
 異なるのは、その笑みの理由だけだ。


 顔を上げたとき、彼はやはり顔をかえず、己以外誰もいないはずの部屋で、ただ呟くように告げる。


「予定通り、『餌』を巣穴にもってこい」


 わずかに揺らいだ空気が、返答の証だった。
 それ以外に、判断するものなど何もない。
 だが、それが全てだと理解している『鼠の耳』は、満足げに頷いて、今度こそ本当に独り言として呟く。

「信用していいか、か。もちろんだとも『聖老』よ。君のペットを借りる必要なんて、これっぽっちもない」

 変らぬ笑顔で。
 |捕食者《ヘビ》の顔で。

「君のペットの中にすら、私の眷属はいるのだから。……なあ、『赤鼠』」

 彼は笑っていたのではない。
 自分の周りで踊り続ける全てのものを『嗤って』いたのだ。






 彼は、生まれながらにして支配者としての才能に溢れていた。
 それは決して、支配者という言葉を悪しに扱った意味ではない。

 支配者としての才能。

 それはすなわち、人の有能さを見抜き、適切な使い方をする、ということに尽きる。
 それは自分自身についても例外ではなく、自分の能力とその利用方法をしっかりと理解していた。

 そんな彼だから、王族に弓を引こうと隠者の会に属したのかといえば、それは違う。

 支配とは、決して組織のトップになることを意味しない。
 命令を聞くものがいようといなかろうと関係ない。
 トップが誰であろうとその意思を縛ればそれでよく、手足となるものが命令を聞かないなら自発的に動くようにしてやればよい。
 彼は、支配することそのものには喜びを求めても、権力のトップになることを望んだり、金銭を集めて享楽を得たいとも思わない。手段として必要だったから権力を求め、人を利用するのに効率的だったから金銭を集めたに過ぎないのである。

 過程がどうであれ、結果的に自分が望む範囲を思うように動かせるもの。
 それが支配者である。

 それはいわば、遊戯の強者に似ている。
 与えられた条件が平等だろうと、相手の意思を読み、誘導し、ゆるぎない勝利を得る。彼は遊戯自体にはそれほど強いわけではなかったが、政略という盤上においてのみ比類なき才を持っていたのである。
 己の武力、財力、権力といったものが強さの基準として当たり前の常識であったこの世界の社会において、『情報』というものの強さを己の力のみで気づき、且つ実際に利用していたことそのものが、その裏づけといえよう。
 そんな彼の優秀さを最初に気づいたのが、隠者の会において問題に挙げられているアノン王子であったことは、皮肉としか言いようがないだろう。

 そんな彼にとって、アノンは初めて出会う『未知』であった。
 常識はずれの考え、自分はまったく思いつくことのなかった新しい発想。
 1つや2つなら、そういう思いつきをする人もたまにはいるのだ、と納得できる。
 だがアノンは、それを尽きることのない泉のように、次々と形にしていく。
 『鼠の耳』として、すでに王国の少なくない部分を支配していた彼にとって、そんなアノンには脅威とそして憧憬とを感じざるを得なかった。

 そう、憧憬だ。
 期待してしまうのだ。
 次にアノンは何を生み出してしまうのか、と。

 支配者としての本能が、それに反発するのがわかる。
 それでもなお、自分はあの方に憧れる。自然に頭を垂れてしまう。
 そして垂れたまま、頭の中は怒りでマグマのように煮えたぎる。
 頭を下げることに対しての怒りではない。結果が思い通りになるのであれば、膝を折って額を土につけたってかまわない。
 これは、自分が本心からの敬意で、礼を尽くすために頭を下げてしまう、そのことそのものに対する怒りなのだ。

 だから、隠者の会においてアノンを失脚させようという『聖老』の話に乗ろうと思ったのだ。
 自分が、アノンに心から屈するその前に。

 もっとも、『聖老』が最後の手段として提案した『お隠れいただく』ということについては、正直乗り気はしていない。
 彼を殺すことは、たやすいというわけではないが、不可能ではないだろう。だが、それは排除であって、支配ではない。
 なによりそれでは、アノンの力を利用できない。
 本当に、最後の最後に考えうる手段だ。

 あくまで目指すは、支配である。

 鼠の力に震えよ。
 『闇の近衛兵』がいようと、ならばそこにすら鼠を紛れ込ませよう。
 すべては我が手のひらの上で踊るのだ。


「報告に参りました」


 唐突に、部下――眷属である『メス鼠』の声。
 いつから思考の海に没頭していたのか、珍しく『鼠の耳』は驚きで目を大きく開いて声の方向を向く。
 優秀なメス鼠のことだ。ノックを忘れたということはあるまい。
 自分のらしからぬ失態を眷属に見せぬよう、彼はごく自然に笑顔を作る。


「ふむ、ご苦労。……どちらのだい?」

「餌を持ち帰りました。主よ」


 なるほど。
 どうやら法務官の仕事ではなく、『鼠の耳』としての報告らしい。彼は目を細めると、ほんのわずかに腰を上げ、椅子に深く座りなおす。まるで、それが表と裏の切り替わりの合図であるかというように。


「沈音の魔法は」

「すでに実施済みです」

「よろしい、それでは調査書を」

「こちらになります」


 言われ、メス鼠は『鼠の耳』に手にしていた書類の束を渡す。
 その光景を、もし他の貴族や大臣たちが見たのならば「なんと無礼な」と声を上げたかもしれない。
 報告など、部下が口頭で上司に伝えればよいものであり、位の高い者にわざわざ「読む」などという手間をかけさせるとは何事だ、と。報告の後、最低限の確認だけしてサインをするだけでよいだろうと。
 実際、『鼠の耳』はそのように言われたことが何度かあるが、

 それでは、情報の意味がないではないか。

 そう悪態ついて返すだけだ。

 書かれているのは、客観的な事実のみが書かれたそっけない簡素にて簡潔な文章だ。ただ、それが順序良く、膨大に、且つカテゴリごとにまとめられているだけである。
 それを読み通すのは、確かに労力を要する。
 だが、ほしいのはまさに、そういった飾り気のない事実の羅列である。
 他者の推測や考察はたしかに参考になるが、それは事実がまとめられて「次」の段階で考えるべきことである。
 それまでは、楽観的な憶測や逆に悲観的な妄想などノイズでしかない。

 『鼠の耳』は、黙々とそこに書かれた文章に目を走らせていく。
 そして疑問があれば、都度、メス鼠に確認の質問をした。
 その繰り返しを延々と続け――


「……やはり、『顎鬚』はなんらかの弱みを与えられたか」

「はい、それが何かまでは、『赤鼠』にも確認できていないとのことです。ですが確かに、ある女性の姿見が記された何かを王子が提示し、『顎鬚』はそれに関する何かを守るため、またなんらかの計画を進行するため、王子に自ら協力を申し出たとのことです」

「ふむ、それは『隠者の会』とは関係ないことは間違いないのだな」

「肯定です」

「ふむ、これについては引き続き調査を続けるしかないか。……そして」


 口元が引きつるのを、『鼠の耳』は止めることができなかった。


「本当にいたとはな」


 うわさに聞いていたソレ。
 存在する可能性は十分にあると思ってたソレ。
 しかし、こう改めて存在を知ってしまうと、驚愕と畏怖を感じざるを得ない。


「恐るべき存在だな」


 だが――まあ、それだけの話である。
 確かにその存在は驚くべきかもしれないが、こうして今「知った」のだから、問題はない。難攻不落であることがわかろうと、それを知っているのと知らないのとではまったく違うのだ。
 この件については、また考える必要はあるのだろうが、今は残りの情報について確認すべきだろう。

 そして、渡された紙の束は、ついに最後の一枚へとたどり着く。
 よどみなく動いていた彼の目が、その中盤あたりで唐突に留まった。


「……はっ」


 はじめ、メス鼠は主の発したその音の意味が、理解できなかった。
 ため息とも、咳き込んだとも思える、空気の漏れたようなその音の意味を。
 しかし、その謎もすぐに氷解する。

「ははっ……ハハハハハ!あはハハハハハ!」

 主が笑いを押さえられなかったのだ、という理解の追いつかない答えとともに。


「ある……じ?」

「アハハハハハ!っひいーっくっくくく……アハッハハは……」


 『鼠の耳』が腹を抱えて笑う。
 普段、笑うといえばただ意味深げに口元を曲げるだけの彼の、そんな貴重なシーンを目の前にして、メス鼠は戸惑うことしかできない。それでも、彼の眷属であることに迷いなどない彼女は、いつ来るやもしれぬ命令に即座に答えるため、不動のまま彼を見据える。 相変わらず爆笑を続ける『鼠の耳』であったが、それも徐々に納まっていき――そして、メス鼠はさらに目を疑わんばかりの光景を見てしまった。


「はは……あはははは……ちくしょう……」


 主は、笑い――そして、泣いていたのだ。


「ちくしょう……そうかよ……私のほうが、踊らされている側だったってことか……」


 天井を仰ぐ。
 それは、まるで溢れる涙をこぼさないための、最後の抵抗であるかのように。


「あの、主。……何があったのですか?」


 書かれていた内容については、メス鼠も当然一通り目を通していた。
 だから、わからないのだ。
 自分が確認したとき、主がこのように狂乱する内容など、書かれてはいなかったはずなのだから。
 あるとすれば、そこから導かれる何らかの答え――おそらくは『鼠の耳』にしかわからない何かが、そこにあったのだ。


「ネズミ捕り、なんて怖くなかった」


 ぽつりと、『鼠の耳』が呟いた。
 その言葉の意味は、メス鼠にもわかる。
 ネズミ捕りにネズミがかかるのは「当たり前」の光景である。だから、この男はそれすら利用する手順にて、今回の調査を実施していたのだから。


「まさか、巣穴に持ち込んだ餌が、毒餌だったなんてなあ……そういえば、王子はこの前の『本当の』害獣駆除の案件で、そういう提案をされていたな。ネズミ捕りを仕掛けるのでなく、あえて生かして帰し、毒餌を巣穴に持ち込ませて全滅させる、と。……はは、私がまんまとソレにかかるとは……」


 眷属からもたらされた情報。
 やはり、そこに何かがあったのだろう。
 だが、おかしい。
 たとえばそれが、『鼠の耳』の予想をはるかに上回る仕掛けがあり、彼がそれに気づいたとしよう。だが、「その程度」のことならば、きっと彼は「アノン王子が自分を手玉に取った――という情報を手に入れることができた」と、喜んだことだろう。
 それが、主であるはずだ。


「情報は、何よりも私の武器だった」


 『鼠の耳』が呟く。


「それを集めることが力になると信じていた。そして、そうすることが喜びでも合った」


 朗々と。
 懺悔の言葉を口にするように。


「初めて知った。……|知らなければよかった《・・・・・・・・・・》。そんな情報が、あるだなんて」


 そんな言葉とともに、机に突っ伏す『鼠の耳』。
 メス鼠は動かない。
 命令がないのだから、動けない。
 だから、ただそんな主の姿を見つめることしかできない。


「ちくしょう……ちくしょう……あんまりだろうがよ……ううっ」


 情報を命として、喜びとして、何よりも大切なものとして扱い、利用してきた男の、心の底からの慟哭。
 だが、いくら嘆いても、それはもう取り戻すことのできないことであった。
 記憶を失うすべでもない限り、もはやどうしようもない。
 情報を全てとして生きてきたその男は、今まさに、その情報によって破滅に導かれたのである。


「負けた。もう私は、アノン王子を支配しようだなんて、二度と思わない。二度と、王子の力に関する情報を集めようだなんてしない」

 顔を上げた彼の顔は、ぐしゃぐしゃに濡れている。
 みっともなく、だらしなく、なぜか満足そうなその顔は、メス鼠にはまるで叱られた子供のように見えた。


「これより、私はアノン王子の支援に回るぞ。まずは今調査に出している眷属たちを全て巣穴へと戻せ。……我らの力、あの方のために全てをささげるとしようじゃないか」


 その言葉はそれまでの『鼠の耳』――支配者であろうとした彼の言葉とは思えぬ、誰かに傅くことをよしとするあり方だ。
 言い換えるなら、信念が折られた、敗者の言葉である。

 だが、なぜだろうか。
 そんな主が、今までよりも大きく、そして誇らしく思えるのは。


「わかりました。我が主よ」


 メス鼠は押し寄せている胸の感情に、僅かに声を震わせて、いつもどおりの言葉を返したのだった。


 彼女は、このときなぜそんな風に感じたのかを生涯理解にいたることはなかったが――異界の知識を持つアノンであれば、きっとこう教えていただろう。
 自らの支配という能力を、全て誰かのためにささげられるというそのあり方。
 それすなわち、王才に匹敵する変え難きもの――「王佐の才」である、と。





 次に行われた「賢き隠者の会」にて。
 『鼠の耳』が、会からの離反を宣言する。
 その言葉を『聖老』に租借させる時間を与えぬまま、彼は続ける。

「ああ、『聖老』。君の計画を漏らすことも、邪魔することもしないよ。……その程度のことで、やられるような方じゃないさ」

 驚愕に歪んでいる『聖老』の顔を見据えながら、『鼠の耳』はその鳴き声を止めない。
 楽しげに歌う、その声を。


「おっと、そうだった。……最後にこの情報だけは君にをプレゼントしておこう」


 にたり、と。
 あの爬虫類の笑顔を向けて。



「『闇の近衛兵』……本当に、存在していたよ」




 そして――赤い何かが、「三つ、了」と呟いた。



[25472] 第十二話 『愚者と賢者の狂想曲 ~聖老~ 』
Name: ぐったり騎士◆60b29e57 ID:d1423118
Date: 2014/07/19 08:29
 先に記述しておこう。

 『聖老』の心が完全に砕けたそのとき――彼はすでに限界であった。

 最後は、ほんの些細な衝撃であおうと、堰は決壊するように。
 いかに堅固な城壁であろうと、崩れるときは一瞬であるように。





 当時、その期間での『聖老』について周囲の者達が感じていたのは、人によってはまったく逆のものであった。
 ある人は「非常に活発かつ精力的に政務に当たられていた」と評していたし、またある人は「見ているほうが不安になるほど憔悴しきっていた」と述べている。
 それが、彼があまりに仕事熱心だったがゆえに疲労が激しく、そのどちらか一方の面しか見ていないための齟齬、というのならば、誰もが納得していただろう。
 だが、そうではない。
 二つに割れたその意見は、まさしく『聖老』の同じ姿を見てのものであるが――なに、その矛盾は、難しい問答やら言葉遊びによるものではない。
 単に、彼は憔悴しきったまま政務を活発に打ち込んでいただけのことである。
 どれだけ疲労していたとしても、狩られる獲物は必死で逃げ走る。
 ただ、それだけのことである。



「大丈夫ですか?」

「ああ……大丈夫だとも」


 声をかけられ、飛んでいた意識が再び肉体に宿り、『聖老』は慌ててそう言葉を返した。
 ここは、『聖老』に与えられている政務用の個室である。
 大臣、役職持ちたちとのいくつかの謁見を終わらせ、少しばかりの休憩とスケジュールを確認していたところで、僅かに寝入ってしまっていたらしい。


「それで次の予定は――確か北の神殿での説法か」

「はい。……ですが、疲れているようであれば、代理のものを立てますが。法神官殿、無理をされる必要はありませんよ」


 『聖老』の前で心配そうにそう提案しているのは、年はまだ若いが五級という中堅どころの立場にいる、部下である法神官の青年だ。
 『聖老』も彼と同じく「法神官」という役職であるが、それぞれの役職においてその場にいる最上位のものに対しては名ではなく役職で呼ぶのがこの国での一般的な習慣である。この場には四級法神官である『聖老』と五級の彼しかいないため、彼は『聖老』をそう呼んだのだ。

「いや、必要ない。わしは準備をするから、君は神殿に向かうための馬車の用意を」


 きっぱりとそう返した『『聖老』』に、青年は了承の意をこめて礼をし、退室をしていった。


「……今は、何かに熱中しておらねば気が狂い、かえって倒れそうなのだ」


 誰もいなくなった部屋で、『聖老』は誰に語るでもなく、そう呟いた。


 思い返されるのは、『鼠の耳』が離反した日――ではなく、その次に行われる予定だった、「賢しき賢者の会」の会合日のことである。
 誰もいなくなった、『賢しき隠者の会』。
 正確には『顎鬚』は離反はしていないが、あれ以来参加を呼びかけても様々な理由をつけて、彼は結局部屋にやってくることはなかった。
 そのことをわかってはいる『聖老』だが、彼はその夜、一人でいつもの会合室で座り、うつむいていた。
 誰も集まらないことを知っていながらあえてそこへと出向いたのは、たいした意味があったわけではない。単に、事前に数か月分、部屋の利用申請を出していたからであり、もしかしたら誰かから情報がもらえるのではないかと思っていたからだ。
 計画についての考察など――もはや、するつもりもなかった。
 ペットである『赤』については、いまだ王子に貼り付けているが、それだって遠巻きに監視をさせているだけに過ぎない。
 王の子飼いの『メス猫』が怖いということもあるが、なによりも――


「闇の近衛兵、か」


 そう、アノンを護衛、そして彼に反逆する全ての者たちの急所を握り、異のままに操るという闇の近衛兵。
 それが何よりも恐ろしい。

 噂で聞いたときには、何を馬鹿なと鼻で笑っていた。
 ある程度存在の信頼性があったとしても、それは国を憂う意思と怒りで押し込めることができた。
 だが、その実在がはっきりとし、なおかつ自分の周りにいた信頼できるはずの同志たちが次々と離反していくという事実――。


「次は、ワシか」


 このとき、『聖老』はすでに心が折れていたのだ。
 「お隠れいただく」というその目的は、四人の中でもっとも推進したのはたしかに『聖老』ではあったが、その彼にしても必ずしも最優先事項ではなかった。フェリス教への寄進、さらには自分の懐に入っていた様々な形の財産が不当に――あくまで『聖老』の視点でしかないが――削られていくことへの焦燥により、たしかに「それも仕方なし」という意思は強く持っていた。
 最初に計画を打ち上げた者として、さらにいえば「賢しき隠者の会」の発足者として、たとえ歪んではいても己の命を犠牲にする「程度」の覚悟があった。
 だが、それだけだ。
 己の命「程度」の覚悟しか、なかったのだ。

 『聖老』は、たしかに政治に絡むものとしてある程度の暗部は知っていても、それは今回の計画のように暗殺がいいところだ。
 だが、真の「闇」に属すものたちは、そんな生易しい手段だけでないのである。

 たとえば拷問。
 対象を痛めつける、と言葉にすればそれだけだが、『鼠の耳』によれば相手に「死なせてくれ」と懇願させるような、凄惨極まりない方法すらあると聞く。
 自分がそれらに耐えられるかといえば、否だ。
 ろくに肉体的な痛みなどとは縁のなかった『聖老』にとっては、単純な鞭打ちですら、耐えられるか怪しいものである。

 たとえば脅迫。
 自分の命ではなく、何も知らぬはずの孫へ危害を与えるという脅迫があれば、屈するだろうというのは、すでに『監視者』の件のときに自覚したとおりである。

 そして、それらの複合。
 すなわち、溺愛する孫に、そのような自身の理解をはるかに超える拷問が加えられるとしたら――。


 自分で用意していた茶に手を伸ばし、口元に持ってきたところで、水面に映る自身の顔が揺らぎ、歪んでいるのが見えた。
 カタカタと震えていた手の振動が作り出した虚構のものではあったが、まるで自分自身が己の愚かさを笑っているようにも見えてしまう。


「『赤の三番』よ。王子に動きはないのか?」


 ため息にも似た『聖老』の声に、陽炎のような揺らめきとともに表れた、隼描族の娘。
 それは、王子に「お隠れいただく」計画を最初に提言したとき、「影なる見取り人」として『聖老』が紹介した、あの女だ。
 『聖老』の疲れきったその装いとは違い、彼女の手足、呼吸、そういった肉体からなる全てのものから、生命力の溢れたものを感じさせる。

 ただ、虚ろに光る、その目の奥を除いて。


「はい。支持されているとおり遠方からの観察によりますが、今までと同じように政務を行われているようです。王族の私室関連、立ち入り禁止区域までは侵入していないため、そちらでの振舞いについてはわかりません」

「闇の近衛兵――そういったものに接触したといったことは」

「私の知らない誰かと接触、連絡を取り合っている様子はありません。念のため従者の一級法務官にたいしてもある程度監視をしていますが、そちらも同様です。こちらについても、先ほどお伝えした場所については未確認です。……ご命令とあらば、近づきますが」
「よせ!」


 急に立ち上がった『聖老』と、怒声のような叫び。
 がたん、と大きな音を立て、それまで座っていた椅子が倒れる。
 その音と、自らの声の大きさにぎょっとした『聖老』であったが、この部屋はもともと防音の処理がなされている部屋である。
 外に漏れることはないということを思い出し、彼は倒れた椅子を戻し、のろのろと力なく座った。


「……そのままでよい。今までどおり、監視を続けよ。……そして、他の『赤』たちには、引き続きワシの孫を護衛せよ」

「はい。了解いたしました」

「……行け」


 『聖老』の命に従い、先ほどと同じように空気が揺らめいて彼女が消えた。
 ただそれだけのはずであったが、部屋はなぜか色があせた様な気がする。

 血のような赤い色だけが。

 そして再び静まり返った室内には、『聖老』の荒い呼吸のみがあった。

 彼女を踏み込ませなかったのは、ただただ恐怖からだ。
 あの『鼠の耳』ですら、眷属を巣穴へと戻しているのだ。
 たしかに、愛玩動物にして隠密である『赤』たちは「見つからない」事にかけては『鼠の耳』の眷属である「ネズミたち」よりも憂愁であろう。見つからないことと、見つかっても気にされないこと。それは大きくベクトルが異なっている。『鼠の耳』にとって難しいことであれど、『赤』たちならできるかもしれない。
 だが、それに何の保障があるのか。
 諜報という一点においては遥かに高みであるはずの『鼠の耳』が眷属を撤収させた。
 そのことの意味がわからぬほど、『聖老』は耄碌していない。

 単なる撤収ではなく「会」との決別を明言したのだ。
 彼の策略は王子には通じず、さらに何らかの攻撃を食らったということは、想像に難くない。

 そして、『鼠の耳』の最後の通達――闇の近衛兵。

 噂どおりであれば、想像もできぬほどの恐ろしい形の脅迫を行い、対象者を屈服させて意のままに操るというその存在。

 『監視者』が。
 『顎鬚』が。
 『鼠の耳』が。

 彼らの不可解な急速な離反が、闇の近衛兵によるものではないと、どうしていえるのか。
 いや、そうとしか考えられないではないか。


 結局のところ、『聖老』の不安は「未知」によるものである。
 だから、『赤』を動かした。
 どうにかして闇の近衛兵の情報を手に入れられないか、自分は、つまり孫はそのターゲットになっていないのか、と。
 そして一方で、虎の尾を踏むことにならないかと恐怖している。
 自分に闇の近衛兵からの接触がないのは、まだ狙われていないためではないかと。
 それが、『赤』を深入りさせない理由である。

 その二律背反の茨が、『聖老』の心を蝕んでいた。


「できるのであれば、全てを王子に告白し、楽になってしまいたい」


 それは本心である。
 だが、できるわけがない。
 それは確かにこの地獄の終焉ではあるが、破滅としての終焉だ。
 今は「まだ何も起こっていない」という希望がある。
 希望があるからこそ、光を諦めきれず、この地獄を漂い続けているのだから。


「……ワシが死ぬだけで済むなら、それでも構わぬ……フェリス様、私はどうなってもかまいませぬ……。どうか、どうか私の大切な者たちに、あなたのご加護を……」


 祈りを捧げる。

 普段彼が仕事として祈る、神殿ではない。
 慈悲深い笑みを浮かべる偉大なフェリスの像もなければ、荘厳な賛美歌を奏でるオルガンの音もない、ただの薄暗い室内でだ。

 歪んだ志と欲にまみれた信仰が折れ、純粋に懺悔をし、慈悲を己の神に乞う、初老の男の姿がそこにあった。、

 『聖老』の二つ名も、四級法神官という高位の立場をも忘れた、ただただ無垢な祈りを捧げるその男の姿は――皮肉なことに、その姿こそ『聖老』と呼ぶにふさわしい輝きを持っていたのである。



 そして――崩壊の瞬間は訪れる。



 それは時期にして、『鼠の耳』の離反後に一人部屋で懺悔をした日より、約三ヶ月後のことである。
 その期間、結局『闇の近衛兵』の接触はなく、『聖老』は己の精神の擦り切れていく音が聞こえるように苦悩しながら、最終的にある対処の方法を見出した。

 何も考えない――すなわち、現実逃避。

 結局のところ、相手側から何らかの接触がなければ、何もできないのが現状である。反抗することも、対応することも、希望を見出すことも、絶望することすらもできないのであれば、考えるだけ無駄である。
 問題の先送りであり、真綿で〆られるような現状は何も変っていない。
 だが、考えれば考えるほど病んでいくのであれば、忘れているほうが遥かにましであった。

 凡人であれば、酒や女に溺れていたかもしれない。
 だが、フェリスの神官たるものとして、そんなことは許されない。もはや最後に残った矜持だけは捨てきれず、彼は忘却の方法を仕事に費やすことでなしえていた。
 睡眠ですら悪夢に襲われることがあるため、彼には安易に逃げられる場所ではなかったのだ。

 されど、仕事だろうとなんだろうと、とにかく「何か」に熱中していれば、それを忘れることができていた。
 それが最近の彼の、ある人が見れば活発に、ある人が見れば疲れきっていたという、あの評価につながっていたのである。

 そんな毎日の中で、今日は『聖老』が唯一楽しみを寄せていた、「武道会」の決勝が発表される日であった。

 幾人の猛者たちが集まり天下無双の者を決めるその大会を、まだ『隠者たち』が全員集まっていたころから楽しんでいた『聖老』。
 王子の手によって主催、発表されるそれは、叛意を持って望んでいた相手のものであれど、心待ちせずには要られなかった。
 事実、まだ「折れる」前ですら、この大会が終了するまでは、「お隠れいただく」のを待つ心算であったといえば、彼がどれだけ楽しみにしていたかがわかるだろう。
 その、決勝戦。
 仕事に逃げていた『聖老』が、このときばかりは娯楽に逃げても、許されるのではないだろうか。

 だが、そんな僅かな慈悲すら、運命という魔物はあざ笑っていくのである。


 決勝が終わり、その素晴らしさに高揚した自分を隠さぬまま、彼は自分の執務室へと歩みを進めていた。
 残念ながら、彼がこっそり応援していた人間は葉一回戦で敗北していたが、そのときの対戦相手であった猿豪族の少年が決勝へと進み、多眼族の青年と激闘を繰り広げたのだ。二人とも亜人ではあったが、「神に許された者たち」である種族であり、『聖老』はただその決着に惜しみない拍手を送ったのである。
 最終的にどちらが勝ったかなど、もはやどうでもいいことである。
 それほどまでに激戦且つドラマティックな結末だった。

 数日振りに訪れた、「喜」に溢れた心を胸に、政務室の扉を開け――


「やあ、ずいぶんとご機嫌そうだね」

「お前――ねず……法務官殿か。何用だ」


 『聖老』の座るべき椅子に、サイズに合わないのか窮屈そうに座る、『鼠の耳』。
 それでも、それが癖であるのか彼の矜持がそうさせるのか、どっぷりと深々と椅子の背もたれに体重をかけている。


「ふむ、用というほどでもないのだが――友人と親交を深めようとすることに、何か問題でも?」

「白々しいことを――」


 『鼠の耳』とは、袂を分かれたとはいえ敵対しているわけではない。
 彼の言を信じるなら、王子側についたとはいえこちらを邪魔したり、害したりすることはないはずだ。

 だが、今の、このとき。この場所で。

 『鼠の耳』がこのように製老を待ち構えているということそのものが、法務官ではなく、『鼠の耳』として「何か」を為すためにやってきた、その事実を物語る。


「白々しい、か。私は本当に親交を深めるためにきたのだがね。それに――君だけではないのだよ」

「なに?」


 言いながら、廊下へと続くドアを指差した『鼠の耳』に、『聖老』が反射的にそちらを見やれば、


「法神官殿。二級法務官殿に言われやってきたが――」

「私もだ。失礼するぞ」


 まさにその瞬間、荒いノックの音とともに部屋に入ってきたのは『顎鬚』と『監視者』だった。


 久方ぶりの、四人の顔合わせである。
 「賢しき隠者の会」が事実上崩壊したあと、この四人が集まることを『聖老』はどれだけ渇望していただろうか。
 だが、今この場においては、『聖老』には不穏な空気にしか感じられない。

 苦虫を噛み潰した表情で、二人を見る『聖老』。そして「このような応対をされるのは何事なのだ」と呆けるのは『顎鬚』と『監視者』である。

「さて、全員がそろったところで――。まずはこれを法神官殿に渡しておこうか」


 『鼠の耳』が取り出したのは、厳重に封がされた報告書大の紙筒である。
 渡されたそれを、反射的に受け取る『聖老』。


「これは?」

「君にとって、重要なことが記されているのだよ。……いや、君自身ではなく、とある少年の顛末、といっていいかな」


 ざわり――と。

 『聖老』は、逃避によって押し込めていたあのおぞましい感覚が襲い掛かってきたことを理解する。

 まて、なんだ、このざわめきは。
 不安は。
 自分自身についてではない――とは。


「闇の近衛兵――本当に、優秀だねえ」


 その名称に『顎鬚』、『監視者』の両名も驚愕に目を見開いた。
 だが、『聖老』にいたってはそれどころではない。


 バカな、馬鹿な、ばかな――!?

 ついに、ついにやってきたというのか?
 
 だがまて、あやつにはしっかりと護衛をつけて――


 『聖老』は、もはや周りのことを意識の外に追いやり、びりびりと封書を破り、中にある数枚の紙の束を取り出して、その内容を見やる。
 黙々とその眼と手が動いていき――とまる。

 そして――


「……れた」


 蒼白な顔、そして対照的に充血しきった双眼を見開いて、『聖老』がかすれた声で何かを呟く。


「……なに?」

「む?」

 『顎鬚』、『監視者』がいぶかしげに声を上げる。
 そんな彼らの反応を無視し、『聖老』は全身を震わせ、滝のような汗を顔中から流していた。
 そして、全身の骨という骨、間接という間接が砕けきったかのように、彼はそのまま膝を突いて崩れ落ちた。


「『聖老』!」


 「会」が行われるあの部屋以外の場所では、決して使ってはならないはずの符丁を思わず発しながら『監視者』が彼に駆け寄る。


「どうした、何があった!」


 『顎鬚』も、先ほど『監視者』が行った失態をとがめることも忘れ、今は倒れ付した『聖老』を見やる。
 『監視者』の四腕に支えられ、それでもふらふらと力なく震えている『聖老』は、ただただ『鼠の耳』より受け取った紙の束を凝視し続けている。


「法務官殿!法神官殿に何をした!」

「私は何もしていないとも、法税官殿。ただ、私は公式な資料を立場上君たちより早く手に入れた。そして、それを法神官殿に渡しただけさ」


 ニヤニヤと笑っている『鼠の耳』。
 こんな顔を、この男はできたのかと、普段の彼しか知らない二人は驚愕しながら『鼠の耳』を見る。
 だが、今すべきはそんなことではない。
 それに、『鼠の耳』が嘘を言ってないのだとすれば、彼が『聖老』に手渡した「公式な資料」とやらに、全てがあるはずだ。
 
 そこに、いったい何があったのか。
 
 今、真実を手にしている男は、いまだ体を震わし、何か虚ろに言葉を紡いでいる。
 そこに、耳を傾けて――ああ、そこにあったのは、怨嗟のような、しわがれた罪人|《とがびと》の声――。


「……殺され、た……あいつが、殺されてしまった……」






 そして――表向きの主たる『聖老』と、裏の主であった「はず」の『鼠の耳』、そして狼狽し続ける『監視者』、『顎鬚』を、闇の中から見据えて――


「全て――了」


 『赤の三番』が、楽しげにそう呟いた。





『赤』は一人愉悦の笑いをあげた。
監視者が。
顎鬚が。
鼠の耳が。
聖老が。
全てが予定通り「了」となったその瞬間に、壊れた賢者たちは愚者の歌を舞い奏でる。
凡人が届かない場所に居るのが賢者であれば、賢者が屈するのはいつだって愚者である。
その真実を踊り手として。


次回、自由帝国の王 第十二話
 『愚者と賢者の狂想曲 ~闇の近衛兵~ 』

 アフェバイラの自由と共に、君の自由にも、祝福あれ。



[25472] 第十三話 『愚者と賢者の狂想曲 ~闇の近衛兵~ 』
Name: ぐったり騎士◆60b29e57 ID:450b7eee
Date: 2014/07/25 21:42
「殺された?誰がだ……まさか!?」

「もしや、法神官殿の孫息子の……」

 膝を突いた『聖老』の呪詛の言葉に、『顎鬚』、『監視者』は最悪のケースが思考によぎる。
 だが、『聖老』の次なる言葉は、そすんな彼らの予想を遥かに超えるものであった。

 それは――


「殺された……グリピンが殺された……」


 一瞬の静寂の後。


「なにぃぃぃぃぃぃ!?」

「馬鹿な!グリピンがなぜ!?」


 二人の更なる絶叫が、部屋に木霊する。


 ※グリピン
  アノン王子が現在連続発表中の作品『ゴラゴン・ドール』に登場するキャラクター。
  地方によって様々な伝承がある架空の神獣『ゴラゴン』。
  そのゴラゴンの力が宿った7つのドールが世界中に散らばっており、全てのドールを集めるとゴラゴンが現れ。どんな願いでもひとつかなえてくれるという。それを集めるために主人公のゴブーは仲間たちと様々な冒険をするというストーリー。
  グリピンはゴブーの親友にしてライバルの少年である。
  
  最近は話がドール集めの冒険譚ではなく、ゴブーのバトル中心になっていたが、そうなってからの人気は絶大なものである。
  現在、「天下無双武道会」によるトーナメント編が公開中。
  
  『賢しき隠者の会』の四人も当然はまっていたが、特に『聖老』の熱中ぶりはすさまじかった。


「いったい、何があったというのだ!?」

「わからぬ!だがグリピンの悲鳴が合った直後、ゴブーが駆けつけるとグリピンが倒れておったのだ!」

 『監視者』の問いかけに、ただ首を振って吐き出すように告げる『聖老』。
 そして、相変わらずニヤニヤと笑っている『鼠の耳』に、『顎鬚』は苛立ちを奮起させて詰め寄った。


「どういうことだ法務官!もしや聖ろ――いや法神官でょのの持っているのは――」


 (噛んだ……)
 (噛んだ……)
 (噛んだ……)


 三人の視線に、恥ずかしさからか怒りからか、顔を真っ赤にしながら『顎鬚』が叫ぶ。


「ええい、まだるっこしいわ。面倒くさい!『鼠の耳』よ、『聖老』の持ってるのはもしや?」

「うむ、次回発表予定のゴラゴンドールだ。粗刷り版だがな」

「なぜ『鼠の耳』がそれを?というか粗刷り版ってなんだ?」

「粗刷りというのは、公式に君たちに発表される前の、最終チェック用印刷版のことだよ。いろいろあって、今私も王子の作品の出版に関わる業務につけることになってな。いやはや、今回の件については非常にびっくりしたので、友人にて『元』同士たちにも情報共有しようと思ったのだ」

 『鼠の耳』の説明を聞いて、推測が確信へといたる。
 こうなれば、することはもう決まっていた。
 

「な、なんということだ……ええい、『聖老』よ、俺にも見せろ!」

「っく!おい『顎鬚』、順番だぞ順番!読んだら順にこっちにまわせ!」

 すでに力が抜けていた『聖老』の指から、原稿を受け取った『顎鬚』。
 そして、それに追従する『監視者』。
 二人が争うように、そのうえで決してページを曲げたり破いたりしないように扱いながらソレを読みあう。



「なあ、『聖老』。君の計画、やるとするならこの大会が終わった後、といっていたが――本当にやるのかい?」

「……この展開での決着がついたら、そのとき考える」

「そうかい」


 かすれた声で答えた『聖老』に、『鼠の耳』はこう思った。

(あ、これ決着がついても次の展開が気になって結局やらないパターンだ)

 と。



「おい!早くしろ!こっちはもう読み終わったぞ!」

「まて『監視者』よ!今いいところなのだ!ちょうど武道会が終わってテンジンバン、ギャオスに亀導師のじっちゃんが仲間にならんかと話して――うおおお!馬鹿な!グリピンが!?」

「やめろ!先に言うな!ちゃんと初見は絵で確認したいのだ!」


 そして、騒ぎ続けている二人を見ながら、『鼠の耳』は「まだだ、まだ地獄は終わらんよ」と呟いた。

 とはいえ、シリアスとかいまさらではある。



 そして、何時もの会議室にて。
 

「さて、とりあえず奇しくも私たち全員、計画を無期延期することに賛同したわけだが――」

「おい、ワシは今の展開の決着がついたら考えるといったろう!」

「粗刷り版をドヤ顔でお孫さんのところに持っていって『じいじすげー』と尊敬されて悦に入ってた奴が何を言っているのか」


 やれやれと肩をすくめる『鼠の耳』。


「っく……」

「まあまあ、『聖老』よ。提案だが、こうなってしまった以上、お互いに何があって心変わりしたのか情報共有しないか?私もある程度情報はつかんでいるが、眷属を通すのと実際に君たちから真実を知るのでは、信頼性がまったく違うからな。もちろん、私も説明する」

 『鼠の耳』が切り出したその案件――お互いの心変わりの理由については四人とも知りたいところである。

「うむ、どうやら俺以外も、全員王子にお隠れになられると困るようだ」

「だが、その理由が不明瞭では、確かに疑心暗鬼になるやもしれぬ。賛成だ」

「……ま、まあワシも気にはなってはいた」


 三人の了承を得て、『鼠の耳』は議長として言葉を続ける。


「よし、では順番は……そうだな、計画から離反した順でいいだろう。『聖老』は――まあ今回のとおりだから、『監視者』、『顎鬚』、私の順でいこうと思う」


 頷きによる了承。
 まず、『監視者』が立ち上がる。


「それでは話そう。実は――」





 それは『監視者』が家に帰ったときのことである。
 出迎えたのは、子供たちの面倒を見ている乳母代わりのメイド。そして愛すべき子供たちであった。
 ただし、いつもと様子が違ってもいた。それは――
 

「フィリス・レッド!」

「フィリス・ピンク!」


 なぜか、子供たちが謎のポーズをとってなにやら呪文のようなものを叫んでいた。


「あ、お帰りなさいませご主人様」

「あ、ああ……ところでこれはいったい――」

 戸惑う『監視者』。
 ちょうど、そんな彼女を子供たちが見つける。


「あ、お母さん!お帰りなさい!ねえねえ、『王国の平和を守るため、フィリス・ファイブ出撃せよ!』って言って!」

「ママー。ねえねえ、言ってー!」


 息子、娘に予想だにしなかったおねだりをされた。
 戸惑いながらも、それが子供たちの願いなら、とわけがわからぬまま応えようとして、


「え、え?……ええと……王国の平和を――」

「ちがう、違うよお母さん!そのときのポーズはこう!」

「うん、お兄ちゃんのしてるポーズでいって!」


 息子は、左手を腰に当て、右手をどこか遠くを指し示すポーズをとっている。
 娘もそれに同意しているので、どうやらそのとおりにしなければならないらしい。

 とりあえず、四腕の上の二つを用いて、そのポーズをとってみる。
 メイドが、とても微笑ましそうにそれを見ていた。


「お、王国の平和を守るため、フィリス・ファイブ出撃せよ!」


 言われたとおりにして、そしてしばしの無言。
 子供たちはといえば、そんな『監視者』を見ながらぶるぶると体を震わせて――


「うおおおおおお!」

「きゃあああああああ!」


 歓喜の声を上げた


「すっげぇぇぇぇぇ!ほんとにカンシー司令だ!」

「ママ、すっごくかっこいい!」


 え、と。

 何故だか知らないが、子供たちは大喜びで『監視者』に飛びついてくる。
 うれしい。
 うれしいがいったい何があったのかさっぱりわからない。


「え、ええとお前たち。そのフィリス・ファイブというのは?司令って?」


 聞くと、息子は近くの机の上においてあった絵本――ではなく、雑誌とか言う書物を差し出した。
 確か、アノン王子が試験的に始めていたものだったはずだ。
 それが何故ここに?


「これだよ!正義の味方、フィリス・ファイブ!」

「フィリス・ファイブもかっこいいけど、司令はそんなフィリス・ファイブのまとめ役で、いつもがんばってるんだ!」

 雑誌を手渡され、それを凝視する『監視者』。
 五色の服に包まれた謎の戦士たちが、どことなく洗練されたポーズを取っているイラストが描かれている。
 そこには、このような説明が書かれてあった。


 ※『正義戦隊!フィリス・ファイブ』
  大陸の歴史において、様々な悲劇的事件や戦争を意図的に引き起こし、暗躍していた暗黒魔学帝国ゲル・ジャーク。
  彼らはついに大陸を征服をするために表立った活動を開始した!
  
  それに対抗するため、アケババラ王国は正義の戦隊を結成する。
  その名はフィリス・ファイブ。
  『神聖魔学』により正義の精霊フィリスの力を体に付与した5人の戦士たち、それが正義戦隊フィリス・ファイブなのだ!
  行け、フィリス・ファイブ!
  負けるな、フィリス・ファイブ!

    テイオー先生|(アノンのペンネーム)による「よいこマガジン」にて好評連載中。
    また、アノン王子管轄の国営劇場にて全国でショーが開催される予定。

    「さあ、良いこのみんな、豪楽園劇場で、僕と握手!」
    
    なお、この作品はフィクションであり、実在する王国や宗教とは一切関係ありません。


「こ、これは?」

 困惑しながら、メイドに聞くと、彼女はニコニコと微笑みながら、応えてくれた。


「先ほどアノン王子の従者の法務官様がお見えになられて、こちらの本をプレゼントしてくださいましたよ?元孤児全員に対する慰撫とかで、各地を回っているそうですが、すれ違いませんでしたか?」


(おうじいいいいいい!?)


 ある意味で敵である王子の従者が、ここに来たという。
 当たり前だが、彼女が公務として着ているのだから、王子がそのことを知らぬはずがない。
 まさか、自分の叛意に気づいて何か仕掛けてきたのでは、と不安になる。

 これは、実は自分宛の何かのメッセージではないかと、子供たちから渡されたフィリス・ファイブを読んでみることにする。


Fレッド 「ガル参謀!貴様ら!なぜこんなひどいことができる!

ガル参謀「ふふふ……大陸の人間どもよ!貴様らはこの暗黒魔学を理解せぬ愚かな存在だ……下等な家畜と同じだ。そんなお前らを我らデスジャーク帝国の実験材料、そして奴隷として働かせてやろうというのだ。感謝するべきだろう」

Fピンク 「そんな、この人たちはただ平和に優しく過ごしていただけだというのに……許せない!」

Fブルー 「デスジャークに属さないものだから虐げていい……そんな考え、許されるわけがなかろう!そんなものは正義ではない!」

ガル参謀「ふん……何を言う。貴様らもやってきたことだろう。自分たちこそが正しいのだと争いあった貴様らが『正義』などといえたことか!愚かなお前らを、われ等が管理してやろうというのだ!」


 そう、デスジャークの罠にかかった彼らフィリス・ファイブは、暗黒魔学により普段は抑えていた主義主張の違いからのお互いへの不満を暴発させられてしまい、つい先ほどまで仲間割れをしていたのだ!
 しかも、まだわだかまりは解けていない!

 動揺するフィリス・ファイブ。

 いけない、神聖魔学は優しさの力。
 精霊フィリスの力もこのままでは弱まってしまう!
 そしてこんなにも心がばらばらでは、合体魔人形アケババラーも呼び出すことができない!

 どうなる!? フィリス・ファイブ!


???「そうだ……人は愚かで残酷だ。だが、だからこそ賢く、そして優しくなろうと努力することができる」


 そのとき響いたのは、五人が信頼を寄せる、偉大な四腕の人――


F全員「「「「「「カンシー司令!」」」」」


 動揺していた五人が、ひとつの方向を見つめる。
 カンシーは、ゆっくりと彼らの前に、そして堂々と現れる。


カンシー司令「自分の考えが正しいから、正しいとされることをしたから正義なのではない。優しく、強く、愛する心を持とうと努力することこそが正義なのだ!戦士たちよ、お前たちに問おう!お前の仲間たちは、それができない者達か!?」


 はっと、何かに気づく五人。


Fブラック「違うぜ!……俺は、俺の信じる仲間たちは、いつだって優しいやつらだ!」

Fイエロー「そのとおりでゴワス!強い心とは傲慢ではなく折れぬ意思!みんなそれを持っているでゴワス」

Fブルー「ッフ……拙者もまだまだだな。こんな当たり前のことを忘れていたとは……」

Fピンク「人を愛する気持ち……たとえ立場や考え方が違っても、それだけは絶対に忘れてなんかいないわ!」

Fレッド「そうだ……確かに俺たちは仲間同士で争った……だが、許し、そして信じられる。なぜなら!」


 ここで全員がポーズをとり、


F全員「『全ての優しい者達』を守りたい!そのためだけに、俺たちフィリス・ファイブは立ち上がったのだから!」


 満足そうに頷くカンシー司令。


カンシー司令「いけ、フィリス・ファイブ!『全ての優しい者達』を守るために!その思いこそ、精霊フィリスの力を輝かせる、本当の正義の力だ!」

F全員「「「「「おうっ!」」」」」


 なるほど。
 そこには、自分が「教育においてもっとも難しい」と思っていた要素が、目に見える形で描かれていた。

 哲学的なものを求めていけば粗は多い。
 結局は武力で解決しているとか、守る云々についても結局立場の違いだろうとか、突っ込もうと思えば突っ込める。
 ただ、わかる。わかってしまう。
 その突っ込みは、フェリス教を善としたやりかたにも跳ね返るということが。

 そのうえ何がいやらしいかといえば、フィリス・ファイブの基本的な正義のあり方としては「フェリス教」に沿っているところである。
 この作品そのものにおいてでは、「神に見放された者達」をどうこうということは一切触れておらず、ただ「思いやりを持て」とか「お互いを許しあいましょう」とか『全ての優しい人』を守ろう、という、それだけでしかない。
 これは、フェリス教の基本概念にも存在しているものだ。
 下手をすれば、『聖老』ですら「良いものだ」と認めてしまうかもしれない。寓話として、優秀なものであると。

 なによりも斬新で面白い。
 この手の寓話といえば主役は勇気ある騎士であったり敬虔なフェリスの神官だったりと相場が決まっているものであるが、出てくるのは訓練を受けただけの普通の青年たちだ。また、使われる魔法やアイテムも、「不老不死の薬」とか「神の力」といったオカルトそのもののありえない代物ではなく、実在する『魔学』という身近な技術である。だが、そこに暗黒、神聖という本来ありえない要素を加えることで神秘性が付与されているのだ。
 戦う相手もまた、魔王というような御伽噺のものではなく、凶悪ながらも同じような人間であり、我々の生活の中にある悪意や問題を利用して攻めてくるという単純な力押しではない恐怖感。
 そして、主人公たちはいざというときにだけ、正義の心により変身して力を得て戦うというその斬新さ。
 とどめの、主人公たちの魔学兵器の乗り物が変形合体して、巨大な魔人形となり敵と戦うという発想には度肝を抜かれた。

 これは間違いなくはやる。
 なにより子供たちは熱中するに違いない。
 特別ではない者達が、ただ正義の心と「ほんとうにありそうな魔学技術」をつかって英雄になるのである。
 身分問わず、「自分ももしかしたら……」と思わずには居られないではないか。


 だからこそまずい。
 これは「お話」だから、実際にあるような闇の部分は触れられていないし、問題にあがったりすることはない。
 だが――


「フィリス・ファイブはとっても優しくてかっこよくて良い子の味方なんだよ!悪いことをすれば人でも『めー!』って叱るし、亜人でも良い人なら優しいんだ!」

(ぐぶっ!)


 確かに、子供たちには「いつも正しくあれ」とか「人を貶めて喜ぶ者になるな」と教えてきた。
 だがそれは「神に見放された者達」に対して、大きく情をかけろとか「神に許された者達」と同等に扱うべきとか、そういうことではない。
 自分がそうであるように、「不当に虐げるな」「残虐な精神を持つな」というという意味である。
 いうならば「下々に対しても寛容でいなさい」という上から目線のものであるのだが。


「それを良く思わない人もいるんだけど、カンシー司令はそういうのを絶対に許さないの!」

(おふっ!)


 『監視者』は正義の人と自負している。
 フェリス教徒でありながらも狂信者ではなく、且つ教養が高い彼女は、フェリス教の様々な行いが建前や政治的理由による詭弁であることも知っている。
 ゆえに、子供たちにはそういった世の中の汚い部分を受け止められる年になるまで、汚泥には触れさせないようにしてきた。 

 だから――この言葉はキツかった。


「カンシー司令ってお母さんみたいだよね!かっこいい!」

「うん、ママってステキ!」

(がはぁぁっぁ!)


 そうである。
 つまり、そういった「大人の事情」に触れないようにして、「きれいごと」を前面に押し出したことを子供たちに見せ、接し、教えてきた自分は、まさに「カンシー司令」の言ってることをそのまま正義だとして教育してきたようなものであるのだ。
 それは司令と自分を重ねるだろう。

 もちろんいつかは、そういう大人の世界の汚い部分を知るときは来るだろう。

 でも。
 でも、である。

 それでも子供たちには

「ボクのお母さんはそういうことに負けない素晴らしい人なんだ」
「私の尊敬するママはどんな人にも優しい本当に正義の人なの」

 と思われていたい。
 それは、親として、子供たちの先を歩み背中を見せるものとして、当然の感情ではないだろうか。

 そんな自分が、もし「王子をお隠れいただく計画」に加担していると知られたら、二人はいったい私をどう見るのか――

 だが、葛藤に苦しむ『監視者』の心のうちを知らない子供たちは、さらに容赦ない言葉のナイフを振るい続けた。


「でも、ガル参謀はひどいんだ。デスジャークの中にも『暗黒魔学を使っていない人々とも仲良くしよう』っていう良い将軍がいたのに、気に食わないからって暗殺しちゃうんだ。……絶対に許せないよ」

「そうなの……ガル参謀って大嫌い!」




「……ゴブゥッ」



 『監視者』が、膝から崩れ落ちた。







「ということがあってな……。子供たちには勝てなかったよ……」

「……」

「……」

「……眷族からの報告でだいたい知ってたけど、実際に君の口から聞くと壮観だねえ」


 冷たい目で見られて、『監視者』はただをこねるように四腕を振り回しながら吼える


「な、なんだよ。じゃあお前ら、自分を正義の味方と同じだと尊敬してキラッキラ、キラッキラだぞ?そんな目で見てくる子供たちの前で、『人には優しくしないとダメです!殺していいのはモンスターと異教徒だけです(キリッ』とか「だから私は王子を暗殺しちゃいました!これが私の正義です!(ドヤァッ!)』とか言えるのか!」

「……むう」

「まあのう……」

「少なくとも君には無理だろうね」


 三人の目は、冷たさから生暖かいものに変っていた。
 まあ、だからといって何かが救われるわけでもないが。


「そ、それに私がカンシー司令役になって子供たちがレッド、ピンクでやるフィリス・ファイブごっこが結構楽しくてな……最近は子供たち用にフィリススーツも準備してみたが、これがよく似合ってな!私も司令の格好をしてだな……」

「いかん、『監視者』の子供自慢が始まったぞ」

「はやめにとめないとまずいのう」

「ちなみに眷属からは、『監視者』が最近『可憐ライダー』と『美少女マスク・ポワポリン』の衣装も準備中だという情報が入っている」

 どうやら子供とごっこ遊びをしているうちに、本人も何かの新しい趣味に目覚めたらしい。


「それでそのとき娘はだな……」





「さて、『監視者』の暴走が止まったところで、次は『顎鬚』、君の版だ」


 半刻ほどの語り部が終わったところで、『鼠の耳』は次の報告者を指名する。
 『顎鬚』は、最初恥ずかしげにしていた『監視者』とは対照的に、自らを誇るように胸を張って立ち上がった。


「うむ、俺は、『監視者』とは違い、もっと壮大な理由だ。なにしろ、運命とであったのだからな」

 そして語られる、驚愕の事実――



 王子の執務室に呼び出され、いきなり差し出された書類を目にした『顎鬚』は、かっと目を見開いてそれを見つめていた。


「これは――」

「うむ、私が次にやろうとしている作品なのだが、タイトルは『おおっ!フェリス様!』という」


 ※『おおっ!フェリス様!』
  真面目だが女心がわからず女性と縁のない新米兵士である主人公の青年が、兵の宿舎で休息をとっていたとき、ひょんなことから転送魔方陣が作動。なんと伝説とされている天翼族の女性が現れ、願い事をひとつかなえると告げてくる。
  フェリス教における「神に祝福された者達」のなかでも、もっとも祝福の度合いが高いとされる天翼族が実在し、現れたことに主人公は最初は驚愕するが、そんなことあるはずなくこれは誰かの悪戯かと判断。冗談で「君と一緒に幸せになりたい」といってみたところ、なんと彼女は本当に天翼族であり、契約魔法によってその願いが受理されてしまった。
  こうして、二人は一緒に暮らすことになったのだが――というラブコメディ。


 描かれた天翼族は、素晴らしく麗しい女性。
 王子の描く人物の特徴だが、決して写実的とは言い難い、目が大きく鼻の小さい独特の造詣。
 だが何故だ。
 今までに出会い、そして抱いてきた女性より、遥かに魅力的に見えてしまうのは!

 そして何よりこの主人公は――


「まさか……お、俺……か?」


 確かにそこに描かれているのは、『顎鬚』よりはかに若い――まさに顎鬚など存在しなかったころの、若輩者の自分である。
 これはいったいどういうことだろか。


「うむ、実は主人公を描くに当たりいろいろと模索していたのだが、モデルとして君を使ってしまったのだ。はじめは今の若い兵士をモデルにしようと思ったのだが、実際に『今』の彼らを使ってしまうといろいろともめそうだったのでな」


 いわゆる「俺の嫁論争」的に。

 ぼそりと呟いたアノンの言葉は、もはや聞こえていなかった。


「周囲の女性からの好意には鈍感。誠実だが普段の振る舞いのせいでとっつきづらいと思われている主人公。だが、ふとしたときに見せる優しさに好かれまくる。だが主人公は着実に天翼族の少女との交流を深め――聞いているか?」

「は、はい!もちろんです!」


 嘘である。
 すでに目線は「おおっ!フェリス様!」の物語を追う意外、まったく動いていない。


「昔の君を知っているのは若いものたちにはあまり多くないだろうし、それなりにデザインもデフォルメを加えている。だが、君のいくつもの武勇やエピソードを基にした話もいろいろと考えているのだよ。だから、君からモデルとして使う承諾を得たいのだ」


 すでに先方――作品発表における印刷もろもろを担当する業者や大臣たち、ヒロイン役のモデルにも話は通してある、とアノンは言う。


「あとは君の許可しだいなのだ。もちろん、反対であれば言ってくれ。残念だがそれはまだネームの段階だし、キャラの変更は可能だからな。……で、どうだろうか」

「……」


 無言でいる『顎鬚』に、王子は「やはりこういう扱われ方は不満なのだろうか」と心配になりつつ、通用するかわからないが新たに条件を提示する。


「ああ、それからもしOKしてもらえるなら、君に取材を申しこんだり内容の確認などをしてもらうこともあるので、原稿は優先的に見せたいと思う。それから、君が望むならヒロインの書き下ろしピンナップも――」

「是非、お願いいたします」

 即答であった。

 どうやら、女性に縁がない上に戦い一辺倒で生きてきたため――「こっち方面」に対して耐性がまったくなかったようだ。




「こうして、俺は運命とであったのだ」


 フンス、フンス、と鼻を荒げ、自慢げに自分の名前入りアノンのイラスト付サイン色紙を見せる『顎鬚』である。
 さらによく見れば――彼が腰に携えている「銘持ち」の剣の柄には、そのイラストと同じキャラクターを模したものと見られる小さな人形がついていた。


「俺は彼女を心の嫁として一生愛でる所存。別にアノン王子の政策に賛同するわけではないから賢しき隠者の会には参加するが、お隠れいただいては困るのだ!」


 誇り高き戦士である『顎鬚』の心からの叫び。
 戦場で彼があげる雄たけびを聞けば、それだけで千の兵士が士気をあげるといわれたそれが――今、ここに再現される。

 限りなく残念な方向で。


「……仕方ないかのう」

「うむ、仕方ないな」

「え、仕方ないの?」

 『聖老』、『鼠の耳』の深々とした同意の頷きに、『監視者』は反射的に疑問の声を上げる。
 女性である自分にはよくわからないが、仕方ないらしい。

 その色紙に描かれた女性キャラたちをお互い指差しながら、


「ワシはこっちのぼいんぼいんな褐色の娘が――」

「私はこの小さい子ですね。いや、いやらしい意味じゃないですよ?」

「ヒロインのメルタンティは俺の嫁」

 と言い合っている三人の男を見据えて、『監視者』は一人疎外感を感じていたりする。




「最後は――私か」


 ようやく「どの娘が可愛いか」談義が終わったらしく(決着がついたわけではない)、『鼠の耳』が立ち上がった。


「うむ。……正直、お前が寝返るのが一番意外であったわ。それも単に会から抜けるのではなく、完全に王子側についたと聞いたが――まことか?」


 『聖老』の言葉に、二人が反応する。


「なに、そこまでか」

「なんと……」


 『顎鬚』、『監視者』は驚愕の表情を隠さず、『鼠の耳』を見やる。
 彼は、ただ肩をすくめるだけだ。


「まあ、ね……ただ、私のことを聞くには、君たちにも痛みが必要だが、その覚悟はあるかい?」


 ニヤニヤと笑う彼の表情には、いやみったらしい何時もの嗤いでも、ましてや爬虫類のような獲物を見つけたときのこらえられない笑いでもなく――なぜか、自嘲めいたものを感じさせる。


「ふん、いまさらよ。それに俺には心の嫁がいるのでな。多少の苦しみなど全て癒されるというものよ」

「私も、子供たちに嫌われるのでなければ他はたいしたものではない」

「もったいぶらず、さっさと言わぬか。ワシはグリピンの件ですでにライフはゼロじゃ。いまさら痛みも何もないわい」


 そう応える三人に、『鼠の耳』は「そうか」と一言呟いて、


「まあ、もったいぶるも何も、私の話は君たちとは違って、すぐに終わるんだ」


 せかされながらも相変わらずど飄々としながら、ゆっくりと口をつむぐ。
 そして、『聖老』たち三人が喉を湿らせようと口に茶を含んだその瞬間を見計らって――


「断罪メモのレルのことだが――あれ、もうすぐマイトに負けて、死ぬから」

「「「ブウゥゥゥゥゥー」」」


 三人がいっせいに噴出した。


 ※『断罪メモ』
  そこに名前を書かれると、それだけで人が死んでしまうという恐ろしいメモ帳。
  そのメモ帳は一冊に付き一匹の不可視の魔法生物が宿っており、メモの所有者しか見ることはできない。
  その魔法生物は、そのメモ帳の使い方だけでなく、「命力」と引き換えに様々な力を与えると誘惑してくるのだ。
  
  そんなメモ帳を拾ったのは法神官を目指している正義心の強い天才少年のマイトで、これによって正義の裁き--断罪を行えると喜んで使い始めてしまう。
  
  徐々に理想が歪んでいく天才少年。だが、その前に立ちはだかるのは、王宮において絶大な信頼を得ている天才調査官のレルだった。
  現代魔法学の常識が一切通用しない力の「処刑メモ」を持つ天才少年マイトと、だがそれでなお彼を追い込んでいく調査官のレル。
  その息をつかせぬ心理戦の行方は――!?



「ぐばっ、げは!」

「ちょっとまて!どうして!どうやって……!」

「やめい!聞くな!言うな!今めちゃくちゃいいところなのに結果だけ聞かされるとかやめてくれ!」


 三人の同様と、混乱を胸のすくような思いで見据えながら、『鼠の耳』はさらに容赦ない追撃を行う。


「あと『君にタッチ』でミマミちゃんがカッチンとタッチン、どちらとくっつくかという話だが、なんとカッチンが――」


「「「やめろおおおおおおお!」」」


 ※『君とタッチ』
   法官士を育てる王立学校で学ぶ少年少女たちの青春物語。
   優秀な弟とダメな兄という双子の少年と幼馴染の少女の三角関係と、それを取り巻く様々なドラマが描かれている。
   ちなみにヒロインのミマミちゃんがタッチン、カッチンのどちらとくっつくかという論争は、様々な場所で行われている。



 なおもまだ口を閉じようとしない『鼠の耳』を押さえつけ、一騒動あったところで、ようやく落ち着きを取り戻した四人。

 そしてやるせない憤りを握り締めた拳につぎ込んで血涙を流す、『鼠の耳』。


「わかるか……王子のところから情報を持ち帰ってみたら、結果のネタばれだけを先に知ってしまった私の気持ちが!」

「ああ、わかった。わかりすぎるほどわかった。俺が悪かったからやめてくれ」

「これは……きついな。グリピンのときですらきつかったのに『断罪メモ』と『君とタッチ』の二作でやられたら心が折れる」

「そりゃ調査をやめるのも納得だわい……誰だってそうする。ワシだってそうする」


 確かに、王子を暗殺することで、それらの作品が読めなくなることはわかっていた。
 しかし、そうなることが残念であれど、義憤があったころの自分たちなら我慢できなくはなかった。
 だが、今は違う。
 理由は異なれど、すでに計画を実施するつもりはないわけで、そうなってしまえば「他の作品」だって楽しみに待ちたいのである。

「ネタばれを知って後悔した後、私は思ったよ……王子の手によって生み出される力の前に、私はとっくに屈服していたのだと。様々な予想をしてなおソレをあっさり上回る展開、驚愕の事実、どんでん返し……まさに、手の上で転がされている側なのだと、な……」

 いろいろと納得である。
 なんという恐ろしい事実だろうか。

 そして何より、そんなふうに王子の手の上で踊らされている自分たちがまた、それを楽しいと感じてしまっていることが、さらなる恐怖であった。
 もはや、四人は王子の偉大なる力に、抗おうとする気持ちは全て消え去っていたのである。

 こうして、今回の「賢しき隠者の会」は閉幕することになる。


「というわけで、私は今は、完全に王子側だ。資料集めから作品発表のための様々な準備、そして――『闇の近衛兵』への手伝いも、な」


 そんな、『鼠の耳』の最後の爆弾とともに。




[25472] 第十四話 『愚者だけの狂想曲 ~終曲~ 』
Name: ぐったり騎士◆60b29e57 ID:450b7eee
Date: 2014/07/25 22:23
「これは由々しき事態である!」

 怒りの声とともに石卓を叩いたのは、王宮第三級の地位を持つ法武官、『顎鬚』である。
 それはいつかの、そしてどこかで起きたものとまったく同じ光景であった。



「まったく、王子には困ったものだ……」

「さよう、これはさすがに見逃せまい」

「ふむ……」


 いつか、どこかと同様に、「その場所」では再び、己を賢人と称する愚かしい会議が行われている。
 だが、その人員はあのときの4人、『聖老』たちではない。否、最初に述べたとおり、一人『顎鬚』だけはそこにいた。
 そして何より異なるのは、その人数だ。


 その部屋にいるのは、ゆうに20に達するかと思われる法官たち――いや、良く見れば下級兵士やただの小間使いたちもいるではないか。
 その熱気は人数の多さもあってあのときの『賢しき賢者の会』の比ではない。


 絶対の猛者と言われてなにを疑うことがあろう、法武官。
 あらゆる数値は我が手足、森羅万象を算術で現す、法税官。
 知識の泉、法の番人、あらゆる考察を武器として戦うは、法務官。
 善と悪の判別者、いと高き精神に己を導かんとする、法神官。

 他にも、様々な種類の法官たちが、そこに集まっていた。ただ――法武官の割合が多い気がしないでもない。
 そして、本来ならば彼らと同席することはありえないはずの、役職のない者達すら同じ机に同席している。
 これはいかなることか。

 ざわめき収まらぬその部屋の中で、指導者としての貫禄を見せて立ち上がったのは、法武官の『顎鬚』である。
 彼は、以前の憤怒とは異なり、ただ静かな熱をその身に留めながら、朗々と宣言をした。


「では――、我ら『賢しき隠者の会 きゅーと部門』の今日の議題だが――『はぷにんGU!』の最新話において、ピーチちゃんの台詞の『キライっ……でも、大好き』とロンちゃんの『バカ……本当に、バカなんだから』のどちらがグッときたか……これについて検討を行いたい!」

「「「異議なし!」」」


 万来の拍手により、議題は開始された。


「まったく王子は相変わらず我々を惑わしおる……だが、ここはやはりピーチだろう……。キライといってしまいつつ、すぐにそれを否定する可愛さは、見事といったところだな」

「いや『流星』殿、そこはロンちゃんでしょう。この『バカ』ですが、単なる繰り返しではなくそれぞれ別の意味がありますね。最初は呆れ――そして後半はそんなバカな主人公に対する愛おしさから着ています。これはロンちゃんの勝ちですね」

「FUUUUUU!MOOOOOOOO!」

「おいおい、『可憐な人』さんよう。聞き捨てならねえな。ピーチちゃんの台詞だが、これは主人公がキライっていうのを否定しているわけじゃないんだよ。キライなのは本当なんだ。だけど、同時に『大』好きなんだ。主人公がキライだけどそれ以上に好きなんだ。だから生まれてるジレンマ……わかるかなー。たしかにロンちゃんもいいけどな」

「『逞しい剣士』様の考察は見事ですね。でも私こと『記録係』からもロンの台詞について言わせてください。ロンのバカっていう本来罵倒であるはずの言葉が、逆に彼女の好意を表しているという高度な描写ですよ。普段から主人公にバカバカといい続けてる彼女だからこそ、この台詞の重さが輝いてくるんです」

「MOOOOOO!EEEEEEE!」

「おーい、そこの牛角族のにーちゃん、今回の『はぷにんGU!』が神回過ぎてうれしいのはわかったから、落ち着け、なー?」






「バカばっか」

 王子の呟き。


「どうしてこうなった」

 なんか最近、国政の会議が終わったあとの大会議室に、いろんな法官たちが集まり、重要な議題に関する会議が行われているらしいとのことで調べてみたら、ごらんの有様である。
 隠し鏡と望遠の魔法を併用して映像を、これもまた隠して設置した伝達官による音声を、アノンの執務室にライブ中継した光景は、カオスの一言であった。

 法武官、法神官、法税官、法務官と、ほぼ全ての種類の法官たちが、集まって何やっているのかと思えば――嫁論争やら萌えるシチュエーション談義やら、かっこいい変身ポーズやら決め台詞談義やら、別作品同士のキャラが戦ったらどっちが勝つか論争とか、カップリングとか展開予想とかそんなんばっかりであった。
 法官どころか一般兵とかメイドとか雑用係まで参加してるし。

 余談であるが、現在『監視者』は「かっこいい変身ポーズ」、『聖老』は「バトル論争」、『鼠の耳』は「殺人事件の真犯人とトリックの推察」の会議に参加している。
 だからどうしたという情報ではあるが。


「いや作品そのものにはまってるのは知ってたけどさ。なんでコイツらオタ会議するのにハンドルネーム的なもの使ってんだよ」

「ああ、それですか。最初にこの会議始めた面子がお互いをそんな感じで呼んでたらしくて、それがいつのまにかこの会議での暗黙のルールになってるらしいですよ」


 答えたのは、部下であり従者である特級法務官である人間種の女性、リート・マシ。
 最近では有能な二級法務官を新たに部下にしたとかで、前にもまして精力的に働いてくれている。
 王子にとっては困ったことだが。

 王子の知らないところで、リートとその部下たちは何かいろいろと動いているらしいが、優秀なので心配することもないだろう。
 いろいろと神経を尖らせる仕事も多いため、ストレスがたまっていないかと心配になることもあるが――。

 『彼女の部下』である猫隼族の少女ーー赤い肌が特徴的だったので覚えていた――から報告を受けていたとき、


「『顎鬚』wwwww『聖老』wwwww。二つ名付け合ってるとかもう全員堕ちる要素ありすぎでしょw。というか最初から堕ちてるようなもんじゃないwwww」

「いくら静音の処理施してるって言ったって、王宮内の会議室を『手続きを踏んで予約』してる時点で呼び名を変える意味ないですもんねー。あれ絶対、『なんかかっこいいから』やってるんですよ」

「それになんだっけ?『|押し付けられた子供達《プレゼント・チルドレン》』だっけ?もう笑い死ぬwww」

「ですよねー、王子は単に『監視者』(笑)』さんに孤児になりそうだった親戚の子をちゃんと引き取るように言いつけて、その手続きや支援をしただけなのに、『まさか|押し付けられた子供達《プレゼント・チルドレン》 か!(キリッ)』とか言い出すんですよw。なんで勝手に古代語をもじった意味ありげな名称にしちゃってんのって、私もう笑いが抑え切れなくて陰行が解けそうでしたよー」

「だいたい『眷族』ってなによ『眷属』ってw。何自分が『特殊能力のある異形の統括者』みたいなノリなのよ!」

「リート様、私も眷属ッスから!三重の諜報員っていっても一応名目上は私も『アレ』の眷ぞぶふぉおおお! だめwww、もう限界www私がネタばれ情報を持ち込んだときの反応とかもうね!もうね!」


 などと、内容はさっぱりわからないが実に楽しそうにガールズトークをしていたので、大丈夫だろう。



 とりあえず、謎会議についての疑問は解決したわけで、謀反とか不穏なことされてなくて、よかったよかったと安心するアノン王子である。
 急速に進めた改革だったので、昔ながらの価値観に囚われた者達からの反発を覚悟していた。それでも、謀反や暗殺などされたら怖いなーとは思っていたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
 だいたいあの場に混じっていた牛角族とかは「神に見放された者達」の亜人である。
 最近になってようやく雑用やら一般兵として王宮内で重用できるように制度を整えたばかりで、このことも不満を生む要因であるはずだった。いくら自分ががんばって「みんな仲良くしろ!」と命令し、法を整えたからといって、目に見える反発は絶対にあるとアノンは思っていたのだ。
 ところが――


「FUMOOOO!FUTOMOMO!MOEEEEE!」

「そうだ、このページのヒロインがスカートを翻しながら振り向くその一瞬に見えるフトモモ!それが素晴らしいのだ。貴様、わかっているではないか!」


 バン、バンと牛角族の青年の肩をうれしそうに叩く『顎鬚』さんの映像が、しっかりとアノンの前には映し出されている。
 確かこの『顎鬚』さんは、リートの強い薦めで『おおっ!フェリス様!』の主人公のモデルに選んだ法武官だ。
 はじめはリートの薦めに「この人、硬そうな人だけど大丈夫かな」と不安に思ったが、完全に美少女系作品に馴染んでいるようだ。 リートの目は確かだったということである。

 そんな彼と、牛角族の青年のやりとりをみて思ったが、どうやら「ぐっとくるシチュエーション」や「萌えポイント」や「好きなキャラ」が同じだと、意気投合のしかたがパネェらしい。
 まあ嫁論争とかで喧嘩になる可能性もあるが、そもそも喧嘩というのは相手を対等と認めるからできることでもある。
 同じ釜の飯を食べると身分や立場を越えて連帯感が生まれるというのはこの世界でもよくあることだが、考えてみれば属性が同じ場合のオタの結束力もすさまじいことを、アノンは遠い目をしながら思い出していた。

 何はともあれ、彼らは現状を不満なく受け入れているようで、なによりであった。


「よし!それじゃ謎も解けて安心したところで、ちょっと休憩を――」


 さりげなく立ち上がり、部屋を出ようとしたアノンの腕――下側の右手をがっしりつかむ、リート。
 そして悪魔の笑みで、彼女が現状を告げる。


「王子?まだあと2ページ、残ってますよ?」

「やるから!ちゃんと休憩で町を散歩とかしてきたらやるから!」

「ダメです。入稿は今日中なんですから。ちゃんと締め切りは守ってもらわないと」

「大丈夫だって!一日くらい伸びたってなんとかなるって印刷の人が--」

「一日締め切り守れなかったら、来週予定されていた王子の休暇を倍の二日分カットして隣国の大臣との謁見を入れますが」

「鬼ぃぃぃ!やめてよ!そういう脅迫やめてよ!」


 絶叫が響く、夜(やみ)の王子の執務室にて。


「……逃がしませんよ?私たち『近衛兵』が居る間は、絶対に締め切りは守らせますからね」

「休載とアシスタントぷりいいいず!」


 今日も王子は、原稿アップの修羅場と、容赦なき『|締め切りを守る者達《たんとう》』との戦いに、泣き喚くのであった。






ちなみに某ガールズトーク?の終わりに――


「あ、ちなみにことあるごとに含み笑いしながら『了』とか呟いちゃう貴方も、もうダメな人ですから」

「ばれてる!?」

とかあったとかなんとか。 



[25472]   蛇足的な人物紹介2
Name: ぐったり騎士◆60b29e57 ID:25111d46
Date: 2014/07/26 14:26
・「神に○○された者達」
 フェリス教において認識されている差別概念。
 それぞれ後述するフェリス教の経典に書かれた記述に由来するが、経典そのものにはそのような用語は一切存在していない。
 あくまで、後世においてフェリス教団が勝手に指針とした概念である。


・「神に祝福された者達」
 人間族(アフェバイラ帝国樹立以前は「人」「人間」といえばこれを指した)、天翼族、まだ登場していない一部の種族が該当。
 フェリス教の指針としても基本的には「神に許された者達」と扱いは変らないが、ごく稀に「神に許された者達よりもえらい」と勘違いしてしまう人間族もいた。

 フェリス教の経典に記される伝承に、フェリスから直接教えを受け賜ったのが天翼族、そして人間族だったことに由来する。
 とくに天翼族は記された内容から見て取れる神秘的な特徴、美貌から、もっとも祝福が高い種族として扱われている。
 ただし、あるときを境に彼ら、彼女たちの記述がなくなったため、天界に行き世俗とは縁を切って今でも生活をしているとフェリスでは解釈していた。
 だが、そもそもとして経典の記述や御伽噺意外に、実在したとされる信頼できる痕跡はないため、歴史学においてはあくまで経典に書かれただけの想像上の種族、もしくは早期に絶滅した種族だという主張も強かった。

 ゆえに、アノンが天翼族を民に紹介したときの衝撃は計り知れず、フェリス法国、教団でも一時パニック状態になったとされている。


・「神に許された者達」
 四腕族、多眼族、他いくつかの種族を指す。
 祝福された者達に比べれば種族の種類は多いが、それでも一握りではある。
 全体的に、造詣が人間に近い、もしくは人間族と昔から交流があった一部の亜人が該当。
 フェリス教における権利、扱いとしては「神に祝福された者達」と変らない。
 フェリス教の経典において、人と同じように扱われている描写のある種族に由来している。


・「神に見放された者達」
 牛角族、竜尾族、豚鼻族、夜叉族など、その他多くの亜人が該当。
 全体的に、動物の特徴を持っている種族、人との交流がほとんどなかった種族が該当している。
 経典において、「描かれていない種族」であることが由来。
 「人々は争ってはいけない、差別してはいけない」と経典にはあるが、経典に書かれていない種族なのだから彼ら亜人は人と同じにする必要はない、という解釈からきている。

 なお、フェリス教による宗教的束縛が緩くなった後世、また当時の帝国などの一部の地域においては、
「別に亜人を差別していたのではなく、単にフェリス教が広まった当時、まだ人間と接触がなかったため知られていない存在だったから」
 というのが一般的な解釈となっている。
 動物タイプの亜人は人間族と生活圏が大きく離れていたこと、動物タイプでも当時すでに交流があった種族は記されていることがその根拠。

 もちろん、いまだに経典を絶対視する一部の経典根源主義者もいないわけではない。




・法務官
 主に国の法律の制定、施行を手がける法官。
 アカデミー卒業が条件なため、ガチのエリート職。
 そのため結構モテる。
 イケメンよりは甲斐性が重要なのは、どこの世界でも変らないらしい。
 ミステリーや歴史モノのオタが多い傾向がある。

・法税官
 主に国の金銭管理に伴う業務を担当する法官。
 計算力が重視される役職であり、帳簿のほか土地の測量、穀物の増減予測など、携わる仕事は多岐にわたる。
 兵器、乗り物オタ、ファンタジー魔学ネタ、マッド魔学者キャラなどが好きな人が多い。
 「SF」「特撮」「戦隊モノ」との適合率が高いのはそのせいだろうか。


・法神官
 冠婚葬祭、教育、孤児の救済などを実施している法官。
 当初はフェリス教の司祭でしかなれなかったが、後々においては宗教的な縛りはなくなっていった。
 日ごろ聖職者としての態度が求められ鬱憤がたまり易いせいか、バトルものや特殊性癖エロが大好きな人がいるとかなんとか。


・法武官
 様々な訓練や、戦争時の兵を統率する法官
 またアノンの提案で、平時においては災害救助、復興支援などを行うようになる。
 戦術考案や兵糧管理などもするため、座学においても一定の力が求められている。
 決して脳筋ではつとまらない役職。

 好戦的な者が多いせいか、当然の如くバトル、冒険モノのファンが多い……のだが、何より「美少女系」と言われるジャンルのファンが多いのもこの法官の特徴。
 訓練所や戦場に張ったベースキャンプの天幕には、たいてい一枚はアノンの書き下ろしピンナップが張られている。
 また戦場に出るときその首には、戦死時の氏名確認用ドッグタグのほか、自分にとっての女神、嫁の姿を模った人形(ストラップ)を付けるものが多い。
 だめだこいつら。



・『顎鬚』
  初代『賢しき隠者の会』の一人である三級法武官。人間族。
  最終的には特級法武官にまで昇進。
  とりあえず名前は今のところ必要ないだろう。
  アフェバイラの王国、帝国時代を通しても、名だたる将の一人。
  初代聖女・帝王親衛隊長となるオアドには届かないが、数々の武勇を残している。
  生涯独身を貫き通すと思われていたが、一級法武官に昇進したときに結婚(二次元の嫁ではない)。
  ちなみにその相手がアノンにより発表されたとき、国内だけでなく大陸中を揺るがすことになった。
  この件については、別の機会にて語られるかもしれない。
  彼もまた、アフェバイラの歴史を変えた一人である。


・『監視者』
  初代『賢しき隠者の会』の一人である四級法税官の女性。四腕族。
  最終役職は二級法税官。
  名前については他三人と同上。
  法税官としてはとくに名を残すことはなかったが、「キャラクターの衣装を着ることでその役になり切る」という娯楽文化を世に広めた人物として、後世において教科書に載る人物となる。
  また子煩悩で知られており、普段は生真面目で冷たい印象の彼女が子供に関することがあると、とたんに「ゆるあったかい人」になるというエピソードには相貌を崩さすには居られない。
  そんな彼女に対するファンは数多く、「アフェバイラ☆ぱらだいす」では彼女をモデルにした作品が多数発表されていた。


・『聖老』
  初代『賢しき隠者の会』の一人である四級法神官。人間族。
  最終役職は変らず四級法神官。
  名前については他三人と同上。
  会の設立者でもあるが、知名度は低い。
  昇進の機会そのものはあったのだが、いろいろと疲れていたらしく辞退したという噂がある。
  また、ゴラゴンドールの熱心なファンであったといわれているが、真実はさだかではない。
  「もうちょっと、もうちょっとだけ計画は延期なんじゃ……」
  という謎の口癖を持っていたが、その計画がなんだったのかは、未だに謎である。
  ゴラゴンドールが完結後は「ワンパーツ」という作品にはまっていたという。
  晩年、「狩人×狩人はあきらめた。だがワンパーツが完結するまでは死ねない」、とよく言っていたが、非常に残念なことに、ワンパーツの完結まで、彼の寿命は持たなかった。
  合掌。


・『鼠の耳』
  初代『賢しき隠者の会』の一人である二級法務官。人間族。
  最終役職は一級法務官。だが、非公式ながらアノンを支援するための特別チームに属していたとされている。
  温厚そうな外見に見合わず、冷徹にて冷静な野心家の男だが、アノンに対しての忠誠心は高く、その知性と諜報、調査力によりアノンの力を支え続けた。
  何かと符丁を使ったり、意味ありげな台詞を言うのが好きで、彼の部下の女性秘書は良くため息をついていた。
  余談だがその部下と結婚したらしい。おめでとう。


・リート・マシ
 アノンの従者にして、若くして特級法務官の地位に登りつめた人間族の女性。
 名前については30代以上にとってはいうまでもない
 特級法務官でありながら、二級までの法税官、法神官、法武官の権力を持ち、実際にそれを成すだけの実力があった文武両道の超天才エリート。
 仕事に関しては完璧主義で、アノンを支えつつも別の意味で苦しめたが、プライベートなどで気心が知れた相手の前では、笑い上戸になるという一面もあった。
 人間族であるため、長寿であるアノンを最後まで仕えることができないのが悩みで、生きている間に自分の後継者が現れるかということが不安の材料。だがありがたいことに、ちょうど『顎鬚』が結婚したのと同じころ、後継者となるシトリーが現れる。彼女に熱心に教育と指導を施した。。
 実のところ、天翼族と対立し、且つ同じように伝説とされていた「魔鬼族」のシトリーとの出会いについても、『顎鬚』の結婚が発端となっていたりする。
 きっと後々に語られるだろう。

 晩年は シトリーにすべての業務とアノンを託し、引退。
 最後のときは、アノン、シトリー、そして数多くの部下や家族に看取られ、笑顔のまま安らかに息を引き取った。
 
 猫(ぬこ)大好き。
 にゃーん。


・『赤の三番』『赤鼠』
 リートの部下で、『聖老』『鼠の耳』と三重スパイを行っていた隼猫族の少女。基本的には猫属性。
 本名は今のところ不明。
 猫の身軽さと鳥の空間把握能力、そして獲物を見つけるための隼の超視力にも関わらず暗視も行えるという、隠密のスペシャリスト。
 赤い肌が特徴だがしなやかな筋肉と相まって、非常に扇情的な体の持ち主。
 実際、亜人という要素を加味しても美少女と言って良く、性の手ほどきを利用しての諜報なども一通り行える、いわゆる「くのいち」的な存在。
 とはいえ、相手が「槍」が折れている『聖老』であり、また必要があればもっと上等の娼婦を買っていた『鼠の耳』だったため、そういう機会はなかったらしい。
 本人的にはそれはそれで不満というビッチ。

 いっそリートを襲おうかとかたくらんでいるとかなんとか。
 男も女もばっちこい。
 リートさん逃げてー!



・牛角族のにーちゃん
 いつもの。
 そして多分別の個体。


・牛角族のにーちゃんに突っ込みを入れる人
 誰か設定を考えてあげてください。



[25472] 第十五話 『優しい王子は太陽の国の夢を見る ~開眼~ 』
Name: ぐったり騎士◆60b29e57 ID:d553483e
Date: 2014/07/28 00:08
 彼が最初に疑問に思ったのは、「何かが違う」という漠然とした感覚だった。
 たとえばそれは、あまりに大きく見える月であったり、満天の星空による神秘的な明るさであったり、ともすれば夜になると妙に暗いと感じる町並みや、何をやってもついてくる物足りなさだ。

 だが、一番の違和感は、自分の体、そしてソレに伴う妙な感覚についてである。
 自分の腕は、左右に二つずつ、四本ある。
 意識すれば自在に動かせ、それぞれ独立して違う動きをさせることができる。
 脳がそれらをちゃんと意識して行えることも驚きであるが、それを「当たり前」だと感じてしまうそのものが、何かの不自然さを伴わずにはいられなかった。

 自分が四腕族と呼ばれる種族であることは、しっかりと認識できている。
 だが、腕が二つの「人間」とは異なる存在であることは理解できていながら、自分はその「人間」であるべきではないのかと常々思っていた。
 また、己を取り巻く環境もそうだ。
 衣食住が十分に補償されているどころか、金銭や権力で可能なことならばたいていのことは叶ってしまうという恵まれた環境に、彼はいつも違和感を感じていた。
 だからだろうか。
 彼はそういった環境にたいし、子供らしからぬ「感謝」をして生きていた。
 誰かからそう教えられたのではない。ただ、それは当然すべきことなのだと、自分ははじめから知っていたかのように。


 大抵の貴族、王族の子供がそうであるように、普通なら自分の環境こそが「普通」であり、それより以下の存在の世界などは考えもしないものである。
 もちろん、心優しく育てられた淑女などは、きっと自分の召使いはもちろんのこと、たまたま目に留まった奴隷に慈悲をかけることもあるだろ

 だが、それは「愛着」であったり「憐憫」といった感情ゆえの行動である。
 決して、「感謝」ではない。

 礼儀的に「ありがとう」ということはあるかもしれないが、心からその存在のありがたさや行動への礼として、自分より下の立場のものに「ありがとう」といえる権力者は、きわめて少ない。
 それができるのは、部下や民、庇護する者達の辛さや努力を知り、それによって自分の生活が行えているのだという、実感を得た者だけだろう。たとえば徴収した民と戦場をともにした将軍だったり、民と一緒になり開墾を手伝うような変人の領主などだ。

 だが、彼は幼くてそれを自然に行った。

 誰かが仕事として彼のすることを手伝えば、その者には必ず感謝の言葉を述べ、自らの失態や過ちで誰かが迷惑をこうむったのであれば、それが誰であろうと謝罪する。
 教育係がやめるように言っても、彼はそれを決して曲げず、そうあり続ける。
 まるで、そうしなければ自分ではないと言うかのように。
 そんな彼を、そのままでよいと最高権力者であり父である国王が認めたのは、彼にとって、そしてこの国、いや大陸の未来において、非情に幸運なことであったと、後の歴史家は語っている。
 彼は、異端でありながらもそういった幸運にも恵まれ、そして愛され、すくすくと成長していった。


 だから、好かれた。

 家族はもちろん、臣下、家来、さらにはメイド、はたまた権利が制限され差別されている亜人の召使たちにすら。

 ゆえに、彼が突然の頭痛と共に倒れたときは、王宮中が不安と悲しみの嘆きに満ちた。
 専属の医師が必死の治療を試みても回復の兆しが見えないと聞けば、王は、兄である王子たちは財力と権力を賭して秘薬や医師を集めようとした。
 文官たちは王宮の資料を洗いざらい調べて原因を探ろうとし、武官たちは万能薬となるといわれる猛獣の肝を取りに戦いへと向かった。
 メイドたちはせめてできることをと何時も以上に清掃や身の回りの世話を行い、御用達の商人たちは損得勘定抜きに――もちろんそのことでの後の覚えを期待してもいただろうが――情報を集める。
 亜人たちは進んで危険な地域にある薬草を取りにでかけ、一部においては一族の秘中の秘とされる薬学の提供をも検討し始めた。

 だから、だろうか。

 彼がその意識を取り戻し、誰もが歓喜の涙でそれを祝福した後、彼は前にもまして誠実に、謙虚に、だが民のために大胆に生きるようになったのは。
 後にその「大いなる力」を発揮した彼ではあったが、そうなるのはまだ先のこと。
 そのときの彼はまだ「最下位の王位継承緒者」に過ぎなかったが、このころからのカリスマがあったからこそ、その力が発揮されたときに民は喜んで受け入れたのかもしれない。
 
 とまれ、幼き彼は権力に傘を着せることなく、まるでごく普通の平民であるかのように、勤勉に過ごしていったのである。


 こんなエピソードがある。

 王子がようやく数えで10を超えたある日のこと。
 とあるメイドが廊下に備えられていた花瓶を磨いていたとき、たまたま通りかかった王子にあわてて挨拶をしようとした。
 その際、振り返りざまに引っ掛けたメイド服により花瓶は倒れ、甲高い音を立てて割れてしまう。
 それだけであれば、まだ罰金や軽い懲罰程度で済んだであろうが、なんとそのとき割れた破片が勢い良く飛び、王子の頬と足に傷を付けてしまったのである。

 慌てふためくメイドに、彼は気にするなと継げて、医師の元にいき治療を行った。
 そしてそのまま部屋に戻り勉強を行っていたのだが、執事の報告によりあのメイドが独房に入れられ、炭鉱送りか、鞭打ち――たいていの場合は死亡する、実質的な死刑――とするかの王子の判断待ちであることが伝えられた。

 そのとき彼は大いに動揺し、執事にすぐさま彼女を解放し、一切の懲罰なしで職場復帰させるように命じた。
 だが、困ったのは連絡を受けた当時の法官たちである。
 安易に今回のことを見逃してしまえば、不可抗力を装っての王族への危害を認めてしまうことにもなりかねないからだ。
 そして王子も、これは自分だけの問題ではなく、他の王族、つまりは兄や父母への危害を与える前例になりうることを理解し、苦悩した。
 権力のみを利用したごり押しで認めさせようとすれば、後々、それが様々な形で跳ね返ってくることも予想できる。
 権力があるからこそ、それを私的に使うことの恐ろしさを、彼はすでに理解していたのである。

 そこで彼が取った行動とは――



「私は、自分が倒れ伏したとき、彼女が懇親的に私の世話をしていたと聞いている。つまり、彼女に危害を加えるつもりが合ったのであれば、その時点でいくらでもできたはずだ!」

「しかし王子、それは当時そのつもりがなかっただけで、今になって理由が発生した可能性がありますぞ?」

「意義あり!そうであるというならば、まず『その理由』となる根拠を貴方が提示するべきだ。私は過去に遊びで剣の玩具を振り回し父にこぶをつけてしまったことがあったが、そのとき『はじめから危害を与える心算であった』可能性がないといえるか?国法第三条、十二項に基づき、たとえ王族であれど故意に国王を傷つけた場合、最低でも流刑であるはずだ。にも関わらず私は一切お咎めを受けていない。この場合との差異やいかに」

「そ、その件については、国法第四条二十二項より――」

「意義あり!それは二年前のフィルマック裁判での判例と矛盾する!すなわちこれは――」


 以上のように。
 できる限り正規の手続きを踏んでの、きわめて公式な国法裁判での彼女の擁護であった。

 本来であれば、略式裁判にて建前だけの形式的なやりとりだけが行われ判決が言い渡されるはずが、王子は直属の法務官たちを集めて「法にのっとった正しい手順」を駆使し、裁判を起こしたのだ。
 今回重要なのは、今後意図的な王族への危害行動に対して安易に逃れることのできる抜け穴的な凡例を作らない、ということである。
 そしてまた、ただの権力による特例措置という前例を作らないということもそうだ。
 だから、この方法は妙手であった。
 正規の裁判で弁護機会をつくるには庶民にとっては膨大な費用が必要になるし、また起こしたところで被害者が王族であれば、勝ち目などあるわけがない。だが、今回それを行ったのは、被害者であるはずの王子本人である。
 仮に誰かが同じように王族に危害を与えたとして、今回と同じような対応を取れるわけがない。
 きわめて正しい手順でありながら、尚且つ実現困難な方法を取る。
 それが、彼の出した結論である。

 本来の被害者となったものが、被疑者を弁護するというきわめて異例のものであり、且つその弁護する彼は数えで僅か10歳というこれまた常識外のものだった。
 だが彼は優秀な法務官たちに支えられ、その裁判に堂々と、隙のない論理によって主張を訴えていく。

 相手だった法務官も、メイドに叛意などないことは感情では理解しており、また本音では軽い処罰ですませたかったことも、結果につながった要因であっただろうが――王子は見事、この裁判に勝利した。
 メイドは破損した壷の弁済費として一ヶ月の給料カットと反省文の提出のみという、もっとも軽い刑罰での判決となったのだ。
 給料カットについても、内々に王子が彼女に私用を言いつけることでその褒章としてポケットマネーから金を渡す、ということを許可させて、賃金の埋め合わせにするという手の込みようである。
 裁判に臨むにあたり、必死に国法を勉強し、くまだらけの目のまま長時間の裁判を乗り切った王子は、判決後を聞いた直後に倒れるように気を失い、そのまま夜まで眠りこけた。
 またこの判決とそのときの王子のことが、独房にいたメイドに伝えられたとき、彼女はその場で泣き崩れ、王子に生涯の忠誠を誓ったという。

 余談ではあるが、このときの王子の「意義あり!」という当時極めて斬新な反論の仕方が、陪審員への良い心象につながったとされている。そしてこの裁判を傍聴していた法務官たちもその影響を強く受けたらしく、その後裁判での法務官同士のやりとりでは、「意義あり!」「待った!」といった手順による弁論が実施された。

 このように、王子が下々の者に対して必死の尽力を行ったというエピソードは数多く、また数々の証拠から、それが彼の人気ゆえの民草の作り話ではなく実際にあったことだということは、明記すべきだろう。


 さて、そんな逸話多き幼い王子こと、アフェバイラ王国第三王位継承者、アノンであるが――











「うわあああああ! もういやぁぁぁぁぁ!」





 裁判が終了したその日の夜、部屋で一人、むせび泣いていた。
 まあ、様々な表現によって、周囲の彼に対する評価を記してきたが、ぶっちゃけ彼の本質を一言で書くならば


「なんで俺がかすり傷おったってくらいで、粗相したメイドが死罪とか炭鉱送りとかなのよ! 罪悪感はんぱなさ過ぎるでしょうが! 権力や地位がありすぎるとか怖すぎんだろおおおお! ちくしょおおおお!」


 ごく普通の、小市民なのである。


 前々から何かおかしいと感じ続けていたが、突発的に生じた頭痛で寝込んだときに見た夢で、前世であるのか誰か他人のものなのか、はたまたただの気狂いであったのか、「ここではない別のどこかを生きていた誰か」の記憶がはっきりと自分には焼きついた。
 とはいったものの、今までの「四腕族」「王子」として生きてきた記憶や経験はそのままあるわけで、憑依したとかそういうのではない……と思う、多分。
 生まれ変わりなどを信じていたわけではないし、こうなってしまった今だって信じていない。……のだが、感覚としてはこの焼きついた記憶は前世の記憶というのが表現としては一番妥当なように思えるし、それに「前の記憶」での価値観のほうが自分にはしっくり感じてしまうのである。
 すくなくとも、あれは本当にどこかで存在している光景なんだろうなあと、あきらめ気味に受け入れるしかなかった。
 考えてどうにかなるわけでもなし、その後もなるようになれと生きてきたが、「前」を自覚してしまった今ではどうしても今回の事件のようなことについて行けない自分がいた。
 普段は一般ピープルとして――せいぜい会社の重役くらいに考えて過ごし、なにか起こったら、もうがむしゃらになんとかしようと奮闘するという、そんなんばっかりである。

 力関係で言えばただの平民など見捨ててしまって王族としての立場に甘んじれば楽なのかもしれないが、生来――前世来の性根というべきなのか、雀百まで踊り忘れずよろしく、どうしても小市民的おひとよし根性が出てしまうのであった。


「もうやーだー!トイレ汲み取りで臭いし夜は電灯も無くて暗いしご飯は味が薄いし醤油ないし味噌ないしアイスくいてえコタツでみかん食いながら漫画読みてえアニメ見てえゲームやりてえエロゲしてえええええ亜人を虐げるとか馬鹿なのモフって癒されようよちくしょおおおおお!!」



 不意に、コンコン、とノックの音。


「うむ、入れ」

「失礼いたします」


 王子の返答により、入室してくる執事。


「王子、明日の学習のスケジュールについてですが」

「ああ、この国の産業と農業の分布、そして国税と資産の計算と記述について学びたいと思う。その専門の家庭教師を呼んでほしい

「御意」

「ああ、それから今日までの裁判手続きの補佐、ありがとう。お前にもいろいろ無理を言ってしまったな」

「いえ、そのお言葉こそ私の喜びですから。我々のことを想っていただける王子に仕えることができて、本当に、心から幸せに思いますぞ」


 バタン、と。
 退出した執事と、扉が完全に閉まったことを確認して、大きくため息。


「……あああああ……なんだよう……みんなあんな風に一生懸命俺に尽くしてくれてんのに自分だけ怠けられないじゃんかよう」


 やはり、どこかの島国民族的メンタルでは、他が一生懸命なのに自分が怠けるというのは、往々にしてし辛いらしい。
 止めとばかりに、「前」は休みなどろくに無い、「毎日が日曜日すなわち24時間働ける状態」な職業だったことも要因なのか、基本的にワーカホリックになる。

 ゆえに、楽はしたいくせに、やることがないと不安になるのだ。
 具体的にはペンもって何か描いていたい。

 それに「休む」のと「休み」は似ていているようでまったく違う。
 彼にとって「休み」というのは「することがない状態」や「体調管理として体を癒す時間」ではなく、「やらなくちゃいけないたくさんのこと」があるからこそ、無理をして取ったうえでだらけながら遊ぶものだからである。



「……それに、遊ぼうにも娯楽がなあ……」


 そう。
 他の国に比べて豊かであるとは思うが、全体的に娯楽らしい娯楽がないのである。
 歌劇や演奏会など、まったくないわけではないのだが、高尚な趣味など小市民の自分にはどうしても受け付けなかった。
 せめてものストレス解消にと、今回の裁判で「逆転無罪ごっこ」をしてしまったが、そのくらいは許してほしいものである。


「まあ、とりあえずは明日の勉強がんばるか……だけどこの国の帳簿とかって記載がまだるっこしいんだよな……貸借対照表と損益計算書でも書いて、ごまかすか。あのほうが楽だし。マイナス記号とかとりあえず『あっち』にあわせて……」


 損益計算書、貸借対照表。
 それぞれ「前の世界」においては一般的に使用されていた財務諸表である。
 複式簿記と呼ばれる手法において、非常に重要となる表で、業務の内容やバックボーンなどを知らなくても、現状の資産、負債、収支の状態などが誰からもわかるように記述されているものだ。

 ここでとある事実を明記しておこう。
 アフェバイラどころか「この大陸」、おそらくは「この世界」の算術において、「負の数」などどこにも存在していない。
 一応そういった概念に近いものは、ほんとうにごく一部の算術家が漠然と持ってはいたが、まだ「数式」としてですら表すことはできていなかった。解がマイナスとなる式は、「成立せず」として扱われていた時代である。
 にもかかわらず、彼は一足飛び……どころか、「前の世界」でいえば数学史として1000年以上の飛躍による、「負の数の表記と帳簿として実用する」という形でそれを表そうとしている。

 文化の発展とか改革とか歴史上の大発明であるとか、そんなことはいっさい考えなていない。
 楽がしたいというただその理由のみで。


「……あー、そういやペンとか筆記用具も書き辛いんだよな。マシなのが羽ペンだし。そのわりに製紙技術は微妙に発展してるとかありがたいけどわけわからんわ。文字ならともかく絵を描こうとしたらペンも紙ももうちょっとマシなのにならないとなあ……。よし、ちょっと職人にボールペンとかGペンみたいなのとか作れないか聞いてみよう」


 アノン王子、その「大いなる力」は未だ発揮されず。
 だが、本人の自覚のないところから、アフェバイラの歴史的革命の第一歩が始まるまで、あと半日。




==============================================================
内政チート物語です(キリッ
……アレ?

アノン「そうだ!あっちの世界の知識で内政とか技術チートしてSUGEEEEE!って言われよう!
『王子すごい!ステキ、抱いて!』
『さすが王子ですわ!ステキ、抱いて!』
……これね!」

  
  次回 『優しい王子は太陽の国の夢を見る ~覚醒~』


    かもしれない。



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