「似合わん」
ばっさりと切り捨てた一言を告げて、女性は目の前にいる相手へのファッションをそう評した。
ふん、と鼻で笑い馬鹿にしたような目を向ける。眼鏡の位置を直して怜悧な視線を浴びせて思うが、やはり彼女の基準では似合わないとしか思えない格好だった。
心底その服装が気に入らない様子の彼女は、長い黒髪をしたやや小柄な妙齢の女性だ。腕を組んで片手を口元に当てながらしかめっ面をしている。齢を重ねても若々しい顔立ちにその日は珍しく化粧をしていたが、ずいぶんと不機嫌そうではあった。
目の前には純白の、フリルとレースであしらわられた裾の広がっているふわふわしたドレスにケープを被った美女の姿がある。
一般的にウェディングドレスと呼ばれる、結婚衣装だった。
ここはアーランドにある結婚式場。その新婦の控室だ。
「真逆ここまで似合わないとは思いもしなかったな。恐らくは万人が思う感情だろう。イメージとこんなに反している格好というのも珍しい。これならば普段着で行ったほうがまだマシではないか? なあエスティ」
「そ、そんなに言わなくてもいいんじゃない? アストリッドさん」
どこか苦笑したように、返される。
反論をしたのは隣にいる、騎士の正装をした女性──エスティだった。冠婚葬祭の場に使える制服というものは便利だな、とアストリッドと呼ばれた黒髪の女性は思った。
その点アストリッドは錬金術師であり、師から弟子へ渡される服──十割師匠の趣味で決められる──は公的な場所では正式なものではないので正装が必要だ。
ふと、気になって尋ねる。
「そういえばあいつ──ステルケンブルクも騎士の制服で来てるのかね?」
「そんなことはさせないよ。ステルクくんは結婚式の主役の一人なんだから、ちゃんと高い服を買わせました」
胸を張ってエスティは答えた。
彼女にとって後輩に当たる男──ステルケンブルク・クラナッハにとって今日は晴れの舞台なのだ。あの堅物がよくもまあ結婚にかぎつけられたものだとエスティも思う。
とはいえ、確かに無愛想ながら面倒見は良い男なので相手にとってお似合いなのかもしれないが。
今頃表情にこそ出さないけれど新郎の控え室で固まっていることだろう。話しかけられてもしどろもどろに「ああ」などと返している姿が容易に想像できた。
アストリッドもそう考えて僅かに頬を緩めた。
目ざとくエスティはそれを目撃して、
「そうそうアストリッドさんも笑って。折角なんだから」
「おっと。まあ確かに、ステルケンブルクがカチコチになっている姿はきっと笑えるだろうさ」
「また、そんなこと言って」
「それにしてもやはり似合わないことだ。これではこちらも笑われるのではないか?」
と目の前の女性に指を指す。
同時に、正面にいるウェディングドレスを着た、黒髪を綺麗に束ねてケープを羽織り、白磁のように白い頬を僅かに染めた眼鏡の妙齢の女性もこちらを指さした。
エスティはその自嘲の言語に何度目かの賞賛を口にした。
「ううん。似合ってるよ、アストリッドさん」
アストリッドの目の前の鏡には、仕方ないように相好を崩した自分の姿が写っていた。
──本当に、柄じゃない。
奇妙に歪んだ自分の表情にアストリッドはそう思った。
***************
アーランドの住人たちが挙って集まるその日は結婚式だ。
錬金術師・アストリッドと騎士・ステルケンブルク。悪戯好きな迷惑魔女と堅物の強面騎士。幼馴染の二人が順当といえば順当に、或いは随分とヘンテコな組み合わせでつがいとなる。
当人らの思惑とは別に、弟子や同僚、またその友人らからの強引な推し進めにより大々的に二人は結婚式をその日開くこととなったようだ。
*************
「……アス……だ……むう」
新郎控え室で唸ったり何事かぶつぶつ呟いているステルクを心配そうに眺める青年が居た。
そもそも部屋にはステルクを着付けしてから誰もいなかったのだ。葬式の焼香で家が全焼したような深刻な顔で押し黙るステルクに声を掛けづらかったのだろう。少なくとも、結婚式の新郎がする表情じゃない。
式場に出す料理の準備を終えて、新郎の様子を見に来たのは彼とすっかり顔なじみになったイクセルという料理人の青年だった。アストリッドの弟子のロロナと幼馴染であり、ステルクと冒険に出かけたこともある関係だ。
端的に言って『仲間』とでも言ったほうがいいだろうか。バーテン服をきっちりと着こなして自然な雰囲気で会場に溶け込みそうだった。
イクセルが部屋に入ったことにも気づかずに石像になったようにタキシードを着て椅子に座っているステルクである。本人としてもあまり動いて皺を作ってはいけないという微妙な気遣いのもと、動かないと決めたのだが。
濃いブラウンの髪の毛に深いセピア色の目、そして黒いタキシードを着ているステルクだったが、黒ずくめなのはいつもの服装と変わらないのでさほども違和感を感じない。
イクセルは恐る恐る声をかけた。
「大丈夫かよ?」
「大丈夫だ、問題ない」
やや棒読み気味に低い声が帰ってくる。
問題ないならそこまで固まってないだろうよ、とイクセルは溜め息を漏らす。
「むっつり押し黙っててもよくないぞ? 相手は俺しかいないけど、話でもしよーぜ」
「ううむしかし、なんの話をすればいいのか……」
イクセルは周囲を見回す。自分以外誰もいなかった。
興味がないとなれば嘘になるし、個人的に聞ける機会もなさそうなので訪ねてみることにする。
「そうだなー例えば、騎士さんがあのお師匠さんとどういう感じだったのかーとか。幼馴染ってのは聞いてんだけど」
特に他意の無い純朴な疑問だった。彼にも幼馴染が二人ほどいるもののお互いに恋愛にはさっぱりではある。料理一筋といった感じの好青年、それがイクセルだ。
「それか……そうだな」
心ここにあらず、といった様子で宙を見ながらステルクは思い出していた。
別段アストリッドと彼との付き合いは短いものではない。同年代だったが幼い頃からアストリッドは聡明で天才の片鱗を見せていて、ステルクに対して姉ぶっていた節があった。
あちこちに彼を連れ回したし、本を読んで聞かせることを好んだ気もする。彼女の錬金術師の師匠にもあったこともあり、その師匠が作ったパイで二人とも苦い顔になったことも思い出せる。
仲の良い幼馴染だった。とはいえ、ステルクが騎士になることを志してから多少疎遠になったものの、裏から彼女の起こしたトラブルの後始末を行ったことも何度もある。実験に付き合わされて爆発し髪の毛がチリチリになったときは閉口したが。
思い出される彼女の言葉。
『どうしたステルケンブルク、また泣いてるのか。泣き虫だなあ』『騎士になりたい? 碌なものではないぞ役人の延長だあんなものは』『どうした、格好いいポーズの練習の続きはしないのか? 見ててやろう』『わかったわかった、鳩相手に喋る練習をしていたことは黙っててやるさ』
「あまりいい思い出が無い……」
「く、暗くなるなよ!」
頭を抱え出したステルクを慰めるように、イクセル。
しっかし、とイクセルは頭を掻きながら、
「なんでまた最近急接近したんだ?」
「それは……詳しくは、言えないのだが」
僅かに言い淀んでステルクは続ける。
「まあ、付き合いも長いのだ。多少関係が変わってもおかしくはあるまい」
「お、照れてる」
「照れてなどいない!」
腕を組んでやや俯き、強い声で否定するもののステルクも僅かに紅潮している。
イクセルは白い歯をこぼしながら、堅物な外見からは分からないがかなりお人好しな騎士に温かい視線を送った。
改めてステルクも彼女との関係を思い出すが、もともと口下手で感情をあまり出す事なく、気難しい子供と周りに思われていた時代が彼にもある。
そんな中で特に気兼ねなく付き合っていた友人がアストリッドであり、彼の女性イメージの中心となっているのだ。
人をからかうことが好きで、余裕ぶったところがあり。面倒事で人を引っ掻き回すのは好きだけれど自分は面倒になると逃げ出し。
師匠のことを敬愛していて、ズレてはいるが他人へ気を回すことが多く、素直でも謙虚でもない。
だから彼女のことは苦手だった。
苦手だが──嫌いではなかった。街の皆はアストリッドのことを人を莫迦にしたやつだ、錬金術など胡散臭いものだと嫌っていたが。
「……好きだったのだろうな。アストリッドのことが」
「ひょっとして惚気られてる?」
「違う。それに、そうだな。アストリッドの方はあの性格だろう。本人の中では何か理屈が完結しているのかわからんが、何を考えているか分かりにくい」
ステルクが言った言葉に、飄々として捉えどころのない友人の師匠の姿を思い浮かべて、イクセルも頷く。
「まあ、確かに」
「それで私は、嫌われているか憎まれているかと想っていたからな」
王国騎士は皮肉げに呟いた。
**************
「アストリッドさんがステルクくんを振った時なんか大変だったんですよ? 思い悩んだかと思えば『騎士とはなんなのだろうか……』なんて深刻そうな顔で相談したり」
「ううむ。それはあいつが空気を読んでいないタイミングだったし理論的に説明してこないからこの天才を以てしても生じた誤解であってだな」
アストリッドは少しだけ困ったように──本当に珍しく──髪の毛を指先で弄りながら反論する。
一度告白に失敗したショックで人生についてまでステルクは悩みだしたようだった。そこをエスティのフォローでアストリッドに再アタックさせて結果上手くいったわけではあるが。
しかし、とアストリッドはエスティの言葉を聞いて思った。
「たかが振られたぐらいで騎士について悩むなど、昔から辞めておけとは言っていたが」
「ステルクくん、もしかしたら自分が騎士だから嫌われたのかもと思ったのかもね」
「そんな訳は無いだろう。まったく、大馬鹿だな。理解できん」
軽く首を振ってアストリッドは慨嘆する。
本当に恋愛だ何だというものは柄ではない。どちらかと言えば他人の恋愛劇をいじくって遊ぶほうが自分には合っていると思った。
そして、あの幼馴染もそういうのには向いていない──そうずっと分析していた。
「でもまあ、普段からステルクくん騎士の仕事に疲れてたから。大臣には嫌われるし。最近、ロロナちゃんを手伝いだしてからは少し元気だったけど」
「騎士になりたい動機が『物語の騎士に憧れている』だったからな。現実はそんなモノでは無いと何度も言ったのだが……」
良い年をして未だに子供のような幻想を持っているステルクに呆れのような想いを持つ。
騎士など所謂公務員だ。アーランドでは戦争は起こらない。適当に勤めればいいものを、日々理想の騎士像に向けて精進し真面目腐って働くのもステルクぐらいだろう。
それでいてアトリエが取り潰されそうになったら大臣の覚えが悪くなるのにこちらを手伝うあたり、面倒な性格をしている。
エスティは「あれ?」と首をかしげて、
「確かステルクくんが騎士を目指すきっかけになったお話を教えてくれたのがアストリッドさんだって聞いたけど」
「なに? ────まさか<偉大な錬金術師>の物語か? 成程、確かに……いやまて、それで……か」
思案顔で考え出したアストリッド。幼い頃にステルクよりも早く文字の読み書きが出来るようになったアストリッドは自慢気に彼に様々な<物語>を語って聞かせた。
<偉大な錬金術師>のお話は様々な伝承・説話の類型がありそこに登場する人物も多岐に渡っている。ある物語では錬金術を極め『賢者の石』を作り出した話だったり、錬金術師の学校<アカデミー>の創設をしたり。または魔王や竜を倒したり、ただのお菓子屋として暮らしたり……
そんな物語の中には騎士も登場して、竜と戦ったり錬金術師のピンチを颯爽と救ったり、はたまた錬金術師の師弟に便利屋として引っ張りだこな優柔不断な騎士も登場する。
どれを語って、彼がどんな影響を受けたかは彼女の明瞭な頭脳でもわからなかったが、
──なんだ、そこから私らは同じということか。
同じく師から聞かされた<偉大な錬金術師>のお話に影響を受けたアストリッドは、少しだけ胸が熱くなるのを覚えた。騎士に憧れていたステルク。そんな彼に反発を覚えたこともあったが、発端は単純だったようだ。ただ、自分は天才であるが偉大な錬金術師ではないし、ステルクも物語の騎士に憧れる騎士だったというだけで。
ところで、とエスティが尋ねる。
「ステルクくんが振られたのって、どういう状況だったの? 聞いても口を閉ざされたんだけど……」
「ああ、それなら」
アストリッドは眼鏡を光らせた。ひょっとして自由自在に光らせることもできるのかもしれない。天才錬金術師の彼女なら、ありうる。
こういう話は男の方は話したがらないものだが女性同士だと結構言い合っている。いわんや、このアストリッドをしてどうして黙っているだろうか。
「前にステルケンブルクと飲みに行ってだな。二人ともつい飲み過ぎたから近くの宿に寄って────」
その後滔々と話される状況を聞いてエスティは「あー」と何とも感情の乗らない言葉を返した。
ステルクは空気が読めないしアストリッドも実は面倒臭い性格のようだ。二人ともそんなだから今の今まで関係が発展しなかったのだろう。
何があったのかは、女同士の秘密だ。
****************
「ステルクさぁーん、そろそろ出番ですよう」
一方新郎控え室。
こちらではステルクの緊張を解こうとイクセルが会場で作った新作のパイの話題で会話を続けていた。地味にパイが好物なステルクの舌を唸らせるのはイクセル製だろうかロロナ製だろうか。そんなことを話題にして色気のない雰囲気ではあった。
そこにやってきたやや間延びした声は、薄紅色のケープマントを羽織りピンクベージュの髪の毛を切りそろえた少女──ロロライナ・フリクセル、通称ロロナだった。
彼女は部屋にいる友人の姿に気づいて声をかける。
「あれ、イクセくんここに居たんだ」
「おう。ちょっと新郎さんの緊張をほぐそうとな」
「緊張など……」
否定しそうになりながら。
ステルクは随分と落ち着いている自分に気がついて、
「──いや、助かった。感謝しよう」
ぎこちなくはあるが礼をした。イクセルは目的を遂げたように笑って答えた。
そしてロロナは改めて、ステルクの姿を深い青色の目で見た。
「ステルクさん似合ってますね!」
「そうだろうか。自分ではよく……」
「いやいや、充分色男だぜ」
姿見を向いてみるが、やはりステルクにはよく分からなかった。いつもの自分とは違った格好をした男がむっつりと睨んでいる。
とはいえステルクは目付きこそやや悪いものの整った顔立ちをしているのだ。本人は特に気にしたことはないが。
ロロナは腰に手を当てて少し拗ねたような声音で、
「師匠はドレス姿を見せてくれないし。控え室にも入れてくれないんですよ?」
「案外照れてるのかもしれないぜ?」
「ふ、そうかもしれないな」
というか、あの女が照れることがあるのだろうか、などととステルクは思いながら。いつも彼の前では余裕ぶった態度を取っているからだ。
それが密かな意地だというのには未だに気づいていないのだったが。
とはいえ、その場合に彼女へ贈る言葉を用意している。
「えへへ、とうとう師匠とステルクさん、結婚ですね」
「君たちが騒がなければこんな事にはならなかったのだが……」
「駄目です! ちゃんとお祝いするんですから!」
盛大に発表だの結婚式だのを開く性格ではアストリッドもステルクも無かったのだが。
ロロナやエスティから経由して知り合い中に広められてついにはお膳立てを整えられ、アーランドで結婚式と相成った。
アストリッドも最初は頭痛をこらえていたのだが、途中からノリノリで企画に参加しだしたのは開き直ったかステルクをおちょくる方向についたか……或いはもっと別の何かがあったかは誰も知らない。
「それにしてもイクセくん、凄かったんだよステルクさん。うちのアトリエまで来て、師匠が何日も不貞寝してる部屋の前でずっと愛の告白とかして」
「ま、待て。そんな事を今更だな」
「へえ~人は見かけによらないというか」
ヒソヒソと露骨にステルクの前で話しだした二人に顔を赤くして止めた。
うっかり告白して振られて数日。ステルクはやや自棄になっていた時にアストリッドは誰も寄せ付けないで一人部屋に篭っていたという。
そこへステルクが現れて恥ずかしい台詞でアストリッドを笑わせつつ仲直りをして──そこから結婚式だのの騒動に繋がったのではあるが。
「ええい、静まれ!」
「はいはい」
「ふふっ」
ロロナはとびっきりの笑顔をステルクに向けて、
「ステルクさん、絶対師匠を捕まえてないとだめですよ。師匠は放っておくとフラフラどこかに行っちゃいますから」
忠告されてステルクは頷いた。
それを見て、ロロナは帽子を正して背を向ける。
「じゃあ、師匠も呼んできますから、用意しておいてくださいね」
そういってアトリエの主は、振り向かずに出て行った。
*****************
結婚式。
アーランドでも毎年何組も行われている。式場を抑えずに籍を入れるだけという夫婦も多いが、盛大に開くときは関係ない人も多数集まる。
働きたがらないアストリッドとは違い、正騎士としての年俸や街の仕事の手伝いの棒給も貰っているステルクはそれなりに貯蓄があり式場を使うことが出来た。
正直に言うとあまり気乗りのしないアストリッドは目を伏せながらドレス姿で会場の中央まで歩く。
彼女はその捉えどころのない性格と不真面目な態度から人に嫌われることが多かった。師のころから評判の悪かったアトリエの主という身分のアストリッドはただの買い物ですら嫌な顔を店の人間にされることも少なくない。錬金術自体なにか胡散臭いものだと捕らわれていた。
他人に嫌われたことを気にして悩んだり、泣いたりしていたら途轍も無く時間の浪費となり人生の無駄となる。どれぐらい無駄が出るかを計算した計算式は今では何も見ずにすらすらと書けるほどだ。天才は理解されなくても良い。そう思った。思っていた。
「アストリッドさーん」
エスティの声に伏せた目を開けた。
「────」
絶句する。
会場に人が埋め尽くしていた。
弟子のロロナがいた。その横にアストリッドと犬猿の──まあ相手から見れば──仲のクーデリアも、険のない表情で佇んでいる。イクセルと<サンライズ食堂>の親方は店を閉めてまで会場の料理を用意して並べたテーブルの近くに居た。その食堂の常連客たちも来ている。
大道芸人のリオネラがホロホロとアラーニャと共にこちらを向いて小さく口を開けていた。人見知りの激しい彼女でも、来ている。雑貨屋のティファナと武器屋のハゲルもいてその後ろにいるのは──ティファナファンクラブなのであまり気にしてはいけない。
幽霊のパメラもふよふよと宙に浮かびながらその手に花びらのが盛られた籠を持っていて、今か今かと撒き散らす準備をしていた。隅のほうには品の良さそうな紳士──ジオも佇んでいた。
アストリッドが錬成したホムンクルスのホムも行商人の少年と並んで舞台を見ていた。そして何より──
見たことがあるかもしれないが、さほど関係の無い街の人達も祝福のために沢山集まっている。
アストリッドは呆気に取られた。
「アストリッド」
穏やかな声に視線を、会場から隣に向ける。
いつの間にかそこには黒いタキシードを着たステルクがいた。長身で隣に立つと覗き込まれるような感覚を覚える。
動揺を出さないように、いつも通り軽口を叩こうとしたがステルクの言葉が続いて遮られる。
「その──綺麗だ。似合っている」
「な──」
ステルクが告げたその内容が、自分の服装──ウェディングドレスのことだと気づくまでに彼女の天才的頭脳で数瞬必要だった。
彼がずっと、まず言おうと──ひねた幼馴染ならば思っているだろうことを予想して、それを取り除いてやろうと思っていたことを口にしたのだった。具体的には鳩とかと会話して練習していた。それでも、この短い言葉が精一杯だったようだが。
少しだけ固まった──また珍しく──アストリッドも、言葉を咀嚼して復帰してにやりと、少なくとも本人はそう笑おうとした。
「ふふふ。そんなことは、判っている。私に似合わない筈が無いだろう?」
その本人の思惑とは別に、自然と飛び出した満面のほほえみに、ステルクも口元を緩めて笑い返した。
式場で鐘が鳴る。純白の鳩が空に舞った。パメラが花びらを撒く。会場には冷やかすような祝福の声で満ちた。
そこの主役は意地悪な魔女と堅物な騎士ではなく──
純白に彩られた美しい花嫁と、黒ずくめの花婿の、お似合いの姿だった。
*********************
「うじゅっ、よ、よ゛がったあ……師匠とズテルクざん、幸せそうで……ひうっ」
「ロロナちゃん、泣かないで。ほら、鼻ちーんてしなさい?」
「ぢ───ん!」
涙をぼろぼろ流すロロナにエスティが付き添って、そのどうかと思う感じな泣面を収めようとしていた。
ハンカチで目を拭うが、次から次へと涙は溢れてきて。
──よかった。
大好きな師匠と、頼れるステルク。どちらも自分と親しい二人だ。時折ふらっと居なくなる師匠でも、彼がいれば繋ぎ止められるだろう。
──本当に、
それでも、涙は零れてくる。
笑って祝福しないと師匠とステルクを心配させてしまうのに、と思いながらも。
「よがっだよう……」
小さく、泣き声を出して泣いた。顔だけは、笑顔のかたちにして。
二人の幸せが嬉しいから。今はそれ以外の涙の理由が、ロロナにはわからなかったけれど。
エスティは優しい顔で、泣くロロナをただ宥めていた。
「いやーやっぱり時代は幼馴染よ幼馴染!」
クーデリアがステルクとアストリッドの結婚式に感じ入ったように言う。
彼女はロロナと幼馴染である。それが何かその台詞と関係あるかって? それは乙女の問題なのでよくわからない。本当にわからない。
「幼馴染がどうしたって?」
「あんたじゃないわよ!」
ロロナともう一人の幼馴染のイクセルが不思議そうにクーデリアに尋ねたが、何故か怒られた。
まったく身に覚えのないイクセルは理解できないように首を傾げた。
料理人の好青年、春からは遠いようだ。
「わ、わ、ブーケ取っちゃった! どうしよう!」
と投げられた花束を3mほど垂直跳びして入手したエスティだ。浮遊しているパメラよりも早く。
参加者はその勢いにやや引いていた。凄まじい速度だった。分身とかしてたし、アインツェルカンプとか叫んでた気もする。マスクドGが引き攣った顔をしていた。
というか投げたステルクは不憫そうな目で、欲しがっているエスティに向かって投げたのだが。
「やったじゃないですかエスティさん!」
純真なロロナが彼女を賛美する。
「お姉ちゃん……」
とやや哀れそうな目で彼女を見るのは妹のフィリーだった。年が結構離れているが姉の必死さは感じたようである。
ともあれ目出度い祝福のブーケはそろそろ後の無いことに定評のあるエスティに渡ったという仄かに幸せなイベントだった。
「ふん。国に仕える騎士が、あのような胡散臭い女と結婚など、恥だ」
結婚式場から遠く離れて。アーランドの王宮から遠くに上がった花火を見ながらメリオダス大臣は呟いた。
とは言ってもこの国の法律では余程でない限り婚姻の身分の差は関係ない。さらにアトリエ経営を弟子に譲り渡したアストリッドは今は一般人である。
それでも気に入らないものは気に入らない。アトリエを潰すためにもう何年も難題を押し付けているのに、ステルクの活躍もありアトリエの人気は高まっている。以前ならばアストリッドの結婚式など開くと言ったところで誰も集まらなかっただろうが、随分と人気者になってしまった。
「くだらん。ステルケンブルクとか言ったか、あの騎士め」
「おやおや、名前を覚えたのですか?」
大臣に声をかけたのは羽根つき帽子を被った長髪の男だ。
「……どうでもいい事だ。それより、お前の方はどうなっているのだ?」
「いやはやこれがまた難航しておりまして。それにほら、こんな目出度い日にするような話題じゃありませんし」
「目出度いなどと──ふん、用がないなら去れ」
苦々しそうに大臣は男を睨んで視線を外した。
にこやかな、僅かに人を喰ったような雰囲気のままで吟遊詩人・タントリスは、
「そうしますよ。なにせ結婚式にも呼ばれてるから顔を見せなくては。歌の一つも用意しているので」
気取った態度で大臣の執務室から姿を消した。
大臣は鼻白んで再び窓に視線を戻した。離れた城下街の結婚式上からもう一つ、白昼の花火が上がっていた。
ステルクとアストリッドの結婚式は当人らの予想以上に盛況に進み。
二人はその日夫婦になった。
********************
Epilogue
「それでは、行ってくる」
ステルクはその言葉と共に、裾がずたずたになった(格好良いと思って自分でやった。妻から笑われた)黒いコートを羽織って椅子から立ち上がった。
服装は騎士のものではない。アーランドが共和制になって騎士という身分が無くなった今、ステルクは冒険者として活躍している。
熟練の技術と剣技、面倒見の良い優しい性格から冒険者たちの顔役となった。怖い顔役ではない。
「ステルケンブルク、出る前に何かすることがあるんじゃないか?」
テーブルの対面に座ったアストリッドは揶揄するような色を言葉に乗せて、ステルクを見た。
その口を挑発するように差し出している。
む、と言葉を詰まらせて彼は、
「またか」
と苦い返事を返すと露骨にアストリッドは大きな溜め息を吐く。
「はあ……私は悲しいぞステルケンブルク。新婚の時の初々しいお前は何処へ行ったのだろう。この狭く禄に研究もできない一軒家でも、お前の不器用ながら頑張ってるような優しさが満たしてくれれば寂しくもなかったのに……今日のように素敵な一日の朝にはおはようのキスから行ってきますのキスまで」
「わかった! わかったから静かにしろ!」
恥ずかしそうにステルクは叫んだ。
目を逸らして、
「大体おまえの研究はロロナ君のアトリエでやってるではないか……」
「それは私の隠れ家の一つにすぎん」
「まったく、おまえというやつは」
毒気を抜かれたようにステルクは、いつも寄っている眉の皺を──家庭の中でだけ気を張らない、優しい目付きになって。
アストリッドに口付けした。
軽く、慣れたように。
「改めて、行ってくる」
「ああ、私は今日は後でロロナのところに顔を出すから、暇があれば寄るといい」
「暇があればな」
「訂正しよう──暇を作って、私に会いに来い」
「──わかった」
軽く手を振ってステルクは肯定の意思を見せた。
アストリッドは時々ロロナのアトリエで錬金術の勉強を、彼女の生徒たちを交えて教えている。恐らくは、前よりも精力的に。
年下に教えるというのが性に合っているのだろう。ただ、泣いた子供はいまだに苦手のようだったがそれの克服するためでもあるようだ。
アストリッドも立ち上がって、玄関の扉を開いたステルクに。
幸せそうな、他所では見せない笑顔を作った。そして本当に、お互い以外誰にも聞かせないような優しい声で、
「いってらっしゃい、あなた」
「戸締りはしっかりな、おまえ」
これは、アーランドでも有名なとある夫妻の日常。
率直にいって──熱々なようである。
FIN...
おまけ
***************
なお、ブーケをキャッチしたエスティ先輩はその後も全然まったく結婚出来ないので旅に出た。
その先輩の物語は多くの各地で起こった現象や事件と混じり語り継がれることとなる。それらのどれが真実か、或いは全て真実なのかはもはや定かではない。
一説によれば伝説の冒険者マスクドSTとなって国を救ったとか。
ある国の騎士団長になったとか。
竜や魔王や悪魔を倒して平和を手に入れたとか。
海の主となったとか。
ただ、少なくとも彼女が結婚したという話は聞かない。何故なら結婚したら自慢気に手紙が届くはずだから。
無法の荒野を往くエスティ先輩の婿探しの旅は、まだ始まったばかりだ……!
エスティ先輩の愛で空が落ちると信じて!
完!