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[25216] 【習作】るいことめい(佐天魔改造・禁書×ネギま『千雨の世界』)
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/10/12 14:06
■はじめに
はじめまして。
この作品は佐天涙子(とある魔術~シリーズ)と佐倉愛衣(ネギま)を中心とした、オリジナル展開の強いSSとなっています。

また、赤松板に掲載している「千雨の世界」の番外編とも言える作品です。
ですが、本編と重なるキャラクターがほとんど無く、習作的な側面が強いので別スレッドを立てさせて頂きました。


この作品には以下の要素があるので注意してください。


・基本的には「とある魔術の禁書目録シリーズ」と「魔法先生ネギま!」のクロス。
・キャラの魔改造や設定改変多数。
・ほぼオリジナルストーリー。
・週刊少年サンデー系列の作品が多数出てくる多重クロス。
・「とある魔術~」の時間軸に原作との乖離があります。イベント的には原作一巻後ですが、時間は六月の上旬となっています。


それでは、よろしくお願いします。


●かんたんなあらすじ
学園都市に住む佐天涙子が魔法使いの少女と出会った。
二人は友人になり、学園都市に潜む謎を探り始める。
中学生による日常系コメディ。



更新履歴
2011/01/01 プロローグ、1~8話を投稿。「千雨の世界」本編から移動。
2011/01/04 第九話を投稿。
2011/01/11 第十話を投稿。
2011/02/05 第十一話を投稿。
2011/09/02 第十一話まで改訂。設定の変更。



[25216] プロローグ
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:14
 光が車を貫いた。
 その光景は衝撃的で、自分がまるで魔法の世界にいるような感覚を覚えた。だが、そこに感動は無い。
 悔しさが滲んだ。無力な自分。
 『学園都市』という場所にいながら、街中にありふれる超能力に触れる事すら叶わない。
 目の前の光景は自分から遥かに遠い光景だった。ただ、その距離だけが分かる。
 学園都市が誇る七人のレベル5、その三位『超電磁砲(レールガン)』の御坂美琴が強盗の車を貫いた光だった。
 指先から放たれたメダルは、電磁誘導により高速化し、光の槍となって車を穿つ。
 友人達と遊んでいた先で起こった強盗事件。巻き込まれた子供を助けようと飛び込んだものの、何も出来なかった。
 強盗に無様に嬲られ、地面を這いつくばっているだけだ。
 解決したのは全て超能力。自分には無い力。
 目に涙が滲む。それは悲しさなのか悔しさなのか分からなかった。
 だが、絶対に涙は流すまい、と歯を食いしばる。
 唯一、それが彼女――佐天涙子――に出来た抵抗だった。







 るいことめい プロローグ







「初春、おっそいなぁ~」

 六月の上旬、涙子はベンチで脚をブラブラさせつつ、春から親友の様に接しているクラスメイトを待っていた。
 学園都市の第七学区、そのあるモノレール駅前。学区内外への交通ターミナルとなるこの場所には、デパートや様々なショップが並び、人が溢れている。
 涙子もその雑踏の片隅で、一人座っていたのだ。



     ◆



 『学園都市』――超能力開発を目的とした巨大な科学の研究施設だ。
 東京西部から近隣の旧県境をまたいで作られ、その人口のほとんどが学生という都市である。
 その学生らを集めた目的は、前述した通りの『超能力の開発』。
 多くの人間が否定したオカルト存在を、学園都市は科学という手段で成功させ、世界中に衝撃をもたらせた。
 それはかつて世界に同じような驚きをもたらせた『楽園』の科学技術とは、違うアプローチの方法だ。
 しかしその研究情報は秘匿とされ、学園都市を囲む巨大な壁と共に、外部への漏洩は最低限に抑えられている。
 超能力開発の余波は他の分野にまで著しい進歩を促し、現在学園都市の科学技術は”外”より十年や二十年進んでいると言われていた。
 そんな都市にありながら、超能力をまともに使える者は一握りだった。
 例えそこそこ才能があったとしても、能力開発の六段階評価の内、下から四番目のレベルレベル3『強能力』止まり。
 最高位のレベル5『超能力』に至っては、この都市内二百三十万人の中で七人しかいないのだ。
 多くの人がレベル1『低能力』やレベル2『異能力』と言った能力開発で頭打ちになってしまう。学園都市にもっとも多い存在がこのカテゴリーだ。
 そして、そこにすら届かない人間もまた多くいる。
 レベル0『無能力者』。
 超能力の淵にすら指をかけられずに終わる者たち。
 佐天涙子も学園都市には少なくない、そんな人間の一人だった。



     ◆



 ポケットにある携帯が鳴った。
 見てみると、どうやらクラスメイトの初春飾利からのメールの様だ。

「ふーん、そっかぁ……」

 内容は「緊急の事件が発生して行けない。ごめんなさい」と言った旨のものである。
 クラスメイトの初春は『風紀委員(ジャッジメント)』と呼ばれる、学生主体の治安組織に所属していた。学生が八割を占める学園都市ならではの組織だ。
 そのためこうやって度々起こる事件に忙殺されている。
 放課後の予定が無くなり、やる事も無くなった涙子はそのまま雑踏をボーッと眺めていた。

(食料品でも買って帰ろうかな。部屋の冷蔵庫の中身も少なくなってたはずだし)

 衣食住を提供される学園寮に入る者もあれば、都市や一般経営の寮に入る者もいる。後者にいたっては『寮』と言いつつも、ほとんどが大学生などの一人暮らしとは変わらない場合が多かった。
 都市側からの奨学金を使い、自活するのである。〝外〟では珍しいが、学生がほとんどを占めるこの学園都市では中学生の自活も少なくないのだ。
 涙子も後者であり、この春に外部から入ってきた。さすがに六月ともなれば、四月のウキウキ気分も脱し、五月の鬱々としたホームシックも抜け、それなりの生活を自分で行なう様になっている。

(配達は高いしねー)

 車を持つ学生が少ないため、米などの重い生活用品を運ぶ配達システムも都市内では発達していた。地域によってはロボットなどを使い、無人での配達も行なわれている。
 それとて無料ではないので、何かしらをまとめて購入でもしない限り、涙子には敷居が高かった。
 ましてやレベル0である涙子の貰う奨学金は少ない。
 外部からの特殊奨学金制度を貰い、特別女子枠も重なって、そこそこセキュリティの良い寮に入れたのは幸運だった。それとて生活水準が高くなるわけでは無いのだ、減らせる所は減らさないと、生活費などあっという間に無くなってしまう。

(夏に向けて、お金も溜めないと!)

 どこぞで見かけたキャミソールを思いだす。
 この所、物欲が強くなった気がする。
 涙子自身、その理由に気付いていたが、あえて考えないようにしている。
 希望を持ってやってきたこの都市で分かったことは、『自分に才能が無い』事だった。
 親元を離れて得たものがそれなのだ。情けなくて、悔しい、そして寂しい。
 鬱屈とした感情は、必然買い物などに向けられていた。
 小学生の時とは比べられない金額が、マネーカードに振り込まれている。
 そのほとんどが生活費に消えるとは言え、ここでは親と一緒でしか入った事が無かったファミレスなんかも、自分の意思一つで入れるのだ。
 おかげで鬱積はなんとか薄れていった。〝外〟より遥かに進んだ都会の風にさらされ、学生ばかりの街に馴染んでいく事で、自分も大人になっていく様な気がした。
 それでも――。

(空力使い(エアロハンド)、レベル0かぁ)

 いくら『空力使い』と判断されても、レベル0では能力の発動さえままならない。電源の入らないテレビや、動かない車に価値は無い。あるとしたらジャンク品としての価値だろうか。


     ◆



「あぁ~~~!」

 子供特有のかん高い声が聞こえた。
 見れば小学生低学年くらいだろうか、三人ほどの女の子が広場の中央に立っていた。
 三人のうち二人は手に風船を持っているが、一人は持っていない。視線を上にずらせば、街路樹に引っかかっている風船。

(あちゃ~、離しちゃったんだ)

 風船を無くした子供が木を見上げ、必死に取り替えそうとするものの、子供の身長じゃ届かない。
 かえるの様にピョンピョン跳ねる様に、苦笑いをしながら立ち上がろうとした所、涙子より早く子供に近づく人影があった。
 見慣れない制服の少女。頭には髪を丸めたお団子が二つ、見た限りは自分と同年代だろうか。
 その少女は悲しそうにしている子供の頭を撫でた後、枝に引っかかった風船に手を伸ばした。
 ぷらぷらと垂れ下がる紐まで十センチは足りない。まず、あのままでは届かないだろう。

(もし、私に能力があったら……)

 涙子はじっと念じてみた。自分の周囲の空気を感じ、操るイメージをする。そのうねりを形にかえ、風船まで伸ばすのだ。
 だが――。

(やっぱり無理か)

 ふぅー、と息を吐きながら、自嘲の笑みを浮かべる。
 この程度で能力が発動するなら、『才能が無い』などと言われるはずが無かった。
 相変わらず少女は、風船の紐まで一生懸命手を伸ばしていた。
 変な事は考えず、素直に助けにいこうとした涙子だったが、不意に注目していた少女の雰囲気が変わった。
 さすがに何を言っているのかまでは分からなかったが、口元が小刻みに動く。なにかを呟いたらしい。少女の周りに淡い光が見えた気がした。
 すると。

「えっ?」

 風が吹き、風船が枝から外れた。それだけで無く、上空から叩き付ける様な風だったためか、一瞬風船自体がガクンと落ちこんだ。
 気付けば件の少女の手に、風船の紐が握られている。

(偶然? それとも能力かな)

 周囲を歩く雑踏は、風など気にも留めない。せいぜい女子学生がスカートを抑える程度のものだ。
 少女は子供に風船を渡すと、そのままバイバイといった体で手を振った。
 子供達は感謝の言葉を上げながら走り去っていく。

(ふ~ん)

 涙子は少女の事が気になり、そのまま観察を続けた。
 広場の真ん中、決して人が少なくないその場所で、少女は携帯を弄っている。いや、弄っていると言えるのだろうか。

(頭から湯気出てそう)

 携帯をポチポチと押しているのだろうが、画面を見てはくらくらと目を回していた。
 そのままバスステーションの方へ向かおうとするも、ウロウロしてまた広場まで戻ってくるのだ。

(なんか見てて面白いし、けっこう可愛い顔してるな)

 美少女、とでも言うのだろうか。映える顔立ちなのだ。仕草と相まって男にモテそうだな、というのが涙子の感想である。

(ありゃ、やっぱり)

 そうこうしてるうちに、ガラの悪そうな男達が少女に近寄ってきた。
 少女は男達に囲まれ、あわあわと慌てている。

(これはさすがにヤバイでしょっ)

 涙子は勢い良く立ち上がり、雑踏の中を走った。
 その勢いのまま、少女の肩にパンっと両手を乗せる。

「ひっ!」

 急な刺激に、少女が驚く。

「おまたせ~、待った? あれ、何この男の人達、知り合い?」

 涙子は少女の後ろから、顔を寄せて聞いた。無言のまま顔を横にプルプルと振る少女に、涙子は男達に見えないようにウィンクする。

「あ~、すいませんねぇ。私達、この後用事があるんですよ」
「おい、ちょっと――」
「あぁぁぁぁっ! やばい、こんな時間、ほら早く行かないと!」

 男達の言葉を遮るように、涙子は大声を出す。もちろん周囲の雑踏にも聞こえる様にだ。
 通りがかりの人達が、何事だと言わんばかりにこちらを見た。
 男達が気まずそうにしている隙に、涙子は少女の腕を引っ張り、そのまま逃げ出した。



     ◆



 走ること数分。デパートのレディースフロアに入り、二人は一息ついた。

「ハァハァ……ハハッ! さすがにあの男達も下着売り場にまでは来ないでしょ」

 息を少し乱しながら、涙子は少女へ笑顔を向けた。
 対する少女も、多少息を荒げながらも、口に手を当て思い出し笑いをしている。

「プフフ、そ、そうですね」

 笑いが収まった少女は、何か思い出したように背を伸ばし、涙子に一礼した。

「あ、あのっ! ありがとうございました。私、ああいう人達苦手で……」
「いやいや、いーって。本当はもっと早くに助けにいけば良かったのに、つい面白くってね」
「早く、ですか?」
「あー、うん。こっちの事」

 ハハハ、と乾いた笑いをしながら涙子は頬をかいた。少女が慌ててる様が可愛くて見ていたなど、とても言えない。

「あ、そういえば私、デパートに連れ込んじゃったけどいいの? モノレールとかバスとかの時間とかさ」
「あぁっ! そういえば」

 少女は再び携帯を弄り出した。

「わ、私、実は外部からの短期留学生でして、この街の地理に疎いんですよ。学園都市に入ったらこちら側の携帯も支給されたんですが……その、機能が多すぎて。バスとか電車とかの行き先とか、時刻表とか携帯で見れるって聞いてたんですが」
「うんうん、わかるわかる。私も四月にここ入ったばかりの時には、携帯の機能にビックリしたよ。〝外〟のノートパソコンくらいのスペックが普通にあるしね。どれどれ、ちょっと貸してごらん」

 涙子は少女の携帯を横から覗き見て、ポチポチとボタンを押していく。

「おぉ、すごいじゃない。これ、視線感知式のハンドフリー機能携帯だよ。ボタン押さずとも、視線とまばたきだけで操作可能な学園都市でも最新型のヤツだ。さっすが支給品だねぇ」

 そう言いながら、画面は学園都市が提供する交通ガイドが表示される。

「ほい。これで大丈夫なはずだよ」
「あ、ありがとうございますー。私、お姉……じゃなかった。一緒に留学してきた先輩も忙しくて、心細かったんです」

 少女は心底嬉しそうな顔を涙子に向けた。

「ふむ、そうだよね。留学して一人じゃ心細いか。そういえばどこ行くつもりなの?」
「え? えーと、確か『第四学区』、でしたっけ。色々なレストランや珍しい食料品が多いって聞いたので、せっかくだから夕食の買出しがてら、見てみようかなー、と」
「ふむ」

 涙子も話には聞いたことあったが、そこにはこの二ヶ月ついぞ行った事が無かった。
 第四学区と言えばレストラン街が有名だが、美味しいだけあって全体的に値段が高い。
 涙子としても興味はあるが、財布が許さないという感じだった。

(でもまぁ、買出しくらいなら)

 多国籍の食料品が集まる場所だけあって、様々なスーパーもあるらしい。隣に海外からの留学生が集まっている第十四学区があるのも要因だろう。

「あのさ、良かったら私も一緒に行こうか。丁度私もそこ行ってみたいと思ってたし、買出しもしたかったんだ」
「え、よろしいんですか?」

 少女は嬉しそうな表情を浮かべた。

「うん、どうせ暇だしね。じゃあせっかくだからアドレス交換しない」

 そう言いながら涙子は携帯を取り出した。

「私、佐天涙子って言うの、柵川中学の一年生。よろしくね」
「は、はい。あ、佐天さん、私と同じ学年なんですね。私――」

 この日、この出会いが、佐天涙子の物語の始まりだった。


 プロローグ END



[25216] 第一話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:15
「佐倉さんさ、そういえば何処から《学園都市》に来たの?」

 涙子達が今居るのは、第七学区から第四学区へ向かうバスの中だ。
 さりげない所だが、車内にほとんど揺れが無いにも学園都市の技術力の賜物である。

「あ。はい。私は麻帆良学園って所から来ました。佐天さんはご存知ですか?」

 少女――佐倉愛衣は涙子の質問に答えつつ、そう返した。
 愛衣の頭には髪で縛ったお団子が二つ。そこから左右にツーテールの様な形で、赤味を帯びた髪先が肩口まで流されている。窓から洩れる光が、髪の細やかさを浮き立たせた。
 どこか幼さが強い顔立ちだが、それがチャームポイントになってるあたり、涙子は密かにうらやましく思った。

「麻帆良って埼玉の? すんごい近いね。なんだっけ、大きな木があるとこだよね。だけど……なんでだろ地味っていうの? 印象が薄いのかな~」

 涙子の「印象が薄い」という言葉に反応し、愛衣がハハハと乾いた声を漏らす。

「そ、そうなんですよ。どうにも麻帆良は地味でですね……」

 急に慌てだした愛衣に、涙子は首を傾げた。

「それで、私は交換留学生という形でこの《学園都市》に留学したんですよ」
「へー、国内留学って珍しいね」

 涙子は何気なくしているが、実際の所《学園都市》に留学制度は無い。
 これらの処置は、五月に起こったある事件の余波があった。事件により、麻帆良と《学園都市》、極東にある二つの重要都市が一時的に緊張状態に陥るはめになる。そこで行なわれた一時的な緩和措置の一つが、この短期留学である。
 云わば愛衣達は人質なのだ。内心それに感づいている愛衣は、溜息を漏らす。

「あ、佐天さん、見てください。見えてきましたよ」
「おぉっ。さすがに壮観だねぇ」

 気付けばバスは第四学区へ入っていた。大通りの周囲には様々なレストランや食料品店の看板が立ち並ぶ。時には学園都市らしい立体照射の看板まで見える。
 店舗ごとがそれぞれの国の特色を押し出しているらしく、どこか遊園地やアミューズメントパークの様な雰囲気もある。
 今通ってる場所はアジア的な雰囲気が強く、いつか写真で見た香港の雑多な街並みに似ている。遠くに見えるもう一本隣の通りは石畳や建物の作りからしてヨーロッパ風といった所か。
 バスは第四学区の繁華街を通り、その中心となるバスターミナルまで向かう。

「うわ~~」
「面白そうっ!」

 バスの窓から見える様々な光景に、二人は心を躍らせた。







 るいことめい 第一話







 バスを降りた二人は、早速繁華街へ向かう。
 第四学区とて広く、この繁華街はその中心部だ。
 何本かの大きめの通りがあり、それぞれが国や地域などのテーマに合わせ、一本の通りに店舗が集まっている。
 レストランはもちろん、様々な専門的な食料品店なども雑多に混じっている。
 また、その大通りの交差する中心では、少し大きめの食料品スーパーもあった。
 ただし個別の食料品店などにも配慮し、あまり特殊な食材などは置かず、あくまで間に合わせといった品揃えだ。

「うーん、どこ行こうか。迷うね」
「そうですね。この時間ですしあと一、二時間で切り上げないと」

 時計を見ればもう四時半だ。学生の多いこの街では、交通機関が止まるのも早い。また能力者がいるという事で、学園都市の夜は治安がとにかく悪いのだ。
 バスターミナルにあった案内冊子を見つつ、二人はうんうん唸った。

「とりあえず、さっき通った中華街みたいな所いかない?」

 涙子の言葉に愛衣は了承し、二人は連れ立って歩き始める。

「佐倉さんってさ、留学先の学校どこなの? その制服見た事ないんだけど」

 小豆色のブレザーにチェックのスカートが見える。

「この制服は麻帆良学園の制服なんですよ。一応来週から制服の支給もして貰えるみたいなんですが、なにぶん留学が急に決まったみたいで……。あ、学校ですよね。えーと常盤台、って所なんですが」
「と、常盤台!」

 涙子はプハッっと吹いた。

「御坂さんや白井さんと同じ学校なんだ。ハハハ。あれ? でもあそこって能力がレベル3以上じゃないと入れないような」
「そうみたいですね。でも治安や設備の観点からあの学校が選ばれたみたいで、私は特別枠って事らしいです。超能力にも興味がありますけど、その手の開発カリキュラムは除外されるみたいですし」
「うーん、能力開発一度しちゃうと、『学園都市』の出入りが厳しくなっちゃうからね。麻帆良に戻るんならそれが正解だと思うなー」

 そんな事を言いつつ、涙子の脳裏に先程の風船の事が思い出された。

(風船を取った時、佐倉さんが能力使ったわけじゃないんだ)

 あの時、微かな光を見た気がする。

(なんだったんだろう、あれ)

 ふと鼻腔をくすぐるいい匂いに、涙子の思考は霧散した。

「おぉ、いい匂い。雰囲気あるねぇ~」
「本当ですね」

 比較的狭い通りに人がごった返している。
 計画的な都市建設がされている《学園都市》には珍しい光景だ。
 雑多な人の群れと店舗の数々が、二人を出迎えた。
 店先で調理しながら惣菜やファストフードを売る店から、中華御用達の食材が満載された小さめの近代スーパーまで。漢方の専門店も見える。
 二人は店先を冷やかしながら通りを進む。

「さすがにこの通りで夕食の買出し、ってわけにはいかないよね」
「豚の頭とか、ちょっとうちの鍋では無理ですね、あはは……」

 軒先を飾る食材も、中学生には値段的にも技術的にも難しい品々が多い。
 それでも観光客用の土産物などを見たり、レストランのメニューを覗き込んだりしながら、二人ははしゃぎつつ通りを練り歩いた。

「うわ、これ大きいね」

 涙子が指差したのは、あるお店で売られていた肉まんだった。コンビニで売ってる肉まんの優に二倍の大きさ。お値段は四、五倍といった所か。
 店舗の入り口で、蒸し器片手に女性がそれを売りさばいている。通りではこの手の飲茶がファストフードして売られ、通りがかりの客が歩きながらやベンチなどで食事していた。

「一個買ってみようか、それで半分個」
「そうですね。さすがにあれを一個は……」

 二人は肉まんを一つ購入し、近くのベンチに腰を下ろした。

「はい、佐倉さん」
「ありがとうございます」

 六月の上旬という事で、今日もそれなりに暖かい。そんな中、熱々の肉まんを頬張るのは、少し引けるが。

「んんッ! 美味しいッ!」
「麻帆良の肉まんも美味しいんですけど、ここのも……」

 はむはむと、丁度夕食前の小腹の空いた時間のせいか、二人はペロリと肉まんを平らげてしまう。



     ◆



 その後も二人は繁華街を散策した。
 一本隣の通りではイタリアンやフレンチなどの高級レストランが軒を連ねながらも、お洒落なオープンカフェなどがあり二人を楽しませた。
 途中にあった紅茶の専門店などでは愛衣が足を止め、予算を確認しながら云々と唸っている場面もあった。
 涙子には紅茶の銘柄など良く分からなかったのだが、壁一面に揃えられた紅茶の缶や、お茶菓子として置かれた焼き菓子の数々など、匂いや目で店内を楽しんでいた。
 気付けば夕方。
 日が赤く染まり、そろそろ戻らないと、という時に二人は気付いた。

「あ、なにも買ってない」
「う……」

 二人の手には小さな小物雑貨やら紅茶の缶などといったものはあるものの、肝心要の夕食の食材なんてものは微塵も無い。
 お互い顔を見つめあい、苦笑いをする。

「しょうがない。ここまで来たんだから、バスターミナル前のスーパーで適当に買っちゃおうか」
「そうですね」

 そこで愛衣は持っていた袋の中身を見て、声を上げる。

「あ」
「どったの、佐倉さん」
「なんか商品が多いような……」

 紅茶専門店で買った袋の中に、見覚えの無い商品が入っていたのだ。レシートを確認するも、その商品の記載は無い。

「おぉ、得したじゃん」
「えぇっと、でも」

 そのまま貰っちゃえ、という涙子に対し、愛衣は躊躇する。

「ちょっと返してきちゃいますね。すぐ戻るんで、佐天さんはスーパーにでも――」
「あぁ、いいっていいって。私ここで待ってるからさ」

 走ればここから店まで二分もかからないだろう。涙子はペコリと頭を下げながら走り出す佐倉を見送り、笑顔を深めた。

(律儀な子だね~。いい子だわ)

 愛衣の誠実さにちょっと関心を抱いた。
 アンティーク調の街灯に背を預けながら、涙子は街並みを眺めた。
 夜の帳が降りるのが早い『学園都市』には珍しく、この学区はより賑わいが増している。

(当たり前か)

 丁度夕食時だ。店からしたら書き入れ時なのだろう。留学生などの外国人の数々も多くなってきた気がする。
 その中に、違和感がある人間が見えた。

(み、巫女さん?)

 緋袴に白装束を着込み、黒髪ロングヘアーで前髪をキッチリ横一線に揃えている。
 年末年始に神社で見かける巫女さんというよりも、漫画や小説で見るような巫女さんが立っていた。
 民族衣装を着た人間もいるが、なぜか彼女だけはその人込みでも嫌に目立ち、涙子の視線を奪う。
 キョロキョロとしていたその巫女さんと、涙子の視線が合う。
 巫女はまるで「涙子を探していた」とばかりに人込みを掻き分け、近づいてくる。

(うぇっ、なんで巫女さんが近づいてくるの!?)

 明らかに視線が合っている。巫女はズンズンと近づき、涙子の目の前で止まった。

「あ、あの~、私に何か御用でしょうか」

 恐る恐る涙子は話しかけるも、相手は無言。涙子は変な状況に顔を引きつらせていたが、巫女の体がうっすら光ったように見え、ビクッっと肩をすくめた。

「――やっぱり。ごめんね」

 巫女はそう小さく呟くと、涙子の手を取り、ギュっと握り締める。

「え? え?」

 巫女の意味不明な行動に、涙子はオドオドと固まるばかりだ。
 涙子の手を離し、巫女は何も言わずにまた雑踏の中に消えていった。

「え、何? 何だったの?」

 手だけ握られ、そのままどこかに消えた巫女。さっぱりわからない事態に、涙子は握られた手を見つめた。
 どこか冷たい感覚が手の平に広がっている。

「宗教? それともコスプレ?」

 様々な疑念が沸きあがるも、どれが答えかなど分かるはずも無い。
 そんな涙子の制服の裾がクイクイと引っ張られる。

「今度は何?」

 不機嫌な表情そのまま、制服が引っ張られた方向を向くも、そこには誰も居なかった。いや、視点を下に向ければ一人の少年が立っている。

(子供。それに今度も和服?)

 少年は和服を着ていた。袴などは履かず、膝下は何も身に着けていない。顔はそれなりに綺麗だが、どこか存在感が希薄だった。
 涙子も子供だが、少年はもっと幼い。幼稚園生か、はたまた小学校低学年か。

「坊やどうしたの? 迷子かな?」

 涙子は視線を合わせるようにしゃがんで、少年に問いかける。
 じっと見つめた少年の顔は無表情。むしろ涙子がその瞳に吸い込まれそうだった。

(あれ――)

 一瞬、体がクラリと揺れた気がする。だが、気付けばいつも通りだ。

「え?」

 少年が目の前から消えていた。いや、少し離れた細い路地から涙子をじっと見つめている。

「呼んで、るの?」

 涙子はふらふらと少年を追いかける。胸に溜まる不快感。淡い期待。何が涙子を動かすのか、それすらもよく分からなかった。
 少年は涙子が来るのを見ると、そのまま走り出す。

「あ! 待って!」

 涙子はふらつきながら少年を追いかけた。幼いながらも少年の足は速く、涙子は追いつけない。
 されど、少年が視界から外れる事は無かった。
 どこまでいっても視界には少年が掠めるのだ。
 細い路地を通り、角を曲がり、まっすぐ走り、大通りを横断し、また細い路地入る。
 夕焼けは沈み、夜闇が細い路地を覆っている。街灯や車のヘッドライトのみが路地裏を照らし、光と闇の繰り返しが涙子の心を不安にしていく。

(なぜ――)

 どうして自分は少年を追いかけているのだろう。不思議な感覚に意識を奪われながら、終わらない追いかけっこは続いた。



     ◆



「あれ? 佐天さん?」

 五分も経たずに先程の場所に戻った愛衣は、涙子を探すもその姿は何処にも無い。
 キョロキョロと見渡すも、あるのは雑踏ばかり。彼女が感じていた涙子の〝気配〟そのものが消えていた。
 変わりに。

「――これって」

 涙子が立っていた辺りに、何かを感じる。
 この街に来て以来、あまり感じていなかった〝力〟だ。
 愛衣は眉をしかめ、周囲を〝見る〟。

「もしかして……」

 愛衣は携帯を取り出し、涙子に電話しようとするも、その取り扱いがうまくいかず、なかなかかけられなかった。

「あれ? あれ? 確かここを……」

 ブツブツと呟きつつ、涙子の携帯へコール出来たのは五分後だった。



     ◆



 涙子は気付けば古い洋館の前に立っていた。
 微かに息が切れている。
 時間の感覚が曖昧で、どれくらい走ったのか、どうやってここまで来たのかすら良く分からなかった。

「なにここ、変なの」

 見上げる洋館は寂れている、といった風だ。だが、そこが問題では無い。
 近代的な都市建設が隅々まで行き渡っている《学園都市》の中で、この手の建物が存在している事が不思議だった。
 幾何学的なビルの隙間にすっぽり収まる様に、この洋館と庭がそびえている。
 夜闇と乗じて、洋館は肝試しにでも使われそうな見かけだ。
 しかし、見かけ以上に希薄な印象がある。
 あの少年と同じように、まるでそこに存在しないかの様に、自らの気配を隠している様に。
 うーむ、と唸りながら涙子は首を傾げた。
 目の前には洋館の門があり、半分開かれている。おそらく少年はこの中に入っていったんだろう。
 そこで、涙子の携帯が鳴った。液晶を見れば愛衣からである。

「あ、そうだった」

 ついさっきまで愛衣を待っていたはずだった。だが、涙子の頭からはなぜかその事がすっぽり抜け落ちていた。

「もしもし……」
『あ、佐天さん! 良かったぁ。今どこにいます?』
「ご、ごめんねー。佐倉さんを待ってるつもりだったんだけど、なんでかワタクシ、変な所に今おります」
『変な所、ですか?』

 表情を固まらせたまま、涙子は変な言い回しで愛衣に伝える。

「うーん、かくかくしかじかでね」
『ちゃ、ちゃんと説明してくださいっ!』

 愛衣の怒声にちょっとビックリしつつ、涙子は言葉を継いだ。

「どう言ったらいいんだか判らないけど、今目の前に洋館があります」
『洋館? なんでそんな所に?』
「なんで、だろうねぇ。一応位置情報をそっちに送っておくね。お、意外と近いね」

 通話をしつつ、メールで位置情報を送る。携帯のマルチタスクで地図を見ると、先程の繁華街とさほど離れていない様だ。

『あ、あの! 佐天さん、そこから早く離れてください。それとも迎えにいきましょうか?』
「それなんだけどね、私――」

 門の向こう、屋敷の庭に少年の姿があった。それがじっと涙子を見ている。
 クラリ、と意識が一瞬たわむ。

「私行かないと。ごめん、佐倉さん。先帰ってて」
『待って、佐天さん、だ――』

 プッっと携帯の通話ボタンを押し、会話を打ち切った。そして電源も切る。
 まるで夢遊病に侵された様に、涙子は門をくぐり洋館の敷地に入った。
 洋館の庭に出たが、少年の姿は無い。
 くしゃり、と足の裏に感触がある。見れば紙を踏んでいた。

「なんだろ、コレ」

 手に取ってみると、不思議な形の紙だ。紙飛行機の様にも、人形にも見える。頭と手足の様な突起があり、紙にはなにか文字の様な物が書かれている。
 ヒュン、と冷気が体をすり抜けた。
 思わず紙を落とす。
 冷気の方向は館の裏だ。庭を通り、館の裏手に進むと石造りのアーチが見えた。
 古いトンネルの様にも見えるが、その道が向かう先は地下だ。
 涙子は携帯の電源を入れなおし、ライト代わりにして進む。

「なんで、私こんな事を」

 前へ、前へという不思議な欲求が涙子を支配する。
 追いかけていた少年の事も、また頭から消えていた。
 石造りのアーチをくぐり、緩やかな傾斜を降りていく。真っ暗な通路を携帯の小さな明りを頼りに進んだ。ジメジメとしたカビ臭い空気が鼻につく。
 歩いていると、左手の壁に違和感を感じた。

「これって」

 右手も天井も、簡素な石造りなのに、左手の壁だけ漆喰やら細かい装飾やらが施されている。
 そしてその疑問もすぐに氷解した。

「蔵、かな」

 通路を進んで二十メートル程度だろうか。左手に黒い大きな両開きの扉が見えた。その周囲を漆喰と格子模様が囲っている。
 どこかテレビて見た蔵に似ていた。まるで蔵そのものが地下に埋められたような――そんな想像を涙子はする。

「ハッハッハッ」

 急に呼吸が荒くなる。この場所が息苦しいのだ。奇妙な圧迫感が体の芯に響いている。
 されど――。

「この扉」

 黒い扉には様々なお札が貼られていた。涙子はその扉に手を触れようとして、自分の手が薄っすらと光っている事に気付く。

「え?」

 気付けば遅い。光った手の平をそのまま扉に触れさせていた。
 パリン、と何かが割れる音がし、たくさんのお札が一斉に剥がれる。

「え? え? え? あれ? 私、どうして……」

 よどんだ意識が一気に吹っ飛び、自分の起こした行動の疑問が一気に沸く。
 お札が一斉に剥がれる、という奇妙な現象に驚きつつも、先程の手の光が気になり、両手を見つめる。

「あれ?」

 両手の光は消えていた。気のせいだろうか、と思うも、自分が不思議パワーかなにかに目覚め、それがお札に影響したんじゃないか……などどいう事を考える。
 うーん、と首を傾げていると、目の前の扉がギィィィと勝手に開く。

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 真っ暗闇の中、勝手に開く扉にビックリするものの、足がすくんで動けない。
 扉の先も真っ暗なはずなのに、うっすらとぼんやりした光が見える。

「ななななななな、なんでぇぇぇぇぇぇ!」

 なんで扉が開く。なんで中に光がある。なんで、なんで。
 涙子がパニックになり、涙目になるも、視線を外す事が出来ない。
 外したら何が起こるかわからず、更に恐いからだ。

「ぎゃあああああああああっっっっ!!!!」

 扉の薄闇の中に、少女の姿があった。裸の少女が椅子に座っている。その胸元から一本の棒が生えている、という奇妙な光景が見えた。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 涙子は絶叫し、涙目になりながら尻餅をついた。だが――。

「いやぁぁぁぁ!! って、あれ? これって」

 何かに気付き、しげしげと見ると、それは『絵』の様だ。

「絵、かぁ。ビ、ビックリしたぁ」

 目が慣れ、扉の先の部屋をしっかりと見えるようになる。
 少女の姿は大きな額縁の中にある。どうやらこれは裸婦画の様だ。

「ん? 絵なのに……」

 涙子はおそるおそる、といった体で部屋に入り、絵に近づく。

「やっぱり。なんで絵に棒が刺さってるんだろう」

 絵の中の少女、その胸元から突き出てるのは一本の《棒》。キャンパスに突き刺さっているのか、なぜか棒だけは本物だ。
 涙子は調子を良くしたのか、絵の周囲をくるくると動き回った。
 この蔵の様な建物。入り口から入れる部屋は小さく、物はほとんど置かれていないガランとしたものだ。
 中にあるのは壁に立てかけられたこの絵のみ。あとは突き刺さっている棒くらいか。

「うーん、この棒、後ろに貫通してないなぁ。もしかしてこういう『芸術』って奴なのかな」

 絵をじーっと見つめる涙子の後ろに、うっすらと人影が形作られた。

「それにしても、この絵の女の子、綺麗だな~~」
『そうかい。そう言って貰えると嬉しいよ。自慢の娘なんだ』
「へ~、娘さんなんですか。道理で気合入ってるなー、って思いましたよ。アハハハ……え?」

 涙子はピシリと固まった。顔は青ざめ、汗がダラダラと溢れる。
 ギギギと首を後ろに向けると、そこには――。

『人か。何年ぶりだろう。頼みがあるんだ』

 ボンヤリとした光が、人の形を作っていた。
 人の良さそうな顔をした中年の男性だ。ただ足は無く、その姿は透けているが。

「ギャ」
『ギャ?』
「ギャアアアアアアアアアアアア!!!」

 涙子は乙女に似つかわしくない絶叫を上げ、その場にうずくまった。



     ◆



「はぁ、そうなんですか」

 少し経ち、落ち着いた涙子に、中年男性は根気良く話しかける。
 どうやら涙子の予想通り、彼は幽霊らしい。
 羽生道雄、そう彼は名乗った。戦前に名を馳せた西洋画家だったらしく、ある悔いが残り、こうやって今も幽霊をやってるとかなんとか。

「それで、えーと羽生さんは何が悔いなんですか」
『それはもちろんこの絵さ。娘を描いた私の傑作。だが――』

 彼が示す先には、少女を貫く一本の《棒》がある。

『この棒が刺さり、絵を台無しにしている。私はせめて、この棒を取り除きたい。ただそれだけで現世に留まってるんだ』
「はぁ。大変ですね。それじゃ、私はこれで」

 そうやって帰ろうとする涙子を、羽生は呼び止めた。

『ま、待ってくれ! 普通、棒をとってあげるとか、そういう行動に出るもんじゃないのか!』
「え、だって私普通の女子中学生ですよ。幽霊とかサッパリわかりませんよ。なんでしたっけ『ごーすと・すぃーぱー』とか、その手の国家資格持ってる人もいるらしいですし。それにしても、幽霊って本当にいたんですね。それじゃ」

 そうやって帰ろうとする涙子を、更に羽生が呼び止める。

『待ってくれ! たのむこの通りだ。この棒を取ってくれないか。私はもう五十年以上、この穴倉で娘の絵を見つめ続けてきたんだ。ただ、娘の美しい姿を、もう一度見たいがために!』

 幽霊が土下座をする光景を見ながら、シュールだなぁ、とか思いつつも涙子は感心した。足無いけど。

「わ、わかりました。抜けばいいんでしょ、抜けば」
『あ、ありがとう!』

 しぶしぶといった体で、涙子は絵に近づき《棒》を握る。

「う、重い……」

 涙子は足を踏ん張りなおして、もう一度引っ張った。
 ズズ、っと手ごたえを感じ、《棒》が絵から抜けていく。

「あれ?」

 《棒》は絵から抜けながら、その姿を現し始める。
 棒の先に、鈍い金属光沢があった。
 《棒》はどんどんその姿を現していく。絵から抜き出した《棒》の先にあったのは刃だ。
 両刃の剣を切っ先で折った様な物がくっ付いている。装飾といえば赤い布切れが巻いてある程度の、粗忽な刃。それは《棒》などでは無く――《槍》。

「なに……これ」

 後ろに立っていた羽生が、醜悪な笑みを浮かべた。
 《槍》を持った涙子の脳裏に、一つの言葉が過ぎる。槍から伝わるその言葉は――。

「――ケモノノヤリ」



 第一話 END



[25216] 第二話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:15
 涙子との電話が唐突に切れ、再度電話しようとするも、電源が切られたのか通じなくなっていた。

「ど、どうしよう」

 愛衣はあわあわと慌てつつ、状況を整理する。
 待ち合わせ場所には〝魔力〟が残留し、涙子自身も良く理解できない過程の元、別の場所にいるらしい。
 幸い涙子の場所は、携帯から送られてきた位置情報で分かる。
 慣れない携帯をなんとかイジりつつ、愛衣は走り出した。

「急がなきゃ」

 『学園都市』に来る際、学園長から送られた簡素なブレスレッド。それは〝魔法〟を使う際の〝発動体〟ともなる。
 愛衣はブレスレッドに〝魔力〟を込め、周囲を探索した。

(やっぱり)

 涙子のいる方角に、微弱な魔力があった。隠れるように、薄らと。結界の類だろうか、と愛衣はアタリをつける。

「急がないと」

 愛衣は買い物袋を片手に、涙子のいる場所へと走り出した。







 るいことめい 第二話







「獣の槍?」

 頭に浮かんだ言葉に、涙子は眉をしかめる。

『お嬢さん、ありがとう』

 振り向けば羽生が立っていた。足も無いあやふやな姿だったのに、今では黒いスーツに帽子をピシリと決めた紳士の様な出で立ちになっている。

「ふぇっ?」

 余りの変わりように、涙子は唖然となり。羽生を見つめた。
 羽生は涙子の視線など気にせず、三メートル近い大きさの絵をヒョイっと肩に担ぐ。
 そのまま涙子の横を通り過ぎ、部屋を出て行く。

「あ、あの? これどうするんですか? ってちょっとぉ!」

 涙子の手元には一本の古風な槍。羽生は彼女など眼中に無い、といった体ですたすたと歩いていく。
 自分の身の丈程もある槍をえっちらおっちらと抱えつつ、涙子はそれを追いかけた。

「羽生さん! ねぇ、羽入さん。これ、どうするの、ねぇ!」

 涙子の言葉にピクリとも反応せず、羽生は通路を進み、石のアーチをくぐり、地上に出た。
 夕焼けは沈み、夜闇がゆっくりと空に膜を作っている。地平線の端にほのかな明るさが残るばかりだ。

『空か……、懐かしい』

 屋敷の庭の中央に、羽生は一人立っている。
 羽生を追って涙子も地上まで出てきていた。見つめる先には空を見上げる、羽生の後姿。
 先程までは透けていた体が、今ではしっかりとした色を持っている。

(な、なんなのよ。あの態度!)

 土下座までして頼むから、この変な棒――槍――を引っこ抜いてあげたのに、抜いたら抜いたで無礼な態度。涙子は文句を言ってやろうと、肩を怒らせて近づこうとするも。

「――えっ」

 体に悪寒が走り、足がピシリと止まる。
 目の前では、絵を担いでない羽生の右腕がむくむくと膨らんだ。スーツを突き破り、人間一人分程ありそうな体積まで腕が膨張する。

「ちょっ! えぇ??」

 涙子は目を見開く。
 巨人の腕を華奢な中年男性の胴体に無理やりくっ付けた様な、歪なシルエットが出来あがる。そのアンバランスさは、涙子に何とも言えぬ不快感を感じさせた。
 巨人の右手の先には、ギラギラと尖った牙の様な爪がある。羽生は感触を確かめる様に何度か手を握ったり開いたりした後、右腕を横へブルンと振るった。
 涙子の体を風が襲う。駅のホームを通過する電車の風を、体で浴びた様な感覚。涙子は一瞬尻餅をつきそうになる。

「はははは」

 乾いた笑いが込み上げる。口の中に芝生の草の破片が入っていた。見れば、羽生が手を振った軌道そのままに、庭の草が一定の高さで切り揃えられている。

『ふむ。まぁまぁかな』

 羽生はそう言うと、石のアーチの前で立ちすくむ涙子に顔を向け、軽く会釈をする。
 振り向いた羽生の紳士帽からは、”二本の角”が帽子を突き破っていた。
 ――鬼。
 そんな言葉を連想した。

『お嬢さんありがとう。久しぶりの地上だ。堪能させて頂くよ』

 ニタリ、と笑う羽生の顔は、どこかネジの取れた様な狂気が入り混じっていた。

「ひぃぃっ!」

 悲鳴が漏れる。
 羽生は会釈を終えると、遠くに見えるビル群を見上げ、そのまま地を蹴った。
 周囲に莫大な『妖気』を噴射しながら、数十メートルの高さまで飛び上がる。そのまま《学園都市》の喧騒の中に、絵を抱えた人影は消えていった。

「な、なんなのよ~」

 槍を小脇に抱えつつ、涙目の涙子はヘニャヘニャと地面に座り込む。
 涙子は気付いていかなかったが、羽生が消えたのを境に、背後の地下道の奥の闇がモゾモゾと動き出している。
 闇の中に無数の目が浮かび上がり、周囲をギョロギョロを見始める。
 目先には『美味しいニンゲン』。
 妖(バケモノ)と呼ばれるその集団は、座り込む涙子に狙いを定めた。



     ◆



 不慣れな携帯を弄りつつ、愛衣は涙子の元へ走っていた。
 目的の場所へ向け、雑踏を掻き分けている。彼女の本能が警鐘を鳴らし続けていた。
 今、涙子には何かが起きているはずだ。
 ふと、何かが感覚をくすぐる。そして――。

「な、何これぇぇぇぇ!」

 周囲の人間が、唐突に大声を上げた愛衣を見る。だが愛衣はそれすら気にせず、今頭上を通った存在に、驚きを隠せない。

(この禍々しい魔力。ううん、違う。これは妖力かな。でもかなりの量。お姉さまより上かも。とてもそこらの低級妖怪とは思えない)

 愛衣はハッとし、首をブルンブルン振った。

(今はそれよりも佐天さんだ。あの妖気は、佐天さんのいる方向から飛んできた。なら、何か関係があるはず。急がなくちゃ)

 愛衣は震える右手を左手でギュっと掴む。隣に頼るべき存在は無い。そして、涙子を救えるのは自分しかいないのだ。
 普段の麻帆良とは違う重圧が、愛衣の体を堅くするが、体は動いていた。
 涙子のいるだろう場所までは、もう少しのはずである。
 どうやら涙子のいる場所を中心に、人払いに似た結界がある様だが、抗魔力を持つ愛衣には余り関係の無い程度のものだ。
 遠くに門が見える。ビルの隙間に立つ、奇妙な洋館。あそこに涙子がいるはずだ。
 開いた門を通り抜け、少し先に涙子の影を見つける。涙子も愛衣に気付いたようだ。

「お~い。佐っ倉さ~ん」

 ぶんぶんと手を振る涙子。片手には長い棒の様な物を持っている。
 何を持っているんだろう、と疑問を持ちつつも、涙子の無事な姿に安堵した愛衣だが。

「――っ」

 涙子の背後から黒い〝群れ〟が、彼女を包み込むように広がる。

「佐天さんッ! 伏せてッ!」

 愛衣はブレスレッドに魔力を流し、一つの言葉を紡ぐ。

「魔法の射手(サギタ・マギカ)火の三矢!」

 赤く燃える三本の光の矢が、愛衣の手から飛び出した。



     ◆



 羽生の消えた先を見つめ、少しポカーンと呆けていた涙子だが、いい加減帰ろうと立ち上がり、パンパンとスカートの汚れを払う。
 屋敷から出ようと門に向かうと、なぜか少し先にある入り口には愛衣の姿があった。
 どうやら心配になり、迎えに来てくれたらしい。

(なんか悪いことしちゃったな)

 そう思いつつ、愛衣の人の良さに苦笑いを浮かべる。

「お~い。佐っ倉さ~ん」

 涙子は手を振りながら、愛衣の元へ近づいた。
 ふと、周囲が暗くなった気がする。そして――。

「佐天さんッ! 伏せてッ!」
「へ?」

 愛衣の大声に固まりそうになるも、体を走る危機感に促され、言われるままに地面に伏せた。
 そして涙子の伏せた場所を、赤い光が尾を引きながら通り過ぎる。

「ええっ??」

 光は涙子の背後にある〝何か〟にぶつかり、炎を上げて弾けた。
 涙子は視線を後ろに向ける。

「んにゃぁぁぁぁぁぁっっ!」

 見えるのは黒い壁。そして一面の目、目、目である。目玉がいくつも黒い壁に張り付いている。良く見れば、それは一つ目で小さな尾を持つ雑霊が群れとして固まっているものだと分かるが、涙子にはそんな判断をする知識も、冷静さも無かった。

「なんでこんなのばっかぁぁぁ!!!」

 雑霊の気味の悪さに、涙子は涙を溜めつつ嘆きの声を叫んだ。地面をシャカシャカと、這いながら精一杯の速さで逃げる。
 涙子の脇を愛衣がすり抜け、雑霊の群れと対峙した。

「佐天さん、私の後ろへ!」

 逃げろ、とは言わなかった。この雑霊の数だ、涙子に離れられたら愛衣は守りきる自信が無かった。
 涙子に近くに居てもらい、一気に畳み掛ける。

「魔法の射手(サギタ・マギカ)風の二矢!」

 今度は風を纏った光の矢が、愛衣の手から放たれる。無詠唱ではこの程度が今の愛衣の限界だ。

「う、うん。って佐倉さんまで、何、何なの? の、能力?」

 愛衣の手から光の矢が放たれるのを見て、涙子は以前見た超能力『超電磁砲(レールガン)』を思い出したが、それよりは威力が低そうだ。
 襲ってくる黒い塊を、ときおり風を集めた様な板で防いでいる。

(まるで――そう『魔法』みたい)

 愛衣の手からは明らかに一種類の能力とは思えない、多種多様な現象が起きている。多重能力者(デュアルスキル)――都市伝説に書かれていた言葉を思い出す。
 だが、愛衣は外部から来た学生のはず。それに能力開発は受けていない、と言っていたはずだ。
 なら――。

「え――」

 涙子は唐突に脳内に知識が沸いた。知らぬはずの状況が、なぜかしっくりと自分の中に収まっていく。
 今、目の前では愛衣は涙子を背中に庇いながら、必死に雑霊の群れと戦っていた。
 その姿、その現象に確信が生まれる。

「もしかして、〝コレ〟が?」

 涙子は握っていた《槍》を見る。知識は手から脳へと伝わってきている。そんなあやふやな感覚があった。


「――《獣の槍》」

 心に響き続ける言葉を繰り返した。そして、その意味がじわりじわりと分かってくる。

「き、きもい!」

 まるで呪われたアイテムの様な存在と感じ、バシンと地面へ叩きつけた。
 ちなみにこんな事をやっている間にも、愛衣は悲壮な決意の元、懸命に戦ってたりする。
 だが、地面へ叩きつけても自らと繋がる《槍》の存在は感じられた。

「一体、何なのよコレはぁ」

 地面に落ちた《槍》を見つめた。
 《獣の槍》と呼ばれるこの槍は、見た目も粗野で赤い布が刃の根元に巻かれているぐらいが装飾だ。柄にも刃にも、至るところに傷があり、ぶっちゃけボロい。

「きゃあ!」

 愛衣の悲鳴が聞こえ、涙子は顔を上げる。どうやら愛衣が雑霊に押されている様だ。

「嘘、何なのあのお化けの量」

 雑霊の数が増えていた。土地の結界が破れ、あふれ出した瘴気がその霊の形を作り出していた。
 愛衣が魔法を撃ち続けるものの、その効果は強くは無い。

「あれじゃ駄目。相性が悪いんだ」

 《槍》の中にある知識が、愛衣の力を分析する。愛衣の放つ力は確かに効果はあるものの、破魔たる力には至ってない。そのため、瘴気を喰らい続ける雑霊とは相性が悪いのだ。

「――っ。なんとかならないの、このままじゃ佐倉さんが」

 いつの間にか手の中に《槍》があった。地面に叩きつけたはずのそれが、知らない間にすっぽりと手の中に収まっていた。

「え?」

 体は自然に構えを取った。途端、涙子の中に更に知識が流れ込んでくる。
 ストンと腰を落とし、穂先を真っ直ぐ構える。素人同然だったはずの涙子なのに、その様は玄人と見間違わんばかりだ。

 ――この《槍》は妖(バケモノ)に対し、絶対無比たる破魔の槍。主の魂を喰らい、それを力に変え、妖(バケモノ)を土に還さず、この世から塵も残さず滅する。慈悲も無く妖(バケモノ)を屠る、その様はまさに〝獣〟――

 囁きがあった。
 涙子の中に歴代の槍の使い手、八十二人分の技術が流れ込んでくる。
 涙子の長い髪が、更に伸び弾けた。
 黒髪が体を覆い、制服さえも伸びた髪に隠れる。まるで黒髪の塊から手足が伸びている様だ。
 更に顔も髪に覆われ、片目は髪に隠れ見えない。もう片方の目は見開かれ、髪の間からギョロギョロと周囲を見つめる。
 細い手足はそのままに、体の筋肉が再構築され、超人的な密度を持つ筋繊維へと変貌を遂げていた。手足の爪も伸び、鋭利に尖る。
 人とは思えぬ姿。その様はまさに――。

 ――故に《獣の槍》



 第二話 END



[25216] 第三話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:16
(くぅッ! 多いッ!)

 雑霊――そこらにいる低級の霊が瘴気を吸い、悪霊となり群れを為した存在だ。
 一匹、一匹はたいした事は無い。だが、こうも量が多いと愛衣には手に余る。
 愛衣は今までチームを組んでの戦闘しか経験が無かった。本来、魔法使いは弱点である詠唱時間などを、お互い補い合いながら戦う。
 しかし、今の愛衣には悠長に詠唱を行なう時間など無く、その時を守る仲間もいない。無詠唱の魔法、もしくは魔力そのものを霊にぶつけて、どうにか凌いでいるのが現状だ。

「魔法の射手(サギタ・マギカ)ァ!!」

 魔力の練りこみが浅く、手から出たのは一本の魔法の矢。それとて雑霊の群れを浄化する力も無く、群れを少し散らせる程度だ。
 雑霊が攻勢を強め、雪崩込むように愛衣へ襲い掛かる。自らが持つ魔法障壁に、出来る限りの魔力を注ぎ込むも、先程の魔法により、一時的に魔力が枯渇している。

(――あっ)

 勢いに押され、愛衣は後ろに弾かれる。
 幸い地面は草に覆われ、衝撃は少なかったが――

「だ、だめッ!」

 目の前には愛衣を飲み込まんと、雑霊が視界を覆っている。
 恐怖が身をすくませた。
 そして――。

「え――」

 愛衣の横を、一本の槍が通り抜ける。
 槍を持つのは信じられない長さの髪の人影。その横顔を愛衣は知っている。
 雑霊の群れに、槍がずぷりと埋まる。
 次の瞬間、槍を中心に悪霊の群れの中央が弾けた。まるで風船が空気の入れすぎで破裂する様に。
 愛衣はその光景を見ながら、雑霊に突っ込んでいく人物を見つめる。

「さ、佐天さん……」



     ◆



 涙子の頭に巡るのは獣の槍という存在の知識、そして技術。
 体に満たされた力――万能感――に陶酔しつつ、目先の彼方にいる雑霊に狙いを定めた。

(いけるッ!)

 涙子の意識には、獣の槍に対する忌避感はもう無い。自然と存在を受け入れ、ただ自分の手足として扱う。
 果たして〝どちら〟が手足なのか――。

「ふっ!!」

 短い呼気と共に、涙子の足元が爆ぜる。
 涙子の脚力に地面の土が抉られていた。
 獣の槍の力により、涙子の髪は常以上に伸びている。それが彼女の軌跡をなぞる様に尾を引いていた。
 手足は細いままだ。されど、その筋繊維は膨大な密度となり、涙子の体の動きを助けてくれている。
 自らの一足で、まるでジェットコースターにでも乗ってるように、風景が外側へ流れていく。
 そのまま速さにモノを言わせ、黒く巨大な群れへと槍を突き入れた。

「うりゃああ!」

 槍はそのまま雑霊の群れを貫き、破裂させる。群れの中央にいた霊は跡形も無く塵となった。
 だが、群れの外側にいた霊は無事だ。そのまま散り散りとなり逃げようとする。
 涙子もそれを消し去ろうとするも。

「わわわわわ!」

 群れに突っ込んだ勢いそのままに、広い庭の隅まで突っ込んでいた。
 予想以上の脚力に、自分の体が制御できなかったらしい。
 槍を地面に突き刺してなお体は止まらず、勢いに引きずられ、庭を横断した。ゴチリと塀におでこをぶつけ、やっと止まったぐらいである。

「痛たたたたた……」

 愛衣は涙子の突然の行動に、大口を開けてポカンと見ている。
 その間に残った雑霊は再び群れを作り、学園都市の街並みに逃げた。

「うわわわ、ど、どうしよう~~~」

 愛衣が気付いた時にはもう遅い。視界から雑霊の姿は消えていた。
 とりあえず、ぶつけたおでこを撫ぜている涙子に走り寄ってみる。

「さ、佐天さん~!」
「佐倉さん。良かった、無事みたいね」

 何から聞いていいやら、目をくるくるさせている愛衣に対し、涙子はエヘヘと笑っている。
 涙子が槍を無造作に担ぎ、戦闘の意志を解くと、伸びた長髪がバサバサと抜け落ち、普段の髪の長さに戻った。伸びていた爪や、見えないが肉体の強化なども元に戻っている。
 そんな状況に、愛衣はギョっとしながら、更に慌てるのだった。



     ◆



「獣の槍、ですか」

 愛衣は涙子に今までの経緯や、先程の涙子に起きた現象を一通り聞いた。
 二人の姿は未だに薄暗い屋敷の庭にある。
 というのも、涙子の手にはバカみたいに長く物騒な槍があり、とても大通りを持ち歩けないからだ。

「うん、そうらしいよ。この槍が教えてくれた」
「教える? それはアーティファクトの管理人格、もしくは制御用の精霊の類でしょうか?」
 どうにもちぐはぐな応答をしつつ、愛衣はそれなりの結論を出していた。

(これはおそらく高位のアーティファクト、もしくは霊具でしょう。何かの封印に使われていた程のアイテム)

 チラリと獣の槍を見る。形はどこか古代の中国を思わせた。まるで”剣の切っ先に柄を付けた”様な槍だ。そして何より禍々しい気配も感じる。

(妖怪や霊といった存在は、精霊魔法に対しての抵抗力が強いはず。そのため効率的に除霊するためには専門のスキルや道具が必要ですが、この槍はその”比”じゃない)

 たった一撃だが、愛衣はしっかりと雑霊を塵に還す槍の威力を見ていた。

(一撃、触れただけであの威力。幾ら低級霊だからって、多少の残留思念なりが残るはずなのに、それすらも残さない。少なくとも、私は見たことがありません)

 愛衣は麻帆良学園で、学園の”裏”の警備を任されている。裏――魔法などの秘匿すべき力の凌ぎ合いだ。麻帆良は世界中にネットワークを持つ『魔法協会』の極東の一大拠点だ。そのため日夜、侵入者との戦いがある。
 そんな折、悪霊や妖怪などといったモノを使役し、害を為そうとする者も多い。愛衣とて歴戦とはいかないものの、麻帆良ではここ数ヶ月程の警備へ参加していた。
 そこで数度、悪霊などと戦っている。もちろん一人ではなく、信頼する先輩や教師などと共にだが。
 少なくとも、愛衣がその数度で体験した中に、あのような悪霊の消え方は無い。
 愛衣の魔法使いとしての卓越した才能が、獣の槍の異常さを早くも察知していた。

(使用者を”獣”に変える魔槍。素人の佐天さんでさえあの威力。き、禁呪級かもぉぉぉぉ)

 慌てふためく愛衣を他所に、涙子は槍を面白そうにぶんぶん振り回している。

(でもどうして槍が佐天さんの元に。佐天さんは”コッチ”の住人じゃない……はず。なら、これまでの過程は不可解です。絵? 羽生? それにこの屋敷にだって、軽い認識阻害がかかってる。普通に考えれば”佐天さんがここに来るのは不可能”。なのに――)
「そういえばさ~」

 愛衣の思考は、涙子の何気ない一言で吹き飛んだ。

「佐倉さんって魔法使いなの?」
「……へ?」

 ピシリ、と愛衣が固まった。

「槍の知識では、大陸の術が云々ってのがあるんだけど、なんか魔法使いっぽいよね。まぁ超能力者がいるご時世だし、魔法使いがいても不思議じゃないけど。ね、ね、私にも使えるかな、魔法?」

 ウキウキと言った感じの涙子に対し、愛衣の顔色は蒼白だ。
 愛衣が所属する魔法協会には掟がある。それは『魔法の秘匿』だ。この背景には中世での魔法使いの迫害や、魔女狩り。様々な要因が重なっているが、とどの詰まり『魔法がバレたら大変だ』という事だ。
 具体的な罰則としては『オコジョ刑』なるものがある。動物のオコジョに強制変身させられ刑務所へ収監されるという、大変重くいや~な感じの罰だ。
 されとて、魔法なんてものを使わざる得ない状況で、完全に秘匿するのは難しく、それなりの対処マニュアルが作られている。
 少なくとも魔法学校卒業時には、必須のスキルとして覚えさせられるものだ。
 記憶の忘却。
 魔法により、相手の記憶の一部分を剥離させる。忘却とは言っているが、その記憶そのものを認識出来なくなる魔法だ。
 愛衣は混乱しながら、そのマニュアルを思い出す。

「あわわわ、さ、佐天さんすいませんッ! メイプル・ネイプル・アラモード……」

 魔法の『始動キー』と呼ばれる詠唱を始め、ブツブツと何かを呟き続ける愛衣。

「おぉ、どうしたの佐倉さん。ん、何かの術?」

 愛衣の周囲が薄っすらと光るのと同時に、涙子は槍から様々な感覚を得ている。どうやら愛衣には聞こえない様だ。
 詠唱をし終わったのか、愛衣は手に溜まった光を振りかぶる。

「ささささ佐天さん、私の事は忘れてもらいますッ!」

 そう言いながら、テニスボール程の光の塊を、涙子の頭目掛けて投げる。

「お、おわ!」

 すると、突然槍が動き、涙子は体勢を崩した。槍の穂先が塊に当たり、パリンというガラスが割れるような音と共に光が消える。

「「え……」」

 二人して槍と消えた光を見つめた。



     ◆



 何度か愛衣は魔法を試すものの、その都度槍に邪魔される。
 愛衣は地面にうな垂れ、よく状況を理解してない涙子の質問にぽつぽつと答えを返し始める。

「ははー。つまり佐倉さんは本物の『魔法使い』なんだ。それで魔法使いの決まりで、魔法を隠さないといけないと。だけど、私に魔法は効かないんで困ってる」
「うぅ、記憶の操作をしようとするなんてごめんなさい。でもこうしないと、私オコジョにされちゃうんです~」
(オコジョ??)

 多少腹は立つものの、涙目で訴えてくる愛衣を見ると、どうしても怒れない涙子だった。

「でもなんで魔法効かないんだろう……」

 そう呟いた途端、《槍》から知識が湧き出た。どうやら《獣の槍》はあの程度の術なら霧散させてしまう力があるらしい。
 涙子は愛衣に、槍の知識を伝える。

「うぅ、幾ら私の魔法だとしても、あそこまで簡単に術式を崩されるなんて……」

 愛衣は魔法世界の中でもかなりの才女だ。十三歳と若いながらも、アメリカの魔法学校への入学経験もあり、かなりの実力を誇っている。
 自信過剰な方でも無いが、それでも今の状況に自信を失いかけていた。

「で、どうしよっか。さっきの雑霊だっけ、あれも逃げちゃったし」
「そ、そうです! うぅ、幾ら雑霊とは言えあの量。なにか起こる前に退治しないと。はわわわ、どうしよう~」

 愛衣は頭を抱えつつ、うんうん唸る。
 涙子に魔法を知られ、更に記憶操作も失敗し、禁呪級のアイテムをも発見し、あまつさえ雑霊を取り逃がす。
 幾つもの失態が愛衣の頭をよぎり、混乱の極みとなっている。
 そんな中、涙子は手の中にある槍を見ていた。

(獣の槍、か)

 涙子が使ったのはほんの数秒だ。だが、その数秒でもこの槍のすごさが分かった。
 まるで超能力を使っているような気分だった。たった数歩走っただけの体験を、涙子は何度も反すうする。
 今の涙子に、この槍を手放す、という選択肢は無い。
 何の偶然か、手に入れてしまったこの力を、涙子は心の底から喜んでいた。

(んー、でもどうしよう。槍なんて置く場所無いしな)

 そう思った途端、また《槍》の知識が涙子に流れ込んだ。

「おぉ、こんな方法があるとは――」
「あの!」

 呼びかけられた声に顔を上げると、何か真剣な目をした愛衣が、涙子に話しかけようとしている。

「ん、どうしたの?」

 涙子は愛衣に対応しながら、知識のままに槍の穂先を手の平に近づける。すると、スルリと涙子の体の中に槍が入っていく。二メートル程あるはずの槍が、それより小さい涙子の体にすっぽりと入ってしまった。

「あぁーーーッ! さ、佐天さん、何やってるんですかぁ!」
「あははは、すごいでしょ。なんか収納まで出来るみたい。便利な槍だねぇ」
「いいですか! こ、この槍は恐らくかなり危険な霊具です。どんな副作用があるか分からないんですよ!」

 そんな言葉を流しつつ、涙子は愛衣を促し、帰路を進む。その間も愛衣の説得は続くが、涙子には馬耳東風と言った体だ。
 とりあえず今日は帰宅し、明日改めて落ち合う事を約束する。
 バスに揺られながらも、涙子は自らが拾った力にほくそ笑み、愛衣は事の重大さに頭を抱える。
 この時、愛衣は沢山の事が起きすぎて、事の真相を探ろうとしなかった。
 所々の違和感に気付きつつも、その断片を見るだけで精一杯だったのである。
 槍があった部屋に何が仕掛けられていたのか。誰が涙子に干渉したのか。それすらも蚊帳の外に置いてしまったのだ。



     ◆



 愛衣は学園都市が用意した、マンションの一室に帰宅した。
 ここで愛衣は、姉の様に慕い、魔法使いの先輩でもある高音・D・グッドマンと同居している。
 玄関で靴を脱ぐも、室内も廊下も明りは付いていなかった。玄関には高音の靴があり、帰宅しているはずなのに、部屋のほとんどが暗いままだ。

(おかしいな……)

 この所、高音はいつも忙しそうにしていた。
 『学園都市』に来てから、新生活でてんてこ舞いのはずなのに、ほとんどの時間を調べ物をして過ごしている。
 何を調べているのか、それとなく聞いたこともあったが、毎回はぐらかされてしまうのだ。
 それでも――。

(お姉さまに相談しないと。魔法の秘匿に、禁呪。それに雑霊についても)

 現在、麻帆良は様々な案件を抱え、只でさえ少ない魔法使いの人材はいつも忙しい。そんな折、愛衣が気兼ねなく魔法に関して相談できる相手は高音か、もしくは麻帆良での師と言えるガンドルフィーニぐらいだ。
 麻帆良に連絡するのか、もしくは自分達で独自に処理するのかの判断を、愛衣一人で下すのは難しい。
 高音の部屋の方から何やら音が聞こえる。どうやら、ちゃんと帰って来ているようだ。
 愛衣はキッチンに今日購入した紅茶などを置きつつ、高音の部屋に向かった。
 軽くドアをノックする。

「あの、お姉さまよろしいですか?」
「愛衣? どうぞお入りなさい」

 愛衣がドアを開けると、何やらバッグに色々と物を詰めている高音がいた。
 引越しから浅く、部屋はまだ綺麗に片付いたとは言えない。
 そんな中、片隅にあるパソコン端末のモニターはしっかりと灯っている。

(まほネット……あれってガンドルフィーニ先生の出張先……)

 まほネットと言われる、魔法使い達による独自の情報ネットワークがある。インターネットを隠れ蓑に、魔力を行使しないと閲覧できない独自の暗号プロトコルを配信しているのだ。
 魔法使いとは言え、しっかり近代化してたりする。
 愛衣がチラリと見たモニターには、そのまほネットが表示され、自分達の師とも言えるガンドルフィーニの出張先の施設情報が表示されていたのだ。

「あの~、お姉さまは何をやってるんですか?」
「愛衣、二日ばかり留守にしますわ。転校してきたばかりのこの時期に、一人にして申し訳ないですが」
「え? る、留守ですか? お姉さま、留守って何処へ?」

 そう言ってる間にも、高音は荷造りを終え、端末の電源も落とした。

「ちょっと《学園都市》の外に用事があるのよ」
「そ、外って、申請とかしたんですか? してもすぐに下りるとは思えませんけど」
「不本意ですが、魔法を使って外へ出ますわ。出来るだけ早く戻りますから、しっかりとね、愛衣」

 高音は愛衣の頭を撫ぜた。愛衣はくすぐったそうに目を伏せる。高音はそのままバックを持ち、玄関へ向かう。

「愛衣、ご飯はしっかり食べなさい。私が居ない間、もし困った事があったら学校の先生や麻帆良を頼りなさい。いいわね」
「は、はい。お姉さま、まかせてください! 私、しっかりとお留守番の役目、果たします!」

 愛衣のその返事に、高音はにっこり笑顔で返し、玄関を出て行った。

(お姉さま、やっぱり何かを調べてるんだ。話して貰えないのは寂しいけど、せめてしっかりと支えなきゃ)

 うん、と握りこぶしを作り、愛衣は気合を入れなおした。
 高音に相談をし忘れたと気付いたのは、それから三十分後だった。



     ◆



 学園都市の陸路の玄関口である、東京方面に開くゲート。そのゲートに隣接する様に、学園都市の外側に一つのビルが置かれている。
 学園都市は技術漏洩を防ぐため、とても閉鎖的だ。観光客などの受け入れも行なっているが、その出入りはとても厳しい。
 このビルはそんな〝外〟との折衝を行なうための施設の一つである。
 ビルの一室に、一人の男が居た。来賓室だろうか、高級そうなソファーに背を預けず座っていた。
 背はスラリと高く、高級なスーツをピシリと決めている。顔立ちはやや濃いが、ハンサムだ。髪を背中まで届く長髪にしているが、不思議とこの男には似合っている。
 部屋のドアが開かれ、一人の中年男性が挨拶しながら入ってくる。男もその中年男性に合わせ、立ち上がり挨拶をした。

「遅れて申し訳ありません。《学園都市》の外交部主任を務める船田です」

 中年男性はそう言いながら、名刺を取り出す。

「いえ、こちらこそ急な申し出への対応ありがとうございます」

 男も名刺を取り出し、斉藤へ向けて渡した。

「私、国際警察機構超常犯罪課日本支部所属の西条です」

 国際警察機構、超常犯罪課――通称オカルトGメンという名で知られる組織の名前であった。



 第三話 END



[25216] 第四話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:16
 絵を担いだ羽生は、学園都市の夜の中を走り抜けている。
 忌まわしき部屋に閉じ込められ数十年。やっとあの場所から出ることが出来た。
 あのまま時が過ぎれば、いずれ彼はそのまま消滅していただろう。
 鬼に生まれ変わり、莫大な妖力を持つようになっても、獣の槍には敵わない。
 あれは妖怪(バケモノ)にとって天敵なのだ。
 ただ、不幸中の幸いだったのは、彼がこの地の地脈制御に媒介に使われた事だ。
 この《学園都市》が作られる際に、霊的な浄化、及び整理が必要不可欠だった。
 塀で囲まれたこの街を、超能力の余波で満たすためには、妖怪(バケモノ)や地脈の起伏は邪魔である。その制御のために使われたのが獣の槍であり、羽生なのだ。
 自らの本体たる『絵』には地脈から莫大な霊力が注ぎ込まれ、妖力へと置換されていた。そしてそれを獣の槍が消滅させていくのだ。
 それがあの部屋で行なわれていたこと。
 この地に振舞われる地脈からの霊力は、羽生を含めた幾つかの封印により消滅させられ、変わりに何百万という学生達の能力余波により、科学的な人工聖地へと形作られていた。
 今、羽生は槍の封印を解かれ、『絵』には地脈からの莫大な霊力が注ぎ込まれている。
 この都市を覆う霊的な『壁』も、羽生が消えたことにより一部が崩れた。
 その方向は奇しくも北東。風水でいう鬼門の方向である。
 そして、《学園都市》の北東にある場所、そこは――。

『さて、どうしたものかな』

 羽生は一人ごちた。
 彼の生きがいはこの『絵』。いや、この『絵』に書かれた一人娘だった。
 だが、もう娘は居ない。
 自らも醜い鬼になり、全ては『絵』と『記憶』の中に、娘との失われた日々があるばかりだ。
 何もかもが遅すぎた。娘への狂おしい愛情は、もう吐き出される場所が無い。
 《学園都市》の一つのビルの屋上で、羽生は空を見上げる。
 空だけは昔と変わらなかった。
 コトリ、と脇に置いた絵の中には『娘』が居た。
 見る人が見れば狂気を感じるだろう。真っ暗な闇の中、椅子にひっそりと座る裸の少女。
 だが、羽生から見れば愛おしい娘。
 暗く沈んだ色合いも、彼が娘の一面を正確に切り取ったものだった。
 月の光に照らされた『娘』の陰影に、羽生はうっとりとした。

『……』

 周囲に気配を感じた。
 羽生は目を細め、周囲を睥睨する。
 絵を守るように立ち、屋上に設置された一枚のドアを睨み続ける。
 ゆっくりとドアが開き、出てきたのは二人の女性だ。
 一人は大きなメガネをかけ、細長い狐の様な目をした女。首の後ろで束ねた黒い長髪を、背中に流している。
 パンツルックのスーツ姿であり、背の高さが生かし、しっかりと着こなしている。

「羽生道雄画伯、で間違いないですか?」
『あぁ』

 女の関西風のイントネーションの言葉に、羽生は短く返す。
 今の彼にとって、目の前の女どもは虫ケラに等しい。力を振るえば、あっという間にミンチにする事が出来るだろう。
 そんな彼の気配を察知したのか、長身メガネの女の後ろから、もう一人の女――少女が一歩を踏み出した。
 こちらもメガネをかけた少女だ。だが、身長はさほど高くない。羽生は知らないが、ゴシックロリータと呼ばれるフリルだらけの服を着ている。
 腰元には短めの日本刀が二本見える。
 頬を紅潮させ、どこかフラフラとした調子で長身の女の前に立った。
 その様子に、羽生は多少いぶかしんだ。

(火精……か? 女の内部から、術を感じる)

 長身の女は少女に声をかけた。

「ええんですわ、月詠はん」
「え~、でも~」

 そう言いながら長身の女に、月詠と呼ばれた少女は下げさせられてしまう。月詠は渋々といった体。

「お初にお目にかかりますな、羽入はん。ウチは天ヶ崎千草といいます。まぁ、しがない陰陽師をやってはります」
『私を、払いにでも来たのかい?』
「いえいえ、とんでもありまへん。むしろ〝取引〟に来ました」
『取引?』

 取引。相手は偶然では無く、自分に会いに来た。
 つまり、この女は自分が封印を解かれる一因の状況に、一枚噛んでいるのだろう。そう羽生は見当をつける。

『自由になった私に、これ以上に利になる様なものがあると――』
「『娘』はん」
『――』

 千草の一言に、羽生の言葉が詰まる。その反応に気を良くし、千草は笑みを浮かべつつ、口を開いた。

「『娘』はんに、会いとうないですか?」
『……貴様、娘を愚弄する気か』

 淡い期待を持たせる腹積もりか、と羽生は怒りを滲ませ周囲に殺気を放つ。月詠はそれに反応し、二刀を抜き放つ。

「そんなつもりはありまへん。ただ素直にそう聞いただけですえ」

 それらを全て流し、千草は言葉を続ける。

「『娘』はんに会わせたります。だから、私達に協力してくれまへんか」

 千草が手で合図を送ると、ドアからもう一人少女が入ってくる。
 白い着物に緋袴。それは涙子が見かけた巫女姿の少女と同じだった。

「彼女は学園都市に保護されている『原石』と呼ばれる能力者の一人です。『吸血殺し(ディープブラッド)』なんて呼ばれとりますが、まぁ彼女の事を把握してないんでっしゃろね」

 風が吹いた。『吸血殺し』の黒い髪が流れた。一瞬、髪に白色が刺す。

「彼女の力の一端しか、その言葉は現してまへん。彼女の能力は――」

 千草の言葉は風にかき消された。
 ただ、千草の言葉をしっかりと聞いた羽生は首肯をする。
 幾つかの言葉を交わし、羽生の顔に狂喜が浮かぶ。
 そして、羽生は『絵』に力を込め、妖怪(バケモノ)を『絵』から吐き出した。
 『学園都市』にゆっくりと、妖怪(バケモノ)が広がり始める。



     ◆



 学校の教室。
 授業中でありながら、涙子は頬杖を付きながらニヤニヤ笑うばかりで、教師の言葉など聞いてはいなかった。
 朝から甚だ不振な態度だったので、クラスメイトの初春飾利も怪訝な視線を涙子に送っている。
 涙子が思い出すのは昨日の事だ。
 愛衣と出会い、ショッピングをした。
 途中不思議な出来事にあったり、変な幽霊とも出会った。
 そして、獣の槍。
 自らが手にしてしまった異能の力を思うと、知らず頬が緩む。
 超能力に憧れて来たこの街だが、そこで知ったのは『自分には才能が無い』という事だけなのだ。
 学園都市に来て二ヶ月しか経っていないが、その短い期間に涙子は〝あきらめ〟を知ってしまった。
 1を2にする事と、0を1にする事には果てしない隔たりがある。レベル0である自分に何が出来るのか。この街で生活した二ヶ月で痛いほど分かった。
 そんな中現れた獣の槍に、涙子は心奪われてしまった。
 槍を使った時の体に巡る万能感。
 あれほど遠くにあった能力者の存在が、まるで自分のすぐ近くにある様に感じる。
 ふと、手の平を見つめた。
 今もこの手の平の中。正確には体の中に、獣の槍は納められている。
 昨日の夜の事を思い出すと、更に笑みがこぼれた。



     ◆



 槍を体内に持ちつつ、寮に帰宅した涙子。
 手早く食事を取った後、姿見に向かい立った。

「槍よ」

 一言そう呟くと、手の平からスルスルと無骨な槍がせり出し、手の中へ収まる。
 槍を持ったまま、意識を〝戦い〟へと切り替える。もちろん何かと戦うわけでは無いが、言わばスイッチの様なものだった。
 一度しか槍を使っていないのに、使い手たる涙子の中にはそのスイッチが明確に存在し、そして感じられた。
 カチリ、とスイッチを切り替えると、涙子の体は一変する。
 普段でさえ長い髪が更に伸び、フローリングの床に髪が放射線状に広がる。おかげで自分の顔や体、服さえ隠れるほどだ。

「うぇぇ……わたしこんなんだったんだ……」

 鏡に写る自分の姿は、一昔前にヒットしたホラー映画の主人公を思い出させた。
 不快な姿を認めつつも、涙子はそれ以上の期待感に心躍らせていた。
 槍の重さは無い。体に力が溢れ、まるで体に羽が生えたようだ。
 涙子はふと窓の外を見た後、ベランダに出てみた。
 街は静かだ。昼間はあれだけの喧騒に満ちている学園都市も、夜には静寂に包まれる。この都市特有のものだ。
 夜闇にポツポツと光が見える。空には星、そして月。初夏の爽やかな涼しさが頬に当たる。
 涙子の住む寮は、車道に面している。ベランダの下も車道で、その向かい側には同じぐらいの高さの建物が建っている。
 ベランダの欄干に手をかけ、その上に昇った。細い欄干に二本足で立つので、少しドキドキした。
 だが、恐怖は無い。一歩踏み外せば車道へまっ逆さまだ。なのに、あるはずの恐怖がまるで槍に吸い取られる様に感じられる。
 涙子はそのまま、思うが侭に欄干を蹴った。体にグンと重圧がかかりながら、宙を舞う。

「うわぁ……」

 知らず、感嘆の声が漏れた。
 体が空に浮かんでいる、と錯覚する程の滞空時間。
 目指すは向かいの建物の屋上。常であれば間違いなく届かない距離も、今の涙子には余裕を持って辿り着けた。
 向かいの建物の屋上、その淵に裸足の足先をかけ、そのまま更に飛び上がる。
 自分の真下を、数々の建物が流れていった。
 ビルの屋上、太陽光発電のパネル、各種アンテナ。そんなものを真上から見下ろす事で、見慣れた物が新鮮に感じられる。自分の力を実感できた。

「すごい! すごいよ!!」

 走りながらも、涙子はただ「すごい!」と叫ぶばかり。髪が後ろに流れ、長い尾を引いている。一歩飛ぶ毎に二、三十メートルは飛んでいた。
 自分の周囲を、建物がすごい勢いで流れていく。様々な高さのある学園都市のビル群も、今の涙子にしてみればアスレチックアトラクションに等しい。
 ピョンピョンと跳ね飛びながら、空中を駆け巡る。

「あははははははは!」

 雲が掴めそうだった。月にまで行けそうだった。
 触れれるはずの無い、行くことができるはずがない場所に、容易く手が届きそうだ。
 幼い頃にテレビで見て憧れた、女の子の変身ヒーローを思い出す。
 もし、彼女達が実在するなら、こんな気分だったのだろうか。

(まぁ、アッチは可愛い格好してて、コッチはホラーな姿だけどね)

 苦笑いをしつつも、心の躍動は止まらない。
 もはや愛衣の言葉など頭に無く、思うが侭に体を動かした。
 その日、涙子が部屋に戻ったのは深夜三時過ぎだった。



     ◆



 空を駆ける時の痺れる感覚が、未だに脳内にこびり付いている。
 それらを反すうしていたら、いつの間にか昼休みになっていた。
 口の端から垂れていた涎に気付き、手の甲でゴシゴシと拭う。

「佐天さん、今日は本当にどうしたんですか?」

 涙子の席に近づき、そう聞くのは初春飾利だ。
 昨日、涙子が待ち合わせ場所で待っていた少女である。
 短めに切りそろえられた前髪の上には、何故か花輪がある。身長は涙子より少し低いくらいだろうか。どうにも花輪が目を引く少女だが、それ以外はこれと言って目立つ特徴が無い。

「ど、どうしたって、何が?」
「だって今日の授業中、ずーっとニヤニヤしてたじゃないですか。クラスのみんな気味悪がってましたよ」
「え……そんなに」

 初春に言われ、やっと気付いた涙子は気まずそうな顔をする。
 槍の事で頭がいっぱいになり、周囲にまで気が回らなかったのだ。
 そんな涙子と初春の話の輪に加わる少女達がいた。

「確かに、今日の佐天さんはキモかったな。何かを思い出しニヤニヤと……ま、まさか男! 男なのかー!」

 自分で言った言葉に絶叫し、頭を抱えている少女はクラスメイトの明石薫だ。

「せやなー、怪しすぎるで。今日になって急にあんな調子になったからな」

 薫の後ろからメガネのブリッジを上げながら、興味津々といった感じで見つめる少女、野上葵である。

「な、何も無いわよ! お、男って私にそんなのいるわけないジャン!」
「本当かしら……」

 ススス、っと気配を殺して涙子の背後に近づく、少しカールが効いたショートカットの少女は三宮紫穂だ。

「さ、三宮さんッ!」

 紫穂の気配に気付き、バッっと離れる涙子。

「チッ……別にそんなに恐がらなくたっていいじゃない。私の能力なんて表層の真偽を量る程度のものよ……たぶん」
「た、たぶんって言った! それに舌打ちまでしたでしょ!」

 涙子のツッコミに、紫穂はプイと顔を背ける。
 薫、葵、紫穂はクラスでも仲の良い三人組だ。
 そして《学園都市》に小学生の時から住んでいる、生粋の学園都市っ子でもある。新参の涙子に親切にしてくれる気の良い子達だが、下世話な話が大好きで、いつもこの手の気配があると話に突っ込んでくる。
 彼女らは、この柵川中学にありながらレベル3という『強能力者』にカテゴリーされるエースだ。本来であれば、涙子の友人でもある『レベル5』御坂美琴がいる常盤台中学に居たっておかしくないのだ。
 と言うのも、彼女らがレベル3になったのはつい最近というのが理由である。
 小学生の頃は能力の向上が見られず、レベル1で落ち着いていた彼女達だった。
 だが、中学に進学した後、彼女らが所属する能力開発研究所『B.A.B.E.L.』に、新しい能力開発の主任が来たとか。
 皆本なるその男性主任が作った、新しいアプローチの能力開発に、彼女ら三人はバッチリ適合し、二ヶ月という短期間でレベル3にまで向上したのだ。
 しかもレベル3とは言っても、限りなくレベル4に近い3らしい。
 皆本という男性はイケメンで頭が良く、運動神経も良いという、所謂勝ち組らしい。
 彼女ら三人は彼にメロメロで、この二ヶ月の間に涙子は耳が腐るのではないかというぐらいノロケ話を聞いていた。
 そんな彼女達の内の一人、三宮紫穂の能力は『読心能力(サイコメトリー)』。
 触れた者の心理を読んだり、物質の残留思念を読むのだ。
 本来、校内での無断の能力使用は厳禁だが、この手の話になると容赦なく使うのが紫穂だった。

「と、とにかく! 男が出来たとか、そういうの無いから!」
「ほんとかいな~」
「ホント、ホントよ!」

 葵の突っ込みに、涙子はすぐに返した。
 三人娘がニタニタと見つめる中、涙子は必死で否定する。その姿が面白くて、更にからかわれるのが続く。
 初春はそんなやり取りを見つつ、「アハハ」と乾いた笑いを浮かべるのだった。



     ◆



「ふむ」

 オカルトGメンと呼ばれる組織に所属する西条輝彦は、《学園都市》の中を歩いていた。
 元々彼はある案件を追って、学園都市内部への捜査申請を行なっていた。
 そして昨日、外から感じられるほどの妖力の膨らみを都市内部から感じた。
 なんとか都市の上層部と掛け合い、捜査の許可が下り、彼はこうやって都市内を歩いているのだ。
 とは言っても、《学園都市》は広い。その上、人員は彼一人という状況だ。

 ゴースト・スィーパーという職業がある。云わば現代版除霊師であり、国際資格でもある。
 元々オカルト――魔法世界は秘匿主義である。
 だがその秘匿とて、いつも万全では無い。
 そのための対抗策として、人々の生活に根付く魔法的障害への対応ぐらいは世間一般に公開しよう、として作られたのがゴースト・スィーパーなのだ。
 これは長らくある魔法世界での魔法秘匿派と非秘匿派の衝突、その緩和にも使われている。
 そんなゴースト・スィーパー、通称GSの仕事は幅広い。仕事のほとんどは「人に害を為す悪霊や妖怪の除去」という括りにまとめられるが、霊にしろ妖怪にしろ多種多様。臨機応変な対応を求められる大変な仕事だ。故に、GSというのは高給取りである。『霊具』と呼ばれる仕事道具とて、億単位のモノまである。近年、大企業がGSと専門契約を結ぶ事も少なくない。
 しかし、GS制度が出来て四十年近くになるが、そういった仕事内容がメディアに載る事は少なかったりする。これには魔法界の圧力があったりするのだが……。

 西条が所属するオカルトGメンとは、云わばGSのお役所版であり、国際警察機構と呼ばれる世界的治安組織のオカルト部門なのである。
 大規模な霊障などを未然に防ぐという役割もあり、西条はその霊障を防ぐための捜査をしていたのだ。

 第七学区と呼ばれる場所を歩きながら、西条は周囲を観察した。自らの霊感もフルに発動させ、この街そのものを探ろうとする。
 そんな真剣な顔立ちの西条を、通りがかる女子学生たちは思わず見つめてしまう。
 濃い顔立ちだがハンサムなのだ。だが、西条が大事そうに持っている物を見ると、学生達は少しガッカリしながら去っていってしまう。
 西条が手に持っているのは『見鬼くん』と呼ばれる霊具であり、云わば妖怪レーダーとも言える物だ。
 小さな立方体の上に、更に小さな人形が乗っていて、妖気のある方向を指差すのだ。見方によっては、どこかの観光地の古めかしい土産の様である。簡単に言えば見た目がマヌケなのだ。
 西条はどこか思案気に、そんな『見鬼くん』を見つめる。

(反応が過敏、いやノイズが少ないのか。この街は極端に霊力の歪みが少ない、それに――)

 周りを見れば学生だらけ。社会人などはほとんど見かけない状況だ。

(超能力とやらの余波か? 霊感が狂わされてる気がする。厄介な場所だ)

 西条の手には写真が二枚。一枚は大きなメガネをかけた女性が写っている、もう一枚は――。

(関西呪術協会、天ヶ崎千草か)

 関西呪術協会からの依頼だった。関西呪術協会とは、国内を二分する魔法勢力の片割れである。
 それと同時に様々な火種を抱える組織でもある。
 東の麻帆良、強いては西洋を中心とした魔法文化と、とにかく折り合いが悪いのだ。
 更に利権の問題もある。関西呪術協会の最大の産業と言えば『破魔札』が上げられる。GS御用達の品で、西条も今まで幾度使ったか数えられない程だ。
 利益は莫大で、今までその利権を巡り、何度組織内で抗争が起きたか分からない。徐々に衰退していく陰陽寮の中で、唯一それだけが彼ら『陰陽師』を生き長らえさせている。
 その関西呪術協会の強硬派の若手、天ヶ崎千草が失踪した事により事件は浮き彫りになる。
 根強い反西洋魔法主義者であり、彼女が消えた事が何かしらを企てているのは明白だった。
 当初は組織自らが始末をつけようと奔走するも、彼女の姿が《学園都市》内に消えた事により、一変した。
 『魔法』同士の対立で無く、『魔法』と『科学』の対立となると、事は更に厄介だ。尻に火が付いた関西呪術協会は、中立的魔法組織『オカルトGメン』に泣きつく事により、今に至っている。

(一体何をするつもりやら。それにしたって人員を確保できなかったのは痛い。幾ら何でも僕一人じゃ無理があるぞ)

 《学園都市》に大量の人員や物資を運び込むわけにもいかず、なら優秀な人材を連れていこうとしても、オカルトGメンに優秀な人材は少ない。優秀な人材はフリーになるのがこの業界の定石だからだ。
 彼の右腕たる部下もいるが、彼はある理由により一緒には来れなかった。

(せめてオカルトに対応できる様な人材を、この都市内で確保したいものだな)

 『超能力』、それらが多種多様な力を持っているのは知っているが、果たして悪霊などに対抗できるのか、甚だ疑問だ。だが、可能性が無いわけではない。

「とにかく最善を尽くそう」

 西条は気合を入れなおし、周囲の情報を集めていく。『見鬼くん』の集めたデータは、彼がベースとしたホテルの一室のパソコン内に送られ、緻密な情報統計を取っている。
 ふと西条が角を曲がった時、一人の男子学生とぶつかってしまう。

「おっと、すまない」
「あ、いえいえ。こちらこそすいませんでした」

 ぶつかった衝撃で『見鬼くん』を落としてしまった。だが、莫大な魔力を内包する精霊石を核として作られた『見鬼くん』には、この程度の衝撃では壊れない様に内部に術式が込められている。

「これ、お兄さんのですか?」
「あぁ、そうなんだ。ありが――」

 落とした『見鬼くん』を男子学生が拾ってあげようと〝右手〟で触れた、その時――。
 パキン。
 まるでガラスが割れた様な音と共に、『見鬼くん』がバラバラになる。内部にある精霊石も破片となり、地面に散らばった。

「わわわ! す、すいませんー! い、幾らですか、弁償します!」

 男子学生は慌てて謝るも、西条はそれ所では無かった。今、確かに術式が〝壊された〟のだ。その事実に、思わず笑みが漏れる。

(棚からなんとやら――)

 心の奥底で陰湿な笑みを浮かべつつ、表面上は爽やかさを保ち、男子学生に問いかけた。

「ハハハ、それぐらいいさ。そんな事よりも君にお願いがあるんだ、少し付き合ってくれないかい?」



 第四話 END



[25216] 第五話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:17
「なんですの、これ?」

 初春がキーボードを叩く後ろから、モニターを覗き込んでそう呟くのは風紀委員(ジャッジメント)の同僚、白井黒子だ。
 風紀委員活動第一七七支部。
 第七学区にあるビルのワンフロアで、初春は端末を弄りながら昨日の夜に発生した事件のレポートを読んでいた。
 事件が起きたのは隣の第五学区。
 この都市では良くあるイザコザである。武装無能力集団(スキルアウト)と中途半端な能力をひけらかすチンピラの喧嘩であるらしいのだが。

「それが良く分からないんですよね。何か特殊な能力なんでしょうか?」
「こいつらがグルになって証言を合わせてる、って可能性もありますわね」

 第五学区には飲酒店が多い。年齢をゴマかし、酒を飲みに行く学生が後を絶たないくらいだ。
 そんな場所での喧嘩など腐るほどある。
 この事件もご多分に漏れず、酒を飲んだ武装無能力集団(スキルアウト)の五人組と、気が高ぶったレベル2から3程のチンピラ能力者集団がぶつかったとの事だ。
 武装無能力集団(スキルアウト)とは、《学園都市》に所属しているレベル0達が武装した集団の総称だ。それぞれの学区にチームがあるうえ、都市内の治安悪化の要因でもあったりする。
 そんな中、事件は途中からおかしい事になる。能力者の一人が突如暴走したのだ。
 更に、本来レベル2程の発火能力(パイロキネシス)が、路地裏を丸々焼きそうになったらしい。
 その能力者に『黒い影』の様なものが乗り移った、などというオカルトチックな証言も残っている。
 だが事件後に起きた現場検証からも、その痕跡がレベル2程度では無い事。さらにその能力者の身体検査(システムスキャン)結果から、AIM拡散力場に特異な乱れが発生している事が判明している。

「『黒い影』、ねぇ。どうにも胡散臭いですわね」
「『影』の有無はともかく、能力の暴走が起きた事は確かな様ですよ」

 顔をしかめながらの黒子の言葉に、初春が幾つかのデータをモニターに出しながら返す。
 そして能力の暴走の最中、スキルアウトとチンピラが右往左往する中、一人の男が現れ事態を解決したらしい。

「何ともまぁ。それでその男の能力レベルはどれくらい何ですの?」
「それが……どうやら能力を使わずに解決しちゃったようで」
「能力を使わずに?」

 路地裏へ一人の男が走ってきた。
 時代遅れの長髪、大きなメガネ。おおよそ前時代的な風貌の男は、野球のバットを一本持ち炎に飛び込んだ。「だ~いじゃうぶっ!」と叫びながら、そのまま暴走した能力者を殴り倒し、そして『影』もバットで打ち倒したとか。

「冗談ですの?」
「それが、現場の映像は無いんですが、周囲の監視カメラの映像と合致するんですよ。ほら」

 初春が映し出した映像には、路地裏に走っていくメガネ男の姿が小さく映っていた。
 事件解決後、警備員(アンチスキル)が現場に駆けつけた時には、残っていたのは能力者のチンピラ達だけだった。
 チンピラ達に話を聞くに、どうやらそのメガネ男、スキルアウトとチンピラの両方に面識があるらしい。
 スキルアウトには親しく名前で呼ばれつつ敬語で感謝をされ、チンピラ達には「リーダー」を親しみを込めて呼ばれているとか。
 残ったチンピラに話を聞くと、彼らもメガネ男の本名は知らないものの、彼はこうやってイザコザに首を突っ込みまくっているらしい。
 その度にバットや拳で能力者を倒し、はたまた集団で襲い来るスキルアウトをなぎ倒し、時には倒した彼らと酒を飲み親しくなったりし、アウトローな彼らから敬意を持たれているとの事。

「……これ、本当ですの? 要注意人物じゃありませんか。なんで今までこの男の名前が挙がらなかったんですの?」
「もちろん、何度かは証言や様々な事件で痕跡を残していた様なのですが、どうにもログを覗いてみると――」

 初春が幾つかの事件ファイルを開けるが、どれも虫食いの様に部分部分の文字が文字化けしている。

「こんな風に。ほら、一時期都市内で流行ったコンピューターウィルスがあったじゃないですか、ナリハラウィルスって」
「あぁ、あの趣味悪いおっさんの顔がモニターにドアップになって、『私を追放した学会に復讐してやるーッ!』って叫ぶウィルスですわね。あぁ、思い出しただけで鳥肌が……。それでそれが?」
「あはは。私もアレにはビックリしました。ほとんど実害が無いけど、セキュリティホールへのアクセスの仕方が奇抜なんですよね。私もあの発想には……ゴホン、話が反れましたね。それでどうやらあのウィルス、ほとんど実害が無いにも関わらず、どうやら一定のワードに対しては機敏に反応する様に出来てたみたいなんですよ」
「それが、あの男と?」

 初春は少し考えつつ、言葉を返す。

「わかりません。ただ、無関係だとは思えなくて」
「ふむ。まったく、困ったものですわね。『黒い影』に『メガネ男』に『幻想御手(レベルアッパー)』に『毛玉人間』。変な事件ばかりですの」

 フン、と鼻息荒く腕を組む黒子に、初春はキョトンとしながら首を傾げた。

「あ、あの~、毛玉、なんですか?」
「『毛玉人間』、らしいですわよ。ネーミングセンスは酷いものですが、何やら私の寮で噂になってましてね。昨日の夜、窓の外で見たらしいですの。信じられない程長い毛を持つ人間が、体に毛を巻き付けながら屋根の上を走り、次から次へと建物を飛び移っていたとか」
「はぁ~」

 初春は半ば呆れ、といった顔をする。

「私も本来だったら馬鹿にする所なんですが、目撃者が複数いたとなると、あまり馬鹿に出来ませんの。それに、その内の一人は写真まで撮っていました」
「写真、あるんですか?」

 黒子は携帯を弄り写真を表示させると、ズズイと初春の鼻先に突きつけた。

「写真と言ってもこんなもんですの。焦って撮ったからブレが酷いわ、窓の光が反射するわで、微かにしか見えません。それでも――」
「この端っこのシルエットですよね。うわ~、これ体より髪長いですね。お風呂とかどうするんだろ」

 黒子はため息を一つ。

「どーせ、どっかのお馬鹿のコスプレでしょう。あまり仕事を増やしてほしくありませんわね」



     ◆



「『幻想殺し(イマジンブレイカー)』か。俄かに信じがたいが、これを見たらそうも言えないな」

 西条は目の前に散乱する破魔札〝だったもの〟を見て、呟いた。丈夫なはずの破魔札が、バラバラの紙くずへと変貌を遂げている。
 『見鬼くん』が破壊された後、西条は件の学生と共に近くの喫茶店に腰を下ろした。
 西条の向かいに座る、ツンツン頭の男子高校生は上条当麻と言うらしい。そして彼が『見鬼くん』を壊した能力を説明し、更には目の前で実証し、西条の冒頭の呟きに繋がったのだ。

「あの~、そろそろ帰ってよろしいでしょうか? えーと西条さん、ですよね。とりあえず弁償の金は出来るだけ払いますんで。なんせウチには腹ペコシスターがいるわ、そろそろスーパーの特売だわで、ちょっとばっかし忙しいんです」

 西条が軽い自己紹介の折に渡した名刺を見つつ、上条は語りかけた。
 上条のそんな言葉も、西条の耳を素通りしている。

「異能の力をかき消す、か。定義が曖昧だな、本人の価値観や判断によるものなのか?」

 西条は目の前で起きた出来事に、自分なりの答えを見つけようと必死だ。
 上条が説明した『幻想殺し』なる能力はシンプルだ。右手で触った『超能力』や『魔術』を問答無用でかき消す、らしい。
 西条が一向に返事をしないので、上条は汗をタラタラかきつつ、目の前に置かれたアイスコーヒーをズズズー、っと飲み干す。
 ふと視線を外せば、たくさんの学生が見えた。大通りに面した建物の一階にある喫茶店。その窓際の席に上条達は座っている。
 上条のアイスコーヒーが空になり、残った氷でも口にいれようか、と思った頃に西条は返事を返した。

「あぁ、すまない。弁償だったね、さすがにそれは無理があると思うよ」

 西条は壊れた『見鬼くん』から、精霊石の欠片を出した。

「この『精霊石』という結晶は結構値が張ってね、いいものになると億は下らないんだ。まぁ、『見鬼くん』に使われてるのはサイズが小さめだが、それでも数千万はするよ」
「お、億!? す、数千万!?」

 ギョっとする上条に対し、微笑を絶やさない西条。

「ま、またまた~。上条さんは、そんな嘘には騙されませんよぉ」
「うーん、やっぱり信じられないか。あ、そういえば精霊石のカタログがあったはずだ、ちょっと見てみるかい?」

 西条がブリーフケースから、何かの冊子を取り出した。簡素なコピー用紙の束のようだが、リストとなって幾つかの品名が表になっていたり、モノクロの画像が印刷されていたりする。そんな中、精霊石のページにはモノクロの写真と共に、十万や百万といった数字のゼロが並んでいる。

「ちょっと見づらくてすまないね。知り合いの個人経営のオカルトショップのリストなんだよ」
「そ、そうなんですか……ってこの『精霊石』っての高くても百万台ですよ! やっぱり嘘じゃないですか!」

 ホっとした上条は、空になったアイスコーヒーの代わりに、お冷を口にした。例え百万でも高い事を、彼は失念している。

「あぁ、そのページの値段表記はアメリカドルなんだよ。精霊石は海外のバイヤーも多く買い取りにくるせいなのかな」
「ブフォッ! ド、ドルーー!」

 そうなるとまた桁が違ってきた。上条の顔がサーっと青くなってくる。

「上条君、本当に気にしないでくれ。学生に対し、あれを弁償しろ何て言わないさ。さっきも説明したが、何しろ僕は特殊な公務員だからね、あれぐらいは現場の経費で落とすよ」

 今度こそ上条はホっとした。

「ところで上条君、先程特売とか腹ペコがどうのこうのと言っていたが、お金に余裕が無いのかな」
「え? あぁ、まぁなにせ貧乏学生ですからね。一応奨学金も下りるんですが、俺はレベル0ですから」

 レベル0、その言葉に西条は目を細める。

(異能を打ち消す、か。なるほど。それじゃあ、この都市のランク付けには反映されないか)

 ゴホンと咳を一つした後、西条は切り出した。

「君にお願いがあるんだ。今、この都市には何かしらの霊障が起きている。だが、あいにく人手が足りなくてね。ぜひ、君の力をオカルトGメンに貸してほしいんだ。とりあえずバイトという事で給料も出そうと思う、どうかな?」
「きゅ、給料ってそんなのいいですよ。むしろ困ってるんだったら、俺手伝いますよ」
「手伝ってくれるのかい! いやー、助かるな。でも、給料は受け取ってくれないかい」

 西条の言葉に、上条は両手を振った。

「いやいやいや、あんな高い物壊した上にお金なんて貰えないですよ」
「ふむ、君の気持ちも分からんでもないが、それはそれでこちらが困るんだよ」
「困る?」

 西条は苦笑を浮かべる。

「ウチのオカルトGメン、いやGSという職業と言った方がいいかな。最近になって、やっとオカルトのメディア露出が増えたおかげで認知度が上がっているがね、実際のところ、僕らの様な職業は世間への風当たりが強いんだよ」
「はぁ……」
「悪質な新興宗教や、オカルト詐欺などと混同される。特に僕は公務員だからね、この手の風聞に乗せられない様に、仕事上注意すべき事が沢山あるのさ。そんな中、君の様な〝一般人〟を無償で働かせた、なんてのはマスコミへの良い撒き餌になってしまう。僕を助けると思って、給料を受け取ってもらえないかな?」
「ま、まぁそういう事情があるなら、受け取らせて貰います」

 上条が少し申し訳なさそうな顔をしながら答える。

(――ニヤリ)

 西条は内心ほくそえんでいる。どうにも先程から少年の話を聞く限り、彼は正義感の強い人柄だと感じていた。
 この手の人間はいざとなると勝手な行動を取り、事態を混乱させると相場が決まっている……西条の経験上だが。
 そんな少年に対し『金』という首輪を取り付けたのだ。まるで、『金を受け取る事』が『こちらを助ける』と誤認させる事によって。
 これでお互いに雇用契約が出来た。
 絶対的な繋がりではないが、それでもそれなりの効果はあると西条は思っている。上条の律儀な性格を考えれば、間違いはないだろう。

「それで給料なんだが、放課後の数時間、僕に協力してくれないかな。少ないが、とりあえず日当としてこれだけ払おう」

 西条は指を五本立てる。

「少ないって五千円ですか? そんなに貰って――」
「? 何を言ってるんだい。五千円じゃない、五十万だよ」
「ご、五十万! い、一日でですか!」

 思わず身を乗り出す上条。

「あぁ、そうだが。もう少し欲しかったかい。ならば――」
「い、いえいえいえ。それで十分です! と言うか十分すぎます!」

 上条は先程のカタログを思い出す。

(そうか、西条さん達の業界は、そのままの意味で〝桁〟が違うんだな)

 ふと、長身で赤い髪の不良神父を思い出す。

(〝あいつら〟もこんな風に金持ちなのかねぇ)

 上条はつい最近にも、この手のオカルトに関する事件に遭遇していた。しかし、その事件の結果、彼はあるモノを失っている。

「ところで上条君、君の手を少し見せて貰えないかな」
「え、別にいいですけど……」

 その言葉を聞くと、西条は少年の右手を掴み、じっくりと見つめた。ちなみにここは喫茶店なので、ウェイトレスなんかももちろんいる。
 男同士が向かい合いつつ、手を取り合う光景に、一部のウェイトレスがいらぬ誤解を受け、喜んでいたという事実があったりなかったり。

「やはり何も感じないな」
(いや、違うか。何も『感じない』じゃない。『感じられない』のか)

 西条は、自分の中の霊力が正常に働いてない事を認識できた。そして奇しくもこの時、彼の霊感は働かず、周囲の違和感を感じる事が出来なかった。
 彼らの席のすぐ脇、窓ガラスを挟んだ通りを、一つの人影が通り抜ける。その妖気すらも見逃した。



     ◆



 同じ時、同じ場所。西条達がいた席の二つ隣に涙子と愛衣の姿があった。

「――ですので佐天さん、あの槍を渡してください。あれは危険な物なんです!」
「えぇ~、でも拾ったのは私だよ~。ほら、それにこの都市には妖怪とかがいるんでしょ。だったら私の槍があれば、バババーッと倒せたりすると思うよ」
「だから~……」

 話は平行線だった。
 槍の危険性を唱え、涙子の安全を思い、『槍』の譲渡を要求する愛衣。
 槍の力を知り、どうしても手放したく無く、あの手この手の理由を付けて拒否する涙子。
 涙子は愛衣のお説教を聞き流しつつ、テーブルにペタリとうつ伏せになり、そのまま行儀悪くズルズルとストローからジュースを飲む。

「そういえば佐倉さんさぁ、先輩に相談するとか何とか言ってたけど、その先輩はどうしたの? きっとその先輩も〝ソッチ〟なんでしょ」
「う……、その……、お姉さまは所用があって居ないんです。うぅ」

 気まずそうに顔を伏せる愛衣。

「でも、お姉さまがいないからこそ、私が頑張らないと。この都市は、どうにも魔法的な防御機構が薄い様です。いや薄いというより、必要なかった、って事でしょうか」

 気を持ち直した愛衣が、自らの印象を確認する様に述べる。

「必要なかった?」
「はい、私見ですが。最初この都市に来た時は、無菌状態? とでも言うべきなんでしょうか。霊的に〝落ち着きすぎた〟印象がありました。おそらく《学園都市》を作るにあたり、魔力的にも地ならしした結果なのでしょう。強固な結界に頼り、その手の懸念に怯える必要な無かった。ですが今は――」

 愛衣は少し考えるそぶりを見せる。

「異物がこの都市にあります。それがきっと佐天さんが言っていた男性、いや悪霊でしょうか」
「う……羽生さんかぁ。じゃあ私のせいじゃない。だったらなおさら引けないわよ」

 バツが悪そうな顔を涙子は浮かべる。

「だから、それが危険な事なんです。素人が気安く関わるべき事じゃないんです。それに大事になってからじゃ遅いんですよ」
「し、素人じゃないもん。私には《獣の槍》があるし!」

 涙子が思い出すのは、槍を持った時の万能感。それに昨日は愛衣が苦戦していた霊に対し、一撃で屠った自負もあった。

「この都市でアイツらと戦えるのは私達だけなんでしょ。その『お姉さま』だって居ないんだし。だったら私も――」

 サラリ、と背筋に悪寒が走る。涙子の言葉が詰まり、固まる。見れば愛衣も硬直していた。
 周りの風景が色あせ、モノクロの世界がゆっくりと動いている様に感じた。
 窓ガラス越しの通りを、学生達がたむろして歩いている。その中、一人の男性が歩いていた。モノクロの視界の中で、彼だけがしっかりと色づいていた。
 彼の『昨日』の情けない印象は薄い。スーツに帽子を被った姿は、違和感無く中年紳士といった出で立ちだ。
 男は涙子達の席の横、窓ガラス越しの場所に立つと、帽子を取り、軽く会釈した。
 ニッコリと笑うその表情。顔に刻まれた皺が不気味に歪み、見つめる瞳はギラギラと狂気をはらんでいる。
 羽生道雄。
 羽生はそのままゆっくりと喧騒に消えていく。先程周囲を覆っていた妖気は綺麗に霧散していた。
 目を見開き、二人は顔を見つめあう。

「い、今のってもしかして?」

 愛衣の質問に、涙子はコクコクと頷く。

「う、うん。あれがそう、あの人が昨日私が見た、羽生さん」

 二人同時に立ち上がり、さっさと会計を済まして、店を出る。
 周囲には下校時のため、学生が多く視界が悪い。

「ど、どこに行ったんだろう」
「微かに妖気がある。これなら出来るかも」

 愛衣はそのままビルとビルの間に滑り込み、ブレスレッドに魔力を注ぎこんだ。使うは魔力探知の魔法。
 いくらか術式は変えねばならないが、この程度は愛衣にも出来た。光る球体の術式が現れる。
 レーダーとして機能するソレを、愛衣は右手に握りこみ、探知の情報を元に羽生へ向けて走り出す。

「佐天さんは帰ってください。また、明日連絡します!」
「って、このまま帰れるわけないじゃない!」

 涙子も愛衣を追いかけて走り出す。

「危険って言ったじゃないですか!」
「そ、そうかもしれないけどッ! それに、羽生さんの目的が私っていう可能性もあるじゃない! だったら一緒にいた方がいいでしょ!」
「うっ……それは……」

 なぜ不意に羽生の方から接触してきたのか。もしかしたら気まぐれかもしれない。だが、その目的が涙子、いや《獣の槍》にあったら危険だ。
 愛衣はそう判断し、しぶしぶ涙子の同行を許可する。

「今回だけですからね!」
「ふふふ、りょーかい」

 昨日から起こる数々の不思議体験に、涙子は自分を物語の主人公と重ねていた。
 自らが向かっている場所には、容易く人を屠れるバケモノが居ることを忘れ、浮ついた心のまま。



 第五話 END



[25216] 第六話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:17
 魔法を使って得た情報を元に走ると、遠くにちらちらと羽生の後ろ姿が見えた。
 涙子と愛衣はその姿を追い、人込みの中を駆けた。
 羽生はゆったりと歩いているのに、走っている涙子達は一向に追いつけなかった。
 いつしか羽生は細い通りに入り、涙子達もそれに続く。
 何度目か角を曲がり、付いたのは人通りの少ない空き地だった。周囲をビルに囲まれた都会の空白地。
 そこで羽生は柔和な笑みを浮かべつつ、涙子たちを見つめて立っている。
 息を切らせながらも、涙子達は対峙した。

『やぁ、来たのかい』
「は、羽生さん」

 余りにも自然な態度に、涙子は気をそがれた。思えばなんで羽生を追いかけたのか、それすらも良く分からない。
 涙子と羽生の間に、愛衣が立ちふさがった。

「羽入さん、ですよね。私は佐倉愛衣、魔法使いの見習いです。あなたは害ある霊なのでしょうか? そうならば、私はあなたを退治せねばなりません」
『害ある、か。それを本人に聞くかね』

 ククク、と羽生は苦笑する。

「う……、ですが現在は『人に害を為さない霊や妖怪なら共存が可能』と言われています」

 ここ数年、魔法やオカルトといった世界での風潮だった。魔法やオカルトと繋がりの深い偏った宗教的価値観からの脱却。近代的な思想の発現によるものだ。
 登録制や監視義務の必須、という人間が上から見下ろす形での管理体制だが、ここ数年日本では一部妖怪との共存体制はうまくいっている。
 GSなどの職業で、助手として働いている霊や妖怪もいるらしい。

「幾らかの経緯は佐天さんから聞いています。もし羽生さんが再び霊という形で人間社会での復帰を望むなら、私……私達はそれを援助する用意があります」

 これらの要項を、愛衣は麻帆良で習っていた。この様な霊や妖怪との共存の形は、欧米圏などではあまり活発では無い。そこには前述した宗教的価値観が阻害し、多くの場合周囲の人間や環境と不和を起こすからだ。
 まだ一般人にオカルトの存在が情報公開されてつかの間。人と人外の壁は厚い。
 そういう意味では、宗教的価値観の薄い日本という土地は、魔法やオカルトといった側面でのモデルケースになりやすいのだ。
 麻帆良でも例外ではなく、半妖の学生を受け入れたりと様々な便宜をはかっている。

『人間社会、ね。それも面白いかもしれないな』
「それじゃあ――」
『だが、いらんよ』

 羽生は頭の帽子に手をかける。

『なぜなら、私は〝人に害を為さない霊や妖怪〟などでは無い』

 帽子をそっと外した。羽生の顔が帽子で見えなくなり、その隙間から長い角が飛び出す。

『人に害を為す、まさしく悪意ある妖怪(バケモノ)だからだよ』

 羽生を中心に風が吹き荒れた。空気に混ざるは禍々しい妖気。涙子と愛衣の肌が粟立つ。
 風にあおられ、紳士帽が宙を舞った。

「ひっ――」

 誰かの声がすくんだ。
 帽子の下から現れた頭部には、イミテーションには見えない生々しい角がある。右腕はスーツを突き破り肥大し、筋骨隆々の禍々しい姿に変わっていた。指先が地面へ触れるほどの長さだ。
 角と右腕、それ以外に羽生の外見的な変化は無い。だがその二つの変化が、見た人にあるモノを連想させる。そう――。

「〝鬼〟……」

 先日涙子が感じた同じ印象を、愛衣も持ったらしい。
 羽生が右腕を軽く横に振るうと、いつの間にか彼の隣に大きな額縁が現れる。《娘の絵》だ。
 羽生の目線が涙子に向けられる。

『お嬢さん、どうやら《獣の槍》に選ばれたようだね。私は歓迎するよ』
「か、歓迎?」

 涙子は羽生に疑問符を浮かべる。

『あぁ、歓迎だ。ようこそ〝コチラの世界〟へ。そんな君にプレゼントだ』

 羽生は愛おしそうに額縁を抱きかかえる。

『これから私は《学園都市》にバケモノを放ち続けよう。なに、君を殺しはしないよ。死んでもらったら、それはそれで〝厄介〟だからね』
「――っ」

 愛衣は目を見開いた。

『少し昨日試して見たのだがね、私が放った低級霊でさえ、この都市の『超能力』とやらは大して対抗できなかったよ。あっさり憑依され、能力が暴走させられたという程度だ』

 ククク、と羽生は笑う。

『――つまり、だ。私に対抗する術を持つのは、この都市で君達ぐらいだという事だよ。あの《獣の槍》の担い手がいるのだ。ならば私は相応しい〝悪役〟になってあげよう』
「悪役って……」
『見たところ《槍》を捨ててない様だね。見初めてしまったかね、その溢れる力に。まるで御伽噺の主人公にでもなったつもりかい、『夢見心地のお嬢さん』?』
「――なっ」

 カッ、と涙子の顔が熱くなる。自分の中にある青臭いヒーロー願望が見透かされた様だった。
 慌てて言い返そうとするも、言葉が出てこない。

『さぁ、お立会いだ。君達のために妖怪(バケモノ)を産み出してあげよう』

 溢れる妖気は《娘の絵》からだった。それが渦となり、絵に歪みが生まれる。羽生の肥大した右腕が、絵の歪みに差し込まれた。
 羽生が右腕を絵の中でまさぐる度に、絵の表面に波紋が立つ。モゾモゾと何かを探すように腕は動いている。目的のモノが見つかったのか、動きは止まり、腕が絵から引き抜かれる。引き抜かれた羽生の手の中には、何かの”頭”があった。
 のっぺりとして目も鼻も無い顔。ツルリとした人工的な表面の光沢。女性の形をした〝ソレ〟は、どこにでもある様なマネキンである。
 一瞬、何が出るのかと恐れていた涙子と愛衣の表情に、微かな安堵が過ぎる。
 だが――。

『私はこの都市の結界の《要》として封印されていたのでね、地脈と繋がっているのだよ。溢れる妖力はそのお陰だ。そして莫大な燃料があれば、この程度の妖怪(バケモノ)を連れてくるなど造作も無い』

 羽生がマネキンの頭を離すと、それはカタカタと震えながら地面に立った。細い手首や足、それらはあくまで記号的にデフォルメされている。自立を目的としない手足でありながら、マネキンは何故かその場に立っている。
 ただ人間のシルエットのみを真似た存在が、首をカタカタと揺らしながら二人の前に立った。愛衣は手首の発動体に魔力を流すが、涙子はすくんで動けない。自らの体の中にある《槍》の存在すら忘れ、心にチロチロと灯りだした恐怖の種火をじっと見つめるのみだ。
 喉の渇きがザラザラとした痛みに変わっていた。首筋にいつの間にか汗が浮いている。
 《槍》を持たなければ一般人とほぼ変わらない涙子が、ほんの数分妖力を浴びた結果だった。

『さぁ、行きたまえ《石喰い》』

 ガラスとガラスを擦りつけた様な甲高い鳴き声が上がると同時に、マネキンの胸元が内側から破れた。
 中から出てくるのは、ゴツゴツとした表面を持つ触手。十本以上の触手が飛び出し、それらどれもがまるで蛇の様に頭部と口がある。先程聞こえた鳴き声は、触手の先端の一つ一つから発されていた。

「だ、ダメッ!」

 口をガパリと開けて触手が襲い掛かってくるのに対し、愛衣は即座に反応する。自らの魔法障壁を斜めに展開し、触手の攻撃を上方に反らした。

「――ひッ!」

 涙子は触手の姿と鳴き声に驚き、尻餅を付いた。触手の先端の口元にはビッシリと牙が生えそろい、ヌメヌメとした奇妙な粘液が光を放っている。
 生理的嫌悪と恐怖がない交ぜになったものが、涙子の喉元から競りあがった。

(何で、何で、何で)

 先程まであった楽観的な思考が、ほんの数分の間に霧散した。残ったのは後悔。自らへの罵倒。
 どくん、と自らの手の平が疼いた。

(そ、そうだ、槍)

 《槍》の感触に、すがるものを思い出す。手の平から飛び出した槍の柄を、もう片方の手で強く握り、引き抜いた。
 涙子の髪が一気に膨らむ。体に巻きつくほどの長髪になり、槍を構える。槍が吸い取ってくれるはずの恐怖も、不安という形で心にこびり付いていた。
 目の前では愛衣が涙子を庇うように、魔法の盾を展開している。

(私だって!)

 揺らぐ視線を、触手の根元たるマネキン姿の《石喰い》本体へと向ける。

「佐倉さん、私もッ!」

 槍を前へ構え、涙子はただ真っ直ぐに走る。それは単純故に、バケモノにとっては厄介な攻撃だった。なにせ《獣の槍》に触れれば、一撃で屠られるのだから。

「あぁぁぁぁぁ!」

 逃避の攻撃。
 先日と同じく愛衣の横をすり抜けた突進は、自分達を守っていた障壁すらも破壊した。

「さ、佐天さん、駄目で――キャッ!」

 その余波を受け、愛衣は後方に飛ばされる。
 涙子の突進は、果たして石喰いまで届かない。マネキンに当たる寸前、真っ直ぐな攻撃は触手の穂先への小さな攻撃で反らされた。
 涙子はそのままバランスを崩して地面を転がった。

「――うあッ!」

 背中が堅い地面へとぶつかり、息が詰まる。
 涙子が急いで顔を上げると、マネキン姿の《石喰い》が倒れた愛衣の元へ向かっていた。

「さ、佐倉さんッ!」

 《石喰い》は触手を手足の様に使い、軽々と宙を滑る。そのまま愛衣へ――。

「え」

 と思いきや愛衣を飛び越し、細い路地の奥へと消えていった。
 助かった、そんな思いが涙子に広がる。

『いいのかね』

 傍らに立つ羽生の声に、緊張が再び張り詰める。
 落ち着いて周囲を見れば、地面や建物の壁に触手の牙によって抉られた傷が幾つもある。そしてその傷のいずれもが『石の様に固まっていた』。牙に傷つけられただろう花や雑草までも、石で出来たイミテーションの様だ。

『石喰いには人や物を石化させる力がある。ヤツをそのままにしていたら、楽しい光景が見れるだろうね』

 ニッコリと笑い、羽生が告げる。

「石化って、そんな危ないものを召喚したんですか! 石化の治癒には高等な魔法が必要なのに!」

 石化という現象は、古今東西の神話や伝承に数多くある。愛衣の専攻する西洋魔法にももちろんあるが、高等な上に禁呪だ。
 石化の治癒に関しては幾つかの治療魔法も開発されているが、難度の高い石化となると難しい。未だ治療方法が見つからず、そのまま手付かずの患者もいる。特殊なアーティファクトやアイテムがあれば別だが、それらとて希少なのだ。
 愛衣はこの場で一番、石化という現象の恐ろしさを認識していた。
 慌てて愛衣は立ち上がり、《石喰い》を追いすがろうとするものの、羽生に背を向けるのを躊躇った。
 そして、何より――。

「佐天さん!」

 涙子の目の前で、羽生がしゃがみ込んでいる。
 羽生の顔が目の前にある。昨日のどこか情けない幽霊姿と違い、鬼の一面を覗かせた羽生に、涙子は震えた。カチカチと歯の根が不協和音を奏でる。

『お嬢さん、再び礼をおくろう。〝私を解放してくれてありがとう〟』

 涙子の耳朶を確かに打った。

『これから起こる事は〝君のおかげだ〟』

 ――君のおかげだ。
 キミノオカゲダ。
 キミノ。

(わ、私の、せい……)

 この時、涙子の心に《棘》は確かに刺さった。

(槍、を振るわなきゃ……)

 本来、使い手が素人だろうと心と体の両方を一流の戦士として特化させる《獣の槍》だが、使い手が使わなければ意味が無い。戦いへの恐怖を吸い取る《獣の槍》も、羽生の心を穿つ言葉の前に無力だった。

『さて、私の要件は以上だ。せいぜい高みの見物とさせて貰おう。遠慮なく妖怪(バケモノ)を追いたまえ』

 羽生が《絵》を抱え、視界から消えた。
 見上げれば、遠くのビルの屋上に影が見えた。いつの間にか夕焼けになり、赤味がかった視界の中で、羽生の影は以上に目立つ。まるで空を飛ぶかの如き跳躍を繰り返し、遠ざかっていく。
 羽生が消えた事を確認し、愛衣が涙子に走り寄った。

「佐天さん、大丈夫ですか!」
「う、うん。大丈夫。」

 言葉少なく返す。愛衣とて、今の涙子の言葉を信じるわけではない。
 涙子は苦笑いを浮かべているが、瞳に光は無い。つい先程の喫茶店でのハツラツさは消え、意気消沈している。

(――ッ。こうなる事が分かってた。分かってたはずなのに!)

 愛衣は歯がゆく思う。〝コチラの世界〟にはそれなりの洗礼がある。愛衣とて一時期は落ち込んだものだ。だが、その時には頼れる師と姉がいた。今の愛衣にでは持てない安心感が、あの二人にはあったのだ。
 涙子は昨日まで〝コチラ〟を知らずに生きていた。例え超能力という異能を扱う都市にいたとて、彼女は素人だ。
 手の中に残っている探知の術式が、《石喰い》が離れていくのを感知している。愛衣は決断する。

「佐天さん、急いで帰ってください。後は私がやります」

 帰れ、その言葉に涙子がピクリと肩を震わせた。

「私は追わないといけません。このままじゃ一般人に被害が出てしまう。その前にどうにかしないと」

 愛衣が「来たれ(アデアット)」と呟くと、手に持っていたカードが箒へと姿を変えた。古の魔女や魔法使いが愛用するような、そんなどこかアンティークな雰囲気を持つ箒だ。
 それはアーティファクトと呼ばれる魔法具に分別される。箒の名は『オソウジダイスキ』、ブレスレッドの発動体より魔力運用がスムーズで、飛行魔法を使った時には乗り物にもなる。
 《石喰い》がいる場所へ向かう愛衣の背中を、涙子の声が呼び止める。

「ま、待って」

 チクリ、と《棘》が涙子の心を刺激する。じゅくじゅくとした鈍い痛みが、じんわりと広がった。
 ほとんど傷たる傷が無いのに、涙子は槍を杖の様に……すがるようにして立ち上がる。

「私も行く。行かなくちゃ駄目なの」
「ですが――」
「行くっ! 行くよ! だって私は《獣の槍》の使い手なんだよ。あんなマネキン、すぐに倒せるよ! そう、倒せる――」

 涙子は自分に言い聞かせる様に喋り続ける。頷き気味の顔は、伸びた長髪に隠れて見えない。
 愛衣は涙子に言い知れぬ不安を感じた。
 それと同時に、今の涙子に自分の言葉が届かないのも分かった。昨日知り合ったばかりの二人には、仕方の無いことである。
 ならば、愛衣は最善を取る。無闇に涙子を説得するくらいなら時間も惜しい。単独行動されても厄介だ。

「――分かりました。急ぎます、付いてきてください」

 愛衣は涙子の《槍》の力の一端をしっかり認識している。自分が飛行魔法を使っても、それなりのスピードなら易々と追いつくだろう事も。
 走りながら、箒型アーティファクト『オソウジダイスキ』に魔力を流し込む。そのまま自転車でも乗るような身軽さで、箒に跨った。

「いきますよ」
「うん!」

 愛衣はそのまま滑る様に飛ぶ。余り涙子と離れない様に四メートル程の低空を維持し、この空き地から伸びる細い路地を駆け抜けていく。チラリと後ろを見れば、涙子もしっかりと追走していた。

(やっぱりすごい)

 幾らかスピードを落としているとはいえ、今の愛衣のスピードは普通の人間が追いつける様な速さでは無いのだ。オリンピックの短距離選手でも無理だろう。
 だが、あの《槍》は昨日まで素人だった涙子を、この人外の領域にいとも容易く導いてる。

(あれ程の力があって、リスクが無いわけない)

 愛衣はそう結論付けた。



     ◆



 涙子と愛衣は、狭い路地をかなりの速さで走り抜けた。
 路地から路地へ、まるでジェットコースターにでも乗ってる様に、視界が狭まっていく。
 そのお陰で、《石喰い》を目の端で捉える事に成功する。

「見えました!」

 愛衣の言葉に、涙子は首肯するのみで返す。
 涙子の体を恐怖や不安、負の感情が柔らかな鎖となり絡めとっている。それでもすがる様に力を込め、槍を握る。
 遠く、夕焼けの影に隠れる路地で、マネキンが触手を手足の様に使い、走っていた。
 涙子の強化された視力が、更に遠くを見通す。《石喰い》の行く先には、幾人かの男子学生がたむろしている。学生達もマネキンに気付いたのだろう、目を見開いていた。

「だめ……だめッ!」

 《棘》がチクチクと心を刺す。涙子の背中にヒヤリとした冷たさが広がった。
 足の筋肉が引きちぎれる程の、爆発的な加速をする。
 狭い路地だった。槍の尾、刃と逆の『石突き』と呼ばれる場所が、ガリガリと周囲の壁を削る。だが、そんな事も構わずに《石喰い》に追いすがった。

「なんだこのマネキン」
「何の能力者だ。念動能力(テレキネシス)か?」

 学生達がマネキンと対峙する。一人はマネキンを念動による操作と誤認したらしい。男子学生は三人で、それなりの能力を持っている様だ。構える様も堂に入っていた。
 されとて相手は人間ではない。マネキンの胸部や背中から伸びた十数本に及ぶ触手が、彼らの死角から襲いかかる。

「うぁぁッ!」
「何だよコレ! 何なんだよッ!」

 一人が触手に噛まれ、パキパキと石化していく。残りの二人はその信じられない状況に、すぐさま落ち着きを無くした。先程まで演算されてたのだろう、自らの能力の構築式が霧散し、無手の状態に陥る。
 学生の一人が石になるのを見ながら、涙子は下唇を強く噛んだ。

「うあああああああああ!!」

 涙子は槍を大きく振りかぶり、《石喰い》の背中目掛けて振り下ろす。
 《石喰い》に死角は無い。元々マネキンの姿は仮初、背は死角ですら無い。《獣の槍》の刃には触れず、柄に触手を巻きつける方法でたやすく攻撃を止めた。

「ぐ、ぐぅぅ! そこの男子ッ! 早く逃げて!」

 涙子は触手と力比べをしながら、必死に声を上げる。
 学生達は涙子の姿にも驚くが、言葉に従い這うようにして逃げようとする。だが――。

「うあぁぁぁ」
「やめ――」

 悲鳴が途切れる。
 伸びた触手が残った二人をも石化した。

「――ッ!」

 その姿を見、ズキリと《棘》の痛みが増す。逃がそうとした二人でさえ助けられなかった。
 《石喰い》は返す刀で、涙子の体に向け触手を伸ばした。
 その時、涙子の体を掠めながら炎の矢が飛ぶ。触手数本に突き刺さり爆散させる。
 箒に乗った愛衣が放った魔法だ。

「佐天さんッ! 伏せてください!」

 愛衣は箒の飛行速度を落とさず、突進しながら《槍》に巻きつく触手を蹴り上げた。残る触手を右手で握りこみ、魔力を力の限り発動体に流し込む。

「火よ(フラマ)!」

 魔法のキーとなる単語のみの簡素な魔法。だが、力を込めればそれなりの力になる。
 愛衣の手を中心に炎が燃え広がり、触手がボロボロと崩れた。涙子はチリチリと肌を焼く熱気を感じながら、自由になった槍を手元に引き寄せる。
 《石喰い》は触手を切り離し、更に距離を取った。愛衣の作った一瞬の火の壁を好都合と思ったのか、そのまま路地を駆け逃げる。
 追いかけなきゃ、と思う二人の前に三つの石像があった。
 涙子がグっと歯噛みする中、愛衣は石像の表面に触れた。

「――完全に石化しています。私には治療できません。佐天さん、早くしないと被害が増えます。行きましょう」
「行く、って。この人達このままにするのッ! 佐倉さん、どうにか出来ないの?」

 涙子はすがりたかった、目の前の小さな魔法使いに。
 愛衣は困った表情をしながら、首を横に振った。

「そんな――」

 そうしてる間にも《石喰い》は被害を増えるかもしれない。
 だが、そんな時にまた涙子の中に囁きがあった。
 ――《獣の槍》ならばこの程度の呪いを壊せる。
 《槍》の持つ歴代の使い手の記憶が、それを後押しする。

「で、できるの?」

 涙子が《槍》の囁きを問い直す。涙子の唐突な独り言に愛衣は眉をしかめた。
 獣の槍は人を傷つけない、妖怪(バケモノ)を討つ破魔の槍。
 それを、涙子は知っている。《槍》を自らの体に仕舞っているのを思い出した。確かに槍は、涙子の肌すらも傷つけなかった。つまり――。

「人を、斬るの……?」

 人を斬る。人を傷つける。
 いくら助けるためとはいえ、その行いに涙子は躊躇した。
 弟との喧嘩ぐらいならした事がある。されど、幾ら傷つかないとはいえ、人に刃物を向けるという行いが、涙子の心を重くした。

 ――〝キミノオカゲダ〟。

 言葉が耳に反響する。

「――ハァッ!」

 涙子は奥歯を強く噛み、槍を大きく振るった。槍の軌跡に合わせ、長い髪も弧を描く。
 槍はしっかりと三体の石像の胴を薙ぎ払う。ズプリと体内に差し込まれた槍は、傷一つ無くすり抜けていく。

「佐天さん、何をッ!」

 涙子の唐突な行動に、愛衣は目を見張るも。
 一拍の間。
 ガラスが割れるような音と共に、男子学生の石化が解かれた。周囲には石の破片がパラパラと舞い落ちる。
 石化していた間の記憶が無いのか、男子学生はキョトンとした顔で涙子たちを見ていた。

「――行こう」

 言葉少なく、愛衣を急かせた。涙子は男子学生の顔を見る事無く、再び《石喰い》を追った。




     ◆




 一通りの打ち合わせをした西条は、喫茶店の前で上条と別れようとしていた。
 そこで西条は、自らの霊感を大きく揺らす存在を感じた。

「これは、妖気。しかもかなり大きい」
「え? 妖気、ですか?」

 漫画やゲームで名前を聞くヤツだろうか、と上条は浮かべる。そして、目の前の人間が本物の霊能力者だと思い直した。

「それって、もしかして危険な感じでしょーか?」
「あぁ、それもかなりね。上条君、悪いが早速仕事を手伝ってもらおう」

 西条は荷物から金属製の短筒を出した。グリップ部分を握り、スイッチを押すと金属が擦れる音と共に、警棒の様にグリップから金属棒が延び、一メートル程で止まる。
 『神通棍』と呼ばれる、業界では一般的に使われる霊具だ。霊力の伝導率が良く、除霊効果が高いのだ。
 元々西条は『霊剣ジャスティス』と呼ばれる霊具を使っているのだが、今回学園都市に入るにあたり、刃物や銃器といった『学園都市』を警戒させる霊具を持ち込んでいなかった。
 使い慣れない神通棍を握り締め、スーツの懐に入れた破魔札も確認する。
 上条を連れて行くに辺り霊視ゴーグルも必要かとも思ったが、遠くに悲鳴が聞こえ、必要ない事を悟る。

「さ、西条さん。あの声って!」
「一般人にも見える妖怪。これは大物だぞ、急ごう上条君」

 西条は足に霊力を通して強化するが、人込みが邪魔して思うように進めない。それでも一般人の上条が全力で走って、何とか置いて行かれないという速度だ。

「うお! は、速いよ! 西条さん、速すぎる!」

 後ろから上条の悲鳴にも似た声が上がった。



     ◆



 いつの間にか涙子達は大通りに出ていた。
 下校時のラッシュの中、人込みの上に《石喰い》の姿があった。幾つもの悲鳴が木霊し、混乱が伝播する。

「な、何て事」

 愛衣はその惨状を見て呟く。彼女が考えていた最悪の状況だった。
 本来、魔力や妖気、妖怪や霊などといったモノは特殊な素養が無いと見ることは適わない。だが、時として容易く人に見える事もある。
 現在、羽生により莫大な妖気を注入された《石喰い》は、力の強大さ故、一般人の目にもはっきりと見えていた。
 のっぺりとしたマネキンの顔。そこから伸びる異形の触手。次々と石化していく周囲の人間。能力がほとんど効かない存在。
 なまじ力を持っている『学園都市』の学生だからこそ、初めて見る妖怪(バケモノ)に強く恐怖した。
 涙子はその光景を見るなり、飛び出した。人込みの頭上を長髪が尾を引き駆け抜けていく。恐怖に逃げ出そうとする学生は、その姿に更に混乱した。

「いやーーーッ!」
「こっちにもバケモノだぁ!」

 涙子に悲鳴と罵声が浴びせられる。怯えた学生が能力を振るうも、念力で飛ばされた小石は涙子は槍の一振りでいなされる。
 涙子の姿に人波が割れる。その中を顔を歪めた涙子が走っていく。
 だが、周囲の人間には、長い髪に隠れた涙子の表情も服装も体型も、おぼろげにしか見えない。
 割れた人波の先には《石喰い》がいる。《石喰い》の軌跡を示すが如く、途中に幾つもの石像が並んでいた。

「あぁぁぁぁぁぁ!」

 悲鳴にも似た咆哮。滲む視界を必死に見据え、ずいぶんと重くなった槍をがむしゃらに振るう。
 槍を振るう度に石化された人間が元に戻っていくものの、周囲の人間たちは〝槍を振るい、暴れる〟涙子の姿に悲鳴を上げた。
 周囲の人垣に当たらぬよう、槍を短く持った涙子は、標的たる《石喰い》を強襲する。迎撃するべく振るわれた触手を、一切の防御をせずに紙一重で避けていく。腕や足、頬に浅い傷が出来る。
 それでも構わずに、《石喰い》の本体に肉薄した。マネキンの頭部に槍の刃を突きつけるも、柄を触手に絡まれ、再び力比べとなった。
 ふと涙子の視線が、人垣を掻き分けてくる見慣れた影を捉えた。
 正義感の強い子だ。たいした能力も無いのに、おそらくこの事態を見過ごせなかったんだろう。

(……初春)

 涙子のクラスメイト、初春飾利がいた。確か今日も風紀委員の仕事がある、と言っていたので、その帰りなのだろう。
 周囲の人間の避難をさせながら、涙子や《石喰い》の姿を見て、驚いている。幸い涙子の姿は髪が絡まり、ほとんど隠れていた。
 それでも、涙子は今の自分を見られたく無かった。
 浅はかな憧れに酔い、多くの人間を巻き込んでしまった自分を。
 周囲の悲鳴が罪悪感を呼び起こし、初春の視線が羞恥を感じさせた。
 槍を握る力が弱まる。その期を逃さず、周囲に伸ばされた《石喰い》の触手が鞭の様にしなった。
 その一本が初春の近くの人間に当たりそうになる。
 そして――。

(あぁ……)

 初春がその人間に覆いかぶさった。幸い直撃は避けたものの、初春のトレードマークである花飾りがパリパリと石化し、地面に落ちる。
 自らの油断。
 自責の念で、涙子の戦意が崩れそうになる。様々な感情と思いが渦巻き、膝をつきそうになった。
 その時、目の前の《石喰い》が殴られた様に体勢を崩す。だが、どうにか耐え切ったのだろう、〝ぶつかってきたモノ〟と更に力比べをし拮抗する。

〈佐天さん!〉

 涙子にだけ聞こえる声がした。それはすぐ横、顔がぶつかりそうなくらいの場所からだ。
 体が薄っすらと透けた愛衣がいた。涙子は知らなかったが、認識阻害という魔法を駆使している。
 これだけの人間がいる中でも魔法が使える様に、愛衣は自らの体を隠蔽していた。
 愛衣は箒の加速を使いつつ、前方に魔法障壁を展開して体当たりしたのだ。それでも《石喰い》は後ろに一歩下がる程度だった。

〈佐天さん、ここでは被害が広がってしまいます! この妖怪をこのまま押し出して、人気の無い場所まで引っ張ります!〉

 愛衣は早口で涙子に説明する。念話を使っているのは、涙子の名前が周囲にバレないためだろう。

〈私一人じゃ無理なんです! お願いします! 力を、力を貸してください!〉

 視界の端に起き上がろうとする初春がいた。
 《棘》が更に痛みを増す。周りの悲鳴から逃げ出したい衝動が、涙子をギリギリで立たせていた。
 悔しさや苛立ちを膝に込め、力の限り地面を蹴った。体ごと愛衣と一緒に《石喰い》へとぶつける。

「――ッ!!!」

 衝撃。
 口をへの字にしながら、必死に耐えた。
 涙子と愛衣、二人分の力が辛うじて《石喰い》の本体を空中に押し上げる。
 そこへ、幾つもの炎の矢が殺到し、《石喰い》を更に空中へ吹き飛ばす。愛衣が体当たりをする前に、あらかじめ飛ばしていた魔法の射手(サギタ・マギカ)。弧を描くように遠回りさせていたソレが突き刺さったのだ。
 涙子は残っていた石像を槍の一振りで元に戻してから、《石喰い》を追撃する。
 六階建ての比較的低いビル、その屋上に《石喰い》が落ちた。空を飛ぶ愛衣の手に捕まり、涙子も《石喰い》に食い下がる。
 屋上に辿り着くなり愛衣の手を離し、落下速度を上乗せしてマネキンへ槍を突き刺した。

『ギャァァァァァァァァァァァ!!!』

 《石喰い》が鳴き声を上げる。マネキンという仮初の殻が割れ、飛び出したのは巨大なムカデだ。
 それこそが《石喰い》と呼ばれる妖怪変化の本体だった。
 おおよそマネキンの体積と合わない巨大ムカデが、紫の血を撒き散らしながら、背に刺さった槍を抜こうと必死にもがく。

「――うッ! ――くッ!」

 ムカデの背の中央に突き刺さった槍を、涙子は力の限り掴む。体は大きく揺さぶられ、呼吸すらままならくなっていた。酸素を求める体が必死に口を開けさせるものの、息が詰まり体に入ってこない。
 《石喰い》たるムカデは、背に涙子を乗せたまま逃亡を開始した。全長二十メートルを越える巨体が、ビルの屋上から屋上へと移動する。
 途中、幾つかのビルの屋上にあった手すりやプレハブさえも粉々にし、疾走する。まるで空飛ぶダンプカーの様だ。

 ――目。それこそがこの化生の急所。

 《槍》の知識が、涙子に助言を与える。

「目、って」

 先程よりはマシになったが、風が顔を叩き呼吸は浅い。息継ぎをしながら、なんとか槍の囁きに答える。
 涙子は力を振り絞り、叫んだ。

「佐倉さん! 動きを止めて!」

 愛衣はその言葉を聞き、箒を最高速にした。ムカデが通る進路を予測し、それを遮る場所へと先回りをする。
 降り立った建物の屋上から、愛衣は真正面に見える《石喰い》に対峙する。
 そして紡ぐ、自らの最大の魔法を。

「メイプル・ネイプル・アラモード……」

 始動キーと呼ばれる言葉を唱えた。

「ものみな焼き尽くす浄化の炎破壊の王にして……」

 前方では、必死に涙子がムカデの背に掴まっている。

「再生の徴よ我が手に宿りて敵を喰らえ……」

 愛衣の周囲に魔力と精霊が渦巻いた。空気に熱が帯び、かざした手を中心に炎が燃え広がる。

「紅き焔(フラグランティア・ルビカンス)ッッーー!!」

 目の前に迫ったムカデの鼻っ面に向かい、力の限り魔法を叩き付けた。
 ムカデの顔が炎に焼かれる。愛衣の目前で、巨大な炎の壁が唸りを上げた。
 《石喰い》は一瞬力を失い真下へと、建物と建物の間へ落ちていく。
 涙子はその機会を見逃さず、槍を引き抜き、《石喰い》の背中を一気に走りぬけた。目指すは頭部、ムカデの目玉だ。
 真下へ落ちていく中を、落下速度より早く涙子が駆ける。

「――ッ!」

 頭部に辿り着き、槍の刃を目玉に突き刺した。

『ギャアアアアアアアアアア!!』

 《石喰い》の悲鳴が涙子の耳朶を揺らす。肉を抉る感触が伝わった。
 《獣の槍》にある技術が、バケモノへ止めを刺すための動きを勝手に行なう。
 槍を更に強くねじ込み、ムカデを建物の壁面、コンクリートへ押し付ける。《石喰い》が槍と壁に挟まれ、体をガリガリと削られた。
 その間も《獣の槍》の破魔たる”毒”が、《石喰い》の急所を通し全身に回っていく。
 地面に衝突する寸前、《石喰い》の体が塵となり消えた。空中にパラパラと、妖気の残滓が舞う。

「え?」

 《石喰い》が急に消滅した事で、涙子は支えを失い、空中でバランスを崩した。
 そこを――。

「佐天さん!」

 魔法を放った後、飛行魔法で追いかけてきた愛衣にキャッチされた。
 ゆっくりと地面に着地した二人は、力尽きた様に座り込んだ。

「ハハハ、う、嘘みたいです。あんな強い妖怪を、退治できたなんて」

 乾いた笑いをしつつ、愛衣は安堵の息を吐いた。彼女が見た限り、これほどの惨事ながら人死には出ていないはずだ。
 頼る者がいないという状況で、必死に虚勢を張っていたが、《石喰い》を退治した事でそれは消えていた。
 心臓はバクバクと未だ鼓動は激しく、手はビッシリと汗をかいていた。
 横を見れば、涙子は長い髪を地面に放射線状に広げながら、顔を頷かせている。
 怪我をしているのか、と声をかけようとした愛衣だが、髪の隙間から聞こえる嗚咽で留まった。

「佐天、さん……」

 涙子は槍を胸で抱くようにして泣いていた。
 グシュグシュと、言葉にならない声が聞こえる。
 数分、いや数秒だろうか、愛衣はただ涙子を見守った。やがて、涙子がはっきりとした言葉を紡いだ。

「わ、私、ただこの《槍》を手に入れて、いい気になってた。まるで超能力者に、ヒーローにでもなった気だった。」

 鼻をすする音。長髪が顔を隠しているのに、愛衣にはその泣き顔が見える気がした。

「でも、ダメだ。覚悟も責任も知らずに、力だけ見ていた。いくら力があろうが、やっぱり私はレベル0の役立たずだ。ううん、役立たずならまだいい。皆に迷惑かけて、それで……」
「そんな! だって、佐天さんは悪くないじゃないですか! あの羽生って人を、妖怪を必死に止めようとしました」

 愛衣が涙子の言葉に反論する。
 涙子は顔を上げた。涙と鼻水でグジュグジュになった顔を歪ませ、自嘲の笑みを浮かべる。

「でもね、佐倉さん。羽生さんを解放したのは、私なんだよ」

 その言葉と表情が、愛衣の心を抉った。
 戦いと言う名の『暴力』の中で、涙子は体も心も傷だらけになってしまったのだろう。
 愛衣も初めての戦いの時、酷く泣いた。恐かった。それは自分が傷つく事だけではなく、他人を傷つける事が恐かったのだ。
 その時の自分には高音という姉と、ガンドルフィーニという師がいた。他にも頼るべき仲間がたくさんいた。
 だがどうだろう。《学園都市》という場所で、本来ありえない異質な力を持ってしまった涙子に、そんな存在はいない。
 いるとしたら自分だけだ。愛衣はそう思い、言葉をかけようとする。
 そこへ――。

「動くな!」

 第三者の声がかかった。



     ◆



 人込みを掻き分け、《石喰い》が居た場所へ辿り着いた西条達だったが、そこに妖怪の姿は無かった。
 周囲に急を要する重傷人がいない事を確認すると、西条は妖怪を追走しようとした。
 風紀委員だという人間に軽く事情を聞くと、どうやら妖怪と対峙する奇妙な人影があったとか。その攻防の最中、ビルの向こう側へと、妖怪と人影は消えたらしい。
 息を切らせ、上条が追いついてきた。
 西条はそんな上条を肩で担いだ。

「え? え?」
「すまないな、上条君。妖怪を追走するんで、しっかりと掴まってくれ。あ、右手は触れないようにしてくれたまえよ」
「な、何を――」
「喋ると、舌を噛むよ」

 西条は足に霊力を込めて走る。車と並走せんばかりの速度で、細い路地を駆け抜ける。外部の非常階段がむき出しの建物を見つけると、その階段を一気に昇り、屋上に飛び出した。

「――いいッ!――のわぁ!」

 ガクガクと揺らされ、目まぐるしく風景が移り変わり、上条は目を回す。
 屋上に出た西条は、《石食い》が残した破壊痕を辿る。

「酷いな」

 幾ら霊感が鈍くなっているとは言え、これだけの妖力の残滓と破壊痕があれば、足跡を辿るのも容易い。
 ビルからビルへ、霊力を駆使し飛び移っていく。肩に上条を担ぎながらも、重さを感じさせない軽やかな動きだった。
 途中、何かを感じ、ビルから飛び降りた。

「うわぁぁぁぁ!」

 肩口から上条の悲鳴が聞こえるも、無視をした。
 細い路地へ着地した西条は、上条を降ろす。

「ぷはー、ぷはー」
「上条君、いきなりで悪いんだが、僕の肩に触れて貰えるかな。もちろん右手で」
「え? こ、こうですか」

 上条が右手で触れると、西条の霊力が綺麗に霧散する。
 天然のステルス能力だ。

「この二つ先の路地に、目標がいる。妖力が消えてるから、おそらく妖怪は始末されたのだろう。だが、もう片方の〝奇妙な人影〟が気になる。先程、妖力とは違う禍々しさを僅かに感じた。できるだけ気配を殺し、近づこう」

 西条の言葉に、上条は首を縦に振った。
 二人は無言で、そっと件の路地へ近づく。路地の手前の角で上条に手を放してもらい、勢い良く飛び込んだ。

「動くな!」

 手にはいつでも破魔札を投げられるように構えている。
 西条の視線の先には二つの人影があった。
 槍を抱える信じられない程長い髪を持つ人影と、中学生くらいの少女だ。

(魔力、だと)

 少女の方には認識阻害の魔法がかけられていたが、抗魔力のある西条には通じない。むしろ纏う魔力すらはっきり視認できた。
 後ろから覗き込んだ上条も、幻想殺し(イマジンブレイカー)が魔法効果を打ち消していたので、しっかりと少女を見ていた。

「お、女の子? それに何、あのホラーっぽい人は!」

 上条は愛衣に違和感を抱かず、涙子の奇妙な姿に目を奪われた。



     ◆



(いけない)

 愛衣は目の前に現れた二人に対し、瞬時にどうやって逃げるかを考えた。
 幾ら緊急事態とは言え、魔法使いである自分は異質。しかも《学園都市》でこうも暴れたとなったら、どういう組織間の火種になるかわからない。
 西条の体に霊力がある事を感じながらも、疲労に染まった頭は冷静に判断をくだせなかった。

「に、逃げますよ!」

 愛衣は立ち上がり、力無い涙子の腕を無理やり引っ張った。
 涙子は愛衣にされるがまま、幽鬼の様に立ち上がる。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 上条が涙子を捕まえようと〝右手〟を伸ばした。その手が《槍》を掴む。
 パリンというガラスが割れるような音とともに、長髪が崩れ落ち、普段の涙子の姿に戻った。

「え……女の子?」

 上条は涙子の変わりように驚き、《槍》を掴んだ手を離してしまう。
 一番驚いたのは涙子だ、体に残っていた力がごっそり取り除かれていた。疲労が一気に体に襲い掛かる。

「なに、これ」

 涙子は目を見開く。
 上条が《槍》から手を離した瞬間、《槍》の現状が涙子に理解できた。
 《獣の槍》の中には、代々の担い手が受け継いできた、バケモノを屠るための技術と知識が保管されている。その一人分のデータが破壊された、と《槍》の知識が囁く。
 涙子の知る限り最高の力を持つ槍の一部が『壊された』のだ。

(こ、『壊された』)

 だが、タイミングが悪かった。上条の何気ない行動に涙子は敏感に反応する。
 涙子に手を伸ばした男子高校生の姿が、急におぞましく見えた。

「――ヒッ!」

 再び涙子の髪が伸び、力の限りを使い逃げた。愛衣の手も、上条の手も、西条の視線からも。
 涙子の行動に呆気に取られながらも、愛衣も魔法で目くらましの光源を作り、上空へと逃亡する。
 光が路地を満たし、その場にいた人間の目を焼く。
 気付いた時には西条と上条、男二人だけが取り残された。

「……あれ?」

 上条がマヌケな声をあげる。

「ふぅ、失敗したな」

 西条は頭を掻いた。もはや追いつける様な距離ではない。やるだけ無駄だろう。
 それに、どうやら勘違いをしていたようだ、と思い直す。

(魔法か。それにもう一人の少女は確かに――)

 泣いていた、そう西条は口の中で呟いた。



     ◆



 涙子は自分の寮の近くまで来ると、《槍》の力を解除した。
 携帯を見れば、何度か愛衣からのコールがあったが、電源を落としてポケットに放り込む。 夜の帳が落ち、街灯と周囲の住居から漏れる光だけが道を照らす。
 涙子の胸中では、今日浴びせられた悲鳴や罵声が蘇り、石となった人間の姿がフラッシュバックする。
 ムカデへ槍を突き刺した肉の感触が、手の平にまだ残っている。あの時吹き出た紫色の血、そのほとんどは涙子を体ごと覆っていた長髪にかかったものの、見れば制服の端に小さな染みを作っていた。
 重い足を引きずる。
 今すぐにでも、地面に倒れこみたかった。
 ふと、引きずっていた槍を思い出す。
 なぜ、自分が未だにこの《槍》を持っているのか。

「私、嫌だ。もう力なんていらない」

 自分に確認するように呟く。対して《槍》に反応はもちろん無い。
 自責の念がある。羽生を開放してしまった責任。《棘》は未だ疼いていた。
 それでも、自分には力を振るう資格は無いと思ってしまう。
 《石喰い》に初春が襲われた時、自分は力が振るえたはずなのに止めてしまった。結果的に初春は紙一重で避けたものの、間違えば初春は死んでいたかもしれない。
 思えば《槍》を持って、まだ一日しか経っていない。なのに早くも大失敗を犯してしまう、自分の情けなさに苦笑いが漏れた。
 寮の近所のマンション前に、金属コンテナ型のゴミ捨て場が見えた。
 回収してくれるかな、と疑問に思いつつコンテナの蓋を開ける。

「私は、ヒーローになれないよ。《獣の槍》、ごめんね」

 槍をコンテナの中に入れ、蓋を閉めた。
 槍は沈黙。なぜならば《槍》は道具であり、道具は使い手の意向のままに働くだけなのだから。
 涙子は《獣の槍》を捨て、帰路へ着くのだった。



 第六話 END



[25216] 第七話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:18
 涙子の戦いの結果を見て、羽生は笑みを強くした。

『《石喰い》は死んだか』

 風力発電のために作られたプロペラ、その支柱の先に立ちながら、遥か遠くでの出来事を羽生は見つめていた。
 傍らには《娘の絵》。額縁をそっと優しく撫でながら、再び妖力を流し込む。

『まだ、〝私〟を見ていて貰うよ。お嬢さん』

 妖力を注ぎ込んだ絵から、〝ナニか〟が這い出てくる。生首とでも言おうか、憎しみを露にする表情の首が五つ、絵から飛び出した。
 それは《飛頭蛮》と呼ばれる、大陸に伝わる妖怪(バケモノ)の一種だった。

『ニィィィンンンンゲェェェェェンンン!』

 落ち武者の如く、無様に伸ばされた髪を振り乱す生首達。カチカチと歯を鳴らし、怨嗟の篭った声をあげる。
 絵から飛び出した五つの影は、産みの親である羽生すら一顧だにせず、『学園都市』の夜へと消えていった。
 《飛頭蛮》が空を駆る姿を眺めていた羽生の肩に、一羽の小鳥が止まる。

〈羽生はん、そちらの守備はどうなってはりますか?〉

 小鳥が口を開けると、何故か人の声がした。

『天ヶ崎か、見ていたくせに聞くな』
〈いけずやわぁ。……まぁ見てはりましたが。上々といった所でっしゃろか、ウチらも計画は良好ですわ。式神を使い、『学園都市』への術の設置は着々と進んでおす〉

 羽生はフンと息を強く吐くと、呆れた様に言葉を返した。

『よくもまぁ、この大きさの街に術など設置できるな』
〈ははは、あいにくウチのバックにはしっかりと組織の援助がありますから。とは言っても、ほとんどが物資になりますが、お陰で呪符に事欠きまへん〉

 羽生もこの一日の間に街中を走る少年、おそらく天ヶ崎千草の式神だろうモノを数度見ている。
 そしてそれは、涙子が羽生の封印された場所へ誘導された少年と同じ姿だった。

(関西呪術協会か)

 羽生は心の中で一人ごちる。

『手早く頼むぞ。一応、君の言う追っ手とやらもこちらに注視している。あちら同士で結託されても面倒だしな』
〈了解です。それでは〉

 小鳥は羽生の肩から離れると、唐突に火を噴き燃え上がる。
 鳥はそのまま地面に落ちるが、残るのは紙くずのみ。やはり千草の式神の様だった。
 羽生はその燃えカスを、靴裏で踏みつけた。



     ◆



「ふむ、お主も元気そうだのう」

 畳の上に胡座をかきながら、ドクター・カオスは口を開いた。
 白髪頭にしわくちゃの顔をした老人だが、西欧人特有の彫りの深さやガタイの大きさも目立つ。ギラギラとした目つきには、老練たる力強さがあった。
 それもそのはず、彼は『ヨーロッパの魔王』とまで呼ばれた天才錬金術師であった。齢千歳を越える不老不死でもある。
 ドクター・カオスは今日、十年来の友人の家に遊びに来ていた。

「お前もな……とゆーか、誰だお前」

 カオスの対面でお茶をすすりながら、そう漏らすのはこの自宅件研究所の主、成原成行博士だ。

「お主、共同研究までした仲な上、家に上げておいて忘れるのかのぉ」
「おー! おー! おー!」

 カオスの言葉に、成原は頭をポンポン叩きつつ、部屋の中をウロウロし始めた。
 成原の行動に呆れつつ、いつもの事と割り切って、カオスは茶をすすった。

「あれか! 以前アンドロイドの共同研究をした!」
「アンドロイドじゃない。あの子は人造人間じゃ。ちゃんと霊魂がある、人工じゃがのぉ」
「ふむ」

 合点いった、といった感じで成原はドカリと薄い座布団に腰を下ろす。
 場所は成原の研究室――という名の和室六畳間だ。周囲にはガラクタが山の様に置かれ、雑然とした印象を持たせる。

「そういや、お前とはあのマリアっちゅー子の調整をしたな。思い出したぞ」
「やっとか。相変わらず鈍いのぉ、若造」

 ニヤリとカオスは笑みを浮かべた。
 成原は見かけ五十台といった中年だ。目つきが悪くどこか飄々としていて、ついでに物忘れがとんでもなく酷い。ある意味研究者として致命的ながらも、彼のときたま冴える天才ぶりは、一部の人間には周知の事実であった。
 そんな彼にしろ、カオスから見たらまだまだ若造だ。
 だが、年齢の開きが大きいながら、彼らは研究者というカテゴリの中で気の合う友人である。十数年前、カオスの作った人工人間『マリア』のボディの調整が必要になった折、成原と出会い意気投合したのだ。
 成原の知識や発想はカオスにとっても新鮮で、マリアの新素体となるボディに様々な新要素が加わっていった。代わりにカオスはオカルト知識を成原に与え、成原もそれを使い様々なくだらない物を作っていった。霊を吸い込む掃除機とかである。ちなみにその掃除機は、吸い込んだ霊がタンク内で暴れると爆発するという脆すぎる欠陥品で、あっという間にお蔵入りとなっている。

「にしても、まさかお主が《学園都市》にいるとは思わなかったぞ」
「フン! ここの人間は信用ならん! 『あなたの力をぜひ学園都市で~』なんて言っておきながら、いざ来てやったらすぐに研究所を追い出されたわ! その上『壁の外』へは申請がどうのこうのと煩くての。夏に海にすら満足にいけん!」

 ガーッと捲くし立てる成原だが、研究所をクビになった理由も、しっかり自分のせいだったりする。

「この前も、知り合いの学生に頼まれて、ちょっとデータバンクをいじるついでに自作のコンピュータ・ウィルスを流したら、警備員(アンチスキル)とかいうアホ共が大量に来おったし!」
「そいつはお主が悪かろう。流出元がバレる事自体が失態だの」
「ふむ。一応そこらへんはしっかりとしたつもりなんだが。何でバレたやら」

 不思議そうに首を傾ける成原だが、そのウィルスは感染すると『成原の顔が画面一杯に出てきて叫ぶ』という症例を起こす。推して知るべし。

「ところで爺さん。よく《学園都市》に来れたな。またオカルトか?」
「カカカ、まぁそんなとこじゃ。蛇の道は何とやら」

 《学園都市》の出入りの警備は厳しい。そこをすり抜けてくる辺り、ドクター・カオスの実力の証左にもなっていた。

「家賃が足りなくて、丁度マリアが今出稼ぎに行ってての。そんな時、何か売るものが無いかと押入れを探してたら、こんなもんが出てきたのじゃ」

 カオスが差し出したのは古い赤茶けた紙だ。
 成原は受け取って紙を広げると、パチンと額を手で打った。

「おー! おー! おー! こいつは懐かしいモンが出てきたな」

 開いた紙は設計図だった。どうやら人型のロボットの様なものが書かれている。

「R・11号とか書かれておるの。お主も確かロボットを作っておったな」
「アンドロイドだ。ア・ン・ド・ロ・イ・ド。ふむふむ、昔のワシは何をやっておるんだ! こんな甘すぎる設計なぞしおってからに!」

 そう言いながら、設計図に次々とケチを付け始めた。

「最近はアンドロイドは作っておるのか。何やら人型のガラクタがそこらに転がっておるがのぉ」
「おー! おー! なんだったかな、そう! R・28号を作ったわ。ほれ、お主との研究の際に頂いた『精霊石』を幾つか使った。そこそこのスペックなはずなんだがな……」
「せ、精霊石じゃとぉ! あの後何処を探しても見つからんと思ったが! 精霊石をパクりおったか若造ッ!」

 カオスは成原の頭をゴツンと殴った。

「あれは精霊石の小さな破片とは言え、それなりの額がするんじゃ! あれがありゃー、ワシもそれなりの生活が送れてたものをッ!」

 涙混じりのカオスの言葉に、成原はワハハハと笑い返す。

「何を言うかバカモン! あれは正当な報酬だ。それにあんな小さな破片、出力が弱くて仕方なかったぞ。あの破片を加工して、霊力を圧縮出来る様にするのに苦労したわい!」
「な、なぬ、破片を加工じゃと」

 ピクリとカオスの眉が動いた。

「ちょっとその設計図やデータを見せるんじゃ」
「知りたきゃ勝手に探せ! 確かそこらへんに置いたはずだ」

 成原が指差す先には、紙束が山を作っていた。カオスのこめかみに汗が一筋。

「マ、マリアぁ」

 彼の優秀な助手の名前を呼ぶも、彼女は今ここにはいない。

「く、ならば、R・28号を見せるんじゃ! どこにおる!」
「ふむ。確かあやつは近くの高校に通ってたかのぉ。以前余りにも役にたたんので追い出した。あれじゃ世界征服の役にも立たん!」

 成原の世迷言を華麗にスルーしつつ、そのアンドロイドの処遇が不憫に思えたカオスだった。
 ガハハハ、と豪快に笑う成原成行の声だけが響いていた。



     ◆



 涙子が起きたのは九時過ぎだった。時計を見て驚き飛び起きるも、幸い今日は学校が休みである。例え学校があれど、今日はさすがに休んでいただろうが。
 昨日は部屋に帰った後、そのまま食事も入浴もせずに寝てしまった。
 目がシバシバと乾く。昨日汗をかいたまま寝たせいか、髪もベタついていた。
 涙子はとりあえずシャワーをすませる事にし、バスルームに入った。熱いお湯を浴びると、徐々に意識がはっきりとしてくる。
 そして昨日の光景がありありと蘇ってきた。羽生の言葉を思い出す度、心がチクチクと痛む。周囲の人間の悲鳴と罵声は、涙子の鼓動を速くする。手に残る肉を抉る感触、調理の時に肉を切るのと違う、生々しさがあった。
 シャワーはこんなにも熱いのに、意識が明確になっていくにつれ、背筋に凍るような冷たさが昇ってくる。歯の根が揺れ、目が泳いだ。得も知れぬ不安感が心を覆っていく。
 シャワーを浴び終えた涙子は、冷蔵庫を開けて牛乳をグラス一杯煽った。
 そして、机の上に放り出されていた携帯電話を手に取る。電源は昨日のまま、切れていた。
 電源を付けると、サーバーに残ったデータが受信され、着信履歴などが表示される。愛衣と離れた後、何度も彼女から連絡があったようだ。
 涙子は愛衣と話すのが恐くなり、再び電源を落とした。

「どうしよう……」

 《槍》はもう手元に無い。だが、頭には《槍》に植えつけられた技術や知識の残滓があり、それが何とも言えない虚無感を産んでいる。
 自分以外誰も居ない部屋を見回すと、孤独が増すようだった。見慣れた部屋が、安堵ではなく不安を呼び起こさせる。
 相手は知らないはずだが、愛衣がもしここへ来たらどうしよう、と想像する。どのように答えればいいのだろうか、逃げ出した事を咎められるのだろうか。
 初夏の日差しが窓を閉め切った部屋を暑くしているのに、涙子の肌の上には相変わらずヒヤリとした感触が走り続けている。
 涙子は恐くなり、どこかへ出かける事にした。誰かに相談は出来ない。だが、一人では居たくなかった。
 電源を切った携帯と財布を持ち、涙子は繁華街へと足を向けた。



     ◆



 幾つかの店舗を眺めつつ繁華街を練り歩くも、涙子の心は晴れなかった。
 今日は学校が休みという事もあり、私服の人間が多い。人通りも多く、涙子は人の波に逆らわず、流れのままに歩く。
 行き着く先はモノレール駅前、以前愛衣と初めて出会った場所でもある。

(ここって……)

 涙子はそれに気付き、キョロキョロと周囲を見回す。

(良かった。居ない)

 愛衣の姿を見つけられずにほっとしたものの、このままここには居たくなかった。
 さしたる目的地も決めず、涙子はモノレールに乗る事にした。
 混み具合はそこそこながら、なんとか涙子一人は座る事が出来た。
 学園都市のモノレールという事で、振動はほぼ無い。駆動音すら聞こえず、車内では設置されたモニターからの天気情報やら広告などの音声が響くぐらいだ。とは言っても休日であり、人込みの喧騒がそれらを飲み込んでいたが。
 涙子は喧騒を意識の外に置きながら、車外の風景に目を向ける。
 ガラス越しに見える街並みは、涙子の住んでいた街とはかけ離れていた。近代的なデザインのビルが軒を連ねつつ、あらゆる場所で風力発電用のプロペラが見えるのはこの都市特有の光景だ。
 空路と陸路だけに輸送を頼り、また都市内にこれといった資源が無い学園都市では、風力や地熱といった自然エネルギーへの研究が進んでいる。
 現行、都市内のほとんどの車が化石燃料を使っているものの、それは《車》という都市外への移動も考慮に入れた乗り物だからである。外部へやたらに都市の技術を流出させないための措置だった。
 学園都市に化石燃料の輸送が止まっても、ほぼ現行の九割近い都市運営が可能と発表されている。
 まさに《近未来》といった都市を見つめる涙子の目に、以前の憧れは少ない。
 流れてゆく街並みに、そっと罪悪感を抱く。
 耳へ休日を楽しむ賑わいが聞こえ、煩わしさを感じる。
 音楽で紛らわそうとするものの、あいにくミュージックプレイヤーは部屋に置いてきてしまった。

(少しくらいなら、大丈夫だよね)

 愛衣からの連絡が恐く、オフにしていた携帯の電源を付ける。携帯を弄り、音楽をかけてイヤホンを付けた。
 柔らかい座席に体を沈め、目を閉じた。携帯から聞こえる流行のポップスに耳を傾ける。
 ただ時間が過ぎるのを、涙子は待ち続けた。



     ◆



 どのくらいだろうか。
 イヤホンを外し、目を開けた涙子が携帯を見ると、時間はお昼前だった。
 涙子が乗り込んだのは、第七学区を中心とした環状線だ。グルグルと周り続けるモノレールに乗り、いつの間にか一周した様だった。ついさっき見た風景が車外に広がっている。
 寝たわけではないが、ぼんやりとした時間を過ごしていた。おかげか、少しだけ心は軽くなっている。
 ふと、涙子は周囲の違和感に気付く。

「あれ?」

 人気が少ないのだ。
 さっきまであれほど居た乗客が、ほとんど消えていた。
 強い日差しが車内を明るくし、白い世界を形作っている。長いこと目を瞑っていた事も重なり、どこか視界をもやが覆っているかの様だ。
 そして、少なくとも自分の居る車両には、向かいの席に座る〝二人〟しか居ない。
 多少違和感を感じつつも、こんな事もあるかと納得する。

「なぁ、学生はん」

 向かい側の席から〝声がする〟。

「あ、はい」

 思わず声に出して返事したが、自分が呼びかけられたのか確信が持てず、少し躊躇った。
 もやがはっきりとした輪郭を描き始める。
 涙子とは反対の窓下の席に、いつの間にか大きなメガネをかけた和服の美女が座っていた。

(あれ?)

 確かに誰かが座っているとは思ったが、和服を着た女性だと涙子は〝声をかけらるまで認識できなかった〟。
 女性がニコリと笑い、どうやら自分に声をかけたのは間違いではなかったらしく、ほっとする。

「学生はん、なんか悩んでいる様やね」
「え、どうして……いや、なんでそんな事を聞くんですか?」

 女性の鋭い目線が、涙子の心を見透かす様だ。京訛りの言葉が、どこか艶を含んでいる。

「ふふふ、そんな焦らんでもええよ。ウチ、少し占いみたいな事もできるさかい、ね。人を見るのが得意なんえ」

 女性は組んだ膝に手を置き、頬杖をしながら涙子を見る。どこか手馴れた所作に、涙子は見惚れた。
 涙子と女性は二メートル程離れた座席で対峙しながらも、お互いの声がはっきり聞こえる。
 けっして大声で無い。なのに、まるで耳元で声が聞こえる様な感覚を、涙子は覚えた。
 女性はメガネのブリッジをそっと押し上げながら、涙子に声をかける。

「なんかな、あんさんを見てると、昔のウチに似ていてな。あ、不愉快だったら堪忍なぁ」
「い、いえ。不愉快だなんてそんな――」
「ふふ、ありがとう」

 光彩が無い目を三日月の形に歪め、女性は笑みの形を作る。
 女性は視線を窓の外に送りながら、少し間を置いて口を開いた。

「――それにしても、この街は面白おすなぁ」
「面白い、ですか?」
「そないでっしゃろ。学生を《能力》とやらで格付けしていき、環境を区分けしていく。まぁ、学力や偏差値なんてものが元々あるさかい、不思議ではないにしろ、ここまで露骨なのは珍しいやろなぁ」

 涙子も薄々感じていた事だった。この都市では優秀な能力者と、そうで無い者の扱いの差は激しい。支給される奨学金の額からも、その差が伺える。
 だが、これとて特に珍しい事では無いのだ。『壁の外』では学歴社会が当然の様に存在している。学歴が不利であっても、スポーツが出来るものはプロヘと進み、富と地位を得ることが出来る。多種多様な価値観の上に、階級付けがされていた。
 この都市は《超能力》という一つの価値観しか在らず、そしてその価値観から逃げられない。それが『壁の外』との違いなだけだ。

「まぁ、『競い合う』というのは『奪い、奪われる』っちゅー事おす。人の摂理に合わせた正しい形やと感じまへんか?」

 女性の問いかけに、涙子は少し口ごもる。言わんとしてる事は何となく分かるものの、余り肯定はしたくなかった。

「う……、そうかもしれませんけど、でも競い合うばっかりじゃ無くてもいいんじゃないですかね」
「それはあきまへん。人は『奪い、奪われる』という事を止めたらあきまへんで」

 女性は強い口調で返す。涙子はその言葉を聞きつつ、視界が狭まっていく様に感じた。

「人は本能を捨てる事はできまへん。『平等な社会』なんてお題目を掲げた国は、次々に潰れていきましたえ。つまる所、人は『奪う、奪われる』事を止めるができまへんと言うことおす」

 涙子はどこか、能力の格差から逃げ出したかったのだ。たった二ヶ月、ろくな努力をしてないにも関わらずだ。

「勝者には栄光を、敗者には烙印を。それこそが本能に根ざした社会の道理、ウチはそう思ってはります。だけど、コレには面白い事がありましてなぁ。勝者はけっして勝者のままでいられず、敗者は敗者のままでいる必要がない、という事おす」

 目の前の女性の笑み、冷たく張り付いた表情に、涙子は怖気を感じる。

「少なくともウチは『奪われた』事を『奪われた』ままにしとうない。殴られたら殴り返す、蹴られたら蹴り返す、その程度犬畜生でもできおす。そしてウチはそれが間違ってるとも思いまへん」
「はぁ」

 女性の言葉に耳を貸しながらも、何故この女性は自分にそんな事を話すのだおる、と少し不思議に思う。

「まぁ、年長者の世迷言とでも受け取ってくれやす。――おっとそろそろ目的地おす」

 モノレールがゆっくりとステーションに入っていく。やがて車両は停止し、女性は立ち上がった。

「長話、聞いてくれてありがとう。学生はんも元気出しておくれやす」
「あ、いえこちらこそ――」
「行きますえ、〝月詠はん〟」

 女性が呼びかけると、そのすぐ隣から人影が立ち上がる。

(――ッ)

 涙子は驚愕に目を見開くも、何処かで合点もしていた。
 確かに人影も気配もあった、なのに涙子は女性の隣の人影も〝認識〟すらできていなかったのだ。
 こびりついていた違和感の正体が分かった気がする。
 立ち上がった人影――月詠と呼ばれたのは少女であった。ゴシックロリータ、とでも言うのだろう。白いフリフリの服を着て、メガネをかけている美少女である。年齢はおそらく涙子と同世代、十三から十五程度だろう。服装はともかく、どこかのティーン雑誌のモデルをやってそうな容姿だ。
 涙子は思わず彼女を見つめてしまう。月詠はそんな涙子の視線に足を止め、頬を紅く染めた。フワリ、と《熱気》が涙子の頬を掠める。

「はようしておくれやす」

 女性の言葉に、月詠は止めていた足を動かす。

「は……い……」

 どこか喜悦を含みつつ、月詠は粛々と女性の言葉に従う。
 二人が車外へ出ると、途端喧騒が帰って来た。

「――え」

 ザワザワと休日特有の人並みが、車内へと流れ込んでくる。今までの静寂が嘘の様に、車内に人が溢れた。
 同時に、涙子は意識がしっかりと覚醒していくのを感じた。
 あやふやな輪郭がしっかりとした線を描き、白い世界に色が戻り始める。
 先程の女性との会話は現実だったのだろうか。記憶は明確にあるものの、会話の中での涙子の意識は、薄い膜が張っていたように不鮮明だ。
 ただ――。

(熱い)

 月詠と呼ばれた少女の纏う《熱気》、とでも言うべきモノが頬に少し残っていた。



 第七話 END



[25216] 第八話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:18
 光画部という部活がある。
 聞きなれない言葉だが、要するに写真部の事だ。
 この日、春風高校の光画部の部員達は撮影会という名目で、休みの日にも関わらず校外で落ち合う予定であった。
 だがこの光画部は、代々校内でも変人達の巣窟とも言われている部活である。部活内のローカルルールにもそれは反映し、『待ち合わせ時間の前後二時間は幅を取る』という意味不明な了解がまかり通っている。
 つまり『十時に駅前集合』という言葉に合わせ、部員が全員集合したのは十二時近くになってからだった。

「よぅし! それでは皆の集行くとするぞ!」

 初夏の日差しを大きめの四角いメガネで反射し、ギラギラと暑苦しい号令をかけるのは、光画部部長にして三年生の鳥坂だ。肩口まで伸ばした時代遅れの長髪が、どこかうっとおしい印象を与える。
 鳥坂の声に「へーい」と答え、ぞろぞろ付いて行く部員達。目的地はモノレールで数駅先の自然公園との事。本来は午前中の撮影が理想だったそうだが、光画部となれば無理も無い、というのが部員達の統一見解だった。
 バックなりカメラなりを持って歩いて改札を通り抜けていく列の中、異質な人影が一つ混じっている。
 六月に入り、段々と暑くなる中、部員達のほぼ全員が薄手の服装を着る中、その人影だけは上から下まで真っ黒な上に、学生服の詰襟をピシっと着ている。更に改札を自転車を引きつれ通っていた。

「ぶわっかも~~ん!」

 鳥坂のハリセンが人影の頭に当たる。衝撃を受け、〝頭部〟がポロリと落ちた。

「うわわわわ」

 人影は〝頭部〟を慌ててキャッチし、再び首の上に座らせる。

「酷いじゃないですか~、鳥坂先輩」
「このスカタン! 暑苦しい格好の上、自転車をホームまで持ってきてどうする!」

 頭を擦りながら鳥坂に文句を言うのは、かの成原博士が作り上げたアンドロイド《R・28号》ことR(あ~る)・田中一郎だった。ちなみに学年は二年生であり、鳥坂の後輩でもある。
 モノレールのホームは、休日とはいえかなりの込み具合だった。そんな中自転車を傍らに立っているあ~るは目立つ。

「鳥坂先輩、鳥坂先輩。とりあえずモノレールが来たので、その話は後にしましょうよ」

 女性部員で二年の大戸島さんごが、鳥坂をなだめる様に話しかける。

「えぇい! このポンコツめぇ!」
「痛い。痛い。痛い」

 だが鳥坂はほとんど話を聞かず、Rへの折檻を止めない。Rも嫌そうな顔をするものの、頭を殴られる度に事務的に反応している。
 さんごはどうしたものかと、苦笑いを浮かべながらその光景を見つめた。
 この光画部の部長たる鳥坂は、能力者としてはレベル0ながら、超人的な身体能力やら、人の話を聞かない強引さで有名である。そんな鳥坂の率いる部活にも、アンドロイドがいたり、生霊がいたりと、バラエティに富んだ部員が在籍していた。
 ちなみに生霊に関しては、能力開発のカテゴリとして『思念波の具現化』として扱われており、その現象を起こしていた本体である人物は、学生として春風高校に通っている。
 ホームにアナウンスが流れ、ほとんど無音でモノレールが滑り込んでくる。
 光画部の面子はぞろぞろと車両に乗り込んだ。モノレール六両の先頭の車両に乗り込み、その一角を部員達で占拠する形で立っている。

「ふむ。ホームにあれだけ人がいながら、車両はおっそろしい程に人が乗っていないな」
「ホントですね~」

 鳥坂の言葉に、さんごも頷いた。先程車両に乗り込む時にいた乗客は、さんごが見る限り中学生の少女が一人きりである。

(前の駅って、他の路線からの乗り換えがあると思うから、もっと混むと思うんだけどな~)

 さんごは路線図を思い浮かべながら、頭を傾げた。
 背後ではRが時事ネタのギャグを壮大にスベらせ、鳥坂にツッコまれている。
 賑やかな休日の喧騒があった。



     ◆



 涙子は車両内を見回す。見れば自転車までモノレールに持ち込んでいる人達もいた。
 なんかの部活かサークルだろうか、と涙子はアタリをつける。
 周囲には休日を楽しむ人の群れ。賑やかな会話が途切れることなく響いてくる。
 そんな喧騒が涙子に寂しさを感じさせた。喧騒から逃げ、なにかを考え込めば、先程の女性の言葉がズキリと蘇る。
 誰かと話したい、という欲求が溢れてきた。
 手にはさっきまでミュージックプレイヤーとして使っていた携帯がある。

(そういえば初春、大丈夫だったかな)

 昨日、涙子は戦いの中、初春飾利の姿を見ていた。怪我はしていないはずだが、心配ではあった。
 自分に『怪我を聞くだけ』と言い訳を募らせ、携帯のアドレス帳を捲っていく。
 初春飾利の欄を表示させ、通話ボタンの上で指が止まる。
 あの時、涙子は初春の視線を恐れ、槍を振るう手を止めてしまった。それが油断となり、《石喰い》の攻撃は初春を襲ったのだ。
 初春に対しての様々な罪悪感が、通話ボタンを押すことを躊躇する。
 涙子はプルプルと頭を横に振り、思考を切り替える。そして通話ボタンをしっかりと押した。
 スピーカーからのコール音に耳を澄ます。
 たった数秒の時間ながら、涙子は喉の渇きを覚え、唾をゴクリと飲んだ。

『――もしもし、佐天さんですか?』

 不意にコール音が途切れ、初春の声が聞こえた。

「や、やっほー初春。調子はどうかなー、と思って電話してみたんだ」
『調子ですか? 別に悪くないですけど』
「あははは、そ、そっか」

 涙子はいつも通りを装いつつも、どこかたどたどしい。自身もそれに気付き、どうにかしたいものの、焦れば焦る程口調はぎこちなくなっていった。

『――佐天さん、何かありました?』
「な、何かって、急にどうしたの。私はいつも通り元気で、何も問題ないよ、うん」
『そう、ですか』

 涙子の白々しい態度に、初春の言葉が少し陰る。

「あ! そ、そういえばさ。昨日ってなんかあったの? なんか第七学区でマネキンがどうのこうのってニュースサイトで見かけたんだけど」
『佐天さん、昨日の事件知ってるんですか? おかしいですね、昨日の事件はまだ情報封鎖されてて、報道規制もされてるはずなんですが……』
「あ、アレー? もしかして個人サイトのブログだったかなー、うん。とにかくネットで見かけたんだけど」

 涙子はしどろもどろ、といった感じで言葉を続けた。

『そうですか。さすがに細かな事件資料なんかは話せませんが、私も現場にいたので少しくらいなら』
「初春、現場にいたんだ。そ、その怪我とかは無かったの?」
『えぇ大丈夫でした。ちょっとだけ膝擦りむいちゃいましたが』

 思わず安堵のため息が漏れた。涙子の心にあった重りが、少しだけ取れた気がする。

『昨日、繁華街でマネキンらしき物体が通りがかりの人間に襲い掛かる事件が起こりました。まだ確定ではありませんが、どうやらそのマネキンはどこかの念動能力者により操られてたんじゃないか、っていう線が有力で現在捜査中です』
「ふーん」
『それと同時に同じ現場で、槍を持った通り魔も発生したんです。どうも白井さんの寮でも見かけた《毛玉人間》なる都市伝説と重なる容貌をしていたんですが……』
「ちょ、え、なに? 毛玉って?」

 『通り魔』という言葉に恐怖を覚えるも、その後の単語に顔が引きつった。

『あぁ、《毛玉人間》ですね。私も昨日見てビックリしたんですが、すごいんですよ。三・四メートルはあろう髪をしている人間がいてですね、もう顔も体も髪の毛だらけで見えないんですよ。それでその髪の長い人が、白井さんの寮からも二日前に目撃されてたみたいなんです』
「へ、へぇ~」
『《口裂け女》とか《人面犬》とかの延長だと思ったんですが、どうやら本当にいたみたいで。昨日も長い槍で周囲の人間を切りつけていたんです』
「切りつけて……」

 涙子の拳が、ギュっと握りこまれる。顔から表情がサッっと消えた。

『はい。現在監視カメラの映像を元に、捜索を行なうつもりです。どうも警備員(アンチスキル)の方では、マネキンの能力者と共に犯人として扱われてる様です』
「――そっか」

 涙子の周囲がスッっと暗くなる気がした。心の重りが肥大し、《棘》の痛みが増す。
 昨日の受けた、悲鳴と罵倒が蘇ってくる。
 どんどん沈んでくる涙子の心だったが――。

『ただ――』
「え?」
『ただ、私は違うと思うんです』
「違う?」

 初春の言葉に、涙子は顔を上げる。

『はい。あの時の事件の全てはまだ分かりません。ですがあの髪の長い人は、無闇に暴力を振るってたわけじゃないと思うんです』
「どう、して、そう思うの?」
『事件後の現場検証で判明したんですが、〝切られた人に怪我人がいなかった〟んです。むしろ、何かしらの異常が退けられていた様で。どうもそこらへんもまだ良く分かってないんですが、周囲の人間が言うには『石の様になった人間が、槍で切られて元に戻った』らしいです。人間を石の様にする能力なんて書庫(バンク)にも無いので、催眠能力(ヒュプノ)を中心に捜査してるんですが、果たしてあれだけの集団に行なえるものなのか……。それに解像度は低いものの、監視カメラにもそれらしき現象が記憶されてるんですよ』

 涙子は目を見開き、初春の言葉に耳を傾け続ける。

『そうすると、この事件の見方が変わってきます。『二人の通り魔が人を襲った』んじゃなく、『通り魔の犯行からもう一人が守ろうとした』んじゃないかって……』
「――」
『私はあの髪の長い人が、周りの人達を必死に守ろうとしてたんじゃないかって思うんです』「――ッ!」

 涙子は電話を耳に当てたまま顔を伏せる。車内で周囲の人間に悟られぬよう、必死で下唇を噛んだ。
 長い髪が涙子の顔を覆い、車内とを隔てる薄いカーテンになる。膝の上に握り締めた手の甲に、ポツポツと小さな水溜りが出来た。

『あの、佐天さん。どうしました?』

 先程から応答が無い涙子に、初春は心配になる。

「う、うぅん。にゃ、にゃんでもない、ヒック」

 嗚咽を必死で堪えながらも、声は震えていた。

『さ、佐天さん! な、何があったんです!』
「だ、だいじょうぶ。ご、ごめん、ちょっと目にゴミが入ったみたいでさ、あはは……」

 涙子は大きく息を吸い、吐いた。

「――ねぇ初春。話急に変わるんだけどさ……あたしって、レベル0じゃん」

 ポツポツと言葉が口から漏れる。

「せっかく《学園都市》に来たのに、何の力も持てなかった。だけどね、この前少しだけ嬉しい事があったんだ。だからはしゃいでたの」
『佐天さん……』
「で、はしゃいでたら大失敗しちゃったんだ。それで逃げてきたの。だけど、あたしまだ何もやってない。まだ全然なんだって気付いた」

 涙子は携帯を強く握り、たどたどしく言葉を紡ぐ。

「夢なんて大層なモノじゃない。けれど、簡単に捨てれるもんじゃない。もうちょっとだけ頑張ってみようと思うんだ」

 涙子のどこか吹っ切れた声。スピーカー越しながら、静かに微笑む初春が見えた気がした。

『何の事なのか分かりませんが、私は応援します。頑張ってください、佐天さん』

 涙子はゴシゴシと腕で目元を拭い、顔を上げる。目元が薄っすらと赤くなっているが、顔にはしっかりとした生気が漲っていた。瞳にも小さな灯火がしっかりと宿っている。

「うん、ありがとう! 私、頑張るよ!」

 快活な涙子の声に、車内の数人が振り返った。
 その後、初春との通話を終えた涙子は、愛衣へと電話をかける事にした。

「佐倉さん、何て言うだろう」

 涙子はもう一度頑張ろうと思うものの、愛衣の反応が恐かった。

(それに、《槍》はもう――)

 《槍》は既に手元に無い。涙子自身、昨日《槍》を捨てた場所を正確に覚えていなかった。
 それを考えると、せっかく持ち上がった気力が萎えそうになる。

(でも、がんばるんだ!)

 悲鳴と罵声の中でも、しっかりと自分を見つめてくれる存在がいた。《棘》は未だに疼くものの、それだけでも涙子の小さい背中はしっかりと押された。



     ◆



 愛衣はこの日、街の中を散策していた。とは言っても別に遊び歩いていた訳では無い。
 昨日の事件を独自に調査するため、妖気の残りや異常を探していたのだ。
 午前中、昨日の現場周りを一通り散策したが、妖気の残滓を少し感じただけで、異常を見つける事は出来なかった。

「もうお昼か」

 空腹を感じて時計を見れば、丁度十二時を指していた。場所はモノレールの駅前、二日前の涙子と初めて出会った場所だ。
 昨日、涙子が消えてから何度も電話したが通じなかった。今日の朝も電話したものの、どうやら携帯の電源を切っている様子。
 はぁ、とため息をつくも、憂いは晴れない。
 羽生の事だけで無く、昨日現場にかけつけた男性二人組も気になる事だ。そして涙子の事、強いては《槍》の事も。

(あれだけの力、絶対リスクがあるはず)

 懸念は未だ晴れない。ここには頼るべき姉も師もおらず、にも関わらずこの街では何かしらの怪異が起こっている。また、その怪異に立ち向かう術を持つ者が、この街にはほとんど居ない。《学園都市》の特性故、外部から救援を呼ぶことすら出来ない。もちろん見て見ぬ振りを決め込み、放置する事も出来る。だが、それは愛衣の矜持が許さなかった。
 愛衣の中で様々な思索が錯綜する。
 そこへ――。

「電話、誰だろう」

 携帯の着信音で思索が止まる。携帯のディスプレイを見れば、佐天という名前があった。

「さ、佐天さん!? も、もしもし!」

 急いで通話ボタンを押し、スピーカーを耳に強く押し付ける。

『あ、あの。佐倉さん――』
「佐天さん、昨日は、その、大丈夫でしたか?」

 愛衣が早口で押し立てる。対して涙子は、どこか躊躇している様な口調だ。

『うん大丈夫。昨日はごめんなさい。何度も電話貰ったみたいなんだけど、電源切ってて』
「いえ、それは良いんです。それより、今から会えますか?」
『私もね、佐倉さんに話したい事があったんだ。どっかで落ち合おう』

 涙子の思ったよりも明るい口調に、愛衣は内心ほっとしていた。

「そうですね……、佐天さん今ご自宅ですか?」
『あ、今私ね、モノレールに乗ってて。今丁度○○駅過ぎた所』
「○○駅、ですか」

 今愛衣がいる駅から、三つ隣くらいだったのを思い出す。

「私、佐天さんと初めてあった駅前にいるんです。どうしましょう、どっちかが向かいましょうか?」
『だったら私、次の駅で降りて戻るよ。二十分くらいで行けると思うから、待ってて貰えるかな?』
「はい、わかりました。それじゃ――」
『佐倉さん』

 愛衣の言葉が、涙子により遮られる。

「は、はい」
『あのね、私ね――』

 その瞬間、愛衣の背筋に悪寒が走った。ヒヤリとする妖力。
 空を見上げた愛衣が見たものは、五つの影だった。
 風を切り裂く轟音が聞こえる。愛衣の箒の最高速度を越える速さだ。

「な、何が……」
『え、佐倉さん、どうしたの?』
「い、いけない。今、妖気が! 違う、妖怪が」

 焦る愛衣は、言葉がしっかりと出ない。とりあえず周囲への認識阻害を展開し、近くの路地裏を探して走りだした。

「今、妖怪がいたんです。空をすごい勢いで飛ぶ妖怪が」

 でも、どこへ向かっていったのか。何が目的なのか。皆目検討がつかない。いや――。

〈――ならば私は相応しい〝悪役〟になってあげよう――〉

 羽生の言葉が過ぎる。

「佐天さん、逃げて! いや周りの人にも避難をッ!」
『え? え? 佐倉さんどういう――キャッ!』

 スピーカー越しに、巨大な何かの破壊音が聞こえた。

「さ、佐天さんッ!」

 その音を最後に、スピーカーから聞こえるのはツーツーという話中音のみだった。



     ◆



『佐天さん、逃げて! いや周りの人にも避難をッ!』

 愛衣の焦る声に、涙子はたじろいだ。

「え? え? 佐倉さんどういう」

 モノレールの車内の人間は、さっきよりは少なくなっている。一つ前の駅でごっそりと降りたからだ。とは言っても、平日よりは混雑しているだろう。
 涙子が車内を見回した時、窓の外に影を見つけた。
 なんだろう、そう思った時には衝撃が涙子の体を襲っていた。

「キャァツ!」

 悲鳴とガラスが砕ける音が聞こえる。車内が地震を受けたように揺れた。
 涙子も座席から滑り落ち、地面に伏せる形になってしまった。薄目を開ければ、落とした携帯が目に入る。どうやら落とした衝撃で、バッテリーが外れた様だ。

「一体、何が……」

 頭をフラフラさせて立ち上がり、目の前に広がる光景に涙子は言葉を失った。
 車両内の窓ガラスが幾つも割れていた。それだけで無く、金属製のドアすらも、ひしゃげている。
 先頭車両という事で、運転席も乗客席から覗ける形になっているのだが、敷居たるガラス窓も破壊されていた。ガラスの残骸の下には、肩口を血で染めて呻く運転手の姿がある。
 運転席を見れば、操作盤を含め、車両の先頭の風防すら壊されいた。ビュンビュンと走行中の風が車内に入り込んで来る。
 そして――。

『旨そうなニンゲンがたくさんいるゾ』
『霊力を放つニンゲンもいるゾ』
『血も旨いが、霊力はもっとウマイ』
『この〝箱〟はいいノォ。だが――』
『臭うぞ、プンプン臭う。我らの怨敵の臭いがプンプンするゾ』

 カタカタと歯を鳴らしながら喋る、五つの生首が宙に浮いていた。その内の一つの口の端からは、血が滴り落ちている。
 《飛頭蛮》と呼ばれる妖怪だと、知る人物はこの中にいない。
 一時の静寂。
 乗客たちは異常な光景に言葉を失っていた。だが、現実を認識するにあたり、恐怖と混乱が人々を襲う。

「いやーーー!」
「バ、バケモノだーーーッ!」

 乗客たちが、我先にと車両の後部へ押し寄せる。さして広くない車内通路が人で溢れ、車両同士の連結通路が悲鳴を上げた。
 そんな中、人の流れに逆らう影があった。

『餌が逃げるナァァァァァ!』

 《飛頭蛮》の一つが吠えながら、人の波の最後尾に噛み付こうと大口を開ける。

「ほざくな生首」

 そんな言葉と共に、《飛頭蛮》の口に野球のバットが差し込まれた。
 人込みを逆らい飛び出した人影が、スラッガーを彷彿をさせる力強いスイングをした。

「レフトスタンドまで吹っ飛べ!」

 バットに当たった生首は、そのまま車内の壁に叩きつけられた。

『グハァァ!』
「フン、最近この手のホラーもどきが多いな。しかも昼間から出るなぞ、風流も無い」

 バットに付いた汚れを、ブンと一振りで落とし、地面に切っ先を押し付けた。
 逃げ惑う人々を後ろに庇い、生首達と対峙したのは一人の男。
 時代遅れの長髪に、四角いメガネ。口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
 そっと上げられた左拳だが、中指だけはしっかりと上を指している。

「まーかせて!」

 春風高校光画部部長、鳥坂であった。



 第八話 END



[25216] 第九話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:18
 《飛頭蛮》と対峙した鳥坂だったが、内心は穏やかでは無かった。

(うむ、マズイのである)

 目の前の生首から感じられる只ならぬ威圧に、鳥坂の本能が警鐘を鳴らす。
 破壊された車両の先頭からビュンビュンと風が入ってきているのに、鳥坂のこめかみには大粒の汗が雫を溜まっている。
 鳥坂は先日にも、この生首と似たような黒い影と対峙した事があった。
 安っぽい映画に出てきそうな、人に憑りつく悪霊の様な存在だったが、鳥坂のバットの一振りでいとも容易く散らす事が出来た。
 鳥坂はその黒い影と似た印象を、目の前の生首に持った。
 だが――。

(桁が違うな)

 鳥坂がバットを叩きつけた先程の生首も、ほとんど無傷といった状態で浮いている。その下には大怪我を負っている運転手がいた。
 揺らめく《飛頭蛮》にバットの切っ先を向けつつ、鳥坂は背後に大声で呼びかける。

「さんご! どうにかして乗務員に連絡を付けろ! 〝絶対にモノレールを止めるな〟とな」
「止めるな、って――」

 さんごは半泣きの表情で声を上げる。人込みが未だにパニック状態で、隣の車両への避難はまだ続いていた。さんごはその波の中から、必死に顔を出している。
 人込みに噛みつかんと、《飛頭蛮》が奇声を上げながら向かってくる。

「くぉの! えぇい、さんごよく考えてみろ、ここは〝モノレールの上だ〟。こんな所で止まったら、私達は格好の的だぞ!」

 向かってくる《飛頭蛮》にバットで対応しつつ、鳥坂は説明する。現在モノレールが走ってるのは、名前の通り単一のレールの上だ。場所は高所、これだけの人数がスムーズに逃げられるとは思えない。
 部長の意図を悟った部員達は、目で合図を出し合い行動を開始した。

「あ~るッ!」
「あい」

 鳥坂の呼びかけに、アンドロイドであるRが答える。天井部分の荷物棚を器用に伝い、鳥坂の前に飛び降りた。
 一人で五つもの生首を相手取れない事を悟った鳥坂は、Rを呼び寄せたのだ。
 《飛頭蛮》は意気揚々とRに噛み付くも、噛み付いた後に顔が陰る。Rの制服の下は特殊合金製の装甲が体を覆っている。《飛頭蛮》はガチガチと噛み砕こうとするが、Rのボディの表面が僅かにへこむ程度で終わる。

「痛い、痛い」

 Rが囮となっている間に、鳥坂はバットを振り回しながら生首の横をすり抜ける。
 一直線に倒れた運転手の元まで走った。そしてバットを持たない手で、傷ついた運転手の襟首を掴み、引っ張る。

「ぐぅぅ!」
「えぇい、男なら我慢しろッ!」

 鳥坂の乱暴な扱いに悲鳴を上げる運転手。鳥坂はそれを気にせず、力の限りを絞り運転手を投げ滑らした。血の跡を床に残しつつ、運転手は背後に控えていた光画部部員にキャッチされる。
 投げた隙を突き、鳥坂に向かってくる生首が一つ。首を捻り歯牙の一撃は避けたものの、鳥坂の頭部と生首が衝突する。

「ガハッ!」

 鳥坂の視界がたわむ。
 そのままバランスを崩し、地面に倒れた。

「鳥坂先輩!」

 部員の悲鳴が上がる。
 鳥坂の肉を貪ろうと、《飛頭蛮》が飛んでくる。

「えぇい!」

 咄嗟に近くに置き去りにされた乗客のバックを掴み、生首の口に突っ込んだ。
 その隙に、床をゴロゴロと回りながら後ろに下がり、体勢を整えた。
 体を見れば、腕は二の腕まで細かな傷が目白押し、ジーンズにも裂け目がたくさん増え、血が滲んでいる。

「くっ、長くは持たんぞ。次の駅まで何分くらいだ?」
「あと、三分くらいかと」

 光画部女子部員の堀川椎子が、時計を見ながら答える。

「三分か……」

 内心に不安が過ぎるものの、鳥坂は不敵な笑みを止めない。
 《飛頭蛮》の力は圧倒的だ。一つ一つが鳥坂を越える力を持ちつつ、更にそれが五つもいる。
 現在、狭い車両内にいるのが救いだった。ビュンビュンと空中を飛ぶ生首も、狭く邪魔の多い車内では力を思う存分に発揮できない。
 だが、三分は長すぎる。
 チラリとRを見れば、生首から必死で逃げていた。学ランはボロボロになり、体の表面に幾つものへこみがある。
 Rは一方的に逃げていたかと思うと首をグルンと回し、奇妙なポーズを取った。

「外道照身霊波光線」

 Rのかけ声と共に、目が懐中電灯の様にピカっと光る。

「あ、あのバカモン!」

 以前、部活のコンパで見せた一発芸だった。鳥坂はRのアホさ加減に舌打ちするが。

『グァァァァ……』
「は?」

 カクン、と鳥坂の顎が落ちる。見ればRの発した光が、《飛頭蛮》の表面を炙っていた。生首は光を避ける様に距離を取る。
 Rもその隙にと、鳥坂の隣まで逃げていた。

「ぬぅ……あ~るよ、いつの間にそんな機能が」
「嫌だなー、鳥坂先輩。僕には最初から除霊機能があるって言ってたじゃないですか」

 Rがヘラヘラという。確かに以前、部活で生霊騒ぎがあった時、そんな事をのたまってた気がする。が、腹が立ったので、とりあえず鳥坂はRを一発殴っておく。

「痛いじゃないですか」
「うるさい! 黙れ!」

 そんなやり取りをしている間も、《飛頭蛮》は動きを止めない。目の前に餌があるにも関わらず、喰らう事の出来ない苛立ちが、怒りとなって現れる。

『ニンゲンがぁぁぁぁぁぁ!』

 生首の一つが、鳥坂の頬を浅く抉る。
 鳥坂は手に握ったバットを、《飛頭蛮》の顎に向けて振り上げるが空を切る。

「チィッ!」

 鳥坂の事を無視し、一つの生首が人込みに向けて一直線に飛ぶ。

「キャァァァ!」

 乗客のパニックが増す。
 生首に向けて缶ジュースやペットボトルが投げられるも、どれも効いた様子は無い。

「この生首野郎!」

 光画部の男性部員の一人が、持ってたカメラ用の三脚で《飛頭蛮》を殴りつける。
 辛うじて《飛頭蛮》の軌道が反れるも、三脚は曲がり、男性部員の手には金属でも殴った様な痺れがあった。
 パニックになった乗客の押し合いにより、一人の少女が人込みから押し飛ばされる。勢いを殺せず尻餅を付いた少女は、見るところ五・六歳といった所か。人込みにより親とはぐれたのだろう。顔は青ざめ、転んだ痛みも後押しし、泣き出す一歩手前だ。
 そこへ――。

『エサがァァァァァァ!!!』

 殴られた《飛頭蛮》が地面を這いずる様にして少女へ近づく。

「あ、あ、あ」

 少女は目を見開き固まる。唯一出来た事は、恐怖から逃げるために目を瞑る事だけだ。
 瞳を閉じ、恐怖に体をすくませる。

「えぇい!」

 少女に衝撃が走る。横合いから何かに突き飛ばされたのだ。
 薄っすらと目を明ければ、少女は自分が誰かに抱えられていたのが分かった。
 佐天涙子だ。
 涙子は、少女が《飛頭蛮》に襲われる直前に飛び込み、彼女と共にゴロゴロと床を転がったのだ。
 そのまま壁にぶつかったお陰で、背中がジンジンと痛む。涙子は泣きたいのを堪えながら、生首を探した。

「ひっ――」

 慣れない悪寒に悲鳴が漏れる。生首はズリズリと地面を這う様に滑りながら、自分達を喰らおうとしていた。
 だが、生首の後ろから鳥坂がバットを振り上げて飛びかかる。

「てぇりゃぁぁッ!」

 涙子はそのバットが薄い光の膜に包まれているのを見た。
 ガツン、とバットは床を叩く。
 《飛頭蛮》は紙一重でバットを避け、仕返しとばかりに鳥坂に襲い掛かる。
 鳥坂はシャツを破られながらも、辛くも直撃を避けた。
 そして、涙子と少女を庇うように鳥坂は立つ。

「よくやった! おぜうさん!」

 少しだけ振り向き、ニヤリを笑みを見せる。
 そんな鳥坂の振る舞いに、涙子は疑問を持つ。感謝の言葉すらスムーズに出ず、ただ問いかけが口から溢れた。

「なんで、なんで私達を助けるんですか?」

 喧騒の中、涙子の小さな言葉を鳥坂はしっかりと聞いていた。

「ちぇい! そんなの決まっておろう、おぜうさん!」

 バットを振りながら鳥坂は答える。

「かっこいいからだ!」
「かっこいい?」

 鳥坂のバットの先端が曲がる。ついに《飛頭蛮》の堅さに耐えられなくなったのだ。

「ちっ! あぁ、そうだ。今の私はかっこいいだろう! 往年の昭和ライダーを彷彿とさせるかっこよさだ!」

 苦境に舌打ちをしながら、叫ぶようにして答える。
 涙子の胸の中では、抱えた少女が震えながらも拳を必死に握り、希望に満ちた目で鳥坂を見つめている。それが眼鏡越しに見える鳥坂の瞳とダブった。

(あぁ、この人も――)

 鳥坂は子供なのだ。何かに憧れ、それを未だに持ち続けている。
 きっと多くの人が馬鹿にするだろう。
 それでも、彼の《行動》こそが、今この場所にいる人達を救っている。
 人は《行動》により試される、そこに至る思惑がどうであろうと。
 抱えていた少女を床に下ろした。
 そして、涙子は膝をつき立ち上がろうとする。
 流れるような所作。体が自然と前に向かおうとしていた。
 今までに無い、芯と呼べるモノが涙子の背を貫く。まだ〝ソレ〟は限りなく細い。しかし、これからの時間でしっかりと幹を伸ばし、頑丈な柱となるだろう。
 靴の裏が床を踏みしめる。
 目の前では鳥坂が生首に吹き飛ばされた。乗客から悲鳴が上がる。

「お兄ちゃんッ!」

 隣から少女の声も聞こえた。
 涙子は前を向いたまま、手で軽く少女の頭に触れる。

「大丈夫」

 言葉少なく早口ながら、どこか力強さに満ちていた。
 涙子の目がギョロリと丸くなり、髪がゾワリと蠢く。
 少女を撫でたのと逆の手を、車両の壁に向かい突き出して開く。
 倒れた鳥坂に向かい、都合四つもの生首が殺到する。Rが相手しているのは一つだけであった。
 鳥坂を助けようと、何人かの男性が飛び出すも、間に合うとは思えない。
 ほんの数秒の時間が、スローモーションの様にゆっくりと流れる。
 その時の流れの中、涙子だけはしっかりと突破口を見つめていた。
 頭にこびり付く力の知識が、涙子の予想を確信へと変えた。手の中に未だ感触が残っている。
 たった三日。だがその三日の間に、涙子に注ぎ込まれた〝ソレ〟の《技術》と《知識》は数千年分に上る。
 きっとあの言葉を告げ、手を握り締めれば、〝ソレ〟は確実にあるだろう。
 だから――。

「《槍》よ、来い」

 涙子は言葉をそっと紡いだ。



     ◆



 ゴミ捨て場の金属コンテナの中、《獣の槍》は回収車にも拒否され、ただ一つだけポツンと放置されていた。
 槍の柄には、回収業者からの注意勧告の貼り紙が為されている。
 『粗大ゴミの業者にしっかりと申請して、有料で回収してくれ』という旨の内容だ。
 《槍》はただ待ち続けていた。
 所詮道具であり、主の意向に従うしかないのだ。己の中に燻る妖怪(バケモノ)への怨嗟の声が木霊する。それでも、この道が一番の近道だと感じていた。
 そして、遠くより一つの意志が掠める。

 ――キィン。

 槍が小さな金属音鳴らせた直後、金属コンテナが内側から破裂する。飛び出すのはもちろん一本の《槍》だ。
 日差しをキラキラと反射しながら、空を切り裂かんばかりに飛翔する。
 真上に向かい飛んだ後、今度は弧を描きなら軌道を変えた。《槍》に結ばれた紅い布の装飾が激しく揺れる。
 高層ビルの隙間を縫い、ジェット機も真っ青の速度で《槍》は突き抜けていく。
 ビリビリと建物の窓ガラスが揺れ、通行人は耳をつんざく音に驚く。
 《石喰い》の残した妖気に群がった雑霊や低級霊も、槍の残す余波により一瞬で霧散する。
 所詮道具。道具はただ主の意向に従うのみだ。
 故に――。
 ぐんぐんと速度を増し、見えてくるのはモノレールの姿だ。先頭車両が不自然に破壊されている。
 《獣の槍》は道具である、故に愚直なまでに主の意思に従うのだ。主が必要としたのは、《槍》の力。
 ならば、《槍》は主の手元に無ければいけない。
 単純な帰結であり、《槍》にはそれが可能だった。



     ◆



 爆音が響き、車両が激しく揺れる。
 先程、《飛頭蛮》が現れた時より強い衝撃だった。
 鳥坂の危機に悲鳴を上げていた乗客も、何事かと音のした方向を見る。
 壁の一部に穴が開いていた。
 あの恐ろしく強い生首も、モノレール先端の風防を壊し、車両内のドアを歪めた程度だ。
 それぐらい、この車両に使われている金属は最先端であり、強固なのだ。
 なのに、その金属が使われている壁が破壊された。破壊痕の脇には一人の少女が立っており、何かを握っていた。
 《槍》だった。古くみすぼらしい槍。刃には小さな傷がいくつもあり、柄にはボロボロの紅い布が巻かれている。
 おせじにも綺麗とは言えず、素人目には価値があるとも思えない。
 そんな汚い《槍》を少女――涙子は片手にしっかりと握りこんでいる。
 たかが半日触れていないだけなのに、酷く懐かしい感触だ。
 一度は手放したはずなのに《槍》は素直に手元まで、まさに字の如く飛んで来てくれたのだ。
 涙子の風貌が一変する。
 髪が一気に伸び、彼女の顔も体も覆い隠した。手足の爪は獣の如く鋭くなり、体の筋肉はより強固に作り変えられる。
 目に闘志が宿り、鳥坂に向かう《飛頭蛮》を見据えた。
 横目に、座っている少女が自分を見て驚いてるのを捉え、涙子は自嘲の笑みを浮かべた。
 だが、もう止まらない。

「うあぁぁぁぁぁぁッ!!」

 鳥坂に救援に向かう乗客の頭の上を、涙子は叫びながら一気に駆け抜ける。
 狭い車両の中、涙子は一秒にも満たない時間で、《飛頭蛮》に突進した。
 生首は涙子の出現に驚きながらも、直撃するはずだった《槍》の切っ先を歯で受け止める。

『ケモノノヤリだとぉぉぉぉ!!』

 《飛頭蛮》の一つが叫ぶ。
 涙子は切っ先を押さえられたまま《槍》を振り回そうとするものの、思いのほか力が強くて動かない。

「このぉぉ!」

 あえて槍はそのままにし、柄をしっかり握り〝軸〟にして膝を振り上げた。強化された筋力をバネに、生首の一つの鼻先を膝蹴りで潰す。
 勢いを殺さず、涙子は《槍》に噛り付いた生首を足裏で踏み抜いた。
 《飛頭蛮》が奇声を上げる中、向かってくるのは残り二つ。
 刃を振るのが間に合わないと悟り、今度は刃の逆側、石突で《飛頭蛮》を殴りつける。

「早く下がって!」

 三つの生首をなんとか迎撃し、涙子は鳥坂を叱咤しながら距離を取る。
 鳥坂も、涙子の突如の変貌に驚きを隠せない様である。
 それでも、せっかく出来た隙を逃さず、鳥坂はなんとか背後へと転がった。
 もはや後顧の憂いは無い。
 車両内は狭い空間ながら、《獣の槍》には関係のない事だった。
 本来の槍であれば、その得物の長さにより苦戦するであろう。
 だが《獣の槍》は意志一つで、妖怪(バケモノ)以外を切らない事もできる。

「はぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」

 裂帛の声。
 向かってきた最後の《飛頭蛮》に、涙子は《槍》を思い切り横薙ぎに振りぬく。
 《槍》は座席もつり革も車内にある全ての物体をすり抜け、振るうスピードを殺さぬまま《飛頭蛮》の一つを真っ二つにした。

『グギャァァァァァァァァ!!』

 甲高い奇声。今までに無い生首の反応である。
 《槍》が持つ破魔の毒により、《飛頭蛮》は塵になって消えていく。
 涙子はビュンビュンと威嚇するように槍を振り回した後、構えを取った。
 一瞬、静寂が車内を満たす。
 モノレールの速度が増し、風が勢い良く車内を抜けていく。涙子の髪も尾を引くように棚引いた。
 乗客達は涙子の常軌を逸した容貌に、声を無くした。今、確かに彼女に助けられた。しかし、彼女があの生首の仲間では無いのか。そんな不安が過ぎる。
 目の前に起こった出来事に対する喜びと不安が、乗客達の内心でせめぎ合った。
 だが――。

「お姉ちゃん、がんばれ!」

 先程助けられた少女の一声が場を変えた。

「そうだ、あの子は俺たちを助けてくれた」
「がんばれ! お嬢ちゃん!」
「あんな小さな女の子ばかりに頼ってられるか!」

 絶望に満ちた車内に、少しづつ希望が溢れ始める。
 目の前の異形に震えていた男達も、涙子が立ち向かう姿に勇気を貰い、腕まくりをしながら一歩を踏み出す。
 槍を構えて対峙する涙子、その背中に向けられた言葉は温かかった。

(あぁ……)

 髪に覆われた顔は、嬉しさで泣きそうな表情をしている。
 涙子には償うべき罪があり、抗うべき責任がある。ぶつけられるのは非難と罵倒でもおかしくないのだ。
 それでも今この時、背中に多くの人を守る涙子の姿は、まぎれも無く……。



 第九話 END





 あとがき

 新年二回目の更新。チラ裏引越し後は初めての更新です。
 相変わらず過疎ってる作品ですが、この話からどんどん上げ調子でいくつもりなので、感想頂けたら嬉しいです。



[25216] 第十話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:19
 涙子の電話が切れた後、愛衣は自らのアーティファクトである箒に飛び乗った。
 そのまま認識阻害の魔法を維持しつつ、空へ飛び出す。
 幸い目の前にはモノレールの駅がある。その路線に沿うように妖怪を追った。
 涙子の唐突な電話の切れ方や、周囲の状況を省みる。再度コールした電話も繋がらなかった。
 妖怪は涙子が乗るモノレールを急襲したのだろうか。様々な仮定が想起されるが、共通しているのはおそらく涙子が事件の中にいるだろう事ぐらいだ。

(それにしても速すぎる)

 空を駆る五体の妖怪の速度は異常だった。
 愛衣の飛行魔法とてそれなりに速い。以前在籍していた魔法学校でも上位の速さを誇っていたのだ。
 だが、とてもじゃないが追いつけるとは思えない。
 最悪の状況を想像する。車両の脱線事故。妖怪による虐殺。

(急がないとッ!)

 ギリっと奥歯をかみ締める。昨日とて死人は出なかったものの、多くの被害を出している。
 この《学園都市》という閉ざされた世界で、妖怪に抗う力を持つ人間は少ない。
 少なくとも愛衣は自分を含め三人しか知らなかった。自分と涙子と、そして高音だ。
 高音に至っては未だ戻らず、所在は知れない。
 自分しかいない不安がある。逃げ出したいと思う気持ちが残っている。
 されど、愛衣の矜持が逃避を許さないのだ。薄っぺらい正義感だと自分でも思うが、悪意を悪意のままに放置したく無いのだ。それで傷つく人がいるのならなおさら。
 なにより愛衣にとって、そんな薄っぺらいとも言える正義感を、誇りある矜持として称えてくれる師がおり姉がいた。
 二人のためにも、愛衣はこの時を逃げ出すわけにはいかない。
 悲愴にも思える顔に、闘志を灯す。口を真一文字に結び、妖気の残滓を見つめた。

「負けない!」

 自分に言い聞かせる様に叫びつつ、箒に更に魔力を流し込んだ。
 グングンと速度を増しながら、風を切って飛ぶ。
 やがて前を走るモノレールが見えてきた。車両がレールから落下する、などという状況には陥ってない様だが。

「これは……」

 車両内から妖力を感じる。まだ車両は遠く、正確には把握出来ないものの、昨日の《石喰い》と同じく規格外の妖力だ。
 少なくとも乗客が危機に陥ってるのは確かな様だ。
 涙子がいる、とは安心できない。彼女の心は昨日萎えていた。もしくは折れていたのかもしれない。
 状況の悪さに愛衣は苦心する。モノレール自体のスピードも落ちておらず、なかなか距離が埋まらないのも、愛衣に焦りを感じさせた。
 そこへ――。

「えッ――」

 背後からビリビリと威圧感を感じた。思わず首だけ後ろを見ると、そこには見覚えのある影が、目にも留まらぬ速さで飛んできた。

(――獣の槍)

 愛衣の真横をすり抜け、《獣の槍》は一直線にモノレールの車両に突き刺さる。

「わわわ!」

 槍が放った衝撃波に煽られ、愛衣は空中でバランスを崩しかける。
 なんとか体勢を戻し、モノレールを見つめる。

(獣の槍が飛んできたって事は、やはり)

 未だ状況は把握しきっていない。それでも涙子が戦ってる事だけは理解できた。
 槍のせいで離された距離を埋めようと、再び愛衣は加速した。
 そこでさらに――。

「えぇっ!」

 車両から愛衣の方向へ人影が飛び出してきた。



     ◆



 多くの人の声援を受けつつ、涙子は槍を構えた。
 一つを倒したものの、未だ《飛頭蛮》は四つも残っている。
 一連の攻防で、涙子は《飛頭蛮》が《石喰い》よりも遥かに俊敏なのを理解していた。だが、この狭い車両内が功を奏し、本来の力が使い切れていない様だ。
 そこに勝機がある。

(外に出られたら、一気にこちらが不利になる。せめて車内で数を減らさなくちゃ)

 視界の片隅ではRと呼ばれていた少年が、目から光線を発しつつ生首の一つと戦っている。周囲の会話を盗み聞くに、どうやら彼は人間ではないらしい。
 それでも、Rが生首の一つを相手どっているお陰で、涙子への負担は大きく軽くなる。どうにか手早く倒して、Rの救援にいかねばとも思った。

「このぉ!」


 横薙ぎの攻撃は隙が多い。多数の敵を相手取るのに、涙子は〝突き〟を選択した。
 《飛頭蛮》に向けて放たれた突きの連打も、生首ゆえの捉えどころの無い動きで、クルリクルリと避けられてしまう。
 なんせ生首一つで浮いているのだ。体も無いため、首が回転するだけで槍の突きは軌道が反らされてしまう。

「――くっ!」
『弱い! 弱いぞ! ケモノノヤリィィィィィ!!!』
『よくも我が同胞を屠ってくれたナァァァ!!!!』
『その血肉、残さず貪ってやるゥゥゥゥ!!!!』

 生首から放たれる呪詛の声。三つの《飛頭蛮》は、それぞれが別の弧を描きながら涙子に襲いかかる。
 牙が腕を霞め、噛み付かれた槍には鈍い衝撃が走る。涙子は劣勢ながら必死に攻撃に耐え、直撃だけは避けた。

「加害者が被害者ぶるな、生首!!」

 足元に迫っていた生首を、思い切り蹴り飛ばす。
 だが、その動作を隙と見た《飛頭蛮》が、横合いから涙子の肩口目掛けてぶつかって来る。

「かはっ!」

 突然の衝撃に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。空気が口から漏れ、無意識に涙が溢れる。

「お嬢ちゃん!」
「キャア!」

 見守っていた乗客が悲鳴を上げる。二人の男性乗客が涙子を援護しようと、自らの能力を発動させた。

「くらえ、バケモノォ!」
「みなさん、下がって!」

 周囲の乗客に被害が出ないように間隔を取りながら、手の中に現れた炎と電流を生首にぶつける。
 しかし――。

『カカカカ、温いゾ! ニンゲンンンン!!』

 炎と電流を浴びても、焦げ目一つつけず、むしろ嬉しそうに《飛頭蛮》は笑う。能力者の二人に興味を持ったのか、生首は男性乗客に襲い掛かろうとする。

「ひッ」

 二人の男性乗客は一瞬、声を失った。

「させるかぁぁぁぁぁ!」

 鳥坂が飛び出し、なけなしの力で折れたバットを振るう。薄っすらとしたバットを覆う光が、その時だけ激しく輝いた。

『なッァァァ!!』

 バットの軌跡に合わせ、《飛頭蛮》の一つの顔に裂傷を作った。ボタボタと真っ黒い血が滴る。

(ふむ、やはりこの〝光〟がバケモノに聞くようだな)

 鳥坂はバットを振るいつつ、冷静に状況を把握しようとしていた。
 チラリと先程部員が叩きつけた三脚を見る。どうやら原型を留めないほどに破壊された様だ。対して自分のバットもボロボロだが、そこには生首を叩いた回数と、元々の強度という差がある。

(直接叩いても、超能力でもあまり効果は無い。しかし、私のバットとおぜうさんの槍は効果がある。そしてRの光線。以前見た影)

 数々の断片が鳥坂の頭に過ぎり、おぼろげな推測を形作る。されど《飛頭蛮》はその暇すら与えない。

『痛いぞニンゲンンン!!! せめて一番美味そうなオマエだけで喰ろうてやる!!!』

 鳥坂に向かって噛み付いた生首を、鳥坂はどうにかバットで受け止めた。ギリギリと鍔迫り合いが始まる。

「フン! 私が一番美味いとは、生首も見る目があるではないかッ!」

 光画部部員達が心配そうな目を向けつつも、鳥坂の言葉に呆れた。

「だが! あいにくキサマに食わせる血肉の一滴も無いわ!」

 不敵な笑みを浮かべる鳥坂だが、こめかみには汗が一筋。上半身はなんとか拮抗させてるものの、下半身はズルズルと《飛頭蛮》に押されていた。

「うわぁぁぁ!」

 遠くで抑揚の無い悲鳴が上がる。Rが生首を押さえ込む事が出来なくなった様だった。倒れたRはそのままに、《飛頭蛮》の一つは乗客に襲い掛かった。

「なぬ、あ~るッッッ!」

 四つ残っている生首は、二つが涙子に襲い掛かり、一つは鳥坂が押さえている。最後の一つたる四つめの生首が自由になり、乗客を襲う。

「だから、やらせないって言ってんでしょ!」

 壁に叩きつけられていた涙子が、二つの生首を振り払い、乗客を庇うように突進する。
 牙を槍で受け止めたが、強靭な《飛頭蛮》の膂力が涙子に圧し掛かる。《槍》の柄が勢いに負け、涙子の額を打つ。

「――ッ」

 一瞬意識が飛び、ぐらりと体が傾く。
 そこを都合三つの《飛頭蛮》が飛び掛った。

『消えロッ!!! ケモノノヤリィィィ!!!』

 手足の肉を浅く抉られつつ、涙子は再び壁に叩きつけられた。今度は車両の壊れかけたドアだった。

「が……あッ!」

 三つの生首が、涙子を潰そうとミシミシとドアに押し付ける。特殊金属製のドアと《飛頭蛮》に挟まれた涙子は呼吸すらままならず、口から空気が吐き出されるばかりだ。
 メキメキと体中の骨が悲鳴を上げる。飛びそうになる意識を辛うじて保つが、手足が痺れて動かなかった。
 《槍》を手放さなかったのが幸いだ。この時、《槍》を離していたら、涙子の肉体の強化は消え、あっという間にミンチになっていただろう。
 金属が引き裂かれる音がした。やがて壊れかけていたドアの方が圧力に負け、金属の歪みが大きくなり、人が通れるほどの穴が開く。

「くはっ!」

 ドアの隙間から押し出された涙子は、胸への圧迫が消え、空気を勢い良く吸い込む。しかし、そこは空中だった。

(え?)

 走るモノレールが目の前に見える。
 涙子はモノレールから《飛頭蛮》に放り出されたのだ。
 周囲には高層ビルがいくつも見えた。
 未だぼやけた意識の中、涙子は槍を〝ウェイト〟としながら、どうにか体勢を整えようとするも。
 ドサリ、と背中に柔らかい感触が走る。
 落下するはずの体が何故か浮かんでいた。背後の気配に涙子は振り向く。

「さ、佐天さん!」
「え……佐倉、さん?」

 目先に愛衣の顔がある。
 箒に跨る愛衣が、空中で涙子をしっかりと受け止めていたのだ。



     ◆



 涙子と愛衣は箒でモノレールを追いかけるも、二人乗りのためスピードは明らかに落ちている。
 一向に近づけない中、涙子は愛衣に事のあらましだけを伝えた。

「急がないといけないですね。でも、車内となると私の魔法は危険かもしれません」

 愛衣の得意魔法は火。閉所では周囲への被害が多いのだ。モノレールの車両内となると、乗客への被害も考えられた。
 だからといって、愛衣の得意では無い小手先の魔法では、強力な妖怪を倒せるとは思えない。

「時間がない! 佐倉さんは車外で待ってて、私が一匹ずつ生首を放りだす!」

 常に無い気迫が涙子から立ち上っていた。愛衣はコクコクと頷くばかりだ。

「で、でも、どうやって追いつけば、このままじゃ――」
「大丈夫! 私一人なら追いつける!」

 そう言うなり、涙子は箒からモノレールのレール上へ向けて跳躍した。
 涙子の唐突な行動に、愛衣は目を丸くする。
 レールの上に降り立った涙子は、遠くに見えるモノレール目掛けて走り出した。
 体中が軋んだ。
 走るだけでも、先程の一連の攻防で受けた傷が鈍い痛みを発する。
 だが、涙子は止まらない、いや止まれなかった。
 強化された肉体が、莫大な走力を発揮する。
 本来ならばモノレールに追いつけるはずなど無い、しかしその距離は段々と離されなくなっていった。

「でりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 闘争心が声となって現れた。
 体をくの字に曲げ、前傾姿勢で走る。文字通り風を切りながら進んだ。
 やがて涙子が地面を叩く音は早くなり、ダダダダっと機関銃の様な激しい連続音へと変わる。
 脚が車輪の様に回転し、速度を増した。
 体が発する熱が湯気となり立ち昇る。
 ぶつかるは空気の壁、それさえを槍で破壊し突き進む。
 背後に衝撃波が幾つもの輪となっては消えていく。

「たかが電車一つ! 《獣の槍》を舐めるなぁぁ!!!!」

 ふと、《獣の槍》が笑った気がする。《槍》の中に眠る幾人もの使い手達も、さも当然という様にふてぶてしい笑みを浮かべた。
 涙子も同じく笑みを強くした。もはや《槍》に対する信頼は揺ぎ無い。

「負ぁ~けぇ~るぅ~かぁぁぁぁぁ!!!!」

 髪が綺麗な直線になってなびく。
 視界が狭まる中、モノレールがはっきりと近づいてきた。
 車両は目前だ。最後尾にある運転席で、車掌が目を丸くして涙子を見ている。
 涙子はそんな視線も気にせず、残りの距離を一気に詰める。

「とりゃぁぁ!」

 あと一歩という距離で、車両に飛びついた。なんとかモノレールの天井部分に辿り着くも、バランスを崩してゴロゴロと転がる。
 堅い金属板が、涙子の頬や関節を打つ。だが、まだ止まらない。
 転がった勢いを殺さずに立ち上がり、走った。
 目指すは先頭車両。強風の中を駆け抜けていく。

「見えた!」

 先頭車両を目先に捉える。風に紛れ乗客の悲鳴が聞こえた。
 中への入り口を探している場合では無い。
 槍を大きく構え、

「でりゃぁぁぁ!」

 振るった。
 しゃこん、と小気味の良い音を鳴らしながら、足元の天井板が三角形に斬り取られる。
 涙子は自ら作った穴に飛び込んだ。
 車内は阿鼻叫喚であった。涙子が離れていた時間は一分にも満たないが、血が床に幾つも広がっている。幸い鳥坂やRが奮闘したのだろう、怪我人は多いものの死人はいなさそうだ。
 涙子に勇気を貰った乗客は、余り効果は無いものの、能力を使って応戦していた。

「もうやらせるかぁぁぁ!」

 その一角の《飛頭蛮》目掛け、槍を突き出す。《飛頭蛮》は槍の一突きを辛うじて避けるものの――。

「頂きッ!」

 落ち武者の様に伸びた髪の毛を、涙子に掴まれていた。

「――佐倉さんッッ!!!」

 車外にも聞こえるように、大声を張り上げる。

『ガァァァ!』

 《飛頭蛮》の咆哮。
 それを気にせず、涙子は渾身の力で掴んだ髪を引っ張り、車両のドアに開いた穴に向けて生首を投げる。

「いけぇぇぇぇ!!!」

 車外へ投げ捨てたとて、空を浮かぶ《飛頭蛮》にダメージは無い。涙子の無駄な行動に、思わず生首は笑みを浮かべるが――。

「魔法の射手! 連弾・火の38矢!」

 愛衣の言葉と共に、《飛頭蛮》に炎の矢が突き刺さる。それは魔法の矢だ。モノレールを追いかけながら、タイミングを見計らっていた愛衣の魔法だった。

『ギャァァァァ!!』

 火達磨になりながら、《飛頭蛮》は苦悶の声をあげる。更に追い討ちをかける様に、連続して矢が突き刺さる。

『グァァァァァァァァァァァァァアアアアア!!!!』

 その度に火が強く燃えがあり、《飛頭蛮》の形を崩していく。合計三十八もの攻撃を受け、炎球の中に消えていく。
 涙子は生首の一つの消滅を見届けず、視線を車内に戻した。背にはドアの隙間から爆炎が上がっている。炎を背負い、涙子は叫んだ。

「あと三つ!」



     ◆



 残る《飛頭蛮》は三つ。
 だが、もう周囲の人間は満身創痍。まともに戦えるのは涙子と愛衣くらいなものだろう。

「でやぁぁぁ」

 槍を大きく振るい牽制しながら間合いを詰める。
 車外に放り出せば、愛衣が攻撃してくれる。涙子の目的は先程より楽になってきている。
 槍の一撃を《飛頭蛮》は歯で受け止めていた。涙子は好機と見て、その槍を噛んだままの生首を、先程作った天井の穴から外へ突き出した。

「今ッ!!」

 涙子の声と重なる様に、槍の切っ先に向けて魔法は放たれていた。

『ギャァァァァァアッァ!!』

 怨嗟の声が上がり、また一つ生首が塵となって消滅する。
 槍を空に掲げながら、仁王立ちする涙子は、残りの《飛頭蛮》を見据える。

「あと二つ」

 ワァァァ、と乗客から歓声が上がった。

『我らが同胞(はらから)をォォォォォ!!』

 目に血の涙を溜めながら、二つの《飛頭蛮》は怒り狂う。
 が、行動は冷静だった。涙子に真っ直ぐ突撃してくるかと思いきや軌道を変え、それぞれが車内に開いた別々の穴から飛び出す。

「なっ!」

 涙子は驚愕する。
 魔法を放ったばかりの愛衣は、二つの標的にうまく的を絞れず、散発的な魔法が生首を掠めるばかりだ。
 うまいこと車外に出た《飛頭蛮》は、障害物の無い空間で加速を増し、愛衣に襲い掛かった。

「きゃぁぁ!」
「佐倉さんッ!」

 涙子も慌てて天井の穴から車外へ飛び出す。
 そこで見た光景は、《飛頭蛮》の攻撃によりバランスを崩し、落下していく愛衣の姿だった。

「――いけない」

 涙子はモノレールの天井から、愛衣を受け取るために跳躍した。
 一方、涙子と《飛頭蛮》が消えた車内では、ほっとした空気が広がっていた。
 確かに槍を持った少女は心配だが、きっと彼女なら大丈夫だろう、というのが乗客たちのほとんどの思いだった。
 そんな中――。

「おい、予備のバットがあっただろう、よこせ」

 鳥坂が傷口に布などを巻きつけながら、ボロボロになったバットを投げ捨て、新しいバットを男性部員に所望する。
 光画部という部活は、何故か野球道具をしっかりと揃えている部活であり、撮影会とて例外では無い。
 男性部員はおずおずといった体でバットを鳥坂に渡す。
 鳥坂はバットを受け取るなり、グリップを確認し、ブンブンと何度か振った。
 乗客も、この事件の功労者とも言える鳥坂の行動に違和感を覚える。まるで〝まだ終わってない〟かの様に。

「あ~るよ! 轟天号の準備は大丈夫か」
「あい。鳥坂先輩」

 Rはボロボロの学生服ながら、ヘラヘラしながら車内の片隅に倒れていた自転車『轟天号』を持ってくる。
 モノレールはまもなく駅に着こうとしていた。割れた車両先頭の風防から、駅のホームが見える。

「あの、鳥坂さん。どうしたんですか?」

 さんごがおずおずと鳥坂に聞く。

「どうしただと? 何をいっておるんだお前は」

 鳥坂は呆れた様にさんごを、そして他の乗客たちを見る。

「決まっておろう。まだおぜうさんは戦っているのだ。加勢にいくに決まってるでは無いか」

 鳥坂は自転車に乗ったRの後ろに、更に立ち乗りの形で乗る。

「で、でも。あんなすごいバケモノを……すごい槍持った子がいるんですから、何も先輩が行かなくても……」
「ばっかもぉん!!」

 さんごの言葉に、鳥坂が怒る。

「少女が戦ってるのに、引き下がれるか! それに、おぜうさんのピンチを最後になって救う……見逃せないシチュエーションだ」

 鳥坂はグッっと拳を握る。
 モノレールはゆっくりとホームに入っていく。駅内にはレスキューチームや警備員(アンチスキル)がズラッと並び、駅の外には救急車も待機していた。
 その光景に車内から安堵の声が上がる。
 鳥坂はモノレールが止まる前に、Rへと確認した。

「あ~るよ、準備は大丈夫か」
「『大丈夫、問題ない』ですね、わかります」

 スパン、と鳥坂はRにツッコんだ。
 モノレールのドアが開き、一気に乗客が飛び出す。次々とレスキューチームなどに保護される中、装備を構えて待機していた警備員(アンチスキル)は目を疑った。

「一体どうやったら、こんな風になるんだ」

 目の前の先頭車両はまるで虫食いだ。辛うじて走行可能だった様だが、壁や天井にたくさんの穴が開き、床には血の痕が残っている。内装もまるで〝食いちぎられた〟様に破壊されていた。

「生首のバケモノってのもあながち――」
「どけどけーいっ!」

 警備員(アンチスキル)や乗客で混雑するホームを、一台の自転車が切り裂いた。
 鳥坂とRだ。
 自転車に二人乗りをした鳥坂達はホームを一気に疾走し、階段をもそのまま降りていく。
 周囲の制止の声に耳も止めず、ただひたすらに戦場へ戻ろうとしていく。
 生き残った乗客達も唖然とし、鳥坂を見送った。
 鳥坂達は速さに〝有無を言わせず〟改札口も突破する。
 駅から飛び出せば、遠くに涙子たちがビルの屋上を飛び越える姿があった。まだ戦いは終わってないらしい。

「行くぞあ~る! 向こうだ!」
「あいあい」

 鳥坂がバットで方向を示し、Rはその指示に従いペダルを漕いだ。
 車を次々と追い抜きながら、自転車は加速する。

「待ってろ、クソ生首どもぉ!!」



     ◆



 墜落しかけた愛衣を助け出した涙子だったが、状況は切迫していた。
 遮る物が無い外へ出た事により、《飛頭蛮》の動きはより俊敏になった。
 涙子は愛衣を抱えたまま、ビルからビルへ、屋根から屋根へ、と建物を跳躍していく。

「佐倉さん、ま、魔法使って!」
「や、ややってますす、よ!」

 涙子に抱えられ、ガクガクと揺れる中、愛衣は詠唱を繰り返し、散発的ながら魔法での牽制をしている。だが、魔法よりも《飛頭蛮》の方が遥かに素早い。必然、愛衣の魔法は掠る事さえ無く虚空へ消えていく。

『ヤリめェェェェ!!!!』

 甲高い奇声を発しながら、二つの生首が別々の弧を描き、涙子たちを襲う。

「このぉ!」

 槍を大きく振るも、刃を片方の生首が歯で受け止め、もう片方が涙子の肩口を抉る。

「ぐぅぅ!」
「佐天さん」

 痛みから涙子はそのままビルの屋上で膝を突き、愛衣を抱え落とす。愛衣も起き上がり、心配し駆け寄った。

「大変、傷が深い……」
「大丈夫、私まだ戦える」

 涙子は肩口を押さえながら立ち上がる。目には涙が溜まっていたが、依然戦意は揺るがない。
 上空を得物を狙う鷹の様に、《飛頭蛮》が周回していた。己の優位さを隠すこと無く、ニタニタと笑い続けている。

(佐倉さんの魔法が避けられて、私の槍が受け止められるなら――)

 涙子は愛衣に何かを告げ、二人は背後へと後ずさった。背中が壁に当たる。ビルの屋上の片隅にある、立方体の形をした昇降口へぶつかったのだ。
 もう逃げ場所は無い。
 されど背は壁に守られ、《飛頭蛮》の攻め手も限られてくる。
 相手が逃げ出さず、自分達を仕留めるつもりなら勝機はある。涙子はそう思いながら《槍》を構えた。

「ここで決めるよ、佐倉さん!」
「はい!」

 涙子の背中に隠れる様に立つ愛衣が答える。手には魔力が溢れ、準備は整っていた。
 二対二。
 数だけ見れば状況は互角だ。
 先に動いたのは《飛頭蛮》である。
 片方の生首はビルの床ギリギリを飛び、脚元から涙子たちを狙おうとしている。対してもう片方は頭上から急降下し、涙子たちを食い殺そうとする。
 身をすくませる奇声を発しながら、二つの妖怪(バケモノ)が高速で宙を駆る。

「行きますッ!!」

 愛衣が叫んだ。
 手には炎の魔法。燃え盛る炎球を涙子の持つ《獣の槍》に向けて投げつけた。

「りょぉーかい!」

 涙子はやや下に向けた《槍》の刃で炎を受け止めた。以前、超能力を斬った様に、《槍》は魔法をも斬り裂く。
 槍を中心に炎が破裂した。
 その無秩序に飛び跳ねる炎の破片は、脚元を高速で飛行していた《飛頭蛮》の片割れにも当たる。

『グギャァァァァ!!』

 苦悶の声が上がり、《飛頭蛮》は軌道を変えた。
 しかし、まだ《飛頭蛮》は残っている。涙子は槍をそのまま頭上へと掲げた。
 上空から襲い掛かる《飛頭蛮》を撃ち落そうとする。

『遅いゾォォ、ニンゲンン!!』

 涙子の《槍》は、いともあっさりと《飛頭蛮》の歯に受け止められた。
 だが――。

『ガァァァァァァァァァ!!!』

 《槍》の刃は炎を纏っていた。愛衣の魔法は不完全ながら、未だ形を保っている。
 例え刃を受け止めようと、炎が《飛頭蛮》を体内から焼いていく。肉を焦がされ、歯の力が緩む。

「貰ったぁぁぁぁぁ!!!」

 好機を見逃す事無く、涙子は柄に力を込めた。
 ずぷり、と《槍》が《飛頭蛮》を串刺しにする。

『――――――ッッッ!!!!』

 声にならない絶叫を上げながら、《飛頭蛮》は破魔の毒を受け、サラサラと塵になる。
 涙子は周囲を見回し、最後の《飛頭蛮》を探した。屋上の片隅、炎の破片を受けた《飛頭蛮》は片割れの消滅を見て顔に恐怖を浮かべている。
 どうやらそのまま逃亡に移ろうとしている様だった。
 このまま逃げられたら、涙子達に追いつける術は無い。一方的に人が殺されていくだろう。

「そんな事、させないッ!」

 槍を水平に持ち、体を低くして一気に詰め寄った。だが、生首の方が圧倒的に速い。

『ギャハハハハ、追いつけるかニンゲンン!!』

 安堵の笑みを浮かべながら《飛頭蛮》は叫ぶ。

「――逃がしません」

 涙子の背後で、愛衣が稟と言い放つ。
 ビルの屋上を覆うように、炎の矢が飛んでいた。涙子の攻防の間に詠唱していた魔法だ。矢は弧を描き、半球状のドームを形作っている。それはまさに炎の壁、炎の蓋だった。
 逃げ出そうとしていた生首は、炎の壁にぶち当たり墜落する。

『ウガァァァ!!!』

 されど、辛うじてビルの屋上を脱する。欄干にぶつかりながら、ビルの外へ落ちていく。

「往生際が悪いッ!」

 涙子も欄干を飛び越え、宙を舞う。
 ビルのすぐ脇は車一台が通れる程の狭い通りだが、幾つもの商店が見え、人もそれなりにいた。
 《飛頭蛮》はまばらな人波に向けて落ちていく。

(――ッ!!)

 ここまで来て、と涙子は思い、歯噛みしながらも槍を構えた。これから起こる災厄を出来るだけ小さくするために。
 そこへ――。

「速いだけの棒球。打ち頃の一球だ」

 通りの中央に鳥坂が立っていた。
 周囲の人波は、バットを振る鳥坂を不審に思い、避けて通っている。鳥坂の背後には疲れた様に自転車によりかかるRもいた。
 ポカンと開いたその場所で、鳥坂は不敵な笑みを止めずに、足場をしっかりと確かめてスタンスを取った。
 バットの先で涙子を指した後、しっかりと構える。
 待ち構えるは落下する生首だ。

「おぜうさん、構えろ! 私の打球は伸びるぞ!」

 落ちる《飛頭蛮》も鳥坂の姿に気付き、憎しみの表情を浮かべた。

『またキサマかぁぁぁぁ!!』

 鳥坂のバットが光を纏う。それは《霊力》と呼ばれるものだと、鳥坂は知らない。

「安心しろ、もう会うことはあるまい!」

 鳥坂はバットを振るった。足から腰へと綺麗に力が伝わっていく。バットは《飛頭蛮》の真芯を捉えた。

「吹っ飛べッ!!」

 飛んできた《飛頭蛮》に周囲の人並みが悲鳴を上げるものの、それは一瞬。
 鳥坂が勢い良く打ち返す。
 ややフライ気味に飛ばされた《飛頭蛮》は、一直線に涙子に向かう。

『アァァァァァァァァァ!!』

 生首の顔を恐怖が再び覆った。

「貰ったァァァァァァ!!」

 対する涙子は戦意を漲らせた表情で、《槍》を大きく構えてる。
 宙を舞いながら、構えた《槍》を勢い良く振り下ろした。その軌跡は《飛頭蛮》の額から顎先にかけてを横断し、綺麗に真っ二つにする。
 二つに分かれた生首は、怨嗟の悲鳴を上げながら消えていく。

「わわわわわ!」

 そして、慌てたのは涙子だ。勢い良く飛び出したものの、場所は空中。勢いをうまく使い、向かい側のビルの壁に槍を突き立ててしがみ付く。
 背後では、愛衣がビルの欄干越しにほっとしていた。

「うむ、なかなか良かったぞ、おぜうさん!」

 下では鳥坂が中指を立てながらハハハと笑っていた。Rも何故か似たように笑っている。

(あの鳥坂って人、変だけど悪い人じゃないみたい)

 周囲では涙子の姿や、鳥坂の行動に人が集まり、興味深げに見つめていた。

「あ、あの! ありがとうございます!!」

 涙子は鳥坂に向かい、声を張り上げた。

「はははは! な~に、助かったのはこちらだ!」

 鳥坂も大声で言い返す。
 ふと、遠くからサイレンが聞こえた。

「む、警備員(アンチスキル)か? おぜうさん、さっさと逃げる事を薦めるぞ。私もさっさとトンズラだ」

 鳥坂はヒラリと自転車の後部に飛び乗り、Rの頭を小突いた。Rもそれが合図と分かっているのか、自転車を漕ぎ始める。

「さらばだ! また会うときはお茶でも奢ろうッ!」

 そう言い残すなり、鳥坂の姿はあっという間に消えてしまう。

「あっ……」

 涙子としては、鳥坂に言いたい事、言わねばならない事が沢山あった。名残惜しいながら、どこか清々しさもある。

(台風みたいな人だな)

 涙子は口元で笑みを作った。

「さ、佐天さん! 急がないと、なんか来ちゃいますよ!」
「えぇ!?」

 ビルの壁に噛り付きながら、愛衣にせかされて見れば、通りの向こうに車が数台見えた。

(ヤ、ヤバイ……)

 涙子は壁を足場に一気に飛び上がり、愛衣と共に逃亡を開始する。
 空を飛び、屋根を跳躍しながら、涙子は愛衣に語り始める。涙子の意思、涙子なりの決意を。

「佐倉さん、あのね私――」



     ◆



 この日を境に、学園都市内のネットのあるブログで小さな論争が起きる。
 都市伝説を扱ったそのブログでは様々な記事が投稿されていた。
 その一つ『怪奇! 毛玉人間。夜の街に忍び寄る恐怖!』という、なんともチープな記事内で、毛玉人間なるものを庇護するコメントが増え始めるのだ。
 当初は、地面に付くほどの長髪で体を覆った不気味で汚い男、などというイメージが先行していた。先日の通り魔事件も悪いイメージを加速させ、気持ちの悪い容貌や、槍を持つ、包丁を持つなどという暴力的な風聞があっという間に広がっている。
 だが、次の日の電車の暴走事故を境に、毛玉人間を庇護するコメントが増えていく。
 この事件を解決したのがこの毛玉人間だ。事件の被害者と名乗る人間のコメントが書き込まれた。
 最初は冷ややかに対応されていたが、徐々に増えていくうちに、記事内での毛玉人間なる存在への評価が変わっていった。
 存在そのものへの疑いも、いくつもの撮られていた写真により、現実味が増していく。
 曰く『美少女だ』や『美女だ』というコメントに、一部の人間がイラストを描き上げて熱狂する場面もあった。『毛玉たん』などというトチ狂った愛称まで出来る始末である。
 しかし、ただ静かに小さく、その存在が《学園都市》の中に受け入れられていったのだ。



 第十話 END









 あとがき

 前回から一週間以上空いてしまいました。
 どことなくこのまま終わっても違和感無いですが、もうちょっとだけ続きます。
 感想お待ちしてます。



[25216] 第十一話
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/09/02 02:14
 今日は日曜日。
 上条は西条に呼ばれる事も無く、休日を謳歌するはずだった。
 なにやら先日あったモノレールの事故に妖怪が関係しているらしく、西条は情報を集めるために方々に連絡を付けているとの事。
 となれば上条の出る幕も無く、今日はゆっくり出来るはずだった。そう、はずだったのだ。
 上条の部屋には同居人がいる。
 インデックスという名の少女だ。つい一ヶ月程前に巻き込まれた騒動で、上条は彼女を保護する立場となっていた。
 色々と曰くつきの少女だが、ここでは割愛する。
 そして、ここ数日は上条の多忙もあり、隣人の妹にインデックスの食事などの世話をお願いしていた。つまり保護者である上条は、インデックスをほぼ放置していたのだった。
 それがインデックスの機嫌を損ね、上条は休日ながら彼女のご機嫌取りに終始せねばならなくなった。

「はむっ! ~~~ッ! とうま~、これもっと買ってきて!」
「って、まだ食うのかよ」

 上条は対面に座るインデックスを見て、呆れた声を出す。
 場所は有名なファストフード店の二階。
 インデックスのご機嫌を取るのには食べ物が一番、という事を上条はこの一ヶ月の生活で嫌でも身に染みている。
 インデックスという名の少女は目を引く容姿をしていた。真っ白な修道服に身を包み、フードの隙間からは銀糸の様な髪がキラキラと光りながら垂れ下がっている。
 年齢は十代前半だが、幼いながらも可憐な顔立ちをしていた。ティーン雑誌の少女モデルと言われても違和感ないだろう。
 だが、この場所で周囲の視線を集めているのは、彼女の容姿故では無かった。

「はむっ! はむっ! はむっ!」

 小さな口を高速で動かす様はどこかリスを想起させるが、咀嚼量はその比では無い。
 トレイ二つに山と盛られたハンバーガーが、次々と包み紙だけになっていく。
 数えられるだけでも、上条の一週間分の摂取カロリー量をとっくに越えていた。周囲の客もインデックスの食事量に唖然としている。されとて、当の本人であるインデックスは何処吹く風。悠然と食事を続けていた。
 普段から食いしん坊だが、ストレスのせいか今日はいつにも増して量が多い。
 だがこの少女、恐ろしい事にこれだけ食べても太らないのだ。
 少なくとも上条の見える範囲では、インデックスの体型に変化は無い。体型もむしろ痩せ型だ。

(栄養が全部脳みそにでもいってるのかねぇ)

 上条はインデックスの驚異的な記憶力を知っている。完全記憶能力者というらしく、一度見た事を忘れないらしい。カロリーの行き先も自ずと推測できる。

「とうま~!、はやく、はやく」

 そんな事をボーッと考えていた上条に、インデックスの食事の催促の声がかかる。

「へいへい、この新作のハンバーガー五個で良いよな」
「十個だよとうま、十個、十個!」
「五個で十分ですっ!」

 上条は何故か敬語で答えつつ立ち上がり、レジへ向かった。
 普段の上条ならインデックスの横暴に涙を流している所だが、今日はいつもと違う。

(西条さんには頭が上がらないな)

 懐のマネーカードには西条に貰った数日分の給料が入っている。優に上条の一年分の生活費を越える金額だ。
 この額があればインデックスの暴食も恐るるに足らず。……と思いつつも、実際は恐くてそこそこのお値段のレストランには行かず、安全圏だろう低価格なファストフードに頼った上条だった。それでも懐から消えていく金額は中々の量なのだが。
 階下のレジへ向かう上条の視界に、不穏なものが過ぎった。

「ん?」

 見れば同年代くらいの少女が、数名の男達に囲まれている。どうやら店内でナンパに掴まっているらしい。

「ねぇねぇ、それってコスプレ? カワイイじゃん」
「そういうの趣味なんだ。俺たちさ、ソレ系の店知ってるから一緒に行かない?」

 男達は早口で少女に詰め寄る。対して少女は席に一人で座り、顔を俯けにして黙っている。

(タチの悪いナンパだなぁ)

 気弱そうな少女を男達が強引に誘い出している光景に、上条は呆れながら踵を返す。
 ため息を吐きつつ近づくと、男達が邪魔で見えなかった少女の衣装が見えてくる。白い着物に緋袴。おおよそこの近代都市には似つかわしくない伝統的な衣装である。上条は神社で見かける巫女さんの姿を思い出した。

(巫女さん? やっぱりコスプレ?)

 どうにも衣装にばかり目が向いていたが、少女の顔立ちも綺麗であった。
 俯き加減ではっきり見えないが、それでも上条の視界に映る横顔は秀麗だ。日本人とは思えないぐらいの白い肌に、腰まで伸びた黒髪が強いコントラストを印象付ける。スラリとした鼻筋、長い睫毛が下を向き、唇はほんのりとピンク色に染まっている。
 けっして華美では無い。大和撫子、という言葉が当てはまりそうだ。
 男達は未だ諦めを見せず、少女に言葉をかけ続けている。
 そこで少女に反応があった。伏せていた顔をゆっくりと上げ、男達を見つめる。
 男達は期待に表情を綻ばせた。

「――ま」
「え、何?」

 少女の小さな呟きに、男達は問い返す。

「邪魔」

 今度は上条にもはっきり聞こえた。少女の明確な拒絶に、男達の表情が強張る。
 少女の瞳が暗く揺れた。空気が変わる。
 少女の手がそっと伸ばされ、男達に触れようとする。彼女自身の均衡を欠いた精神が、自らの〝異能〟を発揮しようとしていた。

「おっと、大丈夫か」

 少女の伸ばされた手が、第三者に掴まれていた。パリン、と小さな音が響く。〝異能〟が消える。

「え?」

 先程までの張り詰めた雰囲気は消え、少女はただ掴まれた手を見つめる。
 上条は少女の手を掴むなり、強引に男達の囲いから引っ張り出す。

「あ、ちょっとすいませんねー。この子と待ち合わせしてたんで」

 白々しい言葉を並べつつ、上条は少女を引っ張りながらファストフード店の階段を降りていく。

「お、おい! ちょっと待てよ!」

 背後から男達の声が聞こえるものの、上条は無視をして急ぐ。
 少女はただ引っ張られるままに身を任せた。それよりも掴まれた手に驚きを隠せない。
 よたよたと歩きながら、ただ上条の右手を見つめ、久しく感じていなかった微かな温もりに安堵を感じていた。
 上条と少女はファストフード店を出た後、一本隣の通りまで走り一息を吐く。

「ふぅ、ここまで来れば大丈夫だろ。悪かったな、無理やり引っ張っちまってさ」

 上条の言葉に、少女は無言のままプルプルと首を横に振った。

「そっか。やっぱりあいつら知り合いじゃ無かったんだな。勘違いだったら恥ずかしいしさ」

 ハハハと上条は笑う。少女は繋ぎっぱなしな手を見つめる。上条も少女の視線で気付いた様だ。

「おわっ、悪い」
「あっ……」

 パッと離された手に、少女は名残惜しそうな声を漏らす。
 なんとなく微妙な空気が二人を包み、上条は無言のまま頭をボリボリと掻く。

「えーと、うん。それじゃ俺はここで――」
「姫神」

 少女は上条の言葉を遮る。

「え、何?」
「姫神秋沙」

 少女の言葉に、上条は逡巡する。

「ひめがみ、あいさ?」
「そう。名前」

 あぁなるほど、と上条も合点がいく。どうやら自己紹介しているらしい。

「そっか姫神か。俺は上条当麻だ」
「上条……」

 少女――姫神秋沙は噛み締めるように言葉を呟く。
 ふと、姫神の視線がビルの壁面に設置された街頭ビジョンで止まる。表示されている時間を見て、何かを思い出したらしい。

「そろそろ行かないと」
「うん? なんか待ち合わせしてるのか?」

 上条も姫神の視線を追い、現在時刻を確認する。

「ありがとう、ございます。上条、さん」

 ボソボソと小さな声で途切れ途切れながら礼を言い、お辞儀をする。
 姫神は上条の右手をチラリと見た後、名残惜しそうにしながら背を向けた。

「――あぁ」

 思わず見とれ、返事が遅くなった上条だが、気付けば姫神は雑踏に消えていた。

「って、しまった!」

 そこでインデックスをファストフード店に置き去りにした事を、上条は思い出した。
 サーっと顔を青くしながら、店へ駆け戻る。
 走りながらも、頭の片隅に姫神の顔がこびり付いていた。

(姫神か、綺麗な子だったな。でも――)

 それ以上に寂しさを感じさせる子だったと、上条は思った。
 その後、新作バーガーを二十個買わせられた上に、怒ったインデックスに頭を噛み付かれる上条だった。



     ◆



「あれ、佐天さん。ソレ、どうしたんですか?」
「ん? あぁ、コレね」

 明けて次の週の水曜日。
 朝のホームルーム前の時間に、佐天涙子はクラスメイトの初春飾利に問いかけられていた。
 初春が指差すのは涙子の制服の袖口。夏服の半袖の影に、チラリと包帯が見えたからだ。

「あははは。先週の土曜にね、ちょこっと肩口切っちゃってさ~。でも、もうほとんど治ってるんだよ、うん」

 それは先週の土曜、《飛頭蛮》との戦いで受けた傷であった。
 だが、実際には言葉の通りほとんど完治していた。というか次の日には痛みも完全に無くなっている。
 愛衣の治癒魔法とやらにより傷口を治してもらったのもあるのだが、《獣の槍》の効果でもあるらしい。
 《槍》を使っている間に負った傷は治りやすくなるらしい。《石喰い》と戦った次の日にも、手足の小さな傷が全部消えていた様な気がする。
 治りはしたものの、まだ薄っすらと傷口があり、大事をとって包帯を巻いているのだ。
 普段は制服でうまく誤魔化していたのだが、今日は見えてしまったらしい。

「本当に大丈夫なんですか? それに肩口って、一人だと包帯巻くのも難しくありません?」
「さ、最初は人に助けてもらったけど、ほらもう傷はほぼ治ってるから。今は適当にグルグルーっとね」

 空元気を見せるように肩をグルグル回す涙子。わざわざ心配かけまいとしている友人の素振りに、初春は苦笑いを浮かべる。

「もう、佐天さんったら。でも、本当に怪我とかには気をつけてくださいね。最近はすごく物騒ですから……」

 この一週間程、奇妙な事件が多発している事を風紀委員である初春は実感していた。

「う、うん」

 そして、それらの事件のほとんどに関与しているのが涙子だったりする。
 さすがに日曜日は休んだものの、今週の月曜と火曜は愛衣と放課後に街を探索していた。
 その際に怪異に会ったのも一度や二度では無い。さすがに《飛頭蛮》程の妖怪は出ず、ほとんどが低級霊や雑霊と区分される弱い妖怪だ。
 ただし、耐性の低い人間に容易く憑りつき、超能力を暴走させるのでたちが悪かったりする。
 羽生を中心とする怪異は、確かに《学園都市》に広がっていた。
 強力な結界により無菌状態とも言えた《学園都市》と、人間の闇を伝い蔓延していく《妖怪(バケモノ)》は相性が良過ぎる。真っ白いキャンパスは容易く汚れるのだ。
 ホームルームのベルと共にクラスメイト達が席に戻っていく。同時に担任教師が教室へ入ってきた。
 涙子は席に戻っていく親友の背中を見て、そっとため息を吐いた。



     ◆



「佐倉さん、今日こそはご一緒に帰りませんか?」

 放課後、帰りの準備をしていた愛衣にクラスメイトが声をかけてくる。

「その、ご一緒したいのは山々なのですが……す、すいません。今日もちょっと用事が……」
「そう、ですか。それではまた機会があったら」
「は、はい! ぜ、ぜひ!」

 クラスメイトは残念そうな顔をして帰っていく。
 愛衣がいるのは常盤台中学。《学園都市》の中でも名門と呼ばれるお嬢様学校、その一年生教室での出来事だった。
 麻帆良からの留学生として来た愛衣に、クラスメイト達は暖かく迎え入れてくれている。今のところはイジメややっかみと言った事は起きていないが、このままだと遠からず愛衣の存在は浮く事だろう。先週から頻繁にあるクラスメイトの誘いを、ほぼ全て断っているのだ。
 愛衣としてもせっかくの留学。もっと楽しみたいのだが、立場と状況がそれを許してくれない。
 理由を他人に話す、という選択肢も取ることが出来ない。

(あはは、お姉さま、早く帰ってきてください!)

 高音は未だ《学園都市》に戻ってきていない。対外的には風邪による体調不良という事にして、高音の部屋では魔法具で作られた彼女を模した人形が病床に伏せている。
 数回メールで連絡があったものの、調べものとやらは難航しているらしい。
 クラスメイトに挨拶しながら帰宅の途につく。
 学校を出て、レンガ敷きのお洒落な街並みを歩いた。《学舎の園》と呼ばれる隔離区画。幾つかのお嬢様学校をまとめて集め、様々な商店と共に壁で周囲を囲った場所だ。もちろん学校関係者の出入りは自由。超能力者のいる《学園都市》故の極端なセキュリティ対策だった。
 《学舎の園》のゲートから外に出て、バスに揺られること十分。涙子との待ち合わせ場所に着く。
 先週の出会いから、愛衣と涙子はほぼ毎日会っていた。
 最初は何気ない涙子の優しさから始まった付き合いだが、短いながら最早戦友と言ってもいい間柄になっていた。
 そして、二人には引き下がれない理由も出来てしまった。
 愛衣の知る限り、この《学園都市》の状況に対応できる人間は少ない。愛衣に涙子に高音と、あのメガネをかけた男子高校生。そして――。

(そういえば、あの男の人)

 《石喰い》の時に愛衣達に静止を呼びかけた男性。思い返せば彼にも魔力らしき力を感じていた。
 愛衣は未だこの《学園都市》に、オカルトGメンの捜査官が来ている事を知らない。
 男性が敵なのか、味方なのか判断は出来ないものの、安易な接触は危険だと思う愛衣がいる。

(獣の槍に、妖怪、学園都市、麻帆良……一体どうすれば)

 麻帆良の代表としての立場、学園都市という特殊性、友人が持つ強力な霊具。どれをとっても最善の選択が見出せなかった。
 麻帆良や学園都市への連絡が組織間の軋轢となるかも知れないし、それが派生して大事に至るかもしれない。
 このまま現状を放置すれば被害がより大きくなっていくかもしれない。いや、既になっていた。
 だが、愛衣は十三歳の少女なのだ。彼女一人で判断出来る事は少ない。
 ましてや、彼女が友誼を感じている涙子が持つ槍は特殊な霊具。愛衣の選択によっては、彼女を『売る』という事になってしまいかねない。
 愛衣としては出来るだけ速やかに羽生を説得、または除霊してしまいたい。そして、涙子に害が及ばぬ形で事件を終結させたかった。
 どうすれば最良で、何が最善なのかも判らない。出来ることなら声高に危機の真相を叫びたいくらいだが、その行動は大きな火種となる。
 心に溜まった鬱屈を、ため息として吐き出す。
 そこへ。

「おーい、佐倉さ~ん」

 涙子が小走りに走りよって来た。
 涙子の元気な姿に、思わず苦笑いを浮かべる。
 今はまだ解決の糸口が掴めない。それでも、やるべき事はあるのだ。
 愛衣は気を引き締める。
 《学園都市》の夜の闇には魑魅魍魎が棲み付いている。
 彼女達が飛び込むのは、戦場だった。



     ◆



 涙子は長い前髪で隠れた顔を腕で拭う。
 夜とは言え、初夏のこの時期にあれだけ走り回れば汗もかくというものだ。
 愛衣と合流した後、涙子達は愛衣の魔法で、妖怪や怨霊といった怪異の探索を行なった。
 ここ数日繰り返していく行動でもある。さすがに二人で探索できる範囲などたかが知れているが、それでも低級霊の類は涙子達の生活圏に多く現れていた。羽生の作為的なものも感じていた。
 例え羽生の意図した事と言っても、放置は出来ない。
 二人は黒い影や小さな人魂といったバケモノを、次々と屠っていく。
 だが、初日に見た様に、低級な怪異ほど数が多い。
 今日に至っては愛衣と二人で退治しようとした低級霊は散らばってしまい、二人で分かれて処理する事となった。
 〝外〟では対して問題にならない低級霊でも、《学園都市》では強大な害悪となる。
 超能力者に憑りついた際の脅威を、涙子は身を持って知っている。
 《槍》を手にした涙子の周囲には、何人かの男性が倒れている。風体からして碌でも無い輩だと感じられるが、彼らも被害者だった。
 場所はいつもの如く、《学園都市》にある雑踏。周囲をビルの無機質な壁に囲まれ、人通りのほとんど無い場所だ。
 怪異は人の少ない闇を好む。必然この様な場所へ行き着く。
 そして、素行の悪い男達は人通りの少ないこの場所でたむろし、悪霊の被害にあったというわけだ。
 涙子は《槍》を持ちつつ、周囲の気配を探る。どうやら妖力の類は感じられないらしい。
 気を緩め、倒れている人影達を探る。

「とりあえずは大丈夫かな?」

 見た目は薄汚れてるものの、命に別状は無さそうだ。
 チラリと周囲の壁を見れば、真新しいひび割れやコゲ痕といった物が見える。先程の戦闘で、悪霊に憑りつかれた男達が使った、暴走した超能力の結果だ。
 涙子としても良心が咎められるが、男達はここに置いていくしかないと決断する。
 早く現場を去ろうと、路地を駆け出す涙子。
 愛衣との合流をするために携帯電話を取り出そうとするが、路地の中央に落ちているぬいぐるみを見て足を止めた。

「ぬいぐるみ?」

 クマのぬいぐるみだった。新品同様といったぬいぐるみが、小汚い路地裏に置かれているのに違和感を感じる。
 自然と手が伸びていた。ぬいぐるみを掴もうとすると、急に頭に警鐘が鳴る。

「――ッ」

 不意の直感に、ビクッと手を引っ込める。
 その瞬間、ぬいぐるみが爆発した。
 《槍》の能力により、涙子は体の筋肉を総動員して背後へ跳躍する。だが、伸ばしていた指先は軽く火傷していた。

「痛ッ」

 痛みに軽く呻く。背後へ着地した時、何かを踏む。カチリという音と共に、足元でパンパンと何かが弾けた。

「うわっ!」

 落ち着いて見ればただの爆竹だと判断できただろうが、先程の爆発により過敏になり、力の限り前方へ駆けてしまった。気付けば細い路地の袋小路に行き着いてしまう。
 人が横に二人程しか並べない幅で、周囲は高いビルの壁面に囲まれ、光も微かな月明かりのみだ。

「ふ~ん、本当にいたんだ。毛玉ナンチャラ」

 背後からの声。涙子の退路を断たんとばかりに、一人の少女が立っていた。
 ビルの壁面に背を預けながら、くちゃくちゃとガムを噛み、口元で風船を膨らます。
 涙子は何が起きてるのか判断できず、声が出せない。鼻腔にガムの甘ったるいグレープ臭が香る。
 夜の闇が少女の姿を隠しているが、月明かりがチラリと路地を照らし出し、姿が垣間見えた。
 涙子と同じくらいの年齢だろうか。金髪を背中まで伸ばした美少女だ。見るからに外国人、しかも欧米系。青い瞳が挑発的にこちらを見ている、どこか猫を思わせた。
 頭にはベレー帽をかぶり、ブレザーにチェックのスカートという姿はミッション系の学生の印象だ。
 少女の名前はフレンダ。この《学園都市》の闇に身を置く一人だった。
 フレンダは微かな明りしかない路地ながら、涙子の体躯をしげしげと観察する。

「長い髪で隠れてるけど、あんた女でしょ。結局、骨格とか隠しきれてない訳よ」
「えっ」

 涙子は思わず声を漏らす。小さい声だったが、その声の音程の高さに、フレンダは益々確信を持ち、笑みを強くした。

「あんたさ、暴れすぎ。おかげでアタシらのとこまでこんな仕事回ってくるしさ」

 少女はグチグチと文句を言う。だが、二人の間の空気は逆に引き締まっていく。
 フレンダの瞳が、好戦的な輝きを放った。

「コスプレ野郎の始末。安すぎるせいで、あたし一人に押し付けられるし。まぁ一人分と考えれば、そこそこ金になるからいいんだけどね」
「し、始末って」

 妖怪じゃない、純粋な人間から向けられる殺意に、涙子は緊張する。問いかけも自然と漏れた。

「ふん、ちゃんと喋れるじゃん、『毛玉女』。その格好って何? 結局コスプレなわけ? ダッサ……つか、女として終わってるし」

 フレンダは質問を流しながら、涙子を貶す。涙子もフレンダの言葉に血が昇った。

「くっ! 好きでこんな格好してるわけじゃないわよ!」
「プハハハハ、怒った怒った。単純だね、毛玉女。で、なんだっけ始末の意味だっけ」

 フレンダは腹を押さえながら笑っていたが、笑いつつも瞳だけは剣呑。地団駄を踏む涙子を鋭い視線で貫く。

「〝殺す〟って事だよ」

 カチリ、と何かを押す音が聞こえ、爆音が路地に響いた。



 第十一話 END


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