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[24714] 【完結済み】魔法少女リリカルなのはWorthlesS
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:b155d12f
Date: 2013/04/03 02:17
≪あらすじ≫
 高町なのはに憧れる時空管理局員、ソフィー・スプリングス。
 彼女が新たに配属された部署は、“役立たず”と評される局員が集う場所、遺失物保護観察部(通称ホカン部)だった。

 猟奇的な部隊長、コスプレ少女、無口なお掃除ガール、嫁気取りなユニデバ、波乗り少年、おしとやかな妹分。

 そんな変な仲間達に囲まれたソフィーの物語。

 『魔法少女リリカルなのはStrikerS』で活躍した機動六課の解散後を物語る、ファンフィクションストーリー。


≪備考≫
 ※この作品は、『にじファン』にも投稿しております。



[24714] 第一話 憧れの人
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:b155d12f
Date: 2010/12/04 02:40
 不運の一言で片付けていいのだろうか。
 理不尽というものは間違いなくこの世に存在していて、しかしそれは誰もが遠ざけたいもの、自分の身には降りかかってほしくないものだ。
 当然だ。正当な評価を受けられなかったり、訳も分からずに傷付けられたり、どうしようもない運命に縛られたり。そんな理不尽を誰が喜ぶだろう。
 それとも、理不尽と感じることは未熟なのだろうか。不運、災難だと思い込んで自らの未熟を認めていないだけなのだろうか。
 いや、そんなことは無い。
 そんなことは無いと思う。
 たぶん、無い。
「元気ないね」
「そんなことないっ!」
 思わず声が大きくなってしまった。咄嗟に出たその勢いは、腰に締めているシートベルトが外れていたら間違いなく立ち上がっていた程の剣幕だ。
「あ、いや! …………す、すいませんっ!」
 私はすぐに我に帰って、隣の席の人物に謝罪した。
 ああ、何て無礼なことをしてしまったのだろう。陰鬱な気持ちに浸って周囲と自分自身を隔絶していたばかりに、不意に投げかけられた一言が自分の中の片一方の声だと思い込んでしまった。そうして反撃とばかりに飛び出したもう一方の自分の声。しかしその矛先は、あろうことか上官へと向けられてしまった。
 私は下を向いて身を強張らせた。だが下を向く直前、ちらりと見やった上官の表情は意外なものだった。大声に驚きつつも、優しい笑顔を見せている。
「そんなに不安がること無いよ。新しい配属先に初めて行く、そんな時は誰だってドキドキするものだよね。私もそうだったから」
 優しいなぁ。この人はこんなに優しくて、その上綺麗だ。
 だが、この人はそれだけではない。長く美しいストレートヘアーのサイドポニーと幼さを残した端正な顔立ちの彼女だが、その実、怪物的な魔力と天才的な魔道師としての素質を併せ持ったランクS+の空戦魔道師であり、戦技教導官も勤めている。
 その二つ名を知らない人などいない。“エースオブエース”、高町なのは一等空尉。
 直接会うのは今日が初めてだが、この人は私の憧れの人だ。
 こうして出会えたのは、私の向かう先と同じ場所に、なのはさんも届け物をしなくてはいけないという理由のおかげだ。
「あ、ほら。もうすぐ着くんじゃないかな?」
 なのはさんのその言葉を聞いて、私は輸送ヘリの窓から外を覗き見た。確かに高度が下がっている。
 もうすぐ到着してしまうのか。
「はぁー…………」
 私のため息が聞こえたのだろう。変わらない微笑を浮かべながら、なのはさんは言った。
「新しい配属先、そんなに嫌?」
「い、いえ……そういうわけでは…………」
 本当のことを言うと嫌だった。なのはさんも、輸送ヘリが降り立とうとしているところがどういうところなのか知らないはずはないのに。そんなことを訊いてくるなんて意地悪じゃないだろうか。
「なのはさんは………」
「ん?」
「どういうところだか知っていますよね、これから行くところ」
「『遺失物保護観察部』のことだよね?」
 そう、まさにそこのことだ。
 私が配属されることとなったのは時空管理局のとある部署、遺失物保護観察部。そこは名前の通り、遺失物管理部の機動一課から機動六課までが管理しているロストロギア関連のデータを保護・観察する部署だ。
 だがロストロギアと言えば、古代に消失したオーバーテクノロジーを有する文明の創りし遺産。一歩間違えれば世界はおろか全次元すら消し去るかもしれない超危険物。遺失物管理部とはそんな危険な代物を管理する部署のことで、それ故に所属する人員も皆エリート。そんな集団が調査データを誰かに委託する程蔑ろにしているわけなど無く、実際にその管理体制は管理局内でも最高レベルと評されている。
 では、遺失物保護観察部が何を保護・観察しなければいけないのかと言うと、はっきり言ってそんなものは無い。管理部が大切にしているデータ、及びその管理体制を横から覗き見ては不備の有無を本部に報告するという業務。だが、管理データやその管理体制の報告なんてものは管理部も独自に行っていることであり、本部から管理部へ査察が入ることもある。保護観察部が行っていることは、はっきり言って無意味なのだ。
「なのはさん、保護観察部が通称なんて呼ばれているか知ってますか?」
「え? ホカン部」
「“要らん部”です。他には“役立たん部”」
 なのはさんは苦笑した。その顔から、ホカン部の蔑称を知っていたものと見てとれる。
 そんなところに配属される者の表情なんて皆一緒だ。そう、まさに今の私の顔がそれだ。
 この人事異動は言い換えれば、管理局が私を要らないと判断してのことではないか。
 はっきり言って、私はそんな扱いを受けなければいけないようなことはしていない。身に覚えが無い。なのに、何のための配属なのだろう。
 この世は本当に理不尽だ。



 輸送ヘリの高度はどんどん下がり、窓の外に見える景色から、遠くに市街地と時空管理局地上本部があるのが分かる。
 コンクリート壁で囲まれたヘリポートが真下に近づき、私はシートに深く座り直した。
 ああ、許されるなら着陸などせずに、このまま私を別の地に連れ去ってほしい。
「そんなに悪くないと思うけどな、ホカン部」
 輸送ヘリが着陸して機体が大きく揺れる寸前、なのはさんがそう言ったのを聞いた。
 頭上でプロペラが喧しく音を立てている中、機体の揺れが止まると私は渋々シートベルトを外した。なのはさんも私の後に続いて席を立つ。
 機外に出ると、プロペラが巻き起こす風で私のショートヘアーがくしゃくしゃになった。それを片手で押さえながら、ヘリポートに隣接する五階建ての灰色の建物を見ると、ヘリポートと繋がる入り口の前に一人の女性が立っていた。
 両手を腰にあてがい、肩幅に開いた両足で仁王立ちをするその女性は、吹き付けてくる風と向かい合いながら長い髪を好き勝手に泳がせ、不敵に微笑んでいた。
「ようこそ! 遺失物保護観察部へ!」
 私となのはさんが近づくと、その姿勢を崩さぬまま再び口を開いた。
「私がここの部隊長を務めるミリー・バンカル三等空佐だ。お会いするのは初めてだな、高町一等空尉。それと…………」
 ミリー部隊長の目が私に向く。
「ほ、本日よりこちらの部署に配属となりました、ソフィー・スプリングス二等空士です! よろしくお願い致します!」
 私が敬礼をすると、隣でなのはさんも同じようにしていた。
 なぜだろう。なのはさんの敬礼はやたらとカッコいい。これがベテランとの差か。
「うむ! 声のデカイ奴は好きだよ。入りなさい、お茶でも入れよう」
 ミリー部隊長の後に続き、私となのはさんはホカン部隊舎へと足を踏み入れた。
 踏み入れた瞬間、ホカン部が一体どういった部署なのかを再認識させられた気がする。建物の造りこそ時空管理局の所有する隊舎や関連施設と変わらないが、天井の黄ばみや壁の傷は目立ち、ひび割れたタイルで敷き詰められた床は氷のような冷たさを感じさせ、足音がやけに響く。お情けで飾られているような鉢植えは枯れかけ、この隊舎のみすぼらしさを際立たせていた。
 要らん部。そう呼ばれるに相応しいと言える様相だ。
「二階と三階が部隊員の個室となる。ソフィーの部屋は後で寮母さんに案内させよう」
「え! この建物の中で寝泊りしてるんですか!?」
「そうだ。別に他所の部署でも隊舎と寮が一体なのは珍しくないだろう。なあ、高町一尉?」
「え、ええ……そうですよね。六課もそうでしたから」
 ミリー部隊長は「ほら」と言いながら高らかに笑った。でも私は、なのはさんの一瞬の動揺を見逃さなかった。彼女も、このオンボロ雑居ビルのような小さな建物の中にまさか部隊員の私生活スペースがあるとは想像も出来なかったのだろう。
 ミリー部隊長はエレベーターの前まで来ると、上昇のボタンを押して待った。
「四階がブリーフィングルームや資料室。お前達の主な職場だ。五階には部隊長室があるが…………まあ、あそこは行くことはないだろう」
「そうなんですか?」
「ああ、行っても誰もいないからな。私がブリーフィングルームにいることがほとんどで、部隊長室には滅多に行かないのだよ。臭いんだよ、あの部屋」
 私は湧き上がるツッコミをぐっと飲み込んだ。
 エレベーターに乗って向かったのは四階。そこからジュースの自動販売機と休憩用の長椅子を通り過ぎ、ブリーフィングルームの前にやってきた。
 両側横開きの自動ドアをくぐると、アンリアルモニター一体型のコンピューターデスクが六基並んでいて、一番奥には部隊長用のデスクがもう一基。ここだけは壁や床にも目立った汚れなどはなく、綺麗に整頓された空間が広がっていた。
「うわあ、まとも……」
「他がまともじゃ無いみたいな言い方だな」
 思わず声に出てしまっていたようだ。
 ミリー部隊長はそのまま部屋の中を進み、最奥にある自分のデスクに座った。
「今は私以外の全員が出払っていてね。もうじき戻ってくるかとも思うんだが……。先に済ませられる用件は済ませてしまおう」
 その言葉を聞いて歩を進めたのは、なのはさんだ。彼女はヘリの中にいる時からずっと小脇に抱えていたファイル数冊をミリー部隊長のデスクの上に置いた。
「これが六課の分です。デジタルでの資料は昨日のうちに送っておいたんですが、届いてますか?」
「うむ、確かに受け取っている。高町一尉に直接持ってきていただいて、手間をかけさせたな。広域捜査の一課から五課の報告書と比べると、対策専門の六課の報告書は面白くて気に入っていたんだが、六課解散は残念だ」
 なのはさんの出向していた機動六課は、一ヶ月前に期間満了で解散したのだ。
 もしまだ六課が存続していたら、私はホカン部などではなく、是非とも機動六課でなのはさんの部下として働きたいと思っていた。
「…………しかしなんだな、電子ファイルでピッと送れるんだから、わざわざ同じものを紙で保管する理由も分からんのだが」
「万が一のためですよ。紙で保管しておけば、コンピュータが無くても」
「閲覧記録も残らない……とかな」
 なのはさんの言葉を遮り、ミリー部隊長は意地悪そうな笑顔を浮かべながら言った。なのはさんは苦笑している。
 なんだかクセのありそうな人だ、と思った。この人が部隊長を務めるホカン部は、一体どんなメンバーによって構成されているのだろう。部隊長のもの以外にデスクが六基。一つは私用だとして、残り五基ということは、少なくとも五人はいるのか。もしかしたら部隊長に負けず劣らずのクセ者メンバーだったりするのだろうか。
 その時、部隊長デスク上の通信端末が突然コール音を響かせた。
 ミリー部隊長は落ち着いた様子で通信端末の通話ボタンを押した。
「ホカン部だ。何事だ?」
『こちら機動三課のノイズ曹長です! ミリー部隊長! どういうことですか!?』
「どういうことだだと? 連絡をよこしたのはお前だろう、どういうことだ?」
 ミリー部隊長が怪訝そうな表情を浮かべている途中、なのはさんが部屋の窓に視線を移したまま固まっている。
 何事かと私も同じ方向を見ると、そこにはとんでもない光景があった。
 ブリーフィングルームの部隊長デスク後方にある窓の外は、背の高い建物がほとんど無く、ここ一帯の景色を一望できた。数十キロ先に見えるのは時空管理局の地上本部。そしてそれを中心とする都市が広がっている。おそらくここまでは、この窓から見ることの出来るごく日常的な景色なのだろう。
 問題はその上空だった。
 地上本部の最上階とほぼ同じ高度に、細長い影が浮いている。そしてそれは自在に空を飛び回り、その長い形状を自在にくねらせている。まるで飛翔している蛇のようだ。
「なのはさん……あれって…………」
「遠くてよく分からないけど…………生き物みたい」
「そうだ。あれは別の世界に生息する、魔力を保有する大型生物だよ」
 いつの間にか通信を切っていたミリー部隊長が言った。
 私となのはさんが同時に部隊長を見る。今の発言は、明らかにあの生物について何かを知っている様子だった。
「どういうことですか?」
「いやなに、実は三課が輸送中だったロストロギアが起動してしまったらしいんだ」
「ロ、ロストロギアが!?」
「うむ。『プリズン』と言うロストロギアでね、第六十三管理外世界で発見されたものなんだ。真っ黒な立方体の形をしているそれは、大容量のデータ保存が可能なメモリなのだが、それ単体による保存データの復元機能を備えている」
「もしかしてあの大型生物は……」
「プリズンに保存されていたデータの復元だろうな。過去のデータとは言え、ああして復元された奴は本物だ。このままだと地上本部とその周辺都市が危ない」
 ミリー部隊長が言い終わるよりも早く、なのはさんは首から提げていた赤い宝玉に声を掛ける。
「レイジングハート、行くよ!」
「All right. Barrier Jacket standing up」
 なのはさんが管理局の制服から、白を基調としたバリアジャケットに身を包んだ魔道師姿へと変身していく。
 レイジングハート。なのはさんの所有する自立思考型魔法発動補助機(インテリジェントデバイス)だ。AIを搭載することで、自分で考えて行動するこの種のデバイスは、熟練な魔道師でないと扱いが難しいとされている。だが、なのはさんは魔道師になりたての頃からレイジングハートを使いこなしたという。本当にこの人はすごいんだ。
 私は憧れの人の変身に見惚れて、口を開け放したまま立ち尽くしていた。
 はっとして我に返った私は、すぐさま自分のやるべきことを見出した。
「マスタースペード! 私達も準備するよ!」
「All right」
 首から提げていたスペード型のペンダントが光り、私の体を包みこんでいく。やがて光は白の下地に薄紫のラインが走るバリアジャケットへと変わり、最後にラインと同色のマントが翻る。
 そう、私だって管理局の魔道師。誰かが危険に晒されているのであれば、困っている人達がいるのなら、私は助けるんだ。そこには部隊の違いも魔道師ランクもキャリアも関係ない。憧れの人がするように、私も空を飛ぶんだ。
 私のデバイス、マスタースペードは杖状に姿を変えて、私の右手に握られていた。この姿になると、緊張が高まってきて思わずマスタースペードを握る力が強くなってしまう。
「Shoulders down and relax」(肩の力を抜いて落ち着きましょう)
 そんな一言をくれたマスタースペード。大丈夫、私のデバイスだってレイジングハートに負けないくらいの良い相棒だ。
「うん! ありがとう!」
 気が付けば、なのはさんは私の方を向いて微笑んでいた。不思議と勇気付けられる笑顔。
 ミリー部隊長がデスクの上のスイッチを押すと、デスク後方にあった窓ガラスが壁の中へスライドして収納されていく。
「エースオブエースが駆けつけてくれるのなら心強い! 私の出番は無いだろ。それにソフィー!」
「はい!」
「来て早々だが初仕事となるな。高町一尉にしっかりくっついていけ。そして学んでこい!」
 私は短く敬礼をして、なのはさんと共に窓から大空へと飛び出した。



 私の十数メートル前方をなのはさんが飛んでいる。
 速い。少しでも気を抜けば魔力が弱まって一気に離されてしまう。
 杖状に変形したレイジングハートを左手に、なのはさんは真っ直ぐと前を見ている。目的地まで一直線だ。
 それは、私の追いかけてきた姿だ。
 訓練校時代から、雑誌の特集等になのはさんが掲載されれば全てチェックするようにしていた。同期の友達にもなのはさんのファンは多かったけれど、私がなのはさんに抱いた気持ちは、ファンとしての憧れではなかった。
 なのはさんは、私に希望の光をくれた人。
 私がなのはさんを初めて知ったのは、何かの雑誌のインタビュー。その中で彼女はこう言っていた。
 理由も知らないまま、訳も分からないまま、ただぶつかるだけなんて悲しい。
 でも、それでもぶつからなければいけない時。きっと誰にでも譲れないものはある。諦められないことはある。
 捨てればいいってわけじゃないのなら、逃げればいいってわけじゃないのなら、そういう時は全力全開でぶつかり合ってみるといい。そうしてお互いに通じ合えた時、譲れないものも、諦められないことも、互いに分かち合うことが出来る。きっとそこがスタートだ。そこからが始まりなのだ。
 なのはさんはインタビューでそう言った。
 当時、私はとある事情で悩みを抱えていて、逃げ出したくて仕方が無かった。何もかも捨て去ってしまいたかった。
 そんなときになのはさんのインタビュー記事を読んで、力を貰った。
 そして誓った。私もなのはさんのような人になる、と。魔道師ランクなんて低くてもいい。エースと呼ばれなくてもいい。
 ただ、この人のように真っ直ぐな人になりたい。強い人になりたい。何事にも全力全開でぶつかっていける人になりたい。
 だから、ここで引き離されているわけにはいかないんだ。なのはさんはまだまだ先を行っているけれど、私だっていつか追いついてみせる。そして、彼女の後方じゃなく、隣を飛んでみせる。
 私はなんとか速度をあげた。少し苦しいけれど、耐えられないわけじゃない。
 その時、頭の中になのはさんの念話が響いた。
 ――ごめんね、ソフィー。ちょっと速過ぎたかな?――
 ――だ、大丈夫です! 速度そのままでお願いします!――
 しかし、なのはさんは速度を徐々に落としてきて、私の隣までやって来てくれた。
「ソフィーは強いね」
 まだです。まだまだ弱いです。それでも、少しだけ嬉しいです。
 憧れた人に「強い」と褒められて、少し顔が熱くなった。そしてまた力を貰った気がする。
「ソフィー! あと数分で現地に到着するよ!」
「はい!」
「大型生物の注意は私が引き付けるから、ソフィーは周囲の被害状況を確認! 負傷者がいるなら救助を最優先!」
「了解!」
 私の返事を聞いた後、なのはさんは再び速度を上げて一足先に目標へ接近していった。
 私は私のやるべきことに全力を注ごう。
「マスタースペード、広域サーチ! 周りの状況が知りたいの!」
 目の前に出現した魔法陣を中心に、薄い光の波紋が広がっていく。一番早く返ってきた反応はあの大型生物。体長は五十メートルを超えるドラゴンタイプ。ここからでも大きな魔力を感じる。
 なのはさん一人で平気なのだろうか。まだまだ未熟な私だけど、何か手助け出来ることがあるんじゃないだろうか。
 いや、なのはさんは誰よりも強い人。私はあの人を信じている。
「…………周辺に目立った被害は無い。あれ? …………それどころか人が少ない。少な過ぎる」
 ここは時空管理局地上本部上空。それなのに、地上本部からの応援がまだ来ていない。状況が分かっていないはずはない。民間人の避難対応に追われているのだろうか。それにプリズンを運んでいた機動三課の輸送ヘリは地上に降りたのだろうか。とにかく、周辺空域に感じる気配はごく僅か。
「三人? いや、二人…………」
 その気配が、急速に接近してくるのを感じた。
 局員か。
「おーおー、地上本部からの応援局員かな? やっと到着とは、遅過ぎるんじゃないのかねぇ」
 目の前に現れたのは、全体的に黒を基調としたバリアジャケット姿の少女。手にしたデバイスは若草色の光の刃を先端から伸ばした大鎌タイプ。
 なんだか、見たことのあるデバイスだった。
 今度は上方から、もう一つの気配が近づいてきた。
 赤紫のメイド服風バリアジャケットに身を包んだその女性は、その長身な体を翻して静かに少女の隣に降り立った。手に持っているデバイスは、なんだか妙な形だ。T字型の先端と丸みを帯びたボディーをホースで繋いでいる。というより、まんま掃除機の形だ。
「キミ、名前は?」
 少女に尋ねられ、私は二人を見比べながら答えた。
「ソ、ソフィー・スプリングス二等空士です。遺失物保護観察部から駆けつけました」
「お? するとキミが今日から配属予定だった新人?」
「え? じゃあ、あなたも…………」
「うん。ボクはマル…………ん?」
 そこまで話しかけて、少女は視線を逸らした。その先には空を自在に飛び回る大型生物の姿があった。
「誰か戦っているね…………」
「あっ! なのはさん!」
 私がなのはさんの名を口にすると、少女と長身の女性は揃って私の方に向き直った。
「…………なのは、さん? それはエースオブエースの高町なのは一等空尉のことかな?」
「え? は、はい。さっきまで私と一緒にいたんですけど、あの大型生物の注意を引き付けるって…………」
 少女の表情が怪しく微笑んだ。何だろう、こういう意地悪な笑顔はミリー部隊長と同じ匂いを感じる。
「ははぁ……。では加勢にいかなくちゃ。なあ、ジージョ?」
「…………うん」
 ジージョと呼ばれた長身の女性がやっと声を発した。
 いや、それよりも二人はなのはさんの所にいくみたいだ。
 周辺には特に被害も出ていない。それならば。
「私も行きます!」
「オーケー! では行こう!」
 少女の掛け声を合図に、私達三人は一直線に飛んだ。
 近づくと、大型生物の周辺を飛び回るなのはさんの影が見える。なのはさんの持つレイジングハートから射撃魔法が放たれているが、大型生物の周囲で打ち消されている。
「ほほう、バリアを張るのか。…………ジージョ!」
「…………わかった」
 三人の中から、ジージョさんが先行する。
「どうするんですか?」
「バリアが邪魔だからね。あれを消してから砲撃魔法で気絶させよう」
「そしたら地上に落下しちゃうんじゃ…………」
「キミ、捕縛魔法(バインド)は得意?」
「ひ、人並みです」
「気絶したあの生物をバインドで縛り付けていてほしい」
 そう言い終えてから、少女はジージョさんに続くように飛んでいった。
 あんな大型生物を空中に固定させておけるだろうか。不安だが、任されたからにはやるしかない。というよりも、返事するよりも早く先に行かれてしまった。
 私は飛んだ。
 大型生物に近づくと、その大きさに改めて驚かされる。蛇のようにうねるこの巨体で叩き付けられたら、例えガードをしても無事では済まないだろう。
 私は大型生物の下方に回り込み、頃合を計った。
 上を見上げると、大型生物と共に踊るように飛ぶなのはさんが見えた。
 なのはさんの砲撃魔法なら何とかなるかもしれないが、思った以上に俊敏な大型生物のせいで、準備態勢に入れないのかもしれない。なのはさんの攻撃はチマチマとした射撃魔法ばかりだ。
 ふと、ジージョさんの影を見つけた。彼女が掃除機型のデバイスを大型生物に向けて構えると、頭の中に少女の声が響いてきた。
 ――そろそろだ。準備をしてくれ――
 ジージョさんの足元に赤紫の魔法陣が広がる。そして次の瞬間、大型生物の周囲に張られていたバリアが引っ張られるように伸びていくのが分かった。そしてその伸びていく先は、ジージョさんのデバイスの先端。
「うそ! 吸い込んでる!」
 まさに掃除機だった。
 大型生物はバリアを持っていかれまいとして必死に抗うが、ジージョさんもかなり踏ん張っている様子だ。
 その光景を見ていると、隣にはいつの間にかなのはさんがやって来ていた。
「あの子は?」
「ホカン部の部隊員です」
「バリアを吸い込んでる…………これなら砲撃も通るよ。来てくれたのは彼女だけ?」
「いえ、あともう一人…………」
 私は空を見渡して、少女の姿を探した。抵抗を続ける大型生物と、バリアを吸い取るジージョさん。その二人の更に上方に影が見えた。
「あ、あそこです!」
「どこ? ……ああ、あそこに…………って、え!? フェイトちゃん!?」
 なのはさんが口にして、私も思わず声を出した。
 そうだ、少女のデバイスを見た時に感じた違和感はこれだった。少女の手にしていた大鎌タイプのデバイスと、黒を基調としたバリアジャケット。あれは以前、なのはさんと共に雑誌に載っていた彼女の友人、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官と全く同じ装備だ。
 あの少女がフェイト執務官? いや、それは無い。身に着けた装備一式は同じでも、身長にはだいぶ違いがあったし、ボディーラインの起伏も別人みたいだった。
 そんなことを考えているうちに、大型生物のバリアはどんどん吸収されていき、ついに消えた。
 ――よし! 行くぞソフィー! 受け止めろよ!――
 少女からの念話。私はバインドの準備をする。
 なのはさんも私のやりたいことを察してくれて、同じようにバインドの準備をした。
 少女の影が、若草色の閃光を纏っていく。おそらく大型生物を気絶させるための砲撃魔法。しかもあの様子だとかなりの大技。
 その時、またしてもなのはさんが驚愕の表情を浮かべて言った。
「あれって! フェイトちゃんの技…………プラズマザンバーブレイカー!?」
 まさか、姿形だけでなく技までもフェイト執務官のものだというのだろうか。
 直後、放たれた巨大な光の柱は、大型生物の頭上に凄まじい勢いで叩きつけられた。
 耳をつんざくような唸り声を上げて、大型生物はその衝撃に打たれたまま徐々に降下を始めた。やがてその唸り声も聞こえなくなると、今度は自然落下の速度でどんどん私達の方に近づいてきた。
「な、なのはさんっ!」
 思わずなのはさんの名を叫びながら、私は必死でバインドを発動させた。
 私の薄紫の帯状魔力と、なのはさんの桜色の帯状魔力が大型生物の体の数箇所に巻きついた。
 あとは支えるだけ。
 支えるだけ。
 支えるだけ、なのに。
 重圧がすごい。噛み締めた歯が音を立てそうだ。なのはさんも精一杯支えている。
 まずい。二人でもこれだけ大変なのに、私の力がどんどん消耗されていくのが感じ取れる。いくらなのはさんでも、一人では絶対支えられないのに。
 ――ナイスキャッチだ、ソフィー!――
 突然の念話。そして、バインドで縛られた大型生物のすぐ脇に、少女の姿を見た。
 少女は右手にデバイスを、そして左手に真っ黒な立方体を持っていた。
 その立方体を大型生物に向けると、黒い立方体は禍々しい光を放ちながらその姿を六枚の正方形に分けた。
 分解、そして飛散。大型生物を囲うようにして位置を決めた六枚の正方形は、互いの幅を徐々に縮めていく。それに伴い、大型生物の体が砂のようになって原型を失っていった。
 砂は六枚の正方形の作る空間内を行き来し、しかし徐々に狭まる空間に押さえつけられるように、動きを小さくしていった。やがて六枚の正方形は砂を閉じ込めながら互いの一辺同士を繋ぎ、元の小さな立方体へと戻っていく。
 地上本部の上空が再び静寂を取り戻した時、少女は黒い立方体を手にしたまま私達の方にやって来た。
「あの、それって…………」
 私が訪ねると、少女は笑顔と一緒にその立方体を差し出してくれた。
「三課の輸送中だったもの。ロストロギア、プリズンだ。あの大型生物には再びこの中に保存されてもらったよ」
「呆れた…………。ロストロギアを輸送中に起動させるなんて、三課は何をしているの?」
 なのはさんが怒っている。
「いや、それなんですがね…………」
 少女が言いかけると、ジージョさんが戻ってきた。そしてそれと同時に、地上本部から輸送ヘリが飛び立ち、こちらに向かってきた。
 私達のいる高度まで飛んできたヘリは、後方の大型ハッチを全開にすると、私達に乗り込むよう指示してきた。
「もう! ガツンと言ってやるんだから!」
 なのはさんが意気込んで先に乗り込む。私達もそれに続くと、ヘリの中には数人の局員とミリー部隊長がいた。
「よっ! お疲れ様!」
 ミリー部隊長が私に笑いかけた。私がそれに笑顔で応えていると、横から凄い剣幕のなのはさんの声が聞こえてきた。
「どういうことですか!? ロストロギアを輸送中に起動させるなんて、地上に被害が出ていてもおかしくない状況でしたよ!」
「高町一等空尉!? なぜここに? いや、それよりも聞いてください! それは誤解ですよ!」
 そのやり取りを横目に見ながら、私はさっきまでのことを振り返っていた。
 ジージョさんのアシストと、まだ名も知らない少女の大型砲撃魔法によって今回の事件は大きな被害を出すことなく終わりを迎えた。
 私はつい先程まで遺失物保護観察部への配属を嫌い、理不尽だと自分の人生に泣き言を言っていた。だがその実はどうだ。フェイトさんそっくりの少女やジージョさんのような凄い先輩を持ち、ちょっとクセはあるが器の大きそうなミリー部隊長の下にやってきた。しかも配属早々、ロストロギア関連の重要な仕事に関わってしまった。
 ホカン部は、もしかしたら凄い部署なのかもしれない。私はここの部隊員になれて良かったのかもしれない。
 嬉しさでついつい顔が緩む。
「何をニヤついているんだ?」
 少女が話しかけてきた。
「あ、あの…………えっとぉ」
「ふふん。ボクはマルクル・コープレス。皆はマルコって呼ぶから、ソフィーもそう呼んでくれ」
「は、はい! マルコ先輩!」
「“先輩”も敬語も要らない。仲良くしよう」
「は……う、うん!」
 嬉しい。そして更に嬉しいことに、
「………………ジージョ・キーパーズ。よろしく」
 ジージョさんも自己紹介してくれた。
「よろしく!」
 この部署に来て良かった。私は心からそう思った。
「だから! 誤解だって言ってるでしょ!」
 横ではまだ言い争いが続いていた。
 私はミリー部隊長に尋ねた。
「あの、あの方は…………」
「ああ、機動三課のノイズ曹長だ。ブリーフィングルームで通信を入れてきただろ」
 この人がそうなのか。しかし、何が誤解なのだろう。
「私達は問題なくプリズンを輸送しておりました! しかし、ホカン部の二人が輸送状況の観察任務で同乗していた際、プリズンを勝手に取り出して面白半分で騒ぎ出した挙句に落っことして!」
「…………え?」
 全員が言葉を失った。静かにヘリの飛行音だけが響く。
 ミリー部隊長は笑顔だったが、額に青筋が浮かんでいた。
 マルコちゃんとジージョちゃんはハッチ方面にゆっくりと後ずさり、飛び降りようとしている。
「待て。マルコ、ジージョ」
 ミリー部隊長の声を待たずして、二人はヘリから飛び去った。
「逃げた…………」
 なのはさんが呆れ顔で額に手を当てている。
 この空気は一体何だろう。周囲を見れば、三課の隊員達の白い目が私達ホカン部に向けられている。
 ノイズ曹長がそっと言った。
「あの、ミリー部隊長。本部への始末書、お願いしてもいいでしょうか?」
「分かってるよ! くっそー! 今月何枚目だと思ってんだよっ!」
 私はこの部署に来て間違っていなかったのだろうか。
 少なくとも一つ分かったことがある。
「ホカン部って、本当に要らんことをしてるんだ…………」
 なんだか泣きたくなってきた。

 To be continued.



[24714] 第二話 役立たん部
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:d2332b30
Date: 2010/12/04 11:01
「本日より遺失物保護観察部に転属となりました、ソフィー・スプリングス二等空士です! 精一杯やっていきますので、厳しいご指導をよろしくお願いいたします!」
 初めてやってきた部署での挨拶は、誰でもこんなものではないだろうか。
 新しい部署に配属となり、新しい仲間と共に新しい任務をこなしていこうというのだ。弱気な姿勢を見せたらこの人達は私に安心して仕事を任せられない。適度に緊張感は持ちつつも、臆することなく立ち向かえる精神で。意欲を見せていこう。仕事をするぞ、という意欲を。
 しかし、私の自己紹介を聞き終えた後でミリー部隊長が、「そんなに肩肘張るような仕事はうちには無いぞ」と、茶々を入れて笑った。
 自然とため息が漏れる。やはりこの部署はやる気が無い。
 遺失物保護観察部。通称ホカン部と呼ばれるここは、遺失物管理部に属する機動一課から五課までが管理するロストロギアの調査データを保護・観察する部署。
 しかし、ロストロギアに関連する重責な仕事というイメージを抱かせる部署名とは裏腹に、ここに集められた人物は時空管理局内でも不必要と判断された人達。この部署は“役立たずの寄せ集め”という何とも不名誉な場所なのだ。
「ではまあ、せっかくだから我々も自己紹介といこうじゃないか」
 ホカン部隊舎の四階にあるブリーフィングルーム。ここに集まった私とミリー部隊長を除いた四人が、端からそれぞれ自己紹介をしてくれた。
「…………ジージョ・キーパーズ…………よろしく」
 背が高くて無口でボーイッシュだけど、魔導師姿の時のメイド服風なバリアジャケットは何気に似合っていたジージョちゃん。つい三時間前に起こった“プリズンをうっかり起動させちゃった事件”の時にも会っている。
「ボクはマルクル・コープレス。改めてよろしく」
 ジージョちゃんとは逆に背がとても低い、眼鏡を掛けた彼女はマルコちゃん。彼女とも先程の一騒動で顔合わせを済ませた。
 ジージョちゃんとマルコちゃんと私の三人が、ブリーフィングルーム内のデスクに横一列で並んでいる。そして自己紹介は向かい側の三席に移った。
「僕はブラント・フーケだよぉ。よろしくぅー」
 先程の一騒動が終わった後、隊舎に戻ってきた私達を待っていてくれたのは、別任務から帰ってきたばかりのまだ会っていない部隊員二人だった。
 そのうちの一人が彼、唯一の男の子であるブラント君。一応先輩にあたるのだけど、年齢は私よりも五歳下の十一歳。皆も弟のように接しているので、ついつい「ブラント君」と呼んでしまう。なんだかボーっとした子で、任務以外のときはしょっちゅう寝ているそうだ。
「…………あたしはウィンディーヌ」
 ブラント君の隣の席に目を移すと、そこのデスクには誰もいない、ように見えた。
 椅子には誰も座っていないが、デスクの上にはツインテールを揺らしながら少女が仁王立ちしているのだ。といっても彼女は身長が三十センチ程しかない。
 ウィンディーヌちゃんはユニゾンデバイスだ。ユニゾンデバイスは、他の魔導師と融合することにより、融合した魔導師の能力を飛躍的に向上させる力を持っている。私も本物のユニゾンデバイスを見るのは初めてだ。
「…………えっとぉ」
 なぜかウィンディーヌちゃんが私をじっと見ている。いや、睨み付けている。ものすごく敵視されている理由は私には解らない。
「…………新米、ブラントに色目使ったりしたら承知しないからね」
 どうやら私がブラント君に横恋慕することを警戒しているみたいだ。
 これで全員。六基ある部隊員用の席は、全て埋まってはいなかった。
 全員の自己紹介が済んだところで、ミリー部隊長が再び口を開いた。
「さて、それでは自己紹介も終わったところで、本日の仕事は終わりだ。皆お疲れ様。明日の予定についてちょっと話をするから、聞き漏らさないように」
 それを聞いたマルコちゃんとジージョちゃんの表情が少し曇った。その理由は何となく解る。
 三時間前、マルコちゃんとジージョちゃんは任務の為に機動三課のロストロギア輸送業務に同行していたのだが、輸送中のロストロギア、プリズンを誤って起動させてしまい、しかもそれが時空管理局地上本部とその周辺地域を危険に晒すようなことだったので、ミリー部隊長より罰則が与えられることになった。
 騒ぎは大きな被害を出すことも無く沈静化出来たのだが、二人の直属の上官であるミリー部隊長は四方八方に謝りまくることとなった。
 その件に関して、私は幾つか解せない点がある。
 まず一番気になるのは、地上本部の対応の遅さ。プリズンが起動してしまったのはあろうことか地上本部の真上。にもかかわらず、対処に当たったのは私とマルコちゃんとジージョちゃん、そしてその時たまたま居合わせた高町なのは一等空尉の四名だけ。地上本部からの応援人員どころか、実際にプリズンを輸送していた三課の部隊員すら見当たらず、全員そそくさと地上に降りて騒ぎを傍観していたように思う。
 そしてもう一つは、ミリー部隊長が平謝りするだけで許されてしまうということ。二人にはミリー部隊長からの罰則があるとは言え、本部から直接のお咎めは無し。
 ロストロギアという超危険物に関する事件でありながら、この平穏な雰囲気のまま事態が終息していくことに私は疑問を感じずにはいられなかった。
 ちょっと前に、ミリー部隊長にその事を訊いてみたのだが、彼女から返ってきた回答は、
「私が属するのは“異質人物”保護観察部だからな。何をしでかすか分からん連中を面倒見るのも私の仕事のようなものだ。それを本部はよく理解していて、しかも関わることすら忌み嫌うのだろう」
 というものだった。ホカン部の蔑称を挙げて自虐的な回答をするミリー部隊長もまた、異質人物ということなのだろうか。
 ミリー部隊長はデスク上の紙面を見ながら、明日の予定について話し始めた。
「マルコ、それとジージョ。お前らは明日無限書庫に行け。三課がプリズンに関する資料を集めるというから手伝ってこい」
「それって…………罰則ですか?」
 マルコちゃんが拍子抜けしたような顔を見せた。
「もちろんだ」
「ずいぶんと楽勝ですね」
 私もそう思う。確かに無限書庫は、その膨大な情報量から目当てのものを引き出すだけでも大変な年月と苦労を必要とすると聞いた。だがそれも昔の話で、現在では優れた探索能力を有する司書がいるおかげで、圧倒的に探し物が楽になっている。
 無限書庫での探し物は、少し前ならば立派に重労働となったのだろうけれど、今はそうではない。
「楽勝? そんなこと言ってもいいのか? 明日はユーノ司書長が学会に出席するので留守だぞ」
「うげっ! やっぱりそういうオチですか」
 なるほど。それならば探し物は大変だ。
「それとソフィー」
「は、はい」
 ミリー部隊長は突然私の名前を呼んだ。
「お前も二人と一緒に行け」
「え? 私も無限書庫にですか?」
「精一杯やるんだろ? 頑張ってこい」
 私はすぐさま返事をし直した。
 正直に言うと、実は無限書庫にはまだ行ったことが無く、以前から一度は入ってみたいと思っていたので嬉しくもあった。
 ミリー部隊長は話を終え、解散の指示を出した。
 ちなみにブラント君とウィンディーヌちゃんの明日の予定は、隊舎の保守。つまりお留守番であり、ブラント君にとってはお昼寝タイムなのだという。



 翌朝、私は自室のベッドの上で目を覚ました。
 気分は少し弾んでいる。遠足に行く時のようだ。
 局員の制服に着替え、スペード型のペンダントを首から提げ、私は一階の食堂へと向かった。
 食堂にはすでにマルコちゃんとジージョちゃんが来ていて、寮母さんの作る朝食を受け取っているところだった。
「おはよう!」
「やあソフィー、おはよう」
「…………はよ」
 ジージョちゃんは相変わらず小声で無口だ。
「はぁー…………無限書庫で探し物なんて、司書長がいなかった頃は複数のチームが年単位で行っていたような途方も無い作業だよ。それをボク達にやってこいとは…………」
 マルコちゃんは皿の上のスクランブルエッグを突きながらぼやいた。
「私は無限書庫に行くの楽しみなんだー。入ったことないからさ」
「まあね。初めて入った時は確かに中の光景には驚いたし、面白くも思ったけど」
 やっぱり探し物は嫌みたいだ。
 私は無限書庫には入ったことが無い。だからその中での調査作業というものがどれほど大変なのかは知らないけれど、今日中に完了させろというわけではないのだし、これも正式な任務なのだからそんなに嫌がるのもどうかと思ってしまう。
 私達は時空管理局というところに所属し、働いて、それなりの給料も貰っているわけなのだから、あまり不平や不満ばかりを口にするのは良くない。共に同じ作業をする機動三課の人達にも、おそらくマルコちゃんのように大変な作業を嫌がっている人達もいるのだろう。それでもロストロギアの管理という重要な責務を果たす為にチームを組んで作業に取り掛かろうとしているのだから。
「さ! グチグチ言わないで、早く食べて行こう!」
 私はフォークを持つ手を早めた。
 朝食を終えてから、私達はすぐに無限書庫のある地上本部へと向かった。ホカン部隊舎の最寄り駅から列車に乗り込むと、その中でもマルコちゃんは愚痴をポロポロとこぼしていた。
 背の高いビルが立ち並ぶ街中を列車は進み、窓から見える地上本部が徐々に大きくなる。その光景と同じように、私の好奇心も大きく膨らんでいった。
 無限書庫。それは時空管理局本局内にある施設で、あらゆる世界の書籍やデータが全て収められた場所。あまりにも膨大なデータ量の為、ユーノ・スクライアという人物が司書を務めるまでは書庫のデータは未整理であったそうだ。
 地上本部にて機動三課の探索チームと合流した後、今度は時空管理局本局に移動魔法で向かうという手間もあるので、ますます遠足気分が高まってしまう。
 気分の沈んでいるマルコちゃんとジージョちゃんとは正反対の気持ちを抱えて、私は列車の外を眺めた。
 ようやく列車が目的の駅に止まり、私だけが意気揚々と、後ろの二人は重たい足取りで駅のホームに降り立った。それからバスに乗り、ついに地上本部へと到着。
 待ち合わせの時間には十分程早かったが、それでも地上本部内の転送室に向かうと、既に三課の探索チームは集合していた。
「待たせちゃったかな?」
「別に遅刻じゃないからいいのさ」
 マルコちゃんが先頭に立って転送室内を見渡す。チームの責任者に私達の到着を報告したいのだろう。
 私も転送室内を見渡した。本局へは航空隊に所属していた頃に行ったことがあるが、本局にあった転送室とほぼ同じだ。移動魔法の補助効果を備えた床と、窓ガラス越しに見える小さな部屋は座標指定をしてくれるオペレータールーム。仲が悪いと言われる本局と地上本部だが、だからと言って施設設備まで違うわけはないか。
 私達がキョロキョロしていると、横から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「やっとホカン部の到着か」
 ジージョちゃんと同じくらいの長身でいて小顔な為、ほっそりとした印象を与えるこの人は、機動三課のノイズ曹長だ。以前までは丸刈りだったとミリー部隊長が教えてくれたが、マルコちゃんが「マッチ棒」とからかうので最近角刈りにしたのだという。
「やっと、とは言ってくれますね。今日は遅刻せずに到着しました」
 いつもは遅刻しているみたいな反論だなと思った。
「たまにお利口さんだからと言って調子に乗るんじゃない。着いたなら早く教えに来いよー。こっちは一分一秒だって無駄には出来ないんだ。何せ今日はユーノ司書長が不在で探し物も大変なん」
「わーかったから! さっさと行きましょうよ、野菜スティックさん」
 角刈りだと野菜スティックなのか。私と、近くにいた探索チームメンバーは思わず吹き出してしまった。
 反論をしようとしたものの、大切な一分一秒を秤に掛けたノイズ曹長は仕方が無いといった様子でオペレータールームに合図を送った。
 合図の後、部屋の中央に集まった私達の足元が白い光を放つと、それは柱となって私達を丸呑みにした。移動魔法で転送されるときはいつもそうだった。この光に飲まれた後、少しだけ重力が無くなったような感覚が全身を襲って、服も髪も内臓も綺麗さっぱり消えてしまったように存在が感じられなくなる。しかし、それも一瞬だけのことで、気が付けば光は徐々に弱まり、同じような床の上に佇んでいることに気付くのだ。
 そして光は消え去り、辺りは転送室内の様子を取り戻す。つい先程までいた転送室と同じであると錯覚しがちだが、オペレータールームにいる人が別人になっているので、やはりここはもう地上本部の転送室ではない。
 時空管理局、本局にやって来たのだ。



 本局内を歩く私達三人は、ノイズ曹長を先頭とした探索チームの最後尾に並んでいた。
 三課の探索チームはノイズ曹長をリーダーとした十五人編成。この人数だけで無限書庫から欲しい情報を探し出せるのかと言うと、おそらく、いや断じて無理であろう。ユーノ司書長が帰ってくるのを待てばいい話なのだろうが、ロストロギアの調査ともなるとやはり迅速な行動が大切なのかもしれない。彼等は司書長不在を承知で無限書庫に挑もうというのだ。
 探索チームの足が止まり、そこが無限書庫前なのだと気が付くと、私の気持ちはもう我慢の限界を超えていた。
「うう! 早く入ってみたい!」
「よし。それならば先頭に行こう」
 マルコちゃんに続き、私とジージョちゃんも列から外れて先頭へと走る。
 そんな私達を見て、今まさに扉をくぐろうとしているノイズ曹長が「廊下を走るな!」と睨みながら言ってきた。
 扉の上部には『無限書庫司書室』の文字が並んでいる。
 とうとうやって来た、無限書庫。私はその扉が開くのを今か今かと待ち望んだ。
 自動ドアが開き、無限書庫の司書室内に入るノイズ曹長。それに続いて私達三人も入っていった。
 機械的な造りの本局内装の中で、これほど木材を使った部屋はここだけではないだろうか。本棚、机、椅子、天井、床といったあちこちが木製建築のシックな造りだ。
 中は一番奥に空席の司書長席があり、他には何人かの司書が忙しそうに机上や本棚の前で仕事に励んでいた。
「狭い……」
「当たり前だろ。ここは司書室。書庫はこの奥だ」
 私の呟きにノイズ曹長が静かにツッコミを入れた。なんとなくだが、本がいっぱいある部屋というのは静かにしていないといけないイメージがある。
 一人、男性の司書がノイズ曹長に近づいてきて、笑顔で話しかけてきた。
「遺失物管理部機動三課のノイズ曹長ですね」
「はい」
「お話は伺っております。調べ物をしたいとのことで」
「ええ」
「あいにくと司書長が不在ですので……その…………大変でしょうが、どうぞごゆっくりとお調べになってください」
 短い返事しか返していなかったノイズ曹長の笑顔は、なんだか引き攣っているように見える。なぜなのかは、次の言葉ですぐに解った。
「あの……もしよければ司書の皆様にもご協力をお願いしたいのですが…………」
 それを期待していたのだ。無限書庫での調べ物など今日一日では成果を挙げられないことは明白だったが、司書の力を借りられるのであれば話は別だと踏んだのだろう。
「も、申し訳ありません。お恥ずかしい限りですが、その…………我々もまだ司書になりたてな為、司書長のような検索魔法はまだ使えないのですよ」
 ノイズ曹長の肩ががっくりと落ちた。
 それを見ないようにと、司書は踵を返して司書室の奥へと歩を進めた。
「どうぞ、こちらが無限書庫の入り口です」
 司書長席の横にある木製のドア。そして金色のドアノブを回して開かれた先は真っ暗。足場も見えず、どうやって入るのかと思ったが、ノイズ曹長、マルコちゃん、ジージョちゃんが迷わず入っていくのを見て、私も同じように中に足を踏み入れた。
 その途端に、体から重さが消えた。無重力空間のようだ。手で掻いて進む必要も無く、行きたい方向に意識を向けると自然と体が宙を舞う。
 中の様子には驚かされた。縦長に伸びる円筒形の空間。その壁は全て本棚。そして本で埋め尽くされていた。天井も底も見えない。一体どこまで続いているのかも分からない。円筒系の空間の中を横切る白いものは何だろうか。上にも下にも不規則にあるが、あれはもしかしたら通路かもしれない。この広い書庫のほんの一部でも、足で歩いて巡れるようにとあるのだろうか。
 私はついに無限書庫にやって来ることが出来、そしてそのあまりの凄さに言葉を、少しの間だけ呼吸すらも忘れていた。
 この中から必要な情報だけを探し出す。チームを組んで年単位での調査を必要とする理由が今ならはっきりと分かる。ここは、ユーノ司書長が現れるまではまさに、すぐ近くにありながらも未知の世界だったのだ。
「さあ! では仕事に取り掛かろう!」
 ノイズ曹長の掛け声を合図に、三課の探索チームがあらかじめの計画通りに四方に散っていった。
「さあさあ! ホカン部も働いた働いた!」
 ノイズ曹長に促され、私とジージョちゃんは本棚の一角へ向けて移動を開始した。しかし、マルコちゃんは無限書庫の出入り口を見たまま動かない。
「ねえ、マルコちゃん! 仕事しようよ!」
 いつまでそうやって業務を怠ける気なのか。私は少し口調を強めて言った。
「誰か来たね…………」
 そう言ったマルコちゃんは、書庫の出入り口に向かって移動を開始した。
 まさか逃げる気なのだろうか。嫌な予感がして、私とジージョちゃんは後を追った。もういい加減諦めて仕事に専念してほしいものだ。
 先に出入り口をくぐったマルコちゃんを追い、私もすぐさま出入り口に頭を突っ込み、声を張り上げた。
「マルコちゃん! いい加減に…………って、あれ?」
 そこには、先程案内してくれた司書と話をする男女がいた。マルコちゃんはその横で私を見ながら、「ラッキーだ」と言って男女を指差した。
 女性の方は、私も昨日会った人。高町なのは一等空尉だった。
 そしてその隣には眼鏡を掛けた男性。長く伸ばした後ろ髪を一本に結わいた細身の人がいた。
「あれ? ソフィー?」
 なのはさんが私に気付いたので、私は軽く会釈をしてから二人に近づいた。
「昨日はお疲れ様」
「あ、はい。こちらこそ昨日はありがとうございました。…………あの、そちらの方は?」
 私が尋ねると、その男性は柔和な笑顔を浮かべて優しく言った。
「ユーノ・スクライアです。無限書庫の司書長をやっています」
 この人がここの司書長なのか。思っていた以上に若い人で驚いた。
「ユーノ君、この子がさっき話した昨日の…………」
「ああ。なのはと一緒にプリズンの保存データと戦った魔導師だね」
 二人のそのさりげない会話に、私は衝撃を受けた。
 この人は今、「なのは」と呼び捨てにした。一体二人はどういう関係なのだろうか。そもそもユーノ司書長は学会の為に今日は留守にしているはずではなかったか。それなのにここにいる。しかもなのはさんと二人で来たようだ。まさか密会か。エースオブエース、高町なのは一等空尉に恋人がいたのか。しかも公に出来ない彼氏。
 いつの間にか頬が熱くなっていることに気付き、私は両手で顔を挟んだ。
 それをマルコちゃんが見て、私の考えていることに感付いたのだろう。怪しい微笑を浮かべながら、マルコちゃんはなのはさんとユーノさんの側へと近づいた。
「お二人はどうしてここに?」
「いや、僕は学会に出席する予定だったんだけど、向かっている途中で急遽中止になったっていう知らせを聞いて」
「私はたまたま用事があって。こっちに来ていたらちょうどそこで帰ってくる途中のユーノ君に会って」
 マルコちゃんの表情がますます怪しくなった。
「ふーむ。まさにグッドタイミングで出会ったわけですね」
「え? ま、まあ、そうかな」
 マルコちゃんは右手の小指を立てながら、ユーノさんに近づいて言った。
「ひょっとしてなのはさんのコレですか?」
 その言葉を聞いた途端、なのはさんとユーノさんの顔が同時に赤く染まった。
 身振り手振りから否定しようとしているのだろうけれど、すっかり動揺してしまった二人は言葉を一生懸命探しているようで、声を発することが出来ていない。
「マルコちゃん! 失礼だよ!」
「なぜ?」
「なぜって……それは」
「まあまあ。それよりも、ユーノ司書長が戻ってきてくれたのなら探し物は片が付きそうだよ」
 と、その時。なのはさんとユーノさんの背後から一人の影が伸びてきた。
「マルコ、そうはさせないぞ」
 私とマルコちゃんは一斉に悲鳴をあげた。ちなみにジージョちゃんは顔が驚いているだけで、声は出ていなかった。
 その影の正体はミリー部隊長。なぜここにいるのかが分からない。
「お前らの様子を見に来た。暇だったからな」
「暇なら仕事してください」
 マルコちゃんが心臓の鼓動を押さえるようにして言った。
「する仕事が無い。それがホカン部だ」
 言い切った。
「それよりも三人共、全然書庫での探し物をしていないじゃないか。これでは罰ゲームにならんぞ」
 ミリー部隊長が厳しく言い放った時、隣でユーノさんが冷たい視線をミリー部隊長に送っていた。何となく気持ちは分かる。ユーノ司書長の仕事が罰ゲームと同レベル扱いされているのだから。
「とにかく探し物に戻れ。ユーノ司書長にはちょっとお茶に付き合ってもらう予定だったんだ。手伝わせないぞ」
 おそらく、いや絶対にミリー部隊長はユーノさんとお茶の予定なんて無かったのだ。
 マルコちゃんが小さく舌打ちをした。
「高町一尉、あなたも一緒にどうだ?」
「そうだよ。せっかくだし、なのはも一緒にどう?」
 恋人疑惑の掛かっているなのはさんがどう答えるのか。密かに注目しているのは私だけだろうか。
「ううん。家にヴィヴィオを待たせてるから、今日は帰るよ」
「ヴィヴィオ?」
 ミリー部隊長が首を傾げる。
「はい。えっとぉ…………娘、です」
「ええっ!」
 一番大きな声で驚いたのは私だった。
 しかし顔を見れば分かる。ユーノさん以外の全員は同じような心境に違いない。なのはさんに娘がいる。それは大変ビッグなニュースじゃないか。そんなのどこの雑誌にも書いていなかった。特ダネか。特ダネなのだろうか。娘ということは、当然父親がいるのだろう。それは誰だろう。まさか、まさかとは思うが。
 全員の目がユーノさんを見ていた。
 ミリー部隊長が小指を立ててユーノさんに近づき、こう言った。
「ひょっとして高町一尉のコレですか?」
 なのはさんは慌てて口を開いた。
「ち、違いますから! 孤児(みなしご)のヴィヴィオを私が引き取ったんです!」
 なのはさんは顔が赤くなりすぎて、額には汗すら浮かんでいる。
 私だって何故だか顔が熱い。憧れの人にいろいろな疑惑が浮かんで、すっかり気が動転してしまったみたいだ。
 それにしてもミリー部隊長とマルコちゃんは似ている。仕事に対する怠慢な態度や、なのはさんとユーノさんに対する接し方まで。部隊長がこんな人だから、マルコちゃんもこんな子なのだろうか。
 未だ火照っている顔を手で仰ぎながら、私は少し冷たい視線をミリー部隊長とマルコちゃんに向けた。
「さあ、マルコちゃん、ジージョちゃん。仕事しに行こう」
 二人の手を引くと、マルコちゃんは両足を突っ張ってユーノさんに「手伝ってください!」と訴え続けた。だが、ユーノさんはミリー部隊長にしっかりと捕らえられている。
 これで諦めるかとも思ったが、マルコちゃんは相変わらず司書室に留まろうと抵抗する。
 私も少し苛立ってきた。
 ホカン部に来たばかりの私にしてみたら、マルコちゃんは同い年でも先輩なのだ。それなのに、こんな先輩から何を教わろうと言うのだろう。昨日の自己紹介でも言った通り、私は厳しい指導を覚悟してきたのに。
 ホカン部への配属はやはり不当だ。私がここに来たのは間違いだったのだ。
 私はもっと時空管理局員として、誇りを持って仕事をしたい。だが、それはホカン部ではかなわない。私だってマルコちゃんのように振る舞えるなら、ホカン部への配属が決まった時に駄々を捏ねたかった。駄々けて転属の拒否をしたかった。
「おい! お前ら手伝いに来たんだろ!?」
 そこへノイズ曹長が司書室にやって来た。彼の文句は当然だ。
「あれ? た、高町一尉! こ、こんにちは!」
 ノイズ曹長が目の色を変えて敬礼をしている。
 私は構わず二人の手を引いて書庫に戻ろうとすると、マルコちゃんがまた嫌な笑みを浮べて、今度はノイズ曹長に近づいていった。そしてノイズ曹長の耳に手招きをする。
 ノイズ曹長が不思議に思いつつも身を屈めると、マルコちゃんは何かをそっと耳打ちした。
「む……むすめぇ!?」
 悲鳴にも似た、ノイズ曹長のひっくり返った声。それで耳打ちの内容は分かった。
 ノイズ曹長がユーノさんに近づく。なぜか少し殺気立っている気がする。
「ユ、ユーノ司書長!」
「は、はい?」
 ノイズ曹長は震える右手の小指だけを立てて、そっと訊いた。
「ひょっとして高町一尉のコレですか?」
 ユーノさんとなのはさんの呆れきった表情だけを確認し、私は二人を引く力を強めた。
 そんな遊んでばかりいるなら、早く仕事に取り掛かればいいのに。
 すると、両目に光る何かを抱いたノイズ曹長が私の目の前に立ちはだかった。
「お、お前ら! 何をぼやぼやとしているんだ! さっさと書庫に入れ!」
「は、はい! 今から三人で取り掛かります!」
「こんなところで油売ってないで仕事をしろ! だからお前らは“役立たん部”なんだ!」
 役立たん部。
 その言葉を聞いた私は、二人を引いていた手の力を緩めてしまった。いや、勝手に力が抜けた。
 後ろで二人が転ぶ音が聞こえたが、それすらも気にならないくらいに、私は何か大きな衝撃に打ちのめされた。
 やっぱり、私の今いる場所は“役立たん部”なのだ。誰にも必要とされない“要らん部”なのだ。
 なぜこんなところにいるのだろう、私は。
 不思議と涙がこぼれてきた。
 私は、泣いていた。
 好きでここにいるんじゃない。私はこんなところにいたくはない。誇りを持って仕事をしたい。誰かを助けたい。誰かの役に立ちたい。そう願って管理局に入ったはずなのに。
 どんなに辛い訓練でも、どんなに厳しい指導でも、どんなに苦しい任務でも、私は絶対に耐え抜いて、戦い抜いていこうと誓った。
 そう、そう誓ったはずだった。
 それなのに、生ぬるい職場と仲間と上司に囲まれて、そうして私は役立たずと評される。
 悔しい。
 ものすごく悔しい。
 私は、何も出来ない。
「ソフィー?」
 マルコちゃんの声が聞こえた。でも、私は彼女の顔を見ることが出来ない。見たらきっと、その時の私はすごく嫌な顔をしているから。
 気が付けば私は走り出していた。
 皆の声も振り切り、伸びてくる手も避けて。
 私は司書室を飛び出していた。

 To be continued.



[24714] 第三話 はじまり
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:d2332b30
Date: 2010/12/06 23:50
 司書室を飛び出してからどれだけの時間が過ぎたのだろう。
 泣きながら走り続けた私は、本局内の休憩スペースにあるソファーの上にいた。少し落ち着こうと思って買った缶ジュースも、私の両手の中で冷たさを失っている。
 ホカン部という所に心底絶望した。
 私が時空管理局に入局したのは、こんな思いをするためではない。もっとやりたいことがあった。希望があったのだ。
 仕事の内容はどうでもいい。私は管理局員として胸を張りたかっただけなのだ。管理局員になって自分の望みを叶えたかっただけなのだ。
 遺失物保護観察部。名前だけは大層立派な雰囲気が感じられる。
 いや、ロストロギア関連の仕事なのだから、そう感じられるだけではなく、実際に重要なポジションであると私は思う。
 遺失物管理部の管理データの保護・観察なんて、考えてみればとても重要なことだ。危険であり貴重であるものを守る為には、幾重にも監視の目を張り巡らすことは決して無駄ではないのだから。
 そう、やり方次第で私達ホカン部は、“要らん部”や“役立たん部”と言われることのない立派な部署で在ることが出来るのだ。
 ホカン部に必要なのは、部隊員のやる気と責任感だ。
 しかし、たったそれだけのものなのに、手に入れることが非常に困難だ。
 そして手に入らないことが、自分の想いが果たせないことが、
「…………悔しい」
 私はここで何度もそう呟いた。
 時折、近くを通り掛る人が私を横目で見たが、皆忙しくて声を掛けてはくれない。
 当然だ。忙しいのだから。
 私達と違って、忙しいのだから。
「ソフィー?」
 誰かが名前を呼んだ。忙しくない人かな? 忙しくない人は嫌いだ。
 だから私はその優しい声に煩わしさを感じた。
「隣、いいかな?」
 私の返事を待たずに、その人は座った。
 隣に座ったその人は、過去に幾つもの事件の中心人物として活躍してきた。
 幾度と無く激戦の中で体を張ってきたのだろう。だからこの人は今、こんなにも胸を張っていられる。
 それはきっと、自分の成すべき事に誇りとやりがいを持っているからだ。信じた道を一生懸命歩むことが出来たからだ。
 そしてそうすることが出来たのは、彼女を支えてくれる周囲の力があったからだ。
 そんな貴女に、私は問いたい。
「なのはさんは…………」
「うん? 何?」
「なのはさんは、昨日私と一緒にヘリに乗っている時、言いましたよね? ホカン部もそんなに悪くないんじゃないかって」
 こんなことを言っている私は今、とても醜くはないだろうか。意地悪なことを言っているんじゃないだろうか。
 次の言葉を口にしたら、私は明らかに自己嫌悪に苛まれるだろう。
「…………今でもそう言えますか?」
 自分のことが嫌いになる。
「言えるよ」
 それは欺瞞だ。
「それは、なのはさんがホカン部の人達のことを知らないからですよ」
「でも、ソフィーだってまだ出会って一日でしょ?」
「それでも分かりました。あの人達は要らん部の人間なんです。ホカン部の人じゃない。役立たん部なんです」
「…………仕事仲間の悪口は感心しないなぁ」
 少しだけなのはさんの口調が変わった気がした。
 だけどそんなことは気にならなかった。私は、もうここで働いていける自信が無い。
 二○三八航空隊にいた頃は良かった。危険な事もあったけれど、頼れる仲間や先輩がいて、訓練でも皆が競い合いながら切磋琢磨していて輝いていた。
 突然転属の話を聞かされ、それが悪名高いホカン部だと知った時は戸惑った。だがそれでも、ロストロギアに関する重要な仕事だと、自分のやりたいことを成し遂げられるチャンスかもしれないと、本当に僅かな期待を胸に隠してここに来た。ヘリの中では散々なのはさんに愚痴ったが、まだ「何とかやってやろう!」という気持ちがどこかにあった。
 だけどそんな気持ちも今では打ち砕かれた。
 私には何も無い。
「一日だけじゃ解らないよ」
「…………そうでしょうか?」
「ソフィーは、誰かと全力全開でぶつかってみたこと、ある?」
 ある。過去に一度だけ経験がある。
 しかし、口にすることが出来なかった。
「私ね、魔法に出会ったばかりの頃、一人の女の子とぶつかったんだ」
 懐かしそうに言うなのはさん。
 そんな昔話を聞かされたくらいで私の気持ちが持ち直すわけない。そう思っていたのに、彼女が語りだしたその話を、何故だか私は知っている気がした。
 そしてついつい続きを待ってしまった。
「その時の私は魔法を使って大事なお手伝いをしている時だった。そしてその女の子も譲れない想いがあって…………私とその子は同じ物を賭けた敵同士だったんだ」
 この話はどこで聞いたことがあったのだろうか。いや、たぶん話自体は知らない。でも私は、この話が私に伝えようとしていることに思い当たる節がある。同じことをどこかで学んだ気がする。
「私はその子と争わなくちゃいけない立場だった。実際に何度も戦ったんだけど、でも本当は争いたくなかった。本当は、その子のことが知りたかったんだ。その子と話をして、その子の気持ちを知って、分かち合いたかったんだ」
 止まっていた私の涙が、再び流れ始めた。
 ああ、そうか。この話は、私が貴女に憧れた理由そのものだ。
 そう、雑誌に書かれていたインタビュー記事。
 その中で、なのはさんが言っていたんだ。
 理由も知らないまま、訳も分からないまま、ただぶつかるだけなんて悲しい。
 でも、それでもぶつからなければいけない時。きっと誰にでも譲れないものはある。諦められないことはある。
 捨てればいいってわけじゃないのなら、逃げればいいってわけじゃないのなら、そういう時は全力全開でぶつかり合ってみるといい。そうしてお互いに通じ合えた時、譲れないものも、諦められないことも、互いに分かち合うことが出来る。きっとそこがスタートだ。そこからが始まりなのだ。
 なのはさんはそう言ったんだ。
 目から出た雫は手の上に落ちて、それが幾つも重なって、溢れてまた落ちた。
 雑誌のインタビュー記事を読んだ時と同じだ。どうしてだろう、止まらないんだ。
 止まらない理由もあの時と一緒だ。すぐに気が付いた。
 まだ私は、私の気持ちは生きているからだ。やり尽くしていないからだ。
「その子と友達になりたかったんだ。…………私は信じてたんだよ。きっと分かち合えるって、友達になれるって。そして…………そこからが始まりなんだって」
 私がさっき、なのはさんの問いに対して答えを声に出せなかった理由はここにあった。
 まだ始まってもいなかった。ホカン部での私はまだ始まっていなかったから、答えられなかった。過去に一度だけ経験があるからと言って、今がそうでなくては意味が無いじゃないか。
 私はマルコちゃんやジージョちゃんを信じていただろうか。彼女達に思いっきりぶつかった時、私と彼女達は譲れないものをきっと分かち合えると、そう信じていただろうか。
 最初から信じる気持ちを持たなかったから、こうして私は泣いているんだ。
 始まってもいないのに、悔やんでなんかいられない。
「なのはさん…………」
 始めなくちゃ。
「その子とはどうなりましたか?」
「うん……今でも親友だよ」
「…………ありがとうございますっ!」
 私は右腕で涙を拭った。そして勢いよく立ち上がった。
 すると、目の前にマルコちゃんとジージョちゃんがいることに、今更気が付いた。
「ソフィー……あの…………」
 マルコちゃんが口を開いたのと同時に、なのはさんも立ち上がった。
「私はっ!」
 マルコちゃんの言葉を待つことなく、私は声を張り上げていた。
 その声に驚いて二人の肩が跳ねたけれど、それでも構わず声を出した。
「私は……生まれ育った世界を失くしているの」
 ぶつけていいんだ。全力を出していいんだ。
 二人の答えを先に考えるな。私の全力が届けば、例えどんな結果でも、返ってくるものがあるから。
 そこからが始まりだ。絶望して泣こうが、分かち合おうが、全てはこれから始めるんだ。
「ロストロギアが原因で、私の居た世界は消滅した…………。間一髪で管理局が助けに来てくれたから、私と私の両親、それに一部の人々は生き延びることが出来たけど、皆揃って帰る場所を失くしたの。友達も、学校も、家も、好きだったお店も、大切にしていたオモチャも何もかも…………。だから、私みたいに失くす必要の無いものを失くす人が現れてほしくないから、私は管理局入りを決意したんだ。大切なものを、時間じゃなくて、捨てるでもなくて…………それなのに失くすのは悲しいよ…………許せないよ」
 もう涙は止まっていた。
 自分の過去に浸って泣くつもりは無いし、これから始まりを掴もうとするのに弱気ではいられないからだ。
「私の両親は管理局入りに反対した。ロストロギアの恐ろしさを目の当たりにした両親だから、それに関わるかもしれないと考えれば当然の優しさだった。でも、無視しても逃げても泣いても納得してくれない両親を私は嫌いになって…………ちょっとだけ自暴自棄になったんだ。私ってワガママだったから」
 そんな時に出会ったのが、なのはさんのインタビュー記事を載せた雑誌だった。
 あの言葉にどれだけ力を貰っただろうか。どれだけ勇気を貰っただろうか。
 ワガママが通用しなくてずっと避けてしまっていた両親に、きちんと向かい合って、頭を下げて、想いを伝えて、お願いを申し出ることが出来たのは間違いなくなのはさんの言葉のおかげだった。
「…………最後の最後でまだ諦めずにいたら、両親が許してくれた。そして私も両親の優しさが理解出来た」
 そう、なのはさんの言葉通りに全力全開でぶつかってみたら、本当に分かち合えたのだ。
 解り合えたのだ。
「…………そうして私は今、ここにいるの」
 だから許してくれた両親の為にも、自分の願いの為にも、そして助けを求めている人達のためにも。
「私は! 私の望んだ通りの管理局員でありたい!」
 言えた。きっかけの一言だ。
「泣いている人を助けてあげたい! 大切なものを守ってあげたい! 精一杯の声に応えてあげたい!」
 出し切った。全部出し切った。もうこれ以上ぶつけるものは残っていないというぐらいまで。
 言いたいことを、吐き出したいことを全部出すと、頭がスッキリとするものだと気が付いた。ちょっと気持ちいい。
 これが全力全開か。忘れていた感覚だ。
 この先マルコちゃん達がどんな答えを返してこようとも、私は受け止めきれる自信があった。
 でもそれ以前に、私はこの二人を信じている。だから余計な自信は要らないと思った。
「高町一尉! それにお前ら!」
 聞こえてきたのはマルコちゃんの声ではなかった。
 何時からいたのかは知らないが、私達を呼んだのはミリー部隊長の声だった。
「ミリー部隊長! 今はちょっと」
「問答無用だ。すぐに来い」
 なのはさんの言葉を遮り、ミリー部隊長が踵を返した。
 私とマルコちゃんとジージョちゃんは、ミリー部隊長の背中をしばらく目で追った。続いて足を踏み出そうとして、少しだけなのはさんを見やると、唇を尖らせて眉尻を吊り上げていた。
「別にいいですよ。言いたいことは言ったし」
「でも答えは?」
「…………二人とも、とにかく行こう!」
 私がマルコちゃん達に言うと、二人は無言で頷いた。



 ミリー部隊長が進んだ道を辿ると、彼女は司書室に辿り着くよりも手前で待っていた。
「こっちだ」
 そのままミリー部隊長に続くと、ブリーフィングルームの一室に連れて来られた。
「では、お借り出来ますね?」
「ふむ……まあ、お手並み拝見と行こうか」
 ノイズ曹長と、立派な髭を蓄えた恰幅の良い初老の男性が何やら話をしていた。
 何だかお互い笑顔で話してはいるものの、どこか硬い。お互いの様子を伺っている。もっと言えば、隙を見せぬようにしながら相手の隙を伺っているような。
 なんだか変な空気の理由を、ミリー部隊長が聞かせてくれた。
「第二十五無人世界で、プリズンが発見されたそうだ」
「えっ!」
「それがなぁ……第二十五無人世界、世界名『ヒデオウト』を巡航していた局員からの報告でプリズンの存在が発覚したんだが、それと同時に手配中の密輸組織がヒデオウトを隠れ家にしていたことも判って、更にプリズンはその密輸組織が持っていると判明した。だが巡航中の局員では戦力不足なんだよ。それを聞いたあそこのスティックサラダみたいな彼が、プリズンの管理は三課に任されていることを理由に自らの出動を志願した上、密輸組織の一網打尽までも約束したんだ」
「あっちゃー、ニンジンのくせに」
 マルコちゃんが面白そうに言った。
「で、さっきの借りる借りないって話は?」
「次元航行艦のことだ。今日連れて来た三課のメンバーの中に操舵ライセンスを持っている奴がいるのと…………」
 ミリー部隊長が声を小さくした。
「実は、スティックサラダも艦長ライセンスを持っているそうだ」
「ええー! セロリのくせにっ!?」
 マルコちゃんが目を丸くして言った。
「そこで、だ」
 ミリー部隊長の顔が、何かを企んでいそうな意地悪い笑顔になった。ちょっとだけ嫌な予感がした。
 それにしても、よく次元航行艦の貸し出しを許可してくれたものだと思う。おそらく髭の人は艦長を務める人か、もしくは次元航行部隊の管理職に当たる人ではないかと思うが、ライセンスを所持しているとは言え自らの管轄であろう任務を他部署に任せることなど、本来有り得ることなのだろうか。
 そもそも地上本部と、本局直属となる次元航行部隊は犬猿の仲として知られている。
 時空管理局発祥の地である次元世界ミッドチルダ。ここに置かれた時空管理局地上本部。通称、『陸(おか)』。
 時空管理局本局直属であり、広い次元を行き交い数多の世界を管理する次元航行部隊。通称、『海(うみ)』。
 同じ組織でありながら、二大勢力と称される程に不仲であったその理由は、簡単に言ってしまえば互いを理解し合わなかったことにある。ほとんどの魔導師は陸直属の部隊をスタート地点として育つ。そして管轄業務の性質上、取り扱う事件の規模が大きくなる海は、優秀な人材を必要としている為に陸で育った魔導師を引き抜く。海の引き抜きを、陸は自分達の戦力不足に結び付ける。このような実情を根本に抱え、陸と海は互いの言い分をぶつけ合ってきた。
 ただ、管理局に属する全ての者全員がどちらかを忌み嫌っているわけではない。全次元世界の平和を願う心は海も陸も変わらないのだから。その証拠、というわけでもないが、現在の局内事情はこうだ。
 昨年、地上本部の事実上トップであったレジアス・ゲイズ中将が亡くなった。それだけが原因というわけでもないが、極端なまでに海を毛嫌いしていたレジアス中将が亡くなったことにより、実は海と陸の関係は少しだけ良好になったそうだ。これはレジアス中将こそが不仲の原因だったのではなく、誰よりも先頭に立って海批判をしてきた彼が亡くなったことで、精力的とも言えるほど海批判をする者がいなくなったということだ。
 ただ、それでもやはり多少の蟠(わだかま)りは残っているようで、陸に属する機動三課に対して海が次元航行艦の貸し出しを了承するなど、まさに奇跡と言えるようなことだった。
 おそらく誰もが、何か裏があることを勘繰ってしまうような不自然さだ。
 だが、難しい話を今はしている余裕など無い。このことに関しては別の機会に考えるとして、今はミリー部隊長の笑顔の真意が重要だ。
「私も同行しましょうか?」
 なのはさんが声を掛けると、ノイズ曹長は満面の笑みを浮べた。
「いいんですか!? 是非お願いします!」
 早い。即答だ。
「あー、ノイズ曹長」
 ミリー部隊長が咳払いをしながらノイズ曹長に話しかけた。
「その任務、ホカン部も同行しよう」
「いえ、結構です」
 早い。即答だ。
「まあいいじゃないか。ホカン部のいつもの同行任務だろぉ? 全指揮は君が執ればいい」
 ノイズ曹長は何か言いたげだ。
 無理も無いだろう。昨日はその同行任務のせいで、地上本部上空での一騒動が起こったのだから。
「なのはさん、ヴィヴィオちゃんは大丈夫ですか?」
「うーん、でも昨日みたいなことがあると。それに……さっきのも、ね」
 それはもちろんそうだが、なのはさんが私のことを気に掛けてくれているというのも伝わってきた。本当に優しい人だ。
 一分間ほどミリー部隊長とノイズ曹長による押し問答が続いたが、最終的にはノイズ曹長が折れた。と言うよりも折られた。
 ミリー部隊長は楽しそうにしながら一言だけ礼を言い、次にマルコちゃんの方を見た。
「せっかくだ。隊舎で寝ているブラントとウィンディーヌも呼んでやれ」
「了っ解!」
 マルコちゃんがブリーフィングルームを出て行った後で、私は思ったことを口にした。
「あの、今から呼ぶんじゃ時間が掛かりませんか?」
 横を見ると、ノイズ曹長はさっそく出動準備の指示を出していた。
 ブラント君が隊舎で目を覚ましてから、地上本部の転送室まで行ってこの場にやってくるのでは三十分以上掛かる。おそらくこちらはあと十分程で出動してしまうだろう。
「いや、あいつならあっという間に来るぞ」
 疑わしい。だが、どちらにしてもこちらは間もなく出動してしまう。私達は同行という立場上、三課の予定に合わせて動かなければいけない。
 私の読み通り、十分経過するとノイズ曹長の指示で次元航行艦への移動が始まった。
 借用する次元航行艦の格納庫にやって来た私は少し震えた。
 幼少時、ロストロギアによって消滅寸前だった私の世界から、私達を救い出してくれたのが管理局の次元航行艦だった。今回乗艦する艦船は、昔乗った艦船とは同型ではないものの、やはりあの頃の記憶が嫌でも甦ってしまう。
 列を作って順々に艦船に乗り込もうとしていると、「おーい!」と言う声と共に、マルコちゃんとブラント君の走ってくる姿が見えた。二人が近づくと、ブラント君の肩にウィンディーヌちゃんが座っているのも確認できた。
「うそ! 早っ!」
「僕も乗るよぉー」
 どうやって来たのだろう。ホカン部には私の知らないことがまだまだ多い。
 全員の乗艦を確認した後、ノイズ曹長が艦長席に腰を下ろした。と、同時にいきなり蹴落とされた。
 私となのはさんは唖然としてしまった。
 ノイズ曹長を蹴落としたのはミリー部隊長だ。
「な、何するんですか!?」
「悪い、この席を譲ってくれ…………」
「ええっ!?」
 ミリー部隊長の肩が震えている。
「一度座ってみたかったんだ」
「でも、全指揮は」
「私が執る!」
 メチャクチャだ、この人。
「そ、それはダメです!」
「…………ノイズ君! 君の階級は? 言ってみたまえ!」
「り……陸曹長であります、サー!」
「では私の階級は? 言ってみたまえ!」
「ぐうぅっ……! さ、三等空佐であります、サーッ!」
 ノイズ曹長はその場に膝を着き、両拳を床に叩き付けて、体で抗議した。しかし、その姿は地に平伏しているようにしか見えなくて哀れだった。
 あまりにも酷い。これは何か言うべきだと思った私は、一歩進み出た。
「ミリー部たい」
「ソフィー!」
 私の声を遮り、ミリー部隊長は左手の平を私の目の前に突き立てて、あの意地悪な笑顔を見せた。
「お前の転属祝いだ」
「…………へっ?」
「今日は思いっきり仕事しようじゃないか! お前が望むのなら、我々ホカン部は幾らでも尽力しよう!」
 言葉が出なかった。ミリー部隊長の言葉の意味を理解するのに数秒を要してしまった。
 彼女は、今なんと言ったのだろう。
「お前が助けたいのなら、我々も手を伸ばそう! お前が守りたいのなら、我々も体を張ろう! お前が応えたいのなら、我々も共に叫ぼう!」
 止まったはずの涙。それが少しだけ視界を鈍らせた。
 ホカン部から私への、全力全開の返答がもたらした涙。でもそれは悲しい涙じゃない。
 マルコちゃん達の方を見ると、マルコちゃんが優しい笑顔を浮かべて言った。
「ボク達の答えは、ミリー部隊長と一緒だ」
 その一言で、溜めていた雫が一粒だけ頬を伝った。
 なのはさんは、相変わらず優しく笑っていてくれる。
 ようやくだ。遺失物保護観察部、ソフィー・スプリングスの始まりだ。
 ミリー部隊長が合図を出す。
「錨を上げろぉ、野郎共! 次元航行艦ウルスラ、出航!」

 To be continued.



[24714] 第四話 ホカン部
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:d2332b30
Date: 2010/12/04 11:05
 限りなく広大な次元の海を、目的の世界を目指して進む次元航行艦ウルスラ。
 その艦長席に威風堂々と座り、前方の大型モニターに移る目的地の詳細データを眺めながら、ミリー部隊長は不敵な笑みを浮べていた。
 この人に出会ってからまだ一日しか経っていないが、これ以上無いというくらいに楽しそうな顔をしているのが分かる。
 何がそこまで楽しいのだろうか。両端を吊り上げて白い歯を覗かせる口からは、獲物を見つけた獣がその味に思いを馳せて今にも襲いかかろうと牙を剥き出しているような、そんな雰囲気すら感じる。
 いや、きっとその通りなのだろう。ミリー部隊長はモニターに映るデータと睨めっこをすることで、頭の中でこれから行われる任務の戦況をシミュレートしているのだろう。
 だとするならば、モニターに釘付けの目はさながら狼の瞳か。明らかに狩る者の目だ。
「ソフィー」
 マルコちゃんに呼ばれた私は、ミリー部隊長から視線を外した。
「なあに?」
「その……だな。一言謝りたくて…………」
 隣にはジージョちゃんも並んでいて、二人して申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
 なんでそんな顔をしているの? と、訊いたら意地悪になるだろうか。
 ただ、二人の言いたいことが分からないわけではないのだが、それでも今の私は謝ってもらうことなど無いと思っている。
「その……あれだ。ソフィーの気持ちを考えず、調子に乗り過ぎてしまった。ごめん」
「…………マルコちゃん」
「…………ごめん」
「ジージョちゃんまで…………二人とも謝ることはないよ」
 私は笑っていた。きっと、なのはさんに元気付けられるよりも少し前の私なら、謝られても文句さえ言えず、二人を信じられずに目の前から逃げ出していただろう。
 だが、今はミリー部隊長が私の気持ちを汲み取ってくれて、目の前の二人やブラント君とウィンディーヌちゃんも、私を支えようとしてくれている。
 謝らなくちゃいけないのは、感謝しなくちゃいけないのは私の方だ。
「私のワガママに付き合ってもらってるんだから、こちらこそごめん」
「いや、ボク達も一応管理局員だし…………それに、ソフィーの気持ちに気付いてやれなかった」
 マルコちゃんがポツリと零した。
「ボクは生まれてすぐに捨てられたみたいで、両親もいなかったから。失くす必要が無いのに失くしてしまうってことの悲しさがいまいち解らなくて…………。正直言うと今でも、管理局員という自分の立場に、ソフィーみたいな志(こころざし)を持つことが出来ないでいる」
 失くして悲しいものが、彼女には最初から無かったのだ。だから任務に対してあんなにも軽薄だったのだろうか。
 長いこと、守るものも救われたことも無いままでいた彼女に、私の気持ちを知る術は無かった。そう、私から動くまでは。
 なのはさんの話は、本当に大切なことを教えてくれていたんだ。マルコちゃんに本気でぶつかり合っていなかったから、きっと一生彼女のことを軽蔑していただろう。
 それなのに彼女は、私のために今ここにいてくれている。
 本当に、感謝しなくてはいけないと思った。
「皆、ありがとう…………」
 私は深く頭を下げていた。今出来ること、したいことはこれだったから。
 しばらくそうしてから、私は頭を上げて皆の顔を見た。
 皆は驚いた顔をしているけれど、すぐにそれも変わった。気合の入った、引き締まった顔に切り替わっている。
 たぶんそれは、頭を上げた時の私の顔がそんな表情だったからじゃないかと思う。
 だって今私は、俄然やる気に満ちているのだから。
「第二十五無人世界ヒデオウト到着まであと五分です」
 オペレーターを務めてくれている三課の人が、ミリー部隊長に告げた。
「あの、ミリー部隊長…………」
「キャプテン・ミリーと呼べ!」
「キャ……キャプテン・ミリー、到着後の指示を願います」
 ミリー部隊長は「おう!」と一言返事をした後で、私達の方を向いた。
 やっぱり楽しそうに笑っている。
「ソフィー」
「は、はい!」
「楽しいか?」
 楽しい? それは無いと思う。
 緊張はしている。だが、これからの任務は訓練ではない。ましてや遊びでもない。実戦だ。場合によっては敵を魔法攻撃によって倒さなければならない。もちろん魔法攻撃をする際には、物理的ダメージは与えずに相手の魔力値にのみダメージを与えるという、非殺傷設定を施しての攻撃をするつもりだが、それでも危険性が無いわけではない。ましてや犯罪者グループからの攻撃は、非殺傷設定なんて優しい配慮はなされていないだろう。
 場合によっては本当に命のやり取りとなってしまう。
 私はそれを楽しいと呼べない。呼べる人がいるなどと信じたくも無い。
「楽しいか楽しくないか…………そういった判断は、私には下せません」
「……そうか」
「到着まで二分です!」
 ミリー部隊長が楽しそうに微笑んでいた顔を思い出した。
 この人が楽しんでいることとは、一体何なのだろう。
 それを考えた時、初めてこの人を恐いと感じた。
「…………聞け! 本艦はヒデオウトに到着次第、巡航艦の送ってきた座標、密輸組織のアジトがあるポイントの上空に出現する! 敵は組織の上層メンバーを逃がす為に、違法魔導師で構成された護衛部隊を我々に仕向けると思われる! 機動三課の武装魔導師はポイント上空にウルスラ出現後、迅速に密輸組織のアジトに向かい、逃走しようとする者を残さず逮捕だ! 交戦はする必要無し!」
 そこまで話を聞いて、隅っこでしょぼくれていたノイズ曹長が口を挟んだ。
「ま、待ってください! 敵の護衛部隊はどうするのです!?」
「我々ホカン部がいただく!」
 この瞬間、ミリー部隊長はさらに笑みを増したのだ。
「…………信用しないわけではありませんが、私はアジトには向かいません。あなた達の監視をさせていただきます」
「ふんっ、監視ときたか……いいだろう。邪魔はするなよ」
 ノイズ曹長も心配なのだろう。指揮権をミリー部隊長に奪われたからと言っても、三課はホカン部の手駒ではないということを示しておかなければならない。
 いや、理由は本当にそれだけだろうか。もしかしたら、ノイズ曹長も私と同じ気持ちを抱いているのではないだろうか。
 ミリー部隊長は戦いたくて仕方が無い。彼女にとっての戦いとは、緊張感に興奮し、狙われる恐怖に笑み、討ち取る悦楽に酔うものなのではないだろうか。
 間違っている。そんなのは狂気の沙汰だ。
 もしミリー部隊長が本当にそんな人だとしたら、ノイズ曹長はそんな彼女に目を届かせていたいのかもしれない。
「キャプテン・ミリー、私はどうしますか?」
 なのはさんが言うと、ミリー部隊長は自分の隣を指差した。
「えっ?」
「留守番だ。少しホカン部の実力とやらを見てもらおう」
「到着まで一分です!」
 時間が迫り、私は少し震えている。
 今は余計なことを考えるのは止めた。
「ホカン部、聞け!」
「はい!」
 四人の声が揃った。
「直接戦闘はお前達に任せる。しくじるなよ」
 始まったばかりの私。想いへの第一歩だ。
 私が生まれ育った世界は、理由も無く消えていい世界なんかじゃなかった。
「出撃順はソフィー、ジージョ、ブラントとウィンディーヌ、マルコの順だ」
 夢があった。友達もいた。幸せに溢れていた。悪意もあったけれど、それを上回るくらいに思いやりがあった。
「ソフィーが斥候! 正確な情報を送れ! お前が突破口を作れば後は他の奴らが合わせる!」
 消えていい理由は無かった。消えなければいけない理由は無かった。
 失くす必要の無い、かけがえの無いものだった。
 失くすことが許せないんじゃない。
 “不必要に”失くすことが許せないんだ。
「いいか! 古代文明のオーバーテクノロジーとは言え、ただ容量が馬鹿でかいだけのメモリが何故ロストロギア指定なのかを考えろ!」
 失くして泣く人がいる。明日を奪われて立てない人がいる。
 そんな人達の悲しみを消せるなら、涙を拭えるなら、絶望を変えられるのなら、ほんの少しでも救えるのなら、私がホカン部にいる理由はある。
「プリズンが危険視されているのは中身が問題だからだ! 黒い立方体という外壁のせいで中身の危険度が計れない! 事によってはその中身によって次元世界が失われるかもしれん!」
「絶対に失くさせませんっ!」
 そうだ。それこそが私がここにいる理由だ。
「いいぞぉ! 出撃準備! 全員バリアジャケットセットアップ!」
 私達はそれぞれのデバイスを取り出し、変身していく。
 マスタースペードの光は私を包み、バリアジャケットの構築と同時に勇気をくれる。つま先から頭まで、体中を何かが走るのがはっきりと伝わった。血管が、神経が、細胞の一つ一つが温かい。届いてくる、相棒の気持ちが。この子もはりきっている。
 そうだね、がんばろう。
 隣では皆も変身を終えていた。
 ジージョちゃんのメイド服風バリアジャケット。ブラント君は真っ青なハーフパンツとフローティングベストに黄色いラインを走らせた、随分と軽装なバリアジャケットだ。そしてマルコちゃんは昨日と同じ、バリアジャケットもデバイスもなのはさんの親友であるフェイト執務官と全く同じ形状のものを装備している。
「よし、では高町一尉はここで私と一緒によく見ていてほしい」
「はい」
 そしてウルスラは、ヒデオウトの地表出現準備に入った。



 第二十五無人世界、ヒデオウト。
 密輸組織のアジトを発見したチームから送られてきた座標の周辺地域は、大きな森を抱えた大自然の中だった。
 大地一面に広がる緑の絨毯を突き破るようにして、裸の岩山が空を穿つ。
 その岩肌に見える小さな洞窟。送られてきた座標はその洞窟を示していた。
 次元という海を越えて、ウルスラが青く晴れ渡った大空にその姿を現した。雲よりも低く現れたそれは、大きな影を緑の絨毯に落とす。
 この世界に棲息する鳥が森の中から騒がしく飛び立ち、それを合図に座標の示す洞窟から人影がちらちらと見え隠れしていた。
 その様子を映したモニターを見て、ミリー部隊長がノイズ曹長に合図を送る。
「機動三課、地表へ転送!」
 合図を受けたノイズ曹長の指示を受け、ウルスラ内の転送ポートに待機していた三課の面々がその姿を消していく。
 直後、モニターには岩山目掛けて落下していく三課メンバーが映された。
 同じタイミングで、岩山の洞窟や森のあちこちからデバイスを手にした魔導師が浮かび上がってきた。数は思っていた以上に多い。それでも全員ではないだろう。足止めとして立ちはだかる彼等とは別に、逃走する者達の護衛を務める魔導師が地表にいるはずだ。
 ミリー部隊長がもう一つ合図を送った。
 私達ホカン部メンバーがすぐさま転送ポートの上に立つ。ノイズ曹長も一緒になってポートに立ち、ブラント君を羽交い絞めにした。
「何してるの?」
「僕、空飛べないんだぁ」
 ブラント君が照れながら言う。
「ノイズ! ブラントに変な真似したら溺死させるから!」
「しねえよ! あと“曹長”を付けろよ!」
 ウィンディーヌちゃんの一言にノイズ曹長が反論している。なんだか緊張感が切れそうだ。
「ソフィー」
 そこへミリー部隊長が言った。
「はい!」
「私から命令を出そう。今回、三課が受けた任務を我々は強引に奪ってしまった。ここまでしたからには失敗は許されないぞ…………いいか、私の顔に泥を塗るんじゃないっ!」
「はい!」
 力一杯の返答を返す。
「いい返事だ! …………我々、Worthless(役立たず)の底力を見せ付けてこい!」
「了解っ!」
 全員の声が重なった後、足元が白く光りだし、それが強さを増して、私達の体を船外へと送り出した。
 眩しさに一瞬だけ目を閉じ、それからすぐに開くと、もうそこはウルスラ艦内では無かった。
 緑の海と蒼い海が地平線一本を挟んで世界を二分している。こんな壮大な景色の中に極めて不釣合いな異物ウルスラは、私達の頭上で浮遊していた。
 空中に浮く違法魔導師の集団は、その視線を一斉に私達の方に向けてきた。無数の針が全身に突き刺さるようで、思わず息を呑んだ。
 斥候。私の役割は決まっている。
 右手に握った金色の杖の、スペード型の先端を頭上に掲げた。
「マスタースペード、広域サーチ! タイプ一号三型!」
「All right, search operation」
 足元に描かれた魔法陣の上で、索敵魔法を展開する。マスタースペードを中心に波紋が広がり、半径数キロ四方の空間を満たす。
 そして反射が私を叩く。下方の森から、頭上のウルスラから、飛び交う鳥から、流れる風から、後方の仲間から。
 そして、前方の敵陣から五十を超える反射が。
 その全てを読み取る。
 敵の数は六十二。各々の魔力値にはバラつきがあり、敵陣形の右翼に比較的高魔力反応が集合。
 足りない、もっと詳細に。
 敵全体の視点位置が散漫している。ウルスラに二十、私たちに三十二、地上に五、アジト入り口に五。心理状態はいずれも興奮状態。六十二人のうち、約七十パーセントに心拍数の乱れ有り。
 まだ足りない、もっと詳細に。
 聞こえるのは彼等の声。小さく、だが確かに。「やべえよ、管理局だ」、「バレてたんなら教えろよ!」、「俺達捨て駒じゃね?」、「ぶっ殺してやる!」、「やられる前にやってやるよ」、「ずらかろうぜ」、「捕まりたくねえよ!」、「てめえ一人で行けよ!」。
 解る、彼らの状況が。
 この陣形は無作為なもの、打ち合わせられたものではない。故にコンビネーションは考えられない。彼等は統率がとれていない。右翼に比較的高魔力を保持する者が固まっているのは単なる偶然。
 まるで鳥の為の撒き餌だ。ならば、喰らうしかない。
 右翼の敵に攻撃をされては厄介かもしれない。ならば先に散らすか。手を出させる前に叩くべきだ。
 あまり時間は無い。
 ついに敵側が動きを見せた。それぞれのデバイスに魔力を込め始めている。攻撃の前兆が見える。
「右翼に道を作ります! ジージョちゃん、準備を!」
 ジージョちゃんが掃除機型デバイスを構える。
 それと同時に、私はマスタースペードの先端を敵陣形の右翼に向けて、砲撃魔法発動の準備に入る。それほど大きな力は要らない。敵が一瞬怯んでくれればいい。
 素早く、そして確実に先手を取る。
「マスタースペード、バスターモード!」
「Buster mode!」
 マスタースペードの先端に薄紫の魔力球、発射台(スフィア)が浮かび上がり、そこへ魔力が急速に集まっていく。
「“単砲・天龍”、発射用意! 構えぇ――……撃てぇ!」
 声に合わせてスフィアから光線が放たれる。一直線に走るその閃光は、餌目掛けて飛ぶ鳥か、獲物を目指す獣か。
 いや、贄(にえ)を喰らう龍だ。
 龍は敵陣右翼を貫いた。先手は奪った。緊張と恐怖と焦りで困惑気味な違法魔導師達は、私の初弾を目の当たりにして更に混乱している。
 やらなければやられる。そんな直感が、大した覚悟も抱かずに空に出た彼等の思考を更に追い詰めた。狙いもつけず、スフィアも充分に練れず、お世辞にも攻撃とは言えぬ攻撃を放ち始めた。
 上手くいった。この戦況の支配権はこちらにある。
 私の砲撃が築いた道を、ジージョちゃんが辿り始めた。大丈夫、敵の弾は当たらない。
 赤紫のバリアジャケットを靡かせて、彼女はその視線を一点にしながら突き進む。
 途中、掃除機型のデバイスを前方に差し出した。
「…………クリンリネス、“バキューム”」
「Yes, with pleasure」(かしこまりました)
 正面に立ち上がった赤紫の魔法陣の中央に、ジージョちゃんはデバイスの先端を突き出した。スフィアが発生していない。攻撃ではないようだ。
 と、その時、敵陣から放たれたヤケクソの魔法弾が軌道を変えた。狙いも知らずに方々に飛んでいた魔法弾は、全てが引き寄せられるかのように湾曲の軌道を描き、ジージョちゃんの方に進路変更をした。まさか敵の魔法弾は追跡タイプだったのだろうか。
 いや、そうではない。全ての魔法弾はジージョちゃんのデバイス先端に向かっていた。
 そう、敵の魔法弾は全て吸い寄せられていた。そして、掃除機型のデバイスは引き寄せた魔法弾を一つ残らず飲み込んでいく。
 なおも止まらないジージョちゃんの進行。
「ブラント!」
「オッケーだよぉー!」
 ジージョちゃんの飛び去る姿に目を釘付けていた私は、突如背後から聞こえた声に驚いて肩を跳ねさせた。
 声の方を見ると、ウィンディーヌちゃんが水色の光を纏いながらブラント君の胸に溶け込んでいく瞬間に遭遇した。
「融合(ユニゾン)!?」
 ウィンディーヌちゃんの姿が完全にブラント君の中に消えた時、ブラント君はその容姿に少しだけ水色を漂わせた。
 初めて見た、ユニゾンデバイスとの融合を。
「ノイズ、放して!」
「“曹長”を付けろ!」
 ノイズ曹長はそう言いながら、羽交い絞めにしていたブラント君を手放した。
 落ちてしまう! そう思って目を丸くしたのは私だけだった。
 落下しながらブラント君が右腕のブレスレットに言い放った。
「ジェームスクック! 乗っていくよぉ!」
「O.K! Take off!」
 突如、ブラント君の足元には魔法陣と共に、細長な楕円形に近い板状デバイスが出現した。
 初めて見るタイプだ。武器型でないのは明白だが、かといって杖のように手に持てるような大きさでもない。全長はブラント君の身長の一・五倍はある。
「ウィンディーヌ! “ウォータースライダー”!」
 ブラント君が内にいるウィンディーヌちゃんに呼びかけると、魔法陣が突然水飛沫を上げた。更にそこから大量の水が噴き出し、重力に逆らって空を走る。勢いは留まることなく、その距離をぐんぐん伸ばし、ジージョちゃんを追うように伸びていく。
 空に川が流れている。
 幻想的なその光景に見惚れていると、次はもっと信じられない光景に遭遇した。
 ブラント君が板状デバイスに両足で乗り、その川の上を滑っていく。これは波乗りと言うのだろうか。空を走る水の道を滑り行く彼は、とても気持ち良さそうだった。
 水の道に乗るブラント君は、ジージョちゃんに近づきながら右手にもう一つのデバイスを構えた。
 細くて長い。先端には矢印型の刃。あれは銛か。
「アームドデバイス、ポリビウスだよ」
 ノイズ曹長が教えてくれた。
 ブラント君は波乗りをしながらジージョちゃんに更に近づいていく。それを確認したジージョちゃんが、クリンリネスを指で数回叩く。
「The cartridge filled」
 合図を受けたクリンリネスが、T字型の先端とホースで繋がれた反対側、丸いボディー部分から蒸気と共に小さな何かを幾つも射出した。
「何ですか? あれ?」
 ノイズ曹長に聞くと、きょとんとした顔でこう言った。
「知らないわけないだろ? カートリッジを」
 もちろん知っている。小指ほどの大きさのそれは、魔力を篭めた弾薬だ。カートリッジシステムは、その弾薬をデバイスがロードして内部に篭められた魔力を起爆剤として使用することで、魔力総量の底上げや瞬間的な攻撃力強化等を行うものだ。
「ジージョのクリンリネスは、吸引した魔力を空っぽの薬莢に充填出来るんだよ」
 高速でジージョちゃんに近づくブラント君は、左手をいっぱいに広げて更に速度を上げた。
 ジージョちゃんの側を横切る瞬間に、空中に吐き出された魔力を篭めたばかりの弾薬(カートリッジ)を掻っ攫い、それをポリビウスに装填していく。
「いっくよぉー!」
 ポリビウスがその柄を上下に伸縮し、空っぽになった薬莢を排出しながらカートリッジの中身を自身の内で開放する。それと同時に、跳ね上がるブラント君の魔力。
 ポリビウスの先端にはいつの間にか発射台(スフィア)が形成され、それをブラント君は敵陣に向けた。ジェームスクックはブラント君を乗せたまま周回軌道を描く。
 敵陣を囲うようにして飛び回り、その輪から逃げようとする敵をポリビウスが撃つ。束ねられた藁のように、逃げられない敵が徐々に輪の中央に密集し始めた。
 そんなに密集しては危険だ。大型の砲撃が来れば、一網打尽にされてしまうだろう。
「…………そっか!」
 私がすぐにマルコちゃんの方を向くと、彼女は今にも飛び出しそうな気迫を纏いながら言った。
「ソフィー、砲撃に最適なポイントを教えて欲しい。それと敵の行動予測を踏まえて、最適ポイントまでの移動コース、それとポイント到達までの許容時間を」
「りょ、了解!」
 マルコちゃんが飛び立った。
 私は波紋の反射を再度読み取った。敵全員の視点位置、心理状態、行動可能範囲内での行動予測を割り出し、敵を一網打尽にする砲撃の発射タイミングを算出。砲撃のベストポジションを探し、発射タイミングを逃さずに砲撃ポイントへ到着する為の最長許容時間を打ち出した。
 私は念話を送った。
 ――マルコちゃん! ブラント君の周回軌道に重なって今の位置からちょうど正反対まで飛んで! 許容時間は十四秒!――
 ――ははぁー! こんな塊をぐるりと回り込むのに十四秒しかないときたか!――
 確かに時間が足りない。現在のマルコちゃんの速度では間に合わない。
「レプリカストロ、“メタモルフォーシス”! モデル、“ストラーダ”!」
「O.K, baby! Model “Strada”!」
 突如、マルコちゃんの姿が光に包まれた。そしてその中から再び姿を現した彼女は、フェイト執務官の装備とは全く違う、槍状デバイスと真っ白なロングコートのバリアジャケットを身に着けていた。
 変身? あれがマルコちゃんの本当の装備だと言うのだろうか。
 彼女が空を飛び、一旦ジージョちゃんの横を通り過ぎる。その直前、ジージョちゃんのデバイスからは再びカートリッジが射出され、マルコちゃんはそれをブラント君と同じように拾った。
 カートリッジを装填した槍状のデバイスは、すぐさまカートリッジをロード。デバイスの各部から勢いよく蒸気が噴き出し、猛りを見せている。そしてマルコちゃんの魔力もまた、ブラント君の時のように飛躍的向上を見せた。
「突撃いいいぃぃっ!」
「Yahoooooooooooooooo!」
 マルコちゃんとデバイスが大声を発しながら、爆発的加速を見せた。
 速い。これなら充分間に合う。
 若草色の魔力光を噴射し、水の道を貫き、その推進力は風さえ寄せ付けない。
 ――ソフィー! カウント!――
 私は念話を通じてカウントダウンを始めた。
 ――9…………8…………7…………――
 止まらない。到着地点まであともう一息。
 槍状デバイスがカートリッジを再ロード。ロケットの噴射のような魔力は更に大きくなった。
 ――6…………5…………4…………――
 間に合った。ロケットの砲撃ポイントに到着寸前、待ち合わせたブラント君の手がマルコちゃんと繋がり、急ブレーキを掛ける。
 ――3…………2…………――
「レプリィ! モデル“レイジングハート”!」
 再び光に包まれたマルコちゃんの体。そして次なる姿は、私も良く知っている人だった。
「なのはさんっ!?」
 マルコちゃんの握るレイジングハートはバスターモードの形状をしていた。そして、スフィアの形成も早い。
 ――1…………――
「ディバイィィィン――――」
 タイミングはバッチリ。敵も一塊のまま。ブラント君とジージョちゃんが撤退。
 今しかない。
「――――バスタアァァァァッ!」
 若草色の柱が伸びる。その光に敵陣が飲み込まれる。なおも伸びる光線は、地平線を掴もうとどこまでも走った。
 やがて光は細り、それと同時に落ちていく敵魔導師達。地上では三課の人達がクッションネットを魔力によって作り、広げていた。
 戦果、密輸組織の構成員及び護衛に付いていた違法魔導師、全員逮捕。
 時空管理局遺失物管理部機動三課及び遺失物保護観察部、任務完遂。



 時空管理局本局に帰ってきた私達を出迎えたのは、ウルスラの貸し出しを許可してくれた局員の人だった。
「さすが機動三課、といったところか?」
 ノイズ曹長が誇らしげに笑顔を返すと、彼の脇腹をミリー部隊長が小突いた。
「…………あ、あとキャプテン・ミリー率いるホカン部の活躍もお忘れなく」
 ノイズ曹長が笑顔を引き攣らせながら付け足した。
 何を言っているのだと怪訝な表情を浮かべている次元航行部隊のその人は、一度大きく咳払いをしてから、ウルスラ内からゾロゾロと連行されていく密輸組織の面々を見て言った。
「ま、こういうのは今回だけだ。“陸”は地上の治安維持にこれからも励みなさい」
 内心ではやはり陸と海の確執に拘っている人だったと知った。それならば、なぜウルスラの貸し出しを許可したのか、本当に理由が解らない。
 ちなみに密輸組織の所持していた密輸品の対処には本局が当たることになったが、プリズンだけは機動三課が引き受けた。ノイズ曹長は「当然だ」と言って胸を張っていた。
 私はノイズ曹長に近づいた。
「あの」
「ん?」
 ノイズ曹長が角刈り頭をこちらに向けた。が、途端にバツの悪そうな表情を浮かべて視線を逸らした。
「な、なんだ?」
 なかなか顔を合わせてくれない。
「一言、お礼が言いたくて」
「いいよそんなの。ホカン部のいつもの同行任務だろ?」
「でも…………今日はありがとうございました」
 こちらを見てくれてはいないが、私は頭を下げた。
 ウルスラへの同乗を承諾、無理矢理だったとは言え最後までホカン部のワガママに付き合ってくれたこと。それら全てに、私は感謝した。
「…………お、俺も、一言言いたい」
「へ? ……はい」
「…………司書室では悪かった。それと、君の索敵魔法はたいしたもんだ」
 意外な言葉だった。驚きのあまり言葉が出てこない。
「確かに仕事は不真面目だが、ホカン部の力を認めていないわけではない。クセのある力を持った奴ばかりの部署だが、それ等はまるで部隊員全員で一つのシステムのようだと、以前から評価はしていた。君が加わって更に完成度を増したとも思っている」
 これは、褒められているのだろうか。
 要らん部と言われた私達が。役立たん部と蔑まされてきた私達が。
「だから…………役立たん部は言い過ぎた。すまなかったな」
 私は思わず駆け出して、再度お礼を言いながらノイズ曹長の背後に飛びついた。
 嬉しさのあまりついついとってしまった行動だったが、ノイズ曹長を随分と驚かせてしまったみたいで、彼は「うひゃあぁぁんっ!」という変な大声を出していた。
 でも、本当に嬉しかった。
「ソフィー」
 声の方に向き直ると、なのはさんが私に近づいて、頭を撫でてくれた。子供っぽくて少し恥ずかしい。
「ソフィー、すごかったよ」
「いえ、私だけじゃないです」
 そうだ。今日はホカン部の皆で成し遂げた任務だ。
 今ならはっきりと言える。私はこの部署でもっと頑張れる。
 なのはさんがそうだったように、私はこの部署での自分にやりがいを感じ、私の居場所に誇りを持っている。そして、周りの仲間の力に支えられている力強さを感じている。
 だから私は今、こんなにも胸を張っていられる。
 少しだけ憧れの人に、そう、貴女に近づけた気がします。

 To be continued.



[24714] 第五話 おつかい
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/05 21:22
 ヒデオウトでの任務から一週間が過ぎた。
 ホカン部では相変わらずの仕事をこなす日々が続いているけれど、私がそれを不満に思うことは無くなった。
 いや、正確に言うと無いわけではないけれど、以前よりも不満を言うことがめっきり少なくなったのだ。
 それはやはり、自分が今いる場所に誇りを持てたのが大きな理由だ。
 機動三課と合同での密輸組織の一斉検挙という成果を挙げた上に、ロストロギアの回収も成功させた。合同任務を承諾してくれた三課のノイズ曹長は、私たちホカン部を褒めてくれた。
 そして何より、ここの仲間達が普段のだらしない姿から一変して任務に勇ましく挑み、成功へと導いてくれたからだ。その時の彼女等の姿は、まさに私が望んだものの体現であった。
 憧れの人、なのはさんの周囲がそうであったように、私の周りにいる仲間も互いを強く信頼し合い、支えあうことの出来る人達であると知ったのだ。
 だから転属したばかりの時は、このホカン部で過ごす自分を頭に浮かべては陰鬱な思いしか抱けなかったけれど、今では現状に“ほぼ”満足している。
 さて、現在の時刻は朝の八時三十分。私は隊舎の一階にある食堂で朝食を終え、四階のブリーフィングルームに向かうところだ。お腹も膨れたし、本日も業務に精を出そうと意気込む。
 ところで、仕事が始まる朝だと言うのに私は食堂で誰にも会っていない。実はこの点が、“ほぼ”現状に満足している私が未だに感心出来ない問題の一つだったりする。
 珍しいことではない。私は業務開始の十五分前にはブリーフィングルームに着くように動いているのだけれど、そんな私よりもずっと早起きなのはミリー部隊長とジージョちゃんで、彼女達より先にブリーフィングルームに入ったことはまだ一度も無い。この二人に関しては文句はないのだが、問題は他の仲間だ。
 マルコちゃんは遅刻の常習犯で、いつも腰まで伸びたロングヘアーをぼさぼさにしたまま、眠そうな顔でやってくる。しかも三十分や一時間は平気で遅れてくる。
 ブラント君は意外にも時間通りにやってくる。というのも、奥様気分のウィンディーヌちゃんがしっかりと起こしてきてくれるからだ。だがそのせいもあって、ブリーフィングルームでは常にブラント君の寝息が聞こえている。
 やるときはやってくれるのに少し気が抜けるとこの醜態。これが今感じている不満である。
 エレベーターを使って四階まで上がると、私は真っ直ぐにブリーフィングルームまで向かった。
「おはようございます!」
「おはよう」
 ミリー部隊長が自分の席で新聞を読みながら、視線をこちらに向けることなく挨拶を返した。
 その後ろでは、ジージョちゃんが雑巾を片手に持って大きな窓を黙々と拭いていた。それから首だけを動かして私の方を向き、小さく口を動かした。たぶん挨拶を返してくれたのだと思うが、声が小さくて聞こえない。
 いつも通りの光景だった。
 私はデスクに着くと、脇にあるスイッチを押してアンリアルモニターを開いた。
 メッセージが数件届いている。遺失物管理部の各課より届く定期報告だ。
 さっそく中身を確認しようとファイルを一つずつ展開していると、機動三課からのファイルデータのところで手が止まった。
「あ、こないだのプリズンの報告、やっと届きましたね」
「ああ、遅いから昨日急かしたんだ」
 差出人はノイズ曹長からだった。
 ヒデオウトでの一件で三課が管理を引き受けたプリズンの調査。その調査結果をまとめた報告書がこのファイルだった。
 プリズン。それは信じられないほどの大容量のデータ保存を可能とする、光沢がある真っ黒な立方体の形をした記憶装置。古代文明のオーバーテクノロジーの産物であるそれは、次元世界の消滅を誘発してしまう恐れのある超危険物、ロストロギアに指定されている。
 だが、現代の技術では作り出すことが出来ない驚異の代物であることは確かだが、何故ただの記憶媒体がロストロギア指定なのか。私は最初、そんな疑問を抱いていた。
 その疑問はホカン部にある管理データを参照することで、あっという間に解けた。
 現在までに管理局が発見したプリズンの数は四つ。そしてその四つに、中身が入っていなかった事例は無い。
 そう、プリズンの最も恐れなくてはならないところは、中身なのだ。
 データと言っても、出力機器が無ければ不可視である電子データのことを指しているのではない。固体、液体、気体、有機物、無機物、魔法、あらゆるものを指す。一週間前に管理局地上本部の上空でプリズンを誤作動させてしまった際、保存されていた大型生物がその姿を現して、危うく地上に被害が及びそうになった。後に無限書庫での調べで分かったが、あの大型生物は別次元の世界に大昔生きていたもので、現在ではその生存は確認出来ないとされていた。
 プリズンの中には時間が存在しないのだそうだ。保存されたデータは、その中にある限り永遠に保存時の状態を保つ。
 そしてプリズンが危険視されるもう一つの理由は、それ単体による内包データの復元機能。保存されているデータを、当時のままの状態で瞬時に取り出せてしまうことにある。
 考えてみれば恐ろしい話なのだ。もし内包データが、全次元世界を一瞬で消し去ってしまうような兵器や術式で、復元と同時に作動してしまうようなことがあったら。
 私たち現代を生きる人々は、プリズンを見つけてはいけなかったのかも知れない。保存されているだけならば何も害は無いのに、発見し、それを管理しようとすることで、私たちは知らぬ間に消滅への道を歩んでいる可能性だってあるのだ。
 過去に発見されたプリズンに一体どんなデータが入っていたのかは公開されていない。それは、考え方によってはとても怖いことだと思う。
「ソフィー」
「はい」
 ミリー部隊長が新聞を折りたたんでデスクの上に置き、今度はモニターに目をやりながら私のことを呼んだ。
「悪いんだが一つ頼まれてくれ。三課に行って受け取ってきてほしい物がある」
「はい、分かりました。品物は何ですか?」
「極秘だ」
 ミリー部隊長がニヤニヤしている。なんだかあまり良い気がしない。
「…………なんか企んでるんですか?」
「はっはっは! そうかもなー。まあいいから頼まれてくれ。三課のサイオン部隊長に会いにいけばいい。向こうは用件を分かってるから」
「分かりました。じゃあ行ってきます」
 ミリー部隊長は満足そうな笑顔で「ん!」とだけ頷いた。
「でもホカン部って、他の課に比べると機動三課とはやけに仲良しですね」
 本当にそうなのだ。ホカン部と機動三課はとても仲が良い。現在遺失物管理部には、一課から五課までがある。その中でも特に三課との交流が多い。
 例えば、今日みたいにお遣いを頼まれて足を運ぶのも圧倒的に機動三課が多い。それに他の課の人達は私達のことを“要らん部”として見てくるのに対し、三課だけはホカン部に対して友好的なのだ。もちろん三課の中にも私達を邪魔者として見てくる人はいるし、逆に他の課にだって私達と友好的に接してくれる人もいるが、三課はやはりどこか親しみ深い雰囲気があるのだ。特にノイズ曹長は、私達のことを認めてくれているぐらいだ。
 機動三課とホカン部は、ずっと深い部分で関わっているように感じることがある。
 それと、これは単なる噂だが、実はこっそりと囁かれているのがミリー部隊長の不倫疑惑である。
 初めてこの話を聞いたのは、以前に三課の隊舎へお遣いに行った時。三課所属の女性局員が給湯室で話しているのをたまたま耳にしたのだが、隊舎から少し離れた高級レストランの中でミリー部隊長とサイオン部隊長が一緒にいたところを目撃したという話。
 サイオン部隊長には綺麗な奥さんがいることで有名だが、ミリー部隊長もあれでなかなかの美人だ。鋭い目つきと小さな鼻、綺麗な三角を描く輪郭はシャープで、その小顔と絶妙なバランスをとっているメリハリのあるボディーライン。髪だってそよ風にすらも遊ばれてしまうほどにサラサラで綺麗だ。同じ女として、私も羨ましく思ったりする。
 きっとモテるんじゃないだろうか。いや、絶対モテるだろう。
 それともう一つ。これは笑い話と同レベルの噂として、ミリー部隊長とノイズ曹長がデキているというものだ。これに関しては本当に苦笑するレベルだが。
「ホカン部って三課と一緒に仕事すること多いじゃないですか」
 ちょっとだけからかってみようと思った私は、
「もしかして、ミリー部隊長はお気に入りの人とかいるんですか? 例えばノイズ曹長とか」
 なんて言ってみた。
「そうだな。ノイズ曹長は、あれでなかなかイイ男だぞ」
 ぎょっとした。まさかそっちの筋が濃厚になるのか。
「だってあいつ、扱いやすいだろ?」
 ガハハハと笑うミリー部隊長。一瞬だけ生まれた可能性はあっという間に消え去った。
 そろそろ出掛けようかと思って私が席を立つと、ミリー部隊長が忘れていたという風に言葉を付け足した。
「ああ、悪い! もう一つ」
「はい」
「帰りに地上本部にも寄ってくれ。高町一尉からホカン部に話があるそうだ」
「なのはさんが、ですか?」
「ああ。いつでもいい話だと言っていたが、ちょうど今高町一尉は戦技教導の為に地上本部の訓練場にいるはずだから、こちらから顔を出してやれ」
 それにも返事をして今度こそ行こうとすると、
「それと…………まだ寝てる馬鹿共も連れて行け」
 それは、お守(も)りをしろと言うことらしい。



 電車とバスを乗り継いで、私とマルコちゃん、ブラント君、ウィンディーヌちゃんは機動三課へと向かう。
 マルコちゃんは私が部屋に行くまでずっと寝ていたみたいで、頭がまだ完全には覚醒していない。駅の自動改札機に管理局員証を突っ込んだり、バスの中に眼鏡を置き忘れそうにもなった。ちなみにマルコちゃんのデバイス、レプリカストロは、待機状態こそがマルコちゃんの普段掛けている眼鏡なので、忘れられそうになって悲鳴をあげていた。
 それと、珍しいことに始業時間になってもウィンディーヌちゃんとブラント君がブリーフィングルームに姿を見せなかったので、私が不思議に思って部屋に行くと、ウィンディーヌちゃんが寝ているブラント君に“おはようのチュウ”をしようとしているところだった。私の来訪でチュウのタイミングを逃したウィンディーヌちゃんは、隊舎を出てからずっと怨めしそうな視線を向けてくる。
「それにしても、ミリー部隊長が受け取ってきてくれって言ってたものは何だろうね?」
 そう言って後ろを振り向くと、寝ぼけ眼の二人と呪詛を吐きながら睨み付けてくるユニゾンデバイスが目に映った。
「どうせまたデータディスクさ。中身は知らないけどね。見ようと思ってもプロテクトが掛かっていて、ボク達じゃ中身を教えてもらえないよ」
 マルコちゃんが目を擦りながら言う。
「ミリーのことなんだし、どうせ仕事絡みじゃないわよっ」
 ウィンディーヌちゃんの言葉は本来なら上司を侮辱した発言だが、何故だろう、あながち捨てきれない考えであることが悲しい。
「うーん…………噂の人からの預かり物だからなぁ」
「噂って?」
 私はサイオン部隊長とミリー部隊長の噂を話して聞かせた。
 すると、一番食いついてきたのがウィンディーヌちゃんだった。さっきまでの不機嫌な態度はどこ吹く風で、キャッキャッと騒ぎながらあれこれと質問をぶつけてくる。いつからそういう関係なのか、目撃されたのはどこのレストランなのか、その時の服装は何か、食べたものは何か、サイオン部隊長も物好きな男だ、と言いたいが不倫とはミリーもなかなかやるな、そもそも不倫とは云々、等の持論を展開し、ちょっとの噂話から驚くくらいに妄想を膨らませていった。このノリはあれだ、三課の給湯室で話していた女性局員と全く同じノリだ。
「もう一つ、こんな噂もあるんだけど…………」
 今度はノイズ曹長とミリー部隊長の関係についても話してみた。
 すると、全員一致の即答で「それは無い!」と返ってきた。
「だってノイズ曹長は扱いやすいから気に入ってるってだけでしょ?」
 皆がガハハハと笑っている。ノイズ曹長は時々哀れだ。
 そんなノイズ曹長ではあるが、何だかんだでホカン部が他部署の局員で一番仲良くしているのも、やはり彼だ。ヒデオウトでの任務が終わった後、盛り上がった私達ホカン部はその後皆で打ち上げを行なったのだが、その時もミリー部隊長の計らいでノイズ曹長を中心とした三課局員が急遽呼び出されている。
 転属したばかりの頃の認識が少し変わりつつあった。
 ホカン部は、そこまで周りから邪険にされているわけではないのかも知れない。
 まだ止まらない笑い声を引きずりながら、私達は機動三課の隊舎前までやって来た。ホカン部と比べるとかなり大きな建物だが、少し年季を感じる。
 正面入り口を潜り、右手側にある受付端末に来訪記録を入力した。ついでに受付に座っている事務員にサイオン部隊長の居場所を訊くと、今は部隊長室にいるとのことだった。
 機動三課所属の局員は、全部で約百六十名ほどいると聞いたことがある。ロストロギアの広域捜査を担当する部署なだけに、捜査員等の人数も必要なのだろう。
 そんな機動三課のトップに立つのがサイオン・スチュアート部隊長である。遺失物管理部機動三課の課長も兼任する彼は、魔力はほとんど持っていないそうで、その経歴に魔導師としての彼は存在していない。だが、なかなかのやり手でロストロギアの発見、調査、管理において優れた手腕を発揮している。
 部隊長室は隊舎の最上階にある。私達はエレベーターの前まで移動した。やってきたエレベーターに乗り込んで最上階までのボタンを押すと、扉が閉まり始めた。
 すると突然、扉が完全に閉まるよりも早く十本の指が割り込み、扉を押し開けた。
「待った待った! 俺も乗せてくれ!」
 いきなりのことだったので私達は完全に不意を付かれ、悲鳴をあげそうになりながらその声の主を確かめた。
 ノイズ曹長だった。
「ビ、ビックリしたじゃないですかっ!」
 まだ心臓が高鳴っている。
 見ると、小脇にブルーのファイルを挟んで乗り込んできたノイズ曹長は、顔半分を覆うような大きなマスクをしていた。
「ノイズ曹長、風邪ですか?」
「ノイズ曹長でも風邪引くんですね?」
 マルコちゃんの余計な一言に鋭い視線で返答しながら、ノイズ曹長はエレベーターに乗り込んできて言った。
「んー、別に体調は何ともないんだが、今朝からくしゃみが凄くてな。念のためだ」
「誰かが噂していたんじゃないの?」
 ウィンディーヌちゃんがそう言うと、「それだったらいいけどな」と、ノイズ曹長は返した。
 なんだか、その噂をしていた主には心当たりがある。というか、私達ホカン部じゃないだろうか。
「もしかして、なのはさんかも」
 マルコちゃんが言うと、すっかりと表情を緩めて「それだったらいいけどなぁー」と頭を掻いている。
 ノイズ曹長が扱いやすいと言われる原因の片鱗を見た気がした。
 エレベーターが最上階に到着した。
 ノイズ曹長を先頭にして最上階に降り立つと、一階の受付前とは全く違う雰囲気に少し緊張した。物音一つしない廊下はモップ掛けしたばかりにようにピカピカで、なんだか歩くことすらも申し訳なく思ってしまう。部屋の数も少なく、本当に用事がない限りは訪れる人などいない。機動三課のトップに立つ人物の為の空間なのだと知る。
 部隊長室の前まで来ると、ノイズ曹長が私達の顔を一度見た。
「…………お、お先にどうぞ」
 私が手の平を差し出すと、ノイズ曹長はすました顔で部隊長室のドアを開けた。
「失礼します。管理係係長、ノイズです」
 敬礼をするノイズ曹長に続き、私達も敬礼と一緒に名乗った。
「い、遺失物保護観察部の者です」
 部隊長席の後方にある窓を前にしていた男性が、ゆっくりと振り返ってこちらを見た。
 高い身長とがっしりとした肩幅。それに少し角ばった顎に細い目。背を真っ直ぐに伸ばし、後ろで組んだ両手はそのままにこちらに歩み寄ってくる。その速度は酷くゆっくりで、威圧感と言う壁をジリジリと押し付けてきた。
 この人が機動三課の部隊長、サイオン・スチュアート。
「きたか……」
 低い声だった。
 ノイズ曹長が敬礼を解かないので、私達も姿勢を崩さずに待った。
「楽にしたまえ」
「はっ!」
 ノイズ曹長がようやく敬礼を解いた。私達はただ真似ることしか出来ない。
「まずはノイズだな……受け取ろう」
 その言葉を合図にノイズ曹長が脇に抱えていたファイルを差し出し、サイオン部隊長がそれを受け取った。それから中身を一通り捲って、ファイルを返した。
「ロストロギアの発見場所は座標まで正確に書きなさい。それと出動人数が当初の報告人数と違う。変更があったら漏れなく記入すること。それと誤字が目立つな。三ページと四ページの順序も入れ替わっているぞ。並べ直すように」
 ノイズ曹長が目を丸くしながらファイルを受け取り、指摘のあった箇所を確かめた。
 この人が、三課の部隊長。
 この人が、ミリー部隊長の好み。渋い。
「次はホカン部か。用件はデータファイルを受け取りに来てくれたんだな?」
「は、はい!」
 サイオン部隊長が自分の胸ポケットから一枚のミニディスクを取り出し、それを差し出してきた。
 私が両手で受け取ると、サイオン部隊長が言った。
「ヒデオウトでの件は報告を受けたよ。君が新しく配属されたソフィー君だね?」
「あ、は、はい! ソフィー・スプリングス二等空士です」
 名前を知られていた。それが余計に私の緊張を膨らませた。
「索敵魔法が得意だと聞いたよ。ノイズが褒めていた」
「…………とんでも滅相です。ございません」
 横でマルコちゃんが「はぁ?」という表情をしている顔が見えた。が、私は自分が言った言葉すら憶えていない。
 すると、初めてサイオン部隊長の表情が緩みを見せた。
「では、確かに渡したよ。ミリー君に確実に届けてくれ」
 こんな人でも笑うんだ。そんな変なことを思った私は、彼の見せた一瞬の笑顔に引き出されるように、胸の中の疑問を声にした。
「あの、このディスクには何が入っているんですか?」
「ミリー君は何と言っていたのかな?」
「極秘、だと」
「じゃあ、そういうことだ」
 サイオン部隊長は席に着いた。
 私の後ろでマルコちゃんが服の裾を引くので、私達は「失礼しました」と一礼してから部隊長室を後にした。
 一緒に出てきたノイズ曹長は、未だにファイルと睨めっこをしている。
 緊張感が一気に抜けて、なんだか喉が渇いた。一階まで降りたらジュースを買おう。
 手に持ったデータディスクを眺めていると、隣にいたマルコちゃんがノイズ曹長に話し掛けた。
「このディスクの中身、ノイズ曹長は知らないんですか?」
「んー? 部隊長は何て?」
「極秘」
「じゃあ、そういうことだ」
「ノイズ曹長も知らないんでしょ?」
「極秘だ」
 マルコちゃんが「怒られてたくせに!」と言って舌を出した。
 それにしても私達は極秘データを預かってきたわけだが、こういったものは通信端末を使って直接本人のもとに送ってはいけないのだろうか。わざわざ人の手を使って渡す理由が分からなくて、私は不思議に思った。
 三課とホカン部の繋がりからして、おそらくロストロギア関連のデータだとは思うが、それでも部隊長同士でしか知ることの許されない情報なのかと考えると、ますます気になった。
「ソフィー」
「ん? なあに?」
「中を覗こうだなんて考えちゃダメだよ」
 マルコちゃんが怪しい笑顔を浮かべながら言い、私はそれを慌てて否定した。
 否定はしたが、一瞬だけそんなことを考えたのも事実だった。
「ほら、それよりも早く地上本部に行かないと」
 そうだ。この後は地上本部に寄ってなのはさんに会わないといけない。
「なんだ? 地上本部に用があるのか?」
 ノイズ曹長が訊いてきた。
「はい。なのはさんが私達に話があるって」
 ノイズ曹長が羨ましそうな視線を送ってきた。本当に分かり易い人だ。



 三課を後にした私達は、途中で昼食を挟みながら地上本部にやってきた。
 今、なのはさんは戦技教導の為に地上本部の訓練場に来ているそうだ。
 なのはさんが所属する部署、戦技教導隊。本部は本局にあるが、地上部隊の訓練スペースを利用しての技能訓練や、演習での敵役、新装備の運用テストなどを行う部署である。
 また、その部隊名が示す通り、短期プログラムによって若い魔導師達の技術向上を狙った特別教導も行っている。
 そんなエリートばかりの部署で、なのはさんは戦技教導官を務めているのだ。
 なのはさんの教導はかなりハードなものだと聞いている。私が二〇三八航空隊にいた頃も、部隊内でも屈指の実力を持っていた先輩魔導師が更なる戦技上達の為に教導に参加していったことがある。三週間の教導期間を終えて帰ってきた先輩は、やはりその腕に磨きをかけて戻ってきたわけだが、特訓メニューなどを聞く限りでは、人のやることではないという印象を受けた。
 私は地上本部の訓練場へと向かいながら、その戦技教導風景を思い浮かべていた。憧れの人、なのはさんの下で仕事がしたいと思っていた私は、機動六課への配属を望んだ時期もある。機動六課では、なのはさんが一年近くにも渡ってその部隊のフォワード陣を育てていたと聞き、それを私は羨ましく思った。ホカン部に配属されず、機動六課が現在でも存続していたら、私はその中に身を投じたかった。
 訓練場までの道のりは少し長く、地上本部内を十分ほど歩いた先に、ようやく入り口を見つけた。
 広い訓練場は屋外に設置されていた。
 一辺五キロ程はあるだろうか。ほぼ正方形に形作られた広場の地面には、銀色のプレートのようなものが隙間無く敷き詰められていて、太陽の光を鈍く反射していた。この銀色のプレートは空間シミュレーターだ。市街戦や密林内を想定して模擬戦を行いたい時などに、その戦場を擬似的に作り上げることが出来る。作り上げられた戦場は見た目だけでなく硬さも存在し、障害物には触ることも乗ることも出来るという最新設備。
 その場内を見渡してみたが、誰もいない。今は訓練時間外なのだろうか。
 続いて訓練場の脇にあるコントロールルームを覗くと、そこに目的の人がいた。
「なのはさん!」
 私が声を掛けると、数人の人達と共に制御盤の前で話をしていたなのはさんが、制御盤から目を離してこちらを向いた。
「ソフィー! それに皆! こんなところまで来てどうしたの?」
「ミリー部隊長に、なのはさんがここにいるって聞きました」
 笑顔で近づいてくるなのはさんに、私達は揃って敬礼をした。
「もしかして私に会いにきたの?」
「はい。ミリー部隊長から、なのはさんがホカン部にお話があるそうだって聞いたんですけど…………」
 なのはさんは笑いながら頷いた。
「うん、そうなの。私から出向いても良かったんだけど、来てくれたんだ。ありがとう」
「あの……お話って?」
「ああ、それなんだけどね…………」
 なのはさんが外の空間シミュレーターを見やった。ここで行われる訓練を頭に思い描いているのだろうか。何もないシミュレーター上を何往復か見回している。
「再来週に、今教導している生徒達の最終的な仕上げをするの」
「模擬戦か何かですか?」
「うん。それでね、もしよければホカン部の皆も、その模擬戦に参加してみない?」
 私達は固まった。それから沈黙が続いた。
 私達が、戦技教導に参加する?
「この間の皆の戦いを見ていて思ったの。ああいうちょっと独特な戦い方をするホカン部に対して、今教えてる生徒達はどんな対処をするんだろうってね。きっとお互いに良い経験になると思うよ」
 マルコちゃんの顔を見ると、驚いたように目を丸くしていたが、徐々に面白そうだとでも言いたげな怪しい笑みを浮かべた。
 ウィンディーヌちゃんは面倒臭いという顔をしているものの、反対はしなかった。たぶんそれは、彼女の横でブラント君がワクワクしているからだ。ウィンディーヌちゃんにとって、ブラント君の意思は極力尊重してあげるべきものなのだろう。
 そして私の気持ちは、
「は、はい! 是非お願いします!」
 憧れの、なのはさんの教導訓練に参加出来る。それを断る理由なんて無かった。
「良かったぁー。じゃあ決まりだね。詳しい日程とかはまた連絡するから」
「よろしくお願いしますっ!」
「うん、よろしく」
 なのはさんは笑顔で手を振ってから、コントロールルームに戻っていった。
 なのはさんに誘われた。訓練に誘われた。
 正直に言って、私は浮かれた。ホカン部が、あのホカン部が、エースオブエースに認められている。
 地上本部を後にしてホカン部隊舎に戻る途中、私は一人、ずっとニヤニヤが止まらなかった。
「ソフィー、気持ち悪い」
 ウィンディーヌちゃんにそう言われても気にならない。
 ホカン部隊舎に到着した後、私は皆を待たずに急いでブリーフィングルームに向かった。早くミリー部隊長に報告して、二週間後の予定を空けておかなくてはいけない。
 エレベーターが降りてくるのを待てなくて、私は階段を駆け上がった。
 ブリーフィングルームに到着すると、少し切れ気味の息を整えるように深呼吸をして、扉を開く。
「ただいま戻りました!」
「おう、お疲れー」
 ミリー部隊長がデスクで本を読みながら待っていた。
 その本をデスクに伏せ、手を差し出している。
「例のもんは?」
「あ、はい、これです」
 データディスクを渡すと、彼女はそれを持って席を立った。
「あ、あの! なのはさんの話なんですけど」
「悪い、後で聞く。ちょっと大事な用でな。こいつの中身を確認しなくちゃならん」
 そう言うと、ミリー部隊長は足早にブリーフィングルームを出て行った。
 すれ違うようにして、マルコちゃん達がブリーフィングルームに入ってくる。
「ミリー部隊長は何だって?」
「話する前に出て行っちゃった」
 どうしたのだろう。大事な用とは、あのディスクの中身を確認することだろうか。それならばここでも出来るのに。
 いや、それよりも私が一番気になったのは、ディスクを渡した瞬間のミリー部隊長の顔だ。
 その時の表情は見たことがある。それは、私がミリー部隊長に恐怖を覚えた時の顔。次元航行艦ウルスラに乗ってヒデオウトに向かった時の、ミリー部隊長の楽しそうな顔だった。
 あのディスクには、一体何が入っていたのだろうか。
 私はミリー部隊長の歩いていった先をじっと見つめていた。
「ソフィー、食堂でお茶飲もー」
「もしかして、サイオン部隊長とのデートの予定が入っている……とか?」
 不意に、私の肩を誰かが叩いた。
 驚いて振り返ると、そこにはジージョちゃんが立っていた。背が大きいので余計に驚いてしまう。
「い、いつからそこに?」
 マルコちゃんが呆れたように言った。
「ソフィー、なのはさんに誘われて浮かれ過ぎだ。ジージョならお前がここに入った時からずっといたぞ」
「えっ!?」
「…………掃除してた」
 ジージョちゃんが恥ずかしそうに、しかし満足そうな顔で頬を赤らめながら呟いた。
 まさか、朝からずっと掃除していたのか。
 掃除好きにも程がある。

 To be continued.



[24714] 第六話 変身ヒーロー
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/09 00:40
 灰色の空の下、南西から吹く風に逆らいながら飛んでいる私は、右手に握ったマスタースペードの先端を正面に突き出して射撃魔法の準備をした。
 眼前に薄紫色の魔力球、発射台(スフィア)が形成された。十分に練った魔力はマスタースペード内部に圧縮されていき、発射準備が整っていく。
 狙うは私の数メートル前を飛ぶ魔導師。
 その魔導師の姿は、黒のハイニーソックスとミニスカートを下半身に纏い、上半身を覆うコートも同じように黒を基調としている。更にその上から白いマントを羽織って靡かせていて、左前腕部と甲には鈍く光る金属製のアームガードも装着していた。そして左手に握った戦斧形デバイス。
 その姿はまさに、時空管理局本局執務官、フェイト・T・ハラオウン執務官の姿であった。
 だが、今私の目の前を飛んでいるのはフェイト執務官では無い。姿形はそっくりでも目の前の彼女は別人だ。もし目の前の人が本物のフェイト執務官なら、こうしてスフィアを形成するよりも早く、私は撃墜されているだろうから。
 そう、彼女はフェイト執務官ではない。
 だから、勝機はある。
「連砲・朝潮(あさしお)――……撃てぇ!」
 スフィアから小さな魔法弾が連発される。
 しかし、発射と同時に目の前の彼女は旋回を開始。
 私は後を追うように、引き離されないように、同じ軌道を通りながら射撃を続けた。
 右、左、上下、スピン。不規則な動作で彼女は魔法弾を避けていく。だが、いつまでもそうしていられるわけが無い。デタラメに動いて的を絞らせないようにしているそれは、撃墜されるまでの時間を引き延ばしているだけに過ぎない。私はそう思った。
 次こそ当てる。
「連砲・赤城(あかぎ)!」
 魔法弾の大きさは一回り大きくなり、それに合わせて彼女の挙動も大きくなった。避けづらくなったのだ。
 チャンスだ。私を振り切ろうにも振り切れないでいる。
 相手を追い詰めているという確信が生まれ始めた。
 すると突然、彼女はその姿を光に包んだ。魔法弾を避ける動きはそのままに、しかし明らかに何かを仕掛けようとしているのが分かった。
 光は、彼女の全身を包んだ瞬間をピークとし、徐々に収束し始める。
 光から抜け出た彼女の姿は、先程までのフェイト執務官の姿ではなくなっていた。
 背中のマントは面影を残しつつも、ハーフパンツと半袖のシャツというボーイッシュなスタイル。手に握られていた戦斧も、いつの間にか槍へと姿を変えていた。あの姿は確か、彼女曰く“ストラーダモデル”。
 変身を終えた彼女は、魔力の込められた弾薬(カートリッジ)を素早くデバイスに装填し、デバイスは飲み込んだそれを瞬時にロードして、空っぽの薬莢を排出しながら若草色の魔力光を噴出した。それは爆発的推進力となり、彼女を引き連れたまま上空へと昇った。
 すぐさま後を追おうにも、彼女とそのデバイスは私の追跡を遥かに上回る速度で移動していった。
 取り逃がしてたまるか。
 私はループを描いて彼女の位置を捕捉しようとした。だが、灰色の空の中に彼女の影は見当たらない。ぐるりと一周して、地上のヘリポートマークが見えたところで私はその場に留まってしまった。
 いない。しかし消えるわけなどない。ヘリポート上空のこの空間に、身を隠せる障害物などあるわけもないのだから。
「ここだよソフィー!」
 聞こえた声は下から。そこに視線を向けると、私の真下には二度目の変身を終えた彼女がいた。
「なんで!?」
 尋ねている余裕などあるはずもないのに、私はその場から逃げることをしなかった。
 その一瞬の隙がいけなかった。
「ふふん! シュートバレット!」
 彼女の両手には二丁の拳銃形デバイスが握られていた。
 そして彼女の声に合わせて打ち出される無数の魔法弾は、私の身体を容赦なく叩いた。非殺傷設定なので物理ダメージが無いとは言え、魔法弾の直撃、しかも不意を付かれての連続被弾はきつい。
 私の身体は浮力を失い、落ちていく。
 しかし、下から私を撃ち落とした彼女が、魔力によって作ったクッションを展開しながら私の身体を自らの両腕で受け止めてくれた。
「はいソフィーの負けー。ジュースいただきー」
「えぇー、マルコちゃんどうやったの? 全然姿見えなかったんだけど」
 得意げに笑う彼女、マルコちゃんは、私を抱えながらゆっくりと高度を下げてヘリポートに降り立った。
「“オプティックハイド”。自分の姿を不可視にする幻術魔法さ」
「…………ずるい」
「戦術だよ」
 マルコちゃんと私がヘリポートに降り立つと、彼女はデバイスを待機状態(スタンバイモード)にしてから言った。
「今日の訓練はここまでにしよう」
「ええ! 私負けっぱなしなんだけど!」
 いよいよ来週に迫った、なのはさんの下で行われる戦技訓練に参加する為、私とマルコちゃんは最近ホカン部隊舎のヘリポート内にて自主練習を行っていた。
 戦技訓練の参加者はミリー部隊長を除いたホカン部メンバー全員なのだが、ジージョちゃんは寮母さんと一緒に食堂の掃除をする約束があると言い、ブラント君は眠いと言い、ウィンディーヌちゃんはブラント君に添い寝しないといけないと言い、結局自主練習に参加したのは私とマルコちゃんだけだった。ミリー部隊長は少しなら練習に付き合うと言ってくれていたが、マルコちゃんはもう切り上げるつもりでいる。
 それにしても悔しい。マルコちゃんにはこれで三連敗だ。
 マルコちゃんは、レプリカストロというデバイスを使って様々な魔導師の姿を真似ることが出来る。更にその真似は、姿形だけでなく変身した魔導師の技にまで及ぶ。マルコちゃん曰く、「一部の稀少技能(レアスキル)以外は結構イケるぜ」と豪語していた。
 レプリカストロも様々なデバイスに姿を変えて、その上、各デバイスの特徴さえも真似てしまうから器用なものだ。最も多くの人が使うごく一般的なミッドチルダ式魔法はもちろんのこと、近接戦特化が特徴的なベルカ式魔法もこなしてしまう。
 負けた言い訳をするつもりはないが、マルコちゃんのこの変身戦法は正直言って戦いづらい。デバイスの違いにより戦闘スタイルが全く変わることもあるというのに、彼女はそのデバイスに合った動きを器用に使い分けてくる。相手をするこちらとしては、調子が狂わされるのだ。
「もう一戦!」
「ダメ。今日は用事があるんだ」
 マルコちゃんは隊舎の方に向かって歩き始めた。
「用事ってなあに?」
「ちょいと本局にね。デバイスの調整をしなくちゃいけないんだ」
「デバイスの調整? それならいつもマルコちゃんが自分でやってるじゃん」
「いやいや、ちょいと約束もあるのさ。ソフィーもおいでよ。マスタースペードのメンテしよう」
 もう少し練習がしたかったが、戦技訓練の前に一度きっちりとマスタースペードの調子を整えるのも大切だと思い、私はその誘いを受けた。
 マルコちゃんは凄い。何が凄いのかと言うと、なんと彼女はデバイスマイスターの資格を持っているのだ。
 デバイスマイスターと言えば、魔導師用のデバイスを製作、管理することの出来る資格。簡易デバイスぐらいなら資格を持っていなくても作成は出来るのだが、やはり高性能を求めるとなるとデバイスマイスターには敵わない。
 ホカン部隊舎にあるマルコちゃんの部屋は、家具の代わりにコンピューターを置き、床には何十本という配線が所狭しと並び、もしかしたら暖房器具はマシンの排熱ファンで代用出来るのではないかと思うほどに異様である。しかも、何故か壁にはテレビで放映中の変身ヒーローのポスターが所狭しと並んでいるのだ。
 女の子の部屋ではない。いや、人の住む場所ではない。
 更に隊舎には彼女の“城”とでも言うべき場所がある。ブリーフィングルームの左隣にある“技術室”だ。任務以外でマルコちゃんがブリーフィングル-ムにいない時、大抵は自室か技術室にいる。
 そんな生粋のメカオタクである彼女だが、デバイスマイスターの資格を持っているだけあってその技術力は決して侮れない。ホカン部部隊員のデバイスのメンテナンスも、全て彼女が引き受けているのだ。
 だが不思議なものだ。それだけの力量があるのなら、幾らでも必要としてくれる部署はありそうなのだが。
 どういうわけか、彼女はホカン部にいる。
「じゃあシャワーを浴びて汗流したらボクの部屋まで来てくれ。ボクも準備して待ってるから」
「うん」
 マルコちゃんがホカン部にいる理由。せっかくだからデバイスメンテナンスの合間にでも話のネタにしてみようか。
 そんなことを考えていると、マルコちゃんよりもまず自分がホカン部に配された理由が分からなくて、ちょっと落胆した。



 時空管理局本局。次元空間に浮かぶ、時空管理局の総本部である超巨大艦船。次元航行部隊や航空武装隊の本部が置かれているのもこの本局であり、私が所属していた二〇三八航空隊などの空戦魔導師は、本局直属の局員ということになる。
 “海(うみ)”こと次元航行部隊と、“陸(おか)”こと地上本部の不仲は周知の事実だが、管理局本局の中でも最も代表的な部署が次元航行部隊であるため、海と陸の確執に拘る人達の中でも陸側は、本局そのものを嫌っている場合がある。それでも同じ時空管理局であることには変わりが無いため、陸士だろうと空士だろうと、本局への出入りは基本的には自由である。
 ただ、私の場合は本局に来るような用事も特に無い為、滅多に本局に足を踏み入れることは無い。この広い本局内では、私は迷子になる自信がある。
 マルコちゃんは本局にはちょくちょく出入りしているようだ。局内案内板には全く目もくれず、迷う素振りも見せずに目的地へ向けて進んでいる。
 そしてやってきたのはメンテナンスルーム。扉を開くと、何名かの技術員が白衣姿でコンピューターと向かい合っていた。
 ガラス製の大きなカプセルには様々な形態のデバイスが入っているし、何本ものコードに繋がれた機械部品は、おそらく製作中デバイスの一部のように見える。デバイスの製作、調整はここで一通り出来るようだ。
 部屋の奥へと進むと、マルコちゃんは一人の技術員を見つけて声を出した。
「よー! 来たよー!」
 声に気が付いて振り返ったその女性技術員は、背中を覆うくらい長い後ろ髪を靡かせた。真っ白な白衣は少しサイズが合っていないのか、長めの袖は手の甲をすっぽりと包んでいた。そして彼女も眼鏡を掛けている。
「ああ! マルコ遅いわよぉ!」
「ごめん、隊舎でちょっと訓練してたから」
「マルコが訓練? 珍しいわねぇ」
 その女性は親しげにマルコちゃんと話しており、マルコちゃんもまたその女性には随分と気を許している様子だった。
「そっちの子は?」
 技術員の女性が私の方を見た。
「ソフィー・スプリングス二等空士です」
 敬礼をすると、彼女は笑った。
「そんなに硬くならないで。私、今日は非番なの。…………自己紹介が遅れちゃったかな。シャリオ・フィニーノです。皆からはシャーリーって呼ばれているから、そう呼んでね」
「シャーリーは執務官補佐をしているんだ。それに優秀なメカニックでもある」
 シャーリーさんの横に移動したマルコちゃんは、彼女のことを紹介しながら自分の眼鏡を外して、それをシャーリーさんに手渡した。
「さっそくだけど、こないだのやつをヨロシク頼むよ」
 マルコちゃんが笑っている。しかもお得意の怪しげな笑みだ。
 眼鏡を受け取ったシャーリーさんは、マルコちゃんとは対称的な爽やかな笑顔を浮かべて、嬉々としてコンピューターデスクの画面に目を移した。
「はーい! …………これよ、これ。プログラムを組むの結構大変だったのよー」
 そう言ってマルコちゃんと一緒に画面上で視線を走らせる彼女だったが、突然私の方を向いて、「どうぞ」と隙間を作ってくれた。
 一体何をしているのかと画面に目をやってみたが、私には何をしているのかさっぱり分からなかった。
 首を傾げていると、その横で二人は楽しそうに笑いながら画面と互いの顔を交互に見ていた。
 聞こえてくる会話で断片的に理解出来たのは、「このパンツのフィット感が良い」、「排気口の色はもう少し濃いのでは?」、「ローラーの主軸の感覚はもっと広かったかもしれない」、「カートリッジロードの衝撃にゾクゾクするねぇ」、「六課のデバイスに関しては任せなさい」、「良い仕事してますなぁ」等々。
 二人がケラケラと笑う。
 はっきり言って、聞き取れる部分を聞いても何を言っているのか理解出来ない。ただ、シャーリーさんの手にあるレプリカストロが一緒になって笑っていることに気付いた瞬間、マルコちゃんのデバイスがまた厄介な物になるんじゃないか、という気はした。
「あ、そうだ」
 マルコちゃんが思い出したように言って、私の方を見た。
「ソフィー、デバイスのメンテをしなくちゃ」
「あ、そうだった」
 首から提げているマスタースペードを取り出すと、私はそれをマルコちゃんに手渡した。
 メンテナンスルーム内を見渡したマルコちゃんは、周囲をキョロキョロとしながら顔を顰めた。どうやら空いている調整機が無いようだ。
「マルコ、レプリィへのプログラムインストールは私がやっておくから、他所のメンテナンスルームを借りてくれば?」
「んん……仕方ないか」
 マルコちゃんはマスタースペードを持ったまま、「ちょっと待ってて」と言ってメンテナンスルームを出て行った。
 それを確認したシャーリーさんは、レプリカストロを脇に置いてから再びコンピューター画面の方を向いて、キーを叩き始めた。
 その隣に椅子を用意して、私は彼女と肩を並べた。
 シャーリーさんの眼鏡の奥の瞳は画面しか見ていない。手元のキー操作は随分と手馴れている動きだ。
 そんな姿をぼーっと見ていると、彼女が声を掛けてきた。目は画面上から動かないままだった。
「マルコ……ホカン部ではどう? 元気にしている?」
「あ、はい。全然元気です。今日の訓練も調子良かったですし」
「それなら良かったわぁ。あなたとも上手くやってるみたいだし、安心ね」
 少し優しい口調だった。最初から優しそうな話し方をする人だったけれど、今の言葉には安心感みたいなものも込められている気がした。
「シャーリーさんは、マルコちゃんとはどれくらいの付き合いになるんですか?」
 一瞬だけ目線が上を向き、右手の人差し指を顎に当てるシャーリーさん。
「初めて出会ったのは、あのコが十一歳の時かな?」
 再び画面に目線を戻してから、シャーリーさんは続けた。
「マルコはね……両親がいないの」
「はい…………一度、ちょこっとだけ聞いたことがあります」
「あのコは小さい頃、ずっと管理局の特別保護施設で過ごしたのよ。管理局の保護施設に入る子供達は、ほとんどが何か特別な力を持っている子達でね。成長したら管理局員としての道が開けるように、健全な心身育成を主とした保護プログラムの中で育てられるの」
「じゃあマルコちゃんにも特別な力が?」
「うん。あの子稀少技能(レアスキル)があるわけでもないし、特別強力な魔力を持っているわけでもないんだけど、知能指数が物凄く高いのよ。どんなに難しいことでもどんどん吸収して覚えていくし、それを決して忘れることもなく、応用だって利かせられる。あの子がデバイスマイスターの資格を取ったのは、確か九歳の頃だって聞いたわ」
「ええっ!?」
「将来は有望な管理局の技術員になるだろうって。次世代のデバイスを生み出せる可能性を示唆する人もいたし、新型次元航行艦の開発や、未だに未知数の部分が多い次元空間を開拓するための研究員としての期待もあった。魔力の資質や魔導師としての才能と違って、非魔法による才能はずっと幅が広いからね」
 その通りだ。現に彼女の才能は、魔力の有無に関係なく管理局内でも十分に発揮出来そうなものだし、それどころか彼女が才能を発揮するのに、管理局内に拘る必要すらない。世の中にはまだまだ魔法ではどうしようもないものが多く存在する。優れた魔導師が次元航行艦の製造を行えるわけでもないし、桁外れの魔力を持っていても人々の生活に利用されている電気を賄えるわけではない。
 魔法がありふれた世界では、時々忘れられそうになることがある。魔法が全てではないのだ。
 全次元世界の人々が生きていく上で何が一番大切なのか。それを私が答えるには、まだまだ無知過ぎる。
 だが、それでも一つだけ確信出来ることがある。
 世界は、魔法こそが絶対ではない。
 人々は、魔法を含めて会得している技術を利用して、一番良い生き方を模索しているのかもしれない。そしてそれは、どこの世界に行っても変わらない。
 そう、マルコちゃんの才能は決して不必要なものではない。
 そこで、私は抱いていた疑問を口にした。
「あの……」
「何?」
「マルコちゃんって、何でホカン部にいるんですか?」
 シャーリーさんは少し困った表情を浮かべた。
「そうね。そう考えるのも当然よね」
 キー操作をする手は止まらなかったが、目は少しだけ悲しさを抱いていた。
「…………マルコは両親がいないって言ったけれど、本当にあの子は出生が不明なのよ」
「と、言うと?」
「当時六歳だった彼女は、管理局の保護施設前に捨てられていたそうよ」
「…………それっておかしくないですか?」
 いや、口にしなくても明らかにおかしいことが解る。
 それは、幼い子を捨てるという事に対して“おかしい”と憤りを感じるのはもちろんなのだが、今の“おかしい”と感じた理由は、単純に捨てる場所が不可解だということだ。
 何故なら、時空管理局の特別保護施設は所在地がここ、本局内にあるのだから。
「不思議よね。どう考えても局内部の人間が幼かったあの子を置き去りにしたとしか思えない。一般人は本局内に入れるわけないしね。でも局員の誰がそんなことをしたのかが分からなくて。それに、あの子は置き去られるよりも以前の記憶が無いのよ。だから親の顔も知らない。気が付いたらそこにいたっていうの」
 記憶が無い? 私の胸の鼓動が高まっていた。
 何だろう、この感じは。いや、自問しなくたって解るじゃないか。
 この感じは、身に覚えがある。
 私はマルコちゃんに。
 私は。
「ソフィーちゃん?」
「あ、はい! なんでもないです、続けてください」
 考えるのは後にしよう。
「…………あのコが十一歳の時に、私はマルコに出会ったって言ったでしょ? 当時の私は執務官補佐になったばかりだったんだけど、上司と一緒に保護施設に用事があって来ていたのよ。その時、たまたま出会ったのがマルコだったの。一人でテレビを見ていたわ。変身ヒーローの特撮番組だったかしら」
 私の頭の中に、マルコちゃんの部屋の壁に貼ってあったポスターが浮かび上がった。
「十一歳の女の子が特撮ヒーロー番組をすごい一生懸命に見ていてね。ちょっと可笑しくって、話しかけてみたの。そしたらあのコ、自分もこんな風になりたいって言い出して。余計に可笑しくなったけど、そこが可愛くもあってね。それがきっかけで、たまに保護施設に会いに行くようになったのよ」
「マルコちゃんって特撮好きなんですか?」
「そうよ。だからあのコ、本当は正義感でいっぱいなんだから。それに自分のことを“ボク”って呼ぶでしょ。あれは、あのコが一生懸命観ていた変身ヒーローの真似なのよ」
 シャーリーさんは、微笑ましいでしょうとでも言うように笑っていた。
 私も一緒になって笑っていた。当時のマルコちゃんを思い描いてみると、確かに可愛いかもしれない。
 だが、その話の中で一つ、引っかかる点もあった。
 直感ではあるけれど、その違和感は彼女の傷でもあるように思えた。
「…………十一歳の頃って、まだ保護施設にいたんですか? 十一歳って言えば、もう訓練校にも入れる年齢だと思いますけど」
 楽しそうに笑っていたシャーリーさんの顔が、少しだけ曇った。
 十一歳と言えば、もうそろそろ保護施設にもいられなくなる歳ではないだろうか。一つ例を挙げるなら、一ヶ月前に解散した機動六課には、確か十歳くらいの魔導師も最前線として所属していたはずだ。
「…………マルコはね、自分が嫌いなのよ」
「自分が……嫌い?」
「そう…………。親に捨てられたことで、あのコは自分自身を“要らない人間”と思ってしまったの。そして保護施設内でも、周りの人達があまりにもマルコの才能を褒めて、褒めすぎて…………自分自身ではなく、自分の才能が必要とされていることにショックを受けたみたい。だから、あのコは自分のことが嫌いなの」
 正直言って、私には分からない悩みだった。それは彼女の気持ちを贅沢だと批難するのではなく、純粋に私には分からない、経験の無い悩みだったから。
「自分が好きになれないマルコは、自分の才能を周りの人の為に使うことを嫌ったわ。研究員としての勉強もしなくなったし、将来についても考えることを放棄していた。でも、いつまでも保護施設には居られない…………。私は心配になって訊いたの。やりたいこと、なりたいものは無いの? ってね。そしたらあのコ…………」
 その答えは私にも予想が出来た。
 続きを言おうとしたシャーリーさんが、また懐かしさと愛おしさを織り交ぜたように微笑んでいたから、私も少しだけノリ気になって、彼女の声に自分の声を重ねた。
「変身ヒーローになりたい!」
 見合った私達は笑った。
「そうなの。マルコったらそんなこと言うからついつい笑っちゃって…………。でも、あのコは本気だった。だから思い切って魔導師になることを薦めたのよ。管理局員になればヒーローみたいに困っている人を助けてあげられる。それに変身ヒーローというあのコの夢を叶えるため、ある一つの提案をしたのよ」
 それが、レプリカストロか。シャーリーさんの指先には一つの眼鏡があった。
 だが、普段のホカン部の働きを見る限りでは、あまり正義感を感じることが出来ない。無論、ホカン部の業務内容自体が事務処理ばかりだからかも知れないが。
 そこで、一つの可能性が浮かんできた。マルコちゃんには確かに正義感があるのかも知れない。だが、それ以前に彼女が変身ヒーローに憧れる理由は、自分という存在を隠すことが出来るから。自らの正体を隠して悪者をやっつける変身ヒーローのように、彼女は自分という正体を、変身することで隠しているのかも知れない。
 次元航行艦ウルスラの中で、彼女は私に何と言っていただろうか。
 “管理局員という自分の立場に、ソフィーみたいな志を持つことが出来ないでいる ”と、そう言った。
 それは、正義感が気持ちの最前に出ている人の言う言葉ではない。
 彼女は、やはり自分が嫌いなのだろう。
 自らを要らない子だと評した自分を、前に押し出すことが怖いのだろう。
 そう考えると、シャーリーさんの薦めは決して良策だったとは思えない。言わば彼女に逃げ場を与えてしまったのだから。
「マルコが魔導師になることを了解してくれてからは、もう目的まで一直線。あのコは元々学習能力がずば抜けて高かったから、訓練校も三ヶ月間の速成コース。陸士にはならず、いきなり空戦魔導師になったのよ」
 それは凄いことだ。空戦魔導師は空を飛べることが必須条件となるが、実はこの飛行訓練がなかなかの難関で、局内でも空を飛べない魔導師の数は多い。その為、ほとんどの魔導師は陸士部隊からスタートして経験を積む。これが一般的なのだ。
「だから、マルコがホカン部に異動となったときは驚いたわ」
「えっ! マルコちゃんも異動してきたんですか!?」
「そうよ。知らなかったの? ホカン部に異動が決まった時のあのコ、“自分は要らない子だから、要らん部への転属は必然だ”なんて言っていたから私心配だったのよ。でも、あのコにとってはこれでも良かったみたいね」
 そうなのだろう。自分を必要としてくれているわけではないが、自分の才能も必要とはしていない場所にやってきた。
 だから彼女にとってホカン部は、居心地がいいのかもしれない。
「おーい、ソフィー! デバイスのメンテ終わったぞー」
 そこへ、マルコちゃんがタイミングを見計らったかのように帰ってきた。
 シャーリーさんはマルコちゃんに笑顔を送りながら、謝っていた。私との話に夢中でレプリカストロのプログラムインストールとやらを忘れていたらしい。



 私とマルコちゃんは、本局の転送室前までシャーリーさんに見送ってもらった。
「マルコ、また今度ね」
「うん。そん時は、また新しいデバイスプログラムを頼むよ」
 二人がケラケラと怪しい笑いを響かせた。
「ソフィーちゃんもまたね!」
「はい、今日はありがとうございました」
 シャーリーさんは手を振りながら立ち去って行った。
 マルコちゃんが眼鏡のズレを直しながら踵を返し、転送室の入り口を開いた。
「さて、ではボク達も帰ろう」
「うん。…………マルコちゃんさ」
「ん?」
 私は、彼女の気持ちを完全に解ってあげることは出来ない。
 彼女は今、彼女なりの安息を見つけて、そこに落ち着いている。そこから私が強引に引っ張り出すことなんて出来るわけもない。
「私は、マルコちゃんに出会えて良かったよ」
「……は?」
 それでも、少しだけマルコちゃんと分かち合える気持ちがある。今日、それを知ることが出来た。
 それは、彼女の生い立ちについてだ。
 私には、別の次元世界から一緒にやってきた両親がいる。でも、実はその二人とは血の繋がりは無い。私もマルコちゃんと同じで、気が付いたら私は一人ぼっちで、今の両親の家の前にいた。
 ただの偶然だろうか。いや、偶然でも構わない。大事なのはもっと別のことだ。
 二人の両親は、捨てられていた私のことを本当に大切にしてくれた。
 そうだ、捨てられた私でも必要としてくれた人がいた。大事にしてくれた人に出会えた。
 大事なのは、私と同じようにマルコちゃんにも、彼女自身を必要としてくれる人が現れるかも知れないということ。その可能性を、そして希望を捨ててはいけないということ。
 それに、少なくとも私やシャーリーさんは、彼女を必要としていること。大切に思っていること。
「今の私にとってマルコちゃんは大切なの。だって、私の全力全開に応えてくれた仲間だもん。マルコちゃんに出会えたから、私は今こうしてホカン部でやっていけるんだよ」
 口をポッカリと開けたまま話を聞いていたマルコちゃんだったが、私の話を聞き終えた後、一回だけ鼻で笑った。
「シャーリーと何の話をしてたんだ? ま、別にいいけどね」
 マルコちゃんは転送室に入り、私を手招きした。
 いつか、彼女には本当の自分自身を堂々と曝け出してほしいと思う。
 隠す必要の無い、本当の自分を。
 そんな日が来ることを願いながら、私は彼女の後に続いた。



 隊舎に戻ると、ブリーフィングルームでミリー部隊長が一人拗ねていた。
 原因は、自主練習に付き合う気満々だったのに私とマルコちゃんが出掛けてしまったからだということが判明した。
「あ、あの……すいません」
「すいません、ミリー部隊長」
「知らない!」

 To be continued.



[24714] 第七話 模擬戦(前編)
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/09 00:43
「何で今日に限ってジージョちゃんまで寝坊しちゃうの!?」
 普段は部隊員の中でも一、二を争う早起きのジージョちゃんが、今朝は珍しく寝坊をしてしまった。彼女曰く、昨晩は隊舎内の全トイレを徹底的に掃除していて、終わったのが深夜の二時を回っていたというのだ。
 はっきり言ってそんなの夜中にやることではない。加えて彼女がそこまで掃除に情熱を注いでいる理由が分からない。
「夜中にトイレなんて行って、オバケが出てきても知らないから!」
 ほぼ八つ当たりでそんなことを言うと、ジージョちゃんはその長身をぐっと縮めて肩を震わせた。目には涙を浮かべている。
 それが私を恐れての涙なのか、オバケを恐れての涙なのかは分からない。いや、たぶん両方かな。
 だが、千歩譲っていつも早起きのジージョちゃんが寝坊したことは許そう。いつもきちんと起床してくる彼女が肝心な日に限って寝坊する。一万歩譲ればまだ可愛いものであった。
「マルコちゃん! 早く朝ご飯を詰め込んで!」
 完全に閉じた目と、どう聞いても寝息でしかない呼吸リズムと、舟を漕いでいる上半身。そんな状態でもマルコちゃんは朝食を食べている途中だった。ただ、力なく開いた口は小さ過ぎて、トースト一枚の侵入も完璧に防いでいる。
 そんなにも眠いのか。私が二回も部屋まで起こしに行って、それでも三度寝をしたので私がベッドから引き摺り下ろした挙句、四度寝をしようとしたので私が彼女の着替えを持って背中におぶってここまで連れて来たというのに、まだ眠り足りないのか。
「ソフィー……」
 背後からの声。
「何っ!?」
 私の返事は、もはや威嚇と呼べるものであった。
「靴下が片方無いの……」
 ブラント君が目を擦りながら片足立ちでそこにいた。
「ちゃんと部屋探したの? タンスの中にあるでしょ?」
 尋ねても「なかった」の一点張りで、私はもう限界だと言わんばかりにブラント君を抱っこして彼の部屋まで走った。背後からウィンディーヌちゃんの嫉妬混じりの金切り声が聞こえてきたが、そんなものに構っている余裕は無かった。
 一階の食堂から子供を一人抱えて三階の個室に駆け込み、靴下を拾って再び食堂に戻ってきた。ちなみに靴下はちゃんとタンスの中にあった。
「……っくはぁ」
 疲れた私はコップ一杯分の水を喉に流した。
 すると、さっきまで見当たらなかったミリー部隊長がジージョちゃんと並んで玄関に立っていた。ジージョちゃんは、さっきまでは持っていなかった中身の詰まったリュックを背負っている。
 ミリー部隊長だけはきっちりと起きてくれた人だが、どういうわけか朝起きて着替えを済ませた後、姿が見えなくなっていたのだ。
「何その荷物!?」
 ジージョちゃんを睨みながら言うと、ミリー部隊長がジージョちゃんの背負ったリュックを手で叩きながら笑って言った。
「模擬戦観戦と言ったら、酒とツマミが無いとな!」
 ミリー部隊長が親指を立てた。
「置いていきなさいっ!」
 この人は本当に何を考えているのか分からない。スポーツ観戦に行くオヤジかと言いたい。
 だが、ミリー部隊長は今回見学者として私達に同行するので、スポーツ観戦のオヤジという立ち位置はあながち間違ってもいないのだが。
 私が朝からこんなに慌しくしている理由は、今日の特別な予定のためだ。
 今日は地上本部の訓練場で行われる、戦技教導隊が行っている戦技訓練の模擬戦に参加する日。教導官を務めるなのはさんが、航空隊の戦技教導の総仕上げとして行う訓練メニューに、私達ホカン部を招いてくれたことが始まりだ。
 待ち合わせ場所とその時刻は、地上本部訓練場に十時半集合。
 だが、現在の時刻、十時十二分。
 どうやったら片道三十分の道のりを十五分に縮められるのだろう。残念ながら魔導師は、緊急時以外の市街地上空の飛行を禁止されている。個人的には今がまさに緊急事態なのだが。公共の交通機関を使って行くのでは、時間短縮は絶望的だ。
 ああ、遅刻したらきっとなのはさんはすごく怒るんじゃないだろうか。いや、普段あんなに優しいのだから、もしかしたら。でも普段優しい人ほど怒ると怖いと言うし。まさか遅刻したことで教導に参加させてもらえないなんてことに。憧れだったのに、なのはさんの教導に参加するのは私の夢の一つでもあったのに。
「もう出発するよ!」
 とにかく、今出来ることはすぐにでも隊舎を出発することだ。私が声を張ると、玄関前には一人を除いて全員が揃った。
 さて、揃っていない一人、マルコちゃんが右手にコップを持ちながら歯ブラシを一生懸命動かしていた。一生懸命と言っても、動作が鈍い。鈍すぎる。
「早く口濯いで!」
 ヒステリックな声を上げると、マルコちゃんはコップの中身を口に含んでから、厨房にある流し台に口の中のものを捨てた。
 その光景を見て、彼女はまだ寝ているのだなと思った。吐き出されたものがオレンジジュースだったからだ。それでは歯磨きの意味が無い。
 私はあえて何も言わず、彼女の手を引いて玄関を出た。
 それからはレールウェイとバスを乗り継いで地上本部へと向かった。道中、交通が滞ったりすることもなく順調に進んでくれたのは幸いだった。加えて、ホカン部メンバーがデバイスを忘れずに持ってきてくれたことも奇跡的だった。絶対忘れる人がいると思っていたのに。
 だが、結局地上本部に到着したのは十時五十分。大遅刻だ。
 地上本部の中でも走る速度を落とさず、私達は訓練場へと急いだ。
 なのはさんの所属する戦技教導隊は、戦闘時に最前線へと出る魔導師達の技術向上を目的とした訓練を定期的に行っている。部隊の本部は管理局本局にあり、次元世界の方々にある支部・支局所有の訓練場等を訪れ、短期間の教導プログラムで多くの魔導師を育てている。特に空戦魔導師を対象とした教導が多く、教導官を務める者は皆一流の空戦魔導師ばかりだ。
 戦技教導隊の行う戦技訓練は希望者が誰でも参加出来るわけではなく、部隊内でも優れた技術力や優秀な成績を認められた人が上官の推薦にて参加出来るという、普段の訓練よりも一つか二つ上のレベルの訓練だ。
 そして中年層が多い教導官の中に混じって、厳しく密度が濃いながらも堅実なレベルアップが出来ると定評のある教導プログラムを組む若き教導官こそが、“エースオブエース”の二つ名を持つ高町なのは一等空尉。私の憧れの人だ。
 昨年起こった大規模なロストロギア関連の事件で最前線を戦い抜いた六課メンバー、機動六課フォワード陣。彼等を育てたのもなのはさんであることを考えると、なのはさんの教導は参加するだけでも物凄いプラスを生み出すことは疑いようがない。
 今日は模擬戦ということなので、技術面を直接教えてもらえるわけではないと思う。しかし、なのはさんの見守る中で訓練をするということ自体が、私の精神に少しでも六課フォワード陣の力を感じさせてくれる気がするのだ。
 足音を響かせながら、私達ホカン部メンバーはようやく辿り着いた訓練場に飛び込んだ。
「遅くなりましたぁっ!」
 入り口を潜ると、良く晴れ渡った空の下で鈍く光る空間シミュレーターのプレートと、その上で各々準備運動をしている生徒達の姿が目に入った。
 良かった、まだ始まっていないようだ。
 私が胸を撫で下ろしていると、誰かの拳が私の脳天に静かに下りてきた。
「こら、ソフィー! 遅刻だよ」
 振り返ると、そこには教導服を着たなのはさんが眉を吊り上げて立っていた。
「ご、ごめんなさい!」
 私が頭を深く下げると、「やーい怒られてやんのー!」と言うミリー部隊長の声が聞こえてきた。
 表情を引きつらせながらゆっくりと頭を上げていくと、なのはさんの腹部まで視線が持ち上がったところで、なのはさんの隣に立つ人物の存在に気付いた。
 持ち上がる視線が徐々にその人の姿を捉えていく。腰部から広がる前面の大きく開いたスカートの中に素足を覗かせながら、左右の腰骨辺りに付けた鎧からガチャリと言う音を立てている。更に視線を上げると、華奢にも見えるくびれと大きく膨らんだ胸から女性らしさを放っていた。しかし、更にその上の顔を見た瞬間、“女性”であったその人が“戦士”になった。
「もしかして、“剣の騎士”ことシグナム二等空尉かな?」
 横からミリー部隊長が腕組みをしながら現れた。
 シグナム二等空尉。その名は私も知っている。機動六課のライトニング分隊副隊長を務めた空戦魔導師だ。
 曰く、烈火の将。
 曰く、剣の騎士。
 曰く、決闘趣味(デュエルマニア)。
「ええ。はじめまして、ミリー部隊長」
 シグナムさんが笑顔で握手を求めている。それにミリー部隊長は快く応じた。
 なんだかこういうのは感動する。私達のリーダーが六課の凄い人と握手をしている。たったそれだけなのに、私は妙に胸が熱くなった。
「私って……あの六課にこんなにも近いところにいるんだ。ああ、私も握手したい…………」
「ソフィーってミーハーだな…………」
 マルコちゃんの声にはっとして、私は顔を両手で隠した。
「それと…………そちらさんもはじめまして、だな」
 ミリー部隊長がシグナムさんの顔を見ながら再び挨拶をした。
 いや、正確にはシグナムさんの顔の隣を見ている。私も一緒に覗き見ると、シグナムさんの肩の後ろから小さな人がひょっこりと顔を出した。
「よろしくな、ミリー部隊長さん!」
「アギト、目上の方への礼儀を忘れるな」
 アギトと呼ばれた小さな彼女は、シグナムさんに窘められていた。
 アギトさんはウィンディーヌちゃんとほぼ同じ大きさだ。ということは、彼女もユニゾンデバイスなのだろうか。
「はははっ、私は構わんよ」
 ミリー部隊長が笑いながら言うと、シグナムさんが軽く頭を下げた。
 凄い。私達の部隊長が、元機動六課の人達とあんなにも親しげにしている。
 ホカン部の業務だってロストロギアに関することなのだから、別に対等に付き合うのは自然なことなのかもしれない。だが、ホカン部の普段の体たらくな姿を見慣れている私にとって、これは刺激的な光景だった。
 私達ホカン部が、あの“奇跡の部隊”と呼ばれる機動六課とお近づきになっている。
「私、生きてて良かった…………」
「ソフィー、鼻血出すなよ」
 マルコちゃんの声を聞いても、私は感激を抑えられなかった。
「もしかして、シグナム二尉も訓練に参加か?」
「はい。ただ、人にものを教えるのは苦手なので、上空から今回の模擬戦の監視員を務めさせていただきます」
「そりゃあ残念だな。ウチの部隊員共をしごいて貰えたらと思ったんだが」
 ミリー部隊長が眉を顰めていると、なのはさんが横から言葉を付け足した。
「大丈夫ですよ。せっかくシグナムさんが休暇を利用して来てくれたんだから、監視をしてもらいながら戦闘訓練にも参加してもらいます」
 ミリー部隊長は満足そうに微笑みながら「お、良かったぁ」と返した。
 私も嬉しかった。六課の隊長陣の中の一人が、私達の戦闘訓練に参加してくれるというのだ。
 ますますやる気が沸いてくる。なのはさんは教導官という立場だし、技術に関して何かアドバイスが貰えればいいなと思っていたのだが、シグナムさんは実際に戦闘訓練をつけてくれるというのだ。こんな機会は滅多に、いや、もう二度と無いと言ってもいいだろう。
 どんな戦い方をするのだろう。私はシグナムさんの姿をもう一度見た。
 すると、シグナムさんが怪訝な表情を浮かべて一点を凝視していた。その視線の先には、ミリー部隊長がいた。
「ん? シグナム二尉、どうした? 私の顔に何か付いているか?」
 ミリー部隊長もその真っ直ぐな視線を疑問に思い、きょとんとした顔で尋ねた。
「…………あ、いえ、失礼しました。…………あの」
「ん?」
「以前、どこかでお会いしませんでしたか?」
 突然そんなことを言い出したシグナムさん。
 私は首を傾げた。ついさっき、二人は「はじめまして」と挨拶を交わしていたのに、シグナムさんは何故そんなことを言ったのだろう。
「いや、以前に六課の照会データを見たのでシグナム二尉の顔だけは知っていたが…………会うのは初めてだぞ」
「…………そうですか。失礼いたしました」
「構わんさ。私もシグナム二尉とは一度会いたいと思っていてな。これを機に仲良くしてくれると嬉しいな」
 ご機嫌な調子でミリー部隊長がそう言うと、なのはさんが仕切り直すように言った。
「さあ、じゃあそろそろ始めようか。ソフィー、それに皆は準備運動をしておいた方がいいよ」
「いえ! ここまで走ってきたのでウォームアップは大丈夫です!」
「そう、じゃあ始めようか」
 なのはさんの声を合図に、私達は声を重ねて返事をした。



 一辺五キロ程度の広さに敷き詰められた金属プレート。その上に私達は足を踏み入れた。
 青い空が見下ろす中、私は高鳴る胸の鼓動に合わせて足を動かし、歩を進めていく。
 十数メートル先には、なのはさんの指導を受けてきた生徒達が各々ストレッチを行っていた。
 彼等の目には、厳しい訓練を積み重ねてきたという自信がはっきりと映っていて、それだけで私は少し臆してしまった。
 彼等は各航空隊の中でも選りすぐりの魔導師。この戦技教導に参加しているということは、相応の実力を認められている猛者である証だ。
 戦技教導の訓練期間は数週間程度のもの。その中で彼等がどれほどの努力をしてきたのか、私は見ていない。だが、彼等の訓練に対する姿勢が物語るのだ。
 一体どれほどの汗を流して“ここ”にいるのかを。
 一体どれだけの涙を堪えて“ここ”に立っているのかを。
 そのどれもが自信となって“ここ”で彼等を支えていることを。
 戦技教導の訓練期間は数週間程度である。その中で彼等はどれだけの成長をしてきたのか、私には伝わった。そう、彼等の訓練に対する姿勢が物語るのだ。
 一枚の壁があるように、私は彼等の側に近づくことが出来なかった。互いの距離が縮まるにつれて、歩幅は小さくなっていく。
 緊張し過ぎだ。
 心の中で臆病な自分を叱咤しながら、私は重たい足を更に進めた。
「ソフィー?」
 ふと、前方から私は呼ばれた。
 生徒の中の一人が、私の方に駆け寄ってきた。
「カローラ!?」
 彼女の顔を見て、私はさっきまでの緊張を忘れて声を上げた。その声に、何人かの生徒が視線を向けてきた。
「久しぶりじゃなーい! もしかして今日一緒に教導に参加するのって、ソフィー達?」
 カローラ・ヴァーサ。私が二〇三八航空部隊にいた頃の同僚だが、訓練校時代の同級生でもある。
 彼女も教導に参加していたのか。緊張でガチガチだった私の身体は、程よく緩んだ。
 教導に参加しているということは、航空隊の中でもトップクラスの戦技レベルと認められたのだろう。彼女は本当に一途で、一生懸命で、それに見合うだけの実力も持っていた。この場にいることは何ら不思議なことではない。
 私と一緒になっていつか戦技教導にも参加したいと言っていた仲なので、今日の再会は嬉しかった。
「うん! 私達ホカン部一同、今日はお世話になります!」
 私が敬礼をすると、カローラも笑顔でそれに応えてくれた。
 だが、同時に私達を見る視線が増えたことにも気が付いた。本来教導に参加予定の無い部外者を見る目か、何故か一人の生徒と親しげにしている連中を見る好奇の目か。
 いや、たぶんそれらも含まれているだろうが、何よりも彼等の視線を集めたのは、私の発した一言が原因だろう。
「ああ、あれがホカン部か」
「要らん部だろ?」
「何しに来たんだろうな」
 小さく、だが確かにそんな囁きが聞こえた。
 カローラにも聞こえていたのは間違いないが、彼女はそんな声を掻き消すように言った。
「皆さん、私の友達がいつもお世話になっています」
 マルコちゃん達にさっきの蔑みが聞こえたのかは分からないが、皆も笑顔でカローラに応えてくれた。
「さ、早く準備して。始まっちゃうよ?」
 カローラに言われて、私達はすぐさまバリアジャケットのセットアップを開始した。
 カローラを含めて生徒全員は教導用の訓練服を着用していた。手に持ったデバイスも全員が同型の量産タイプだった。おそらく、なのはさんが組んだ今回の教導メニューの目的は、各魔導師の基本技術そのもののレベルアップではないかと思う。それはカローラが愛用のデバイスを持っていないことからも容易に想像出来た。
 そんな中で私達だけ自分用のデバイスを使っていることに、少し後ろめたさを感じた。一応なのはさんに確認したところ、彼女は私達に対して各々の装備で構わないと言ってくれたけれど。
 特にマルコちゃんには一番注目が集まっていた。そりゃあ嫌でも集まるだろう。あの、フェイト執務官とそっくりな格好をしているのだから。
 ブラント君は小脇にジェームスクックを抱えながら、ポリビウスを肩に担いでいた。どちらのデバイスもちょっと彼の体格には合わないように思うくらい大きいので、知らない人から見たら危なっかしく映るのかも知れない。特に女生徒の注目が、母性本能というフィルター越しで彼に集まる。
「ちょっと! あんまりブラントのこと見ないでよ!」
 ウィンディーヌちゃんは案の定怒っている。
 ジージョちゃんは、生徒を含めた全員の中でも一、二を争うくらいの長身で目立つ。更にクリンリネスは掃除機の形をしたデバイスということで、その珍しさも注目の的だ。
 私は、自分がホカン部メンバーの中でも一番地味だと気が付いた。白を基調として所々に薄紫のライン模様をあしらったデザインのバリアジャケット。ライン模様と同色の短いマントも羽織っている。それと、濃紺のスカートと胸元の赤いリボンが個人的にはカワイイと思っているし、つば全体が上向きに伸びた帽子も結構気に入っている。以前、なのはさんに「セーラー服だ、水兵さんみたいで可愛いね」と言われて照れながらも、なのはさんの故郷ではこういうデザインの服があることを知った。
 そんな私のちょっとしたお気に入りが、誰にも注目されていなかった。ちょっと寂しい。
「変なのが多いな」
「あれで戦えるのか?」
「どうやって使うんだよ、あれ。デバイスなの?」
「だから“役立たん部”なんだろ?」
 今度ははっきりと聞こえた。私だけでなく、ホカン部全員に聞こえるような声だった。
 私は再確認し、確信した。やはり周りのホカン部に対する認識は、これが普通なのだ。
 なんとかしたいと思った。ホカン部は、皆が思っているような部署ではない。役立たずでも要らない部署でも決して無い。そう証明したかった。
 確かに仕事は不真面目な面もあるし、ヒデオウトの件以来大きな仕事をしたわけでもない。
 だがホカン部には、なのはさんが持っていたものに相当する、私の欲しかったものがある。
 ホカン部は今や私の居場所だ。私の願いを叶える舞台でもあり、私が頑張っていきたいと決めた部隊でもあるのだ。
 何も知らない人達に悪く言われるのは許せない。
 どうしたら彼等の認識を変えられるだろうか。
 どうしたら? そんなこと考えるまでもない。良い方法が目の前にあるじゃないか。
 私以外の皆に注目がある中、私は声を張り上げて頭を下げた。
「遺失物保護観察部、精一杯頑張らせていただきます! どうぞよろしくお願いします!」
 全ての視線が私に集まったのを感じた。
 そうだ、ホカン部が本当に要らん部なのかを、思い知らせてやる。
 返事は無かったが、そんなことはお構い無しに私は自分を奮い立たせた。
 すると、拡声器越しになのはさんの声が場内に響いた。
『ではこれより、教導の最終プログラム、二チームに分かれての模擬戦を行います』
 いよいよだ。
 私が深呼吸をしていると、マルコちゃん達が私の前に集まってきた。
「やるじゃないか」
「だって悔しいでしょ!?」
「ふん! 同意だ」
「ようし! 暴れちゃうぞ!」
「あたしはブラントと一緒だしぃ」
 ジージョちゃんは相変わらず無口だけど、目で答えていた。
 全員に気合いが入ったのを確認すると、少しだけ怒りが引いた。
 そうだ、こんなに良い仲間達を持ったことを教えてやるんだ。
 私はそう決意しながら、なのはさんのアナウンスに耳を傾けた。
『皆には二チーム、スターズ隊とライトニング隊に分かれてもらい、空中での模擬戦を行なってもらいます。魔法攻撃は出力を軽度麻痺効果(スタンレベル)まで落として行なうこと。撃墜されたらその人は戦線から離脱。地面に着地しても離脱とみなすからね。チームメンバーの三分の二が撃墜、そしてチームリーダーの撃墜、この二つの条件を満たした時点で模擬戦終了。ちなみに、今日は教導にシグナム二等空尉が特別参加してくれます。シグナムさんには空中からの監視員をしてもらうけど、一応ライトニング隊として加わってもらうので、スターズ隊の子はガンガン挑んでみてね。きっと良い経験になるよ』
 シグナムさんはライトニング隊か。いや、それよりも機動六課内の分隊名が模擬戦のチーム名というのは燃える演出だ。憧れの六課に入った気分での模擬戦。考えただけでも体がゾクゾクしてくる。
「ソフィー、出血しないようにな」
 そうだった。感激して悶えている場合ではなかった。私は鼻を押さえた。
 その後、なのはさんからチーム分けが発表され、私達ホカン部はスターズ隊となった。ちなみに、スターズ隊は六課でなのはさんが隊長を務めた分隊なので、私は再び悶えた。
 ――ソフィー――
 突然、念話が入ってきた。
 ――カローラ?――
 ――チーム分かれちゃったね――
 そう、カローラは敵チームになってしまったのだ。しかも彼女はライトニング隊のチームリーダー。一緒に航空隊にいた頃のカローラの実力を考えれば、それも納得出来ることだった。
 ――さっきはごめんね――
 ――へ? 何が?――
 ――ホカン部のことを悪く言う人がいて――
 ――そんなのカローラが謝ることじゃないじゃん! それに、そのおかげで私達はやる気になっちゃったよ。撃墜されないように気をつけてね、リーダーさん――
 ――言ってくれるわねぇ。ようし! 模擬戦は手加減無しだからね!――
 ごめんと言った時のカローラは、本当に悲しそうな声だった。
 自慢ではないが、彼女は私のことを本当に大切に思ってくれている。訓練校時代からずっと仲良しで、些細なことでも私を気遣ってくれた彼女の優しさを考えれば、ホカン部に所属する私への風当たりの厳しさが、まるで自分に向けられているようで辛かったのだろう。それはおそらく、悪く言われた本人である私以上に。
 良い友達だと改めて思う。そしてその気持ちを噛み締める。
 だからこそ、彼女の思いやりに応えたいからこそ、
 ――もちろん、全力で向かいます!――
 そう返事をするのだ。
 チームごとに分かれた私達は、訓練場上空に浮かび上がっていった。それを合図に、下方の空間シミュレーターが青い輝きを放ちながら、セーフティークッションを形成した。撃墜者を受け止めるための対策か。
『では、模擬戦を開始するよ。…………レディー、ゴー!』
 開始の合図。
 スターズリーダーから私達ホカン部に念話が送られてくる。
 ――おい、あんたら! 何が出来る!?――
 ――よ、よろしくお願いします!――
 ――挨拶は後だ! 何か出来るか!?――
 ――索敵魔法が得意です! 斥候いかせていただきます!――
 ――頼む!――
 私は陣前衛に飛び出して、マスタースペードを掲げた。
「マスタースペード、広域サーチ! 一号三型!」
「させない! 敵斥候を狙え!」
 私が索敵魔法を展開するよりも早く、カローラの指示によって敵陣の最前衛(フロントアタッカー)から魔法弾の集中豪雨が放たれた。
「Protection」
 マスタースペードが自動で障壁を開いたので、私自身に魔法弾が届くことは無かった。
 しかし、今の攻撃ではっきりと解った。カローラは私の索敵魔法を警戒して使わせないようにしている。
「くっ! もう一度!」
 足元に魔法陣を展開すると、再び魔法弾の雨が降り注いできた。
 またもやガードしかさせてもらえない。
 ――ダメです! 索敵出来ません!――
 スターズリーダーに報告をすると、苛立ちの混じった声が返ってきた。
 ――もういい、下がれ! ホカン部は前衛(ガードウィング)に回れ!――
 ――す、すみま――
 その途中で、スターズ隊から一人の魔導師が敵陣に飛び出して行った。
 最前衛(フロントアタッカー)を追い越し、単身で敵陣中央に突貫していくその魔導師は、手にした戦斧形デバイスを光らせていた。
「マルコちゃん!?」
「いくぞ! “サンダーフォール”!」
 マルコちゃんを中心とし、彼女の周囲が幾つもの落雷に包まれた。
 まるで雷の林だ。
 突然の事に敵陣は一瞬怯んだが、そこはやはり戦技教導参加者達。防御魔法を展開し、自身を護るのと同時に反撃のチャンスを伺っている。
 この状況はまずい。あんなところにいては、彼等からの一斉攻撃に対処するのは不可能だ。
「敵陣を散らせ!」
 スターズリーダーの掛け声と同時に、スターズメンバーが魔法弾を連射しながらマルコちゃんの方へと向かっていく。
 マルコちゃんを助けるためか。しかし、それでも状況はあまり良くない。敵陣はすぐさまスターズ隊の接近を察知し、マルコちゃんを狙う魔導師を残しつつも迎撃体制に入る。
 突撃したスターズメンバーの中に、ジージョちゃんの姿があった。
 ジージョちゃんはクリンリネスを前方に向けて、一直線にマルコちゃんを目指す。
「…………“バキューム”」
 敵、味方共に放たれた魔法弾が、彼女のデバイスに吸引されていった。
 呆気に取られる両者を尻目に見ながら、ジージョちゃんはなおも飛ぶ。
「…………“リバース”」
 今度は逆に、クリンリネスの先端から砲撃が放たれた。
 真っ直ぐに突き進んだそれは、マルコちゃんの脇を抜けて敵陣形を二つに裂いた。
 この状況をどう見るべきだろうか。敵陣形の分断は、戦況的に見て私達の有利を思わせた。あの状態ではライトニング隊の統制は崩されたのではないか。
 そう思ったのは私だけではなかったのだろう。スターズの誰もが、両断されたライトニングを交互に見やって動かなかった。
 だがそれは、防御の必要性を軽んじてしまうこととなった。統制のとれない相手を前にして、意外な展開に誰もが余裕を抱いてしまい、それは油断となった。
「ライトニング、ポジションチェンジ! 二手に分かれてスターズを挟め!」
 カローラの声が響いた。おそらく念話も使って、今の指示はライトニング全体に届けられただろう。
 そう、敵陣形の両断によって敵の不利を信じてしまった私達は、実は目標が定まらずに手を出せないでいる状態だった。そしてそれに気付くのが遅かった。
 スターズ陣が左右からライトニングに挟まれた。
 マルコちゃんの予想外の行動から始まった状況を、冷静に見据えて機転を利かせたカローラは手強い。
「ライトニング、撃てぇっ!」
 左右からの一斉射撃。僅かな時間の中で、何人ものスターズメンバーが撃墜されていった。
 眼球の動きが追いつかない。無数の魔法弾が私たちの左右から容赦無く向かってきて、すぐ側を掠めていく。
 意識が追いつかない。接近する敵意の数が多過ぎて、最良の回避コースを判別することが出来ないでいた。
 体力が追いつかない。目の前の攻撃を避けることにしか集中出来ず、身体は無駄な動きをも全力でこなそうとしてしまう。
 私は息があがっていた。呼吸が荒々しくなって、それでも止まることが出来ずにいた。
「離してよぉ!」
 私の斜め前方から声がした。聞き覚えのある声だ。
「ブ、ブラント君っ!」
 空を飛べない彼は、スターズの女性魔導師に抱えられて空中に上がってきていたのだ。頃合を見計らってウィンディーヌちゃんと融合(ユニゾン)して戦線に加わる予定だったのだが、それよりも早くこんな状況に陥ってしまった。ブラント君を抱えている魔導師は、被弾することを恐れて回避に夢中で、ブラント君を抱えたまま離さない。いや、もう抱えていることすら忘れている。身体が硬直してしまっているのだろう。
「たすっ……けなきゃ!」
 しかし、自分のことだけでも精一杯なのに、どうやったら彼等を助けられると言うのだろう。
 そこへジージョちゃんが、クリンリネスで魔法弾を吸引しながら私の側に飛んできた。
「大丈夫?」
「ジージョちゃん! ブラント君がっ!」
 私がブラント君のいる方を指し示すと、ちょうど同じタイミングで、ブラント君と彼を抱えていた魔導師が被弾した。
 二発、三発、四発。まるで狙っているかのように魔法弾が直撃していき、二人は完全に戦意を喪失していた。
「ブラント君っ!」
 私は下方に飛んだ。彼を受け止める為に。
 しかし、私は腕をジージョちゃんに掴まれて、そのまま上空に引っ張られていった。
「セーフティークッションには救護機能があるから、危険な体勢での落下はしない」
 そう言いながら、ジージョちゃんは高度をどんどん上げていく。
 私達の左右から放たれていた魔法弾には、いつの間にか追跡特性を持たせたものも混じっていて、私達二人の後をずっと追いかけてきていた。
 しかし、高度を上げながらジージョちゃんがクリンリネスで全て回収する。
 左右から挟まれた私達が取る回避行動は、上下への退避。しかし着陸は出来ないので、必然的に上空への退避行動をとる。
 それに気が付いた何人かのスターズメンバーも、同じように昇ってきた。
 私達の隣にウィンディーヌちゃんがやって来た。
「ウィンディーヌちゃん! 無事だったの!?」
「ブラントとはぐれちゃったの! ブラントはっ!?」
 私は彼女から視線を逸らしながら、小さな声で言った。
「撃墜……された」
「んんああああああっ!」
 叫んだウィンディーヌちゃんが、何もない空中を両拳で叩いた。
「ホカン部!」
 スターズリーダーが近づいてきた。 
 彼の無事を確認することが出来て、初めて私はスターズがまだ負けていないことを知った。もうスターズの残存メンバーの数は、三分の一以下になっていたのだから。
「どういうことだ! あんな暴走じみた行為の結果がこれだぞ!」
「すいません!」
 私は頭を下げたが、既に彼の声は違う方向へ向けられていた。
「残りのメンバーに告ぐ! ポジションチェンジだ!」
 スターズリーダーが言い終わるのと同時に、下方にライトニングが集結しているのが確認出来た。
 責任を取らなければいけない。私達ホカン部のせいでこんな惨状になってしまったのだ。
 私は飛び出していた。
「あっ馬鹿! 戻れ!」
 このままではホカン部が本当に役立たん部になってしまう。
 私の居場所が、大切な仲間が、願いを叶える舞台が、不必要な存在にされてしまう。
 怖い。
 自分が被弾することよりも、ホカン部に石を投げられることの方が怖い。
 自分が撃墜されるよりも、ホカン部がズタズタに貶されることの方が怖い。
 自分が意識無く落ちていくことよりも、ホカン部が周囲から忘れられることの方が怖い。
 私の、私達のホカン部はここにあるんだと、要らなくはないのだと、皆に解ってほしい。
「ソフィー!」
 カローラが驚いたように私を見ている。
 例え敵対していても、無謀な行動に出た私を気遣っていることがその目から伝わった。
 カローラの心配をよそに、ライトニングメンバーから魔法弾が射出される。
 大丈夫、一発くらいはどうってことない。非殺傷設定の施された攻撃で、しかも模擬戦で放たれる魔法弾は出力が極めて低い。
 堪えてみせる。
 マスタースペードを突き出した私は、飛んできた魔法弾を避けようともせずに突っ込んだ。
 その時だった。
 激しい痛みが右腕を走った。
「えっ?」
 いきなりの痛みに、マスタースペードを握る右腕が思わず力を緩めてしまう。
 腕を見た。私のお気に入りの白いバリアジャケットが、二の腕辺りを赤色に染めていた。同時に、真っ青な空に赤い鮮血が一筋描かれている。
 非殺傷設定の魔法攻撃は、物理ダメージを与えないはずなのに。
 痛みが走った瞬間は何が起こったのか解らなかったが、痛みの根源を見て、激痛は一気に私の意識まで駆け込んできた。
「ソフィイイイッ!」
 カローラの声が遠くなる。
 意識が遠のいているのか? いや、あまりにもショックな出来事に、私が飛行を忘れているだけだ。
 そうか、それなら声も遠くなって当然だ。
 そういえば、模擬戦前にマルコちゃんが「出血するな」って言っていたっけ。
 私は、青い空の中を落ちていた。

 To be continued.



[24714] 第八話 模擬戦(後編)
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/09 00:48
 景色が逆さまに流れていく中で、私は意外にも冷静な自分自身に少し感心してしまった。
 確かに少しは動揺している。それはいつもよりも早いペースで脈打っている心臓のおかげで分かる。腕の痛みだってまだ続いている。
 だが、空から落ちるというのは航空隊にいた時の訓練でも経験しているし、それほど驚くようなものでは無かった。
 頭の中には「ああ、撃墜されちゃったんだ」という、ぼんやりとした感覚があるだけだった。
 引力に任せっぱなしで地上へと落ちていく私は、途中で減速していることに気が付いた。地面に敷き詰められている空間シミュレーター。それが形成するセーフティークッションの人命救護機能が働いているようだ。
 頭を逆さまにして落ちていた私の身体は、徐々に仰向けの状態に向きを変えていった。
 航空隊での訓練時に落下した時も、教官が設置してくれた魔力製クッションに受け止められたっけ。あの時と似た感覚が身体に伝わってきた。
 仰向けのまま、私の身体はマシュマロに似た感触に受け止められて、そのままどんどん沈んで、最後には地面から数十センチぐらいの高さまで下降した。
「はぁー……」
 やがてマシュマロの感触も消え去り、背は地面に触れ、家のベッドに寝るような自然体で完全に脱力した私は、そこに着地していた。
 右腕を見ると、赤く染まったバリアジャケットと血の香りが痛々しかった。
 空を見上げたまま動かないでいると、真上から誰かが文字通り飛んで来た。
「ソフィーッ!」
 大声を上げながら最初に私の隣に降り立ったのは、目尻から真っ直ぐ横に涙の跡を付けたカローラだった。
「大丈夫っ!? ねえ! しっかりしてよっ!」
 次に降りてきたのはマルコちゃんとジージョちゃん。二人もいつもは見せない真剣な表情だ。
 そして二人に続いて降りてきたのは、シグナムさんだった。
 地面に降り立つなり、シグナムさんが駆け寄ってきて屈み、私の頬を優しく叩いた。
「意識はあるな。大丈夫か?」
「……はい」
 小さく返事をした。皆必死の形相で心配してくれているので、意外と無事でいる自分がちょっと恥ずかしい。
 シグナムさんの視線が私の右腕に移った。
 足音が聞こえた。数人の足音。誰だろうと思ったけれど、私の名前を呼びながら近づいてきたからすぐに分かった。
 なのはさんとミリー部隊長だ。それ以外の足音は、顔をそちらに向けて目視するまで分からなかった。なんてことはない、ブラント君と撃墜された生徒達と医務員さんだった。
「すいません、大事(おおごと)にしちゃって。大したことはないんですけど」
 大きな声は出なかったが、それは冷静に話そうと意識して落ち着き過ぎたからだ。具合は特に悪くない。
「いや、はっきり言ってこれは重大な問題だぞ」
 シグナムさんの口調は少し怖かった。
 だんだん足音が多くなってきた。模擬戦中だった生徒達もぞろぞろと集まり始めたようだ。
 医務員さんが私の右腕に両手をかざして、治癒魔法をかけている。その手際を何気なく見ていると、突然胸の上に圧し掛かるものがあって驚いた。
 見てみたら、そこには私の胸に顔を埋めているカローラの姿があった。
 泣いているのかな? 私が空から落ちる姿を初めて見たわけでもないのに、大げさだなと思った。
「カローラ、私は平気だよ」
 嗚咽交じりに「平気じゃないよ!」と言ったのが解った。
「ソフィー、腕の怪我は魔法弾で?」
「はい」
 返事をしてから見たなのはさんの顔は、私達が遅刻してきた時に見せた怒り顔よりもずっと怖いものだった。
「全員集まって」
 なのはさんの口調は穏やかではない。そして、シグナムさんの表情も同じだ。
 なんだか嫌な空気になってきた。
「ソフィーを撃ったのは誰?」
 微動だにしない生徒達。その沈黙は、時間の経過と共に周囲の空気を更に重くした。
「…………模擬戦は中止します」
 静かにそう告げたなのはさん。
 その一言を聞いて、私は一瞬で落ち着き過ぎた自分を見失った。
「どうしてですか!?」
 急激に上半身を起き上がらせたので、医務員さんの治癒が止まってしまい、傷口が再び血を吐き始めた。
「どうしてって……当然でしょう?」
「私ならまだ出来ます!」
「どっちみち撃墜されているでしょう」
「お願いします! 続けてください! 私が撃墜されたのは私のミスです! 他の皆には問題な」
「無いわけないでしょう! その傷口を見てみなさい!」
 なのはさんの怒気の籠った声に圧倒され、私はすくみ上がってしまった。
「私は模擬戦前に言ったはずだよ? 魔力攻撃の出力は軽度麻痺効果(スタンレベル)まで落とすようにって。それを守っていれば出血なんてするはずがない」
 確かにその通りだ。私の腕の傷は、間違いなく非殺傷設定を解いて放たれた魔法弾による傷。
 あの時私は、肉を切らせて骨を断つつもりで敵に突っ込んでいった。そして飛んでくる魔法弾を自らの意思で避けなかった。もしあの時の魔法弾が、腕ではなく顔に当たっていたら、胸に当たっていたら。
 今更になって嫌な汗が背中を伝った。同時に生唾を呑んだ。
「模擬戦だよ? 訓練の成果を発揮するための練習だよ? 命に関わるようなことをしろなんて、私は一言だって言ってないよ?」
 なのはさんが言い終えて、またしばらくの沈黙が続いた。
 その沈黙を破ったのは、マルコちゃんだった。
「誰だ……誰がソフィーを撃った!? 前に出ろっ!」
 誰も動かなかった。それが彼女を更に苛立たせたようで、マルコちゃんは誰かの胸倉を掴んで殴ってしまいそうな気迫を発しながら歩き始めた。
「どうせボク達が気に入らなくてわざとやったことなんだろ!」
 マルコちゃんは進行し続けた。
 しかし、なのはさんがマルコちゃんの前に手を出してそれを止めた。
「とにかく、模擬戦はこれで終わりにします。それと今日の教導も」
「なのはさん!」
 私は声を張り上げていた。
 全員の視線が集まっているのが分かる。
 これを言ったら、なのはさんは更に怒りそうだと思った。いや、絶対に怒るだろう。
 それでも言わないわけにはいかなかった。
 言わないと、私の気が済まない。
「模擬戦、続けさせてください」
 案の定、なのはさんの顔が一番怖くなった瞬間を見た。
 だが、ここで止めたら、皆ホカン部のことを何も知らないまま終わってしまう。
 そんなのは耐えられない。本当のホカン部は皆が思っているようなところじゃない、本当はもっと素晴らしいのに。
 模擬戦前の蔑み。あれこそが、周囲のホカン部に対する認識の現状だ。私達に友好的に接してくれる人が近くにいたので、現状を忘れていただけなんだ。
 私がホカン部の皆をどんなに受け入れようと、ホカン部の皆がどんなに応えてくれようと、やはり私達はまだ“要らん部”なのだ。
 それが何を意味するのか。それは私が大切に思うホカン部が、私達を知らない人の中では、失われてもいい存在であるということに等しいってことじゃないか。
 そんなのは絶対に耐えられない。失くす必要の無いものを失くすのは、とても悲しいことなんだ。
 失くさないでほしい。私達は決して“要らん部”ではないんだ。
 誰かのために役立つことが出来る。大切なものを守ることが出来る。
 私達だって、管理局の一員なんだ。
「お願いです! 続けさせてください!」
「ダメ。もう二度とこんな危険行為を起こさないためにも、模擬戦は中止する」
「お願いします! きっと間違って非殺傷設定を解いちゃっただけなんです! わざとやったわけでは」
「非殺傷設定なんて、間違えて解けるようなものじゃないでしょう!?」
 さっきまで嗚咽を漏らしていたカローラが、突然大声を出した。
 私は彼女の顔を申し訳なさそうに見た。それに応えるように、またカローラが泣き出した。
 そうだ、確かにカローラの言うとおり、非殺傷設定は間違えて解けるようなものではない。物理的な切り替えスイッチがあるわけでもないし、魔導師のみによる発動ならまだしも、魔法発動補助機(デバイス)を介しての発動ならば設定解除には解除キーが必要となるから、なおさら間違えようがない。
 明らかに誰かが故意にやったこと。おそらく、驚かせるつもりでやった性質(たち)の悪い悪戯なのだろう。さっきマルコちゃんが言っていたように、私達ホカン部という、見下す対象に向けられた悪意。
 だが、それでも誰がやったのかを突き止めてどうこうしようなんて気は無かった。もちろん腹は立つが、自分のこと以上にホカン部のことを想ってしまっていた。
 私は、これくらいのことでホカン部を“要らん部”のままにしておくつもりはない。
「…………お願いします。どうしても続けたいんです」
 まだスターズメンバーにはマルコちゃんとジージョちゃんとウィンディーヌちゃんが残っている。
 最後まで諦めずに戦ってほしい。
「どうする? もし再開するなら、私ももっと注意深く見ておこう。もしまたルールを守らない者がいたなら、私が全力で叩き伏せてやるが」
 シグナムさんが一度だけ生徒達を睨み付けると、彼等は一様に怯んでしまった。
「ダメなものは」
「高町一尉!」
 突然、ミリー部隊長がなのはさんの言葉を遮って前に出た。
「私からもお願いする。ソフィーの要望を呑んでやってくれないか?」
 思わぬ助け舟に、私は驚いて口を開け放した。
「ミリー部隊長! あなたまでそんなことを言うんですか!?」
「ソフィーは今日、あなたの下で模擬戦に参加出来ることを凄く楽しみにしていたんだ。おそらくこいつなりの想い入れがあって来たんだと思う。それを酌んでやってはくれないだろうか?」
「次はもっと酷い怪我をするかもしれないんですよ? それどころか一歩間違えたら…………」
「それはあなたの敷いたルールを無視した奴が現れた場合の話だろう? シグナム二尉も目を光らせてくれるんだ、そんな奴は出ないと思うぞ。それに…………」
 ミリー部隊長の表情が変わった。
「…………嘗められっぱなしじゃあ、ホカン部は引き下がらんぞ」
 笑っていた。
 ミリー部隊長がいつも見せる怪しげな笑みよりも、もっとどす黒い何かを孕んだ笑顔だった。
 一瞬にしてその場の雰囲気が変わった。背筋が寒くなり、熱く感じていた腕の傷すら凍りつく気がした。喉を通って肺に入る空気がやけに冷たい。
 その場にいる誰もが恐怖しているのを感じた。
 言葉でなくても伝わるものがあった。もし仮に、誰かがまた同じようにルールを無視して動いた時、それは今のミリー部隊長への挑戦と見なされる。
 お前たちの誰もが私には勝てない。挑むな、怒らせるな、立ち塞がるな、助けを乞うな、諦めろ。
 そんな意思を、頭に無理やり押し込められている気分だ。
 何故だろう。この人がたまに見せる深さの分からない感情表現を見ると、言い様も無い不安に駆られることがある。
「…………なのはさん、お願いします」
 少し震える声で、私はもう一度お願いした。
 視線を私の顔に移し、未だ吊り上げたままの眉で、それでも呆れ顔を浮かべながらなのはさんがため息をついた。
「…………じゃあ仕切り直してもう一本。さっきのは無効試合とするから、撃墜された子も復帰してよし」
「あ……ありがとうございますっ!」
「開始は二十分後ね。とにかく、その傷の手当てをしっかりして」
「はい!」
 良かった。なんとかチャンスを貰えた。
 私はミリー部隊長にお礼を言おうと振り返ると、彼女は既に場内移動用のカートに向けて歩き始めていた。
 私はその場で医務員さんの治癒魔法を受けながら、再びカローラを見た。
 やはり物凄く心配そうな顔を浮かべていて、不安そうな眼差しのまま、親指と人差し指で自分の下唇を摘んでいる。昔からの彼女の癖だ。
 おそらく模擬戦のやり直しには賛同出来ていないのだろう。
 そっと彼女の手を取って、一言「ごめんね」と呟いた。
 私の手を握り返しながら、反対の手で涙を拭うカローラ。
「本当に、昔からワガママなのは相変わらずなんだから」
「へへっ」
 すると、スターズリーダーの人がなのはさんに向かって話している声が聞こえた。
「高町教導官、模擬戦の仕切り直しは結構ですが、チーム替えもお願いします。はっきり言って、もうホカン部のメンバーと組むのは嫌です。あんな暴走行為に走られては迷惑だ。勝負も目に見えている」
 彼の言い分は最もな気がして、私は視線を落とした。
 更にスターズリーダーは、他のスターズメンバーに意見の同意を求めた。リーダーとの同意見を主張する者はいなかったが、それでもやはり内心では私達と組むのを嫌がっているのだろうか。
 不安になった。いや、寂しかった。
 だが、これは私達が撒いた種でもある。仕方が無いのだ。
「ならば、私と替わりましょう」
 カローラが立ち上がった。皆が驚いた表情を向けている。
「私がスターズリーダーを務めます。他のメンバーは同意していないようなので、リーダーだけ入れ替わりましょう。それでよろしいですか?」
 スターズリーダーは、後悔するぞとでも言わんばかりの笑顔を見せて、左腕に付けていたスターズの腕章を外した。
 カローラも同じく腕章を外し、お互いのものを交換する。
 これで良いのだろうか。私としてはカローラと組めて嬉しいけれど、彼女に迷惑を掛けてしまったようで心配だった。
「いいの? 私達なんかと組んで」
 そう尋ねると、カローラは少し怒りながら言った。
「何よその言い方。まさか迷惑掛けるつもり?」
「いやいや! そんなわけじゃあ……」
「じゃあ自信持ってよ。ワガママを言っていた時くらいの強気でいてくれなくちゃ困るわ。…………大丈夫、フォローは私がするから」
 私は心からのお礼を伝えた。



 模擬戦開始、三分前。
 私達スターズは、一箇所に集まって出撃の準備をしていた。
 カローラが三十名以上いるメンバーのポジションを確認している。
 やっぱり彼女は凄いと思う。模擬戦でのリーダーを務めているだけでも凄いのに、彼女は自分を囲む生徒達から絶対の信頼を得ているようだ。
 カローラを取り囲むスターズメンバーの誰もが、彼女に同調しようと、彼女の指示に従おうと、彼女と力を合わせようとしている。
 良いチームなんだな。素直にそう思った。
「ホカン部の皆に関してはソフィーが一番詳しいでしょう? だから指揮系統はツーラインで行きましょう。私とソフィーで連携を取り合うから、ホカン部への指揮はソフィーが執って」
「了解」
「じゃあ以上で打ち合わせは終わりね。さ、浮上しましょう」
「あの…………」
 私が呼び止めると、ホカン部とカローラを含め、メンバー全員の視線が集まった。
「…………さっきの模擬戦は、すみませんでした」
 腰を折って頭を下げた。
「皆さんに迷惑を掛けるようなことをして、ごめんなさい。今度こそ……今度こそ必ず…………」
「あなた達…………」
 カローラが驚いていた。
 あなた達? 私はその言葉に疑問を感じて、少しだけ頭を上げてみた。
 するとどうだろう。スターズメンバー達と同じように私を見ていると思っていたホカン部の皆が、カローラ達に向けて私と同じように深く頭を下げていた。
 いつもの騒がしさも、マイペースさも、気位も、“要らん部”や“役立たん部”と言われる所以を一切捨て去り、皆がたった一つの気持ちを伝えようとしている。
 良いチームだな。素直にそう思った。
「…………頭を上げて。誰ももうあなた達を責めようなんて思ってないわ」
 カローラの声を聞いて、私達は同時に頭を上げた。
 そして視界に映したスターズメンバーの顔は、誰もが笑顔だった。
 そう、信頼するカローラに向けるような笑顔だった。
 認めてもらえたみたいだ。私達はようやくチームになったんだ。
「期待してるわよ、ホカン部! さっき見た限りじゃあ随分と面白そうな能力を持っているみたいだし」
「任せてよ、必ずスターズを勝利に導いてみせるから!」
 私がそう言って笑った時、カローラが何故か一歩だけ後退した。
 いや、彼女だけでなく、私達を見ていたスターズメンバー全員が一瞬だけ動揺を見せた。
「え? 何?」
「え、いや…………ううん、何でもない。…………さあ、行きましょうか!」
 カローラがそれ以上を言わなかったので、私達ホカン部はスターズメンバーに続いて空へと飛び上がった。
 高度を上げていくと、また地面のシミュレーター上にセーフティークッションが形成されていった。
 いよいよ始まる。ホカン部の二度目の挑戦。
 敵陣、ライトニング隊も予定通りのポジションについて陣形をとっていた。
『では、模擬戦を始めます。…………レディー、ゴー!』
 始まった。私は斥候に出ていいのだろうか。
 さっきと同じ目に遭うことを思い、踏みとどまった。
 ――ソフィー!――
 カローラからの念話だ。
 ――敵陣左翼に突破口を作りたいの! ホカン部で何とかできる!?――
 本当に頼れる友達だ。
 ――任せて!――
 私はスターズ陣の最前衛(フロントアタッカー)ポジションに出た。
 すぐ側にはマルコちゃんとジージョちゃんがいる。
「マルコちゃん! 敵陣左翼に砲撃準備!」
「イエッサー! レプリィ、モデル“レイジングハート・エクセリオン”!」
「Leave it to me! Model”Raising Heart Exelion”!」
 マルコちゃんが素早く変身する。
 その姿は高町なのは一等空尉の姿と、そのデバイス。
 私と並んでデバイスの先端を敵陣左翼に向ける。
 ライトニング隊にも動きが見られた。こちらの砲撃準備に気が付いたらしい。
 ――二人ともそのままで!――
 信頼出来るリーダーが私達に指示を下した。
 マルコちゃんの横顔を見ると、彼女は顔の向きは変えないまま目だけを私に向けて、無言で了解する。
「スターズ最前衛(フロントアタッカー)バリア展開! 前衛(ガードウィング)は迎撃用意!」
 私とマルコちゃんを守るようにして、スターズメンバーとジージョちゃんが防御魔法を発動した。
 無数の魔法弾が私達目掛けて突っ込んでくる。
「撃てっ!」
 こちらの迎撃魔法弾が一斉に発射された。数はどちらも五分。
 そして、私とマルコちゃんの砲撃準備が整った。
「単砲・高雄(たかお)、発射用意! 構えぇ――……」
 私の声と同時に、マルコちゃんの手に握られたレイジングハートが弾薬(カートリッジ)を一発ロードした。
「ストレイト――――」
 私達を守っていたシールドが瞬時に消え去り、ジージョちゃんがクリンリネスで飛んでくる魔法弾を吸引しながら私達の後方に回る。
「……――撃てぇっ!」
「――――バスタアァァァッ!」
 二本の光柱は競うように直進し、迫る魔法弾すら打ち消し、敵陣左翼を貫かんとした。
「砲撃に続けぇ!」
 カローラの合図を受け、スターズメンバーの最前衛が二つの光柱の後を追った。砲撃魔法を盾とすることで、余計な回避動作を省いて敵陣に接近することが出来る。
 すると、その進行を止めようとシグナムさんが動きを見せた。
「そっか! あの人ライトニングだった!」
「ボクがいただこう!」
「いいわ、マルコさん行ってらっしゃい!」
 カローラの承諾を得て、マルコちゃんはすぐさま飛び立った。
「ソフィー! 僕もぉ!」
「分かった! マルコちゃんと協力して!」
 ブラント君とウィンディーヌちゃんが融合(ユニゾン)を完了させると、ブラント君を抱きかかえていた女性魔導師がその手を離した。
「ジェームスクック! マルコに追いつけ!」
「O.K!」
 大蛇の如く伸びる水の道を、ブラント君はジェームスクックに乗って滑って行く。
 それを見たカローラが、自分の周りに発射台(スフィア)を三つ出現させ、そこから魔法弾を三つ飛ばした。誘導制御弾のようだ。
 ブラント君の猛進を止めようと、ライトニングからの更なる攻撃が放たれた。
 しかし、カローラの放った魔法弾はブラント君と並走し、近づいてきた敵の魔法弾にその身を当てて相殺する。
 ブラント君が親指を立てた手を高く上げた。
「スターズ! ソフィー! 私に続け!」
 カローラが先頭を切って飛んだ。
 私とスターズメンバーは指示に従い、カローラの後を追う。
 向かうのは敵陣右翼。
 ――ソフィー!――
 ――なあに!?――
 ――久しぶりに“ツインシフト”行くわよ!――
 私は思わず笑みをこぼした。
 ツインシフトは、私とカローラが航空隊内でコンビを組んだときによく使ったコンビネーションだ。
 懐かしさが込み上げてきて、私は頬を熱くさせながら返事をした。
 ――シフトB!――
 カローラが敵陣右翼の集団に魔法弾を連射しながら注意を引き付ける。
 その間に、私はスターズを引き連れながら敵陣右翼下方に回り込んでいく。
 カローラの射撃は精密だ。相手自体を狙うだけでなく、相手の注意力を散漫させるような撃ち方も出来るし、相手の行動を制限するような撃ち方も出来る。相手は自分の思い通りに行動させてもらえないのだ。
 しかもそんな精密射撃を、複数の相手に仕掛けることが出来る。
 スターズリーダーは伊達ではない。
 カローラの攻撃を防ぐのに夢中でいる集団は、私達の移動に気付きながらもなかなか私達の後を追えないでいる。
 カローラが敵の足止めをしてくれている間、私達は敵陣右翼下方に到着して飛行を止めた。
 ここだ。カローラが次に出すであろう指示を実行するのに最適な場所。
 私達がカローラのために援護射撃を始めると、それを機に、少しだけ離れていたカローラが私達の陣に戻ってくる。
 やっぱり航空隊の頃と一緒だ。ちっとも身体は忘れていない。
 嬉しかった。カローラとまたこんな風に空を飛べることが。
「シフトC! 私達は敵陣後方に回るから!」
「ビンゴ! その指示了解!」
 予測していた通りの指示が来た。シフトCは一番得意なコンビネーションだ。
 カローラとスターズ陣が、私を置き去って敵陣後方に回り込もうとする。
 敵陣後方には、ライトニング隊の後衛(フルバック)が密集していた。そこを叩けば、ライトニングメンバーはサポート魔法による支援を失う。後衛がポジションチェンジによって攻撃側に回るよりも早く叩いて、敵勢力を削る算段だろう。
「スターズメンバー、五名を残して散開!」
 カローラと五人のスターズメンバーを残して、他のメンバーがライトニングメンバーとの戦闘に加わった。
 シフトCは、カローラと五人を無事に目的のポイントまで届けること。
「マスタースペード! 照準サーチ、四号三型!」
「All right!」
 足元の魔法陣と同時に、私の眼前に薄紫色に光る照準が出現した。
 照準越しにカローラ達の周辺を見やる。
 見つけた。敵魔導師が射撃準備をしている姿を。敵魔導師のデバイス前に発射台(スフィア)が形成されている。狙っているのはカローラと五人だ。
 カローラ達に向けられたスフィアを数える私。
「……三、四…………七、八…………」
 数は増えていく。が、私の眼球に連動して動く照準は素早くそれらを捕捉する。
 カウントに合わせて、私の周辺に薄紫のスフィアが並んでいく。
「……十、十一、十二…………追砲・古鷹(ふるたか)、用意――……撃て!」
 数え終えた後に素早く発射した十二発の誘導制御弾。
 そして私の発射とほぼ同時に、ライトニングメンバーからも魔法弾が放たれた。数はぴったり十二発。それらは真っ直ぐにカローラ達を狙う。
 しかし、私の魔法弾が敵の十二発を打ち消さんと進む。
 一発、二発、三発、四発。次々と私の魔法弾が敵の弾を打ち消し、カローラ達への到達を防いだ。
 そしてカローラ達は減速をすることなく、まるで狙われていたことを知らぬかのように、真っ直ぐに敵陣後方に辿り着いた。
 突如として現れたカローラ達に困惑するライトニング隊後衛。そんな状況での戦闘は、少人数とは言えカローラ達が有利だった。
 シフトC、成功。私はマスタースペードの構えを解いて少し笑った。
 その直後、すぐ脇を何かが素早く横切っていった。
 とっさに反応して距離を取り、横切ったものに視線を向ける。
「マルコちゃん!?」
 そこには、必死の形相で若草色の魔法弾を放つマルコちゃんがいた。
 その魔法弾の行き先は、マルコちゃんを追いかけるシグナムさんだった。
 シグナムさんの雰囲気が、訓練場入り口で見た時よりも少し違うことに気が付いた。そして彼女に対する違和感を、私は身近で感じたことがある。
 そう、一人の身体から気配が二つ感じられるこれはまさに、ブラント君とウィンディーヌちゃんが融合(ユニゾン)した時と同じものだった。
 私の脳裏に、シグナムさんの肩に乗っていた融合型デバイスのアギトさんが思い浮かんだ。
 それはつまり、シグナムさんの真剣さを物語っている。
 シグナムさんの右手に握られた長剣型デバイスが振りかぶられ、それは炎を纏いながらマルコちゃんへと狙いを定めた。
 激しい衝突音が鳴り響く。
 デバイス同士の接触により術者同士は無傷でいるものの、パワー、スピード、タイミングのどれもが上手(うわて)であるシグナムさんの優勢は明らかだった。
 繰り返されるシグナムさんの猛攻は、かろうじてマルコちゃんには届いていない。しかし、確実にマルコちゃんの勢いを殺し、逃げられない彼女を追い詰めていた。
 突如、シグナムさんの後方に迫る水の弾。
 シグナムさんは背を向けていたはずなのに、競り合うマルコちゃんを容易く退け、素早い身のこなしでその水弾を叩き散らした。
 水弾と同じ軌道を通って、ジェームスクックに乗ったブラント君がポリビウスを振りかざす。
 銛型デバイスの先端が真っ直ぐにシグナムさんを捉え、術者と共に突っ込んでいった。
 しかし、足元に紫色の魔法陣を展開したシグナムさんが、デバイスを構え直した。
「レバンティン! 迎え撃つぞ!」
「Explosion!」
 長剣型デバイス、レバンティンの剣身根本(フォルト)部分にあるボルトアクション方式のカートリッジシステムが、蒸気を噴き出しながら薬莢を排出した。直後に剣身周りの炎が更なる猛りを見せる。
 シグナムさんがブラント君に向けて飛び出す。
「いくぞ! “紫電一閃”!」
 炎を纏った剣の猛威。振り抜かれたそれは横一文字を描き、ポリビウスと対峙する。
 重なり合う二つのデバイス。一見すれば均衡状態である両者だが、術者の顔を見比べればそれが錯覚だと知ることが出来た。
 いつもはぼーっとして寝てばかりいるブラント君の、あんなにも余裕の無い表情は初めて見た。
 それでも、押し切られまいとして両手を突っ張る。
 対するシグナムさんは、少しだけ楽しそうに微笑んでいた。それだけ余裕があるということか。
「嘗めるなぁっ!」
 マルコちゃんが叫んだ。
「レプリィ、“メタモルフォーシス”だ! モデル“グラーフアイゼン”!」
「O.K, baby! Ummmm...Jawohl!」
 マルコちゃんの変身が始まった。
 光から姿を現した彼女は、赤の帽子とゴシックロリータドレスに身を包んでいた。右手に握るのは鉄槌型デバイス。広げた左手の五指には、四つの鉄球が挟まれていた。
 左手を横に振ると、鉄球が彼女の目の前で若草色の魔力に包まれながら浮遊した。
 おそらく、攻撃準備が整ったのだ。
「っらぁぁぁぁぁ!」
 今度は右腕を振ることで、鉄槌が次々と目の前の鉄球を弾き飛ばし、それらは赤い尾を引きながら真っ直ぐにシグナムさんの背中へと猛進した。
 直撃コースだ。球であるはずのその弾の威力は、速さを増すことで鋭い針とも等しくなる。シグナムさんと言えど、このままでは危険だ。
 その時、シグナムさんがブラント君を弾き返し、それと同時に剣で空中を斬った。
 空振り? いや、剣を振った直後に、シグナムさんの剣は刃を複数に分割し、それらは一本のワイヤーで繋がれたまま鞭となって彼女の周囲を這い回り始めた。
 主を守る蛇とでも言おうか。縦横無尽に伸ばしたその鞭状の剣は、シグナムさんの背後も上下も正面も見事に包み込み、一切の攻撃をも寄せ付けまいとする意志を見せ付けた。
 マルコちゃんの打ち放った鉄球は、その刃に受け止められて失速、落下していく。
 もう一度、四つの鉄球が放たれた。
 更にもう一度。
 しかし、それでも蛇は鉄球を寄せ付けない。
 シグナムさんが背を向けたまま、視線だけを背後に送って鼻で笑った。
「ちいぃぃっ!」
 悔しそうに睨むマルコちゃん。
 凄い。これが元機動六課ライトニング分隊副隊長の実力か。
 ――ソフィー!――
 突然、カローラから念話が入った。
 ――ライトニングを包囲した! このまま一気に決めたいの!――
 見れば、一塊となったライトニング陣の外周を、スターズが方々から攻め入っている状況だった。
 ――ソフィー、“主砲”いける!?――
 カローラはこれを待っていたのだろうか。その言葉を聞いて、私は震えた。
 これは武者震いだ。
 シグナムさんはマルコちゃんとブラント君に夢中。ライトニングメンバーも誰もがスターズとの交戦で手一杯。しかも私のいる場所は敵陣の下方。足元より低い相手にはなかなか注意を向けられないものだ。
 誰も私に意識を向けていない。
 いける。今なら魔力チャージの時間も取れる。
 ――了解! すぐにでも“主砲”発射用意に入るからサポートをお願い!――
 ――こちらも了解!――
 私はすぐさまマスタースペードに指示を出した。
「マスタースペード、主砲用意! “マスターソードモード”!」
「All right. Master Sword Mode!」
 直後、マスタースペードの形状が変化を起こした。
 純白の柄と鍔から伸びる金色の両刃。刃の上を黒く、細い文様が走っていく。陽の光を反射しながら現れたそれは、私の手中で薄紫のオーラを纏った。
 これは、一振りの魔法の剣だ。
 変形が完了するとすぐさま、私は魔力を溜め始めた。
 しかし、こんな大勢の前で大規模な魔力チャージを始めればどうしたって目立つ。
 案の定、幾つもの視線が私に向けられていた。
「ソフィーが近接戦闘?」
 マルコちゃんが驚いた様子で言っていたが、私は魔力を溜めるのに精一杯で答えている余裕が無かった。
 そして、一番厄介な人が私の挙動に気付いた。
 シグナムさんだ。ブラント君とマルコちゃんを力ずくで蹴散らし、私の方に向き直ったシグナムさんが叫んだ。
「させん! いくぞアギト!」
 姿は見えないが、確かにアギトさんの声も聞こえた。
『おっしゃあ! 烈火の剣精の力見せ付けてやらぁ! 剣閃烈火!』
「飛竜――」
 レバンティンが弾薬(カートリッジ)をロードすると、物凄い勢いで噴き出た蒸気がシグナムさんの周囲を霞ませた。
 同時に、弾き飛ばされていたマルコちゃんとブラント君が私に急接近してきて、すぐさま魔力障壁を展開した。
 今の私では魔力チャージに集中していて防御が出来ない。
 それを知ってか知らずか、とにかく二人の存在は実に頼もしかった。
「一閃!」
 レバンティンが再びその刃を切り離し、暴蛇の如く身をくねらせて突っ込んで来た。
「ソフィーを絶対死守だっ!」
「応っ!」
 二人の魔力障壁が悲鳴を上げた。暴蛇の毒牙は障壁を食い破ろうとする。
 怖い。すぐ背後では一撃必殺とも思える攻撃が迫ってきている。
 だが信じられる。彼等なら必ず私を守り抜いてくれる、と。
 障壁は限界を迎えていた。暴蛇の毒牙が突き刺さった部分からヒビが広がり、二人分の魔力はあっという間に底を突きかけていた。
「耐えろおぉぉぉっ!」
 マルコちゃんの気合いとは裏腹に、ヒビは更なる広がりを見せる。
 限界か。
 その時、
「加勢します!」
 駆けつけたカローラの障壁が加わった。そしてジージョちゃんもレバンティンの纏う魔力を吸って力を削ぎ始める。
 それでもまだ止まらない。この蛇は、思った以上に執念深い。
「戻れ!」 
 シグナムさんが一瞬刃を引くと、レバンティンは連結を繰り返して再び長剣となり、更にカートリッジをロードした。
「参るぞ!」
 炎を纏った長剣の一閃が、シグナムさんの踏み込みと共に繰り出された。
 突っ込んでくるシグナムさんの一閃が、皆の障壁とぶつかり合う。
 刃と私の距離はほんの数メートル。その距離をなんとか保っていられるのは、皆の力。
「ソフィー! まだ!?」
 ありがとう皆。これでスターズは勝利を手にすることが出来る。
「オッケー! 魔力チャージ完了!」
 皆が盾となる中、私は手にした剣を空に掲げた。
「大口径砲・金剛大和(こんごうやまと)、発射用意!」
 カローラからの念話が訓練場全域に放たれる。
 ――全スターズメンバーに告ぐ! 空域D、E、F、Gより完全退避! 遅れるなっ!――
 皆がくれたチャンス。
 これを放てば私達は。
「構えぇ――……」
 シグナムさんの雄叫びが聞こえた。
 それでも障壁は壊れない。
 皆の気持ちは壊れない。
 撃てる。
 私達ホカン部の、いや、スターズを含めた仲間達へ送る、勝利の道を作り上げられる!
「……――撃てええぇぇぇっ!」
 マスタースペードの切っ先から太い光の柱が放たれた。
 それは空域Dを貫き、数キロある距離を一瞬で走り抜ける。
 空域D、E、F、Gに密集していたライトニング隊の一部を撃墜。だが、これで終わりはしない。
「薙げぇぇぇぇぇっ!」
 私が振るう剣の動きに合わせて、伸びたままの集束砲は空域DからGの間を移動した。
 危険を感じて逃げるライトニング隊。しかし、もう遅い。
 私は近接戦闘は出来ない。剣の形はしていても、マスタースペードはあくまでも杖型デバイス。けれど、この光の剣で空を斬ることが出来る。
 薙いだのだ。スターズを勝利へと導くための、大きな一振りだった。
 そしてその軌跡に残るものは、蒼天だけ。
『…………ライトニング隊員の三分の二以上の撃墜と、ライトニングリーダーの撃墜を確認…………模擬戦終了! 勝者、スターズ!』
 なのはさんの声に続いて響いたのは、スターズの雄叫びだった。



「どうもありがとうございました!」
 頭を下げた先にいるのは、シグナムさんとアギトさん。そして、なのはさん。
 シグナムさんは満足そうな笑みを浮かべながら、「またやりたいものだな」と言って握手を求めてきた。私達は一人ずつその手を握り返したが、マルコちゃんは「もう勘弁っす」と言いながら苦笑いも返していた。
 アギトさんもシグナムさんと同じ気持ちのようだ。この二人は本当に良いコンビなんだなと、見ていて思った。
 そして最後に待っていたのは、
「きょ、今日はお招きいただきまして……その…………ありがとうございまし、た…………」
 まだ少し頬が膨れている。
 なのはさんは呆れたように一度だけため息をついてから、少しだけ表情を緩めてくれた。
「ソフィーって意外とワガママなんだね」
「よ、よく言われます」
 なのはさんがようやく声を出して笑ってくれた。
 私の主砲によってスターズが勝利した後、今度はシグナムさんがスターズ隊に入り、もう一戦行なわれた。その時はカローラもライトニング隊に戻って行ったし、私達もそれほど目立った行動を取ることがなかったので、無事に二回戦目は終わった。ちなみに勝ったのはライトニング隊だ。
 模擬戦終了後、何人かの生徒がホカン部に謝りに来てくれた。スターズとライトニング、どちらからもそういった人が現れてくれたことが嬉しくて、私は握手をしながらお喋りをした。
 皆が口を揃えて言うのだ。「ホカン部って思っていたのとは違うんだね」と。
 その言葉だけで、私は腕の痛みもすっかり忘れて何も無かったかのように思えるのだ。
 今日はこの模擬戦に参加出来て良かった。
 そしてまた少し、ホカン部が好きになっていた。
「ソフィー!」
「ああ、カローラ!」
 模擬戦で流した汗を拭きながら、カローラが駆け寄ってきた。
「もう隊舎に戻るの?」
「うん」
「そっかぁ…………」
 カローラが親指と人差し指で自分の下唇を摘んでいる。落ち着きが無い様子だ。
 これは昔からの彼女の癖で、何か言いたいことがあるけれどこちらから尋ねるまで言えない時の仕草だ。
 カローラも相変わらず変わっていないことを可笑しく思いながら、私が尋ねた。
「なあに?」
 気が付いて貰えて嬉しそうに微笑みながら、カローラは私だけに聞こえるように小声で言った。
「ソフィーさ……やっぱり航空隊に戻ってこない? ミリー部隊長とかにもお願いしてみてさ」
 得意の甘え声だ。
 胸の中が温かくなるのを感じながら、私は彼女に言った。
「んー…………もう少しホカン部に居てみたい、かな」
 名残惜しそうに小さく息を吐きながら、カローラは「そっか」と零した。
 私はカローラの大切さを改めて認識することが出来た。
「カローラは相変わらず可愛いなぁ」
「んふふっ! じゃあ、教導の修了式があるから行くね! バイバイ!」
「あ、カローラ」
 私は最後に一つだけ、彼女に訊いておきたいことがあったのを思い出して呼び止めた。
 既に立ち去ろうとしていたカローラは、不思議そうな表情だけをこちらに向けてきた。
「なに?」
「あのさ、私が怪我してから模擬戦が再開される前に、何か驚いてたじゃん。あれって何だったの?」
 そうだ。彼女がスターズリーダーになった時、私とホカン部の皆でスターズメンバーに頭を下げた。
 あの時、頭を上げてからスターズを勝利に導くと言った瞬間に、私達ホカン部を見たカローラとスターズメンバーは、皆何か怖いものを見たかのように驚いていた。
 あの反応の意味が知りたかった。特にどうと言うわけでもないのだが、ふと思い出したのだ。
「ああ、あれ? …………んー」
 言いづらいことなのだろうか? そうなるとますます気になる。
「遠慮しなくていいよ。なあに?」
「うん…………。ほら、ソフィーが模擬戦をやらせてくれってワガママ言った時、ミリー部隊長が助け舟を出したでしょう? あの時にミリー部隊長が見せた笑顔……覚えてる?」
 あの、鳥肌が立つような怖い顔のことか。
「うん」
「ああいう笑い方って、もしかしてホカン部で流行ってるの?」
「へ? どういうこと?」
 カローラの言っていることの意味が分からなかった。
「…………そっくりだったのよ。ソフィー達が、スターズを勝利に導きますって言った時に見せた笑顔が…………ミリー部隊長の笑い方にすごく似てたの」
 言葉が出なかった。
 私の顔が、笑い顔が、ミリー部隊長のあの笑顔に似ていたというのか。
 ミリー部隊長には悪いかも知れないが、とてつもない衝撃を受けた。
 あの、猟奇性を秘めた笑顔が私の中にもある?
 私にも、猟奇的な面がある?
 私は。
「じゃあ、もう行かなくちゃ。ソフィー、また連絡するから!」
「え? あ、うん。バイバイ!」
 慌てて手を振ったが、カローラが手を振り返してくれたかどうかは確認しなかった。
 いや、気にすることが出来なかった。
 佇んだまま、動けなかった。
「ソフィー! 行くぞ!」
 背後から突然の声。
 私はようやく意識を外界に向けることが出来た。
 近づいた私を、突然ミリー部隊長が右腕で抱きかかえた。ミリー部隊長の手が腕の傷に触れて、少しだけ痛みが走った。
「かっこ良かったぜーソフィー!」
 今のミリー部隊長は、子供のように無邪気な笑顔をしていた。
 少し照れていると、なのはさんが目の前に立っていた。
「本当にソフィーは、ううん、ホカン部は良いものを持ってるよ。今日の戦いは本当に良かった」
「ありがとうございます」
 にやけた顔が戻らなくて恥ずかしい。
「今度ご褒美をあげたいんだけど、受け取ってくれる?」
 なのはさんからのご褒美? 心臓が高鳴り出した。
「わ、私にですか? …………いいんですか!?」
「うん! ソフィーならきっと気に入ってくれるんじゃないかな?」
「はいっ!」
 さっきまでの不安が一気に消えた。
 憧れの人からのご褒美だ。こんなに嬉しいことは無い。
 嬉しさと恥ずかしさと緊張と期待と興奮が身体の中で大暴れをしている。その場で踊り出してしまいそうなくらいだ。
「うわあコイツ! ソフィー!」
 ミリー部隊長の大声と、ホカン部の皆の呆れ顔と笑い声が突然聞こえてきて、私の方が驚いた。
 ホカン部の皆どころか、シグナムさんが背中を向けたまま肩をヒクヒクと震わせ、アギトさんはお腹を抱えて爆笑している。なのはさんはまた呆れ顔だ。
 一体どうしたというのだろうか。
「鼻、鼻!」
 マルコちゃんの声を聞いて、私は自分の鼻を触ってみた。
 あれ? ヌルっとした。
 見てみたら、血が出ていた。

 To be continued.



[24714] 第九話 お姉ちゃん
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2011/01/09 00:20
 今日、私は朝からずっと機嫌が良い。
 目覚まし時計のアラーム音よりも早く目覚めた身体は、ベッドから降りる動作も軽やかだった。朝食だっておかわりもしてしまったし、ブリーフィングルームの掃除をしていたジージョちゃんに「お疲れ様!」と言って労いの意を込めた肩揉みだってしてしまった。
 こんなにも私が機嫌を良くしている理由は、午後に控えた約束事のためである。
 一週間前に、なのはさんに誘われてホカン部の皆で参加した戦技教導の模擬戦。その時の戦いぶりを見て褒めてくれたなのはさんが、私にご褒美と称して渡したいものがあると言ってくれた。
 そしてそのご褒美を受け取るのが、今日の午後なのだ。
 憧れの人が私達を認めてくれたばかりか、更にはご褒美までくれると言うのだ。こんなにも心躍ることはなかなか無い。
 高まる喜びと期待を必死に抑えて、仕事に専念しようとデスクに座る。しかし、どうしても抑えきれずに漏れ出た感情が、私の表情を知らぬ間に変えていた。
「ソフィー……気持ち悪いぞ」
 私の顔を覗き見たマルコちゃんが引いている。
 しかし、それでも私は全然気にならなかった。
 突如、ブリーフィングルームの扉が開いて、ミリー部隊長が入ってきた。
 朝早くから部隊長室に閉じ籠もっていたミリー部隊長は、扉を潜ってきたかと思うと満面の笑みを浮かべながら自分の席に着いた。
 ミリー部隊長もやたらとご機嫌だ。あの緩みきった表情は、よっぽど良い事があったのかと思わせる。
「ミリー部隊長、何でそんなに嬉しそうなんですか?」
 私がにやけながら訊くと、
「ソフィーこそ全然締まりの無い顔してどうしたんだ?」
 と、訊き返してきた。
 異常なほどの笑顔が二つ、室内に花を咲かせる勢いで振り撒かれている。笑い声すらも重ね合わせ、私達二人は己の幸せを見せ付けあった。やがて表情を見せ合うだけでは抑えきれなくなり、私は席を立った。そして同じように席を立ったミリー部隊長と両手を繋ぎ合わせ、舞った。
「…………頭痛くなりそうだ」
 マルコちゃんがデスクに突っ伏した。
 結局十分ほど踊ってから、私は改めてミリー部隊長に尋ねた。
「今日はどうしたんですか?」
「ちょっと本局に行ってくる。用件は…………んー、まあ帰ってきてからのお楽しみだな」
 両手は繋がれたままだ。
「あ、私も本局に行く予定があるんです」
「そうなのか? なんだ、じゃあ一緒に行くか?」
「はぁい!」
 再び舞った。
 更に十分後、耐え切れずに技術室へと逃げていくマルコちゃんを見送り、私はようやく落ち着きを取り戻した。ミリー部隊長も踊り疲れたのか、「腹が減ったな」と言いながら私の椅子の背もたれに寄り掛かる。
 時刻はお昼の少し前。まだ本局へ移動をするには早い頃か。それでも時計の針が時を刻んでいく度に、私はまた落ち着きを失いそうになっていた。
 そんな私の様子をウィンディーヌちゃんが見て、いや、見かねて、ある提案をしてきた。
「二人とももう本局に行きなさいよ。向こうでちょっと早いお昼でも食べてくれば?」
「あ、それいいかも」
「でしょ? ここで迷惑振り撒かれるより全然良いわよ」
 ウィンディーヌちゃんの毒舌が冴える。振り撒いているものは迷惑だったのか。
 しかし、それすらも受け流して、私とミリー部隊長は提案を受け入れた。
「よし、そうするか。ウィンディーヌ、悪いが本局まで送ってくれ」
「自分で行け!」
「そう言うなよー。お前もランチを一緒に食おう。奢るぞ?」
 それでもウィンディーヌちゃんは首を縦に振らなかった。
「あたしはね、ブラントと一緒に食べるの」
 そう言ってウィンディーヌちゃんは室内をふわふわと漂いながら、ブラント君の姿を捜した。だが、ブラント君の姿が見当たらない。
 そう言えばいつの間にか姿が見えなくなっていた。ブリーフィングルームに一度顔を出したのは確認したけれど、その後は特に気にも留めていなかったので、姿を消していることに今更気がついた。
 そんな私とウィンディーヌちゃんの様子を見て、ミリー部隊長はにこやかに微笑みながら言った。
「ブラントなら今は地上本部だぞ」
「え!?」
「あいつ、今日は健康診断なんだよ。先月寝坊ですっぽかしたからな。レントゲン検査もあるから、検査終わるまでは何も食べられないんだってー」
 舌を出した顔の両脇で手の平をひらひらと振りながら、ミリー部隊長は「残念でしたぁー」と言い放つ。 
 ウィンディーヌちゃんの両肩が震えている。三十センチ程しかない身体から放たれている怒気は、同じ室内にいる私達を押し潰しかねないくらいに膨張していく。
 平然としているミリー部隊長を除いて、私とジージョちゃんはデスクの下に素早く避難した。



 ホカン部隊舎のヘリポートに、私とウィンディーヌちゃん、それにタオルを片手に持ったミリー部隊長が降り立った。
 つい先程のことだ。ウィンディーヌちゃんの怒りを買ったミリー部隊長は、水攻めを受けている間苦悶の表情を浮かべながら「じ、人生が見える!」と言っていたから、おそらく自分の人生を走馬灯のように振り返っていたんじゃないかと思う。それでも「今朝、ちょうど顔を洗い忘れていたところだ」という強がりを、大量の水と共に吐いていた。
 その後、一旦着替えに戻ったミリー部隊長と、結局誘いを受けてしまったウィンディーヌちゃんと共に、私達は本局へと向かうべくこの場に集まった。
 しかし、何故ヘリポートなのだろうか。本局に行くなら地上本部を経由しなくては行けないから、まずは駅に向かうべきなのに。
 ウィンディーヌちゃんの足元に、正三角形の魔法陣が展開された。
 魔導師の操る魔法体系にある二種類の内の一つ、ベルカ式。正三角形の中に剣十字の紋章が回転する魔法陣を特徴としたそれを操る人は、私の周りにはあまりいなかった。ホカン部の中でも、私とジージョちゃんとマルコちゃんの三人は円形魔法陣のミッドチルダ式だ。ブラント君がベルカ式だというのは知っていたけれど、ウィンディーヌちゃんが単身で魔法を使う機会が少ないせいか、彼女もベルカ式だったということに、今まで気が付かなかった。
「じゃあ本局に直接送るわよ」
 ウィンディーヌちゃんがミリー部隊長に確認を取る。
 短く返事をしながらミリー部隊長が頷くのを見て、私は思わず口を挟んだ。
「えっ、えっ、え!? 本局に直接って…………出来るんですか?」
 一般論で言えば無理だ。だから私は焦った。
 転移魔法は確かに遠くの地へ瞬間的に移動できる便利なものだが、その利便性にも限界はある。
 まず第一の問題は、距離が遠過ぎる。地上本部や本局内にある転送室の魔法補助設備があるならともかく、単身による魔法で転移出来る程の距離では無いと思う。
 それに第二の問題として、仮に転送出来るとしても、ダイレクトに本局内へは入れないようになっているはずだ。部外者の転移魔法による侵入を防ぐという防犯上の理由から、本局に限らず、管理局所有の重要施設にはその建物を覆うように魔力障壁があるので、無許可での転移は出来ないはずだ。だから、普段私達は地上本部の転送室から本局へと向かう手筈を取っているのだ。
「なんだ? ソフィーはまだウィンディーヌの転移魔法を知らなかったか?」
「ウィンディーヌちゃんって、転移魔法が得意なんですか?」
 タオルを肩に掛けたまま、ミリー部隊長は髪を手指で梳きながら言った。
「ああ。ウィンディーヌは、ある一定量の水があればその付近まで転移出来るんだよ。それに転移出来る距離は、そんじょそこらの魔導師なんか裸足で逃げ出すくらい凄いぞ」
 私はヒデオウトに行った時のことを思い出した。ミリー部隊長が呼んだブラント君とウィンディーヌちゃんが、片道三十分は掛かるであろう移動時間を十分以内に縮めてきたことがあった。
 あれは彼女の転移魔法だったのか。
 今の説明が間違いでなければ、ウィンディーヌちゃんの転移魔法は相当なものだ。
「…………でも、魔力障壁は?」
「ウィンディーヌのもう一つの能力で解決だな。こいつ、流動性のあるものの流れを読んだり、多少ならその流れを変えることも出来るんだよ。魔力障壁は物理隔壁みたいな固体による壁ではない。常に注がれている魔力が一枚の膜を作っているようなものだ。魔力障壁は、魔力が絶え間なく流れて壁を成しているわけだから、その流れをちょこっと操って穴を作るくらいはウィンディーヌにとっちゃ造作も無い」
「その通り! あたしは“水の精霊ウィンディーヌ”! ゾーサも無い、ゾーサも無い」
 思わず感心してしまった。稀少技能(レアスキル)みたいなものだろうか。もっとも、ウィンディーヌちゃんは魔導師ではなくてデバイスだから、レアスキルと呼んでいいのかどうかは微妙なところだが。
 ふと、今の解説を聞いて、そこに生じる一つの問題点が頭に浮かんでしまった。
「あれ? でもそれって…………」
「はははっ! 不正規なルートでの移動だからな。バレたら怒られるぞー」
 一緒に行くの、やめようかなぁ。
「ほら、位置掴めたからもう出発するわよ」
 ウィンディーヌちゃんの魔法陣に乗り遅れたい気持ちを抱きながら、私はミリー部隊長と共にウィンディーヌちゃんの側まで歩み寄った。
 魔法陣の上に乗ると、なんだか不安定な足場にいるような気がした。地面が波打っているみたいだ。
 そう、まるで水の上に立っているみたいに。身体が今にも沈んでしまいそうだ。
「…………なんか、嫌な予感がするんですけど」
「そうか? だったら鼻と口を閉じとけ」
 それはどういう意味だろうか? 嫌な予感が増すだけの奇妙なアドバイスだった。
 突如、私は足場を失って高所から落下する感覚に見舞われた。瞬間的に見開いた目は、景色が一気に上昇していく様子をはっきりと捉えている。
 高所から落下しているというのは、あながち間違っていなかった。私は今、急に液体のようになってしまった地面の中に沈んでいく最中なのだから。
 嫌な予感が当たった。
 悲鳴を上げる間もなく魔法陣の中へとダイブしていく私の身体は、水攻めを受けたミリー部隊長のように無様にもがいた。
 しかし、魔法陣の中の真っ白な世界を刹那的に見た後で、すぐさま周囲の景色は現実的なものになった。
 転移成功、ということか。ここはどう見てもシャワー室だった。
 誰もいなかったのは幸いだろう。清掃をするわけでもないのに、シャワー室に服を着たままの姿で入る理由があるものか。私達は完全におかしかった。
「うむ。本局内のシャワー室に見事到着だ」
「見事……ですか」
「本当なら誰かに大量の水を用意してもらって手でも突っ込んでいてもらえれば、その人を目印にしてその近くに出られるんだけどね。目印が漠然過ぎるとこうなるのよ」
 なるほど、水がいっぱいあるだけでは転移ポイントを定めるのが難しいということか。まあ、水がたくさんある所と言っても、トイレじゃなかっただけ幾分マシか。
 私達はすぐさまシャワー室を後にして歩き始めた。
 それにしても、本当にここが本局内であることに驚いた。ウィンディーヌちゃんの転移魔法は、その始動時の溺れるような感覚と転移場所の不安定ささえ無ければ、相当優れたものであることが分かった。
 迷うことなく道を進むミリー部隊長に続いて、私とウィンディーヌちゃんは彼女の後ろ姿を追った。向かう場所は本局内の食堂だ。
 時刻がまだお昼前とあってか、空席の方が多い局員食堂。これから大勢が押し寄せてくるのを待ち構えるように、厨房の方からは良い匂いが漂ってきて食欲をそそった。
 朝ご飯はしっかりと食べてきたはずなのに、もうお腹が鳴りそうだった。
 食べ慣れたホカン部隊舎の食事とは違う、バイキング方式で選べる食堂のメニューに相当迷いながら、私達はそれぞれ食べたいものを選んで適当な席に腰掛けた。
 ミリー部隊長が私のお皿に乗ったメニューを見て、「子供みたいだな」と笑った。少し恥ずかしい。
 ウィンディーヌちゃんは自分の身体の半分くらいもあるパンに一生懸命齧り付いている。こうして見ると、ウィンディーヌちゃんの方が可愛らしく見えるのは私だけだろうか。
 じっとウィンディーヌちゃんを見ていると、彼女が私の視線に気が付いた。そしてこちらを見た途端、呆れたような表情で言った。
「はぁー……ソフィー、口元に付いてる」
「へ?」
 自分の口を指で拭うと、その指先には赤いソースがたっぷりと付いていた。
「本当に子供だな!」
 ミリー部隊長が大きな笑い声を上げた。
「そんなんじゃあブラントと変わらないわよ」
 そう言えば以前、食事中のブラント君も口元を汚していて、それを見つけたウィンディーヌちゃんはハンカチで拭き取ってあげていたっけ。
 ホカン部で時折見られる、ブラント君とウィンディーヌちゃんの微笑ましい光景が、私は何気に気に入っていた。
「ウィンディーヌちゃんって、ブラント君のお母さんみたいだよねー」
「“お母さん”じゃなくて、“奥さん”と呼んでちょうだい」
 サラダに手を伸ばしながら言う彼女を見て、私はずっと抱いていた疑問をぶつけてみた。
「なんでウィンディーヌちゃんってブラント君の“奥さん”なの?」
「そりゃあ、五年前から一人ぼっちだったあの子をずーっとお世話してきてるんだから。ご飯も衣服も寝る世話も、まだまだお子様なブラントの面倒を見てきたのよ。そこまでする人と言ったら、やっぱり奥さんじゃない?」
 そこで、ミリー部隊長が口を挟む。
「こいつ、あたしとは融合(ユニゾン)の相性が悪いからって、ブラントと出会うなりあっという間に自分の主人(ロード)をブラントに決めちゃったんだぞ?」
 その話を聞いて、ミリー部隊長とウィンディーヌちゃんの付き合いの長さを感じることが出来た。二人は相当前から知り合いだったらしい。
「んー、でもそこまで世話してきたとなると、やっぱりお母さんってイメージの方が…………」
「お母さんっていうのは、あたしが名乗るわけにはいかないのよ」
 口に含んだ野菜を飲み込んでから、ウィンディーヌちゃんは想いに耽るように目を閉じた。
 その表情に秘められた意味は解らないけれど、今の言葉で感じたことはある。
 ウィンディーヌちゃんがブラント君に対して抱いている気持ちは、単純な恋愛感情では無いのかも知れない。どういうわけか母親と名乗ることに抵抗があるようなので、彼の世話をする義家族としての便宜上の理由で“奥さん”を自称しているような印象を受けた。もちろんブラント君を好きである気持ちは本物なのかもしれないが、彼女には、ただそれだけではない理由がありそうだ。
 ふと、ミリー部隊長を見ると、ウィンディーヌちゃんの言葉を聞いたからなのかどうかは分からないが、とても穏やかな表情を浮かべていた。だが、穏やかであると同時に少し切なさも織り交ざっている気がして、思わずその表情に見入ってしまった。
 普段のミリー部隊長が見せる、勝気で不敵で意地悪そうな笑顔とは似ても似つかないその表情を見ていると、何故だか胸に温かさが湧き上がる。
 包み込まれているような。優しさに触れているような。
 何故だろう。切なさの共有ならまだしも、この人に対して安心感を抱く理由が解らない。
 ふと、思い出した話題を振ってみた。
「そう言えば」
「ん?」
「この間の模擬戦の時に、カローラに言われたんです。私の、それにホカン部の皆の笑顔がミリー部隊長の笑顔に似ているって」
 ミリー部隊長とウィンディーヌちゃんが、同時に私のことを見たまま固まった。驚いている様子では無いが、不快に感じたり理解が出来ていなかったりするわけでも無さそうだ。ゆっくりと私の言葉を頭の中で一文字ずつ確認するかのように、動きを止めている。
 そして次第に、ミリー部隊長の口元が緩んでいった。これもまた、優しさに満ちた顔だった。
「不満か?」
 声が少し明るさを増したように聞こえた。喜んでいるのかな?
 私はなかなか答えられずにいた。
 ミリー部隊長の笑顔は、時々物凄く怖いことがある。それだけで相手を飲み込んでしまうような、何とも言えぬ圧力を放つことがあるのだ。
 模擬戦の時に、私のワガママに助け舟を出してくれたミリー部隊長が見せた笑顔は、本当に怖かった。
 あの時の笑顔に似ていると言われたことは、正直に言うとあまり喜べない。
 私の中にもミリー部隊長が持つ猟奇性や邪悪さがある。そんなことを思わせるので、私は答えられずにいた。
 ミリー部隊長は続けて言った。
「覚えているか? ヒデオウトに向かう次元航行艦の中で、私がお前に言った言葉を」
「どの言葉ですか?」
「お前に、『楽しいか?』と訊いたことがあっただろう」
 思い出した。これから戦いに身を投じようとしていた私に向けて、ミリー部隊長はそう訊いてきたのだ。
 私は答えられなかった。戦いを楽しいなどと答えたくは無かったのだ。
「あの時、何で私がそんなことを訊いたのか。それは…………」
 まさかと思った。
「ソフィー、お前が笑っていたからだよ」
「…………うそ」
「嘘じゃないわよ」
 今度はウィンディーヌちゃんだ。
「それに、ソフィーがウルスラの中であたし達に頭を下げた時、身体を起こしたあんたの笑顔もミリーに似ていたわよ」
「そんな…………」
「え、やっぱ嫌か?」
「あ、えっと…………別に…………」
 ミリー部隊長のことは好きだ。ちょっと危険視してしまう部分もある性格だが、私やホカン部のことを本当に大切に思ってくれていることは、今まで一緒に過ごしてきた日々からも十分に感じ取れる。
 だが、彼女に似ていると言われてショックを受けたのは否めなかった。
 ミリー部隊長の顔を見ると、なんだか少しがっかりしているような表情を浮かべていた。
 まさか失礼な態度が露骨に出ていたのだろうか。
 私は少し強引に笑顔を浮かべて言った。
「皆にそう言われてちょっと驚いただけですから、気にしないでくださいね! 私、ミリー部隊長のこと好きだし!」
「えっへへへ! そうか!」
 ミリー部隊長は照れていた。
 こういう時に見せる笑顔は本当に可愛らしくて素敵なんだけどな。
 この話題は、今はあまり引っ張りたくなかった。
 私は話題を変えた。
「あと、何でウィンディーヌちゃんはミリー部隊長のことを呼び捨てなんですか? 一応は上司ですよね?」
「一応も何も……紛れも無く私は上司なんだけど」
 ミリー部隊長のツッコミを無視しながら、ウィンディーヌちゃんがあっさりと答えた。
「付き合いが長いからでしょ。管理局に入るよりも前からミリーとはずっと一緒だし」
「へぇー! そうなんだ!?」
「ああ。私もウィンディーヌのことは融合騎(ゆうごうき)というよりも、一人の友人のように思っている」
 そうなのか。だからウィンディーヌちゃんはミリー部隊長を呼び捨てにし、ウィンディーヌちゃんと一緒に過ごしてきたブラント君も彼女に倣って呼び捨てで呼ぶのか。
「それにしても融合騎って呼び方珍しくないですか? それってユニゾンデバイスの古い呼び方ですよね?」
「まあな。呼ぶ奴がいないわけじゃないけど、今じゃユニゾンデバイスの方が一般的だしな」
 その後も他愛の無いお喋りが続き、私達は少し長めのランチを楽しんだ。



 食堂を飛び出して、私は走っていた。
 お喋りに夢中になって、なのはさんとの約束の時間がすぐそこまで迫っていたのに気が付かなかった。それはミリー部隊長も同じだったようで、「はははっ! 遅刻だぜ!」と言いながら私とは反対方向に走って行った。
 少し食べ過ぎたお腹が苦しい。
 すれ違う人達にぶつかりそうになりながら、私は廊下を駆けた。
 しかし、以前本局に来た時もそうだったが、こんな広い施設内を私一人で迷うことなく進めるわけなどなかった。
 壁に掛かっている案内表示を見てもよく分からず、案の定迷子になってしまった。
 なのはさんに念話が繋がるかと思って試みたが、施設内は同室にいるなどの至近距離でないと念話が通じないようになっているらしい。そりゃあそうだ、機密事項等が駄々漏れな事態があってはならないのだから。
 途方に暮れていた私は、誰かに道を尋ねようと周囲を見渡した。しかし、こういう時に限ってすれ違う人がいない。
 何てことだ。遭難してしまった。
 私は壁にもたれ掛かって天井を仰いだ。
「どうかしましたか?」
 柔らかな声が聞こえた。
 その声の方向に視線を向けると、そこには行儀良く佇む一人の女性がいた。
 歳は同じくらいかもしれないが、ウェーブの掛かった長い髪と猛々しさを一切知らなさそうな優しい目、それに柔らかな物腰と声が、彼女をずっと大人びた風に見せている。
 着ている管理局の制服は真新しさが感じられる。卸したてだろうか。
「あ、あの! 道に迷っちゃったんです! 第四メンテナンスルームって何処ですか?」
「あらあら、迷子さんですか? 困りましたねぇ、私も迷子なんです」
 がっくりと肩が落ちる。
 しかし、次の一言が私を元気付けた。
「でも、メンテナンスルームなら先程通り過ぎて来ましたよ。ご案内いたしましょうか?」
「ええ! でも、いいんですか? えっとぉ…………」
「ノーラです」
「ノーラさんも迷子ですよね」
「構いません」
 いや、構った方がいい気がする。しかし、私はせっかく掴んだ頼みの綱を手放せずにいた。
 彼女が「こちらです」と言って歩き出したので、私はおとなしくその背中に付いて行った。
 何と言うか、外見や喋り方だけでなく、歩き方も清楚な感じがした。規則正しく響く小さな足音は、聞いていて不思議と心地良い。
 彼女の左耳に付いているイヤリングが目に入った。ぶら下がっているのは金色の鈴。不思議なことに、どんなに揺れても音はしなかった。
「可愛いイヤリングですね」
 そう言うと、彼女は少し振り向いて微笑んだ。
 そして次の瞬間、
「Danke schön」(ありがとうございます)
 彼女とは違う声が聞こえてきた。
「デバイスだったんですか」
「ええ。シルウェストリスと言います」
「Freut mich sehr」(はじめまして)
 程なくして、私達はとある部屋の前にやって来た。
 両開きの扉の上には『第四メンテナンスルーム』の名前。
「着いたぁ! ノーラさん、どうもありがとうございます!」
「どういたしまして。えーと…………」
「あ、自己紹介が遅れました。遺失物保護観察部のソフィー・スプリングスです」
「遺失物保護観察部…………」
 私が敬礼をすると、彼女も微笑んで敬礼を返してくれた。
 それにしても、確か彼女も迷子になっていたはずだが大丈夫だろうか。自分が目的地まで連れてきてもらったのに、彼女をこのまま放っておくのは何だかすごく悪い気がした。
「ノーラさんは何処に行こうとしていたんですか?」
「人と待ち合わせをしていたんですけれど、私が勝手に待ち合わせ場所から動いてしまったから。局員食堂まで行ければ、その先は分かるのですが…………」
「あ、私がさっきまで居た場所だ」
 しかし、ここまでの道のりを私は思い出せない。つくづく自分の役立たずぶりに呆れてしまう。
 すると、私の言葉を聞いたノーラさんが両手の平を胸の前で合わせて言った。
「そうですか。ではソフィーさん、もしよろしければ、少し協力していただけませんか?」
「え? あ、はい。お役に立てるなら…………でも、道覚えてないんですけど」
 彼女は私に近づいて、「構いません」と言いながら自分の両手の平を差し出してきた。
 すると、彼女の足元には薄い黄色のベルカ式魔法陣が展開し、彼女の広げられた両手の上に、魔法陣と同じ色で輪郭を示す半透明の猫の影が浮かび上がった。
 目だけは真っ赤なその猫は、私とノーラさんの足元に飛び降りると、私の足の周りをぐるぐると歩き回った後、小さく一回だけ鳴いたような素振りを見せた。
「すみませんが、ソフィーさんの記憶を少しの間だけお借りしますね」
「…………はい?」
 半透明な猫が歩き始めると、ノーラさんはそれを追いかけて行ってしまった。途中、一瞬だけ振り向いて「では、また後で」と言い残していく。
 まるで再会することが分かっているような言い方だった。
 それにしても気になるのはあの猫だ。おそらく魔法の一種なのだろうが、あんな魔法は見たことが無い。
 彼女の歩いていった先を見つめていると、突然メンテナンスルームの扉が開いた。
「あれ? ソフィー来てたの?」
 声の方に振り向くと、そこには目的の人、なのはさんがいた。
「あ、なのはさん」
「あ、なのはさん、じゃなくて。来てたなら入ってくれば良かったのに。これから探しに行こうかと思ってたんだよ?」
 私は頭を掻きながら謝った。
 二人でメンテナンスルームの扉を潜ると、中にはもう一人、私の知っている人がいた。
「やっほー、ソフィー」
「シャーリーさん!? どうしてここに?」
 なのはさんとシャーリーさんが顔見知りだったとは知らなかった。それなのに、シャーリーさんと私に面識があることをなのはさんは知っているようだ。
 シャーリーさんは私が近づくと、目の前の機械に向き直って操作キーを打ち始めた。機械のディスプレイには相変わらず難解な記号や単語や数値が表示されていて、更にそれらが目まぐるしく消えたりスクロールしたり出現したりしている。
「なのはさんに頼まれたのよ。あなたへの贈り物を渡すのに協力してくれってね」
「贈り物?」
 続きはなのはさんが言った。
「うん。こないだの模擬戦のご褒美なんだけどね…………もしソフィーさえ良ければ、私のとっておきを受け取ってくれないかな?」
「とっておきって何ですか?」
「集束砲撃魔法。私もソフィーも中、長距離を得意とする空戦魔導師だし、ソフィーの今後を考えても覚えておいて損は無いと思うんだ」
「私に、なのはさんの魔法をくれるんですか?」
「ソフィー自身は、模擬戦で見せたような大型集束魔法を既に持っているから、特別必要だとは思ってないんだけど…………何て言うのかな? ソフィーとの繋がりがちょっと欲しいなって、私自身が思ったの」
 憧れの人が、そんなことを言ってくれた。
 胸が熱くて仕方が無かった。嬉しいなんてものではない。今の自分が幸せ過ぎて、この現実を簡単に信じていいのかどうかさえ迷ってしまうくらいだ。
「ど、どうして私なんかに…………?」
 なのはさんが頬を赤らめながら、私の頭に手を置いて言った。
「幾つか理由はあるんだけどね。ホカン部を受け入れられない悩みを、誰かに相談することもせずに一人で抱え込んでいたところとか、模擬戦の時に最後まで私にワガママを主張する頑固なところとか、ちょっと私に似ているところがあるなって思って…………。それにね、私、小さい頃に家庭の事情でちょっとだけ寂しい時期があったの。お父さんとお母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃんにも構ってもらえなかった時期が。それで、妹がいてくれれば寂しくもないし、その妹も寂しがらないように私がずっと側にいてあげられるのに、って考えたことがあって」
 本当になのはさんは優しいし、可愛いと思った。
 私が憧れた人は、こんなにも普通の女の子だったんだ。
「今はヴィヴィオがいるでしょう? だから“お母さん”の気持ちっていうのは少し分かるんだけど、“お姉ちゃん”の気持ちっていうのは、きっとソフィーと一緒にいる時に感じるものがそうなのかも」
「私の……お姉ちゃん?」
「うん! ちょっと恥ずかしいんだけどね、ソフィーが妹みたいでほっとけない……って言うのかな」
 赤面していくのが分かった。なのはさんの顔を直視出来ない。
 何て言えばいいのだろうか。とりあえず、なのはさんの申し出に返事をしなければいけない。
「えと……あ、あの! なのはさんのとっておき、欲しいです! よろしくお願いします!」
 なのはさんも顔を赤くしていた。そして、それから一度だけ頷いた。
 私の返事を確認した後、シャーリーさんがマスタースペードを貸してくれないかと言ってきた。
 首から提げている待機状態のマスタースペードを渡すと、シャーリーさんはそれを整備カプセルに入れた。
 私がカプセルに近づくと、マスタースペードが三回程点滅をした。
「ごめんね、マスタースペードの意見を聞かないで」
「Worry is not needed. I'm glad」(心配無用です。私は嬉しいですよ)
 すると、背後からシャーリーさんの声がした。
「んー、やっぱりどうしてもカートリッジシステムを搭載したいのよ。マスタースペードは了解してくれるかしら?」
 それを聞いて、本当に申し訳なく思いつつ再びマスタースペードに視線を送る。
「…………らしいんだけど」
「No problem」
「…………ほんとごめん」
 私がカプセルから離れると、シャーリーさんがディスプレイを操作しながら言った。
「じゃあマスタースペードはしばらく預かることになるから、ミリー部隊長にはソフィーから伝えといてくれる?」
「はい、よろしくお願いします」
 時計を見ると、そろそろミリー部隊長と合流しなければいけな時間だった。こんなにも時間が押し迫っているのは、やはり迷子になったからか。
 私がなのはさんとシャーリーさんにそのことを伝えると、なのはさんが一緒にミリー部隊長の所まで来てくれることになった。
 廊下を歩いている途中、私は何度も御礼を言った。なのはさんは「もういいよ」って何度も言っていたけれど、こんなにも想ってもらえていたことが今でも夢みたいに思えて、私はとめどなく溢れる喜びを全て感謝に変換するくらいの気持ちでいた。
「ソフィー、ほら」
 なのはさんが指差す方を見ると、そこにはミリー部隊長とウィンディーヌちゃんの姿があった。
 そして二人の側に、見覚えのある一人の後ろ姿が見えた。
 ウェーブの掛かったロングヘアーから見え隠れする左耳の鈴型イヤリング。
「ノーラさん?」
 私が声を上げると、ミリー部隊長が目を丸くして言った。
「あれ? もう顔合わせしてたのか?」
 後ろ姿の女性も私の声に気が付いてこちらを向いた。やっぱりノーラさんだ。
 彼女はそれほど驚いた様子もなく、変わらない優しそうな微笑みを浮かべながら言った。
「また会いましたね、ソフィーさん」
「どうしてここに?」
 私の問い掛けに、ミリー部隊長が笑顔で答えた。
「ようし、では紹介しよう!」
 紹介? 一体どういうことだろう。
「私の用事ってのは、この子を迎えに来ることだったんだ」
「迎えに……ですか?」
 ノーラさんが一歩前に進み出た。
 それから私となのはさんに一礼をした。姿勢まで美しいお辞儀だった。
「本日より遺失物保護観察部に配属となりました、ノーラ・ストレイジー三等空士です」
「ホカン部に配属? …………って、ええええええっ!?」
 そう言えば、彼女は私と別れる時に再会を仄めかすようなことを言っていた。
 ノーラさんが少しだけ笑った。
「ふふふっ、どうぞよろしくお願いします」

 To be continued.



[24714] 第十話 探し物
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/16 11:34
「本日より、遺失物保護観察部に配属となりましたノーラ・ストレイジーです。至らぬ点もあるかと思いますが、皆さんどうぞよろしくお願いいたします」
 丁寧なお辞儀と共に、ノーラちゃんはそう言った。再び頭を上げて直立する彼女の姿勢はやっぱり美しい。
 ホカン部隊舎に戻って来た私とミリー部隊長とウィンディーヌちゃんは、新しく仲間に加わったノーラちゃんを連れて来た後、さっそくホカン部の全員と顔合わせをすることにした。
 ブリーフィングルームへの道中、ノーラちゃんはホカン部に配属されたことをどう思っているのか、もしかしたらかつての私のように、自分を要らない人材なのだと思って落ち込んだりしていないかと心配になった。
 しかし、そもそも彼女は以前に別部署へ務めていたという経歴が無く、このホカン部が最初の配属先であると教えてくれた。
 そうか、ならばこのホカン部が周囲からどんな評価をされているのか知らないかもしれない。つまり、ホカン部への配属を悲観することもない。
 私は、ある意味幸せだと思える彼女の境遇に、少し安心した。
 ノーラちゃんが自己紹介を終えると、彼女はミリー部隊長に促されて空いているデスクに着いた。そこは私の目の前の席。
 決して広くはないホカン部のブリーフィングルーム。私が配属されたばかりの時に見た七基のデスクは、ノーラちゃんの登場によって全て埋まったことになる。
「ようやく全員揃ったわけだ!」
 ミリー部隊長が嬉しそうに微笑んだ。
 揃ったと言えばその通りだが、もし、この先も人数が増えるようなことがあったらどうするのだろう。この部屋ではさすがにもうデスクを並べることは出来ない。それともこれ以上ホカン部のメンバーは増えないという意味で言ったのだろうか。
 考えてみれば、この隊舎はノーラちゃんが加わっただけで、これ以上の人員増が起こり得る可能性を無くしたように感じる点が幾つもある。
 備えられたデスクの数、隊舎内にある部隊員用の個室の数、その他にも設備環境等のあらゆる面で、今以上の増員を許さないような空間であるホカン部隊舎。
 まるで、私達が揃うことは最初から打ち合わせられていたかのような。
 そんなまさか。私はその考えを拭い去った。
「ノーラの部屋は既に寮母さんが綺麗にしておいてくれたから、後で案内してやろう」
「はい、よろしくお願いします」
 微笑むノーラちゃんを見て、マルコちゃんが話しかけてきた。
「なかなかおしとやかなお姉さんだな」
「え? でもノーラちゃん、私とマルコちゃんのいっこ下だよ?」
 マルコちゃんの目も口も鼻も、とにかく顔全体が開いた。面白い表情だ。
 ホカン部隊舎に戻ってくる途中で、私とノーラちゃんで年齢の話になった時に本人から聞いた情報だ。彼女は私とマルコちゃんの一つ下で、それを理由に「親しみ易く呼んでほしい」とも頼まれた。
 マルコちゃんが表情を戻さないので笑いが止まらないでいると、ミリー部隊長が席を立って言った。
「よし、今日も一日お疲れ様! 業務終了だ」
 私達は声を揃えて返事をした。
 ふと、一つ思い出したことがあって、私は皆が部屋を出るよりも早く声を出した。
「ミリー部隊長!」
「ん?」
「あの、実は今私、デバイスを持っていないんですけど。代用機ってありませんか?」
 私のデバイス、マスタースペードは、現在シャーリーさんに預けてしまっていた。なのはさんが自分の持つ魔法を私に贈ってくれるということで、その作業のためにマスタースペードをしばらく預けなくてはいけなかったのだ。
 事情を説明すると、ミリー部隊長は視線を宙で泳がせた。
「…………どうだったかな?」
「確か倉庫に一機ありましたよ」
 マルコちゃんが言う。
「そうか。じゃあ当分はそのデバイスを使え」
「ありがとうございます」
「ただ、結構古いやつだったはずだぞ。一度念入りにメンテした方がいいな」
 返事をした私は倉庫に向かった。
 その後ろを、ジージョちゃんとマルコちゃんが追ってきた。二人とも探し物を手伝ってくれると言う。だが、ホカン部隊舎の倉庫はそれほど大きくない。そんなに探し物も難しくないはずだ。
 そう思っていた。
 一階の倉庫にやって来た私は、その扉を開いて絶句した。
「これは…………」
 マルコちゃんも驚いている。
 その理由はなんと、
「み、見事に片付いている…………」
 そこには、倉庫とは思えない程の清々しい空間が広がっていた。
 並べられた棚は一寸のズレも無く綺麗に整列して倉庫内に佇み、小物は種類別、用途別に小分けされていて分かり易い。そして物の使用頻度が徹底的に考慮されたその配置と取り出し易さは、まさに芸術だった。ホカン部の倉庫は、部隊の評判に反しない物、所謂ガラクタと思われるものばかりが収納されている。だからこそ、この綺麗な整頓が余計無駄に思えてしまう。
 倉庫らしい薄暗いイメージを抱いていた私達は、照明の光を反射する床に足を踏み入れることが出来ずに、思わず「倉庫らしく埃くらいあればいいのに」と漏らしていた。
「なんでこんなに綺麗なの?」
「…………二週間前に……掃除した」
 ジージョちゃんが声を漏らした。
「お前すごいな」
 マルコちゃんも唖然としている。
 思わず靴を脱いでしまった私とマルコちゃんは、倉庫内を見渡してから言った。
「で? デバイスはどこ?」
「ジージョ、デバイスはどこにしまった?」
 同時にジージョちゃんを見ると、彼女は部屋の中で何度も視線を泳がせた。
 本当に彼女のお掃除好きは凄いと感じた瞬間だった。綺麗過ぎて探し物が見つからない。
「まあ、明日には思い出すかもしれないさ。明日にしよう」
「うん、急ぎじゃないしね」
 私達は倉庫を後にして、その日はいつも通りの夜を過ごした。
 しかし翌朝、私は再びやって来た倉庫で呆気に取られた。
 なんとジージョちゃんが綺麗に片付いていた倉庫内の物を片っ端から引っ張り出して、眩しかった床を覆いつくしていたのだから。
 声も出せずにいると、眠たげな目でやって来たマルコちゃんが倉庫の中を覗き込み、一瞬にして顔全体を開いた。寝起きでそれをやられると、むくみもあって別人みたいな顔になる。
 何故だか泣き出しそうな顔をしながらジージョちゃんは、小さな声で「…………見つからない」と呟いた。
 話を聞けば、昨晩私達と別れた後、シャワーを済ませてから再び倉庫にやって来たらしい。たぶん私を想って夜のうちに見つけておこうとしてくれたのだろう。だが、一向にデバイスが見つからず、結局一晩中ここで探し続けてくれたという。
「で、それでも見つからない、と」
 マルコちゃんの言葉に、彼女は小さく頷いた。その両目は、もう涙をそれ以上溜めておけそうにもない。
「どうする?」
 マルコちゃんがこちらを向いた。
 無いならそれでも構わない気はするが、やはり空戦魔導師として何時如何なるときでも備えはしておくべきとも思う。
「んー…………」
「お困りですか?」
 背後からの声。
 振り向くと、そこにはノーラちゃんが立っていた。
「おはようございます」
 華麗な挨拶に私達は返事をした。それから再び倉庫内を見渡す。
 マルコちゃんが頭を掻きながら言った。
「お困りだねぇ。というよりも、お手上げだ」
 不思議そうに首を傾げるノーラちゃんに、私は事情を説明した。
 すると、ノーラちゃんは何故か微笑を浮かべて何度か頷いた。
 一体どうしたのだろう。彼女の胸中を察することが出来ないでいると、
「それでは、私にお手伝いをさせていただけませんか?」
 と言うのだ。
 しかし、この状況で手伝えることと言ったら、散らかった物の片付けしかない。デバイスはどこをどう見ても無いのだから。
「よし、じゃあ手伝ってもらおう。ノーラはそっちの荷物を片付けて…………って、どうした?」
 マルコちゃんの指示を聞かずに、彼女はジージョちゃんに近づいた。
「掃除をしたのは何時頃でしょうか?」
「…………二週間前」
 ジージョちゃんが答えると、彼女はまた頷きながら、両手の平を前に差し出した。そして彼女の足元にはベルカ式の魔法陣が広がる。
 私は思い出した。
 それは昨日、本局内で迷子になった彼女が使っていた魔法だった。
「ノーラちゃん……それって…………」
「はい、記憶の泥棒(アインディープ・デスゲデヒトニス)と言います」
 昨日と同じように、彼女の両手の上には半透明な猫の影が現れた。
 猫はジージョちゃんの足元に飛び降りると、警戒するジージョちゃんの足元をくるくると回りだして、その真っ赤な目を光らせながらノーラちゃんの方に向き直る。
「なんだい? その猫」
「私の稀少技能(レアスキル)です。この猫は、対象者の記憶を自らに宿します。デバイスを見失ったのは二週間前ですよね。では、二週間前のジージョさんの記憶を少し覗かせていただきます」
 そう言うと、ノーラちゃんは足元の猫を抱き上げた。猫はそんな彼女には興味無さそうに、周囲をキョロキョロと見回したり顔を撫でたりしている。
「ジージョさんは、掃除の最中にデバイスを一旦倉庫の表に出していますね。入り口の脇に立てかけておいて掃除を続けています。彼女が窓の拭き掃除をしている最中、背後からウィンディーヌさんの声が聞こえました。…………何かを借りていったようですが、ジージョさんはその何かを確認することなく返事をしています」
 凄い。どうやら彼女には、当時のジージョちゃんの視点が視えているようだ。
「…………掃除を終えて、倉庫内の整理をしていますね。でも、この時点でデバイスは既に見当たりません。おそらくウィンディーヌさんが借りていったのは、そのデバイスだったのではないですか?」
 ノーラちゃんの話が本当にジージョちゃんの記憶なら、状況から言って間違いなくウィンディーヌちゃんがデバイスを持ち去った犯人だ。
「便利な能力だな…………捜査任務に向いている」
 マルコちゃんが感心していると、ジージョちゃんが心配そうに尋ねた。
「記憶って…………全部見られちゃうの?」
 彼女は不安なのだろう。自分が忘れてしまっていた記憶ですら、この能力を使うノーラちゃんには筒抜けになってしまうのだ。能力が便利であることは確かに認めるが、記憶を全て知られてしまうのは怖い気もする。
 ノーラちゃんは申し訳無さそうに言った。
「やはり気味悪いですよね。ごめんなさい。私も必要最低限の記憶しか見ないように気をつけています。最初にデバイスを失くした時期を尋ねたのもそのためです」
「じゃあ…………」
「ええ、倉庫の掃除をしていた記憶以外は見ていません。あの…………信じていただけますでしょうか?」
 少し考えるようにしてから、ジージョちゃんが頷いた。
 人の記憶を見るということには、それなりの弊害があるのだと知った。ジージョちゃんの例を見てみると解るように、どんなに些細なことであってもその人が体験したことは確かに記憶として残り、対象者本人が忘れていようともノーラちゃんはまるで録画映像を見るかのように、その記憶の詳細を知ることが出来る。だがそれは、例えばその人が思い出したくない、もしくはずっと胸の内に秘めておきたい、誰にも知られたくない、忘れたままでいたい、そういった記憶すらも知ってしまうということ。
 そんな能力を持つ彼女は、今まで周囲からどんな風に思われてきたのだろう。
 嘘が通用しないから厄介であり、隠すことが出来ないから恐怖であり、掌握された気がするから憤る。そんな、今まで彼女を取り巻いていたであろう声が聞こえてきそうだった。
 ノーラちゃんは、もしかしたら周囲から疎まれたり避けられたりしてきたのではないだろうか。
 自分の能力を「気味悪い」と言ったノーラちゃん。本人も能力による弊害を理解しているのだろう。
 今回ジージョちゃんは彼女を信じると頷いてくれたが、だからと言って必ずしも毎回誰かが信用してくれるわけではない。むしろ信用してもらえない事の方が多いかもしれない。
 私は、もしかしたら不幸だったのではないかと思える彼女の境遇を、少し悲観した。
 そんな時、廊下の方から噂の人の鼻歌が聞こえてきた。
「これは…………はっ! すぐに容疑者を確保だ!」
 マルコちゃんの声に頷いた私とジージョちゃんは、廊下に飛び出して鼻歌の主を追った。
 すぐに追いつくと、突然目の前に立ち塞がった私とジージョちゃんを見て、ウィンディーヌちゃんが理解を示せないまま驚いていた。
 私とジージョちゃんは、ウィンディーヌちゃんの小さな両腕を摘むとそのまま倉庫の方に走った。
「ちょっとぉ! なんなのよ!?」
「マルコちゃん! 容疑者を確保しました!」
「よろしい! …………さて、ウィンディーヌ。二週間前にキミがここから持ち出したデバイスはどうした?」
「デバイス? そんなもん借りたかしら?」
 マルコちゃんの視線がノーラちゃんに向けられた。
「しらばっくれるか…………やれ」
「よ、よろしいのですか?」
「構わん」
 不安げなまま、ノーラちゃんは再び猫を出現させた。
 猫と目を合わせたまま動かないウィンディーヌちゃん。
 しばらくして、ノーラちゃんは「もう結構です」と言って私とジージョちゃんを見た。
 私達が手を放すと、案の定ウィンディーヌちゃんが怒り心頭に発した様子で喚き散らす。
 それを宥めながら、私達はノーラちゃんの話を聞いた。
「ウィンディーヌさんは、借りたデバイスを隊舎の中庭に持っていきました」
「中庭? なんで?」
「どうやら高齢の寮母さんは、最近中庭にある物干し竿に手が届かないそうです。それを見兼ねたウィンディーヌさんはそのデバイスを、竿上げ棒に利用するよう提案していますね」
 寮母さんが毎日綺麗にしてくれている洗濯物に、私達の探し物が一役買っていたというのか。ウィンディーヌちゃんの優しさに少しだけ胸が熱くなった。
 しかし、
「お前……デバイスを何だと思ってる!?」
「別に使い道無さそうだったし良いでしょ!」
 マルコちゃんとウィンディーヌちゃんの口論が始まってしまった。
 とりあえずデバイスの所在が判明すれば良い。口論を続ける二人を引き連れながら、寮母さんのもとに向かった。
 寮母さんの部屋の前まで来てすぐさま扉をノックすると、寮母さんが顔を出した。そして事情を説明してデバイスを返してもらおうとすると、驚くべき答えが返ってきた。
「え! ブラント君が持って行っちゃったんですか!?」
 どうやら、デバイスを貰ってから数日後、ブラント君が寮母さんに新しい竿上げ棒を渡し、それと引き換えにデバイスを渡してくれと言ったらしい。
 新たな容疑者が捜査線上に浮かび、私達はすぐさまブラント君に会う為に、彼の部屋へと急いだ。
「ブラント! いるのは分かっている! 無駄な抵抗は止めておとなしく出て来い!」
 無駄な抵抗などしていないブラント君に向けてマルコちゃんが呼びかけていると、ウィンディーヌちゃんが言った。
「言っとくけど、今ブラントはお昼寝中よ。そんな簡単には起きないわよ」
「お昼寝って、まだ昼前だぞ! 叩き起こせ!」
 マルコちゃんの声が響くものの、ブラント君の目覚めの悪さを知っている私達はその指示に従うつもりは無く、最初からノーラちゃんの力を頼りにしていた。
 鍵の掛かった部屋のドアを見て、「立て籠もる気か……」と零すマルコちゃん。
 だが、同室を利用するウィンディーヌちゃんが、扉を壊されてはたまるかと言って、合鍵を取りだした。
 中に入ると、ベッドで気持ちよさそうに眠るブラント君がいる。幼さの残るその寝顔は随分と可愛らしい。
 さっそく、ノーラちゃんの猫がブラント君の記憶を探る。
「出ました。どこかの建物に持っていってますね。ホカン部隊舎よりも大きなところです。…………この方は誰でしょう? 角刈り頭の背の高い殿方ですが…………」
「ほう……捜査線上に新たな容疑者が浮かんだな」
 ちょうどタイミング良く、ブラント君が目を覚ました。大きく口を開いて欠伸をしている。
「ブラント! 寮母さんから受け取ったデバイスをどうしてノイズ曹長に渡した!?」
 マルコちゃんが問うと、ブラント君は寝ぼけ眼のまま答えた。
「デバイスゥ? ああ、だってぇ……デバイスはああいう風に使うものじゃないもん」
 至極全うな回答。そう判断したところは偉い。
「寮母さんに返してもらって、三課に持ってった」
「だから何で三課に持っていくんだよ!?」
「えぇー? …………だって寮母さんがあんなの持ってるわけないし、きっと遺失物(おとしもの)だから」
「そういう意味の遺失物管理部じゃないだろ!?」
 マルコちゃんの怒声がブラント君に叩きつけられる。しかし、ブラント君は「おとしものは届けないと」という、いまいち的を射ていない答えを返す。まだ寝ぼけているのだろう。
 とにかく、ここまで行き先が判明したのなら追わないわけにも行かない。
 私達はすぐさま機動三課の隊舎へと向かった。



 そういうわけで、私達は何故か全員で機動三課の隊舎までやって来た。
 最初に探し物を始めた私とマルコちゃんとジージョちゃん、それに捜査担当のノーラちゃんはともかく、何故ブラント君とウィンディーヌちゃんが付いてきたのかと言うと、それはやはりジージョちゃんと同じく、ノーラちゃんの能力への疑念だった。
 ノーラちゃんの能力の説明と、記憶を覗くことに対するノーラちゃんなりの精一杯の配慮を話して聞かせ、二人も新しい仲間のことをとりあえず信じてくれた。
 三課隊舎の受付からノイズ曹長を呼んでもらうと、五分くらいしてからノイズ曹長が眉間に皺を寄せてやって来た。
「なんだ、ホカン部全員でぞろぞろと…………って、そちらの方は?」
 ノーラちゃんのことだろう。彼女を知らないノイズ曹長は、一瞬だけ見せた私達へのいつもの態度を隠すように、ノーラちゃんへ視線を向けた。
「昨日来たばかりのホカン部の新人です。ノーラ、こちらは“三課の角材”ことノイズだよ」
「“曹長”を付けろ! あと角材は要らん!」
「はじめまして、ノイズ曹長。ノーラ・ストレイジーと申します。以後、お見知りおきを」
 ノーラちゃんの挨拶を受け、少しだけ頬を赤らめながらノイズ曹長が挨拶を返した。彼女の清楚な物腰に鼻の下を伸ばすノイズ曹長は、少しだらしなく思う。
「ところで角材曹長」
「訂正しろ」
「以前、ブラントからデバイスを預からなかったですか? ブラントが鉄筋曹長に渡したと供述しているのですが」
「ああ、預かったな。それと建築材扱いはやめろ」
「やっぱり犯人は釘曹長、あなただったんですね? で、そのデバイスは?」
「んー…………あれ、どうしたっけ? あと細くて長くて天辺が平らだからって釘は酷いぞ」
「思い出してください。じゃないと“モデル・グラーフアイゼン”で打っちゃいそうです」
「いや、本当に思い出せない。それと打ったって刺さらないからな」
 マルコちゃんが模擬戦の時に見せた鉄槌を構える魔導師に変身して、その手に握った鉄槌を振りかぶった。
「ぬおりゃあぁぁっ!」
「待て待て待て待て!」
 ノイズ曹長の悲鳴を受けて、私はマルコちゃんを押さえつつノーラちゃんに合図を送る。すると、彼女は再びアインディープ・デスゲデヒトニスを使った。
 不思議そうに見入っているノイズ曹長を横目に、影の猫はその場に座って尻尾を振った。
「ノイズ曹長はデバイスを受け取った後、そのまま隊舎の外に出ていきました。この時に傘を二本持って行ってますね。ブラントさんの記憶でもそうでしたが、その日は雨が降っていました」
「二本? 外に何しに行ったんだ?」
「どうやら一本はブラントさんのものみたいです。忘れた傘を持って慌てて追いかけています」
 雨が降っているのに傘を忘れるブラント君もどうかと思う。
「戻ってきたノイズ曹長は、デバイスを自分の傘と一緒に隊舎入り口の傘立てに置きました」
 なるほど。おそらくそこに置いたまま放置してしまったから、デバイスの行方を憶えていないのだろう。
 マルコちゃんは、ノーラちゃんの報告を聞いてノイズ曹長が許せなくなったのか、再び鉄槌を構えた。
「ずありゃあぁぁぁっ!」
「だから待てって! 悪かったよ!」
 私とジージョちゃんがマルコちゃんを押さえると、ウィンディーヌちゃんが隊舎入り口の傘立てに視線を送りながら呟いた。
「じゃあ、今はどこにあるの?」
「分からない。だが、忘れ物とかは受付で一旦預かったりするからな。ちょっと訊いてこよう」
 ノイズ曹長が受付の方へ走る。まるでマルコちゃんから逃げるように。
 しばらくして戻ってきたノイズ曹長は、なんだかとてもバツが悪そうな顔をしていた。
「どうだったんですか?」
「…………サイオン部隊長が拾ったのを見たそうだ。まずいな……デバイスを放置するなんて、怒られるよな…………」
「…………次はサイオン部隊長か」
 マルコちゃんが三課の部隊長室に行こうとエレベーターの方を向くと、ノイズ曹長が慌てて彼女の正面に立った。
 何事かと思えば、「俺が放置したことは、内密に」と言って、顔の前で両手を合わせている。
 それを聞いたマルコちゃんは、怪しい笑みを浮かべながら「分かってますよ」と返事をした。
 怖い。弱みを握られることの恐ろしさを知った。
「あ、サイオン部隊長だ」
 ブラント君の声に振り向くと、隊舎の入り口から入ってくるサイオン部隊長の姿があった。相変わらずガッチリとした大きな身体で、その両脇には秘書らしき人を二人ほど引き連れて歩いていた。
 どこかに出掛けていたのかもしれない。隊舎の外から、車が走り去る音がする。
 マルコちゃんが軽快な足取りでサイオン部隊長に近づいていった。
「サイオン部隊長、お疲れ様でございます」
「ん? ああ、ホカン部の。どうしたのかな?」
「実は一つお伺いしたいことがあるのですが、先週デバイスを一本拾われましたよね?」
 サイオン部隊長は「ああ」と言いながら小さく頷いた。
 良かった。他の皆と違ってしっかりと憶えている様子だ。もっとも、デバイスを拾うなんて滅多にないことは、忘れることの方が難しいかもしれない。
 ふと、ノイズ曹長を見ると、両手を前に突き出しながら届かぬマルコちゃんを引き戻したい衝動と戦っていた。わなわなしている。
「あれは君のだったのか? 何故あんなところにデバイスが?」
 少し険しい表情を浮かべるサイオン部隊長は、やはりデバイスの放置という失態を咎めているようだ。
「いいえ、放置したのはボクではありません。実はそのデバイスはホカン部にあった物なんですが、今朝からそれを探していましてねー」
「そうなのか? だが、それなら何で私が拾ったということを知っている?」
「あそこにいるホカン部の新入りが実はレアスキルを持っていまして、その力でここまで辿り着いたというわけです」
「レアスキルを?」
 サイオン部隊長の目がノーラちゃんを捉えた。
 マルコちゃんがノーラちゃんに手招きをした。ノーラちゃんも、ホカン部と付き合いの多い三課の部隊長には一度挨拶をしようと思ったのだろう。小走りで駆け寄っていく。
「はじめまして。ノーラ・ストレイジーと申します」
「ストレイジー? …………ああ、まあ、はじめましてだな。レアスキルを持っているんだって? どんな力だ?」
 ノーラちゃんのファミリーネームに示した反応はなんだろう?
「はい、記憶を読むことが出来る能力です」
「…………記憶を」
 サイオン部隊長の顔が一層険しくなった。
 不安だった。ホカン部の倉庫でもジージョちゃん等が心配していたように、記憶を読むという力をサイオン部隊長は快く思っていないのかもしれない。
 それにしても、あんなに露骨に嫌な顔をされてはノーラちゃんが少し気の毒だ。フォローが必要かもしれない。助けてあげなくちゃ。
 私が一歩踏み出すと、それと同時にサイオン部隊長が再び口を開いた。
「今も読んでいるのか?」
「い、いいえ! 今は魔法は発動していません」
 すると、サイオン部隊長の険しかった表情が少しだけ緩んだ。何かほっとしたように、少しだけ肩も落ちた。
「あの…………」
「ああ、いや、すまんな。…………だが、そういう能力はあまり言い触らさない方がいい」
「ご、ごめんなさい!」
 ノーラちゃんが頭を下げた。だが、サイオン部隊長の厳しい視線はマルコちゃんに向いていた。
 マルコちゃんはバツが悪そうに視線を逸らした。
「気を悪くしないでくれ。君のために言っているのだ。確か局内の査察官に、同じように記憶を読む者がいると聞いた。だからこそ、将来的にもその力は大切にしてほしい」
 ノーラちゃんが改めて敬礼をすると、マルコちゃんが言った。
「サイオン部隊長。あの、デバイスは…………?」
「ああ、そうだったな。…………あれは、この間地上本部に行く予定があったので、向こうの技術部に渡してしまった」
「そうですか! よしノーラ、次は地上本部だ。サイオン部隊長、ありがとうございます!」
 マルコちゃんがそう言ってノーラちゃんの手を引くと、サイオン部隊長が引き止めるように言った。
「ところで、デバイスを置き去りにしたのは結局誰なんだ?」
「ああ、ヒントは角刈りです!」
 マルコちゃんの際どい発言を聞き、ノイズ曹長は冷や汗を掻きながら全身を震わせた。はぐはぐしている。
 それにしても今度は地上本部か。正直言うと、あちこちに振り回されて疲れてしまった。



 地上本部に来れば、やっと探し物のデバイスに巡り合えると思っていた。
 しかし、その期待も見事に裏切られた。
 つい数日前のことだ。なんと、技術部になのはさんが顔を出したという。
 なのはさんは自分の用件を済ませた後、サイオン部隊長が持ってきたデバイスを見た途端に目の色を変えて、本局に持っていってもいいかと尋ねた。
 その時のなのはさんの顔は、欲しいオモチャを目の前にした子供みたいに嬉しそうだったそうだ。
 事情を聞き終えた私とマルコちゃんとジージョちゃん、それにノーラちゃんにブラント君にウィンディーヌちゃん、最後にノイズ曹長が、同時にため息を吐いた。
 また移動しなくてはいけないのかとうんざりする気持ちも分かるが、ノイズ曹長が一緒にいる理由はよく分からない。
 だが、その理由も聞いてみれば予想していた通りだった。ブラント君やウィンディーヌちゃんと同じで、何も知らずに記憶を読まれたままでは不安だそうだ。
 だったら三課の隊舎で不安要素を解消してしまえば良かったのにと思ったが、どうやらデバイス放置の犯人に勘付いたサイオン部隊長と、顔を合わせたくないだけのようだ。
 地上本部から本局へと移動しようと、私達は転送室へと向かった。
 その途中でノーラちゃんの方を見ると、なんだか少し元気が無かった。声を掛けてみたが、「何でもありません」と微笑まれるだけ。
 何でもないわけがないのだ。いくらデバイスを探すためとは言え、彼女は忌み嫌われる能力を立て続けに何人もの人に使ってきた。
 そしてその度に、記憶を読まれた人は皆、ノーラちゃんに向けて警戒心を込めた視線を送っている。
 少々鈍感な面のあるマルコちゃんは気が付いていないのかもしれない。ノーラちゃんは、人の記憶を覗き見る度に少しずつ傷付いている。それは、サイオン部隊長に能力のことで注意された時も明白だった。
 何か声を掛けてあげたくて、彼女の声を聞いてあげたくて、それでも私は何と切り出せばいいのか分からずにいた。
 転送室を経て本局に辿り着いた私達は、本局内にある『戦技教導隊本部』に向かった。道案内は本局内の地理に詳しいマルコちゃんだ。
 教導隊本部に辿り着くと、二十基以上のデスクが並ぶ部屋の入り口にいる女性事務官にマルコちゃんが近づいていった。
「高町教導官はいらっしゃいますか?」
「高町教導官ですね。ご用件は?」
「ホカン部の者です。お伺いしたいことがありますと伝えてください」
 事務官の女性が了解して席を立つ。
 するとそのすぐ後で、教導隊本部に新たな来訪者が現れた。
 誠実そうな凛々しい顔立ちのその人が着ている服は、黒を基調とした騎士を思わせるデザインのロングコート。局員の制服ではないからバリアジャケットだろうか。その服越しからでも、しっかりと鍛え込まれていそうな身体であるのが分かる。元々大きな肩幅だが、服の両肩に付いた大きな棘の装飾が肩幅を更に大きく見せていた。
 教導隊本部の前でなのはさんを待っていた私達は、その人数のせいで邪魔になっているようだった。その来訪者は、私達の間を縫って歩くのが困難そうで表情に難色を示した。
 私達が道を開けようとした瞬間、突然ノイズ曹長が声を出した。
「あれ? クロノか?」
「ん? あ、ノイズじゃないか。こんなところで何やってるんだ?」
 二人が互いの顔を指し合い、目を大きく開いていた。
 知り合いなのか。私達が遠慮がちに端に寄ると、来訪者は私達を一度だけ見てから再びノイズ曹長と顔を合わせた。
「三課の子達か?」
「いや、彼等はホカン部だ。ところでお前、何でここに」
「私が呼んだんですよ、ノイズ曹長」
 その声は、私達の待ち人であるなのはさんだった。
 教導服を着た姿で立っているなのはさんは、右手に杖状デバイスを一機持っていた。
 マルコちゃんがそのデバイスを見て「あ!」と声を上げた。
 なのはさんがデバイスを見て首を傾げると、マルコちゃんが近づいて言った。
「これこれ! ホカン部の倉庫にあったデバイス!」
「ええ!? ホカン部にあったの!?」
 なのはさんが声を上げる。
 すると、クロノさんがそのデバイスを見て驚いたように言った。
「それ! もしかして僕のS2U!?」
 なのはさんが嬉しそうに笑って言う。
「そうなの! 懐かしいでしょう? この間地上本部の技術部にデバイス用の部品を取りに行ったら、そこでたまたま見つけてね。ほら、柄のこの辺り。十年前に私とフェイトちゃんが戦っている最中にクロノ君が割り込んできた時の、デバイスを受け止めた傷が付いてるの。これを見てすぐに分かったよ」
「なのは……まさか僕を呼んだ理由はこれを見せるためか?」
 呆れたように言うクロノさんに、なのはさんが「懐かしいでしょう?」と笑いかけた。クロノさんは他にも何か言いたげだったが、それよりもデバイスを手にとって微笑んでいた。友人と久しぶりに会うかのような、少しだけ遠くを見るような笑顔だった。
 ここまでの事を整理すると、ホカン部の倉庫にあった私達の探し物は、なのはさんと付き合いの長い友人であるクロノさんの使用していたデバイスだったということか。
 S2U自体は、だいぶ前まで量産されていたストレージ機能に特化したデバイスだ。ただ、なのはさんの見つけたこの機体は、クロノさんのお母さんがクロノさん用にチューンナップをしたデバイスであるらしい。なのはさんもクロノさんもこのデバイスには思い入れがあるとのことだ。
「使わなくなってからいつの間にか失くしたと思っていたんだけど…………どっかで他所の備品に紛れたのかな?」
「思い入れがあるなら、もう失くさないように」
 なのはさんの軽いお説教を、クロノさんは笑顔で受けていた。
 そんな品なら、私の代用機にするわけにはいかないだろう。
「そう言えば、ホカン部はどうしたの? 私に用事って?」
「実はぁ…………」
 今更で、しかも目的のものが何やら大切そうなものなので言い出しづらかった。
 それでも私が事情を二人に説明すると、意外な答えが返ってきた。
「僕は貸しても構わない。古い機種ではあるけれど、使えるなら使ってやってくれ」
「えっ! いいんですか!?」
「ああ。自分のデバイスが戻ってきたら返してくれればいいよ」
 凄く悪い気はしたが、せっかくここまで探しに来たのだからと、私はそのご厚意に甘えることにした。
 なのはさんの友人が昔使っていたデバイス、か。
 また一つ、なのはさんとの繋がりが増えた気がして嬉しかった。
「ありがとうございます! 大事に使いますね!」
「ああ、よろしく頼む」
 私は、デバイス探しの一番の功労者であるノーラちゃんにもお礼を言った。
「どうもありがとう!」
「いえ…………どういたしまして」
 まだ元気が無い。
 せっかく彼女のおかげでここまで来れたのに、一番助けてくれた彼女がこんなに悲しそうにしている。
 理不尽じゃないだろうか? 私は頑張ってくれた彼女に、一緒に笑ってほしかった。
 珍しい力を持ってしまったが故の不運なのだろうか。
 本当に、不運の一言で片付けていいのだろうか。
 そう言えば、こう考えたことは以前にもあったな。それは、私がホカン部に配属される初日のヘリの中だ。
 私は、彼女を何とか元気付けられないかと考えた。
 ホカン部に来たばかりの私が救われたように、彼女を救ってあげたかったのだ。

 To be continued.



[24714] 第十一話 夜景
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/16 11:37
「なるほど、そういうことがあったのか」
 ミリー部隊長は椅子の背もたれに体重を預けながら、目線を横にずらして口元に手を当てて唸った。
 しばらくの沈黙。
 私はミリー部隊長の真剣な表情を見ながら、次の言葉を静かに待ち続けていた。
 私達がデバイスの代用機を探し回った日から更に丸二日が過ぎ去り、その間、ノーラちゃんは何処と無く元気が無い様子を見せていた。私達との会話や業務に対する姿勢はいつも通り可憐で、真面目で、明るく振舞っている。しかし、そんな彼女が時折、僅かだが陰を見せる。
 ノーラちゃんが元気を失くしている理由は一つしか考えられない。それは、彼女が持つ稀少技能(レアスキル)が原因だ。
 記憶の泥棒(アインディープ・デスゲデヒトニス)。対象者の記憶を、魔力によって生み出した猫に宿らせることが出来る能力。ノーラちゃんは、この猫を介して他者の記憶を見ることが出来たり、記憶を猫に辿らせることで道案内をさせたりすることが出来る。
 しかし、三日前のデバイス探しの際に、彼女はその能力について機動三課のサイオン部隊長から厳しい態度を取られたのだ。
 あの時のサイオン部隊長の言い分は最もだと思うし、決してノーラちゃんの能力を否定するような発言でもなかった。だが、彼が一瞬だけ露骨に示した表情は、明らかに彼女の能力を、そしてそれを使う彼女自身を疎ましく思うようなものだった。敵意と言っても過言ではない。
 記憶を読む。それはプライバシーというものを消し去る。知られたくない事というのは誰にでも一つくらいはあって、ノーラちゃんの能力は、そういったものの秘匿性をゼロにしてしまう。
 ホカン部の皆は、ノーラちゃんの能力に対してとりあえず理解は示してくれた。そしてノーラちゃん自身も、他者の記憶を読むということが信頼関係に溝を作ってしまう可能性を孕んでいると自覚しているので、必要とする最低限の記憶しか読まないように配慮している。
 それでも、本当に彼女は最低限の記憶しか読んでいないのか、実は記憶を全部読まれているのではないか、という猜疑心は必ず湧き起こる。
 そして、その心理は当然のことだと思う。
 私、ジージョちゃん、ウィンディーヌちゃん、ブラント君、ノイズ曹長。この五人はノーラちゃんの能力によって記憶を読まれた。皆、記憶を覗かれた際に僅かながら不安や疑念を抱いた。もちろんこの私も、記憶を読まれた後で彼女の能力を知ったとき、一瞬だけ不安に駆られたのは紛れも無い事実だ。
 彼女の能力と、それを使う彼女の配慮を知り、私達は彼女への疑念を払拭した。現にホカン部メンバーやノイズ曹長は、早くもノーラちゃんをホカン部の一員として捉えており、彼女との接し方にぎこちなさや不自然な態度を示すことは無い。
 しかし、そんなにあっさりとノーラちゃんに気を許せたのは、はっきり言って凄いことだと思う。ホカン部やノイズ曹長がノーラちゃんへの疑念をあっさりと消してみせたのは、楽観主義者だからだろうか。それとも上辺(うわべ)だけ取り繕って、本当はまだ信用していないのだろうか。正直言ってどちらなのかは分からない。
 私は、ノーラちゃんの姿にどうしても陰を見てしまう。それは、考え過ぎだとか気のせいだと言われれば、本当にそうかもしれないと思う程のごく僅かなもの。
 それでも、一度気になってしまうとどうしても頭から離れなくて、もし彼女が大きな悩みに押し潰されそうになっているのなら、私はそんな彼女を助けてあげたい。一緒に支えてあげたい。助けを求めているのなら応えてあげたい。そう思うのだ。
 こんなにも彼女を助けたいと思うのは何故だろう?
 私は理由を探った。
 私がホカン部にやって来たばかりの時、私は仲間のことを信じられずに一人で泣いた。でもなのはさんに教えられ、一度は軽蔑した皆と正面から向き合い、皆を信じたことで今の私がいる。
 その時のように、私はノーラちゃんを信じるべきなんだと思う。あっさりと気を許してしまうことは決して悪いことではない。楽観主義でもなく、上辺だけでもなく、まずは一度彼女を信じてみるべきなのだ。
 そうして真正面から彼女と向き合えば、もしかしたら私は、彼女と悩みを分かち合うことが出来るかもしれない。分かち合う仲間が出来れば、ノーラちゃんも元気になるかも知れない。
 私がかつてホカン部から貰った“分かち合える仲間”を、今度は私があげる番なのかもしれない。
 そう思ったから、私は彼女を助けたいと思うのだ。
「では、こうしようか…………」
 ミリー部隊長がようやく口を開いた。
 私はノーラちゃんを助けたいと思ったが、情けないことにどうしたら良いのかが分からないでいた。
 そこで私は、ミリー部隊長と二人きりになったことを機に、全てを打ち明けて相談に乗ってもらっている。
 ミリー部隊長は、普段こそやる気があるのか無いのかよく分からない人ではあるが、ホカン部に対して、いや、ホカン部の仲間達に対しては助力を惜しまない人だ。それは間違いない。
 それに、実はミリー部隊長もノーラちゃんが見せる僅かな陰に気が付いていた人だった。
「ノーラの能力だが、私の許可無しでの使用を禁止することにしよう」
「禁止……ですか?」
「ああ。実はな、ノーラのレアスキルについては、あの子がウチに配属されると分かった時から、何かしらの規制をするべきじゃないかと考えていたんだ」
「何でですか?」
 ミリー部隊長がデスク上に両肘を乗せてから答えた。
「私がノーラの能力を知ったのは、あの子のホカン部配属に伴い送られてきた事前確認用の資料に目を通した時なんだ。捜査や査察等の仕事は管轄外であるホカン部では、ノーラのレアスキルは使い道が無い。だからノーラの力は無闇に使わせるべきではないと思ったんだ」
 全うな意見だった。と言うよりも、当然な意見だろう。
 現にノーラちゃんは、能力の使用によって辛い状況にいる。それに、今回はたまたま自分自身が悩みを抱えるだけに留まっているが、これで周囲との軋轢を生じさせていたのなら、もっと厄介なことになっていただろう。
 ミリー部隊長は続けた。
「サイオン部隊長の言葉は正論だ。ああいった能力はあまり公にするものではない」
「でも、ノーラちゃんは私のデバイス探しを手伝ってくれるつもりで能力を使ったんです。単なる人助けなんです。それすらも控えるべきでしたか?」
 私だってサイオン部隊長の言葉が間違っているとは思っていない。
 しかし、過ぎ去ってしまった事はどうしようもなくて、それなのにノーラちゃんがいつまでも責められている気がしたから、思わず反論をしてしまった。
 ミリー部隊長は答えた。
「ああ、控えるべきだったな。アインディープ・デスゲデヒトニスの使用によって起こり得る弊害は、ノーラ自身も自覚しているんだろう? だったらよく考えて、自重するべきだった」
「ただの人助けなのに…………」
「そうだな、ただの人助けだ。それなのに初っ端から最終手段を持ち出すのか? 辛い思いをするかもしれないと解っているんだろう? デバイスが見つからなかったのなら技術部等に問い合わせても良かったはずだ。そうせずに最初から能力を使ったノーラの気持ちはよく分からん。あの子なりに能力を使って人助けをすることは、何かしらの意味があるのかもしれない。もしくは他の手段が考え付かなかった間抜けか…………どちらにせよ、目的に合わせて労力を最低限に抑えるという無駄の排除は、仕事に限らずいろいろな面において大切なことだと思わないか?」
「…………思います」
「能力による弊害を理解していながら能力に頼り過ぎた。単なるデバイス探しにアインディープ・デスゲデヒトニスを使用するのは不等価だ。結果とリスクが釣り合っていないんだよ」
「じゃあ…………」
 少しだけ、私は拳を握り締めた。
 悔しい。
 ノーラちゃんは決して悪くはない。それなのに。
「何でノーラちゃんはホカン部に来たんですか? あんなに凄い能力を持っているなら、他にもっとふさわしい部署があるはずじゃないですか。どうしてホカン部なんですか?」
「…………なあ、ソフィー。ムキになるな」
 ミリー部隊長が立ち上がって私の頭に手を乗せた。
 どうしてだろう。温かくて、不思議と落ち着いてしまう。
「確かにノーラにはここよりもふさわしい部署があるのかも知れない。だが、若いうちはいろいろ経験しておくものだ。それに、ノーラがここにやって来たことにもちゃんと意味はある」
「意味って……なんですか?」
 ミリー部隊長の困ったような優しい笑顔。これも初めて見る顔だった。
「お前と一緒だよ。お前達は大切な存在なんだ。ホカン部はお前達を必要としていることを、お前達自身も信じてくれないか? でないと、ここは本当に役立たずの部署になってしまう」
 曖昧な答えではぐらかされた気がするが、ミリー部隊長の優しい笑顔を見ていると、なんだが言うとおりにしようと思えてしまう。
 本当に不思議な人だ。
 優しくて、怒ると怖くて、それでいて私達を大切にしてくれる人。
「ノーラが責められているように感じてしまうかもしれないが、あの子が迂闊だったのは確かだよ」
 最後にそう言われて思った。
 ノーラちゃんは迂闊過ぎたのだろうか。どうして能力を使ったのだろうか。
 私は、そこに何かしらの理由があると信じた。何故なら、能力に頼らない解決方法を思いつかないほどノーラちゃんが間の抜けた子だとは思えなかったからだ。
 きっと能力に頼る理由がある。
 私が彼女を信じて向き合うべきポイントは、そこだと思った。
「ノーラちゃんは今どこにいますか?」
 すぐにでも行動を起こしたくて、私はミリー部隊長に詰め寄った。
「今日は三課のサイオン部隊長のところまで行かせたよ。マルコとジージョの二人と一緒に、データディスクを受け取りに行ってもらっているんだ」
 またデータディスクか。私は、以前に自分が行ったおつかいのことを思い出した。ミリー部隊長曰く、新入りの他部署への顔見せという理由も含めておつかいに行かせていると言う。
 しかし、デバイス探しの件もあったし、それでサイオン部隊長と再会となると、ますます心配になってくる。
「じゃあソフィー、ちゃんとノーラに伝えとけよ。私に許可を取っていない場合は能力の使用を禁止するって」
「え!? 私が言うんですか!?」
 驚いていると、背を向けながら手を振るミリー部隊長が言った。
「よろしく頼むぞー」
「でも、ノーラちゃんが元気無いのはどうするんですか!?」
 既にブリーフィングルームの出入り口から片足を出していたミリー部隊長は、顔だけ振り向かせながら言った。
「大丈夫だ、あの子は良い子だよ」
 そう言って再びミリー部隊長は部屋を出て行った。
 唖然とした私は時計を見た。
 どんなタイミングでノーラちゃんに切り出したらいいのだろう。私は頭の中に無数の状況を思い浮かべてシミュレーションをした。
 とっくに昼過ぎを迎えている時計の指針が憎らしい。
 針が進むたびに、私の精神的余裕は削られていく。



 結局、ノーラちゃんが三課から帰って来ても話を切り出すことが出来ず、終業時刻を迎えてしまった。
 それどころか、自室にいる彼女を訪ねれば良かったのに、やたらと緊張してしまってそれすらも出来ずにタイミングを逃してしまった。夕食時も明るく振舞って皆とお喋りをしているノーラちゃんを、じっと見つめるだけの私。
 案外私には意気地が無いのだなと思いながら、夕食を終えた私は自室でシャワーを浴びた後、隊舎の屋上に上がった。
 ため息を零しながら柵に寄り掛かる。
 私、何がしたかったんだっけ?
 ノーラちゃんが少し落ち込んでいるように見えたから、彼女を励ましてあげたかった。悩みを抱えているのなら、一緒に悩んで、助けてあげたかった。
 それだけなのに、その話の切り出し方がなかなか見つからない。
 顔を見て「どうして元気が無いの?」と訊けばいいのかな。でも、彼女がもし元気が無いことを否定したらどうする。私がそう見えただけのことを、彼女の本心であるとして話を進めるのはただの傲慢だ。
 仮に私の勘違いだったとして、そんな話をしたら彼女はどう思うのだろう。思い込みの激しい私を笑って許してくれるかな。きっと、にっこりと微笑んで「お気遣い、ありがとうございます」なんて言うのだろう。
 それならば尚のことさっさと訊けばいいのだが、もし本当に悩んでいて、それでも彼女が明かしてくれない時に「お気遣い、ありがとうございます」なんて流されたら、それ以降はもっと訊き辛くなる。
 私はどうしてもノーラちゃんを助けてあげたいと思った。私の気持ちをホカン部が分かち合ってくれたように、彼女の悩みを私も分かち合いたい。
 そう思うのだが、私は失敗が怖くて話を切り出せないでいる。
 ちゃんと、彼女と想いを分かち合える仲間になれるだろうか。
 もう一度ため息を吐くと、夜風が少しだけ吹いて、私の吐いた息を連れ去った。
 突然、屋上の出入り口の扉が開く音がした。
 振り返ると、そこにはパジャマ姿のノーラちゃんがいた。
「ノーラちゃん!」
「ご一緒してもよろしいですか?」
 私の気持ちと一緒に吐き出されたさっきのため息は、もしかしたら夜風に攫われて彼女の所に届けられたのかもしれない。
「どうして屋上なんかに?」
「先程たまたまミリー部隊長とお会いしました。そしたら、ソフィーさんを捜してみろと言うので、あちこち捜し歩いてここに来ました」
 ミリー部隊長の差し金か。おそらく、いつまでも話を出来ないでいる私を見兼ねて仕向けてくれたのだろう。
 隣に来たノーラちゃんは、柵に手を掛けて景色を眺めた。
「あまり光が見えませんね」
「うん。綺麗な夜景じゃなくて残念だよね」
 遠くに見える地上本部とその周辺地区が煌びやかな光を放っている。それとは対極的に、ひっそりと佇むホカン部隊舎の周囲には暗闇が広がっていて、屋上から地上を見下ろせば、お情け程度に街灯がポツポツとある。隊舎から離れたところには雑居ビルや民間住宅の窓から漏れ出る灯りも見えるが、小さなその光には、やはり華やかさが感じられない。
「ノーラちゃん、さ…………」
「はい」
 しばらく眺めた景色から視線を外さないまま、私は言った。
「…………その、ホカン部はどう? やっていけそう?」
 なんだか、言いたいことが素直に出てこない。
「はい。皆さん良い人ですし、仕事もあまり難しくないので働き易いですよ」
 仕事が簡単というのは、何だか素直に喜べないな。
「そっか…………」
 意を決した。ミリー部隊長がせっかくくれたチャンスだ。
「最近、ノーラちゃん元気無いように思うんだけど…………気のせいかな? なんか困ったことがあったら相談に乗るからさ、遠慮無く言ってね」
 少しだけ間を置くノーラちゃん。
 何故か私はノーラちゃんの顔を見れないでいた。
 そして、聞こえてくる彼女の声。
「…………はい、ありがとうございます。…………あの」
「なぁに?」
 少しだけ鼓動が早まった。
「私、ホカン部にいてもいいんでしょうか?」
 その言葉を聞いて、ようやく私はノーラちゃんの顔を見ることが出来た。
 彼女はまだ視線を夜景に向けたままだが、その目はさっきとはだいぶ違っていた。
 この目だ。この顔だ。私がノーラちゃんのことを気に掛けてしまっていた理由だ。彼女の陰を見た時、彼女はいつもこんな目をしていた。
 微動だにしない眼球が映すものは愁い。彼女は何かを思って、悲しみを携えている。
 助けたい。そんな衝動が強まった。
「ホカン部は居心地が悪い?」
「いいえ、そんなことありません!」
 慌ててノーラちゃんは否定した。
「そんなことはありませんが…………私がいては、皆さんの方こそ居心地が悪くなったりしませんか?」
 すごく不思議な悩み事に聞こえた。
「え? 何でノーラちゃんがいると私達が居心地悪くなるの?」
「私の能力、アインディープ・デスゲデヒトニスは人の記憶を覗いてしまう能力です。この能力を使うと、その人の人生を全て知ってしまうのと同じことになります」
「でも、ノーラちゃんは必要最低限の記憶しか見ないようにしているんでしょう?」
「はい。そのように配慮はしています。…………ですが、記憶を見られた人達はそう捉えてくれません。当然です、私の配慮なんて証明のしようがありませんから」
 やっぱり、そう思っていたんだ。
 そんな悩みを抱えた彼女を助けることが、本当に出来るのだろうか。
 ノーラちゃんの悩みを聞くまではあんなにも助けてあげたいと思っていたのに、いざ話を聞いてみたら、だんだん助けてあげられるのか不安になってきた。
「既に私はこのホカン部で、ソフィーさん、ジージョさん、ウィンディーヌさん、ブラントさんに対して能力を使いました。皆さんは、私がどこまで皆さんの記憶を読んだのか不安ではありませんか? 出会ったばかりの私が皆さんの過去を全て知っているかもと考えて、怖くはないですか? そんな私が一つ屋根の下にいて、皆さんは嫌ではありませんか?」
「…………ノーラちゃんは、自分の能力が嫌いなの?」
 そう訊くと、ノーラちゃんは少しの間だけ俯いてから言った。
「…………私は、この能力のせいで他人と信頼関係が築けないことを理解しています。そしてそれは、私が望むことではありません」
「じゃあ、どうしてデバイスを探している時に能力を使ってくれたの? それに本局で迷子になっていた時も私の記憶を読んだよね。どうして?」
 しばらくの沈黙の後で、彼女は俯いていた顔を今度は空に向けてから言った。
「…………確かめたかったんです」
「え?」
「“要らん部”や“役立たん部”と言われる部署に配属されると知った時、何故そのような部署に配属となったのか、何故私が不必要と判断されたのか、私は納得出来ませんでした。…………本音を言えば、私の能力は人に忌み嫌われるものではありますが、利用価値が無いとは思っていません。それなのに何故“役立たず”なのか、それを知りたかった」
 ノーラちゃんも、自分の身に降りかかった出来事を理不尽だと思ったのだ。
 同じだ。私と似ているんだ。
「私は考えました。局内で“役立たず”のレッテルを貼られているホカン部において、私の能力はどのように受け止められるのだろうか、と。こんなことを言っては失礼かもしれませんが、もしホカン部の皆さんが私の能力を知っても尚、私のことを受け入れたのなら、それはきっと私を同類と看做したからであると、私を“役立たん部”へ置くに値する者として、親近感を抱いたからなのだという風に捉えることにしました」
 ノーラちゃんって、見かけによらず思い切った考えをする子なのだと知った。
 “役立たず”と評される私達が彼女を仲間として受け入れることはすなわち、彼女を私達と同類、“役立たず”であると断定することになると言う。
 それは少し間違った解釈だと思う。
 しかし、そんな考えに行き着いてしまったノーラちゃんの気持ちは、決して理解出来ないものではない。
 彼女も必死だったんだ。救いを求めていたんだ。
 きっと心の中では、苦悩の重圧に押し潰されそうだったのかもしれない。
 私にも身に覚えがある。私だってホカン部に配属された自分を恨んだりしたのだから。
 誰にも必要とされなくなった時の切なさや孤独感は、世界から自分が削り取られてしまうみたいで怖いものだ。
 本当の両親を知らない私やマルコちゃんは、そのことを良く知っているはずだ。
 そして自分の存在価値を確かめる為に、私達は苦心したはずだ。
 幼かった私は、拾ってくれた両親が私を想ってくれている証が欲しくて、ワガママをたくさん言った。
 幼かったマルコちゃんは、才能ではなく自分自身の価値が欲しくて、その才能を世に出さなかった。
 そしてノーラちゃんは、自分が不必要では無いという理由が欲しくて、自分なりの判定方法を見出した。
 私達は、本当に似ていたんだ。
「…………結果は?」
 尋ねるのは意地悪だろうか。
 ホカン部の皆は、記憶を読まれた直後こそ彼女に疑念を抱いたりもしたが、今ではすっかり馴染んでしまっている。
 もちろん、本心ではノーラちゃんを信用していない人もいるという可能性は捨てきれない。
 だが私が見る限りでは、ノーラちゃんに接する皆の態度には、そういった本心を隠している様子は感じ取れない。ホカン部は、彼女のことを仲間として受け入れている。
 “役立たず”と評されるココこそが最終到達地点であるという認識があるのか、ココにやって来る人々を行き場の無い人として捉えているのか、とにかくホカン部は誰であろうと受け入れてしまうのかもしれない。
「結果は…………皆さん、とても優しいんですよね。本当に……居心地が良いくらい」
 皮肉なものだと思った。ノーラちゃんがホカン部を居心地良く感じれば感じる程、自分自身を“役立たず”とする判断は確固たるものとなる。
 だから彼女は愁い顔を浮かべていたのだ。
「私…………父には能力の使用を厳しく禁じられてきました。昔からあまり私に関心を持たない父ではありましたが、私にレアスキルがあると知ってからは、より一層近づいてくれなくなりました」
「それって酷い。お父さんなんでしょ?」
「仕方ないんです。私は養子ですから。育ててもらっただけでも感謝していますし。…………でも、そんなことを言いながらも、やっぱり私は求めていたのでしょうね…………皆さんがくれるような優しさや温かさを。だからこんなに居心地が良いんだなって」
 驚いた。これは偶然なのだろうか。本当に、偶然の一言で片付けていいのだろうか。
「どうしましたか?」
 ノーラちゃんが私の顔を覗き込んでいた。
「あ、いや! …………えっとね、私達ってすごい似てるなぁって」
「と、言いますと?」
「実はね、私も本当の両親を知らないの。育ててくれた両親は血が繋がってないんだ。それにね、マルコちゃんもブラント君も両親がいないの。ジージョちゃんはどうなのか知らないけど…………なんか、こんなことって偶然にしてはちょっと…………」
 ノーラちゃんも驚いたように目を開いたが、それから寂しそうに言った。
「ホカン部って…………もしかしてそういう意味で“要らん部”なのでしょうか?」
「え?」
「世界から、要らないって捨てられてしまった人達の集まりなのでしょうか?」
 その言葉に、私は思わず声を大きくしてしまった。
「そんなことない! そんなことないよっ!」
 声が大きくなったのは、私自身も心のどこかでそう思っていたからだろう。
 そして強引にその考えを否定するために、その考えをかき消すように、私は声を荒げたのだろう。
「…………ごめんなさい」
「あ、ううん。私もごめん。…………でも、そんなこと言わないで」
 ノーラちゃんは無言で頷いた。
 また沈黙。こういう時間は少し辛い。
 でも、必要な時間でもあった。いきなり全部は片付けられない話だ。
「ノーラちゃん」
「はい」
「ミリー部隊長が言ってくれたんだけどね」
 もう充分彼女の気持ちを聞くことが出来た。
 これから私達はどうするべきか、何となく解ったような気もする。
「私達がホカン部に集まったのには、ちゃんと意味があるんだって」
 ノーラちゃんは自分の存在価値が分からないでいる。
 だけど、ホカン部は彼女のことを受け入れて、彼女もホカン部を居心地が良い場所だと思ってくれている。
「私達はね、ホカン部にとって大切な存在なんだって」
「大切? どのようにですか?」
「分からない…………でも、私達がホカン部に必要とされていることだけは間違いなくて、それを信じないと、ホカン部は本当に“役立たず”になっちゃうんだって」
 私達は、お互いを大切な存在だと認め合い、信じあえる。
 存在価値なんて、きっと自分一人では見つけられないんだ。誰かがいてこそ、初めて生まれるものなんだ。
 機械の部品は決まった形と決まった数があって、決まった順番で組み立てなければいけない。不必要なものは決して混じることが出来ない。
 でも、私達は部品じゃない。例え不必要と言われても、集まればお互いが大切な存在になれる。そして意味のある存在になれる。
 かっこ悪いだろうか。みっともないだろうか。情けないだろうか。
 私はそうは思わない。
 集まってお互いに大切な存在となったのなら、意味のある存在になったのなら、その変化は私達の未来も変えられる。
 世界に不必要と判断されても、再び自分達を世界に組み込むことが出来る。
 だとするならば、ホカン部は、そしてホカン部に属する私達は、決して不必要なんかじゃない。
 ノーラちゃんが小さく声を出して笑い出した。
「じゃあ、私も自分が必要とされていることを信じないと、本当の“役立たず”になってしまいますね」
「そういうことだね」
 私も笑顔を返した。
 ふと、疑問に思ったことがあった。
「ところでノーラちゃん、ホカン部が“要らん部”とか“役立たん部”って言われてること知ってたの? 局入りして初めての配属先がココなんでしょ?」
「はい、知っていました。実は、私の父は管理局員なんですよ。ルミオン・ストレイジーと言って、次元航行部隊にいます」
 そう言ったノーラちゃんの表情には、もう愁いは見えなかった。
「へぇー」
「ソフィーさんも会ったことがあると思いますよ」
「え?」
 意外な答えだ。
「父がその時のことを話していましたから」
 誰だろう。次元航行部隊には知り合いはいない。唯一いるとすれば、デバイスを貸してくれたクロノさんぐらいだ。
 自分の記憶を辿りながらノーラちゃんの方を見ると、彼女はまた柵に寄り掛かって夜景を見ていた。相変わらずの寂しい景色。
 突然、ノーラちゃんが言った。
「ポツポツとあるあの街灯も、雑居ビルや民間住宅の窓から漏れ出る灯りも、とても小さくて華やかではないですが、誰かが必要としている灯りなんですよね」
「…………うん、そうだね」
 私達は、思い違いをしていたのだろうか。
 この世には、不必要なものなんて無いのかもしれない。
 どんなに小さくても、どんなに儚くても、必ず誰かが必要としてくれているのかもしれない。
 そう考えただけで、寂しいと思っていた屋上からの夜景は、なんだかとても綺麗に見えた。

 To be continued.



[24714] 第十二話 不安
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/18 00:45
 自動開閉式の暗幕が掛けられた窓。固く閉ざされた出入り口。そして天井にある照明は一つとして光を放っていない。
 真っ暗な部屋の中で唯一光を放っているのは、最奥の壁にある大きなスクリーン。映写機からの光を受けているそれは、暗闇に容易く飲まれてしまうくらいのぼんやりとした反射光によって、室内を僅かに照らしていた。
 スクリーンのすぐ横にはノイズ曹長が立ち、左手には複数枚束ねたプリント用紙を、そして右手にはリモコンを握っていた。
 彼がリモコンの先端を映写機に向けると、真っ白だったスクリーンに一枚の画像が映し出された。
「…………こちらをご覧ください。これは先月、我々三課によって輸送中であったプリズンが誤作動してしまった際のものです。映し出されている竜の様なこの生物に関しては、無限書庫のユーノ司書長に調べていただきました。ユーノ司書長の話によれば…………」
 ノイズ曹長が手元の資料を捲る。
 ここは機動三課隊舎内にある会議室。ホカン部隊舎には無い広さの部屋にいるのは、私達ホカン部全員と、機動三課の管理係を取り仕切るノイズ曹長と、管理係に属する局員の内二十名。そして機動三課のトップ、サイオン部隊長だ。
「…………この大型生物は、古代ベルカ時代において『オルギプス』と呼ばれていたようです。従って、我々も今後この大型生物をオルギプスと呼称することにします」
 久しぶりに見た。
 私は見覚えのあるその大型生物、オルギプスの画像をまじまじと眺めていた。
 忘れるはずがない。何故なら初めてホカン部にやって来た日に、地上本部の上空でこのオルギプスと対峙したのだから。
 三課が輸送中だったプリズンが、同行任務中であったマルコちゃんとジージョちゃんの悪戯のせいで起動してしまい、内部に保存されていたオルギプスが解き放たれてしまったのだ。しかもその場所が、あろうことか管理局地上本部上空。地上本部どころか、周辺区画への被害も危惧される事件となった。
 しかし、その事に対して私はずっと解せないことがあった。
 それは地上本部の対応の遅さ。自分達の頭上で古代の大型生物が飛び回っているというのに、私となのはさんが現地に到着してみると、そのオルギプスの対処に当たっていたのはマルコちゃんとジージョちゃんだけ。
 何故他の局員は誰もいなかったのだろう。直接の責任が無いとは言え、三課の局員達ですらその場を離れていたのには驚いたものだ。
 後日、一度だけノイズ曹長にその疑問をぶつけたことがあった。すると、「退避命令が出された」と言うのだ。確かに輸送ヘリがオルギプスによって撃墜されれば、機体の墜落等による二次被害も考えられた。しかし、一度撤退するのは良いとして、その後に応援すらも寄こさなかったことが納得出来ない。それに関しては、ノイズ曹長も「応援に行こうとはしたが、そのまま待機するように命令が出された」と言っていた。
 ますます訳が解らなかったあの事件。幸いにも被害は一切出なかったことに加え、世間には管理局員の迅速な対応があったことが報道されたので、大きく騒がれることはなかった。
 迅速な対応をしたことに間違いはないが、それをしたのは私達やなのはさんという僅かな人員のみであって、あの時の管理局の対応には憤りを感じずにはいられなかった。
 それとも、私がまだ知らない事情があったのだろうか。
「ソフィーさん、どうかしましたか?」
 隣に座っているノーラちゃんが声を小さくして訊いてきた。どうやら私はよっぽど難しい顔をしていたみたいだ。
「ううん、何でもない」
 そう返してからノイズ曹長の方へ視線を向けると、彼は再びリモコンを映写機に向けた。
「次の画像は、オルギプスの生態を説明する資料となります」
 そう言うノイズ曹長。
 だが、私の目に映った画像、いや、この場にいる全員の目に映っているそれは、どう頑張ってもオルギプスの生態資料には見えなかった。
 唖然とする室内。
 その様子に気が付いたノイズ曹長は、「どうしました?」と言いながらスクリーンの方を振り向いた。
 スクリーンに映し出されていたのは、なのはさんとノイズ曹長が並んで写っている写真だった。写真の中のノイズ曹長は、だらしない表情で頬を赤らめていた。
 静まり返る室内。
 ノイズ曹長が、平常心を装った表情のまま素早くリモコンを操作した。
 次に映し出されたのは、どこかのパーティー会場だった。ドレスを着たなのはさんとフェイト執務官のツーショットだ。
 冷たい空気が流れる室内。
 またもやリモコンが操作された。
 今度は戦技教導中と思われるなのはさんの写真。そして写真の中のなのはさんの隣には、別の写真から切り抜いたのであろうノイズ曹長自身の写真が貼り付けられていた。
 重くなる室内。
「ノイズ曹長申し訳ありませぇん! 資料用画像を整理していたら、誤ってノイズ曹長のプライベートアルバムの画像が混ざっちゃったみたいなんですぅ!」
 そう言って深々と頭を下げて謝っているのは、ノイズ曹長の助手を務めている女性局員。何度も頭を下げる度に、彼女のポニーテールが振り回されて頭の前後を往復する。
 彼女のことを私は知っている。と言うより、少なくとも遺失物管理部の一課から五課までとホカン部に属する人間ならば、彼女を知らない者はいない。
「アイサ君……まずいんじゃないのかな…………」
 小刻みに震えるノイズ曹長。そしてサイオン部隊長の視線も冷たい。
 彼女は、機動三課の超絶ドジっ子こと、アイサちゃん。
 本人には全く悪気は無いのに、常に何かしらの迷惑を撒き散らしてしまう彼女。実際に私達もその被害を被ったことがあるが、その危険度と言ったら計り知れない。彼女が歩くだけで、次元世界の崩壊すらも起こり得ると評されるほどだ。現に、彼女は搬送中のロストロギアを転んでぶちまけたこともあるくらい危なっかしい。
 曰く、転ぶ超規格外危険人物(ロストロギア)。
 曰く、間抜けのエース。
 曰く、三課の凶器(リーサルウェポン)。
「聞いた? ノイズ曹長のプライベートアルバムの写真だって」
「えーなんか可哀想」
「最後の写真とか、見てると涙が出てくるよな」
 皆、声を小さくして話しているつもりなのだろうが、これだけ静まり返った室内ではもはやヒソヒソ話にはならない。
 ノイズ曹長が静かにリモコンを操作すると、ようやくオルギプスの生態資料が表示された。しかし、もはや手遅れだ。
「…………では、オルギプスの生態について説明します」
 覇気の無い声を漏らすノイズ曹長。声と一緒に魂まで抜け出てしまうのではないかと心配になる。
 気の毒だと思いながら、ふとミリー部隊長の方に目をやる。やたらと静かだ。
 おかしい。絶対おかしい。ノイズ曹長をからかうことが生活習慣であるようなこの人が、ノイズ曹長のあんな失態を目の前で見ておきながら、何もリアクションを起こしていない。極めて冷静なその表情は、まるで先程の出来事など見ていなかったかのような振る舞い。
 嫌な予感がした。彼女が何かに備えているような、そんな気がした。
 あれこれと考えていると、突然サイオン部隊長の声が響いた。
「ノイズ曹長」
「は、はい!」
「せっかくのところ申し訳ないのだが、次の予定が押し迫っている。オルギプスの生態については後で資料を確認しておくから、先に本題の方について聞かせてくれないか?」
「了解しました」
 サイオン部隊長は、先程のノイズ曹長の写真に関してノータッチを決め込んだ。
 気を取り直したノイズ曹長は、全員に資料の二十ページを開くように指示した。
 どうやらノイズ曹長のお手製らしいこの資料冊子は、会議室内にいる全員に一冊ずつ配られている。
 しかし、妙なことに最後のページ、つまり今開いている二十ページだけに少し厚みを感じる。よく見てみると、二十ページ目に使用されている紙は二重になっていて、その片隅には捲り剥がす為にわざと糊付けされていない余白部分があった。
 二十ページの裏に、意図的に隠された一ページがあるようだ。
「今回の任務は、第五十二無人世界『チーク』にオルギプスを放すことです」
 その後に続く説明を受ける。
 今回、私達ホカン部が三課に同行して観察する任務の内容はこうだ。
 プリズンにデータとして保存されていたオルギプスは、現在では生存していないと思われる稀少な生物であり、殺処分にするにはあまりにも惜しいという声が各方面から相次いだという。そこで、第五十二世界に放すことで、研究対象としてオルギプスを調査しようという計画が立てられた。
 そして、その輸送任務を任されたのが機動三課だった。
 オルギプスを保存していたプリズンを発見し、このミッドチルダに輸送してきたこと。そして現在でもオルギプスの入ったプリズンを管理していること。
 以上の理由から、機動三課はオルギプスをチークまで運ぶこととなり、今回はホカン部の同行任務も重なった。
 ホカン部の同行任務は定期的に行なわれている為、それ自体は特に不思議なことでもない。だが、今回の同行任務はホカン部全員が出動となっているらしく、そこがまた理由不明だった。
 私は、ノーラちゃんの逆隣に座るマルコちゃんに訊いてみた。
「ねえ、なんで今回の同行任務はホカン部全員が出動なの?」
 マルコちゃんは怪しく微笑んだ。この顔は何かを知っている顔だ。
 だが、彼女は答えてくれなかった。「もう少しで解るさ」とだけ言って、資料冊子に視線を落とす。
 そんなマルコちゃんの両手の指は、先程から気になっていた隠されたページを開く為の用意に入っていた。
「…………以上が任務内容の簡単な説明です。なお、第五十二無人世界チークに関してですが、大自然に覆われた、緑と水に満ちた大変美しい世界です。しかし、それ故に未開の地なども多い為、現地の地理に詳しい人間に応援を要請しました。チークは自然保護指定がされている世界でもあるので、自然保護隊員の数名が現地にて合流してくれる予定です」
 ノイズ曹長が説明を終えると、サイオン部隊長が席を立った。
「ありがとう。…………出発は明日だ。任務に当たる者は、今日は早いうちから休んでおくように。では、私はこれで失礼する」
 会議室の扉が開き、少しの間だけ、廊下の明かりが真っ暗な室内に入ってきた。
 サイオン部隊長が部屋を出ると、再び暗闇に包まれた会議室内の空気は少々軽くなったように感じる。やはりサイオン部隊長のような厳しい上司が放つ威圧感というものは、それだけの緊張を生み出すものなのだろう。
 しかし、緊張感が緩んだはずの室内は、いつまでも静寂を守り続けていた。
 どうしたのだろうか。会議はまだ続くはずなのだが。
 突如、室内に何者かの笑い声が響いた。
「くっくっくっく…………では、大変長らくお待たせいたしました」
 声の主はノイズ曹長だった。背後のスクリーンの光を背にしているせいで、正面が陰っていて表情は読み取れない。しかし、その姿に何か言い知れぬものを感じた。
 異変は彼だけではなかった。この部屋にいる全員が一様に顔を俯かせている。三課の局員はもちろん、アイサちゃんも、ミリー部隊長も、マルコちゃんも。
 事情を知らないのは私とノーラちゃんとジージョちゃんとウィンディーヌちゃんだけのようだ。ちなみに、ブラント君は会議前からずっと後ろで寝ているので論外だ。
「な、何?」
「ちょっと怖いですね」
 ノーラちゃんが私の右腕にしがみついてきた。
 しかし次の瞬間、突然ノイズ曹長が大声を上げた。
「では皆さん! お手元にある資料の、“二十一ページ”を開いてください!」
 二十一ページ。それは、隠された一ページ。
 俯いていた皆が全員、視線を変えないまま勢いよく閉ざされていたページを開いた。糊付けが剥がされる音が一斉に鳴り響く。
 事情を知らない私達も恐る恐る開いていく。
 徐々に明らかになるそのページは、前ページ同様の書体で、しかし、前ページとは全く違う内容が書かれていた。
「こ、これは…………?」
 ノイズ曹長が映写機のリモコンを操作した。
 彼の背後にあるスクリーンが映し出したものは、先程まで映していたオルギプスの生態資料とは似ても似つかないものだった。
 カラフルな文字で書かれた煽り文句、大自然の中で微笑む家族を写した広告写真、そして見出しのタイトル。
「ただいまより! 明日訪れるチークにおいて開催される、機動三課主催バーベキューパーティーの開催前日集会を始めますっ! うおおおおおお!」
 ノイズ曹長の雄叫びに続き、室内の局員全員が拳を高く掲げて吼えた。その中には、ミリー部隊長とマルコちゃんも加わっている。
「バーベキュー!? どういうことよ!?」
 ウィンディーヌちゃんがミリー部隊長に詰め寄ると、雄叫びを上げていたミリー部隊長が目を光らせながら言った。
「その名の通りだ! チークは美しい大自然の世界! 澄んだ川! 美味しい空気! 雄大な山々! そんなところに行ったらバーベキューするしかないだろう! おおおおおおおおおっ!」
「任務中に遊ぶんですか!?」
「任務の後だよ! チークは結構遠い世界だから、明日の出発時間じゃあ確実に向こうで一泊だ! ヤフォォォォォォッ!」
 マルコちゃんも絶叫している。
「だって明日の任務はサイオン部隊長も一緒なんですよ!? オッケーしてくれたなんて信じられない!」
 すると、ミリー部隊長が怪しく笑って答えた。
「オッケーなんてしてないぞ。というより、任務の参加者で唯一このことを知らないのは、サイオン部隊長だけだ」
「…………へぇぇえっ!?」
「やっちまえばこっちのもんだぜぇ!」
 詳しく聞けば、チークの大自然でバーベキューをしたいと言い出したのはミリー部隊長とマルコちゃんで、それを聞いたノイズ曹長は、サイオン部隊長の説得をしてくれるというミリー部隊長を後ろ盾として、今回の幹事を務めているということだ。
 今更だが、機動三課ってホカン部にノリが近いような気がする。
「よっしゃあああっ! 皆、水着は用意出来てるかぁぁあ!?」
 ノイズ曹長の問いに、幾つもの咆哮が答える。
「肉は食いたいかぁぁあ!?」
 咆哮が増えた。
 気が付けば、ウィンディーヌちゃんもノーラちゃんも加わっている。
「川で泳ぎたいかぁぁぁあ!?」
 ジージョちゃんまでもが拳を小さく掲げ始めた。声は出ていないけど。
「バァァァァベキュゥゥゥウゥがしたいかぁぁぁあ!?」
 もうこうなったらヤケになるしかない。
 私も遂に拳を掲げて声を張り上げた。
「やるぜぇ! バーベキューだあぁぁぁっ!」
 盛り上がりは最高潮を向かえ、全員が小刻みに全身を上下させてリズムをとる。
「おうっ! おうっ! おうっ! おうっ! おうっ! おうっ! おうっ! おうっ!」
「わーっしょい! わーっしょい! わーっしょい! わーっしょい!」
 意味など無い勢いだけの大合唱が轟き、時空管理局内で最高のバカ達が血を滾らせた。
 遺失物管理部機動三課、激震の時。



 時空管理局本局から一隻の艦船が飛び立った。
 私達を乗せたその艦船は、L級次元空間航行艦船『マリアンヌ』。
 今回の任務は古代生物を第五十二無人世界チークに輸送し、現地に解き放つこと。たったそれだけの任務だ。
 古代生物オルギプスは、ロストロギア・プリズンの中に収容されている。このプリズンは手の平サイズの真っ黒な立方体であるため、マリアンヌの貨物室程の収納スペースを必要としない。マルコちゃんは、「トイレに置いとけば芳香剤と見分けが付かないくらいの大きさだ」と評していた。
 だが、当然ながらトイレに置いて輸送するわけにもいかない。古代生物を収容しているプリズンは、厳重な警備体勢によって守られた貨物室に入れられた。
 幾つもの小さなコンテナボックスと共に。
「プリズンと一緒に積まれていたあのコンテナボックスは何だ?」
 次元航行を続けるマリアンヌの艦長席横に立つサイオン部隊長が、艦長席に座っているノイズ曹長に尋ねた。
 コンテナボックスの中身は、十中八九バーベキュー用の道具や食材だろう。
 乗組員の中で艦長ライセンスを取得しているのはノイズ曹長のみなので、この場において彼が艦長席に座ることは間違ったことではない。しかし、上司を差し置いて艦長席に座るということが落ち着かないのか、ノイズ曹長の手元はそわそわしている。
「コ、コンテナ……ですか? あの…………ミリー部隊長からお話は聞いておられませんか?」
「話? ミリー君からか? 何のことだ?」
 挙動不審なノイズ曹長がチラチラと私達ホカン部を見てくる。
 ノイズ曹長の縋る様な視線をミリー部隊長に教えてあげるべきだろうか。たぶん、ミリー部隊長はバーベキューの話をまだサイオン部隊長にしていない。
 そのミリー部隊長はと言うと、艦内ブリッジの片隅でマルコちゃん達とお喋りに興じて笑い転げている。
「ま、いっか」
 私はノーラちゃんと一緒に仮眠室へ向かった。昨日は前日集会の興奮が治まらなくてよく眠れなかった。チークへの到着にはまだまだ時間が掛かるということなので、少し眠っておこうと思ったのだ。
 仮眠室の扉を潜ると、既に何人かの三課の人が眠っていた。たぶん理由は私と同じだと思う。
 なるべく音を立てないように室内を進むと、二つの簡易ベッドが並んでいるのを見つけ、私とノーラちゃんがそれぞれに入った。
「んー、眠い」
「私もです」
 目を擦るノーラちゃんが、顔以外を掛け布団の中にすっぽりと収めた状態で言った。
「楽しみですね」
「バーベキューが?」
「はい」
 もう任務のことなんてどうでもいいみたいだ。
「でもちゃんとお仕事を済ませてからだからね」
「分かってます」
 ノーラちゃんが子供みたいに微笑む。
 その姿が何だか愛らしくて、私も思わずつられて笑っていた。
 仕事も大事だが、バーベキューが楽しみなのは私も否めなかった。
 鉄網の上で肉汁を垂らすお肉と、少し固めの歯ごたえを残した野菜を齧る自分を想像したら、口の中に唾が溢れてきた。
 川の水は冷たいだろうか。泳ぎ回る魚の姿がはっきりと見えるくらいに透き通った川の流れを受けながら、笑い声を上げる皆の姿。
 木々の間からはチークの原生動物達が私達を物珍しそうに覗き見て、食べ物の匂いに釣られて近づいてくるのだ。その愛くるしい姿に私達は微笑みながら、動物達と触れ合う。
 そう、動物達がすぐ側にやって来て、私達と触れ合う。
 動物達がすぐ側に近づいて。
 近づいて。
「あれ?」
 近づいてくると思う。
 それはもしかしたら危険なのでは、と思う。
「ノーラちゃん」
「何ですか?」
 ノーラちゃんはもう両目を閉じていた。意識が完全に落ちるのも時間の問題のようだ。
「ふと思ったんだけどさ」
「はぁい」
「オルギプスを放した後で…………バーベキューなんてするの?」
 ノーラちゃんの目がパッチリと開いた。
「…………危なくないですか? それ」
「危ないよね」
 イメージの中でバーベキューを楽しむ私達の上空に、あの古代の大型生物が飛翔する姿が加えられた。
 至福を凝縮したようなイメージが、一瞬にして地獄絵図に変わった。
 オルギプスって何食べるんだろう? 外見からは、明らかに肉食な気がするのだが。
 まさか誰も気が付いていないのだろうか。バーベキューという目的に目が眩み、自分達の安全というものに注意が行き届いていないのだろうか。
 そもそも何故オルギプスをチークに放すのか。チークが“無人世界”であるという点に、もっと早くから着目すべきだった。
 まずい。今回の任務は、もしかしたらかなり危険なものなのかもしれない。
「ソフィーさん、これは皆に話してみるべきでは?」
「そうだね。寝てる場合じゃないかも」
 私達がベッドから出ようとすると、突然室内に鈍い衝撃音が鳴り響いた。それと同時に小さな悲鳴も聞こえた。
 周囲を見渡すと、薄暗い室内に並んだ簡易ベッドの内の一つが、誰もいないのにシーツをグシャグシャに乱している。しかしすぐに、ズレ落ちそうなシーツを手繰るようにしてベッドの下から両腕が登ってきた。
「うぅ……痛い」
「あ、アイサちゃんだ」
 ベッドによじ登ったドジっ子は、額を手で押さえながら「四回目だよ……」とぼやいていた。
 しかし、すぐに私とノーラちゃんの視線に気が付くと、恥ずかしそうに赤らめた顔を布団に埋めた。
「大丈夫?」
「はい。お恥ずかしい限りで……」
 ゆっくりと顔を上げるアイサちゃん。
 その顔を見て、私とノーラちゃんは短い悲鳴を上げた。
 鼻血が出てる。
「アイサちゃん! 鼻血出てるから!」
「ふぇ? そうなんですか?」
「血が出るくらい落ちるならもうベッドで寝ない方がいいですよ!」
 私とノーラちゃんが駆けつけてポケットティッシュを渡すと、彼女は「ありがとうございます」と言いながらティッシュを右の鼻の穴に詰めた。
 血が出ているのは左なのに。
「ホカン部のお二人も仮眠ですか?」
「うん。昨日は寝れなくてさ」
 彼女の鼻血を拭き取ってあげながら答える。
「そうですか、あたしもなんですよ。だってバーベキューが楽しみで楽しみで…………」
 そう言いながら笑うアイサちゃんを見て、私とノーラちゃんは先程までの会話を思い出した。やはり皆、危機感が働いていないようだ。
「それなんだけどね。もしかしたらバーベキューどころじゃ無いかも知れないんだよ」
 首を傾げるアイサちゃん。
 そんな彼女に、上空にオルギプスが浮かんだまま暢気にバーベキューなんてしていたら、私達がオルギプスの食肉になってしまうんじゃないかという不安を話して聞かせると、彼女は少しだけ間を置いてから「ああ」と言って頷いた。
 だめだ、こんなにボケボケな子は真っ先にオルギプスの口の中だ。
 しかし、次に彼女の口から発せられた言葉は意外なものだった。
「それなら心配いりませんよ。オルギプスは肉食ではありませんから」
「…………え?」
「オルギプスは古代ベルカ時代の大型生物ですが、あれは野生生物ではないそうです。元々は戦争の戦闘生物兵器として生み出されたらしく、自我も薄い為、生まれてから死ぬまで主人の命令に従うことしか出来ないようです。なので摂食活動も行ないません」
「そう……なの? 何でそんなことを知ってるの?」
「一応、昨日の会議でお渡しした資料にも書いてあったのですが、昨日は前日集会で説明を忘れてしまいましたからね。でも、機動三課では皆知ってますよ。先月にミリー部隊長が教えてくれましたから。だからホカン部の皆さんも知ってると思っていたのですが」
 アイサちゃんが不思議そうに首を傾げている。
 知らない。そんな話は聞いていない。無論、昨日の会議で説明される予定だったのなら、私達がミリー部隊長から聞かされていなくたって何ら不思議はないのだが。
 しかし、問題はそんなところではない。
「先月にミリー部隊長から聞いたって…………もしかして、地上本部の上空にオルギプスが出現した時?」
「はい。あたしもあの輸送任務に就いていましたので。いやー、あの時のプリズン誤作動は、あたしが原因じゃないかと真っ先にサイオン部隊長に疑われましてね」
 頭を掻きながらアイサちゃんは笑った。
「じゃあ、オルギプスが地上本部上空に出現した時、アイサちゃんも地上に避難してたんだ」
「はい。主人のいないオルギプスは暴れたりしないから、とりあえず対策を練る為に一旦地上に降りて来いって命令が下されたんです。その命令を出したのがミリー部隊長で、その時にオルギプスの生態も聞いたんですよ」
 胸の中に何かが引っかかった。
 ミリー部隊長は以前からオルギプスの生態を知っていたのだ。地上本部上空にオルギプスが出現しても管理局の対応が遅く感じたのには、そういう事情があったからなんだ。
 だが、私はオルギプスと対峙したあの日、一度だけミリー部隊長に尋ねたはずだ。
 管理局の対応の遅さの不思議。
 マルコちゃんとジージョちゃんの失態をミリー部隊長が謝罪するだけで許された不思議。
 この二点をミリー部隊長に問いただした時、彼女はこう答えたことを覚えている。
 ――私が属するのは“異質人物”保護観察部だからな。何をしでかすか分からん連中を面倒見るのも私の仕事のようなものだ。それを本部はよく理解していて、しかも関わることすら忌み嫌うのだろう――
 では、管理局は私達ホカン部に関わりたくないから応援を寄こさず、特別な罰則も与えなかったというのか。そんな子供の好き嫌いみたいな稚拙な理由が通用するものなのか。
 それに、ミリー部隊長のこの答え方では、少なくとも三課の待機命令を出したのが自分であるという事実を感じ取らせないような、真相をはぐらかすような回答ではないか。
 ミリー部隊長がオルギプスの生態を何故知っていたのかも気になるが、それは無限書庫に資料があるのだから、以前にも調べたことがあると言われれば納得は出来る。
 しかし、何故私の質問に対して真相を隠すように答えなければならなかったのか、その一点がどうしても解せない。
 ミリー部隊長の真意が知りたい。
 彼女の隠し事が許せないわけではない。そんなことは私の傲慢だと理解している。
 だが、彼女がホカン部を、そしてホカン部に属する私達を大事にしてくれていることが解っているからこそ、私はミリー部隊長を“上司”という立場とは違う人として見てしまう。
 そんな人が意図的に私を欺いていると考えると、何故だかとても悲しい気持ちになってしまうのだ。そして、とても怖い気持ちになってしまう。
 何が悲しいのだろう。何を恐れているのだろう。
 それはきっと“裏切られる”ということ。
 ミリー部隊長が私達を大切に思っているのと同じくらい、私は彼女のことを大切に思っている。
 だからこそ、裏切られるようなことがあったら、彼女を失ってしまうから。
 それがとてつもなく怖くて、悲しいんだ。
「ソフィーさん、オルギプスがおとなしいのなら、やっぱり寝ませんか? 安心したら眠くなっちゃいました」
 ノーラちゃんが大きな欠伸を手で隠した。
 私は考えるように唸った。
 ミリー部隊長が隠したいと思っているのなら、真意を訊いてもそう簡単に教えてくれるとは思えない。
 それに、ミリー部隊長の私達に対する気持ちは決して嘘ではないと信じているから、迂闊に疑わしく思う気持ちをぶつけることは出来ないし、したくない。
 しょうがない、か。
「…………そうだね。一眠りしようか」
 私とノーラちゃんはベッドに戻っていった。



 どれくらい寝ていたのかは解らないが、私達はマルコちゃんに起こされるまでずっと仮眠室にいた。
 引っ張られるようにしてマルコちゃんの後ろを歩くと、連れて行かれたのはブリッジではなく、マリアンヌの船外に通じる出入り口だった。
 いつの間にかチークに着いていたようだ。久しく感じる外気がマリアンヌ内の通路を吹き抜けていて、出口の向こうが地表であることを教えてくれた。
 次第に早まる足の動き。
 ノーラちゃんと顔を見合わせると、起きたばかりの時は眠たそうにしていた彼女の表情が、溢れんばかりの笑顔に変わっている。
 マルコちゃんが笑い声を上げながら、一番に船外へと飛び出していった。
 私とノーラちゃんも続く。
 私達の両足がしばらくぶりの土を踏んだ。
「…………うわあぁー!」
 思わず声が出た。
 ノーラちゃんも興奮気味に周囲をキョロキョロと見回している。
 空は若干夕暮れ。草木の匂いと土の匂いが入り混じった空気は美味しく、森の中から聞こえる虫達の鳴き声と木々の葉が擦れ合う音はまさに大地の息吹。
 見渡す限りの大自然に、私とノーラちゃんとマルコちゃんは大喝采を送った。
 既に表に出ていたミリー部隊長達と合流すると、皆口々にチークへの賛美を語る。
 それは三課の人達も同じようで、待ち受けるバーベキューへの期待をより一層大きなものにした。
「浮かれるな」
 サイオン部隊長の厳しい声が響く。
「遊びに来たわけじゃないぞ。それよりも、宿舎内にて最終打ち合わせを行なう」
 宿舎? そんなものがどこにあるのだろう。
 そう思っていた私は、マリアンヌの隣に聳え立つ灰色の建築物を見て驚いた。
 こんな大自然の中において、その人工物は明らかに不釣合いだ。
 だが、よく見ればこの巨大なマリアンヌが着陸出来るという時点で、チークは人の手が入った世界だと思い知るべきだった。
 第五十二無人世界、チーク。無人世界とは言っても、自然保護指定がされているということは、既に誰かが介入したのだと知ることが出来る。誰かがこの世界を知っていなければ、自然保護指定など出来ないのだから当然か。
 以前からここの自然には様々な調査の手も入っており、そういった人々の生活スペースとして宿舎が建てられているのは仕方が無いことだ。
 更には次元航行艦の着陸スペース。一隻分とは言え、その広さは数キロ四方に及ぶ。
 私達が踏んだ土の大地は、マリアンヌが着陸スペースの端っこギリギリに降り立った為に、出入り口ハッチの扉が敷地からはみ出たが故だった。
 サイオン部隊長に促されるまま私達が宿舎内に入ると、そのまま全員が一旦会議室に集められた。
 ノイズ曹長が宿舎の管理人と何か話をしている。
 その姿を背にして、サイオン部隊長が全員に言った。
「任務は行なわれるのは明日の午前中だ。本日は各自宿泊室にて待機となる」
「……サイオン部隊長、自然保護隊からの応援者が今着いたそうです」
 ノイズ曹長が伝えると、サイオン部隊長は小さく頷きながら再び言う。
「では、明日の任務に協力していただく自然保護隊の方々を紹介しよう」
 その言葉の後、会議室の入り口を潜ってきたのは六名の男女だった。
 しかし、その六人の中でもとりわけ目立ったのが、ブラント君と年齢がそう違わないであろう少年と少女。他の四人はガッチリとした体格や色黒な肌から、アウトドア系とでも言うべき雰囲気を醸し出しているので、余計に二人の子供が頼りなく見えてしまう。
 男の子の方は凛々しい中性的な顔立ちをしているが、年齢のせいもあってまだ“少年”という雰囲気が抜けていないように思う。女の子の方は可愛らしい笑顔をこちらに向けていて、少し大きめのバッグを重たそうに両手で持っている。その仕草が余計にか弱く見える。
「自然保護隊って、あんなに若い子も所属しているんですね」
 ミリー部隊長にそっと囁くと、彼女は笑いかけながら言った。
「なんだソフィー、お前あの二人を知らないのか? ミーハーなくせに」
「へ?」
 サイオン部隊長が自然保護隊の面々に自己紹介を促すと、右端の男の子が声を発した。
「自然保護隊のエリオ・モンディアルです。よろしくお願いします」
 名前を聞いた瞬間、私は目を見開いていた。
 少年に続いて、今度は少女が自己紹介を始める。
「同じく、自然保護隊のキャロ・ル・ルシエです。どうぞよろしくお願いします」
 可愛らしいトーンの声を聞いて、私は口を大きく開け放した。
 あの二人を私は知っている。直接会ったことは無いが、名前を聞いてすぐさま気が付いた。
 エリオ・モンディアル二等陸士。
 キャロ・ル・ルシエ二等陸士。
 “奇跡の部隊”として知られる、遺失物管理部機動六課にて、部隊の最前線を担ったフォワードメンバー。
 六課内で高町なのは教導官の教導を受けて育った、凄腕の魔導師。
 その二人に間違いなかった。

 To be continued.



[24714] 第十三話 緊急事態
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/20 18:32
≪チャプター1:大食堂にて≫

 第五十二無人世界チークにおける任務の最終打ち合わせを済ませた私達は、一旦宿泊部屋に荷物を置いてから,、大食堂にて夕食の運びとなった。
 豊かな大自然を有する世界であるチークは、動植物の生態調査や気象観測等の理由で、無人世界と言う割にはちょくちょく人の出入りがある世界らしい。私達のいるこの宿泊施設も、常に十五名ほどの管理人が常駐しているそうだ。
「生物学者や植物学者の来訪がほとんどで、一般の人々には来訪許可が下りていない世界ですけど、この綺麗な世界はもっといろんな人に見てもらいたいと思います」
 そう言いながらエリオ君は、私の顔の二倍はあろうかという大皿に乗った山盛りのパスタにフォークを突き立てた。
「私とエリオ君は、普段は別の世界でお仕事をしているんですけど、このチークには三回ほど巡回に来ているんです。綺麗で素敵なところですよね」
 そう言いながらキャロちゃんは、私の顔に微笑みを向けながらスープに入ったニンジンをフォークで拾って避けていた。
 実は大食漢であったエリオ・モンディアル二等陸士と、実はニンジン嫌いであったキャロ・ル・ルシエ二等陸士を前にして、私は終始顔がにやけっぱなしだった。
 エリオ君とキャロちゃんは、ブラント君と同い年の十一歳でありながら、“奇跡の部隊”と称される『遺失物管理部機動六課』内において高町なのは教導官の教導を受けて育った魔導師だ。昨年、六課によって解決へと導かれたとある大事件では、部隊の最前線メンバーとしても活躍している。
 機動六課に憧れを抱く私としては、そんな凄い人達とこうして食事を共にしていること自体が奇跡であり、幸福だった。
 ホカン部に配属されて良かったと思えることの一つが、遺失物管理部との接点だ。ホカン部の業務は決して重要度の高い仕事とは言えない。むしろ必要性に疑問を感じてしまうこともある仕事ではあるが、それでもこうして機動一課から六課までの皆さんと僅かながらでも接点を持つことが出来た点に関しては、感謝すらしている。特に、今でこそ解散してしまった六課ではあるが、その六課にいたなのはさんとの初めての出会いはホカン部に配属されなければ起こり得なかったことかも知れないのだから。
 ああ、ホカン部サイコー。
「ミリー部隊長、ソフィーの鼻が噴火しそうです」
「ティッシュを近くに置いてやれ」
 何故か手元にティッシュ箱が置かれていることに気が付き、私はそれを一枚抜き取って、テーブルの向こう側へと腕を伸ばした。
「エリオ君、口元についてるよ」
「あ、ありがとうございます」
 エリオ君が頬を少し赤くしながら口を寄せてきた。
 たまんない! 私、壊れる!
「マルコ、ソフィーを引き戻せ」
「イエッサー」
 引っ張られながら席に座り直した私は、再びフォークを持ってから二人に尋ねた。
「ねえねえ、自然保護隊ってどんなお仕事をしているの?」
 大皿に乗ったパスタが三分の一になったところで、エリオ君が水を一口飲んでから答えた。
「チークみたいな無人世界や、辺境の世界にある保護指定された自然を保護・観察するのが主な任務です。他にも研究者の人達に協力したり、未開地区の探索もしたりします。あとは今回のように管理局と共に仕事することも珍しくないんですよ」
「管理局と共にって、自然保護隊は局員じゃないってこと?」
「厳密には違います。一応、隊にいる期間は管理局勤務期間とされるみたいですけど」
 エリオ君が一旦言葉を切ると、水の入ったグラスを空にしたミリー部隊長がその後を続けた。
「自然保護隊は管理局の外部組織だ。管理局の一部署でも間違いじゃないんだが、保護隊の全管理権限は自然保護隊が独自に持っているんだよ」
「へぇー」
「自然保護官は保護隊管理者が適性を持った一般人に嘱託する場合もあるが、自然保護官にはある程度の戦技能力も求められる場合があるからな。日頃から訓練をしている局員が自然保護官となるケースも多いんだ」
「戦技能力が必要なんですか?」
 私はパスタを口に入れる寸前で訊いた。
「ああ。保護指定された自然の中で暮らす生物達を、密猟者の手から守るのも彼等の仕事の内だからな」
 なるほど、それなら尚のこと管理局員を使うのは理に適った話だ。
 それにしても、この二人は本当にしっかりしているなとつくづく感じる。ただでさえこんなに若い年齢であるというのに、自然保護隊という中で自分達の役割に誇りを持ち、悪く言えば子供らしさがないような生真面目さを持っている。補足的に一例を挙げるなら、私達がチークに到着して一旦会議室に集まった時も、自分達の自己紹介を終えて簡単なミーティングも済んで解散となった直後に、この二人はわざわざ三課のサイオン部隊長とホカン部のミリー部隊長のところまで律儀に挨拶回りをしていたくらいだ。
 私は横目でブラント君を見た。お腹一杯になったからだろうか、テーブルに突っ伏して寝ている。
 こんなにも違うのか。少しだけ呆れてため息を吐く。
 ふと、テーブルの下にある私のつま先が、何かを小突いてしまったことに気が付いた。
「ああ、ごめん! 蹴っちゃった!」
「え?」
 つま先の向いていた方向に座るキャロちゃんに謝ったが、彼女は何が起こったのか全く分かっていない顔をしていた。
 あれ? 違う人の足だったかな?
 私がテーブルの下を覗き込むと、自分の目に映る光景に驚き過ぎて、テーブルの角に頭をぶつけた。
「大丈夫か? ソフィー」
「うわっうわっうわっ! 何!? 何か下にいる!」
 その言葉に釣られて皆がテーブルの下を覗き込む中、キャロちゃんだけは納得したように頷きながら微笑んだ。
「驚かせてごめんなさい。私の相棒のフリードリヒです」
 テーブルの下でサラダとパスタの盛り合わせを食べているその子は、一匹の竜だった。
 子猫ほどの大きさの体は、足も尻尾も背も翼も綺麗な白で、頭部の小さな角だけは薄い青に染まっている。角張った顎をお皿の上で一生懸命動かし、下顎の綺麗な白色をパスタのソースで汚していた。
 皆が向ける視線も気にすることなく食事を続けているようだが、ふと、顔をこちらに向けて真っ赤な目で私達を捉えてから、甲高い声で小さく鳴いた。
「キャロちゃんの竜?」
「はい。ほらフリード、皆さんにご挨拶して」
 キャロちゃんはそう言うと、食事中のフリードを両手で抱き上げて、テーブルの上まで持ってきて私達の方に体を向けさせた。フリードが小さな翼を目一杯広げながら再び鳴く。
 まるでキャロちゃんの言葉を理解しているかのようで、その仕草がやたらと可愛い。
「そうか、キャロ陸士は“竜召喚士”だったな」
「はい。フリードとは小さい頃からずっと一緒だったんですよ。ね?」
 キャロちゃんがフリードの喉をくすぐると、フリードが目を閉じて頭を下げる。気持ち良さそうだ。
 私も触らせてもらいたくて声を掛けようとした時、物凄い勢いで近寄ってくる人影が見えた。
「きゃーっ! 何ですかぁー!? このプリティードラゴンは!?」
 アイサちゃんだ。
 奪い取るかのような勢いでフリードを両手に持ったアイサちゃんは、呆気にとられるキャロちゃんの横でフリードを抱えたままくるくると回った。
 アイサちゃんの騒がしさに大食堂の中の視線は全て彼女に向けられ、それでも彼女は気にすることなくフリードを強く抱きしめた。
「可愛いですねぇー! この子をあたしにくださぁい!」
「いや、それは…………」
 キャロちゃんが困惑しているところへ、どこからともなくノイズ曹長が現れた。
「キャロさん、申し訳ない。あいつは俺が止めますから」
 そう言うと、ノイズ曹長はアイサちゃんの近くまで歩み寄ってから、声を張り上げた。
「アイサ君! すぐにフリードを放してあげなさい!」
「ああ! ノイズ曹長! どうですか!? この子可愛くないですか!? お持ち帰りしたくなりませんかぁ!?」
 アイサちゃんがフリードをノイズ曹長の眼前に突き出す。
 宝石のように赤くて丸いフリードの眼と視線を重ねながら、ノイズ曹長は鼻でため息をついてから言った。
「あのなぁ! ちょっとは落ち着きを持って行動したらどうだ?」
 その時、突然フリードが口を開いた。そしてそれを見たキャロちゃんは、慌てたように声を上げた。
「危ない! 避けて!」
 その声が直接的な命令形であったからだろう。ノイズ曹長は声に素早く反応して身を屈めた。
 それとほぼ同時に、フリードの口から小さな炎が上がった。
 短い悲鳴が幾つか響き渡った後、しばらくの沈黙。
 誰もが言葉を失っていた。
 動く者はなく、姿勢を保ち続けながら見守った。
 そう、見守った。
 ノイズ曹長の頭を。
 煙が立っていた。一瞬のことだったので、火自体は既に消えているようだったが、妙な臭いが周囲に広がって鼻を突く。
「…………焼け野原、か」
 ミリー部隊長の一言だけが、その場に空しく響き渡った。



≪チャプター2:調査メンバーの出発≫

 翌朝、宿舎施設の会議室に集まったボク達は、サイオン部隊長の威圧的な声の指示を聞いていた。
 どうやら機嫌が良くないようだ。まあ、分からなくはないけど。
「アイサはまだ見つからんのか!?」
 アイサの名前を叫びながら、数人の三課局員が廊下をばたばたと走り回っていた。その中には、頭にタオルを巻いているノイズ曹長もいた。
「もういい。アイサ抜きで説明をする。聞き漏らさないように」
 サイオン部隊長の前に並ぶのは、ボクとソフィーとジージョ。それにエリオとキャロを含めた自然保護官全員。そして三課局員が十名だ。
 ここにいる十九名と行方をくらませている一名は、竜型古代生物オルギプスを解放する区画の下見に向かう調査メンバーだ。主人のいないオルギプスは温厚だそうだが、その巨体故、宿舎の近くや貴重な動植物の生息地域に放すわけにはいかない。
 ということで、オルギプスの解放に適した場所を探すのが、ボク達調査メンバーの役割となる。その他の皆は宿舎の会議室にて別作業となる。
 同行任務で来ているボク達ホカン部までもが三課局員同様に働かされるというのは不服だが、ミリー部隊長が「いいから手伝ってやれ」と言うので仕方がない。まあ、この任務さえ終えることが出来れば、待ちに待ったバーベキューだ。そのためと思えば、多少は協力してやってもいいか。
 サイオン部隊長の説明が終わり、ボク達は宿舎の外に出た。
 チークの陽射しは強かった。ホカン部隊舎ではいつも技術室か自室で機械いじりばかりしているボクとしては、バーベキュー等の楽しい出来事でもない限りこういう陽射しの下には出たくない。
「少し遠いかもしれませんが、南西の方角に五十キロほど行った所が解放区画としては良いと思います。あの辺りは比較的木々も少ないですし、動物達の縄張りにも触れませんので」
 自然保護官の一人がそう言うので、ボク達は移動を開始することにした。
 五十キロという距離は少々遠いな。ボク達は空を飛べるからいいけれど、三課局員には飛行能力を持つ者が少ない。加えて、エリオとキャロも飛行能力の無い陸戦魔導師だから、地上からの経路しかない。
「こんな暑い中を歩いて行くのか? 五十キロだぞ」
 ぼやいたのはボクだけだが、ソフィーとジージョも同じような気持ちであることを表情に出していた。
「いえ、僕達が先に向こうへ行きますから、その後、僕達を目印にして転移魔法で飛んできてください」
 そうエリオが言った。
 だが先に行くというのが引っ掛かる。空を飛べないのはキミ達の方だと言うのに、どうやって先に行くというのだろう。それだったら空を飛べるボク達を先に行かせれば早いじゃないか。
「その役目はボク達がやるよ。空を飛んでいった方が早いだろ?」
「でも、場所が分かる人も一緒じゃないと困りませんか?」
「困るけど、キミ達は飛べないじゃないか」
 そう言うと、エリオとキャロが微笑みながら「大丈夫です」と声を重ねて答えた。
 何が大丈夫なのだろう。不思議に思って首を傾げていると、キャロが一歩前に歩み出てきた。
 両目を閉じた彼女の足元に突然桃色の魔法陣が広がり、その中央に佇む彼女の小さな唇から言葉が漏れ出す。
「蒼穹を走る白き閃光。我が翼となり、天を駆けよ。来(こ)よ、我が竜フリードリヒ――――」
 突然の詠唱。
 キャロの詠唱に呼応して、フリードの体が光を放ち始める。
「――――竜魂召喚!」
 言葉の後に続き、光を放っていたフリードの体が一気に肥大する。
 ボクは口を開いたまま固まった。おそらくソフィー達も同じような表情を浮かべているんじゃないだろうか。
 大食堂のテーブル下で皿の上のパスタに顔を埋めていたあの小さな竜と、ボク達の目の前に姿を現したこの巨大な竜が同一の固体だと、話を聞かせたとして一体何人が信じてくれるだろうか。
 樹のような太く引き締まった腿が、人では決して及ぶことの無い力強さを思わせる。
 羽ばたくだけで嵐を感じさせる大きな翼が、空の狭さを物語る。
 大剣を連想させる鋭く伸びた青い角が、見る者全てに畏怖の念を抱かせる。
「な……なんちゅー迫力…………」
 竜召喚士。こればっかりはボクのモノマネも及ばない力だ。彼女の使う『竜使役』という能力は、竜族と心を通わせて従えさせる能力。これはどんなに魔力が強かろうと、どんなに優れた魔導師であろうと、そんなに易々と手に入れることの出来るものじゃない。事実、知られている竜召喚士の全員が、竜使役及び竜召喚術を一族より相伝してきている。もはや先天的能力と言ってもいい。
 これだけの力を持つからだろうか。歳も若くて、明らかに非力そうなキャロが六課の最前線に立っていたというのも頷ける話だ。
「わたしとエリオ君はフリードに乗って行くので、空を飛べる方はわたし達と先行していきましょう。残った方々は、わたし達が向こうに着いたら合図をするので、その後に転移魔法でやって来てください」
「よし、じゃあ決まりだな。行こう」
 エリオとキャロがフリードの背中に乗るのを確認した後で、ボク達もバリアジャケットを装備した。
 変身を終えると、ボクのバリアジャケット姿にエリオとキャロが目を丸くしていた。まあ、分からなくも無いけど。
「…………フェイトさんと同じ姿だ」
 そりゃあそうだ。フェイト執務官と同じ装備なんだから。
 フェイト執務官もなのはさんの親友として、そして優秀な執務官として有名だから、ボクのこの姿を見て驚く人も多い。
 けれど、おそらくそんな人達の中でもとりわけ二人は驚いているんじゃないかと思う。なんてったってフェイト・|T《テスタロッサ》・ハラオウン執務官と言えば、なのはさん同様に機動六課へ出向していた人で、その中でもライトニング分隊の隊長を務めていたのだから。エリオとキャロは六課内でライトニング分隊に所属していたわけだから、フェイト執務官は彼等二人のリーダーだったわけだ。
 そんな親しい人と瓜二つの格好をしたボクを見れば、もっと騒ぎ立てて驚いたっていいぐらいだ。
「マルコさんって、フェイトさんの何なんですか?」
 なんだ、その愛しい人に横恋慕する恋敵へと向けるような台詞は。
「別に何でもないさ。ただの一ファンだよ」
 いつも通りの答えを返した僕は、誰よりも早く空へと浮き上がった。
 ボクに続いてソフィーとジージョも飛び立ち、フリードもその翼を羽ばたかせようとした時、物凄い勢いで近寄ってくる人影が見えた。
「きゃーっ! 何ですかぁー!? このワイルドクールなドラゴンは!?」
 またお前か。
 飛び込むかのような勢いでフリードの背に飛び乗ったアイサは、唖然としているエリオとキャロの後ろの席を陣取った。
 アイサの騒がしさに調査メンバーの視線は全て彼女に向けられ、それでも彼女は気にすることなくフリードの背で声を張り上げた。
「かっこいいですねぇー! この子をあたしにくださぁい!」
「キャロ、落としていいぞ」
 冗談でも落とそうとしないのは、おそらくキャロの堅苦しい真面目さ故だろう。
「アイサちゃん何処行ってたの? サイオン部隊長がすごいカンカンだったよ?」
 ソフィーが呆れながらも言うと、満面の笑みでアイサが言った。
「はぁい! 早朝のお散歩に行ってたら、森の中で迷子になっちゃいました」
「え、よく帰ってこれたね…………」
 帰って来なくても良かったんじゃないか?
「なんかぁ、昔から勘だけは良くって、こっちかなーって方向に進んでいたら帰ってこれましたぁ」
 何でそういうところだけ都合良く進むんだ? 管理局はコイツにとり憑かれているんじゃないのか?
「ちゃんとサイオン部隊長には謝ってきた? ダメだよ、ごめんなさいってしないと」
「バッチシ謝ってきました! ぶっ飛ばされましたけど!」
 敬礼しながら笑顔で言うな。サイオン部隊長が人をぶっ飛ばすなんて滅多に無いんじゃないのか。
「ソフィー、もう構うな。早く行こう」
 そう言いながら、ソフィー以外のメンバーの顔もチェックする。返答は全員一致で「そうしましょう」だった。
 ボク達は南西に向かって飛び始めた。



≪チャプター3:緊急事態発生≫

「サイオン部隊長、調査メンバーが移動を開始しました」
「ああ。アイサに持たせた発信機の反応はどうだ?」
 俺は受信機のモニターを確認した。円形のレーダー画面の中に、中心点から遠ざかっていく点滅光が確認出来る。
 これは広域用の電波送受信装置だ。当然ながらこの送受信機はオルギプスのために用意されたもので、プリズンからオルギプスを解放した際に奴の体に発信機を取り付けることで、今後チークにやって来る研究者達がオルギプスの居場所を知ることが出来るように、という措置のために用意された。
 送受信機の動作テストを兼ねて、試しに発信機をアイサ君に持たせてみた。失くさないかどうかが心配でならない。
「感度は良好です」
 俺の返事を聞いて、サイオン部隊長が右の拳を擦りながら短い返事を返した。
 拳、どうしたんだろう?
「ノイズ曹長!」
 突然名前を呼ばれて、俺は声の方向に振り返った。
 声の主はミリー部隊長だった。
「どうされました?」
「バーベキューセット、マリアンヌから降ろしておいた方がいいだろう? ブラントとノーラを手伝わせるぞ」
「ああ。いや、大丈夫ですよ。うちの男共にやらせますから」
 そう言うと、ミリー部隊長が申し訳無さそうな笑顔を浮かべながら頭を掻いた。
「なんか悪いな。下見グループの三人ならともかく、ここにいるとホカン部の仕事が無くてな。何か力になれればと思ったんだが」
 ミリー部隊長もやはり大人だな。まあ、年齢的にもそうでないと困るけど。
 何だかんだで細かいところに気を遣ってくれる彼女は、やはり一つの集団を束ねるリーダーなのだなと感じる。
 思えばミリー部隊長にはいろいろと世話になっている。俺が三課に所属してからの付き合いだし、俺が彼女と知り合ってからの期間は、ウィンディーヌを除いたホカン部メンバーの誰よりも長いのだから当然か。
 それだけの付き合いなのだから、やはり彼女も俺のことを気に掛けてくれているのだろう。
 それぐらいの付き合いなのだ。
 そう、それぐらいの付き合いなのだから。
 だから、早いところ済ませてほしいことがある。
「あの…………いい加減サイオン部隊長にバーベキューのことを話していただけないでしょうか?」
「あれ? まだサイオン部隊長はバーベキューのこと知らないんだっけ?」
「嘘ですよね? 冗談ですよね? ミリー部隊長がサイオン部隊長を説得してくれるって言うから、俺頑張って幹事やってるんですけど」
 この人はいつもそうなんだから。まるで俺を困らせることが趣味のように、いや、絶対俺を困らせることが趣味なんだ。
 だっていつもそうだもの。たまに俺がホカン部隊舎に報告書を届けに行くと、いつもホカン部の雑務を手伝わされるのだ。ホカン部の“業務”ではなくて“雑務”を手伝わされる。だから俺は、例え手の空いている部下がいなくても自分では絶対に報告書を届けに行かない。
 そう言えば、あれは何時の話だっただろうか。俺がホカン部隊舎に用事があって出向いた時。そんな大した用事でもなく、五分くらいで済むはずだったのに、ブリーフィングルームに足を踏み入れた瞬間、食堂の厨房掃除を手伝えと言われたっけ。しかもミリー部隊長ったら、「ノイズ曹長、“掃除のなにぬねの”を知っているか? 『な』でるように掃き、『に』かい掃き、『ぬ』れ雑巾で拭き、『ね』この手を借りるくらいなら、『ノ』イズを呼べ」なんてことを言うのだ。
 もう俺この人を信じるのは止めよう。
 何があったってもう絶対助けてやらないんだ。
「そうですか。バーベキューは無しですか」
「何?」
「残念だなー、皆楽しみにしていたのに。サイオン部隊長がオッケーしてくれないんじゃあ絶対無理だもの」
 俺は何故この人を信じてしまったんだろう。酷い扱いしか受けてこなかったというのに。いつまでもこんな人を頼るから付け込まれるんだ。
 もうやめた。こんな人に構っていたら俺ばかり損をする。
 バーベキューは中止だ。皆には申し訳ないけれど、会費を返すということで納得してもらうしかないな。
「よしよし分かった。サイオン部隊長の説得は私に任せておけ」
「出来るんですか? そんなこと」
 口を尖らせてわざとっぽく言うと、ミリー部隊長がすっと近づいてきた。
 まずい、怒らせただろうか。
「ノイズ曹長…………」
「は、はい!」
 俺は態度を一変させて直立した。
 しかし、横から拳が飛んでくるんじゃないだろうかと思っていた俺の目の前には、何故だかミリー部隊長の右手が差し出されていた。
 これは、握手を求めているのか?
「悪かった。私も少々やり過ぎたかも知れないな。何だかんだ言ってこういう時に頼れるのはノイズ曹長だけなのにな」
「…………ミ、ミリー部隊長」
 やはり、長い付き合いの中で、俺とミリー部隊長には固く結ばれた絆があったのか。
 嬉しく思う。
 彼女が滅多にしない謝罪を口にしたからじゃない。俺を頼ってくれたからでもない。
 彼女が、あの、いつも何を考えているのか分からなくて嫌がらせばかりしてきてそのくせ仕事は何してるんだか分からないくせにやたらと人使いは荒いというミリー部隊長が、俺にその絆を示すような本心を語ってくれたことが、そしてその絆を再確認しようと手を伸ばしてくれたことが、たまらなく嬉しかった。
 俺は、何だかんだ言いつつもこの人には敵わない。
 雑務を頼まれれば引き受けてしまうし、困っていれば気になってしまうし、いつまでも仲良くしていきたいと願ってしまうのだ。
 俺は彼女の右手を握った。細くて、しかし、しっかりと力強い握力で、彼女は応えてくれた。
「幹事、ご苦労だな」
「いえ、ミリー部隊長にも是非楽しんでいただきたいと思っていますから」
 そう言うと、ミリー部隊長は恥ずかしそうに笑いながら手を離し、俺の横をすり抜けていった。
「サイオン部隊長」
「ん? 何だ?」
「実はな、この任務が終わったら、チークの川原でちょっとバーベキューでもしようと思うんだが、一緒にどうだ?」
「バーベキュー? 遊びに来たわけではないだろう」
 やはり、サイオン部隊長の顔が険しくなる。
 俺は心臓の高鳴りを感じていた。やはり、ミリー部隊長と言えどもあのサイオン部隊長を説得するなんて無理なのではないだろうか。
「いいじゃないか、別に。任務が終わっても帰るのは明日だ。時間ならあるぞ?」
「時間の問題ではない。我々が一体何者であり、何を成すべきなのか自覚をしているのかどうかという問題だ」
 無理か。遺失物管理部内でも相当の堅物と言われるサイオン部隊長だからな。
 だが、全てはミリー部隊長に掛かっている。
 頼む。勝ってくれ、ミリー部隊長。
「しかし、せっかく用意もしてきたんだ。このまま帰るんじゃ、せっかくの肉も駄目になってしまう」
「そんなもの、今日の夕食にでも出してもらえ」
「頼むよぉ。ノイズ曹長のためでもあるんだからさ」
 え? 何で俺の名前が出てくるんだ?
「ほら、あいつのプライベートアルバムを見ただろう? ちょっとはノイズ曹長にも楽しい思いをさせてやらないと」
「…………ふん。ま、部下のメンタルケアも仕事の内か」
「って、おおぉぉぉおい!」
 突っ込まずにはいられなかった。だってサイオン部隊長のあんなに他人を哀れんでいる目は見たことが無い。
 そんなに俺は寂しいわけではない。あのアルバム写真はちょっと魔が差しただけだ。
 俺は決して病んでいない!
 その時、突然部下の一人が飛び込んできた。
「ノイズ曹長!」
 慌てた様子の部下は、驚愕した表情で唾を飛ばしながら言った。
「南西の方角に未確認機が出現しました! L級次元航行艦です!」
「何!? 所属を訊いたのか!?」
「一切応答がありませんでした! 管理局の船ではありません!」
 それはおかしい。チークは民間の訪問を許可していないはずだ。
「ノイズ、南西は調査メンバーを向かわせた方向だぞ」
「ええ」
「それが…………現在調査メンバーが未確認機と交戦中だそうです!」
 その言葉を聞いた瞬間、その場にいた全員に緊張が走った。

 To be continued.



[24714] 第十四話 騎士
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/20 18:23
≪チャプター1:森の中の戦闘≫

 翳した手の平を中心にして、目の前に若草色の魔力障壁が展開される。
 その障壁越しに見えるのは、涼やかな青空には全くもって不釣合いな程に薄汚れた茶色の艦船。そしてその艦船のあらゆる部位から、魔力砲による攻撃が繰り出されていた。
 宿舎に待機している三課に「現在交戦中」と連絡は入れたけれど、はっきり言って交戦なんかになっていない。艦船からの魔力弾に当てられないよう、羽虫みたいに飛び回って逃げているだけだ。
 空を飛んで宿舎に戻るにしても、艦船に狙われて撃ち落とされる可能性の方が高い。ボクは、同じように逃げ惑う仲間達全員に念話を送った。
 ――全員降下! 森の中に身を潜めるぞ!――
 返事を待たずして、ボクは地面に向かって急降下を始めた。
 背の高い木々の群れに飛び込めば、視界は一気に緑一色。なおも降下を続け、地面に両足を着いてから頭上を見る。
 ソフィーが降りてくる姿を確認。続いてジージョと三課局員数名。そしてフリードに跨っているエリオ、キャロ、アイサの三人。なんとか全員無事に降下出来たようだ。
「相手が悪すぎる。次元航行艦なんてボク達だけじゃどうしようもないよ」
 安堵のため息と共に一言零すと、空を覆うように密集する枝葉の隙間から見える艦船は、攻撃を辞めてボク達の頭上に浮いたまま動かなかった。たぶん、ボク達が再び姿を見せればまた攻撃してくるだろう。
「マルコちゃん、待機チームからは何だって?」
 ソフィーが不安そうな声を出した。情けない声だけどそれも仕方ないだろう。いきなり現れた大型艦船から訳も分からずに攻撃を受ければ、誰だって恐怖を感じるものだ。
「向こうの魔力弾を避けながらだったからね。こっちの状況を伝えるのに必死で、返事は待ってられなかったよ。でも交戦中だって送ったから、おそらく何かしらの形で助けに来てくれると思うけど」
「それにしてもあの船は一体?」
 エリオがもう一度空を見上げる。
 ボクもそれに倣いながら、一応確認のために、エリオに訊いた。
「今日は学者とかのチーク来訪予定は無いんだよね?」
「ありません。それに、仮にそういう予定があっても攻撃なんてしてくるわけないですよ」
 そりゃあごもっともなお答えで。
「となると、考えられるのは?」
 全員同じ表情を浮かべて首を傾げた。
 しかし、分からないことをいつまでも考えていたって無駄に時間を浪費するだけだ。今必要なことは、上空の艦船に見つからないようにしながら宿舎に戻ること。
 艦船に姿を見られないようにしながら移動する方法と言えば、陸路しかない。ボクは森の中から宿舎のある方角を見た。言わずもがな、目指す方向どころか左右後方も樹木だらけ。おまけに倒木や泥の沼まである。
 この中を進めと言うのか。骨が折れる道のりを眼前にすると、骨よりも先に心が折れそうだ。
「…………何か、近づいてきてます」
 突然エリオが険しい表情を浮かべた。
 彼の言葉にボクは、バルディッシュモデルのレプリカストロを握り締めた。他の皆も警戒心を剥き出しにしている。
 しかし、見渡す限りではその“何か”がよく分からなくて、エリオの勘違いではと、思わず彼を疑ってしまった。
「何かってなんだい?」
「人の気配です。取り囲まれているみたいだ」
 疑いはするけれど、そこまではっきりと断言されると身構えずにはいられないな。彼の感覚はやたらと鋭いのかも。
 ボク達は自然と、一箇所に集まって全方位に視線を向けるような陣形を取った。
 正直言ってヤバイ。ソフィーやジージョ、それに居合わせている三課局員は中距離から遠距離での戦闘を得意とする連中だし、フリードはその巨体故に地上じゃ動きは遅そうだ。だからと言って空を飛ぶわけにもいかないし、小さくなっては戦力にならない。それとキャロは一番の非力だから、陣の中央に置いて守ってやらなくちゃいけない。
「エリオ、はっきり言うけど、ここにいる皆の無事はボク達にかかっているぞ」
「え?」
「近接戦闘(クロスレンジ)はボクとキミしか出来ないってことだよ」
「…………分かりました! 全力で守ります!」
 そう言ったエリオが、手にした槍型デバイスの『ストラーダ』を構え直した。
 その様子を見た瞬間、ボクは思わず身震いをした。さすがは元機動六課のフォワードメンバー。その構えから醸し出される騎士の風格は伊達じゃない。
 あらゆる方向にも素早く飛び出せるようにと、踵を僅かに浮かせた足。
 いかなる瞬間でも素早く先手を奪えるようにと、程よく脱力した肩と握力。
 迫り来る気配達にも臆することなく挑もうと、凄まじい闘気を発した鋭い眼光。
 なかなか心得ているな。シグナムさんと同様に、敵対するのは勘弁願いたいと思う人物だ。
 だけど、まだまだ厳しい状況は変わっていない。この場にブラントがいてくれるだけでも全然違うのにと、ボクはため息を零した。ホカン部の中の戦技能力番付ではボクとブラントが同列で二位くらいだし、あいつもクロスレンジが得意だから。
 そんなことを考えていると、エリオの言っていた“何か”というものがようやくボクにも感じ取れるようになった。それだけ相手が近づいてきている。
「仕方ないな。ちょっとばかり気合い入れるか」
 そう言ってから、ボクは足元に魔法陣を展開した。
「仕入れたばかりだぜぇ! レプリカストロ、メタモルフォーシス! モデル“マッハキャリバー”!」
「All right buddy!」
 言い終えると同時にボクの体は光に包まれた。そして今装備しているフェイト執務官のバリアジャケットが消失していくのと同時に、別のバリアジャケットが構築されていった。
 デニムのホットパンツと胸部だけを覆う袖無しラッシュガードを身に纏う。そして腰には前開きの白いスカート。上半身には丈の短い白のジャケット。最後に長い鉢巻が額を締め付ける。
 両足に装着されたローラーブーツ型デバイス『マッハキャリバー』と、右拳に装着されたグローブ型デバイス『リボルバーナックル』が、ボクの体内を振動させるように唸りをあげた。
 チークにやってくるちょっと前に完成したばかりの、ボクの新しいモノマネだ。
「それって…………」
 エリオとキャロの目が点になっている。
「キミ達はこの姿をよく知ってるだろう?」
 そりゃあそうだろう。なんてったってこの姿は、二人同様になのはさんの教導を受けて育った六課のフォワードメンバーの一人、スバル・ナカジマ陸士の装備なのだから。
「さあ、やってやろうじゃないか!」
 胸の前で右拳を左掌に打ちつけたボクは、再び周囲に注意を払った。
 おそらくボクが変身をしたからだろう。こちらの動きを察した気配達は、隠れ蓑にしていた草木を揺らし始めた。いよいよ来るか。
「いけぇっ!」
 突如響いた野太い声と共に、隠れていた気配の正体達が物陰から飛び出してきた。
 敵連中は、何処を探検してきたんだと尋ねたくなるようなサファリファッションで、これまた時代を間違えているんじゃないかと思うような鈍器をそれぞれ振りかざして突っ込んできた。
「まさか密猟団!?」
 エリオが敵に向かって飛び出しながら口走った。ということは、密猟者は皆サファリジャケットが好きなのか?
 馬鹿馬鹿しく思いつつ、ボクもローラーブーツのタイヤを転がして飛び出した。
 魔力操作によって自動回転するローラーがボクの体を滑らかに、軽やかに、そして俊敏に走らせる。
 姿勢は低く、視線は真っ直ぐ、思考は冷静に。ボクは右拳を握り締めたまま腕を引いた。
 まずは一人目。
 土埃を巻き上げながら急接近すると、敵はボクの脳天目掛けて棍棒を真っ直ぐに振り下ろしてきた。
身を捩ると、頬を掠めた棍棒が地面を叩く。と、同時に敵の顔面に右拳を叩き込む。
 仰け反りながら鼻血を撒き散らす一人目が倒れる姿を横目で確認しつつ、ボクはローラーブーツを更に走らせた。
 まるで蛇の進行のような軌道で、敵に的を絞らせることなく駆け巡る。
 そして二人目。
 暢気にボクの姿を目で追っている場合じゃないぞ。少しだけ加速をして近づき、地面と平行になるくらいまで姿勢をぐっと下げて滑り込む。そして伸ばした右足で地面に円を描くのと同時に敵の両足を刈り取ると、今度は敵の体が地面と平行になり、そのまま大地に口づける。
 そんなところへ三人目が走り寄ってきた。
 いいだろう、次はお前か。滑走しながらボクは両足を屈めて、地面を蹴った。空中で弧を描くボクの体は、真っ直ぐに敵の方へ向かっていく。驚愕している敵の顔目掛けて、両足裏のローラーを叩きつけてやった。だがまだ止まらない。ローラーをそのまま回転させると、甲高い悲鳴を上げる敵の顔には二本の滑走跡が刻まれた。
「はっはぁー! 男前だねぇ!」
 耐久度良し、駆動精度良し、魔力感応良し。デバイスの調子は上々だ。動作テストとしては申し分ない結果。
 よし、一発かましてみるか。
 リボルバーナックルに備えられたリボルバー式のカートリッジシステムが音を立て、手首部分にある大きな二層の歯車が噴出した蒸気と共に高速回転する。
「リボルバァァァ――」
 敵が複数人固まっている場所を見つけ、マッハキャリバーの速度を上げた。
 そして到達したのは射撃ポイント。発射の時を今か今かと待ち望んでいるようなリボルバーナックルを、敵の一団に向ける。
 食らえ、そして吹き飛べ。
「――シュゥトォォォッ!」
 右拳の先端から、若草色の高速魔法弾が衝撃波を引き連れながら弾き出される。
 落ち葉と砂煙を巻き込みながら、緑の草木を揺らしながら、清涼なる空気を押し退けながら、放たれた魔法弾と衝撃波は敵一団の中央を貫いた。
 荒れ狂う暴風の直撃を受けたように、後方から何者かに引っ張られたように、見えない掌に虫の如く払われたように、敵連中は悲鳴だけを残して吹き飛んだ。
「ふん! 良い出来じゃないか。なあ、レプリィ?」
「It''s perfect!」
「うおあっ!」
 突然聞こえてきた叫び声の方を向くと、エリオのストラーダによって叩き伏せられた敵連中がごろごろと転がっていた。
「やるねえ」
 思わず言葉を漏らすと、その呟きは膝を震えさせている残りの敵共にも聞こえたようだ。一気に人数が半分以下になってしまった敵連中は、ボクとエリオに三メートル以上近づけないまま言った。
「な、嘗めやがって……!」
「嘗めてるのはどっちだい? 管理局の魔導師相手にそんな原始的装備を用意してくるなんて、そっちこそ無礼じゃないのか?」
 人差し指を向けて言い放つと、連中が悔しそうに表情を歪めた。
 あまり心配するほどでも無かったのかな。次元航行艦による奇襲で面食らったのは確かだが、これでは随分と呆気ないじゃないか。
 この場で全員逮捕してしまおうか。
 そう考えていた時、突然頭上から声が降ってきた。
「無礼だったか? そりゃあ申し訳ないな」
 いきなりのことで、ボクとエリオを含め、全員が視線を空に向けた。
 すると突然一人の男が、ソフィー達の作る陣の中央に降り立った。そしてすぐさま近くのキャロを羽交い絞めにする。
 短い悲鳴を上げたキャロだが、男が突きつけてくるナイフを確認すると、下手に抵抗しないほうが良いと悟ったようで黙り込んだ。
「キャロ!」
 エリオの悲痛な叫び。
 迂闊だった。ふざけた装備で攻めてきた敵にばかり気を取られていたのと、まさかこんなお粗末な連中の仲間の中に魔導師がいるとは思わなかったため、上空への警戒を怠ってしまった。
「竜召喚師、キャロ・ル・ルシエだな? 俺達と共に来てもらおうか?」
 言い終えるのと同時に、男はキャロを捕まえたまま再び空に舞い上がっていった。
 すぐさま後を追おうと構えるも、男の持つナイフがキャロの頬を微かに押して留まる。それを見たボク達は、それ以上の男への接近を躊躇せざるを得なかった。それどころか、人質をとられては少しも動けない。
「キャロォッ!」
「エリオ君!」
 キャロとエリオがお互いの名を呼び合う中、エリオの背後に忍び寄っていた敵が、棍棒を振りかぶって現れた。
「危ない!」
「え?」
 ボクやソフィー達が駆け出すよりも早く、振り下ろされた棍棒はエリオの意識を刈り取った。エリオの体が横たわるのと同時に、上空からはキャロの悲鳴が響いてくる。
「余計なことしてねえで一箇所に集まってろ! 船がてめえ等を拾えねえだろ!」
 キャロの悲鳴に続いて聞こえてきたのは男の怒声で、その声を聞いた敵達は倒れている仲間を引っ張り集めて一箇所に固まった。すると、敵連中の足元に大きな転移魔法の魔法陣が展開し、彼等の体は光に攫われていった。
「よし。残ったお前等には、俺からのメッセージを仲間達のところへ届けてもらおうか」
 そして頭上の男が、一枚のメモリスティックをボクの足元に落とす。
 それを拾い上げて再び上を見上げると、男とキャロの姿はもうずっと遠くに行ってしまっていた。
 僕達は、極めてヤバイ状況に陥ったのだと思う。



≪チャプター2:成長する騎士≫

「…………で、これが敵から渡されたメッセージカードか」
 サイオン部隊長が手に取ったのは、森の中でマルコちゃんの足元に投げ落とされた小さなメモリスティック。
 キャロちゃんが攫われてしまった。謎の男が茶色の艦船内にキャロちゃんを連れたまま入っていくと、敵の艦船は転移して消えてしまったのだ。
 あまりにも唐突でショッキングな出来事を目の当たりにした私は、キャロちゃんの身が心配になって泣きたくなった。でも、泣いても彼女が帰ってこないことを理解して、昏倒するエリオ君を抱えたまま宿舎へ向かったのだ。その道のりの途中で緊急発進したマリアンヌに拾われて、私達はようやく宿舎に戻ってくることが出来た。
 宿舎に戻ってきてから、私達はすぐさま医務室にエリオ君を寝かせた後で会議室に集まり、こうしてサイオン部隊長等に事の顛末を話している。
 話はマルコちゃんがほとんどしてくれた。正直言うと、キャロちゃんが攫われたことで私はすっかり気が動転してしまって、あまり頭が働かないでいた。どこから話すべきなのか、どのような順序で説明するべきなのか、どれだけの時間で説明を終えるべきなのか、考えれば考えるほどに分からなくなって、声の出し方を忘れてしまったみたいに口が動いてくれなかった。
 そんな私の隣に、いつの間にかノーラちゃんがやって来た。両肩に手を載せて励ましてくれている。
「まあ、とにかく敵からのメッセージを見てみないか?」
 ミリー部隊長の言葉に、サイオン部隊長が頷く。手にしているメモリスティックを三課局員に渡すと、その局員はメモリスティックを再生機に差し込んだ。
「音声ファイルが一個あります」
「再生しろ」
 しばらくの静寂の後、再生機のスピーカーから聞き覚えのある男の声が流れてきた。
『我々からの要求は、プリズンに収められた竜型古代生物の引き渡しだ』
 あの男、キャロちゃんを連れ去った男と同じ声た。
『それと引き換えに、こちらで預かっているキャロ・ル・ルシエ陸士の身柄をそちらに渡そう。なお、管理局や自然保護隊本部への連絡は一切するな。下手な真似をした場合は人質を殺す』
 何の前触れも無く、誰もが交わす当たり前の日常会話のように「殺す」という単語が飛び出したことで、私は一層不安を大きくした。
『取り引き場所と時間はこちらで指定するので、空を飛べる魔導師がプリズンを持って一人で来い。判断は貴様等だけでしろ。では場所と時間を今から言う…………』
 音声ファイルから聞こえてくる声は、淡々とした声の調子を全く変えることなく取り引き場所と時間を指定すると、再生はそこで終了された。
 険しい表情を浮かべたままのサイオン部隊長。真剣な眼差しのミリー部隊長。再生機を操作する三課の局員は、ヘッドホンをしながらリピート再生をしていた。
 ふと、ミリー部隊長が鼻で笑いながら呟いた。
「ま、とりあえず緊急通信を本局に入れる前にメッセージが聞けて良かった。状況把握を優先して本局への連絡を後回しにしたのは正解だったようだ」
「そのようだな。先に連絡をしていたら手遅れだったかもしれん」
 敵からの音声ファイル同様に、冷静な口調で会話するサイオン部隊長とミリー部隊長を見て、私は驚いた。そんなに暢気に構えていられる事態では無いはずなのに、二人からは焦りというものが一切感じられない。指定された取り引きの時間まで約三時間しかないというのに。
「あ、あの…………」
 ようやく私の口が動き、情けないくらいに震えた声が喉から出てきた。
 その声を聞いて、サイオン部隊長とミリー部隊長、それに会議室内の全員の視線が私に集まる。
 こうして視線を集めたことは今までも何度かあったけど、今回は皆の視線がやたらと怖く思える。
「キャ、キャロちゃんを…………助けるんです……よね?」
 すると、ミリー部隊長はサイオン部隊長に視線を送った。
 その視線に気が付いたのか、それとも気が付いていないのか、サイオン部隊長はミリー部隊長のことを少しも見ることなく答えた。
「検討中だ」
「え?」
 今、彼は何と言ったのだろうか。私は自分の耳を疑った。
「検討中って…………助けないんですか?」
「だから検討中だ」
 さっきまで声を発することが出来なかった自分は、もういなかった。
 不安よりも、恐怖よりも、悪びれる様子もなくそんなことを言ったサイオン部隊長への怒りが大きくなった。
「検討中って何ですか!? 検討するまでもないじゃないですか! 助けに行きましょうよ! 行くんです!」
 会議室内に響き渡る私の声に、マルコちゃんもジージョちゃんも、他のホカン部局員や三課局員、自然保護官の皆までもが驚いた表情でいた。
 一切表情を崩すことなく冷静に構えているのは、サイオン部隊長とミリー部隊長。それと再生機の前にいる局員だけは、ヘッドホンによって外部からの音声を完全に遮断しているためか、会議室内に響いた私の声すら届いていない。
「ソフィー君。君の進言は、一つの提案として受け取ろう」
「提案じゃありません! 当然の結論だと思います!」
「決定権を持っているのは君ではない。私だ。それに今回の任務、及びこの場にいる局員の指揮権をを持っているのも、私だ」
 退けない。ここで退いたら、キャロちゃんを助けにいけない。強引に私だけ飛び出したところで敵に勝つのは無理だから、どうしてもこの場の皆と協力をする必要がある。
 そのためには、私は一歩だって退いちゃいけないんだ。
「敵の情報や作戦も無しにどうやって人質救出をするつもりだ? がむしゃらに飛び出したところで、我々の動きを敵が知ったら人質が殺されてしまうかもしれん」
「……で、でも! だからと言って助けるか否かで迷うのはおかしいんじゃないでしょうか!?」
「迷ってなどいない。検討しているんだよ」
 変わらないように感じる。私は納得が出来なかった。
 ミリー部隊長の方を見た。彼女なら、もしかしたら前みたいに助け舟を出してくれるかも知れない。
 私のそんな視線に気が付いたようで、ミリー部隊長がじっとこちらを見てきた。しかし、表情は私の期待に応えてくれるような雰囲気では無かった。
「ミリー君、部下を甘やかし過ぎじゃないのか?」
「そうか? まあ私は親バカだからな」
「肯定するなら、反省の色を見せたまえ」
 ミリー部隊長が歯を見せて微笑んだ。
 そんな、笑っている場合じゃないのに。
「皆さん、どうしてここにいるんですか?」
 突然聞こえてきた声の方を向くと、会議室の入り口に、包帯を頭に巻いたエリオ君が立っていた。
「お、目が覚めたか」
「エリオ君、もう大丈夫なの?」
 私とミリー部隊長の言葉に返事をすることなく、エリオ君は更に声を荒げて言った。
「どうしてここにいるんですか!? キャロを、キャロを助けにいかないと!」
 やはり、彼ならそう言うと思った。
 エリオ君は宿舎の玄関に向かおうとしたところで、急に足を止めて会議室に戻ってきた。そして椅子に腰掛けるサイオン部隊長に詰め寄り、真っ直ぐな瞳をサイオン部隊長の目に叩きつけるようにして尋ねた。
「キャロは……どこですか!?」
 エリオ君も相当焦っているようだ。そして頭が働いていない。キャロちゃんの居場所も分からないまま宿舎を飛び出そうとしたのも、彼女を助けたいという気持ちが先行したからだろう。
 サイオン部隊長は、私が意見を言った時と同じような、迷惑そうな表情を浮かべて言った。
「場所は分からない。だから動き様が無いだろう」
「じゃあ捜索しないと!」
 そう言って離れようとするエリオ君に向けて、サイオン部隊長が「待て」と声を掛けた。
「捜索をするつもりはない」
 足を止めたエリオ君は、相変わらずの真っ直ぐな瞳で、だけど明らかに怒りも込められた瞳で、サイオン部隊長の方に振り返った。
「どういうことですか?」
「言葉通りの意味だ。現状では、我々が動くわけにはいかない」
 そうか、エリオ君は敵からのメッセージを聞いてないから知らないんだ。私達の不審な動きを敵に見られるわけにはいかないということを。
「キャロ陸士を守ることに繋がる。だから動けないのだよ」
「そんなっ! だからってここで何もせずに待っていろと言うんですか!?」
「そういう風に聞こえなかったのか?」
「きけません! 僕だけでも捜索に出ます!」
 それは少しまずい。私はエリオ君を止めようと口を開きかけた。
 開きかけて止まったのは、そのすぐ後のミリー部隊長の行動に驚いたからだ。
 会議室の出入り口に向かって進みだすエリオ君。すると、すぐさま彼の後ろ襟をミリー部隊長の手が捕らえた。そのまま勢いよく引っ張られたエリオ君は、重心を完全に後方に傾けてしまって姿勢を崩した。後方に倒れかかるエリオ君を更に引っ張るミリー部隊長。その勢いが付き過ぎたせいか、それとも彼女の故意なのか、エリオ君の体は会議室の壁目掛けて投げつけられていた。
 鈍く重い衝突音と共に、エリオ君の呻き声が聞こえる。彼が壁にぶつかる瞬間、私も思わず短い声を上げてしまった。
「頭を怪我した割には血の気が引いてないんじゃないのか? 少し冷静になれ」
 ミリー部隊長の、怒気が込められた声。しかし、そんな声を発している時でも、彼女の顔は怪しげな笑みを携えていた。
「“奇跡の部隊”で最前線を張ったフォワードメンバーが、まさかこれほどの火の玉少年だったとは驚いたな」
「…………ぼ、僕の魔力変換資質は“電気”です! “炎熱”じゃない!」
「おまけにジョークが通じないほど頭が固いときたか。棍棒の一撃で昏倒したのが不思議なくらいだな」
 挑発にも似たミリー部隊長の言葉を聞き、エリオ君の目付きがより鋭利になっていく。
 ミリー部隊長が、再生機の前に座る三課局員の頭からヘッドホンを抜き取った。突然のことに驚く局員には目もくれず、ミリー部隊長はそのヘッドホンを持ったままエリオ君の目の前まで進む。
 そして壁にもたれ掛かるエリオ君の顔に自分の顔を近づけ、手にしたヘッドホンを乱暴に彼の頭に取り付けた。
「聞こえてくる音声をよく聞いてみろ」
 ヘッドホンで外部からの音を遮断されたエリオ君には、おそらくミリー部隊長の声は届いていない。
 だが、それでもミリー部隊長は彼の真正面から話を続けた。まるで目から目へ言葉を届けるように、押し込むように。そんな表情でミリー部隊長は言う。
「大事な彼女を助けたいのなら、もう少し賢く動け。現状からキャロ陸士の生存率が一番高く残る行動を選択し、実行するんだ。気迫で力を発揮する感情論と、気持ちで勝利を掴み取る精神論は私も嫌いではない。だが早まるな。お前はまだ幼い」
 いつの間にかミリー部隊長の右手はエリオ君の胸倉を鷲掴みにしていて、エリオ君からの一切の反発を許していなかった。
 有無を言わせぬ威圧感。この感じは前にもどこかで感じたことがある。そうだ、カローラ達との模擬戦で、撃墜された私が模擬戦の続行を懇願した時に助けてくれたミリー部隊長が、同じような雰囲気を発しながらなのはさんを説得してくれた。
 あの時の、“怖いミリー部隊長”がまた現れていた。
 しばらくの間が空き、それからエリオ君がゆっくりとヘッドホンを外した。
「…………すみませんでした。まさかこんなことになっているなんて」
 しょげた様な声を出したエリオ君は、俯いたまま謝った。
 ミリー部隊長が彼の胸倉を放すと、しわくちゃになった服を直すこともしないままエリオ君は立ち上がった。
「僕はキャロを助けたいです。キャロは……僕にとって大切な人なんです」
 言葉は静かな室内を駆け巡り、ここにいる私達全員の耳に届いていた。
「同じ六課で一緒に戦った仲間であり、フェイトさんに保護してもらった者同士というかけがえの無い家族であり…………」
 エリオ君の想いが溢れてきている。溢れても溢れても止まらないその気持ちが、私達すらも飲み込んでしまうのにそう時間は掛からなかった。
 足元からあっという間に頭まで。溺れそうなくらいに飲み込まれた私達は、しかし誰一人としてその想いの海から這い上がろうと、足掻くことはしなかった。
「…………僕が一生を掛けてでも守っていきたいと思う人なんです」
 想いの海に沈んだ体は、全身で彼の気持ちを受け止めようとしていた。
 鼻で吸い、口で飲み込み、肌を潤し、温かさを感じ取った。
 助けたい。
 誰もが、同じ想いを胸に秘めて。
「協力してください」
「もう一度顔を見せろ」
 ミリー部隊長が言うと、エリオ君はその顔をミリー部隊長の方に向けた。
 そこにいる少年の顔は、つい先程までのものとは別人のようで驚いた。
 強い意志は変わることなく、しかし、明らかに新しい何かも秘めている顔つきだ。
 それは覚悟か。最高から最悪までのあらゆる結果を受け入れるだけの覚悟。
 それは決意か。己が成すべきことを徹底的に成し遂げて目的を果たす決意。
 それは希望か。全てが終わるまで決して絶やさぬことを誓った確かな希望。
 とにかく、エリオ君はたった僅かな時間の中で更に成長したようだ。
「いい顔するじゃないかぁ」
 ミリー部隊長が笑いながらそう言った。
 そしてすぐに私達全員の方を向くと、両腕を胸の前で組んでから言った。
「こちらにいる一人の騎士が、力を貸して欲しいそうだ」
 貸して欲しい?
「おかしいと思わないか?」
 貸して欲しいとはどういうことだ?
「なあ諸君! 我々はオルギプスの解放任務のためにやって来たホカン部、及び機動三課だ!」
 貸して欲しいだなんて、慎ましいにも程がある。
「ホカン部である前に、機動三課である前に、我々は何者だ!?」
 仲間が攫われた。失くしてはいけない人が危険に晒された。
 そんな人を救うのは、一体誰だ?
「時空管理局員だろ! 協力してやるさ! 幾らでもな!」
「おおおおおおぅっ!」
 正義に満ちた勢いの良い雄叫びが轟き、時空管理局に集った勇者達が血を滾らせた。
「というわけだ、サイオン部隊長。検討の方はどうかな?」
 サイオン部隊長がゆっくりと立ち上がり、相変わらずの厳しい表情で言い放つ。
「…………全員静まれ。これより、キャロ・ル・ルシエ陸士の救出作戦会議を始める」
 遺失物保護観察部、及び遺失物管理部機動三課、激震の時。

 To be continued.



[24714] 第十五話 元捜査官
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/21 01:44
≪チャプター1:アウロン・ジープ≫

 シーツも掛かっていない簡素なベッド。空っぽの引き出しと一体型の机。固定式のデスクチェア。天井の照明は少し光量が弱まっていて、寂しげな室内の冷たい雰囲気を一層際立たせている。
 固いベッドの上に腰を下ろした私は、自分自身の無力感と情けなさを恨んでいた。
 私は、何をしているんだろう?
 あんなに敵にあっさりと捕まってしまい、皆の足を引っ張ってしまっている。時空管理局員なのに、なのはさんの下でたくさん訓練してきたのに、こうして何も出来ない自分は本当に無力だ。
「エリオ君、怪我しちゃったかな? 大丈夫かなぁ?」
 私はエリオ君の具合が心配になった。
 そう、エリオ君は、捕まった私に気を取られて背後に迫った敵の攻撃を受けてしまったんだ。
 私のせいだ。私があまりにも情けなかったから。
 自然と視界がぼやけてきて、溢れそうな“それ”を零さないようにと、私は何度も心の中で止まれと命じた。
 そんなに弱いはずはない。私は機動六課でずっとやって来た。自信もある。弱いはずはないんだ。
 自分自身に言い聞かせて、ぎゅっと拳を握り締めた。
 でも、どうしても堪え切れなくて、幾つかの雫が膝の上で弾けた。
 悔しい。
 捕らわれた現状に対する恐怖よりも、自分が皆の足手まといになってしまったという事実がとても悔しい。幾らでも沸いて出てくる怒りや呆れは、全て自分にしか向けられない。
 そしてそれらは雫となって、いつまでも止まることなく目から溢れ続けていた。
 突然、固くロックされていたはずの部屋の扉が開いた。
 すぐさま両手で目を擦り、扉の方を見た。誰かが入ってきた。
 扉が開いたのと同時に入ってきたのは、私をここに連れてきて閉じ込めた男だった。
 肩に触れるぐらいまで無造作に伸ばした髪を後頭部で結わいたその男は、無精髭に囲まれた口をニヤつかせながら、その長身の体で扉を潜ってきた。そして私を捕まえた時と同じ、腕を捲くったサファリジャケット姿を私の方に向けてきた。
「なんだぁ? 泣いてたのか? やっぱガキンチョだな」
「泣いてません!」
 私は濡れた指先を拳の中に丸め込んで隠した。
 でも、強がって大きな声を出したけれど、本当はとても怖い。
 目の前には私を攫った男。助けてくれる人は誰も近くにいなくて、デバイスはここに入れられる前に取り上げられてしまった。バリアジャケットも解除してしまった今の私は、自然保護官の制服に身を包んだだけの無力な子供だ。デバイスの力が無ければ魔法の制御なんて自信が無いし、かと言って腕力で敵うわけでもない。
 何も出来ない。その事実が、再び私の瞳を濡らしそうになった。
「また泣きそうだ。機動六課のフォワードメンバーと言ったって所詮は子供。大したことないな」
「えっ? 機動六課って…………私のことを知っているんですか!?」
 目の前の男が言い放った侮辱の言葉を忘れてしまう程、私は驚いた。皮肉にもその驚きのせいで、瞼の中の潤みは何処かへ消えてしまった。
 私の素性を知っているこの男、一体何者なのだろう。
「まあな。機動六課と言えば、昨年のJS事件の解決を機に“奇跡の部隊”と呼ばれるようになった優秀な部隊だろ。その中でも最前線で活躍した面子を知らないなんて……な?」
 それでも、一般の人々がJS事件を解決した六課のメンバーまで知っているとは考えにくい。
 この男は間違いなく、管理局の内情に精通している。
「な、何でそんなことを知っているんですか?」
「JS事件っつったら有名だろ?」
 JS事件。正式名称を『ジェイル・スカリエッティ事件』と言う。
 生体改造、生命操作、精密機械等のあらゆる分野に通じた天才的頭脳を持つ科学者であり、数多くの事件に関与してきた次元犯罪者でもある男、ジェイル・スカリエッティ。そんな彼を中心として引き起こされた、ロストロギア『レリック』を巡る事件を、通称『JS事件』と呼んでいる。
 私達がつい最近まで所属していた遺失物管理部機動六課は、昨年、この事件を解決へと導き、スカリエッティも逮捕することに成功した。
 だが、機動六課の事細かな内部事情はおろか、各メンバーの素性まで一般人に報道されるようなことにはなっていないはずだ。
 しかし、確かに目の前の男は言った。JS事件に関与した機動六課の最前線メンバーを知らないわけがない、と。そんな意味合いのことを、男は確かに言っていた。
 そこから導き出される一つの考えは、おそらく当たっている。
「…………あなたは、管理局員なんですか?」
「“元”、だけどな」
 だから魔法を使えるんだ。私を攫った時に空を飛んでいたのが気になっていたが、元管理局員ということならば不思議でもない。決して管理局員だけが魔法を使えるわけではないけれど、こうまで管理局の内情に詳しいとなると、もうその考え以外は思いつかなかった。
 これは敵に関する重大な情報だと思う。私はそのことを皆に知らせたかった。
 でも、ここからではそれも叶わない。
「どうしてこんなことをするんですか?」
「あ?」
「どうしてこんなことをするんですか? あなたのやっていることが悪いことだって分かるでしょう? 管理局員だったのなら尚更…………どうしてですか?」
 そう問いかけると、男は俯いた。
 しかし、すぐに肩が震えだす。その震えは一体何を意味しているのか分からない。でも、こんな犯罪行為に手を染めた理由は、何かとてつもなく重苦しい事情があるのではと思った。
 そう思えた理由は、やっぱり男の経歴を考えてのことだった。
 次元世界の平和を守るために存在する時空管理局ではあるが、完全に善良な組織というわけではなかった。それは昨年のJS事件で明らかになってしまった事実なのだ。昨年、JS事件における最終決戦が行なわれている中で亡くなったレジアス・ゲイズ中将は、時空管理局内でも絶大な力を持つ人でありながら、実は裏でスカリエッティと繋がっていたのだ。
 だけどその汚職事実も、レジアス中将が抱いた理想の正義を実現するための、行き過ぎた手段だった。そう、レジアス中将は悪に魅了されたわけではなかったのだ。
 そんな物語に関わってきた私だから、元管理局員だという男の胸深くには、きっと何か事情があるのだろうと思えた。それこそレジアス中将のような、不本意でも悪に手を染めてしまうような止むを得ない事情が。
 震える男の答えを、私はいつまでも待つつもりでいた。話してくれれば、もしかしたら彼を更正させることが出来るかもしれない。理解して、正しい方向に導いてあげることが出来るかもしれない。
 すると突然、男の震えが少し大きくなって、そして“笑い声”が聞こえてきた。
「…………お子様なんだなぁ、本当に」
「え?」
 男の震えは、笑いを堪えていた震えだった。
「何でこんなことをするかって? おいおい、自分の利益にならないことなんてしないだろ、普通」
「利益?」
「そうだよ。自分に損なことはしない。これ、当たり前」
 理解が出来ない。何故こんなことが人の利益になるのだろう。
「で、でも、利益が欲しいなら他にもやり方があるんじゃ…………。悪いことをしても追いかけられたり捕まったりするだけだし、もっと全うなやり方なら」
「まあな。管理局員に追われるっていうリスクは確かにデカイよな。俺だって元々管理局員だからさ、連中が厄介なのは解ってるよ」
 では、何故?
「でもな……ダメなんだよ。世の中にはこういうやり方しか出来ない奴ってのがいて、俺はそういう部類なのさ。ほら、向き不向きってあるだろ?」
「よく……解りません」
 困ったような顔を浮かべる男。
 私は不思議でならなかった。不器用だからと言って、全うなやり方が向いていないからと言って、だからと言って悪いことをしていい理由にはならないと思う。
「管理局に入ったのだって、魔法が覚えられればそれで良かったのさ。だって便利じゃねえか」
 そんな考えを持った人がいることが、なかなか信じられなかった。
「子供にはまだ難しいか? いいねぇ、純粋で」
「…………さっきから子供子供って、私には名前があります」
「分かったから膨れるなよ。じゃあキャロでいいのか?」
 犯罪者に、親しげに名前で呼ばれることは少し抵抗があった。
 私はまた頬を膨らませる。
「おいおい、結局どっちなのさ」
 男はまた笑った。
 何故だろう。この人は私と仲良くしたいのかな。それとも子供だと思ってからかっているのかな。
 不思議と、目の前の男から純粋な何かを感じ取ることが出来た。口で説明するのは難しいけれど、余計な意思の無い、本当に無垢な何か。少なくともそれは、私の中には見つけることが出来ないものだ。いや、もしかしたら私の中にもあるのかも知れない。そういう思いはあるけれど、いずれにしろ今の私は知らないものだった。
 本当に、悪い人なのかな。
 今までいろいろな悪い人達を取り締まってきたけれど、彼等全員が深い事情を持っているわけではないというのは分かっている。お金が欲しいとか、魔が差したとか、そんな単純な理由で犯罪に手を染める人がいることを私は知っている。
 でも、思えば私は、今まで捕まえた人達ときちんと喋ったことなんてなかった。彼等が犯罪に手を染めた理由も、調書を通して知ることが多かったから。
 悪人にもいろんな人がいるのだと、改めて思い知らされた。
 目の前の人は、悲しくて深い事情があって悪事に手を染めたわけでは無いと言うけれど、本当にそうなのかな。こうして面と向かって話していると、何だか憎めないような気もする。
「さてと……ところでキャロ?」
「はい」
「俺はキャロと仲良くなりたいんだ」
「え?」
 男がニコニコしながらじっと私の目を見てきた。
「俺の仲間にならない?」
「なりません!」
 そんな質問には迷わず即答出来る。
 私は男を睨みつけた。
「まあまあ、そんなすぐに答えを出すこたぁねえよ。ちょっとは考えてくれないか? 俺は自分の利益になることしかしないんだ。つまり、キャロを誘うってことはそれだけキャロが俺にとっての利益に繋がるってことさ」
「解りません! どうしたらそうなるんですか!?」
「そんなに悪い話でもないと思うぜ? 俺自らが声を掛けるくらいだ。それなりに良い待遇で迎えてやるさ」
「そんな誘いは受けません」
 自分が犯罪者の下に厄介になるなんて、考えたことも無かった。考えるまでも無い。有り得ない。
 私には、独りぼっちだった私を引き取ってくれたフェイトさんがいて、いつまでも一緒にいたいと思える大好きなエリオ君がいて、私を大切に想ってくれる仲間達もいて。
 そんな人達の側を離れて、そんな人達を裏切って、そんな人達を捨てて。
 そんな生き方なんて考えられない。私には、失えないものがあるから。
 目の前の男は相変わらず笑っていた。
「まあいきなり仲良くなろうっつったって無理だよな。とりあえず、俺の名前を教えるよ。素性の分からない奴なんかと仲良く出来ないもんな」
 素性が分からないから仲良く出来ないんじゃなくて、信用に足るものが無いから仲良く出来ないのに。
「アウロン。アウロン・ジープって名前だ。覚えてくれよな」
 そう言うと、アウロンさんは部屋の扉の前に再び立った。
「考えてといてくれよ」
「私は絶対仲間になりません」
「だから、考えといてくれ」
 そう言いながら、アウロンさんは私の方に顔を向けて微笑んだ。
 その時、突然アウロンさんの目の前の扉がスライドして、やって来た別の男が慌てた様子で喋りだした。
「いた! アウロンさん、こんなところで何してたんすか!? 探しましたよ!」
「何だよ、うるせーな」
「侵入者がいるんですよ、この船に!」
「何ぃ!? 管理局員か?」
「他にいないでしょ!」
 アウロンさんが私の顔を再び見る。少し怖かった。
 侵入者? 誰かが私を助けに来てくれているのだろうか?
「とにかく捕まえろ。今人質を手放すわけにはいかない。この部屋の扉をロックしたら、部屋の前に見張りを立てろ。いいな?」
 アウロンの指示を聞くと、男はすぐさま返事をして走り去っていった。
 続いてアウロンも部屋を出て行くと、扉は再び固く閉ざされてしまった。



≪チャプター2:サイオン・スチュアート≫

 緊迫した空気で満たされた会議室内に、サイオン部隊長の重たい声が響いた。
「では、キャロ・ル・ルシエ陸士の救出作戦会議に移ろう」
 敵が指定してきた取り引き時刻まで、あと二時間四十分となった。この限られた時間の中で、キャロちゃんを救出するための妙案が出てくるだろうか。仲間が捕らわれてしまっているという、私が初めて経験する特殊な状況下での作戦会議は、いつもの会議とは全然違うものだった。
 緊張感と焦りで、時計の針が進む度に私の中の不安はどんどん大きくなっていく。
 怖い。私達がこうしている間にもキャロちゃんが何かされているんじゃないかと考えると、会議なんてほったらかして、すぐにでもこの場を飛び出して助けに行きたいという衝動が強くなる。
 横を見ると、エリオ君も同じような考えを抱いていることがすぐに分かった。ミリー部隊長に窘められて納得は示したものの、やはり心のどこかではすぐにでもキャロちゃんを助けに行きたいのだ。
「現状で我々が出来ることは極めて少ない。とにかく、敵を知るところから始めてみようと思う。現在手元にあるじょ」
 突然、サイオン部隊長の声を遮る音が、けたたましく鳴り響いた。その音は、通信機が外部からの通信連絡を受けた際に流れる受信音だった。
「誰からだ?」
「発信元不明です。回線開きますか?」
 サイオン部隊長が頭を縦に振る姿を確認すると、三課局員の通信士は目の前の通信機を操作した。
 そして開かれた通信回線。モニターは無いが、聞こえてくる音声はリアルタイムで送られてくる言葉。
 そしてその声は、聞き覚えのあるものだった。
『てめえら、どういうつもりだ!? 下手な真似したら人質は殺すというメッセージを聞いてねえのかよ!?』
「…………敵からです!」
 室内が騒然とする。エリオ君の足が、一歩だけ踏み出された。そんな彼の様子を見たミリー部隊長は、そのままエリオ君から視線を外さなかった。おそらく、彼が通信機に向かって飛び出さないようにと見張っているのだろう。
「マイクを貸せ」
 サイオン部隊長がマイクを片手に取ると、スイッチを入れてから話しだした。
「こちらで指揮を執っているサイオンだ。事情を聞かせてくれ」
 冷静な口調で淡々と話すサイオン部隊長に対して、通信機の向こうから聞こえてくる声はかなりの剣幕で返事をしてきた。
『とぼけてんじゃねえぞっ! こっちの船に侵入者がいる! てめえ等以外の誰が入り込むってんだよ!?』
「侵入者だと? 生憎だがこちらは一切手を出していない。間違いではないのか?」
 心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのを感じて、私は胸を両手で押さえた。
 敵の様子から察するに、向こうは予想外の事態に見舞われて相当興奮しているのが分かる。たとえ本当にこちらが何もしていなくても、すっかり頭に血が上ってしまっている敵が、サイオン部隊長の弁解を簡単に聞き入れるとは思えない。
 下手な受け答えをしたら、キャロちゃんの命が危ない。
『嘗めてんのかぁっ! てめえ等仲間の命よりもオルギプスの方が大事だってのか!? くそったれ!』
「落ち着いてくれ。我々は取り引きに応じるつもりだ。嘘じゃない」
『信じられるかっ! 人質の腕の一本ぐらい折ってやらねえと分かんねえんだろ!』
 その言葉が聞こえてきた瞬間、エリオ君が体を前傾にして走り出そうとした。それと同時に、ミリー部隊長が彼の体をがっちりと抱え込んで放さない。
「待ってくれ、頼む。本当に分からないんだ。そして取り引きにも間違いなく応じる。人質の命が最優先だからな」
『…………なら、見つけた侵入者は俺達の好きなようにさせてもらうからな。後で人質と一緒に返してくれとか言い出すんじゃねえぞ』
 その時、エリオ君を押さえつけていたミリー部隊長が、片手でサイオン部隊長に合図を送る。サイオン部隊長がマイクを持って彼女に近づくと、マイクに噛み付こうとするかのように動くエリオ君の頭を力ずくで伏せさせながら、ミリー部隊長は近づけられたマイクに向かって言った。
「サイオンと同じく指揮を執っているミリー・バンカルだ。もし良ければ、人質の声を一言だけでも聞かせてもらえないか?」
『そりゃあ寝言か? 一生夢見てろ、バカヤロウ』
 それだけ言い残すと、通信回線は一方的に切られた。
 手にしていたマイクを置き、ため息を吐きながら椅子に腰掛けたサイオン部隊長は、背もたれに体重を預ける。
 敵の声はもう聞こえないけれど、敵との通信によって一気に高まった室内の緊張感はいつまでも残り続けた。
 キャロちゃんが危ない。
 イメージしたくなくても勝手に湧き上がってしまう最悪の結果を思うと、私は泣き出してしまいそうだった。
「侵入者だと? こちらにはキャロ陸士以外全員揃っているだろう?」
「そのはずですが…………」
 ノイズ曹長が会議室内を見渡す。
 すると、別の三課局員が「あれ?」と声を上げた。
 全員の視線が彼に集まる。その彼の目の前には、広域用電波送受信装置、所謂レーダーがある。
「ノイズ曹長、ちょっとこれを見てください」
 ノイズ曹長がレーダー画面を覗き込んでいる。何だろう。何か分かったのかな?
「発信機の信号を感知出来ません。宿舎どころか、ここを中心にした周辺区域にも反応が無いんです」
「発信機って、アイサ君に持たせたやつか? まさか持ち帰って電源を切ったりしたんじゃないだろうな。アイサ君、発信機をどこへやったんだ?」
 響くノイズ曹長の声。しかし、何処からも返事は無かった。
 再びアイサちゃんの名前を呼ぶノイズ曹長。しかし、その声はどんなに大きくなっても空しく響くだけだった。
 嫌な予感がした。
 マルコちゃんの顔を見ると、口角を引き攣らせている。ミリー部隊長は呆れたようにポッカリと口を開け放し、エリオ君は周囲をきょろきょろと見渡していた。
 私は窓際に駆け寄り、外で待機しているフリードの背中を見た。誰も乗っていない。
 ノイズ曹長が、ゆっくりとサイオン部隊長を見る。私も同じようにサイオン部隊長を見ると、彼は固く握り締めた拳を輪郭が掴めない程に震えさせていた。
「サ、サイオン部隊長…………」
「…………レーダーの捕捉範囲を次元空間に切り替えろ。チーク周辺の次元空間なら出来るだろう?」
 地の底から湧き出るような声だった。
 命令通りに装置が操作されると、画面には発信機の信号を受け取った証の光が映った。
 誰もがため息を吐いた。
「キャロ陸士と一緒に、返してもらえますかね?」
「忘れろ。キャロ陸士だけに専念する」
 酷い。だが、今度ばかりは私も意見することが出来なかった。それだけサイオン部隊長の声が、そして表情が怖かった。
 しばらくの沈黙の後、サイオン部隊長が大きな深呼吸をしてから、仕切り直すように言った。
「では、作戦会議を始める」
「キャロは……キャロは無事なんでしょうか?」
 エリオ君が不安そうに尋ねた。
 当然だ。敵の船にいる侵入者がアイサちゃんだと分かり、それがこちらの意図する事態では無いとしても、敵にとってそんな事は関係無いのだから。
「エリオ陸士、落ち着け」
「落ち着けませんよ! キャロが危ない!」
 再び騒ぎ出したエリオ君を見ながら、サイオン部隊長が言葉を続けた。
「キャロ陸士はおそらく無事だ」
「何で分かるんですか!?」
「追って説明する」
 サイオン部隊長が全員の方に向き直り、淡々とした言葉で話を始めた。
「まずは敵の事を知ろう。今手元にある情報から、ある程度敵の全体像を割り出そうと思う」
 出来るのだろうか、そんなことが。手元にある情報と言っても分かっていることと言えば、キャロちゃんを攫った男は魔法が使えることと、敵は集団であり次元航行艦を所有していることと、オルギプスを狙っているということだけだ。一体これだけの情報から何を引き出すというのだろうか。
 私の思っていることを代弁するかのように、ノーラちゃんが呟いた。
「分かるんでしょうか? 敵のことなんて」
 その呟きが聞こえたのか、ミリー部隊長が私とノーラちゃんを見て小さく囁いた。
「まあ見てろ」
 彼女の手は、ようやくおとなしくなったエリオ君の体から離れたところだった。
「まず敵の正体についてだが、ある程度見当が付いた」
 思わず声を上げそうになった。一体、サイオン部隊長は何をもってそんなことを言っているのだろうか。
「とにかくこちらは、表立って下手な行動はしない方がいいな。取り引きは敵の指示に従うべきだろう。メモリスティック内のメッセージがご丁寧に無音な環境で録音されている上、要求も単刀直入に始まっている。必要以上の情報を残さないように纏められている手口から、敵もそれほど馬鹿ではないと分かる。我々の下手な細工は通用しないと思っていいだろう」
「名前、言ってなかったよね」
 ブラント君がぽつりと呟く。
「名前を言うのは馬鹿な証拠だ。犯罪者が自己紹介なんてしてどうする? まあ、一点だけ突っ込ませてもらうなら、声も変えてくるべきだったな。もっとも、ここにあるだけの設備であと二時間半の間、声一つで何が分かるかと言えば高が知れているがな」
 ミリー部隊長が尋ねた。
「で、敵の正体とやらは?」
「このメモリスティックを落としていった時点で既に気になっていた。敵は人質を取ったその場でこのメモリスティックを残している。つまり、このメッセージはあらかじめ録音されていたものだ」
 サイオン部隊長と、ミリー部隊長の会話だけが会議室内に続いていった。
「それで?」
「あらかじめ用意していたものであるにも関わらず、メッセージ内にはキャロ陸士のフルネームが入っている。つまり、キャロ陸士のことを元々知っていたということになる」
「なるほど。たぶんキャロ陸士の顔も知っていたんじゃないか? 周囲の敵に気を取られているとはいえ、調査チームの陣形のど真ん中に降り立って、迷わず彼女を捕らえている」
「そうだな。それらが示すことは、最初から狙いはキャロ陸士だったということだ。そしてメッセージ内容に、もう一つ気になる点がある。管理局ばかりか自然保護隊本部への連絡禁止まで指示してきた。一般人が自然保護隊を知らないわけではないが、普通なら『管理局への連絡禁止』と言うだけで通じるものだ。潜在的に自然保護隊と管理局の微妙な組織関係を少なからず理解し、意識しているからこそ区別して言ったのだろう」
「なるほど。ってことは管理局内部に精通しているな」
「おそらく管理局に関係がある、もしくはあった人間だろう」
「それと……敵はプリズンの存在とオルギプスの名称まで知っていた」
「そこだ。“古代文明のデータ保存装置に閉じ込められていた竜型古代生物を、チークにて保護観察する”という情報は、確かに各方面の関係者、研究組織にも開示してきた。しかし、我々の輸送任務を知っている者は限られてくる」
「管理局内部に内通者か?」
「それもあり得るが、まずは外から疑おう。一部の研究組織には、輸送任務の日程は伝えてあるからな」
「もしかしたら敵は元管理局員かもな。プリズンの捜索は十年前から続けられているから、少なくとも十年前までは管理局員であったとすれば、プリズンのことは知っていたかも」
「そしてオルギプスの名称も知っている。我々三課は無限書庫で最近調べたわけだが、古代ベルカ時代や古代生物に詳しい学者なら既に知っていたかもしれん。その点を踏まえて考えると、敵には協力者、もしくは依頼主がいるんじゃないか? そいつが艦船でやって来た奴にオルギプスの情報も流しているとすれば……」
「オルギプスを独り占めしたい研究者が、元管理局員の犯罪者に依頼したってところか。オルギプスを奪ってきてくれってな」
「その筋が強いな。依頼主の研究者、もしくは研究組織は、管理局から今回の任務について情報開示を受けている者の中に絞り込んでいいかも知れん。研究者ってのは最新や最先端というものに異様に執着する気があるから、自分だけが知り得る情報を同業者に教えることはまず無い。それと、これは重要なことになるが…………」
 サイオン部隊長が一瞬だけ間を置いた。
「キャロ陸士は無事だ。しかも高確率で。それと断言は出来ないが、おそらく簡単には殺されない」
「な、何でですか?」
 エリオ君が驚きながら訊いた。
「最初にも言った通り、敵は元々キャロ陸士を攫う予定だったと見ている。その理由を考えたんだが、ただ非力だからなんていう理由ではなく、もっと別の何かがある気がする」
「私も同感だ」
「キャロ陸士の能力を考えれば自然な答えが出る。主のいないオルギプスは害こそ無いが、その代わり何も出来ない。研究者にしてみれば、少々物足りない研究材料かもしれん」
「だが、使役してくれる主がいれば別だ」
「その通りだ。都合の良いことに、今回の任務に同行してくれたキャロ陸士は稀少な竜召喚士。もしかしたら竜型古代生物の主を務めることが出来るかも知れない」
「敵もなかなか考えたものだ」
 私は感心していた。サイオン部隊長の分析能力に驚かされたのだ。
 僅かな情報から読み取る力。それは魔法やレアスキルなんかではなくて、誰もが持っている“頭脳”の鍛錬によって得られる力。
 出来る出来るとは聞いていたが、これほどまでだったのか。
 ふと、私の方をマルコちゃんがニヤニヤしながら見ていた。
「ソフィー、ボケーっと口が開いてて、アホ面だったぞ」
「いや、サイオン部隊長って凄いなぁって……」
「あの人、元捜査官なんだって」
「え? そうなの?」
「うん。ボクも聞いた話だけどね。魔力はほとんど無いから魔導師にはなれないけれど、その分頭を使って数多くの事件を解決しているんだとさ。だから機動三課の部隊長にも、大勢の高官達の推薦で大抜擢されたらしい」
 そんなに凄い人だったなんて。
 ついさっきまで、私はそんな凄い人に意見していたのか。ちょっと身震いした。
「敵の素性が大体分かれば、敵の動きも予想しやくすくなる。続いてはキャロ陸士救出までの手順にについてだ。全員聞き漏らすな」
 今度はミリー部隊長が話を始めた。
 なんだか、私は凄い人達に囲まれているんだと感じた。
 機動六課のなのはさんと、エリオ君やキャロちゃん。クセが強くてやる時はやるホカン部の仲間達。三課の優秀な部隊員の皆。
 私の身近には、こんなにも凄い人達がたくさんいる。
 無敵。
 その一言が、私の頭の中を占めていた。
 敵に回してはいけないんだなと、キャロちゃんを捕まえている一団にほんの少しだけ同情しながら、ミリー部隊長の立てた作戦を聞いていた。

 To be continued.



[24714] 第十六話 純粋
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/21 01:48
≪チャプター1:勇気と決意≫

「そんな作戦に乗るとでも思うか?」
 ただでさえアイサちゃんの件でご機嫌斜めなサイオン部隊長が、鬼の様な形相でミリー部隊長に詰め寄った。しかし、見ているだけで謝ってしまいたくなるようなサイオン部隊長の気迫を前にしても、ミリー部隊長の表情は僅かな変化だって見せなかった。
 サイオン部隊長の言葉が続く。
「ふざけるのも大概にしろ。我々を何だと思っている? 捨て駒と勘違いしているならまだマシだ。だが……お前の言うやり方では捨て駒以下になるかも知れんのだぞ」
「もちろん大切な仲間だと思っているさ。信頼している。だから、私達のことも信じてもらえないか?」
 不敵な笑みを浮かべたミリー部隊長は、迫り来るサイオン部隊長を前にして一歩も退くことなく、両腕を組んだまま仁王立ちの姿勢で構えていた。
 私がノーラちゃんとマルコちゃんの二人に視線を向けると、ノーラちゃんはサイオン部隊長の気迫に圧倒されて完全に竦み上がり、マルコちゃんも黙って見守っていろと言わんばかりに息を吐く。
 この展開の発端は、ミリー部隊長立案の『キャロちゃん救出作戦』に対してサイオン部隊長が猛反対したからだ。
 だが、実を言うとサイオン部隊長の気持ちは分からなくもない。もし私がサイオン部隊長の立場でも、この作戦内容は“怖くて”反対すると思うからだ。
「何だ? サイオン、まさかビビッてるのか?」
「そうではない! ただ危険度の高さを考えれば実行するべきではないと言っているんだ!」
 いや、たぶん内心では怖がっている。
 ミリー部隊長の立案した作戦は、キャロちゃんを救出するばかりか敵の逮捕も目論んだ作戦。その内容はと言うと、ずばり少数精鋭。宿舎にいる局員全員で動くと規模が大きすぎて敵に察知される可能性が高い。そうなってはキャロちゃんの命が危ないからということで、取り引きを行なう役の局員一名と少人数チームだけで動き、残りの局員は敵に気付かれない場所で待機というものだった。そして取り引きによってキャロちゃんを保護した後、敵グループの逮捕に全員で当たるという作戦なのだ。
 こうして聞けば、まあまあ妥当な作戦ではないかと思う。敵の所有する次元航行艦の型式を調べたところ、実装している魔力感知レーダーは旧式であり、マリアンヌのような大型次元航行艦で移動したり十人以上の魔導師が一箇所に固まったりすれば、簡単に捕捉されてしまって敵艦に近づくことは出来ない。だが、少人数でならそう簡単に察知されることもないだろうというのだ。
 そんな作戦において、サイオン部隊長が怖がっている、もとい危険視している点が幾つかある。
 まず一つ目は、少人数による実働チームの構成メンバーだ。ミリー部隊長が指定したそのメンバーが誰なのかと言うと。
「何故そのチームの構成メンバーがホカン部なのだ!? その時点で危険ではないか!」
「そいつは心外だな。我々ホカン部だって武装局員の集まりだぞ? それにほら、優秀な人材も加わる」
 そう言ってミリー部隊長は、エリオ君の頭を手の平で叩いた。
「三課の魔導師では何故いかんのだ?」
「空を飛べる奴が極端に少ないだろう」
「ブラントとエリオ陸士も飛べんぞ」
「ブラントにはウィンディーヌがいるし、エリオ陸士にはフリードがいる」
 サイオン部隊長の歯軋りが聞こえてきそうだった。
 相手が次元航行艦を所有している以上、やはり最低でも飛行能力は欲しいというミリー部隊長。だが、本来の任務に連れてきた三課局員のほとんどが空を飛べない人ばかり。今この場にいる三課局員で飛行能力を持つ魔導師の数は、ノイズ曹長を含めて片手で数え切れてしまう程度だ。
 幾ら少数精鋭と言っても、三課の空戦魔導師だけでは少な過ぎる。かと言ってホカン部隊員と足しては少々多い。だから、ホカン部隊員とエリオ君がいれば人数的に丁度良いのだと言う。
「だ、だがそれでも危険だ! お前達ホカン部に任せていいのか!? 本当に大丈夫だと言い切れるのか!?」
 サイオン部隊長は、どちらかと言えばホカン部を悪くは思っていない人だと思う。いや、悪く思っていないというよりも、“要らん部”とか“役立たん部”と蔑まれているホカン部の評価自体に関心を抱いていないとでも言うべきか。
 そんなサイオン部隊長ではあるけれど、今回の作戦の万が一を考えれば、彼が最も信頼している三課局員を使いたいという心境であるのは当然と言えるだろう。
「お前達が失敗することで全滅する可能性だって充分あり得るんだぞ! 解っているのか!?」
 サイオン部隊長がこの作戦を恐れている、もとい危険視している理由の二つ目は、少数行動をする実働チームに、待機チームの命運までも預けることになるという点だ。
 実は待機チームの隠れる場所に問題があり、サイオン部隊長はその点を怖がっている。正直に言って、私もどちらかと言えば実働チームに加えられて良かった思っているくらいだ。
 私もこの作戦は怖い。
「心配するな。どっちにしろ円満解決を望むならこの作戦がベストだ。他に良案があるなら聞かせてもらいたいが、取り引きの時間まであと一時間ちょっとだ。何か案はあるのか?」
 ミリー部隊長の視線が一瞬だけ時計に向けられたが、サイオン部隊長の視線は一瞬だって逸らされることはなかった。ミリー部隊長の両目を睨みつけたまま、噛み締められた顎は小刻みに震えている。
「…………円満解決だと? それを言うならプリズンを引き渡さずに解決する道を考えるべきだ。それに敵の狙いにはキャロ陸士自身も含まれている可能性が高いと言っただろう。オルギプスの主人として利用するためだ。本当に取り引きで返してもらえると思っているのか?」
 そう、この作戦ではプリズンを捨てることになる。敵の要求通り、プリズンを敵に渡してしまうのが作戦の一環なのだ。隙があれば作戦実行中にプリズンを回収という手筈ではあるのだが。
 そして何より、キャロちゃんが戻ってくるという保障も無い。というより、サイオン部隊長の推理を聞いた後では、キャロちゃん解放の可能性は絶望的だ。敵の狙いがオルギプスだけでなく、その主人となり得るキャロちゃんでもあるのなら、間違いなく手放すわけなど無いのだから。
「安心しろ。この作戦ではプリズンを奴等に渡すことこそが要となる。それを成して初めてキャロ陸士救出の兆しも見えてくるというものだ。それにプリズンだけだったら諦めてもいいだろう。たかが容量の馬鹿でかいメモリじゃないか。無理して取り返す必要は無い。くれてやれ、こんなもん」
「馬鹿も休み休み言え! これはロストロギアだぞ! みすみす敵にくれてやるつもりか!?」
「人命とロストロギア、どっちを優先するつもりだ?」
 なかなか終わりを迎えない二人の口論に、とうとうエリオ君が痺れを切らしたように口を挟んだ。
「サイオン部隊長! お願いします、作戦を実行させてください!」
「決定権を持っているのは我々二人だ。黙って待っていろ」
 刺さるような視線を向けられてもなお、エリオ君は食い下がった。
「約束します、必ず成功させてみせますから! 僕に……僕達に皆さんの命運を預けてください!」
 その真っ直ぐな眼差しは、誰にも有無を言わせない我儘の表れ。しかしそれは、誰にも曲げられない信念の表れでもある。
 そうだ、こんな争いをしていても時間の無駄だ。他に最良の手が無いのなら、今ある可能性に全力を注ぎ込むのが正しいはずだ。
 エリオ君は、ついさっきミリー部隊長に言われたことをしっかりと守っているんだ。少なくとも取り引きを成功させるまではキャロちゃんも無事でいるだろうと見込み、極力敵の要求に応えているこの作戦に賛成している。彼女の、無事でいる確率が最も高い手段を選択している。たったそれだけのことなんだ。
 危険だからとか、もしも失敗したらとか、そんな些末なことに怯えるよりも、確かにある可能性を信じて動く。エリオ君はそんな考えに従って動いているんだ。
 逞しいと思った。例え危険や失敗の可能性があっても、自分のため、そして仲間のための最良を選択する勇気を持ち、そして実行する覚悟を持っている。
 機動六課の『エリオ・モンディアル』という名の騎士を、改めて強いと感じた。
 両拳を固く握り締め、深い皺を眉間に刻み込んだサイオン部隊長が言葉を搾り出した。
「…………必ずだ、必ず成功させろ…………そして私達を“助け出せ”」
「はっ! 助け出せときたか…………誰の救出作戦なんだか分からんな」
 ミリー部隊長の嫌味を聞き流せないサイオン部隊長は、わざとらしく顔を背けて大声でノイズ曹長の名前を呼んだ。その叫びを聞いたノイズ曹長が大慌てで駆け寄ってくる。
 近づいてきたノイズ曹長に向けて声を投げかけたのは、ミリー部隊長だった。
「ノイズ曹長、作戦の決行が決まった。ということで、敵との取り引きを行なう役目は君に任せたい」
「は、はい! 了解しました!」
 真っ直ぐに背筋を伸ばし、胸を張って敬礼するノイズ曹長。
 そんな彼に、サイオン部隊長が呪詛を吐くように一言言った。同時にノイズ曹長の胸倉を掴んでいる。
「貴様もだ……絶対にしくじるんじゃないぞ! 分かってるな!?」
「はっはぁ、はあぁい! 了解しましたぁっ! …………だから怒らないでくださぁい」
 半べそを掻いていた。
「よし、決まったな。では早速準備に取り掛かろう」
 ミリー部隊長の言葉を最後まで聞くことなく、サイオン部隊長はその場を離れていった。
 私は何度か深呼吸をした。作戦決行が正式に決まった今になって、心臓が高鳴り始めたのだ。
 この作戦を成功させないと、サイオン部隊長に殺される。
 いや、そうじゃなかった。
 成功させないと、キャロちゃんを助けることが出来ない。
「エリオ君、絶対キャロちゃんを助け出そうね!」
 作戦の成功を約束するために、私は誰かとこの決意を分かち合いたかった。
 無論、誰もが作戦の成功を望んでいるのは分かっている。だが、決意をより確かなものにしたくて、そしてキャロちゃんのことを誰よりも想っている人から勇気を分けてもらいたくて、エリオ君にそう言っていた。
 人質を取られているという特殊な状況下において、私はきちんとやるべきことをやれるだろうか。そんな不安を打ち消すためにも、誰よりも強い彼の勇気と覚悟が、私には必要だったのだ。
「はい! 頑張りましょう!」
 エリオ君が右手を差し出してくれた。力強くて温かい手だ。私よりも年下の少年がこんなにも頼もしい。
 私には、彼がずっと大きく見えた。
 エリオ君の手を握り返していると、背中を誰かに小突かれた。
「忘れるな。ボク達もいるぞー」
 私の背後にはホカン部の仲間達。
 そうだ、このメンバーが揃えば出来ないことなんて無い。私の自慢の仲間達なのだから。
 エリオ君ばかりか、もっと大勢から私は力を貰っているんだ。
「お前達、士気は高まったか?」
 ミリー部隊長が相変わらずの仁王立ちで言ってきた。
「はい! バッチリです!」
「ようし、その意気だ。安心しろ、今回の作戦は必ず成功するさ。何てったって……」
 仁王立ちのミリー部隊長の表情が、いつか見たことのある楽しそうな笑顔になった。
「私も出撃するからな!」
 高らかな笑い声を響かせて、ミリー部隊長が天井を仰いだ。
 ミリー部隊長と一緒に出撃。私には初めての経験だ。
 彼女の存在も頼もしく思う反面、緊張感が高まったのも事実だった。ミリー部隊長の空戦技術は見たこと無いが、彼女の性格を考えると、おとなしい戦いをする人では無いと分かる。
 下手したら攻撃に巻き込まれたりして。
 まさかね、と思い直していると、ノイズ曹長の控えめな声が聞こえてきた。
「…………あの」
「ん? 何だ?」
「作戦に関して質問があるのですが、よろしいですか?」
「ああ」
「…………アイサ君は、どうしたらいいのでしょうか?」
 あ、そうだった。
 彼女だって、キャロちゃん同様に助けなければいけない仲間だ。
 いや、忘れていたわけではない。他の皆だって、彼女の人質としての価値を軽んじてはいないはずだ。
 私達は、“二人とも”助け出さなければいけないのだ。
「プリズンに菓子折りでも付けとけばいいだろう」
 菓子折りとアイサちゃんが同じ価値、ということか。
 いや、本当はアイサちゃんの価値を軽んじてなどいないはずだ。
 そう信じたい。



≪チャプター2:純粋だから≫

 ここに閉じ込められてからどれくらいの時間が経っただろうか。時計が無いから分からないけれど、二時間以上は経った気がする。
 捕まっているとは言え、長時間一人だといろいろと考える余裕も生まれる。
 私は敵の目的を考えていた。
 チークは自然が豊かだし、原生生物もたくさん棲息しているから、目的は密猟だろうか。でも、それなら私を攫った理由が分からない。管理局員に鉢合わせて都合が悪かったのなら、その場からすぐに逃げ出しても良かったはずだ。
 私を攫った上に、ついさっきは「仲間にならないか?」と誘われた。ということは、仲間が欲しかったのだろうか。でも、もし最初からそれが目的だとしたら、私達管理局員がここに来ていることを知っていたということだ。それってつまり、わざわざ管理局員を仲間に誘おうとしたのかな?
 何だかどれもしっくりこない理由で、でも私にはそれ以外の理由が思い付かない。
「一体何が目的なんだろう?」
 ふと、アウロンさんの事でまた一つ思い出した。
 彼は元管理局員だ。それは関係あるのだろうか。
 気になる。
 すると、部屋の扉が再び開いた。
「よう、キャロ。俺からの誘いは考えてくれたか?」
 笑いながら入ってきたのは、やっぱりアウロンさんだった。
 何度誘われようが、私の気持ちは変わらない。
「いいえ。あなたの仲間にはなりません」
「つれないなー」
 幾ら言われようとも、私が彼等の仲間になろうと首を縦に振ることなんて絶対に有り得ない。
 アウロンさんから視線を外してそっぽを向くと、背後からアウロンさんのため息が聞こえた。
 次の瞬間、私の首に一本の腕が巻きついてきた。
「え!?」
「あまり俺を困らせないでくれねえか?」
 巻きついてきた腕とは反対側の腕が私の顔の前に伸びてくる。そしてその手に大きなサバイバルナイフが握られていることに気が付いた。ぼんやりとした部屋の照明を反射する刃が、ゆっくりと私の首筋に近づいてくる。
「考える時間は与えたはずだ。それでも首を縦に振ってくれないなら、不本意だが乱暴な方法を取らせてもらうしかねえんだよ」
 心臓の鼓動が早まる。額から流れ落ちた汗が頬を伝って、顎の先端に向かう。
 吐き出す呼吸が震えているのを感じながら、それでも私は、
「何を考えさせる為の時間だと思ったんだ? 俺とお前の立場を弁えろよ。俺は“お願い”してるんじゃねえ…………“命令”してるんだよ」
 それでも私は。
「…………ぜ、絶対に協力しません!」
 首に巻きつく腕の締め付けが強まり、呼吸が更にし辛くなった。
 無言の圧力。それでも、負けるつもりは無かった。
「ぜ、絶対にイヤです!」
「殺されてえのかよっ!?」
「殺されたくありません! でも、絶対に協力もしません!」
 ナイフの刃が首筋に触れ、その冷たさが皮膚一枚を挟んだ向こう側から伝わってきた。
 心臓が破けそうなくらいに高鳴っている。それに上下の歯がカチカチと音を立て始めた。膝だって、肩だって、手だって震えている。
 それでも、私は気持ちを変えるつもりは無いし、幾らでも正直な気持ちをぶつけるつもりでいた。
「管理局員としての意地か? そこまで頑固になるのは」
「ち、違います。こんな乱暴なやり方には、絶対に負けないってことです。あなたの誘いは確かに受けられない…………受けられないけれど、あなたの気持ちを考えてあげることは出来る。だから、あなたの気持ちを考えさせてもらえないこんなやり方には、私は屈しない」
「俺の気持ちだぁ? 犯罪者相手に何言ってるんだ?」
「あなたみたいな人、初めてだから」
 そう、初めてなんだ。私が今まで経験した戦いは、手段を間違った人が相手だったから。
 JS事件の中、私と対峙した少女がいた。彼女は、母親を助けたいという一心で動いていた。そしてその少女に付き従う者は、彼女自身を想うが故に動いていた。
 彼女達は、幸せの、探し物の見つけ方を間違ってしまっただけ。決して彼女達自身が悪かったのではなく、彼女達の選んだやり方が悪かっただけ。
 そして彼女達は気が付いてくれた。幸せや探し物の正しい見つけ方を。
 だけど、アウロンさんは純粋な気持ちでこのやり方を選んでいる。仕方なくというわけでは無く、迷いを抱いているわけでも無く、間違って選んだのでも無く、彼にとってはこのやり方が正しいのだ。
 アウロンさんの行動理由は、自分の利得のため。彼が望むだけの利得を手に入れるためという単純な欲望のために選んだ手段。
 だから、初めてアウロンさんがこの部屋にやってきて話をした時、彼から無垢さを感じ取ったんだ。
 それは、私にとって親近感のあるタイプの人だから。この人を憎めないように感じたのは、きっと純粋さがあるから。そしてそれは、もしかしたらとても真面目で真っ直ぐな性格のエリオ君や、まだまだ酸いも甘いも知らない私の無知さに近いものだからなのかもしれない。
 さっきは、この人が本当に悪い人なのかと考えた。でも、それは正解であって、少し違った。
 悪いことをするから悪い人なんだけど、悪いことしか知らないから悪い人ではない。
 そう、この人の純粋さなら、きっと変わることも出来る。
「アウロンさんの目的は分からないけれど、アウロンさんはきっと変われると思います」
「変わる?」
「こんなやり方をしていたら、欲しいものはきっと手に入らない。だから、違うやり方を学びましょう」
「何言ってるんだか分かんねえな。だいたいてめえみたいなガキンチョが生意気なんだよ」
「アウロンさんと仲良くなりたいって気持ち…………無いわけではないですから」
 そう言って私は微笑んだ。
 肩はまだ震えているけど、首に当てられたナイフも怖いけど、アウロンさんから感じた純粋さには親近感があって、仲良く出来るかもしれないと本気で思っていた。
「…………変なガキだな。笑ってるんじゃねえよ」
 そう言ってアウロンさんは、私の首から腕を外した。ナイフも離れていく。
「とにかくてめえは必要になる。だからここにいろ」
「何で私が必要なんですか?」
「それは」
 アウロンさんが喋っている途中で、再び部屋の扉が開いた。
「ああ、またここにいた!」
「だから何だよ!?」
 アウロンさんを呼びに来た手下の人だ。
「例の侵入者、捕まえましたよ。やっぱり管理局員でした」
「お、やるじゃん。さぁて、じゃあそいつはどうしてやろうかね?」
 侵入者って一体誰なんだろう?
 私は二人の会話に耳を傾けた。
「船に乗せていたって荷物になるだけですよ?」
「だがまあ、場合によっちゃ使い道があるかもな」
 せめてその侵入してきた局員の姿だけでも確認出来ないだろうか。私はベッドから体を乗り出して扉の方を覗き見た。
 そんな姿をアウロンさんに見られた。
「…………待てよ? そうだなぁ……使い道を決めた」
 扉のところには連れて来ていないみたいだ。そこには手下の人とアウロンさんしかいなかった。
「キャロ」
「は、はい」
 乗り出していた体を引っ込めて座り直すと、アウロンさんが言った。
「お前の仲間がな、お前を助けるためにこの船に侵入していた」
「侵入者がいるって話は聞こえてました。誰ですか?」
 まさかエリオ君? いや、エリオ君は殴られて倒れてしまっていたから違う。
 じゃあ誰だろう?
「誰であろうとお前の仲間であるのには変わらない。そこで、だ」
 アウロンさんは笑っていた。
「そいつの命をお前が預かれ」
「え?」
「そいつを殺されたくなかったら、俺に協力しろ」
「そ、そんな!」
 酷い。そんなやり方は、私にナイフを突き付けたやり方と何も変わらない。
「いいさ、協力するかどうかはお前が決めろ。まあでも、乱暴なやり方じゃ納得出来ないって言ってたし、たぶん断られちゃうんだろうなー」
 どうしたらいいのだろうか。
 私は、なかなか答えを出せずにいた。



≪チャプター3:作戦開始直前≫

 取り引き時刻まであともう少し。
 準備を終えた私達は、敵が取り引き場所として指定してきた空域ポイントの真下に来ていた。
 メンバーはミリー部隊長、私、マルコちゃん、ジージョちゃん、ブラント君とウィンディーヌちゃん、ノーラちゃん。
 そして、エリオ君とフリード。
 森の中に身を潜めている私達の頭上には、敵の出現を待つノイズ曹長が、片手にレリックと菓子折りを持ったまま待機していた。
 当然ながら、私達がこうして森に潜んでいることを敵は知らない。それにおそらく敵も気が付いていないだろう。何故なら、このポイントと宿舎との距離はかなり離れていて、陸路で来たのでは取り引き時刻には絶対間に合わないからだ。まさかここに局員がいるとは思ってもいないはずだ。
 では、何故私達が取り引き時刻に間に合うようにここへ辿り着けたのか。それはウィンディーヌちゃんのおかげだ。空を飛んだり転移魔法を使ったりすれば、敵の艦船にある魔力感知レーダーに引っ掛かる恐れがあり、こちらの企みに気付いた敵がキャロちゃんに危害を加えるかもしれない。しかし、流動性のあるものを操ることが出来るウィンディーヌちゃんの能力があればレーダーの感知システムも掻い潜ることが出来るので、彼女の転移魔法なら安心して使用できたというわけだ。ちなみに、ここで待機している間もウィンディーヌちゃんの能力は役立っている。私自身から僅かに発せられている魔力を隠してくれているのだ。
「ノイズ大丈夫かなー?」
 ブラント君が心配そうに言う。
「サイオン部隊長にかなりプレッシャー掛けられてたし、テンパってなければいいけどね」
 ウィンディーヌちゃんが頭上を見上げながら続けた。
「プリズン渡さずに菓子折りだけ渡したりしてな」
 ミリー部隊長の言葉に、マルコちゃんとウィンディーヌちゃんとブラント君が爆笑していた。
 どうしてそんな余裕があるのだろう? 私なんて口の中がカラカラなのに。
「でも、どうして敵は取り引き場所を空にしたのでしょうか?」
 ノーラちゃんの疑問は、私も気になっていたことだった。空を飛べる魔導師を取り引き役として指定してきたわけだし、何か理由があるのだろう。
「空ならプリズンを回収して逃げやすいからだろう」
「どういうことですか?」
「キャロ陸士は空を飛べないからな。例えば空中でプリズンとキャロ陸士を交換した場合、敵はプリズンを持って船まで飛んでいけばいいが、キャロ陸士を受け取った取り引き役は人間一人を抱えたままでは満足に動けない。つまり、敵としてはその場で捕まる恐れが無いってことだ」
 なるほど。そう言われればそうだ。さすがはミリー部隊長だと感心した。
 だが、敵の狙いがキャロちゃんであるのはほぼ間違い無く、キャロちゃんが解放される可能性は極めて低い。そうなると、果たして空の上で引き渡しが行なわれるのだろうか。
「その場で受け渡しされなかったら?」
「極力その場での受け渡しに持ち込むしかないな。ノイズには念を押しておいたが、プリズンを渡す前に必ずキャロ陸士の無事の確認を要求することだ。敵の要求を呑むとは言え、こちらが欲しいものに対して消極的になる必要もあるまい。まあ、最悪プリズンだけ渡してトンズラされたとしても、それは敵の逮捕に時間が掛かるだけ。勝ち目はこちらにある」
 その通りだ。この作戦のメリットは、敵にプリズンを奪われても勝ち目があるところだ。
 ただし、サイオン部隊長が危惧していたデメリットももちろんある。
 それは、取り引きの中止と私達実働チームの全滅が絶対許されないことだ。
「サイオン部隊長はあんなにビビッていたが、この作戦の成功率は決して低くない。取り引きを持ち掛けてきたのは向こうだから、敵もプリズンを受け取らないようなことはしないだろう」
 ミリー部隊長の言葉は続く。
「では、今から我々実働チームのオペレーションを説明する」
 宿舎の方では作戦決行の準備に時間を費やしてしまったため、私達実働チームの動き方についてはこの場での打ち合わせとなる。
「まず、ノイズと敵の取り引きが終了することを見届ける。その後が我々の出番だ。出来れば、奴等とはこの場所での交戦が望ましい。敵艦を次元空間に逃がすな。取り引き終了後、一気に空へ出て敵艦に向かう」
「陣形はどうします?」
 マルコちゃんが言うと、ミリー部隊長は地面から枝を拾い上げ、土の上に図を描き始めた。
 それは、一本の矢印だった。
「矢印の先端を三名の最前衛(フロントアタッカー)とする。その後方に、前衛(ガードウィング)、中衛(センターガード)、後衛(フルバック)を各一名ずつ並べる」
 本当に矢印みたいな配置だ。
「この陣形を“ワースレスアロー”と名付けよう」
「…………役立たずの矢(ワースレスアロー)ですか。なんか、作戦の成功率を下げそうな名前ですね」
 マルコちゃんの言う通りだ。全員の表情が一気に暗くなった。
「別にこの矢が刺さる必要は無いんだよ。我々ワースレスアローは、“本命の一本の矢”を艦船まで無事に届ければいいんだから」
「本命の一本?」
 ミリー部隊長が数歩だけ歩いてから、エリオ君の頭を叩いて言った。
「お姫様を救うのは騎士(ナイト)の役目、だろ?」
 エリオ君の表情が引き締まる。意気込みは充分のようだ。
 となると、このワースレスアローはホカン部だけで構成するということだ。
 先程のミリー部隊長の説明だと、矢の先端は三人の最前衛だと言っていた。
 三人? 誰だろうか? ミリー部隊長は指揮を執るから中衛だろうし、ジージョちゃんも私も最前衛が務まる程の空戦技術は持っていない。ノーラちゃんは完全なる後衛だし。残りはマルコちゃんとユニゾン状態のブラント君だけだ。
「ということで、ワースレスアローの指揮はお前が執れ……ソフィー」
「…………へ?」
 私の肩にミリー部隊長の手が乗せられた。
 今、彼女は何と言ったのだろうか。
「私が、指揮を?」
「そうだ」
「何でですか!?」
 あまりにも衝撃的な指示に、私は驚愕した。
 確かに模擬戦の時は私とカローラで一緒に指揮を執ったりもしたが、実戦において指揮を執るなんんて出来るわけが無い。無理だ。
 それに、今の私のデバイスはマスタースペードじゃない。クロノさんから借りているS2Uだ。慣れないデバイスでは索敵魔法の精度だって落ちる。
「大丈夫だって。敵艦に向かって真っ直ぐ進むだけなんだし」
「で、でも! 今の私じゃあ索敵も射撃も精度が」
「索敵も攻撃も特に必要無い。目で見て、敵艦に突っ込むまでのあれこれを指示してくれりゃあいいさ」
 私は救いを求めるようにノーラちゃんとジージョちゃんを見た。二人ともお手上げ状態のポーズを取っている。
 マルコちゃんを見ると、彼女は哀れむような目で私を見ながら肩に手を置いた。
「ヨロシク頼むよ、指揮官殿」
「な、何で私なのぉ? ミリー部隊長はぁ?」
「あの人の性格を考えろ。陣形の真ん中でおとなしく指示を出してくれると思うか?」
 そう言ってマルコちゃんがミリー部隊長の方を指差すと、ミリー部隊長は胸元からブラウスの下に手を入れ、隠していた銃弾型のペンダントを引っ張り出した。
「ウルカヌス……セットアップだ」
「Jawohl」
 静かな呟きと共に、ミリー部隊長の体が光に包まれていく。
 彼女の妖艶な肢体に纏わり付く光が、徐々に形を成していった。赤を基調とした迷彩柄のズボンと、同柄の袖が捲くられたジャケットを纏い、膝まで届きそうな黒いブーツで大地を踏む。カートリッジシステム用の弾薬がずらりと並べられたベルト型ホルダーを袈裟懸けにし、魔力光と同じ色の真紅のベレー帽を頭に乗せている。
 指を露出した黒いグローブが嵌められている手で持っているデバイスは、身長の半分程の大きさがあるガトリングガン型。カートリッジシステム搭載で、六連装の銃身が猛るように回転していた。
 その姿から、おとなしく指揮を執っている姿なんて想像できなかった。好戦的なフロントアタッカーにしか見えない。
「さあ……暴れてやろうじゃないか」

 To be continued.



[24714] 第十七話 部隊と舞台と部隊長
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/22 01:57
≪チャプター1:取り引き≫

 約束の時刻がやって来た。
 早鳴る心臓の鼓動。それを落ち着かせたくて大きく深呼吸をした。大自然の中に満ちている空気を鼻から思いっきり吸い込むと、不思議と気持ちが落ち着く。
 しかし、右手に持った漆黒の立方体に視線を落とすと、せっかく良い具合に鎮まり掛けていた胸の鼓動がまた少しだけテンポを上げた。
 キャロ陸士救出作戦の第一段階は俺に掛かっている。願わくば、敵が最初に要求してきた通り、プリズンとキャロ君の交換取り引きが上手くいけば万々歳。俺には、極力取り引きを成功させること、という重要な役割があるのだ。
 しかし、敵はおそらくキャロ君を必要としており、彼女を手放すとは思えない。
 例えば、キャロ君が解放されずにプリズンが敵の手に渡ったとしても、敵の“逮捕だけ”ならば成功すると思う。それがこの作戦のメリットだから。
 しかし、ミリー部隊長はこの空域で勝負したがっている。その理由は言わずもがな、キャロ君の無事を確かなものとするためだ。それはエリオ君のためと言い換えても良いだろう。
 とにかく、俺に課せられた責任はそれなりに重い。俺の行動がキャロ君の救出成功確率を変動させることは確かだからだ。加えて、サイオン部隊長にもプレッシャーを掛けられた通り、待機チームの命運まで左右してしまう。今思えば、幾ら作戦の成功率が低くないとは言え、ミリー部隊長も随分と思い切った作戦を立てたものだと思う。
 だが、信頼は出来る。バーベキューの話をサイオン部隊長に通してくれなかったことは隅に置いておくとして、彼女はやる時はやる人だということを俺は知っている。
 そんなミリー部隊長に任された役割だ。弱気になってはいけない。作戦の成功を信じることが大事だ。出来るか出来ないかではなく、必ず助けてみせると、俺はプリズンに誓った。
 ふと、右の脇の下に挟んだ菓子折りに目を向けた。
 不謹慎かも知れないが、高まった緊張感がちょっと和らいだ。こちらも必ず助けてやらなくちゃいけない。
 そんなことを思っていると、俺の前方上空に巨大な影が転移して現れた。
 老朽化が目立ち、所々に手荒な修復の跡を見ることが出来る茶色の次元航行艦。艦船製造リストとの照合によれば、今から十年以上前に製造されていた、当時の管理局では主力艦船として活躍していた型式の機体だ。現在、管理局では別種が主力艦船となっているが、民間向けにはまだ僅かに製造が行なわれているそうだ。無論、民間向けと言っても次元世界間を航行する運送関係者や旅行業者が主なユーザーであって、一個人がL級次元航行艦を所有しているという話は聞いたことが無い。敵は何らかの方法、おそらく表沙汰には出来ない非合法なルートで手に入れたのではないかと思う。
 敵艦船の側面にある搬入ハッチが開いた。
 垣間見える内部の様子に、思わず唾を飲み込んだ。
 開かれたハッチの中には、一人の男が立っていた。その脇には灰色の布に包まれた塊が捕縛魔法(バインド)に縛られて転がっている。大きさは人間一人がまるまる収まる程度。
 あれが人質、キャロ君か。あんな状態で捕らえられているとは酷いものだ。エリオ君が激怒しそうな気がした。
 しかし、俺を一番驚かせたのは敵の背後に見えるものだった。“それ”が俺の額から汗を噴き出させる。
「…………飛行型の自立機動兵器(ガジェット)か? なんて厄介な物を積んでやがるんだよ」
 ガジェットとは自立判断機能を有した機械兵器のことで、昨年のJS事件においてはジェイル・スカリエッティも数種類のガジェットを使用していたと調書で見たことがある。敵艦船に積まれているガジェットはスカリエッティが使用していた機種とは全くの別物のようで、調書の画像で見たどの機種にも該当しなかった。
 ただ、見たところ全翼機タイプであることが三角形のボディーから解り、空中戦に備えた敵側の準備だと見受けられる。
 まさかこちらの思惑を察してか? いや、気が付きはしなくとも、警戒するのは当然だろう。こちらが何もせず馬鹿正直に取り引きに応じるとは、向こうだって思っていないのだろうから。あのガジェットを見せ付けることで、こちらに二の足を踏ませる。そういう魂胆なのかもしれない。
 やり辛いな。おそらくこちらが何かを仕掛ければ、敵は間違いなくガジェットをこの空にばら撒くだろう。
 搬入ハッチからこちらを見た敵が、俺に向かって手招きをしてきた。俺が高度を上げて搬入ハッチに近づくと、今度はハッチ付近で滞空するように手の平を突き出してきた。
「それ以上は近づくな」
 声の主は宿舎で聞いたメモリスティック内の声と同一のものだった。
 こいつが主犯格か。
「先に言っておく。念話で人質と会話をしようなんて思うな。薬で眠らせているからな」
「分かった。とにかく人質を解放してくれ」
 俺が言うと、敵は不敵に笑いながら布の塊をハッチ脇ギリギリまで引きずってきた。
「プリズンを先に渡せ。それからこれを拾って離れろ」
「布を外せ。布の中身が誰なのかを確認したい」
 すると、敵が布の塊を片足で踏みつけた。
「あ!」
 布の塊は動かない。
「無事だ、信じろ」
「出来るか!? 確認しないことには渡せない!」
「早くプリズンをこっちに投げろ」
 どうするべきだろうか。ここで渡していいのか。そうすればホカン部達は行動を開始するだろうか。
 布の中身がキャロ君ではない可能性は大きい。いや、もしかしたら人ですら無いかも知れない。幾らプリズンを渡せればいいとは言え、敵の言うことにホイホイ従うだけというのも、後で不都合に繋がる気がする。だが、確かなことは言えない。
 誰にも相談すら出来ないこの状況が、俺のことを崖っぷちまで追い詰めていた。
 駄目だ。不確定要素が多すぎる。
 俺がなかなかプリズンを渡せずにいると、敵が俺の方を見て言った。
「おい。その脇に挟んでいるのは何だ?」
「え? ああ、これは、な…………その、あれだ、菓子折りだ」
「何?」
「実はな……非常に言いにくいんだが、そちらにいた侵入者というのは、やっぱりうちの局員らしくてな。ちょっとした手違いだったんだが」
 本当に言いにくい。こんなかっこ悪い役をさせたアイサ君に対して、ちょっとだけ怒りがこみ上げてきた。
「で、その局員を脇に抱えた菓子折りで返せってか。バカじゃねえの? 侵入者はこっちの自由にするって通信は入れただろ? プリズンだけこっちに投げろ。そうすりゃ俺の足元にいる人質は返してやる」
 やはり駄目か。まあ、当然と言えば当然だよな。
 しかし、菓子折り自体はそれほど重要ではない。もちろんアイサ君が重要じゃないわけではないが。
 今回の作戦の第一段階は、プリズンを敵に渡すことだ。兎にも角にもこの段階をクリアしなければ、作戦は次に進まない。
 だが、やはりベストなのは今、この段階での人質確保だ。何もせずにただプリズンを渡すわけにはいかないと思う。
 狙うならば、妥協の無い最高の展開を。
 何か、何か手は無いか。せめて敵をこの空域に留まらせておければ、ミリー部隊長ならきっと合わせてくれるはずだ。
 待てよ? そういえばアイサ君は、敵側にとって何かメリットのある存在なのか?
 目の前の布の塊。その中身は誰だろうか。
 姿を確認出来ないようにしていることからも、少なくともキャロ君ではない。では、別の誰かだ。キャロ君と偽ってこちらに渡すとしたら、アイサ君が入っている可能性も考えられる。だが、踏みつけたり眠らせていると言ったり、塊が動かないことに不信感を抱かせまいとしているのが感じられた。ということは、やはり人ではないのかも知れない。
 少し、揺さぶってみるか。
「その布の中身……キャロ君と侵入した局員のどちらだ?」
 少しだけ眉尻を動かした敵。キャロ君では無いことが言い当てられそうで動揺したのだろうか。
「どっちだろうと人質だ。お前はそのプリズンを置いていけばいい」
 ほぼ確定だな。先程まで自分が優位にいるという余裕から俺を見下していた敵の目が、いつの間にか俺を警戒して見上げるような目になっている。嘘が下手な奴だ。
 俺は一つの案を実行することにした。
 今この場で思いついた即興の小細工だから不安なところもあるが、ミリー部隊長達が上手くやってくれることに期待しよう。
 ミリー部隊長は本当に信頼出来る人だから。あの人が味方にいるだけで、どんなに頼もしいことかを俺は良く知っている。
「まあ、確かに人質はどちらでもいいんだ。どっちみち犠牲は避けられないと思っていたからな」
「…………何?」
 俺の言葉を聞いて、敵が怪訝な表情を浮かべた。
 俺の仕掛ける小細工は、敵の不信感を煽ることだ。
 敵は、自分達の艦船に侵入者がいると分かった時、怒り心頭の状態で通信を繋いできた。そんなことがあれば、俺達が人質の危険を顧みずにまた何か仕掛けてくるかもと疑うのは当然の心理だ。現に敵は警戒心を剥き出しにしている。こうしてガジェットの出撃用意を整えているのが何よりの証拠だ。
 ならば、その警戒心を煽ってやろう。
「なんでお前達の艦船に局員を送り込んだと思っているんだ?」
 いや、警戒心を煽るなんてものではなく、いっそのこと俺達を一切信用できない相手であると認識させてやろうじゃないか。
 昨年のJS事件におけるレジアス中将の汚職が発覚してから、管理局は世間の一部に不信感を抱かれてしまった。JS事件以降も、管理局の位置付けは変わっていない。しかし、平和と秩序のためにある管理局に対して、不安を感じてしまった人々がいるのは事実だ。反省し、改善していかなければならない課題である。
 そしてこれは俺の勝手な推測ではあるが、おそらく目の前の敵も管理局に対してそういった不信感を抱いている。激怒しながら繋いできた通信からも、それは感じ取れたことだ。
 本来ならこんなやり方は気が引けて嫌だ。だが、現状を打破するためにも敵には、管理局は本当に“くそったれ”なのだと思わせるしかないようだ。
「オルギプスが入っているこのプリズンってのはな、ロストロギアと言って、俺達が何としてでも管理しなくちゃいけないものなんだよ。それをみすみすお前等にくれてやるつもりは無いんだ」
「何が言いたい?」
 俺の口角が釣り上がる。
 相手に疑念を抱かせるような、そして不安を煽るような。
 俺から送る最上級の笑顔。
 そう、ミリー部隊長のような、怪しさを孕んだ黒い笑顔だ。
「ロストロギアを失うリスクを背負うくらいならばと、我々はこの艦船の“破壊”による撃墜をもって、事態の終息を選んだ。先に送り込んだ局員は手ぶらだったか? “何を持って”侵入したのか、お前が知らないのなら、こちらの思惑通りに事が進んでいるというわけだ」
「どういうことだ?」
 敵の眉間に皺が刻まれていく。
「さっき言っただろう? 犠牲は避けられないって。侵入者がお前達の艦船内に仕掛けたものと、お前達に渡すつもりで持ってきたこの菓子折り。実は中身が一緒なんだけど…………受け取ってもらえるかな!?」
 俺は脇に抱えていた菓子折りを素早くハッチ内に投げ入れた。
 嘘も方便だな。『艦船の破壊』と『秘密裏に仕掛けたもの』と『犠牲』。これらのキーワードから敵が連想したものは容易に察しがつく。思ったとおり、敵の顔から一気に血の気が引いていた。
 俺は素早く艦船に飛び移って、布の塊を引き剥がしに掛かる。
 放り投げられた菓子折りの箱は、敵の視線を引き付けながらガジェット達の横を通り過ぎて、床に落ちた。その瞬間、敵は小さく悲鳴を上げながら頭を抱えて身を縮めた。
 だが、菓子折りは静かに転がるだけ。当たり前だ。それは“爆弾”なんかじゃなくて、ただのご当地名物ミッドチルダ饅頭だからだ。
 布を捲り返すと、中身はやはり人質ではなかった。取り引きは不成立。ミリー部隊長の指示であるプリズンを敵に渡すという仕事は、どうやら失敗のようだ。これでは渡せない。
 しかし、最初に危惧していたような劣勢とは違う状況でもある。
 取り引きの失敗が上手くいった。
 菓子折りが落ちても何も起こらないことに気が付いた敵は、しばらく視線を泳がせてから、俺の方を見た。
 俺は右手にプリズンを乗せて、挑発するように笑った。
「てめえええぇぇえぇっ!」
 敵が駆け出す。
 良い反応だ。そのまま怒りに任せて俺を追ってくれれば、尚良い。
 ハッチから飛び降りると、敵も量産タイプのデバイスを右手の中に出現させながら、俺を追って飛び降りてきた。
 予想通りの動きを見せる敵。これ以降で俺がやるべきことは、手中にあるプリズンの死守と、主犯格の男を艦船から引き離すこと。
 俺は口元に笑みを浮かべながら急降下した。



≪チャプター2:暴君≫

「よし、ノイズが動いた」
 ミリー部隊長が双眼鏡を片手に言った。
 いよいよだ。『キャロちゃん救出作戦』の第二段階が始まる。
 私の前方で並ぶ仲間達の様子を見ると、五人とも準備は整っているようだ。続いて後方を振り向くと、体のラインを浮き上がらせる黒のレオタードに、赤いミニスカートと丈が胸下くらいまでのパーカーを重ね着したノーラちゃんが、手に嵌めたグローブ型デバイスのシルウェストリスを撫でていた。
「準備オッケーですよ」
 首輪に付いた鈴を鳴らしながら、彼女が微笑む。こちらも準備が整った。
 そして最後に上空を見上げる。ノイズ曹長が敵艦船のハッチ内に入っていった。
 S2Uを握る力が自然と強まる。
 エリオ君はフリードに跨り、私達もそれぞれがデバイスを手にして飛び立つ体勢に入った。
「私の合図で一斉に行くぞ、構えろ…………」
 決して失いはしない。失う必要の無いものは、決して取りこぼしたりしない。
 ――エリオ君、必ず君をキャロちゃんのところに届けるから――
 私はエリオ君に念話を送っていた。出撃間際になって何をしているんだと、自分を責めた。
 それでも、エリオ君は応えてくれた。
 ――はい! 僕達で必ず、キャロを助けてみせましょう!――
 その約束が、士気を高める起爆剤となった。
 必ず助けよう。胸に抱いた、そして仲間に誓った決意は、私達の翼となる。
「…………出撃だっ!」
 地を蹴って、緑を貫き、私達は一斉に上昇していった。空気を掻き分けるようにして浮かび上がった体は、ぐんぐんスピードを伸ばしていく。
 上空にノイズ曹長の姿を発見。ノイズ曹長がハッチから飛び出して、急降下してきた。
 そして、敵艦船の搬入ハッチからもう一人、別の人物が飛び出してきた。それがまさか、キャロちゃんを攫った男だとは思わなくて驚いた。
 何があったというのか。
「どうして!?」
「陣形を乱すな! ノイズに任せて私達は敵艦船を目指す!」
 私の質問をミリー部隊長が制し、私達は打ち合わせた通りの陣形、ワースレスアローを形作った。
 一本の矢が、唸りを上げて空を駆け上る。
 先頭を行く三名はミリー部隊長、マルコちゃん、ユニゾン状態のブラント君。その三名が、エリオ君とフリードを囲うようにして飛ぶ。
 その後方に、ジージョちゃん、私、ノーラちゃんの順で続く。
 ――飛行型ガジェットが来ます! 注意してください!――
 ノイズ曹長から全員への念話。その声を聞くのと同時に、ノイズ曹長がプリズンを握り締めているのが確認できた。
 ――了解した! お前は持っている物を死守しろ!――
 ――さっすがミリー部隊長! 解ってるぅ!――
 降下しながら敬礼をするノイズ曹長と、空へと飛び上がっていく私達がすれ違った。
 キャロちゃんを攫った男がノイズ曹長を追う理由は、おそらくノイズ曹長が持っているプリズンだ。そして、男が戻らない限り敵艦船がこの空域を離れることはないだろう。
 これはチャンスなんだ。人質二人を救うなら、今しかない。
 そして、プリズンが未だ敵の手に渡っていないイレギュラーを知りながらもすぐに現状を理解して合わせようとするミリー部隊長には脱帽だった。
 私も戸惑っていられない。失敗ではなく、作戦は続行だ。
 私は飛びながらS2Uを前方に突き出した。
「周辺サーチ、五号二型!」
 広がる魔法陣と波紋。敵艦船のハッチから何かがばら撒かれるように飛び出してきたのを確認したので、素早く索敵を開始した。
 ノイズ曹長の言っていたガジェットの大群だ。数は六十機以上。機体下方に小型魔力炉と砲身を搭載している。魔法弾を発射することが出来るタイプのようだ。それらが私達目掛けて突っ込んでくる。
 ――ミリー部隊長、攻撃来ます! 側面からの攻撃は後方三名に任せてください!――
 ――了解! では前方四名にて直線コース上のガジェットを排除する!――
 ガジェットから放たれる魔法弾を、私とノーラちゃんの射撃、そしてジージョちゃんの吸引によって迎撃していく。
 そんな中、ミリー部隊長だけが速度を上げ、陣形の先を行った。
「ウルカヌス、物理破壊設定オン! 久しぶりに大暴れだ! 残さずぶっ壊しちまえぇっ!」
 ミリー部隊長のガトリングガン型デバイスが、六連装の銃身を激しく回転させた。それと同時に、先端からは物凄い連射で真紅の魔法弾が吐き出されていく。
 渦を巻く飛行に合わせ、真紅の魔法弾が蒼空に螺旋状の弾幕を張る。
 縦横無尽に飛び回るガジェットは魔法弾の接近に合わせて軌道を変えるが、後からぞくぞくと押し寄せる追撃によって回避に失敗し、そのボディーに無残な風穴を開けて爆発していく。広大な空に、爆炎と煙による模様が広がっていった。
「足りないぞおぉっ! もっとだぁウルカヌスウゥゥゥッ!」
 尚も続く射撃。それはまさに地上から天に向かう赤い雨のようだった。ガジェットから放たれる魔法弾を避けつつ攻撃を繰り出すミリー部隊長と、彼女の手に握られたデバイスから、獲物を嬲る獣の咆哮が轟き続ける。
「ボク達も続くぞ、ブラント!」
「応っ!」
 ブラント君とマルコちゃんも飛び出した。
「レプリィ! モデル“レバンティン”!」
 マルコちゃんがシグナムさんの姿に変わると、レバンティンモデルのレプリカストロがカートリッジを二発連続でロードした。
「火竜一閃っ!」
 鞭状に変形したレバンティンが龍のように空を駆け、周囲のガジェットを二つに裂いていく。更に振られるマルコちゃんの腕に導かれ、龍はその身体をくねらせて次々と獲物を喰らっていった。
「ウィンディーヌ! “ビッグウェーブ”!」
『任せろこんならあああぁあぁあ!』
 ブラント君の足元を走る水の道がみるみるうちに横幅を広げていき、巨大な波となって、遂に壁となった。
 その上を自在に滑るブラント君。手にする銛型デバイスのポリビウスが、その先端でガジェットを次々と貫いていく。
 まるで海を泳ぐ捕食者が次々と小魚を飲み込むかのように。残骸と爆煙を蹴散らして、ブラント君は大きな波を縦横無尽に滑走していった。
「フリード! 僕らも行こう!」
 応えるように吼えたフリードは、エリオ君を乗せたまま翼を大きく羽ばたかせた。
 充分に加速したフリードの上に立ち、エリオ君はストラーダを前方に突き出してから、カートリッジを一発ロードした。
「貫け! ストラーダ!」
 魔力を噴射したストラーダに身を任せ、フリードの飛翔速度を超える速さで空に舞い上がったエリオ君は、ガジェットを数機纏めて貫いた。ストラーダが上昇を止めると、今度は自然落下の速度に乗って下方のガジェットを叩き伏せていく。ボディーを切り裂かれ、制御部を潰され、飛行軌道から弾き飛ばされて。そんなガジェット達が次々とただの鉄塊に姿を変えていく。そして落ちるエリオ君を受け止めたフリードは、続けて上昇をしていった。
「す、すごい…………」
 私が口をぽっかりと開けていると、後方のノーラちゃんから念話が入った。
 ――ソフィーさん! 敵艦船が!――
 敵艦船に意識を向けると、開放していた搬入ハッチを閉じ始めている。
 キャロちゃんとアイサちゃんが中にいるのなら、私達も乗り込むしかない。
 ――ノーラちゃん! 強化魔法(ブーストアップ)をお願い!――
 ――了解!――
 ノーラちゃんが魔法陣を展開した。
「シルウェストリス、ブーストアップ! “ターボロード”!」
 ノーラちゃんの手に嵌められたグローブ型デバイスから薄黄色の魔力光による道が伸びて、敵艦船に向かっていく。
 飛行中の体をその光の道に沈めると、私達の飛行魔法が強化されていった。徐々に飛行速度は上がり、速さは二倍に、更に三倍に、そして四倍に加速していく様な感覚に包まれる。
 目を細めながら、普段では体感しない速度を受け止めていく。空がどんどん小さくなっていく気がした。
 ――ジージョちゃん!――
 私の指示に無言で頷いたジージョちゃんが、クリンリネスの先端をエリオ君とフリードに向けた。
「クリンリネス……“キャッチ”」
 ノーラちゃんの加速魔法に乗ることが出来ないフリードは、ジージョちゃんのクリンリネスに吸い寄せられて、彼女と並んで飛ぶ。クリンリネスに引き寄せられるフリードの首に、エリオ君がしがみついた。
 しかし、いつの間にか敵艦船の搬入ハッチが完全に閉ざされてしまった。このままでは衝突するだけだ。
 どうするべきか。
 いや、迷っている時間は無い。指揮を執るのは私の役目だ。
 これだけの仲間がいれば、出来ないことは無い。
 方法は一つ。乱暴だが、あれしかない。
 ――このまま全員で敵艦船に突っ込みます! ミリー部隊長!――
 ――何だっ!?――
 ――“風穴”開けてやってください!――
 ――そういうのを待ってたぞぉぉっ!――
 ウルカヌスがカートリッジをロードした。
 噴き出した白い蒸気は風に流されてあっという間に空へと溶けて消えた。ウルカヌスの先端に発射台(スフィア)が形成され、六連装の銃身が回転する度にスフィアをどんどん肥大化させていく。
「久しぶりにお前の慟哭(なきごえ)を聞かせてくれぇ! なあ、ウルカヌスウゥゥッ!」
 チャージは最速で、火力は最大で、気分(テンション)は最高だ。
 ミリー部隊長が銃口を敵艦船の搬入ハッチへと向けた。
「発射(ファイア)ッ!」
 真紅の光線が、蒼い空の中で一際目立ちながら伸びていった。
 突如、艦船の周囲に半透明な光の幕が生まれた。魔力障壁(シールド)か。
 ミリー部隊長の砲撃は、そのシールドとぶつかるなり飛沫を撒き散らした。しかし、尚も前進を止めようとしない。
 ――ウィンディーヌちゃん! 障壁をお願い!――
『おうよっ!』
 シールドが歪みを見せ、同時に砲撃が再び伸び始めた。
 もう少し。
 ウルカヌスが再度カートリッジをロードした。
 シールドがどんどん凹んでいく。
 あと一歩。
「貫けぇっ!」
 遂に光線が幕を突き抜けた。そして搬入ハッチの扉と光線が触れ合った瞬間、耳を劈くような爆音と共に、黒煙が巻き起こる。
 黒煙の中へと突っ込んだ私達は、煙でむせ返りながら艦船内に着地した。
「全員構えを解くな! このまま突っ込むぞ!」
「了解!」
 全員の返事が重なるのと同時に、黒煙のほとんどが風に飛ばされて消えていった。
 しかし、晴れた視界に飛び込んできたのは、陸戦専用ガジェットの群れだった。四本足と卵型の丸みを帯びたボディー。そこから伸びる二本の長い腕は、ノコギリ状になった鎌を先端に備えていた。
「ちぃっ! こんなもんも積んでやがるのか!」
「陸戦なら僕達に任せてください! マルコさん!」
「おうさぁ! レプリィ、モデル“ストラーダ”!」
 槍型デバイスのストラーダを構えたエリオ君と、その隣に彼と全く同じ姿で並ぶマルコちゃん。
 二人の差異は性別と顔だけだ。体格まで似ているものだから、エリオ君が二人いるように見える。
「ノーラ! 助けてやれ!」
「はい! ブーストアップ、“スライス”!」
 ノーラちゃんの両手から放たれた魔力球が、二人のデバイスの先端に宿る。すると、二本のストラーダの先端がより鋭利さを増して光った。
 二つのストラーダが全く同じタイミングでカートリッジをロードする。
 二人のエリオ陸士が全く同じ中腰の姿勢でデバイスを前方に突き出す。
 そして二人の叫びが全く同じ呼吸と台詞で敵ガジェットにぶつけられる。
「双閃激突っ!」
 速度、タイミング、威力のどれもが等しく、二人はガジェット達の群れを綺麗に切り裂きながら突貫していった。
 突貫が止まった二人を、袋の鼠とばかりにガジェット達が取り囲んで、四足歩行の卵型ボディから伸ばした二本の鎌を振り上げる。
 しかし、そんな中でも二人の同調(シンクロ)は発揮された。
 それはまさに舞踊。申し合わせたかのように、二人の動きは寸分の狂いも無く揃い、手にした槍を振るう。
 踏み込むステップは軽やかに、舞い踊る肢体はしなやかに、弧を描く刃は鮮やかに。
 飛び散るガジェットの破片は電撃の発光を纏いながら、踊り狂う二人を彩る煌びやかな花吹雪となって、私達の目を釘つけた。
 見る者を魅了する二人のいる場所は、まさに舞台(ステージ)だった。
 艦船内に続く道を塞いでいたガジェットがあらかた片付くと、エリオ君が声を張り上げた。
「行きましょう!」
「でかした!」
 私達はガジェットの残骸の間をすり抜けながら走った。
 艦船内であれだけ暴れれば、当然ながら武装した敵達も行く手を阻もうとしてきた。
 しかし、私達の先頭に立ったミリー部隊長とブラント君が、そんな彼等を蹴散らしていく。
 ブラント君の繰り出す棒術からの攻撃は的確に急所を狙い、最小の動作で敵の意識を刈り取っていく。鳩尾を突き、顎を穿って脳を揺らし、ポリビウスを振り上げて金的を叩く。狙う急所の一つ一つが一撃必殺だった。
 僅か十一歳の彼が、ホカン部内での戦技能力番付二位をマルコちゃんと争うのも頷けた。彼の格闘センスは抜群だった。以前に「ミリーから教わったんだよ」なんて笑いながら言っていたけれど、その笑顔は純真無垢だったくせに、彼の攻撃はどれもがえげつない。
 そして、
「ブラント君……強ぉい…………」
「私、あっちの方が怖いんですが…………」
 ノーラちゃんの指す方に目をやると、思わずその目を背けたくなった。ホカン部内戦技能力番付堂々の第一位が、これまたえげつなかったからだ。
 ガトリングガン型という形状でありながら、その頑強さと重量は彼女専用の鈍器となるには充分だった。それだけではない。両手に持った鈍器もさることながら、彼女自身の体術があまりにも桁外れに強烈だった。
 敵の鼻を頭突きで潰し、ロケットのように飛び出す膝蹴りは敵の肋骨を削ぎ落とすかのような威力を有し、敵の衣服を捕らえて放さなければそのまま軽々と大男を背負い投げて落とし、それでもまだ足りぬと言わんばかりに、ウルカヌスが振り回された。
 そして何より怖かったのは、そんな攻撃を繰り出しながらも、彼女の表情は息を乱すことなく終始笑っていたことだ。 
 何がそんなに楽しい? 何がそこまで嬉しい? 何がそれほどに心地良い?
 理解の範疇を超えた微笑は、もはや悪魔だった。
 表情だけではない。聞こえるのだ。愉悦に浸りきった、地の底から響くような、轟くような声が。
 私はいつか見た彼女の恐ろしい笑顔を思い出した。
 あの時と一緒だ。立ち塞がる者に対して無言の宣告を下す、あの鬼のような微笑。
 怯えたって許さない。謝ったって聞き入れない。泣いたって哀れまない。求めたって与えない。
 敵が抱く希望の何一つすらも認めない、そんな最たる恐を体現するかのような。
 無限大の欲望を満たそうとするかの如く。無尽蔵の力を使い切ろうとするかの如く。
 時空管理局遺失物保護観察部部隊長、三等空佐ミリー・バンカル。
 その暴力は、私達の目の前で完全に解放されていた。

 To be continued.



[24714] 第十八話 逆転
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/22 01:59
≪チャプター1:第一段階≫

 紺色の魔法弾が俺の左肩を掠めていった。千切れたバリアジャケットの切れ端が、あっという間に風に流されて見えなくなっていく。
 切れ端を追って視線を後ろに向けたのは正解だったかもしれない。最初の一撃に続いて、後方から次々と魔法弾が飛んできていたからだ。
 真っ直ぐ飛んでいるだけではただの的だな。そう判断した俺は、真下に広がる森と平行に飛んでいた体を起こして高度を上げた。
「てめえだけはぜってえ許さねえぞ! 待てこらぁっ!」
 俺を追ってくる敵はかなりご立腹のようだ。そんなに怒らなくてもいいのに。ちょっぴり嘘ついてびびらせてそれを嘲るかのように微笑んだだけなのに。
 俺の右手にあるプリズンはこの作戦における切り札のようなものだけれど、必要無かったかもしれないな。後方から追ってくる敵が自分の艦船のことなどすっかり忘れている今の内に、敵艦船に乗り込んだチームが人質二人を助け出してくれれば、後はこいつ等を一斉に取り押さえるだけだ。
 暴君と化したミリー部隊長が艦船内に入った時点で、俺はこの作戦の成功を確信できた。何故かと言うと、この一言に尽きるからだ。
 あの人はやばい。
「プリズンをよこせってんだよ! そんでもって俺に殺されろ!」
 なんか無茶苦茶なこと言ったぞ、あいつ。
 作戦の成功を確信しつつも、後ろの奴といつまでも鬼ごっこをしているわけにもいかない。変則軌道で飛行を続けながら、俺はこの後の行動を考えた。
 そして空いている左手に杖状の量産型デバイスを出現させると、俺は銀色の魔法陣を足元に展開してその場に急停止した。構わず飛んでくる魔法弾は、振り向きざまに出現させた魔力障壁(シールド)でやり過ごす。
「いい加減に――――」
 俺への直撃コースを走る魔法弾だけやり過ごすと、デバイス先端に銀色の魔力球、発射台(スフィア)を素早く形成して前方に向けた。
「――――しろっ!」
 繰り出される銀色の魔法弾の連射。
 今度は逃げ役交代だ。銀色の魔法弾は、男の回避軌道に沿って次々と飛んでいった。
 俺は射撃位置をずらしながら、男の影を追って攻撃を続けた。男はそれを避けながら周りを飛び続ける。
 上手いな。敵の動きを目の当たりにして、俺が抱いた率直な感想がそれだった。
 俺が狙う場所を予測と目視確認で回避。こちらが射撃位置をずらすことを考慮した旋回軌道。こちらの手が止むまで下手に近づいてこない間合いの取り方。
 やたらと空戦に慣れている、なかなか鍛えられた空戦魔導師だ。出会ってからまだそれほどの時間は経過していないが、それでもその腕前を認めてしまうくらいに、敵の動きはその力量を雄弁に語ってくれた。
 突如、敵が足元に魔法陣を展開した途端、跪くような姿勢をとって魔法陣に手の平を置いた。すると一瞬で男の体が魔法陣の中に飲み込まれていった。
「あれっ!?」
 咄嗟の出来事に、情けない声が漏れ出る。
 逃げたのか? プリズンを手に入れることもせずに? おそらく今のは転移魔法だが、そうだとすれば一体何処に?
 そしてまたしても咄嗟。俺の背中に嫌な感覚が覆い被さってきて、反射的にその場を離れた。離れながら後ろを振り向くと、そこにはデバイスを思いっきり振り下ろした後の姿勢で固まったまま俺を睨みつける敵の姿があった。
「――っぶねえ!」
「よく避けられたな」
 避けられた理由は俺にもはっきりとは分からないが、理論的に言ってしまうと、遺伝子が人によってそれぞれ違うように、魔力というのは個人特有の波長がある。それに加えて魔導師は、特にバリアジャケットを纏っている時なんかは全身から漂わせる魔力量が平常時よりも多い。だから近くに自分以外の魔導師が近づいたりすると、それを気配や雰囲気と同じような感覚で察知できるという。それは時々殺気と勘違いされて言われるらしい。
 だが、確かに感じたとは言え、避けられたのは本当に運が良かったのだろう。幾ら理屈ではそんな仕組みがあると言っても、百発百中で意図的に出来るのかと言えばまず無理だ。戦闘中という緊張感が俺の感覚を研ぎ澄ましてくれていたことと、今まで培ってきた経験等が俺を救ってくれたと言うほうが、よっぽど納得出来る話だ。要するに“まぐれ”って奴だ。
 と、自分ではそのように思いつつも、ここは一応、
「ふ、ふん! 貴様の動きなんぞ……見えていた!」
 強がっておいた。
 それはそうと、これほどの超近距離であるとは言え、敵の転移魔法は発動までの時間がやたらと短かった。それはつまり目的ポイントの座標の見極め、そして指定が恐ろしく早いということ。随分と器用な奴だ。
 思えば、敵の中に魔導師は何人くらいいるのだろうか。敵側で魔法を扱うのは、今のところ目の前の男しか確認出来ていない。それに森の中で調査チームを襲った連中の様子からも考えると、おそらく他に魔導師がいたとしても若干名、下手したらこいつ一人だけ。敵連中のほとんどは魔法を使えないと思っていいだろう。見たところ俺と同じくらいの年齢であるこの男が組織の頭を務めているというのは、魔法が使えるという強みのおかげなのか。
 いや、それは過小評価か。腕の立つ空戦魔導師であり、転移魔法を器用に扱うほどのセンスを持つ元時空管理局員。そういうキャリアがあるだけ、こいつは只者ではないという感じがする。やはり何かしらのカリスマ性があるのかもしれない。
 だからこそ思う。そんなに優秀なら、悪いことなんてせずとも偉くなれただろうに。
 本当に、人って奴は分からないものだな。
「…………お前、元管理局員なんだろ? 良い腕してるじゃないか」
「だったら何だよ? 管理局員様のお前が、正義の心を忘れてしまったのかぁなんて俺に説教でも垂れてみるか?」
「いいや、どうせ聞く耳なんて持ってないだろ? それより投降しろ。お前に勝ち目は無いよ」
「投降だぁ? 勝ち目が無いだぁ?」
 本当にこいつには勝ち目が無いだろう。
 こいつの欠点を挙げるとしたら一つ、もう少し大人になるべきだった。自分の艦船をほったらかしにして、怒りに任せて俺を追ってくるというのは駄目だろう。
「お前、人質を船に残して俺を追って来ちゃ駄目だよ。あの艦船に乗り込んだメンバーは厄介だぞ。たぶん人質は奪還されて、お前の仲間も全員とっ捕まってる」
 経過した時間から考えても、俺の予想は当たっているだろう。
 仮にこいつが俺を追うことなどせずに艦船から離れなかった場合。もしかしたらこいつなら、ミリー部隊長に対して健闘は出来たかもしれない。まあ、どちらにしても船に彼女等を乗り込ませた時点で失敗だとは思うが。
 しかし、目の前の敵は意外にも笑っていた。肩を小刻みに震えさせながら、俺の方を見て嘲笑を浮べていたのだ。
 その余裕は何処から来ているのか、俺には予想も出来なかった。
「くれてやるよ、あんなオンボロ船」
 くれてやる? 人質ではなくて、船を?
 まずい。直感的にそう感じた。
「人質が船の中にいるって…………誰か言っていたのかな?」
 敵の嘲笑が徐々に大きくなった。
 それに合わせるつもりは無かったが、俺の顔には徐々に困惑の表情が浮かび上がっていた。
 やられた。そうきたか。
 タイミングを見計らったように、敵の腰からぶら下がっている通信端末が受信音を鳴り響かせた。
 その端末を手にした敵がスイッチを一つ押すと、スピーカー部分から俺がよく知る人の声が聞こえてきた。
『こちら管理局のミリー三佐だ。これを聞いているのは、アウロンという男か?』
「そうだ。局員がこの無線機に連絡を入れてくるってことは、もしかして俺の船は制圧されちゃったかな?」
 この男はアウロンと言うのか。彼は嫌味っぽい笑顔で話しかけながらも、俺から視線を全く外さないでいた。
『察しの通り、船は我々が制圧した。だが…………人質がいない。何故だ?』
 ミリー部隊長の口調は冷静だった。
「保険ってやつかな? 別の場所にいるよ。俺の手下と一緒にな」
『…………そうか…………どうやら、我々はお互い話し合う必要があるな』
「話し合う必要はねえよ。従ってくれればいい」
 やはり、この作戦は失敗だったのか。しかも予想していた失敗よりも少々複雑な状態だ。
「後で指示を出そう。お前等はそのオンボロ船で自分達の宿舎に戻って待ってろ」
 それだけ言うと、アウロンは通信を切った。
 それから俺の方に少し近づいて言った。
「さあ、次はあんた次第だ」
「…………俺次第、か」
 また俺だけこんな切羽詰った状況での選択を迫られているのか。不公平だ、世の中は不公平過ぎる。
「その手に持っているプリズンと、その中身…………あとついでだからお前等の艦船を貰っていくとしよう。俺たちのオンボロよりも質は良いだろう?」
 だからまずいって。今、マリアンヌはサイオン部隊長等の待機チームを乗せて、ある場所に隠れている。それはもちろん、敵を一網打尽にするためなのだが。
 だが、まさかこんな状況になるとは予想出来なかった。
 どうする?
「…………船は、隠してあるんだ」
「そうなのか。じゃあ、とりあえず今から一旦お仲間達と合流しよう。変な真似はするなよ、人質が心配ならな。船は奴等と合流してから明け渡してくれればいい」
 そう言いながら、アウロンが更に近づいてきた。そして素早い動作で、俺が持っていたプリズンを奪い取った。
「とりあえずこっちは貰っとくぜ」
 アウロンの嫌らしい笑みが、俺に向けられた。



≪チャプター2:第二段階≫

 ブリッジの艦長席には、すました顔のミリー部隊長が座っていた。腕を組み、足を組み、操舵機器の前に座る傷だらけの敵達を見渡していた。
「ミリーさん、まもな」
「キャプテン・ミリーだっつーの!」
「キャ、キャプテンミリー! 間もなく管理局の宿舎に到着です!」
 敵の一人が泣きそうな声を上げた。
 私達が敵艦船に乗り込んでからは、ホカン部のトップスリーとエリオ君の活躍によって、船の制圧は何とも呆気なく達成されてしまった。艦船内のアウロン一味は、艦船の操舵技術を持つ者以外は全員縛り上げ、格納庫に収容中である。
 しかし、艦船の中にはキャロちゃんとアイサちゃんの姿が見当たらなかった。敵の一人から聞き出すと、どうやら二人は、取り引きが始まるよりも先に数名の敵魔導師と共に地上に降ろされたそうだ。
 そしてついさっき、ミリー部隊長はアウロンと二度目の通信を交わした。その内容は、私達の乗っているこの艦船を宿舎に着陸させた後、アウロン一味の全員を解放しろというものだった。そしてその後の私達はと言えば、当然ながら捕虜扱いだろう。しかもキャロちゃん達の状況が分からない状態では、下手に抵抗も出来ない。
 作戦は失敗なのだろうか。船を操舵している敵達は、今でこそミリー部隊長が怖くて従っているけれど、船が着陸してしまえば立場が逆転するのだ。
 こんな状況なのに、ミリー部隊長は平静を保ったまま艦長席に座っている。何か策があるのならいいけれど。
「着陸態勢に入ります」
 徐々に艦船の高度が下がっていくのを感じる。それと同時に、私達の危険が大きくなるのも感じる。
 不安なのは私だけではない。ノーラちゃんも怯えるような表情を浮べて私のバリアジャケットの裾を掴んでくるし、ジージョちゃんもミリー部隊長の側から離れない。マルコちゃんとブラント君とウィンディーヌちゃんは、敵が持っていた煎餅を摘みながら「まずいかもな」と言い合っている。この三人はまだ余裕がありそうだ。
 そしてエリオ君は、落ち着いた様子でブリッジの隅に腰を下ろしていた。だが、本当に落ち着いているのだろうか。いや、そんなはずは無い。大切な人を助けにきたはずなのに、肝心のキャロちゃんがいなかったのだから。本当は悔しくて仕方が無いはずだ。
 しばらくして、足元から伝わる振動で艦船が着陸したことを知った。
 操舵席から次々と立ち上がる敵達は、私達の方を見ながら怪しく微笑み、そして言い放った。
「さあて交替だ。今度は俺達の言うことを聞いてもらいましょうか?」
「ンガアァッ!」
 敵の声が終わるのと同時に、ミリー部隊長が突然何処から出したのかも分からないような声で吼えた。敵達は一瞬で怪しい笑みを消し、頭を抱えながら短い悲鳴と共に身を縮めた。
 その反応を楽しむかのように見てから、ミリー部隊長は一度だけ鼻で笑って言った。
「好きにしろ」
 従っちゃうんだ。意外だった。
 私達は誰もが暗い影を落としながら一列に並んで、敵に連れられて艦船の外に出た。
 少し陽が傾き始めたチークの空の下、私達は敵艦船の前に一列に並んで、デバイスを待機状態に戻してから両手を頭上に持ち上げた。フリードも私達の後方でおとなしくしている。
 それから間もなくして、敵艦船の格納庫に収容されていたアウロン一味が解放されてぞろぞろと外に出てきた。私達の横を通り過ぎる度に、一人一人が馬鹿にしたように笑ったり文句を吐き捨てたりしていく。
 ふとミリー部隊長の方を向くと、彼女は相変わらずのすまし顔だ。それは覚悟を決めた証なのか、それとも策がまだあるからなのか。
 私は念話を送って訊いてみた。
 ――どうするんですか?――
 しかし、何度か念話を送ってみたものの、ミリー部隊長からの返事は無かった。
 半ば泣き出しそうになりながら、私は正面に立つ敵を見た。敵の手には、おそらく違法ルートで入手したのであろう銃が構えられていて、その銃口が私達の方を向いている。
「あんなもの持ってるなら、船の中でも使えば良かったのにね」
「アホ。飛行中の艦船内で銃をぶっ放すバカがいるか。魔法攻撃と違って物理破壊しか出来ない武器なんだぞ? 艦船内部を傷つけて墜落でもしたらどうする?」
 横からブラント君とマルコちゃんの緊張感ゼロな会話が聞こえてきた。こっちは怖くて泣きそうなのに、なんでそんな余裕が保てるんだろう?
 しばらくすると、森の中から捕縛魔法(バインド)に縛られたキャロちゃんとアイサちゃんを連れた敵が三人現れた。そしてほぼ同じタイミングで、同じように縛られたノイズ曹長と、敵の主犯格であるアウロンらしき男が空から降りてきた。
「キャロッ!」
 キャロちゃんの姿を見るなり、エリオ君が大声を上げた。それを煩いと言わんばかりの表情で、男が「黙れよ」と制した。
 縛られたままのノイズ曹長は私達の横に並べられたが、キャロちゃんとアイサちゃんだけはアウロンの隣に置かれたままだった。
 どうしようもない。そんな絶望感が頭の中を埋め尽くしていく。
 突如、ノイズ曹長からの念話が私達に送られてきた。
 ――申し訳ない――
 そんな一言に誰も返事をしなかった。
 ノイズ曹長のせいではない。私達全員の目論みが外れたことが原因だ。もっと充分に考えるべきだったのかも知れない。もっと時間をかけて、落ち着いて考えていればこういう状況も想定出来たかもしれない。
 今更何を言ってもどうしようもないし、言い訳になってしまうが、取り引き時刻が押し迫っている緊迫した空気の中では、やはり完璧な作戦は思いつけないのだと思い知らされた気分だ。
 誰のせいでもない。敵が一枚上手だっただけ。それだけだ。
 だが、この失敗はなかなか苦しい。
 ――謝るな――
 突然、ミリー部隊長が返事をした。
 ――状況はそれほど悪くもないぞ――
 聞いた瞬間、私はもう一度自分の頭の中でその言葉を反芻した。
 だが、それでもやはりすぐには理解出来なかった。言葉の意味が解らないのではなくて、どうしたらそんな答えが出せるのかということが解らなかった。
 ――いや、しかしですね…………人質は助け出せなかったし、プリズンも敵の手に――
 ノイズ曹長が続けようとすると、ミリー部隊長はその言葉を遮った。
 ――作戦の第一段階クリアの最低条件、覚えているか?――
 ――ええと……あ、プリズンを敵に渡すこと――
 声には出さなかったが、私も思わず口を開けて思い出したような表情を浮べてしまった。もちろん、隣で不安がっていたノーラちゃんやジージョちゃんも一緒だ。
 そうだった。人質救出は出来ずとも、プリズンを敵の手に渡すことが出来れば、まだ手はある。それが本来の作戦第一段階クリア条件だった。
 ミリー部隊長が冷静でいられたのは、こういことだったのか。
 私やノイズ曹長は勘違いをしていた。敵を艦船から引き離すことが出来たせいで、作戦は予定されていた道を僅かに逸れてしまっていたのだ。それなのに、私やノイズ曹長は作戦変更と勘違いしてしまい、結局対応仕し切れずにいた。だからこんなにも不安に駆られてしまったんだ。それに比べてミリー部隊長は、達成すべき目標は一つだけと、始めから冷静に状況を見ていた。だから余裕を持っていられたんだ。
 ――出来れば人質救出は早い方が良かったが、まあ状況的には当初の予定と変わらない。作戦は続行だ――
 ――ということは、次は第二段階?――
 ――少し敵を揺さぶる。お前達は第二段階に入ったらすぐに動けるよう備えておけ――
 改めてミリー部隊長の頼もしさが身にしみる。敵艦船内での暴れっぷりを見ている時は、何だか自分達の仲間じゃなくなってしまったように感じて怖かったが、それを除けば、彼女ほどに安心感を抱ける仲間というのも珍しいのではと思う。
 ――最後のチャンスですか?――
 突然、エリオ君から全員に送られた念話。その声には、余裕が感じられなかった。
 彼の言う通りだ。第二段階は実行したら二度目が無い。これがキャロちゃん達を救出する最後のチャンスになる。
 エリオ君に何か言ってあげた方がいいだろうか。頑張れとか、必ず助けようとか、力になるよとか、当たり前の言葉しか浮かんでこない。そんなことは改めて言わなくたっていいことだ。
 気の利いた言葉が一言も出てこない自分を情けなく思っていると、ミリー部隊長の言葉が響いてきた。
 ――そんなに気張るな。しくじるぞ――
 そう言ったミリー部隊長は、チークでは初めて見せる優しそうな笑顔を浮かべていた。
 それを見ていたら、なぜか緊張感が解れてしまった。
 彼女の見せるいろいろな表情が、私達のコンディションを整えてくれているように感じる。そしてそれは、私だけが感じたことではないようだ。
 人質に取られているキャロちゃんを目の前にして、てっきり頭に血が上りきっていると思っていたエリオ君が、何故か穏やかに微笑んでいたからだ。
 先ほどの彼には感じられなかった余裕が、今では充分なくらいあった。
 いける。これなら必ず成功する。
「二手に分かれるぞ。てめえ等はそっちのオンボロに乗り込んで、いつでも離陸出来るようにしとけ」
「え!? 管理局の船を頂戴するってのに、このオンボロも持ち帰るんすか?」
「当たり前だろ。足が付いたらどうすんだよ?」
 敵の会話を聞く限り、チークには船を一隻も残していくつもりはないらしい。
 アウロンの指示を受けた手下の半数が、ぞろぞろと敵艦船に乗り込んでいく。ちらほらと「新しいのに乗りてえよ」という愚痴が聞こえてくる。
 そろそろこちらから仕掛けないと。ミリー部隊長の方を見ると、彼女も同じ心境のようだ。
「さて……俺達の準備はほとんど整った。後はお前等の船を頂戴するだけなんだが?」
 アウロンの意地悪い笑顔がこちらを向く。
 意地悪い笑顔ならこちらも負けない。ミリー部隊長がお得意の笑顔で返した。
「アウロン、取り引きだ」
「は?」
 浮べた笑顔は崩さないまま。しかし、明らかにアウロンの機嫌は傾きかけていた。
「私達の艦船、マリアンヌをくれてやろう。その代わり、人質二人と交換だ」
「そりゃあ寝言か? 一生夢見てろ、バカヤロウ」
 どこかで聞いた台詞だ。ミリー部隊長の眉が微かに動いた。
「キャロ陸士はプリズンの中身の主人にはなれない。つまり、お前等が連れて帰ってもメリットは無い」
「…………嘘が得意なのか?」
「事実だよ。それにお前が二人を返さない限り、こちらもマリアンヌを渡してやる気は無い」
 ――ミリー部隊長、挑発し過ぎると二人が危ないんじゃ――
 ――平気だ。キャロ陸士ばかりかアイサまでも無事でいる。おそらく二人を手放すつもりはないんだろう。逆に言えば、二人は簡単に殺されないってことだ――
 私の心配をよそに、ミリー部隊長は続けた。
「早く二人を放せ。どうせお前にとっちゃ役立たずの二人だ。プリズンが手に入ってマリアンヌも手に入るなら、役立たず二人くらいは安いもんだろ」
「その手に乗るかよ」
 アウロンはそう言うと、プリズンを掲げた。
 アウロンの周囲にいた敵が、驚愕しながら叫んだ。
「ここで開けるんすか!?」
「見せてやるよ、本当にキャロが役立たずなのかどうか…………キャロ!」
「は、はい」
 キャロちゃんが戸惑いながら返事をした。
「お仲間の命が心配だったら…………解ってるよな?」
 その言葉が、私達にキャロちゃんの置かれている状況を教えてくれた。
 そうか、アイサちゃんが無事な理由は、キャロちゃんを言う通りにさせるための餌だったんだ。
 ますますアウロンの非道さに苛立ちを覚える。あんな悪人、絶対に放っておくわけにはいかない。
「キャロ!」
 エリオ君が再びキャロちゃんの名前を叫ぶ。
 しかし、悲痛な表情を浮べながら、キャロちゃんは叫び返した。
「ごめんなさい! 私、この人の言う通りにしか出来ない!」
「何言ってるんだ!?」
「エリオ君、ごめんなさい……それに皆さん、本当にごめんなさい。私、管理局員失格です。皆さん、早く逃げてください……ここから離れてください」
「それは駄目だな。奴等は一人ずつオルギプスの餌にしようと思ってるんだから。絶対逃がさねえよ」
 キャロちゃんの両目から大粒の涙が零れ始めた。
 大好きな人と過ごす、最後かもしれない時間がこんな時だなんて、あまりにも残酷だ。幾らアイサちゃんが人質に取られているとは言え、敵の言いなりになることを彼女が簡単に選んだとは考えにくい。考えて、考えて、何度も何度も選べないと悩んで、それでも彼女は選んだはずだ。しかも、自分の選んだ道が大好きな人の命を奪ってしまうかもしれないという現状を目の当たりにしてしまった。
 もしエリオ君が死んでしまったら、そして私達がオルギプスの餌になってしまったら、彼女の涙は絶対に止まらない。
「エリオ君! ごめんなさい! 私…………私はっ!」
 嗚咽が混じる叫びをエリオ君は黙って聞いていた。
「さあ、よろしく頼むぜ! 竜召喚士様よぉ!」
 アウロンがプリズンを空に投げた。高く舞い上がるプリズンは、上昇と共に淡い光を放ち始めた。
 漆黒の立方体が六つに分かれていく。そしてそれぞれが一枚の正方形の板となったプリズンの各パーツは、重力に逆らって上昇を続けながら、互いの間隔を拡げていった。
 空中に舞い上がったそれらは、オレンジ色の光線で互いを結びつけたまま更に拡がり、その光線で囲まれた内側には極小の粒が、何億、何十億とも言える数で群れを成しながら泳ぎ回った。
「エリオ君逃げてえぇぇぇ!」
「僕は…………絶対にキャロを置いて行ったりしない!」
 ミリー部隊長の笑みが増した。その笑みは、隣で叫んだ一人の騎士への応え。彼の強い意志を感じ取り、高まった己の士気に呼応した笑み。
 ミリー部隊長だけではない。私達にだってエリオ君の意志が、エリオ君の覚悟が伝わってきている。
 絶対にこの場から退かない。
 一人の騎士の覚悟が私達に伝播して、それは一つの大きな力となる。
 粒の群れが徐々に形を成していき、一粒一粒が結合するかのように互いを光で包んでいく。
 輪郭が出来上がりつつある中、アウロンは嬉しそうに笑み、彼の手下達は驚愕の表情を浮かべ、アイサちゃんはぽっかりと口を開け放し、キャロちゃんは両手で顔を覆って泣いていた。
「見ろ! これがオルギ…………」
 アウロンの嬉しそうな声が途切れた。そしてそれと同時に、ミリー部隊長の笑みが最高潮にまで増した。
 エリオ君は誰よりも早くデバイスを構え、私達もそれに続いた。
 アウロン達はまだ空を見上げている。目を釘付けている。
 その気持ちも無理はないだろう。何故ならプリズンから出現したのは、彼らが求めていた竜型古代生物などではないのだから。
 L級次元空間航行艦船、『マリアンヌ』がそこに現れた。
「全員攻撃開始!」
 ミリー部隊長の声と共に、私達は雄叫びを上げながら走り出していた。
 頭上から降り注ぐマリアンヌの駆動音が、私達の雄叫びも、アウロンの悔しそうな絶叫も、敵一味の悲鳴も、全ての音を飲み込んでいった。
 周囲を色とりどりの魔法弾が飛び交い、一気に交戦状態に入る。
 これが作戦の第二段階。敵がプリズンを開いたところで、マリアンヌ、及び現場にいる局員全員で敵を叩く。
 下準備は取り引きが開始される前から進んでいた。まず、オルギプスの入ったプリズンを持ったチームが、ウィンディーヌちゃんの力によって敵の目が届かない地点まで転移する。そこでオルギプスを放してしまい、すぐさま宿舎に帰還。あとはサイオン部隊長率いる待機チームが乗り込んだマリアンヌをプリズンに閉じ込め、取り引きを行なう。取り引き時に人質を取り返すことが理想的ではあったが、仮にプリズンだけが敵の手に渡ってしまったとしても、敵がプリズンを開けた時点でこちらの奇襲は成功となる。キャロちゃんやアイサちゃんを助け出せる確率は下がるかもしれないが、最低でも敵を取り逃がさないという目的は、高確率で達成できる。ちなみにサイオン部隊長が恐れていた事態というのは、敵の手にプリズンが渡らずに、尚且つ私達実働チームが全滅した場合だ。プリズンは内側からは開けられないので、誰にも解放してもらえなければ、マリアンヌはその小さな立方体から出ることが出来なくなるのだから。
 これがミリー部隊長の提案した、『キャロちゃん救出作戦』の全容だ。不安要素ももちろんあったが、短時間の間に考えられる作戦の中では最も勝算が高かった。
 そして現状。困惑して完全に統率の取れていない敵の一団の様子を見れば、私達には充分な勝機があると思えた。
「どうだアウロン! 言った通り、キャロ陸士に“あれ”の主人は務まらないだろう!? 私は中身がオルギプスだなんて一言も言ってないからな!」
「くそ!」
 突如、キャロちゃんを抱えたアウロンが空を飛んだ。
「逃がさないぞ! フリード!」
 エリオ君の声に合わせて鳴いたフリードが、翼を羽ばたかせてアウロンへと向かった。そしてフリードの背中に飛び乗るエリオ君。
「我々も追うぞ!」
 ミリー部隊長が腕を大きく振った。
 マリアンヌから降りてきた待機チームの局員達が、地上のアウロン一味を次々と取り押さえていく。その様子を確認しながら、私達はアウロンの姿を見据えてすぐさま飛んだ。
 アウロンは自分達の艦船に向かって真っ直ぐ飛んでいった。敵艦船は既に離陸を始めていて、開け放たれた搬入ハッチの中から、アウロンの手下が手招きをしている。
「すぐに転移の準備をしろ! 俺が乗り込み次第次元空間に逃げるぞ!」
 アウロンが船に向かいながら声を張り上げた。次元空間に飛ばれたらマリアンヌでしか追えなくなる。それでは取り逃がす可能性もあるので、何としてでもここで捕らえる。もしくは私達が敵艦船に乗り込まなくてはいけない。
「キャロを――――」
 エリオ君を乗せたフリードが速度を上げた。
 その背中には、ストラーダを振り上げたエリオ君が立っていた。
「――――放せぇっ!」
 ストラーダは、アウロンの背中目掛けて勢い良く振り下ろされた。
 それを杖状デバイスで受け止めたアウロン。だが、視線はただひたすらに艦船へと向けられている。
 敵艦船が更に高度を上げていく中、マリアンヌから魔法弾が放たれて、敵艦船の一部に直撃した。
 私達ホカン部はミリー部隊長と私が先頭を飛び、そのすぐ後ろにノーラちゃん、ジージョちゃんが続き、マルコちゃんとブラント君が一番後ろから追ってきていた。
「まずい! 敵艦船に逃げられるぞ! マルコォ!」
「了解! レプリィ、モデル“ケリュケイオン”!」
 ミリー部隊長の言葉から彼女の意図を察したマルコちゃんは、キャロちゃんそっくりの姿に変身した。
「強化魔法(ブーストアップ)、“ジェット”!」
 マルコちゃんの両手に嵌められたグローブ型デバイスから、若草色の光の弾が四つ放たれた。それは私とミリー部隊長、ノーラちゃんとジージョちゃんにそれぞれ一発ずつ直撃した。その瞬間、私達の飛行速度が一気に上がっていく。
「ウィンディーヌ! 行って来い!」
 ブラント君と分離したウィンディーヌちゃんは、ブラント君が振り被ったポリビウスに張り付いた。水の道が消え、ジェームスクックから両足を離したブラント君は、自分が落下するよりも先にポリビウスを思いっきり振った。その勢いに乗って、ウィンディーヌちゃんがロケットのように飛ぶ。
 キャロちゃんを抱えたアウロンが、エリオ君とフリードを引き連れたまま艦船ハッチ内に飛び込んでいった。
「間に合えぇぇぇっ!」
 敵艦船が転移を開始。艦船全体が真っ白な光に包まれる。
 敵艦船にある次元転送システムの駆動音が鳴り響く中、私達の体はその光の中に飛び込んだ。
 そこから先は、視界が真っ白になってしまったのでよく分からない。ただ、地上本部から本局へ転送される時と同じような、自分の体が消えていく感覚に包まれたことははっきりと分かる。
 どうやら、間に合ったみたいだ。
 
 To be continued.



[24714] 第十九話 フェイトの子供達
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/22 02:01
≪チャプター1:キャロの気持ち≫

 第六管理世界に暮らす少数民族『ル・ルシエ』の子として生まれた。
 『竜使役』という特殊技能を持っていた私が白銀の飛竜フリードリヒを従えたのは、六歳の頃。でも、その才能が原因で私は生まれ育った部族を追放されてしまった。強過ぎる力は、不幸や災いを呼んでしまうそうだ。
 管理局によって保護されたのはその後。その時に出会った人達は皆、私の持つ力を褒めてくれた。でも私は、大き過ぎる自分の力は皆の迷惑になるものだと思っていたから、その力に怯えて制御することが出来なかった。だから、最初はあんなに褒めてくれていた人達の目が、いつの間にか“役立たずの処理に困っている”ような目に変わったのも当然だと思っていた。
 不幸にしないために私は居場所を失ったのに。
 迷惑を掛けるのが怖くて力が使えないのに。
 何もしなくたって、私は邪魔者だった。
 私が居ちゃいけない場所。私がしちゃいけない事。いつだって私の周りにはこの二つしかなくて、私は自分の在り方が分からないでいた。
 だから、行きたい場所やしたい事なんて考えたことも無かった。
 そんな私が今こうしていられるのは、私に笑いかけてくれる優しい人達が現れたから。
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官。フェイトさんは、誰にも心を開けなかった私を引き取ってくれた人。そして、私に温かい居場所を与えてくれた人。
 エリオ・モンディアル陸士。エリオ君もフェイトさんに引き取られた男の子で、六課で出会った時からいつも私の側にいてくれた人。そして、私に自分の力でしたい事を教えてくれた人。
 この人の側に居たいと思えた。この人を守りたいと思えた。
 二人に出会うことが無かったら、私はいつまでも自分の在り方を知らないまま、自分の力と向き合えないままの子供だったはず。
 人は、こんなにも変われるのだと知った。
 何時なのかも分からない。何処から来るのかも知らない。誰が、何がきっかけとなるのかも予測出来ない。自分で探さなくちゃいけない時もあるのかもしれない。
 でも、人を変える出来事や出会いは確かにある。
 自分が知らないことの数は、自分が変われる機会(チャンス)の数。
 私はそう学んだ。
 もしもあなたにそのチャンスが訪れていないのなら、私はあなたの機チャンスになりたい。
 私はきっかけとなるだけ。誘うだけ。
 そう、こんなにも素敵なことが世界にはあるんだよって、伝えるだけ。
 変わるか否かはあなた次第。選ぶのは、あなた。
「キャロオォォォッ!」
 つま先の向く方から声がした。
 それは一番聞き慣れた、優しい人の声。
 そして一番大好きな、私に笑顔をくれる人の声。
「エリオ君っ!」
 すぐにでも彼の元へと飛び出したい。でも、私の体を抱える二本の腕は、締め付ける力をちっとも緩めようとしない。
 照明の明かりを反射する艦船通路と平行に飛行する私。正確には、飛行するアウロンさんに抱えられている私。
 私を抱えているこの人は、こんなやり方しか知らない人。
「アウロンさん、もう諦めてください」
「黙れ! くそっ、奴等乗り込んできやがった! くそっ! くそっ! くそぉっ!」
 アウロンさんの歯が食いしばられている。顔のあちこちに深い皺を作って、悔しそうに前を見ている。
 私は視線をもう一度後方に向けた。
 すぐ後ろまで迫っているのはフリードに乗ったエリオ君。その後ろに、ミリー部隊長とソフィーさん、ジージョさんとノーラさん、ウィンディーヌさんが続いている。
 私とアウロンさんは通路を真っ直ぐ進んで、とうとう艦船ブリッジに辿り着いた。もうこれより先に逃げ道は無い。
 ブリッジ内にはアウロンさんの手下が数人、操舵席に着いて計器や操舵パネルと向かい合っていたけれど、アウロンさんが飛び込んできたことに気付いた途端、次々と視線をこちらに向けてきた。
「アウロンさん、やべえっすよ!」
「黙って操舵してろよ!」
「それどころじゃねえって! 転移前に受けた管理局からの攻撃で、航行システムがイカれちまった! もうこの船はもたねえってば!」
「く……っそおぉぉっ!」
 捕縛魔法(バインド)で私の動きを封じると、アウロンさんは私を少し離れたところに降ろして、杖を前方に構えてから足元に魔法陣を展開した。杖の先端には発射台(スフィア)。ブリッジに飛び込んできた皆を撃つつもりだ。
 入り口にフリードの鼻先が見えた瞬間、アウロンさんの杖から紺色の中型砲撃魔法が放たれた。それはフリードの胴に直撃すると、苦痛の叫びを上げるフリードを床に転がした。
「フリード!」
 エリオ君と私の叫びが重なる。
 身体を横たえたフリードは光を放ち、その姿を通常時の小型サイズに戻してしまった。
 エリオ君はすぐさまストラーダから魔力を噴出してアウロンさんへと突撃していく。
 ストラーダの先端が真っ直ぐにアウロンさんの体を向いている。それをアウロンさんは直撃寸前のところで身を翻して避けると、回る身体の流れに乗せて杖を横一直線に振るった。背中に杖の一撃を叩き込まれたエリオ君は、ブレーキを掛け損ねたままブリッジ上を滑って転がる。
「エリオ君!」
 私の声が届いていないのか、エリオ君はその身をすぐさま起き上がらせると、再びストラーダと共に突進してきた。カートリッジロードの衝撃音が一度響く。
 それすらも見越していたのか、アウロンさんはその場で転移魔法を発動した。一瞬だけ視界から消えたアウロンさんの身体は、突進中のエリオ君の真上に出現した。足の下をエリオ君が通り過ぎた後で着地したアウロンさんが、未だ背中を向けたままのエリオ君に向けて魔法弾を放つ。
 放った三発の魔法弾が、こちらを振り向いたばかりのエリオ君に容赦無く叩き込まれた。
 膝を着くエリオ君。漏れ出た呻き声が私の耳に届いた時、私は両手で顔を覆っていた。
 苦しいのは彼なのに、泣いたのは私だった。
「諦めろ、アウロン」
 いつの間にかブリッジに入ってきていたホカン部の皆が、ミリー部隊長を先頭にしてアウロンさんと向き合っていた。
「ふざけんな」
「もう逃げられない。諦めて降参しろ」
「出来るかよぉっ!」
「…………アウロンさん」
 呟いた。小さな声だったけれど、私は一言そう呟いた。
 その小さな声は、皆に聞こえていたみたいだ。視線を幾つも感じるし、アウロンさんも私に目を向けてくれた。
「諦めてください」
 あなたは知らないだけ。
「こんなことしなくたって、自分を幸せには出来ます。これから知ればいいじゃないですか。だから…………」
「…………何だよ。俺は別にそんな大それた理由でやってるわけじゃねえって言っただろ? オルギプスとお前を奪って持ち帰れば、それが金になっただけの話だぞ……なんでそんな説教されなくちゃいけねえんだよ?」
「お金が欲しいなら、もっと別のやり方だってあるじゃないですか」
「手っ取り早いんだよ! リスクがあったって、これが俺にとってやりやすい方法だし、得意だからだ!」
「やり直しましょうよ」
「お前みたいなの見てるとイライラすんだよ! 俺がこんなことをする理由なんて単純なんだ! 重い過去も無えし、深い事情も無いんだよ! それをガキ一人が訳ありみたいに勝手に解釈して説教垂れてんじゃねえぞ!」
「だってぇ!」
 私は確かに鬱陶しいことを言っているのかも知れない。アウロンさんにしてみたら、私の言っていることは正解で、理想論で、幻想で、綺麗事で、煩わしいだけなんだと思う。まだまだ酸いも甘いも知らない子供の、それはまるで小さい頃に読んだ絵本の御伽噺を現実と信じているくらいの、甘ったれた持論なんだと思う。アウロンさんにしてみたら、私の言葉はそんな戯言でしかないんだと思う。
 世界を分けるのは簡単ではない。
 正義があれば悪がある。でも本当は、その真ん中だってある。
 綺麗なものがあれば汚いものもある。でも本当は、どちらにもなり得るものだってある。
 そう、境界線はとても曖昧で、はっきりとは分けられない。
 でも、だからこそ、どちらにもなり得るからこそ、という考え方もある。
 複雑なものがあれば単純なものもある。でも本当は、どちらも考え方によっては同だったりする。
 真っ直ぐな道があれば歪んだ道だってある。でも本当は、同じ場所から出発して同じ場所を目指していたりする。
 自分の在り方を知らなかった私は、きっと違うきっかけ一つで今とは全然違った子になっていただろう。もしかしたらアウロンさんみたいな生き方しか知らない子になっていたかも知れない。
 そう、本当に境界線は曖昧なんだ。
 だからこそ、私の戯言は、甘い考えは、未熟な訴えは、アウロンさんの気持ちに通じるものでもあると信じている。
「だって…………アウロンさんは“私と仲良くなりたい”って言ってくれたじゃないですか」
「…………てめえ、あの状況での言葉の意味を履き違えているんじゃねえのか?」
 アウロンさんがため息と共にそう言った。たぶん、私に物凄く呆れているんだと思う。
 それでも、私はあの時と同じことを、同じ表情で言い返した。
「アウロンさんと仲良くなりたいって気持ち…………無いわけではないですから」
 そう言って微笑んだ。涙で顔はきっとぐしゃぐしゃだろうけれど、それでも私は笑った。
 もしアウロンさんが変わってくれるのなら、私は優しく笑いかけてあげられる人でいたいから。
 そう、フェイトさんやエリオ君みたいに。
 私は、笑った。
「…………お前といると、調子が狂う」
「彼女の純粋さは眩しいな。まるでギラギラした凶器(ナイフ)だ。深く刺されてしまったんじゃないか?」
 アウロンさんの呟きに、ミリー部隊長が続いた。
「もういいだろう。この船も限界みたいだし、諦めて降参しろ」
「嫌だね」
 アウロンさんは笑っていた。
「こんなガキンチョの言いなりになるのは勘弁ならねえ」
 ミリー部隊長が呆れたように笑いながら、デバイスを構えて言った。
「確かにキャロ陸士の説教もガキ臭くて甘ったるいが…………お前の頑固さもガキンチョみたいだな」
 アウロンさんが舌を出しながら右手の中指を天井に向けて突き出した。
 ミリー部隊長は大きなため息を吐くと、そのままゆっくりとアウロンさんに歩いて近づいた。足取りはとてもゆっくりとしていて静かだけど、気迫は全く穏やかではなかった。
 アウロンさんはそんな彼女の目を睨みながら、杖を振り被った。 
 二人の距離はどんどん縮まり、離れたところからはソフィーさんが落ち着き無くミリー部隊長の名前を呼ぶ声が聞こえる。
 そして遂に、張り詰める空気の中で二人の制空圏が触れ合う。
 その瞬間、ミリー部隊長のこめかみ目掛けてアウロンさんの杖が振られた。
 響く幾つかの悲鳴。
 杖がミリー部隊長のこめかみに触れる直前、彼女は一瞬だけ身を屈めて杖をやり過ごした。
 空振りをするのは承知の上だったのか、アウロンさんは怯むことなく杖を再び背中に回して振り被る。
 その瞬間だった。杖がアウロンさんの背後に回された瞬間を、僅かに重心が後方に移動したタイミングを、ミリー部隊長は見逃さなかった。すぐさまデバイスを正面に突き出してアウロンさんを押し込んだミリー部隊長は、後方に仰け反るアウロンさんのバタつく足を払った。
 尻餅をついたアウロンさん。その右手に握られていた杖は、素早く繰り出されたミリー部隊長の足蹴りによって遠くに飛ばされてしまった。
「個人的な意見だが、管理局員は白兵戦の訓練をもっとした方がいい」
 そう言いながら杖を蹴り飛ばしたミリー部隊長の足は、続いてアウロンさんのお腹の上に落とされた。
 呻き声を漏らしたアウロンさんはその場に仰向けとなり、ミリー部隊長を完全に見上げていた。
 そして、ミリー部隊長のデバイスの銃口がアウロンさんの胸に向けられる。
「そう思わないか? “ガキンチョ”」
 しばらくの沈黙。
 それから、アウロンさんは呼吸がし辛くなりながらも笑った。そして言った。
「ははっは…………分かった。俺の負けだ…………降参してやる」
 その言葉を聞いて、私は安堵した。
 彼が私の言葉で変わってくれたのかどうかは分からない。あの様子だと、やっぱり無理だったのかな。
 でも、これで事件が落ち着くと思うと、ようやく胸が落ち着いた。
「キャロ……」
 エリオ君が胸を押さえてストラーダを杖代わりにしながら、私の隣にやって来てくれた。それに続いてフリードを抱えたソフィーさん達も側に駆け寄ってくる。
 私はエリオ君に抱きつきながら何度もお礼を言った。
 傷だらけで、埃だらけで、ボロボロになりながらもエリオ君は、痛いのを堪えて笑ってくれた。
 優しく、笑いかけてくれた。
「ありがとう」
 それからもう一度ミリー部隊長とアウロンさんの方を見ると、何故か二人の体勢は変わっていなかった。
 そのまま見守っていると、
「…………貴様、いつまでガキ大将でいるつもりだ?」
 全員が息を呑んだ。まるで凍りついてしまうような空気が走る。
 アウロンさんの額から汗が噴き出ているのが分かった。
「……は?」
「“降参してやる”だと? …………貴様、元管理局員だったな。訓練校では“命乞い”の仕方を教えてくれなかったのか?」
「い、いのちご……ちょ、ちょっと待てよ」
「つくづくガキンチョめ」
 ミリー部隊長のデバイスが、その六連装の銃身を回転させ始めた。魔力が注ぎ込まれていくのが分かる。
「てめ! 無抵抗の相手に攻撃だぁ!? それが管理局員のすることか!?」
「まだだ、まだ全然命乞いになっていない。お勉強はしっかりしておくべきだったな」
「ふざけんな……まさかてめえ…………非殺傷設定は掛かってるんだろ? なあ、そうだろ!? おい!」
 その時、私は側にいたエリオ君の腕にしがみついていた。
 怖い。
 彼女は管理局員。では、正義なのだろうか。
 正義があれば悪がある。でも本当は、その真ん中だってある。
 私は、彼女がどちらなのか分からない。
 そして、今、彼女が浮べている笑顔の真意が分からない。
「非殺傷設定だと? ――――」
 ミリー部隊長の言葉が、アウロンさんに向けて吐き出される。
 それが、合図。
「――――そりゃあ寝言か? 一生夢見てろ、バカヤロウ」
 激しい断続音を撒き散らしながら、ミリー部隊長のデバイスから飛び出す真っ赤な魔法弾が、アウロンさんの胸に次々と降り注ぐ。痙攣のように何度も手足をばたばたとさせているアウロンさんの体は、陸に上げられて苦しむ魚みたいで怖かった。
 悲鳴がこだました。その悲鳴の中には、私の声も混じっている。
 やがて銃声が鳴り止み、誰もがそのままの姿勢を崩さなかった。エリオ君はじっとミリー部隊長の方を見据えて驚いているし、私はずっと目を逸らしたままでエリオ君の腕にしがみついていた。ふと、横にはソフィーさんが尻餅をついている姿もあった。
 声は聞こえない。
 恐る恐るミリー部隊長の方を見ると、ぴくりともしないアウロンさんの体から足を離した彼女は、アウロンさんのバリアジャケットのあちこちを探り出した。何をしているのかと見守っていると、彼女はアウロンさんの腰にあるポケットの辺りで手を止め、中に右手を突っ込んで何かを掴み、それを引き抜いた。
 それから彼女は、私達の方に向き直って舌を出した。
「非殺傷設定、掛かっていて良かったな」
 そう言いながらミリー部隊長は、右手に掴んだものを投げて渡してきた。エリオ君がそれをキャッチしてくれたので見てみると、私のデバイス、『ケリュケイオン』の待機状態であるブレスレットだった。
 ミリー部隊長が近づいてくる途中、ソフィーさんが涙目になりながら言った。声は震えている。
「ははは…………腰抜けちゃって動けないや」



≪チャプター2:エリオの気持ち≫

 信じられないと言うのが率直な感想だった。ミリー部隊長という人がこんなにも怖い人だったなんて。
 もっと言えば、こんなにも怖い人が管理局にいたなんて。
「あの野郎、私に二回もバカヤロウと言ったからな」
 そう言って口元は微笑んでいたが、その顔にはまだ怒りが残っていた。
 キャロ救出に協力してくれたことは感謝している。頭に血が上って暴走しかけた僕を止めてくれたことももちろんだし、たぶん、この人がいなかったらキャロを助け出すことは出来なかった。
 頭が良くて、おそらく戦技能力もこの中で一番優れている。ホカン部はよく“要らん部”や“役立たん部”って言われていたけれど、それでも一部隊の部隊長を務めるくらいだから、それなりに優秀であるとは思っていた。
 そして今回、チークで彼女と出会い、短い時間でも行動を共にして分かったことは、管理局員としての彼女は間違いなく優秀だった。
 だけど、この人自身の奥深く、根幹部分に、何か引っ掛かるものがある気がする。
 信用していいのだろうか。彼女は、僕が初めて接するタイプの人だ。
 自分で言うのも何だけど、僕は色々と鋭いところがある。
 僕の出生にはちょっと複雑な事情があったせいで、過去には人間の酷い部分や汚れた部分をたくさん目の当たりにしてきた。ある時は自分が人として扱われなかったこともある。それ等が理由で酷く人間不信に陥っていた僕は、近づく人間を全て敵としか思えない時期があった。
 そんな僕も、フェイトさんと出会ってから変わった。彼女が体を張って僕を立ち直らせてくれた上に、僕を引き取ってくれたという経緯があって、今の僕がいる。
 過去の記憶はやっぱり忘れることが出来なくて、潜在的に過去の自分が、今でもあらゆる場所で僕に働きかけているように感じる。
 でも、それは決して悪いことだとは思っていない。今の僕は誰とでも真っ直ぐ向き合えると思うし、他人を信じる勇気だってある。それに僕の中に潜在する、疑心に満ちていた頃の自分のおかげで、周囲の僅かな異変や細かな機微にも鋭くなったし、同じような想いを他の人にさせたくないという確固たる信念も抱くことが出来る。
 僕は、きっかけと想いで変わることが出来た。
 そんな僕の心が言っている。
 ミリー部隊長は、危険だと。
 彼女は悪い人ではない。そう、決して悪い人ではないんだ。
 でも、善人ではない。
 何か確信に至るものがあるわけではない。でも、僕の直感がそう訴えてくる。
 ミリー部隊長は不思議な人だった。
 彼女の猟奇的な一面を見て、僕は畏怖の念を抱いてしまう。最初、彼女は戦うことが大好きな人なんだと思った。でも、途中からそれは違うような気がしてきた。戦うことが好きというよりも、戦うことで得るものに執着しているような。ただ戦うことが好きなのだとしたら、僕が暴走しかけた時に、僕を窘めたりしないし、その後で仲間達の士気を高めるようなリーダーシップを執ることもしないと思う。彼女が求めているものは、戦うことよりも、戦った先にあるもののような気がする。だから、確実に戦いで勝利を得るために、チームを最高の状態(コンディション)に整えようとするんじゃないだろうか。
 それともう一つ、彼女がホカン部の皆と一緒にいる時の表情や仕草に、僕は何故か懐かしさのようなものを感じてしまう。何故だろうかと考えてみたけれど、それは、僕やキャロに触れている時のフェイトさんと同じようなものを感じるからだと気付いた。フェイトさんとミリー部隊長が似ているとは思わない。でも、ホカン部の皆に声を掛けている時の感じや、一緒に過ごしている時の雰囲気が、何処となくフェイトさんを彷彿とさせる。
 本当に不思議な人だった。
「さて、では早いところチークに戻らないといけないな」
 ミリー部隊長がそう言うと、操舵席に座っていたアウロンの手下達が慌てた様子を取り戻して言った。
「そ、そうだ! おい、この船はチークまで行けるのかよ!?」
「無理だ……完全にイカれちまった。俺達どうなるんだよぉ」
 手下達が口々に状況を言い合っては、絶望感に打ちひしがれて頭を抱えていた。
「見せてみろ」
 ミリー部隊長が操舵席の一つに入り込む。
「ミリー部隊長、次元航行艦のことなんて解るんですか?」
 ソフィーさんが不思議そうに聞いた。
「まあな。ライセンスは持って無いが…………ああ、駄目だこりゃ。チークでマリアンヌに撃たれた箇所がちょうどこの船の航行制御を処理していた部分だ。動力炉は生きているが、どっちみち思い通りには飛んでくれないだろう。この船の脆さが原因だな。こんだけオンボロじゃあ仕方ないか」
「ど、どうするんですか!? まさかこのまま次元空間を漂流なんてことに!?」
 ソフィーさんの顔から血の気が引いていく。僕やキャロには艦船のことは解らないけれど、漂流ってことは、しばらくはこの艦船内で過ごすことになるのかな。
「慌てるな。いけそうなら近くの次元世界に転移も出来るし、それに救難信号は出せるから、漂流してもすぐに見つけてもらえるんじゃ」
 笑いながらミリー部隊長がそう言った瞬間、突然船全体が揺れて、同時に何処からか轟音が聞こえてきた。
 傾いたブリッジの上に座り込みながら、僕は周囲を見渡した。艦船のモニター全てに映る緊急事態の文字と、けたたましいアラート音。不安が更に煽られた。
 もう一度操舵席のモニターを見たミリー部隊長は、さっきまでの笑顔をすっかり消してしまっていた。
「ど、どうしたんですか?」
「まずいな…………」
「な、何がですか!?」
 ソフィーさんばかりか、アウロンの手下達までもミリー部隊長に縋るように次々と尋ねる。
「損傷していた航行制御部だが、どうやら火が上がっていたようだな。制御部と繋がっていた転移装置に引火して爆発を起こしたみたいだ」
「そ、それじゃあ転移は出来ないってことですよね? じゃ、じゃあやっぱり救援を待たないと」
「それで済めばいいがな。艦船外の様子をモニターに回せるか?」
 ミリー部隊長の指示を受けたアウロンの手下が、頷きながら震える手でタッチボードを操作すると、正面の大型モニターに映っていた警告表示が消えて艦船の外の様子が映された。おそらく船首のカメラから写した映像だろう。海と呼ばれる次元空間は、青や緑が混じり合い、重なり合った抽象画のような空間だった。
「ここじゃない。艦船の真下を映してくれ」
 再び操作がされると、今度は艦船のちょうど真下を移した映像が流れた。
 先ほど見た船首からの映像と同様の模様が広がる中で、所々に黒い穴のようなものが確認出来た。
 先ほどの映像には無い、亀裂のようなその黒い穴を見て、ミリー部隊長が表情を引き攣らせた。
「…………“虚数空間”」
「何ですか? それ」
「見た通り、次元空間に空く“穴”だよ。あの中は魔法も完全にキャンセルされてしまう。魔法だけじゃない、ありとあらゆるエネルギーが引き込まれてしまう。転移魔法や飛行魔法はもちろん、この艦船が万全だったとしてもあの中じゃ動きやしない。二度と上がってこられないまま落ち続けるぞ」
「私達……お、落ちてるんですか?」
「徐々に引き込まれている。おそらくこの艦船の転移装置が爆発した際に、魔力炉内部の高圧縮魔力が漏れ出て誘爆。それが原因で、小規模だが次元断層が生じたんだろう」
「難しい言葉はご遠慮願いますぅ」
 ソフィーさんとノーラさんが手を組み合わせて泣きながら言った。このままだと僕達は、あの真っ黒な穴の中に船ごと飲み込まれてしまう。
 せっかくキャロを助け出せたのに、帰れないのでは意味が無い。
「まだ間に合う! ウィンディーヌ、チークまで転移するぞ! 今の内に座標を掴んどけ!」
「何人いると思ってるのよ! 容量過多(キャパシティオーバー)だっつーの!」
「お前しかいないんだよ! 早くしろ!」
 ウィンディーヌさんが険しい顔のまま足元に魔法陣を展開した。
 彼女の転移魔法の凄さは、チーク上での作戦時にこの目で見てきた。彼女ならたぶんいける。
 皆もそう考えたのだろう。ミリー部隊長とソフィーさん、ノーラさん、ジージョさん、そしてアウロンの手下数名と僕とキャロ。既に十名以上がウィンディーヌさんの小さな体に縋りつくように一箇所に集まった。
「暑苦しい!」
「虚数空間に落ちたら転移魔法も使えないぞ! それまでに早く!」
 ふと、キャロが僕の腕から離れ始めた
「キャロ!?」
「アウロンさんが!」
 既に傾いている艦船のブリッジ上を這い始めたキャロ。僕は彼女の片足を掴んで放さなかった。
「行っちゃだめだ!」
「でも、ほっとけないよ!」
 突如、二度目の爆発が起こった。更に傾斜がきつくなったブリッジは、寝転がったままのアウロンの体を滑らせて遠ざけた。
「キャロ陸士戻れ!」
「キャロちゃんダメだってば!」
 それでもキャロは止まらなかった。
 彼女の目は、アウロンを助けることしか見ていない、真っ直ぐな目だった。
 そして、少しだけ涙を溜めていた。
 僕は、ずっと考えていたんだ。
 キャロが攫われた瞬間、気を失ってしまって何も出来なかった自分が情けなくて、許せなくて、キャロのことが頭から離れなかった。目を覚ますなり、状況の確認すらも怠って彼女を助けに出ようとしたくらい、じっとしていることが出来なかった。
 ミリー部隊長や他の皆が協力してくれた。ソフィーさんもずっと励ましてくれた。
 それでも、どうしても自分を責めることが止められなかった。
 そして、キャロが開封されていくプリズンの前で泣いた時。僕は、あの時が一番悔しくて、一番自分を責めた瞬間だった。
 どうしても失いたくないと願うくらい、大切に想っている人なんだ。
 二度とこんな目に遭わせるものかと誓うくらい、守りたい人なんだ。
 いつでも隣で涙を拭ってあげようと思うくらい、泣かせたくない人なんだ。
 今度こそ、僕は彼女の側を離れてはいけない。
 今度こそ、僕は彼女を守らなくちゃいけない。
 今度こそ、僕は彼女に涙を流させてはいけない。
「ストラーダッ!」
「Explosion!」
 カートリッジを一発ロード。
 ソフィーさん達の声を無視して、僕はキャロの側まで飛び出してその体を抱え、そのままストラーダと共にアウロン目掛けて突進していった。
 ブリッジの床すれすれを滑走していくと、アウロンの姿がすぐ目の前にやって来た。
 僕達よりもだいぶ大きな体だけれど、それでも僕はアウロンの腕を自分の肩に回して、その体を支えた。
「キャロ! しっかり掴まってて!」
「うん!」
 遠くで、ソフィーさん達の声が響く。
「ウィンディーヌ! 止まれ止まれ止まれ! 転移キャンセル!」
「ウィンディーヌちゃんまだダメ! ダメだから!」
「バカァ! もう止まれないわよ!」
 ストラーダに再度カートリッジをロードさせると、僕達はすぐさま来た道を戻り始めた。
 ウィンディーヌさんの転移魔法が発動寸前を示すように、強い光を放ち始めている。
 僕は、僕が抱えているこの男に一言ぶつけてやらなくちゃいけない。
 僕自身からの、男としての、一言を。
「キャロを泣かすなあぁぁぁぁぁっ!」
 その声は、ストラーダから噴き出す魔力のように猛々しく吐き出された。
 転移の光が更に強まって、ソフィーさん達の姿がその形を失い始めた。
 その時、僕は確かに聞いた。ストラーダの機動音と空気を切る音が混じって耳が塞がっていたし、ウィンディーヌさんの所に間に合おうと必死だったし、焦りから更にもう一発カートリッジロードも発動した。
 それでも、すごく小さくても、僕にははっきりと聞こえた。
「ありがとう」
 僕達は、最大限まで大きくなった転移魔法の光の中に飛び込んだ。

 To be continued.



[24714] 第二十話 不明瞭な答え達
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/22 02:03
 エリオ君の背後に立ったジージョちゃんが、彼の背中に両手を翳した。その両手からは柔らかな光が放たれ始めて、エリオ君の背中にある青黒い痣を覆い隠すように包み込んでゆく。
「痛っ」
 少しだけ表情を歪めたエリオ君が、上半身裸の状態で椅子に座りながら呟いた。
 痛がるエリオ君の顔を見たキャロちゃんが心配そうにしていると、そんな彼女の様子に気が付いたエリオ君が歪めた表情を笑顔に変えて、「大丈夫だから」と言った。
「ジージョちゃん、エリオ君の怪我の具合はどう?」
「軽症。酷くない」
 私の問い掛けに、ジージョちゃんは笑顔を添えて答えてくれた。
 良かった。エリオ君の怪我は大したことないみたいだ。安心した私は、空いている椅子を引っ張ってきて座りながら、安堵のため息を吐いた。
 こうして何とか無事に、全員揃ってチークの宿舎に戻ってこれた。現状を思い返して、改めて良かったと思う。
 虚数空間に引き込まれていく次元航行艦の中から、私達はウィンディーヌちゃんの転移魔法によって無事にチークまで帰ってくることが出来た。
 転移直前、ウィンディーヌちゃんの魔法陣から放たれた光に包まれて、エリオ君とキャロちゃんが転移魔法の発動に間に合ったのかどうかが確認出来なかった。もしかしたら二人は、虚数空間に落ち行く艦船内に取り残されてしまったんじゃないかと不安になったのだが、そんな不安も転移後にすぐ消えた。チークの大地に流れる浅い小川の上に転移してきた私達が、びしょ濡れになったままお互いの無事を確認し合う中で、エリオ君とキャロちゃん、それに意識を失ったままのアウロンが側にいることも確認出来たからだ。
 二人がちゃんと間に合ってくれたことが嬉しくて、その時の私は思わず涙ぐんでしまった。
 その後、ミリー部隊長がアウロンとその一味を素早く縛り上げた後でマリアンヌと連絡を取り、艦船に迎えに来てもらって宿舎に帰還。アウロンの一味はマリアンヌ内にある貨物室にて拘束し、現在に至る。
 負傷をした人は医務室にて治療を施しているのだけれど、幸いなことに大きな怪我をした人は皆無だった。
 強いて一番重症であると言えば、ミリー部隊長に止めを刺されたアウロンだ。アウロンだけは貨物室ではなく、マリアンヌ内にある個室のベッドにて治療を行ない、そのままそこに拘束されている。もちろん捕縛魔法(バインド)は掛けたままだ。
 非殺傷設定が掛かっていたとは言え、零距離での魔法弾の集中砲火を浴びたのだ。その衝撃はやはり凄まじかったようで、命に別状は無いけれど少し安静にする必要があるそうだ。
 そんな状態であれば逃げ出すことも出来ないだろうと、アウロンは施錠された室内に一人で寝かされている。扉の外には見張りとして二人ほど三課局員が立っているけれど、まだ目を覚ます気配はないらしい。
「それにしてもミリー部隊長には驚かされたなー」
 エリオ君に治癒魔法を掛け続けているジージョちゃんに向けてぼやくと、エリオ君とキャロちゃんもうんうんと頷いた。ジージョちゃんだけは苦笑いを浮べている。
「あそこまでするなんてさ」
 いくら相手が犯罪者とは言え、ミリー部隊長の行為は少々やり過ぎであったように感じるのだ。
 しかし、視線はエリオ君の背中に向けたままのジージョちゃんが、笑いながら言った。
「ソフィーの気持ちも分かるけど、あれはあれでミリー部隊長らしいと思う」
「だとしてもだよー。正直、私は少し怖かったなぁ…………本当に撃ち殺しちゃったんじゃないかって思って」
「私も怖かった。でも、ミリー部隊長の怖さも言い換えればとても頼もしいなって。だって、私達には優しいから」
 ジージョちゃんの意外な心境に少しだけ驚かされた。彼女はミリー部隊長に対して絶対的な信頼を置いているみたいだ。
 もちろん私だってミリー部隊長のことは好きだし、信頼もしている。でもジージョちゃんからは私以上の気持ちを、それこそやや妄信的とも言えるような強い気持ちを感じ取った。
 目を丸くして少しだけ間を置いた私は、意地悪くっぽく言ってみた。
「ジージョちゃん」
「え?」
「いつもより喋るね」
 するとジージョちゃんは、顔を真っ赤にしてから口をきつく閉じてしまった。
「おっかねえ上司で悪かったよ、ソフィー?」
 背後から突然声が聞こえて、私は両肩を跳ね上げた。
 その声は、まさに私達が噂していた人物その人だったからだ。
「安心しろ、お前の敵にはならないから」
「あ、はいぃ…………ありがとうございますです」
 ゆっくりと振り向くと、いつもの意地悪そうな笑顔を浮かべたミリー部隊長が私の後ろに仁王立ちをしていた。
 助けを求めるように再び正面を向くと、私と目を合わせようとしないエリオ君とキャロちゃんとジージョちゃんの姿が映った。
 全身を力ませて動かない私の肩に、ミリー部隊長は両手を置きながら言った。
「ソフィー、一つ頼まれてくれ」
「何なりとお申し付けください」
 機械音声のように固い声の私。
 そんな私の体を揉み解そうとしているのか、肩に乗せられたミリー部隊長の指が、掴む力加減をリズミカルに変動させてくる。だが、かえって緊張が増してしまう。
「キャロ陸士を連れてアウロンのところまで行ってほしい」
「え?」
 私の言葉と同時に、エリオ君も視線を鋭くして反応した。キャロちゃん自身でさえもぽっかりと口を開け放して呆けている。
「アウロンがさっき目を覚ました。そしたらいきなりキャロ陸士との面会を要求してきたんだ」
「それを……許可したんですか?」
 そう訊いたのは私ではなく、エリオ君だった。
「したよ。暴れるかと思っていたんだが、随分とおとなしくなってやがるからな」
「危険です!」
「三課の奴が二人、見張りに付いている。更にソフィーも付ける。今はアウロンの両手に手錠も掛けているから、まあ変な真似も出来まい」
「それでもっ!」
「先に言っておくが、エリオ陸士の同行を許すつもりは無いんだ。頭に血が上った時の君は、今のアウロン以上に行動が予測できない。許せてもせいぜいマリアンヌ前までの二人の見送りだ」
 有無を言わせないミリー部隊長の口調に、私達は口を閉じた。
 確かに危険がないのかと言えば、断言は出来ない。アウロンは意識を失う直前まで、キャロちゃんの説得にも応じた様子は見せなかったし、彼女に面会を求めた理由も分からない以上、何か企んでいるのではと疑うのも必然だった。
 ミリー部隊長も口を閉ざした。そうしてキャロちゃんを見る彼女の視線から、面会の件は決して命令ではないということが解る。キャロちゃんの返答一つで、アウロンの要求を否認することも出来るのだ。
「…………私、行ってきます」
 キャロちゃんの答えに何かを言いたそうなエリオ君ではあったが、不満そうな表情を浮べながらも、口を閉ざしたまま耐えていた。
「よし。まあ一応気をつけろ、とだけ言っておこう。ソフィーも頼むぞ」
「はい」
 それからミリー部隊長は、医務室を出て行った。
 しばらくの沈黙が続いた後、私はキャロちゃんに「じゃあ行こうか」と声を掛けると、彼女は一言だけ返事をして立ち上がった。その横で、素早く上着を着たエリオ君が「僕も行きます」と意気込んで立ち上がる。
 二人と一緒に医務室を出た私は、少し気まずい空気も一緒に引き連れながら廊下を歩いた。
 アウロンの面会の目的とは一体何なのだろうか。全く予想もつかない上に、相手はつい先程までキャロちゃんを人質としていた犯罪者。改めて考えても不安ばかりが浮かんできてしまう。
 とにかく、アウロンが下手な真似をしたらすぐさま私が攻撃を加えるしかない。部屋の前に着いたらデバイスは準備しておいた方がいいだろう。
 医務室を出てから廊下を歩いて、会議室の前までやってきた。
 すると、会議室前の廊下に佇む人物を見つけた。
 アイサちゃんだ。両手には何故か一つずつバケツを持っていて、そのバケツの中にはたっぷりと水が注がれていた。
 何となく予想は出来たが、一応訊いてみた。
「アイサちゃん、何してるの?」
「廊下に立たされていますぅ」
 バケツを吊るす両腕がふるふると震えていた。
「やっぱり、サイオン部隊長に怒られた?」
「ぶっ飛ばされました」
 その上で廊下に立たされているのか。まあ、それで済むのならまだ優しい方なのかも知れない。
「そう言えばアイサちゃんは、どうして敵艦船の中にいたの?」
「いやあ、それなんですがねぇ…………森の中で敵に襲われた時、キャロさんが敵に捕まってしまったのを見て、あたしも狙われるんじゃないかと思ったから逃げようとしたんです。そしたらあたしの行く先で敵さん達が一箇所に集まってて、こりゃあダメだーと思った瞬間、何故かその敵さん達と一緒に艦戦内に転移させられてしまいましたぁ」
 え、それって敵艦船が地上の仲間達を回収しようとした時に、巻き込まれたってことか?
 要するに、自分も捕まるのではと早とちりをした結果、呼ばれてもいないのに自ら捕まりにいったのだ。
 正直なところ、私達ばかりか敵側からしても迷惑な話だ。
「本当に、ぶっ飛ばされて廊下に立たされるだけで済んでよかったね」
「頭がガンガンしますぅ」
 アイサちゃんの、良いのか悪いのか分からない運に、私は呆れてそれ以上の言葉を掛けられなかった。
 私達はアイサちゃんに向けて手を振った。苦笑いを添えて。
 宿舎を出ると、マルコちゃんやノーラちゃん達、それに三課局員や自然保護官の人達が慌しく動いてた。皆、マリアンヌからコンテナボックスを運び出したりその中身を取り出したりしている。確か皆が運んでいる荷物は、バーベキューの道具だったはずだ。
 まさかと思った。
「おう、ソフィーにエリキャロコンビ。怪我はもういいのかい?」
 私達に気付いたマルコちゃんがそう言いながら近寄ってきた。
 呆気に取られてしまった私の顔を見たマルコちゃんが、不思議そうに尋ねる。
「どしたの?」
「まさか…………バーベキューするの?」
 私達が宿舎に帰り着いたのは、既に陽が落ちてチークの森が夕焼け色に染められていた頃だった。そして怪我の手当てを終えた今では、外はすっかりと暗くなっている。おそらく夜行性の原生生物が活動を始める頃なのだろう。昼間では聞こえなかった虫や獣の鳴き声がちらほらと聞こえ始めていた。
 いや、この際チークの時刻なんかはどうでもいい。そんなことよりも気になる疑問がある。
 あれだけの事件が終わった後だと言うのに、しかも敵だってまだ艦船内に拘束したままだと言うのに、それなのにバーベキューなんてしてもいいのだろうか。一刻も早く本局に戻り、事件に関する事後処理を済ませなくてはいけないのではと思うのだが。
「何言ってるんだい? バーベキューは明日だよ。とりあえず今夜は準備だけ」
「だからそうじゃなくって! いいの? 早く管理局に戻って今回の事にきっちりと後始末をつけないと」
「固いなぁ、ソフィーは。それにミリー部隊長から聞いてないのか?」
「え、何を?」
「マリアンヌのことさ。敵艦船との戦闘で損傷してね。飛ぶだけなら動かなくも無いんだけど、次元空間に出れば行き先も知れないまま漂流しちまう状態なんだよ」
 自分でも顔から血の気が引いていくのが分かった。マルコちゃんの言うシチュエーションは、アウロンとの最終決戦で突入した艦船内にて充分味わったので、もう遠慮したいところだ。
「本局には既に連絡を入れているけど、迎えに来てもらうにしても、どのみち救援の到着は明日になるんだとさ」
「そ、そんなぁ……」
「まあいいじゃないか。大体、バーベキューをしなかったらチークまで来た意味が無いだろ?」
「…………それは違うんじゃないかな」
 マルコちゃんの頭の中には、いや、もしかすると他の皆の頭の中にはチークでのバーベキューの事しかないのかもしれない。
 本当に、遊ぶことに関してのパワーは凄い。呆れを通り越して感心すらしてしまう。
「エリオとキャロもバーベキューを楽しんでいったらいいよ。キミ達も帰りは明日だろう?」
「は、はい…………」
 二人もたぶん私と同じ心境なのだろう。
 二人の返事を聞いたマルコちゃんは、笑顔で「明日を楽しみにしていなさい」とだけ言ってから再び作業に戻っていった。
 しばらく立ち尽くす私達。
 サイオン部隊長はこのことを知っているんだろうか? アイサちゃんのことで絶対ご機嫌斜めはずなのに、これが原因で私達にまで雷が落ちなければいいのだけれど。
「ま、まあ気を取り直して…………行こうか?」
「…………皆さん、いつもあんな感じなんですか?」
 エリオ君の言葉が痛い。私は小さく頷いた。
「ごめんね。皆変な人ばかりで」
「あ、いえ! 皆さんいつも楽しいんだろうなーって、ちょっと羨ましくも思ったり…………ね、キャロ?」
「うん、そうだね。毎日賑やかそうだし」
 たぶん褒めてくれているんだろうけれど、素直に喜べない私は間違っているのだろうか。
 私は二人に顔を向けられないまま、マリアンヌの方へと歩いていった。



 艦船内に入った私とキャロちゃんは、静かな通路を進んでいった。
 外で待っているエリオ君が最後まで一緒に来たがっていたけれど、そこは一応ミリー部隊長の命令だからということで我慢してもらった。
 アウロンを閉じ込めている部屋までの間、自然と私達は無口になっていた。
 緊張もあるだろう。数時間前まで私達と敵対して戦っていた犯罪者と向かい合うのだ。怖くないわけなどないし、面会を要求してきた理由だって見当もつかない。アウロンの口からどんな言葉が飛び出すのかと考えれば、胸も高鳴って当然と言える。
 ただの付き添いである私がこんなに緊張しているのだから、キャロちゃんはもっと緊張していることだろう。
 何か言ってあげたほうがいいのだろうか。いや、それよりも今のうちに打ち合わせをしておいた方がいいのかも知れない。アウロンがもし暴れたりしたらどう対処すべきか、面会時間はどれくらいにするべきか、室内に入る前にバリアジャケットとデバイスの準備はしておくべきじゃないだろうか。
 あれもこれもと考えていると、突然キャロちゃんが言った。
「あ、あの……ソフィーさん?」
「ん? 何?」
 そう返事して横を見ると、キャロちゃんの姿が無かった。
 一瞬だけ固まってからすぐに後ろを振り向くと、キャロちゃんとアウロンの見張り役の二人がきょとんとした顔で私を見ていた。キャロちゃん達の側には、個室に通じる扉がある。
 私一人だけ、部屋を通り過ぎていたようだ。
 込み上げてきた恥ずかしさで顔を染めながら、私は三人の元へと歩み寄った。なんだか私が一番落ち着いていないみたいだ。
 部屋の扉を前にすると、やはり心臓の鼓動が更に速まった。それに手の平にはじんわりと汗を掻いている。
 私は深呼吸を三回してから、キャロちゃんの方を向いた。
「キャロちゃん」
「はい」
 もう一度深呼吸。
「危ないと思ったらすぐに部屋を出るからね」
「はい」
 二回目の返事をした彼女は、笑っていた。
 見張り役の人から話を聞くと、一応二人も室内に入ってアウロンにバインドを掛けておいてくれるそうだ。それを聞いて、若干だが安心した。
「では」
 私の一言と共に、スライド式の扉が開かれた。
 いた。
 狭くて質素な部屋の一番奥にあるベッドの上に、アウロンが腰掛けていた。
 両腕は金属製の手錠によって手首部分を繋がれたまま、両腿の間にだらりと垂れ下がっている。顔は若干俯きつつ、しかし、視線だけは私達の方に真っ直ぐ向けられていた。
 すぐさま見張り役の二人がバインドを掛けた。アウロンの体が青い光の紐で縛られる。
 アウロンの姿を見ただけで、私は唾を飲み込んでしまった。状況的にも私達の方が圧倒的に有利、アウロンが何か仕掛けてくるようにも思えないというのに、彼の放つ雰囲気に押しつぶされそうで苦しい自分がいた。
「キャロと二人じゃダメなのか?」
 アウロンの声は、やたらと落ち着いていた。
「そりゃあダメだ。これが我々の許容できる面会状況だよ」
 アウロンの不満に対して見張り役の人が答えてくれた。正直に言って、私は緊張のせいで口が動かないし、言葉も浮かんでこない。
 アウロンの舌打ちの音が響いた。
 そんな中、キャロちゃんが一歩前に進み出た。
「アウロンさん、私に話って何ですか?」
 キャロちゃんの声は少しだけ震えていた。
 でも、その眼差しはとても真っ直ぐで、しっかりとアウロンに向けられていた。
「声、震えてんじゃん。怖いのか?」
 アウロンの言葉を聞いたキャロちゃんは、一度だけ深呼吸をしてから、今度は怯えを微塵も感じさせない声ではっきりと言った。
「いいえ」
 鼻で笑うアウロン。何故かその微笑みは明るかった。
 キャロちゃんが敵に捕まっている間も、二人はこんな感じで話したりしたんだろうか。キャロちゃんからは捕まっている時の状況などを詳しく聞いていなかったので分からないが、何だか二人の交わした短いやり取りの中に“慣れ”のようなものを感じ取ることが出来た。
「話っつっても大したことじゃないんだ。お前にきっぱりと言っておきたいことがあっただけだから」
「言っておきたいことって、何ですか?」
 少しだけの間を置いてから、アウロンが再びその口を開いた。
「まあ、意識が戻ってから色々考えたんだがな…………俺は、これっぽっちも反省してねえ」
 そう言い放ったアウロンの口は、やっぱり笑っていた。
 対するキャロちゃんは、その言葉を聞いても口を閉ざしたままだった。
「この計画がおじゃんになっちまったから、お前と仲良くする理由も俺には無い。だから船の中で言っていた、俺と仲良くなれる、みたいな言葉はきれいさっぱり諦めろ。こっちから願い下げだっつーの」
 私は唖然としてしまった。いや、私だけじゃなく、彼を縛り上げている見張り役二人ですらも目が点になってしまっている。
 そうなるのも無理は無い。アウロンの言い放った言葉を思えば、呆気にとられるのも当然だからだ。
 まさかこの人は、そんなことを言うためだけにキャロちゃんとの面会を要求したのか。
 確かに敵艦船内で、キャロちゃんはアウロンに対して「仲良くなりたい」というような意味合いの言葉を言っていた気がする。それはたぶん、キャロちゃんが人質に取られている間でアウロンと交わされたやり取りに由来する言葉だったのだろう。事情を詳しく知らない私達にはさっぱりな会話ではあったが。
 それに対してのアウロンの回答。それが先程の「仲良くなるつもりはない」という一言。
 だが、そんなつまらない一言を言うためだけにキャロちゃんとの面会を要求したのか。それは何と言うか、とてつもなく“アレ”だ。たぶんミリー部隊長がこの場にいたら、艦船内で何度も言っていた言葉をまた吐き出していただろう。
 その時、キャロちゃんがようやく口を開いた。
「何でそんなことを言うんですか?」
 その口調に、私は妙な違和感を覚えた。
 それは、彼女の口調がとても穏やかに、もっと言えば嬉しそうにすら聞こえたから。
 彼女のその反応も私には理解し難いものだった。何をそんなに嬉しがる必要があるのだろうか。彼は、キャロちゃんの言葉を否定し、キャロちゃんの気持ちを拒絶したのに。
 そして、キャロちゃんの言葉に対するアウロンの答え。
「俺はガキンチョだからな」
 その答えは、私がついさっき抱いた彼への印象、まさしく“アレ”な言葉そのものだった。
 自覚しているのか。もっとも、だからどうだと言うわけでもないのだが。
 しかしキャロちゃんだけは、その言葉を聞いた途端に少しだけの間を置いた後、手を口元に当てて吹き出した。
 笑っている?
 私は状況がいまいち飲み込めないでいた。
 すると、今度はアウロンも笑い出した。こちらは口元を隠すこともせず、楽しそうに、本当に楽しそうに笑い出した。
 やがて、小さかった二人の笑い声は徐々にボリュームを上げて、遂には部屋の外までも聞こえそうなくらいになった。
 ますます訳が分からない私は、見張り役の二人と顔を見合わせながら、首を傾げることしか出来なかった。
 ただ、二人とも本当に仲が良い友達同士のように、楽しそうに笑いあっていたのが印象的だった。
「本当にお前といると調子が狂うぜ。最後の最後まで夢見がちな子供の戯言なんかを聞かせやがって」
「でも、届いてくれたんですね?」
「届かねーよ。さっきも言った通り、俺は反省する気はねえ…………ただ、まあ」
 アウロンの次の言葉を待つキャロちゃんは、本当に嬉しそうだった。
「お前みたいな奴がいるってことだけは、覚えておいてやる」
「はい。それで充分です」
「あと、あの槍を持った小僧にも言っとけ」
「え?」
「“泣かして悪かった、ありがとう”って」
 アウロンの顔が何故か赤かった。視線ももう私達の方には向けられておらず、誰もいない部屋の隅を見据えたまま動かなかった。
 そんな彼の言葉を聞いたキャロちゃんは、この日一番の満面の笑みを浮べて言った。
「きっとエリオ君にも聞こえてましたよ、アウロンさんの言葉……ありがとう……って」
 その後、私とキャロちゃんは、アウロンに「目障りだから出ていけ」と言われて半ば追い出されるような感じで部屋を後にした。
 今度はマリアンヌの外へと向けて、再び艦船内の通路を歩き始める私達。
 その間もキャロちゃんはずっと笑顔で、何だか私だけよく分からないことがじれったくなった。
「ねえ、さっきの面会、どういことだったの?」
 我慢出来ずに聞いてみると、キャロちゃんが表情をそのままに、私の方を見て言った。
「アウロンさんは、ミリー部隊長が言っていたようにまだまだ大人になりきれていないってことです」
「…………うん?」
「アウロンさんって、自分のやり方以外を知らないし知ろうともしない、子供っぽい人なんです。だからこそ、そんなアウロンさんなら他のやり方を知れば、きっと変わってくれると思いました。結局、最後の最後まで意固地になってあんな態度でしたけど…………。でも、一つだけ変わってくれたことがあったんです」
「え、何?」
「自分のことを“ガキンチョ”だって言って、すごく楽しそうに笑ってました。きっとアウロンさんはこれから先、また一つずつ変わっていってくれるんじゃないかって思います」
「それって何? 自分のことをガキンチョだって認めたってこと?」
「そんな感じです」
「んー…………でも、キャロちゃんの思い描くように変わるかは分からないよ? もしかしたらもっと性質が悪くなったりして」
「それでも構わないと思っています」
「えっ!?」
「もちろん悪くなってほしくはないですけど…………私はアウロンさんが変わるきっかけに、機会(チャンス)になるだけでいいんです。どう変わるかはアウロンさん次第だから。それに私は、アウロンさんならきっと良い方に変わってくれると思いますよ」
「その根拠は?」
「だってさっき、私が笑った時に、アウロンさんも同じように優しく笑ってくれました。人は、優しく笑いかけてくれる誰かがいるだけで、変われるものなんですから」
 その言葉の意味すらも、私には半分も分からなかった。
 優しく笑ってくれる人が側にいると、人は変われる。その言葉に秘められた意味は、もしかしたらキャロちゃん自身に深く関わることなのかも知れない。私はキャロちゃんの過去などを知っているわけでもないから、その真意に辿り着く答えを持っているかどうかすらも分からない。
 でも、その言葉の意味に通じるような、思い当たる節なら私にも無いわけでない。
 幼かった私を拾って大切にしてくれた両親がいて、ホカン部に配属となって沈んでいた私を励ましてくれた憧れの人がいて、いつも明るくて思いやってくれる上司や仲間がいて。
 そんな人達の誰か一人でも欠けていたとしたら、間違いなく今の私は存在しないのだから。
 アウロンにとって、変化のきっかけとなる人、優しく笑いかけてくれる誰かがキャロちゃんであるのならば、彼女の言うとおり、もしかしたらアウロンは変わるのかもしれない。
 自らの未熟さを認め、変化の可能性を受け入れたアウロンは、キャロちゃんというチャンスに出会うことで変わる。
 それをキャロちゃんは見越しているということなのだろうか。
 ミリー部隊長が言っていた。キャロちゃんの言い分は甘ったるくてガキっぽい、と。でも、彼女がそれを口にした理由は、少なくとも彼女にはその甘ったるい戯言が現実となった経験があるからだと思う。そう、夢見がちなことかも知れないが、現実に起こり得る可能性だってあるのかも知れない。
 それを彼女は一人の男に教えた。伝えた。心に届けた。
 ミリー部隊長のように力で制するのではなく、サイオン部隊長のように知恵で戦うのでもなく。
 彼女のように心に訴える。
 そういう結末もあるのだと、私は少しだけ感心した。 
「キャロちゃんって…………」
「はい?」
「大人だねぇ」
 そう言うと、今度は真っ赤になったキャロちゃんの顔がそこにあった。
「そ、そんなことないですよ」
「いやいや立派だよ。…………だから、明日のバーベキューはニンジンも食べようね?」
 途端に、キャロちゃんが無言になったのは言うまでも無かった。



 マリアンヌから降りた私とキャロちゃんは、落ち着き無く歩き回っていたエリオ君と合流してから宿舎に戻っていった。二人はすぐに部屋へ戻ると言うので、私達はそのまま宿舎の玄関で別れた。
 私も一旦部屋に戻ってシャワーを浴びたかった。今日はいろいろと気を張り詰め過ぎたから、酷く疲れてしまったのだ。
 宿舎に入った途端、急に重くなった気がする足を引きずって、私は廊下を歩いていった。すると、向かう先にある休憩ロビーの長椅子に、缶ジュースを片手に腰掛けている人影を見つけた。
 その後ろ姿に近づくと、彼女もこちらを振り向いた。
「おう、ソフィー。キャロ陸士の付き添い、ご苦労様」
 ミリー部隊長だった。
 ミリー部隊長は、手にしていた未開栓の缶ジュースを私に向けて差し出してくれたので、私はそれを受け取って長椅子に腰を落ち着かせた。途端に疲労感が全身を駆け巡っていく。少し瞼も重い。
「キャロ陸士とアウロンの話は何だったんだ?」
 自動販売機からもう一本ジュース買いながら、ミリー部隊長が言った。
「んー、何て言うのかなー? なんか……よく分からなかったです」
「なんだそれ」
 そう言いながら笑ったミリー部隊長だが、それ以上は訊いてこなかった。
 代わりに、嬉しそうな表情を浮べて言葉を漏らす。
「明日は楽しみだな」
「バーベキューですか?」
「ああ。だって元々の目的を忘れるわけにはいかないからな」
 元々の目的こそ間違っているのでは。そう突っ込みたかった。
「あ、そうだ……」
 私が思い出したように言うと、ジュースを飲みながらミリー部隊長が視線をこちらに向けてきた。
「あの、実は……ミリー部隊長にお尋ねしたいことがあるんですが」
「何だ?」
 ミリー部隊長と二人きりだし、この際だからと、私はチークに来る前から気になっていた疑問をぶつけた。
「ミリー部隊長って、チークに来る前からオルギプスの生態について知っていたんですか?」
「ん? ああ。知ってたけど、それがどうした?」
「じゃあ、地上本部の上空にオルギプスが出現した時、どうして私となのはさんにオルギプスが実はおとなしいってことを教えてくれなかったんですか? 三課には地上での待機命令を出したんですよね?」
 そう言った途端、ミリー部隊長の顔から笑顔が徐々に苦笑いに変わり、動揺しているような様子が伺えた。
「いやあ、そりゃあ……危険なのは確かだったよ。幾らオルギプスに主人がいないと言ったって、あんなもんが地上本部の上空に現れたら他の局員が下手に手を出していたかもしれん。そうなれば先の予測は出来ないからな」
 何だか腑に落ちない。苦しい言い訳にしか聞こえなかった。
「それって本当ですか?」
 私としては、例えどんな理由であってもミリー部隊長が本当のことを言ってくれるだけで安心出来るのだけれど。
 彼女に嘘をつかれると、何だか寂しくなったり悲しくなったりしてしまうのだ。
「いやぁ…………」
 少しだけバツの悪そうな顔をしたミリー部隊長。
 ふと、こんな顔をする彼女も初めて見ることに気が付く。
 それから、ミリー部隊長は一度だけため息をついた。
「参った」
「参った?」
「ああ。確かにわざと言わなかったんだよ」
「何でですか?」
 知られたくない理由があったというのだろうか。
「配属されたばかりのお前が高町一尉と一緒になってはりきっている姿を見たら、どうもなぁ……せっかく頑張ろうとしているお前を止めるのは気が引けて、な」
 何と言うか、キャロちゃんの誘拐事件やミリー部隊長の猟奇性、それにアウロンとキャロちゃんのやり取り等もそうだが、今回やって来たチークでは訳も分からないまま驚かされることばかりで本当に疲れる。
 ミリー部隊長の言葉に私は正直呆れてしまった。
「…………そんな理由のために、ですか?」
「そんな理由って言うなよ」
 ミリー部隊長が少しだけ口を尖らす。
 だが思い返してみれば、私が配属されて間もない頃のヒデオウトでの一件において、私が自分の思い描く管理局員でありたいと訴えた時にその気持ちを最初に汲み取ってくれたのも彼女だったのだ。
 そして今し方、彼女が打ち明けた“そんな理由”。
 この二つだけを考えても、やはりミリー部隊長の考えや行動において何よりも先立つものは、私達ホカン部のことなのだ。
「少なくとも私にとっては、それなりの理由だったんだ」
 それでもやはり腑に落ちないのは、彼女が口にした言葉以上の何かがまだ隠されているからだと思う。
 ただ今の私には、それをこの場で無理に聞き出す必要も無いという思いが生まれていた。嘘をついている様子ではないミリー部隊長の様子から察するに、このことについては何か腹黒さがあるとも思えない。
 それに、こんなに困った様子のミリー部隊長を見ることが出来て、今日はそれだけで満足だった。
 決して彼女を困らせたいという意味ではない。
 今回の一件で、実はミリー部隊長に対して近寄り難い気が生まれつつあった。普段の強気な性格に加え、今回の戦いで見せられた猟奇的な一面が、確かな恐怖となって私の心に植えつけられたせいだ。
 でも、そんな気持ちを綺麗に拭い去ってくれたのが、困り果てた今の彼女の様子だ。
 これまでミリー部隊長にはたくさんの表情を見せてもらった。優しさや怖さも全部ひっくるめて、彼女の奥深さに私はどんどん惹かれていった。彼女のことをもっと知りたい、もっと側にいたいと思ったのだ。
 もし、今以上に彼女のことを知ることが出来て、側にいることが出来るのなら、私はミリー部隊長のことをもっと好きになれる気がした。そしてそれは、医務室でのジージョちゃんに感じたような、彼女に対する奥深い愛情になるのではと思っている。
「じゃあいつか、それなりの理由ってのも詳しく聞かせてくださいね」
「そのうちな」
 そう、いつか、そのうちに。

 To be continued.



[24714] 第二十一話 恋心
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/24 10:00
 湯気を立ち昇らせるミルクティーの中にスティックシュガーを二本。それをティースプーンでかき混ぜながら、私は小皿に乗ったドーナツに手を伸ばした。そして目の前の人に「いただきます」と言って微笑む。
 目の前の人は小さく頷きながら、優しい微笑みを返してくれた。そしてそのまま話を続けてきた。
「エリオもキャロも無事で良かったよ。ソフィーも二人に協力してくれたみたいで、どうもありがとうね」
「いえ、私は別に何も…………」
 顔の前で手を振りながら、私はドーナツに齧りついた。
 ここは時空管理局本局内の喫茶ルーム。今はなのはさんと一緒にティータイムを楽しんでいる最中だ。
 チークでの一件が済んでミッドチルダに帰ってきてからの私達は、ちょっぴり忙しかった。
 それは何故かと言えば、本局に帰ってきてから早々に事件の事後報告と報告書の作成等を行なう必要があり、すぐには隊舎に戻ることが出来なかったからだ。本当ならば疲れきった体をフカフカのベッドに埋もれさせて眠りたかったが、それよりも先に事件の後始末が優先されたのだ。
 それも当然と言えば当然なのだが、事件解決後にあろうことかチークでバーベキューまで楽しんでしまった私達は、心身ともに遊び疲れてボロボロの状態だった。だが、まさかバーベキューを理由にして報告を怠るわけにもいかず、サイオン部隊長以外の全員が疲弊しきった状態で長い時間本部に缶詰状態となってしまった。
 そんな出来事も過ぎ去ってチークでの事件終了から三日が経った今日、ようやく平常な職務生活に戻った私のもとへ、なのはさんから連絡が入った。
 内容は、なのはさんとの約束であった魔法伝授の件。そしてそのためにと、シャーリーさんの手によって生まれ変わったマスタースペードを受け取るというものだ
 なのはさんが私との繋がりを欲しいと言ってくれたから実現した魔法伝授。私はこの素敵な約束を、チークに行っている間も片時だって忘れたりはしなかった。
 なのはさんが、私のことを妹のようだと言ってくれたのだ。なのはさんと私には似通ったところがあり、それ故に私のことを気に掛けてくれていて、その気持ちの証として彼女が一つの魔法を私にくれるという。
 なのはさんの魔法を貰えるということもさることながら、憧れのなのはさんが私を妹のようだと言ってくれたことが嬉しかった。そして、彼女を姉のように慕えるという贅沢さに、私は猛烈に感動している。たぶん隣にマルコちゃんがいたら、今頃ティッシュ箱を私の側に持ってきたりするのだろう。
 そんな私は、なのはさんとの約束を果たすためにこうして本局にやって来た。待ち合わせの時間より少しだけ早く来ていたなのはさんが、「マスタースペードの受け取りまではもう少しだけ時間が掛かる」と言うので、私となのはさんは本局内の喫茶ルームにて時間を潰していた。
 そのついでにと、チークでの事件やエリオ君とキャロちゃんの近況なども教えてあげたところだった。
「それにしても、エリオとキャロの二人とも仲良くなっちゃうなんて…………何だかソフィーは六課と親密になっていくね。そのうち、元々六課にはソフィーがいたんだ、なんて思うっちゃうかも」
 なのはさんがそう言うので、私はなんだか照れくさくて仕方が無かった。にやける顔を隠すために、紅茶を慌てて啜る。
 口の中に残っていたドーナツの甘みが流されていくのと同時に、照れも若干薄れたので、私は胸の内にずっと持っていた本心をなのはさんに伝えた。
「私、機動六課の皆さんと仲良くなれるのってすごく嬉しいです。だって私は機動六課に入ってなのはさんの下で戦技訓練も受けたかったし、一緒にお仕事がしたかった。それは一つの夢みたいなものでしたから」
 今度は気恥ずかしくなって、続きを話す前にもう一口だけ紅茶を飲む必要があった。
「…………だから六課の人達と親しくなる度に、なのはさんが今言った通り、自分は六課にいたんじゃないかって感じることが出来ます。だから、なのはさんにそう言ってもらえると本当に嬉しいです」
 そこまで言った時、なのはさんの顔がじっと私の顔を向いていることに気が付いて、妙な緊張感が駆け抜けた。
 生意気だったかな? 六課に所属していた気分だなんて言うのは。
 それでも、ずっと秘めていた自分の気持ちを言うことが出来て、晴々とした気がするのも間違いではない。
 そんな時、私をじっと見つめていたなのはさんの表情が変わったかと思うと、彼女は右の口端だけを器用に持ち上げて言った。
「ミリー部隊長に言いつけちゃおうっと」
「なっ! そ、それはっ……!」
 なのはさんが歯を見せて微笑んだ。
 私の今の発言をミリー部隊長に知られるのは避けたいな。ミリー部隊長から放たれる嫉妬の炎が見えるようだ。
 確かに六課に入りたかったのは事実だし、今だってチャンスさえあればすぐにでも飛びついてしまいたいというのが本心だ。
 だが、だからと言ってホカン部所属となったことを今更後悔しているわけなどないし、ミリー部隊長を始めとしたホカン部の皆だって、私にとっては大切な、そして大好きな仲間だ。
 六課とホカン部、どちらか好きな方を選べと言われたら、私はきっと選べずに沈黙するしかない。
 すっかり閉口してしまった私を、なのはさんはまだ見ていた。
 そんな彼女に向けて出た私の一言は、たぶん私からなのはさんへの初めての文句だ。
「…………意地悪」
「まあまあ、冗談だよ」
 そう言いながら、なのはさんは自分のドーナツを皿ごと私の方に差し出した。
「それにしてもシャーリー遅いなぁ。まだデバイスの最終調整が終わらないのかな?」
 なのはさんがそう言うのと同時に、彼女が首から提げている小さな赤い宝玉、待機状態のレイジングハートが点滅をした。
「シャーリーからのメールだ。何だろう?」
 なのはさんがそのメールを読んでいる間、私はなのはさんがくれたドーナツを齧った。
 メール文を読んでいたなのはさんが、「ありゃりゃ」と声を出した。
「どうしたんですか?」
「シャーリーが調整を手伝ってくれだって」
 少し困ったように微笑むなのはさん。可愛いなぁ。表情を緩ませている私の目の前で、なのはさんは返信メールを一生懸命書いていた。
「あの……」
 なのはさんの視線が再び私に向く。
「私、待ってますよ。なのはさんはシャーリーさんのお手伝いに行ってください」
「どれぐらい掛かるか分からないよ? いいの?」
「いいですよ。ちょうど本局には別の用事もあるんで、そっちを先に済ませてきます」
 カップに残った紅茶を飲み干した私は、食べかけのドーナツを片手に持って席を立った。
「じゃあ、そうさせてもらおうかな? 一時間くらい経ったらメンテナンスルームに来てくれる?」
「はい! 分かりました!」
 返事をした私は、意気揚々と喫茶ルームを出て行った。



 時空管理局の本局は、町一つを内包している施設である。その内部は局員達の職場となる各部隊のエリアに分かれている他、無限書庫や常勤局員のための生活寮、買い物をする場所や息抜きをする娯楽スペースまで備えられている。全次元世界においても最大規模の建造物であり、超巨大次元空間艦船なのだ。
 そんな本局直属となる部隊の中で最も代表的な部隊が、『海』という通称で知られる『次元航行部隊』だ。広大な次元空間を艦船に乗って巡回したり、各次元世界で起こる次元犯罪の解決に務めたりする。この部隊には、かつて機動六課内でライトニング分隊の隊長を務めたフェイト・T・ハラオウン執務官や、同じく元六課メンバーであり現在ではフェイト執務官の補佐をしているティアナ・ランスター執務官補が所属している。
 今回私が次元航行部隊にやって来た目的は、フェイト執務官達には関わりの無い用事だ。関係があるならば憧れの六課メンバーにまた出会えるかも知れなかったので、それを思うと少々残念な気はする。
 いや、そう思うのも失礼な話かな。私はお世話になった人への御礼としてここまでやって来たのだ。目的を忘れてミーハー心を剥き出しにしてはいけないだろう。
 自責の念を抱きつつ、私は次元航行部隊エリアの受付カウンターに向かった。
「あ、あの……すいません」
「はい、何でしょうか?」
 受付の女性局員の透き通るような声。彼女を囲う眩しいくらいの受付カウンターには、一切の埃や汚れも無い。そして両耳からは、リラクゼーション効果を狙ったような清涼なメロディーが聞こえてくる。
 一流企業の玄関口かと思った。いや、この次元航行部隊本部エリアは所謂部隊隊舎のようなものだから、一流企業の玄関口と比喩するのもあながち間違いではない。
 だから、こうして受付前に立つだけでも緊張感が走る。
「クロノ・ハラオウン提督はいらっしゃいますか?」
 噛まずに言えてホッとした。緊張で呂律が回らなくなりそうだ。
「少々お待ち下さい…………はい、三十分程前に本局へ戻られたばかりです」
 事前にクロノさんの航行予定を聞いておいて良かった。タイミングはぴったりだったようだ。
 受付の女性局員に、クロノさんに会いたいと伝えると、彼女の呼び出しから一分後くらいにクロノさんが姿を現した。
「やあソフィー」
「あ、こんにちは!」
「僕に何か用かい?」
「あの、これ…………デバイスを返しに来ました」
 私はポケットからS2Uの待機状態であるカードを取り出して見せた。
「貸してくださって、どうもありがとうございました」
 一礼と共にデバイスを差し出すと、クロノさんがデバイスを受け取りながら言った。
「役に立てたかい? チークでは大変な目に遭ったそうじゃないか」
「はい。デバイスがあって助かりました」
 クロノさんはデバイスを自分のポケットにしまいながら、片隅にある休憩スペースに誘ってきた。
「良ければその時のことを話して聞かせてくれないか?」
 私は時計を確認した。なのはさんの言っていた時間まではまだ四十分近くある。
「はい。いいですけど…………お仕事は大丈夫なんですか?」
「ああ、今日はもう出る予定がないからね。さっき巡航から帰ってきたばかりだから、ちょっとした息抜きさ。六課のチビッココンビの近況も気になるし、僕のS2Uがどんな風に活躍したのかも気になるんだ」
 以前会った時のクロノさんは見るからに真面目そうな雰囲気だったから、くだけた笑顔を見せられるとそのギャップに少々驚いてしまう。
 私はクロノさんと向かい合うようにして座り、チークでの出来事を一から話し始めた。ちょうど喫茶ルームでなのはさんに話したように。
 話の内容は、エリオ君やキャロちゃんとの出会いからアウロンの登場、作戦時の戦いなど、報告書を読んだだけでは分からないことばかりだ。
 それを面白そうに、時には驚いたり神妙な面持ちになりながら、クロノさんは聞いてくれた。その中でも彼に一番ウケたのはこの話題だ。
「是非今度見てみたいな! 後で連絡を取ってみるよ!」
 堪えきれない笑い声を響かせながら、ノイズ曹長の髪型が変わったことを想像してお腹を捩じらせていた。こんなに大きな声を出して笑うのも意外な姿だ。
 ひとしきり笑った後で、クロノさんは落ち着きを取り戻すように深呼吸をしてから椅子に座り直した。
「それにしても…………」
「はい?」
「思ったよりS2Uはあまり活躍しなかったね」
「いや、まあ……助かったのは本当ですけど…………目立って活躍もしてない、かな?」
 そこを突っ込まれては苦しい。デバイスが無ければ作戦に参加することも出来なかったわけだし、決して役に立たなかったわけではないのだが。
「まあ、ミリー部隊長の暴れっぷりを前にしたら、そりゃあ影も薄くなるかな」
「…………そ、それもそうですね」
 私は苦笑いでやり過ごした。
「ところで、ミリー部隊長って一体何者なんだい?」
 突然の質問。即答は出来なかった。
 それは、一体どんな意図があって訊いてきたのだろうか。ただ気になって飛び出た質問なのか、それとも何か不穏なものを感じ取ったのか、クロノさんに何か思惑があったのか。
 やたらと勘繰ってしまったが、どっちみち私は明確な回答を持っているわけでもない。
「何者っていうのは…………どういう意味なんでしょうか?」
「実はね、ミリー部隊長のことは以前にフェイトから少し聞いたんだ。君達がなのはに誘われて模擬戦をした時から少し経った頃なんだけどね」
「フェイト執務官…………からですか?」
 何故そこでフェイト執務官に繋がるのかが分からなかった。
「ああ。又聞きの又聞きだから、僕も深くは気にしていないんだが。模擬戦の時に一緒にいたシグナムは、フェイトと特に親しいんだ。だからシグナムが、模擬戦時に感じたミリー部隊長の異質さとかをフェイトに話して、それをフェイトは僕に話して聞かせてくれたんだ」
「何か、気になることがあったんでしょうか?」
「どうもシグナムはミリー部隊長の顔に見覚えがあるらしい。ミリー部隊長は会ったことが無いような素振りだったと言うし、シグナムもいつ頃顔を見たのかははっきりと思い出せないようだけど。それでね…………」
 そう言ったクロノさんは、一瞬だけ間を置いた。
 何か悪い話なのだろうか。その一瞬の間が、何となく怖いと感じた。
「興味本位だけど、ミリー部隊長の経歴とかホカン部の設立に関することを、少しだけ調べてみたんだ」
「調べたって?」
「別に悪い意味ではないから誤解しないでほしい。それに他所の部隊のことを無闇に嗅ぎ回るのも失礼だと思ったから、知人などの繋がりを通じて何となく尋ねたりした程度だよ」
「それで、何て?」
「ホカン部の設立は七年前。設立当初はミリー部隊長とウィンディーヌ空曹の二人だけで、隊舎は現在と同じ場所だった。業務内容もずっと変わらない。部隊としての活動自体にこれと言って目立ったものは無かったな」
 昔から変わっていないということはすなわち、昔から『役立たん部』と言われていたのではないか。そんな風に思えてしまった。
「ただ一つ、ミリー部隊長とウィンディーヌ空曹についてなんだけど」
「え?」
「七年前より以前の彼女達を知る人が少ないんだ。もちろん、僕の人脈だけでは分かる範囲にも限りがあるけどね。ただ遺失物管理部と深く関わっている知人もいるから、何かしら情報が得られると思っていたんだけど」
 確かに妙かも知れない。
 言われてみれば私は、ミリー部隊長とウィンディーヌちゃんについて何も知らない。二人は管理局入りする前からの知り合いである、ということ以外は情報と呼べるものなど持っていないのだ。
 それは深く気にするような問題でもなかったからだろう。こうして問題提起されたとしても、私はそのことにあまり大きな関心は抱いていなかった。二人が管理局入りする前のことが気になるのは確かだが、何が何でも追求しなくてはいけないことでも無いと思うのだ。
 確かにミリー部隊長には妙なところが多い。不思議な人だ。だが、それら全てを明かさなければいけないのだろうか。彼女の全てを、一部下である私が知ってしまってもいいのだろうか。それだけの権利を私は有しているのだろうか。
 私は、この充実した“今”がずっと続いたって良いとさえ思える。
 明かされなければいけないことは、いつかきっと、明かされるべき時が来るだろう。そんな風に思う私は、楽観的過ぎるのだろうか。
「分かったのは、二人は一時期、この次元航行部隊に在籍していたことがあるってことかな」
「ええっ!? 次元航行部隊にですか!? だからかな? アウロンの艦船が虚数空間に落ちそうになった時、ミリー部隊長がやたらと次元航行艦について詳しかったのは」
「かも知れないな。まあ、多才なのは良い事だよ。七年前だったら僕だってこの部隊にいたけれど、生憎と部隊員数が多くてね…………ミリー部隊長が同じ部隊にいたなんて知らなかった」
 そこまで言ったクロノさんが、私の目よりももっと後方に視線を向けると、急に立ち上がって敬礼をした。
 どうしたのだろう。座ったまま私も後ろを振り向くと、そこには一人の初老の男性が立っていた。恰幅の良さと口周りを囲う髭から貫禄が溢れている。そんな人にクロノさんが敬礼をしているのだ。私だけ何もしないのは問題だろう。
 私もクロノさんに倣って敬礼をした。
「クロノ提督、巡航から帰って来ていたのか。こっちの娘は…………ん? 見たことあるな」
 実は私もこの人を見たことがある。
 あれは確か。
「彼女は遺失物保護観察部のソフィー空士です。私の知人なんですが、ルミオン提督は彼女をご存知でしたか?」
「ああ。君も、ヒデオウトをアジトにしていた密輸組織逮捕の件は聞いているだろう? あの時の当事者が彼女の所属するホカン部と機動三課だよ。三課の若い陸曹が、次元航行艦の借用を頼みにきてな」
 そうだ。私達がヒデオウトに行く時、次元航行艦の借用を許可してくれた人が、このルミオン提督という人だった。
 だが、あの時は確か名前までは知らなかったはず。でも私はこの人の名前にも聞き覚えがあった。何処で聞いたのだろうか。
「何の話をしていたんだ? ちらりと聞こえた言葉では、ミリー部隊長がどうのこうのって言っていたようだが」
 何故かルミオン提督の表情は険しかった。厳格な態度であるのはさっきから変わらないのだが、今はそれ以上に警戒心とでも言えるような、いや、敵意と言ってもいいくらいの感情が漏れ出ていた。
「ええ。ミリー部隊長について話をしていました。七年前まで、ホカン部のミリー部隊長らが次元航行部隊に所属していたそうなんです。ルミオン部隊長はご存知でしたか?」
「さあ……知らんな。だが、ミリーとウィンディーヌと言えば、あの役立たん部の古株じゃないか。そんな厄介者が二人も我々の部隊に在籍歴を持っているなんてあり得んだろう。もし本当なら次元航行部隊の経歴に泥を塗る最大の汚点だよ」
 酷い言い様だ。私は拳をぎゅっと握り締めていた。
 さっきまでクロノさんと楽しく話していたのに、そんなこともすっかり忘れてしまうほどに怒りがふつふつと湧き上がってきた。
「こんなところで油を売っていないでさっさと職場に戻れ。ホカン部のお前も同じだ。する仕事が無いのなら、せめて邪魔にならないように隊舎に戻って引っ込んでろ」
 完全に頭にきた。この抑え切れないもの全てを吐き出して目の前の男の顔面にビンタと一緒に叩き付けてやりたい気分だ。
 私は自分の表情がみるみる変わっていくのを感じた。
 そんな私の顔をじっと見ていたルミオン提督が、しかめっ面で「何だその顔は?」と言葉を漏らす。
 もう我慢出来ない。
 私は一歩足を踏み出した。
 その時だった。
「そうですね。そうさせてもらいます」
 クロノさんが頭を下げると、ルミオン提督は鼻を鳴らしながら、踵を返して奥へと消えていった。
 鼻から思いっきり息を吸い込んだ私は、それを残さず口から吐ききって、冷静さを取り戻そうとした。
「悪かった。いつもあんな感じの人だから、気にしないでくれ」
「無理です! 怒りで今夜は眠れません!」
 鼻からも空気を噴き出した。その様子を、受付カウンター内にいた女性局員はポカンと口を開け放して見ている。
「とにかく今日は戻るんだ。なのはから新しいデバイスを受け取ってないんだろう?」
 そう言われて時計に目をやると、約束の時間はもうそろそろだ。
 私はまだ冷えない熱を抱いたまま、クロノさんの言葉に頷いた。
「話をしてくれてどうもありがとう」
「い、いえ……別に」
 突然投げかけられたクロノさんの優しい笑顔。
 これもまた、最初に抱いていた彼のイメージからは想像出来ない表情だったので、私は頬を熱くさせた。それは怒りとは違う、どこか心地良い火照りだった。
 何だか恥ずかしい。
「それよりも、ここに来る前にどこかでお菓子でも食べて来たのか? もしそのお菓子が甘くないのなら、僕も今度誘ってくれ」
「え、何でドーナツ食べてきたのが分かったんですか?」
 クロノさんは変わらぬ笑顔で、自分の口元に指を当てた。
 私はクロノさんと同じように自分の口元に指を当てると、唇の近くにドーナツの欠片が張り付いていた。
 気が付かなかった。まさかルミオン提督と向かい合っていた時もずっと付いていたのか。
「もう! 何でもっと早く教えてくれないんですか!?」
「ごめん、気が付かなかった」
 絶対わざとだ。クロノさんがこんな意地悪をするなんて、これもまた予想外だった。
「また話を聞かせてくれ。それと、なのはにもよろしくって」
 そう言ったクロノさんは、受付カウンターの横にある通路へと入っていった。
 気が付けば、さっきまであった激しい怒りも何処かに消えてしまい、私は恥ずかしさで顔を真っ赤にしたまま、その場で口を拭いていた。
 ふと、受付カウンターの女性局員がこちらをじっと見て笑っていた。余計に恥ずかしい。
「笑わないでください!」
 そう言うと、今度は声を出して笑われた。
「ごめんなさい。でもクロノ提督って素敵よね? お茶に誘ってほしいだなんて、私も言われてみたいなぁ」
 そう言う彼女が手を振るので、私はそのまま部隊エリアを後にした。
 なのはさんとシャーリーさんの待つメンテナンスルームに向かう途中、受付の女性局員の言葉が頭から離れなかった。
 お茶に誘ってほしいと言われたことが羨ましがられている。クロノ提督ってモテるんだ。
 意識し出すと余計に恥ずかしくて、私は更に頬を熱くさせた。何だか意識が朦朧としてしまいそうだ。
 たぶんミーハーな自分の性格も原因になっている。
 私って、
「…………惚れ易い、のかな?」
 そう呟いた途端、もう気持ちは一直線だった。
 激しく体を動かしたわけでもないのに、額が汗ばんできている。喉が渇くほど自分が熱いし、心臓だって激しく鳴っている。
 クロノさんがあんな風に言ってくれたのは、決して私に気があるからではない。彼はただ、怒髪天を衝かんとしている私を宥めようとしただけだ。
 頭ではそう思っているのに、何故かそれを否定する、もしかしたら別の意味があるんじゃないかと思わせる気持ちが、何処からか湧いてきている。その場所はたぶん、“ここ”だ。
 私は胸に手を当てながら、少しだけ微笑んで小走りになった。



 なのはさんとシャーリーさんの待つメンテナンスルームの前に着いた私は、スライドする自動ドアが開いても、中に入る一歩を踏み出さずにいた。
 顔の赤らみはもう消えただろうか。浮かれてにやけてふやけた顔をなのはさん達に見られるのは、何だかとても恥ずかしい。
 冷静にしていなくては。
 私は深呼吸を三回してから、ゆっくりと足を動かした。
 同時に、開いていた自動ドアが痺れを切らしたように動いて、入り口が閉ざされた。私の額が見事な衝突音を奏でる。
「あいたぁっ!」
 額を押さえながら蹲っていると、自動ドアが再び開いて、なのはさんが顔を覗かせた。
「ソフィー? 何してるの?」
 ごもっともな質問だ。私は一体何をやっているのだろうか。
 それでも、何故だか気持ちは嬉しさや幸福感で満たされていた。
 これが、恋?
「な、何でもありませぇーん!」
 妙なテンションで返事をすると、なのはさんが困った表情を浮べた。
 しかし、それ以上は何も言わずにいるので、私も誤魔化すように笑いながら部屋の中へと入っていった。
「やっほー、ソフィー!」
 シャーリーさんが椅子に座りながら顔をこちらに向けてきた。
 私が手を振り返しながら近づくと、シャーリーさんは再び姿勢を正して正面に向き、目の前のコンピューターを操作し始めた。
「お待たせしてごめんなさーい。生まれ変わったマスタースペード、これからも仲良くしてあげてねぇ」
 私は作業台に乗ったスペードの形をしたペンダントに近づいた。待機状態の外見は今までと変わらないみたいだ。
「うわー! 久しぶりマスタースペード!」
「I haven't seen you for a long time」(お久しぶりですね)
「どう? 生まれ変わった気分は?」
「My condition is good」
 シャーリーさんが言った。
「ソフィー。マスタースペードをモードチェンジしてみてくれる?」
「はい!」
 私がマスタースペードを手の平に乗せると、マスタースペードが薄紫の光を放つのと同時に、杖状の形状に変化した。
 基本的な構造は変わっていないのだが、杖先端に付いていたスペードの装飾のすぐ下に、新しくカートリッジシステムが搭載されていた。金縁の白いスライドカバーが付いたボルトアクション方式のそれは、まだ一度もカートリッジを飲み込んでいないようで綺麗だった。
「名前は『マスタースペード・ファルセリオン』。最大の改良点はカートリッジシステムの搭載。最大装填弾薬数は六発。それとなのはさんからソフィーに贈られる、なのはさんの大技でもある砲撃魔法の使用プログラムはもう組み込んであるからね。他にも魔力の圧縮効率値とかも上昇しています。だからソフィーが振り回されたりしないように」
 なのはさんの大技? 一体それは何なのかと考えただけでもワクワクしてしまう。
 何だか今日は良い日だ。ちょっぴり嫌なこともあったけれど、なのはさんから魔法を貰って、デバイスはより頼もしくなって帰ってきて、素敵な出会いはあって。
 こんな日は、少なくともあと十年はやって来ないんじゃないかとさえ思えた。
「本当にありがとうございます! もう何て感謝していいのやら!」
「いいんだよ。だってこれは模擬戦を頑張ったご褒美なんだから、ね」
 なのはさんが微笑んだ。
「はい! ありがとうございます!」
「あ、そうだ。ねえソフィー?」
 なのはさんが言った。
「良かったら、せっかく贈った魔法の試射をしてみない?」
「これからですか?」
「うん。初めてのカートリッジシステムの取り扱い練習も兼ねて、シミュレートルームに行って試射してみようよ」
「はい! 喜んで!」
 私はスキップをしながらメンテナンスルームを出た。
 そんな私の姿を見た二人はおそらく不思議に思ったのだろう。私の後を追って来ながら、「何でそんなにご機嫌なの?」と訊いてきた。
 これは話してみるべきだろうか。確かなのはさんとクロノさんは昔からの知り合いだし、もしかしたら二人は恋仲だったりするのではとも思った。だけど、なのはさんにはユーノ司書長がいるみたいだし、せっかく私のことを妹とも言ってくれているのだから、頼れるお姉さんに恋愛相談なんてしてみるのも素敵かもしれない。
 私の花咲いた頭は、何事もポジティブにしか捉えられないでいた。幸せ過ぎて何もかもが素晴らしいものに見えていたのだ。
「実はですね…………今日、クロノさんにデバイスを返しに行ったんですけど」
「ああ、そうだったんだ」
「クロノさんって…………大人な雰囲気があって頼もしそうだし、かと思えば子供みたいに無邪気な姿は可愛いし、優しいし、凛々しいし、ノイズ曹長と同い年でお友達だなんて思えないほどすっごく素敵な人ですよねぇ」
 私は両手で胸の前に蕾を作った。
 この恋の花を、咲かせてみたいな。
「クロノ提督ですか? 確かに素敵ですよね」
 シャーリーさんも同意している。もしやライバルになるのでは?
 続いてなのはさんが言う。
「そうだねー。噂では結構部隊内でも人気があるみたいだし――――」
 もっとクロノさんを褒めてほしい。何だか私まで嬉しくなってしまう。
「――――エイミィさんも心配してたりね。浮気とか」
 え? 浮気って?
「それは無いですよぉ。クロノ提督って結構そういうのは出来なさそうな感じじゃないですか」
「あはは! シャーリーってばぁ」
「…………あ、あの」
 私は声が震えていた。
「浮気するかもってことは…………クロノさんはもしかして」
「もう、ソフィーまでぇ。クロノ君は浮気なんてしないよ。だって奥さんと子供をずっと大事にしそうなタイプだし」
「結婚してるんですか!? しかも子供まで!?」
「え? う、うん。そうだけど?」
 散った。
 短い恋だったなぁ。
「こんな…………こんな気持ちっ! ぶっ放してやるんだからあぁぁっ!」
 その後、私がシミュレートルームでの試射に尋常ではない程の魔力を消費したことは、言うまでも無い。

 To be continued.



[24714] 第二十二話 居場所
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/24 10:01
「というわけで! ただいまよりソフィーの元気を取り戻すための、『元気出してよソフィーの会』を開催したいと思います!」
「いよっ! いいぞっ!」
「っしゃあー! 盛り上がってこー!」
 目の前には食べ切れないくらいのたくさんの料理。手元にはグラスに注がれたジュース。円形のテーブルを囲うように座っているホカン部の皆とノイズ曹長の視線は、全て私に向けられていた。大きな拍手の音に包まれる中、私は俯いたまま動けなかった。結構恥ずかしい。
 私達は今、ミッドチルダ中央区画内にあるレストランに来ている。窓の外はすっかり暗くなっていて、仕事帰りの人達が家路に着いたり居酒屋に入っていったりするような時刻だ。
 そんな人達と同じく、私達は仕事を終えてからすぐにこのレストランへとやって来た。私とホカン部の皆は制服のままで来てしまったが、ノイズ曹長は元々非番休暇(オフシフト)だったのでジーンズにパーカーという普段着姿である。
「さあさあ今日はしこたま飲み食いしてくれ。私の奢りだぞ」
 ミリー部隊長が上機嫌に言うと、周りの皆は大歓声を上げた。周囲にいる他のお客さん達が時々こちらを見てくるので、恥ずかしさが一層増してしまう。
 ブラント君は早く料理が食べたいらしくて、しきりに「もう食べていい?」と私に訊いてくる。少し微笑ましく思いながらも「いいよ」と言うと、満面の笑みと共に近くの皿から料理を引っ張って食べ始めた。
 こうして皆で一緒に外食をすることになったのは、ホカン部の皆が私の失恋を知ったことから始まる。この手の話が大好きで仕方が無いウィンディーヌちゃんが発案者となり、凹みっ放しで夜も眠れなかった私を励まそうという主旨のもと、この会を開いてくれた。
 ただ、会の冒頭で声高に「元気出してよソフィーの会」などと言われると、あからさまに私を慰めることが目的だと周囲にばれてしまうので恥ずかしい。顔の紅潮は激しくなる一方だ。
 そんな私に気付かないまま、ミリー部隊長がテーブルの上を見渡して言った。
「なんだ、酒が無いじゃないか。傷心を癒すのなら酒が定番だろう。よしノイズ、さっそく注文だ」
「了解しましたぁ! すいませーん!」
「ちょっと待てぃ! 居酒屋じゃないんだし飲酒は無しだよ! ミリーもノイズも自重しな!」
 すかさずウィンディーヌちゃんが禁酒宣言をすると、マルコちゃん達が密かにガッツポーズをしてウィンディーヌちゃんを讃えた。私もウィンディーヌちゃんに拍手を送りたい。実はミリー部隊長とノイズ曹長は酒癖が悪いのだ。
「仕方ないなぁ。じゃあジュースでかんぱ…………ってブラント! 食べるの早いだろ! 乾杯もしてないぞ!」
 ブラント君が口の周りを汚しながら呆け、私は知らないフリをしながらそっぽを向いた。
 隊舎内でこんな会を開いてくれると聞いた時は、最初は何だかんだ言って皆おいしいものを食べることに夢中になってしまい、いつも通りのホカン部らしい食事になるのかなと思っていた。
 でも、それは私の思い違いだった。
 本当に皆私を元気付けるために集まってくれたのだ。
 フォークを動かす私に、次々と言葉が浴びせられる。
「男なんてそれこそ次元世界の何百何千倍の数がいるんだ。一回失恋したくらいで落ち込んでたら体がもたんぞ」
「いい? 女ってのはね、失恋を失敗と思っちゃいけないのよ。どんな恋であれ、それは自分を美しくする“糧”なの。あたしがみっちり教育してあげるから! あたしは水の精霊にして愛の伝道師よ! 任せなさい、任せなさい!」
「ボクにはよく分からないけどさ。ま、どうしてもクロノ提督が忘れられないって言うなら、ボクが姿だけは真似てやるよ」
「…………ガッツ」
「ソフィーさん元気出してくださいね! きっとソフィーさんにはもっと素敵な人が現れますから!」
「ソフィー元気出してね。ところで、それ食べていい?」
「良かったら三課の男を紹介してやろうか? もしくは…………俺とか!? なーんちゃってな、なーんちゃってな! …………え、何その嫌そうな目」
 これだけ元気付けてくれる仲間がいるんだし、いつまでもしょぼくれてはいられない。
 私は時間が経つにつれて、気持ちがだんだんと軽くなっていくのを感じた。
 こうやって一人のために皆が手を差し伸べてくれる場所は、とても居心地が良い。私の居場所はホカン部で良かったのだと思える。改めてこの部隊の素晴らしさを知ることが出来た。
 温かい気持ちに包まれた私は、いつの間にか浮べていた笑顔を皆に向けて言った。
「皆ありがとう。こんなにあったかいと、何だかホカン部は家族みたいに思えちゃうよ。私もう立ち直っちゃいそう」
 その言葉を聞いた皆が「当たり前だろぉ!」等と言いながら再度乾杯をして騒ぎ出した。
 ただし、二人を除いて。
 その二人は、私の言葉を噛み締めるように、きつく目を閉じて俯きだした。
 どうしたのだろうか。私は何か変なことを言ったのかな。 
「あの、ミリー部隊長? ウィンディーヌちゃん?」
 二人は俯かせていた顔を今度は天井に向け、何かを堪えるようにしばらくそのままの姿勢を保った。
 不思議に思ったのは私だけでない。他の皆も二人の奇行に首を傾げた。
 やがて、ミリー部隊長がゆっくりと顔を正面に向け直して嬉しそうな声を上げた。
「ソフィー、お前がそう思ってくれたことが本当に嬉しい!」
 さっき彼女が堪えていたものは、もしかしたら涙だったのだろうか。目が少し赤かった。
 声はそのままに、顔中をしわくちゃにした笑顔でミリー部隊長はウィンディーヌちゃんに言った。
「なあ! 本当に酒はだめか!? 今日は飲まずにいられないぞ!」
「くうぅっ! 一杯だけ許すっ!」
 ウィンディーヌちゃんもミリー部隊長と同じように喜びながら、声を搾り出した。
 何がそんなに嬉しかったのか。あまりにも大袈裟過ぎる二人のリアクションに、少々困惑すらした。
「ノイズ曹長! 酒を注文してくれ!」
「わ、分かりました…………あ、じゃあ俺も」
「おめーはダメだ!」
 ウィンディーヌちゃんがすかさず口を挟む。
 そうして会は続き、楽しい時間はどんどん過ぎていった。料理のお皿も次々と空になっていき、すっかり元気を取り戻した私を見て皆も安心したのか、励ましの言葉はもう一言も出てこなくなっていた。
 繰り返される談笑。いつものホカン部に戻っている気がして、それがまた楽しい。
「あれ? ソフィー?」
 そこへ突然投げかけられた声。私と皆が声のした方向に振り向くと、そこには私服姿のなのはさんが立っていた。
「なのはさん?」
 髪型は相変わらずの長いサイドポニーで、所々をフリルで飾り付けた白のブラウスと薄い黄色のワンピースを身に纏ったその姿は、いつもの凛々しい局員姿とはちょっと違って見えた。何と言うか、少女らしさが強調されているように思える。
 なのはさんの後ろには二人の女性もいた。
 一人はシグナムさんだった。スタイリッシュな私服姿にちょっと見惚れてしまう。
「お、シグナム二尉も一緒なのか」
 ミリー部隊長が笑顔を浮べる横で、マルコちゃんが表情を引き攣らせた。
「お久しぶりです」
「アギト空士は一緒じゃないんだな」
 ミリー部隊長との再会に、凛々しい微笑みを浮べるシグナムさん。
 ところで、なのはさんとシグナムさんの後ろにいる女性は誰だろうか。
「ミリー部隊長、紹介します。シャマルです」
 シャマルと呼ばれた人は、金のショートヘアーを揺らしながらシグナムさんよりも優しい笑みを浮べていた。大人の女性らしい落ち着いた雰囲気を醸し出しながらも、無邪気さのある笑顔や柔らかな物腰がシグナムさんとは対称的だ。
「ホカン部の皆さんはじめまして。医療局所属のシャマルです」
「おお、名前は知っているよ。ソフィー、喜べ。元六課の医務官だぞ」
 ミリー部隊長に言われるまでもなく、私は胸を高鳴らせていた。なのはさんとシグナムさんの知り合いとなれば、たぶんそうじゃないかとは思っていたからだ。
「それにしても、元六課メンバーは仲が良いな。ちょくちょく会っているのか?」
 ミリー部隊長が訊くと、私達の隣のテーブル席に腰を掛けたなのはさんが言った。
「今日は私がシャマルさんのところに診察に行く日だったから。そこでたまたまシグナムさんとも会ったので一緒に晩御飯でもと思って」
「診察って……なのはさん、具合悪いんですか?」
 私は尋ねた。そんな話は聞いたことが無かったからだ。
 今までだってなのはさんはずっと元気そうにしていたし、私と出会った時だって一緒に空を飛んでオルギプスの鎮圧に出たのだから。
「んー、何ていうのかな……具合が悪いわけじゃないんだけど」
「なのはちゃんは“すぐに無茶する病”なんです」
 きっぱりとシャマルさんが言い放つと、なのはさんは苦笑を浮べながらシャマルさんの方を向いた。
「何ですか? それ」
「えっと、実はね…………」
 そう言ってなのはさんが事情を教えてくれた。話をしている間、なのはさんは終始笑顔で明るく話していたし、医務官であるシャマルさんに頭が上がらないことも明かしておちゃらけていたけれど、正直に言ってその話の内容はあまり笑えるものではなかった。
 現在、なのはさんは体に大きな負担を抱えているという。
 魔導師としての天才的な素質と強大な魔力を持つ彼女だが、九歳の頃から魔導師として活動してきた中で幾度と無く無茶を重ねた結果、その代償とも言うべき負担が着実に蓄積されていた。
 そしてなのはさんは、ある時、訪れていた異世界で襲撃を受けて撃墜され、瀕死の重傷を負ってしまう。
 慢心があったのだと本人は言う。身体のケアを軽んじていたのかも知れない、とも。慢心を自信と混同してしまい、油断が生じた。そして撃墜。
 一命は取り留めたものの、一時は歩くことすら危ぶまれ、長いリハビリ期間を経て奇跡の復帰を遂げたのだそうだ。
 それが今から約九年前の出来事。
 現場復帰はしたものの、なのはさんは必要以上の力の解放を控えていた。
 そして昨年、JS事件が起こった。事件解決の過程で、なのはさんはその力を解放し、結果として事件は終息を向かえることとなる。
 しかし、その際になのはさんはまたしても無茶をしてしまったのだ。
 他に方法が無かった。そうする以外に方法が無く、無事に仲間の下へ帰り着いたなのはさんを責める人はいなかったし、現にこうして平穏な時を過ごすことが出来ている。
 だが、JS事件解決がもたらした彼女への代償もまた決して小さいものではなく、数値から見ても最大魔力値の八パーセントダウンという検査結果が出ている。
 本来なら数年の療養生活が必要であると診断されたが、戦技教導程度なら平気だと言って、現在でも教導官の職務に励んでいるのだ。
 医療局員のシャマルさんはなのはさんの主治医でもあり、なのはさんは今でも定期的に検診を受けているのだそうだ。
「なのはちゃんったら全然安静にしてくれないし、私がどれだけ心配しているのか解ってないんです。戦技教導なら平気だなんて言っても、なのはちゃんの教導方法は六課で見てきたから知ってるのよ? おとなしくしてって言っても聞いてくれないじゃない!」
 なのはさんが話を終えてからは、延々とシャマルさんの不平不満が撒き散らされた。その言葉の数々にずっと耳を傷めているなのはさんはシグナムさんに助けを求めたが、こちらからもずっと無視されている。おそらくはシグナムさんもなのはさんの悪い癖をよく思っていなくて、シャマルさんの説教を良い薬だと考えているのだろう。
 シャマルさんを見ていると、なのはさんでも勝てない人っているんだなと、私は思った。
 滅多に見られないなのはさんの姿を見ることが出来て、しかもその姿があまりにもなのはさんのイメージと不釣合いで、思わず可笑しくなってしまった。
 しかし、そんな気持ちの裏側では、なのはさんの体を思ってとても心配する自分もいるのだ。
 憧れの人が、誰よりも強いと信じている人が、こんなにも大切に想う人が、それほどまでに追い込まれていることを私は初めて知った。
 皆が笑いあう中で、私はなのはさんに向かって率直な気持ちを伝えていた。
「なのはさん」
「ん? 何?」
「もう無茶とかはしないでくださいね」
 それを聞いていたのか、シャマルさんがまた眉を吊り上げて言う。
「ああ、ほら! ソフィーちゃんにも言われてる! そうですよ。今度無茶しても、もう治療してあげませんからね!」
 再び始まったシャマルさんの攻撃にたじたじになりつつ、なのはさんが恨めしそうに私を見た。
 ちょっと間が悪かったみたいだ。
「シグナム二尉、こっちの席に来ないか?」
 ミリー部隊長が声を上げると、シグナムさんが微笑みながら席を立った。
 そういえばミリー部隊長は、シグナムさんと一度ゆっくり話をしてみたいと言っていた気がする。猟奇的とも言えるほどの性格と遠慮を感じられない暴力性を持ったミリー部隊長としては、闘争による切磋琢磨をこよなく愛するが故に決闘趣味(デュエルマニア)とさえ呼ばれるほどのシグナムさんには興味があるのだそうだ。
 類は友を呼ぶ、という奴なのだろうか。ノイズ曹長をどかしてシグナムさんを自分の隣に座らせたミリー部隊長は、満足そうに微笑みながらシグナムさんと向き合った。
 席を失ったノイズ曹長は、シグナムさんの座っていた席に着くと、途端に表情を緩ませた。その理由は、向かいの席になのはさん、隣にはシャマルさんが座っていて、自分のいる場所が美女に囲まれた特等席であるということに気付いたからだ。
「ノイズ曹長かっこ悪い」
 ぼそりと呟くと、ノーラちゃんもうんうんと頷く。
 すると、いつの間にかマルコちゃんが私の隣にやって来た。
「ほう…………ノイズ曹長め、両手に花じゃないか」
 マルコちゃんの笑顔が、怪しく光る。
「いやー、憧れのなのはさんに麗しいシャマルさん、こんな素敵なお二人と同席出来て俺は幸せ者だなぁ」
「ノイズ曹長もホカン部の方なんですか?」
「違うよシャマル先生。ノイズ曹長は機動三課の人なんだよ」
 なのはさんの説明を聞きながら、ノイズ曹長が頭を掻いた。
「へー、そうなんですか。何だか坊主頭って男らしいけど、可愛さもありますよね。触ってみてもいいかしら?」
 シャマルさんが手の平をノイズ曹長の頭に乗せると、ノイズ曹長は両目を“への字”にしながら頭を傾けた。
「いやもう全然オッケーっすよ! 触ってください触ってください。グリグリしてくれても全然オッケーっすからぁー!」
「きゃー! すごーい気持ち良い! なのはちゃんも触ってみたら? ザフィーラの毛皮よりも気持ち良いかもー!」
「ザフィーラさんは狼だから、触り心地が違うのかな?」
「ノイズだワン! ワンワンワン!」
 馬鹿だ。軽蔑の言葉が頭を過ぎった。
 そんなやり取りを交わす三人に、マルコちゃんが静かに接近していった。
「ボクもノイズ曹長の頭を撫でてみようかなー?」
 マルコちゃんは、手の平をノイズ曹長の頭上に乗せて撫でた後、大きな声で言った。
「なんてこった! こんなに気持ち良いとは驚きだ! いやー、角刈りから坊主頭に変えて正解でしたね!」
「え? 角刈りだったんですか?」
「あれ? そう言えば、変えたんですか?」
 そう、ノイズ曹長は角刈りから坊主頭へと変わった。その理由はチークでの出来事だ。
 ノイズ曹長はあの時のことを思い出しているのだろう。表情が凍り付いている。
「ま、今となってはあの頃も良い思い出ですよね」
 そう言ってマルコちゃんはポケットから一枚の写真を取り出すと、それをなのはさんとシャマルさんに見えるようにテーブルの上へ置いた。
 そこに写っていたのは、チークでフリードに髪を燃やされた直後のノイズ曹長が写っていた。前頭部から頭頂部にかけての髪がごっそりと消えたその髪型は、正面から見ると見事なまでのU字を形作っていた。
 シャマルさんとなのはさんが、何度もノイズ曹長と写真を見比べた。
 そして固まるノイズ曹長。
 再びシャマルさんがノイズ曹長の頭を撫で始めた。
 しかし、先ほどまでの「可愛い」とか「気持ち良い」なんて言葉は一切出てくることなく、代わりに哀れみの眼差しが送られていた。



 レストランを出てからすぐに、私達はなのはさん達と別れた。
 ホカン部隊舎に帰る途中の道のりは、お腹に詰め込まれた料理のせいで苦しいものだった。一番大変なのはジージョちゃんだろう。眠ってしまったブラント君を背負っているのだから。ノイズ曹長が代わりにおぶってくれるかとも思ったのだが、帰りはなのはさん達と同じ方向らしく、もうこの場にノイズ曹長はいない。
 人通りの少ない道をゆっくりとした足取りで進んでいると、やたらと静かなことに気が付いて、私は皆を見た。
 マルコちゃんはノーラちゃんとお喋りをしながら少し前を進んでいるし、ウィンディーヌちゃんはいつの間にかブラント君の肩に乗って一緒に寝ている。ジージョちゃんは元々口数が少ない。
 静かに感じたのは、やはりこの人が原因だった。
「ミリー部隊長、酔っ払っちゃいましたか?」
 店を出てから一言も話さないでいるミリー部隊長の顔は、あれだけ楽しい時を過ごした後とは思えないほどに険しくて、何だか心配になった。
「いや、一杯しか飲んでないから平気だ」
 私に返事をする時だけはにっこりと笑ったけれど、すぐにまたその笑顔は消えていった。
 ずっと話したがっていたシグナムさんとのお喋りも出来て、てっきり上機嫌でいるのだと思っていたのに。
 今のミリー部隊長は、いつもの彼女らしくなかった。
「…………あの、何かあったんですか?」
 そう尋ねると、眉を片方だけ持ち上げて訊き返してきた。
「どうしてそう思うんだ?」
「ずっと静かだから。何か考え事しているみたいだなって」
「んー、そうだな」
 私とミリー部隊長は、ブラント君らを背負ったジージョちゃんからも離されていた。だが、急ごうとすることもしない。
「シグナムさんとお話出来て、楽しかったですか?」
「ああ、楽しかったよ」
 それから少しだけ間を空けて、ミリー部隊長が更に続けた。
「…………楽しかったが、少し妙だったな」
「妙?」
「ああ、しきりに私の過去を知りたがっている風だった」
 その言葉を聞いて、私は次元航行部隊本部でクロノさんと話した内容を思い出した。
 シグナムさんは、ミリー部隊長のことを以前から気にしていた。以前にどこかで会ったことがあるような気がしていたそうだ。
 そしてミリー部隊長は、その経歴が不明瞭である。 
 七年前までは次元航行部隊にいたという話は聞いたが、何時からいたのか。それ以前は何をしていたのか。知らないことがまだまだたくさんある。
 あまり詮索をするのは失礼だと思いつつも、私は隊舎まで続く道のりの間だけと決めて、訊いてみることにした。
「ミリー部隊長って、以前は次元航行部隊にいたんですってね」
「よく知っているな。誰から聞いたんだ?」
 そんなつもりは無くても、自然とクロノさんの名前は伏せてしまった。
「どうしてホカン部の部隊長になったんですか?」
「どうしてって言われてもなぁ」
「ホカン部の設立って七年前で、ミリー部隊長が最初の部隊長なわけですよね。ホカン部の設立理由とかって何だろうと思って…………。当時から業務内容も変わってないみたいだし、ミリー部隊長はホカン部の部隊長になるのは嫌じゃなかったんですか? やりがいとかあると思ったんですか?」
「…………ソフィーとは、こういう話をする機会が多いよな」
 言われてみればそうだ。
 私はホカン部に配属されるのが嫌だったし、この部隊の必要性についても大きな疑問を抱いていたからだろう。今までホカン部の仲間達の素晴らしさについては納得もしてきたし満足もしてきたけれど、ホカン部自体の必要性やホカン部隊員の人選基準等については、ミリー部隊長に尋ねても掴みどころの無い答えで済まされてきたように思う。
 だから私は、こうして同じ話を何度もするのかも知れない。
 几帳面というか、しつこいというか、自分らしくはあるなと思う。
「嫌じゃなかったよ」
 ミリー部隊長の答え。私はその先が続くことを予測して無言でいた。
「嫌なわけないさ」
「…………なんでですか?」
「私の居場所となるからだ。そしてお前達が集まってくれた今、ホカン部は立派に私の居場所となった」
 いまいち意味が分からない答えではあった。
 だが、確かなことが一つある。
 ミリー部隊長がホカン部を居場所と言った。私達がいるから居場所なのだと言った。
 もちろん私だってホカン部に対して、自分の居場所であるという認識を持っていないわけではない。きっと他の皆もそれは一緒で、だからこそホカン部はこんなにも居心地が良く、仲良しなのだ。
 ホカン部の皆は、気持ちを分かち合っているのだ。
 そう、それはまるで。
「家族みたいだろ? ホカン部って」
 そう言った瞬間のミリー部隊長の笑顔は、レストランで見せたあの笑顔と一緒だった。
「はい」
「私は、ずっとお前達と一緒にいたいんだよ」
 そこまで私達を思う理由は何だろう。
 そんな風に疑問を持って彼女に尋ねても、返ってくる答えはきっといつものやつだ。
「ミリー部隊長は親バカですもんね」
「そうだな」
 また笑った。
「ところで、シグナムさんが前にミリー部隊長と面識があるようなことを言ってましたよね?」
「ああ、今日も訊かれたよ。私は憶えていないんだけどな」
「それって次元航行部隊にいた頃じゃないんですか?」
「分からない。もしかしたらどこかで見かけたのかも知れないが、少なくとも言葉を交わしたりはしていないはずだ」
「じゃあ、もしかしてもっと前に?」
「…………それこそ、もっと有り得ない」
 ミリー部隊長の顔から笑顔が消えた。それは確信があるからこそ浮べる硬い表情だった。
「ミリー部隊長って、管理局に入る前は何をしていたんですか?」
 答えがすぐに返ってくることは無かった。
 訊いた後で少しだけ後悔をした。すぐに返ってこないということは、彼女にとって何か悪いことを思い出させているのではと考えたから。
「す、すいません。急に変なことを」
「研究者をしていた」
 私の言葉を遮って聞こえてきた答えは、私を驚かせるには充分なものだった。
「…………そうは見えない」
「失礼な奴だなぁ。これでもそこそこ優秀だったんだぞ?」
 だが、本当にそんな風には見えなかった。
 特にチークでの暴れっぷりを見た私としては、室内に閉じ篭って研究をするという、“静”か“動”かで言えば間違いなく前者であるイメージが強い研究者の姿が、彼女にはちっとも重ならないのだ。
 ひょっとして、これはまた答えをはぐらかされたのか?
「研究者って、一体何の」
「今日は喋り過ぎた。ちょうど隊舎にご到着だし、この辺にしておこう」
 ふと前方を見ると、そこには見慣れた五階建てのホカン部隊舎があった。
 私は自分自身で決めたルールを思い出した。帰り道の間だけ、ミリー部隊長に質問をするというルールを。
 これ以上訊くのはルール違反だ。
 自分で勝手に定めたルールだったが、それを破ることに抵抗があった。ましてや他者のプライベートに関することとなると、そこまでしつこく嗅ぎ回るのも気が引ける。
 私は無言になって隊舎の玄関を潜った。
 ミリー部隊長は、一体シグナムさんにどこまで過去を明かしたのだろうか。
 シグナムさんは、一体何故そこまでミリー部隊長の過去に固執したのだろうか。
 私が今日知り得たミリー部隊長の過去は、何か大きな意味があるのだろうか。
 中途半端に知ってしまったせいで、不明瞭な部分が余計に気になってしまう。
「…………聞かなきゃ良かったなぁ」
 私の傷心を癒してくれた夜なのに、結局私を眠らせてはくれなかった。

 To be continued.



[24714] 第二十三話 日記
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/24 10:03
<新暦76年5月20日>
 ブリーフィングルームを掃除していたら、突然マルコが「当たった当たった!」と言って大喜びしながら部屋に飛び込んできた。
 いきなり大声を出されたのでビックリした。それとあまりドタバタされると埃が……。
 何が当たったのかと思ってずっと見ていたら、マルコが「ミリー部隊長が懸賞でスーパーセントウの優待券を当てたんだぞ!」だって。
 ミリー部隊長が? 懸賞で当てたの? 
 すごい! 本当にミリー部隊長はすごい! やっぱりミリー部隊長くらいの人になると、運勢すらも味方にしちゃうんだろうな。
 でも『スーパーセントウ』って何だろう? 

<新暦76年5月23日>
 寮母さんと一緒に洗濯をした。
 私はお日様の匂いがするシーツって大好き。お日様と一緒に寝ているみたいで、布団に入ると体がポカポカしてすぐに寝つけてしまう。
 今日は一日中晴れだったし、綺麗に洗ったホカン部皆のベッドのシーツはピカピカの真っ白でパリッパリッになるはずだった。マルコが来る前までは……。
 シーツを取り込む時、マルコが取り込むのを手伝うって言うから、一緒に屋上へ上がった。そしたら、マルコってば機械いじりで油まみれになった手を洗うこともせずに、そのままでシーツを掴んだ。
 酷い。せっかくピカピカの真っ白でパリッパリッだったのに……。
 汚れたシーツは一枚だけだったけど、それは当然マルコの部屋に送っておいた。

<新暦76年5月25日>
 ミリー部隊長が、「六月から新しい部隊員が来るぞ」と言っていた。
 どんな子だろう? 私より背が高いと良いなぁ。この間の身体測定では、また三ミリ伸びていたし……。このままでは“ホカン部内一背が高い”という不名誉な座から降りることが出来ない。
 それはそうと、新しい部隊員が来るのなら綺麗なブリーフィングルームで迎えてあげたいと思う。ブリーフィングルームの掃除はより一層念入りにしておこう。
 とりあえず今日は誰も座っていない空きデスクを掃除しておいた。落書き(たぶんブラントが書いたやつ)を見つけたけれど、それも跡形も無く消しておいた。
 ミリー部隊長のデスクにも落書きを見つけた。
 ミリー部隊長のデスクに落書きだなんて。現行犯で見つけたらそいつの顔面に落書きしてやるんだから。

<新暦76年6月1日>
 今日は大変なことをしてしまった。
 機動三課への同行任務でロストロギア『プリズン』の回収・輸送任務に出たところ、プリズンを起動させてしまったのだ。
 プリズンから出現した古代の大型生物が地上本部上空を飛び回り出すと、マルコが青い顔をして「やばい」と連発していた。そりゃあそうだ。
 私達二人は、何とかしようと空に飛び出した。そこに見慣れない魔導師が飛んできて、自分のことをホカン部隊員だと言った。何日か前にミリー部隊長が言っていた新部隊員というのは、この人のことだった。背は……私よりも低かった。
 しかも大型生物が飛び回る現場には、あの『エースオブエース』こと高町なのは一等空尉が来ていて緊張した。
 四人で協力した結果、大型生物を再びプリズンに閉じ込めることが出来た。本当に良かった。
 ただ、その後ミリー部隊長に怒られるのが怖くて逃げてしまった。ミリー部隊長ごめんなさい。

<新暦76年6月2日>
 なんだか今日はいろいろと疲れた。
 始まりは、昨日の失態の罰として機動三課のお手伝いを命じられたところからだ。
 マルコと、新人のソフィーを加えた三人で無限書庫に行ったはずなのに、気が付けば第二十五無人世界ヒデオウトで密輸組織の逮捕をして、更にはついさっきスーパーセントウから帰ってきたばかりだ。
 疲れた。眠い。
 もう寝よう。

<新暦76年6月3日>
 ソフィーがお菓子を作ってくれた。
 食堂の厨房を使ってお菓子を作るソフィーはなんだか女の子らしくて可愛かった。お菓子もおいしかった。
 ただ、焼きあがったクッキーを食べて「おいしい」って褒めたんだけど、私の声が小さいせいか「……石」って聞こえたみたいだ。ソフィーに「固くてごめんね」って謝られた。
 ブラントとマルコが慌てて食べるから、床が汚れた。自分達で掃除をしてほしい。

<新暦76年6月6日>
 恋愛冒険活劇『ミリー王子とジージョ姫』
 第117話……絶体絶命の中での愛
 
「ミリー王子! 早く逃げてください!」
「君を置いて行けるものか! ジージョ姫!」
 ミリー王子の両腕が私の体を強く抱きしめた。
 迫り来る敵兵団の騎馬隊がもうすぐ私達に突っ込んでくるというのに、私達二人は佇んだまま抱き合って動かなかった。ミリー王子の胸に顔を埋める私。見上げればいつもと変わらない優しげな微笑を浮べているミリー王子がいた。
 地面に突き立てられた杭に鎖で繋がれた私は、死の淵に立たされても尚、これほどまでに幸せな女であることを嬉しく思った。
「ジージョ姫…………君のためなら死ねる」
「ラヴィ……」
 足元から伝わる大地の震えにも、迫り来る騎馬隊の波にも、私はちっとも怯えていなかった。
 ミリー王子と一緒なら、私はどんな運命に置かれていようとも幸せだと言える。
 見つめ合う二人の顔が徐々に近づき、その唇は今、静かに…………。
 つづく。

<新暦76年6月9日>
 今日は徹底的にブリーフィングルームの掃除をした。
 朝からソフィーとマルコとウィンディーヌとブラントが出掛けているので、今日は隊舎でミリー部隊長と二人っきり。
 興奮し過ぎて鼻血が出た。床掃除が二度手間になった。
 お昼もミリー部隊長と二人っきりで食事…………と思っていたのに、寮母さんがいた。
 お昼の後は再びブリーフィングルームの掃除。
 ミリー部隊長はずっと本を読んでいた。窓辺の席でコーヒーを片手に本を読むミリー部隊長の姿は相変わらず素敵だ。
 じっと見つめていたことに気付かれて、ミリー部隊長に「どうした?」と声を掛けられた。
 恥ずかしくなったから走って逃げようとしたところ、デスクの角に足の小指をぶつけた。
 痛がる私を心配したミリー部隊長が駆け寄ってきてくれて、その時にぐっと顔が近づいたものだから、私はまた鼻血を噴き出した。
 今日は床を徹底的に掃除した。

<新暦76年6月12日>
 今日はお屋敷から果物の詰め合わせが届いた。
 添えられていた旦那様からのメッセージカードには、ダビッドソン家の庭園で採れたものだと書かれていた。
 懐かしくて嬉しかった。旦那様は、仕え始めたばかりの幼い私によく庭園の果物を分けてくださっていたから。
 夕飯の後に切り分けて皆に振舞うと、皆美味しいと言ってくれた。ソフィーが今度フルーツケーキを作ってくれると言うので、送られてきた量の半分は残しておいた。
 ただ、今回のダビッドソン家からのお裾分けも、ミリー部隊長はどこか複雑な面持ちで食べていた。
 美味しくなかったのかとも思って訊いてみたけれど、「そんなことはない」といういつもの答えが返ってきた。
 じゃあ、何でそんな複雑な顔をするんだろう?

<新暦76年6月16日>
 今日は寮母さんと食堂の掃除をした。ソフィーに模擬戦の練習を誘われたけれど、寮母さんとの約束はもっと前からしていたので断った。
 私は高いところの掃除を担当した。理由は背が高いから。
 もっと背の低い女の子に生まれたかった。なんでこんなに高いんだろう? お屋敷に仕え始めた時は、回りは大人の侍女さんばかりだったから私が一番小さかったけれど、いつの間にか私は誰よりも背が大きくなっていた。
 子供の頃から大きかったのかどうかは分からない。お屋敷に拾われるより以前は憶えていないから、同年代の友達がいなくて比べることも出来なかったし。でも、他の子達よりも大きかったんだと思う。
 はぁ、何で大きいんだ……。

<新暦76年6月17日>
 今日の掃除場所はホカン部倉庫。
 ここは以前からいつか大掃除をしてやろうと思っていた場所だ。
 ホカン部倉庫には必要の無い物が多すぎる。こんなにたくさんのものを一体どこから持ってくるのだろうか。不思議に思う。
 デバイスだって転がっているし、消耗品の予備だけでなく使い終えたものまで大事そうにとってある。ゴミじゃないか。
 ブラントの赤ん坊の頃のアルバムも見つけた。そこには寮母さんと写っている写真もあった。そういえばブラントは、ウィンディーヌと出会う前は寮母さんに育てられていたそうだ。
 なので、アルバムは寮母さんに渡しておいた。

<新暦76年6月20日>
 恋愛冒険活劇『ミリー王子とジージョ姫』
 第118話……ウィンディーヌ男爵との決闘

「グェハハハハハハッ! 轢き殺してしまえぇっ!」
 ウィンディーヌ男爵の下品な笑い声に引き連れられた騎馬隊が、猛烈な勢いで私達との距離を縮めてきた。
 その時だった。
「やあっ!」
 ミリー王子は、地面に突き刺さった杭を思いきり引き抜いた。
「これで動けるぞ!」
「やったわね、王子!」
 私とミリー王子は手を取り合い、迫る騎馬隊と向き合った。
「ぬぁんだとぉう!?」
 ウィンディーヌ男爵の驚きの声を確認した後、私はその場に仰向けとなって両足の裏を天に向けた。
 私の足裏にミリー王子も自分の足裏を重ね、私の蹴り上げと合わせてミリー王子が高く跳躍した。
「くらえ! 残虐非道なウィンディーヌ男爵! …………スカイラブトルネード!」
 高いところからのミリー王子の攻撃が、避ける間もないウィンディーヌ男爵を直撃した。
 そしてそのままミリー王子のトルネードは、騎馬隊の壁をいとも容易く貫いていった。
「ぐうぅ! む、無念…………」
 ウィンディーヌ男爵が倒れると、私はミリー王子に駆け寄り、そして二人は抱き合った。
 勝利を手にした私達は、そっと顔を近づけて互いの唇を……。
 つづく。

<新暦76年6月23日>
 今日は地上本部で行なわれた戦技教導訓練に参加してきた。
 シグナムさんにも出会ったけれど、かっこいい人だった。でもミリー部隊長の方がかっこいい。
 ソフィーが怪我をしてしまった。命に関わるような怪我ではなかったけれど、思わず泣きそうになってしまった。
 その後、ソフィーが中止になりかけた模擬戦をもう一度やりたいと言ったら、なのはさんがめちゃくちゃ怒っていた。怖くて私はまた泣きそうになった。
 そしたらミリー部隊長がソフィーのフォローをした。その時にニヤっと笑ったミリー部隊長の顔が怖くて、私はまたまた泣きそうになった。
 もう、泣かせ過ぎだから。
 カローラは優しかった。背は私より低かったけど。
 模擬戦の結果は一勝一敗。一戦目はソフィーの怪我のこともあってやる気が湧いていたので気合いも入れていたけれど、二戦目は何だか疲れてしまった。カローラも敵チームになっちゃったし。
 そして模擬戦が終了した後の帰り道の途中、ミリー部隊長以外の皆は疲れきっていた。
 マルコが、「もうシグナムさんとはやりたくない」とかブツブツ言っていたけど。

<新暦76年6月26日>
 今日はマルコにクリンリネスのメンテナンスをしてもらった。
 いつも大事に使っているし、悪いところなんてあるはずがない。そう思っていたんだけど、マルコに見てもらうと幾つかの部品交換が必要だと言われた。
 その作業自体も手際よくやってくれて、その日のうちにクリンリネスは戻ってきた。
 やっぱりデバイスのことに関してなら、マルコは凄い。
 ただ、マルコは他人のデバイスを見るとすぐに「オシャレにしてやるよ」と言って、自分の好きな特撮ヒーローやアニメキャラのイラストをデバイスに描き込もうとする。
 そんな“痛デバ”は勘弁してほしい。

<新暦76年6月30日>
 今日はミリー部隊長が、ソフィーとウィンディーヌを連れて本局に出かけてしまった。
 ブラントは健康診断で朝からいないし、隊舎内には私とマルコと寮母さんだけ。
 ミリー部隊長がいなくて寂しかった。早く帰ってきてほしかった。
 そう思っていたら、『ミリー王子とジージョ姫』の新ネタを思いついた。次回はこのネタでいこうと思う。
 本局から帰ってきた三人が、見知らぬ女の子を連れてきた。と、思ったら、なんとその子は今日からホカン部に配属された新人だった。
 名前はノーラ・ストレイジー。背は…………やっぱり私より低い。
 仲良く出来ると良いな。

<新暦76年7月1日>
 今日は新入りのノーラ達と一緒に、あちこち探し物に出掛けた。
 探し物はデバイス。私が二週間前に掃除した倉庫に入っていたものらしい。
 そんなもの憶えていなかったんだけれど、ノーラのレアスキルによって私が最初に倉庫で見つけていることが判明した。
 ノーラの能力は、ちょっと怖かった。私のことをどこまで見られたのかと不安になってしまったが、ノーラは二週間前の記憶しか見ていないと言っていたし、とりあえずは信じることにした。悪い子では無さそうだし。
 でも、わざわざ能力を使わなくても良かったんじゃないのかな? 私の記憶に関しては、この日記を見れば二週間前の様子が伺えそうだと思ったからだ。
 現に日記を振り返ってみると、確かに私はデバイスを見つけているみたいだ。

<新暦76年7月5日>
 ここ数日、何だかノーラに元気が無かったように思えたんだけど、今日は違った。やたらと元気だった。
 もしかしたら元気が無かったのは、ホカン部にやって来たばかりで緊張していたからなのかと思ったけれど、そうではないようだ。どうもソフィーが励ましてあげたみたい。
 それはそうと、ノーラはやっぱり良い子だった。今日はブリーフィングルームの掃除を手伝ってくれた。
 ホカン部のメンバーで掃除を手伝ってくれたのは、ノーラが初めてだった。
 本当に良い子だ。口数の少ない私の話も楽しそうに聞いてくれるし。年上みたいに落ち着いた雰囲気も、私とは相性が良さそうに思える。
 ただ一つ、何で私より背が高くないのか……。

<新暦76年7月8日>
 恋愛冒険活劇『ミリー王子とジージョ姫』
 第119話……別れの時

 ミリー王子が突然別れ話を切り出してきた。
「どうして!? 私達の愛は不滅じゃなかったの!?」
「聞いてくれ、ジージョ姫。これも俺達のためなんだ」
「何が私達のためなのよ!? それに隣の女は一体誰なの!?」
 ミリー王子の隣に立つ女は、とある王国の姫であるソフィー姫と言うらしい。
「おほほほほ! ミリー王子は私のことを選んだのザマス! 汚らわしいジージョ姫よ、さっさと私達の目の前から消えなさい!」
 こんなのは信じられなかった。どうしてミリー王子は私のことを捨てて、ソフィー姫を選んだのだろう。
 私は目の前が真っ暗になった。
「ああ、ミリー王子…………私のことは遊びだったのね」
「違うんだ! これは……これは本当に俺達のためなんだ!」
「どういう理由でそうなるのよ!?」
 ソフィー姫が口を挟んできた。
「私がお教えするザマス。私の暮らす水の都では、どんな病にも効くという“ドルルの泉”があるからよ」
「それが何だと言うの!?」
「ミリー王子は病気なのザマス! 彼は自分の病気を治すため、あなたを捨てて私のところへ来たと言うわけザマス!」
「何ですって!?」
 信じられない。ミリー王子が病気だったなんて。
 私はその場に泣き崩れてしまった。
「あと三日の命ザマス!」
 本当に信じられない。ミリー王子があと三日の命だなんて。
 私はその場で自害したくなった。
 しかし、私は死ねない。過去のことであろうとも、ミリー王子が愛してくれたこの身を、この命を自分の手で傷つけることができなかった。
 彼が病気を治して元気になってくれることを願うのなら、私は彼の心移りを許せる気がした。
「いいわ! ミリー王子、あなたを許す!」
「え!」
「あなたが元気になってくれるのなら、私は別れさえも喜んで受け入れるわ!」
 言い放った瞬間、ミリー王子は私のことを強く抱きしめた。
「ありがとう! 俺は間違っていた! 君から離れることなんて出来ないよ!」
「ミリー王子?」
「きぃー! どういうことザマス!? 自分の病気はどうするつもりザマス!?」
「俺は死んで君と同じ世界にいられなくなることが怖かった。だから、君を泣かせてでも同じ世界にいたいというくだらない言い訳を理由に、生き延びようとしてしまった。しかし、俺は気が付いたんだ…………君を泣かせるくらいなら、俺は今すぐに死んだほうがいい! 俺はこの命尽きるまで、君の側を離れないと誓うよ!」
「ミリー王子っ!」
 私達は強く抱き締めあった。
「ミリー王子! あなた、本当に死ぬザマスよ!?」
「いいさ。ドルルの泉の水を飲めば確かに病は治るかもしれない。でも…………君を選んでしまったら、俺のもう一つの病までも治ってしまいそうなんだ」
「もう一つの病ですって?」
「そうだ。ジージョ姫、君との…………恋の病さ!」
 全身を震えさせるような衝撃を受けながら、私とミリー王子は互いの唇を徐々に近づけ、遂に…………。
 つづく。

<新暦76年7月11日>
 今日はお屋敷から美味しい紅茶の茶葉が送られてきた。メッセージカードもついてきた。
 いつもいつも本当にありがとう、旦那様。
 メッセージカードには、私の体調を気遣う旦那様の優しさが綴られていた。
 久しぶりに旦那様のお顔も拝見したい。
 来月、一度お屋敷に帰ってみようかな。

<新暦76年7月14日>
 今日は機動三課で、チークという次元世界での任務に関する説明会が行なわれた。
 その中で、ノイズ曹長のプライベートアルバムの写真が公開されるハプニングがあった。元凶はアイサちゃんだった。
 でも、実を言うとノイズ曹長のなのはさんに対する気持ちは分からなくないな。
 私は写真に写るのが好きじゃないし、カメラも持っていないからミリー部隊長の写真は一枚も所持していないけれど、大好きな人といつも一緒にいたいと思う気持ちは理解できる。
 まあ、切り抜いた写真を別の写真に貼り付けることまではしないけど。虚しいし。あれはやりすぎでしょ(笑)。

<新暦76年7月17日>
 ようやくチークの任務から帰ってくることが出来た。
 予想外の大変な事態になってしまって驚いたけど、その後のバーベキューも楽しかったので良しとしよう。チークでの川遊びは楽しかったし、お肉もおいしかった。
 ただ、何でマルコはあんなにも他人の胸を揉みたがるのか。
 それにしてもノーラはスタイルが良かった。私より背は小さいのに胸は大きかったし……。
 今夜は本局に泊まることになった。明日は朝からチークでの事件の報告書作成だ。そろそろ寝よう。

<新暦76年7月20日>
 恋愛冒険活劇『ミリー王子とジージョ姫』
 第120話……ソフィー姫の正体

 ミリー王子が私のことを選んでくれた。
 すると、ソフィー姫が悔しそうに鼻息を荒くして言った。
「きぃー! もう少しだったのにー! こうなったらこの場で二人とも始末してやるザマス!」
「何!?」
「どういうこと!?」
 突然、表情を鬼のようにしたソフィー姫が叫んだ。
「王子の病気の話は嘘ザマス! せっかく騙してお前達の仲を裂いてやろうと思ったのに!」
「なんだと!? 何者だ、貴様!」
「不滅の愛だなんて笑わせるザマス! そんなものにお兄様が負けただなんて信じられないザマス!」
 お兄様とは一体誰のことだろうか。
 私は彼女の顔をじっと見つめてみると、そういえばどことなく見覚えのある顔に見えてきた。
「ま、まさか貴女は!?」
「グェハハハハハッ! そうザマス! ソフィー姫とは偽りの姿。私の正体は、ウィンディーヌ男爵の妹、ソフィー淑女!」
「何と言うことだ! しかし、俺達の愛は決して屈しない!」
 そう、私達は不滅の愛で結ばれた二人なのだから。
「ミリー王子! 今こそ私達の愛の力を見せましょう!」
「よし、いくぞ! ジージョ姫!」
 私は歌った。
「ミーンミーン、リーンリーン♪ 私の彼はぁ…………ミリー王子ー♪」
 私の歌に合わせてミリー王子が目まぐるしい剣捌きを繰り出した。
 その動きは目で追うことが出来ないほどに縦横無尽な軌跡を描き、ソフィー淑女を翻弄していく。
「必殺! ミリーサーカス!」
「ぐあああ! これはたまらんザマス!」
「とどめよ!」
 敵が怯んだ隙に、私とミリー王子は二人の愛を見せつけようとして抱き締めあった。
「見よ! これが愛の証!」
 そう言って私とミリー王子の唇が徐々に近づき、二人の吐息は互いの頬に吹きかかる。
「デ、デカルチャー!」
 つづく。

<新暦76年7月21日>
 ソフィーがフラれたらしい。
 夕飯も全然食べていなくて、皆で心配してしまった。
 相手はクロノ提督だそうだ。ソフィーにS2Uを貸してくれた人か。
 何とかして励ましてあげようと、私はお屋敷から貰った紅茶を淹れてソフィーの部屋まで持っていった。
 でも、部屋をノックしても出てきてくれない。仕方がないから、部屋のドアの前に紅茶セットを置いておいた。
 メモも添えた方が良いと思って、「ガッツ」と書いておいた。
 ソフィーの部屋の前に紅茶を置いてからしばらくすると、マルコが私の部屋を訪ねてきた。
 紅茶のことを指摘されたので、何で私だと分かったのかと訊いたら、「メモの内容が無口過ぎる」ということだった。
 テヘッ。

<新暦76年7月22日>
 今日もソフィーに元気が無い。いつも元気なソフィーが静かだと、ちょっと寂しい気がした。
 話を聞くと、昨晩はほとんど眠れなかったらしい。紅茶は飲んでくれたみたいだけど。
 ノイズ曹長が隊舎にやって来たけど、やっぱりソフィーの調子を見て驚いていた。
 ノイズ曹長も心配している様子だったのか、私とノーラが話しているところにやって来て「どうしたんだ?」と訊いてきた。
 私達が「そっとしてあげてください」と言ったのにも関わらず、あろうことかノイズ曹長はソフィーに直接事情を聞きに言った。
 ソフィーが「傷心です」とだけ言うと、何とノイズ曹長が「昇進だって? おめでとー!」と言って踊りだした。
 その時、私とノーラから殺意が漏れ出た。

<新暦76年7月23日>
 ウィンディーヌの提案で、ソフィーを励ます会が催された。
 誘った時はまだ乗り気では無かった様子のソフィーも、会が進むにつれて元気を取り戻してくれたみたいだった。 
 途中からなのはさんやシグナムさん、それにシャマルさんも加わったので、それも良かったのかもしれない。偶然ではあったけれど、なのはさん達にも感謝しないと。

<新暦76年7月24日>
 今日はホカン部の皆で記念写真を撮った。
 ソフィーも元気になったし、ミリー部隊長もやたらと機嫌が良くて、「家族写真だ!」なんて言っていた。
 私は嬉しかった。確かにホカン部って家族みたいだし、そういうのが一枚くらいあってもいいかなと思った。
 お屋敷の皆も大好きだけど、私はホカン部の皆も大好きだから。
 この写真は大切にしよう。



 私がそこまで読み終えた時、ミリー部隊長がそっと日記帳を閉じた。
「見て良かったのでしょうか?」
 そう言ったノーラちゃんと目を合わせた私は、廊下で日記帳を拾わなければよかったと後悔した。
「ミリー部隊長、愛されてますね」
「あたしが男爵って…………」
「どうしますか?」
「ジージョも可愛い奴だなぁ」
 ミリー部隊長がそう言った次の瞬間、ブリーフィングルームに青い顔をしたジージョちゃんが入ってきた。
 しかし、ミリー部隊長の手中にある日記帳を見た途端、一瞬で顔を真っ赤にして部屋を飛び出していった。それをウィンディーヌちゃんとブラント君とマルコちゃんが追いかける。
 再び沈黙が訪れた後、ミリー部隊長が冷静に言い放った。
「とりあえず、皆これからも今まで通りで」
「はい!」
 その後、部屋に閉じ篭ったジージョちゃんを説得して再びその顔を見るまで、五時間掛かった。

 To be continued.



[24714] 第二十四話 親子
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/28 18:04
 雨が降っていた。
 正午を迎える少し前から降り出した雨のせいで、街中の人通りはいつもよりもずっと少ない。日が暮れるまではまだ時間もあるというのに、空を覆う冷たい雲が、その灰色に相応しい雰囲気を町並み全体に落とし込んでいた。
 そんな中を走るバスに乗っていた私とノーラちゃんは、ホカン部隊舎の最寄りにあるバス停が近づくのを確認すると、脇に置いた傘に手を掛けた。
 バスを降りると、そこからホカン部隊舎はすぐ目の前。老朽化した灰色の壁は、今の天気の雰囲気に飲み込まれてしまっているようで、冷たく目に映る。
 広げた傘でその冷たさを受け止めながら、私とノーラちゃんは小走りでホカン部隊舎の入り口を潜った。
「さすがにずっと降ってると、少し冷えるね」
「夜には止んでくれますでしょうか?」
 何気なく交わしたノーラちゃんとの会話は、私達が帰舎したことを知らせる合図となった。突然隊舎一階の食堂から、マルコちゃんが顔を覗かせた。
「やあ二人とも、おかえり」
「ただいまー」
「タイミングがいいな。ソフィー、お客さんが来ているぞ」
 お客さん? 一体誰だろう?
 ホカン部隊舎を訪ねてくる人と言えばノイズ曹長ぐらいしか思いつかない。それにミリー部隊長への来客ならばあり得なくもないが、まさか私やホカン部の部隊員に会いに来る人がいるとは意外だった。
 食堂で私の帰りを待っているという人物に見当も付かないまま、私はマルコちゃんに近づいた。
「どちら様?」
「それがね…………」
 私が食堂の中へ向けて顔を覗かせると、そこには二人の男女が首だけをこちらに向けて待っていた。
 二人は飾りっけの無い落ち着いた感じの私服姿で椅子に座っていて、顔立ちからも物静かな性格であることが窺える。
 いや、窺えるなんてものじゃない。何故なら私はその二人をよく知っているのだから。
 男性の、見た目を気にすることなく伸ばしっ放しにしたような飾らないヘアースタイルや、細いフレームに嵌められた度の強い眼鏡レンズとスマートな体にも見覚えがある。
 女性の、化粧をほとんどしていないのに実年齢より若く見える童顔にも、私よりも少しだけ小さい小柄な体にだって、昔から変わらない見慣れた懐かしさがある。
 だからこそ、私は二人がここにいることに驚いてしまった。
「お父さん! それにお母さんまで! どうしたの!?」
 ノーラちゃんは横で驚いている。無理も無いか、いきなりだもの。食堂から顔を出した時のマルコちゃんが困惑していた様に見えたのだって、納得出来る話だ。
 突然の両親の来訪。それには私だって心底驚いている。
「久しぶりだね、ソフィー」
「元気にしてた?」
 にっこりと微笑みかけてきた二人の顔を見てから、まだ驚きが鎮まらないながらも私は食堂の中に入っていった。
 二人が並んで座っている席の向かい側に着席した私は、ノーラちゃんやマルコちゃんがいることも忘れて思ったことをそのまま言葉にした。
「急にどうしたの? 来るなら事前に連絡してくれれば良かったのに」
「ちょっとな、どうしてもすぐに話しがしたくて」
「だからって、私まだ仕事中なんだからね。どれくらい待ったの?」
「来たばかりよ」
「お茶淹れるから待って」
 私が席を立とうとすると、二人が揃って「いや、お構いなく」と言いながら手を伸ばしてきた。
 こんな二人がやっぱり懐かしくて、私は笑った。
 私が小さい頃からこんな両親だった。二人と話をしていると、いつも私への返事を競うようにして交互に話してくるのだ。そしてたまに、二人とも自分が先に答えようとして言葉が重なる。そんな様子は私への愛情の表れであり、二人の仲の良さの証明でもある。
「仕事は順調か?」
「うん」
 お茶を淹れながら答える私。
「皆さんにご迷惑は掛けていない?」
「大丈夫だよ」
 カップは五つ。マルコちゃんとノーラちゃんにも席に座るように促した。
「危ないことはしてないだろうな?」
「してない……かな?」
「してるの?」
「だって管理局員だし、武装魔導師だもん。たまーに」
「気をつけなさい!」
 最後の一言はやっぱり重なった。私は苦笑いを浮かべ、マルコちゃんとノーラちゃんは肩をひくつかせていた。
 お茶の入ったカップをそれぞれの前に置くと、私はまずマルコちゃんとノーラちゃんの紹介をした。
 マルコちゃんとノーラちゃんは緊張しているみたいだったけれど、私の両親は温厚な人達だし、きっとその緊張もすぐに解けると思う。
 次に私は両親の紹介をしようとすると、マルコちゃんが一度だけ息を吐いてから私に言った。口調は静かだけど、マルコちゃんの目はなんだか爛々としている。
「それにしてもソフィー。キミってばどうしてご両親のことを黙っていたのさ?」
「え? 黙っていたって?」
 確かに今まで話す機会が無かったから、私から両親について詳しく話したことはないけれど。
 マルコちゃんの言葉の真意が解らなかった。
「ストーン・スプリングス博士と、セイラ・スプリングス博士。こりゃまた偉大なご両親じゃないか。どうしてそのことを教えてくれなかったのかってことだよ」
「あの、マルコさんはソフィーさんのお父様とお母様をご存知なんですか?」
 ノーラちゃんが恐縮した様子で訊いた。
 それを聞いたマルコちゃんは、興奮を抑えきれない様子で言った。
「ノーラも聞いたことがないなんて信じられない! スプリングス夫妻と言ったら、魔導エネルギーの運用技術を開発したり未知なる魔導エネルギーの性質などを研究解明する、魔導力学の第一人者だぞ! ソフィーがホカン部にやって来た時、ファミリーネームが同じなのは偶然だと思っていたんだが、まさか家族だったとは…………」
「そ、そうなんですか? ソフィーさん」
「そ、そうみたいだよ」
 私の答えを聞いて、マルコちゃんはより一層ヒステリックになりそうだった。たぶん私の無関心さを嘆いているのか、吐き出したい説教や文句を噛み殺して天井を仰ぎ、頭をくしゃくしゃと掻いた。
 どうやら両親の紹介は必要ないみたいだ。まさか私がマルコちゃんに紹介されるとは思ってもいなかった。
「で、今日は二人とも何を話しに来たの?」
 私が問うと、どうも二人の表情が暗い。重たい話なのだろうか。
 マルコちゃんとノーラちゃんがいるから話し辛いのだろうか。二人の視線は挙動不審で、視線は徐々に下降していった。
 なかなか話が展開されない中、ようやくお父さんが話を切り出そうと顔を上げた。
 その時。
「その話、私も加えてもらえないか?」
 声のした方に顔を向けると、そこには食堂の入り口に佇むミリー部隊長の姿があった。
 表情は何故か険しい。
「是非とも聞かせてもらいたいな」
 いや、険しいなんてものではなかった。明らかに怒気が込められている。
 何故? ミリー部隊長がそんなにも機嫌を損ねてしまっている理由が解らなかった。
 なんだか背筋が寒い。隣のノーラちゃんだってすっかり凍り付いてしまっているみたいだ。
 それだけじゃない。
 お父さんとお母さんの様子までおかしかった。二人はミリー部隊長の放つ怒気に怯えているんじゃないかと思ったが、それどころか食ってかかるような鋭い目付きでミリー部隊長と見合っていた。
 何故? 両親が一体どんな感情を持ってしてそんな顔つきをしているのかが解らなかった。
「ミリーさん」
「ミリーさん? ははっ…………ホカン部へようこそ。スプリングス博士とその奥様ですね。私もそのお話に参加させていただいてもよろしいですか?」
 お父さんとミリー部隊長のそんなやり取りに違和感があった。
 お父さんがミリー部隊長の名前を言った時の言い方は、なんだか初対面の人に接するような堅苦しさというか、そういう雰囲気が無かった。それ以前に、ミリー部隊長の顔を見ただけで名前を言い当てるなんて、まるで二人は顔見知りであったようだ。手紙では確かにホカン部の皆のことを書くこともあったけれど、それにしたっておかしい。
 それにミリー部隊長の返答もおかしい。まるで“私達は初対面である”ということを強調するような言い方。そしてその言葉には、そう、“私のことを知っている風に言うな”とでも言わんばかりの圧力があった。
 何だろう、この感じは。
 室内の空気はとても悪い。
 お父さんとお母さんの返事を待たずに、ミリー部隊長は食堂に入ってきた。そして私達側の列に座った。
「も、もう一つお茶持ってきます」
 ノーラちゃんが席を立ち、私は思わずそれに続いた。マルコちゃんも置いていくなと言わんばかりに慌てて席を立った。
 給湯器からカップにお湯を注いでいる間、テーブルを挟んで向かい合った両親とミリー部隊長を覗き見た。
 睨み合いは未だ止まない。
 なんだか、あの席に戻りたくない。
 お茶の入ったティーカップを持って、私達はミリー部隊長の隣に順に座った。
 四対二。バランスの悪い席位置だ。
 こんな構図はどうも良くない。バランス云々の問題ではなく、まるで対立する者同士のようで、そんな空気が嫌だった。
 しかし、席を移動することも出来なかった。
 何だか、そういう気がした。
 それは、ミリー部隊長の隣に座っているからだろうか。



 私、ソフィーと、ストーン・スプリングス及びセイラ・スプリングスの夫妻の間には、血縁関係は無い。
 今から十年前。とある次元世界で暮らすスプリングス夫妻の家の前に、私が一人で佇んでいたそうだ。
 私も小さい頃のことなのではっきりとは憶えていないけれど、泣く事もせず、何かを求めたわけでもなく、ただ、そこにいたのだと言う。両親は当時のことをそう話してくれた。
 私には六歳より以前の記憶が無い。何故なのかは解らないけれど、両親はそれでも私のことを不審がったり気味悪がったりすることなく大事にしてくれた。そんな二人の想いがあったせいか、私は突然現れた“両親”という存在をすんなりと受け入れることが出来た。
 『ソフィー』という名前は、記憶も荷物も一切持っていなかった私が唯一持っていたものだという。
 何度も言うけれど、両親は血の繋がりが無いことを感じさせないくらいに私のことを大切にしてくれた。
 両親は共に研究者だったから、研究所を兼ねている自宅にいることがほとんどだった。だから私はあまり寂しさを感じることも無かった。構って欲しいと駄々を捏ねれば構ってくれたし、どうしても欲しいものをおねだりすれば最初は断られたけれど、結局最後は両親が折れた。
 幸せだった。時々、自分は本当は拾われたんじゃなくて、二人の間に生まれた本当の子供なんじゃないかと錯覚してしまうことがあるくらいに。
 私がスプリングス家にやって来てから四年が過ぎた頃、事件は起こった。
 私達の暮らしていた次元世界が崩壊を始めた。それは抽象的な表現なんかじゃなく、文字通りの崩壊だ。
 原因はロストロギアだと言われた。当時はロストロギアというものが何なのか解らなかったし、ただ漠然と、とてつもない不幸を呼んでしまうものなんだとしか思えなかった。
 実際にその被害は甚大だった。私達の過ごした世界は取り返しのつかない状況となり、たくさんの“大切”が消えてしまった。
 崩壊が進む中、私達のように助けられた人達はごく僅か。
 私達は運が良かったのだろうか。私達が世界の崩壊に気が付いてから間もなくして、時空管理局の次元航行艦が救出に来てくれた。
 本当に運が良かった。少なくとも、救出されてから数週間が経った時に、自分はきっと一生分の幸運を使い切ったんだと思ったのは確かだ。
 運が、良かったのかな?
 あの事件の真相を知ることも、私が管理局入りを強く希望した理由の一つだ。私は、あの事件の原因となったロストロギアの正体を知らない。ミッドチルダに移住してきて、管理局に入ってからあの時の事件についての資料を探したけれど、大した情報は得られなかった。
 私はまだ何も掴んではいない。だから、私はまだ管理局員を辞めるわけにはいかない。
 それなのに。
「ソフィーに管理局員を辞めてもらいたくて、私達は来たんだ」
 両親の口から出た言葉を、私の頭はすんなりと受け入れてはくれなかった。
 言っている意味が解らない。いや、解りたくなくて、無理矢理理解していない。
「それって……どういうこと?」
「ソフィー、一緒に家へ帰りましょう。ね?」
 お母さんが懇願してきた。
 賛同なんて出来なかった。でも、拒否も出来なかった。
 ただただびっくりしてしまって、私は二人の顔から視線を外せずにいた。
「な、なんで? だって…………」
 二人は、私の管理局入りを許してくれたはずだ。
 両親だってロストロギアの恐ろしさを知っているから、そんな物騒なものに関わる管理局員なんてなるものじゃないと、最初の頃は二人も猛反対していた。そして思い通りに行かないことを嘆いた私は自暴自棄になりかけた。そんな時に私はなのはさんのインタビュー記事に出会い、諦めることを止めて、両親に正面からぶつかった。
 結果として、こうして私は現在の状況に置かれている。
 そう、両親は私の管理局入りを許してくれたはずだ。
 それなのに、今更になってそんなことを言われても困る。
「や、やだよ! 辞めたくない! 何で今更そんなことを言うの!?」
「お前を危険な目に遭わせたくないんだよ」
「だから何で今更なの!? 航空部隊にいた頃の方がよっぽど危ない目に遭ってたよ!? でも今はホカン部に配属されていて、ほとんどが事務仕事なの! 危ないことなんて無いじゃない!」
「ねえ、ソフィー解って。お父さんもお母さんもソフィーと離れたくないのよ」
「わかんないよ! 私だって二人のことが大好きだよ!? でも、だからっていきなり局員辞めて戻って来いってどういうこと!? ちゃんと理由を説明してよ!」
「頼むから、帰ってきなさい」
 最後の一言はやっぱり重なった。私は涙を浮かべ、マルコちゃんとノーラちゃんはすっかり動揺しているみたいだった。
 どうしてこうなったのだろうか。私には両親の考えが全然分からない。私がワガママを言うのならともかく、二人がこんなにも強引に頼み込んでくるなんて初めてだ。
 何故か私は両親の顔以外、誰の顔も見ないようにしていた。
 それはきっと、辛いからだと思う。きっとホカン部の皆の顔を見れば、彼女達と離れ離れになってしまうかもしれないという不安が大きくなって私はもっと泣いてしまう。
 みっともないし、苦しいのは嫌だ。
 そしてきっと、怖いからだと思う。きっとミリー部隊長の顔を見れば、彼女は私を救ってくれようとするかもしれない。だけど、両親とミリー部隊長との衝突はとても怖かった。
 ミリー部隊長の顔は見なくても分かる。きっと物凄い怖い顔をしている。彼女がそれほどまでに表情を厳しくする理由の奥深さを私は知らないが、これ以上怒らせないほうが良いことだけははっきりと分かる。
 ホカン部にいたい。その想いを、私は自分一人の力だけで両親にきっちりと伝えないといけない。
「…………少しだけ時間をちょうだい。今すぐには決められないよ」
 静かにそう告げると、二人は小さくため息をついてから頷いてくれた。きっと、今すぐにでも返事を受け取って私を連れて帰りたいのだと思う。
「ソフィー」
 ミリー部隊長の声がして、私は肩を震わせた。
「自分の部屋に行って考えるといい。それまでお前のご両親には私の相手をしてもらおう」
 言い方が怖い。
 了承していいのだろうか。
「お二人とも部隊長室へどうぞ。そこで一度私の話を聞いてほしい」
「ミリー部隊長、あの…………」
 黙っていてはお父さんとお母さんが連れて行かれる。そう思って、それが怖くて、私は呼び止めた。
 しかし、返ってきた答えは、
「お前がどちらを選ぶにしろ、話をすることになる。安心しろ、ただ話すだけだ」
 だから、その言い方が怖い。
「ソフィー、お父さん達は大丈夫だよ。自分の部屋でゆっくりと考えておいで」
 そう言ってから、お父さんとお母さんはゆっくりと席を立ってミリー部隊長と共に食堂を出て行った。
 三人の姿が見えなくなってから、私の肩にそっとノーラちゃんの手が降りてきた。
「ノーラちゃん……どうしよう…………」
「…………とにかく、部屋に行きましょう。私も一緒に考えますから」
 さっきまでは自分一人の力でどうにかすると思っていたのに、ノーラちゃんにそう言われたら無意識に頷いてしまった。本当は一人じゃ何も出来ないということなのか。
 ふと、食堂内を見渡すとマルコちゃんの姿が無かった。
「マルコさんなら、部隊長室の前まで付き添いに行ってくれましたよ」
 ますます仲間達の有難さが身に染みて、私は我慢していた涙を初めて零した。



 日が暮れて、ホカン部の終業時刻となった頃、私の部屋の扉がノックされた。
 一緒に隣り合って座っていたノーラちゃんと一度顔を見合わせてから、私は立ち上がって扉の前に向かった。
 扉を開けると、そこにはマルコちゃんに連れられたお父さんとお母さんがいた。
「…………入ってもいいかな?」
「うん」
 両親が部屋の中に入ってくると、さすがにホカン部隊舎の個室では狭く感じてしまう。
 ノーラちゃんが気を利かせてくれて、部屋を出ていった。すれ違い様に心配そうな表情で私の顔を覗き込んだ。
 マルコちゃんとノーラちゃんは、「先にブリーフィングルームに行ってるよ」と言って去っていった。その後ろ姿を見送りながら、私はマルコちゃん達の胸中を感じ取った。
 そして誓った。
 必ずブリーフィングルームに戻るんだ。両親をちゃんと説得して。
「ソフィー、考えは決まった?」
 お母さんの声は、食堂で聞いていた時よりも少しだけ小さいように思えた。
「…………うん。一応、ね」
 よく考えた、と言えば嘘になるかもしれない。
 いくら考えたって私には納得出来なかった。このままホカン部を去ることに、全然納得出来なかった。
 二人はミリー部隊長とどんな会話をしたのだろうか。
 彼女との話の中で私を連れて行こうとする理由は語られたのだろうか。
 もし明確な理由があるのなら、どうして私にはその理由がすぐに語られないのだろうか。
 不明瞭なことが多い。納得なんて出来るわけがないじゃないか。
「私は…………やっぱりまだホカン部に……管理局にいたいよ。だから、ここに残ろうと思う」
 今度はワガママじゃない。私は自分なりに考えて、きちんと答えを出した。意見を主張したのだ。
「戻って来る気は無いのか」
 お父さんの声のトーンが落ちた。
 当然だけど、二人と一緒に暮らすことが、家族揃って一つ屋根の下で過ごすことが嫌なわけではない。
 ただ、私は昔決めたことをまだ成し遂げてないから、今の状況を終わらせたくないのだ。
 訳も分からないまま、私の育った世界は失われた。たくさんの大切が消えていった。
 そんな理不尽が許せなくて、失くす必要の無いものを失くす人々がこれ以上現れないようにと、そう思って管理局員としての生き方を選んだ。
 今でこそ万年事務仕事のホカン部所属だが、それでも私は少しずつ、自分の決めたことを成していっているように感じる。まだまだ全然足りないけれど、それでも少しずつ、確実に。
 思いあがっているのだろうか。だけどそれでも構わない。間違いであるならばいつか気付いて修正するから。
 一番いけないのは、勝手に未来を決めつけて何もしないことだ。
 そんなことをするくらいなら、私は今信じているやり方を精一杯やっていこうと思う。
 だから、私は管理局員を辞めるわけにはいかない。
「…………ソフィー、どうしてもだめかしら?」
 こういう時のお母さんの顔は苦手だ。ついついお願いを聞いてあげたくなってしまう。
 それでも、私は二人の希望に副(そ)うわけにはいかない。
「お母さんごめんなさい。でもやっぱり……」
「そう。分かったわ」
 お母さんが目に涙を溜めながら俯いた。
「お父さん、お母さん。本当にごめんね。でも、私まだ管理局でやりたいことがいっぱいあるんだ」
「分かったよ。今日はもう帰るから」
 お父さんが見せた微笑は、何だかとても切ないものだった。激しい罪悪感が私に圧し掛かる。
 お父さんがお母さんの肩に手を回して引き寄せると、お母さんは遂に涙を流してしまった。
 その姿を見た瞬間、私は自分と二人との間に何かの線が引かれてしまったような錯覚に捕らわれて、もらい泣きをしてしまった。
 すぐにお父さんの片腕が伸びてきて、私のことも抱きしめてくれた。
 何でこうなったんだろう。
 言ってしまえば、お父さんとお母さんが何の理由も言わずに私に「帰って来い」なんて言うからいけないのに。それなのに、私は二人を責められなかった。文句を言うことが出来なかった。
「長めの休みがある時はちゃんと帰ってきなさい」
「……うん」
 嗚咽交じりの返事だった。
「長くなくたって、いつでも帰ってきていいんだからね」
「…………うん!」
 その一言を言うだけで精一杯だった。
「頑張りなさい」
 最後の一言はやっぱり重なった。私は泣き顔を持ち上げて、お父さんとお母さんの顔を目に焼き付けた。
 やがて、お父さんとお母さんが帰ろうと部屋の扉に向かい出したところで、私は最後に一つだけ訊いた。
「ねえ、何で急に帰ってくるように言ったの? 何かあったの?」
 足を止めた二人が同時に私を見た。
 その目には、いつか見たことのある懐かしさがあった。
「…………ソフィー、これだけは覚えておいてくれないか?」
 その目を見たのは、そうだ。
 幼い私が遊びに出かけて家に帰ってきた時。
 泣いて愚図った私を優しく受け止めてくれた時。
 訓練校の長期休暇で久しぶりに二人の実家へ戻った時。
「私達の間に血縁関係は無いけれど――――」
 その目を見たのは、間違いない。
 私が二人の所に戻っていった時。
 私が二人の愛情に縋りついた時。
 私が二人の思いやりに包まれた時。
「――――例えどんなことがあっても――――」
 親が子を想う時に見せる目だ。
「――――間違いなく家族なんだよ」



 夕飯を終えた私は一人、ホカン部隊舎の五階にある部隊長室の前までやって来た。
 夕飯の席に姿を見せなかったミリー部隊長を探して彼女の個室に出向いたものの、中にはいない様子だった。それにブリーフィングルームも蛻の殻だった。
 となれば、たぶんここ。
 考えてみれば、私はホカン部隊舎の五階に初めてやって来た。
 初めてこの隊舎にやって来た時、確かミリー部隊長は自分もこの部隊長室をあまり使わないと言っていたような気がする。
 周囲は妙な臭いが充満していた。微かだが、ほんのりと鉄臭い。
「血?」
 だが、若干だが甘さも入ったような臭い。
 臭い自体はごく僅かだが、一度気になってしまうとどうも鼻につく。
 私は不思議に思いながらも部隊長室の扉を叩くと、中から人の気配を感じた。
 そう言えば、この臭いもまた何故だか懐かしかった。
 十数秒、扉は自動でスライドした。
 その瞬間、私は一瞬息が止まった。
「…………ソフィーか?」
 ミリー部隊長の声。
「は、はい。ミリー部隊長、中にいるんですか?」
 部屋は真っ暗だった。そう、部屋自体は。
 おそらく机の上や何かの台の上に並べられているのであろう、電子機器の数々。それらが放つ小さな灯りが、真っ暗な部屋の中で夜景のように広がっていた。
 そして一番目を引いたのが、
「ちょっと待ってろ。灯りを付けるから」
 鮮やかなスカイブルーの液体が満たされた小さなフラスコグラス。液体自体が、それと同色の光を淡く放っていた。
 その光が突然消えたかと思うと、今度は部隊長室内の照明が点灯された。
「な、何ですか? これ」
 照明が付けられた部屋の中は、改めて見ても異様だった。
 先ほど光っていた謎の液体が入ったフラスコグラスには一枚の暗幕が掛けられていた。更に用途の分からない電子機器の数々に埋め尽くされた室内は、網目のような何十本もの配線が床を這っていて、その内の何本かはフラスコグラスを支えている台のような機械に接続されていた。
 暗幕の掛けられたフラスコグラスに近づくと、さっきからしていた臭いが少し強くなった。
「これ、何ですか?」
 室内に気を取られて気が付かなかったが、ミリー部隊長は部屋の最奥にある椅子にぐったりとした様子で身を沈めていた。
「勝手に触るなよ」
「でも、これって…………」
「簡単に言えば液体化した魔力だ。至る所にある魔力素を摂取することで我々は魔力を有することが出来るわけだが、それは体内にある『リンカーコア』という器官の働きによるものだ。それは知っているな?」
「はあ、まあ学校で教わりました」
「このリンカーコアを介することなく、つまり人工的なリンカーコアのような装置を使うことでも、魔力素を採取して魔力へと変換することは可能であり、そういった技術はガジェットなどの無機物による魔法攻撃等に利用されているんだが…………そうして得た魔力は、ある技術を使えばこのように液体化するんだ」
 難しそうな話ではあるが、一つだけ、私でも思いついた疑問がある。
「液体化するとどうなるんですか?」
「いや、液体化することはどうだっていいんだよ。これは、魔力の運用過程において手を加えた結果、液体化してしまったというだけだからな」
「じゃあ、この魔力ってどんな状態なんですか?」
「そいつは内緒」
 ミリー部隊長が意地悪っぽく笑った。何だか久しぶりに見た気がする笑顔だ。
 それにしても、これでは部隊長室ではなく研究室だ。ミリー部隊長は、自分が以前研究者だったと言っていたが、その研究は今でも続けているということなのだろうか。
「そういやソフィー、何しに来たんだ?」
「あ、えっとその…………」
「ん?」
「私の両親と、何を話したのかなって…………」
 部屋の異様さに気を取られてしまい、本来の目的をすっかりと忘れていた。
 一番気になる話はこれだった。
「別に。ただ、お前を連れて行かないで欲しいってお願いしただけさ」
 まあ、大筋はそうだろうと思っていた。
「もちろん、お前の両親には断られたけどな」
 それも、たぶんそうだろうと思っていた。
 だが、たぶんそれが全てではないと思う。私はその不明瞭な部分が知りたくて、ここまでやって来たんだ。
「本当にそれだけですか?」
「そうだよ」
「本当に本当ですか? 全部話してもらえませんか? 私の両親にも関わることなら、尚のこと聞かないわけにはいきません」
「…………本当にそれだけだ」
「でも、それにしては様子が」
 そこまで言いかけて、私は足元に一枚の紙が落ちていることに気付いた。
 それを拾い上げて見ると、難し過ぎる数式と解説文が羅列してあった。
 ただ一つ読めたのは、資料の見出し、一番上に書かれていた太字の単語。
「エク……レー、ル? エクレール?」
 次の瞬間、私の手から資料が素早く抜き取られた。
 その行方を目で追うと、先ほどまでの笑顔をすっかりと消していたミリー部隊長が鼻息を荒くして立っていた。笑顔の代わりに浮かべている表情は、相当焦っている風にも見える。
「あの」
「いや、これは……忘れろ」
「え、あの、すいませんでした……私が」
「いやいや、驚かせてすまんな。ほら、私も今だに研究者を続けていることを黙っていたし、悪かった。…………ただ、研究中のものを無闇に知られてしまうってのは、研究者が嫌うことなんだよ」
「分かります。両親を顧みるに」
 少し気まずくなった空気。これでは両親との話を聞き出そうにも訊(たず)ねにくい。
 私は上手く口が動かなかった。
 すると、ミリー部隊長がその資料をデスクの引き出しにしまってから言った。
 口調は明るく、表情は笑顔だ。
「腹減った。私の夕飯はとっておいてあるか?」
「ブラント君が食べてなければ、たぶんまだあります」
 部隊長室の扉の方に向かうミリー部隊長。私はその後に続いて部屋を出た。
 今でも上手く言葉が出てこない。ミリー部隊長のことだから、きっとこんなぎくしゃくした空気も少し時間が経てば忘れてくれるのだろう。
 ただ、私はしばらく忘れられそうにも無かった。
 何故ならあの資料の中に、もう一点だけ気になるところを見つけてしまったから。
 
 To be continued.



[24714] 第二十五話 もう一つの親子
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:69e14fcf
Date: 2011/01/09 00:04
 ベッドの上で膝を抱えて一人。部屋の明かりをつけることもせずに、私はじっと座っていた。
 頭の中ではいろいろな想いが混ざり合って、見ているだけで吐き気を催すような毒々しい模様となって渦を描いていた。
 何だか頭が痛い。いろいろと考え過ぎてしまったせいだろう。
 少しは自分を休めなくちゃ。そうと思ってぼーっとしていると、結局いろいろと考え始めてしまう。しかし、そうして発する頭痛は私から気力を奪い、気晴らしをする気さえも削ぐ。だからまた考える。
 悪循環は止まらない。
 ミリー部隊長は一体何者なのだろうか。今まで私は、彼女の奥深くを知りたいと思いつつもなかなか踏み出せずにいた。しかし、そうして過ごす時間が経過するほどに、彼女の不可解な面はいつの間にかこんなにも大きくなっていた。
 加えて、昨日は彼女の最たる謎とも言えるものまで見てしまったのだ。部隊長室を改造して行なわれていた研究と、その資料に書かれていた気になる点。
 もう私は、ミリー部隊長のことを放っておくことが出来ない。彼女の深さが知りたい。でも、簡単に全てを受け入れることが出来る自信もなくて、やっぱり踏み込めない。
 私はミリー部隊長と顔を合わせることに抵抗を感じてしまって、今日は体調不良という理由で業務をお休みさせてもらっていた。朝と昼の食事はジージョちゃんが部屋まで運んできてくれたけれど、夕飯はまだ食べていない。
「…………お腹空いたな」
 当たり前かな。体調不良というのは嘘なのだから、食欲はいつも通りだ。
 それでも動く気が起きないでいると、突然部屋のドアが叩かれた。
「失礼します」
 真っ暗な部屋の中に入ってくるその人は、足音を立てないように静かに歩いてきた。同時に何やら良い匂いが漂ってくる。
 部屋の照明をつけると、そこには夕飯を持ったノーラちゃんが立っていた。
「ソフィーさん、寝てました?」
「ううん。起きてたよ」
「体調はどうですか? 夕飯は食べられますか?」
 笑顔と共に夕飯を差し出してくれたノーラちゃん。
 私も思わず笑みを零した。それと同時にお腹が鳴ったので恥ずかしい。
「あ、ありがとうノーラちゃん。その……具合悪くてもお腹って空くんだね…………あはは」
「食べられるのなら良いことじゃないですか。遠慮しないでください」
 まだ頬が熱いまま、私はフォークを持って夕飯を次々と口に運んだ。
 考え事ばかりしていたせいで痛かった頭も、食事に集中出来たおかげでいつの間にか痛みは消えてしまっていた。だから尚の事夕飯がおいしく感じる。
 一通り食べ終えると、ノーラちゃんが私の顔をじっと見ていることに気が付いた。
「な、なに?」
「ソフィーさん、具合はもうよろしいのですか?」
「あ、うん。えっと、ね……さっきまでは本当に頭が痛かったんだよ?」
「…………あ、えっと、別に疑ったつもりでは…………でも、その様子だと」
「…………え!? あ、うん…………仮病です」
 思わず頭を下げてしまった。
 そんな私を見てノーラちゃんは笑っていた。
 ばれちゃった。いや、隠そうと思えば隠せたはずなのに、私は下手な誤魔化しをしてしまった。それはたぶん、無意識のうちに自分一人で抱え込むことを拒絶したのだと思う。突然目の前に現れた仲間に、私は甘えたかったのかも知れない。
「仮病ですか? もしかして、何か悩み事でもあるのですか?」
 そう言ってもらえるのを待っていたのかも知れない。
 私ってば、ずるい。
「うん。ちょっとだけ」
 フォークを食器の上に置くと、ノーラちゃんはその食器をどけて言った。
「是非聞かせてくれませんか? 相談に乗ります」
「なんか……いいのかな?」
「いいんです。だってソフィーさんは私がホカン部にやって来たばかりの時、私の相談役となってくれたじゃないですか。これはそのお返しです」
「うん…………ありがとう。じゃあ、ちょっとだけ聞いてくれる?」
 それから私は、頭の中で渦巻いていた模様を一生懸命言葉にした。私自身にもはっきりとしないところがあって、もしかしたらノーラちゃんにはきちんと伝わっていないのかも知れない。そんな不安があったけれど、ノーラちゃんは私の言葉の一つ一つをしっかりと噛み砕いて飲み込むように、落ち着いた様子でずっと聞き続けてくれた。
 先ほどまで私の頭を痛めていた謎である、ミリー部隊長に対する不審、不安、不可解。そして突然ホカン部を訪ねてきた私の両親とミリー部隊長の関係について。一体、両親とミリー部隊長は部隊長室に籠もって何を話していたのだろうか。そもそも両親がいきなり私のもとにやってきた理由は何か。
 いつまで考えても答えの出ない謎を、私はノーラちゃんに全て打ち明けた。
 そして、最後の謎はもちろんあのことだ。
「…………“エクレール”? それに関する資料に、ソフィーさんのご両親の名前があったのですか?」
「そうなの」
 昨夜のことに対して、私が激しい疑問を抱く決定的な理由こそが、これだった。
 ミリー部隊長の部隊長室、もとい研究室でたまたま拾った資料の中に、私の両親の名前が書かれていた。 
 それが意味することは何か。もしかしたら、両者は以前から知り合いだったのではないだろうか。
 ミリー部隊長は「はじめまして」と挨拶をしていたけれど、実はもっと前から面識があったのかも知れない。もちろん私の考え過ぎだという可能性も無いわけではない。両親は著名人のようだし、研究資料の中に名前が載ることだって、もしかしたらあるのかもしれない。
 だが、昨日のような出来事があった中で見つけた小さな疑念は、ただの“考え過ぎ”で捨てきれるようなものではなかった。
 理由を知りたい。考え過ぎならば、大した理由でもない単なる偶然ならば、それでも構わない。それならそれで安心できるというものだ。
 とにかく、私は真実が知りたかった。
「確かにちょっと気になりますね。ソフィーさんのご両親が突然やって来たこと自体、不自然でもありますし。もしかしたら関係しているのでしょうか?」
「でしょ? 気になるよね。…………でも、考えたってちっとも分からないし、昨日のミリー部隊長の様子じゃ訊いても絶対に教えてくれそうにないし、同じ理由でお父さんとお母さんにも訊き辛くて…………」
 自分で言っているくせに、何だかめげてきた。
 気持ちの沈みと共に視線が足元へと下がっていくと、更に悲しくなってくる。目が潤んできた。
 そんな時だった。
「ソフィーさん」
 そんな言葉と同時に、私の両手は何時の間にかノーラちゃんの両手に包まれていた。
 はっと顔を上げると、彼女は明るい口調で言ってくれた。
「だったら私達だけで調べてみましょう」
「え?」
「こう見えても、レアスキルを使わなくたって調べ物は得意なんですよ」
「あの……えっと」
「手掛かりは『エクレール』という言葉だけですが、それでも出来る限りのことはやってみましょう」
「…………う、うん」
 勢いに流されて返事をしてしまった。
「さて、ではまず何からしましょうか? ミリー部隊長の研究室で見た資料ならば、やっぱり研究内容に関連する単語だと思うのですが」
「あの、ノーラちゃん?」
「はい?」
「その……悩みを聞いてもらうってだけだったのに、その」
「…………ごめんなさい。もしかしてお手伝いしてはご迷惑でしょうか?」
「ううん! 違うの! 調べようって言ってくれて凄く嬉しいし、心強いんだけど…………その、いいのかな? 私の問題なのに、巻き込んじゃっているような気がして」
 そう言うと、ノーラちゃんが少しだけ眉尻を吊り上げた。
 ノーラちゃんの怒った顔、初めて見たなぁ。
「ソフィーさん!」
「は、はい!」
「先ほども言いましたよね。私が今こうしてホカン部にいられるのは、ソフィーさんのおかげなんです。これはその恩返しだと思ってください」
 声は相変わらず清楚な感じなんだけど、静かな言い方の中に圧倒的な凄みがある。私はすっかりと縮こまってしまった。
「それに、屋上で話したときの会話、憶えていますか?」
「屋上で?」
 それはひょっとして、二人でホカン部隊舎の屋上から夜景を見た時のことだろうか。
「私達がホカン部に集まったのには意味があるんです。たとえ要らん部と言われても、私達一人一人が自分達の必要性を信じないといけません。でないと本当に要らん部になってしまうんです」
 そう言えば、そんな会話を交わした気がする。
 ただ、その話を最初にしたのはミリー部隊長だ。私は、彼女の言葉をもう少しだけ、ノーラちゃんと共に信じることが出来るのだろうか。
「遠慮せずに私のことを必要としてくれませんか? 幾ら私自身が自分の必要性を信じても、誰かに必要とされていないのはやっぱり寂しいですから」
 そう言ってノーラちゃんが笑った。
 その笑顔を見た瞬間、私は決めた。
 もう少しだけ信じられる。ううん、いつまでだって信じられる。だって、これに関してはミリー部隊長の言ったことが本当だと確信を持てるのだから。
 私達は、お互いを必要とし合ってもいいんだ。



 翌日から私は業務に復帰した。ミリー部隊長を含めたホカン部の皆が体調を気遣ってくれたけれど、不安そうな皆の表情を、私は仕事に対するやる気で吹き飛ばしてみせた。
 お昼を過ぎた頃、私とノーラちゃんはブリーフィングルームのデスクに座ったまま無言で目を合わせた。
 それは、二人で打ち合わせた調査行動開始の合図。そして調査のためにも、まずはホカン部隊舎を抜け出さなくてはいけない。
「ミリー部隊長」
 誰もがデスクの前で仕事をしている、あるいはしているフリをしている中で、声を上げたノーラちゃんが皆の注目を一気に集めた。
「どうした?」
「あの、少しだけ外出許可をいただきたいのですが」
「いいけど、何処に?」
「本局です」
「何しに?」
 ミリー部隊長は疑ってこそいないけれど、ノーラちゃんの突然の外出について追求してくる。まあ上司なんだし、業務時間内の部下の行動管理は当然だ。
 しかし大丈夫。ミリー部隊長に問い詰められた時の受け答えは、昨晩二人で綿密に打ち合わせをして練習までしたのだ。その練習通りの受け答えを如何にすんなりと返すかが、この作戦の大切なところである。
「えっと、その…………あれ?」
「あれ?」
 あれ? ノーラちゃんがなかなか答えない。
「あ、お? え?」
「は?」
 皆の目が点になってノーラちゃんに向けられている。
 まさか、ノーラちゃんってば打ち合わせの内容をど忘れしてしまったんじゃないだろうか。
 どうする? 念話で伝えようにも、こんなタイミングじゃどっちみち怪しまれる。
「あ……ああ…………会いに行くんです!」
「え、誰に?」
「クロノさんに!」
 これは予想外の返答だ。打ち合わせの内容とは全然違う答えが飛び出した。しかも何故クロノさんなのだろうか。
 テンパってしまったノーラちゃんの顔は真っ赤で、額からは汗を噴き出し、両手は落ち着き無くそわそわと動き出し、目はあちらこちらに向けられて定まらない。
「そう! 会いに行くんです! ソフィーさんの純真な乙女心を踏み躙った男がどんな奴なのか、この目で確かめてそして、ソフィーさんをふったことを後悔させてやるんです!」
「でえぇぇえっ!?」
 我慢出来ずに私が叫んでしまった。
 この子はこの期に及んで何を言い出すのだろうか。とんでもない発言に私ですらテンパってしまいそうだ。打ち合わせ内容をど忘れしてしまったのは仕方が無いとして、即興で適当な言い訳を作り上げてミリー部隊長を納得させようとする努力は認めるとして、何故私とクロノさんの話を掘り返すのか。一応立ち直ったとは言え、まだちょっとショックなのに。
「ノーラちゃん!」
「ああ、ソフィーさん! あ、あの! その! 海に巣食う色男をザブンと言わせましょう! 乙女のハートを刺身にするなんて、船の風上で浮き輪の穴に片足突っ込んでると痛い目に遭うってことを、思い知らせてやるんだから!」
 もう訳わかんない。
 両手で顔を覆いながら、私は指の隙間から皆を見た。
 マルコちゃんもジージョちゃんも口を大きく開け放して動かず、ウィンディーヌちゃんはとんちな謎掛けが解けないかのように表情を歪ませ、ブラント君はメモ帳に“船の風上で浮き輪の穴に片足を突っ込んでいる男”を描いていた。
 そしてミリー部隊長は、冷静な表情でじっとノーラちゃんを見た後、小さな声で言った。
「ノーラ、それはつまり“サボり”と言うんじゃないか?」
 ごもっともだ。
「は、はい…………すいません」
 作戦は失敗、か。
「いいだろう、許可する!」
「ええっ!?」
 今度は全員が同時に驚いた。
「なんだよ、サボりたいならサボりたいって言えばいいのに。ここはホカン部だぞ? ろくな仕事してないんだから、幾らでも行ってこいよぉ」
「部隊長公認の職務怠慢ってどういうことなんですか!? あり得るかぁ、そんなこと!」
 マルコちゃんがつっこむとは珍しい。
「うるさい! 私が許すと言っているんだからいいだろう! 大体お前達ちゃんと仕事してるか? マルコは仕事のフリしてネット掲示板に張り付き、ジージョはデスクの汚れが気になって集中してない。ウィンディーヌはこっそり昼ドラ視聴、ブラントは隠れもせずに落書き、居眠り、つまみ食い。お前ら全部知ってるんだからな!」
 そう言うミリー部隊長の手元には漫画雑誌が握られている。
 凄い、仕事している人がいない。
 誰もが絶句する中、ミリー部隊長は一人で笑い声を響かせた。
 とにかく、怪しまれることなく本局へと向かえそうだったので、一応成功ということで良いのだろう。
 こんなにも堂々と仕事をサボることになろうとは思いもしなかったが。



 ミリー部隊長に手を振られながらホカン部隊舎を出てきた私とノーラちゃんは、真っ直ぐにここ、時空管理局本局へとやって来た。
 私とノーラちゃんは本局内で迷子になったことがある者同士ではあるが、さすがにもう慣れた。転送室から一歩出ても、どっちに歩こうかと迷って緊張することはない。余計なお喋りを交えることが出来るくらいの余裕もあった。
「ノーラちゃん、ちょっと恨むからね」
「本当にごめんなさい! どうしても隊舎を抜け出す理由が思い出せなくて!」
 そんな会話を交わしながら私とノーラちゃんは、本局内のとある場所を目指して歩いた。
 その場所に来るのは久しぶりだ。以前はマルコちゃんとジージョちゃんと私の三人で、機動三課の人達と共に探し物をしに来たんだっけ。
 時空管理局内にある超巨大データベース、無限書庫。調べ物をするならばと、まず最初に思い浮かんだのがここだった。
 無限書庫司書室前にやって来た私達は、一度だけ顔を見合わせてから、自動ドアの前に立った。
 扉が開くと、私達の目の前にはすぐさま男の司書が出迎えに来た。
「いらっしゃい。えー、どちら様ですか?」
「遺失物保護観察部から来ました。あの、ちょっと探し物をしたいんですけど、よろしいですか?」
 そう言うともう一人、部屋の奥から男の人が近づいてきた。
 眼鏡を掛けた柔和な表情の若い男性。その人の顔を、私は知っていた。
「あれ、確か君は」
「あ、ユーノさんお久しぶりです。以前お邪魔したソフィー・スプリングスです」
 私の挨拶に続いて、ノーラちゃんが「はじめまして」と挨拶をした。
 私達を快く迎えてくれたユーノ司書長は、私達を司書室内のソファーに座らせてから、自分も向かいの椅子に腰掛けた。
「今日はどうしたの? またロストロギアに関する調べ物?」
「えっと、調べ物であるのは間違いないんですけど…………」
「何?」
「…………あの、ユーノさん、『エクレール』って聞いたことないですか?」
「エクレール? それが何かを調べたいってこと?」
 ユーノさんはちょっと考え込むようにして首を傾げながら、私達には届かないほどの小声でぶつぶつとその単語を復唱していた。
 一分ほどして、ユーノさんは自分の脳内には思い当たる情報が無いと判断したのか、私達と再び目を合わせて言った。
「僕は初めて聞く言葉だけど、それって何かの名前?」
「実は、それすらも分からなくて」
 幾ら調べ始めたばかりとは言え、名称以外の一切の情報も持たずにユーノさんを頼ったのはさすがに失礼だったのかも知れない。私は後悔し、反省した。
「なるほど、そういうことか。何処で聞いた言葉なのかな?」
「えっとぉ……」
 どうしよう。正直に答えていいのかな。
 私とノーラちゃんは昨晩の打ち合わせの中で、幾つかの決め事をしていた。
 その一つが、私達が調査行動をしていることは極力誰にも教えない、というものだった。だから、ホカン部内でも私とノーラちゃん以外の皆には調査のことを言っていない。
 そしtもう一つは、極力嘘をつかないでいこうというものだ。嘘をついたらバレてしまった時に困るからと、出掛ける理由をでっち上げるにしても、なるべくその理由を現実のものにしていくということ。
 つまり、私とノーラちゃんはこの後一度次元航行部隊に行き、クロノさんに会ってサボりの理由作りをしなければならない。もちろん、本当は会いたくないのだけれど。
 その時、ノーラちゃんから念話が入ってきた。
 ――ある程度は明かしてもいいのではないでしょうか。その方が司書長さんも探し易いだろうし、その分正確な情報が期待出来ます――
 ――そ、そうだね――
 ――細かな状況を伝えるのではなく、資料を発見した時の様子だけを漠然と伝えてみてはいかがでしょうか?――
 ――よし、やってみる!――
「えっと、ある研究室で知った言葉なんですけど」
「研究室?」
「はい。何だか、魔力運用を研究している様子でした。それと、ストーン・スプリングス博士とセイラ・スプリングス博士の名前もあったんですが…………」
 しかし、そこまで言ってもユーノさんの表情は変わらなかった。やっぱり私達の持ち込んだ情報は漠然とし過ぎているのだ。
「スプリングス夫妻は聞いたことがあるよ。んー…………とりあえず、書庫に入ってみようか」
 そう言ってユーノさんは席を立ち、背後のドアへと向かった。私達もユーノさんの背中に続く。
 相変わらず不思議な空間である無限書庫。円筒形の巨大な本棚の中に入っていくユーノさんに続いて、私は天井も底も見えない空間に体を投げ出した。ノーラちゃんも恐る恐る飛び込んできたのを確認してから、先を行くユーノさんの側に近づいていく。
 足元に円形のミッドチルダ式魔法陣を展開したユーノさんは、何かを念じるようにしばらく目を閉じた。数分後、それに呼応するようにして何十冊という本が勝手に本棚から抜け落ちて、こちらに近づいてきた。
「うわあ……」
 不思議な光景だった。ユーノさんを中心にして規則正しく円形に並ぶ本達は、表紙を開き、時には数枚ページを捲りながら、ゆっくりと回っていた。ユーノさん本人は目を閉じているのに、僅かに動く指や眉の動きに合わせて、一部の本はそのページをさらに捲る。
 もしかして彼は、集めた本を全て同時に読んでいるのか。
 そうした時間が数分経ってから、ユーノさんが目を開いて私達に言ってきた。
「他に何か情報はあるかな? 例えばこの言葉が人の名前なのか、魔法の名前なのか、とか」
「いえ、そういったものは…………すいません」
 私の答えを聞いたユーノさんは、その後すぐにまた目を閉じて検索を開始した。
 どれぐらいの時間が過ぎたのかははっきりとしないが、ユーノさんは結構な時間を費やしてくれた。その途中で時々本が増えたり、または減ったり、数冊の本が更に深く読み込まれたり、かと思えば結局本棚に戻されてしまったり。
 司書室にいた男性の司書さんに誘われて、私とノーラちゃんはユーノさんを残してお茶をご馳走してもらったりもした。
 そうして空っぽのティーカップを受け皿に置いた時、ようやくユーノさんが書庫から帰ってきた。
「お疲れ様でした。本当にすいません、長い時間」
「ううん、どうってことないよ。ただ…………」
「はい」
 ユーノさんの表情はどうも申し訳無さそうだった。
「コレといった成果は得られなかったよ。検索魔法を掛けてみて、幾つかヒットはしたんだけどね。やっぱり手掛かりが少ないかな。人名、地名、事件、現象……古今東西あらゆる次元世界の中にある言葉みたい。絞り込むのは大変そうだし、もっと時間を掛けないと」
「そうですか」
「ごめんね。役に立てなくて」
「いえ! とんでもないです!」
 私とノーラちゃんはお茶の御礼も兼ねて何度も頭を下げた。
 ユーノさんは、私達が司書室を出る直前に「時間を見つけてもう少し調べてみるから」と言ってくれた。優しい人だなぁ。
 私とノーラちゃんは、本局内の廊下を歩きながら次の目的地について話を始めた。
「私達も資料室にお邪魔して自分達で調べてみようね。でもその前に…………」
「そうですね。行かないと、後でややこしいことになったら困りますからね」
 二人揃ってため息が漏れ出た。
 そう、私達の足は時空管理局の次元航行部隊本部に向かった。
 そして次元航行部隊本部エリアまでやって来た私達は、辺りに誰もいないことを確認しながらこっそりと受付前まで行った。
「あら? あなた……」
 受付の女性局員が私の顔を見て微笑んだ。私も彼女のことはぼんやりと憶えている。
「また来ちゃいました」
「ふふふ、クロノ提督でしょ? ちょっと待ってね」
 彼女は私が失恋していることを知らない。楽しそうな彼女の笑顔が、ちょっとだけ胸に刺さって痛い。
 目の前の端末を操作していた女性局員は、しばらくしてから言った。
「残念。本日、クロノ提督は次元航行に出ているの。帰ってくるのは一週間後ね」
「そ、そうですか」
 ほっと胸を撫で下ろした様子が見られたのか、女性局員は怪訝そうな顔を浮かべていた。
 私とノーラちゃんは、クロノ提督に会わずに済んだことを祝して顔を見合わせた。
 それならば仕方が無い。仕事をサボってここまでやって来たけれど、クロノ提督がいないのならば何もする必要が無い。
 私達は資料室へ向かおうと歩き始めた。何だか足取りが軽い。
「ちょっと待て!」
 ふと、突然背後から大きな声で呼び止められた。
 誰だろうか。私達が同時に振り向くと、そこには一人の中年男性がこちらを見て立っていた。
 その人の顔を見た瞬間、私はすぐさま走ってその場を離れたかった。
 その人は以前、次元航行部隊にやって来た私と会った人物だ。最も嫌いな奴の上位にランクインするその人の名は、そう。
「ルミオン提督」
 私は思わず呟いてしまった。
「貴様等ここに何しに来たんだ!?」
「人に会いに来ました」
「誰だ? クロノか? そんなことしてないで隊舎に帰れ。仕事はどうした?」
 相変わらずの嫌な態度。私達を明らかに敵対視しているその言い様は、聞いているとイライラしてくる。
 どうしてそんな言い方しか出来ないのだろうか。私達はこの人に対して何かをしたわけでもないのに。
 この人に関わりたくなかった私は、ノーラちゃんの手を引いた。
「いいよ、行こう」
 そう言って歩き始めようとすると、ノーラちゃんは何故か一歩も動こうとしなかった。まるで足から根っこが生えて、その場に根付いたみたいだ。
「ノーラちゃん?」
 彼女の顔は、真っ直ぐにルミオン提督の方を向いていた。
「貴様等みたいなのが我々の領域に入ってくるんじゃない。さっさと出て行け」
「申し訳ありませんでした」
 彼女の顔は、何の感情も抱いていないような表情だった。
 ノーラちゃんは、一体どうしちゃったのだろう。
「普段から言っているはずだ。俺に近づくな、と」
「はい」
「ろくでもない事をしていたら許さんぞ」
 何だろう、この会話は。
 まるで二人は、知り合いであるかのような。
「申し訳ありませんでした、お父様」
 そうして放たれたノーラちゃんの謝罪の言葉。
 私はその言葉から読み取れる意味を、すぐには理解出来なかった。

 To be continued.



[24714] 第二十六話 決意
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:d4dd19d9
Date: 2011/01/12 17:32
「……お父様?」
 私は思わず言葉を漏らしていた。
 その一言はルミオン提督とノーラちゃんに届いたようで、二人が同時に私の方を見た。
 この人がノーラちゃんのお父さん? 身寄りの無い幼かったノーラちゃんを引き取った人?
 血は繋がっていなくても、二人は親子?
 そんなこと信じられない。
「今の言葉はどういう事ですか?」
「今の言葉? 何のことだ?」
 私の問い掛けに、尊大な態度で返された言葉。そういったものがいちいち私の神経を逆撫でする。
「今ノーラちゃんに言った言葉です! “近づくな”って、そんなことを自分の子供に言うんですか!?」
「ソフィーさん、いいんです」
 ノーラちゃんの制止でもこの怒りは止められそうにない。
 だって、そんなこと信じられない。
 ルミオン提督の言い放った言葉が本当に親子の会話だなんて、私は認められなかった。
 近づくことを許さないだなんて、そんなこと親子でなくても滅多に言うものではない。
 ノーラちゃんが小さかった頃から現在まで、一緒に過ごしてきたんじゃないのだろうか。
 愛情は? そういったものが一切無いまま過ごしてきたということか。
 では何故引き取った? ノーラちゃんを目の前にしてそこまではっきりと言うからには、第三者が聞いても納得出来るよっぽどの理由があってのことなのか。
 もしそうでなかったら、私はこの人を絶対に許せない。
「ちゃんと説明してください! なんで自分の子供にそんな酷いことを言うんですか!?」
 私の問い詰めに対してルミオン提督は、小さな舌打ちと睨みつけを返してきた。
「お前には関係ないんじゃないのか? 何故そんなことを赤の他人に話さなくてはならない。首を突っ込むな」
「関係大有りです! ノーラちゃんは私の大切な仲間だし、そのノーラちゃんが酷い目に遭っていると私だって辛い!」
「そんなのは情の問題だろう! お前に直接的な迷惑が掛かっているのかという話をしているんだ!」
「何よその言い方! 直接的な迷惑が掛かっていなければ何しても良いって言うの!? そんなことが次元航行部隊の一提督の言葉だなんて信じられない!」
「ガキのくせにいい加減にしろ!」
「大きな声で怒鳴りつければ子供が黙るとでも思ってるの!? ちゃんと話し合いも出来ないなんて、いい歳した大人のくせに最低!」
 自分でもどんなことを言っているのか、私の目の前にいる相手がどういう人なのか、それはよく解っている。
 それでも、今の私は誰にだって負ける気はしなかった。
 一歩だって退く気は無かったし、一言だって謝るつもりは無かったし、一度だって相手の目から視線を逸らすつもりも無かった。
「ノーラちゃんに謝ってください!」
「いい加減にしろと言っているんだ! これだからミリーのところのガキ共は嫌いだ! ろくでもない連中ばかりの集まりじゃないか!」
「はぁあ!? もう一回言ってみなさいよ!」
「貴様が一番ろくでもない馬鹿ガキだ! 他の連中はおとなしくしているのに、貴様は偉そうに説教を垂れる! ノーラと同じ境遇でも自分は幸せに暮らしてきたからと言って、それが当たり前だと思っているのか!?」
「え?」
 私は思わず勢いを止めてしまった。
「貴様の両親がお前のことを本当はどう思っているのか、考えたことはあるのか!? 上辺(うわべ)だけは本当の親子を演じていても、その本質をお前は知ろうとしないからそんなことが言えるんだ!」
「そ、そんなことは……」
 そう、そんなことは無いと思う。両親は私を愛してくれている。
 それなのに。自信を持ってそう思えるはずなのに。
 私は完全に勢いを失ってしまって、強く反論出来ずにいた。
 それはたぶん、
「スプリングス博士夫妻だって同じだ! 本当は引き取りたくなかったはず……貴様のことなんぞ重荷としか思っていないはずだ。お前達はそういう存在なんだよ。ちょっと甘やかされてきたからと言って調子に乗るんじゃない」
 思い当たる節があるからなのか。
 いや、思い当たる節なんて無い。私の胸に引っ掛かっているものは、とても些細なこと。それは、両親が私に何かを隠しているという不安のただ一点。それだけの話だ。誰にだって隠し事の一つや二つはあるだろうし、それだけではルミオン提督の言葉を事実とすることは出来ない。
 しかし、私はその一点にずっと悩まされているじゃないか。だからこうして関連性のありそうな『エクレール』という言葉を調べて回っているんじゃないか。
 大好きな両親だから。私のことを愛してくれていると信じている両親だから。心に引っ掛かった小さな不安が余計に気になってしまう。
 両親が私のことを厄介者と思っている? 何か隠し事をしているのは、それに関係していること?
 怖かった。たぶんちょっと前までの私なら、ルミオン提督の言葉なんて気にかけることもせず、両親の愛情を信じたのだろう。もし不安に駆られても、すぐに両親と連絡を取って解消出来るレベルで済んだのだろう。
 だが、先日の出来事によって今はそうすることが出来ない。
 だから怖い。ルミオン提督の言葉から、いろいろな可能性が想像される。そしてそれらは全て、私を追い詰める。
「お父様! ソフィーさんのことを悪く言わないでください!」
「俺の荷物までもが口出しするようになったか。全く鬱陶しいことこの上ないな。大体お前達は自分が何のために」
「よさないか」
 突然聞こえてきた声。それは、聞き覚えのある声だった。
 声の方向に顔を向けると、少し足早で近づいてくるサイオン部隊長がそこにいた。
 表情はやたらと険しく、拳は固く握り締めていた。重圧のある体格が迫ってくる様子は、目の前に立つだけで私の心臓の鼓動を早めるくらいに怖い。
「サイオン部隊長、何故ここに…………」
 私と同じく怖がっているのであろう、震えた声でノーラちゃんが呟く。
 しかし、答えを返すことが無いままサイオン部隊長はルミオン提督に近づいて、顔を見合わせた。
「大人気ないぞ、ルミオン」
「お前には関係無いだろう」
「いい加減その品の無い性格を改善しろ。お前はさっき何を言いかけた? 頭に血が昇ると本当に何も考えなくなるようだな」
「お前こそ堅苦しい性格は昔からなんだ、お互い様だろうが。お前がもっと早く来てりゃあ、あそこまで言わなかったよ」
「今は待ち合わせの十分前だ。身勝手も大概にしろ」
 それから数秒間だけ睨み合った二人だったが、サイオン部隊長が先に動きを見せた。「先に行っていろ」という一言を放つと、ルミオン提督はその言葉に渋々従って次元航行部隊本部の奥へと向かっていった。
 二人が言い合う迫力もそうだが、サイオン部隊長の圧倒的な威圧感に、私とノーラちゃんは完全に竦んでしまっていた。
 それでも、私は何とか気を振り絞って、震える唇を動かした。
「その……あ、ありがとうございます」
「礼を言うことではないだろう。目上の人間に対する君の言動も充分問題だ。ソフィー君がすべきことは感謝ではなく、反省だ」
 どうやら私とルミオン提督の言い争いは、大方見られていたみたいだ。
「…………すみません」
「謝る相手も私ではない。悪いが、この件はミリー部隊長にも報告させてもらう。それと…………」
「はい」
「ミリー部隊長について調べ回っているようだな」
「えっ!?」
「以前、ソフィー君とクロノ提督がミリー部隊長について話していたとルミオンから聞いた」
 あのムカつく提督はそんなことまでサイオン部隊長に話していたのか。今後の調査がやり辛くなりそうだ。
「そんなことに時間を割いてどうするつもりだ。君達にはホカン部の仕事があるだろう」
「あの……」
 私が言葉を続けようとすると、サイオン部隊長の目から鋭い視線が送られてきた。
 その視線に心臓を一突きにされたようで、私は声を出せなかった。
 今の私は完全に弱者だ。さっきまでの強気な自分は、完全に殺されてしまっている。
 ふと、横に立っていたノーラちゃんを見ると、彼女は何故か真っ直ぐと佇んで真剣な表情をしていた。
 そして、口を開いた。
「サイオン部隊長は、どういったご用件で父と待ち合わせていたのですか?」
 次の瞬間、サイオン部隊長の重圧の矛先は私からノーラちゃんへと移った。
 ノーラちゃんが思わず半歩だけ後ずさる。
 重圧? いや、それは少し違っていた。確かに有無を言わせぬ凄みがその目にはあったが、それと同時に、不意を突かれたような懼(おそ)れが感じられた。
 ノーラちゃんの言葉がサイオン部隊長にそんな顔をさせたのか。サイオン部隊長が隙を見せるというのも珍しい。
「…………関係の無いことだ」
「そうですか」
「いいから早く隊舎へ帰れ」
 それだけ言うと、サイオン部隊長はルミオン提督が歩いていった道を足早に辿っていった。
 その背中を見送っていると、次元航行部隊の本部入り口に座っていた受付の女性局員と目が合った。私と目を合わせた彼女は、咄嗟に俯いてしまった。
「ソフィーさん」
「え?」
「…………もう行きましょう」
 ノーラちゃんが静かに歩を進める。
 私はただ黙ってついていくことしか出来なかった。



 ホカン部隊舎へと向かう帰路の途中、私は無言だった。本当は資料室に行ってエクレールについて調べてみたかったのだけれど、なんだかそんな気分にはなれない。
 そしてそんな気分になれないのは、おそらく今この場だけの話ではない。
 もういっそのこと、調べるのは止めてしまおうか。何もかも無かったことにして引き返したい。
 いつの間にか、私の中にはそんな考えが生まれていた。
 何も知らない頃の方が、愉快な仲間達に囲まれて気楽だった。それはごく最近までの記憶であるはずなのに、ひどく懐かしく感じてしまう。
 今、私達は激しい川の流れの中で中州に取り残されてしまったみたいだ。解決方法が見つからない。
 知りたいという衝動を抑えればよかったのに。ここまでやって来なければよかったのに。もっと緩やかな流れの時に逃げてしまえばよかったのに。
 この激流に飲まれたら、とてつもなく大変なことが起こりそうな気がする。
 ミリー部隊長は優しいし、何か隠し事をしているとしてもその優しさは変わらずにいてくれるだろう。
 両親だって私のために涙を流してくれる人達だ。ルミオン提督の言葉なんて気にする必要も無い。きっと本当に私のことを大切に思ってくれている。
 私は小さいことを気にし過ぎたんだ。エクレールなんて、そんなものは私が知るようなことでも無い。“ミリー部隊長が研究している何か”ということで納得してもいいじゃないか。
 たぶん、隣にいるノーラちゃんも同じ気持ちでいるはずだ。さっきから彼女もずっと無言だし、ノーラちゃんは私を助けるつもりで一緒に動いてくれただけなのだから、あんな目に遭えばきっと私と同じように怖がっているはず。引き返したいと思っているはずだ。
 そう、きっと彼女も同じ気持ちでいる。私が「諦めよう」と一言伝えるだけで、全ては元通りになる。
 私はそう期待して、ようやく口を開いた。
「調べるのはもう止めようか。私達には太刀打ち出来ない気がするよ」
 ノーラちゃんも同意してくれる。
 そう信じて私は言ったのだ。
 だが、返ってきた答えは、
「私は……もうちょっと調べてみたいと思います」
 私の予想を裏切ったものだった。
 どうしてだろう。彼女は、この激流に流され飲み込まれてしまうのが怖くはないのだろうか。
「ど、どうして?」
「たぶん、この件には私の父も関係していると思うからです」
「え? 根拠は?」
「ソフィーさんと言い合っている父の言葉を聞いて気が付きませんでしたか? 父は、ソフィーさんがスプリングス夫妻と血縁関係が無いということを始めから知っていましたよ」
 あの時は頭に血が昇っていて全然気が付かなかった。それでもルミオン提督の言葉の一つ一つを思い出してみると、確かにその通りだった気がする。そうでなければ、私はあんなに胸を抉られるような思いをしなかったのだから。
「でも、それがどうしてルミオン提督とこの件の関連性になるの?」
「ソフィーさんの両親を呼ぶ時、父は“スプリングス博士夫妻”と言いました。それってつまり、ソフィーさんのご両親を“研究者である”と認識しているわけですよね。普通だったら、ただファミリーネームが一緒だからと言ってそこまで特定出来るとは思えません」
「確かに……」
「父がソフィーさんのご両親を魔導力学の第一人者であるスプリングス夫妻だと認識していること。そしてソフィーさんの生い立ちについても知っていること。これだけでは確かに断定こそ出来ませんが、それでもホカン部とは無縁の次元航行部隊に所属する父にしては、知り過ぎていると思います」
 そう言うノーラちゃんの顔は、本当に切なく見えた。
 彼女は今、何を思って話しているのだろう。
「ここからは私の勝手な予感でしかありませんが、父の影にどうしてもミリー部隊長がちらついて見えてしまいます」
 寂しそうな顔。それは、知っている気がする顔だった。
「ミリー部隊長と親しいサイオン部隊長は、もしかしたらエクレールについて知っているのかもしれませんね。そしてそのサイオン部隊長が私の父と待ち合わせていたとなると…………」
 私が自分の両親に対して疑念を抱いた時にも、たぶん今のノーラちゃんのような顔をしていたんじゃないかと思う。
 いろいろな不安を織り交ぜた、切ない、どこか悲しげな表情。
「きっといろんなことが立て続けに起こったからでしょうか…………どうしても、関連性を疑ってしまうんです」
 ノーラちゃんは、もしかしたら、
「ノーラちゃんは、ルミオン提督のことを嫌いじゃないの?」
 彼女は、ルミオン提督がどんな人であろうとも、自分の父親を信じているんじゃないだろうか。
「…………引き取られてからずっと毛嫌いされてきましたが、それでも育ててくれたことは事実です。それに、ソフィーさんのように血の繋がりが無くとも親に想われた方がいると知ったので、私がそうなれなかった理由が何かをはっきりとさせたいんです。その理由を知ることが出来れば、私が今まで父に想ってもらえなかったことも、仕方が無いと納得出来るかもしれない」
「納得……できるの?」
 ルミオン提督がノーラちゃんに辛く当たる理由があったとしても、彼女はそれを“正当な理由”として受け入れることが出来るものだろうか。そもそも、正当な理由なんてあるのか。
 彼女が父に向ける優しさは、本当に報われるのだろうか。
 もし報われないのなら、あまりにも不憫だ。
「分かりません。でも、父を憎めないのも事実ですから」
 そう言ってノーラちゃんが微笑んだ。
「父がミリー部隊長達にどう関わっているのかも気になりますし、この件の真相が分かれば、父がどうして私に冷たく当たるのかも分かる気がするんです」
「冷たく当たる理由……」
 私の両親は、私のことを本当に愛してくれていた。そう思っている。それなのに、ノーラちゃんのお父さんは彼女のことを嫌っている。
 何故だろう?
 スプリングス夫妻とルミオン提督の性格の違いだろうか。
 私とノーラちゃんに何か違いがあるのだろうか。
 そのどちらも違うのか。あるいはその両方こそが理由なのか。
 私には分からない。
 しかし、今の私はそんなことよりも大事なことに気が付いた。
 私は、自分を激しく責めたのだ。
 ここで引き返すだなんてとんでもない。私は何て酷いことをしようとしたのだろうか。
 私のことを想ってノーラちゃんは動いてくれたというのに、私は恐怖や不安に負けて一人で勝手に諦めるところだった。
 この件はもう私一人の問題ではない。ノーラちゃんにも動く理由が出来てしまったのだ。そんな彼女を前にして、私だけが諦めるなんてこと出来るのだろうか。
 出来ない。そんなことは出来ないし、したくない。
 今、私達は同じホカン部として、仲間としてここにいるんじゃないか。
 分かち合うこと。それは、私がホカン部に求めたものじゃないか。
 私のために彼女が動いてくれたのだから、私も彼女のために動きたい。
「ごめんね、ノーラちゃん」
「ソフィーさん?」
「やっぱり私も諦めないよ。とことん調べてやろうじゃん。そして真相を突き止めちゃおう!」
 相変わらず怖いけれど、それでも仲間と一緒なら大丈夫。
 私は意気込んだ。いつの間にかノーラちゃんの手を取りながら。
「…………はい! 頑張りましょう!」



 私とノーラちゃんがホカン部に戻った時には、既に陽が落ちて空が暗くなってしまっていた。
 結局あの後、一度は帰りかけた私達だったが、本局の資料室に立ち寄って調べ物を始めたのだ。真相を突き止めようと決意を新たにした勢いもあって、すっかり夢中になってしまった。
 幾らミリー部隊長公認のサボりと言っても、こうして堂々と業務を怠ってしまうと罪悪感は大きい。
 隊舎の入り口を潜ると、食堂からは寮母さんが作る夕飯の香りが漂ってきていた。
 思わず忍び足で歩いてしまう私達。
 エレベーター前までやって来た私達は、そわそわとしていた。
 しばらくするとエレベーターが到着し、扉が開く。
 足を踏み入れようとした私達は、その場で固まった。
「あ、サボりのソフィーとノーラだ」
 そこにはブラント君がいた。
 彼だって別に何か仕事をしていたわけでは無いのに、こうして面と向かって「サボり」と言われると何だか罪悪感が高まる。
 私達とブラント君の立ち位置は変わらないまま、エレベーターが扉を閉じた。
「か、階段で行こうか」
「そうですね」
 エレベーターの前から離れようとした時、再び扉が開く音がして、ブラント君の声が聞こえてきた。
「早く乗りなよー」
 そうして私達三人は四階のブリーフィングルームに上がっていくと、そこで待っていたのはウルカヌスを構えたバリアジャケット姿のミリー部隊長と、ジージョちゃんとウィンディーヌちゃんだった。
「いや! ミリー部隊長すいません! 遅くなりましたぁ!」
「こんな時間までサボりとは良い度胸だぁ! 二人とも蜂の巣にしてやるよぉ!」
「うわあぁぁあ…………って、あれ?」
 よく見ると、ミリー部隊長の背がやたらと小さい。ミリー部隊長だと思っていた人は、実はレプリカストロで変身したマルコちゃんだった。
「二人とも随分遅くまで出掛けてたじゃないか」
「もー! びっくりさせないでよー!」
 マルコちゃんは変身を解きながら、意地悪そうな顔で笑って更に言った。
「ソフィーこそ。ノーラの父親に喧嘩売るなんてなかなかやるじゃないか。話を聞いた時は驚いたよ」
 伝わっている。しかもホカン部全体に。
 私は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「まあミリー部隊長は褒めてたけどね。なかなか見上げた根性だ! ってね」
「嬉しくない」
 気落ちしながらブリーフィングルーム内を見渡すと、そこにはミリー部隊長の姿が無かった。
 もしかしてまた部隊長室に籠もっているのだろうか。
「ミリー部隊長は?」
 そう尋ねると、マルコちゃんが指先で眼鏡を上げながら言った。
「尻拭いだよ」
「え?」
「ソフィーの無礼を謝りに行くって言ってた」
 ますます凹む。
 もう一日くらい仮病で休んじゃおうかな。会わせる顔が無い。
「まあすんごい鼻息荒くして出て行ったから、喧嘩の原因を向こうの責任とでも思って殴り込みに行ったってのが正解かもね」
 更なる追い討ちを受けてボロボロになった私は、一足先に食堂へと向かった。この場から逃げ出したい。
 後ろからノーラちゃんが続いてきて、私達は再びエレベーター前までやって来た。
 ミリー部隊長が帰ってきたらなんて顔をしようかなどと話しながら、私は到着したエレベーターの中に足を踏み入れる。
 すると、閉まる寸前の扉をこじ開けてウィンディーヌちゃんが飛び込んできた。
「ぅぐをっ!」
 体の小ささが災いして、半ば押し潰されそうになっていた。呻き声が本気だ。
「危ないよぉ!」
「大丈夫ですか!?」
 私達の声に手振りで返事をしながら、改まって姿勢を正すウィンディーヌちゃん。
 向かい合った彼女の表情には、何故か普段はあまり見せない真剣さがあった。
「…………二人に、一言だけ」
 少し間を開ける彼女。その間に、私とノーラちゃんは不思議そうにお互いの顔を見合わせた。
「ミリーのことを調べ回るのは、止めな」
 今度はもっと長い間が続いた。エレベーターはとっくに一階に着いている。
「な、なんで…………?」
 突然のウィンディーヌちゃんの言葉に、そして私達の胸中を見透かしているかのようなタイミングに、それ以上の言葉を紡ぐことが出来なかった。
「ミリーは、ホカン部にいるあんた達を決して悪いようにはしないから。だから、余計なことはしないでほしい」
 ウィンディーヌちゃんの目は本当に真剣そのものだった。
「じゃあ、ここだけの話ってことで、よろしく」
 考え事は増える一方だ。
 今更決意を変えるつもりは無いけれど、諦める気だって無いけれど、それでもこの件の複雑さを垣間見て少しだけ滅入ったのは事実だった。
 ノーラちゃんも思っていることだろう。
 これは、私達が思っていたよりもずっと複雑なことみたいだ。

 To be continued.



[24714] 第二十七話 ノーラの気持ち
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:92ebf3e4
Date: 2011/01/15 17:35
 静かなブリーフィングルームの中、珍しいことにホカン部は、皆がそれぞれの仕事におとなしく取り組んでいた。私語の聞こえない室内では、デスクモニターの操作音だけがしている。
 ウィンディーヌちゃんから謎の忠告を受けて一週間。その間、私は隙あらばウィンディーヌちゃんから忠告の真意を聞き出そうとしていた。
 起床の頃合を見計らって部屋の前で待ち伏せてみたり、仕事の休み時間を狙ってみたり、食事の際に隣の席を陣取ってみたり。
 しかし、そうして私が彼女と話をしようとする度に、ウィンディーヌちゃんはあれこれと何かしらの理由をつけて私を避けていく。
 何も事を知らないマルコちゃんとジージョちゃん、そしてブラント君は、私とウィンディーヌちゃんの追いかけっこに疑問を抱きながらも「新しい遊びか?」という程度の関心しか寄せていなかった。
 ウィンディーヌちゃんは絶対に知っている。『エクレール』について、そしてミリー部隊長の秘密についてを。
 おそらく私とノーラちゃんの動きは、ルミオン提督やサイオン部隊長を通じてミリー部隊長にも伝わっているはずだ。それにミリー部隊長のことだから、私達が何について調べているのかも大方予想がついていると思う。
 一週間前のウィンディーヌちゃんの忠告は、きっとミリー部隊長から言うように頼まれたものか、もしくはウィンディーヌちゃん自身が私達の動きに警戒心を持ったが故の行動だろう。
 そう、ミリー部隊長と繋がっているのは、ルミオン提督やサイオン部隊長だけではなかった。
 考えてみれば、それはルミオン提督達の関連性よりも高い可能性だったのだ。何故ならミリー部隊長とウィンディーヌちゃんは管理局に入るよりも以前からの付き合いであり、ウィンディーヌちゃんはミリー部隊長のことを誰よりも知っている人物なのだから。
 ウィンディーヌちゃんが直々に忠告をしてきたということは、私とノーラちゃんの嗅ぎ回っていることがそれだけ重要な秘密ということなのではないか。
 逆に考えてみるとこれはチャンスだ。ウィンディーヌちゃんが尻尾を出したのだと考えれば、彼女を真実へと通じる鍵とすることが出来る。彼女を利用するようで申し訳なく思うところもあるが、それでも私は真実が知りたい。
 ということで、ノーラちゃんには引き続き資料等からの調査をお願いし、私はウィンディーヌちゃん方面からの真相究明という風に役割を分けていた。
 しかし、一週間経った今でもウィンディーヌちゃんから真実を聞き出せそうにない。
 ちなみにミリー部隊長はと言うと、これと言って変わった様子を見せないでいた。私やノーラちゃんが『エクレール』について、そして彼女自身についても調べ回っているということは、ミリー部隊長本人だって気付いていると思うけれど、拍子抜けするくらいに私達への態度には変化が見られない。
 それは、私達では決して真相に辿り着けないということを確信する自信の表れなのだろうか。
 それとも。
 ――ソフィーさん?――
 突然入ったノーラちゃんからの念話に、私はデスク上の事務処理仕事から視線を外すことなく返事をした。
 ――どうしたの?――
 ――今日は、私も一緒にウィンディーヌさんへアタックしてみます――
 ノーラちゃんからの提案。
 それを聞いた瞬間、私の中で何かが心臓を強く叩いた。
 根拠の無い胸騒ぎが起こり始めたのは、この瞬間からだった。
 ――何か、良い案でもあるの?――
 ――記憶の泥棒(アインディープ・デスゲデヒトニス)を使ってみようと思います――
 それはノーラちゃんの持つレアスキル。他者の記憶を読み取ることが出来る力。
 しかし、その力は様々な弊害を引き起こすことから、ミリー部隊長に無断での使用を禁じられている魔法だ。
 その魔法を使えば謎はあっという間に解けるだろう。それは間違いない。
 しかし、何故ミリー部隊長に無断での使用を禁じられてきたのか。その理由を今一度思い出して、私は反対した。
 ――それは…………賛成出来ないよ――
 当然の答えだった。いくら真実を知りたいと言っても、ノーラちゃんのことを思えば、その方法を選択するわけにはいかない。
 それにノーラちゃん自身だって、本当はその方法に頼りたくないと思っているはずだ。
 ――もちろん、いきなりこの方法が良いとは思っていません――
 ほら、やっぱり。
 ――でも、最終的にこの方法を取る意思があるということをウィンディーヌさんに伝えれば、彼女も観念するかも――
 ――それはつまり、脅すってこと?――
 ――脅すだなんて! …………でも、やっぱりそう思われちゃいますよね――
 ノーラちゃんの能力を使うことなら私だって一度は考えた。
 しかし、その方法はノーラちゃんの今後を大きく変えてしまいかねない手段であって、それは私達の“今”さえも崩壊させる可能性だってあるのだ。
 今でこそミリー部隊長やウィンディーヌちゃんに不審なものを感じてしまっているが、それでもホカン部は私達にとって大切な居場所なのだ。
 アインディープ・デスゲデヒトニスはその性質上、使い方によっては簡単に信頼関係を壊してしまう。その禁じ手を使う事で、大切な居場所が取り返しのつかないことになるのは怖い。だから、私はノーラちゃんに能力を使ってほしくなかった。
 ――大丈夫、ノーラちゃんのレアスキルを使わなくたって、きっと本当のことが分かる日は来るよ――
 私の言葉に対して返事が来なかったので、私はデスク越しにノーラちゃんを覗き見た。
 ちょっとだけ、しょぼくれているようだった。
「…………腹減ったな」
 ミリー部隊長の言葉が聞こえたので時計を見ると、もうお昼になっていた。
「ご飯にしますか」
「そうだな」
 全員が同時にデスクのモニターを切ると、ぞろぞろと列を作ってエレベーターへと向かう。
 そうして到着したエレベーターに先に乗り込んだのは、ミリー部隊長とマルコちゃん、ジージョちゃん、ブラント君だった。
 続いてウィンディーヌちゃんが入ろうとした時、私は思わず右手を伸ばしてウィンディーヌちゃんの着ている制服の一角を摘んでいた。
「ふぇ?」
 驚くウィンディーヌちゃん。そして、ノーラちゃん。
「先に降りてるぞ」
 ミリー部隊長の言葉が終わるのと同時に、エレベーターはその扉を閉じてしまった。
 四階の廊下に残された私達三人は、しばらくの間無言のままで固まった。
「ちょっと! ソフィー!?」
「ソフィーさん!?」
「あれ!?」
 本当に無意識で摘んでいた。たぶん、ここ一週間ずっとウィンディーヌちゃんから話を聞き出すことばかり考えていたせいだ。彼女にアタックするタイミングばかりを窺っていて、隙あらば捕まえてでも、なんて思っていたせいに違いない。
 私は自然に伸びてしまった右手を慌てて引っ込めた。
「ご、ごめん! 思わず摘んじゃった!」
 そして謝った。しかし、ウィンディーヌちゃんは驚きが冷めないまま目を点にして言った。
「あ、あんたしつこいっつーの! そんなに話が聞きてえか!?」
「いや、あの……話は確かに聞きたいんだけど…………いや、でもこれは、誠に申し訳ございません!」
「無意識でやったのかよ! ソフィー、あんた病んできてるんじゃないの!?」
 呆れたように言うウィンディーヌちゃんへ、私はただただ平謝りを繰り返すばかりだ。
 しかし、そんな時にノーラちゃんが言った。
「でも、これでようやくお話が出来そうですね」
「お前はお前で抜け目無いな!」
 確かに。
「本当のことを教えてください。お願いします」
「…………こんなのずるい」
「ウィンディーヌちゃん、お願い。だって私のお父さんとお母さんまで関わっていることなんだよ。それなのに何も知らないでいるなんて出来ないよ」
「悪いようにはならない。だから、ミリーのことはそっとしておいてほしい。それだけなんだよ」
「でも…………私達は本当のことを知りたいんです」
 ウィンディーヌちゃんの表情を見ていると、何だか可哀想に思えてきた。私とノーラちゃんは、確実にウィンディーヌちゃんを追い詰めていて、悩ませている。
 ホカン部のメンバーが大切であることは間違いない。そんな仲間を苦しめるようなことはしたくない。
 ウィンディーヌちゃんだってきっといろいろと考えているんだ。私とノーラちゃんが真剣であることも理解しているのだろうし、出来ることならその真剣さに応えたいと思ってくれているかも知れない。ウィンディーヌちゃんは、何だかんだでミリー部隊長くらいに優しいから。
 だから、今こうして追い詰められている状況が辛いはずだ。
 私だって胸が痛い。ウィンディーヌちゃんを苦しめたくはない。
 しかし、ここで真実を知っておかないと、大好きな仲間のことを心の底から信じることが出来ないような気もする。
 それは言い訳だろうか。言い訳でもいいよ。
 私はやっぱり、真実が知りたい。
 どれくらいの時を沈黙していたのかは分からないけれど、そろそろ下に降りた誰かが様子を見に来てしまうのではと思った。もしかしたらウィンディーヌちゃんもそれを狙っているのだろうか。
 そう考えていた時、最初に沈黙を破ったのはウィンディーヌちゃんだった。
「…………少し、時間が欲しい」
 今までとは違った答えだった。
 直感的に思った。初めて一歩前進出来た気がした、と。
「私の口から全てを話して聞かせるのは、正直怖いんだ。勇気がいる。…………だから少し待ってくれない? 考えてみるよ」
「どうして怖いの? 怖いことなの?」
 私達の追い求めているものは、それほど大きくて重いものなのか。
 何を追っているのかも分からないからこそ、その言葉は余計に不安を掻き立てた。
「聞くと不安になると思う」
「何が不安になるの?」
 私達の追い求めているものは、今以上に私達を飲み込むものなのか。
 何が私達を渦巻こうとしているのか分からず、その言葉の信憑性を量れずにいた。
「“今のあたし達”を、壊しかねない」
 もう問い詰めることは出来なかった。
 そう言えばウィンディーヌちゃんの言葉と同じことを、私は危惧していたっけ。
 結局、ノーラちゃんのレアスキルを使っても使わなくても、真実を知れば大切な“今”が壊れてしまうということか。
 やっぱりどうしようもないのか。
 そんな時だ。ノーラちゃんが口を開いたのは。
「そんなの…………そんなのずるいです!」
「え?」
「ノーラちゃん?」
 私とウィンディーヌちゃんが驚いている間、ノーラちゃんが言葉を続けた。
「私達にはどうしようもないじゃないですか! 私はホカン部が好きだし、それは皆さんも一緒でしょう!? その今を壊したくないのなら何もするなってことですか!? そんなのずるいです!」
「ノーラ…………」
 ウィンディーヌちゃんの悲しそうな声が聞こえた。
「だって、私の父も関係しているんですよね? 私だって知りたいことがいっぱいあります! どうして私は父に想ってもらえなかったのか、それを知ることも許されないのですか!? 納得出来ない! 私だって家族に大切に想われたい! 愛されたい!…………好きになってほしい!」
 私は知らなかった。
 ノーラちゃんはこんなにも想っていたんだ。我慢して、押し込めて、ずっと閉じ込めていたんだ。
 私は大馬鹿者だった。大切な仲間がこんなにも苦しんでいたのに、気付いてあげることが出来なかったなんて。
 幼かった彼女を引き取った人は、ノーラちゃんが欲しがった愛情を与えてはくれなかった。
 それなのに私はどうだろう。私にだって血の繋がっていない両親がいるけれど、二人は私をとても大切に想ってくれていて。
 幸せだった。
「ノーラちゃん」
 ふと、以前ルミオン提督に言われた言葉を思い出した。
『貴様が一番ろくでもない馬鹿ガキだ! 他の連中はおとなしくしているのに、貴様は偉そうに説教を垂れる! ノーラと同じ境遇でも自分は幸せに暮らしてきたからと言って、それが当たり前だと思っているのか!?』
 本当にその通りだった。
 私は、ろくでもない。
「ノーラちゃん、あの…………」
 その時、ノーラちゃんの足元に三角形の魔法陣が展開された。
 これは、魔法? 何の魔法?
 私とウィンディーヌちゃんが声を発したのは同時だった。
「ノーラちゃん!?」
「アインディープ・デスゲデヒトニス…………ウィンディーヌさんの記憶、拝見させていただきます」
 ノーラちゃんが広げた手の平の上に一瞬で現れた光の猫は、そのままノーラちゃんの手を蹴って飛び出した。
 そして、私達の目線の高さまで浮いているウィンディーヌちゃんの全身に覆い被さるようにして、彼女を通り抜けた。
「あっ……バカ」
「ノーラちゃん!? 能力はダメだって」
「ごめんなさい。約束を破っちゃいました」
 俯いたままのノーラちゃんは、床に着地した猫を抱き上げて言った。
「ウィンディーヌさん、ごめんなさい」
「ノーラ…………あんた、バカだよ」
 ウィンディーヌちゃんの小さな肩が震えていた。
「本当にごめんなさい。なんだか……今は怖くて記憶を見れません」
 そう言ってノーラちゃんは、光の猫を左耳の鈴型イヤリングに寄せた。猫は吸い込まれるようにイヤリングの中へと消えていく。
「だから、シルウェストリスに保存しておきます。記憶、ありがとうございました」
 言い終わるとすぐに、ノーラちゃんは駆け出して階段を降りていってしまった。
 立ち尽くす私と、呆然として動かないウィンディーヌちゃん。
 静かな時間だけが過ぎていった。



 結局、その後ノーラちゃんは姿を見せなかった。
 彼女の部屋の前まで行ってみても、扉を叩いてみても、反応は一切無かった。中にいるのかどうかさえ怪しい。
 ブリーフィングルームに戻っても午後の業務に集中することなんて出来ない。
 ウィンディーヌちゃんは、ミリー部隊長と一緒に部隊長室に入っていき、ブリーフィングルーム内には何だか嫌な空気が漂っていた。
 人数が少ないから? 元気が無いから? 
 静まったブリーフィングルーム内の空気を感じ取り、マルコちゃん達も午前中以上におとなしかった。
 一度だけ、マルコちゃんが訊いてきた。
「何かあったのかい? 喧嘩とか?」
 何て返せばいいのか。私には分からなくて、沈黙することしか出来なかった。
 遂にはジージョちゃんまでも心配な気持ちを抑えられなくなったようで、手早く作った軽食をノーラちゃんの部屋まで運びに行った。
 しかし、すぐに戻ってきた彼女は力無く「部屋の前に置いてきた」とだけ呟いた。
「一体どうしちゃったのさ? ソフィー、知っているなら話してくれないかい?」
 マルコちゃんに問われても、私は一体どこから話したらいいのかが分からなくて口を閉ざした。
 それでもマルコちゃん達はじっと待っている。
「あ、あの」
「喧嘩かい?」
「ううん、違う」
「話したくないこと?」
「…………分からない。何て言ったらいいのかが分からない」
 本当に分からなかった。
 順を追って話そうにも、一体どこからが始まりなのかが分からなかった。
 私が頭を抱えてデスクに突っ伏していると、ブリーフィングルームの扉が開いた。
 そこにはミリー部隊長とウィンディーヌちゃんが姿を現していた。なんだか、すごく久しぶりに見た気がする。
「ノーラは来てないか?」
 ミリー部隊長の声。
「いや、来てませんけど。まだ部屋じゃないですか?」
「部屋にいないんだ…………」
 本日二回目。何かが再び私の心臓を強く叩いた。
 血液の流れと共に何かが全身を駆け巡る。
 突っ伏していた頭を上げてミリー部隊長とウィンディーヌちゃんを見ると、二人とも冷静な口調の割には嫌な汗を掻いていた。
「何時から居なくなったんだろう?」
「分からない。でも、部屋の前には空っぽの食器が置いてあったぞ」
「それはジージョが持っていったやつだ。食べて行ったのなら、まだそんなに時間は経ってないはずだよ」
 私達は言葉を発することなく互いに目を見合わせ、すぐさま行動を開始した。
 マルコちゃんとジージョちゃんとブラント君が、夕暮れのミッドチルダに飛び出していった。
 私もホカン部隊舎を飛び出そうとすると、隊の玄関でミリー部隊長とウィンディーヌちゃんに呼び止められた。
「ソフィー、ちょっとだけ話を聞いてくれ」
「何ですか?」
「…………ウィンディーヌから聞いたんだが、ノーラは」
「その話は今必要な話ですか!? ノーラちゃんを捜すのが先じゃないんですか!?」
「…………そうだったな。悪かった」
 そう謝ったミリー部隊長の顔が、ちょっとだけ悲しそうだった。
 私も強く言い過ぎた。そう思いつつも、やっぱりノーラちゃんのことを考えると一刻も早く捜しに出たかった。
 私は後ろ髪を引かれる気持ちのまま、駆け足で隊舎から遠ざかった。
 ノーラちゃんを捜すと言っても、それは一筋縄じゃいかないことだ。隊舎のあるミッドチルダ中央区画内だけでも相当広いのに、少ない人数でどこまで捜すことが出来るだろうか。幸いにもノーラちゃんが隊舎を出て行ったと思われる時間帯から考えれば、まだ中央区画内にいる可能性が高いということだろう。地方に出られては、それこそ完全にお手上げだ。
 こういう時に空を飛べたらいいのにと思う。緊急時以外の飛行を禁じられてさえいなければ、すぐにでもミッドチルダを上空から見下ろして捜すのに。
 そう思いながら、私はタクシーを使って移動していた。ノーラちゃんと一緒に行ったことのあるお店や、ホカン部の皆と一緒に行ったスーパーセントウ等のある区域も回り、それでも見つけられずにいた私は適当なところでタクシーを降りた。
 そこは、機動三課の隊舎が近いところだった。
 私の足は自然と三課の隊舎へ向かっていた。
 助けてほしい。そう思っていた私の気持ちが、藁にも縋る思いでここまで体を動かしたのだろう。
 隊舎の玄関を潜ると、迷うことなく私は管理係の部屋へと向かった。
 二十四時間体制で動いている機動三課は、空が暗くなっても業務が続いていた。
 管理係の局員が皆仕事に集中している室内を見渡していると、背後から突然声を掛けられた。
「ソフィー君か? どうしたんだ、こんな時間に」
 振り返ると、そこにはノイズ曹長が立っていた。
 馴染み深いその顔を見た瞬間、私は心の中で叫び続けていた言葉を口から放った。
「ノイズ曹長……」
「え?」
「助けてもらえませんか?」
 たぶん、ずっと一人で街中を捜し続けて、一人でタクシーに揺られて、一人で途方に暮れていたせいだと思う。気を許せる人に会った安心感から、私の感情の栓が抜けた。私はいつの間にか大粒の涙を零しながら、その場でしゃくり上げていた。
「え! えっ!? ちょ、ちょっと待って! ええ!?」
 横からアイサちゃんの声も聞こえた。
「ノイズ曹長が、女を泣かしている!?」
「いや、ちょっと待てアイサ君! これは違うぞ! 俺じゃないぞ!」
「いつもは泣かされるのに!」
「ちょっと黙っとれ!」
 ノイズ曹長が両手を私の肩に乗せながら、身を屈めて視線を合わせてきた。
「とにかく、泣いていたら分からないよ。助けるから、何があったのか教えてくれ」
「ノーラちゃんが、ノーラちゃんがぁ…………」
「ノーラ君? 彼女がどうした?」
「ど、何処にもいないんです」
 泣きながら搾り出した声は伝わっただろうか。ノイズ曹長は、ポカンとした顔を浮かべていた。
「デバイス通信も試したんですけど、出てくれなくて…………」
 そう言ってノイズ曹長にしがみ付いた私は、声を更に大きくして泣いた。
 慌てた様子で動き回るノイズ曹長にいつまでもしがみ付いていると、ノイズ曹長の両手が強引に私のことを剥がした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。ノーラ君が行方不明ってどういうことだ? 父親と一緒じゃないのか?」
「え?」
 今、ノイズ曹長は何と言ったのだろうか。
 私はその言葉をもう一度聞きたくてしばらく黙った。
「実はさっきルミオン提督という方がサイオン部隊長に会いに来ていたんだけど」
「ル、ルミオンって……次元航行部隊の!? ノーラちゃんのお父さん!?」
「何だ、知ってるのか。そのルミオン提督が来ていたんだよ」
 ルミオン提督とサイオン部隊長がまた会っていた。これは何かの手掛かりになるかも知れない。そして、ノーラちゃんが父親と会っているとはどういうことだろうか。
「二人はどんな話をしていたんですか!? ノーラちゃんは!?」
「話の内容は俺には分からないけれど、ルミオン提督がノーラ君と待ち合わせの約束をしていたって……なあ、アイサ君?」
 私が視線をアイサちゃんに向けると、彼女はちょっと驚きながら答えた。
「は、はい。三課隊舎にある階段の段数の合計を数えていたら、たまたまルミオン提督がノーラさんと回線通話している場面に出くわしまして」
 ルミオン提督とノーラちゃんが待ち合わせをしていた? おそらくそれは、ノーラちゃんが自分の部屋に籠もっている間の事だと思う。
 ルミオン提督と会うためにノーラちゃんは隊舎を出たのか。しかし、何処へ?
「階段の集計って、そんなバカなことを一日中してたのか?」
「いやぁ、サイオン部隊長から命じられた罰でして」
「何やらかしたらそんな罰になるんだよ?」
「二人とも!」
 ノイズ曹長とアイサちゃんの会話を遮り、私はアイサちゃんへと詰め寄った。
「何処で待ち合わせたとか、何処に向かったとか、聞いてない!?」
「えーっと…………フィンカンティエリ? ってところに連れて行くとか何とか」
「フィンカンティエリ? それって何処?」
 今度はノイズ曹長の顔を見上げたが、彼も分からないと言った様子で首を傾げた。
 お店の名前だろうか。聞き覚えの無い名称だった。
 答えを知っていそうな人物は誰かと考え、天井を見上げた。
 この上にいる人物、サイオン部隊長はどうだろう。いや、ルミオン提督と繋がっている彼は、私が聞いても決して教えてくれることはないだろう。
 だとすると、他に知っていそうな人物は。
「…………隊舎に戻らなくちゃ」
 私は三課隊舎の廊下を駆けていった。
 エレベーターを待つ時間も惜しくて、階段を駆け下りて一階を目指す。そして一階ロビーを真っ直ぐ突っ切り、三課隊舎の玄関を飛び出すと、私はバリアジャケットを装着した。
「あ、こら! ソフィー君! 緊急時以外の市街地の飛行は禁止だぞ!」
 そう言うノイズ曹長の声が聞こえてきた時には、私の体は既に浮いていた。
 禁止事項? そんなもの気にしていられない。私は更に高度を高めて、ホカン部隊舎の方角を見据えた。
 すっかり陽が落ちて街灯と家々から漏れ出る灯りに彩られた冷たい夜空を、私は最高速度で飛んだ。
 あっという間に小さくなっていく三課隊舎。
 一度だけ後方を振り向いた後、私は二度と後ろを見ることなく真っ直ぐ飛んだ。
 ルミオン提督がノーラちゃんにコンタクトを取るというのは、あまりにも不自然だ。それは普通の親子だったら何もおかしいことでは無いが、ルミオン提督はノーラちゃんに「近づくな」と言うほど彼女を毛嫌いしている人だ。そんな人がノーラちゃんに会う約束をするだなんて、考えられない。
 何かある。さっきから私の心臓を叩きっ放しなのは、“嫌な予感”というやつだ。
 怖かった。ノーラちゃんに何かとんでもないものが迫っている気がして、早く彼女の無事な姿を確認して安心したかった。
 どうしてこうなったのだろう。ノーラちゃんは、家族に愛されたかっただけじゃないか。
 それがそんなにいけないことなのか。
 私には分からない。
 ワガママなこと?
 ううん、自然なことだよ。
 何も知らないでのうのうと生活してきた私自身を戒めるために、私は誓った。
 今度こそノーラちゃんを助けないと。
 彼女が家族を欲しているのなら、何とかしてあげないと。
 ルミオン提督に何も期待出来ないというのなら、私達ホカン部が家族として彼女を迎えてあげないと。
 仲間なんだから、分かち合いたいよ。
 私は、とっくに最高速度が出ている自分の体を更に鞭打った。
 市街地に一定間隔で設置された魔力感知センサーが、私の飛行魔法を感知して警告音を発し続けている。しかし、そんなことで足を止めているわけにはいかない。
 間に合わなくちゃ。彼女の手に、声に、気持ちに届かなくちゃ。
 やがてホカン部隊舎が見えてきた。やっとの思いで辿り着いた私は、高度を落とすとバリアジャケットを解除することもせずに玄関へと飛び込んでいった。
 そしてすぐさま階段を駆け上がり、四階のブリーフィングルームの扉を開く。
 中には、先に帰ってきていたマルコちゃん達を含め、私とノーラちゃん以外の全員が揃っていた。
「おかえり。どこまで」
「ミリー部隊長! フィンカンティエリって何処ですか!?」
 静まったままの室内。その中で、私の質問に対する返事は少し遅れてやってきた。
「…………何でその場所を知っている? それにソフィー、なんでバリアジャケットを着てるんだ?」
「ミリー部隊長! ノーラちゃんがそこに! ルミオン提督と一緒なんです!」
「どういうことだ?」
 しばらく沈黙が続いた。私にはその沈黙がとても長かった。
「ミリー! まさかノーラは記憶を見たんじゃ!」
「それでその後どうした? …………まさかルミオンに連絡を?」
 ミリー部隊長とウィンディーヌちゃんが言い終えた瞬間、ミリー部隊長が両手でデスクを叩きながら勢いよく立ち上がった。
「ウルカヌス、セットアップ!」
「Jawohl」
 ミリー部隊長はバリアジャケットを装着すると、突然ウルカヌスを構えた。そして銃身がぐるりと部屋の中を見渡したかと思うと、ミリー部隊長のデスク後方にある大きな窓ガラスと向き合って止まった。
「ミリ」
 ウィンディーヌちゃんの声は最後まで聞こえなかった。それは、ウルカヌスから吐き出される真っ赤な魔法弾が窓ガラスを貫く轟音で掻き消されてしまったからだ。
 思わず短い悲鳴を上げてしまった私は、ミリー部隊長が砕けた窓ガラスを踏みつけて窓に向かっている姿を見た。
 マルコちゃんが叫ぶ。
「な、何してるんですか!?」
「緊急事態だ! ノーラが危ない!」
 それだけ言い放ったミリー部隊長は、ガラスの無くなった窓から夜空へ飛び出していった。
 今の私がすべきことは、ミリー部隊長の後に続いていくこと。
 そして、ノーラちゃんを助けることだ。

 To be continued.
 



[24714] 第二十八話 名前を呼んで
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:5d5228c6
Date: 2011/01/17 01:48
 私の十数メートル前方をミリー部隊長が飛んでいる。
 速い。少しでも気を抜けば魔力が弱まって一気に離されてしまう。
 ガトリングガン型のデバイス、ウルカヌスを左手に、ミリー部隊長は真っ直ぐと前を見ている。目的地まで一直線だ。
 確か、以前にもこれと似た光景を見たことがあったな。
 そう、あれは私が初めてホカン部にやって来た時。なのはさんと一緒に空を飛んだ時だ。
 あの時も私は、置いて行かれない様にと必死に空を飛んでいた。
 でも、今回はあの時とは違う。
 なのはさんは私のことを気遣って、遅れていた私と肩を並べてくれた。でも、ミリー部隊長はそんなことをしている余裕が無いほどに速く飛んでいく。
 私は今度こそ、自分の力で追いつかなくちゃいけない。
 ――ソフィー! 大丈夫か!?――
 ミリー部隊長から念話が入った。
 なのはさんのように、大事な時でも私を気遣ってくれる優しさ。
 ――悪いが速度は落とさん、先に行くぞ!――
 ミリー部隊長から続けて念話が入る。
 なのはさんと違って容赦の無い、でもそれが彼女らしい逞しさ。
 ――だ、大丈夫です! 速度そのままでお願いします!――
 私だって強くならなくちゃ。あの時とは違う。
 そう、強くならなくちゃ大切なものを救えない。
 ふと後方を見やると、他のホカン部メンバーも全員続いていた。
 私は、ブラント君とユニゾン中のウィンディーヌちゃんに念話を送った。
 ――ウィンディーヌちゃん! フィンカンティエリって何!? 何処なのそれ!?――
 ――場所はミリーに喰らいついて行きゃ分かるわよ!――
 ――そんな地名聞いたことないんだけど――
 ――そりゃあね……今は地図に載ってないから――
 ――それはどういうことだい?――
 今聞こえたのはマルコちゃんの念話だ。ウィンディーヌちゃんの念話は全員に届けられていた。
 ――今は管理局所有ってことになっているけど、元々は民間の研究所だった場所なの――
 ――それなのに地図に載ってないの?――
 ――もう使われてない廃屋だからね――
 辺りを見渡すと、景色はいつの間にか住居エリアを抜け出していて、前方には真っ黒な森が見えていた。
 ミリー部隊長の姿はその森を目指して一直線に飛んでいく。
 少しだけ身震いした。空との境目が分からないくらいに黒い塊へ近づくと、あの中に飲み込まれてしまうという恐怖が肥大していく。
 光の見えない場所を見ていたら、この先の私達の運命を感じてしまった。
 光が見えない? そんなこと信じられない。信じたくない。
 怖かった。進むことを止めてしまいたくなった。
 しかし、そんな弱気な自分の頬を両手で叩き、私は前へ前へと飛び続けた。
 ――何でノーラはそんな場所なんかに行ったんだ?――
 ――違うよマルコちゃん。ルミオン提督に呼び出されて――
 ――ああ、そっか。でも、何でそんな場所なんだ?――
 それは分からない。そして、ウィンディーヌちゃんも口を閉ざしてしまった。
 でも今はそれを追求している場合では無い。そんなことより何よりも、ノーラちゃんのもとへと急がないといけないのだから。
 ノーラちゃんがウィンディーヌちゃんの記憶を見て、その後ルミオン提督と話をしたとなると、一体何を話したのだろう。
 何を? そんなこと一つしか思いつかない。
 きっとノーラちゃんは全てを知ったんだ。ミリー部隊長と繋がる私の両親やサイオン部隊長、そしてルミオン提督達の隠す秘密を。
 更に彼女が一番知りたかったこと、一番求めたものを見たはずだ。
 自分が愛してもらえなかった原因を。
 その原因に納得出来たのかどうかは分からない。でも彼女は、そのことを話すつもりでルミオン提督と連絡を取ったんじゃないだろうか。
 しかし、それはつまりノーラちゃんが秘密の全てを知ってしまったことが、ルミオン提督達にも知れ渡ってしまうということ。
 今までずっと秘密を守り続けてきた彼等が、全てを知ってしまったノーラちゃんを放っておくのだろうか。
 否、そんなことするはずが無い。
 ミリー部隊長の直感的な危機感は、おそらく正しい。
 ルミオン提督は、きっとノーラちゃんを放っておかない。
 また、身震いした。近づく度に広くなる黒い森は、まるで大きな口が徐々に開いていくみたいだ。あの中に入った瞬間、私達は出ることが出来ないんじゃないかと思う。
 そんな暗い場所を見ていたら、ノーラちゃんの安否が一層気になり始めた。
 出てくることが出来ない? そんなこと信じられない。信じたくない。
 怖かった。彼女が飲み込まれてしまうんじゃないかと考える。
 しかし、震える自分の歯を食いしばり、私は更に前へと飛び続けた。
 前方を行くミリー部隊長の飛行軌道に変化が見られた。高度が徐々に下がっている。
 もうすぐか。森は一筋の明かりすらも拒むかのように真っ黒で、ノーラちゃんがいると思われる廃屋の影はまだ見えない。
 それでも、ミリー部隊長の姿を見失わないようにと、私は彼女の飛行軌道に重なった。
 速度も落ち始め、いよいよ森が目の前にやって来た。
 体を木々の葉に触れさせながら着地すると、そこには漆黒の世界が広がっていた。野鳥の鳴き声、獣の遠吠え、風に揺られる草木のざわめき。何もかもが昼間に見聞きするよりもずっと不気味だった。
 ミリー部隊長は右手の平に魔力球を出現させ、それを眩しく発光させた。
 そうして歩き出した彼女を追って、私達も後に続いた。
 ミリー部隊長の早足に追い付こうとして、何度も躓きながら私は歩いた。後方から皆はちゃんと着いて来ているだろうかと心配になって後ろを振り向くと、ジージョちゃんの怯えきった表情が最初に見えた。それから他の皆の姿も確認して、私は再び前を見る。
 すると、ミリー部隊長が足を止めた。
「ここだ」
 ミリー部隊長の横から顔を覗かせると、そこには黒い大きな影が佇んでいた。
 照明が一切点いていないその施設は、廃屋と呼ぶにはまだ綺麗な方ではないだろうか。老朽化もそんなに進んでいる様子はなく、せいぜい地面から伸びる植物が蔦をあちこちに絡ませている程度だ。掃除さえすれば、今でも普通に使えそうな立派な建物だった。
 入り口の脇には、『フィンカンティエリ研究所』の文字が刻まれていた。
 ミリー部隊長が入り口の前に立ち、すぐ側に取り付けられているテンキーのコントローラーを操作し始めた。
 静かな森の中に断続的に響く電子音。
「電気が来てるんですか?」
「いや、止まっているはずだよ。裏庭にある自家発電機が作動しているみたいだな。ここに来た奴が帰る時にスイッチを切り忘れたんだろう」
 それはつまり、誰かが自家発電機を作動させたということ?
 やはり、ここにノーラちゃんとルミオン提督がやって来たのか。
 胸が高鳴り、緊張がピークを迎えていた。何だか息苦しく感じる。
 私は自分の胸に両手を当てながら、入り口が開くのを待った。
 電子音が鳴り、開錠される音が響き渡った。続いて入り口の自動ドアが開く。
 ミリー部隊長がデバイスを構えながら中に入っていくと、間もなくして施設の全照明が点灯された。
 私達も続いて中に入ると、そこは研究所内の玄関ホールだった。
「奥に行くぞ」
 埃っぽいホール内を進むと、床には足跡がついていた。そして、私達がまだ歩いていない場所にも足跡が見られる。
 行きは二人分。帰りは。
「ノーラちゃん!」
 思わず叫んでしまった。
 入り口から施設奥へと向かう二人分の足跡が、帰りには一人分しかない。
 きっと、この奥にはまだノーラちゃんがいる。
 私の声が引き金となったのか、ミリー部隊長の歩調が少しずつ速くなり、遂には小走りになっていた。
 私達もそれに続いた。響き渡る足音の数が増え、それは施設内のあちこちで反響している。
 扉を幾つか潜り抜け、廊下を幾つも進み、幾つもの呼吸音が徐々に荒々しくなっていった。
 疲れてきたわけではない。近づくものがそうさせるのだ。幾ら明るいとは言っても、私達の立てる物音以外一切聞こえないこの場所は、何だか世界から切り離されてしまって漂流している箱舟みたいで不気味だった。
「ノーラちゃん! 返事して!」
 聞こえているのかどうかは分からない。でも、彼女の声を求めて私は叫び続けた。
 嫌だ。自分の声だけが響くのは嫌だった。
 怖い。残されている一人分の足跡が怖い。
 辛い。徐々にこみ上げてくるものが辛い。
 たった一言でいいんだ。ノーラちゃんが一言返してくれさえすれば、私を襲う不安は何もかも消し飛ぶ。
 声を聞かせてほしい。
「ノーラちゃん! 私だよ、ソフィーだよ!」
 返事をちょうだい。
「聞こえる!? 迎えに来たよ! 帰ろうよ!」
 応えてください。
「応えてよ! 呼んでよ! 呼んでってば!」
 名前を呼んで。
「私の名前を呼んでよぉ!」
 そして、大きな両開きの扉を潜り抜けた時、私達はようやく足を止めた。
 いや、止めざるを得なかった。
 その光景は、私にたった一言だけ、今目の前にある真実を宣告したのだ。
 “お前は救えなかった”、と。
「ノーラッ!」
 ミリー部隊長以外の誰もが動けなかった。
 幾つもの研究設備が立ち並ぶ一室の、ちょうど真ん中に倒れ伏す人影。
 その人の周辺には、水溜りみたいに広がる赤い液体があった。
 鼻を突く。鉄臭い。
 ミリー部隊長はその上に両膝を突いた。飛沫が飛ぶ。
 倒れているその体を抱き起こし、彼女は再び少女の名前を呼んだ。
「ノーラ! 目を覚ませ! 分かるか!? 私だ!」
 この光景をどう受け止めればいいんだろう?
 何をしているんだ、私。
 駆け寄っていかなくちゃ。
 手当てをしなくちゃ。
 ノーラちゃんを、助けなくちゃ。
「ジージョ! 治癒魔法だ、早くしろ!」
 ジージョちゃんが駆け出した。
 私もだ。ここで止まっていたら駄目だ。 
 震える膝を一度叩き、私は走った。
 すぐにジージョちゃんと向かい合うようにして膝を突き、ノーラちゃんを見た。
 傷口はお腹? 黒い穴を中心に、管理局の制服を染める赤が円形に広がっている。
 銃弾の跡? 痛いよ、そんなのきっと痛いに決まってるよ。
「ノーラちゃん!」
 目から流れるものすら拭えずに、私は両手を傷口に翳した。既に治癒魔法を始めているジージョちゃんの両手に重ねて置いた私の両手は、淡い薄紫の光を放ち始める。
 魔力を最大限に発揮させて、その光で傷口を覆う。
 塞がるのか? 塞がってよ。
 私は歯を食いしばった。既に涙がボロボロと零れて、足元の赤と混じっていく。ここで声まで上げてしまったら、何だか今の状況を諦めた気になってしまうようで嫌だった。
「ソフィー! ジージョ! 頼む! 何とかしてくれ!」
 ミリー部隊長が両手を組み合わせて額に当てていた。その姿は、神への祈りそのものだ。
 こんな残酷な状況を誰が想像したと言うのだろか。
 こんな残酷な情景を誰が思い描くことが出来ただろうか。
 ごめんなさい、ミリー部隊長。
 私は、神様じゃない。
「ジージョちゃん! もっと魔力を強く!」
 ジージョちゃんの手が震えていた。彼女も声無く泣き続け、それでも魔力を全身から搾り出していた。
「…………フィー……さん?」
 ふと、自分の手が誰かに握られているのが分かった。
「ノーラちゃん!」
「ノーラ!」
 目が開いた。
 良かった。まだ生きてる。
 その事実を確認して、涙が更に溢れ出る。
「今助けるから! ね! 頑張ってよ!」
「無理です…………手遅れ、だか…………」
 そんなはず無い。目を開けたじゃないか。
 話し掛けなくちゃ。彼女の意識を繋ぎ止めておかなくちゃ。
「絶対助かるから! もうちょっと頑張って!」
「ソフィーさん…………名前を呼んでって…………」
「うん……うんっ! 呼んだよ! 私は呼んだよ! ノーラちゃんも応えてくれたんだよね!」
 返事が無い。代わりに、瞼が半開きになる。
「だめだノーラ! 目を開けろ! もうちょっとだから!」
「ノーラちゃん! ねえ! もう一度名前を呼んでほしいの!」
「…………これ」
 私の手を握る手とは反対の手を、ノーラちゃんが弱々しく持ち上げる。
 その手に握られていたのは、鈴型のイヤリングだった。それは、彼女のデバイス、シルウェストリス。
「何? ……これは何!?」
「この子……お願い…………しま、す」
 私は首を横に振った。何度も何度も振り続けた。
 声が出ない。嗚咽しか出てこない。
 受け取れないよ。それを受け取ったら、ノーラちゃんが遠くに行ってしまう気がする。
 ノーラちゃん見てよ。周りを見てよ。
 あなたのことを想っている人がこんなにいるんだよ。皆を置いていかないでよ。
 ミリー部隊長はずっと祈りっ放しだよ。マルコちゃんも泣いてるよ。ブラント君だって膝を抱えちゃったよ。ウィンディーヌちゃんがミリー部隊長に抱きついているよ。ジージョちゃんだって頑張ってるんだよ。
 私だって、こんなに一生懸命、あなたを助けたいと思っているんだよ。
「引き延ばさないで…………苦しい、です…………」
 私はやっぱり首を横に振ることしか出来ない。
 止められないよ。止められるわけがないよ。
「ミリー…………部隊長…………」
 その言葉を聞いて、ミリー部隊長はすぐに祈りを止めた。
 そしてノーラちゃんの手を取り、それを自分の胸に当てて、泣いていた。
「ここが、始まりだったって…………父が」
「違う……違うよ。もっとだ、もっと前からだ」
 始まり? それは何を言っているのだろう。
 私には分からない。
 そして、もう何もかもが分からない。
「知ってます…………ありが、とう…………」
 嫌だ。彼女の声が掠れていくのが嫌だった。
 怖い。残り僅かな命が消えていくのが怖い。
 辛い。一気に押し寄せた悲しみが酷く辛い。
 いつしか、ノーラちゃんが一切の反応を示さなくなった。
 ミリー部隊長は掴んだ手を離すことなく、再び祈り続けた。
 ジージョちゃんは諦めることなく治癒魔法を発動しながら、しかしノーラちゃんの体の上に突っ伏していた。
 そして私は、私は。



 ウィンディーヌちゃんの転送魔法を使って、私達はノーラちゃんの遺体をミッドチルダの西部地方にある墓地へと運んだ。
 当然のことだがきちんとした手続きもしていないし、ノーラちゃんのための墓石があるわけなど無い。それなのに、ミリー部隊長は墓地の片隅に勝手に穴を掘り始めたのだ。
「こんな粗末な墓でいいの?」
 手頃な墓石を探してくるよう言われたウィンディーヌちゃんとジージョちゃんが、両手に大小幾つかの石を持って帰ってくると、ミリー部隊長は微笑みながら言った。
「いいんだよ。場所や見栄えは重要ではない。穴を掘って埋めるという行為は、単なる遺体の処理に過ぎないからな。弔いは…………心でするものだ」
 三時間掛けてノーラちゃんを埋め終えた私達は、墓石を積み上げ、花を添えて、そして彼女の冥福を祈った。
 自然ともう涙は流れなかった。
 しかし、声も出なかった。無言の葬儀が静かに終わる。
 夜風が吹き抜けて、私の髪や頬を撫でていった。
 でもその感触からは、ノーラちゃんを感じ取ることが出来ない。
 不安そうにしている私を、元気の無い私を、弱い私を支えてくれたり包んでくれたりした手は、もう何処にも無い。
 どうしてこうなったのかは分からない。きっとそれは、ミリー部隊長とウィンディーヌちゃん以外のホカン部皆も分かっていなくて。
 でも、何だか今はそんなことを知ろうという気にはなれなかった。
 左耳につけた鈴のイヤリングが微かに揺れて、私の肌に触れる。寂しがっているみたいだ。
 ノーラちゃんとの思い出を振り返ろうとしたのだけれど、何故だかそんなに思い浮かばなかった。
 たぶん、思い出すことを拒絶しているんだ。そしてそれは、彼女の死をまだ受け止め切れていない証。
 私は弱い。こんなにも弱い。
 不必要なものを失うことが許せなかったはずだ。それなのにノーラちゃんは逝ってしまった。失われてしまったのだ。
 彼女は不必要だったか? そんなはずは無い。だって、少なくとも私達は彼女を必要としていた。 
 誓ったはずだ。彼女を助けるって。
 失われそうなものを助けられなければ、私が管理局員をしている理由が無いじゃないか。
 失われそうなものを助けられなかった私は、弱い。
「さて、と…………」
 ミリー部隊長が伸びをした。口調はいつも通りに戻っている。
「お前達は先に隊舎に戻っていてくれないか?」
「え? ミリー部隊長はどうするんですか?」
「いい」
「え?」
「…………もういいんだ」
 静かな夜空の下。ここは星達に見守られた場所。
 彼女の声は星達の囁きみたいに透き通っていて、穏やかだった。
「お前達に隊舎で話したいことがある。だから先に戻っていてくれ」
 そう言うと、ミリー部隊長は飛行魔法を発動して徐々に体を浮かせていった。
 私達は彼女の姿を見送るだけ。
 話とは一体なんだろう? 
 ミリー部隊長がどんどん高度を上げていき、遂に地上からは姿が確認できなくなった。
 まるで、星となったノーラちゃんに会いに行っているみたいだ。
「話って何だろうねぇ?」
 マルコちゃんが空を見上げながらぼやくと、ウィンディーヌちゃんが声を張り上げた。
「ほれ! 隊舎に帰るから、早くこっち来なさいよ」
 私達は身を寄せ合って、ウィンディーヌちゃんの足元に広がる魔法陣の上に乗った。



 ミリー部隊長と別れてから一時間が経った。
 窓ガラスの無くなったブリーフィングルームに集まった私達。風がそれほど強くなくてよかった。吹き込んできたら少し肌寒いかも知れない。
 皆はデスクに座り、私とジージョちゃんはガラスの破片を片付けていた。
 ここでも言葉は交わされなかった。誰もが無言のままミリー部隊長の帰りを待ち続けた。
 ミリー部隊長専用のデスク周辺に落ちたガラスを拾い始めた時、ホカン部全員のデスク上から短い電子音が連続で鳴り始めた。
「な、何!?」
「ちょっと待てよ? こりゃあ地上本部からの緊急通達だよ」
 真っ赤な文字で緊急事態を知らせる文字が書かれたモニターが、全デスクの上でけたたましく電子音を響かせている。
「こんな時間に緊急通達? ボク達はもうとっくに業務終了時刻を迎えてるっつーの」
 そう言いながらマルコちゃんが受信ボタンを押すと、彼女のデスク上モニターには緊急通達の文書が表示された。
 次々と起こる問題。もううんざりだった。
「なになに? 遺失物管理部機動三課の管理倉庫が襲撃を受けた? こりゃまた随分と派手なことをする奴がいるもんだね」
 遺失物管理部の管理倉庫と言えば、隊舎内の地下にある極めて強固なセキュリティーに守られた場所のはずだ。中には機動三課が保管するロストロギアがあるはず。
 それが狙われたということか。
 物騒にも程がある。どうして今夜はこんなにいろんなことが起こるのか。大概にしてほしい。
 ミリー部隊長の話は明日でもいいだろうか。私は、魔法の使い過ぎと泣き過ぎで疲れていた。もう眠りたい。
「…………おい……おいおいおい! これはやばいんじゃないの?」
 突然、マルコちゃんの声が強張った。
「何が?」
 ブラント君が問い掛け、マルコちゃんの隣に移ってモニターを覗き込んだ。
 私とジージョちゃんもミリー部隊長のデスクモニターを展開し、その通達文書に目をやった。
 ウィンディーヌちゃんだけは、何だか疲れた顔のまま天井を仰いでいた。
「三課の管理倉庫を襲撃したのは、時空管理局員一名。持ち出されたのはロストロギア指定を受けている『プリズン』四つ。なお」
 そこまで読み終えた時、ガラスの無い窓から一人の女性が飛び込んできた。
「おまたせ、お前達!」
「ミリー部隊長!?」
 誰もが驚いたはずだ。
 それは彼女の唐突な帰還に対してではない。彼女が、手にしているバッグから“ある物”を取り出したからだった。
「こいつはなーんだ?」
 ミリー部隊長がそう言いながら差し出したそれを見て、私はもう一度緊急通達の文書を読んだ。
 三課の管理倉庫を襲撃したのは、時空管理局員一名。持ち出されたのはロストロギア指定を受けている『プリズン』四つ。なお、倉庫を襲撃した管理局員は、遺失物保護観察部部隊長を務めるミリー・バンカル三等空佐。
 ミリー部隊長は、お得意の意地悪そうな笑みを浮かべていた。

 To be continued.



[24714] 第二十九話 機動六課
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:295f2e6d
Date: 2011/01/22 23:50
≪1・再設立≫

「…………どういうこと?」
 時空管理局の全部隊に配信された緊急通達。それを読んだ私は、通達に書かれていることが信じられずに困惑した。
 機動三課の管理倉庫を襲撃したのは、時空管理局員一名。持ち出されたのはロストロギア指定を受けている『プリズン』四つ。なお、倉庫を襲撃した管理局員は、遺失物保護観察部部隊長を務めるミリー・バンカル三等空佐。
 何故ホカン部の部隊長がそんなことを? 一体ホカン部に何があったの? ソフィーや他の皆はどうしているの?
 すぐさまテーブルの上に置いていた赤い宝玉を手に取って、デバイス通信を試みる。
「レイジングハート、急いでソフィーに繋いで!」
「The access was refused」(アクセスは拒否されました)
 しかし、デバイス通信が繋がらない。
 事実確認が出来ないことと、ソフィーが私を拒む理由が分からなくて、胸の中の不安が急激に膨張していく。
 どうして? 思い当たる節が見つからない。
 こんな時は考えたって仕方が無い。連絡が取れないのなら、動くしかない。
 私はすぐにクローゼットを開いて管理局の制服を掴んだ。
 身に着けていたパジャマの前ボタンを外そうとしたところで、ふと、誰かの視線を感じた。
「ママ?」
 振り返った先には娘の姿。紅色と翡翠色のオッドアイを眠たそうに擦って呟いたその少女は、ベッドの上で寝癖のついた金色の髪を揺らしながら私に近づいてきた。
「お出かけするの?」
「ヴィヴィオごめんね。アイナさんに来てもらうから、少しだけお留守番していてくれる?」
 たぶん愚図るんだろうなと思いつつも、今の私はどうしてもじっとしていられない。
 もう時刻は深夜になっちゃったけれど、アイナさんなら多少の無理も聞いてくれるかな。幾らハウスキーパーだからと言っても、こんな時間に呼びつけるのはやっぱり失礼だし、普段からヴィヴィオの面倒を見てもらっているのに私からも無理を言ってしまうのは申し訳なく思う。
 ただ、それでも私は今すぐにホカン部へ向かいたかった。
 アイナさんへの連絡を取ろうとすると、今度はレイジングハートがコール音を響かせた。
 連絡? こんな時間に誰から?
 そう思った時、私の頭の中には一人の少女の姿しか浮かんでこなかった。
「ソフィー!?」
 私はすぐさま通信回線を開いた。
 デバイス通信が繋がると、聞き慣れた口調の声が聞こえてきた。
『こんばんは、なのはちゃんお久しぶりやぁ。まだ起きてた?』
 聞こえてきたのは、少しだけ久しぶりとなる親友の声。
「はやてちゃん?」
『ごめんな、夜遅くに。ちょっと急ぎの話があるんやけど、大丈夫かな?』
 彼女の名前は八神はやて。小学三年生の頃からの友達であり、三ヶ月前に解散した機動六課で部隊長も務めていた魔導師だ。機動六課解散後、“奇跡の部隊”として高い評価を受けた六課の部隊長という功績が認められて指揮官職への誘いが多数あったそうだ。しかし、それを全て蹴り、現在ではフリーの特別捜査官として活動している。
 私はパジャマを脱ぎ捨てながら答えた。
「いいよ。急ぎの話って?」
『管理局からの緊急通達はもう読んだ?』
 一瞬、私は着替えを中断してしまった。
 はやてちゃんからの話がホカン部部隊長の奇行に関連していること?
 慌ててブラウスに袖を通しながら、すぐに返事を送った。
「読んだよ。それに関係すること?」
『そうやね。大いに関係のあること』
「何!?」
 切羽詰った私の声を聞いたせいだろう。はやてちゃんは少々びっくりしたような声で、『…………気合い充分やね』と呟いた。
『…………もしかしてなのはちゃん、ホカン部のことについて何か知っとる、とか?』
 その言葉が私の胸に突き刺さる。
 私は何を取り乱しているんだろう。最近になってホカン部との付き合いが多くなったのは間違いないけれど、考えてみれば私は彼女達について何を知っているのか。
 ホカン部のことを知っているのかと訊かれて、何も答えられない自分が情けない。
 ホカン部のミリー部隊長は、性格こそ一癖も二癖もあるけれど、何の意味も無くあんなことをする人ではないと思う。
 何かあったに違いない。そうだ、ホカン部に何か大変なことがあったんだ。
 では、それに関する前兆は何かあっただろうか。例えばソフィーの様子に何か変なところは無かっただろうか。でも分からない。
 私がもっと早い内からソフィーに、そしてホカン部に意識を向けていれば、もしかしたらこんな事態にはならなかったんじゃないだろうか。
 悔しい。何も知ることが出来なかったという事実がとても悔しい。
 ついついそう考えてしまい、胸に刺さったはやてちゃんの言葉が更に奥へと深く食い込む。
「…………ごめん、何も知らない」
 そう、何も知らない。
 私は、無力なほどに何も知らないのだ。
『別に謝らんでもええよ。じゃあ私からの情報な』
「情報?」
『そう。ミリー部隊長さんが強奪したという“プリズン”ってのを私は知らんかったから、実はさっきユーノ君に調べてもらったんよ』
 ユーノ君に調べてもらった? 何故いきなりユーノ君に?
 はやてちゃんは何かをもったいぶっている。そう、私の直感が告げた。
『プリズン自体は大したことないってのは分かったんやけど、その時にユーノ君がホカン部についてちょっとした情報をくれてな』
「何?」
『ユーノ君も通達を見て気になったそうやねんけど…………実は一週間前に、ホカン部の子達に調べ物を頼まれたそうなんや』
「調べ物って……? それに誰がユーノ君のところへ?」
 調べ物が何かは検討も付かないが、ユーノ君に頼み事をしたという人物は分かる気がした。
 無限書庫でユーノ君とホカン部に会った時の記憶が蘇る。
『ソフィー・スプリングス空士とノーラ・ストレイジー空士。この二名が、“エクレール”というものについて調べてくれと、ユーノ君を訪ねたそうや』
 やっぱりソフィーだった。
 たぶん、ミリー部隊長のプリズン強奪にはソフィーも深く関わっている。
 いや、本当に関わっているのかは分からないな。ソフィー達が関わっているのではなく、巻き込まれている可能性だってある。
 それならば、私はソフィーを助けなくちゃいけない。
『その“エクレール”についてなんやけど』
「はやてちゃん!」
『え?』
 私は、どうしたらいいの?
「ソフィーは…………ソフィー空士はこの件にどう関わっているの?」
 私は、ソフィーに何をしてあげたらいいの?
『なのはちゃん?』
 私は、今何処で何をしているのかも分からないソフィーのために、どう動いてあげたらいいの?
 一度だけ咳払いをしてから、はやてちゃんは言った。
『…………ミリー部隊長はもちろん、現在ホカン部に属する局員の誰とも連絡を取ることが出来ん状態や。彼女等がミリー部隊長のプリズン強奪にどう関わっているのかは分からんのやけど、ミリー部隊長が三課の管理倉庫からプリズンを強奪する数時間前に、ソフィー空士が三課の管理係を訪れとる。その際、何故か慌てた様子で三課隊舎を飛び出したソフィー空士は、飛行許可が出ていないにも関わらず市街地をかなりの速度で飛行しとる。…………はっきりとは分からんけれど、彼女の様子がおかしかったことは確かなようや』
「ソフィー…………」
 やっぱり、やっぱり何かあったんだ。
 自分の無力さを改めて感じ取り、思わず奥歯を噛み締めた。
『…………なのはちゃん、やっぱり何か知っとるんやね』
 視線は足元に落ちたまま。私は自分の気持ちを事細かに伝えることが出来ない気がしていた。
 それでも、今一番したいことだけははっきりと伝えようと思った。
「本当に分からないの。私、ソフィーのことを想っているつもりだった…………お姉さんぶって、あの子のことを分かっているつもりだった」
 やっぱり悔しい。こんなにも相手のことが分からないで歯痒い気持ちを抱いたのは何時以来だろうか。
 フェイトちゃんに出会った時? はやてちゃんに出会った時?
 私は、何度繰り返せば気が済むんだろう。
 いや、違う。
 繰り返しているのなら、しなくちゃいけないことも分かっているはずだ。
 過去の悔しさを今に繋いできたように。
 私は、今の悔しさを未来に繋がなくちゃいけない。
「はやてちゃん! 私、ホカン部を助けてあげたい! きっとあの子達は何か事情があってこんな事になってると思うの!」
 それこそが、私が今一番したいこと。
 私の言葉を聞いたはやてちゃんは、何だか笑っているようだった。
 そして、少し気を取り直したように返事をしてきた。
『なるほどなるほど、やっぱりなのはちゃんは気合い充分ってことやね』
「え? どういうこと?」
『なのはちゃん。実はな、ついさっき地上本部の上層部から緊急の連絡が届いたんよ』
「何て?」
 はやてちゃんはやっぱり笑っていた。
 それは呆れたような苦笑と、気合いに満ちた微笑が混じったものだった。
『…………再設立が決定』
 まさか。
『現時刻より、時空管理局遺失物管理部機動六課の臨時復活や』
「なっ!」
 機動六課の再設立。
 それはあまりにも急な話だった。
『上層部のお偉いさん方が言うには、プリズンの奪還とミリー・バンカルの逮捕は極めて急務であり、昨年のJS事件解決という目覚しい活躍を見せた機動六課の力を、今回もう一度だけ発揮してくれとのことや』
 先ほどまでの逸る気持ちは、六課復活という話の衝撃が大き過ぎたことによって、すっかりと落ち着いてしまった。 
 そして冷静さを取り戻した頭ではやてちゃんの言葉を反芻すると、少々不審な点があることに気が付く。
「それが六課復活の理由? 何て言うか…………」
『そう、ちょっと大袈裟やね。上っ面の理由という感じがするわ』
 はやてちゃんも同じ考えのようだ。
 確かプリズンは、ロストロギア指定がされているもののそれ自体の危険度は高くないはずだ。機動三課にて管理されていたプリズンは全部で四つ。今回はその四つが全てミリー部隊長によって奪われたわけだが、管理庫に入れられていたプリズンは全て空っぽになっているはず。発見当初は中身が入っていたそうだが、それは全て取り出されたと聞いている。
 では、空っぽのプリズンに一体どれほどの危険があるというのか。正直に言ってしまえば無い。
 となれば、最も重要となるのはミリー部隊長の逮捕。それと、連絡が取れないホカン部メンバーの身柄も押さえたいところだろう。
 そこで何故機動六課が必要になるのか。機動六課は元々、予見されていたロストロギア絡みの大事件に対応するため設立された少々特殊な部隊。
 それなのに今回の六課投入という判断には、目的がまるで見えていない様に思えた。 
「はやてちゃん。もしかして上層部は、何か隠してるんじゃないのかな?」
 昨年のJS事件にて発覚した、ある一部の管理局員の汚職事件。そのことが一瞬だけ頭を過ぎった。管理局は、まだ私達一般の者に隠していることがあるのだろうか。昨年の事件が記憶に新しいせいか、疑い深くなってしまうのは仕方が無いだろう。
『私もそう睨んどる。去年の六課の活躍はおかげ様で大盛況やったし、今回の六課再設立に関しても、上層部の中でも特に一部の人間がしきりに六課の投入を訴えていたみたいや。何せ、小難しい書類上での部隊設立手続きは後回し。とにかく一刻も早く事件を解決して、終焉を迎え次第六課は再び解散という慌しさ…………もしかしたらプリズンをミリー部隊長に奪われると、よっぽど困る人が一部におるようやね。有り余る程の力を投入してでも、この事件を早く片付けたいみたい』
 ますますおかしい。
 これは私の考え過ぎかも知れないが、本来はロストロギアの対策専門部隊である六課が急遽投入されるということは、もしかしたらこの事件には強力なロストロギアが関係しているのではないだろうか。
 嫌な予感がこみ上げてくる。
「はやてちゃん。これは……」
『うん。別方面からの調査も必要やね。その点は執務官チームや査察官殿にでも任せておこうかと思う』
「執務官チームって……もしかしてフェイトちゃん達帰ってきてるの?」
『ちょうど今日、次元航行からミッドに帰ってきたばかりみたい。執務官はいっつもいろんな仕事を抱え込んでいるから今すぐって訳にはいかんけど、私の方から協力をお願いしてみる』
「そっか」
『一応他の皆への連絡も私からするけど、上からすぐにでも動いてくれと煩く言われとるんよ。せやから六課の隊舎が用意されているわけでもないし、全員集まって顔を合わせることも出来ないかも知れへん』
 本当に慌しい。まあ、皆と別れてからまだ三ヶ月だし、懐かしさを感じるには少々早い気がする。
『本当に急な話でごめんな。なのはちゃんは明日から動いてくれたらええよ。今日は夜も遅いし、ヴィヴィオもおるやろ?』
「ううん。今からアイナさんに連絡を取って、来てもらったら私もすぐに出るよ」
 そうだ。動かずにはいられない。
『そう? 本当に無理せんでもええよ? 何てったってこっちは天下の“八神一家”や』
「そうだね…………でも大丈夫。私にも行かせてほしいの」
 強い決意を胸に、私ははっきりとそう言った。
 今まで、私は幾度と無く空を飛んできた。
 友達のため。
 教え子のため。
 娘のため。
 そして今回、私はまた空を飛ぶことを決めた。
 それが誰のためなのか、私は改めて思い、決意を更に固めたのだ。
 


≪2・はやての気持ち≫

 なのはちゃんとの通信を終え、私は地上本部内の小会議室で一人、ため息を付いた。
 機動六課の再設立。その指令の裏に隠された期待は大きく、真相は黒い。
「まあ、そんなすぐには変わらんかぁ」
 時空管理局の体質に不満を感じるようになったのは何時頃だっただろうか。“海”と“陸”の対立をはじめ、次元世界の平和を願う意思に反する組織としての弱さ、脆さ、黒さ。そういったものを見てきた。
 もちろん、管理局の全てを否定するわけではない。確かに、特別捜査官として数多の現場を、そして様々な面を知って抱いた不満ではあるが、それでも私がそう感じているのはごく一部に対して。
 しかし私は、感じた不満から管理局の未来を危惧してしまう。
 おこがましいかも知れへん。生意気かも知れへん。
 それでも私は歩み続けたい。足が動くのなら進み続けたい。
 そんな私の、管理局の体質を変えようと奮起した第一歩だったのが、機動六課。
 まさかその六課にこんなにも早く再会するとは思わなかった。
 六課との再会は、私の求めるものがまだまだ遠いことを示しいてるようで複雑や。
「やっぱり一歩は一歩。小さいもんやね。これからもっと頑張らなあかん…………なあ、リィン?」
「はいですぅ。小さなことからコツコツと。そうすれば、はやてちゃんの想いもきっと実現しますよ」
 隣に浮いているユニゾンデバイスに話しかけた私は、返された言葉を笑顔で受け止めた。
 リィンの揺れる銀髪が、窓から入る星達の光を受けてきらきらと輝いている。偶然見つけたその光を見ていたら、何だか神々しさを感じてしまって、リィンの言葉が余計に信じられるのだ。
 そう、大切なのは、一歩ずつ進むこと。
「そろそろ皆も集まり始める頃やろ?」
「そうですね。たぶん一番手は…………」
 リィンがそう言った瞬間、部屋の扉が開いて誰かが入ってきた。
 噂をすれば、というやつか。そしておそらく、リィンの予想は当たっていると思う。
「来てくれたんやね。忙しいところごめんな」
 私がそう言うと、先頭をきって入ってきたポニーテールの女性が生真面目な態度で返事をした。
「いえ、大丈夫です。主はやてのためですから」
 その言葉を聞いたリィンが、小声で「やっぱり」と呟いた。
「ふふ、相変わらずシグナムは固いなぁ」
 私が笑うと、シグナムに続いて入ってきた小柄な少女が、二本の三つ編み髪を揺らしながら私に近づいてきた。
「全くだぜ。さっきだってあたしと合流するなり、一刻も早く主はやての所に行くぞ! とか言って引っ張りまわすんだから」
「ヴィータ、いつからお前は守護騎士としての自覚を欠いてしまったんだ?」
 三つ編み髪のヴィータを睨みつけたシグナム。
 しかし、気にする素振りも見せずにヴィータは私の隣に腰掛けた。
 二人共いつも通り、調子は良いみたいや。
「アギトはどうや? 準備は万全なんか?」
「おう! もちろんだぜ!」
 シグナムの肩の上で小さな花火を上げてみせたアギトが、その小さな拳で自分の胸を叩いてみせた。
「ふふ! そら頼もしいわ」
 それから十分間ほど、私達は残りの仲間が集まるのを待って、しばらく談笑に耽っていた。
 すると、会議室の外の廊下で誰かがパタパタと走る足音を立てていることに気が付いた。
 その足音は会議室の出入り口前で止まり、今度は激しい息切れに変わる。相当慌てて走ってきたみたいや。
 その息切れも少し落ち着いた後、開かれた会議室の扉の前には、白衣に身を包んだ金髪ショートへヤーの女性が肩で息をしながら立っていた。
「お待たせしちゃった? ごめんなんさぁい!」
 そう言ったのはシャマル。
 そして彼女の隣に佇む蒼い毛の狼、ザフィーラからも一言。
「遅くなりました、主はやて」
「二人とも気にせんでええよ。良く来てくれたね」
 これで全員。
 なのはちゃんやフェイトちゃん、それに六課で共に戦った時の仲間達は本当に信頼出来る人達ばかりやけど、それと同じくらい信頼出来る“私上最高”の仲間達は、やはりこの面子。
「では、これから話すことをよく聞いてほしい。ええか?」
 無言で頷く仲間達。
「こうして集まってもらうためにも皆には真っ先に教えたから、もう分かってると思うけど…………本日、遺失物管理部機動六課が臨時復活した。そしてここに集まってもらった理由はもちろん、復活した六課の任務のためや」
 最初から引き締まった表情のシグナムとザフィーラを除いて、皆の顔に緊張感が現れる。
「任務は二つ。緊急通達にも書かれていた通り、機動三課の管理倉庫からロストロギア、プリズンが強奪された。一つ目の任務はそのプリズン四つの奪還。そして二つ目が、プリズン強奪の容疑者ミリー・バンカル三等空佐の逮捕や」
 そこまで言うと、シグナムが右手を軽く挙げながら言葉を挟んできた。
「少しよろしいですか?」
「何や?」
「ミリー部……ミリー・バンカルの行動の動機などは何でしょうか?」
 そう言えば、シグナムはこの面子の中でもミリーさんと接した機会が一番多いんやったな。
 彼女なりにミリーさんを気遣っているのか。
「それは分からんな」
「では、ミリー・バンカルを除いた他のホカン部メンバーが事件に関係している可能性は?」
「何だよシグナム。何かホカン部の肩を持つような物言いじゃんか」
 シグナムの言葉に続いて、ヴィータが不思議そうに言った。
「別に肩を持っているつもりはない。だが、短い時間ではあるがホカン部と共に過ごした時の印象などから考えると、何の理由も無いのにこんなことをするとは思えないのだ」
 シグナムの考えはなのはちゃんに近い。
 なのはちゃんだけでなく、シグナムまでもそう言うのだし、やはりこの事件に関してはしっかりと調べてみないといけない気がする。だから本当ならば、少しでも時間に猶予があれば良かったのに。
 しかし、時間は待ってはくれない。
 動かなあかん。
「その理由をはっきりさせるにしても、まずはホカン部から話を聞かんとな…………っと、その前にフェイトちゃん達にお願い事をせなあかん」
「お願い事? それは何ですか?」
「フェイトちゃん達には今回の事件を別角度から調べてもらおうと思っとるんよ」
「別角度?」
「そう。ミリー部隊長とプリズンを過剰に警戒しとる一部の上層部についてと、ホカン部の子達が調べ回っとった『エクレール』っちゅうものについても」
「エクレール?」
 シグナムの顔が怪訝そうに歪んだ。
 いや、彼女だけではない。シャマルとザフィーラも同じような表情を浮かべている。
「知っとるんか?」
「どこかで聞いたような…………ヴィータちゃんはどう?」
 シャマルの言葉を聞いたヴィータは、最初は検討も付いていない様子だったが、しばらくして「あ、うーん……言われてみれば」と呟きながら腕を組んだ。ザフィーラも唸り声を上げている。
 まあ、今はそんなにのんびりと考えている時間も無い。
 いつも調べ物ばかりお願いしてしまうことになるけれど、『エクレール』に関してはやっぱりユーノ君に任せておくとしようか。
 私は席を立ち、皆を見渡した。
 とにかく、今、再び六課の力が必要とされているのなら踏み出そう。
 望んだものは遠いかも知れない。
 その一歩は小さいかも知れない。
 私一人では無駄足かも知れない。
 だけど幸いなことに、一緒に一歩を踏み出してくれる仲間がこんなにもいる。
 一人の一歩は微々たるものでも、たくさんの一歩はきっともっと連鎖する。
 だから、踏み出そう。
「これから遺失物保護観察部の隊舎へと向かう…………シグナム! ヴィータ! シャマル! ザフィーラ! リィン! アギト! 皆気合い入れて行くよ!」
 皆の返事が重なって返ってきた時、私の全身に力が漲った。
 今宵、“八神一家”は集結した。
 そして私達に、再設機動六課のファースト・アラートが鳴らされた。

 To be continued.



[24714] 第三十話 執務官
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:dce9bb8c
Date: 2011/01/24 19:57
 復活した機動六課の部隊長、八神はやてからの話を聞いた私は、行動を起こすための準備をしていた。
 はやては「手が空いたらでええ」なんて言っていたけれど、この事件がそんな悠長に構えていられるものではないということは解る。
 遺失物保護観察部の部隊長、ミリー・バンカル三等空佐が機動三課の管理倉庫を襲撃。更に倉庫内のロストロギア、プリズン四つを強奪。
 この事件は早急に対応すべきだと、私の直感が告げるのだ。
 私は普段から、次元航行部隊に所属してあちこちを飛び回り、主にロストロギア関連の事件等を捜査している。だから今回の事件が私のもとに回ってくること自体は、至極自然な流れであって、不思議な点は見受けられない。
 そう、本来ならばそれで納得が出来るはずだった。
「…………やっぱりおかしい」
 何度考えてみても、どうも腑に落ちない点がある。
 それは、機動六課復活ということ。
 何故わざわざ六課を復活させて事件に当たらせる必要があるのだろうか。
 そもそも機動六課は、ロストロギアに関する大規模な事件が起こるという予言を聞いたはやてが、その対策として設立した部隊。広域捜査を主とする一課から五課と違って、六課が対策専門であった理由はここにある。
 つまり機動六課の存在意義は、未曾有のロストロギア事件に対処するためだったと言える。
 しかし今回の事件はどうだろう。ミリー・バンカル空佐の奪ったプリズンは、ロストロギア指定こそされているけれど、それほど危険なものでは無い。
 “事件を早急に解決するため、信頼に足る強力な人選を”という考え方には賛同出来る。だが、それが何故六課なのか。特別捜査官を務めるはやては魔導師ランクSSという、局内でも屈指の存在。
それに“エースオブエース”のなのは。他にも優秀な局員はたくさんいる。
 そんな人達個々に事件の解決を求めるならまだしも、どうして機動六課なのか。別に事件の解決だけならば、機動六課という括りでなくてもいいはずだ。
 そこで一つの考えが浮かぶ。
 機動六課の本来の存在意義を思うと、もしかしたらこの事件にはプリズン以外の強力なロストロギアが関連しているのではないか、ということだ。
 昨年のJS事件は管理局内でも記憶に新しい。もし今回の事件に強力なロストロギアが絡んでいるとするならば、それを知る一部の人間がとっさに六課を思い浮かべてしまうのも仕方が無いのかも知れない。
 そこで更にもう一つの謎が生じる。
 誰が六課を思い浮かべたのか。言い換えれば、“プリズン以外のロストロギアが関係していることを誰が知っているのか”、という点だ。
 はやての話にあったように、六課の再設立を強く推した上層部の人間は明らかに怪しい。しかし、そんな上の局員だけでは、末端であるホカン部を直接掌握するのは難しい。周囲の者達に怪しまれるからだ。
 だから必要になるはずだ。ホカン部と上層部を繋ぐ中間管理というポジションが。
 そこを突き止めることが出来れば、事件の完全解決はそれほど時間が掛からないと思う。
 腕を組んで考えてみた。しかし、何もかもが今日聞かされた話なので、幾ら考えても何も思い浮かばない。
 突然、部屋の扉がノックされた。
「はい」
「失礼します」
 入ってきたのは、私の補佐を務めてくれている二人の部下だった。彼女達は、機動六課でも共に戦った仲間だ。
 補佐の一人、シャリオ・フィニーノことシャーリーは、普段の明るさが感じられない曇り空のような表情を浮かべていた。先に聞いた話では、今回の事件に関わっているホカン部にはシャーリーの友人がいるそうだ。
「どうしたの? 二人とも」
 私が声を掛けると、元気の無いシャーリーに代わってもう一人の補佐、ティアナ・ランスターが口を開いた。
「あの、フェイトさんにお客さんが」
 肩まで真っ直ぐに伸びたセミロングの髪を揺らして、ティアナが後方に振り返って扉の外を見た。
「私にお客さん?」
 そう言って来客の姿が現れるのを待つと、もったいぶるように少し遅れて彼が登場した。
「やあ、フェイト執務官」
「クロノ? なんだ、誰かと思っちゃった」
 そこに立っていたのは私の義兄だった。
「なんだとは酷いな」
「ふふっ。ごめんね、おにいちゃん」
 私がそう言うと、クロノは恥ずかしそうに顔を赤らめて頭を掻いた。その様子をティアナがニヤニヤして見ている。
「急にどうしたの?」
「来週の航行スケジュール表は届いているか?」
「あ、そう言えばまだ貰ってない」
 来週はルミオン・ストレイジー提督の艦船に乗る予定で、ルミオン提督の航行部隊からはいつもなら一週間から十日前には航行スケジュールが送られてくる。
 しかし、今回はまだ届いていない。忙しいのだろうか。
「一応ルミオン提督の航行部隊からスケジュール表を貰ってきたから、届けにきたんだよ」
 そう言ってクロノが一枚のプリント用紙を渡してくれたので、私はお礼を言いながらそれを受け取った。
 真っ白な中にきちんと整列する文字列を眺めていると、クロノが突然言った。
「六課、復活だそうだな」
「…………うん」
 はやてから来た連絡は、既にシャーリーとティアナも確認済みだ。
「どう動くんだ?」
「実ははやてから指示を貰っているんだ。事件について多方面から調べてみてくれないかって。出来る限り早く調べ上げたいんだけど」
 そして私はクロノに、はやてからの連絡の内容と六課復活の影に見え隠れする嫌な予感の全てを話した。
 全てをこうして話せるのは、彼と家族になってから十年以上経つという信頼関係があるからこそ。それにクロノは、解散前の機動六課の後見人兼監査役だったので、決して無関係とは言い切れない。
 執務官の先輩でもあるので色々と相談に乗ってもらったこともあるし、何だかんだで私は義兄に甘えていると思う。
 私は、自分が知っている状況と、自分なりの考えをクロノに全て伝え終えると、クロノからの返事を待った。
「なるほどな。聞いてみれば確かに六課復活は妙だ。何か隠されているみたいだ」
「でしょ? ただ、現時点では手掛かりがほぼゼロ。だからこれから機動三課に行って現場だけでも見てみようかと思って」
 そのための準備をしていたのだと、私はデスクの上の荷造りを指差して言った。
 それを確認したクロノは、了解したように小さく頷いてから言葉を続けた。
「出掛ける前に」
「なに?」
「僕からの情報」
 思わぬところから話が出てきた。私はデスクに向きかけていた体を再びクロノに向けて、じっと聞いた。
「ルミオン提督なんだが、行方が分からない」
「え?」
 ルミオン提督が行方不明。それは確かに気になる話でもあるが、それがこの事件の情報と言える理由は何だろうか。
「実はスケジュール表を持ってきたのも、ルミオン提督の航行部隊の事務員から頼まれたんだ。その時に聞いたんだけど、スケジュールを出すのが遅れたのはルミオン提督が何処にいるのか分からなくて困っていたからだそうだ。スケジュール表の原紙を持っているのがルミオン提督だし、彼から正式な発行許可が出ていなかったからだって」
「あの、ルミオン提督はこの事件に関係あるの?」
 じれったくなってそう訊くと、クロノの表情が少しだけ険しくなった。
「実はついこの間、ホカン部のソフィーと話す機会があってね。その時にルミオン提督に妙な違和感があったんだ」
「妙な違和感?」
「ああ。実はホカン部のミリー部隊長とウィンディーヌ空曹は、過去に次元航行部隊に所属していたことがあるんだが、そのことをルミオン提督に尋ねたんだけど…………その時僕はこう言ったんだ
。“ホカン部のミリー部隊長らが次元航行部隊に所属していたそうなんです。ルミオン提督はご存知でしたか?”ってね」
 いつの間にか部屋の中は静まっていた。
 私も、シャーリーも、ティアナも、誰もがクロノの話に聞き入っていた。
「それに対してルミオン提督はこう答えた。“知らない。だが、ミリーとウィンディーヌと言えばあの役立たん部の古株だ。そんな厄介者が二人も我々の部隊に在籍歴を持っているなんてあり得ない”って」
「…………あっ」
 気が付いた。
 ティアナとシャーリーは分からないみたいだけど。
「そうだ。僕はミリー部隊長の名前しか出していないのに対し、彼はミリー部隊長とウィンディーヌ空曹の二人だと認識している。何故ルミオン提督はミリー部隊長と一緒にウィンディーヌ空曹を連想したのか、ちょっとおかしくないか?」
「…………次元航行部隊に二人が所属していたことを本当は知っている? 断定は出来ないけれど、少なくとも二人に対して何かしらの認識を持っているのは間違いない、か」
 何かある。
 ルミオン提督が行方をくらましているのも、自主的な意思からだとしたら。
 ルミオン提督はこの事件に深く関わっている可能性はある。
「ありがとう、クロノ“おにいちゃん”。今度お礼するね。…………シャーリー、ティアナ、出掛けるから準備して」
「はい!」
 私がまとめた荷物を掴むと、クロノが苦笑しながら言った。
「お礼って…………そんな意地悪して、本当にお礼する気あるのか?」
 義兄の赤い顔を見ながら、私は笑い返した。



 大急ぎでやって来た深夜のミッドチルダ。地上本部から車を出した私とティアナとシャーリーは、ミリー・バンカルの襲撃を受けた機動三課の隊舎へと向かっていた。ミッドの街を車で走るのは何だか久しぶりな感じがする。
 既に日付は変わってしまっているが、街のあちこちではまだ灯りが点いているし、人々が歩く姿だってまだたくさんある。
「なんか、局内ではけっこう大騒ぎなのにミッドは平和ですね」
 ティアナが後部座席でぽつりと呟いた。
「街の人達が羨ましい?」
「い、いえ! 別にそういうつもりで言ったわけじゃありません!」
 ティアナが強く反論するのを、私とシャーリーは微笑んで聞いていた。
 ティアナは真面目だから。それでも、機動六課フォワードメンバーのリーダー格で執務官志望だった彼女を六課解散後に正式な補佐として呼んでから、ずっと忙しい日々を過ごさせてしまっているのだ。ちょっと気が緩むくらいは仕方が無いと思う。
 しかし、彼女が見た平和なこの光景も、もしかしたら今まさに、危険にさらされているのかも知れない。
 そう考える理由は、はやてからの話に出てきた『エクレール』という言葉にある。
 私はこの言葉を知っている。詳しいわけではないけれど、次元航行部隊に長く所属している局員ならば聞いたことがあるかも知れない。
 そしてエクレールについてもっと詳細な情報が欲しかった私は、地上本部にやって来る前に無限書庫に立ち寄って、ユーノにお願いしてきたのだ。
 ユーノは以前にもホカン部の子達から、そして僅か数時間前には、はやてからも『エクレール』について調べるように頼まれたのだと言っていた。しかし、その段階では与えられた情報が少ないせいで絞り込めていなかった。
 だから私はユーノに教えたのだ。
 私達次元航行部隊が知るエクレールについての情報を。
「フェイトさん、見えてきました」
 シャーリーが地図を片手にしながら、助手席からある一点を指差した。
 そこには、街の繁華街とは違う灯りと雰囲気に包まれた建物があった。
 遺失物管理部機動三課の隊舎。その周辺には、消防、救急、それに時空管理局の捜査官が大勢いた。
「酷い…………」
 ティアナが、三課の隊舎を見て呟いた。
 入り口から隊舎内に入った私達は、一階ロビーの床に大きく開けられた穴を見た。その穴は地下まで届いており、おそらくミリー・バンカルは物理破壊設定をオンにした状態で、砲撃魔法を撃って地下へと突入したのだろう。
 隠れることもせず、臆することもせず、ただ目的のためにと貫いた。そんな彼女の意思が感じ取れる現場だった。怪我人こそ出たものの、砲撃が人に当たったという報告はされておらず、死者が出ていないのは本当に奇跡だと思う。
「この穴は、機動三課の管理倉庫前まで続いています」
 突然背後から聞こえた声に聞き覚えがあって、私達は振り向いた。
「ギンガさん!」
 ティアナが声を上げた。
 ギンガ・ナカジマ。彼女も機動六課で共に戦った仲間であり、機動六課フォワードメンバーを務めたスバル・ナカジマの姉だ。六課には出向という形で所属していたので、六課解散後は再び捜査官をしている。
「お久しぶりですね、フェイトさんにシャーリーさん。それにティアナも」
「この事件の捜査に当たっていたんだ。知らなかった」
「局の施設を襲撃。しかも容疑者が管理局員ということで、局内は半ば混乱状態でしたからね。緊急でこちらの担当になりました」
 その通りだった。
 襲撃を受けた機動三課から緊急通報が発信され、その通報を受けた管理局内は突然異常な事件に見舞われたことを知り、一時は連絡系統すらもメチャクチャになったのだ。
 今では通常通りだが、つい数時間前の管理局は本当に大変な状態だった。ティアナが街の人々を羨む気持ちも分からないわけではない。
「…………綺麗に貫通されています。管理倉庫のある地下三階まで一直線です。あらかじめ建物の図面を見て砲撃ポイントを特定していたと思われるほどの精密さ。そして強奪されたのはプリズンのみという現状から、ミリー・バンカルの目的は間違いなくプリズンに絞られていたのでしょう」
「三課の局員から話を聞きたいな。はやてに聞いたんだけど、ミリー・バンカルがここに来る数時間前、ソフィー・スプリングス空士が三課にやって来ているって」
「ええ。その時にソフィー空士と話をした局員も含めて、三課の局員にはあちらの部屋で事情聴取を受けてもらっています」
 ギンガが、一階の奥にある大部屋を指差した。
「それと、三課の部隊長にも会いたいんだけど」
「サイオン部隊長も同じ部屋です」
 私達はギンガの案内で大部屋に向かうと、扉を開くよりも早く、室内から激しい言い争いの声がした。
 何事だろう。
 一度だけティアナとシャーリーの顔を見てから、私はゆっくりと扉を開いた。
「ソフィー君の様子が明らかにおかしかったのは俺がこの目で見てました! 何か隠していませんか!? あなたが隠していることが今回の事件を引き起こしているんじゃないんですか!?」
「ノイズッ! 貴様誰に向かって言っているのか解っているんだろうな!」
「ええ解ってますよ! サイオン部隊長! あなたに言ってるんだ! ルミオン提督と何を話していたか聞かせてもらえませんか!? 話せないんですか!? 一体ルミオン提督は何しにここへ来ていたんですか!?」
「いい加減にしろ! 大したことなど話していない! 第一アイサが聞いたというルミオンの言葉の真意を私が知っているわけないだろう! 言いがかりも大概にしないと、二度とこの隊舎の玄関を潜らせないぞ!」
「大したことないってんなら言えるだろ! 言われなくてもあんたが上に立つ機動三課なんか、こっちから願い下げだよ!」
 その言葉を皮切りに、二人の男は拳を固めて身を前に出した。それと同時に二人の体を押さえる三課の局員達。
 一体この状況は?
「失礼します。本局から来ました、フェイト・T・ハラオウン執務官です。よければ事件当時の状況を聞きたいのですが」
 少し声を張り上げて言うと、大勢の管理局員に取り押さえられている二人の視線が私の方を向いた。
「執務官だと? 帰れ。話すことはここの捜査官達に全て話した」
 ギンガが、「この人がサイオン部隊長です」と小さく言った。
「…………とにかく二人とも落ち着いてください。話はちゃんと私自身がもう一度聞きます」
「ふざけるな。貴様確か元機動六課の奴だったな。何の権限があってそんなことを言っているんだ? 目上の者に対する態度がなってないんじゃないのか?」
「事件の調査に必要なことをしようとしているだけです。そこには階級なんてありません。ご協力をお願いします」
 サイオン部隊長は小さく舌打ちだけして、それ以上何も言ってこなかった。
 それから、私はたった今まで言い争っていたばかりの二人、サイオン・スチュアート部隊長とノイズ・フィル・バレンタイン陸曹長を重点的に事情聴取することにした。
 しかし、私の質問に素直な返答を見せるノイズ曹長とは違い、サイオン部隊長は一切口を開くことはせず、ずっと鋭い眼光を宿しているだけだった。
 ノイズ曹長から聞き出した話によれば、ソフィー空士がここにやって来た時、彼女は泣いていたそうだ。そして同じ部隊所属のノーラ・ストレイジー空士を捜していると言った。
 ストレイジーという姓に気が付いたが、今はそれよりも聞きたいことがあって、私は話を戻した。
「それで、ルミオン提督がここにやって来ていたということについて、詳しく聞きたいのですが」
 クロノの話を思い返す。確かルミオン提督は行方不明ということだったが。
 ノイズ曹長によれば、昼過ぎにルミオン提督が三課隊舎にやって来ていた時、三課局員のアイサ・アルファード陸士がたまたまルミオン提督の回線通話を立ち聞きしたと言うことだ。その内容は、フィンカンティエリという場所にノーラ空士を呼び出しているというもの。
 フィンカンティエリという場所が何処なのかは分からないが、少なくとも夕刻前まではルミオン提督はここにいたということになる。そしてルミオン提督は、三課隊舎を出てから行方が分からなくなっている。
 それにしても、まさかルミオン提督からサイオン部隊長に繋がるとは思わなかった。
 すると考えられるのは、この事件に関係すると思われるルミオン提督に繋がる人物もまた、事件の関係者の可能性がある。
 今、目の前にはサイオン部隊長がいる。ずっと黙秘を続けているが、心を揺さぶることは出来るかも知れない。今はどんなに小さな手掛かりだって欲しいところだ。
 賭けてみるか。
「…………サイオン部隊長にお聞きします」
 相変わらず答えは返ってこない。
「答えてください。でないとあなたを怪しまなくてはいけません」
 それでも答えは返って来ない。
「…………あなたは、『エクレール』というものをご存知ですか?」
 見逃さない。見逃すはずなど無い。
 微かに、だが確かに動揺を見せた彼の姿。
 言葉こそ発しないが、彼の体は語っている。
「フェイトさん、ユーノさんにも調べてくれってお願いしていたけど、『エクレール』って何なんですか?」
 ティアナが口を挟んできた。
 それをシャーリーが咎めようとしていたけれど、私は手で合図してそれを制した。
「『エクレール』って言うのは、古代ベルカ時代にあったんじゃないかとされている魔導兵器のこと」
 私は話をしながらも、視線をサイオン部隊長から少しも外さなかった。
「魔導兵器?」
「そう。ティアナは、『アルカンシェル』って知ってる?」
 アルカンシェル。それは、次元航行艦船に搭載して使用される魔導砲。
 着弾地点を中心に、百数十キロの範囲に空間歪曲と反応消滅を引き起こし、目標を殲滅するという強大な力を持っている。砲撃対象も、幾つもの厳しい条件が揃わないとアルカンシェル使用の対象や状況として承認されない。
 私もアルカンシェルが使用された現場には一度しか居合わせたことが無いし、こんなものは本来使われないほうが良い。
 それほどに恐ろしいものなのだ。
「はい。アルカンシェルなら、訓練校の授業で」
「エクレールって言うのは、このアルカンシェルのモデルと言われている魔導兵器なんだ」
「モデル……ですか?」
「うん。エクレール自体は実在した記録が無くて、古代ベルカ時代で研究されていたという記録と、開発理論が残されている程度。アルカンシェルは、この開発理論に基づいて作られたエクレールの縮小版なんだよ」
「縮小版って……じゃあエクレールはもっと…………」
 ティアナだけではない。アルカンシェルを知る者、特にその威力を知る者ならば、その恐ろしさが伝わったはずだ。
「たった一発で、次元世界一つを簡単に消滅させることが出来るそうだよ」
 次元航行部隊に所属してから何度か、この伝説とも御伽噺とも取れる話を聞いたことがある。
 実在したのかどうかも分からないため、古代遺物と言っても架空の存在という可能性だってあるわけで、それ故にロストロギア指定を受けることも無かった。
 しかし、もしこれが実在するとなると、ティアナの羨んだ街の情景、つまりこの世界の平和だってとてつもない危険にさらされていることになる。
 そしてはやてが疑い、私もクロノも不安に思ったこと。
 ミリー・バンカルが何故プリズンを奪ったのか。
 本当に空っぽだったのか? 確かに管理データ上では四つのプリズンには何も入っていないことになっている。
 しかし、それは本当にそうなのか? 何故ミリー・バンカルは空っぽのプリズンを奪った?
 そして六課が再設立された理由。
 もしかしたら、六課の復活を強く推した一部の上層部は、プリズンの中が本当は空っぽでは無いことを知っていたんじゃないのか?
 プリズンの中にある“何か”を使って企みを抱いている者がいるとしたら。
 それが、ミリー・バンカルの突然の暴走によって裏切られたのだとしたら。
 だからこそ、プリズンの奪還を急務として六課を復活させたのだとしたら。
 合点がいく。それならば、昨年のJS事件を解決した機動六課の力が、今回再び求められた理由も納得出来る。
 するとやはり、サイオン・スチュアートは今回の事件に関わる中間管理の人物。
 私の中で絡まった糸がだんだん解けていくにつれて、それは巨大な不安と焦りと恐怖を生み出していた。
 この事件は、何よりも早く対処しないといけない。
「シャーリー!」
「は、はい!」
「すぐに本局査察部のアコース査察官に連絡をして!」
 私の指示に返事をしたシャーリーが、部屋を飛び出していった。
 そしてアコース査察官の名前を聞いた瞬間、サイオン部隊長が今度は隠す様子も無く表情を変えた。
 そうなるのも無理は無い話だろう。
 ヴェロッサ・アコース査察官は、特殊な魔法を所持している。それはレアスキル、『思考捜査』。対象の脳内の記憶を読み取ることが出来るこの能力の前では、口など要らない。どんなに黙秘を続けようとも、決して隠すことなど出来ない。
 局内でも名の通っているアコース査察官は、嘘が多い人には嫌われ者として有名だが、機動六課にとっては彼もまた大切な仲間の一人だ。
「ふざけるな! 貴様、俺をあの男に調べさせるのか!? これでもし俺が何も知らなければ、貴様の立場がどうなるのか解っているんだろうな!?」
 そう。アコース査察官はその能力故に、活動には意外と制約が多い。
 特に記憶を読むという能力には、大きなリスクが伴う。例え事件の関係者であっても、対象者が事件解決のために有益な情報を持っていることが明らかであり、尚且つ悪質であり、よっぽど事件の早期解決を求められている緊急時等でないと、能力の使用は許可されない。
 人の記憶を読むということはそれだけのリスクを背負っている。私がアコース査察官にサイオン部隊長の記憶を読むように指示し、仮にサイオン部隊長が何も知らなかった場合は、おそらくアコース査察官と私は管理局員ではいられなくなる。場合によっては法的刑罰もありえる。
 しかし、それでも私は確信していた。サイオン部隊長は絶対に何かを知っている。
 それに、この事件を早急に解決するためならば、私は幾らでもリスクを背負う覚悟がある。
 目にした平和を守るためならば、幾らだって。
「解っています。むしろ私のクビや刑罰程度で事が済むのなら、安いものだと思いますが」
「フェ、フェイトさん?」
 ティアナの心配そうな声と、サイオン部隊長の悔しそうな呻き声を受けながら、私は大部屋を出ようと踵を返した。



「フェイト執務官!」
 ティアナとシャーリーに現場検証を任せ、私は三課隊舎の一室に設けられた控え室でお茶を飲んでいた。
 そんな時、一人の男性局員が現れて私の名前を呼んだのだ。
 彼は確か、先ほどの事情聴取で会った人。
「えっとぉ……」
「ノイズ・フィル・バレンタイン陸曹長です」
 ノイズ曹長が敬礼をしたので、私も返す。
「先ほどはありがとうございました!」
 敬礼を解くこともせずに彼がお礼を言うので、私は思わず「え?」と聞き返してしまった。
「ほらぁ、サイオン部隊長のことです。やっぱり何か隠していたのを、あなたは見抜いてくれた」
「いや、まだ本当にサイオン部隊長が隠し事をしていると決まったわけじゃないから」
「いやいや決まってますよぉ! だって思いっきり動揺してたじゃないですかぁ! カッコイイ! フェイト執務官カッコイイ! ひょー!」
 あれ? ノイズ曹長ってこんな人だったんだ。
 私は一歩だけ離れて距離を取った。
「で、でも、ノイズ曹長も男らしかったですよ。サイオン部隊長に向かってあんなにガツンと言っていたし」
 会話を繋ぐためにそう言うと、ノイズ曹長の目がだんだんギラギラしてきた。
 まずい。火を点けちゃったかも。
「そ、そんなことないですってヴァ! 俺がかっこいいだなんてそんな……そんな…………フェイト執務官に? 褒められた? いやー! こりゃどうしたもんかー!」
 坊主頭を思いっきり掻く彼から、私は更に一歩遠ざかった。
「まさか高町一尉とご友人であるフェイト執務官に褒められてしまうなんて」
「え? なのはを知ってるんですか?」
「…………なんて言うか、お友達です」
 ちょっとだけ衝撃だった。なのはったら、大丈夫なのだろうか。
 それにしても、なのはの名前を聞いたら話がしたくなった。はやての話だと、なのはも事件のために動いているそうだし、後で連絡を取ってみよう。
 ふと、控え室の入り口から顔を覗かせている人影に気が付いた。
 私がその方向に視線を向けると、顔を覗かせていたその人も部屋の中に入ってきた。
「ノイズ曹長……」
 入ってきた彼女が声を出すと、ノイズ曹長は後ろを振り返って何故か固まってしまった。
「う、あ…………アイサ君…………何故ここに?」
「外に声漏れてましたけど」
 恥ずかしい。
「いや、あの…………」
「もう、早く来てください! 皆サイオン部隊長がいなくなって不安なんですから!」
 その言葉を聞いて、私は気が付いた。
 そうか。私がサイオン部隊長を拘束することで、機動三課に残された局員達は大きな不安に駆られてしまっているんだ。
 少しだけ申し訳なく思っていると、突然ノイズ曹長が言った。
「フェイト執務官」
「え? あ、はい」
 彼の顔は、さっきまでとはちょっと違っていた。
「我々機動三課も出来る限り事件解決のお手伝いをしますので、何か指示があれば言いつけてください」
「指示?」
「はい。部隊長がいない今、一応管理係のリーダーである俺が三課を取り仕切ろうと思います。何かお手伝いできることはありますか?」
「そう? じゃあギンガ捜査官と一緒にホカン部部隊員の捜索に回ってもらおうかな」
「了解!」
 彼がにこやかに敬礼をした。
 ふと、サイオン部隊長と言い合っていた彼の言葉を思い出す。確か、ホカン部のソフィー空士を気遣っていなかったっけ? 彼はホカン部と親しいみたいだけど。
「ノイズ曹長」
 アイサ陸士と一緒に部屋を出て行こうとした彼が、足を止めて振り返った。
「何故サイオン部隊長と言い争いになったの?」
 彼は私の指示に対して何も躊躇することなく返事をしたけれど、ホカン部のことを思えば捜索どころではないんじゃないかと思った。
 それなのに、彼は笑っていた。だから気になったのだ。
 私の質問に対して、彼は少しだけ恥ずかしそうに頬を掻いた。
 それから言った。
「事情聴取の時、サイオン部隊長が捜査官に向かって言ったんです。あんな連中のことなんて知らない。“要らん部”なんだからどうなろうと構わないだろう、って」
「…………なるほど」
「ホカン部なら大丈夫ですよ。ちゃんと見つけて、俺が連れ帰ってきますから」
 彼はもしかしたら、ホカン部のことを。
 私は胸の奥の温かさを感じるように、そっと目を閉じた。
 そうか、ノイズ曹長ってこんな人だったんだ。
 私は一度だけノイズ曹長に、心からの笑みを送った。
 その笑顔に気が付くことなくノイズ曹長は部屋を出て行き、そして扉を閉めた。
 閉じられた扉の向こうからは、ノイズ曹長の行方を捜していたのであろう三課局員達の声が幾つも聞こえてきた。
「人気あるんだ」
 なのはとは友達だと言っていたっけ。ちょっぴりなのはが羨ましくなった。
 日頃の執務官としての業務。そして今回の事件と、それに伴う巨大な危機。
 そんな慌しくて忙しい日々を過ごす中で、ちょっとだけ気が休まったように感じた。
 さあ、捜査の続きを頑張ろう。

 To be continued.



[24714] 第三十一話 失くしたくないもの
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/01/31 19:16
「…………要するに、アルカンシェルの強化版が『エクレール』というわけだ」
 機動三課の管理倉庫を襲撃し、プリズン四つを奪って帰ってきたミリー部隊長は、ノーラちゃんの墓前で言っていた“話したいこと”とやらを話している途中だった。
 彼女が私達ホカン部に話したことは、私とノーラちゃんが追い求めた謎の一つ、『エクレール』の正体についてだった。
 ただ、エクレールが如何に危険なものなのかを説明されたところで、私達にしてみればそんな話どころではないというのが本音だ。
 ミリー部隊長は自分のしたことを解っているのだろうか。
 機動三課の管理倉庫を襲撃。しかもその犯人は時空管理局員の一部隊長。
 そんなの前代未聞に決まっている。
 私は、ミリー部隊長が何故このタイミングでエクレールの説明を始めたのかが気になっていた。そしてそれ以上に気になっていることは、彼女の強盗行為によって今後どのような展開が引き起こされるのかという問題だった。
 ただで済むはずがない。ミリー部隊長は間違いなくこの事件の容疑者であり、捕らえられるべき人となってしまったのだから。
「あの、ミリー部隊長…………」
 私が声を発すると、ミリー部隊長だけでなくホカン部全員の視線が私に集まった。
「どうして、プリズンなんて持ってきちゃったんですか?」
 誰もが気にしていることだろう。あんなに優しくて、強くて、頼れる上官だった人が、今や時空管理局を敵に回した犯罪者なのだから。
 私の質問を聞いたミリー部隊長が、少しだけ間を空けた。
 この僅かな間は何だろう。ミリー部隊長の表情は穏やかだった。
 そう、ノーラちゃんの墓前で「もういい」と言った時のように。
「…………これは、機動三課が管理していたプリズンだ。現在までに発見、そして管理されているプリズン全てがここにある」
 そう言いながら、ミリー部隊長はバッグから取り出した真っ黒な立方体をデスクの上に全て並べた。
「機動三課の管理データ上では、この四つのプリズンは全て空っぽ、ということになっている。そしてそのことを、ほとんどの者達が疑いもせずにいる」
 何だか嫌な予感がした。
 まただ。胸の中で心臓を何度も何度も叩かれている。
 怖い。何かが始まる気がしてならない。
「…………空っぽじゃないんですか?」
 マルコちゃんの言葉を聞いたミリー部隊長は、そっと頷いた。
「実は、ここにある四つのプリズンの内一つだけには、中身が入っている」
 一体何が?
「その中身は…………エクレールだ」
 言葉を発する者はいなかった。
 エクレールについては、先ほどミリー部隊長が説明を終えたばかりじゃないか。
 アルカンシェルの原型にして、威力もアルカンシェルを遥かに凌ぐ魔導兵器、エクレール。
 その威力は、たった一発の砲撃で次元世界一つが軽々と消えてしまう。
 そんなものが、この小さな立方体の中に収められているというのか。
「じ、実在するんですか?」
 マルコちゃんの声は少しだけ震えているようだった。
「ああ、あるよ。ずっと秘密にされてきただけだ。ちなみに、ヒデオウトで発見されたプリズンに入っていたのがエクレールだった」
「何で秘密にしてきたんですか!? そんな物騒なものなんて!」
「世界への抑止力…………と、言えばいいか。これは、私を含めた一部の管理局員達による計画なんだ」
 ミリー部隊長の返答を聞いても、私にはどういうことなのか分からなかった。
 だから答えを待った。沈黙するしかなかったのだ。
「昨年のJS事件の話だが……事件を引き起こす要因を作ったとされる今は亡きレジアス・ゲイズ中将は、“平和のためにこそ力を”という行き過ぎた正義感を抱いたが故に、裏で非人道的、または非社会的な手段を用いて管理局地上本部の戦力強化を図った。この事実は、平和を求める気持ちと武力信仰を混同していると一部のメディアが厳しく批判したりもした…………が、実は彼の抱く思想に賛同の意を示す者達がいる。かく言う私もその一人だ」
「その一人って…………」
「“人”という生き物は力で制御出来る。平定を目指すのなら、平和を望むのなら、平穏を求めるのなら、一番手っ取り早い方法は“力”を手にすることだ。絶対的で、圧倒的で、唯一無二の力があれば良い。それは他者を制御する手段となる」
 その考えに賛同することは出来ない。けれど、反論意見を持っているわけでもない。
 それは心のどこかで納得しているからなのだろうか。
 賛同することが出来ないのは、力によって人が制御出来るという事実を非道なものとして認識しているからその考えに嫌悪感を抱いているせいなのかも知れない。
 私は偽善者だろうか。だけど、それでも構わない。
 とにかく、ミリー部隊長の言葉が正しいとは言えない。言いたくない。
「一部の上層局員は、私とサイオンとルミオンを手駒としてエクレールの捜索をした。エクレールを掲げることで各次元世界の管理力を強化し、また、凶悪な次元犯罪の抑止力に利用しようとしたんだ。私達は、時空管理局の新たなる体制へと向けた準備をしていたんだよ。…………これが十年前の話だが、JS事件を見ても分かるように、我々のような思想は世間に受け入れられないことはだいぶ前から目に見えていた。だから計画は秘密裏に進められたんだ」
「その計画に、ホカン部は関わっているんですか?」
 私は尋ねた。今になってミリー部隊長がこうして全てを私達に打ち明けるのには、理由があると思ったからだ。
 今までミリー部隊長は、私達のことを必要不可欠の存在だと言ってくれていた。
 しかし、今の話を聞くとホカン部の存在理由が分からない。
 私達は本当に必要なのだろうか。
 ホカン部は、“要らん部”や“役立たん部”などではなく、本当に必要とされていたのだろうか。
「機動三課を始め、遺失物管理部の各課はそれぞれ独自にロストロギアの管理データを作成している。しかしそれでは、例えば“プリズン内は空っぽである”というデータに疑念を抱かれた場合、疑いの目はプリズンを管理する三課、つまりサイオンに絞られる。それだと我々の行動が発覚する可能性が高い。しかし、ホカン部という第二の管理体制を設けることで、データの管理責任は二分され、双方のデータに相違があれば混乱を、双方のデータが合致すれば信頼を生むこととなる。つまりデータの改竄が誤魔化し易く、仮に発覚しても捜査の足を遅らせることが出来るわけだ。…………お前達ホカン部隊員の日々の働きは、私達の計画を隠すためのものだったということになる」
「それじゃあ、ノーラちゃんが殺された理由っていうのも…………」
 この時だけ、ミリー部隊長の表情がとても悲しそうになった。
 ホカン部の存在理由がどんなものであろうとも、ミリー部隊長にとってのホカン部部隊員は、やはりかけがえの無い存在だったということか。
「ノーラは、全てを知ってしまったことでルミオンに殺されたんだ。ルミオンはサイオンと違って馬鹿で後先を考えないところがあるからな。老い先短い自分の余生を穏やかに過ごしたくなったんだろう…………ノーラが秘密を知ったと聞いて、世間に自分達の企みが知れ渡る前に始末しようと考えたに違いない」
 そう言ったミリー部隊長は、最後に歯を思いっきり噛み締めていた。
 ミリー部隊長から聞かされた話は、まるでドラマを見ていると錯覚してしまうような、まさか自分達の身近にあるとは思えないような話だった。
 だが、今までのホカン部を振り返れば、彼女が秘めていた計画を思わせる場面もあったように思う。
 サイオン部隊長から受け取っていたデータディスクは、この計画に関する打ち合わせ手段だったのかも知れない。
 機動三課と仲が良かったように見えたのは、陰にこんな企みがあったからなのか。
 ホカン部が役立たずと認識されていたことだって意図的に仕組まれていたのではないか。人々から疎まれ、爪弾きにされていれば、誰もがホカン部に関心を寄せることは無いから。
 全ては、ミリー部隊長達の計画のため。
「…………でも」
 でも、今の私達は、今のホカン部は、今の状況は、ミリー部隊長が望んだものではないはずだ。
 彼女が他の者達と一緒にずっと進めてきた計画は、おそらくミリー部隊長の暴走行為によって破綻してしまったのだろうから。
「これからどうするんですか? 長年の計画も、ミリー部隊長が壊しちゃったわけですよね」
 どうする? 私は何故そんな質問をしたのだろう。
 そんなの、彼女の行動を見ればこれからどうするつもりなのかなんて、簡単に予想が付くじゃないか。
 エクレールの正体を聞かされなくたって。隠されていた秘密を明かされなくたって。
 私は、ノーラちゃんの墓前でミリー部隊長が見せた表情に気付いた時、彼女が一体どんな心境でいるのかが分かったはずだ。
 そう、ミリー部隊長はきっと。
「…………もういいんだよ。私は、もうこんな計画なんてどうでもいいんだ――――」
 考えてみれば分かったはずだ。
 ミリー部隊長は、ノーラちゃんを失ったことで何かが切れたんだ。
 彼女は、全てを捨てるつもりなんだ。
 大切なものを不必要に失くした者がどんな気持ちになるのかを、私はよく知っている。
 どんなに願っても、祈っても、望んでも戻らない。
 そんな時、人は棘だらけの悲しみを抱く。
 そんな時、人は真っ暗な世界に落ち行く。
 そんな時、人は。
「――――ただ、ノーラに安らかな眠りを与えてやりたい」
 そんな時、人は叫びを刃に変えて振るう。
「…………復讐、するんですか?」
 その問いに、ミリー部隊長はしばらく口をつぐんだ。
 彼女を止めなくちゃいけない。ふと、そんな考えが頭を過ぎった。
 きっとミリー部隊長はこのまま終わらせるつもりなんてない。何故なら、彼女は以前にも言っていたのだから。
 ホカン部は、やられっ放しでは引き下がらない、と。
「ホカン部に……お前達に頼みがある」
 ミリー部隊長からの言葉。
 もしかしたら、彼女が本当に話したいと思っていたことは、これから語る私達への頼み事なんじゃないかと思う。エクレールの正体や秘密の計画なんかではなく、こちらが本命だったのかも。
「私は、これからある場所へ向かう。そこに行き、私はノーラのための鎮魂歌(レクイエム)を奏でるつもりだ…………お前達には、そこへ一緒に来てもらいたい。…………ただし強制はしない。お前達がここで私と別れる選択をするのなら、それでも構わない」
 ミリー部隊長の奏でるレクイエム?
 正直な気持ちを言えば、私は彼女の誘いに乗れない気持ちだった。
 復讐なんてさせてはいけない。それは管理局員としての私が叫ぶ正義感からの言葉でもあり、同時に私から彼女へと差し伸べる救済の手でもある。
 ミリー部隊長を放っておけば、彼女はもっと遠くに行ってしまう。
 彼女をここで引き止めなくちゃ。説得しなくちゃ。
 私の中の嫌な予感が大きくなる。
「ミリー部隊長、考える時間は貰えるんですか?」
 マルコちゃんが言った。
 マルコちゃんは、考えるほどに悩むつもりなの?
 他の皆の表情を見比べても、ウィンディーヌちゃんを除いた全員は深刻な面持ちのまま体を動かさなかった。
「おそらく管理局から、私を捕らえるための人員も出されているはずだ。時間は無いだろう…………この場で返事を聞かせてくれ」
 皆、ミリー部隊長を止めなくちゃ駄目だよ。
 迷っている暇は無いよ。考えている余裕はないよ。
 それなのに、どうして皆は悩むのだろう。
「もし、一緒に行くと言ったら?」
「感謝する」
「もし、一緒に行かないと言ったら?」
「引き止めない」
「もし…………一緒に行かず、あなたを捕らえると言ったら?」
 少しだけミリー部隊長が笑った。それは、恥ずかしそうな顔だった。
「それでも、私はお前達と戦える気がしないよ」
 その顔はいつものミリー部隊長だった。
 怪しい笑みや不敵な笑みに溢れる彼女の表情の中で、たまに見ることの出来る優しい、温かい笑み。
 見ていると安心してしまう、そんな優しい顔だった。
 何故だろう。その笑顔は絶対的な、圧倒的な、唯一無二の安心感に満ちていた。
 今まで私は、ミリー部隊長のそんな表情達を信じることが出来たから、ずっと側にいたんだと思う。
 本音を言えば、ミリー部隊長の話にはまだ疑わしい部分がある。
 彼女はホカン部の役割について、“周囲の目から計画を隠すため”だと言った。しかし、それでは私達がホカン部に集まった理由とはならない。このメンバーの人選理由に、私はもっと別の何かがあるように思えるのだ。そしてそれこそが、ホカン部の本当の役割ではないかと思う。
 それに私の両親がどのように関わっているのかは、未だに明らかになっていない。
 ミリー部隊長は嘘を言っていないと思う。たぶんだけど。
 でも、全てを語ったわけでもない。
 そんな彼女を信じて付いて行けるのか? 自問した。
 彼女に付いて行くことはすなわち、彼女の仲間となることでもあり、現在、管理局から追われる身であるミリー部隊長と共に逃亡しなければならないということだ。
 選べるのか、そんな道を。
 憧れた管理局員だ。それなりの希望を抱いていたはずだ。
 捨てられるのか、そんな想いを。
「…………私は」
 ジージョちゃんの声。彼女は俯いたままだが、答えを出そうとしていた。
 そう、俯いてはいたけれど、声には力強さがあった。
 決意が込められていたんだ。
「…………付いて行く」
「ジージョちゃん? それ本気?」
 私は思わず尋ねてしまっていた。
 それでも、彼女は小さく頷いた。
「ミリー部隊長を信じているから。それと、ノーラのためになるんだったら、行く」
「ありがとう、ジージョ」
 ミリー部隊長がお礼を言った。
 ジージョちゃんの答えが引き金となったのかどうかは分からないけれど、次に口を開いたのはマルコちゃんだった。
「ボクもミリー部隊長に付いて行く……かな。ジージョ同様にミリー部隊長のことを最後まで信じていたいし、密かに憧れてもいたからね。それに、ノーラを殺した奴が管理局にいるなら、ボクは管理局員でありたいとは思わない」
「ありがとう、マルコ」
 次はウィンディーヌちゃんとブラント君。
「あたしは当然ミリーと行くわよ。もう解ってると思うけど、昔からミリーと一緒にいるあたしだって、計画に加担している一人だからね」
「僕も行く。ウィンディーヌについてくよ」
「ありがとうウィンディーヌ、ブラント」
 残るは私一人。
「私は…………」
 私は、どうしたらいいんだろう。
 ミリー部隊長を止めなくていいの? このまま彼女を行かせていいの?
 そんな気持ちに答えをくれる人はいない。
「ソフィー」
 ミリー部隊長の声は相変わらず優しくて、温かだった。
「無理するな。どちらを選んでも、私はお前の答えを……気持ちを尊重したい」
 私だってミリー部隊長のことが好き。ミリー部隊長と別れるなんて嫌だ。
 ずっといつまでも信じていたい。彼女の力になりたい。
 それでも、答えが出てこない。
 大切なものを不必要に失くさないように。失くして涙を流す人が現れないように。そんな人達に手を差し伸べられるように。
 そう望んで管理局員になったんだ。
「…………ミリー部隊長」
 揺れていた。こんなにも大きな選択が自分に迫ってくるなんて、今まで考えたことも無かった。
「うん」
「…………私は、もう失くしたくない」
 管理局員になって、私は想いを叶えられただろうか。望んだ管理局員になれているだろうか。
 もし叶えられているのだとしたら、私はもう何も失わなかったはずだ。
 だけど、ノーラちゃんはもういない。
 変わらない。変わっていない。故郷が失われた時に感じた悲しみと無力感を、私は今でも抱いたままだ。
 変わらない。変わっていない。管理局員となった私だけれど、結局失くしたくないものをまた失くしてしまった。
 変わらない。変わっていない。私の求めたものが手に入らないのなら、一つの望みだけに縋りつき、固執していてはいけないんじゃないのか。
 私は、私は管理局員になりたかったの? 
 違うでしょう? 
 大切なものを失くしたくなかったんでしょう?
 もう、今度こそ、これ以上は。
「私は、もう失くしたくないんです」
 失くしたくない。
 仲間も、居場所も。
 怖いんだ。これ以上失うことがとても怖いんだ。
「離れたくない……側にいたい……何処にも行ってほしくない」
 管理局員になっても守れないのなら、手を差し伸べることが出来ないのなら、失くしてしまうのなら。
 私は、管理局員じゃなくてもいい。
 ただ、大切なものを、ずっと側に。
 ミリー部隊長と、そしてホカン部の皆と、私は離れたくない。
 そして私が側にいたいと思う人達は今、目の前にいる。
 何処にも行ってほしくないのなら、私はどうするべきか。
 答えは出た。
「一緒に、連れて行ってください」
 その言葉を発した時、ミリー部隊長が微笑んでくれた。
 そして、そっと一言。
「ありがとう、ソフィー」



 私達が決意を固めると、ミリー部隊長はすっかりいつもの彼女に戻っていた。
「皆には本当に感謝している。ありがとう…………本当にありがとう」
 本当に嬉しそうな顔だった。私はその笑顔を見れば見るほど、自分の選択に自信を持つことが出来た。
 これで良かったんだ。ミリー部隊長に付いて行くという私の選択は、決して間違ってなどいないんだ。
 管理局を敵に回すことになろうとも、私達ホカンはきっと逃げ切れる。
 だって私達は遺失物保護観察部。皆が集まってこそ、一つのシステムのように機能して力を発揮するチームだ。
 出来ないことなんて無いはずだ。
「ようし、ではお前達に指示を出そう」
 そう言ったミリー部隊長は、四つのプリズンの内一つを持って、ジージョちゃんに投げ渡した。
 咄嗟のことだったので、ジージョちゃんは慌ててそれを受け取った。
「管理局はおそらく、私を捕らえるため、そしてプリズンを奪還するためにここへやって来る」
 そして二つ目のプリズンをマルコちゃんへ。
 一体何をするつもりなのだろうか。
「しかし、私はこのプリズンの中に入っているエクレールをある場所に届けなくちゃならない。そして、ノーラにレクイエムを送る」
 そして三つ目はブラント君に。
「そこでお願いする。このプリズンを、お前達に運んでほしいんだ」
 そして四つ目は、待ち構えていた私の両手の中に飛び込んできた。
「どういうことですか?」
「難しいことではない。今から私達は一斉に目的地を目指して飛ぶ。だが、おそらく私達を捕らえようとする局員達に鉢合わせるだろう。そこを何とか振り切り、ある程度落ち着いたポイントに到達したら、そこからは全員バラバラで目的地を目指すんだ。お前達は、一つずつ持ったそのプリズンを確実に私のもとへ届けること。これが私からのお願いだ」
「それって、ウィンディーヌの転移魔法で一気に飛んでいけないんですか?」
 マルコちゃんが言うと、ミリー部隊長は首を振りながら答えた。
「悪いが無理だ。目的地には誰にも見つからないような細工がしてあってな。転移魔法の類では移動出来ないようにしてあるんだ」
 ふと、疑問を抱いた。
「あの、バラバラになる理由は?」
「全管理局員に対して私達ホカン部はたった六人。数では決して勝てないから、一塊でいるところを包囲されたら一網打尽にされるだろう? だから散開して動くんだ。それに一人の方が逃げ易い」
「なるほど……それじゃあ、もう一つ」
「ん? 何だ?」
「私達に渡されたプリズンの内、どれにエクレールが入っているのかを教えてください」
 そう言うと、マルコちゃんも頷いて言った。
「そうですよ。誰が本命なのかを教えてくれれば、エクレール運搬の計画も立て易いじゃないですか。要するに空っぽのプリズンは囮でしょう? それなら、本命を確実に目的地へ届けるために動かなくちゃ」
「教えない」
 マルコちゃんの言葉を遮って、ミリー部隊長ははっきりと言い切った。
 数秒の沈黙が続き、誰もがミリー部隊長の真意を読み取ろうとした。
 何故教えないのだろう。
「…………え、何で?」
 耐え切れなくなったマルコちゃんが声を出すと、彼女の目をじっと見てミリー部隊長は言った。
「本命だと? そんなもん、四つ全部に決まっているだろう」
 再びしばらくの沈黙だ。
 しかし、今度はその意味が少しずつ解り始めていた。
 徐々にだが、しっかりと伝わってきていたのだ。
「囮にしていいプリズンなんて、犠牲になっていいホカン部隊員なんて、ここにはいないんだよ」
 そうだった。ミリー部隊長はこういう人だったんだ。
 私達は、皆が一つの決意を胸に抱いた。
「いいか、これは私からホカン部への命令だ…………全員、必ず再会すると約束しろ。六人の内、誰一人として欠けることは許さない。我々は再び集合するぞ」
 ミリー部隊長は私達の誰一人として欠けることは許さないと、そう言った。
 失くしたくないという彼女の気持ちは、私が抱く想いと一緒だった。
 そしてそれが嬉しかった。
 やっぱり、私はミリー部隊長に付いて行くという選択をして良かった。
 間違っていなかったんだ。私は自分の想いを叶えるための選択をしたんだ。
 誓おう。ミリー部隊長に、ホカン部の仲間達に、そして自分自身に。
 そう、必ず私達はまた全員集合しよう。
「よし、では目的地の座標はお前達のデバイスに送っておく。散開後はその座標を目指すんだ」
 ミリー部隊長がウルカヌスを担ぎ、ブリーフィングルームを出て行く。その後ろ姿に私達も続いた。
 エレベーターに乗り込んで一階の玄関へと向かう途中、私は心の中で、もう二度と戻らないであろうホカン部隊舎にお別れを言った。
 その時、ブラント君がポツリと呟いた。
「寮母さんは?」
 その声を聞いたミリー部隊長は、少しだけ眉尻を下げながら寂しげに言った。
「残念だがお別れだ」
「僕、挨拶がしたい」
「無理だ。彼女には、お前達が隊舎に帰ってくるよりも先に連絡を入れてしまった。もう身を隠してしまっているよ」
「何でそんなことを?」
「彼女もこの計画を知る者だからだ。もっとも、私を尊重してくれている人だから、ルミオン達とは違う」
 少し涙目になるブラント君を、ウィンディーヌちゃんが撫でていた。
 寮母さんまでミリー部隊長の計画に絡んでいた人だとは思わなかった。変なところまで奥が深い話だ。
 エレベーターを降りた私達は、ホカン部の玄関を潜って隊舎を出た。
 夜独特の、静けさが織り交ざった空気を吸って深呼吸をすると、緊張で高鳴っていた心臓に涼しさが届けられて少し落ち着いた。
 ここから、私達ホカン部の逃亡が始まる。
「よし、行くか…………ん?」
 そして、意気込んで踏み出した一歩はすぐに止められてしまった。
 ホカン部隊舎から十五メートルほど離れた場所。ぽつぽつと立っている街灯にぼんやりと照らされた位置。
 そこに、複数の人影があったからだ。
 四人の人影と、一匹の影。そしてユニゾンデバイスの様な大きさの影が二つ。
 横一列に並び、その人影は私達をじっと見ていた。
「ミリー部隊長……あれって、まさか」
「おいでなすったな、管理局員共め」
 街灯だけでは見えづらかったけれど、夜空の雲が少しだけ晴れて、幾分か見え易くなった。
 そうして見やった人影の中には、私達の知る顔があった。
 シグナムさんとアギトさん。それにシャマルさんも。
 そして、真ん中に立つ女性の影は。
「…………遺失物保護観察部部隊長、ミリー・バンカル三等空佐。そして部隊員の皆。悪いけど、おとなしく連行されてくれへんか?」
 JS事件解決時のニュース報道で見たことがある。その女性は、遺失物管理部機動六課の部隊長だった人。
 八神はやて二等陸佐、その人だった。
 
 To be continued.



[24714] 第三十二話 壁
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/03/06 20:52
 今、私達の目の前に立ちはだかるのはまさに脅威。
 今、私達の行く手を遮る騎士達の力はまさに強大。
 今、私達の進行を阻む者達はまさに聳え立つ鉄壁。
 ミリー部隊長を先頭にして、私達は前方に佇む七つの人影を見た。
 その影達の中央にいるのは、元機動六課部隊長の八神はやて二等陸佐。
 私は後退してしまいそうになった。いや、私だけじゃない。ミリー部隊長を除いた皆だって不安に思っているはずだ。
 この人達を突破出来るのだろうか。
「管理局も必死だな。我々を捕まえるために用意したのが、こんな豪華な顔ぶれだぞ?」
 ミリー部隊長がそう言うということは、やはり“そういうこと”なのだろう。
 八神二佐を筆頭に立ち並ぶ人達は、おそらく元機動六課の面々。
 本気だ。管理局は本気で私達を取り押さえるつもりなんだ。
 それなのに、ミリー部隊長の表情はいつもの強気な微笑だった。そして両手に持ったウルカヌスに魔力が込められていく。
「そこを通していただけるかな? 八神二佐」
「出来ることなら争いたくない。同じ管理局員なんやし、抵抗は止めてほしいんやけど」
「いいねぇ、こういう展開は嫌いではない。胸を借していただこうか、六課の英雄諸君」
 ミリー部隊長と八神二佐の言葉を聞く限りでは、私達の衝突は避けられそうにない。
 私はデバイスを握り締めた。
 すると、八神二佐が目を閉じて一度だけため息を吐いた。
 そして再び開かれた目は、鋭かった。
 それはまさしく、覚悟の証。
「…………誰か、ミリー・バンカル三等空佐を頼めるか?」
 八神二佐の言葉を受けて、その足を一歩踏み出した人がいた。
 腰まで伸びるポニーテールを靡かせながら、腰部の鎧と一振りの相棒から音を鳴らす剣士が一人。そしてゆっくりと前に出ながら、落ち着いた口調で一言。
「ヴォルケンリッターの将、“剣の騎士シグナム”と、“炎の魔剣・レバンティン”が行かせていただきます」
「“烈火の剣精アギト”様もだ!」
 名乗り出た二人がユニゾンを済ませると、シグナムさんから放たれる魔力が強い熱気を帯びて私達のところまで伝わってきた。
 とてつもなく怖い。
「じゃあ、残りのメンバーを抑えるのは他の皆に任せてええね?」
 シグナムさん同様に、八神二佐の言葉を受けて順々に進み出る影達。
 その佇まいが、その眼光が、その構えが、シグナムさんにも匹敵するような闘気となって私達に叩き込まれてくる。
 赤いゴシックロリータドレスの少女が、二本の三つ編み髪を揺らしながら鉄槌を振り被る。
「おう。“鉄槌の騎士ヴィータ”と、“鉄(くろがね)の伯爵・グラーフアイゼン”、行くぜ」
 緑のツーピースドレスと金髪のショートボブを弾ませた女性が、両手の人差し指と薬指に嵌められた四つの指輪を唇に寄せる。
「“湖の騎士シャマル”と、“風のリング・クラールヴィント”におまかせを」
 蒼い体毛を纏い、額の赤い宝石を光らせる狼が喉を鳴らす。
「“盾の守護獣ザフィーラ”、金城鉄壁(きんじょうてっぺき)となって奴等を止めます」
 この威圧感。今すぐにでも背中を向けて逃げ出したくなる。
 本当に突破出来るのだろうか。
 私達は今、深い深い崖の底から天を見上げているのだ。
「リィンは私と一緒やね」
「はいですぅ! “祝福の風リィンフォースⅡ”は、マイスターはやてと共に」
 八神二佐と銀髪のユニゾンデバイスがユニゾンを済ませた時、私は改めて思い知った。
 準備が整ったのだ。
 管理局は、そしてこの人達は本気なのだ。
 胸に湧き起こるのは不安なんて生易しいものではない。敗北のイメージが常に纏わり付いて離れない。
 膝を震えさせるのは恐怖などという甘いものではない。畏怖の念とも言えるような、絶対的な絶望感。
 心臓の速い鼓動は緊張の一言では理由にすらならない。これほどまでに息苦しい事があっただろうか。
 飲み込む唾さえも出てこなくて、私は額から垂れ落ちる汗の雫を舐めた。
 ミリー部隊長はこの状況をどう捉えているのだろうか。私は彼女の顔を窺った。
「ミ、ミリー部隊長?」
 思わず声を出していた。
 何故なら、彼女の顔はこの場にはとても不釣合いな、怪訝そうな表情を浮かべていたからだ。
「ヴォルケンリッターだと? …………待てよ…………そうか、そういうことか」
「あ、あの、どうかしたんですか?」
 私だけでなく、マルコちゃんもミリー部隊長の様子に気が付いたようだった。
「ははは、解ったよ」
「何が?」
「ホカン部。お前達にすごい情報を教えてやろう」
 ミリー部隊長は視線を前方に向けたまま、デバイスをもう一度構え直しながら言った。
「シグナム二尉をはじめ、シャマル、ヴィータ、ザフィーラの四名は人間ではない」
 一瞬だけ間が生まれた。彼女が何を言っているのかが、咄嗟に理解出来なかったせいだ。
「八神二佐が持っている魔導書型デバイスは『夜天の書』と言って、古の時代より幾度と無く主人を変え、転生を繰り返してきたものだ。そのデバイスは自己防衛のプログラムを持っていて、そのプログラムは夜天の書とその主人を生涯守り抜く。そのプログラム名が…………ヴォルケンリッター」
「シグナムさん達が……デバイスの生み出すプログラム体?」
「人間でないと解れば気は楽だろう? 遠慮なんて要らないぞ。向こうとこちらの戦力差を考えれば、殺す気にでもならないと太刀打ち出来んぞ」
 いきなり殺す気になれと言われても無理だが、遠慮をしていたらすぐに終わってしまうということは理解出来た。
 私達の戦力にはそれぐらいの差がある。
 ただ、ミリー部隊長がどうしてシグナムさん達の正体を知っているのかは不明だ。
「行くぞホカン部…………掛かれぇ!」
 真っ先に飛び出したのはミリー部隊長だった。
 両方のつま先が地面から離れると、低空を滑走するミリー部隊長は進行方向に向けてウルカヌスの銃口を突き出した。
 その先にはシグナムさんが、レバンティンを鞘から抜いて立っていた。
 まさに刹那。ウルカヌスとレバンティンが高い衝撃音を響かせながら、鍔迫り合いを始めた。
「よう、シグナム二尉ぃ! 一度でいいから貴女と手合わせ願いたいと思っていた!」
「ミリー部隊長、あなたとはこのような形で再会などしたくなかった!」
「ほざいてろ!」
 ミリー部隊長がシグナムさんを突き飛ばすと、すかさずウルカヌスの銃口から真紅の魔法弾が吐き出された。
 シグナムさんの足元を掠める魔法弾。それらを避けようとステップを踏むシグナムさんの足は、一瞬の隙を突いて踏み込みへと変わる。
 再び迫る両者の体は、対極的なほどに動きが違っていた。
 流れるように。変幻自在でありながらも力強い太刀筋はまさに炎。
 鋭い一撃。目まぐるしい連撃。しつこい追撃。悟らせぬ反撃。
 シグナムさんの剣筋が牙をむく。
 荒れ狂うように。破壊の一点のみに絞られた強力(ごうりき)なる攻めはまさに嵐。
 唸る拳撃。断ち切らんとする脚撃。重たい殴撃。逃がさぬ銃撃。
 ミリー部隊長の暴力が爪を立てる。
 シグナムさんがレバンティンを腰にあてがい、居合いの姿勢を見せた。
 それにタイミングを合わせ、ウルカヌスから魔法弾が無数に撃ち出される。
 シグナムさんが咄嗟に避けるが、その動きはミリー部隊長に読まれていたようだった。避けた先に回りこんでいたミリー部隊長の体当たりが、シグナムさんのスレンダーな体を突き飛ばす。
「もらった!」
 浮いたシグナムさんの体を狙い、再び真紅の魔法弾が舞い飛んでいく。
 私は思わず目を背けてしまった。
 あのシグナムさんが、押されている? 私はミリー部隊長の容赦無い攻撃をまともに見ることが出来なかった。
 しかし、逸らした視線の先では別の戦いが繰り広げられていた。
「うりゃあっ!」
 フェイトさんの姿をしたマルコちゃんが、戦斧型のレプリカストロから魔法刃を飛ばした。
 回転して飛んでいく魔法刃をヴィータさんが打ち落とす。
 しかし、マルコちゃんの連撃は止まらない。幾つもの線を描くように振りぬかれていくレプリカストロからは、無数の刃が休む間もなく放たれ続けていく。
 ヴィータさんはその連撃に手間取り、ブラント君の進行を許してしまった。
 ウィンディーヌちゃんとユニゾン状態のブラント君は、ポリビウスを掲げたままジェームスクックに乗ってシャマルさんへと突っ込んでいく。
 しかし、シャマルさんの前に突如として飛び出してきた蒼き狼ザフィーラが、ブラント君の方を向きながら吼えた。
 ザフィーラの鳴き声に合わせて、地面から白く光る大きな棘が生え出てきた。それらはブラント君の進行を塞ぐようにして複雑に、多方面から伸びてくる。
 しかし、ブラント君を運ぶ水の道は棘だらけの中を縫って走り、それに従いながら、ブラント君も速度を変えることなく滑走していく。
「シャマル!」
 ザフィーラの叫びを聞いたシャマルさんが、足元に魔法陣を出現させた。
「了解! 通しません!」
 シャマルさんが翳した両手に沿うようにして、魔力障壁が大きく展開された。
 ブラント君のポリビウスがカートリッジを一発ロードして、その切っ先を障壁の中央に突き立てる。
 均衡する両者。鬩ぎ合いは続くものの、互いに一歩も退くことは無い。
 刃が震えている。
 壁が泣いている。
 譲らない双方の力は、尚も尽きることなくぶつかり合う。
「シャマル! 今助けるで!」
 いつの間にか宙に浮いていた八神二佐が、魔法陣を広げながら左手の魔導書を開いた。
 何かを仕掛けてくる? 
 私は、自分でも気が付かぬうちにマスタースペードの先端を空に掲げていた。
 魔力がチャージされていく。そして更にカートリッジロード。
 私は今、管理局員と敵対している。
 相手が誰であろうと、そう、憧れの機動六課だろうと、私が今するべきことはこれしかない。
「単砲・天龍、発射用意――――!」
「はやて! 危ない!」
「え?」
 ヴィータさんの叫びが、八神二佐の視線を私に向けさせた。
 でも、だから何だと言うんだ。私は、今これを撃たなくちゃいけないんだ。
 止まらない。止められない。止まっちゃいけない。
「構えぇ――――」
 私は、私達ホカン部は、進まなくちゃ。
「撃てえぇぇっ!」
 そうだ、進まなくちゃいけないんだ。
 薄紫の光線は空中を走りぬけ、一直線に伸びていく。
 空気を震わせながら。視線を引きつけながら。獲物を狙いながら。
 その砲撃が八神二佐に届くまで、それほどの時間は掛からない。
 だけど、私にはとてもゆっくりに見えた。八神二佐の表情には少しずつ焦りが見え始め、彼女を案ずるヴォルケンリッターの声は砲撃を追いかけるように八神二佐へと向かっていく。
 そして、私の中で何かが小さな音を立てた。
 それは、本当に小さな一音。
 何かが吹っ切れたの? ううん、違う。
 大切な何かに亀裂が入った気がした。
 その大切なものは、もう限界を迎えているのかもしれない。
 でも、私にはどうすることも出来なくて。
「はやてぇっ!」
 誰かの叫びが聞こえた瞬間、私の砲撃魔法は着弾と同時に、裂けるようにして四方へと伸びていった。
 貫いて、いない。
 砲撃魔法を止めて標的を確認すると、そこには白色の魔力障壁を展開した八神二佐が、じっと私のことを見下ろしていた。
「……あっ」
 思わず声を漏らした。
 そして八神二佐が無傷でいることを確認した時、私は少しだけほっとしたような気持ちになっていた。
 何故? 
「危なかったぁ。リィン、ナイスシールドや」
『油断は禁物ですよ、はやてちゃん』
「ふふっ、ごめん…………じゃあ、今度はこちらの番!」
 再び八神二佐が魔力を練り始める。
「手加減は苦手なんや! 豪快に行くで!」
 八神二佐の左手の上に浮く魔導書が、輝きを増していく。
 何か来る、とてつもなく大きなものが。
 その時、ジージョちゃんがクリンリネスの先端を八神二佐に向けて呟いた。
「…………“バキューム”」
 掃除機型のデバイスが八神二佐から魔力を吸い始めた。
 しかし、それでも八神二佐は魔法の発動を止めようとしない。
 いや、違う。止められないんだ。彼女の魔力は、ジージョちゃんが吸引する魔力量を大きく上回って集束している。
 手遅れだ。
「仄白(ほのしろ)き雪の王、銀の翼以て、眼下の大地を白銀に染めよ――――」
 八神二佐の詠唱が続くに連れて、急に周辺の気温が下がった。
 突然自分の息が白くなっていることに気が付いて驚く。
「――――来よ、氷結の息吹――――」
 ミリー部隊長が「逃げろ!」と叫んだのは聞こえた。
 ブラント君の中のウィンディーヌちゃんが、水の柱を発生させて八神二佐を狙い撃ったことにも気が付いた。
 それなのに、私や他の皆は、これから起こるであろうことに気付くことが出来なくて、口を開け放してじっとしていた。
「――――アーテム・デス・アイセス!」
 次の瞬間、空から降ってきた四つの白い光は地面に突き刺さった。そして光が着地した場所から、地面や壁が急速に凍りついていった。
 そして広がる氷結現象は、地に足をつける私達のことまでも飲み込んでいった。
「何だこれ!?」
 マルコちゃんの叫びに続いて私達は自分の足を見た。
 踝の辺りまでが、すっかり氷に飲み込まれている。
「う、動かない!」
 それだけじゃなかった。ウィンディーヌちゃんが撃ち出した水の柱までもが凍てつき、巨大な氷柱と化していた。
 まずい。この場から逃げられない。
 ここで捕らえられてしまうの? 私達は逃げ出してから一時間もしないうちに終わってしまうの?
 嫌だ。
「ミリー部隊長!」
 思わず叫んだ。それは彼女に助けてほしいという願いが込められていた。
 そうして叫んだ時、私の隣にミリー部隊長が転がってきた。転がってきたというよりも、空から降ってきたと言うべきか。
「大丈夫ですか!?」
「っかぁー! くそっ! 八神二佐の凍結魔法に乗じて打ち込んできやがった!」
 ミリー部隊長が立ち上がりながら視線を上げると、その先にはレバンティンを構えて見下ろしているシグナムさんがいた。
 私はすぐさま周囲を見渡すと、ホカン部側の明らかな劣勢状況を目の当たりにしてしまった。ミリー部隊長以外の誰もがその足を氷に埋めていて、身動きが取れていない。
 これでは捕らえられたも同然だ。幾らミリー部隊長が強くたって、彼女一人で八神二佐率いる管理局側を相手にすることには無理がある。
 ここまでなのだろうか。序盤に抱いていた敗北のイメージは、確実に現実のものへと変わり始めていた。
「ソフィー」
 突然、ミリー部隊長が私の名前を呼んだ。
「は、はい」
 その視線はシグナムさんに向けられたままだが、彼女は話を続けた。
「凍っているのは足だけか?」
「はい、そうですけど」
「ならば砲撃はまだいけるな」
 この状況で砲撃魔法? 一体何をしろと言うのだろうか。
「時間は私が稼いでやる。ここからホカン部隊舎の五階、部隊長室の中央を撃ち抜け」
「な、何で?」
「こいつ等と正面からやり合っても勝ち目はない。逃げるためのきっかけを作るんだ…………出来るな?」
 私のことを見ようとはしなかったが、ミリー部隊長の言葉には私に対する大きな期待が込められていた。
 そうだ、諦めるのはまだ早い。何のために私はここにいるんだ。どうしてミリー部隊長に付いて行くことを決めたんだ。
 そんな簡単に結論は出せない。やってみようじゃないか。
「…………はい!」
「良い返事だ。期待しているぞ」
 そう言ったミリー部隊長は、ウルカヌスにカートリッジを二発連続で飲み込ませた。ウルカヌスの六連装の銃身が激しく回転を始める。
 そしてその銃口が天へと向けられた。
「ウルカヌス、遠慮は要らん! 喰らっちまえ!」
 その言葉の直後に放たれた大型の砲撃魔法。真紅の太い光線は、八神二佐とその隣のシグナムさんを纏めて飲み込もうと、夜空を駆け抜けた。
 砲撃魔法を放つミリー部隊長の傍らで、私はマスタースペードをホカン部隊舎の方に向けた。
「マスタースペード照準サーチ! 三号三型!」
 狙うはホカン部隊舎の五階。部隊長室の中央。
 ミリー部隊長が撃ち抜けと言ったポイントには、一体何があるというのか。そこを撃ち抜くことで獲得出来る、私達が逃げるためのきっかけとは何か。
 思い出してみた。
 部隊長室。私が初めてそこを訪れた時のこと。
 甘さの入り混じった鉄の臭い。そしてスカイブルーの液体化した魔力。
 思い出した。
 あの魔力は、一体何だったのだろうか。
 私の頭の中に描かれた部隊長室の映像。その中の謎の液体化魔力に、私の照準座標は定められていた。
「単砲・扶桑(ふそう)、発射用意! 構えぇ――――」
「ソフィー、ぶちかませ!」
「――――撃てえぇぇぇっ!」
 マスタースペードの先端から伸びた一筋の光。その細い光線は、あっという間にホカン部隊舎の五階の壁にぶつかった。
 その細い光は、砲撃の道標である。
 間を置くことなく、細い光線が根本から口径を変えた。細い光線を辿って、巨大な光の柱が放たれる。
 それは物理破壊設定がオンに切り替えられた、大きな一撃。
 隊舎のコンクリートを砕き、窓ガラスを撒き散らし、轟音を鳴らし、砲撃は見事に私達の隊舎を貫通した。
 その瞬間だった。
 私の視界が捉えたのは、ホカン部隊舎の五階ばかりか四階の半分以上までをも消滅させながら、眩しい光が深夜のミッドチルダの空に発生したところ。
 それ以上は眩しすぎて見えなかった。目を開けていられなくて、私は両腕で顔を覆っていた。
 耳だけが周囲の音を拾っていた。それでも光と共に広がる衝撃音が大きくて、聞き取れる音はごく僅か。
 聞こえる。マルコちゃん達の叫び声。八神二佐達の悲鳴。
 そして、ミリー部隊長の声。
 私達を呼んでいる。
 足元の違和感。地面を覆っていた氷が急速に消えていく。
 動く。自由が戻ってきた瞬間、思わずよろけて転びそうになった。
 そんな私の腕を支える人の存在。
 それは、紛れも無くミリー部隊長。
「今のうちに逃げるぞ!」
 私は腕を引かれながら空を飛んだ。
「ブラントを掴め!」
 一度だけ降り立った場所で、私は手探りをしながらブラント君の体を捕まえた。
 そして、マルコちゃんとジージョちゃんも私のすぐ隣にやって来たことを確認すると、すぐにまた空を飛んだ。
 徐々に視界が広がってきたので周囲をぐるりと見渡すと、爆発の衝撃から逃れるように身を丸めているシャマルさんとヴィータさん。そして地面に爪を突き立てているザフィーラ。
 空中では八神二佐を守るようにして、シグナムさんが隊舎に背を向けて丸まっていた。
 その様子を見て、自分達への爆発の影響も踏まえて考えれば、おそらく直接的なダメージは与えていないということが分かる。
 しかし、そのあまりにも突然で、桁外れで不可思議な現象を目の当たりにしたために、皆揃って驚愕しているようだった。
 ミリー部隊長の思惑は上手くいったと言える。
 私達は、逃げるチャンスを手に入れたのだ。
 


 ホカン部隊舎から遠ざかった私達は、ミッドチルダの中央区画から外れた場所にある林の中に降り立った。
 逃げてきたのだ。あの、『奇跡の部隊』と呼ばれる機動六課の面々から、私達は逃げてきた。
 一気に安心感が訪れて、私はその場に座り込んでしまった。
 言葉は出なかった。口から漏れるのは息切れした呼吸だけ。
 同じように座り込んだマルコちゃんは、苦しそうな顔で「突破しちゃったよ」と呟いた。
 ふと、私はマスタースペードに言った。
「プリズンを出してくれる?」
「All right」
 マスタースペードが、空間収納魔法を起動して、私の手の平の上にプリズンを出現させた。
 その黒い立方体を見て、改めて思う。
 これを、私は管理局から守り抜かなくちゃいけないんだ。
 この先、目的の場所にたどり着くまでに何度同じような目に遭うこととなるのだろうか。その道のりを思うだけで、私はため息が漏れそうになった。
「よし。ここからにしようか」
 ミリー部隊長の声が聞こえ、私はプリズンから目を離して彼女の方を向いた。
「ここから散開行動としよう」
 いよいよ、か。
 緊張感が再び高まり始めた。八神二佐達との戦いを終えて気が抜けたと思ったら、また緊張。正直なことを言うと、体のあちこちに疲れがやって来ていてすぐにでも眠りたいと思った。
「まず私が先に出発だ。離れた場所でもう少し暴れてくる。そうすりゃあ魔力反応を感知した局員共の注意を、私が引きつけられるだろう? お前達はその隙に別ルートで移動すればいい」
 タフな人だと思った。何故か、彼女が捕まってしまうという予感はしなかった。それは彼女を知る者ならばこその予感なのだろう。
「ではお前達、約束を必ず守れよ…………我々ホカン部は、再び集結しよう。絶対に」
 そう言ったミリー部隊長は、私達のことを一人ずつ順番に抱きしめた。 
 ジージョちゃんは顔を真っ赤にして、マルコちゃんは背が低いから顔が隠れて見えなくなって、ブラント君は笑顔を浮かべながらも寂しそうにして、ウィンディーヌちゃんは腕を組んだまま無愛想で。
 そして私は、ミリー部隊長の温もりを感じた瞬間に疲労が抜けていく気がした。
 温かい。それでいて優しくて、安心出来たのだ。
「お前達……気をつけるんだよ」
「ミリー部隊長こそ…………気をつけてください」
 最後に微笑んだミリー部隊長は、空を飛んで闇夜の中へと消えていった。
 残された私達は、しばらくその場を動かずにいた。
 デバイスに登録された目的地の座標を再確認すると、ジージョちゃんが力無く呟いた。
「結構遠い」
「そうだね。でも、頑張ろう」
 やがて、遠方に赤い魔力光らしきものを確認した。
 そろそろ行かなくちゃ。そう思った矢先、一番に動いたのはブラント君とウィンディーヌちゃんだった。
「じゃあ、あたし達はもう行くわよ」
 ウィンディーヌちゃんが転移魔法の用意をする横で、ブラント君が手を振ってきた。
 それを見たマルコちゃんが一言、呆れ顔で言う。
「後でまた会うんだから、手を振るんじゃない」
「あ、そっか」
「じゃあ、また後で」
 ブラント君が微笑んで頷く。
 そしてウィンディーヌちゃんも一言。
「ミリーのためだから、絶対に捕まるんじゃないよ」
 その言葉を残して、二人は転移魔法陣の中に消えていった。
 残された私達はしばらく沈黙をした誰から出発するかを決められなかったのだ。
「…………どうしようか」
「んー、ジャンケンで決めるかい?」
 するとジージョちゃんが一言。
「…………途中まで、三人一緒でどう?」
「それだと散開行動にならないじゃないか」
 マルコちゃんが指摘するものの、私達は一向に動こうとすること無く固まった。
 私が初めてホカン部にやって来た時に一緒に行動したのは、確かこの三人だったっけ。
 何だか懐かしさがこみ上げてきて、私は笑っていた。それは他の二人も一緒だったみたいで、マルコちゃんとジージョちゃんも笑っていた。
「一緒に行こうか、途中まで」
 とても心強かった。きっとこんな仲間達となら、また全員揃うことが出来る気がしてならない。
 疲れなんてもう微塵も無い。
 私達は並んで空へと飛び上がった。

 To be continued.



[24714] 第三十三話 再会
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/02/10 18:43
≪1・進む時間と迫る危険≫

「フェイトさん、八神部隊長から連絡です」
 シャーリーの呼ぶ声で振り向いた私は、彼女のもとへと歩み寄った。
 ティアナが機動三課での事情聴取資料を整理している隣で、シャーリーは目の前に通信モニターを開いて待っていた。
 確かはやては、ヴォルケンリッター達と共にホカン部隊舎へと向かったはず。
 私は一度だけ時計を見やった。もしかしたら上手くいったのかも知れない。ともかく、結果はどうであれ時間的にも向こうで何か行動を取っているはずだ。
「お待たせ、はやて」
『おお、フェイトちゃん』
 モニターの中では、はやてが困ったような笑顔を浮かべている。ちょっと気になる表情だった。
『急に連絡ごめんな?』
「ううん、平気だよ」
『そっちの様子はどう?』
「収穫あり、かな」
 私は機動三課の隊舎での出来事を全てはやてに伝えた。その中でも特に重要だったのが、サイオン部隊長が秘めているであろう事件の全容についてだ。
 現在サイオン部隊長は、捜査官によって地上本部に重要参考人として連行されている。本局から駆けつけてくれているヴェロッサ・アコース査察官の“思考捜査”に掛けるためだ。
 おそらくサイオン部隊長は、この事件の全容を知っているのだろう。
 ただ、サイオン部隊長からそれらの情報を得ることが出来ても危機が去ったわけではない。
 ミリー・バンカルを捕まえなくては。そして、彼女が奪っていったプリズンを取り戻さなければ。
 プリズンの中が空っぽならば、それはそれで構わないことだ。私の思い描く最悪のシナリオがただの考え過ぎで済むのなら良い。
 だが、私の考え過ぎだという可能性は決して高くはないと思う。
 何故だろう、胸騒ぎが止まらない。
 事件は確実に解決へと向かっている。こんなにもトントン拍子で事が進んでいくのは、普段なら喜ばしいことだ。
 だが、この現状に思い知らされている気がする。事件の謎が明らかになっていくほど、私達に迫っている危機の大きさを知るようで怖い。
 そして事件の全容が徐々に見えてくるのと同じスピードで、あるいはそれ以上の速度で、私達に迫る危機はどんどん膨張しているように思えるのだ。
『…………なるほど、三課のサイオン部隊長がねぇ』
「うん。きっと事件の早期解決に繋げることが出来ると思うんだ」
『フェイトちゃんさすがやね』
「そっちはどうだった? ホカン部の隊舎では部隊員に出くわさなかったの?」
 モニターに映るはやての様子だと、ミリー・バンカルの逮捕には至らなかったみたいだ。やはり、管理局の接近を予見して回避したと考えるのが妥当だろうか。
『それなんやけどね…………』
「ん?」
 はやては言いづらそうに頭を掻いた。
『ミリー・バンカル含め、ホカン部の部隊員達には会ったんやけど…………取り逃がしてしまったんよ』
「え? はやて達が?」
 驚いたのは私だけでは無い。隣にいたシャーリーとティアナも、信じられないという風に互いの顔を見合わせていた。
 そうなるのも無理のない話だった。八神はやてを中心とした“八神一家”と呼ばれる面々は、管理局内でも指折りの猛者達であることは間違いない。
 『夜天の魔導書』を操るSSランクの魔導師、“歩くロストロギア”とさえも呼ばれる八神はやて。そして彼女を守るヴォルケンリッターのシグナム、ヴィータ、ザフィーラ、シャマルの四名は、普段は部署こそ違うものの強固な絆で結ばれた守護騎士達で、戦技においても一流の腕前。そしてはやての魔法をサポートするリィンに、シグナムを主人(ロード)とするアギト。
 これだけの集団を突破出来る人なんて、正直いるとは思えなかった。
 はやての言葉に今だ半信半疑の私は、その時の様子を詳しく知りたいと思った。
「何かあったの?」
『実は、ちょっと嫌な予感がするんやけど』
 はやての表情から、少しだけ緊迫した空気が伝わってきた。
『ホカン部所属のソフィー空士が、ホカン部隊舎に向けて砲撃魔法を撃ったんや。そしたら、ホカン部隊舎が貫かれた瞬間、突然もの凄い爆発が起きてな』
「爆発? 火薬を使用していたってこと? 怪我人とかは出たの?」
 まさか爆弾を使用しての逃走? もしそうだとしたら、容赦の無い卑劣な手口だ。
 はやてが少しだけ口をつぐんで間を空けた。もしかして民間人に被害でも出ているのだろうか。
「はやて?」
『…………その爆発なんやけど、妙なんよ』
「妙って……どういうこと?」
『確認できる被害状況はホカン部隊舎の半壊のみ…………せやけど、爆発によって破壊された隊舎の破片がほとんど見つからん』
「…………ごめん、はやて。よく解らない」
『爆発というよりも、消えてしまったと言った方がええね。ごっそりと何処かに持ち去られてしまったような…………そう、まるで空間ごと切り取ったみたいに』
 その言葉を聞いた私が真っ先に浮かべたイメージは、一つしかなかった。
「反応消滅による破壊」
 その呟きが届いたのか、はやてが何かに気が付いたような表情をした。その目にはさっき以上の緊張感が込められている。
 彼女も、私の言葉を聞いてイメージが浮かんだようだった。何故なら私達は、過去にイメージ通りの現実に直面したことがあるのだから。
『アルカンシェル…………そうや、アルカンシェルの効果に近いような気がした』
「もっとも、被害状況を聞く限りでは極めて小規模なものだけどね」
『それでも油断は出来んやろな。ソフィー空士がホカン部隊舎の五階を撃ち抜いて起こった爆発ということは、その爆発を引き起こした原因となる何かがホカン部隊舎内にあったということや。もしその原因というやつが他所にもあるとしたら…………うかうかしとったらあかん』
 はやてはアルカンシェルに結び付けているけれど、先程サイオン部隊長と話をしたばかりの私には、もっと強力なものが浮かんでいた。
 そして、私の予感がますます現実味を帯びてきていることに肩が震えた。
 やはりミリー・バンカルは。
「はやて、悪いんだけどそのままミリー・バンカルの捜索を続けてくれる?」
『もちろんや。このまま逃がすつもりはあらへん。サイオン部隊長の思考捜査の結果が出たら、私にも教えてくれるか? …………この事件には何か凄く嫌なものを感じるんや。もしかしたら私達には、もうそんなに時間が残されてないのかも知れへん』
 感が良い。私も同感だった。
「了解。はやても気をつけて」
 挨拶を済ませた私は、通信の切れたモニターを閉じようとした。
 すると、それよりも早く別の人物から通信回線が開かれた。
 相手は無限書庫にいるユーノからだった。
『フェイト、今いいかい?』
「大丈夫。聞かせて」
 何と言うタイミングだろう。見計らったみたいにぴったりだ。
 ユーノには、機動三課の隊舎へ来る前に調べ物を頼んでおいたのだ。
 それはエクレールに関する調査。彼は情報の海の中で、どれが私達の求めている情報なのかを絞り込めずにもがいていた。だから私は言ったのだ。「魔導兵器・エクレールに関する調査をお願い」と。
 その彼からこうして連絡が届いたということは、ユーノの方にも何か収穫があったのだろう。
 私はユーノの言葉を待った。
『フェイトに言われた通り調べてみたんだ、魔導兵器のエクレールについてを。…………まずエクレールの開発理論に目を通してみたんだけど、エクレールの弾となる魔導エネルギーの生成システムははっきり言ってめちゃくちゃだよ。アルカンシェルとは桁違いの魔力変換率を生み出す装置が必要だし、それを造るためには莫大な費用も手間も技術力も必要になる。それにこの魔力運用に必要となる技術力だって尋常じゃない。よっぽど魔導力学に精通している人じゃないと取り扱えないよ。これがホカン部の子達が調べていたもの? 開発理論なんかは残っているけど、エクレールなんてものが実在した記録は無い。何だってこんなものを調べていたんだろう?』
 ユーノの疑問に対する答えは、おそらくもうすぐ判明するんじゃないだろうか。
 そう思いながら、私はもう一つ訊いてみた。
「じゃあ、管理局内外を問わず、このエクレール開発に携われるほどの技術者や研究者をピックアップ出来る?」
『まあ、エクレールの開発に携わることが出来そうな魔導力学者とかであれば、ある程度はピックアップ出来ると思うよ。なんせ、これだけのものの開発を可能とするほどの人なんて、真っ先に思いつく人物と言えば“ジェイル・スカリエッティ”くらいしかいないからね。全次元世界を見たってそんなに多くは無いはずさ』
 JS事件の首謀者か。確かにあの男ならエクレールの開発も可能かも知れない。だが、彼は現在拘置所の中だ。
「ありがとう」
『結果はまた連絡するよ』
 ユーノにお礼を言いながら、私は通信を切った。
 徐々に紐解かれていく事件。
 さて、そろそろ私も本格的に動かないと。
 ポケットに手を入れ、金色に光るプレート型の待機状態(スタンバイモード)でいるデバイス、“バルディッシュ”に向かって呟いた。
「力を貸してほしいんだ」
「Yes, Sir」
「それとティアナ」
「は、はい!」
「ティアナも私と一緒にホカン部の捜索と追跡、そして逮捕をしてほしい」
「分かりました!」
 ティアナも自分の拳銃形デバイス、クロスミラージュに合図を送っていた。クロスミラージュが快く承諾の返事をする。
 やはりミリー・バンカルが持ち去ったものはエクレールである可能性が大きい。はやての話を聞く限りだと、反応消滅によって破壊されたと思われるホカン部隊舎のことを考えれば、隊舎五階にはエクレールやアルカンシェルに使われるエネルギー体が少量あったのではと推測できる。
 ユーノはエクレールが実在する可能性を低く見ているけれど、この隊舎の破損状況こそがミリー・バンカルと魔導兵器との繋がりを証明するものではないだろうか。
「あの、フェイトさん」
 シャーリーが突然話しかけてきた。
 その表情を見ると、何だかこれまでにないほど悲しそうだったので驚いた。
「どうしたの?」
「ホカン部の子達を発見したら、やっぱり逮捕するんですか?」
「うん。はやての話を聞く限りでは、ホカン部部隊員はミリー・バンカルと共に行動していると考えられるから」
「…………あの、戦うんですか?」
 そうか。彼女の友達が一人、ホカン部にいるんだっけ。
 私は何も言えなくなってしまった。彼女のことを慰めることが出来ないでいる。
 場合によっては実力で取り押さえることにもなるだろう。私達の管理局員としての立場を考慮すれば、何を優先しなくちゃいけないのかも自ずと分かるはずだ。
 約束出来なかった。シャーリーの友達を傷つけることなく連れ帰るだなんてことは。
「ごめんシャーリー…………抵抗されたら、たぶん戦うことにも」
 言葉を紡ぐ度に、シャーリーの表情が変わっていく。切なさが更に増していく。
 はっきりと言わなくちゃいけないのに、私は頭の中で自分の下した決断を何度も考え直してしまっていた。
 私はこういう所が駄目だな。あまり表に出すことはしないから伝わっていないかも知れないけれど、妙な心の弱さが私の悪い癖だ。
 自分を信じているつもりでも何処かでそんな自分を疑ってしまったり、自信が持てなかったりするのだ。JS事件の時にはそんな悪い癖がいけないと、エリオとキャロに気付かされたこともあった。
 直さなくちゃとは思っているのだけれど、なかなか上手くはいかないものだ。
 そんな時だった。何も言えない私の隣から、気丈な声が私とシャーリーに届いた。
「何を悩んでいるんですか!? 二人とも執務官とその補佐でしょ!?」
 びっくりした。ティアナに叱られるとは思ってもいなかったから、私とシャーリーは口を開け放して呆けてしまった。
「しっかりしてください。抵抗すれば実力行使、当然戦います。力ずくでも目を覚まさせて、必ずシャーリーさんの目の前に連れて来て謝らせますから。さあさあ、フェイトさんはあたしと一緒に出動! シャーリーさんは通信係をお願いしますよ!」
 仕切られた。私が言えずに困っていたことを、この子は何の躊躇いも無くあっさりと言い切ってしまった。
 その勢いもそうだが、私が言いたかったことをそっくりそのまま、ティアナも考えていたという点が面白い。
 さすがは機動六課。そうだ、私達はお互いを理解しているし、信頼しているんだ。
 ティアナの指示を受けた私達は、お互いの苦悩が何だか馬鹿馬鹿しく思えて、いつの間にか笑っていた。
 難しく考えなくてもいいんだ。理解し合っているんだから、いつまでも悩んでいたって仕方が無い。動いてしまおう。
 とてもシンプルなことなんだ。信頼し合っているんだから、いつだって仲間を頼って助け合えば、良い結果は出るものだ。
「…………了解! ティアナ執務官補佐に従います!」
 シャーリーが気を取り直したように表情を明るくして敬礼したので、私もそれに倣った。
「私も了解。では、さっそくいきましょう」
「あ! え!? いや、その……偉ぶるつもりは…………すいません」
 そうして、私達は動き出した。



≪2・届けたい想い≫

 目を凝らしてミッドチルダの夜空を眺め回した。
 星の光に紛れていないか。木々の陰に隠れていないか。闇の中に溶け込んでいないか。
 もうずっと飛び続けているけれど、人影は全く見当たらない。
 確かミリー部隊長の魔力反応を感知したのはここからもっと東に向かった位置のはず。そこではミリー部隊長一人の姿しか確認されていなかった。
 きっと分かれて行動しているんだろう。そう思った私は、ミリー部隊長のいた位置よりも離れた場所を捜索していた。
 管理局員であるなら、ミリー部隊長の逮捕を優先するべきなのかも知れない。
 でも、とても個人的な理由ではあるけれど、私にはミリー部隊長の逮捕よりも大事なことがあったのだ。
 ソフィーに会いたい。そして話を聞きたい。彼女の苦しみを分かち合ってあげたい。
 私は馬鹿だった。ソフィーのことを妹のようだと言っておきながら、彼女が助けを必要としていた時に何もしなかったのだから。
 ヴィヴィオを残したまま家を飛び出した私は、ホカン部隊舎へ向かっていた。しかしその途中で、いつの間にか管理局は“ミリー部隊長の逮捕”という任務を“ホカン部部隊員の逮捕”というものに変えた。そしてホカン部部隊員がミリー部隊長と共に逃走をしていると言う情報も入ってきた。だから私はホカン部隊舎へ向かうのを止めて、ホカン部部隊員の捜索活動を始めている。
 逮捕の対象者がホカン部部隊員全員を指すのであれば、ソフィーも含まれているはず。
 どうしてソフィーが? きっと何かがあったに違いない。
 怖がっているんじゃないだろうか。彼女は今、多くの管理局員に追われている。
 きっと理由があるはずだ。
 そう、理由があるんだ。私が気付いてあげられなかった理由が。
「ソフィー、ごめん」
 無意識に出た謝罪の言葉は、彼女にはきっと届いていない。
 届けなくちゃ。私は、彼女に一言謝りたい。
 会いたい。ソフィーに会いたい。
 その一心で、私はミッドチルダの夜空を飛んでいた。
 そんな時、私のもとに通信が届いた。
『なのはちゃん、そっちはどうや?』
 通信の相手ははやてちゃん。
 私は周辺に向けている視線をそのままに、はやてちゃんの声を聞いていた。
「こっちはまだ発見出来ていないよ」
『そうか。まあ、ホカン部がどっちに向かっているのかさえも分からないんや。見つけろというのが無理な話やね』
 確かにその通りだ。逃走するホカン部がどこを目指しているのかさえも分からない。彼女等を探し出すには、このミッドチルダの空は広すぎる。
「フェイトちゃん達ももう動いてるの?」
『フェイトちゃんとはついさっき連絡を取ったばかりや。そのおかげで、この事件の真相が掴めそうなんよ』
「え?」
 私は話を詳しく聞いた。
 フェイトちゃんとはやてちゃんが交わした会話の内容を全て聞いていると、その衝撃的な内容に驚いて、思わずその場に浮いたまま固まってしまった。
 ソフィー達がミリー部隊長と共に逃走? しかもはやてちゃん達に攻撃? だからホカン部部隊員全員の逮捕という任務が出ているのか。
 まずい。事態は悪くなる一方だ。
 どうしてソフィーはそんなことを。
 ふと、自分がさっきから“どうして”と考えてばかりいることに気が付いた。
 でも止まらないんだ。ソフィーのことを思えば思うほど、私の中から溢れ出るくらいに次々と湧き出てくるんだ。
「ソフィー…………」
 また呟いていた。
 もうこんなことを繰り返してばかりだ。
 だんだん辛くなってきた。
『なのはちゃん、平気か?』
 はやてちゃんの心配そうな声が聞こえてきた。
 それに対して私は、俯くことしか出来なかった。
『…………実はな、今回の六課再集結には、一応元六課全員に連絡を入れたんよ。もちろん機動六課のフォワードメンバー四人にもや』
 はやてちゃんの言葉を聞きながらも、私の頭の中はまだモヤモヤとしていた。
『フォワードメンバーのリーダーだったティアナには、フェイトちゃんに連絡する際一緒に話を聞いてもらった。そして特別救助隊にいるスバルは、私が連絡した時はちょうど別件の救助任務に出るところやったから、任務を完了させ次第すぐにこちらに来てくれるって言ってくれた』
「そうなんだ」
『うん…………ただ』
 一瞬だけ、はやてちゃんの言葉が詰まった。
『エリオとキャロには一応連絡したけど、あの二人は呼べなかった。どうもホカン部とは親しい付き合いがあったみたいやし。だから今回の任務は、あの二人には辛いかなって』
「…………そうだね。私も二人がホカン部に良くしてもらった事は知っているから、はやてちゃんの判断は良いと思うよ」
『ありがとう。でな……シグナムにも話を聞いて思ったんやけど…………その、アレやったら、なのはちゃんもええで。今回は私達に任せてくれて構わんよ』
 さりげないはやてちゃんの気遣い。それが少しだけショックだった。
 私はエリオとキャロ同様に、今回の任務に加わるべきでは無い人物ということか。
 だが、自分を見つめ直せば彼女の言葉は当然のものだった。ソフィーのことが頭から離れずにいて、ずっと心の中で“どうして”という問いを繰り返している私は少しおかしい。参ってしまっているのは明白だ。
 解ってはいた。自覚もしていた。
 それでも。
「…………ありがとうはやてちゃん。でも私は、ソフィーに会いたいよ。会って言いたいことがいぱいあるし、聞きたいこともたくさんあるんだ。だからお願い……私にも、ホカン部の捜索をさせて」
『でもな、なのはちゃん』
 そこまで話を聞いた時、ふと、前方に小さな影を見た気がした。
「ちょっと待って!」
 私ははやてちゃんの言葉を遮って、その影の方をじっと見た。
 小さな影が三つ。確かに動いている。飛べば追いつける距離。きっと間違いない。
 私は確信していた。そしてその時には、再び夜空の中で風を切って進んでいた。
『なのはちゃん!? どないしたん!?』
「ごめんはやてちゃん! 一旦切るね!」
 通信回線を切ると、三つの影に向かって私は思いっきりスピードを上げて近づいていった。
 徐々に影が大きくなってくる。移動していた三つの影は、ふとその場に止まった。かと思うと、今度は慌しく動き始めている。
 待って。逃げないで。私から離れようとしないで。
 やがて影の形が確認出来るようになったところで、私はその影の正体に絶対の自信を持って、こう叫んでいた。
「ソフィーッ!」
 離れかけていた影の一つがぴたりと止まり、残りの二つも動くことを止めた。
 間違いない。
 あの人型のシルエット。手に持ったデバイスの形。背格好もバリアジャケットも、私が捜し求めていた人のものだった。
「なのは……さん?」
 声が聞こえて、私はようやく微笑むことが出来た。
 会えた。
 ずっと会いたかった彼女に会えた。
 私は、たったそれだけで湧き起こる嬉しさを満喫するように、何度も何度も頷いて答えた。
「ソフィー! それにマルコ、ジージョ! 捜したんだよ!」
「な、なのはさんだ! まずいぞソフィー、ジージョ! 早く行かないと!」
 待って。逃げないで。
 私は三人を捕まえに来たんじゃない。話したいだけなんだ。
 生まれてきた幾つもの“どうして”を打ち消すために。そして、彼女達の事情を全て理解して、彼女達を助けるために。
 私は、皆と話がしたい。
「三人とも待って! どうしてこんなことになったのか話を聞かせてほしいの!」
 しかし、何度そう言っても三人はうろたえるばかりで、話をしようとしてくれなかった。
 それでも諦めない。やっとこうして会えたんだから、話をするまでは絶対に諦めない。
「私に話して! 何か理由があるんでしょ!? 言って! 協力出来ることならきっと助けるから! 私に話して!」
「ソフィー駄目だ! なのはさんは管理局員だから、絶対ボク達のやっていることを止めるはずだ!」
「お願い! 助けたいの! ホカン部の皆を助けたいの!」
 届けたい。
 私はこの言葉を、気持ちを届けたい。
 お願い届いて。
 そして応えて。
 眼下には黒い森。見上げれば満天の星。耳を澄ませば暗闇の歌。
 私達四人は、そんな中でお互いの想いをぶつけ合おうとしていた。

 To be continued.



[24714] 第三十四話 星と星のせめぎ合い
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/02/16 21:50
≪1・全力全開≫

 あまりにも唐突だったので、私はその場から動けないまま固まってしまっていた。
 私はどうしなくちゃいけないんだっけ。
「ソフィー! 話を聞かせて! きっと力になるから!」
 なのはさんの叫び。
 私の憧れの人の叫び。
 胸を震わせるには充分な叫び。
「なのはさん…………」
 私とマルコちゃんとジージョちゃんは、この場から逃げなくちゃいけないんだ。
 信じようと決めた人、ミリー部隊長との約束のため、私達はこの場から離れなくちゃいけないんだ。
 ミリー部隊長は言っていた。これから、死んでしまったノーラちゃんのために鎮魂歌(レクイエム)を奏でたいって。
 そのために必要なものが、私達がそれぞれ一つずつ預かった四つのプリズンの内一つに入っている。でも、私達はその四つの内どれが必要なものなのかを知らされていない。
 それは何故か。
 彼女は言っていた。囮となっていいプリズンは一つも無いからだと。
 この意味が解る?
 解るでしょう。
 私達は、誰一人として欠けちゃいけないんだ。
 だから。
 だから私達は。
「だ、だめ…………」
「ソフィー!?」
「だめ! だめだよ! 私達は行かなくちゃ!」
 なのはさんの顔色が変わった。さっきまでは私達のことを見つけられて、嬉しさを垣間見せていたのに、私の言葉を聞いた瞬間にその表情が一変した。
 理解に苦しんでいる。私の言葉の意味を受け入れられないでいる。どうしたらいいのかと困惑している。
 そんな顔のなのはさんが、もう一度縋るように言ってきた。
「ソフィー、よく聞いて。ミリー部隊長が何をしたのか解ってる?」
「は、はい」
 解っている。とても酷いことをしたはずだ。
 機動三課の隊舎を襲撃。そしてロストロギア管理倉庫から、プリズン四つを強奪。
 重罪だ。彼女は、管理局に追われるべき罪を背負ってしまった。
「じゃあ、ソフィーが今していることは何か解ってる?」
「……はい」
 解っている。私はミリー部隊長に手を貸している。
 ミリー部隊長の言葉を信じ、彼女の手助けをしている。もはや共犯者だ。
 やっぱり重罪だ。私は管理局を裏切った。
 それはつまり、管理局員であるこの人を、憧れのこの人を、目の前にいるこの人を。
「裏切りました」
 なのはさんの顔から血の気が引いた気がした。
 もしかしたら私は、なのはさんが言ってほしくないことを言っているのかな。
「私……なのはさんのことを裏切ってますよね? …………なのはさんのことが大好きなのに、憧れているのに…………裏切ってますよね?」
 それでも、なのはさんが首を横に振って言った。
「違う……違うよ。裏切ってなんかない……きっとソフィーは少し間違っちゃっただけ。だから、きっとまだ間に合うから、今から間違いを修正しよう」
 その言葉は私に向けられているの?
 優しい。温かい。頷いてしまいそうだ。
 でも、私はまだ揺れている。
「ソフィー駄目だ! なのはさんの言葉を聞くな! ボク達はミリー部隊長と約束をしただろ!?」
 その言葉は私に向けられているの? 
 力強い。よく響く。頷いてしまいそうだ。
 そう、私はミリー部隊長と約束をしたはずだ。
「マルコ! それにジージョもこんなこと止めよう! このままじゃ三人共ミリー部隊長の共犯者になっちゃう!」
「もうボク達には覚悟が出来てる! なのはさん、行かせてほしいんだ! ボク達だって考えて選んだんだから!」
 そうだ、よく考えたはずだ。私は一生懸命考えて、悩んで悩んで、そして答えを出したはずだ。考えた時間は短かったけれど、それでも精一杯考えて、自分が信じようと決めた道を選んだはずだ。 
 後悔は無いはず。憧れの人を裏切ったとしても、私はノーラちゃんのために何かをしたい。
 そして、仲間と離れたくない。ずっと側にいたい。もう仲間を失いたくない。
「なのはさん、やっぱり私」
「ソフィー、私には何で皆がこんなことをしているのか解らないよ。何かあったんでしょう? でないと、こんなこと絶対しないでしょう?」
「私……私達は、行かなくちゃいけない。約束したから」
「でも! ホカン部の皆がやっていることは間違っていると思うの!」
 なのはさんの言葉が、私の中に入ってきてだんだんと積み重なってゆく。まるで重石のようになって、私をその場から動かさない。
「確かに事情はよく解らない。ミリー部隊長が何であんなことをしたのかも知らない…………でも、何か深い事情があったんでしょう? それを教えてくれない? 皆の力になってみせるから。きっと助けるから」
 なのはさんの言葉が、もう入りきらないくらいに入ってきて、重く圧し掛かる。
 このままじゃ迷っちゃう。せっかく考えて決めたことなのに、私はまた迷い始めてしまう。
「ソフィー、マルコ、ジージョ、もう一度考え直そうよ。私も一緒に考えるから。きっと…………きっときっと良い考えが見つかるよ! ねえ、そうしよう!」
 そうなのかな。
 私は、ミリー部隊長を信じたままで良いのかな。それとも、もう一度考えたほうが良いのかな。
 よく考えてソフィー。もう一度よく考えて。
 管理局員になったのは何故?
 失くしたくないから。失う必要の無いものを失わないように、守っていきたいから。
 なのはさんの事が好きなのは何故?
 憧れているから。私に勇気をくれたその人は、私が思い描いた、そして目指した理想でもあるから。
 ミリー部隊長を信じるのは何故?
 大切な仲間だから。そして、彼女も私達のことを大切に想ってくれていると知っているから。
 管理局を裏切ったのは何故?
 ノーラちゃんのために。彼女を守れなかった代わりに、せめて彼女の為に何かしたいと思ったから。
 本当に?
 違う。本当は、私がもう仲間と離れたくないと思ったから。ノーラちゃんが突然いなくなってしまった事が怖くて、これ以上仲間達がいなくなることに恐怖したから。
 じゃあ、どうしてなのはさんの言葉に揺れているの?
 どうしてだろう。
 自分の選択が正しいという自信を持っていないから?
 わからない。
 ずっとなりたかった管理局員を辞めることに未練があるから?
 わからない。
 なのはさんに嫌われたくないから?
 わからない。
 なのはさんの言う通りにした方が良いと思っているから?
 わからない。
 管理局員になったって守れないと絶望したんでしょう?
 わからない。
 わからないばかりじゃなくて、考えなくちゃ。
 わからない。
 いつまでも答えが出ないじゃない。
 わからない。
 どうしたら良いと思う?
 わからない。
 わかるでしょう? 
 わからない。
 わかるでしょう? 絶望した時、迷った時、どうしたらいいのかわかるでしょう?
 わからない。
 なのはさんは事情を知らない。理由を解っていない。それでもぶつかってきてるんだよ。
 そんな時にどうしたらいいのか、私はわかっているはずでしょう?
 ミリー部隊長のことをよく考えて。ノーラのことをよく考えて。ホカン部の皆のことをよく考えて。
 そして最後に自分の気持ちをよく考えて。
 捨てればいいってわけじゃないでしょう。逃げればいいってわけじゃないでしょう。
 譲れるの? 譲れないでしょう。この気持ちはそんなに軽いものじゃないでしょう。
 諦められるの? 諦められないでしょう。この気持ちはとても大切な想いでしょう。
 わかるでしょう? こんな時はどうしたらいいのかわかるでしょう?
「…………捨てられないなら」
「ソフィー?」
「…………逃げられないなら」
「ソフィー、どうした?」
 そうだよ。わかるでしょう。
 そんな時はどうしたらいいのか、わかるでしょう。
「…………捨てられない、逃げられない、諦められない…………だったら」
「ソフィー! お願い! 戻ってきて!」
「ソフィー駄目だ! 絶対行くな!」
「ソフィー!」
「ソフィーってば!」
「ソフィーッ!」
「ソフィー!」
「もう呼ばないでええぇぇっ!」
 わかったよ。どうしたらいいのかわかったよ。
 そうだよ。こうすればいいんでしょう。こうすれば文句はないんでしょう。
 私は忘れてないよ。忘れてなんかいないよ。
 だからもう呼ばないで。名前を呼ばないで。
「…………全力全開」
「え?」
 理由も知らないまま、訳も分からないまま、ただぶつかるだけなんて悲しい。
 でも、それでもぶつからなければいけない時。きっと誰にでも譲れないものはある。諦められないことはある。
 捨てればいいってわけじゃないのなら、逃げればいいってわけじゃないのなら、そういう時は全力全開でぶつかり合ってみるといい。そうしてお互いに通じ合えた時、譲れないものも、諦められないことも、互いに分かち合うことが出来る。きっとそこがスタートだ。そこからが始まりなのだ。
 なのはさんはそう言ったんだ。
 そう、なのはさんがそう言ったんだ。
 なのはさんがそう言ったんだから。
 だから、だから私は。
「マスタースペード、マスターソードモードッ!」
「ソフィー、バカ! 何してるんだ!?」
 だから、もう名前を呼ばないで。
「ソフィー!」
「だから呼ばないでよ! 私はたくさん呼んだのに、私は何度も何度もたくさんたくさん呼んだのに!」
 そうだ、私はたくさん呼んだ。
 フィンカンティエリ研究所で、私はたくさん呼んだでしょう。
 それなのにノーラちゃんは応えてくれた? 私を呼んでくれた? 
 でも、もういないじゃないか。
「私はたくさん呼んだよ! なのに何でノーラちゃんは応えてくれなかったの!? だって、あんなにたくさん呼んだよ!? それでも…………それでも私は守れない!」
「な、何を言ってるの!? ノーラがどうしたの!?」
 だから呼ばないで。名前を呼ばないで。
 守れなかった。名前を呼んだのに応えてくれなかった。
 守れないのなら。どうせ失くしてしまうなら。
 名前なんて呼ばないで。悲しいだけだから。
「マスタースペード、なのはさんを目標捕捉(ロックオン)! 魔力充填開始!」
「ソフィー止めて! 私はソフィーと戦えないよ!」
「ソフィー止めろって! 相手はキミの憧れた人だぞ! ソフィー!」
「名前を呼ぶなぁっ!」
 私と戦えない? そんなことを言わないで。
 ミリー部隊長、あなたは私達と戦えないって言ったけど、時には必要なんだよ。全力全開でぶつかり合うことも大切なんだよ。
 そう、分かち合えるんだ。
 仲間なんだし、同じホカン部所属なんだし、分かち合ってよ。
 ねえ、ミリー部隊長。
「時にはぶつかり合って分かち合わないと! そうでしょう!? ねえ、ミリー部隊長!」
「私はミリー部隊長じゃない! ソフィー! よく見て! 私はなのは、高町なのはだよ!」
 ぶつかってよ。お願いだから全力全開でぶつかってよ。
 そして分かち合ってよ。この気持ちを分かち合ってよ。
 どうしたらいいのかわからない。でも、解決方法なら知っているから。
 マルコちゃんやジージョちゃんとも、全力全開でぶつかり合ったからこうして仲間になれたんだ。だからきっと、こうすれば私となのはさんも分かち合えるはず。
「分かち合ってよ!」
「うん、分かち合おうよ! だから事情を聞かせてほしいの!」
「お願いだから分かち合ってよ! 私はこんなに一生懸命考えた! だから……だからなのはさんも解ってよ!」
「落ち着いてソフィー!」
「応えてよ! そして答えをください! 私はもう考えられない!」
「無理だよ! ソフィーとは戦えない!」
「マスタースペード! “スターライトブレイカー”発射用意! 構えぇっ!」
「Really?」(本当に?)
「構えてよぉ! お願いだからもう私を迷わせないでっ!」
「......All right」
 なのはさん応えて。
 私に答えを頂戴。
 ぶつけなくちゃ。全力全開でぶつけなくちゃ。
 体中の魔力を使い切ったって構わない。それが原因で墜落したって構わない。
 私から届ける気持ちをこの魔法に乗せて、私はあなたにぶつける。
「ソフィー! お願い止めて!」
「ソフィー! その魔法はなのはさんが模擬戦のご褒美にくれたんだろう!? それをなのはさんに使うつもりか!? 落ち着いて考え直せ! それは」
「発射用意だよぉっ!」
 そうだ。この魔法は、なのはさんが持つ大型の集束砲撃魔法。
 なのはさんが、私との繋がりが欲しいと言って贈ってくれた、二人の絆の証。
 なのはさんが私のことを妹のように想ってくれていると知った時、私は嬉しかった。
 だから、あなたに貰ったこの魔法は、きっと大切にしようと誓った。
 大きな、とても大きな気持ちを乗せて撃つんだと、固く誓った魔法だ。
 だから今こそ。
「なのはさん構えてっ!」
「ソフィー!」
 乗せる気持ちはとても大きいのに、デバイスに注がれる魔力量はこれだけ?
 まだだ。まだまだ足りないよ。もっといけるでしょう?
「カ、カートリッジの二発連続ロード? …………まずい、ソフィーは本気だ。なのはさん!」
「マルコ!?」
「ぶつかってやってくれ! ソフィーは壊れてる! もう止まらない!」
「出来ないよ! そんなこと無理だよ!」
「ジージョ! ソフィーの隣に並べ!」
 なのはさん、受け取って。私からの全力全開。
 そして答えを頂戴。
 あなたとこの気持ちを分かち合えれば、きっと私は自分がどうすればいいのかが分かる。
 なのはさん。
 お願い、なのはさん。
「いいか、ジージョ! ソフィーと一緒になってなのはさんに砲撃を放つぞ!」
「マルコ! 何するの!?」
「三人で掛かれば、さすがになのはさんもじっとしているわけない! 意地でもぶつからせろ!」
「…………でも、勝てない」
「そんなことは無い! エースオブエースと言ったって、ボク達三人分の砲撃なら通る! それにソフィーを落ち着かせるためだ!」
「マルコ……ジージョ…………」
 私は、私はもう考えられない。
 いっぱい考えた。たくさん考えた。
 頭が痛い。吐き気がする。気持ち悪い。
 もう何も考えたくない。
 どうしてこんなことになったんだろう。どうしてこんな目に遭うんだろう。
 だって、もう何も分からない。
 ノーラちゃん、戻ってきてよ。私を置いていかないでよ。どうして悲しませるの?
 私はあなたのことをたくさん呼んだのに。それなのに、どうして応えてくれなかったの?
「辛いよぉ…………」
 ミリー部隊長、教えてください。私はどうしたら良かったの?
 私はあなたのことを信じていいんでしょう? 正解を教えてください。
「苦しいよぉ…………」
 なのはさん、応えてよ。どんなに全力全開を出したって、誰もぶつかってくれなくちゃ空回りだよ。
 私はあなたに憧れた。あなたの言葉に、あなたの姿勢に、あなたに。
 お願い。お願いだから。
「なのはさん! 助けてよぉっ!」
「ソフィー…………分かった! 今応えるから!」
 手が震えている。
 デバイスが許容以上の魔力を一生懸命制御しようとしているから?
 違う。私はきっと怖がっている。なのはさんの全力全開に、私は応えられるのかどうかが不安なんだ。
 でも、私はこうすることしか出来ない。
 もう、どんなに頑張っても私にはこれ以外のことが思いつかない。
 不運の一言で片付けていいのだろうか。
 理不尽というものは間違いなくこの世に存在していて、しかしそれは誰もが遠ざけたいもの、自分の身には降りかかってほしくないものだ。
 それとも、理不尽と感じることは未熟なのだろうか。不運、災難だと思い込んで自らの未熟を認めていないだけなのだろうか。
 いや、そんなことは無い。
 そんなことは無いと思う。
 たぶん、無い。
「そんなことない! こんな理不尽、絶対許さない! 私は頑張ったじゃない! もうたくさん頑張ったじゃない! もう楽になりたい!」
「ソフィー! 準備出来たよ、ちゃんと応えるよ!」
「やっばいな、なのはさんの魔力…………ジージョ! ソフィー! 準備はいいか!?」
 分かち合えるかな。
 私の気持ちは、なのはさんにも届くかな。
「スターライトブレイカー、発射用意! 構えぇ――――!」
「スターライトォ――――」
 私のデバイスと、なのはさんのデバイスが光を放ちながら魔力を練る。
 空気中に漂う魔力、眼下の木々が持つ微量な魔力、更には私やなのはさん達の飛行魔法によって発生する魔力の残滓さえも競い合うようにかき集め、それらがデバイスの先端に集まっていく。
 分かち合うために。
 答えを手にするために。
「――――撃てええぇぇぇっ!」
「――――ブレイカアアァァァァッ!」
 そうして魔法が放たれた時、何かが壊れた音がした。
 それは私の胸の中で響いた音。
 この音、そういえば確か、八神二佐に砲撃を放った時も聞いた気がする。
 あの時はヒビが入っただけのようだったけど、きっと今度は本当に壊れた。
 大切なものが、壊れたんだ。
 我慢してきたものが、ずっと堪えてきたものが、きっと限界を迎えたんだ。
 どうして。
 どうしていつも大切なものが壊れてしまうの。
 この世は本当に理不尽だ。
 


 
≪2・ブラックアウト≫

 ソフィーと私の砲撃魔法が激しく衝突した。
 両手で構えた杖型デバイス、レイジングハート・エクセリオンが震えている。それを必死に押さえ込みつつ、私は自分の魔力を更に注ぎ込んで砲撃を放つ。
 まだ。ソフィー達三人の砲撃は止まらない。
 だから応えてあげなくちゃ。
 ソフィーはもう限界だったんだ。きっと一生懸命考えたんだ。自分を壊すぐらいに一生懸命に。
 そんなソフィーからの全力全開。私は、一切手加減することなく応えてあげたい。
 だから押し切ってみせる。
 魔力がどんなに激しく消耗していこうと、体に大きな負担を掛けようと、それでも私はまだまだ止まらない。
「ソフイイィィィッ!」
 叫んでいた。
 砲撃同士の激しいせめぎ合いのせいで声は響かなかったけど、彼女は応えてくれているだろうか。
 もっと。もっとだよ。
 まだ私は止まらないから。“エースオブエース”は伊達じゃないから。
 まだ応えるよ。
 ソフィー。
「レイジングハート! もっと!」
 カートリッジの連続ロード。その衝撃が手の平を伝って私の頭を叩く。
 痛い。
 でも、もっと。
 まだいける。きっともっと頑張れる。
 ソフィーが一生懸命頑張ったみたいに、私はまだまだいける。
「もう一回!」
 更にロード。
 指先から感覚が失われていく。視界が霞む。息が荒れる。
 でも、もっと。
 これが終わったら、本当にソフィーの気持ちを、苦しみや悲しみを分かち合えたらいいのに。
 そして分かち合えたら、一緒になって問題の解決方法を考えるんだ。
 それが終わったら、また、ソフィーと一緒に空を飛んでみたい。遊びにも行きたい。ヴィヴィオも紹介したい。
 だからソフィー。
 私は、きちんと全力全開で応えるよ。
「つ…………つらぬいてええぇぇぇっ!」
 最後のロード。
 そして次の瞬間、確かな手応えを感じた。
 私の桜色の魔力が伸びていく。どんどん伸びて、止まらない。 
 まだ。遠慮はしない。
 もっと。
 あと一押し。
 そして、遂に砲撃がミッドチルダの夜空を一直線に走り抜けた。
 やった。押し切った。
 三人の様子が気になって目を凝らすと、私の砲撃が通った道から遠ざかるように散開しており、驚愕の表情を浮かべたまま私のことを見ていた。
 直撃はしていないみたいだ。少しほっとした。
「ば、ばけもの…………」
 マルコが小さく呟いた。まあ、そう言われても仕方が無いかな。
 私はソフィー達に近づこうとした。
 だけど、何故だか体が言うことを聞かない。今はこうして空中に浮遊しているだけで精一杯だ。
 視界がさっきよりもぼやけてきた。
「ソ……フィー…………」
 だめ、耐えられない。力が抜けていく。
 そうか、また無理しちゃったんだ。
 私の意識は徐々に遠のいていった。

 To be continued.



[24714] 第三十五話 決意、新たに
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/02/20 16:28
≪1・ワガママ≫

 私は今、何を見たんだろう。
 なのはさんの放つスターライトブレイカーと、私が放ったスターライトブレイカーの激突が決着を迎えたところまでは理解出来た。
 結果は私達三人の敗退。
 なのはさんは強かった。彼女の砲撃魔法は、私達三人分をも打ち負かして見せたのだ。“エースオブエース”は伊達ではなかった。
 自分のしたことが愚かなことだったと、今更になって気が付いた。なのはさんに貰った大型の砲撃魔法を使い、あろうことかその矛先をなのはさんに向けてしまった。しかも全力全開で。
 頭が働いていなかった。精神が不安定だった。そんな言い訳は出来るかもしれないけれど、それでも私のやったことはやっぱり愚かだ。
 私の精一杯をなのはさんが打ち破ってくれたことにより、私の頭は急速に冷えた。限界に近いくらい魔力を注ぎ込んで放った最大級の一撃は、それでもなのはさんに通じなかったのだ。歴然とした力の差を目の当たりにしたことで、頭の中は単純に「すごい」という畏敬の念で満たされた。だから余計な考えも起こることが無くなって、冷静になれたんだと思う。
 なのはさんには迷惑を掛けっぱなしだ。
 私は、やっぱりまだ弱い。
 自分を取り戻せたこと。なのはさんに感謝をしないといけないと思った。
 しかし、私が現実に立ち戻ることが出来た代償は、大きかった。
「な、なのはさん?」
 砲撃を放ち終えた後、空中に浮いたままのなのはさんが、肩を激しく上下させて呼吸を荒げていた。
 そして次の瞬間、彼女の体が真っ逆さまになって暗い森目掛けて落下していったのだ。
「なのはさんっ!」
 私とマルコちゃんとジージョちゃんは大急ぎで彼女のもとへと飛んでいった。全力で砲撃魔法を放ち終えたばかりの体は鉛のように重かったけれど、そんなことを気にしている余裕は無かった。
 森の中に落ちる寸前でキャッチしたなのはさんの体は、力無く私たちに圧し掛かる。
 三人で抱きかかえるようにして捕まえると、その体をそっと地面に降ろしていった。
「なのはさん! しっかりしてください! なのはさんっ!」
 呼びかけても返事は無い。
 それでも呼びかけることを止めないでいると、ジージョちゃんがなのはさんの具合を確かめた。
 お願い、無事でいてください。もう、私の大好きな人がこれ以上いなくならないでください。
 心の中で何度も同じことを叫びながら、私はその場で祈り続けた。
 そう言えば、前にシャマルさんから聞いたっけ。なのはさんは今、定期的に検診を受けているくらい体の調子が悪かったんだ。長年の間に積み重ねてきた負荷が彼女の体を蝕んでいて、本来なら数年の安静を必要としている程。
 なのはさんは無理をしちゃいけなかったんだ。
 無理をしたら、なのはさんはまた危険な目に遭ってしまうんだ。
「お願いなのはさん! 目を開けてください!」
「ソフィー落ち着けって! 今ジージョが診てくれているから」
「でも、私がなのはさんに無理させたから! どうしよう! なのはさんが死んじゃったりしたら私、私はもうっ!」
「…………大丈夫、気絶してるだけ。脈も乱れてないから」
 ジージョちゃんの言葉が聞こえて私は安心した。でも、想定していた最悪の事態を免れたことで張り詰めていたものがぷつりと切れて、結局私はまだ声を上げて泣いた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 私の、私のせいでこんな…………本当にごめんなさい!」
 いくら謝っても全然足りない。私は、自分の手で大切なものを失いそうになったのだから。
「ソフィー、気持ちは分かるけどいい加減落ち着くんだ。この後のことに向けて気持ちを切り替えないと」
 マルコちゃんの声が私の耳に届く。同時に肩を叩かれた。
 涙は完全に止まらなかったけれど、私は小さく頷いてから立ち上がった。確かにずっと泣きっ放しだったみたいで目が痛い。
 いつの間にかジージョちゃんが、回復魔法をなのはさんに施していた。
「たぶん魔力全消耗(ブラックアウト)したんだと思う。でも気を失っただけだから、時間が経てば回復するはず」
 ジージョちゃんの優しい言葉を聞いて、私はもう一度頷いた。
「さてと」
 マルコちゃんが仕切り直すようにして言うと、私とジージョちゃんを交互に見ながら言った。
「あれだけド派手に撃ち合えば、さすがに管理局にも感知されただろうね。ここにいちゃ三人とも捕まっちゃう」
「じゃあすぐにでも行くの?」
「ああ。そしてここからは本当に別行動としよう。今追い詰められたら、逃げ切る自信は無いよ」
 ここから、私達は今度こそ一人ずつに別れてミリー部隊長のもとへと行かなければならないのか。
 とても怖かった。逃亡という行為がこれほどまでに神経をすり減らすものだとは思わなかったのだ。
 ふと、疑問が湧き起こった。
 行くの? ミリー部隊長のところへ。
 私は一体何のためになのはさんとぶつかったの? 
 答えを見つけるためだったはずだ。私がなのはさんに攻撃を仕掛けたのは、なのはさんが応えてくれたのは、なのはさんがこうして危険な目に遭ってしまったのは、全て答えを見つけるためだったはずだ。
 それなのに、私の中に答えは、無い。
「ソフィー? 大丈夫か?」
「え? …………うん」
 分からない。
 私はどうしたらいいのか。それは今だ不明瞭のままだ。
 全力全開でぶつかり合って、私となのはさんは分かち合えたのだと思っていた。お互いが分かち合えた時、そこがスタート地点となり、私は新たな一歩を踏み出せると思っていた。
 それなのに、私の両足はまだ地に着いたまま動いていない。
 私は一体なんのために。
「マルコちゃん、ジージョちゃん」
「ん?」
「私、どうしたらいいのかな?」
 二人の表情は固まっていた。無理もないことだ。先ほどまで錯乱していた私が、再びおかしなことを言っているのだから。
 マルコちゃんが私の顔を覗きこんで、「本当に大丈夫か?」と訊いてきた。
「私、ミリー部隊長のところにプリズンを持っていくべきなのかな?」
「ソフィー?」
「私、ミリー部隊長を信じて、間違ってないのかな?」
 こんなことを言ったら怒られるだろうか。二人は当然ミリー部隊長を信じて動いているのに、そんな二人を前にして私は何てことを言っているのだろう。
 恐る恐る二人の目を見たが、意外にも二人は冷静だった。私を責めるでもなく、説得しようと焦るでもなく、ただ落ち着いた様子で、静かに口を開いた。
「それは、ソフィーが決めていいんじゃないかな?」
「私が?」
「そうだよ。ミリー部隊長は言ってたじゃないか。どんな選択をしても、ホカン部隊員の気持ちを尊重するって」
 確かにそう言っていた。間違いなく。
「ソフィーの好きなようにすればいいよ」
「でも! 私だってミリー部隊長のことを信じてるし、でも本当に逃亡することがいいのかって思うと」
「ソフィー、それは違うよ」
 マルコちゃんが笑った。
 何だかとても安心できる、穏やかな表情だった。
「ミリー部隊長に付いて行くことがあの人を信じることではないよ」
「…………え?」
「あの人を信じるっていうのは、自分の選んだ道に自信を持つことじゃないかな。うまく言えないけど…………あの人はボク達のことを本当に大切に思ってくれているわけだし、ミリー部隊長がボク達に求めているのは、ちょっと大袈裟だろうけどボク達の幸せだと思うんだ。だから、ボク達はボク達のために自由に選んでいいのさ。誰かに合わせるんじゃなく、縛られているでもなく、自分達のためにワガママになっていいんだよ」
「…………そう、なの?」
「そうだよ…………って、偉そうに言ったけど、今の言葉は受け売り。隊舎を出る前に、ボクがジージョに励まされた言葉なんだよね」
 マルコちゃんが恥ずかしそうに言うと、ジージョちゃんは彼女以上に顔を赤くして木の陰に隠れた。
 その言葉には不思議と説得力があった。
 確かに何かを考えて、それに縛られて選んだ道は息苦しいし、自分らしくは無い。そしてそれは、ミリー部隊長自身が嫌っていそうなものでもある。じゃあやっぱり、ミリー部隊長はそう意味で、私達の考えを尊重すると言ったのだろうか。
 そういえば、今のマルコちゃんの言葉には何処と無くミリー部隊長らしさがあるように思えた。
 私は深く考え過ぎたのか。正解は相変わらず解らないけれど、いや、そもそも正解は無い。ううん、それも違う。私達が選んだ自由な選択こそが正解なのか。
 私らしくない、か。
 言われてみて気が付いた。カローラにも言われたことがあるけれど、私はワガママだったんだ。ワガママじゃない自分は、やっぱり私らしくない。
 そう思ったとき、私の胸の中は透き通っていった。陽の匂いと涼やかな風が混じった草原の空気を取り入れたかのように、爽快感が全身を駆け巡っていったのだ。
「ワガママでいいんだ」
 ミリー部隊長の優しさを感じた。
 そして、さすがだなと思った。
「さて、ボクもジージョもそろそろ行くけど、ソフィー」
「ん、なぁに?」
「その……一人で大丈夫か? やっぱり側にいたほうがいい?」
 心配そうな顔。
 私は二人のそんな表情を吹き飛ばそうと、首を横に振った。
「ありがとう。もう大丈夫」
 そう答えた私を見て、やっぱりマルコちゃんは心配そうな表情を浮かべた。
 その意味に私は気が付いている。彼女は、私がミリー部隊長のところへ行かないんじゃないかと思っているんだ。
 確かに私達は再会を約束した。しかし、それは私達全員がミリー部隊長に付いて行くと答えた上での約束だ。
 もしあの時、誰かが付いて行かないという選択をしていたら、ミリー部隊長は再会の約束をしただろうか。
 しなかっただろうな。
 それでも、がっかりはしたかも知れないけれど、満面の笑みでお別れの言葉を送ったのだろう。ミリー部隊長はそういう人だ。
 改めて、私はあの人の優しさを感じ取った。
 私自身の答えはまだ出ていない。
 だが、もう少しよく考えてその答えを出そうと思う。
 今ならちゃんと考えられる。もう自分自身に惑わされることもなく、しっかりと考えることが出来る気がする。
「じゃあソフィー、先行くぞ」
「…………また後で」
 マルコちゃんとジージョちゃんが、手を振りながらそれぞれ別の方角に向かっていった。
「うん、きっとまた後で」
 私がどんな答えを選ぶとしても、必ずホカン部の皆とは再会を果たそう。
 そう誓った。



≪2・『高町なのは』へ≫

 真っ暗な世界の中に、少しずついろんな音が響きだしていた。
 そして暗闇の中に一筋の光が生まれたかと思うと、その光は徐々に大きくなって、暗闇の世界の外を映し出していった。
 森の中。木々に隠れて星達が見え隠れする夜の空。
 視界に広がる光景と、耳に届く音達が手を取り合うように重なり合う。
 私を覗き込む複数の視線。慌てた様子の声が飛び交い、体には温かな魔法が当てられている。
 そこで気付く。私は仰向けに寝ているんだと。
「リィン、ヘリはまだか!? もう一度連絡を取って急がせるんや!」
「はいですぅ! 近くの病院もすぐに手配します!」
「……八神二佐! 高町一尉が気付きました!」
「なのはっ! おい、大丈夫か!? あたしが分かるか!?」
 聞き慣れた声が幾つかあった。
 そしてとっさに返事をする。
「はやて……ちゃん? それにヴィータちゃんとリィン…………ノイズ曹長も?」
 ここは。
 そうか、森の中。私はこの森の上で、ソフィー達と砲撃魔法をぶつけ合ったんだ。
 疲労感に見舞われながらもゆっくりと視線を自分の足元に向けると、バリアジャケットを解除された制服姿の自身が目に入った。
 次に土の上で髪を擦りながら周囲を見渡すと、はやてちゃん達をはじめとして二十名程の管理局関係者が慌しく動いていた。
「ああ、私…………」
「なのは! 一体誰にやられたんだ!? おいってばぁ!」
 ヴィータちゃんが私の体に乗るようにしながら声を上げると、それをはやてちゃんが厳しく制した。
 それでもヴィータちゃんは言う。
「ホカン部の奴等か!? あいつらだな!?」
「…………待って、ヴィータちゃん」
「あのやろう共ふざけやがって! なのはをこんな目に遭わせた報いは絶対に受けさせてやる!」
 違うよ。そうじゃないんだよ。
 言いたいことはあったけれど、今はまだちょっときつい。
「とにかくなのはちゃんの回復が先や。ヘリが着き次第近隣の魔導師常駐病院に搬送」
「あ、あの、俺達三課はどうしますか?」
「引き続きこの辺りの捜索をお願い出来ますか? もしかしたらホカン部の子達もまだそう遠くに行ってないのかも知れへん」
 ソフィー達はまだ見つかっていないんだ。
 ソフィー達を引き戻せなかったという悔しさの反面、何故だか少しだけほっとした。それはきっと彼女達が傷つくような事態にまだ遭っていないということだからかも知れない。無事ならばひとまずはそれで良い。そう思ったのだ。
 矛盾しているような自分の気持ちが少し可笑しくて、私はちょっとだけ口元を緩ませた。
「な、何笑ってるんだよ?」
「ううん、別に」
 ヴィータちゃんの怪訝そうな顔を横目に、私はまた少し笑った。
「何や、笑ってるんか? その様子ならとりあえず一安心やね」
「うん、大丈夫だよ。それより、現在の状況を簡単に教えてほしいの」
 そう言うと、はやてちゃんが「無理はあかんよ」と顔を顰めた。
 それでも私が上半身を起き上がらせると、ノイズ曹長が肩を支えてくれながら言った。
「我々三課と八神二佐達がホカン部を捜索中だったところ、この場所で強い魔力反応を感知したんです。それで駆けつけたら、なのはさんが倒れていました」
「私の下手な回復魔法でごめんな。捜索は手分けして行なっていたもんやから、生憎とこの場には私達だけや」
 はやてちゃんの両手から放たれる光が私の体を優しく包み込んでいて、その温かさが心地良くて少しだけ眠くなった。
 でも、眠ってはいられないと気持ちを引き締める。
 追いかけなくちゃ。私はまだ、ソフィーの叫びに応えられていない。
 少しよろめきながらも立ち上がると、はやてちゃんとヴィータちゃんが私を寝かそうと腕を伸ばしてきた。
 隣にいるノイズ曹長を支えにしながら二人の腕に逆らうようにして立ち上がると、ノイズ曹長も心配そうな顔で「大丈夫ですか?」と言ってくる。
 大丈夫ではないかも知れない。こんな姿をシャマルさんに見られたら、きっと厳しくお説教されるんだろうな。
「私も、捜索に加わりたいの」
「それはあかんで」
 はやてちゃんの返事は容赦なく言い放たれた。少し怒気も込められているみたいだ。
「すぐに病院に直行してもらう」
「はやてちゃんお願い」
「駄目や。ホカン部のことは私達に任せて、なのはちゃんはおとなしく休んでて。これは六課部隊長の命令やで」
 その時、はやてちゃんの隣に浮いていたリィンが、自分の周囲にモニターを出現させて通信回線を開いた。
「はやてちゃん、シャーリーからの通信が入りました」
「繋いでくれるか?」
 シャーリーから? そう言えばフェイトちゃんやティアナも行動しているんだっけ。
『八神部隊長、今いいですか?』
「ええよ、何?」
『実は…………って、なのはさん!? もう起き上がってるけど、具合は大丈夫なんですか!?』
 シャーリーが私の姿を見つけて驚いている。
 私が倒れていたという連絡は、どうやらもうあちこちに知れ渡っているみたいだ。これじゃあシャマルさんにも知られちゃっているかな。
 そんなことを思いつつ、微笑みと一緒に「うん、平気だよ」と返すと、安心したようにシャーリーが笑った。でも、そのモニターを見つめるはやてちゃん達の顔は少しだけ暗く見えた。
「話ってのは、何か分かったんか?」
『あ、はい。実は地上本部に連行したサイオン部隊長の思考捜査が終わりました』
「ホンマに?」
 サイオン部隊長の思考捜査が終了。それはつまり、この一連の事件の真相が明かされるということ。
 現場に緊張感が走る。はやてちゃんを始め、ヴィータちゃんもリィンもノイズ曹長も、それに居合わせた局員全員が動きをぴたりと止めて、通信から聞こえるシャーリーの言葉に耳を傾けていた。
 この話を聞けば、ソフィー達の気持ちを少しだけ知ることが出来るかもしれない。
 ぶつかり合っても分かち合えなかった気持ちを、私は知ることが出来るかもしれない。
 やっとだ。やっと一歩だけ、あの子達に近づく。
 そして、それがまだ手遅れでないことを願う。
『ここからはアコース査察官に説明してもらったほうがいいかも知れません』
「ロッサに? ロッサがそこにおるんか?」
『はい。フェイトさんとティアナが捜査活動に出た後、私は地上本部の方に戻ってきたので』
 そう言ってシャーリーが通信モニターから姿を消すと、彼女と同じくらい長いロングへヤーを揺らしながら、白いスーツに身を包んだ男が画面前までやってきた。
『やあ、はやて。それに高町一尉もお久しぶり』
 場の空気には少々不釣合いでもある爽やかな笑顔の彼は、査察官のヴェロッサ・アコース。はやてちゃんの友人でもある彼は、いつも通りに紳士的な振る舞いで挨拶をした。
 そして私達の真剣な表情を見ても尚変わらぬその雰囲気で、話を続ける。
『フェイト執務官はさすがだね、優秀な人だ。早い段階で僕を呼んだのは正解だよ』
「どういうことや?」
 しかし次の瞬間から、彼の表情が雰囲気を一変させた。
 その顔に、何故だか私は恐怖した。言いようの無い不安に包まれたのだ。
『にわかには信じられないことが分かった。だけど、サイオン部隊長の頭の中が嘘をつけるはずもないし、これは紛れも無い事実だと思う。そうだよね、ユーノ先生』
 アコース査察官の映るモニターの隣に、今度はもう一つモニターが現れた。
 そこに映ったのは、無限書庫を背景にして幾つもの本を周囲に並べたユーノ君の姿だった。
『うん。僕の方でも、アコース査察官の捜査結果を裏付けることがいろいろと分かったよ』
 私は思わず前に進み出ていた。
「ユーノ君! 教えて! 一体ホカン部の皆に何があったの!?」
『なのは、落ち着いて。今から二人できちんと話すから…………でも』
「何?」
『はっきりと言わせてもらうよ…………なのはがどんなにソフィー達のことを想っても、もしかしたらなのはの気持ちは彼女達に届かないかも知れない』
「な、何で?」
『なのはがソフィー達を助けたいと思う気持ちは分かるけど、これはソフィー達自身が決めること…………決めなくちゃいけないことなんだ。そして彼女達の考えに僕たちが入り込める余地は無いと思う』
 そして言葉が止まった。
 私は俯いていた。
 分かち合いたくても、繋がっていたくても、大切に想っていても。
 それでも通じないものがあるということか。
 ユーノ君とアコース査察官の話をまだ聞いたわけでは無いのに、少しだけソフィーを追うことが怖くなった。二人の話を聞かなくても、私の声は届かないんじゃないかという予感がしたのだ。
 悲しい。そして悔しい。
 そんな感情に打ちひしがれていると、何だかこの場から逃げ出したくなる。
 強がったりせずに、おとなしく病院に行ったほうがいいのかな。
 私は、やっぱり無理なんてするべきじゃないのかも知れない。
「私の声が届かないなら…………私じゃソフィー達を助けられないなら…………」
「なのはちゃん?」
「ここにいない方がいいかな?」
 思わず零れ出た言葉は、言っている自分でも情けなく思う。
 それでも、あの時のことを思うと怖いんだ。
 ソフィーがミリー部隊長のもとへ行かないといけないと言った時。
 ソフィーが自分を見失ってデバイスを私に向けた時。
 ソフィーが心の底から辛いと、苦しいと、助けてと叫んだ時。
 あの時のことを思い出すと、どうしても怖いんだ。
 私は思い上がっているのかな。本当はソフィー達を助けることなんて出来ないのに、出来ないことをしようとして無理しているだけなのかな。
 分からないよ。
「なのはちゃん…………そうやね、無茶するくらいなら、大事を取って病院に行った方がええ」
「そうだよなのは。ここはあたし達が何とかするからさ、お前は安静にしてろ」
「そうですぅ。辛い時は、休んだっていいんですよ」
 その言葉が優しく聞こえて、私は俯いたまま頷いた。機動六課は頼もしい仲間達、こんなにも思いやりに溢れた仲間達だ。彼女達ならきっと何とかしてくれる。
 皆の言うとおり、少し休もう。
 その時だった。
「…………高町一尉、それは本気ですか?」
 思わず顔を上げて声のした方を向くと、そこにはノイズ曹長の真剣な眼差しがあった。
「本当に病院に行くんですか?」
 何を言っているんだろう。私ばかりではなく、その場にいる全員が固まった。
「ソフィー君や、ホカン部のあいつ等を放っておいたまま本当に行くんですか?」
「え?」
「ノイズ曹長、無茶言わんといてくれるか? なのはちゃんは今」
「ほっとけるわけないだろう? 特にソフィー君はあなたに憧れているんだ。ホカン部の皆に何があったのかは分かんないけど、あの子を連れ戻せるとしたら高町一尉…………あなたしかいないじゃないか!」
「ノイズ曹長…………」
「俺だってホカン部の皆には戻ってきてほしいんだ! もちろんミリー部隊長にだって帰ってきてほしい! そしてあいつ等を引き戻せるのは、あいつ等のことを必要としている人間でしょう!? そんな人間、俺やあなた以外にいると思ってんのかよっ!」
「てめえなのはの体調は完全に無視かよ!?」
 ヴィータちゃんがノイズ曹長の体を捕まえて振り回そうとする。しかし、ノイズ曹長は両足で踏ん張りながら、尚も視線を私に向けて言い続けた。
「頼むよ! 助けてほしいんだ! あなたなら出来る! 俺だってちゃんと協力するから!」
「まだ言うか! なのはには休ませてやれって言ってるんだよ! 大体はやてだって優秀だし、あたしだってリィンだって、それに他の六課の連中だってきちんとやるさ! なのはには無理させられねえんだよ!」
「機動六課とか優秀だとかそんな話はしてない! 高町一尉……いや違う! “なのはさん”!」
 初めて、ノイズ曹長が私のことを名前で呼んだ気がする。
「なのはさん! 俺は管理局員として言ってるんじゃない! 一人の人間として、“ノイズ曹長”じゃなくて“ノイズ・フィル・バレンタイン”として! “高町なのは”! あんたに言ってるんだ!」
 届いている。届いているよ。
 その言葉を聞いて、私はさっきまでの弱気な自分を恥じた。
 無茶をすることがいけないこと? そんなのとっくに解っている。それでも、大切なもののために私は無茶をしてきたんだ。
 私はソフィーに何て言ったのか、覚えているのだろうか。
 妹のようだと、ほうっておけないと、そう言ったじゃないか。
 ほうっておけない。そうだよ、このままでは引き下がれない。
 少し、あの子を見習おう。
 私もワガママになってみよう。
「はやてちゃん、やっぱり私は、ホカン部を追うよ」
「なのはちゃん!」
「空いている時間は回復に専念するから! ソフィー達のことは私に任せてほしいの!」
 私がそう言うと、ノイズ曹長が微笑んでいた。
「あ、ありがとうございます!」
 笑顔で頷く。
 そして、はやてちゃんが呆れたように額を押さえている。リィンも同じような顔で腰に手を当てているし、ヴィータちゃんはノイズ曹長を更に厳しく責め立てている。
 でも、これでいい。私の準備は整った。後はユーノ君とアコース査察官の話を聞いて、何をすべきか考えるだけ。
 ユーノ君とアコース査察官が話を始めると、私達は誰一人として口を開かずに耳を澄ましていた。
 そして全てが明かされていく中、私は胸の中で言った。
 ホカン部の皆、待っていてね。
 そしてソフィー、きっと助けるから。



≪3・答え探し≫

 左耳につけていた鈴型のイヤリングを外して、それを乗せた手の平を顔の前に持ち上げた。
「シルウェストリス、お願いがあるの」
 答えを出すため。私自身はどうするべきなのかを、はっきりとさせるため。
 私はシルウェストリスにお願いをする。
 ミリー部隊長に付いていくべきかどうか。
 その答えを導き出すためにも、やはり全てを知らなくちゃいけない。
 ノーラちゃんが知り得たことを、ノーラちゃんが受け止めた真実を、ノーラちゃんが抱いた気持ちを、私は分かち合おうと決めた。
 そして、本当に自分がしたいことを考えよう。
 なのはさんには本当に悪いことをした。申し訳なさ過ぎて、今は会わせる顔が無い。
 なのはさんと分かち合いたいと思っていたくせに、その実自分は何も知らなかった。分かち合うものすら持っていなかったのだ。
 それなのにあんなワガママを。
 私は全てを受け止めて、どうするべきかを決めて、その上でなのはさんにもう一度会いたいと思った。
 なのはさんだけじゃない。
 マルコちゃん。ジージョちゃん。ブラント君。ウィンディーヌちゃん。
 そして、ミリー部隊長。
 あなた達に会うために。もう一度会うために。
「お願い…………ノーラちゃんが見たウィンディーヌちゃんの記憶を、私にも見せてほしいの」
「......Geht's dir gut?」(大丈夫なのですか?)
 私はこの事件の真相を全て知ろうと決めた。
 何もかもを知り、そして自分らしい道を選ぼう。
 確かノーラちゃんは、ウィンディーヌちゃんの記憶を読み取った時にその記憶をシルウェストリスに一旦保存したはずだ。
 あの時の記憶(ログ)が消えていなければ、今でも見ることが出来るはず。
「うん、もう平気。それよりも、今度こそきっちりと自分のやるべきことを決めたいの。だから、お願い。私の……ううん、ホカン部皆のためだと思って」
「Ja,gern. Ich drücke dir die Daumen」(はい、喜んで。あなたに幸あらんことを)
 そう言ったシルウェストリスから放たれる光は徐々に強まり、私のことを少しずつ包み込んでいった。
 そして今、全てが明かされる。

 To be continued.



[24714] 第三十六話 追憶と真相(前編)
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/02/28 00:17
 シルウェストリスが放つ光に飲み込まれると、そこは真っ白で何も見えない。そして何も聞こえない。自分の五感が失われたようなこの感覚は、地上本部と本局を繋ぐ転送装置の上で感じるものと近い気がした。
 しばらくするとそんな中から、様々な“何か”を感じ取れるようになった。
 それは、目で見ているわけではないのに色が分かるような。耳で聞いているわけではないのに音色が伝わるような。
 何だか不思議。今の私は何処にも存在しない、何も無いはずなのに、そこに世界を感じるのだ。
 手を伸ばせば触れられるかも知れないと思ったが、伸ばす手がないことに気付いて諦めた。
 やがて、光の中に現れた世界は目まぐるしく動き始めた。
 でもその動きはちょっとおかしくて、形を成していくほど徐々に世界は霞んでいく。
 そして触れられるように思えた世界は、いつの間にか掴む場所が分からないほどに形を曖昧にしていった。
 形があるようで無い。
 そこで初めて気が付いた。私が感じ取っている世界は、過去のものだと。
 誰かの記憶。
 そう、これはノーラちゃんが見たウィンディーヌちゃんの記憶。
 そして思い出す。
 私が辿りついたのは、“全ての始まり”。



 時は流れる。
 私は、一人の若い女性と並んで立っていた。
 いや、“立つ”というのは間違いか。これはウィンディーヌちゃんの記憶。だから隣の人と視線が合う高さに浮いているのだろう。
 そう、今の私はウィンディーヌちゃんとしてこの世界に存在していた。
 そしてここは、私が見たことも無い場所。
 建物など一つも無い広大な荒野。吹き荒ぶ風が巻き上げる砂埃の中に見え隠れするものは、倒れ伏した人達。その人達が身に纏うのは重厚な鎧やボロボロの魔導師服(バリアジャケット)。
 何故倒れているのかはすぐに分かった。
 呼吸を感じられない体。動くものの無い景色。そして鼻を突く血の臭い。それらが、多くの死がここに充満していることを教えてくれた。
「本日も戦果は上々! お前の作る“兵器”は毎度のことながら素晴らしい働きを見せてくれる!」
 背後からの声。その声には、目の前の光景とは相反するほどの活気が感じられた。
 その活気は、ウィンディーヌちゃんと女性の後ろに立ち並ぶ戦いに勝利した屈強な兵士達のもの。そして聞こえた声は、兵士達の先頭に立つ一人の男が私達に向けて声高々に言い放ったものだった。
「当然だろう。私を誰だと思っている? なあ、ウィンディーヌ」
 女性はそう返し、空を見上げた。
 ウィンディーヌちゃんも一緒に空を見上げると、その空にあるものを見て私は驚愕した。
 雲の多い黄色の空を飛んでいく巨大な竜型生物。見覚えのあるシルエット。
 それはまさしく、竜型古代生物兵器“オルギプス”だった。
 何故こんなところに? その疑問が解けることのないまま、言葉を投げかけられたウィンディーヌちゃんが女性の方を見て言った。
「はいはい。天下のミリー副団長様には誰も敵いませんよ」
 すると、最初に褒め言葉を贈った男は大口を開けて「全くその通りだ」と笑った。そして後ろに続く兵士達にも、同意と喜びを表す笑顔が見て取れる。
 ふと、大笑いする男の隣に立つ若い青年が、笑顔で男に言った。
「レイジー団長、ミリーをあまり褒めるとあの子が調子に乗ります。尻に敷かれますよ?」
「なあに、とっくに敷かれているよ。いいかフィール、よく聞け。亭主は尻に敷かれるくらいが丁度いいものだ。お前も将来女房を持つのなら、ミリーのような女を探せ」
「それは団長命令ですか?」
「いいや、お前が可愛いがる妹の尻に敷かれる者の、つまらん強がりだよ」
 その言葉に続いて、戦場には更に大きな笑い声が響いていった。
 その笑い声に包まれながら、私は考えていた。
 ここは何処なんだろう。戦場という特殊な状況の真ん中で、私は見据える方向を失っていた。
 ミリー部隊長とウィンディーヌちゃんが何故こんなところにいるのか。そしてミリー部隊長の旦那さんと、彼女のお兄さんの存在。
 ここは、私達のいる時から一体どれほど前のことなの?
 やがてミリー部隊長達を含めた兵士一同は、戦場を後にして城へと戻っていった。
 帰り着いた城はとても大きかった。それに城下町も活気に満ちていたし、城内にだって勇気と力を漲らせた兵士達がたくさんいた。
 直感的に「この国は強い」と、そう思った。そしてそれは、おそらく正しい。
 ミリー部隊長は、ここでは“副団長”と呼ばれていた。
 そして彼女は、副団長であると同時に研究者でもあった。研究・開発するものは主に戦闘兵器。彼女は、戦争において自国の勝利に大きく貢献する仕事をしていた。
 作った兵器はオルギプスのような生物兵器以外にも、機械装置や魔導兵器、化学兵器などと幅が広い。
 ミリー・バンカルは、この国にとって決して欠かすことの出来ない“力”だった。
 それでも彼女が副団長以上の地位に就かなかったのは、彼女自身が兵士でいることを望んでいたから。
 ミリー副団長は戦場に立ち続けた。ある時は兵士として剣を振るい、ある時は魔導師として魔法を操り。また別の時には、『夜天の書』の主となった王の軍勢と戦ったこともあった。
 そうして、彼女は研究者と兵士のどちらでも在り続けた。
 彼女がそう在り続けたのには、一つの理由がある。そしてそれは、おそらく世界中に生きる大多数の人々が思う、共通の願い。
 戦争を終わらせること。ミリー副団長が望んだことは、そんな当たり前とも言えることだった。
 平和を愛していたのかどうかは分からない。敵への容赦は微塵も感じられなかったし、彼女の争いの止め方は徹底的に一方を抑えつける力技だったからだ。
 それでも一つだけ確かだったのは、彼女は戦いが長引くことを快く思っていなかった。
 戦争を終わらせるために、自国を勝利に導く努力をした。
 戦争を終わらせるために、兵器を作って力を所持した。
 戦争を終わらせるために、強大な力を駆使して他国を抑えつけた。
 善悪なんかで判断はしていない。ただ、いつまでも戦っていることが嫌だったんだと思う。



 そして時は流れる。
 夫のレイジー団長と兄のフィールさんが死んだ。自国の領土に侵攻してきた敵兵との戦いによる戦死だった。
「どんな最後だった?」
 報告を受けたミリー副団長は、とても落ち着いた様子でそう尋ねた。
 その死に際の様子を聞き、それでも彼女は表情を変えなかった。
 何も感じないのだろうか。戦争というものがとても身近なものである人にとっては親しい人達の死など当たり前のことで、そういったことに無頓着になってしまうのだろうか。あるいは慣れるのか。
「ありがとう、もういい」
 夫と兄の死を告げに来た兵士へ向けて、彼女は笑った。それは強かさを含んだ、それでいて穏やかな微笑だった。
 その顔を私は知っている。いつか、どこかで見たことがある。
「兵士として生きる者にとっては、戦場で死ぬことなど悲劇でも何でもない…………そんなことよりも戦争だ。私も出よう、戦況を教えろ」
 そう言ったミリー副団長は、武器を手に取って部屋を出て行き、戦場に赴いた。
 明らかに劣勢だった自軍の状況を素早く読み取り、的確かつ迅速に指揮を執り、絶望的だった戦況を百八十度ひっくり返して見せたミリー副団長。
 そして戦場で武器を振るう彼女は、まさに鬼そのものだった。
 鬼と化した彼女の姿にも、私は見覚えがある。暴力を完全に解放した彼女の姿はいつだって変わらない。
 そして、楽しそうに微笑む表情も変わらない。狂気に満ちた、愉悦に浸った、真っ黒に染まった、あの笑顔だった。
 負けるかも知れないと思われた戦いは、ミリー副団長の登場によって奇跡のような逆転勝利となり、勝敗の決した戦場にはお決まりの光景が姿を見せた。
 壊れた武器と壊れた人体に包まれた場所。そんな光景の中、ミリー副団長は一人、すっかり暗くなった空の下で星を数えるように上を向いていた。
 その顔は、戦いの最中とは違う、優しいものだった。
 そんなミリー副団長を見て、兵士の一人が口を開いた。
「あの、そろそろ城へ戻りますが…………何をされているんですか?」
「親しい者が死んだら、決まってこうするんだ。思いっきり暴れた後、喧しさの消えた戦場に流れるこの静けさを鎮魂歌(レクイエム)として捧げることにしているんだよ。…………そして星を見るんだ。この静かな歌が、しっかりと空に届いていることを確かめるのさ」
 そう答えたミリーに向けて、ウィンディーヌちゃんが一言呟く。冗談っぽく、だけど何処か悲しげに。
「素直に泣けばいいのに。どうせ部屋に戻ったら一人で泣くんでしょ?」
「…………ばらすなよ、バカ」
 そう言った彼女はまた笑って見せた。だけど、とても寂しいのだという彼女の気持は伝わった。
 その後、彼女達が城へ戻ろうとすると、ミリー副団長達に幾つもの視線が向けられていた。
「何だ、その子供達は?」
「今回の戦いに巻き込まれた民です」
 その子供達は五人。全員が齢十にも満たないような幼子ばかりだった。五人の内一人はまだ生まれたばかりの赤ん坊で、最年長であろう少女が小さな両腕で一生懸命に抱いていた。
 その子供達を見ていると、私の中に何かが引っ掛かる気がした。
 私は、この子達を知っている気がする。いや、知っているどころではない。私は、私はこの子供達を。
 だが、そこで考えを否定する。
 ううん。そんなわけが無い。私が知っていると思っているだけだ。きっとそうだ。
「…………生き延びたのはこの子ら五人だけか?」
「おそらくそうです。レイジー団長等はこの子供達を守るために戦っておられました」
「レイジーが? あいつめ……いつ死ぬか分からんくせに、子供が欲しいとか言っていたからな。情が移ったのかもしれん」
 ミリーは腰を屈め、子供達と視線の高さを合わせて言った。
「お前達、親はどうしたんだ?」
 首を横に振る子供達。
「では、お前達姉妹だけが生き残ったのか?」
 再び首を横に振る子供達。
「どういうことだ? 生き残ったのはお前達だけなんだろう?」
 すると、一番背の大きな女の子が呟いた。
「…………姉妹じゃない」
「…………お前達、誰一人として家族じゃないのか?」
 子供達は一様に頷いた。
 生き残った子供達は、自分達の肉親を皆失っていた。それでも生きることを諦めなかった子供達は、まるで導かれるようにその身を寄せ合い、行動を共にしていた。
 それは戦争というものが身近にあるが故の不思議な繋がりなのだろうか。理由は分からないけれど、彼女達は名前も知らない者同士でありながら絆を抱き、守るべきものを知り、力を合わせて生きていく決意を固めていた。
 瞳から伝わるのだ。悲しみを秘めた真っ直ぐで透き通ったその瞳から。
 体から伝わるのだ。互いに力強く繋いで、抱きしめて寄せ合ったその体から。
 意識が伝わるのだ。そこには言葉など要らない、確かな決意によって支えられた意識が。



 そして時は流れる。
 ミリー団長は相変わらず兵士と研究者を続けていた。
 そして少し前に戦場で出会った子供達五人を引き取り、自分の側に置いたのだ。
 ウィンディーヌちゃんは最初、「何を考えてるのよ!?」と驚いていたし、兵士達の中にも彼女の胸中を理解出来ずに陰口を囁く者達がいた。
「おい、ウィンディーヌ…………あの子ら、私に全然懐かないんだが」
 その理由は明白だった。ミリー団長も本当は気が付いていたんだと思う。
 子供達は“兵士”というものが嫌いだった。家族を奪い、家を奪った戦場の兵士は子供達にとって忌むべき存在であり、それは親代わりをしているミリー団長に対しても例外ではなかったからだ。
 どんなにたくさんの食事を与えても、どんなに温かな寝床を与えても、どんなに綺麗な衣服を与えても、子供達は喜ばなかった。赤ん坊だけは無邪気に笑うこともあったけれど、それが自分に向けられたものではないということをミリー団長も理解していた。
「どうすればいいと思う?」
「あんたが母親なんて無理なのよ。子育てもしたこと無いくせに」
「それ以前に、敵視されている気がするんだが…………」
「当然でしょう? あんたは兵士なんだから」
 ミリー団長は何故子供達を引き取ったんだろう。子供達に出会ったことで、彼女の何かが変わったことは確かだった。
 ミリー団長が考えに耽ったその日の夜、ミリー団長はウィンディーヌちゃんと子供達を連れて外に出た。
 城以外に高い建物が無く、灯りも少ないここでは夜空がとても大きく見えた。地上と空の距離がぐっと縮まったように感じるその光景は、世界の広さと自分達の小ささをはっきりと教えてくれる。
 そんな空の下で、ミリー団長は子供達を座らせて話し始める。
「お前達が大切に思う者達は、この数え切れないぐらいある星の一つとなった。きっとこの中のどこかにいるんだ」
 子供達の目は真っ直ぐに上を向いていた。
「もちろん私の大切な人達もだ。もしかしたらお前達の親のすぐ隣には、私の大切な人が並んでいるかも知れない」
 適当に指し示した星に視線を送り、ミリー団長は更に続けた。
「不思議じゃないか? お前達と私は他人同士であまり通じ合っていないのに、空では大切な者同士が仲良くしているように思えるんだ」
 子供達の視線はまだ空に。
 そして、ミリー団長の視線は子供達に。
「私は夜空が羨ましい。無駄な争いも無く、静かで、全員が綺麗に光り輝けるあの空がすごく羨ましい。この地上も、あの空のようであればいいのに…………そうすれば、大切な者が不必要に失われることなんてないのに」
 ミリー団長は夜空を目指して戦っていたのだろうか。
 でもその主張は矛盾に満ちている。あなたは大切な人を失いたくないと言っているけれど、その気持ちをあなたはたくさんの人達にさせている。あなたに大切な人を奪われた人はたくさんいるんだ。
 戦争とはそういうもので、彼女の主張はとてもワガママだ。
 子供達だって同じように、あなたではないけれど誰かの手によって大切な人を不必要に失ってしまったのだ。
 兵士であるあなたが子供達に受け入れられないのは、必然だ。
「私の大切な人がお前達を守ろうとした。だから、私はその人の意志を継いでお前達を守りたいと思った」
 それが引き取った理由? そんなものは身勝手であって、子供達の心を開く言葉にはならない。
 兵士であるあなたが子供達に受け入れられないのは、必然だ。
「お前達を守るためにも、一刻も早くあの空のような世界が欲しい」
 だから兵士をしていると? そんなものは言い訳であって、子供達を納得させる言葉にはならない。
 兵士であるあなたが子供達に受け入れられないのは、必然だ。
「…………おかあさんに会いたい」
「私にも会いたい人がいる。だが、もう会えない」
「…………おとうさんに会いたい」
「きっと空で笑っている。お前達の大切な人も、私の大切な人も」
 そんなのは身勝手な言い訳だ。そうに違いない。
 そのはずなのに、私は。
「…………会いたい」
「私も幼い頃に両親を亡くした。親だけではなく、兄弟も、友人も、愛した男も、もう皆いない。もちろん戦争が原因だ。私が兵士をしているのは、私と笑い合ってくれる大切な人達が兵士だったから。そして私が兵器開発をしているのは、戦いを早く終わらせて皆とずっと笑い合いたかったからだ」
「…………寂しい」
「私も寂しい。そして空が羨ましい。地上で笑えないことが悔しい…………だから、地上に残された私は何としても笑いたいんだ」
 私は思い違いをしていたのかも知れない。彼女の真意が、少しだけ見えた気がした。
 平和を愛していたわけではなかった。容赦無く戦ったのは早く戦いを終わらせたかったからで、徹底的に敵を抑えつけたのは余計な争いを二度と起こさせないため。
 そして確かなことは、彼女がずっと寂しかったということ。大切な人が、一緒に笑い合える人達が次々といなくなっていくことを悲しんでいたということ。
 笑顔でいたかった。大切な人達と笑い合っていたかった。ただそれだけ。
 善悪なんかで判断はしていない。ただ、いつまでも夜空のような世界を、そして大切な人達との笑顔を追い求めていたんだと思う。
 そしてそれは子供達が求めるもの、一番欲しいものでもあった。
 両者は生き方が大きく違うし、抱いた気持も大きく違う。
 それでも、求めたものは一緒だった。
 ミリー団長が両腕を広げた時、子供達は彼女の胸の中に進み出ていた。そして五人の体がきつく抱きしめられると、搾り出されるようにして子供達が涙を流した。
 大切なものを不必要に失くすことが許せなくて、夜空のような世界が欲しくて、心の底から笑いたくて、彼女は戦争を一刻も早く終わらせたかった。
 でも、子供達と出会った時、そして子供達を守ろうと思った時、そして彼女が子供達と笑い合っていきたいと思った時、ミリー団長の中には何かが生まれたのだろう。それはきっと、生き方も気持ちも大きく違う両者が、一緒になって同じものを追い求める方法。
 何もかもを失ってきた彼女が見つけた、新しい“大切なもの”。それは今度こそ決して手放しちゃいけないと思うものだった。
 夜空を目指すことよりも、目の前の人達と地上で笑い合うことを求めた。
 子供達とずっと一緒に笑い合うため、彼女は世界を変えるよりも自分を変えることを選んだ。
 この時、ミリー団長は兵士であることを捨てたんだと思う。
 だって、兵士を捨てた彼女が子供達に受け入れられるのは、当然だから。
 その日以降、ミリー団長が戦場に出ることは無くなった。そして敵国との戦いに大きく貢献していた兵器開発も完全に滞ってしまった。
 ミリー団長が戦争への介入を一切拒み続けた日から、国は少しずつ敵国に呑まれていった。そのことについて、王はミリー団長を厳しく咎めるものの、捨てるには惜しい力を失うわけにはいかないとして、彼女を罰することはしなかった。
 そして子供達と分かり合えた日から一ヶ月が過ぎたある日、ミリー団長の研究室にはいつものように使いの大臣がやって来て、お決まりの台詞を吐き捨てていく。
「いいかげんにしないか! 我が国のためにも強力な兵器の開発を即刻開始するんだ!」
「いやさぁ……毎日言ってるんだけど、もう作る気がしないんだよ」
「貴様それでも我が国の兵士か! 以前我々に提案してきた強力な魔導兵器も作りかけのままだ! あれだけ期待を持たせておいて、このままガラクタにするつもりか!」
 なんと言われようと、彼女が兵器開発を再開することはなかった。
 その代わりに、子供達と笑い合う時間が増えていった。



 そして時は流れる。
 遂に、国は敵国との最終決戦を迎えていた。
 しかし、その戦いは誰の目から見ても明らかな負け戦だった。敵国の半分にも満たない戦力で挑んだ最終決戦は、王のつまらないプライドによるものだと分かる。
「さっさと降参すれば良かったものを。王め……白旗も振らずに負けたら捕虜にすらもしてもらえないぞ」
「どうするのミリー? この子達を連れて逃げるんでしょ?」
「ああ、逃げるさ…………誰にも見つからない場所へな」
 震える子供達を連れたままミリー団長とウィンディーヌちゃんは城を抜け出し、国内にある深い森の中の洞窟へとやって来た。
 そこは城からそう遠くない場所。おそらく敵国が攻め入ってくればすぐに発見されてしまうかも知れない。そんな場所だった。
 そしてもう一つ。この洞窟は、ミリー団長が以前まで手掛けていた開発途中の魔導兵器が安置されている場所だった。洞窟の奥深くには忘れ去られたようにひっそりとその兵器が置かれていて、子供達の不安を煽り立てた。
 ミリー団長は子供達と共にこんなところへ身を隠すつもりなのか。彼女達の行く末に大きな不安が付きまとう。
 ウィンディーヌちゃんも同じように思ったのか、ミリー団長に厳しく詰め寄った。
「どうすんのよこんなところで! すぐに見つかって殺されちゃうわよ!」
「まあ落ち着けって。これを見ろ」
 そう言ってミリー団長は、冷たい岩の上にある物を並べた。
「これは、あんたがこないだ作り上げてた…………」
「そう。どんなバカでかいもんでも入る魔法の箱、“プリズン”さ」
 それは手の平に乗るほどの真っ黒な立方体。それが四つ並べられていた。
「あんた……どうしようって言うの?」
「ウィンディーヌ、お前に頼みがある。長年付き添ってきてくれたお前にしか頼めないことだ」
「ちょ、ちょっと!」
「箱の一つには、ここにある魔導兵器を入れておこう。未完成とは言え、こんな物騒なものを誰かの手に渡すわけにはいかないからな…………そしてもう一つは、あの子達の身を隠すために使う」
 ミリー団長は、その立方体を一つ持って子供達に近づいていった。
「ごめんな、お前達。必ず迎えに来るから、少しの間だけ眠っていてくれ。大丈夫……きっと次に会う時なんてあっという間だから」
 怯える子供達を一人ずつ順番に抱きしめた後、ミリー団長は黒い箱を子供達の前に突き出し、起動させた。
 最後まで寂しそうに震える表情を浮かべながら、子供達は黒い箱の中へと消えていった。
 そして残された立方体は二つ。
「さて、ウィンディーヌに頼みたいことというのは他でもない…………私達を守り続けてほしい」
「ミリー…………」
「私とお前、そして子供達がずっと笑って過ごせるような時代になるまで私達を守り、その時が来たら私達をここから出してほしい。頼めないか?」
 四つのプリズンが再び開けられる時は何時になるのか分からないし、歳を取らないデバイスのウィンディーヌちゃんしか守り手になれないということも理由の一つだろう。それをよく解っているウィンディーヌちゃんは、しばらく考えた様子を見せながらも、その頼みを了承した。
 それにウィンディーヌちゃんも気が付いていたんだ。この時代では、皆がずっと笑い合うことなんて出来ないということを。
「二つの内一つはあんたが入るとして、もう一つは?」
「既にオルギプスが入れてある。どうせ使役者がいないと使えん魔導兵器だ。放っておいても無害だし、もし何かあったときは囮にするなり脅しにするなり、少しぐらい役に立つだろう」
「なるほどね。じゃああんたもとっととプリズンに入りなさいよ。そしたらこの四つの箱を持って洞窟の奥に引っ込むから」
 その言葉を受けてからミリー団長もプリズンの中に入ろうとすると、彼女は最後に一つだけ言い残した。
「…………何があっても、あの子達だけは」
「分かってるって! いざとなったらあんたにも腹くくってもらうわよ。あの子達は絶対に守るから…………あんたやあたしが犠牲になろうとも、ね」
 そして笑いあった二人は、しばらくの別れを迎える。
 ミリー団長もプリズンに入っていった後、ウィンディーヌちゃんは洞窟の奥深くにプリズンを隠し、その前に結界を張って自らを休止状態(ハイバネーションモード)に切り替えた。
 大きな期待を抱いたまま、彼女達は新たなる時代を目指して長い眠りについた。
 次に顔を合わせる時こそ、皆がいつまでも笑い合えることを信じて。

 To be continued.



[24714] 第三十七話 追憶と真相(後編)
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/02/28 00:18
 そして時は流れる。
 ウィンディーヌちゃんを通じて見た景色は、私にも見覚えのある場所だった。
 立ち並ぶ大きな装置や機械の制御板。天井から降り注ぐ照明は眩しく辺りを照らしていて、銀色や白色に近い壁と床で囲まれた室内を一際明るく見せていた。
 ここは、忘れもしないあの場所。ノーラちゃんとお別れをしたあの場所。
 フィンカンティエリ研究所の最奥にある研究室。
「だ……出し、なさい……よ…………」
 ウィンディーヌちゃんの言葉は途切れ途切れだった。
 言葉だけではない。
 体が動かない。力無く、それでも彼女は動こうともがいた。でも動かない。
 視線を上下させて、自身が放り込まれているカプセルの全体を見る。透明な円筒形のそこには魔法を封じるための細工が施されていて、ウィンディーヌちゃんの弱った体ではどうしようも無いものだった。
 ウィンディーヌちゃんが見るフィンカンティエリ研究所の中には、白衣を着た人々が部屋のあちこちを行き交っていた。
 ここは何時頃だろう。きっと、ミリー団長とウィンディーヌちゃんがいた戦争中の世界とは全然違う時代だ。フィンカンティエリ研究所があるということは、少なくともミッドチルダであることは確かなようだけど。
 研究室の中央には、作業台の上に乗せられた黒い立方体が二つあった。
 二つだけ? 残りの二つは?
 研究員達はそのプリズンに群がり、角度を変えて眺めたり手に取ってみたりしながら、あれこれと話を始めた。
「そ、それに……触るなぁ…………」
 ウィンディーヌちゃんの声は届かない。それでも、彼女は声を出し続けた。
「古代ベルカ時代の純正なユニゾンデバイスだけでも充分な価値があるというのに、ロストロギアまで一緒に発見出来たのは実に幸運だったな」
「これほどのものをそのまま管理局に渡してしまうのは、実に惜しいわ」
「いいさ、誰にも知られていないんだ。我々で心行くままに研究して、充分調べたら管理局に届ければいいんだよ」
 研究員達のそんな会話が届くと、ウィンディーヌちゃんはより一層焦りを見せていた。
 それに気が付くこと無く、研究員達がプリズンの研究準備に入る。作業台に乗せられたプリズンは、二つの内の一つ。あれが一体何を入れたプリズンなのか、私には分からない。
「まずは微弱な魔力を流してみよう」
 そう言ってプリズンの乗せられた作業台が光った瞬間、プリズンはゆっくりと宙に浮き上がり、少しずつその外観を崩して六枚のプレートになっていった。
「な、何だこれは!? 分解したぞ!」
「開いていく! これは一体何なんだ!?」
 興奮する研究員達を部屋の隅に追いやりながら、開封されていくプリズンの中から細かな粒子状の光が作業台の上で泳ぎ始め、それらが徐々に一つの形を成そうと集まっていく。
 そしてそこに現れたのは一人の女性の姿。服装はあの時のまま。長い髪も、凛々しい顔立ちも、引き締まった体も、何一つ変わっていない。
 そんな彼女、ミリー・バンカルが作業台の上に立ち尽くしていた。
「ひ、人が出てきた!? どういうことだ!」
「…………ここは?」
「これはすごいぞ! お前は一体誰なんだ!? 古代ベルカ時代の生き残りか!?」
「…………ここはどこなんだ?」
 小さく何かを呟いているミリー団長が、ウィンディーヌちゃんの姿を見た。
 最初の数秒は事情を飲み込めずにいた彼女だが、ほとんど虫の息となっているウィンディーヌちゃんを見て、彼女が表情を変えた。
 そしてぐるりと振り向いた先にいる研究員達の目の前へと飛び出し、一人の研究員の胸倉を掴み取ってからその体を投げ飛ばした。
 響く悲鳴と呻き声。数人の研究員は応戦しようとしたものの、ミリー団長に敵うはずなどなかった。
 何人かが逃げ出していき、室内で動く研究員もいなくなった頃、ミリー団長は大慌てでウィンディーヌちゃんの入ったカプセルを開けて彼女を救い出した。
「しっかりしろ! 大丈夫か!?」
「へいき……ありがとね…………」
「何があったんだ? 何なんだ、ここは?」
 そう言いながらミリー団長は、室内にあるもう一つのプリズンに駆け寄ってそれを手に取った。
「これは……何が入っているプリズンだ?」
 怖かった。
 もし、彼女の心を支えているあの子供達が入っていないとしたら、違う何かが入っているのだとしたら。
 ミリー団長もきっと怖がっている。だって手が震えているから。
「ウィンディーヌ……あの子達は…………」
「へへっ。約束……したでしょ? 守るって」
 ウィンディーヌちゃんが不敵に笑った。
「ふ、二つはどっかに持ってかれちゃったけど…………あの子らだけはちゃんと守ったわよ」
 その言葉を聞いた瞬間、ミリー団長は彼女をきつく抱きしめた。
 傷ついたウィンディーヌちゃんの体は辛そうだったけれど、それを訴えることすら躊躇うほどに、ミリー団長の気持ちが心地良く伝わってきた。
 その後、ミリー団長はウィンディーヌちゃんから詳しい事情を聞いた。彼女達が洞窟に身を潜めてから長い長い年月が過ぎ去ったある日、休止状態(ハイバネーションモード)だったウィンディーヌちゃんが目覚めると、そこには白衣を着た研究員達が群がっていたのだという。張っていた結界も、彼等が使う未知の技術によって破られており、彼女は研究員達の接近を感知出来なかったそうだ。
 そしてウィンディーヌちゃんが受けた非道の数々。彼等研究員達は、希少性の高い古代ベルカ時代の純正ユニゾンデバイスを研究するためにと、ウィンディーヌちゃんの人格を無視し続けたという。
「…………大変だったな」
「別にいいわ。あんた達が無事に目覚めたんだもの」
 そう言って笑うウィンディーヌちゃん。
 しかし、ミリー団長が笑顔を返すことはなかった。
 そしてゆっくりと口を開いた。
「この子達をまだプリズンから出すわけにはいかないな。もう少しこの時代を見極める必要があるだろう」
「うーん…………でも、あんただって早くあの子達に会いたいでしょう? あたしだって…………」
「それはそうだが…………」
 しばらく沈黙が続いた。
 二人は心配なんだ。今いるこの時代が、本当に皆で笑い合える世界なのかどうか。
 現に、目覚めたウィンディーヌちゃんが酷い目に遭わされたじゃないか。それは、私利私欲のために手段を選ばない人間がいるということ。ミリー団長達の生きた時代で起きた戦争だって、そういう人間達によって引き起こされたものだ。そういうものを彼女達は目の前で見てきた。
 つまり、結局時代は変わろうとも人間の本質的な部分は変わっておらず、この時代にも争いや不必要に奪われる笑顔などがある可能性は極めて高い。
 そしてそれは、ミリー団長の目指した夜空には程遠く、あの時の地上と同じでしかないのだ。
「…………なあ、ウィンディーヌ。私達はどれぐらい眠っていたんだ?」
「教えてあげてもいいけど…………何年とか何十年とか、まさかそんな程度で済むと思ってたりする?」
「あの白服の連中が『古代ベルカ時代』とか言っていたな…………我々の生きたベルカの時代は、もうそんなに前なのか?」
 それだけの年月が立ちながらも、世界は一向に変わっていないのか。
 再び訪れた沈黙は、二人に暗い影を落としていた。
 その時だった。
 二人がいる研究室に、慌しい足音を立てて十数名の魔導師達がなだれ込んできた。
 その魔導師達の服装を見て私は驚いた。何故なら彼等の姿は、時空管理局の陸士部隊の制服だったからだ。
 あの研究員達が通報したのか。
 ふと、ミリー団長の表情を見ると、彼女は意外にも冷静な顔つきで管理局員達と向き合っていた。
「時空管理局だ。お前達の身柄を拘束する。その場から動かず、ゆっくりと両手を頭上に上げろ」
「お前達は何だ?」
「…………時空管理局だ」
「だからそれは何なんだ?」
「…………知らないのか? まさか何処かの管理外世界から来たのか?」
「教えてくれ、何をしている集団なんだ?」
「我々は、数多ある次元世界の秩序と治安を守り続けている組織だが…………」
 きっかけはその言葉だったんだと思う。
 ミリー団長の表情が変わったのは、その言葉を聞いてからだった。
「聞いたか、ウィンディーヌ。数多ある世界を管理している組織だそうだ」
 彼女の表情からは、幾つかの思いが感じ取れた。
 一つは嘲り。本当にそんなことが出来るほどの力を有しているのかという、彼らを疑い笑う感情。
 一つは期待。こんな組織が実在する世界なら、自分が望んで追い求めた夜空のような世界も実現出来るかも知れないという想い。
 そして最後に。
「ウィンディーヌ、私は決めたよ」
「何を?」
「もう待つのは止めだ。私は早くあの子達と笑い合いたい…………だから作ろう。あの、星達が光り輝く夜空のような世界を」
 最後の一つは野心。この世界が笑顔を絶やすことの無い世界となるように。彼女は、一度は捨てた野望の炎を再び燃え上がらせた。



 そして時は流れる。
 ミリー・バンカルは時空管理局に入局した。
 その理由はまさしく、時空管理局に取り入るためだった。
 彼女とウィンディーヌちゃんが古代ベルカ時代からやって来た古代人ということは、局内の一部の人間にしか知らされないまま、しかしその希少性故に身柄を慎重に扱われた。
 そして管理局の上層部に属する局員と接触する機会が設けられ、その場でミリー・バンカルは管理局への入局を希望し、彼女とウィンディーヌちゃんは保護という形を兼ねた管理局入りを果たしたのだ。
 その際、ミリー・バンカルは管理局の上層部を前にして、自身の訴えをぶつけた。
「次元世界の治安維持には強大な力が必要だ。現在の管理局では、世界平定をするほどの力が無い。だが私にはその力がある」
 かつては捨てたもの。子供達と笑い合う日々を過ごすために選んだ道。
 その道を後戻りすることを決めた。
「…………どうかご賛同いただきたい。平定を目指すのなら、平和を望むのなら、平穏を求めるのなら、一番手っ取り早い方法は“力”を手にすることだ。絶対的で、圧倒的で、唯一無二の力があれば良い。それは他者を制御する手段となる」
 その言葉を聞いた管理局上層部の反応は、実に冷ややかだった。「そう言った独裁的なものを我々は欲していない」、「力による平定は終わらぬ争いを生むだけである」、「古代人は戦争しか知らないからそんなことを言うのだ」、「時代はもう変わっている。ここには規律(ルール)があり、それに準じた手段もちゃんとある」等々。
 ミリー・バンカルの訴えを排他的に考えるのは、ある意味当然でもあった。
 今の次元世界は確かに犯罪が無いわけではないし、何処かで誰かが笑顔を失っているかも知れない。戦争だって無くなったわけではない。どこかでは今でも続いている。
 それでも、今は古代ベルカ時代とは違うのだ。ミリー・バンカルのような主張が危険視されてしまうのも、必然だと言える。
 しかし、そんな管理局上層部の中に、彼女の意見を支持する者が数人現れた。もちろん表立って賛同の意を示すことはしなかったが、ミリー・バンカルの訴えが虚しく消えていった後で、その者達は彼女を密かに讃えた。
 その者達が言うのだ。
「公には出来ないが、君の目指すものを管理局の新体制にしたいと考えている。やってみないか?」
 この言葉は、ミリー・バンカルにとって大きなチャンスとなった。
 やらないわけなどない。彼女はその誘いに乗った。



 そして時は流れる。
 計画を進めるためには、各方面からの協力が必要となった。
 その協力者は、管理局内外を問わず秘密裏に集められた。協力者の条件を満たした者達として集められたのは、計画に賛同出来て、尚且つ必ず成功させようという強い意志のある者達。そして気が付けばこの計画に参加する人員は、二十名を超えていた。
 そんな中でも特に重要となる協力者には、途中で逃げられることの無いように手を打っておかなければいけない。ミリー・バンカルはそう考えていた。
 そこで一つの提案が出された。
 その提案を聞いたウィンディーヌちゃんは、顔を真っ赤にして激怒した。
「あんた何考えてんのよっ! 大概にしなさいよ!」
「罵ってくれて構わない。私は最低だ…………だが聞いてくれ、他に思いつかないんだ」
「だからってそんな…………! あの子達は道具じゃないんだよ!?」
「解ってるさ! 解っているけど…………あの子達をもうプリズンから出してやりたいんだ。今の私にはあの子達のために使ってやれる時間が無い。でも、だからと言ってこの計画が何時終わるかも分からないのに、あの子達をいつまでも閉じ込めておけないだろう? だったら、あの子達に自分達の時間を過ごさせてやりたいんだ。そのためにはこの方法以外…………」
 ウィンディーヌちゃんの中からこの提案を聞いた時、私にもミリー・バンカルの苦悩がよく伝わったのは確かだ。
 彼女の全てとも言えるあの子供達を考えれば、ミリー・バンカルがこの方法を選べたのは本当に信じられないことで。衝撃を受けたり、「酷い」と嘆いたり、心配に思ったりすることさえも忘れて、ただ見守ることしか出来ない。
 幾度と無く激しい言い争いを繰り返した二人だったが、ウィンディーヌちゃんが折れたことによってようやく結論が出た。
 そしてある日、計画についての極秘会議が行なわれることとなった。
 場所は協力者の一人が用意したホテルの一室。完全なる極秘集会ということで、今までにない緊張感がホテル全体に張り詰めているようだった。
 この会議は極めて重要なものであり、計画に必須となる協力者全員が参加することとなっていた。何故ならこの会議を皮切りに、いよいよ計画が本格的に始動するからである。
 参加した人数は全部で三十名弱。この中で進行役を務めたのは、他ならぬミリー・バンカル。
 最初は計画の全体的な流れの説明から始まった。
 そして次に取り上げられたのは、彼女等が開発する世界を抑止するための“力”についてだ。 
 その“力”とは魔導兵器のことであり、その名前を聞いて私は驚いた。
 『エクレール』。時空管理局の一部では伝説化されている、実在しない魔導兵器。
 しかし、彼女は言った。
「実在しないというのは完成品についての話だ。だが実際には、実物が無くとも開発理論は管理局も発見しているようだし、私の頭にもしっかりと入っている」
「何故お前がエクレールを知っているんだ!?」
「何故? 何故って…………開発者が私だからに決まっているだろう?」
 エクレールの名を知る者達はどよめき、その顔に畏怖の念を浮かべた。
「完成品は確かに実在しないが、未完成の状態でならある」
「ど、何処に!?」
「今は何処だか分からない。黒い立方体のロストロギア“プリズン”に入れてから、行方が分からなくなってしまった」
 それは彼女達が古代ベルカ時代にいた頃の話だ。あの洞窟でプリズンに保存した魔導兵器は、未完成のエクレールだった。
「計画の一つであるプリズン捜索はこのためだ。あれが見つかれば、完成はぐっと早くなる」
 そこまで話すと、一人の年老いた管理局員が言った。
「では、それは彼に任せてみてはどうだ?」
 その言葉と同時に、ミリー・バンカルの前に一人の男が歩み出た。
 がっしりとした良い体格。何でも見通すような鋭い眼光。重厚なほどの威圧感。
 私は、その人を知っている。
「遺失物管理部機動三課の次期部隊長として推薦されている男、サイオン・スチュアートだ。いろいろと力になってくれるだろう」
 ミリーとサイオンが握手を交わすと、二人はしばらく視線を重ね合わせた。
 そして話は次の議題に移る。
 それは、協力者達に向けられた彼女からの言葉。
「機動三課がプリズンの捜索をしてくれる間は、エクレールの発射に必要となるエネルギーに関して、魔力運用の研究をしたい。ただ、私は今日からしばらく次元航行部隊に所属して、次元航行艦についてのノウハウを学んでこようと思うので、研究の方は完全に協力者の方々にお任せしてしまう」
「それは構わないよ…………何か問題でも?」
「…………問題は、今は無い。だが、あってからでは遅い。途中でこの計画を降りられては困るんだ」
 室内は、より一層緊張感が増した。
 ここから彼女が口にする言葉は、協力者達に首輪を繋ぐことと同じになる。
 この計画は、決して悪事を目論んだものではない。だが、その性質上決して人々に受け入れられるものでもない。
 彼女は言う。協力者達に宣告する。
 乗りかかったのならば、途中では降ろさせない。
 彼女は告ぐ。協力者達に警告する。
 リスクを背負え、と。
「エクレールの開発には、絶対に必要となるコードキーがある。それを私は五つに分割し、五人の子供達の中に組み込んだ。その子供達無しでは、この計画は失敗と言ってもいい」
「何故、そんな話を我々に?」
「責任だ。子供達を協力者の皆さんにお預けする。…………大切に育ててほしい。子供達を見ることで、私達との繋がりを決して忘れないでほしい」
 再び室内にはどよめきが起きたが、それを無視してミリー・バンカルは続けた。
 ウィンディーヌちゃんが激しく反対し、ミリー・バンカルが断腸の思いで決めたこの提案も、遂に決行されることとなった。
 あの五人の子供達は、計画進行において手放すことの出来ない協力者達に預けられ、彼等をこの計画に縛り付ける役目を任されることになった。
 しかも預けられる際に、子供達の記憶は消すということだった。
 記憶を消すという選択だけは、ウィンディーヌちゃんも最後まで納得しなかった。
 今まで築き上げてきたミリー・バンカルとの思い出が、何もかも消えるという。
 彼女が言うには、過去の忌まわしい記憶に苦しめられることなく、それぞれの新しい人生を謳歌してほしいからというものだった。
 だが、私はウィンディーヌちゃんの意見に賛成だ。彼女達がミリー・バンカルと過ごしてきた、そして短い間でも笑い合った一時(ひととき)は、決して忘れてはいけない。
 私は、ただ傍観することしか出来ない今の自分を初めて恨めしく思った。 
「まず一人目は、今回の計画において多大なる資金援助をしてくださるダイナ・ダビッドソン氏」
 その名前は、ミッドチルダでも有名な大富豪の名前。確か幼い頃のジージョちゃんを引き取った人のはず。
「二人目の子供は、幼いながらも知能指数が高いことが分かっているので、才能を伸ばすためにも管理局の特別保護施設に入れようと思う」
 以前に聞いた話を思い出し、連想してしまう。知能指数が高くて特別保護施設育ちなのは、マルコちゃん。
「三人目は、次元航行部隊で私のお世話をしてくれるあなただ。構わないな? ルミオン・ストレイジー提督」
「な、何故私なんだ!?」
 しかし、ミリー・バンカルは異論を認めなかった。
 ノーラちゃんは、こうしてあの人のところに引き取られたのか。
 そして子供達の中でも最年少だった赤ん坊の男の子は、育児に専念出来る人に預けたいということで、いずれ立ち上げられる機動三課のカモフラージュ部隊の世話係を務める女性に預けられた。その女性はまさしく、ホカン部隊舎の寮母さん。
「では最後に五人目だ。エクレールの発射エネルギーにおける魔力運用の研究をお任せする――――」
 予想はしていた。
 だが、やはりショックと言えばショックだ。
「――――スプリングス夫妻、あなた達だ」
 私があなた達に受けた愛情は、まさか偽りだったのだろうか。ミリー・バンカルに背負わされたリスクとして、仕方が無く私を育ててきたんだろうか。
「五人の子供達は、後日送り届けることにしよう。コードキーを埋め込んでいると言っても、それ以外は他の子供と全く変わらない。子供達はこの計画自体を知らないので、是非とも可愛がってあげてほしい…………決して子供達を捨てようとか始末しようなどと思うな。もしそんなことをした時は、この計画に乗った全員がそいつを追いかけて、見つけ出して…………さようならだ」
 そしてミリー・バンカルは、私が見慣れてきた怪しい笑みを浮かべていたのだ。
 


 そして時は流れる。
 私はしばらく何も考えられなかった。
 それはスプリングス夫妻との間にあると思っていた、血の繋がりを超越した家族の絆が嘘だったのではという疑念のせいだ。
 こんな話があるだろうか。私は、本当に誰を信じればいいのか分からなくなってしまう。
 スプリングス夫妻を信じられなくなったら、二人が育ててくれたこの体さえも捨て去りたくなる。
 ミリー部隊長が信じられなくなったら、もう今度こそ行き場を失って、自分を見失ってしまう。
 そんな気持ちに陥っている時、次に見せられた記憶は、とても懐かしいものだった。
 私の世界。そう、幼い頃に一時期暮らしていた、とある次元世界。
 何故この世界にウィンディーヌちゃんが? 見れば、隣にはミリー・バンカルもいる。
 二人は今、次元航行部隊に所属している。
 そして次元航行艦に乗ってやって来た二人は、艦船へと向かって必死に逃げ惑う人々の波に逆らって町の中を進んでいった。
 何故人々は逃げているの? 何故この世界の、しかも町の真ん中に次元航行艦が来ているの? 
 その理由は、私の幼い頃の記憶に残されていた。そしてその記憶は、ウィンディーヌちゃんが見る光景と相まって、より鮮明に蘇ってくる。
 そう、私のいたこの世界は、今まさに崩壊の危機を迎えているんだ。
 悲しくて、苦しくて、辛い記憶。
 そんな中、局員の制服を纏ったミリー・バンカルが、ある家の中に駆け込んでいった。
「スプリングス博士! 無事か!?」
 彼女が駆け込んだ家は、私が暮らした家。お父さんとお母さんと三人で暮らした、思い出の詰まった家。
「ミリーさん! ああ、良かった。来てくれたのか」
「安心するのは早い! 急いで艦船まで走れ! もうこの世界はもたないぞ!」
「…………駄目だ、駄目だよ。私達はこの世界を離れるわけにはいかない」
「何!?」
「エクレールに使う魔力運用の実験ミスが原因だ。空間歪曲現象がもうこの次元世界を飲み込み始めている。私達夫婦は、責任を取るためにもここに残ろうと思うんだ」
「馬鹿言うな! エクレールの計画からは降ろさないと言ったはずだ!」
「頼む。この子を、ソフィーを連れて早く逃げてくれ」
 そこには怯えて声も出ていない幼かった私がいた。そして両親の服にしっかりとしがみ付き、涙を浮かべた目でミリー・バンカルを見つめていた。
 ああ、何で忘れていたんだろう。
 私は、こんなに早く会っていた。そう、あなたに再会していたんだ。
「ソフィーはもちろん連れて行く。だが、あなた達二人も一緒だ」
「いや、その子は私達の子では無い。だから、私達の責任を被せるわけにはいかない」
 本当に、何で忘れていたんだろう。
「…………あなた達二人はソフィーの親ではないと、そう言うのか?」
 ミリー・バンカルのその言葉を受けながら、スプリングス夫妻は膝を曲げて小さな私を抱きしめた。
「ソフィーごめん、許してほしい」
「お父さんとお母さんを許してね」
「今から私達はお前のお父さんとお母さんじゃなくなる」
「そうじゃないと、あなたを巻き込んでしまうから」
「さようなら」
 最後の一言だけは、両親二人の言葉が重なった。
 何だろう、この気持ち。
 私はあなた達に親子ではないと宣告されたのに、こんなにも溢れて出てくる気持ちはあなた達を愛しく思う感情だ。
 こんなにも、こんなにも胸が張り裂けそうなことなど、今まであっただろうか。
 悲しい。どうしてこんなに悲しいんだ。
 そしてとっても愛しいんだ。
 私がミリー・バンカルから受けてきた愛情は、紛れも無く本物で、忘れたくなど無い、忘れてしまっていたことがとても悔やまれるものだ。
 そしてもう一つ、あなた達二人から受けてきた愛情も、嘘偽りの無い本物で、忘れられるわけなど無い、忘れてしまってはいけないとても大切なものだ。
 こんなにも私は愛されてきたのか。
 こんなにも大切にされてきたのか。
 何を信じたらいいのか。
 何を信じれば正しいのか。
 そんなことで悩んでいたのは、一体何故だろう。
 信じるものはすぐ側にあったじゃないか。
 こんなにも愛されて大切にされてきた私は、ホカン部の仲間とも出会って、ノーラちゃんとの別れを経て、大切な人を疑って、それでも一生懸命考えて。
 見つけた答えはこれだ。
 私をこんなにも愛して大切にしてくれたあなた達の全てを知ったから、私は自分が本当にしたいことを見つけられた。
 そしてそれに従って動くことこそが自分らしさであり、あなた達が尊重してくれる、納得してくれる、私の選択だ。
 選べる。今なら何をすればいいのか、良く分かる。
 “ミリー部隊長”との約束に対する答えを、今ならきっと導き出すことが出来る。
「ウィンディーヌ! この分からず屋共を強制転送だ!」
「ミリーさん! 我々は」
「聞くな! …………ミッドチルダに戻るんだ!」
 そうだ。戻ろう、現実へ。
 私にはまだやるべきことが残されている。




 そして時は流れる。
 その後は私達が過ごしたホカン部での日々、そしてミリー部隊長から聞いた真実を辿ることとなる。
 今から七年前に遺失物保護観察部は設立され、身の回りがようやく落ち着き始めたミリー部隊長とウィンディーヌちゃんはホカン部の部隊員として、そしてエクレールの完成が近いということを口実にして私達五人の子供を自分の側に集め始めた。
 最初はブラント君。彼はホカン部の隊舎が完成するのと同時に、寮母さんと一緒にやって来た。
「おかえり、ブラント」
 そしてジージョちゃん。ダビッドソン家では可愛がってもらったらしい。
「おかえり、ジージョ」
 マルコちゃん。陸戦魔導師として地上部隊にいたところを引き抜かれた。
「おかえり、マルコ」
 ノーラちゃんは少し寂しい幼少期を過ごしてしまったけれど、ホカン部に来れたことは本当に喜んでくれた。
「おかえり、ノーラ」
 そして私。自分で選んだ本当の答えを連れて、私はここに戻ってきた。
 ありがとう、ミリー部隊長。
 ありがとう、ウィンディーヌちゃん。
 ありがとう、スプリングス夫妻。
 ありがとう、ホカン部のみんな。
 そして記憶をありがとう、ノーラちゃん。
「おかえり、ソフィー」
 ただいま。



 シルウェストリスの光が収まった時、私は暗い森の中にいた。
 これから私はミリー部隊長のところへ行かなくちゃいけない。そう、私なりの答えを届けなくちゃいけない。
 だけど、今は少しだけあなたのことを呼ばせてほしい。
 そして、泣かせてほしい。
「…………お、おかあさん…………」
 私は一人、迷子の子供みたいにたった一人で、大きな声で、顔をくしゃくしゃにして、膝をついて、ただひたすらに泣き続けた。

 To be continued.



[24714] 第三十八話 私は良い仲間に恵まれている
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/03/07 10:06
≪1・信じられる仲間≫

「ソフィーやミリー部隊長達が……?」
 ユーノ君とアコース査察官から聞かされた話は、私達に強烈な衝撃を与えた。
 にわかには信じられない。アコース査察官が話の始めに言った言葉は本当だった。こんな話、聞かされたって普通は作り話にしか聞こえない。
 でも、これは事実。アコース査察官がサイオン部隊長の記憶を覗き見て知り得た情報なのだ。
 ソフィー達は古代ベルカ時代の人間。そして魔導兵器エクレールやプリズンを開発したミリー部隊長は、力による世界平定を密かに企てていた。
 ふと、話を始める前にユーノ君が言った言葉を思い出す。
 “私の気持ちは届かないかも知れない”。
 本当にそうだ。彼女達を結び付けているものに比べたら、私の“ソフィー達を想う気持ち”のなんて小さなことだろう。ヴィヴィオと共にいる今の私なら、そのことがよく分かる。ソフィー達と、彼女達にとっての母であるミリー部隊長。この両者を繋ぐものは、他人がどうこう出来るようなものではない。
「ロッサ、その話は本当なんか?」
『頭の中は嘘をつけないよ、はやて』
『僕の方で調べた結果も、アコース査察官の話と照らし合わせてみると合点がいく。例えばサイオン部隊長は、ミリー三佐のことを“古代ベルカ時代から逃げてきた兵士”として認識していることが思考捜査で分かったんだけど、それを納得させるような情報が出てきたよ。発見されている開発理論の書かれた時代について調べてみると、当時のとある国には逆賊として“バンカル”という名前が伝えられている』
「なるほどね」
 はやてちゃんが頷きながら返事をした。
 確かに二人の話は事実みたいだ。
 そして、ソフィーに私の気持ちは届かない可能性が高いということも。
 ただ、それでも私は止まれない。止まらないと決めた。
「それでも…………気持が届かないとしても、私達は止まっちゃ駄目でしょ?」
 決意を言葉に。すると、はやてちゃんを始め他の皆が一様に頷いた。
「なのはちゃんの言うとおりや。ミリー三佐の正体が何であれ、私達が止まる理由にはならん。ホカン部メンバーに埋め込まれているというコードキーをミリー三佐が手にするよりも早く、ホカン部隊員達の身柄を拘束せなあかん。さあ皆、捜索を続けよう」
 そうだ。まだソフィー達がミリー部隊長のもとに行ったかどうかは分からない。私とぶつかり合ったあの三人だって、今から追いかければ手の届くところにいるかもしれないんだ。
 動かなくちゃ。
 皆が捜索活動に戻っていく中、私も踵を返してその一歩を踏み出した。
 その時だ。
「なのはちゃんはあかんよ」
 意気込んで踏み出した足を止めたのは、背後から聞こえたはやてちゃんの声。
 私は思わず振り返って、驚きながら尋ねた。
「え!? でもさっき、私もホカン部を追うって」
「オッケーした覚えは無いよ」
「そ、そんな!」
 今度ははやてちゃんに詰め寄ろうと一歩を踏み出すが、それも再び止められてしまった。
 それはヴィータちゃんが前に立ちはだかったから。鋭い眼光で、それこそ始めて会った時のように敵意を向けているかのような目で。
「なのは、お前をもう捜索のために飛ばせるわけにはいかねえ」
「ヴィータちゃん!」
「ヴィータの言う通りや。もうすぐヘリが到着する。それに乗ってもらうで」
「はやてちゃん! お願いだから!」
 それでも、二人から放たれる強気な態度は決して緩まなかった。
「なのはちゃん、自分で言った言葉を忘れてしまったんか?」
「えぇ?」
「空いている時間は回復に専念する…………そう言わんかった?」
 言った。けれどそれは決して、捜索活動を断念するという意味ではない。
 更なる抗議をしようと口を開きかけると、それよりも早くはやてちゃんが話を続けた。
 そして何故か、はやてちゃんの固かった表情が柔らかく崩れていた。
「私達はヘリに乗って、サイオン部隊長の記憶にあった“エクレールの開発場所”に向かおう。そこにはきっとミリー三佐もおるやろうし、プリズンを持ったホカン部隊員達もそこに向かっていると思うんや」
「…………はやてちゃん」
 ヴィータちゃんの表情は相変わらず怖いままだったけれど、それでも体をどけて私が踏み出すための道を作ってくれていた。
「捜索は三課や捜査官達に引き続きお願いして、私達は一足先に開発場所へ向かう。手段はいくつもあった方がええからね。だからヘリに乗って移動している間は、なのはちゃんは回復に専念すること。オッケー?」
「はやてちゃん…………うん、オッケー!」
 親友の優しさに対して笑みを返した私は、ようやく進み始めることが出来た。
 これが最後のチャンスとなる。
 ミリー部隊長を止めるため。そしてホカン部を、ソフィーを助け出すため。
 ここからが本番なんだ。
 はやてちゃんの隣に並ぶと、リィンが小さく「大丈夫ですか?」と気遣ってくれた。それに対して気丈な答えを返していると、開きっ放しだった通信モニターの中に、再びシャーリーが姿を見せた。
『八神部隊長!』
「ん? どうしたん?」
『スバルです! スバルが先の任務を終えてこちらに合流しました!』
 久しぶりにその名前を聞いた瞬間、私を始め元機動六課の面々はその表情を明るくした。
 スバル・ナカジマ。機動六課時代に、私が教導したフォワードメンバーの中でも一番元気の良い女の子。JS事件では彼女にも大活躍してもらったし、六課解散後は特別救助隊に所属して災害救助任務においての最先鋒(フォワードトップ)として日々頑張っている。そして嬉しいことに私を慕ってくれていて、“憧れ”とまで言ってくれる子だ。
 そこでふと思い出した。そう言えば、ソフィーも私を憧れだと言ってくれていたな。それにスバルとソフィーは同い年だし、考えてみればソフィーに似ているところが幾つもある気がする。二人なら良い友達になれそうだ。
 シャーリーの映るモニターが切り替わり、そこには少し泥だらけに汚れた姿のスバルが映っていた。
『なのはさん! それに八神部隊長もお久しぶりです!』
「何だよ、あたしやリィンはオマケか?」
 ヴィータちゃんの意地悪な文句に苦笑を浮かべたスバルは、ショートカットの髪の毛をくしゃくしゃと掻きながら『あ、あとヴィータ副隊長とリィン曹長も』と付け加えた。
 それから一度咳払いをして、仕切り直すようにスバルが口を開く。
『それよりも……八神部隊長、あたしは何をしたらいいですか?』
「さっそく頼まれてくれるんか? 相変わらず元気やね。遺失物保護観察部の部隊員捜索を手伝ってほしいんやけど…………ちょっと休んだ方がええんちゃう? 救助隊の任務が終わったばかりで疲れとるやろ?」
『ああ、ぜーんぜん大丈夫ですってばぁ! あたしが四、五日寝なくたって平気なことは皆さんご存知でしょう?』
 そう言って笑うスバル。見ているだけでこちらも元気になれる気がする。
『じゃあさっそくホカン部部隊員の捜索任務に向かいますね!』
「はいはい、じゃあお願いするわ。一番最後に姿を確認出来たポイントの座標をシャーリーに送ってもらってな」
『了っ解! じゃあさっそく行ってきます!』
 そして通信が切られようとしたところに、私は急いで割りこんだ。
「スバル!」
 スバルがきょとんとした顔を向けてくる。
「お願いがあるの」
『なのはさん?』
「あの子達を見つけたら…………」
 そう、私が信頼出来る仲間なら。
『見つけたら?』
 信頼出来る仲間なら、きっと私からの想いを引き継いで伝えてくれるはず。
「見つけたら…………絶対に止めてあげてほしいの! ホカン部の皆だってきっと色々考えた上で動いていると思う。でも…………それでも、もうあの子達をこれ以上進ませたらいけない! だから!」
 そこまで言うと、スバルはきょとんとした顔をそのままにして何も言わず、じっとしていた。
 伝わっただろうか。
 ホカン部のために私は何をしてあげられるのか、正直に言うと今でもよく分かっていない。
 だけど、それでも何とかしたいという私の気持ち。それは伝わっただろうか。
 私一人では全員に手が届かないけれど、皆がいれば大丈夫。こんな他力本願かも知れない私のワガママは伝わっただろうか。
 しばらく沈黙を続けているスバル。まだ動かない。
 そして、ようやく彼女の表情が変わった。
 その顔は。
『…………任せてください!』
 とても頼もしいものだった。
『なのはさんの気持ち、しっかりと届けてきますから!』
「スバル…………」
 そしてスバルとの通信が切れた。
 タイミングを同じくして、上空にははやてちゃんが呼んだヘリがやって来た。
「さあ、なのはちゃん! 行くで!」
 伸ばされたはやてちゃんの手。
 その手を握ると、自然と顔は笑っていた。
 私は良い仲間に恵まれている。



≪2・頼れる仲間≫

「…………そう、分かった。報告ありがとう」
 シャーリーからの報告を聞いて通信を切った私は、そのままティアナへの通信回線を開いた。
『はい、こちらティアナ。フェイトさん、どうしました?』
 バイクで移動中だったティアナは、捜索エリアの真ん中でバイクを止めて私からの通信を受けていた。
「たった今はやてから連絡があったよ。スバルが捜索に加わったみたい。心強いね」
『スバルが? 本当、あいつもタフですねぇ』
 緊迫感に包まれっ放しだった私達の、ちょっとした息抜きとなる談笑。スバルの存在はこんな形でも役に立つ。
『だって救助隊の任務から直行してきてさっそくですもんね。どうせ……あたしなら数日寝なくても動けるんですー! ……なんて言って笑ってるんでしょうね』
「ああ、ありえるね」
 思わず吹き出す。訓練校時代からスバルと付き合いのあるティアナならではの推測は、おそらく当たっているんだろうな。
「それともう一つ。なのは達はヘリである場所に向かったって」
『ある場所?』
「…………エクレールの開発場所」
 束の間の息抜き。この言葉を言い放った私は、いつの間にか表情を固くしていた。そしてティアナも引き締めた態度でそれを聞く。
 シャーリーから聞いた話では、サイオン部隊長の思考捜査の結果が出たらしく、それによって判明したエクレールの開発場所になのは達は向かったらしい。思考捜査の結果によれば、実際には四つのプリズンの内どれかに未完成のエクレールが入っていて、それを開発場所に持ち込むことでエクレール開発の最終段階へと移行するようだ。
 どうしようか。私は捜索活動を続けるべきだろうか。ヘリに乗り込んだメンバーを見ると、決して力不足とは言えないような面子ではある。
 おそらくホカン部隊員達は、プリズンを持ってそのエクレール開発場所に向かっているんだろう。
 その開発場所で待ち構えることが出来るのなら、最終段階に移行させる前に食い止めることで事件は一気に終息を向かえることになるかも知れない。
 でも、はやての話を聞くとホカン部に所属する魔導師達はそれぞれがクセのある魔法を使うみたいだし、両者の接触ポイントでなのは達の負担を軽減するという意味でも、捜索を止める必要は無い。
「ティアナ、私達はホカン部を見つけられると思う?」
 ちょっと尋ねてみた。
『そうですねぇ…………捜査官チームの目が届いていないポイントをあたし達は見て回っているわけですけど、捜査官チームから発見の報告が無いということは、あたし達のいる捜索エリアで遭遇する可能性も低くないと思うし…………魔力感知ポイントを合わせて考えてみても、あたし達の向かう方向は決して間違っていないと思います。このまま捜索を続ける価値はあるかと』
 良い子だ。自分なりに分析をして、先を見据えて動いている。
「よし、じゃあ私達は捜索を続けよう」
『え!? あ、あの、あたしの指示なんかに従わなくたって! その!』
「いいの。ティアナ執務官補の考えに沿って動いてみるよ」
 そう言うと、ティアナは余計に慌てた様子を見せながら「きょ、恐縮です……」と言って声を小さくした。
 さて、そうと決まればもう一つ、打てる手はとことん打っておくべきだろう。
 私はティアナとの通信を切り、今度はそのまま別の通信回線を開いた。
「クロノ、聞こえる?」
『フェイトか。どうしたんだ?』
 通信相手はクロノ・ハラオウン。予定では確か、今日中にまた次元航行任務に出てしまうはずだった。でも、どうやらまだ出航前のようで安心した。
「実はお願いしたいことがあるんだけど」
『お願い? 今は出航前の準備中なんだが』
「ごめんね、それなんだけど…………ちょっと待ってもらえない?」
 両手を顔の前で合わせると、彼は「え?」と言いながら表情を歪めた。
 エクレールの開発理論を見て思ったことだ。魔導兵器であるエクレールは、一体どうやって使用されるのだろうか。
 たった一発で次元世界一つを消滅させることが出来るそれは、まさか据え置きの固定砲台なはずは無いだろう。何故なら、下手をしたら発射ポイントである場所を含めた世界すらも消し去るかもしれないのだから。
 アルカンシェルを例にすれば分かりやすい。アルカンシェルは艦船搭載型の魔導兵器なのだから、エクレールも同じように移動艦船に搭載した方が使い勝手が良いはず。
 そしてはやてからの連絡で知らされた、サイオン部隊長の思考捜査の結果。その中で語られたことの一つ、ミリー・バンカルが何故この計画に次元航行部隊所属であるルミオン提督の協力を必要としたのか。その理由を考えるんだ。
 一時期、ミリー・バンカルが次元航行部隊に所属した理由は、次元航行艦に関する知識を得るため。
 そして次元航行艦に関するノウハウを欲した理由は、当然、次元航行艦が必要となるから。
 もしエクレールを搭載した次元航行艦があれば、存在する次元世界全てが標的となり得るし、消滅の危機に晒されることとなる。
 状況を幾つも想定して、それと同じ数だけの対策案も用意しておかなければ心配だ。
 私がクロノにお願いしたのは、万が一ミリー・バンカルがエクレールを持ったまま次元空間に出た場合の応対。場合によっては艦船による交戦も覚悟しなくてはいけない。
 だから私は、仮にミッドチルダでミリー・バンカルを止められなかった場合の対策として、クロノを介して次元航行部隊の協力を要請したのだ。
 私からの頼みを聞いたクロノは、手元のスケジュール表を幾つも見直しながら協力的な返事をしてくれた。
『分かった。もしミリー三佐が次元空間に出たときは任せてくれ』
「本当にごめん。急な頼みで」
『別にどうってことないさ、フェイトの好きなように使ってくれて構わない。じゃあ一旦切るよ。必要になったらいつでも連絡をくれ』
「…………ありがとう」
 クロノの返事を嬉しく受け止めながら、私は通信を切った。
 本当に彼にはお世話になっている。
 幼い頃の私の処遇や、魔導師としての指導。それに昨年のJS事件でも彼からは大きなバックアップを貰った。
 照れ屋だから表に出すことは無いけれど、何だかんだで昔から付き合いのある私やなのははもちろん、皆の見えないところで一番尽力してきてくれた人。
「やっぱり頼っちゃうなぁ」
 嬉しいのか、申し訳ないのか、どちらか分からない表情を浮かべて呟いてしまった。
 こんな時にいつも思うんだ。
 私は良い仲間に恵まれている。



≪3・笑い合える仲間≫

 薄暗い部屋の中。冷えた空気。
 もうすぐ夜が明ける。
 転がっていたグラスを拾い上げて水道から流れ出る水で軽く中を濯いだ後、グラスいっぱいまで水を注ぐ。
 それを口に運んで、一気に胃の中へと流し込んだ。
 駄目だ、落ちつかない。
 何度目になるかも分からない“これ”の動作確認作業をしてみても、気晴らしになればと本を開いてみても、力をつけておかなくちゃと思い摂食をしてみても、何をしても私の気持ちが落ち着くことは無かった。
 怖かった。
 駄目だな、一人になると。
 昔からそうだ。人前では絶対に弱さを見せたくは無かった。何故ならそれは、保身のため。
 そう、私が生きていくために、生き抜いていくために身に着けた技能と言ってもいい。私の処世術だ。
 だからどんなに悲しくたって、人前では泣かなかった。
 兄が死んだ時だって、私は誰にも嗚咽を聞かせなかった。
 夫が死んだ時だって、私は誰にも泣き顔を見せなかった。
 夜空の下でも絶対に弱さを見せない。星になった者達にすら、私は気を許してこなかった。
 ただ一度、弱さを曝け出してしまったことがあるとすれば、あの時。
「ノーラ…………」
 辛かった。
 だって心に決めていたじゃないか。もう二度と、私と一緒に笑い合ってくれる者達を失わない、と。
 それなのに。
 知らないうちに拳を固く握り締めていた私は、それを机の上に叩きつけた。
 怒っているのか、私は。
 もちろんだ。ノーラは死んでいいわけなど無かった。あの子は何も悪くない。
 ルミオンがいけない。あいつは前々からノーラを預けられたことに対して一番不満を抱えていたから。
 それでも、エクレールのコードキーが埋め込んであると伝えていれば、悪いようにはしないだろうと思っていた。幼いノーラが寂しがるぐらいまであの子を遠ざけていたことには憤りを感じるが、それでも成長するまでの面倒は見るだろうと踏んでいたのに。
 ルミオンの行動は予想外だった。
 だが、私のミスでもある。
 スプリングス夫妻もやってくれたものだ。まさか隊舎に押し掛けてきてソフィーを返せとまで言い出すなんて。
 思えば、あれさえ無かったらソフィーやノーラが感付くことも無かったのに。
 あの二人は確かによくやってくれた。それは認める。二人の成し遂げたエクレールの魔力エネルギー研究も、部隊長室で行なっていた解析による結果を見た瞬間、弾き出されたその数値に私は大いに驚かされた。あの液体化した魔力の魔力素結合密度や、発射時においてのほとんど無駄のない反応率の高さ。おそらく全次元世界においても間違いなく歴史に名を残すほどの研究成果だ。
 だが、あの二人は平和主義者で温厚な性格なのがいけなかった。この計画に賛同させるのも一苦労だったばかりか、挙句の果てにはソフィーを返せとまで言ってきた。 
 冗談じゃない。あの子は私の子だ。
 共に過ごした時間は確かに二人の方が長いかもしれないが、そんなことで親面をされては困る。あの子は、私が一生をかけて守ることを誓った子なんだ。誰にも奪わせなどしない。
 だが、そう言われてしまったことは、やはり私のミスだ。
 何もかも私が悪いのか? 私が何か間違っていたのか?
 怖がっているのか、私は。
 今までの一連の流れを思い返すと、もしかしたら私はあの子達を失ってしまうのかもしれないという、そんな不安が頭を過ぎった。
 すぐに首を振って考えを改める。
 いや、そんなはずは無い。私は再びあの子達と笑い合える。死んでしまったノーラの分も、ウィンディーヌやブラント、ジージョ、マルコ、ソフィーと共に笑い合える。そうに違いない。
 長く、こんなにも長く待ってきたんだ。
 あの子達と笑い合える日々を、こんなにも待ち遠しく思ってきたんだ。
 その月日がどれくらいなのか、私の想いがどれだけ積み重なってきたのか、それがお前達に分かるものか。
 諦めてたまるか。
 弱みを見せてはいけない。徹底的に攻めて出なければ。
 欲しいものを手に入れるためだ。大切なものを守り抜くためだ。
 怖がってなんていられない。それが私の処世術。
 戦場だってそうだった。少しでも弱みを見せれば、それは取り返しのつかない敗北、すなわち“死”に直結する。
 同じだ。ここで弱気になるわけにはいかない。負けられない。絶対に負けられない。
 大丈夫、あの子達はきっと来る。
 プリズンを持って、私達を結ぶ絆を持って、約束の証を持って、もう一度ここで再会する。
 皆、私と歩むことを選んでくれたんだ。私があの子達を信じないでどうするんだ。
「ウィンディーヌ、ブラント、マルコ、ジージョ、ソフィー…………早く来い」
 祈った。
 外では星はもうほとんど見えなくなっていて、空は白んでいる。
 それでも、私を信じてくれた仲間達のために、私も信じて待とう。
 私をこんなにも強くする理由はたった一つ。
 私は良い仲間に恵まれている。

 To be continued.



[24714] 第三十九話 プリズン、一つ目
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/03/15 01:11
≪1・捕まえた≫

「確かこっちの方に…………」
 ホカン部隊員の捜索途中で感知した魔力反応。それを追って私は、ミッドチルダの中央区画よりもずっと離れたところにある小さな町に来ていた。
 夜がもう少しで明けようとしていた。レンガ造りの二階建て家屋が規則正しく立ち並ぶ町並みはとても静かで、町の人達と一緒になって家々も眠っているみたいだ。早朝ならではの、この澄みきった涼やかな空気の心地良さは眠っていたら味わえない。ちょっともったいなく思う。
 それにしても妙な気遣いをしてしまうな。あまり音を立てないようにと、両足に装着したローラーブーツ型デバイスの車輪をそっと転がして、町の中を滑り進んでいった。
 ホカン部隊員捜索を続ける中、自らの勘が示す方角を最優先としてここまでやって来た。自分でも驚いているくらいだ。野生の勘というやつだろうか。それを信じて来てみれば、本当に魔力反応を感知してしまったのだから。
 確かシャーリーさんから送られてきた情報を見ると、ホカン部隊員のほとんどが空戦魔導師だ。もしここでホカン部隊員を見つけたとしても、捕まえることが出来るだろうか。あたしは飛行魔法を使えない。
「Worry?」(心配なのですか?)
 足元から聞こえたのは、ローラーブーツ型デバイス“マッハキャリバー”の声。
「うーん……飛ばれると厄介かなぁ」
「Are you dissatisfied with me?」(私がいるというのに?)
「うっ!」
 そうだった。あたしにはこの相棒がいる。相棒さえいれば、たとえ高度何百メートルの高さまで逃げられたって追えないわけがない。
 一瞬でも弱気になった自分を恥じながら、あたしはマッハキャリバーに「ごめん!」と謝ってから気を引き締めた。
 さあ、それではさっそく取り掛かろう。
 まだ目覚めを迎えていない町をぐるりと見渡し、神経を研ぎ澄まして魔力感知の感度を更に高める。
 あたしの呼吸に合わせるように、マッハキャリバーが前進を静かに止めた。あたしのもう一つの相棒、右手に装着したグローブ型デバイス“リボルバーナックル”も、その冷たい外装を鈍く光らせる。
 近い。相手も動きを止めているようだ。隠れているのだろうか。
 目を閉じて更に集中する。すると、聞こえてくるのは自分の心音だけとなった。
 それでもまだ足りない。肌に感じる魔力の反応はまだその場所を掴めないでいる。
 仕方がない、か。
「…………時空管理局から来たスバル・ナカジマです! ホカン部隊員の捜索、及び逮捕にきました! おとなしく投降してください!」
 こんな呼びかけで簡単に投降するくらいなら、もうとっくにしているだろう。そんなことは重々承知していた。
 これは相手の心を揺さぶるための言葉。気持ちの乱れは魔力の乱れにも繋がる。
 肌から伝わる相手の魔力に少しでも波を感じることが出来れば、隠れている場所を特定出来るかもしれない。そう考えたのだ。
 そして、佇むあたしから四時の方角。
 感じる。微妙に動揺を見せているあたし以外の誰かの魔力。
 目を見開き、すぐさま気配のした方角に視線を向ける。
 すると、民家と民家の間にある細い路地の中から、慌てて駆け出したような足音が聞こえた。土を踏みしめただけの音でも、こんなに静かだとよく聞こえる。
「追うよ、マッハキャリバー!」
「All right buddy!」
 足裏の車輪が地面を掴むように、掻き毟るように、削るように回転してあたしの体を滑らせる。
 体重を前に。速度はぐんぐん上がり、あっという間に細い路地の入り口へ辿り着いた。そのまま止まることなく突入をすると、前方の路地が途切れたところを左に曲がっていく人影が見えた。
 赤紫色のロングスカートがちらりと目に映り、すぐに消えていく。
 路地に置かれているゴミ箱や植木鉢の間を高速で進み、路地の出口を出てからすぐさま左へ。
 見つけた。メイド服のバリアジャケットに身を包んだ背の高い魔導師。左手に掴んでいるのは掃除機みたいな形をした変なデバイス。
「待てぇっ!」
 再びマッハキャリバーを走らせ、あたしは声を上げながら滑走した。申し訳ないけれど、町民達の睡眠を気遣ってなんていられない。
 足裏のローラーが火花を散らしながら回転し、速度を上げていく。
 追いつける。走って逃げられるわけがない。
「止まりなさい!」
 あと数メートル。マッハキャリバーなら一瞬で詰められる距離。
 あたしは腕を伸ばして前方を走る彼女の腕を捕らえようとした。
 その時。
「あっ!」
 長身の彼女は空へと飛び上がっていった。やっぱり飛行で逃げ切るつもりか。
 だが、こうなることは予想の範疇だ。あたしはすぐさま魔力を練り始め、右拳を足元の地面に突き立てるように振り下ろした。
「“ウィングロード”!」
 叫び声と共に、あたしの真下には水色の魔法陣が展開された。そしてすぐさま魔法陣から一本の帯が飛び出して伸びていく。
 それは魔法の帯。光の道。
 固有魔法ウィングロード。物理的干渉が可能な帯状魔法陣を空に走らせることで、あたしはこの道の上をマッハキャリバーで走ることが出来る。飛行魔法を持たないあたしの“翼”と言っても良い。
 どんどん伸びていく帯状魔法陣は、長身の彼女目掛けて真っ直ぐに成長していく。
「よし! 目的の場所まで、一直線なんだから!」
 再度マッハキャリバーが猛るように走り出し、あたしの体は地上からどんどん離れていった。
 またもや彼女との距離は縮まり始め、それに合わせてあたしは両手を広げて構えた。
 ふと、長身の彼女があたしの方をちらりと見た後、驚いたような表情で視線を動かさなくなった。
 当然だ。自慢の機動力とスピードであっという間にここまで接近してきたんだ。あたしの姿を見て驚かれなかったら、ちょっとがっかりしてしまう。
「捕まえぇ…………」
 右手を伸ばす。バリアジャケットの裾に、もう少しで指先が触れる。
「ったぁ!?」
 五指を開いたリボルバーナックルがドレスの裾に触れた瞬間、その右手が真横に弾かれた。
 その理由は当然ながら長身の彼女。彼女が掃除機型デバイスであたしの右手を薙ぎ払ったようだ。
 なるほど。抵抗の意志あり。
 そうとなれば、こちらも少々強引な手に出ざるを得ない。
 あたしはウィングロードを更に伸ばし、先行する彼女の真上に並走させた。
 すかさずあたしがその道を辿り、長身の彼女の真上に飛び出す。
 そして右手のリボルバーナックルにカートリッジを一発飲み込ませ、拳を握り締める。
 ちょっと痛いかもしれないけれど、この一発で地上に叩き落す。
「一撃必倒! リボルバアァァ……!」
 叫びながら拳を構えたその時、真下を飛ぶ彼女が妙な行動に出た。
 仰向けになるような体勢で飛行を続けたかと思うと、何故だか掃除機型デバイスのノズル先端をこちらに向けてきている。
「クリンリネス、“バキューム”」
 そして次の瞬間、あたしの翼であるウィングロードがどんどん掃除機型デバイスに吸い込まれ始めた。
「え!? うわ、うわ、うわっ!」
 翼が消えていく。あたしの走る道が無くなっていく。
 しかし、気が付いたときにはもう踏み留まるくらいの余裕も無いほど、道が掃除機に食い尽くされていた。
 慣性の法則に従って前進を続けていたあたしの体は、そのまま夜明け前の空に投げ出された。
 真っ逆さまの景色。見たこともない彼女の魔法にすっかり驚かされたあたしは、悲鳴を上げることすら忘れていた。
「Buddy!」
 しかし、間髪入れることなく届いたマッハキャリバーの声で我に返ったあたしは、すぐさま右拳を下方に向けた。
 手首部分にある二層歯車式魔力練成部(ナックルスピナー)が急速回転を始め、右拳の周囲に練成された魔力を纏わせる。
「リボルバーシュートッ!」
 そして突き出した拳は、衝撃波となった魔力を真下に向けて撃ち出した。あたし自身はシュートの瞬間に起こる反動で落下速度を落とすことに成功。
 そして轟音と共に風を押し退けていく衝撃波は、あたしが落下するであろう場所目掛けて一直線に先行していった。落下場所には民家の屋根があり、放たれた衝撃波はその屋根を大きく凹ませた。
 体勢を立て直しながら屋根の上に着地をすると、凹んでいた屋根が更に軋み音を立てて数センチ沈む。ふと、町のあちこちの民家に灯りが点いたのを確認することが出来た。ちょっと騒ぎ過ぎたかな。
「もう一回追うよ!」
 周囲の様子が気になりつつも、あたしは再びウィングロードを伸ばして空を駆けた。
 チャンスはそうそう無い。今度こそ落とさないと。
 次なる帯の道は優雅に空を泳ぐ鳥のように、狙いを定めて地を這う蛇のように、不規則な軌道で落書きをする筆のように。
 更にあたし自身の移動速度にも緩急をつけて、彼女の視点を慌しく動かしてみせた。
 するとほら、長身の彼女はあたしの狙い通り。目で追うことがだんだんと辛くなってきているようで、きょろきょろと挙動不審な動きを見せ始めた。
 そして訪れた好機。
 あたしは、今度こそ彼女を叩き落そうと飛び上がり、拳を引き絞ってから前に突き出した。
「シュウゥゥゥトォッ!」
 二発目のリボルバーシュート。今度の衝撃波は、確実に長身の彼女の体目掛けて降りかかるように突き進んでいく。
 しかし。
「いっ! また!」
 彼女が掃除機型デバイスをこちらに向けた。そしてあたしの右拳から放たれた衝撃波は、掃除機の中へと飲み込まれていく。
 これではさっきと同じ?
 いいや違う。二度も同じ手で失敗はしない。
 今度は、あたし自身が弾となってやる。
 リボルバーシュートを打ち終えたあたしは、そのまま体で大の字を作りながら再び落下を始めた。
 その落下先には、長身の彼女。
 いつの間にか自分の顔がにやりと微笑んでいた。びっくりしたような彼女の顔を見たら、してやったという気持ちが湧いてきたからだ。
「捕まえたぁっ!」



≪2・ジージョの気持ち≫

 突然のことですっかり驚いてしまった私は、降ってくる彼女を避けることが出来なかった。大の字に広がった人間が空から降ってくるなんて光景、今まで見た事がない。
 降ってくる彼女と私の体が重なりあい、それと同時に彼女の両手両足が絡まってくる。
 落ちている。ここは地上から数十メートルも離れた場所。
 すぐに体勢を立て直さないと。
 他人にしがみ付かれていても飛べないことはないけれど、何だかやりずらい。
 このままおとなしく地上に降りていったら、そこですぐに捕らえられてしまう。何とかしてこの管理局員を引き離す必要がある。
「…………くっ!」
「逃がさないよ!」
 この人、すごい力。
 締め付けられた体が少し息苦しい。両腕を開こうとしたけれど、びくともしない。こんなにも窮屈なこと、今まで感じたことはない。
 地面が迫っていた。止むを得ない、か。
 私は飛行魔法を発動しようとした。
 その時、私の魔法発動よりも早く、彼女の魔法が再び発動された。水色の魔力の帯が空を走り、それが地上へ通じるコースとなって伸びる。
 彼女が私の体を抱いたまま、そのコースを滑り降りていった。頬に受ける風と徐々に近づく地面の様子を見ていると、まるで飛行機が滑走路に降り立つような感覚を思い出す。ウィングロードとはよく言ったものだ。
 ウィングロード発動中? もしかしたら、上手くいくかも。
「クリンリネス、バキューム」
 手にしたままのクリンリネスに、魔力の道を飲み込ませ始めると、案の定彼女が慌て始めた。
「うわ! また!?」
 突然道が消えたことで慌てた彼女は、固く締め付けていた両腕の力を緩めた。
 チャンス。すぐに身を捩り、強引に彼女を振り払う。
「あっ!」
 すかさずクリンリネスのノズル先端を彼女に突きつけて、そして一言。
「“リバース”」
 ノズルから放たれる魔力砲撃。その魔力は、さっきから何度も吸い込んでいる彼女のもの。
 それを一気に放出すると、彼女は短い呻き声を上げながらも何とかシールドを張って防いでいた。
 私自身の魔力消耗はほとんど無いまま、クリンリネス内に蓄積された彼女の魔力を吐き出して攻撃を続ける。
 これで、終りにしたい。
 無関係な人と戦うのは、やっぱり気持ちが良いものではない。だって私は目の前の彼女を憎んでいるわけではないのだから。
「ぐぅ…………こ、これ以上抵抗をするのは止めなさい!」
 まだ諦めてないみたい。だったら“これ”。ちょっと痛くさせちゃうけれど。
 私は放っている砲撃を唐突に止めた。
「…………あれ? 止まった」
 シールドを解除して呆気に取られる彼女が私を見た。
 短髪のボーイッシュな顔立ち。短パンと丈の短い白ジャケットから覗かせている体を見るだけでも、とても健康的なのは分かる。だけど、その体が持つ身体能力は見た目以上だ。そして彼女のトレードマークでもあるかのような、額の白い鉢巻。それを靡かせる強かな佇まいは、私の脳裏に一人の女性を思い浮かばせた。
 高町なのは一等空尉。
 あの人に通じる何かを備えているような気がするのは、気のせいだろうか。
「“キャッチ”」
 私が唱えると、クリンリネスが魔法を発動した。
「ん? …………おわっ!」
 彼女の体が急に動き出す。それは、私のクリンリネスに吸い寄せられたから。
 クリンリネスのノズル先端と彼女の腹部が触れ合うと、私は彼女の手が届かない位置まで身を引きながら真っ直ぐに彼女を見た。
「どうなってんの、これ!? …………は、離れないっ!」
 クリンリネスの先端を腹部から引き離そうとする彼女。しかしこれは魔法だ。腕力だけではどうにもならないもの。
「…………ほしい」
 行かせてほしい。
「え?」
「私を……せてほしい…………」
 私を行かせてほしい。
「聞こえないよ! 声が小さい!」
 そう、彼女と争うなんて本当は嫌なんだ。
 私はただ、ミリー部隊長を信じていたいだけ。
 ミリー部隊長のいるところまで、プリズンを届けたいだけ。
 ノーラが死んでいく時、本当に悲しかった。怖かった。
 でもそれと同じくらいショックだったものを見た。
 それは、ミリー部隊長の祈る姿。彼女の、あんなにも弱い姿を見たことが私には衝撃的だったのだ。
 お屋敷で侍女をしていた頃、旦那様に勧められて管理局に入局した私は、大好きな旦那様と離れた生活が不安で仕方が無かった。
 それでもこうして今までやって来れたのは、ミリー部隊長がいたから。
 初めてホカン部隊舎にやって来た時。初めてブリーフィングルームに入った時。初めて業務に就いた時。
 私の初めての管理局員生活を支えてくれたのは彼女だ。
 無口でいつまでも静かな私に、退屈な様子を見せることも無く話しかけてくれた。たまに小さな声で言葉を返せば、嬉しそうにまた話してくれる。
 仕事が上手くいかず苛立ちを見せることもあったけれど、それでも私に対しては決して怒ったりしなかった。
 背も大きいし、掃除好きだという変な趣味の私を見ても、可愛いと言って頭を撫でて笑ってくれる。
 そんなあなたからの愛情は、どういうわけか初めてのものでは無い気がした。
「これ、この掃除機! 離して!」
 どうしてなのかは分からないけれど、あなたから感じる優しさとか手の温もりとかが、何だかとても懐かしかった。
 初めて会ったのは私が管理局入りした時。それは間違いない。そのはずなのに、もっと前から知っていたような気がする。
 自分の感じたこの気持ちは何だろうと考えた。何度も考えたことがある。
 旦那様は大好き。だけど、ミリー部隊長は旦那様とはまた違う大好き。
 そう、あの人がくれる優しさとか温もりは触れているだけで安心出来る。何時までも包まれていたいと思うような、どんなに怖くても悲しくても癒されるような。
 私は、あの人のことが大好きだ。
「くそ! 全然離れない! んぐっ! …………駄目、魔力も上がらない!」
 そんなミリー部隊長が泣いたんだ。そして祈ったんだ。
 ノーラが死んでいく時、ミリー部隊長が泣いたから私も悲しかった。ミリー部隊長が祈りながら震えていたから私も怖かった。
 そして思ったんだ。
 私は、この人にたくさんのものを貰ったし、たくさん助けてもらった。
 だから今度は私が。
 私がミリー部隊長から貰ったものは、そして助けてもらったことは、きっと一生をかけても返しきれなくて。
 それでも返したいと思うこの気持ちは、きっと。
「クリンリネス――――」
「え……?」
 もしかしたら私は、ミリー部隊長と。
「――――リバース」
 クリンリネスの先端には管理局員の彼女のお腹。
 そして、そこからの零距離砲撃。
 放たれた砲撃魔法の光に、彼女の体は完全に包まれていった。
 これで魔力ダメージによるノックダウンを狙う。私からのお願いは、“立ち上がらないで”。
 私を、ミリー部隊長のところへ行かせてほしい。



≪3・Striker≫

 聞こえない。彼女の声はとても小さくて、何を言っているのかは聞こえなかった。
 でも、聞こえた。彼女の目が、悲しそうな目が訴えていた。
 なのはさんの言葉を思い出す。
 絶対に止めてほしいって。
 いや、違う。そう言ったのではない。
 止めて“あげて”ほしいって、そう言ったんだ。
 言葉の意味が違う。伝えたかったことが違う。込められた想いが違う。
 なのはさんからの指示じゃない。なのはさんからの望みだ。単純な任務ではなくて、ホカン部を止めることでなのはさんが救われる。
 そして、ホカン部隊員達も救われる。そういう想いがなのはさんの表情から伝わってきた。
 私はなのはさんに憧れたから。なのはさんみたいになりたいと思ったから、今ここにいる。
 なのはさんの何に憧れたのか。それを今思い出せ。
 あたしと、一緒になのはさんの教導を受けたティア、エリオ、キャロの四人には、目指してきたものがある。
 困難な状況を打破出来る、どんな厳しい状況でも突破できる、そういう信頼を持たれる人になるということ。
 すなわち、“Striker(ストライカー)”になること。
「クリンリネス、もういいよ」
 砲撃が止まった。
 ふらつく。目の前は霞んでいるし、力が入らない。
 それでも、あたしは倒れない。
「…………倒れ、ない? うそ…………」
「聞こえないよ」
「通して…………」
「聞こえないって」
「ミリー部隊長のところに」
「もっと大きな声で言わないと……届かないよ!」
 そう、あたしはストライカー。
 なのはさんが願っている。ホカン部隊員達を止めたいと、ホカン部隊員達を助けたいと。
 どんなに困難な状況でも、願っている人がいる。
 どんなに厳しい状況でも、救われたい人がいる。
 だったら、ストライカーのやることは唯一つ。
「…………わ、私は…………」
「聞こえないよ!」
 その時、彼女が息を大きく吸い込んだ。
「私は! たとえ自分が間違っていても! こんなやり方しか方法が無くても! ミリー部隊長を助けたい!」
 夜明け前の空に響く声。家屋の中からこちらをじっと見ている町民達にも届くような声。
「助けたいっ! あの人のためだったら! 私は何だってやる!」
「なんだ、声出るじゃん」
 そして伝わった。
 彼女が動く理由は、ミリー三佐に協力する理由は、彼女がここまでしてでも進みたい理由は、大切な人のため。
 分かる、分かるよ。そうだよね。大切な人を助けるためなら、譲れないことだってあるよね。歯を食いしばってでも貫かなくちゃいけないことだってあるよね。
「あなたの全力全開、しっかりと受け取ったよ…………そして今、ようやく分かった」
 長身の彼女に話しかけた。
 それに対し、彼女は小声で「ソフィーみたい」と呟いた。けれどソフィーって人は知らない。だから話を続けた。
「あたしは、あなたのお願いを聞いてあげられない」
 それでも。
「それでも、あなたの想いがどれだけのものかは伝わった」
 伝わった。充分伝わった。
 だから、あなたの想いは引き継ぐよ。
「機動六課が引き継ぐよ、その気持ち」
 ミリー三佐を止めてみせる。なのはさんが望んだそれは、きっとあなた達の救いになる。
「助けるよ! どんなに困難だって、厳しくたって、きっとあなた達を助けるよ!」
 そう、助ける。
 だってあたしは、ストライカーだから。
 そして、私は力強く一歩を踏み出してからマッハキャリバーのローラーを回転させた。
 突き進む、どこまでも。どんなに壁が分厚くたって、役目を果たすまでは止まらない。
「おおおおおおおっ!」
 カートリッジロード。右拳のリボルバーナックルが蒸気を吐き出しながら、彼女へ一直線に進んでいく。
 しかし、彼女もすかさず掃除機を前に突き出し、あたしの魔力を吸収し始める。
 吸わせてたまるか。吸い込むにしたって絶対に限界はあるはず。だったら許容以上の魔力を纏えばいいだけの話だ。
 再度カートリッジロード。
「押し切れええぇぇぇっ!」
 突き出された拳はその威力を失うことなく直進した。
 それに対して彼女は、素早く飛び上がって回避する。
 逃がさない。瞬時に出現させたウィングロードが伸びる。
 だが、それすらも吸われる。
 いくら繰り返しても変わらない攻防。長身の彼女が持つデバイスは、魔力で対処するには厄介すぎる。
 それならば。
 マッハキャリバーの最高速度を引き出し、あたしは彼女の方へ向けて飛び出した。
「うらああぁぁぁ!」
 そして繰り出す横蹴り。デバイスと彼女の腕力では受けきれない非魔力攻撃を、彼女は紙一重のところで回避した。
 それでも止まらない。彼女と同時に地面へ着地すると同時、すぐさま繰り出した徒手空拳は、全てあたしの身体能力のみで行なっている。
 それを格闘術の心得も無い人が交わしきれるはずもなく、長身の彼女はシールドを展開するだけで精一杯になっていた。
 もらった。
 マッハキャリバーの機動力を駆使し、彼女を中心としてぐるぐると回りこみながら更に攻める。
 上段、中段、下段。百八十センチ以上はありそうな彼女の、スレンダーな体の各所をまんべんなく狙い打つ。
 しかし、これらはたった一発のための牽制攻撃に過ぎない。
 本命はこっち。
 彼女の反応が鈍くなった。今が好機。
 カートリッジロード。ここで狙う。
 叫び声と共に、魔力を纏った右拳を突き出した。
 しかし、次の瞬間。
「クリンリネス、“リサイクル”!」
 突然、掃除機のボディーから何かが排出された。
 その瞬間は何故だかはっきりと、そしてゆっくりと見えた。
 掃除機から排出されたのは弾薬(カートリッジ)。このデバイスはそんなことも出来るのか。
 そしてあたしの右拳。硬い外装を纏ったリボルバーナックルが、勢いよく飛び出していく。
 飛び出した拳と、排出されて舞い上がるカートリッジ。
 その二つが、空中で触れ合った瞬間。
「うわああぁぁっ!」
「…………うぐ!」
 強烈な破裂音。カートリッジの薬莢が破けた音と、その中に詰まっていた圧縮魔力の暴発。
 カートリッジのこんな使い方、初めて見た。
 体中に走る痛み。外傷とはならないものの、焼けるような感覚が全身を覆っていた。バリアジャケットが無かったら、きっと気を失っている。
 だが、それは彼女も同じのようだった。お互いに地面へ倒れこんでしまっている。
 それにしても厄介だ。あのデバイスは本当に戦いづらい。
「仕方ない。あんまり使いたくないけど」
 あたしはふらつきながらも立ち上がり、足元に光の模様を展開させた。
 彼女が不思議そうに見ている。
 当然だろう。足元で光るこの円形模様は、魔法陣ではない。
 先天固有技能(インヒューレントスキル)。魔力とは違う、別のエネルギーによって発動する力。体内に機械部品を融合させた体を持つ、『戦闘機人』と呼ばれるあたしならではの能力。
 魔力が通じないなら、こっち。
 リボルバーナックルがまた唸りを上げ、マッハキャリバーが後方の排気口から蒸気を噴く。
「あたしの能力、“振動破砕”……見せてあげる」
 右拳に集まるエネルギーが震える。
 この拳が当たれば、間違いなく一撃必殺。対物、対人を問わず、振動エネルギーが全てのものを打ち砕く。
 構えた。この一撃で、決着する。
「行けぇ!」
 そして飛び出した。
 高速で近づくあたしと右拳。
 長身の彼女が痛みを堪えながら掃除機を突き出してきた。だけど、魔力とは違うあたしのエネルギーは吸い込めない。拳の力は弱まらない。
 そして振るわれた拳。
 長身の彼女が発した悲鳴すらも打ち消し、爆発音にも近い衝突音を町中に響かせて、辺り一面に砂煙を巻き上げた。
 風が吹き、砂煙が徐々に晴れていくと、そこにはあたしと彼女の二人の姿。
 あたしの右拳は地面を抉り、そして地中深くに埋まっていた。
 対する彼女は、倒れたまま動かなかった。
 拳は当てていない。おそらく衝撃の大きさに驚いて気絶したんじゃないだろうか。
 右拳を引き抜き、そっと彼女に近づく。
「あたしの勝ち…………きっと助けるからね」
 そして長身の彼女を抱き上げると、あたしは通信回線を開いてシャーリーさんに連絡を入れた。

 To be continued.



[24714] 第四十話 プリズン、二つ目
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/04/17 01:57
≪1・真似技繚乱≫

「追い詰めたわよ! おとなしく投降しなさい!」
 冷たいコンクリートの床を踏みしめ、あたしは両手に握った二丁拳銃形デバイス“クロスミラージュ”のグリップを握り直した。
 周囲を見渡すと、夜明け前のひんやりとした空気が張り詰めるこの無音の空間に、少しずつだが明るさが生まれ始めていた。ただ、ここはミッドチルダの辺境にある建設中のアリーナ施設内ということもあり、写真の中に迷い込んでしまったかのような不動の静けさが辺りに満ちている。
「ここに逃げ込んだのは分かってるのよ! 出てきなさい!」
 再び叫んでも返事が無い。もう逃げられてしまったのだろうか。
 捜索中のホカン部隊員が飛行している姿を見つけたあたしは、誘導制御弾を操ってホカン部隊員を追い詰め、この建設中アリーナ内に追い込んだのだ。ようやっとのチャンスだ。何が何でもここで捕まえておかないと。
 ゆっくりとした足取りで一階の広いエントランスを進んでいく。片隅には建築資材や眠った重機が身を寄せ合うように並んでいるし、薄暗いところも多い。ここには隠れられるところがいっぱいある。絶対に見落としが無いようにと忙しなく首を動かさなくてはいけない。
 本当に追い詰めているのだろうか。もしかしたらもう別の出口から逃げられているのではないか。そんな不安が過ぎった。
 一呼吸おいて、少しだけ両腕を下げる。
 そして次の瞬間。
「そこだ!」
 瞬時に気を入れ直し、ごくごく僅かに感じ取った気配の方を向いた。
 そして素早く天井を仰いでクロスミラージュのトリガーを引き絞った。左右交互に吐き出されるオレンジ色の弾丸が、高い天井目掛けて無数に飛んでいく。
 その弾丸が狙い、追い続ける標的は、アリーナの出入り口へと向かいながら飛翔した。
 黒いコートタイプのバリアジャケットの上から羽織る白いマント。ガントレットを装着した左手には戦斧型のデバイスを持ち、ツインテールを靡かせるその姿。フェイトさんとそっくりだ。違いは彼女自身の体型と、若草色の魔力光。
「逃がさない!」
 射撃ポイントを変え、フェイトさんの偽者の進行を阻む。それと同時にあたしは足を動かし、偽者の方へと駆けていった。
 銃撃を左手だけにして、右手のクロスミラージュをダガーモードに切り替える。弾丸を避け続ける偽者までの距離はあと僅か。
 振りかざした右腕が、オレンジの魔力刃で半円を描く。
「ぐっ!」
 偽者の戦斧がその一撃を受け止めると、甲高い音が鳴り響いた。
 拮抗する両者のデバイスが震える。
 右手をそのままに、あたしは左手のクロスミラージュを素早く突きつけた。狙うは偽者の腹部。
 素早くトリガーを引くと、オレンジの弾丸が銃口から噴き出した。
 しかし、偽者は戦斧を外しながら身を捩ってそれを回避。アリーナの出入り口から離れていく。
 逃げるよりも回避を優先したのか。当然だろう。だが、そう簡単に逃がすつもりも無い。
「レプリィ! ザンバーフォームだ!」
 偽者の持つ戦斧が変形をして、大剣へと姿を変えた。若草色の巨大な刀身を振り回して、小柄な体躯の偽者が一度だけ大剣で円を描くと、それを肩に乗せて構え直した。
「あんた……またフェイトさんの真似を!」
「ボクはここで負けてなんていられないんだ! 何が何でも通るぞ!」
 そして飛び出してきた。
 大剣の一振りが思ったよりも速く、あたしが屈んで避けると頭上では空気を切る重たい音が通過していった。
 だが、大型武器が相手なら付け入る隙も大きいはず。その隙を狙ってあたしはクロスミラージュの銃口を向けることにする。
 大丈夫。偽者がいくらフェイトさんにそっくりな格好をしていても、彼女はフェイトさんじゃない。速さは、そして威力はフェイトさんと同等なわけがない。
 突きつけた銃口。しかし、弾丸を発射するよりも早く、偽者の体が宙を舞って新たな体勢から追撃を繰り出す。
 大丈夫。まだ避けられる。チャンスはまた来る。焦っちゃだめだ。
 再度回避してから再び標的捕捉。しかし、それすらも外されて更なる追撃を放たれる。
「こ、こいつ!」
 大丈夫? この偽者のこの動き、この手強さ、何でこんなにもフェイトさんにそっくりなんだ。機動六課時代に見たことのあるフェイトさんが目の前にいるみたいだ。
 反撃する余裕が無いまま、あたしは防御し続けた。
「レプリィ! モデル“グラーフアイゼン”!」
 偽者の体が一瞬光に包まれたかと思うと、今度は赤いゴシックロリータドレスを纏って鉄槌を構える姿となった。
「今度はヴィータ副隊長!?」
 偽者が左手の五指に四つの鉄球を挟み持ち、それを素早く鉄槌で打ち出してきた。
 連続で迫る鉄球。今いる場所から転がって避けると、コンクリートの壁や床を砕いて鉄球がめり込んでいく。
「ギガントフォルム!」
 回避したばかりのあたしに襲い掛かってくるのは、ハンマーヘッドの形状が頑強に、そして巨大になった鉄槌を振り翳す偽者の姿だった。
 回避。いや、間に合わない。
「うあっ!」
 クロスミラージュの展開するシールドが巨大鉄槌を受け止める。それでも大き過ぎる衝撃が周囲のコンクリートにヒビを走らせた。
「ツェアシュテールングスフォルム!」
 一旦振り上げられた鉄槌は、その大きさをそのままに、ハンマーヘッド部分にドリル構造を備えて再び振り下ろされた。
 そこまで真似ることが出来るのか。
 もう一度シールドで受け止めるものの、回転する巨大ドリルの一点集中攻撃をいつまでも耐え続けることは出来そうにも無い。シールドが貫かれたら終りだ。
「ぐぅ…………! あんた、他人の真似ばっかりして!」
「うるさい! ボクは絶対にミリー部隊長のところまで行くんだ! 邪魔するな!」
「あんた達、ミリー三佐がどれだけ危険なものを持っているか分かってるの!? 全次元世界の危機なのに!」
「それでも止まれない! 止まりたくないんだ! あの人の力になってやりたい! 誰からも必要とされないボクを受け入れてくれたあの人のために――――」
 偽者がカートリッジロード。
 まずい。押し切られる。
「――――力になりたいんだ!」
 シールドが砕ける直前に、あたしも慌ててクロスミラージュにカートリッジをロードさせた。そしてシールドが形を失う瞬間、ドリルの先端に向けた銃口から大型の弾丸を撃ち放つ。それがドリルの落下軌道を僅かにずらし、紙一重で直撃を免れた。
 あたしの横を掠めて床に突き刺さったドリルの衝撃の余波が、あたしの体を吹き飛ばした。
 硬い壁に叩きつけられて、痛みと息苦しさがあたしを苦しめる。
 思わず零れる呻き声。目の前には床に刺さる巨大な鉄槌を握り締めたまま佇む偽者の姿。
 その姿に、あたしは少しだけ見覚えがあった。
「あ……あんた」
 ふらつきながらも壁を支えにして立ち上がると、偽者の目があたしに向けられる。
「ボクは…………行かなくちゃいけないんだ」
 行かなくちゃいけない? それは一体何のために?
 何だろう、この感じ。何だか少しだけ懐かしいような。
「あんた、何で人の真似ばっかりしてるのよ?」
「…………何だっていいだろ」
「誰からも必要とされないって…………何よ、それ?」
「…………うるさい」
 近い。彼女に感じた親近感は、もしかしたらあたし自身なのかも知れない。
 何でそう思ったのか。はっきりとは分からないけれど、偽者の目が少し前の自分に似ている気がした。
 自分自身に追い詰められているような。自分自身を無理矢理変えようとしているような。
 そう、自分を受け入れられないでいる。そんな目をしている。
「もしかして、今の自分が嫌いなんでしょう?」
「違う」
「だから他人になることで、嫌いな自分を覆い隠しているんでしょう?」
「違うってば!」
 似ている。あたしと偽者は全然違うようで、その本質はどこか似ている。
 機動六課にいた頃、あたしはスバルやエリオ、キャロ達の豊かな才能に比べて自分はあまりにも力不足だと感じ、何が何でも強くなりたいと思った時期がある。
 なのはさんの教導に不信感を抱き、置いてけぼりを食らっているような自分自身に焦り、周囲からの言葉も聞き入れないくらいに意地を張った。
 あたしは自分が嫌いだった。いつまでも弱い自分を何とか変えたいと思っていた。才能溢れる機動六課のメンバーの中で、何の取り得も無い自分自身なんか要らないのだと思っていた。
 似ている。偽者が自分を嫌っている姿は、自分を必要の無い存在だと思っている姿は、少し前のあたしに似ている。 
 嫌いな自分を表に出したくない。必要とされない自分が怖い。周りを羨んでばかりで自分自身と向き合えない。
「でも、そんなんじゃ駄目なんだって、あんた知ってる?」
「…………何だよ?」
「自分で自分のことを必要無いなんて言ったら、それこそ本当に駄目なんだって知ってるの?」
 もう痛みは治まっていた。呼吸も整い始めた。
 だから、大きな声を出していた。
「あたしはあんたみたいな奴は大っ嫌い! 昔のあたしを見ているようで、すごくイライラする!」
「な……! 何だよそれ! それって、人の事言えた義理じゃないってことだろ!」
「自分自身を必要無いだなんて、自分を大事に出来ないなんて、ありのままの自分を信じられないなんて…………それじゃあ自分を必要としてくれている人の気持ちは? 自分を大事に想ってくれている人の気持ちは? 自分を信じてくれている人の気持ちはどうなるの!?」
「うるさい! だから自分を嫌いであっても、大切な人のために力を尽くそうとしているんじゃないか!」
「自分を否定し続けたまま!? 自分を否定している奴が周りをどんなに大切にしたって、周りが本当に喜んでくれるわけないでしょ!?」
 そうだ。現にあたしは、空回りする自分自身が周囲に不安を与えていたことを、心配させていたことを知った。
 周囲が信じてくれている“あたし”を、自分自身が信じてあげないから、いつまで経っても嫌いな自分が纏わりついて離れなかった。
 嫌いな自分だって自分自身。嫌いな自分はとても寂しがり屋だから、手を取って一緒に踏み出してあげないといつまでだって追いかけてくるんだ。
 それを偽者にも知ってほしい。
「偽者!」
「にせも…………コノヤロウ!」
「どうせ否定出来ないでしょう! …………かかってきなさいよ! 自分を信じられないままじゃ思い通りに行かないってことを、教えてあげるから! このウソツキ! 偽者! モノマネ女!」
「黙れぇっ! …………レプリィ! モデル“ストラーダ”! ぶっ潰してやる!」
 偽者の姿がエリオとそっくりになる。槍がカートリッジをロードして、猛々しい魔力の噴出を推進力として突進してきた。
 あたしとの距離を一瞬で詰めてきた偽者の一突き。しかし、そう簡単にやられるあたしじゃない。
 コンマ数秒という僅かな時間の中での攻防。充分に引き付けたところで身を翻して偽者の直線攻撃をやり過ごすと、すぐさまクロスミラージュからの反撃を放った。
 急ブレーキと同時にシールドを展開した偽者は、その目に憎しみの光を宿していた。
「レプリィ! モデル“レバンティン”!」
 今度はシグナムさん。変身を終えるのと同時にその長剣を鞭状に変形させ、その刃をあたしに向けて伸ばしてきた。
 だめだ、回避が間に合わない。すぐさまシールドで防御。
 一発目。シールド越しの衝撃が思いのほか大きい。
 二発目。強大な圧力があたしの体を僅かに後退させる。
 三発目。刃を元の長剣に戻して、急接近と共に炎を纏わせた一振りで押し込んできた。
 そしてすかさず。
「モデル“クロスミラージュ”!」
 あたしに変身? 
「シュートバレット!」
 シールド越しに押し付けられた偽者の二丁拳銃の銃口から、若草色の圧縮魔力弾が連続で叩き込まれた。
 砕けるシールドと、直撃する弾丸。口から零れ落ちるのは、涎と呻きと。
「ぐっ…………痛くない!」
 そして闘志。
「モデル“マッハキャリバー”!」
 今度はスバルに変身?
「リボルバアァァァシュウウトォッ!」
 これなら避けられる。だってその技は、あたしの一番の友達のもの。あたしはスバルのその技を、誰よりも知っているんだから。
 あたしの予想通りの動きで打ち込んできたリボルバーシュートを交わし、すぐさまあたしはクロスミラージュを偽者に突きつけた。
 トリガーを引く。オレンジの弾丸が、今度こそ偽者の体に吸い寄せられるように飛んだ。
 苦しそうな声と共に吹き飛んだ偽者は、しかし、それでもまだ戦意に満ちていた。
「モデル“デュランダル”!」
 杖? あのデバイスは知らない。でも、格好はクロノ提督にそっくりだ。
「エターナルコフィン!」
「なっ!」
 偽者の言葉が終わった瞬間、デュランダルから放たれた魔力がエントランス内を絶対零度の世界に作り変えた。吐く息は白く、二本の足が膝下まで氷に覆われて動けない。
「凍結魔法!?」
「モデル“マスタースペード”!」
 これも知らない人への変身。こいつ、一体どれだけの他人の姿になれるんだろう。
「単砲“天龍”、発射用意! 撃てぇっ!」
 身動きの取れないあたしに向けられた杖から放たれる光の柱。
 まずい。これは射撃・砲撃タイプを得意とする魔導師の必勝パターン。
 若草色の光があたしを飲み込む。シールドを張る暇すらなかった。
「ああああああああ――――!」
 数秒間の苦痛。ダメージは甚大だった。
「トドメだ! モデル“レイジングハート・エクセリオン”!」
 まだくるの?
「ディバイン…………バスタアァァァァッ!」
 もう、倒れてしまいたい。偽者の放つ収束砲撃魔法がすぐそこまで来ている。
 でも、負けられない。
 今更弱音なんて吐けない。
 あたしは、こいつに教えてやろうって決めたんだから。
 あたしと同じ失敗から引きずり出してやるって、決めたんだから。
「いい加減にしなさいよおぉぉぉ!」
 渾身のシールドが偽者のディバインバスターを拡散させて、その余波が足元の氷を砕いた。
 ここからが始まりじゃないだろうか。
 そろそろ偽者も気付くだろう。
「あんた…………いい加減にしなさいっつーの」



≪2・マルコの気持ち≫

 何でまだ立っていられるんだろう。
 これだけの猛攻を受けながら、あの女はまだ立ち続けている。
 そんなに、ボクをこの先に進ませたくないのか。それとも。
「分かったでしょう? 自分をいつまでも偽っているようじゃ、ちゃんと自分自身と向き合えないようじゃ、あんたはいつまで経っても進めない」
「な、何だよ…………何なんだよ!? オマエなんかボロボロじゃないか! あんなに攻撃を受けて、ダメージもデカイじゃないか!」
「でも、あたしはまだ負けてない…………まだ立ってる」
 その通りだ。コイツは、まだボクの前に立ち塞がっている。
「そしてあんたは、まだ進めてないでしょう」
「すぐに進んでやるよ! ミリー部隊長のところまですぐに」
「進んでないじゃない! あんたはまだ自分自身と向き合えないで、そこからちっとも進んでないじゃない!」
 歯を食いしばった。
 怒っているのか、ボクは。
 違う。悔しくて仕方が無いんだ。
 だって、アイツの言う通りだから。
 自分と向き合えないだって? いけないことか? そんなに自分を拒絶するのはいけないことなのか?
 だって、誰もがボクの才能を欲するばかりで、ボク自身を見てくれないじゃないか。特別保護施設にいたって、誰もがボクの将来に勝手な期待を抱いてばかりで、ボク自身の声を聞こうともしなかったじゃないか。したくもない研究者の勉強をさせられるのが嫌で仕方が無かったのに。
 才能に恵まれた自分が鬱陶しくて、ボクはずっと嫌いなボクを遠ざけてきた。弱虫と言われたって構わない。とにかく嫌いな自分から逃げたかったんだ。
 いつの間にか、小さい頃から夢中になって観てきたテレビの中の変身ヒーローみたいに、正体を隠して誰もが憧れる強い人になれることを夢見てきた。
 そしてシャーリーとの出会いで救われた。彼女はボクに道を示してくれた。レプリカストロという相棒が、ボクの夢を叶えてくれたんだ。
 そして何よりも、ホカン部にやって来たことが幸せだった。
 ホカン部はボクの才能なんかを求めなかったし、それどころか、ミリー部隊長はボク自身を必要としてくれた。今まで出会った人達の誰よりも、ボクとの出会いに幸福を感じてくれたんだ。
 “才能に満ちたボク”なんか要らない。そんなもの、一生隠してしまえばいい。
 それなのに。
「何でボクは進めないんだよ! 何でオマエは倒れないんだよ!」
「あんた…………」
 何でだろう。これだけやってもボクはまだ進めないのか。
 何が必要だと言うんだ。ボクがこの先に進むためには、一体何が足りないというんだ。
「何で進めないかなんて、簡単なことよ」
「何!?」
「あんたが嫌っている“自分”っていうのはね、すごく寂しがり屋なの。あんたが離れようとすればするほど、強い力であんたを引き止める」
「何でそんなことするんだ!?」
「分からないの!? べつに進むなって引き止めているわけじゃないの! 寂しがってるんだよ!」
「……え?」 
「連れて行ってほしいからに決まってるでしょう! あんたが一緒になって踏み出してあげなくちゃいけないの! 手を取って引っ張ってあげれば、一緒になって進んでくれるんだよ!」
 悔しい。何だかとても腹が立つ。
 だって、だんだんアイツの言う通りのような気がしてきたからだ。
 ミリー部隊長は本当にボクとの出会いに幸せを感じてくれた。それは間違いないと思う。
 でも、本当にそう感じてくれたのなら、一体どんなボクとの出会いに幸せを感じてくれたんだろう?
 “才能に満ちたボク”を嫌いなボク? 自分自身と向き合えないボク? 弱さを変身で隠し続けてきたボク?
 違う。正解はそれらをひっくるめた全て、“マルクル・コープレス”との出会いに対してだ。
 そんなことは普段のミリー部隊長を見ていれば分かったはずだ。
 それなのにボクは。
 ボクの全てを必要としてくれた、ボクの全てを大事に想ってくれた、ボクの全てを信頼してくれた、そんなミリー部隊長。
 それなのにボクは、彼女が大切にしてくれたボク自身を嫌っていたんだ。
「くそっ!」
 悔しい。なんでこんなことに、もっと早く。
「くそぉっ!」
 なんでもっと早く気がつけなかったんだろう。
「くそっ! くそっ! くそぉっ!」
「…………悔しいんでしょう? 今更なんで気が付いたんだろうって」
「うるさい!」
「…………やり直せるわよ。今からだって遅くない」
 そうなのかな。
「踏み出してきなさいよ。生憎とあんたを通すつもりは無いけれど、ここまで世話焼いてやったあたしに勝って、一歩を踏み出してやるっていう気概くらいは見せてみなさいよ!」
 そうなのかも知れない。
 だったら、言う通りにしてやるよ。
「ボクだって……違う! …………アタ……“アタシ”だって! アタシだって自分と一緒に進むことくらい出来るんだから!」
 そう言ってアタシはバリアジャケットを解除した。
「何してるの?」
 そして局員の制服姿のまま、スタンバイモードのレプリカストロを手の平に乗せて、唱えるように言った。
「レプリィ、もう真似事は止めだ…………って、もしかして待たせてたかい?」
「Yes. Be tired of waiting」(やっと分かったかよ。待ちくたびれたぜ)
「ごめん。じゃあとっとと見せ付けてやろうか」
「All right baby!」
「…………レプリカストロ、メタモルフォーシス。モデル“オリジナル”」
 オリジナルモデル。それは、誰のモノマネでもないアタシだけの姿。
 体のラインを浮き上がらせる黒いスーツで全身を包み、両手両足には身体の機能性を損なうことのない外骨格サポーターを装備。腰部、胸部、肩部にもメタリックグリーンの防護外装を装着。そして頭部の八割ほどを覆うのは、流線型のヘッドギア。口元だけを露出したそのヘッドギアの中から、目の前に佇む女を睨みつける。
 アタシだけの、アタシのための、アタシ自身のヒーロー。
「ダサッ! あんた……子供じゃないんだから」
「別にいいだろう? アタシの趣味だし」
 変身を終えたアタシは、一呼吸置いてから駆け出した。
 咄嗟の突進に反応を示した彼女は、すぐさま二丁拳銃の銃口を向けてくる。
 しかし、彼女の視線と姿勢から攻撃ポイントを読み取ることが出来たので、アタシはその弾丸を難なく回避した。
 アタシがどうして様々なモノマネをこなせるのか。それを考えてみれば、この姿の怖さだって分かるはずだ。デバイスによって機能も戦術もまるっきり変わるというのに、それら全てを本物同様に操ることが出来るのは、アタシ自身の身体能力や適応能力があってこそ。それを考慮すれば、今のアタシの戦闘スタイルだって分かるはず。
「くっ! こいつ!」
 そう、アタシはどんな局面にも対応できる程の能力を持っているんだ。
 それをフルに使うとするならば、道具を使って動きを型に嵌めるなんてことはしない。自由度の高さが魅力となる戦闘スタイルは当然“これ”。
「徒手空拳による近接戦闘!?」
 繰り出した拳と蹴りが、彼女の四肢を叩いて鉛に変える。末端から狙って動きを鈍らせるのは定石。
 次なる狙いは意識を刈り取れる攻撃ポイント。
 腰から発する力をつま先まで伝える。鞭のように柔軟にしなる右足が、弧を描いて彼女の頭部を揺らした。バリアジャケットを装備しているんだし、骨までは傷つかないだろう。
 ヒーローに憧れたアタシが、初めてレプリィに組み込んだこのオリジナルモデル。でも、このモデルは完全にアタシだけのもの。アタシ自身であるこの姿は、やっぱり身に付けるには抵抗があった。
 誰かの真似じゃない。デザインや機能性の計算など、あらゆる面においてアタシ自身が表れているこのモデルは、アタシの全てを注ぎ込んだもの。
 いつか、もし、万が一、自分が誰かの真似に頼ることが無くなった時のことを考えて用意していた。
 それでも、内心では決して使うことが無いだろうと思っていた。
 だけど、今のアタシなら自信を持って変身出来る。
 この姿に、アタシという存在全てに自信を持つことが出来る。
「雄雄雄雄雄雄雄雄雄――――!」
 辛うじて踏ん張った彼女へ、鋭い後ろ蹴りを直撃させた。
 まだだ。
 飛んでいく彼女の体を追いかけ、服を掴んで引き止めた。そして引き絞った拳を、真っ直ぐに突き出す。
 それでも彼女は瞬時にシールドを展開。まだ彼女も終わっていないということか。
 しかし、そのシールドは悲鳴を上げながらいとも簡単に砕け散り、アタシの拳は彼女を更に吹き飛ばした。
 壁に叩きつけられる彼女。人型の跡を残して、壁から床に転がり落ちる。
「ちく……しょう!」
 まだ動くのか。すごいな。
「これで決めよう。レプリカストロ、魔力チャージ」
 アタシの両手が大量の魔力に包まれて、指先さえも見えなくなるくらいに輝き出す。
 そして両手を向き合わせるようにしたまま脇腹の辺りに構え、発射準備を整える。
 見せてやる。
 これがアタシの、必殺技。
「喰らえ……発射(ファイア)ッ!」
 叫び声と共に両手の平を正面に突き出すと、そこから若草色の集束砲撃魔法が放たれた。両足をしっかりと地に着け、衝撃を全身で受け止める。
 巻き上がる砂煙。どうだ、間違いなく直撃だった。
 勝った。これでアタシは、進むことが出来る。
 あの人のところに行くことが出来る。
「ミリー部隊長!」
 そう言ってアリーナの出入り口に振り向こうとした時、信じられないものを見た。
 砲撃魔法が直撃した砂煙の中から、二丁拳銃の彼女が五人、十人、二十人。いや、三十人近く飛び出してきた。
「馬鹿なっ!?」
 飛び込んでくる彼女達を一人一人迎え打つと、その手応えの無さに違和感を覚えた。それどころか、攻撃が当たった彼女が次々と消えていく。
 これは、幻術魔法?
「…………“フェイク・シルエット”か!」
 ということは、この二十人以上の彼女の中の誰かが本物。
 こんな器用なことをする奴なんて今時いないぞ。
 アタシは手当たり次第に幻影の彼女を消していった。頭を蹴飛ばしても、腹を殴りつけても、まるで煙とじゃれている様でしかない。
「くそ! 何処だ!?」
 早く本人を見つけないと。うっかり背中を見せて撃たれたりしたら、彼女の思い通りじゃないか。
「出て来い! くそぉぉ!」
 アタシは再び両手に魔力を溜めて、砲撃魔法を放った。目に見える彼女全てを払い除けるように、光の柱を動かしながら。
 あと十人。まだ本人は見つからない。
 あと七人。だんだん絞り込めてきた。
 あと五人。追い詰めてやる。
 あと三人。ここまで来たらアタシの方が速い。
「これでラストだぁ!」
 最後に残った一人。すなわち、あれこそが彼女本人。
 間違いない。
 残っている全魔力を注ぎ込むくらいの勢いで、アタシは照準を彼女に向けてその姿を撃ち抜いた。
 どれぐらいそうしていたのかは分からないけれど、これでもかと言うぐらいに砲撃を撃ち続け、息も切れ、腕を上げていることすらもきつく感じた頃に、ようやく砲撃を止めた。
「どうだ…………これで……アタシの、勝…………」
 しかし、そこには信じられない光景があった。
 彼女の姿が無い。
「何で!?」
「魔力はほとんど残ってないみたいね」
 背後からの声。
 嘘だ。そんな馬鹿な。
 振り返ると、そこにはエントランスに並ぶ建築資材と重機の隙間に身を潜めたまま、二丁拳銃をこちらに向けている彼女の姿があった。
「何でだ!? いなかったはずだ!」
「姿を消してたの。“オプティックハイド”って知ってる?」
 知っている。それも幻術魔法だ。
 だけど、さっきのフェイク・シルエットだって高位幻術魔法だ。それと併用するなんて。
「…………器用過ぎる!」
「ありがとう」
 彼女の持つクロスミラージュの銃口が、オレンジ色の魔力光を溜め込んでいくのが分かった。
 まずい。もうアタシには魔力がほとんど無い。
「コ、コノヤロウ!」
「じゃあいくわよ! ファントム――――」
 防ぎきれない。シールドを展開してみたけれど、弱々しさが明らかに感じられる。
 悔しい。
「――――ブレイザアァァァァッ!」
 そうしてアタシはオレンジの光の中に飲み込まれていった。



≪3・敗者≫

 倒れ伏しているホカン部隊員の側まで歩み寄ったあたしは、その場に座り込んでしまった。
「あたしの勝ち…………でも、本当やばかった」
 たぶん、あたしはもうこれ以上は戦えない。彼女が気を失っているからあたしが勝った。それだけの僅差だ。
 本音を言えばこのまま眠ってしまいたいくらいの疲労感があるけれど、当然ながらそういうわけにもいかない。
 ぐったりとした仕草で通信回線を開くと、あたしはシャーリーさんに連絡した。
「ティアナです……こちらの任務は一区切りつきました」
『了解……って、マルコ!? ねえティアナ! その子、マルコは無事なの!?』
 どうやら知り合いみたいだ。ということは、シャーリーさんの友達だというホカン部隊員は彼女だったのか。
「まあ、無事だと思いますよ」
『思うって、そんな!』
 あたしが勝ったのに彼女の方が気掛かりだなんて、ちょっと切ない気がした。
 その時、突然右手首を誰かに掴まれて、あたしは悲鳴を上げそうになった。
 すぐに手首を掴んだ主を確認すると、そこにはぐったりと突っ伏したままのマルコが、頭を上げられないまま、それでもひたすらに言葉を吐いていた。
「まだだ…………アタシは…………アタシは…………進むんだから!」
 その言葉を聞いて、彼女の無事を知ったシャーリーさんが胸を撫で下ろす。
 そしてあたしは、悔しかった。
 たぶんお互いのダメージはほぼ同じ。ただ、あたしの方が意識があったから勝ち名乗りを上げただけ。
 だけど、彼女は目覚めてしまった。そして、今だに闘志を滾らせている。
 あたしと彼女は似ていた。似ていたからこそ、最後の最後であたし以上の気持ちを見せ付けられたことが悔しい。
 あたしの右手首を掴む彼女の手からは、どこから出しているのかも分からないほどの力強さが感じられる。
 本当に、悔しい。
『…………ティアナ? ちょっとティアナ!? どうしたの!? どこかケガでもしたの!?』
「何ですか急に! ケガなんてしてませんよ!」
『だってあなた…………泣いてるの?』
 左手で一度だけ顔を拭ってから、鼻を詰まらせた声であたしは言った。
「ホカン部隊員の内一名を逮捕しました…………」
『…………ティアナ?』
「逮捕はしましたけど…………勝負には負けました」
 彼女の、新しい一歩を踏む音が聞こえた気がした。

 To be continued.



[24714] 第四十一話 プリズン、三つ目
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/03/23 00:59
≪1・ウィンディーヌの気持ち≫

 空を見上げてみた。少し前までは真っ黒だったはずの空が、いつの間にか陽光に侵食され始めている。
 なんだかミリーが目指してきた夜空が否定されているようで、あまり良いものには見えない。
 この森に入ってどれだけの時間が経っただろうか。転移魔法のおかげで、おそらくあたしとブラントがミリーのもとに一番近づいているはず。まだ到着していない理由としては、転移した直後はすぐに動くことはせず、しばらく様子を見ていたからだ。
「ブラント、平気? 疲れてない?」
「へーき。ウィンディーヌは?」
「あたしはあんたの肩に座ってるだけだもの。全然大丈夫よ。もう少しで着くから頑張ってね」
「うん」
 ブラントは森の中を休むことなく歩き続けた。
 ブラントやマルコ、そしてジージョとソフィーには、ミリーとあたしの秘密をまだ明かしていない。
 あの子達はあたしとミリーの秘密を、そして自分達の過去を知ったらショックを受けるのかな。
 たぶん受けるだろうな。もしかしたら嫌われてしまうかもしれない。
 それなのに、何だかあたしの胸の中にはモヤモヤとしたものがずっとある。それはたぶん、もうこの子達を巻き込みたくないという気持ち。
 この展開は、本当に正しいのだろうか。ノーラが死んでしまったことは確かにとても悔やまれることだし、ミリーの気持ちはよく分かる。あたしだってもの凄く悲しい。そしてそれはたぶん、子供達も同じように感じてくれているはず。
 だが、だからと言って子供達の選択は、そしてミリーの行動は、本当に正しいんだろうか。
 ミリーを裏切るつもりなんて無い。あいつとの付き合いはとても長いし、ミリーの気持ちを一番理解しているのはあたしだから、それを思えば裏切ろうなんていう考えは浮かんでこない。
 それでも、あたしやミリーが心の底から大切にしてきたこの子達が、こんなにも辛い立場にいることがとても心苦しかった。
 本当は言ってあげたほうがいいのかも知れない。「あなた達は犯罪者になることなんて無いんだ。安全に、平和に過ごしてくれればそれでいいんだ」と、そう言ってあげなくちゃいけないのかも知れない。
 子供達は本当に良い子ばかりだ。記憶を失っている子供達に再会したあたしとミリーは、その変わらぬ姿に心底喜んだものだ。だから、まさかこの子達が、ノーラを失って暴走じみた行為に走るミリーに同情してこのような選択をしたんだとは思わない。きっと、ちゃんと考えた上でミリーに付いて来てくれたんだと思う。
 そう思っているくせに、あたしは何故か子供達を止めたい。そう思ってしまっている。
 あたしはミリーの努力を潰すのか。ミリーの願いを邪魔するのか。
 そんなことが出来るのか。
 否、出来るわけが無い。
 あたしはミリーにだって幸せになってほしいんだ。
 やっぱりあたしの方が間違っている。
 これでいいんだ。皆で一緒になる、この選択こそが正しいんだ。
「ウィンディーヌ」
「ん? 何?」
 ブラントの声によって我に帰ったあたしは、やっと異変に気がついた。
 森が少しだけ開けた場所にあたし達は出ようとしている。
 そしてそこから、何か大きな力を感じるのだ。
 それは魔力。それと、威圧感。
「誰かいる」
「気をつけて」
 あたし達が広場に足を踏み入れると、そこには一人の魔導師が佇んでいた。
 黒いコートタイプのバリアジャケット。そして背中には風に靡く白いマント。重厚なガントレットを左手に、そして戦斧型デバイスを右手に握る姿。何より特徴的なのは、明るさが広がりつつある空の下で映える鮮やかな金髪のツインテール。
 知っている、その姿。
「はぁ…………厄介なのが来たもんだね」
「僕達を待ち伏せていたの? 先回り出来るなんておかしいよ」
 知っている、その女。
 機動六課のライトニング隊隊長を務めた執務官。
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。
「あたし達に追いつくなんて、随分と速いのね」
「サイオン部隊長に対して行なった捜査の結果、ミリー三佐が潜伏していると思われるエクレール開発現場の場所を知りました。そして、おそらくあなた達がそこに向かっていることも予想できます。あとは、スピードが私の自慢ですから」
「へぇー」
 こいつ、たぶん計画のことを知っている。サイオンから知り得た情報ということは、おそらくコードキーの話もばれている。つまり、子供達をミリーのところに揃えさせないつもりか。
 ふと、マルコ、ジージョ、ソフィーのことが心配になった。あの子達ももしかしたら管理局に追い詰められていたりするのだろうか。
 だが、こいつ等はきっとまだ気がついていない、あのコードキーの“真意”に。
「あなた達をミリー三佐のところに行かせるわけにはいかない。おとなしく投降してくれませんか?」
「そんな要求、あたし達が呑めるとでも思ってるの?」
「呑んでもらえないのなら、実力行使しかありません」
 そう言うと、彼女は戦斧を鎌に変形させてそれを構えた。金色の魔力光による刃がやたらと眩しい。
「ウィンディーヌ」
「分かってる」
 あたしは体をブラントの中に沈めてユニゾンを完了させた。
 ブラントの足元に青色の魔法陣が展開し、そこから水飛沫が上がり始める。ブラントは右手にポリビウスを握り、更にジェームスクックを出現させて飛び乗った。
 勝てるかな。相手は高町一尉と同等のオーバーSランク魔導師。いくらユニゾンして能力を上昇させていると言っても、力量の差を感じざるを得ない。
「ウィンディーヌ」
 ブラントが再びあたしを呼んだ。
 何? こんな時に。
「だいじょーぶだよ。僕、強いから」
『あんたね……相手見てから言えっつーの』
 と言い返してはみるものの、ブラントを信じられない理由などない。
 やってみよう。どっちみち今のあたし達は進むしか道が無い。
『っしゃぁー! かましてやりなさい! “ネット”!』
「応っ!」
 魔法陣から水が勢いよく噴き出し、それが網目状の複雑な水路を築いていく。それはまるで迷路のような水の道。
 しかし、森の中に広がる広大な迷宮水路を前にしても、フェイト執務官は動揺を見せなかった。
 ジェームスクックが水路に乗り、滑走を始めた。無数にある分岐点を無作為に進んでいき、敵の視認を撹乱するように動く。
 そしてポリビウスのカートリッジロード。銛型デバイスの柄から蒸気が排出され、それと同時にブラントの魔力が高まる。
 そして両手で握ったポリビウスを振りかぶり、接近した彼女の頭上目掛けて思いっきり振り下ろした。
 しかし、それが直撃することは無く、そればかりかフェイト執務官の姿も消えていた。
 眼球が可動する限りの範囲を見回してもその姿が確認出来ない。ブラントがすぐにその場から回避行動を取る。
 そしてすぐに後方を見やれば、ブラントのいた位置に鎌を振り下ろしているフェイト執務官の姿があった。
『なるほど、速さ自慢ってのは間違いないみたい』
「うん。あのお姉さん、すごい速い」
 再度ブラントが水路を走ると、彼女も飛行魔法を駆使して移動を開始した。フェイト執務官が飛び回る下方には、あたしの築いた迷宮水路がある。
 忘れてるのかしら? その水路はあたしの魔法によって生み出されたものだってことを。
 フェイト執務官の飛行コースを予測し、彼女の体に狙いを定めて水路から枝を伸ばした。細い、しかし鋭い水の枝が、フェイト執務官の体を突き上げようと下から飛び出していく。
 ターン、減速、加速、旋回を駆使して、フェイト執務官がそれらを避けていく。それが何時まで続くのかはちょっとした見物だ。
 更に激しく攻め続けると、彼女が鎌状デバイスに魔力を込め始めた。
「バルディッシュ! ザンバーフォーム!」
「Yes, sir」
 鎌状だったデバイスが大剣に変形し、彼女はそれを振るって周囲の水路を蹴散らした。
『ちくしょう!』
 まだだ。ちょっと防がれたからって止まるわけにはいかない。
 ブラントが急接近していき、ポリビウスによる一撃を放った。
 フェイト執務官はそれを防ぎ、無駄の無い体捌きで反撃を繰り出す。大型武器を振り回していながらも隙を見せない攻防が上手い。
 ジェームスクックの機動力とブラントの戦闘センスはいつも通り冴えていた。更に言えば、あたしとブラントのユニゾンの相性は抜群で、お互いの能力はまさに両者のためにあるようなもの。はっきり言って、ブラントとあたしの力が合わさればそんじょそこらの優秀な魔導師なんて目じゃない。
 そのはずだった。
『こいつ!』
 何だ、この女。
 先を読む目が、急所を狙う的確性が、攻撃を繰り出す速度が、確実にダメージを与える力加減が、そして何より怯みも揺らぎも迷いも無い闘志が、あたし達よりも優っている。
 そしてすまし顔。そんなにあたし達の相手をするのはつまらないか。
『ブラントッ!』
 あたしは太い水柱を天に向けて伸ばした。
 ブラントがその流れに乗って、水柱の外周に沿って螺旋を描きながら上空へと舞い上がる。
「逃がさない」
 フェイト執務官も飛び上がった。
 高速で上昇してくるフェイト執務官。その姿を見て、ブラントが笑った。
「もらった!」
 ジェームスクックを蹴り、急激な方向転換をして落下するブラント。振り被ったポリビウスが、フェイト執務官に向かって唸りを上げる。
 金色のシールド。そしてフェイト執務官の額には冷や汗。
 防がれたか。だけど、次油断したら今度こそは。
 そのまま落下するブラントは、Uターンをしてきたジェームスクックに拾われて再び地上に降りていく。
「くっ! 待ちなさい!」
 またもや追ってくる。それならば今度はコレ。
『“キューブ”!』
 地面に沿って走っていた網目状の水路が、今度は立方体の集合形態に姿を変えていく。まるでルービックキューブを思わせる形状となり、水路はより一層複雑化した。
「え!?」
『追いついてみなさいよ!』
 ジェームスクックの進行が立体的になり、フェイト執務官を更に撹乱する。
 これならばさすがに何も出来ないだろう。
 すると、フェイト執務官の様子が変わった。そして空にも異変が。
「ウィンディーヌ…………空が、黒い」
 雷雲? まさか気象操作魔法?
 フェイト執務官が高々と叫んだ。
「“サンダーフォール”!」
『ブラント! 水から離れて!』
 次の瞬間、辺り一帯に無数の落雷が起こった。太陽の光と錯覚しそうな天駆ける稲光が、築き上げられた水路の城を撃って伝い走る。
 あたしの警告は間に合うわけが無い。光の走る速さは、たとえ水中と言う抵抗の中であっても人の反射神経を凌駕する。
 “迷宮水路”は“巨大雷城”に早変わりして、ジェームスクックを激しく痛めつけた。
『ブラントォ!』
 機能を停止したジェームスクックは落下するしかなく、それに乗っていたブラントも森の中へと落ちていった。



≪2・フェイトの気持ち≫
 
 少しやり過ぎたかも知れない。
 私は、森の中に落ちていく少年の姿を目で追いながら驚いてしまった。
 すぐに急速下降していき、少年の体に手を伸ばす。
 間に合って。バリアジャケットを着けているからと言っても、この高さでは無事じゃ済まない。
 その時、少年の体から一体のユニゾンデバイスが飛び出して、少年の落下場所に大きな水溜りを作った。いや、水溜りなんてものじゃない。あれはまさに“池”と言ってもよい。
 少年の体がその池に着水し、高いところまで水飛沫を立ち上げる。
 即席のプールをクッション代わりにしたのか。少しだけほっとした。
 しかし、その安堵もすぐに消え去った。
「…………あんた」
 池が消えた後、地面に横たわる少年を庇うように、小さなユニゾンデバイスが私を睨みつけていた。
 飢えた狼のような、突き刺さる視線。
「ブラントに…………」
 火をつけてしまったみたいだ。
 仕方が無い。私がやり過ぎたんだから。
「ブラントに……何してんだぁぁあっ!」
 その瞬間、私を狙い迫ってくる水柱が五本。どれもが尋常じゃないほどの突進力だ。
 それを全て避けると、水柱は龍のようにその身をくねらせて再び襲ってきた。しかし、どれもが避けられないものではない。速度はあるけれど、私には到底及ばないほどだし、興奮状態の彼女の水柱操作は強引で、先が読みやすい。
 でも、油断は出来なかった。それは何故かと言うと、とても一生懸命な彼女の姿を見たから。
 きっと、ミリー三佐のもとに行こうという意志がとても強いんだろう。彼女の、彼女達の固い決意が乗り移ったその攻撃は、絶対に半端な気持ちでは相手に出来ないものだった。
 どうしてそこまで一生懸命になるのか。
 いや、そんなの決まっている。はやてから話を聞いたじゃないか。
 彼女達にとって、この行動はとても大切なものだから。
 ミリー三佐は彼女達にとってとても大切な存在であり、彼女達の行動は大切な人への想いの表れであり、彼女達の想いは全次元世界の存在なんかよりもずっと重いから。
 そんな彼女達を止めなくちゃいけない私は、酷い女かもしれない。
 大切な人への強くて熱い想いは、時に人を盲目にする。それは私だってよく知っているのに。
 私にだって誰よりも大好きだった人がいた。たとえその人が間違っていても、その人がどんなに酷いことをしても、その人が私のことを大切に思っていなくても、私はその人のためだったら何だって出来た。尽くしたいと思っていた。
 そう、そうなんだよ。
 分かる、分かるよ。
 そういうものなんだよ。
「家族って…………そういうものだよね」
「え?」
 水柱が止まり、彼女も動きを止めた。
「分かるんだ、私にも。あなた達がミリー三佐を信じる気持ちも、彼女のもとに行こうとする強い意志も、その大きさがどれくらいのものなのかも、よく分かるよ」
「な、何言ってるのよ…………?」
「こんなことを言ったら六課の皆には怒られるかも知れないけれど…………」
 一度だけ言葉を紡ぐことを躊躇った。だって私は執務官だし、仕事上こういうのは良くないって解っている。
 でも、そういうものを無視したくなるくらい、彼女達に伝えたいことがある。
「本音を言えば、私はあなた達の気持ちを尊重したい。大切な人のために何かをしたいっていうその願い……叶えてあげたい」
 言葉は返ってこなかった。
 それでも、私は続けた。
「私は執務官なのに、管理局員なのに…………あなた達の気持ちと、次元世界の救済を秤に掛けることが出来ないよ」
 そう、私には彼女達の気持ちが分かり過ぎるんだ。
 彼女達が家族であるミリー三佐のために行動するように、十年前の私は、母のために何でもした時期がある。
 母が間違っていても、母が私に酷い仕打ちをしても、母が面と向かって私のことを拒絶しても。
 それでも、私は母が好きだった。いつまでも一緒にいたかった。
 今となっては母に二度と会うことは叶わない。母は私という存在を否定し続けたまま、自分の願いと共に虚数空間という暗くて底の無い闇に落ちていってしまったから。
 それでも、私は自分の名前に母の面影(テスタロッサ)を残してまで、母を傍に感じていたいと思った。
 それぐらい、私は家族への想いを大切にしたいと考えている。
「…………何も出来ない」
 いつの間にか私は大剣を降ろして構えを解いていた。
 ここに来るまではホカン部の逮捕をすることに強い使命感を持っていたくせに、彼女達の必死な姿を見たせいで私は駄目になっていた。
「ちょ、ちょっと…………」
「私は、あなた達を捕らえられない」
 動けなかった。そこから一歩も踏み出せなくなった。執務官失格だ。
 私は、彼女達のことを止められない。
 しばらくの沈黙。
 この静かな時間が今の私には少しだけ心地良かった。胸の中で、私は今でもはっきりと覚えている母の笑顔を浮かべていたからだ。
 すると、彼女達にしてみれば絶好のチャンスであるはずなのに、彼女も固まっていた。
「…………ウィン、ディーヌ?」
 その時、少年が目を覚ました。



≪3・ブラントの気持ち≫
 
「ブラント!」
 ブラントが目を覚ました。隙だらけになると解っていても、あたしはフェイト執務官から視線を外してブラントに飛びついた。
 膝を震わせながらも立ち上がったブラントは、なおもポリビウスを構え直した。
「ウィンディーヌ、もう一回ユニゾンしよう。今度こそ負けないから」
「ブラント、あのね…………あのね!」
 何も出来ないと、捕らえられないとあの人は言った。
 止めないの? あたし達がミリーのところに行ったら、次元世界の危機なんじゃないの?
 捕らえないの? あたし達を逮捕して、エクレールの驚異から人々を守るんじゃないの?
 そう思った時、あたしは自分の矛盾に気が付いた。
 止められたいの? 捕まりたいの? 
 あたしはミリーを裏切れないから、他力本願になっていた。
 止めてほしい。ミリーのやろうとしていることを止めてほしい。
 捕まえてほしい。子供達にこれ以上苦しい思いをさせたくない。
「ウィンディーヌ! 早く!」
「…………ブラント、もういいよ。もういいんだよ」
 泣いていた。いつも気丈なあたしだと思っていたのに、こんな簡単に泣くなんて思いもしなかった。
「ブラント……もういいよ。諦めよう」
「…………どうして?」
 その声は優しかった。あたしを叱ることもせず、子供みたいにワガママを言うこともせず、とても優しい声で尋ねてきた。
「どうして諦めるの?」
「ミリーのやろうとしていることは、間違っている。エクレールなんか使ったって、欲しいものは手に入らない。あたし達が笑い合える世界なんて作れないんだよ」
「笑いあう? ミリーは世界平和のためだって」
「同じだよ、何も手に入らない。破壊や暴力で手に入るものなんて無いんだよ…………それをミリーやあたし達に教えてくれたのは、ブラント、マルコ、ジージョ、ソフィー、ノーラ、あんた達なんだ」
 そうだ。この子達に出会わなかったら、ミリーはこの時代にも来なかった。きっと大昔のベルカ時代で、失くしてしまった大切な人達の下で、ずっと寂しいまま、ずっと悲しいまま、ずっと戦い続けていただろう。
 ミリーは子供達と出会ったことで幸せを掴んだんだ。
 それなのに、今のミリーはあの頃に戻ってしまっている。掴んだ幸せを零してしまいそうになりながら、寂しくて悲しい戦いをまた始めようとしている。
 止めなくちゃいけないんだ。ずっとミリーの側にいたあたしは、誰よりも早く、真っ先に彼女を止めてあげなくちゃいけなかったんだ。
 涙が止まらない。
「…………今まで黙ってたけどさ…………あんた達のお母さんはミリーなんだよ」
 その一言だけじゃきっとブラントには伝わらないだろうけれど、今はこれだけの言葉を紡ぐことが精一杯だった。
 ごめん。
「知ってるよ」
「…………え?」
 その言葉は、あっさりと吐き出された。
「何となく気が付いてたよ」
「な、何で?」
「えーだって、たぶんそんな感じかなーって気がしてたから」
 何それ? どういうこと?
「僕が寮母さんと一緒に初めてホカン部へ行った時から、ウィンディーヌはずっと僕の世話をしてくれていたでしょう? 最初は僕、ウィンディーヌみたいな人がお母さんなんだなって思ったんだ。寮母さんはお婆さんだったからお母さんとは違う気がしたし。でも、昔それをウィンディーヌに言ったらすごい怒ってたじゃん。覚えてる?」
 そうだっただろうか。よく思い出せない。
 ただ、それが本当だったら間違いなくあたしは怒ったと思う。
 だってこの子達の母親はミリーだから。あたしが母親を名乗るわけにはいかないから。
「本当のお母さんについては何も言わなかったから、納得出来なかった僕は訊いたんだよ。“じゃあウィンディーヌは何なの?”って。そしたら困っているウィンディーヌの横でミリーが、“お前をとても大切に想ってくれる人、妻みたいなものだ”って言ったんだ」
「あ」
 思い出した。
 そうだ。ミリーがそう言ったんだ。
 その時のミリーには、たぶんレイジーが脳裏を過ぎったんだと思う。レイジーはとにかく愛妻家だったし、ミリーだって負けないくらいの気持ちを彼に抱いていたから。
「ミリーが、ウィンディーヌは僕の奥さんだって言ったんだよ。でもそしたら、ミリーがどうして僕を大切にしてくれるのかが分からなくなって…………だからミリーがお母さんなのかなって思ったんだ」
 嘘をついてきたのに。ずっと、ずっとずっとあたしとミリーは子供達を騙してきたのに。
 それでも、この子はちゃんと想っていてくれたんだ。
 だから、ただずっと一緒に過ごしてきたからという理由じゃなくて、ちゃんとあたしとミリーを想った上で、こうして付いて来てくれたんだ。
 もう何も見えなかった。水の精霊だと名乗っておきながら、涙に溺れているようじゃかっこ悪い。
 でも、それでも何も出来なかった。
 この子達を、そしてミリーの幸せを願いたい。
 願いたいよ。
「…………できない。あたしにはもう…………できないよ」
 もう、ミリーのもとへ行こうとすることが出来ない。
「どうして? ケガしたの?」
 首を振ることしか出来ない。それしか出来ない。
「じゃあウィンディーヌは休んでてね。僕が全力で頑張るから」
 止めたい。ブラント、もうやめようよ。
「だって男は僕一人だし。奥さんを守るのは……家族を守るのは旦那さんの役目だもんね!」
 拳を固く握り締め、座り込んだあたしは自分の膝を叩いた。何も出来ない歯痒さを何処にもぶつけられなくて、駄々っ子のように振舞うしか出来なかった。
 その時、立ち尽くすフェイト執務官から念話が届いた。
 ――――あなたが頼んで――――
 それは、あたし達を救う一筋の光。
 ――――止めたいのなら、あなたが私にお願いして――――
 それは、あたし達に伸べられた一つの手。
 ――――私一人ではきっとまだ迷って動けない。でも…………――――
 それは、あたし達が迷い込んだ暗闇を引き裂く、雷(いかづち)の閃光。
 ――――…………二人でなら――――
「うん…………うん! うんっ!」
 そして叫んだ。喉が破けるくらいの大声で。
「止めてえぇぇぇっ!」



≪4・電光石火≫

 少年が飛び出してきた。そして、彼女の望みが耳に届いた。
 その時、蝋に固められてしまったかのようだった私の体が、反射的に動き出した。
 そして叫んだ。彼女と私、二人の気持ちを言葉に乗せて。
「バルディッシュ!」
「Get set!」
「オーバードライブ! 真・ソニックフォーム!」
「Sonic Drive!」
 私のバリアジャケットが変化していく。
 白いマントが消え去り、全身を黒いレオタード一枚が覆う。そして二本の足にもニーソックスを通すのみという軽装備。
 防御力を犠牲にして高速移動を重視した、高機動型バリアジャケット。
 これが私の、全力全開。
「ライオット・ザンバー!」
 構えた大剣が変形し、二本の剣へと姿を変えた。
 少年は覚悟を決めている。
 全てを知らされていなくても彼女を信頼し、彼女を守ろうとしている。
 そんな強い気持ちを迎え撃つというのなら、私に出来ることはただ一つ。
 彼が本気で来るのなら、私も全力で迎えよう。
 彼が銛型デバイスによる連撃を繰り出してきた。打ち、突き、廻し、私の体を目掛けて猛威を振るう。
 速い。お世辞ではなく、本当にそう思った。
 魔力に頼った攻撃ではなく、柔軟性と瞬発力と判断力を存分に駆使して繰り出すその動きは、まさに舞踊。
 リズミカルに地を蹴るその足捌き。そのステップから聞こえる音は何故だか心地良い。
 足だけじゃない。彼自身も力を殺すでもなく、振り回されるでもなく、その流れに乗るような。そう、それはまるで戦いの序盤で見せた彼の波乗り。
 そして銛型デバイスはもはや武器ではなく、少年の身体の一部としてそこに存在し、自在に動いて見せた。
 速さでは私の方が格段に上。それなのに、彼はとても速かった。
 速度って、こんなにもたくさんのものが合わさって生み出されるんだ。
 彼の周りで攻撃を避け続ける私は、思わず反撃を忘れてしまう程少年の動きに魅了されていた。
 だけど、いつまでもこうしてはいられない。
 反撃を開始する。
「お!?」
 私を追う彼に遅れが見え始めた。
 ここぞとばかりに打ち込んでいく私。しかし、まだ辛うじて少年の防御が間に合っている。
 凄い。本当に凄い。
 だったら、もっと速く。
「まだ上がった!」
 砂煙が巻き起こって視界を狭めていく。地面を踏み込んだ時に砂煙が発生するよりも早く、私が次なる一歩二歩を踏んでしまうからだ。
 まるでカメラの連続フラッシュのように、彼の動きがコマ送りに見え始めた。
 風を追い越し、気配を撒き散らし、音を忘れるくらいまで速くなった時、ようやく少年が完全に私を見失った。
 一撃目。つまずいたように前のめりになる少年。
 三撃目。倒れるよりも先に正面からの追撃を喰らって体勢が逆に崩れる。
 五撃目。彼が防御を捨ててデバイスを振り回した。 
 弾いた。冷静さを欠いた彼が力任せに振るったデバイスを弾くのは、それほど難しいことではない。
 それでもまだ立ち続けるか。
 私は、震える両手で剣の柄をしっかりと持ち直してから再度攻撃を繰り出した。
 それでも諦めない彼の胸には、きっと守りたいものがたくさんあるんだろう。
 それを私は打ち、もう一度打ち、更に打ち。
 自然と涙が流れていた。こんなに苦しい攻撃、今までに味わったことなど無かった。
「ごめん!」
 トドメとするべく、本気で打ち込んだ一撃。
 直撃と同時に私は足を止め、晴れない砂煙を見つめた。
 その中から聞こえる、人が倒れる音。
「ブラント!」
 小さな彼女が駆け寄ってきて、そして倒れ伏す少年の胸に顔を埋めて泣いている。 
 私も近寄ると、彼女が小刻みに震えながら言った。
「…………おねがい」
「何?」
「ミリーを…………止めて」
 私は膝をついて、気を失った少年と小さな彼女を一緒に抱き締めた。
 私に出来ることはまだある。
 彼女の願いを叶えてあげることが出来る。
 そう自分に言い聞かせて、私は頷いた。

 To be continued.



[24714] 第四十二話 去り行くあなた
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/03/24 17:36
≪1・別れ≫

 右手の中にある真っ黒な立方体を握り締めて、とうとうここまでやって来た。
 朝焼けの下に広がる森の中。生い茂る木々に守られるように、隠されるようにして、それはあった。
 マスタースペードが示す座標をもう一度確認し、確証を得る。
「この先に、ミリー部隊長がいる」
 足元に広がるのは、設置型の簡易転移装置が作り出す魔法陣。白い円形のそれがゆっくりと回りながら、口を開いて待っていた。
 この魔法陣を潜っていけば、そこにはミリー部隊長が私達の到着を待っているはず。
 他の皆はもうやって来ているのだろうか。
 足が震えた。そしてプリズンを握る右手も震えている。
 ミリー部隊長は言っていた。私達に託された四つのプリズンの内、一つだけにエクレールが入っている、と。そしてそのエクレールを使って、死したノーラちゃんに捧げる鎮魂歌(レクイエム)を奏でるのだと。
 もし私の持っているプリズンが、彼女の言うエクレールが入っているものだとしたら。
 先に待ち構える展開を覚悟する意味も込めて、唾を飲んだ。
 私はミリー部隊長の過去を全て知った。だからこそ確信が持てる。はっきりと言える。
 ミリー部隊長は、このエクレールを使って全次元世界に恐怖を植え付け、傲慢による虚偽の平和を作り上げようとしている。他者を脅かし、抑制して、そうして作り上げた平和を、自分の望んだものであると錯覚している。
 でも、私はそれが彼女の望んだものではないことを知っている。
 彼女が望んだものは、自分の大切な人達と笑い合うことが出来る世界のはずだ。ただそれだけのこと、たったそれだけのことなんだ。
 今のミリー部隊長は、錯覚と願望が混ざり合って区別がつかなくなっているんだ。
 助けなくちゃ。彼女が求めたもののためにも。
「よし!」
 気合いを声にして、私は魔法陣の上に立った。
 光り出す魔法陣と、つま先から湧き上がる転移魔法独特の感覚に包まれていく。
 目を閉じた。
 そして次に目を開くその時は、全てが上手く時なんだと願った。私とミリー部隊長とホカン部の皆で笑い合いながら、起こしてしまった大騒ぎを謝らなくちゃいけないと言って帰るんだ。ミリー部隊長は始末書に悩まさることだろう。
 そう、いつものホカン部らしく。あの頃のホカン部らしく。
 そうなることを願って、目を閉じた。
 やがて転移魔法が発動を終了して、私は固い床の上に佇んでいることを知った。
 暗い。足元が分かるだけの最低限の照明がぽつぽつと並ぶ廊下にやって来た私は、そのまま薄暗い廊下を歩き始めた。
 何だか不安が胸の中に広がっていく。この暗さがミリー部隊長の心へと通じているようで怖くなり、悲しくなった。
 響く足音を引き連れて進んでいくと、突き当りには扉が一枚。その前に立つと、スライド式の自動ドアが開いた。
 奥もやはり暗くて、それでも様々な計測機器や用途不明の道具等が並び、散乱していることが分かった。
 一歩だけ中に踏み入ると、背後で自動ドアが閉まる音が聞こえた。すると暗い部屋がより一層暗さを増した。そのせいで分かりづらくなってしまったが、私の数メートル前には鉄柵がずらりと並んで境界線を作っており、その向こうには無限書庫の広さを髣髴とさせるような広大な空間があることに気が付いた。
 柵の向こうには何が?
 そう思って柵に近づこうとした時、
「ソフィー?」
 声が聞こえて私は肩を跳ねさせた。
 しかし、すぐに声の方を振り向いて呟いた。
「ミリー部隊長?」
 その言葉が終わるのと同時に、薄暗さの中から二本の腕が伸びてきて、私のことをきつく抱きしめた。
「ああ、ソフィー! 来てくれた! 来てくれたんだ! ありがとう!」
 その人がミリー部隊長であることを再確認した。顔はよく見えなかったけれど、本当に嬉しそうな顔をしているのだろうということは分かった。
 私との再会を喜び、言葉を発し続けるミリー部隊長。
 そんな彼女と抱擁を交わす途中で、私は訊いた。
「あの、ミリー部隊長……他の皆は?」
 それでも嬉しさを溢れさせる彼女は、腕の力を更に強めながら言った。
「まだ来ていないんだ。お前が一番乗りだ」
「…………そう、なんですか」
 予感がした。他の皆は、もしかしたら管理局に。
 だが、それはそれで良かったと思える。何故ならそれは、私がここまでやって来た目的にとっても好都合だから。
 言わなくちゃ。ミリー部隊長を止めなくちゃ。皆がいたら言い難かっただろうけれど、私と彼女の二人きりなら、思い切って言えるはず。
 ミリー部隊長を助けなくちゃ。
「あの! ミリー部隊長!」
「きっとあいつ等もすぐに来る。もう少し待とう。そして揃ったらすぐにでも始めよう! 世界の改変を!」
「聞いてください! ミリー部隊長!」
 未だに離れないミリー部隊長の体を強引に押し剥がし、表情を意識的に険しくして言った。
「もうやめましょう! こんなこと!」
「…………やめるって?」
「もうこんなこと止めましょう。エクレールを使ったって、私達が笑い合える世界なんて作れません。お願いです……気が付いてください、ミリー部隊長」
 しばらくの間嬉しそうな表情が崩せずにいたミリー部隊長は、しかし、徐々に顔から笑みを消して、私に言った。
「何故だ……ソフィー、どうしてなんだ?」
 ショックを隠せていないその顔が痛々しくて、私は思わず目を逸らしたくなった。
 でも、今は目を逸らすわけにはいかない。
「ミリー部隊長、あなたの私達に対する愛情はちゃんと分かってます。伝わってます。だから、私達はきっとまた一緒に笑い合えます! だからこんなこと止めましょう。こんなことをしたって…………ミリー部隊長が昔に戻ってしまうだけじゃないですか!」
「ソフィー?」
「今ならまだ間に合います! 戻ってきてください! ミリー部隊長!」
 ミリー部隊長は言葉を返さなかった。じっとしたまま動かず、まるで石像のように立ち尽くしていた。
 しかしそれも長くは続かず、彼女は穏やかに微笑んだ。
「ミリー部隊長?」
「そうか……ソフィー、それがお前の選んだ道か」
 ミリー部隊長が私から離れていき、壁まで歩み寄った。
「ミリー部隊長ごめんなさい。でも、私はやっぱり」
「謝ることはない。お前が選んだ道だって、私はもちろん尊重したい。そう言っただろう?」
 そう言って彼女は、壁にあったスイッチを入れた。
 その瞬間、室内が一気に真っ白い光で満ち溢れ、私は思わず額に手を翳して目を細めた。
 やがて、徐々に明るさにも慣れ、私は手をどけた。
 しかし、広がる視界の中に映った“あるもの”の出現に、今度は私が石像になった。
「…………こ、これ…………次元航行艦?」
 私の側で並んでいた鉄柵の向こう側。広がっていた大きな空間の中に、それはあった。
 角の無い長方形を中心に置き、両サイドにはブースターを備えたロングアームが取り付けられた巨大な体躯。そしてその各所には砲門が確認出来る。司令室及び操舵室らしきものは艦船上部に突き出ており、船全体は禍々しくさえもある漆黒に染まっていた。
 そして何よりも目を引いたのが、艦首部分に取り付けられた一際大きな砲台だった。こんな艦船武装を、私は知らない。
 ただ、ミリー部隊長が何をしようとしているのかを思い出して考えてみれば、自ずとその兵器の正体が想像出来た。
「まさか…………エクレール?」
 これが次元世界を引き裂く古代の雷? そう思った瞬間、艦船の色が世界を覆い尽くしてしまう雷雲に見えたのだ。
「次元空間航行艦船“カトリーヌ”…………私の船だ」
「あ、あれは何ですか!? エクレール!? だって、エクレールは私達が持っているプリズンのどれかに」
 そう、私達に預けられたプリズンのどれか一つにエクレールが入っているはずだ。
 では、この艦船に載せられたものは一体何だというのだろうか。既にエクレールがここにあるということは、ミリー部隊長の判断一つで今すぐにでも全次元世界が危険に晒されてしまうということになるじゃないか。
「…………四つの内どれかにエクレールがあるってのはな…………あれは嘘だ」
「ええっ!?」
「エクレールが入ったプリズンを見つけてからすぐに、こっちに移しておいたんだ。このことは、計画に参加していた局員にも教えてないんだよ」
 何故そんな嘘を?
「何で!?」
「計画の参加者に教えなかったのは、連中が“エクレールという脅威を管理下におきたい”とかワガママを言い出したから、黙らせるためにだよ。でもお前達に言わなかったのは、プリズンを、私達の再会の約束を証明するものとするためだ。発破を掛けたようなもんさ」
 そんなことのために、彼女は機動三課の隊舎を半壊させてまでプリズンを奪ったというのか。
 右手の中にあるプリズンを、私はまだ握り締めていた。
「どっちみちプリズンにはエクレールが入っていることになっていた。だからプリズンは、嘘を信じているサイオン共には渡せない代物だったのさ」
「でも! それじゃあエクレールは!」
 既にここにある。それどころか、まさか完成もしている?
 まずい。事態は一気に最悪な方向へ動き兼ねない。
 いや、まだだ。まだエクレールは撃てない。
 エクレール発射のためには、私達に組み込まれたコードキーが必要になるはずだ。それを考えれば、結局のところミリー部隊長は私達と行動を共にしなかった時点で失敗している。
 そう、まだ間に合う。
「エクレールは既に完成しているなんて……どうだ、驚いたか?」
「でも! まだコードキーが揃っていない!」
 そう言うと、ミリー部隊長は目を大きくさせて「何処で知ったんだ?」と訊いてきた。
 しかし、私からの返事を待つこともせずに、すぐにまた微笑んで言った。
「あんなのも嘘だよ、嘘」
「…………ええ?」
 希望が砕かれた気がした。
「大事なお前達にコードキーなんて埋め込むわけないだろう? あんなの、スプリングス夫妻やルミオン達を繋いでおくためのデタラメ話さ」
「と言うことは?」
 と言うことは、つまり。
「エクレールは、もういつでも撃てる」
 愕然とした私は、口を開け放したまま呆けていた。
 そんな私を尻目に、ミリー部隊長は艦船の方へと歩き出し、鉄柵の一部に設けられた扉を開いて柵の向こう側へと渡った。
 何をしているのだろう。嫌な予感がした。
「ミリー……部隊長?」
「タイムリミットだ…………お前が一番乗りした時点でそうかもなとは思った。それに、たとえ一人でも一緒に来てくれないとなったら、結局私の願いは叶わない」
 そう言った彼女は、慣れた足取りで艦船の出入り口へと近づいた。
「たぶん、あいつ等だってもう来ないんだろうな」
「ミリー部隊長!」
「いいんだ。あいつ等がここに来る途中で心変わりを起こしたのかも知れないし、管理局員に捕らえられたのかも知れない。いずれにせよ――――」
 駄目だ。彼女を行かせたら駄目だ。
 今彼女を飛び立たせたら、彼女は間違いなく私の手が届かないところに行ってしまう。
 そんなのは嫌だった。
「――――私はもう引き返せない」
「待って!」
「お前達を恨むつもりもない。それに、私に騙されていたということなら、管理局に捕らえられたって罪は軽減されるだろう」
 そんなのは嫌だ。
 ミリー部隊長が、私達の側からいなくなってしまう。
 そんなのは。
「やだ、絶対にやだ…………」
「最後にお前だけでも顔が見れて良かったよ、ソフィー。来てくれてありがとう」
「やだ……やだ! ミリー部隊長! 行っちゃやだぁっ!」
「いつか、また会いたいな」
 そしてミリー部隊長の姿が消え、艦船が凄まじい駆動音を響かせた。
 その音にかき消されてしまった私の声は、いつまで経ってもミリー部隊長には届かない。しかし、そのことにも気付かないまま、私は大声で叫んでいた。



≪2・出動≫

「なのはちゃん、間もなく到着やで」
 私やはやてちゃん達を迎えに来たヘリには、ホカン部捜索に加わらなかったシャマルさんが乗っていた。だからヘリで運ばれている間はずっとシャマルさんが私の体のケアをしてくれている。ただ、無茶をしてしまったことでこっぴどく叱られているけれど。
 どれぐらいの時間をヘリに揺られてきたことだろうか。気を引き締めた表情で言うはやてちゃんの目が、私の視線と重なる。
 サイオン部隊長に対する思考捜査で知り得た、エクレールの開発場所。そこがまさに今、私達の目の前に迫っていた。
「急いで! お願い!」
 操縦席に向かってそう叫ぶと、パイロットの青年がこちらを振り向きながら呆れ顔を浮かべていた。
「八神隊長、なのはさんがあんなこと言ってますけど…………」
「ヴァイス君、余所見はあかんで。前を見て安全運転や」
「ええ? なのはさんを騒がせたのは八神隊長じゃないっすか」
 黒髪の短髪頭を掻きながら、ヴァイス君は渋々視線を前に戻した。六課時代からお世話になっている凄腕のヘリパイロットである彼が操縦ミスをするとは考えられないけれど、はやてちゃんの言葉には反論出来ないようだ。
「はやてちゃん! 急がないと!」
「もちろん急いどるよ。でも、回復の時間だってなるべくたくさん欲しい。だから急いで安全運転や。な、ヴァイス君!」
「へへ……もちろんですよ」
 そう言うヴァイス君からは、ため息が一つ聞こえた。
 はやてちゃんは私に落ち着けと言いたいのだろうけれど、はっきり言って落ち着いていられるわけがない。
 先程シャーリーからはやてちゃんに連絡が入ったのだ。その内容は、スバルがジージョを、ティアナがマルコを、フェイトちゃんがブラントとウィンディーヌを逮捕したというものだった。
 しかし、ソフィーはまだ捜索中だと言う。つまり、エクレールの開発場所に行けばソフィーに会えるんだ。
 これが急がずにいられるものか。
「なのはちゃん! 回復魔法中はじっとしてて!」
 シャマルさんに怒られた。どうやら気持ちばかりが焦って体が忙しなくバタついていたようだ。
 そこへ、ヘリに同乗していたノイズ曹長が言ってきた。
「高町一尉、あの…………お願いしますね! きっとホカン部を!」
 その期待に満ちた目を見て、私はますます気持ちを昂ぶらせて、大きく頷いた。
「そういや、何でお前までヘリに乗ってるんだよ?」
 ヴィータちゃんの言葉を聞いて、ノイズ曹長が言葉を詰まらせながらも答える。
「いや、その……ですね…………一応、俺も高町一尉に出来る限り協力するって、ですね」
 ヴィータちゃんは、私に無理をするように仕向けたとして、ノイズ曹長を未だに許していなかった。ノイズ曹長を名前ではなく、“お前”呼ばわりするところからも、そんな気持ちが窺える。
 そんな彼女等のやり取りを見ている時、突然操縦席から声が上がった。
「ん? …………ちょっと八神隊長……八神隊長っ!」
「どうしたん?」
「あれ! あれ見てください!」
 ヴァイス君の慌てふためく声を聞き、私達の意識は一斉にヘリ前方へと向けられた。
 そこには、思わず目を疑いたくなる光景があった。
 目的地周辺を取り囲む山々の間から、何かが飛び立ったのだ。特徴的な漆黒のそれは、まさしく次元航行艦。
「何でこんなところに次元航行艦が!?」
 すぐさま艦船の表れたポイント座標を確認するはやてちゃん。そして、その表情から驚愕が消えることはなかった。
「まさか……ミリー三佐があれに?」
「はやて! あれ見ろ!」
「何!?」
「艦首の部分!」
 一体私達は何度驚けばいいのだろうか。
 飛び立った次元航行艦の艦首に、明らかに見慣れない艦船武装が取り付けられていた。
「あかん……あかんよ…………絶対あかんって!」
「あれが……エクレールか」
 その言葉をきっかけに、私はシャマルさんの回復魔法を払い除けて立ち上がった。そして素早くレイジングハートにセットアップの指示を出す。
 純白のドレスにブルーのアクセントをあしらった私のバリアジャケット。胸元の赤いリボンを舞い躍らせ、ツインテールの髪を揺らしながらヘリの後方に駆ける。
「ヴァイス君! ハッチオープン!」
「なのはちゃん! あれに単身で突入するつもりか!」
「他に方法がないよ! このヘリじゃあ戦闘は無理だもの! 早く!」
 まだ何か言いたそうなはやてちゃんは、しかし、すぐに自分もバリアジャケットを纏って私の後ろに続いた。リィンははやてちゃんとユニゾンし、ヴィータちゃん、ノイズ曹長も身構える。
「行くんですか!?」
 ヴァイス君からの最後の確認に対し、私達からの応答は無言。
 答えは、もちろん決まっている。
「機動六課、出動や!」
 ヘリの後方ハッチが全開になるのと同時に、私達四人は一斉に飛び降りた。
 私の踵から桃色の翼が伸び、飛行魔法を発動。そしてすぐさまヘリを追い越す速度で飛び出した。
 はやてちゃんから全体への指示が飛ぶ。
 ――――敵艦船からの迎撃に備えぇ! 私はヘリの護衛にまわるで!――――
 ――――了解!――――
 その念話が聞こえたんじゃないかと思うようなタイミングで、艦船から魔力砲が放たれ始めた。
 こっちは生身の人間。いくら私達が幾つもの修羅場を潜ってきた魔導師だと言っても、次元航行艦とまともにやり合うなんて分が悪過ぎる。艦船からの攻撃は全て無視するべきだろう。
 私達がやるべきことは、艦船に乗り込むことの一点に尽きる。
 ――――なのは! あたしがサポートしてやる! 行くぞ!――――
 ヴィータちゃんとの並列飛行。心強い。
 正面から飛び交う魔力砲の雨を掻い潜り、確実に距離を縮める。しかし、近づくにつれて魔力砲の密集度が高まって避け難い。
 そして来た。蟻の子一匹すらも通さないと言わんばかりの密集砲撃。
 まずい。回避が間に合わない。
「なのはあぁぁっ!」
 ヴィータちゃんが鉄鎚型デバイスのグラーフアイゼンを振り被った。連続するカートリッジロードの音と共に、鉄鎚のハンマーヘッドが何十倍にも膨れ上がる。
「貫いてこぉい!」
 そして振り切られた直径十メートルを超える鉄鎚の打撃部は、隙間無く詰め寄った魔力弾の塊を一撃で打ち消した。
 広がる航路。ヴィータちゃんの作った道。
 私はその穴の中央を貫くように飛んだ。
 そしてレイジングハートを突き出す。
「侵入経路を確保するよ!」
「All right」
 発射台(スフィア)を形成し、攻撃魔法の用意。そしてチャージはそこそこに。私は素早く桜色の光線を解き放った。
 それは艦船へと一直線に飛び、本体への直撃コースを真っ直ぐ駆けていく。
 しかし、当たったかと思った瞬間、その光線がある一定の距離以上艦船に近づかなくなった。
「シールド!?」
 いや、諦めることなんてない。レイジングハートにカートリッジを飲み込ませ、更に魔力を注ぎ込む。
 その時、私に向かってくる艦船からの魔力砲があることに気が付いた。
 そして、直撃するかと思って身を強張らせた、その瞬間。
「高町一尉!」
「ノイズ曹長!」
 大きく広がるノイズ曹長のシールド。辺りには煙が立ち込める。
 直撃は免れた。しかし、衝撃の大きさにノイズ曹長は顔を歪めていた。
 それでも、彼はすぐに笑って見せた。
「盾はお任せください! 早く艦船に!」
「…………うん!」
 でも、まだ押し切れない。そもそも次元航行艦の張るシールドの出力なんて、魔導師一人が張るシールドとは桁が違う。私だけで貫くにはどうしても無理がある。
 ――――なのはちゃん! 私も協力したる!――――
 その念話を聞いてちらりと振り返れば、正三角形のベルカ式魔法陣を足元に広げるはやてちゃんが見えた。
「響け終焉の笛――――」
 そして迫り来る、彼女から届けられる強大な力の音色。
「――――“ラグナロク”!」
 放たれた直射砲撃魔法は、大地を鳴らすかのような勢いで空を翔け、空に突き刺さるかの如く伸びていった。
 着弾地点は私の魔法と同じ場所。
 艦船のシールドが激しく揺さぶられる。
 それでも。
「そんな…………!」
 まだ、砕けない。
 もう少しなのに。
 もう一度無茶をしてみるか。カートリッジの残段数もまだあるし、スターライトブレイカーなら。
 でも、チャージする時間が無い。
 その時。
「なのはっ!」
 その声が聞こえた。
 下方から。地面すれすれの場所を飛行する金色の閃光。その圧倒的な速さは、あっという間に私達を追い抜いていく。
 その人を見た時私には、いや、私達には一瞬だけ笑顔が浮かんだ。



≪3・突入開始≫

 上空には真っ黒な次元航行艦。
 そして、その艦船に砲撃を放っているなのはとはやての姿。
「カトリーヌッ!?」
 私の肩にしがみ付いているウィンディーヌがそう叫んだ。艦船の名前だろうか。
「ウィンディーヌ! 私は何をすればいい!?」
「んなのこっちが聞きたいわよ! あんたの仲間達はあの船を落とすつもりなの!? ミリーが乗ってるんだよ!?」
 違う。次元航行艦本体に人間の魔導師が真正面から喧嘩を売るような真似は、どれほどの馬鹿でもしないだろう。それに戦況から考えても、なのは達には艦船を落とせるだけの戦力が圧倒的に足りていない。ということは、狙うなら艦船内部にいるであろう操舵士。
 ならば、やっぱり。
「艦船内部への侵入を狙っている!?」
 そう言うと、ウィンディーヌが私の耳に顔を近づけていった。
「だったら協力してやる!」
「え?」
「手助けしてやるって言ってんのよ! …………その代わり!」
「…………解ってるよ。ブラントを含め、ホカン部の子供達には情状酌量の余地がある。逮捕後でも悪いようにはしない」
 執務官という立場は罪人の裁判にも深く関わることになる。この事件が解決出来た場合、ミリー三佐とウィンディーヌは難しいけれど、他の子達ならば話は別だ。彼女にも言った通り、情状酌量の余地は充分にある。
 クロノが執務官だった頃は、彼に随分と助けてもらったことがある私。それがまさかこうして自分の役割となるなんて。
「絶対に約束だからね!」
 もちろん約束は守る。彼女がせっかく、私とブラントの戦いが終わった後に協力の申し出をしてくれたのだから。
 あなたの願い、“ミリー三佐を止めたい”という想い、それを私は引き継いだ。そのためにあなたが力を貸してくれると言うのなら、私だって幾らでも尽力しよう。
 ウィンディーヌから高い魔力が感知出来た。確か、この子は流動性のあるものを操作出来るって言っていたっけ。
 ウィンディーヌの魔力操作が始まると、艦船のシールドがみるみる薄くなり始めた。
「よし、いける!」
「でも! 結構厳しい!」
 確かにそうだ。彼女の魔力特性は優れているが、出力が足りていない。
「私とユニゾンして出力を上げれば」
「あんたとは相性が悪過ぎる! 事故を起こすよ!」
「でも、じゃあどうしたら」
「黙ってな! …………あたしはウィンディーヌだよ!? ――――」
 彼女の足元に広がる魔法陣が、輝きを増した。
 その輝きの強さ。そう、まるで水面に映る眩しい太陽のよう。
「――――水の精霊を嘗めるなっつぅぅぅのぉっ!」
 艦船のシールドにヒビが入る。
 もう少し。押し切れる。
 よし、そこまできたのなら私が、道を作る。
「バルディッシュ!」
 バルディッシュを構えた。リボルバー式カートリッジが蒸気を吐き出し、電気を帯びた私の魔力がほとばしって溢れる。
 これでシールドを貫いて、あとは艦船内部のミリー三佐を逮捕するだけ。
 私達機動六課が助けるんだ。次元世界を、ホカン部の子供達を、ウィンディーヌを。
 そして、ミリー三佐を。
「撃ち抜け、轟雷! …………“サンダースマッシャー”!」
 放たれた閃光の一撃。電流を纏い、真っ直ぐに伸びていく金色の魔法。
 そして私からの想い。
 大きく凹んだシールドに直撃したその魔法は、シールドに広がるヒビを更に増やし、尚も突き進もうと猛威を振るった。
 そして、遂にその時がきた。
「いった!」
「やった!」
 割れた。砲撃はシールドを貫き、艦船の装甲を押し曲げて弾き飛ばした。
 しかし様子がおかしい。艦船の周囲に再び魔力が渦巻き始めている。空気に色を付けて濁したようなモヤが見られるようになると、その正体が分かった。
 あれは次元空間への転移か。
「まずい! 逃げられる!」
 その時だった。
 人影が猛スピードで艦船に突っ込んでいくのを見た。
 なのは? 
 空を見れば、確かになのはの姿が確認できた。バリアジャケットを靡かせて、見ているこちらが心配になってしまうくらいに魔力を消費して高速で空を飛んでいた。無茶はしてほしくないのに。
 しかし、私が気付いた人影はまた別の方向から。
 あの姿は誰?
 金色の杖型デバイスを握り締め、バリアジャケットは白い薄地のシャツと紺色のスカートを身に纏っている。首の赤いリボンはなのはを髣髴とさせ、短いマントを背中で靡かせる。所々に入った薄紫のアクセントと、頭に乗せたセーラー帽が特徴的だった。
「あれは?」
「ソフィー!」
 ウィンディーヌが叫んだ。
 その声は彼女に届いていないらしく、彼女は艦船に向けて真っ直ぐに飛んでいく。
 まさか、乗り込むつもりか。
 なのはと彼女。二人の影が徐々に接近していき、艦船の転移準備も整い始めた。
 そして私達が見守る中、二人の影は艦船にぽっかりと開けられた侵入経路へと飛び込んでいき、間髪入れないタイミングで、次元航行艦が姿を消した。
 転移成功。これはまんまと逃げられたのか。それとも追い詰めたのか。不安が残ることは確かだった。何故なら敵艦船には既にエクレールが積まれている。
 私たちは、後を追う必要があるだろう。
 私が通信回線を開いていると、ウィンディーヌが心配そうな顔で私を見ている。
 大丈夫。こんな時のために打っておいた手だ。
 私は、義兄のクロノ・ハラオウンに回線を繋いだ。

 To be continued.



[24714] 第四十三話 もう一度呼んで
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/03/28 00:23
≪1・いつも通り≫

 目の前から消えた漆黒の次元航行艦は、なのはちゃんとソフィー空士を乗せたまま消えてしまった。
 もし次元空間に飛び立たれてしまったのだとするならば、今の私達がすぐに後を追うことは難しいだろう。焦りと悔しさが湧き起こる。
 しかし、絶望感はまだ無い。
 それは艦船内になのはちゃんがいるから。彼女が何も出来ずに終わってしまうとは思えない。そういう信頼を抱かせるのが“高町なのは”だ。
「はやてっ!」
 ふと、名前を呼ばれて声が聞こえた方に視線を送ると、私に近づいてくる人影があった。
 それはフェイトちゃん。艦船のシールド突破に最後の最後で力強い一撃を届けてくれた仲間の姿だった。
 そして、その彼女の肩にも一人。
「フェイト、ちゃん?」
 返事をしながらも私は、不思議に思った光景に思わず指差しをしてしまった。
 私の言わんとしていることに気が付いたのか、フェイトちゃんがその一人を紹介してくれた。
「彼女はウィンディーヌ空曹。ホカン部所属のユニゾンデバイスだよ」
「何で一緒におるん?」
 やがて他の皆も集まりだしたところで、もじもじとして口を閉ざしていたウィンディーヌ空曹がようやく言葉を発した。
「…………その、協力しようかと思って」
「シールド突破が出来たのも、彼女のおかげだよ」
 フェイトちゃんが視線を肩の上に送ると、俯いたウィンディーヌ空曹はフェイトちゃんの微笑みの陰に隠れてしまった。
 シールドの突破に彼女も一役買っていたんか。それが本当かどうかは判断のしようがないけれど、フェイトちゃんの信じきった目を見ればそうなんだろうと思えてしまう。
「ウィンディーヌ!」
 そう声を出したのは機動三課のノイズ曹長。少々荒げたその声に、ウィンディーヌ空曹が反応を示した。
 機動三課のノイズ曹長はホカン部とも親しかったはずだ。
 言い争いを始めるのかと思い、そんな場合ではないと言おうとしたが、どうやらそうではないような雰囲気。
 私達は彼の次の言葉を待った。
「…………サイオン部隊長への捜査によって、一応お前達の秘密は知っている。でも…………何でこんなことになったんだよ。お前達はホカン部に集まって、それで一緒になれたんじゃなかったのか? 何が原因でこんなことをさせたんだ? それに、ノーラ君の姿が」
「ノーラは死んだよ」
「…………何?」
 ノーラ? ホカン部に所属する局員だったか。
 そう言えばホカン部隊舎の前でホカン部と対峙した時も、局員の人数はウィンディーヌ空曹を含めて六人だった。ノーラ空士がいれば七人だが、その姿は見られなかった。
「ノーラは、殺されたんだ」
「何言ってるんだ!? 嘘だろ!?」
「本当だよ! フィンカンティエリ研究所で殺されたんだ!」
「フィンカンティエリって…………確かルミオン提督がノーラ君と一緒に行くって言っていた場所か?」
「そうだよ!」
 それから両者は口を閉ざし、しばらく呆然としたように固まり続けた。
 詳しい話は改めて聞く必要があるだろうけれど、何となく予想は付いた。ルミオン提督がノーラ空士を殺害したという話に確証は無いけれど、ミリー三佐達の過去を考えれば、現段階の状況を引き起こすきっかけ、つまりミリー部隊長を突き動かす要因としては充分に考えられる話や。
 ミリー三佐とウィンディーヌ空曹にとっては、ノーラ空士も大切な子供の一人のはず。その彼女が死んだとなれば、ミリー三佐達を暴走的行動に走らせた理由にもなる。
 何だか、全体が明らかになるにつれて心が悲しくなってくるお話や。
 それでも、ミリー三佐を好き勝手にやらせておくわけにはいかへん。私たちはやっぱり止まるわけにはいかへんのや。
「はやて」
「ん? フェイトちゃん、何?」
「今は…………」
「そうやね、それどころやない。まずはミリー三佐や…………と言っても、今期待できるのはなのはちゃんだけ、か」
「そうだけど、私達もここでじっとしているわけにはいかないよ」
 そう言ったフェイトちゃんが、何も無い空間に通信用のモニターを開いた。
 そこに映ったのは、彼女の義兄となるクロノ提督だった。
『やあ、機動六課の皆。こっちは準備万端だぞ』
「準備?」
「私がクロノに無理言って頼んでおいたんだ。クロノは今、本局で次元航行艦の出航準備をして待っている」
 さすがはフェイトちゃん。いろいろと手際が良い。
 今回の事件に関しては、フェイトちゃんに働かせっ放しや。数ヶ月前までの機動六課では、絶大なバックボーンがあったからこそ無茶もきいた機動六課やったけど、突然に臨時設立された今の六課では、私に出来ることはそんなに多くない。
 改めて部隊を持つことの難しさを知った。この経験は必ず次に活かしたる。たとえ何年経とうとも。
「さて、そういうことなら本局まで早く向かわんとな。ここから本局までの転移は距離があり過ぎるから、一旦地上本部に向かわんと」
 全員が頷いて行動を開始しようとした時、ノイズ曹長が声を出した。
「ウィンディーヌ。お前、転移魔法が得意だろう? 送れるか?」
 その言葉に全員が動きを止めた。
 しかし、ウィンディーヌ空曹は俯いたままその場で固まっている。
 ノイズ曹長が彼女に詰め寄り、再び言った。
「協力してくれ。皆を本局に送ってほしいんだ」
「出来るの? ここから?」
 フェイトちゃんの声すらも無視し、ウィンディーヌ空曹は沈黙を続けている。
 そして、彼女の目には光るものが一つ。
「ウィンディーヌ」
 ノイズ曹長の穏やかな声が聞こえた。風も弱まった空の上、その優しい声はとてもよく聞こえた。 
「俺達は…………機動六課を含めたいろんな人達は、お前達ホカン部の敵じゃないんだよ。助けを必要としている人達がいるなら、助けてあげたいんだ。そしてお前も助けを求めた一人であって、同時に管理局員だろ。助けに行くべき者だろう」
「…………これ」
 彼女が側にプリズンを出現させた。あれは四つの内の一つか。
「ミリーがあたし達の再会を願って、あたし達に配ったものなの」
「そうか」
「あたし達がまた集まることを誓った、約束の証なの。これをミリーのところに届けることが目的で、だからこれはあたし達とミリーとの繋がりなの」
 そのプリズンを受け取ったノイズ曹長は、微笑んで言った。
「なら、行こう。届けに行こうよ」
 ノイズ曹長の手の平が、ウィンディーヌ空曹の頭に優しくそっと乗せられると、彼女はその顔を上げてノイズ曹長の目を見た。
「ノイズ…………」
「おい、“曹長”をつけろって」
 そう言った次の瞬間には、二人とも笑顔になっていた。
 良い仲間って言うのは、こういうものなんやろうな。私達六課に負けないものが、彼女達にはある。
 さっきまでの沈んだ気分を、ウィンディーヌ空曹はノイズ曹長の手と共に払い除けた。
 ふっきれた、か。
 ウィンディーヌ空曹の足元にはとても大きな魔法陣が展開し、彼女の体が光りだした。
「気安く人の頭に手ぇ乗せてんじゃないわよ! あたしに触れていいのはブラントだけよ! 分かった!? ノイズ!」
「いや、マジで曹長をつけろって」
「ほらほら、本局行きの便が出るわよ! 乗り遅れたくなけりゃあさっさと集まりなさいよ!」
 私達が慌ててその魔法陣に乗ると、足元からは液体の上に立つような不思議な感覚が伝わってきた。
 ヴィータとリインが私にしがみ付いて、「おい、沈んじまうぞ!」と騒ぎ立てる。確かにそんな気がしてならない。大丈夫なんやろか、彼女の転移魔法は。もし失敗してとんでもない場所に飛ばされたりしたら。怖いわぁ。ああ、ヴァイス君に帰還命令を出すのを忘れていた。たぶん向こうに着かないと間に合わへん。あ、どさくさに紛れてノイズ曹長がフェイトちゃんの隣で飛びつかれるのを待ち構えとる。でもフェイトちゃん冷静過ぎる。
 いろいろな不安が募る状況になってあれこれと思いを巡らせていると、いよいよ転移が始まりそうになって、更に恐怖感が強まった。
「ちょっと! 本当に行けるんか!?」
「任せなさいよ! ちょっとの容量過多(キャパシティーオーバー)くらい何でもないっしょ!」
「それ本当に大丈夫なんかぁ!?」
 私の悲鳴を最後に、皆が一斉に魔法陣の中へと沈んでいった。



≪2・なのはの気持ち≫ 

 艦船の転移が終わった。どうやら私は無事に次元空間までやって来れたようだ。
 辺りを見渡すと、私以外には誰もいなかった。
 おかしい。確か私が艦船に飛び込む際、ソフィーも一緒に飛び込んできたはずなのに。外壁に開いた穴から顔を出しても、その姿はどこにも見当たらない。
 いや、間違いなく彼女は艦船に乗ってきたはずだ。だから心配することはない。まずはミリー部隊長を止めなくちゃいけない。
 私は艦船通路内を飛び、司令室を目指した。
 おそらくこれが最後のチャンスになる。ミリー部隊長を止めることが出来るのは、今この場にいる私だけ。もし彼女の好き勝手にさせてしまえば、彼女の采配一つで次元世界が幾つも姿を消してしまうかも知れない。
 そんなことはさせない。管理局員としての使命感ではなく、彼女達の悲しい過去を知った一人の人として、私はミリー部隊長を止めたい。
 確かにミリー部隊長の気持ちなんて、そしてソフィーの気持ちなんて、彼女達が辿ってきた道の辛さなんて私には解らない。
 でも、これだけは解る。ミリー部隊長が望んだものは、決してこんなことではないはずだ。
 そしてこれもはっきりと解る。私に杖を向けるくらい一生懸命だったソフィーだって、こんなことは望んでいないはずだ。
 私はそう信じたい。
 そんな想いを抱きながら、私は案内板に従い、曲がり角を幾つか通り、冷たい色の自動ドアを潜り抜けていった。
 そして辿りついた。
 広いロビーのような、高い天井と巨大スクリーンを正面に配置した場所。真ん中には艦長席を設け、その周囲にも様々な計器と電子パネルが横に伸びている。
 そしてその艦長席に座っている人の後頭部。見覚えのある、長いストレートヘヤー。
「ミリー部隊長」
「…………あなたか、高町一尉」
 席から立ち上がった彼女が振り向き、私に笑いかけた。
 その笑顔は知っている。何度も見てきた。
 不敵で、怖くて、怪しい。
 一度だけ息を飲み、私はレイジングハートを構えた。
 この緊迫感がとても息苦しくて、油断をしたら膝が震えてしまいそうだった。
「やはり、止めに来たのだろうな」
「もうこんなことは止めてください。こんなことしたって、何にもならない」
「解っているよ、何もならないってことは」
 彼女もガトリングガン型デバイスを手にして、構えた。
「本当は解っているんだよ。私が求めたものは、結局あの子達がいないと成り立たない。だから、私一人でこんなことをしたって、もう何も生み出さないし、作れないんだ」
「そこまで解っているなら!」
「駄目なんだ。それでも、私は許せない」
 笑顔をそのままに、しかし、声は震えていた。
「こんな理不尽…………許せないんだ!」
 そして飛び出してきた。踏み出した足は床を貫くかのような力で彼女を浮き上がらせる。
 空中に舞い上がったミリー部隊長のデバイスから、真っ赤な雨が撒き散らされた。
 私はそれを回避しながら、身を隠せそうな場所を探した。
 艦船内の司令室と操舵室は吹き抜け状の造りになっている一体型で、艦長席のある場所よりも一階(ワンフロア)分下がった場所には、無人の操舵席や通信機器の並んだフロアが広がっている。そこなら物陰が多い。
 しつこく後ろから迫ってくる赤い魔力弾を回避しつつ、私は物陰に身を隠して動きを止めた。
 雨は止み、しかし、どこから狙われるかも分からない緊張感が体を内側から叩く。
 今度は私から飛び出した。次はこちらからの番だ。飛び上がり、同時に自身の周辺へ桜色の魔力弾を三発作り出し、同時に打ち出す。
 空間制御を駆使した誘導弾。変則的な軌道でミリー部隊長を狙うその弾は、それぞれが別の道を通って飛んでいった。
 しかし、その動きを全て見切っているかのようにミリー部隊長は身を翻し、迎撃し、全てをやり過ごした。
 そして間髪入れずに放たれる反撃。連射性の優位を存分に発揮したそれは、私のバリアジャケットを少しだけ削りとった。
 ミリー部隊長の攻撃は誘導弾などの追跡型が無い代わりに、手数が多くて隙を見せない。こちらが反撃に移るための時間を作らせないのだ。フェイトちゃんのように近接戦闘(クロスレンジ)による打撃などがもっと得意であれば、私もこんなに飛び回ることはしないのに。
「どうした高町一尉! 逃げてないで撃ち返してみろよ!」
「もちろん!」
 レイジングハートに魔力を込め、私は杖の先端に発射台(スフィア)を出現させた。
 魔力のチャージ時間を極力短縮した、ディバインバスターのバリエーション。
「当たれぇ!」
 ショートバスター。真っ直ぐに伸ばした桜色の砲撃を放ちながら、私はミリー部隊長を中心としてコンパスのように周回飛行をした。
「くそ!」
 高度を下げたミリー部隊長は、操舵席のあるフロアに降り立って物陰に隠れた。
 姿が見えないからと言って、私は手を休めたりしない。
 すぐさま魔力弾を四つ生成して、それを解き放つ。
 生き物のように動き回る魔力弾が、幾つもの障害物の隙間へと入り込んでいった。
 しかし。
「えっ!?」
 四発同時の爆発。それも全て違う場所で。
「楽しいな! 高町一尉!」
 姿無きミリー部隊長の声。それが艦船内に響き渡った。
「小さい誘導弾であなたの魔力弾を迎撃させてもらった。私は攻撃用の誘導弾は確かに苦手だが、別に飛ばせないわけではないんだよ」
 そういうことか。物陰に隠れた瞬間から、私の手の内を読んだらしい。
「こうして戦いに没頭しているといろいろと忘れられる。楽しいよ、本当に」
 でも。
「でも! 今は忘れられても、結局問題は残ったままでしょ!」
 そうだ。あなたは戦いによって一時の休息を得ているつもりでも、あなたの行いが危険であることと、無意味なものであるという事実は何も変わらない。
「ミリー部隊長、終りにしましょう!」
「高町一尉、“エースオブエース”と言われるあなたも、所詮は小娘ってことだ」
「ミリー部隊長! 私の話を」
「戦士としてはひよっこだと言っているんだ」
 その時、素早い動作で何かが動く気配がした。
 振り向けば、いつの間にかそこにはミリー部隊長が回りこんでいた。
「しまった!」
 そして放たれた赤い砲撃魔法。
 それが私の体を飲み込もうとした瞬間、レイジングハートがシールドを展開する。しかし、予想以上の圧力に力負けをして、私は艦長席のあるフロアに落下した。
 打ち付けられた背中が痛み、息が苦しくなる。
 それでも立ち上がろうとした時。
「寝ていろ」
 幾つかの魔力弾が足と胸に撃ち込まれ、私は更に息苦しさを感じながらその場に突っ伏した。
 声が出ない。それに足が痺れて立ち上がれない。両腕も震えている。
「確かに私のやっていることは無意味だ。結局あの子達がいなければ、一緒に笑いあってくれる者達がいなければ、私には生きる場所なんてない。エクレールなどという絶大な力を手にしたところで私の欲しいものは手に入らないし、求めた世界も作れない」
 そこまで解っているのに、どうしてこの人は。
「…………何をしているんだろうな、私は。長い、永い、途方も無い年月を超えてやって来たというのに、手に入れたのはこんな艦船だけだ。私は、一体何のためにこの時代にやって来た? 悔しいんだ、とても」
 だんだんと呼吸が戻り始めた。それでも足はまだ辛い。
 私は、レイジングハートで体を支えながら、何とか立ち上がろうとした。
「ノーラが死んだんだ」
「…………え?」
 やっと出た声は、その一言だけだった。
「ルミオンに殺されたらしい。何のために殺されたと思う? 奴は自分の保身のために、計画を知ってしまったノーラを始末したんだ」
 そんなことがあったのか。嘘、信じられない。
 ノーラが、もういない?
 まさかそれが、ミリー部隊長を突き動かしたきっかけだったというのか。
「こんな話があるか? 私はあの子達と過ごせれば良かったんだ。あんな計画も、こんな魔導兵器も…………私が自分のワガママを貫きたくて用意したものでしかない。私はただ……ただあの子達ともう一度笑いあって暮らしたかっただけなんだ。それだけなのに!」
「ミ、ミリー……部隊長」
「私が欲張り過ぎたことは認める。古代ベルカ時代と何も変わっていないこの世界でも、たぶん私はあの子達と笑い合えたはずだ。だが、こんな世界ではなく、私が求めて憧れた世界の中で、追いかけた星空のような世界の中で笑いあいたいと欲張ったから、こんなことになった。そうだ、私にだって責任はある…………でも、でもだ! …………こんな理不尽が許されるのか!? 失われるべきではないものまで失われるなんて、そんなのはおかしいだろう!」
 彼女は艦長席前の操作パネルに手を置き、キーを叩き始めた。
「な、何を…………」
「私の理不尽に対する怒りなんて、誰にも分かるわけないさ…………そうさ、分かるわけがない。あなたにも、絶対に分かりっこない! …………だったら思い知らせてやる。大切なものが不必要に奪われるこの苦しみを、思い知らせてやるんだ!」
 ミリー部隊長の指先で奏でられるキーのタッチ音が鳴り続け、しばらくしてから今度は、艦船内に低くて重い音が響き出した。
 何をするつもりだろう。そして彼女の言った言葉の真意は。
「まさか…………」
 考えられる可能性は唯一つ。
 エクレール。
「だめ! ミリー部隊長! 止めて!」
 私は、まだ痛む体を必死に起き上がらせようとしながら、声を張り上げた。
「高町一尉には教えてやろう。エクレールの弾はアルカンシェルの比ではない。そのエネルギーは、発射された弾の進行経路上にある空間すらも歪ませる」
 何を言っているのだろう。
「つまり、エクレールの弾は発射場所を選ばない。撃ち出された弾は次元空間の壁を突き破り、邪魔するものすらも消滅させ、目標まで一直線だ」
 一体何を言っているのだろうか。
「たった今私が指定した目標地点までの到達は、およそ二時間。つまり、発射スイッチを押してからたったの二時間後には、一つの次元世界が消え去る」
「ミリー部隊長! もうこんなことは」
「高町一尉。あなたの故郷は確か、第九十七管理外世界…………現地名を“地球”と言ったな」
 鳥肌が立った。
「…………それが、何? まさか、ねえ! まさか! ミリー部隊長!」
「失ってみるといい。きっと私の気持ちも解ってもらえるはずだ」
「やめて! お願い! こんなことをしたってもう!」
「確かソフィーはあなたの言葉を好いていたな。なんだっけ? “気持ちを分かち合えた時からが始まり”だったか…………分かち合おうじゃないか」
 怖かった。
 あそこには私の家族がいる。
 あそこには私の友達がいる。
 あそこにはフェイトちゃんの家族だって、思い出の場所だって、大好きなものだって数え切れないくらいたくさんある。
 それが、失われる。
「やめてえぇ! 絶対にやめて! お願い! 撃たないで!」
「三秒だけ時間をやる。大切なもの達へ向けて別れを祈れ」
 立ち上がろうと一気に体を起こした時、ミリー部隊長の足が私の体を蹴り飛ばした。
「…………さん…………」
 痛い。でも、それどころじゃない。
 立たなくちゃ。
 立ち上がらなくちゃ。
「…………にぃ…………」
 慌てて立ち上がろうとしたら転んでしまった。
 そんな、こんなところでつまづいている場合じゃないのに。
 止めなくちゃ、たくさんの大切なものが。
「…………いち…………さよならだ」
「やめてえぇぇぇっ!」
 その時、ミリー部隊長の体が飛んだ。床を滑りながら倒れこむミリー部隊長は、すぐに立ち上がって体勢を立て直す。
 そんなミリー部隊長の姿をじっと見ているのは、見覚えのある人の姿。
「あ、ああ…………」
 私は何を言ったらいいのかが分からなくなっていた。
 とにかく地球は助かった。
「何を……しているんですか?」
 しかし、彼女の様子を見たら迂闊に喜んでなんていられなかった。
 私の故郷を助けてくれた彼女の声は、震えていた。
「何を…………何をしているんですか! ミリー部隊長!」
 そこに佇んでいたのは、間違いない。
 ソフィー・スプリングス。



≪3・ソフィーの気持ち≫

 操作パネルには、エクレールの発射を待ち構える画面が表示されていた。
 発射の確認を告げる画面が何だかすごく怖い。これを彼女が押していたらと考えると、私は泣きたくなるくらいに胸が苦しい。
「ミリー部隊長! 何てことをするんですか!」
「ソフィー…………」
「私が管理局員になったのは、幼い頃の私みたいに、失くす必要のないものを失くす人が増えないようにって…………そう思ったからなんです! なのに、このスイッチをあなたが押していたら、私が管理局員になった意味が失われちゃう! それになのはさんが……なのはさんがとても悲しい思いをする! なんてことをしてるんですか!」
 声を出した。たぶん、生まれてから今までで一番大きな声じゃないかと思うくらいに。
 喉がすぐに痛くなった。それでも、私にはもっと痛い場所があったから、気にならなかった。
「ソフィー、お前も艦船に乗り込んでいたのか?」
「飛び込んでからすぐにミリー部隊長を捜したんですけど、私、広いところだとよく道に迷っちゃうから…………でも、そのおかげで見つけたものがあります」
「何?」
 私は、艦船内部で見つけた“ある部屋”を思い出した。
 そこは、部屋の中央に巨大なフラスコグラスのような透明な容器を備えた場所だった。容器の中と、そこに通じる太い透明なパイプの中に満たされていたのは、見覚えのあるもの。鮮やかなスカイブルーの液体。
 そう、ホカン部隊舎の部隊長室で見つけた、液体化した魔力。
 八神二佐達と対峙した時、私は部隊長室の中央を砲撃魔法で撃ち抜いた。あの時に起こった不思議な爆発は、おそらく液体化した魔力を撃ったから起こったのだろう。そしてあの爆発は、アルカンシェルの効果と酷似しているようだった。
 おそらく、いや、ほぼ間違いない。あの液体化した魔力は、エクレールのエネルギー。
「私が見つけた部屋は、エクレール発射のためのエネルギー管理室」
「…………入ったのか?」
 見過ごせなかった。私の育った次元世界を消し去った原因が、このエネルギーの研究時に起きた実験ミスだというのだ。
 放っておけなかった。こんなものが存在するせいで、大切なものを不必要に失われる人が現れるかもしれないなんて。
 消してしまいたかった。こんなものがたくさんの不幸を引き起こすのなら、私は何に変えてもこんなものを捨て去りたいと思った。
「あのエネルギーは、全部私の持っていたプリズンに入れさせてもらいました」
 そう言った後、私は操作パネル上のスイッチを押した。すると、パネルの画面上には“エネルギー切れ”を示すエラー表示が映された。
 するとミリー部隊長は、力無く肩を垂れ下げながら、小さく、そして徐々に大きく笑い出した。
 何がそんなに可笑しいのかは分からない。でも、本当に楽しいわけがないだろう。抱えているお腹も、ひくつかせている肩も、飛ばしている唾も、本当の気持ちを表しているものなど一つも無い。
 だけど、目に浮かべている涙だけは、何故か本物に見えた。
 それは、笑い泣きではないでしょう?
「あー…………ひとしきり笑ったら疲れた。全く、よくやってくれたもんだ」
 そう言ったミリー部隊長は、溜めていた涙を指で拭い取ってから、いつも通りの笑顔を浮かべていた。
「参ったよ。これじゃあ私はノーラに鎮魂歌(レクイエム)を送れない」
「ノーラちゃんは、こんなことされても喜びません」
「ド派手に暴れた後の静寂は、本当に心地が良いものだというになぁ」
「ミリー部隊長!」
 私の叫びに、彼女は動きを止めた。
「私も最初はミリー部隊長に付いて行こうと思いました…………でも知ったんです、ミリー部隊長が本当に求めていたものを。そして気が付いたんです、私がミリー部隊長にしてあげられることに」
「何だよ、それは?」
「…………ずっと、これからも側にいたい、一緒に笑い合っていきたい…………」
 そう、彼女が望んだ通り、私はあなたと一緒にいたい。
 犯した罪もきちんと償って、何もかも綺麗にして、そしたら、また皆で一緒に集まって暮らしたい。
 世界の様子なんて、時代の変化なんて、そんなものは一切関係ない。
 私はあなたと、そして皆と一緒にいたい。
「…………ソフィー?」
「ずっと側にいてほしい……一緒にいてほしいよぉ…………」
 そして、最後はこの、心からの一言。
 私からあなたに伝える想い。
 親しみも、感謝も、憤りも、甘えも、何もかもを押し込めて放つ、大切な言葉。
「おかあさん」
 そして沈黙が流れた。
 誰も、何も言わなかった。
 しばらくして、ようやくミリー部隊長が声を出した。
「ソフィー…………もう一度、もう一度だけでいいから、呼んでほしい」
 何度でも呼べる。
 私はあなたのためなら、たとえ喉を潰したって、たとえ言葉を忘れたって、たとえ記憶を失くしてしまったって、何度でもあなたのことを呼べる。
「何度でも呼べるよ…………もうやめよう、おかあさん」
 拳を握り締めて、ミリー部隊長は俯いた。
 そしてミリー部隊長は、力無く額に手を当てながら、小さく、しかし確かに泣いていた。
 何故泣くのかは、ちゃんと私にも分かった。悲しいわけではない。だけど泣いている。抱えている頭も、ひくつかせている肩も、垂らしている唾も、そのどれもが本当の気持ちを表している。
 もちろん、目に浮かべている涙だって本物なんだ。
 私は彼女に近づこうと、足を踏み出した。
 その時だ。
「来るなぁ!」
 ミリー部隊長が顔を上げることなく、手の平を差し出して私を制した。
「駄目だ…………私は、それでもこの理不尽が許せない」
「おかあさん!」
「駄目なんだよ! …………もう、どうしたってノーラは帰ってこないし、お前達に合わせる顔も無い」
 そんなはずはない。また始めればいいじゃないか。確かにノーラちゃんは帰ってこないけれど、私達は一から始めればいいじゃないか。
 そうだ。
「もう一度やり直しましょう!」
「ソフィー、それに高町一尉…………」
「え?」
「あなた達が言っていたな。お互いに譲れないものや諦められないものを分かち合えた時に、新しいスタートが踏み出せる、と…………私はこの理不尽がどうしても許せない。この気持ちはどうしても譲れないんだ」
 言いたいことは、もしかして。
「分かち合いたい。この気持ちを分かち合いたいんだ」
「おかあさん」
「ミリー部隊長、あなたは…………」
「頼む、打ち負かしてくれ。そして新しいスタートを始めさせてくれ」
 そう言った彼女のデバイス、ウルカヌスがカートリッジを連続ロードした。
 一発。二発。三発。そして極限まで高まった魔力は、巨大な発射台(スフィア)を形作る。
 私がホカン部に入った時のように、そして錯乱してなのはさんに助けを求めた時のように、彼女は真の道を求めて、手を差し伸べてきている。
 応えなくちゃ。応えたい。
 そうだ。私は、あなたが差し伸べてきた手を取ってあげたい。
 そうすれば、きっと助けられるから。
「マスタースペード、マスターソードモード…………“スターライトブレイカー”発射用意」
「All right」
 私もカートリッジをロードした。私の制御能力だと、二発のロードが限界だ。基本的な魔力運用能力から言っても、正直なところこれでは全然足りない。
 でも、それでも私は応えたい。
 彼女を助けたい。
「これだけの魔力で応えられるか分からないけれど、精一杯応えますから」
 そして私は、マスタースペードの切っ先を彼女に向けた。

 To be continued.



[24714] 第四十四話 星空へ
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/04/05 03:07
≪1・強がり≫

 デバイスの先端に魔力が集中していく。周辺に散らばる魔力の残滓を掻き集め、それらを己のものとして練り合わせる。
 マスタースペードを支える両手も、突き出した腕も、何故かカタカタと震えていた。
 これが本当に最後。この全力全開をミリー部隊長にぶつけることで、私は彼女と、そして仲間達と新しい一歩を踏み出すのだと決めた。
 だから外せない。手を抜くわけにもいかない。迷ってなんていられない。
 そう、これはとても大事な一撃。
 しかし。
「ソフィー、大丈夫なの?」
 心配そうななのはさんの声。
 それに対する私からの返事は、笑顔。しかしそれは、情けないことに私の強がりでしかない。
 大丈夫じゃない。正直なことを言えば、私程度の力ではカートリッジ二発分の魔力を制御するくらいが限界だ。そもそもミリー部隊長と私では、魔力運用等の技術に大きな差がある。それは、根性や気合いで乗り越えるにしてはハードルが高過ぎるのだ。
 このままぶつかり合っても、たぶん私が圧し負ける。
 それでも、この場で退くわけにはいかないんだ。
 大好きなミリー部隊長を助けたい。ミリー部隊長に戻ってきてほしい。
 想いは唯一つ。私はその一心から、強がりを吐いた。
「大丈夫です、絶対に」



≪2・ミリーの気持ち≫

 私だって気が付いているさ。ただしばらくの間、目が悪くなっていただけだ。
 戦いの後の静寂を鎮魂歌(レクイエム)とするなんて、時代遅れもいいところだ。エクレールを使って暴れ回ったところで、ノーラが喜ぶとは思えない。
 昔の私だったら、エクレールを手にした時点ですぐにでも世界を変えようとしたはずだ。
 だが、私は子供達に出会って変わったんだ。自分なりに考えて、一つの答えを手に入れたんだ。
 死んだ人間が生き返らないのと同じ。地上を離れて星になった者達が二度と帰って来ないのと同じ。
 私達のように今を生きる者達が、星空のような世界を築くことなんてできるわけがない。それは、“死んでいった者達”と“生きている私達”が違うから。
 人は死した時点で肉体を捨て、魂が空に舞い上がる。その時、魂からは時間という概念が消え去り、死者は永遠を手に入れる。魂が持つ自身の“個”を不変のものとし、いつまでも、どんなに年月が経っても、生きる者達の心の中に在り続けるんだ。
 それに対して私達生きる者は、時間を進み続ける。しかしそれは言い換えれば、変化の可能性を秘めているということ。星となった者達を想いつつも、成長が、変化が、進化が出来るということこそ、我々生きている者達の特権だ。
 今の私はどっちだ? 生きているんだろう?
 ならば特権は、私にもあるはずだ。
 あの頃に戻りかけていた私。しかし、ソフィーに呼ばれて気が付いた。思い出したんだ。ただ少しだけ、目が悪くなってそれを見失っていただけだ。
 私は一度変わったはずだ。そして、これからだって成長することが出来る。変わることが出来る。進化することが出来る。
 始められる。何度だって。
「ソフィー、本当に私とぶつかり合えるのか?」
「だ、大丈夫です!」
 ソフィーのその言葉がただの強がりだと言うことはすぐに分かった。
 あの子は、私のために無茶をしようとしている。
 見てみろ、ソフィー。私のデバイスで練成された砲撃魔法の威力は、お前の“とっておき”なんて軽々と吹き飛ばす程の威力だぞ。
 ただ、強がるソフィーのそんなところが、私にとっては嬉しくてたまらない。
 退けるものか。
 あの子の覚悟を、気持ちを、手を、私は無駄にしない。
 そして私は、もう一度変わりたい。
 そう思った時だった。
「ソフィー、私にも手伝わせて」
 デバイスを構えた高町一尉が、ソフィーの隣に並んだ。そして二人のデバイスが互いの意思を確認し合い、魔力を共同制御し始めた。
 そうか。それならばいけるかも知れない。
「なのは、さん?」
「手伝わせて。私はソフィーを助けてあげたい。それに、ミリー部隊長も…………たったこれだけしか出来ないけれど、それでも…………それでも私はそうしたいと決めてここまで来たんだから」
 ありがとう、高町一尉。
「…………では、行くぞ。二人とも」



≪3・幸せだった≫

 ソフィーの魔力と私の魔力が共鳴しあって、マスタースペードの先端に形成されている発射台(スフィア)がどんどん力強くなっていく。
「なのはさん」
 ソフィーに名前を呼ばれて、私は微笑んだ。
「ノイズ曹長との約束でもあるし、二人を助けるために今私が出来ることは、これなの」
「でも……体調は?」
「大丈夫、無理なんてしてないよ。ソフィーが一緒だから」
「…………はい!」
 これで何もかも終りにしよう。ソフィーの差し出した手がミリー部隊長に届くように、私は手伝おう。
 そう、これで何もかも終りにしよう。
「じゃあソフィー、一緒に行くよ」
「お願いしますっ!」
 私達とミリー部隊長のデバイス同士が向き合い、破裂しそうなくらいに膨らんだ発射台(スフィア)が発射の時を今か今かと待ち構える。
 私達二人は声を揃えた。
「スターライトォ――――」
 ミリー部隊長のデバイスが火花を散らしながら銃身の回転を速めた。
 ミリー部隊長、ごめんなさい。私達は、絶対に負けられないし、そう思うだけの自信もある。
 そして待っていて。二人でなら、きっとあなたを連れ戻せる。
「――――ブレイカアァァァァァァッ!」
 同時に放たれた両者の魔法。
 その光線同士が接触するまでに、一秒も掛かることは無かった。
 轟音が耳に叩き込まれて、隣にいるソフィーの雄叫びすらも聞こえない。
 デバイスを握る両手の握力が徐々に弱まるのを感じ、すぐさま意識を指先に集中させる。
 踏ん張った足が、船内の床を凹ませていることにも気が付いた。
 それでも、まだ押し続ける。
 全身が痺れ始めてきて、それでも私は止まりたくなくて。
 ソフィーを見やると、彼女はまだ声を上げているようだった。額に汗を滲ませながら、一生懸命に魔力を注ぎ込んでいる。
 拮抗する私達の砲撃魔法は、互いに一歩だって譲らなかった。
 正直に言って、ミリー部隊長がここまで食い下がるなんて信じられなかった。私達は万全のコンディションではないと言っても二人掛かりなのに、ミリー部隊長はまだまだ力の消耗を感じさせない。
「レイジングハート! もう一回だけ踏ん張って!」
「Yes! My master!」
「マスタースペード! 私達も!」
「All right!」
 頭のてっぺんから足裏までを駆け抜ける痛みと引き換えに、私達の砲撃は更なる勢いをつけた。
 しかし。
「ウルカヌス! まだいけるだろう!」
 信じられない。
 まさか、私達の方が。
「聞こえるかソフィー!?」
 ミリー部隊長が何かを言っているようだ。声は聞こえないけれど、口が動いていることは分かった。
 ソフィーも気が付いているのかな?
「私はこの世界の理不尽が許せない!」
 聞こえない。ソフィーにも、おそらく聞こえていない。
「…………だけど!」
 何て言っているのかは分からない。
 でも、分かる気がした。
 言葉じゃない。
 あなたの魔法から。目から。
 そして何よりも、その表情から伝わってくるんだ。
「この身に降りかかる理不尽は、時々大切なことに気付かせてくれる!」
 だってあなたの今の顔は、
「理不尽だと感じるということは、自分が今まで幸せであったことを知るということだ!」
 今まで見たことも無いような、
「長い時間を振り返って分かった! …………私は!」
 とても良い笑顔だからだ。
「最高に幸せだったぁっ!」
 そして突然、赤い砲撃魔法が一瞬にして消えた。
 砲撃魔法の解除。そんな。撃つのを止めた? 
 私とソフィーはその一瞬の出来事を見て呆気に取られてしまった。
 デバイスから放たれる砲撃魔法の勢いは、そのままに。
「ミリー部隊長っ!?」
 ミリー部隊長の姿が私達の放つ魔法の光に飲まれたのは、本当に一瞬の出来事だったのだ。



≪4・さようなら≫

 私となのはさんが気絶したミリー部隊長を担いで移動を始めたのは、なのはさんのもとにフェイトさんからの通信が入った後だった。通信によると、フェイトさんやクロノ提督達が艦船に乗って、私達のところまで駆けつけて来てくれたということだ。
 その通信を受けたなのはさんは、ミリー部隊長の身柄と一緒に、カトリーヌに追いついたクロノ提督の船へ移ろうと言った。
 フェイトさんからの通信が届いたのは、つい三十分程前のことである。
 ミリー部隊長が砲撃魔法に飲み込まれる姿を目の当たりにした私達は、すぐに砲撃を止めて彼女に駆け寄った。最初は混乱してしまった私だったが、隣のなのはさんが落ち着かせてくれた。
 ミリー部隊長は自ら私達を受け入れてくれたのだ。分かち合いたいと言っていた彼女は、私が差し伸べた手を取ってくれたのだ。
 お互いの魔法をぶつけ合っている間、どういうわけか彼女は満面の笑みで何かを言っていた。
 何て言っていたのかは聞こえなかったけれど、何かに満足したような表情だったのは憶えている。
 そう、私が知っている、“ホカン部のミリー部隊長”を彷彿とさせる顔だった。
 ミリー部隊長に対してある程度の回復魔法を施した私は、彼女の手を取って、ずっと彼女の存在を傍に感じていた。
 それは、家族の温もりだった。
 フェイトさんから通信が届いたのは、ちょうどそんな時。
 カトリーヌの甲板に降り立ったというフェイトさん達のもとへ、私となのはさんはミリー部隊長を抱えながら歩いていった。 
 未だ次元空間に浮いたままの艦船が二隻。私達は、その船の上で合流した。
 二隻の艦船の下にちらりと目をやると、そこには自然発生している虚数空間があった。光すらも逃げ出せない真っ黒な穴である虚数空間だが、今は何だか見ていて落ち着く気がする。
 怖いんだけど、底の知れない神秘的な奥深さ。それが何だかミリー部隊長を彷彿とさせるのだ。こんなことを言ったら、ミリー部隊長に失礼かな。
 クロノ提督の艦船から降りてきたのは、フェイトさん、クロノ提督、ヴィータさん、八神二佐、リインフォース曹長、ノイズ曹長。
 そして、ウィンディーヌちゃんだった。
「ソフィー」
 彼女の声を聞いて、私は微笑んで応えた。
「ミリーは、何だって?」
 ウィンディーヌちゃんからの問いに対して、私は少しだけ間を置いた。
 声は聞こえなかったけれど、あの顔を見れば彼女の気持ちが分かったような気がする。
 きっと、ミリー部隊長は気が付いてくれたんだと思う。
 だってノーラちゃんから受け取ったウィンディーヌちゃんの記憶を見た時、私は知ったからだ。
 役立たずと評されるホカン部にやってきたことも、なのはさんさえも信じられずに苦しんで悩んだことも、大切な友達を失くしてしまったことも、何もかもが今の私の立ち位置を教えてくれている。
 絶望も、疑心も、不安も、不信も、混乱も、悲しみも、全てが今の私の人生を教えてくれている。
 不運の一言で片付けたくなることもあるだろう。
 理不尽というものは間違いなくこの世に存在していて、しかしそれは誰もが遠ざけたいもの、自分の身には降りかかってほしくないものだ。
 当然だ。正当な評価を受けられなかったり、訳も分からずに傷付けられたり、どうしようもない運命に縛られたり。そんな理不尽を誰が喜ぶだろう。
 それでも、理不尽と感じることはある意味で良いことなのかもしれない。不運、災難だと感じることが出来るということは、逆を言えば自分には、比較することが出来るだけの幸せが今までにあったということの証じゃないのか。
 そう、幸せだった。たくさんの人に出会えて、たくさん泣いて、たくさん笑って、たくさんの仲間が出来て、たくさんの愛を受けて。
 本当に幸せだった。そして今も私は、幸せなんだ。
 それを知った時、私は一体どんな顔をするのだろう。
 そんなもの、決まっているじゃないか。
「ソフィー?」
 私は笑顔だった。そう、それはミリー部隊長が最後に見せた笑顔に負けないくらいの、幸せそうな顔だったと思う。
 それを見たウィンディーヌちゃんは、泣きながら何度も頷いた。
 すると、ウィンディーヌちゃんにハンカチを差し出しながら、ノイズ曹長が前に進み出てきた。彼の右手には、真っ黒な立方体が握られていた。
「よ、ソフィー君」
「ノイズ曹長?」
 彼はそっとそのプリズンを差し出してきた。
「一応ウィンディーヌと約束をしたからな。こいつをミリー部隊長に届けるって」
 それは、私達を繋ぐ約束の証。ミリー部隊長が私達を守るために作った、そして再び会うために預けてくれた、彼女との絆。
 今この場には二つしかないけれど、でも、これを持つ限り私達はきっといつまでも繋がっていられるんだと思う。
「じゃあ私からも」
 そう言って私は、自分が持っているプリズンを取り出した。そしてそれをノイズ曹長に預けると、彼は二つを大切に握り締めた。
 二つのプリズンが揃うと、何だか嬉しい。
 これで、私達はミリー部隊長との約束を果たすことにも成功したのだ。
 もう何も心残りは無かった。
 その時。
「よこしてくれ」
 突然の声に私となのはさんが驚くと、私達に肩を預けていたミリー部隊長が咄嗟に身を捩って動き、私達の間から抜け出ていった。
 そして素早い動作でノイズ曹長の手にあるプリズンの一つを掴むと、それを持って私達から距離をとった。
「ミリー部隊長! 何するんですか!?」
「ミリー! あんた何してんのよ!?」
 私とウィンディーヌちゃんが声を上げると、彼女はそのプリズンを掲げながら言った。
「私は、星になりたい」
「ミリー部隊長? 何を言っているんですか?」
「…………幸せなんだ。私はこのまま、自分という“個”を不変のものとして存在していたいんだ」
 彼女の穏やかな声と表情が、私達の足をその場に縫いつけた。
 そして彼女は、本当に幸せそうな笑顔を浮かべていた。
「プリズン、シークレット機能発動。“コンファインモード”」
 その言葉が紡がれた直後、プリズンが六つの正方形に分離して、ミリー部隊長を囲い始めた。
「ミリー部隊長! 何をしているんですか!?」
「ソフィー、ウィンディーヌ…………他の子達にも伝えてくれ」
 信じられなかった。
 ミリー部隊長の体が徐々に真っ赤な粒子となって分解されるように消えていき、その粒子は六枚の正方形が囲う空間を縦横無尽に泳ぎ回っていた。
 確かあれは、プリズンの起動モーション。
 そんな、ミリー部隊長は何故またプリズンの中に?
「私は、お前達と過ごせて本当に幸せだったよ。こんなに恵まれた人生を歩めて、本当に嬉しかった」
 その言葉は何? お別れの挨拶? 
 耳を塞いでしまいたかった。全部を聞いたら、あなたはきっと帰ってこない。
 それなのに何故か耳を傾けている。矛盾しているようだけれど、私はあなたの言葉を聞きたいとも思っているのだ。
 それは大切な人からの、私のおかあさんからの、最後の言葉だから。
 一言だって、一句だって、呼吸音だって聞き漏らしたくなかった。
「もう充分だ。たくさん貰った。だから、この気持ちを永遠のものにしたいんだ。解ってほしい…………」
「ミリーぶ…………おかあさん」
「ありがとう」
 やがて、ミリー部隊長の姿が全て粒子に変換されると、それらは黒い六枚の正方形に包まれながら密集していき、ぴったりと各辺を繋ぎ合わせた箱の中に収められた。
 そして転がるプリズン。
 しばらくの沈黙が続く中、ノイズ曹長が歩いていってそれを拾った。
「…………プリズンが、起動しない」
「え?」
 すると、ウィンディーヌちゃんが静かに、そして穏やかに言った。
「プリズンの裏機能だよ。もうそれはずっと開くことなんて無い、永久牢獄なのさ」
「そ、そんな…………」
「ミリーをそっとしておいてあげてよ。あいつは…………これでようやく星空のような世界に行けたんだから」
 再び沈黙が流れた。
 誰もミリー部隊長を卑怯者とは呼ばない。ただ、彼女が新しい世界で笑っていることを願うばかりだった。
 大丈夫。私だっていつまでも落ち込むことはしない。
 彼女は幸せな自分を永遠のものとした。
 そして彼女の幸せとは、大切な人達といつまでも笑い合うこと。
 だったら、彼女の幸せを願う私だって、笑いあいたいと思う。
 だからもう一度、静かに微笑んだ。
「ミリーは、もういないのか」
 突然聞こえた声。
 全員がカトリーヌの甲板上にある出入り口を見た。
 そして、どうしてそこに“その人”がいるのかが分からないまま、固まった。
「あ、あんた…………」
 ウィンディーヌちゃんでさえ驚きのあまりに声が出ていなかった。 
 私だって同じだし、同じ次元航行部隊のクロノ提督やフェイトさんだって同じ顔をしている。
 そこに立っている人物は、私達からノーラちゃんを奪った男。
 ルミオン・ストレイジーだった。
 誰よりも早く殴り掛かろうとするように思えたウィンディーヌちゃんも、驚き過ぎてじっと固まったまま動けないでいた。
「カトリーヌの内部にずっといたのさ。ミリーが来るよりも前にな…………随分と前からミリーをマークしておいて正解だったようだな。あんな場所に艦船を隠して、何をするつもりだったのやら」
 ルミオン提督は、何処と無く疲れているようにも見えた。何だか老けたようにさえ感じる。
「ルミオン提督、あなたにお伺いしたいことがあります」
 言葉を失っている私達に代わり、声を発したのはフェイトさんだった。
 彼女の凛とした声を聞き、ルミオン提督はトロンとした目でフェイトさんを見た。
 明らかに様子がおかしい。何なのだろう。まるですっかりと消耗してしまったような、例えるなら必死にあちこちを逃げ惑って動けなくなってしまった小動物のような、弱々しい目の光。
「ミリーは、その中か」
 ノイズ曹長の持つプリズンを見ながら、ルミオン提督が言う。
 もしかして、彼はミリー部隊長に見つからないようにと逃げ回っていたのか?
「ルミオン提督にお伺いします…………あなたは昨日、ノーラ空士とフィンカンティエリ研究所に向かいましたね?」
 フェイトさんの質問を無視して、彼はじっとプリズンを見つめていた。
 ひょっとしたら、罪を犯したことに怯えて管理局から逃げていたのだろうか?
「はああぁぁ…………もう、追わないでくれ…………疲れて動けない」
「ルミオン提督?」
「くそ……くそぉ…………もう来ないでくれ」
「あの」
「ノーラァ…………」
 ノーラ。今、彼は確かにそう言った。
 まさか、ノーラちゃんの幻影から逃げているとでも言うのか。
 懐に手を入れたルミオン提督は、そこから一丁の拳銃を取り出した。
 思わず声を上げそうになった私達だが、ルミオン提督はその拳銃を構えることもせずに、投げ捨てた。
 放り投げられた拳銃は次元航行艦の甲板上を滑っていき、艦船の端から下に落ちていった。
 そして、艦船下方に口を開けている虚数空間の中へと一直線に向かっていく。
「お伺いします。ノーラ・ストレイジー空士を殺害しましたか?」
 フェイトさんの質問が、ルミオン提督に突きつけられる。
 しかし、その質問を聞いて、私も胸が少し痛んだ。
 ここで彼が肯定すれば、私はあの事実をもう一度受け入れなくちゃいけない。その痛みはとても辛いものだ。
「ノーラを…………殺した? まだそんなことを言って付きまとうのか。はは…………そうか、凶器を捨てたって、まだ私は逃げ切れないのか。私は許されないのか」
 これで、彼がノーラちゃんを殺したことが明確になった。
 しかし、それと同時に分かったこともある。
 彼の不安定な精神状態は、おそらく罪の意識から逃げているのだ。人の命を一つ消してしまったという罪悪感や後悔や恐怖に、彼はずっと追い詰められているのだろう。逃げても逃げても追いかけてくるそれ等から、ずっと一人で逃亡を試みていた。しかし、凶器である拳銃を捨てても尚、彼は逃げ切ることが出来ないでいるのだ。
 ノーラちゃんを奪われたことに対する怒りを感じるよりも、私はルミオン提督のその姿に寒気を感じた。
「ルミオン提督、あなたにも詳しく事情を聞く必要があるみたいですね。こちらへ」
 そう言ってフェイトさんがルミオン提督の手を取ろうとした時、彼は突然素早い動作を見せた。
 さっきまでのぐったりとした様子とは全く違った動きに、私達は不意を突かれて反応が遅れる。
 彼の取った行動は、膝を折って座り、彼は額を何度も甲板にぶつけて叫ぶことだった。
「許してくれ! 俺が悪かった! 謝るから! 謝るから許してくれ!」 
 その謝罪はノイズ曹長の手に握られたプリズンへと向けられていた。
 そうして何度も土下座をするルミオン提督。しかし、そんなことをしてもどうやら罪の意識からは逃れられないらしく、彼の口からは謝罪の言葉よりも呻き声が多くなってきた。
「ダメだ! まだ許されない! おい、そのプリズンを貸してくれ! 俺はミリーにしなくちゃならんことがある!」
「え?」
「頼むっ!」
 ルミオン提督が懇願するその姿を見て、ノイズ曹長が警戒をしながらもプリズンをそっと下に置いた。
 すると、餌を見つけた空腹の猫のようにそれへ飛びついたルミオン提督は、掴んだプリズンを掲げたまま立ち上がった。
 どうしてだろう? 私は今、ものすごく怖い。この感じは一体何?
「ああ……何で許してくれない…………私は、そもそも私はこんな計画なんて乗り気じゃなかったんだ…………なあ、ミリー」
 頭上より高く掲げたプリズンに、ルミオン提督はいつまでもぶつぶつと言葉を吹き掛け続けた。
 冷や汗が流れる。
「あの、ノイズ曹長」
「ん? 何だソフィー君」
「その、プリズンを……ミリー部隊長をそろそろ返してもらった方が」
「あ、ああ…………ルミオン提督、そろそろプリズンを」 
 彼がそこまで言った時、突然ルミオン提督が走り出して、甲板の淵で止まった。
「ルミオン提督!」
「はは……はははっ! そうか、もっと早く気が付けばよかった。こいつが、お前が元凶か! 謝ったっていつまでも許してくれないのだったら、お前さえいなくなれば私は許されるのか!」
 何を言っているのか。
 許されるものか。許されてたまるか。
 あなたがどんなに罪を償おうとしても、おそらくあなたが握っている箱の中にいる人は、あなたを決して許したりはしないだろう。
 それなのに、彼は箱の中のミリー部隊長が返事をしないからと言って、身勝手な解釈を吐き続けた。
「そうだ! お前さえいなくなれば、俺を追うものなんて何もない! お前が消えればいいんだ!」
 何度かウィンディーヌちゃんの方を見ると、彼女も私と同じような気持ちでいることが分かる。
 危険だ。何だか今のルミオン提督は、危険過ぎる。
「ルミオン提督! そのプリズンを返しなさい!」
 なのはさんが叫んでくれた。
 しかし、それでも彼は笑い声を響かせ続け、いつまでもプリズンを高いところに掲げ続けた。
 そして。
「消えてしまえばいい! お前なんて! 一生暗闇の中で眠っていればいいんだ!」
 声を失った。
 誰もがその光景を目の当たりにして、目を見開かせた。
 ルミオン提督の手から零れ落ちるように、ゆっくりと落下していくプリズン。
 その行き先を目で追うことしか出来なかった一瞬が、私の全身に鳥肌を立てさせた。
 呼吸すらも忘れた時間。それはあまりにも短く、しかし長かった。
「い……いやああぁぁぁっ!」
 叫び声が出た時にはプリズンは既に視界から消えていて、駆け出して艦船の下を覗いた時には既に砂粒程度に小さくなっていた。
 そしてその先には、無限の闇が広がっている。
 そう、そこには、虚数空間。
「うそ! やだぁ! やだよぉっ!」
 ウィンディーヌちゃんも同じように私の隣で艦船の下を見やっていた。
 そして、身を乗り出す私とウィンディーヌちゃんを押さえるのは、なのはさんと八神二佐。
「離せ! ミリーが落ちる! 助けなくちゃ!」
「なのはさん離して! まだ間に合うから! ねえってばぁ!」
 それでもなのはさんの手は私の体から離れなかった。
 だめ。ミリー部隊長が遠くに行っちゃう。
 せっかく笑い合えるようになったのに。
 せっかく彼女の気持ちを分かち合えたのに。
 せっかく私達は本来の私達に戻れたのに。
 何度も飛び出そうとした。何度も後を追おうとした。
 それでも私とウィンディーヌちゃんは、はなのはさん達の手によって引き戻された。
「こんなのってないよ! どうして!? だってミリー部隊長が! …………おかあさんが!」
「ソフィーだめ! 行ったらあなたも戻って来れないから!」
「だって酷いよ! せっかく私達は! 私達はっ! ねえっ! おかあさんっ!」
 ふと、背後からの高笑いに気が付いた。
 ルミオン提督の声だった。さっきまでよりも一層顔色を悪くして、狂ったように笑い続けていた。
「どうだ! これで俺は許されるのか!? なあ、どうなんだ! 教えてくれ! 俺は逃げ切れたんだろう!?」
 許せない。絶対に許せるはずがない。
 私はその声の主に怒りをぶつけようと振り向いた。
 しかしその瞬間、信じられない光景を見た。
 銀色のガントレットで覆われた拳が、ルミオン提督の頬を弾き飛ばしたのだ。
 呻き声を上げながら倒れ伏すルミオン提督。
 そして彼を見下ろしながら、そして荒い息遣いをしながら涙を流すフェイトさんが、そこにいた。
「あなたは…………あなたはっ!」
「フェイト、さん?」
「…………フェイトちゃん」
 私となのはさんの呼びかけに気付かない様子でフェイトさんは、昏倒した様子のルミオン提督の胸倉を掴んで彼を無理矢理起き上がらせ、何度も何度も激しく揺さぶった。
「あなたは…………自分の母親が絶対に手の届かない闇に落ちていく姿を目の当たりにした子供の気持ちがどんなものか……ほんのちょっとだって考えられないのぉ!?」
 フェイトさんの言葉は、何だか私達のためだけではないような気がした。
 フェイトさんの気迫は、何だか私達の抱く感情に近いものがある気がした。
 フェイトさんの涙には、何だか私達の涙と同じ想いが込められている気がした。
 そしてそのままフェイトさんは、膝から崩れて泣いた。
 何だろう、この気持ち。まるで私達の悲しみの分まで、フェイトさんが泣いてくれているような気がする。
 私は彼女に一言お礼が言いたい気分になった。
 その理由が分からないまま、私はもう一度艦船の下を覗きこんだ。
 深くて、暗い。もう、私の声すらも届かない。
 納得なんて出来ない。どうしようもなくて辛い。見下ろした先は果てしなく暗い。
 それでも私は一言、小さな声でお別れを告げた。
「さようなら…………おかあさん」

 To be continued.



[24714] 最終話 はじまりの場所へ
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/04/09 12:35
 このお店に到着するまでの間、真っ白なワンピースを揺らす風が心地良かった。風が強いと少し肌寒いかと思って着てきたピンクのカーディガンは、やっぱり途中で脱いでしまった。
 窓から眺める景色には、町を行き交う人々の姿。恋人と歩く人もいれば、ペットを散歩させる老人の姿もある。買い物袋を両手にいっぱい持った中年や、自転車で軽快に走る人だっている。
 そんな光景の中でも特に私の目を引いた人達がいる。
 それは親子。我が子と手を繋いで歩く人の姿や、泣きべそを掻いて抱き上げられる子供の表情を見るだけで、今でも胸が少し痛い。
 それを誤魔化すように、私は目の前にある紅茶を一口だけ飲んだ。
 ミリー部隊長が遠くに行ってしまったあの日から、二週間が過ぎていた。
 この二週間の間にあったことを、私はよく憶えていない。どれくらい泣いたかどうかさえ思い出せないのだ。
 ただ、ウィンディーヌちゃんと一緒にホカン部の皆と再会出来たことは憶えている。
 事件が終焉を迎えたあの日、私とウィンディーヌちゃんは機動六課の面々に地上本部へ連れて行かれた。
 そこで待っていたのは、先に捕らえられていたマルコちゃん、ジージョちゃん、ブラント君の三人だった。三人は事情聴取を既に済ませており、私とウィンディーヌちゃんが知るミリー部隊長の過去以外、つまり彼女達が知る範囲の全てを明らかにした後だった。
 再会を果たした時、彼女等が真っ先に心配したのはミリー部隊長のことだった。「無事なのか?」、「一人で上手く逃げられたのか?」、「自分達は捕まってしまってすまない」、と言った内容の質問等に押し迫られた私は、真実を話して聞かせることが出来なかった。
 何も言えなかった私に代わり、ウィンディーヌちゃんが皆に全てを話して聞かせてくれた。そしてウィンディーヌちゃんの話が続く中、誰一人として声を発する者はいなかった。
 驚きもあっただろう、泣き崩れたい気持ちもあっただろう、怒りに震えたくもあっただろう。それでも、全員静かにその話を最後まで聞いた。
 皆一人一人、それぞれに思うことがあったはずだ。しかし、誰もそれを他者に告げることなく、しかし最後に一つだけ、全員が同じ言葉を発していた。
 それは、今ではもう二度と会えない大切な人に向けた言葉。母に対して放たれた感謝の言葉だった。
 それからまた数日後、私達に対する処分におおよその見当が付いた。誰が何と言おうと私達ホカン部は、ミリー部隊長を主犯とした犯罪者であり、罰を科せられる者達なのだ。実質的な裁判はまだ行なわれていないものの、その処罰についてフェイトさんが話してくれた。
 計画の首謀者及び中心にいたミリー部隊長とウィンディーヌちゃんは別として、私やマルコちゃん、ジージョちゃん、ブラント君に対しては情状酌量の余地が充分にあり、更にフェイトさん自身も良心的な弁護を行なうと言ってくれたのだ。その上でフェイトさんが見る私達への判決は、おそらく保護観察処分となるだろう、とのこと。
 その処分予想に対して、私は軽過ぎないだろうかという印象を持った。フェイトさんの厚意はもちろん嬉しいのだが、私としては受けるべき罰はきっちりと受ける覚悟でいたので、少し拍子抜けしてしまった。
 だが、フェイトさんは「軽過ぎるとは思っていない」と強気な主張をした。今回の事件は、私達ホカン部部隊員に同情すべき点が多く、また、私達のやったことは真相を知らぬままに突発的判断を委ねられた上での行動であるため、それを考慮すればこの判決予想は妥当である、とまで言われてしまった。
 私は“フェイト執務官”という人がどんな人なのかを垣間見た気がした。
 そんなフェイトさんの陰には、実はなのはさんから教えてもらった一つの話がある。
 フェイトさんは、幼い頃に母親を失ってしまったらしい。その別れ方というのが、フェイトさんが愛してやまなかった母親が、フェイトさんの目の前で虚数空間に落ちていくという悲劇的なものだったそうだ。
 もしかしたら、フェイトさんは私達に自分の姿を重ねていたりするのだろうか。それ故に、彼女の私達に対する同情と精一杯の配慮があるのかも知れない。
 いずれにせよ、フェイトさんから私達への厚意は何だかんだで有り難いものだ。
 しかし、その代わりというわけではないのだが、悲しい知らせもあった。
 それは、ミリー部隊長達の企てていた計画に関係する人々の逮捕が相次いだこと。
 その逮捕者の中には、計画に加担していた管理局局員十数名を始めとしたサイオン部隊長やルミオン提督。
 そして私の保護者であるスプリングス夫妻、ジージョちゃんの里親であるダイナ・ダビッドソン氏、ホカン部隊舎の寮母さん、そしてウィンディーヌちゃん。
 当然のことではあるが、逮捕者には私の大切な人が含まれていることもあり、それがとても悲しかった。
 そんな中で、私がこうして町を出歩くことが出来るのには理由がある。
 それは、私が他の皆に比べて罪状が軽いということ。それは何故かと言うと、私一人が比較的管理局側に対して協力的だったからということらしい。
 しかしそれは間違いだ。私はなのはさんに対してデバイスを向けたし、砲撃魔法も放ってしまっている。マルコちゃん達が機動六課とそれぞれ個別に戦っていたのは後で聞いた話だが、私のやった事だって同じようなもののはずなのに。
 そう思っていたのだが、実はあの時のなのはさんとの衝突は、なのはさん本人が不問としてくれたのだ。
 更に、私はミリー部隊長の暴走を止めるための管理局員として至極全うな働きをしたということで、他の皆に比べて比較的軽い処罰で済むことが決まりかけている。よって、現在では正式な処分が下されるまで謹慎中ということになっているのだ。
 私一人だけ。それがむしょうに嫌で仕方が無かったが、マルコちゃん達は別段気にすることもせず、「ちょっと長い休暇を貰ったとでも思っておけ」と笑っていた。
 そんな楽観的に考えられるような私ではない。私だけが贔屓されているようで、やっぱり理不尽さを感じてしまう。
 そんな時だった、なのはさんに呼び出されたのは。
 待ち合わせ場所はこの喫茶店。時間は午前十一時。
 まだ来ないなのはさんを待ちながら、私は窓から見える平穏に少しだけ嫉妬心を抱いていた。
「ソフィー、おまたせ」
 ふと、聞こえた声の方へ顔を向けると、そこには私服姿のなのはさんがいた。普段の制服姿とはまた違う印象を与えるカジュアルな雰囲気のなのはさんは、何だか余計に歳が近く感じてしまう。
 私の目の前の席に座り、なのはさんは右手に持ったポーチを隣の椅子に乗せた。
「ごめんね、待たせちゃって」
「いえ、謹慎中だから暇だし、平気です」
「ちゃんと謹慎中の外出申請は出した? 外出理由もちゃんと言った通りに書いたよね?」
「はい…………あの、外出理由って本当に“あれ”でいいんですか?」
 謹慎中の私が外出をするには、一応外出のための手続きが必要だった。
 その申請書を書く際に外出理由として書いたのが、“処罰執行後の進路相談のため”というものだった。
 一応私も罪人なんだけれど、そんな理由で了承してもらえるのかな? なのはさんは、「仮に怒られたとしたら私も一緒に謝る」と言ってくれたものの、この人もなかなか図太いなと思った。
「大丈夫。だって必要なことだもんね。それよりどう? 最近は?」
「はい、いろいろな事を考える時間が増えました」
 なのはさんからの質問に対して、答えはすんなりと発せられた。
 本当にそうだったのだ。自分の今後を思うと、あれこれと考えることが湧いてくる。
 フェイトさんの言う通り、このまま私達が保護観察処分を受けた場合、管理局側は私達に反省の色が窺えるのであれば今後も局員としての所属を了承してくれるという話だ。まさかと思う話かも知れないが、実際にそういうことが可能だと言う。それが管理局の慢性的な人手不足等の問題に起因することなのか、はたまた管理局がよほどのお人好しなのかは分からない。
 ただ、何にせよ今の私は、時空管理局員としての自分に何も感じられずにいる。
 初めて訪れた時はあんなにも憂鬱な気分にさせられたホカン部隊舎は、部隊の廃止と共に取り壊しが決定してしまった。とりあえず今は、ミリー部隊長の計画を調査するために現場検証が行なわれているが、私達が再度踏み入る機会はやって来ない。
 そう、ホカン部の廃止が決まったのだ。大好きだった遺失物保護観察部は、もうどこにも無い。
 私が管理局員になった理由は、きっとどんな部署でも持ち続けることが出来るのだろう。けれど私には、それをホカン部以外の場所でも成し遂げられる自信が無かった。
 こんなにも大切な場所になるなんて思わなかった。
 要らん部と言われて爪弾きにされていた部署だったし、役立たん部と蔑まれた部署だった。メンバーも皆仕事が嫌いで、管理局員らしからぬ勤務態度だったはずだ。
 マルコちゃんはいつも技術室に籠もって怪しげな笑いを響かせていたし、ジージョちゃんは削り取っているんじゃないかと思うくらいに隊舎をピカピカに磨いていたし、ブラント君はいつまで経ってもお子様な雰囲気が抜けなくて、ノーラちゃんの大人びた雰囲気が時々壊れることにも驚かされて、ウィンディーヌちゃんが騒ぎ立てれば私はたじたじだった。
 そして、そんな私達をいつもミリー部隊長は楽しげに見守ってくれていたんだ。
「ソフィー?」
 私は慌ててハンカチを目に当てた。
 そしてすぐに話を切り替えた。
「カ……カローラが二○三八航空隊に戻って来ないかって誘ってくれているんです! なのはさんはどう思いますか!?」
「えっ……と、まあ、ソフィーがそうしたいなら良いと思うけど…………」
 気付かれちゃったかな? でも、気にされたら絶対に堪えられない。
「そうですか」
「うん…………じゃあ、ソフィーは航空隊に戻るの?」
 そう問われて、私は自分の中にその気すらないことを改めて気付いた。
「えっと…………実は、分からないんです」
「え?」
「管理局員、辞めちゃおうかなって」
 何が何でも引き止めてほしいというわけではなかった。ただ、それでも悩んでいるんだというアピールは見せたつもりだ。
 なのはさんの意見を聞きたかった。私の憧れた人だったらどんな道を選ぶのか。私が憧れた人の選択なら、頑固でワガママな私でも参考に出来るんじゃないかという淡い予感はあった。
 この思惑が吉と出るか凶と出るか。今の私にはまだ分からない。
「そっか。悩んでいるんだ」
「はい。マルコちゃん達にも今後どうするかって話をしたんですけど、彼女達はみんな管理局を辞めるって言ってました…………でも」
「でも?」
 ここからは、マルコちゃん達に対する愚痴が混じることになる。
「でも、私には辞めるなって言うんです」
「そうなの?」
「ずるくないですか? 自分達だけ管理局を辞めるって言うのに、私には今のまま管理局員として頑張れって言うんです」
「何でそんなことを言うの? 理由は訊いた?」
 もちろん訊いた。
 その理由は。
「マルコちゃん、ジージョちゃん、ブラント君の三人は、本当にやりたいことがあるからだそうです。マルコちゃんは今まで隠してきた自分自身と上手くやっていく術を探すとか言ってました。ジージョちゃんはミリー部隊長に返しきれていない気持ちを、他の人のために注ぎ込むとかって。ブラント君は、ウィンディーヌちゃんと寮母さんがいつでも戻ってこれるように準備をするんだそうです」
「…………何だか、皆難しいことを考えてるんだね」
 なのはさんが苦笑している。
 その気持ちも分からなくない。私だって皆の言っていることが分からないのだから。
「で、ソフィーに管理局員を続けろって言う理由は?」
「三人と同じ、私には本当にやりたいことがあるからだそうです」
 なのはさんが首を傾げた。
 だから私は教えることにした。そして、自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
 なのはさんに、私の本当にやりたいことを。
「…………大切なものを不必要に失くす人が現れないように」
 そう、結局はここに戻ってくる。
「助けてほしい人へ手を伸ばすために」
 だから私は悩んでいるんだ。
「守りたい人がいれば体を張るために」
 やりたいことがあるのに、私は管理局員を辞めたいと言う。
「応えたい声に向かって叫ぶために」
 こんな矛盾が、私を悩ませる。
「…………ソフィー」
「それが、私のやりたいことだから。だったら、管理局員を辞めることはないだろうって言うんです」
 それは、ヒデオウトに向かった次元航行艦ウルスラの中で、ミリー部隊長が私に約束してくれたことでもある。
 遺失物保護観察部ソフィー・スプリングスにとっての“はじまり”と同じ気持ち。
 そんなことを話す私を見て、なのはさんは少しだけ微笑んだ。
 そして得意気な調子で言った。
「ソフィーはたぶん、管理局を辞めないよ」
「何でですか?」
 そう尋ねると、なのはさんはテーブルの上の伝票を拾い上げながら、席を立った。
「連れて行きたいところがあるんだけど、来てくれる?」



 なのはさんと一緒に乗ったバスは、私もよく知っている場所へと向かっていった。
 第一管理世界ミッドチルダの象徴とも言える建造物。
その名も、
「着いたよ」
 時空管理局地上本部。
 私となのはさんは、その中をひたすら歩き続けて進んでいった。
 地上本部は大きい。ここにはよくやって来ていたはずの私だけれど、こんなにもたくさん歩き回ったら迷子になることは間違いない。
 通ったことの無い通路。降りたことの無い階段。照らされたことのない照明。
 私は地上本部の奥深くへと進んでいった。
 どこまで行くのだろう。何だか少しだけ怖い気もした。
 きっと暗がりに怯える子供みたいな不安顔をしていたのだろう。私を見たなのはさんが笑い出した。
「ひ、酷いです!」
「ごめんごめん、ソフィーが可愛かったものだから」
「弁解になってません!」
「そんなに不安がらないで。もうすぐだよ」
 そう言ってなのはさんが最後の扉を開くと、そこにはノイズ曹長がいた。
「お待ちしてましたー!」
 満面の笑みで敬礼をするノイズ曹長は、なのはさんと向かい合って鼻の下を伸ばしていた。
 それに構うことなく私は奥に少しだけ踏み入ると、ノイズ曹長の背後には大きくて頑丈そうな鉄扉があった。厳重にロックされたその扉は、電子パネルを横に添え、冷たくて重厚な雰囲気をその場から醸し出していた。
 地上本部の倉庫か何かだろうか。こんなにも強固に守られているとなると、よほどのものが収納されているに違いない。
「ノイズ曹長、よろしくお願いします」
「了解です!」
 ノイズ曹長が電子パネルを操作すると、扉が数回に渡って開錠する音を響かせた。何だかその音が一つ一つ聞こえる度に、私の緊張感も増してくる。
「ようこそ、地上本部の地下倉庫兼機動三課の仮管理倉庫へ!」
「仮?」
 ノイズ曹長が頭を掻きながら言った。
「いやぁ、機動三課隊舎の管理倉庫が壊れちゃったもんだからさ、一時的だけど地上本部の倉庫に三課管理のロストロギアを保管しているんだよ」
「ということは、今ここにはロストロギアがあるんですか?」
 私の質問に頷いて返事をしたノイズ曹長は、開いた倉庫内に私達を誘った。と、同時に、私の顔を見て尋ねてきた。
「ソフィー君は今後どうするか決めたのかな?」
「今後?」
「処分後のことだよ」
 それはさっきまでなのはさんと話していたこと。
 あんなに強く持っていた志も、今では成し遂げられるのかどうか分からない。そんな私の迷い。
 何だか、いろいろと疲れちゃった。
 私には確かにやりたいことが、成し遂げたいことがある。
 でも自信が無い。今まではホカン部という居場所があったし、仲間もいたし、だから私は頑張れたんだと思う。
 今まで本当に多くの人に支えてもらっていたんだと痛感した。
 ミリー部隊長に守られて、スプリングス夫妻に育てられて、ホカン部の皆に助けられて。
 振り返ってみれば、だいぶホカン部に依存してきたんだなと気付く。
「ホカン部はもう無いんです…………皆がいないなら、私一人で頑張れるかなんて分からないし」
 そう、分からない。
「だから、やっぱり管理局は辞め」
「ホカン部はなくならないよ」
 ノイズ曹長が笑って言った。隣ではなのはさんも笑顔を浮かべ、静かに話を聞いている。
「どういうことですか?」
「実は、機動六課の八神部隊長が上層部に進言してくれたんだ。今回の事件を省みて、やはりロストロギアの管理を遺失物管理部にほぼ任せている現状は危険な場合もあるので、ホカン部のようにロストロギア専門の管理体勢を観察する部署は必要じゃないかってね」
「それってつまり…………」
「現段階では設立を検討中ということになってるんだけどさ。設立が可決された場合、遺失物管理部の管轄内ということにはなるけれど、『管理体制保護観察課』というような位置付けで構想されている部署があるんだ」
 少しだけ震えた。
 ホカン部が、また始まる?
 でも。
「で、でも! マルコちゃん達は管理局自体を辞めるって言ってるし、私だけホカン部にいったって頑張れるかどうか分かりません! 私は…………弱いから」
「ソフィー、そんなことないよ」
 なのはさんの声。
「弱くなんてないよ。ソフィーは充分強いよ」
 そんなことはない。なのはさんと初めて一緒に空を飛んだとき、あなたに追いつけなかった私は、自分の弱さを認識した。
 なのはさんはあの時のことを忘れてしまったのだろうか。私はあなたの隣を飛びたいと思いつつも、力及ばずに後方を飛んでいた。
「ソフィー、あなたはきっと大丈夫。絶対にやっていける。だって、ミリー部隊長の子供でしょう?」
「でも」
 なのはさんの二本の腕が、私のことを包み込んだ。
 その温もりが心地良くて、言葉を続けることが出来なかった。
「私は言ったはずだよ。初めて会った時、一緒に空を飛んだ私は、ソフィーに向かって“強いね”って。あれはお世辞でも嘘でもない。本当に強い子なんだなって直感的に思ったから言ったんだよ」
 忘れていなかったんだ、あの時のこと。
「守ってあげてほしいの。ソフィーが志にしたことももちろんそうだし、ここにあるロストロギアも」
 ロストロギア? 私はなのはさんから体を離して後ろを振り向いた。
 そこには、ノイズ曹長がいつの間にか持ってきた大きなトランクケースがあった。
 魔法による封印処置を施されたそのケースを持ってきたノイズ曹長は、テーブルの上にそのケースを置いて、封印を解除した。
 そして開かれたトランクケースの中には、見覚えのあるものが三つ。
 それは、私達のゆりかご。
 そして、私達ホカン部の絆の証。
「プリズン?」
「そう、虚数空間に落ちたものを除いた、残りの三つだ」
 辛い記憶が蘇りそうになって、私は思わず目を背けた。
 意地悪をしているつもりなのだろうか。ノイズ曹長は穏やかな声で言った。
「ソフィー君には、これを守ってもらえたらなって」
「そんなもの……ただ容量が大きいだけのメモリです。私が守りたかった人は、四つ目のそれと一緒にいなくなってしまいました」
 そうだ。だから守れる自信なんてあるわけがない。
「実はな…………」
 ノイズ曹長が恥ずかしそうな声を上げた。
 理解の出来ない彼の態度に、私は怪訝な顔を浮かべてしまった。
「な、何ですか?」
「あの時、ルミオン提督にプリズンを貸せと言われて渡したプリズンなんだが」
 なのはさんも何だか嬉しそうに笑っている。
 何? その表情は。
 まさか。
「ミリー部隊長の入ったものじゃないんだよ」
 言葉が出なかった。
 それは。
「本当……ですか?」
「ルミオン提督も錯乱していて危なかったし、思わず違う方のプリズンを渡しちゃったんだ」
「うそ…………うそ…………ほんとに?」
「あの場ではルミオン提督が案の定とんでもないことをやらかしたから、びっくりして言い出せなかったけど…………その、あれだ。俺も管理局員だし、ミリー部隊長を自由の身にしてやることは出来ない。まあ、どっちみちプリズンはもう開かないんだけどね。それだったら、せっかくミリー部隊長が手に入れた幸せをそのままにしてあげようかなー、なんて」
 もう何も言えなかった。
 言葉が出てこなかった。
 出てくるものは、涙だけ。
 まだ、ミリー部隊長がここにいる。
 私達を守り続けてくれた人が、そして守りたいと思った人が、まだここにいる。
 だったら私は、弱音なんて吐いていられないじゃないか。
 失ってなんかいなかった。まだまだ守らなくちゃいけないんだ。
 再び蘇った志は、私に力を与えた。
 ミリー部隊長を傍に感じることで、私は決意をいつまでも忘れずにいられる。
 彼女が、そして彼女達が私に与えてくれた“はじまり”は、消えてなんていない。
 大切なものを不必要に失くす人が現れないように。
 この思いは、今でもまだ消えていない。
 なのはさんがもう一度抱きしめてくれた。
 その温かさに顔を埋め、私は泣き続けた。
 もうあんなにたくさん泣いたのに。まだまだ泣き足りない。
 そして、私から伸ばすべき手も、張るべき体も、叫ぶべき声も、きっとまだまだ足りていない。
 だったら、これから私がやるべきことも決まっているじゃないか。
 


≪エピローグ≫

 お元気ですか? あなたならきっと今でも、変わらずに素敵な笑顔を浮かべていることと思います。
 私の方は元気です。皆も私に負けないくらい元気みたいです。たまに取る連絡からその様子が窺えます。
 さて、気になることと思いますので、私達の近況をお知らせしたいと思います。
 あの事件に関する、私達の処分がただいま執行中です。
 フェイトさんがとても一生懸命に動いてくれたようで、私とマルコちゃん、ジージョちゃん、ブラント君は現在保護観察処分となりました。仕事は出来るものの、定期的に保護司の方々と会うなどしています。
 まずはマルコちゃんから。
 彼女は今、管理局を辞めてしまっています。
 現在は管理局の外部組織で、魔導技術の研究と開発を行なっています。なんでも、次世代デバイスの開発や新型次元航行艦の設計などに携わっているようです。
 ただ、本人のマニアックな趣味が出てしまうこともしばしばあるみたい。
 シャーリーさんもたまにマルコちゃんのところを訪れては、二人で怪しい談議を繰り広げていると言っていました。
 そうそう。そう言えばマルコちゃんが、保護観察期間が終わったら少し旅にも出てみたいと言っていました。大好きなデバイス開発のためのインスピレーションが欲しいそうです。
 次はジージョちゃん。
 彼女も管理局を辞めてしまいました。
 今では、主のいなくなったダビッドソン家に戻って、お屋敷の維持に努める若旦那様のお世話をしているそうです。
 それと並行して、児童養護施設に通い詰めて活動もしているんだって。
 ジージョちゃんは、滅多にしなかったけれど料理も出来るし、掃除も洗濯もずっとお屋敷でやって来たことだから大得意なので、施設では喜ばれているみたいですよ。
 だけど相変わらずの無口なので、子供達によくからかわれているんだって。
 大変なことももちろんたくさんあるけれど、それでも今の生活にやりがいを感じていると言っていました。彼女らしくて良いなーと思います。
 それと余談ですが、たまにお屋敷の方から果物やお茶を送ってくれたりもするんです。
 そしてブラント君。
 彼も管理局を辞めました。
 その戦技能力等から、腕を磨けば良い魔導師になれると思ったのに。
 ブラント君と戦ったフェイトさんも彼の戦技能力を認めていて、将来的には部隊のエース、そして戦技教導隊なんかでもやっていけるんじゃないかと予想していたみたい。
 シグナムさんもブラント君の強さには興味深々で、「いつかまた模擬戦でもどうだ?」ってずっと誘ってました。
 でも、ブラント君はそれどころじゃないと言って話を蹴りました。
 というのも、彼がたまたま描いた落書きがなんと、ミッドチルダでも有名な芸術家の目に止まり、もの凄く高い評価を受けているんです。
 ホカン部隊舎にいたころは、ブラント君が落書きをしてはジージョちゃんが掃除をして消すということを繰り返していました。そこで、以前に一度だけ私とマルコちゃんとジージョちゃんの三人で、消され続けたブラント君の落書きの被害総額を考えてみたんですが、その金額は怖くてこの手紙に書けません。手が震えてしまいます。
 それと、ブラント君は頻繁にウィンディーヌちゃんと寮母さんのもとへ面会に行っています。
 私がスプリングス夫妻に会いに行く回数よりもずっと多いです。
 あ、でも私だって二人のことは好きなんですよ。ブラント君が過剰なだけで。
 そんな感じで、皆の生活はだいぶ落ち着いてきました。
 これからも皆で仲良くしていけたらと、本当に心の底から願っています。
 再来週には皆でノーラちゃんのお墓参りに行ってくるので、その時にはこの手紙と同じものを一緒に置いてきますね。
 さて、ちょっと恥ずかしいんですけど、いよいよ私の近況です。
 実を言うと私は、



 そこまで書いてから、私はペンを置いた。
 脇に置いていた紅茶を一口飲む。ちょっとオシャレな紅茶の上品な味が口に広がった。
「失礼します!」
 ふと、元気な声が室内に広がる。他の皆は今出てしまっているので、現在、この部隊室にいるのは私一人だけだった。
「はぁい!」
「おお、ソフィー君いたのか。これ、今月の三課の分」
 そこには、相変わらずの坊主頭でにこやかに笑うノイズ曹長がいた。
「はい、確かに受け取りました」
「何だ、ほかに誰もいないのか?」
「はい、課長も出ちゃってるんですけど、何か用事ですか?」
「いや、別に」
 そう言うノイズ曹長は、照れくさそうにそっぽを向いた。
 でもその理由は知っている。それは、なのはさんがここへたまに遊びに来ることを知っているからだ。どうやらそのタイミングを狙っているらしい。
「もう、じゃあ余計な時間を食ってないで、仕事に戻ってください」
「ええ、俺ってそんなに邪魔!?」
 そんな彼の言葉を聞き流しながら、私はノイズ曹長の背中を両手で押して部隊室の外に追いやった。
 ふてくされるように口を尖らせたノイズ曹長だったが、ふと、部隊室入り口の上部を見て視線を止めた。
 そしてその長身を活かし、腕を伸ばした。
「何かぶつけたのか? 曲がってるぞ」
 そう言って彼が触れたものは、私の所属する部隊の名前が書かれたプレート。
 その様子を見て、私は思わずプレートに書かれている文字を読んだ。
「遺失物管理部、管理体制保護観察課…………」
 その言葉を聞き、ノイズ曹長が意地悪く笑いながら言った。
「略称は何だっけ?」
 いろんな人達には“保護課”とか“観察課”とか言われるけれど、私だけはずっとこう呼び続けていた。
「もちろん…………“ホカン部”です!」
 それは私、ソフィー・スプリングスの大切な場所。
 そう、私の“はじまりの場所”だから。

 Fin.



[24714] あとがき
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/04/09 12:39
 たぶん本編を全て読まれた方がこのあとがきページを読んでくださっていることを前提として、まずはご挨拶させていただきます。

 長いこと『魔法少女リリカルなのはWorthlesS』をご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。

 ようやく本編が完結いたしました。
 連載開始前は、予定としては全二十五話を予定していた本作ですが、何だかんだで約二倍になりました。
 一話が平均して九千文字から一万文字という文章量だったのですが、これは果たして多いのか適量なのか。まあ、少ないということは無いと思います。
 ちなみに作者から言わせてもらえば、多いと思います。ってか、もっとさくさく読める方が個人的にも好きです。
 ワープロ画面で八ページくらいを目安にしたら、こんな文字数になってました。もっと短くても良かったなと思っています。だって書きあがると疲れてる自分がいるんだよ。
 ただ、張り巡らせたい伏線を考えると、妥当な量だったかも知れない。
 いや、やっぱり長いです。

 私はなのはファンとして結構な新参者でして、初めて観たリリカルシリーズは劇場版です。
 それからテレビシリーズを観て、二次創作の構想に入りました。ゲームはまだ未プレイだし、漫画版とかも知らないです。
 作中でも、時空管理局という組織に興味を持ちました。それを踏まえると、全シリーズ好きではありますが、やっぱりStSの印象が強く残っているのかな?
 その反映として、読み返してみると微塵も感じられないかも知れませんが、このお話を書く上でイメージしていた組織もののお話があります。
 それは、フジテレビ系列で放送されたドラマ『ショムニ』です。
 役立たずと評される部署という設定は、ここら辺のイメージの表れですね。
 一組織の中で、爪弾きにされる者達が集められた部署でのドタバタをやりたかったんです。これに魔法少女要素、というよりもリリカル要素を加えたら、こんな感じになってしまいました。
 主人公はオリジナルキャラ。脇役もオリジナルキャラ。物語後半にならないと原作キャラが活躍しない。
 そんな作品、需要があるものか! と突っ込みたくなりますが、それでも読んでくださる方々がいて嬉しかったです。閲覧数や感想の数が増える度に顔がにやけました。

 リリカルなのはシリーズって、こんなにもたくさんの二次創作があるんですね。正直驚きました。
 小説は書き始めて八年くらいになりますが、二次創作は今回で二作目となります。
 だから本作を書いていくうちに、いろいろと二次創作関連のあれこれを知りました。ってか『転生』というジャンルを初めて知ったのが去年です。『TS』に至ってはいまだに何のことだか分かりません。
 それでも、なのは二次はまた書いてみたいなと思っています。
 実は構想としてあと二つほど。思い描いているものはあります。
 一つは劇場版なのはの二次。もう一つは転生オリ主ものです。
 まあ、書くかどうかは未定です。構想だけですね。
 というのも、今年の秋に『小説家になろう』のユーザー間で行なわれるSF小説企画に参加を予定しているため、その作品執筆に取り掛かりたいのです。
 再びなのは二次を書くことになった時は、またいろんな人に読んでもらえるといいなぁと思っちゃったりしてるんで、もしまた虹鮫の名前を見つけたら、よろしくしてくださると嬉しいです。

 改めて言いますが、ようやく本編が無事完結出来ました。
 長かった~。一応連載開始前と二十九話くらいまでの各話ごとにずっとプロットを立ててやってきたんで、幸いなことに展開が行き詰るという思いはしませんでした。
 概ね予定通りのストーリー進行です。
 ただ、まさかこんなに長く書くとは思わなかった。あっという間だったようにも思いますが、六月で丸一年になっちゃいますからね。十ヶ月くらい続いたわけです。
 一応本編は完結ということで、最後に番外編の新作を一本書く予定です。
 それを持ちまして『なのはWS』を締めくくりたいと思いますので、もうちょっとだけお付き合いいただけたらと思います。
 それと、本編完結記念に本編完結記念キャラクター人気投票も行ないますので、ぜひぜひ投票してください! 先に言っときますが、人気投票なんて、結果を見て作者がニヤニヤするだけのものです! それでも良ければよろしくお願いします!

 人気投票はにじファン内の本作ページからお願いします。

 では、長いあとがきで申し訳ありません。
 失礼します~。

 (記:2011/4/9)



[24714] エクストラステージ01 第4.5話 ようこそ、ホカン部へ
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/04/15 18:42
≪1・スーパーセントウ≫

 私と言う存在がこの世界から切り離されるように、全身が白い光に包まれる。
 温かくも冷たくもなく、上下も左右もなく、自分の身体も周囲の気配もなく、私はその光の中にいた。
 いや、『いた』と言っては語弊があるかもしれない。光の中に私が、私の意識だけが『あった』と言うべきか。
 徐々に光が弱まっていくのを感じる。今は視覚が無い。だからこそ、目や耳では気付けない本当に僅かな光の変化にも気付けたのだろう。第六感的なものと言えばいいか。
 白い世界は他の色に侵食され始め、その色は模様となり、模様は形を成していった。
 同時に私の身体も形を取り戻し始め、失われていた五感が再び機能し始める。
 やがて光は消えて、私はとある部屋の中に佇んでいた。そして周囲には大勢の人の気配も感じる。
「おー疲れさーん!」
 取り戻された聴覚が最初に拾った音は、ミリー部隊長の声だった。
 ここは時空管理局地上本部内にある転送室。私達ホカン部となのはさんと機動三課の面々は、第二十五無人世界『ヒデオウト』を隠れ家としていた密輸組織の逮捕と、彼等の所持していたロストロギア『プリズン』の回収任務を達成して、たった今、時空管理局本局から帰ってきたばかりだった。
 徐々に騒がしくなる転送室内。三課の人達が任務終了による気の緩みから談笑を始め、同時に転送室から出て行き始めた。
 私も何だか疲れた。抑え込んでいた疲労が一気に足や肩に流れ込み、早く帰ってベッドに入りたい衝動に駆られた。
 この疲労感は身体的な理由だけではない。ホカン部に対する落胆と、ホカン部にいる自分に悲哀を感じたことで、今日はたくさん泣いたことが原因だ
 だが疲労を感じているばかりでもない。ホカン部に対する希望と、ホカン部にいる自分に誇りを持ったことで、今日は凄く満たされた。
 私の四肢は疲労に従順さを見せているのに対し、表情は晴々としているんじゃないだろうか。なんだか気分はすごく良い。
「なんだソフィー、良い顔するじゃないか!」
「本当だ。良かったね、ソフィー」
 ミリー部隊長となのはさんが私の顔を覗き込んで、口から白い歯を覗かせた。
 やっぱり、今の私の顔は晴々としているらしい。
 今日一日でぐっと縮まった私とホカン部との距離を示すように、マルコちゃん達の顔もなかなか眩しく見えた。
「ミリー部隊長、今日はありがとうございました」
「気にするな。可愛い部下のためだ」
 ミリー部隊長に続いて転送室を出ながら、私はお礼を言った。彼女のくれた転属祝いがあったからこそ、私はホカン部としての自分をスタートすることが出来たのだ。
「さてと……どうだお前等、疲れたろ?」
 一様に頷く私達。それを確認したミリー部隊長は、「そうだろそうだろ」と、楽しそうに笑った。
「実はなぁ、こんなものがあるんだけど」
 ミリー部隊長が背を向けながら右手を掲げると、その手指には何やら細長い紙が挟まれていた。
「なんすか? それ…………」
 マルコちゃんが目を細めながらそれに近づくのと同時に、ミリー部隊長が答えた。
「これはな、『スーパーセントウ』の優待券だ」
「『スーパーセントウ』って何ですか?」
「あれ? それって確か半年前に出来たばかりの?」
 なのはさんが「行ってみたかったんだぁ」と言いながら、ミリー部隊長から優待券を受け取って眺めている。その券を横から覗き見ると、四人家族が楽しそうな笑顔を浮かべてテーブルに並ぶジュースや料理を見せ付けている写真がプリントされていた。それに特徴的だったのは、四人とも珍しい服を着ている。お揃いの柄で、一枚布らしきものを羽織って体の前面で重ね合わせ、バックルの無いベルトで止めているものだった。
「『スーパーセントウ』っていうのはな、シャワーを浴びながらパーティーをする場所なんだぞ。どっかの管理外世界にある文化なんだが、ミッドに持ち込んで商売を始めた奴がいるのさ」
 ミリー部隊長が得意気に言うと、なのはさんが笑いながら付け加えた。
「銭湯って言うのはお風呂屋さんのことだよ。更に娯楽設備も兼ね備えたのが、『スーパー銭湯』なの」
「なのはさん詳しいっすね」
 マルコちゃんがそう言うと、なのはさんは頷いた。
「当然。だってこれ、私の故郷にある文化だもん」
 私達は一様に感心する。たった一人を除いて。
 そのたった一人に近づいたウィンディーヌちゃんが、彼女の耳元で意地悪く言った。
「ミリー、知ったかぶりは恥ずかしいねぇ」
「…………高町一尉、私と模擬戦でもどうだ?」
 悔しいのは分かるが、だからって“無敵の空戦魔導師(エースオブエース)”に喧嘩を売るとは思わなかった。そんな人初めて見た。
 なのはさんは、一通り見終えた優待券を私に預けながら言った。
「疲れを癒すのに銭湯はすごく良いと思うよ。ミリー部隊長からのご褒美と思って、皆で行って来たら?」
「うーん、面白そうだな」
「僕行きたーい!」
 マルコちゃんとブラント君が言うと、なのはさんは更に煽った。
「さっき優待券を見たら、垢すり無料サービスもしてくれるみたいだよ」
「アカスリって?」
「お肌の見えない汚れを落としてくれるの」
「それやりたーい!」
 ウィンディーヌちゃんがはしゃぎ、ジージョちゃんもさりげなく手を挙げた。
「それにこの優待券を持って行けば、十五名以上の団体様の場合は宴会費用も割り引いてくれるんだって。こんな凄い優待券見たことない! ホカン部は上司に恵まれてるね!」
 さりげないミリー部隊長へのフォローが入った。マルコちゃんが「さすが、フォローも完璧(エース)だな」と私に耳打ちしてくる。全くもって同意だ。
 この流れをミリー部隊長はどう受け止めているのかと思えば、半開きの口の両端を耳まで吊り上げて、紅潮した頬に左手を添えながら両目をトロンとさせていた。分かり易い。
 それはともかく、私もこれは是非行ってみたい。なのはさんの故郷は良く知らないが、憧れの人が生まれ育ったという世界の文化に触れられることは嬉しい。
 地上本部を出ると、もう外はすっかりと陽が落ちていた。ホカン部隊舎に帰り着く頃にはちょうど業務終了時刻だろう。タイミングとしては本当に申し分無い。
 今日の疲れを落とすには、ちょうどいい誘いだった。
「よし、では一旦隊舎に戻って、荷物を持ったらすぐに出発するか!」
 すっかり機嫌を直したミリー部隊長が優待券を高く掲げながら言った。
 私達は声を揃えて返事をする。
「高町一尉も行くだろう?」
「ええ!? 私もですか!?」
「当たり前だろ。今日の任務に参加した奴は全員連れて行くぞ」
 なのはさんが困った顔をしている。その表情の理由は、自分の帰りを待っているというヴィヴィオちゃんのことを心配しているのだろう。
 憧れの人の、“どこにでもいる母親”という女性らしい姿に、私はなんだか可愛らしさを感じた。
 結局、なのはさんは何度も断ろうとしたにも関わらず、ミリー部隊長の半ば強引な、いや、もうほぼ完全に強引な誘いを断りきれず、仕方なく自宅のホームキーパーをしてくれている人にヴィヴィオちゃんの世話を任せることとなった。
 憧れの人の、「ママどうしてもお仕事が終わらないの」と言い訳をする“働く女性”という姿を、私はなんだか哀れに思った。
 聞けば、ヴィヴィオちゃんは『St.ヒルデ魔法学院』の初等科一年生だという。学校に通い始めたせいか、孤児の彼女を正式に引き取った昨年と比べると、ヴィヴィオちゃんも多少は物分りが良くなってくれたらしい。だが、それでも連絡してみたら、案の定ヴィヴィオちゃんは機嫌を損ねてしまったという。
 ああ、あのエースオブエースと讃えられる空戦魔導師が、“普通のママ”をしていることが不思議だ。
 ホカン部隊舎に帰り着いた私達は、すぐさま自室へ戻って替えの下着や衣服、タオル、洗面用具を準備した。なのはさんの分のお風呂道具一式などは、ホカン部隊舎の寮母さんが適当なものを用意してくれた。ちなみに寮母さんも誘ったのだが、もう済ませてしまったということで断られた。
 部屋を出て隊舎の一階に集合すると、ミリー部隊長が荷物の入ったバッグを肩から提げたまま、通信端末を通して誰かと話をしていた。
 私の隣に残りの皆も集まると、ミリー部隊長はそれを確認してから端末の通信を切った。
「よし、じゃあ行くか!」
「誰と話してたんですか?」
「任務に参加した奴は全員連れて行くと言っただろう? 当然、ヒデオウトに行った三課の連中も呼んだぞ」
 結構な大所帯になりそうだ。
 ワクワクして自分の顔がにやけていることに気付き、荷物の入ったバッグを抱きしめながら顔を埋めて隠した。
 隊舎を出発した私達は、まるで遠足気分でスーパーセントウまでの道のりを進んだ。
 楽しい雑談を交わしながらだと、時間も距離もまるで気にならないまま、目的地まであっという間に着いた。隊舎を出てからあっという間だと思っていたのに、時計の針はきっちりと一回り近く動いている。
 この体感はまるで魔法だ。魔力を使わなくても人は転移魔法を使えるものなのだなと、考えてみたりした。
 辿り着いたスーパーセントウというものは予想以上の大きさだった。五階建ての建物は、正面玄関前がバスの発着場を設けたロータリーとなっており、その中央にはおそらく別の次元世界の惑星であろうオブジェがあった。そのオブジェを指差して、なのはさんが「私の故郷の地球だよ」と教えてくれた。
 円柱型のガラス張り自動ドアを潜り抜けると、一流企業の自社ビルを思わせるような清涼感あるロビーが眼前に広がり、右手側には列を作っている他のお客さん達と、その列の最前には入場受付が見える。左手側にはロビーよりもずっと広い空間が広がっていて、様々な種類の食事を用意した売店と飲食スペースが設けてあった。席は三分の二以上が埋まっている。
 そして、ロビー中央にある待合スペースに、ノイズ曹長と三課の面々が確認出来た。
「よう! お待たせ!」
「ミリー部隊長! この度はスーパーセントウのご利用に機動三課をお招きいただきまして、誠に有難う御座います!」
 なんて真面目な人なのだろう。こんな場所でも敬礼を忘れていない。
 それどころか、ノイズ曹長に続いて機動三課の皆が敬礼をしている。彼等の、管理局員としての自意識を忘れない姿勢に、正直感服した。ただ、周囲からはちょっと目立っていた。
 感心していたのも束の間、よく見れば敬礼をする三課メンバーの男性陣だけが、何故か目を異様な程に輝かせている。女性陣からは特にそういったものは感じられないのに。
 一体これはどういうことだろう。
「さて、ではノイズ君…………」
 ミリー部隊長がこっそりとノイズを呼んだ。
「これが例の優待券だ。使ってくれたまえ」
「お任せください。ホカン部の料金に関しては、我々三課で支払わさせていただきます」
「よろしく頼むぞ」
「いえ、高町一尉との楽しい時間を与えてくださっただけで十分です。我々は……我々はっ…………くぅっ!」
 天を仰いで拳を固めるノイズ曹長と三課男性陣。
 なるほど、そういうことか。三課を呼んだのは、優待券の宴会費割引を使用するための人数合わせであり、なのはさんを餌に釣ったのか。しかも、ちゃっかりと奢らせている。
「高町一尉」
 ノイズ曹長がなのはさんに声を掛けた。
「高町一尉にも我々からの感謝の気持ちをお送りしたいのです。…………本日の任務同行、誠に有難う御座いました。高町一尉の分は私、ノイズが! このノイズが! お支払いいたします!」
「え!?」
「大丈夫です! 僕にお任せください!」
 流し目を送りながら白い歯を覗かせるノイズ曹長。少し頬が引き攣っているのを見る限り、そのキザな笑顔は相当無理して作っているのだろう。
 そんな彼を見て、他の三課メンバーが次々に「よっ、太っ腹!」、「ごちそうになります!」、「ゴチです!」と続けた。
「お前等は自腹に決まってるだろう!?」
 かくして、私達ホカン部となのはさんと三課の一行は、受付で料金の支払いを済ませた後、建物の二階にあるという脱衣場に向かったのだった。



≪2・女湯にて≫

 建物の二階に上がり、案内板に従って進んでいくと、脱衣場前に辿り着いた。
 左手側には『女』と書かれた赤い布地が吊るされた入り口、右手側には『男』と書かれた青い布地が吊るされた入り口。それぞれの布地は真ん中に切れ込みが入っていて、時折そこを潜り抜けていく人がいる。
 これは知っているぞ。確か『暖簾』と言うやつだ。なのはさんの故郷の文化を取り入れた酒場の入り口にも、似たようなやつが吊るされていたのを覚えている。
「ソフィー、これは『暖簾』と言うんだぞ」
「ノレン? へぇー」
「凄い、良く知ってたね!」
 なのはさんにまで褒められてしまった。少し恥ずかしいが、悪い気はしないな。
 ボク達は二手に分かれて暖簾を潜ろうとする。ミリー部隊長が笑いながら「ブラント、こっち来るか?」と言うと、ブラントが「僕はもう十一歳だよ!」と突っ張った。だが壁の注意書きには、十一歳までは入浴場の性別分けが無いと書かれている。
 ブラントが男湯の方に入っていくのを見送ってから、ボク達も赤い暖簾を潜っていった。
 ロッカーの並ぶ脱衣場を一瞥すると、所々で全裸の人や半裸の人達の姿を見た。更に壁際には化粧台もずらりと並んでいて、整髪料やドライヤー、櫛等は備え付けられていた。それにバスタオルも貸し出しているみたいだ。
「荷物こんなに要らなかったね」
 ソフィーの一言に同意だな。着替えだけでよかったみたいだ。
 空いているロッカーを適当に見つけ、各々が服を脱ぎ始めた。そこでボクは慌てて眼鏡を外し、タオルを巻き付けてからそれをロッカーに突っ込んだ。タオルの中からは小さく抗議の声が聞こえてきた。
「Oh my gosh!」
「黙るんだレプリィ」
 ボクが普段掛けている眼鏡こそが、ボクのデバイスの待機状態(スタンバイモード)だ。うら若き乙女の裸体をコイツに見せるわけにはいかない。
 ふと隣を見ると、ジージョは既に上半身を下着一枚という姿にしていた。
 ははぁ。なかなか大きくならないな、ジージョも。小振りな膨らみは左右に身体を動かしても僅かに震えるだけだ。背ばかりが伸びてコッチには栄養がいかないのかな? 長身がよく似合うスレンダーな体型はモデル並なのだが、もう少し胸が欲しいところだ。少しもったいない。
 ボクの視線に気が付いたジージョは、とっさに両腕を胸の前で重ね合わせ、顔を真っ赤にしながら走り去っていった。だが、走り去った先は脱衣場の出入り口だ。逃げる方向を見失うほど恥ずかしいらしい。
 あ、顔をもっと赤くして戻ってきた。
 なのはさんはと言うと、これはなかなかだ。さすがは美人魔導師の局内トップクラス(エースオブエース)。今では教導官という立場だが、やはり厳しい訓練を積み重ねてきた経験も当然あるのだろう。平均値と比べれば少し細いかも知れないが、なかなか肉付きの良い身体をしている。それでいて引き締まるところはしっかり引き締まっている。
「ほう……」
 レプリカストロにインストールするデータの収集で鍛えた観察眼だ。仕事人と呼んでくれ。
 身体情報(スリーサイズ)を知られたくない者はボクの視界から去れ。
「マルコちゃんどうしたの?」
 次はソフィーか。どれ、新入りにはホカン部の先輩からの洗礼を受けてもらおう。
 きょとんとしたソフィーは横目でボクを見ながらも、ボタンを外し終えたワイシャツから腕を抜こうとした。
 チャンスが来た! 
 つま先で床を蹴り、身体の軸を垂直に保ちながら高速で横移動をする。とっさの動きにソフィーは自らの動きを止めてボクを目で追おうとしているが、もはや手遅れだ。彼女の視界から完全に消え去ったボクは、両手を開いた状態で構え、ソフィーの背後に回り込む。
 眼前にはシャツから腕を抜きかけていたソフィーの華奢な背中。天井からのライトを浴びて、曝け出された肩口は鈍く光る。瑞々しくて滑らかだ。
 背中を向けたままのソフィーが顔を振り向かせるよりも早く、ボクはソフィーの脇の下から構えていた両手を差し込む。狙うのはもちろん下着の内側だ。より正確な情報(サイズ)を知る為にも、直接(ナマチチ)でなくては仕事人の名が廃る。
 スベスベの肌はボクの両手を止めるには抵抗が足りな過ぎるようだ。両手の五指はうねりながら下着と素肌の間へ容易く潜り込む。
「ひゃっ!」
 可愛い声をあげてんじゃねえよ、お嬢ちゃん。
 滑り込んだ両手は、向こう側まで突き抜けると下着を押し上げた。そのまま手首を折って鎌を作ると、素早く腕ごと引き戻した。
 捕縛完了(ジャストフィット)! ソフィーの胸部にある二つの果実を包み込んだ。
 我ながら良い動きだ。挙動のスピード、攻撃のタイミング、五指を滑り込ませるポイントの見極め、下着に邪魔させない両手の滑走コース、どれもが申し分ない精度だ。
「いやああああっ! マルコちゃんっ!」
「どれどれ、ソフィーの青い果実を見せてごらん?」
 これがソフィーの果実か。
 まずはその大きさを肌で感じ取り、成長具合を確かめねば。どれ、収穫期はまだまだかな? 
 い、否!
 ボクの手は確かに小さいが、それを抜きにしてもソフィーの果実はもう充分な程に育っていた。
 五指を全てバラバラの順序で動かし、その張りを確かめる。
 ボクの指によって崩された形を取り戻そうとする弾力は、しっかりとボクの指を押し返してくる。それなのに指先から感じ取る肌触りはまるで吸い付くようで、張りとは逆の意思を示している。
 指が離れなくて困る。その感触に、思わず笑む。
「や……ちょ、やめてよぉ! んぅ……!」
 ボクの指が、指紋の引っかかるところを探して蠢く。しかし、絶妙な張りと滑らかさを併せ持つ肉厚な果実に埋もれているボクの指は、まるで深い海のど真ん中で溺れるかのように慌しく足掻いた。
「いい加減に……ふぅっ! もうっ…………はっ……してぇ!」
 指先の感触にしばしの間酔っていると、果実の上に乗った種がボクの掌の中心でコリコリと存在感を示し始め、押し上げてきた。
 種が掌の上で擦れるようになり、ソフィーの息遣いが僅かに変化を見せる。赤らめた顔と火照った身体が彼女の高揚を如実に物語り、やがて抗う力も弱まりを見せ始めた。徐々にボクへ体重を預けてきたところを見ると、相当良いらしいな。
 ふん、ウブな娘よ。
 ふと思いついた。ソフィーは砲撃魔導師だし、“果実と種”を“砲身と砲門”に言い換えてもいいか。
「なるほど……双砲・天龍(てんりゅう)、発射用意と言ったところか…………」
「変態! アホォ!」
 精一杯の罵声も、吐息交じりでは心地良く聞こえて仕方が無い。
 これはボクの友人にも報告しておかなくてはいけないな。なんせその友人は、機動六課内で『揉み魔』と呼ばれた六課の部隊長、八神はやて二等陸佐の乳揉み攻撃に対し、唯一互角に渡り合った人なのだから。彼女ならきっと「自分も触りたい!」とか言い出しそうだ。是非、ソフィーの逸品を教えてやらねばなるまい。
「ミリー部隊長! なのはさーん! 誰でもいいから助けてー!」
 ミリー部隊長は「でかくしてもらえ」と言って鼻歌交じりに脱衣し、なのはさんは自分が揉まれることを恐れてか、視線を一切向けずにそそくさと身体にタオルを巻いていた。
「ふん! 人のをでかくする前に、自分のをでかくしたら!?」
 普段は三十センチ程の身長であるウィンディーヌが、人間と同等サイズにその身を変えて言ってきた。と言っても、ボクと大して変わらない身長だが。
 加えて、偉そうに言う彼女の胸もボクと大差ない。
 ウィンディーヌに気を取られたせいで、いつの間にかソフィーを取り逃がしてしまった。
「自分だって貧乳代表(エースオブエース)のくせに……」
「何ぃ!? よくも言ったわねっ!」
 ボクがウィンディーヌと睨みあっていると、突然脇の下から腕が伸びてきて、「仕返しだ!」という声と同時にボクの胸が掴まれた。
 しかし、すぐにその手は離れていき、腕の主であるソフィーが申し訳なさそうな顔を浮かべながら大浴場の方へ走っていった。すれ違う瞬間に「ごめん!」と言う一言を残して。
 その後ろ姿をじっと見ていると、ウィンディーヌが突然言った。
「どこ掴んでいいのか分からなかったんじゃないの?」
「うっさいよ!」
 そんなこんなで、ボク達も浴場に向かった。
 扉を潜ると大小様々な風呂があちこちに見えて、興奮のあまり思わず声を上げてしまった。その声もよく響く。
 見ればミリー部隊長は、底が見えない程の焦げ茶色の湯に浸かっていた。なんて言うか、だらしない顔をしている。
 ソフィーを探してみると、なのはさんと一緒にシャワーを浴びて汗を流していた。白い泡に身体を包みながら、何やら楽しそうな話をしている。
「ケツタァーッチ!」
 二人の脇を走り抜けると同時に、ボクの左手が二人の尻を叩く。後方からの悲鳴を無視してボクは更に走った。
 そしてジージョとウィンディーヌを見つけた。二人とも一緒になってガラス戸を潜っていったので、ボクも後を追う。扉の上には、『アカスリ』と書かれている。
「ほう……」
 戸を潜ると、二人がボクの顔を見た。
「マルコもやるの? アカスリ」
「興味あるねぇ。やってみようか」
 ボク達は、横一列に並べられたベッドにそれぞれうつ伏せとなった。
 やって来た係の人がそれぞれボク達の身体を擦り始めると、肌に当てられたザラザラした感触に始めはドキドキしながらも、徐々にそれが快感となって全身を覆いつくしていった。汚れと一緒に疲れを剥ぎ取られていくようだ。たぶん全身を擦られて血行が良くなっているのかな。身体が少し火照ってきている。
 隣のウィンディーヌを見てみると、彼女もとろけそうな顔をしている。写真に撮ってブラントに見せてやりたいくらいだ。
 反対側のジージョを見ると、何故か彼女は泣きそうな顔をしている。どうしたのだろう。痛いのかな?
「ジージョ、どうした?」
 答えることなく、今度は両手で顔を覆い始めた。
 一体なんだと言うのか。
 ジージョを担当していた係の人が、汗だくになりながら一生懸命ジージョの身体を擦って言った。
「お客さん身体が大きいから、いっぱい取れますねー」
 その一言を聞いた途端、ジージョはベッドから勢いよく起き上がり、部屋を飛び出して行ってしまった。脱衣場ではあんなに恥ずかしがっていたくせに、身体に巻いていたタオルを置き去りにしてしまっている。
「どしたの、あの子?」
「たぶん、綺麗好きな自分からたくさん汚れが出たことに耐えられなかったんだと思う」
 難儀な奴だ。
 ボクとウィンディーヌがアカスリを終えて部屋を出ると、ちょうどソフィーとなのはさんに出くわした。
 二人とも少し頬を赤らめていて、のぼせやしないかと少し心配になる。
「ねえねえ、マルコちゃんとウィンディーヌちゃんもロテン風呂に行かない?」
「ロテン風呂? それはなんだい?」
「屋外のお風呂だって! 夜空を見ながらのお風呂って気持ち良さそうじゃない!?」
「いいね! 行こうか!」
 ボク達ははしゃぎながらロテン風呂の入り口に辿り着いた。ここに来る途中、ミリー部隊長とジージョも誘おうと探したが、どういうわけか見当たらなかった。
 まあ、それぞれ適当に楽しんでいるのだろうと思い、屋外へと通じるドアを開くと、急激な気温の変化に一瞬驚いた。
 ひんやりとした夜風が身体全身を拭うように吹き抜けて、火照った身体にはそれがなんとも気持ち良かった。
 暗い空の下でライトを浴びている熱湯。ごつごつした岩に囲まれた湯は、その水面上で白い湯気を踊らせた。舞踏場みたいだ。
 そしてボク達のいる場所の対岸側に、インテリアを目的としているのか、一際大きな岩がある。
 その岩の頂上。ボク達の位置から見ると、まるで夜空に抱かれているかのような場所に、ミリー部隊長がいた。
 何も言わずに空を見上げながら、普段の怪しい笑みとは似ても似つかない、穏やかな笑顔を浮かべていた。こんな表情をすることも出来るんだと思わず感心してしまう。
 彼女の姿からは何か神聖なものを感じ取った。大袈裟かも知れないが、神々しいその姿に干渉することは罪に思えたのだ。他のお客さんの姿は無かったし、ボク達ですら周りの景色に同化してしまいたかった。
 とにかく邪魔はしちゃいけないと思った。いや、邪魔をしたくなかったのだ。
 絵になるような光景だった。星達の輝きに照らされて若干藍を秘めている暗い空に、違和感無く馴染みながらも決してその姿を溶け込ませることなく、周囲の視線を集める存在感。下から立ち昇る湯気の白が、彼女の輪郭をより一層際立たせている。周囲だって十分綺麗な景色なのに、この場では引き立て役でしかない。
 決して隠すことなく、彼女は自分という存在を今いる場所に示していた。溶け込むことを許さず、周りを従えて君臨するミリー部隊長。
 実を言うと、ボクは少しだけ憧れている。ありのままの自分をこんなにも晒せる彼女に。
 立ち尽くすボク達にミリー部隊長が気付いたのは、結局数分してからだった。
「ん? 何だ、いたなら声を掛けろ」
 ミリー部隊長は姿勢を崩さないまま、ボク達の方を向いた。
 一体そこで何を見ていたのだろうか。
「良いな、屋外の風呂っていうのも。特に誰もいなかったさっきまでは、本当に静かで良かった」
「す、すいません……邪魔しちゃって」
 ソフィーが謝っている。
「いや、いいよ。だから声を掛けろって言っただろう?」
 そんな話をしながらボク達は湯に身体を沈めた。ミリー部隊長に見惚れていたせいで、少し身体を冷やし過ぎた。湯の熱が、ほんの少しだけ肌を刺すように感じた。
「何を見ていたんですか?」
 なのはさんが尋ねると、ミリー部隊長はまた穏やかに微笑んで言った。
「静かな時はな、たまに空を見てしまうんだ。少しだけ想うことがあってな」
 それについては、誰も深く聞こうとはしなかった。それは、神秘性に満ちた彼女の一面をそっとしておきたいと誰もが思ったからじゃないだろうか。少なくともボクはそうだった。
 ふと、隣にソフィーが近づいてきて言った。
「マルコちゃん、ミリー部隊長には乳揉みしないの?」
 お前が乳言うな。清純少女のくせに。
 やがて三課の女性局員もロテン風呂にやってきたので、ジージョ以外の女性陣が集合した。三課の人に聞けば、ジージョは一心不乱に身体を洗っていたらしい。
 ふと、ミリー部隊長が不思議そうな顔である一点を見た。
 それは、ロテン風呂の広場の端にある、細長い木材を横一列に並べて繋げた仕切り板のようなものだった。
「ありゃあ、向こう側はどうなってるんだ?」
「仕切りの向こう側は男湯ですよ」
 なのはさんが答える。そうか、仕切り板で正解みたいだ。
 答えを聞いたミリー部隊長の顔が、見慣れた怪しいものに変わる。
「ははーん…………マルコ!」
「イエッサー!」
 彼女の言いたいことが解った。以心伝心というやつか。
「何するんですか?」
 ソフィーが不思議そうに尋ねてきた。
「覗く」
 絶句する皆を尻目に、ボクとミリー部隊長は仕切り板の方へと向かった。
 仕切り板には取っ掛かりになるようなものが無いので、両端の岩壁を登ることにした。
「マルコは向こうからだ。私はこちらから登っていこう」
「誰かいますかね?」
「声が聞こえるから、三課の連中だろ?」
 背後から「一般の人もいますから!」と、ソフィーが慌てて言ってきた。
「そうなのか? うむ、索敵ご苦労!」
「魔法なんて使ってません! 普通に考えたら分かるでしょ! ってか二人とも止めてください!」
 止められないな。止められるわけがない。こんな面白そうなことを見逃せるわけがないのだから。
 ボクとミリー部隊長は、ソフィーの声に構うことなく岩壁を登り始めた。
「二人ともせめて前を隠してください!」
 今更だが、ボクとミリー部隊長の手にタオルなどあるわけがない。
 こんなところも憧れる理由だ。ちなみにミリー部隊長は、二十九歳である。



≪3・男湯にて≫

「なんか向こう側が騒がしいな」
 隣のブラントに話しかけたが、あまり興味を示してくれない。こいつ、向こう側が気にならないのか?
「なあ、ブラント。あの仕切りの向こうは何があるのか、知っているか?」
「え? 向こうって女湯じゃないの?」
「知ってるんならちょっとぐらい興味を示せよ」
 男なら気になるだろうと思ったのだが、生憎とこいつはまだまだお子様のようだ。薄い壁一枚で隔てられた向こう側は理想郷(アルカディア)だと言うのに。
 それにしても今日は本当に良い日だ。ヒデオウトでの任務によって手柄を得たばかりか、プリズンの回収までもしてしまった。更にはミリー部隊長の誘いで連れてこられたスーパーセントウには、あの高町一尉もいる。最初は強引に「来い!」と指示されただけなので断ったが、優待券と高町一尉に釣られて、主に後者に釣られて本当に良かった。
「ねえノイズ」
 ああ、向こう側では高町一尉が一糸纏わぬ姿でいるのだな。そう考えるだけで俺はのぼせ上がりそうになっていた。
「ねえねえノイズ」
 いやぁ、スーパーセントウ良いわ。最高だわ。
 こんな文化を持った次元世界がこの世にあることを考えると、俺はその世界の全住人を愛せそうな気がしてきた。
 いつか、その愛する世界に愛する人とハネムーンとかなんてどうだろうか。
「ねえノイズってばぁ!」
「“曹長”を付けないと返事してあげないぞ」
 年上を呼び捨てにするんじゃない。それに階級は俺の方が上だぞ。
「ノイズ……僧侶」
「俺は坊主じゃない! 現に今は角刈りだろ!」
 そう、クリクリ坊主頭は、マルコが「マッチ棒」と言ってからかうから止めたのだ。
「向こうの女湯ってどうなってるのかな?」
「その話題はさっき俺が振ったじゃん! まあいいや、気になるのか?」
 何だかんだでこいつも男だな。十一歳なんだから、そろそろそういうものに興味を示してもおかしくないしな。
「気になる。どんなお風呂なんだろ?」
 そっちかい。
「そんなの男湯と変わらないだろう。そうじゃなくてさ、お前は女性に興味は無いの?」
 そんなことを言うと、背後で湯に浸かっていた三課の部下達が「子供に何言ってるんですか」と言いながら呆れ顔を向けてきた。
 いや、しかしこのお子様を少しでも健全な道に誘ってやるのも、立派な大人の男の役目ではないかと思うのだ。
 男は、自らの幼さを一つ一つ受け入れ、乗り越えることで大きく成長していくのだから。
「それってどういうこと?」
「だからぁ、女の人の裸を見てみたいなぁーとかさ」
「でも、ウィンディーヌとはいつも一緒にお風呂入ってるし」
「何っ!?」
 俺を含め、その場にいた三課メンバー全員がブラントを取り囲んだ。
 集まる視線は羨望の眼差し。そして、嫉妬の眼差し。
 俺も驚いている。この歳にして、まさかこいつ!
「まあ、小さいけどね」
「それは……」
 生唾を呑んだ。
「胸が、か?」
「背が。三十センチくらい」
「そりゃあウィンディーヌはユニゾンデバイスだからだろ! なんだ、そういう意味かよ! 期待しちゃったじゃんかよ! そんなのママゴト人形と一緒にお風呂入ってるのと変わんねえじゃねえか!」
 ブラントが膨れっ面をした。
「でもウィンディーヌは背ぇ大きくなるよ?」
「人間サイズにだろ? それでも子供みたいな身体じゃんか」
 周りの三課メンバーも一様に頷く。
 一気に興醒めしただろコノヤロウ。
「じゃあ、大人の人だったらいいのぉ?」
「何っ!?」
 俺を含め、その場にいた三課メンバー全員が再びブラントを取り囲んだ。
 高まるものは期待と色欲。そして、身体一部分の体積。
 俺は驚いている。風呂の湯の水位が、まさか上昇!?
「だ、誰と入ったんだ!?」
「ミリーとなら一緒にお風呂入ったことあるよ」
 全員、羨ましさがため息となって吐き出る。
 ミリー部隊長は性格はアレだが、はっきり言ってかなりの美人だ。ホカン部と繋がりを持つ遺失物管理部の局員には、実はミリーファンは少なくない。コアなファンになれば、あの性格すらも魅力的に感じるそうだ。
 曰く、牙を持った女神。
 曰く、人喰い子猫。
 曰く、全身武器女将(ビューティフルクイーン)。
「どんな感じだった……?」
「何が?」
「解るだろ!? ほら、ミリー部隊長の裸だよ」
 そう言うと、ブラントは怪訝そうな顔を浮かべて言った。
「ノイズって、なのはさんのファンじゃないの?」
「“曹長”を付けなさい。それと、男ならやはり女性の裸には興味があるものなのだ」
「ふーん。じゃあ他には誰か見たい人いる?」
「そんなのいいから早く…………え?」
 俺の心の中で悪魔が囁いた。いや、俺だけではない。この場にいる局員全員の心に悪魔がいるはずだ。
 俺は見逃していない。脱衣場に入る前にあった注意書きを。
 十一歳以下は、入浴場へ入るのに性別分けが無い。
「ブラント君」
 これは、管理局員として許されることなのでしょうか。
 否、許されないかもしれない。
 しかし、俺は全てを賭けてでもこの命令を下さなければならない。
 背後を振り返ると、部下達の顔が見渡せた。誰もが、戦士の顔をしていた。
 男がこういう顔をするのには、二つの理由がある。
 一つは、自分自身を投げ打ってでも戦い抜くことを決めた時。
 そしてもう一つは、仲間の勇姿を見届けることを決めた時。
 我々は、今日という日を忘れはしない。
 そして、ブラントという仲間と過ごした日を忘れはしない。
「君に、偵察任務を与えよう」
「偵察?」
「そうだ。おそらくヒデオウトでの任務よりも重要なものとなるだろう。これは、君にしか出来ないんだ」
「僕だけにしか出来ない…………」
 重なった視線は、我々の絆の強さを示すように揺るがない。
「その任務は」
「敵襲ぅぅぅぅっ!」
 突然の叫び声に後ろを振り返ると、部下達の視線は一箇所に向けられていた。
 それは、男湯と女湯を隔てる仕切り板だった。
 すぐさま俺も状況を確認すると、仕切り板の上から四つの眼光が俺達の姿を捉えていた。
「ノイズ曹長! 覗かれています!」
「なんだと!? 全員機密保持体勢に入れ!」
 俺を含め、三課メンバー全員が両手やタオルで自らのエモノを隠した。先程までの高揚によって半ば臨戦態勢気味だっただけに、何人かの部下は両手では隠しきれずに背を向けている。
 しかし、ブラントだけは何もせずに直立不動だ。
 この無垢さこそが、我々三課メンバーの想いを実現する一縷の望みだ。
 もはや行くしかあるまい!
「タオル使用者に告ぐ! 最終兵器の射出準備!」
 機密保持をタオルによって行なっている部下二人が、空いた互いの両手を組み合わせて足元に構える。
 俺はブラントの肩に手を置き、力の限り小声で指示した。
「青くても構わん。楽園に実る果実を偵察してこい。詳細は後ほど報告せよ」
「了解!」
 次の指示は、気兼ねなく声を張り上げた。
「ブラント・フーケ! 出撃!」
 走る。ブラントは飛沫を上げながら部下二人が作り上げた射出台(スフィア)へと一直線に進んだ。
 重なった四つの手を踏み台にし、ブラントの全体重が湯から飛び出した。
 同時に、踏み台とした四つの手は急浮上してブラントの身体に上昇加速を加えていく。
 踏み台の高度が頂点に達したタイミングに合わせ、ブラントは今ある上昇速度を自らの足で更に高め、暗い空へと舞い上がった。
 我々の雄叫びを背に受けながら仕切り板を飛び越えるブラント。その姿を、男湯を覗いていた四つの眼光が追う。
 仕切り板の向こうからは着水の音と、複数の驚きの声。
 戦士よ、また会おう。
「ブラント君どうしたの!? びっくりしたじゃん!」
「一緒に入りたかったの?」
「なんだ、それならちゃんと入り口から入ってくれば良かっただろう」
 女性陣の声が聞こえてきた。
 やはり、彼なら自然と向こうのエリアに潜入できたのだな。
 つくづく羨ましい。
「一緒に入りたかったわけじゃないよ」
「じゃあ、どうしてこっちに来たの?」
「あのね、ノイズがね、ソフィーの青い果実を偵察して来いって」
 瞬間、湯の中にいるにも関わらず寒気がした。
 そして仕切り板の向こうからは一切の声が聞こえなくなった。
「…………ノイズ曹長」
 部下の一人が隣に立って話しかけてきた。
「やばいっすね」
「うるせえよ」



≪4・宴会にて≫

 お風呂から上がった私達は、芯まで温まった身体を浴衣に包んで脱衣場を出た。
 私の後に続いて暖簾を潜ってきたソフィーが、自分の着ている浴衣をやたらと気にしていた。
「どうしたの?」
「なんだか、初めて着るから落ち着かなくって。途中で前がはだけたりしたらヤダなぁって」
 私は「大丈夫だよ」と言いながら帯の結び目を確認してあげた。なんだか妹みたいで、可愛らしく思えた。それに、優待券の写真に写っていた家族が着ていたものが浴衣だと知った時の、ソフィーのはしゃぎ様もまた可愛いものだった。
 ふと、男湯の脱衣場から三課の皆も次々と出てきた。
 三課男性陣の列の最後尾に、角刈り頭から湯気を昇らせたノイズ曹長が出てきた。顔を赤くしているけれど、のぼせたってわけではないみたいだ。
「や、やあ! ソフィー君! 湯加減はどうだったかな?」
 ソフィーが返事をしないまま小走りで先へと進み、それに続いてホカン部の皆と三課の女性陣も歩き始めた。皆無言だった。
 正直言うと、私もコメントに困っている。掛ける言葉が見つからなくて、とりあえず彼女達の後を追った。
 なんだか縮こまった様子で男性陣が続いてくるのを確認しながら、私達が向かった先は宴会場。
 襖を開くと広い和室に人数分の座布団と膳の席が二列、向かい合う形で並んでいた。畳の感触を懐かしくも感じながら中に入っていくと、膳に載せられた料理の香りが伝わってきた。ただ、故郷の雰囲気を感じさせながらも、料理だけはやはりミッドチルダ風で少し違和感がある。それでも宴会場の隅にはカラオケまで用意されているという徹底振りを見ると、この銭湯の経営者に親近感を覚えざるを得ない。
 皆がそれぞれ好きな席に座ると、カラオケ用のマイクを手にしたミリー部隊長が、グラスを片手に持って音頭をとり始めた。
「諸君、本日はヒデオウトでの任務、大変ご苦労だった! 出来る部下を持つのは上官としても実に鼻が高い。君達の働きはよく覚えておくので、今後も管理局員として尽力してくれたまえ!」
 いつの間にか三課の人達もミリー部隊長の部下扱いになっている。しかし、誰も何も言わないのは、理解があるからなのだろうか。それとも諦めなのだろうか。
「長い話はあまり好きではない。だが、せっかくの機会なのでウルスラの艦長を務めてもらった男にも一言頂こうかと思う。彼がいなければ、キャプテン・ミリーとその仲間達はヒデオウトに行くことすら出来なかったからな。…………では、ノイズ曹長! 一言貰えるか?」
「あ、は、はい!」
 一番隅っこの席でしょぼくれていたノイズ曹長が、慌ててミリー部隊長に駆け寄った。
 彼にも見せ場を与えて、お風呂での失態を少しでも挽回させようとしているのだろうか。
 さすがはミリー部隊長。大人の女性だなと思った。
「えー、それでは、一言言わせていただきます。本日の任務はみ」
「かんぱーい!」
 両手にグラスを持ったミリー部隊長の大声に驚きつつも、皆が勢いに引っ張られるまま乾杯をしてしまった。
「ちょっと!」
 ノイズ曹長の抗議を無視して、ミリー部隊長が一つ目のグラスを空にする。
「話が長くなりそうだったんで、終わりー! やっほー!」
 この人はそんなに長い話が嫌いなのか。
 ちょっと可愛そうに思いつつも、お約束的な展開に思わず笑みが零れる。隣の席に座っているソフィーも声を出しながら笑い、ジュースの注がれたグラスを口へ運んだ。
「本当に元気が良いね」
「そうですね! ミリー部隊長には敵いませんけど、私もなんだか騒ぎたい気分です」
 ソフィーが目の前の料理を摘みながら笑顔を向けてきた。私も笑い返してグラスの中身を一口飲むと、突然目の前にミリー部隊長が現れて言った。
「高町一尉、飲んでるか?」
「ええ。おいしく頂いてます」
「そっかそっか! おいノイズ曹長、高町一尉のグラスに注いでやったらどうだ?」
 ミリー部隊長の言葉に、ノイズ曹長は元気良く返事をした。
 けれど、聞こえた返事は彼だけのものではなかった。
 三課の男性陣が我先にと席を立ち始めた。
「え? え? そんなには飲めない……で…………す」
「お前等! 俺が先だろ! 俺はミリー部隊長の命令によってだな!」
 男性陣がグラスを持ったままその場で言い争いを始めた。そんな中、こっそりと近づいてくる人もいたが、抜け駆けを見つけた途端に言い争いを中断して見事な連携で取り押さえる三課男性陣。その動きの無駄の無さは、ヒデオウトで密輸組織を逮捕した時よりも若干手際が良くなっている気がして呆れた。
 見かねたミリー部隊長が、私に一杯注ぎながら彼等に言った。
「よし分かった! 私に酌をしろ! そして私を酔わせることが出来た奴には、褒美として私と高町一尉の二人がつきっきりで相手をしてやろう!」
 勝手に私も入っている。そのことについて問おうとするも、ミリー部隊長の前には続々と男性陣が群がって酌を始めており、もはや近づくことすら出来ない。
「ミリー部隊長! こちらもどうぞ!」
「おう! お前等注ぐなら自分も飲め!」
 いつの間にか飲み比べになっていることを心配しながら、私とソフィーは席を離れて三課の女性局員達の側に移った。
 三課の女性局員達に挟まれるようにして座っていたブラント君が、料理を口に運んでもらっては食べ、ジュースを注がれては飲んで、他の男性陣には真似出来ない楽しみ方をしていた。
 そんなブラント君を見ているウィンディーヌちゃんの顔が、般若のように歪んでいるのは言うまでもない。しかも物凄い勢いでお酒を飲んでいる。自棄酒かな?
 ジージョとマルコもジュースを片手に、三課の女性局員とお喋りの輪を作っていた。
 私とソフィーもその輪に加えてもらうと、女同士の楽しい一時が始まった。
 並べられた膳は無意味なものになったけれど、こういうのはなんだか学生時代の修学旅行を思い出すようで楽しかった。
 地球を離れて管理局員として長くやってきたけれど、今の状況を見て、やっぱり自分も普通の女だなと改めて思った。
 教導官という立場もあってか、日々の生活の中で女性らしく振舞うことがどんどん減っていって、それでもやりがいと誇りを持って歩んできた道だから、それも仕方が無いと諦めていた部分があった。でも、こうして皆で他愛も無いお喋りをして過ごしていると、魔法に出会う前の少女だった自分を取り戻すことが出来る。地球にいる家族や友達、それに機動六課の仲間達と過ごしている時でも少女に戻ることは出来たけれど、こんな意外な場所でも私は普通の女に戻れることが嬉しかった。
 そうか。女性って、心がキラキラしていればいつだって少女なんだ。
 こんなにも楽しくて輝かしい時間は、きっと全ての女性の原点なのかも知れない。
「ようし!」
 私は立ち上がった。もう少しだけ、少女の自分を思いっきり楽しんでみたいと思ったのだ。
「一曲歌います!」
 突如、拍手が巻き起こって少し気恥ずかしくなった。
 カラオケの前に立ち、曲を選択。そして演奏スタート。
 歌いだしの第一声から、私は今の気持ちを歌に乗せるつもりで言葉を紡いだ。
 こうして過ごしている時間が皆の思い出になってくれればいい。そして自分の心にもいつまでも残ってほしい。
 そう願って、私は刻み込むように歌った。
 演奏が終わると、再び聞こえてくる拍手。
 楽しいな。
「いいぞ、高町一尉!」
 顔を赤くしたミリー部隊長が、拍手をしてくれた。
「次! ソフィーいけ!」
 恥ずかしそうに頭を掻きながら、ソフィーは私に近づいてきてマイクを受け取った。
 その瞬間、
「歌ステキでした! なのはさんって……可愛いですね!」
「ありがと!」
 ソフィーの歌声を聴きながら私は席に戻り、グラスを手にした。
 ヴィヴィオにはちょっと悪いけど、今日は来て良かったと思う。
 その後も何人かが歌を披露していき、遂にミリー部隊長までが動き出した。
「マイクを貸ちぇ! あたちが歌う!」
「いよぉ! 待ってました!」
「真打登場だ!」
 盛り上がる室内。
 ミリー部隊長はマイクを受け取りに前へ進み出る。でも、ちょっと足取りが怪しい。それに言葉遣いが変だ。
 カラオケの前まで来ると、何故か曲選択をすることなく、マイクを握って言った。
「ではー! あたちミイーが一曲いかしぇてひたたきましゅ!」
 敬礼を合わせる彼女だが、直立が困難のようだ。大丈夫だろうか。
 息を大きく吸い込むと、ミリー部隊長は大きな声を発した。
 聴いたこともないリズムに乗せて紡がれる言葉は、なんだか古めかしい言い回しと独特のテンポが特徴的だった。
 何の歌だろう?
 私は分からなかったけれど、三課の何人かはその歌に気が付いた。
「おい! これ、聞き取りづらいけど古代ベルカの軍歌だぞ!」
「ホントだ! 無限書庫で歌詞を読んだことある!」
「何やってんすかキャプテン!?」
「なんでそんなの知ってるんすか!?」
 驚きと呆れが混じった声が飛び交い、ミリー部隊長が歌を中断した。
「ええ! もちかちて皆知ららいの!?」
 知るわけが無い。
「なんだぁ! じゃあ歌っても仕方ねえや!」
 ミリー部隊長がマイクを置いて再びグラスを傾けていると、三課男性陣の中から一人の男が立ち上がった。
「ふっふっふっふ…………ミリー部隊長、相当酔ってますね」
 それはノイズ曹長だった。
 千鳥足のミリー部隊長を見る彼の眼光は鋭く、両手には三本ずつの酒瓶が持たれていた。
「この瞬間を待っていたぁ! さあ、俺と勝負だ! 酔い潰してやるから覚悟せえよ!」
 ノイズ曹長、そんなに私とミリー部隊長にお酌してほしいのかな。言ってくれればお酌くらいするのに。
「んー、ノイズゥ…………あたちに敬語無しとはいい根性ちてんじゃねえかお」
「無礼講だよぉ…………それに今のアンタは怖くねえ。舌足らずなところが可愛いぐらいだぜぇ」
 酔っている。どちらも凄い酔っている。
「よーち! あたちに勝ったりゃ、お前の言いなりになってやう」
「言ったな。じゃあもしアンタが負けたら、この場で全裸になって犬のように床を這いずり回りながら、“使い魔ミリーの大冒険! 次元の彼方へワンワンワン!”と叫ぶんだぁ」
 最低だ。
 その場にいる全員が絶句していた。
 しかし、そんなこともお構いなしに両者の飲み比べは始まった。
 空っぽの酒瓶が物凄い勢いで増えていき、手元に無くなると部屋中を駆けずり回ってお酒を探し出す始末。人の飲みかけすらも強奪し、自らの胃に流し込んでいく。
 誰も止めようとはしなかった。無理に止めようとすれば、何かされそうな気がしたからだ。
 お酒を求めて走り回る二人。ふと、ノイズ曹長がウィンディーヌちゃんの飲んでいる酒瓶を掻っ攫った。
「ああ、ノイズ! それはあたしの!」
「うるせえ! ちっこいのは黙ってろ!」
 ウィンディーヌちゃんの中で何かが切れたのが分かった。音すら聞こえそうだった。
「…………あんた、それ以上は言わないほうがいいよ」
 すると、ブラント君が思い出したように言った。
「そう言えば、ノイズが風呂の中でウィンディーヌのことを“胸の小さいママゴト人形”って言ってたよ」
 そういうことはわざわざ報告しなくてもいいんじゃないかと、私は口にすることが出来なかった。
「ノイズァァァァッ!」
 ウィンディーヌちゃんの激昂にすら気付く事無く、ノイズ曹長は口を手で押さえながら「み、みず……」とだけ言い放った。
「飲みたきゃ好きなだけ飲んどりゃあああっ! 二度と浮いてくんじゃねええええっ!」
 足元に魔法陣を展開させたウィンディーヌちゃんの両手から、水弾が発せられた。そしてそれは、ノイズ曹長を飲み込んだまま壁へと飛んでいき、爆砕した。
 白目を向いて動かないノイズ曹長。
 私達は、これ以上の宴会の続行を不可能と判断した。



≪5・ようこそ、ホカン部へ≫

 私達がホカン部隊舎に帰り着いた頃には、すっかりと深夜になっていた。
 はしゃぎ過ぎたのもあるけれど、スーパーセントウの従業員の方々と一緒になって宴会場の後片付けをするのが大変だったのだ。そう、主にノイズ曹長が悶絶した周囲の水浸し状態の始末が特に苦労した。
 ホカン部の皆で協力して、完全に酔い潰れているミリー部隊長とウィンディーヌちゃん、そして睡魔に耐えられず眠ってしまったブラント君を運んできた。
 なのはさんが心配して付いてきてくれた。本当に申し訳無い気持ちでいっぱいだった。
 マルコちゃんとジージョちゃんはブラント君とウィンディーヌちゃんを背負って三階に、私となのはさんはミリー部隊長を部屋まで運ぶために二階へ。
 ミリー部隊長の個室の戸を開け、ベッドに彼女を寝かす。
 すると、ちょうどミリー部隊長が目を覚まして、口を押さえながらトイレに駆け込んでいった。
「…………動けるなら歩いてもらえばよかった」
「まあまあ」
 なのはさんが苦笑しながら宥めてくる。
 トイレから聞こえてくる吐瀉物の落下音に耳を塞いでいると、なのはさんが近づいてきて言った。
「どうだった? 打ち上げ」
「“あれ”さえ無ければ最高でした」
 私はトイレを指差した。
 “あれ”とは、トイレにいるミリー部隊長の醜態と、ノイズ曹長が晒した醜態だ。
「まあね。でも、楽しかったんだ?」
「はい」
 それは偽りの無い率直な感想だった。
「じゃあ、もうソフィーはホカン部で上手くやっていけるね」
 私は大きく頷いた。
 もう二度と、ホカン部を悪く言うことは無いと思う。私はホカン部のことが好きになれたのだから。
 トイレから水の流れる音が聞こえ、ミリー部隊長が自力でベッドに戻ってきた。酷くお酒臭かった。
「高町一尉、ソフィー…………すまんな」
「いいですよ別に。でも、ちょっとは反省してくださいね」
 私が言うと、ミリー部隊長が短く笑った後で言った。
「…………ようこそ、ホカン部へ」
「え?」
「今日でよく分かったと思うが、ホカン部は変な連中の集まりだ。お前がここにやってきたということは、お前も変な奴と言うことだ」
「それはぁ……」
 苦笑した。
「ははっ、まあ聞け。変な奴かどうかはともかくとして、お前がここにやって来た理由は間違い無くある。要らない連中の集まりと言われる我々だが、今日のヒデオウトでの任務、そして打ち上げ。そのいずれにおいても、お前がいなくても良かった場面はあったか? 昨日のプリズン誤作動時の活躍、今日のヒデオウトでの索敵、それにお前がいなければ高町一尉は同行してくれなかったし、打ち上げにも来てくれなかった。高町一尉がいなければ、三課も打ち上げには呼べなかった。そうなっていたら、今日の楽しい打ち上げ自体が無かった」
 それは少し強引な繋げ方にも聞こえる。
 だが、そう言ってもらえて嬉しくもあったのは事実だ。
「確かに“役立たん部”かもしれない。“要らん部”と蔑まれる原因もあるのだろう。だが、少なくとも“ホカン部”はお前を必要としている。今は分からなくてもいいが、お前が必要であるという事実は私が保障しよう」
「ミリー部隊長…………」
「無限書庫で見せたようなお前の泣き顔を、私はもう見たくない。私がいる限りお前は必要なんだ。そのことを分かってくれればそれでいい。だからお前ももっと楽に考えろ。お前を必要とする私がここにいる。仲間もいる。もしまた“要らん部”や“役立たん部”と言われて泣くくらいなら、一人で抱え込まずに遠慮無く私や仲間を頼れ。我々こそがお前の必要性を証明する存在だ。いいな?」
 なんでこの人はこんなにも、
「どうしてそんなに私のことを……?」
 その時、ミリー部隊長が微笑んで言った。ロテン風呂で見た、あの穏やかな笑顔を浮かべて言ったのだ。
「私は親バカだからな」
 そして右手が差し出された。
 それをじっと見ていると、なのはさんが私の左肩と頭の上に手を置いて小さく言った。
「ね? 私が言った通り、ホカン部もそんなに悪くはなかったでしょう?」
 初めてホカン部隊舎へやって来た時に、移動中の輸送ヘリの中でなのはさんが言った言葉か。
 本当にその通りだったな。
 私は差し出された右手を握り返した。
 結ばれたその手は、ホカン部の仲間とやって来たばかりの私との絆を表してくれているのかもしれない。
 とても固く結ばれていたからだ。
「ようこそ、ホカン部へ!」

 To be continued.



[24714] エクストラステージ・ノイズ 陸曹と呼ばないで
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/04/15 18:43
「え、知らないんですか?」
 見開いた目を、すぐ隣で缶ジュースを片手に持った女性へと向けた。
 その女性は、ムッとした表情を浮べながら視線だけを俺に向けて言い放つ。それと同時に、俺の坊主頭が彼女の手の平によってぐりぐりと掻き回された。
「悪かったな。だが、お前の祖父さんを知らないってのはそんなに罪なことなのか?」
「あ、いや! そういうわけじゃ、いててててっ! …………祖父を知らないという方に会うのが珍しかったもので」
「身内の自慢はするものじゃないぞ」
 怒られた。
 まあ当然か。出会ってまだ一時間くらいの人に対して、俺の勝手な思い込みを当て嵌めてしまうのは失礼だ。俺の言い方が悪かったのだろう。
 俺よりも年上の管理局員ならば、祖父の名前ぐらいは知っていて当然。そういう認識の人達ばかりに囲まれていたせいか、俺は、自分がそうだと思っていたことをいつの間にか“周囲の当然”にしてしまっていたのかもしれない。
 知らない人もいるんだ。いや、いたって不思議じゃないんだ。
 考えを改める必要があると、俺は心の中で反省した。
「まあいいか。ではご自慢のお祖父さんについて何か話してみろ」
 そう言った女性の表情は、もう怒っていなかった。長くて艶やかな髪を手櫛で梳きながら、にんまりと笑顔を浮べている。
 この女性はとても美人だけれど、その笑顔にはどことなく意地悪そうな雰囲気が含まれていた。もしかして俺の祖父を知らないと言ったのも冗談の一つで、俺はからかわれているのではと疑ってしまうくらいだ。そもそも、こうして彼女と話をしている現状自体が彼女の暇潰しなのだ。それを思えば、やっぱりからかわれている可能性は大きい。
 ここは時空管理局遺失物管理部機動三課の隊舎内にある大食堂。
 そして俺の目の前にいる女性はミリー・バンカルさん。階級は三等空佐だそうだ。彼女自身は三課とは違う部隊の人で、どうやら機動三課の部隊長に挨拶をするために来たらしい。しかし部隊長は会議中だったので、会議が終わるまでの暇な時間を潰すために大食堂にやって来たところ、俺を見つけたので退屈凌ぎにと話しかけてきたのだと言う。
 実を言うと俺自身も暇を持て余していた。今日からこの機動三課に配属となった俺も、部隊長への挨拶をと思っていたのだ。なんと偶然にも、ミリーさんと同じ理由でここにいる。
 そのおかげでこんな綺麗な女性とお喋りを楽しむことが出来るのだ。詮索なんて野暮なことはせず、からかわれているのだとしても純粋にこの一時を楽しんでしまおう。
「俺の祖父ちゃん……フィル・バレンタインは、“伝説の三提督”達の次の世代の人間なんですけど、その時に活躍したそうで」
「“伝説の三提督”? 誰だ、そいつ等は?」
「ええっ! 知らないんですかっ!?」
 それすらも知らないと聞いて、彼女は本当に管理局員なのかと一瞬疑った。
 尋ねてきたミリーさんの表情から、嘘をついているようには見えない。やっぱり俺の祖父を知らないという話も冗談なんかじゃなくて、本当に知らないのか。
「だから身内の自慢は」
「身内じゃないですから! “伝説の三提督”と言えば、管理局黎明期の功労者と讃えられる三人です。聞いたことも無いですか? レオーネ・フィルス、ラルゴ・キール、ミゼット・クローベル、この三人の名前を本当に聞いたことないんですか?」
「ああ、そのじいさんばあさん達なら聞いたことあるぞ。たしかラルゴってのは栄誉元帥の名前だったっけ? …………なんだ、三人ともまだ生きてる連中じゃないか。意外と若いんだな、管理局も」
 なんて怖いもの知らずな物言いなのだろう。昼飯時前の静かな時間帯で良かった。大食堂にいるのは俺とミリーさんだけだ。
「で? お前の祖父さんのフィルって奴は?」
 いくら暇潰しとは言え、この人に説明したって無意味なんだろうな。そんな気がしつつも、俺は祖父のことについて話を始めた。
 俺の祖父であるフィル・バレンタインは、伝説の三提督世代の次の世代、管理局の発展期に三提督と共に尽力して功績を残した人だと聞いている。具体的にどんなことをしたのかという話は、俺自身も詳しくは知らない。今では若い頃の無理が祟って養生生活をしているが、それでも時々、管理局上層部の人達が祖父の助言やらを求めてくるほどだ。
 そんな先祖を持つ俺はバレンタイン家の長男であり、家族の強い薦めもあって管理局入りしたくらいなもので、それなりの期待を寄せられていたりする。いや、祖父さんの名前を継いだくらいだ。実は結構な期待を寄せられている。
 『ノイズ・フィル・バレンタイン』。それが俺の名前であり、祖父のような活躍をと期待されている証なのだ。
 俺が知っている限りの祖父に関する話を聞かせると、ミリーさんは相変わらずの笑顔のままで言った。
「…………ってことは、お前も祖父さんのような管理局員になることを目指しているのか」
「いや、それは…………」
「なんだ、違うのか? ノイズ陸曹殿?」
 笑顔と一緒に、ミリーさんのわざとらしい声が俺の耳に入ってきた。
 途端に、胸の中がなんだかチクチクとする。
「あ、あの……階級で呼ぶのは止めていただけますか?」
「え?」
 自分でも変なことを言っているというのは分かっている。
 だが、どうしてもその階級で呼ばれるのは苦手だった。
「恥ずかしいのか? その若さで陸曹なら結構早い昇進じゃないのか。若気の至りで図に乗るならともかく、嫌がる理由が分からんな」
「何と言うか…………祖父の名があっての昇進という気がして、それがどうも気に食わないんです」
 そんな俺の一言を聞いて、ミリーさんは「ああ」と頷いた。察してくれたらしい。
 俺は自分の現在の扱われ方に不満がある。はっきり言ってしまえばそういうことなのだ。
 というのも、有名な祖父の名があったことで、俺は管理局入りした頃から何かと優遇されてきたように感じるのだ。魔法が特別得意だというわけでもないし、今まで目立った成績を残しているわけでもない。もちろん俺自身に向上心が無いわけでは無くて、より高みを目指して、俺は俺のために精一杯の努力をしてきたつもりだ。
 しかし、そんな俺の姿は周囲にどう映っているのかと、時々不安になる。
 努力が報われない、結果が出ないというならまだ良い。何故なら努力をしたという事実こそが財産にだってなり得るのだから。
 しかし、あらかじめ得られると分かっていながら努力をするというのはとても虚しい。祖父の名があるから評価されるとしたら、俺の努力は本当に無駄になる。
 周囲の人達は、俺の祖父の名を見るだけで俺自身を見ていない。そんな気がしていた。
 だから、自力ではなく祖父のおかげで得た気がする『陸曹』という階級を、俺は自信を持って名乗ることが出来ない。
 俺の友人に、クロノ・ハラオウンという名の、同い年でありながら執務官という役職を持つ優秀な奴がいる。ただクロノは、次元航行部隊で提督を務める母親の後ろ盾などがあるわけでもなく、自力で執務官試験をクリアしたし、それに第三者が唸るだけの実力もちゃんと持ち合わせている。
 クロノのそれは、俺にとってとても羨ましいことだった。
 俺が願うもの、欲しいと望むもの。それは強さだ。自分の力だけで名を馳せることの出来るような、祖父の名など霞ませてしまうくらいに俺を示すほどの、そういった意味での強さが欲しい。そう思うのだ。
「次の昇進こそ……『曹長』という階級こそ、俺は自力で獲得したいと思っているんです。だから、それまでは…………」
「ふーん…………ま、そういうことなら了解した」
 ミリーさんは結局ずっと笑ったままだったな。こんな辛気臭い雰囲気の俺が相手で、つまらなくは無かっただろうか。
 そんなことを考えていると、ミリーさんが突然視線を逸らして大食堂の入り口を見た。俺もつられて視線を送ると、がっちりとした体格の中年男性が威風堂々といった感じの歩みで近づいてきた。
 その人のことは知っている。俺やミリーさんの目的である人だ。
 遺失物管理部機動三課部隊長、サイオン・スチュアート。
「二人とも待たせたか?」
「い、いえ! こちらこそ、お忙しい時に申し訳ありませんでした!」
 すぐさま席を立って敬礼をする俺。
 しかし、その側でミリーさんは相変わらず椅子に座ったままだ。
「サイオン部隊長だな? 私がミリー・バンカルだ。今後ともよろしく頼む」
 ようやく席を立ったミリーさんは、敬礼も無しに笑顔で近づきながら、右手を差し出した。
 何と言うか、すごい無礼だ。俺より四つ年上であると言っても、ミリーさんはまだ二十二歳という若さ。それなのに、俺達よりずっと年上の、しかも一部隊の部隊長に対してその態度は無いんじゃないかと思い、俺は呆気に取られてしまった。
「ああ、よろしく」
 サイオン部隊長もミリーさんの無礼にはノータッチだった。
「で、君がノイズ陸曹だな。今日からうちの管理係に入るという」
「はい! ノイズ・フィル・バレンタインです。本日より機動三課の管理係に配属となります。どうぞよろしくお願いいたします」
「…………その名を聞くのも久しいな」
「へ?」
「フィル・バレンタイン中将のことだ。昔、良くしてもらったことがある。お元気かな?」
「…………はい」
 この人も、俺のことをフィル・バレンタインの孫として見るのだろうか。また胸の奥がチクリとした。
「ではノイズ。さっそくだが一つ頼まれてくれないか?」
「はい。何でしょうか?」
「管理部の簡単な仕事だよ。こちらで管理しているロストロギアを、とある場所へ輸送してもらいたい」
 初仕事。それも危険なロストロギア関連か。だがそれも当然だ、ここは管理局内でもエリートが集う遺失物管理部なのだから。
 少しだけ緊張で震える右手を額に、俺は再度敬礼をした。
「その任務、私も一緒に行っていいか?」
「ミリー君も?」
 ミリーさんの突然の申し出に、俺もサイオン部隊長も困惑する。
「同行任務だって私の仕事となる。せっかくノイズにも知り合ったことだ。新任同士、仲良く仕事をして来ようかと思ってな」
「まあ、構わんが…………」
 怪訝な表情を浮べたサイオン部隊長に、ミリーさんはようやく敬礼をした。歯を覗かせたヘラヘラした表情で。



 俺が受けたロストロギアの輸送任務は、『ジュエルシード』と呼ばれるロストロギアをミッドチルダ北部にある聖王教会本部まで届けることだった。
 ジュエルシードは三年ほど前に管理局が確保・封印した、指先より少し大きいくらいの菱形をした十二個のエネルギー結晶体だ。たった一つだけでも次元空間に大きな影響を与えてしまうほどのこのロストロギアは、現在では遺失物管理部が管理をしている。だが、予想以上の高エネルギーのせいで初期の封印が弱まりつつあるということで、聖王教会により強力な封印を施してもらうことになったそうだ。
「ミリーさんも、さすがに聖王教会は知っていますよね?」
 輸送車の運転席でハンドルを握りながら、俺は前後方向に長く伸びる林道の上を進んでいた。聖王教会本部へと通じるこの林の中は、昼夜を問わずに賑わっている首都や市街地とは別世界に思えるほど静かだ。
 輸送車のエンジン音だけを聞いているのでは運転も退屈になってしまうので、俺はこうして何度かミリーさんに話しかけている。だが、彼女は自分から同行任務に出ると言い出した割には、出発してからついさっきまで助手席で熟睡していた。
「んぇ? ああ、ちょっとくらいは知ってるぞ。どちらかと言うと、教会の事なんかよりも教会連中が祀ってる『聖王』について色々知っているけどな」
 垂れかけた涎を拭きつつ、ミリーさんがようやく答えを返してくれた。彼女がずっと寝ていて退屈だったせいで、返事をもらえたことがちょっとだけ嬉しかった。
「へぇー、もしかして歴史とか好きなんですか?」
「んーん、別にぃ」
 なんだよ、それ。
「聖王について詳しいなら、教会についても詳しそうですけどね」
「古代ベルカ時代に君臨した王を崇める宗教団体としての一面、管理局と協力しながら古代遺物(ロストロギア)を調査・保守する管理組織としての一面。この二つの顔を持っている全次元世界中でも最大級の巨大組織ってところまでは知ってるよ」
 一般的な認識は持っているようで安心した。
 ツッコミを言葉にしないまま、俺はアクセルを踏み込んだ。
 すると突然、どういうわけかスピードが上がるどころか、輸送車のエンジン音が突然聞こえなくなって、速度はどんどん落ちていった。
 そしてミリーさんと顔を見合わせている内に、遂に輸送車は完全に停止してしまい、俺達はしばらくの間車内で絶句した。
 車を降りて、俺は輸送車のボンネットを開いた。機械に詳しいわけではないが、車が壊れた時の動きと言ったらやっぱりコレだろう。
 見たところで何処が調子悪いのかさっぱり分からない。しかし、ミリーさんという女性が側にいる以上、かっこ悪いところは見せたくないというのが本音だ。
「どうだ? 直りそうか?」
 俺は平静を装って言葉を返した。
「ああ、これはパッシングのウィンカー現象が原因でバンパーエアバッグがエンスト状態でハイドロプレーニングになったからだなー」
「ヒューズが飛んだんじゃないのか? 知らないなら引っ込んでろ、直してやるから」
 本気で泣きたいと思った。
 ミリーさんが車のボンネット上に身を乗り出してガチャガチャとやっている間、俺は道端で膝を抱えて座っていた。
「ミリーさんって、機械に強いんですか?」
「まあ、そこそこな」
 こういう女性は頼もしいが、男としては少し悔しいところだ。
「ま、まあ……車の整備くらいなら俺だって覚えられますよ。ははは」
「そうか。私は次元航行艦の整備だって自信あるぞ。まあ、ノイズ陸曹でもきっとすぐ覚えられるさ。ははは」
 少しどころではない。死ぬほど悔しい。
「ノイズ陸曹様ならきっと何でも出来るさ。ご先祖様の名に懸けて、な」
 ところで、この人はさっきからわざと俺の階級を言っているのだろう。俺が嫌がる様を見て楽しんでいるに違いない。
「だから階級で呼ばないでください。もしかして嫌がらせですか?」
「当然わざとだ」
 否定すらしないし。
 口を尖らせていると、ミリー部隊長が言葉を続けた。
「何故そんなに嫌がる? 誰かに直接言われたわけではないのだろう? 祖父さんの名に免じて昇進させました、なんてことを」
 ボンネットに突っ込まれたミリー部隊長の腕の動きは止まらない。
「確かに直接言われたことはありません。俺がそう感じているだけです。…………でも、感じずにはいられませんよ、誰もが俺のフルネームを聞けば良い顔をしてくるんですから」
 その通りだ。今の俺は祖父の名があってこその俺自身。
 でも、俺が求めているのはそんな自分じゃない。祖父の名前なんて関係なく、自分自身を全て出し切って精一杯やっている姿を認められた自分こそが欲しい。
 だから認められていない俺自身は、そんな俺が得た階級やポジションなんてものは、要らないんだ。
「ノイズ陸曹」
 突然ミリー部隊長の声が飛んできた。
「おかしいぞ」
「え? もしかして厄介な壊れ方してます?」
「いや、車の荷台から強い魔力反応を感じる」 
 ミリーさんの顔が険しくなっていた。
 荷台? 今この場にいる魔導師は俺とミリーさんだけのはずだし、それ以外に強い魔力を放つものと言ったら、一つしかないじゃないか。
 まさかと思いつつ、俺は車の後方に回って荷台を開けた。開けた瞬間から、目には見えない濃厚な魔力の波が漏れ出てくるのを感じた。
 発動しているのか? しかし、一体何故?
 ジュエルシードが発動したら不味い。たった一つでも次元空間に不安定な力場を展開してしまうような莫大なエネルギーを秘めている代物だ。それが十二個。これら全てが暴走状態に入って力を完全に発揮したら、今いるミッドチルダが消え去るのだって有り得ない話ではないのだ。
 ジュエルシードが発動寸前になった理由は、何となく予想が付いた。
 ジュエルシードは、『願いが叶う宝石』とも言われている。その莫大なエネルギーは精神によく感応することでも知られていて、強い欲求などを抱いたままジュエルシードに触れると、たとえ本人が無意識でも、その欲求を満たそうとするエネルギーが増幅されて働いてしまうのだ。その精神感応は人だけに留まらず、動植物などの意思あるもの全てにおいて無差別に働く。だが、そのエネルギーの強大さ故に、“願いの成就”というよりも“願望の暴走”という結果に結びついてしまう。
 そんな力を発揮させるわけにはいかない。
 俺は荷台の中に入ると、ジュエルシードをしまっているケースへと近づいた。
「これは……」
 ケースが開きかけていた。誰かの手によって開かれたのではなく、内側からの力によるもの。ジュエルシードの精神感応力が、弱まりかけていた封印の許容範囲を超え始めてケース内に充満し、ケースを内側からこじ開けてしまったようだ。
 しかし、するとジュエルシードが感応したという精神は一体何処から?
「ノイズ、大丈夫なのか?」
「いや、非常に不味いですね。とにかく中身を確認してきます。ここで発動させるわけにはいきませんから」
 俺は荷台に乗り込んでケースに近づいた。濃厚な魔力がより一層強く感じられる。
 むせ返ってしまいそうな魔力の中を一歩ずつ進み、ケースへと近づいた。つま先とケースの距離が三十センチも無いくらいに近づいたところで、俺は膝を折ってケースに手を伸ばした。
 ケースを完全に開けてみると、緩衝材で出来た台座に列を成して収められている蒼い宝石が十二個。上段に六つ、下段に六つという形でその菱形を並べていた。
 神秘的な蒼。底の見えない湖のように深くて、雲の無い空のように清涼で、世界を統べる支配者の目を思わせるくらいに力強い。そんな蒼だった。
 宝石は、その一つ一つが淡い光を放っていた。蒼を際立たせるような、優しい光。
 発動寸前、と言ったところなのだろうか。
 何となく、本当に理由が思い当たらないくらいの行動だった。俺の右手は、その内の一つに手を伸ばしていた。
 いや、たぶん理由はあった。引き込まれていたんだと思う。
 ジュエルシードは、願いが叶う宝石。欲求などの精神に感応する。そして、ここにあるジュエルシードが封印の力を上回った原因は、何かの精神を感じ取ってしまったから。
 そう、その精神の原因は、俺。
「ノイズ! 何をしている!?」
 俺は宝石を一つ、指で摘み上げた。
 そして目が離せなくなっていた。
「おい、ノイズ! すぐにそれを放せ! こら!」
 俺の中から何かが吸い上げられていくような感覚。代わりに、俺の中での欲求がどんどん大きくなる。
 この力があれば、俺は願いを叶えられるかもしれない。
 この力があれば、俺は自分の欲しいものを得られるかもしれない。
 この力があれば、俺は望んだ姿になれるかもしれない。
「バカが! 飲まれかけてる!」
 俺は荷台の外に出ようと足を動かした。真っ直ぐ進めているのかは分からなかったけれど、たぶん目の前の四角い光が荷台の入り口じゃないだろうか。
 ただ、そんなことはどうだって良かった。
 とにかく俺は目の前にある、指で摘んでいる、この蒼くて小さな宝石のもっと奥が見たくて、その奥にはきっと俺の望むものがあると信じて、そこへ向かうように足を動かしていた。
 光を潜り抜けると、広い空間に出たことも相まって、俺は更に足を速めた。
「何処に行く!? 止まれ!」
 ああ、気持ちいい。これだけの力が俺の手にあるという事実が、何とも言えないほど心地良い。
 好きに使っていいのだろうか? こんなにも強大な力、俺の私利私欲のために使っていいのだろうか?
 誰も答えてくれない。だが、俺は使おう。使ってしまおう。
 こんなに大きな力、使わなければもったいない。
 強く、強くなりたいんだ。
 祖父の名前なんかに負けない、自分だけの足で突き進める、精一杯やっている。そんな自分を今なら認めさせることが出来る。
 家族にも知らせてやらないといけないな。
 姿こそ見えないが、俺は大声で家族にこの喜びを言葉にして叫んだ。
「くっ! なんて耳障りな鳴き声を出しやがるんだ…………ウルカヌス、セットアップだ」
「jawohl」
 ふと、背後から大きな力を感じた。俺のものとは違う、とてつもない大きな力。
 ケースに入っている残りのジュエルシードか。
 いや、違う。別の誰かの力だ。
「まったく、手間を掛けさせる男だ。同行してきて正解だったな」
 お前は、俺の力を認めないのか。やっぱり祖父ちゃんの事ばかりを見るのか。
 そんなことは許さない。
 俺を見てくれ。俺を見るんだ。
「ノイズ、聞こえるか? お前は今ジュエルシードに取り込まれている。鏡を見てみるか? 人間じゃないぞ、その姿」
 お前は俺を見ればいい。俺だけをしっかりと見てくれていればいいんだ。
 そして認めてくれ。俺は精一杯やっているんだということを。
 俺を、俺をよく見てくれ。
「意識が完全に支配されていて聞こえてないみたいだな。何とかあいつの意識を…………待てよ、確かあのロストロギアは欲求に食いつくんだったな」
 ちゃんと俺を見ているのか? だったらなんで声を掛けてくれないんだ?
 認めてくれなくちゃ嫌だ。
 祖父さんじゃなくて、俺を認めてくれなくちゃ嫌なんだよ!
「おっとぉ! 遂に手ぇ出してきやがったな」
 何も聞こえない。どうして誰も俺を認めてくれないんだ。何故精一杯やっている俺を、祖父さんじゃなくて俺自身を見て、声を掛けてくれないんだ。
 俺はここにいるじゃないか。声を掛けてくれ。認めてくれ。
 俺は、俺はここに。
「ノイズ“陸曹”!」
 今、何て聞こえたんだ?
 誰だ? 俺のことを“陸曹”と呼んだのは?
「そ……呼ぶな…………り……くそうと……俺……っぶなっ!」
「はっ! そんな姿になっても陸曹だけは嫌か?」
 呼ぶな。俺を陸曹と呼ぶな。
 そんな風に呼ぶ奴なんてとっちめてやる。
 俺を、俺のことを、
「りクそ……と、ヨぶ…………呼ぶなぁっ!」
「いいぞぉ、ノイズの意識が表面に出てきたな。ウルカヌス、このままノイズの自意識を叩いてノックダウンを狙おう。あいつの自意識が倒れちまえば、ジュエルシードは体を離れる」
 何か前方に強い力が集まっているのを感じる。
 何だろう? 前が見えないから状況が理解出来ない。
「悪いが手加減は無しだ。死んだ時は諦めてくれ……………………ウルカヌス、砲撃用意!」
 眼前の力が更に強くなっていく。
「発射(ファイア)!」
 突然、激痛が叩き込まれた。
 俺は苦しくて声を上げたが、それでも痛みは止まない。
 何が起こっているのかも分からないまま、ある瞬間から俺の感覚は全て失われてしまった。
 最後に見えたのは、視界いっぱいに映る真紅の魔力光だけ。



「気が付いたか?」
 俺はオレンジ色の空と向かい合ったままで目を覚ました。
 隣にはミリーさんが胡坐を掻いて座っていた。
 指先に触れる土の感触。間もなく夜を迎えることを知らせる鳥の鳴き声。逆光によって影を作っているミリーさんの怪しい微笑み。
 俺はゆっくりと上半身を起き上がらせた。それと同時にミリーさんも立ち上がる。
「早く車に乗れ。行くぞ」
「あの……俺は一体」
「知りたいか? 教えてやってもいいけど、驚くなよ?」
 それから彼女が話したことは、俺に重大なショックを与えた。
 俺が抱えていた悩み、強くなりたいという欲求を感じ取ったジュエルシードに引き込まれた俺は、その願望を暴走させながらミリーさんに襲い掛かった。しかし、ミリーさんの攻撃によって俺は、ジュエルシードの力から解放されて助けられた、ということだった。
 話を聞いた俺は、ミリーさんを危険に晒してしまったことを後悔した。管理局員としてのあるまじき失態に憤った。
 最後に、ジュエルシードに取り込まれてしまうような自分の心の弱さに、泣いた。
「おいおい、せっかく助けてやったんだ。泣いてないで喜べ」
 それでも涙は止まらなかった。
 何がフィル・バレンタインだ。何が名高い祖父の名を継ぐ男だ。
 俺は、祖父の名に負けないどころか、祖父の名を背負うに値しないような男だった。「俺自身を認めてほしい」なんて大口を叩いていたくせに、ジュエルシードに取り込む隙を与えてしまうほどの弱さ。こんな俺が周囲に認めてもらうなんて、到底無理な話だ。
 俺はずっと祖父の力に甘んじていれば良かったのだろうか。
 だが、こんな失態を晒した今でも、祖父に縋る自分は認められない。プライドだけは一人前に持っている自分自身がいる。
 ならばどうする。これ以上祖父の名に甘んじたくなければ、これ以上自分のプライドを傷つけたくなければ、これ以上弱さに泣きたくなければ。
 俺は、管理局を辞めるしか無さそうだ。
「…………俺、管理局を辞めます」
「ん? そうか。でも、コレの輸送だけは責任持って終わらせないとな」
 ミリーさんは右手に持っていたジュエルシード入りのケースを輸送車の荷台に積み込んだ。
「ああ、あとな、さっき車内の無線機に連絡が入ったぞ。ここら一帯で異常な魔力反応を感知したけど何かあったのか、だとさ。別に私の不都合にはならなかったから、さっきのことは全部喋っちゃったが、良かったか?」
 ちょうど良いかもしれない。管理局にも俺の失態が知れ渡ったようだし、辞めるにはもってこいのタイミングだ。機動三課だって、簡単な輸送任務すらこなせずにいる俺なんて要らないだろう。
「けっきょく俺は、祖父ちゃんの名に頼らず立派になるどころか、祖父ちゃんの名を汚すようなことをしただけだな…………」
 俺は輸送車の運転席に向かおうと、立ち上がって服に付いた土を払い落とした。
 ふと、ミリーさんがじっと俺を見ていることに気が付いた。何かを言い出しそうな顔だ。
 だが、今更慰められても立ち直れそうにないし、怒られたって管理局を辞めようという気持ちも揺るぎそうにない。
 今更何を言われても。
「ノイズ陸曹……お前、祖父さんのことが嫌いなのか?」
「いえ、別にそういうわけでは…………」
「じゃあ祖父さんのことをどう思ってるんだ?」
「もちろん誇りに思ってますよ。俺と違ってとても立派な人です」
「じゃあ何でそんなに祖父さんをいじめるようなことばかり言うんだ?」
 いじめる? 俺にはその意味がよく分からなかった。
「あの、いじめるって?」
「お前って嫌な男だな。何から何まで祖父さんのせいにして」
「…………祖父の、せい?」
「お前の話を聞いてると、祖父さんのせいで管理局員になって、祖父さんのせいで陸曹になって、祖父さんのせいでジュエルシードに取り込まれちゃいましたって言っているように聞こえるんだが。お前が管理局を辞めるのは別にどうでも良いんだが、辞める理由を身内のせいにするものではないぞ」
 確かに俺は色々なものを祖父に関連付けていた。それは、自分が納得出来ない、気に食わないものを祖父のせいにしてきたのだと言い換えることも出来る。だからミリーさんの言葉は否定しない。
 そう、事実なんだ。だから、俺は今回も祖父のせいにして、祖父の名に甘えて、管理局を辞めることを決めた。
 甘えたくないというプライドから選んだ選択が、結局は甘えだというのは皮肉なものだ。
 だが、もうこの考えは確固たるものとなっていた。
「ミリーさんの言う通りです。俺は、自分の気に入らないことを祖父のせいにしてきました。だからそれを終わるために」
「違う違う! だからそれが苛々するんだ!」
 違うというのは、何が違うのだろうか。よく分からない。どういうことだろう。
「それだよ! お前自身が“気に入らない”と思っていることが嫌なんだよ!」
「…………言っていることがよく分からないんですけど」
「お前、陸曹という階級が気に入らないと言ったな。気に入らないのは大いに結構だが、それは祖父さんの力でも何でも無く、お前自身の力で得たものだろう?」
「ど、どうでしょうか? 俺は祖父の名があってのものだと思」
「ふざけるな。先祖の名前で贔屓されていると勝手に思い込んでいるんじゃないのか? 少なくとも私には、今のお前はお前自身の努力の結果なんだと思えるんだが。それをお前が勝手に祖父さんのせいにしているようにしか見えない」
「そんな! だってそんなことミリーさんに分かるんですか!?」
「確かに分からない。だが、お前は今まで努力をしてこなかったのか? 祖父さんに負けぬようにと色々汗を流してきたんじゃないのか? それに管理局内のエリートが集まる遺失物管理部への配属も、お前の今までの努力が認められたからじゃないのか? お前のフルネームを聞いて懐かしさに顔を綻ばせる年寄りはいるかもしれんが、お前の祖父とお前自身を同じと見ているものなんて本当にいるのか?」
 改めて言われると、本当のところはどうなのだろう?
 俺は、自分がそうだと思っていたことをいつの間にか“周囲の当然”にしてしまっていたのかもしれない。
 だから、答えは当然、
「…………わ、わかりません」
 その一言だった。
「これも、私には実際のところは分からん。だが、先ほど話した無線機の相手はサイオン部隊長だったんだが、相当怒っていたぞ。誰にでも務まる仕事すらこなせないのなら一生隊舎から外には出さないぞ、とまで怒鳴っていた」
 少し気持ちがめげた。三課隊舎に帰るのが億劫だ。
「確かサイオンはお前の祖父にも世話になった男だったな。もし本当にお前が贔屓されているのなら、恩師の孫の初失敗にそこまで言うか?」
 言われてみれば確かにそうだ。
 もしかして俺は、勝手に祖父の影に怯えていただけなのだろうか。周りはそんなものを全然気にしていないというのに。
 そう考えた瞬間、急に俺の中で様々な感情が爆発し始めた。俺の思い違いだったのだという安心感と驚きと嬉しさ。そして祖父に対する申し訳なさと、今までの俺に対する恥ずかしさと怒り。最後にサイオン部隊長への恐怖。
 当然、俺の目からはもう涙なんて流れていない。代わりの言葉が漏れ出る。
「す、すいません。何か色々と…………」
「ふん! 勘違いも大概にしろ」
 俺は決めた。
 とりあえず管理局員の辞職はまだ出来ない。俺にはやるべきことがまだあるからだ。
 今まで祖父のせいにしてきたことを詫びるためにも、気持ちを新たにして一から出直す必要がある。
 だから、『陸曹』を名乗ることはやはり出来ない。今まで祖父のせいにしてばかりだった弱い自分ではなく、新たに一歩進んだ自分が得た階級こそ、堂々と名乗れるものだと思った。
 祖父に負けないようにという心意気は良いと思うが、祖父の名前に勝つ必要など無かったのだ。
 フィル・バレンタインは俺の祖父の名前であり、俺の名前じゃない。
 これからは、この名前を見せ付けてやればいい。この名前の俺自身を磨いていけばいいんだ。
 そう、俺の名前は、『ノイズ・フィル・バレンタイン』。
「ミリーさん」
「ん?」
 ミリーさんは助手席に乗り込む寸前で止まった。
「俺が昇進したら、『曹長』って呼んでもらえますか!?」
「何だよ急に。管理局を辞めるんじゃないのか?」
 ミリーさんの表情がいつもの意地悪そうな笑顔に戻った。
「お願いします!」
「…………まあ良いだろう。なかなか良い顔つきになったみたいだしな。お前がめでたく昇進出来た時には、『曹長』と呼ばせてもらう」
「あ、ありがとうございます!」
 そうだ。『曹長』こそが“ノイズ・フィル・バレンタインの出発点”となる。
 俺の最初の目標で、大切なものとなる場所。
「だが、階級付きで呼んでほしかったら、まず私のことも“さん付け”なんかじゃなくて、それなりの敬意を込めて呼んでくれないか?」
 敬意? そういえば俺は、ミリーさんがどこの部隊所属なのかを未だに知らない。
「ミリーさんって一体…………」
「二日前に新設された、遺失物保護観察部の部隊長なんだがね」
 それを聞いて言葉を失った。
 部隊長? サイオン部隊長と同格?
 彼女のことを無礼だと思っていたけれど、もしかして俺の方が失礼だったんじゃないだろうか。
 仁王立ちで俺を見る彼女の視線は、俺よりも背が低いのに何故か見下ろしているような威圧感があった。
「あ、そ、そうでしたか! 失礼しました! ミリー部隊長!」
「まあ別にいいさ。私だって、お前がどんなに昇進しようと一生『曹長』と呼び続けてやるからな」
「いや、さすがに一生は…………」
 なんだか、俺は一生この人に敵わない気がしてきた。

 To be continued.



[24714] エクストラステージ02 第20.5話 串焼きの行方
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/04/15 18:44
≪1・パーティーのはじまり≫
 第二十五無人世界チーク。ここは本当に素敵な世界だと思う。
 見たこともない程の大自然は、見る者に清涼感を与えてくれる。そして頭上に広がる晴れ模様の空は、日々仕事に励んでいる私達に溜め込まれている疲労を一気に解放してくれるほど雄大だ。
 眩しい緑の木々が生い茂る森の中の、少しだけ開けた場所。そこは不揃いな小石で埋め尽くされていて、地面を割るように透き通った冷たい小川が優雅に流れている。
 小川の横に設置されたバーベキューコンロには真っ黒な炭と火種が投入され、じわじわと熱を帯びていく。コンロの隣には火に掛けられたばかりの炊飯釜。折りたたみ式テーブルの上には様々な食材がずらりと並び、テーブルの細い四足を軋ませていた。
「食べきれるのかな…………」
 マリアンヌの貨物室に並べられていたコンテナを見た時から思っていたのだが、いくら大人数とは言え、とても一日で食べきれるような量では無い。それはコンテナから出された食材の量を改めて確認し、決して大袈裟ではないと確信出来た。
「誰がこんなに食べるんですか?」
「…………いや、買い出しに行ったのはアイサ君なんだけど」
 ノイズ曹長はへらへらしながら頭を掻いた。
 私達はこれから、第二十五無人世界チークにて、機動三課とホカン部合同でのバーベキューパーティーを行なおうとしている。
 昨日は、アウロンによるキャロちゃんの誘拐事件とそのキャロちゃんの救出作戦によって丸一日緊張しっ放しだったので疲れてしまった。それでもキャロちゃんの救出は成功したし、アウロンとその一味も捕まえることが出来たので、今ではほっとしている。
 ただ、つい昨日にそんな事件があったばかりなので、本来私達は一刻も早く時空管理局に帰らなければいけないはずだ。捕まえたアウロン一味だって、拘束しておく場所が無いという理由で現在はマリアンヌの貨物室に閉じ込めているのだから。
 そう、本来はバーベキューなんてしている場合ではない。
 それなのに何故こんなことをしているのかと言うと、実は管理局に帰りたくても帰れない事情があるからだった。
 昨日のアウロン達との戦いにおいて、私達の乗ってきた次元航行艦マリアンヌが損傷してしまい、飛行や転移が出来ない上に修理も不可能な状態となってしまったのだ。外見こそそれほど大きな傷も無いように見えるが、無理に飛ぼうとすれば墜落するかもしれない。仮に飛び立つことが出来ても次元空間の航行は出来ない。そんな状態なのだ。
 チークから身動きの取れない私達は、本局に連絡を取って救援を要請。しかし運の悪いことに、チークは一番最寄りの管理局支局からでも半日以上掛かってしまうほどの辺境に位置する次元世界で、私達はチークで夕日が沈むのを見るまで身動きが取れない状態となってしまった。
 そして何もしないでいるのならばと、ミリー部隊長とマルコちゃん発案のバーベキューパーティーがこの度、非常事態であるにも関わらず行なわれることとなった。
 正直、こんな時にでもきっちりと遊べる皆に少し呆れてしまう。が、だからと言ってバーベキューをやりたくないわけではないというのも本音だ。チークに来る前から計画されていたこのバーベキューパーティーは、サイオン部隊長を除いた全員が待ち望んでいたことだ。自然と表情が緩んでしまう。
「早く食べたい! ノイズー、早く焼いてぇ!」
「呼び捨てにするなピョーン! 曹長をつけるっちゃ!」
 ブラント君の呼び捨てに対しても、今日ばかりは全然怒る気が無いのだろう。ノイズ曹長は奇妙なテンションのままブラント君を制していた。ただ、機嫌が良いのは構わないがその口調は気持ち悪い。
 並べられたバーベキューコンロは三台。その周辺に集まった機動三課の局員とホカン部、それにエリオ君とキャロちゃんを含めた自然保護隊の人々が、手に紙コップを持って食材が焼けるのを待っていた。
 そんな皆の間を練り歩きながら、マルコちゃんとジージョちゃんとノーラちゃんがジュースを次々と注いで回る。
「さあさあ、準備は出来たか? 飲み物を持っていない奴はいないな…………よし。では、ノイズ曹長から開会の言葉をいただこう!」
 ミリー部隊長に促され、今回の幹事を務めているノイズ曹長が声を大にして言い放った。
「えー、では! 皆さん昨日はお疲れ様でした! 予想外の事件に見舞われたにも関わらず、優秀な皆さんのお力により無事に事件はかい」
「カンパーイ! ひゃっはぉー!」
 ノイズ曹長の言葉を遮ってミリー部隊長が乾杯の音頭を横取りすると、皆もそれに続いて紙コップを頭上より高く上げて声を出した。
 なんか、前にもこんなことあったなぁ。そう思いつつ私も乾杯をした。
「ソフィーさん、乾杯」
 横から声を掛けられて視線を向けると、そこにはジュースの入った紙コップを掲げたエリオ君とキャロちゃんがいた。
「うん、乾杯」
 二人のコップに自分のコップをぶつけると、中に注がれたジュースを一口だけ口に含んだ。
 二人も同じように一口だけ飲むと、エリオ君はさっそくと言わんばかりにコンロの方へと向かって歩き出した。まだ焼きあがっていない串刺しのお肉を目指しているみたいだ。
「エリオ君、お腹空いてたのかな?」
「たぶんそうだと思います。エリオ君ってば、バーベキューが楽しみで朝起きてから何も食べてないんですよ」
 そう言ってキャロちゃんが笑うと、私も釣られて笑ってしまった。昨日の事件で見せた頼もしいほどの戦闘力や不屈の精神力からは想像も付かない、外見通りの子供っぽさが可愛らしくて微笑ましい。
 ふと、キャロちゃんがとある方向を向いてじっと固まっているのに気が付いた。彼女の視線の先を追い掛けると、そこにはテーブルの上に山積みにされたバーベキューの食材があった。
 それをじっと見つめている彼女は、真剣な眼差しを送りながら声になっていない呟きを漏らしていた。
「どうしたの?」
「あ、いえ」
 私の声に素早く反応したキャロちゃんは、しかし、それ以上は何も言わなかった。
「…………さては驚いちゃったんでしょ? あんなにたくさん食べきれるのかって」
「え? あ、えーっと……はい。そうですね。すごい量」
「だよねー。余ったら持ち帰るのかな? でも、さすがにもう日持ちはしないと思うんだけど」
 改めて見てもすごい量だ。確か買い出し係はアイサちゃんだったはず。あの子は加減というものを知らないのだろうか。
「キャロ、ソフィーさん、お待たせ!」
 エリオ君が両手にいっぱい串焼きを持って戻ってきた。そして私とキャロちゃんにそれを差し出している。
 持ってきてくれたのか。気が利く良い子だなぁ。
「わぁー、ありがとう!」
 串焼きを一本受け取り、一番上に刺さっている分厚いお肉に歯を立てる。焼きあがったばかりのお肉はまだ熱くて、歯が刺さると深い旨みのある肉汁が噴き出してきた。調味料で味付けされているみたいだけれど、お肉から染み出る素材の味の方がずっと強く、それが本当においしい。
 私は齧ったお肉をよく噛みながら、思わず声を漏らして微笑んだ。キャロちゃんも満足そうな笑みを浮べる。
 エリオ君はと言えば、早くも二本目の串に取り掛かっていた。早い。
 エリオ君がよく食べるのは既に知っているが、彼がお腹一杯になる時には一体何本の串が並べられるのかと思うと少し怖い。
 私がようやく一本目の串を食べ終えようとしていると、隣のキャロちゃんがまだ二つ目の具すら食べていないことに気が付いた。キャロちゃんはキャロちゃんで、食べるのがやたらと遅過ぎないだろうか。
「キャロちゃん、もしかしてあまりお腹空いてない? それともまだ熱くて食べられない?」
「い、いえ…………そういうわけじゃ」
 すると、突然エリオ君がキャロちゃんの串に刺さっている二つ目の具を横取りしてしまった。
 私が驚いて声を上げていると、口をもぐもぐと動かすエリオ君に向かってキャロちゃんが微笑んだ。そして一言。
「エリオ君ありがとう!」
 その言葉を聞いて、私も理解することが出来た。キャロちゃんの串に刺さっていた具はニンジン。キャロちゃんが嫌いな食べ物だ。
 本当にお似合いの二人だな。エリオ君はとことんキャロちゃんを守ろうとしていてカッコイイし、キャロちゃんのあどけない純粋さも可愛くて仕方が無い。私は二人のやりとりを見ているだけでお腹が膨れるような気持ちだった。
「はぁー! いいよねぇ、二人とも!」
 思わず声を漏らしながら周囲を見ると、少し離れたところにノイズ曹長とマルコちゃんとミリー部隊長の三人が固まっているのが見えた。
 ノイズ曹長もエリオ君のように串を両手に何本も持っていて、そんな彼を挟むようにしてマルコちゃんとミリー部隊長が立っていた。
「お、ノイズ曹長。それ、嫌いで食べられないのか? 私が食べてやろう」
「いや、違っ! 俺の肉ですよ、それ!」
「おや、ノイズ曹長。こっちにもありますよ。ボクが食べてあげますね」
「だから! それは俺のだって!」
 身動きの取れないノイズ曹長の持つ串から、焼きたての具がどんどん消えていった。しかし、嘆くノイズ曹長に構うことなくマルコちゃんとミリー部隊長は次々と食べていく。
「無くなっちゃうってば!」
「お、この野菜はお前のためにとっといてやろう。こないだテレビで観たんだが、野菜を食べると髪に良いらしいぞ」
「良かったですね、ノイズ曹長。これで焼けた髪の毛も元通り。さ、お食べ」
「いらねえよ!」
 哀れだ。



≪2・商人魂≫
「こちらのお肉焼けてますよ。あ、こっちもどうぞ…………はい、すぐに次のを焼きますね」
 皆さんすごい食欲。
 私は額の汗を定期的に拭き取りながら、コンロの上に並ぶ串焼きをひっくり返していった。
「ノーラちゃん、俺野菜が多めに刺さってるやつ食べたいなー」
「あ、てめえ俺だって先にノーラちゃんに注文してるんだからな!」
「追加いい?」
「後ろに並べよ!」
 本当に皆さん凄い食欲。でも、こうして皆が楽しそうにして食べてくれると嬉しいな。
 コンロに並べた串焼きが焼きあがるまでの間、私はテーブルに乗せたまな板の上で次の食材を串に刺すという仕込み作業に入った。
 一つ一つ真心を込めて刺すと、きっとおいしくなる。食べる人達の幸せそうな顔を思い浮かべながら、私はお肉と野菜を交互に串に刺して並べた。
 お肉、お野菜、お肉、お野菜、お肉、お肉、お肉と見せかけてお野菜。
 ソフィーさん達もおいしく食べてくれているのかな? 私は彼女達の満面の笑みを浮べながら仕込みを続けた。
 すると、突然誰かに肩を叩かれた。
 振り向くとそこにはジージョさんが立っていて、焼きあがった串焼きを数本持っていた。
「ノーラ、食べてないみたいだから」
「まあ、私のために持ってきてくれたんですか? ジージョさんありがとうございます!」
 私が串焼きを一本受け取ると、ジージョさんが少しだけ微笑んだ。
 まだ湯気の上がっている串焼きを「いただきます」と一言呟いてから口に頬張ると、しっかりと火の通ったお肉が私の表情を変えていく。堪えることの出来ない笑みが浮かんできて、私は幸せをお肉と一緒に噛み締めた。
 おいしい。こんな幸せな気分を皆さんも味わっているのかと思うと、ますます嬉しさがこみ上げてくる。
 この至福をもっとたくさん、皆さんに味わってもらわないと。
 私は気合いを入れ直して仕込み作業に取り掛かった。
「ノーラ、おかわりもあるけど…………」
「ありがとうございます! でも、今の私には幸せを待ってくれているお客様達がいるんです!」
「お客……様?」
「はい!」
 そう、コンロの前には行列が出来ている。私の串焼きを待ち望んでいるお客様がいる。
 焼かなくてはいけない。私の串焼きを待ち望んでいる方々のためにも。
 仕込まなくてはいけない。私の串焼きに心を射抜かれた方々のためにも。
 頑張らなくてはいけない。私の串焼きで幸せになってもらうためにも。
「さあ皆さんお待たせしました! 『串焼き処ノーラ』! 本日は閉店まで止まりません!」
「うおおおおおおおうぅっ!」
 湧き上がる大歓声と待ち焦がれる皆さんの顔が、私の活力となる。
 とことん焼いてやる。目指すは千本焼き!
「よーし、皆さん行きますよぉっ!」
 拳を掲げると再び大歓声が轟き、私の職人魂を燃やしていった。
「ノーラが、ノーラが…………」
「変なスイッチ入っちゃったんでしょ?」
 ふと、ジージョさんとウィンディーヌさんの視線を感じた。二人も私を応援してくれているみたいだ。
 よし、どんどん焼いちゃうんだから。
 やがて汗を拭う回数が多くなると、列を成す三課の男性局員さん達が「がんばれぇ!」とエールを送ってくれた。
 まだだ、まだ止まれない。
 私は次の仕込みに取り掛かった。
 最初は力任せに刺していた串も、数をこなしていくうちに楽な刺し方が解ってきた。串焼き職人としてまた一歩成長している。
 この、進歩することによって得られる充実感が心地良い。私はしなやかな手付きで次々と串に食材を刺していった。
 でも、それほどまで手馴れてきても、決して忘れてはいけないことがある。私はそれを知っている。
 それは初心。
 一つ一つの食材を刺していくごとに、皆さんの幸せな笑顔を思い浮かべて刺していくのだ。そうすれば、串焼きはもっともっとおいしくなる。
「ノーラ君、俺にも一本焼いてくれ」
 聞こえてきたのはノイズ曹長の声。
「はい! 喜んで!」
 振り返ると、顔を赤らめながら恥ずかしそうに頭を掻いているノイズ曹長の姿があった。
「ノイズ曹長いいなぁ!」
「俺にも笑いかけてほしいっす!」
 ノイズ曹長のために、私は串焼きがおいしくなるようにという想いを込めながら仕込みを続けた。
 一つ一つの食材を刺していくごとに、皆さんの幸せな笑顔を思い浮かべて刺していく。
 お肉と野菜を交互に刺していくごとに、ノイズ曹長の笑顔を思い浮かべて刺していく。
「ノイズ曹長の笑顔、ノイズ曹長の笑顔、ノイズ曹長の笑顔、ノイズ曹長の笑顔…………」
 一つ一つに、ノイズ曹長の笑顔を乗せて。
 ついに私は歌い出してしまった。でも、恥ずかしくなんて無い。
 だってこれが、私の串焼きだから。
「…………おい、ノーラちゃんが“ノイズ曹長の顔”って言いながら肉を串刺しにしてるぞ」
「ノイズ曹長ってノーラちゃんに恨まれてるんじゃねえの?」
「ちょっと怖いなぁ。あれ、刺し終えたら焼くんだろ?」
「ノイズ曹長、顔色悪いっすけど…………」
「ほっとけ」



≪3・第一次お色気ポーズ大戦B≫
「ノーラちゃんは?」
 脱ぎかけの上着で頭を包んでしまっていたボクは、どっちにいるのかも分からないソフィーの質問に答えた。
「今頃コンロの前で大繁盛してるだろうよ。遅れてくるってさ」
 ボクとソフィー、ジージョ、キャロ、それに三課の女性局員達は、宿舎内の更衣室に来ていた。
 脱いだ服をロッカーにしまいながら、ボクはバッグから自分の水着を取り出す。既にレプリカストロはタオルに包んでいるので気兼ねなく下着も脱ぎ捨てると、ワンピース型の水着に足を通した。
 その横ではソフィーがブラジャーを外して、ビキニを取り出しているところだった。
 その姿をじっと見ていると、ボクの視線に気が付いたソフィーが途端に胸を隠して眉を吊り上げた。
「な、何!?」
「…………また少しデカくなったな」
 ボクの目に狂いは無い。以前揉んだことによって正確なサイズを把握しているボクに掛かれば、大きさの変化なんぞ触るまでもなく分かってしまうのだ。
 達人と呼んでくれ。
「それにしてもミリー部隊長は何処にいったんだ? さっきから姿が見えないんだけど」
「さあ? 水着にも着替えてないみたいだし、まだ食べてるのかな?」
 そう言うソフィーが着替え終わるのと同時に、突然更衣室の扉が開いてブラントが入ってきた。
「男子更衣室が混んでて入れないの」
「とりあえずそこを閉めろ。女子更衣室なんだぞ」
 ブラントが自分の着替えを一式持って入ってくると、ソフィーが近づいてその荷物を預かった。「じゃあ私のところに一緒に入れようね」と言うソフィーは、すっかりブラントの保護者だな。
 それにしてもコイツ。何の躊躇いもなく女子更衣室に入ってきたな。
 ソフィーの横にはキャロがいる。自然保護隊はバーベキューのことを知らなかったので水着を持ってきていないのだが、濡れてもいいような軽装になるといって着替えている途中だ。
 確かキャロとエリオとブラントは同い年のはず。ブラントは頭がまだまだお子様だから解るとして、キャロは恥ずかしくないのか?
 ボクはキャロに訊いた。
「ブラントに着替えを見られて恥ずかしくないのかい?」
「はい? はあ……でも、お友達だし」
 この子もまた少しズレてるな。
「ひょっとしてエリオも同じ感覚なのかい?」
「そうですね。別に私は恥ずかしくないんですけど…………あ、でも以前エリオ君に“お風呂一緒に入ろう”って誘ったことがあるんです。そしたらエリオ君が顔を真っ赤にして首を横に振ってましたね」
 良かった。エリオはまともだ。というか、やはりキャロがズレているのだ。
 ボクはブラントの肩を叩いた。こいつったら、セントウに行っても女湯に普通に入ってくるからな。
「ブラント、分かったか? エリオこそが普通なんだよ」
「へ?」
 着替えを済ませたボク達は、更衣室を出ていった。
 すると、少し離れたところにある男子更衣室がやたらと混みあっているのが確認出来た。いや、混みあっているなんてもんじゃない。更衣室に入りきらない局員が、それでも中に入ろうとして狭い入り口に押し寄せていた。
「何をしているんだ、あれ?」
 近づいてみても、男性局員達の大きな体がひしめき合っていて更衣室内の様子は伺えない。
 だが、騒ぎ立てている男性局員達の中から声だけは聞こえてきた。
「はっはっは! 騒ぐな騒ぐな。ほれ、負けたんだからお前はとっとと脱いで表に出ろ。次の挑戦者は誰だ?」
 ミリー部隊長の声だ。負けって何だ?
 じっと見ていると、子猫すら入れないくらい人が押し寄せている更衣室入り口から、全裸の男性局員が転がり出てきた。
 ソフィー達の悲鳴が響く。ちなみにボクは平気だ。
「何があったんだい?」
 転がっている裸男に訊くと、彼は胎児のように身を丸めてボク達の視線を恐れながら、小さな声でこう言った。
「ミ、ミリー部隊長が更衣室を間違えて入ってきたんだが、そのまま居座って何故か腕相撲勝負を挑んできて…………俺達が勝ったら一枚ずつ服を脱ぐっていうから、順番に挑んでいるんだけど」
 アホだな。
「で、逆にミリー部隊長に負けたら身包みを剥がされた、と」
 男性局員が小さく頷いた。
「ちなみに、ミリー部隊長は何枚脱いだ?」
「六人挑んだけど…………まだ一枚も」
 改めてアホだな。
 ボク達は、それ以降は何も言わずに宿舎の玄関へと向かっていった。
 玄関を出てから川原まで歩いていくと、バーベキューコンロの前には人がほとんどいなかった。女性局員は今着替えてきたばかりだし、男共は更衣室でアーム野球拳をやっているんだから当然か。
 ふと、コンロの前に視線を送ると、ぐったりとした様子のノーラが蹲っていた。そんな彼女を、ソフィーとジージョが介抱し始める。
 よほど繁盛したみたいだな。燃え尽きている。
 肉を焼かずに自分を燃やし尽くしてどうする。ノーラも暴走するタイプだったのか。
 ボク達は小川の中へと歩いていった。
 強い陽射しに照らされている体には、ここの小川の水温はとても気持ちが良い。足元から伝わる快感に思わず笑みを零す。
 続いて川底に両膝を立てると、今度はひんやりとした流れが内腿を撫でていく。思わず身震いした。
「気持ち良いな」
 そう呟いた時のボクの声は、普段のボクからは決して聞けない様な雰囲気を醸し出していた。
「マルコちゃん…………なんか色っぽい」
 ソフィーが頬を赤らめながら言った。
 なるほど。成長期というものをどこかに置き忘れてしまったような体型のボクでも、シチュエーション次第では色っぽくなるのか。浅瀬の川の中、肩幅ほどに開いた両足で膝立ちをするこのポーズは、陽射しを反射して光る水面と絶妙にマッチして艶やかさを生むらしい。
 調子に乗ってみるか。
 若干上目遣いになりながら物欲しそうにする幼子の口元を演出して、更に両手は胸を隠すように折り曲げる。
「うわあ……かわいい…………」
 ソフィーとノーラが同時に呟いた。
 決まったな。グラビア出れるだろ、これ。
「マルコさん可愛いですぅ!」
 え? その声は?
 突如飛んできた声の方に視線を向けると、両手に串焼きを何本も持ったアイサが、口周りを汚してもぐもぐと咀嚼をしながらボクの方をじっと見ていた。足は肩幅に開いた仁王立ちだ。花柄模様の可愛らしいビキニ姿だが、何故だか色気が無い。
「可愛いだろう? 写真撮ってもいいぞ? 金は取るけど」
 ボクがそう言うと、アイサが勢いよくジャンプして小川に飛び込んできた。飛び散る水飛沫が周囲の皆に降りかかる。
「いえ、負けません! あたしも被写体になって写真を撮ってもらいます!」
 アイサが四つん這いになって尻をこちらに向け、悩ましげな表情で振り向いた。しかし、串焼きは手放さない。
「誘っているポーズ、です!」
 負けられるか。
 ボクは体の前面で両腕をクロスさせ、唇を尖らせた横顔で視線だけを正面に向けた。
「小悪魔のポーズッ!」
 すると、アイサも俄然やる気になったようだ。
 ビキニで隠した小振りな胸を突き出すようにして、両手は後頭部で組み、とろんとした目で見下ろしてきた。しかし、串焼きは食べ続けている。
「挑発のポーズ、です!」
 なかなかやるな。
 ボクは川の中で仰向けになり、無造作に四肢を投げ出した。小川の水が全身を舐めるように流れていく。
「悩ましげなポーズ!」
 ボクとアイサの闘志はますます高まり、決して負けられないという緊張感が場を支配し始めた。
 まさか機動三課のダメダメドジっ子アイサが、セクシーポーズ対決においてここまで食い下がるとは思わなかった。
 思わぬところに好敵手(ライバル)は潜んでいるものだな。
 しかし、幾ら二人でポーズを見せあっていても埒が明かない。芸術性やセクシーさが重要なこの勝負の判定を下すのは、やはりポーズを見て胸をときめかせる第三者しかいない。
「ソフィー! ノーラ! これからボクとアイサのどっちがキュートでセクシーでダイナマイトでワンダホーでアハンでウフンでイヤンでバカンなのか、判定を下してくれ!」
「よろしくお願いしますぅ!」
 ボクとアイサがソフィー達のいる方向に視線を向けると、そこでは、
「わぁ! ブラント君のデバイスってすごい!」
「いいでしょー。川下りが出来るんだよ。エリオとキャロも乗せてあげるね」
「いいなー! 私も乗せてほしいー!」
 ブラントのデバイス、ジェームスクックで川下り遊びをしているソフィー達がいた。
 ボク達の方なんか見向きもしない。
 なんだ。これじゃあまるでアイサとボクが馬鹿みたいじゃないか。いや、馬鹿みたいと言うか、馬鹿なのか。
 冷たい風が吹き抜けて、ボクは思わず、
「虚しい」
 と、呟いていた。
 アイサの方を向くと、彼女はまだ目を輝かせて新たなポーズを決めた。もちろん串焼きは銜えたままだ。
「怒れる部隊長のポーズ、です!」
 全くもってアホだな。



≪4・男の主張≫
 俺を含めた三課と自然保護隊の男性局員達は、一人の女性に目を釘付けていた。
 陽の光を浴びるポニーテールは煌びやかで、すらりと伸びた長い足も引き締まったくびれも張りがあって、不敵に微笑むその顔は美麗なプロポーションに似合っていた。
 振り向かない男なんていないだろう。ミリー・バンカル三等空佐の、その眩し過ぎるビキニ姿に俺達は生唾を飲んだ。
「なんだか視線が痛いな」
 そう言いながらも笑顔を崩さないミリー部隊長は、おそらく愉しんでいる。俺達の反応を伺ってその機微を面白おかしく思っている。
 俺は、いや、俺達は拳をぐっと握り締めた。
 来て良かった。バーベキューバンザイ!
「ノイズ曹長、サイオン部隊長はバーベキューに来ていないのか?」
 急に話しかけられて驚いた。すっかり見惚れてしまっていたようだ。
「は、はい! 済ませなくてはいけない事務処理があるとのことで、ずっと宿舎内の事務室にいます」
「つまらん男だな。息抜きの仕方を知らないんじゃないのか?」
 本当にそう思う。バーベキューに参加していれば、こんなにも素晴らしい目の保養が出来たというのに。
 俺はもう一度ミリー部隊長の水着姿を目に焼き付けようとした。
「ノイズー」
「うるさい。“曹長”もつけられない悪い子には振り向いてあげないぞ」
 背後からのブラントの声を聞き流しながら、俺は更に食い入るようにミリー部隊長を見た。
「ねえノイズってば!」
「聞こえないよー。悪い子の声なんて聞こえないよー」
「もう! ねえソフィー、ノイズが振り向いてくれない」
 ソフィー君だと? 背後にいるのはブラント一人じゃなかったのか。
 俺が仕方ないと言わんばかりに背後を振り向くと、そこにはソフィー君とノーラ君とキャロ君の冷たい視線がこちらに向けられていた。ブラントも三人と一緒になって俺の方を見ている。
「いやらしい」
「女性の体をじろじろと見るなんて」
 俺は慌てて弁解した。
「いや! これは違うんだよ! 俺はミリー部隊長を見ていたんじゃなくて、ミリー部隊長の後ろを流れている小川に魅せられていたんだよ! ほら、見てごらん? キラキラと水面が光っていて綺麗じゃないか?」
 そんな言葉を信じてもらえるはずもなく、三人の視線は更に鋭くなって俺の体に突き刺さった。
 これは何を言っても無駄かもしれない。彼女達の俺を見る目からは、明らかに軽蔑の眼差しが感じられる。ソフィー君にはスーパーセントウでも同じような印象を与えてしまったし、ノーラ君にはまだ悪い印象は抱かれていないはずだったのにこのざまだ。そしてトドメと言わんばかりに、キャロ君の視線までもが冷ややか。
 またやってしまった。俺ってばなんて運が悪いんだ。ってかさっきから俺ばっかりが散々な目にあっている。
 ちょっと待てよ? なんか納得出来ないな。どうして俺ばかりがこんな目にあうんだ? 俺は男なんだ、女性の体に興味があったっていいじゃないか。むしろ俺は健全なのだ。
 そうさ、恥じることなんて無いんだよ!
「キャロちゃん、あの人には近づいちゃダメだよ」
「え?」
「ノイズ曹長、少しは周囲の目というものを考えてみてはどうでしょうか?」
 今こそ、俺は主張するべきだ。
「待ちたまえ!」
 俺の突然の大声に、目の前の三人はびっくりした様子で固まっていた。
「確かに人前で恥ずかしげも無く鼻の下を伸ばすのはみっともない…………しかし、逆にこういう考え方をするんだ。綺麗なものに心を奪われて凝視するのは、最高の賛美である、と。君たちは美味しい料理を無表情で食べるのか? 映画を観ても何も感じないのか? そんなことは無いだろう! つまり! 水着を着た女性の体に目を釘付けてしまうのは必然であり、賛美であり、マナーである! むしろ一切関心を示さないことの方が失礼なのだよっ!」
 思わず声が大きくなってしまった。所々からぱらぱらと拍手も聞こえる。
 言ってみて思ったことがある。
 年下の女の子達に、自分のはしたなさを正当化しようと力説する今の俺は一体何がしたいのだろう。
 すごく、恥ずかしい。
「そうだったんですか」
 キャロ君だけが感心したように頷き、それをソフィー君が止めていた。
 しかし、他の皆はすっかり静まりきっている。
 何とかこの重苦しい空気を変えなければ。
「エ、エリオ君! 君はどう思う!? 俺の言ってることを解ってくれるよなっ!?」
 ブラントのジェームスクックを借りて川滑りに興じていたエリオ君を呼び寄せて、俺は縋りつくように尋ねた。
「あ、えっとぉ…………そのぉ…………」
 やたらと挙動不審なエリオ君は、何かを気にしているようだ。
 きょろきょろと動くエリオ君の視線を見てみると、彼が気にしているものの正体が分かった。
 キャロ君だ。
「な、何と言うか…………」
「い、いやあ、男なんだから、別に恥ずかしがることは無いぞう?」
 誰もが好印象を抱いている彼が味方になってくれれば、俺の主張も押し通せるような気がする。
 頼む! エリオ君頼み!
「エリオ君もそうなの?」
 キャロ君の声が聞こえた。
 次の瞬間、エリオ君は「ごめんなさい!」とだけ言い放ってジェームスクックで川を滑って行ってしまった。
「あああっ! エリオ君!?」
 しばしの間沈黙が流れてから、ソフィー君達が立ち去ろうとした。もちろん、視線は冷たいままだ。
「待ってくれ! 別に水着姿を見たって良いだろう!? 男なら誰だってそう思ってるって! なあ!」
 ソフィー君達の足が速まった。
 当然のことを正直に言っただけなんだけどな。何だろう、この寂しさは。
 そんな時、いつの間にかミリー部隊長とマルコとアイサ君が近づいてきた。
 三人の水着姿も、こんな状況の中ではもう輝いて見えない。俺は一体、何をしているんだ。
「ノイズ曹長、これを見ろ」
 ミリー部隊長の言葉を合図として、マルコとアイサ君を含めた三人が珍妙なポーズをとった。
「…………それは?」
「哀れな陸曹長のポーズ!」
 もうわけわかんねえ。



≪5・一振りの刃≫
 チークの空が橙に染まり、陽が山の中に隠れようとしていた。楽しかったバーベキューもそろそろ終りを迎えようとしていて、片付けが始まるという時間だ。
 迎えの船は後一時間程で到着するという連絡も入った。いよいよチークともお別れ。そしてエリオ君とキャロちゃんともお別れとなる。
 ふと、アイサちゃんが大きなお皿に大量の串焼きを載せて歩いている姿を見つけた。まさかと思い、私は声を掛けた。
「アイサちゃん」
「おお、ソフィーさん。何ですか?」
「それ、どうするの?」 
 私は串焼きの山を指した。
「食材が余ってしまったので、全部焼けるだけ焼きました」
「…………食べきれるの?」
「え? あー、あたしじゃないですよぉ、食べるのは」
 アイサちゃんが笑いながら言った。
「サイオン部隊長がちっとも食べてないので、持っていってあげようかと思いまして」
「あ、そういうことか」
 それを聞いて安心した。まさかこれからアイサちゃんがそれを一人で平らげてしまうのかと思ったからだ。普通に考えればそんなことあるはずもないのだが、食材の買い出し係はアイサちゃんだったし、彼女が余った食材の量に責任を感じているとするならば、アイサちゃんなら考え付きそうなことだと思う。
 それにしても、だ。
「サイオン部隊長もそんなに食べれないでしょ」
「やっぱりそうですかねぇ」
 二人して苦笑いを浮かべた。
 そんな時だった。
「あの、もしよければその串焼きを分けてもらえませんか?」
 声のした方を向くと、そこにはエリオ君とキャロちゃんがいた。
 なるほど。エリオ君なら食べられるかもしれない。
「いいよ。サイオン部隊長もこんなには食べられないから、エリオ君食べちゃいなよ」
「いえ、その……エリオ君ではなくて」
 キャロちゃんが俯いてもじもじと身を捩らせた。
 エリオ君ではない? 予想外の答えに私は少々驚いた。
「実は…………」
 そしてキャロちゃんは串焼きの目的を話して聞かせてくれた。
 それは、マリアンヌ内で拘束中のアウロンとその一味に分けたいという理由だった。これにはさすがに私でも反対したし、エリオ君も最初は反対していてキャロちゃんを止めようとしたという。
 しかし、彼女の気持ちはそれらの反対意見を一切排除した。
 彼女としては、アウロンの心境の変化に何かの兆しを見つけたらしい。昨日のアウロンとの面会時に二人は何かを理解し合ったように笑っていたし、それが理由で、キャロちゃんは変わってくれたアウロンに餞別を贈りたいという思いがあるのだそうだ。
 キャロちゃんの優しさも分かるし、アウロンと少しだけ打ち解けた様子であった彼女ならではとも言える提案だ。
 だが、さすがにこればかりは何とも言えない。
「キャロちゃん、それはさすがに私達が判断出来ることじゃないよ」
「…………はい。でも」
「だから、ミリー部隊長にお願いしてみよう? ミリー部隊長なら、昨日のキャロちゃんとアウロンの面会を許してくれたみたいに、今日もオーケーしてくれるかもよ?」
 そう言うと、キャロちゃんは嬉しそうに私の意見に賛同してくれた。
 もしかしたら彼女は最初からアウロンにもバーベキューを食べさせてあげたかったのかな。思い起こせばバーベキューが始まった時も、大量の食料をじっと見て何かを考えていたようだし。
 ということで、私達三人は川原にいるミリー部隊長を尋ねた。
 川原に出ていたバーベキューコンロは既に片付けられた後で、道具一式もほとんどがコンテナにしまわれていた。さっきまでこの場で楽しい時間を過ごした痕跡は何処にも見当たらなくて、少々寂しさがある。
 そんな中、ミリー部隊長は一人で川岸に立ち尽くし、チークの夕日と向かい合っていた。
 背後に近づいていくと、私の足裏が鳴らす小石の音を聞いて、ミリー部隊長が振り向いた。
「おお、お前達か。どうだ、バーベキューは楽しかったか?」
 ミリー部隊長は嬉しそうに笑っていた。彼女は発案者でもあるので、皆がバーベキューを堪能して満足そうにしている顔を見るのが嬉しいのだろう。
 私達が揃って頷くと、ミリー部隊長は更に頬を緩ませて何度も頷いた。
 今なら機嫌も相当良いみたいだ。
 少しだけ緊張しながら、私はミリー部隊長にキャロちゃんのことを話し出した。
「あの、ミリー部隊長」
「ん?」
「実はですね、串焼きが大量に余ったんですけど、それを、その…………アウロン一味にもお裾分けし」
「そりゃあダメだろ」
 表情こそ変わらず笑顔のままではあるが、ミリー部隊長は即答だった。
「奴等には昨日のうちにある程度の食料をちゃんと渡しておいた。あと一時間で迎えも来る。今更何かをする必要は無いぞ」
「で、でも…………ちょっとぐらいなら」
 キャロちゃんが思わず一歩踏み出してきた。
 それを見て、いや、最初からミリー部隊長は気付いていたのだろう。この申し出はキャロちゃん個人からのお願いであるということを。
 私から視線を外したミリー部隊長が、笑顔を消して言った。
「キャロ陸士。君は連中に対して入れ込み過ぎだ。昨日の面会でアウロンとどんな会話を交わしたのかは知らないが、連中はやはり犯罪者であり、管理局員の我々は奴等を取り締まる存在。言わば連中の敵でしかないんだよ。これが本の中の物語であるならば、確かに連中と仲良くなれたのかも知れない。だが、ここは現実だ。連中と我々の立ち位置は変わらないし、そう簡単に上手くいくものでもない」
 少しだけ空気が重たくなった。
 ミリー部隊長の表情や口調から察するに、決して怒っているわけではない。幼いキャロちゃんを諭そうと、優しく話しかけている様子だ。
 だが、キャロちゃんは目を潤ませて唇を噛んでいた。駄々をこねそうなくらいに。
 たぶんこんなキャロちゃんをエリオ君も初めて見たんじゃないだろうか。彼女の表情をじっと見たエリオ君は、口を開け放したまま動けないでいた。
「でも…………でも、きっとアウロンさんはもう悪いことはしないと思うんです。せっかく分かり合えたのに、私からの応援の気持ちも伝えちゃいけませんか?」
 声は震えていた。そんなに震えたら目に溜めたものが零れてしまいそうだ。
「駄目だ。私は意地悪を言っているわけではない。敵対する連中だから駄目だとか、串焼きを食べさせたくないから言っているわけではない」
「じゃあ、どうしてですか?」
「大人になれ、キャロ陸士」
「よく分かりません! 私はもうそんなに子供じゃないし、ちゃんと考えて、こうしたいと思ったんです! その結果が否定されるのなら、もっと明確な理由を教えてください!」
「そういうところが大人じゃないんだ」
 ミリー部隊長は真っ直ぐ伸ばした指をキャロちゃんの額に向けて差し出し、しばらくしてからその場で踵を返した。
「とにかく許可は出来ない。どうしても差し入れがしたければ、奴等が刑務所の中に入った後でただの面会人として個人的に行ってこい」
 ミリー部隊長が遠くに離れて行った後、とうとうキャロちゃんは泣いてしまった。
 可哀想だけれど、ミリー部隊長の言うことは何となく分かるような気もする。
 他人と分かり合えることは素敵だと思う。それは私にだって分かる。ホカン部の皆と分かり合えた私は、今こんなにも充実しているのだから。
 しかし、だ。上手く言葉にすることは出来ないが、キャロちゃんがアウロンの今後を信頼するには、まだ未熟さを感じる。彼女の描く未来が、アウロンに訪れると決め付けるのはまだ早いような気がするのだ。
 彼女は確かに子供ではないのだろう。人との出会いが彼女を変えて、六課が彼女を育てて、今回のチークでの事件が彼女に新たな風を送った。
 しかし、彼女はまだ大人でも無い。ミリー部隊長が指摘したのは、たぶんそういった部分なのだろう。現にミリー部隊長はキャロちゃんのことを「大人ではない」と言ったが、「子供だ」とは一言も言っていない。
 揺れているのだ。そういう年齢でもある。
 その後、結局時間は過ぎ去って近隣の管理局支局から迎えの艦船がやって来た。
 マリアンヌ内のアウロン一味は迎えの船の収容室に移され、私達もようやくチークから立ち去ることとなった。
 キャロちゃんがいつまでも串焼きの乗ったお皿を持っていたので、私はそれをどうにかしようと思った。が、彼女はなかなか手放してくれず、エリオ君の懸命な慰めのおかげでようやく納得してくれた。
 いや、納得はしていないのだろうけれど、「すっかり冷めてしまった串焼きをアウロン達に食べさせるのも可哀想だ」というエリオ君なりの気遣いが込められた言葉を聞いて、キャロちゃんも渋々了解してくれたようなものだ。
 半日掛けて到着した管理局支局からは、私達ホカン部と三課は本局へ、自然保護隊は保護隊本部へと向かうこととなり、道が別れた。アウロン一味は本局へと送られるので、私達と共に行くこととなる。
 最後に保護隊の皆へお別れを言っている間も、キャロちゃんは何処となく元気がなかった。笑顔を見せてはくれたけど、やはり声は少し掠れていたし、目はちょっと赤い。
 マルコちゃん達がキャロちゃんの表情を見て、「別れを惜しんで泣いていた」と嬉しそうにしている中で、私だけはどうにも浮かない気持ちだった。
 処分するからと言ってキャロちゃんから預かった串焼きも、今では私の方がなかなか捨てられないでいる。
 そして、自然と足は収容室の前まで来ていた。
 厚い扉の向こう側には、キャロちゃんが串焼きを届けたかった相手がいる。
 一つだけため息を吐くと、突然声を掛けられた。
「何をしている?」
 驚いて振り向くと、そこにはミリー部隊長がいた。
「あ、いや、これはですね……その…………」
 しどろもどろとしている私に笑いながら近づいたミリー部隊長は、私の手から串焼きの乗ったお皿を引き取った。
「没収」
「…………はい」
 しゅんとなった私は、キャロちゃんの心残りを知ってしまった者としての身勝手な責務として、一つだけ質問をした。
「やっぱり、どうしてもキャロちゃんのお願いは聞いてあげられませんでしたか?」
 ミリー部隊長の笑顔は変わらないままだ。
「そうだな。きけないな」
「それは、何か特別な理由があってとか?」
「違うよ。ただ、局員が逮捕者に差し入れなんてしたら、そこには厳格さが無いじゃないか。奴等の逮捕は仕事でやっていることなんだから、公私混同は良くないってだけだ」
 そこまで言って少し間を空けてから、再び話し始めた。
「と、言うのは公的理由。私的な理由としては、キャロ陸士の甘っちょろい考えに賛同出来なかったからだ」
「それ、公私混同じゃ…………」
「ははは、まあな」
 何と言うか、自分勝手な人だな。
 思わずツッコミを入れたくなった。
「だが、間違ってはいないと思う。おそらくキャロ陸士はその若さ故に、誰よりも優しいし思いやりもある。そしてそれは決して悪いことではなくて、だが、それだけではいけないことでもある」
「まあ、何となく解る気もします」
「優しさっていうのは刃物だと思えばいい」
「刃物……ですか?」
 それはさっぱり解らない解釈だ。
「そうだ。とても便利だが、使い方次第では簡単に人を傷付けることも出来る。また扱う者の腕によって強力な武器となり得るし、鈍(なまく)らにしかならないものでもある。磨くのは大いに結構だ。だが、刃ばかり磨くのではなく、扱う者自身も腕を磨かなければいけない。キャロ陸士の純真さは一際眩しいが、使い方を学んで腕を磨くべきだ」
「どうしてそれがアウロンとの接触を避ける理由になるんですか?」
 思わず接触と言ってしまった。だが、間違っていないと思う。
 おそらく、ミリー部隊長がキャロちゃんを咎めたのは、串焼きを届けるという行為ではなく、キャロちゃんとアウロンの再会だ。
「はっきりとは解らないが、アウロンに起こったという心境の変化はキャロ陸士の影響だろう? せっかくの良い機会なんだ、キャロ陸士に依存させるんじゃなく、奴には自分の力で成長させるべきだと思った。それだけだ」
 そこには、ミリー部隊長なりの考えとキャロちゃんに対する優しさがあった。
 ミリー部隊長の方が年上だし、階級も上だけど、それ以前に人間としての年季の差を感じた。
 キャロちゃんにはちょっと可哀想だけれど、今ならこういう結末も良いものだと思う。
 ミリー部隊長が、串焼きのお皿を持って収容室の前に立った。
「どうしたんですか?」
 彼女は無言のまま、それを扉の端に設けられた物品受け取り口に押し込んだ。
 驚く私の目の前から、収容室内の叫びが聞こえてくる。
「何だこりゃ!」
「冷めた串焼きじゃねえか!」
「何事だよ!?」
「温めて持ってこいっつーの!」
 受け取り口に顔を近づけたミリー部隊長が、反論するかのように大声を上げた。
「貰えるだけありがたく思え! ふんっ!」
 私が唖然としていると、ミリー部隊長が笑いながら言った。
「代わりに処分しといてやったぞ。さあ、戻ろう」
 本当に、自分勝手な人だな。
 私は可笑しくて笑った。

 To be continued.



[24714] エクストラステージ03 第46話 魔法のお菓子
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/04/15 18:45
 左手首に巻いた腕時計を見やりながら、駅のホームに降り立った。
 待ち合わせの時間よりも少し早い。皆のルーズさを考えれば、早く着いたのは失敗だったかな。
 私は改札を出てから、駅のロータリー中央に立つ時計台の下を目指して歩いた。
 天気は良し。デニムのパンツと柄物のシャツがなかなかの爽快感を醸し出している。頭に軽く乗せたメッシュキャップはちょっとお気に入りのものなので、私の機嫌も良し。
 時計台に近づくと、そこには私よりも早くやって来ている親友の姿があった。
「ジージョちゃん! お待たせ!」
 声を上げながら走って近づくと、フリルの着いたロングスカートと花柄の長袖に身を包んだジージョちゃんが、麦藁帽子の下から視線を覗かせて小さく頷いた。
「わあ! ジージョちゃんその服カワイイ!」
 ちょっと暑そうだけど、両手でバスケットを持った姿は幼さを感じさせていて、まさに“少女”という言葉がぴったりだった。
 私が褒めると、ジージョちゃんは顔を真っ赤にしながら俯いた。
「照れてるの? でも本当にカワイイよ」
「…………これで、背が低ければ」
 声が暗かった。そんなつもりで言ったわけじゃないのに。
 話を切り替えようと、私はジージョちゃんの持つバスケットを指差して言った。
「それ、何が入っているの?」
「お菓子」
「おお! もしかしてジージョちゃんが作ってきたの?」
 ジージョちゃんが頷いた。
 私は口の中に思わず涎を溜めた。というのも、ジージョちゃんの作るお菓子は甘さが控えめだけど、混ぜ合わせるフルーツ果汁の味が引き立っていておいしいことを知っているからだ。
 ジージョちゃんのお菓子は私が自分で作るお菓子とはまた違うタイプの味なので、最近食べていないことを思うと余計に涎が溢れてくる。
 我慢できなくなって、私はジージョちゃんに縋りついた。
「ねえ、一個だけ食べていい? 一個だけ!」
 両手の平を擦り合わせながら言うと、恥ずかしそうに顔を赤らめたジージョちゃんが小さく頷いた。
 そして開かれたバスケットの中には、彼女のお手製クッキー。飾り気の無いシンプルなそれがぎっしりと詰まっていた。覗き込んだ瞬間、良い匂いが私の鼻に届く。
 一つだけ摘んで口に頬張ると、ホカン部の隊舎で食べていた懐かしい味が口いっぱいに広がって、思わず笑みが零れた。じっとしていられなくて小さな足踏みも繰り返してしまう。
「んー! やっぱりジージョちゃんの作るクッキーはおいしい! ジージョちゃん大好きぃ!」
「…………あとは、背が低ければ」
 だからそんなことは言ってないってば。
 私は時計をもう一度確認した。針はちょうど待ち合わせの時間を指したばかりだ。
 まあ、マルコちゃんとブラント君が待ち合わせの時間通りに来るとは思っていないので、私は納得した。
 でも、だからと言ってここで無駄に時間を費やすのももったいない。私はデバイスを取り出すと、マルコちゃんへの通信回線を開いた。
「ジージョちゃんはブラント君に連絡を取ってみてくれる?」
 彼女の返事を確認してから、私はマスタースペードの開く通信回線が繋がるのを待った。
 マルコちゃんのことだから、もしかしたらまだ寝ているのかも知れない。そう思っていると、意外にも回線はあっという間に繋がった。
『はいはーい』
「マルコちゃん! 今どこ? もう待ち合わせの時間だよ?」
『今? まだデバセン』
「ええ!?」
 何をしているのだろう。マルコちゃんは出発すらしていないというのか。
『仕方ないんだよ、どうしても今日中に仕上げておきたいもんがあってさー。これでも七時間しか寝てないんだから』
 適量だろう。私なんて、昨日は機動三課の報告書がなかなか届かなかったせいで夜遅くまで書類整理が片付かなかったから四時間しか寝てないのに。ちなみに余談だが、報告書が届かなかったのは主にノイズ曹長のせいだった。
『集まってるのはソフィーだけ?』
「ううん。ジージョちゃんが一緒にいる」
『おお、そうか。どうだい? ジージョは相変わらずデカイのかい?』
「もう! 怒るよ!?」
『はははー。とにかくさ、それなら二人でこっちにおいでよ。面白いもん見せてあげるから』
 思わずため息が漏れた。
「分かったよぉ。迎えに行けばいいんでしょ?」
『ヨロシクー!』
 そして通信は切られた。マルコちゃんのマイペースぶりは相変わらずみたいだ。
「ジージョちゃん、そっちはどうだった?」
 呆れ顔を浮かべながら私がジージョちゃんの方を見ると、彼女は青い顔をしながらポツリと呟いた。
「迎えに来てくれって言ってた。あと、相変わらず背はデカイのかって…………」
 一発引っ叩いてやろうかと思った。



 駅から出ているバスに乗ってやって来たのは、マルコちゃんが現在勤めている場所。
 天才的な頭脳を一応持っているはずのマルコちゃんは、この『ノッキング魔導技術研究センター』で働いている。
 ここは通称“デバイス研究所”とか“デバセン”と呼ばれている。その理由というのが、新型デバイスの開発や、それに伴う技術研究で有名だからだ。もちろんデバイス関連のことばかりではなく、次元航行艦の設計や新技術の提案を行なう等といったこともしている。
 私がここにやって来るのは人生において今回で二度目だ。初めて訪れたのは数年前の訓練生時代で、職場見学としてデバセンにやって来たことがある。
 あの頃と何一つ変わらない研究所の外観は、私とジージョちゃんを呆れさせた。
 広大な敷地内にある五階建ての真っ白い建物の外壁には、歴史上でも有名な魔導師やロストロギア指定を受けているデバイス、英雄と讃えられる艦船提督、更には魔獣等が、テレビアニメのアイキャッチかと思うような構図で所狭しと描かれているのだ。
「…………痛い」
 零れた呟きに、ジージョちゃんも無言で同意する。
 もう一度壁に描かれたイラストを見回すと、以前見た時には無かったなのはさんのイラストを発見した。これがまた似ているのだ。
 複雑な気持ちのまま、正面玄関に描かれた初代管理局元帥の股の下を潜り抜けてデバセンの中に入っていくと、一階ロビーの休憩所にマルコちゃんの姿を見つけた。
「おお! 二人とも遅いじゃないか!」
 顔を見たらぶつけてやろうと思っていた文句は、彼女のその一言によって完全に威力を失った。
 丈が合っていないように見える白衣姿のマルコちゃんは、ホカン部時代に制服を着ていた姿とは似ても似つかないはずなのに、違和感が無い。むしろ、マルコちゃんはこういう姿の方が自然だと思えてしまう。
「二人ともお茶でも飲んでいくかい?」
「もう! そうじゃなくって! ブラント君も迎えに行かないといけないんだから早く行こうよ!」
「まあまあ慌てるな。二人にいいものをやるからさ」
 そう言ってマルコちゃんが懐に手を入れると、白衣の内ポケットから二つの眼鏡を取り出した。
 何の変哲も無い普通の眼鏡。だけど、どこかで見たことのあるものだった。
「コレをあげるよ」
「なぁに? この眼鏡」
「ふふん! 完成したばかりだぜぇ! レプリカストロを元にして開発した簡易デバイス、その名も『レプリィフェイク』だ。二人ともソレを掛けて魔導師姿になってごらん」
 マルコちゃんが怪しく笑った。何だか嫌な予感がする。
 あまり気が進まなかったが、マルコちゃんが強引に眼鏡を渡してきたので、仕方無くそれを掛けた。眼鏡というものを今まで掛けたことがないので、何だか目元が落ち着かない。
「さあさあ! 早く早く!」
 私とジージョちゃんが足元に魔法陣を展開すると、体を包む光がバリアジャケットを構築していった。
 つま先から頭のてっぺんまで、フィルムを張られるように魔力の薄い膜が覆っていく。その感覚自体はとても慣れたものだった。
 しかし少しだけ、いつもと何かが違った。
「あれ?」
 光が徐々に弱まり、バリアジャケットの構築が完了すると、その違和感の正体に気が付いた。
 そして、同時に悲鳴とも言えるような声を上げていた。
「いやあぁっ! なにこれっ!?」
 叫んだ理由は、私が身に着けたバリアジャケットがとても恥ずかしいものだったからだ。
 ボディーラインが浮き上がる白い全身タイツと、胸部、腰部、肩部を覆うピンクの防護アーマー。そして四肢の先端には強化サポーターを装着していて、頭部はフルフェイスマスクに覆われている。デザイン的に見ても特撮ヒーローを思わせるような格好だ。ちなみに私が白とピンクのデザインカラーなのに対し、ジージョちゃんは赤と黄色の色違いだった。
 思わずその場にしゃがみこんで膝を抱えてしまった。
「ヨシ! 成功だ!」
「何これぇ!? こんなの恥ずかしくて着られないよ!」
「レプリィフェイクはアタシのバリアジャケットを真似ることの出来るストレージデバイスだ。これを着れば、誰でもアタシに変身できる!」
「変身してどうすんのよ!?」
 すると、マルコちゃんもレプリカストロを起動してバリアジャケットを装着した。その姿は彼女のオリジナルモデルだ。
「さあ二人とも隣に並べ。そして掛け声と共にポーズをとるぞ! …………いくぞ!」
 マルコちゃんが小さな体で珍妙な動きを見せる。
 そして。
「デバイス戦隊……ミッドチルダー!」
「恥ずかしくて出来ない!」
 こんなデバイスを開発するために彼女はデバセンに来たのだろうか。まあ、マルコちゃんらしいとは思うけど。
 前にマルコちゃんから貰った手紙にも書いてあったのだけれど、マルコちゃんはこのデバセンに入り始めてからは専ら変てこなデバイスの研究ばかりをしているらしい。
 しかし、それをデバセン側は決して咎めたりしない。デバセン側の考えとしては、最近では魔導師の使うデバイスはその用途がほとんど固定化されてきていて、それ故に様々な機能等が淘汰された結果、今ではほとんどのデバイスに特徴的な違いが見出せなくなっているという。
 そんな中において、マルコちゃんのように不可解なデバイスを作り出したりする、所謂普通ではない考え方というのは貴重なのだそうだ。
 マルコちゃんの自由気ままな性格とデバセン側の考えは、まさに上手く噛み合っていると言える。
 私はレプリィフェイクの変身を解いてから、マルコちゃんに言った。
「楽しそうな職場で良かったね」
「そうだねぇ。やっぱりアタシはココが性に合ってるみたいだよ。ま、いつまでここにいるかは分からないけどね」
「それって旅に出るって話のこと?」
 マルコちゃんは以前に言っていたことがある。
 彼女は、現在の保護観察処分が終わったら旅に出たいのだそうだ。それは、新しいデバイス開発のアイディアを得る旅でもあると言う。
「そうだよ。ロストロギア指定を受けたデバイスとか、文献等には残されているけど実在が確認されていないデバイスとか、そういうのを探して見て回ったりしたいね。そんでもって、ついでにアタシのモノマネコレクションに加えていこうかと思ってるんだ」
「うわぁ…………厄介な人になりそう」
「ありがとうよ」
 マルコちゃんも変身を解き、更に白衣も脱いだ。白衣の下のTシャツには特撮ヒーローのシルエットが描かれている。もしかしてその格好で出掛けるんだろうか。
「ところで、なのはさんは元気にしてるのかい?」
「うん。たまにホカン部にも遊びに来るんだよ。あとノイズ曹長もね」
 事件が解決した後、臨時復活した機動六課はあっという間に解散を向かえた。しかし、それでもなのはさんは私と連絡を取ってくれているし、六課の人達も、私と顔を合わせる機会がある度に声を掛けてくれる。
「じゃあコレ」
 そう言ってマルコちゃんが、もう二つ、レプリィフェイクを渡してきた。
「なのはさんとマッチ棒にも差し上げてくれ」
 それは要らないだろう。



 デバセンを出た私達は、今度はブラント君のアトリエにやって来た。
 何故“アトリエ”なのかと言うと、現在ブラント君は、ミッドチルダに突如として表れた新進気鋭の芸術家だからだ。
 ホカン部に所属していた頃から落書きばかりをしていたブラント君だが、なんと彼の落書きを見た有名な芸術家がブラント君に秘められた才能を見出したのだ。その独特な感性から生み出される抽象的とも言える表現力が、現在では多くの人を魅了している。
 まさか自分の友達からこんなに凄い人が現れるなんて思わなかった。彼が芸術家として世界に認められた時、私達はとても驚いたものだ。
 辿りついたブラント君のアトリエは、一見すると倉庫のような形をしていた。生み出された絵画や彫刻等の芸術品を出し入れし易いように、シャッターが開け放たれている建物の広い一階部分が、彼の作業場となっているのだ。
 私とマルコちゃんとジージョちゃんがそのシャッターを潜ると、中には数人の姿が確認できた。
「先生! そろそろ新作の絵を完成させていただかないと!」
「今描いてるからちょっと待ってよー」
 凄い。ブラント君が先生と呼ばれている。
「ブラント先生! こちらの山猫の親子像はもう出来上がっているんでしょうか!?」
「それ、もう一彫りしたいの。あとそれ山猫じゃなくてキノコだから」
 凄い。どうやったら山猫とキノコを間違えるんだろう。
 何だか今はお仕事中みたいだし、声が掛けづらい。そう思ってアトリエの隅っこで一塊になっていた私達だが、ふと視線をこちらに向けたブラント君に気付いてもら事ができた。
「あっ! ソフィーにマルコにジージョ! いらっしゃーい!」
 ブラント君の嬉しそうな声に合わせて、ブラント君を取り囲むマネージャーらしき人達の視線もこちらに集まった。何だか緊張する。
「先生? まさかお出掛けになるんですか?」
「そうだよぉ」
「いけません! 早く作品を完成させていただかないと!」
 やっぱり。ブラント君は忙しいのか。
 しかし、マネージャーの催促に頷いたブラント君は、描いている途中の絵に筆を三回程タッチしてから言った。
「はい、完成」
「え、もう出来たんで……おお! 素晴らしいです先生!」
 そこには何を描いたのか分からない絵が一枚あった。
 芸術は私には分からない。
 そして、彫刻刀を片手に持ってキノコの親子像に近づいたブラント君は、その刃を振って三箇所ほどを削り取った。
「ほい、出来上がり」
「ビューティフォオォォォォッ! これほどまでにキノコの親子愛に満ち溢れた作品が今までにあったでしょうか!?」
 果たしてキノコに親子愛はあるのだろうか。
 芸術は私には分からない。
 マネージャー達が彼の作品に魅了され、絶賛を繰り返している間をすり抜け、ブラント君が私達の方に近づいてきた。絵の具や粘土で汚れた服を纏うブラント君は、何だか泥遊びを終えた子供みたいで少し可愛らしかった。
「遅くなってごめんね。あの二人が急がせるんだよ」
 不平不満を零しながら頬を膨らませたブラント君だが、ようやく一息つけたこともあってすぐに笑顔を浮かべた。
「忙しかったの?」
「うん。本当はあっちの絵も仕上げてくれって言われてたんだけど、あれは明日描くからいいや」
 そう言ってブラント君の視線が別の方を向くと、そこには輪郭すらつかめないくらいに極彩色の絵の具が塗り散りばめられたカンバスが立てかけてあった。
 仕上げる? 一体何をどうしたら仕上がるのだろうか。私の目には、どう見てもやり直しの効かない状態にしか見えないのだけれど。
「何を描いたと思う? 当ててみて!」
 彼のその無邪気な質問に、私達三人は表情を引き攣らせた。
 分かるわけなど無い。
 もう一度絵を見てみても、一体どの色が主体となっているのかすら判別が出来ず、逆に描かれたモデルがこの世に存在するのかどうかが怪しかった。
 見たところ生物ではなさそうだ。植物かな? 景色? 無形のものを表しているようにも思える。
「狼……かな? いや、馬? 四足の何かだろう」
 マルコちゃんは動物系でいくか。これが動物とは無理がある。
「…………花」
 ジージョちゃんが植物系ときたか。
「じゃあ…………カラフルだし虹? 夕焼け? まあ何かの景色だと思う」
 私は風景を選ぶ。しかも幅広い意味を込めて。
 こういう風に答えておけば、誰かしら惜しいところまでいくだろう。
 私達の答えを聞いたブラント君は、満面の笑みを浮かべながら「はずれー! でもマルコ惜しい!」と嬉しそうにはしゃいだ。
 そしてカンバスを指差して一言。
「これは、機動三課の陸曹長でございます」
「オマエ、今度マッチ棒に会ったら絶対謝れよ」
 マルコちゃんの鋭いツッコミを不思議そうな顔で聞くブラント君。マルコちゃんの回答が惜しいというのも可哀想な話だ。
 とにかく、そろそろ行かないと遅くなってしまう。
 私は腕時計を見ながら行った。
「ブラント君、もう出発したいんだけど大丈夫?」
「うん、いいよー」
「おお、そうだった。ブラント、コレを渡し忘れていた」
 マルコちゃんがブラント君に差し出したのは、レプリィフェイクだった。
「ちょっとマルコちゃん!?」
 しかし、ブラント君はさっそくその眼鏡を掛けて足元に魔法陣を展開させていた。
 すると、そこにはマルコちゃんのオリジナルモデルそっくりに変身した青と黒のデザインカラーを身に纏うブラント君がいた。
「何これ! かっこいい!」
「よし、では行くぞ! デバイス戦隊……ミッドチルダー!」
「見参!」
 二人のポーズが決まった。
 ため息を吐きながら額に手を当てていると、ブラント君が目をキラキラさせながら私を見ていた。
 絶対にやるものか。



 ようやく目的地に向かうための列車に乗り込むことが出来た。お昼をまだ食べていないせいで、お腹が空いてしまった。
 電車の中には私達以外の誰もいなくて、レールを鳴らす音以外何も聞こえなかった。
 そう言えば誰かクッキーを持ってきていなかったっけ?
「ねえねえ、クッキーまだある?」
「はい、どうぞ」
 私は隣の席から差し出されたバスケットを見ると、思わず顔を綻ばせた。
「はははっ! ソフィー、お前子供みたいな顔になってるぞ」
 向かいの席に座る二人がお腹を抱えて笑っている。
「べ、別にいいじゃないですか! お腹空いちゃったんだし!」
 それでも笑い止まない二人を横目に見つつ、私は再び笑顔を浮かべてクッキーを頬張った。
 やっぱり相変わらずおいしい。早くも二つ目に手が伸びる。
 この味を噛み締めていると本当に幸せだ。まるで願いが叶えられたかのように、私は今、満たされている。
「どれ、私にも一つくれないか」
 彼女がそう言ってバスケットを受け取る。そんな彼女の顔だって子供みたいに笑っちゃって嬉しそうじゃないか。
 それにしても、バスケットが私の目の前から離れていくと思わず寂しさを感じてしまう。
 そんな気持ちが表情に表れていたのだろう。「あんたよっぽどお腹が空いてるんだね?」と言う声が聞こえてきて、同時に再び笑われた。
 顔が真っ赤になるくらい恥ずかしくて、反論すらしないまま私は俯いて頬を膨らませる。
 けれど、彼女の言う通りなのだから仕方が無い。
 お腹が空いていて、と言うよりも何か満たされていない気がして、足りない気がして、揃っていない気がして。
 そんな私を満たしてくれる気がして、私はそのクッキーがやけに愛おしく思えたのだ。
 不思議だった。このクッキーを食べていると、本当に願いが叶えられたような気がする。
「ソフィーさん、まだ食べますか?」
「うん!」
 何処から出てきたのか、差し出された新しいクッキーを私は頬張った。
 ああ、やっぱりこれは幸せな味だ。願いが叶うお菓子だ。
 呼んでほしかった。応えてほしかった。
 その願いは今、叶えられた気がしたのだから。
 そしてやっぱりこれは魔法の味だ。笑顔を作るお菓子だ。
 全員揃いたかった。一緒にいたかった。
 その願いは今、叶えられた気がしたのだから。
「幸せなんだぁ、とっても」
 思わず発した一言。
 それは、満ち溢れて零れてしまった私の気持ち。
 そしてその言葉に続くのは、一緒にクッキーを頬張る皆の気持ち。
「私もです」
「あたしだって」
「最高に幸せだよ」
 たくさんの笑顔に囲まれていた。
 こうして皆と一緒に笑うことが出来て、本当に幸せだ。
 これが、私達の求めたものなのだから。
 願いが叶うお菓子を、私は一つ一つ大切に食べていった。
 皆も手を休めることなく口に運び、よく噛んで飲み込んでいく。
 こんなに食べても喉が渇かない。むしろ潤っていく気さえした。
 そうして最後の一つになった時、周りの皆が言ってくれた。
「最後の一つはソフィーさんがどうぞ」
「え?」
「お腹が空いてるんでしょ?」
「大切に食べてほしい」
「…………いいの?」
 誰もが頷いた。
 何だか申し訳ないな。そう思いつつ、最後の一つを摘み上げた。
 すると、何故だか涙が出てきた。
 これを食べたら、たぶん魔法が解ける。
 それが悲しく思えた。
 でも、食べなくちゃいけないんだという気もした。
 夢は結局夢のまま。見ているだけでは幻でしかない。
 やっぱり、進まなくちゃだめだよね。いつまでも幻に縋りついていたらだめだよね。
 私は最後の一つを齧った。
 その時の私は、その日一番の笑顔を浮かべていた。



「ソフィー、そろそろ着くぞ」
 私は肩を揺すられて目を開けた。
 列車の中には相変わらずのレールを鳴らす音。
 手元には、空っぽになったジージョちゃんのバスケット。
 食べ終わってお腹が満たされたから、眠っちゃったのか。
「まったく……全部食べちゃったのか?」
「え!?」
「ソフィー、僕もクッキー食べたかった」
「あ! うそ! ごめん! …………あれ? 皆で一緒に食べなかったっけ?」
 そう言うと、そこにはマルコちゃんとジージョちゃんとブラント君が揃って首を横に振っている姿があった。
「電車に乗るなり、お腹が空いたって言ってソフィーがバスケットを開けたところまでは見たけどね。まさか全部食べた上にすっとぼけて寝ちゃうんだからねぇ」
 私が全部食べちゃったのか? 本当にマルコちゃん達は食べていないのか?
 じゃあ、さっきまで一緒に食べていた三人は?
 そう考えていたら、ブラント君が言った。
「クッキー無くなっちゃったら、お墓に供えるのはお花だけ?」
「…………駅前で買えばいい」
 ジージョちゃんがそう答えて微笑んだ。
 それを聞いて気が付いた。私が一体誰とクッキーを食べていたのかということに。
 それを思った瞬間、自然と涙が一粒だけ落ちた。
「うぇ!? 泣くなよ! そんなに怒ってないだろう!?」
 慌てふためくマルコちゃんに向けて、私は笑顔を向けて言った。
「違うの。嬉しくて泣いてるの」
 そう言いながら涙を拭うと、駅が近づいてきていることに気が付いた。
 魔法の味は、まだ口の中に残っている。
 ごちそうさま。

 Fin.



[24714] 【特典】登場人物紹介
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2011/04/15 19:07
≪ソフィーのキャラ紹介≫

【名前】
 ソフィー・スプリングス

【年齢】
 十六歳

【出身】
 不明

【所属】
 第二〇三八航空隊 → 遺失物保護観察部

【階級】
 二等空士

【魔法術式】
 ミッドチルダ式・空戦Cランク
 魔力光は薄紫色。

【特殊能力】
 無し

【所持資格】
 無し

【使用デバイス】
『マスタースペード』
 杖型インテリジェントデバイス。
 杖の先端には、金の輪の中にスペードが収まった形の装飾がされている。
 全体的にほぼ金一色で、先端のスペード形装飾の真下辺りに白色の外装パーツが付いている。
 待機状態はスペード形のペンダント。
 「マスターソードモード」時のみ、杖の形状から剣型に変化する。ただし、近接戦闘が出来るような力はない。

【魔導師としてのソフィー】
 時空管理局の第二〇三八航空隊に所属していた時期がある。
 陸戦魔導師として訓練を積んでから空戦魔導師になる者が多い中で、ソフィーは最初から空戦魔導師として局入り。それを考えると結構優秀かもしれない。

 索敵魔法が得意。
 索敵魔法にはいくつかの種類があり、ソフィーはそれぞれを状況に応じて使い分けている。
 以下にのその分類を記す。

・一号……広域サーチ(障害物内は索敵不可)
・二号……建物・障害物等の内部サーチ
・三号……精密射撃(固定目標)時の照準サーチ
・四号……精密射撃(移動目標)時の照準サーチ
・五号……術者飛行時の周辺サーチ(サーチ範囲が最も狭い)
・六号……誘導用。言わば自分の位置を示して、捕捉されるためのもの。

 一号~四号、六号は、術者が不動状態で使用する魔法。
 五号だけは、術者が移動中でも使用出来る索敵魔法。
 
 各号の後には、ソフィーが自分なりにバージョンアップさせていった際の完成順に番号がつく。
 例えば『一号三型』というのは、索敵魔法一号の中でも精度を高めた三番目の完成品ということを表している。
 『一号一型』、『一号二型』をより高性能にしたものが『一号三型』なので、一型、二型は使う機会が無いでしょう。
 航空隊時代は、この索敵魔法を使ってカローラと良いコンビを組んでいた。

 射撃、砲撃魔法も使う。
 ソフィーのポジションはセンターガード(なのはやティアナと同じ)かと思われる。
 ただ、陣頭指揮は特別得意でもない。
 近接戦闘タイプではないので、接近戦には脆い。

 射撃魔法、砲撃魔法の種類は以下を参照。

・単砲……砲撃系(直射型、集束型)
・連砲……射撃系(直射型、短時間での連射が可能)
・追砲……射撃系(誘導制御型)

 使用時は、魔法弾の口径によってそれぞれ違った呼称がつく。
 例として、
 
・単砲・天龍……中口径集束砲
・連砲・朝潮……小口径直射砲
・連砲・赤城……中口径直射砲

 デバイスの形状変化が伴う『マスターソードモード』がある。
 このモード時は、基本的に大型の砲撃魔法を放つ際に用いられれる。
 『大口径砲・金剛大和』や『スターライトブレイカー』がそれに当たる。

【生い立ち】
 六歳の時に、とある管理世界に暮らすスプリングス夫妻の家の前に置き去られていたという。
 六歳より以前の記憶が無く、発見した夫妻がそのまま引き取ったとされている。
 十歳のころに、暮らしていた次元世界が消滅。間一髪で管理局に救われたソフィー達は、そのままミッドチルダに移住となる。
 自分達が故郷の世界を失ったように、大切なものを理不尽に失ってしまう人々が現れないようにという想いを抱き、また消滅寸前の世界から救い出してくれたのが管理局でもあったため、ソフィー自身も管理局入りを目指す。
 管理局入りに対し、当初は両親があまりにも反対するので嫌気がさし、管理局入りを断念しようとするが、雑誌のインタビュー記事に掲載されていた高町なのはの言葉に励まされて、諦めずに両親を説得。何とか管理局入りを許可してもらう。
 そのため、高町なのはに強い憧れを抱いている。
 学業は比較的優秀で、空士訓練校を卒業後は第二〇三八航空隊に所属。
 その後、遺失物保護観察部に異動となり、現在に至る。

【備考】
 ・ミーハー。特に機動六課大好きっ娘。
 ・「昔はワガママだったから」とは本人談。今でも十分ワガママ。
 ・真面目
 ・趣味はお菓子作り



≪マルコのキャラ紹介≫

【名前】
 マルクル・コープレス。愛称はマルコ。

【年齢】
 十六歳

【出身】
 不明

【所属】
 第七十七陸士部隊 → 遺失物保護観察部

【階級】
 二等空士

【魔法術式】
 ミッドチルダ式・総合B
 魔力光は若草色

【特殊能力】
 無し。
 ただし、IQが高い。無駄に天才。

【所持資格】
 A級デバイスマイスター

【使用デバイス】
『レプリカストロ』
 愛称はレプリィ。
 待機状態は眼鏡の形。
 発案・製作協力はシャリオ・フィニーノ。
 様々な形態に変身する。主に機動六課のメンバーが使用するデバイスに変身することがほとんどで、その際はデザインだけでなく、カートリッジシステム等の構造も精密に真似る。実際に機能もする。

【魔導師としてのマルコ】
 使用魔法は『メタモルフォーシス』という変身魔法。
 あらかじめ変身したい姿や能力をデバイスに組み込んでおくことで、そのデータに基づき他の魔導師の姿に変身できる。
 その姿は本人に極めて忠実。
 ただし、身体はマルコ自身なので、体型の変化は起こらない。あくまでもバリアジャケットが酷似している状態。
 大抵、最初は『バルディッシュモデル』。つまりフェイトの真似から入る。
 
 レプリカストロも他の魔導師の所持するデバイスに姿を変える。
 容姿だけでなく、カートリッジシステム等のギミックも忠実に真似る。
 
 技も真似る。
 ただし、魔力総量などはマルコ自身のものなので、オリジナルの人物と同等の威力を放てるわけではない。
 マルコ自身は先天的な魔力変換資質を持っていない。しかし、魔力変換の技術は誰もが修練で身につけることが出来るものであり、マルコ自身も『炎熱』、『電気』、『凍結』ともに変換可能。
 ほとんどの攻撃魔法や防御魔法は真似ることが出来る。

 真似られないものもある。
 一部の魔法は真似ることが出来ない。
 例として、カリム・グラシアの「預言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)」は真似ることができない。

【生い立ち】
 六歳の時、特別保護施設前に置き去られていたところを保護される。
 保護された時より以前の記憶が無く、親も出身も分からない。
 IQが高く、研究者としての将来を有望視されていたが、捨てられたことによって自分自身を不必要な人間と思い込んでしまっており、持ち前の才能を活かすことなく過ごす。
 十一歳の時にシャーリーと出会う。
 時期的に、この時のシャーリーはフェイトと一緒にエリオの面会に訪れていた模様。ただし、エリオとマルコに面識は無い。
 シャーリーの薦めで魔導師としての道を歩む。
 不必要な自分を隠すように、レプリカストロを使って他の魔導師へ変身する魔法術を習得。
 訓練校は三ヶ月の速成コースで卒業。
 その後は一時期別部隊にいたが、後にホカン部へ異動となり現在に至る。

【備考】
・メカオタク。シャーリーと話が合う。
・朝に弱い。
・特撮の変身ヒーローオタクでもある。
・ホカン部随一の仕事嫌い。



≪ジージョのキャラ紹介≫

【名前】
 ジージョ・キーパーズ

【年齢】
 十八歳

【出身】
 不明

【所属】
 遺失物保護観察部

【階級】
 三等空士

【魔法術式】
 ミッドチルダ式・空戦C
 魔力光は赤紫色

【特殊能力】
 無し

【所持資格】
 無し

【使用デバイス】
『クリンリネス』
 掃除機型インテリジェントデバイス。
 魔法発動の補助という基本的なデバイス機能を有する他、ジージョ以外の魔力を吸引・貯蔵することが出来るという特殊な機能を持っている。吸い込んだ魔力は砲撃や射撃として排出することも可能。
 また、他のデバイスと一線を画すもう一つの特殊機能として、弾薬(カートリッジ)の充填機能がある。
 魔力の込められていないカートリッジを装填しておくことで、吸い込んだ魔力をカートリッジ内に詰めることが出来る。
 ただし、クリンリネス本体にはカートリッジシステムが無い。

【魔導師としてのジージョ】
 ホカン部が最初に配属された部隊である。
 空戦魔導師ではあるが、それほど戦闘が得意というわけではない。

 使用魔法はクリンリネスの特性を生かした独特のものが多い。
 以下に主な使用魔法を記す。

・『バキューム』
 周辺の魔力を吸引し、クリンリネス内に貯蔵する魔法。砲撃、射撃、シールド、捕縛魔法(バインド)、あらゆる状態の魔力でも吸引可能。また、他者がレアスキルを使用中の場合も、その魔力を吸い込んで効果を弱らせることが可能。

・『リバース』
 貯蔵した魔力を排出する魔法。主に射撃や砲撃に変換して吐き出すことが多い。クリンリネスに魔力の融和機能があり、自身の魔力と貯蔵魔力を合わせて使用することも可能。ただし、大き過ぎる力は制御不能になる。

・『キャッチ』
 物質を吸引することの出来る魔法。魔力の有無に関わらず、人や動物から無機物など、あらゆる物体を引き寄せることが出来る。

・『リサイクル』
 空っぽのカートリッジに魔力を充填する魔法。

【生い立ち】
 八歳の時に、ミッドチルダでも名のある大富豪、ダイナ・ダビッドソンに引き取られる。
 ジージョには八歳より以前の記憶が無い。
 引き取られてからはダビッドソン家の侍女として暮らし、主人のダイナには可愛がられていた模様。
 無口なのは幼少時から。掃除好きなのは、ダビッドソン家での侍女生活による影響。
 食べ物が良かったのか、それとも元来の体質なのか、成長に合わせて背が高くなっていった。現在の身長は百八十・三センチで、ホカン部内で一番高いどころか機動三課のノイズ曹長と同じ身長である。
 しかし、本人は背が高いことにコンプレックスを抱いており、いつか誰かに見下してもらうのが密かな夢。
 ちなみに、日記内で連載している恋愛小説、『ミリー王子とジージョ姫』では、自分の身長が低く設定されており、ミリー王子に抱きしめられると、王子の胸の位置に自分の頭があるという。
 十四歳の頃に訓練校に通い始め、十七歳の頃に管理局に入局。
 すぐに遺失物保護観察部へと配属される。

【備考】
・綺麗好き
・恥ずかしがり屋
・自分の部屋の掃除が一番苦手。何故なら汚れないから、掃除のし甲斐が無い。
・実はノーラと気が合う。



≪ブラントのキャラ紹介≫

【名前】
 ブラント・フーケ

【年齢】
 十一歳

【出身】
 不明

【所属】
 遺失物保護観察部

【階級】
 三等陸士

【魔法術式】
 近代ベルカ式・陸戦B
 魔力光は青色

【特殊能力】
 無し

【所持資格】
 無し

【使用デバイス】
『ジェームスクック』
 サーフボード型インテリジェントデバイス。
 このデバイスはウィンディーヌとのユニゾン時において真価を発揮するデバイスである。というよりも、それ以外での使い道はほとんど無い。
 ウィンディーヌの生み出す水の道、あるいは海や川などの水面を滑走するためのデバイス。

『ポリビウス』
 銛型アームドデバイス。
 近接戦闘(クロスレンジ)においてブラントが主に使うデバイスで、突き刺す以外にもその頑強なボディー故に打撃武器として使用される。
 音声による応答はするが、非人格であるため思考はしない。

『ウィンディーヌ』
 ユニゾンデバイス。
 液体や流動性のある魔力等を操るウィンディーヌとユニゾンすることによって、ジェームスクックの性能を最大限に引き出すことが可能となる。
 融合の相性は抜群である。

【魔導師としてのブラント】
 飛行魔法を使用できないので、ホカン部の中で唯一空を飛べない魔導師となっている。
 ただし、ウィンディーヌとのユニゾンによって発揮するその機動性は、空を飛べる魔導師と何ら遜色が無いほど。
 クロスレンジを主に得意とし、逆に遠距離用の攻撃魔法は僅かしかない。
 ただし、距離を感じさせないほどの俊敏な動きをするため、本人は特に不便さを感じていない。
 
 上記の通り、クロスレンジが得意。
 十一歳という最年少であり体も小さいが、その運動能力はホカン部内でもピカイチ。
 ミリーから教わったと言う体術は、今やミリーに匹敵するほどの格闘戦術となっている。
 魔法自体にはそれほど強力なものが無く、しかし、それを補って余りあるほどの体術があるので、全局面対応型(オールラウンダー)のマルコと互角の戦技能力を有している。

【生い立ち】
 一歳の時にホカン部の寮母のもとに引き取られている。この時点ではホカン部はまだ設立されていない。
 それから三年後、ホカン部を設立したミリーとウィンディーヌはブラントと寮母をホカン部隊舎に招き、共に生活を始めることとなる。この時点では当然ながら、ブラントはまだ管理局に所属していない。
 ウィンディーヌを除くホカン部メンバーの中でも、ミリーと共同生活をした期間が最も長いのはブラントであり、それ故に学ぶことが多かった。その一つが戦闘技術である。
 自由気ままな性格で、更にミリーはブラントのことを躾けることもしなかったので、管理局に入局後も子供らしさが抜けることなく、むしろ同年代よりも若干幼い様子。それでも真っ直ぐに育ってきたのは、寮母の全うな躾と、自称嫁であるウィンディーヌの世話があってこそ。
 ソフィー等のホカン部メンバーからも弟的存在として可愛がられており、それが彼を更に甘やかしているように思える。

【備考】
・よく寝る。
・暇さえあれば寝る。
・お絵描きが好き。
・実は感性が独特。芸術家的。



≪ノーラのキャラ紹介≫

【名前】
 ノーラ・ストレイジー

【年齢】
 十五歳

【出身】
 不明

【所属】
 遺失物保護観察部

【階級】
 三等空士

【魔法術式】
 近代ベルカ式・空戦D
 魔力光は薄黄色

【特殊能力】
 記憶の泥棒(アインディープ・デスゲデヒトニス)

【所持資格】
 無し

【使用デバイス】
『シルウェストリス』
 グローブ型インテリジェントデバイス。
 待機状態は鈴型のイヤリングであり、左耳につけている。
 完全に後衛(フルバック)向きのデバイスであり、攻撃魔法には向かない。

【魔導師としてのノーラ】
 ポジションとしてはフルバック。
 攻撃補助、防護補助、強化、回復等のあらゆるサポート魔法をこなす。
 ノーラ特有の補助魔法は特に無く、しかし、オーソドックスな補助魔法を何でも器用にこなし、発動も早いし効果も抜群である。
 自分でも攻撃魔法は向いていないことを自覚しており、それは好戦的ではない性格のせいでもあると自己分析している。

 レアスキルを所有しており、記憶の泥棒(アインディープ・デスゲデヒトニス)というその魔法は、対象の記憶を読み取り、それを自分で見たり、魔法の化身である猫に宿すことが出来る。
 読み取った記憶の保存期間は、一回の魔法発動から解除までの間であり、魔法解除と共に記憶の閲覧は出来なくなる。
 ただし、デバイスなどにその記憶をログとして保存することが出来、その場合はシルウェストリスを介していつでも記憶を見ることが出来る。
 ちなみにこの魔法発動時は、基本的にデバイスのサポートを受けていない。

【生い立ち】
 五歳の頃に、時空管理局本局次元航行部隊所属のルミオン・ストレイジー提督に引き取られた。それ以前の記憶は無い。
 ルミオン提督には引き取られた当初から関心を持ってもらうことが出来ず、ルミオンの家にいる家政婦がほとんどの世話をしていた。この家政婦はノーラにも優しく接してくれた人であり、彼女が心を開ける数少ない人物の一人。
 時空管理局への入局はルミオンの勧めであり、この時は突然のルミオンの勧めであったにも関わらず、構ってもらったことが嬉しいと感じ、管理局入りには抵抗が無かった。
 ノーラのレアスキルは先天的なものであり、引き取られた当初から使用可能であった魔法。それ故に、周囲からは不気味に思われていたため、これも彼女が寂しさを感じる要因の一つとなっている。
 ホカン部に入れたことはノーラにとって本当に嬉しいことでもあったようだが、それでもルミオン宅で世話をしてくれた家政婦には、定期的に連絡を取って近況報告をしている。

【備考】
・丁寧な喋り方は、世話をしてくれた家政婦の影響によるもの。
・意外と我が強いところがある。
・ソフィーの作るお菓子が好き。
・ソフィーとは姉妹のようでいたいと思っている。



≪ウィンディーヌのキャラ紹介≫

【名前】
 ウィンディーヌ

【年齢】
 不明

【出身】
 不明

【所属】
 遺失物保護観察部

【階級】
 空曹

【魔法術式】
 古代ベルカ式・空戦A-ランク
 魔力光は水色。

【特殊能力】
 魔力や液体などの流動性のあるものを操作出来る

【所持資格】
 無し

【融合(ユニゾン)適性】
 本編内で判明する限りでは、以下の通り。

 ブラント → 抜群
 ミリー  → 並
 フェイト → 悪

 ※1…主人(ロード)はブラントである。
 ※2…ミリーとは「相性が悪い」と明言しているが、実際には並レベル。ユニゾンしても問題はない。

【ウィンディーヌの主な働き】
 部隊内ではミリーの補佐として、戦闘においてはブラントの良き相棒として活躍している。
 特にブラントに対しては、彼の“お嫁さん”を自称しており、寝食を共にするほどブラントを溺愛している。その愛情の強さは、時に他の女性局員に対して嫉妬の眼差しを向けるほど。
 階級上ではミリーよりも格下になるが、昔からの付き合いであるミリーに対して対等の立場であることを主張し、ミリーも同様に思っている。故にミリーのことを呼び捨てにする数少ない人物の一人であり、その呼び方はブラントにもうつっている。
 
 ブラントとユニゾンする際には、彼女の魔法がブラントのデバイス、ジェームスクックの性能を最大限に引き出すこととなる。
 以下に彼女の魔法を記す。

『ウォータースライダー』
 空中に川を走らせる。これがジェームスクックの滑走路となる。

『ビッグウェーブ』
 空中に巨大な波を起こす。

『ネット』
 水の滑走路を網目状に張り巡らせる。
 
『キューブ』
 水の滑走路でジャングルジムを形成する。

 これらの魔法は全てジェームスクックの機動力を引き出すことに一役買っている。
 ユニゾンしていなくても発生させることは可能だが、ブラントのためでないと大して意味を成さない。

【生い立ち】
 遺失物保護観察部が設立時から、ホカン部隊員として所属してきた。
 過去にはミリーと共に、次元航行部隊に所属していた経緯あり。
 現代では珍しい古代ベルカ時代に製造されたユニゾンデバイスであるが、どのような経緯で管理局にやってきたのかを知る者は極めて少ない。
 きつい口調とは裏腹に、ホカン部隊員達のことを非常に大切に想っており、特にブラントに対する溺愛っぷりは、時々周囲を呆れさせるほど。 
 色恋話が大好きで、ちらりとでも噂を聞けば、その噂に関する情報収集を始めていつの間にか情報通になってしまう。
 好きなものは日中に放送しているお昼のドラマ。

【備考】
・料理の腕前は並。
・人間と同等のサイズになることも出来るが、ほとんど体の大きさを変えることは無い。
・お風呂もブラントと一緒に入る。
・時々、管理局内の災害救助部隊に助っ人として行くことがある。(主に火災発生時)



≪ミリーのキャラ紹介≫

【名前】
 ミリー・バンカル

【年齢】
 二十九歳

【出身】
 不明

【所属】
 遺失物保護観察部
 ※部隊長を務める。

【階級】
 三等空佐

【魔法術式】
 古代ベルカ式・総合AAランク
 魔力光は赤色。

【特殊能力】
 無し

【所持資格】
 不明

【使用デバイス】
『ウルカヌス』
 ガトリングガン型アームドデバイス。
 外見からも分かる通り、極めて攻撃に特化したデバイス。音声による応答はするが非人格型である。
 リボルバー式のカートリッジシステムを搭載しており、またその重量から、鈍器としても扱われる。
 ミリーが管理局に入局した時から使用しているものである。
 主に魔法弾の連射性に優れているが、大型の砲撃魔法も放つことが出来る。 

『ウィンディーヌ』
 融合騎(ユニゾンデバイス)であるウィンディーヌとのユニゾンが可能。
 ただし相性は並であり、それほど大きな能力向上は望めない。
 ウィンディーヌがブラントを勝手に主人(ロード)としてからは、一度もユニゾンしていない。

【魔導師としてのミリー】
 性格やデバイスの特徴などからも分かるとおり、非常に好戦的と思われる。
 手加減と言うものを極力しないので、対峙するときは注意が必要。
 使用魔法には特徴的なものが無く、ただし実戦向きなものが多い。加えてその猟奇性から、迷いや油断といったものを感じさせない。
 基本的には射撃・砲撃魔法を駆使し、補助魔法は一切使用しない。ただし、近接戦闘にも長けており、その際にはデバイスが鈍器となり危険である。
 実は一度だけ、ホカン部がまだミリーとウィンディーヌの二人だけだった頃に、機動三課との合同訓練と称して模擬戦を行なったことがある。
 その内容はホカン部がテロリスト役となり、機動三課がテロリストとの戦闘を想定したものだった。
 結果はホカン部の勝利。ほとんどがミリー一人の活躍により、機動三課の魔導師隊は全滅させられた上にノイズ曹長が人質となり、サイオン部隊長を呆れさせたことがある。
 上記のような特徴もあることから、フォーメーションを組む際には司令塔としてのレベルは決して高くない指揮官である。
 それ故に、本人は司令塔として動くことをあまり好んでいない。

【生い立ち】
 次元航行部隊に所属していた期間があり、その際に次元航行艦に関する知識を学ぶ。ただし、操舵ライセンスや艦長ライセンスは取得しなかった。
 その後はウィンディーヌと共に、設立された遺失物保護観察部に属して今日にいたる。
 ミリーとウィンディーヌの二人だけという部隊員の少なさは、決して業務に支障をきたすことは無かった。
 しかし、ホカン部は徐々にその部隊員数を増やしていく。
 最初にブラント。次にジージョ。そしてマルコ、ソフィー、ノーラと続き、この人選にはミリーが関与していたと言われている。その人選基準は不明である。
 ちなみに使用されているヘリポート付きホカン部隊舎は、元々は管理局所有の施設ではなく、民間の輸送業者が事務所として使っていたものを再利用している。

【備考】
・ワガママ
・ホカン部部隊員を心底大事にしている
・本を読んでいることが多い。本の種類は実に様々で、毎月読んでいる『月刊スカイエンジェル』はノイズ曹長が読み終えたものを貰っている
・ノイズ曹長をからかうことが楽しくて仕方がない



[24714] 魔法少女リリカルなのはWorthlesS'
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:52ea1ab2
Date: 2012/04/24 23:32
≪1・チョコレート≫

 変わらない日々。平穏で、ゆっくりで、ちょっとだけ物足りないとも思える。
 楽しいことも、寂しいことも、そこそこに起こる毎日が続いて、早くも一年が経った。
 私は今、昨日も一昨日もその前の日も、自分の業務に精を出していた。
「課長! 四課の報告書がまとまりました! データそっちに送りましたから!」
「一課の分もオッケーです!」
「課長! 捜査部から先月発見したロストロギアの一時預かり届出の承認が降りてないって、電話きてるんですけど!」
 部屋のあちこちから飛び交う声は、月末処理に追われる同僚達の悲鳴。
 そして、それらの悲鳴に応える課長の声もまた、正真正銘の悲鳴であった。
「もうヤダ! 毎日毎日こんなのムリ! 俺を家に帰して!」
 私の所属する『古代遺物管理部保護観察課』に先月からやって来た新任の課長は、自分の抱いていたイメージとは大きくかけ離れた“ここ”の多忙さに参っていた。
 この部署は、月末になるととにかく忙しくなる。一年ほど前まで、この保護観察課の前身となる部署があったのだが、その頃とは比べものにならないほどだ。異質なんて言葉じゃ済まされない。
 いや、率直に言ってしまおう。別世界と言ってもいいぐらいに違う。
 あの頃の『遺失物保護観察部』は、時空管理局内でも鼻摘みもの扱いされており、陰ではよく“要らん部”とか“役立たん部”という蔑称で呼ばれたりしていたのだ。
 そんな部署だった頃のイメージは今でも管理局内にしつこく根付いていたりするらしく、ここにやって来た新任課長は、最初の頃など「俺もWorthless(役立たず)の仲間入りか……」と、表情を暗くさせていた。
 しかし。
「こんなっ! こんな忙しいなんて聞いてないよ! ソフィー君助けて!」
「ムリですっ! 私だってまだ三課のデータをまとめ終わらないんだもん!」
 課内ではこの業務の職歴が最も長い私なので、同僚や上司からはよく助けを求められる。だが、助けてあげたい気持ちは山々あるのだが、自分のことで手一杯になるのも毎月恒例なのだ。
 こんな感じで保護観察課、通称『ホカン部』で日々を過ごしてきた私は、最近この一年間の自分を振り返って、物足りなさを感じたりする。
 そんな物足りなさを埋めるため、私はデスクの上に置いたチョコレートを摘んで口に放った。
「こんちはー、三課のノイズでーす。今月ラストの報告書をお持ちし」
「遅いぃっ! 処理が追いつかないでしょっ!?」
「はあぁあぁす、すいませんっ!」
 私の声を聞いた機動三課のノイズ曹長が、慌てた様子でデータディスクを持ってきた。
 差し出されたディスクを乱暴に奪い取ると、肩を震わせたノイズ曹長が再び謝罪の言葉を発する。それに返事する時間も惜しくて、私はもう一つチョコを頬張りながらディスクを端末に挿入した。
 モニターに映るデータを読みながら、傍らに置いた時計をちらりと見やる。
 夕方までに片付くかな。
「それにしても、毎月ホカン部は殺気立ってるよなぁ」
 ぼそりと呟くノイズ曹長の言葉を聞き流し、私は端末のキーを叩いた。
「こんなに忙しいんだから、月末だけでも助っ人呼んじゃえば?」
「助っ人って、誰がやってくれるって言うんですか? あとノイズ曹長、報告書に誤字が多いです」
「ごめんね…………ほら、初代ホカン部の連中でも呼べばいいだろ。あいつらだって業務経験者なんだし」
「ジージョちゃんはまだいいとして、マルコちゃんとブラント君は助っ人になるかなぁ。あとノイズ曹長、経費計算間違ってます」
「す、すまないね…………そういえば、最近はあいつらに会ってるの?」
「はい。月末はムリだけど、たまに一緒に遊んでますよ。…………あ、三日前の次元航行艦使用届って、また直前で出したでしょ? 承認されてないんですけど」
「出直してきます…………」
 ノイズ曹長は肩を落として部屋を出て行った。
 私は再び時計を見た。
 そう、本当は月末に会えるはずもないのだけど、今日だけは何が何でも仕事を片付けて、久しぶりに。
 夕方の予定を思い浮かべたら、私は思わず顔をにやけさせていた。
 物足りない日々の中に生まれた貴重な時間。それが刻々と近づいている。



≪2・距離≫

 電車とバスを乗り継いで、僕とキャロはミッドチルダの首都クラナガンにある、友人の家までやって来た。
「エリオ君……ここ、だよね?」
「う、うん。間違ってないと思うけど」
 目の前に聳え立つのは、クラナガンの中でも一際大きく見える高層ビル。まるで、僕達が普段暮らす次元世界に悠然とある、巨大な山脈を見ているみたいだ。
 ここの二十五階に、僕達の友人は住んでいるという。
 一度だけ唾を呑み、上を見上げたままのキャロに向かって「行こう」と促した。二人揃ってビルを見上げながら呆けてばかりいたら、周りの人達に田舎者とか思われてしまう。なんだかそれは恥ずかしくて嫌だった。
 曇り一つ無いガラス張りの入り口を潜り抜けた後、一階ロビーの総合受付で用件を伝える。するとフロアスタッフの丁寧な応対が、僕達を彼の部屋へと案内してくれることになった。
 友人に会いに来ただけでこんな待遇を受けたことなんてないし、建物内に敷き詰められた絨毯を踏みつけることに戸惑いを隠せない。緊張するなぁ。
 思わず背筋を伸ばして口を固く閉ざしてしまった僕は、先を歩く女性スタッフに続いてエレベーターへと向かった。
「あ、ねえ見てエリオ君! あそこにある待合用のソファー、うちにあるベッドみたーい!」
「キャロ! あまりそういうことは言わないほうがいいよ! 恥ずかしいから!」
 二十五階まで一気に上り詰めるエレベーター。小さな箱の中にこれほど長く乗った経験なんてない。僕は、ガラス越しに見える下界に圧倒されていた。
 ものすごい場所に来てしまった。
「…………ここは本当にミッドチルダなのかな」
「エリオ君見て! このまま雲の上まで行くみたいだね」
「キャロ! だから恥ずかしいからそんな田舎者みたいなこと言っちゃだめだって!」
 機動六課に所属していた時は、ミッドチルダがこんなに都会だなんて感じなかったのに、今日はどうしたんだろう。
 いや、機動六課にいた頃はほぼ毎日が訓練だったし、たまの休みにも事件が発生して緊急出動していたから、気付かなかっただけかも知れない。
 僕やキャロって、まだまだ子供だ。
「着きましたよ」
 フロアスタッフに連れられて降りた二十五階は、その約半分が友人の所有物だと言う。人が住む空間に、そんなに部屋が必要なのだろうか。
 その規格外の経済力を持つ友人は、僕達とそれほど歳が違わない。
 呼び鈴を鳴らすと、豪華な装飾で煌く玄関扉の向こう側から、慌しい足音が近づいてきた。
「エリオー! キャロー! いらっしゃーい!」
「ブラント! 久しぶり」
「ブラント君久しぶりー」
 友人の名前はブラント・フーケ。時空管理局の局員だった彼だが、一年前に辞職してからは、持ち前の独創的な感性を存分に発揮する新進気鋭の天才少年芸術家として、その名を馳せている。
「二人とも早くあがってー。ジージョにお茶入れてもらおー」
「あ、ジージョさんも来てるんだ」
 玄関を潜り抜けていくと、その奥には高級感漂うソファーに座りながら、変な形をした壷を丹念に磨いているジージョ・キーパーズがいた。
 ジージョさんも管理局員だったけれど、辞職した今は本来の仕事である、富豪ダビットソン家の侍女をしている。
 相変わらず背が大きいし、僕達の顔を見るなり恥ずかしそうに顔を赤らめるくらい照れ屋だ。そして、全く聞こえない小さな声で挨拶をしたように口を動かす彼女らしさも健在している。
「ジージョ、お茶入れてー」
 ブラントの声に無言で頷いたジージョさんは、静かに立ち上がってキッチンへと向かっていく。
 それにしても、ジージョさんもいてくれたことはラッキーだった。実を言うと、ブラントの家に来て用件を済ませた後は、ジージョさんに会いに行く予定だったからだ。
 手間が省けたことで少し時間に余裕が生まれた僕とキャロは、高鳴る胸を必死に落ち着かせながらソファーに腰を下ろした。このソファー、いくらぐらいするんだろう?
 出された紅茶を飲みながら、キャロが訊く。
「ブラント君は今、一人で暮らしてるの?」
「うん。ウィンディーヌはもう側にいないからね。でも、たまにゲンカイしてるんだよ」
 たぶん、“面会”のことだと思う。
「じゃあご飯とかは自分で作るの?」
「僕、料理できないもん」
「じゃあずっと外食?」
「んー。それでもいいと思ったんだけど、栄養が偏るからダメですって、ヴェルが」
「ヴェル?」
 そんな人はホカン部にいなかったはずなので、僕とキャロは首を傾げた。誰だろう?
 その時、玄関の方から呼び鈴が鳴った。
「たぶんヴェルがお買い物から帰ってきたんだよ」
 ブラントが言うのと同時に、ジージョさんが玄関へと向かっていく。そして扉を開く音が聞こえ、二人分の足音がこちらに近づいてきた。
「ブラント様、ただいま戻りました」
「おかえりーヴェル。ちゃんとチョコポット買ってきた?」
「いいえ。今日は買ってきておりません」
「ええええ!? じゃあチョコポットないの!?」
「ございません。昨晩、ブラント様は私の目を盗んでこっそりと食べていらっしゃったでしょう? だから今日の分はありません」
 ブラントがみるみる意気消沈していく。その原因となる発言をした女性こそ、噂のヴェルさんだった。
 シャープで鋭利な輪郭と視線が特徴的な、三つ編みおさげのメイド、ヴェルさん。二人の様子を見る限りだと、この人はブラントのお世話係といったところだろうか。
 僕とキャロが簡単に挨拶をすると、第一印象とは違った柔らかな笑みを見せてくれた。
「はじめまして、エリオ様。キャロ様。私、ブラント様のハウスキーパー兼ダビットソン家の副婦長を務めさせていただいております。ヴェルとお呼びくださいまぜ。よろしくどうぞ」
 彼女に続いて、ブラントがふてくされながら言った。
「侍女に紹介してもらったジージョだよ。シカンサンリとかもしてもらってるんだ」
「違います。ジージョに紹介された侍女でございます。それと資産管理です」
「ぶー!」
 なんとなく二人の関係は分かった気がする。
 ヴェルさんはフェイトさんよりも年上みたいだけれど、ブラントのお世話をするならばこれくらい落ち着いた女性の方がいいんだろうなぁ。
 ジージョさんに聞かされた話だと、ブラントがここで暮らし始めてからはちょくちょくジージョさんが顔を出していたそうだけれど、侍女の仕事以外に慈善活動をしているジージョさんが忙しくなったので、代わりをヴェルさんに頼んだらしい。
「子供の世話は慣れておりますので」
 とは、ヴェルさん談。
「独身のくせに」
 とは、ブラントの反撃。
 でも、ブラントとジージョさんの様子を久しぶりに見て、ちょっと安心した。
 まさに家族そのものであった元ホカン部の面々は、今はそれぞれが自分達の道を歩んで生きている。
 ブラントは、こうなる前までウィンディーヌさんとずっと一緒に過ごしてきたし、ジージョさんだって同じ部署だった仲間達が大好きだ。
 だけど、今は皆離れて暮らしている。フェイトさんに聞いた話では、ウィンディーヌさんの刑期は様々な事情を考慮してもそう簡単に縮まるようなものではないから、ブラントと一緒に暮らせる日はずっと遠いかも知れないそうだ。ジージョさんだって、大好きな仲間達と顔を合わせる機会がずっと減ってしまったのは寂しいに違いない。
 獄中のウィンディーヌさんは、身を削るような気持ちでこう言ったらしい。ブラントの側にいたいと願うよりも、罪を償いたい、と。
 もしブラントやジージョさんに元気が無かったらどうしよう。ここに来る前の僕とキャロは、二人の姿と昔の自分達の姿を重ねていた。
 でも会いに来て分かった。僕達は余計な心配をしていたみたいだ。
 みんなそれぞれの道を選んで生きているといっても、決してばらばらになったわけではない。
 “そばにいる”という言葉は、決して目に見える距離だけのことではないんだ。
 それは、僕達元機動六課の仲間達にも言えること。
 そう、僕やキャロ達と繋がる絆の輪は、特別なものではない。こんな風に、人にはそれぞれ何かしらの絆があるんだ。
 それが確認できただけで、僕は安心できた。



≪3・過去≫

 なのはさんからのお願いだから仕方なくやって来たけれど、実を言うとここは、一人で来るのはちょっと抵抗のある場所だ。
「壁画が増えてる…………」
 一目見ただけで、『デバセン』の異様さが増していることに気付く。
 初めてデバセンにやって来たのは訓練生だった頃。管理局関連の職場見学として訪れたことがあるのだ。
 あの時は、一緒だったスバルと共にただただ呆然として固まってしまったものだ。
 その理由はこれ。敷地内にある複数の建物の壁全てに、極彩色の様々なイラストが描かれていてる光景。これが見る者を圧倒するのだ。
 その種類は、歴史的絵画を模写したような絵から、アニメ系キャラクターの似顔絵、偉人や有名人の肖像まで様々だ。ちなみに、なのはさんやフェイトさんも描かれているのには驚いた。
 過去に見た時よりも、壁の鮮やかさは見事なまでに成長を遂げていた。
「もう何なのよぉ、ここ」
 一人で来るのはだいぶ恥ずかしい。目のやり場に困るというものだ。
 私は、描かれた初代管理局元帥の股の下を潜り抜けて、デバセンの第一研究棟に入った。
 デバセンというのは、『魔導運用開発研究センター』の俗称で、デバイス研究所とも呼ばれたりしているところ。その呼び名の通り、魔導師のための次世代デバイスを研究開発したり、魔力の新たなる可能性を見出す研究がなされていたりする。時空管理局の外部組織に近いポジションであり、次元航行艦の開発にも関わっているので、わりと身近に感じることもある場所だ。
「博士ぇ見てくれたまえ! 開発中の新型デバイスなのだが、なんとこれ! 音声の語尾に“にゃん”を付けることが出来る!」
「くっふぉ! たまらんのぉ……しかしワシのも見てくだされ。このデバイスが構築するバリアジャケット、魔力消耗をバリアジャケットの透過率で教えてくれるのじゃ」
「や、やった…………! 遂にバリアジャケットのスカート丈、膝上三十五センチの限界(リミッター)を解除成功だぁぁぁぁ!」
 前言撤回。身近に感じてなるものか。ってかそんなリミッターがあるのか?
 建物の外観に見合うだけの変人が集まるところでも有名なのが、このデバセンというわけだ。
 そして、私がここに来たのは、やはり変人である知り合いに用件があったから。
 受付に立った私は、何やら忙しなくペンを走らせる受付嬢に言った。
「あの、マルクル・コープレス研究員に、ティアナ・ランスターが来たと伝えてもらえませんか?」
 受付嬢は、顔をこちらに向けることもなく頷いたまま、電話の受話器を持って何かをボソボソと呟いた。
 ふと、彼女の手元を覗いてみると、どうやら漫画を執筆している最中らしい。そういうのは家でやれと言いたい。
「ちょっと、呼んでくれたの?」
 私が聞くと、彼女は頷いた。
 大丈夫だろうかと訝しげに思っていたが、わりと早いタイミングで聞き覚えのある声が近づいてきた。
「やあ、ティアナ執務官。おひさしぶりー」
「マルコ。ごめんなさいね、忙しい時に」
 ヴィータ副隊長ぐらいの背丈しかないのに、妙に大きな白衣を纏って彼女は現れた。顔に掛けたメガネを指先で突きながら、歯を見せてにんまりとしている彼女が、元ホカン部所属のマルコだ。
「別に忙しくはなかったよ。だってここの人達は、皆忙しさなんて知らない人ばかりだからね。自由気ままなのさ」
 その通りなんだろうなぁ。彼女の白衣のポケットがお菓子で膨れているし、口の周りにチョコレートが付いてる。しかも左手には漫画雑誌まで握られている。
 そんなマルコのだらしなさを見て見ぬフリしながら、私は用件を済ませようとポケットに手を入れた。
 ポケットの中には一枚の便箋。ご丁寧に、なのはさんの手書きによるものだ。
「あんたにこれ、“招待状”を渡しに来たのよ」
「ああ、さっきジージョからも連絡が来たよ。エリオとキャロから貰ったみたいだね」
 招待状を渡し終えると、私はマルコと目を合わせたまましばらく黙った。
「…………あの、さ」
「なんだい?」
「…………いや、やっぱいいわ」
「…………そう」
 会話が続かない。
 なんだか彼女は苦手だ。一年前に彼女と戦ったとき、私は過去の自分を彼女に重ねて見ていた。そして過去の自分を叱りつけるように、私は彼女を倒した。
 そんなことがあった相手と久しぶりの再会。なんというか、顔を合わせるのが変に気まずい。
 今のマルコを見れば、元気にやっていることは一目瞭然だ。それに彼女と親しいシャーリーさんからも、マルコの様子はたまに聞くことがあった。
 たぶん今の彼女は、得意のモノマネで塗り潰していた自分自身をすっかり曝け出していて、きちんと“今”と向き合っているのだろう。
 だが、あくまでも“だろう”だ。想像でしかないのも間違いない。
 私はちょっとだけ心配だった。ちゃんとマルコは、それに過去の私は、しっかりとやっているのだろうか。
 そんな疑問をストレートに尋ねることが出来なくて、もどかしい。
 その時だ。
「マルコ女史ぃ」
 妙に甲高い声で、一人の研究員が近づいてきた。
 私よりも細そうなウエストと、それに釣り合うほどの華奢な体を白衣で包んだ男性研究員が、ちりちりのセミロングヘアーをふわふわと揺らしている。外見はだいぶ違うけれど、どことなくマルコに近い雰囲気が感じられる。
「やあユニック。研究の方はどうしたんだい?」
「それがですねぇ、次元空間における魔力素の行動パターンを充分な数だけデータ収集して統計を取ったところですね、ほら、小生の理論を当て嵌めるとここの因果性に矛盾が」
「ほうほう」
 二人は一階ホールの真ん中で、レポート用紙一枚を見ながら熱弁を繰り出し始めた。
 話の内容はと言うと、今まで聞いたこともない単語のオンパレードで訳が分からない。だが、かなり真剣に議論しているのは確かだ。
 なんだ、結構まともな研究をしている人もいるんだ。
 そして、そんな研究談義に熱くなって目を輝かせるマルコの姿を見て、私は少しだけほっとした。
 やっぱり彼女はもう大丈夫なんだろうな、と。
 別に彼女の様子の中で明確なポイントを見つけたわけでもない。ただ、なんとなく。変な話だけれど、私が勝手に心配するのも馬鹿馬鹿しいなと思ったのだ。
 レポート用紙と同僚の顔を交互に見ながら、ものすごく一生懸命に考えて、話して、笑っている彼女を見たら、大丈夫であることなどすぐ分かる。
 だって過去のマルコは過去の私。
 じゃあ、今の私は? 
 もちろん、しっかりやっているつもりだもの。
「じゃあマルコ、私は戻るわよ」
 聞こえていないみたい。談義は更に激化していた。
 頑張って良い研究をしてね。
「素晴らしいよマルコ女史ぃ! その計算式でいくならば、各管理世界の少女魔導師が三パーセント増大する!」
「だろうユニック? このままなら五年後には十三歳以下の魔法少女でサミットが開けそうだ! 議題はもちろん『一体何歳までが魔法少女なのか?』で決まりだな!」
「ちょっと! どんな流れでそんな話になるのよ!?」
 再び前言撤回。
 こいつら本当にどうしようもない。



≪4・嫉妬≫

 時空管理局にこんな部署があったんだ。私は自分が初めて訪れる部署の部屋名札を見上げた。
 『古代遺物管理部保護観察課』。発足は一年前だけど、前身部署はもっとずっと前からあったという。
 そう、私が機動六課でなのはさんの教導を受けたり、JS事件の真っ只中にいた頃も。
 なのはさんはたまに来ることがあったみたいだけれど、生憎と事務仕事は苦手だった私には縁が無い場所だった。
「ここにいるソフィー・スプリングスさんに、この招待状を渡せばいいんだよね」
 なのはさんから預かってきた招待状。それは、今夜なのはさんの家で開かれるお食事会のお誘いだった。
 ちなみに、私も参加しないかと誘われていた。それにティアやエリオ、キャロもだ。
 もちろん参加するつもりだったから、こうして招待状の届け人を引き受けたのだけれど、実は突然、救護隊の夜勤シフトが入ってしまった。
 いいなぁ。ティアナとエリオとキャロは行くって言っていたのに。
 ため息が漏れる。まあ、助けを待っている人達の安全には代えられないか。
 そう言えば、この手紙の宛先人であるソフィーという人を、私は知らない。まったく接点がないわけではなく、一年前に起こった事件の調書を読んだ程度には知っているのだが。今日まで顔を合わせて話すことはなかった。顔は写真で見ただけ。
 そういう意味で、私は彼女を知らないでいる。
「どんな人なんだろう?」
 なのはさんからの手書き招待状を受け取るなんて、よっぽど仲がいいのかな?
 そんなことを考えると、なんだかちょっとだけ、私は面白くなかったりするのだ。
「失礼しまーす」
 ホカン部の中に入ると、複数の端末デスクが並ぶ中に、女性局員が一人だけいた。他の人達は出払っているみたいだ。
「はーい」
 その人が返事をした。
「あ、あなたがソフィー・スプリングスさん?」
「あ、もしかしてスバル・ナカジマさんですか? 招待状を持ってきてくれたんでしょう?」
「うん! なのはさんからの手紙を持ってきたよ」
 明るい声と、人当たりの良さそうな柔らかな笑顔。ソフィーさんに対する第一印象は、可愛い人だなというものだった。
「わあ! ありがとうございます! 楽しみにしてたんだぁ!」
「えっへへへ、なのはさん料理上手だもんね!」
 数える程度しか食べたことないけれど、なのはさんの料理は大好きなんだよなぁ。
「へぇー。私、なのはさんの料理って食べたことがなくて」
「たぁっくさん食べてきてね! 私の分まで食べていいから!」
「え、スバルさんは行かないんですか?」
 その言葉を聞いた瞬間、私は表情を歪めた。気持ちが揺らぐ。
 行きたい。なのはさんの料理が食べたい。皆と楽しい時を過ごしたい。
 ものすごく悔しい。しかし、そんな気持ちを表に出すのが恥ずかしくて、私は少しだけ強がった。
「実は今夜仕事でさ。で、でも、私はいつでもご馳走になれるから」
「い、いつでも?」
 そうだ。なのはさんは優しいし、機動六課時代に固く結ばれた私達の絆は永遠のもので、きっとなのはさんはいつでも私のためにご馳走を作ってくれるんだ。
 大丈夫。今日は我慢出来る。
 耐えろスバル。なのはさんと私の絆は不変だ。
「スバルさんは、なのはさんと仲がいい……です、よね?」
「そうそう。機動六課時代の苦楽を共にした仲間だし。それ以上に私は、小さい頃からなのはさんに縁があるから」
「そうですか…………で、でも! 私だってなのはさんと仲良しなんですよ!」
「え? あ、うん……へぇー、そうなんだ」
「はい。一緒にドーナッツ食べたり、ヴィヴィオちゃんと遊んだり、来週だって一緒にお買い物行こうって!」
 来週? 私は自分の勤務スケジュールを思い出した。
 仕事だよ。防災訓練の進行役だよ。やりがいのある、充足感に満ち溢れたお仕事だよ。
 だって、救護隊は勤務スケジュールが不規則だし、なかなか予定が付け辛いんだもん。
「わ、私もなのはさんとお茶したり、ヴィヴィオと遊んだりするよ。お買い物は…………まあ、そろそろ一緒に行ってないお店を探すのも大変になってきたって感じかな?」
「そ、そうなんですか! …………えっと、えーっと、そうだ! なのはさんの教導って厳しいですよね!」
「あ、ああ。うん、そうだよね! 厳しいね!」
「でも私、一年前に模擬戦で褒められたことがあって、それで、ご褒美とかも貰えたんです! 嬉しかったなぁ」
「ご褒美ぃ? へぇー。なのはさんに一発当てたり出来たってこと?」
「え、いや、なのはさんと模擬戦をしたわけではないですけど……」
「そうなの? なのはさん本人とは模擬戦してないの? あーそう! 残念だねぇ、なのはさんとの模擬戦は一度やってみるといいよー。すっごく厳しいけど、頑張ったら頑張った分だけ力が付くし、すっごく充実感があるから」
「そ……そうなんですかぁー! すごーい! なのはさんの魔法はどれも強力なものばかりですもんねー!」
「うんうん! だから私さ、自分で技を真似てディバインバスターとか使ったりするんだよねぇ!」
「あ、私! 私だって! なのはさんのスターライトブレイカー使いますよ! しかもなのはさん直伝ですよ! 直伝!」
「じきで……でうぇっ!? あ、あああそうなんだぁ…………! ふーん! でも、あれってやっぱりなのはさんの代名詞っていうか、なのはさんじゃないとねーっていうかぁ!」
「えぇ!? …………んんんんっ!」
 なに、この子? すごい競ってくるんだけど。
 そりゃあなのはさんに憧れている人って多そうだけど。だってなのはさん、有名人だし。
 でも、だからって私は、そんじょそこらの一般ファンなんかには負けないくらいの繋がりがあるんだから。
 フェイトさんとなのはさんの家族、それに地球にいるなのはさんのお友達を除いて、ミッドチルダでなのはさんと最も仲良しなのは、私だ
 ここは一つ、なのはさんに近しい人間として、私が彼女よりも一歩先を進んでいるのだとはっきりさせる必要がある。
 私は胸を張って、最後の一撃を発しようとした。
「私は! なのはさんの」
 そう言い掛けた時、いつの間にかソフィーさんが私と同じように身構えて、空気を吸い込んでいるのが見えた。
 何? 何を言おうとしているの?
 そう思考している間に、私よりも早く彼女が声を出した。
「私は! なのはさん公認の“妹的存在”です!」
「こ、公認!?」
 その言葉を聞いた時、頭の中でゴングが激しく鳴った。
 そんな馬鹿な。私は、なのはさんの何なの? 
 ふらつく足取りで後退し、近くの椅子に体を預ける。ダメだ、頭が下がる。視線を持ち上げる力が湧かない。
「やったぁ! 勝ったぁ!」
 敵の勝ち名乗りを浴びながら、私は真っ白な灰になっていった。



≪5・変わっていない≫
 
「ソフィーったら、別にそんなムキにならなくたっていいのに」
 焼きあがったばかりの魚を運びながら、なのはさんが私に笑いかけた。
「だって、スバルさんがすごい競ってくるんだもん!」
 頬を膨らませながら、私はサラダの盛り付けを続けた。
 ホカン部の事務所でスバルさんから招待状を受け取った私は、気合いと根性で月末業務を終わらせた後、すぐさまなのはさんの家にやって来た。
 それでも到着は一番遅くて、家の中には既にマルコちゃん、ジージョちゃん、ブラント君がいた。
それにティアナさん、エリオ君、キャロちゃん。更にはフェイトさんとシャーリーさんも。
 こんなに豪華な時間は滅多に無い。私はなのはさんの家に上がった瞬間から、表情が緩みっ放しだ。
「スバルは残念だったね。ちょっと可哀想」
 フェイトさんが言うと、なのはさん達が頷いた。
 確かに、あんなになのはさんを想っている気持ちは、私にも匹敵するかも。
 私とスバルさんの話が終わると、今度はティアナさんが、デバセンでのマルコちゃんのグータラな様子を報告した。
 強気に反論するマルコちゃんを見ながら、私達は声を出して笑った。
 楽しいなぁ。とっても楽しい。
 ふと、こんな時間がずっと続いてほしいと思っている自分に気が付いた。だって本当に楽しいんだもの。
 あの頃のホカン部も、確かこんな風に笑いの絶えない日々が続いていたっけ。思い出との距離が一分一秒ずつ離れていく度に、私の中の叶わぬ願望が大きくなるような気がした。
 明日からまた物足りない日々の続きが始まるの?
 そんなのは嫌だなぁ。
「ねえソフィーさん」
「ん? なあに? ヴィヴィオちゃん」
「いつでもご飯食べに来てね!」
 その言葉を聞いて、思わず叫びたくなるくらいに嬉しさがこみ上げてくる。よし、これで私にも“いつでもなのはさんの料理が食べられる”というスキルが身についた。スバルさんとはまだまだ肩を並べられるな。
「ありがとう、ヴィヴィオちゃん! もういっそのこと、このまま帰らないでずーっとなのはさんちに住んじゃおうかなー」
 冗談っぽくそんなことを言うと、ヴィヴィオちゃんからは意外な答えが返ってきた。
「えー、それはイヤー」
「えっ!?」 
 いきなり心が折れそうになる。
「な、なんで?」
「だって、今のソフィーさんともっともーっと仲良くなりたいもん」
 今の私。何だか、不思議な響き。
 今の私って、どんな私だろう。
 毎日に物足りなさを感じている。明日もまた仕事かぁ。そう思いながら、ドレッシングで汚れたブラント君の口周りを拭き取る。
 それを見て、マルコちゃんが「相変わらずだな」とニヤニヤ笑っている。
 ジージョちゃんは無口のまま、でも、なのはさんの料理に満足しているみたい。
 なのはさんが、フェイトさんとシャーリーさんの三人で楽しそうにお喋りをしている。そんな彼女の強さも、優しさも、いつまでも少女のような可愛らしさも、私が憧れているところだ。
 そんな光景を見ているだけで、今日という日がとても楽しい。
 ああ、本当に楽しい。
「こんな楽しさって…………」
 そうか、一年前と変わっていないんだ。
 私は、私達は、一年前と変わっていない。
 毎日が物足りない。明日もまた仕事。そんな中での楽しい時間。
 これらは全て、一年前と変わっていない。
 あれ? なんだ、一緒だ。ただ思い出が遠くなるにつれて、楽しい思い出だけが強く思い出されていただけだ。
 きっとまた一年後、今の瞬間を懐かしみながら、楽しく笑っている自分がいるのだろう。
「ソフィー? どうしたの?」
 なのはさんが顔を覗いてきた。
「いいえ…………楽しいですね!」
「…………そうだね!」
 明日からまた、私はいつもの自分が始まるのだ。

 Fin.



≪作者より≫

  お久しぶりです。ちょっとだけ帰ってきました『魔法少女リリカルなのはWorthlesS』。
 ダッシュという割にはのんびりしたお話ですが、読んでくださってありがとうございます。

 4月9日をもちまして、『なのはWS』完結から丸一年ということで、特別編として書きました。
 そして、今冬にもしかしたら、連載続編をスタートさせるかも知れない。
 その布石として、今回のお話を書いております。
 ちょっと懐かしむ程度に楽しんでいただけたら幸いです。
 では!


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