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[24439] Call of Dimension:Magical Warfare(CoD4×リリカルなのは、オリキャラ有 チラ裏より移転)
Name: ジェガン◆cf53c2bd ID:3aaea03c
Date: 2012/08/02 07:26
―――"Prologue"
     「序幕」

―――十五年前 - PM 2時:22分:38秒

―――ウクライナ、キエフ州プリピャチ市

―――ラクティス二等陸尉

―――所属:機密情報



 見渡す限りは、地平線を越えてなお続くだろう広大な草原と、その唯中にぽつんと佇む、巨大な建造物だけが目に付いた。
 広い、とても広い草原だ。空に伸びる青と地に咲く緑が、美しいコントラストを描いている。
 草原に郡生する幾種もの植物は風に靡き、その地に暮らす草食動物達に食まれながらも、その姿は都市部に生えているそれとは一線を画す程どこか超然としていた。
 さながら、人が文明に浸かるよりも、遥か前の自然が如くだ。

 しかし、草の海原とも形容出来るその唯中に存在する建物は、まるで植物にその生気を吸収されているかのように、酷く寂れていた。
 その外壁は劣化を重ねており、長年誰からも整備させていない事が明らかである。
 その証拠に、その戸の番は、赤錆で身を赤く染めている。鍵穴に合う鍵をも拒絶しそうな程だ。
 いや、もしや本当に鍵穴に合う鍵は存在しないのかもしれない。最初から存在しないのかもしれない。
 有り得ないと分かりながらも、どこかそう思わせる。そういう扉だった。
 無論その扉はそう簡単に開くものではなく、事実、数年来誰からも叩かれてなどはいなかった。

 青々と茂る草原。
 厳粛なまでに沈黙する建造物。
 あたかも生と死が歪に隣接しているかのような光景が、そこにはあった。

 人類が産み出した世界最大、歴史上最大の負の産物。
 1986年、その地の名を歴史書に刻む事となる未曾有の悪夢を産み出した、旧ソ連領、現在はウクライナ北東部に存在する地、チェルノブイリ。
 この光景は紛れも無く、その地のそれであった。




 チェルノブイリは、かつては一都市と呼ばれて些かも不自然が無い程に栄えていた街である。
 かの有名な――皮肉な話であるが、この地の名を一躍有名にさせた――原子力発電所事故が起こる前は、人口は十万人を軽く超えていたと言われている。
 無論、今では見るも無残な姿ではある。
 しかし、人の気が全く持って失せた今でも、かつて人がそこに住んでいたという名残は確かに存在する。
 それは勿論、もう二度と回転が再開されない大観覧車であり、固まって存在する幾つものマンション、アパートの類であり。
 そして何より、その中の一室に打ち捨てられた、家具や玩具、そう、縫い包み等が、それを悠然と物語っていた。
 その縫い包みは、虫に喰われ、棉をはみ出し、無残な容貌を晒しており――そして、その縫い包みを、物悲し気に拾う手があった。

「ああ、大将、こいつを見て下さいよ。今はこんなでも、昔は人が住んでたんでしょうね」

 やり切れない想いを乗せた声が、寂れ切ったマンションの一室に虚しく響く。
 家具は散乱し、電化製品は劣化し、故障し、そして壁の塗料は剥がれていない場所を探す方が困難な程の部屋である。
 そして、その部屋の真ん中に、一つの人影が立っている。
 見れば、齢にして二十代半ばを越えたかどうかといった具合だろうか、どこか優男といった印象を受ける青年がそこには居た。

 身長は百八十に一、二センチ届かない位だろう。
 筋肉は十二分に付いており、中肉中背、その言葉が良く似合う。
 髪色は深い茶色で、後ろ髪が服の襟にかからない程度で適当に切り揃えられていた。しかし、その髪は頭に被ったブーニーハットによって隠れてはいるが。
 彼はピクセル・グリーンカモ迷彩服に身を包んでおり、その上に、マグポーチや無線機等を複数装着したタクティカル・ベストを装備している。
 肩にはバトルライフル、G3-SG1にトリジコン可変倍率スコープ、サプレッサーを装着したものを、ワンポイントスリングによって担いでいた。

 彼は手に持った汚れた縫い包みを悲し気に一瞥すると、おもむろに部屋の隅に放り投げる。
 縫い包みはゆっくりと放物線を描きながら中空を飛んでいき、間も無く着地した。
 着地した場所は、角張った、筋肉質な男の掌の中だった。

「ああ。しかし、まるで死の街だ。いや、それですらこの街よりは幾らか賑わいがあるだろうに」

 彼は不精髭を湛えた口を無骨に動かしながら、右手に持ったぬいぐるみを朽ちたテーブルの上に座らせた。
 左手には、安物の煙草。時折口に運び煙を味わっては、不味そうに顔を顰めている。
 三十代中盤程度の年の頃であろう男だ。元来のものか、吸っていた煙草を口元から離してなお、厳つい顔に顰め面を刻んでいる。髪は短く刈り揃えられており、顎には不精髭が良く目立つ。
 いかにも軍人らしい太く筋肉質な身体に、先の青年と同じ、いや、タクティカルペストの代わりにプレートキャリアを身に付けているが、他には目立った相違点は大して無い装備を見に付けていた。
 強いて違う点を上げるとすれば、二等陸尉を表す腕章が、一等陸尉を表すそれに変わった程度だろう。
 彼は一度窓から外を眺めた後、ツーポイントスリングにより肩から腰にかけて担いでいる、サプレッサーとチューブタイプドットサイトを装着したアサルトカービン、XM733のグリップを握った。
 二振り三振り、握り心地を確かめると、捨てた煙草の火種を靴裏で揉み消し、青年に声をかける為に口を開く。

「よし、和やかなティータイムは終わりだ、ラクティス。
 これより、座標、エコー、シックス、オスカー、スリー、インディア、シックスに移動する。
 残弾数、薬室内を確認しろ。これから一層熱くなるぞ」

 彼はそう言うとライフルに装填していた弾倉を引き抜き、空いているマグポーチに収納、そしてまた新たな弾倉を別のマグポーチからライフルへと装填する。小気味良い、レシーバーとマガジンの摩擦が奏でる音色が部屋に響いた。
 チャージングハンドルは引かない、既に弾丸は薬室内に収まっている。
 声をかけられた青年――ラクティス・ヴィッツもそれに習い、弾倉交換を手早く済ます。

「あいよ、それでゲイズの大将、道案内は頼みますぜ」

 ラクティスの冗談じみた台詞を片手間に聞き流し、接敵を警戒しながらドアを慎重に開け、ゲイズと呼ばれた男、レジアス・ゲイズは付いて来いと指示を下す。
 レジアスは部屋の周囲に敵影が存在しない事を確認すると、ラクティスにハンドシグナルを出す。意味は前進。
 それを見たラクティスは首肯した後、開けられたドアから部屋を後にし、警戒しながらの前進を開始する。
 ラクティスは廊下の曲がり角に到達すると、G3をスリングで背負い、ハンドガン、USP.45口径をレッグホルスターから引き抜くと、サプレッサーを装着し、角から上半身を乗り出して前方を警戒する。
 いくらマン・ストッピングパワーに優れているとしても、反動が強く即座に二発目の弾丸を発射出来ない7.62mm×51弾を使用するライフルなど、閉所戦闘、CQBではお荷物に過ぎない。そのラクティスの持論からだ。
 レジアスはラクティスが進む方向と逆方向を警戒し、異常が無い事を確認すると、ラクティスの進行方向へ自らも移動した。
 音を立てて閉まるドア。それによる残響音は、かすかに部屋に響き、遂には消える。

 やがて訪れるのは、また長らくの平静である。しばらくすると、マンションの裏口から二つの人影が外に出ていく。
 そして沈黙が、部屋を、マンションを満たした。人の影は最早無い。この先現れる事も恐らくは無いだろう。
 寂寥は広がっていく。喧騒も無い。あるのは恒常的な自然だけだ。沈黙はただ、その街を二度と覚めない眠りへと誘う。
 一度破られた九年来の静寂も、またその年月を積み上げる。それ故のゴーストタウンだ。
 死んだ街は、生き返る事は無い。
 人の姿は、最早無かった。






 後書き

 例えプロローグだとしても短すぎワロタ。
 きっと続かない。続くとしたら処女作となる長編です。
 ……処女作なのにどう見ても某CallでofなLyricalである4様の影響受けまくりな二次創作ってどうなんだろう。
 ぶっちゃけると我ながらパk
 そ、それにしてもBlack Opsは面白いなぁ! M14ちゃん可愛いよちゅっちゅっ!



[24439] "Tranquil memorial park"
Name: ジェガン◆cf53c2bd ID:52a0536e
Date: 2013/06/19 04:02
 寂れきった幾つものマンションの間に、網の目の如く張り巡らされた路地。
 そこから伺える帯状に切り取られた空へ、人声が次々と響いては消えていく。
 恐らくは愚痴の類だろう、オリーブドラブ色の戦闘服に身を包んだ二人の男が、手持ち無沙汰に路地を歩きながら、ロシア語で会話を交わしていた。
 グチの内容は取り留めのないものばかりである。自分達の上司に対するものであったり、割り振られた仕事に対するものであったりと、実に有り触れている。
 その愚痴の合間合間に、申し訳程度に辺りを見回している、いや、眺めていることを見ると、恐らくは哨戒任務に付いているのだろう。
 その証拠足り得る物が、彼等の手に抱えられている。ロシア産の突撃銃、AKMだ。手入れを怠っているのか、それとも質の悪いコピーか、或いはそのどちらもか。片一方が抱えるそれは、フロントサイトが少々歪んでいた。

 彼等は溜まった愚痴をひとしきり吐き終えると、手頃なベンチに座り、ベルトにくくり付けていた水筒を手に取った。
 蓋を開けると、周囲にある物質特有の香りが漂う。アルコールである。水筒に入れるアルコールを含んだもの、といえば論じるまでもない。
 酒だ。極力余計なものを混ぜないシンプルな匂いは、それをウォッカだと分からせる。
 彼等はその匂いに満足そうな笑みを浮かべ、目を細める。どちらともなく呟かれた、ヴァシュ・ズダローヴィエ、という声。意味は乾杯。
 その声と共に、彼等は杯――水筒ではあるが――を傾けた。咽喉は命の水だと歓迎するかのように、身を歓喜に打ち震えさせながら蒸留酒を飲み下す。

 そこに件の上司がいれば、任務中に酒を飲む彼等のことを叱っただろうが、二人にとっては幸運なことに近くに上司はいなかった。
 水筒の口から顔を離し、口元を腕で大仰に拭うと、二人は満足気に溜め息を吐く。口を拭った手は中空を些か彷徨い、名残惜し気に下ろされた。
 ニシンの塩漬けの一つでも欲しいところだぜ、とロシア語で陽気に会話を交わし合いながら、彼等はまたウォッカを胃に流し込んだ。

 暫くの時間が経ち、アルコールによって彼等がご機嫌になってきた頃、唐突に小さな金属音が路地に響いた。
 その金属音と共に、 先程の歩哨の足下に水筒が転がる。
 野郎、もうへべれけか。歩哨はそう頭の中でぼやき、水筒に手を伸ばした。
 しかし、妙に思えた。隣でウォッカを飲んでやがる野郎は、いつもならウォッカをラッパ飲みしてもなお平気な面を見せやがる酒豪である。
 だが今日は何だ、たった一瓶にも足りない量で水筒を取り落とす程へばってやがる。意気地のない野郎だ。
 そのことを茶化してやろうと思いながら、彼は水筒を拾おうとした。
 が、水筒を掴んだ瞬間、突然掌に広がった刺すような痛みに思わず手を引く。
 一体何だと思い見てみると、水筒のど真ん中に大穴が空いており、その穴の周辺がささくれ立って棘のようになっていた。彼は酷く狼狽した。
 何だこりゃあ、風穴が空いてやがる。それにウォッカが零れて、周りが真っ赤に――真っ赤?
 強い違和感を覚えた。生まれてこの方、ついぞ真っ赤なウォッカなんざ聞いたこともない。んなもんがあったとして、そんな体に悪そうなもんを好んで飲むのは、余程の好事家かただの馬鹿かのどちらかだろう。
 しかし、何だってこんな――歩哨がそこまで考えるのと、横で土嚢を地面に落としたかのような音がしたのは同時のことであり、歩哨が自分達の身に何が起こったのかを悟り顔を上げようとしたのも同時のことであり、歩哨の意識が突然飛来した何物かによって刈り取られたのも同時のことであった。



 銃爪から指を離し、止めていた息をゆっくりと肺から吐き出していく。
 スコープの中で、呑気に酒をかっ込んでいたパトロールは顔の上半分を失くし、頭蓋骨の破片と脳漿と血肉を飛び散らせ、酒で湿った地面に倒れ伏した。
 酒に溺れるってのはまさしくこういう死に様のことを指すのかね、とラクティスは頭の中で呟く。

「良くやった、ラクティス。だが、もっと上手くやれる筈だ、そうだな?」

 横から聞こえてくるのは、大将のいつものお小言である。もっと上手くやれる筈だ――耳にタコが出来る程頻繁に彼が口にする台詞。しかし、それが正論だからこそ耳に痛い。彼の言葉通り、二人目の歩哨を始末する際、本来ならばもっと素早く事をなせただろう。
 しかし、一人目の狙撃を終え、二人目に取り掛かろうとスコープに刻まれたクロスヘアの中心点を頭部に滑らせようとした際、手のブレにより少々手間取ってしまったのだ。
 そのほんの少しのタイムロスは、下手をすれば自分達二人の体にたんまりと鉛玉が埋め込まれるのに十分な、致命的と言っても決して過言ではないものであるのは明らかだった。

「ええ、ええ。分かってますよ、大将。次はもっとスマートにやってみせましょう」

 そうラクティスが冗談めかして答えると、レジアスはそう願いたいな、と苦笑し、構えていたXM733のドットサイトから目を離した。
 ついて来い、と一言ラクティスに伝えると、彼は死体を見つかりにくい場所に隠し、アパート間の路地に出来ている日陰を縫うように、出来るだけ目立たないルートを選択し移動していった。
 ラクティスもそれに続く。前方の通路、脇道、十字路、その全てに警戒を払いながら。

 G3を構えながらの移動は中々神経を磨り減らす。ここは敵哨戒地域の真っ只中だ。いつ接敵しても何ら不思議はない。
 しかも、G3に搭載しているのは高倍率のスコープだ。遠距離での戦闘では無類の親友になってくれるそれも、近距離での遭遇戦ではかさ張るお荷物でしかない。
 拳銃に持ち替えたくもあるが、それではいかにも心許ない。祈るのは、曲がり角で敵兵と突然鉢合わせないことのみだ。不幸にも自分は今登校中などではないし、口にパンを咥えてなぞいないのだから。

「ラクティス、待て」

 レジアスが出した突然の静止の合図により、馬鹿げた考えから急に現実へと引き戻されたラクティスは、面食らいながらレジアスに尋ねた。
 一体何です、その問いにレジアスはアパートの壁に身を寄せながら、敵だ、と短く応答する。成る程、確かに耳を澄ませば何やら足音らしき音がうっすらと聞こえてくる。
 丁度道がL字になっている場所だ、恐らく曲がり角の先に敵がいるのだろう。曲がり角の先で敵が向こうを向いてるのなら儲け物、こっちを向いているならクソッタレ、である。
 右への曲がり角に対し、自分の利き手は右手だ。壁を背にして右には身を乗り出しにくい。G3のグリップを左手に持ち替えるのが得策だろう。レジアスもXM733を左手に持ち替えると、ほんの一瞬角の向こうを覗き、またすぐに顔を引っ込める。

「敵が二人、こっちを向いてる。気付かれてはいないらしい。だが、このままでは気付かれる。右のをやれ、俺は左のをやる。素早くな」

 それを了承するとすぐに、レジアスの合図が始まった。
 無意識にG3のグリップを強く握り締める。口の中が急速に乾いていくような感覚に襲われる。しかし目はより冴える。脳は戦闘に最適化されていくようだった。

「3、2、1……良いか、やれ」

 やれ――その言葉を聞き取った瞬間、レジアスは勢いよく身を乗り出した。極度の集中のなか、周囲のものは色を失い、その速度は酷く緩慢に思えた。
 その中で色を保っているのは前方に立つ二人の兵士のみである。二人の兵士はこちらに気付いたのか、何かしら喚こうとしながらカラシニコフを構えようとする。が、スコープに刻まれた十字線は既にその胸に重なっていた。
 銃爪と同化し切った人差し指が、シアを、ボルトを介して7.62×51mmライフル弾の雷管を叩く。 
 肩を殴る大口径ライフル弾特有の反動と、減音器、サプレッサーによって極限にまで鳴りを潜めた銃声。 
 スコープの中の兵士は、胸に赤い花を咲かせていた。 

「タンゴ・ダウン」

 レジアスの声と共に、緊張が体から抜け世界が色付けされていく。左の兵士は、胸と眉間に風穴を空けて倒れていた。
 止めていた息を吐き、手の力を抜く。ああ、タバコが恋しい。無意識の内にポケットを探っていた手は、レジアスの見咎めるような目線に刺され一旦中空で動きを止めた。が、すぐさまマグポーチに収められている弾倉を握る。
 それを見ると、レジアスは大仰に溜息を吐いた。

「お前のタバコ好きも大概だな、えぇ?」
「そいつは勘弁して下さい、タバコを禁止されたらそれこそ死んじまいます」

 任務中に吸うなと言ってるんだろうが、と咎められると、分かってますよ、とラクティスは不服そうに答えた。ポケットに忍ばせておいた噛みタバコを捨てながら。
 ラクティスが装填を終えたのを確認すると、レジアスは前進を再開する。
 ラクティスは名残惜し気に地面に落ちてこっちを悲しそうに見つめてくる噛みタバコに目をやると、心の中で"オールウェイズ・ラブ・ユー"を口ずさみながら、哀愁を孕んだ背中を向けその場を去っていった。

 目に映る景色にさほど目新しい変化はないが、歩み始めてから十分程は経っただろうか。
 やはり口の中が些か寂しくなってきた頃、前を進んでいたレジアスの足が唐突に止まる。
 何があったのかは言われずとも即時にラクティスは状況を理解した。前方の曲がり角から、長く影が伸びていた。
 その影は、ゆっくり、段々と大きくなっている。
 くそったれめ。
 敵が、近付いていた。

「隠れろ」

 レジアスの押し殺した声。その声を聞く前から、体は動き出していた。
 僥倖である。自分達のすぐ左には、神が与えてくれたかのような、敵からの死角になり得る角が存在した。
 すぐさまそこに隠れると、時を同じくして同位置に隠れたレジアスは、すれ違いざまに奴を始末しろと小声で伝えてくる。
――言われるまでもない。タクティカルベストに収納してあるコンバットナイフを引き抜くと、左手に逆手で握る。握り慣れたそれは、自分に安心と緊張をもたらすようだった。
 敵の位置を足音と気配で探る。大体距離は十歩程度だろう。ナイフを強く握り直す。

 九歩。周囲は静かだった。路地に響くのは奴さんの足音のみである。

 八歩。緊張があたかも自分の背骨を貫くかのような錯覚を覚える。

 七歩。 時間が経つのが遅く感じる。極限の集中のなか、握りしめたナイフだけがいやに印象に残るった。

 六歩。いよいよ持って敵の足音は近付いてくる。

 五歩。もうすぐ、お待ちかねだ。

 四歩。腰を右に捻る。例えるならば、バネといったところだろう。

 三歩。息を止める。

 二歩。"次"、だ。

 一歩――渾身の力を込め、真横にナイフを振り抜いた。肉にナイフが刺さる厭な音。首筋に突き立っているそれを、目を見開きながらただ凝視する敵兵士。
 そのまま右手を伸ばし彼の後ろ襟を掴む。そして右手を引くのと同時に、左手も、彼の首に沿わせるように手前に持ってくる。
 左手にナイフを持っているのだ。敵兵士を手前に寄せながらのそれは、彼の首を横一文字に断ち切らせた。それは致命的なものに相違無い。
 首に突き立ったナイフは、血液や赤黒い何かを飛び散らせながら、彼の首を抉り引き裂いた。
 ぐるん、と兵士の眼球があらぬ方向を向く。いつ見ても気持ちの良いもんじゃない。
 引いた右手をそのまま振り抜き、力の抜けた死体をこちらに持ってくる。その死体を自分達が今までいた角に隠せば、オール・クリアだ。隣からレジアスの息を吐く音が聞こえてくる。

「何とかなったな。前進するぞ」
「了解です。肝が冷えました、えぇ」

 血液がべったりとこびり付いたナイフを今は亡き兵士の服で拭い、ナイフホルスターに収納する。後で手入れをしなくちゃあならない、血液は容易に金属を錆びさせる。
 まあ、下手をすれば二度と手入れさえ出来ないことになっていたかもしれないのだ、僥倖、という他ないだろう。

 足下の土を手に取り、地面を濡らしている血液の上に振りかけ、靴裏で揉むように踏んでいく。それを数度繰り返した。
 血液を目立たせないようにするものだが、実際はあまり意味がない。やらないよりはまし、という奴である。
 一通り痕跡の消去を終えると、背中に回したG3を前に持ってきて、そのグリップを握り締める。

「よし、移動する。時間が足りないという訳ではないが、いつまでも無駄足を踏んでられる訳じゃない」

 そう言い、前進を再開するレジアス。ああ、そう言えばさっきの兵士が持ってたのは確かイングラムM10だったか。あいつを頂戴しとけば良かったかもしれない。
 ああしかし、拳銃と同じ口径だからってサプレッサーを流用できる訳じゃないか。全く七面倒臭い。
 そんな事を思いながら、G3の重さに辟易しつつもラクティスはレジアスの後を追っていった。


 見飽きた景観が続く住宅街に終わりが見えてきた頃、保育園らしき建物の裏手に出た。
 建物の規模は中々に大きい。この大きい住宅街に暮らす子供達を、一手に背負ってきていたのだろう。
 その周囲の道は開けており、態々潜入作戦中に好き好んで通りたくはない類いの道である。
 そこでばったり敵兵と出くわし、名刺を交換し握手を交わし合うなんてことになったらそれこそお終いだ。

「この中を進むぞ。索敵は怠るなよ」

 レジアスもそう判断したのか、保育園の裏口らしき扉の右横に背中を付ける。
 ラクティスも扉の左に立つと、ドアノブを握り、レジアスと目線を交わした。
 そして、レジアスが頷いたのを確認すると、ドアノブを捻り、一気に押し開く。
 ぎい、と、錆びた鉄と鉄が軋む耳障りな音と共に、長らくの時間の中で蓄積された大量の埃が、まるで往時の友を歓迎するかのように舞い踊る。
 その色濃いヴェールの中を、レジアスはその両手に抱えるアサルトライフルと共にくぐり抜けた。
 ラクティスもそれに続き、サプレッサーを装着した拳銃をアソセレス・スタンスで構えながら屋内に立ち入る。

 ドアはどうやら廊下に通じるものだったようで、左右に部屋がある、約五十メートル程度の廊下がラクティスの眼前に伸びていた。
 ラクティスは、埃が舞う廊下を警戒しながら前へと進もうとする。しかし、レジアスの左腕が持ち上がり、その進行路を阻んだ。

「一体何です、大将。また敵ですか」

 眼前に突然現れた腕に面食らったラクティスは、緊張を含んだ声をレジアスに向けた。
 すると彼は廊下の床――埃が均等にこんもり積もった、木製の床だ――を目線で指し、口端をにやりと吊り上げながら答える。

「安心しろ、初物だ。少なくとも、お前が通ってる馴染みの店よりかは"移される"可能性は少ないだろうさ」

 その台詞で合点がいった。廊下一面に埃が積もっている状況は、逆に言えば埃がここまで積もる間、誰もここに足を踏み入れていないということだ。
 取り敢えず気は休まりそうだ、とラクティスは溜まりに溜まった肩の力をようやく抜いた。
 しかし、油断していたらいつの間にか死体になっていた、なんて落ちは御免蒙りたい。
 必要最低限の警戒を払いながら、レジアスとラクティスは部屋の一つ一つにも簡易なクリアリングを行いつつも、真っ直ぐと続く廊下を進んで行く。
 一つ目の部屋は物置のようだった。中には掃除用具や机や椅子などが理路整然と並んでいる。窓が開いていた。
 まるで生活感に溢れている。確かにここには沢山の子供と保育士が暮らしていたのだろう。
 しかし、カリカリとガイガーカウンターが小さく鳴った。恐らく椅子などの家具が放射能を帯びたのだ。長い年月に渡り放射線に晒され放射化した金属は、そう簡単にその身を害無き物へと変える事など出来やしない。

 廊下に目を移す。次の部屋に進もうとすると、ふと窓のへりに放置された複数のガスマスクと目が合った。
 何やらやけに小さい。すぐに合点がいった。これは子供用のガスマスクなのだろう。
 その暗く虚ろな眼窩を見て、考える。
 このガスマスクを手渡された子供達は一体何を思ったのだろうか。
 友達のガスマスクを被った顔を見て無邪気に笑ったのだろうか。それとも、自分達の身に降りかかった事象を、子供ながらに理解し、不安に震え泣いたのだろうか。
 今となっては、その当人でしか分からないことだ。そして、それは語り継がれていくのだろうか。それとも、過去の惨事を思い出さないためにも、その胸の中に秘められ続ける?
 誰にも分からない。分かるはずがない。
 ラクティスは乾き切って、薄くひび割れた唇を舌で湿らせると、先へと進んでいった。
 ひび割れた唇は、微かに鉄の味がした。

 保育園を抜けると、恐らくは保育園の校庭と兼用になっていたのだろう公園に出た。
 遊具といえば、ブランコ、シーソー、ジャングルジムと砂場、そして隅にバスケットゴールと小さなコート程度しかない小さな公園である。
 寂れた、公園だった。ラクティス等はその公園の真ん中まで進むと、静かに足を止めた。

「淋しい、街だな」

 レジアスの呟きに、ラクティスは目を瞑った。
 そして、少しの逡巡の後、肯定する。

「……ええ、全くです」

 言いたい事は山ほど胸の中に溜まっている気がしたが、それを口にすることは叶わなかった。その言いようの無い衝動を、言葉に表す事が出来なかったから。
 ラクティスはぶっきらぼうに一言だけ答えると、周囲を見回した。錆の浮かんだ遊具達が、自分達を見つめていた。
 遊具が意思を持つなんてことはあり得る筈がない。だが、何故だかラクティスにはそう思えた。
 そこに佇む遊具達は、もう二度と子供達の人気者になることはない。その確信にも似た推測は、ラクティスの胸中に例えようもない寂しさや同情の念を生み起こす。
 きっと九年前、原子力発電所で事故が起こる日の夕方だってここでは子供達がはしゃいでいたのだろう。
 あんな悲劇が起こるなんて夢にも思わないで、日が暮れるまで走り回って。家に帰ったら優しいママに迎えてもらって、美味しい夕飯をたっぷり食べて。シャワーを浴びて、ベットに潜って。
 明日もいい日でありますように――

 気付くとラクティスは、ジャングルジムの棒を手で撫でていた。錆が浮いている。しかしよく見ると、錆に紛れて使い込まれた証の傷が、そこかしこに刻まれていた。
 ジャングルジムに触れながら、辺りを見回す。どの遊具にも、使い込んだ証であろう傷が出来ている。
 ラクティスは、幾多にも渡る傷の内の一つを指でなぞった。小さい傷である。それはジャングルジムの上の方に続いていた。恐らくは頂上にも傷は刻まれているのだろう。

 ふと気が付くと、ガイガーカウンターが微かな音と共に自らの存在を主張していた。ジャングルジムに放射線が残留しているのだろう。その音を聞き、ラクティスは名残惜しげに手を離す。
 何故名残惜しいと思ったのかはラクティスには分からなかった。別段思い入れのある公園って訳じゃない、今日訪れたのが始めての場所だ。
 しかし、何故だか手を離すのが名残惜しいとラクティスには思えたのだ。

 手を離すと、グローブ越しに感じていた鉄の冷たさの残滓が融けるように消えていく。
 それを感じたラクティスは、自身の掌をじっと眺めた。何ら変わる事のない、いつもの掌だ。代わり映えのしない、自分の手。
 それを見るとラクティスは人を食ったような笑みを浮かべた。ここに至る道中で通り過ぎた教会のことを思い出す。ええ、何だったか。ああそうだ、神は天に有り、世は全て事も無し、だ。
 確かに言い得て妙だ、事も無いに決まっている。ここでは何も変わらない。ここでは何も変われない。ここは、九年前から、何一つ変わってなどいないのだから。
 一度死を迎えたものは、生き返る事はないのだ。それは道理であり、摂理である。人々は、ここに帰ってくる事はない。この地に染み付いた、死を彷彿とさせる空気は霧散する事はないのだ。未来永劫、永遠に。
 例えまたここで人の営みが再開されたとて――それは既にかつてのこの都市ではない。既に失われた0に何を足したとしても、元に戻るなどという都合のいい話は存在しない。

 へへ、と声を上げて笑う。

 クソッタレめ。今なら天にまします我等の父とやらに、FuckとShitをありったけ突っ込んだ罵倒のプレゼントをくれてやれる。
 自分は無神論者だ。宗教に対して特別な思い入れもなければ、殊更に宗教に対して嫌悪の類いに属する感情を抱いてる訳でもない。
 元より自分は生まれた場所柄、キリスト教に対し全くと言って良いほど関わりがないのだ。

 とどのつまり、この光景を目の当たりにして、ラクティスができた事は感情をよそへ散らす八つ当たりだけであった。
 我ながら大人気の無い、と反省をする。
 どうせなら、そこかしこで肖像として見かけるレーニンの禿げたヒゲ面に唾を吐きかけておくべきだった。

「十二時方向約400メーター、四階建てのアパート三階、人影が出て来た」

 突然のレジアスの言葉に、水中に沈んだ意識が急速に浮上するかのような錯覚を受ける。
 脳が彼の言葉を意味として認識するよりも先にG3のグリップを握っていた事に苦笑し、レジアスのいう目標の方向に目を向けた。
 すると成る程、遠くのアパートの三階に米粒のような大きさの人影が見て取れる。
 全く、よくこの距離で気付けるもんだと苦笑し、ゆっくりと身を伏せG3に取り付けられたバイポッドを開いて銃身を安定させ、スコープの倍率を六倍から十二倍に切り替えて遠距離の目標に対しピントを合わせる。
 横にはレジアスが腰を下ろし、腰から単眼鏡を取り出した。いつもの仕事だ。自分が狙撃手、レジアスがスポッター。
 いつもこれで、悪党共の頭蓋を吹っ飛ばしてきた。

「よし、位置に付いた。目標との距離は……430m、風速は南西風が3m。高度は三階立てにして約10m、楽な仕事だ」

 レジアスの観測にはいつも頭が下がる。隊内でも随一の精度を誇るそれは、いつだって自分に安心感を与えてきた。
 スコープ内の十字線の下に刻まれた線の内、400mと記された線の数ミリ右を奴さんの胸に合わせる。
 指を銃爪にかけ、息をゆっくりと吸い込んだ瞬間、横からレジアスの冷静な声が飛んでくる。

「待て。屋上に兵士が一人出てきた。高度は約15m。どちらを先に片付けるかはお前が決めろ」

 言われ、スコープをアパートの上方に滑らせると、確かに屋上に一人突っ立っている間抜けがいた。
 欠伸をしながら尻をぼりぼりと掻いている。あまり褒められた素行じゃない。
 上から仕留めるのは楽でいいが、万が一死体が屋上から落ちてしまった場合の事を考えると下の兵士から仕留めるのが得策だろう。
 スコープの十字線を下へ戻し、銃爪をゆっくりと引いていく。
 狙撃向けに改修されたG3のトリガーは軽く、すんなりと引けていき、狙点はずれることなく弾丸が激発された。
 コンマ数秒の後、スコープ内に収まった兵士は胸に風穴を開けられ倒れ伏す。

「奴をやった。次だ」

 レジアスの台詞を聞くのと同時に、スコープは屋上に立つ兵士を捉える。
 相変わらず無気力に大口を開け、欠伸をしていた。能天気な奴め。

―――良い夢を。

 サプレッサーによって減音された銃声が周囲に響いた。
 放たれた弾丸は兵士の腹部に瞬間空洞を発生させ、血液や肉片をごっそりと奪い取りながら貫通する。
 腹に詰まった内臓を吹き飛ばされながらも即死には至らなかったのか、腹を押さえながら彼は膝を付いた。
 すぐさま二射目。発射された二発目の弾丸は、慈悲深く彼をその身に襲いかかる激痛から救う。

「腹に一発、頭に一発、確認。目標クリア」

 硬いコンクリートの屋上に伏せた兵士は、もう二度と起き上がることはない。
 ラクティスはバイポッドを畳み、スコープの倍率を低倍率に整えると、足に力を込め立ち上がった。
 レジアスも単眼鏡をしまうと、ラクティスについて来いと指示を下す。
 目の前に広がるのは朽ちたビルに挟まれた並木道。その向こうには、目標地点である高層ホテルが見えた。

「あのホテルで連中と落ち合うことになっている。迂闊に人影には発砲するなよ。まだ奴等が到着する時間じゃないが、万が一ということもある」

「了解です。奴さん方、使える奴等だと良いんですが。
 随分前に共同作戦を組むことになった、脳味噌を全部ママの腹の中に置き忘れたマヌケみたいな奴等だったら呪いますよ、長官を」

「ふん、リバティー・スカイ作戦か。出来るなら記憶を地の底に埋めておくか、もしくはママの腹の中に置いておきたい類の思い出話だな」

「全くです。あの頃の俺は新米の曹長でしたが、あの作戦のおかげで戦闘に生き残る方法を学べました」

 彼らは互いにジョークを交わすと、くつくつとさも可笑しそうに笑う。
 レジアスが足を進め始めると、ラクティスもそれに続く。
 目標であるホテルとは、距離にして4kmも離れていないだろう。一時間もあれば寄り道をしたって間に合う距離だ。
 ラクティスは並木道を歩く途中、ふと後ろを振り返った。そこには先程までお世話になっていた保育園が立っている。
 いざ正面からその外観を眺めてみると、やはりと言うべきか、屋根も外壁も崩れ始めており、酷く閑散としていた。
 錆を浮かべた遊具だけが、まるで死を迎える病人を看取るかのようにその周囲に並んでいる。
 風が吹き、錆だらけのブランコが揺れた。錆びた金属が鳴らす特有の不協和音。不協和音が滔々と奏でる鎮魂歌。
 ラクティスは目を細めると、おもむろに手で胸の前に十字を描いた。どこかぎこちないそれは、彼がその行動に慣れていないことを表している。

――エイメン。

 神を罵倒した直後に、その神の教えに基づき死を悼む。これ以上もない罰当たりな行いだ。しかし、ラクティスはそれを行わずにはいられなかった。
 彼はゆっくりと目を瞑る。時間にして数秒の瞑目の後、目を開けた彼は後ろを振り向き、先行するレジアスを追っていった。
 長く続く並木道。ゆっくりと彼は保育園から遠ざかっていく。彼は振り返らず、ただ前だけを見据え足を進める。

 風が、一際大きく吹いた。彼が被るブーニーハットの鍔が風になびく。並木の枝葉に風が当たり、地面に映る影は大きくその身をくねらせる。
 錆びたブランコは、いつまでもゆっくりと、不協和音を奏でながら揺れていた。



[24439] "Smoke and Wry"
Name: ジェガン◆cf53c2bd ID:52a0536e
Date: 2012/10/21 00:23
―――"Smoke and Wry"
―――"紫煙と渋面"

―――英国 クレデンヒル

―――SAS第22連隊基地




 煙草から舞い昇る紫煙が、一条の軌跡となって天井に取り付けられた換気扇へと消えていく。
 部屋には換気扇の回る音と煙草特有の鼻に快い匂い、そして一定の周期で聞こえてくる、書類を一枚一枚捲る音だけが存在していた。

 書類を捲るのは三十歳程度の男である。短く切り揃えられた頭髪と、口から顎に広がる整えられた短い髭が、その男の精悍さを引き立てている。
 彼はいかにも憂鬱そうに、座る椅子の背もたれに深く身を預けた。ぎい、と軽い悲鳴をあげる椅子。
 しかし彼の視線は一線に、自らの手に収まった、幾枚もの書類だけに向けられている。
 その中には幾枚の履歴書が含まれており、それを捲る度に彼の口からは煙草の煙が一筋漏れた。

 彼はフィルター近くまで短くなった煙草を一際大きくゆっくりと吸うと、それをデスクに備え付けてある、大量の煙草の吸い殻で埋まった灰皿に押し付ける。
 そして、灰皿の横に無造作に置いてある煙草の箱を手に取った。銘柄は、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社のラッキー・ストライク。彼にとってはお馴染みと言ってもいい程の、女房よりもなお愛しい一品。
 彼は箱から煙草を一本引き抜くと口に咥え、オイルがなくなりかけているジッポー・ライターで火を点す。ちりちりと、紙と乾燥した葉が高温の炎によって焦がされる音が微かに部屋に残響した。

 また、椅子が小さい悲鳴を上げた。彼は背を椅子にもたれさせると、天井を仰ぐ。
 煙草のヤニで黄色く着色された天井に、また彼の口に咥えられた煙草から生じた煙が色を塗らんと昇っていく。しかしそれは叶わぬ夢だ、その横では安物の換気扇が寿命を削りながら回り続けている。
 彼は紫煙が渦を巻きながら吸い込まれていくのをぼんやりと眺めると、クソッタレ、と小さく呟いた。煙は未だ昇り続けている。

 煙草がその寿命の半分を全うした頃合だろうか。
 換気扇の回る音とは別に、やはり立て付けの悪くなってきたドアが軋む音が部屋に響いた。彼は目線だけでそれを追う。
 部屋に足を踏み入れたのは、彼にとっては見知った者であった。
 年頃は四十から五十といった程度だろう。彼はトレードマークであろう立派な口髭を蓄えた顔を右往左往させると、煙草を口に咥えながら椅子の背もたれに身を任せている男の姿に苦笑し、自らも自分のデスクに座った。
 部屋の一番奥である上座らしき机に座った男は、憂鬱そうに天井を仰ぐ彼に対して声をかけた。

「どうした、ギャズ。えらく憂鬱そうだが、何だ、ついにカミさんにでも逃げられたか?」

 ギャズと呼ばれた男は、そのジョークに口の端を歪ませると、背を起こし彼に顔を向けた。

「それだったらどんなに幸せだったでしょうか。しかし、現実はそこまで俺に親切じゃない」

 それを聞いた彼は苦笑した。
 ギャズの妻は美人だ。絶世のと表現しても良い。自分がもし彼と同期だったら、血を血で洗う争奪戦が勃発した事は想像に難くない。
 しかし、彼女にはそれを容易に打ち消す欠点が一つあった。傍若無人、というか、なんと形容するべきなのか。そう、少々横行闊歩なのである。しかもそれが発揮されるのは彼女の伴侶、つまり眼前で毒を吐きながら、また今度は忙しなく煙草の毒を肺一杯に吸い込んでいる、何ともマッチポンプな真似をしている男その人にのみ向けられるものときた。彼にその苦難の思い出話を一つ聞けば、その日はオールで酒をかっ喰らう事になる。経験と実測に裏打ちされた、間違えようのない推測だ。
 しかしまあ、それでも彼等は慕い合い愛し合ってるのだから、何も言うまい。
 さて、とギャズは一息吐くと、ひらひらとその手に収まった書類を踊らせながら、やはり憂鬱そうに口を開く。

「で、いつものニュースがお望みでしょう、プライス大尉。良いニュースと悪いニュースの両方を取り揃えておりますが、一体どっちを先に聞きます」

 プライスと呼ばれた男――ジョン・プライスが彼の本名である――は、それを聞くと、ふむ、とひとつ頷いた。
 彼は自分のデスクの引き出しを開けると、お気に入りの葉巻である"ヴィラ・クラーラ"の入った木箱を取り出す。
 その中の一本を選ぶと、ダブルブレードタイプのシガーカッターを取り出し、キャップを切り取った。
 キャップとは、通常の煙草におけるフィルター部分を覆っている巻き葉である。そのキャップの切り落とし方で葉巻の味は千差万別であるが、プライスは殊更に、フィルターを垂直に切り落とすフラット・カットが気に入っていた。
 そしてまた木箱からシダ片と呼ばれる薄い杉の木の板を取り出すと、それを灰皿の上に置き、ターボライターで火を付ける。
 周囲に漂う、杉の焼ける薫り。その薫りを彼は鼻腔で楽しむと、その火に葉巻をゆっくりと回転させながら近づけていった。
 しかし、葉巻の先端は火に触れることはなく、表面をじっくりと炙るように焼いていく。
 葉巻の先端を焦がしながら、プライスはギャズの問いに応答する。

「そうだな……朝から憂鬱な気分になりたくはない」

 ギャズはその言葉に苦笑する。
 また一本煙草を口に咥えると、書類の中から一枚の紙を手に取り、その印刷面をプライスに見せるかのように持ち上げた。

「では、まずは良いニュースから。世界は素敵な情勢です」

 彼は一、二度紙を空中で泳がせると、それを自分のデスクに置き、ライターで咥えている煙草に火を付けた。
 煙草から口内に流れてくる甘露の煙に目を細めながら、ギャズは話を続ける。

「ロシアで超国家主義派と現政府派の内紛が発生しました。占めて約一万と五千発の核が酷く不安定な状態に陥っています」

 それを聞いたプライスは鼻を鳴らした。
 彼はようやく先端を焦がし終えた葉巻を口に咥え、ゆっくりと紫煙を口に流していく。
 そんじょそこらの煙草では、足元どころか爪先の先に付いた爪の垢にも及ばぬ程に、濃く、重く、そして薫り高い味に思わず目を細める。
 煙草のように煙を肺に流したりはせず、じっくりと口の中でその誇り高い味を玩味しながら、その味に似つかわしくない物騒な話題に花を咲かす。

「いつものことだな」

 煙と共にプライスの口から流れ出た言葉に、ギャズは苦笑しながら、ええ、と一つ頷く。
 そして彼は立ち上がりプライスの横まで歩くと、几帳面に手入れされた鏡面と見紛うデスクの表面に一枚の写真を滑らせた。
 そこには、鋭い目つきを湛えた、中東人らしき髭面の男が一人写っている。
 プライスはその男の顔を一瞥すると、微かに右眉を吊り上げた。
 彼は組んでいた腕を元に戻し、両手の指を絡めデスクの上に置く。

「カレド=アル=アサド。ご存知で?」
「中東第二の力を持った男。色々ときな臭い野郎で、今は大統領の椅子を指を咥えんばかりに狙ってる。だろう?」

 よくご存知で、とギャズはにやけ顏で頷くと、そのにやけ顏のまま、また一枚の紙をプライスのデスクの上に置いた。
 そこに記された情報は、プライスの好奇心を玩具屋のショウウィンドウを眺める子供のように沸き立たせるに足るものであった。
 それを見てとったギャズはにやりと笑う。

「そう、そのケツ穴野郎が、大統領の椅子をポンと買える程の天然資源を手に入れたという噂がありまして――」
「――取引先は?」
「――詳しくは諜報部が身を粉にして探っています」

 撃発された5.56mmグリーンチップ弾もかくやという速度で返されたプライスの質問にギャズは応答すると、指で二、三度写真に写った髭面の眉間をを叩く。
 プライスは渋面を浮かべそれを見つめると、小さく、静かに、しかしわなわなと憎々し気に口を震わせた。
 彼には一つ確信があった。苦々しい程に、自己の経験と予測に裏打ちされた推測である。
 何か一悶着が起こるに違いない。それも歴史にその名を刻ませるほどに大きい、何かが。
 プライスはその念を振り払う様に葉巻を一際大きく吸うと、苦々し気に呟いた。

「……で、悪いニュースは?」

 問われたギャズは、今までの飄々とした態度とは一変し、眉を潜ませ、バツが悪そうに口に咥えた煙草の先端をゆらゆらと上下に動かす。
 先端から流れ出る白煙は中空を縦横に広がりながら、不規則に揺れる。

 ギャズは無言で自分のデスクの元まで戻ると、今度は数枚の紙――履歴書を書類から引き抜き、それをプライスのデスクの上に滑らせた。
 それにより怪訝そうにプライスは眉を寄せると、口から紫煙を吐き出すと共にギャズに問うた。

「……これは?」

 それを受けたギャズは、口の端を自嘲じみた形に歪めると、肩を竦める。
 しかし、プライスの鋭い視線に貫かれると、居心地が悪そうに顎に湛えた髭を撫ぜた。
 しかし、やはり彼の軽口を紡ぐ口は閉じることはない。

「ええ、ですから、悪いニュースですよ、大尉殿」
「……分かった、もう良い。ああクソ、十分に分かった」

 プライスは先程のアル=アサドの件よりなお苦々しく、苦虫を大ジョッキに並々と注いだ代物を一気飲みしたかのようなしかめ面を浮かべる。
 しかし現実は非情である。
 ギャズは滔々と履歴書に記された人名を読み上げると、プライスに対する死刑宣告を厳粛に告げた。

「――以上三名が、今日、選抜をパスした新人になります」

 プライスはその言葉を聞くと、左手で口から葉巻を放した。そして葉巻を持っていない右手で顔を覆いながら天を仰ぐ。それと同時に漏れる、大きなヤニ臭い溜め息。
 奇しくもそれは、つい五分前のギャズとまるきり同じ姿勢であった。
 十秒程経った頃合いだろうか、プライスは天井に向けていた顔を戻すと、憂鬱気に呟く。

「"日が変わってもクソなのは同じ"――――どうやら今日は厄日だな、一等でかいクソが降ってきやがった」

 ギャズはその言葉にとっておきの苦笑を返すと、書類をまとめ、部屋のドアを開けた。
 プライスもそれを見ると立ち上がり、肩をほぐしながらギャズと同じく部屋を出る。
早朝に行う、朝食感覚の軽い訓練である。15kgの荷物を 背負っての6km走と腕立て腹筋背筋各50回を4セット。
ジャンクフード程度には軽い一品である。

 彼等が訓練を始めると、換気がてらに開けたドアから紫煙が一つの線となって点へと昇っていく。
 雲一つない青空。そこに映る煙草の煙は、見ようによっては雲にさえ見える。
 ここにいる彼等は渋面を浮かべながらも、きっと昨日から続く安らかな日々に身を任せるのだろう。
 空には一筋の雲が浮かんでいた。





10/21 改稿
プライスの吸っている煙草の銘柄を「ダビドフ2000」から「ヴィラ・クラーラ」に修正。



[24439] "Terminated war"
Name: ジェガン◆cf53c2bd ID:52a0536e
Date: 2012/08/02 07:41
―――"Terminated war"
―――"終結された戦争"

―――英国 ロンドン市街

―――ジョン・マクタヴィッシュ




 おい、ジョン、ひょっとしたらひょっとして、お前ならSASに入隊出来るんじゃあないか。
 イングランドの中等教育を終え、かねてからの夢であった軍に入り、イギリス陸軍ヨークシャー連隊第二大隊に配属されて三年程経った頃の話である。同僚のコナリーに――階級は自分と同じ軍曹だ――いつもの酒の席でそう唆されたのが、今思えば全ての元凶であった。
 その日自分はいつにもなくご機嫌だった。元より胃に流し込んだ酒、しかも普段よりワンランク上の酒だ、それにより上機嫌になっており、おまけに昼間の射撃訓練では、250ヤード先に設定された目標の眉間をかつて無い精度をもってぶち抜けていたのだ。
 L85A2に装填されたマガジンに収まる30発の5.56mmNATO弾の内、24発が命中し、残りの6発は至近弾という好成績である。マイベストを更新し天狗になった俺は言わずもがな、彼の口から流暢に流れ出るおだての言葉にサーフボードを担いで向かった。
 ああ、俺ならいけるだろうな、何たって俺はかのカルロス・ハスコックより射撃が上手い、おれの的当て風景を見たらコッラー河のフィンランド野郎もビビりながらションベン漏らして裸足で逃げ出しちまうだろうさ――酒の勢いに乗じてそんな類のでまかせを口走ったのが運の尽きである。
 後は部隊一同飲めや歌えやの大騒ぎだ。最初は大騒ぎに乗じて酒をかっくらっていた自分である、しかしアルコールで不明瞭な意識の中、同僚がほざく戯言の意味を理解した自分は慄然たる思いで更に酒を胃に流し込んだ。自分がいかに大間抜けで、どれだけデカい地雷を踏んでしまったのかに気付き、後悔の念に身を焼こうとも、もう時は二度と戻ることはない。時は金なり――ああ全く! 買い戻せるなら全財産を使ったっていいから、あの瞬間の自分の頭をぶん殴ってやりたい、そんな気分だ、ええ、クソ。
 やれ、この部隊初のSAS隊員の誕生だだの、やれ、未来のSAS隊員に乾杯だだのと囃し立てられ、挙げ句の果てに分隊長のアンドリュース曹長に一等高い酒さえ奢られてしまえば、もう逃げ道など猫の額程さえも存在しない。

 明日になれば酒とともに記憶も飛ぶかと僅かな希望に賭けてみれども、都合良くことが運ぶのは小説の中だけとはよく言ったもので、勿論朝一番に昨日の馬鹿騒ぎをよく覚えてる奴らに茶化されることとなった。
 そして言わずもがなSASへの入隊志願書を書く、いや、書かされることとなり、丁度良く一ヶ月後に予定されていた四週間にも渡る入隊試験を受験し、地獄と称してなお生温い日々に悲鳴を上げながらも合格。
 そして全く持って忌々しくも今日に至るという訳である。

 まあ、無事に合格出来たのは素直に嬉しく思えたし、苦節四週間の地獄の日々に流した血と汗と涙も報われるというものだろう。
 しかしながら、喜び勇んで部隊の奴等に合格の旨を伝えに行った折、なんて面白いジョークなんだと腹を抱えて笑ったくそったれコナリーの鳩尾に鉄拳を叩き込んだことを一体誰が咎められようか。
 それによって生じたストリート・ファイター、もしくはモータル・コンバットさながらの殴り合い――関係のない同僚も面白がって参加しニンテンドー・乱痴気大乱闘にまで発展した――に終止符を打ったのは、小隊長であるハモンド少尉の鶴の一声であった。
 野郎共、飲みにいくぞ、マクタビッシュの合格祝いだ、今日は一本ずつ奢ってやる。
 そしてすぐさま響く馬鹿共の歓声。行くのは当然いつもの馴染みの店だ。
 そこでべろんべろんに酔った彼等に背中を幾度も叩かれながら帰宅し、そして翌日、アルコールもろくに抜けないままに、自分は早朝のロンドン市街を歩いていた。

 軽い二日酔いの小さな頭痛に苛まれながら、人で溢れる街並みを進んでいく。通勤途中であろう人々は、一直線にパディントン駅へと向かっていく。色々な目的地があるだろうが、その中でも特に多いのはグロスターに違いない。
 そして自分もその御多分に漏れず、グロスター行きの電車に乗らんとパディントン駅に向かっている。
  転属の際に必要な荷物、と言っても日用品と衣類のみであるが、とにかくそれらを入れた小さめのトランクを引いていると、ふと、人ごみの間から雑貨店の店先に陳列してある新聞の見出しが目に入った。
 そこに書いてある一文は、"イギリス陸軍が管理局と合同演習"、というもの。ああ、そういえばそんな話があったな、確か近衛師団の連中だったか。

 管理局。今となってはよく見知った単語であるが、それが一般に知られるようになったのは、つい三年程前の話である。
 クルディスタン戦争というものが、三年前に勃発した。その発端はイラクにおいて、スンニ派とシーア派、クルド人勢力が政権を争っている中、CPAが撤退した事を良しとした新勢力が名乗りを上げ、他の三勢力を出し抜き政権を得たことにある。
 その新勢力のトップはクルド人であり、新政府の大統領に選出された男は、国名をイラクからクルディスタンに改めるという暴挙に出た。
 これに憤慨したのはスンニ派とシーア派である。国名をクルディスタンに改めたことにより、イラン・イラク戦争によって生じ、段々とその数は膨れ上がり今では2500万人にも上るクルド人難民の内、旧名イラク領に不法居住していた1000万人以上の難民が押し寄せてきたのだ。
 イラク戦争によって疲弊しきったイラクにとっては堪ったものではない。何よりイラク国民は昔からクルド人を弾圧してきたのである、クルド人の受け入れなど世論が認めようもない。
 しかし、新政権はそれ等の声を武力で押さえ込んだ。その際に各地で政府軍がデモ隊に対して攻撃を加える事件が幾件も発生し、国際世論でクルディスタンの新政権は痛烈に批判されたが、彼等はそれに対し聞く耳を持たなかった。
 それどころか、市民の虐殺について人道的観点から介入を検討していたNATO旗下の多国籍軍に対し、侵略の意図が見受けられるとして攻撃を加えたのである。
 誰も予期し得なかった戦争。しかし、予期は出来なくとも応戦は出来る。古来より先制攻撃や奇襲の類は戦の常道と言われており、後手後手にばかり回るのは愚策の極みだ。
 しかしそれでも、戦力差というものは、兵法のそれと同様、いや、それ以上に戦場の趨勢を決めるものである。絶対的戦力差。空、陸、どちらの戦力もNATO軍はクルディスタン軍のそれを容易に上回っている。
 しかも、クルディスタンは、先のイラク戦争で負った傷痕を治しきれていない。足し算引き算を覚えたばかりの子供とて、どちらが優勢かを判断するのには数瞬もかからないだろう。正に火を見るよりもなお明らか、未来が確定している戦争の幕が切られたのであった。

 そして、その日を境に、人類が抱いていた常識は覆されることとなる。
 初めてクルディスタン軍と戦闘を行った兵士はこう証言したという。AKライフルに使用される7.62mm×39弾や5.45mm×39弾が形成する弾幕の中から、一筋の青く光る弾丸がまるで自立誘導するが如き軌道で飛来し、友軍の兵士を吹き飛ばした、と。
 そしてそれを皮切りに、まるで堰を切ったかのように次々と情報が流れ、錯綜する。そのどれもが、まるで正気の沙汰でない代物であった。
 銃弾をバリアで防がれた。まるで監視されているかのように的確に追い詰められ、狐狩りの狐の気分を味わった。黄色いレーザービームが装甲車に着弾し、戦艦アリゾナよろしく月の裏側までぶっ飛ばした。どれも眉唾。果ては、人が空を飛んでいた、なんて報告もあった。残念な話であるが、そいつから薬物反応は検出されていない。
 それは果たして、NATO軍からしてみれば青天の霹靂そのものであった。正真正銘の未知の技術で運用される兵器。各国の上層部及び諜報部が、その新兵器らしい攻撃の詳細な情報を喉から手が出る程に欲しがったのは言うまでもない。
 そして、戦闘の際撮影されていた映像を元に様々な考察が行わられることとなる。やれ、曳光弾ではないのか、やれ、新型の地対地誘導弾の可能性もあろう。
 終わらない水掛け論。しかし、それは突然に終わりを迎えた。管理局の登場によってである。突如現れた時空管理局と名乗る組織が、国連にコンタクトをとって来たのだ。
 曰く、次元犯罪者がこの世界に潜伏しており、貴官等が先に受けた攻撃は彼が漏らしたであろう魔法と呼ばれる技術による物だ、次元犯罪者をこの世界に逃がしたのは我々の責任であり状況の鎮静化について協力は惜しまない、と。
 当然国連側は眉唾な話だと鼻で笑う。しかし、件の魔法技術とやらを目の当たりにすれば、それに納得せざるを得なくなった。何しろ、宙を浮く戦艦である。正しくSF映画の中でありがちなそれが、スクリーンから飛び出してきたのだ。信じるしか彼等に残された道はなかった。
 そして各国、特にNATO加盟国は活発に管理局にコンタクトを取り魔法技術に対する見聞を深め、同時にクルディスタン戦争、又の名を時空管理局介入戦争が始まることとなる。
 その戦争には自分も十七歳の時にイギリス陸軍ヨークシャー連隊第二大隊所属の二等兵として従軍した。十六歳で義務教育を終え、イギリス陸軍に入軍して一年程経った頃の話だった。
 
 ああ、今思えば懐かしいな。当時は飛んでくる弾丸にビビりながらへっぴり腰で弾をばら撒くことしか出来なかった。
 それを見咎めたアンドリュース軍曹――今は曹長であるが、三年前は軍曹であった――にケツを蹴られながら現場でしごかれ、クルディスタン北部の都市モスルではヘルメットの代わりに卵の殻を被っていたものの、首都バグダッドに辿り着く頃には少なくとも自分のケツを自分で拭けるようにはなっていた。
  大体半年強に渡る戦争であった。先のイラク戦争に比べ、終戦まで約六倍の時間が必要とされたのは、偏に管理局や魔法技術の登場により生じた混乱によるものだ。
 戦闘には管理局が派遣した魔導師が多数参加した。多国籍軍側は全くの未知の技術である魔法に困惑し、管理局側は多国籍軍側の、質量兵器を用いる、酷く前時代的で、そして能率的な戦闘に困惑することになる。
 同時に、管理局員の中にはPTSDに陥った者も決して少なくない。彼らの用いる魔法には、対象を殺害せずに無効化出来る非殺傷設定という、司法警察機関が喉から手を伸ばす程欲しがる機能がある。
 全く持って便利極まりない技術ではあるが、ここには一つの大きな弊害がある。その技術を用いて戦う兵士は、良くも悪くも血や死体に慣れづらい。
 それが良いか悪いかなどについて断じるつもりはない。自分は哲学者でも、道徳家でもないのだから。出来るものなら、誰だってそんな物に慣れたいとは思わないだろう。しかし、少なくともここ地球の兵士にとっては、それは慣れなくてはならないものだ。
 前線で死体を目の当たりにして尻込みをするような兵士が、使い物になる訳がない。そして次々と前線を離れる兵士の後埋めをせんと補充されてくる兵士もまた、一ヶ月後、悪ければ半月も経たずに部隊を去っている始末。
後は論ずるまでもないだろう。所属が違うとはいえ、仮にも肩を並べて戦う者達が不甲斐ない醜態ばかり見せていれば、互いの関係は自然に悪化の一途を辿る。

 殺人中毒の野蛮人め。石と棒で戦ったらどうなんだ、下劣なお前らにはお似合いに決まってる。
 へっぴり腰のチキン野郎め。戦場が怖いなら国に帰って大好きなママのパイオツでもしゃぶってやがれ。
 そんな子供染みた論争、詰まる所喧嘩が起こった例は枚挙に暇が無い。それが故の戦争の長期間化だ。上では腹の探り合い、現場では互いにいがみ合い。まともに事が進む筈もない。
 時間が経つと共にその不仲は解消されていったが、とにかく最初の頃は目も当てられない程酷かった。二度と思い出したく無い類の昔話である。
  あんな状況で二度と戦争はしたくない、それが現場で馬車馬のように走り回る兵士の総意だろう。まあ、古今東西全ての戦争において、大なり小なりそのようないがみ合いが起こらなかった事がないであろう時点で、その祈りに対する答えなど決まってはいるのだろうが。
 釈然としない感情を胸に抱きながら歩き続けていると、いつの間にかパディントン駅に到着していた。いつ見ても大きい駅であった。
 特徴、といえば大きいアーチ状のガラス天井だろう。そこから取り入れられた朝日がホームを照らし、陽光を浴びながら天井のアーチに向かって伸びる柱の列が、ゴシック教会をそれを彷彿とさせ、どこか荘厳な雰囲気を纏っている。考え事に気を取られ注意が散漫になっていたか、と反省しながら、券売機で切符を買い、ホームへと赴く。
 いざホームに着き、ベンチか何かに腰掛けんとごった返すホームの中を視線だけで探してみると、既に先客がいた。ただ朴訥にベンチに座り、皺に寄れた瞼を薄く開け、どこかしらを見据えている白髪の老人。姦しく、いや、片方が一方的に語りかけ、もう片方はそれを往なしていると表現した方が正しいか、とにかく談笑する橙、青髪の少女が二人。新聞を広げ、切れ長の目をなお細め記事を睨む長身痩躯、銀髪の初老の男性。それぞれがそれぞれの方法で時間を潰している。
 ロンドンからグロスターまで電車で二時間、グロスターからヘレフォードシャーまでバスで一時間。中々の長旅である。
 何で時間を潰すか、それを考えるのも無聊の慰め程度にはなるだろう。確か荷物の中にはお気に入り、ジャック・ヒギンズの『死にゆく者への祈り』が入っていたはずだ。いや、ただひたすら窓から外を眺め続けるのも決して悪くはないだろう。普段ならば電車やバスに乗る場合、そのほとんどの時間を寝て過ごすのが常であるのだが、何故だか今この時ばかりは、そんな気分になれなかった。



後書き
ここまで時間かけておいてただの世界観説明回だったとさというオチ。作者は無知なので恐らく設定に無理がありまくりだと思いますが、目に余る場合は感想等でフルボッコにしてやって下さい。
我ながらこれは酷いと思っているので後々書き直すやも。
そういえば前回言ったとおり、一応女の子出せました。最後に。いやー流石約束を守る事に定評のある自分だなー本当にごめんなさい……!



[24439] "F.N.G"
Name: ジェガン◆cf53c2bd ID:1890fb04
Date: 2012/08/02 07:40
―――"F.N.G"
   "くそったれの新人"

―――2011.4.12-8:20:46

―――英国、クレデンヒル

―――ジョン・"ソープ"・マクタヴィッシュ軍曹

―――第二十二SAS連隊





 握った拳が、汗でじっとりと湿り気を帯びていた。苦々しい表情で、ソープことジョン・ソープ・マクタヴィッシュはきつく力が込められた握り拳を開き、中空を扇いで湿気を飛ばす。が、彼の顰め面が柔和に和らぐ事はなく、彼の額をしとどに流れる汗はとどまる所を知らなかった。
 その視線は机の上に無造作に置かれたMP5A3短機関銃――最新のA6型に比べ、些か型落ち品である――と幾つかの閃光手榴弾に注がれており、しかしそれらは場に漂う沈黙に応えたりなどしない。
 当然だ。大部分が強化プラスチック製の相棒に、いきなり昨日のドクター・フー(*1)の内容について興奮した様子で気安く話しかけられたりしてはたまったものではない。そんなのは手品師が後生大事に持っているステッキだけで十分だ。
 ソープはそう独りごちると、MP5のひやりとした――手袋をしているので温度などは感じないが――銃把を手に取った。
 握り慣れたL85A2のそれと比べればやや細めに感じるが、別段握りにくいという程でもない。それよりも腕に感じるその重量に、どうにも慣れないというのが正直な心情であった。まるでおもちゃ売り場に並んでいる水鉄砲のように軽々と腕に収まるそれは、何とも知れぬ心細さをソープに与えた。

「銃とフラッシュバンの調子は万全だな。万が一にも作動不良の可能性があってはならん、点検しろ」

 初めに沈黙を破ったのは、階下に佇む大尉だった。ジョン・プライス。ソープが彼の顔を始めて拝んだのは、つい数分前のことである。
 何しろ世界有数の特殊部隊への配属だ。覚悟はしていたものの、対面早々に名前と腕っぷしを野次られたのには流石に面食らった。

 ――"ソープ"とはふざけた名だな。一体何だってお前みたいなボンクラが選抜で選ばれたんだ、え?

 米海兵隊の一等軍曹(*2)のしごきよりはマシだと言えるだろうが、それでも吐き捨てるように言われては決して良い気分ではない。反発心も多少は生まれたが、それをよりにもよってこれからの上官の前で表に出す程ジョン・ソープ・マクタヴィッシュは愚かではなかった。
 彼の他にも二人の"新入生"がいたが、そのどちらもがやはり大尉に手酷い扱いを受けていたのを見ると、流石にソープも同情を禁じ得なかった。二人はどちらもソープより年下だったのである、しかも天下の管理局員様ときた。
 浴びせかけられた言葉はソープに向けられたそれよりも明らかに辛辣で、聞くに耐えないとまではいかないが、傍らで聞いていて肩を竦めたくもなったのを誰が責められようか。

「ええ、ええ。大丈夫……ああ、いえ、万全であります、上官殿」

 ソープはMP5のコッキングレバーをがちゃがちゃやって、三流ポルノのピストン運動よりもスムーズに動かせる事を確認すると、自分の事をテレビの画面越しに睨んでいるだろうプライス大尉にそう告げた。
 ラペリング降下用に建てられた櫓の上から聞こえてくる緊張に強張ったばか丁寧な発音の英国英語にプライスは僅かに鼻を鳴らすと、F.N.Gにこれから行われる訓練についての大まかな指示を下す。

「まずはロープを伝って甲板に降り、ポジション1まで全速力。後に艦橋へ突入、階段を降りてポジション2へと向かえ」

 ソープは櫓の屋根から垂れ下がるロープの一歩手前で立ち止まると、階下に広がる訓練施設、通称"キリング・ハウス"――殺戮の館を俯瞰した。その名は前から風の噂程度に聞いた事こそあったが、実際に目にするのはこれが初めてだった。
 SAS秘蔵の訓練施設。そこに自分は今足を踏み入れんとしている。堪えようもない高揚感が胸に込み上げてくる。見れば、その全貌は船、それも結構な大きさなそれの艦橋を模したものである事が見て取れた。
 しかし、件の殺戮の館の正体は船を模した物であった、と早合点するつもりは彼にはない。恐らく、SASが計画している任務状況によって、殺戮の館は常に建築、再築され続けているのだ。
 あくまで推測の域を出ないものであったが、その考えは恐らく間違ってはいない、そう彼は確信していた。些か離れた櫓の上からでも、壁などの材質がやたらと新しい物だと判断出来たからだ。

 ソープはもう一度改めて館を鳥瞰する。ロープが垂れる先は艦橋の真正面であり、そこから壁を沿うように床に矢印が伸びていた。それが至る先は艦橋へと立ち入る扉であり、ポジション1を指すマークが記されている。
 そして艦橋内には倒立式のマン・ターゲットが二つ三つ配置されており、奥には階下へと通じる階段が伸びていた。

「ポジション3、及び4以降は俺が個別に指示を出す。用意が出来たならばロープを掴め」

 大尉の言葉に彼は先程手に取ったMP5へと曲弾倉を装填し、もう一度コッキングレバーを"がちゃり"とやった。先程のそれに比べ、僅かに重い感触。ボルトが弾丸を薬室に送り込んだのである。準備は万端だ。
 ソープは深く息を吸いこむと、酷く緩慢に吐き出した。息に乗って、身体を支配していた緊張が霧散していく。
 恐らくだ。恐らくこの訓練の出来具合いで、F.N.Gの汚名を払拭するか、それともこの先ずっと椅子をケツで磨く羽目になるかが決まる。
 こんな訓練で躓いてたまるものか――野心とも向上心とも知れぬ何かが、胸の内で蛇の赤く燃える舌の如く燻るのをソープは薄らと感じ取った。

「いけます、大尉」

 ロープを手袋越しに軽く掴むと、彼は状況開始の合図を出す。階下のプライスはストップウォッチを手にすると、設置された複数のモニターに目を通した。不具合は無い。
 最終確認としてF.N.Gにロープの綻びや千切れかけているような部分が無いかを確認させると、ついに彼はカウントと共に口火を切った。

「3、2、1――行け、行け、行け!」

 ソープは最後の"Go"を聞かぬ内にロープに四肢を預け、艦橋へと降下する。綱を掴む両手と上半身でバランスを取り、両足の土踏まずで綱を挟み込みブレーキをかけつつ降下するファストロープ降下。
 かつてヨークシャー連隊第二大隊C中隊に所属していた頃、どうにも苦手でアンドリュース曹長に地獄のマンツーマン練習を課せられた果てにようやく物にした降下方法は、どうやら錆びつく事なく自分の役に立ってくれたらしい。

「銃口上げ! 標的射撃、三!」

 数秒にも満たないラペリングがその終わりを告げ、地に足が着くのと同時に、怒号にも似た大尉の指示がソープに届く。それと同時に、乾いた動作音と共に三つのマンターゲットが立ち上がる。ソープはすぐさまロープを手放すと、スリングで担いでいたMP5を手に取った。
 ストックを肩に押し当てると、標的に描かれたこちらを睨む兵士に向かい銃爪を引く。MP5の特徴的なドラム型のピープサイトの中に花火のようなマズルフラッシュが二、三度瞬き、ブザー音と共に標的がぱたりと倒れた。
 それをコンマの内に確認したソープは早足に艦橋の壁に沿って扉に向かい、その間設えられた窓から標的が見えると、それに弾丸を出来るだけ素早く叩き込んだ。
 倒した目標は合計三個、櫓の上から数えたそれと同じ数。オール・クリアだ。艦橋の中に踏み入ると、天井のスピーカーから大尉の指示が大音量で下される。

「ポジション2だ、向かえ!」

 こりゃあ例え軽機関銃で制圧射撃をかましてたって聞こえらあ――そんな雑念も程々に、轟音と評してなお生温いスピーカーからの音声に従わんと階段へと向かう。
 足早に階段を駆け下りていると、階段の下で突然標的が立ち上がった。足は止めずに半ば無意識に照門を覗き、意識的に照星をターゲットの胸部分に合わせ、

「銃口上げ! 標的射撃、一!」

 銃爪を引いた。跳弾を防ぐ為か、木製のそれはかつてヨークシャー連隊で使っていた鋼板と違い着弾の際けたたましい金属音など挙げはしない。
 が、アイスキャンデーの棒を折った時のような小さな音は、室内に響く9mm弾の銃声の中に混じって極度の緊張と集中のさなかにいるソープの耳に確かに届いた。
 そのまま階段を降り終えると、左に空いた扉から通路へと飛び出す。即座に周囲を確認、右、通路無し、前方、空いた扉、左、障害物。

「ドア越しにフラッシュバン投擲!」

 アイ・サー。ソープは腰のグレネード・ポーチから閃光手榴弾を取り出し、握ったまま上部のピンを抜く。前方に空いた扉の左側面へとカバーポジションに付くと、室内へと右手に握り締めたそれを投げ入れた。
 ピンを抜き、更にレバーから指が離れて信管が作動した手榴弾に次いで起こる現象に備えんと、左腕で両目と左耳、右腕で右耳を押さえ込み、訪れる爆音と閃光から大事な大事な網膜と鼓膜、三半規管を防護する。
 数瞬後に訪れる、閃光手榴弾の強烈なまでの炸裂。本来ならばその爆心地から数メートルにも満たない場所に立っていれば最後、向こう一週間は吐き気と頭痛、おまけにヒステリーを患ったあばずれのあな恐ろしや金切り声じみた耳鳴りに悩まされること間違いは無い。
 しかしながらソープと閃光手榴弾を隔てる物が壁一枚、それがフラッシュバンの脅威より彼を救った。アルミニウムと過塩素酸カリウムの炸裂により生じた100万カンデラにも迫る閃光と170デシベルもの轟音は、されど誰の平衡感覚をも麻痺させずに虚空へと霧散する。
 今となっては数瞬前に光と音が支配していたとは思えない――名残といえば、かろうじて床に転がった閃光手榴弾から撃発の煙が揺曳しているのみだ――静謐な部屋にソープが立ち入ると、二つの標的が彼を歓迎するかのように跳ね上がった。

「銃口上げ! 標的射撃、二!」

 机を挟んで向かいに仲睦まじく佇む二人にソープは銃口を向けると、その胸部へと拳銃弾を叩き込む。9mmパラペラム、フルメタル・ジャケット弾頭は容易にマン・ターゲットを貫通せしめ、その背後のベニヤ板製である壁でさえぶち抜くと、流れ弾対策に立てられている鋼板に弾痕を微かに残してその歩みをようやく止めた。

「ポジション4だ、走れ!」

 しかし弾丸の行く末など目にも留めず、ソープは足早に部屋から立ち去る。向かう先は短い通路を挟んだ小部屋であった。その奥の壁にはポジション4を示すマークが描かれている。
 通路を通り過ぎ、部屋に足を踏み入れた途端、またもやマン・ターゲットが二つ立ち上がる。しかし今度は位置が位置だった。
 部屋の六時方向にソープ、十二時方向に目標一、三時方向に目標二。九時方向に扉があるのを見て取って、そちらに意識を割いていた彼の視界には三時方向に立つ標的は映りはしない。

「銃口上げ! 標的射撃、二!」

 しかし彼の耳朶に届くは二つとその視界とは食い違う。この訓練施設を見知っているだろう上官が指示を間違えるとは思えない。ならば。
 ソープは一息に思考を巡らせると、MP5のフロントサイトを十二時の標的を撃ち抜いてもなお右へとスライドさせる。
 ピープサイトの丸く切り抜かれた孔の中に映る景色は、ニュージャージー州、シックスフラッグス・グレートアドベンチャー遊園地が誇るキンダカ・ジェットコースターからのそれさながらの様相を見せ、しかしその中に標的が映った途端、アトラクションの締めにありがちな花火が上がる。
 打ち上がった花火は一直線にターゲットを穿ち、パレードの終演にふさわしい音声がソープの頭上から飛んできた。これで一時ばかりのパレードは終了だ。だが、訓練までは終わりはしない。

「6だ、行け!」

 声に三時方向のドアから部屋を後にすると、すぐさま周囲を確認する。
 正面には小部屋が一つ、その中にはドラム缶がいくつか纏めて立てられており、しかしターゲットは立ち上がってはいない。右には外へと通づる扉が設けらていた。

「ドア越しにフラッシュバン投擲!」

 そしてソープへの指示が施設中に響くと、彼はまた閃光手榴弾を室内へと投げ込んだ。
 たとえ耳をきちんと塞いでいたとしても鼓膜に突き刺さるような爆音、そして瞼越しにさえ目に焼き付きを起こさせる光の奔流。

「銃口上げ! 標的射撃、二!」

 計二つものフラッシュバンの炸裂音を壁越しとはいえ立て続けに近距離で聞いたソープは軽い耳鳴りに襲われながらも、短機関銃を構えながら部屋の内部を伺った。
 中では先程のドラム缶の後ろに隠れるかのように二体の標的が立ち上がっており、その二人の視線は違わず自分を射抜いている。
 彼等が身を隠すドラム缶は拳銃弾で貫通しきれるか分からない。一つだけならまだしも、二つを貫通出来るかどうかは運否天賦といったところか。
 ならば狙う先は限られる、ドラム缶ではカバーしきれない的の上半分だ。狙える面積は標的全体の半分にも満たず、成る程、中々どうして撃ち辛い。
 しかし天下のSASだ、たったこれだけでミスなぞかましたら最後、お荷物の烙印を押されることに間違いはない。
 ええい、ままよ! ソープは自らの腕前を信じて一思いにMP5の銃爪を絞った、直後響き渡る銃声。セミオートで発砲された9mm径の弾丸は、どうやら無事に目標に吸い込まれたらしい。証拠に、最早ドラム缶から頭を出している標的の姿はない。
 彼の口から安堵の溜息が流れ出る。が、それも長く続く事はなく、スピーカー越しに彼の耳朶へと叩きつけられる上官の声。

「最終位置だ、行け!」

 ソープは飛び上がらんばかり――とまではいかないが、溜息をうっかり飲み込んでしまう程度には驚いて、もう一度室内の様子をさっと伺う。が、扉らしき物は存在しない。
 とくれば向かう先は先程の外へ通づるドアしかあるまい。そう考えた彼が視界を右にずらしてみれば、思ったとおりに外にでかでかと描いてある、"Final position"その二単語。
 そこに近付いてみれば最終位置から矢印が伸び、テープこそはないものの、最初の櫓の真下が肝心のゴール地点らしかった。

「ゴールまで走れ!」

 彼の足取りが最高速に至ったのは浴びせかけられる指示と同時、いや、もしかするともっと早くであったかもしれない。ソープは出来うる限りの速度を持って、数十メートル程度の距離を走り抜けんとする。
 今となっては3kgにも満たないであろう、腕の中に収まるMP5でさえデッドウェイトだった。できる事ならば放り捨てたくもあったが、そんな事をしては角を生やした上官に怒鳴られるのがオチだろう。
 手の内のお荷物を抱えながらも、彼は見えないゴールテープをついに切り落とした。その瞬間ソープの身体からは力が抜け、足がもつれて前方の壁に肩口を寄りかからせる形でぶつかった。
 その情けない姿にプライス大尉は眉尻を吊り上げ、つい先刻の射撃訓練の際にお世話になったギャズ中尉は剽げたように肩を竦めた。
 こりゃあまずい。ソープは急いで身なりを整えると気を付けの姿勢を取り、小走りで上官達の元へと向かう。そして敬礼の体勢をとり、プライスへと問うた。

「上官殿! 訓練の出来栄えは如何だったでありましょうか!」

 これがいけなかった。晴々しいゴール姿といってはあんまりな醜態を見せ、その直後に外国の英語の教材のような発音での上官への誠意ある問いかけである。
 ついつい吹き出してしまった者を一体誰が叱れよう。耳ざとく聞きつけたのは当のソープ本人のみで、誰が笑ったのかと首を振る事一、二回。肩を震わせていたのは青髪の少女であった。
 何を隠そうこの少女、ソープと共に入った二人の新人の片割れである。名をスバル・ナカジマといった。何やらソープの間抜けな姿がツボに入ったのか、必死に声を押し殺しながらも震える肩までは隠せていない。
 そしてその脇腹を容赦無く抓る少女がもう一人。橙色が映える髪の持ち主、ティアナ・ランスター。笑いを堪えるスバルを諌める、いや、戒めるためか、絞るのは油ではなく彼女の脇腹。
 された方はたまったものではない。スバルはぎゃあと脇腹を襲う痛みに飛び上がらんばかりであったが、痛みのせいか笑いはすぐにどこかに飛んでった。誰でも二度は抓られたくもない、気を付けの姿勢を取って顔を上げる。

――が、顔を向けた先はソープの顔であり、彼等の視線がぶつかった。そしてぶり返す先程の笑い。一体全体どこに隠れていたのやら、彼女を襲う笑いは先のそれより強烈なもので、ティアナが脇腹を先程より強く抓ってもその笑いは止まらない。
 そこまで笑われるような事をしたかと内心首を傾げるソープ。この男、どうやらチャップリンのような喜劇王にはなれずとも、場末の漫才屋程度にはなれる才能があるらしかった。

「……で、だ。お楽しみのとこ悪いんだが、記録は聞きたきゃあないのか、え?」

 しかし苛立たしげなプライスの声が響いた途端、新人三人はすぐさま直立し、姿勢を正す。

「いえ、申し訳ありませんでした、上官殿!」

 ソープの謝罪にプライスは鼻を鳴らすと、手に持ったストップウォッチを彼に見せた。そこには24.85秒と記されている。部隊のトップ・スコアはギャズの18.15秒だ、次いでプライスの18.21秒。それらに比べれば決して早くはない、むしろ部隊でドベである。
 しかし、新兵にしては充分に上出来であった。三十秒ギリギリ程度かと考えていたプライスにとっては嬉しい誤算だ。

「まぁ、悪くはない。が、まだまだ上はいる事を念頭に置いておけ。自分のことを上手だなんて思うな。思った瞬間死ぬと考えろ」
「了解です、上官殿!」

 しかし、頂けないのはこのくそまじめな英語である。至極丁寧なそれはホワイト・カラーにはもってこいだろうが、残念ながら彼は兵士だ、間違ったって白い襟など身に付けはしない。

「ああ、それとだ。その、取り繕った、"くそ英語"を、止めろ。聞いていて神経を逆撫でさせられる」
「……は、はぁ。ああいえ、了解です、プライス大尉」
「それでいい。ナム戦時代のマリン・コーじゃあるまいし、"サー"は"イエス・サー"だけで充分だ」

 プライスはたちまち雑になった、といっても上官への敬意は含まれているが、彼の英語を聞くと一つ二つ頷き、親指でモニター群を指し示す。

 「モニターでさっきのコースの復習だ。良い勉強になるだろう、残りの新人二人も見ておけ」

 響く三人の了承の声。ソープはどうやら自分が合格ラインに達した事に安堵し、足取りもどこか軽やかにプライスの後を付いていく。
 モニターの前にソープ等を含めた数人が立つと、先程の訓練での映像が映る――とソープは思ったのだが。

「よし、折角の新兵の初訓練だ。小隊の戦闘員も全員呼んでおくか、その方が新兵どもにも良い勉強になるだろう」

 何事にもオチというものは付くもので。数十人もの部隊員に囲まれながら訓練での行動一つ一つに辛口の指摘を受け続けたソープは当然、生きた心地ではなかったという。



注釈
(*1)ドクター・フー……約五十年もの間、イギリスで放送され続けているSFドラマ。最近だと蝶ネクタイがクール。

(*2)米海兵隊の一等軍曹……映画フルメタル・ジャケットに登場する鬼教官、ロナルド・リー・アーメイ演じるハートマン一等軍曹。アイジャスウォンマイエムフォーティー!


後書き
 エタ脱出。やっと時間が空いたので書き始める事が出来ましたが、半年のブランクはどうにも大きい。
 ちなみに訓練コースのスコアには精度ボーナスは加算されていません。現実的に考えて精度ボーナスが実際付くとは思えませんし。
 しかしこれただのCoD4のノベライズに思えてきたんですけどきっと気のせいですよね!



[24439] "Crew Expendable"
Name: ジェガン◆cf53c2bd ID:7860ad53
Date: 2012/08/03 21:28
――――"Crew Expendable"
    "乗組員殺害許可"

――――2011.6.8-3:23:36

――――アラスカ、東シベリア間

――――ベーリング海峡沖

――――ジョン・"ソープ"・マクタヴィッシュ軍曹

――――第二十二SAS連隊、ブラヴォーチーム





 ――"司令部、こちらハマー2-4、ただ今現地時間AM3時23分、目標を目視において確認、針路を東に取り追跡中。距離約2マイル。約60秒後に接触、及び降下を行う、どうぞ"

 暗闇の中、無線機から流れ出る無線音声だけが、やけに明瞭にソープの耳朶に響く。その無線音声が、自分に現実を自覚させる。ついに一分後、この部隊に入隊してから始めての戦闘が開始されるのだ。それによる緊張を、空いたヘリの扉から降りしきる雨がゆっくりと解きほぐしていく。
 ソープはちらりとヘリから首だけを出し、前方に茫漠と空虚に広がる暗い闇を睨んだ。成る程、その闇の中にはちらちらと、目標の貨物船が灯すライトらしき光の明滅が見える。
 まるでセント・エルモの灯だ。頭上を仰ぐと月の光の一筋さえ見えぬ天候である、科学的に解明された今――といっても十八世紀にはかの米国人の父と崇められるベンジャミン・フランクリンが明らかにしていたのだが――となっては浪漫もへったくれもない現象のことが頭をよぎる。
 コルポサントをちらつかせながら、嵐もかくやという風雨の中、かの船は押し寄せる波の流れに右往左往しながらも懸命に、前へ前へと進まんとしている。
 しかし、無我夢中になって何者から逃げ惑うかのように荒波を掻き分けているようにも見えた。ブリーフィングで確保目標とされた、"未確認貨物"とやらの蓋を開けてみれば一体何が入っているのやら。
 ニード・トゥ・ノウ(*1)。兵士にはそれは知らされていない。それについての疑問は尽きないが、一旦それは脇へと置いておく事にした。どうせ任務が終わる頃には部隊員全員が知っている事だ。

 ――"こちら司令部、了解した。2-4、目標に60秒後に降下、どうぞ"

 司令部から通信が帰ってくると、いよいよヘリは加速していく。向かいの座席に座るプライス大尉がくゆらす葉巻の先端に灯る火種が、いやに印象強く視線の端にちらちら映った。
 知らず、腕の中に収まるMP5/10SD6のグリップを強く握り締める。MP5/10SD6とは、言わずと知れた短機関銃、MP5シリーズのバリエーションの一つだ。通常の9mmパラベラム弾を使用するMP5とは違い、10mmAUTO弾を使用し、ハンドガードと半ば一体化した大きなサプレッサーが装着されていることが大きな特徴となる。
 MP5/10はかつて、セールス上の問題で2000年にヘッケラーコッホ社によって生産中止にされた銃だ。しかし近年、我等がSASや、SEALs、デルタフォース、レインボー部隊に各司法機関の熱烈なアプローチによって、カタログに見事不死鳥の如く復活を果たした。
 その理由は至極簡単なものだ。9mmパラベラム弾は、結論から言えば威力不足だったのである。これは前々から提唱されてきた問題点であったが、それが公的に認められることはなかった。あくまで、部隊員からの個々の不満、程度で収まるものであったからだ。
 しかし、クルディスタン戦争後、ついにその不満は爆発した。魔導師が敵対勢力に紛れている場合に、9mmパラベラム弾ではそのバリアジャケットを貫通することが困難だという問題が露呈したのだ。
 魔導師にはそれぞれの力量によってランク付けされているが、9mm弾ではその内Bランクの魔導師が展開するバリアジャケットでさえ満足に貫通出来ない。Bランクには平均的な力量を持った魔導師が該当される。にも関わらず、9mm弾では防護能力が比較的低い頭部等を狙わない限り、致命傷となり得る一撃を与える事が出来なかった。
 それが故のMP5/10だ。9mmパラベラム弾では致命傷にならずとも、10mmAUTO弾ならば容易に目標を沈黙させられる。その余りあるストッピング・パワーは、その銃を握る者に安心と、壁の向こうで銃口衾を作る敵へと突貫する勇気を与える。

 ――"あと三十秒。無駄口は叩くな、集中しろ"

 視界の端に映る葉巻の火種が、一際大きく揺らめいた。そちらに目を向けてみると、プライス大尉は吸いさしの葉巻を海面へと投げ捨て、足元の太いロープを膝上に寄せていた。
 それに習い、自分もロープを膝へと持ってくる。ラペリング、懸垂下降に使用するロープ。いつもの訓練で触り慣れた、それ。毎日の訓練で、最早体の一部と言っていいほどに感触が身体に染み付いている。
 しかし、何故だ。いざ実戦となると、そのロープに触れた途端、背筋に一瞬だけではあるが何か走るものがあった。今まで、そう、クルディスタン戦争での戦闘の際にヘリからラペリングを行なう事は何度かあったが、とにかく何故だかぞわりときたのだ。
 恐らく、ラペリングでの突入が始めてであるからだろうな、と当たりを付ける。今までラペリングでの降下の経験は数度あったが、降下した直後戦闘を開始する、というのは始めての作戦内容であった。
 このロープに命を預け、降下したが最後、降り立つそこは既に戦場だ。それは単純なようで、その実、それは恐怖以外の何物でもない。

 ――"十秒前"

 気付けば目と鼻の先に降下目標は迫っている。船の中には、これでもかとばかりに武装したくそったれのテロリストどもがひしめき合っているに違いない、とソープは厭な想像を抱いた。また、背筋に冷たいものが走る。
 眼前に座るプライス大尉を仰ぐと、こちらの恐怖はどこ吹く風で、暢気に装備品のCT-12ガスマスクのベルト位置を調節している。良い気なもんですね、大尉。思わず皮肉が口をついて出そうになるが、すんでの所でその軽口を嚥下し、無言のままに自分もガスマスクを装着する。
 悟った。元来勘が鋭いとも特別利発だとも持て囃されなかった自分であるが、この時ばかりは理解した。ここ、この場所、この時は、それが何についてのものなのかまでは分からないが、正しく分水嶺と表現するに寸分たりとも違わないのだ。

 ――"無線点検。セキュア・チャンネル"

 しかし、得てして時の流れというものは厳格であり、そして残酷でもある。自分がそんな事に気付いたから何だというのだ、切迫した時間は、自分に分水嶺の只中に飛び込み、分けられたそれのどちらが清水であるのか、どちらが下水であるのかを判別する時間を与える事はない。
 信管を刺され、今にも点火装置のトリガーに指が触れんとしている爆薬。爆薬は炸裂するか否か。その爆発はどれ程の規模で、どれ程の目標を破砕し得るか。その答えを弾き出す計算機は、自分の手に収まる銃それそのものだ。

「安全装置確認、初弾装填。用意は良いな」

 そして、大尉の合図により、いよいよ計算機に火が入る。セレクターがセイフティを指しているのを確認し、マグポーチからMP5/10用の三十連曲弾倉を引き抜く。弾倉内で噛み合うように並列した弾丸の内、一番上に装填されたそれが弾倉の左側に位置するのを確かめ、マガジンハウジングへと装填した。
 ハンドガード上部のコッキングレバーを引いた後、薬室にきちんと弾丸が装填されたのを確かめるためにMP5/10から一度弾倉を引き抜く。一つ目の弾丸は弾倉の右側に収まっていた。つまり、先程弾倉の一番上に鎮座していた弾丸は、薬室内で尻に備えたとっておきのプライマーを叩かれる瞬間を今か今か待っている。
 よし、と一つ頷くと、弾倉をまたMP5に装填し、幕開けを待つ。待つこと数瞬、無線機からついにスタートコールが流れ出る。その上がる緞帳の向こうに待つものは一体何か。

 ――"行動許可、降下、降下!"

 プライスは軽くヘリの中を見回す。ブラヴォー・ワン・ゼロチームとブラヴォー・ツー・ワンチームに分けられたSASのその面々、ワン・ゼロにプライス大尉、ソープ、ホープキン二等兵、ティアナ二等兵。後詰めのツー・ワンにギャズ中尉、ウォールクロフト軍曹、グリフィン一等兵、スバル二等兵。
 その内、ワン・ゼロチームの面々が彼の視線に頷きで応答し、ロープを貨物船の艦橋へと垂らす。これまで幾度となく行ってきたラペリング訓練は、例えそれが本番、実戦であったとしてもその成果を如何なく発揮する。
 全体重をロープに預けたとて、決してバランスを崩す事はない。一度バランスを崩せば、15メーター先の甲板に真っ逆さまだ。勿論それは致命的な傷を負うという事に相違ないが、果たして鳥が空を飛び回るのをしくじる訳があるだろうか?


 その瞬間に起こった出来事は、艦橋で船の操舵を行っている者達にとっては、まさに青天の霹靂であった。
 まずは突然太いロープが風雨吹き荒ぶ中空から、一条二条落ちてきた。乗組員の中に、暗い甲板に揺れるロープを視認出来た者は一体何人いただろうか。恐らくは多くとも二、三人。しかし、気付けたか否かにはさほどの差は無い。災厄という物は、得てして全てのものに平等に降りかかる物であるのだから。
 垂れたロープを伝い、流れる様な間断無い動作でデッキに降り立った黒装束の一団を、その意味を、正しい意味で捉えられた者が乗組員の中にいたかどうかは定かでは無い。
 理由と言う程でもない、その集団が現れたのは正に数瞬の出来事であったからである。息の揃った降下は一種の完成された舞踊を彷彿とさせるものだった。そしてその舞いは、観る者に対しあの世への片道切符を贈るものだという事を彼等は知る由も無い。

「発砲許可」

 また、その黒一色に染まった一団の頭目らしき人物の口が何らかの文言を紡いだ事さえも観客達は気付けなかった。宣なるかな。その顔を大きなガスマスクで覆われては、一体誰が気付けようか。
 その面に拵えられた、昆虫の複眼じみた大きなレンズの中に仄かに浮かぶ両目と視線を交わしてもなお、彼等は甲板に降り立った者達の真意を推し量れてはいなかった。
 しかし、彼等の中にも聡い者はいたようで、その集団員各々の手に収まるマットブラックに染まった何らかの道具を目にした途端、自分達が運んでいる貨物、そしてこの船に乗った搭乗員、クライアントの皆様方の素性を連想した者もいる。
 しかしながら、それは既に致命的なまでに遅かった。ガラス一枚隔てた向こうに佇む集団は、既に腕の中の道具――一般にMP5、M4A1等と呼ばれている物だ――の先端を彼等に向けている。たとえ犬のように床に伏せようとも、豚のような悲鳴を挙げて逃げ出そうとも、彼等は無慈悲に襲い来る未来からは逃れられよう筈もない。
 戦闘開始の合図が、挙がった。


 凄惨。曇天をなお厚く暗く覆う嵐とはまた別の暴風雨が過ぎ去った後の艦橋内部を言葉で言い表すとすれば、凄惨、まさにその言葉こそが適当であった。
 ヘリからの降下直後にプライスの交戦許可を得た部隊員一同は、船の操舵を行っている乗組員に対し容赦なく攻撃を加えた。何の準備もせずに幾発もの拳銃弾やライフル弾をその一身に受けた乗組員達は、恐らく何が起こったのかすら理解せずに絶命しただろう。痛みさえ感じる前に死に至ったのだ、あるいは幸せですらあったかもしれない。少なくとも、この貨物船内にわんさかいるであろう悪党共に比べれば。
 つい十秒前までは幾人もの乗組員が屯していた艦橋は、今となっては最早その役目を果たせよう筈もない。並べられた計器の類には大量の血糊がこびり付いており、その示す値を読み取れはしなかった。しかし、船はそんな事は意にも介さずあらかじめ決められた航路を揺れていく。自動操舵システムはどうやら順風満帆、この船を目標の港まで導いていってくれるらしい。

「操舵室制圧」

 プライスが呟く。それを受け取ったハマー2-4は上空を緩やかに旋回すると、ぴたりと艦橋の上空にUH-60、通称"ブラックホーク"の機体を付けた。ヘリの操縦士はアーノルド少尉である。彼は部隊員から全幅の信頼を寄せられている、優れたベテランのパイロットだ。その腕前は、かの米陸軍第160特殊作戦航空連隊、ナイト・ストーカーズの隊員にも勝るとも劣らないだろう。
 彼がヘリを待機させている場所も、風雨が敵への隠れ蓑となる限界の位置であり、なおかつ降下した兵士の援護を最も迅速に行える位置でもあった。もしこれがヘリパイの実技試験だとすれば、満点以外に付けられる点がない、それ程までに卓越した操縦である。
 プライスはヘリが上空に待機した事を確認すると、片腕をおもむろに上げ、チームの面々に命令を下す。

「撃ち方止め。ギャズ、我々が艦橋を制圧するまでヘリに待機していろ」

 ――"了解"

 通信を終えたプライスは右手を上げ、部隊員にハンドシグナルを出す。扉、開く、突入。オープン・クリアのサインであった。それを見てとったソープを始めとした各部隊員は、艦橋外壁に設えられた扉の左右へとカバーポジションに付く。
 そして、プライスが扉の左側に位置する兵士――ホープキン二等兵の肩を二回軽くタップした。兵士各員にとっては見知ったものだ。行動許可の合図である。
 ホープキンは構えていたMP5/10を肩に背負うと、ドアの中央に備えられたハンドルを握り、回し、解錠と同時に蹴り開けた。その勢いのまま艦橋内に突入すると、ホルスターからHK45自動拳銃を引き抜き制圧を確認、彼に続いてプライス等も突入し、室内に軽く散開した。
 ソープもプライスに続いて艦橋に踏み込むと、思わず眉をしかめた。そしてそれと同時に心の底から安堵し、我らが父なる神と、自分の顔を覆うガスマスクにキスの雨を降らせたいという強い衝動に駆られ、すんでの所で我慢する。
 昔観たスプラッター・ムービーを思い出したのだ。チェーンソウを持ったファッキン・マッチョ野郎が雄叫びを挙げながら楽し気に人肉製のミートパテを作るという、至極ありがちな、最高にファンキーでキャッチーなコメディ映画だったが、リアリティで言うならばこの光景の方に軍配が上がることだろう。
 狭い艦橋の床一面に、血と脳漿と、その他諸々その手の映画にありがちな"小道具"が広がっている光景は中々に衝撃的だった。
 もし顔を覆うガスマスクが無かったならば、漂っているだろう大量の血液や、胃腸を弾丸が貫くと発生する胃酸と糞便が混ざった臭いにやられて、朝食でたらふく味わったベーコンやベイクドビーンズが胃袋から"こんにちは"しただろうことは間違いない。
 ギャズ中尉辺りに、『今夜は我が鼻の穴の処女を守ってくれたこの勇敢なるガスマスク殿に敬意を払い、マスク・ワンク(*2)をするであります』とでもお偉いさんが女王陛下に謁見する時よろしく格式ぶった言い方で報告すれば、まず間違いなく"ばかうけ"だ。
 頭に浮かんだ場にそぐわない下らないジョークにソープが内心頬を緩めていると、彼に続いて地獄の釜の蓋にブリーチング・チャージをかましたランスターが視界の端に映る。
 さぞや"面白い"表情を浮かべているのだろうとこの男、下卑た考えもそこそこに彼女の顔を拝んでみるが、意外や意外、何ら意に介していないかのような風情である。流石に死体を直視こそしていないものの、その無表情さは出来の悪い三流映画のCGを見ているかのようだった。
 しかし、彼女が鉄火場に慣れている、という訳ではないのは火を見るよりもなお明らかだ。絶対と言い換えても良い。初対面からそう長い時も経っておらず、なおかつそう世間話に花を咲かすような仲の相手ではなかったが、ソープはそう確信していた。
 ランスターの経歴を知っている、という訳ではない。ただ単に、訓練の際、彼女の身体運びが鍛え抜かれた兵士のそれとは思えなかったのである。
 かといってまるっきりの素人とも評することも出来ない。浮浪者を相手にするロンドン市警のお巡りさん程度には手慣れたそれは、素人のケツに毛が生えていることを簡潔に示してくれた。

 艦橋を回るプライスは、床に倒れる乗組員の素姓を手早くチェックしていく。といっても詳しく調べるまでもないだろう、彼等の私物に記されている文字は全てキリル文字であった。
 元よりこの貨物船についての情報はSASが独自に持つロシアにおける情報筋からもたらされた物であり、それによるとこの船の船籍はエストニア籍だそうだ。しかし妙な事に、乗船者はキリル文字を常用文字として使用している。エストニア語の表記体系はラテン文字だ。こいつはクロだ。プライスはそう確信した。
 勿論それが虚偽の情報であるという可能性も否めなくはないが、一体誰が勧んでSASを相手に喧嘩をしたがるだろうか? もしいたとしたら、そいつの肝っ玉の太さは晴れてギネス・ブックに載せられる事は間違いないだろう。世界一肝っ玉が太い男――そして、世界一愚かな男として。
 乗員の身元を確認し終えたプライスは自ら先導して、艦橋に設えられた階段を降りていく。ソープ等もそれに続こうとして、しかし階段の中程で止められた。
 階段の下で耳をそばだてるプライスの握り拳が中空に挙げられたのだ。"止まれ"のハンドシグナルであった。そして続けざまに送られるハンドシグナルの数々。敵、一つ、突入、三秒後。
 それを確認した部隊員は、まるで体内に精緻極まりないストップウォッチでも内蔵しているかの如く――ともさえ評せる精密さで、三秒後きっかりに突入を敢行した。ソープとランスターという二人のF.N.Gを抱えた分隊だとはいっても、訓練は彼らを裏切る事は決してなかった。
 彼等を出迎えたのは、一人の出来上がったロシア人であった。その手には質の悪い酒がかすかに残る瓶がぶら下げられており、飲んだ酒の量を伺わせた。彼は何事かわめきながらプライス達に千鳥足で近付いていく。
 ロシア語が分かるのは、ここに投入されている中だとグリフィンのみである。彼は顔に似合わずインテリで、そして今はヘリの中で待ちぼうけを食らっている。
 それ故にプライス達には浴びせかけられる言葉の内容は理解出来なかったのだが、彼等はそれを残念とは思わなかった。酔っ払いが声を荒立てて喚く台詞ほど価値や意味の無い物は、アメリカ人にとっての弁護士のバッジくらいのものだと彼等は知っていた。

「ああ、ありゃ明日がキツそうだ。見てるこっちまで頭が痛くなってくる」

 ホープキンが顔をしかめながら呟いた。ソープはその言葉にガスマスクの奥でにやにや笑った。つい先日、彼が酔っ払って見せた醜態を忘れた者はここにはいないだろう。

「安心しろ。あいつには明日など来ないさ」

 プライスがそう言うと同時に、サプレッサーによって減音された銃声が廊下にくぐもるように広がった。次いで聞こえたのは、5.56mmライフル弾の薬莢が虚しく床にぶつかる音と、酒瓶の底が床を叩く音、そして力無く人間が斃れる音であった。

「ブリーフィングで言った通り、この船の中にいる者は全員殺せ。我々がここにいた証拠を残してはならん。これより任務終了時まで、接敵時の射撃を常時許可する」

 了解、射撃許可。部隊員が復唱を終えると、プライスは小銃を構え廊下を進んでいく。ソープ等三人は通路から通じる乗務員室らしき部屋に入ると、呑気にいびきを立てて寝ている二人の兵士の眠りを何ら妨げる事なく、更に深い深い眠りへと導いた。
 お休み――良い夢を。ホープキンが皮肉げに呟く。さぞや良い夢が見られるに違いない。少なくとも、今際の際に銃口を見なくて済んだのだ。天国で寝小便をする事だけは避けられるだろう。ソープは薄笑いを浮かべると、廊下に戻りプライスに制圧の旨を伝えた。それを受け取った彼は無線機を介し、ヘリ内の隊員に通信を送る。

「こちらブラヴォー・ワン・ゼロ。艦橋を制圧。これより上甲板に出る。繰り返す、これより上甲板に出る」

 ――"こちらハマー2-4。了解、ワン・ゼロは上甲板に出る。現在、上甲板に敵の姿無し。繰り返す、上甲板に敵の姿無し"

 プライスはそれを聞くと、しかし用心は怠らず接敵を警戒しながら上甲板に出る。周囲に敵影が無い事を上空からだけではなく甲板上からも確認すると、階段を降り、適当な開けた場所で菱形隊形を組んだ。
 その真上にハマー2-4が移動し、ホバリングで停止する。

「こちらワン・ゼロ。前甲板は安全だ。ツー・ワンを降下させろ」

 ――"こちらハマー2-4、了解、前甲板クリア。ブラヴォー・ツー・ワン、行動許可。降下、降下!"

 ハマー2-4から通信が送られると同時に、甲板に二筋のロープが降りてくる。そしてすぐさま、ファストロープ降下によりツー・ワンの面々が上甲板に降り立った。

「準備よし。大尉、待ちくたびれましたよ」
「暴れる場は十分に残してあるぞ、ギャズ。3メートル間隔で散開し、後甲板へと迎え。行動開始」

 プライスの命令が各員に伝わると、それぞれは等間隔に散らばり船体後部に向かい歩を進めた。
 吹き荒ぶ暴風雨の中、甲板を激しく叩く雨の音が、しかし船体を唸り煽る波の音にかき消される。無論、雨音よりなおか細い靴音などは論ずるまでもないだろう。
 空を覆う雲からは一筋さえも月光は漏れてこず、甲板を照らすのは船に設えられたライトのみである。その立ち込める水煙を切り抜き歩く人影も、今はその輪郭さえも雨煙に紛れ見出せない。
 つい数秒前に降り立った兵士達の姿など今や甲板上にあるとは思えず、黒装束の八人は夜の闇に溶けて消えた。





注釈
(*1)ニード・トゥ・ノウ……Need to know. 任務で必要な場合のみ情報を知る事が出来るという規則

(*2)ワンク……英国英語で自慰の意


後書き
以前より予定していたとおり、五話以降を投稿した事を皮切りにチラ裏卒業。


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