夢を見る――誰もが笑い合っていた夢。
どこにでもある現実。
どこにでもある空想。
夢で終わるには生々しすぎ――現実で取り戻すにはあまりに困難な夢。
ルナマリアがいた。
ヨウランがいた。
ヴィーノがいた。
レイがいた。
アスランがいた。
メイリンがいた。
タリア艦長がいた。
仲間がいた。戦友がいた。大切な仲間がいた。
誰もが時に笑い、時に怒り、ぶつかり合いながら何度も何度も一つの目的に向けて戦っていた。手を取り合って戦っていた。
それは――いつの時代のことだろう。
多分、戦争が始まってそれほど時間は経ってない。ガルナハンの戦いが終わった直後。
一番、何もかもが上手くいっていた頃。
手を伸ばす――無意識に、焦燥すら感じながら手を伸ばす。
ぴしり、と亀裂が入った。
世界が歪む。歪んで曲がって壊れておかしくなって消えていく――ああ、これは夢なんだと理解する。
楽しげな時間は終わり、場面が切り替わる。
そこは――無限の荒野。どこまでも続く荒れ果てた世界。
大地から生える無数の肌色――手と足と胴体。モノ言わぬ死体。モノ言えぬ肉塊。何かを為すことも出来ず、ただ腐臭すら漂わせながら大地に存在するだけのモノ共。
何度も何度も夢に見た光景。
天に向けて咆哮する誰か。
それを見下ろす自分。
残酷な世界――世界常識はいつも通りに滞りなく。
幻想が消えて行く。
場面が変わる。
始まるのはいつも通りの現実。
ぴぴぴ、と鳴り響く甲高い音――その音源に手を伸ばし、慣れた手付きで操作。音を切る。ついでに電源も切る。何度も繰り返し鳴り響けば苛立ちが生じて今日の作業に支障が出かねない。
「……支障、なんて、出やしない、けどな」
小さく呟く。
眼に映るピンク色の携帯電話――“音源”だ。
見る度に何かを思い出しそうになって――思い出す必要が無いと唇が笑みを形作る。
起き上がって、顔を洗う。洗面所に据え付けられた鏡に眼を向ける。
透けるような白い肌と朱い瞳。少しだけこけた頬。目つきの悪さは昔からだが――今の彼の目つきは悪いと言うよりも何も感じられない。
無気力そのもの――考えることすら億劫とでも言いたげな陰鬱そのもの。
タオルで顔を拭き、着替える――準備に必要な時間は僅かに数分。栄養はチューブ型の栄養食で補い、水分はドリンクで補充する。ここ数カ月彼はこれ以外何も口にしていない。
食欲が無い訳ではない――何かを食べる必要性が感じられなくなっている。
全身の感覚神経は澄み切っていて、調子の悪さなど全く感じられない。
着替えて部屋を出る。ブリーフィングが始まるまではまだ1時間ほどある――シミュレーターで訓練をするにはちょうどいい時間だ。
男の名前はシン・アスカ。
10cmほど伸びた身長と適当に切り揃えた髪は少年だったころの面影を残しつつも、大人に近づいていることを実感させる。
けれど――朱い瞳は淀んでいた。ただただ静かに淀み、その奥に澱を溜め込んでいた。
時代はCE76。
戦争は終わった。でも、戦いは終わらなかった。
クライン政権に反感を持つ者はどこにでもいたし、戦争の火種はどこにでも存在した時代。
ラクス・クラインは当初の予想とは裏腹に信じられない治世を行い、火薬庫でしかなかった世界を少しずつ少しずつ平穏に戻していく。平和の歌姫と言う二つ名通りに。
キラ・ヤマトはそんな自身の伴侶を支えながら歌姫の騎士として相もも変わらず不殺を貫き戦い続けていた。
アスラン・ザラは、オーブの復興に尽力し、その隣にはカガリ・ユラ・アスハとメイリン・ホークがいた。
時代の歯車が回り、復興と平和に向けて加速していく時代――恐らくはヒトが平和と呼ぶ時代。
一人の男がいた。男は全てに裏切られ――また全てを裏切って、一人になることを選び、戦火の中で生き続けていた。
◇
――宇宙には風が無い。真空の世界の中で風が吹くはずが無い。そもそも風がある訳が無い。
けれど、風は吹いていた。乾いた風。ただ胸の奥を吹き抜ける風。
空は漆黒。そこかしこに見える星々が位置感覚を狂わせようとする――視線をディスプレイから計器類に移し、自身の位置関係を把握する。
基準となる点は少し前まで自分がいた場所――マティウス・スリーと呼ばれるコロニー。
位置関係の把握及び基準の設定を終わらせ、搭乗している機体――ザクウォーリアカスタムのカメラアイを“目標”に向ける。
「……こちら、シン・アスカ。目標を確認。」
両機に通信を送る。
『こちら、アリエスト・ミラー。こっちでも確認した。カウント後に突撃。いいな?』
「了解。」
返答。胸の奥で吹き抜ける風の音が強くなった気がする。
フットペダルに足をかけ、いつでも突撃出来るように準備する――僚機からの声。
今回の目標はこの宙域を荒らし回っていたザラ派残党――未だに現れる、その名に僅かな苛立ちを覚えるも押し留める。気にするな。
『5』
レバーに右手をかける。
一つ深呼吸――瞳が鋭くなり、同時に心も尖っていく。
戦いが始まる。心の奥で迸りそうになる喜びを抑え込み、集中――ようやく“真っ白”になれることに安堵を覚えた。
『4』
カウントを酷く長く感じる。
いつも通りの日常。いつも通りの行動。
緊張感など最早無い。何百回と繰り返されたルーチンワーク。
敵機を破壊し、捕縛する。繰り返されることで緊張は慣れへと変わっていく。それでも警戒が緩むことは無い。死んではいけない――そんな無意味にしか思えない言葉が脳裏を反芻し、方向性を定めて行く。即ち、生き残ると言う方向性へと。
戦闘の度に真っ白になる脳髄。思考を捨てることの出来る唯一無二の瞬間――生きていることを忘れられる場所。
全身の細胞が騒ぎ出していた。今か今かと“その瞬間”を待ち侘びている。
『3』
敵機を破壊する瞬間を、待ち侘びている。
知らず、頬が歪む。唇が歪む。整った顔立ちが壊れ、現れたのは醜く下卑た笑み。
そんな表情をしていることすら、自身では気付いていない。
感情とは独立し、肉体が稼働する。
この一年間で培った戦闘技術。その賜物――人間としては間違った傾向。けれど、兵士としてはあまりにも正しい傾向。
『2』
心臓が高鳴る。緊張ではなく昂揚によって心臓の鼓動が大きくなる。
レバーを握り締める。フットペダルに足をかける。
周辺のデブリの数を把握。敵機との位置関係を把握。使用する武器を選択し、順番を脳裏に設定。
敵機は自分と同じザクウォーリア。数は5機。たった2機で落とすには難しい数だが――問題は無い。
『1』
始まる――敵機の武装を確認。行動予測を開始。分裂する思考とそれを統括する思考。幾つもの思考が束ねられ、一つの意志表示の為に連結していく。
意志表示――即ち、戦うこと。その為だけに。
『0』
始まった。
レバーを倒し、フットペダルを押し込み、速度を一気に最大にまで上げる。
加速。景色が流れる。星が流れる。気にしている余裕は無い。
敵機がこちらに気づく――距離は遠い。
ザクウォーリアに装備されている近接武装――ビームトマホークの間合いには程遠い。
右手に持ったままのビーム突撃銃を構える。
速度は緩めない。緩めてしまえば蜂の巣にされるだけ――何よりも動き続けることで翻弄する。一対多数における必須条件。そのルールに従い、ビーム突撃銃を放つ。
閃光が残像を残して突撃する――弾幕の形成。そのまま、自分自身も突撃。敵機の動きを観察/ほぼ全てが未だに困惑している。強襲を予想してはいなかったらしい――問題無し。
速度を維持し、突撃。敵機がこちらに向けてビーム突撃銃を向けた。構わず突撃。狙われる前に近づく。
「……」
敵機の攻撃は全て外れた。こちらは既に最高速に達しているのに、敵機は未だ動けていない/遅い。
言葉は無い。無言。口を開くことに意味は無い。口を開けば呼吸を乱し、心を乱していく――ビーム突撃銃を両手で構える。
発射――外れた。突撃しながらの射撃に命中精度を期待する方がおかしい。
敵機が一斉にこちらを向いた――瞬間、背部のファイヤビー誘導ミサイルを一斉発射。敵機の情報は既に入力済み。ミサイルが一斉にその群れに突っ込んでいく。
敵機の構成はガナーザクウォーリアが1機、ブレイズザクウォーリアが1機、スラッシュザクウォーリアが3機。優先的に狙いを定めたのは、ガナーザクウォーリアとブレイズザクウォーリア。遠距離武装を持つ機体を優先的に攻撃。
ミサイルが突撃する。爆発。漆黒を染め上げる閃光――背部のスラスターを再度最大噴射。
閃光によって、視界が阻害され、一時的にレーダー類にも乱れが生じ、行動に支障が出る/お構い無しとばかりにフットペダルを踏み込む。速度を緩めるつもりは無い。敵機の位置は発射する前に既に頭に叩きこんである。“見えない”程度で攻撃を行えなくなる道理は無い。
閃光と爆炎に紛れ込み、敵機の群れに近づく。ビームトマホークを構え、一機を切り裂いた。コックピットから狙いを外し、頭部とスラスターを破壊し、無力化――敵機の状態の確認をする暇も無く即座に移動/視界の端で僚機がガナーザクウォーリアと戦っているのが見えた。直ぐにそちらに向かわなければいけない――焦燥/沈黙。
「……っ」
アラート音。スラスターを吹かし、機体を反転。肩部のシールドでビームを受け止める。
衝撃がコックピットを揺らす。視界が揺れる。コンソールパネルを操作し、敵機を確認。こちらと同じブレイズザクウォーリア。
攻撃は背部右方向から。先ほど放ったファイヤビー誘導ミサイルによって、右肩と左足が破壊されていた――ビーム突撃銃を発射し、右手に握っていた敵機のビーム突撃銃を破壊。爆発。残っていた右腕も破壊。そのまま背部のファイヤビー誘導ミサイルが点火し、誘爆。僅かな安堵――遠距離攻撃で狙い撃ちされる心配は無くなった。
残っている敵機の数を確認する――確認する必要など無く、こちらに突撃してくる3つの閃光。
(……3機のスラッシュザクウォーリア)
心中で呟き、己に言い聞かせる――僅かな安堵。
スラッシュウィザードに関しては近接戦闘に特化した装備である為、それほど注意は必要ない――少なくとも自分にとっては、最も与しやすい相手だ。
こちらのファイヤビー誘導ミサイルの残弾数を確認。残り8発。問題ない。十分だ。
「……行くぞ」
呟いて突撃。一斉にスラッシュザクウォーリアの背部に設置されたハイドラビームガトリング砲が火を噴く――寸前で残ったファイヤビー誘導ミサイルを一気に発射。
同時に、現在からみて相対下方に加速。爆炎に紛れての突撃を敢行――同じ攻撃は二度喰わないとばかりに、スラッシュザクウォーリアが散開する。
――唇が知らず歪んだ。
4機のスラッシュザクウォーリアが各個でこちらに突撃してくる――ビームトマホークを構える。
1機に接近する。敵機が両手で握った大型の戦斧――ファルクスG7ビームアックスを振り被っていた。
フットペダルを小刻みに操作し、スラスターを操作/振り下ろす瞬間に合わせて、右方に回避。
握り締めたビームトマホークを振り下ろし、振り上げ、叩き斬る――頭部、ガトリング砲、ビームアックスを破壊。機体の各所で小爆発が起こる――右足を振り抜き、吹き飛ばし、デブリに激突させる。沈黙。
一切の停滞無く、スラスターを吹かし、反転。
残った2機の内、1機がこちらに向けてビーム突撃銃を向けている――ビームトマホークを投げつける/頭部に刺さり、爆発。ビーム突撃銃の銃口があらぬ方向に向き、光条が放たれた。その間隙を逃さず、接近、頭部に刺さったビームトマホークを引き抜き、コックピットに向けて直接前蹴り――吹き飛んだ機体がデブリに激突し、沈黙。
間髪いれずに、そのまま“全速前進”。後方から放たれたビームアックスの一撃を紙一重で回避――しようとするも、回避しきれずに、背部のブレイズウィザードが切り裂かれた。
コンソールを操作し、ブレイズウィザードパックを切り離す/爆発――肩部のシールドを向けて僅かなりとも損傷を軽減しようとする――衝撃、爆炎、閃光、揺れる揺れる世界が揺れる視界が揺れる内臓がシェイクされ、今日一日口に入れた全てが吐き出される――全てチューブ食ばかりで、吐き出された吐しゃ物は面白みの無い液状物質のみ――固形物はどこにも無い。その事実におかしな安堵を覚えた。
ぐるぐると回転する視界。全身のスラスターを操作し、調整。態勢を整えることに専心する――今しがた攻撃を食らわせた敵機がガトリング砲を放ちながら、ビームアックスを構えて突撃してくるのが見えた。
「ぎ、ぃっ……!!」
言葉にならない呻きを上げながら、右手に握ったビームトマホークを構える。右方に移動。ガトリング砲が着弾よりも早く――紙一重の回避。次いで振り下ろされるビームアックス。こちらに追尾するように動くソレを避けることは出来ない。
間合いで言えば、こちらの得物よりもはるかに長い――後退も回避も不可能。活路はどこにある――懐に飛び込む以外には無い。
判断は一瞬。逡巡は刹那よりも尚短く――フットペダルを踏み込み、全速で接近。敵機は既にビームアックスを振り下ろし始めていた。こちらは未だにビームトマホークを握り締めているだけで構えてもいない。ビーム突撃銃は先ほどの攻撃で手放してどこに行ったのか分からない。
フットペダルから足は離さない。踏み込む。全速で前進。敵機の攻撃が迫る。
「――」
ドクンと心臓が鼓動し、心臓の鼓動が停止する。そんな錯覚を覚えた。
不思議な感覚ではない。いつもだ――いつも何かの拍子に覚える感覚。
元々少なかった感情が掻き消える。
振り下ろされるビームアックスが見えた。ザクウォーリアの左肩に装備された対ビームシールドを向ける/全身のスラスターを操作し、機体そのものを右方向に平行移動。
肩が抉られた。対ビームシールドで受け切れるはずも無く、小破。爆発。
爆炎と閃光が視界を染めた。
そのタイミングで――手首だけを動かし、ビームトマホークを投擲。目標はコックピット。この期に及んで捕縛だのと言っている余裕は無い。
「――」
狙い違わず、ビームトマホークの刃がコックピットに到達。コックピットが紅く染まっていく。熱量によって装甲が解けていく。死の瞬間。命が弾け飛ぶ瞬間。胸のどこかが痛んだ/痛みは直ぐに消えた。
――爆発。漆黒の空に紅い花が咲いた。
爆圧に逆らうことなく、吹き飛ばされる――距離が開く。
全身の損傷を確認――右腕は動かない。背部のブレイズウィザードは大破。それ以外にも小破程度の存在が機体のそこら中に存在していた。まず間違いなく戦闘不能。これで増援が現れればその時点で終わりだ。
だが――それも問題は無い。どうとでもなる――ならなければ死ぬだけだ。特に不都合など存在はしない。
敵機の位置を確認しようとする――僚機からの通信。
『……相変わらず、化け物みたいだな、お前は』
呆れたような同僚の声。
「……倒したのか?」
『ああ、こっちはガナー1機だったからな。距離さえつめれば何とかなった』
「そっか……終わったのか」
ほっと息を吐く――どこか残念そうな声。
これで終わる。真っ白になれる瞬間が終わりを告げる。それがどこか寂しい。
『大丈夫か、シン?』
「……ああ、大丈夫だ。」
『それじゃ戻ろうぜ、俺はともかくお前の損傷は結構やばい』
同僚がそう言って、マティウス・スリーに向けての進路を定め、動き出した。
速度は遅い――多分、こちらに合わせてくれているのだろう。
一瞬、振り向いた。
「……もうちょっと、戦っていたかったんだけどな」
呟く。寂しげな輝きを灯す瞳。どこか祭りの終わりを悲しむ子供のような瞳。
始まりは遠く、終わりは見えない、戦いの日々。
クラインの猟犬と呼ばれるようになって数カ月。
これは、運命に裏切られながらも己の信じたモノに縋り付く、ある一人の男の物語。