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[21380] シークレットゲームNEXT ~Magician's Select~(原作:シークレットゲーム 『-KILLER QUEEN-』)
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2013/06/10 22:56
初めまして。でしおと申します。
こういった投稿掲示板での作品発表は初めてですが、どうかよろしくお願いします。

当作品はFLAT社よりPS2、PC、PSP等で発売された「シークレットゲーム」の二次創作作品です。
そして舞台は「原作『シークレットゲーム』より数年後」となっております。

なお、当作品に触れる前に以下の点にご注意願いたいと思います。

 ・原作「シークレットゲーム」のネタバレが多大に含まれています。
 ・原作ジャンルの都合上、一部残酷な描写が含まれています。
 ・オリジナルキャラクターが多数活躍しています。
 ・独自の設定が追加されている可能性があります。

 ・舞台設定上、原作登場人物の風貌・性格等が改悪されている場合があります。
 ・貴方の好きな原作登場人物が不当かつ悲惨な扱いを受けている可能性があります。
 ・貴方の好きな原作登場人物が登場しない可能性があります。
 ・原作登場人物がオリジナルキャラクターと密接な交流を育む可能性があります。

 ・「原作の数年後の世界」ですが「いずれかの『原作END』の数年後の世界」ではありません。

以上の点を許容できなければ、本作品を読み進めることはお勧めできません。


個人的にはこの作品を通して「シークレットゲーム」の面白さや奥深さを少しでも伝えられればいいな、と思っています。

そしてこの作品自体を楽しんでいただければ、これほど光栄なことはありません。


それでは、どうか。お付き合いの程、宜しくお願いします。




2010
8/22 EPISODE-1~4 掲載しました。
8/23 EPISODE-5 掲載しました。

8/27 EPISODE-6 掲載しました。
8/29 EPISODE-7~8 掲載しました。
9/05 EPISODE-9~10 掲載しました。
9/11 EPISODE-11 掲載しました。
9/18 EPISODE-12 掲載しました。
9/19 EPISODE-13~14 掲載しました。
9/23 EPISODE-15 掲載しました。
10/03 EPISODE-16~17 掲載しました。
10/09 EPISODE-18 掲載しました。
10/11 EPISODE-19 掲載しました。
10/17 EPISODE-20 掲載しました。
10/24 EPISODE-21 掲載しました。
10/31 EPISODE-22、23 掲載しました。
11/03 EPISODE-24 掲載しました。
11/10 EPISODE-25 掲載しました。
11/21 EPISODE-26 掲載しました。
11/28 EPISODE-27 掲載しました。
12/01 キャラクタープロフィール 製作しました。
12/05 EPISODE-28 掲載しました。 プロフィール更新しました。
12/26 EPISODE-29 掲載しました。

2011
1/16 EPISODE-30 掲載しました。 プロフィール更新しました。
1/30 EPISODE-31 掲載しました。
2/13 EPISODE-32 掲載しました。
3/01 EPISODE-33 掲載しました。
3/22 EPISODE-34 掲載しました。
3/27 EPISODE-35 掲載しました。 プロフィール更新しました。
4/06 EPISODE-36 掲載しました。
4/17 EPISODE-37 掲載しました。
4/24 EPISODE-38 掲載しました。
4/29 EPISODE-39 掲載しました。
5/08 EPISODE-40 掲載しました。
5/22 EPISODE-41 掲載しました。
5/29 EPISODE-42 掲載しました。
6/12 EPISODE-43 掲載しました。
6/20 EPISODE-44 掲載しました。
7/02 EPISODE-45 掲載しました。
7/22 EPISODE-46 掲載しました。
7/24 キャラクタープロフィール 更新しました。
7/31 EPISODE-47 掲載しました。
9/29 EPISODE-48 掲載しました。

2012
3/22 EPISODE-49 掲載しました。
4/07 EPISODE-50 掲載しました。
4/22 EPISODE-51 掲載しました。
5/20 EPISODE-52 掲載しました。
6/14 EPISODE-53 掲載しました。
     (手違いでプロフィール抹消してしまいました。申し訳ありません)
8/02 EPISODE-54 掲載しました。
8/08 EPISODE-55 掲載しました。
9/25 EPISODE-56 掲載しました。
11/01 EPISODE-57 掲載しました。
12/09 EPISODE-58 掲載しました。
12/24 EPISODE-59 掲載しました。

2013
1/20 EPISODE-60 掲載しました。
3/10 EPISODE-61 掲載しました。
4/21 EPISODE-62 掲載しました。
6/10 EPISODE-63 掲載しました。



次回更新予定:2013年7月中旬



[21380] EPISODE-1
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/12 02:50
遠い遠い、幼き日の記憶。とある日の夕暮れ過ぎ。
家事に勤しむ母親の背中を眺めながら少年・鳴神圭介は一人、暇を持て余していた。

夕食の時間にはまだ間があった。手持ちの本は全て読みつくしてしまい、テレビもまだ子供が興じるものは放映されていない。
学校から持ち帰った宿題も既に片付けてしまっていた。
さりとて新たな興味を求めて外へ飛び出るほど少年は活動的というわけでもない。
ゲーム機の類は両親の教育方針のため、何一つ所持してはいない。
それでも今までは友人の誘いであったり何某かが圭介の時間を満たしていたのだが、生憎とその日は都合が合わなかったのだ。
記憶にある限りはこれが初めての何もできない時間。
何かがしたいのにやるべきこと、やりたいことの選択肢が目の前に現れない。

圭介はその年頃の割には手のかからない子供であった。
素直で聞き分けも良く両親に迷惑をかけるようなことは滅多にしない。
外でも問題行動を起こすことは全く無く、見習われるべき子供として教員や他父母にも一目置かれる存在だった。
そんな彼でも子供であることには間違いない。
お茶の間のテーブルにだらしなく上体を突っ伏したまま、何事か思案し続けていたが、
終に音を上げて、母親に現状の打開を願ってしまった。

――ねえ、お母さん。何か面白いことはない?

母親は圭介の言葉に驚いたように振り返った。それは彼女にとっても初めての体験だったからだ。
どうやら夕食の支度も一段落したようで、母親がエプロンで手を拭きながらパタパタとスリッパを鳴らし近づいてくる。
圭介の向かいに座ってすい、と顔を近づける。仕方が無いわね、と柔らかい笑みを向けてきた。
普通であるならば子供の単なる我が侭。おとなしくご飯待ってなさい、と言い放ってしまえばそれで済む。
だが圭介が普段から「良い子」だったからこそ母親も無碍にその願いを断ることはできなかったようだ。

――じゃあね、いいもの見せてあげる。

母親はそう得意げに宣言すると席を立ち、自室に駆けていく。
思いも寄らぬ、初めて見た母のそんな表情に圭介は圧倒され、そして同時に期待に胸が膨らんだ。
母はどうやら何かを見せてくれるようだ。それもなんだか、とてもすごいものを。
先ほどまでの不満は何処かへ消えてしまった。たちまちに今の時間が待ち遠しいものへと変わっていった。
程なく母親は戻ってきた。その両手に、小さな何かを抱えていた。

――お母さんね、実は今まで黙ってたことがあるの。

おどけたように微笑む母親。

――実はね、けーくん。お母さんはね――







後に続く一言と母が操った奇跡と感動を、圭介は10年以上経った今でも忘れない。

その一年後、母親が病に倒れこの世を去ることになってしまってもなお。
輝かしい記憶として。未だ解けることない呪いとして。
いつまでも。圭介の胸の内に消えることなく残り続けている。


――お母さんは、魔法使いだったの――







まず肩に、そして側頭部に軽い痛みが走った。
そのおかげで圭介の意識は急速に現実に引き戻された。

「痛ってえ――」

何事かと、慌てて目を瞬かせる。とりあえず眼前に柔らかな段差が確認され、ああ成る程、と自ら呆れる。

(また落ちてるよ。懲りないよな、俺――)

どうやら生来の寝相の悪さでベッドから転げ落ちてしまったらしい。圭介は乾いた笑いを浮かべながら再び寝床へと這い上がる。

(しっかし、未だに見るかね、あんな夢)

不思議なことに落下の衝撃で全て吹き飛んでしまったかと思いきや。つい直前まで見ていた夢を圭介ははっきりと覚えていた。
それは紛れも無い、過去の記憶。鳴神家がまだ家族全員揃っていた時の記憶だ。
母が亡くなってもう10年が過ぎた。圭介はもう彼女の顔もすぐには思い出せない。
彼女が病院で息を引き取り悲しみに暮れたその日も今は記憶の彼方だ。

それなのに、あの時の。母が自分は魔法使いだ、と告白した日のことだけはなぜか鮮明に覚えているのだ。
それもそのはずだ、と圭介は自虐気味に呟いた。
彼はあの日、母の魔法に魅了され、魔法使いの弟子となった。そしていつの日か、自分も魔法を操れるようになった。

(そして今も――いや、今は――)

馬鹿馬鹿しい、と圭介は記憶の反芻をやめた。そんな記憶のせいで、自分は人生を踏み外しかけたのだ。
陰鬱な気分になってきたので圭介はもう一度寝直そうと再びベッドに横たわり、布団を引っ被った。

(って、今何時だよそういえば)

ふと部屋の薄暗さに騙されかけて時間の確認を怠ったことに気づく。
二度寝と洒落込むにしても半端な時刻なら寝過ごして遅刻してしまうかもしれないではないか。

慌てて手探りで目覚まし時計の位置を探る。ところがその手は虚しく空を切るばかり。
あれ? とそこで初めて圭介は違和感に気が付く。
そもそも我が部屋のベッドは、こんなにも痛みが激しく硬いものだっただろうか。
しかもなぜか未だ学園の制服を身に纏ったままである。
流石に眠る前にはきちんと部屋着に着替える習慣がある、はずなのだが。

疑問を巡らす程に眠気は吹き飛び目が冴えてくる。悠長に惰眠を貪っている場合では無くなった。
首をぐるりと回して部屋の全体像を確認する。
途端に今度は眩暈に襲われる。それは勿論眩みの類ではない。
身の周りの違和感なぞ些細なものでしかなかった。もっと早くにその疑問を抱くべきだった。
ようやく、圭介は。その自らの呟きに辿り着くことができた。

「ここは、何処だ?」

目覚まし時計どころの騒ぎではなかった。
本棚も無ければ机も無い。圭介の自室にあるものと何一つ共通点を見出せない。
四方は無機質なコンクリートの壁面で囲まれ自然な光を取り込むべき窓は一切無い。
ベッド、カーペットの類は何処と無く高級感を漂わせているが、まるで手入れが為されておらず所々薄汚れ埃が溜まっている。
備え付けの家具棚は扉のガラスがひび割れ蜘蛛の巣が張り巡らされている。
大よそ生活観とは無縁の光景だった。そう、まるで廃墟の一室とでも称するべきか。
無論こんな部屋が、圭介が父と住まう安アパートのはずがない。
友人の部屋の一室でも勿論あるはずがない。
一体何の因果で自分は、こんな部屋で眠りこけていたのか。とりあえず直前の記憶を辿り直してみる。

昨日の朝は普通に自室で起床し、父親と二人分の朝食を用意して学園に登校した。
授業中の記憶は曖昧であるがそれはおそらく居眠りをしていたせいであろう。
それから。
特に教師に呼び出しを受けることもなく下校の門を潜り。
自宅までの道中で書店に寄って立ち読みし、夕食の準備をすべく商店街に――

(――行ってない)

そうだ。その途中で確か、誰かに呼び止められた気がする。
見覚えのない中年男性であったか。郵便局の場所を聞かれて、それで。
説明に手間がかかりそうだったのでわかり易い場所まで先導しようとして、角を曲がったその瞬間。

そこで圭介の記憶はぷつりと途切れていた。

不自然である。そこまでを明確に思い出せる割に、その先が完全に消去されている。
まるでその時点で気を失ってしまったかのように。
いや、「かのように」ではないのだろう。
その時に来ていたままの制服姿で今まで自分は寝かされていた。それが何よりの証拠だ。
それも自然に起こったものではなく作為的なもので、自分は意識を失ってしまったのだ。
でなければ目覚めた先は病院でなければおかしいし、この部屋は医療施設に関するものでは断じてない。
あまりにも不衛生すぎる。

ああ、何ということだ。この全ての歪な事象に一致する言葉に、圭介は思い至ってしまった。

「マジかよ――俺、誘拐されてんじゃん!」

思わず、声が飛び出た。
現状を理解すると共に、えも言わぬ恐怖が圭介の全身を包み込んだ。
誘拐され、監禁されている。
如何な目的によるものかは窺い知れないが、それはつまり今は最悪命まで奪われかねない事態ということなのだ。

「いやいや待て待て、有り得ん、有り得んってこんなの。だってウチの家、別に金持ちでも何でもないぜ? 
 億単位の身代金とか払えねえからマジで」

部屋の中には圭介以外には誰もいない。
それでもぺらぺらと思ったことを喋り立てないと何かに押し潰されそうだった。

「あー、そうか。わかった。理解したよ俺。これはあれだ、夢の続きだ。夢の第二段階、第二幕なんだよ。
 チクショウ、夢から覚めた先が現実とは限らないってね。何だっけ? あれ。『胡蝶の夢』とかいう奴だっけ?」

誤用である。だがそれに気付かぬくらい圭介は混乱していた。
兎に角このような現実を認めたくはなかった。一刻も早く逃げ出したかった。

「よし、それならとっととこんな夢からはオサラバしないとね。気分悪いし、怖いし。
 ここはベタだけど痛みと引き換えに覚醒を――うお、痛え! 超痛ぇっ!!」

ベッドの金属部分をつま先で蹴り上げた圭介は小指を強かに痛打し、悶絶した。
これほどの痛みを伴う今が、現実でないはずがない。
いや、そんなことはとっくに判っているのだ。

「い、いや、待て――夢の中でだって痛みを感じることはあるんだ。
 こんな馬鹿げた方法でこれが夢じゃないと断言するにはまだ早い」

それでもまだ圭介は陳腐な一人芝居をやめるつもりはなかった。

「そうだな――むしろ逆に考えろ、圭介。これは夢だ。そして拉致監禁されている。
 つーことは今から俺の華麗なる大脱出劇が始まるということなんじゃないか?
 ふむ。となると単なる一般人である俺が凶悪誘拐犯と対決するのはいささか無理がある。
 ならば今の俺には俺自身も気付いていない未知なる能力が備わって――」

顔を上げた先には古びた家具棚がある。それに向けて圭介は右手を差し上げ銃の形を作り、狙いを定めた。


「ビーム」


――
静寂が訪れた。

当然、指の先から何かが発射されることはなかった。
精一杯ふざけて必死に受け入れを拒否してみたものの、何も変わることはなかった。

紛れも無く誘拐され、命の危機に瀕している今こそが現実だった。

「ま、そりゃそうか。バカだよなー、俺」

「あ、あのー」

「!?」

突如、声が聞こえた。よく見ればこの部屋唯一の出入り口であるドアの隙間が、ほんの少し開いていた。

「い、いったい何をしているんですか――?」

ゆっくりと隙間が大きくなり、声の主が姿を現す。

おそるおそる、といった感じで部屋の中に歩みを進めたのは圭介と同い年くらいの少女だった。
小豆色のブレザーに胸には大きな赤いリボン。膝丈のチェックのスカートは恐らく指定の制服だろう。
さらさらのボブカットに黄色のカチューシャの少女の顔立ちは中々に整っている。
美少女という表現は決して過言ではない。
身長は圭介の胸の辺りくらいの高さ。仮に女子高生だとするならば、まあ平均的といったところだろう。
戸惑いと緊張の面持ちのまま、少女の瞳が上下に動く。
どうやらこちらと同様に圭介がどういった人物か観察しているらしい。

そこに至って漸く圭介は、自分が「ビーム」の体勢のまま固まっていることに気付いた。

「な、何をって――」

流石に部屋に一人しかいなかったからこその奇行である。
こんなものは決して人前で晒せる行動ではない、と判断できるくらいには圭介にも分別はあった。

「――いつ頃から、見てた?」
「えっと」

人差し指を顎に当て、少女は少しだけ考える素振りを見せる。

「『俺、誘拐されてんじゃん!』の辺りから、ですかね」
「うげ」

それはつまり、一部始終を鑑賞されていた、ということではないか。たちまち圭介の顔に熱が灯る。

「それで、あの」
「は――」
「は?」

「恥を、晒してました」

正直な感想が、自然と口をついた。少女はしばし唖然としていたが、

「ぷ――あ、はは、あははははっ!」

堰を切ったように突然文字通り腹を抱えて爆笑した。

「ご、ごめんなさい――だ、だってこんな変な建物に閉じ込められてるのに
 あ、あんな――あははははっ! と、とにかくおかしくって、ははははっ!」
「いや、マジへこむから。そろそろやめて。でないと俺、そこの壁に頭打ち付けて死ぬよ?」
「あははははっ!」

どうやら今は何を言っても逆効果のようだ。圭介は少女が自然に冷静になるまでもう口を開かないことにした。

穴があったら、ではなく穴を掘ってでも入りたい。
そんなことを思いながら。



[21380] EPISODE-2
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/08/22 22:18
「さて、状況を整理しようか」
「はい」

20分ほど時間が経過し、二人は漸く落ち着きを取り戻した。
圭介は少女をベッドに座らせて自分は立ったまま石壁に背を預ける。若干距離を取ったのは一応の警戒のためだ。
間の抜けた出会い方をしてしまったため緊張感は削がれてしまったがそれでもこのような異質な状況だ。
彼女が完全に無害であると断定するまでは万一の為に備える必要がある。
その際に進路を塞がれないよう互いの位置取りにも気を配っておいた。
今の位置ならば何かが起きても、圭介の方がいち早く扉を開けて外へ飛び出すことができる。

「まずは自己紹介から始めよっか。俺の名は鳴神圭介、広西高校3年生です」
「わたしは森下美雪。神尾女子3年です。同い年ですね――『鳴神くん』って呼んでもいいですか?」
「もちろん。じゃあ俺は『森下さん』で」
「はい、よろしくお願いします」

「OK。さて、森下さん。俺たちはなぜこんなところにいるのだろう?」
「それは――おそらく、誘拐されてきたのではないか、と」
「――だよねえ」

わかっていたことだが今更ながら気が滅入る。続けて美雪は訥々とこれまでの自分の状況を語り始めた。
学校帰りに意識を失った、そこまでは圭介と全く同じ。
少し違っていたのは美雪にはその直前に何か薬の様なものを嗅がされた記憶があることだった。
だからこそ目覚めた時に誘拐された事実をわりとすんなり受け入れることが出来たらしい。

(全く同じ境遇、か)

少女が嘘を語っているようには見えなかった。
もしかしたら被害者を装った犯人グループの一味ではないか、などと圭介は当初疑っていたのだが取り越し苦労だったようだ。

「最初はそれはもう、混乱したんですけど。でも拘束もされてなかったですし。それでまず、慌てて携帯で警察に連絡しようとしました」
「ああ、そっか。携帯――」

圭介は慌てて自分のポケットをまさぐり携帯の所在を確認した。
だがいつもの収納場所に手ごたえがない。
没収されたか、と思いきやそうではなかった。
圭介が身に付けていたものは全て、ベッドのすぐ横のテーブルに整頓されて置かれていた。
携帯、財布、ipod、ハンカチ、その他もろもろ。
圭介は小さなものはとりあえずポケットに入れ込んでしまう癖があったのでテーブルの上の小荷物はちょっとした展示物のようになっていた。
何となく見苦しさを感じたので圭介はテーブルに歩み寄り。
必要なものを素早くポケットに詰め込んで、残りは同じく足元に置かれていた鞄の中に纏めて押し込んだ。

(――ん?)

その際に何か覚えの無いものまで混ざっていたような気がしたがとりあえず気にしないことにする。

「ごめん、続けて」
「はい、でもダメでした。電波は圏外で通じる気配すらありません。部屋の中でも、外でも」

まあ、そんなことで容易に助けを呼べるくらいなら最初から自由に行動できる余地は与えないだろう、と圭介は特に残念にも思わなかった。

「それから――このまま部屋に居続けたら危険かも知れない、と感じて。
 いつ犯人が戻ってきて襲いかかってきたら、と思うと――それで、部屋を出て、しばらく迷ってて。そうしたら」
「間抜けな一人コントをやってる馬鹿な男がいた、と」
「はい」
「いや、そこは否定してよ」
「はい、すみません」

喋っているうちに恐怖が舞い戻ってきたのか冗談に反応もできず、美雪は俯いてしまった。

「そっか――俺もだいたい似たような感じだよ。たださっき目が覚めたばっかり、ってだけ」
「そう、ですか。やっぱり鳴神くんも誘拐の被害者だったんですね」
「――安心した?」
「少しだけ。こんな酷い目に遭っているのがわたしだけじゃないってわかったから」
「それは、俺も同じだよ」

不思議なくらいに冷静な自分がいた。一人じゃないから、前を向いて考えることができた。
もしも彼女に出会わなければ。未だ圭介は現実逃避を続けていたことだろう。
ただただ己の身に降りかかった不幸を呪うことしか出来なかっただろう。
この少女に巡り会えて良かった。最低な現実の中、ただそれだけは感謝できることだった。

「わたしたち――これからどうなるんでしょう?」

己の肩を抱き、不安げに圭介を見上げる美雪。

「そうだね。できればこの辺りで犯人の一味にご登場頂いて、一切合財の説明を要求したいところだけど」

その登場理由が自分たちの始末であると洒落にならない。
そう続けるつもりだったが美雪の恐怖を助長するだけだと気づき、圭介は次の言葉を切り替える。

「とにかく、ここから脱出することを第一に考えないと。どうなるか、じゃなくてどうするか、だよ森下さん」

幸いにして自分たちは身動きが取れない状態であるわけではない。
脱出など出来はしない、と高を括られているのかもしれないが。
それでもただ座して次の展開を待つよりは遥かに効率的に思えた。

「質問がある、森下さん。外の様子はどうだった? ここは結構大きな建物なのかな?」

先程美雪は「迷った末にここに辿り着いた」と言っていた。つまりはそれなりに巨大な施設なのだ。
手入れの度合いからしておそらくは廃病院であるとかそういった類である可能性が高い。

「部屋の外は石造りの迷路です」
「――へ?」

だが、美雪の口から得られた情報はそんな圭介の想像を遥かに上回るものだった。

「わたしが目を覚ました部屋からこの部屋は同じ直線通路にあって一番近かったんですが。
 それでも多分100メートル以上は歩いたと思います。
 しかもその先は、端が全然見えなくて、代わりに曲がり角が幾つも。反対方向も同じような感じでした」
「最短で、100メートルだって!?」

慌てて圭介は外に飛び出し様子を伺った。迂闊な行動は危険だという思いはその時ばかりは抜け落ちていた。

「な――」

その光景は常軌を逸していた。

室内と同じ造りの無機質な壁面が延々と続き、美雪の言葉通り突き当りがまったく確認できない。
逆に目視できるだけで分岐が4つ。
恐る恐る近場の角まで歩を進め、そっとその先を除き見ると――やはり見えない突き当たりに分岐が数々。
この廊下だけが特別に長いわけではない。おそらくこの先も同じだけの距離があると容易に想像できる。

(なんだよ、これ――)

下手をすればこの建物の幅は数キロにも及ぶのではないか。
美雪の「迷路」という表現は誇張では決して無かったのだ。

「――ごめん、勝手に飛び出して」
「いえ」
「参ったね、どーにも」

部屋に戻り、再び美雪と向かい合い壁に背を預ける。どうやら脱出は圭介が考えていたより遥かに前途多難であった。
少し息苦しさを感じた。とりあえず制服のタイを緩めてみる。

(――ん?)

指先に、硬い何かが触れる。その時に初めて「その場所の」違和感に気が付いた。
冷たい金属の感触だった。アクセサリと呼ぶにはあまりにも無骨な何かが。圭介の首を一周していた。

(これ、は――)

何だろう。勿論意識を失う前、こんなものを身に付けていた覚えは無い。
まさか、と思い美雪の首筋を注視する。彼女の首にも銀色に輝く首輪が装着させられていた。

「森下さん、それは?」

美雪の首輪を指差す。
美雪はきょとんとした顔で首筋をなぞり、答える。

「ああ、これですか。何か目が覚めた時には付けられてまして。とりあえず苦しくはないので気にしないようにしているんですけど」
「もしかして、俺の首にも同じものがついてる? 鏡がないから見えないんだけど」
「ええ。たぶん同じものだと思います」
「ふーん。ホントは部屋の何処かに俺たちをこの首輪で繋いでおくつもりだったのかな」

それではまるで奴隷のようではないか。およそ人質としての扱いではない。
そうなると益々このまま留まっていることが得策には思えない。
このままではどんな仕打ちが待ち受けているか、考えるのも恐ろしい。

「わたし、昨晩両親と喧嘩したんです」

美雪が唐突に脈絡の無い話題を繰り出してきた。

「きっかけは本当に他愛も無い些細なことだったんですけど――結局わたしの思いを受け入れてくれなくて。
 それでもう知らないって、そのまま眠ってしまったんです。
 でも朝になってやっぱりこのままじゃ気持ちが悪いからって謝ろうとしたんですけど、生憎両親とももう先に出勤していて」

どうやら美雪の両親は共働きらしい。

「だから――だから家に帰ったら今度こそちゃんと謝って。
 それでわたしの話ももっときちんと聞いて欲しいって思ってたんです。それが、こんな――」

言葉が進むに従って消え入りそうに小さくなる。おそらく少女の胸の内は後悔で満ち溢れているのだろう。

「もし、このまま二度と両親に会えなくなる、なんてことになってしまったら――」

(――あ)

体中の血液が逆流したような感覚に襲われた。
その一言に、圭介は最悪の未来を思い知らされた。

そうか。このまま――殺されてしまう可能性だって無いわけではないんだ。
状況や手口から鑑みて、相手は相当な凶悪犯なのだから。

そのまま美雪は押し黙ってしまった。気まずい沈黙が部屋の中に訪れる。

「と、とにかく悲観的になっても仕方が無い」

それはまるで自分自身に言い聞かせているようだった。
二人して不安で動けなくなる事態だけは何としても避けたかった。
だが次の言葉が思い浮かばない。下手な気休めは今の美雪には逆効果に思える。
それでも何とかして彼女を前向きな気持ちに持っていかねばならない。
こうして巡り会ってしまった以上、まさか見捨てて行くわけにもいかないからだ。

(くそ、何かないか――ああ、そうか)

効果があるかどうかはわからないが一案思いついた。

だが正直気恥ずかしい部分もある。
それでも他に思いつかない以上は、実行に移すしかない。
呆れられようが馬鹿にされようが、とにかく今はきっかけが第一だ。

「はい、注目!」

殊更に声を張り上げ美雪を促す。
何事かと美雪が顔を上げたのを確認し、2歩ほど間を詰める。

「森下さん。さっき俺のお馬鹿な一人芝居、見てたよね? 何かそこの戸棚に向かって『ビーム』とかやってた奴」
「? ええ、まあ――」

思い出すだけで顔が赤くなる。だが掴みとしては悪くない。
とにかく何でもいいからこちらに興味を持ってもらわねばならない。

「残念ながら俺にはビームは撃てない。だけど」

左手を軽く掲げる。その間に右手をポケットへ。


「魔法なら、使えるんだ」



差し出した圭介の右手の平には、100円玉が乗せられていた。
美雪の視線がコインに注がれたのを確認し、圭介は親指でそれを高く弾き上げた。

銀の硬貨が宙を舞い、弧を描く。甲の側を上に向けた左手に着地すると同時に右手を素早く動かし、蓋をする。

待つことほんの数秒。
開かれた右手と左手の甲からコインは綺麗に消え失せ、代わりに左手の「中」からコインが零れ落ちた。

「え? ええ??」

美雪が驚きのあまり声を上げる。一連の動作はまるでコインが左手を突き抜けたかのように見えたはずだ。

すぐさま圭介は今度は左手にコインを乗せ、美雪に見せ付ける。
そして二度、三度。流麗な手つきで手を振ってみせる。

手を振るたびに。指と指の間にコインが増えていった。
都合、4度。それぞれの指の間に4枚のコインが挟まれていた。

「金貨でやれば、俺は大金持ちになれるかもね」

全てのコインを投げ上げ、一度に右手で空中で掴み取る。
開かれた手のひらには最初と同じ、1枚の100円玉があるだけだった。

これこそがかつて圭介を魅了し、そして母親から受け継いだ魔法だった。


そう、何のことは無い。ただの手品だ。
タネさえ理解して少し手先が器用であれば誰にでもできる特技でしかない。
だが、それでも幼き日の圭介には衝撃的なものだったのだ。母との唯一の記憶として今も強く根付いているのだ。


次はハンカチを取り出してみせる。裏、表と閃かせ何の変哲も無いことを見せ付ける。

一瞬だけ宙に浮かせ、ぱちりと両手で挟み込む。
広げられた手の中に折鶴となったハンカチが現れる。

仕込みさえきちんとしていれば最終的には生きた鳩に最後に変化させることもできるのだが流石に今の用意では無理だ。
仕方なく日頃持ち歩いている最小限のタネで小マジックを次々に美雪に披露し、そして最後に。

「では、これをお近づきの印に。ご清聴、ありがとうございました」

何も無い手の中から薔薇の花を一輪出現させ、美雪に差し出した。

「――」

薔薇の花を手にしたままぽかん、と小さく口を開けたまま硬直する美雪。再び沈黙が訪れる。

(――うわ、やっぱやっちまったか)

熱演終わって我に返った圭介は猛烈な後悔に襲われた。

「イリュージョン」とまで呼称される技術の粋を極めた大掛かりなショーマジックならばまだしも。
圭介の操る魔法なぞ所詮は手慰み、趣味の延長に過ぎない。
素人芸としてはそれなりの自信も無いではないが、披露すれば必ず拍手喝采、などといったレベルの代物ではないのだ。

ましてこのような特異な状況。何の脈絡も無く始まった拙いマジックショー。
気が晴れるよりはむしろ、呆れてしまったか。

冷ややかな反応が返ってくる覚悟を決めたその時――

「す――すごいすごいすごい! 鳴神くん、すごいですっ!」
「――え?」

圭介に贈られたのは少女の精一杯の拍手と。満開の笑顔だった。

「わたし感動しました! まるで魔法のようでした! 
 はあ――まさか同世代の男の子で、こんな本格的なマジックが出来る人がいるなんて!」
「い、いやこんなの本格的でも何でもないって、別に」
「そんな謙遜しなくてもいいですよ! ホントに、本当に、すごかったんですから!」

陶酔した面持ちで薔薇を胸元に引き寄せる美雪。無論造花なので棘で指を痛めるようなことはない。

「ありがとう、鳴神くん。わたしを元気付けてくれたんですね」
「ん――え、ええと。まあ――ね」

ここまでの大賞賛になると、満足よりも気恥ずかしさが先に立つ。
心臓が早鐘を打ち、美雪とまともに顔を合わせられない。

「と、とにかく。喧嘩しちゃったことを後悔してるならちゃんとご両親に謝るために何としてもここを脱出しないと。だから」
「うん、わかってる。ごめんなさい、迷惑かけて」

当初の目的は何とか達することが出来た。それならば甲斐はあったと言える。

「これ、大事にしますね。鳴神くんと出会えた記念に」

美雪は制服の胸ポケットに薔薇を挿す。白い花びらが高級そうな生地に彩り良く映えて見えた。

「じゃ、じゃあ落ち着いたら少し外に出てみよう。諦めずに探してみれば出口が見つかるかもしれない」
「了解です、魔術師さん」

まあ落ち着くのに時間がかかるのは俺の方だろうな――未だ冷めやらぬ身体の熱と鼓動を抑え、圭介は口に出さず呟いた。



[21380] EPISODE-3
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/10 21:56
一先ず二人は出口を捜す前に一旦美雪が目覚めた部屋に戻ることにした。

「とりあえず様子見のつもりで外へ出たので、荷物は前の部屋に置きっ放しなんです」
「そっか。じゃあ早速移動しよう」
「え? でも、いいんですか?」

手ぶらで外へと向かう圭介と、テーブル脇の荷物を美雪は交互に見比べる。

「ああ、あれ。いいんだ。どうせ教科書とかいらないものばっかだし。邪魔になる」

教育者の怒りを買いそうな発言ではあったが圭介なりに考えた結果だった。
この先すんなりと脱出口を発見、となるとは思えない。
もしかすれば犯人グループと鉢合わせ、逃亡もしくは乱闘に発展するかもしれない。
そうなると身体を張るのは男である自分の役目だ。その際には出来るだけ身軽である方がいい。

無事脱出成功の暁には警察権力の介入により、うまくすれば返却の可能性もあるだろうという目論見もあった。
まああまり勤勉な学生ではない圭介にそのテの類のものは本当にいらないものにしたいという欲求もあったのだが。

「それに必要なものは全部身に付けてるから。ほら」

圭介は二度、三度と右腕を美雪に振って見せた。その度に携帯、ハンカチなどが手の中に現れては消えた。

「わ、すごい。それ、どうやってるんですか?」
「タネ明かしは厳禁、といいたいところだけど。単に上着に細工してあるだけだよ」

圭介の制服の上着の袖口にはいくつかの小さな収納ポケットが内側に縫い付けてある。
後は熟練の指裁きで指定のものの出し入れを行えば見るものには瞬間的に手の中に現れたように見えるのだ。

「わたしにも、できますか?」
「――できるよ。少し練習するだけでね」

実際はそうではなかった。圭介はこの技を身に付けるためにおよそ半年の自己鍛錬が必要だった。
それでもそう答えたのは美雪に対する気遣いの他に、ある種の自虐も含まれていた。

「さて、と。ここを出て右、で良かったよね?」
「はい」

慎重に、と一つ小さく深呼吸して圭介は廊下へと一歩踏み出した。
左右に視線を巡らせ誰もいないことを確認する。

「落ち着いて。ゆっくり進もう。何が起こっても対処できるように」

無言で頷く美雪を先導する形で一歩一歩、次の部屋へと向かう。
100メートルという距離は思いのほか長く、まだその扉は視認できない。
空気が重い。粘っこい緊張感が圭介の身体を包み込む。
改めて犯罪者の巣の中にいるのだという事実を思い知らされる。

「鳴神くん、何か変じゃないですか?」

その違和感に最初に気づいたのは美雪の方だった。圭介は何事かと足を止め、彼女の方へ振り返る。
足音の反響が静謐を駆け抜け、やがて消えていく。
そうなるのが普通だった。だが――

(まさか――)

消えない。
二人とも足を止めているのに、足音が消えない。
それどころか徐々に間隔が狭まっている。

(誰か、いるのか!? こちらに近づいているのか!?)

慌てて圭介は周囲を警戒する。
間違い無くこれは第三者の足音だ。だとすると何処から?
反響の所為で瞬時に特定は出来なかった。
それが自分たちの進行方向の反対側からのものだと気づくのに約数秒。

だがその遅れは致命的だった。
走って逃げる、その決断と共に美雪に指示を出そうとしたその刹那――


「動くんじゃない!」


覚悟はしていたつもりだった。
危険の只中に身を投じ、荒事すらも厭わず脱出に全てを賭ける、と。

だが認識が甘すぎた。
心のどこかでそんなに酷い目には遭わないだろう、とタカをくくっていた自分がいた。

だから。大声で静止を促されたその瞬間。
本来ならば一目散に前に走り進まねばならなかった圭介の足は、まるで呪いをかけられたかのように動かなくなってしまった。
辛うじて美雪を背中に庇い、声の主と相対することができただけだった。

圭介の目覚めた部屋のすぐ近くの曲がり角。圭介が施設の広大さを思い知った分岐の先。
胸が締め付けられるように苦しくなった。
もしかしたらこれが死の恐怖、なのかもしれないと思わされた。

のそり、と姿を現したその男の風貌は、圭介にそう印象付けるに相応しいものだった。

「いいか、おとなしくしていろ。そのまま――そのままだ」

男がゆっくりと近づいてくる。その足音がやたらと重量感を感じさせる。

圭介の身長は決して低くは無い。男子高校生の平均をやや越えるくらいだ。なのにその男は圭介よりも頭一つ以上は大きい。
さらに驚くべきはその巨躯を包み込む分厚い筋肉だ。はちきれんばかりの胸板は白のポロシャツを引き裂かんばかり。
露出した二の腕は圭介の2倍以上もあり、まるで丸太が両肩からぶら下がっているかのようだ。
加えてぎょろりと獣の如き凶悪な双眸。顔の形がやや歪。所々に浮かび出る細かい傷。
その一つ一つがただ事でない生き方をしてきた証拠に見える。

勝てるわけがない。
もし目の前のこの男を脱出のために打ち倒さねばならぬのだとすれば、結果は明白だ。
この重装甲は刃物ですら貫き通せる気がしない。
あの太い腕を振り払われるだけで、圭介の身体は壁に叩きつけられることだろう。
拳を固めてぶつけられれば、身体の骨は折れるどころか粉砕だ。

圭介とて18年の人生において暴力に無縁だった、ということはない。
人並みに喧嘩の二つや三つしてきた。だがそんな些細な経験がいったい何になろう。

今更ながらに後悔する。もっと遅くに部屋を出ようとしていれば。もっと早くに次の部屋に辿りつけていれば。
そう、自分たちが危険と対峙した際、取れる行動など逃げるか身を隠すかくらいしかなかったのだ。
それなのに何を悠長に構えていた? 対処する方法あっての警戒だろうに!
男は5メートルほどまで間合いを詰め、無言でこちらを観察している。品定めのつもりなのだろうか。

「鳴神くん――」

背後から耳元で、美雪が圭介の名を呼んだ。圭介の肩に添えられた少女の手から震えが伝わってきた。
それだけで少女がどれほどに脅えているか、振り返らずとも理解できた。
体験したこともない窮地に、彼女もまた身体が反応してくれないのだ。
圭介の背中に縋り付くことでしか、その身を支えていられないのだ。

前門に巨人、後門に少女。逃げ場など無い。助けなど勿論来ない。
一歩も下がる事が許されないのであれば――挑むしか、道は無い。

強く唇を噛み締めた。痛みと微かな鉄の味が、幾許かの冷静さを取り戻させた。

そうなると今まで見えなかったものが見えてくる。
脅威にばかりに目がいって、気づくべきことを見逃していた自分がわかる。
圭介ははっきりとした視線で男の顔を見据える。一瞬、男の表情が怯んだ様な気配を見せた。

「失礼――こちらに抵抗の意思はありません」

両手を差し上げ、言葉通りの意図を見せる。元より抵抗は無意味だ。重要なのはここから。
主導権を渡さぬため男が口を開くより先、圭介は続けて言葉を放つ。

「それよりも、まずは話をしましょう。その方がお互いのためになるはずです。貴方も実はそう思っているのではないですか?」
「話――か。そうだな、願ってもないことだ。君たちには色々と聞きたいことがある」

予想よりも随分と丁寧な物言いだった。だがそれ以外はほぼ読みの範疇。

「感謝します。それでは手っ取り早くお互いの疑問を氷解させましょうか」

彼の言う「聞きたいこと」。その内容すらも手に取るように判る。

「俺たちは、誘拐されて、ここに連れ去られてきた被害者です――貴方と同じく、ね」

圭介はきっぱりと断言し、首筋をするりと撫でた。
男の首に嵌められているものと同じ、銀色の首輪を。

圭介にとって幸運だったのは同じ境遇の美雪が同じ首輪を嵌められているという事実に出発前に気付けていたことだ。
故に、腹を決めて冷静になった瞬間男の首輪を発見することができ、そこから同じ立場の人間であると判断できた。

無論、犯人が偽装のために同一の首輪を装着している可能性もある。
だが男はこちらを呼び止めたまま次の行動に移らなかった。
勝手に部屋を移動した圭介たちに戻るよう促すか、さもなくば制裁を加えるか。
二人を遥かに凌駕する体躯を操るこの男が犯人であるならば、そういった行動を取らねば不自然だ。

なのにそうはしなかった。そこまで思考が行き着いた時、確信が持てた。
男も迷っていたのだ。普通なら拉致された自分以外は押並べて犯人である。
だが客観的に見て――無害な学生にしか見えない圭介と美雪に対し、どう接するべきなのか、何から話を切り出したものか。

「な、なんだ――そうだったのか。脅かさないでくれよ」

迷いに迷い、判断を下せなかった。それが沈黙の真相であったのだろう。



とりあえず敵ではないとわかり、緊張の糸が切れたのか男は肩を落として息を吐いた。
思わず圭介は脅かされたのはこっちだ、という言葉が喉まで出かかった。

「いや、ね? 最近巷で流行っているじゃないか、少年犯罪。
 君たちを見つけた時、そんな類の事件に巻き込まれたのかとてっきり思ってね。
 だけど女の子連れでますますわからなくなって――男の子だけが犯人なのか? 
 女の子だけが被害者なら大人の責任として助けなきゃ、とか思ったけど、
 待てよ、もしかしたらこちらも見かけによらずって奴で、とか考え始めるともうどうにも、ね」

圭介の推理がほぼ満点の解答であったことを勝手に語り出す男。
というかそこまで警戒していたなら、たった一言で潔白を信じるのはちと単純なのではないか?
と、圭介は半ば呆れ気味に笑みを浮かべる。
だがまあ、それだけ人の良い男なのだろう。見た目に似合わず。

「――と、まあそういうわけらしいよ、森下さん。もう安心していいから」
「え? あ――はい! 良かった――」

急に話題を振られた美雪は飛び上がるように返事をした。
そして随分と圭介に密着していたことに気付き、慌てて身体を引き剥がす。
名残惜しい、と微かに不満に思う圭介だったが、それだけ自分が余裕を取り戻せていることを良い方向に考えることにした。

「自己紹介が遅れましたが、俺は鳴神圭介。それからこちらが森下美雪さん」
「森下です」
「鳴神くんに、森下さんか。ボクは大門三四郎。空手の道場主をやっている。見たところ、二人とも学生のようだけど――もしかして恋人同士かい?」
「ええ!? え、えと、その――」
「そうです。結婚を前提としたお付き合いをさせてもらってます」
「な! なななな鳴神くんっ!!??」
「と、いうのが俺の願望です。冗談です。残念ながら同じ境遇で誘拐されてきた初対面同士です」
「もうっ! 鳴神くんはホント冗談ばっかりなんだから!」
「はは、羨ましいな。若いってのは」

膨れて地団駄を踏む美雪とそれを宥める圭介を高い位置から見つめながら大門は厳つい顔を柔らかく崩す。

「しかし空手ですか――道理で鍛えられた身体だと思いました。その身長と筋肉なら、相当にお強いでしょう」
「そう言ってもらえるのは光栄だね。ウチの流派にも一応全国大会みたいなものがあって、その無差別級で3連覇させてもらっている」
「――それって日本最強ってことじゃないですか」
「いやいや。ボクなんか図体のデカさで一日の長があるだけで。技そのものは研鑽琢磨の毎日さ」

輝かしい経歴を鼻に掛けた様子も無い、非常に謙虚な姿勢だった。

(しかし――これで三人目、か)

ふと、圭介の脳裏に疑問が浮かぶ。というより今まで考えないようにしてきたことだった。

それは犯人グループの目的。美雪と出会った時点でも腑に落ちなかった。なぜ縁もゆかりも無い他人を二人も攫う必要があったのかと。
だが学生である圭介たち自身に原因があるとは考え辛い。だが二人の親族関係を辿れば共通点が見出せるかもしれない。
だが大門はどうだ? 当然ながらここにいる当人同士は初対面だ。すると大門もやはり自分たちの親族の関係者なのか?

「あの、大門さん――俺たちの名字に、何か覚えがありませんか?」
「名字? うーん、ないなあ。森下さんは兎も角、鳴神なんて珍しい名字は一度聞いたら忘れないだろうから」

やはり、そうか。では大門も本人ではなく、親族の繋がりのとばっちりを受けた? 
そうなると圧倒的に情報量は不足する。今ここで答えを出すことはおそらく出来まい。

「そうですか。では次に、どうやって誘拐されましたか? 俺たち二人はどうも下校中に拉致されたようなんですか」
「拉致――穏やかじゃないな。
 ボクは昨日の稽古を終えて、更衣室で着替え終わった時に猛烈に眠気が襲ってきてそれっきり、だな」

状況から考えうるに、どうやら催眠ガスの類を流し込まれたらしい。
確かに大門ほどの男になると路上で拉致を敢行するのは困難であろう。
だが裏を返せばそうまでしてまで、この屈強な男を誘拐すべき理由があった、ということなのだ。
それは一体、何のために?

「まったく。ボクのような貧乏道場主を誘拐したって何の得にもならないのにな。
 素人に技を使うのはご法度だけど、犯人たちにだけはぜひ正拳を叩き込んでやりたいよ」

そう言って何も無い空間に正拳を打ち込んでみせる大門。
本人は軽く振ったつもりなのだろうが、聞いたこともないような風切り音が唸りを上げた。

「――できれば俺たちは犯人たちに出くわさず、無事に逃げ出したいところですが」
「はは、それもそうか。ん? ということは君たちはここから逃げることを考えているのかい?」
「勿論です。このままおとなしくしていてもどんな目に遭わされることか。
 その前に何とか、と考えています。大門さん、協力して頂けませんか?」
「喜んで協力させてもらうよ。寧ろこっちからお願いしたいくらいだ。
 見ての通りボクは頭脳労働が苦手でね。色々と知恵を貸してくれると助かる」
「ありがとうございます」

一時はどうなることかと思ったが、結果的に事なきを得ることができた。
恐れていた最悪の事態を回避できたことに気が抜け、一瞬圭介の意識が飛びそうになる。
これほどの緊張と恐怖を感じたのは人生で初めてではなかったか。無事に乗り越えることができて本当に良かった。

いや、まだ安堵するのは早い。追い風は感じているものの犯罪者の腹の中、という事実に未だ変わりは無い。
本当に安心していいのは完全に脱出を成功させてからだ――圭介はより一層の覚悟を胸に、再び気を引き締めた。

「ところでそっちの質問は以上かい? なら今度はボクが幾つか聞きたいことがあるんだが」
「え? あ、はい。俺たちで答えられることなら」
「そうか、じゃあまずはコイツの使い方なんだけど――」
(――「コイツ」?)

大門がズボンのポケットに手を入れ、何かを取り出そうとした、その時だった。



遠く、微かに。連続的な機械音と女性の悲鳴が鳴り響いた。



「な、何だ!?」
「――どうやら物騒な事態が起こったようだ。行ってみよう!」
「あ、ちょっと!」

言うや否や、大門は手をポケットから引き抜いて、悲鳴の方向に走り始めた。
進行方向は圭介たちが向かおうとした美雪の部屋の方向。だが大門は瞬く間にその部屋の前を通過する。

「追いかけるよ、森下さん! 悪いけど荷物のことは後回しだ!」
「え、あ、はい!」

慌てて圭介も美雪を促し、後を追う。予定が覆されるのは気分が悪いが、今大門を見失うわけにはいかない。
いざ脱出の段階になれば、大門の戦闘力は必要不可欠だからだ。
自分でも相応に自信があるからこそ平気で窮地に飛び込もうとするのだろう。

(それにしたって「協力しよう」と言った矢先だろう――ホントに脳味噌まで筋肉かよあの人はっ!)

巨大な背中を見失わないように全力で追いかけながら圭介は心の内で毒を吐く。
その正義感と勇猛さには感心するものの、些か協調性に欠ける行動ではないか?
この先におそらく待っているであろう事件や危険に大門ならば対処できるとしても、自分たち二人はそうではない。
団体行動というものをまるきり理解していない。
自分よりも一回りは年齢が上であるはずの大門の無自覚に圭介は苛立ちを募らせる。
後々、しっかりと言い含めておく必要があるな――と、圭介は後続の美雪を気にしながら必死に足を動かした。



――どれほどの距離を移動しただろうか。

いいかげん元の場所に戻れるか、圭介が不安になり始めた頃。
先に聞こえたものと同じ女性の、今度は荒い息遣いがはっきりと聞こえてくる。

(この角の――先か)

先刻大門がその交差を左に曲がったのは確認できている。事件現場はその近くのようだ。

『大丈夫ですか!?』
『い――嫌ああああっっ!!』

大門の声と、続いてまた悲鳴。何が起こっているのかは容易に想像がつく。
初対面で大門に急に話しかけられれば、殆どの女性は驚くであろうから。
取り急ぎ武装集団との遭遇、などという最悪な事態は待っていないようなので圭介はため息一つついて角を曲がり、現場に辿り着いた。


(――な)


何だ、これは。と、二の句が告げられなかった。

思わず目を背け、膝を付きそうになった。

それは異様な光景。圭介の日常からは途轍もなくかけ離れた光景だった。

髪を振り乱し、半狂乱で暴れる妙齢の女性と、それを両手だけで取り押さえる大門。そこまではいい。
だがその少し先に床に転がる――あれは、何だ?



女。いや女であったものと言うべきなのか。
うつ伏せに倒れたまま、ぴくりとも動かない。

それもそのはず、女の衣服には無数の小さな穴が開いていて、そこから夥しい鮮血が噴き出していた。

むせ返るような臭いが鼻をつき、眩暈を引き起こす。
濃い血の臭いと、何かが焦げたような臭いが混じり合っている。


死んで――いるのか。あれは死体、なのか。


それもただの死体じゃない。未だ床を染める赤の広がり具合から見て――死んだのはつい、先程。


急にヒトが、死体と成り果てる。その因果は自己にはない。あの女はおそらく殺されたのだ。


「はあ――はあ――鳴神くんも、大門さんも――走るの、早すぎ、で――」
「来るなっ!」

漸く追いついてきた美雪が角を曲がる前に圭介は大声で制止した。

「え? あ、あの」
「君は見ちゃいけない――この有様を、見るべきじゃない」

か弱い少女にこの光景は酷すぎる。
圭介のぎりぎりの理性が美雪の惨状との邂逅を回避させようとした。

美雪の気配は角の向こうで留まったまま。
只事でない圭介の声に事態は飲み込めぬものの、理解は示してくれたようだ。

「落ち着いて! とにかく落ち着いて、何があったか話してください!」
「いやっ! 離して――離してぇ!」

傍らで大門と女性の揉み合いは続いている。
大門のような風体では彼女に落ち着きを取り戻させるのは難しいだろうが、今の圭介に手を差し伸べる余裕は無い。
流石の圭介も、今までの人生において他殺体などお目にかかったことはなかった。それ故に衝撃は大きいのだ。

しかも――気付いてしまったことがある。

大門の手を振り解こうとしている女性と、物言わぬ哀れな肉塊と成り果てた女性。

その二人の首にも、銀の首輪が煌いていた。


(一体――何が)

最早思考が追いつかない。
自分たちが誘拐された事実と、今の状況。関連性を、何も思いつかない。
ただ、自分も何かを間違えれば。あのような姿になってしまうという恐怖感だけが全身を侵食していく。

圭介の混乱を他所に、さらに事態は留まる事はなかった。惨劇の舞台の登場人物は、これで終わりではなかったのだ。



「ちょっとそこの貴方、いったいその女性に何を――こ、これは!?」
「お、おいノエル、勝手に飛び出すなって、って、うおおおっ!?」



圭介たちがやってきた反対側。その先の分岐からさらに3人の人物が姿を現したのだ。



(――)

最早驚くにも値しなかった。女性が一人に男が二人。
その3人が3人とも、同じ首輪を装着していた。

合計8名。
圭介の知る限り、これほどの大人数の誘拐など聞いたことも無い。

これはもう、怨恨や営利目的の誘拐では片付けられない。
もっと何か――圭介の及びも付かないような大きな力によって、何か特殊なことが起ころうとしている。
それが何であるのかなど、見当も付かない。

圭介は呆然と立ち尽くしたまま、新たにやってきた女性が大門と女性の間に割って入るのをまるで他人事のように眺めていた。




 ゲーム開始より1時間24分経過/残り????



[21380] EPISODE-4
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/10 22:04
「まずは自己紹介でもしておきましょうか。どうやら私たちは同じ境遇に陥った者同士みたいだから」

暫しの後、後からやってきた女性が号令をかけて一同を円座に集めてそう宣言した。

今、圭介たち7人は死体から一番近くにあった部屋に移動している。
大門が発見した女性の介抱を含めて今後何を行うにしても、死体の傍では気が落ち着かない、という彼女の言によるものだった。

「私の名前は波多島乃得留。ノエルと呼んでもらって結構よ。
 上応大学の法学部に所属しているわ――肩書きなんてこの場では意味を成さないかもしれないけど形式として、ね」

乃得留が死体に遭遇して以降の行動は実に迅速で的確なものだった。

まず大門と女性の間に割って入り、説得の仕方が不躾だと一言たしなめて介抱を引き受けた。
次に後の男性二人に毛布か何かを探して死体を隠すように指示を出し、
圭介の計らいで死体から遠ざかっていた美雪を自分たちの元へ呼び寄せる。
さらに全員にその場から今の部屋への移動を促し、
無駄な恐怖を与えぬよう男性陣をなるべく遠ざけてから丁寧に、かつ誠意ある対応で女性の状態の回復に努めた。
その甲斐あって現在女性は簡単な質問になら答えられるほどに気を落ち着かせていた。

大したものだ、と圭介は素直に感心する。大学生、ということは自分とそう歳は離れていないはず。
であるのに圭介はあまりにも非常な事態に動転するばかりで何も行動を起こすことができなかった。
ただ死者が出た、という事実に震える美雪の傍にいることしかできなかった。
尤も、何もできなかった、というのは乃得留以外の誰しもがそうであったのだが。

改めて圭介は乃得留に注目する。腰まで届く美しい黒髪とミニスカートから伸びた曲線が魅惑的だ。
才覚と美貌を持ち併せている、というのは彼女のためにこそ相応しい。

「それからこちらの女性が古谷小枝子さん。まだショックが抜けきっていないから私の代弁になるのは容赦願うわ」
「――古谷、です」

消え入りそうな声で女性が乃得留の名乗りに同調する。
涙に濡れて化粧は落ちかけているがこちらも中々に美麗な女性である。
圭介にはあまり縁の無い、艶かしい魅力がある大人の女性の雰囲気だ。隣に座る大門から、思わず息を飲む音が聞こえた。

「それじゃあ次は――木戸くんと楯岡さん、お願いできる?」
「ああ? ったく、何仕切ってんだよお前は――まあいい。おっさん、先に俺が行くぜ」

二人の男のうち部屋に据え付けられていた木箱を椅子代わりにしていた方の男が小さな掛け声と共に大きく身を乗り出した。

「木戸、亮太だ。もしかしたら俺の顔、どっかで見たことある奴もいるんじゃねえか?」

木戸は大仰にポーズを取ってみせる。だが一同の誰もが呆気に取られるばかりで彼の言葉に同調することはなかった。
みるみるうちに不満を露にし、木戸はぎろりと視線を巡らせ忌々しげに舌打ちする。

「けっ! 反応ナッシングかよ! お前らもテレビくらい見るだろうがよ、ああ?」
「テレビ――というと、芸能人か何かなのか?」

それなりに整った顔立ちをしているので一番高い可能性を圭介は切り出してみる。
どうにも態度が癇に障る上に歳もあまり変わらないようなので敬語を使う気にもなれない。

「あん? まあ、似たようなもんだ。たく、5年前に『天才一年生投手が甲子園に旋風を巻き起こす!』つってマスコミが大騒ぎしてただろうによお」
「だから言ったじゃない。3回戦で負けたチームの選手なんてよっぽど熱心なファンじゃないと覚えてないって」
「黙れノエル! 女のくせにいちいちムカつくんだよてめえはっ!」

突如発された怒号に美雪が小さく悲鳴を漏らす。なるほど、木戸はどうやらかつて高校野球で名を馳せた男であるらしい。
だが5年前、ということはプロにはスカウトされなかったのか? 
一年時以外には甲子園には出場していないのだろうか?
もし彼の輝きが現在も続いているのであれば、流石に圭介の耳にも届く名前であっただろう。
ということは今は栄光とは程遠い位置にいるに違いない。
まるで褒められたものではない彼の態度や物言いには、そういった裏事情が何となく見え隠れしていた。

「――楯岡和志。電工業を営んでいる」

すっかり機嫌を損ねて押し黙ってしまった木戸に代わり、もう一人の男が静かに声を上げた。

規格外の大門には及ぶべくもないが、木戸と同じく均整の取れた長身である。
清潔感のある作業服を身に纏い、落ち着き払ったその立ち姿は木戸とは真逆そのものだ。
ただ帽子とサングラスで表情が隠れていて何を考えているのかは一切読み取れない。
口数が少ないことも含め、底知れぬ何かを醸し出していた。

何よりも先程の死体との邂逅の際、一番反応が薄かったのはこの楯岡なのだ。
乃得留の指示に立ち尽くすばかりだった木戸を余所に、いち早く部屋に飛び込んで毛布を持ち出し、処置を施した。
死体の発見など、珍しいことではないと言わんばかりに。

「こちらの二人とは1時間ほど前に出会ったの。もちろんお互いに面識は無いわ」

付け加えられた乃得留の言葉に小さく頷くと、それ以上話すことはないとばかりに腕組みして壁に寄りかかる楯岡。
どうにも一癖も二癖もある人物ばかりであった。

初対面の人物の紹介が一通り終わったので続いて圭介たちが紹介を始める。
まずは大門、続いて美雪。特に大門の経歴には誰もが驚きの反応を見せた。
唯一木戸だけが露骨に不快感を示していたのは言うまでも無い。

最後に圭介が当たり障りの無い紹介をして結びとなった。

「なる、かみ――圭介、くん?」

そこでふと乃得留が神妙な顔つきになる。

「――ああ、失礼。珍しい名字だな、と思って。他意は無いのよ。ごめんなさい」
「珍しい、ってもノエルさんには負けますが」
「ふふ、その通りね――さて、これで互いの面通しは終わったわけだけど」

乃得留は襟元を少しだけ開き、首輪を見せながら全員をぐるりと見渡す。

「私たちは誰もが初対面で、理由も判らずこの場所に拉致されてきた。その事実に間違いは無いわね?」

6つの首が揃って縦に動く。

「だから何度もそう言ってんだろが――ま、お前ら凡人と違って俺は誘拐されてもおかしくはない資質を持った人間だけどな」
「アンタは少し黙りなさい。それで、何をされるのかと思いきや変に馬鹿でかい施設の中で野放しにしたまま。
 犯人側からの接触は特に無し――不自然にも程があるわね。全く、ワケがわからない――と、言いたいところだけど」

「だけど?」
「――私たちと同じ首輪をした女性が、亡くなった。
 どうして彼女が死ななければならなかったのか、第一発見者の小枝子さんに状況を聞いてみたら意外な事実が判明したの」

「第一発見者? 犯人の間違いじゃないのかあ? あの女が死んだとこ、誰も見てねえんだろうが?」
「言いがかりはよせ、木戸くん! 古谷さんは人殺しなんかじゃないっ!」

大門が声を荒げて木戸を怒鳴りつける。木戸はさして臆した様子も見せずどうだか、と肩を竦めて見せた。

「――話を続けるわ。小枝子さんの証言はこう、よ。
 『首輪のランプが赤く点滅している彼女に出会ったと思ったら、次の瞬間に壁から銃口が幾つも飛び出て彼女の身体を蜂の巣にした』」


「――おいおい、そんな与太話を信じろってのかよ」
「正直、私も俄かには信じられなかった。でも確かに彼女の死体には無数の弾痕が刻まれていたし、
 小枝子さんは勿論、大門さんも圭介くんもそんなことを行える武器なんて所持していなかったわ」
「彼らが犯行に使用した凶器を何処かに隠し、口裏を合わせている可能性は?」
「――私たちが現場に辿り着いたきっかけは銃声と悲鳴を聞いたから。それから到着まで約3分。
 その時には現場にいた二人が一番近くのこの部屋以外に凶器を隠す暇は無いでしょうね。
 そしてこの部屋にそんなものが無い、ということは楯岡さん、さっき貴方に確認してもらったはずよ?」

圭介は乃得留が小枝子を介抱している間、何やら部屋の中を探し回っていた楯岡の姿を思い出す。
あれは、そういう意味があったのか。

「ちょ、ちょっと待って下さい。それが本当だとすると、この建物は所々にそんなマシンガンみたいなものが壁の裏に隠されてて、
 常に俺たちを狙ってる、ってことですか!?」
「恐らくは。そしてそれはある特定の行動を取った場合に起動して、私たちを狙って発射される。この首輪はその行動判定のためにあるんでしょうね」

首輪のランプが赤く点滅していた、という小枝子の証言。そして今は誰の首輪にもそういった反応は見受けられない。
もし今、その「特定の行動」をこの中の誰かが行ったならば、この部屋の壁からも銃口が飛び出してくるのだろうか?

「そ、それじゃあ一刻も早くこの首輪を外さないといつ殺されるかわからない、ってことじゃないか!」
「そ、そうだぜ! それと『特定の行動』てのは何なんだよ! オラ説明しろノエルっ!」
「ふ、二人とも落ち着いて下さい! ノエルさんだって何でもわかってるってわけじゃ――」

「――その解除条件と行動が、これに記載されているのよ」


「――え?」

沈痛な面持ちで、乃得留はポケットから何かを取り出した。手のひらに容易に収まるような、小さく薄型の機械だった。

「それはPDA――ですか?」

自己紹介以外は頑なに口を閉ざしていた美雪が初めて反応を見せた。

「そう。Personal Digital Assistant――携帯情報端末ね。機能の優れた電子手帳、みたいなものかしら。
 これが私が目覚めた時に、枕元に置いてあったわ。
 中に記載されている内容があまりにも突飛で現実味が無かったから一通り目を通してからは放っておいたんだけど――
 もしかしてみんなも持っているんじゃない?」
「ん? ああ、これか――最新のゲーム機かと思って喜んでたら文字ばっか出てきてムカついたから電源切ってそのまま尻ポケに入れてたわ」

木戸がそう言って乃得留と同じ機器を取り出したのを皮切りに、楯岡、小枝子がまったく同じデザインのPDAを乃得留に示して見せた。

「ほら、さっき言いかけただろう? 使い方が解らないものがあるって。これのことだったんだよ」

その風貌に似つかわしくない小型機器を大門が圭介に見せる。これで7人中5人が、同型のPDAを所持していることになる。

「圭介くんと美雪ちゃんは持っていないの?」
「それが――どうも荷物と一緒に部屋に置いてきてしまったらしくて」
「わたしも、同じです」

無駄な小物が多すぎてバッグの中にまとめて押し込み、さらに邪魔になるからとそのまま放置してきた。
そういえばその中に見覚えのないものが幾つかあった気がする。思い返せばそれが件のPDAだったのかもしれない。

美雪もまた、考え無しに部屋を飛び出してしまったせいで荷物一式は今も元の部屋にあるはずだ。
振り当てられたPDAは今、手元には無いらしい。

「そう――じゃあ私の解説が終わったらできるだけ早く取りに戻りなさい。
 もしかするとこれの有る無しは、命にかかわるかもしれないから」

命、というその一言に圭介は思わずごくりと喉を鳴らす。
それが決して大げさなものではないことは、部屋の外の死体が証明していた。
不用意な行動は死に繋がる。それが今の現実なのだ。

「それじゃあとりあえず今はボクのものを3人で一緒に見よう。どうせボクには使い方がわからないし」
「すみません。助かります」
「あ、ちょっと」

一瞬乃得留の制止の声がかかったが、圭介が大門から受け取る方が早かった。
何かまずかったのだろうか、乃得留は仕方が無い、と小さく首を振るばかりだった。
改めて機器を観察する。手にしてみると予想以上に軽く、指で弾くだけで飛んでいきそうだ。
こんな薄型の機械に複雑な回路が組み込まれており、膨大な情報を処理することができるという事実が現代文明の発展をしみじみと感じさせる。
操作は思ったほど難解なものではなかった。
ボタンの種類も3つばかり。その中の一番大きなものを押し込むとたちまち画面が起動する。


トランプの柄を模したマークが小さな画面に表示された。

(へえ、なかなか凝ってるな。でも、「ダイヤの4」ってデザインには中途半端じゃないか?)

そんなことを考えながら違うボタンを操作し、次の反応を窺う。
それが正解だったのかトランプのデザインはディスプレイから消失し、テキストの表示に切り替わった。



 ○ルール・機能・解除条件



まず最上部のタブに3つの言葉が記載されている。
どうやらこのタブの切り替えは左右のボタン、スクロールはタッチパネルで行うようだ。
特に最後の「解除条件」という文字が気になった。解除、というのは首輪のことだろうか?
必要条件を満たすことができればこの忌まわしい首輪を外すことが出来るというのか? 急ぎ画面を切り替える。  



『貴方の首輪を外す条件』 
『4:他のプレイヤーの首輪を3つ取得する。手段は問わない。
   首を切り取っても良いし、解除の条件を満たして外すのを待っても良い。』



(――な)

圭介は愕然とした。
記載されていた情報は確かに圭介の望んだものであったが、その内容は予想を遥かに上回る陰惨なものだった。

首を、切り取る? 例えばあの死体の首を切り飛ばして、首輪を取得しろというのか? 
それほどに酷たらしい惨劇と引き換えにしか、この首輪は外せないというのか?

「圭介くん、PDAの使い方は問題ない?」
「――え? あ、はい。OKです」

乃得留の声が圭介を現実へと引き戻す。慌てて解除条件のページを切り替え、返事をした。
あとはタブの上に幾つかの機能アイコンがあるが、これもタッチパネルで操作できそうだ。一先ずは問題ない。

「よかった。他のみんなも――大丈夫ね? それじゃあ、『ルール』のタブを開いて頂戴。最初の二つを、まず私が読み上げるわ」

誰一人異論は無い。乃得留は一度小さく咳払いすると、よく通る声で「ルール」条項を読み上げていった。



『ルール』
『① 参加者には特別製の首輪が付けられている。
   それぞれのPDAに書かれた条件を満たした状態で
   首輪のコネクタにPDAを読み込ませれば外す事ができる。
   条件を満たさない状況でPDAを読み込ませると首輪が作動し
   15秒間の警告音を発した後、建物の警備システムと連携して着用者を殺す。
   一度作動した首輪を止める方法は存在しない。』


『② 参加者には①~⑨のルールが4つずつ教えられる。
   与えられる情報はルール①と②と、残りの③~⑨から2つずつ。
   およそ5、6人でルールを持ち寄れば全てのルールが判明する。』



「――と、ここまでが各々のPDAに記載されている共通のものみたい。残りの7つはそれぞれ違うみたいね。
 そこでここからは、もし記載されている人がいたら挙手して読み上げてもらえないかしら? ――ああ、それ以外のことは話さなくて結構。
 今後の方針に関わってくるので、例えば自分のカード番号とかは、決して口にしたりしないように。とりあえず③は私のPDAにはないわ」

「あ、この大門さんのPDAに書かれてます。③は俺が読み上げます」

圭介は手を挙げ、乃得留の後を継いだ。
あまりでしゃばりたくはなかったのだがこの「ルール」はこの先絶対必須なものになりそうだ。
まして圭介のPDAは今手元には無い。肝心な事を聞き漏らせば後に相当な苦労が待ち受けていることだろう。

全員一致で「ルール」の確認を行う。そういった流れを今は何としても作っておきたかった。

「待て、鳴神。PDAに抜けのあるルールを書き留めておきたい。少しだけ時間をくれ」

その前に楯岡が待ったをかける。圭介の沈黙を了承と受け取ったのか、足元に置いていたバッグからノートとペンを取り出した。

「あ、じゃあわたし、手伝います」

美雪が圭介の後ろから一歩、楯岡の方に進み出た。

「――手伝う?」
「はい。全部で7人分――必要ですよね? すみませんがノートのページを6枚分、ちぎってわたしに下さいませんか? 
 楯岡さん以外のものをわたしが引き受けます」
「ありがとう、美雪ちゃん。助かるわ」
「――」

その無言の中で、楯岡が何を考えたのか。サングラスで表情が隠されていて読み取ることはできない。
だが程なくノートの最後のページを幾つか纏めて掴み、勢い良く破り捨て、ペンと一緒に美雪に投げて寄越した。

「え、と――それじゃあ改めて」

圭介が③のルールを読み上げ始めた。
その後も情報の共有は順調に行われた。
幸いなことにこの場に現存する5台のPDAで、⑨までのルールを漏れなく補うことができた。

ここまでのルールは以下の通りである。



『③ PDAは全部で13台存在する。
   13台にはそれぞれ異なる解除条件が書き込まれており、
   ゲーム開始時に参加者に1台ずつ配られている。
   この時のPDAに書かれているものがルール①で言う条件にあたる。
   他人のカードを奪っても良いが、そのカードに書かれた条件で
   首輪を外すことは不可能で、読み込ませると首輪が作動し着用者は死ぬ。
   あくまで初期に配布されたもので実行されなければならない。』


『④ 最初に配られる通常のPDAに加えて、
   1台ジョーカーが存在している。
   これは通常のPDAとは別に、参加者のうち1名に
   ランダムに配布される。
   ジョーカーはいわゆるワイルドカードで、トランプの機能を
   他の13種のカード全てとそっくりに偽装する機能を持っている。
   制限時間などは無く、何度でも別のカードに変えることが可能だが、
   一度使うと1時間絵柄を変えることが出来ない。
   さらにこのPDAでコネクトして判定をすり抜けることは出来ず、
   また、解除条件にPDAの収集や破壊があった場合にも
   このPDAでは条件を満たすことが出来ない。』



(――うわ)

明かされていくルールとは別の出来事で、圭介は驚きを隠せなかった。
美雪が何故、他のメンバーの分までルールの書き取りを引き受けたのか、その理由がはっきりとわかったのだ。

都合6人分。
しかも誰のPDAにどのルールが記載されているのか判別できないので③から先は全部を書き留める必要がある。
しかも自分だけが理解できればいい代物ではなく他人に提出する関係上、中途半端な文章構成は許されない。

その膨大で繊細なテキストが、美雪の手によって瞬く間に出来上がっていく。

速記術、という技能なのだろうか。該当者がルールを読み終わってからほんの数秒で一人分の記述が終わっている。
別に急かす理由があるわけではなく、残りの人数分は全ての説明が終わった後に最初に仕上げたものを書き写せばいい。

にもかかわらず――楯岡が自分用の記載のために進行を止めている間に、何と美雪は既に全員分のルール条項を仕上げてしまっていた。



『⑤ 侵入禁止エリアが存在する。初期では屋外のみ。
   侵入禁止エリアへ侵入すると首輪が警告を発し、
   その警告を無視すると首輪が作動し警備システムに殺される。
   また、2日目になると侵入禁止エリアが1階から
   上のフロアに向かって広がり始め、最終的には館の全域が
   侵入禁止エリアとなる。』


『⑥ 開始から3日と1時間が過ぎた時点で
   生存している人間を全て勝利者とし20億円の賞金を山分けする。』


『⑦ 指定された戦闘禁止エリアの中で誰かが攻撃した場合、首輪が作動する。』


『⑧ 開始から6時間以内は全域を戦闘禁止とする。
   違反した場合、首輪が作動する。正当防衛は除外する。』



「それじゃあ、次が最後の⑨。これは私のPDAから。これは、全員分の解除条件ね」



『⑨ カードの種類は以下の13通り。

  A:クイーンのPDAの所持者を殺害する。手段は問わない。
  2:JOKERのPDAの破壊。
    またPDAの特殊効果で半径で1メートル以内では
    JOKERの偽装機能は無効化されて初期化される。
  3:3名以上の殺害。首輪の作動によるものは含まない。
  4:他のプレイヤーの首輪を3つ取得する。手段は問わない。
    首を切り取っても良いし、解除の条件を満たして外すのを待っても良い。
  5:館全域にある24個のチェックポイントを全て通過する。
    なお、このPDAにだけ地図に回るべきチェックポイントが全て記載されている。
  6:JOKERの機能が5回以上使用されている。
    自分でやる必要は無い。近くで行われる必要も無い。
  7:開始から6時間目以降にプレイヤー全員との遭遇。死亡している場合は免除。
  8:自分のPDAの半径5メートル以内でPDAを正確に5台破壊する。
    手段は問わない。6つ以上破壊した場合には首輪が作動して死ぬ。
  9:自分以外の全プレイヤーの死亡。手段は問わない。
 10:5個の首輪が作動しており、5個目の作動が
    2日と23時間の時点よりも前で起こっていること。
  J:「ゲーム」の開始から24時間以上行動を共にした人間が
    2日と23時間時点で生存している。
  Q:2日と23時間の生存。
  K:PDAを5台枚以上収集する。手段は問わない。』




(何だ――これは)

美雪の手によって書き上がり配布されたルール一覧に、圭介は言葉を失った。

まず屋外が侵入禁止エリア。
仮に出口を発見したとして、一歩でも建物の外に踏み出せば、その時点でルール違反。全自動に抹殺されることになる。
ここまで完璧なシステムが構築されているというのなら、なるほど自分たちを拘束しておく必要は無い。
それどころか圭介の当初の目論見は、これで完全に打破された。
危険と隣り合わせ、どころではない。屋外への脱出は地獄への片道切符そのものだ。

そして73時間を経過した時点で首輪をつけたままであれば、建物全域まで拡大された侵入禁止エリアにひっかかりこれまた抹殺。
逃げても死、おとなしくしていても死。助かりたくば何としてでも首輪を外さなければならない。

とはいえそんな簡単に外せるものであればわざわざ誘拐した意味が無い――と、思いきや解除条件はきっちりと明記されている。

なぜだ? わざわざ生存の抜け道を用意して、犯人たちに何の得が有るというのだ?

これでは、まるで――


「――何だか、ゲームのルールみたいですね、これ」

圭介の思考を読み取ったかのように、美雪がぽつりと呟いた。

「そう、だね」

作り笑いを浮かべて無難に相槌を打つのが精一杯だった。




 ゲーム開始より2時間13分経過/残り70時間47分


【プレイヤーカード:開示】
・「4」:大門三四郎



[21380] EPISODE-5
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/10 22:10
「そう、だね」

作り笑いを浮かべて無難に相槌を打つのが精一杯だった。
そう。まるでこれはゲームだ。
時間と行動範囲を制限され、その中で条件を達成してみせる。自分たちはそんなゲームのプレイヤーだ。

成る程、合点がいった。
大門と遭遇した時点で浮かんだ疑問。相互に繋がりの無い多人数を拉致した理由。

それは、このためだ。この「ゲーム」を開催するにあたり、13名の「参加者」が必要だったのだ。

馬鹿げた結論。我ながらそう思う。
だが複雑な分岐や壁に埋め込まれた警備システムと呼ばれる自動銃器。
そんなものをわざわざ組み込んだ巨大な施設を「彼ら」は建築している。
全てはおそらくこの「ゲーム」のために。

そしてこの「ゲーム」を最も遊戯じみたものにさせているのが、13人の参加者に設定されたそれぞれの解除条件。
その種類はさまざまで、難易度の格差も激しい。
オリエンテーリングじみた簡易な条件のものから、「皆殺し」が条件のものまである。 

「でも、この『死亡』とか『殺害』ってのの扱いがわからないんだよなあ。
 あれかな、『まいった』でもすれば死んだことになるのかな?」

この期に及んで大門はまだそんなことを言っている。
美雪の「ゲームみたい」という発言に気が軽くなったのか。
それともあまりに簡単に物騒な単語が羅列しているせいなのか。
ルールに違反すれば命の危険に関わることまでは解っていても、その先にまで考えが及ばないらしい。

死亡も殺害もおそらくそのままの意味だ。

例えば「3」のカードを持つ者は、自分の命を守るために3人の命を犠牲にしなければならない。
他にも殺人が直接明記されてはいないが、もしかすると禁を犯さねば達成できないのではないかと思われる条件も存在する。

助かりたくば、人殺しをしてでも条件を達成せよ。
自分の命と他人の命を天秤に掛けよ――「彼ら」はそう言っているのだ。

とんでもないことに巻き込まれてしまった。これが現実だとは、俄かに受け入れ難い。

だけど。これは紛れも無く夢ではない。圭介ははっきりと認識している。

――泣こうが喚こうが目の前の今が俺にとっての真実だ。
――悪ふざけや冗談で茶化すことはあっても、俺はもう二度と逃げ出さない。
――現実から目は逸らさない。あの時、そう誓ったのだから。

負けてたまるか――圭介は腹に力を入れて、折れそうな背中を何とか立て直す。

気を取り直し、他のメンバーの様子を観察する。
一様にルール一覧に視線を落としたまま、誰一人として口を開かない。
それぞれが、どれほどに事態の深刻さを受け止めているのか。
今の状態でははっきりとはわからない。

「――酷い話だわ、まったく。人の命を何だと思っているのかしら」

肩を落としながらも声を発したのは、やはりここまでリーダーシップを執っていた乃得留だった。
これまでの彼女の仕切りからして、どうやらこの異常な「ゲーム」の信憑性を圭介よりも先に真摯に受け止めていたようだ。

「とは言え逃げることも隠れることも出来ないんじゃ今のところはどうしようもないわね。
 一先ずはこのルールに従う他はないわ」
「へえ、ルールに従う、か。ならここにいる俺たちで、殺し合うっきゃねえってことかよ」

木戸が深く唸るような声で乃得留を威嚇する。
先程までの軽快な憎まれ口は今や見る影も無い。

「殺し合う? 冗談じゃないわよ。だってそんなこと、する必要無いじゃない」

だが意外にも乃得留はあっさりとゲームの根本を否定した。

どういうことだ? 解除条件も含めてのルールのはずだ。
それに従うというのなら、それは命の奪い合いに参加する、ということではないのか?
まさか所詮は彼女も口だけで、愚かにも事態を楽観視しているというのか?

「はいはい圭介くん、そんな怖い顔しない。心配しなくても、私はちゃんと理解してるわよ」
「――俺、別に何も言ってませんよ」

だが図星だった。
美雪の速記術と同様に、乃得留には読心術の心得でもあるのだろうか。

「よく聞いて。確かに13種類の解除条件は物騒なものばかり。
 命綱のPDAを奪われたり破壊されたりしたらその時点で首輪は解除できないし、
 首輪が安全な手段で取得できなければそれこそ首を切り取る以外に集める方法は無いかもしれない」

その通り。大門の解除条件はそういった意味合いのものであるし、
「8」、「10」、「K」の条件はそのまま5人の殺害と同意だ。
殺人がそのまま明記されているものは言わずもがな。
ほぼ半数が誰かを殺さねば生きられない以上、狙われる側も応戦せねばならない。

これが命の奪い合いでなくて、何だと言うのだ。

「でもね、これはわざと物騒な言葉を並べて、私たちを『殺し合うしか助かる方法はない』と思わせたいだけなのよ。
 こういうの――ええと、何て言ったかしら。ミス――」

「ミスディレクション」
「MISDIRECTION、ですね」

圭介と美雪が同時に答えた。

「そう、それ」

ミスディレクション――手品のテクニックの一つだ。
特定の動作や場所を隠すため、わざと別のものを注目させる。

例えば右手を大仰に突き出せば、そこに何かあるのではないかと観客は注目する。
その隙を縫って左手で秘密の動作を行うのだ。
言葉にすればこれほど単純なことはない。
だが一流のミスディレクションは、真の動作を決して悟らせることはない。
ゆえに観客は奇跡を目の当たりにしたような錯覚を受け、魔術に魅了されるのだ。

「情報操作による思考の誘導。わざわざ全員分の解除条件を公開している理由は私たちを争いの方向へ導くためよ。
 『誰かが自分の命を狙っているんじゃないか? だったら協力なんてとても出来ない――』ってね。
 でも、本当にそうかしら? 私はそうは思わない。私のPDAには最初から⑨が書かれていたから、みんなよりも長い時間、
 解除条件について考えることができた。そして出た結論はズバリ、『協力した方が遥かにリスクは少ない』、よ」

「そう――なんですか?」

乃得留の右隣に腰掛けていた古谷小枝子が、初めて反応した。
依然顔色は蒼白のままだが会話に参加するくらいには回復したようだ。

乃得留は意思を持ってはっきりと頷くとルールの⑨を指差す。

「順を追って説明するわ。
 ポイントは、『それぞれの解除条件を達成するために何が必要であるか』、ということ。
 この点をしっかりと考えれば自ずと答えは出るの。
 まずは『首輪の解除のために自力での達成が見込まれ、かつ他人に危害を加える必要もないもの』。これが――『5』と『Q』」

「5」の解除条件はチェックポイントの制覇。
「Q」は71時間の生存。
なるほどこの2枚のカードにおいては争いの必要性は無く、
逆に信頼できるという確信があれば協力者はできるだけ多い方がいい。

「次に『首輪の解除のために他人の「協力」が必要不可欠なもの』。これは『J』ね」

「J」は1日以上行動を共にした人間と、71時間一緒に生存しなければならない。
相棒となるべき人間が必要であることに疑いは無い。

「――となると、『J』と『Q』が一緒に協力できるのがベスト、ということですか」
「そうね。そうなれば、お互いを裏切る理由が無いもの」

規定の時間まで生き延びなければならない「Q」と生かし続けなければならない「J」。
条件はぴたり綺麗に一致する。
確かにここまでの条件に該当する人物は、協力関係を結ぶ方が生き延びるには遥かに得策だ。

だが問題はここからなのだ。
残りの10枚のカードは他人の解除条件を阻害せねば解除は成り立たない。
それこそが協力に難色を示す原因であるのだ。

この難題に対して、乃得留は如何な解答を持って安全な結論を出したというのだろうか。
圭介たちはただ黙って演説の続きを見守る。

「ここからは分類ではなく一つ一つ問題点を解析していくわ。さし当たって簡単なものは――『K』、かしら?」

「え? 『K』? それはおかしくないですか?」
「あら、どうして? 圭介くん」
「だって、『K』の解除条件は他人のPDAを5つ収集することですよ?」

乃得留の仮説の前提は協力であるから、この場合は「K」の所持者に対して譲渡、という形になる。
だがPDAはいわば自身の首輪の鍵。
それを差し出す、ということは即ち命を投げ捨てると同意ではないのか?

「鳴神くん。『K』は解除が成功すればPDAは返してあげられるんです」
「え? あ――そうか!」

美雪が解答を示してくれた。
そうなのだ。「K」の条件はあくまで「収集」のみ。
条件を達成すればその時点で集めたPDAは不必要となる。
あとは元の所持者に速やかに返却すればいいだけの話ではないか。

「いや――待て待て。でも一つ問題点があるぞ。そのPDAが無事に返ってくる保証はあるのか?
 何せ生存者は20億円を分配だ。
 自分の命が助かったと決まれば欲が出て借り受けたPDAを破壊したりするんじゃないのか? 『K』は」

未達成の状態で気安くPDAを一時譲渡し、破壊される。
そうすればゲームオーバーだ。
5つのPDAを同時に破壊されれば5人の命が失われる。
その危険性を考えれば誰も「K」の解除に協力しようとは思わないのではないか?

「――かも、しれないわね。でも圭介くん、よく考えてみて? 
 『K』が条件達成後にその凶行に及んだ瞬間、5人以上の敵を作ることになるのよ?」

「――なるほど」

命綱のPDAを貸し出す以上は返却が前提で、目の前での解除が望まれるのは必然。
そんな状況下で邪な行動を起こせばたちまち制裁が加えられるのもまた必然。

「K」の立場を簡単に纏めてみる。
条件達成のために「強奪」という手段を取れば5人のプレイヤーを敵に回すことになる。
無害を装い「詐術」を使えば解除は出来ても生存が絶望的。
対して「協力」であればまったくのノーリスク。

不思議なものだ。まさか解釈の仕方一つでこうも身の振り方が反転してしまうとは。

「――王は決して、暴君であってはならない。ってとこですかね」

「ふふ、上手い事言うわね。
 あ、ちなみに『K』は圭介くんたちがPDAを持ってきてくれれば今のメンバーでも解除は可能だから。
 もしこの中に所有者がいるのであればすぐにでも解除できるから申し出た方がいいわよ?
 尤も――駆け引きの関係上、戦闘禁止エリア解除の後、ってことになるけど」

そうでなければPDAを破壊されてもルールの⑧に抵触し、取り押さえることができない。
乃得留のロジックはどこまでも慎重で、完璧だった。

「名乗り出る人は――いない、か。まあ、いいわ。じゃあ次、『2』と『6』。
 これはお察しの通り、JOKERさえあれば解除は簡単よ」

「2」の条件はJOKERの破壊で、「6」はJOKERの5回以上の使用。

「簡単とは言うが、使い方次第で強力な武器となるJOKERを所有者がおいそれと差し出してくると思うか?」
「だって協力するんだもの。人を騙す以外に使い道のないJOKERなんて隠しても仕方が無いじゃない。
 もちろん『6』を解除してからJOKERを破壊するのが絶対条件よ」

楯岡の発言を乃得留はばっさりと斬り捨てる。

「さて、ここまでで合計6つのカードの条件達成の安全性が確保されたわ。この先は方程式よ」

――なるほど、方程式、か。
さすがに圭介にも理解できた。
ここからは「解除が成功したプレイヤーがいる」という前提で話が進んでいくのだ。

「な、なあ、鳴神くん。
 ボクは頭が悪いからノエルさんの言いたいことがいまいち理解できないんだが――方程式って何なんだ?」

大門が背中を丸くして乃得留に聞こえないように小声で囁く。
その渋面からしてどうやら早い段階で話についていけず混乱を来しているらしい。

やれやれ、と圭介は肩を竦めて美雪に目配せした。
先程からその片鱗を見せ始めている聡明な少女は圭介の意図を即座に見抜き、大門にそっと耳打ちした。

次は、大門さんの番ですよ、と。

「じゃあ、次は『4』ですね」
「はい、ご名答。生憎『5』、『J』、『Q』は解除に時間がかかってしまうけれど、
 『2』、『6』、『K』は早い段階での解除が見込まれるわ。
 そうなると――私たちの手元には、3つの首輪があることになるわね?」

あ、と大門が驚きの声を上げた。
今、圭介たちが3人で覗き込んでいる大門のPDAのカードこそが、「4」なのだ。

他のプレイヤーの首輪を3つ所得。
その後の首切りの補足説明によって無駄な恐怖を煽っていた解除条件。

だがそれも乃得留の思惑通りなら、こんなにも簡単に解除が可能なのだ。

先程の「方程式」という言葉を借りるならばさしずめ「『2』+『6』+『K』=『4』」というところだろうか。

「これで『4』も解除完了。『首を切り取る』なんて非人道的な手段を取らずともまったく問題無いってこと。
 そして首輪を外せた以上、今度はその鍵である個人個人のPDAすらも不要であるから――」
「――誰にも不幸な影響を与えることなく、『8』の条件を満たすことが可能、というわけですか」

「8」の条件はPDAをきっちり5つ破壊すること。
収集のみが解除条件である「K」とは違い、「8」は解除後の返却すらままならない。

だがその役目を果たした後のPDAであるならば、破壊に何の障害も無い。

「2」、「4」、「6」、「K」、そして「5」、「J」、「Q」のいずれか。
このうち5つの解除の達成を待って後に破壊行動を行えばいいのだ。

「あとは外れた首輪を5つ作動させれば『10』だって解除できるし、
 協力者が多ければ全員遭遇が条件の『7』の解除だって容易いものだわ。
 どうかしら? 長々と喋ってしまったけど、これが私のプランの全容よ。
 『戦うことに意味は無い』ってわかってもらえた?」
「うーん、すごいな、ノエルさんは!」

まるで拍手でもしそうな勢いで大門が感心の意を示した。


だが――そんな風に納得の表情を見せたのは彼一人だけだった。


「おい待て、ノエル」


忙しなくPDAをいじくっていた木戸が顔を上げ、乃得留を睨み付けた。

「――何かしら?」
「何かしら、じゃねえだろ。まだあと3つ――残ってるだろーが」

彼の顔色が蒼白となっていたのは決して照明の加減のせいではないだろう。

そうなのだ。乃得留が条件の解析を行ったのはここまで全部で10。カードの種類は13種。

木戸の言う通りあと3つ、「A」、「3」、「9」の安全な解除方法については言及されていない。
しかもこの3種こそが全ての条件の中でも指折りの苛烈な解除条件なのだ。

それでもここまで考えも及ばなかったルールに潜む安全性を開示してきた彼女なら或いは――
と希望の篭った全員の眼差しが乃得留に集まる。

だが次の瞬間、


「残り3つの安全な解除方法は――今のところ、無いわ」


彼女とて万能の存在ではない、ということを皆が思い知ることになった。


「『A』、『3』、『9』は条件に殺害や死亡が含まれている完全なるキラーカードよ。ルールに沿う以上は、どうしたって犠牲は免れない」


「A」の条件は「Q」の所持者の殺害。
「3」は3人以上のプレイヤーの殺害。
「9」にいたっては自分以外の全員の死亡が条件となる。

今までのカードの条件は巧みに言葉の裏を取ることでその危険性を回避できた。
だがこの3種においては完全に逃げ場は無いのだ。

「おいおい、そんな不完全な持論で講釈ぶったれてくれたのかよ! なぁにが『殺し合う必要は無い』、だよ偉そうに!」

ここぞとばかりに木戸は乃得留を責め上げる。
だが先程までの皮肉交じりの高慢な態度とは違い、言葉の端々に怯えにも似た感情が窺えた。

もしかして木戸のカードは――彼がなぜこうも乃得留に噛み付いてくるのか、その理由がわかった気がした。

「――その前提を撤回するつもりはないわ。生憎ね」

乃得留の表情に若干の影が差したがそれでも木戸の辛辣な視線を受け止め、一歩も退かない。

「もしも、私の案を理解してもらえるなら、13人のプレイヤー中、10人の大勢力が出来上がることになるわ。
 逆に残りの3人は手を組むわけにはいかない。『3』と『9』は互いに殺害対象だもの。
 となると――たった独りでこの人数を相手取れる?」

(な――)
「なん、だと――ノエル、まさか、てめぇ――」
「そうよ」

乃得留の発想には驚かされるばかりだった。だが今回は格別だった。

何という悪魔的発想なのか。彼女の言う「殺し合う必要が無い」とは。
決して「そんなことをしなくても無事に帰れる」という意味だけでなく。


「私は別に、『全員の命を助けたい』、なんて聖人ぶるつもりは無いわ」


キラーカードを持つ者には「戦っても負けるだけだから諦めろ」という意味まで含まれていたのだ――



「このくそアマっ! ぶっ殺してやるっ!」
「よせ木戸、まだ戦闘禁止エリアが解かれていない、ここで暴れると警備システムが発動するぞ!」
「くっ――」

楯岡の制止で木戸は心底悔しそうに唇を噛む。

「ああ、付け加えるなら『ルールに沿って安全に解除する方法は今のところ無い』ってところかしら。
 もし3種のカードを引き当てていても、大人しく告白して拘束されることを承諾すれば、
 余った時間で別のアプローチで首輪を外す手段を考えてあげられるわ。
 例えば、ワイヤーカッターか何かで物理的に首輪を切断する、とか」

気休めにもならなかった。そんなことが可能であるならば、この「ゲーム」はとても成り立つものではない。

「くそがっ!!」

木戸は足元の木箱を蹴り上げた。
誰もいない方向に向けて戦闘行動と取られないようにという計らいはまだ彼の中に残っていたらしい。
そのまま足早に出口へと向かう。

「ちょっと、何処に行くつもり?」
「うっせえ! こんなバカどもとこれ以上一緒にいられるかってんだっ!」

「――いいの? 今の状況でこの場を去るってことは『自分がキラーカードを引き当てました』って告白してるようなものなんだけど」
「けっ! こんだけバカ騒ぎしてりゃもうバレバレだろーが――おいノエル、覚悟しとけよ。
 ここまで俺をコケにしたんだ。もし戦闘禁止エリアが解除されてまた俺と出会って、無事で済むと思うな――
 せいぜい怯えて逃げ回るこったなっ!!」



乱暴に扉を閉める音がして。
木戸亮太は圭介たちの前から姿を消した。



そしてややあって。

「――あ」
「! ノエルさんっ!」

糸が切れたように乃得留の身体がその場に崩れ落ちた。





 ゲーム開始より2時間50分経過/残り70時間10分



[21380] EPISODE-6
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/10 22:17
「! ノエルさんっ!」

慌てて小枝子が支えようとするが、彼女の細腕では完全に抱き止めるに至らない。
二人纏めて床に倒れそうになるところをたまらず圭介が飛び出し、二人の背中を両腕で押した。
勢いで2、3歩たたらを踏むが何とか寸前で大惨事を食い止めることができた。

「――大丈夫ですか」
「ありがとう圭介くん、小枝子さん。大丈夫――大丈夫よ」

力無く微笑みを浮かべて見せる乃得留。
おそらく今までの一言一言が心身に負担をかけていたのだろう。
それが木戸の離脱によって一気に噴き出してしまった、というところなのだろうか。

「でもノエルさん、さっきの言い方はあまり感心しないな。
 あんな売り言葉に買い言葉じゃあ――木戸君が怒って出て行ってしまうのも無理は無いよ」
「どの道、キラーカードの所持者とは協力関係は結べませんから。
 下手に希望を持たせたくなかったんです」

床に腰を落ち着けながら、乃得留は静かに呟く。

「しかし、あれでは木戸くんが可哀想だ」
「わかってます。短い間でしたけど、私も一緒に行動した間柄ですから。
 できればここにいる全員で生還できれば、と思っていたのだけれど――やっぱり、ショックだわ」

木戸は確かに横柄で不遜な態度の持ち主だった。
だがその報いがカードに表れたわけではないはずだ。
彼もまた自分たち同様、この「ゲーム」に巻き込まれてしまっただけの哀れな被害者なのだ。

乃得留もそれをわかっている。
だが彼女の「理想」のためには、今のままでは木戸は切り捨てなければならない。
それは乃得留にとって、どれほど苦渋の決断であったか。
今の彼女の状態が何よりも物語っていた。

「波多島。疲れているところ悪いがまだ問題点が残っている。それをはっきりとさせておきたい」

楯岡が抑揚の無い声を、乃得留に向かって投げかける。

「――何かしら?」

「JOKERの存在だ。ルールによれば、他のPDAとそっくりに偽装できる特殊なPDAが13種以外に存在するらしい。
 木戸はあっさりと自分のカードが危険なものだと認めたが、
 このJOKERがあればお前の言うキラーカードを別のPDAに偽装して非戦同盟に潜り込み、中から食い破ることができる。
 所持してない者も、JOKERの存在が気になって疑心暗鬼を起こすのではないか?
 そうなると協力関係を結ぶのは困難に思えるのだが」

成る程、着眼点は悪くない。むしろそのJOKERなるワイルドカードは、そのために用意されたものであろう。

例えば「3」の持ち主がJOKERでPDAを「5」に偽装し、他の安全なカード所持者に同盟を持ちかける。
「5」の解除は他人を危険に晒すものではないので、おそらくその申し出は承諾されるであろう。
そうして信頼させておいて、油断したところを殺害する。この危険性を楯岡は危惧しているのだ。
さらにその不信が蔓延すれば提示されたPDAにすら確証が持てなくなり、
結果的に乃得留の計画も暗礁に乗り上げる可能性がある。

「確かに、JOKERの存在は脅威ね。でも、偽装なんてそう簡単に出来るものなのかしら?」

どうやら乃得留はこの楯岡の疑問もまた想定していたらしい。
さして考える素振りも見せず、はっきりとした視線を楯岡に返す。

「ほう――聞かせてくれ」

「まずJOKERによってPDAを偽装しなければいけない状況。
 それはさっき楯岡さんが言った通りの状況よ。
 つまりは『キラーカードの所持者が自分は安全だと思わせたい』状況、
 協力関係を偽ってだまし討ちを画策している場合ね。
 さて――今まさに、その該当者がここにやってきたとしましょうか。
 さて、その人はいったい何のPDAに偽装するのかしら?」

乃得留は楯岡だけでなく、圭介と美雪にも視線を向ける。
それをある種の挑戦と受け取り、圭介は真剣に思考を巡らせる。

「そう、ですね――できるだけ安全なカードでないと信用は得られないでしょうから」

まさか「3」の所持者が「9」に偽装するなどバカなことはするまい。
かといって先程安全性が解明された「8」や「K」ではいささか説得力に欠ける。

「『2』、『5』、『6』、『7』――あとは『J』、『Q』あたりかな?」
「鳴神くん、『Q』は除外していいと思います」
「え? なんで?」
「『Q』は『A』に無駄に狙われる可能性があるからです」
「あ、そっか」

「まあ、そんなところかしらね。じゃあ仮に――『2』に偽装したとしましょう。
 果たしてその偽装は成立するのかしら?」
「え? それは――成立するんじゃないんですか?」

「2」は別段危険な解除条件のPDAではない。特に協力に問題があるようには見えないのだが。

「なるほど、そういうことか」
「そうですね――偽装は難しいように思えます」
「あ、あれ?」

ところが楯岡と美雪の答えは成立せず、だった。

「――どういうことです?」

乃得留が悪戯っぽい笑みを浮かべているところを見るに、どうやら二人の方が正解らしい。

「圭介くん、残念ながら一つ見落としがあるわ。今ここに6人いるわけだけど――
 その中で君が知っているカードは大門さんのものだけでしょ?」
「え? あ、そうか!」

現在圭介が把握している現在のメンバーのカードは今手元にある大門の「4」のみ。
しかし他の4人のPDAは未だ公開されていないので謎のままだ。となると。

「もしかしたらこっちに本物の『2』がある可能性があるのか!」

例えば乃得留が伏せているカードが本物の「2」であったとする。
だがそこにもう一枚の「2」の持ち主が現れれば。
その時点でJOKERによる偽装の目論見が白日の元に晒されてしまうのだ。

「そういうこと。安易に無難なPDAに偽装しても、相手のカードがわからなければ完全な偽装は成立しないのよ」
「なるほどねえ――あ、でも裏を返せば相手のカードを全て知っていれば偽装は成立するってことですよね」
「その通り。だからこそ私たちはできるだけ早く、より多くの参加者で協力関係を築かなければならない。
 仲間になってくれた人たちの中にJOKER所持者がいればまず問題無し。
 今後偽装の脅威をまったく考えなくていいし、『2』、『6』の解除も速やかに行える。
 もし所持者がいなくても、まだ見ぬ所持者に偽装を躊躇わせるには十分だわ」

6人いればそこには6種のカード。
しかも協力しているということになれば危険なカードは含まれていない、ということだから、
JOKER偽装に適したカードがその集団に集結している可能性が高い。
そうなればますます偽装は困難なものとなる。

「ふーむ。なんだかどんどん難しい話になってきたな。古谷さん、どうです?」
「――大よそは。騙される心配はあまりない、といったところでしょうか」
「そうですか。頭の悪いボクにはさっぱりですよ、はは」

いつの間にか大門が小枝子の隣に場所を移動していた。
先程からの細かな反応から見て、どうも大門は小枝子に対して思うところがあるらしい。

「私から説明できることはこれで全部よ。さて――」

改めて乃得留が全員をぐるりと見渡す。

「以上の事を踏まえた上で。
 圭介くんと美雪ちゃん以外の方に、私に協力できるか否かの判断を下してもらいます。
 二人は悪いけど自分のPDAのカードが判明してから、ね」
「――わかりました」

自身のカードが不明のままでは安易な約束は取り付けられない。
キラーカードの所持者は本人の意思に関わり無く同盟から弾き出されるのは、
今までの説明と先程の木戸の件が示しているからだ。

正直、酷な言動だと思う。
だが根拠の無い正義感で諭されるよりは余程に圭介には納得が行った。

「協力の証明はもちろん正しいカードの提示。
 ただ、単純に見せるだけではJOKERの偽装が成立する条件を生み出してしまう可能性がある」

一瞬圭介は乃得留の言葉の意味がわからなかったがすぐに解答にたどり着く。

例えば乃得留、大門、小枝子の順で全員にPDAのカードが提示される。
そしてそれが安全なカードだったとする。
しかし残りの楯岡がJOKERとキラーカードの所持者だったとして。
するとJOKER偽装が成立する条件、「相手のカードを全て知っている」状況になってしまうのだ。

女性二人を含む3人では本気で殺意を持った相手に対抗するにはやや不安が残る。
返り討ちのリスクをJOER使用者に躊躇わせるにはまだまだ人数が足りない。
乃得留の危惧はそんなところであろう。

「なので、今から協力を申し出てくれる人には一種の『手続き』を取ってもらうことになるわ。
 まず私のカードは――これ」

そう言って乃得留は自分のPDAを表にして目の高さに掲げた。
その絵柄は――スペードの「10」。

「条件は、5個の首輪の作動。でも私には5人の命を奪うことなんてとても出来ない。
 そんな凶行に及んで条件を成立させようとしても、その前に危険な相手とみなされて逆に殺されてしまうわ。
 だから『外れた首輪を作動させる』方が遥かに安全だと考えたわけ。
 これが私がみんなと協力関係を結びたい一番の理由よ」

ともすれば相手に恐怖を与えかねない、キラーカードに近しい性質を持つ「10」。
だがそんなカードを与えられてなお、乃得留は協力して欲しいと提言した。
5人を殺して条件を達成するのではなく、5人の命を救って自らも救われたいのだと。

彼女のカードが本物であるかどうか。それを今、判別する方法は無い。
だがあまり偽装しても意味の無い「10」であること、
自分以外のこの場にいる5人のカードが不明のままに自分のカードを明かしたこと。
以上の点において、乃得留が嘘を言っていないことはほぼ確実であると言えた。

「このカードの所持者であるから私が信用できない、だから協力できない。
 と言うならそれも結構。でも自分のカードがキラーカードでないならば、
 単独行での条件達成は難しいということはさっき説明した通りよ。さ、ここからが『手続き』になるわ」

PDAをポケットに戻し、乃得留は続ける。

「もし協力できる、という人は私にPDAのカードとJOKERの有無を『他の人にわからないように』教えて頂戴」

成程、上手い手だ、と圭介は感心した。

これなら先に動こうが後に動こうが協力者、残りのメンバー、
どちらもカードが不明となり常にJOKERの使用は躊躇われる状況が作り出せるからだ。

つまりこの「手続き」によって仲間になった人間は間違い無く安全なカードの所有者であるということ。
信頼できる協力者と言っていい。
しかしその逆。協力を拒む人間は、「手続き」を踏めない理由があるということ。
すなわちキラーカードの所持者であるということなのだ。

この「手続き」は協力の要請だけでなく、危険なカードの判別の意味も含まれている。
この中の誰かが、敵になる。それが今からわかってしまう。
そう気がついた圭介は思わず息を飲み込んだ。

「――鳴神くん。ボクのPDAを」

まず大門が静かに呟くと、圭介にその太い腕を差し出した。
圭介は無言で頷き彼のPDAを絵札の画面に戻し速やかに返却する。

「ノエルさん、ボクはもちろん協力させてもらうよ。っと――これでいいのかな?」

大門は乃得留に近づくと両手でPDAを包み隠すようにして彼女に見せた。
乃得留は画面を確認すると手招きで大門に顔を寄せるように促し、小声で一言二言言葉を交わす。
おそらくJOKERの確認だろう。

「はい、結構です。ありがとう大門さん。貴方のような人が協力してくれるのはとても心強いわ」

その言葉と微笑みは、心の底からのものだろう。
戦うつもりは無いとは言え、反抗に対して無抵抗を決め込むわけではない。
その際に大門の空手の達人という経歴は相手には脅威に、仲間には絶大な支えとなるであろうからだ。
乃得留もおそらく、この中の誰よりも大門のカードが何なのかが一番気になっていたのではないだろうか。

「それはボクも同じだよ。ボクにはルールは複雑でよくわからないし、PDAの操作だって満足にできやしない。
 だからノエルさんや鳴神くんたちのように頭の回転が速い人たちと協力できるのはとても頼もしいことだよ」

武道とは身体と共に、心も鍛えるものである、と。
大門はまさにそれを体現している人物だった。

もし自分が彼と同等の技と経歴を持っていたとしても、ここまで謙虚には振舞えない。
その点においては圭介にとって、大門三四郎という人物は賞賛に値する男性であった。

「もし君たちに出会っていなければ、ボクは本当に首輪をもぎ取ってでも3つ集めなければならなかった。
 そう思うと身震いするよ、はは」

――あとはこの思慮の浅ささえなければ完璧な人なのに。

圭介は呆れたようにため息をつき、乃得留もまた険しい顔で額に手を当てていた。

「――台無しよ、大門さん。せっかくカードを秘密にしているのにわざわざ条件をバラしちゃってどうするの」
「え、あっ! め、面目ない――」
「まあ、いいわ。どの道圭介くんたちにはバレてるわけだし、あまり影響は無いでしょう。他には――」
「あの――はい」

続けて手を上げたのはこの「ゲーム」の恐怖を最も体験している女性、古谷小枝子だった。
小枝子は大門と同じ徹を踏まないよう、最低限度の情報を乃得留に開示する。
それ以上は口を開かない。

「OKよ、小枝子さん。歓迎するわ」
「よかった。これで古谷さんも仲間なんだな!」

大門は乃得留よりも大仰に喜びを爆発させている。
その勢いに気圧されたのか小枝子は僅かに後ずさったが、やがて小さく宜しくお願いします、と呟いた。

「これで3人、ね。後は――」

圭介と美雪は現時点では「手続き」を踏むことは出来ない。
となると残るはあと一人。

全員の視線が一斉に楯岡に向けられる。
JOKER問題が解決して以降沈黙を保っていた楯岡は注目を浴びてなお微動だにしない。

「楯岡さん、貴方は――」

それ以上は乃得留も続けない。楯岡も反応を返さない。
静寂が訪れる。どれくらいの時間が過ぎただろうか。


やがて楯岡はゆっくりと歩を進め――息のかかりそうな距離まで乃得留に近づき、彼女の耳元で「手続き」を行った。




一瞬にして場の空気が弛緩した。
それぞれが、それぞれに。安堵の表情を浮かべていた。
今、ここにいる人間は何一つ縁の無い、先程までは他人同士だった者たちだ。
だけど、出会い、言葉を交わした。その瞬間に自分たちは他人ではなくなった。
そんな人たちと、敵対しないで済む。しかも命のやり取りを強制されたこの「ゲーム」で。
それはどれほどに喜ばしいことであろう。今の全員の反応が、それを如実に示していた。


だが、そんな雰囲気を打ち砕く言葉が次の瞬間告げられた。


「すまない。協力はするが、行動を共にすることはできない」


「え――」

抑揚の無い楯岡の声に、乃得留が愕然とした反応を示す。
完全に予想外の反応だったのだろう。

それもそのはず。
乃得留の理論によれば安全なカード所持者の単独行動にはデメリットしかないはずなのだ。
なのになぜ、楯岡は同行を拒否するのだろう? 
圭介にも彼の思惑が理解できないでいた。

「少しばかり、片付けておきたいことがある。そのためにはできるだけ身軽な方がいい」
「――それは、この場ではどうしても言えないことかしら?」

乃得留の口調が少しきついものに感じたのはおそらく圭介の気のせいではないだろう。

「そうだな。だがお前たちにとって決して不利益なものではない、とだけ言っておこう」
「信用、できないわ」
「そのために身の潔白を証明したつもりだ」

この場を離れると言うのなら楯岡が自分のカードを他人に明かす理由は無い。
だが彼は「手続き」を行った。つまりはそれが信用の証だと言いたいのであろう。

「――その用件が片付いたら私たちに合流する意思がある、と解釈してもいいのかしら?」

やがて、半ば諦めたように乃得留が呟いた。

「無論だ。もしかすれば協力者を増やして戻ってこれるやもしれん」

随分と都合のいい物言いだった。果たして彼は本気で言っているのか。
相変わらずサングラスに隠された表情は窺い知れない。

「わかったわ。気をつけて。もう一度――会えることを願っているわ」
「感謝する」

帽子を目深に被り直すと。
静かなる男、楯岡和志は足音までも静かに去って行った。





 ゲーム開始より3時間23分経過/残り69時間37分


【プレイヤーカード:開示】
・「10」:波多島乃得留






[21380] EPISODE-7
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/08/29 13:45
紆余曲折はあったものの、一先ず乃得留の提唱する「手続き」は終了した。

残ったのは大門三四郎と古谷小枝子。
二人は乃得留の案を好意的に受け止め彼女に協力、同行することになった。

木戸亮太とは完全に決別。
危険なカードを引き当てたことをあからさまに態度に出し、憤怒の形相で一行から離脱した。

そして楯岡和志は一旦は協力の意を示したものの、何やら個人の事情を優先し、同行を拒否した。


残るは二人。鳴神圭介と森下美雪。
だが彼らは協力の判断材料となるPDAを現在所持していない。
この「ゲーム」で生き残るために各々に割り当てられたPDAは無くてはならないものだ。
そのため圭介と美雪は、一度乃得留たちと離れ初期配置地点に戻ることを決意した。




「それじゃ、ちょっくら行ってきます」

勤めて軽く、勤めて明るく。
ぶらりと出かけるような素振りで圭介は宣言する。

「いってらっしゃい。気をつけて」
「寄り道とかして、あまり遅くなるんじゃないぞ。鳴神くん」

小枝子と大門が見送りの言葉をくれる。
ようやく小枝子も落ち着きを取り戻し、相応の表情を見せるようになった。
恐ろしい目に会ったものの、乃得留と大門という親身になってくれる協力者を得たことが大きいのだろう。

「圭介くん。お願い――ちゃんと戻ってきてね」

だが乃得留だけが。やや強張った面持ちでそう告げた。
無駄に深刻な雰囲気を作りたくはなかったので「その程度」の態度を示してみた。
だがやはり乃得留には通じなかったようだ。

「わかりました。必ず――必ず戻ってきます。その時は俺と結婚してください」

木戸と楯岡の続けざまの離脱で気丈な乃得留の胸の内にも不安が大きくなっている。
そんな彼女の緊張を和らげるために、くだらない冗談を投げかけてみた。
バカね、年上のお姉さんをからかうんじゃないわよ――乃得留は呆れたように肩を竦めて見せる。

そんな反応を期待したはずだった。ところが。


「な――ななななななっっ!! な、何をいきなり言い出すかな、キミわっっ!!」
「――へ?」


意外なことに。ものすごく意外なことに。
乃得留の顔は瞬く間に紅に染まり、明らかな狼狽の色を見せていた。

「い、いや――あの、ね? 気持ちはすごく嬉しいの。うん。
 で、でもね? ほら、私たち、まだ知り合って間が無いし、
 こういったことはもっとお互いをよく知ってからっていうかこんな場所でっていうか――
 いや待つ待つ待つ! これって世に聞く吊り橋効果ってやつじゃないの? 
 だったらダメよなおさらダメ――いやいや、でも、もしかしてそうじゃない?
 違う、違うの? 圭介くんはひょっとしてあのと――」


――この人、ひょっとしてこのテの冗談にあまり耐性が無いのか。

意外な一面を発見した圭介だった。

「あのー。ノエルさん? もしもし?」
「圭介くん。子供は何人欲しい?」
「真顔で返されても困ります。とにかく落ち着いてください」
「へ? あ――コホン」

ようやく我に返った乃得留は咳払いを一つ。

「――バカね。年上のお姉さんをからかうんじゃないわよ」
「いや遅いですから」

ふと見れば大門と小枝子も表情を楽しげに崩して口元を押さえている。
場の空気を一変させることには成功したようだ。

「鳴神くん。早く出発しましょう。あまり手間をかけている余裕はありませんから」
「ん? ああ、そうだね。ごめん」

美雪に袖口を引っ張られ、圭介は多少浮かれ過ぎた自分を反省する。
どうにも自分は切羽詰ると悪ふざけに逃げてしまう悪癖があるようだ。
それにしても彼女の表情が若干不満そうなのは何故なのだろうか。

「それじゃ、改めて。行ってきます」

大仰に手を振って見せて。圭介は美雪と連れ立って部屋の外に出た。




――さて。

これからのことを考えるとどうにも胃が痛む。
この先に待っているものはまさしく圭介の運命を決定付ける代物だからだ。
そう。今から成すべきことは。
単に「忘れ物を取りに行く」などという単純な事柄に留まらない。

初期配置時点に放置したままのPDA。
それは「ゲーム」における機能のみならず――圭介と美雪の首輪の解除条件も記されているのだ。
ハズレと言える絵柄を引くのは13分の3。決して高い確率ではないが安心できる確率でもない。
そしてそれを引き当ててしまったが最後、見事最悪な未来が約束されてしまうのだ。

逃れる手段は無い。今からどんな策を嵩じようがカードの変更はできない。
完全に運否天賦の領域。できることといえばただ神に祈るのみ。

一つ、息をつく。唇を切り結ぶ。
願わくば。もう一度。あの扉の向こうの輪の中に加わって。
純情な才女の導きのままに再び日常に戻れんことを。

さあ行こう。確か元の部屋の方向はこちらだったはずだ。

「あの、鳴神くん――」
「――ん?」

その矢先。少女に呼び止められた。
行き先が同じはずの森下美雪は、未だその場に佇んだままだった。

「――なんだい?」

ある程度。予期していたことがある。

まるで当然のように一緒に出発した。
だが二人は別に運命共同体というわけではない。
13種のカードのうち、全く同じものは有り得ない。
必然的に美雪と圭介は解除条件が異なるということになる。

二人して安全なカードが引ければ万々歳。
だがもし、どちらか一方が、キラーカードを引き当ててしまっていたら?
その瞬間に今までの関係は崩れ去る。
すぐそばにいる相手が、忌むべき敵となってしまう。

だから。
一緒には行けない。行きたくない。
美雪の口からそう告げられても、何も不思議なことではない。

おそらくそういった類の事を言い出すのではないか、と圭介は覚悟して美雪の次の言葉を待った。

だが予想を裏切り、美雪は意外な科白を口にした。


「先ほどの――女性の遺体を、見ておきたいんです。ダメ、ですか――?」


何をこの少女は唐突に言い出すのだろう。
最早遠い昔に思える騒動の際、圭介はあえて美雪から死体を遠ざけ、見せないようにした。
あまりにも惨たらしいその有様は、少女には酷だろうと即座に判断したからだ。
それなのになぜわざわざ。
どうにも圭介には美雪の意図が理解できない。

「このままだと、あの人があまりにも可哀相です。せめて、弔ってあげたいと思いまして」

なるほど。確かにこのままだと名も知らぬ彼女が報われない。
ある日突然拉致され、何の事情もわからぬままに無慈悲に射殺された。
そしてこの死体が親族や友人の元へ届けられることはおそらく無い。
真実と共に闇に葬られることだろう。

だからせめて。同じ境遇に陥った自分が見送ってあげたい。
美雪のそんな思いはきっと人として正しいものだ。

「わかった。じゃあ俺も手伝うよ。さっきの場所へ行こう」
「え――いいんですか? わたしの我が侭なんだから別に鳴神くんまでつきあってくれなくても――」
「黙って見てるだけってのも男としてはかっこ悪いもんさ。ここは見栄を張らせてよ」
「――ありがとう」

一つ、森下美雪という少女についてわかったことがある。
それは彼女がこういった他人の不幸に敏感な、心優しい女の子だということだ。
おそらく困っている人がいれば見過ごすことができない。
自分にできる範囲で精一杯救いの手を差し伸べようとするだろう。
でなければ何も返してくれない死体に対して、ここまでの敬意を払うことなどできないからだ。

本来目指すべき方向とは逆に二人で向かう。
角を曲がってすぐ、惨劇の起きた場所へと辿り着いた。

「う――」

何度見ても、見慣れることは無い。
むしろもう二度とお目にかかりたくはなかった。

楯岡の適切な処置によって毛布に包まれ、通路の隅へと押しやられた固まり。
だがその表面に斑の赤が浮かび上がっていた。そして漂う異質な臭い。
その全てが不快なものにしか感じられない。

(ホントにあれに――触れるつもりなのか)

思わず前言を撤回したくなった。
元より圭介にとって先程の同調は口先だけのものでしかなかったのだ。

美雪の考えは確かに賞賛に値する。だが決して共感できるものではなかった。
死体に触れるのは気味が悪い。こんなことに手間をかけて時間を浪費したくはない。
それが圭介の本音だ。だが美雪はそうは思わなかった。
俗物めいた自分の思考が嫌になり、思わず格好をつけてしまった。

だが所詮は言葉すら交わしていない赤の他人。
死後の世界に旅立った彼女がどう思うかなど、今の自分にはどうでもいいことだ。
故にこんな行為は自己満足に他ならない。
再び死体を目の当たりにして改めて圭介はそう感じた。

「――どうする?」

振り返れば美雪の顔色は大理石のように蒼白。
恐怖によるものか、唇がかすかに震えている。

「そ、そうですね、ひ、ひとまず顔を拭いてあげて、腕を組ませてあげたい、と」

こんなことはやめにしないか、との意を含ませたつもりだった。
だが美雪は手順を確認したように捉えたらしい。
彼女は気丈なことにこの無駄で敬虔な行為を未だ止めるつもりはないようだ。

やれやれ、と圭介は肩を竦めるとゆっくり死体に近づく。
もうこうなると引っ込みはつかない。どうにでもなれ、と自棄な気持ちで圭介は意を決した。

嗅覚を働かせないよう、呼吸を口で行うようにする。
毛布に手をかけ、一気に剥ぎ取った。記憶のままのうつ伏せの女性の死体が眼前に現れる。

「ひ――」

直接身体に触れぬよう、手の中の毛布を地面と死体の間に差し込み、そのまま半回転させた。
これにより、女性の身体が天井を向く。
まるでこの世の全てを呪わんばかりの表情のまま固まったその顔に、思わず美雪が悲鳴を上げた。

(ああ、そういえば母さんもこんな感じで死んでいったっけ)

10年前の記憶の一部が蘇り、圭介を幾分か冷静にさせた。
彼の母もまた痛みと苦しみの末にショック症状を引き起こし、最後は安らかとはとても思えぬ表情でこの世を去っていた。

ポケットからハンカチを一枚取り出し、とりあえず見開かれたままの双眸を布越しに強引に閉じてやる。
そしてこれまた開きっ放しの口元を力任せに押し込み、閉じる。

とにかく機械的に。何も感じず考えぬよう。圭介はただの「作業」に没頭する。

「な、鳴神くん。あとはわたしが――」
「ん」

自分から言い出したのにすっかり固まってしまっていた美雪が漸く声を上げる。
圭介はあっさりとその場を美雪に明け渡し、3歩ほど引いて見張りを担当することにした。
まだ戦闘禁止エリアは解除されていないので襲われることはないだろうが、それでも今誰かに遭遇するのは厄介だ。

美雪も自分のハンカチを手にして、女性の血塗れた顔を拭いてあげていた。
だが夥しいまでの流血はたちまち美雪のハンカチを真っ赤に染め上げ、機能を失わせていた。

「足りないなら貸すよ? 替えの拭くもの」
「あ、ありがとうございます。でも、一枚や二枚じゃ足りないかも――」
「じゃ、5枚でいいかな?」
「え?」

圭介は懐に手を突っ込み、綺麗に折りたたまれたハンカチを取り出す。
そして一度手を振ると、その手の中に瞬時に扇状に5枚のハンカチが現れた。

「手品のタネのためにさ。日頃からこれくらいは持ち歩いてるんだよ」
「――すみません。お借りします」

数にものを言わせた戦術で、ようやく女性の顔は綺麗なものになった。
こうして見るとなかなかに整った顔立ちだった。
もしかすると生前の彼女は男性に人気があったのかもしれない。

続けて胸の前で腕を組ませる作業に移り、ここからは再び圭介が担当した。
しかし既に死後硬直が始まっていたのか、関節が上手く曲がらない。
あまり力を入れると骨が折れてしまいそうだ。
やむなく上がっていた腕を下ろし、身体の線に揃えることで妥協した。
こうなると葬儀屋にも技術がいるものなのだな、と圭介は妙な関心を抱く。

結局、弔うといったものとは程遠い形になってしまった。
ともすれば好き放題に死体をいじくっただけの冒涜行為にも取られかねない。
それでも精一杯やった。その努力と少女の気持ちだけでどうにか納得してもらうしかない。

「――これで、いいかな?」
「はい。お手数かけました」

美雪は深々と謝辞を述べると遺体の傍らに膝を付き、手を合わせた。

「――」

圭介はそれに倣わず、ただじっとその祈りを捧げる背中を見つめていた。

意味の無い行為だと思っていた。その思いは今も否定するつもりはない。
だが時折肩を震わせる彼女の姿はさすがに見るにしのびない。

こんな有様はもう二度と見たくはない。誰かが死ぬことも、誰かが死んで悲しむことも。
それだけは圭介の、確かな本心だった。

(だけど――それは無理なんだ。無理なんだよ、森下さん――)

それがどんなカタチであれ。犠牲者を抜きにしてこの「ゲーム」の終末は訪れない。
彼女はそれを理解しているのだろうか。
その時にまた美雪は、こうして祈りを捧げるのだろうか。


「お待たせしました」

どれくらいの時間が過ぎただろうか。
美雪は最後にもう一度遺体に毛布を被せると、圭介の方へ向き直った。

「ごめんなさい、引き止めて。さ、行きましょうか」

先程の圭介の懸念は無為に終わったようだ。
美雪は圭介と離れることを露とも考えていない。
そもそも亡くなった人間すらも見過ごせない美雪が、ずっと傍にいた圭介を見過ごせるわけがなかったのだ。

「急ぎましょう、鳴神くん」
「あ、ああ」

手を差し伸べる少女のやり遂げた表情に、圭介は思わずどきり、とする。
ああ、なるほど。圭介はまた一つ理解した。


こんな行為に意味は無いのかもしれないけれども。
こんな行為を行える人間は、他人の目にはこうも魅力的に映るのだ、と――





 ゲーム開始より3時間49分経過/残り69時間11分



[21380] EPISODE-8
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/08/29 14:02
「大門さん、彼らのスタート地点はここからどれくらい離れていたかわかりますか?」


しばらく自身のPDAを操作していた乃得留が唐突に大門にそんな質問を向けてきた。

「ん? そうだな、確か――走れば5分かそこらの距離だったと思うが」

大門は初めて二人と出会った時の出来事を思い返す。
確か彼らは、部屋を出てすぐ自分と遭遇した、と言っていた。
となれば自分が悲鳴を聞きつけて事件現場に辿り着いた時間がそのまま当てはまるはずだ。

「ありがとう。だとすると歩いて往復したとしてもせいぜい20分程度――少し時間がかかり過ぎかしら」
「そうなのかい? 生憎ボクは時計を持っていないからどれくらい時間が経ったかわからないんだが」
「私も持ってはいませんけど、PDAに『ゲームの残り時間』の項目があります。
 そこから逆算すると、もう30分になりますね」

そう言って乃得留はPDAの液晶画面を大門と小枝子に向けて見せる。
画面には小さな白抜きの文字で「ゲーム開始より3時間56分経過/残り69時間04分」と記されていた。
成程、具体的な時間が判れば確かに少し遅いかもしれない、と実感される。

「何か、あったんでしょうか――もしかして――」

小枝子が己の肩を抱き身を震わせる。
忘れかけていた惨劇が、脳裏に蘇っているのかもしれない。

「かも、しれないわね。でもきっと、小枝子さんが考えているようなことじゃないですよ」
「ええと――確かまだ、戦ってはいけない時間帯なんだっけ?」

大門は美雪の残したルール一覧を取り出す。
ルールの⑦に開始から6時間は戦闘行為を禁ずると記されていた。
まだ4時間弱しか経過していないのだからまだそのルールの適用内、ということになる。

「でも――」
「わかってます。でもあまり深くは考えないでください。さもなくばこの先、やっていけませんよ?」
「――わかりました」
「??」

どうにも言外で意思の疎通を図っているようで傍で聞いている大門には二人の会話の意味がわからない。
だが先程のようにあまり複雑な事を並べ立てられても理解が及ばないのでとりあえず考えないことにした。

「それよりも、もう一つの可能性の方が大きいかもしれない。もしかすると――あの二人、戻ってこないかも」 
「え、それはどういう意味だい!?」

思わず大門の声が上ずった。戻ってこない、とはどういうことだ? 
危険が無いなら戻ってくることに問題は無いではないか。

「やっぱり、大門さんはわかってなかったようね。まあ、それも圭介くんの気遣いが成せる業なんでしょうけど」
「――鳴神くんの、気遣い?」
「いいですか。圭介くんと美雪ちゃんはPDAを取り戻すことによって初めて自分のカードが判明するんです。
 その時もし、キラーカードを引き当ててしまっていたら、ここには戻ってくれないでしょう?」
「え――」

キラーカード。それは13種のカードのうち、他人の犠牲無しには解除条件を達成できない3種類のカード。
そして乃得留の計画の中に、そのカードの所持者の救済は含まれてはいなかった。
だからこそ乃得留は、木戸亮太を引き止めることができなかったのだから。

「そ、そんな――だって、彼は――」

彼は、鳴神圭介は。あんなにも気軽な感じで出て行ったではないか。
あれは、自分のカードが安全なものだと知っていての態度ではなかったのか?

「こんな風に深刻に考えて欲しくはなかったから、なのでしょうね」

だから悪ふざけにも似た物言いをして見せた。
それが圭介の気遣いだったということだ。

「なんて、ことだ――」

大門は胸が締め付けられる思いだった。
自分が今、こんなにも気安く過ごせているのは偏に彼らのおかげだからだ。

昏倒させられ、身柄を拉致され。
こんな異常な施設に放り込まれ、迷い歩いた自分の初めての遭遇者。

自分の風貌が誤解を招きやすいことは自覚している。
なのに彼らはそんな自分と正面から向き合い、導いてくれた。
まだ幼さの残る少年少女に、大門は救われたのだ。なのに。

そんな彼らに応えるどころか――敵対しなければならないのか?

「どうにかならないのかい、ノエルさん! ボクは、あの子たちに――」
「わかってます。私だって圭介くんとこのまま離れてしまうのは嫌よ。でも、今の時点ではどうしようもないの!」
「くそ! なら、ボクが彼らを迎えに行く! 場所はわかってるんだ!」
「待ちなさい!」

今にも飛び出そうとしていた大門を、乃得留は鋭い言葉で制止する。

「お願いだから――どうか短気を起こさないでください。私たちには、大門さんの力が必要なんです――」
「く――」

確かに乃得留と小枝子をこの場に残していくわけにはいかない。
大門がこの場を離脱すると敵対者にとって、か弱い女性二人は格好の獲物となってしまうからだ。

「――すまない。ノエルさんの言う通りだ」

守るべき人物は、あの若者たちに限らない。
握り締めた拳を解き、大門は女性二人に向き直った。

「わかってくれて、何よりです。とにかく、圭介くんたちがまだそうと決まったわけではありません。
 とは言え、後々のことを考えるとあまり彼らを待つためにここに留まり続けているわけにもいかないわ」

小枝子さんのためにも、と乃得留は付け加える。
「手続き」が終わってすぐ、大門たちは情報の共有を開始した。
その際に古谷小枝子のPDAは「7」だと大門に開示された。

彼女の解除条件は開始から6時間目以降に生存している全プレイヤーと遭遇すること。
そのためには戦闘禁止エリアが解かれる前になるべく多くの賛同者を集め、
危険を減らしておきたいと乃得留は発案していた。

禁止エリアの解除まであと2時間弱。
その後の未発見のプレイヤーとの遭遇はそのカードの種類にかかわらず、幾許かの危険がつきまとうことになる。
だからこそ戦闘禁止が生きている間に接近を試みておきたい。
故にあまりグズグズしているわけにもいかないのだ。

「あと10分――いえ、15分待ちましょう。その間に二人が戻ってくるなら万事問題なし。だけど――」

戻ってこないならば。
ほぼ確実に彼らはキラーカードを引き当ててしまったことになる。

考えたくはない。だが人格と振り当てられたカードに関連性など無い。
鳴神圭介と森下美雪がどれだけ好感の持てる若者であっても、
人を殺さねば生きて元の世界に帰れない事実に変わりは無い。

「たとえそうであっても、小枝子さんの解除条件のために私たちはもう一度、圭介くんたちと再会しなければならない。
 それまでに何か、方法が見つかればいいんだけれど」

乃得留にしてははっきりとしない物言いから、その可能性は極めて低いことが大門にも伺えた。
とにかく全てにおいて、今は祈るしかない。
彼らが無事帰ってくることを。悪条件の別口の達成方法が見つかることを。

「少し、外に出てきます。すぐ戻ります」

ふいに、乃得留がそんなことを言い出した。

「気は進まないけど、あの女性の死体を調べておこうと思って。
 もし彼女のPDAが無事なら、圭介くんたちのカードを知る手がかりになるから」
「そうか。ボクも付き合おうか?」
「いえ、大丈夫。それよりも小枝子さんについてあげてて下さい。すぐそこですし、そんなに時間もかかりませんから」

時間をかけたくもありませんから、と冗談めかして乃得留は扉へと向かう。

「え、あ、ちょ」

止める暇も有らばこそ。あっという間に乃得留は姿を消してしまった。


(参ったな――)

大門は伸ばしかけた手を戻し、頬を掻く。そして、ちらりと小枝子に一瞬だけ視線をやる。

「――」

小枝子は部屋の隅で身体を小さくしたまま動かない。
それはそうだろう。彼女が安定を取り戻したのはその場に乃得留がいてこそのことだ。
まして自分には初対面で彼女の怯えを助長させてしまった苦い経験がある。
こうして二人きりになれば警戒されるのは当然だろう。協力関係を結んだとはいえ信頼を得るにはまだ程遠い。

(うう、気まずいなあ――)

生来大門は弁の立つ方ではない。
加えて身体が予期せぬ規格に成長してしまったことがさらに拍車をかけてしまった。
武勇を欲しいままにしている男が実は小心で朴訥であるなどと、誰が想像できるであろうか。

(それに――)

今一度、小枝子を窺う。
こんな時に我ながら不謹慎だと思うが。どうにも彼女が気になって仕方が無い。
憂いを帯びた表情。乱れた衣服の端々から覗く白い素肌。そのどれもが大門の心を乱し続ける。
惨劇をただ独り目の当たりにし、心に傷を負った彼女を本当に気の毒だと思い、力になりたいと思っている。
いつも以上に気後れしてしまっているのはそれが理由に他ならない。

人数が多い間は、会話に便乗して話しかけることができた。だが二人きりとなった今では。
こんな時にあの鳴神圭介ならば、至極簡単に会話を繰り出すことが出来るのであろう。
大門は一回りも歳の離れた少年の気質を心底羨ましく思い、同時に我が身を呪う。

だがこのままではまずい。
乃得留が戻ってくるまで沈黙を保ち続けるのは今後に影響を与えてしまう気がする。
頼りにされるのが自分の武力だけ、という事態は出来ることなら避けたいのだ。
やはり人間・大門三四郎に信頼を抱いて欲しいのだ。

「――あの」
「!! は、はいっ!」

唐突に呼びかけられ。大門の巨躯が跳ね上がった。
振り返ると、すぐ側に。いつの間にか古谷小枝子の姿があった。

「な、ななな何でしょうか古谷さんっ!」

不意を付かれて言葉にならない。これでは先程の乃得留を笑えない。
大仰な大門の反応に小枝子は一瞬訝しげな表情を見せたが、すぐに柔らかいものへと変化した。
幸か不幸か、その少年のような初心な反応が彼女の警戒を解く切欠となったようだ。

「大門さんには、ずっとお礼を言わなければと思っていたんです。私がこうして生きているのは、貴方のおかげですから」
「へ? ボクの――ですか?」

記憶に無い。自分が彼女にしたことといえば、力任せに狂乱する彼女を取り押さえただけだ。
しかもそれは、あんなやり方があるか、と乃得留に叱責された拙い対応だったと言うのに。

「はい。ノエルさんに伺ったんですけど、あの時の私がもし誰かを傷つけていたら、
 警備システムに暴力行為と見なされていた可能性があるらしいんです。
 あの時取り押さえてくれたのが大門さんだったからこそ、判定をすり抜けることができたのだと」
「はあ」

確かに小枝子の身長は、女性にしてはそれなりである。
そんな彼女の暴走を止めるには、多少の筋力では困難なものだったかもしれない。
自分の怪力だからこそ、警備システムには子供を窘めているようにしか映らなかったということか。

「だから――ありがとうございました。助けて頂いて」
(う――)

丁寧に頭を下げる小枝子の姿に、また一際鼓動が早まる。
優雅で、可憐。そんな陳腐な表現でしか彼女を言い表せない自分がもどかしい。

「どう、いたしまして。貴方の助けになれていたのならば、今まで鍛えてきた甲斐があるというものです」
「ふふ、そんなご謙遜しなくとも」

応じて小枝子が短く微笑む。だがすぐにその表情に影が落ちた。

「こんなことを言っても詮無い事ですけれど――なぜ私、なのでしょうか?」
「え!? そ、そ」

それはどういう意味でしょうか――続きが口から上手く出てこない。
まさか、自分の胸の内を見透かされた、というのだろうか?

「私たちは、『ゲーム』のプレイヤーとしてこの施設に招かれたらしいですね。妙な言い方ですけれど、
 プレイヤーにも『格』、というものが必要でしょう? 大門さんやノエルさんは、その資格を十分に有していると思います。
 ですが、私は何の特技も持たない無力な女です。
 人が死ぬ現場を目の当たりにして、怯え泣き叫ぶことしかできない女なんです」

「それ、は――」

そんなことを言われてもわからない。
自分とて空手を除けば人に劣る部分しか持ち合わせていないのに。

「そんな私に、どうやって人を殺せるというのでしょう? 
 誘拐犯が私に人を殺せる何かを見出したから、攫ったのだ、とでも言うのなら――酷い、誤解です」
「も、勿論です! 貴方はそんな人じゃない!」
「!!」
「あ、いや――失礼。つい興奮して声が大きくなってしまった」

自然と口から飛び出した雄叫びのような声は、怒りによるものだと大門は自覚した。
無論小枝子に対してのものではない。これほどに彼女を苦悩させる、誘拐犯に対してのものだ。
だが罰すべき対象は今この場にいない。いるのは哀れな被害者だけだ。
怒りをぶつける相手がいないなら、憤っていても仕方が無い。

「と、とにかく。今はそんなことを考えても仕方が無い、と思います。過ぎてしまったことですから」
「そう――ですね。ごめんなさい。つい、弱音を吐いてしまいました」
「い、いえ。それは、いいんです」

弱音など全部ボクが受け止めます。そう自然に口にできたらどれだけいいだろう。
だが現実はこちらを見上げる彼女の顔を直視できない自分がいるばかりだ。

「そ、それに今は、ボクもノエルさんも一緒です。互いに助け合って、脱出することが先決です」
「ええ、協力して、『ゲーム』をクリアしましょう」

どうにか小枝子はまた落ち着きを取り戻したようだ。大門はほっと一息つく。
それにこんなにも近くで会話が出来るようになったのは何よりの収穫だ。
このまま。何もかもが上手くいけばもしかして――などと邪な妄想が大門の頭をよぎった瞬間。



「早く帰って――娘を安心させてやらないと」


(――え?)

衝撃的な小枝子の発言と同時に。大門は気づいてしまった。

首輪と同じ光沢の、銀色の指輪が彼女の左手の薬指に嵌められている事に。


「すみません、お待たせしました――あ、あら? もしかしてお取り込み中でしたか?」
丁度戻ってきた乃得留の声が、なぜだか遠く聞こえるようだった。














――もしもし、私だ。
――ん、何かあったのか、だと? 当然だ。でなければこんな序盤に連絡などするものか。

――惚けるな。『利根川静香』の件だ。
――なぜ彼女が死んだのか、教えてもらおうか。そちらのモニタでは確認が取れているだろう。

――何? 警備システムに射殺された? そんなものは見れば解る!
――肝心なのはなぜ彼女がペナルティを負ったのか、に決まっているだろう!


――答えろ。

――なぜ「今回のサブマスターである利根川静香が」戦闘禁止が生きている段階で死んだのだ?



――ふん。黙秘か。そうだろうな。
――予定外の事態とはいえこの程度では情状酌量の余地は無い、ということか。

――ああ、わかっている。わかっているさ。
――おそらく彼女は殺されたのだろう。彼女は有能ではあったが同時に迂闊な部分もあったからな。



――ん? その結論に至る根拠か?
――簡単な事だ。彼女のPDAが紛失している。破損した残骸も見当たらない。
――つまりは何者かが明確な意思を持って奪取したということになる。ならばこの結論が妥当であろう?



――まあ、およそ順調とは言い難いな。スタートでいきなりケチがついた。
――だが些細な問題だ。この程度なら私の進行に支障は無い。
――ただ追従カメラの件に関してはそっちでお偉いさんに侘びを入れておけ。私の責任ではないからな。



――言われなくとも。油断などするわけがないさ。
――私は私なりに全力を尽くす。その結果にはきっと満足してもらえるだろう。


――何せ今回は。

――今回の「ゲーム」は。



――私の「ゲームマスター」としての記念すべき初舞台、なのだからな――





 ゲーム開始より4時間05分経過/残り68時間55分



【プレイヤーカード:開示】
・「7」:古谷小枝子



【裏情報:開示】
・13人のプレイヤーの中には組織側から「ゲームマスター」と「サブマスター」が配置されている。
・「ゲームマスター」とは殺し合いの「ゲーム」を恙無く進行させるための現場責任者である。
・「サブマスター」とはマスターの補佐と注目プレイヤーの追従カメラマンとしての責務を負うものである。



[21380] EPISODE-9
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/05 14:07
女性の死体の弔いに予想外に時間がかかったものの、その後の道行きに問題はなかった。
連続する変わり映えの無い景色に多少の混乱を招いたものの、そこは美雪の確かな記憶力で被害は最小限に押し留められた。
ルール解析の際の理解の早さといい、彼女の頭脳の優秀さには目を見張るものがある。
おそらく学業の成績も相当なものだろう、と圭介もただただ驚嘆するばかりであった。

二人はまず美雪が最初に目覚めた部屋に辿り着いた。

早速PDAを回収するため、美雪は一人部屋の中へ入っていく。
それじゃあ行ってきます、と宣言した少女の表情は緊張のためかやや強張って見えた。
そして残された圭介は今扉のすぐ横で壁に張り付くように起立したまま彼女の戻りを待っている、のだが。

(遅いな、森下さん。何がそんなに時間がかかっているのだろう?)

美雪が部屋の中へ消えて既に10分が経過していた。
PDAの回収の他に荷物を纏める必要があるとしても、随分と時間がかかっているように思える。
PDAが見つからないにしても装飾に乏しい室内だ。
隅々まで捜索し、「この部屋には無い」と結論を下すのに10分はかからないであろう。

(となると――うん。その可能性は否定できないな)

圭介は自分の上着の裾を摘み上げる。
先程の「見送り」の際、幾らか女性の血で汚れてしまっている。
今の場所に戻ってくるまでの道筋の途中で洗面所を発見し、
出来る限りの血の跡は洗い落としたつもりだったがさりとて完全ではない。
用意があるのなら着替えてしまいたい、というのが素直な感想ではある。

もし美雪も、同じ事を考えたのだとしたら。そして荷物の中に用意があったのだとしたら。
この扉の向こうには、魅惑の光景が広がっているということになる。

(なんだ。だったら男として最低限の義務は果たさねばなるまいて)

圭介はすり足で扉に近づく。些細な物音も立てぬよう、慎重に。

(スケベ心ってのはようするに雄としての種の保存欲求なんだよ。
 つまりは当然、どころではなく必要不可欠な本能であるわけだ)

ドアノブに手をかける。ゆっくりと回す。
音はなくとも開錠された手ごたえがある。

(だから俺のこの行動はいわば人類を守るためのもの! 
べ、別に森下さんの下着姿やもっと先の姿に興味があるわけじゃないんだからねっ!)

微かに、隙間が開く。少しずつ、少しずつ安定した視界のために開いていく。

――いざ参らん! まだ見ぬ理想郷へ!

(――と、まあ冗談はこのくらいにして、だ)

いったい誰に対して言い訳をしているのか。
今までの行動を最速で巻き戻し、圭介は再び元の位置へと戻る。
扉の向こうの美雪は今まさに運命の分かれ道、人生の分岐路に立たされているのだ。
いくら待ち疲れて手持ち無沙汰でも、悪ふざけは程々にしておかないといけない。

(いや――違うか)

本音を言えば。単に不安を紛らわせたいだけなのだ。

美雪が今直面している現在は圭介の未来のものである。
一歩間違えば命を失いかねないこの地獄のような境遇において、それでも救いがあるのか否か。
程なくその結論が出るが故に、目を背けたいがだけなのだ。

(情けないな――あの時「もう逃げない」って決めたのに、また同じ事を繰り返そうとしてる)

逃げること、考えないこと。それは確かに楽な事なのだ。
だがそれでは前に進めない、もしくは道を外れてしまう。決して乗り越えることはできない。

不幸を嘆くな。運命を呪うな。
今までもそうしてきたし、これからもそうでなければならない。
あの時。そう思い知ったはずではなかったか。

ああ、もしかすると。と、圭介は不意に思い至る。
もしかすると、美雪も。今まさにそうなのかもしれない。
下された結論が、どうしても認められなくて。でも認めざるを得なくて。
それでただ呆然と、立ち止まっている。だから出てこないのではないだろうか?

(――ん?)

ふと。僅かに漏れる光に気が付く。どうやら扉をしっかりと閉めておらず、隙間が開いてしまったようだ。
その向こう側から、微かに美雪の声が聞こえたような気がした。

(――何だ?)

こちらに向けられた声ではない。故に最初は泣き声ではないかと不安になった。
だが抑揚だけははっきりとしており違うように思える。呟き、というのが正しいのかもしれない。

携帯が通じないのは既に確認済み。無論部屋の中に他の人間がいるわけもない。
だとすると独り言か? ここからでは内容ははっきりと聞こえないが――

(おっと)

声が止んだ。そして足音が近づいてくる。
慌てて圭介は二歩離れ、何事も無くただ待っていただけの姿勢に戻った。

「ごめんなさい。お待たせしました」

再度圭介の前に姿を現した美雪の表情は思っていたほど深刻なものではなかった。
だが無理に平静を装っている可能性もある。安心に至るのは些か早計に思える。

「鳴神くん、見て下さい、これ」

どう切り出すのが不自然ではないか、などと圭介が思案に暮れる間も無く。
美雪は自分のものであろうPDAを表にして突き出してきた。

「これ、は――」

その絵柄は赤の心臓を彩った貴婦人。ということは――


「はい。『Q』です。わたしは――大丈夫でした」


「Q」の解除条件は「2日と23時間の生存」。
特殊な手順を一切踏むことなく、ただ生き残ればいい。全解除条件の中でも屈指の低難易度条件だ。
最悪美雪は、時間が来るまで隠れ続けてさえいれば条件は達成できるのだ。

「そっか。よかった――本当に」

心の底からそう思えた。
難易度もさることながら、彼女が人を傷つけずとも生き延びられる条件なのが何より喜ばしい。
争い事など縁の無い、だが人を見捨てられない心優しい少女。
そんな彼女が、鮮血に手を染めねば助からないなど、これほど酷なことは無い。
唯一「ゲーム」の最終盤まで戦場に身を置き続けねばならないことが不安と言えるがそれは贅沢というものだろう。

「そういえば、結構時間がかかってたけど何かあったの?」

美雪の服装は部屋に入る前と変わっていなかったのでどうやら着替えていたわけではないらしい。

「え? そ、そんなに時間かかってましたか!?」

軽い気持ちで聞いたつもりだったが、意外に大げさな反応が返ってくる。
どうしたというのだろう? こうなると気になって仕方が無いではないか。

「えっと、ですね。ぴ、PDA自体はすぐに見つかったのですが。
 そ、その――画面を開く勇気が、どうにもありませんで」

その気持ちはよくわかる。
圭介とてこの先に待ち受ける結論を、先延ばしどころか抹消したくてたまらないのだ。

「それで、その――ず、ずっと」
「ずっと?」

「――ゆ、勇気が出るまで、ずっと自分で自分を励ましてましたっ! しかも声に出してっ!」
「――」

それっきり。美雪は真っ赤になって俯いてしまった。

「――『がんばれ美雪、負けるな美雪、わたしは強い子元気な子』、とか?」
「に、にににに、似たようなものですっ!」

どうもこの動揺からして、系統は同じでさらに恥ずかしいもののようである。
そういえば先程漏れてきた声は、内容までは聞き取れなかったが毅然とした男口調のようだった。
追求してみようか、と圭介の中で加虐心が頭を擡げたが流石に理性がストップをかけた。
そうなれば冗談であったとはいえ、のぞき行為を働こうとしたことを告白せねばならない。

「――やっぱり、へんな女の子だって、思ってます?」

深呼吸一つして気を落ち着かせ、美雪は上目遣いに恐る恐る尋ねてくる。

「まあ、少しは、ね。でもそれなら俺だって似たようなところを見られてるし」
「あ、そうでした」

そもそも圭介とて覚醒の段階で混乱の極みに達した挙句、妙な一人芝居をやらかしているのだ。
あまつさえそれを美雪にはしっかりと目撃されている。馬鹿に出来る資格などあるわけがない。

「それに、この程度では森下さんの魅力は色褪せないよ。だから安心して」
「――鳴神くんって、本当にそういう台詞を口にするのに抵抗が無いですよね」
「おかげでよくクラスの女子に冷たい目で見られます」
「当然です! 言葉自体は嬉しいものですけど、男の子はもっと誠実であって欲しいです!」

励ましたつもりが逆に怒られてしまった。
なぜだろう? と圭介はしきりに首を捻る。

「肝に命じます。さて――次は俺の番か」

あ、と少女の表情が再び緊張に包まれた。
美雪のPDAは回収され、好条件も引き当てた。あとは圭介が自身の決着をつけるのみ。
だが美雪とのやり取りで幾分気分は緩和されたものの、事実の重さに変わりは無い。

「森下さんはノエルさんたちのところに戻っていて。俺は――ん?」

一人で部屋を調べてくる、と続けるつもりだった。
だが美雪は圭介の袖をしっかりと掴んで離さない。

「――どうして?」

一緒についていく、ついていきたい。
そんな彼女の言いたいことはわかるし、その気持ちは正直ありがたい。
だが自分の安全は確保された。傍にいる男はその限りではない。
なのになぜ? 圭介には美雪の考えに明確な理由が見出せない。

「――わかりません。でも、鳴神くんを一人にはしたくない、そう思ったんです」
「でも、危険だよ?」
「大丈夫。まだ戦闘禁止エリアが解かれるまで時間がありますから」

違う、そうじゃない。彼女は何も理解していない。
今の状態で美雪が真に警戒すべきなのは、他ならぬ鳴神圭介という男なのだ。
圭介は自身の精神力が鋼の如きものである、などと自惚れるつもりはない。
だからこそこうして、過剰にふざけて適度に発散しているのだ。

そんな自分が、もし。乃得留の提唱する「キラーカード」を引き当ててしまったら。
その時は、平静でいられる自信が無い。
混乱し、錯乱し。ルールの何もかもを考えず、傍にいる誰かを傷つけてしまうかもしれない。
その「誰か」が美雪であることなど、考えたくもなかったのだ。

「――」

だが、少女の瞳の中の決意は揺るがない。
「人を捨て置けない」という性格は相応に頑固でなければ成り立たない、ということなのだろう。
こうなればもう、彼女の説得は容易ではない。
確固たる信念の前には幾百の言葉も意味を成さぬであろう。

「――わかったよ。ただし『俺が』少しでもおかしな素振りを見せたら、すぐに逃げること。いいね?」
「はい、 わかりました」
「よし、じゃ、行こうか」


ついに圭介は、その一歩を踏み出した。100メートル先に待つ、己の未来へと向かって。




 ゲーム開始より4時間17分経過/残り68時間43分




[21380] EPISODE-10
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/05 14:37
道行きの間は互いに無言だった。
さしもの圭介も最早軽口を叩く余裕は無く、美雪もまた率先して口を開くことはなかった。

この沈黙は、美雪の気遣いであると圭介には感じられた。
こんな状況でかけられる言葉など、たかが知れている。
だが安易な励ましは相手の苛立ちを不用意に呼び込みかねない。
まして美雪は今「安全なカードを引き当てた」という羨むべき立場にいるのだ。

だからこそ少女は、無言で圭介の後に続く。ただ圭介の背中を見守り続ける。
けれどそれが。たったそれだけの行為が、どれほど圭介に安心感を与えられているだろう。
惑う事無く動くこの足が何よりの証拠であると。圭介は素直に感謝した。


   
「着いた。ここだ」

眼前の光景と記憶とを照らし合わせ、齟齬が無いことを確認して圭介は立ち止まる。
今まで目にしてきたものと寸分違わぬ扉にはどこか懐かしさすら覚えた。

あれから3時間弱。様々なことがありすぎた。

女性の死体の発見、乃得留たちとの邂逅。そして明かされた「ゲーム」の詳細。
犯罪者の思惑に異を唱え、脱出を目論んでいた勇敢な少年はもういない。
今はただ、運命に振り回され臆病になった自分がいるだけだ、と自虐めいた思考が圭介の胸に去来した。

「――」

汗ばむ手のひらをズボンに擦り付け、金属の突起に触れる。
軋んだ音と共に開かれた扉の向こう側は、以前と変わらぬ佇まいだった。
放置したままの圭介のバッグが机の足元にあることも、ここから十分に目視できる。

「ここで、待っていて。ああ、ドアは閉めなくていいよ」
「はい」

何一つ、偽るつもりはない。
美雪に対して圭介は一部始終を見届けてもらうつもりでいた。

手探りで入口近くのスイッチをまさぐり、部屋に灯りを点す。
そのままゆっくりと。部屋の中央に向けて歩を進める。

「――森下さん。森下さんのPDAは、部屋の何処に有った?」
「はい? え、ええと。机の上に普通に置いてありました」
「そっか」

「ゲーム」のプレイヤーにとってPDAの所持は絶対的な生命線。
それを確実に取得させるためには、覚醒してすぐに目に付く位置に置いておかねばならない。
この部屋の数少ない家具の配置はおそらく他の参加者のスタート地点とほぼ同じようなものだろう。
となればベッドのすぐ脇にある机。その上がPDAの置き場所としては最適であることに疑いは無い。

ところが、今圭介の目の前にある机にはPDAの影も形も見当たらなかった。
だが圭介にとってそれは不思議でも何でもない。
3時間前の自分の行動を思い起こせばそれは当然の状態だった。


あの時。この机の上には圭介の私物が展示物のように並べられていた。
そのくだらない中身と数を人前に晒すのが恥ずかしかった。
だから全部纏めてバッグの中に押し込んでしまったのだ。

おそらくその中に、PDAは紛れ込んでいた。
そうなると必然、PDAはこのバッグの中、ということになる。

――なぜあの時、気が付かなかったのか。多少の違和感はあったはずなのに。

圭介は思わず過去の自分を責め立てた。
だがそれも無理からぬことなのだ。何せ圭介の私物には似たような機器があまりにも多すぎたのだ。

携帯電話が3つ。携帯音楽機器が3つ。実は今回のものとは規格が違うがPDAも2つ持っている。
そしてそれらの中に、本来の用途として使えるものは殆ど無い。
機種変更の都合上、不必要となってしまったもの。
型落ちや故障などで、既に使用に堪えないか機能に乏しくなってしまったもの。
そんなガラクタと化したものを、他人から無料か格安で払い下げたものばかりだ。
全ては手品のタネに使えないものかと思案し、収集した成果である。

(――馬鹿すぎる)

普段からそういった思いを抱かないでもなかったが、今回は格別だ。
だが今更そんなことを言っても仕方が無い。

――さて、鬼が出るか、蛇が出るか。

意を決した圭介は膝を付き、バッグのジッパーに手をかけ、一気に引き下ろした。





雑多に詰め込まれた無数の機器が姿を現す。その中に手を突っ込みかき混ぜる。

(――)

程無く見覚えのある色が目に入る。途端に圭介の手が止まる。

(――これ、か。これなの、か)

心臓の鼓動がやけに五月蝿い。
この音は、入口で待つ少女にまで届いているのではないだろうか。

ゆっくりと。手を伸ばす。左手が、一つの機器を掴み取る。

(操作法は――)

画面の上を鍛えられたしなやかな右手の指が滑る。
淀み無く、定められた作業を完了する。

そしてついに。液晶ディスプレイに一つの絵柄が表示された。

「――森下さん」
「は、はひっ!」

美雪の返事は声が裏返っている。
圭介の得た答えを欲すると同時に、恐れているのがよくわかる。

PDAを握り締め、圭介は立ち上がる。背筋を伸ばし、重い重い息を吐く。
やがて。美雪の方へと向き直り。




「どうやら俺も――大丈夫だった、みたいだ」



僅かばかり微笑みながら。「スペードの『6』」が表示されたPDAを掲げて見せた。



「よ――」

しばしの間があって。突然美雪の膝がかくり、と折れた。
慌てて扉の縁に手を添えるものの、身体を支えきれずそのままずるずると床にへたりこんでしまう。

「森下さんっ!?」
「よかった、です――本当、に――」

すっかり脱力してしまった少女の目尻には涙が浮かんでいた。
だがそれとは裏腹に表情は笑顔。圭介のことを魔術師と呼んだ、あの時と同じ笑顔だ。
それだけでわかる。彼女がどれほど、圭介の結果を心配していたか。
心優しい彼女が、どれほど心を痛めていたか。

「ごめん。心配かけちゃったね」
「いえ――いいんです。わたしが自分で言い出したことですから」

背負わずともいい、他人の不安。
だが背負わずにはいられなかった。見届けずにはいられなかった。
おそらく遠く離れた場所で圭介の未来が決まってしまうことの方がより不安だったのだろう。
このまま何も判らずに、もしかすると離れ離れになる方が余程に苦しいと感じたのだろう。

「でも、安心するのはまだ早いよ。むしろここからがスタートだから。生きて、もう一度帰るための」
「はい、そうですね」

圭介は美雪の元へ駆け寄り、手を取って立ち上がらせる。
初めて触れた少女の手は、思っていたよりも華奢なものだった。

「それじゃ、行こうか――と、その前に」

自分で宣言し、そして自ら「待った」をかける。

「? どうしました?」
「いやその――いろいろあって、すっげえ嫌な汗かいちゃったからさ。中のシャツだけでも着替えたいんだけど、待ってくれる?」
「あ、はい。もちろんいいですよ」
「助かるよ」

今度は大股で躊躇い無く。バッグのある位置へと戻る。
そしてバッグと、美雪の顔を交互に見比べる。

「――ごめん。さすがの俺も、女の子の前では着替えにくい」
「え? あ――し、ししし失礼しましたっ!!」

瞬間顔に火を灯し。慌てて美雪は大きな音を立てて扉を閉めた。









閉じられた扉により、美雪の喧騒は一瞬にして遮断された。途端に室内に静寂が訪れる。

少し前に気づいたことだが、この施設の防音設備はかなりのレベルのものらしい。
出入り口さえ完全に密閉してしまえば多少の物音は外部に漏れることはない。
それが企画者たちが意図したものなのかどうかはわからないが。



そんな中。一人圭介は呆然と佇んでいた。
先程まで美雪に向けられていた、若者らしい笑顔はもうそこにはない。
額には汗が滲み出し、唇は青ざめている。

「俺、は――」

呻くような声が、喉の奥から絞り出される。
PDAを握り締める左手は、目に見えて震えを発していた。


「俺は――何を、やってる、んだ――?」


自分の行動が信じられなかった。
まるで何者かに操られているかのようだった。
気が付けば。美雪にこのPDAを翳し、共に喜びを分かち合っていた。


なぜだ、なぜ。
あんなにも平然と、彼女の前に立てた。
なぜ、あんなにも平然と。


何か大事なことを失念している、と思っていた。
それを今、思い出した。

それは美雪のPDAの確認。彼女の「Q」は真実のものであるのかどうか。
だが自分なりに彼女と接してきて。森下美雪がどれほどにまっすぐな少女であるかは痛感してきた。
そんな彼女が、まさか絵柄を偽っているなどとは考えもしなかったのだ。


だけどもう。その確認は必要無い。
彼女のPDAの絵柄は間違い無く本物であると確信できる。


なぜならば。睨みつけるような圭介の視線の先。

最早用済みになったはずのバッグの中に、もう一つのPDAが存在していたからだ――



なぜ圭介が2つのPDAを所持していたか、理由は語るまでも無い。
参加者1名につき1台配布されるPDAが、たまたま圭介の私物に紛れ込むわけもない。

それはたった一人にのみ所持を許されたワイルドカード。
波多島乃得留があれほどまでに所有者の特定に神経質になっていた混乱の種。

しかし、圭介のバッグの中のPDAの絵柄は、道化師のそれではない。

(なぜ、俺は――)

圭介は、今ほど自分自身を軽蔑したことはなかった。
もしも刃があるのなら、今すぐこの身を切り刻んで欲しいとさえ思えた。



(あんなにも平然と――彼女に嘘を、ついたんだ!?)



そう。既に。「JOKER」は効力を発揮していた。
今圭介の左手にある「6」こそが――JOKERの成れの果てなのだ。




何一つ、偽るつもりはなかった。

森下美雪という少女を傷つけたくなくて。失いたくなくて。
例えそれがどんな結末であったとしても。
包み隠さず曝け出そうと。そう心に決めていたはずだったのだ。

だが、2つのPDAを発見した瞬間。
本心と本能が道を違えた。
無意識の内に、圭介の指はJOKERを操作していた。

偽装操作は簡単だった。
大門のPDAにはなかった操作パネルに指を触れると、13の絵柄が画面に浮かび出た。
その中から「6」を選び出すと、画面一杯に絵柄が広がり固定された。
所要時間約7秒。美雪に疑われるべくもない、咄嗟にして瞬時の操作だった。

今この場にいるのは圭介と美雪の二人だけ。そして美雪のカードは「Q」と判明している。
皮肉にも。乃得留が提唱した「JOKER偽装が成立する条件」は達成されていたのだ。
美雪はこの結果を鵜呑みにし、今も圭介の安全を安堵しつつ部屋の外で待機しているのだろう。


――今ならまだ間に合う。真実を全て、彼女に打ち明けろ。
――嫌われようと、蔑まれようともいいじゃないか。元よりそのつもりだったろう?


(――)

だが、圭介の本能はそんな訴えを受け入れることはできなかった。
今圭介は何としても。美雪の側を離れるわけにはいかないのだ。

(俺は――森下さんを)

それは決して、恋慕のような美しい想いからではない。
もっと下衆で最低な欲求によるものだ。

(殺さねば――助かることはできない)

そう。圭介が引き当てた真実のカードは「A」。

首輪の解除条件は「Q」の所持者の殺害。すなわち美雪の死によってしか成り立たない。
その符号が一致した瞬間、悪魔は囁いた。何としてでも美雪を繋ぎ止めるのだ――と。


否定したい。圭介はそんな自分を否定したくてたまらない。
だが、理性の中にも妥当な判断であったと言える自分がいるのだ。

まだ、俺は死ねない。
こんなところで、死ぬわけにはいかない。と。

――だけど、本当にそんなことができるのか?

あれほどまでに自分を信頼してくれて、あれほどまでに心配してくれた少女を。
本当にこの手で、殺さなければならないのか?
本当に彼女を、裏切らなければならないのか?
自分を決して見捨てなかった彼女を――見捨てることができるのか?


許される、わけがない。
人殺しは、人間にとっての最大の禁忌だ。
しかも相手は森下美雪。恨みや憎しみとは真逆の位置に立つ少女。


けれ、ども。

そうでなければ生きられない。
そうしなければ、生きて再び日常を取り戻すことはできない。

自分の命がそれほどに価値のあるものかという問いに対して。
胸を張って論ずることなどできないけれど。

それでも。「死にたくない」という痛烈な思いがあることだけは確かなのだ。


「――」

血が滲むほどに強く唇を噛み締める。
崖っぷちで踏み止まろうとする意識と意思が、いつものように圭介に冷静さを取り戻させる。

――時間は、まだある。あと60時間以上も。
――だけど。それで、もし。どうしようもないことなのだとわかってしまったら。

大きく息を吐き、天井を仰ぎ見た。
ふと、今まで気づきもしなかった機器が、壁の上部に据え付けられているのが目に入る。

(そうだよな――ここまで大げさな準備をしてんだ。これがあるのは自然だろうよ)

13人の人間を拉致し、巨大な施設に押し込めて行われる「ゲーム」。
それがいざ本番になるに至って、放置したままであるはずがない。
それはもう。一部始終を観察できて然るべきだと、圭介はカメラのレンズを忌々しげに睨み付けた。


(俺がこうすることが望みだったんだろう――さあ、望み通りにしてやったぞこの人でなしどもめっ!!)


心の底から、そう叫びたかった。
だがそれが躊躇われたのは、万が一にも美雪に聞こえては困るから。

そして何よりも――自分もまた、その人でなしの一人であると。思い知ったからだった。







「随分と時間がかかってますね。どうしたんだろ鳴神くん」

そんな圭介の葛藤に気づくこともなく。
部屋の外で待機していた美雪は落ち着き無く、コツンと壁をつま先で叩いた。




 ゲーム開始より4時間25分経過/残り68時間35分



【プレイヤーカード:開示】
・「A」:鳴神圭介
・「Q」:森下美雪

・「JOKER」:鳴神圭介



[21380] EPISODE-11
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 05:02
(出口は――出口は、どこっ!?)

鳴神圭介が最悪の結論と向き合っていた頃。一人の少女が同じ施設内を闊駆していた。

少女は混乱していた。自らの日常が瞬間に断絶を迎え、気が付けば異常な施設の中。
己の人生に深い関わりがある医療病棟に酷似しているものの、医師の姿も患者の姿も見当たらない。
何よりも。命の息吹なるものが、何一つ感じられない。
無機質な造りが、漂う空気が。悪意そのものに塗れていた。

――気持ち悪い。

目覚めて真っ先に抱いたのはそんな感情。
続いて襲ってきたのは途轍もない不安と、恐怖。
それら全てが混ざり合い。今までの自分とは明らかに剥離した現実に直面し。
そして漸く、少女は「自分は攫われたのだ」という結論に至った。

なぜ、と問えども答えは返ってこない。
少女が目覚めた部屋には少女以外には誰もおらず、誰も訪れはしなかった。
時間の経過と共に、不安はますます肥大していく。

一人には慣れていたつもりだった。
数年前に天涯孤独の身と成り果てた少女にとって孤独な部屋は当然な日常だった。

だけど、これは違う。耐えられるべきものではない。

何とか現状を打破できないものかと、少女は部屋を散策した。
その最中で発見されたのが、今少女の手の中にある黒色の携帯端末。
私物の中に紛れて机の上に置かれていたそれは明らかに異形なものであったが、
だからこそ確実に自分の今後の鍵を握るものだと判断できた。

まさか爆発しないよね――と恐る恐るスイッチを押し込み。
そして表示された条項の数々に仰天した。
この場に留まることは危険だと、少女は即座に部屋を飛び出した。

――逃げなければ。逃げ出さなければ。
――じゃないと、私、殺される!

悲運を告げたPDAには、施設内の地図機能が搭載されていた。
少女はそれを片手で操作しながら走る。施設の出口を捜し求めて。


少女のPDAに、ルールの⑤は記載されていなかった。
すなわち少女は、万が一脱出が叶ったとしても警備システムに処刑される事実を知らない。

だが、閉鎖空間の中で殺し合いをさせるという誘拐犯の意図は理解しているつもりだった。
だとすれば。このまま出口に辿り着いたとしても。
おいそれとは逃げ出せない造りになっているかもしれない。

けれどもその可能性に縋るしか、今は無いのだ。
何の取り得も無い自分が、こんな「ゲーム」で生き残れるとは到底思えないのだ。


――だって、こんな条件。私に達成できるわけないじゃない!?


肩まで伸びた亜麻色の髪が、汗で首筋に張り付く。
掻き揚げた指が首輪に触れて、重い何かが胸の内でひしめく。

「はあっ、はあっ――」

徐々に息が、切れてきた。まだそれほどに走ってはいないはずなのに。
虚弱な自分が恨めしい。だけど体力を鍛える暇などなかった。

無理も無い。
何せ少女は今までの人生の半分以上を、ベッドの上で過ごしてきたのだから。

「はあっ――は――」

ついに足が止まってしまった。もうこれ以上は走れない。
身体が休息を求めている。肺が酸素を求めている。
それでも目的地と定めた西南端の広場まではまだ遠い。
未だ脱出の見通しすら立たない状態では、とても留まってなどいられない。

――走らなければ。

疲れた身体に鞭を当て。何とか呼吸を短時間で整える。
さあ、と少女が再び気力を取り戻し。顔を上げたその瞬間。


「――おい」
「!!」


何者かに、背後から呼び止められた。
恐怖が電流のように身体の中を突き抜けた。
走ると決めたはずの自らの2本の脚は、たちまちに硬直してしまった。

「ゆっくりと振り向け。ゆっくりとだ」
「は、は、はい――はいぃっ!?」

180度向きを変えさせられた少女の目の前に立っていた人物は。
まさに今という現実を形にしたような男だった。

(な――何なにこのヒトっ!!)

大柄な体躯、そこまではいい。
だが季節的にも施設的にも必要の無いであろう帽子とサングラスで表情が隠されている。
唯一露出している口元は切り結ばれ、友好的な雰囲気は微塵も見られない。
そして極めつけは上着の袖口に付着した赤い染み。それが血液であることは言うまでもない。
衣服の様相から工事業者の類にも見えるが、その佇まいは人には言えない作業が生業の人物だ。
たとえば――そう。傭兵のような。

「一人、か。まだ誰とも遭遇していないのか?」
「そ、そそそそ」
「――何を言っている」

それを聞いてどうするのか、が口にすべき言葉だった。

仲間がいなければ、何をするつもりなのか?
邪魔が入らなければ、何ができるというのだろうか?


――殺されるっ!


出口の真実と同様に戦闘禁止エリアの存在も知らされていない少女に絶望が襲った。


――逃げなければ、逃げ出さなければ。
――この男から一刻も早く逃げ出さなければ、私の人生はここで終わる。

――なのに、どうして、私のこの脚は、動こうとしてくれないの!?
――動け、動け動けっ!


――でないと、そうじゃないと。
――私は、あの人に。


――ころ、さ、れ――


「――あ」

少女の中で。何かが決壊した。
心は恐怖で押し潰され、混乱の極みに達した思考は緊急停止した。
そして肉体は、全ての行動を放棄した。

(だ――め――)

目の前の景色がぐにゃり、と歪む。
この場で意識を失うことは何よりも最悪だ。獲物は馳走と成り果てる。
それでも少女は抗えない。不審な男よりもまず、自分の身体が抵抗を許してはくれなかった。

身体に力が入らない。この身を支えていられない。
膝が折れ、床に当たる。
手の中からPDAが滑り落ち、音を立てて転がっていく。


これから自分はどうなってしまうのだろう。
もう二度と目を覚ますことはできないのだろうか。

そんなのは、イヤだ。まだ死にたくなんてない。
やっとそう、思えるようになってきたのに。


――助けて。

――たすけて。



(たす、けて――おねえ、ちゃん――)

暗闇へと堕ちていく少女は、かつて最愛であった人物に救いを求める。
だがその願いは。到底叶えられるものではなかった。




「『J』か――よし」



意識を失う寸前。

少女――北条かれんは、男のそんな無機質な呟きを聞いた気がした。




 ゲーム開始より4時間37分経過/残り68時間23分


【プレイヤーカード:開示】
・「J」:北条かれん



[21380] EPISODE-12
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/18 17:40
もしも、今。
奇跡の体現者が俺の目の前に現れたとする。
姿カタチは何でもいい。
神々しい光を纏った聖人でも、屈強な巨人であったとしても。
そしてそいつは、俺に向かってこう言うのだ。
「どんな願いでも一つだけ叶えて差し上げましょう」と。

それが紛れもない本物だとして、現実だとして。
そうなれば、俺には。
どうしても叶えたい願いがある。
どうしても譲れない願いがある。
だから。恥も外聞もなく。俺は堂々と言ってのけるだろう。

「頼むから願い事を2つにしてくれ」と。






あの後。圭介は何食わぬ顔で美雪の前へと姿を現した。
手間がかかってしまったことを詫び、いつものように気障な冗談を交えながら。
己の生存への欲求のため、少年は真実を隠蔽した。
脱出への鍵となる少女の身体を側に留めておくため、圭介は偽りの仮面を被ることを選んだのだ。

美雪がその嘘に気付いた様子はない。自分が騙されているとは露とも思っていない。
JOKERの効力は絶大だった。
圭介の翳した偽りの「6」により、少女は傍らの少年を頼もしい味方だとすっかり信じ込んでいる。

美雪の無防備な表情の一つ一つが、圭介の心に爪を立てる。
この無垢な少女の命を奪わねば助からないという事実を考えるたびに目眩がする。
偽りたくなどなかった。騙すつもりなど毛頭無かったのだ。

(何を今更――白々しいにも程がある)

そんな悲嘆を隙あらば抱く自分に嫌気が差した。
そうやって心を痛めていれば許されるとでも思っているのか。
仕方が無かったのだと、彼女の遺体の傍らで嘆くつもりか。
そんな半端な気持ちで――彼女の命を天秤に掛けたというのか?

「鳴神くん、顔色が悪いですよ、大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ――」

美雪の呼びかけにふと我に返る。

「ごめん。少し考え事をしてた。大したことじゃないんだけど」
「そうなんですか? わたしに協力できることでしたら、遠慮なく言ってくださいね?」
「はは、ありがとう」

――言えるわけが、ないだろう。

張りつけたような微笑みを浮かべながら、圭介は己の中のどす黒い感情を必死で抑え込む。
とにかく今は、この無様な演技を続けなければならない。でなければ全てが無駄になる。

未だ戦闘禁止エリアが働いていることが幸いだった。
少なくともあと1時間は、美雪はルールによって安全を保証されているからだ。
それだけの時間は、最低な決断を下す必要はないからだ。


「じゃあ、ノエルさんたちのところへ戻りましょうか」
「――ああ」

だが苦悩の種は尽きなかった。
外面的には圭介のPDAは「6」であるので美雪の「Q」と同様、安全なカードを引き当てたことになる。
そうなれば最初の約束通り、乃得留たちと合流を果たすのが自然な流れだ。

だがそれは拙い。再度彼女らと邂逅すれば、偽装が看破される恐れがある。
現在乃得留と同行している2名のうち、古谷小枝子のカードが圭介には判明していない。

もし彼女のカードが圭介が今JOKERで偽装している「6」であればその時点でアウト。
仮に「手続き」を通過したとしても身体検査でも行われれば隠し持っている「A」が発見されてしまう。
当初のメンバー全員が揃った元で真実を暴露させられる様など、想像するだに恐ろしい。

(なるほどノエルさん――貴方の理論は完璧ですよ、まったく)

あれほどに好感を持っていた女性の存在が、今の圭介には忌々しいものに思えた。

とは言え、まさか合流を拒否することなどできるわけがない。
美雪を納得させるだけの理屈など思いつきもしない。

唯一の望みは、ここまで自分たちのPDAの回収に時間がかかっていること。
この時間経過の意味を波多島乃得留なら「鳴神圭介たちはキラーカードを引き当てたからだ」と判断しているかもしれない。
そうなればもう既に自分たちを切り捨ててあの場を去っているはずだ。
今はそれに一縷の希望を託すしかない。
そして圭介の乃得留の才覚に対する見立てでは、その可能性はかなりなものだと思えた。

「? やっぱり鳴神くん、調子が悪そうです。少し――休んだ方が良くないですか?」
「え?」

ここで美雪によってもう一つの選択肢が加えられた。
しかもそれは圭介にとって利のある、魅力的な提案だった。

(休憩――か)

疲労の回復や精神の安定はこの際どうでもいい。
だがこの休憩によって時間を消費すれば、乃得留たちが集合場所から去る確率はさらに高いものとなる。

いや、それだけではない。
もしも。この休息を戦闘禁止エリア解禁の時間まで長引かせることができたなら。
今なら邪魔は入らない。圭介と美雪の二人きり。

だとすれば。
だと、すれば――

「いや、大丈夫だよ。行こう」

だが、あろうことか。圭介の口から飛び出したのは否定の返事だった。

(――何を言ってるんだ、俺は)

自分が達成せねばならぬことが何なのかは重々承知していた。断る理由など無いはずだった。

だがそんな状況が、訪れる瞬間を考えることが怖かった。
美雪を殺せる状況で、美雪を殺す自分を考えるだけで怖気が走ったのだ。
覚悟はしている。だが足りない。未だ到達に至ってはいない。

(――くそ。やっぱり逃げるのかよ、俺は)

もう逃げないと、決めたのに。
どんな辛い現実でも、受け入れると決めていたのに。

それが人として正しい感情だとしても、圭介は己を責め立てる。

「男の子ですねえ、鳴神くんは」

そんな圭介の返事をやせ我慢だと捉えたらしい美雪は柔らかい笑みを向けてくる。

「お褒めに預かり光栄です、女王さま」
「女王さま――? ああ、上手いこと言いますね。ふふ」

狙うべきカードになぞらえた物言いには少し皮肉も含まれていたが、当然美雪が気づくはずもない。

「んじゃ、行きますか」
「はい」

乃得留たちがいるはずの部屋へと向かう圭介の足取りは相変わらず重い。
だがこれは先程までとは違う重みだという自覚がある。

これはまるで、処刑場への道のりだ――と圭介は己の中で吐き捨てる。






「ところでこれ、さっきから気になってたんですけど」
「ん?」

美雪のスタート地点であった部屋を通り過ぎた辺りで美雪がふと立ち止まった。

「ほら、これ。ここだけ床がちょっと変なんです」
「あ、ホントだ」

扉のある壁面とは反対側の壁のすぐ近く。
よく見れば一辺が30センチ程の正方形が床からわずかに一段盛り上がっていた。
排水溝の蓋、のようにも見えるが床下が覗きこめるような穴も開いていなければ外すために手を差しこむ隙間もない。
ただ床をくり抜いてはめ込み直した、としか形容できない歪な状態の代物だった。

「足でも引っ掛けたら危ないですよね、これ」
「うーん。そんな端っこをわざわざ歩く人なんていないと思うけど」

美雪の心配に相槌を打つものの、圭介にとってはどうでもいいことだった。
そもそもこの施設内において、段差に足を取られて転ぶ程度が危険とはとても思えない。

(そんなことよりもっと心配すべきことがあるだろうに。例えば――さ)

――君の側にいる男がもしかしたら命を狙っているかもしれない、とか。

ささくれ立った心にそんな自虐が思い浮かぶ。
それでも美雪は「それ」が気になって仕方が無いようで、近くに寄りつつ膝をつく。

「押さえたら、元に戻るでしょうか? よいしょ、っと」

足で踏みつければ事足りる作業をわざわざ手で行うあたりに少女の性格が窺えた。

そして。

かちり、という金属音と共に。
突如として、鋭い無数の金属の棘が床下から轟音を伴い飛び出した。



「――」
「――へ?」

呆然と。ただ呆然と二人は様変わりした「前方」を眺めるしかなかった。
美雪のわずか3歩ほど先。巨大な剣山が通路を隙間無く埋めている。
生えてきた棘は圭介の膝くらいの高さ。範囲は5メートルにも渡っており完全に封鎖の形になっていた。

「あ、あの、これって――」

錆びついた機械仕掛けのようにゆっくりと、美雪の首が圭介の方へ向く。

「鳴神くんの手品――じゃないですよね?」
「なワケないでしょ」

圭介は言い捨て、懐からハンカチを取り出し指に巻きつけて棘の一つに手を伸ばす。
薬物の類は塗られていないようだったが棘は簡単にハンカチを貫通した。

「――かなり鋭いな。この床の上に乗っていたらひとたまりもなかったかも」
「あ、あの――」
「罠、だね。それも極上に凶悪な奴だ。んで起動スイッチがそれ」
「!!」

今は床にきっちりとはめ込まれた正方形のパネルから美雪が慌てて飛び退いた。

(あ、危なかった――)

冷静さを装いつつも圭介の内心は恐怖で満たされていた。

罠はスイッチよりも前方に配置されていた。
おそらく一定以上の速度で通路を通過し、パネルを踏みつけた状態を想定したものだろう。
故にわざわざ立ち止まって罠を作動させた美雪に被害が及ぶことはなかったであろうが、
圭介自身がスイッチよりも前に進んでいなかったのはただの偶然だ。
一歩間違えば全身を貫かれ絶命していた。巻き込まれなかったのは奇跡以外の何ものでもない。

「じゃ、じゃあ、わたし、もしかしていたら――」
「はいストップ。その先を言う必要はないよ」
「でも、でも――」
「いいから」

もしかしたら圭介を死なせていたかもしれないと、身を震わせる美雪を言葉で制止する。

元より圭介に美雪を責めるつもりはなかった。
行き過ぎた善意により罠を作動させてしまった過失には確かに怒りを覚えなくもない。

だが現状は二人とも傷の一つも負ってはいない。
となれば「この施設内には罠が設置されている」という情報を得ることができた事実だけが残ることになる。
このアドバンテージは大きい。何せルールにすら記載されていない事柄だ。
少なくとも今後の行動において罠の存在を警戒することができ、結果事故死という死に様を迎える可能性は激減した。

そして何よりも、もう一つ。

「でもこれで、この道を通ることはできなくなっちゃったな」
「ごめんなさい」
「だからいいって」

そうなのだ。これで「最短の距離と時間では集合地点に向かえない」という正当な理由が出来た。
乃得留に出会いたくはない圭介にとって罠による通路の封鎖はまさに福音と言ってもよかった。

「でも大丈夫。このPDAの地図機能を使えば多少遠回りでもノエルさんたちのいた場所に戻れるよ」
「あ――そうですね」
「だけど、また同じような罠があるかもしれない。注意しながらゆっくり進もう」
「はい」

美雪が「板でも渡して乗り越えれば」などと言い出すより先に圭介は道を定め、巧みに誘導していく。

――これでいい。

これで元の場所に戻るまでに相当な時間を浪費することができる。
戦闘禁止エリアの解除まで残り1時間も切ればさすがに乃得留たちも自分たちを待ち続けることはあるまい。

即興で構築した割には完璧に近い言い訳に、圭介は自身の悪人としての才能を錯覚した。






「――ん?」

20分ほど歩いただろうか。
圭介の計画通り罠を警戒しながらの行軍は時間の消費の割に進みの鈍いものだった。
美雪がPDAの地図機能を駆使し、最短の迂廻路を弾き出したものの未だ道のりは半分を過ぎたばかりだ。

その道中。先行する圭介の視界に奇妙なものが目に入った。
罠の手がかりではない。そのように無機質なものではない。
角を曲がって50メートルほど先の壁際。丸まった何かが存在している。

(あれ、は――)
「! 鳴神くん、あれって――」

圭介は照準を合わせるために目を細め、逆に美雪は眼を見開いた。

間違いない。あれは、人だ。人が蹲って座り込んでいる。
まだ距離が遠いのでいかなる人物であるのか判別はつかない。
ただ、動き出す気配が欠片も感じられないことだけは確かだった。
そしてその人物が、圭介たちが遭遇した9人目の「ゲーム」参加者であることも。

「ま、まさか、あの人――」
「どうだろうね。ここからじゃちょっとわからないな」

殺し合いの許容されぬ時間帯であっても命を失う可能性があるのは先程示された通りだ。
件の人物が既に帰らぬ身となっていても何ら不思議なことではない。

「どの道さっきの部屋に戻るならここを通らなきゃならない。行ってみよう。怪我をしてるだけなら助けてあげなきゃ」
「――はい! その通りです!」

美雪が瞳を輝かせたのはおそらく自分が秘めていたものと同じ考えを圭介が口にしたからだろう。

(本音は、違うんだけどな――)

言葉の裏で情報の取得を第一に計算を働かせていた圭介にはそんな美雪が眩しく感じられた。

通路の至る所に視線を張り巡らせ、ゆっくりと進む。
少しでも不自然な個所が見つかれば即座に立ち止まれるように。
対象との距離が半分ほど縮まった頃、ようやく視界に人物の全身像を捉えることができた。

(な、なんだ? あの人――)

そしてその異様な風貌に圭介は思わず頬を引きつらせる。

生物学上の性別は男性。顔の造りはかなり端正な部類。
黒の長袖シャツと乳白色のジーンズもなかなかに様になっている。
だがその手足は異常なほどに痩せ細っており、不健康を絵に描いたような肌の色はまるで幽鬼を想像させられた。
そして何より特徴的なのは、その頭髪が余すことなく白色であることだ。
その様は何処ぞの重病患者をそのまま運びこんできた、としか思えない。

「ん――おや?」

さらに圭介が近付くと青年の閉じられていた双眸が力無く見開かれた。
どうやら命に別状は無いようだ。目立った外傷も見当たらない。
背後の美雪が小さく安堵の息をついたのが聞こえた。
だがやはり立ち上がる気配は見られない。相当に衰弱している様子である。

「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「――」

我先と美雪が駆け寄った。青年は視界の端で少女の姿を認めたようだが返事は返ってこない。
目を凝らすと青年の顔には多量の汗が浮かんでいた。
そして口元から微かな、荒い息遣いが聞こえる。

「お願い、しっかり――」
「――な」
「な?」

漸く青年の元へ到着した圭介がか細い声を取り上げる。
まさか遺言を預かることにはならないだろうな、と恐れながら圭介は次の言葉を待つ。


「な――にか、たべ、ものを――」


どうやら衰弱の原因は空腹によるものらしい。
一瞬冗談にも思えたが、彼の異様な体つきから考えるに至極真面目に緊急事態なのだろう。

「た、食べ物ですか!? ちょっと待ってくださいね――」

美雪が部屋から持ち出した自分の鞄を開いた。非常食でも携帯しているのだろうか。

(森下さんは受験生だろうからな。持っていたって不思議じゃないか)
「あ、クッキーがあります! これでもいいですか!?」
(何っ! クッキーだって!?)

――まさか手作りじゃなかろうな? だとしたら俺も欲しいぞ森下さん!

ふざけた欲求を抱いた圭介であったが美雪が鞄から取り出したのはごく普通の市販のものだった。
だが青年にとっては待望のものであったのか。たちまち目を見開くと美雪に向って身を乗り出した。

「もら、っても――」
「もちろんです。こんなものでよければ」
「!!」
「きゃっ!」

獣のような動作で青年は食料に飛びついた。
およそ上品とは言い難い手つきで青年はクッキーを貪り始める。
ビニールに包装されていた十数枚のそれは、瞬く間に減っていき、数秒後には跡形もなく無くなってしまった。
空になった包装を確認すると傍らに置いていた無印のペットボトルに入った水を一気に呷り、青年は大きく息をつく。

「ふう――生き返った。ああ、ありがとうね」

心持ち血色の良くなった顔に笑顔を浮かべて素直に青年は礼を述べる。

「いえ。お役に立てたのなら嬉しいです。よっぽどお腹がすいてたんですね」
「まあね。ここ数日ロクに食べていなかったから。いや食べられなかった、と言った方が正しいかな」
「そうなんですか?」
「ああ、見ての通り僕は身体に異常があってね。普段はちょっと、人とは違う形で栄養を摂取してるんだ」

打って変って饒舌になってきた青年は肩を竦めて見せる。

「やっぱりご病気だったんですね。そんな人まで拉致してくるなんて――ひどい」
「拉致? ああ――うん。そうだよね」

青年は美雪と圭介を交互に見比べた。視線の位置が妙であることから正確には首輪を注視したのかもしれない。

「――君たちも『ゲーム』の参加者なんだね」
「ええ。わたしは森下美雪と言います。こちらが鳴神圭介くん」
「鳴神です」

圭介は短く会釈する。
危険と判断する情報が不足しているのか、それともそんな余裕もなかったのか。
とりあえず青年に敵意は感じられなかった。

「そうか。お互い大変なことになっちゃったね。この『ゲーム』はすごく過酷で、凄惨なものだから」
「そう、ですね」
(――ん?)

随分と妙な言い回しをするものだ。
確かにルールに目を通せばこの「ゲーム」がとんでもないものだとは理解できる。

だがこの先どのような悲劇が待っているのかは完全に想像の範疇だ。
なのにこの青年ははっきりと断定した。過酷で凄惨なものであると。

それはまるで「ゲーム」の全体像を知っているかのような物言いに聞こえなくもない。

(気のせいだろうか――)
「鳴神くん、と言ったっけ。何か言いたそうな顔つきだね」
「え? い、いや――」
「考えていることはだいたいわかるよ。そしてそれを隠すつもりもない」
「はあ」

白髪の青年の瞳は、まるで全てを見透かしているかのようだった。
何者なんだ、この男――対応は丁寧だが異様な風体もあってどうにも不信感が拭えない。

「これも何かの縁だ。少し話をしよう。っと、まずは自己紹介からかな」

そんな圭介を他所に、青年はぱさりと前髪を掻き揚げ、告げた。



「僕の名は長沢勇治。かつてこの『ゲーム』に参加したことのある者だ」





 ゲーム開始より5時間11分経過/残り67時間49分


【裏情報:開示】
・施設内には各所に罠が設置されている。



[21380] EPISODE-13
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/19 21:34
「なん――だって?」

驚くべき情報が青年・長沢勇治の口から告げられた。
名前の後に続いたのはほんの一呼吸で表わされるもの。だがそこには多分な意味合いが含まれている。

「ちょ、ちょっと待って下さい。ええっと――」

まず聞くべきことは何なのか。圭介は混乱して上手く考えが纏まらない。

「――ああ、そうだ。今『かつて』と仰いましたがこの『ゲーム』は今回が初めてじゃない、ってことですか?」
「そうなるね。僕が参加させられたのは数年前のことだけど、
 その次が今回なのかそれとも今に至るまで何度も繰り返されてきたのか。
 それは残念ながら僕にはわからない。ただ――」

「ただ?」
「この施設の内装には見覚えがある。おそらく僕たちの時と、同じ舞台なのは間違いないだろう」
「そう――ですか」

圭介はロクに手入れもされず埃を被っていたスタート地点の家具の数々を思い出した。
なるほどつまり。この施設は「ゲーム」のために造られたものではあるが。
決して「今回のゲーム」のために造られたものではなかったのだ。

(そう考えれば拉致の際のあの手際の良さも納得がいく、か)

取り押さえることすら困難が予想される大門。
日常ですらおいそれと隙を見せそうにない乃得留と楯岡。
そんな彼らでさえ、抵抗の一つも許されずプレイヤーとして強制召集されてしまった。

それは実行犯にそれだけの経験と実績が伴っていたと見て然るべきである。
それだけの経験と実績を、重ねる機会があったということになる。
年に一度――若しくはそれ以上であろうか。

何と恐ろしいことか。圭介は思わず身震いした。
自分が日々を過ごしていた平穏の裏側には、このような闇が隠されていたのだ。

「それで、あの――長沢さんは、その――」

今まで言葉を失っていた美雪が、恐る恐る、と言った感じで口を開く。

「ん? ああ――もしかして、『どうやって前回のゲームをクリアしたのか』、かい?」
「――はい」

そう。それこそが本当に圭介が聞きたかったことだ。
彼は「ゲーム」を過去に経験し、そして今、圭介たちの目の前にいる。
それはつまり。何らかの形で「ゲーム」をクリアしたということなのだ。

だからこそ、この「ゲーム」の惨状を断定することができたのだ。
だからこそ、この時間帯での接触は危険ではないとこちらに無防備な状態を晒しているのかもしれない。

それはいったい、どうやって?
だが長沢青年はすまない、とばかりに顔を伏せる。

「ごめん。できればそれは聞かないで欲しい。
 あまり気持ちのいい話じゃないし、僕がこんな身体になってしまった原因もそこにあるから」
「あ――ごめんなさい」
「謝らないで。むしろ謝るのはこっちの方だ」

どうやら長沢は、相当に悲惨な体験を過去の「ゲーム」でしてきたらしい。
そのせいでまともな日常生活すら送れぬ身体に成り果てたとしても、無理からぬことであろう。

「ところで君たちは、この「ゲーム」をどこまで把握してる? 見た感じ相当に理解している様子だけど」
「えっと、ですね」
「幸いにして個別ルールは①から⑨まで全部把握しています。俺たちには協力者がいますから」

「いた」ではなく「いる」。
美雪の手前、圭介はあえて乃得留たちとの協力関係は現在進行形のものであると告げた。

「――⑨はもしかして、全カードの解除条件?」
「はい。そうです」
「そこは前回と同じか――となると各カードの危険度もそれなりに把握している?」
「そうなりますね」
「――そっか。じゃあまず、僕の身の潔白を示しておこうか」

長沢は少しだけ身を捩り、ジーンズのポケットから黒色の携帯端末を取り出した。

「ご覧の通り。僕のPDAは『5』だ。条件はチェックポイントの全制覇。
 他の解除条件はわからないけど、おそらくもっとも他人を襲う理由の無いカードだと思う」
「――その身体で全部のポイントを回るのは辛くないですか?」
「かもね。でも人を殺して生き残らねばならない条件に比べればずっとマシだよ」

長沢は儚く微笑み、釣られるように美雪も笑顔を見せる。
そんな中、圭介は一人愛想笑いを浮かべるのに苦労していた。
その条件を見事引き当ててしまったのは他ならぬ自分であるからだ。

青年の言を信じるならば、彼もまた殺し合いへの参加を由とはしない方針らしい。
理由の大半はそのままならぬ身体との相談の結果であろう。
それとも長沢の過去の体験を省みての決断でもあるのだろうか。

「じゃあ、わたしも。カードは『Q』。条件は2日と23時間の生存です」

長沢が危険な人物ではないと判断したのだろう。美雪は自身のPDAを提示して見せた。

(――)

――さて、では自分はどうするか。

圭介はまだ長沢を完全に信用したわけではない。
だが過去の「ゲーム」体験者という彼の持つ情報は何ものにも代え難い。
そしてそれを惜しむ様子が無い以上、無碍に扱うわけにはいくまい。
それにここで美雪と同調しておかなければ、彼女にも長沢にも余計な疑いを与えかねない。

――まあ、いいか。どうせ晒しても惜しくは無い嘘カードだ。

あえて友好的なスタンスを取り続けることを決断し、圭介はJOKERで偽装した方の「6」のPDAを長沢に見せた。

「俺の条件はJOKERの5回以上の使用。つまり俺たちは争う理由を持っていないことになります」
「そうか、よかった。うーん、でもそうなると今回の解除条件の一覧は知っておきたいとこではあるなあ」
「あ、でしたらこれ、さしあげます」
「ん? これは?」
「ルールを紙に書き出したものです。①から⑨まで全部載っています」
「それは助かるけど――いいのかい? 美雪さんの分だろ、これ」
「大丈夫です。もう全部覚えていますし、万が一忘れても鳴神くんの分がありますから。ね?」

片目を瞑って美雪は圭介に同意を求める。

「ああ、もちろん異存は無いです」
「はは、仲がいいんだね君たちは」

確か大門にもそんなことを言われた気がする。
だが「一時も離れたくない間柄」という意味合いが変わってしまった今、無駄な茶化しを入れる気にもならなかった。

「じゃあ遠慮無く――ふうん、なるほど」

長沢の両目が文字を追い忙しなく動く。
そしてしばしの後、ぱさりとルール一覧を下し、深く息をついた。

「――まったく同じだね。前回と」
「そうなんですか?」
「ああ。解除条件もまったく同じ。追加されたルールも見当たらない」
「じゃあ、長沢さんの経験は全部活かせるってことになりますね」
「そうなるね。あくまで記載されているルールについては、だけど」

記載されていないルール――圭介の脳裏に先程の危うい出来事が思い浮かんだ。

「あ、じゃあ長沢さんは罠についてはご存知ですか?」

美雪も同じ事を考えたようですぐさま長沢に確認を取る。

「え、罠に引っ掛かったのかい? それにしては怪我はしてないようだけど」
「ええ、まあ何とか無事でした」
「それは何よりだ。どんな罠だったの?」
「実は――」

美雪は順を追って説明し始める。
さらにそれに至るまでの経緯、特に乃得留たちとの出会いとルール説明、
協力の取り付け方など事細かに長沢に語って聞かせた。
長沢が協力の意思を示している以上、自分たちの味方についても解説が必要であろうと考えたらしい。

「なるほどね」

説明は数分間に及んだ。背中を壁に預けたまま長沢は腕組みし、深く頷いた。
だがその表情は先程とは打って変わって厳しい。

「まずいな、それは」
「え? 罠の話ですか?」
「いや違う。その、ノエルさんの同盟のとこ」

実は美雪の説明が乃得留の話になってから、長沢の表情の変化は顕著になっていた。

「? 何か彼女の理論におかしなところがありますか?
 確かに切り捨てなければいけない部分があって多少薄情にも思えますけど――」

キラーカードの所持者を見捨て他のプレイヤーを救うという乃得留の理論。
もしかするとその冷徹な部分が長沢の気に障ったのであろうか。
だが過去に「ゲーム」を体験している長沢ならば甘い考えは通用しないと理解しているはず。
長所の部分に関しても彼のPDA「5」は乃得留と協力を取り付けるに十分な安全条件だから障害は無い。
ならば何が引っ掛かっているのだろう?

「罠についてはPDAのルール条項に記載されていないよね?」
「え? はい」

いきなり話が元に戻ってしまった。
長沢の考えが圭介にはわからない。のでとりあえず続きに耳を傾けることにする。

「まあ最初っから罠の存在に気づかれちゃ困るってことなんだろうけど。
 それと同様に『裏ルール』みたいなものがこの『ゲーム』には幾つか存在する。
 そうだね――まず何から話したものか」

ここで一旦、長沢は話を区切る。そしてペットボトルの水を一口含ませる。

「まず、この建物は6階建てで構成されている」
「え――」

思わず圭介は言葉を失った。
確かにルールの⑤には「1階から侵入禁止エリアが拡がっていく」とは記載されていた。
しかしせいぜいが3階建て程度だと思っていた。

――このバカでかくて複雑な迷路が、6階も重なっているのか!?

これでは最上階への到達だけでかなりの時間がかかってしまうではないか。

「そして罠と同様、僕たちが使用できる武器もそこら中に隠されている。
 さらにその武器は、階層が上がるごとに強力になっていく」
「ぶ、武器だって!?」
「そんな――嘘ですよね!?」

長沢が静かに首を横に振る。

「『3』や『9』が素手で達成できる条件だと思うかい? 残念ながら本当だよ――
 確か2階から刃物、3階から銃の類だったかな。もっと上に行けば重火器や爆薬すらあるだろう」
「――」
「そこでさっきのノエルさんの話だ。おそらく彼女は武器らしいものの見当たらない1階だからこそ、
 そんな理論を考え出せたのだろう。だけど――」

乃得留の理論が成就すれば、非戦闘を提唱する大人数の団体が構成されることになる。
そうなれば敵対者との戦力差は明らかであるから抵抗は無意味、であるはずだった。

だがもし。長沢の言葉が真実であったのならば。

「その団体のど真ん中に爆弾でも投げ込めば――一網打尽だ」
「やめてくださいっ!!」

思わず美雪が両手で耳を塞いだ。
それほどに衝撃的で。残酷な情報だった。

「ごめん。怖がらせるつもりはなかった。けど事実なんだ。
 この裏ルールは『ゲーム』の根幹に関わるものだから僕の時と同じく変更は無いはずだ」
「――根幹、とは?」
「まさしくノエル理論の看破だよ。『生き残るべきは選ばれし少数のみだ』ってね」
「――」

圭介はスタート地点で発見したカメラの存在を思い出した。
なるほど。主催者はどうあっても自分たちに殺戮ショーを強制させたいらしい。

「ノエルさんに知らせなきゃ。でも――」

美雪は元の場所への方向と、未だ一度も立ち上がることのできない長沢を交互に見比べる。
今の彼の様子では人の手を借りねば前に進むことすら困難であろう。
一刻も早く、という条件が付くならば彼を連れていくことはマイナスでしかない。
だが戦闘禁止エリアの解除が迫ってきているこの状況ではこれ以上の時間のロスは致命的だ。

「僕のことなら気にしなくていいよ。足手まといになることは重々自覚してるから」
「だけど!」

そんな言い方をされればますます見捨てられないのが森下美雪という少女だ。
彼女の焦りと混乱が圭介は殊更に目に見えるようだった。

――ここは助け船を出しておくか。お互いのために。

「森下さん。ここは長沢さんが優先だ。焦ってももう、ノエルさんたちはいない可能性が高い」
「鳴神くん!? でも――」
「それに大集団での行動が逆に危険になってくるのはもっと上の階に上がってからだ。
 今はむしろ、人数は多い方が安全だよ」
「――そう、ですね」

納得はできないだろう。葛藤はあるだろう。
だが両方を同時に叶える選択肢は今は無い。渋々、といった感じで美雪は腰を落ち着けた。

(――やれやれ)

逆に圭介は少し安堵する。今は何としてでも乃得留たちとの再会は避けねばならないからだ。
だが同時に、美雪がやけにあっさり長沢を選んだという事実にやや複雑な気持ちになる。

単に噛み合わせの問題だけかもしれないが。
先程から自分とのものより長沢との対話の方が弾んでいることがどうにも気に食わない。

「いいのかい? 僕なんかはどの道置いていくハメにはなると思うんだけど」
「――寂しいこと言わないで下さい。せっかくこうやって、知り合えたじゃないですか」
「ありがとう。その気持ちはとても嬉しいよ」
「――」

優しい言葉と応える返事。
長沢はその儚さも手伝って細面の美青年。美雪は言うに及ばず。
一歩退いて見てみれば、確かに絵になる二人ではある。
一度そう考えてみると圭介は自分の今の立ち位置がまるで道化のようにも思えてきた。

(何を考えてるんだ。関係無いだろ、そんなこと)

否定の言葉を内に投げかけ、思考を排除する。
今はそんな状況ではない。非常事態警報は現在絶賛発令中だ。
考えなければならないことは他に山ほどあるはずなのだ。

(――ん?)

一瞬、長沢と目があった。妙な笑みが浮かんだように見えたのは気のせいだろうか。
まさかまた考えを見透かされた、わけではないだろうが――

「え、えーと長沢さん。他に『裏ルール』は無いんですか? 教えてもらえると助かるんですけど」

このままでは色々とマズい。ひとまず圭介は話題を元に戻すことにした。

「うーん、そうだなあ」

長沢はさして気にした素振りも見せず、思案に暮れる。
やがて検索が完了したのか、「あ、そうだ」と再びPDAを二人の目の前に翳して見せた。

「PDAの機能拡張、なんてのはどうだろう? たぶん1階じゃまだわからないだろう」
「機能拡張――ですか?」
「そう。コイツは外付けのソフトウェアを取り付けることで今現在には無い機能を新たに加えることができる。
 ほら、ここにスロットがあるだろう?」

長沢がなぞったPDAの側面には、確かに何かが嵌め込めそうなスロットが空いていた。

「武器と同様にそのツールもこの先の階層に隠されている。その機能は多種多様だ」
「例えばどんな機能なんですか?」
「僕が前回発見したのは罠の探知機能だね。地図に罠の反応が追加された」
「それは便利ですね」

肉眼で発見することが困難な罠を事前に反応で探ることができる。
それができれば今後の進行がどれだけ楽になることだろう。是が非でも手に入れたい代物ではある。

「で、その使い方なんだけど――って、現物が手元に無いとわかり辛いよね」
「いえ、でも聞いておきたいです。もしかすると変な使い方をしちゃうかも」
「そうかい? じゃあちょっと僕のPDAを試しに使って説明しよう。
 見辛いかもしれないから美雪さん、もう少し近寄ってくれる?」
「あ、はい」
(――なんで俺の名前は呼ばないんだ)

圭介は思わず口元を引きつらせる。構わず美雪は長沢に身を寄せた。

(――って、近い近い!)

長沢がPDAを持つ手を伸ばそうとしないので自然美雪は長沢に身体を密着させる形になる。
二人の距離は最早吐息がかかるほどだ。

「もう少し――ごめんね。正直手を伸ばすのも辛いんだ」
「いえ、お気になさらず」
(俺が気にするってのっ!!)

もう見てはいられない。この苛立ちがどのような感情なのか、知ったことではない。
自分も長沢のPDAの説明を受けるため、と言い訳を用意して圭介は二人の間に割り込もうとした。


「あー、ごめん。俺も」
「そう、そのまま」
「――え?」



突如。
長沢の手の中のPDAが反回転し。
美雪の首筋に押しつけられた。




 ゲーム開始より5時間25分経過/残り67時間35分



【プレイヤーカード:開示】
・「5」:長沢勇治


【裏情報:開示】
・施設の階層は6階が最上階。
・各フロアには武器が各所に隠されており、階層が上がるごとに強力なものになっていく。
・PDAの機能を拡張することができるソフトウェアが存在する。




[21380] EPISODE-14
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 05:27
「――え?」

かきん、という小さな衝突音がした。
それが長沢のPDAと美雪の首輪が触れ合った音だと気づくのに圭介は数瞬の時間を要した。

PDAのサイドには小さな金属製の突起が付いている。
その部分が首輪に触れて音を立てた。当たった箇所は美雪の首輪の左側にある小さな窪みの――僅かに隣。

「!!」
「きゃっ!」
「うわっ」

反射的に圭介は美雪と長沢の間に身体を滑り込ませた。
そのまま背中で美雪の身体を押し、長沢との距離を開かせる。

「あ、あの、鳴神くん? 急にどうしたんですか?」

突然の圭介の行動に美雪は呆然としている。
自分が何をされたか。何をされそうになったのか。まったく理解していないのだ。

「――」

美雪に返答せず、圭介はただ長沢を睨み付けた。
長沢には特に驚いた様子は見られない。冷やかな眼差しで圭介を見つめている。

「怖い顔だね。何か言いたいことでも?」
「――アンタ今、森下さんに何をしようとした」

自分でも驚くほど低い声が、圭介の喉から飛び出した。

「何って――PDAの機能拡張の説明だけど?」
「そうですよ。鳴神くんだってずっと聞いてたんだからわかってるでしょう?」
「へえ、そうかい。森下さんの首輪にアンタのPDAを接続することが説明とはとても思えないけどね」
「――え?」

PDAの突起部分と首輪のコネクタ。この二つを解除条件を満たした状態で接続すれば首輪を外すことができる。
だが条件が達成されておらず、しかも他人のPDAが接続されたとしたら?
答えは明白だ。たちまち首輪はエラー判定を下し、美雪は先程弔った女性と同じ末路を辿っていただろう。
長沢はそんな惨状をまさに引き起こそうとしていたのだ。

「俺の声に森下さんが反応して少し首を動かしたから接続をミスった。そんなところかな」

しかも偶発的にではなく意図的に。

「へえ。つまり君はこう言いたいわけだ。『僕が美雪さんを謀って殺そうとしたんだ』と」
「そうなるね」
「そんな――そんなの、言いがかりです! 長沢さんがそんなこと、するはずがないじゃないですか!」

美雪は圭介の言葉を信じようとはしなかった。
先程まで懇切丁寧に「ゲーム」の危険性や裏ルールを教授してくれた青年が手酷い裏切りを見せたとは考えたくもないのだろう。

「ただ私の首輪に長沢さんのPDAが触れた、それだけでしょう? そんなことくらいでこんな、まるで悪者みたいに!」

確かにその通りだ。傍目にはほんの些細な接触にしか見えない。
命を預かる精密機器を軽率に扱ったという点においては非難されるべきかもしれないが、
それだけでは長沢を人殺し呼ばわりする根拠に乏しい。
この場で責められるべきは寧ろ圭介の人格であると美雪が判断したのも至極当然に思える。

「そうかな?」

だが圭介の発言は嫉妬に駆られた妄言ではない。
何の確証も無しに今までの関係を否定するほど圭介は愚かであるつもりはない。

「そうですよ! 長沢さんはわたしに、PDAがちゃんと見えるように手を伸ばしただけ、で――」

憤りを露わにしていた美雪の言葉尻が、みるみる小さくなっていく。

「――気がついた?」
「そんな――」

この期に及んで漸く。美雪も長沢の行動に違和感を発見してしまったのだ。

「森下さんの方から近付いてもらったのは、画面を見せるためだったよな?」
「――」

口を閉ざしたままの長沢に向けて、圭介は厳しい視線を投げかける。


「じゃあ、その見せるはずのPDAの画面が、なぜ今は下を向いているんだ?」


長沢の差し出されているPDAは。明らかに裏側が天井を向いていた。
それが何を意味するのか。

「そうしないとPDA側のコネクタの方向が合わないから、だよな」

そう。接続のためにはどうしても両者の口を合わせる必要がある。
そのためにはPDAの画面が上を向いたままでは不可能なのだ。どうしても天地を逆にせねばならない。
だからこそ今の状態は。正解は圭介の方にあると雄弁に物語っているのだ。

「おかしなところはそれだけじゃない。アンタはさっき言ったはずだ。『正直手を伸ばすのも辛い』ってね」
「――」
「でも今アンタの腕は伸びてるよな。特に辛そうにも見えないし」
「――」
「以上の点から、アンタが『森下さんの首輪にPDAを接続しようとした』ことは明らかだ。
 さ、言いたいことがあるなら言ってみろよ。
 まさか機能拡張のために接続が必要だ、なんて言わないだろうな?」

唯一成り立ちそうな言い訳はこれで封鎖した。
それにしたって事前に説明も無く行動を起こせば不安を煽るだけだ。
そもそもPDAの機能拡張はPDA自体で行うべきで首輪の接続が必要であろうはずなどない。

「長沢さん――嘘、ですよね。わたしを殺そうとしただなんて。そんなの――」
「――く」

進退極まった屈辱に、思わず長沢は苦渋の吐息を洩らしたかに思えた。


だが次の瞬間、長沢の様子が豹変した。



「く、くく、くははは、ぎゃはははははははっ!!」



「!!」
「な、ながさわ、さん――? いったいどうし――」

大音量の下卑た笑い声がフロアに響き渡る。
支えることすら困難であったはずの痩せ細った体躯がばね仕掛けのように跳ね上がった。

「はは、は、は――あーダメだダメだ。もう笑い堪えるのに必死。やっぱこんなの『オレ』には似合わないよね!」

死と隣り合わせであるかのような、儚い青年の姿はもう何処にもなかった。
獰猛な爬虫類を連想させる双眸。耳元まで釣り上げられた口元。
掻き揚げられた総白髪の前髪の下から現れた表情はただただ邪悪に歪んでいた。

「いやあ残念、実に残念だよ! そこのお嬢さんが蜂の巣になるか、丸焦げになるか。
 どんな死に様で処刑されるのか、楽しみにしてたのにさあっ!」

「――それが、アンタの本性か」
「んー、何? どんな想像してたワケ? まさかオレが過ちを認めて泣いて許しを請うとでも思ってた?
 んで嬢ちゃんの前でいいカッコするとこまで想像してた? はーは、バッカでね!? お前」
「! て、てめぇっ!!」
「お、やろうってか? いいぜ、かかってきなよ」

激情に任せて圭介は長沢の顔に拳を叩き込もうとした。

(く――待て待て、駄目だ、落ち着け!)

だが何とか踏み止まる。まだ戦闘禁止エリアは生きている。
ここで迂闊な行動を取れば、今度は圭介が警備システムの脅威に晒されてしまうからだ。

「なんだまだその程度の頭はあるか。その割にはかーんたんにオレの演技に騙されてたけどさ、ぎゃは!」
「――」

騙されていた張本人、美雪は圭介の背後でガタガタと身を震わせている。

裏切られた。殺されかけた。
寄せていた信頼が大きい分だけ、少女の失意と恐怖は計り知れないものであるだろう。

「まさか――前回の『ゲーム』でも、こうやって人を殺してクリアしたのか!?」
「ああ、そうともさ。そうしなきゃクリアできない条件だったからねえ。
 でも元から他人の命なんてどーでもよかったし、逆に人を殺すことが楽しみで仕方が無かった!
 だからオレは3人でいいところを4人も殺してやったんだぜ!
 スゲくね? オレってスゲくね? ひひゃはははははっ!!」

さらに驚愕の事実が告げられた。
なんと長沢は、前回の「ゲーム」でキラーカードの「3」を引き当てつつも条件を達成していたのだ。

(そんな――そんなことって――)

この「ゲーム」は殺し合いが基本。頭では理解しているつもりだった。
だがこれまでに出会った参加者は誰一人としてそれを由とはしなかった。
人の命を奪うという禁忌に対して明らかな嫌悪感を抱いていた。
キラーカードを引き当てたであろう木戸亮太でさえも「そうしなければならない」という葛藤に苦しむ様子が見えた。
それは人が人である以上、当然持ち合わせている感情だ。

しかし、この男は違う。
長沢はそんな行動に罪悪感など欠片も抱いていない。
苦悩も悲嘆も同情も憐憫も。この男の中には何一つ存在していない。
逆に人を殺すことに悦楽や恍惚すら感じているのだ。
故に長沢はあらゆる手管を用いてでも人殺しを望む。
たとえ争う必要の無いカードを引き当てていたとしても。

(――狂ってる)

目の前の長沢勇治という人物は。紛れも無い怪物だった。

「ツイてるなあ、お前ら。さっきのテは警戒されちゃ二度とは使えないから。
 さすがのオレも、あと20分少々は手が出せない」

戦闘禁止エリアはあくまで戦闘行動を禁止しているというだけのこと。
先程のPDAの操作のように争わずとも人を殺せる術はあるのだと、圭介は思い知らされた。
だが長沢の言う通り警戒さえしていればこの方法は二度は使えない。

「だからもう少し、ここでゆっくりしていきなよ。戦闘禁止の解除と同時に、仲良くきっちり殺してやるからさっ!!」
「!!」
「ああ、さっき言ってたお仲間も、勿論後を追わせてやるから心配するな。
 20億まるまるゲットするには、オレ以外の生き残りなんて一人もいちゃいけないよな!」

口腔から涎を撒き散らし、長沢は高らかに笑い飛ばす。

(――20億?)

確かにルールにはそのような記載がある。だが圭介の念頭からは完全に除外されていた。
それがどんなに莫大な金額でも。それが殺戮の動機と成り得るなどとは想像だに出来なかったのだ。

「前回の賞金は5億ぽっちだったからな。この程度、ほんの数年で使いきっちまう。
 酒、女、ドラッグ――ホント現代社会で生きていくには金がかかるよ!」

それのどこが現代社会だ、と思わず悪態が口を突きそうになる。

――ダメだ。このまま長沢のペースに嵌められては。

こうしている間にもリミットは刻一刻と迫っている。
戦闘禁止エリアが解除された瞬間、長沢は予告通りこちらを殺しにかかるだろう。
最早彼の廃人めいた風貌など信用できない。戦って勝てるなどとは考えるべきではない。
美雪を庇いながらの戦いともなれば尚更だ。

――逃げなければ。

それ以外の選択肢など無いはずだ。だが毒蛇の視線に呑まれたか、足が動こうとしてくれない。

(くそ、どうすれば――)

「まったく。あの時ヘマさえしなきゃもう少し稼げてたってのに。
 おかげであのクソ野郎に頭下げて参加登録する羽目になっちまった――ああ、くそ! くそクソ糞っ!!」
「!?」

長沢は突然憤りを露わにしたかと思えば激しく身体を上下させ、白髪を掻き毟り始めた。

「くそクソ糞々、薬が、クスリが切れちまったっ!! ぐ、ぐ、ぐわぐわがががががぎゃぎゃが」

(な、なんだ!? まさか――)

――あの異常な風体と頭髪は薬物依存のせいなのか?

確証は無かった。だが長沢の苦しみ様はおそらく正解であろう。


「く、くく、クスリクスリ薬薬薬薬ぃぃぃっっ!! あ、お、オイ手前ぇら、なにボーっと突っ立ってやがるっ!!
 さっさとオレに薬を、クスリをおおおっっ!!!!」

「!!」

長沢の恫喝で呪縛が解けた。チャンスは今しか無い。

「行くよ、森下さんっ!」
「え、あ、はいっ!」

美雪の手を取り圭介は勢い良く床を蹴る。

「あ、ま、待てオイ、ぐあ、ぐ、ぐぎゃががががががっっ!!!!」
「誰が待つかよっ!」

最速で。全速力で。とにかくこの場から離れることだけを考える。

「はあっ、はあっ、は――」
「森下さん、今だけ、今だけでいいから頑張って!」
「――」

美雪の頷きを気配だけで察知し、前へ、前へ。
罠の存在や乃得留たちのいた部屋からまた遠ざかっている事実。
そんな何もかも。今の圭介には考えることはできなかった。









どれくらいの距離を走っただろう。どれだけの時間を走っただろう。

「はあっ――はあっ――」

後方に長沢の姿は無い。だが油断は禁物だ。
2度目の「ゲーム」の体験者であるあの男なら施設の構造を熟知していても不思議はない。
少しでも、遠くへ。先回りを企てようが、決して追いつくことのできない程に。

「はあっ――はあっ――あ!」

ついに美雪が足を縺れさせた。

「! 森下さんっ!」

圭介は咄嗟に身体を反回転させ、繋がれた手を引く。
寸での処で少女を床との接触から救出することができた。

「あ、ありがとう――ございます――はあ――」
「いや、こっちこそ――無理をさせ、て――」

気丈な彼女がここまで疲労を露わにしている。
ということは彼女の体力はとうの昔に尽きていたのだろう。

「ま、ここ、まで来れば、だいじょう、ぶ、だろ。もう、休も、う」
「そ、う、です、ね」
「――ぷはあっ!」

圭介は壁に背を預け、座り込んで大きく息を吐いた。
正直圭介も限界だった。だが長沢の脅威に晒された身体がそれを許してくれなかったのだ。
二人はしばし無言で息を整える。
話したいこと、話さねばならぬことは山ほどあったがまずは落ち着くことが先決だった。


だが二人の持つPDAが同時に警告音を発したのは次の瞬間だった。


(!?)

必要以上に圭介が驚愕したのは握り締めていたPDAではなく懐から警告音が発せられたからだ。
圭介は今、表向きは「6」が表示されているJOKERを主に使用している。
真実のPDA、「A」は今制服の内ポケットの中だ。
どうやら今の警告音は正規のPDAからのみ発せられたらしい。

(――バレてない、だろうな)

圭介は恐る恐る美雪の様子を窺う。
美雪の方は未だ呼吸が整っておらずPDAを調べる余裕も無さそうだった。
少しばかり安心した。そしてJOKERの特別仕様に内心感謝した。
もしも、警告音が3つ同時に鳴っていたら。さすがの美雪も不審に感じたかもしれない。

(――さて)

圭介は右手を一度小さく振り、同時に左手で右胸を叩く。
すると手の中のPDAが袖口に引っ込み、一瞬でもう一つのPDAが現れた。
圭介お得意のマジックの一つ、「瞬間変化」だ。
懐に忍ばせてあるタネは全て袖のバイパスを通して手の先に送り込むことができる。
後は大仰な仕草で元から手にしていたものを袖口から懐に送り返せば完遂。
傍目にはまるで一瞬で手にしていたものが別のものに生まれ変わったように見えることになる。
無論今回の行動は美雪に手品を見せるためではない。
むしろ美雪には見せたくないがため。不審な仕草を見せること無くPDAを切り替え、警告音の原因を調べるためだ。

改めて圭介は「A」のPDAの画面に目を落とす。

(ん?)

スペードのAの初期画面から切り替えていないはずのPDAには以下の文面が表示されていた。


『開始から6時間が経過しました。お待たせいたしました。全域での戦闘禁止が解除されました!』
『個別に設定された戦闘禁止エリアは現在も変わらず存在しています。参加者の皆様はご注意ください』


「森下さん、PDAを!」

圭介は即座に美雪に自分のPDAを確認するよう促す。
美雪は緩慢な動作で自身のPDAを取り出し、そして「あ――」という驚きの声を上げた。

(ついに――来ちまったか。この時が)

これで施設内に存在する参加者の鎖は解き放たれた。
暴力行為を抑制するルールは、今この瞬間をもって消失することとなった。

「となると、この場で立ち止まっているのはマズい。どう? 森下さん。動けそう?」
「は、はい――もう大丈夫、です」

その表情にはまだ疲労の色が濃いがそんなことも言っていられない。
見晴らしの良い通路内に留まったままでは他のプレイヤーに発見される危険性が高い。

「よし、じゃあこっち」

再び美雪の手を取り圭介は近場の扉に移動する。
室内であればとりあえずの発見は困難であるはずだ。話をするならばこちらの方が都合が良い。
もっとも困難であっても不可能ではなく、逆にいざ見つかってしまえば今度は逃走が困難になってしまうのだが。
だがどの道今の状態では逃げることもままならない。
今後の方針の打ち合わせの間だけ、と限定し圭介は扉を開き美雪と共に部屋の中へと身体を滑り込ませた。

「お、こいつはありがたい」

室内は圭介が目覚めた部屋のように家具類は設置されておらず木箱が積み上げられた雑然たるものだった。
その中の手前の一つ。蓋が開いたままの箱の中に水の入ったペットボトルが幾つか入っていた。

全力で走り続けたため圭介の喉は相当に乾いている。
これ幸い、とばかりにその一本を手に取り、キャップを捻って口を開けた。

(まさか毒なんて入ってないだろうな――まあ大丈夫だろ)

一拍の躊躇いの後、一気に呷る。たちまちに身体が潤いを取り戻す。
生きていることに感謝したくなる一瞬だ。特に今なら、尚更に。

「――ぷはっ! あー美味い。ほら、森下さんも」
「――」
「あ、ごめん」

勢いでつい圭介は半分まで減ったペットボトルを差し出してしまった。
同性ならばともかく女性の身である美雪は気にかかる部分があるだろう。

「はい。じゃあこっちを」

箱の中から新たなペットボトルを取り出し圭介は美雪に渡そうとする。
だが美雪は顔を伏せたままそれを受け取ろうともしない。

「――森下さん?」

どうにも様子がおかしい。まだ疲労のせいで身体を上手く動かせないのだろうか。

「――さんは」
「ん?」
「長沢さんは――わたしたちを、騙したんですよね?」
「――ああ、そうだよ」

長沢勇治。脆弱な体躯の白髪の青年。
だがその正体はかつての「ゲーム」を生き残り。
賞金の全額確保のために参加者の殲滅を目論む殺人狂だった。
そんな男の善人を装った姦計に、美雪は危うく命を落としかけたのだ。

「いい人だと、思ってたんです。助けてあげなきゃって、思ってたんです。それなのに――」

伏せられた前髪の向こうから嗚咽が聞こえてきた。
誠実を絵に描いたような少女はおそらく誠実な仲間に囲まれ、誠実な人生を送ってきたのだろう。
だからこそこのような手酷い裏切りは余程に応えているに違いない。

「――」

それは過保護な人生であると。世の中はそんなに甘いものではないと。
ここで少女に告げることは容易い。
だがそんな世間の荒波をこの場で説いたところで何になるだろう。
彼女はもう十分に傷ついた。これ以上の何が必要だと言うのか。

それに。こんな風に人を想えることは本来尊いことなのだ。
圭介が既に遠い昔に無くしてしまったものを、今も美雪は胸に抱いて生きている。
だからこそ。圭介はこの少女に惹かれていた。魅せられていた。

「――俺が」
「――え?」
「俺が、側にいるから。森下さんの、力になるから。だからそんなに悲しまないでくれ」

自然と言葉が口をついた。
傷心の彼女を何とか励ましたかった。沈む彼女をこれ以上見ていたくはなかった、から。

「鳴神くん――そう、ですね」

漸く顔を上げた美雪は目尻に溜った涙を拭う。

「鳴神くんは、いつもわたしを助けてくれます。大門さんの時もあの女性の見送りのときも、そして――今回も。
 本当に、本当に――感謝しています」
「そうでしょう。そうでしょう」

徐々に光を取り戻す少女の表情に圭介は安堵する。

――よかった。やっぱり森下さんはこうでなくちゃ。

「何か、お礼をしなくちゃいけませんね」
「え?」
「今はこんな状況ですからプレゼントとかはできませんけど。わたしにできること、何かありませんか?」
「い、いや、いいよそんな別に」
「それではわたしの気が済みません」
「そんなこと急に言われたってなあ――」

突然の申し出は混乱の引き金だった。だがここで退かない美雪であることは圭介には既にわかっている。
さて、どうするか。
物品譲渡は却下されている。かといって金銭の要求では何とも味気ない。
と言うより「わたしにできること」に殊更に反応した自身の邪な欲求こそが最大の障害だ。

(――って、一度意識しちゃったらもうそっち方面しか考えられんじゃないか、俺のアホ!)

頭を抱えて蹲ってしまった圭介を美雪は心配そうに眺めている。

「あ、あの――そんなに悩まなくても。何でもいいんですよ?」
(そゆ事言うから余計に悩むのでしょうが! あーもう――)

純粋すぎるのも考え物だ。先程までと一変した空気は喜ばしいものだが同時にまた悩ましい。

(――よし)

内なる衝動との対決を終え、圭介は美雪に向き直る。

「じゃあ、ハグしてもいい?」

結果は衝動の辛勝だった。

「――はい?」

予想外の返答だったのか、呆気に取られる美雪。

(――やっちまった!)

理性は再戦の意欲を取り戻す。たちまち顔が熱くなる。

「な、なんてね! 別に今はいいよ! そのうちまとめて返してもらおっかなーなんて!」

最初からこう答えればよかっただけの話ではないか――
まともに美雪の顔を見ることができず、つい圭介は少女に背を向けてしまう。

「さ、さてっと。お、せっかくだからこの部屋には水の他に何か無いか探しておこう! えーと、まず」

そして恥ずべき発言を誤魔化すため、大げさな身振りで散策を開始する。

「えい」
「――へ?」

唐突に。圭介の背中に柔らかいものが押し付けられた。
背後から美雪に抱きすくめられたのだと、気がつくまでに多少の時間がかかった。

「あ、あの――もりした、さん?」
「は、話しかけないでください! すごく恥ずかしいんですからっ!」
「――」

そのまま。時間だけが過ぎていく。
長沢のこと、戦闘行動が解禁になってしまったこと。
考えなければならない様々なことは今はもう何も圭介には思い浮かばない。
ただ、今は。この温もりに身を預けることしか出来なかった。

「鳴神くん。わたし――頑張りますから」
「――」

「頑張りますから。頑張って、鳴神くんの力になりますから」
「――うん」

「だから――一緒に元の日常に、戻りましょう、ね?」
「――うん。そうだね」

美雪の囁きの一つ一つが圭介の心を満たしていく。
美雪の温かさが、圭介の中の衝動を打ち消していく。

(――ダメだ)


――殺せるわけ、ないじゃないか。
――こんな子を、殺せるわけが、ないじゃないか。


美雪の存在はもう、圭介の中でかけがえの無いものになってしまっていた。
真実の意味で、失いたくない。心からそう、思えるのだ。

だが現実は残酷だ。彼女の願いは叶わない。
この「ゲーム」から生還できるのは圭介か美雪、どちらかだけ。
圭介が生き残るためには美雪を殺さねばならず。
美雪が生き残るためには圭介の命を見捨てなければならない。


――どうしてこの子なんだ?
――どうしてこの子じゃなきゃダメなんだ?

――この子を守るためならば、手を血に染める覚悟すらできるのに。


(畜生――)

圭介は思わず天井を仰ぎ見た。
そうしなければ涙が零れ落ちてしまいそうだった、から。





 ゲーム開始より6時間13分経過/残り66時間47分


【裏情報:開示】
・施設内には個別に設定された戦闘禁止エリアが存在する。




[21380] EPISODE-15
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/23 14:02
遡ること一時間前。

「――限界ね。これ以上はいくら待っても時間の無駄だわ」

自身が定めた刻限を更に10分超過した時点で、波多島乃得留はそう宣言した。
だが出発を急かす乃得留に大門三四郎は強硬に反対した。
二人がキラーカードを引き当てた可能性を彼はどうしても認めたく無かったのだ。
怪我をして動けなくなっている可能性だってあるじゃないか――と。

古谷小枝子の賛同もあって、止む無く乃得留は二人の進言を受け入れた。
だがこのままでは当初の目的が難しくなってしまう。
まだ見ぬ参加者が、今も何処かで助けを求めているかもしれない。
だから、彼らの部屋の確認だけ行う。それが乃得留の精一杯の妥協点だった。
大門と小枝子はそれぞれに頷き。
そして大門の記憶を頼りに圭介たちの部屋の方向へと向かう。


だが彼らを待ち受けていたのは圭介ではなく――目的地への通路を封鎖した剣山の障壁だった。





「彼らは――本当に無事なのだろうか」

慎重に通路を進みながら、大門は誰に聞かせるともなく呟いた。

結局。圭介たちの捜索は断念せざるを得なかった。
数メートルに渡って敷き詰められた鋭い剣山を乗り越えて進むことは不可能だったからだ。

「わからないわ」

先導する乃得留は振り向きもせず答える。

「あの棘の周りには血の跡が無かったから。怪我をしているわけではないでしょうけど」
「そ、そうか。そうだよな」

今一行はPDAの地図機能に記載されたエントランスホールのような広場に向かって移動している。
「建物外部に出るとペナルティ」というルールを知らない参加者がそこに向かっているかもしれない。
上手くすればそこで協力者を増やせるかもしれない、という乃得留の提案に従っての行動だった。

隊列は乃得留・大門・小枝子の順。
本来一番危険な先頭は大門が務めるはずであったがPDAの地図操作に不安があるためこのような順番となっていた。

「じゃあ、鳴神くんたちはあれが邪魔なせいで戻ってこれなかったのかもしれないな」

件の障害物が現れたのは圭介たちの通過前であったのか後であったのか。
それを大門が知る由もなかったが、いずれにしても最短距離を通過することは不可能であっただろう。
となれば当然、迂廻路を選択せねばならない。だが施設の構造は非常に複雑で難解だ。

「――そうかもしれないわね」

乃得留らしくない適当な相槌は、最早反論は無駄だという諦観なのだろう。
無論大門も理解しているつもりだった。彼らが戻ってこれない一番の可能性など。

だが、それでも信じたいのだ。
あの気持ちの良い若者たちは、依然救われるべき立場に在るのだと。

――そうだとも。そうに決まっているさ。

いつか必ずもう一度出会える。そして互いの無事と再会を喜び合うのだ。
そのためには、そう。
今のメンバーが、一人でも欠けることは許されない。
その時まで二人を守るのが、ボクの役目だ。

(――よし)

新たな決意を胸に秘め、大門は大股で乃得留の後に続く。


だが大門は気づいていなかった。
というよりその場にいる誰もが気づいてはいなかった。

彼らと圭介たちの間を阻んだ無数の剣山。
それは事情を知らない彼らにとっては、ただの「障害物」に過ぎなかった。
あの剣山がどのような経緯で出現したのか。
どのようなタイミングで出現すると、最も危険な状態であるのか。

そしてそれは、何を意味するのか。
それら全ての理由を、彼らは次の瞬間に理解することとなった。




「――え?」

異変を引き起こしたのは、殿を務めていた小枝子だった。
やや足早になってきた乃得留と大門に遅れぬよう歩く速度を速めた彼女は僅かに足を縺れさせた。
慌てて体勢を整えるべく、反射的に近くの壁に手をついた。

その刹那、かちりという音が鳴り。
続いてごとり、という音と共に天井付近の壁の一部が外れ、小枝子の頭めがけて落下してきた。

「!!」
「さ、小枝子さ――えっ!?」

後方での突然の異変に、即座に反応したのは乃得留ではなかった。
彼女の驚きは、同時に気付いたはずの大門が既に行動を起こしていたからだ。

「伏せろっ!」

警告を発し、大門は瞬時に小枝子との距離を詰める。

「え? な」

「セイアッ!」

剛脚一閃。理解及ばず立ち尽くしたままの小枝子の頭上を一陣の暴風が駆け抜けた。

大門の蹴りはものの見事に加工された石の塊を捉え――そのまま3メートルほど吹き飛ばした。

「――」
「――大丈夫ですか。古谷さん」

ゆっくりと掲げた足を元に戻し。静かな声で大門は小枝子に気遣いの言葉をかける。

「あ、あの――いったい何が」

突然の出来事に、小枝子はぺたりと尻もちをついた。
そのまま目の前の大門と、床に転がった重量物を交互に見比べている。

「『アレ』が、古谷さんの頭の上に落ちてきたんですよ」
「!! そ、そんな――」
「危ないところでした。でも妙だな――なんであそこだけ、こんな外れやすくなってるんだ?」

大門はその高い視点で壁の外れた部分を見やる。
そこには正確なラインでくり抜かれたような穴が開いていた。
建築の技法にはまったく覚えの無い大門にとってもそれは矢鱈と不自然なものに見えた。

「おそらく罠、でしょうね」
「え?」

乃得留が周囲を確認しながらこちらに近付いてくる。
そして小枝子に手を差し伸べ立ち上がるのを手伝った。

「罠――だって?」
「小枝子さん、あれが落ちてくる前に何かスイッチのようなものに触れませんでしたか?」
「え、あ――そうです! そちらの壁に触れた途端に何か音がしまして」

小枝子が指差す先。その場所は手の平の大きさ分だけ僅かに沈み込んでいた。

「やっぱりそうですか。きっとあの部分に触った時だけブロックが落ちてくる仕掛けになってるんだわ。
 おそらくさっきの通路にあった剣山も同じ類の代物でしょうね」
「え、と――どういうことだい?」
「あの剣山も誰かがこんな感じで起動させて、結果的に道を塞いでしまったということよ」
「!! まさか――」

先程遭遇した無数の棘の鋭さを、大門は思い返す。
容易に人間の身体を貫けそうなそれは、範囲の広さも相まってとても乗り越えられるものではなかった。
だからあれは単に道を塞ぐためのもの、そうとしか考えられなかった。

だがもし。あれが出現する最中に、床の上に人が乗っていたとしたら?
結果は言うに及ばずだ。重傷どころの騒ぎではない。
そしてそれは、自分の蹴りが間に合わなかった場合の小枝子の未来にも当て嵌まる。

「――なんということだ」
「迂闊だったわ。少し考えれば、解りそうなことだったのに。
 私の至らなさで、小枝子さんを危険な目に遭わせてしまったわ。本当に――ごめんなさい」
「そ、そんな! ノエルさんが謝る必要なんてありませんわ!」

深々と謝罪する乃得留と、恐縮する小枝子。
まったくもってその通りだ、と大門は憤慨した。
誰もが気付かなかった罠の存在などに、彼女が責任を感じる必要は無い。
責められるべきは誰かなどと、考えるのも馬鹿らしいことだ。

――まったくどれ程に人の命を玩べば気が済むと言うのだ。

主催者たちに怒りを覚えたのはこれで幾度目であろうか。

「ありがとう。そう仰って頂けると、心が休まります」
「いいえ。それよりも――」
「ええ、そうですね」
「ん?」
「今回の功労者に、まだお礼すら言ってませんでした」

予め、示し合わせていたかのように。二人の女性は同時に大門へと向き直った。

「ありがとうございました、大門さん。また私を助けてくださったのですね」

まず小枝子が。以前と同じように丁寧に頭を下げる。

「私からも、ありがとう。こうしてみんな怪我一つせずいられるのは、貴方のおかげよ大門さん」

そして乃得留も。小枝子に続くように謝辞を述べた。

「! い、いえ、そんな――別にボクは、大したことをしたわけじゃ」

突然の出来事に、大門は喜ぶどころか動揺を隠せないでいた。
それは彼にとって初めての経験だった。
今まで業を使って賞賛を受けることこそ有れど、感謝されたことなど無かったのだ。

「あれで『大したこと無い』と仰るのは、謙遜が過ぎると思うのですが」
「まったくです。申し訳無いけど大門さんって謙虚を通り越して、少し卑屈じゃないですか?」
「いや、そんなこと言われてもなあ」

気まずさに耐えかねて大門は二人から視線を逸らす。
乃得留の見解は間違いではない。
未熟を自覚する大門にとって、自身の技はまだ誇りに足るべきものではなかった。
全日本を三連覇し当代並ぶ者無しと称えられてなお。
彼にはまだ「武」というものの到達点が見えてはこないのだ。

「何せボクはキャリアがそんなに長いわけではないからね。そのせいで必要以上に尻込みしているのかも」
「そうなんですか?」
「ああ。空手を始めたのは高校卒業前だから――ほんの13年程度かな」
「――十分じゃない」
「そんなことはないよ。空手で生きることを選んだ人たちは、みな幼少の頃から学んでいるからね。
 ボクの同世代で道場を預かる身ともなれば、20年以上の経験が本来はあるべきだ」
「そうなんですか」

規定があるわけではなかったが、大門はそうあるべきだと信じていた。
ましてや彼は不器用で一つの技を覚えるのに常人の2倍の時間がかかっていた。
それでもタイトルを取得し道場主と成り得たのは偏にこの恵まれた体躯あればこそ。
業が身体に追い付いていない。その自覚こそが大門が業を誇れぬ最大の理由だった。

「あ、ちょっと待って。だったら大門さんはそれまでは空手に縁の無い、ズブの素人だったってこと?」
「まあ、そうなるかな」
「随分と奇妙な経歴ねえ。差支えなかったら聞かせてもらえます? 
 普通の青少年ならば進路に悩む時期にどうして空手を学ぶ気になったのか、その理由を」
「あ、それは私も是非聞きたいです」
「うーん。恥ずかしいからあまり語りたくはないんだけど」

やんわりと拒絶の意思を示したものの、女性陣の興味深々な瞳からはどうにも逃げられそうにない。

「そうだな。まず何から話したものか――」







高校時代の大門三四郎の体格は入学時には既に成長しきっていた。
肉付きも現在ほどではないがそれなりのものを備えており、そんな彼を体育会系の部活が放っておくはずがなかった。
だが残念なことに、彼には「運動センス」たるものが致命的に不足していた。
周囲の過度な期待は次第に失望へと変わり、蔑みさえ受けたこともある。
居た堪れなかった。だが身体を動かすこと以外に取り得など無い。
何か自分に向いているスポーツを、と入退部を繰り返し、その度に失態を晒し続けた。
結局何一つ成果を挙げることなく、彼の3年間は過ぎて行った。


「最後の夏は、アメフト部に所属していたんだ。
 で、やっぱりボクのせいで負けてしまった」


素人同然の大門が最後の公式試合に起用されたのは偏に部員不足のせいである。
だがそれで敗戦に納得できるほど当時のメンバーは大人ではなかった。
責任を感じ失意に沈む大門を、ここぞとばかりにチームメイトは責め上げた。


「やれ木偶の坊だの粗大ゴミだの、心無い言葉を散々投げかけられたよ。
 まだ進路が決まって無いこともあって、ボクのストレスも限界だったんだろうね」


――勝手な期待をかけたのはお前たちの方じゃないか。
――なんで俺ばかり、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ。

大門は初めて怒りで我を忘れた。
そして一番口汚く罵ってくれた輩の襟首を捻り上げ、拳を顔面に叩き込もうとした。


「その時たまたま観戦に来ていた部のOBの男性が割って入って――
 で、間違ってその人を殴ってしまった」


事実に気が付き血の気が引いた。
とんでもないことをしてしまったと錯乱した。


「けどその男性はさして気にした素振りも見せず起き上がって――そしてボクにこう言ったんだ」


――大門くん。君、空手をやってみないかい?


「そりゃあ驚いたよ。突然何を言い出すんだ、と。
 傷付くのも傷付けるのも嫌だったからそれまで格闘技系の部活は回避してたから」


だがその中年男性は真剣だった。
穏やかな態度でその場を治めると、大門をファミレスに連れ出した。
そしてなぜ自分がそう感じたのかと、懇切丁寧に語り始めた。


――君の事情は聞いている。正直気の毒だと思っている。
――だが君は、上手くいかないことを全て才能のせいにして諦めてはいないかい?
――自分に足りないのはセンスではなく、心の強さだと考えたことはなかったかい?


雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。その男性の言う通りだった。
自分の身体を活かすことばかりを考え、磨き上げることを疎かにしていた。
才能に妬みを抱きつつも、「体格」という才能に依存していた。
期待に応えるつもりはあっても、期待と真正面から向き合うことはしなかった。
促されるままに入部して、失望されての繰り返し。成長する努力も断る努力もしてこなかった。
それは人から見れば、どれほどにいい加減なものであっただろう。
それなのに、まるで自分ばかりが犠牲者であったかのように考えてばかりで。


――だからこそ、空手なんだよ。武道とは身体と共に心も鍛えるものだからね。
――無論、知り合いの道場主が現在門下生を募集しているというボク自身の都合もある。
――どうだろう。ここは1つ騙されたと思って――いや、違うな。


――よく考えて。君自身の意思で、結論を出すんだ。
――その結果がどうであれ、ボクは君を絶対に責めない。



――だって君の人生は。君自身が責任を持たねばならないものだから――



一つ一つの言葉が大門の心に突き刺さった。
けれどそれは、決して冷たいものではなかった。
この人は、本当に。自分のことを考えてくれている。
たった2、3度顔を会わせただけの若造の自分のことを。
これが強さなのだと大門は理解した。この人のようになりたいと、心の底から思えた。

『空手を学べば――俺も、貴方のように、なれますか?』

ボクなど全然大した男じゃないさ、と男性は腫れた頬を抑えながら、笑った。
その日、大門は初めて人前で大粒の涙を流し。
そして自分の意思で自分の道を選んだ。






「それからボクはその人に紹介してもらった運送屋で働きながら、空手の鍛錬に明け暮れた。
 そして今に至る、というところかな」

大門はそこで言葉を切り、大きく息をついた。

「素敵な話じゃない」
「そうですよ。大門さんのお人柄は、その人の影響によるものなんですね」
「いや――ボクなどまだまだです」

あれから10年以上の月日が流れた。
だが今の大門は、まだまだ当時の彼のようにはなれていないとはっきりと自覚している。
空手の業も、心の強さも。未だ大門の求めるものには遥か遠い。
故に大門は自分の強さに決して増長することはない。

ただ、あの頃とは違うと言い切れる部分も確かにある。
それは自分の巨躯を使いこなせるようになったということ。
「大門の強さはその恵まれた体躯による処が大きい」と心無い言い方をされることもある。
だがその才能を活かせるようになった。これは昔とは違う大きな進歩だ。
それだけで。自分の選んだ道は間違いではなかったと。胸を張って言うことができる。

「それでその人は今、どうされているのですか?」

大門に道を示した、恩師とも呼べる中年男性。その人物の現在を、小枝子は尋ねる。
だが軽快に答えが返ってくるかと思いきや、大門の表情に影が差した。

「それが――数年前からぱったりと連絡が途絶えてしまって」

その人物と大門は頻繁に、とまではいかないがそれなりの交流は続いていた。
それがある日を境に電話がまったく繋がらなくなってしまった。
自宅も既に引き払っており、不動産業者に問い合わせても「守秘義務がある」の一点張り。

「それは――妙な話ね」
「そうなんですよ。まあボクの存在なんて取るに足らないものだから、単に忘れちゃっただけかもしれませんが――」

だが、大門にとってはそうではない。
彼には返せない程の恩がある。
報いというわけではないが、せめて自分が成したことくらいは報告しておきたいものだ。

(――うん。そうだな)

何も諦めることはない。せっかく初心を思い出したのだ。

「古谷さん。ノエルさん」
「はい?」
「どうしても生きて帰らなきゃならない理由が一つ、できました。
 ボクは元の日常に戻ったら、その人を探してみようと思う」

忙しさに感けて、というのもまた言い訳だ。
考えてみればあれほどの人物との繋がりを失うなど、あってはならないことなのだ。
伝えたいことは山ほどある。大会で優勝したこと、道場を持つことができたこと。
さすがに今の状況は、どんな結末になっても話せることではないだろうけれど。

「それまでは、みんなをボクが守りますから。だから、希望を捨てずに行きましょう」
「――大門さん」
「そうね。その通りだわ」

「みんな」とは勿論この場にいる二人だけではない。
鳴神圭介、森下美雪。二人の若者も含めてのものだ。
あの時。あの人に救われたように。今度は自分が、みんなを救ってみせる。

「また――遭えると、いいですね。その人に」
「ありがとう古谷さん。貴方も旦那さんと娘さんに会えますよ。必ず」

男として決意を示しつつも気になる女性に対する気遣いも忘れてはない。

――うん。ボクにしては綺麗に決まったぞ。

つい調子に乗って満足しつつ、大門は女性陣の新たな反応を窺った。

ところが。

「――」
「――」

(あ、あれ?)

乃得留と小枝子は揃って複雑な表情を浮かべていた。

(な、なんだ? 特にマズいことは言ってないはず――だよな?)

「――うん。今回は大門さんは悪くない。悪くないんだけど」
「あ、あの――ですね。大門さん」
「はあ」

「実は――私の主人は、2年前に他界しておりまして――」


良かれと思って付け加えた言葉は、完全に裏目だった。
やはり自分はまだまだ未熟だと、大門は小枝子に平身低頭しながら内心呟いた。





そんな大門が、知らない事実は更に有る。
それは彼の恩師である男性、葉月克巳は既にこの世の人間ではないということ。
そして葉月が命を落とした原因は、現在大門が巻き込まれている「ゲーム」によるものだということ。
さらに葉月が所持していたPDAを、今大門が使用しているということ。


大門と、彼に道を示した男性との繋がりは未だ途絶えてはいなかった。
だがそれは決して。歓迎できるものではなかったことを。

彼は生涯知り得ることは出来なかった。






 ゲーム開始より6時間41分経過/残り66時間19分




[21380] EPISODE-16
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/10/03 09:16
「やっぱり居ませんね。ノエルさんたち」

確かな見覚えのある室内を見渡しながら美雪は呟いた。



長沢勇治という最狂の参加者から何とか逃れてより一時間余り。
漸く圭介と美雪は待ち合わせの部屋へと辿り着いた。

これほどに時間がかかってしまった理由は二つ。
一つは戦闘禁止が解除された今、間違っても再び長沢と遭遇したくはないがため必要以上の迂廻路を取ったため。
そしてもう一つは勿論罠の存在を危惧して慎重な行動をしてきた結果である。

「そうだね。残念だけど」

表向きは再会を果たせなかった落胆を語りつつ、圭介は内心安堵した。

さすがに2時間以上も戻ってこない「他人」を待ち続けるほど愚かな人間はいないであろう。
ましてリーダーは卓越した才覚を持つ波多島乃得留だ。
彼女ならば必ず自分たちよりも自分自身の目的を優先する。圭介の読みは見事に的中した。
無論人の心ほど移ろい易いものはなく、実際にその目で確認するまで一抹の不安が有ったことも事実である。

(これで、とりあえずは大丈夫か)

これで「PDAを回収したら戻ってくる」という約束は一応は果たした形になった。
偽装を続けながら偽装を看破できる乃得留と合流せねばならないというジレンマは一先ず解消されたことになる。

そう。
圭介は未だJOKERを所持してカードを偽っている事実を美雪には話していなかった。
長沢との諍いの後、彼は美雪に対する自身の特別な感情を自覚した。
「自分に彼女を殺せるわけがない」と。

だがそれは決して「彼女を生かすためなら自分の命を失ってもいい」という意味ではない。
自らの未来と引き換えに美雪の未来を守ろうという考えは圭介には毛頭無い。
自己犠牲など馬鹿げている。彼女の思い出の中でだけ生き続けるなど何の意味も無い。
彼女への想いも、彼女の存在も。全ては自分の命あってこそのものなのだ。

けれども、その全てを満たして解決へと導く方法はまだ見つかってはいない。
今の圭介は、自分にとって都合の良い事実に従うのみ。
それは美雪を守り続ける事こそ、自分の命を守ることに繋がるという事。
美雪が自分以外の参加者に殺されてしまうと、圭介の解除条件はその時点で達成することが出来なくなってしまうからだ。

――だから、今は。何があっても彼女を守らなければ。

欺瞞だとは自覚している。
だがそう考えることは今までよりずっと気が楽だった。

「――これからどうしましょう?」
「これから、か。うーん。正直ノエルさんを当てにしてただけに自分で考えるのは厳しいな」

自分でも白々しい台詞だとは思ったがこの場所に戻ってくるまで何も考えていなかったことは事実だった。

さて、どうするか。
圭介本来の意思としては美雪と共に安全を確保することが第一である。
そうなると二人で一気に最上階まで上がりきってしまうのが一番の良策なのだが。

「わたしは――やっぱりノエルさんたちを探して合流するべきだと思います」
「――だよねえ」

予想通りの答えが返ってきた。
美雪の立場からすればそれが当然の判断だ。
仲間が増えるという事実は危険や不安を大幅に減少させてくれる。
しかも相手は「争うことなく共に協力し合おう」と言ってくれた乃得留たちだ。
そんな人物たちとの再会を彼女が望まないはずがない。

美雪の発言はそう考えた上での結論であると圭介は勝手に納得していた。
だが彼は、傍らの少女の思いやりの深さを未だ理解しきれていなかった。

「鳴神くんの解除条件を考えればJOKERの所有者の特定を急がなければなりません。
 そのためにはまずノエルさんたちが持っているかどうかを確認することが一番簡単だと思いますから」
「――なるほど」

何ということか。
美雪が乃得留たちとの合流に拘るのは自分自身のためではなかった。

ありがたいと感じると同時に自己嫌悪で押し潰されそうになった。
彼女の想いは無駄なのだ。「6」の解除条件に奔走することも、JOKERの所持者を探すことも。
そしてそんな無駄を彼女に強いているのは他ならぬ自分の嘘のためなのだ。

――いつまで、この嘘をつき続ければいい?
――俺と彼女が同時に助かるためには、どんな手段があると言うんだ?

噛み締めた唇から血の味がする。
その痛みこそが無力さの証であると圭介は痛感した。

「でも、どうする? ノエルさんたちを探すったって闇雲に歩き回るわけにもいかないだろう」

一先ず切り替えて圭介はいつもの無害な少年を装い、質問を返す。
当初の約束は失われ、互いに連絡を取る手段は無い。
今のこの状況でフロアの何処にいるのかもわからない乃得留たちと合流を果たすのは非常に困難に思える。

「そうなんです。それで――考えたんですけど、階段の手前で待っている、というのはどうでしょう?」

成程、盲点だった。
いずれこの1階も侵入禁止区域になってしまう以上、乃得留たちも必然的に上の階に上がらなければならない。
そうなると必ず、階段を通るということになる。その時が再合流の狙い目、というわけだ。

「そっか。それは良い考えかも。でも――」
「でも?」
「上への階段って、全部で5つもあるよ?」

全体の把握、とまではいかないが施設の大まかな設備に関しては圭介は頭の中に叩き込んでいた。
罠の存在を知ってから必要以上にPDAの地図機能を頻繁に使用していた為だ。

地図の記載によれば上へ上がる階段は5つで間違いは無い。
そのうちのどれを乃得留たちが使用するのか。
それがわからなければ待ち伏せをしていても、擦れ違いが発生してしまう可能性が高くなってしまう。

「それなんですよね、問題は」

困ったことです、とばかりに力無く肩を竦めてみせる美雪。

「でもそれも、もしかしたら何とかなるかもしれません。鳴神くん、ちょっと地図を開いてもらっていいですか?」
「ん? ああ」

美雪に促されるままに圭介はPDAを操作する。
無論JOKERで偽装された「6」のPDAである。

「はい。それで――現在位置から右へずっとスクロールしてください。
 多分そこにここから一番近い階段があると思うんですけど。何か妙じゃないですか?」
「――ホントだ」

程なく指先が、階段へと辿り着く。
その階段の記号には、「×」印が重ねられていた。

「これって、この階段が使えないことを表わしてるんじゃないでしょうか? 
 そして残り4つの内、3つに同じ記載がされています」
「――ってことは、つまり」
「はい」

美雪ははっきりと頷いた。

「2階へと続く階段は、一つしか使えないのだと思います」
「――」

「おそらくそう簡単に最上階へ到達させないためのものなのでしょうね。
 2階以降の地図も同じような『×』印がついてて、次の階段はちょうど反対側ですから」
「かもね」

正確な理由は主催者にでも直接聞いてみなければわからない。
だが美雪の推測は納得出来るものだ。
そしてそれが正解であるのならば上層階への移動手段は限定されていることになる。
そうなると乃得留たちとの合流を叶えることも容易い、というわけだ。

(けど、それって――)

ふと脳裏に思い浮かんだ可能性を、圭介は奥に押し込めた。
その時が来ればわかることだ。今ここで発言しても問答が発生するだけでしかない。

「よし。じゃあ一先ず『×』印の真意を確認することから始めようか」

それがどんな形で使えなくなっているのか。知っておく必要があると圭介には思えた。
幸いにして一番近くの「×」印の階段は無記載の階段へのルートからそう遠回りではない。

「そうですね。それがいいと思います」
「うん。それじゃあ出発しよう」

美雪の同意を得て圭介は行動を開始した。
部屋を出て、周囲を確認しながら注意深く進む。

(でもこのままだとまたノエルさんたちと遭わなきゃいけない可能性が出てきたな)

相も変わらず圭介にとっては乃得留との再会は忌避すべき事柄だ。
しかし階段の真実が美雪の想像通りであれば「待ち伏せ作戦」はこのまま採用されることになる。
それだけは認めるわけにはいかない。そのためには美雪が納得できるだけの理由を用意せねばならない。

(まあ、何とかなるか)

だが圭介は意外と楽観的だった。先程までのように「約束」という強制力は働いていないからだ。
美雪を説き伏せるだけの理由も断片的ではあるが用意できている。後は期を計って提案すればいいだけだ。

それよりも。圭介は気になっていることがある。

「森下さん、大丈夫なの?」
「え――何が、でしょうか?」
「いやその――疲れてるでしょう?」

それは美雪の顔色が先刻から思わしくないということだ。
足取りもやや覚束なく見えるのは決して罠を警戒しているという理由だけではない。

無理も無い。ここ数時間は歩き詰めの上に危険と隣り合わせの緊張の連続は精神的にも負担は大きい。
ましてや彼女は一度長沢に殺されかけている。
蓄積した疲労が彼女の身体を蝕んでいるのは最早圭介の目にも明らかだ。

「大丈夫ですよ。それよりも、先を急ぎましょう」

だが美雪は弱弱しく微笑みながらそれを否定する。
自覚が無いわけではないのだろう。だがそれを少女は決して口にしようとはしない。
そんな美雪の胆力には感心するばかりだ。

だがその美徳は時として欠点とも成りかねない。今が正に、その時だ。

「――」
「鳴神、くん?」
「ごめん。俺の方がそろそろ限界だ」

言い捨てるようにして圭介は足を止め、近くの壁に大げさにもたれかかる。
その前に罠のスイッチが無いことを事前に確認しておくことも怠らない。

「――強引ですね。鳴神くん」
「強情には強引だよ」
「ごめんなさい。わたしの、負けです」

圭介の意図を理解したのか。美雪は諦めの面持ちで大きく息を吐き、そして圭介と並んで壁に寄り掛かった。

「座っていいよ。その方が楽でしょう?」
「いえ、このままで」
「それじゃあ意味が無い」
「鳴神くんの方こそ。疲れたから休憩したのでしょう?」
「男の子ですから」

互いの意地の張り合いは、結局圭介の方が折れることで終了した。

「ゴメンな。頼り無くて」
「いえ、そんな――わたしの方こそ」

並び立ち、目も合わさずに。そんな言葉を交わし合う。

圭介は理解している。
美雪が頑なに休息を拒み、今も動ける体勢を崩さないのはこちらに気を遣っているだけのものではない。
戦闘禁止エリアは解除され、最早何時誰が襲ってきても不思議では無くなった。
そんな状況下において、即座に対応できない状態に陥っていること。それを少女は何よりも恐れている。

「大門さんの時も長沢さんの時も。わたしは足が竦んで動けませんでした。
 だからせめて――これからはちゃんと、自分の足で逃げられるようにならないと。
 これ以上鳴神くんに迷惑はかけられません」
「――うん。ありがとう」

美雪の気持ちは素直に有り難い。だがそれは同時に圭介に全てを委ねることは出来ないという意味でもある。
圭介だけでは襲撃者を容易に退けることは出来ない。だから二人分の力が必要なのだと。

否定はしない。自分が秀でた存在では無いことなど百も承知だ。
ただ多少弁が立ち手先が器用なだけ。鳴神圭介はその程度の凡庸な高校生だ。
無論この「ゲーム」という特殊領域下では多少人より優れた何かであっても力及ぶものではない。
それこそ大門三四郎程の規格外でもなければ単独で矢面に立つことなど出来はしない。
故に自分の無力を嘆く必要は無い。
だがそれが窮地に立たされた際の言い訳には成り得ないこともまた事実だ。
自らの命の危機には今の自分のありったけで対処せねばならない。
力不足であったとしても精一杯を果たさねばそこが人生の終焉だ。

だからこそ、美雪は「休みたい」とは口にできなかった。
休みたくとも休めない。それが今の二人の真実だったのだ。

(マズいな。まだまだ先は長いってのに)

まだ「ゲーム」が開始されて8時間程度。しかし圭介たちは早くも行き詰まりを迎えつつあった。
このままでは共に疲労に押し潰される。
せめて満足な休息を取れる状況にまでは持っていかなければならない。

(――味方が、必要だ)

現状を打破すべき一手があるとすれば、それしかない。
そう。二人だけでは不足であるならば3人、4人。
少なくとももう一人仲間がいれば安心して交代で休息が取れる。
襲撃者に対する戦略にも広がりを持たせることができる。
一刻も早い協力者の発見。それこそが最上の良策であると圭介は思い至った。

だがこれが中々にして難しい。
「ゲーム」に参加している人数は全部で13人。内一人は既に死亡が確認されている。
圭介の偽装を看破できる乃得留たち3人とは手を組めない。敵に回った木戸と長沢は論外だ。

(楯岡さんなら――いや、ダメだな)

今までに遭遇した参加者の最後の一人、楯岡和志の存在を圭介は候補から弾き出す。
己の事情なるものを優先し単独行動を選んだ楯岡が自分たちと手を組むとは思えない。
それでなくとも彼は真意だけでなく存在そのものが謎に満ちている。
判断力や行動力に人間性が感じられず、表情は帽子とサングラスで隠したまま。
そんな男に信頼を寄せるのは非常に危険なことだ。

となると素性が判明している参加者は誰一人該当せず。
必然的に残りの未遭遇者4名から選抜することになるのだが。

(でもなあ――)

その中にはキラーカードを引き当てた人物がいる。
更には圭介にとって「天敵」となる人物まで含まれている可能性が高い。
仮にその条件がクリアできたとしても。果たして自分たちに手を貸してくれる気になるだろうか?
こちらに提示できるメリットは無い。
唯一の切り札と成り得るJOKERはその存在を秘匿せねばならないものだ。

(うーん――)

何か良い案は無いものか。
必死に思考を展開し、圭介は上策を捻り出そうとする。


「美雪から――離れろっっ!!」
「――へ?」


木刀を構えた少女が圭介に向かって突進してきたのはその直後のことだった。





 ゲーム開始より7時間54分経過/残り65時間06分



[21380] EPISODE-17
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 06:06
「――へ?」

それはあまりに突飛な光景だった。
猛烈な勢いで近付いてくるのは同世代と思しき少女。
手にした得物は修学旅行の定番土産である木刀。

先の角から突如出現した「それら」に対し、圭介の中に浮かんだのは危機感ではなく疑問符だった。
危険とはかくも快活なものであったか。長沢の如き禍々しいものではなかったか。
自らの経験で作り上げた定義に当て嵌まらぬ状況は、圭介の判断力を鈍らせた。

だが木刀とは本来人間を傷付け得るに十分な凶器であるということ。
そして少女の怒りと矛先が、自分に向いているということ。
その全ての理解が及んだ時には少女は既に圭介の目の前で剣を振り上げていた。

「うわっ! ちょ、ちょっと待」
「でやあっ!!」
「!!」

切っ先が、空気を縦に斬り裂いた。
圭介の目の前を凶器が通り抜けて行った。

圭介はその一撃に対して特に回避行動は取っていない。
咄嗟に反応することもできずただ棒立ちになっていただけだ。
おそらく威嚇か牽制のために振われたものだったのだろう。

だがその圧倒的な剣圧と迫力に押され、圭介は堪らず後ずさり。
みっともなく床に尻もちをついた。

(しまっ――)
「動くなっ!」

慌てて立ち上がろうとする圭介の眼前に木刀の先端が突き付けられる。
おかしな動きを見せれば打つ、という脅迫だ。
少女の襲来に気付いてわずか数秒。瞬く間の制圧劇だった。

(なんてこった――)

迂闊と言う他は無い。危険など如何様にも姿を変えるのだと思い知らされた。

(そうだ、森下さん――)

自分がこの先どうなるかよりも同行者の少女が気にかかった。
後方に控えているはずの美雪に向かって辛うじて視線を廻す。

美雪は――やはり立ち尽くしていた。今までと同じように身体を硬直させたまま動かない。
先程の決意はやはり恐怖を乗り越えられないのか。それとも疲弊した身体が着いていかないのか。
だがそれではダメだ。今回ばかりは――俺は君を、守れない!

「森下さん、逃げ――」

そうすることしか。逃亡を促すことしか。
今の自分に出来ることは無い、と圭介が声を張り上げた瞬間。


「やめて、菜緒っ!」


その声に、美雪の声が重なった。

(――ナオ?)

制止を呼び掛ける美雪の声は明らかに少女に対してのものだった。
圭介は訝しげな視線を菜緒と呼ばれた少女に向けると、少女もやはり圭介ではなく美雪を注視している。

「美雪! 大丈夫なの!? この男に何かヒドいことされてない!?」
「違う、違うの菜緒! その人は――鳴神くんは、悪い人じゃないの!」

頭上で交わされる会話は明らかに互いを個別認識した上で成立している。
どうやらこの二人が知り合いであることは間違い無いようだ。

「わかるもんですか! こんな男、裏で何を考えてるかわかったもんじゃない!」
「そんなことない! 鳴神くんは今まで何度も、わたしを助けてくれたの! だから!」
(――)

少女の言葉はある意味正解だ。
一瞬、息が詰まった。そして美雪の反論と共に、猛烈な後ろめたさを圭介は感じた。

「――こーんな情けない男が?」

やや落ち着きを取り戻したのか。少女は小馬鹿にしたような目つきで圭介を見下ろしてくる。

「そうよ。確実に絶対、安全で無害な人なの」
「――森下さん。正直ヘコむんだけど」
「え? 何でですか?」

男としての沽券に関わるから、と口にしないのがせめてもの意地だった。

「ふーん。じゃ、ま、そーゆーことにしとくわ」
「わかってくれたか。だったらさっさとその物騒なモノをどけてくれ」
「はいはい――自力で立てる? まさか腰が抜けたとか言い出さないでよね。ダサいから」
「立てるに決まってるだろ!」

まったく何て言い草だ――ケラケラと笑う少女を圭介は忌々しげに睨みながら立ち上がった。
その裏で本当に腰が抜けていなかったことに安堵しつつ。






「紹介しますね。この子は緑川菜緒。わたしの親友です」
「美雪とは中学以来の仲なんだ。よろしく」

つい先程まで襲撃者であった少女・菜緒は一転して険の取れた表情で言葉を紡ぎ出す。

威圧的な態度はすっかり影を潜め、今は至って普通の少女に見える。
だが時折感じる居丈高な視線が圭介にはどうも気に食わない。
完全に圭介を「取るに足らない男」だと認識している証拠だ。

まあ一振りの牽制で無様にも尻もちをつくという醜態を晒した後では無理も無い。
そのおかげで友好的な雰囲気が即座に構築されたのは僥倖と言うべきなのか。

「鳴神圭介。森下さんとは数時間前からのとても深い付き合いだ」
「ふーん。あっそ」

小粋な冗談を交えたつもりであったがにべも無い反応だった。
やはり気に食わない、と圭介は聞こえぬように舌打ちする。

さて改めて緑川菜緒という少女を観察するとかなり特徴的な少女であると言えた。
まずは整った目鼻立ち。そして長い髪を纏めた腰まで届くポニーテール。
身長は圭介とほぼ同じくらいであることから性別・女子としてはかなり高い部類だ。
制服の上着を腰の位置で縛りつけ、シャツを腕まくりしているのは動き易いように工夫した結果なのだろうか。
スカートのチェック柄と胸にポイントされたリボンの色で辛うじて美雪と同じ学園の制服であることが窺えた。

そして何よりも突出している点といえば。

「――しっかし随分と凶悪なモンぶら下げてんな」
「え? この木刀のこと? あはは、こんなの怖いのアンタだけだって」

情けない奴、と言わんばかりに菜緒は朗らかに笑って見せる。

(はは、気付いてないんでやんの)

見事に勘違いを誘発させることが出来、圭介は多少の溜飲を下げることができた。

そう。木刀など別に脅威でも何でもない。
菜緒の持ち得る最大の凶器はその胸部の二つの膨らみだ。
薄着であることも相まってその双丘の迫力は圧倒的。
ひとたび激しい運動を行えばたちまち大災害が発生するだろう。
しかもただ巨大であるだけではない。その曲線の流麗さは芸術とも呼べるものだ。

更に上着で隠された上からでも解る細腰のくびれとヒップライン。
スカート丈は美雪と同じものであるはずなのに劣情を醸し出しているのは腰の高さと足の長さのせいだ。

(くそ、悔しい――悔しいが、最高の身体してるじゃないかコイツ!)

今までに出会った参加者も美雪を含めて女性として魅力的なものを持っていた。
だがそれでもこの緑川菜緒を目の前にすれば霞んでしまう。その格の違いは無人の荒野を行くが如し、だ。

(ふう、やれやれ――)
「鳴神くん、今変なこと考えてるでしょう」
「どわっ!!」

いつの間にか美雪がすぐ傍に移動してきていた。
耳元で突然囁かれ、圭介は大げさに飛び上がる。

「もしかしてわたしと菜緒を比べたりしてませんでしたか?」
「え、き、キノセイニキマッテルジャナイカ」

鋭い、鋭すぎる。どうしてこんなことに限って敏感であるのだろうか。

「――えっち」
「がはっ!」

トドメの一言。ダメージはオーバーフロー。
圭介は力なく床に崩れ落ちた。

「? いったい何やってんのよ。アンタたち」

当の本人はといえばまったくの無自覚にぽかんと二人のやり取りを眺めていた。

「なんでもない。それよりも――菜緒もこの『ゲーム』に巻き込まれてたのね」
「え、知らなかったの?」
「え?」
(――ん?)

「あたしは、知ってたよ。美雪がこの『ゲーム』に参加してること。ほら、これの――」

菜緒はスカートのポケットから、最早お馴染みになってしまった黒色の端末機器を取り出す。

「あたしが目が覚めた時。これの画面にハロウィンのお化けが出てきて――説明してくれたの。
 『キミの大切な親友も、この「ゲーム」に参加してるよっ! 早く助けてあげないと、殺されちゃうよっ!』って。
 この木刀も、これの近くに転がっていたわ」

「――」
「美雪のPDAは? あたしがいるって、教えてくれなかったの?」
「うん。全然――え、っと。どういうことだと思います? 鳴神くん」
(緑川には、森下さんが参加していることが事前に説明されていた、か――)

圭介が出会った10人目の参加者、緑川菜緒。森下美雪の親友にしてクラスメート。
つまり初めて参加者同士で密接な繋がりを持つ存在が出現したということである。
そしてその片方に、相方の「ゲーム」参加を示唆してきた。これはいったい、どういうことなのか。

「あ、もしかして。わたしたちがPDAを持っていなかった時間帯に自動で説明がされていた、とか?」
「どうだろうね。可能性としては無いわけじゃないだろうけど」

確かにその間にタイマーセットされていた自動説明機能が再生されていた、とも考えられなくはないのだが。

「緑川。その説明があったのって、お前が目が覚めてすぐ、だよな?」
「馴れ馴れしい言い方ね――そうよ。目が覚めて、誘拐されたっぽいとか考え始めてからすぐ」
「そっか」

そのタイミングが偶発的なものであったのかどうか。それは圭介にはわからない。
ただ覚醒か、説明の再生か。
どちらかを意図的に操作できたのだとすれば美雪が説明を受けられなかったのは不自然ではある。
もし菜緒と同じタイミングで説明が行われていれば、おそらく美雪はPDAの存在に気が付いていた。
そうなればPDAを未所持のまま出発してしまうという事態は起こり得なかったはず。
「ゲーム」の根幹を成すPDAを置き去りにするというイレギュラーは主催者としても歓迎できない事象であっただろう。

そうなるとやはり。説明は菜緒にのみ行われたと考えるのが自然な結論である。

(これは多分――二人の関係は利用された、と考えるべきなんだろうな)

そう。友情と言う絆で結ばれたタレントを召喚した。
それはつまり「ゲーム」の中での劇的な再会を目論んでのものだろう。しかも上に「悲」が付く方の。
そのために互いの情報量を意図的に片寄らせた。

義に厚く行動力のある菜緒には美雪の存在を知らせ、自らの危険も顧みず施設内を走り回らせる。
積極的な行動は少女により多くの命を脅かす機会を与えるだろう。
その結果として。非業の死を迎えるか。それとも菜緒自身の手で新たな犠牲を産み出すのか。

一方聡明ではあるが気弱な部分がある美雪には菜緒の存在を隠蔽し、不安と恐怖を増大させる。
頼る者などいないと思いこまされた少女の行動はどうなるべきか。
格好の獲物として抹殺されるのか。それとも窮鼠は猛獣をも凌駕するのか。

相方の犠牲を知ることになれば生き残った方は絶望へと叩き落とされる。
なまじ生き延びて再会を果たしたとしても、その時の二人は修羅の化身。
友情がやがて悲劇を生む。そんな事態が起こり得ることを「彼ら」は期待して二人を配置したのではないだろうか。

空恐ろしい推測ではあるがおそらく間違いは無い。
何せ主催者たちにとって自分たちの命の行方は見世物以外の何ものでもないだから。

「結局、どーゆー事なのよ」
「すまん。俺にもよくわからん」

何処までが主催者の想定の内なのかは想像の域を出ない。
だがこうして大した犠牲も払わず親友が再会できたことは素直に喜ぶべきなのだろう。
全てを説明する事は無駄に不安を駆り立てることになるだけだ、と圭介は敢えて適当に誤魔化した。

「使えない奴ねえ」
「ほっとけ」

そのせいで無能の烙印を押されるのはどうにも腑に落ちないことではあるのだが。

「まあまあ。この『ゲーム』に関してはわたしたちの理解の及ばないことだらけですから。
 一々気にしても仕方が無いよ、菜緒」
「んー。そーなのかなあ」
「鳴神くんも、ね?」
(――ん?)

美雪が菜緒に気付かれぬよう、圭介に片目を瞑って見せた。
まさか全てを察した上で話題を逸らしてくれた、ということなのだろうか?

「あ、そうだ。菜緒のカードは何番なの?」
(!!)

「カードって首輪の解除条件のこと? あたしは『8』だよ」
(――ふう、セーフか。焦らすなよ)

一瞬のやり取りであったが圭介は生きた心地がしなかった。
もしも菜緒のカードが「6」であった場合。その時点で圭介の偽装は暴かれ万事休すであったのだ。

「8」の解除条件は自分の近くで正確にPDAを5台破壊すること。
無論破壊されたPDAはその機能を失ってしまうのでまずはその憂いを断っておくことが前提条件である。

「――厄介な解除条件ですね」
「だね」
「へ? 他の条件はもっと簡単なの?」
「え?」

自分以外の解除条件を知らない菜緒の様子に圭介と美雪は互いの顔を見合わせた。

「あ――そうか。菜緒は今まで単独行動だったもんね」

そしてルールの全貌は単独では判明できない事実を思い出す。
二人はPDAを回収する前に全てを知り得ることができたのでそのことをすっかり失念していたのだ。
そうなると菜緒のPDAには⑨以外にも欠落しているルールがあることになる。
その補完をまずはしてやらねばならない。

「えーと――まあ、実際に見てもらった方がいいか」

その方が口頭で説明するよりも遥かに迅速で解り易い。
これに目を通してくれ、と圭介は美雪が書き留めたルール一覧を菜緒に手渡した。

「何これ、美雪の字じゃない。なんでアンタがこんなもの持ってるの?」
「一時的だけど協力者がいた。細かい事情は後で説明する」
「ふーん。じゃあ有り難く」

菜緒は圭介からノートの切れ端を受け取り読み進めていく。

そして時間の経過と共にその顔色がみるみる蒼白になっていった。

「何なのよ、これっ! 人を殺さなきゃ助からない解除条件ばっかりじゃない!」
(あー、やっぱそんな反応になるよな)

これまでの菜緒の飄々とした態度に圭介は自分たちとの危機感のズレを感じていた。
それもまた情報量の偏りのためであったと今、改めて認識できた。

己の命を守るために他者の命を奪わねばならないという条件の数々。
ルールの⑨、全参加者の解除条件こそがこの「ゲーム」最大の恐怖の起因だ。
それまでの特定行動に対するペナルティに関してだけでは。
「死」という単語は菜緒にとって単なる抑止力にしか受け取れなかったのであろう。

圭介たちが数時間前に通り過ぎた現実に彼女は今、直面しているのだ。

「何よ、その顔。アンタこれがどれだけ悲惨な条件か、わかってるワケ!?」

痛いほどに、解っている。そうでなければこれほどまでに苦悩するものか。
自分が助かるためには側にいるこの子を殺さねばならないという己が陥った現実に。

「何とか言いなさいよ!」
「落ち着いて菜緒。鳴神くんもわたしも、ちゃんと理解してるから」
「美雪まで! じゃあ、何でそんな冷静に――」
「――森下さん。悪いけど説明してやって。俺が言っても聞いてくれなさそうだから」
「はい」
「ちょっと!?」

困惑を露わにする菜緒を宥めつつ、美雪はこれまでの一部始終を説明した。
自分たちが今までどれ程の苦難と遭遇し、乗り越えてきたか。
死の淵に立たされた人間の好意と悪意を、どれほど体験してきたか。
全てを聞き終える頃には当初の元気は見る影も無く、すっかり菜緒は意気消沈してしまっていた。

「じゃあ――じゃあ、この『ゲーム』は本当に」
「下手を打てば間違い無く死ぬ。脅しじゃなくな。俺たちは実際に死体にも遭遇してる」
「そう――なんだ」

それきり。菜緒は黙りこくってしまった。

(――まあ、ショックだろうな)

友のためなら相手が男でも物怖じせず襲いかかる少女でも、この現実は重すぎる。
かける言葉がみつからない様子の美雪に圭介はそっとしてやろう、と目配せした。
時間がいずれ解決してくれる、とは安易な言い分であるが少なくとも冷却期間は必要であると圭介には思えたからだ。

ところが。


「――アッタマ来た」
「へ?」


いきなり妙な言葉を呟いたかと思えば、菜緒は突然怒髪天を衝く、とばかりに立ち上がった。

「このまま殺されるなんて、冗談じゃないわよっ!! ダレがそんなの認めてやるもんですか!
 絶対、ぜったい、ゼーッタイ! 無事に生きて帰ってやるんだからっ!!」
「――」

驚いた。どうやら菜緒は圭介の想像を遥かに超えた不屈の精神の持ち主であったようだ。
それがどれだけ困難で、どれだけそれを理解しているのかは窺い知れない。

だがその瞳に宿る決意は間違い無く本物だ。
失意を怒りに代え、少女は前へと躊躇い無く進もうとしている。

「美雪っ! 鳴神っ! アンタたちもよっ! 3人で協力して『ゲーム』をクリアするのよ!
 そんで警察に直行して、洗いざらいをブチ撒けてやるの!!」

「そ、それはもちろん、そのつもりだけど――ねえ?」
「ああ、うん。俺たちだってむざむざ死にたくはないからな」
「そうそうその意気その意気! いつまでも辛気臭い顔はしてられないっての!」

自分の意思が伝わったと感じたのか、菜緒は満足げに豊かな胸を反らして見せる。

(――はは)

入れ込み過ぎとも取れる菜緒のその姿は多少滑稽にも映る。
だが圭介にはそれが心地良かった。眩しい程の明るさに、救われる思いだった。

(なるほど、森下さんの親友だけのことはあるな)

見た目も性格も全然違うものではあるけれど。
確かに誠実な少女と並び立つに相応しい存在であると思えた。

「――何よ。ニヤニヤして。気持ち悪い」
「うるせえよ」

同時に自分に対するこの不遜な物言いも何とかして欲しいとも思う。

「で? ここまでカッコよく宣言するからには何か画期的な打開案があるのか?」
「それは、美雪に任せる!」
「ふえっ!?」
「――おい」

菜緒は臆面も無く言ってのけ、美雪の肩を力強く叩いた。

「いいのよこれで。あたしは運動担当、美雪は頭脳担当。今までもずっとこうしてきたんだから」
(――それは学生生活の中でバランスの取れた配分なのか?)

学業の宿題を見せてもらうことは出来ても体育の測定は代わってやれないだろうに。
まあ、この少女らしいと言えばらしいのだが。

「じゃあ、どうする? 森下さん」
「そ、そうですね。とりあえず当初の予定通りに動くことしか今は思いつきませんけど」
「よし、じゃあ早速ノエルさんという人に会いに行こう!」
「だから落ち着けっての! あー、森下さん。ちょっと良い?」
「はい? 何でしょう」

「その当初の予定、なんだけど――ノエルさんを待ち伏せするの、やめにしない?」

このままでは乃得留たちを階段前で待ち伏せするのは決定事項となってしまう。
だが圭介の立場としてはそれは是が非でも回避しなければならない。
ならばここが切り札の切り時だ。期は熟した、というわけでもないが致し方ない。

「何でよ。まさか、ノエルさんに会いたくない理由でも有るワケ?」
「そんなわけねーだろ」

真意を見抜いているわけでもないだろうが。いちいちこの少女の台詞は心臓に悪い。

「まさか、プロポーズが有耶無耶になって気まずいから、とかですか?」
「プロポーズ? 俺そんなのしたっけ?」
「――覚えてないならいいです」
「え、何々? その話はあたし聞いてないんだけど」
「お前は黙ってろ。とにかくちゃんとした理由はあるんだ」

何故か不機嫌そうな美雪と菜緒を制しつつ、圭介は持論を展開し始める。

「理由は幾つかあるけどまず一つ。
 ノエルさんたちがいつ2階に上がろうとするか、そのタイミングが掴めないこと。
 しかも俺の予想では――その時期はおそらく相当後の時間帯だ」

「なぜ、そう思うんです?」
「ノエルさんは今、俺たちに語った計画を実行中だからだよ」

乃得留の計画は「ルールに従った上で首輪の解除が可能な最大限の人数を救済する」というものだ。
その計画が投げ出されたわけではない事は、待ち合わせの場所を既に去っていた事で判明している。
彼女たちは危険分子と成り果てたかもしれない自分たちよりも、まだ見ぬ他の参加者の確保を優先したのだ。

「つまり今あの人たちは、他の参加者の捜索をこの一階で行っている。
 それは隅々まで。そしてこのフロアが侵入禁止になる時間ぎりぎりまで行われるはずだ。
 そうなると俺たちは丸一日も待ち惚けを食わされることになる」

ルールの⑤によれば侵入禁止エリアの拡大は2日目になってから。
つまりは最低でもあと16時間は待たざるを得ない計算になる。

「でもいずれ侵入禁止になるって解ってるんならみんな上の階を目指すんじゃないの?
 それなら無闇に動き回らずに階段で待ち伏せしてた方がいいと思うんだけど」

「ルールの⑤が判明してない参加者は侵入禁止に気付くことはできない。
 それでなくとも『ゲーム』という現実を認めたくない参加者は上に上がろうという気すら起こらないだろ。
 そんな人たちが侵入禁止エリアに飲みこまれて殺される、なんてことノエルさんが許すはずがないさ」

「あー、そっか」

――俺や木戸のようなキラーカードの所有者の死は寧ろ大歓迎かも知れないけどな。

自虐がまた、圭介の内に浮かんだ。

「でも、それは逆にまだノエルさんたちは2階に上がっていないという意味ですよね?
 それならどれだけ時間がかかっても、あの人たちを待つ方が安全で確実かと」

圭介の提案に美雪は納得が行かない様子だ。
確かに仲間認定している人物より先行する理由が「待つのが嫌だから」では嫌悪感を示すのも無理は無い。

だが勿論圭介とてこの程度で美雪を説き伏せられるとは思っていない。

「うん。森下さんならそう言うと思ってた。そこでもう一つの理由だ」

少女を健やかに欺くため、魔術師は次のカードを切る。


「ノエルさんたちが一階で協力者を探すなら――俺たちは上の階で探そう」
「上の階で――ですか?」


先程とは段違いに前向きなその理由は、美雪にとっても予想外だったようだ。

「そう。さっきも言った通り、ノエルさんたちはしばらく一階から離れられない。
 ということは、もう上に上がってしまった参加者には手が出せないんだ。
 だから先に、俺たちの方で協力者を増やしておこう」

「それは――素敵な考えだと思うんですけど。でも危険じゃないですか?」
「まあ確かに。この中で荒事に向いてるのは緑川だけだしなあ」
「唯一の男がこんなヘタレだからねえ」

皮肉を皮肉で返されてしまったが一先ず気にしないことにする。

「でも時間が経てばもっと危険になるんだ。
 長沢の言動が確かなら階層が上がるごとに強力な武器があるはずだからね。
 まだ行動を迷っている参加者が悪い方に決断するきっかけが増えてくる。
 その前に何とか出来るならそれに越したことはない」

「あの人の言葉を――信じるんですか?」
「可能性は否定できない。それだけだよ」

長沢によって受けた美雪の心の傷は圭介の想像以上に深いようだ。
確かにあの殺人狂が豹変前に語った事など信用には値しない。
だが必殺に至る武器が上の階には有るという理屈は納得出来るものなのだ。
賞金の分配と併せて人の心を傾かせるに十分な程に。


「そして最後の理由。それは俺の解除条件に必要なJOKERをノエルさんたちは持っていないから」


二人の少女に向け、圭介はきっぱりと断言した。

「――えーと。そうなんだっけ?」
「ちょ、ちょっと待って下さい。鳴神くん、それはおかしくないですか?」

美雪の困惑は無理からぬ事だった。
まさか圭介自身がJOKERの所有者であるなどと、彼女は夢にも思っていないのだから。
無論圭介は偽装の事実を明かすつもりはない。ロジックの構築は既に完了している。

「そうだね。『手続き』が効いてるからノエルさんのグループのJOKER所持の有無は俺たちにはわからない」
「そうでしょう?」

乃得留たちは協力者以外には自分たちのカードの種別とJOKERの行方を秘匿している。
その情報を開示させるためには乃得留に同等の情報を提供するという「手続き」を行う以外に無い。
未だ「手続き」を行っていない圭介たちに、その情報を知り得る手段は無いはずだった。


「だけど思い出して欲しい。まだ俺たちが『ゲーム』の真偽を疑っていた頃。ルール解説が行われる直前。
 ノエルさんの言葉に従ってその場にいた全員が――『何に使うのかわからない携帯端末』を一斉に取り出した」

「――あ!」
「そうなんだ。あの時点では誰一人として『JOKERとは何たるか』を理解していなかったはず。
 だったらもしJOKERを持っていればPDAを二つ、その場で出していたはずなんだ」

「確かに――その通りです」

「無論、それまでにJOKERの存在理由を理解していて惚けて隠してたって可能性はある。
 ルールの④さえ知っていればそれも可能だからね。
 だけどそれはつまり、JOKERを悪用する意思があったってことだ。
 だから協力を申し出たノエルさん、大門さん、古谷さんは必然的に白黒で言えば白になる――
 って、ちゃんとついて来てるか? そこのポニーテール」

「う、うっさいわね! あたしはその場にいなかったからしょーがないでしょうが!」

すっかり口数の少なくなってしまった菜緒に圭介はここぞとばかりに斬りかかる。

「続けるぞ。ついでに考えれば木戸が離脱したのはJOKERの説明も手続きも行われる前。
 ということはあいつはJOKER使用の抜け道を塞がれて逃げ出したわけじゃない。
 キラーカードを引き当てたはずのあいつが偽装を躊躇う理由は無いはずだから、これも白」

「楯岡さんは――」
「『手続き』を完了させた上での離脱だから怪しいことは怪しい。
 だけどJOKERの説明はあの人の発言から始まったものだし。
 わざわざ自分で自分の首を絞めることはしないだろうね。だから白」

「長沢って奴は?」
「長沢はノエルさんの仲間じゃないだろ。
 あいつが持ってても素直に譲り渡してくれるわけがないんだから考えても無駄だ。
 破壊すれば俺が死ぬJOKERなんかとっくに嬉々としてぶっ壊してるだろうしな。
 こればっかりは天に祈るしかない」

「――」
「そんな悲壮な顔しないでよ森下さん。長くなったけど以上が俺の理由の全てだ。
 どうだろう? 納得してもらえたかな?」

打つべき手は全て打った。辻褄も合っているはずだ。
若干の緊張の中、圭介は美雪の答えを待つ。

「――ごめんなさい」
(これでもダメなのか!?)
「わたし、鳴神くんの解除条件のことあまり深く考えてませんでした。仲間が増えれば安全だって、そんなことばかりで」

一瞬目眩がしそうになったがどうやら美雪の謝罪は自らの考えの至らなさを恥じたもののようだった。

「そうですよね、急がないとJOKERは壊されちゃう可能性があったのに――」
(壊される? ああ、『2』の解除条件か)

元より自分とは関係の無い解除条件だ。そこまでは思い至らなかった。
どうやら提案は承諾されたようだ。やれやれ、と圭介は人知れず胸を撫で下ろす。

「こっちこそごめん。森下さんを責めるつもりはまったく無いんだ。
 むしろ俺のこと心配してくれて嬉しいよ」
「そんな――」

「よし。じゃあこれからの行動を纏めよう。まずは予定通り、『×』印の階段の確認。
 それから無印の階段を通って2階に上がる、と。緑川もそれでいいかな?
 ああ、『×』印については後で森下さんに確認してもらってくれ」

「あ、うん」
「ここからはお前の力も必要になってくる。頼りにしてるぜ」
「な、何よ急に――言われなくたって、あたしが美雪を守ってみせるわ。
 今までもそうだったし、これからもそうなるんだから!」

菜緒は威勢良く木刀をぶん、と振って見せる。

「オーライ。それと――森下さん、身体の調子はどう?」
「はい、もう大丈夫です。十分に休めましたから」

話し込んでいる内に随分な時間が過ぎたようだ。少女に無理をしている様子は見られない。
おそらく親友という心の支えを得たことも大きく影響しているのだろう。

「よし、じゃあ出発しよう」
「了解! ――って、何で立ち止まったままなのよ」
「いや、緑川が先導してくれよ。だって俺、ヘタレだし」
「頼りにしてるってそーゆーことなの!?」
「冗談だよ。さ、行こう」

菜緒の反応に満足すると、圭介は先立って通路を歩き始めた。







「――変な奴ね。アイツ」

先導する圭介から少しばかり離れて歩く菜緒は、傍らの美雪に小声で呟いた。
多少の距離が開いてしまったのは今しがた美雪に階段についての説明を受けていたためだ。

「そう思う?」

常に他人を尊重する美雪の言葉遣いはいつも丁寧で、例え年下であっても変わらない。
けれど美雪は菜緒と話す時にはその枷を外し、ごく普通の女子高生のものとなる。
それは菜緒にとってはそれはとても誇らしいことだった。
やはり親友とは対等であるべきだ。だから自分は親友だと認められている、と。

そんな二人の間に、異分子が入り込んできた。
少年の名は鳴神圭介。第一印象は単なるヘタレ。
だが会話を重ねるうちに、彼の評価は菜緒の中で二転三転していった。

「真面目かと思えばふざけ出すしさ。バカだと思ったら妙に冴えたこと言い出すし。
 いじられキャラかと思えばこっちをいじり始めるし。
 冷静なようですぐ慌てるし――正直、よくわかんない」

「よく見てるじゃない。彼のこと」
「うーん。どうなんだろ」

よく見てる、というよりは色々な意味で目が離せない、というべきだろうか。
最初は美雪に色目を使えば即座に叩きのめすつもりでの監視だったのだが。

ふと視線を前にやると。
圭介が通路で反復横跳びをしていた。

「――何やってんの? アレ」
「え、えーと。たぶん罠の確認をしてるんだと思うんだけど――」

自信を持って言い切らないのはおそらく美雪にもそうは見えないからだろう。

「――やっぱりふざけた奴にしか見えない」
「そうなの。ふざけた人なの」

驚くほどあっさりと。美雪は菜緒の言葉を肯定した。
けれども少女の言葉の中に、少年を嘲るような思いは一かけらも感じられない。
それどころか不敵に微笑みながら。
やや得意げに、美雪は続けた。



「でもね――この状況でも、ふざけられる人なの。すごいでしょう?」






 ゲーム開始より8時間21分経過/残り64時間39分 


【プレイヤーカード:開示】
・「8」:緑川菜緒




[21380] EPISODE-18
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/10/09 15:51
「ぐは、は、は、はあ――こ、ここ、か――」

施設一階東南部。
壊れた身体を引き摺りながら長沢勇治がある地点を通過すると同時に彼のPDAからアナウンスが鳴り響いた。


『チェックポイントの通過を確認しました。チェックポイントの通過を確認しました。
 貴方が通過しなければならないチェックポイントはあと22です。
 繰り返します。貴方が――』

「早く出しやがれクソがっ!!」

侮蔑の怒声を長沢がPDAに浴びせかけると、何も無いはずの通路の壁に小窓が開く。
その中から現れた紙袋を引っ掴み破り捨て、長沢は3粒の錠剤を取り出した。

「は、ふ、は、ごふっ、ごふっ――」

その内の1粒を口の中に放り込み、携えていたペットボトルの水で流し込む。

「ぷはあっ!」

全身を蝕む刺すような痛みは瞬く間に霧散していった。
揺れ動く景色がぴたりと嵌り込み、視界は驚く程に良好となる。
漸く正常な状態を取り戻したことを実感した長沢は、大きく息を吐くとどっかと床に腰を下ろした。

(ふう――ムカつくけどやっぱ効くんだな、これ)

残りの錠剤をポケットに押し込んだ長沢は添付された紙片を目の前でひらひらと振って見る。
薬剤の解説書と思しきその紙片には以下の文面が記されていた。


 ・この薬は使用者の身体能力を飛躍的に向上させるためのものである
 ・服用時には通常の1.5倍ほどの身体能力を得ることが出来る
 ・また同時にその時点での疲労や痛覚などを多分に緩和することが出来る
 ・即効性に優れており服用から30秒ほどで効果が表れる
 ・効果時間は1錠につき2時間程度。だが過度の運動によりその時間は短縮される
 ・2錠以上の同時服用は内臓機能に多大な悪影響を及ぼす可能性がある。
  また、同時服用による効果時間の乗算はできない
 ・吸収性に重きを置いて製作されたため水分に著しく弱い


(――やっぱ間違いねえか)

既に長沢はチェックポイントを一つ通過し、その説明は確認してある。
今回も記載されている条項は全く同じ。
だが長沢が体感した効果の中で一点だけ解説と著しく違う部分が見受けられた。
それは効果時間。2時間程度と記載されているにも関わらず、実際に効果が切れたのは1時間弱であった。
どうやら記載に間違いは無い。ということは問題は長沢自身の身体にあると言える。

(『過度な運動』って――そりゃ一般人にとってのことだろうが、クソ)

今の長沢にとっては単なる移動も相当の負担を有するものだ。
そのせいで効果時間が短縮されたということなのだろう。

だが長沢はこの薬に頼る以外に生きる術を持たない。
度重なる薬物投与の副作用によって長沢の身体は生きているのも不思議な位に崩壊していた。
肉は完全に削げ落ち病魔の巣食わぬ内臓は皆無。全身の痛覚神経は常に唸りを上げている。
この薬の効果によって全身の痛みを消し体力を底上げせねば、床に伏し死を待つばかりなのだ。

かつての「ゲーム」から生還を果たし、多額の賞金を得た彼の未来は明るいものに思えた。
だが長沢は現代社会で生きることは許されなかった。
殺人と言う禁忌を犯した彼は世界を構成するモラルという枠組みを容易く飛び越えてしまうのだ。
許せないなら殺せばいい。気に入らないなら殺せばいい。
身の回りの障害を力づくで排除していった彼は当然の如く社会の裏側へと追いやられていった。

無法の世界でも長沢の生きざまは変わらなかった。
寧ろ金という絶大な力を持つ彼の狂気は更に加速していった。
酒、女、ドラッグ――様々な快楽を貪り続けた。

だが莫大な資金は瞬く間に底を尽き。ある日遂に長沢は喀血し、救急車で運ばれた。
暴虐の限りを尽くした結果の診断は「最早手の施しようが無い」であった。

――このまま死んでなるものか。オレにはまだまだやりたいことがある!

病院のベッドの上で死神の鎌の刃先を首筋に感じた瞬間、救いの手は差し伸べられた。

「もう一度『ゲーム』に参加する」と言えばお前の身体を元通りに治してやろう――と。



(あのクソ野郎、デタラメぬかしやがって。治ってねえじゃねえかっ!)

長沢は腹立ち紛れに解説書を握り潰す。
取引の結果として支給された薬の効果は確かに絶大だった。
だがそれは健常を取り戻した「ように感じる」ものでしかなく、しかも時間制限付きだ。

さらに意地の悪いことに残りの薬の配布方法は長沢のカード「5」に付随するものだった。
施設内に点在する24のチェックポイントにそれぞれ3錠ずつ配置され、適時回収が認められる。
つまりポイントの通過に時間がかかれば、それだけ長沢は全身の痛みに苦しむことになるのだ。

(ふん、まあいいか)

しかし総計が72錠ということは効果時間が短縮されていても十分に「ゲーム」制限時間内は保つ計算になる。
元より条件達成は大前提の事柄だ。

――ここは大人しく従ってやるとするか。憂さ晴らしは他の参加者の抹殺で行うことにしよう。
――そんでゲットした20億で身体のじっくり治療するのが賢い選択だよな、ひひ。

薬の効果が完全に発揮されていることを体感し、長沢は次の行動を開始することにした。
目指すは次のチェックポイント、ではない。
自らのPDAを操作し、その設備が間近に存在することを確認すると長沢は口元を釣り上げる。

(前回は気にも留めなかったが――コイツを使えば、ひひひ)

それは施設内で唯一稼働しているはずのエレベーターであった。
これを使えば各所封鎖されている階段よりも上層階への移動を遥かに容易に行うことができる。
そしてこの施設は上に上がる程強力な武器が手に入る隠された事実を長沢は知っていた。

前回の「ゲーム」で長沢は最上階に到達することなく条件を達成した。
だが5階の時点でもマシンガンやライフルといった、人の命を容易く奪う武器があったことは確認している。
それらをいち早く取得する。さすれば一階や二階でもたつく参加者など動く的に過ぎない。
自らが主役の虐殺ショーの開演を妄想し、長沢はこみ上げる笑いを堪え切れない。

「ぎゃひひひ――そうだよな、これこそが『ゲーム』の醍醐味だよっ!」

――そうだとも。こうでなくては面白くない!


優れた人間になりたかった。優れていると、認めさせたかった。
だが現実は曖昧で、残酷で。
長沢は迫害を受けた。罵倒を受けた。侮蔑を受けた。
無視を受けた。放置を受けた。放棄を受けた。
そして――憐みを受けた。

「優れた人間」の意味を見失った長沢は、そのまま世界に背を向けた。
だが彼は、ついに発見したのだ。かつてのこの「ゲーム」の中で。
どうすれば相手は自分に手を出せないか。どうすれば相手を黙らせることが出来るのか。

数年前の「ゲーム」の最中。二人の女性が争っていた。
漁夫の利を得るかの如くその二人の身体を弾丸で撃ち抜くと、二人はそのまま動かなくなった。

その時全身を襲った恍惚感を、長沢は忘れることはない。
これで彼女らは、自分にどうすることもできない。反撃も文句もこの身には返ってこない。

完全なる勝利。完璧なる凌駕。

そうだ、こうすればよかったんだ。
こうすれば他人より優れているということになるんだ。

なんだ、簡単なことじゃないか。

そうだとも。
オレこそが超越者だ。オレこそが処刑者だ。
大人だろうと、不良だろうと。みんなオレには叶わない。

お前たちのどこが、オレより優れている?
成績が良いからか? 背が高いからか? 力が強いからか? 無駄に歳を食ってるからか?

それがどうした!
お前らはオレを殺せない、だけどオレはお前らを殺せるんだよ!

みんな、みーんな! オレの手にかかれば地べたに這いつくばる存在なんだよ!


「ぎゃひひひ――ん?」

長沢はエレベーターまでは問題無く辿り着くことができた。
参加者も罠も、何一つ彼を遮ることなく無事に辿り着くことができた。
だがしかし。

(何だ――どうなってんの?)

操作パネルに光が灯っていなかった。
昇降ボタンも各階層を表示したボタンも。
いくら長沢が押し込めど空透かしの音がするばかりで作動する気配は無い。

「故障かよ。んなバカな――って、おわっ!」

突如、操作パネルが外枠から外れて長沢に向かって倒れてきた。
薬の効果で反射神経が増幅されている長沢は寸での処で身を捻り、回避する。
支えを失ったパネルは派手な音を立てて床へと衝突した。
衝撃で幾つかのボタンが破壊され、破片が辺りに飛び散るのを長沢はただ呆然と眺めることしかできなかった。

「これ、は――どーゆー事、だ?」

パネルが外れたのはそれを壁に固定しているものが無くなっていたから。
長沢が触っただけで簡単に落下したのはボタンとの配線が繋がっていなかったから。
しかもその切断面は――まるで鋭利な刃物で断ち切られたかのように須らく均等に平坦だった。
専門の知識の無い長沢には正確なことは解らないが電盤の方にも手を入れられた形跡が有る。
明らかに。エレベーターは人為的な手段でその機能を停止させられていた。

(2回目のオレに有利に成り過ぎないような、『組織』の陰謀か? いや――)

そんなはずがない。
彼らの望みはより非道で、より残虐な。そんな光景であるはずだ。
故に長沢が思い描いていた大量虐殺は歓迎こそされ咎められる謂れは無い。
そもそも長沢の目の前のエレベーターにはPDAの地図に「×」印がついていなかった。
もう一機のエレベーターにはその記載がされているため、こちらの昇降機は階段同様、
「参加者の意図に応じて自由に使ってよい」という初期設定であるはずなのだ。
ということは、つまり。

(他の参加者の誰かが――コイツを使えなくしやがった、ってことか)

しかもその意味は、単なる使用不能よりもずっと重い。
「薬」の回収を優先せねばならなかった長沢より先にエレベーターの存在に気付き、使用した。
そんな参加者が存在すること自体は別段不思議なことではない。
そして自分以外の参加者に使用されたくなくて機能を停止させることもまた然りだ。

だがこの破壊工作が「一階で」行われているのが面妖だ。
誰よりも先んじるためにエレベーターを使ったのであればもっと上の階で止めるのが筋であろう。
だがこの階で止められている、ということは少なくとも破壊者は。
「昇降機を止めた上でこのフロアに残ることを選択した」ということだ。

「ぎゃは、なるほどそうか、そういうことかっ!」

解答に辿り着いた長沢は思わず喝采を挙げた。
他の参加者の足は止めたい。だが自分の足としてのエレベーターはもう必要無い。
どうという事は無い。それはまさしく長沢が行おうとしていた事だったのだ。


「居やがるな――オレと同じく、『裏』のルールを理解してる奴がよおっ!!」


つまり破壊者はなるべく浅い階層での他参加者との遭遇が望みということだ。
交渉のためか、虐殺のためか。
いずれにせよその発想は「上の階層には強力な武器がある」という事実に基づくものだ。

(参ったねえ、そうなるとまだ一階だからって気を抜くわけにはいかないぞ、こりゃ)

もし破壊者の目的が長沢と同一のものであるならば。
それは既にその人物は上の階での武器の回収を終えて戻って来ているということだ。

だが長沢はそれ程脅威を感じてはいなかった。
彼は今「薬」によって様々な感覚が増幅されている。
常人では把握出来ぬ遠くの物音や違和感を、今の長沢が見落とすことはない。
それにかつての「ゲーム」を殺人を犯しつつクリアした経験を加えれば。
どんな相手とてものの数ではない。そう言い切れるだけの自負と自惚れがあった。


(ソイツがきっと、ラスボスってことになるな。よし、そうなるとまずは薬の回収だな。
 パラメータアップ、パラメータアップっとお!)


少年の頃夢中になった電子遊戯に興じるが如く。
長沢は上機嫌で破壊されたエレベーターを後にした。




 ゲーム開始より8時間33分経過/残り64時間27分



[21380] EPISODE-19
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/10/11 16:44
それはとても幸せな光景だった。

父が、母が、そして姉が。皆が一同に揃い、笑顔で食卓を囲んでいた。
定年を間近に迎えた父は次世代を担う部下たちの成長を誇らしげに語っている。
母はそんな父に相槌を打ちながら湯気の立ち上る温かい料理を小皿に取り分ける。
仕事も恋人との交際も順風な姉は「アンタも早くいい人見つけなよ」と意地の悪い話題を振ってきた。
立て続けに嫁に出すわけにいくか、とたちまち父は口を尖らせ、途端にどっと女性陣から歓声が沸いた。

温かく、愛おしく。
絵に描いたような幸せな家族の1ページ。

だからこそ、これは。
疑い無く夢であると、北条かれんは断じることができた。

父も母も遠い昔に失って、その顔などまったく覚えていない。
親代わりに自分を支えてくれた姉も数年前に事故で両親の後を追った。
今のかれんはただ一人。たった一人で生きていかねばならない身の上だ。

それが現実。だけれども。

それでもこの夢の中から消えてしまいたくはないと切に願う自分がいた。
逃げ出したいのだ。こんな現実なんて。
こんな弱音を吐く自分を姉が見たらどう思うだろうか。
やはり厳しい姉のことだから「甘えるな」と叱りつけるだろうか。
だけど、だけど。


――でもこれは、貴方に生きて欲しいと望んでいる人がいるってことなの。
――それをどうか、忘れないであげて。


(――)

それは何時、誰に言われた言葉だったか。
夢の中のかれんは上手く思い出すことが出来ない。

けれども夢から剥離して響いたその声が。目の前の景色を幻のように歪ませた。
偽りの両親が、霞みのように消えていく。
「生きていたならこうなっていたはず」の姉の姿が、消えていく。
そして自らは。不思議な強い力によって世界から引き剥がされていく。





(――ん)

肉体の重さを実感した。冷たい空気を実感した。
自然と瞼がこじ開けられ、目に入ったのは不衛生なコンクリートの壁。
夢に堕ちる前の記憶が、かれんの頭の中に奔流の如く押し寄せる。

やはりこれが現実だった。これこそが現実だった。
日常から拉致され、妙な施設に閉じ込められて。
そして更に妙な端末機器を持たされて、殺し合いをしろと命じられた。
こんな現実から逃げ出したいと願って、誰が彼女を責めることが出来るだろうか。
だが例え万人が認める願いであっても、それが叶うかどうかは別問題だ。
観念して受け入れるしかない。かれんは重く息を吐き、ゆるりと身を起こそうとした。

(あれ?)

そこで最後の記憶と現在に若干の齟齬があることに気付く。
確か自分は通路のど真ん中で気を失ったはずだった。
だのに今の自分は室内にいる。しかも多少粗悪ではあるがベッドに寝かされており、
更にはご丁寧に毛布まで掛けられているではないか。

「――漸くお目覚めか」
「はいっ!?」

突如部屋の入口付近から発された低い声にかれんの身体が跳ね上がる。
そして同時になぜ自分が気を失ったのか、その理由を思い出さされた。

サングラスと帽子に作業服。記憶通りに異質な空気を纏った、原因の主がそこにいた。
出入り口に寄り添うようにして座り込み。何やら工具のようなものを入念に手入れしている。

「あ、あ、あの」
「落ち着け。落ち着いて呼吸を整えろ。そんな調子では聞きたいことも聞けないだろう」
「は、は、はい――すー、はー」

促されるままにかれんは息を吸い、ゆっくりと吐く。
未だ胸の動悸は鳴り止まぬものの、どうにか身体の強張りは取り去ることが出来た。

「お、お待たせしました。えっと、あの」

とにかく事実として。記憶の最後に現れた男が、今も自分の側にいる。
そして自らは移動した覚えの無いベッドの中。ということはつまり。

「貴方が――助けてくれたんですね」

この人物は自分の命を奪うために現れた訳では無かったということだ。

「あの場所からこの部屋にお前を運び込んだことを指すなら、そうなるな」

男はかれんに顔も向けず工具を磨きながら告げる。
不躾な物言いではあったがさりとて恩着せがましくも無い。

「そうですか。ありがとうございました」
「別に礼など要らん。大した負担でもなかった」

返事は変わらず素っ気無い。だがかれんの中で男の印象は明らかに変わり始めていた。
この男性はきっと。かなりの善人なのだろう。
殺し合いを強制された「ゲーム」の最中。知らずとも何者かに拉致された理不尽な状況。
そんな中で見ず知らずの、しかも気絶した自分に手を差し伸べるはずがない。
始末するか、放置するかが自然な行動だ。
それなのにこうして安心して横になれる設備の有る部屋までわざわざ運び込んでくれた。
殺人犯どころではない。命の恩人と呼ぶに相応しい。

(それなのに私、勘違いしちゃって――もしかして、気を悪くしてるのかな?)

弾まぬ会話の原因は単に彼が不器用なのではなく、自分が原因かとかれんは思い至った。
確かに自分の顔を見て気を失われたとあってはショックは相当だろう。
誤解されやすい格好をしている方にも多分に責任は有ろうが、だとすれば非常に申し訳無い。

「あの、お名前を教えて頂けますか?」
「楯岡和志」
「タテオカさん、ですか。私は北条かれんです」
「そうか」
「看護師になりたくて、専門学校に通ってるんです。楯岡さんは――社会人さん、ですか?」
「電気工事士だ」
(あうう――お姉ちゃん助けて)

全く会話が弾まない。楯岡と名乗った男はかれんの質問に必要最低限の事しか返してこない。
恩人と少しでも交流を深めたいというかれんの望みはどうにも先行きは不安のようだ。

――人を助ける優しさがあるならもっと会話に参加してくれてもいいのに。

思わず不満を抱く自分を、少し不思議に感じる。
あの日から、やっとここまでこれた。
こうして他人と触れ合いたい、と思えるようになった。
立ち直れている、という実感が沸き思わず少女は右手で左手のリストバンドを握り締めた。

「ところであの――何をなさってるんですか?」

あの日の誓いを無駄にしないためにも、とかれんは再度楯岡への接触を試みる。

「見ての通りだ」
「いや、そうですけど」

工具の手入れ、それはわかる。電気工事士を生業とするなら商売道具の整備は必須だろう。
でもなぜこんな時に? 日常への帰還を信じて疑わないにしても多少常軌を逸した行為に思える。

「少々乱暴な使い方をしてしまった。この先も使いどころが無いとも限らん」
「?」

意味がわからない。この「ゲーム」に参加してから使う機会があったということだろうか?
まさか照明設備を直したわけでもあるまいに。

「あ、じゃあ私、手伝います!」

理解は及ばないが、かれんはこれが好機と考えた。

「無用だ。もうすぐ終わる」
「それでもです!」

拒絶されるのは予想の範疇。
それでも少し強引にでも共通の作業をすれば、この無口な男との距離が縮められるかもしれない。
有無を言わさぬよう、かれんは毛布を跳ね上げ楯岡に近付こうとした。

ところが。

「はうっ!?」

足が思い通りに動かずベッドから転げ落ちてしまった。

「あ痛た――」

幸い段差もそう高くは無く、落ち方も良かったので肩を床にぶつける程度で済んだ。
でもなぜ足が動かなかったのか。
かつて難病に侵され健常な身体を取り戻すために相当なリハビリ期間を過ごした。
その記憶が蘇り、かれんは思わず身震いする。

しかし今の自分の足の状態を確認した時、それ以上の戦慄が少女の中を駆け抜けた。


「え――ええっ!?」


かれんの両足は。電気コードのようなもので固く縛られていた。
しかもその結び目は金属端子で圧着されており容易に解くことは出来そうにない。

「なんでっ!? なんでこんな――まさかっ!」

こんな事が行えるのは一人しかいない。
かれんが気を失ってから目を覚ますまでずっと側にいた人物。
そして道具として使われたコードを如何にも所持していそうな人物。

「まさか楯岡さん――貴方がっ!?」
「その足を縛ったのが誰かを指すなら、そうなるな」

変わらぬ物言いで、楯岡はあっさりと犯行を認めた。
その不気味さにかれんは全身の血の気が引く思いがした。

何ということか。とんだ見誤りだった。
恩人なんかじゃなかった。まさか、こんなことをする人だったなんて――

「わ、私を――殺すん、ですか?」
「それが目的ならお前は二度と目を覚ますことはなかっただろう」

確かにそれはその通りだと冷静ではないかれんの頭でも理解出来た。
もしも殺害が目的であれば気絶して無防備な状態を見逃すはずがないだろう。
では何のために? 楯岡の真意がかれんには全く理解出来ない。
一先ず「今は」殺されない、ということだけが安心できる材料ではあった。

「心配するな。こいつの手入れが終わったらちゃんと説明してやる」
「私の扱いは工具以下ですかっ!」
「そういえばベッドから落ちていたが怪我は無いか? 頭とか打ってないだろうな?」
「そんな心配するくらいなら最初から縛らなきゃいいでしょうっ!?」

せめて言葉だけでも対抗してみせる。どの道この足では抵抗は無駄であるからだ。
精々乱れたスカートの裾を直し好奇の目で見られるのを防ぐことしか今のかれんには出来ない。

そんな少女の苛立ちなど何処吹く風。
楯岡は道具の整備を完了し、小型の工具箱を自らのリュックに押し込んだ。

「さて、かれんと言ったか。先程も言った通り、別に俺はお前を殺す気は無い」
「それは――わかったつもり、ですけど」

直接本人の口から聞くことが出来たのは朗報である。
だがこの状況での口約束など何の当てにもならないとすぐにかれんは気を引き締めた。

「逆にお前には協力してもらわねばならない」
「貴方は協力をお願いする人をいちいち縛ったりするんですかっ!?」
「誰が依頼と言った。これは強制だ」
「そんなこと、私が承諾するとでも!?
 どうせ『協力しなければ殺す』とでも言うつもりなんでしょうけれど!」

楯岡の不遜な提案を全力で否定する。

――当然だ。誰がこんな失礼な男に、協力などしてやるものか!

「そんな気は無いと言ったはずだが」
「信用できるもんですか!」
「そうだろうな。逆の立場なら俺も信用しない。そのために、これがある」
「え――」

そう言って楯岡が胸ポケットから取り出したのは。
かれんにも見覚えのある黒色の携帯端末だった。

「そ、れ、私の――」
「そうだ。お前のPDA。カードは『J』だな」

向けられた画面には若き守護者が描かれている。
思わずかれんは自らの身体をまさぐり自分がPDAを所持していないことに気付いた。
そして気を失う前に思わず取り落としてしまったことを思い出す。

「『J』の解除条件はお前も知っての通りだ。ならば俺の言いたいことがわかるのではないか?」

(解除、条件――)

息苦しくない程度に嵌められたこの首輪を外さなければ、常に死の危険に脅かされる。
その事実から逃れるためには条件を満たして首輪を外さなければならない。
それが「ゲーム」のルール。楯岡の手にあるPDAにそう記載されていた。
そして自分のPDA、「J」の解除条件はと言えば。


 ・「ゲーム」の開始から24時間以上行動を共にした人間が2日と23時間時点で生存している。


「――まさか!」
「そうだ」

より一層の無表情、無感情に。だが楯岡ははっきりと告げた。


「お前を24時間拘束する。足を縛ったのはそのためだ」


「――」

言葉も無かった。何という合理であろうか。

「なぜ俺がこんな『ゲーム』に参加させられねばならないのか理由などわからん。
 だがこうなってしまった以上、むざむざ殺されるつもりはない」

「――」

「となれば他の参加者など、信頼出来るわけがない。
 いくら非戦を唱えようが口先だけでは何とでも言えるからな。
 とは言え73時間の長丁場を単独で完走するにはいささか無理がある」

「楯岡さんなら――3日間くらい大丈夫じゃないんですか?」
「人を勝手に超人呼ばわりするな。多少の休息を入れなければ判断力も低下する。
 有事の際に寝ぼけていた、では取り返しがつかなくなる」

無論本気ではなく皮肉のつもりだったのだが真面目に受け取られてしまった。

「そんな時に、信頼の有無に関わらず俺に協力せざるを得ない人間が目の前に現れた、という訳だ」
「それが――私ってことですか」
「正確には『J』の所持者、だがな」

つまり楯岡はかれんの解除条件を逆に利用した、ということだ。
「24時間以上行動を共にした人間」という条件を強制的に自分に当て嵌める。
そうすればかれんは楯岡に対しどうすることも出来ない。
逆に楯岡を生かすために奔走せねばならないのだ。
解除条件は元より休息の際の見張り等々。あらゆる面で楯岡に尽くさねばならなくなる。

「24時間が経過すればそれは解いてやる。その後はお前の好きにすればいい。
 俺の解除条件にはお前の命もPDAも関係無いからな」

嫌な人だ、とかれんは胸の内で悪態を付く。
それが出来れば苦労はしない。1日以上が過ぎた状態で新たな協力者を単独で見つけることがどれ程困難であるか。
「ルールの⑨」がPDAに記載されていたかれんは他の参加者の解除条件を知っている。
殺害が前提の条件かも知れない人間に、おいそれと近付くことが出来るものか。
だからこそかれんには自分の解除条件が達成出来る見込みがまるで無かったのだ。

「つまり逆に楯岡さんに協力すれば、私が助かる可能性があるってことですか?」
「そうなるな。取引としては破格の条件だと思うが」

取引などと白々しい。これは強制だと自分でも言ったではないか。
兎に角楯岡が協力者を欲している事は確かなようだ。
そこにかれん個人の人格が含まれていない事実は歯がゆいのだが。
そして彼は自分を殺す気は無い。気絶中という格好の機会を見逃している事実が示している。
となれば多分に気に食わない人物ではあるが取引に応じた方が安全であるしメリットは大きいように思える。

「協力って、具体的には何をすればいいんですか? まさか他の参加者を殺せ、なんてこと――」
「お前を生かしている以上、お前を殺人に加担させて達成できる条件など無い」
「えーと――意味がわからないんですけど」
「婉曲が過ぎたか。とにかく俺の条件に人の命を奪う必要は無い、ということだ」
「信用できますか、そんなこと」
「ならば自分の目で確かめて見ろ」

少し言葉に感情が籠っていたのは気のせいだろうか。
楯岡は自分のものであろうもう一つのPDAを取り出し、かれんに突き付けた。

(ええっと――)

かれんは脳内を検索し、解除条件の一覧を思い出す。
楯岡のそれと合致する条件は、確かに人の命を奪う必要性は無いように思えた。

「協力と言っても別に大した事ではない。多少の手伝いと見張りくらいだろう」
「――本当に、ですか?」
「無論他の参加者が襲ってきた場合は応戦に協力してもらうかも知れないがな」
「――」

未だ他の参加者に出会ってはいないかれんであったがその状況下を想像し身震いする。
そうなると自分一人ではどうにも太刀打ち出来そうに無い。
最早選択肢は残されていないように思えた。

「わかりました。協力すると約束しますのでこの縄を解いて下さい」
「却下だ。さっきも言ったが口先だけでは何とも言える。お前に自由が与えられるのは20時間後だ」
「――時間、減ってませんか?」
「お前が気絶してからそれだけの時間が経っている」
「私、そんなに眠ってたんですか――」

こんな環境でそこまで眠りこけるとは、自分でも驚きだった。

「でもこれじゃ歩けません。まさかずっとこの部屋にいるわけではないのでしょう?」
「そうだな。出来れば安全に時間が消費できる階層まで上がりきってしまいたかったのだが――
 いささか予定が狂ってしまった」

(階層? 予定?)

説明不足で理解に苦しむかれんを他所に楯岡は扉を気にしている。
どうやら楯岡が扉近くにいるのはかれんを妨害するためでなく外に問題があるためらしい。

「だが問題無い。いざと言う時には俺が担いで移動する」
「か、担いでって――」
「お前は軽いからな。さして負担にも成らない。むしろもう少し肉を付けるべきだと思う」
「し、失礼ですねっ! どうせ私はぺったんこですっ!」
「――そんなだから貧血で倒れることになる、と言いたかったのだが」
「あう」

無用な勘違いで恥を晒してしまった。たちまちかれんの頬に朱が灯る。

「とにかく暫くはここを離れられん。今の内にこれに目を通しておけ」

そう言って楯岡が投げて寄越したのは折り畳まれた紙片だった。
かれんがそれを開くと手書きの文字が整然と書き連ねられている。

「これ、は――?」
「全ルールの一覧だ。欠けたルールも補足してある。あと、これも返却しておく」

続いて差し出されたのはかれんのものである「J」のPDAだった。

「――いいんですか?」
「特に問題は無い」

参加者の命綱であるPDA。それを容易に返却してきた。
これ無くしては生還の望みは無い。どうやら楯岡は本当にかれんの命を奪う気は無いようだ。

(――変な人)

拍子抜けする思いだった。
かれんの自由を奪っておいて他にどうするつもりもない。
乱暴な手口で協力を要請したかと思えば大したことは要求してこない。
机上論としては正しいことを言っているようにも思えるが。腑に落ちない点が有り過ぎる。

一先ずかれんは手渡されたルール一覧に目を通した。
補足されたルールはやたらと禁止事項が多かったが今問題になりそうなものは特に見当たらない。
唯一賞金額の記載に目を奪われた。かれん自身としてはさして気に留める項目でも無かったが。
元より金銭に執着が無いこともあるが、今のかれんには年頃の少女としては身に余る蓄えがあったからだ。

だが、目の前の男はどうなのだろう?
このまま行けば楯岡はかれんと同時に生き残ることになり、賞金は分配されることになる。
自分の生存が分け前を減らすことになることを果たして許容しているのだろうか?
強欲な性格とはお世辞にも思えないように見えるが兎に角彼には謎が多すぎる。

やはり、会話が必要だ。
決して好きになれないタイプの男性ではあるけれど。
それでもやっぱり。少しでも理解、してあげたい。
どうやらこの先。長い付き合いになりそうだから。

「あ、あの――」
「静かにしろ」

かれんがそう決断した矢先、機先を制された。
楯岡は扉の隙間を僅かに開き、外の様子を窺っていた。


「もしかすると、もう少しで問題は解決するかもしれない」




 ゲーム開始より8時間45分経過/残り64時間15分






[21380] EPISODE-20
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 06:41
地図機能に記載された階段の「×」印はその通りの意味を表わしていた。
階段そのものの存在は確認できるものの、積み上げられた瓦礫と鉄条網で封鎖されていたのである。
見るからに重量の有る瓦礫のそれぞれの隙間はとても人が通過出来るものでは無かった。
そして人の力で瓦礫を動かすこともまた敵わない。
封鎖自体は予想の範疇であったものの企画者たちの舞台設置の徹底振りに圭介たちは改めて戦慄することなった。
止む無く彼らは進路を変更し、唯一封鎖の記載の無い階段へと向かう。

「何事も無く通れれば、いいんだけどな」

やや不安げな面持ちのまま先陣を切る鳴神圭介のその呟きの意味を。
一同はその階段に辿り着いた時、知ることとなった。





「――やっぱり。そうは問屋が下ろしてくれない、か」

悪い予感とは当たるものだ、と圭介は力無く肩を落とした。

階段前は見通しの良い広場のようになっていた。
一辺が20メートル程の正方形のフロアには遮蔽物は一切見当たらない。
その広場に続く正面の通路、その一番近くの曲がり角で圭介たちは身を隠すように様子を窺っていた。

この階段前での待ち伏せ作戦を美雪が提案した時、圭介は一つの可能性を不安視していた。
他の参加者が確実に通過する地点での待ち伏せ、それは確かに再遭遇に最も適した考え方だ。
だが果たして。その作戦を考案出来るのは彼女だけだと断言出来るだろうか。
答えは否である。他人との遭遇を望んでいる参加者は何も彼女だけに限らないからだ。
もしかすると自分たちよりも先に、待ち伏せを敢行している人物がいるかもしれない。

そんな圭介の不安は見事に的中した。
広場のど真ん中。階段を背にしてまるで番人のように立ち塞がる人物がいた。

大柄な体格に装飾の多い衣服を纏い、脱色した頭髪を逆立てている。
特徴的なその姿見は圭介の記憶の中ではかなり最悪な部類の人物であった。

「あれは木戸さん――ですか?」

少しだけ顔を覗かせ広場を確認する美雪に圭介は無言で頷く。
木戸亮太。哀れな女性が死体と成り果てた時集結した「ゲーム」参加者の一人。
そして波多島乃得留のルール解釈により自身が救われぬ運命だと激高し、早々に離脱した男である。

「どれどれ美雪、あたしにも見せて? ――うわー。こりゃまた絵に描いたようなチンピラだわ」

距離が離れているのをいいことに小馬鹿にしたような発言を繰るポニーテールの少女は緑川菜緒。
先程奇妙な遭遇を果たした美雪の親友である。

「そんな言い方は良くないよ、菜緒」

善良な少女は親友の悪言を窘めるがこの時ばかりは圭介も菜緒に同調した。
交わした言葉の尊大さや無礼さは許容出来る範囲ではある。
長沢勇治に比べればまだ可愛げのある方だ。
だがなぜ木戸がここで待ち伏せをしているのか。その理由が明確なだけに彼の人物像は酷評せざるを得ない。

いったい何処で調達してきたのか。木戸は手に鉄パイプを携えていた。
そして時折思い出したように振り回している。
元・高校球児という経歴も相まってか、その一閃に相当の威力が含まれているように見えた。

「やる気満々、ってところだな」
「あの、あれって――」
「ああ。言いにくいけど――あいつはアレでここを通ろうとする参加者を殺すつもりだ」
「そんな――」

そう。待ち伏せとは何も待ち人と再会するためのものとは限らない。
本来その効果を発揮するのは寧ろその逆。即ち獲物を狩るために使用される策だ。
そして木戸は自らの解除条件はキラーカードに準ずるものだとかつて圭介たちの前で告白している。
訪れた参加者を鉄パイプで撲殺し、条件を達成する。それが木戸の計画であることに最早疑い様は無かった。

「見た目がバカなら中身までバカってことね。ホント開いた口が塞がらないわ」
「まったくだ。さて、そうなると――だ」

木戸が本気で人を殺す覚悟を決めた事。
そしてそんな木戸が絶対に通過せねばならない階段前に立ち塞がっている事。
その二つの事実は残念ではあるが、事実は事実として受け止めねばならない。

となると、どうしたものか。圭介は顎に手を当てて思案に暮れる。
これだけ見通しの良い広場である以上、木戸に見つからずに階段を通過するのはほぼ不可能だ。
つまりは必然的に殺意を撒き散らしているあの男との遭遇は避けられない、ということになる。

「森下さん、緑川。ちょっとこっちへ」
「ん? どしたのさ、いきなり」
「作戦会議だ。ヘタに大声出して木戸に気付かれるとヤバい」

圭介は二人を誘い、近くの部屋に移動することにした。
これからの行動はどうあっても命がけのものとなる。さすれば安易な決定は下せない。
ならば3人でしっかりと話し合っておく必要がある。
半端な理解や覚悟で挑んで失敗した、では済まされないのだ。

曲がり角から数歩も歩くこと無く発見した扉を僅かに開き、中の様子を窺う。
幸いにして室内に他の参加者の姿は見受けられなかった。
圭介は手招きで二人を呼び寄せ、先に部屋に入るように促す。
少女たちが中に入ったのを確認し、最後に自らの身体を中に滑り込ませる。
室内は無数の椅子や木箱が積み上げられた資材置き場のようになっていた。
今までに幾度となく目にしてきた、この施設の中では特に変わり映えの無い光景だ。

「そこらに適当に座ってていいよ――よっと!」
「ちょ、ちょっとアンタ、何してんのよ!」
「何って――見りゃわかるだろ」

悲鳴のような菜緒の声に耳も貸さず、圭介は椅子や木箱を次々に扉の前に移動させる。

「そんなことしたらあたしも美雪も出られないじゃない!」
「でもこうしとけば外からも入れないだろ」
「あ――そっか。なるほど」

周囲に他の参加者の姿は見当たらなかったとはいえ、何が起こるかなどわかったものではない。
だがこうしておけば万が一新たな襲撃者が現れてもおいそれと侵入を許すことも無い。

「――っと。こんなもんでいいか。さてと」

手に付いた埃を打ち払い、圭介は改めて美雪と菜緒に向き直る。

「どうすればいいと思う?」
「話し合って通してもらうのは――無理です、よね」
「そりゃそうだ」

圭介の勧めに反して立ったままの美雪はやはり平和的な解決を望んでいるようだ。
だがその方法の成功の確率は絶望的に低い。皆無と言ってもいいだろう。
キラーカード3種のうち、一枚は圭介が「A」を引き当てているので残りは「3」と「9」。
つまり木戸はどうあっても条件達成のためには他の参加者の命が必要であるということだ。
そんな人物との取引など成立するわけがない。

「じゃあ、あの階段を使うのは諦めて他の移動手段を取るのはどうでしょう?」
「どうでしょう、って――2階への階段は此処しか無いのは確認したはずだけど?」
「地図には他にエレベーターの記載があります。こちらを使えば、上に上がることは可能なはずです」
「エレベーター?」

そんなものがあるとは気がつかなかった。
圭介はPDAの地図機能を操作すると確かに東南部にそれと思しきマークが発見された。

「なるほどね――いや、待て待て。コイツを使うのはヤバいかもしれない」
「なぜですか?」
「こっちで待ち伏せなんかされてたら、今の木戸以上に対処のしようが無い」

上の階に到着し扉が開いた瞬間。したり顔で武器を構えて待ち構えられている状態を圭介は想像した。
そうなれば鉄の箱の中、回避する術は無い。3人揃って仲良くゲームオーバーである。

「でも――」
「少なくとも長沢の奴ならそう考えてもおかしくない」
「!!」

恐怖の象徴、長沢勇治の名はやはり美雪にとっては鬼門のようだ。
さすがの美雪もそれ以上エレベーターの使用について言及することはなかった。

「ふう。となるとやっぱ、木戸を何とかしないといけないわけだよな。どうやって――」

「あんな奴ぶちのめして追っ払えばいいじゃない」

一方壁際の木箱に腰かけ足を組み、その脚線美を惜しげも無く晒す菜緒はさらりと物騒なことを言ってのけた。

「ぶちのめす、って――お前なあ」

身体は必要以上に女性的なのに発想は男以上じゃないか、と圭介は呆れた。
確かに話し合いも回避も困難となった現状、強行突破は避けられないとは圭介も自覚していたのだが。

「二人がかりならどうにかなるでしょ。敵わないって理解すればあの男も逃げてくわよ、きっと」
「――二人がかり?」
「そ、あたしとアンタの二人がかり」
「俺もやるのかよっ!?」
「あったり前でしょ。まさか美雪にそんな危ないことさせられないもの」

何気無く圭介が美雪に視線を向けると少女はびくり、と身を震わせた。
菜緒の言う通り、こんな少女を戦いの渦中に投じることなど出来ない。
彼女が傷つく姿も、手を下す様も見たいとは思わない。
そうなると確かに荒事を行う場合は彼女は人数にカウントすべきではない、とは思うのだが。

「――おい、グリーンリバー」
「――なによ、クライゴッド」
「お、なんかかっこいいな、それ」
「菜緒。それじゃ『泣く神くん』になっちゃうよ?」
「え? そ、そうなの? って、何なのよ急に妙な呼び方して!」
「いちいち『緑川』ってのは呼びにくいんだよ!」
「逆に長くなってるじゃない! はあ――まったく。じゃあ『菜緒』でいいわよ。あたしも『圭介』って呼ぶから」
「あ、じゃ、じゃあわた」
「で? 改まって何が聞きたいわけ?」
「――」
「ん? どしたの美雪」
「――なんでもない」

美雪が何やら口を挟もうとしていたようだが黙りこくってしまったのでとりあえず気にしないことにする。

「ああ。お前、男相手でも随分と強気だけど根拠は何なんだ?」

いくら運動担当と自称していても、戦うことまで当然のように受け止めている菜緒の様子が圭介には気にかかった。
元より好戦的な気質なのだろうが、それにしても自信に満ち溢れている。
思い返せば初遭遇の際に繰り出された一閃も素人のそれとはとても思えなかった。
木刀など一般の女子高生が容易に扱える代物ではないだろうに。

「まさか、剣道でもやってるのか?」
「『剣道』じゃないよ。あたしがやってたのは『剣術』」
「? 何か違いがあるのか?」
「違うわよ。『剣術』は刀で相手を殺傷するための武術で『剣道』はそれを人間形成や修練のために競技化したもの」
「菜緒は剣術道場の一人娘なんです」
「へえ」

詳しい事は今一よくわからなかったが兎に角幼い頃から「剣術」に携わっていたことが菜緒の自信の源らしい。

「だからコイツがあれば多少の男には遅れを取らないってこと。おわかり頂けましたかしら?」
「なるほどね」

だからこそ菜緒のスタート地点に「コイツ」こと木刀が置かれていた。
事情が許せば彼女はその凶器を他の参加者に向ける可能性があったかもしれない。
「なるほど」の理解の示すもう一つの理由を、圭介は敢えて口にはしなかった。

(けどなあ――)

菜緒の強気の理由はわかった。だがそれはあくまで判断材料であり、決断を下す要因には成り得ない。

圭介は決して木戸を侮ってはいなかった。
あの程度の凶器で殺人を決断したということは、彼もまた相当な自信があると考えたからだ。
一年生で甲子園出場投手となった、恵まれた身体能力。
そして不遜な言動の数々から察するに、暴力を振うことに躊躇いは無い性格だと窺える。
対して菜緒は腕に覚えがあると言っても少女であることに変わりは無い。
手元にある情報からでは、菜緒が木戸に確実に勝てるという保証は見えてこなかった。

ならば自分が手を貸しさえすれば天秤は大きく傾くか、と言えばこれまたそうではない。
喧嘩の場数は無いわけではない。だが凶器を持った相手と対峙したことは今までに「一度しか」無い。
そんな自分が、果たして菜緒の手助けとなることが出来るのか。
寧ろ彼女の足を引っ張る結果となりはしないだろうか。
失敗は許されない。命を失うことは元より、後に響く怪我すら負うわけにはいかない。

3人が無事で、無傷で。
木戸の妨害を潜り抜ける方策として、それは本当に相応しいものなのだろうか?

「でも菜緒、そんなの危ないよ! そんな事しなくても何とか気を逸らしてみんなで駆け抜ければ――」
「ダメよ! そんな事してもし追いつかれたらどうするの!? 一番追いつかれそうなのはアンタなのよ!?」
「あう――」
「だからこそあたしと圭介で、アイツを撃退するの。それしか方法はないのよ」
「け――鳴神くん! この子に何とか言ってやって下さい!」
「――」
「鳴神くん?」
「どしたの圭介、びびってんの?」
「びびってるよ」

虚勢を張るつもりも無いので圭介は素直に告白した。
寧ろこの作戦を決行するにあたって臆さない菜緒が異常なのだ。
そして圭介の懸念はもう一つある。実力差の見誤り以上に、今はそちらの方が心配だ。
出来る事ならこの作戦は採用したくは無い。ならば他に、どんな策がある?

(木戸亮太、か――)

圭介は記憶の中の僅かな木戸に関する情報を収集し、考察する。
決して攻略できない男ではないはずだ。隙も多いし自惚れも感じる。
階段そのものを封鎖していないのが良い例だ。
そうすれば通過方法が限定かつ困難とされることに思い至っていないのか。
それとも確実に遭遇者を仕留める自信があるというのか。

(いや――待て待て。もしかして、そういうこと――なのか?)

突如として圭介の脳細胞に閃きが走った。
木戸の妨害が隙だらけであることに、一つの理由が見えてきた気がしたのだ。

「そうなると――いや、ダメか。そのままじゃ。一度はアイツをズラさなきゃならないから――」
「何ぶつぶつ言ってんのよ」
「奴の得物は鉄パイプ――まあ、どうにかなるか。OKだ、菜緒。俺とお前で木戸を追い払おう」
「! 鳴神くんっ!」
「よし、そうこなくっちゃ!」
「――お前、その反応だとただの『戦い大好きむちむちぼいん』に聞こえるぞ」
「べ、別に好きで戦いたいわけじゃないわよ! つか変な肩書きくっつけるなっ!」
「そうです! えっちなのはいけないと思います!」

なぜか美雪の方が露骨に反応していた。

「けどあくまで力づく、は最終手段だ。策を一つ思いついたんでまずはそっち優先な」
「策、ですか?」
「ああ。そのために森下さんにも協力してもらいたいんだけど」
「ちょっと! まさか美雪を危険な目に遭わせるつもり!?」
「大丈夫だ、危険はおそらく無い。多少疲れるかもしれないけど――いいかな?」
「はい、勿論です。それで二人が無事でいられるなら」
「美雪っ!」
「そう言ってくれると助かるよ。えっと――どれくらいがいいかな」
「コラ圭介っ! ちゃんと説明を――」
「うるさい。静かにしろ」

がなり立てる菜緒を制して圭介は室内を物色し始める。
片っ端から木箱や段ボールを開き、中のものを取り出しては投げ捨てる。

(これは――軽すぎか。これだと――ちょっと重いかな)

完全に成功が約束された策では無い。だが自分の推測が確かならば、木戸は必ず反応を示すはず。
後は土壇場でどれだけ上手く立ち回れるか――不安と重圧を胸に、圭介はそのための「鍵」を探し続ける。

「っと――これでいいか。森下さん、ちょっと持ってみて」

そう言って圭介は両手で何とか抱えられるだけの段ボールを美雪に手渡した。

「これ、ですか? わ、結構重いですね。中身は――え、え?」
「まずは俺と菜緒で先行する。で、森下さんは俺が合図したらそれを持って走って来て欲しい」
「で、でも、これって――」
「合図はこう、だ」

その重さと中身に困惑する美雪に圭介は言葉と仕草で「合図」を説明する。
我ながら珍妙な申し出だな、と圭介は少し苦笑すると、

「あ、なるほど! これはそういう事なんですね!」
「え、これだけでわかったの!?」
「はい、つまり――」

続いた言葉は正解だった。たったそれだけで「策」を理解する少女の才覚に圭介は驚くばかりだった。

「え、なにそれ。全然ワケわかんないんだけど」

一方の菜緒は置いてけぼりを食らった感を露わに不満の表情を浮かべている。

「うーん。確かに言葉で説明しても今一伝わり辛いだろうな。特に菜緒の立場だと」
「なによそれ」

決して菜緒を蔑ろにしているわけではない。
「あの」存在の大きさは実際に目にした者でないと容易には理解し難いからだ。
実物を見せられればいいのだろうが残念ながらあの段ボールはその代替に過ぎない。

どうすれば納得してもらえるか。圭介は頭を悩ませる。
策を発動させるためには菜緒の力はどうしても必要なのだ。そのために理解不足での迷いは禁物。
もしこのまま何も思い浮かばなければ観念して別の策を考えねばならない、のだが。

「大丈夫よ菜緒。鳴神くんの作戦はきっと上手くいく。誰も傷つくことなく、この局面を乗り切れるわ」
「――わかったわよ。美雪がそこまで言うのなら」

最後の一押しは親友の信頼だった。
菜緒は渋々、といった形で圭介の「策」を受け入れることとなった。






首だけを扉から差し出し、今度は逆に通路の状態を警戒する。
左右両方、人の気配無し。確認を終え、3人は静かに部屋を出る。

「じゃあ森下さんはここで待機。合図が聞こえたらお願いね」
「はい、わかってます。二人とも――気をつけて」
「ありがとう。菜緒は俺と協力して木戸をこのラインより向こうに追い込むぞ」
「――」

「んでその際にはあんま木刀構えて威圧すんなよ。
 こちらに余裕があると思わせるのが目的だか――おい、聞いてるか?」

「うっさい。ちゃんと聞いてる」
「そ、そうか」

静かな物言いのなかに得も言わぬ迫力を感じた。
菜緒の様子は明らかに先程までと違っていた。
豊かに変わる表情は張り付いたように硬直し、口数も少なくなっている。
やはり人殺しを企てようとする男との対峙は彼女でも緊張する、ということなのだろうか。

「ま、そう心配するな。実際にアイツの相手をするのは俺だから。
 まあ俺が頼り無いから少し信用ならん、ってのもわかるんだけどな、はは」

「ううん、そんなことないよ」
「そか」

無理に冗談めかしてみたのが功を奏したのか。少し柔らかくなった菜緒の表情に圭介は安堵する。
とにかく成功すれば誰も傷つかないで済む。
そして成功させることができれば菜緒の自分に対する評価も変わり、不安になることもない。
命も信用も。全ては自分の双肩にかかっている。
3人分の責任は重いものではあったが、それが逆に圭介を奮起させた。
これは二人を欺いているという自身の後ろめたさを少しでも払拭する機会でもあるからだ。
真実は伝えられない。だが嘘の上にでも、信頼を築き上げたいと。

身を隠す曲がり角から木戸の様子を窺うと、圭介の視界から男の姿は消えていた。
階段前の広場は広大で、辿り着くためには3方向の通路がある。
その広範囲をカバーするために木戸は時折各方向への巡回を行っていた。
その木戸の姿が圭介から見えないということは向かって右側の通路の確認に向かったのであろう。

――チャンスだ。

それは圭介が木戸を追いこもうとしている方向とぴたり一致した。

「走れ菜緒!」

短く叫び、圭介は先陣を切る。
まずは広場に辿り着くことが先決だ。
流石にそのまま階段まで気付かれずに到達することは不可能だが、そこまでなら何とかなる。
逆に最悪は通路で木戸を迎え討つことだ。そうなれば圭介の策も功を為さなくなる。

(まだそっちに居ろよ――戻ってくんなよ!)

大した距離ではなかったが圭介には途轍も無く遠く感じた。
後方の菜緒を気にしている余裕は無い。だが足音だけで後に続いていることは判断できた。


そして次の瞬間。
その足音が圭介を追い抜いていった。


「『鳴神』――アンタのことはまったく信用してない」


「な――」

菜緒の後姿が少しずつ。少しずつ遠ざかっていく。

(何で――)

その事実に愕然とした。
少女は決して納得などしていなかったのだ。
圭介の策など認められないから。菜緒は独断で木戸を襲撃するつもりなのだ。
菜緒は親友の美雪を信頼はしていても、圭介を信頼してはいなかった。
圭介の考えよりも、自分の力の方が上だと決め込んでいた。

(ふざけんなっ!)

怒りが沸き上がると同時に、今度は菜緒の姿が消えた。
少女が一直線に木戸に向かって挑んでいった証拠だ。

(ふざけんな、ふざけんな、ふざけ――)

遅れること、約数秒。
広場に飛び込んだ圭介の目に映った光景は。


「おらぁっ!!」
「!!」


木戸の鉄パイプの一閃で木刀を吹き飛ばされ、呆然とする菜緒の姿だった。






 ゲーム開始より8時間47分経過/残り64時間13分





[21380] EPISODE-21
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 06:56
親友となった少女は、正に絵に描いたような「女の子」だった。
仕草、振る舞い、他人との接し方。どれを取っても完璧で。
けれど同時に相応の弱さと儚さを持った少女だった。

自分とは何もかも違う。だからこそ、好きになった。
自分とは何もかも違う。だからこそ、側にいられると思った。
あたしならば彼女を守れると。あたしならば彼女の弱さを補えると。
互いに互いの足りない部分を埋め合って。そして日々を過ごしていく。
今までも、そうしてきた。これからも、そうであるはずだった。


だけど。
死地の最中で再会した親友の横には、余計なオマケがついてきていた。


男のくせに頼り無く、強さは微塵も感じられなかった。
変な奴で。妙な奴で。そしてふざけた奴だった。
でもその程度の男ならばと安心できた。
あたしよりも明らかに弱そうなこの男が、あたしたちの間に割って入ることなどできないと。

それなのに。
いざ窮地になって、親友が頼ったのはあたしよりもオマケの方だった。
強気な事は何一つ言えず、わけのわからない小理屈ばかりをこね回す。
そんな男に、親友は全幅の信頼を寄せていた。
自分が危険に巻き込まれるかもしれない話を切りだされて、なお。

腹が立った。出会ってたった数時間の男に大切なものを奪われた気がした。
じゃあ、あたしっていったい何なの?
あたし、今までちゃんと貴方を守ってきたよ?
男からでも不良からでも、ちゃんと貴方を守ってきたよ?

なのにどうして?
どうしてあたしの方を頼ってくれないの?
そんな奴を見ないで。そんな奴の前で笑わないで。
あたしを見てよ! 美雪!
もう一度ちゃんと、あたしを見て!
そうすればそんな奴よりあたしの方が美雪に相応しいって証明して――みせるから。




少女だてらに幼い頃から剣術を学んできた緑川菜緒の腕は確かなものだった。
だが少女であるが故に、世界は彼女に強さの立ち位置を曇らせた。

曰く、身体を傷付けるわけにはいかない。
曰く、心を傷付けるわけにはいかない。
曰く、問題になるのは面倒である。
曰く、そこまでして立てつくのも馬鹿らしい――

そういった理由で自分の前から退散した男たちを、菜緒は等しく敗者のカテゴリに入れ込んだ。
そんな彼女が「強さ」を見誤るのは仕方の無いことだったのかもしれない。

言い訳を一切廃した強さ。
「例え少女であろうと」「全力で」「命を奪わなければ」「自分の命が助からない」。
そんな覚悟を決め込んだ木戸亮太の一撃が。
菜緒の木刀を打ち払ったのは至極当然の事であった。






(ふざけんなっ!)

圭介は憤慨していた。
せっかくの策を独断で台無しにされたばかりか、菜緒は勝手に窮地に陥っていた。
自信が過信と成り果て木戸に打ち負ける様は圭介の恐れていた結果そのものだった。

木刀が宙に舞う。
勢いに圧され、菜緒が転倒する。
そして目をぎらつかせた木戸が菜緒に向かって左腕で鉄パイプを振りかぶる。

(ふざ――けんなあっ!!)

広場に踏み込んだ速度を緩めず圭介は木戸に向かって突進する。
この勢いのままに木戸に組み付けば非力な自分でも或いは、と思えたのだ。

だが刹那、木戸の顔がこちらを向いた。

「見えてんぜ」
「!!」

凶悪な笑みには幾許かの余裕。左腕の凶器がこちらに向き、そのまま右手が添えられる。

(と、止ま――)

慌てて急制動をかけようにも叶わない。
右打者の構えから繰り出された木戸のスイングが、圭介の脇腹に突き刺さった。

「がっ!」

息が詰まる。身体の側部から衝撃が走り抜ける。
足元の重力が曖昧になる。横滑りに身体が宙を舞う。
そして痛烈な痛みが圭介の脇腹で爆発した。

「ぐああっ!!」

何も考えられない。痛みが、痛みがとただそれだけ。
着地した片足が更なる痛みへの恐怖を予感したのか無自覚に崩れる身体を支える。
おかげで転倒は免れたが反動が痛みを増幅させ、堪らず圭介は膝をついた。

「鳴神っ!」
「が――はっ――」

菜緒の悲鳴が近く聞こえる。どうやら彼女の目の前に吹き飛ばされたらしいが確認の余裕も無い。
身体を丸めて手で打たれた場所を抑える。
少しでも痛みが引くことを願い、手に力を込める。
だがこの痛みはそう易々とは身体から離れてくれそうにない。

(痛っ、てえ――)

額に汗が滲み出る。自らの呼吸音がはっきりと聞こえる。
痛い、痛い、痛い。
大声を上げて転げまわれば、少しは気も紛れるだろうか。

(って――そんなこと、考えてる場合、かよ――!)

痛みに全てを委ねていられる状況ではなかった。
痛みを与えた人物は圭介のすぐ目の前にいるのだ。

「ぐっ――」

唇を噛み締め痛みに耐える。顔を上げると不遜な男と目が合った。

「よう鳴神。久しぶりのような気がするな。そのじゃじゃ馬はお前の新しい女か?」

立て続けの襲撃者を同時に撃退した木戸の表情には余裕が満ち溢れている。

「――おかげで、苦労――してる、よ」

口惜しいが今の目線の高さの差が現実だ。
圭介は息も絶え絶えにそう答えるのがやっとだった。

「けっ、口が減らねーのは相変わらずかよ、あん?」

鉄パイプを手の中で弾ませながら木戸の足が一歩前に出る。
合わせて圭介も後ずさる。右肩に菜緒の身体が触れた。

「あ、あ――」

菜緒の声が震えている。いつもの彼女ならここで罵倒の一つも浴びせていたであろう。
だが返り討ちに遭い、続いた圭介も簡単にあしらわれ、二人纏めて地に伏した。
勝気な少女はもういない。
考えもしなかった逆境にただ、菜緒は怯え混乱するばかりだ。

(――)

自分が苦心して捻り出した策が思い通りに進めば誰も傷付かずに済むはずだった。
菜緒も、菜緒が案ずる美雪も。圭介自身もだ。
なのに今は圭介は身体に傷を負い、菜緒は心に傷を負っている。
いったい菜緒は何が気に食わなくてこうなったのか。圭介には理解出来ない。
どうしてこうなってしまったのか。理解出来ない。
このままでは死ぬ。殺される。
鈍器で撲殺されるという惨たらしい結末が待ち受けている。

このままでは。
このまま――では。


(――このままで終われるかっ!)

圭介の内で本能が咆哮を上げた。土壇場で意地が恐怖を凌駕した。
このまま木戸の糧となるのはまっぴらだ。それでは今までの努力は何だったのだ?
何のために美雪に嘘を吐いた? 乃得留から逃げ続けているのは何のためだ?
全ては生きるため、生きて帰るためだ。
生きて再び日常を取り戻すため。そのためには負けられない。木戸にも痛みにも。

「俺たちを――殺す、のか?」
「おいおい、わかり切ったことを聞くじゃねーか」

前髪を掻き揚げ、木戸は下卑た笑いを浮かべる。

「ま、そーゆーこった。俺が生きるために、お前らにはここで死んでもらう」
「!!」

いつの間にか添えられた菜緒の手が圭介の肩を掴んだ。
飾り気の無い「死」という言葉が菜緒の精神を更に追い詰めている。

――大丈夫だ。

「――え?」

微かに呟き圭介は菜緒の手を握り返す。
暴力は嫌いだ。暴力に慣れてなどいない。
だけど暴力は――初めての体験じゃない。
大丈夫だ。あの時ほどじゃない。
恐怖も重圧も。あの時感じたものに比べれば全然大したことじゃない。

親父に殺されかけたあの時の絶望感は――こんなもんじゃなかった!

「く――」

傷付いた身体に鞭を当て、引き摺るように木戸から距離を取る。
背中で菜緒を押しながら同じようにするよう促す。

「無駄だぜ。おとなしく覚悟決めた方が、楽に死ねると思うがよ、へっへ」

完全に勝者の態度でゆっくりと木戸が間を詰めてくる。
相手は傷を負った非力な男と女。仕留めるのは容易いと、玩ぶ意識が見え見えだ。

――そうだ。もっとこっちに来い。

自らの観察眼の確かさを圭介は痛みの最中に確信した。
木戸亮太は愚かだが馬鹿な男ではない。きちんと相手と自分の強さを見極められる人間だ。
そして一旦相手を弱者と定めればたちまち蹴り落としにかかる。
救いの手は差し伸べない。馬鹿にする。見下してくる。粗野な言動を重ねてくる。
今もまた、その見極めは外れてはいない。圭介と菜緒は二人がかりでも木戸には叶わないのだ。

圭介が下がる。木戸が前へ出る。
圭介がまた下がる。木戸は大股でまた一歩。

(――ここだ)

一瞬だけ視線を飛ばし、圭介は木戸をラインの内側に誘い込めた事を確認する。
そして。

「――負けだよ。木戸」

圭介はため息混じりに木戸に向かって、告げた。

「あん、命乞いかぁ?」
「それで見逃してくれるつもりもないんだろ」
「へへ、まあ、な」
「でも一つ聞きたいことがあるんだけど」
「何だよ。寛大な俺様だが――遺言だきゃあ、聞く耳持たねえな、っと!」

処刑時刻だ、とばかりに再び木戸が右打者の構えを取った。
先程と違い圭介の体勢は膝をついているので低い。
このままならばスイングの軌道と圭介の頭部が一致している。
流石に頭にあの一撃を食らえば圭介の生還は絶望的だ。

その木戸の姿を圭介はしっかりと見据える。
迫る死の恐怖に目を逸らさず、しっかりと。

「聞きたいことってのは、さ」
「意識を場外まで吹っ飛ばしてやんよっ! ひひひ、死――」


「お前、俺たちが二人だけだって、本気で思ってんの?」


「――何だと?」

打撃動作が中断され、木戸の表情が凍り付く。
逆に圭介の表情には笑みが浮かぶ。

そうだとも、木戸。お前の見る目は確かなものだ。
俺は弱い。菜緒もお前よりは弱かった。

でもならば、もし。お前よりも強い奴がいたら、どうするんだ?
誰の目から見ても、今のお前じゃ絶対に敵わない――そんな相手が現れたら、お前はどうするつもりなんだ?

「もう一度言っておく。『お前の』――負けだよ。木戸」

圭介はゆっくりと右腕を天に突き上げる。そして。


「来てくれ、大門さんっ!」


その一言と共に指を打ち鳴らした。
フロアの静寂を切り裂くように鋭い音が響き渡る。
そして巨躯の起動を想わす足音が、木戸の背後で動き始めた。

「て、てめえら、ハメやがったなっ!」

見上げる者、見下ろす者。その立場がたった一言で反転した。
木戸は狼狽を露わに忙しなく足音の方向に視線を飛ばす。
だが圭介が追い込んだ「この場所」からでは死角となり足音の主の姿は確認できない。

「別に騙すつもりはなかったんだよ。こうでもしないとあの人お前が最低な奴だって納得してくれなくてさ。
 でも、もう言い訳は効かないよな」

「ち――」

木戸が殺人を行う理由は自身の生還の為に他ならない。そのためには我が身の安全を第一に考えねばならない。
ならばなぜこうまで姿を露わにし、正面から参加者を撲殺する方法を選んだのだろうか?
答えは一つ。木戸は「自分より弱い参加者を選別して殺していく」つもりなのだと圭介は結論付けた。
そうなると階段の封鎖の甘さにも納得がいく。
木戸は「自分より強者と定めた人物は見逃すつもりだった」、ということだ。

ならば木戸に面識の有る参加者で確実に木戸よりも強者である人物の影をちらつかせればいい。
日本最強の空手の達人、大門三四郎。その存在を臭わせる事こそが圭介の「策」だった。

予定とは違ったが木戸は見事に圭介の「策」に陥った。
木戸は圭介たちにトドメを刺すことが出来ない。規格外の巨漢の怒りを買えば生還は果たせなくなる。
だが反転して死角から不意打ちを行うことも出来ない。
「鉄パイプの不意打ち」程度では大門を倒すことなど到底叶わないからだ。

木戸が迷いを見せている間にも足音は段々と近付いて来ている。
無論この足音は森下美雪のものだ。
大門の足音と木戸に誤認させるために圭介は美雪に重量物の段ボールを持たせ偽装したのだ。

タネが割れれば単純な事実。
だがそれも操る者次第で魔法となる。

初遭遇の時点で大門が圭介と行動を共にしていたことを知っている木戸に大門の接近を疑う事は出来ない。
最早選択肢は一つしか残されていなかった。

「くそ、覚えてやがれ鳴神っ!」

捨て台詞を吐きながら木戸は圭介の目の前で鉄パイプを牽制の為一閃させ、そのまま圭介の脇を駆け抜けていった。

「立て菜緒、走るぞっ!」

木戸が通路の向こうで角を曲がり姿を消したのを確認すると同時に圭介は倒れかけたままの菜緒の手を取る。

「え? あ――」

言葉にならない声を発する菜緒の手を引き強引に胸の内に手繰り寄せる。
言いたい事は山のようにあるが妨害者が消えた今が好機だ。
そのまま床を蹴り、近くに落ちていた菜緒の木刀を拾い上げ逃走を開始する。
死角から飛び出すと段ボールを抱えてふらふらと走ってくる美雪と目が合った。

「森下さん、それはもういい! ついてきて!」
「は、はい!」

美雪が段ボールを投げ捨て上に置いていた鞄を掴み上げる。
そのまま3人は合流し、一気に階段に向かって速度を上げる。

「木戸が気付いて戻ってこないとも限らない! 階段を上って、そのまま駆け抜けるぞ!」
「はいっ!」
「――」

菜緒の反応の鈍さは気にかかるが手を振り払う様子も無い。

とにかく今は進め!
一歩でも、前へ、前へ、前へ――!






「はあっ、はあっ、はあ――」

数分間の逃亡劇の末、漸く圭介たちは木戸を振り切った事を確信し足を止めた。
言葉も無く、ただ三者三様に息を整える。
無常の空間に荒い息遣いだけが響き渡る。

「上手く――いったんですね――」
「ああ――」

紆余曲折有ったが目的は無事達成された。
木戸を退け3人とも無事に2階に上がる事が出来た。
何とも言えない充実感に、圭介にはこの疲労さえも心地良いものだと感じられた。
そのまま更に数分。何とか会話が出来るくらいまで圭介たちは回復した。

「ところで鳴神くん。わたし思ったんですけど」
「ん、何だい?」

まず口火を切った美雪の声に圭介は耳を傾ける。

「ここまでの道のりで、罠の確認ってして――ませんよね?」
「へ?」

一瞬その意図を計りかねた。罠とはいったい何の事だったか。
酸素の行き届いた圭介の脳が段々とその意味を思い出し――

「――うっかりしてた」

自分の愚かさを再認識させられた。
そうであった。自分たちの命を脅かしているのは参加者の殺意だけではない。
施設内の至る所に隠されているという罠の存在もまた、死への原因と成り得るものだったのだ。
ただ走り続けるだけの逃避行がまさか綱渡りのものであったとは。
折角木戸から逃れることが出来たのにもしかすると命を落としていたかもしれない。
そんな無為な結果を想像し、圭介は思わず身震いした。

「ごめん二人とも。本来ならここまで考慮しておくべきだったのに」
「いえ、わたしも気付いていませんでしたからおあいこです。今後はお互い気をつけましょうね」
「そうだね。ところでここは2階の何処らへん――ぐあっ!」
「!? な、鳴神くん、急にどうしたんですか!?」

現在位置を探るためPDAを取り出そうとポケットに手を入れた瞬間。
妙に身体を捩った所為なのか、圭介の脇腹が再び悲鳴を上げた。

「あ、痛ぅ――」

緊張が解けた分、痛みは更に倍加する。たまらず圭介は地に膝をつく。

「まさか――怪我、したんですか? そういえば悲鳴が聞こえてきたような気が――」
「――木戸とやり合った時に、ちょっとね」
「――!!」

美雪の背後で動揺する菜緒の姿が辛うじて圭介の目に入る。
あの時の責任と理由を追及するには今を置いて他には無い、のだが。

「でも自業自得、って奴だよ。アイツを追いこむ時につい余計な事を言っちゃってさ。
 そしたら木戸の奴ぶち切れやがって、それで殴られちまった」

「え――」
「もう! そうやってすぐ調子に乗るのは鳴神くんの悪い癖ですよ!」
「いや面目無い――菜緒も、悪かったな。俺のせいで無駄にピンチを招いちまった」
「鳴神、そんな――」
「『ゴメン、反省してる』」

菜緒を目で牽制し、「それ以上口を挟むな」と暗に伝える。

「――う、うん。別にあたしは気にしてない、から」
「まったくもう――はい、じゃあ見せて下さい」
「え、手品?」
「怪我したところです! 後に響くようなことになったらどうするんですか! ほら、服を脱いで下さい!」
「ぬ、脱げだなんて――そんなのはもっとロマンチックな雰囲気と場所で」
「またそうやってふざけるんだから――いいから脱いで下さい!」
「いやー!」

珍しい美雪の怒涛の剣幕に、さしもの圭介も逆らえない。
渋々上着の前を肌蹴け、シャツをめくり上げる。
痛みの震源地は出血こそしていないが酷い青痣になっていた。

「打ち身ですね。冷やした方がいいでしょう。ええっと――あ、ちょうど近くに洗面所があります」

すかさず美雪はPDAを操作し、圭介の治療に適切な行動を選択する。

「ハンカチを濡らしてきます。ここで待ってて下さい。菜緒、後はお願いね?」
「――うん」
「ちょっと待ってよ。一人じゃ危ないよ?」
「平気です、すぐそこですから!」

そう言い残すと美雪は走って数メートルほど先の扉の中に入っていった。

「――やれやれ。こうなると頑固だな、森下さんは」
「――どうして?」
「ん?」

自然二人きりとなり、すかさず菜緒が訊ねてくる。

「どうして、あたしを庇ったりしたのよ。だってアンタのその怪我は――」
「ああ。お前のせい、だな」
「だったら!」

圭介の「策」が最初から目論見通りに進めばこんなことにはならなかった。
しかも危険な立場を肩代わりして圭介は菜緒の身の安全にも気を配っていたのだ。
それなのに作戦を無視して独断で先行し、菜緒は圭介に怪我を負わせた。
少女の罪は確かに重く、到底許せるものではない。圭介も最初はそのつもりだった。

「だってさ」

だが今はその気も失せた。
そんなことにはもう意味が無い、そう思えたから。

「お前――今にも泣きそうなんだもん」
「え――」

最悪の結果に自信をへし折られたからなのか。死の際に瀕してかつて無い恐怖に襲われたからなのか。
或いは自分の所為で圭介を傷付けてしまったからなのか。
その理由は当人の口から聞かねばわからない。
だが彼女は何かを堪え、何かを吐き出したがっている。
そんな表情が、痛々しくてたまらなかったのだ。

「反省はしてるんだろ? 拙い事をしてしまったって、自覚はあるんだろ?」
「――うん」
「だったらそれでいいさ」

「叱る」という行為が反省や自戒を促すものなのだとしたら、そんなものは最早必要無い。
失意の少女を更に責め上げて悦に浸るなど、圭介は決して由とはしない。

「それに俺とお前が協力出来なかった所為で死にかけた、何て事を森下さんに知られたくない」

それもまた懸念の一つではある。死角に居た所為か、美雪は結末に至る過程の詳細を知らない。
ならば親友が総意を裏切って危険を招いた、という事実は伏せておくべきだ。
そんな事をすればこれからの二人の友情に歪みが生じかねない。

美雪と菜緒が言い争う姿など圭介は見たくもなかった。
嘘に塗れた自分と美雪との関係に比べ、二人の無垢な関係は圭介にはとても眩しいものであったから。

「それに何より」
「――何より?」
「お前が無事で済んだ。だから――いいんだ」

この言葉にも、嘘は無い。
何だかんだと言いながら、結局圭介は菜緒の事も気に入っているのだ。
裏切りの過程も傷を負った結果も。二人が無事であったという事実の前では霞んでしまうものだった。

「――ばか」
「馬鹿で結構だ」
「でも、ごめんなさい」
「うん」

菜緒が深々と頭を下げる。これで今後は彼女が勝手な判断で先走る事は無いだろう、と圭介は確信した。

「――一応、理由を聞いてもいいか?」
「――嫉妬したのよ。美雪があたしよりアンタを信用したから」
「あー、やっぱそうか」

思い返せば菜緒の態度の豹変は美雪が自分の策に同調した辺りからだった気がする。

「こう見えて俺と森下さんは二人で何度も死にそうな思いをしてきたからな。
 これからはそれを考慮してくれると助かる」

「それは、勿論――」
「ん、どうした? 何か顔が赤いぞ?」
「な、何でもないわよ別にっ! いいかげん前を隠しなさいってば!」
「あ」

そう言えば。圭介は傷を確かめるために上着を肌蹴ていたままである事を思い出した。

「こ、こりゃすまん。見苦しいものを晒したままで――」
「お待たせしました!」

慌てて圭介が上着を掻き抱こうとすると、丁度美雪が息を切らせて戻ってきた。

「ああ、お帰り森下さん。随分時間がかかってたね?」
「ええ。そこで救急箱を見つけたので中身の確認を――あれ、どうしたの菜緒? 顔が赤いよ?」
「だから何でも無いってば! 美雪、交代! あたしちょっと顔洗ってくる!」
「え――ちょっと菜緒?」

美雪から顔を背けるようにして、菜緒は大股で洗面所へと向かう。

「――何かあったんですか?」
「何かあったのはだいぶ前」
「え?」
「いや、何でも無いよ。あ痛てて――」
「??」

親友の奇妙な反応に美雪は顔に疑問符を浮かべていた。





(あーもう、何やってんだろあたし――)

洗面台の鏡に映る自分の顔を見て菜緒はため息をつく。
我ながら酷い顔だった。目は真っ赤に充血し、頬は汚れ口元の引きつりは治らない。

(はは、ぶっさいくな顔)

菜緒は自分の顔を見直して漸く気付く事が出来た。
僅かな時間に様々な出来事があった。
しかもその一つ一つがあまりにも日常からかけ離れ過ぎていた。
それでも自分は平気だと。強い女だからであると。
思い込み続けた結果、何時しか自分を見失っていたと言う事に。

流水を顔に叩きつけ、備え付けのタオルで雫を拭う。
再び鏡を見るとそこには何時もの美丈夫が戻って来ていた。
今の菜緒はすっかり落ち着きを取り戻している。
そのおかげで自分がどれだけ愚かな行為と思い込みをしてきたかが実感出来た。

なぜ下衆な人相を一目見ただけで弱い男と判断してしまったのか。
なぜ頼り無い男と決めつけて裏切るような真似をしてしまったのか。
それで気が逸って木戸に打ち負かされ、殺されかけた。
頭が真っ白になり、生まれて初めて死の恐怖を感じた。
挙句の果てに圭介に傷を負わせ、しかも尻拭いまでしてもらっては世話は無い。

自惚れにも程がある。
そもそも中学を卒業してから道場への出入りを禁止され、3年近く剣を握っていなかった自分が。
何を根拠に彼らより勝っていると考えてしまったのか。
そんな自分が本気で自分だけで美雪を守れると思っていたのか。

(――ばかだよね、あたし)

情けなさで涙が出そうになる。
でもそんな風に考えられる今が在る、という事はとても幸運な事なのだ。

(幸運? ううん違う。だって――)

その幸運を自らの手で引き寄せた人物がいる。
その人物は傷付くのを承知で危険に飛び込んできた。
そして窮地に真っ向から対峙し、見事切り抜けて見せたのだ。


「あーあ。あんなかっこいいとこあるんじゃ、美雪が信用するのも無理ないかなあ」

ふざけてばかりだったはずなのに。自分相手に無様に尻もちを付いていたのに。
そんな冴えない男を親友が頼りにするのが許せなかった。認められなかった。
それが悔しくて、情けなくて。思わず我を失ってしまった。
そんな自分に「大丈夫だ」と笑いかけてくれた。無事で良かったと微笑んでくれた。
認めざるを得ない。彼は、鳴神圭介は。紛れも無く「強い男」なのだと。

「――って、え? ええ? 今あたし、何を想ったのっ!?」

ふと思考の海から現実へ回帰した菜緒は激しく動揺した。
強い男と認める、それはいい。美雪が信頼を寄せているのもまあ許してもいいだろう。

「けど『かっこいい』って何っ!? 別にアイツ格好良くも何ともないじゃない!
 顔は普通だし身長あたしより低いしそもそもあたし男嫌いだしっ!!」

声に出し、大げさに身を捩って菜緒は必死に否定する。
だが頭の中から圭介が消えない。消えるどころか彼の様々な表情が次々に浮かんできてしまう。

「あーもう、あーもう、あーもうっ!!」

困った事になった。
別の意味で圭介の事を認める訳にはいかなくなった。
菜緒は紅潮する頬を抑えながら意味不明の叫び声を上げ続けるのだった。





 ゲーム開始より9時間01分経過/残り63時間59分



[21380] EPISODE-22
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/01 02:29
(もしかして俺は――騙された、のか?)

逃走の最中、木戸亮太はふとそんな考えに思い至った。
足音はもう聞こえて来ない。追手は既に振り切ったという確信がある。

だが果たして自分は本当に追われる立場であったのか?
果たして本当に追撃者は存在していたのだろうか? 

大門三四郎の存在は確かに今の木戸にとって脅威の対象である。
あの体躯に空手の達人という看板が眉唾で無ければ到底叶う相手ではない。
その人物を鳴神圭介が保険として後方に待機させていたため、木戸は絶好の機会を見逃さざるを得なかった。

だが不自然だ。なぜ彼らはその最強の切り札を最初から切らなかったのだろうか?
鳴神圭介は「大門は戦う理由に納得していなかった」、などという意を仄めかしてはいたが。
それでもこちらを排除する腹積もりが有るならば最初から戦列に加えておけばいいではないか。
大門を引っ張り出さずしてわざわざ他の人間で奇襲を掛けてきた意味がどうにも不明瞭だ。
戦力の出し惜しみをして犠牲者を出しては元も子も無いはずなのだ。

そうなると大門を「出さなかった」のではなく「出せなかった」と考えるのが一番自然ではある。
圭介の自信満々の物言いを鵜呑みにしてしまったが、そもそもあの足音が大門のものであったかも疑わしい。

(ってこたぁ、つまり、だ)

大門は最初から居なかった。あの一行には加わっていなかった。
だからこそあんな虚弱な戦力で特攻せざるを得なかった。
そう考えることで全ての符号は一致した気がした。

「くそ、やってくれんじゃねえか、鳴神の野郎っ!!」

木戸は怒りを露わに鉄パイプを壁に叩きつけた。
騙された。弱者と見定めたはずの少年に、まんまと一杯食わされてしまった。
これを屈辱と言わずして何と呼べと言うのだろうか。

「あんなダマしに乗せられなきゃ、その場で条件達成だったのによ! くそ、くそっ!」

木戸の解除条件である「3」は問答無用の殺人条件である。
3名の参加者の命を自らの手で奪わなければ生きてこの施設を脱出する事は叶わない。
その為の足がかりとなる千載一遇の好機を不意にしてしまった。
容易に狩れると思えた獲物であっただけにその無念も大きいものだった。

(くそ、こいつさえポンコツでなきゃ――)

騙された事実は確かに腹立たしいものではあった。
だが木戸の苛立ちを更に募らせるのはそれまでに仕留めるチャンスは幾らでも有ったという事だ。

例えば圭介が最初に襲いかかってきた時。
木戸はあの時見事に圭介を迎撃したが、悶絶させただけという結果は彼には失策に等しいものだった。
本来ならば圭介の頭を打ち砕いておかねばならなかった。
高速で飛来する物体を打ち返すことが本領である木戸にとってそれは造作も無いことのはずだった。

では何故失敗してしまったのか。
それは自らが「ポンコツ」と称する右肩が壊れているが故である。
その所為で木戸は右腕を肩の高さより上に上げることが出来ない。
そのため木戸は圭介の頭を狙ったスイングを行う事が出来なかったのだ。
そしてそれが彼が栄光の極みから地の底へ叩き落とされた大きな理由の一つなのだ。

(まあ――いいさ。この先いくらでもチャンスはある)

気を取り直し、木戸は再び階段前フロアへ引き返す。
圭介たちを取り逃してしまった事は確かに悔やまれる。
だが木戸は戦闘禁止が解除される前から階段の封鎖を続けてきた。
ならばまだ一階に留まっている参加者は少なくはないはずだ。

――その中に自分より弱い奴は必ず居る。別に鳴神に拘る必要は無いさ。

木戸の胸中に合理的な殺意が宿る。
そしてフロアに通じる通路に到達し、その全景を視界に収めた時――


『行くぞ』
『え、ええっ!?』


見覚えのある人物が死角から飛び出し、広場を駆け抜けようとしていた。



(あれは――楯岡かっ!!)

帽子にサングラスという特徴的な装いはそうそう忘れられるものでは無い。
しかも何故か少女を腕の中に抱え、階段を目指して疾走している。

――くそ、よりにも寄って、何てタイミングだっ!!

木戸は思わず歯噛みする。ほんの一瞬妨害を解いたその隙を見事に狙われてしまった。
間に合わない。現在の地点からでは木戸の健脚を持ってしても楯岡に追い付くことは叶わない。
何という事だ。またしても、むざむざ獲物を見過ごす羽目になってしまうとは――


『ちょ、ちょっと待って下さ――きゃあっ!』
『喋るな、舌を噛むぞ』
『だって、だってこれ、お、お姫さまだっ――』
『不服なら肩に担ぎ上げてやってもいい』
『あ――貴方、ホントに失礼ですねっ!?』


これ見よがしに喧騒を撒き散らしながら。
楯岡と少女は階段の向こうに消えて行った。



(何て――こった――)

木戸は呆然と成るより他はなかった。
なぜ楯岡が少女を抱えて走っていたのかはわからない。
だがそうせねば広場を通過できない理由が有るとするならば、相対して叩き伏せる事は容易かったはずだ。
そしてあの少女も間違い無く弱者の部類。
つまりフロアを離れなければ二人纏めて始末出来る見込みがあった、という事だ。

しかしもうそんな希望も潰えてしまった。
これで5匹もの獲物が木戸の手をすり抜け、野に放たれてしまった。
ただ一度の失策が、致命的な連鎖を産み出してしまったのだ。
全てが順調であったならば、今頃自分は首輪を外し高らかに笑い上げていたであろうに。

(俺は何処で、何を間違えたんだ。どうして、こんな――)

身体の力を失い、木戸はその場にへたり込んだ。

待ち伏せという作戦自体は間違っていないはずだった。
何せ自分より弱者と思しき参加者が立て続けに現れたのだから。
後はそれを纏めて始末してしまえばいいだけの話だった。
それが出来るだけの力を備えているつもりだったし、それ自体は自惚れではないと断言出来る。

なのに、どうしてこうなった?
どうしてこんな理不尽な事になるんだ?
そもそも――俺はどうして、こんな所でこんな事をしているんだ?

何処で何を間違えた、木戸はもう一度、自身の中で繰り返す。
有望選手として期待され、それを大幅に上回る活躍で甲子園の土を踏んだ。
だが突然の右肩の故障により、投手としての再起は絶望的となった。
復帰の見込みの無い木戸は見限られ、厄介者として扱われるようになった。
追われるように彼は学園を辞めざるを得なくなった。

ただ一つの取り得も失い、絶望の淵に叩き落とされた木戸はそれでも懸命に生きてきた。
そんな人生の中で学んだ事は「生きるためには手段を選んではいられない」ということ。
だからこそ木戸は生きるために。他の参加者の命を奪う事を選んだのだ。
自分の命よりも等しく価値の有るものなど無い、と。

(そうだとも――俺は間違ってねえ、間違ってねえんだよっ!)

どれ程曲がろうとも、堕ちようとも。「今」を失いたくなどない。
そのために弱者を喰らう。糧とし贄とし生きていく。
弱者が弱者となるのはそんな努力をしていないから。それ程の執念を持ち得ていないから。

だから――弱者を叩き落として何が悪い!
俺が生きるために弱者を殺して何が悪い!

(やってやる、やってやるに決まってんだろっ!!)

何度も自分に言い聞かせ、立ち上がる気力を取り戻す。
鉄パイプを杖に、木戸は再び立ち上がる。


(悪いな、ふみ姉――俺、まだそっちには行きたくねーんだよ)


そして胸の内で、一人の女性の名を呟く。
それは木戸亮太が今までの人生の中で、ただ一人愛した女性。
快活で、ユーモアに溢れた魅力的な女性だった。一回りも歳が離れていても、恋い焦がれずにはいられなかった。
だがそんな彼女ももう居ない。木戸が肩を壊したとほぼ同時期に、事故で命を失ったという報が届いたのだ。

夢も愛も失った。理不尽に奪われた。木戸に残されたものはその身一つだけだった。
だからこそこれだけは失えない。奪われるわけにはいかないのだと。
思い抱いて木戸は階段前に立ち塞がる。


そんな行為を憧れた女性――陸島文香は決して許さないのだとしても。





 ゲーム開始より9時間05分経過/残り63時間55分


【プレイヤーカード:開示】
・「3」:木戸亮太



[21380] EPISODE-23
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 07:23
美雪が洗面所で発見した救急箱には、各種治療キットの他に痛み止めの錠剤も同梱されていた。
脇腹を木戸に痛打された圭介にとっては願っても無い代物である。
戻ってきた菜緒と入れ替わるように今度は圭介が洗面所に移動し、水道水で薬を飲み下す。

そのまま安静にすること数十分。薬の効き目は抜群で、痛みは見る間に退いていった。
完全に消し去る、とまではいかなかったがこれでとりあえずの行動に支障は無い。
ならばこれからどうするか、と圭介が美雪たちと額を突き合わせた瞬間。

――ぐう。

妙な異音が3人の輪の中から発せられた。

「今のは――腹の音だな。誰のかな? 馬鹿にしたりしないから正直に白状するんだ」
「何誤魔化そうとしてんのよ。今のはアンタのでしょーが」
「はい、ごめんなさい。俺のでした。あー、腹減った」

圭介は現状の正直な感想を口にする。
PDAのタイマー表示が確かであるならば「ゲーム」が開始されてそろそろ10時間になろうとしている。
その間圭介は水分以外のものを何一つ口にしていない。
記憶を遡れば最後に食事を摂ったのが拉致される前の昼なのだから空腹を感じるのも当然と言えた。

「かっこ悪いわねー。シャキっとしなさいよ」
「うるさいわね、ほっといて下さるかしら」
「――何で急におネエ言葉になるのよ」
「あはは――でもお腹が空いた、というのは同感かもしれません」
「でしょ」

圭介は何時ものふざけた物言いをしたものの、あまり軽視して良い問題とは思えなかった。
このまま栄養摂取の手段が見つからなければ体力は減衰し、判断力も低下する。
「空腹の所為で殺意を持った参加者から逃げきれなかった」などという情けない事態すら招きかねない。

「じゃあ、探しましょうか、食べ物」

美雪の発言は会話の流れとしては自然であったがどうにも不自然な日本語だった。

「いや、『探す』って――食べ物はそんな隠れてるもんでもないでしょ」
「隠れてると思いますよ? ほら、お水だって箱の中に隠されてましたし」
「あ、なるほど」

つい食べ物と言うと皿に乗った温かいものを圭介は想像してしまっていた。
確かに携帯食料程度であるならば保存も効く事であるし隠されていても不思議ではない。

「まさかアイツらも参加者の衰弱死を希望してるわけじゃないだろうしな――」
「え、何ですか?」
「いや、何でも無い。OK、探してみようか」

この「ゲーム」は主催者の狂楽を満たすための見世物であるなどと、明かした所で現状に変わりは無い。
とりあえず圭介たちは全員で協力して部屋を一つずつ散策してみることにした。

最初の二つは空振りに終わった。
椅子や机などの設備が雑多に積み上げられているだけで役に立ちそうなものは見当たらない。

「あー、何かあたしもお腹空いてきたかも。圭介、アンタのせいだからね」
「何でやねん」

2階で行動を再開してから、菜緒はすっかり元の調子を取り戻した様子だった。
会話の節々に感じていた棘も消え去り、ちゃんと名前で呼んでくれるようになっている。
階段前フロアでの一件が彼女をそうさせたのだろうか。
だとしたら傷を負った甲斐が有った、と圭介は思わず口元を綻ばせた。

「んじゃ今度はここ――お、これは期待出来そうだ」

僅かに扉を開き、隙間から中を警戒する。そんな一連の動作も自然なものとなってきた。
二人を手招きし、部屋の中へ呼び寄せる。
その部屋は3方の壁に棚が設置されており様々な資材が陳列されている。
床にも木箱や段ボールが投げ出され、如何にも何かが発見できそうな雰囲気だ。

「俺は下の箱を探ってみる。森下さんと菜緒は棚の方をお願いな」
「わかりました」
「りょーかい」

開封が困難な重量物を圭介は率先して引き受ける。
傷に差し障るという不安もあったがここは男としての見栄を優先させたいところだった。

「よ――っと」
「! ちょ、ちょっと菜緒何してるの!」
「へ? 何――って、棚を上から調べていこうと思って。何かヘン?」

箱と棚の位置関係から圭介は美雪と菜緒に背を向ける形になっている。
必然二人の姿は見えないがどうやら菜緒は棚を昇って最上段を調べようとしているらしい。
けど何か問題があるのだろうか? 菜緒の運動神経ならば別に怪我の不安も無いだろうが――

「そうじゃなくて、スカート!」
「うえっ!? あ、わわわわっ!」
「今、魅惑的なワードが聞こえた気がするぞっ!」
「黙れ、こっち見んなっ!」
「こっちを見たら顔に段ボールをぶつけますからっ!」

それが死因になってしまっては敵わない。苦渋を飲んで圭介は振り向く事を諦めた。
そのまま黙々と声も出さず散策すること数分。

(うーん――)

ここまで圭介が3つの箱を開けて発見したものと言えば飲料水が僅か5本のみ。
期待していた成果とは程遠い収穫である。

「ダメだな――こっちは。菜緒、そっちはどうだ?」
「同じく。ガラクタばっかりってとこね」

既に地に足をつけて散策している菜緒の足元には空の小瓶や缶が散らばっていた。
よく見れば棚の上の荷物を片っ端から床に転がしている。整理整頓はあまり得意では無いのだろう。
反対側の棚で一々取り出したものを完璧に元の配置に戻している美雪とは何処までも対照的である。

(――ん?)

その美雪が圭介の方に顔を向けた。心なしかその表情はやや強張って見えた。

「森下さん? いったいどうし――」

どうしたのかと問うべき言葉を、圭介は続けることが出来なかった。

「鳴神くん。あ、あの――これ――」

震える声で差し出された美雪の両手には一振りの長物が乗せられている。
長さは50センチ程。硬質の握り取っ手の先は革製の鞘に収められていた。

「どしたの、二人とも――って! 美雪それナイフじゃない!」
「――うん」
「や、やっぱそうだよな――しかもこれって、サバイバルナイフって奴じゃないのか?」
「多分、そうだと思います。わたしも実物を見るのは初めてなんですけど――」

美雪と菜緒の顔色がみるみる蒼白になっていく。圭介もまた自身の血の気が引いていくのを感じていた。

――この施設には武器がそこら中に隠されていて、階層が上がる毎に強力になっていく。

そんな長沢勇治の言葉が圭介の脳裏を掠めた。その言葉が真実であったことが今此処に証明されてしまった。

(マジ、かよ――)

長沢憎しと言えども可能性としては十分なものであるその情報を否定するつもりはなかった。
だがいざ実物を目の当たりにすると、どうしても目を背けたくなってしまう。
先程の木戸との戦いで、彼の武器が鉄パイプ程度であったからこそ傷もこの程度で済んだ。

でももし、あの男がこの武器に匹敵するものを手に入れたとしたら?
二人がかりでも叶わなかった木戸の強さは益々手に負えないものとなる。
痛みの残る脇腹にこの大振りの刃が突き立てられる様を想像し、圭介は思わず気が遠くなった。

「ど、どうするのよ圭介、これ」
「ど、どうする、ったって――」

突然の刃物の登場。そして想定されるその用途。
その恐怖で混乱は極みに達し、今や全員がまともな思考を展開出来なくなっていた。

(待て待て、落ち着け――)

幾度と無く思い浮かべてきた言葉と共に、何とか圭介は踏み止まる。
忘れてはならない。自分たちは既に死地の只中にある身なのだ。
刃物の存在は死との距離を密接にするだけ。一々取り乱すのは滑稽なだけではないか。

何時ものように唇を噛み締め、表情を引き締める。
幾分か戻っていた落ち着きの中で圭介の頭脳が稼働を再開した。

「――そうだな。とりあえずこれは持って行こう」
「ほ、本気なの!? だってそれを使うってことは――」
「別に使う必要は無いんだ。いざと言う時に相手に対する牽制になればいい」
「牽制、ですか?」
「ああ。こちらに抵抗の手段が有ると解れば少しは戦闘行為を躊躇うかもしれない」
「そっか――誰だって刺されるのはイヤだもんね」

他者を殺める事を決意する理由は偏に自身の生還に他ならない。
ならば出来る限り傷を負いたくない、と考えるはずだ。
そんな人間に対して牽制になれば、というのが圭介の考えだった。

無論木戸や長沢ならばナイフ一本程度で足を止めるとは思えない。
彼らと再び遭遇した際には牽制などせず逃げる事を念頭に置いておくべきだろう。
そう考えると今まで怯えていた刃物が急に安っぽく感じられるのだから不思議なものだ。

「――わかったわ。じゃあそのナイフはあたしか圭介が持って行けばいいわね」
「いや、このまま森下さんに持っていてもらおう」
「ちょっと! 美雪にそんな危ない物持たせるつもりなのっ!?」
「だからそっちの方が安全なんだってば。そうすれば森下さんは狙われにくくなるんだから」
「あ、そっか」
「そういうことなんだけど――森下さん、引き受けてくれるかな?」
「わかりました」

少し怖い気もしますけど、とぎこちなく微笑む少女の表情は痛々しいものだった。
だがこればかりは納得してもらわねばならない。いざと言う時に行使する覚悟と同様に。

「でも、鳴神くんは何も持たなくていいんですか? 菜緒にだって木刀があるのに」
「そーよ。一番矢面に立たなきゃいけないアンタが素手じゃ、危険じゃないの?」
「――俺が矢面に立つことは前提かい」
「だーって、危ないことはするなって言われたもん」

にしし、と歯を見せる様子は菜緒なりの場を和ませる気遣いなのだろうか。
だとするとありがたいことだ、と圭介は肩を竦めて見せる。

「いいんだよ、俺はこのままで。自惚れじゃないけど長沢の時も木戸の時も口先だけで切り抜けられた。
 だからこそ――奴らは俺が素手の方が警戒する。『鳴神の奴、今度は何を考えてるんだ?』ってね」

「ふふ、鳴神くんは口の旨さだけは天才的ですからね」
「そーなのよね。今まで何度騙されたことか」
「失礼だなあ、二人とも」

しばし3人で笑い合う刻が訪れた。
だがその中で独り、圭介は嘘の仮面を被っていた。

(――バカな事を考えるな、俺)

美雪と菜緒の言葉は的を射ていた。
圭介は二人を騙し続けている。そして今もまた、嘘を一つ重ねてしまった。
圭介はナイフの所持者として美雪が適任だと思ったわけではない。真の理由は他にある。
それは何よりも、自分がナイフを持ちたくないが為だった。


――ナイフがあれば、森下美雪を簡単に殺す事が出来る。


刃物を目にした時、突如そんなどす黒い情念が沸き上がった。
忘れかけていた自身の本当の解除条件の早急なる達成を、求める声が聞こえた気がしたのだ。

美雪と菜緒に出会い、その心に触れた。
二人を失いたくない。二人と共にいたい。それは圭介の偽らざる本心だ。
だが一刻も早くこの地獄のような「ゲーム」から抜け出したい。
どんな残酷な行為に手を染めても、命の保証が欲しい。
そんな思いもまた、完全に消えたわけではないのだ。今も心の隅で燻り続けているのだ。

否定したい。認めたくはない。
そんな一心で、自分からナイフを遠ざけた。筋道の通った理屈を構築出来た事に安心した。

(けど、このままじゃ――)

このままでは自分が信じられなくなる。そんな恐怖を圭介は感じた。
このフロアに隠された武器がこのナイフ一本とはとても思えない。
そして階層が上がれば武器が強力になるという長沢の言葉もおそらく真実だろう。
戦いは益々激化していく。それに伴い生き残れる可能性も小さくなっていく。
そんな中で本当に、ここにいる全員で助かる方法など見つかるのか?
未だ手掛かりすら全く掴めていないというのに。

――そんなものを見つけなくとも、すぐにでも助かる方法は目の前にある。

そんな魅力的で、残酷な。現実が絶え間無く圭介の心をざわめかせていた。

「ちょっと圭介、いつまで笑ってんのよ」
「――え?」

菜緒の声でふと我に返る。見れば二人とも「これから」に挑むべく真剣な顔つきに戻っていた。

「あ――ああ、悪い。ちと気を抜き過ぎた」
「もう、しっかりしてよね。今はアンタが頼りなんだからさ」

少し頬を赤らめて「今」を強調する菜緒。かつて勝手な判断で暴走した少女はもうそこには居なかった。

「だから悪かったっての――っと。この部屋で見つかったのはこれだけかな」
「あ、そうでした。見てもらいたいものがまだ有りまして」
「ん?」

そう言って美雪は棚の小箱に手を突っ込み、中から何かを取り出して見せる。

「これ、なんですけど。何でしょうね? これ」

美雪の手には小さなマッチ箱くらいの黒いプラスチック製の箱が二つ乗せられていた。
下部に端子のようなものがくっついていて一見してPCのパーツのようにも見える。
しかし圭介は電子機器については特に知識が明るいわけではなく、その用途には皆目見当が付かなかった。

「うーん、ごめん。ちょっとわからないな」
「そうですか。ナイフと同じ箱に収められていたので意味があるのかも、と思ったんですけど」
「なるほど。それなら一応持っていった方がいいか――ん? 何か書いてあるな」

不意に圭介はプラスチック部分の表面に文字が並んでいる事実に気付く。
その二つはそれぞれ以下のように違う英字が記されていた。

『tool:Enhance Map』
『tool:Map/Air-duct』

「――えーと、これは何マップだ? で、こっちはエアダスト? 空気中の埃か何かか?」
「いや『エアーダクト』でしょ。建物とかにある、排気ダクトのことじゃないの?」
「――」
「どしたのよ。いきなり変な顔して」
「菜緒に間違いを指摘されてしまった。もう死ぬしかない――」
「どーゆー意味よっ!」

運動担当、という自称と今までの行動からすっかりそっち方面では役に立たないと思い込んでいた。
もしかすると美雪に匹敵していないだけで学業の成績はそれなりに優秀なのかもしれない。

「じゃあこれは、排気ダクトの地図ってことでしょうか? で、こちらが地図の拡張、と」

美雪が「Enhance Map」の方を指でなぞる。
彼女が解読に成功することは不自然な事では無いので特に驚く事は無かった。

「あ、もしかしてこれ、長沢さんが言ってたPDAの拡張ツールじゃないですか?」
「どうだろな。アイツの言うことなんか丸で信用出来ないから」
「それは、そうですけど――あ、やっぱりここのコネクタにぴったり嵌りそうです。あ――」

美雪が自身の「Q」のPDAを取り出し、端子同士を向かい合わせたと同時に。
PDAの画面の「機能」タブが点滅を始めた。


『このツールボックスをPDAの側面コネクターに接続することによって
 PDAに新たな機能を持ったソフトウェアを組み込み、カスタマイズすることが可能です。
 ソフトウェアを組み込めば他のプレイヤーに対して大きなアドバンテージとなりますが、
 強力なソフトウェアは起動するとバッテリー消費が早まるように設定されています。 
 使い過ぎてPDAが起動できなくなり、首輪を外せなくなる事が無いように注意しましょう。
 なお、一つのツールボックスでインストール可能なPDAは1台のみです。
 どのPDAにインストールするかは慎重に選びましょう』


「やっぱり正解、みたいですね」

画面上に表れた文字の羅列を目で追いながら美雪は呟いた。

「みたいだね。ってことはアイツ、ホントの事ばっか言ってたのかよ。何なんだ」
「実はその人、『いいひと』だったって事は無いの?」
「それはない」
「有り得ません」
「うわ――美雪にそこまで断言させるなんて相当なのね、ソイツ」

ただ一人長沢に面識の無い菜緒は、美雪の意外な剣幕に少し驚いた様子を見せた。

「ま、たぶん自分だけが知ってる知識をひけらかしたかったんだろうさ。さて――どうしようか?」
「どうするって、せっかくのお役立ちツールなんだからとっととインストールすればいいんじゃないの?」
「いや、誰のPDAにインストールするべきかな、と」

どうやら注意書きによればそれぞれのツールは1つのPDAにしかインストールできないらしい。
現在ここに居る参加者は3人。PDAは全部で3つ。
圭介が偽装して使用しているJOKERも加えれば4つとなる。
だがまさかここで「A」のPDAを晒すわけにはいかない。
そして特別仕様であるJOKERに正常にインストールされるものかも疑わしい。
圭介は何としても自分のPDAに拡張ツールを差し込む事態は避けねばならなかった。

「――よし。森下さんのにインストールしよう」
「美雪のPDAに?」
「ああ。この中で一番PDAを上手く使いこなせるのはやっぱり森下さんだからね。
 それと俺のは解除が成功次第、菜緒の解除に使うつもりで壊す事が前提だから」

「そうですね。逆にわたしのPDAは71時間経過までは壊すわけにはいかないから――」
「そういうこと。一番永く使われるはずのものにインストールした方がいいのかな、って」
「ふうん。こーゆー事考え付くのは早いわよね、圭介って」
「必死だからね。これでも」

――嘘を付いている事がバレないように。

また自虐が圭介の内に思い浮かんだ。兎に角これでおかしな部分は無いはずだ。
ナイフ同様、自分を除外する理屈としては上々だと圭介は二人の答えを待つ。

「わかりました。そういうことなら――えいっ!」

疑う事も無く納得したのか。
美雪は掛け声と共に「tool:Enhance Map」のツールボックスをPDAのコネクタに差し込んだ。
画面が切り替わり、インストールの進捗状況を表わすバーが表示され、秒刻みで伸びて行く。

「何か、ドキドキしますね。わたし、インストールとかあまりした事が無いものですから」
「美雪はパソコン持ってないからね。今のご時世、貴重な人材よホント」
「へえ、それは珍しいね。俺でも家に一台有るのに」
「どーせやらしい画像やゲームばっか入ってるんでしょ」
「お前は俺を何だと思ってるんだ。そんなの3つか4つくらいしかねーよ」
「――やっぱりあるんじゃないですか」

などといった会話を交わしている間に、程無くインストールは完了した。

「あ、二人とも見て下さいこれ!」
「どれどれ――お、こりゃスゴいな」

美雪が再び地図を開いて見せると、そこには各所に用途に応じた名称が記されていた。
地図拡張、という名称にどうやら偽りは無いようだ。

「色もカラフルになってぐっと見易くなりました。これで場所の検索が早くなりそうです」
「そうだね。ん? これは――」

洗面所、資材置き場等々。
表示された文字を追って地図をスクロールしていくと興味深い単語に行き着いた。

「『戦闘禁止エリア』――? 美雪、これって最初の6時間だけなんじゃなかったっけ?」
「あ、そういえば解除された時のアナウンスで『個別に設定された部屋はそのまま』って言ってたかも」
「戦闘禁止エリアの部屋、か」

つまりそれはその部屋にいる限りは誰にも襲われる危険は無い、という事だ。
木戸や長沢の脅威に怯える必要も無い。長めの休息を取るには打ってつけだ。
無論そこに留まり続けると今度は時間制限や解除条件に差し障ることにも成るのだろうが。

「あ! もしかすると、ここに先に2階に上がった人がいる可能性って無いですか?」
「ん? ああ、そうかもね」
「もしそうなら鳴神くんの考えた通り仲間が増やせるかもしれません! 上手く行けばJOKERも見つかるかも!」
「――うん」

ずきりと胸が痛んだ。そのような意を含ませて2階へ上がる事を圭介は確かに提案した。
だがそれは所詮乃得留たちから遠ざかりたいがための屁理屈でしか無い。
圭介の本音はもうこれ以上の協力者など増やしたくは無いのだ。
彼の偽装を看破できる参加者は――何も乃得留だけに限らないのだから。

(――JOKER、か)

ふと圭介はとある可能性に思い至る。それは無論、この二人の前では決して明かせないものだ。

「OK、じゃ一先ずそこに向かってみよう。そこに食べ物もあれば最高なんだけど」
「あ、そう言えば当初の目的ってそれだったわよね」

すっかり忘れていた、とばかりに菜緒が腹部を抑えて見せる。

「森下さんの言う通り、食い物が無いわけはないだろうからな――とりあえずここにはもう用は無いか」

圭介は部屋の内部をぐるりと見渡す。
口の開いた箱や菜緒の手で荒らされた棚を見るにどうやら散策はし尽くした感がある。
これ以上の発見はこの部屋ではもう見込めないだろう。

「森下さん、もう一つのインストールは終わった?」
「あ、あともう少しで――今終わりました。やっぱり排気ダクトの地図みたいですね」

美雪のPDAの画面を肩越しに覗き込むと確かに通路を跨いで妙なラインが書き込まれている。
この部屋はラインに引っ掛かってはいないのでダクトは通っていないという事なのだろう。
後々確認しておく必要があるかもな、と圭介はとりあえずその件に関しては頭の隅に留めておくことにした。

「じゃ、出発しようか――と、その前に森下さん」
「はい?」
「悪いんだけど――ここから一番近いトイレを検索してくれる?」
「お手洗い、ですか? えっと――3ブロックほど先にあるみたいですね」
「そっか。すまん二人とも。先にそこに寄らせてくれ。用足しがしたい」
「圭介、ビッグ? スモール?」
「――ノーコメントだ」

意地の悪い菜緒の視線を跳ね除けつつ、圭介は扉のノブに手をかけた。






「じゃ、二人ともここで待っててくれ。すぐ終わるから」

トイレまでは問題無く辿り着く事が出来た。
突然の襲撃を受ける事も無ければ怪しい人影も発見する事も無かった。

「はい。ごゆっくりどうぞ」
「――そう言われると何だか気恥かしいな」

美雪の丁重な見送りを受け、圭介は部屋の中に身体を滑り込ませる。
男女共用のものと思しき施設はそれなりの広さと設備の数だった。
だが長い間手入れがされてないらしく、厚い埃と不快な臭いに塗れている。

(さて、と)

気遣いの出来る二人であろうから自分が中にいる間に入ってくることは無いだろう。
だが念のため圭介は個室に移動し、鍵を閉めた。
彼がこの場所への移動を促したのは実際に用足しを行うためではない。
美雪と菜緒、二人の目の届かない所である可能性の確認を行うためであった。

上着のポケットからPDAを取り出す。
本来圭介に割り当てられた「A」の方ではなく偽装に使用しているJOKERの方を。

(JOKERの機能は、他のPDAと寸分無く偽装が行える事。なら――)

圭介が最初にJOKERを「6」に偽装してから既に数時間が経過している。
再度の絵柄変更が可能になるのは一時間であるのでもう次の変更は行えるという事だ。

初期画面に戻し、他のPDAにはないパネルに指で触れる。
表示された13の絵柄から、「6」ではない絵柄を選び出す。
絵柄を確定させ次に「機能」タブから地図表示を選択し――

「――やっぱり、そうか」

思わず圭介の口から呟きが漏れた。
表示された地図にはカラフルな色彩と共に、施設の名称が各所に記載されていた。

そう。圭介が選択したのは美雪の「Q」。
そしてこれこそが圭介が思い至ったJOKERの新たな可能性だった。
JOKERは「ツールによって拡張された他のPDA」にすら偽装が可能であったのだ。

「各ツールがインストール可能なPDAは1台だけ」というルールは参加者への制限のためであろう。
だがJOKERはその制限をも凌駕する。
一部のカードゲームに適用されるように、正に万能にして最強のカードというわけだ。

無論今のままでは大した効果は見込めない。
美雪のPDAと同じ機能が追加されたPDAを、まさか彼女たちの前で使うわけにもいかないからだ。
そんな事をすればたちまちJOKERの所持が露見してしまう危険性がある。

(けど、他の参加者の進行状況を把握する足がかりにはなる)

だが圭介の頭脳は更なる可能性を導き出す。
今でこそ絵柄は「Q」ではあるが圭介は今後頻繁に変更を行うつもりだった。
その段階でもし何かの絵柄に機能が追加されていれば、その所持者は「ゲーム」に積極的であると判断できる。
そして機能が多種になるほど、上の階層に上がっているとも読み取れるだろう。
更には木戸や長沢たちの追加機能が判明すれば、その裏を取ることも可能になってくる。

自分だけが知り得る情報。
JOKER所持者にのみ与えられた特権。

何としても使いこなして見せる、圭介はそう心に誓った。

(そうだとも。これを――この機能を使って、俺は絶対に見つけてみせる!)

何としても助かる方法を。
美雪や菜緒を傷付けずに助かる方法を。

(そうじゃないと、俺は――)

いずれ甘い誘惑に身を委ねてしまうかもしれない。それが怖かった。
誘惑から逃れるために、嘘を重ねている事実が怖かった。
このままではどちらに進んでも押し潰されてしまう。そう考える自分の弱さが嫌で嫌で仕方が無い。

(俺、は――)

だが解決は未だ遠い。解決は未だ見えてこない。
圭介はPDAを握り締め、独り、嘆く。


万能のJOKERの所持者は、万能とは程遠い存在だった。







 ゲーム開始より9時間52分経過/残り63時間08分



[21380] EPISODE-24
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 07:37
同時刻、某所。
ままならぬ現実と己の無力に苦悩する圭介の姿が巨大モニターに映し出されていた。

そのモニターが設置されている場所は「施設」の埃と死に塗れた環境とはまるで真逆であった。
天井には煌びやかなシャンデリア。床には豪奢なカーペット。
テーブルクロスや銀食器に至るまで高級かつ高価な装飾で彩られている。
贅の限りを尽くした、と言わんばかりのそのフロアを闊歩するのは当然の如く華やかな衣装を纏った者たち。
およそ貧困とは無縁であろう数々の人物が設置されたスロットやカードゲームといった遊戯に興じていた。
無論、遊戯と言っても動く金額は生半可なものではない。
今人々の間で粗雑に扱われているコイン一枚でも一般人にしてみれば垂涎を通り越して卒倒する価格の代替だ。
とは言えこの場を訪れた人間の立場から見ればそんな額でも手慰みに等しいものなのであるが。

「この『ゲーム』は自分たちの命の行く末を玩ぶ見世物である」

圭介がJOKERと共に発見した監視カメラから立てた推測は正鵠を射ていた。
世界の闇を跋扈する「組織」によって運営されているこのカジノの遊戯の一つとして「ゲーム」は存在しているのだ。
施設各所に配置された監視カメラによって「ゲーム」参加者の動向はカジノの巨大モニターでライブ中継されている。
カジノの来賓はそれを観戦しつつ生き残りを予想し、それぞれの参加者にBETする。
人の生き死にを賭けの対象にする事に嫌悪感を示す者など此処にはいない。
逆にどれだけ参加者が非業な結末を迎えるかを最上の悦楽とする者さえ存在する。
莫大な財を得たが為に人としての倫理観が曖昧になった世界各国の資産家たち。
そんな狂気に辿り着いた選ばれし人物たちこそがこのカジノの上客であり「組織」のパトロン達であるのだ。
理不尽な拉致を受け「ゲーム」に参加させられた圭介たち参加者も自分たちが玩ばれている自覚は有る。
だがこれほどまでに粗末な、玩具にも劣る扱いであるとはまだ誰も想像だにしていなかった。





そんなカジノフロアの上部に、関係者以外は立ち入り禁止の部屋がある。
巨大なコンピューターや操作盤で大半が埋め尽くされたその部屋に、初老の紳士・金田は独り佇んでいた。
金田は「組織」の最高幹部会を一席を務める重鎮で、特に出納関係を任されている人物である。
そんな彼にとってこのカジノは一つの悩みの種だった。
興行としての収益は莫大。顧客の需要としても上々。
だがその最大の注目の的である催しは過分に常軌を逸脱している。
今まで幾度と無く開催され、その度に好評を得てきた「ゲーム」。
それは一般人を拉致し、その大半を闇に葬る事になるというリスクを常に抱えていた。
既に犠牲となった人間の数は千に届こうかという勢いだ。

――このままこの「ゲーム」を続けていて良いものなのだろうか。

金田の脳裏に数年前、危うく「組織」の破綻に繋がりかけた事件がよぎる。
対抗勢力の工作により、「組織」の頂点に立つ男の肉親が「ゲーム」に巻き込まれた事件。
寸での処で救出は間に合い、当時は事無きを得る事が出来た。

だが同じような事象が、今後も起きないと言える保証があるのか?
ここ数年、動きを潜めている対抗組織「エース」が活動を再開するのではないか?

夜毎金田は気を揉む日々が続いている。
そして「ゲーム」が開催される度、彼の足は自然カジノへと向いた。
望まぬ破綻の切欠が、今回も生じない事を願いながら。

「おや、金田さま。いらしてたんですかい」

声に気付いて金田が振り向くと、出入り口からタキシードを身に纏った青年が現れた。
今回のカジノのディーラーであり現場責任者でもある彼は革靴を突っ掛けながら金田に近づいてくる。

「うむ――どうだね、首尾は」
「首尾も何も、まだ序盤でしょうに。大した動きもありませんでさ」

およそ上司に対する口利きとは思えぬ物言いで男はにへらと笑って見せる。

(この男は、まったく――)

不快感を表に出さぬよう必死だった。
件の事件の責任を取らされた前任者に代わり数年前に就任したこの男を、金田は苦手としていた。
支給された装飾は上等であるものの、その中身はお世辞にも釣り合っているとは言い難い。
言葉遣いは出鱈目で、責任者の自覚は無いのかこうして頻繁に席を外す。
ある時職務を放り出して有ろう事か自らスロットに興じ続けていた時には流石に開いた口が塞がらなかった。
しかもタキシードをだらしなく着崩し胸元は丁寧にもご開帳。頭髪の色は品の無い金髪。
およそカジノのディーラーとしては相応しくない男である。

だが悔しいかな、その手腕と客受けは素晴らしいものなのだ。
デビュー以来型破りのディーラーとして注目を浴び、「普通」を嫌悪する富豪たちの心をたちまち惹きつけた。
そして驚くべき行動力と発想力で、事件以後下火になっていたカジノに活気を取り戻したのだ。

一体誰がこんな男をディーラーに推薦したのか、未だに謎に包まれている。
だが「組織」としては思わぬ拾い物だった、という事実だけは確かであった。

「大した動きは無い、か――その割には開始早々トラブルに見舞われた様だが」

意趣返し、という訳ではないが「ゲーム」の進行について探りを入れてみることにした。
今回の「ゲーム」ではその最序盤で未曾有の事態が起こってしまった。
何と戦闘禁止エリアの解除を前にして、サブマスター・利根川静香がペナルティを受け死亡してしまったのだ。
彼女の人材としての価値は「組織」にとっては些細なものであり、死亡自体は体制に影響するものではない。
だが注目参加者の追従カメラマンを兼任するサブマスターの早期脱落は「ゲーム」の魅力を低下させるものである。
更には「組織」側の人間と認識されている静香の最終生存にBETした観客も少なくは無く、
「不手際に該当するのではないか」といった苦情が運営側に次々に寄せられた。

ちなみにその時この男は何処へと一時的に姿を晦ましブーイングの嵐からきっちり逃れていたのであるが。

「んー。まあ確かに困りものですが起きちまった事態は仕方がねえっしょ。
 過去の『ゲーム』でもサブマスの死亡率は2割を超えてるワケですし」

だが男は至って涼しい顔で頭髪を掻き揚げて見せる。そんな態度がまた腹立たしい。

「それに一部ではウケを取れたじゃねえですか。ま、それでトントン、ってことで」

軽々しく言ってくれる、と金田は眉間に皺を寄せた。
だがそのような声が聞こえてきたのも事実である。意外な展開だ、と一部では喝采も上がった。
そして「ゲーム」の運営において「意外な展開」とはこの男の最も得意とするものなのだ。

例えばある時。参加者として拉致してきた一般人の中に双子の姉妹が居た。
演出として考えるならば彼女らに与えるPDAは「A」と「Q」が適当である。
仲睦まじい姉妹に生存権は一つしか与えない。
生への執着のために比翼の鳥に手を掛けさせるのが通常のディーラーの発想だ。
ところがこの男が二人に与えたPDAはなんと「J」と「Q」。
争うどころか協力関係に最も相性の良いカードを与えられた双子は当然の如く互いに手を取り合った。
しかし「J」のフラグが立つ寸前の23時間が経過した時。
男は「A」を持つ当時のゲームマスターに「Q」を持つ姉を殺害させたのだ。
同胞を失い絶望に叩き落とされた「J」の妹。
だがそれでも生き延びるためには新たに24時間の条件を成立させねばならない。
哀れ妹は争いの激化し始めた施設の中で必死に協力者を探し歩く。
傷付き、裏切られ。それでも彼女は仲間を求め。そして遂には血の海に沈んだ。
その斬新なシナリオは大好評を博し、多くの観客から男は敏腕ディーラーとしての支持を集める事となった。

またある時は「A」「3」「9」と言った危険なカードの所持者を序盤に纏めてリタイアさせた。
この時点でルールの繋がりを綿密に紐解けば、残る参加者は誰一人争う事無く条件を達成できる事になる。
だがそれが逆に互いの不信感を煽る事となった。
JOKERの存在も手伝ってかつて無い初期段階での激しい殺し合いが行われた。
組織側の人間を除いた最終生存者が確定したのが「ゲーム」開始から10時間27分。
このレコードは勿論「ゲーム」の歴史の中でも最短記録であり、未だ破られてはいない。

「まさか――これも君の差し金なのか?」

そんな数々の奇跡を操ってきたこの男のことである。
若しやこれも演出の一環なのか、と金田が疑うのも当然ではあった。

「違いますよ。残念ながら、ね」

だが男は大仰に肩を竦めて見せる。

「今回のは100%純粋なトラブルですよ。いやはや、頭の痛いこってす」
「とてもそうは見えんがね」

金田としてはそれが精一杯の悪態だった。
男はさして意に介した様子も無く煙草を取り出し火を点ける。

「この部屋は禁煙だ」
「おおっと。こりゃ失礼」

慌てて男は煙草を床に投げ捨て、靴で踏みにじり鎮火した。

(まったく、何度言えばわかるんだ――)

今まで何度も繰り返されてきたこのやり取りで上等な絨毯にはあちこちに焦げ跡が付いている。
最早言い聞かせるのも億劫になっていた金田は重く息を吐き出した。

「ま、正直に白状しますと今回の俺は演出にはノータッチでして」
「ほう」

これは意外な発言だった。
こと「ゲーム」の運営に関してだけは他者に譲れぬものを持っていると思っていたのだが。

「だって今回は期待のルーキーのデビュー戦ですし。なのに俺の木偶じゃつまらんでしょう、色々と」
「まあ、な」

「ゲーム」の最中において時にゲームマスター自身が犠牲者に名を連ねるのは決して少ない事例ではない。
そうなると必然その都度貴重な人材を失っている事となる。ならば次なる人材を発掘し、育成せねばならない。
「ゲーム」とは参加者にとっての生存競争の舞台である。
そして資質を持ったゲームマスター候補者にとっても「組織」で名を上げるための恰好の機会でもあるのだ。

「それにしてもまったくのサポート無し、かね? それでは――」

今回のマスターは確かに有能な候補者である。過去のマスターと比較しても傑出していると言っていい。
数年前の「ゲーム」で惜しくも命を散らしたあの郷田真弓をも凌ぐのではないかと専らの評判である。
しかしそれ程の才能を持った者だからこそ、バックアップが必要なのではないだろうか?
ゲームマスターに「ゲーム」内で許可されている行動は確かに幅の広いものだ。
だがそれで全ての死の危険から逃れられるものではない。
他の参加者だって生き延びるのに死に物狂いで有ろうし、
上階に隠されている戦術兵器の威力に巻き込まれないとも限らない。

「まあそこは奴のたっての希望、ってことで」
「しかし――」

しかも今回は有事の際にはサポートすべきサブマスターは既に死亡しているのだ。
手に負えない状況となっても金田の立場としては指を咥えて見守ることしか出来ない事になる。

「利根川の死亡が確認された時にも通信を寄越してきましたよ。助けは不要だ、と断言されました」
「――」
「過保護だねえ、金田の旦那も。奴に身贔屓になる理由でもお有りで?」
「いや特には。会話すら碌に交わしたこともない間柄だからな」

故に今回のゲームマスターの生死に心を痛める事は無い。
「組織」内部でも比較的温厚な人柄と知られる金田ではあるがそれでも闇を統べる非道の一員である。
人の命の重みなどとうの昔に麻痺している。彼の危惧すべきは偏に組織の体制維持、それだけだ。
「組織」の手足となり糧となる人材の損失以外に過保護になる理由など有りはしない。

「そもそもこの部屋が『コントロールルーム』と呼ばれていたのは昔の話でしょう。
 指示出しすら封じられちゃ俺に出来る事なんざありゃしませんぜ」

「まあ、そうなのだがな」

かつてその名で呼ばれていたこの部屋は施設のシステム管理の中枢であった。
科学技術をふんだんに盛り込まれて建築された「ゲーム」の舞台裏を一手に司る。
それがこの部屋の本来の機能であり、ディーラーの責務であった。
だが現場と距離を置くことで得たスタッフの安全と引き換えに、現場でのトラブルへの対応力を失っていた。
その隙を対抗勢力に突き崩され、窮地へと陥りかけたのが数年前の事件である。

以降システム管理は別部署に設置され、施設内の設備に関しても大幅に見直された。
その恩恵としてペナルティに該当する行動項目などもより綿密なものとなった。
実動部隊も抜擢されたとある人物の元統制され、より強力かつ迅速な動きが取れるようになった。
数年前にその実体を露わにした「エース」ほどの規模になると厄介ではあるが、
多少の武装組織に対しては抑止力と成り得るだけの力を「組織」は今蓄えている。
尤もあまりにも統制され過ぎて件の人物が「組織」内で予想以上に発言権を得てしまったのが悩みの種でもあるのだが。

そのような由縁でこの部屋は現在「コントロールルーム」とは名ばかりのものになっている。
現場へのシステム介入は大幅に制限され、寧ろカジノ施設の管理部分が強化された。
ディーラー業務もかつてのものとは変更され、現在は統括者としてタクトを振りシステム部への指示を出す事が主となっていた。

「とは言え、さすがにそれじゃ俺としても面白くはないもんで。
 とりあえずタレントの選抜だけは力を入れさせてもらいました」

操作盤の片端に腰を乗せ、男はコンソールの上に指を滑らせる。
カジノフロアに設置されたものと同じ大きさのモニターに今回の参加者のプロフィールとオッズが表示された。
その内の一人、頬骨が浮き出るほど痩せ衰えた白髪の青年の顔が金田の目に留まる。

「――長沢勇治か」
「いやー、あのガキを探し当てるのには骨が折れたですわ」
「使えるのか? 奴は。最早余命幾許も無いと聞いているのだが」
「だからこそ、でさ。今回の『ゲーム』で華々しく散ってもらいやしょう」
「随分な言い草だな。仮にも同じ『ゲーム』で生き残った仲間だろうに」
「仲間? 俺とあのガキが? ははっ、こいつは傑作だ!」

男は文字通り腹を抱えて笑い転げた。
アイツを仲間と呼ぶくらいならそこらの野良犬と絆を結んだ方がマシだ、などと叫びながら。

「無論冗談だ。『ゲーム』にそんな言葉が相応しくない事くらい熟知している」
「冗談!? なるほど、旦那もようやくユーモアって奴がわかってきたってことですか!」
「――君もそろそろ口の利き方には気を付けた方がいい。この『組織』でのし上がりたいのならな」
「いや失敬――まあこれも金田の旦那の器の大きさあってのものでして」
「――」

今更取り繕っても遅い、と喉まで出かけた本音を金田は辛うじて飲みこんだ。

「長沢に関しては了解した。だが、手札はそれだけか? だとすれば些か役不足だな」
「またまた。旦那もとっくにご存知でしょうに」
「当然だ。誰が序盤の混乱を引き起こしたと思っている」

金田はモニターに映し出された長沢の顔写真から斜め下に視線を移す。
今彼が注視している人物こそが今回最大の問題児にしてサブマスターを速やかに抹殺した人物だ。

「扱いが難しいとは聞いていた。だがこれ程のじゃじゃ馬とはな」
「いや、まったくです――馬には見えませんがね」
「気易く言ってくれるな。本当に奴の出自は確かなのか?」
「さて、どうでしょう」
「以前のような事件を起こすわけにはいかないのだぞ!? そうなると君の責任問題だけ――」

「――」
「だけ、では――」

つい声を荒げてしまった事を自省するよりも先に。金田は戦慄した。
男は口元を釣り上げ不敵に笑っている。自分の責任など知った事では無いと。

身の破滅は誰であれ恐ろしく、是が非でも避けたい事象である。
だがそのギリギリのラインで得られる悦楽も確かに存在する。

カジノの客たちはそれを求めてこの場に集う。
そしてそんな彼らを手玉に取るこの男こそが――誰よりもそれを貪欲に貪っているのだ。

「ま、大人しく見守って下さい。金田の旦那」

狂者の巣に君臨する狂気の王は、静かに言い放つ。


「まもなく我らのキラークィーンが目を醒ましますんで」





 ゲーム開始より10時間00分経過/残り63時間00分



[21380] EPISODE-25
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 07:49
『あなたが入ろうとしている部屋は戦闘禁止エリアに指定されています。
 部屋の中での戦闘行為を禁じます。違反者は例外なく処分されます』


圭介が扉の前に到達すると同時にPDAのアラームが鳴り響き、以上の文面が表示された。

「なんだ、近くまで来るとちゃんと教えてくれるんだな」

拍子抜けだ、とばかりに圭介は口を尖らせる。
この個別に設定された戦闘禁止エリアの情報は、ツールボックスの地図拡張機能によって齎されたものである。
しかしこれでは誰もが接近するだけでその存在を知り得ることが出来、立ち寄ることが可能ではないか。
自分たちのみに与えられた特権であるとつい良い気になっていた圭介は多少の不満を抱く思いだった。

(けど、裏を返せばこの中は確実に安全、という訳か)

そして同時に不安視していた一つの可能性が立ち消えた事に安堵する。
もしこの告知が行われず、部屋の中に好戦的な参加者がいたとして。
そうなれば強襲され警備システムの攻撃に巻き込まれ死ぬ、などといった可能性も無いわけではなかったからだ。
この戦闘禁止エリアは間接的な罠ではなく、純粋に参加者の休憩施設として構築されたもの。
それがはっきりしただけでも収穫だろう、と圭介は前向きに考えることにした。

「どしたの? 圭介。早く入ろうよ」
「ん、ああ、悪い」

菜緒にせっつかれ、圭介はドアノブに手をかける。今回に限り中の警戒をする必要は無い。

「誰か、中に居るといいですね」

誰でも利用できる事実は他参加者との遭遇確率を高めることになる。
未だ圭介の戯言を真摯に受け止めている美雪の呟きに、圭介は何も言葉を返すことができなかった。

金属が軋み、音を立てる。

「――はい?」

その向こうには他の部屋と変わり映えの無い光景が広がっている。
そう思い込んでいた圭介はその部屋と想像との違いに思わず間の抜けた声を上げてしまった。

「わ、すごく綺麗ですねこの部屋!」
「ホント! 外とは大違いじゃない!」

二人の少女は嬉々として中に足を踏み入れる。
部屋の広さは20畳くらいだろうか。いや広さなどこの際問題ではない。
煌びやか、とは過言であろうがそう表現したくなるくらいに様相は異質であった。
隅々まで清掃が行き届いていると思しき室内は赤色の絨毯が敷き詰められている。
テーブルセットやソファー、キッチンといった有益な設備が整然と備え付けられて、
その様は正にサロンルームと称するに相応しい。

(――ったく。何処までも人をコケにしてくれるよ)

殺し合いの舞台にこれほどあからさまな休憩区画を用意している。
その主催者の底意地の悪い思惑に圭介は不快を通り越していっそ清々しさすら感じた。
どうやらとことんまで自分たちを「ゲーム」のプレイヤーに仕立て上げたいらしい。
ぐるりと天井付近を見回すと案の定幾つかの監視カメラの存在が見受けられた。
目先の安全を確保してはしゃぎ回る自分たちの姿はさぞや滑稽に映っていることだろう。

だが悲観的にばかり考えても仕方が無い。
一先ず圭介は現状をありがたく受け止めることにした。

「よし、じゃあとりあえず色々と調べてみますか――って菜緒、お前何してんだ」
「んー? 食べ物探し。もういい加減お腹限界だし」

圭介が動き出すより早く、菜緒はキッチン内の棚を片端から開け回っていた。
年頃の娘としてはあまりにも豪快が過ぎる行動である。

「森下さん。武術道場の娘ってのは清楚でお淑やかであるべきだという俺の考えは間違ってるんだろうか?」
「あ、あはは――菜緒の両親は躾や作法にはそれ程煩くない方ですので」

答える美雪の表情も若干引きつって見えた。
みっともない、とまでは行かないまでもあまり見栄えが良くない事には同意なのだろう。

「うーん、大漁、大漁!」

しばし圭介たちが呆然としている内に、迅速なる捜索を終えた菜緒が多量の物品を両手に抱えて戻って来た。

「お、こりゃすごいな」

その大いなる収穫に菜緒を咎める気持ちも失せ、圭介は目を丸くする。
テーブルの上に置かれたそれは缶詰、レトルト食品、燻製肉に多少保存の効く根野菜などなど。
俗に言う「アウトドア食品」なるものは一通り揃っている様だ。

「美雪、さっきのナイフ貸して! 肉刻むからニク!」
「お前は何処の狩猟民族だ」
「うーん、美味しい! 空腹は最大の調味料とは正にこの事ねっ!」

圭介の皮肉を意にも介さず菜緒はナイフで燻製肉を器用に削いで口に運ぶ。
まさか凶器として配備されていた刃物にこのような用途を見出すとは恐るべき少女である。

「はい、二人にも」
「お、スマンな」
「ありがと」

圭介も渡された肉片を相伴に預かる事にした。
程良い固さと凝縮された肉の旨みが口の中に拡がっていく。
菜緒の言葉通り、今の圭介にそれは至上の美味にも感じられた。

「うん美味い。美味いけど、さすがにこれだけじゃ物足りないな」
「あらそう? じゃ、次はどれにする? あたしは缶詰にしよっかな」
「いや、そうじゃなくてだな。せっかくキッチンもあることだしもっと手の込んだものを食いたいな、と。
 材料もそれなりに有るし、それにせっかく女の子が二人もいるんだし」

贅沢を言える状況では無い事は重々理解しているつもりである。
だがそこまで時間が逼迫してる訳でも無く、寧ろあと3日近くの時間を消費せねばならない。
そこで漸く発見することが出来た安全地帯に整った設備。そして二人の少女。
恩を着せるつもりは無いがそれでも美雪と菜緒、それぞれの命の危機に身体を張った自負はある。
ならばこの程度の贅沢を要求しても罰は当たるまい――と期待の籠った目で圭介は二人を見据えた。

ところが。

「――」
「あ、えーっと――あはは」
「え、なにこの反応」

美雪と菜緒は互いに顔を見合わせていた。
それは「食事を作れ」という要求に対して不服がある、という様子ではない。
逆に「作ってあげたいのは山々なんだけど」などと言う複雑な感情が見て取れる。
と、いうことは。つまり。

「まさか――二人揃って『料理は苦手』とか言うオチではなかろうな」
「――ごめんなさい」
「材料刻むのだけは得意なんだけど」
「ぐはっ」

美少女二人に手料理を振舞われる、という願っても無い状況は哀れ泡沫と消える事となってしまった。

「あ、でもフォローしとくけどあたしはともかく美雪は別に料理苦手ってワケじゃないのよ? 
 ちゃんと美味しいもの作れるし。ただ――」

「ただ?」
「――凝り性な上にすごく手が遅いのよ」
「? それだけか? そんなの別に欠点って程じゃ」
「具体的に言えば昼食が夕食になるわ」
「――確かにそれは欠点だ」
「そうなんです。ですからお家に招待して料理を振舞うのは得意なんですけど、
 時間の限られている調理実習とかだとちょっと――」

「ふーむ」

如何に時間に余裕があるとは言え、悠長に調理に何時間もかけるわけにもいかない。
残念ながら今は諦める他は無さそうだった。

「ま、それも仕方が無いさ。それより後の食事は後回しだ」
「えー何でー」
「この部屋の全部の確認がまだ終わって無い」

缶詰を開けかけていた菜緒にぴしゃりと言い含める。
圭介の気がかりは奥に位置する二つの扉だった。
美雪のPDAによればこの部屋への出入り口は自分たちが入ってきた一つのみ。
部屋の用途から推察するに扉の向こうは別室か付随設備以外には考えられないが、それでも用心に越したことは無い。

「そっか。それもそうだよね、うん」

自然体の中にも命のやり取りの最中だという自覚はあるのだろう。
菜緒は圭介の言葉を快諾し、開けかけの缶詰をテーブルに置いて立ち上がった。

そのまま3人は連れ立って扉の調査へと向かう。
まず最初の扉はバスルームへのものだった。中は部屋そのものより一層丁寧に清掃されている。
身綺麗にできる設備の発見は女性陣に好評を博すこととなった。

そして残る扉はベッドルームへ続いていた。

「――」

圭介は先頭に立って静かに部屋へ足を踏み入れ、その背中に寄り添うように菜緒が続く。
後方から襲撃される可能性は今回に限り有り得ないので最後尾が美雪という形になっていた。

「なんか、ホテルの一室みたい」
「ほ、ホテルに入ったことがあるのか!?」
「うん、中学の修学旅行の時に――って、何かヘンな勘違いしてるでしょ!」

室内には大きめのベッドが二つ備え付けられていた。
その内一つは間取りの関係上、入口からはその全体像が見えなくなっている。
圭介の目に見える方のベッドには特に異常は見当たらない。
となればもう一つの方、こちらの確認さえ取れれば晴れてこの戦闘禁止エリアは問題無し、となるのだが――

「――な」

そう上手く事は運んでくれなかった。
圭介が不安視していた通り。圭介のみが不安視していた通り。

そこにはいた、のだ。先客が。

「――え?」

圭介の背中から顔を覗かせた菜緒が唖然となる。
入口から死角となっていた方のベッド。そのベッドの上で。

小さな少女が安らかな寝息を立てて眠っていた。

「わ――す、すごく可愛い子ですね」
「う、うんうん、まるで人形みたい!」

美雪と菜緒は驚きを隠そうともせず、口々に少女を評している。

(――)

この時ばかりは異性の見識を超えて圭介も同意せざるを得なかった。
それ程にこの眠り姫の姿は愛らしいものなのだ。

少年のように短い漆黒の頭髪と淡雪のように白い肌のコントラスト。
毛布に覆われてなお浮き出る小さな身体と細い手足。
そして穢れを知らぬかの如き無垢な寝顔。
まるで物語の1ページをそのまま切り取ってきたかのような。
そんな現実から剥離したその姿に錯覚が起こり、目を奪われずにはいられない。

「気持ち良さそうに眠ってますね。このままそっとしてあげましょうか」
「うん、そうね。それがいいと思う」

それは気遣いなのか、目の前の芸術を壊したく無いが為なのか。
遠巻きに少女を見守る二人の視線にもまた陶酔の色が見て取れた。

「――この子もやっぱり参加者、なんだよな」
「え、そうなの!? ――あ、ホントだ。首輪してる」

調和を乱す銀の輝きに思わず菜緒は眉を潜める。
それは少女が圭介と同じ立場の人間であり、不幸に見舞われた証であった。

「こんな小さな子まで――本当に、酷いです」
「まったくだ」
「そうね。ムカつくわ、ホント」

こんな幼い少女に何が出来るとも思えない。
寧ろ何も出来ないからこそ彼女は選ばれた、とも考えられる。
だとすると異常にも程がある。流石の圭介も胸が悪くなる思いだった。

「助けてあげたい、そう考えるのは傲慢な事なのでしょうか」

美雪のそんな力無い呟きは、今までの道程があまりにも理想とかけ離れている所為なのだろう。
心優しい少女はもうそんなごく普通な思いすら断言出来なくなっているのだ。

「何言ってんのよ、『助けたい』って、そんなのあったりまえじゃない!」
「おい馬鹿、声がデカすぎんぞ」

殊更に声を荒げて見せる菜緒もまた、何時もの様子とは思えなかった。

――そして。

「――ん」
「あっ!」

小さな少女の唇から、か細い声が漏れた。
その身体が反転し、そのままもぞもぞと動き始める。

「ど、どうしよう圭介」
「いや今更俺にそんなこと言われても」

自分の声が少女の眠りを妨げてしまったという菜緒の動揺を他所に。
やがて少女はむくりと上半身を擡げ、ゆっくりとその二つの眼を開いた。

「――」

2度、3度。瞼を瞬かせる。緩慢な動作で左右に首を横に振る。

「あ、あの、えーと――お、おはよう!」
「――」

恐る恐る声をかけた菜緒に対して少女は無言。
まだ完全に意識が覚醒していないのか。周囲を取り巻く異質な状況に特に反応は見せない。
肩から毛布が滑り落ち、少女の衣服が露わになる。
もう冬に差し掛かろうという季節なのにサマードレスにアームカバー。
そして垣間見える足を覆うニーソックスに至るまで、彼女の衣は黒で統一されていた。

(――ん?)

ふと、圭介は少女と目が合った。

「――」
(――な、なんだ?)

こちらを明白に注視してなお少女は微動だにせず逆に圭介が戸惑ってしまう。
無表情どころの話ではない。頭髪と同じ黒き双眸の奥からは何も伝わって来なかった。
年頃の少女としてばかりか、およそ人としての感情の全てが見えてこない。
先程までとはまた違った意味で造形物と相対しているかのようだ。
最初に出会った楯岡和志も無感情な人間ではあったが彼女に比べればまだ人の範疇だと思えてくる程だ。

「あ、あの――お名前、聞いてもいいかな?」

菜緒に代わって今度は美雪が声を掛ける。

「――ゆいこ。黒江――唯子」

それは小さな声で素っ気無いものではあったが漸く返ってきた反応にその場の緊張は多少緩和された。

「そっか。唯子ちゃん、だね。唯子ちゃんは、誰かと一緒じゃなかったのかな?」
「――」
「あ、そ、その服可愛いよね! もしかして黒が好き、だったりするの?」
「――」

続けて二人は微妙に気を回しながら少女・唯子に対話を試みる。
だが全ての質問に対し唯子は口を開こうとはしない。応える意思すら見受けられない。
名前を告げた時の反応から、聞こえていないわけでは無さそうなのだが。

「何か、心を閉ざしてしまうくらいショックな事があったのでしょうか?」
「うーん――」

唯子に聞こえないよう耳打ちしてきた美雪の言葉に圭介は首を傾げて見せる。
この「ゲーム」に巻き込まれた少女の立場であるならばその可能性も低くは無い。
だがそれならばもう少し気落ちした様子や怯えの色を見せても良いようなものなのだ。
彼女の今の在り様はもっと別種の要因があると判断して然るべきだろう。

「ねえねえ、お腹減ってない? あっちに食べ物あるよ、一緒に食べようよ!」
「おいおい。いくら反応が無いからって食べ物で釣るのは――ああ、そうか」

この話が伝わらないもどかしさ、何処と無く覚えが有る気がしていたが漸く圭介は理解した。
そうなのだ。これは、まるで――

「――」
「あっ!」

突如唯子は立ち上がり、菜緒の脇をすり抜けていく。
その動きは圭介が連想した通りの「猫」のようなものだった。
ベッドルームの扉を開け放ち、黒猫が駆けて行く。
此方を窺う様子も無く。一直線に同じ歩幅と速度で出入り口へと辿り着き――そしてそのまま出て行ってしまった。

「――行っちゃったね」
「うん、残念――って! そんな事言ってる場合じゃないって! 追いかけなきゃ!」
「おっと、それもそうだった」

その淀み無い一連の動作に呆けている場合ではなかった。
外の世界は危険なのだ。猫にとってでなく、人にとっても。
「ゲーム」という舞台の上には今までに少なくとも2匹の猛獣が確認されているのだから。

「ちょっと唯子ちゃん、待ちなさい!」

余程に彼女を気に入ったらしい菜緒を先頭に唯子を追う。
リビングを通り抜け、扉の前へ。
その途中で圭介は菜緒の愛用の得物がまだテーブルに立てかけたままであることに気が付いた。

「おい菜緒、木刀忘れてるぞ」
「あ、ごめん圭介、持ってきて!」
「おう、まだ外出るなよ! 危ないのはこっちも同じなんだから!」
「あ、うん」

圭介が木刀の回収に隊列を離れた時には菜緒は既に扉を開け放っていた。
その声掛けのタイミングが実に絶妙であったことを。一体誰が想像出来ただろうか。

扉だけが開け放たれた。菜緒の身体はまだ室内にあった。
その眼前を。次の瞬間疾風が駆け抜けた。

「――え?」
「ん?」

間の抜けた菜緒の声に反応し、圭介は顔を入口に向ける。

「――え?」

そしてその向こうでゆっくりと身を起こす人影に、思わず同じ様に声を上げてしまった。

「――」

黒江唯子が其処に居た。彼女は圭介たちが外に出てくるのを待っていた。
だがそれは決して。こちらを仲間と見込んで思い直した訳では無く。

「どう――して? ゆいこ、ちゃん――」

菜緒の声が震えている。美雪は言葉を失っている。
そして圭介は、彼女の姿に我が目を疑った。


「――失敗した」


虚無の表情を浮かべたまま呟く唯子の右手にはナイフが握られていた。
死角に潜んでいた彼女は扉が開け放たれた瞬間、こちらを強襲してきたのだ。

出入り口の扉のラインこそが戦闘禁止か否かの境界。
即ち唯子のみが佇む領域は既に殺し合いの許されし場。

もしも菜緒が勢いのままそのラインを踏み越えていれば。
彼女の喉は唯子によって切り裂かれていただろう。

(そうか。確かに、考えてみりゃ――)

今に至って圭介は思い知らされた。
唯子は「2階の」「戦闘禁止エリア」で「眠っていた」のだと。
それは「ゲーム」を理解していなければ出来ない事では無いのだろうか?
もし唯子の外見が幼いものでなければ会話を拒否して飛び出した時点でこの待ち伏せは必須の警戒だった。
だがその幼い外見は、全ての違和感を薄れさせていた。
「よもやこんな子が自分たちの命を狙っているはずがない」という仮定を思い浮かべる事すら出来なかったのだ。

(でも――何故だ?)

黒江唯子が紛れも無い「ゲーム」の参加者の一人で、他者の命を奪う決断をした事は理解した。
幼いながらに考え付いた結論なのか。それとも見た目通りの年齢では無いのか。

だが一つだけ圭介は理解が及ばない。
なぜ。彼女は。こんなにも。

(なぜこんな――こんな顔で、人を殺そうと、できるんだ?)

木戸亮太の殺意の裏には理不尽に苦悩した果ての諦観を感じた。
長沢勇治の殺意の裏には狂人の悦楽が感じられた。

だが唯子のそれはどちらでもない。と言うより殺意そのものが感じられない。
例えるならば至極当然な任務の遂行。感情の入り込む余地など無い、極めて機械的な作業だ。
今も唯子の黒洞の瞳に揺らぎは無い。その奥に見える底知れぬ闇の深さに圭介は怯えにも似た感覚を抱く。

「――撤退する」

やがて黒猫は一言呟くと、身を翻してその場を後にした。
戦闘禁止エリアの中にその身体を留めているこちら側にはもう手を出せないと認知したらしい。

「――」

途端に菜緒が呪縛から解かれた様に脱力し、その場に尻もちをついた。

「なんで――? おかしいよ、おかしいよっ! こんなのってっ!!」

叫び声が部屋中に響き渡る。
幼い少女が「ゲーム」3人目の敵だった。その驚愕の事実を受け入れられないのだろう。

「このままじゃあたし、誰も信じられなくなっちゃう! 
 美雪と圭介以外に、誰を信じていいのかもう――わからないよ!」

「菜緒――」
「ねえ美雪、ノエルさんって人、ホントに信じられる人なんだよね?
 あたしたちを騙してるってこと――ない、よねっ!?」

菜緒はとうとう美雪に縋り付き涙を流し始めた。

「大丈夫。大丈夫だから――だから菜緒、落ち着いて。ね?」

菜緒の背中を優しく撫でながら美雪は静かに言い聞かせている。


(――)

そんな二人に背を向け、圭介はその場を離れた。

今の自分はどんな顔をしているのか。
例えどんな顔でも二人には決して見せたくなかったから。




 ゲーム開始より11時間41分経過/残り61時間19分



[21380] EPISODE-26
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 08:02
重苦しい沈黙が室内に漂っていた。
その場に居る誰もが口を開こうとはしなかった。

年端もいかない少女に命を奪われかけた。本来ならば疑うべくも無い、保護されるべき存在が。
「仲間を増やす」という目的の元に行動してきた一行にこの事実はあまりにも重い。
最早外見も年齢も性別も、信用に足る情報には成り得ない。
誰が何時、どんな形で牙を剥いてくるかわからない。
それが圭介たちに突き付けられた残酷な現実だった。

「――」

特に直接命の危機に瀕した菜緒の落ち込み様は酷かった。
持ち前の陽気さは何処へと消え去りソファーの上で膝を抱えて微動だにしない。
親友の美雪もかけるべき言葉が見つからないのだろう。
ただ隣に寄り添うように座り無言で菜緒の肩を抱いている。
およそ次の行動を起こせそうな状況ではない。まずはこの空気の打開こそが先決であった。

「とりあえず飯にしよう」

キッチンから戻ってきた圭介は3つの椀を乗せたトレイをテーブルの上に置いた。

「お粥があったんで温めてみた。口に合うかわからないけど無いよりはマシだと思う」
「あ、ありがとうございます。ほら菜緒――食べよ?」
「――」

湯気の立ち昇る椀を菜緒はちらりと一瞥したがまたすぐに顔を伏せてしまった。

「ゴメン――食欲無いの」
「いや、無理にでも食ってもらうぞ」

そんな菜緒に圭介は厳しい顔で言い放つ。

「ショックなのはわかるけど、お前の元気が無いと俺らも困るんだよ」
「――」
「だから腹膨らましてとっとと寝て嫌なこと全部忘れちまえ。それが一番の解決策だと思う」

傷心の少女にこんな不躾な言葉しか掛けられない。そんな自分が恨めしい。
もう少し自分が達観した大人であるならば気の利いた優しい言葉が思いついたのかもしれない。
直接心に訴えかけて、菜緒を立ち直らせることが出来るのかもしれない。
だが自分の口の上手さなど所詮はこの程度だ。圭介はただ己の未熟が腹立たしかった。

「――うん。ゴメンね」

しかしそんな幼稚な物言いでも菜緒の胸には響いたのか、少女は素直に謝罪を述べた。

「いや、謝らなくてもいいさ。それよりも冷めないうちに食ってくれ。その方が多分ウマいはずだ」
「うん。いただきます」
「あ、じゃあわたしも頂いていいですか?」
「もちろん。スプーンと箸、どっちにする?」
「あたしはスプーンがいい」
「じゃあわたしはお箸を貰えますか?」
「あいよ」

一緒にトレイに乗せて持ってきた食器をそれぞれ二人の前に置く。
少女たちはそれを手に取り椀を手元に引き寄せる。

「あれ? これって――レトルトのお粥、ですよね?」

その中身の彩りに違和感を覚えたのか美雪が疑問を口にする。

「大元はね。でもそれじゃ味気ないからちょっとアレンジを加えてみた」
「アレンジって――ヘンなもの入れてないでしょうね」
「はは、とりあえず感想は食ってからにしてくれ。そんなマズいものには仕上がってないと思う」

椀の中の粥は単一の白ではなく琥珀色のスープに何らかの粒が混入されている。
妙な食べ物、というわけではなく寧ろ食欲をそそる立派な料理としての出で立ちだ。
美雪と菜緒は互いに顔を見合わせ、それではと食器を取りそれぞれに一口すすり込む。

そして。

「え――何これ。フツーに美味しいんだけど!」
「ほ、ホントです! これ、鳴神くんが作ったんです、よね?」
「そうだけど?」
「で、でもアンタさっき料理はできないって」

少女たちの驚きはやがて困惑に変わる。
他人任せに調理を要求した唯一の男子と目の前の美味が等式で結びつかないのだろう。
その反応こそが望んでいたものだった。圭介はここぞとばかりに用意していた言葉を解き放つ。

「俺は『自分も料理が出来ない』なんて一言も言った覚えはないぞ」

確かに要求はした。
だがそれは「女の子の手料理が食べたい」という青少年としての純然たる本懐であり。
自身の持ち得るスキルとはまた別問題であるのだ。

「具体的には食感が欲しいからじゃが芋を下茹でして玉葱と一緒に刻んで入れた。
 んで鍋に移し替えて中華ダシとごま油で味を調えて、最後に香り付けにすり胡麻を少々」

「し、信じられない。信じたくない。まさか圭介が――」
「ね、ねえ菜緒。今のわたしたちって、すっごくみっともない立場じゃない?」

特殊な事情であるものの「料理は出来ない」と恥を晒してしまった。
そこに圭介がわざわざ手の込んだ食事を提供するという追い打ちをかけてきた。
別段女子は男子より調理技術に優れているべきだとは圭介も思ってはいない。
だがそれでもやはりプライドに触れるものがあったのだろう。二人の少女は揃って悔しそうな表情を浮かべていた。

「はは、心配しなくてもいいよ。別に料理なんか出来なくても、二人とも十分に魅力的な女の子だから、さ」
「むきー! 腹立つ! 何この男偉そうに!」
「時間さえ、時間さえあればわたしだって負けないものは作れるんですからね!」

珍しく美雪までもが憤っていた。
そんな二人を不敵に宥めながら圭介は事が自分の目論見通りに運んだことに満足する。
料理の腕前を誇るつもりも彼女たちを貶めるつもりもなかった。
だがこれは二人の感情を揺さぶり、陰鬱な空気を払拭出来る機会だと思えたのだ。

「うう、美味しいのに悔しいって、この気持ちは何なのでしょう――」
「まったくだわ。否定できないくらい美味しいから余計に腹立つのよ」

効果は抜群だった。口々に文句を言いながらも粥を口にする二人の表情に先程までの暗さは無い。
まったく食の力は偉大だな、と圭介も漸く自分の分に手を付け始めた。

「ふう――ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
「おそまつさま」

程無く3人分の椀が空になり、「じゃあ後片付けくらいは」と美雪が食器を回収し始める。
圭介も自然にそれを受け入れそうになったが、不意にそれが何の意味も無い事に気が付いた。
何故に殺し合いの舞台に用意された食器を洗ってやらねばならないのか。
身についてしまった習慣はこんな場所でも抜けないものだ。
そんな事実が可笑しくて。つい揃って苦笑してしまう3人だった。

「それにしてもなんで圭介こんな料理が上手なワケ? 趣味なの?」

しばしゆるりとした時が過ぎ、不意に菜緒が切り込んできた。
険の含んだ物言いでは無い。純粋な興味ゆえの質問なのだろう。

「いやウチは母親亡くしてるからな。親父は夜間タクシーの運ちゃんだから殆ど家に居ないし。
 だから家事全般は俺が担当する必要があったんだよ」

特に隠すような理由でもなかったので圭介はさらりと答える。
だが受け取る方にはそれは重い真実であったらしく瞬く間に表情が曇ってしまった。

「あ――ゴメン。触れちゃマズい話題だった?」
「いいさ、別に」

片親というだけで腫れもの扱いされるのは正直もううんざりだった。
圭介にとってはとうの昔にそんな生活は普通なものとなっているのだから。
そして普通となってしまったが為に新たな問題が発生したのだが――それは今は関係の無い話だ。

「それに料理は特技ってほどじゃないんだ。レパートリーもそんなにあるわけじゃないしな。
 ただ『ありあわせのものでそれなりのものを作る』ってのに慣れてるだけだよ。ウチの財政上」

「それは立派な特技だと思いますよ? 手品が得意なことと言い、鳴神くんは本当に多芸ですよね。羨ましいです」

すかさず美雪が話題を切り替えてくる。この辺りの気遣いは流石と言うべきなのか。

「へー、圭介って手品も得意なんだ。って、なんで美雪がそんなこと知ってるのよ」
「ふふ、だってわたしはもう見せてもらったもの」

いいでしょう、とばかりに親友に向けて胸を張る美雪。
その胸には半日前に圭介が手品を披露した際にプレゼントした白薔薇が誇らしげに咲いていた。

「ちょ、ずるいわよ! あたしにも見せなさい!」
「んなこと言われてもなあ。マジックセットは一階に荷物と一緒に置いてきたし。
 せいぜい今できるのはこのくらいかな」

とりあえず右手のみでのコインマジックを披露してみせる。
複雑奇妙な動きの中で増減しながら手の中を動き回る100円玉にたちまち菜緒の目は奪われた。

「うわすご、何それ! どーやってんの!?」
「別に。日々の努力の賜物だよ」

――果てしなく無駄で無意味な、な。

そんな誰も喜ばない注釈を口にしそうになり、慌てて圭介は心の内に押し込める。

「うーん。何だかあたしも負けたくないな。と言ってもあたしに出来ることなんて居合いくらいのもんだけど」
「居合いって、あの刀をスパっと抜く奴か?」
「そうです。昔見せてもらったんですけど綺麗ですよ、菜緒の『型』は」

成程、さすがに剣術道場の娘らしい特技ではある。
清廉な道着に身を包んだ菜緒の凛とした姿が目に浮かぶようだ。

「あー、でもやっぱダメかも。もう3年も真剣握ってないし」
「ん、そうなのか?」
「何でだかわかんないけど高校入学してからお父さんに道場出禁にされちゃったのよね。
 『お前も年頃の娘なんだからもっと他の事に目を向けろ』ってさ。
 まあ高校生になったら色々と遊びたかったから願ったり叶ったりだったけど」

「ふーん」

どうやら緑川家にも複雑な事情が有る様だ。余計な詮索は野暮に感じて圭介は素っ気無い返事を返しておいた。

「いいなあ、二人とも人を魅せられる特技があって。わたしなんか何にも無いもの」
「何言ってんのよ。美雪こそ小説って立派な特技があるじゃ――」
「ちょ、ちょっと菜緒っ!」

途端に顔色を変えて美雪は菜緒の言葉を遮るが、圭介は重要なワードを聞き逃しはしなかった。

「小説? あー、それであの時」

思い出されるのは乃得留たちとルールの擦り合わせを行っていた時。
全員分のルール一覧を驚くべき速度で仕上げてしまった美雪の姿であった。

「なるほどね。あの速記術は小説書いて身に付けたものなんだ」
「ち、違います! いえ、違わないんですけど――」
「別に隠す必要も無いでしょ。文芸部の部長って肩書きまで持ってるくせにさ」
「だからどうしてそう勝手に喋っちゃうの!」
「へえ、立派じゃないか。よかったら詳しく聞かせてよ」
「鳴神くんまで!」
「知りたいんだよ。森下さんのこと、もっと」

今までこんな機会には恵まれなかった。
共に死地を駆け抜け続け、そんな会話を交わす余裕も無かった。
だからこそ、今。彼女の素顔に触れたいと圭介は切に願う。
二律背反の想いを背負ったまま、それでも彼女の側に居る事を選んだのだから。

「ほうら、圭介もこう言ってるじゃない。白状しちゃいなさいよ」
「もう――わかったわよ。そうなんです。わたし、小説家になるのが夢なんです」

二人の好奇の視線に観念したのか、美雪は妙に吹っ切れた表情で告白した。

「それで学園で文芸部に所属してずっと自作小説を書いてるんです。
 時々会誌を作成したり、雑誌投稿をしたり編集者の方に批評してもらったりもしています」

「本格的なんだね。しかも部長なんだ」
「もっともまともに活動してるのはあたしを含めて3人だけなんだけどね」
「え、菜緒も文芸部なのか?」
「似合わない、って思ってる?」
「正直な。体育会系の部活だとばかりてっきり」
「まーそう思われても仕方ないかもね。でも美雪と一緒に部活動やりたかったから」

あたしは読む専門なんだけどね、と肩を竦めてみせる菜緒。
流石に菜緒にまで文学の才があるなどと言われると卒倒しかねないので少なからず圭介は安堵した。

「そっか。森下さんは小説家の卵なのか」

それなりに読書も嗜む圭介にとって、目の前にその創造主が居るという事実は不思議なものだった。
ましてやそれが美雪なのである。一体彼女はその手でどんな物語を紡ぎ出すのだろうか。
彼女の性質や才覚は作品にどのような影響を及ぼしているのか。兎にも角にも興味は尽きない。

「――読んでみたいな」

それは自然に零れ出た、紛れも無い本心だった。

「じゃあ、読んでみます?」
「え?」

すると意外な答えが返ってきた。

「つい先日書き上げた作品が、鞄の中に入ってるんです。もし、よかったら――」

どうやら興味の対象は今この場に存在するらしい。
成程確かに部活として執筆を行っているのならば下校途中に拉致された今、手元にあっても不思議ではない。

「そりゃあまあ――でも、いいの? 俺なんかが読んじゃっても」
「恥ずかしいのは恥ずかしいんです。でも、できるだけ多くの人に感想を聞かせてもらいたいですから」

あまり自分を表に出さない美雪のこと、やはり他人に自作を読ませるのはそれなりに抵抗はあるのだろう。
それでも評価を得たいという欲求が勝った。それだけ彼女の夢に対する思いは本物なのだ。

「つまらなかったらはっきり言って下さいね。その方が参考になりますから」

美雪はソファーの横に置いていた鞄を引き寄せ中から一冊のノートを取り出し、圭介に差し出した。

「じゃ、じゃあ遠慮無く――うわやっべ、なんかドキドキしてきたぞ」

まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった。
そしてこうなってしまった以上、生半可な覚悟で読み挑むことは出来ない。
彼女の勇気に応える為にもきちんとした評価をせねば、と恐る恐る圭介はノートのページを開いた。

(タイトルは――『近くて遠い、この距離を』、か。ふむふむ)

ルール一覧で見慣れたその文字は、確かに美雪のものだった。
どうやら内容は学園を舞台にした恋物語らしかった。

ある日、ヒロインの学園に若き男性教師が赴任してくる。
そして幾度かの邂逅の後に、二人は互いを意識するようになっていく。
ところが彼女の親友が突然「彼のことが好きなんだ」とヒロインに告白する。
当然ヒロインの内に秘めた想いに気付かないまま。

「――あの、さ。これ、もしかして現実がモチーフ、だったりする?」
「あはは、何ヘンな顔してんの。心配しなくてもウチのセンセ女の人ばっかだから」
「一応ヒロインと親友の関係はわたしと菜緒のそれを参考にしたりもしてるんですけど、ね」

恐縮したように頬を染める美雪。一先ず否定が返ってきた事に圭介は安堵した。
もし現実の男性教師が美雪の想い人だったとすればやり場のない嫉妬に襲われるところであっただろう。

再びノートに視線を戻す。ヒロインはそのまま想いを隠したまま親友を応援する事を決意したようだ。
そこに更に同級生の男子が登場し、ヒロインに告白する。状況はますます難解なものとなっていく。

(この同級生は――いや、森下さんの学園は女子高って言ってたぞ。大丈夫だ!)

どうにも作品内に男性が登場するたびに妙な意識が先立ってしまう。
ヒロインと親友が美雪と菜緒に酷似した描写をされているが故に尚更だ。

(でも、それだけ上手に書けてるってことなんだろうな――おっといかんいかん。続き続き)

その間に男性教師もまた、己の本心と教師という立場に苛まれ深い悩みを持つようになる。
そして親友の教師への告白、同級生に接近された場面を教師に目撃されるなどして物語は展開していく。
教師と生徒、男と女。それぞれの想いが重なり合い絡まり合い。
何時しか食い入るように美雪の小説を読み進めている自分に圭介は気が付いた。

(――)

最終的にヒロインは想いを成就させた。
男性教師は彼女の告白を受け入れ卒業と共に付き合いを始める事になった。
一度は破綻しかけた親友の少女との関係も無事修復され、同級生の男子は親友に想いを寄せるようになる。
万事解決、ハッピーエンド。圭介は深いため息をついてノートのページを閉じた。

「ど、どうでしたか――?」

待ちわびた、と言った様子で美雪が感想を求めてくる。
入れ込み過ぎて両手が握り拳になっているのがまた愛らしい。

「いや、びっくりするくらい面白かった。本屋に並んでる小説とかと変わらないくらい」
「ほ、ホントですかっ!?」
「ほんとほんと」

美雪の瞳が今までに無く輝き始めた。生の声での賞賛が余程に嬉しいものだったのだろう。
世辞のつもりは無い。純粋に圭介はそう感じたのだ。
まず文章そのものの質が高い。幼稚な文体ではなく、さりとて堅苦しく読み辛いわけでもない。
人物描写も的確で構成にも破綻が無い。結末に至るプロセスがしっかり定められている。
恋物語としてはありきたりな題材ながらもそのおかげで作品としては見事なものに仕上がっていた。
これを同い年の少女が書いた、という事実にはただ驚嘆し舌を巻く他は無い。

「ただ、ね」

だが欠点が無いわけではない。他のレベルが高いがだけにそれは看過出来ないものとなっていた。
告げる必要があるのかどうか、一瞬悩んだ。
だが圭介も手品という他人に観せることで成り立つ一芸を持つ人間である。
欠点の指摘はただ賞賛するよりも糧になる。そう思えたからこそ敢えて苦言を呈すことにした。

「ただ――何でしょう?」

緊張と不安の入り混じる表情に変わり、美雪は次の言葉を待つ。

「うーん、何て言ったらいいのかな」

各所を指摘することは出来る。だがそれを総括した一言が上手く浮かばない。
もし逆の立場ならあれだけの文章力を持つ美雪のこと、適切な言葉が用意できるのだろうが。

「そうだな――『ワクワクはしたけど、ドキドキはしなかった』ってところかな」

我ながらセンスの感じられない感想だ、と圭介は口にした瞬間後悔した。
案の定聞かされた美雪の顔に疑問符が見えるようだった。

「あー、圭介の言いたいこと、何となくわかるわよ。『ここまでもつれてこの程度なんかいっ!』って感じでしょ」
「お、そうそうそんな感じ」

菜緒の例えも十分にわかり辛いものであったが今の圭介には理解出来るものだった。
「近くて遠い、この距離を」は男女4人による恋物語。そこには当然すれ違いや誤解、そして嫉妬も発生する。
それは作品を構成するスパイスとしてはある意味必須とも言えるものでそれにより内容に深みが生じてくる。
ところが美雪の作品はその辺りの描写だけがやけに簡素と言うか、書き込みが足りない気がするのだ。

例えばヒロインの少女が苦境に立たされる。すると少女は泣き崩れ、そのまま場面が展開する。
ここで多少の後ろ暗い内面の吐露でもあれば物語としてはより良いものに仕上がるだろう。
だが万度それでは単なる泣き虫の少女だ。それでは読者としては応援もし辛くなる。
極めつけは親友との決戦シーン。せっかく少女が勇気を出して親友と向き合おうとしているのに急激な場面転換。
そして「じっくり話し合って私たち解り合いました」で決着となっている。
クライマックスがこれでは正直拍子抜けと言わざるを得ないだろう。
そんな場面が他にも多々。
兎に角「人間の負の感情が垣間見えるシーン」全てにおいて決定的、いや徹底的に描写が不足しているのだ。

「うーん、やっぱりそうですか。実は今までにも、何度か言われていることなんですそれ」

どうやらこの欠点は美雪自身も自覚していることらしい。
然程に傷付いた様子も見えず、圭介は少しほっとした。

「どうしても苦手なんですよね、諍いや争いの場面とか、人間のドロドロした部分であるとか」

それも書けなきゃ一人前にはなれないんですけどね、と美雪は頬を掻いてみせる。

「この子は根っからの善人だからねー。ま、しょうがないわよね」
「この辺りの描写は色条さんが上手なんです。あ、色条さんと言うのは文芸部のもう一人の後輩でして」
「でもゆーきの奴はエログロしか書かないじゃん。アイツのせいで何度会誌が落ちかけたことやら」

校正担当としてはたまったもんじゃないわよ、と菜緒が頬を膨らませる。

「うーん、そうなると安易に『書けるといいね』とは言い辛いな」

どうにも美雪に欠けた才能を持つその後輩は相当に性格のねじくれた少女のようだ。
つまり美雪が後ろ暗いシーンを書けるようになるということは彼女の性格が曲がってしまうことを意味するのではなかろうか。
それは正直勘弁願いたい。彼女にはいつまでも純真な少女でいて欲しい。
森下美雪が天使のように無垢であるからこそ、圭介は彼女に惹かれているのだから。

「でも来年は早稜大学の文学部に進学して、もっと勉強するつもりなんです」

これからも一層の研鑚を積むつもりなのだと美雪は力強く宣言する。

「でも残念ながら両親はわたしが小説家になるのに反対してるんです。進学自体は認めてくれているんですけど、
 将来的には自分たちの会社を手伝ってもらいたいらしくて」

「あ、もしかして昨日喧嘩したってのは」
「はい。そうなんです。それで――」
「じゃあ菜緒はどうすんだ? さすがに一緒に文学部までは付き合えないよな」

嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。圭介は話題を変更すべく菜緒にかなり無理矢理に話を飛ばす。

「あたしはもう同じ大学の体育科に推薦が決まってるよー。だからまだ一緒一緒」

こちらの意図を汲み取ったのかそうでないのか。やたら楽しげにVサインを突き付けてくる菜緒。

「そーだ、圭介も早稜受験しなよ! 大学だったら出身地関係無いし!」
「お前ね。早稜つったらかなりレベルの高い大学じゃねーか。俺の成績で受かるわけねーだろ」
「わ、圭介バカなんだ」
「やかましい」
「そうなんですか? 鳴神くんって頭良いと思うんですけど」
「それは買いかぶり。毎度赤点と熾烈な戦いを繰り広げております」
「意外です」

本心からそう思っているのだろう。美雪の表情が物語っている。だが事実なのだから仕方が無い。

「やーい、バーカ」
「やかましいつってんだろ!」
「ふーんだ。さっきの料理のお返しだよーだ」
「く、何で料理をご馳走してやってここまで言われにゃならんのだ――」

意趣返しにしては質が悪すぎる。ここが戦闘禁止エリアでなければひっぱたいてやっているところだ。

(――ま、いいか)

兎にも角にも二人に笑顔が戻ったのは喜ばしいことだ。
しかも将来の事を口にし始めたという事はこの「ゲーム」を乗り越える意欲もまた出てきたということでもある。
これならば再び行動を開始することも可能であろう。


その一方で。圭介の中で何とも言えない鬱屈した感情が頭をもたげてきた。
それはPDAの真実に関する感情とはまた別な問題。
この「ゲーム」に参加する前から圭介が直面していた問題に対する感情である。

(今は関係ない、ことなんだろうけど――)

けれどもそれは、この二人を前にすると否応無しに思い知らされる。
美雪と菜緒が持っているもの。
そして圭介は持っていないもの。
今の今まで見えなかった壁のようなもので、二人との間を隔てられたような気がした。

近くて遠い距離、とはこのことなのかもしれない。
圭介は何とは無しにそう感じた。



 ゲーム開始より12時間35分経過/残り60時間25分



[21380] EPISODE-27
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/28 11:30
しばしの歓談の後、菜緒が唐突に「シャワーを浴びたい!」と言い出した。

「だってこの建物埃っぽいし汗かいちゃったし。ここらで一つさっぱりしたいのよ」

特に否定する理由も無いので一行は交代で入浴を行う事にした。

「じゃああたし一番乗りっと! 美雪、一緒に入らない?」
「うーん、どうしよっかな。えっちな人に気を付けてないと覗かれちゃうかもしれないし」
「ああ、その点なら大丈夫だ。俺がちゃんと見張っておく。バスルームには何人たりとも近付けはしない」
「だからそれはアンタのことだってのよ!」
「見くびるな。俺がそんな人間に見えるのか?」
「そんな人間に見えるような言動や行動ばっかりじゃないですか。鳴神くんは」

結局少女二人の信用を得る事は叶わず、菜緒は一人でバスルームに入っていった。

(――やれやれ)

その間圭介は自発的に入口の見張りを引き受けることにした。
入口から少し離れた場所で壁を背にしてどっかりと腰を下ろす。上質であろう絨毯の弾力が妙にくすぐったい。

(親父――ちゃんと飯食ってるかなあ)

ふと、そんな心配が思い浮かんだ。
「ゲーム」が開始されてからは半日余りであるが拉致されてからスタートまでの時間は定かではない。
となれば現実の世界から自分たちが姿を消してから合計でどのくらいの時間が経過しているのか。
圭介の父・浩介は家事のセンスが全くと言っていいほど無い人間である。
圭介の助力無くしては米一つ炊き上げる事が出来ない。
そんな浩介がこれまでの時間、いったいどのようにして食事を摂っているのか。
外食で散財してはいないだろうか。台所を滅茶苦茶にしてはいないだろうか。
主婦さながらの家の守り手である圭介にとってはそれが無性に気にかかり始めた。

だがすぐにそれは有り得ない想像であることに気付き、己を恥じる。
何せ実の息子が行方不明になってるのだ。浩介の性分ならば間違い無く自分を探し回っている。
その所為で食事を摂る暇が無い、心配の展開は寧ろこちらの方向性で為されるべきだ。

(そっか、俺がここで死ぬと――親父は一人になるんだ)

母・美耶子がこの世を去ってから、ずっと二人で生きてきた。
浩介は息子の為に身を粉にして働き、圭介は父のために家庭を守ってきた。互いが互いを必要としてきた。
そのバランスが自分の死によって崩れてしまったら――浩介は一体どうなってしまうのだろう?
彼が大切なものを失ってしまった時、どうなってしまうか。圭介は嫌と言うほど思い知っている。
だが今度は誰も側にはいない。立ち直らせて、気付かせてくれる者などもう一人もいない。

だからこそまだ死ぬわけにはいかないのだ。この仮定には意味が無い。
仮定そのものを打ち消さなければならないのだ。

(そうだよ。あんなこと言っても――あの親父が一人で生きていけるわけがないんだ)


――俺はもう、大丈夫だから。あの時のようにはならないから。
――だから圭介、お前も、もう。


先日不意に告げられた浩介の言葉。あれはこうなることを予見していたわけでもあるまいが。
だがこうなってしまったからこそ、その時返した選択は間違ってはいなかったと断言できる自分がいる。
父の元を離れるのはまだまだ先の事だ。その為にも――

「隣り、いいですか?」
「――ん?」

いつの間にか考え事に没頭していたらしく、ふと気が付けば美雪が目の前に移動して来ていた。
どうやら話し相手になってもらいたいらしい。菜緒がシャワーを浴びている間、手持ち無沙汰なのだろう。

「ダメですか?」
「いや、ダメってことは無いけど」

しかしそれならこちらを呼び寄せればいいだけの話だと思うのだが。
何を好き好んで彼女はこんな地べたに並んで座りたがるのだろうか。

「だって鳴神くんのお役目を邪魔しちゃ悪いですから。ね?」
「別にそんな大層なものでもないんだけどなあ」

見張りと言っても今は別に命運を左右するようなものでもない。
この室内にいる限り誰が訪れようと戦闘になることは無いのだから。
ただ入浴中という気の緩む状況下で無用な混乱を避けるべく、間を取り持てればと考えただけだ。
どちらかといえば気を紛らわす為の自己満足の意味合いが多分に強い。
けれどこちらの意図を汲み取ってもらえたのは悪い気はしなかった。
自分の行動をちゃんと見てくれている人がいる。認めてくれているというのはそれだけで嬉しいものなのだ。

「よいしょっと」

結局拒絶の意を示さなかった事を肯定と受け取ったらしく、美雪は圭介の隣へと座った。
向かい合うのが恥ずかしいから隣を選んだのかと思いきや、随分と近接した距離である。
吐息がかからんばかりのその距離に思わず圭介の方が気恥かしくなってしまう。

「先程は、ありがとうございました」
「え、どうしたのさ突然」
「小説の感想です。まさかあんなに真剣に読んで頂けるとは思ってもいませんでした」

成程合点がいった。わざわざこちらの立場に目線を合わせたのはその感謝の意を表すためだったのだ。

「嬉しかったです、すっごく。やっぱり鳴神くんに教えて正解でした」

「小説が趣味」ってあまり良い顔はされないんですよ、と苦笑する美雪。
その気持ちは痛いほど理解できた。圭介の手品もまた、周りの反応は似たようなものであるからだ。
そんな圭介の技を美雪は純粋に褒め称えてくれた。
あの時に彼女から受け取ったものと同じものを返せたのだとしたらこちらとしても喜ばしいことだ。

「でも俺の感想って結局他の人と同じものだったんでしょ? 参考にならなくて逆に悪い気がするなあ」
「いいえ、逆にわたしの欠点がより浮き彫りになった感じです。だからそんな風に思わないでください」
「そっか。ならよかった」

しがない乱読家の立場としては下した評価が真っ当であるか些か疑問であった。
だがそれほど的外れな意見でもなかったようだ、と圭介は幾分安堵した。

「――本当に、これで鳴神くんとお別れしちゃうのは寂しい気がしますね。
 鳴神くん、さっき菜緒が言ってた『わたしたちと同じ大学に進学する』って話、少し本気で考えてくれませんか?」

「はは、考慮しておくよ。でもその前に」
「はい。何としてもこの『ゲーム』を乗り越えなきゃ、ですね」

自ら望んだ空気とは言え、何時までも旅行気分で浮かれているわけにもいかない。
長沢勇治、木戸亮太、そして黒江唯子。少なくとも3人もこちらの命を欲している参加者が居る。
今が死と隣り合わせの状況であることに何ら変わりは無いのだ。

「ところで鳴神くん、一つ聞きたいことがあるんですけど」

がらりと雰囲気が一変し、やや緊張の面持ちで美雪が訪ねてきた。

「ん、なんだい?」
「鳴神くん――わたしに何か隠し事、してませんか?」

息が止まるかと思うほどに痛烈な一言だった。

「隠し事、か。そりゃ無いわけじゃないけど」
「できればはぐらかさないで欲しいです」

努めて冷静を装う圭介に対し、美雪は更ににじり寄ってくる。

「――」

早さを増すこの動悸は外に漏れてはいないだろうか。
上昇してきた体温の所為で、汗が滲み出てはいないだろうか。
バレるようなヘマをした覚えは無い。だが美雪は圭介の秘め事に対し何らかの確信を抱いている。

「わたし、先程の件で鳴神くんとの距離が少し縮められたような気がします。
 だから――今なら。どんな真実でも受け止められると思うんです」

そう語る彼女の瞳は真剣そのもので。思わず甘えたくなる。委ねたくなる。
全てをここで吐き出して楽になりたい。それでもし許されるならばそれに勝る最善など無いのだから。

しかしそんな絵空事を願って何になるだろう。
何処の世界に自分を殺そうとする輩を許せる人物が居ると言うのか。
それは例え森下美雪であっても変わりはしない。
彼女の想像する真実は、おそらく本当の真実には至っていない。
だからこそこれほど安易に話を持ちかけてきたのだ。

だけど。

「そうだな――いい加減隠し通すのも限界かもしれない」

圭介は大きく息を吐き出した。美雪の身体がびくりと震えた気がした。

「森下さん、紙とペンを貸してくれる? できれば口に出したくない」
「え? あ、はい」

受け取ったノートの一番後ろに、圭介は筆を走らせる。
そして美雪に向けてそっと突き出した。書かれたその一文に、少女の目が見開かれる。

「あのこれ――本当、なんですか?」
「できれば教えたくはなかった。ずっと俺の中だけに仕舞っておくつもりだった」

怖がらせたくはなかったから、と続けて唇を切り結ぶ。

「で、でも確かに、考えてみれば思い当たる節がありました。だけどこんな――」
「でも真実だ。仕方が無い」
「――そうですね」


『この「ゲーム」は各所に監視カメラが設置されてて見世物として中継されている』

そう書かれた圭介のやや崩れた文字を指でなぞり、美雪は肩を落とした。

(上手く行った――のだろうか)

多少気の毒に思いながら圭介は美雪の反応を窺う。
隠し事を明かせ、と迫られた。だがカードの条件を明かすことなど出来はしない。
ならば他の真実を示すだけのことだ。それで美雪の願いには応えた事にはなる。
監視カメラの存在だけでも十分に重い事実のはず。
これで隠し事に対して追及を諦めてくれれば、などと考える自分の小賢しさが圭介は我ながら嫌になった。

「鳴神くんは、こんな事を一人で抱えていたんですね」
「――今にして思えばなんでこんな事隠してのか、って思うよ」

正直にそう思わないでもない。別にこんな時の為に隠し溜めていたわけでもあるまいに。
ただ何が切欠で知られたくない真実が露見するかわからない。
そう不安視していたからこそかもしれなかった。

「でも、ごめんなさい。わたしの知りたい事はこのことじゃあ無いんです」

そう、例えばこんな風に。何が切欠で真実に迫られるかわからない。
今の状況で言うならばさしずめ「話し易い空気を作ってしまった」という所だろうか。
やはり一筋縄ではいかないか――圭介は表に出さず歯噛みした。

「他の隠し事ったってなあ。まさか夜の秘密の行為の回数が聞きたいわけじゃないだろうし」
「? 夜に秘密で何かするんですか?」
「――ごめん失言だった。今のこそこれ以上追及しないで欲しい」
「はあ」

これ以上別の真実を示しても彼女は自分のものに当て嵌まるまで納得はしないだろう。
それならいつもの「ふざけた男」のスタンスを保ち続ける。そうして真実を曖昧にし、美雪に諦めさせる他は無い。
こうなれば根競べである。彼女の生真面目さと、自分の不真面目さとの。

「――鳴神くんが何を隠してるか、当ててみせましょうか?」

だが美雪は意にも介せず、多少挑むような目つきで一直線に切り込んできた。

「はは、怖い事言うなあ」

飄々としながらも恐々となる。美雪は一体何に気付いているというのか。

(まさか――いや、大丈夫だ)

何を確信しているのかは知らないが。それは絶対にカードの真実ではない。
ここまではほぼ完璧に隠し通してきたはずだ。
彼女の前でPDAを二つ所持している素振りは微塵も見せてはいない。
PDAを発見し、それが「6」のカードであると示してからずっと――

(――いや、待て待て!)

唐突にある事実に到達し、思わず圭介は意識が遠くなる。
そうだ、あったではないか。
自分のPDAが偽物であると。JOKERを所持していると。美雪が気付けた状況が。

彼女と初めて出会った時。ただ誘拐されたものだと二人で沈み込んでいた時。
確かその時。「ゲーム」に使用されるものとは知らぬままに。
自分の私物に紛れてPDAが二つ、机に放置してあったではないか。それを美雪が見ていたとしたら? 
注目していた様子は見られなかった覚えはある。だが彼女の頭脳は侮れるものではない。
ただ一瞥しただけで、鮮明な記憶として脳裏に焼き付いていても何ら不思議には思わない。

何という事だ。だとしたら。
だと、したら――

「鳴神くんは――」

途端に空気が重く感じる。時間の流れが遅く感じる。
何も考えが浮かばない。ただ少女の唇の形が変わっていくのを呆然と眺めるばかりで。
この焦りは何なのか。絶望感は何なのか。
そして自らの最奥からこみ上げてくる彼女に対するどす黒いこの想いは一体――


「鳴神くんは――菜緒のことが好きなんじゃないですか?」

「――はい?」

ずばり言い当ててやった、と得意げに胸を張る美雪の姿にしばし呆気に取られる圭介。

「別にもう隠さなくてもいいんですよ? わたしもちゃんと応援しますから」
「いやいや待て待て、ちょっと待ってくれ」

困惑した振りをして平静を取り戻すのに必死になる。
まったくよりにもよって、何を言い出すのかこの娘は。
散々思わせぶりな問い詰めを敢行し、知りたかった真実がこんな桃色の話題であったとは。
それに振り回され様々な言い逃れを繰り返し。
最悪の可能性を思索し挙句何かを踏み越えそうになってしまった自分があまりにも無様ではないか。
しかもその確信すらもまったくの的外れであり勘違いときたものだ。
最早どんな顔をしていいのやら。圭介は様相を呈すのにえらく時間がかかってしまった。

「――落ち着きましたか?」
「ああ、まあ、ね」
「でもそんなに取り乱すなんて、やっぱり図星だったんですね」
「だからなんでそうなるのさ」
「だって、あんなに仲良さそうじゃないですか」
「うーん」

詫びの代わり、というわけではないが圭介は真面目に応えることにする。

「確かに菜緒のことは好きだよ。だけど」

そこで言葉を切り、バスルームの方へ視線を投げる。まだ菜緒が出てくる様子は無い。
不用意な言葉を吐いている最中に出てこられでもしたらまた事態がややこしくなりそうだ。

「だぶんそれは、森下さんの考えてる『好き』じゃないと思う」
「――本当に、ですか?」
「今は、とは言っておこうか」

緑川菜緒は魅力的な少女であり、男勝りの性格も相まって話し易さもあるとは思う。
けれど恋心めいた感情は未だ浮かんではこない。それは断言できることだ。

「それは、理由あってのことですか?」
「理由? ごめん、よく意味がわからない」
「ほら、実はもう既に彼女の席は埋まっているだとか」
「残念ながらその席に着いた人は今まで一人もいない」
「そうですか」
「今、隠れてガッツポーズしなかった?」
「――気のせいです」

独り身であることをそんなに喜ばなくても良いだろうに、と圭介は少し拗ねた様になる。
そこまでして菜緒と自分をくっつけたいのだろうか。菜緒本人の気持ちだってあるだろうに。

「でも本当にお似合いだと思いますよ? 鳴神くんと菜緒って」
「だーかーらー」
「見ていて少し妬けちゃうくらいです。すごく自然な感じで名前で呼び合ってますし」
「それは菜緒がそう呼べって言ったから」

「じゃあ、わたしもそう呼んで欲しいと言えば、そうしてくれますか?」

「――え?」

その一言に、勇気が含まれていると感じたのは気のせいだろうか。
そしてよく考えると二人への対応が随分と違う自分に圭介は気付く。
丁寧な応対には丁寧に。気軽な会話は気軽にと。そう使い分けることが相手への誠意だと思っていた。
だがそれがあらぬ誤解を生んだのだとするならば。人間関係とは随分と難しいものだ。

「ダメ――ですか?」
「いや、ダメってことは無いけど」

上目遣いで懇願する美雪。何か先程も同じやり取りをしたような気がする。
別に問題も障害もあるわけではない。だがいざとなると妙に気恥かしい。
なぜだろう。ほんの少し、呼び方を変えるだけであるのに。

「――コホン」

迷いを振り切り、咳払いを一つ。改めて目の前の少女と相対する。

「えっと――美雪、さん?」
「できれば、『さん』も外して欲しいです」

意を決しての発言はあっさりとリテイクを喰らってしまった。

「じゃ、じゃあもう一度――『美雪』」
「はい、『圭介くん』」
(――うわ)

満面の笑顔がそこに在った。こんな風に笑う彼女を圭介は今まで見た事が無かった。
顔が熱い。動悸が早まる。名前を呼ばれた事がこんなにも嬉しく感じられる。

「よかった。これで漸くわたしも菜緒と並べたような気がします」

胸の白薔薇を抱くように手を当て美雪は告げる。
どうやら余程に対応の違いを気にしていたらしい。
同じ苦境を乗り越えようとする仲間としては同等の扱いをして欲しいと悩んでいたのだろう。
彼女の願いを叶えることが出来てほっとした。
ただそのために多大な対価を払ってしまった気もしないでもない。

「でも菜緒のこと、ちゃんと考えてあげてくださいね? あの子きっと、圭介くんのこと好きですから」
「この期に及んでまだ言いますか貴方は」

今の状態でその言葉を受け取るのは非常に複雑に感じてしまう。

「あー、いいお湯だった」

何と言い返してやろうかと圭介が思案しているとバスルームから暢気な声が聞こえてきた。

「あ、菜緒が出てきたみたいですね。じゃあ次はわたしがお風呂頂きます」
「あ、うん」
「菜緒ー! 次わたしが入るから、ちゃんと圭介くん見張っておいてね!」
「オーライ! 任せといて!」

未だに疑いは晴れていないようだ。美雪は軽い足取りで菜緒と入れ替わりにバスルームへと入って行った。

(――やれやれ)

まったく見張りになっていなかったな、と圭介は再び壁に背を預け入口を注視する。

(考え過ぎ、だったな。あの子は俺のことを少しも疑って無い)

紛らわしいやり取りに、一瞬観念した。真実を暴かれる危機を感じた。
だがカードに関しては微塵も疑われていないことがわかったのは収穫だった。
でなければこうしてわざわざ距離を縮めるような真似はしないであろう。

そしてもう一つ。明らかになりつつある事実がある。
美雪に対して抱き続けてきた特別な感情。それが急激に、名を冠しつつある。
けれどもこれもまた、決して明かすことのできない真実となるだろう。


「A」と「Q」の関係がある限り。
この想いは到達も成就も決して成し得ることはないのだから。




 ゲーム開始より13時間27分経過/残り59時間33分



[21380] EPISODE-28
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/12/26 15:06
生来自分は気の長い方では無い、という自覚はある。
それでも今の立場を頑なに維持してきたのは偏に自分の覚悟の表れだと言い聞かせてきた。
だがそんな我慢もいい加減限界だ。これ以上の進展はもう望めないのかもしれない。
寧ろ多大な時間の浪費を行ってしまったのではないだろうか。

「やあ、誰かと待ち合わせなのかい?」

そう木戸亮太が感じ始めたその時、一人の男が気易く声をかけてきた。



(――なんだ、こいつは)

その風体の異様さに木戸は眉を顰めた。
骨組みにそのまま皮を被せただけかのような痩せ衰えた体躯と色素の抜け落ちた頭髪。
数時間の孤独の果てに黄泉路へと誘われたかと錯覚を起こしかける。
辛うじてその男が自分と同種の首輪を嵌めていることが現実との繋がりであった。

「まあな。女を一人、待ってんだ」

一先ず男の問いかけに素直に応じてみる。適当な出まかせではあるがまるきり嘘というわけでもない。
彼女のおかげで今の自分がある。叶うものなら是非もう一度出会いたい。
波多島乃得留と再会し、何らかの形で報復してやらねば気が済まない。
そんな恨みがましい思いは未だ木戸の胸の内で燻り続けているからだ。

「そうか。それは素敵なことだね」
「どうだかな。アンタは一人かい?」
「うん。これまで何度か人には出逢ってるんだけど怖がられて逃げられちゃっててね」
「そんな不気味なナリじゃ当然だな」
「酷いなあ」

ある程度は自覚もあるのか。男は然して気を悪くした様子もなく力無く苦笑した。

(――さて)

白々しいやり取りの後に木戸は男を注意深く観察する。
「ゲーム」が開始されて半日以上。そろそろ現実逃避も出来なくなっている状況だろう。
だというのに鉄パイプをぶらさげた自分にこうも安易に話しかけてくるこの男は何なのか。
見た目からして常軌を逸していることから単なる浮世離れした愚鈍な輩なのかそれとも。

(またどっかに他の奴が隠れてる、って雰囲気でもなさそうなんだが)

現在の木戸の立ち位置からは3方向の通路はどれも死角にはなっていない。
今の場所から見えない位置にこの男の同行者が隠れていたとしてもこの距離では即座に対応は出来ないであろう。
一人である、という男の言葉は真実と受け取って相違無いようだ。

「とんでもないことに巻き込まれてしまったね、お互い」
「まったくだ」

話し相手を欲してでもいたのだろうか。男はやたら饒舌に話しかけてくる。

「僕の名は長沢勇治。君は?」
「――木戸亮太だ。聞いた事のある名前だったりしないか?」
「え? うーん、ごめん。ちょっと覚えがないかなあ」

長沢と名乗った男は申し訳なさそうに詫びを告げる。
言葉そのままに受け取るならば乃得留たちとは接触してはいないようだ。
もしそうであるならば自分の名前は要注意人物として通達されているはずだからだ。
そしてもう一つの意味で自分の名前を知らない長沢に対し木戸は多少の苛立ちを覚える。
まあ長沢の風貌からして甲子園とはまったく無縁ではあるのだろうが。

「ところで木戸くん。君は『人殺し』についてどう思う?」
「――んだよ、いきなり」
「真面目に答えて欲しいんだ。人殺しなんて、僕は人として最低の行為だと思う。そうだろう?」
「――」

その真剣な眼差しに木戸は暫し呆気に取られる。
どうやらこの男の頭は余程におめでたく出来ているらしい。まさかこの期に及んでそんな事を言い出すとは。

(――くだらねえ)

鉄パイプを握り締める手に力が籠る。今すぐにでもこの男を叩きのめしてやりたくなる。
こちらの事情を知りもせず、よくもぬけぬけと言ってくれるものだ。
人としてのモラルなど知ったことではない。ただ必要であるからその道を選ぶだけだ。
人を殺して未来が得られるのなら。人を殺さねば未来が得られないのなら。
そうするしかない。そうせねばならない。それだけのことなのだ。

「そうだな。まったく最低だ」

溢れ出そうな何かを辛うじて堪え、木戸は胸中とは真逆の言葉を口にする。

「そうか、君もそう思ってるんだ。安心したよ」

そんなたった一言で、長沢の身体の緊張が解けたように見えた。
これで木戸亮太は危険人物ではない、と勝手に確証を抱いたらしい。

――いいだろう。その最低な行為であの世へ逝きな。

今度こそ逃がさない。お前が俺の最初の獲物だ、と木戸は唇を湿らせる。

「話はそれだけか? だったら邪魔だ。とっととどっかに行っちまいな」
「あ、うん。それじゃあ。その女の人に会えるといいね」
「そうだな」

――心配するな。その女もちゃんとお前の後を追わせてやるから。

長沢が背を向けると同時に木戸は左腕で鉄パイプを振りかぶる。
これだけの虚弱な身体だ。右手を使わずとも十分に致命打を与えられるだろう。
絶命に至らずとも少なくとも立っていられなくなるほどのダメージにはなるはずだ。

一撃を喰らった瞬間、この男は何を考えるだろう?
信じられないと、こんなはずじゃないと後悔と共に血の海に沈むだろうか?
それとも何ら感じることなく意識を絶ってしまうだろうか?

どうでもいい。望む結果が得られるならば。
木戸は長沢の側頭部に狙いを定める。そして鋼鉄の凶器を勢いよく振り下ろし――


「なーんて、なっ!」


その瞬間。獲物であった男の身体が反転し、真っ直ぐに踏み込んできた。

(なっ!?)

予想外に俊敏な動きで懐に入り込まれる。蒼白の顔に邪悪な笑みが宿っていた。
完全に虚を突かれた。油断を誘発したつもりが、逆の立場になってしまった。
慌てて空いた右手で対応しようとするが間に合わない。このままでは長沢の右手が自らの顔面に届く方が速い。
止むを得ず木戸はその一撃を甘んじて受ける事にする。
多少の傷を負ってしまうかもしれないがこんなか細い男の一撃など大したものではないはずだ。
その後に100倍返しで反撃を喰らわせてやる――そこまでのプランを一瞬にして構築した。

だが木戸は長沢勇治という男を完全に見誤っていた。
虚弱な身体を引き摺る彼は木戸にとっては完全な弱者であり、それ自体は間違いではない。
しかしその中身は魔性そのものであり、ヒトとしての形を成してはいない。
人を殺せるものとそうでないもの。その間にあるのは強弱の差ではない。
言うなれば、違い。ある一線を踏み越えているかそうでないのか。

そのラインの未だ内側に在る木戸の思考では次の長沢の行動を予測することはできなかった。
そしてそれが致命的なミスを呼び込むこととなってしまったのだ。


「っ!? ぐ――あああああっっ!!」


木戸の左目に突如熱が灯り、続けざまに激痛が走った。
何が起こったのか理解出来なかった。ただ目の前の景色が痛みと共に立ち消えた。

「ひひゃははははっ! ばーか、騙されてやんの! まあそっちもそのつもりだったんだろうけど、さ!」

別人が現れたのかと思うほどに聞こえてくる声色は激変していた。
だが痛みに意識の大半を支配されている木戸にはそれが何処から聞こえてくるのかわからない。

「ぐ、あ――」

堪らず左手で目を抑える。どろりとした何かが指に絡みつく。
なんだ!? これは――血、か? 俺の血なのか?
まさかあの野郎――俺の目に指を突っ込みやがったのか!?

「オレなら何時でも殺せると思った? それともオレの話に心動かされでもした? ダメダメ、まるでなっちゃいないね!」

長沢が何か呟いているがそれどころではない。
身体のバランスが上手く保てない。支えになるものを夢中で探すが右手は虚しく宙を掻くだけ。
やがて膝が床に落ちる。倒れ伏すことだけは辛うじて逃れることができた。

「おー、いい光景だねこりゃ。ぎゃはっ、お前みたいなチンピラを見下ろすのは気分がいいなあ!
 ああ、あの手塚のクソ野郎もこうしてやりてえなあ! なんで前回の時に仕留められなかったかなあ、オレ!」

(く、そ――好き、勝手に――)

残る右目で木戸は長沢の姿を必死に探す。

殺してやる。こいつだけは何があっても絶対に殺してやる。
一撃だ。とにかく一撃入れれば条件は五分以上に戻せるはずだ。
今度はてめえが俺に見下ろされる番だ! どんなに命乞いをしても絶対に許さねえからなっ!
この凶器で、鉄パイプで。その針金みてえな身体が逆側にひん曲がるくらいに殴り殺してやる!

傷は負ったが戦意はまだ失ってはいない。再び闘志と憎悪を燃やし、木戸は長沢に挑みかかろうとする。
だが。次の瞬間ある事実に気が付いてしまった。

(――武器は、何処、だ?)

その凶器を携えていたはずの左手で、今自分は傷を抑えているということに。
目を抉られた拍子に鉄パイプは木戸の手の中から零れ落ちてしまっていたのだ。

「んー? もしかして、これを探してたりする?」
(――な)

勝ち誇ったような声と共に二度、三度と金属が床を叩く音。
それは鉄パイプが相手に奪われたことを示す絶望的な音色だった。

「て、め――返――」

それが無ければ今の状態ではまともには戦えない。殺せない。
長沢の姿は見えない。だが声の方向に向けて木戸は必死に手を伸ばす。

「やーなこった」

だがその手も虚しく打ち払われる。そして。

「そーら、くたばりな!」
「!!」

そのまま死角から側頭部に衝撃を受けた。

(が――)

すさまじい痛みと共に頭が真横に大きくずれる。木戸の意識は急速に遠くなる。
全身に硬い感触が伝わり、床に倒れ伏したのだと気付くのにやっとであった。

(ま、ず、い――)

気を保たなければ。目を開かなければ。
ここで倒れれば全ては終わりだ。もう二度と目を覚ますことはない。
だが抗えない、許されない。力が抜ける、景色が完全に見えなくなる。

(死ぬ――のか? 俺は、こんな、ところ、で――)

今、この瞬間を持って自分という存在が。未来永劫途絶する。
そんな今まで考えもしなかったことに木戸は初めて恐怖する。

ふざけるな、俺はまだ死ねないんだ。
生きて生きて、生き抜いて。失ったものを少しでも取り戻す。
そのためには、まだ――こんなところで死ねるものかっ!

残された力をかき集める。立ち上がれ、と懸命に肉体に訴えかける。
見開かれた右目に再び景色が戻ってきた。その視界に長沢の姿を捉えることができた。
同時に身体に火が灯る。あと少しだけ、少しだけなら動かせると訴えに答えが返ってきた。

「うーん、やっぱこの程度じゃまだ死なないか。まったく自分の非力さが恨めしいね」

惚けたことを呟きながら長沢は鉄パイプを軸に身体を解している。
これが最後の好機だ。今なら長沢は完全に油断している。
どうやら意識は取り戻せても身体は動かせないと思い込んでいるらしい。
このまま低い姿勢のままで、足元にタックルをかけてやれば勢いと体重で奴を転倒させることができるはず。
そうして武器を奪い返して、先端を顔面に叩き込んでやれば形勢逆転だ。

「しゃーねーな。あんま激しい運動は控えたいんだけど」

ゆっくりと。長沢の足音が近づいてくる。
そうだ、もっと近付け。トドメを刺しに来い。
まだゲームセットではないことをその身に教えてやる。
息を潜めて木戸は長沢が射程距離に入ってくるのを待った。

だが天は。最後まで木戸に味方しなかった。

「――おいおいお前、大事なモン落っことしてんじゃないか!」

あと一歩踏み込めば飛びかかることができる、その寸前に落ちていたものを長沢は拾い上げ、破顔した。

「そ――れは――」

その黒色の携帯端末が誰のものであるのか。
そんなことは収納していた胸ポケットを探らずともわかりきっている。
先程の打撃を受けた際に飛び出してしまったのだ。

「まだ何か企んでそうな目をしてるけどさ。これをオレに奪われたって意味、わかるだろ?
 あー、それともバカだからわかんない? キッド亮太くんは。くけけけ」

「――」

気味の悪い顔を殊更に歪ませて長沢が挑発してくる。
朦朧としかけた意識の中でも、それが何を意味するのかくらいは木戸も痛いほど理解出来た。
例え首輪の解除条件を達成出来たとしても、その後に首輪にPDAを読み込ませなければ解除は成り立たない。
そのPDAを奪われた。しかもよりにもよって人を痛めつけることに何ら抵抗を感じない悪鬼のような男に。
簡単に人を殺せる人間が、簡単にPDAを壊さぬ道理は無いだろう。
しかもあれ程の精密な機器、多少の衝撃を与えれば容易に破壊できるはずだ。

最早抵抗のしようも無い。完全に虚を突かない限り長沢がPDAを破壊する方がはるかに速い。
そうなれば例え長沢を殺害できたとしても木戸は永遠に首輪を解除することはできないのだ。
今ここに9回裏・スリーアウト目のコールは告げられた。
長沢勇治に対して完全に敗北したのだと木戸は痛感し、項垂れた。

打つ手は無くなったと確信させられた瞬間、張りつめていたものが途切れた。
もう身体を支える気力も無い。木戸の意識は再び闇に飲み込まれていった。

(なん――で、だ――)

どうして自分の人生は、こうも理不尽に狂わされるのか。
長沢の高笑いを遠く聞きながら、やり切れぬ怒りを抱き木戸は意識を失った。





(――あ、ん?)

頬に当たる冷たい床の感触を不思議に感じる。顔面の半分を襲う激痛を不思議に感じる。
何よりも自分の身体に感覚があることを不自然に感じる。
自分は死んだはずではなかったのか。殺されたはずではなかったのか。
戸惑いのままに木戸は目を開く。だが新たな痛みに襲われ、左目を開ける事は叶わなかった。
それが先程までの現実が続いていることの確固たる証であった。

「よーう。お目覚めかい、キッド」

声の方向に辛うじて首を向けるとそこには変わらず針金のように痩せ衰えた男の下卑た笑み。
恨み骨髄の長沢勇治の姿が以前目の前にある。

「起きれるか? ああ、手は貸してやらないよ。引き摺り倒されちゃ叶わないからねえ」

物言いの割には気遣う様子は一切見られない。逆に多分に皮肉を感じる。
木戸が地に伏した原因は全てこの男にあるというのによくぞ言ってくれるものだ。
どのくらい気を失っていたのかはわからない。だが打たれた側頭部の痛みは多少緩和されていた。
左目も瞼は開かないが中身が破損している感覚も無い。眼球は潰れてはいないのだろう。

「――どういう風の吹き回しだ」

ゆっくりと身体を起こしながら右目で長沢を睨み付ける。
立ち上がれる程には体力の方は回復してはいないようだった。
だが気絶する前と何ら状況は変化していないのならばどの道抵抗は無駄なのだろう。
諦めて座り込んだまま木戸は長沢と相対することにした。

「んー? 何のことだい?」
「惚けるな。どうして俺を殺さなかった」

躊躇なく相手の目を抉り、弱ったところを死角から一撃。
喧嘩慣れなどというレベルではない。完全に人を破壊する術に長けた者の所業だ。
そんな男が戦闘不能になった自分を殺さぬ理由がわからない。
まさか絶命させることのみ忌避を抱いているわけでもあるまいに。

「そんなの心優しいオレ様の慈悲に決まってるだろ、キッド」

「キッド」という呼び名が余程に気に行ったのだろうか、長沢は事ある度に木戸をそう呼称する。
格下と断ぜられているようで甚だ不快でしかない。敗北を喰った以上事実でもあるのだが。

「まあ正直最初は殺すつもりだったんだけどね。オレ、お前みたいなナリの奴大嫌いだし」
「奇遇だな。俺もお前みたいな奴は大嫌いだ」
「気が合うね」

くひひ、と長沢は喉を鳴らす。何時でも殺せるという余裕なのか今の彼からは殺気めいたものを感じない。
木戸としても死を覚悟した矢先であるためなのか、半ば諦め気味に会話を繋げることができた。

「でもさ、お前のPDAのカードを見て気が変わった。キッドお前、オレの後輩なんだな」
「――後輩?」
「そうさ。実はオレ、この『ゲーム』に参加するの二度目なんだよね。そんで以前は『3』だったわけだ」
「な――」
「もちろん解除条件も同じ。3人の参加者の殺害。だから騙し討ちしてでも人を殺したい理由、わかるんだよ」

言葉も無かった。長沢の容赦の無いやり口はその過去に起因していたというのか。
愕然とする木戸の反応が気に入ったのか白髪の男は愉しげに顔を歪ませる。
そしてさらに驚くべきことを口にした。

「だからキッド、お前に手を貸してやる。オレの目の前で3人殺してみせろよ」
「!! しょ、正気かてめぇっ!?」
「至って正気だよ。こんな楽しみ方もまたアリだと思ってね」

この発言を正気と言うのであればこの男は人の皮を被った狂気の塊だ。
慈悲で自分の命を奪わなかったわけではない、その確信だけはあった。
だがまさか。このような形で玩ぶために生かしておいたのだとは想像だにしなかった。

木戸は自分を暴力的な人間だと思っていた。暴力を振るうことに悦楽を感じることもあった。
しかし長沢に比べればまだまだ人間の範疇であったと思い知らされる。
殺人に対して嫌悪感はあった。それが必要であるからと、割り切るために時間がかかった。
なのに長沢は躊躇うばかりか他人に人を殺せと背中を押す。その様を観察することを楽しみだと断言する。
おそらく逆の立場であるならば、この男は嬉々としてその手を血に染めるのだろう。
疑う余地も無い。今目の前にいる男はそんな化け物じみた思考の持ち主なのだ。

「3人殺せばコイツは返してやるよ。ただしオレの解除条件が達成された後、上の階の戦闘禁止エリアでな」

そう宣言し長沢は「3」の絵柄が表示されたPDAをちらつかせる。

「悪い取引じゃないと思うけどね。さあ、どうするキッド?」
「――そんなの考えるまでもねーよ」
「へえ」
「乗っかるに決まってんだろ」

幸か不幸は命は繋ぎとめた。そしてその命の鍵は長沢が握っている。
ならば迷うべくもない。しかも殺人というおよそ共感を得られない行動に手を貸してくれるというなら尚更だ。
気に食わないどころではない。できる事ならば今すぐにでも殺してやりたい。
こんな男の存在など、世界から抹消されて然るべきであるとすら思う。
それでも生きるためならば。敢えて泥を啜るしかない。そうでもしないと明日を掴めないと言うのであれば。
狂人だろうが化け物であろうが。頭を垂れて協力を懇願しようではないか。

「ひゃはっ! いい返事だねキッド! 立派な後輩を持ててオレは嬉しいよ!」
「けど――忘れんな。3人の中にお前が含まれる可能性だってあるってことをな」
「おうおう言うねえ。ま、せいぜい寝首をかかれないように気を付けるとしますかね」

どの道自分が全面的に従うとは長沢も思ってはいない。容易に隙を見せる事は無いだろう。
だが猶予時間はまだ2日以上も残っている。その間に必ずチャンスはあるはずだ。
PDAを奪い返し、長沢に報復を喰らわすそのチャンスが。

(見てやがれ――必ずテメエを3人の中にぶっ込んでやるっ!)

とりあえずさっさと上の階に上がろう、と先導を促す長沢に木戸は静かな殺意を燃やした。





(ひひひ、手塚のクソ野郎と違って扱い易いね、このバカは)

鉄パイプでのろのろと歩く木戸を背後から脅しながら長沢は後方でほくそ笑む。

(ま、せいぜいオレの手駒として頑張りなキッド。最後にはもっと残酷に殺してやるから――よ)

「3」のPDAを玩びながら。極めて普通に極めた狂気を抱きながら。




 ゲーム開始より14時間35分経過/残り58時間25分




[21380] EPISODE-29
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/12/26 15:07

「ごめんなさい。完全に私の見立て違いでした」

突然の乃得留の謝罪が何を意味するかわからず、大門は一瞬途方に暮れる。

「ここまで協力者を増やせていない、ということです」

大門たち3人は未だ施設の一階フロアにその身を置いていた。
まだ一階に事情を理解していない参加者が留まっているとすれば早急に保護すべきだという観点からである。
だが出入り口と思しきエントランスホールで網を張れども誰一人訪れる事は無く。
諦めて身を隠せそうな各所の部屋を手当たり次第に捜索してもやはり収穫は無し。
協力者はおろか敵対者にすら未だ彼らは遭遇してはいなかった。

仲間を増やすと決断し、行動してきた。
だが時間だけが無為に経過しはや半日。成果はまったく上がっていない。
発案者として乃得留は責任を感じているのだと。彼女の硬い表情は物語っていた。

「いや、まあ確かにそうだけど。でもそれはノエルさんの所為ではないだろう?」

だが何を其処まで気負う必要があるのか。不躾だが大門には理解できなかった。
他のまだ見ぬ参加者がどんな人物で、どのような目的と指針の元に行動しているかは完全に未知数だ。
そんな彼らとの遭遇の可能性は運否天賦でしかない。
それでもその確率を少しでも高めるため、乃得留は試行錯誤してきたではないか。
しかも彼らを救いたい、という善意に基づいた行動理念で。
結果が出ていないからといって詫びる理由など何一つ無いはずだ。

「命がけですから。ダメでした、仕方が無いでは済まされないのよ」

大門の慰めを逆に窘めるように乃得留はきっぱりと言い放つ。

「今のままの現状が続くなら、『できるだけ多くの参加者』どころか私たちの命だって危ないもの」
「ボクたちの?」
「そうよ。仲間を増やさなければならないのは何もその人たちの救済のためだけじゃない。
 私たちがコレを外すためにも、どうしても必要なことなの」

そう言って乃得留は首筋の銀色をするりと撫ぜる。

「あ、そうか。解除条件――」

危険に対処することばかりを気にかけてすっかり失念してしまっていた。
そうなのだ。自分たちを死に追いやろうとしているのは何も参加者や罠に限ったことではない。
寧ろそれこそが最大の難関ではなかったか。

「10」の乃得留は5人の参加者の首輪の作動。
「4」の大門は3つの首輪の取得。
「7」の小枝子は死亡者を除いた全参加者との遭遇。
これらの条件をタイムリミットまでに満たさなければ首輪は外れない。
そしてこれらの条件は未だ満たされていないばかりかその足がかりさえ掴めていないのだ。

「スムーズに解除を行うためにはまず小枝子さんの条件を満たした上で更に条件が整っている参加者が最低でも二人は必要になるわ。
 そうすれば大門さんの首輪も外せて私の条件も整ったことになるんだけど――」

「――その私の条件すらまだ全く進展していないのですよね」
「ええ、その通りです」

ここまで無言であった小枝子の静かな呟きに乃得留が呼応する。

(そうか、事態はボクの思っている以上に深刻だったのか)

大門は自分の鈍さを改めて痛感した。
「誰にも出会えていない」という事実は残念である半面、危険が近づいていないということだと好意的に受け止めていた。
まさかそれが自分の首を絞めているなどとは夢にも思わずに。
それなら乃得留が責任を感じるのも無理は無い。
小枝子の口数が段々と減っていったのも自身の解除条件が遅々として満たされない焦りの所為だったのかもしれない。

「悠長に構えてはいられない時期かもね。そろそろ私たちも上の階に上がる算段を整えないと」
「え、しかしそれは――」

それは自らの前言を翻す事に為らないかと大門は困惑する。
ここまで大門たちが捜索を行った範囲はまだフロアの半分にも達していない。
まだ訪れていない場所に怯え隠れている人物がいる可能性は無いわけでは無いはずだ。

「救える人を見捨てる事になるんじゃないか、ってことかしら? そうね、冷たい言い方をすればその通りかも」

微かに辛そうな素振りを見せつつも乃得留ははっきりと大門を見定める。

「でも前にも言ったはずよ大門さん。私はそこまでの聖人にはなれないって。小さな可能性のために大切なものを失うわけにはいかないわ」
「大切な、もの?」
「もちろん私自身の命。そして大門さんと小枝子さんの命よ」

その言葉が意味するものはあまりにも重く。大門は二の句が告げられなかった。

「今だから言えますけど私、本当は不安だったんです。誰も私の考えに賛同してくれなかったらどうしよう、って。
 だからお二人が協力すると言ってくれて嬉しかった。そして今まで側にいてくれてとても心強かった」

「ノエルさん――」
「だから私は大門さんと小枝子さんを助けたい。そのために何よりもお二人の命を優先したいんです」
「――」

乃得留の一言一言が大門の胸に突き刺さり、波紋となって広がっていく。
彼女にとって自分の存在など負担にしかなっていない。そう思い込んでいた。
腕っ節よりも頭脳の冴えが物を言うこの異常空間では自分は何の役にも立てないからだ。
同性として気易い話し相手となれる古谷小枝子は兎も角、こんな無骨な木偶の坊など幾分の価値も無い。
無論危険に対する備えという意味であれば重宝されるのかもしれないが。
それでも彼女の機転と才覚ならば単独でも容易く危機を脱することが出来るであろう。

それなのに、彼女は。波多島乃得留は。こんな自分を失いたくはないのだと言う。
有り難いと同時に申し訳ない気持ちになってくる。
自分にそこまでの価値など無いと言ってしまえば、また自虐が過ぎると窘められるのだろうか。

「ありがとうございますノエルさん。そこまで想って頂けて光栄ですわ」

すっかり言葉を失ってしまった大門を尻目に、小枝子が告げるべき言葉を乃得留に告げた。

「あ――うん、そうだね。ありがとうノエルさん」
「いえいえ。こちらこそ小娘が生意気言いまして申し訳無いと言いますか」

気恥かしそうに頬を掻く乃得留の表情は一瞬だけ年頃のものが戻っていた。

「話を戻します。ここまでこの一階で私たちが行動を起こして以降、他の参加者たちと接触することはできなかった。
 これは大多数の人たちが何らかの形で『ゲーム』への参戦を受諾した、ということです」

「え、ええっと――」

またしても難解な言い回しに大門の理解は及ばない。

「今まで私は『こんな現実を認めたくない』という人の思考をパターン化してそれに先回りしてきたつもりなの。
 部屋に引き籠ったり、出口を探して逃げようとしたりといった感じかしらね」

「ああ、私もそのような感じでした。ただ怖くて逃げ出したいと、それだけしか考えられなくて」
「ボクは特に何も考えていなかったけどなあ」
「それは大門さんがいざと言う時に立ち回れる自信と強さがあったからよ。普通の人はそうはいかないわ」
「うーん、そうなのだろうか」
「圭介くんたちと出会った時、もしも彼が襲いかかってきていたらどうしてました?」
「――そうか、そうなるね」

未だに鳴神圭介を誠実な少年だと信じている大門にその想像は難しいものであったが。
だが確かに言われてみればそんな状況になっていたとすれば力ずくで対処せざるを得なかったであろう。

「でもそんな人たちには今まで一度も出会えていない。もちろんこれだけ広大な施設の中だから運が悪かっただけかもしれないけど。
 もし、そうでないとするならば――」

「既に他の人たちは上の階に上がっている、ということですか?」
「正解です小枝子さん。話題に出たついでですが、その中にはおそらく圭介くんたちも含まれます」
「え、それは断言できるのかい?」
「ええ。さっき彼らのスタート地点付近は確認したでしょう?」

これまでの行程において剣山の障壁に阻まれていた圭介の覚醒した部屋の再確認は既に行われていた。
エントランスホールでの待ち伏せを諦めた後、大門たちは障壁を迂回してかの部屋に辿り着いた。
無論そこにあったのはもぬけの空の部屋と彼の私物と思しきバッグがあるだけだったのだが。

「あれから考えてみたのだけれど、どうにも妙なのよね。あの時は『やっぱりいない』で済ませちゃったけど」
「妙、とは?」
「私たちが最初にあの場所を訪れた時点では戦闘禁止エリアが解除された直後。だから二人がPDAの回収を行ったのは
 禁止時間帯であることに間違いはないわ。だから争った形跡が見られないのは不思議ではなかったんだけど」

そこで乃得留は一旦言葉を区切る。

「でも争うことが出来ないならばどちらか一人でも私たちと合流できてないのはおかしいのよ。
 剣山の罠に行く手を阻まれて元来た道を戻れなかったにしては足跡の歩幅に乱れがない。
 それどころかまるで二人一緒に等速で歩いていたような形跡だったのは――どういうことなのかしらね?」

「うーん、ボクにはさっぱり見当がつかないな」
「あらそう? 心当たりがある、とは言わないけど大門さんはそれを望んでるんじゃないのかしら?
 『二人とも安全なカードを引き当てたけどあの障壁の所為で戻ってこれなかった』って」

「え、じゃあ――」
「もしかして本当に行き違いになっちゃっただけかもね。そして圭介くんも美雪ちゃんも頭の良い子だったから。
 案外上の階で私たちを待っているのかもしれないわよ?」

断言は出来ないけどね、と続ける乃得留の表情は存外明るいものだった。
僅かな邂逅ではあったが大門の目にも圭介と乃得留はウマが合っているように見えていた。
彼女としても圭介たちが安全な存在である可能性が示唆されたことは喜ばしいことなのだろう。

「そうか、それなら心苦しいけど上の階に上がるべきなのかもしれないな」
「ええ。この階で他の参加者と遭える見込みが無いのなら、小枝子さんのためにもね」

全参加者との遭遇が解除条件である小枝子にしてみれば無人と思しきフロアに留まるのは気が進まないであろう。
彼女に特別な感情を抱いている大門にとってもそれは異論の無いところであった。

「よし、じゃあさっそく――って、2階への階段はどの方向だっけ?」
「それなら今の道を辿ればもう少しよ。その辺りに抜かりは無いわ」

どうやら乃得留はフロアの散策を行いつつもちゃんと階段へ近付けるようなルートを選んでいたらしい。
流石の才覚だ、と大門は感心するばかりであった。

「あ、でもその前に少し休憩していきましょう」

ならばいざ進まん、とばかりに一歩を踏み出した大門の出鼻は瞬時に挫かれた。

「え、でも階段はすぐそこなんだろう? だったら」
「はい大門さん。いつもの悪い癖よ。小枝子さんがかなり疲れているって、気付かなかった?」
「い、いえ、私の事は別にお気に為さらず――あ」

小枝子は彼女らしい謙虚を見せたが、その一歩目で身体がぐらりとよろめいた。

「ふ、古谷さん!」
「――ごめんなさい。やっぱり身体は嘘を吐けないみたいです」

何とか踏み止まって見せたものの、小枝子の顔には細かな汗が滲み出ている。

「――これはちょっと、場所を移している余裕も無さそうね」

当の乃得留もここまでの疲労は予想外であったらしく、止む無く一行はその場で休息に入ることとした。

「すみません。お言葉に甘えます」

生気の無い表情で小枝子は会釈するとそのまま上質な洋服が汚れるのも構わず足を折り畳んで埃だらけの通路に座り込む。
そのまま壁に体重を預ける形になり、大きく息を吐いた。

「かなり無理をなさってたんですね。ごめんなさい、もう少し早く気付くべきでした」

その隣に並んで腰掛け乃得留は彼女を気遣う。
これまで細かな休憩は摂ってきていたがそれでも小枝子の身体には負担がかかっていたらしい。
考えてみればこの中でただ一人。彼女だけが2度も死の危険に遭遇しているのだ。

「いや、ボクこそ気付けなくて申し訳ない」

なぜ気付く事ができなかった。彼女を想っているとは口先ばかりのことか。
己の鈍さにはほとほと呆れるばかりだと、大門はきつく拳を握り締めた。

「いえ、お二人が気にすることは何もありません。ただ私が至らないだけですので」

青白い顔で乃得留と大門を交互に見やり、小枝子は儚く微笑んでみせる。

「――大門さんはまだまだお元気な様子ですね」

そして彼女の目線から遥か高い位置にある大門の顔を見上げ呟いた。

「ええまあ――これがボクの唯一の取り得のようなものですから」

大門は何処に身体を預けて休めることも無く仁王立ちで周囲の様子に気を配る。
これまで休憩の際には大門がずっとその見張りの役目を引き受けてきていた。
彼が健在である様は襲撃を企てようとする者にとっては抑止力と成り得る、という乃得留の案によるものだ。
無論常に必要な行為というわけではない。休みたい時には何時でも休んで構わないと予め言い含められている。
しかし彼の体力にはまだまだ余裕があった。
日本一の空手の業を未だ未熟と称する大門にとってその無尽蔵な体力だけは誇れるものである。
だがそれすらも今、他者に迷惑となる材料になってしまった。
己の尺度でものを考え、小枝子の疲労に目を曇らせてしまった。
それが大門の心に傷を与え、またも自虐を含んだ物言いになってしまった。

「いいえ。その取り得には是非とも自信をお持ちになってください」
「――え?」

そんな大門の葛藤を見抜いたかのように。小枝子は言葉を覆い被せてくる。
そして更に続けた言葉に。大門は衝撃を受けぬわけにはいかなかった。

「私の主人は――その取り得を持ち得ぬがために早くに旅立つこととなってしまったのですから」

「そ――それは、失礼なことを言ってしまいました」

申し訳無い気持ちがたちまちに押し寄せてきた。大門はその巨躯を折り曲げ深々と頭を下げる。

「あ、ご、ごめんなさい! 別に責めるつもりで言ったわけではないのです!」

ここまで謝られるとは想像だにしていなかったのか、慌てて小枝子は大門に姿勢を正すよう促す。

「しかし、ボクの失言が古谷さんに辛いことを思い出させてしまったのは事実ですし」
「いえ、過剰に反応してしまった私の方が悪いんです」

大門が顔を上げたその先に必死に取り繕おうとバタバタと両手を不規則に動かしている小枝子がいた。
その様を率直に可愛らしい、と感じてしまった己の感性が恨めしい。

「はいはい、そこまで。二人とも落ち着いてください」

見かねた乃得留の仲裁が入った。再び大門は直立し、小枝子はゆっくりと息を整える。

「――そうですね。良い機会ですので大門さんに少し私と主人のこと、話しておこうかと思います」
「え――」

しばしの後、小枝子はそんな事を切り出した。

「いいんですか? 小枝子さん」
「ええ、特に隠す理由もありませんし」

怪訝そうな顔をする乃得留に小枝子はさらりと言ってのける。
その乃得留の様子を見るに同性間で既に打ち明けは終了しているということなのだろう。

「それにこれ以上大門さんに私との距離感で悩んで欲しくはないのです。
 先程の様に何気ない一言にまで気を回して頂くのは正直、心苦しいですから」

「いえ、そんな――」

そんなことは考えていない、とは大門も言い切れなかった。
小枝子が未亡人であるという事実を知って以降、彼女に対して踏み込めない自分が居た。
ただでさえ自分は迂闊が服を着て歩いているような男だ。
だから何が切欠で彼女を傷付けてしまうかと、会話を紡ぐのを今までずっと恐れ続けてきたのだ。
彼女に近付きたい、だけど近付けない。そんな状態から脱却したいと願っていたのは確かなことであった。

「ノエルさんは私たちを助けたい仲間だと仰ってくれました。私もそれには同感です。
 だから、仲間であるからには垣根はあるべきではない、と思うのです」

そんな大門の意図を汲み取り、小枝子は自ら歩み寄って来た。
この異常な場所で偶然に出会っただけの他人同士であるべきではもう無いのだと。
彼女の優しさが身に染みるようだった。きちんと大門三四郎という男と向き合おうとしてくれているのが嬉しかった。

「大門さんはこんな女の過去になど、興味は無いかもしれません。けれど――」
「いえ――是非、聞かせて下さい」

努めて冷静を装い、何とかそれだけを言葉に絞り出す。視界の端では乃得留が少し意地の悪い表情で微笑んでいた。
聡明な彼女の事だ。おそらく自分の小枝子に対する気持ちなどとうの昔に気付いているのだろう。
自分が今の返事を返すのに、どれ程の勇気と覚悟が必要であったのかも。
だが当の本人には全く自覚が無いらしく、ただ話を聞く事を了承した大門に「ありがとうございます」と感謝の意を示す。

「私と主人は、幼い頃からの知り合いでした。幼馴染、という程に当時から親密な関係ではありませんでしたけれど。
 それでも義務教育の始めの時期から、一度として違うクラスになった覚えは無かったと記憶しています」

小枝子の口から語られた思い出話は意外な程に遠い過去から始まりを見せた。

「そんな彼を初めて異性として意識したのは高校3年生の初夏でした。当時彼は新入生の矢幡麗佳さんという女性に
 想いを寄せていたのですが甲斐も無く交際を断られてしまいまして。そんな彼を昔馴染みの私が慰めている内に、
 自分の気持ちに気付いたのです。『ああ、私は彼の事が好きだったんだ』、と」

「男女の関係って何が切欠で変わるかわかりませんね」
「あら、ノエルさんも心当たりがお有りですか?」

生憎と、と乃得留は肩を竦めて見せる。

「でも仰る通りで私たちの関係はその時を境に劇的に変化しました。多少のぎこちなさもありましたし度々喧嘩もしましたけど。
 それでも何時しか。共に人生を最後まで歩もうと互いに思えるようになっていきました」

「――」

「同じ大学に進学し、卒業と同時に籍を入れました。まもなく娘を授かり、私たち家族は3人となりました。
 おかげさまで主人の両親にも良くして頂いて。育児の傍らで洋裁の修行を積む事も出来ました」

「小枝子さんは学生時代に手芸部だったんですっけ?」

「ええ、服飾に触れるのが昔から好きだったもので。何時かは自分の店を持ちたいという夢を持っていたんです。
 念願叶って小さなものですけどブティックを開くことも出来ました。それが3年前の事です。
 主人がいて、娘がいて。そして夢を叶える事ができて。こんな幸せが何時までも続けば良いのに、と思っていました」

言葉を区切った小枝子の表情に影が差す。その幸せは、今この手には無いのだと。

「ですが好事魔多し、というものだったのでしょうか。その時には既に主人の身体は病魔に侵されていたのです。
 当時の私は店の切り盛りと育児で手一杯で。とても主人の健康面にまで気遣う余裕はありませんでした。
 それでも主人はいつも側で笑ってくれていて。私を影から支えてくれていて。
 そんな彼が見えないところで苦しんでいたなんて少しも気付くことはできなくて。漸く気付いた時には、もう――」

「――古谷、さん」
「いえ、お気遣いなさらず大門さん。もう過ぎてしまった事ですから。それに彼はもうこの世にはいませんが、
 彼と私が共に生きた証が残されています。だから、私は今は大丈夫なのです」

だから何も気にする必要は無いのだと小枝子は柔らかな表情で訴える。
話が終わり、沈黙が降りてくる。小枝子の口から語られた失楽の軌跡に、大門は息一つつくことは出来なかった。

彼女がどれだけ死別した夫を愛していたか、痛いくらいに伝わって来た。
そしてかの男性がその愛を捧げるに十分足る資格を持つ人物であったということも。
彼女に幸せを与え、夢を叶えさせた。そして彼女が今も後悔する程に苦しみを隠し通し、最後まで彼女を支え続けた。
しかも生きていれば自分よりも年下である男性が、である。同じ男として敵わぬと卑屈になるより先に憧憬の念を抱かざるを得ない。

そんな立派な人物が唯一持ち得なかった、そして大門が唯一持ち得ている。
健康というものの有無が小枝子から幸福を奪い去ってしまったとは何と皮肉なことなのか。
成程小枝子が羨むのも無理は無いというものだ。

そしてそんな過去を持ちながら今まで不幸な素振りも見せなかった古谷小枝子の強さにも改めて感嘆する。
その強さの中身は大門の嘗ての恩師、葉月克巳のそれを連想させるものでもあった。

「それじゃあその生きた証である千枝ちゃんの為にも小枝子さんは何が何でも生きてこの『ゲーム』を乗り越えなければなりませんね」

口を閉ざしたまま気の利いた言葉一つ告げられない大門に業を煮やしたのか、乃得留が話を纏めようとする。
どうやら「千枝」というのが忘れ形見の娘の名前らしい。

「ええ、そうですね。何時までもお店を代表不在にも出来ませんし。理由は幾らでも思いつきますわね」

大分身体も休まりました、と小枝子は優雅に立ち上がる。そろそろ出発の頃合いのようだ。

「――やっぱり、小枝子さんと大門さんに出会えてよかった」
「――ん?」

同じ様に立ち上がり、進行方向に向かって大門たちに背を向けた乃得留がぽつりと呟きを洩らす。

「お二人とも誠実なお人ですから。そんな大人もいるんだな、って救われる思いです」
「いや、古谷さんはともかくボクはそれほどのものじゃ」

「私の両親は早くに離婚していまして。それで私は母に引き取られたんですけど、その――母はお世辞にも異性関係に真面目な人ではなかったもので。
 娘が在宅なのを承知で男を部屋に連れ込むような最低な人だったものですから。
 だから少しでも早く家を出たくて必死に勉強しました。それで今の私があるんですけどね」

「――ノエルさん」
「――つまらない事を言ってしまいました。さ、出発しましょう!」

 今の表情を見せたくないのか、乃得留は振り返りもせず先導し始めた。






慎重に通路を通り抜け、数十分の進行の先に一行は封鎖のされていない階段に辿り着いた。

「誰もいないわね。木戸くん辺りが人為的に封鎖してるとばかり思ってたんだけど」

乃得留の談によればキラーカードの所持者の条件達成の手段としては待ち伏せが最も適しているとのことだった。

「それが行われてないってことは痺れを切らしちゃったのかしら。それともそこまでは考えつかなかったのかしら?
 だとするとこの先出逢ってもそれ程脅威は感じないんだけど」

独り言のような彼女の呟きの意図が大門には今一理解出来なかった。
ただ無用な争いを現時点では避ける事が出来たらしい事は矢面に立たねばならぬ身としては安堵すべきことなのだろう。
更に警戒を怠らず一歩ずつ階段を昇っていく。到達した2階の景色も下の階と変わり映えの無い光景であった。
そのホールにもまた、人影は見当たらない。
今度は逆に先程乃得留が示唆した「圭介たちが待っている」という可能性が潰えた事に大門は少なからず落胆した。

「少し回りを調べてきます。大門さんは小枝子さんの側にいてあげてください」
「大丈夫なのかい?」
「罠の有無を調べるだけですからそれほど遠くには行きませんよ。ちゃんと大門さんの視界の中には居るつもりです」

それだけを告げて乃得留は大門たちの元から離れていった。

「――あの、古谷さん」
「はい?」

小枝子と二人きりとなり、意を決して大門は口を開く。

「その、さっきの話なのですが――」
「先程の主人との話ですか?」
「ええ、その、何と言いますか――参ったな」

話しかけてはみたものの、そこから先が続かない。
小枝子にしてみれば過去を打ち明ける事でより親密になれると考えていたのだろう。
事実乃得留との今の関係はそうやって構築されたに相違無い。
だが大門にとってその内実はあまりにも重すぎた。単なる昔語りには終わらなかった。

この話を如何に受け止めるべきなのか、答えが見つからなかった。
どう言葉をかけて良いものかまるでわからなくなってしまった。
その所為でただでさえ少なかった彼女との会話が全くと言って良いほど無くなってしまったのだ。
そんな現状を打開すべく思い切ってはみたものの、生憎圭介ほど弁の達者ではない大門に言葉は紡げない。
やはり勢いに任せるべきではなかったか、と後悔を抱くばかりであった。

「ごめんなさい。逆に困らせることになってしまいましたね」
「いえ、そんな――」

挙句に更に気を遣わせては世話は無い。彼女は何も悪くないと言うのに。体たらくにも程があるというものだ。

「その――ボクは貴方のご主人の様な立派な男ではありませんが」
「大門さん」

「ただボクは、貴方より先に死ぬようなことは絶対に無い。それだけは自信があります」

やっとの思いで告げた言葉は、おそらく適切なものではなかっただろう。
唖然と言葉を失った小枝子の表情を窺うことに抵抗を感じ、大門は天を仰ぎ見た。
彼女の夫との男としての資質の差など比べるべくも無い。その生きざまには美徳すら感じられる。

だがその所為で小枝子に悲しみを与え、幸せを失わせてしまったことも確かであるのだ。
彼の死は本当に避けられないものであったのか。その真実を知り得る事など出来はしないのだけれど。
けれどもしその可能性が少しでも残されていたのならば。
迷惑であろうが無様であろうが、懸命に模索し努力すべきであったのではなかろうか。
それだけが小枝子の夫に対して大門が不満を抱くものであった。

だから自分は。この唯一にして最大の武器を存分に振るおう。
例えこの想いが叶わずとも、報われずとも。ただ彼女の、「小枝子」のために。

「大門、さん――ありがとうございます」
「――いえ」

その感謝に大門は特別な意味を感じる事はなかった。
小枝子の丁寧な応対は今に始まった事では無く、大門も自分の発言にそれ程の価値を見出せなかったからだ。
妙な男が妙な言葉を口走った、少なからず彼女はそう思っているだろう。
それでも不快な様子一つ見せず応えてくれるのは有り難い事だと、大門は勝手に納得していた。




(本当に――ありがとうございます。大門さん)

だが、彼は知らない。

この「ゲーム」という異常な空間で誰よりも命の危機に晒された彼女にとって。
その一言がどれ程に価値を持ち、救いを与えたのかを。




 ゲーム開始より18時間03分経過/残り54時間57分



[21380] EPISODE-30
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/01/16 06:57
「――はあ」

2階フロアのとある一室。奇妙な疲労感を覚えた北条かれんは何とは無しにため息をついた。

この気だるさは何かに似ている、とふと思いついたかれんはやがて一つの結論に到達する。
これは、あれだ。旅行中に長時間乗り物に揺られた時と同じものだ、と。
基本的に椅子に座したままで身体は殆ど動かしていない。なのに疲れはどんどん溜まっていく。
そんな状況に酷似していると結論づけることができたのは至極当然の事だった。

何せかれんが二度目の覚醒を果たしてから数時間余り。
それからこの場に辿り着くまで、彼女は一歩たりとも自分の足で歩いてはいないのだから。

「――飲むか」

そんなかれんを無用に疲れさせている張本人、楯岡和志が目の前に何かを差し出してきた。
飾り気の無い金属製のマグカップの中に黒い液体が半分ほど注がれている。

「え、っと――これは、コーヒーですか?」
「見ての通りだ」

相も変わらぬ素っ気無い返事である。滅多な事以外では必要最低限しか口にしない楯岡の態度にもいい加減慣れてきた。
そうと割り切ればカップの中のかぐわしい香りが鼻腔を擽ってくる。
決して嗜好品の類では無い、単なるインスタントのコーヒーなのだろうがそれでも日常から離れたこの場では有り難く感じられる。

「あ、ありがとうございます。でも――」

だがかれんはそのカップに手を伸ばそうとはせずやや挙動不審に何度も中身を確認する。
別に何かが混入されている可能性を疑っているわけではない。
楯岡がかれんの身体に害を及ぼす腹積もりが無い事は既に解っていることではあるのだが。

「不要であるなら回収するが」
「い、いえ! そういうわけではないんです、ただ――」

無感情にカップを引っ込めようとする楯岡の行動を慌てて制止する。
コーヒーブレイクに異存は無い。タイミングとしては十全であるとも思う。
ただ、そう。

「その――ミルクとお砂糖が無いと飲めないんです、私」

寧ろ中に「何も混入されていない」事こそが問題であるのだ、とかれんは正直に告白した。

「――」

顔が赤くなっているのを自覚してかれんはその視線から逃れるように顔を伏せる。
やはり子供っぽいと思われただろうか、サングラスの向こうの楯岡の感情は計れない。
ただ無言でカップをかれんの目の前の床に置くと、その脇に何処で調達してきたのかスティックシュガーとコーヒーフレッシュを添えてきた。

「え、あの――」

予想外の気遣いにかれんは目を丸くする。
無駄を嫌う性質の彼であるならば提供したものをそのまま受け取れないなら即座に回収するものとばかり思っていたのだが。

「人の趣向はそれぞれだ。それを否定するつもりもない」

そう言い放ちながら楯岡は自分のものに口をつける。それには特に飲み口に調整を加えた様子は無かった。
彼自身は全然ブラックでも大丈夫だということだ。つまりはこの肯定は純然たるものであると言う事。
真にかれんを批判するつもりは無いということだ。それを気遣いと感じ、つい嬉しくなったかれんの頬が自然と緩む。

「あ、ありがとうございま――」
「しかし妙だな。それほどの甘味嗜好ならばもっと肉付きが良くてもいいだろうに」

だが所詮楯岡はどこまでも楯岡だった。

「――っ! だからどうしてそう失礼なんですか貴方はっ!」

まったく極稀に人らしい感情を見せたと思えばこの有様だ。デリカシーが無いにも程がある。
これで苦笑の一つでも浮かべてくれれば冗談であったとまだ許せる余地があると言うものなのに。

「そうは言うがお前の体躯の不健康さは正直目に余る。それでは日常生活にすら支障が出るだろう」
「放っておいて下さい! 私にだって色々と事情があるんです!」

それでも重ねて無礼を吐く楯岡の天然には最早付ける薬も無い。ぷい、と顔を背けつつかれんは床に置かれたカップを拾い上げ口をつけた。

だが楯岡の疑問はある意味的を射てはいる。体力不足で長時間の行動は続けられないのがかれんの現状だ。
それも無理は無い。入院生活の長かったかれんには未だ年齢相応の体力は備わってはいない。
発育の悪さもそれに起因しているのか数年前に事故で命を失った姉の当時の年齢はとっくに追い越しているのに、
身体のサイズとボリュームはまだまだ追いつく気配も見えない。
問題視すべき重要な要因であることには間違いない。とはいえ早期の解決が見込める問題でないことも確かであるのだが。

「――そうか」

そんなかれんの内情を理解したのかそうではないのか。
楯岡は短く言葉を発して話題を打ち切り、壁に背を預けて座り込んでしまった。
ここまで移動の際には全てかれんを抱えて移動している楯岡である。
表面的にそんな素振りは全く見受けられないがそれでも疲労は溜まっているのかもしれない。
無論彼女の足を拘束したのは他ならぬ楯岡自身であるのでその点では自業自得であるのだが。

「――あ」

つい声を荒げて拒絶を示したかれんではあったが次の瞬間後悔した。
気を悪くさせてしまったか、と少しは思わないでもないがそれは散々無礼を浴びせられたのでおあいこではある。

「あ、あの――聞かない、んですか?」
「何をだ」
「その――私の事情とかに、興味が無いのかなー、なんて」

だがこれは会話を紡ぐ切欠になり得ると思えたのだ。この決して表に感情を出さない、何を考えているかわからない男との会話を。
かれんが楯岡という男を認識してから既に半日が過ぎようとしている。
そして彼がかれんを拘束した理由を考えれば、今後彼から離れることはおそらくできない。
その間、何時までもこんな冷めきった関係でいていいものか。答えは否である。
せめてもう少し友好的な関係を築いておかなければ息が詰まって仕方が無い。
そのためにかれんは今までに幾度か楯岡に質問を浴びせ切欠を作ろうと画策してきたのだが、やはり最低限の答えしか返さない彼との距離が縮まる事はなかった。
けれども楯岡は自分の身体に関しては少なからず関心を示しているように思える。
それは決して下世話な感覚では無く、単に運搬する荷物の重量に関連してのことかもしれないが。

だとすれば。あまり進んで話したくは無い話題ではあるけれど。
現状を打開するためには止むを得ず、という覚悟はかれんの中にあった。

「興味など無い」
「あう」

だが一太刀の元に斬り捨てられてしまった。

「話したいなら勝手に話しても構わん。だが壁に向かって喋っているのとそう変わらんぞ」
「べ、別に話したいわけではありませんっ!」

続けざまの無粋についムキになり、かれんは言葉を荒げてしまう。
どうしてこんな物言いしかできないのだろう。これで社会人が本当に務まっているのか甚だ疑問でしかない。
せっかくの試みも徒労でしかなかった。諦めてかれんはこの話題を打ち切ろうとすると、

「そうだろうな。不愉快な話題を無理に繋げる必要もないだろう」
「――え?」
「そのくらいは理解しているつもりだ、ということだ」

楯岡は静かに右手を動かし、かれんの左手首を指差した。

「例えば、それだ。装飾にしては随分と無骨なリストバンドだな」

あ、と咄嗟にかれんは右手で隠すようにリストバンドを抑える。
少女の手首に巻かれたそれは楯岡の言葉通り簡素なデザインであるばかりかまるで枷のように大きく、少女の服飾の調和を著しく乱していた。

「その下に隠されたものがお前の言う事情の一端だ。そこに触れるのはお前とて望んではいないはずだ」
「!!」

思わず言葉を失った。左手首から布一枚を通して滲み出るような熱を感じた気がした。

かれんの脳裏に絶望の記憶が蘇る。
数年前。己の命と引き換えのように届けられた姉の死という悲劇の報。
一人先逝くはずだったのに独り取り残されたという過酷な現実。
その重さと辛さに耐えかね、取り戻したはずの未来への可能性を放棄しようとした。衝動的に、破滅的に。姉の後を追おうとした。
その愚行の証がかれんの左手には今も消える事無く刻み込まれている。
自殺未遂を犯した女。傷を晒したまま日々を過ごせば少女は最早その一言でしか評されない。
今の彼女がどれ程に誠実な人格を持ち得ているとしても。
そのためかれんは不必要に大きなリストバンドを装着し、傷を隠して生活せねばならなかったのだ。

難病に侵された過去と天涯孤独の身の上。そして過ちの証明。それら全てが北条かれんの「事情」。
その衝撃的な内容ならば、楯岡の鉄壁を突き崩せるかもと思い込んでしまった。
だがそれは本当に切欠にしか過ぎないもので。互いが気まずく不愉快になるだけだとそこに至る事無く気付かされた。
一体何を勘違いしていたのか。不幸自慢でもして悦に浸るつもりであったのか。ただただ己が身を恥じる。

「――ごめんなさい」
「詫びられる覚えなどない」

相変わらずの無関心で無感情な、突き放したような物言いではあったが。
これが彼なりの優しさなのだ、と考えるのもまた勘違いであるのだろうか。
零れ落ちそうな涙と共に、かれんは勢い良くカップの中身をぐい、と飲みほした。

「あの、これからどうするんですか?」

気を取り直して再度楯岡に窺いを立てる。交流うんぬんは置いておくにしても今後の方針を訊ねるくらいは許されて然るべきだろう。
今の自分たちは「生き残る」という点においては共通の目的を持っていることは確かなのだから。

「方針は今までに何度も伝えてあるはずだが」

何を今更、とでも言わんばかりに素っ気無い返事が返ってくる。変更は無いということなのだろう。
楯岡の方針ではこの後3階に早急に上がり、そこで時間を消費させるというものだった。
楯岡はかれんのPDA、「J」の解除条件である「24時間行動を共にした参加者」を自分に適応させるため、現在彼女の自由を奪っている。
そうなればかれんは自分の命のために楯岡を死なせるわけにはいかず、理論上完全な協力者となるからだ。
「そんなことをしなくても裏切るつもりはないから今すぐにでも拘束を解いてくれ」というかれんの度重なる要請は頑なに却下された。
どうしても自分の言葉は楯岡には信用に値しないらしい。その点に関してはかれんも既に諦めていた。
そしてその時間を消費する場所としてはどうもこの2階は相応しいものではない、とのことだった。

「二日目から1階から拡大していくという侵入禁止エリアの存在が難点だ。『ゲーム』終了寸前に最上階まで覆い尽くされるとすると、
 逆算すればこの2階が侵入禁止エリアに飲み込まれるタイミングとお前の条件が満たされる時期が近似している。ならばこのフロアに留まるのは得策ではない」

などという説明を以前にされた覚えがある。それ自体は納得のいくものであった、のだが。

「でも、楯岡さんはそれでいいんですか?」
「何がだ」

サングラスの奥の瞳がこちらを睨んでいるような気がして思わず気圧されそうになる。
だがそれでも腑に落ちない点がある。かれんは負けじと正直に口にした。

「い、いえその――楯岡さんにとってはこの時間は無駄でしかないと思う、んですけど」

何しろ命がかかっていること、何もかも楯岡任せにするわけにはいかない。そんなかれんが彼女なりに考え辿り着いた疑問だった。
楯岡の解除条件もまた「該当する参加者との遭遇」が必須となる条件である。つまりは潜み隠れているばかりでもいられない、ということだ。
「拘束した女を抱えた男が他者との遭遇も何もない」という言は確かにその通りではあるのだが。
そうなると楯岡は今のプランのままではあと半日は行動が制限されることになる。
それまでは他の参加者に声をかけられないばかりか、移動の際にはかれんを抱えたまま行動せざるを得ない。
その所為で自分の解除条件を満たす事が出来なくなる、とは考えないのだろうか?

事実楯岡は1階階段前で木戸亮太という男の封鎖により足止めを喰らっていた際、その彼を排除した3人の少年少女を見逃していた。
もしかするとその3人が「条件に該当する参加者」であった可能性があるにも関わらず、だ。
まあその鳴神圭介という少年たちがこちらに牙を剥く可能性もまた無いわけではなかったのだが。

「多少はそう思わなくもないな。このフロアならではの俺のアドバンテージも水泡に帰してしまった」
「アドバンテージ、ですか?」
「お前には関係の無いことだ」
「また、そんなことを――」

改めて信用されていないことをかれんは痛感する。少し悲しくて思わずため息が出た。

「だが利点と難点を見極めた結果の判断だ。お前は何も考えずただ俺に従っていればいい。その方が助かる確率は高いはずだ」
「随分と自信があるんですね」
「さてな。そろそろ移動を始める頃合いか」

話はこれまでだ、とばかりに楯岡は立ち上がり服の埃を払う。
結局彼との関係は今回も進展しなかった。相変わらず素性ははっきりせず、考えていることもわからない。
無駄を嫌う性分のように思えるが、それが徹底されているわけでもない。
ただの社会人であるはずなのにこういった異常な状況に妙に慣れているようにも感じられる。

依然、謎だらけ。そんな男に命運を預けざるを得ない。そんな状況がどうにももどかしい。
そんなかれんの複雑な心境など露知らず、楯岡は少女の身体をひょい、と持ち上げた。

「振り落とされないようにしっかり捕まっていろ。今更言う事でも無いだろうがな」
「――はい」

気恥かしい思いもあるが、かれんは楯岡の首にしっかりと腕を回す。


ただ、一つだけ。わかっていることもある。
それはここまでかれんを抱え続けてきたその両腕は決して力任せなものではなく。
優しさをも感じられる、暖かなものであるということだった。




 ゲーム開始より19時間51分経過/残り53時間09分



[21380] EPISODE-31
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/01/30 19:03
ただ、今を懸命に生きてきた。10年という時を生きてきた。


父一人、子一人の鳴神家の生活は決して裕福なものではなった。
その家計は父・浩介が個人で営む深夜タクシー業によって支えられていたが、その稼ぎも芳しいものではなかった。
そのため2DK六畳間で大の男二人の生活を余儀無くされ、生活費もできる限り切り詰めねばならなかった。

だが圭介はそんな家庭環境を不幸とも不満にも感じたことはない。今までどれだけ父が必死に働いてきたかを目の当たりにしてきたからだ。
深夜に仕事に繰り出し、朝方帰宅して昼の時間を睡眠に充てる。そんな一般人とは真逆の生活サイクルを何年もこなしてきた。
雨の日も雪の日も黙々と車を走らせ、休みなど月に一度か二度。そんな精一杯の努力の成果が今であるならば、不満など抱けるはずもない。
他の家庭がどのような生活を送っていようが関係ない。自分たちは自分たちなのだ。
父が家を空ける機会が多くなったため、圭介はいつしか家事全般を引き受ける形になっていた。
浩介には残念ながら家事の才能が絶望的に不足していたためそう成らざるを得ない部分もあったのではあるが。

浩介が必死に稼ぎ、圭介が必死に家庭を維持する。そうやって互いが互いの足りない部分を補って生きてきた。
それが破滅の手前、絶望の底から始まった父子の今の関係であった。




「――何だよ、これ」

そんなある日の夕暮れ。
圭介はちゃぶ台の対面に座る浩介の顔と目の前に差し出されたものを交互に見比べていた。

現在の時刻は午後5時13分。本来の浩介ならばまだ床に就いている時間帯である。
それなのに学園から帰宅した圭介を起きて出迎えたのは何か理由があるのではないかと思えば案の定であった。
着替えが終わるなり部屋に呼び出され、とにかく座れと命じられた。
怪訝に思いながらも着座した圭介に、浩介は真新しい一冊の貯金通帳を差し出してきた。

「これ、父さんが貯めた金なのか?」
「うむ」

父・浩介はただその一言で肯定の意を示す。
無愛想な反応ではあるが寡黙な性分であることはわかりきっていたので圭介にはさして気にもならなかった。
それよりも今気に留めるべきは見覚えの無いこの通帳の中身の方だ。開いてみると結構な金額が記載されている。
幾度となく更新を繰り返した形跡があるので何時から始まった貯金であるのか見当もつかなかったが。
それでもこれほどの金額を貯め込むには相応の年月が必要であったとは容易に想像できるものであった。

「ふーん、で? これ何のために貯めた金なのさ」

多少含みを持たせた言い方で更に圭介は父を追及する。
家計の管理も任されている圭介にとって、父が内緒で大金を貯め込んでいたという事実は看過し難いものであったからだ。
この金額に達した今、その存在を明かしてきたということは父の中では使い道は既に決定しているのだろう。
なのにこれまで一言の相談もなかった。口を挟む余地すら与えてくれなかった。それが何とも面白く無かった。
「今は」実直である父であるため滅多な事に使う金とは思えないのだが、さて。はたしてどんな理由と用途であるのだろうか?

「これは全部お前のものだ」
「はい?」

すると意外な答えが返ってきた。というよりわけがわからなかった。
長きに渡る貧しい生活の中で圭介は今時の若者としては珍しい、欲の無い少年へと成長していた。
多くを欲さず多くを求めない。それでどうしても欲しいものがあるならば、自分で稼いで手に入れる。
私服や私物は勿論のこと、電気代や水道代に至るまで圭介は自身のアルバイトの報酬で支払ってきた。
そんな自分にこの大金は、それこそ身に余るものだ。父もそれは理解しているはずなのだ。
それなのに突然、何を言い出すのか。一体何をさせたいのか。意図が見出せず圭介はただ途方に暮れる。

「担任の先生に聞いた。お前、卒業したら就職するつもりなんだってな」
「え? あ、うん」

唐突に話題が転換した。話の内容に間違いは無いので圭介は反射的に肯定する。
現在高校3年生である圭介が進路調査票を提出したのは確かについ先日のことだった。

「それはやりたい事があるからなのか? 人生を賭けるに値する仕事が見つかったからそう決めたのか?」
「――」
「その顔だとそうでは無さそうだな。まったく出来過ぎた息子というのも考えものだ」

やや呆れたようにため息をつく父の表情は全てを理解している事を物語っていた。
そう。圭介が就職の道を選んだ理由は目的あってのものではない。言わば手段を手に入れるためのものだ。
鳴神家が裕福でないのはまともに稼ぐ術を持ち得ているのが浩介一人であるからに相違無い。
その浩介もそろそろ体力的に無理が効かない年齢になろうとしている。いつまでも深夜業という身体に負担のかかる仕事は続けられない。
そうなれば自分も一刻も早く社会に出ていっぱしの金を稼げる人間になる必要があるはずだ。

家庭のために。父のために。そして何よりも自分のために。
ただ、今を懸命に生きてきた。10年という時を生きてきた。
おそらくそれはこれからも変わらない。そう思っていた。そう思い込んでいた。

「じゃあ、この金ってもしかして」
「そうだ。たぶん一人暮らしをしながら私立の大学に通えるくらいの金額にはなっている、と思う」

けれど、その道を共に歩んできたたった一人の家族はそれを由とはしなかった。

「お前、まだ若いんだから。俺のためなんかで可能性を潰すんじゃない」
「んな事言ったってさ。父さん俺がいないと何もできないじゃないか」
「むう、それについては確かに反論しづらいのだが」

息子の圭介は遠慮無く言葉を浴びせ、父親の浩介もそれを決して蔑ろにはしない。
それが10年という歳月を経て築き上げてきた彼ら二人の今の関係だ。

始まりは最悪と言えるものであった。
最愛の妻・美耶子を失った当時の浩介は「荒れていた」という言葉ではとても言い表せないものであった。
何もかもを放棄し酒に浸った。悲しみに暮れ涙を流し、そして無意味に暴れ出し、家の中を破壊し続けた。
幼かった圭介もまたあらぬ理由で暴力を受け生傷の絶えない日々が続いていた。

そしてついにある日。浩介の狂気は臨界を迎え、刃物を持ち出し圭介に斬りかかって来た。
その時身の危険を感じた圭介の、死に物狂いの抵抗が成功しなければ今や二人を取り巻く環境はまったく違うものになっていたであろう。
正気を取り戻した父と抱き合い互いに号泣した。耳元で何度も囁かれた「済まない」という言葉は今も圭介の耳に残っている。

父もまた一人の弱い人間なのだとその時思い知らされた。
これから二人で生きて行くためにはもう子供であることは出来ないと決意せざるを得なかった。

「でもまあ――うん。努力する。可愛い息子のためだ。家事の一つや二つ、どうということはない」
「うへ、気持ち悪いな」
「まったく、その口の悪さは誰に似たんだろうな。確かに母さんは賑やかな女性ではあったけど」

けれど今は。二人の間にそんな悲劇の影は微塵も感じられない。
互いが互いを必要とし、尊敬し、誇りに思ってきた。たった二人でも彼らは「家族」であろうとした。

「とにかく俺はもう、大丈夫だ。あの時のようにはならないから」

だからこそ息子は家族のために。父の側に居る事を当然のように受け止めて。


「だから圭介。これからは自分のために、自分の未来のために生きろ」


父親は家族のためにそんな息子を今、自分から解き放とうとしていた。

「――わかったよ父さん」

釈然としない何かを感じながらも圭介は父の言葉を受け止めた。
その言い分は父親としてはまったく正しい。自分の事を真剣に考えた結果であることも理解できる。
だがそれを自分勝手に決められたことが長年の相棒としては一抹の寂しさを覚えるのだ。まるで突き放されたようにも感じられて。
しかしそれでも、少し背中が軽くなったようにも感じられるのもまた確かな事実である。
やはり心の何処かでは自分も無意識に「このままでいいのだろうか」と考えていたのかもしれない。

「まったく。つか、それならもう少し早く言えよな。受験勉強とか今からじゃ間に合わない可能性があるじゃないか」

だからこそ複雑に綯い交ぜになった感情が、つい生意気な口をまた叩かせる。
窓の外を眺めれば残暑もそろそろ治まってくる季節。違う可能性を模索するには少々遅めの時期でもあった。

「む、スマン。なかなかこう、タイミングが難しくてな――やっぱり大学に行きたいってのが本心だったのか?」
「え? いや――」

何の気無しに口にしたことだが、圭介は改めてその意味に躊躇いを覚える。
進学が望みであったかと言われると別にそうではない。というより進学なぞ高校に入学した時点で諦めていたものだ。
恥ずかしながら学業に熱心であった学生生活であったとはとても言えない。
勉学に勤しむ余裕があれば全て家事やアルバイトに注ぎ込んできた、というのはさすがに言い訳になるのだろうが。

「そうか。まあ俺もどうしても大学に行けと頭の固い事を言うつもりはない。
 例えばお前、料理が上手いんだからそっちの専門学校に進むってのも一つの道なんだぞ?」

「うーん――」

長年圭介の料理を不満無く口にしてきた父らしい案だったがどうにもそれもしっくりこない。
料理の腕は必要に迫られて磨かざるを得なかったものだ。生業とすると考えるには多少の抵抗がある。
そもそも独学で身に付けた自身の技術は世間一般にはたして通用するものなのだろうか。
本職の主婦から見れば鼻で笑われる程度のものでしかないような気もする。

「何か、無いのか? 別に何でも構わないんだぞ。お前にだって今まで我慢してきたやりたいことの一つや二つ、あるだろう」
「そうだなあ」

生活時間帯の違う圭介たち親子は、こうやって面と向かって会話する機会には久しく恵まれていなかった。
だからなのだろうか。浩介は何時に無く饒舌に圭介に言葉を重ねてくる。
無体な返事で会話を打ち切るのも気の毒に感じたので圭介は取り敢えず思いつく限りの「やりたいこと」を応えようとするのだが。

(――あれ?)

ふざけるつもりは欠片もなかった。真剣に考えることに頭を切り替えたつもりだった。

(おいおい、待て待て――)

それなのに。記憶や本心、その何処をひっくり返してみても。
何も無い。何も見つからない。

(冗談じゃないぞ、何かあるだろ。やりたいことの一つくらい――あって当たり前だろ!?)

気が付けば狼狽している自分がいた。怪訝そうな目でこちらを見つめる父の視線が辛かった。
なぜ、どうして。自分はまだ無限の可能性を秘めた十代の若者であるはずなのに。
それなのに、何も思い浮かばないとはどういうことなのか。

ただ、今を懸命に生きてきた。10年という時を生きてきた。
そうしなければ生きていけなかったなどと、自分に酔うつもりはない。

だがそんな生き方は確実に圭介から少年らしさを奪い去っていた。
夢を見ることを、抱くことを。何時しか忘れ去っていた。今ここにいるのは何も持たない空っぽの自分だった。

「――」
「ま、まあ話が急過ぎたかもしれんな。良い機会だからじっくり考えてみろ」

急に押し黙ってしまった圭介に不穏な空気を感じたのだろう。浩介は半ば強引に話題を打ち切るべく席を立った。

「え? あ、いや――」

このままでは拙い、と慌てて圭介は父を引き留めにかかる。
無理矢理にでも話を繋げておかなければ、おそらく父は気付いてしまうだろう。
自分の生き方が、息子の生き方を捻じ曲げてしまったのだと。

(何か、無いのか――あ、そうだ)

それはただの日課であり、手慰みであった。だが父を気遣う一心がその一言を圭介に呟かせた。

「なあ、父さん」
「ん?」

「もし俺が――『手品師になりたい』って言っても応援してくれるかい?」

「手品師――?」


その時の浩介の表情を。圭介は今も忘れることができない。


「あ、ああ、うん。勿論だ。どんなことでもお前の将来なんだからな」
(あ――)
「しかし手品師か、母さんも手品は得意だったが――どうやってなるもんなんだろうな?」

それがどんな夢でも喜んで応援する。それは父の嘘偽り無い本心なのだろう。
だがあまりにも突飛過ぎる発現だからであったのか。それとも別の理由があるのか。
言葉では言い繕いながらもあからさまに歓迎している様子では無かった。
暗黙の否定を圭介は悲しいとは感じなかった。寧ろ道理であるとさえ思えた。
もしも自分が父の立場であるならば、おそらく同じような反応を返したであろうから。
何せどうすればその道に進めるのか、発言した圭介自身にも皆目見当がつかない。
世の中の手品師と呼ばれる人種が、どういった形で生計を立てているのかわからない。
テレビなどで持て囃されている人物たちも居るには居るが、そんなものは卓越した技術と幸運を持って選ばれたほんの一握りであるだろう。
自分がそこに到達できるとは到底思えない。今の自分の技術など、所詮は仲間内ですら満足させるには程遠いものなのだから。

(そうか――そう、なのか。じゃあ、今まで、俺は――)

何の意味も無かった、そんな事実を痛感してしまった。
唯一の母との繋がりである魔法の技術は、これからの自分には何の役にも立たないものだった。
半ば義務的に、独自に腕を磨いてきた。書物やネットで気になる手法を調べて、自分なりの形で昇華させていった。
だが全ては努力の甲斐も無く、ただの場つなぎや話題の切り口にしかならなかった。

それでも止めよう、捨てようとは思わなかった。
それは圭介の空っぽの人生の中でのただ一つの拠り所であったから。

だがそれすらも果てしなく無駄で無意味な、時間の浪費であったのだと。今日この日に思い知ることになってしまった。
こんなことに時間を割く余裕があるなら、もっと将来の為に役立つ何かを見出す努力をすべきだったのだ。

「ごめん、ちょっと言ってみただけなんだ」

全身の力が抜けていくような感覚に捕らわれた。

「趣味と呼べるものがそれしかなくってさ。だからつい口を突いて出ただけだよ。本気でそう思ってるわけじゃないさ」

それでもそんな素振りを父に見せたくなくて。唇を噛み締め必死に軽い雰囲気を絞り出す。

「む、そうか。まあさっきも言ったがじっくり時間をかけて考えてみることだな。別に来年の春に道が決まっている必要もないだろう」
「やだよ。浪人なんてそれこそ金と時間の無駄だ」
「まったくそんなところは相変わらずだな。ところで圭介、お前そろそろバイトの時間じゃないのか?」
「あ、ホントだ」

壁にかかった時計を見るにそろそろ家を出なければ拙い時間帯になっていた。

「俺はもう少しのんびりしてから外で飯食って仕事に出ることにするよ。じゃあ遅刻しないようにな」
「ああ、じゃあ行ってくるよ」

圭介は上着に袖を通すと足早にドアを飛び出した。

その日のアルバイトはまるで身が入らないものであったが、その日から圭介は自分の身の振り方について考えるようになった。
だが結局結論は出ぬまま、進路の変更をすることも無くただ無為に時は過ぎて行った。

そんな圭介が学園帰りに謎の組織の手によって拉致されたのはそれから2カ月後のことだった。





「ん――」

薄靄のかかったような奇妙な光景が徐々に輪郭を取り戻してくる。
まず目に入ったのは安普請の我が家とは似ても似つかぬ鉄筋コンクリートの天井。続いて目に優しくない色合いの赤い、上等な絨毯だった。
施設2階、戦闘禁止エリア出入り口付近。その名称が圭介の頭を過り、今の現実を改めて思い出す。

(あ、れ――いつの間にか寝ちゃってたのか、俺)

もぞもぞと身体を起こしながらどうにもはっきりしない記憶を手繰り寄せてみる。
確か疲労を回復するためには睡眠は摂っておくべきだと3人で結論づけ、そして交代で見張りに立つなどと決めた覚えがある。
そうだ、そしてその一番手に自分が立候補したはずではなかったか。

(ってことは、自分で役目を引き受けときながら寝ちゃったってことか? うわ、どんだけダメ人間だよ俺!)

情けない事この上無い。戦闘禁止エリアという性質上、室内でそう危険な事は起こるべくもないのだがそれでも危機感が足りないにも程がある。
無意識下でそれだけの疲労を溜め込んでいたということなのだろうがそんなことは言い訳にもならない。
来訪者が現れた様子が無いのはただの僥倖に過ぎないだろう。

(時間は――うわ、6時間以上も経ってるじゃねえか。自覚あんのか? 俺)

PDAで時間を確認すると「ゲーム」開始時より既に20時間以上が経過していた。確か最後の記憶では15時間経過といったところだったはずだ。

「つかね、うん。この絨毯が曲者なんだと思うんだよ。だってウチの煎餅布団よかよっぽど気持ちいいもん。
 それに毛布とか追加された日にゃ、そりゃ寝ちまうのも仕方ないって! ――ってだから、誰に言い訳してんだよ俺は」

どうして自分は慌てると独り芝居を始めてしまうのか。理解に苦しむ圭介である。
少なくとも父と二人でいる時にこんな悪癖は見られなかったと思うのだが。

「――毛布?」

そこに至って漸く圭介は自分の身体に毛布がかけられていることに気が付いた。
自分でこんなものを調達した覚えは無い。先程の言い訳の通り、自分でわざわざ見張りの妨げになるようなものを用意するわけがないのだから。

「――ん」
「ん? 『――ん』って、おわっ!」

ふと右隣から聞こえてきた小さな声に反応して振り向くと、其処に「あるもの」に圭介は驚き飛び退いた。

「も、もももも森下さんっ!!??」

同行者の少女の一人、森下美雪が毛布に包まって安らかな寝息を立てていたのだ。

「な、な、何でこんなところに――くそ、待て待て、落ち着け俺っ!」

目が覚めると傍らには女の子、字面だけなら実に望ましい光景ではあるのだが。
圭介は唇を噛み締め眠気の残滓を吹き飛ばし、乃得留に習って現在の状況を理論的に紐解いていこうとする。

見張りの最中に自分は力尽きて眠ってしまった。それは間違い無いだろう。
そして交代の時間になり美雪は眠っている自分に気が付く。しかし心優しい彼女は決めごとよりも自分の眠りを妨げないことを優先したのだろう。
しかし少女である美雪の力では自分の身体を移動させることはできなかった。
止む無く隣で見張りを続けることにした。ところが今度は彼女の方が力尽きてしまった。
理屈として考えられるのはおそらくそんなところであろう。

「で、菜緒は菜緒であんなところで寝てるし――まったく。危機感が足りないのはみんな一緒だな」

そしてもう一人の少女、緑川菜緒はベッドルームを利用せずわざわざソファにその身を横たえていた。
ベッドルームは黒江唯子の記憶がまだ新しいことでもあるので利用するのは躊躇われたのかもしれない。
呆れたように圭介は肩を竦める。とても誰もが一度は命の危機に瀕したとは思えない空気である。
そんな空気を作り上げたのは他ならぬ圭介自身であるのだがそれにしても、だ。

「それは置いとくとしても、さ。君ら――俺に対する危機感とか微塵も感じてないですか? それとも純粋に男として見られてませんか? 俺」

当人たちに言い聞かせるわけでもなく圭介は一人ごちる。二人の少女の寝姿はそれはもう目の毒と言えるものだった。

ソファで仰向けの菜緒は寝苦しいのかその豊満な胸元を大解放。
絨毯に横たわる美雪は毛布の切れ目からその脚線美を惜しみなく晒していた。

信頼の証と言えばそうなのだろうが、それにしても青少年には酷な状況であるとも言える。

「写メにでも撮っといて後で脅してやろうか、くそ」

などと下衆な発想が思い浮かんだがそんなことをすれば二人がかりで折檻されるのが目に見えている。
諦めて圭介は朝食の準備でもしよう、とキッチンへと向かった。
見張りの予定は大狂いではあるが、この戦闘禁止エリアでの休息時間としては当初思い描いていた時間経過ではある。

ならば今は寝かせておいてやろう。そして暖かい食事で起床を迎えてやろう。
そしてお遊び気分はもうここまでだ。これからはより一層気を引き締めていかなければとても生き残れるものではない。
キッチンに辿り着き貯蔵庫の食材の確認を始めた圭介は新たにそう決意した。

(そういや何か夢を見た気がするけど――どんなだったっけ?)

器用に玉葱を刻みながら圭介はふとそんなことを思い返す。何か以前の記憶のような気もするが、どうにも定かではない。
一先ず悪夢の類ではなかったことだけは確かなのでそれ以上は深く考えないことにした。


――だって、夢なんて見ても仕方の無いものなのだから。


意識の奥底から生まれたそんな一言を。圭介はまた自虐気味に呟いた。




 ゲーム開始より20時間37分経過/残り52時間23分



[21380] EPISODE-32
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/02/13 09:02
美雪と菜緒が目を覚ましたのはそれから30分後のことだった。
手早く食事を済ませた3人は早速今後の打ち合わせを開始した。

とは言え現状を劇的に変化させるほどの打開策が思いついているわけでもなく。結局は方針に変更は無し、ということになった。
それは即ち「先に進みながら新たな協力者を探す」ということ。
圭介にとってのみそれは表向きだけの方針であることは言うまでも無い。

「そうですね。今はそうするしかないと思います」

長めの休憩で疲れも取れたのか、森下美雪は元気よく同意を示す。その顔つきには変わらず圭介への信頼は揺らいでいない。
だが、彼女の親友である少女はそれとは真逆の反応を見せた。

「やっぱりそうなるよね。うん――そうするしかない、よね」
「――菜緒?」

方針を打ち出してからの緑川菜緒の表情は硬く、その呟きも歯切れが悪く何時もの彼女のものではない。
賛同しかねる、という様子はそれだけではっきりと見て取れた。

(まあ無理も無い、か)

菜緒の賛同が得られないことはある程度予測できた。この戦闘禁止エリアで起こった出来事を考えればそれも当然であるだろう。

「そうだよな、菜緒。やっぱり怖いよな」
「え? ――うん」

少し驚いた表情と、その後に意外なくらいに素直な返事。
そうなのだ。本来の気の強さが影を潜めている今の彼女は怖れている。この「ゲーム」の舞台で見知らぬ他人と接触することを。
愛らしい少女に刃を向けられ、危うく命を落としかけた。差し伸べた手は最悪の形で振り払われた。
加えてその前に遭遇した参加者と言えば完全な妨害者として立ち塞がった木戸亮太。
つまり彼女は美雪と圭介を除けばこれまで参加者には敵意しか受けてはいないのだ。
これでは「新たな協力者を探す」方針に拒否反応を示すのも道理というものだろう。
他人を信じて気を許し。そしてまた手酷い裏切りを受けてしまう。それが怖くてたまらないのだ。

――このままじゃあたし、誰も信じられなくなっちゃう!

そう叫んで涙に暮れた彼女の姿が、圭介の頭から離れない。
今は辛うじて持ち直してはいるものの、その心の傷は決して癒えてはいないのだ。

「だけどごめん。それでも勇気を持って従って欲しいんだ」

そんな彼女をできるだけ優しく気遣うような。そんな口調で圭介は菜緒に言い聞かせる。

「俺の解除条件にはどうしてもJOKERが必要になってくる。そして現時点の情報ではその所有者はまだ会ってない参加者である可能性が高いんだ」
「あ――」
「そうなの菜緒。圭介くんの解除条件のためには、どうしてもJOKERを持ってる人を探さなきゃいけないの」

美雪の補足をありがたい、と考える自分が圭介はつくづく嫌になる。
真のJOKER所持者である自分が架空の所持者の可能性を示し、そして誘導しようとしている。
それは偽装を看破出来る波多島乃得留たちのグループからできるだけ遠ざかるために他ならない。

「男としては『この身に代えても君たちを守る!』と言いたいとこだけど。生憎俺はそこまで恰好良くはなれそうもないみたいだから」

乃得留たちがJOKERを所持していないことは既に「理論的に」説明済み。
そして菜緒は未だ面識の無い彼女らにまで疑いの目を向けつつある。
ならばあとはこうやって。無様に自分の立場を主張すれば彼女らとの合流よりも自分の安全の確保に心を傾けてくれるはずだ。

「はは、わかってるわよ。そんな情けない顔しなくても。アンタにそこまでの甲斐性なんて求めてないってば」
「そうですよ。圭介くんはそのままの圭介くんでいてください」
「何気に酷い事言ってるね、君ら」
「うん、ごめん。できるだけ悟られないようにしたつもりだったけど、やっぱ圭介の目はごまかせない、か」
「かなりバレバレだったけどな。なあ? 『美雪』」
「えっ!? そ、そそそそそうですね! わ、わたしは菜緒の親友ですから当然気付いてましたともっ!!」
「何でいきなり動揺するのさ。まさか気付いてなかったとか?」
「――女の子の気持ちにはてんで鈍いみたいだけど」
「ん? 何か言ったか?」
「な、なんでもないっ!」
「そうです! なんでもありませんっ!」
「??」

最後の呟きは小声であったのでよく聞こえなかったのではあるが。
特に重要な雰囲気では無さそうなので圭介は敢えて追及しないことにした。

「と、とにかく! ――うん。大丈夫。不安なのは確かだけどちゃんと圭介について行くから。だから安心して」
「――ありがとう、な」

まともに目を合わせることに耐えられず、思わず目を背けた。彼女らの目にはそれは照れ隠しにでも映ったであろうか。
嘘が、積み重なっていく。
彼女たちの優しさを、彼女たちの不安を。そして築き上げてきた信頼関係すら利用して。

(――最低だ)

今更ながらに自分の有様を思い知らされる。
それでも貫き通さねば道は開けない。今を失わぬためには、そうするより他は無いのだ。

「それじゃ、そろそろ出発しますか」

迷いを振り払うように圭介は宣言する。二人の少女が揃って首を縦に振った。






部屋を出る際の行動は否が応にも慎重にならざるを得なかった。
特に一度黒江唯子に受けている扉の外の死角からの襲撃を必要以上に警戒し、室内から毛布を投げ出すなどして入念に反応を窺う。
前方、両脇、共に異常無し。目の前の通路の罠の有無は数時間前に確認済み。
ここまでの注意を払い、漸く3人は戦闘禁止エリアの外に出る決意を固めることが出来るのだった。

「ずっと此処に隠れていられたら良かったんですけど、ね」
「そうだね」

名残惜しそうに室内を見渡す美雪に圭介は同調する。
この場所に居る間、命の奪い合いを行っている事実を忘れることができた。
「其処に居れば命を狙われることは無い」という保証はあまりにも大きなものであったのだ。

だけど留まることは許されない。「ゲーム」のルールはそれを許してはくれない。
もうすぐ施設の1階は「侵入禁止エリア」に覆われ逃げ遅れた参加者は軒並みペナルティを受けることになる。
遠からずこのフロアもそうなってしまうであろう。そうなればこの安息の空間もいずれは処刑場と化してしまうのだ。
命を永らえるためには安全な空間を捨てねばならない。それは何という皮肉であることだろうか。

「――行こうか」

圭介は先頭に立って扉のラインを踏み越える。その後に菜緒が、そして美雪が続く。
ここから先は何時、何処で誰が襲いかかってくるかわからない空間。
少年と少女はついに再び命のやり取りの行われる戦場へと舞い戻って来た。

「まだ時間はある。気をつけながら、ゆっくり進もう」
「ん、了解」
「はい、わかりました」

二人の返事を待って圭介は自らの言葉に従うように静かに歩を進める。
その後方から美雪がPDAの地図機能を展開し、圭介に先行きの指示を出す。そして殿の菜緒が背後の警戒を務める。
自然な形で一行は数時間前と同じ隊列を形取り、進んでいく。
口も開けない緊張感が続く。その重苦しい空気は先程までとはまるで真逆なものだ。

(マズいな、思ってた以上に厳しいぞ、これは)

気を緩めれば見落としが起こる、そう思い真剣でいようと自分にも少女たちにも言い聞かせ出発した。
だが神経の摩耗が予想以上に早い。集中を保ち続けることがこれほど負担をかけることになるとは思いも寄らなかった。

どれくらいの時間が過ぎただろう。今までどれ程の距離を進んだのであろう。
変わり映えのしない景色の所為で様々な感覚が曖昧になりつつある。
自らのPDAを覗き見ると戦闘禁止エリアを出発してから既に2時間が経過しようとしていた。

「ふう――美雪、3階への階段まであとどれくらい?」

一先ず現在位置の確認を美雪に促す。
PDAの地図機能は参加者全員に搭載されてはいるが拡張された詳しいものは今美雪のものにしかインストールされていない。
操作の巧みさも相まって、今地図のチェックとナビゲートは彼女が一任することになっていた。

「そうですね、正確なことは言えませんけどかなり近付いてるんじゃないかと思います」
「そっか。もう一息ってところなのかな」

はっきりしない返答ではあったが如何に頭脳明晰な美雪とて正確な時間は割り出せるわけではない。そこまで要求するのは流石に酷だと言うものだ。
ただ「かなり近付いている」という発言を汲み取るならば今までと同等以上の時間を要することはないのだろう。

(さて、どうするかな)

一旦立ち止まり圭介は思案に暮れる。
もしそれほどでもない距離であるならば一気に進んでしまった方がいいのか。それともこの辺りで少しでも休息を取るべきなのか。
美雪も菜緒もその気丈な性格から、決して自分から疲労を訴えることは無い。
ならば進行のペース配分は自分が握っているということになるのだが。

(――それでもやっぱ、俺一人で決めることじゃあないよな)

息抜きの会話も兼ねて窺いを立ててみよう、そう決断した矢先のことだった。

「圭介、あれ!」

菜緒の鋭い声が飛ぶ。驚き振り向いたその先に。
いつの間にか一人の人物が佇んでいた。

「!! あ、あの人、は――」

美雪の表情が瞬く間に凍りつく。その言葉尻の震えから、少女の恐怖が伝わってくる。
そう。人の善い彼女がその姿を目にしただけで怯えを露わにする人物など一人しかいない。
針金のように痩せ衰えた体躯に透き通るような白髪。そんな特徴的な風貌の持ち主など、二人と存在するはずもない。

「な、長、沢――」

長沢勇治が其処に居た。初めて出逢った時のように、その顔に儚げな表情を張りつけて。

「やあ鳴神くん美雪さん、久しぶり。その後の進みは順調かい?」
「え、この人があの長沢なの? でも――って、きゃあっ!」

圭介は菜緒の肩を強く掴み、自分の背後へと押しやった。

「ちょ、ちょっといきなり何すんのよ!」
「見た目に騙されんな。コイツの中身はマトモじゃないんだ」

乾ききった喉からそれだけの言葉をやっとの思いで絞り出す。
先程の反応を鑑みるに面識の無い菜緒は伝え聞いた印象との違いに困惑したのだろう。「こんな男が脅威に値する人物なのか」、と。
だがその見た目と善人ぶった物言いで油断を誘発させることこそこの男のやり口なのだ。
その卑劣な手口は思い込みの激しい菜緒には有効に作用することだろう。その憂いだけは真っ先に絶っておく必要があったのだ。

「やれやれ、酷い扱いだね。こんなか弱い、哀れな僕を捕まえて」
「どの口が言いやがる。人をあんな形で騙くらかしておきながら」

噴出しそうな怒りを何とか抑えつつ圭介は長沢と相対する。
長沢の態度からは余裕以外の何ものも感じ取ることはできなかった。少女が二人であるとはいえこちらは3人、対して相手は一人きり。
その人数の差は歴然のはず。それでも泰然とし続ける理由は一体何なのか。

それはすぐに理解に至ることが出来た。その彼我の戦力差などものの数ではない確かな理由を、長沢はその右手に携えていたからだ。

(な――何だよ、あれ、は)

圭介は戦慄せずにはいられなかった。
それは銃のようでもあり、弓矢のようでもあった。そう評する理由はそのどちらの様相も呈していたからだ。
銃の上面部に小型の弓矢が接続されている。おそらくその引き金と弓矢の発射が連動する形になっているのだろう。
その形状から導き出される名称は圭介の知識の片隅に存在していた。
あれはおそらく「ボウガン」だとか「クロスボウ」などと呼ばれる代物だ。
無論実生活では滅多に目の当たりに出来るものではない。その使用法や威力にまで詳しく言及できるわけもない。
だが。この「ゲーム」において自分たちに望まれているのは何なのか。それを考えればその答えは明白に等しいものであった。

「ああ、これ? ひひ、いいだろ。さっき其処で偶然拾ってさあ」

まるで質の高い玩具であるかのように、長沢は誇らしげにクロスボウを掲げて見せる。

「!! 逃げろっ!」

反射的に声を張り上げ、圭介は二人の腕を掴んで身を翻す。
「え? あ」
「は、はいっ!」

強烈なベクトルに引き摺られ体勢を崩しかけた少女たちはすぐさま自らの足でその身を支え、次の瞬間地を蹴った。
様子を窺っている場合ではない。あの得物は間違いなく「飛び道具」に分類すべき「武器」だ。
そしてそれを操る人物が長沢勇治であるというのなら一刻も早くこの場を去らねばならない。
美雪が。菜緒が。そして自分自身が。恐怖を感じて身を竦ませる前に。
長沢との距離を引き離しクロスボウの射程範囲から逃れなければならないのだ。
そうでなければ、どうなるか。想像する猶予さえ、今は無い。

「やれやれ、せっかちだね。もう少しどっしり構えたらどうなんだい――っと!」
「!!」
「きゃあっ!」

風切り音と共に圭介と美雪の間を「何か」が高速で通り抜けた。
遥か前方遥か遠く。暗闇の更に先で微かな硬質なる金属音が床を打った。

「足を止めるな! あの角まで転ばずに全力で――何があっても走り抜けろっ!!」

怒鳴るように警告しながら頭を腕で庇いながら圭介は一心に走り続ける。

「ぎゃはははっ! みっともないねえ! 尻尾巻いて逃げることしかできないってのは、さ!」

狂楽の殺人者の声にも耳を傾けない。二度、三度と後方から発射音が繰り出されてくるが構う事無く足は止めない。

(当たるな――当たるな当たるな当たるなっ!!)

高速で飛来する物体からの最適な逃走法など知っているわけもない。そんなもの人生の中で経験しているわけもない。
だから、ただ。胸の内で念じるように繰り返すだけ。
誰の身体にも当たらぬよう。そしてこの先に罠が存在しないよう。今の圭介には祈ることしかできない。
視界の先に右方向へと曲がり込む分岐路が近付いてきた。
兎に角其処にさえ辿り着くことができれば。少なくとも射線さえ取れなくしてしまえば今の危機からは脱することができるはずなのだ。

「!!」

あと10メートル。一際顔の近くを矢が通過する。

「う、わっ!!」

あと5メートル。足を縺れさせかけた菜緒の手を引っ張り辛うじて速度は落とさずに済んだ。

「そーら、そらそらそらぁっ!!」

あと3メートル。あと2メートル。

あと――

「うおおっ!!」

その一歩を一足飛びに踏み出し、身体を投げ出すように圭介は右側通路へと飛び込んだ。
僅かに遅れて菜緒が続く。そして最後に美雪が、

「――きゃああっ!」
「!! みゆ――」

その身体を不自然に跳ね上がらせ、その場に倒れ込んだ。

「み、美雪ぃっ!!」
「へ、平気ですっ!」

振り向いた菜緒が絶望的な悲鳴を上げたが美雪はすぐさま起き上がり転がるようにして圭介たちの元へ辿り着く。
胸の中に抱え込んだ少女の鞄には1本の矢が突き刺さっていた。どうやらそれを盾にして走っていたため難を逃れたらしい。

「も、もうびっくりさせないでよねっ!」
「安心するのはまだ早い! まだ逃げ切れたわけじゃないぞ!」
「わかってます、圭介くん、左・右・左です!」
「おっしゃっ!」

幸いにしてここから先は短続的な分岐になっているようだ。菜緒が美雪を支えて立たせたのを確認し、圭介は逃避行を再開する。
長沢の足音はまだ遠い。矢の装填を優先させているのか、ある程度の距離は引き離せたようだ。
この美雪の指示に従えば長沢の追撃から逃れることも可能だろう。

(く、そ――冗談じゃないぞ!)

美雪が倒れたつい先程の映像が蘇り、圭介は走りながら歯噛みした。
またしても彼女は長沢に殺されかけた。しかも今回は以前のものとはまるで事情が違う。
そう、長沢との距離は引き離したのだ。あの男は側にはいないのだ。
にも関わらずこの実情。それはつまり「飛び道具」というものの脅威を現している。
圭介にとって人が死ぬ、殺されるという現象は直接的な暴力が為すものだった。
幼い頃に体験した、「父親に殺されかけた」という過去。当時倍の体躯であった父が刃物を片手に襲い来る様。
それこそが圭介の抱く「死」のイメージであったのだ。

だが人は。ヒトという種が生み出した英知は。
直接手を下さずとも対象を容易に死たらしめるものであったのだ。

(これじゃ、警戒とか何の意味も無いじゃないか!)

長沢が現れた時、ある種の実感を感じた。
警戒網から外れた位置に姿を現したあの男との距離は圭介の想定していた「十分に対処できる」距離のはずだった。
だがクロスボウの存在はその距離を容易に凌駕してきた。自分の想定など途轍もなく浅薄なものに過ぎなかったのだ。
今回の窮地を切り抜けることが出来たのは単なる僥倖に過ぎない。何度もこんな幸運が続くとは限らない。

(それに――これってまさか、もしかして――)

ふと、ある言葉が圭介の頭を過ぎった。だがすぐに頭を振ってそれを打ち消した。
実現して欲しく無い。二つ目の角を曲がりながら圭介は無言で祈りを抱く。

だがそれは無為なものであったと。少年が思い知らされるのは程ない未来のことであった。





「上手くいったのか!? 長沢」

喧騒と足音が途切れるのを待って木戸亮太は鉄パイプを片手に隠れていた物陰から飛び出した。
木戸の隠れていた位置からは一部始終を見届けることは出来なかった。
戦闘が追撃戦の様相を呈したため決着は視界の外で着いてしまっていたのだ。
はたして襲撃は成功したのか。一刻も早く確認するために木戸は長沢の元へと走り寄る。
事の顛末が望むべき形で終わっているとするならば。その後始末は是が非でもこの手で行わなければならないからだ。
長沢のクロスボウが鳴神圭介たちを仕留めているのだとするならば。彼らへの引導はこの鉄の凶器で渡してやらねばならないからだ。
最上の結果であるならばこの時点で自分の首輪の解除条件は達成されたことになる、その期待を胸に木戸は長沢と合流したのだが。

「やあキッド。ご覧の通りだよ」

肩を竦めて平然と言い放つ長沢の前方には誰の姿も見当たらなかった。
身体の何れかの部分を撃ち抜かれ倒れる少年の姿も、腰を抜かして怯え竦む少女の姿も無い。
まんまと逃げ切られた、その明白な事実だけが其処にはあった。

「失敗か――ち、やっぱそう簡単にはいかねえってことか」

木戸は忌々しげに舌打ちする。だが正直そこまでの失望を感じているわけではなかった。
寧ろ襲撃を企て単独で飛び出していった長沢に対する侮蔑がその内心には満ちていた。

――いいからそこでおとなしくしてな。今のお前じゃ足手まといにしかなんねーよ。
――心配すんなっての。トドメの分だきゃちゃんと残しといてやっからよ。

圭介たちを発見した際、復讐心を燃やす木戸を尻目に長沢は臆面も無くそう言ってのけ出撃した。
だが一人として仕留められず逃走を許すという体たらく。何と惨めな結果であろうか。

(へっ、ざまあみやがれってんだ)

口には出さず木戸は吐き捨てる。それはおよそ仲間に抱く感想とは思えないものであったが。
屈服させられ命綱のPDAを奪われ、長沢に従わざるを得ない木戸にとってそれは至極当然であると言えた。
無論殺人狂の長沢の気分を損ねればこちらの命が危ぶまれる可能性があるので決して表に出せるものでもないのだが。

(どれ、悔しがる様でも見届けてやるとするか)

機嫌の上向いてきた木戸は圭介たちが去っていった方向を呆然と見つめる長沢に視線を向ける。
すると。

「ま、予定通りと言えば予定通りなんだけど」
「――は?」

一瞬耳を疑った。次の瞬間には負け惜しみを言い出したか、と捉えた。
だが混じり気無しに純粋に。真剣に真摯に長沢は言い捨てた。

「だってさ、『こんなもの』で殺したって面白くもなんともないじゃないか」
「な――」

木戸の目の前で長沢のクロスボウが上下に揺れる。それがどれ程の殺傷力を秘めた武器であるか、理解できない木戸ではなかった。
自分と真っ向から対峙してきたあの鳴神圭介も、その威力の前には逃げる以外の選択肢を選べなかったのだ。
それを「こんなもの」とつまらない玩具扱いするとは一体どういうつもりであるのか。

「言い訳にしか聞こえないかもしれないけどさ。当てるだけなら簡単だったんだぜ? あんなデカい的、オレが外すわけねーもん」

犬猫を標的にする方がよっぽど難易度高いよ、と長沢はおどけてみせる。

「――じゃあなんでそうしねーんだよ」
「だってあいつらをここで殺すつもりなんてなかったし。当然だろ? その気があるならキッドに先回りさせて挟み討ちにしてるっての」
「ぐ――」

木戸は気が遠くなるような感覚に捕らわれた。そうだ、なぜその可能性に気づかなかったのか。
鳴神圭介たちがクロスボウの脅威から逃れるためにはその射線に身を置かないことが大前提となる。
そうなれば確実に最近の分岐路に逃走経路を定めるはずであり、事実この目の前の角を曲がって逃げて行ったのは想像に難くない。
ならばそこで待ち構えて鉄パイプを一閃させれば。仕留めるまではいかずとも足を止めることは出来たはずだ。
足が止まればこちらのものだ。今度こそ容赦も躊躇も無く息の根が止まるまで打ち込み続ければいい。
追いついた長沢に協力を要請できることも踏まえれば木戸の条件は高確率で達成の見込みがあったのだ。

「キッドの居た位置からなら多少迂回すれば裏に回れたはずだぜ? ほら」

PDAの地図機能を展開し、長沢が画面を突き付けてくる。目線で辿れば確かに目の前の分岐路と木戸が潜んでいた位置は繋がっているように見えた。

「――それで俺に『おとなしくしてろ』なんて言いやがったのか」
「ま、そゆこと。まさか素直に従うとはね。お前ホントにやる気あるの? ふひひっ!」
「――ぶっ殺すぞ、てめぇ」

長沢の口元が邪悪に歪み、木戸は悔しさで歯噛みする。
この男の言う通り、逐一従う理由など無かったのだ。自分たちは「他の参加者を殺す」という共通の目的のために手を組んでいるに過ぎないのだから。
長沢に対する殺意が身体を突き動かしそうになるが寸での処で踏み止まる。
今の木戸は長沢に受けた傷により顔の左半分が包帯で覆われている。極端に狭まった視界の中では勝てる道理も無いというものだ。

「まったくちょっと脅しのつもりで身体に当たらないよーに気ぃ遣って撃ってたってのにさ。
 最後の一発が美雪のお嬢に当たった時にゃ、逆にどうしようかと思っちゃったよ、鞄でよかったよかった、ふひゃひゃひゃひゃ!!」

何が可笑しいのか長沢は高らかに笑い上げる。この感情の振れ幅の大きさには何時まで経っても慣れるものではなかった。


「つまんねーよ、まったくつまんねーよな! 『弓矢が刺さって出血多量で死亡』なんてさ! それよか上の階だよ上の階!
 4階とか5階とかにはもっと強力でど派手な武器が目白押しなんだぜキッド! 脳漿ブチ撒けたり蜂の巣になったり!
 爆弾に吹っ飛ばされて手足が爆散したりとかさあっ! そーゆー死に様でなきゃ、この『ゲーム』の味が出て来ねえよっ! 
 ぎゃーーはっはっはっはっっ!!!」


――つきあいきれるか、この狂人め。

思わず目を背けたくなる長沢の有様であったが木戸はその場を動くことができなかった。
これほどまでに壊れきった男の思考回路など信頼に値しない。
その狂手がいつ何時自分に向けられるかわかったものではないからだ。




 ゲーム開始より23時間22分経過/残り49時間38分



[21380] EPISODE-33
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/04/17 05:22
「はあっ、はあっ、逃げ――切れた、のか――?」
「そう――みたい、です、ね――」

息を切らせて立ち止まり、圭介たちは恐る恐る後方を振り返る。
ここまでかなりの数の分岐路を通過し、その度に方向を転換してきた。
これならば如何に長沢と言えどもとうの昔にこちらの姿を見失い、追撃を諦めていることだろう。
それでもあの男に限り常識は通用しない。圭介は耳を欹て足音が聞こえてこないことを確認し、漸く安堵の息を吐いた。

「ふう――二人とも、怪我は無いか?」

呼吸が整うのを待って二人の少女の安否を確認する。
ここまで足を止めずに走り続けてこられた以上大きな傷を負ってはいないだろうが緊張で気が付かなかったということもある。
クロスボウによる襲撃という未体験の脅威に晒された後だけに気を回しておいて損は無い、と圭介は二人に視線を飛ばした。

「うん、大丈夫」
「わたしも大丈夫です。転んだ時に少し膝を擦りむいちゃいましたけど」
「そっか、何よりだ」

特に鞄で防ぐことが出来たとはいえ、矢を受けて倒れた美雪の状態は気がかりであっただけに圭介は胸を撫で下ろす。
ふと視線をやると確かに美雪の右膝頭には血が滲んでいた。白い肌に浮かび上がる朱が実に痛々しく感じられる。

「うん、大したことは無いだろうけど――念のため治療しといた方が良いだろうな。救急箱は美雪の鞄の中だっけ?」
「え? あ、はい、えっと――じ、自分で出来ますからお気遣いなくっ!」
「へ?」

圭介なりに彼女を気にかけた上での発言だったのだが突然美雪は慌てた素振りを見せ、鞄を抱えて背を向けてしまう。

「はいはい圭介、あっち向いてなさい」
「お、おい――あー、なるほどそーゆーことか」

菜緒に押されて身体の向きを変えさせられた圭介は間も無くその態度の意味を理解した。
膝の治療を何も無いこの通路で行うならば、座り込んで膝を立てねばならないのだ。
そうなると当然脚が露出してしまう。彼女はそれを恥ずかしがっていたのだ。

「すみません、お待たせしました」

程無く美雪は治療を終えたことを告げた。振り返った圭介の視線の先の少女の膝には白い包帯が巻かれていた。

「歩きにくくはない?」
「はい、大丈夫です」

二、三歩歩いて状態を確かめる美雪の動きには窮屈な様子も痛みを堪えている様子も見られない。
これならば今後の行動に支障は来さないと見て差支えは無さそうだった。

「ホント、大した怪我じゃなくて良かったわ。まったく、あの時は生きた心地がしなかったわよ」
(――「生きた心地がしなかった」、か)

まったくもって同感だ、圭介は床に視線を落とす。
その先には救急箱を取り出す際に美雪の鞄から抜き取られた弓矢が転がっていた。
圭介の脳裏に先程の映像が蘇る。飛来する弓矢が突き刺さり、美雪が倒れた瞬間の映像が。
その時に受けた衝撃は生半可なものではなかった。すぐに美雪が立ち上がらなければ、無様に悲鳴を上げ我を忘れていたかもしれない。
改めて今こうして3人とも無事でいるという現実が幸運によってもたらされたものだと痛感する。
そして改めて、自分たちは死と隣り合わせの状況に居ることを痛感する。
そして。

「――美雪、現在地と階段までの距離を調べてくれないか」
「え? あ、はい!」

やや強張った面持ちで圭介は指示を出し、そして美雪がそれに呼応してPDAを操作し始める。
闇雲に逃げ回った後の検索は困難かに思えたがそこは流石に手慣れたもので、すぐに画面を叩いていた美雪の指が止まった。

「あ、もうすぐそこ、みたいですね。このまま道なりに進んで3つ目の角を左に曲がれば間も無く見えてくるはずです」

先程同じ指示を出した時のような漠然としたものでは無く具体的な回答が返って来た。
意外にもここまで辿って来た道筋は大正解であったらしい。ここでも幸運は作用した、ということになるのだろうか。

「そうか。それじゃあ先を急ごう。何時までも此処に留まってるのは危険だしな」
「え、もう出発すんの? それより美雪も怪我してるんだし、その辺の部屋で休憩した方が良くない?」
「――悪いけどそれは3階に上がってからにしてくれ」

端的に言い捨て圭介は踵を返しいち早く先へと進んでいく。

「あ、ちょっと! 待ちなさいってば! ――もうっ!」

背中の後ろで菜緒の不満そうな声と二つの足音が聞こえてくる。
彼女の親友に対する気遣いは尊いものであり、圭介もそうしてやりたいのは山々だった。
だが今はそんな余裕は無い。気遣いも冗談も、今は見せている場合ではない。
逃走中に浮かんだ一つの懸念。それを一刻も早く確認せねば不安で仕方が無かったのだ。





たとえどんな現実でも、逃げずに受け止めると心に誓っていた。
実の母を失い、実の父に殺されかけようとも。
裕福ではない生活の中で夢を見失い、唯一の特技が何ら人生の糧にはならないと気付いたとしても。
それは目を背けても、自分の「今」が変わることなどないからだ。
どんなに過酷であろうともその現実を生きるしかないからだ。
今までもそうして生きてきた。おそらくこれからもそう生きて行くしかないのだと思う。
ああ。それなのにどうして。
今の自分はこうも逃げてばかりなのだろう?。目を背けてばかりなのだろう?
自分に都合の悪い事は認めようとせず、物事の一部分だけを切り取って解ったような気になって。
もっとしっかりしろ。夢など見るな。希望など抱くな。
受け止めろ。受け入れろ。それが過酷であろうとも非情であろうとも。
そうでなければ。
そう、でなければ――





その後の行く手を阻むものは現れず、一行は無事3階へと到着した。
色も空気も変わり映えのないそのフロアのとある一室で、突如として圭介の奇行は始まった。

部屋に入って入口を封鎖するなり圭介は無言で壁に据え付けられた棚へ足早に近付いた。
そして近くにあった椅子を掴み上げると真横になぎ払い、棚に積み上げられていた荷物を一気に床へと叩き落としたのだ。
更にそれは一度だけに留まらず二度、三度と椅子が振り回される。
漸く彼が動きを止めた頃には棚は全て空になり、荷物は全て床の上でその中身をぶち撒けていた。

「あ、あの――圭介、くん?」
「ちょ、ちょっと圭介! いきなりどうしちゃったのよ!?」

揃って驚きの声を上げる美雪と菜緒に目もくれず、圭介は今度はつま先で四散した物資を蹴り散らす。

「ちょっと! 聞いてるの!?」
「――」

聞こえていない、わけではなかった。彼女たちが戸惑いを見せるのも無理は無いと理解もしている。
だが落ち着いていられる余裕は無かった。説明する間ももどかしく圭介は床に視線を飛ばし「あるもの」を探し続ける。
目についたものはペットボトルに携帯食料。そして工具に無記名の薬瓶。
それぞれがそれなりに必要なものであるとは言えたが圭介はそれらを纏めて抱え上げ、部屋の隅へと投げ捨てた。
今はそんなものには興味は無い。求めているものはそんなものではないのだ。

(くそ――)

見渡す限りの視界の中で目当てのものは見つからず。圭介の視線は今度は部屋の中央に積み上げられた木箱へと向けられる。
その一番上の箱に向かって乱暴に蹴りを放つ。
だが相当に重量のあるらしい木箱は棚の上の荷物のようにはいかず、3分の1ほどその位置をずらしただけだった。
続けざまに圭介は木箱に手をかける。その中身を同じ様に床にばら撒こうとしたその時、

「いいかげんにしなさいっ! さっきからおかしいわよアンタ!」

身体ががくりと後ろに引き寄せられた。
激高する菜緒に肩を掴まれたのだと遅れて気付いた刹那。バランスを失った木箱が最上段から落下する。
箱がごとり、と床にぶつかり半開きの上部から幾つかの中身が転がり落ちた。

その中でも一際目を引くものが、床の上で硬い音を立てて、小さく弾んだ。

「あ――」

まず圭介が言葉を失った。

「そんなものどうだっていいわよ! いったいどーゆーつもりなのかちゃんと説、明――」

そしてそんな彼を必死に振り向かせようとしていた菜緒の語尾が小さくなっていく。
少年と少女の視線が「それ」に釘付けになる。勢いのままに「それ」は床を滑り、圭介の足元へと到達する。

「あ、あの、それって、まさか――」
「――見りゃ、わかるだろ」

声を震わせる美雪に多少辛辣な答えを返しながら圭介は身を屈め「それ」に指先で触れる。
それは嘗て長沢が存在を予言したもの。そして半信半疑ながらも圭介がその可能性を捨て切れず探し求めていたもの。
黒光りする無骨なフォルム。その大きさに似つかわしく無い圧倒的な威圧感。

「――最悪だ、畜生」

圭介は口汚く吐き捨てながら。その「拳銃」と呼ばれる代物を手に取った。
鋼鉄の質感と冷たさが伝わってくる。手に取り持ち上げると想像以上の重厚な質量に思わず背筋に怖気が走る。

「ほ、ほほほ本物なのっ!? それ――」
「――」

呂律の回らない菜緒の問いにただ無言で首を縦に振り、圭介は肯定の意を示す。
確証は無い。だが紛い物がこれほどの存在感を放つはずもない。
引き金を引けばその真偽は定かとなるがその必要性すら感じられない。
この拳銃は紛れも無い本物であると、圭介は微塵も疑いを抱くことはなかった。だからこそ。

(最悪だ――最悪だ最悪だ、畜生)

襲ってきたのは気の遠くなりそうな痛烈な目眩だった。目当てのものを発見したという歓喜などではなかった。
長沢の言葉通りに2階には刃物が隠されていた。そして彼自身もまた、クロスボウなどを持ち出し襲撃を敢行してきた。
ならば「3階からは銃器の類が隠されている」という言からこれ以上目を逸らすわけにはいかなかった。

受け止めて。受け入れて。対策を練らねばならない。
それこそが生き延びるために必要なことだと心に抱きこの部屋に辿り着き乱暴な散策を開始した。
だがそんな圭介の安易な考えは一瞬で吹き飛ばされた。それ程に実物の拳銃の存在感は圧倒的なものであったのだ。

(死ぬ――だろ、こんなの――)

刃物ならば距離を取れば済む。クロスボウの弓矢は当たり所さえ悪くなければそれ自体で死に至ることはない。
だが拳銃の想定される威力はそれこそ必殺と呼ぶに等しい。
その絶大な殺傷力ゆえに、圭介の生まれ育った国で拳銃は所持するだけで断罪されるものであるのだ。

それがこの3階フロアには、至る所に隠されている。
それはつまりこの先、長沢や木戸、黒江唯子がこの拳銃かそれ以上の性能の武器で襲ってくるということなのだ。

(う、ぐ――)

内臓が締め付けられるような感覚が襲ってくる。明確な恐怖が圭介の中に浸食し、思わず片手で顔を覆った。
無様な程に動揺し、崩れた表情を隠すかの如く。
冷静さを装うのももう限界だった。その顔を美雪と菜緒に見せないようにするのがせめてもの抵抗だった。
「死と隣り合わせ」と感じ続けていた今までの状況などぬるま湯に等しいものであった。
本当の地獄は寧ろ、ここからが始まりであったのだ。

(待ってくれよ――まだ、3階だぞ!? 時間はあと丸二日も残ってるんだぞ!?)

絶望的な事実が更に圭介に追い打ちをかける。
階層が上がる毎に隠された武器が強力になっていくのは最早確定事項。そして時間の経過と共に、参加者は下の階への出入りを禁止される。
そんな状況下であと50時間近くを、生き延びるために耐え忍ばねばならないのだ。
そんなことがはたして、自分に出来るというのだろうか?

(出来るわけが、ない――)

考えるまでもない。手先が器用なだけで何にも秀でてはいない凡庸な自分が武器を手にして何が出来るというのか。
どれほどに上手く立ち回っても生還を果たす自分の未来が圭介には想像できない。
凶悪に嗤う参加者たちに蜂の巣にされ命を落とす映像しか浮かんでこない。

現実と向き合えば向き合う程に、その過酷さを痛感する。
逃げずに受け止めるという誓いが脆くも崩れ去りそうになる。
だが逃げ場は無い。今の圭介にはどこにも逃げる場所など無いのだ。

もしも、唯一。それが、あると、するならば。

(――おい待て。何を考えてる俺)

どろりと流れ込むように。唐突に一つの可能性が圭介の中に現れた。

そうだ。逃げ道ならあるではないか。
それも苦しく険しい道などではなく。何よりも最短の抜け道が、あるではないか。
手段を選ばなければ。ただ一時の衝動に身を任せることが出来るならば。

「あ、あの、圭介くん――どうか、しましたか?」
「な、ななな何よ圭介、あ、アンタ今、すっごく怖い顔してるわよ!?」

機械仕掛けの如くぎこちなく首を動かして。
背中越しに振り返れば怯え佇む二人の少女が其処に居る。

今まで圭介を支え続けてくれた少女たちが。
今まで圭介の未来を阻み続けてきた少女たちが。

(だから、何考えてんだよ、鳴神圭介っ!!)

必死に己に言い聞かせる内なる声は悲鳴にも似た叫びだった。
封じ込めていたはずのどす黒い情念が再び圭介の中をどろり、どろりと浸食し始めていた。

(できるわけないだろ、そんなこと――)

唇を噛み締め傾きを見せる思考を理性で必死に押し留めようとする。

だが早く楽になりたいというのは確かに正直な感情で。
意地を張っても他に何の見通しも立っていないことも確かな事実で。

気が付けば。圭介の手は拳銃を正しい形で握り締めていた。


――その銃で、美雪と菜緒を撃ち殺せ。
――そうすればお前の条件は達成だ。邪魔する奴も、いなくなる。


それはとても残酷で。とても甘美な囁きだった。

「――」

圭介はゆっくりと振り向いた。そして右手に持つ拳銃を、二人に向けて突き付けた。

「け、圭介――くん?」
「あの――さ」

強張る表情のままに。乾いた唇を震わせながら。
圭介は静かに宣言する。

「これ――どっちかが持っていて、くれないか? 持っている――だけで、いいんだ」

拳銃の銃口は圭介の身体に向いていた。少女たちに向けられたのは台尻の方だった。

なまじ殺傷力の高い武器を手にしているから邪な念を抱いてしまう。
引き金を引けば簡単に人が死ぬと考えるから囁きに身を委ねたくなる。
手放さなければならない。遠ざけなければならない。
それが圭介の人としての。彼女たちを想うが故の、精一杯の抵抗だった。

「ちょ、ちょっと!? そんな物騒なものあたしたちに持ってろっての!? イヤよ絶対っ!!」
「ご、ごめんなさい。わたしも出来れば遠慮したいと――」

だが菜緒は声を張り上げて。美雪は細々といった声で。それぞれに頑なに受け取りを拒絶する。
少女たちにしてみれば拳銃とは単なる恐怖の象徴で、所持しているだけで心休まらぬものでしかない。
だから圭介の懇願は責任転嫁の押し付けにしか見えなかったのだろう。
それはそれで自然な反応ではある。誰であれ使用するつもりも無い危険物を好んで受け取りたいとは思わないであろうから。
しかし事情が事情であるだけに圭介も譲るつもりはなかった。

「頼むよ」
「ヤだってばっ!!」

次第に苛立ちが募り始めた。随分と身勝手な言い分ではないか、と。
一刻も早く手放さなければ、危険になるのは誰であるのかと。
そんな思考もまた、身勝手なものであるとは今の圭介に気付くことは出来ない。

「――頼む」
「しつっこいわよっ!」

殊更に菜緒が拒否反応を示すのは裏切られ続けているという事実が拳銃と被さるからなのであろうか。
そう理解してやれる配慮も圭介には失われている。

勢いを増す生存への欲求と黒き情動。それは許されないという自制心。
それら全てを告白することの出来ない現状が、あまりにも「らしくない」ちぐはぐな行動を生み出し続ける。

そして。


「いいから――黙って持ってろって言ってんだよっ!!」


ついにそれが決壊を迎えた。
気が付けば激しく口汚く。圭介は怒鳴り声を上げていた。
空気が震え、次の瞬間にはその場の何もかもが静止した。

「――あ」

すぐに我に返り呆然となる。言葉を失う美雪と菜緒を目の前にして、沸き上がったのは猛烈な後悔だった。

「ご、ごめん」

いったい自分は何をしているのだろう。
追い詰められ、短絡な考えしか浮かばず。受け入れられないからと我を忘れてしまった。
手放したければ打ち捨てていけばいいだけの話ではないか。
拳銃を所持することの優位性が頭の隅にあったことは否めないがそれにしてもあまりに無様なやり取りではなかったか。
理由を知らぬ美雪と菜緒にしてみればさぞや奇怪な行動であっただろう。
軽蔑されて然るべき。それどころか妙な不信感を煽ってしまったのではないか。

彼女たちを殺せばその時点で助かることは紛れも無い真実だ。
けれど彼女たちが大切であることもまた真実で。そうして築き上げてきた関係も嘘ではなくて。
それを一方的に反故にしようとした、自分の弱さがただ圭介には恨めしかった。

「――圭介、くん」
「――ん?」

近くに声を感じて顔を上げると美雪がすぐ側まで近付いていた。その接近に気付けないほど情緒が不安定になっていたらしい。

「――え?」

少女の手が静かに差し伸べられ。翳したままの圭介の手の拳銃の上に重なった。

「わたしが、持ちます。持たせて下さい」
「でも――」

その申し出はありがたいものではあったが今まで拒絶され続けてきただけに圭介は困惑する。
もしかすると自分の怒声が美雪に在らぬ脅迫観念を植え付けてしまったのではないかと。
だが美雪の表情に怯えは一切見られない。それどころかはっきりとした意思の見られる毅然としたものだった。

「それと、謝ります。ごめんなさい」
「え?」
「ほら、菜緒も!」
「え、うん――圭介ゴメン」

戸惑いが拍車をかける。どうして二人は自分に謝罪しているのか。過ちを犯したのは自分の方だと言うのに。

「わたしたち、今まで圭介くんに甘え過ぎてました。今まで何度も助けてくれて、見えない部分でも支えてもらって。
 それで何時しか、『圭介くんなら何があっても大丈夫だ』なんて思い込んでいました」

「――」

「でも圭介くんも同い年の男の子だったって気付いたんです。拳銃を見つけてわたしたちは怖かった。
 圭介くんだってそれは同じはずだったんです。それなのに」

「考えてみればさすがの圭介も拳銃見つけて冷静でいられるはずなんて無いもんね。我ながら軽率だった。反省してるわ、うん」
「――」

優しく温かい言葉の数々に胸が張り裂けそうになる。
自分はこれ程までに頼られ、想われていたのかと。

怖くない、はずがない。拳銃の脅威とそれが当然の如く存在する状況の恐怖を彼女たちが克服できたはずがない。
それは鉄を通して伝わってくる美雪の手の微かな震えと菜緒のぎこちない微笑みが明確に示している。
それでも、彼女たちは。その恐怖に押し潰されるどころか自分の恐怖を肩代わりしようとしてくれている。
知らずとは言え殺意を抱きかけた男のために。鳴神圭介というただの無力で卑怯な男のために。

(は、はは――)

乾いた笑いが込み上げてくる。崩れそうになる表情を再び片手で押えて隠す。
お人好しにも程がある。裏切られ続け、襲われ続け。なのにこの期に及んでまだ、そんな事を言い出すのか。
既にこの場は情の通じぬ戦場だ。弱者が破れ、強者が生き残る単純で残酷な殺戮舞台だ。
そんな中で力も無く、知略も働かせられない。そんな少女たちが「人を信じる」という隙を見せ続けている。
こんなことで本気でこの先生き残れるとでも思っているのか。だとすれば何処まで愚かであるつもりなのか。
到底無理に決まっている。遠くない未来、何者かの踏み台に、糧に、贄に。成るべくして殺されるのは確実だ。

美雪と重なる手に力が灯る。拳銃の質感がより一層顕著になる。

――だったら、俺が。
――俺が、この手で。

顔から離れた圭介の手が、美雪の手を静かに打ち払い。
拳銃を手元に引き寄せた。

「あの――圭介、くん?」

訝しげな表情を浮かべる美雪を圭介は真っ直ぐに見つめ返す。


(俺がこの手で――守ってやらないと!)


「ああああ、もう、カッコ悪いなあ、まったく俺は!」

そして顔を上げ、叫び声に等しく。天に向けて声を放つ。

「やっぱりこれは、俺が持って行くよ。女の子にそこまで言われちゃさすがにこれ以上みっともない姿は見せられないからね」

大声を上げ、幾分か楽な気持ちになった。再び美雪に、菜緒に。視線を巡らせきっぱりとそう言い放つ。

「あのさ、圭介――無理、してない?」
「無理? してるよバリバリに」
「だったら!」
「あーあー聞こえない聞こえない。もう決めたから。俺が持つって決めたから」

次第に軽口も戻ってきた。心配そうな菜緒を他所に圭介はズボンのベルトに拳銃を差し込み固定する。

「これ、引き金に変に引っ掛かったりしないだろうな――まあ、大丈夫か」
「圭介くん、本当に大丈夫なんですか?」
「うん。心配かけたね二人とも。それからゴメン、驚かせて」

空元気を思わせる圭介の様子に、不安を露わに少女たちは顔を見合わせる。

「それは――別にいいんだけど」
「ええ、気にはしてませんから。でも――少しはわたしたちを頼って下さいね? 及ばずながらも力になりますから」
「ありがとう。美雪、菜緒」

圭介は素直に礼を口にする事が出来た。
お人好しが過ぎるとしても。考えが甘すぎるとしても。それは決して人として間違ってはいない。
側に居て心地良い、心休まる人物にこんな状況で巡り合える。それはどれ程に稀有な可能性であるというのか。
何者にも代え難い存在。それを失うなどとんでもない事だ。
だから。

「俺、決めたから」

新たに芽生えた決意を胸に、圭介は二人に大仰に宣言する。


「君たちは、何があっても俺が守ってみせるから」





しばしの後に部屋を抜け出し、圭介たちは再び進行を開始した。

「なるべく俺から離れないでいてくれ。長沢や木戸の姿を見かけたら一斉に逃げられるように」

周囲を警戒しながら歩調を緩め、二人と足並みが揃うのを待つ。
無言で頷く少女たちは静かに追従してきた。と言うよりは部屋を出てから美雪と菜緒は一言も言葉を発していない。
更には態度に落ち着きが無くどうにも挙動が不審な感がある。
緊張感で身を強張らせているのかと思えばそうも見えず寧ろ真逆の印象を受ける。
浮ついている、と言うべきか心此処に在らずと言うべきなのか。

「――二人とも、何かヘンだぞ。まあ俺が言えた義理じゃないんだろうけどさ」
「え!? ま、まあ、そりゃあ――ねえ? 美雪」
「え、ええその――感激したと言いますか身体が火照っていると言いますか――じゃ、じゃなくてっ! 何でもないですお気に為さらずっ!!」
「??」 

何やら訳の分からない事を言い出したばかりか二人揃って顔が赤い。
しかし省みれば先程までの自分の様子も彼女たちから見ればかなりの奇異な様子であったであろう。
追及するのも野暮に感じ一先ず気を引き締めるようにだけ促すことにした。

「まあ、集中してばかりじゃ神経保たないとは思うけどさ。あんま上の空ではいないでくれよ?」
「うん、わかってる」
「わかりました」

了解を取り付け圭介は二人を従え通路を進む。
圭介が先頭を務め美雪はPDA操作、菜緒が殿で後方確認という今まで通りに役割を分担しながら。
必要最低限の情報確認以外に最早誰も口を開くことは無い。沈黙の中、小さな足音だけが施設内を駆け抜ける。

(そうだとも――誰にも殺させるものか、長沢にも木戸にも俺自身にも!)

圭介は無事に平静を取り戻した。誰もがそう信じて疑ってはいなかった。
美雪も、菜緒も。そして圭介自身でさえ。

(守って、みせるさ――例えどんな手段を使ってでも)

彼の中の黒き情動は未だ消えてはいなかった。ただそれが、美雪と菜緒に向かなくなっただけだった。
生への強烈な渇望がある。二人を大切に想う気持ちもある。
だが、それだけ。それだけを優先的に考える思考の中で、幾つかの大切な何かが削り取られていく。

己の命と二人の命。その両方を守り抜くには鳴神圭介という器はあまりにも小さく脆い。
守りたいと願う少女たちの尊さのために。圭介は自身の中の尊さが失われつつあることに気付いてはいなかった。
あれほどに脅威を感じていた腰元の武器に、今は頼もしさすら感じていることにも、また。



「おーい、君たち君たち! ちょっと待ってくれるかな!?」


聞き覚えの無い声が圭介の耳に届いたのは。そんな矢先のことだった。





 ゲーム開始より24時間30分経過/残り48時間30分



[21380] EPISODE-34
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/05/09 05:11
(!!)

身体が即座に反応し、圭介の足が止まる。
現在位置はT字路の中心。3人が定めた進行方向「ではない」通路の奥から、その声は聞こえてきた。

「下がれ!」

臆せず瞬時に迎え撃つ体勢を取れたのは警戒心の賜物であると言えた。
壁を背にして美雪と菜緒をその間に挟み込むように庇い、身体の向きを変えその通路に向かって圭介は相対する。

「おーい、おーい! こっち、こっちですよー!」

姿を現したのはやはり見知らぬ中年の男性。
適当に七三に分けられた白髪交じりの頭髪に銀縁の眼鏡。衣服はやや草臥れたグレーのスーツ。身長は圭介よりもやや低め。
そして当然の如く首筋には銀色の首輪が巻かれ、「ゲーム」参加者であることを物語っていた。

「いやー、良かった良かった! やっと他の人と会えましたよ!」

安堵と喜びの入り混じった柔和な表情を浮かべながら男は圭介たちに近付いてくる。
決して端正とは言い難いが妙に愛嬌のある憎めない顔つきで、長沢や木戸が見せたような邪悪に等しい剣幕は微塵も感じられない。
おそらく誰もが善人と評するであろう、そんな印象の中年男性であった。

(――)

だが圭介は緊張感を維持したまま間断無く男を見つめつつゆっくりと右手を腰の位置へと持って行く。
今までの自分であるなら疑いを抱くことすら無く男を受け入れていたであろう。
しかし痩せ衰えた病弱な青年が。年端も行かない幼い少女が。今まで自分たちに牙を剥いてきた。
ならばこの男が間合いに入るなり態度を豹変させないと、どうして断言できようか。
最早見た目の印象など何の判断材料にもならないのだ。

「――動くな、止まれ」
「へ?」

自分でも驚くほど自然な動作で圭介はベルトの拳銃を抜き放った。
そして銃口を男に向かって突き付ける。背後の美雪の短い悲鳴が耳に届いた気がした。

「あ――あ、あ、あ、あの、それは?」

バタバタと無神経に響かせていた足音が止む。男の顔色がみるみる青ざめていく。
男の正体がどうであれ、安易な接近だけは許すわけにはいかなかった。何度も同じ過ちを繰り返すわけにはいかないから。
とは言え圭介自身の力で出来ることなど高が知れている。

ならば行使する他は無いではないか。あれほどまでに自分が怯え、怖れた「武器」を。

「当たると、痛いですよ? 大人しくした方が身のためだと思うんですが」

出来る限り重く声を響かせ、圭介は男に対して脅しの意を強める。
男がこのフロアで拳銃の存在を確認しているか否かは定かでは無いので玩具と誤認し間を詰められる危険性があるからだ。

「い、いやいやっ!! 痛いとかそういう問題では無いと思うのですがっ!?」

だが圭介の視線を遮るように男は両手を翳しながら明らかに怯えた様子を露わにしている。
どうやら拳銃の抑止力は有効に作用しているようだ。そして抵抗の意思が欠片も見えないことから同種の武装は所持していないことが窺える。
思惑はどうあれ少なくともこの距離では男に手出しの手段は無い、ということだ。

「と、とにかくですね!? そんなもの引っ込めてですね、穏便に、穏便に話し合いましょう! ね?」

ぎこちない笑みで対話を訴え始める男。
その様子から一先ずの安全は確保された、と判断して差支えないところではあった。

(上手くいった――とは言え最低だな、俺。くそ)

冷静を装いながらも圭介は自身の行動を軽蔑するように内心吐き捨てる。
悪し様に拳銃を突きつけて威圧するなど自らが嫌う「暴力」そのものだからだ。
だが他に男の足を止める方法を思いつかなかった。
仕方の無いことなのだ、と圭介はすぐに切り替えた。

「――どう思う?」

自分勝手な判断による見落としを避けるため圭介は美雪と菜緒に意見を窺うことにした。
視線を固定したまま肩を僅かに後方に引き、少女たちに短く訊ねる。

「どう、って――わたしにはすごく普通のおじ様に見えるのですが」

そう答える美雪の声色にはやや非難めいた色が混じっていた。
おそらく唐突に拳銃を突きつけた圭介のやり口を善良な彼女は快くは思っていないのだろう。

「あたしはちょっと怪しいと思う。何となく、でしかないんだけど」

対して菜緒の意見はやや否定的なものであった。
元来男嫌いである上に度重なる襲撃がトラウマになりつつある彼女にしてみれば当然の見解なのかもしれない。

「――なるほどね」

意見は真っ二つに割れた。だが結局のところ彼女たちも見た目から抱く以上のものは見抜けてはいない様子であった。

ならば、どうするべきか。
完全に危険を排する意思を前提に考えるならばこのまま関わりを持つ事無く追い払ってしまうのが一番ではある。
だがこれほどに優位となった状態ですらその選択肢を選ぶのだとすれば、おそらくこの先も同じ事を繰り返すことになる。
長沢たちからは逃げる他は無い。乃得留たちとの再度の接触は許されない。
なのに未知の参加者との接触すらも拒んでしまえば、圭介たちは「終わりの刻」が訪れるまで何も得る事は出来ないのだ。
今のままの情報と条件だけでは。自分たちは「たった一人しか」助かることは出来ないのだ。

「あ、あの――もしもし?」

制止を促したまま次に何をするでもない圭介に男の表情が訝しげなものになる。

(それに――)

そんな男に発言は許可しないと目で訴えると同時に再び風貌を観察する。
危険視しているのはあくまで過去の事例による可能性でしかない。
その疑いさえ晴れればこの男は自分たちと同様、巻き込まれただけの哀れな参加者に過ぎないはずなのだ。
自分たちは今、奇跡のような遭遇の末に仲間として行動し、絆を紡いでいる。
なのに身勝手な理屈で彼を切り捨ててしまうのはあまりにも傲慢ではないだろうか。
「救えたかもしれない」ではなく「救えるはずだった」命を見捨てては例え生き延びることが出来たとしてもおそらく猛烈な後悔に苛まれることであろう。
乃得留の言ではないが救われる命は多く在って然るべきだ。
そう。この男が真に「救われるべき」人物であるのなら。

(――よし)

腹は決まった。ならばこれ以上の迷いは時間の無駄でしかない。
意を決して圭介は再び男に挑むような視線を向けた。

「――戦闘の意思は無い、そう判断してもいいですか?」

我ながら陳腐な表現だ、などと内心呆れながら圭介は男に訊ねる。

「戦闘って――喧嘩とか、そういう意味合いですかい? 私と貴方達が? そりゃまたどうして」
「実は俺たち、今まで何度も騙されて危ない目に遭ってるんです。だから」
「危ない目、ですか。それはお気の毒に。大変だったでしょう」
「ええまあ。彼女たちのおかげで何とか窮地を脱してはこれましたけど」
「そうだったんですか――それなら気が張るのも無理は無いですね。でも信じて欲しい。私は貴方達に危害を加えるつもりありません」
「――」

圭介は無言で歯噛みした。男は親子ほども年の離れた自分たちに敬意を払った対応を見せてくれている。
殺傷力の高い武器を突き付けられているというのにこちらの境遇を第一に慮るその表情も真摯以外の何ものでもない。
だがそれでも疑念を晴らすだけの確証を得ることができないのだ。今までの体験がそれを許す事ができないのだ。

「――了解しました。えっと、なんか色々とすみませんでした」

表向きだけを従来の少年のそれへと取り繕い、圭介は拳銃を引き下げた。

(いいの? 圭介)
(方便だ。もう少し探りを入れてみようと思う)

背中をつつく菜緒と小声で短く言葉を交わし男にぎこちない笑みを向ける。
視界の外で拳銃の引き金に指をかけたままで。

「彼女たちをこれ以上危険に晒すわけにはいかなかったものですから。無礼な態度を取ってしまったこと、ご容赦願います」
「いえ、お気に為さらず。私も誤解が解けてほっとしました」

応えるように微笑み返す男のそれは逆に曇りの無い晴れやかなものだった。

「まずは自己紹介をしておきます。俺の名は鳴神圭介。ほら、二人とも」
「あ、わたしは森下美雪と言います」
「――緑川、菜緒です」

圭介に促され、二人の少女が交互に男に頭を下げる。

「鳴神さんに森下さん、緑川さんですか。私は吉田二郎と申します。以後お見知りおきを」

吉田と名乗った男もまた更に深々と頭を垂れる。丁寧が過ぎて視線が床に落ちたのを圭介は見逃さなかった。
まさしく土壇場の光景。仮にこちらに攻撃の意思が有ったとするならばこれは隙以外の何者でもない。
つまりそれは吉田がこちらを無警戒であることの証に思えたがすぐに圭介は疑念を取り戻す。
こうやってこちらを逆に誘っているのかもしれない。弱みを見せて噛み付いてくるのは長沢も使用した手口であったはずなのだ。

「あの、さっき『やっと他の人と会えた』と仰ってましたが今まで他の誰にも遭ってないんですか?」
「ええまあ。この建物の中で目が覚めてからまる一日ばかり、ずっと一人でしたねえ」
「それは――吉田さんこそ大変だったのではないですか?」
「はは、お気遣い痛み入ります。まあ幸いこれだけバカでかい施設、隠れて休む場所には事欠きませんでしたから」

淡々と言い放つ吉田の真意はやはり見えない。
だがその言葉が真実ならば彼はこの24時間あまりをこの「ゲーム」の中で独り孤独に過ごしていたことになる。
それが如何に辛く苦しいものであるか、想像に難くない。
自分とて美雪と菜緒に出逢っていなければどうなっていたかと考えると身震いする思いだ。
それをこうまで泰然としていられるのは余程に肝が据わっているのか、暢気な人物であるからなのか。
いずれにしても味方に出来るならば頼もしい存在になるであろうことに相違は無かった。

(味方に出来るなら――な)

後ろの二人を気にかけながら圭介は自らの思考に念を押す。
疑いの天秤は徐々に吉田が善人である方に傾きつつあった。
こちらの隙を窺う素振りは無い。会話の中にもこちらが食いつきそうな餌を撒いてはいない。
あとは身体検査の申し出さえ受諾されれば晴れて吉田の潔白は証明されることであろう。

だがその前にやることがある。それだけは是が非でも確認しておかねばならない。
その結果如何では。例え吉田が無害な存在であったとしても。
決して味方に引き入れるわけにはいかないのだ。
しかしそれが中々にして難しい。その質問の切り出し時を圭介は未だ迷いつつあった。

(どう、すっかな――)

何とか無難に、穏便に。確認する方法は無いものかと圭介が思索し始めた時だった。

「あの、ところで吉田さんのPDAのカードは何ですか?」
(!! バカ、それを今聞くのかよっ!!)

一瞬気が遠くなった。その質問を繰り出した美雪に対し、初めて圭介が怒りを覚えた瞬間だった。
その質問はまさしく圭介が吉田から聞き出そうとしていたものと同一のものだった。
それぞれの参加者にふり当てられた異なるPDAのカード、即ち首輪の解除条件。
その擦り合わせこそが協力関係を取り付けるに合理的な手段である。

ではなぜ圭介はそれを躊躇ったのか。それは圭介と美雪たちの立場が決定的に違うからに他ならない。
圭介のみが、出逢ってはならない人物がいる。美雪たちには、知られてはならない人物がいる。
殺意も、善意も。その人物のパーソナリティには何一つ関係する事無く。
とある条件に合致する参加者との接触を、圭介は乃得留以上に避けなければならなかったのだ。
それに吉田が該当する可能性を否定出来ず口にすることが躊躇われた。だが美雪の手によりそれも甲斐無く霧散した。
とは言え彼女を責めることは出来ない。彼女なりに必要であると判断し会話に加わったのであろうから。
そしてそれは間違ってはいない。寧ろ非が有るべきは圭介の方なのだ。
だから遮れない、止められない。ここで反応を起こすのはあまりにも不自然が過ぎる。
血が滲む程に唇を噛み締めながら圭介はそれが死刑宣告と成らぬよう祈りながら吉田の返答を待った。

「――ぴーでぃーえーって、何ですか?」
「――はい?」

だが吉田の口から飛び出したのは圭介が怖れていたものでも望んでいたものでもなかった。
冗談を言っているのかとその表情を窺えばどうにも本気で質問の意図を計りかねている様子である。

「あ、あの、こういう小さな機械なんです。けどまさか――持っていらっしゃらないんですか!?」

慌てて自身のPDAを取り出し美雪が説明を始める。
焦り露わなその表情は真に吉田の身を慮っている証だ。何せ参加者に配布されたPDAは首輪の解除に必須であるもの。
それを所持していないとなれば吉田の運命は最早決定付けられたも同然であるのだから。

「ああ、それでしたら持ってます。持っていますとも」

問いに応える術が有ったことが喜ばしいのか吉田は顔を輝かせズボンのポケットに手を入れる。
圭介の背後で美雪が安堵の息を吐くのが感じられた。

「ちょ! ちょっとそれ、見せてもらってもいいですか!?」

その間に割り込むように圭介は吉田の元へ進み出る。多少の不自然には構ってはいられなかった。

「はい、いいですよ。どうぞ」
「すみません!」

事も無げに差し出された吉田の手から黒色の端末機器を奪い取るように受け取る。

「私の私物に混じっていたので、もし他の誰かの持ち物であるなら返してあげなきゃいけないな、と思って持ち出したんです。
 もしかしてそれは、鳴神さんのものですか? だとしたらその――申し訳無い、といいますか」

「――」

恐縮したように身を小さくする吉田を尻目に、圭介はただ呆然とPDAの画面を凝視していた。

「ええと――ちょっとボタンに触ってしまってですね。そうなってしまったんですよ。いやホントすみません」
「い、いえ――それは、別にいいんです、けど」

液晶画面には何も映っていなかった。吉田のPDAはその機能を停止していたのだ。

「これに触ったのは、目が覚めてすぐですか?」
「ええ、そうなりますねえ――やっぱり壊れてますか? それ」
「いえ、主電源が落ちてるだけですから――それよりも、それから一度も再起動してないってことですか?」
「いやはやお恥ずかしい。どうにも最近の機械の操作にはとんと疎いものでして」
「――そう、ですか」

何時しか圭介は張り付けた様な微笑で受け答えする自分を感じていた。

――いくらなんでも、おかしくないか。それ。

天秤が逆の傾きを見せ始めていた。消えかけていた吉田への疑いが再び勢いを増しつつあった。
吉田はここまでPDAを一度も起動させていない。ということは地図機能を展開もせずこのフロアまで辿り着いたことになる。
そんなことがはたして可能であるのだろうか? 
そもそもPDAも他の参加者の手も借りられなければ「ゲーム」のルールやシステムを理解できるわけもない。
ならば「誘拐された」という事実が残るだけで普通であれば一階に留まり出口の探索に従事するはずだ。
それなのになぜ上の階に上がろうと考えたのだろうか? よもや上層階にこそ脱出の糸口があると考えたわけでもあるまいに。

吉田は嘘を吐いている。「ゲーム」のルールもPDAの操作方法も熟知していて、それを自分たちに惚けている。
こうなるとそう考えることが妥当であり、自然であるとすら思えてくる。
しかしそれなら今度はなぜ吉田のPDAが今圭介の手の中にあるのか、という疑問が生じてくる。
嘘を吐いた、ということは吉田はこちらを信頼してはいない。ならば命綱のPDAを手渡すなどという愚行を犯すはずがない。
今、この場で。圭介がPDAを床に叩きつけ破壊すれば吉田の命運は尽きてしまうのだ。

(くそ、どういうことだよ――ワケわかんねえ――)

思わず頭を抱える。疑念が疑念を呼び、混乱が増幅していく。

「? どうかしましたか? 鳴神さん」
「あ、いえ――」

様子を窺う吉田の屈託の無い振舞いが、急に圭介には気味の悪いものに見えてきた。
不意に手の中の感触を思い出す。そうだ、一先ずはこの確認が第一だ。
機械は嘘を吐かない。この「ゲーム」の最中で現存する「PDAは嘘を吐けない」ことを圭介だけが知っている。
兎も角これを再起動させることが今現在の優先事項。そう思い立ち圭介はPDAの一番大きなボタンを押し込んだ。
程無く黒色の端末は目覚めの声を上げる。そして今まで見てきたものと同様、トランプの絵柄が表示され――

「あの、圭介くん。吉田さんのカードは何だったんですか?」
「!!」

その絵柄が圭介の目に飛び込んできたのと。いつの間にか背後に近寄って来た美雪の声が届いたのはほぼ同時だった。
そしてその瞬間、圭介の右手が微かに閃いた。

「――『7』だね。ほら」

圭介は緩やかに振り向くと美雪と菜緒に「7」が表示されたPDAをくるりと翳す。

「『7』って確か、別に危険なカードじゃなかったわよね?」
「うん。『開始6時間目以降の全参加者との遭遇』が条件だよ」

吉田のカードの安全性を再確認し、胸を撫で下ろす少女たち。

「あ、あのー。カードとか条件とか、先程から皆さん、何を仰ってるんで?」

そして吉田は自身の知らぬ話題が展開していく様をただ呆然と眺めるばかり。

「それについては長くなると思いますので道すがら説明します。二人とも、ひとまずこの場を離れるぞ」
「え、圭介くん、それじゃあ!」
「うん、まあそういうこと。吉田さん。俺たちは貴方と行動を共にしたいと思っています。一緒に来てくれますか?」
「おお! それは願っても無いありがたいことです。以後宜しくお願いしますよ」
「こちらこそ! よろしくお願いします吉田さん!」

吉田が表情を綻ばせ、そして美雪もまた嬉しさを隠せない様子であった。
吉田にしてみれば長い孤独からの解放が。
そして美雪は初めて悪意の無い参加者を同行者として得られた事が何よりも喜ばしいものだったのだろう。

「よし。じゃあ吉田さん、すみませんが彼女に説明してもらってください。それからこれは吉田さんのものですのでお返しします」
「え? 私のものと言われましても、うーん――鳴神さんに預かってもらうわけにはいきませんか? 
 私が持っているとまた変に壊してしまいそうでどうにも不安でして」

「意味は今からわかります。お願いですから持っていてください。それじゃ悪いけど美雪、頼む」
「はい、わかりました」

圭介は吉田の手に無理矢理PDAを押し付けると美雪と立ち位置を入れ替えるように移動する。
そして唯一会話に加わろうとしていなかった菜緒に向かって歩み寄った。

「――大丈夫なの? 圭介、あの人」

囁くような小さな声で。菜緒は圭介に尋ねてくる。言葉以上にその表情から、吉田を信用していないは明らかであった。
その肩に。圭介はそっと手を乗せ。同じ様に小さな声で呟く。

「――あの男から目を離すなよ」
「――え?」
「今後進む隊列は今まで通りであの吉田が美雪の横に並ぶ形になる。前後で挟み込む形になれば下手な行動は起こせないだろうが――
 それでも何か少しでも不審な動きがあったらソイツで遠慮無くぶっ叩け。いいな」

「う、うん。わかった」

圭介の声に気圧されるように。菜緒は腕の中の木刀を抱きしめ、頷く。

「頼りにしてるぜ、相棒――それじゃあみんな、移動するよ!」

もう一度菜緒の肩を今度は力強く叩き、圭介は菜緒に背を向け全員に行動開始を促した。





――だから、俺は。
――俺は、一体。何をやって、いるんだ?

後方から美雪の声と吉田の相槌が聞こえる。
空気が張り詰めているのは菜緒が吉田に監視の目を向けているからなのかもしれない。
だがそれら全てが今の圭介には幻想の如くに感じられた。
皮膚一枚を隔てた自身の内側が、黒く淀んだ何かで構成されているような覚束ない感覚を覚えていた。

(くそ、何であんなこと――)

上着の上から右胸を掴むように握り締める。指先に硬い感触が伝わってくる。
それは内ポケットに収納された2つのPDAの感触。一つは勿論圭介自身に割り当てられた「A」のPDAの感触。
そしてもう一つは圭介をここまで苦しめているワイルドカード、JOKERの感触――ではなかった。

JOKERは今、圭介の手元には無い。その姿を変え別の場所に在る。
そう。美雪と菜緒に対し、それが新たな遭遇者のPDAであると。
晒された「7」のPDAこそがJOKERのなれの果てであったのだ。

つまり現在圭介の懐にあるのは吉田のPDA。そのPDAが指し示す吉田の真のカードは――「6」。
圭介が、それが自身のカードであると。二人の少女に対し偽り続けてきたカードそのものであったのだ。

この出逢いを圭介は何よりも怖れていた。真なる「6」の所持者との遭遇は圭介にとって何よりも避けねばならない事項であった。
無論彼とて手を拱いて祈るばかりであったわけではない。
本来ならば個別に口裏を合わせるか、自分のPDAこそが本物であると声高に主張しJOKER所持の事実と共に対象者を排斥する予定であった。
だが吉田の「PDAを一度も起動させてはいない」というあまりにも圭介に都合の良過ぎる言い分と。
度重なる美雪の間の悪い追及にその算段は脆くも崩れ去った。
気が付けば。反射的に。JOKERと吉田のPDAをすり替えてしまっていたのだ。

結果として見てみれば圭介に然程難点があるわけではない。諍いも争いも起こらず、美雪も菜緒も自分自身も傷付くことはなかった。
何よりも本物の「6」が手の内に残った事が大きい。これで圭介は何の気兼ねも無く波多島乃得留との再会を果たせる形となった。
だがその代償として。吉田二郎という大きな爆弾を抱える羽目になってしまった。
彼がここまで何も知らずに辿り着いたことを圭介はどうにも疑わしく感じている。
もしかして吉田は全てを知っているのではないだろうか? 「ゲーム」に関する全ても、自身の本当のPDAのカードも。
それを何らかの思惑の元に敢えて黙しているのだとしたら――自分は途轍も無い弱みをこの男に握られてしまったのではないだろうか?

「――」

立ち止まり、振り返る。ふと顔を上げた吉田と視線がぶつかった。

「ん? 鳴神さん。どうかしましたか?」
「――いえ、別に」

吉田の表情は依然愛嬌のある中に微笑みを携えている。
その裏に何を隠しているのか、圭介にはわからない。見抜く事が出来ない。
ただ。

(――なんでこんな時に笑ってられるんだ、くそ)

それだけがあまりにも歪で。不自然で。圭介の苛立ちは募っていく。

そして何よりも苦しいのは、また美雪と菜緒に対して嘘を吐いてしまったことだ。
二人を助けたい。二人と共に生きて脱出したい。そう願えば願う程に、嘘が次々に重ねられていく。
例えそうであってもと心に誓えども、やはり辛いものは辛いのだ。
凡庸な人のままでありたかった。だがやはり凡庸なる人のままでは到底助かることなど出来ないのか。

(――泥沼だ)

重苦しい何かが覆い被さってくる感覚の中で。
もがくように。抗うように。圭介はその足を引き摺り続けた。




 ゲーム開始より25時間37分経過/残り47時間23分




[21380] EPISODE-35
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/03/27 05:13

吉田二郎を新たに仲間に加えた一行は一先ず3階の戦闘禁止エリアを目指すことにした。

「吉田さんの解除条件を考えれば他の参加者と鉢合わせするのは安全な場所がいいと思うんだ」
「そうですね。わたしもそれが良いと思います」
「ん、異存無し」
(――)

同意を得られたというのに圭介の心には微塵の安堵も無い。辛うじて平静を保つ事が精一杯だった。
念を押す素振りで吉田の様子を窺えば彼の表情は依然柔らかな微笑みを携えている。
まるで息子の成長を見守る父親の如くに穏やかなものだ。だが圭介にはそれが無言の脅迫にも感じられた。

吉田の真なるPDAのカードは圭介がこれまで偽ってきた「6」であった。
それを美雪と菜緒に気付かれないために。その場を取り繕い、辻褄を合せるために。
圭介は自身が所持するJOKERを行使し、吉田のPDAをすり替える他は無かった。
吉田はここまで何一つ「ゲーム」の情報を取得しておらず、己のPDAを起動させていなかったためその場は事無きを得たのだが。
はたしてそれは本当に真実であるのか。この複雑な迷宮を、道標も無しに進み行くことは可能であったのか。
本当は彼は何もかもを知り得た上で、敢えて口を閉ざしているのではないか?
嘘に塗れた言葉を吐き続ける自分をその温和な顔の裏で嘲笑っているのではないか?
そんな疑念が渦を巻き。圭介には吉田二郎という存在に次第に恐怖すら覚えつつあった。

「ノエルさんたち、無事だといいんですけど」
「――どうしたのさ、急に」

美雪の呟きにふと我に返る。今まで意図的にその話題を避けていたため美雪の口から彼女の名前を聞いたのが随分と新鮮に感じられた。

「心配無いと思うけど。おそらく大門さんが一緒だろうから、長沢や木戸に後れを取ることも無いだろうし」
「いえ、そうではなくて。先程、アナウンスがありましたよね?」
「アナウンス? ――ああ」

そんな事もあったか、と圭介は記憶を反芻する。あれは確か吉田と出会う前。
「24時間が経過し1階が侵入禁止になるまであと3時間」という類の文字列がけたたましいアラームと共にPDAの画面に表れた覚えがある。
覚えがある、と曖昧なのは当時の圭介は拳銃の探索に躍起になっていたため一瞥しただけですぐにPDAを仕舞いこんでしまったから。
既に3階に到着していた圭介にとっては別段気に留めねばならない警告には思えなかったからである。

「あれからもうすぐ3時間です。それで、ノエルさんたちは出来る限り1階に留まって参加者の救済を行うはずでしたよね?
 もしかしたら逃げ遅れてないか、と不安なんです」

「――なるほど」

美雪の危惧も尤もであると言えた。これ程に巨大で入り組んだ施設である。
3時間の猶予が与えられているとはいえ、その時点の立ち位置次第では如何な健脚を持ってしても階段まで辿り着く事は容易ではないかもしれない。
事実自分たちが休憩込みでまる一日を費やして未だ3階に上がったばかりであることを考えれば無理も無い不安であると言えるだろう。

「でもまあ、一日過ぎれば1階が危なくなるのはルールにも書かれてるし。抜け目の無いノエルさんがそんな下手を打つわけもないさ」
「だと、いいんですけど」

どの道今の自分たちに乃得留たちの助けになるようなことなど何一つ出来はしない。
考えても仕方の無いことだ、と圭介は美雪の不安を逸らすべく殊更に明るく振舞った。

(でもホント、無事でいてもらいたい、な)

美雪には言い含めたものの、圭介とて乃得留たちの動向が気にかかるのは同意である。
再接触を拒み続けてきたのはあくまで不本意な理由あってのもの。
圭介にとって彼女たちは常軌を逸した遊戯の中で手を差し伸べてくれた、かけがえの無い仲間なのだ。
思えば随分と長く顔を合わせていない気がする。まだ別れて一日も経ってはいないと言うのに。
乃得留の整然とした論述も、大門の分厚い巨体も今は何もかもが懐かしい。
そう感じ始めたのはやはり偶然の賜物とは言え偽り続けた「6」のPDAの本物を手に入れたからであろうか。
今ならば、もし唯一不明である古谷小枝子のPDAが重ねて偽った吉田の「7」でさえなければ。
大手を振って再会することが出来る、などと身勝手な事を考える自分に圭介は少し嫌気が差した。

「何か妙な事考えてない?」

いつの間にか近付いていた菜緒の言葉にどきりとさせられた。
一周回って真実を射抜いてくるような彼女の発言は何時もながらに心臓に悪い。

「ん、まあそりゃ色々と、な」
「どーせまたやらしいことでも考えてたんでしょ。ホント油断も隙も無いんだから」
「何だとコノヤロ」
「あ痛たた! ちょっと、何すんのよっ!」
「お仕置きだ! お前こそ人を隙あらばエロ魔人に仕立て上げやがって!」
「事実じゃないのよ! 痛い、痛いってばもうっ!」

ここぞとばかりに菜緒の首に腕を回し締め付ける。
その様は傍から見ればじゃれ合っている仲の良い男女そのものであった。

「――どうだ? 様子は」

だが圭介は至って神妙な顔つきで菜緒の耳元に囁きかける。

「ん、今んとこ特に怪しい様子無し。ルール聞いて多少驚いてたくらい」
「そっか。じゃあ引き続き頼む」
「――OK」

短い打ち合わせを終え圭介が首の力を緩めると菜緒は弾かれたように圭介から距離を取る。
そして首を回しながら「ホントどうしようも無い奴ね、圭介は」などと美雪と談笑し始めた。
圭介は菜緒に吉田の後方からの監視を依頼していた。
男嫌いも相まって彼女もまた吉田を未だ信用はしておらず、その共通の見解から異を唱えることもなく承諾してくれていた。
その菜緒の目にはまだ吉田に不審な点は見られないらしい。

(――ま、そう簡単に尻尾を出すわけもないか)

視線を移せば当の吉田は少女たちの会話の輪の中にいつの間にか入り込んでいる。
服の着こなしがだらしないので彩りにはやや難はあるもののさして不自然でもない、微笑ましい光景だ。
物腰は丁寧で人当たりも良い。戦闘には不向きな性格であろうが場の空気を和らげるにはそれが逆に頼もしくもある。
もしこの人物に疑い無く出会えていたらどれ程に安心できたであろう。
この人物が疑い無く味方であるとしたらどれ程心強かっただろう。

(くそ――全部この「ゲーム」が悪いんだ)

だから自分は何も悪くない、と言うつもりも無いけれども。それでも圭介は己が身の不幸を呪わずには居られなかった。

「いやはや、皆さん仲が宜しいですなあ」

何時までも立ち話をしているわけにもいかない、と全員が移動に向けて身体を動かし始めた時。
吉田が不意に圭介に声をかけてきた。

「――つい一日前に会ったばかりの関係なんですけどね。二人の人間性には助けられてますよ」

表情を崩すにも一苦労だった。どうにも吉田を前にすると圭介は平静を保てないでいた。

「いやあ、そこは鳴神さんの尽力あってのことでしょう。聞けば随分とここまでお二人を助けてこられたそうじゃありませんか」
「単にツイてただけですよ。俺なんか、別に大したことしてやしません」

身を寄せるようにして囁きかけてくる吉田の肩越しに美雪と菜緒の様子を窺う。
美雪は特に変わりは無かったが菜緒の表情が一瞬で硬くなっていた。「問題無い」と目で合図し、圭介はそれを押し留める。

「ふうむ、更にご謙遜とは。お若いのに素晴らしく出来た方のようだ貴方は。お二人の評価も随分と高いですよ? あ、ここだけの話ですが」
「――仰る意味がよくわかりませんが」
「おっと。これは失言だったかもしれません。どうかお気になさらず」

肩を竦めておどけて見せる吉田の意図が相変わらず見えない。
今の自分はどれだけ目が曇ってしまっているのだろう。圭介は悲しい程に自分に失望した。

「でもね鳴神さん。そんな貴方を立派だとは思うのですが、正直入れ込み過ぎのようにも見えるんですよねえ」
「――!?」

笑った顔が大半で。その他には驚いたり、慌てたり。
そんな表情ばかりであった吉田が初めて、真剣とも取れる顔を見せた。

「どういう――意味ですか」

一瞬、気圧された。何か直接、心の内に踏み込まれたような感覚を覚えた。

「いえ、ね。貴方の苦労もわかるつもりではあるんです。森下さんと緑川さんの安全のため率先して身体を張り、指揮を振るってきたというね」

何故か小声で。二人に聞こえないように。吉田は硬い言葉を紡ぎ続ける。

「でも正直、独りで抱え込み過ぎではありませんか? 何もかも自分が背負い込むべきだと、思い込んでやしませんか?」
「――」

――それの何が、悪いんだ。
――だってそうでなければ、今まで生き延びてはこれなかったんだ。

そう反論するつもりが、言葉にならない。
そうしてしまうと声を荒げてしまうから? 美雪と菜緒に妙な心配をさせてしまうから?
否。そうではない。今自分は吉田に抑え込まれているのだ。
言葉を発せないだけの妙な説得力を吉田の言葉に感じているからだ。

「私はね、心配なんですよ。鳴神さん、貴方が」

服の下に汗が滲む。激しくなる動悸が治まらない。
一体どうしてしまったのか。一体吉田の何に、自分はここまで動揺しているのだ。
吉田の顔が、また近くなる。肩に添えられた手を、払いのけることが出来ない。


「そんなんじゃこの先――やっていけませんよ?」

「!!」

その一言が、その一言だけが。
より一層、痛烈に感じられた。

(何のつもりだ!?)

飛び退くように吉田から距離を取る。刃よりも鋭いものを突き付けられたような感覚だった。
睨み付けるように視線を飛ばせばそこには今まで通りの吉田の顔。柔和に緩んだ吉田二郎のいつもの顔があった。

「ははは、無駄に年輪を重ねた男の老婆心からの助言のつもりでしたが気に障りましたか? 申し訳ありませんね」

遂には声に出して笑い出す中年の男。
何がそんなに可笑しい、と思わず噛み付きたくなる衝動を圭介はぐっと堪え佇まいを正す。

「――いえ、心配してもらえるのは有り難いことですから」
「いやいや、だからですね、こんな状況ですがだからこそもう少し気楽でいてもいいんじゃないか、ってことですよ。ねえ? お二人とも」
「え? そ、そうですね――もう少し砕けていた方が、圭介くんらしいと思いますよ?」
「うん――それには同感。今の圭介は、ちょっと見てて辛い、かな」
「――ご忠告、痛み入ります」

反発するように圭介は殊更丁寧に謝辞を述べた。

(――わかったような口を聞きやがって)

内心毒吐いてみるものの、胸のざわつきは収まらなかった。
吉田の言う事は正しいのだ。つい今し方美雪と腰の軽い会話を行っても。菜緒とじゃれ合ってみても。
その全ては演技じみたものでしかなく、本心から気楽に行えたものでは到底無い。
それを見抜かれていた。吉田に対する返答から二人も薄々感づいていたのかもしれない。

(一体何者なんだよこのオヤジ――くそっ!)

迷いを振り払うように首を激しく振る。ダメだ、相手のペースに飲まれては。
だからと言ってどうしろと言うのか。真剣に、全力を尽くさねば命がけの状況下で生き残れるわけがないではないか。

「――行こう」

大きく右手を前に動かし、圭介は全員に行動再開を促した。





隊の先頭を務めるということは相応の責任を負わなければならないということだ。
誰よりも開けた視界を駆使し、誰よりも早く前方の危険を察知しなければならない。
そして即座に反応しなければ後続の仲間に混乱を招き入れることになってしまう。
自分たちは所詮は平和な日常に生きてきた子供でしかない。こんな事態に咄嗟に対応出来るようには生きてきていない。
だからせめて、鋭敏に感覚を研ぎ澄ませ。
慎重に。注意して。圭介は今まで精一杯にこの重大な立場を務め上げてきた。

だがその集中力が散漫になりつつある自分を自覚している。
どれだけ懸命に成ろうとも。どれだけ必死に成ろうとも。
背後の吉田の一挙手一投足が気になって仕方が無いのだ。

「ふーむ、これがPDAの機能という奴ですか」
「ええ、そうなんです。この記載された名称がそれぞれの部屋の用途ですね。これで目的地を定めて移動して行くんです」
「成程。確かにこれは皆さんが『ゲーム』と呼称するに相応しいですな。もっとも私、その手の類にはあまり詳しく無いのですが、はは」

今も否応無く吉田と美雪の会話が耳に届いてしまう。
出来る限り声を潜めて話をしているのは移動中であることの気配りであるのだろうがそれが余計に耳障りに感じられた。

(くそ、気にするな。気になるな、俺――そんな状況じゃねえんだぞ!?)

生憎と最寄りに戦闘禁止エリアは存在していない。今目指している一番近くのものでも相当の距離の移動を余儀無くされている。
つまりはそれだけ他の参加者に襲撃の機会を与えているという事だ。
この3階に上がってから数時間が経過している。長沢も既にこのフロアへは到達していることだろう。
馬鹿な事に気を取られている場合では無い。自分が気を割かねばならないのは前方の警戒であるはずだ。
そのために菜緒に協力を取り付け後方から監視してもらっているのではなかったか。

(けど――)

だがその菜緒も警戒出来るのは吉田の動向まででしかない。
圭介が最も危惧しているのはこの中年の動きよりも口から飛び出る言葉そのものなのだ。
そしていざその事態に陥った時立場が危ぶまれるのは圭介のみ。
自分はおろか、吉田のPDAのカードまで偽っている圭介のみであるのだ。
真の意味での味方などいない。自分でそう仕向けてしまった。その事実こそが圭介の神経を更にすり減らしていく。

「ほほう、そうやって指で触るだけで画面が動かせるんですかい!? 昨今の科学の進歩には驚かされるばかりですなあ」
「ふふ、本当にそう思います。吉田さん、良かったらやってみますか?」
「え、いやいや。折角ですが遠慮しておきますよ。どうにも私がやれば壊れてしまいそうで怖い」
(――)

人の気も知らないで随分と暢気なものだ、と苛立ちの矛先が遂には美雪に向く。
元はと言えば誰の所為でこんな苦労を抱え込む羽目になってしまったのだ。事の発端は何から始まっていると思っているのだ。

「あのさ、二人とも。もう少し――」

などと無様にも程がある怒りがつい口を吐いた、その時だった。

「おっと!?」
「きゃっ!」

吉田の身体が不自然に揺れ、美雪にぶつかった。
勢い余って美雪のPDAがその手の中から零れ落ち、圭介の脇をすり抜けて滑り転がっていく。

「ちょっと!? 何やってんですか吉田さん!!」
「す、すみませんすみません! 今何か、足を取られまして――」
(――足を?)

その言葉の意味を解釈しようと圭介が思索し始めた瞬間。

「!!」

轟音と共に。その前方の天井から。
道を塞ぐように鋼鉄のシャッターが降りてきた。

「罠か、くそっ!!」

瞬時に理解が追いついた。この施設の至る所に隠された、参加者を陥れるためのブービートラップ。

「も、もしかして今、私が――」

その一つを吉田が起動させてしまったのだ。

「す、すみませんすみませんっ!」
「謝ってる場合じゃない!」

怒鳴りつけたのは吉田を責めるためではない。自分の愚かさに嫌気が差したからだ。
警戒を怠った。注意力をかき乱された所為でこんな単純な罠を見落としてしまっていた。
自分の務めが何であるのか。そんなものは重々承知していたにも関わらず、だ。

だが自戒している暇は無い。行わなければならないのはここからの対応だ。
起動したのは単なる分厚いシャッターだ。1階で遭遇した剣山のとは違いそれ自体の危険性は低い。
全員が今の場所から微動だにしなければ被害は皆無。単に「道を塞がれた」という結果が残るだけだ。

だが。最悪なことに今美雪が取り落とした彼女のPDAはシャッターの向こう側にまで転がってしまっていた。
このままでは美雪とPDAが分断されてしまう。美雪がPDAを紛失してしまうという事態が生じてしまう。
そうなれば。そうなってしまえば――

「みんな、早くっ!!」

シャッターの降下スピードは予想以上に早く、その高さは今や通路の縦幅の半分にまで到達していた。
考えるより先に声を張り上げ、率先して圭介は床を蹴る。
身を屈める様にしてまず自分が鋼鉄の下を潜り抜けた。そのまま美雪のPDAを拾い上げ、振り向く。
胸の高さまで降りてきたシャッターをまず菜緒が通り抜ける姿が視界に収まった。
最後尾にいたはずの彼女であったがそこは運動神経の為せる業、というものか。

「美雪っ! 吉田さんっ!」
「は、はいっ!」

もう既に残る隙間は膝を付かねば潜れない程になっていた。
菜緒がスカートの裾を翻らせ。圭介が身体を反転させ。
揃え誂えたように同時に残る二人に向けて手を伸ばす。美雪もこちらに向けて必死に手を伸ばす。
その手を取る事が出来れば。何事も無く全員が無事でいられるはずだった。

だが。

(――なっ!?)

その手は虚しくも宙を掻いた。
重量感を漂わせる大音量と共に、圭介の視界は無骨な鉄の壁に阻まれた。

「み、ゆき――?」

呆然と。床に尻餅を付いて。菜緒が自分の空の手を見つめている。
シャッターは完全に通路を封鎖していた。向こう側の景色は何も見えない。
そしてこちら側に美雪と吉田の姿は――無い。

「美雪、美雪――みゆきぃっっ!!」

その手を拳に固め、菜緒は鉄の壁を乱打する。
縋りつくようにその身を預けながら、必死に親友の名を叫び続ける。

「――」

その姿を圭介は一瞥しただけで、すぐさま拾い上げた美雪のPDAに視線を落とす。
そしてその画面上に二度三度、指を滑らせる。

「――菜緒、行くぞ」
「行くって何処へよっ! この向こうに美雪が、美雪がっ!」

乱暴にシャッターから引き剥がそうとした圭介の手を菜緒が振り払う。
この非常時に何を言い出すか、と信じられないものを視るような目つきで圭介を睨みつけてくる。

「無理だ、俺たちにこのシャッターは開けられない」
「ちょっとアンタ!?」
「――だから、迂回して向こう側に回り込む! グズグズしてないでさっさと立て!」

だが一歩も退くこと無く逆に強い視線を返し、再度手を伸ばし菜緒の手首を掴み上げる。

「あ――う、うんっ!」

その表情が錯乱から呆然へ。そして強い意志を持ったものへと目まぐるしく変化して行く。
自らの足で立ち上がった菜緒から手を離すと圭介は我先に踵を返し駆け出していく。
圭介の手の中の美雪のPDAには。拡張ツールによってその性能を大幅に向上させた地図機能が展開していた。

「くそ、ちと遠いか――走れ菜緒! 下手すると取り返しのつかないことになる!」
「と、取り返しのつかないことって――まさか、あのシャッターの!?」
「いや、下敷きにはなってない。それについては安心していい」

瞬く間に追いつき並走する菜緒に圭介は無表情で言い聞かせる。
PDAを回収にいく一手間のおかげで菜緒よりは全体像が見渡せたのか。
美雪の手がシャッターには届いていなかったことは圭介は確認済みだった。
挟まれてはいない。シャッター通過に失敗したことで美雪は怪我を負ってはいない。

だがそれよりも重大な現場を圭介は目撃していた。
それは通過の失敗で彼女が多少の怪我を負う事すら些細であると思えることであったのだ。

今度は圭介の表情が変化する。無表情であったものが、みるみる歪みを生じていく。

「あのオヤジ――とうとう本性を現しやがった!!」
「え、ええっ!?」

吐き捨てるなどという生易しい言い方ではなかった。
圭介の口から飛び出たのは完全に彼の憤怒そのものであった。思わず菜緒が間の抜けた声を上げてしまう程に。

「美雪が間に合わなかったのはあの吉田の所為なんだよっ!」

それは見紛うはずもない光景だった。
正に美雪が、菜緒の手を取ろうとした瞬間。
吉田がその身体に組み付くように飛びかかり。彼女を床へと押し倒したのだ。

「くそ、そういうことかっ! この為に今まで好々爺を演じてたってことなのかよっ!」
「え、じゃああのシャッターを動かしたのも意図的ってことなの!? でも罠なんてどうやって――」
「忘れたのかよ、あいつは『俺たちより先に3階に上がってた』んだぞ!」
「あ――」

随分と言葉を端折ってしまったが菜緒は思い至ったらしい。
各フロアに到達するための階段は一つのみ。拳銃の探索に多少の時間を喰ったとは言え圭介たちは「階段からの最短距離を通って」フロアを進んでいた。
吉田はその奥から出迎えるように圭介たちの前に現れたのだ。これは先に現在のこの3階に上がっていたという何よりの証明ということになる。

「だったらあの罠を事前に知っててもおかしくない! あんなの間違ってスイッチ踏んじまっても危険でも何でもないんだからなっ!」
「でもじゃあどうやって開けたのよ!」
「そんなの知るかよ! でももう一度踏めばまた開く仕掛けになってっかもしらねえだろ!」

全くの当て推量だが可能性は否めない。それを知る術を持つのは向こう側に残された吉田と美雪だけだ。
兎に角吉田はあのシャッターを自在に操ることが出来た。そう仮定すれば一連の行動に説明は付く。
まず無害を装いこちらに接近。PDAの操作にすら覚えが無いと見せかけたのは無能を大仰にアピールするためか。
そしてシャッターを使用し人数を分断。後は取り残された人物をゆっくりと手にかければいい。
決してスマートなやり方ではない。だが理に叶ったやり口ではある。

(考えてみりゃ躓いて身体が当たっただけであんなにPDAが弾き飛ぶはずがないだろ――気付けよ、バカ圭介っ!)

今更ながらに後悔した。手前勝手な理由とは言え誰よりもあの男を疑っていたのは他ならぬ自分であったはずなのに。
我が身可愛さに強硬な態度に出られなかった。カードの真実は元より他人を無碍に扱うことで二人に嫌われるのを避けたかった。
その結果がこのザマか――圭介はきつく唇を噛み締めながら只管に通路を駆け続ける。

「――やる」
「――え?」
「あの野郎、美雪に何かして見ろ、タダじゃ済ませねえからなっ!!」
「けい、すけ――」

自然と零れ出たその一言を、圭介は自分の言葉とは認識出来なかった。
ただ隣を走る菜緒だけが。その言葉の重みを強く受け止めていた。

目の前に分岐が近付いてきた。この角を左に曲がれば「向こう側」へ最短で辿り着く事実を美雪の地図は示していた。

「よし、此処を――」

「――止まれ」

「!!」


だが容易く事は運んではくれないことを。
目指す分岐の反対側から現れた新たな来訪者は静かに告げた。




 ゲーム開始より27時間54分経過/残り45時間06分



[21380] EPISODE-36
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/04/06 03:56

「――止まれ」

それは決して大きな声では無かったが有無を言わさぬ威圧感があった。
其れ処ではない、立ち止まっている余裕など無い。そう頭では理解していても身体は抗う事が出来なかった。

「!!」

繰り出していた前足が急制動を掛ける。二、三歩たたらを踏む形でこれまでの勢いが零に帰す。

「け、圭介っ!? どうし――」

やや遅れて足を止めた菜緒の心中を察する事は容易であった。
彼女の目にはさぞや奇異に見えただろう。言葉を失うほどに、不気味な何かを感じたであろう。
声と共に物陰から姿を現した「その男」に。見覚えが無いと言うのであれば誰しもがそう印象付けるであろうから。

大門には及ぶべくもないがそれなりに大柄な体格。
すらりと伸びた手足に品良く着こなした作業着まではどうと言うことは無い。
だが寒さも押し迫って来た11月下旬。そして陽の光を浴びる事すらままならない閉ざされた施設の中で。
あからさまに不釣り合いな帽子とサングラスを装着した男は、圭介が以前出逢った時と変わらず奇妙な存在感を醸し出していた。

「た――楯岡さん!」

逸る気を抑えつつ圭介はその男の名を呼んだ。
楯岡和志。嘗て圭介が犠牲となった女性の遺体を発見した折、乃得留たちと同行していた男の一人であった。

「無事だった――のは嬉しい、ですけど! すみません、今は再会を喜んでる場合じゃ!」
「そのまま動くな鳴神。そっちの女もだ」
「!!」

再度進むべき足を縛したのは言葉だけではなかった。
掲げられた楯岡の右手に握られていたのはこの階で思い知らされた恐怖の象徴。
圭介の腰に吊り下げられているものと型は違えど同種の「武器」であった。

「くそっ、アンタもか! やっぱりアンタもそうなのかよっ!?」
「喚くな。抜けばどうなるか――理解出来ないお前でもあるまい」
「く――」

反射的に拳銃に伸び掛けた腕を止める。否、止められたと言うべきなのか。
信じていた、わけではなかった。元より死体を発見しても眉一つ動かそうとしない、無感情を絵に描いたような男だ。
あまつさえ彼は一時は協力を仄めかしたものの、個人的な事情なるものを優先して集団から離れて行ったのだ。
乃得留の「手続き」によれば、安全なカードを引き当てたにも関わらず。
そんな彼が「殺し合い」に乗ったとて何ら不思議な事では無い。口先だけの協力など、信用する方が愚かなのだ。

けれど、それでも。やはり圭介は彼に味方であって欲しかったのだ。
誰もが己の欲望の為なら平気で人を裏切り、傷付けるのだと考えたくはなかったのだ。
だがそんなちっぽけな願いも天には届かない。
悔しくて。悲しくて。今にも何かが自分の内で爆発してしまいそうだった。

(くそっ! だからってむざむざ殺されてたまるかよっ!)

だがここで膝を折るわけにはいかない。
生きなければならない理由がある。迎えに行かねばならない、人が居る。
そのために。こんな男の為に。命を差し出してやる義理は無い。

でも、どうする? 唯一の武器は封じられている。楯岡よりも先に拳銃を抜き放てる自信など圭介には有りはしなかった。
彼の引き金は恐らく、軽い。その機械仕掛けのような性質ならば必要に迫られれば容易に武器を行使してくるだろう。
まさか菜緒を仕向けるわけにもいかない。例え勝機を見出すためでも彼女を盾にすることなどあってはならないことだ。
美雪の危機のためならば喜んでその身を差し出す気質であるだけに尚更だ。
更に部が悪い事に楯岡の翳す拳銃は圭介のものより遥かに大口径だ。
玉砕覚悟で突貫しても1発当たればおそらく威力そのものでこちらの動きは止められる。絶命に至る可能性とて十分に考えられる。

畜生、八方塞がりじゃないか――またも圭介が唇を噛み締めた、その時だった。

「ちょ、ちょっと楯岡さんっ!? 一体何をやって――きゃあっ!?」

実に奇怪な光景が圭介の目の前で展開された。
慌てた様な声と共に楯岡の後方から人影が飛び出して来たかと思えば、「それ」は次の瞬間床に転がっていた。
濛々と埃を立ち昇らせ。うつ伏せにその身を横たわらせているのは圭介の記憶に無い少女の姿だった。

「あ、あ痛たた――」

受け身が間に合わず、強かに身体を床に打ちつけたのだろう。か細い悲鳴を少女は上げる。
肩に届く長さの亜麻色の髪に白のハイネックセーター。歳の頃は自分と同世代であるだろうか。
左腕の無骨なデザインのリストバンドがどうにも似合っておらず否応無しに目につく以外は何処にでも居そうな至って普通の少女である。
無論彼女の首筋にも首輪が巻かれているのは確認する間でも無い事だった。

「出てくるな、と言っておいたはずだが」

楯岡は現れた少女を一瞥する事も無く無感情に言い放つ。
視線と照準は圭介たちから外れてはいない。この期に及んでも逃げ出す隙は与えてはくれないようだ。

「こんなの黙って見ていられるわけないじゃないですかっ! なんでこんなこと、しなきゃいけないんですか!?」

対する少女は臆す事無く床に這い蹲ったまま、低い視点から楯岡を睨み付ける。
凡そ拳銃を掲げて威圧する男に見せていい態度では無い。だが楯岡も無関心を決め込むばかりで何ら対処をしようとはしない。
知っているのだ。少女は楯岡が、決して自分にはその武器を行使しないことを。
知っているのだ。楯岡は少女が、これ以上自分に害を為す事は無いと。
二人の態度はそのままに。互いに見知った関係であると明白に示していた。

「危ない事はしない、する必要が無いって言ってたじゃないですかっ! だいたい何ですかそれ、そんなもの何処で拾ってきたんですかっ!?」

酷く不自然に壁を支えにしながら少女は鈍重に立ち上がる。
足でも痛めているのだろうか。滑稽にも思える登場の仕方はその所為であるのか。
生憎とその半身は物陰に隠れているので真偽の程は窺えない。

「聞きたいことがあるからその人たちを呼び止めたんでしょう!? まったく何処まで失礼なんですか貴方はっ!」
「――良いから黙れ。お前が絡むと話がややこしくなる」
「ちょっと!? 女の子に向かってそんな言い方って――」
「やめろ菜緒。時間の無駄だ」

少女に対する態度に堪りかねたのか口を挟もうとする菜緒を遮り、圭介は楯岡の顔を正面から見据える。
少女の登場が作用しているのか、先程までより威圧感は薄らいでいた。今ならば対峙出来る、そんな気がした。

「――その『聞きたい事』に答えれば、何もせずに通してくれるのか」
「そのつもりだ。信じるかどうかはお前たち次第だがな」
「ああ、そうかよ。だったらさっさとしてくれ。こっちは急いでるんだ」

間を置く事無く承諾する。到底信用に値する言葉でも人物でも無かったが何よりも今は時間が惜しい。
兎に角少しでも早くこの場をやり過ごす事が第一なのだ。事態は一刻を争っているのだ。

「そうか。手短に済ます事が出来るならこちらとしても好都合だ」
「どうでもいいからその銃を降ろせよ。それが人にモノを訊ねる態度かよ」
「お前が同じ立場なら大人しく降ろすのか?」
(くそ――)

一々癇に障る物言いである。それが的を射ているのだから始末に悪い。
相手が同等の武器を帯びている以上、必然の警戒であると納得している自分が歯痒くて仕方が無い。

「わかったよ――で、何が聞きたいんだ? 知ってる事なんて幾らも無いぜ」
「お前たちのPDAカード、そしてJOKER所持の有無だ」

至極当然に予想されるものであった。
この「ゲーム」を生き残るためには直接の戦果は元より謎解きめいた解除条件を達成せねばならない。
そのためには他参加者のカードの把握が必須となるべき条件も含まれていた。
楯岡自身か、或いは後方に控える少女がか。何れかがその条件に合致しているということなのだろう。

(しかもJOKERについて聞いてくるってことは、つまりどっちかのPDAが――)
「どうした、素直に答えられない条件でも引き当てたのか」
「うっせえよ。俺は『6』、こっちの緑川菜緒が『8』だ。JOKERは持ってない」
「口先だけなら何とでも言えるな。お前が嘘をついていない保証など無い」
「アンタらに嘘は通用しないだろ。いや、『アンタらのPDAには』、と言った方が正しいか?」
「ほう」

感心したような細い息が楯岡の唇から洩れた。
そうなのだ。PDAのカードとは別にJOKER所持を訊ねてきたと言う事は彼らの解除条件はJOKERに関わりがあるということ。
ルールの⑨に記されている13種類の解除条件の内その条件に該当するものは2つだけ。
その内の一つを現在圭介が所持している以上、「JOKERの破壊」が条件となっている「2」が楯岡たちが引き当てたカードということだ。
そしてその「2」には特別にJOKERの偽装を強制解除する機能が備わっている。
彼らの前では虚偽も偽装も通用しない、ということなのだ。

「ホラよ――菜緒も見せてやれ」
「あ、うん」

菜緒を促し、圭介は揃ってPDAの画面を楯岡に突き付ける。当然圭介が掲げたのは吉田のPDAであることは言うまでも無い。
皮肉な事だ。吉田の姦計に嵌り美雪と分断される羽目になった。
だがあの男の信頼を勝ち取るための下工作と自身が重ねた嘘の上塗りにより、現在圭介の手元にはJOKERは無く真実の「6」がある。
今この瞬間においてのみ、圭介は「『6』の真実の所持者」をJOKER無しに偽装出来た事になるのだ。
これが今までであったらどうなっていたか。つくづく肝の冷える思いであった。

「成程な」
「質問はこれで終わりか? だったら」
「いや、まだだ。お前はもう一つPDAの在り処を知っているはずだ」
「!!」

無事切り抜けた、と感じたのは甘い考えであったか。鼓動がどくりと跳ね上がる。
反射的に胸を抑えた指先に、圭介の「本物の」PDAの感触が伝わって来た。

「何の――事、だよ」
「森下美雪。確かお前たちの同行者だったはずだ。彼女の詳細をまだ聞いていない」
「な、何でアンタが美雪の事を知ってんだよっ!?」
「俺たちは一階階段前でお前たち3人が木戸を退けた現場を目撃している。それだけだ」
「な――」

楯岡の疑念が圭介の真実に到達していなかった事には安堵するものの。その更なる事実に再び怒りの火が灯る。
あの時。楯岡たちは近くに居たのだ。自分たちが少ない戦力と策を用いて木戸の排除に必死になっていた時。
この男たちは、それを何処から見物していたというのだ。
楯岡の身体や衣服に争いの跡は見られない。つまりは圭介たちが木戸を階段前から退けた後、悠々と階段を通過して行ったことが窺える。
利用された、とは流石に言いがかりには為るだろうが。それでも尻馬に乗られたことは確かでありそれが何とも気に食わなかった。

「その森下が居ない、という事は仲違いでもしたか。それとも」

圭介の思惑を他所に楯岡は持論を展開し始める。それが益々圭介の苛立ちを募らせる。
この上から目線の物言いも気に入らない。命がけの「ゲーム」の最中で余裕めいた冷静さも気に入らない。
何よりも、こちらが先を急いでいるのは感じ取ってはいるはずなのに。
「情報取得」という身勝手な言い分で足止めを食わせている事自体が気に入らない。
けれど、それだけならばまだ耐えられた。穏便に事を運ぶためには男の無礼を圭介は甘んじて受け止める事が出来た。
次に楯岡が発した言葉を聞くまでは。

「――それとも、既に始末した後だとでも言うのか?」
「!! だからその美雪の事で急いでるんじゃないかっ!」

気付けば怒声を張り上げていた。同じく楯岡に物申しかけていた菜緒と少女が呆気に取られる程感情を露わにした声で。
到底許される発言では無かった。彼女を殺さねば助からないという無情な条件を突き付けられ。それが出来ずに苦悩し続け。
ただ必死に只管に。それ以外の方法を模索してきた圭介には侮辱そのものの一言だった。

「吉田って男に騙されて、離れ離れになっちまったんだよっ! 早く迎えに行かないと、あの子が危ないんだっ!」

もう限界だ。これ以上この場には居られない。何よりもこの男を前にして居たくない。
楯岡和志という男が長沢や木戸とは同種の人間ではないことは微かながらに理解は出来る。
無闇に暴力を振り撒かず情報の収集を行っているのは彼なりの矜持を持って正しい形でこの「ゲーム」に挑んでいるということだからだ。
だが感情を一切排した思いやりの無い行動、遠慮も飾りも無い剥き身の言動は決して相入れられるものではない。

「美雪のPDAは『Q』だよっ! あの子がJOKERを持ってないのは俺の首輪が外れて無いのを見ればわかるだろっ!
 さあ、さっさと其処を通してくれっ!!」

時間は刻一刻と経過して行く。最早これ以上の問答は無用だ。
間に合わなかった、などと万が一にも在ってはならない。こんなことで美雪を失うことになるなど許されていいわけがないのだ。
これでまだ楯岡が難色を示すならば、強行突破しか道は無い。
例え結果がどうなろうとも、今は時間の浪費こそが最も罪深き事で有るのだから。

「――早く行け。『まだ』森下は無事だ」
「――な」

意外にもあっさりと道を開けた楯岡に圭介はしばし困惑する。
無論その反応に、では無い。気にかかるのは後に付け加えられた言葉の根拠に、だ。

「俺のPDAには参加者の残り人数が表示されるツールがインストールしてある。今もまだその数字は『12』のまま変化は無い」
「そ、そうなのか」

気付けば楯岡は左手でPDAを操作していた。逆の手に在る拳銃も今は下げられている。
用件は終了し、そして用件以上の事は望んでいないということなのか。

「『12』ってことは最初のあの女の人以外はまだ誰も犠牲になってないってことか――そういやアンタ、ノエルさんたちとはまだ」
「どうした。急いでいるのでは無かったのか」
「――っ!! 菜緒、行くぞっ!」
「う、うんっ!」

要望が叶えば用済みとばかりに突き放す。引き換えの情報すら与えてはくれない。
どこまで身勝手な男なのだ。殺意にすら転化しかかる怒りを押し留め、圭介は菜緒を引き連れ楯岡の脇を通り過ぎる。
角を曲がれば楯岡の姿は死角となりもう男の姿は見えない。拳銃の射線も阻まれ騙し討ちの追撃の警戒もやがて必要無くなった。

(――アイツは「敵」だ。間違い無く俺の「敵」だっ!)

明確な敵意を向けずとも。無駄な犠牲を望まない性質だとしても。
あの男は決して自分の味方には成り得ないと圭介は確信した。理屈では無く己の感情そのもので。
今後また再会することもあるかもしれない。もしかすると条件次第で協力を願い出てくるかもしれない。
その時は絶対承諾などしてやるものか――と胸の内で吐き捨てる。

余計な手間を取らされた。楯岡の言によればまだ美雪は犠牲にはなっていないようだが安心など出来るわけがない。
「まだ」犠牲にはなっていない。「ただ」犠牲にはなっていない。不安の種類は幾らでも思いつく。

(頼むから――間に合ってくれ!)

一心に念じながら。圭介は更に菜緒と共に床を蹴る速度を上げた。






「――最低です」

去っていく少年少女の姿を見届ける楯岡の背中に、かれんは軽蔑を込めた一言を浴びせかけた。

「そうか」
「そうですよ! 最低も最低、大最低ですっ!」

我ながら幼稚な罵りだと自覚はするが、今のかれんにはそうとしか楯岡を評する事は出来なかった。

「あの子たち、困ってたじゃないですか! 助けてあげても良かったのにあんな酷い仕打ちをするだなんて!」

「ゲーム」開始以降ずっと楯岡に拘束されていた彼女にとって彼らは初めて出逢った他の参加者であった。
学生服を身に纏った少年少女。その姿を目の当たりにしてかれんはとある事実に気付かされた。
残る参加者たちは他人の命を虎視眈々と狙う殺戮者ばかりではない。
自分のように怯え逃げ惑うことしか出来ない弱く哀れな人物もまた居るのだと。
二人は何やら必死の形相で、全速力でこちらに向かって来ていた。一刻も早く辿り着かねばならない場所が有るという様子が見て取れた。
助けてあげたかった。どんな些細な事でも良いから力になってあげたいと感じた。
だけど自分は所詮はちっぽけな存在で。おまけに今は歩くことすらままならない。助けるどころか邪魔になってしまうかもしれない。

――あの、楯岡さん?

止む無くかれんは同行者に目配せで救いを求めた。確かに自分に力は無い。だが楯岡ならば或いは、と。
無表情で無感情で。更には無作法で無遠慮な男ではあるが彼は自分とは違い確固たる実力を持っている。
何せ自分と言う重荷を文字通り背負ったままで平然と「ゲーム」に挑める男なのだ。
そしてこれまでの関わり合いでかれんは楯岡が血も情も通わぬ冷徹な人物では無いのではないか、と徐々に感じ始めていた。
彼ならば助ける事が出来る。あの子たちに救いの手を差し伸べる事が出来る。

そう思った。思い込んでしまった。
だがそれはとんでもない勘違いであったのだ。

――お誂え向きだな。二、三聞かせてもらうか。

事も無げにそう宣言して。有ろう事か楯岡はバッグから黒光りする凶器を引き抜くと。
その脅威で以って少年と少女を足止めし、脅迫まがいの尋問を始めてしまったのだ。
信じられなかった。裏切られた思いだった。物言いや態度は不躾であったとしても、中身はきちんと誠実な人物であると思っていたのに。

「あの時点での鳴神の思惑は不明瞭だ。下手に関わりを持って寝首をかかれる可能性は否定できない」
「そんな――あんな子たちがそんな事するわけないでしょう!?」
「戦場では幼子すらも兵器として利用される。友人の受け売りではあるが此処が戦場に等しいものであることに相違は無いからな」
「せ、戦場って――」

思わず言葉を失った。平和な国の更に狭い世界で生きてきたかれんにとってはあまりにも突飛な例えではあったが。
それが楯岡の口を通すと奇妙な説得力が生まれたようにも感じられる。

「で、でも! そんな考え方じゃ誰も信用なんて出来なくなるじゃないですかっ!」

このまま言いくるめられるのも口惜しいのでかれんは感情の赴くままに反論を繰り出す。

「そうなるな」

だが楯岡は関心が無いとばかりにかれんの前をすり抜け物陰に放置してあったバッグを拾い上げる。
その態度がますます不快に映り、かれんは更に声を張り上げてしまった。

「ああ、そうですかっ! じゃあ楯岡さんも信用できないって事ですねっ!?」
「それでいい」
「――へ?」

珍しく感情の籠った、と感じられる一言だった。
楯岡は拳銃をバッグに仕舞い込み、未だ両足を拘束されたままのかれんに手を差し伸べる。

「俺は自分自身が生き残るために。この『2』の解除を達成するためにお前を利用する。だからお前も自分のために、精一杯俺を利用してみろ」
「そんな――」

それは、あまりにも。寂しい考え方なのではないだろうか。
そんな機械的な在り方が、人と人との関係であると言えるのだろうか。
決してそうではないはずだ。でなければかれんは此処には居ない。
この「ゲーム」の最中にでは無くこの世界に。北条かれんという存在が許されているのは。
善意や好意であると言った、人の聖なる正なる感情に支えられてきたからなのだ。
それをやんわりと否定されたような気がして。差し出された手を取る事が躊躇われる。

「後一時間足らずでお前の片方の条件は成立する。その時は自分の足で立って考えてみろ。自分が生き残るために何が必要で、何を為すべきかを」
「わ、私は――」
「もう一つ余計な助言をしておこう。打算や理屈以外で決して『他人を助けたい』なんて考えるな。人一人が背負えるものなど、驚くほど少ない。
 そんな人が他人を救おうなど、身勝手で傲慢な考えだ。それこそ自分の命を投げ打ってでも足るものではない」

「それは――楯岡さんでも、そうなんですか?」
「当然だ。お前は俺を随分と勘違いしているな」

少し喋り過ぎたか、と楯岡はかれんから目を背けるように顔の向きを変える。
それきり楯岡は口を開かず自身のPDAを操作し始めた。この先の地図の確認でもしているのだろうか。

(じゃあ、どうして――)

どうしてこの人は、自分を捨て置いていかないのだろう。そんな疑念がかれんの内に沸いた。
自分が楯岡にとって無害で都合の良い存在であることは自覚している。
理屈の上ではあと一時間で自分は楯岡から目を離せなくなり、身の回りの世話をするのに最適な人物になることは確かだ。
だがその為に楯岡が背負い込んだリスクははたして等価であるのかどうか。
力になれることなどごく僅かでしかない。見張りに立つことや多少の荷物持ちが精々だ。
この異常な状況で有事に陥ればそれこそ楯岡の邪魔でしかない。
カードの都合は最適であるのだろうが。北条かれんは決して楯岡和志のパートナーとして到底相応しいものではない。
いざと為れば切り捨てる可能性も踏まえて、とりあえず傍に置いているだけなのか。それとも別に理由があるのか。

(――無いと思うんですけど。どう考えても)

それにしては先程の妙な助言が気にかかるのではあるが。

「――む」

ふと。楯岡のPDAを操作する指が止まった。

「どうかしましたか?」

一先ずは側を離れられない以上。今は深くは考えず従順に同行して行くしかない。
そう思い立ち、楯岡の反応を我が事と考えるべく、彼の呟きに呼応してみた。


「――間に合わなかったか」


サングラスの下に隠された楯岡の表情が。神妙なものに変化したようにかれんには見えた。
その言葉と表情の意味を理解するには。ほんの少しの時間が必要であった。





 ゲーム開始より28時間03分経過/残り44時間57分


【プレイヤーカード:開示】
・「2」:楯岡和志



[21380] EPISODE-37
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/04/17 06:09
ほぼ同時刻、同3階フロア。
奇しくも圭介たちと同じような境遇に陥った一行が在った。




「小枝子さん、離れてっ!!」
「え!? きゃ――」

乃得留の声が鋭く響き。次いで聞こえた小枝子の悲鳴が轟音に掻き消された。

「な――」

揺れる地面に思わず足に力が入る。突風により巻き上がる砂埃を、反射的に両腕で防御する。
一体何が起こったのか。突然の状況の変化に大門三四郎は戸惑いを隠せなかった。
まず先頭を行く乃得留の身体が不意によろめいた。慌ててその身を支えようと駆け寄った瞬間の出来事だった。

「――あ、ああっ!」

埃を掻き分けながら振り向いた大門の視界の先は先程までのそれと一変していた。
見るからに頑丈な鉄柵が聳え立っていた。人一人通過するにはあまりにも狭すぎる等間隔で、完全に通路を塞いでいた。

「これ、は――」
「ごめんなさい、私の見落としです!」

床に膝をついたまま声を張り上げる乃得留の足元は僅か1パネル分、床が沈み込んでいた。
彼女がそれに足を取られて体勢を崩したのだと理解すると同時に現在の状況との繋がりが見えてくる。
罠の発動。大門たちがこれまで他の参加者による襲撃と共に警戒していた事象だった。

「!! 古谷さんっ!」

我に却って大門は愕然とする。大門自身にしてみれば今の結果は「既に通過した通路を塞がれた」だけでしかない。
だが。鉄柵が「落ちてきた」場所は。
大門が乃得留に駆け寄った事によりやや後方に取り残されてしまった古谷小枝子が歩いていた位置ではなかったか。
乃得留が我が身よりも優先して退避の咆哮を上げたのはその危険性を感じたからではなかったのだろうか。

(ま、さか――)
「だ、大丈夫、です」

か細い声が聞こえてきた。明瞭を取り戻しつつある視界の先で、倒れ込んだ小枝子が身体を起こす様が発見出来た。

「よかった、無事でしたか!」
「は、はい。でも――」
「――あ」

齎された結果には幸運と不運が同居していた。
寸でで回避が間に合っていたのだろう。彼女の身体が傷付いた様子は見られない事が幸運。

そして不運とは。彼女の身体が落ちてきた鉄柵の向こうに在った事だった。

「そんな――」

大門の手を借りて身体を起こす乃得留の表情は気の毒な程に青白い。
基本的に先頭を務める彼女が罠の発見を主に担当している。その自分の見落としが今の事態を招いてしまった事に責任を感じているのだろう。

「本当にごめんなさい。私がもっと、しっかり役目を果たしていれば」
「いえそんな。ノエルさんが気に病む事はありませんわ」
「そうだよ。ノエルさんはここまでボクたちのために一生懸命やってくれてたじゃないか」

孤軍奮闘。これまでの乃得留の働きにこれ以上相応しい言葉は無い。
ルールの理解。団体での行動。その一つ一つにおける彼女の決定に大門と小枝子は異を唱える余地など無かった。
危険と思しき様々な事象を先見し、乃得留はここまで一番の若輩ながら一行を引っ張って来たのだ。
その負担は相当なものであっただろう。そんな彼女が迂闊な見落としをしたとして。
その見落としが今のような事態を招いたとして。どうして責めることが出来ようか。

「ありがとうございます。そう言って下さると、救われる思いです。でも――困りましたね」
「う、む――」

とは言え看過出来ない現状であることもまた確かである。大門は伸びてきた無精髭をざらりと撫でながら低く唸る。

「古谷さん、少しその場から離れて貰えますか」
「あ、はい」

大門の発言の意図を即座に汲み取ったのか、小枝子は優雅に身を翻し数歩下がる。
その姿を確認した大門は少し肩を回し、大股で鉄格子に近寄りその内の2本に手をかけた。

「ぬ――おおおおおおっっ!!」

全身全霊を込めて。左右逆方向へと引く。大門の両腕の筋肉が脈動し、力強く盛り上がる。
現在の隙間では一番細身の乃得留ですらも通過することは出来ない。
ならば自分の剛力で。破壊にまで至らずともその間隔を押し広げる事が出来れば、と大門は一心に力を込めた。

「おおおおっっ!! はあっ、はあっ、くそ、ダメ、か――」

しかし。そんな大門の努力も虚しく鉄格子はびくともしなかった。
荒く息を切らせる大門の声だけが静寂なフロアに響き渡っていた。

「すみ、ません、古谷、さん――ボクでは、どうやら、ダメ、みたいだ」
「いえ、そんな――十分です」
「大門さんが駄目ならばそれこそ人力では不可能だってことですよ。それこそ気に病む必要は無いです」
「し、かし――」

こんな時の為にこそ、自分の力は必要なのではなかったか。こんな時に役に立たずして、どうして二人と共に居られようか。
そんな思いが胸に去来する。そして術を失ったと同時に、急速に不安が押し寄せてくる。
手を伸ばせば届く距離に、小枝子は居る。だが二人との間が隔てられている以上、共に在ると言えるものではない。
この邪魔な鉄格子を退けなければ。彼女は先程までの様に自分たちと共に進む事は出来ないのだ。

「――こっちも駄目ですね。このパネルで鉄枠の上昇は出来ません。他のスイッチも見当たりませんし」
「そんな!」

気難しい表情を浮かべる乃得留に大門は思わず声を張り上げてしまった。
自分の力は及ばない。だがここまで如何なくその才を発揮してきた乃得留の知恵であるならば、という期待も虚しく霧散した。

「じゃ、じゃあ、古谷さんはどうなるんだ!?」

つまり鉄格子の排除は事実上不可能となってしまった。ならば彼女はどうなってしまうのか。
お世辞にも優秀とは言えない大門の頭脳でも、それは容易に導き出せる結論であった。

「落ち着いて大門さん。小枝子さんを置いていくわけがないでしょう」

乃得留が即座にPDAを取り出し操作し始める。

「迂回して、再合流するしかないわね――待って下さい、今、地図を検索しますから」
「迂回って――まさか古谷さんを独りにするのか!?」
「だって他に方法は無いでしょう!?」

気を悪くしたわけでもないのだろうが、その返答は彼女らしからぬ語調の荒いものとなっていた。

「く――」

道理に沿えば乃得留に敵う訳も無い。だが今一時なりとも独りで居る事がどれだけ危険を孕んでいるか。
それを指し示したのも彼女であるはずなのだ。この3階から武器の脅威は跳ね上がり、参加者が殺人に手を染めるのも容易くなるのだと。
そして発見した拳銃や刃物に怯え、所持を拒んだ女性陣にとって武器と呼べるものは大門の存在のみ。
つまり今小枝子の傍を離れると、彼女は身を守る術を持たない。危険に対処は出来ないのだ。

「このおっ!!」
「!? だ、大門さん!?」

雄叫びを上げ大門は鉄格子に拳を叩きつける。
二撃、三撃。最強の拳が鋼鉄とぶつかり合い、激しい音を立てる。

「何やってるんですか!? 無駄だって自分で言ってたじゃないですかっ!」
「何度もやれば壊れるかもしれないだろう!」
「その前に貴方の拳が先に壊れるに決まってるでしょう!?」
「構うものかっ! 壊れろ、壊れろおっ!」

罵りめいた乃得留の言に大門は耳を傾けない。続けざまに拳を振るい、何度も何度も鉄格子に打ちつける。
拳の表面が熱を持つ。反動が骨を伝わり、肩口から抜ける。
既に相当の衝撃を与えているはずだった。だがやはり鉄格子は大門を嘲笑うかの如く微動だにしなかった。

「くそ――何でだっ!?」

遂には鉄格子に縋りつくように大門は拳を預け、嘆く。
いざとなればその身を投げ出すつもりでいた。手足の一本も失っても二人を守る覚悟はしていた。
だが今は、それさえも叶わない。こんなにも近くに居るのに、小枝子との距離はあまりにも遠かった。

「大門さん――あまり無茶をなさらないで下さい」

そんな小枝子の手が、大門の拳に触れる。血の滲む肌に、優しくハンカチを添える。

「古谷さん。すみません、ボクは――」

掛ける声が見当たらなかった。溢れてくるのは己の無力に対する弱音ばかり。
だが今誰よりも苦境に立たされている彼女に、どうしてそんな事を伝えられようか。

「いいんです。人間どうしたって、叶わない事はあるでしょうから」

責める気など微塵も無い、とばかりに小枝子は儚く微笑む。
それは夫の死という避けられない現実と対面してきた女性の確かな言葉だった。

「待っていますから。大門さんと乃得留さんが迎えに来て下さるのを、此処で。でも、なるべく早く迎えに来て下さいね?」
「――」

小枝子の手が、離れて行く。温もりが徐々に消えて行く。

「あ――」

それを失いたくなくて手を伸ばすが、虚しく宙を掻く。
小枝子はそれ以上口を開く事無く。凛然と見送りの姿勢を保っていた。

「――はい」

伸ばした手を「こちら側」に引き寄せ、大門は胸元で拳を形作り振り向く。
目が合った乃得留がこちらも無言で頷いた。

「この先の分岐が見えますよね? そこを左に曲がって二つ目の角をもう一度左に。後は道なりに沿って行けばこの裏側に出れるはずです」
「よしわかった、行こう!」
「あ、ちょっと!?」

指示を頭に叩き込み、大門は即座に床を蹴る。
乃得留の脇をすり抜けて、いち早く分岐へと駆け出した。

「ああもう、どうして貴方はそう単純なの!? すみません小枝子さん。すぐに、すぐに迎えに行きますからっ!」

呆れた様に呟く乃得留の声と足音が背中に聞こえる。
彼女には悪いが事態は一刻を争うのだ。出来るだけ小枝子を独りにはしたくない。
これ以上彼女と離れていたくなどないのだ。

(そうだとも。もう二度と――こんな思いはゴメンだ!)

そのためには少しでも。一秒でも早く小枝子の元に辿り着かなければ。
今の大門にはそれしか考えられなかった。刻々と変わる目の前の景色と再会の期待しか、彼の目には映ってはいなかった。






「ちょっと大門さん、待ちなさい、速過ぎるってば!」

息を切らせながら、文句を口にしながら。乃得留は大門の背中を必死に追う。
だがその声は届かない。その距離は縮まらない。既に大門には小枝子の安否しか見えていない。
想い人が危機に晒されてる事情は彼にはそれほどに重いものであったのだろう。
体躯も歩幅も圧倒的に違う巨人との間は瞬く間に離れていってしまう。

「はあっ、はあっ――」

遠くなる。大門の背中が。
遅くなる。自分の走る速度が。

やがて、膝に手を当てて。乃得留の足が完全に止まる。
同時に指示通りに分岐を左折する大門の身体が視界に入った。それきり彼の姿は見えなくなってしまった。

「――」

それ以上慌てて追う事も無く、乃得留はその場で静かに息を整える。
足音も聞こえない。自分の呼吸音だけが僅かに、冷たい通路に木霊する。
身体が落ち着きを取り戻すまで然程の時間は要しなかった。顔を上げ乃得留は大門が去って行った方向を暫し見つめる。

「大門さん、貴方って人は本当に――」

その表情は。おそらく。
これまで彼女に出逢った参加者の誰もが目にした事の無い。
酷く冷たく、感情の欠落したものだった。


「――本当に、可哀相な位に単純な人」


その呟きは、誰にも届かない。何処にも響く、事は無い。
波多島乃得留は再度PDAを取り出し何かを確認すると。
一つ目の分岐をゆっくりと右に曲がり歩んで行った。







二人の背中を鉄枠越しに見送ると途端に不安が襲ってきた。肌を刺す空気の冷たさが、鋭敏に感じられるようになった。
古谷小枝子は身を縮み込ませるように自らの肩を抱く。無音の空間には何一つ音を立てるものは無い。

(――やっぱり独りだと心細いものですね)

改めて、痛感する。自分は取り残されてしまったのだと。一時とは言え仲間と離れ離れになってしまったのだと。
思えば。ずっと独りではなかった。名も知らぬ女性が全自動に殺害される様を目の当たりにしてから、片時も小枝子の傍に人が絶えた事は無かった。
互いの事情や諍いも有り、人数は瞬く間に減ってしまったけれども。
それでも最後に残った二人が傍に居てくれたから。今まで小枝子は不安や恐怖とは無縁でいられたのだ。
波多島乃得留。大門三四郎。その二人の存在に、どれだけ勇気づけられてきたことだろう。
だがそんな二人も今は傍に居ない。今の小枝子の周囲にはきわめて無機質な空間が広がるばかりだ。
特に圧倒的な威圧感と共に其処にあった存在の喪失は、想像以上の寂しさを掻きたてられる事となった。

(――大門さん)

思わず肩を抱く自らの手に力が入る。不安と恐怖を紛らわすかの如く。
彼が自分に好意を持って接してくれている事は、薄々ではあるが気付いていた。
巨大な上に強靭な体躯を操る稀代の空手家の、不器用ながらに純粋な想い。それは小枝子にとっては決して不快なものではなかった。
出逢い方さえ違っていれば、受け入れていたかもしれない。そんな事さえもふと考えてしまう瞬間もあった。
だがそれは許されるものではなかった。小枝子の胸の内に死別した夫・哲也の存在がある限り、大門の入り込む余地など残されてはいないのだ。

狂おしい程に恋焦がれた。心の底から、彼を欲した。
後輩の友人から半ば奪い取るようにして交際を取り付けた。
「泥棒猫」と揶揄されようと。代償に友情を失う羽目になっても。どうしても共に在りたかった男性だったのだ。
だからこそ、そんな彼が。この世を去った後だとしても小枝子には他の男性を見初める事など出来はしない。
だからこそ、大門を。そんな形で見る事など出来ないのだ。

(ずるい女だわ、私。あの時から何も変わっていない――)

そんな自分が嫌になる。ならばなぜ、はっきりとした拒絶の態度を取らず、変に期待を持たせるような事をし続けているのかと。
真実を捻じ曲げ美談に仕立て上げた過去を語り聞かせたのは何故なのかと。
それは、怖かったから。誰かが傍に居てくれないと、こんな状況では押し潰されて発狂してしまいそうだったから。
嫌われたくない。捨てられたくない。その一心で都合の良い、貞淑な女を演じ続けてきた。
だが自分の正体は。己の欲求のためなら平気で人を利用する、そんな最低な女なのだ。

(大門さん――貴方はこんな私でも、好きでいてくれるのですか?)

そんな自虐が胸を満たす。独りで居るからこそ、そんな想いに駆られてしまう。
だが今更全てを吐露する事など出来ない。今の小枝子の命は自分一人のためのものではない。
愛した男の忘れ形見。たった一人の愛娘。古谷千枝のために彼女はどんな手段を使ってでも元の日常に戻らねばならないのだ。

「――?」

ふと。小枝子の耳に足音が聞こえてきた。
巨漢を想像させる重厚な足音では無い。即ち大門のものではない。
遅れて出発した乃得留のものでもあるはずが無く、小枝子は思わず身を強張らせる。

「――あら?」

続けて姿を現したのは。小枝子の記憶に全く無い人物であった。
だがそれでも安堵したのは。緊張を緩めたのは。彼女が「古谷小枝子」であったからに他ならない。
彼女が既婚者であったから。一児の母であったから。
目の前に現れた「幼い少女」に微塵も警戒心を抱けなかったのだ。

「どうしたの? 貴方。ご両親と逸れてしまったの?」

服飾の全てを黒で統一した少女に小枝子は優しく語りかけながら、身体を屈ませ目線を合わす。
これが日常であるならば、優秀な対応であったのだろう。だがこの「ゲーム」の最中においてはどれ程に迂闊で愚かなものであることか。
だがこれまで乃得留と大門に全てを依存してきた小枝子にはそんな事すらも理解出来てはいなかった。
尤もそれが為されていたとしても。この袋小路においてはこの後の結末に変化は無かったであろうが。

(――え?)

駆け寄った少女が自分の首に腕を回してきたのは不安に駆られての事だと思えた。
だが次の瞬間、首筋を首輪をなぞるように痛烈な激痛が走り。
そして軽やかに飛び退いた黒の少女の手に握られた大振りの刃物を目の当たりにしてもなお。
何が、起こったのか。小枝子は全く理解が及ばなかった。

「――!!」

有り得ぬ勢いで、首から何かが噴出した。
思わず悲鳴を発しようとするが声に成らない。そればかりか口から発されるはずの全てのものが、痛む箇所から漏れ出ているのが感じられる。

(あ、あ――)

頭と身体を繋ぐ機関が軒並み切断されていた。慌てて首筋を抑えるが、溢れ出る命の源を押し留める事が叶わない。

(そ、ん、な――)

力が入らず膝が折れる。身体を支えられず肩から床へと上体が落ちて行く。

起き上がれない。視界がぼやける。
意識が歪む。何かに引き寄せられる。

「――」

少女は一言も発する事無く。自らの所業に何ら感慨を見せる事無く。
極めて機械的に事を為したとばかりに踵を返し、足早に去っていく。

(待――)

追い縋るべく手を伸ばそうとするがそんな力は小枝子の内には既に残されていない。
薄れ逝く意識の中、ただ遠ざかって行く小さな背中だけが視界に在る。

それは彼女が望み求めたものとはあまりにも違っていた。
ずっと追いかけて。見つめ続けてきた。
大きく、頼もしい。そんな背中とはまるで違うものだった。








走り続けたその時間はほんの十数分であったのだろうが、大門にはその時間がまるで無限のものにも感じられた。
否、実際にそうだったのかもしれない。若しくは自分の知らぬ間に時間の進み方は変わってしまったのかもしれない。

そうでなければ説明が付かない。
そうでなければ、この短時間で。
こうも人の有様が、変わってしまうことなど有り得ない事だからだ。

「――ふ」

呆然と。愕然と。

「ふ、る、たに、さん――」

目指すべき場所に、約束の場所に。辿り着いた大門はただ立ち尽くす。
彼の呼びかけに古谷小枝子は答えない。応える術を持たない。
奇妙な体勢で跪き。苦悶を浮かべたままに表情を凍りつかせた彼女が「ヒト」として動く事は最早無い。
仮にそうでは無いとしても。どうして人間が、その首を切り裂かれて言葉を操る事が出来ようか。
彼女を独りにする事に、得も言わぬ不安を抱いていた。だからこそ、全力で。ここまで駆け続けてきた。
そして不安は的中した。想い人の姿は、あまりにも変わり果てたものになってしまっていた。

「あ、あ、あああ――」

言葉にならない。自らは術を持ちながらも、人としての言葉が上手く操れない。
このような不自然な人の有様は、今までに何度も目にしてきた。
未だ未熟と称する大門の空手の業が、更に「技」ですら無かった頃。力の加減を誤って対手の意識を幾度も失わせてきた。
だがその時は。二度と目覚めぬのではないかと怖れ我を忘れたものの。
自然に。或いは処置を施され。対手は再び「ヒト」に戻って来た。
大門に憤懣の視線を浴びせながらも。そのまま目覚めぬ事態は一度足りとて無かったのだ。

だが、これは違う。あまりにも違い過ぎる。
どう見ても、再び機能を取り戻し復活する事等有り得ない。

紛れも無く。疑うべくも無く。
古谷小枝子は死んでいた。


「うわあああああああああっっっ!!!!」


巨人の悲鳴が響き渡る。折れぬはずの膝が折れ、床に堕ちる。


独り取り残された女性は悲惨な末路を迎え。
そして彼女を独りにするまいと、必死に願った男が続けて独りとなった。






 ゲーム開始より28時間14分経過/残り44時間46分



[21380] EPISODE-38
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/05/09 06:09
「美雪ーーっ!!」

願うように。訴えるように。少女の名前を叫びながら、圭介は疾走する。
手よりも、足よりも。いち早く彼女に届くようにと。
危険な行為と省みる事は出来ない。楯岡に足止めを食わされた事により圭介の焦りは臨界を越えていた。
間に合わなければ意味が無い。救えなければ、今までの努力は無へと帰してしまう。

「美雪、美雪! 聞こえてるなら返事をしてくれっ!」

だから力の限り、声の限り。彼女の名を呼び続ける。
目指す分岐が近付いてきた。この先を左に曲がり込めば先程のシャッターの裏側へと出る事が出来る。
其処にもし、誰も居なかったとするならば。
いや、それよりも更に最悪な出来事が起こっていたとするならば。
不安の種は尽きない。ただその可能性が否定される事を信じて。
圭介は分岐路の中央へと到達した。

「みゆ――」
「あ、圭介くん、菜緒っ!」

森下美雪は其処に居た。以前と変わらぬ様子で、待ち人の訪れにその表情を輝かせて。

「よかった美雪、大丈夫だったのね!?」

やや遅れて辿り着いた菜緒が、親友の無事を見定めると飛びつく様に駆け寄った。

「う、うん。わたしは大丈夫なんだけど。でも、吉田さんが――」
「――え?」

間も無くその表情に陰が差し。美雪が視線を向けた方向に、圭介と菜緒は揃って顔を向ける。

「吉田――さん?」

美雪と同様に吉田二郎の姿もまた。変わらずこの場所に在った。
だが先程までの様に愛嬌を振り撒くわけでも無く。さりとて豹変した態度を見せるでも無く。
ただシャッターに背を預ける様な形で、吉田はぐったりと肩を押さえて座り込んでいた。
そしてそんな彼の足元に、柄の無い二振りの刃物が無造作に投げ出されている。

「あ、ああ。緑川さんに鳴神さん。よかった、ご無事でしたか――」

漸くこちらの再来に気付いたのか。吉田は辛そうに顔を上げると口元を綻ばせ、喜びを表す。
無理をしている様子は明らかだった。つまりは無理をせねばならない事態が、圭介の目の届かぬ場で起こったという事に相違無い。

「これは、一体――」
「吉田さんは、わたしを庇ってくれたんです」

圭介の疑問が言葉として完了せぬままに、美雪が理由を語り始めた。

「わたしたちがシャッターを潜り抜ける寸前に、あの刃物が壁から飛び出してきたんです。
 吉田さんはそれに気付いて、わたしを庇ってくれたんですけど。その代わりに――」

「いえいえ、こんな事、大した事じゃ、ありやせんよ」

額に汗を滲ませながら息も絶え絶えに謙遜する吉田の衣服は、手で押さえた左肩の辺りが赤黒く変色していた。
よくよく周囲を見渡してみれば其処彼処に同色の飛沫が点在している。どうやらその全てが吉田の流血に因るものであるらしい。

「って事は、つまり」
「はい。この罠は二重のものだったみたいなんです。わたしたちの様にシャッターを潜ろうとする人を狙ったものではないでしょうか」
「そうなんですか? 吉田さん」
「いやあ、どうでしょう。私には――よくわかりませんが。とにかく、皆さんが無事で、何よりでした」
「でも、吉田さんが――」
「元はと言えば、私が招いた事態ですから。それよりもお二人にお手間をかけさせてしまったことが何よりも心苦しいです。
 鳴神さん、緑川さん――どうも、申し訳ありませんでした」

「い、いえ――」

困惑のままに圭介は返事を返す。
つまり事実関係を纏めれば。吉田と美雪がシャッターを潜り抜ける寸前、第二の罠が作動した。
それに気付いた吉田が発射された刃物をかわすべく、美雪を庇って床に押し倒した。
おかげで美雪は傷付く事は無かったが、代わりに吉田がその刃物を身に受けてしまった。
そして二人の移動は間に合わず、圭介たちと鉄の壁で分断される羽目になってしまった――それが事の真相だと言うらしい。

圭介が目撃した現場はまるで真逆の事実を包含していた。
吉田が美雪を押し倒したのは美雪を陥れる為では無く、寧ろ助ける為であったのだ。

「――圭介」

隣に立つ菜緒が小声で名を呼んだ。そして肘で脇腹を突いてくる。

「な、なんだよ」

嘗て木戸に強打された部位であったため予想外の痛みが走り、思わず不満の視線を菜緒に向ける。
だが若干の軽蔑の含まれたその表情に気圧されそれを口にすることが出来なかった。

「なんだよ、じゃないでしょ」
「――わかってんよ、言いたいことは」

美雪の言葉が真実だとするならば菜緒にとって吉田は親友の窮地を救った恩人という事になる。
その人物を道中悪人と断定し、口汚く罵った圭介に不満を抱くのも当然であると言えた。
皆まで言うな、とばかりに圭介は菜緒を手で制し、静かに吉田へと歩み寄る。
未だ立ち上がれない彼の目の前で足を止め。そして深々と頭を垂れた。

「謝るのはこっちの方です、吉田さん。俺、実は今まで貴方の事を疑ってました」
「――はあ」

不思議そうに見上げてくる吉田の顔を正面から見据え、圭介は続けて告白する。

「素知らぬ顔で仲間になったと見せかけて、俺たちを騙し討ちするんじゃないかって。このシャッターも、吉田さんの仕業なんじゃないかって」
「ごめんなさい、あたしも少しそう思ってたんです。なにぶん、男性にはあまり良い印象を持てないタチでしたので」

菜緒も圭介の横へと並び立ち。揃えるように身体を折り曲げた。

「そう、だったんですか――ではこれで私の疑いは晴れたと考えても?」
「ええ、それはもう。許して欲しい、なんてのは虫の良い言い方かもしれませんが」
「そうですか。それは良かった――どうか顔を上げて下さいお二人とも。私は全然気にしてませんから」

責められるのは覚悟の上であったのだが。吉田はまるでそんな素振りを見せることなく、一息吐くと柔和に顔を崩して見せた。

「こう見えて、誤解されるのには慣れているんですよ。平気の平左、という奴です。おっと、若い方には解り辛い言い回しでしたか」

傷の痛みが治まって来たのか。それとも誤解が解けた事が心に安寧を与えたのか。大口を開けて笑う吉田は幾分か元気を取り戻した様子だった。

「そんな事よりも皆さんが傷一つ無くまた此処に集まってくれた。その喜びに比べれば私の怪我や誤解なんて、どれ程のものでしょうか」
「――大げさ、ですよ」
「いえいえ、ちっとも大げさではありませんよ鳴神さん。私はね、常々誰かの役に立ちたいと思っています。
 私が何かをすることで、他の人が助かったり、喜んでくれたり。それが私の何よりの生き甲斐なんです」

「とても、素敵な考えだと思います。ねえ? 菜緒、圭介くん」
「うんうん! あたしたちも是非見習いたいと思いますよ?」

元より同種の志を抱いている美雪は眼を輝かせ、疑いを信頼に転化させた菜緒は感心した様に細かく首を縦に振る。

「はは、そう真っ直ぐに仰られると、流石に気恥かしいものですなあ」

照れ隠しの仕草なのだろう。吉田も頭を掻きながら少しばかり顔を伏せた。少女二人の賞賛は流石に身に余る光栄であったのだろう。

「――美雪にも、謝らなきゃな。裏でこんな考え方してたなんて、気持ちのいいものじゃないだろ。ゴメンな」
「まったくですよ、もう。反省して下さいね? 気持ちはわからなくもないんですけど」
「はは、善処します」

叱りつけるように頬を膨らませる美雪を軽口でいなしながら。圭介は今後の行動を検討し始めた。

(――誰かの役に立ちたい、か)

他の誰にも見られぬように。その表情に陰を落としながら。





幸いにして吉田の肩口の傷はそれ程の深手ではなかった。
幾許かの時間の経過と共に、彼もまた行動が可能な状態にまで復帰する事が出来た。
どうにかトラブルを乗り越えた一行は再び同じ階の戦闘禁止エリアを目指し、進行する。
二度目の罠の発動と楯岡たちとの再会により一層の緊張感が全員に訪れたものの、その後は他の参加者による襲撃の気配も見られず。
3時間という時間をかけて。何とか圭介たちは目指した場所への到達を成功させた。



「誰も――いないみたいですね。喜ぶべき事では無いのかもしれませんが」

二階フロアで休息を取った場所とほぼ同じ調度の室内をくるりと見渡し、ため息混じりに呟く。
前回と同様、エリア内の散策を終えた後の一言であった。今回は人手が増えた事もあり、恙無く作業は完了を迎える事となった。

「喜んでいいんじゃない? もうあたしたち以外の参加者って殆ど敵みたいなものだし」

楯岡との無礼な遭遇を思い出したのだろう。菜緒は歓迎すべき事態だと口を尖らせて見せる。

「良くないよ! 吉田さんの解除条件に関わってくる、大切な事なんだから!」

そんな菜緒の態度を美雪が珍しく厳しい口調で窘めた。
「ゲーム」は既に中盤。吉田のカードを「7」だと信じ込んでいる聡明な少女はその条件が現在如何に困難であるか気付きかけている。
「全参加者との遭遇」、それは無論長沢や木戸といった既に危険人物と指定されている者たちも含まれているのだ。
彼らは出逢えば十中八九、こちらに牙を剥いてくる。そんな輩との再会までも望まなければならない。
そのためには気乗りはせずともこの戦闘禁止エリア内での邂逅が最も安全であるのだと。故の室内が無人である事実に対する失望なのだ。

「ご、ゴメン。つい本音が出ちゃった。そっか、となるとあたしの解除条件も――」

己を取り巻く現状を再認したのか。菜緒も険しい顔つきになり、自らのPDAを取り出し眺める。
菜緒に与えられたカードは「8」。条件は「自分以外のPDAを正確に5台破壊」。
彼女に至っては更に事態は深刻で、何の犠牲もしがらみも無く解除を行うには既に条件が達成され不要になったPDAを収集しなければならない。
だが今の処その目処が立っているのは時間が経過しさえすれば達成となる美雪のPDA、たった一つだけ。
この場に居る全員のPDAを預ける事が出来たとしてもあと2つ足りない。つまり彼女は最低あと2人の協力者を見つけなければならないのだ。

「ま、成るようにしか成らないだろうな。とりあえずメシでも食って落ち着こうぜ」

厨房で二人の会話に耳を傾けていた圭介は、機を見計らって両手にトレイを抱えてテーブルへと歩み寄る。
盆の上には湯気の立ち昇る4つの椀が既に用意されていた。

「おお、コイツは美味そうですなあ! 実は私、ラーメンには目が無いもので」

物珍しげに室内を徘徊していた吉田はその献立に思わず喝采を上げる。
備蓄の袋麺を調理するだけの安上がりなものであったはずが、それが圭介の腕にかかり野菜の彩りが加わったそれは見事な一品ものへと変貌していた。

「ほら二人とも、のびないうちにさっさと喰った喰った」
「はあ――アンタは随分と気楽そうね」
「何言ってんだよ、解除条件つったら俺も相当にシビアだぜ? 何せJOKERはロクでもない奴らしか持ってなさそうなんだから」

配膳を行いながらも心外だ、とばかりに圭介は不平を述べる。
嘘の構築にも一苦労であった。自分こそが真のJOKER所持者であるという事実から美雪たちの目を出来る限り逸らすには相応の理屈が必要となってくる。
この場に居る4人は当然のように除外。そして先達の理由で乃得留・大門・小枝子・木戸もその候補からは外される。
そしてJOKER捜索中の旨を圭介と菜緒に伝えた楯岡と同行者の少女も弾き出されるとするならば。
残るは長沢・唯子・そして既に死亡している女性の3人の内の何れかであると圭介は既に臆面も無く美雪たちに伝えてある。
既に侵入禁止となった1階で弔われた女性の遺体を思い返し悲壮感を漂わせる美雪を宥めたのは記憶に新しい事だった。

「――そうですね。確かにその通りではあるんです、けど」

件の女性が所持者であったならば圭介の生還の可能性は既に失われているという理屈が導き出す事実を重く受け止めているのだろう。
沈痛な面持ちで美雪は食事の用意されたテーブルに着く。続けて吉田と菜緒も着席し、無言の食事が開始される。
麺物であるだけに時間は然程係る事無く、僅か十数分で食事は終了した。

「はい、おそまつさま。それじゃ美雪と菜緒は休息に入ってくれ。仮眠を取っても良いけど以前ほど時間はかけられないと言う事は頭に入れておいて欲しい」
「――え? そ、そんなこと急に言われても」
「そうですよ。『わたしたちは』って、圭介くんはどうするんですか?」

打ち合わせも無しに突如宣言する圭介に、二人の少女は揃って訝しげな表情を浮かべる。
今までは全員で話し合い、最適と思われる方針を決定してきただけに独断とも取れる意見に困惑している様子だった。

「俺は、外で見張りに立つ。黒江唯子の件があるからね、エリア入口は出入りの時点で監視しておくべきだと思うんだ」
「そんな――危険じゃないですか?」
「コイツがあればそうそう安易に歯向かってくることも無いだろうさ。ま、怖いのは怖いからそれを踏まえて『時間はかけられない』ってことで」

腰元に収納した拳銃をちらつかせながら圭介は二人に口を挟む余地を与えない。

「それと念のため、吉田さんにも付き合って貰おうと思う。吉田さん、構いませんか?」
「ええ、勿論ですとも。こういった事はやはり男が担当すべきですしね」

二つ返事で了承する吉田。相変わらず非の感情を、この男が見せる事は無い。

「ありがとうございます。怪我も痛むでしょうに引き受けてもらえて安心しました」
「あ、そうよ。怪我の事があるんだから寧ろ吉田さんには先に休んでもらわなきゃ。見張りはあたしと圭介でやるべきじゃない?」
「――男同士の方が気楽な部分があるんだよ。もし男女二人きりで、妙な雰囲気になっちまったらどーすんだ」
「なっ! ななな何を言い出すのよいきなりっ!!」

金切り声を上げてムキになる菜緒の反応はある意味圭介の予想通りであった。
尤も「気易い関係になったとはいえ男嫌いの彼女に露骨にこう言えば流石に拒否反応を示すだろう」などという勘違いも甚だしい予想ではあったが。

「――わたしは別にそうなっても構わないんですけど」
「ん? 何か言った? 美雪」
「い、いえっ! 何でもありませんっ!!」
「?? まあ、いいか。言いたくないなら別に追及する気も無いし」

顔を真っ赤にして大仰に手を振り否定する美雪から視線を外す。続けて聞こえてきたため息の真意にもまた圭介が気付く事は無い。

「それじゃあ行きますか、吉田さん」
「はい。ふふふ、何やら刑事もののドラマを連想させますなあ」

緊張感の無い呟きを背に受けながら、圭介は吉田と連れ立って部屋の外へと出た。





入念に周囲を確認し、よもやの襲撃に備える。
人の潜めそうな可能性には全て目を通し、足早に二人はエリア外へと飛び出した。
淀み無く行動出来たのは安全な室内に然程留まらず、緊張感を持続したままであった賜物であるだろう。

「――吉田さん、こっちへ。あの場所からならこの一帯が見渡せます」

今回の戦闘禁止エリアは四つ角分岐のすぐ近くに存在していた。その角を曲がり込み圭介は吉田を誘う。
言葉の通りにその場所は入口付近を一望でき、また逆方向からは死角となってこちらの存在は認識出来ない。
見張りには最適な場所であるとは過言では無いものだった。

「良いですよ吉田さん。もう我慢しなくても」
「――はい?」

壁に背を預け揃い息を吐き。唐突に圭介の口から洩れた言葉に吉田の表情が驚きに歪む。

「女の子の前じゃ、切り出しにくかったんじゃないですか? 俺は別に気にならないタチなんでどうぞ一服して下さい」
「おやおや、バレてましたか」
「ウチの親父も結構な愛煙家なもので。似たような体臭だったんですぐピンと来ました」
「はは、なるほどなるほど。それじゃ、失礼して」

いそいそと吉田はスーツのポケットから紙製の小箱を取り出すと、中の煙草を一本摘み上げ口に咥えて火を点けた。

「ふいー、生き返る思いです――いやね、最近は喫煙場所も少なくなってきて、肩身の狭い思いをしてるわけですよ」
「そうなんですか。そういや親父もそんな事をボヤいていたような」
「鳴神さん自身はやらないんですかい? っと、未成年に聞く事ではありませんでしたね」
「ちょっと俺の体質には合わなかったもので」
「――まさか普通に返されるとは思いませんでした」
「ま、俺もお上品な生き方をしてきたわけではないって事で一つ」
「はは」

その言葉を境に沈黙が降りる。狭い周囲に吉田の吐き出す紫煙が漂う以外には変化の無い時間が過ぎて行く。

「あの――鳴神さん。もしかして、私に話があるんじゃないですか?」

2本目の煙草が灰になった頃。吉田が吸い殻を携帯灰皿で押し潰し訊ねてきた。

「ええ、まあ」

冷静に答えながらも動悸の跳ね上がりを圭介は感じる。
半ば強引に吉田を外に連れ出したまでは目論見通りであったが切り出し時に迷っていた。沈黙の時間は覚悟との相談のようなものだった。

「わかりました、伺いましょう。少し怖い気もするのですが」
「――」

だがここまで見透かされているのだとすればもう後に退く事は出来ない。
意を決して圭介は息を吐くと。吉田を正面からきつく睨みつけた。

「――いい加減、正体を現したらどうですか」

厳しい言葉を叩きつけられ、吉田の顔が一瞬だけ凍りつく。
だがすぐに口元を綻ばせ。寂しげに肩を竦めて見せた。

「ああ――やはりそうでしたか。私はまだ、貴方に疑われていたのですね」
「そうやって惚けるのも、もう止めにしてもらいたいものです」

そう。圭介は吉田に気を許すばかりか逆に警戒の意思を強めていた。
「美雪を助けた」事実は不明な部分が多過ぎた。だが信頼を得た二人の少女の手前、それを追及する事は憚られた。
そのため建前ばかりの非礼を詫び、その期を窺っていた。美雪と菜緒の介入できない、男同士で二人きりになれるその瞬間を。

「弱りましたね、正体と仰られても包み隠す事など一つも――ああ、もう一本いいですか?」
「どうぞ」

口先程には困った様子も見せず、依然飄々とした態度で吉田は煙草に火を点ける。
喫煙が落ち着くまで、しばし待つ。その間圭介は吉田から寸毫も目を離さない、離せない。

「――逆に聞かせてもらいたいのですが。どうしてそこまで信じてもらえないのかを、ですね」
「根拠は幾つかありますが。一言で言えば不自然、だからです」
「ほほう」

目を細める吉田が吸い殻をすり潰す。

「例えば先程の件。二つ目の罠に気付いて美雪を庇ったという事ですが、どうしてそれに気付く事が出来たんですか?
 あんな不測の事態の最中で、至近距離から飛んできた刃物をどうして避ける事が出来たのですか?」

「それは――嫌な予感がして身体が勝手に反応した、と言いますか」
「その嫌な予感は、一つ目の罠の時点では働かなかったのですか?」
「――そう、なりますね」

淡々と却ってくる返答は要領を得ていない。あまりにも漠然としたものだった。
無論それら全てが真実であっても不思議では無い。必死の状況下で身体が思わぬ働きを見せた、という事も有るだろう。
だがそれならばより納得の行く理由もまた、用意する事が可能である。即ち「吉田は第二の罠の存在をも知っていた」と。
刃物の発射タイミングとその位置。それら全てを網羅していれば「庇って見せる」事もまた容易であるはず。
思惑までは推測出来ないが、圭介はそれが真実であると見当を付けていた。
もしもこの場に美雪が居たならば「言いがかりも甚だしい」と非難を浴びせてくるだろうか、などと思い浮かべながら。

「それに貴方が今この3階に居る事も不思議な感があります。PDAを行使せず、『ゲーム』に触れていなかった貴方にはただ『誘拐された』という事実が残るだけ。
 そうなれば必死に脱出できる出口を探すのが普通だ。上の階への階段なんか、見向きもしないはずなんです」

「――」

「更に付け加えればあの1階の階段は木戸亮太という悪意有る参加者によって封鎖されていました。
 そうなると吉田さんが2階へ上がったのは奴が封鎖を行う前、ということになる。そんなにも早くに上へ上がる決断をしたのは何故ですか?」

「――ただ、『必死だった』。それでは納得してもらえませんか?」
「当然です」

もう少しマシな言い訳をすればいいだろうに。その程度の物言いで、本気で自分の追及をやり過ごせると思っているのか。
だとすれば随分と見くびられたものだ、と圭介は静かに怒りを抑える。

「それに何より」

特段に心の中に引っ掛かっているものがある。圭介はそれをここぞとばかりに口にした。

「『誰かの役に立ちたい』なんて言葉を吐く大人を――俺は絶対に信用しない」

吉田の眉が微かに跳ね上がったのを、圭介は見逃さなかった。
最初から共に居たわけではない。共にこの非常識の中で、困難を乗り越えてきたわけではない。
吉田二郎と自分たちの間には、何の絆も存在してはいない。そんな見知らぬ若造たちの為に身体を張り、貢献したいのだと吉田は主張する。
その一言が美雪と菜緒の心には響いたのであろうが、圭介にはそれがうすら寒い綺麗事にしか聞こえなかった。
青臭い理屈を振りかざすには吉田は年を取り過ぎている。50年の人生を、そんな生き方で貫けるわけもない。
計算高く、思慮深く。不可能を知り、可能を組み立てる。それが「大人」の生きざまであるはずなのだ。
自分より永く生きている年月は、そういった現実との遭遇の繰り返しであるはずなのだ。
苦難の人生の中で、圭介は子供であることを早期に捨てた。甘えた考えなど通用しないといち早く大人の社会に触れてきたつもりだった。
大人は誰もがずる賢く、要領良く生きていた。それが出来ない者は、ただ折れて朽ちていくだけだった。

だから、「そうではない」吉田を認められない。「そうではない」吉田を信じる事が出来ない。
何としても自分の納得の中に。吉田を入れ込まなければ気が収まらないのだ。

「ふーむ、参ったな。一体どう答えれば信用してもらえるのやら」

ため息が一つ、中年の口から漏れる。

「白状、してしまえばいいんですよ。別に俺は吉田さんを否定したいわけじゃない。寧ろその方が、俺にとっては都合が良い」
「――何と」
「腹を割って話した方が、お互いのためだって事ですよ。生憎と言いますか、俺はあの二人のように純真な心の持ち主じゃありませんから。
 さすがに『命を差し出せ』って願いは聞き届けられませんが、出来る範囲であるなら協力しましょう。美雪と菜緒には、内緒のままで」

思惑があるのならそれでいい。利用したければするがいい。だがそれが自分の暗黙の内に行われては困る。
善いも悪いも敢えて合わせて飲み込もう。それが自分の心の安息に繋がるのならば。それこそが圭介の思惑であった。

「やれやれ、まったく空恐ろしい若者ですね、貴方は」

複雑な表情を宿しながら、吉田が圭介に正対する。
漸く語る気になったかと得心したが、そうではなかった。

「その若さでそんな考えを抱けるということは、今まで相当なご苦労をなさってきたんでしょうなあ。まるで我が事のように痛み入ります」
「俺が聞きたいのはそんなことじゃ――」
「でもね、いけませんよ鳴神さん」

ずい、と吉田が距離を詰めてくる。思わずたじろぎ圭介は一歩退く。

「何も純真であれ、とは言いません。でもそんな穿った見方ばかりで人を判断しないで欲しい。
 世の中は決して清らかではないですが、さりとて濁り切ってもいないのです」

「な、何を――」
「どうか、どうか信じて欲しい。私の事が嫌いなら嫌いなままで構いません。でも私の想いには一片の偽りもありません。
 あたら若い芽がこんな所で絶えてしまうなんて、私には耐えられないくらい悲しい事なのです。だから」

「――」
「『貴方たちの役に立ちたい』。貴方が否定するこの言葉しか、私は口にする事が出来ない。それは鳴神さん、勿論貴方も含めて、です」

何処までも真っ直ぐに。飾り気無く吉田は訴えかけてくる。その勢いに圭介は圧倒される。

――ダメだ、騙されるな。こんな女々しい、根拠足らずの説得に。

鳴り響く警鐘が、遠くに押しやられていくようだった。この男を信じたい、そう思えるようになりつつあった。
そうすれば正しく、楽になれるから。あまりにも重過ぎる、背負い込んだものを少しは降ろせるようになるから。
だがそれは逃避であると、圭介は辛うじて踏み止まる。
然るべき形で納得しなければ、この男を受け入れる事等出来ない。半端な覚悟では自分を含めた3人の命など守れない。
どうしてそこまで頑なであるのか。不意に心の中で、誰かが囁いた気がした。

(――答えは簡単だ。俺は)

ずっと側に居てくれるはずだった母親に、早々に先立たれた。
他に縋りようの無い父親に、危うく命を奪われかけた。
実の両親に幼心に傷を残す仕打ちを受け。それでも圭介はここまで生きてきた。
だからこそ。

(俺は――大人なんてものを丸きり信用していないんだ)

単純な事だった。思えばこの「ゲーム」こそが大人の悪意の象徴ではないか。
弱者の意思を踏み躙り。都合の良い玩具に仕立て上げ。それを傍で嘲笑う、世の中の理そのものだ。
何時かは自分もそうなるのだろう。美雪も菜緒も例外無くそうなるのだろう。

――だが今は。そうなってたまるものか。これ以上好き勝手に、踊らされてたまるものか。

そんな決意が、圭介を徐々に満たしていく。
ならばどうするべきなのか。吉田にこのまま引き下がる様子は無い。幾ら追及を重ねようとも柳に風な状態だ。
追い詰めるつもりが逆に追い込まれている。このまま押し切られる事だけは何としても避けなければならない。

(どうする? ――ああ、そうか。そういう、ことか)

がちり、と歯車が噛み合った音がした気がした。冷たく重い機械が稼働し始めた気がした。
今、はっきりと理解した。吉田は邪魔な存在であるのだと。
正しき想いの元に訴えているのならば彼は惑わす存在だ。悪しき想いの元ならばこちらを騙そうとしていると言う事だ。
冷徹に。理知的に判断するならば吉田二郎の存在など自分たちには必要無い。役に立つ特技など何も持ち合わせてはいない。
首輪の解除条件を鑑みたとしても、必要なのは彼の参加者としての証だけで。彼自身の存在など別段必要など無かったのだ。
だがここで安易に追放したとすれば、後々その影に怯えることになる。禍根を残したままの別離は得策とは言えない。

「――え?」

沈黙を保ったままの圭介を見守っていた吉田が、愕然と声を上げた。
圭介は静かに。腰元から右手で拳銃を抜き放ち、吉田の額に突き付けていた。
ならば、答えは容易に導き出せる。彼の存在を丸ごと此処で。抹消してしまえばいいだけの話なのだ。
美雪と菜緒を救うためには、どんな手段をも使うと誓いを立てた。それを果たすべきは、今なのだ。

「そう、だよ――所詮何もかも上手くいくなんて、最初から無理な事だったんだ」
「ちょ、ちょちょちょっと鳴神さん!? 落ち着いて、落ち着いて下さいよっ!?」

慌てふためく吉田ではあるが、足を留めたままでこちらに説得を促そうとしているのは心の底では「本気で撃つわけは無い」と高をくくっているのだろう。

――ならば精々、その隙に付け込ませてもらう。決して声の届かぬ世界で、その見通しの甘さを悔いるがいい。

「お、お気に障りましたか!? すみません謝ります! しかし、しかしですね――」
「――もういい、黙れ」


ぱん。


「!!」

乾いた炸裂音が通路に響き渡り。吉田の身体が不自然に揺れた。







「――あれ、圭介くん、どうしたんですか?」

再び戦闘禁止エリア内に戻って来た圭介を、ソファーに座ったまま美雪が目線で出迎えた。
その肩に頭を乗せ船を漕いでいた菜緒がその声に反応し、慌てて飛び起きる。熟睡すると対応が遅れる為、こんな形で休息を取っていたのだろう。

「ま、まさか敵が来たの!?」

見張りに立っていた圭介が戻って来た、という事実が連想させる事態を危惧した発言だった。
その反応の速さは彼女なりに現状を重く受け止めている事実を表していると言えた。

「――いや、そうじゃない。ひとまず安心してくれ」
「な、何よ。びっくりさせないでよね――あれ、吉田さんは?」
「話したいのは、その事なんだ」
「??」

「独り」戻って来た圭介の重苦しい表情に、少女たちは不思議そうに顔を見合わせる。
その温度差の違いが発言を躊躇わせる。だが意を決し、圭介はその口を静かに開いた。

「まず先に謝っておく。ゴメン。吉田さんは――俺達とは別行動を取る事になった。だからもう、此処には居ない」
「――え? それ、どういうことなんですか!?」

美雪の仰天の表情は、正に寝耳に水であったのだろう。先程の出来事で心を通わせたと思えた吉田の突然の反目が理解出来ない様子であった。
当然だ。何もかも嘘であるのだから、と今までより一層の自虐を圭介は内で反芻する。
己の忌み嫌う、卑怯な「大人」の姿に自身が成り下がっている事を半ば自覚しながらも。

「そうだな、どう説明すればいいのか――そうだ、まず吉田さんの解除条件は『7』だってのは周知の事実だと思うんだけど」
「はい」
「そのためには長沢や木戸なんかの参加者にも遭遇しなきゃならないことは美雪も気にしてた通りだ。俺は見張りがてら、吉田さんにそれを説明した」
「ふんふん。まあ今まで誰にも会って無い吉田さんにその辺りの説明は必要かもね」
「だろ、俺もそう思ってた。だから如何にあいつらが油断ならない奴らなのか、丁寧に説明したつもりだった。でもそれが、つい感情が乗り過ぎたみたいだった」
「あ、もしかして――」

思い通りの反応を引き出せた事に、圭介は少しばかり得心する。そうだ、その調子で騙されてくれ、と。

「そうなんだ。吉田さんはそれがいたく気に入らなかったらしい。そんな非道な若者が居るはずが無いってね」
「吉田さんの善人っぷりは異常だったもんね。美雪が大人になったら、あんな感じになるのかな」
「わたしはあんな立派な人にはなれないわよ――それよりも」
「うん、続けるよ。それから先は、平行線の言い合いだった。会った事も無い長沢を許そうとするもんだからついこっちも頭に来ちまって。
 それで――怒鳴っちまった。『貴方に何がわかるんですか』って」

「――それはちょっと、言い過ぎだったんじゃ」
「うーん、でもその気持ちもわからなくもないなあ」
「そう言ってもらえると、助かるけどな」

二人の純粋な反応が、圭介の内に突き刺さる。悲鳴を上げかける良心を押し込み、能面のような表情で話を続ける。

「それで、『じゃあ自分の目で確かめようじゃないですか』って喧嘩別れさ。慌てて追いかけようとしたんだけど、この場を離れる事になることが頭を過ぎって。
 迷ってるうちに、あの人の姿を見失っちまった。重ねてゴメン。完全に俺の、責任だ――」

「そんな――じゃあ、すぐに追いかけないと! って圭介くん、大丈夫なんですか!?」
「あ、あれ――やっぱ俺も結構、ショック受けてんのかな。でも大丈夫、大丈夫だから――」

思わず力が抜け、膝を折った圭介に二人が慌てて駆け寄ってくる。
こればかりは演技ではなかった。心身共に消耗した自分の身体を、圭介は遂には支えきれなくなっていた。

「少し、休んだ方が良くない? あたしたちはともかく、圭介は食事作ったり見張りしたりでロクに休憩してないんだから」

肩を貸し、圭介をソファーへと誘いながら。菜緒が美雪に窺いを立てる。

「いや、心配するな。それよりも自分から長沢たちを探そうって吉田さんの方が気がかりだから」
「でもこれじゃ、圭介の方が先に参っちゃうわよ!」
「でも吉田さんは、他人の為なら平気で自分の身を楯に出来る人なんだぜ!? 美雪は一番それをよく解ってるだろ!?」
「それは――そうです、けど――」

迷いの表情を浮かべる美雪。おそらくは圭介の身体と吉田の安否、どちらを優先させるかを気にかけている。
そして二つの条件を同時に満たす方法など、何処にも無いと理解しているのだろう。

「――圭介くん、少しだけでも休んでいって下さい」

やがて善良な少女は苦渋の決断を下す。不本意であることは見る目に明らかであった。

「でも」
「情けない話ですけど、やっぱりわたしたちは圭介くんに頼る部分が大きいんです。だからまずは、圭介くんの体調を元に戻す事を優先すべきです」
「――反論できないのが、何とも辛いな」
「吉田さんは立派な大人の男性ですから。ちゃんと危険にも対処してくれると思います。信じましょう、またもう一度、出逢えることを」
「――そっか。それなら悪いけど、お言葉に甘えさせてもらうよ」

「立派な大人の男性」。その一言に言いようの無い険を感じながらも。
圭介は大きく息を吐き、深々とソファーに身体を沈めた。

「水でも飲む? 持ってきてあげるわよ」
「ああ――頼む。何だよ、妙に優しいな、菜緒」
「特別サービスよ。それにあたしは何時も優しいんだってば」

舌を出しておどけて見せる菜緒の様子には彼女なりの気遣いが窺えた。
何やら無言でPDAを操作し始めた美雪の気配を感じながら、圭介は疲れに任せて目を閉じる。
おそらくきっと。彼女は出来る限り早く吉田との再会を果たす為に地図の構造を頭に叩き込もうとしているのだろう。

(――もう二度と、遭う事は無いんだけど、な)

これで後戻りは出来なくなった、と。圭介は痺れの残る左手で胸元に手を当てる。
懐に3つのPDAの感触を感じながら、暫しの眠りに堕ちていった。






 ゲーム開始より31時間47分経過/残り41時間13分



[21380] EPISODE-39
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/05/09 03:04
現在黒江唯子と名乗る少女は順風であるならば神童と呼ばれる少女に成り得た存在だった。
この世に生を受け3か月目には自らの足で立ち歩く事が出来た。一年も経たぬ間に万人に等しく自らの意思を言葉として伝える事が出来た。
更に彼女の両親は、裕福かつ共に清い心の持ち主で。そんな少女を優しく時には厳しく育て上げてきた。
他人の羨望の眼差しが常絶えぬ程に。恵まれた、幸せな生い立ちであった。



だが。そんな環境と才能がこの先の彼女の不幸に繋がると、一体誰が想像しただろうか。

少女が4歳の時の事。家族旅行にと海外に出掛けた彼女と両親が乗り合わせた航空機が墜落した。
当時既に小学校中学年と見比べても遜色無く成長していた少女を両親が「同行させても大丈夫だろう」と判断した故の悲劇だった。
乗客の8割が墜落時点で即死。その中には少女の両親も含まれていた。
唯子自身は奇跡的に軽傷で、一命を取り留めたのだがその時共に逝く方が余程に幸せだったのかもしれない。
墜落現場は治安の著しく悪い国だった。救助隊が訪れるより先に、現場を荒らす不定の輩が多数出現した。
被害者に対する慈悲も敬意も無く。彼らは物資を金品を。掘り出し奪い掠め取って行く。

その中の一人が、意識朦朧の少女に目をつけた。
抱き上げられたその腕の力強さと温かさに、少女は父親と同種のものを感じ、おぼろげに「救われた」と思い込んだ。
その瞬間が。少女の黒に塗れた人生の始まりだった。



男は現地民では無く某国の工作員であった。情報と銃器を横流しすることを生業とする闇の住人だった。
彼は当初、少女を特異な性癖を持つ好事家への貢物と企てていたらしい。
だが幼いながらに類稀な才覚を露見させる少女を視るにつけ、文字通り思わぬ掘り出し物だと方針を変更した。
年若い子供の見てくれは、戦地に関わらず平穏な社会でも油断を誘発する要因と成り得る。それが少女であるなら尚更だ。
ならば自分と同じ工作員に仕立て上げるのもまた一興であると。

少女にとって地獄の日々が始まった。読み書きよりも先に、刃物の扱いを教えられた。しかもそれは、人に対するためのものとして。
整理整頓は清潔のためではなく、重要物や危険物を隠匿するためのもの。
対人関係とは友好のためではなく、相手を欺き悦ばせるためのもの。そんなねじ曲がった教育を、完全監視の元少女は叩き込まれた。

抵抗は許されなかった。一度不満を露わにすれば、男は容赦無く少女を殴打した。
生きる為には従う他は無かった。「命を救ってやった」という恩着せがましい男の物言いと嘗ての両親に説かれた命の尊さが絶妙に絡み合い。
少女には辛苦から逃れるため、自ら命を捨てる事を己に許す事は出来なかった。

せめて、どうすれば楽になれるのか。どうすれば楽に生きられるのか。
悲しき事に才に秀でた少女は程無くその答えを弾き出す事が出来た。

それは、感情を無くす事。目の前の事象を等しく平凡と見定め、機械的に虚無的に生きる事。
そうして心を空にすることが、唯一許された逃げ道だったのかもしれない。
やがて起伏の乏しくなった少女の態度に男は多少の不満を抱くものの。与えられた任務や訓練を予想を遥かに超えた成果を上げる少女に口を出す事は無くなった。

そして2年の月日が過ぎ。少女は初めて男の命令で人を殺める事になるのだが。
その時にも彼女は、何の感慨も抱く事は有り得なかった。人を殺すと言うのであれば。少女はとうの昔に自分を殺していたのであるから。





そんなある日の事。養父である男の隠れ家に、一人の男性が訪れた。
その出で立ちに出迎えた少女の視線が思わず留まる。筋骨隆々な長躯に鋭い眼元が只ならぬ雰囲気を醸し出していた。

『おお、来たかミスター。こっちだこっち』

男性の姿を認めると養父は優雅にも昼間から嗜んでいた酒瓶を掲げ、リビングへと招き入れる。
そして少女に短く男性の名前と用件だけを紹介すると、最早用済みとばかりに隣室へと追いやった。
机とベッド以外何一つ娯楽の存在しないただ広い隣室の壁際で少女は独り膝を抱えて蹲る。
養父の元を訪れる来客はその殆どが武器弾薬の買付けであり、その交渉事に養父は少女を一切立ち合せる事は無かった。
この生業にまで才覚を発揮されてはいずれ自分の地位を脅かされると危惧したのであろうか。
その真意は知る由も無いが少女にとってはどうでも良い事だった。ただ毎日提供される食事以外に彼女が養父に興味を抱く事は何も無かったのだ。
既に日課の訓練も雑務も終了している。出来る限りの体力の消耗を避けるため、少女は蹲ったまま微動だにしない。
それでも決して眠りに堕ちる事無く。火急の事態に即座に対応すべく鋭敏に神経を研ぎ澄ませる。これまでの過酷な日々で身に付けた、悲しいまでのサガだった。

リビングから二人の声が聞こえてきた。今までは内を素通りするばかりの隣室の会話であったがその時ばかりは妙に少女の耳に残った。
少女は微かに戸惑いを覚えた。そして何故か男性のその姿が、少女の目に焼き付いて離れなかった。
何故であろうか。答えは即座に導き出された。
その漆黒の頭髪と瞳、そして紹介された名前。それは少女の母国の人間である事を表していたからだ。
自分の産まれた国はこんな硝煙と血の臭いに塗れた世界とは無縁だった。なのに何故、あの男性は。養父と関わりを持つ様な人生に足を踏み入れてしまったのか。
気付けば男性の事を考えていた。男性の目に見えない部分を想像していた。
久方ぶりに心が揺さぶられた。そんな人として当然な感覚に、少女は暫し身を委ねていた。

『――ところで、あの娘は何者だ』

ふと、話題が自分のものへと転換していた。少女の肩が思わずびくりと震えた。

『ほう、気になるかい』
『娘が居た、という話は聞いた事が無かったからな。無論そうではない事は一目瞭然だが』
『へへ、まあな。俺の秘蔵っ子さ。拾ってもう2年になるが、既に幾つかのミッションをクリアしている。大したタマだぜ、アイツは』
『――子供に工作員まがいの事をさせている、というのか』
『まがい、じゃなくでそのものさ。何、この世界じゃそう珍しい事でもあるまい?』

養父がぐびり、と酒を煽る音が耳を突く。男性が今どんな表情をしているのか、想像よりも気にかかった。

『――そうだな。そういうこともある、か』
『そうだミスター。ものはついで、という訳ではないが、アイツに名前をつけてくれねえか?』
『――名前が無いのか、あの娘には』
『何とかあった気もするが生憎覚えちゃいねえし自分から名乗ることもしねえ。
 幾つか適当に任務ごとに使い分けちゃいるが生憎と東洋人の名前だけはとんと浮かばなくてな。
 ここは一つ、同郷のミスターにズバッとセンスある奴を頼みたくてねえ』

『日本人としての――名前、か』

少女は胸の高鳴りを抑えられなかった。粟立つ肌を必死に手で覆った。
元の名前など、とうの昔に忘れてしまった。その名前に縋る事で、嘗ての幸せな生活を思い出してしまうと今の事実に耐えられなくなりそうだったから。
今の自分は何者でもない。名前を与えられず不透明なままで居る事が、感情を無くすための第一歩であったのだ。
それが壊れてしまう。自分はこのまま普通の少女に戻ってしまうかもしれない。それは銃口を突き付けられるよりも恐ろしい事態と言えた。

しばしの沈黙が降りる。酒を煽り続ける養父の喉の音だけが聞こえてくる。
そして息が、小さく一つ。それが男性のものであることは少女には明らかに思えた。

『――「黒江唯子」、というのはどうだ?』
『――ほう、妙に響きの良いものだな。何か意味があるのかい?』
『俺の国では「オンリー・ワン」を指す』
『はは、なるほど。確かにアイツは滅多にお目にかかれない上玉だ。ん、気に入った。俺に異存はねえよ』
『そうか』

がたり、と椅子が動く音がした。続いて静かな足音が響く。

『ん? どうしたミスター』
『名の書き方はお前では教えられまい。ここまでを依頼と受け取っておこう』
『ははん、やっぱ律儀だねえ、ジャパニーズは』

豪快な笑い声と共に、リビングに通ずる扉が開かれた。

『あ――』

混乱の最中にあった少女は男性の姿を目にして思わず後ずさる。人を殺めども顔色一つ変えない冷徹な少女は何処にも居なかった。

『聞こえていたか。ならば話は早い』

男性は大股で少女に近付くと膝を折り目線を合わせてくる。
動けなかった。逃げる事は躊躇われた。
そもそも何故逃げなければならないのか、少女は自分で自分がわからない。殺したはずの自我を、抑える事が出来ない。

「言葉は、解るか」

少女の母国語で、男性は話しかけてきた。およそ2年ぶりに聞いたその響きが少女の内に染みわたり、反射的に少女の首を縦に振らせた。

「――そうか。黒江唯子、それが今日からのお前の名だ。不満が有るなら今の内に聞いておこう」
「――」

一転、今度は首が左右に動く。否定など出来ない。少女は命令に抗う事を教育されてはいない。自分自身にも許してはいない。

「大凡ではあるが、お前の事情は理解出来た。正直不幸な境遇だと感じなくもない」

開け放たれたままの扉の向こうに目をやると養父はこちらには目もくれず赤ら顔で酒を煽り続けていた。
養父は日本語を聞き解けない。会話が耳慣れない言語で行われ始めた事で興味を失ってしまったのだろう。

「だが、悪いが俺ではお前を救済する事は出来ない。所詮は俺も、同じ穴の狢だからな」

そして少女もまた。難解になり始めていた言葉の意味を解読出来なくなりつつあった。
だが辛うじて拾い上げた単語の中から。男性の真意はおぼろげではあるが汲み取る事が出来た。
彼は自分に同情しているのだと。だが、救いたくとも救えないのだと。

「俺たちの生きる世界は広大な黒の江だ。泳ぎ進めども対岸は見えず、誰もが流れに逆らえず溺れていく」
「――」
「だがその中でも、決して自分を見失うな。消える事の無い唯一つの個で在る事に務めろ。そうすれば何時か必ず、光は見える」

男性はそう結ぶと、少女の頭に優しく手を乗せてきた。

「――あ、あう」

思わず妙な声が少女の口から零れ落ちた。
温もりが、伝わってくる。不器用な優しさと共に。
変わらず何を言っているかは不明瞭ではあったが幾千の言葉を貰うよりも、少女は確かな何かを受け取れたと感じられた。

「これからも辛く苦しい人生が続くだろう。おそらくお前も今の生き方は変えられまい」
「――」
「だが気の紛らわせ方を一つでも知っていれば、随分と世の中が違って見えるかもな。例えば――そうだな。歌でも覚えてみるとかはどうだろう。
 生憎と俺は得意では無いので教えてはやれないが――と言うのは流石に無責任が過ぎるか。
 だがそうすれば、少なくともそんな年頃からガラス玉のような目で世の中を見る事は無くなると思うのだが」

勝手な言い分かな、と男性は強面を少しばかり崩す。
隣室から咳払いが聞こえた。行動を起こす様子の無い男性が、もしや余計な事を吹き込んではいないかとそろそろ気がかりになってきたのだろう。

「それでは役目を果たしておくか。依頼主の形相も険しくなってきた頃だ」

頭の上から離れた手が少女の腕を取った。そのまま男性はゆっくりと手を引き奥の机へと少女を誘っていく。
今度は力強さと頼もしさが、その腕から少女へと伝わって来た。





男性は程無く役目を終え隠れ家を後にしたが、その邂逅は少女にとって生涯忘れ得ぬ記憶となった。
彼は「何時か必ず光は見える」と語ったが、少女にとってはその出逢いこそが光そのものだった。
醜いばかりの世界の中で、自分を気にかけてくれた人。救えぬ事を詫びながらも、一つの生き方を示してくれた人。
その彼に、二つのものを与えられた。
一つは名前。そしてもう一つは「これだけは知っている」と名前の下に書き加えられた一つの歌の題名。
その両方と、その時胸の内に芽生えた新たな想いを。少女は、黒江唯子は大切にしようと心に誓った。

この期を境に少女の生きる理由は変質する。
ただ絶望の中を漠然と生きるわけではなく、もう一度彼に遭うために生きる。彼の傍らに並び立つのに相応しい自分になろうと。
それからの少女の生き方は傍目には変化無く依然無感情に見えていたが。その内には確固とした個を秘めていた。
そして時間を見つけては、その歌の練習に励んだ。
奇妙な習慣を身に付けた唯子に養父は度々訝しげな視線を向けたが、文句の付けようも無い成果を任務にも訓練にも見せつけられ口を挟む余地は無かった。

歌の名前は「アヴェ・マリア」。聖母マリアへの祈祷を指す聖歌である。
唯子は神など信じてはいない。奇跡の主の生誕など祝うつもりは微塵も無い。もしも神が存在するならば、自分にこれ程の惨い仕打ちをするはずがないのだから。
同じ世界に生きているはずの男性が、唯一この歌を知っていた理由もまたわからない。
特別な理由があるわけではないのか。それとも神を拠り所にする事が彼なりの光の目指し方であったのか。

――答えを知りたい。その為には是が非でももう一度彼と出会わなければ。

想いを抱いて唯子は地獄の日々を生き続けた。生への祝福を歌い上げながら命を奪うというまるで矛盾した生き方で。
だが男性は二度とは唯子たちの元を訪れず。養父に消息を訊ねても「音信不通」の一点張りであった。





更に数年の時が過ぎた。
身に付けた様々な技術とは裏腹に、唯子の体躯は然したる成長を見せる事は無かった。
養父は「潜入任務には最適だ」と目を細めたが、唯子自身は女としての魅力に著しく欠ける己の身体に表には出さず不満を抱いていた。
でももしかすると初めて出逢った時の面影が残ったままの今の自分ならば、彼も再会してすぐに自分の事を思い出してくれるかもしれない。
などと思索に耽りつつ、その日の唯子は養父に申し付けられた銃器の整備を行っていた。

『ぐあああっ!!』

何の前触れも無く無数の足音が隣室から聞こえてきたかと思うと。次の瞬間には養父の悲鳴と喧しい銃声が響き渡った。
唯子は即座に作業を中断し、椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。そして隣室に向かうのでは無くベッドの下に隠されていた機関銃を引き摺り出す。
何者かの襲撃を受けた。少女は瞬時に理解した。
別段驚く事も無い。命を狙われるのには十分な理由を、自分も養父もばら撒いてきたのだ。
そうなれば今は何を為すべきか。答えは明白だ。養父の安否を案じる事では決して無い。
悲鳴と喧騒から察するにおそらく彼は生きてはいまい。例え命を永らえていたとしても救済に向かうは愚の骨頂。
元より何時でも切り捨てるつもりであった。自分を地獄に招き入れた張本人に果たす義理は無い。
10年近くを共に過ごした感慨も情動も、黒江唯子の中に浮かぶ事は無い。大切なのは何よりも、自分が生き抜く事。
腕を磨き続けたのはその為だ。たった独りでも生きていけるように。どんな状況下でも決して屈しないために。

足音は3つ。こちらの部屋に方向を定めた気配が見えた。
躊躇う事無く引き金を引き絞る。必殺の弾丸が高速かつ均等な音と共に、ドアに無数の穴を穿つ。
続けざまに聞こえる悲鳴。間違い無く3つ。己の体躯に準ずる程の巨大な重火器の反動に、唯子の身体が軋み始める。
初手はこれでおそらく潰せた。だが次の一手も想定して然るべき。
最後の連弾を逆方向の窓に向けてばら撒く。ガラスが破砕され、外の風が吹き込んでくる。
ナイフを一振り腰に差し、リボルバーの小銃を利き腕に。淀み無く扱いに容易い武器を選び出し唯子は窓から小さな身体を躍らせた。

隠れ家はアパートの3階。このまま落下すれば無事では済まない高さ。
だが唯子は落下の最中に壁を蹴り銃を持つ手と逆の手で雨どいを掴み急制動を掛ける。
軽やかに、着地。両足への衝撃は取るに足らない。窓の外は建物の狭間の裏路地。このまま闇に紛れる事が出来れば逃走は成功する。

およそ考えられる手は尽くしたつもりだった。
だが現実は何処までも非情であり、襲撃者たちは唯子の想定を遥かに上回っていた。

「!!」

路地を挟みこむ様に。両端に黒服の男たちが数名。片側だけでも10名は下るまい。
迫り来る圧倒的な物量。如何な卓越した才能を帯びた少女でも、最早為す術も無かった。
必死の抵抗で2人の喉を切り裂き2人の頭部を打ち抜いたものの。唯子が力尽き取り押さえられるまでに然程の時間はかからなかった。

「いやはや、おっそろしいガキだな。まさか7人も失う羽目になるたあ、さすがの俺も想像出来なかったぜ」

これまでか、と地面に小さな身体を押し付けられた唯子の耳に母国の言葉が届いた。一瞬まさか、と思ったがすぐにその幻想を自らの手で打ち払う。
あの男性ではない。あの男性の声では無い。彼の声はこんなにも、下卑た含みは無かったはずだ。
足音を立てて近付く声の主を最低空から睨み見上げる。その頭髪は金に染め上がっていたが純然たる黒の瞳は同郷の人間である事を隠し切れてはいなかった。

「安心しな。別に殺しゃしねえよ。つか寧ろ俺たちは、お前をスカウトに来たんだ」

優越感を露わに、黒服の長であるらしい日本人の男は唯子を見下ろしてくる。歪んだ口元から覗く白い歯が唯子の不愉快を際立たせた。

「ん、いや違うか。招待と言い換えるべきだな。おめでとさん! 小娘よ。お前を栄えある『ゲーム』の参加者として認めようじゃないか!」
(――?)

一体何を言っているのか。さっぱり意味が解らない。
男性との再会の時の為に日本語の聞き取りは精を尽くして来た唯子であったがさすがに此処まで突飛になれば及ぶべくも無かった。

その後の男の説明を辛うじて噛み砕くと。
曰く、世界でも有数の闇の「組織」が好事家向けに開催する余興が存在するらしい。
13人の不特定の参加者を特定の施設の中に集めて、特別なルールを課した上で命の奪い合いをさせる。
そして生き残った者には莫大な金額の賞金を分け与えるということだった。

「そのルールの中に『自分以外の全参加者の死亡』って奴があるんだけどな。中々その条件に相応しいプレイヤーが見つからなかったわけだこれが」

困ったもんだ、と呟く言葉とは裏腹にそんな素振りも全く見せず、男は唯子に顔を近づけてくる。

「だがお前は合格だ、小娘。お前なら他の全員を敵に回しても、立派に立ち回り俺たちを楽しませてくれるだろ。
 そのチンケな見てくれもいいキャラクターとして売り出せそうだ。ははっ! こりゃ面白くなってきたぞ、とぉっ!」

高らかに笑い上げる男を尻目に、唯子は漸く話の繋がりが見えてきた気がした。
つまり彼らは腕利きを探していたということだ。それも単なる腕利きでは無く、異色の何かを持った何者かを。
「ゲーム」という舞台の中で過酷な条件を押し付けられ。それでも生き延びる可能性を秘めた、可能性の見え辛い何者かを。
そして幼い見た目のままに人を殺めるに容易い技術と経験を持つ自分に、その白羽の矢が立ったと言う事なのだ。

「ま、確かに生存確率はごく僅かだが見返りも無いわけじゃねえ。お前が生き残ればそりゃ同時に賞金丸取りになるってワケだし、
 それ程の成果を見せつけられりゃ今後はウチのお抱えにしてもやれるだろ。そうすりゃ何もかもお前の意のままだぜ、どうだい? 小娘よ」

「――じゃ、ない」
「――あん?」
「小娘じゃ、ない。私は、黒江唯子」

ぎこちなくも唯子は言葉を紡いで見せた。自分をそんな風に呼ぶな、と男に対し訴えた。
秘匿を旨とする任務の最中でも、唯子は自分を称する相手にはのべつ幕無しに名乗りを上げてきた。
それ程に彼女にとって。「黒江唯子」という名は大切なものであるからだ。
尤も今までにその名前を聞かされた人物は男性と養父以外、全てその存在を抹消してきたのではあるが。

「――は」

ほんの一瞬呆気に取られた男であったが。次の瞬間により一層破顔して見せた。

「だはははっ!! この状況下で大した肝っ玉じゃねえか! 逆らえば殺される、それがわかっててホザいてんのか!?
 そうだよなあ、何もかもわかってる、そんな顔してやがるよお前! 気に入ったぜ、了解だ『唯子』っ!!」

「――」

男の言う通りだ。抵抗は無駄だ、そんな事は百も承知だ。
単なる人探し、人集めのために養父を殺し、7人の犠牲を出しても微塵も動じる事は無い。
これだけの暴虐を平然と行える、それが許される「組織」がこの男のバックには付いている。そんな相手に逆らう事等出来るはずも無い。
結局何処にも逃げ場など無いのだと、唯子は改めて痛感した。自分の生きる世界はまさしく広大な、黒の江であるのだと。

「――条件が、ある」

少女を取り巻く環境は更なる悪化の一途を辿った。死神の手招きは既に眼前に迫っていた。
だが、それでも光はある。例えどれ程に生き難い世界であっても。
それを見失わない限り自分は生きていけるのだと、唯子は頑なに信じている。

「ほう――聞こうじゃないか」

怯む事無く強い視線を向けてくる唯子が一体どんな望みを抱いているのか。興味深そうに男は次の言葉を待った。

「――」

無理の利かない体勢のままに。少女は小さく息を吸い。
そしてはっきりと。その条件を口にした。

求める光を。その光に繋がる切欠を。


「高山浩太の居場所を探して」






【プレイヤーカード:開示】
・「9」:黒江唯子



[21380] EPISODE-40
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/05/08 09:25
圭介たちが吉田二郎と「別れて」より数時間が経過した。
現在彼らは既に4階へと到達しており、その一室にて散策を行っていた。

「あ、あの圭介くん、これ――」
「別に今更驚くにも値しないだろ、こんなの」

怯え混じりの美雪の呟きを平然と受け流し、圭介は部屋中央部の木箱の中身を取り出しては床に並べていく。
一連の動作を繰り返す度に、床には禍々しい光を放つ凶器が増えていった。

「――っと。この中だけでこんなもんか。さすがに壮観だな」

粗方中身を外に出し終えた圭介は短く息を吐き、ぐるりと自らの足元を見渡す。
ナイフが大小併せて6振り。拳銃が4丁。そしてそれらより一回り大きな弾丸掃射を用途とする銃器。おそらくマシンガンと呼称される類のものであろうか。
この部屋の名称は美雪の拡張された地図機能によれば「武器庫」なる設備であった。無論この4階にて初めて目にする名称だ。
ただ一つ、目立つ木箱の中身を確認しただけでこれだけの武器が出現するとは成程看板に偽り無しだと圭介は呆れる思いであった。

「ひとまずコイツは俺が持って行くとするか。二人とも、この中から扱い易そうなものを選んでくれ」
「ちょ、ちょっと圭介、正気なのっ!?」

マシンガンを肩に担ぎ上げた圭介に対し菜緒が非難を浴びせかける。
当然の反応であると言えるだろう。下の階ではこの中の一つが発見されただけで一同は揃って取り乱した。
その存在の脅威と。扱う事に対する人としての忌避。特にその危険性をいち早く察知し違和感を感じる程に顔色を失った圭介の混乱は目の毒とも言えるものだった。
だが今の彼はまるで意に介した風も無く、所持はおろかその使用まで示唆している。
一体圭介はどうしてしまったのか。何が彼を変えてしまったのか。
口先ばかりが秀でているだけで至極真っ当な感性を持った凡庸な少年は何処に行ってしまったのだろうか。

「敵の正体が見えてきたからな。それに応じて覚悟を決める必要が出てきたってことさ」

訳がわからず困惑の様子を見せるそんな少女たちに、圭介はさらりと言ってのける。

「敵の正体――ですか?」
「ああ。俺たちは現時点で13人全員の参加者と遭遇している」

厳密には俺だけだけどな、と注釈を加え手のひらを翳しつつ。

「その中で俺たちが仲間と判断出来るのはノエルさんたちに吉田さんを入れて全部で4人。この人たちと敵対する事はおそらく無い」

まず自分たち3人を表す3本の指を折り、次いで残りの2本を折り立てる。それにより圭介の手に「7」の数字が表される。

「そして楯岡とその連れの女の子は別行動ながら首輪の解除を目指している。協力はともかく闘う理由が無い。だとすると」
「残りは4人――いえ、3人ですね」
「そう。長沢に木戸、そして黒江唯子の3人だ。この3人だけが敵なんだ。なら、俺の言いたい事はわかるだろ?」
「――」

言葉を失う少女たち。彼らがこれまでに行ってきた極悪なる所業の数々は言葉にする間でも無い事だった。
しかしそんな彼らから逃げ惑い続ける事も許されない。
現在圭介の構築する「理屈」によれば吉田は彼らとの遭遇を単独で行うために行動中で、再会を果たす為にはある程度3人の足取りを追わねばならない。
また圭介の偽りの解除条件に必要なJOKERもその3人の何れかが高確率で所持している事となっている。
圭介が救われる為には是が非でもその3人と相対しなければならない。それが「理屈」が導き出す解答であるのだから。

「奴らに対話なんて通用しない。となれば迎え撃つにしろ退けるにしろ、相応の準備が無ければ足を止めることすら出来ない。
 もう体裁や尊厳なんかに拘っていられる状況じゃないんだよ。利用出来るモノは全部利用していかなきゃ」

「で、でも――」

「『でも』? そうやって取り返しのつかなくなる時が来るまで待つつもりかい? 俺は嫌だね、そんなの。
 このままむざむざ死んじまうのも、君らを失う事になるのも真っ平御免だよ」

「圭介――」
「この『ゲーム』の中じゃ、綺麗事を抱えたままじゃ到底生きてなんていけない。頼むから、聞き分けてくれ」

辛辣にも取れる圭介の言はそれでも間違い無く真実で、それでも納得には程遠く。 
二人の少女は床に広げられた無数の武器を、何時までも見つめ続けていた。






結局紆余曲折は有ったものの。最終的に美雪と菜緒は武器を手に取る事を渋々了承した。
美雪は並べられた中で一番小口径の拳銃を。最後まで銃器の携帯を拒んだ菜緒は木刀と共にサバイバルナイフの装備を選ぶ事となった。

準備の整った一行は「武器庫」を後にし、再び進行を開始する。
3人の間に会話は無い。二人の少女はただ無言で先頭を行く圭介に追従し、ただ圭介の担ぐマシンガンの物音だけが辺りに鳴り響く。
望まぬ状況と望まぬ装備が彼女たちの口を閉ざしてしまったのか。若しくは圭介に対する不満を口にせぬための努力の表れなのかもしれない。

少し薬が効き過ぎたか、と反省が浮かぶ圭介であったが決して後悔はしていなかった。
「理屈」は嘘に塗れていてもその心構えは間違ってはいないつもりだ。何故ならこれ程武装を整えてもアドヴァンテージを得た事にはならないからだ。
このフロアに「武器庫」は無数に点在している。長沢や木戸が同等の武器を揃える事は容易であろう。
人の命の奪取に躊躇いを持たぬ相手が重装備までを手にするならば、無手で対抗するほど愚かで居られるはずがない。
怯えも甘えも捨て去って、ただ現実を受け入れる。その上で生き残る為の術を最大限に考慮する。
そのための覚悟は決めたつもりだ。そのために自分はもう、引き返せない場所まで足を踏み入れてしまった。
万全の理想から無用なものを削り取り、ただ一心に大切なもののために。
そう心に誓った圭介は、歪み無く淀み無く。足を進め続けていた。

(――ん?)

研ぎ澄まされた五感に、不意に何かが引っ掛かった。圭介は小さく片手を上げ、後続に制止を促す。

「どうか、しましたか? 圭介くん」
「――足音が、聞こえる」
「て、敵なのっ!?」
「いや、これは――」

身を強張らせる菜緒の気配に対し、おそらくそうではないと意を示して見せる。
姿は見えない。声が聞こえたわけでもない。ただ足音を感じただけ。それなのになぜ特異な能力を持つわけでもない圭介がそう判断できたのか。
それはその足音こそが、常人ならざる響きを含んでいたからだ。その音は程無く誰の耳にも届くようになり、「あ」と美雪が思わず小さく呟いた。

圧倒的な重量感から連想される巨躯。その姿がやがて圭介の前方の分岐から姿を現した。
圭介と美雪、二人がこの「ゲーム」で最初期に出逢った巨人。暴力的な風貌の中に善良な心を秘めた空手の達人。
言わずと知れた大門三四郎その人であった、のではあるが。

「大門さん! よかった、無事で――なっ!?」
「――っ!!」

その見えた佇まいに圭介は二の句が告げられず。後方の二人は声にならない悲鳴を上げた。

「やあ――鳴神くんに――森下さん、か――漸く、漸く会えた、ね――」

力無い、体躯に似合わぬか細い大門の声が圭介の耳を素通りしていく。
思えば、何故に違和感を感じなかったのか。近付いてくる足音が大門のものであるとまで判断出来て、なぜその先に疑問が生じなかったのか。
彼は最初の「手続き」の際に、波多島乃得留と古谷小枝子と協力する旨を圭介の目の前で見せたはずであった。
ならば大門は他の二人と一緒に現れなければならないのでは無かろうか。なのになぜ、足音は複数ではなかったのか。

その答えが今、目の前にある。
大門は独りではなかった。もう一人の人物、古谷小枝子は大門の胸に横抱きに抱えられていた。
そして二人の胸を彩るのは夥しいばかりの赤黒い何か。それが何であるかなど、大門の身体から発される異臭無くとも明白であった。

「だ、だだだ大門さん、そ、それは――」
「――うっ!」
「み、美雪っ!? どうしたのっ!?」

纏まらないままの言葉で圭介は疑問を口にする。美雪が思わず彼から目を逸らし、口元に手を当ててしゃがみ込んだ。
眠っているから、怪我をしているから。小枝子は自力で歩けないわけではない。否、そればかりか。およそ生命活動を行える有様ではない。
首筋が、切り裂かれている。首の位置が明らかに、ずれている。
生きている人間が、こんな風になれるはずがない。こうなってしまっては、人間が生きていられるはずもない。
死んでいるのだ、古谷小枝子は。大門は死体となった小枝子を抱え続けたまま、このフロアを闊歩していたのだ。

「嫌っ! 嫌っ! 嫌ああああっ!!」
「美雪っ! 美雪、しっかりして美雪っ!!」

通路に響き渡る美雪の悲鳴と嗚咽。見知った人間の死と言う過剰な衝撃が、彼女の感情を激しく揺さぶっていた。

「い、一体――何があったんですか、大門さん!」

圭介も絶叫と逃避の衝動に身を委ねかけたが辛うじて理性がそれを凌駕した。
兎に角現状を把握せぬままに全員で理性を失うわけにはいかない。何故小枝子は死んでいるのか、どうして大門はその死体を運び歩いているのか。
そしてただ一人姿の見えない乃得留は何処に行ってしまったのか。それを早急に判明させねば自身の危険に繋がると感じたのだ。

「殺されたよ――小枝子さんは。鉄格子が天井から落ちてくる罠で分断されて――独りになってしまって、それから――」
「鉄、格子――そ、そうだったんですか。気の毒に――」

大門の説明は言葉足らずであったものの圭介にはその概要は把握する事が出来た。下の階で自分たちが陥った状況とそれは酷似したものであったからだ。
つまりは圭介があの状況で最も危惧していた事象。それが大門たち一行に起こってしまったということなのだ。

「小枝子さんを――迎えに行く際に、ノエルさんとは――はぐれてしまった。彼女が今、何処に居るのかは、ボクには、わからない――」
「――」

淡々と。無表情に悲劇を語る大門に圭介は戦慄すら覚えていた。彼はこんなにも機械的な物言いをする男では無かったはずなのだ。
お世辞にも口が上手いとは言えず、その激しい思い込みは思慮に欠ける発言や行動を引き起こす人物であった。
そんな彼を疎ましく感じながらも、決して憎めないと圭介は思っていた。何時かは頼もしい仲間となってくれると、そう信じていた。
だが今の彼は気の毒な位に憔悴し、感情の起伏が微細なものとなっている。おそらくその失意は相当なものであるのだろう。
大門にとって小枝子は単なる参加者には留まらない、それは「手続き」を行った場において圭介にも見て取れていたからだ。
掛ける言葉が見当たらない。このような事態の為に用意された会話例など圭介には備わってはいない。
しかし沈黙が良策と思える事も無く。ただ為すがままに事情聴取を続行するより他は無かった。

「誰に――やられたんですか」
「わから、ない――ボクが彼女の元に辿り着いた時には、既に――」

一瞬心当たりが思い浮かんだ。首を切り裂き殺害するというやり口に該当する人物が圭介には覚えがあったが口にするのは憚られた。

「――やられたのは、つい先程ですか?」
「いや――下の階で、だな。かれこれもう――数時間は経ってる、かな」
(な――)

思わず圭介は愕然とした。まだ加害者がこの近辺をうろついているわけではないことは少なからず安堵出来る材料ではあったが。
そうなれば大門は小枝子の亡骸を何時間も抱えたままで階層を上がって来たという事になる。それは些か常軌を逸した行為ではあるまいか。

「小枝子さんを――あのままにはしておけなかった。気の毒で、気の毒で――それに、君たちに逢いたい、というのか彼女の望みでもあったから」
「――そうですか」

上辺だけで返事を返すがおよそ納得出来る理由では無い。生前の彼女の望みがどうであれ、無惨な死体と引き合わされるこちらとしてはたまったものではない。
事実美雪はこの再会に心を痛め動けなくなってしまった。つい責め文句が口を突きそうになった圭介であったが何とか踏み止まる事に成功する。
辛い事があれば誰しも迷走する事はあるだろう。今の大門に細やかな配慮を望むのは酷な話ではあるのだ。

「古谷さんを、降ろしてあげてください」
「何故だい」
「せめて、傷口を塞いであげたいんです。古谷さんもこんな姿で俺たちに遭う事を望んではいなかったでしょうから」

大門に悟られぬよう視線で美雪の様子を窺えば菜緒が首を横に振る様が圭介の目に映る。
本来ならば然るべき場所で丁重に弔うべきであろうが生憎近くに寝具を備えた部屋は存在せず美雪もしばらくは動けそうにない。
兎に角今は「遺体を抱えたまま仁王立ちする巨人」をこれ以上少女たちの目の前に晒したくは無かった。
小枝子を悼む気持ちを前面に押し出したような発言とは裏腹に、圭介の内では打算のみが働いていた。

「――わかった」

何やら釈然としない様子の大門であったが。やがて了解の意を示すと静かに小枝子の遺体を床へと置いた。






一方その頃。少し離れた場所でその身を潜めながら圭介たちの様子を窺う二人組の姿があった。

「おい長沢。あいつら何を話してんだ?」
「静かにしろってば。耳障りだ」
「ち――」

不満を露わに舌打ちしながらも木戸亮太は角の淵に身を預け聞き耳を欹てる長沢勇治の言に従う。
現在の彼らの位置は圭介たちの姿が辛うじて目視出来る程度に離れた分岐の陰。ここから先の互いの間には身を隠せる設備は何一つ無い。
考え無しに接近を目論めばたちまちその姿を衆目に晒す形になり、如何な百戦錬磨の長沢と言えど容易には近付き難い状況となっていた。

(くそ、せっかくのチャンスだったってえのにまさか大門が出てくるたあ――タイミングが悪いにも程があるだろ)

木戸と長沢が圭介たちの姿を発見したのは大門が現れる前の事。
既に4丁の拳銃を取得し前回の襲撃の際よりも格段に装備を強化した木戸はすぐさま長沢に襲撃を提案した。
「これだけの拳銃があればさぞや惨たらしい死に様になるだろう」と狂気の男、長沢も了承した矢先の巨人の出現であった。
女二人を引き連れた圭介だけならまだしも、そこに大門が加われば強襲の成功率は途端に引き下がってしまう。
一人二人を葬り去る事が出来たとしても最強の空手家・大門が健在であるならば返り討ちは濃厚であるからだ。
またあの巨体にはたして何発の弾丸を撃ち込めば打ち倒す事が出来るのかも皆目見当が付かない。
止む無く彼らは襲撃計画を中断し、一先ず期を計る事となった。今は長沢の「薬」で増幅された異常聴覚による情報収集の真っ最中である。

「長沢、アンタならあの大門にだって勝てるんじゃないのか?」

それとなく木戸は長沢を持ち上げながら伺いを立ててみた。
無論方便である。PDAを奪われ半ば隷属させられている木戸にとって長沢は頼もしい同行者などではない。寧ろ殺しても殺しきれない怨敵に等しい。
その長沢の傲慢に漬け込んで大門もろとも始末できれば、という彼なりの目算からの発言であったのだが。

「やめてよね。あんなデカブツにオレが敵うワケないだろ」

だが長沢は平然と。己の強さは大門に劣るものだと認めた。

(ち、やっぱこの程度の揺さぶりに引っ掛かる様な奴じゃねえか)

そこまで馬鹿なら苦労も無いか、と木戸は忌々しげに歯噛みする。この男、傲慢さは目に余るものではあるがギリギリのラインでは身の程を弁えている。
慢心の塊のようでその実油断もしていない。同行する羽目になりかれこれ一日が経過しようとしているが、これまで木戸がPDAを奪い返す隙は全く見当たらなかった。
信頼を装い休息を促すも、それも「薬」の効果なのか長沢は睡眠すら碌に取ろうとせず平常に活動を行い続けているのだ。

「そろそろ無駄な考えは止めた方が良いと思うよ? キッド。俺を謀って殺そうなんてさ、ひひ」
「――ふん」

全てお見通しだ、とばかりに喉を鳴らす長沢。その仕草が甚だ不愉快で、思わず木戸は長沢から目を背けた。

「で、どうなんだ? 見た目通りに古谷のおネエは動けないのか? ノエルや楯岡が近くに隠れてたりする様子はあるのか?」

現在の木戸には他の参加者の動向に対する情報が決定的に不足していた。
せいぜい判明していると言えば「鳴神圭介は森下美雪と他一名の女と行動を共にしている」事くらいである。
長沢の言によれば「この階辺りからそろそろ他の奴らをサーチするソフトウェアが見つかるはずだ」との事ではあるが依然それは発見されてはいない。
もしかすると大門以外の参加者がこの辺りに潜んでいるかもしれない。その真偽を正す術が今は無い。それもまた様子見を決め込む事となった一因ではあった。

「んにゃ。どーもあの女、死んでるみたいだ」
「――おい、今なんつった」
「いやだから死んでるって。殺されたって、あのデカブツ言ってるぜ?」
「な――」

思わず木戸は絶句した。小枝子の身体を腕に抱えて現れた大門であったが彼女の詳細な様子までは彼の今の場所から窺う事は出来なかったのだ。
明らかにぐったりと力を失っているまでは辛うじて見定める事が出来た。しかしまさか、既に命を失った後であったとは。

「マジかよ、何考えてんだあのオヤジ――ってちょっと待て。つー事はまさか俺ら以外にこの『ゲーム』に乗った奴が居るって事なのか!?」
「もしかしなくてもそうなるねえ。ま、トーゼンでしょ。キッド以外にも殺害が条件のカードの持ち主は居るわけだしさ」
「ぐ――」

思いも寄らなかった、と言えば嘘になる。自分と同種のプレイヤーはまだ存在する事は木戸も当初は気にかけていた事だ。
だが長沢という最悪と出逢い。この男以上の脅威など何時しか想像出来なくなっていた自分が居た。
他の参加者は等しく獲物で敵は長沢のみ。後は仕留め辛いか易いかがあるばかり。いつの間にかそんな構図が出来上がっていた。
しかし真実は自身もまた、狩られる側の人間であった事を。木戸は今更ながらに自覚した。

「ま、ソイツも含めて最終的にはみんなぶっ殺しちまえば良いだけの話さ。別に難しい話じゃないよ」
「――お前な」
「おっと、ちょい黙れキッド。――ふーん。あのデカブツ、だいぶ頭がおかしくなってるみたいだな」
「あん? 大門のオヤジが間が抜けてるっぽいのは元からだぜ?」
「うわ、そーゆー意味に取るの? けけ、キッドもまだまだおめでたい頭してるねえ」
「んだとコラ」

今に始まった事では無いとはいえ、どうにも癇に障る物言いをする男である。しかも下手な抵抗をすればこちらの命が危ぶまれるだけに尚更タチが悪い。
軽口じみた雑言程度はまだ許されているという現状に木戸は甘んじる他は無かった。

「ふむふむ、なるほどなるほど」

そんな優位な立場と今も情報を独り占めしているという愉悦をしたり顔で表しながら長沢は聞き耳を立てている。
一体何時になればこの状況から抜け出せるのか。否、はたして抜け出せる時は来るのだろうか。
ふと不吉な思いに木戸が駆られた刹那。長沢の口元が邪悪に歪んだ。

「なあキッド――お前、前にあの鳴神の小僧にしてやられた、って言ってたよな?」
「ん? ああ」

嫌な事を思い出させるな、とばかりに木戸の眉間に険が立つ。
屈辱の記憶だった。1階の階段を封鎖し集って来た参加者を抹殺するという木戸の目論見は鳴神圭介によって破綻させられた。
明らかに自分よりも劣る弱者の少年の巧みな話術に踊らされ、自ら封鎖を解く羽目になってしまったのだ。
そして彼らの通過を許すばかりか楯岡和志と少女1名にまで出し抜かれる形となり。おかげで今の状況がある。
あの時もしも騙されたりしなければ今頃首輪の解除は達成されていたかもしれない。少なくとも長沢と遭遇する事も無かったように思える。
過去の失敗を悔やんでも詮無い事ではあるのだが。そう考えれば全ての始まりはあの少年の所為でもあるような気がして益々木戸の苛立ちは募り始めた。

「その借りを返したくは無いかい?」
「そりゃ勿論だ。あのガキを殺して条件が達成されりゃこれ程爽快な事はねえ」

当然お前も含めてだがな、と胸の内で呟きながら木戸は自然に言葉を返す。

「よし、じゃあ決まりだ。お前ソイツで奴らに一発カマしてこい」

長沢が所持する拳銃の銃口が木戸の持つそれに触れ、かつりと乾いた音がする。

「は――? おい待てコラ、お前俺に特攻隊やらせるつもりかよ」

流石に反論せずには居られなかった。自分たちが何のためにこうして隠れているか、よもや忘れたわけでもあるまいに。
しかも五体満足で銃器の扱いにも長けている長沢と二人がかりであるならまだしも。未だ長沢に潰された左目が癒えていない木戸単独では成就する確率は皆無に等しい。
まさかここで俺を切り捨てるつもりか、そんな考えが木戸の頭を過ぎる。
そうなってもおかしくは無い。長沢にとって自分の生死は今後の動向にも解除条件にも関わる事は無いのだから。

「それもいいけど面白みに欠けるしね。それよりももっと面白い事を思いついたわけなんだな、これが」

寛大なオレに感謝しなよ、と笑いを堪えながら長沢は続ける。

「遠めの距離から一発撃ってくるだけでいいよ。そしたら『こう言って』すぐ戻ってきな。オレの読みが正しけりゃ、そりゃ愉快な事が起こるぜえ? ぎひひひ」
「??」

後に付け加えられたその言葉からは、長沢の意図の全てを計る事は出来なかった。
一体何が面白いのか。従えば何が起こると言うのか。
何一つわからず木戸はただ途方に暮れていた。






圭介によって傷口を塞がれ、小枝子の遺体は生前の見目麗しさこそ蘇らなかったが少なくとも凄惨さは遠ざかっていた。

「――なぜ、小枝子さんが殺されなければならなかったんだ」

通路の床に横たえられた小枝子を見下ろしながら大門は重苦しく呻く。
その奥底から絞り出すような響きに、辛うじて平静を取り戻した美雪が再び怯えの色を見せた。

「それ、は――」

答えを返す必要も無いのだろうが圭介はつい理屈を探してしまう。
それはそういう「ゲーム」だから。心構えの出来ていない人物から真っ先に喰い殺されるものだから。
そんな建前を今ここで語って何になるだろう。そんな言葉でどうやって今の大門を納得させる事が出来るだろう。
おそらくはどんな言葉も無意味だ。仲間を、想い人を失ったと言う事実の前には例えどれ程の金言であっても通用はしない。

「答えられないのかい、鳴神くん」
「はい、すみません。俺には――わかりません」

まさか本気で答えを求められているとは思わず虚を突かれた形には為ったが、辛うじて圭介は戸惑う事無く謝罪を返す。
見上げれば大門は鋭い目つきとなり圭介を睨みつけるような視線を向けて来ていた。
内実を知らねば凶悪な人相の持ち主である。得も言わぬ威圧感を受け、思わず圭介は僅かに後ずさった。

「そう言えば何故君たちは戻って来なかったんだ。ボクたちに合流しようとはせず、どうしてこんな階まで上がって来たんだ」
「――罠が、あったんです。大門さんたちと合流する最短距離が塞がれてしまって。それで」
「あの針の山か。あんなもの、どうとでも乗り越えられただろうに」
「無茶を言わないでください」

暴論に等しい言い分ではあったが決して間違ったものでは無く一瞬圭介の動悸が跳ね上がる。
そう、あの剣山は乗り越えようと思えば乗り越えられた。板を渡すなり何なり、方法が無かったわけでは無かったのだ。
それを認めなかったのは、許さなかったのは他ならぬ圭介本人だ。
戻れない理由があったから、再開出来ない理由があったから。敢えてあの剣山を乗り越えはしなかったのだ。

「ノエルさんは、君たちが戻って来ない理由は『危ないカードを引き当てたからじゃないか』、と言っていた。もしかして、そうなのか」
「違いますよ。何なら証拠をお見せしましょうか?」
「いや――いい。どの道ノエルさんが居なきゃボクには確かめようがない」
「――そうですか。とにかく、あの罠の所為で合流は果たせなかった。俺たちがあの場所に辿り着いた時には既にもぬけの空だった。それが俺に言える全てです」
「そうか、行き違いになったって事か。でもどうしてもっと早く戻って来れなかったんだ。かなり長い間待ってたんだぞ?」
「その途中で長沢という男に襲われたからですよ。大門さんはまだ見て無いですか? 痩せぎすの、白髪の男を」
「――見て、いないな。そもそもボクたちは、小枝子さん以外に襲われた事なんてない。あからさまに敵意を向けてきたのはそれこそ木戸くんぐらいだ」
「――」

木戸の名前が出た処でふと圭介は1階の封鎖を行っていた木戸に対する推測を思い出す。
あれは封鎖と言っても木戸自身が階段の前に立ちはだかっていただけで彼の思惑如何ですぐにでも他者を通せる代物であった。
その思惑とは「敵わぬ相手にまで封鎖を続行するつもりは無い」というもので、その該当人物は今目の前に居る大門その人であると圭介は判断し。
そして彼の名前を騙る事により、何とか木戸の魔の手から逃れる事が出来たのだ。
そう、大門三四郎とは正に「強さ」の巨大な象徴。履歴を知らずとも只ならぬ人物である事は見る目に明らかなのだ。
狡猾な長沢であるならば彼を含んだ一行に正面切っての襲撃を仕掛けはしないだろう。黒江唯子もまた、その倍近い己との体躯を比較すれば容易に近付く事はすまい。
おそらく参加者の中では一番遅い進行であっただろうことも含め、彼らがこれまで殆ど襲撃を受けて来なかった事に対する理屈を圭介は何となく構築する事が出来た。
無論懇切丁寧に説明するつもりも義理も無かったのではあるが。

「――どうしてもっと早く戻って来てくれなかった」

うわ言のように。大門は再度繰り返す。

「どうしてもっと早く戻って来てくれなかったんだ!」

次第に語調が強いものへと変化して行く。

「もっと早く戻って来てくれれば! もしかすると小枝子さんも殺されずに済んだのかもしれないのにっ!」

絶大な破壊力を秘めた拳が壁を叩く。人の手で為されたとは思えない程の大きな音が通路に鳴り響いた。

「な、何よさっきから聞いてれば勝手な事ばかり! あたしたちが今までどんな思いで過ごして来たのか知りもしないクセにっ!」
「――ゴメン菜緒、ちょっと黙っててくれないか」
「だって圭介っ!」
「大門さんの気持ちもわかるんだ。俺たちが間に合わなかった、その所為でこんな事が起きてしまったのも事実ではあるんだから」

噛みつかんばかりの勢いの菜緒を圭介は静かに押し留める。
彼女の怒りは至極尤もで、圭介とて大門の言い分はそろそろ腹立ちを覚えつつある。
その中身は兎も角責任を押し付けるような物言いは一回りも歳の離れた大人としてはみっともないにも程があるというものだ。
だがここで自分まで同調してしまってはそれこそ火に油を注ぐようなもの。感情的になっている大門に対しての正しい対応では凡そ無い。
それに落ち着きに欠けるきらいが有り唯一犠牲者となった小枝子に面識の無い菜緒に好き放題に言わせてしまってはそれこそ未曾有の事態を招く可能性がある。
何としてもそれだけは避けなければならない。そう考えた圭介は改めて大門へと向き直る。

「ふふ、君は変わらないな鳴神くん。こんな時でも冷静で、それに度胸がある」

しかしそんな圭介の態度が気に障ったのか。大門の口から出る賞賛には多分の皮肉が込められているようにも感じられた。

「そんな君が羨ましくて! 頼もしくて! 君が仲間だったらどんなによかっただろうとボクがどれだけ考えたかっ!
 わかるかい!? わかるだろう!? 頭の良い君にならっ!!」

「だ、大門さん、お願いです、もう――」
「森下さんっ! 君にだってわかるだろうっ! ボクたちと一緒だったら、より怖い思いをせずに済んだって事くらいっ!」

美雪の儚い訴えも、大門の叫び声の前には虚しく掻き消える。

「落ち着いて下さい大門さん。俺たちにはどうにもならない事でした。お願いですから理解して下さいませんか」

過ぎた事を悔やんでも仕方が無い。理由はどうあれ合流は果たせなかった。果たす事は出来なかった。
それは純然たる事実であり最早却っては来ない過去なのだ。それを何とか諭すべく圭介は必死に大門に言い聞かせようとする。
しかし今の大門には届かない。小枝子の死が中心に回っている大門に冷静な思考など望めるべくも無い。

「『どうにもならない』!? そんな言葉で小枝子さんの死を片づけるつもりなのか君はっ!? くそ、誰がっ! 誰が彼女を殺したんだ!?
 必ず見つけ出して八つ裂きにしてやるっ!!」

(――ダメだな、これは)

その巨躯を振り乱しながら恨み辛みを撒き散らす大門を無表情に見つめる圭介。
どうやら第三者に小枝子の死を認めさせた事で大門のやり場の無い怒りは決壊を迎えてしまった様だった。
こうなれば問答は無用だ。最早今の大門はどんな言葉であっても耳を傾けたりはしないであろう。
こちらに飛び火しない内にこの男を捨て去ってしまうのが良策か、と冷徹な思考が圭介の頭に描き出される。

(――けど)

だが、それを躊躇う自分もまた圭介は自覚していた。
決して大門の為では無い。大門を慮り、同情するが故では無い。
もしもこの場を治める事が出来たならば。大門はおそらく自分たちに協力してくれるだろう。力になってくれるだろう。
そうすれば圭介の次なる「策」にとって絶対的な切り札と成り得るのだ。
全員が無事に生きて元の世界に戻るための、「策」。その中には大門とて含む事が出来る。
元より菜緒の解除条件のためには大門たちのPDAを当てにしていた圭介である。その彼を捨て置くにはあまりにも惜しい。
今は好きなように暴れさせておけばその内落ち着きを取り戻すだろうか。そうすれば交渉の余地が現れてくるだろうか。
だが今の大門は目立ち過ぎる。この叫び声を聞きつけて長沢たちがやってこないとも限らない。
はたしてどちらが正解なのか。二人の少女を庇う様にして大門の様子を眺めつつ、圭介は決断に迷っていた。

そしてその逡巡の迷いこそが。圭介のこの「ゲーム」における最大の失策であった。

「っ!?」

一発の銃声と共に、通路の壁の一部分が爆ぜた。
驚き視線を通路の奥へと向けると。其処には派手な装飾の衣服を纏った一人の男が両腕で拳銃を構えていた。

「木戸――か!?」

その佇まいから圭介の脳裏に該当する人物は即座に導き出せたものの。確信を持てなかったのは彼の顔の半分が包帯で覆われていたからだった。

(なんだアイツ? 怪我してんのか? 一体誰にやられたんだ?)

当然答えなど解るわけも無かったが。その様は木戸も彼なりの苦境を潜り抜けて来た証であるとおぼろげながらに感じ取れた。

(いや、それよりも――こんな開けた場所で襲ってくるとか正気かアイツ!?)

だが残念ながらこちらの点においては理解出来なかった。あの怪我とこちらとの距離を鑑みれば素人の銃撃などそう当たるものではない。
威嚇のつもりであるならばそれこそ勘違いも甚だしい。殺されるとわかっていて足を止める者など最早この「ゲーム」には存在しない。
逃げるにせよ抵抗するにしても。余地を与えてどうすると言うのだ。参加者を始末するなら暗黙に、冷徹に。それが「ゲーム」の鉄則であるだろうに。
それだけ木戸は追い詰められ、余裕を無くしているということなのだろうか? それとも銃器の威力に陶酔しているだけなのだろうか?

何れにせよ今ならばどうとでもなる。まして今のこちらには大門が居るのだ。
只でさえ小枝子殺害の犯人に対し怒りを燃やしているこの巨人に狂気の矛先を向ける事になれば結果は明白。
この開いた距離など瞬く間に潰され、木戸は二度と「ゲーム」に加担する事は出来なくなるであろう。
圭介はそう信じて疑わなかった。後は大門がこの状況を理解し動き出すまで待つだけで全ては解決するのだと。

だが次の瞬間の木戸の発言により、その全ては覆された。
木戸の裏に存在する本物の狂気の影を、圭介には読み取る事は出来なかったのだ。


「ち――仕留め損ねたか。『じゃあ後は手筈通りにその男を頼むぜ鳴神っ!!』」


「な――」

その意味を察するのに数秒の時を要した。
そして理解が及び嘗て無い戦慄が圭介を襲う。

(おい――ちょっと、待て――)

妄言にも程が有る。既に美雪と菜緒を含めた圭介たち3人全員は木戸と一戦を交えており、彼を敵であると完全に認識している。
今更協力者を装った処で到底信頼出来る立場ではない。

だが独り。その言葉を受け入れられる人物が居る。
今までに木戸はおろか誰からも襲撃を受けていない人物が。そして謎の参加者に想い人の命を奪われた人物が。
信頼出来る仲間を全て失って。誰を信じればいいのかわからなくなり。
今は嘗ての協力者にすら疑いの目を向けつつある日本最強の空手家が――此処に居る。

「だ、大門さんっ! これは違う、違うんだっ!」

彼が木戸の言葉をそのまま受け取ったならば。自分たちは木戸と裏で結託し彼を始末しようと目論んでいたという事になる。
そしてもしかすれば小枝子の殺害にまで自分たちは関わっているのではないかと幻想を抱きかねない。
それはマズい。そう思い込ませては絶対にならない。
だがそれを完全に否定できる材料は今は――無い。

「――」

小枝子の遺体を前にして大門三四郎は微動だにしない。ただ握り固めた拳が小刻みに震えている。それが怒りによるものだとは聞くまでも無い事だ。

「これは木戸の策だっ! 騙されちゃダメだ大門さん! 頼むから、お願いだから俺たちを信じてくれっ!!」

感情も無く予見も無く。
始めて圭介は心のままに叫び訴えた。
だがそれは、届かない。元より短絡な思考の持ち主であった大門にとって、木戸の言こそが全ての筋道を正すものにしか感じられなかったのだ。


「キサマらあああああっっっ!!!!」


巨神の咆哮が響き渡る。
そしてその剛腕が、圭介に向かい放たれた。






「ひひゃははははっ!! 計算通りぃっ!!」

そして離れた場所で。
その引き金を引いた怪人が高らかに嗤い上げる。

「さあ巨人の進撃による虐殺ショーの始まりだぜっ! コイツは見逃せねえ大一番だなあキッドぉっ!!」

感情が高ぶりその下劣な人相と語り口を隠そうともせず木戸を迎える長沢は独り絶頂の極みに達していた。





 ゲーム開始より35時間30分経過/残り37時間30分



[21380] EPISODE-41
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/05/22 06:24
「っ!!」

咄嗟に身を沈めた判断が効を奏したのか。圭介の頭の有った位置を大門の拳が突き抜ける。
その風圧だけで頭髪が、皮膚が。後方に引き摺られる。

ごうっ!!

まるで大砲でも直撃したかのような轟音が。通路の壁を叩いた。

「うわあっ!」

そのまま膝立ちで這う様に、圭介は大門から距離を取る。無様な自分を自覚するが体裁など気にしてはいられない。

(冗談だろ――今、建物が揺れなかったかっ!? 少なくとも鉄筋だろ、この施設っ!!)

視覚や聴覚とは別の感覚が捉えた事実が圭介に更なる戦慄を引き起こす。信じられない。今の一撃にはそれ程の威力が秘められていたという事なのか。
危なかった。もしそのまま立ち尽くしたままであればどうなっていたか。
怒りに任せた所為で挙動が大きく技の呈を為していなかったため辛うじて回避が間に合ったがそうでなければどうなっていたか。
誤った選択をした未来の自分を幻視しながら、「やはり敵に回してはならない男であった」とすぐさま圭介は体勢を整える。

しかしこの一撃すらも大門の実力のほんの一端に過ぎなかった。
日本最強の座を3年に渡り維持し続けた男の規格外の脅威は寧ろ此処からであったのだ。

「ゼアァッッ!!」
「んなっ!?」

気合いの咆哮に間の抜けた叫びが遅れて重なる。
力には力で制する他は無いと判断したのか。菜緒が木刀を大上段に構え大門に襲い掛かって行った。
その剣閃と振り向きざまに放たれた手刀が交差する。
巨人の一撃と少女の細腕では威力の差は歴然。次の瞬間には菜緒の木刀は宙高く弾き飛ばされる――かに思えた。

だが。その木刀がまさか「両断」されるなど。一体誰が想像出来たであろうか。

(な、何つーデタラメだよっ!?)

斬り飛ばされた木刀の切っ先が床に転がる。手の中の半分になった長尺を愕然と眺める菜緒が、今度は大仰に身を捻り繰り出される拳を避ける番だった。

「ぬうううりゃああああっっ!!」
「わ、ちょ、わわっ!」

剛腕が空を切り、勢い余って巨躯が傾く。そのまま壁面に顔が衝突した。

「ちょ、ちょっと何なのよ圭介アイツっ!!」

床を転がりながら圭介に並び、二人で美雪を庇う様にしながら金切り声を上げる菜緒。

「木戸を騙す時に使った名前だから相当強い人とは思ってたけどっ! でもこんな――」
「俺だってこれ程とは思って無かったよっ!」

掛け値無しの本音が絞り出される。その巨体から繰り出される破壊力は想像していた。自ら幾度と無く彼を「規格外」と称していた。
だが現実はそれを遥かに凌駕していた。およそヒトの所業とは思えぬ程のものであった。
これではまるで。技を学んだ大型の猛獣と同意ではないか。

「ぬ、う、う、う――」

しばし動きを留めていた大門が再び背中を震わせ挙動する。まずい、と圭介は唇を噛み締める。
人が獣に敵う道理は無い。相応の武装と技術を修めた者で無い限りは。

(くそ、木戸め――あの時の仕返しのつもりかよっ!?)

目論見を的中させただけで満足したのか。大門の向こう側にあったはずの火種を投げ込んだ男の姿は既に無い。
あれはほぼ一日前の事になるか。一階階段を封鎖していた木戸を、圭介は見事に策に嵌め退けた。
相手に応じて柔軟に封鎖を解くという木戸の思惑を逆手に取り、大門の影をちらつかせ突破に成功したのだ。
その報復をまさか、こんな形で受ける事になるとは。
しかも今回は幻想ではない。紛れも無い大門本人の脅威が。今まさに圭介を脅かしているのだ。
拳が直撃すれば頭部が吹き飛ばされる。蹴りを喰らえば手足がもぎ取られるかもしれない。加減の効かぬ剛腕に捕らわれれば絶望しか待ってはいない。

「――逃げるぞ」
「え、で、でも――」
「こんな状態で話し合いなんて出来るもんかっ!」

渋る美雪の手を無理矢理に取り圭介は率先して踵を返す。
説得に一縷の望みを賭けたい彼女の気持ちもわからなくはなかったが、今の大門の目の前に立つのはあまりに危険が過ぎた。
圭介のすぐ目の前には先程大門が小枝子を抱えて現れた分岐がある。その角に、飛び込むように曲がり込む。
視界の開けた場所で大門を振り切るのは困難を極める。前方の通路に遮蔽物が認められない以上、圭介はその道筋を選ぶしかなかった。

「な――」

だが。程無く広がった目の前の光景も似通ったものでしかなかった。
長い一本道で目に届く位置に分岐は存在しない。唯一暗がりの手前に部屋への扉が見えるのみで、これでは身を隠す事もままならない。

「ま、ず――」
「ちょ、ちょっと圭介、どーすんのよっ!?」
「うおおおああっっ!!」
「っ!!」

死角となった方向から雄叫びが上がる。憤怒の形相で再び巨人が姿を現した。
もう引き返せない。過酷な条件であったとしてもこの通路を進むより他は無い。

「と、とにかく走れっ! 今はそれしかないっ!」

追い立てられるように全員が足で床を蹴る。追撃の体勢と気概が未だ整っていない大門との距離が刹那開く。

「ぬ、おおおおっっ!!」
「くそ、やっぱ見逃す気は無いかっ!」

だがすぐに圧倒的な威圧感と重厚な足音が接近してくる。決して瞬脚の持ち主では無かったが何分歩幅が違いすぎた。
瞬く間に距離が詰まる。立ち上げの貯金は完全に無へと帰した。大門は武器を駆使しない分、距離を詰められるという事実が純粋に恐怖に直結する。

(拙い――マズイマズイマズイッ!!)

息苦しさと共に絶望感が圭介を襲う。
持てる力を全て出し切らねば到底逃れられない。にも関わらず圭介は全速力を出す事が出来ずに居た。

「はあっ、はあっ、はあ――」

並走する美雪の細やかな息切れが耳に届く。彼女の足の速さだけが、圭介と菜緒のものに比べ著しく劣っている。
本気を出せば彼女を置き去りにする形になる。そんな事がまさか出来る訳も無く、止む無く歩調を合わせる必要があった。

(このままじゃ、拙い、このままじゃ――)

だがこのままでは遠くない未来、追いつかれるのは必定。いつ美雪の奥襟が大門に掴まれても不思議ではない。
突如分岐が現れるという都合の良い奇跡には期待出来ない。救いの手が差し伸べられる可能性も皆無。

――対処は自らの手で行わなければならない。

そう判断した圭介は即座に覚悟を決めた。


「このぉっ!!」

身体を反転。肩に下げたマシンガンの銃口を大門に突き付ける。

「っ!!」

その想定される威力は虚構の世界においても絶大。大門の顔に仰天の表情が浮かぶ。
最早この男の足を止められるとしたら、これしかない。弾幕をばら撒いてでも、隙を作るしかない。
挑むように。祈るように。圭介はその引き金を――

(――待て、此処で撃っていいのか!?)

引けなかった。迷いが生じた。
大門に対する被害を懸念したわけではない。無数の弾丸が全弾命中したところで、この男が絶命するイメージは圭介の中には浮かんでいない。
彼の頭を過ぎったのは寧ろその凶悪な武器の扱いの困難さ。威力までは想像出来てもその反動にまでは想像が至らない。
不十分な体勢で引き金を引いて、はたして銃身を維持出来るのか? 維持出来ぬままに無闇に弾丸を撒き散らす事にはならないか?
跳弾などは起こらないのか? 放った弾丸が自分や美雪たちの身体に降り注いだりはしないのか?

目まぐるしく危険性が呼び起こされては駆け廻る。どれ程軽蔑されても試し撃ちの一つもしておくべきだった、と後悔してももう遅い。

「ふっ」
「――あっ!」

緩やかに。大門の蹴りが飛んできた。靴底が圭介の手を叩き、マシンガンが小さく宙に浮く。
支えを失った重火器を太い腕が空中で捉え。そのまま床を滑るように大門の後方へ投げ出された。

「やはり、お前たちで間違い無さそうだな。あんなものを平気で人に向ける様な輩が、善人であるはずがない」
「ち、が――っ!!」

底冷えする程重く響く声色に。反論すらも許されず。

「圭介くんっ!?」
「ぐ、が――」

伸びてきた腕に、襟首をねじ上げられた。万力の如き剛力に締め上げられ、たちまちに息が詰まる。床から足が宙に浮き、重力を感じさせられる。

「苦しいかい? 苦しいだろう。小枝子さんもおそらく――苦しかったんだろうね」

小枝子が切り裂かれた首筋を痛めつける事が彼なりの意趣返しなのか。穏やかな物言いの中にも大門の静かな怒りが感じられた。

「は、なせ――」

いくら足掻けども振り解けない。拳を叩きつけても蹴りを放てども。圭介の抵抗は全て虚しく分厚い筋肉に跳ね返される。

(う、く――)

酸素の循環が効かない。目の前の大門の顔が歪む。圭介の意識は次第に朦朧としていく。

――マズい、殺される。

極めて明確な予感が走る。このままでは窒息或いは首の骨をへし折られるか。嘗て無い程の死への恐怖が圭介を襲う。

――ここで、全ては終わるのか。

木戸の姦計に嵌り味方と思っていた大門の猛襲を受け。今この場で自分たちの命運は尽きてしまうのか。
これが自らが進んで背負った業の報いであると言うのか、おぼろげながらにそんな思いが去来する。

「や――止めて下さい大門さんっ! 圭介くんは、圭介くんは――何もしてませんっ!」
(っ!?)

圭介は思わず目を疑った。涙交じりの悲痛な叫び声と共に、美雪が大門の逆の手に縋りついて来ていた。

(バ、カ――何、を――)

無謀と言う他は無い。この男は嘗て同じ志を抱いた仲間では無い。
完全に古谷小枝子殺害の犯人を自分たちだと誤認し、正常な判断を下せなくなっている。それが今の大門なのだ。

「お願いです、圭介くんを離してあげて下さい、大門さんっ!!」

それでも。森下美雪という少女の心根は変わらない。この状況下においてなお、彼女は無垢な少女であり続けていた。
大門の本質が善良である事は折に触れて理解している。それは木戸や長沢、黒江唯子とは決定的に違う部分だ。
ただ今は小枝子を失った悲しみを木戸に付け込まれ、正気を失っているだけ。
だから真摯に、必死に訴え続けさえすれば必ず元の彼に戻ってくれる。そう頑なに信じているのだ。
そんな美雪の純真さが、圭介にはずっと眩しく愛おしく。そして同時に危うく感じ続けていた。
そんな生き様を貫き通して、生きていけるわけがない。だから偽りながら支えながら。ずっと彼女と共に居たのだ。

そしてその考えは間違いでは無かったと、圭介は次の瞬間痛感した。

「――どけ」

無情にも。大門はその腕を勢い良く振り払う。

「あっ」

吐息のような短い呟きを残し。その小さな身体が吹き飛ばされた。
明らかに不吉な鈍い音と共に、壁に激突する美雪。糸が切れたように力無くその場に崩れ落ち、そのまま声も無く動かなくなる。

「!! み、ゆ――」
「女の子の言い訳なら聞き入れると思ったら大間違いだ。ボクはもう、誰であっても許しはしない」
「て、めえ――」

造作無く邪魔者を排除した、と言わんばかりの不遜な物言いが、圭介の怒りに火を灯した。

――ふざけるなっ!

妄執の矛先が自分だけに向けられるのならばまだ観念出来た。
大門の豹変の原因は誤解であるとはいえ、その責任の一端を担っているという後ろめたさもあった。
己の手前勝手な都合で彼らとの距離と取り、合流を避けてきたのは事実である。それが小枝子の死に繋がったのだと言えなくも無かったからだ。
だが美雪には何の罪も無い。ただ無自覚に自分の思惑の片棒を担がされていただけ。
彼女は信じていたではないか。獣同然に怒りを撒き散らす大門を、それでも説得しようとしたではないか。
それが、この仕打ち。到底許されるはずも無い。

(上、等、だ――この、筋肉ダルマ――)

ぎりり、と圭介の歯の根が鳴る。力を失いかけた身体を、本能が叱咤する。
憧れていた部分もあった。一人の男として、その鍛え抜かれた体躯を羨む事もあった。
だが状況的に無理からぬとて。こうも簡単に騙され自分を見失い。その力を制御出来ず力に溺れた今の大門に敬意など最早払えるはずもない。

このままでは終われない。終わってたまるものか。
何としても帰らねば。何としても帰さねば。今までずっと思い悩んできた。
その光明が見えかけている今。こんな場所で、こんな形で。朽ち果ててたまるものかと圭介の内に意欲が再び湧き上がる。
強い視線を大門に浴びせる。まだ抵抗の意思があるのかと、思わんばかりに巨人がその表情に不快を露わにする。

(そっち、が――その、つもり、なら――)

その形相にも屈しない。誰が敗北など認めてやるものか。
ゆっくりと。宙吊りの圭介の右腕が腰元に伸びる。その先には3階で発見し携帯し続けていた拳銃がある。

――マシンガンは扱えずとも、こっちなら。

もう迷わない。迷えない。正常に思考が働く猶予はもう幾分も無い。
躊躇う間も無く圭介は拳銃を握り締め――

「っ!?」

不意に。圭介の目の前で銀色の軌跡が閃いた。

「ぬっ」

瞬時に首筋の拘束が緩む。息苦しさから解放され地に足が届く。
あまりにも予期せぬ展開に思考も身体も追いつかず、そのまま圭介は無様に床に尻餅を着いてしまう。

「げほ、げほっ! な――菜緒!?」

咳込みながら呆然と。割って入った菜緒の背中を見上げる。
両断された木刀の代わりに抜き身のナイフを携えて、少女は大門と正対していた。
彼女がその武器で斬りかかったからこそ圭介は自分が大門の手から逃れる事が出来た、とまでは把握出来たのではあるが。

「バ――バカやめろっ! お前じゃ敵うわけないだろっ!」

続けざま、新たな焦りに支配される。菜緒もまた、義の厚さと同様に思い込みの激しさを兼ね備えた人物であるからだ。
そしてその感情の沸点は大門よりも余程に低い。そんな彼女が目の前で親友を傷付けられ、黙って見ている訳も無いのだ。
しかし相手はあの大門。なんら武器を行使せずして自分たち3人を圧倒する壮絶な狂戦士である。
対する菜緒は剣術道場の一人娘とは言え圭介と二人がかりで木戸にすら劣る程度の実力の持ち主でしかない。
如何に木刀からナイフに武器を持ち変えたとてそれで怯む大門でもないだろう。何せマシンガンを眼前にしてその排除を容易く行える人物なのだ。
力の差は歴然にして結果は明白。歯向かえば忽ちに、退けられる事は必至であろう。
それだけならばまだマシであるとさえ思える。半端な抵抗が大門の逆鱗に触れる事にもなれば、五体満足でいられる保証すら有り得ない。

「逃げろっ! コイツは俺が何とかするから! 美雪を連れて何とか――」

容易に想像できる未来に恐怖を抱き、圭介は直ちに菜緒に身を引くよう進言する。
自分ならば勝てる道理など何処にも無いが拳銃の扱いを誤らなければ一矢なりとも報いる事が出来るかもしれないと。
兎に角此処で全員が倒れる愚策だけは犯す事だけは避けるべきだと、菜緒の背中に声を浴びせる。
――だが。

「――」
「――な、お?」

どうにも菜緒の様子がおかしい。今まさに無謀を行わんとする彼女を表してでは無く、その無謀の中で想定されるべき彼女の姿として。
なぜ菜緒は無言であるのか。なぜ激高し、感情を露わにしないのか。
美雪の身に危険が絡めば殊更にうろたえる、怒りを灯す。それがこれまでの緑川菜緒の有様であったはず。
それが今は静かに泰然と。そして堂々と大門に向き合っている。彼我の実力差は無に帰したと思わず見紛う程に。
どうした事か。これではまるで別人だ。菜緒の姿を借りただけの違う何者かが突如として現れたかに感じられてしまう。
無論それは錯覚に過ぎず。目の前にいる菜緒は間違い無く今まで行動を共にしてきた少女であると疑いは無い。

「邪魔を――するなっ!」

ならばこれは一体、と答えを出す間も無く巨人が再び拳を振りかぶる。
至近距離から放たれる正拳。まともに食らえば只事では済まされない一撃が、少女に向かい襲い来る。

「――せっ!」

だが菜緒は避けるどころか逆に一歩を踏みこませナイフを横に薙ぐ。
交錯する互いの一撃と一閃は僅かばかりに身体に届かず。そのまま弾かれるように同時に二人は後方へ跳ね、距離が開く。

(な――んだ? 今の――)

はたして目の前の光景は現実のものであるのか。疑いの面持ちで圭介は眼を見張る。
先程のような虚を突く剣撃では無い。正面から大門と向かい合い、そして見事に捌いて見せた。
あの菜緒が、大門と互角に立ち回っている。冷静さを欠き空手の本領は発揮できていないとは言え、それでも最強を絵に描いたようなこの男を相手取って。

(アイツ、何であんな事が出来るんだ!? だって――)

頼もしさよりも困惑がつい先に立つ。その剣戟など虚仮に過ぎないとは菜緒自らも認めていたはずだった。
幼少の頃より修めていた技は3年も前に投げ出した。その蓄えだけでは一介の暴力的な青年にすら及ばなかった。
それが今という時になって何故に。いくら考えても圭介には納得出来る理由が見つからない。
これが菜緒本来の実力であるというのなら木戸に後れを取るはずもない。そればかりかこれまでの窮地をどれ程容易く切り抜けられたことか。
それとも親友を傷付けられた怒りでその才能が覚醒したのか。ならば同様の立場に身を置く大門の今の有り様と繋がらない。
怒りはその目を曇らせる。存分にその技を振るえなくさせる。そうでなければ「武の道」なるものは成り立たないのだ。

「せいっ、せりゃっ!」
「ぬ、お、すあっ!」

圭介の疑念を他所に再び戦いの火蓋が切られる。二閃、三閃と菜緒の刃が煌き驚愕の表情で大門がそれを避け続ける。
だが大門もさるもの。既に圭介では目で追えない菜緒の攻撃をその身に受ける事無く、逆に隙あらば一撃をねじ込んでくる。
そして菜緒も流麗な体捌きでその攻撃を見切り、また攻勢に打って出る。
空が斬り裂かれ、貫かれる。二人の攻防が目まぐるしく入れ替わる。
その斬撃、剣撃は一つ一つが相応の殺傷力を秘めており。見ているだけの圭介すらも怖気が差す。
特に菜緒の手から繰り出されるそれは鋭利な刃物と言う事と、他愛も無い会話を繰り返して来た仲間であると言う事もありより顕著に感じられた。

(――ナイ、フ? まさか――)

ふとある種の仮説が圭介の内に思い浮かぶ。
嘗て一夜を明かした2階戦闘禁止エリアにて、互いに自らの特技について語り合った。
その時に菜緒の特技は「居合い」であり、その「型」は傍目にも美麗なものであると美雪が告げていた。
もしや、それが答えなのではなかろうか。もし剣術の最高到達地点が自分の思い描いたものと同一であるとするならば。

――何でだかわかんないけど高校入学してからお父さんに道場出禁にされちゃったのよね。

菜緒の呟きが蘇る。もしかすると菜緒の父親が彼女の武の道を断った理由は人並みの少女らしい自由を与えたかっただけでなく――

(!! そうだ、美雪っ!?)

何れにしても推測の域を出ない持論を構築している場合では無かった。
慌てて圭介が視線を二人から外すと様子の変わらない美雪が其処に居る。つまりは彼女はまだ起き上がってはいないのだ。

「美雪っ! しっかりしろ美雪っ!」

膝立ちのままに這うように美雪へと近付く。大門の相手を菜緒に任せきりなのは心苦しいがこの期に乗じなければ彼女の救済は叶わない。
圭介の目に美雪は相当な衝撃で壁に叩きつけられたように映った。しかも見間違いでなければ、まともに受け身も取れていなかったはず。
まさかの事態が脳裏を駆け抜け。そうあってくれるなと願いつつ。
圭介は程無く美雪の傍に到達した。

「っ!!」

思わず悲鳴にも似た叫びが飛び出そうになり、慌てて圭介は手で口を塞ぐ。
意識が無い。それは起き上がる気配の無い事から想定済み。唇からか細い吐息が漏れ胸が小さく上下している事から最悪の懸念は回避された。
だが側頭部から血が滲み出ている。当たって欲しく無い予感は当たった。美雪はあの勢いそのままに頭を壁に打ち付けていたのだ。
声を押し殺しきれただろうか、圭介は恐る恐る戦いの場に再び目を移す。
こちらに背中を向ける形の今の菜緒に美雪の状況は確認出来ない。もし彼女が異変に気付けばたちまちに気を取られ均衡が崩される可能性がある。
それはマズい。今は菜緒だけが頼りなのだ。
幸いと言うべきか、少女の業に乱れは無い。目の前の巨人の猛攻を凌ぐのにどうやら精一杯であるのは少なからず安堵出来る材料ではあった。

しかし、こうなれば現状の維持だけでは如何ともし難い。
この場を逃れる事は元より一刻も早く安全な場所を確保し美雪の治療を行わねばならない。
だがそのためには当然大門を退けなければならず、それは今の菜緒ですら叶わない。
まさか菜緒だけを置いて逃げるわけにもいかず、菜緒と共に逃げるには彼女の存在抜きで何らかの形で最低でも大門の足を止めるしかない。

(それが出来るのは俺だけ、なんだけど――くそっ!)

美雪を抱きかかえながら手の中の拳銃を見つめ、圭介は唇を噛み締める。
大門を撃つ事に躊躇いは無い。だが今の立ち位置では菜緒に当たる危険性がある。
菜緒に下がるように命じた後の対処では大門の矛先がこちらに向く。それ自体は覚悟の上だがもし失敗すればまた同じ事の繰り返しだ。
己の慢心が自分を仕留め損なった事くらい大門も承知の上であろう。今度こそ間断無く。首の骨をへし折りに来るに相違無い。

自分には無理だ。自分では大門を止められない。
圭介は無力を痛感する。絶望感に寄り添われ、打開の案など何も浮かんでは来ない。

「はあっ、はあっ、く――このおっ!」

その間にも続いていた攻防の最中に、徐々に菜緒の疲労が見え始めた。
息が切れかけているのがわかる。動きも鈍り始めているのだろうか、大門の攻め手が激しさを増してくる。
業とナイフで大門の力と技には対抗出来た。だがその動力だけは匹敵しようはずもない。
このままでは何れ。彼女も勢いに飲み込まれる。そうなればこの菜緒の業も努力も、一切無為に終わってしまうのだ。

(どうすりゃ――いいんだ!?)

気付けばただ、嘆くだけの自分が居た。救いを求める自分が居た。
それがどれ程身勝手であるか、わかっていながらも。一心に圭介は幸運を願うしかなかった。


「こっちよ、圭介くんっ!」


その時声と共に後方の扉から姿を現した波多島乃得留の登場に。
圭介は思わず奇跡を錯覚した。

そのあまりにも都合の良過ぎるタイミングにすら。
追い詰められていた彼には微塵も疑いを抱く事は出来なかった。





 ゲーム開始より35時間53分経過/残り37時間07分



[21380] EPISODE-42
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/06/12 17:43
「――ノエルさん!?」

予想外に聞こえた声に仰天し、振り向けば其処には確かに見知った女性の姿があった。
波多島乃得留。全ての始まりの場に於いて圭介が出逢った参加者の一人。
そしてこの「ゲーム」の裏に秘匿された殺意の誘導をいち早く看破出来る程の卓越した頭脳を誇る若き才女である。
彼女が危険視する参加者の死に係わるカード、所謂「キラーカード」を圭介が引き当ててしまった事から袂を分たざるを得なかったが。
その問題点が解消された形になった今、圭介にとっては待ち望んでいたと言っても良い邂逅であった。

「早く! こっちに!」

その乃得留が自分たちを誘導している。同行者であったはずの大門よりも自分たちを。
彼女の佇まいに乱れは無い。以前と変わらぬ毅然とした態度で大門の如く豹変した様子は見られず、僅か気の張った部分が見えるのみ。
完全に状況の把握は為されている。救うべきは、手を貸すべきはどちらであるかと。乃得留の判断は既に完了しているのだ。

「でも彼女が――菜緒が!」

だが奇跡のような再会に現を抜かし、自分だけが希望に縋りつく事は圭介には出来ない。
今全員が辛うじて。命を取り留めている最大の功労者を捨て置ける訳が無い。この場を逃れるならば菜緒も一緒でなければ意味が無いのだ。

「わかってる! そっちは任せて!」

いきなりの難題を押し付ける形になったが、驚くべき事に彼女は圭介のその一言に理解を巡らせ力強い返答を返してくる。
言うが早いか乃得留が現在の立ち位置から飛び出すと部屋と通路を隔てる壁で隠れていたその半身が露わになる。
彼女は黒色に鈍く光る銃器を携えていた。圭介が一時所持していたものと同一の構造ではあるがその伸尺は半分にも及ばない。
俗に「サブマシンガン」と呼称される短機関銃を両手で抱えながら才女は程無く圭介と美雪の傍らに並び立った。

「其処の子、右に跳びなさいっ!」
「っ!!」

凛、とした声が通路に響き渡り。刹那遅れて菜緒の身体が自ら指示された方向へと跳ねる。
射線が開いた。大門の全身像が圭介の目にも留まる。

「な――」

乃得留の姿をその視界に捉えた大門の表情が驚愕のそれに変化した。その足元に向け乃得留は速射砲の弾丸を放つ。

「うっ!」

高速の連弾が床に無数の穴を穿ち、綺麗に弧が描かれる。埃と破片が舞い上がり、両腕で顔を防御した大門の身体に降り注いだ。

「今のうちに貴方も! 圭介くんも急いでっ!」
「は、はいっ!」

呼吸を整える間も無く浴びせられた勧告に、菜緒の身体が反応し退却が開始される。
それを確認した後圭介もまた気を失ったままの美雪の身体と鞄を抱え上げ、乃得留の横をすり抜けた。

「ま、待て――くっ!」

突如の嘗ての仲間の登場と対応に混乱を隠せぬものの、それでも獲物を逃すまいと。追い縋ろうとする大門を再び連弾が足止めする。

(す、っげえ――)

示された扉に向かいつつ振り返る圭介の視線の先で、乃得留は見事にマシンガンを使いこなしていた。
銃身を脇腹に固定させ目論見通りの場所へ着弾させ続けている。大門が一歩でも前に進めば被弾は避けられない、足止め目的には最適の位置に。
引き金すら引く事叶わなかった自分の無様を振り返れば如何に乃得留が驚異的な射撃技術を駆使しているかを痛感せざるを得ない。
その姿には何一つ違和感は無く美麗さすら感じさせられる。流石であるとすら、つい思い込まされてしまう。
それ程に圭介が彼女に寄せる憧憬は絶大で。それは出逢った時から一度も揺るがぬ印象であった。

「はあっ、はあっ――」
「もう少しだ、頑張れ菜緒っ!」

菜緒の荒い息遣いが圭介の耳に届く。美雪の状態を気にかける余裕すら今の彼女には無い。
激戦による消耗がそれだけ激しいと言う事なのか。二人分の重みを抱えて走る圭介と速度が変わらないのが何よりの証拠なのだろう。
いち早く圭介が扉へ到達する。開け放しの扉にその身を滑り込ませ、続く菜緒の手を取り室内へと引き込む。

「ノエルさんっ!」
「OK!」

余計な言葉は必要無かった。名を告げる、ただそれだけで乃得留は役目を満了し、その身を反転させ駆けてくる。
大門も追撃を再開するものの開いた距離は既に及ぶものでは無く。

「扉から離れて!」

軽やかに部屋に飛び込んだ乃得留がポケットから素早くPDAを取り出し操作を行うと。
そのまま扉は自動的に閉じられ、ガチャリと施錠の音がした。





なぜ乃得留が「部屋から」現れたのか。
逃げ場の無い袋小路に入り込む事がはたして大門から逃れる術として相応しいものなのか。
そんな圭介の疑問は室内の間取りを確認する事で氷解した。入口から見て正面、その壁には同様の鉄の扉が嵌め込まれている。
どうやらその扉は裏側の通路に直結しているらしくおそらく乃得留はそちら側からやってきたのだろう。つまりこの部屋は通過が可能な構造となっていたのだ。

「ふう、これでしばらくは大丈夫かしら」

手の甲で額の汗を拭いながら乃得留が一つ息をつく。相当に重圧のかかる役割を果たしたにも関わらずその呼吸にあまり乱れは無い。
美貌と才覚のみならず身体能力にまで秀でているのか、圭介は甚だ感心するばかりだった。

「あの、ノエルさん――さっきのあれは一体?」
「ああこれ? 下の階で見つけた新しいPDAの拡張機能よ。遠隔操作で施設の扉の開閉と施錠が出来る仕組みなの」

成程、と圭介は乃得留のPDAと入って来た扉を交互に見比べる。これまで施設の各部屋の扉は基本開け放しのものばかりであった。
故に室内での散策・休憩の際には人間の手による入念な封鎖が逐一必要ではあったのだがその手間を一切省く事が出来る機能であるらしい。

「これならば後は裏の扉から逃げ出せば何とか大門さんをやり過ごす事が出来るでしょう。とまあ、説明はこのくらいにしておいて」

ボタン操作一つで乃得留は反対側の扉の施錠と解くとそのままPDAをポケットに仕舞い込み。そしてその場にいる全員を見渡した。

「お久しぶりね、圭介くん。無事でいてくれると信じてたわ」
「あ、はい! ノエルさんも――今までよくご無事で」
「まあ何もかも順調、とは言わなかったけどね。やっぱり理想は理想だったって事なのかしら」

一瞬だけ微笑みを携えたその表情に、すぐさま悲嘆の影が差す。
そう。彼女、波多島乃得留が最初期の集合の際に提唱した理論は「ルールに踊らされず協力関係を築けば逆に助かる公算は高く人数も多い」というものだった。
だが今の彼女は独りだけ。それは理論の崩壊を何よりも示す事実であった。

「まあ、ひとまず貴方達だけでも無事だったのは何よりも喜ばしい事だわ。美雪ちゃんは――怪我してるみたいだけど」
「あ――」

乃得留の言葉に反応したのか。圭介が抱える美雪の身体がぴくりと微かに震えた。
そのまま閉じられた瞼がゆっくりと開く。どうやら気が付いたらしい。
若しやこのまま目覚めぬのではないか、という不安を必死に抱かないようにしていた圭介が何よりも心待ちにしていた覚醒の瞬間であった。

「あ、あれ――ノエル、さん?」
「はぁい、美雪ちゃん。早速だけどこの指何本に見える?」
「え、えっと――4本、ですか?」
「よかった、大丈夫みたいね」
「でも、ノエルさんは、三人に見えます」
「――前言撤回。あまり大丈夫じゃないみたいね」

乃得留は神妙な顔つきで突き出した4本の指を解く。

「彼女、大門さんに吹き飛ばされて頭を打ったみたいなんです。だから」
「頭、か――マズいわね。後々後遺症が出なきゃいいんだけど」

その呟きに圭介の表情が凍りつく。言うまでも無く頭部は人間の中枢神経を司るに重要な脳が格納されており、その部位への衝撃は外傷のみに留まらない場合もある。
下手をすれば一生涯悩まされる障害を負う可能性も皆無ではないのだ。
はたして美雪は大丈夫なのか。ただ杞憂であってくれ、と医学の知識の無い圭介には願うより他は無い。

「あ、圭介くん――そんな心配そうな顔を、しないで下さい。今はちょっと頭が痛くてグラグラしてるだけ、ですから」

少し休めば大丈夫です、と弱弱しい微笑を浮かべる美雪。こんな状態でも気遣いを忘れない彼女の様が圭介にはより痛々しく感じられる。

「どうして大門さんがあんな風になっちゃったか、なんて――聞くまでも無い事なのでしょうね」
「はい。その――」
「――小枝子さん。亡くなられたのね」

圭介は無言で頷き返す。乃得留はその苦渋の表情を片手で隠し俯いた。

「――私の責任だわ。あの見落としがこんな悲劇に繋がるなんて」
「何が、あったんですか」
「罠に嵌って、別れ別れになってしまったの。実はこの施設には罠が隠されていてね――あ、もしかしたらもう見た事があるのかしら」
「ええ、まあ」

件の剣山に関しては大門も既に言及していた。となれば必然乃得留も心当たりがある形にはなる。
おそらくそこからの推測なのだろうと圭介は特に注釈を加える事はしなかった。

「そう。それなのに今までずっと美雪ちゃんを守ってこれたのね。立派だわ、私なんかとは大違い」
「そんな――あ、言い忘れてた事がありました」
「何かしら?」
「ありがとうございます、助けて頂いて。もしノエルさんが来てくれなきゃ、俺たちどうなっていたことか」

乃得留の言葉を遮るように。圭介は丁寧に謝辞を述べる。
自分だけでは完全に進退極まった状況だった。それを救い導いてくれた乃得留にはこれでも足りぬ程の感謝の気持ちがある。
そんな彼女が。自分の命はおろか、大多数の参加者を救おうと画策していた乃得留が自責の念に苦しむ姿は見ていたくは無かった。
せめて言葉だけでも力になりたい。彼女の行為も思いも無駄では無いと伝えたかった。
それに自分はそんな尊い思いで美雪を守って来たわけではない。身勝手に、独善に美雪を傍に置いていたに過ぎない。
だからそんな風に自分を称える言葉もまた、聞きたくはなかったのも事実であった。

「――こちらこそありがとう、圭介くん。ただ必死なだけだったけど上手くいって良かったわ。でも、助かったのは私だけの功績じゃないでしょ?」
「え? あ――」
「よかったら私にも紹介してくれるかしら、彼女」

乃得留と共に振り向いた視線の先にはぐったりと壁に背を預け座り込み、一心に呼吸を整える菜緒の姿があった。
疲労困憊のその様は美雪とはまた違った意味で痛々しい。しかし彼女のその体力と引き換えでなければ大門は足止め出来なかった。
菜緒の活躍無くして今の自分たちの無事もまた有り得ない、とは過言ではおそらく無い。

「――ど、も」

注目が集まったのを感じたのか。菜緒は小さく顔を上げ、短く一言だけ乃得留に挨拶を告げる。
どうやらまともに会話に参加するのは未だ困難であるらしい。

「彼女は緑川菜緒。美雪の親友です」

美雪もまた会話が出来る状態では無いので代わって圭介が乃得留に菜緒を紹介する。
名前以外に付け加えた情報は一つだけであったがそれでも乃得留は驚いたような表情を見せた。
赤の他人ばかりを集めたような参加者の中で、親友という密接な繋がりを持つ人物が居るとは考えもしなかったのだろう。

「そっか。菜緒ちゃん、ね。私は波多島乃得留。よろしくね」
「――」

何か言いたい事は有ったのだろうが、疲労で言葉にならず口を開きかけたままで菜緒はただ首を縦に振る。

「すごいのね、彼女。まさか大門さんと武術で匹敵出来るなんて」
「ええ、俺も実は驚かされていたところで――」

どがっ!!

突如会話を打ち消すような轟音が、扉から鳴り響いた。

「な、なんだっ!?」
「――やっぱりあのまま諦めてはくれなかったみたいね」

続けざまに打ち鳴らされる、扉の外からの打撃音は何者の仕業であるのか。考えるまでも無い事だった。
追いついてきたのだ、大門が。そして諦めるつもりはないのだ、大門は。

「ま、まさかあの扉が突き破られる、なんてことは――無いです、よね?」

蒼白の顔色の圭介を嘲笑うかの如くに扉が衝撃の度に軋み悲鳴を上げる。徐々に変形し始めて見えるのは決して錯覚などでは無い。

「積もる話は山ほどあるんだけどそんな事してる場合でもない、か」
「ちょ――」

圭介の問いに対する才女の返答は否であった。
乃得留の判断はおそらく誤りではない。鋼鉄の扉を施錠するという封鎖すらも大門を退けるに値する障害では無かったのだ。
遠からず、あの扉は破られる。そうなると待ち受けているのは先程よりも絶望的な状況。思わず圭介は目眩を感じずにはいられなかった。

「圭介くん、二人を連れて裏から逃げなさい」

唇を切り結んだ乃得留が静かに告げる。サブマシンガンを抱え直し、扉に向けて銃口を突き付ける。

「え、でも、ノエルさんは!?」
「私がここで大門さんを食い止める」
「そんな、無茶だ!」

彼女らしからぬ無謀な決断に圭介は異を唱えずにはいられない。この封鎖が破られれば必然大門を室内に招き入れる形になる。
そうなれば通路でのそれより闘い方は多分に制限されるはず。そんな状況で4人がかりならばまだしも、乃得留は独りであの巨人に立ち向かおうと言うのだ。

「でも圭介くんが支えてあげなきゃ、今の美雪ちゃんと菜緒ちゃんじゃ満足に逃げる事も出来ないわよ?」
「う――」

だがそれも純然たる事実。未だ意識朦朧な美雪は勿論、菜緒もこれ以上戦闘には参加させられない。
それどころか今は逃げる足すら持ち合わせていない。生き残る、逃げのびるという大前提のためにはどうしても彼女たちには付き添いが必要になってくる。
それを引き受けられるのは圭介しかいない。乃得留と役割を逆にしては圭介では大門を一秒とて留める事は出来ないであろうから。

「大丈夫よ、私なら。それに――」
「それに?」
「傲慢な考えかもしれないけどね。私は大門さんだって助けてあげたいと思ってるの。ずっと一緒だった私なら、もしかしたら説得出来るんじゃないかって」
「あ、あんな人に情けをかけるんですか!?」

お人好しにも程がある、と非難めいた言葉がつい圭介の口を突く。
いとも簡単にその心の隙を突かれ、鍛えた身体と技を暴力に転換させた。そして自分を殺そうとした。何より美雪を傷付けた。
そんな大門に圭介は怒りを抱くばかりで到底情など寄せられない。圭介にとっての今の大門は忌むべき敵でしかなかった。

「そんな風に言わないであげて。根は純粋な人だって、圭介くんもわかってるでしょ?」
「それはまあ、そうですが――」

わかっている。わかっているからこそ許されない。
有り余る力を持ちながらもそれを御せない大門を。拳を向ける相手すら見極められない「大人の」大門を。
圭介は許せなかった。許したくはなかったのだ。

問答を続ける間にも殴打の間隔が短くなってきた。どうやら無駄に時間を浪費している場合では無いらしい。

「――わかりました。でもノエルさんも、危なくなったらすぐ逃げて下さいよ?」
「もちろんよ。私だって死にたくはないもの。少し離れた場所に戦闘禁止エリアがあるはずだから其処で落ち合う事にしましょう」
「了解です。美雪、おぶされ! 菜緒、悪いがもう少しだけ頑張ってくれ!」
「あら、二人とも名前呼び? 仲が良いのね、妬けちゃうわ私」
「な、何言ってるんですかこんな非常時に、もう――」
「ふふ、冗談よ」

余裕があるのか空元気なのか。何れにしても乃得留の軽口が圭介の耳には心地良く感じられる。
最初に出逢った時もそうだったが彼女との会話は実に噛み合わせが良い。おそらく性格的な部分でウマが合っているのだろう。
やはり得難い女性であると圭介は改めて痛感する。そして同時にこの女性を今まで遠ざけなければならなかった自分をただ只管に恥じた。

「しっかり捕まってろよ美雪。あんまり頭を動かすなよ?」
「は、はい――」

消え入りそうな声を受け、美雪を背負い上げる。そしてのろのろと立ち上がる菜緒の手を左手で取る。

「――歩けるか」
「何、とか、ね。何時までもへたばって、られないし」
「その意気だ。それじゃあノエルさん――また後で!」
「うんまた後で、ね」

ばいばい、と手を振る乃得留に後ろ髪を引かれる思いを感じながら。
圭介は菜緒の手を引き部屋を後にした。






「――何だよ、随分と白けた結末でやんの」

離れた場所から一部始終を文字通り「観戦」していた長沢が珍しく不満を露わに呟いた。
彼が演出した大門三四郎と鳴神圭介一行による同士討ちの結末は、波多島乃得留の介入により圭介たちが近隣の室内に逃げ込むというものに終わった。
日本最強の空手家はその秘められた破壊力を存分に見せつけはしたもののその結果は僅かに怪我人一人を生み出すに留まってしまったのだ。
こうなると目に届く範囲での戦闘は最早行われない。この先どうなるにせよ、観戦はこの時点で終了という扱いにはなる。
それが余程にお気に召さなかったらしい。病弱を装う人外はおそらく一人二人は無惨な肉塊と化す様を期待していたのだろう。
口を尖らせながら長沢は「あーつまんねえつまんねえ」と子供のように繰り返していた。

「せっかく血みどろの修羅場が見れると思ったのにさ、何だいあの爆乳ポニテとマシンガン女。チートキャラか、ってえの」
「――俺に言われても知るか、そんな事」

鬱陶しい、と感じつつ、思惑が外れて悔しがるその様に多少の溜飲を下げながら率直な返答を木戸は長沢に返す。
視線の先では大門が4人が逃げ込んだ部屋の前に到達していた。ドアノブに手をかけ何やらもたついている。
どうやら施錠が為されているらしい。籠城を決め込むには当然の措置ではあるのだろう。

「うへ、アイツ扉を殴り始めやがった。おい長沢、まだ終わってねえんじゃねえの?」

しばしの後、大門がその拳を扉に叩きつけ始めた。どうやら素手で見るからに頑丈なあの扉を突き破るつもりらしい。
常人ならば一笑に付すべき発想であったが大門ならばやりかねない。そして成功の可能性はおそらくそう低いものではないだろう。
つくづく相手にすべきではない、という自身の認識が誤っていなかった事を木戸は改めて思い知った。

「どーせ裏から抜けられる構造になってんだろ、あんなの。も少し頭働かせなよキッド」
「あー、なるほどな。あのノエルが考えそうなこった」
「それよりもキッド、あいつ今なら隙だらけだぜ? チャンスじゃねえの?」
「馬鹿抜かせ。近付く間に見つかったら俺ぶっ殺されるだろが」

戯れ以外に考えられない長沢の物騒な嗾けを適当にあしらいつつ木戸は先程まで目の前で繰り広げられた光景を思い返していた。
そう。あの男は鋼鉄の扉すらも破壊しかねない巨人である。その力の前には多少の武器を携えた凡人程度では到底敵うものではない。

(なのに――それが何だって、こんな事になってるんだ?)

だが今の大門の目の前にあるのは圭介たちではなく物言わぬ扉。彼らはその猛威を前にからくも最小限の被害で乗り切ったのだ。
なぜなのか。その理由となる幾つかの衝撃の事実は、どうにも木戸には信じられないものばかりだった。
まず1階で自分が撃退したはずの弱者に相当する名も知らぬ少女が大門と互角に戦っていた。
自分に木刀を弾き飛ばされ怯えの表情を浮かべていたはずの彼女がなぜ、あの巨人に匹敵出来たのか。
自分の強さが大門に及ばない事など考えるまでもない。その程度の身の程の分別の付かない木戸では無い。
その自分に敵わなかった女が、なぜ。どうにも理解に苦しむ事実である。

(それに、ノエルだ。あの女、何で――)

木戸の右手には未だ鈍い痺れが残っていた。先程大門の狂乱を誘発させるため、拳銃を撃った衝撃の残滓である。
完全に見当違いの方向に跳んだ弾丸は、大門を確実に狙ったものであった。必中の必要性は無かったがもしまかり間違って大門を仕留める事が出来たなら。
木戸に科せられた解除条件は少しばかりの進捗を見せる形になっていた。結果的に長沢の目論見通りになりはしたが、木戸にとってはその方が望むべき結果であったのだ。
なのに果たせなかった。当たらなかった。
距離の遠さ、片目というハンディキャップ。理由は幾つか上げられるが何よりも大きいのは木戸が拳銃の扱いに慣れていないという現実である。
だがそれもまた当然なのだ。如何に一般人の日常から逸脱した人生を送っていたとはいえ、さしもの木戸も銃など撃った事が無い。
人生初の銃撃がそう簡単に成功するとも思ってはいなかったが。それでもここまで扱いに苦しむ代物だとは想像だにしなかった。
それなのに。突如姿を現した乃得留はそれをいとも容易く行って見せた。
拳銃よりも操作困難なサブマシンガンを巧みに操り、見事大門を足止めしてみせたのだ。
頭の回転の速さ、並々ならぬ度胸。出逢った時から見せつけられたその才覚の片鱗には目を見張るものがあった。
だが銃器の扱いにまで精通しているのは流石に行き過ぎだ。一般人の領域から逸脱しているとは過言ではあるまい。

(あの女ども、何者なんだ――?)
「おいキッド、そろそろ行こうぜ。とっととこの階のチェックポイント回っちまおう」
「ん、ああ」

考える程に得心の行かない木戸だったが、長沢の方はこの場の興味を完全に失ってしまったらしくしきりに出発を急かしている。
止む無く木戸も考察を打ち切り大門に背を向けた。

長沢の前に立ち率先して先頭を務める。長沢は決して木戸より前を進む事は無い。
隙あらば喉笛を噛み千切りにかかる猛犬と主。彼らの関係には依然変化は有り得なかった。





(――さて、と)

圭介たちの足音が耳に届かなくなったのを確認し。乃得留はPDAを扉に向け操作する。
変形しかけた扉が手前に開き、勢い余った大門が転がるように室内へと飛び込んできた。

「!! ノエル、さん――あいつ等はっ!?」

危うく床に激突しそうになる身体を何とか踏み止まらせた大門は独り佇む乃得留に問いをぶつけてくる。
争いに介入してきたばかりか自分に向けて銃弾を放った乃得留に対しながらも大門は圭介たちのように怒り任せに挑みかかりはしない。
濃密な時間を共に過ごしたという記憶と意識によるものか。若しくは下層にて分断された際に置き去りにしてしまった良心の呵責によるものか。
何れにしても大門は乃得留のみには未だ敵意を抱いていない様子であった。そんな大門に乃得留は背中越しに、奥の扉を指示して見せる。

「とっくに逃がしてあげたわよ。ほら、あそこから」
「何故だっ!?」

巨人が吼えた。敵意は無くとも全てが許せるかはまた別問題。圧倒的な威圧感を漂わせる怒声には認めざる意思が確かに込められていた。

「何故だノエルさんっ! どうして奴らの味方をする!? どうしてボクの邪魔をするんだっ!?」
「落ち着きなさい大門さん。今の貴方、とても見苦しいわよ」

だが乃得留は一歩も退く事は無く逆に冷静に、窘めるように。大門に対し苦言を呈す。

「彼らは私の仲間だもの。襲われて傷付く様を黙って見過ごせるわけないじゃない」
「君はっ! 何も知らないからっ! そんな事が言えるんだよっ!」

吐き出される悲痛な叫び。怒りよりも強い無念が伝わってくる。

「小枝子さんは彼らに殺されたんだ! こんな事、許せるわけがないじゃないかっ!!」

大切な人を失ったのだと。信じていた少年たちに裏切られたのだと。悲劇に見舞われた哀れな格闘家が訴える。
しかしそれは真実ではない。古谷小枝子を殺害した犯人は圭介たちでは無い事は、既に乃得留は承知していた。
だが愚かなこの男にはその真偽を見定める目が備わっていない。安易な妄言に引っ掛かってしまう程度の頭しか持ち合わせてはいないのだ。
同情の余地が無いわけではない。人を信じ抜く気質は美徳であり、それを様々な要因で削り取って行くのがこの「ゲーム」の性質である。
そんなシステムに大門は嵌り込んでしまった。ただそれだけの事なのだ。
誰かがその霧を打ち消し晴らし、そして導いてやらなければならない。そしてそれが出来るのは自分だけであると、乃得留は確信していた。


「ええ、知ってるわ」


だからこそ。彼には更に迷い込んでもらわねばならない。
「日本最強の空手家」という魅力的な駒である大門を「ゲーム」の中で暴れさせなければならない。


「だって――小枝子さんを殺すように彼らに命じたのは他ならぬ私だもの」


何故なら波多島乃得留という女は、そう仕向ける立場にある人間であるのだから。

「――」

大門の言葉が途絶する。無様に口を開いたまま、乃得留の発した台詞を理解出来ないで居る。

「は、はは――急に、何を言い出すんだい? ノエルさん――君にしてはあまりにも、酷過ぎる冗談だ」
「聞こえなかった? 『彼らは私の仲間だ』って」

小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。今の自分は大門にはどう映っているだろうか。豹変した悪女の如きであるならば上々であると乃得留は更に言葉を繋ぐ。

「実行犯はあの子、緑川菜緒ちゃん。見たでしょ? あの子の刃物捌き。彼女が小枝子さんを殺したの」
「嘘、だ――」
「もちろん木戸くんも私たちの仲間の一人よ。彼には予めあの場で私に反抗するよう、裏で伝えてあったの。別行動で菜緒ちゃんと準備を進めておくようにって」
「嘘だ、嘘だっ!」
「後は準備が整うまで、私が貴方たちを引き留めておいた。これが全ての筋書きよ。つまり貴方たちはまんまと騙されてしまったわけ。『私たち』に」
「ウソだああっっ!!」

頭を振り乱し声を張り上げ、大門は乃得留の言葉を必死に否定する。
認めたくは無いのだろう。今まで自分を導いてくれた人物が。心を通わせたはずの人物が、よもや悲劇の主犯であるなどと。
無論その殆どは出まかせである。小枝子の殺害には圭介たちも木戸も何ら係わってはいない。それどころか秘密裏に乃得留とコンタクトを取っていた事実すら無い。
だが今の現状に、乃得留は確かに到達点を定めていた。素知らぬ顔で仲間付き合いを続けながら、じっと小枝子殺害の期を窺っていた。
そして黒江唯子の接近を見計らい、罠の見落としを装い一行を分断させた。
更に大門を絶望の淵に叩き落とし他参加者に疑心を抱かせるまで、全て乃得留の思い描いた未来予想図であったのだ。
結果はほぼ目論見通り。激情に駆られた大門は嘗ての仲間であったはずの圭介たちにまで拳を振るう狂戦士と化した。
圧倒的なスペックを持ちながら生半可な揺さぶりではおよそ「ゲーム」に飲み込まれそうにない正義の空手家を、見事乃得留は動かす事に成功したのだ。

「何故だっ!? 何故君がそんな事をする必要があるっ!? 何故君が、小枝子さんを殺す理由があるっ!?」
「さあ、どうしてなのかしら」

奥底に潜む真実など、大門に語る必要は無い。
虚と実を織り交ぜて。絶えず飛び散る現実というパズルのピースを適度に繋ぎ合せ。
都合の良い理屈を突きつけてやればそれで事足りる、騙されてくれる。
それは大門に限った事では無い。今頃圭介たちもまた、敵だらけの「ゲーム」の中で波多島乃得留こそが一筋の光明であると信じ込んでいる事だろう。

「仲間だって、言ってくれたじゃないかっ! ボクたちと一緒に居られて嬉しいって、言っていたじゃないかっ!」
「言ったわね、そんな事も」

そう言えば、そう接すれば。単純な二人は微塵も自分を疑う事は無くなるから。
24時間という時を共に過ごし苦境を乗り切れば、真実に気付いた時により深く傷つくだろうから。

「『より多くの人を助けたい』って、それが君の主張ではなかったのか!? なのにこれじゃあ、これじゃあ――!!」
「それも確かに、言ったわね」

人は道を見失えば、例えどんな希望でも縋りたがるもの。だから示した。救われるべき道を。
だがその理想は果てしなく遠いもので、その前には様々な障害が立ち塞がるのだと。気付けば踊らされるしかない。
「こんなはずではない」と泣き叫びながら。殺すか殺されるかの選択肢に迷い続けるしかないのだ。最後の、最後まで。

「だったら何故っ!?」
「少しはその足りないオツムで考えてみたら? それに『小枝子さん』って本人が傍に居た時には一度も呼ばなかったクセに。
 なのにいざ聞こえなくなったら途端に名前呼びなんて――意気地が無いと言うか図々しいと言うか」

「キ――サ、マああああっっ!!」

再び嘲笑を浴びせかければ、遂に大門の想いは決壊を迎えた。
大門の中で頼もしい仲間であった波多島乃得留は、今この瞬間をもって完全に忌むべき敵へと変貌を遂げた。

「うおおおっっ!!」

拳を振りかざし襲いかかってくる。手加減抜きの必殺の拳。その身に受ければ一たまりも無い。
だが武の精神に則った大門本来の拳ならば兎も角。血気に逸った単なる暴力の証など乃得留には通用しない。
このような状況を想定し、特殊な訓練を受けた経験のある乃得留には容易くあしらえる程度のものでしかなかった。

「はい、っと」
「っ!!」

ひらりと身をかわす。暴風が脇を吹き抜け、そのままの勢いで資材棚に激突した。
棚が倒れ積み上げられた荷物が落下する。忽ちに大門の身体に降り注ぎ、その巨体を埋め尽くす。

「はい、『仕上げ』完了。それじゃあね、大門さん」

凡そその場に似つかわしく無い気軽な挨拶を残し乃得留は裏の扉から部屋を飛び出す。
そして素早くPDAを操作し、その扉と更に入口にしっかりと施錠を行った。

「これで良し――っと。大門さんなら自力で扉を破るのに、20分ってところかしら?」

前後の扉が封鎖され、これで大門は室内に独り閉じ込められた形になる。
それでも大門の力ならば例え鋼鉄の構造であっても破壊は可能であるだろう。だがそこには「時間をかければ」という条件が必要となってくる。
乃得留は扉の耐久力と大門がその身に秘める破壊力を概算し、ある程度の時間を弾き出した。乃得留が逃げ切るには十分な時間である。
無論予想外の事態は考慮して然るべき。不具合が生じてすぐさま破壊されるという万一に備え、乃得留はその場を足早に後にする。

これで漸く重荷は無くなった。何とか大門を、ほぼ予期していた通りに仕上げる事が出来た。
唯一にして最大の仲間と信じていた自分にすら裏切られた事で、彼が部屋を抜け出す頃にはより一層の激情と憤怒を燃やしている事だろう。
そして今度こそ、見境なく。激しく参加者を発見しては襲いかかるに違いない。
正に鎖から解き放たれた猛獣の完成であると。乃得留は自らの手綱捌きに満悦を感じていた。

(さて、圭介くんたちは、と――うん、順調みたいね)

道すがらPDAの地図機能を展開すれば、乃得留の地図には施設の概要の他に幾つかの光点が記されていた。
それはこの「ゲーム」の参加者を指し示すもの。乃得留のPDAにのみ許された、JOKERすらも転写が不可能な特別な機能であった。
今、圭介たちを表す3つの光点は均等な速度で通路を進んでいる。戦闘禁止エリアに向け問題無く道筋を刻んでいる様子だ。

(上手く切り抜けられた、とか思ってるんでしょうけど――むしろここからが本当の試練よ。頑張ってね)

予測される未来を想像し、乃得留は思わず含み笑いを洩らす。
この先に待ち受ける事態に遭遇した時、はたして彼はどんな対応を行うのであろうか。
自分の思惑に嵌ってくれるだろうか。それとも予想を裏切り、今度も乗り切ってしまうのだろうか。
どちらでも構わない。例え道筋を違えてしまったとしても、その都度修正を行えば良いだけの話だ。そして今の自分ならば、それも可能であるだろう。

(さて、どうなります事やら――ひとまず私は、せっかくだから小枝子さんに、最後の一働きをしてもらいましょうか)

自らの解除条件である首輪の作動を小枝子の遺体の首輪にて行うべく。
乃得留は地図を頼りに進み始めた。





 ゲーム開始より36時間21分経過/残り36時間39分



[21380] EPISODE-43
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/06/12 06:25
約30分の行程を経て圭介たち一行は4階戦闘禁止エリアへと到着していた。
最早見慣れてしまった感のある今までのものと同一の室内構造を見渡しながら漸く圭介は窮地からの脱却を確信し、安堵する。

「お疲れ様、二人とも。しばらく身体を休めてくれ」
「はい」
「ん、ありがと」

少女たちは二人並んでソファに腰掛け柔らかな質感にその身を預ける。
遠慮も見栄も無くただ圭介の言葉を受け入れるその様は何よりも激戦の傷跡を物語っていた。
時間の経過と共に各々口も聞けない程の最悪の状態からは回復出来ているものの、それでも万全であるとはお世辞にも言えるものではない。
特に気がかりになるのは美雪の症状だ。大門に頭部を強打させられた彼女は現在意識ははっきりしているのだが、応急処置で捲きつけた包帯には依然血が滲み出している。

「頭の出血って思ったより派手に見えるから。そこまで心配する事も無いと思うわよ?」

過去幾度かそういった場面に遭遇した経験のあるらしき菜緒に言い含められはしたものの。それでも時折辛そうに表情を歪める美雪が圭介には心配でならなかった。
そうは言っても頭部への衝撃なのだ、予断を許さぬ現状なのは確かであるだろう。脳震盪と擦過傷、それだけで済めば僥倖であるのだが。

「――そうだ、ありがとうな、二人とも」
「へ?」

突如として頭を垂れた圭介に、美雪と菜緒は揃って不可思議な表情を浮かべる。

「二人のおかげで助かった。君たちが大門に立ち向かってくれなきゃ俺、殺されてたかもしれない。だから、ありがとう」

筋肉の鎧を纏ったあの重装歩兵に力無き少女が立ち向かうのはどれ程の恐怖であった事か想像に難くない。
仮に見捨てて逃げ出されたとしても無理は無い状況であった。それでも勇気を振り絞って。美雪は縋りついてくれた。菜緒は挑みかかってくれた。
そのおかげで今がある。今という時を続けて生きていられる。
だからこそそれは一片の偽りも無く、圭介の心から純粋に湧き出た感謝であった。

「それでその所為で二人に負担を掛けてしまった事、非常に申し訳無く思う。ごめんな、俺の力が足りないばっかりに」
「――あの状況を自分一人の力で切り抜けるつもりだったとか、すっごい自惚れだと思うんだけど」
「そうは言うがなあ」

己の力を過信したつもりは圭介にも毛頭無い。だがあの時点で大門に対抗し得る手段を持ち得ていたのは自分だけであるとしか考えられなかった。
マシンガンという武装。そしてそれを行使する覚悟。対手を傷付けようともその先の悲劇が起ころうとも。受け止める気概を持っていたのは自分だけであったはず。
なのにその土壇場で自らの練度の低さにより生じた迷いが圭介自身はおろか美雪と菜緒にまで危機を招き入れてしまったのだ。
挙句守られるべき立場にあったその二人に逆に救われたとは何とも立つ瀬が無いというものだ。

「――ま、言われてみれば確かにその通りではあるか。んじゃそれについても謝っとく。ゴメン」

だがそんな沽券の下落を気に病む事こそが自惚れであるとも言えるのだろう。
今の自分の力など所詮は瑣末なものでしかない。それが露見した今、無駄な意地を張る必要も無いと素直に圭介は重ねて謝罪した。

「ふふん、そゆ事そゆ事。これからももっとあたしたちを頼りなさい、ってね」
「ちょ、ちょっと菜緒、それは言い過ぎじゃ」
「そうだな。あの剣技があるなら頼りにした方がいいのかもしれない。あの時の菜緒、カッコ良かったぜ。思わず見惚れちまった」
「う、うぇっ!?」

何と表現すべきなのか。不意打ちまがいの圭介の賞賛に、菜緒は奇怪な叫び声を上げた。

「――『カッコ良かった』、ですって。良かったね、菜緒」
「ちょ、ちょ、ちょっ! ちょっとま、待ち、何よ突然っ!?」
「何だよそのリアクションは。言っとくが冗談のつもりはないぜ?」
「余計にタチが悪いっ!!」
「は?」

美雪の持ち上げが更に助長を促したのか。目を覆わんばかりのうろたえ振りの菜緒である。
技を褒められる事に慣れていないのだろうな、などと的外れに納得しつつ圭介はこれ以上の言及は避ける事にした。

「――あー、うん。ありがと。すごく嬉しい。けどね、実を言うとあたし、あの時の事って殆ど覚えてないのよね」
「覚えて、ない?」
「うん」

多少の落ち着きを取り戻した後。菜緒は気まずそうに呟き気味に語り始めた。

「最初はやっぱり怖くて身体が動かなかったのよね。でも圭介が首絞められて、美雪が壁に突き飛ばされて。それで何とかしなきゃって思ってもやっぱり動けなくて。
 そんな怖さとか悔しさとか、色んな思いで頭の中がぐちゃぐちゃになって勢いでナイフを抜いたらそのまま――意識がぶっ飛んじゃったの。こう、ぽーんと」

片手を頭上に持っていき、菜緒は仕草で破裂のイメージを表して見せる。

「後はノエルさんの声が聞こえるまで、完全に無意識だった感じ。闇雲にナイフ振り回してた感覚が、辛うじて残ってるくらい」
「それだけ菜緒は必死だったって事なのかもね。わたしは気絶してたからどんな様子だったか全然わからないんだけど」
「多分、ね。それにしたって我ながら覚えて無さ過ぎだと思うんだけど。あれかな、これって俗に言う『無我の境地』ってヤツ?」
「無我の境地――か」

その言葉は決して過言では無いのだろう、圭介は荘厳とも言える少女の佇まいを思い返す。
そして一つの結論が出たような気がした。1階での木戸との戦いの際、なぜ彼女はこの力を発揮できなかったのか。
自分に対する疑念、木戸に向けられた侮蔑。そして自分一人で解決を計らんとする驕りと虚栄心。そんな雑念に満ち溢れ、当時の菜緒は自分を見失っていたのだ。

「なるほどね。つまりアレは菜緒が『俺たちを助けたい』って想いを爆発させた結果だったってワケだ」

だが今回は違う。内を満たしたのは清く尊い想いばかり。それが真の力を呼び起こした、とは多少綺麗が過ぎる解釈になるだろうか。

「かもね、ちょっとくすぐったい言い方だけど」

菜緒は肩を竦めて苦笑する。記憶の欠落が確証を齎さず、故に堂々とは胸を張れないという複雑な感情が見て取れた。

「後はもう少し踏ん切りが早ければ、ね。そうすれば美雪が怪我する事もなかったかも知れないのに」
「それは気にしすぎ、だよ。菜緒は一生懸命頑張ってくれた、わたしと圭介くんの命を救ってくれた。それで十分だよ」
「――うん、ありがと」
「お礼を言うのはこっちの方だってば」

傷付いた少女が親友を窘める。貴方は何一つ間違った事はしていないのだと。
命の危機に瀕しても、こうして互いに想い合える。そんな二人の関係が圭介には眩しく感じられた。

「――因みに菜緒、今までにこういった経験はあるのか?」
「え? どしたの急に」
「いや、ちょっと気になった程度なんだけど」

詳しい説明は躊躇われる雰囲気であったので圭介は適当に言葉を濁す。
実の処、これで全ての説明が為されたわけではなかった。確かに「一定の条件下において菜緒はその本領を発揮できる」とは解明されたものの。
さりとてそれは「大門に対抗出来た」理由には成り得ない。何しろ相手は日本最強まで昇り詰めた巨人。一介の少女の本領程度が敵うべくものでは無いのだ。
その理由として圭介は、戦いの最中に一つの仮説に辿り着いていた。それが真実であるか否か、確かめる必要があるが故の質問なのだ。

「うーん、よくわかんないなあ。だってあたし、カッとなって回りが見えなくなるのはよくある事だし。美雪にもお父さんにも度々それで怒られてるしさ」
「まあ、それは散々思い知らされた」
「うわ、それが命の恩人に対するセリフ!?」
「さあて、な」

惚けた素振りを見せつつ圭介は菜緒に自らの脇腹を軽く叩いて見せつける。
一階での争いの際に木戸に殴打されたその部位に「回りが見えず迷惑をかけた」記憶を呼び起されたのか、菜緒は「あう」と些か悔しげに口をつぐんだ。
件の出来事は美雪には内緒の二人だけの秘密である。それを楯に取られては菜緒に抵抗の余地があるはずもない。
考えを戻せばどうやら菜緒は今回の出来事をそういった失敗談と混同しているらしかった。ならば、と圭介は次の質問を矢に番え、放つ。

「もしかして、道場で剣術やってた時によく怒られてたんじゃないのか?」
「あーそうそう。よく『目を覚ませ!』って怒鳴られた記憶があるわ。あ、もしかして――」
「うん。やっぱ昔っからそういう兆候はあったんだろうな。つまりあれは突然の覚醒ってんじゃなかったんだ。少し安心したよ」
「なるほど、過去に経験があれば『あれは一度きりの奇跡で二度と期待は出来ないんじゃないか』と考えなくてもいいんですね」
「ま、そういう事かな」
「あー、そっかあ」

じゃあ自信を持っていいんだ、と少し嬉しそうに菜緒は拳を固めてみせる。
記憶は定かで無くとも、その状態の礎は存在している。そんな事実に勇気づけられたのであるのだろう。

そんな少女を静かに見つめながら、圭介は自らの推測が正鵠を射ていた事を確信した。
「菜緒は刃物を抜いた時のみ自らの意識外でその実力を発現出来る」のだと。

あの時の菜緒の技は抜群の冴えを見せていた。そして我は忘れども判断力や見切り度合いまで消え去ってしまっていたわけではない。
つまりは人を「斬る」事に特化した、正に技の化身そのもの。それが覚悟を決めて刃を抜いた菜緒の辿り着く先なのだ。
精神の伴わぬ人斬りの技術の結晶。はたして菜緒の父親は、そんな娘の姿をどう受け取ったのであろう。
師として見ればこれ以上無い傑作。だが父の立場では、危うさを秘めた娘でしかない。
それを正すべく指導を続けた。しかし中学を卒業してもそれは果たせなかった。
このままでは彼女の娘としての成長に障害を来しかねない。そう感じたからこそ、その天賦の才を惜しみつつ道場を破門にした。

真実であるかどうかは緑川氏に直接問い質さねばわかるものでは無いのだが。状況が告げる正解としてはそれが正しいのではないだろうか。
だとすれば、到底本人に伝えられる推測ではない。発現した自らの新たな力がねじ曲がったものであるなどと、どうして伝える事が出来ようか。

(そうか。菜緒も、俺と同じ――なのか)

やりきれない想いを感じつつ、圭介は自らの「魔術」に菜緒の技を重ねた。
決して世間には認められない技。報われる事の無い無為な研鑚。それが若い内に自覚無きまま身内の手により封印されたなら、それはどれだけ幸せであるだろう。

(これ以上菜緒を、戦わせちゃいけない――戦わせたくない)

思い出させてはならない。覚えさせてはならない。菜緒自身のために。これから先の未来のために。
無論贅沢を言える状況では無い事は圭介も熟知している。生き残るために使える手段を限定させるのは得策では有り得ない。
だがどの道彼女の技に頼る事はこれから先はおそらく無い。真っ向勝負は無手で挑んでくる大門のみに許される戦略だ。
長沢や木戸、黒江唯子は間違い無く襲撃の際には銃器を駆使してくる。接近戦の可能性は皆無に等しい。
仮にその状況が訪れたとしたならば、それはどちらかが力尽きた時。命を奪うための止めの際に他ならない。

(安心しろ菜緒、お前の手は汚させない。手を汚すのは――俺一人で十分だ)

そのためにも何処かで折を見て銃器の扱いを再度確認しておこう、圭介は改めてそう心に固く誓う。
それがどれ程驕り誤った考えであるかに気付く事も無く。

「あ、それよりさ、ノエルさん! 聞いてた以上のすごい人だったね!」
「ん? ああ――」

ふと話題が転換したので思わず圭介は生返事を返す。

「度々話題に出てた人だから正直『どれ程のモンよ』って思ってたんだけど、納得だわ。ホントかっこいい人だったなあ」
「ね、言った通りだったでしょ。ノエルさんはとても頼りになる素敵な女性だって」
「『女性』ってとこがまたポイント高いのよね、あたしにしてみれば」
「ブレないなあ、お前は」

男嫌いの菜緒にしてみれば大門に対しても臆す事無く毅然と立ち向かう乃得留の姿は目を惹かれるものがあったのだろう。
嬉々として語るその様には初めて出逢った認めるべき女性としての憧憬の念が感じられた。

「――無事だと、いいんですけど。ノエルさん」
「無事に決まってるさ、あの人なら」

心細さを押し込めたような美雪の呟きに応えながらも圭介もまた彼女の健在を願わずには居られない。
古谷小枝子は殺害され、心の壊れた大門三四郎は狂える暴力の化身となった。険しい道のりの末に、乃得留は全ての仲間を失い独りになってしまったのだ。
当初の望みが完全に失われ、自ら武器を取る事を選ばざるを得なかった彼女は一体どんな心持ちであったのだろう。
それでも折れる事無く自分たちを救済してくれた。大門に対しても微かな希望を頼りに説得を試みようと独り居残る事を選択した。
そんな乃得留の命が、失われて良いはずがない。何としても戻って来てもらわねばならない。
そしてこれから先は是非傍に居て、力を貸して欲しい。
自ら彼女との距離を置いておきながら身勝手な欲求だとは承知しながらも。圭介はただ一心に、乃得留の無事を祈り続ける。

戦闘禁止エリアの入口の扉が外から開かれたのはその時だった。

(ノエルさん!?)

すわ待ちわびた人物の生還かとつい気が逸り、圭介は大仰に身体を入口へと向ける。
だが訪れたのは乃得留ではなかった。姿を表したのは彼女とは似ても似つかない、大柄で寡黙な男であった。

「――楯岡!」
「先客は、お前たちだったか――む?」

サングラス越しに室内を見渡す楯岡和志の視線が美雪を捉える。彼にしては珍しく、驚いた様子が垣間見られた。

「森下美雪――無事だったのか」
「え? あ、はい、おかげさまで」

何故名指しで安否の確認を行われたのか、訝しみながらも美雪は楯岡に応える。
3階での邂逅の際、圭介が彼女と望まぬ別行動を取らされていた事実を踏まえた上での発言なのだろう。
それにしても情の感じられない冷徹な、事実確認のためだけの物言いである。それが圭介には随分と気に食わず、つい余計な言葉を添えてしまう。

「何だよ、美雪が無事だとアンタに不都合があるのか?」
「さて、な。好きに受け取ればいい」

嫌味を込めたつもりであったが楯岡はまるで気にした風も無く、ずかずかと室内に入り込んでくる。

「お、おい! 誰が入っていいって言ったよ!?」
「戦闘禁止エリアの使用は参加者全員に許された権利だ。お前の許可を得る必要など無い。不満が有るなら力づくで排除してみるか?」
「く――」

そんな事が出来るはずもない。その行為が「戦闘行為に該当する」と主催者側に認知されれば圭介はペナルティを負う羽目になる。
それを重々理解した上での不遜な態度。つくづく癇に障る男だと圭介は口惜しげに唇を噛み締めた。

「す、すみません。お邪魔します――」
「あれ? アンタは――」

か細い声で恐縮しつつ、その小さな身体を益々縮み込ませ楯岡に次いで入室したのは左手のリストバンドの目立つ少女。

「あ、先程もお会いしましたね。改めまして、私は北条かれんと言います」

確かに見覚えのあるその少女が、圭介に対し丁寧にぺこりと頭を下げて見せた。

「訳有って楯岡さんと行動を共にさせてもらっています。以後、宜しくお願いしますね」
「は、はあ――」

思わず間の抜けた声が圭介の口から漏れる。北条かれんと名乗る少女のその態度は、不躾が過ぎる楯岡のそれとはまるで真逆のものであった。

「とりあえずしばらくの間、ご一緒させて頂く事になりますが、構いませんか? できるだけご迷惑にはならないように努力しますので」
「そ、そりゃまあ、別に」
「よかった。ありがとうございます。それじゃ失礼しますね」

別段必要性の無い許可を取り付け顔を輝かせたかれんは再度腰を折ると楯岡の元へと駆け寄って行く。
やはりあんな男とはいえ同行者の傍が気の休まる場なのかと思いきや。

「ほら楯岡さん、こうすれば別に問題無いでしょう!? なのに何で貴方はいつもいつも失礼な事ばっかり!」

少女は表情を一変させ、楯岡をきつく睨み見上げ、非難の言葉を浴びせかけていた。

「う、うわあ――随分と気の強い人ですね」
「そういや前に会った時もあんな感じだったな」
「そうそう、大人しそうな顔してるんだけどね」

かれんに面識の無い美雪のみが驚きを隠せず、圭介と菜緒は初めて出逢った時の彼女を思い返す。
楯岡の行き過ぎた行動に対し、かれんがそれを声高に窘める。今、目の前で繰り広げられている光景はあの時とまるで変わりの無いものであった。
その様は決して良好な関係であるとは言い難い。見えない部分でのかれんの気苦労が窺えて圭介は思わず彼女への同情を禁じ得なかった。

「よくぞまあ、あれで今まで一緒に居れたもんだ」
「と、言う事は、楯岡さんは危険な人物では無い、という事ですか?」
「どうだかな、事情があるって言ってたし」

当の楯岡はと言えば聞く耳持たずといった感じで腕組みしたまま黙して壁に背を預けている。
あそこまで言いたい放題を許すという事は、かれんを傍に置く事は彼に何某かのメリットがあると考えるのが妥当であろう。
その理由あればこそ、かれんもまた楯岡の傍を離れられない。おそらく二人の関係はそういった形で構築されたのではないだろうか。

「ま、一つ言える事は俺はあの男が好きになれないって事だ。この部屋を休憩に使うのは勝手だけど、口を聞きたいとも思わないね」
「――前に会った時に何かあったんですか?」
「話した通りさ。いきなり銃を突きつけられて尋問された。こっちは急いでたってのに」

苦虫を噛み潰したような表情で圭介はソファに深々と腰を下ろす。美雪の横では菜緒が乾いた笑いを浮かべていた。
楯岡和志の最大の目的が「ゲーム」攻略にあるのはある程度は判断できる。長沢などに比べれば基本的には害の無い人間であると言って良い。
だからこそ圭介には気に食わないのだ。人間味に欠ける物言いといい、最善のためなら人を人とも思わぬ扱いをする事といい。
そんな男が正義に属する人間であるなどと。場合によっては協力を取り付けねばならない立場の人間であるなどと。圭介はどうにも認めたくない思いであった。

「まったくもう――ホント、嫌になっちゃいます」

まだまだ文句は言い足りないのだろうが、これ以上は無駄な行為だと諦めたのだろう。
頬を膨らませながらかれんが此方に近付いてきた。

「すみません、早速迷惑をかけちゃいましたね――あ、もしよろしければ、お喋りに加えてもらってもいいですか? あの人の傍だと息が詰まりそうなものですので」
「え? そ、それは――」

突然の申し出に圭介は敢えて美雪ではなく菜緒に対し目配せする。
楯岡と比較すれば多分に善人の雰囲気を醸し出しているかれんではあるが、それが信頼に値するかはまた別問題である。
見た目や物腰を鵜呑みにするには圭介たちはここまであまりにも手酷い裏切りを経験し過ぎていた。
彼女とてその優しい表情の裏側に何を潜ませているかは定かではない。馴れ合いは余計な火種を生むと圭介が思わず考えてしまうのも無理も無い事であった。

「いーんじゃない? お喋りくらい。女の子だしさ、ホラ」
「――お前に聞いた俺がバカだったよ」
「どの道この部屋の中じゃ下手な事は出来ないんだし、さ」
「お」

意外にも菜緒なりに計算を働かせた結果の返答であったらしい。
かれんの思惑がどうであれ、この戦闘禁止エリア内では実行に移す事等出来ない。他愛の無い会話程度であるならば問題は無いとは確かに言える。
逆に内容如何によっては彼女から新たな情報を引き出す事も可能であるだろう。自分の本領さえ発揮できれば損は見受けられない。
それに何時までも不穏な空気を漂わせたままでは心も身体も休まるものではない。ならばこの期を切欠に場を和らげられれば、と圭介は程無く計算を打ち立てた。

「そうだね。それじゃ――」
「戻れ、かれん」

しかしかれんの申し出を受諾しようとしたその刹那、楯岡の声が低く響く。

「鳴神たちとはどの道この部屋を出れば袂を分かつ間柄だ、この場限りの交流など、無駄以外の何者でもない」
(! この――)

相も変わらぬ高空からの余分を省いた機械的な口調。圭介の折角の目算も忽ちに霧散してしまう。
生真面目に妥協点を見出してやればこの言い草か。ならばこちらから願い下げだ、と思わずまた感情的な非難が圭介の口から飛び出ようとするが、

「それは、楯岡さんの見解でしょう? 私は別にそうは思いませんから」

かれんは至って涼しい顔で、楯岡の言をさらりと受け流した。

「『自分の足で立って考えろ』、そう言ったのは楯岡さんですよ? だから私なりに『この子たちとお話したい、するべきだ』と考えたんです」
「――後々後悔する事になると思うがな」
「しませんよ、後悔なんて」
「そうか、ならば好きにしろ」
「はい、好きにしますね」

辛辣な言葉の応酬に僅かも気を悪くしないばかりか感謝のような笑顔を楯岡に向け、かれんは再び圭介たちへと正対する。

「ごめんなさい、融通の利かない人で。話が途中になりましたが、宜しいですか? 勿論無理に、とは言いませんけど」
「い、いや、寧ろ喜んで、と言いますか――なあ?」
「ええ、歓迎します。北条さん」
「よかった」

それなりの時間を共に過ごせば当然付き合い方というものも自然身に付いてくるものなのだろうが、それにしても見事なあしらい方である。
伊達にあの男と同行していたわけではなかったか、などと圭介は妙な関心をかれんに覚えた。

「それでは、ええと――鳴神くんに森下さん、ですよね? それからそちらの方は――」
「あたし? あたしは緑川菜緒。菜緒でいいわよ」
「あ、わたしも美雪で構いません。わたしたちも『かれんさん』とお呼びしても?」
「ええ、勿論です。歳も同じくらいですしそのくらいの方が気楽に接してもらえると嬉しいですね」
「――『同じくらい』?」

全員の視線が一点に集約される。注目の主である小さな身体の少女は「あ、やっぱり」と納得と諦観の入り混じった表情で短く息を吐いた。

「実はこう見えて私、19歳なんです。皆さん制服ですから高校生ですよね? だったらちょっとだけ私の方がお姉さんって事になりますね、ふふ」
「嘘、中学生くらいかと思――あ痛っ!」

失礼な台詞の途中で菜緒の身体が跳ね上がる。どうやら隣の美雪に肘鉄を喰らったらしい。

「ごめんなさい、かれんさん。この子、口が悪いものですから」
「あ、気にしないで結構ですよ、よく間違われますので。あちらの男性にも『肉付きが悪い』ってさんざん言われましたし」

皮肉めいた呟きと共に振り返ったかれんの視線の先には彫像の如く壁際に佇む楯岡の姿がある。
我関せず、といった無反応極まるその様子から、どうやら本気で会話に加わる気は無いらしい。

「ところでかれんさん、唐突で申し訳ありませんが、かれんさんのPDAのカードは何ですか?」

ならば遠慮無しに、とばかりに圭介は早速情報の引き出しへとかかる。もう少し段階を踏むべきか、と思わなくも無かったがどうにも落ち着かない。
互いにカードを開示した同一の立場にならぬままに談笑を続けられる程の余裕を今の圭介は持ち合わせていなかった。

「あ、私は『J』です」

不躾な質問にもかれんは快く返答する。どうやら彼女の望んだ「会話」の中では織り込み済みの要素であったようだ。

「『J』ですか。なるほど、それであの人と」
「ええまあ、止むに止まれず、と言った感じでしょうかね。それですみませんが、楯岡さんの方のカードは――」
「あ、それは別に言わなくていいです。大体推測出来ますので」

だが流石に本人の承諾抜きに楯岡のPDA情報まで明かす事は躊躇われたのだろう。言い淀むかれんの機先を圭介が制す。
面倒を避けるための虚言ではない。先の遭遇でJOKERを欲する意思を示した件を踏まえれば楯岡のカードも自ずと見えてくる。
つまり楯岡の所持するPDAこそがJOKER破壊が解除条件となる「2」。それは乃得留の「手続き」を通過できた事実とも一致していた。

「よかった、かれんさんたちも安全なカードの持ち主だったんですね」

美雪がほっと胸を撫で下ろす。邪気の見受けられない目の前の女性が過酷な運命を背負わされていなかった事に安堵したのだろう。

「あの――やっぱり、居るんですか? その、酷いカードを引かされて、殺、ころ」
「『他の参加者を殺そうとしている人たち』ですか? 居ますよ、俺たちは今までそれで散々な目に遭ってきましたから」

今更そんな事を聞いてくると言う事はかれんたちもまた吉田や大門と同様今までにそんな状況に陥ってはいないのか。
自分たちに比べて他の参加者たちは随分と幸運な道のりを歩んでいるものだ――思わず皮肉めいたやるせなさが圭介の内から浮上する。

「そうですか。あの、よかったら聞かせてもらってもいいですか? 鳴神くんたちの今までの体験を」
「――あんまり気持ちの良いものではないですよ」
「無理に、とは言いませんよ。それが最初の約束ですから」
「うーん」
「いいんじゃない? 別に。かれんさんのこれからの参考にもなるだろうし」
「――そうだな、別に、いいか」

かれんを通して楯岡に情報を手渡す事になるのが多少癪ではあったが、何時までもそんな態度を取り続けるのも些か大人げないとは言える。
別段自分たちは「表向きには」後ろ暗い行動をしてきたわけではない。体験談を語って聞かせる分には差支えは無いだろう、と圭介は意を決する事にした。

「まず最初の事件についてはあちらの御仁から聞いているとは思いますが」
「はい」

楯岡が一同から離れるまでを割愛し、圭介はかれんに訥々と語り始める。
PDAの回収から菜緒との合流。二度に渡る長沢の襲撃と木戸の封鎖の突破、黒江唯子の登場。吉田との邂逅と別離。そして大門との苛烈な戦闘――
美雪と菜緒の言葉も借りて次々と今までの出来事を並び立てる。無論圭介のみが知る真実は伏せたままで。

「――何と言いますか、本当に大変だったんですね」

全てを聞き終えた頃にはかれんはすっかり顔色を失っていた。幾度と無く乗り越えてきた苦境の数々は彼女の想像を絶するものであったのだろう。

「まあ何とか運良くこうして生き延びてこれました。これからもそれが続けばいいんですが」
「当ったり前でしょ。続かなきゃ困るってのよ」
「そりゃそうだな」

気易く菜緒に返すものの不安は依然付き纏う。「ゲーム」は漸く半分の時間が経過したばかりだ。
残る2階層に秘匿されている武器は更に強力なものとなり、長沢たちの襲撃も益々激しさを増す事だろう。
今のままでは座して死を待つばかり。この先を生き抜くためには足りないものが圭介たちにはあまりにも多すぎた。

(そういや遅いな、ノエルさん――)

その不足を補って余りある人物が未だ到着していない事実も圭介の不安を更に掻き立てる。
彼女に限って返り討ちに遭っているとは思えないが、今まで「敵」と目していた輩の強襲による挟撃の可能性は皆無ではない。
もしかすると、このまま二度と出会えないのではないだろうか――そんな望まぬ想像を、圭介は小さく首を振って打ち消した。

「ねえ、こんな話ばかりってのも辛気臭いからさ。そろそろフツーのお喋りに切り替えない?」

堪りかねた様に突然、菜緒がそんな事を言い出した。陰鬱になりかけた空気を払拭したいが故の提案であるのだろう。

「そうだな、俺も賛成」

是非も無い。情報の交換のみで対話を完了させる程融通の利かない自分では無いと、とある人物への当てつけの様に圭介は同意する。
生真面目に現実に向き合えば正しいという訳ではない。知り合いの死と裏切りを目の当たりにした今だからこそ、心を解きほぐす会話も必要であるだろう。
などとこんな単純な趣すらも理屈立てて考えてしまう、そんな今の自分に圭介は嫌気を感じずには居られない。

「正直俺も、かれんさんのプライベートとかに興味があるし」
「わ、私のプライベートですか!? そ、そんなに面白みのあるものでは無いんですけど――」
「あーあ、またエロ介が顔を見せ始めた。ホント困ったもんだわ、ね、美雪」

何とか軽口を叩いてみるものの。どうにも自らが発した言葉に実感が伴わない。
困惑しつつも何処と無く嬉しそうな表情を見せるかれんにはどうやら通用した様子ではあるが。
何時から自分はこんな風になってしまったのだろう。裏で計算ばかりを巡らせて、嘘ばかりを外側に出すような人間に、どうして、いつの間にか。

(だって、仕方が無いじゃないか。俺に出来る事なんて、せいぜい、これくらいしか――)

それが賢しい生き方というものなのだろうか。強い個を持たぬものは望まぬ変化に身を置くしか無いと言う事なのか。
今はそう納得するしかない。でなければ全てが無駄になる。今までに犠牲にしてきた、さまざまなものが。

「――ちょっと美雪、どうしたの!? アンタすっごい顔色悪いわよ!?」
(!?)

菜緒の甲高い声にふと我に返る。見れば確かに美雪はやや俯きがちで、その顔には細かな汗が一面に浮かび上がっていた。

「美雪、大丈夫なのか!? やっぱり頭の傷が良くないんじゃ――」
「え、ええ――痛みはだいぶ、治まってはいるんですけど、時々目の前がぼやっとしてしまうと言いますか」

言われてみればその焦点は多少虚ろな感がある。やはり見た目通りの軽傷には留まらなかったか、と圭介は歯噛みと共に大門に対する怒りを再び駆り立てた。

「それなら横になってしっかりと休んだ方がいい。菜緒、悪いが美雪をベッドルームまで運んでやってくれないか?」
「トーゼン! さ、美雪行くよ!」
「い、いえ、そこまでしなくても別に――かれんさんにも悪いですし」
「そんな状態で会話も何もあるもんか! すみませんかれんさん、途中になりましたが一旦打ち切りということで」
「あ、宜しければ私が美雪さんを看ましょうか!? こう見えて私、看護師の卵なんです! 正確な診断は出来そうにありませんが看病や包帯の巻き直しくらいなら」
「本当ですか!? そりゃ助かります是非!」

意外な一面ではあったがそれは何よりもありがたい救いの手であった。
無論全てを委ねる程にはかれんに全幅の信頼は寄せられないが、肯定が許される状況下である事は既に周知の事実である。

「じゃあ、少し準備してきます。先に部屋に入っていて下さい!」
「はい!」

手でも洗ってくるつもりなのか、かれんはキッチンに向かい踵を返す。そして菜緒が美雪の身体を支えて立ち上がらせる。
それぞれが、それぞれに。一転慌ただしく動き始めたその瞬間。

「――ちょっと待て」

場を切り裂くように。今まで壁の華に成り下がっていた男から鋭い声が発せられた。
全員の動きが止まる。その一言に、まるで呪縛を掛けられたかのように。

「――何だよ。アンタなんかに構っていられる状況じゃないって、見てわからないのか?」

別段一刻を争う事態でもないが処置は出来る限り早い方が良い。治療に覚えのある人間の手を借りられるなら尚更であるだろう。
そんな誰の目にも明らかな状況で、無遠慮に「待った」をかけるこの男は一体何様であるというのか。

「重々承知している。ただ、全員が揃っている状態で確認しておきたい事柄が少々あってな。切り出し時が拙かった事は素直に詫びよう」

圭介の不快を露わにした表情と非難の言葉にも一切感ずる風も無く、楯岡はあくまで自らの都合だけを主張する。

「何、難しい事では無い。俺の質問に手短に答えてくれればそれでいい。その後でなら俺も出来る事があれば協力しようとは思っている」
「! 誰、が――お前なんかの手を借りるもんかっ! ほら美雪、菜緒、行くぞ!」
「――いいん、ですか? 圭介、くん」
「無視だ無視。別に時間に追われてるわけじゃないんだから質問なんて後でもいいだろ」
「先程の話を聞く限り、この部屋に居るのはお前たち3人だけなんだな? 波多島や吉田という人物が奥の部屋に居るわけでは無い、と」
「はあ? 見りゃわかるだろ!?」

圭介の否定は楯岡には届かない。彼の意思に関係無く、質問は繰り出された。
しかもその内容は全く意図が掴めない。話が聞こえていたならわかっているはずではないか。吉田とは「別れた」。そして乃得留は「辿り着いていない」のだと。
他に仲間が居るのならとうの昔に紹介している。動ける状態で無いのならその事情を踏まえた上で説明する。失念するわけなど無いではないか。
そしてその程度の確認が、なぜ今必要なのだ? 争いはおろか策謀すらも張り巡らせる事が不可能なこの室内で、正確な人数の把握がそれ程重要な事柄であるのか?
理解に苦しむどころでは無い。楯岡自身が秘めた事情など圭介の知る由も無く、またそれを理解しようと思索する気すら更々無い。

「――そうか」

納得したのかそうではないのか。サングラスでその表情を隠したまま、楯岡が短く嘆息する。

「くだらない質問で手間取らせんな」

既に圭介の楯岡への憤りは沸点を突破するかの勢いだった。
なぜ、こうまで彼に対してのみ怒りが露わになってしまうのか。それは圭介自身も理解できていない。
今まで様々な人間に襲われた、裏切られた。そんな他の参加者に比べれば単に楯岡は水が合わないというだけだ。
口の利き方や態度にさえ目を瞑れば特別害のある人物ではない。それどころか協力も利用も可能であるのかもしれない。

それではなぜ? 当然答えは不明のまま。
だが、もしも。それでも敢えて答えが有るとするならば。


「――ではなぜお前たちは、PDAを余分に持っている」


それは、彼が。楯岡和志が。
自らに破滅を齎す役割の人物であるのだと、無意識に怖れていたからなのかもしれない。 





 ゲーム開始より37時間08分経過/残り35時間52分



[21380] EPISODE-44
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2011/06/20 18:06
――おい待て。ちょっと、待て。

まず耳を疑う。次いで発された言葉を疑う。
だがあの男は、楯岡は。確かに今、こう言った。「お前たちはPDAを余分に所持している」と。
底冷えするような戦慄が身体を駆け巡るのを感じる。そしてこの場で告げられたその言葉の意味を、圭介は狂おしい程に実感する。

――なぜそれを、知っている? なんでお前が、それを見抜けたってんだ!?

接点など片手で数える程しか無い。僅かな情報の共有しかしていない。鳴神圭介と楯岡和志の関係など、その程度の間柄でしかない。
それなのに、何故。自分が今の今まで頑なに秘匿し続けた真実に、こうも易々と気付く事が出来たのか。

「俺のPDAには他のPDAの現在位置を感知できるツールがインストールしてある。先程このフロアの一室で発見したソフトウェアだ」
(なるほど――そういう事、かよ)

忌々しさを必死に堪えつつ、圭介は無言で真相を受け入れる。
初期状態のPDAの機能を拡張する外付けのソフトウェア。それが施設内に点在している事は今更聞くまでも無い。
圭介たち自身も既に「地図拡張機能」と「エアダクトマップ」の2つのツールを発見しておりこれまで活用し続けている。
振り返れば先程の乃得留も「扉の自動操作」ツールを操り大門の足止めに利用していた。その事例からも一概に拡張と言っても様々な機能があるとは理解していたが。
まさかその中に「PDAそのものの感知」を行える機能すら存在していたなどと、圭介には及びも付かない事だった。

「その反応を頼りにこの戦闘禁止エリアを訪れた。もしかすると俺の目的であるJOKERが無傷で入手できる可能性がある、とな」

――先客は、お前たちだったか。

そんな楯岡の言葉が圭介の記憶に蘇る。今となってはその呟きに多少の失望が含まれていた気がしてならない。
既に先の遭遇で楯岡にとっては自分たちがJOKERの所持者である可能性は「あの時点では」立ち消えていたはずであるからだ。

「その際にこのPDAが示していた反応は『4』。だがお前たちは『3人』だ。これは一体、何を意味するのだろうな」
「何を、と仰られましても――皆目見当がつかないのですが」
「うん。あたしたち、それぞれ自分のPDAしか持ってない、わよね?」

美雪と菜緒は困惑しつつ互いに顔を見合わせている。ただ己が身を守るだけで精一杯であった二人の少女に、心当たりなど有ろうはずもない。

「誰かがこの部屋に忘れていったPDAがある、とかじゃないの?」

だからこそ生じる清々しいまでの菜緒の場違いな発想にも、楯岡は表情を崩さない。
この一言から彼ははたして何を感じ取ったのか。安い放言と捉えたか、それとも慧眼を働かせたか。

「無駄に惚ける必要は無い。こちらとしてはお前たちのJOKERを所持しているか否か。その確認をもう一度しておきたいだけだ。それ以外の事情に興味は無い」
「だから、持ってないってばそんなの! むしろこっちが欲しいくらいなのに!」
(マズい――)

やはり楯岡は人数とPDAの数の不一致から再び圭介たちへの疑いを再燃させている。となればおそらく納得出来る答えが見つかるまで追及を諦める事は無い。
解決自体はそう難しい事では無い。素直にJOKERを差し出せばそれで事足りる。
今の圭介にとってJOKERは無用の長物、とまでは行かないが絶対必須のツールではない。仮に譲り渡したとしても今後の行動に支障は無いものだ。
しかしその為に今までJOKERを秘匿していた事実が白日の元に晒される事は圭介の身の破滅を意味する。
JOKERを使用しさえすれば達成できるはずの解除条件。JOKERを所持していないが為に危険に身を置かねばならなかったこれまでの道のり。
その全てが「嘘」であったと。二人の少女に気付かれてしまう。そんな事態に誰が好んで踏み込むような選択が出来ようか。

だがこのまま沈黙を保てば、言われの無い追及に段々と険しい表情になりつつある菜緒から破綻が生じる事だろう。
そのうち遠くない未来、憤りを募らせた彼女が己が身の潔白を示すため「じゃあ好きなだけ調べればいいじゃない!」と自ら身体検査を申し出る事は想像に難くない。
さすればJOKERと共に圭介の真実のPDA、「A」が露見する事となりこれまた万事休す。
行くも地獄、行かぬも地獄。それでも「今」を持続させたいと願うのならば。

(やるしか、ない――)

迅速に、早急に。打開策を打ち立てねばならない。その事実を痛感した圭介の脳細胞が高速で稼働する。
楯岡の言葉の一語一句から、今までの自分たちが歩んできた道のりから。点在する情報の断片をかき集め、取捨選択を行い続ける。

(楯岡のPDAが示した反応は「4」、ってことは――)

「余分に所持している」という言葉の後に添えられた詳細にまず目をつける。
現在圭介の所持するPDAは3つ。自らの「A」、吉田の「6」、そしてJOKER。
そうなれば美雪と菜緒のものを合わせて5つのPDAが手元にあることになるが楯岡が告げた数字は「4」。この現実との齟齬は何を意味するのか。

(簡単だ、あのツールは「JOKERだけは感知できない」ってことだ)

全てのPDAは正常にその機能を働かせている。となれば除外されているのは当然「ワイルドカード」とされている特殊なPDA。JOKERに他ならない。
何故にこのような形の機能になっているのか。主催者の意図する処は定かではないが圭介にとっては幸運以外の何ものでもない。
もしも楯岡のPDAが正確な所持数を感知していたとするならば。既に圭介は絶望の底に叩き落とされていた事だろう。

(と、なると俺がPDAを「一つ」余分に持っている理屈が必要になってくる、わけなんだけど――)

糸口は見つかった。後はそれに沿い正解を構築するのみである。

「あの、もしかして楯岡さんは、わたしたちが『他の参加者からPDAを奪い取った』と考えてるんですか?」
「今の処はそれ以外には考え付かないな」
「な、何よそれっ!」

対話の内容が徐々に具体的なものと成りつつある。最早一刻の猶予も無いのかもしれない。
だが問題なのは此処から。楯岡の言う通り、「ゲーム」のシステム上自らのPDAを譲渡するものなど存在するわけがない。
余分な所持はそのまま非道に手を染めた証となるのだ。つまりこの場において圭介が真に説き伏せねばならないのは楯岡ではなく寧ろ美雪と菜緒の方。
だが善性を旨としながらこれまで生き延びてきた二人の少女が完全に納得するだけの理屈など、はたして存在し得るのであろうか。

(無いよな、そんな都合の良いものなんて)

それが嘘を吐くということ。正しく無いから歪みが生じる。人知れず静かに、圭介は小さく息を吐いた。

「そんな、誤解です! わたしたちにはそんな酷い事は出来ません!」
「そうよ! それでも疑うってんなら。もう身体検査でも何でも――」
「――あー、ちょっと待った」

だがもう時間切れ。ここまでだ、とばかりに圭介は二つの意味を込め、声を発する。
正に間一髪。今にも破滅へと誘う菜緒の一言が、この場に飛び出す寸前であった。

「どうした鳴神」
「何よ、圭介」

それぞれ違う方向から視線が注がれる。それだけでこれから「全員を」敵に回さなければならないという重圧が圭介に襲い来る。

「――観念することにしたよ。どうやらもう、言い逃れが出来なさそうだから」
「えっ」
「――ほう」

結局完璧な理屈など構築出来はしなかった。もしも波多島乃得留程の才覚が自分に備わっていれば、などと無力を嘆いても始まらない。

「楯岡。確かにアンタの想像の通りだ。俺たちはPDAを余分に持ってる。いや俺が、自分のものとは別に持ってると言うべきかな」
「な――鳴神、くん!?」
「どういう事ですか、圭介くんっ!?」
「ちょっと、聞いてないわよ、そんな事!」

直ちに三人の少女から、焦りの声が飛んでくる。

「まあ落ち着いて、聞いてくれ。今からそれを説明する」

このまま全ての真実を正直に吐き出せば、その声もやがて非難や軽蔑を含んだものに変わって行く事だろう。
今まで自分が見えない部分で行ってきた事を考えれば、到底許されるわけもない。
だがどれ程に願えども。最初の嘘を吐く前の自分には戻れない。犯した過ちは消す事など出来ない。ならば為すべきは、一つだけ。

「これは、古谷さんのPDAなんだ」

既に賽は投げられた。だが終わりが訪れた訳では決してない。ならば今まで通り、嘘を重ね続ける。それが圭介の選択だった。
まだ諦めない。足掻く余地は残されている。例え往生際が悪くとも、自ら負けを認めぬ限りには。

「小枝子、さんの? でもそんなもの何時の間に――あっ!」
「さすが美雪、気付くのが早くて助かるよ。そうだよ、あの時だ。俺が彼女の遺体を『治療』した時、内緒で拝借させてもらった」

無論圭介は古谷小枝子のPDAを回収などしてはいない。当時その発想が浮かぶ程に余裕は無く、見知った人物の死体を前に冷静を保つ事にただ必死でしかなかった。
だがそのおかげで新たな「嘘」が成立する。余剰なPDAは誰のものであるのか、それを特定する手段は誰一人として持ち合わせていないはずなのだから。

「な、何でそんな事したのよっ!? それに何で黙ってたのよっ!?」
「『死体から掠め取る』、なんて気持ちのいいもんじゃないだろ。あの時の大門を目の前にすれば尚更だよ」
「それだけじゃ答えになってないっ!」
「必要だったからに決まってるだろ! 他でもない菜緒、お前のためにっ!」
「なっ」

わざと感極まったように声を荒げてみせる。臆面も無く、のうのうと。

「あ、あたしの、ため――?」
「そうだよお前、自分の解除条件忘れたわけじゃないだろうな? お前が助かるためには他の人のPDAを5台も壊さなきゃならないんだぜ?」
「そ、それは、そうだけど」
「でも当然壊したPDAはその後使えるわけじゃない。解除し終わった参加者のものでないと、それこそ相手に『死ね』って言ってるようなもんだ」
「だから『もう亡くなった人のものであるなら、壊しても問題ない』――鳴神くんは、そう言いたいんですか?」
「その通りです、かれんさん。本当に残念な事ではあるけれど。古谷さんは死んだ、もう首輪の解除を考えなきゃいけない人じゃなくなった。だから――」

だから彼女のPDAを利用するのではなく、彼女の「死」という事実を利用する。
それだけではない。仲間である菜緒の解除条件すらも、自らの都合と嘘に巻き込み有効に活用する。

――恥知らずにも程がある。

浮かび上がらせた圭介の沈痛な表情は表向きには小枝子を悼んだものであったが。その内実は自らの軽蔑が生み出したものだった。

「黙ってたのは悪かった。酷い行いだとは自覚してる。責めるなら幾らでも責めてくれ。でも俺は絶対に間違ってるつもりはない、から」

それでも貫き通さねば。嘘を吐き続けねば。誰もが安寧に生き延びる事等出来はしない。
人として間違っているのだとしても。「今」を乗り越えるために間違っているつもりはない。
彼女たちの傍に居るために。これからも守り続けて行くために。この嘘は絶対に必要なものであるはずなのだ。

「もう――だから圭介くんは、何でも一人で背負いこみ過ぎなんですよ」
「まったくだわ。これが男らしさだ、とか勘違いしてるでしょ。ホント、バカなんだから」

呆れた様に美雪が、多少非難を含みながら菜緒が。それぞれに言葉を紡ぐ。
互いに複雑な面持ちであるものの、その表情に圭介を責める色はあまり見受けられない。

「まあバカなのは認めるよ。一応言い訳しておくと、落ち着いたら話すつもりではあったんだぜ?」
「当たり前でしょ。黙ってたままだと逆に困るわよ」
「そりゃまあ、そうだけど。その様子だと二人とも、許してくれるのかい?」
「勿論です。正直複雑な思いですけれど。圭介くんの考えも理解出来る、つもりですから」
「『あたしのため』だってんなら、間違ってるなんて言えるわけないでしょ。むしろさっさと言ってくれてれば余計な心配せずに済んだのに」
「――そうか。ありがとう」

圭介の内に湧き上がったのは少女たちへの感謝ではなく狙い通りに事が運んだという達成感だった。
犯した罪が、秘められた真実が。許されないものであるならば、許される瑣事へと置き換えてしまえばいい。
彼女たちが「仕方が無い」と納得せざるを得ない事柄として示してしまえばいい。
「死者のPDAを、仲間のために秘密裏に回収していた」という理屈ははたしてその条件に合致するものであるのか。
その答えが正解であった事に満足しつつ、圭介は沈黙を保つ楯岡に対し向き直る。

「とまあ、そういう事だったわけだ。納得してくれるかい?」

美雪と菜緒の疑いを晴らす事には成功した。だが問題はこの男、楯岡和志への論破無くして真の成功は有り得ない。
全ての元凶であるこの男の理解を得られずしてこの場を乗り切れた、とは断言出来ないのではあるが。

「――確かに一応の筋は通ってる様に思えるな」

案の定その物言いは納得を勝ち取れたとはお世辞にも言い難いものであった。表に出そうな不快感を圭介は何とか押し留める。
一体何が不満であるのか。望み通りの答えを得られなかった事がそれ程に腑に落ちないのであろうか。
否、そうではない。圭介もまた自らの理屈が完璧とは程遠い事は自覚している。
万人が納得するためにはどうしても必要な行為が一点、欠落しているのだ。楯岡もおそらく、その一点のみが気がかりであるのだろう。

「まあ、良いだろう。ではその古谷のPDAの確認だけさせてもらって、この件は手打ちという事にしておこう」

くそ、やっぱりそう来るか――圭介は思わず歯噛みする。
そうなのだ。この理屈が真実のものであるならば自然に行われているべき「PDAの提示」を圭介はこれまで一切行っていないのだ。
あくまでそのPDAは此処に在る、と収納された懐を示すのみ。見方によってはそれは不自然にも思えるだろう。
だが現在圭介が所持する3つのPDAは、そのどれもが「古谷小枝子のPDA」として提出出来るものではないのだ。
吉田の「6」は圭介自身のPDAとされているもの。本来の「A」は乃得留の「手続き」を潜り抜けた彼女のものとして相応しいものではない。
そしてJOKERは吉田のものとして偽装した際の「7」のまま。まさかこれを美雪と菜緒の前に晒すわけにもいかない。
理屈の上では矛盾は無い、そう思い断行したものの。やはりそれを鵜呑みにする程楯岡は甘い男では無かったらしい。

「どうした。見せるだけなら簡単な事だろう」

その圭介の僅かな逡巡を、楯岡は見逃さない。だがその追及を逃れる理屈はもう、圭介には無い。

「――やなこった」
「何?」

故にそう答えるしかない。ここからは不本意ではあるが自らの話術に頼るしかない。
その場凌ぎの苦しいものにはなるだろうが、さりとて勝算が無いわけではない。
この程度を乗り切れぬ程の柔な弁舌は持ち合せてはいない、と圭介は楯岡を睨み、続ける。

「このPDAは菜緒のための、大切なものなんだよ。お前なんかに渡して有効範囲外で壊されたりしたら目も当てられないだろ」
「別に手渡せ、とまでは言っていないのだが」
「だいたい何だってお前の言う事をそこまで聞かなきゃいけないんだよ。俺はお前が嫌いなんだ。必要以上の事で口を聞きたいとも思わないね」

言葉の展開の軸となるのは安っぽい感情。無論こんなものが己が身の潔白の証明と釣り合うとは圭介も思ってはいない。
だが牽制にはなる。楯岡憎しを殊更に主張し、真実を煙に巻き、楯岡の目を逸らさせる。
それこそが圭介の思惑。そしてこれまで一貫してきた楯岡に対するこの態度は、後々の美雪と菜緒に対する言い訳にも使用できるものだ。

「アンタに必要な情報は俺たちのJOKER所持の有無と『古谷さんのカードが何なのか』、それだけだろう?」
「そうだな。余計な詮索をするつもりはこちらとしても無い」
(よし――)

言質を取れた。やはり楯岡は自分の目的に抵触しない限りは他の参加者の事情にまで首を突っ込む腹積もりは無いらしい。
ならばその隙に、つけ込ませてもらう。圭介は楯岡に、最後の嘘を解き放った。

「古谷さんのカードは『K』だ。これで十分だろ?」

それが正解かどうかなど、知る由も無い。だがそれは楯岡とて同じ事。「手続き」の際に乃得留の方から楯岡に何かを言及していた様子は無かったと圭介は記憶している。
そして何もかも出まかせという訳でもない。少なからず根拠もある。現在圭介の手元にある参加者のPDA情報は実に13人中9人に及んでいる。
残る4人が所持する安全なカードは「7」と「K」。このどちらかが古谷小枝子のカードということになる。
乃得留の解説中に「K」はその場での解除が示唆されたのでおそらくは「7」の方が正解であるのだろうが。生憎それは吉田のものとされているので使えない。
だがあの時点で小枝子は死体との遭遇に怯えきっており、迅速な判断が下せなかったと一応の理屈は立つであろう。
そしてそれを否定できる本人は既にこの世には居ない。仲間であった乃得留と大門もこの場には居ない。

「――成程な」

楯岡は腕組みしたまま何やら思案に暮れ始める。納得したのかそうではないのか、次の言を待つ他は無い。
これで全ての理屈は示した。先の遭遇の際、楯岡のPDAがJOKERの看破機能を搭載していると承知で「あの時点では」JOKER不所持を明示した。
その後「増えた」と目されるPDAは死体から回収したもの。黙っていたのは仲間に対する気遣いのため。
そのPDAのカードは「K」。否定できる理由は無く、本体を提出しないのは相手に対する悪感情のため。
最後の理由ばかりは甚だ危ういものではあるが。逆にここさえ乗り切ればJOKER不所持の辻褄だけは違えてはいないはず。
さあ、それを踏まえて楯岡はどう出るのか。古谷小枝子のPDAに対し、飽く無き追及を行ってくるか。
そうなれば更に苦境に立たされる事にはなるがそれでも言い訳の用意が無いわけではない。
万全に乗り切る必要は無い。最悪美雪と菜緒に真実さえ露見しなければそれでいい。
だが願わくば、このまま――と、胃の痛くなるような沈黙の中、圭介は楯岡の結論を待った。

「――再度確認する。古谷小枝子のPDAは『K』、それに間違いは無いな?」
「ああ」

やはり其処に言及してくるか、圭介は内心舌打ちする。

「そうか」

だが楯岡の言葉はそこで途絶し、現物による証明を行わせる素振りは見せない。
納得したのか? 一瞬圭介の緊張が弛緩する。だが。


「ならばこれは、どう説明する?」


だが。その一言と共に。
楯岡が胸ポケットから取り出した「それ」は。
圭介がこれまで積み上げてきたもの、その全てを破綻させるものだった。

(な――)

愕然。それ以外に言葉が見つからない。
参加者の全てに等しく宛がわれた黒色の端末機器。それ自体を楯岡が所持している事は何一つ矛盾は無い。

だが。遠目にはその液晶画面はひび割れ、ボタンの位置もややずれて見えるそのPDAには。
紛れも無く、泰然と王の姿が描かれていたのだ。 

(おい、待て――なんでアンタが、「それ」を持ってるんだよっ!?)

圭介は理解が及ばない。なぜ、楯岡が「K」のPDAを持っているのか。
彼は古谷小枝子の死を知らなかった。同行者のかれんがそれを示した。これまで自分たちは襲撃はおろか、他の誰とも遭遇してはいないのだと。
それなのに、なぜ? 接触すらも行っていないならばPDAが増える道理は無い。だからこそ楯岡は自分たちに追求したのではないか。
まさか楯岡のPDAこそが「K」だとでも言うのか? いや、ならばこうもJOKERの行方に躍起にはならないはず。
ならば、これは一体――どういう事であるのだろうか?

「これは1階で死んだ、あの女のものだ。俺が処置の際に秘密裏に回収していたものだ」
「た、楯岡さんっ!? 私、そんな事聞いてませんよ!?」
「別にお前と共有しておかねばならない情報でもない。後々交渉の手材料にでもなれば、と考えていたのだが――思わぬ形で役に立ったな」
(な、何だよ、そりゃ――)

楯岡の口から告げられた真相は圭介の心を挫くのに十分足るものだった。
死体からPDAを回収するという架空の行動。それを実際に行っていた楯岡に理屈を看破された。
「死体から回収したPDA」が「死体からPDAを回収した」という嘘を暴いたのだ。それはどれだけ皮肉な結果である事だろう。

「え、え? 何で? じゃあ同じカードが2つあったってこと?」

重苦しい空気が蔓延しつつある中。独り菜緒が不可思議な様相で見当違いの推論を口走る。
だが誰も彼女に答えを返さない。圭介は勿論、親友であるはずの美雪さえも。

「どうした。答えられないのか」

当然の如く楯岡も菜緒の言に関心を向ける事無く、圭介を追及し続ける。

「――」

圭介は答えない。答えられない。対抗出来る理屈など最早持ち合わせてはいない。
用意していた手札はあくまで「自分が所持するPDAの確認でのみ無実の証明を行う」ためのものばかり。
だがまさか。楯岡が別方向からの確認で「嘘」を看破する術を持っていたなどとは、想像だにしていなかったのだ。

(どうする――今からでもJOKERのカードを『K』に変更して目の前に突き付けるか?)

全員の注目が集まっている現状、偽装操作を行う事は困難を極めるが他に方策が思い浮かばない。
命運を指先に委ね急場を凌ぐ、そんな苦し紛れの発想しか今の圭介には為す術が無くなっていた。

「先に言っておくがお前の『K』がJOKERだとしてもお前に対する疑いが消える事は無い」
(っ!?)

だがその最後の逃げ道すらも塞がれる。楯岡の言葉が動きかけた圭介の手を押し留める。

「このPDA探知ツールはJOKERのみ感知出来ない仕様だ。そうなるとお前は更に余分にPDAを所持している事になるからな」
(ぐ――)

推測の通りであった。だが理論の構築を補助したその事実すら、今や圭介に牙を剥き始めていた。

「論外だな。真っ当にPDAの提示も出来ず、口にしたカードも偽りならば俺を納得させるどころの話では無い。
 おそらくお前の手の内にある余分なPDAは『K』では無いばかりか、古谷のものですら無いのだろう」

「な――ちょ、それって一体、どういう事なのっ!?」
「――ごめん菜緒、ちょっと静かにしてて」
「み、美雪っ!?」

訳も分からず叫ぶ菜緒を、美雪の声が制止させる。
室内の色は、徐々に変化を始めていた。「楯岡とそれ以外」であったものが、徐々に「圭介とそれ以外」へと。
圭介は否応無しに痛感する。ああ、これは孤立を意味するものなのだ、と。

「どれ、俺もお前に習い一つ理論を組み立ててみるとしよう。まずお前のそのPDAが古谷のもので無いとすれば、一体誰のものなのか。
 先程のお前たちの話を元に考察するならば然程危険無く接触出来た参加者はただ一人、吉田二郎以外には無い」

「――」

無遠慮な言葉が、真実を暴きつつある。圭介が、今まで必死に隠し通して来た真実を。
だが圭介には何も出来ない。今や楯岡の口を塞ぐには力づくしか術は無く、そしてこの場ではそれすらも許されはしないのだ。

「鳴神はお前たちに内密で吉田からPDAを奪い取った。如何なる方法で奪い取ったかは定かではないが――まあ俺には関係無い事だ」
「――随分とご親切なこった」
「ほう、まだそんな減らず口を叩く余裕があるとは驚きだな」

せめてもの負け惜しみも楯岡の感情を揺さぶれはしない。逆に愉悦を与えた様なものであった。

「だがなぜ『吉田のPDAだけが必要であった』のか。此処に疑問が生じてくる。非道行為に身を染めてでも『緑川の解除条件の為だ』と言うならば、
 尚更古谷のPDAを回収していなければ辻褄が合わない。生者を排除までした人間が死人に義理立てする理由は無いからな」

「――」

菜緒が息を呑む音が圭介の耳に届く。言葉を発さないのは美雪に咎められた故なのか。

「一先ずそれは置いておこう。もう一つ疑問なのが古谷の引き当てたカードだ。ここまでの情報にこの『K』を加えればカードが判明していない参加者は3人。
 その内の一人が古谷であるわけだが、残されたカードは波多島の提唱する『キラーカード』しかない。だが『手続き』を通過した古谷にそれが当て嵌まるわけがない」

「――」

「つまり10人の参加者の何れかが、JOKERを使用し自らのカードを偽っているという事になる。それは無論俺とかれんでは無い、また波多島と大門も該当しない。
 あの女の死体からはこれ一つしか発見されなかった。となれば候補は半分になるわけだが」

「あ、あたしたちじゃないわよっ! そんなわけないじゃないっ!!」
「そうだな、お前たち二人も所持してはいないだろう」

堪りかねた様に叫び声を上げる菜緒を、楯岡は涼しい面持ちでやり過ごす。

「特定人物に命を狙われる『Q』を、まさか森下が偽装するわけもあるまい。受け取り方次第では攻撃性の高いとされる緑川、お前の『8』も偽装に適してなどいない。
 ましてお前は偽装を看破できる『2』の所持者である俺の前にカードを示しているわけだしな。そうなると残りは鳴神・長沢・そして吉田の3人となる」

「そんなの、長沢の奴に決まってるじゃないっ! アイツならやりかねないものっ!」

「ふむ、中々に悪評高い人物である様だなその長沢という人物は――その可能性を踏まえた上で、敢えてこの鳴神がJOKERの所持者だとしよう。
 すると先程の話が意味を持ち始めてくる。なぜ鳴神が吉田のPDAのみを奪い取り今まで秘匿していたか、という話だ」

――やめろ。もう沢山だ。

泣き言が圭介の喉まで込み上げてくる。全てを無様に撒き散らしたくなる。
だがそれで何が変わると言うのか。許しを請えば全てを受け入れてもらえるとでも言うのか。
現実はそれ程甘くは無い。そんな世界に圭介は生きてはいない。それがわかっているからこそ、圭介は自ら口を開けない。

「鳴神がJOKERの所持者であるならば」

そんな圭介を他所に、寡黙であったはずの男の言葉は止まらない。

「当然その『6』が偽装されたもの、ということになる。ならば本来の『6』の所持者は誰なのか。答えは明白、吉田二郎だ。ルールを何ら理解せず、
 自らのカードの確認すら出来なかった愚鈍な男。その無知につけ込み今度はJOKERを『7』に偽装し己のものだと手渡したとするならば、綺麗に符号は一致する。
 吉田が『消えた』理由、鳴神が余分にPDAを所持している理由――そして古谷の真のPDAカードにすら、な」

「で、デタラメよそんなのっ!!」
「それを判断するのはお前でも俺でもない、鳴神だ。申し開きがあるなら、聞こう」
「――」
「黙して語らず、か。ならばもののついでだ。もう少し話を発展させよう」
(っ!!)

息の根が、止まるかの如き衝動。これ以上楯岡は何を暴こうと言うのか。
問うまでも無い。最早残された謎は一つしかないのだ。

(やめ、ろ――)

それだけは。知られてはならない。晒されてはならない。
知られてしまえば全てを失う。希望が、絆が、生還への手がかりが。

「JOKERで『6』を偽装したとするならば、鳴神のカードは別に在る事は言うまでも無い。そしてそれはキラーカードである事も、だ」

だが、止められない。圭介の身体は動かない。
足も、腕も、口すらも。楯岡に呪縛を掛けられたかの如くに。自分の意思に反し微動だにしない。

「その内の1枚は木戸が既に引き当てているのは周知の通りだ。そしてあの男が1階で行った歪な封鎖を鑑みれば、おそらくそれは『3』である公算が高い」

(や、め――)

「ならば残りは2枚。だがその片方、『9』はそれこそ偽るどころの話ではない。真実を隠したまま正義を気取るにはあまりにも不釣り合いなカードだ」
「じゃ、じゃあ、鳴神くんは――」
「察しの通りだ、かれん」

楯岡は相方を一瞥し、はっきりと告げる。
長きに渡った演説の結論を。


「鳴神、お前の本当のPDAは『A』。そしてお前がJOKERの所持者だ」





 ゲーム開始より37時間45分経過/残り35時間15分


【プレイヤーカード:開示】
・「6」:吉田二郎
・「K」:利根川静香



[21380] EPISODE-45
Name: でしお◆ff3c50cd ID:15730752
Date: 2011/07/02 21:08
「あははっ」

暫しの沈黙の後。室内に場違いな笑い声が響き渡った。

(っ!?)

反射的に圭介の視線が声の主へと向けられる。そう、笑ったのは彼では無い。
その人物は今まで決して、このような空気の中で。そんな反応を示すはずも無い人物だった。

「み、美雪っ!? いきなりどうしちゃったのよ!?」
「だ、だって菜緒――こんなの笑わずには居られないじゃない」

片手で顔を覆い笑う美雪がやがて楯岡へと向き直る。

(あ――)

その手の下から現れた表情に、圭介は彼女の奇怪な行動の真意を見た。

「圭介くんが『A』の持ち主ですって? そんなわけないじゃないですか楯岡さん」

何時に無く険しい表情が其処には有った。激しい感情を込めた視線が真っ直ぐに楯岡を射抜いていた。
笑っていたのではない。美雪は怒っていたのだ。楯岡に対し激しい怒りを燃やしていたのだ。

「だって『A』の首輪の解除条件は『Q』の殺害、ですよ? なら圭介くんはわたしを殺してなきゃおかしいじゃないですか」

静かに訥々と語られる言葉は一見冷静なものと受け取れる。だがその一言一言の重みと内に秘めた激情はこの場の誰もに伝わるものだった。

「わたしなんて所詮は脆弱な存在です。誰だって、その気になれば簡単に殺す事が出来るんです。じゃあなぜ圭介くんはわたしを殺していないんですか?
 本当に『A』の持ち主であるならば、わたしを殺さなければ助からないと言うのに」

(う――)

美雪が「殺す」という単語を口にするたびに。猛烈な息苦しさが圭介を襲う。
そんな非情な言葉を彼女の声で聞きたくなどなかった。今までもこれからも、無縁であって欲しかった。
そのために、自分はこれまで必死に努力を続けてきたはずなのに。

「答えて下さい、楯岡さん」
「其処でだんまりを決め込んでいる男に聞いてみたらどうだ」
「わたしは貴方に聞いているんです」
「――やれやれだ」

適当にあしらうのは不可能だと悟ったのか。楯岡は呆れた様に嘆息する。

「緑川、お前が森下と再会したのは何時頃だ」
「え、な、何よいきなり!? そんな事今は関係な――」
「いいから答えろ」
「――戦闘禁止時間帯が終わってすぐくらい、よ。それが何!?」

唐突に話を振られた菜緒が憤り露わに答えると、美雪の顔色が途端に失われた。

「お前一人を殺害すれば済むのであれば鳴神も実行に移しただろうな。だが現実は常に緑川の監視下にあった、となるならば根拠としては十分だろう。
 つまり鳴神はお前を『殺すつもりがなかった』のではない。ただ『今まで殺せなかった』だけだ」

――ああ、そうだよ。その通りだ。

思わず自虐的な肯定が圭介の内に浮かぶ。楯岡のその驚異的な洞察力に畏怖の念すら感じながら。
「殺すつもりがなかった」わけではない。彼女を殺せば助かると、何度も衝動に身を委ねそうになった。その度に自分の弱さを軽蔑し、必死に抵抗し跳ね返してきた。
そして同じ時を過ごす程に。彼女の心の尊さに触れ、惹かれていった。何時しか過酷な現実を覆い尽くす程に守りたいという思いが強くなった。
だから圭介は。美雪を「今まで殺せなかった」のだ。

「で、でも3階からは拳銃のような強力な武器を使用出来ます。その気になれば相手が2人でも殺害は可能なのでは!?」
「重火器の扱いに一般人の鳴神が達者であるはずもない。武器が強力ならば、とは机上論に過ぎないな」

尚も食い下がる美雪を無碍に跳ねのけるその論にも多少の覚えが無いわけではない。
心構えだけでは常軌を逸した武器の数々を扱い切る事は出来なかった。故に「対手を殺す手段」としては未だ圭介に相応しいものではなかった。
その所為で大門に反撃の機会を許し、美雪を傷付けてしまったのだ。

「だがこのフロアからの武器の殺傷力は格段に跳ね上がる。ここから先が正念場であると、おそらく鳴神は考えて――」
「いいかげんにしてくださいっ!!」

美雪の怒声が空気を震わせ、楯岡の言葉を遮った。

「どうして――どうしてそうやって貴方は、圭介くんを悪者にしようとするんですかっ!!」

他人を責める事等由とはしない少女が、無礼な男に憤りを叩きつける。

「圭介くんはわたしたちを、助けてくれたんですっ! 優しくしてくれたんですっ! 今までもずっと――これからだってっ!!」

目尻に涙を浮かべながら。悔しさに表情を歪ませながら。ただ一心に少年の無実を訴える。
そんな謂れの無い誹りを受ける理由など無いのだと。鳴神圭介は、そんな人物では無いのだと。

(美雪――)

それは今まで圭介が築き上げてきたものの確かな証明であったのだろう。
間違いではなかったのだ。不規則に揺れる天秤に惑いながらも、それが正しいと貫き通してきた。
全ては美雪のために、菜緒のために。それは決して間違ってはいなかったのだ。

「当然だ、鳴神に必要な条件はお前の『死亡』ではなく『殺害』だ。他人に獲物を奪われないためには不可避の行為だろう」
「今までのわたしたちを知らない貴方に、何がわかると言うんですかっ!!」
「その通りだ。だからこれ以上の問答に意味は無い」

美雪の糾弾をにべも無く跳ね除け、楯岡は壁から背を離す。

(な――)

静かに。音も無く。男は圭介に対し瞬時に間を詰めた。

「半径1メートル。俺のPDA『2』にのみ備わる特殊機能の有効範囲だ。もしお前がJOKERを携帯しているならばこれで偽装は解除される」

息のかからんばかりの距離で、その行動の意味が語られる。

「さあ鳴神、全てのPDAを出してみろ。俺の言葉が根も葉もない出鱈目だと証明してみせろ」
「――」

今、全ての行く道は塞がれたのだと圭介は理解した。
この場を凌ぐためだけの理屈は更なる理屈で看破され、「嘘を吐いた」という事実だけが残された。
狙われる側である美雪の立場からの矛盾も、楯岡の理屈には及ばなかった。
対抗するだけの新たな理屈はもう思い浮かばない。例え思い浮かんだとしてもPDAを晒さぬ以上は誰一人として聞き入れてはくれないだろう。

再び訪れる、静寂。見渡せば誰もが圭介から視線を離せないでいる。
菜緒が、かれんが。困惑を露わにしながらも。圭介の反応を固唾を呑んで見守っている。

「ねえ、圭介くん――どうして、どうして黙ってるんですか――?」

悲痛な呟きが。美雪の口を突く。沈黙は肯定でしかないと言うのに。なぜ黙っているのかと泣きそうな顔で訴える。

「こんなの嘘だって。何かの間違いだって、どうして、どうして――言ってくれないんですか――?」

美雪の声が届くたびに。圭介の内に切り刻まれるような痛みが走る。
否定したい。ぐうの音も出ぬ程に楯岡を言い負かしてやりたい。少女たちをもう一度、安心の心地にさせてやりたい。
だが楯岡の語った全ては真実で。どうしようもなく本当の事ばかりで。だからこそ自分は、こうして逃げ場を失ってしまっているのだ。
一体どうしてこんな事になってしまったのか。何処で何を間違ってしまったのか。
否、何も間違ってなどいない。嘘を吐き真実を覆い隠さねば、情を持って少女たちに接する事等出来なかった。
嘘を吐き真実を覆い隠さねば、少女たちの傍に居る事すら叶わなかった。
間違っているとするならば。「鳴神圭介は森下美雪を殺さねば助からない」という前提そのものに相違無い。
だから、こうするしかなかった。こうするより他は無かったのだ。
例え人の道を踏み外し続けていたのだとしても。人として正しく在るためには、こうするしか。

「もし、本当だったら――どうする?」

鉛のように重い口を、微かに開く。懇願するような呟きが、圭介の口から漏れる。
あまりにも身勝手で傲慢な、一縷の望みだった。
美雪ならば、純粋で聡明な彼女であるならば。気付いてくれるかもしれない。
相反する立場はあくまで宛がわれただけのもので、鳴神圭介の本心は別にあるのだと。
「A」の解除条件は「Q」の殺害。例えルールはその通りだとしても、自分には美雪を殺すつもりなど無かった。
殺せなかった、殺したくなかった。傍に居たかった、守りたかった。
だからどちらも助かる方法を必死に、懸命に、精一杯。模索し続けてきた。それもまた、紛れも無い真実なのだ。

「こんな時にまで悪ふざけは止めて下さいっ! わたしが聞きたいのはそんな言葉じゃありませんっ!」

けれど。美雪の答えはあまりにも当然なものだった。
最も信頼していた少年が敵であるかもしれない、そんな絶望に怖れ怯えるだけの表情が其処にはあった。
自らの求める答え以外は許されない、そんな切羽詰まった少女が其処に居るだけだった。

(――だよな)

何を愚かにも期待していたのだろう。美雪の立場であるならば当たり前の事ではないか。
これまでの優しさや献身にすら暗い理由が有り得ると示された。そして鳴神圭介は「平気で嘘を吐く人間」だとこの場で知れ渡ってしまった。
しかも彼女は、今までに数々の手酷い裏切りを受けている。これでどうして美雪が自分を信じ通せるだろうか。誰が好き好んで傍に置きたいと思うだろうか。

現状を乗り越え元のままで在るためには、やはり森下美雪にとって鳴神圭介は潔白でなければならなかった。
何もかもが正しくなければ、この状況を覆す事など到底不可能であったのだ。それこそ本物の魔法でも使えなければ。

「――」

静かに息一つ。圭介は美雪と菜緒の方へと緩やかに歩み寄る。

「おい、鳴神――」

制止を促す楯岡をありったけの殺意を込めた視線でその場に縫い止める。
邪魔をするなら戦闘禁止を度外視してでも抵抗する。巻き添えを喰いたく無くば下がっていろ、と。

「あ、あの、圭介くん? 何、を――」

頭部に包帯を巻きつけた、痛々しい姿の少女の前で足を止める。間近で見れば美雪の憔悴ははっきりと手に取るように理解出来た。
そんな彼女をこれから更に傷付ける事になる。そんな事は百も承知だ。

けれど、最後に。そう、最後に。
少女たちのために、出来る限りの事を残してやりたいと。意を決した圭介は左手を自らの内懐に差し入れた。

「――これが、全ての真実だ」

指先に届く感触を全て掴み出し、美雪と菜緒の前に突き付ける。3台のPDAを扇状に広げ、描かれたカードを見せつけるように。

「っ!!」

今まで圭介のものとされていたPDAと共に。女王の命を狙う「A」と道化師が姿を現し少女たちの表情が見る間に凍りついた。

「う、そ――」
「何もかも楯岡の言った通りさ。俺はずっとこのJOKERで、お前たちを欺き続けていた」
「あ――」

左手を一振りし、JOKERのみを宙に舞わせる。
反射的に手を伸ばし空中でそれを拾い上げた美雪が菜緒の支えを失い、力無く床に尻餅を着いた。

「どう、して――?」
「『どうして』って? そんなの当然、『A』を隠すために決まってるだろ。俺の本当の解除条件を悟らせないためにだよ。でもバレちゃ仕方無いよね」

酷薄に口元を釣り上げてみせる。心無い言葉を並べ立てる。非道であった正体を曝け出すかの如くに。
もう共に同じ道を行く事は出来ない。「A」と「Q」の関係ある限り、鳴神圭介は森下美雪の傍には居られない。

「簡単に騙されてくれて、助かったよ。あーあ、もう少しだったのになあ」

ならば、最後は徹底的に悪役を演じよう。別れを悔やまれるくらいなら、いっそ憎まれよう。
姿を消した自分の事を彼女たちが気にかけないように。もう二度と会う事の無い自分の事を、考えたくもないくらいに。
そうすれば二人は自らの解除条件に専念できる。そしてそれはあと一歩の処まで来ている。
だから、どうか。俺の事を忘れてくれ。俺の存在を消してくれ。自分の事だけを考えて、どうか二人で助かってくれ。

「でも馬鹿な女の相手は疲れたよ。丁度良い機会だ、ちと面倒だけど今後はもう一つ考えてた方法で首輪の解除を目指すとしようか、ね」

心の内で少女たちの無事を祈りながら、願いながら。圭介は真逆の言葉を口にし続ける。
胸を刺す痛烈な痛みに、唇を噛み締め耐えながら。

「そんなはず――そんなはず、ありません。だって、だって圭介くんのPDAは『6』で、だから今まで――」

座り込んだまま床に視線を落としながら。うわ言のように美雪が事実を否定する。
どうして認められないのか、現実から目を背けるのか。そんな事では到底この先を乗り越えられはしないのに。

「なら、証拠を見せようか?」

美雪を思うからこそ湧き立つ苛立ちに身を任せ、圭介は「6」のPDAを美雪の目の前に落とす。
そして。それを思い切り爪先で踏みつけた。

「――あっ!」

ばきり、と乾いた音と共に。精密機器が中心から2つに折れ曲がる。誰の目にも明らかに、PDAはその機能を停止させた。

「このPDAは吉田さんのものだ。俺があの人を殺して奪ったんだ。これでわかっただろ? 今までが何もかも嘘だったんだって」
「そんな、そんな――」

飛び散ったPDAの破片はまるでこれまでの信頼関係そのもので。
それを幼子の様に跪き、必死にかき集める美雪を見ていられなくて。思わず圭介は懐に「A」を戻し眼を逸らす。

「――とまあ、そういうわけだからそろそろ失礼させてもらうよ。嘘っぱちの関係だったわけだけど、それなりに今まで楽しかったよ。それじゃあ」

これ以上は耐えられるものではなかった。身勝手だとわかってはいながらも、この居た堪れない空気に浸っては居られなかった。
逃げるように、踵を返す。そんな圭介の背中に声をかけてきたのが誰かなど、言うまでも無い事だった。

「待ちなさいよ。さっきから黙って聞いてれば――好き放題言ってくれるじゃない」
(――ま、当然だよな)

彼女が。緑川菜緒がこのまま黙って見逃すはずは無いとは思っていた。
背中越しに圭介が視線を向けると激情家の菜緒らしくもなく顔を伏せたまま佇んでいる。
だが握り締めた拳が小刻みに震えていた。それだけで心中を推し量る事は容易であった。

「圭介、アンタ本当に――あたしたちを騙してたの? 一緒に助かろうって口では言いながら、心の中であたしたちを嘲笑ってたっての!?」
「だから、そう言ってるじゃないか。あ、付け加えとくけどそのPDA、お前の解除条件に係わってるかんな? 壊すPDAはあと4つってちゃんと覚えとけよ?」
「ふざけんじゃないわよっ!!」

怒号が響き渡り、腰に携えられたナイフが抜き放たれる。かれんが「あ!」と短く悲鳴のような声を発する。

「許さない――ゼッタイに許さないっ!! やっぱり男なんて、信用するんじゃなかったっ!」
「おいおい、物騒な真似はよせよ」

軽口を叩きながらも圭介は冷や汗を覚えた。彼女は此処が戦闘禁止エリアである事を失念してはいないだろうか。

「殺してやる――殺してやるっ! アンタなんかっ!!」

冗談ではない。そんな短絡な感情で全てを御破算されてたまるものか。
それでは何のために自分が悪役を買って出てまでこの場を治めようとしているのかわからないではないか。

「やれるものならやってみろよ。俺なんかと刺し違えるつもりだってんなら。でもそうしたら、美雪は独り取り残される事になるんだぜ?」
「っ!!」
「もう美雪を守れるのはお前だけなんだから。いい加減自分の頭で考えて行動するこったな」

憎まれ口の中に、真実を含ませる。圭介は菜緒に、これからの道を指し示す。
本当ならば自分が傍に居てこれからも守ってやりたい。そんな想いについ掻き立てられてしまう。
だがそれが叶わぬ今、彼女たちは自分の身は自分で守らねばならないのだ。
そのためには、美雪には何事にも屈しない心の強さを。菜緒には状況を把握出来る思考力を。それぞれに持ってもらわねばならない。
例え離れ離れになったとしても。二人を失いたくない想いに変わりは無い。

――君たちが本当に、大事だから、大切だから。
――そして俺は本当に、本当に――君たちが、好きだから。

それこそが。嘘に塗れた圭介の中で。たった一つの偽りの無い想いなのだから。

「う、う――」

菜緒の表情が見る間に歪む。羨むばかりの美貌が、徐々に崩れて行く。

「わかってるわよっ! わかってるのよっ! あたしにはアンタを殺せないって! 殺すことなんて出来るワケないじゃないっ! ばか――ばかあっ!!」

ナイフが床にからりと落ちる。殺意を失った両腕が、涙の溢れ出る両瞼を覆い尽くした。

「――上出来だ」

不器用な少女の不器用な吐露は少年には届く事無く。
ただ最悪の事態を回避できた事に安堵した圭介は精一杯の優しさを秘めた瞳で呆然自失の美雪と嗚咽を漏らす菜緒に最後に見つめて。
今度こそ本当に。少女たちに背を向けた。

「――」

振り向いた先には、出口への道筋を遮るように楯岡が佇んでいる。
散々煮え湯を飲まされた男ではあったが今の圭介には不思議と悪感情は浮かんでは来なかった。
それは楯岡も楯岡なりの正しい思いの元に行動しているのだと、感じ取ったからなのだろうか。

「じゃあな。アンタにも世話になった。もちろん悪い意味でだけど」
「さっさと失せろ。ペテン師め」

互いに目も合わさず辛辣な言葉を一言交わし。圭介は男の脇をすり抜ける。

「な、鳴神くん。あの――」
「かれんさんも。どうかこれから気をつけて」

何かを言いかけたかれんに素っ気なく、されど気遣いを残し。
圭介は独り。静かに部屋を後にした。





振り向きもせず扉を閉じる。前も見据えず歩を進める。
物音一つ無い静寂の通路に等間隔で圭介の足音が響き渡り。
その刻みが徐々に、早くなる。歩く速さが徐々に早くなる。そして。

(――っ!!)

気が付けば。圭介は走り出していた。
追手を怖れた故では無い。されどあの部屋から一刻も早く一歩でも遠く、遠ざかりたかった。
衝動に任せ、全速力で宛ても無く。罠の確認にも周囲の警戒にも、割ける余裕は何処にも無い。

「はあっ、はあっ、はあ――」

息が苦しい、胸が苦しい。だけどこの苦しみは決して走り続けている所為では無い。
それは全てを失ってしまったから。地獄のようなこの場所でたった一つ、拠り所にしていたものを投げ捨ててしまったから。
受け入れ難い真実を目の当たりにし、愕然とする少女たちの顔が瞼に焼き付いたまま離れない。
悲痛な嘆きが、泣き叫ぶ声が。耳に残ったまま消えてはくれない。

そんな全てを振り払うように。そんな全てから逃げ出したくて。
ただ闇雲に、只管に。圭介は通路を駆け続けた。

「はあっ、は――あっ!」

どれだけ時間が過ぎただろう。どれだけの距離を走り抜けてきただろう。
無駄に酷使した身体が音を上げ、圭介の足を縺れさせた。
支えを失い堪らず床に膝を着く。同時に内側から込み上げてくるものを感じる。

「う、ぷ――ぐえっ!」

咄嗟に飲み込む事も叶わず、そのまま圭介は吐瀉物を嘔吐した。
跪いたままに二度、三度と。胃液混じりの液体を床に撒き散らす。
何と無様である事か、繰り返す行為の中で自虐めいた思いが圭介の内に浮かぶ。
だがそんな無様に身を窶さねば自己を保てなかった。溜め込んでいたものを同時に吐き出さなければ何かを考えるどころではなかった。

「はあ、はあ――く――」

内臓の中身を全てぶちまけると今度は圧倒的な疲労感がその身に襲いかかってくる。
身体を引き摺りながら圭介は通路の脇に座り込んだ。背中を壁に預けて暫し呼吸を整えるために荒く息を吐く。
幾らか気分は楽になったものの動悸は納まらず視界もぼやけたまま。
力を失うという意味を体現しながら何も考えられず、圭介はただ虚ろに宙空を眺めていた。

「――あのさ。矢鱈無闇に走り回らないでくれる? 追いかけるのに大変だったじゃないの」
(――?)

不意に何者かに声をかけられた。その声が誰のものであるのか、わかってはいても今の圭介の身体は動かない。
ただ、目の前に現れた才女・波多島乃得留を。圭介は一瞥するだけであった。





 ゲーム開始より38時間31分経過/残り34時間29分



[21380] EPISODE-46
Name: でしお◆ff3c50cd ID:15730752
Date: 2011/07/22 04:44
「どう? 落ち着いた?」
「ええ、まあ――」

乃得留が何処からか探し出して来た飲料水を空になるまで嚥下した圭介は、何とか壁を支えにしながら立ち上がる兆しを見せる。
身体の重さは変わらない。その身を奮い立たせる気力も内からは湧き上がっては来ない。
目の前は依然霞がかかったような状態でまともな思考も覚束ない。ただ介抱を引き受けてくれた乃得留にこれ以上の醜態を晒したくは無かった。
彼女を自分などのためにあまり長い時間引き止めておくわけにもいかないと、その一心だけで圭介は辛うじて身体を立て直した。

「ありがとうございましたノエルさん。おかげで助かりました」
「それはどうも。大した事はしてないんだけど、ね」

悪戯っぽく肩を竦めて見せる乃得留の美貌には些かの乱れも無い。初めて出逢った時と変わらず魅力的なままだ。
彼女もまた、様々な別れと裏切りを体験してきたはずなのに。自分と同じ境遇に陥って来たはずなのに。
それでも変わらず居られる乃得留の強さが圭介には羨ましかった。そして呆れるほどの自分の弱さが恨めしかった。

「――大門、さんは?」
「ダメだったわ。私の説得になんて耳を傾けてもくれなかった。何とか逃げ切るのが精一杯だったってところ」
「――そうですか」

予想通りの結果であっただけに何の感慨も起こらなかった。あの大門の暴走状態を鑑みれば土台説得など叶うはずもなかったのだ。
寧ろよくぞ単独であの巨人の魔の手から無傷で逃れられたものだ、と改めて圭介は感心するばかりであった。

「じゃあ今度は私が質問する番ね。圭介くん、君はどうして、こんな所で独りでいるのかしら?」
「――」

返答に窮する、とは正にこの事だった。
乃得留にしてみれば当然の質問であるのだが、事情を語るにはあの戦闘禁止エリアで起こった出来事を一から十まで白状しなければならない。
それこそ自らの過ちを含めて何もかもを、だ。

「適当にはぐらかそう、なんて思わないでよね。君が美雪ちゃんたちと離れ離れになるなんて、よっぽどの事が起こったとしか思えないんだから」
「う」

すかさず逃げ道を塞がれ圭介は更に困惑する。これで言い逃れも通用しなくなった。
圭介を見つめる乃得留の瞳は真剣で、どうにも真相を知るまでは頑としてこの場を離れる様子は無い。

「――安心して。例えどんな真実でも、私は決して君を軽蔑したりはしないから」

一転才女の表情が優しく柔らかいものへと変化した。

「君が美雪ちゃんたちを見捨てなきゃいけない何かが起こったのか。それとも逆に見捨てられた何かが有ったのか。それは今の私にはわからないわ。
 でも、君は苦しんでいた。立ち上がれない程に心も身体も痛めていた。それだけが、私にわかる今の事実よ。だから――」

「ノエルさん――」
「だから、お願い。何があったのか聞かせてもらえないかしら?」
「――」

それは甘美な囁きだった。
乃得留は気付いている。薄々とではあるが、自分の身に何が起こったのかを。その上で弱っている自分を救いたいのだと言ってくれている。
委ねれば、楽になれるのかもしれない。打ち明ければ、この狂おしい程の罪悪感も少しは和らぐのかもしれない。

「――わかり、ました」

最早抗う事は出来なかった。観念した圭介は大きく息を一つ吐くと乃得留に真実を語り始める。

「あの時――最初にノエルさんたちと別れた後。俺と美雪は無事にPDAを回収する事が出来ました。でも俺のカードは『A』で美雪は『Q』だったんです」
「そう――だったんだ。それで私たちの処へ戻ってくる事が出来なかったのね」
「――はい。でもじゃあ、なぜ俺と美雪は今まで一緒に居る事が出来たのか。それは俺にもう一つPDAが割り当てられていたからです。そう――JOKERです」
「――それ、じゃあ」
「俺には美雪は殺せなかった。殺せば助かると、幾ら考えても無理だった。だからJOKERで偽装して嘘のカードをでっち上げて。
 何食わぬ顔をして安全な人間の振りをして。美雪とずっと行動を共にしていました」

「――」
「でも、ついさっきの事です。ノエルさんに指定された戦闘禁止エリアで、楯岡和志と鉢合わせしました。奴のPDAカードは、御存じですよね?」
「ええ、最初の時に私だけは直接彼に聞いていたから」
「楯岡のカードは『2』。そのPDAにだけはJOKERの解除機能があります。其処で全てがバレました。だからもう、美雪とは一緒に居られなくなった。
 だから、逃げるように部屋を飛び出して来た――それが今、俺が此処で独りでゲロってた理由です」

我ながら都合に満ちた話の省き方だと圭介は自ら呆れ果てる。
吉田の件や楯岡との騒動の詳細など、自分に非の有る行動を一切含まず何を偉そうに語っているのか。あくまで自分は被害者だと言ってのけるつもりなのか。
だが全てを吐露し、それでも「自分は何も悪くない」と平然と開き直れる程に図太い神経は生憎持ち合わせてはいない。
もう、限界だった。圭介にとってはそれ程に、美雪たちに真実を知られた事実は重いものであったのだ。

「――そっか。なるほど、ね」

事の次第を知らされた乃得留は驚くほどに冷静だった。怒りの火を灯しもしなければ圭介を見損なった様子も無い。
目論見通りではあったものの、それが却って圭介の自責を掻き立てる。
また人を、騙してしまったのだ。自分を必要としてくれた少女たちとの信頼も絆も失って、こんな状態になってしまっても、まだ。

「つまり俺は、ノエルさんの理屈から言えば『救いようの無い人間』って事になりますか。確かキラーカードの所持者を救う気は無いんでしたっけ?」
「――そんな事も言ったかしら、ね」
「言いましたよ、ちゃんと覚えてますよ――だから、俺の事は放っておいて戦闘禁止エリアに行ってやってくれませんか。
 あそこにはまだ美雪たちがいるはずです。『救われるべき人間』が4人、居るはずなんです。どうか、あいつらに手を貸してやってくれませんか」

こんな自分には誰かに手を差し伸べてもらえる価値など無い。彼女に気遣ってもらえる資格など無い。
などと自虐でせめてもの心の均衡を保ちつつ、圭介は乃得留を促す。自分から離れるようにと。彼女の才覚は相応しい人間にこそ向けられるべきだと。
今、戦闘禁止エリアに居るはずの4人には首輪の解除に必要な条件はほぼ出揃っている。後は制限時間まで生き残れるかどうか、だ。
あの一行に乃得留が加わればその確率も大幅に向上する事だろう。楯岡は離脱するかもしれないが彼女の才覚があれば長沢たちからも逃げ切る事は可能だろう。
そしてそれは、乃得留自身にとってもプラスになるはずなのだ。彼女の解除条件からも美雪たちとの合流は望ましい事態であるはずなのだ。

「そうだ、ノエルさん。貴方には――」
「嫌よ」
「――へ?」

一体彼女が何に対し断りを告げたのか。圭介が理解できるはずもなかった。

「私は美雪ちゃんたちとは合流出来ないわ。だって私、あの子たちを助ける気はないもの」
「な、何を――言ってるんですか?」

何か説明を間違えてしまっただろうか。美雪たちが乃得留にとっての敵になりそうな言い回しをしてしまったのだろうか。
慌てて圭介は己の行動を振り返る。妙な誤解をさせてしまったのならそれは是が非でも解いておかねばならない。
自分の所為で無用の諍いが起こるなどこれ以上は有ってはならない事なのだ。
散々考えを巡らせたおかげで何とか思考能力を取り戻す事が出来た。圭介は乃得留と出会ってから今までの記憶を必死に辿り原因を探ろうとするが、

(――あ、れ?)

その刹那。痛烈な違和感に襲われた。
そもそも何故彼女は此処に居るのだろうか? あの戦闘禁止エリアに向かうように促したのは他ならぬ乃得留自身のはずである。
ならば自らが設定した目的地に辿り着く事無くこんな場所に居るのは奇妙な話ではあるまいか。
到達する寸前に自分を見かけて追いかけて来た、と言うならば一応の理屈も立つが。それならもっと早くに接触していなければ不自然ではないだろうか。

「ねえ、圭介くん。『監督』って、どういう意味か知ってる?」
「――は?」
「スポーツ競技や工事現場でよく見かける人種の事なんだけど。要するにその場の近くに居て、指示や作戦を立てたりする人なのよね」
「――はあ」

乃得留が切り出した話題はあまりにも唐突で。そして脈絡の無いものだった。
いきなり何を言い出すのだろう。圭介には乃得留の意図がさっぱり見えてはこなかった。

「まあ実際、行動するのは選手や工夫なんだけど。人間ってやっぱり個々の思惑を持ってるわけだから、誰かが全体像を把握して管轄しなきゃいけないの。
 そうじゃないと作戦が上手くいかなかったり、設計図通りのものが完成しなかったりするわけ」

「待って下さいノエルさん、貴方は一体何の話をしてるんですか」

圭介の中の違和感は唸りを上げて大きくなっていく。
短い付き合いでしかないが、波多島乃得留という女性は常に道理と共にあった。これほどまでに逸脱した行為、弁論を行う事は一度たりとて無かったはずなのだ。

(っ!?)

不意に。視線が絡み合う。彼女が携えた微笑みは今までと何ら変わりは無いものであったが。
それが何故か。不可思議に妖艶に、圭介の目に映る。

――誰なんだ、この人は!? 

気味の悪さが身体に纏わり付く。其処に居るのは紛れも無く波多島乃得留の姿であるはずなのに。
今の彼女は少なくとも圭介の知る波多島乃得留では――有り得なかった。

「つまり、この『ゲーム』もそれに当て嵌まる、って言いたいわけ。『ゲーム』を有るべき姿に導くために、仲良しごっこでなんて決して終わらせないように。
 そのために参加者13人の中に企画者側に属する人物が存在する。それが――『ゲームマスター』」

「ゲーム、マスター?」

誘われるように。圭介はその名を復唱する。そして。

「っ!! それ、じゃあ――」

漸く話が繋がりを見せた。この「ゲーム」が見世物として成立しているとは圭介も以前から気付きつつあった事実である。
その見世物を更に見栄えの良いものとするために。血で血を洗う争いを更に活発化させるために。
敢えて主催者は参加者13人の中に飼い犬を紛れ込ませた。それが「ゲームマスター」。
そして当然その「ゲームマスター」が「4人もの参加者の解除条件が成立しつつある」という事態を看過出来るはずもなく。
波多島乃得留はそれに同調した。そして、その一連の事実を知っていた。つまり、それは――

「それじゃあ、ノエルさん! 貴方が――」
「さすがに察してくれたみたいね」

得心した様に喉を鳴らすと乃得留は毅然と佇まいを正す。

「改めまして、自己紹介させて貰うわ。私が本『ゲーム』のゲームマスター。波多島乃得留よ」
「な――」

その告白が、全ての答えだった。
「ゲームマスター」は他の参加者に救いの手を差し伸べたりはしない。「ゲームマスター」たる人物は一度に多数の条件達成者が生まれる事態を由とはしない。
だから、波多島乃得留は。美雪たちに手を貸す方向には動いたりはしないのだと。

「そんな――」

思わず。か細い呻き声が圭介の口から漏れる。

「そんな、馬鹿な話がありますか! だって、貴方は今まで――」
「『今まであんなに他の参加者を助けるのに躍起になってたじゃないか』、かしら?」

そう。彼女が明かした素性を圭介に受け入れ難いものとしているのは今までの乃得留の言動そのものだ。
「ゲームマスター」が彼女の言う通り殺し合いを幇助する存在であるとするならば、これまでの乃得留の行いはそれにまるで相反する。
しかもただ理想を撒き散らすだけでなく、きちんと筋道を立てそれぞれの救われるべき道を示して来た。
助かるためにはどうすればいいのか、その理屈を実に解り易く誰もに語り聞かせていたではないか。

「ただ状況に溺れて絶望し、我を忘れて殺し合うなんて動物と変わりはしないでしょう。そんなありきたりな進行なんて誰も望んではいないわ。『組織』も、私もね」
「『組織』――それが俺たちを拉致して『ゲーム』に参加させ、のうのうと高みの見物を決め込んでる奴らなのか」
「あら、ご名答。付け加えれば私が所属している、ね――話を戻すと人間ってもっと高尚な生き物よ。人間が人間の命を奪うにはそれに足る理由があって然るべき、
 それが私の持論なの。例えば復讐心や猜疑心だとか。若しくは、『ある特定の人物さえ殺せば助かるんじゃないか』って考え方だとか」

「ぐ――」

身に覚えが、ありすぎた。森下美雪というか弱い少女ただ一人を殺せば助かるのだと、度々湧き上がったどす黒い感情。
それこそが人間のみが抱ける思いだ。そしてその思いに流されて実行する事こそが、乃得留の思惑であったと言うのか。

「じゃあ、俺たちは――今まで貴方の掌の上で踊らされてただけ、って事なのか」
「ええ、そうよ――と、言いたい処だけど。正直圭介くん、君に関してのみはここまで計算違いばかりだったりするのよ」
「え」

どこまで本気なのかはわからないが。乃得留はさも無念であるかの如く肩を落として見せる。
てっきり嘲笑されるものだと思い込んでいた圭介はその反応に肩透かしを食わされた思いだった。

「命綱のPDAを持ち出さずに出発してみたり、折角JOKERで美雪ちゃんを騙したのに手をかけようともしなかったり。
 挙句に全てがバレたらバレたで足掻きもせずにあっさりと逃げ出して来たり――ホント、扱いに困る子ね。大門さんとは大違いだわ」

「余計なお世話です――ん?」

不快感に眉根を寄せる圭介は、ふと飛び出たその名に引っ掛かりを感じる。
先程自らの命の危機に追い込んだ巨人がああまで変貌してしまった理由は、偏に彼の心の弱さの所為であると圭介は当然のように思い込んでいた。
そしてそんな側面があった事は今も否定するつもりはない。だが乃得留が。彼の最後の同行者であった人物の正体が「ゲームマスター」であったとするならば。

「まさか――大門さんはっ!」

その意味合いは、変わってくるのではないだろうか。大門は不測の事態で小枝子を失い暴走したのではない。彼女に定められた筋書きで、ああなってしまったのだと。

「ええ、その件に関してはその通りよ。日本最強の空手家、素の人間としては規格外の破壊力をその巨躯に秘めた男、大門三四郎――彼に如何に狂気を抱かせ、
 存分にその拳を振るわせるか。それが今回の『ゲーム』の最大の売りであり、ゲームマスターの私に課せられた命題でもあったの」

否定もしなければ言い訳もしない。波多島乃得留は淡々と、裏に秘められた真実を語り始める。

「けれど彼は驚くほど人の良い男性だった。しかも口では未熟を謳いながらも無意識に自身の強さに自覚があったのか、生半可な事では揺れ動きそうにない人物だった。
 そんな場合には身近な人間を犠牲にするのが最も効果的なやり口なんだけど。生憎大門さんには殆ど身寄りが居なくてね、生贄に差し出す該当者は遂に見つからなかった。
 だから――即興ではあるんだけど。小枝子さんを彼にとっての『失ってはならない人物』に仕立て上げてね。期を見計らって死んでもらった、ってわけなの」

「ふざ――けるなっ!!」

圭介の咆哮が静寂を突き破る。
人の命を無碍に扱うばかりか自分の都合で振り回す。まるで長沢の如き残虐性ではないか。
しかも彼女はこれまでそんな性質を一切表に出さず、他者の救済という真逆の理を唱え続けてきた。
善良な仮面の下で自分たちを嘲笑いながら、息を吐くように嘘を吐き続けてきたのだ。
その所為で小枝子の命は失われ、大門は理性を失った。そして、美雪は傷付いてしまったのだ。
最早怒りを抑えられない。圭介は乃得留に向かって拳を振りかぶる。戦闘禁止エリアで全ての武装は手放してしまっていた。
もしも武器が一つでも残されていれば、彼女への攻撃を躊躇う事が出来ただろうか。そんな可能性が思い浮かぶ冷静さも、今の圭介からは失われてしまっていた。

「まあ、落ち着きなさいってば」
「っ!!」

至近距離で放たれたはずの拳が空を切った。其処に在ったはずの乃得留の姿は消え、同時に足を払われた感触が有った。
瞬く間に世界が反転する。天井が床に、床が天井へと景色が変化する。

「ぐあっ!」

そして背中が床へと叩きつけられた。衝撃で息が詰まり、次の瞬間には乃得留の膝が腹部へと押し付けられていた。

「相手が女なら、暴力に訴えても勝てると思った? お生憎様。私、こう見えて格闘技も達者な方なの」
「が――」

ならばこれは合気の要領、というものなのだろうか。痛みに顔を顰める圭介の眼前で、乃得留は不敵に笑っている。
今までの彼女は全て嘘であったけれど。多々見せられた才覚は紛れも無い本物であったと、痛みを対価に圭介は自覚した。

「俺、を――」
「ん?」
「俺を、殺す、んですか――?」

弱弱しい瞳で圭介は乃得留を見上げる。その視界には肩から下げられたマシンガンが映る。
彼女は「ゲームマスター」で一人でも多くの死者を生み出さねばならない立場。ならばその理屈に則り自分を此処で処断するのだろうか。
急速に迫り来る死の恐怖に怯えながら圭介は乃得留の返答を待つ。

「いいえ、殺さないわ。だってゲームマスターの役割は参加者同士を争わせるもので、自分から手を下す事はあまり好ましくはないのだから。
 ああ、勿論完全に禁止されてるわけでは無いのよ? ゲームマスターだって立派な参加者の一人なんだから。頭の痛い事にね」

「――」

つまりは乃得留もルールに則り正式な手順で首輪を解除せねば助からないらしい。
だとすれば彼女もそれなりに過酷な運命を背負わされている、という事なのか。

「じゃあ、なぜ俺に自分の正体を明かしたんですか――?」

思えば不自然な事だった。彼女の境遇は簡単には口外して良いものでは無いはずなのだ。
自分たちの日常を奪い、絶望の淵に叩き落とした「組織」に属する人間。その素性を他の参加者に知られれば確実に怨嗟の対象となる。
それはもう確実に、他の参加者の誰よりも命を狙われる立場と成り果てるだろう。そのために乃得留は今まで善意の参加者を装っていたのではあるまいか。
それなのに、何故。今その正体を自分に明かしたのか。それは後に口封じを行うためではなかったのか。

「だって君、このままじゃダメだもの」

圭介の身体に馬乗りになったまま、乃得留は意味深な言葉を呟く。

「逆に聞きたいんだけど。圭介くん、君はこれからどうするつもりなの? 『Q』の美雪ちゃんから離れてしまって、どうやって自分の首輪を外すつもり?」
「それ、は」
「まさか『物理的な手段で首輪を破壊する』なんて言わないでしょうね?」
「う」

またも続ける言葉を奪われ圭介は絶句する。
命は惜しい、だが美雪は殺せない。ならばもう「A」としての解除条件を満たさずして首輪を外すしか道は残されていない。
幸いにして無理矢理に首輪を外そうとする事はペナルティの対象とはされていない。ルール一覧にそのような記載はされていない。
何せこれだけ広大な施設である。隈無く探し回れば破壊を可能とする道具の一つくらいは見つかるはずだろう、と圭介はある種の目算を立てていた。

「あっきれた」

だが、それがどれ程愚策であったのか。波多島乃得留の表情は物語っていた。

「この『ゲーム』の仕組みを少しでも考えればそんなの無理だってわかりそうなものじゃない。ゲームマスターとして断言するけど、無いわよ。そんな便利な道具なんて」
「な――」
「正確には『人体に損傷を与えずに』という但し書きが付いたものは、かしらね。例えばチェーンソーなら有るけど、そんなもの首筋に押し当てる勇気ある?」
「――首輪と一緒に首そのものも吹っ飛びます、ね」
「でしょ」

圭介の答えが満足の行くものであったのか。乃得留の口調は妙に軽やかだった。

「ほら、ね。今のままじゃ圭介くん、君はどうやったって助からないの。なのに無意味な行為に没入するのを見るに忍びなくて。勝手ながら口を挟ませてもらったわ」
「――そりゃどうも、ご丁寧に」
「まあ今後誰とも係わらずに最後までずっと屋探しを続けて死ぬ圭介くんになんて、立場上価値を見出せないってのが本音なんだけどね」
「――」

せめてもの皮肉も無情な台詞を引き出せただけに終わり、圭介は遂に言葉を失った。

(嘘、だろ――?)

気が遠くなる程の目眩を感じる。より一層に思考が纏まらなくなる。
絶対の自信があったわけではなかった。それでも工夫次第で生き残る道はあるのだと信じていた。
いや、ただ単に。信じたかっただけなのかもしれない。ルールという理から外れさえすれば、自分も美雪も助かる術が見つかるはずだと。

だがそんなものは絵空事でしかなかった。主催者側の人間の証言と言う絶対的な根拠の前に希望は虚しく霧散した。
このままでは助からない。後に残されたのは乃得留の言葉に沿った残酷な現実だけだった。
ならばとて。他に何の術も思い浮かびはしない。勝負にもならない不揃いな手札を抱えたまま、呆然となるより他は無い。
抗えなければ死が待つばかり。古谷小枝子や名も知らぬ女性のように、無慈悲な「ゲーム」の犠牲者として名を連ねるばかり。
それがわかっていてもなお、打開策が見出せない。これまで数々の危機を乗り越えてきた少年の機転は、今は悲しいくらいに働いてはくれなかった。

(俺、は――)

押し倒されたままに見上げれば、薄汚れた天井が圭介の目に入る。
この遥か先に広がる空を、自分はもう二度と見る事は出来ないのだろうか。もう二度と陽の光を浴びる事は、無いのだろうか。
考えるだけで身震いがする。冗談ではない、こんな無機質な施設の光景が、最後の記憶などであってはならないはずなのに――

「ねえ、助けて欲しい?」

不意に乃得留の不敵な微笑みが圭介の視界を遮った。気付けば吐息がかかる近さに才女が顔を接近させていた。
その正体を明かした今でも乃得留の美貌は些かも色褪せない。気恥かしさに圭介は慌てて彼女から顔を背けた。

「――いきなり何を言い出すんですか」
「あら、助けて欲しくないの?」
「そういうわけじゃありません、けど」

答えるまでも無い事だった。助かる術があるのならば教えて欲しい、示して欲しい。
だが波多島乃得留はゲームマスター。自分をここまで叩き落とした張本人であり、非道の主催者たちの手先なのだ。
現に彼女はここまで大門を唆し、小枝子を見殺しにしている。そんな人物が放った救済の言葉を、どうして鵜呑みにする事が出来ようか。

「そう、なら自分に正直になった方がいいわよ? まさか『私に助けられるくらいなら死んだ方がマシだ』なんて本気で思ってるわけではないでしょう?」
「う――」

だが否定できない、跳ね除けられない。乃得留の言葉は何処までも真っ直ぐに、圭介の心を掴みにかかる。
そうなのだ。そこまで高潔で在らんとするならばこんな状況には陥ってはいない。己の命よりも大切なものを見出せていたならば少女たちを裏切ってなどいない。
死にたくない、ただそれこそが圭介を此処まで支え続けた思いであったのだ。

「まあ、私を疑う気持ちがあるのは仕方が無いと思うけれど。でもせめて、話だけは聞いてくれない? 答えはその後でも遅くは無いから」
「――」

顔を横に向けたまま圭介が頷くのを確認すると、乃得留はその身体に折り重なったまま話し始めた。

「実はね、こんな話を切り出したのは善意だけじゃなくて私の都合もあるのよ。しかも困った事に二つもね」
「――二つ?」
「そ。その一つは単純な人手不足。またネタバラしになっちゃうけどこの『ゲーム』には私の他にもう一人、主催者側の人間が参加していてね。
 当初はその人が私のサポートをしてくれる手筈になってたの。ところが不慮の事故で、その人は真っ先にリタイアする羽目になっちゃって」

「――まさか、その人は」

「うん。私たちが最初に出逢った時、既に亡くなってた女の人。彼女が『サブマスター』利根川静香さんだったの――おかげで予定は大狂いよ。
 私は独りでこの『ゲーム』を管理しなきゃならなくなっちゃったし。だから、圭介くんが彼女の代わりに私を手伝ってくれたら嬉しいかな、って」

「――なるほどね」

理屈としては上々だ、と圭介は得心する。そして一番の疑問であった「なぜ自分にわざわざ正体を明かしたのか」という理由とも符号が一致する。
要するに、乃得留も仲間を欲していたのだ。しかも一参加者の立場としてでなく、「ゲームマスター」として頼れる人材が。
だからその「サブマスター」なる立場を自分が代替する。それを乃得留は望んでいる、ということらしい。

「でもそれだけじゃ、俺が助かる保証にはならないと思うのですが」

事情は理解した。だがそれだけで申し出を承諾するには早計が過ぎる気がした。
波多島乃得留は参加者の命を何とも思ってはいない。大門や小枝子はおろか、旧知の仲であったはずの利根川静香の死でさえ無感覚な様子なのだ。
ならば自分とて同様であるだろう。仮に彼女の頼みを引き受けたとして、それを完遂したとして。次の瞬間に背中を撃ち抜かれない確証など何処にも無いのだ。

「OK、いい読みよ圭介くん。そこでもう一つの都合が絡んでくるわけ」

だが乃得留は意に介した風も無く。逆に目を細めて圭介に人差し指を突き付ける。

「圭介くん、まさか君はこの『ゲーム』の終着点が、私たちスタッフだけが生き残るものだと思ってないかしら?」
「――違うんですか?」
「違うわよ。だったらマスターだのサブだのって立場は必要無いじゃない」
「――」

考えてみればその通りではある。乃得留たちは主催者側の人間であるのだから、それこそ「ゲーム」の全ての内情を知り尽くしている事だろう。
そんな彼女たちが積極的に殺し合いに加担すれば、それこそ「ゲーム」は崩壊する。出来レースに等しいものと成り下がるのは確実だ。
故に彼女たちは「ゲーム」の影でなければならない。だからこそ彼女は「ゲームマスター」の名を冠しているはずなのだ。

「それって、つまり」
「そうなの。ゲームマスターは原則として何人かは一般の参加者を生存させなければならない。それがゲームマスターの義務であり、権限なの。
 勿論残し過ぎてもいけないんだけどね。其処がゲームマスターとして腕の見せどころ、ってとこかしら」

「――」

「因みにゲームマスターが最高の評価を得られる生存者数は『3』名。私たち2人の他に一般参加者が一人だけ。私は何としてもこの評価を勝ち取りたい。
 だから圭介くんがこの枠の中に入り込めれば――私は圭介くんを殺さないし、殺せない。むしろ首輪の解除が行えるように便宜を図ってあげられるわ。
 どうかしら? 取引の条件としては破格なものだと思うんだけど?」

「それ、は――」

徐々に動悸が早まってくるのを圭介は感じた。おそらく身体に触れている乃得留にもそれは伝わっている事だろう。
無明の闇に光が射した。絶望からの脱却の手がかりが、今此処に示されたのだ。
乃得留の手助けをしながら生き残る事に全力を注ぐ。ただそれだけで、生還への道筋は開けるのだと。

「――いや待て。ちょっと、待って下さい」

だが気付く。この条件は、何もかも圭介に都合良くは出来てはいないということに。

「生存者数が最終的に3名、ということは――」
「ええ、そうよ」

さも当然、と言わんばかりの乃得留の口調に圭介は生温い発汗を覚えた。
彼女はわかっている。この問いの意味を。そして圭介もわかっている。これから告げられる、彼女の答えを。

「もちろん美雪ちゃんも菜緒ちゃんも助からないわね」

予期していたとはいえあまりにも非情な答えだった。枠は3つでそのうち2つは乃得留と圭介。
そしてサブマスター、利根川静香の死により最後の一つは現在空席になっているかに見えるが、「あの件」からは随分と時間が経過している。
もうその席は既に埋まっていると考えるのが妥当であるだろう。そうなれば、結局は。圭介があれほどまでに苦しみ続けた状況と、何ら変わりはしないのだ。
美雪を殺さねば自分の首輪は解除できないという、原初の理屈に立ち戻っただけなのだ。

「やっぱりあの子たちを犠牲にして自分だけが助かるのは抵抗があるかしら?」
「――当然です」
「まあ、そうよね。でもどちらも助かる方法なんて、残されてはいないのよ? それに今回は以前の条件とは決定的に違う部分があるわ」
「違う、部分?」
「そう。それは『圭介くんが直接美雪ちゃんを殺す必要は無い』ってことよ」
「な――」

はたしてそれは、何度目の絶句であっただろうか。

「美雪ちゃんが助かるためにはこの先30時間以上もの時間を逃げ延びなければならない。でも圭介くんの助けを抜きに木戸くんや長沢勇治の猛攻を凌ぐのは、
 おそらく不可能でしょうね。君はそれを、黙って見ないふりをしているだけでいいの」

「――」

「後は『ゲーム』に対して積極的になってる参加者同士を鉢合わせさせられるように、私と二人で裏から上手く誘導する。何も圭介くんが直接手を下す必要はないわ。
 厄介な方面の仕事は全部私が引き受けてあげるから。それで君は晴れてゲームクリア、という寸法よ」

声を荒げる気も起きなかった。それほどに乃得留の提示した案は圭介にとっては魅惑的なものであった。
直接人を殺す事と見殺しにする事、その差異には如何程の違いも無いと思っていた。
ところがどうであろう。乃得留の理論立てにかかればそれはまるで別種の、容易く行えそうな行為へと変貌しているではないか。

「それでも今まで美雪ちゃんに手を出せなかった君にしてみれば、相当に辛い選択になるとは思う。でも、これが圭介くんにとっては一番良い道だとも思うの。それに――」

そこで乃得留は一旦言葉を区切り、やや感情の籠った瞳を見せた。

「――私にとっても、ね。圭介くん、私は是非君に助かってもらいたい。君が、鳴神圭介という少年だからこそ。私は君を助けたいの」
「え――」

意外な台詞であった。その時だけは圭介の目には、目の前の女性が心根の強い才女でも悪の手先、ゲームマスターとしてでも無く。
ただの歳相応の、普通の女性として映った気がした。

「どうして――俺なんです?」

意図せず口から思いが零れた。それはその言葉そのものを聞く前から、圭介の心に引っ掛かっていた事だった。
予想だにしていなかったパートナーの早期の退場により、乃得留は人手を欲している。その枠に単独行動となった自分を当て込む思惑事態は理解出来る。
だがそれが自分である必要は、鳴神圭介である必要は無いはずなのだ。何故なら自分は何処までも凡庸な人間でしかない。
頭脳も身体能力も傑出したものは持ち合わせておらず、乃得留のパートナーとして相応しいとは到底思えない。
ゲームマスターの特権によりその解除条件を無視できるのであるならば。それこそ木戸や黒江唯子の方が彼女の役に立つ事は明白であるはずなのだ。
なのにわざわざ、危険を冒して自分を探し出し。あまりにも有利が過ぎる条件を突き付けて勧誘する理由がわからない。

「――やっぱり覚えてない、か」

その言葉と様子を受け、乃得留は残念そうに肩を竦めて見せる。

「実はね、圭介くん。私と君は、ずっと昔に一度会ってるの。その時に優しくしてくれた君に、私はもう一度会いたいとずっと願っていたの」
「え?」
「それがこんな形だけれど。こうしてまた出逢う事が出来た。私はもう、この絆を絶対に手放したくない。だから――」
「――やめてください、そんな嘘」

急に冷めた心地になり、圭介は乃得留の言葉を遮った。

「あら、どうして嘘だと思うの?」
「俺の記憶にはそんな出逢いは一度も無いからですよ」

記憶力に自信があるわけではない。それが証拠に今は死んだ母親の顔すら覚えていない。だがおぼろげながらにも、過ごした幼少期の形くらいは記憶に残されているのだ。
当時の自分の周りには、同世代の少年しかいなかった。丁度異性と遊ぶ事に抵抗を覚える時期でもあった。
中学に上がるくらいまでは、まともに女子と口を聞いた覚えすら無い。そんな自分にそんな出逢いがあったとするならば、それこそ鮮明に記憶されているはずなのだ。
故に自分と乃得留は幼い頃に出会ってはいない。それは確信を持って言える事だ。

「あら、バレちゃった。寂しい少年期を送ってるのねえ圭介くんは」
「ほっといて下さい」

あっさりと非を認め、悪戯っぽく舌を出して見せる乃得留。やはり嘘だったようだ。
如何にも有り得そうな状況を並べて語り聞かせ、「もしかしたら」と思わせる。詐欺紛いの占いによくある手口と言えるだろう。

「信じてくれれば少しドラマチックな関係になれたのに――まあ、いいわ。でも、君が圭介くんだから助けてあげたい、ってのは私の本心なのよ?」
「――どの口が言いますか」
「まあ聞きなさいってば。実際ね、私は君を評価してるのよ。今まで美雪ちゃんたちを欺き続けてきた、その機転と演技力をね」

一瞬、どきりとさせられた。それはこれまで圭介自身が忌み嫌いながらも振るわざるを得なかった己の力ではあったのだが。

「圭介くん自身は認めたくないかもしれないけれど。それも立派な才能なのよ? 例え相手の美雪ちゃんが、底抜けのお人好しだったのだとしてもね。
 他にも『ゲーム』に対する理解力であったり口の上手さであったり。どれを取っても私のパートナーとしては申し分無いわ」

「――ノエルさんには及びませんよ」
「ふふ、皮肉のつもりでしょうけど褒め言葉と受け取っておくわ。そんな切り返しの仕方も素敵よ、圭介くん」
「そりゃどうも」

素っ気無い態度で返事を返す。悪人の素養を見出された様で不快感が拭えない一方で、心のざわつきが治まらない。

「だから、私は君がいい。他の誰でも無い、圭介くんと一緒がいい。これからもずっと――この『ゲーム』が終わった後でも」
「――まるでプロポーズみたいですね」
「あら、先に私に『結婚して下さい』って言ったのは君の方じゃなかったかしら?」
「またそんな嘘を」
「嘘じゃないわよ。ほら、最初の時の別れ際に」
「そんな事、言いましたっけ」
「言ったわよ――それなのに君ってば、美雪ちゃんにべったりで。乙女心が傷付いちゃったじゃない」

言われてみればそんなやり取りを冗談交じりに行ったような気がしなくもない。まだ『ゲーム』に対して何の脅威も感じていなかった頃。
まだ、目の前の女性が正しい人だと信じ切っていた頃、純粋にその才覚に憧れを抱いていた頃に。

「話が脇道に逸れちゃったかしら。つまり、これが私の理由よ。圭介くん、君に私の仲間になって欲しいという、ね」
「――」
「私に言える事はこれが全て。さあ、圭介くん。今度は君の答えを聞かせて? 君はこれから――どうしたいのかな?」

全ての手札は明かしたと、宣言した乃得留の顔がより一層近付いてくる。間近に見えるその表情は、圭介が申し出を受け入れる事を微塵も疑ってはいない。

「俺、は――」

鼓動の早鐘が止まらない。条件はあまりにも圭介に有利に出来ていた。本来ならば有無を言わずに頷いているはずだった。
だが美雪はどうなる? 菜緒はどうなる? 彼女たちを助けたいからこそ、大切だからこそ。こうして自分は二人の元から離れたのではなかったのか?

「辛い選択だとは思うわ。美雪ちゃんたちが大事だからこそ、君は此処まで心を痛めてるんだもの。でもね? 君自身が死んじゃったら何にもならないわよ?」
「う――」

心の内を見透かされ、息が詰まりそうになる。その通りだ、自分の身を犠牲にしてまで彼女たちを助けるなどとんでもない。
自分の命が潰えても二人が助かればいい、などとは自己満足に過ぎない。そんな未来に意味など感じない。
どうする? 一旦承諾したフリをして、乃得留に従いながら美雪たちが生き残れるよう画策するか?
いや、無理だ。彼女はそれこそ生き残りを3人にするためには直接手を下す事も厭わないだろう。
仮に土壇場で裏切り反抗しようとしても、おそらく彼女は出し抜け無い。そのまま返り討ちに遭うのは必定だ。
そもそも乃得留に従う事を決断した時点で、自分の命運は彼女に握られる事になるのだ。彼女の理想が成就しない限り、自分の命が助かる事もまた無い。
保証は得られても、確証を得られるわけではないのだ。それこそ、全てが終わるまで。

「死にたくは――ないのでしょう?」

念を押す乃得留の囁きが、殊更に甘美に感じられた。
従わなければ死ぬしかない。だが従えば、死なずに済む。
死にたくない、絶対に。それ以上に優先せねばならない事象などない。
吉田との最後の刻に、自分でも言ったはずではないか。「何もかも最初から上手く行くわけがなかったのだ」と。

鳴神圭介は凡人だ。自分の命一つ支える事さえ、自らの力では成し遂げられない。
ならば、悪魔に魂を売り渡してでも。目の前にぶら下げられた果実が毒を含んでいるとわかっていても。只管に、懸命に。生き抜く事を考えなければならないはずだ。

そうだ、そうだとも。
俺は生きなきゃならない。生きて帰らなければならない。
何としても。何を犠牲にしても。
それだけの理由が、俺には――

「っ!!」

不意に。辿り着いた思考の先に答えは待っていた。

(あ、あ――)

その意味を、徐々に理解する。理解すれば、最早冷静ではいられなかった。

「う、あ、あああっ!」
「ちょ――ちょっと圭介くん!? いきなりどうし――きゃあっ!」

流石の乃得留も驚きを隠せず圭介を介抱しようとするが、その彼女を圭介は上体を起こした勢いで跳ね飛ばす。

「な、何よ。どうしちゃったのよ!?」
「――だ」
「え?」
「嫌だ――嫌だ嫌だ嫌だっ!!」

矢継ぎ早に飛び出る否定の言葉。それは乃得留に向けられたもの。
何時ものように理論を振り翳す事も無く。ただ聞き分けの無い幼子のように。圭介は言葉を繰り返すだけ。

「もう嫌なんだっ! こんなのはもう沢山だっ! もう俺の事は放っておいてくれよっ!!」
「圭介くん――」

座り込んだままの体勢で壁まで後ずさり。頭を抱えて蹲る。
あまりの変貌ぶりに乃得留は暫し呆然と圭介の様子を眺めていたが、やがて一つ嘆息し、服の埃を払い佇まいを正す。

「――ごめんなさい。少し、追い詰め過ぎたみたいね」
「――」

圭介は答えない。自らの膝に顔を伏せたまま、乃得留の方を見ようともしない。

「落ち着くまでは傍に居てあげたいけど――今は逆効果、かしら。仕方が無いわね」

やれやれだわ、と首を回し身体の挙動を確認すると上着のポケットから3つの端末ツールを取り出し圭介の前に静かに置いた。

「仲間になってくれたら渡そうと思ってたんだけど、これ、渡しておくわね。私がこれまでに見つけたソフトウェア、参加者の首輪探知ツールと侵入禁止エリアのカウント。
 それからトランシーバー機能よ。それは私のPDAとラインが繋がってるわ」

「――」
「まだ窓口は開けておいてあげるから。気が変わったらそれで通信して頂戴。尤も――その様子だと無駄になっちゃうかもね」

殊更に残念な様子をその表情に張り付かせ。

「それじゃあね、圭介くん。縁が有ったらまた会いましょう」

あれほど執拗な勧誘を行った人物とは別人のようにあっさりと。乃得留はその場から立ち去った。






静寂を取り戻した通路で独り取り残された圭介は力無く座り込み、壁に背を預けたままだった。
見通しの良いこのような場所で身を晒す事がどれ程危険であることか。わかっていても立ち上がる気力すら湧き上がってはこなかった。

(は、は――何やってんだ、俺――)

引きつったままの表情で。少年は小刻みに震える身体を掻き抱く。乃得留の体温を失った今、空気はその冷たさを殊更に増したように感じられた。
唯一の道標を、失ってしまった。それが悪に通ずるものだと、わかっていても選ばなければ確実な死が待つばかりなのに。
差し伸べられたその手を、自らの手で振り払ってしまった。
明確な意思を持った拒絶ではなかった。自分の中に確固とした理由があって乃得留を受け入れられなかったわけではなかった。
気が付けば、衝動的に発作的に。圭介は乃得留を突き飛ばしていたのだ。

我ながらその愚かさに呆れ果てる。猛烈な後悔が、己の内で渦巻き始める。何故、どうして自分は首を縦に振る事が出来なかったのかと。
何も聖者を気取ったわけではない。己の命と引き換えならば、美雪や菜緒が助かるわけでは無いのだ。
いずれ誰もが死に絶える運命であるならば。己のみの生還を望んで何が悪い。そう心は傾きかけたはずだった。
あともう少し早ければ、自分は乃得留に傅く事を決断していたはずだったのだ。

だけど、思い留まってしまった。それは気付いてしまったから。
生きると言う事の意味に。誰を犠牲にしても生き延びたいと願う意味に。圭介は気付いてしまったのだ。

まず気がかりであったのは、父親のこと。年齢の割に些か頼り無い実父を独り取り残すわけにはいかない。だからこそ生還を果たさねば、そう思っていた。
だがそれは誰しも、同じ想いではないのだろうか。子が親を、親が子を。互いに思い合う気持ちはどの家庭でも変わりは無いはずではないだろうか。
美雪の両親は娘の将来を思うあまりに、拉致される前夜言い争いを起こしてしまった。
菜緒の父親は真っ当な人生を送らせるため、連綿と続いた剣術の技法を娘に伝えようとはしなかった。
そんな親たちに、美雪と菜緒ももう一度会いたいはずなのだ。二人とも、自分と同じ気持ちであるはずなのだ。

では、他にどんな理由がある? あれほどまでに固執した、自分が生き延びなければならない理由とは何だったのだ?
二人を犠牲にしてまでも、元の日常を取り戻そうとした。その理由は何処にあったのだ?

(――)

何も、無かった。

其処に在ったのは夢も希望も持とうとしない、空っぽな自分があるだけだった。
自由に生きろと諭されて。相応の金まで与えられて。それでも華やかな未来を描けない、そんな自分が其処に居るだけだった。

「ははっ」

思わず。乾いた笑いが込み上げ口を吐いた。
何と言う事だろう。これが笑わずに居られるだろうか。
自分は何も無い男のくせに、他人を踏み台にして生き延びようとしていたのだ。
鳴神圭介は何も無い未来のために、今まで嘘を吐き手を汚して来たのだ。
それに気付けば乃得留を否定するしかなかった。無価値な自分の生と引き換えに、これ以上の傷付く人や犠牲者を生み出したくはなかったのだ。

「は、は――ははははっ! ホント何やってたんだろな、俺! 何を、何のために――今までっ!!」

有りもしないものに執着し、大切なものを失った。何も無い事に気付いた時には、自らを救済する術すら失っていた。
そして今度こそ本当に。自分には何一つ残されたものは無いのだと、思い知らされた。

「バカだよなあ――本当に、どうしようもない! 救いようがない! バカだ、バカだ、バカ――あははははっ!!」

狂ったような高笑いが止まらない。危機管理も何もあったものではない。
寧ろ見つけて欲しかった。誰でもいい、誰でもいいからこんな愚かな自分を消し去って欲しかった。

だがこんな時に限り、少年の元には何者も訪れない。
ただ、己を呪い殺さんばかりの笑い声が、通路に響き渡るだけだった。

いつまでも、いつまでも。





 ゲーム開始より39時間08分経過/残り33時間52分



[21380] EPISODE-47
Name: でしお◆ff3c50cd ID:15730752
Date: 2011/07/31 11:03
同時刻、某所。
別室にて幾許かの仮眠を取り終えた「組織」幹部、金田は再びコントロールルームを訪れた。

「状況に変化はあったかね?」

あくまで儀礼的な言葉を発しつつ、折り目正しい姿で入口を潜り抜ける。
命がけのスリルに一喜一憂する来賓客と比較すれば彼はそれほど「ゲーム」の中身には固執しているわけではなかった。
既にこの遊戯との付き合いが始まって数十年にもなろうとしている。興味を失うには十分な時間だ。
さりとて過去に起こった危うく「組織」の崩壊に繋がった事件を省みれば、無関心でもいられない。
そんな過剰な責任感を背負い込みこの部屋で成り行きを見守っていたのだが、何せ「ゲーム」は73時間の長丁場である。
疲れ知らずの若者であるならば夜通しの三日間にも耐えられようが生憎と老体の金田にはそれは些か厳しいものであった。
疲労も溜まれば睡魔も襲ってくる。事が起こるのは一瞬ではあるが、そのために始終モニタの前に張り付いてもいられない。
止む無く金田は小休止を宣言し現場を責任者に任せ、一時退席したのではあるが。

「――おい、君」

室内の様子を目の当たりにした瞬間、金田の表情が渋面となる。
有ろう事か、その責任者、奇人ディーラー手塚義光は。

「――んごー」

行儀悪くもコンソールに足を投げ出し、椅子に体重を預けたまま盛大に高いびきを掻いていた。
しかも何時の間に用意したのかアイマスクを装着しているという念の入れようである。

(――一体何を考えているのだ、この男は)

呆れてものも言えない、とばかりに金田は己の眉間に指を添え、頭を振る。
仮眠を取るな、徹頭徹尾業務に従事しろ、などと厳しい事を言うつもりは無い。それで三日間を乗り切るのは重労働であるだろう。
近年のシステムの見直しによりディーラー自身の負担は大幅に軽減されはしたものの。だからこそ多少の休息も許せるものだと理解もしている。

だが、流石にこれは行き過ぎだ。仕事というものを馬鹿にしている。
こんな事で火急の事態に即座に対応できるのか。部隊に迅速な指示を出せるのか。
そのために「組織」はこのポジションに人材を派遣しているのだ。煌びやかな来客たちの機嫌を取るだけならばそこいらの専門の人間を臨時に雇えばいいだけの話なのだ。

「――おい、手塚くん。起きたまえ」

苦悩を帯びたため息一つ、金田は手塚の眠りを覚ましにかかる。苛立ちも手伝ってその肩を揺さぶる動きはやや荒々しいものとなった。
すると次の瞬間。騒音と共に椅子が跳ね飛ばされ、金田の目の前から手塚の姿が消える。

「っ!!」

瞬きをする間も無く。圧倒的な存在感が背後から出現したかと思えばそのまま羽交い絞めにされる。
そして首筋には、いつの間にか銀色の刃物が押し付けられていた。

「な――何をするんだ手塚くんっ!?」
「――んー? 何だ、金田の旦那じゃないですか。こりゃ失礼を」

即座に拘束は解かれ勢いで金田は床に膝を着く。振り向き見上げれば金髪の男は悪びれた様子も無く懐にナイフを仕舞い込んでいた。

「いやあ、申し訳ありやせんね。なにぶん俺も『ゲーム』参加者崩れなもんで。眠りを妨げられると無意識にこんな反応になっちまうんですわ」
「い、いや。私も軽率だった。もう少し気を遣うべきだったな」
「へへ、さすが旦那、人間が出来ていらっしゃる。伊達に組織の幹部じゃないですなあ」

へらりと下卑た笑いを浮かべる手塚はつい先刻まで熟睡していたとは思えぬ程の佇まい。成程、伊達ではないとは寧ろ彼にこそ相応しい言葉なのであろう。
無礼も皮肉も気にもならず、金田は息を吐きながらただ目の前の男の秘められた素質に素直に感心した。
ただその危機察知能力が「組織」のためではなく己の身を守るためだけに発揮されたのが些か気に食わない部分ではあったのだが。

「もうご休憩は十分なんで?」
「ああ、うむ。十分だ。繰り返しになるが状況はどうなっているかね?」

手塚の手を借り引き起こされた金田は「繰り返し」を強調しつつ報告を促す。

「状況、ですかい? 別にこれといって――」

今回の「ゲーム」は序盤に未曾有のトラブルが起こった以外は緩やかな進行となっている。
そうそう劇的な変化はまだ起こりはしないと高をくくっていたのだろう、手塚は16分割されたモニタを見やるなり、唖然と大口を開けた。

「――こりゃまたえらく変化してますね」
「――うむ。何が起きたと言うのだろうか」

床に就く前の記憶を手繰り寄せかけていた金田もそのモニタが映す「ゲーム」の変貌ぶりに驚きを隠せない。
金田が覚えている限りでは各参加者は黒江唯子以外はそれぞれ徒党を組み互いに牽制し合うかの如く距離を取っていたはずだった。
だがまず森下美雪たちと楯岡和志たちの一団が4階戦闘禁止エリアで合流している。そしてその中にリーダーシップを取っていたはずの鳴神圭介と吉田二郎の姿が無い。
件の少年はといえば離れた場所で気力を失ったように座り込み、動けないでいる。
そして大門三四郎は鼻息荒く大股で4階通路を闊歩しており、更に別カメラは無数の銃創に穿たれた古谷小枝子の死体を捉えている。
黒江唯子は相変わらずの単独行動。長沢勇治は木戸亮太と共に武器庫漁りの真っ最中。
そして新たな単独行動者の中に、波多島乃得留がその名を連ねていた。

「古谷小枝子が死亡しているな。誰の手によるものなのだろうか?」
「ああ、あれはウチの黒猫です。そこまでは俺の記憶にもあるんですが――ノエルの奴が何かやらかしやがったかな、こりゃ」

ばつの悪い顔つきで頭を掻いて見せる手塚。責任を感じていると言うよりは居眠りで折角の見どころを見逃してしまった後悔によるものか。

「ふむ、しかしわからないというのは何とももどかしいな。波多島本人に直接連絡を取って聞いてみる事は出来ないかね?」
「はっ、御冗談を旦那。『お前の見せ場を寝過ごして見逃したっぽいから説明してくれ』、なんて通信を送れるとお思いで?」
「――それもそうだな」
「只でさえ奴さん、『ゲーム中は余程の事が無い限りそちらから連絡を寄越さないでくれ』と息巻いてましたからねえ」
「それはまた、デビュー戦だというのに随分と大きく出たものだ」
「自信の裏返し、とも取れますがね。個人的にはいけ好かない女ではありますが――ま、手はあります。ご安心を」

一瞬だけ顔を顰めた手塚であったがすぐに元の軽薄な表情へと戻る。そしてコンソールに向き直り、手慣れた手つきで操作を行う。

『はい、管制室です』

程無く機器内部のスピーカーから、若い男の音声が聞こえてきた。

「おう、俺だ手塚だ。早速だがここ数時間の映像を編集してこちらに転送してくれ」

どうやら先の内部改革で別部署へと移設されたシステム管制部へと連絡を繋いだらしい。
成程、確かに管制室ならば施設に点在する全てのカメラが捉えた映像を溜め込んでいる。それを更に編集を加え、見易い形にして送ってもらおうという塩梅なのだ。
流石に改革の発案者の一人、手塚である。この程度の機転はお手のもの、と言うべきか。

『おや、「ゲーム」進行中としては随分と珍しいご命令で』
「いやなに、金田の旦那がお休みになっていた間見逃した場面を是非ともご覧になりたいと仰ってな」
『ああ、なるほど。そういった事情がお有りでしたか』
(――)

そして自分の失態を棚上げする要領の良さもまたこの男ならではと言える。
やや不愉快な面持ちで金田はきつい視線を向けると手塚は少しばかり肩を竦めて見せた。

『かしこまりました。ここ5、6時間の映像で宜しいですか?』
「ああ、頼むわ。どれくらいかかりそうだ?」
『そうですね、20分も頂ければ満足のいくものがご提供できるかと』
「10分でやれ」
『はは、相変わらずご無理を仰る――了解しました、出来る限り尽力してみます。それでは』

手塚に負けず劣らずの調子の良い口調の管制室オペレーターはそう言い残し、通信を切った。

「ま、ざっとこんなモンです。それでは暫しお待ちを、旦那」
「ああ」

得意げな手塚を無表情にあしらいつつ金田は備え付けのソファへと腰を沈める。
モニタに表示されているリアルタイムの「ゲーム」状況には目立った変化は見られなかった。

(波多島乃得留、か――)

編集された映像が届くまでの間手持ち無沙汰になってしまった金田は今回が初舞台となる若きゲームマスターについて思索に耽る。
波多島乃得留と金田には直接の面識は無い。だがその高名は近年幾度と無く彼の耳に届いていたものだった。

現場管理者育成部、通称「マスターズクラブ」。システム管理部と同様数年前に新たに設立された、その名の通り「ゲーム」に係わる人員を育成する部署である。
それまで「組織」はゲームマスターの選別をその構成員から適正の有るものから行っていた。
だが多岐に渡る技能が必要となるゲームマスターに相応しい人物ともなれば、それは将来的に組織の幹部とも成り得る才能をも備えているという事になる。
「ゲーム」内で決して安全が保障されているわけではないゲームマスターにそれ程の人物を宛がうのは貴重な人材の損失では無いのだろうか。
そう危惧した「組織」は改革の際、方針を一新した。
選び出すのでは無く一から育て上げる。「組織」の力と教育で、新たなゲームマスター候補を作り出すべきだと。
当時最も腕利きとされるゲームマスターを失ったばかりという事情も絡み、「育成部」の設立は異論無く承認された。
候補生となったのは過去の「ゲーム」での生存者。生還を果たすためにその手を汚した、人としての一線を踏み越えてしまい行き場を無くした元・参加者達だった。

その育成部で教育を受け、今回のゲームマスターの座を勝ち取ったのが波多島乃得留、というわけである。
彼女もまた多分に漏れず3年前の「ゲーム」を生き抜いた一人であった。
だが乃得留は最初から他の候補生とは毛色が違っていた。何故ならば彼女は史上唯一の「『9』の条件の達成者」であった為である。
言わずと知れた参加者全員の殲滅が条件であるカード「9」。その過酷さは最早難易度という言葉すら生温い。
何せ「全員死亡条件」とはその「ゲーム」に参加したゲームマスター、サブマスターすらも例外では無いのだ。
「ゲーム」を主宰する「組織」の人間すらも敵に回さざるを得ない、されど味方など望むべくも無い。そんな絶望的な条件を、乃得留は成就にこぎ着けた。
あざやかな手並みで参加者を操り、欺き。見事に条件を達成してみせた。つまり彼女はその時点で既に当時のゲームマスターの才覚を凌駕していたのだ。
当然育成のカリキュラムにおいてもその成果は目を見張るものだった。権謀術、格闘術、重火器の扱いに至るまで。全ての分野で傑出した数値を叩き出していた。

そして今回。若干二十歳の若さでゲームマスターに登用されるという未曾有の事態にも殆どの人間が異を唱える事は無かった。
唯一彼女をライバル視していた同じ育成部出身の利根川静香だけは最後まで納得いかない様子であったのだが。
その利根川がこうも早々に無様な最後を迎えたとあっては、最初から比較の対象にすらならなかったという事なのだろう。

「お、やっと届きやがったか。12分23秒――まあ許してやるとするか」

などと金田が己の内に入り込んでいると完成した映像が届いたようだ。
さて、現在の有り様は本当に波多島乃得留の手腕によるものなのであろうか。金田は手塚と並び立ち、モニタに再生された映像を鑑賞し始めた。

「ひゅう、こりゃまた派手に動いたもんだ」

口笛を吹き喝采を上げる手塚の言葉通り、その中身はほぼ乃得留の独壇場とも言えるものだった。
まず黒江唯子の接近を見計らい、同行していた一団を分散して古谷小枝子を間接的に殺害。そのやり口により注目人物であった大門三四郎を動かす事に成功した。
次にその大門と鳴神圭介たちの戦闘に自ら割って入り、巨人の精神を更に追い立てる。
その一方で救済した鳴神たちを楯岡和志たちと鉢合わせさせるべく戦闘禁止エリアへと誘導させた。
二人の邂逅は今まで鳴神少年が続けてきたJOKERによる真実のカードの偽装を看破されるという結末を招き、鳴神は一行から離脱。
そして最後にはその鳴神に再接触し、非情な現実を突き付け彼の精神を壊しにかかるという念の入れようだ。
成程。それは確かに「期待のルーキー」の名に恥じない、活発な介入の仕方であると金田の目には映って見えた。

(――少々張り切り過ぎにも見えるが、な)

だが故に「組織」の重鎮としては不安を感じずにもいられない。誰に指示されたわけでもない、中盤を過ぎてのこの派手な動き方には危うさもまた感じられてしまうのだ。
「ゲーム」における死の危険性はゲームマスターであっても変わりは無い。様々な特例は有るにせよ、積極的な行動はその優位性を無に帰す可能性がある。
それを能力の高さによる自信と取るべきか、それとも若さゆえの自惚れと受け取るべきなのか。どうにも金田にはそれが後者のように見えてしまうのだ。

「おや、お気に召さないご様子ですな。奴の活躍は旦那にはご不満ですかね?」
「そういうわけでは無いのだが――最後のアレだけは頂けないな」

特につい先程の出来事でもある、鳴神圭介に素性を明かした行動は看過し難いものがある。
他の参加者に「ゲーム」の、曳いては「組織」内部の秘密を明かすとはどういうつもりであるのか。揺さぶりを入れるにしても他のやり口はいくらでも有るだろうに。

「ま、確かにそれは褒められた手じゃありやせんが。でもあの女の肩を持つわけじゃ無いですが、問題は無いと思いますぜ? このままならあのガキは死ぬ、
 もし気が変わってノエルに従うにしても、それで生き残ればそのまま育成部にご招待だ。情報が外に漏れる事はまず無いでしょうな、けひひ」

下卑た笑いを浮かべる手塚。今の何処に可笑しな点があったのか。相変わらずこの男の考える事はわからない。

「ふん――まあ、良いだろう。終わった事に文句を言っても仕方が無い」
「そーゆーこってす。所詮俺らはしがない傍観者ですからね」
「――」
「おおっと、怖い怖い。大丈夫、ちゃんと立場は弁えてますって」
「そう願いたいものだな」

兎に角彼女ほどの才覚を持つ人材を失う事は「組織」にとっても痛手となる。不幸な結末が訪れないよう、今は願う他は無い。
自分の立場を忘れたが如きのディーラーを冷徹に一瞥すると金田は再びモニタに向き直った。

「そういえば、だ手塚くん。幾つか聞きたい事があるのだが」
「ほう? 俺に答えられるものであれば何なりと。他ならぬ旦那の頼みなら」
「うむ。今回の人選についてなのだがね」

それぞれ個別に現在の参加者の状況を捉えた映像の中から金田は二人の人物を注視する。
此処に来て乃得留が積極的に動き始めた。一体何処までが彼女のシナリオ通りであるのかはわからない。
だがそれはこれまでの犠牲者の少なさに業を煮やしたから、とは考えられないだろうか。
長沢勇治と黒江唯子。「ゲーム」を血の色に染めるには打ってつけの駒を二つも要しておきながらも、「ゲーム」はこれまでに目立った動きを見せなかった。
大門三四郎を殺し合いに巻き込むのに難儀していたという事情は有ったにせよ、だからこそ彼女は自ら動かざるを得なかったのでは無いだろうか?
そしてその原因を作っていたのは二つのグループでそれぞれに指揮を執っていた二人。
彼らが次々と迫る危機を乗り越え、或いは回避してきたからこそ。「ゲーム」はこれまで停滞の一途を辿って来たのだ。

「例えばあの少年、彼は何者なのだ?」

その内の一人、鳴神圭介。その少年のプロフィールには目を引くものは記載されていなかった。
片親であることや過去に家庭内暴力を受けた事など一般的には特異とも言えるのだろうが、そんな履歴を持つ者は過去の「ゲーム」を含めれば別段珍しくも無い。
あくまで「参加者」という括りで見れば鳴神圭介は凡庸な若者に過ぎず、そしてこれまでの「ゲーム」でも金田にはそれ以上には到底見えてはいなかった。
凡庸なりに何とかやり過ごしている。所詮はその程度の評価でしかない。尤もそれも今や限界を迎えてしまったようではあるのだが。
だがそんな彼も一応は手塚の眼鏡に適った人材ではある。一体手塚は彼の何処に何を見出したというのだろうか?

「おや、ご存知ありませんでしたか」
「私は『追加情報』を受けられる立場には無いのでな」
「なーる。それじゃ無理もありませんやね」

「追加情報」とはこれまた手塚がディーラーに就任してから新たに導入されたシステムである。
まず「ゲーム」が始まった段階で観客には参加者の大まかな履歴が発表されるがBETを左右する程の重要な情報は予め伏せられている。
黒江唯子の工作員としての過去や、緑川菜緒の剣術の腕前などがそれに該当し、このままではそれらの情報は表に出る事は無い。
そこで観客は個別に胴元にチップを支払い、追加で情報を獲得するのだ。無論支払った額が多ければ多いほど参加者の詳細が事細かに判明してくる。
余分にして過分な投資をしたもの程勝率が高くなる、如何にも手塚らしいシステムであると言えた。

そして「組織」の幹部でありながらもカジノ自体と「ゲーム」には本来直接係わりの無い、一客人の立場の金田には初期情報しか提示されていなかった。
当然こうして一言添えれば別段懐も痛める事無く情報自体は入手出来るのであるが。今まであまりの動きの無さのため、その必要性を感じなかったのだ。

「まあ御察しの通り、あのガキ自体は何も特別な事は有りやせんよ。それこそ別に、何時死んでも惜しくは無いただのガキです」
「ふむ、だろうな――その割にオッズはそこまで高くは無いようだが」

モニタの操作パネルを少しばかり動かせば鳴神少年のオッズが表示される。本命でもなければ大穴でもない、彼に似たごく普通の倍率であった。

「やはり『追加情報』が鍵を握っている、という処かな」
「へへ、ご名答。それがあのガキの一番のウリでしてね――実は奴の母親が、10年前に『ゲーム』に参加してるんですな、これが」
「ほう」

確かにこれは特別な情報とする価値はあるだろう。初期情報によれば鳴神圭介の母親は「病死」していたはずである。
ということは、彼の母親は。「ゲーム」を生き抜いた一人であると言う事なのだ。

「10年前といや俺はまだ善良な一般市民だったんで過去のデータを調べて見つけてきたんですが。どうやらその時の『ゲーム』で初めて、
 『A』のルールが導入されたらしいんです。そしてそのカードを引き当てた当時の参加者が、奴の母親というワケなんですな」

「となると――母子二代に渡る『A』の所持者となるわけか」

成程、合点がいった。あの少年が「ゲーム」に召喚されたのはその才覚によるものではない。いわば系譜によるものであったのだ。

「そんで金田の旦那もお気づきかと思いますが、その母親は結果的に条件を達成し、『ゲーム』をクリアしてます。さすがに最初は不殺の方針で奮闘してたんですが、
 最後にゃ当時のゲームマスターに唆されて根負けし、『Q』を殺してクリアしました。あ、因みにその時のゲーマスは俺ん時と同じ郷田のおばさんでして」

余計な注釈には自賛の意図もあるのだろうか。手塚が参加した「ゲーム」においてその過去最高のゲームマスターと名高き女性、郷田真弓は死亡している。
つまりそれだけ自分は有能な人間であるのだと。

「さて、それで目出度く元の日常を取り戻した鳴神母だったんですが、人殺しの体験がよっぽど応えたんでしょうな。その証である賞金も受け取らず、
 まもなく心も身体も壊しておっ死んじまいました。もちろんあのガキはそんな真実なんて知っちゃいません。今でも母親は『病死』だと疑いもしていないでしょう」

「なるほどな――とすると、追加で情報を買ったお客様には興味深い展開ではあっただろうな」
「そりゃもう。『息子は母を越えられるのか!?』なんて一部では大盛り上がりを見せてましたよ」

手塚の話を纏めるとどうやら条件達成の対象者を殺さぬために尽力し続けたのは母子共通の行動であるらしい。
ならば乃得留のあの勧誘も当時のシチュエーションを準えたものであったのだろうか。だとすればいらぬ演出をしてくれるものだ。

「ま、残念ながらあのガキは此処まででしょうけどね。あの様子じゃもう立ち直りは絶望的でしょう」
「だろうな。では、楯岡和志はどうだ?」

別段引き摺る程の話題とも思えず金田は次の気にかかる参加者の素性に興味を移す。
鳴神圭介が凡人であるならばこの男には非凡という言葉が相応しいであろう。まるで先が視えるかの如くこれまで悉くの危機を事前に回避してきたのだ。
しかも北条かれんという荷物を抱えたままで。サングラスで表情を隠した楯岡の底は、さしもの金田も推し量れない。
そして初期情報にも彼の履歴は電工業者という以外には一切記載はされていなかった。

「タテオカ、ですかい? 奴は鳴神のガキよりも至ってシンプルですよ。過去の『ゲーム』を生き残った本人、それだけです」
「――言われてみれば覚えがある名前のような気もするな」
「ほう! さすがは数多くの『ゲーム』を見届けてきた金田の旦那だ。調べもせずに其処に至るとはいや、恐れ入りやした」
「褒めてるつもりなのか、それでも君は」
「いや失礼、この喋り口はどうにも直せませんでね。でもそれがわかれば奴の堂に入ったふてぶてしい態度も納得でしょう」
「まあ――な」

過去の経験者であるならば手塚の言う通りその無駄の無い行動の数々も辻褄が合う。
そして乃得留と長沢勇治という同じ様に深く「ゲーム」を知るものが複数存在するからこそ、これまで腹の探り合いばかりが続いていたのだろう。

(しかし、それにしても――)
「確か、奴の参加した『ゲーム』は俺の時のすぐ前でしたかね――おっと、他に質問はありますかい? この際だ、何でもお答えしようじゃありませんか」
「ん?」

何やら妙な引っ掛かりを感じていた金田であったが手塚の言葉でふと我に返る。

「いや――もういい。説明感謝するよ手塚くん」

言われて思索を巡らせるがこれ以上は特に無い。隠された全ての情報を欲する程に金田は「ゲーム」に興じるつもりはなかった。

「おや、そうですかい。それではこのまま、暫しご歓談の程を――ってね。ひひひ」

全く似合わない恭しい態度を即座に一変させ、手塚はコンソールへと向き直る。
十分に休息は取ったにも関わらず疲労を感じた金田は嘆息し、再びソファーへと退き重々しく腰を下ろした。
これから「ゲーム」はどのような変遷を辿って行くのであろうか。今の処は金田の危惧する事態は起こり得ない様子ではあるが。

(――ん?)

不意に。先程感じた引っ掛かりの答えが金田の脳裏に浮かび上がる。成程、そういう事であったかと一人金田は得心する。

(ものは言いよう――という事か、ふむ)

理解してしまえばどうと言う事は無い。このまま心に留めておくにも値しない。
何事も無ければそれで良い。「ゲーム」の中で片付く事象であるならば、何が起ころうとも構わない。
乃得留の活躍がどうで有ろうとも。鳴神や楯岡の先行きがどうで有ろうとも。
そしてそれを傍観しているだけの素振りを見せる手塚の思惑も。金田にとっては全てが興味の対象外だった。

ただ、「組織」が脅かされる事が起こらなければ。数年前、手塚が参加した時の「ゲーム」のような事が起こらなければ。
それだけが金田の望む結末であり、確実に迎えなければならない未来であった。



はたしてその望みが叶うのか否なのか。
それを金田が知る事になるのは、これから一日以上も後の事であった。





 ゲーム開始より39時間40分経過/残り33時間20分



[21380] EPISODE-48
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2011/10/03 02:31
圭介が去った後の4階戦闘禁止エリアは重苦しい空気に支配されていた。
誰よりも正義を貫き通してきたはずの少年が秘めていた真実の暴露は、場の雰囲気を激変させるに十分足るものであった。

「圭介の馬鹿……圭介のばかっ! 絶対、ゼッタイ許さないんだからっ! う、うう……」

ソファの上で涙に濡れる顔を抱えた膝に埋めたままに、菜緒は先程から幾度と無く此処には居ない少年を罵り続けている。
絶大の信頼を寄せていただけに裏切られたその怒りと悲しみはより大きなものであったのだろう。
そして森下美雪もまた、その衝撃の事実に愕然と我を失っていた。親友に慰めの言葉一つかけられず、ただ虚ろに無言のままに傍らに座り込むばかりであった。

(嘘、よ。こんなの――)

必死に現実を否定しなければ正気を保って居られそうもなかった。騙されていたなどと到底受け入れられるはずもなかった。
それ程に鳴神圭介という少年の存在は、美雪にとって大きな大きな存在であったのだ。


――いったい、何をしているんですか?
――えーと、恥を晒してました。


そんな奇妙なやり取りが、彼との関係の始まりだった。
誘拐され監禁されているというのに珍奇な独り芝居を演じる少年の姿に美雪は目を奪われ、気付けば声をかけてしまっていたのだ。
不用心だと一瞬後悔に襲われたが、返って来た答えがあまりにも愉快で笑いを堪え切れなかった。
その瞬間だけは今自分がどんな場所に居るのかをいい意味で忘れさせられた。

それからどれだけの時を共に過ごしただろうか。そしてどれだけ彼に救われてきただろうか。
鳴神圭介は一見特別な才覚を持たないごく普通の少年だった。悪ふざけもすれば失敗もする、格好の付かない事も度々有る少年だった。
だがいざ窮地に立たされた時には驚くべき機転と度胸を発揮し、万度それを乗り越えて来た。
時に頭を働かせ、時には自らの身体を張り。圭介は幾度と無く自分を危険から遠ざけ続けてくれた。
その姿はまるで物語の主人公のようで。決して完璧ではないけれど等身大で身近な主人公のようで。
創作家を志す少女は何時しか彼に心を奪われていた。彼に好意を抱いていると、自信を持って言う事が出来た。
いつまでもずっと、一緒に居たい。彼と一緒であるならば何も怖れるものは無いのだと。
そしてこのまま彼と一緒ならば、必ず元の日常に還れると当然のように思いこんでいたのだ。

だからこそ、今の現実を受け入れられない。圭介の正体が主人公とは似ても似つかぬ悪役であったなどとは。
信じられない、信じたくない。側頭部に残る鈍い痛みに顔を顰めつつ美雪はただそれだけを胸の内で繰り返す。
嘘であるべきは今露わになった真実の方であるのだと。

(圭介くん――圭介くん!)

祈るように、願うように。心の内で少年の名を叫ぶ。わかっている。こんなものは身勝手な欺瞞であるのだと。
彼ははっきりとその口で、自分たちを騙していたと告げたのだ。偽りであったPDAをその足で踏み砕いて見せたのだ。
その献身的な態度も、心安らぐ優しい言葉も何もかも。全ては「『Q』を殺し自らが生き延びる」という理のために過ぎなかったのだ。
今まで無事でいられたのは圭介が常に菜緒の監視下にあったから。菜緒諸共に殺害を実行出来るだけの武器の準備が整っていなかっただけだったのだ。

(そんなはず――そんなはず、ない! だって、わたしなんて簡単に殺せるはずなんだものっ!)

それでも否定を続けるには自分の弱さを盾にするしかなかった。弱い自分を殺せなかった、正しい理由があるはずだと信じたかった。
だが圭介がJOKERを使役し自分たちを偽っていたのは抗いようもない事実で。そしてPDAを余分に持っていた事も紛れも無い真実で。
そんな彼が持つ正しい理由など、何処にあると言うのだろうか。
美雪は無意識に胸元に手を寄せる。胸ポケットに差し入れられていた、圭介に贈られた白薔薇はいつの間にか無くなっていた。
大門との揉み合いの際に落としてしまったのだろうか。代わりに少女の手の中に有るのは粉々となったPDAの破片。
嘗て圭介が自分のものであると偽っていた「6」を示す端末機器は今は二つにへし折られ、その機能を停止していた。
有るはずのものが失われ、正しいと思っていたものが砕け散っていた。それはまるで、圭介との関係そのものであるように思われた。

(どうして、こんな事に――)

ぼやける視界を美雪は思わずPDAの破片ごと両手で覆う。裏切りに対する怒りは不思議と湧いては来なかった。
ただ圭介を失ってしまった事が、彼が側には居ない事が。どうしようもなく悲しかった。

これからどうすればいいのだろう。
圭介に頼り切る事を由とはしていなかった美雪だが、自分なりの指針など何一つ持ち合わせてはいなかった。
これからは己の身は自分たちで守らねばならない、わかっていても具体案など今の美雪には思いつかない。
ただ圭介に与えられた喪失感を抱きながら、途方に暮れる事しか出来なかった。

「菜緒さん、美雪さん」

近く聞こえた声にふと我に返る。気が付けば一人の少女がすぐ隣に佇んでいた。

「あり合わせのものですけど作ってみました。よかったら食べてみて下さい」

そう静かに告げる北条かれんは両手で二つの椀の乗ったトレイを抱えている。
しばらく姿が見えない間にキッチンで用意していたのだろうか。見れば中には温かい湯気の立ち昇る白粥が入っていた。

「あ、ありがとうございます。でも――」

その気遣いは有り難く感じられる。でも今は生憎と食欲が無いからと、そう丁重に美雪は断りを入れるつもりだったのだが。

「余計なお世話よ。いらない、下げて」

突然菜緒が発した辛辣な言葉に更に空気が凍りつく。

「――菜緒っ!」
「あ――」

だがその発言に尤も驚いていたのは他ならぬ菜緒自身であった。呆然と顔を上げた少女の表情が、瞬く間に猛烈な後悔を帯びたそれに変わっていく。

「ご、ごめん、かれんさん。あたし、別にそんなつもりじゃ――」

気の毒な程に狼狽しながら菜緒は必死に自らの言葉を打ち消そうとする。おそらくは無意識の内に発してしまった言葉だったのだろう。
傷付きささくれ立った心が、礼を逸した言葉を吐き出させてしまったのだ。それほどに彼女の受けた傷もまた相当に深いものであったのだ。

「ええ、わかっています。わかってますから、それ以上は何も言わないで下さい菜緒さん」

かれんもそれは重々理解しているのか。不快な感じは露とも見せず、逆に穏やかに菜緒に微笑みかける。

「少しでも元気になってもらえれば、と私なりに考えたつもりだったんですけど。やっぱり今はそんな気にはなれませんよね」
「うん――ごめん。ホント、ごめんなさい」
「いいんですよ。だから『よかったら』、なんですから。無駄になってもいいとは実は最初から思ってました」
「かれんさん――」

残念な気持ちが無いはずが無い。だがかれんは決してそれを表には出さず柔和な表情を崩さない。
歳の功、という程に年齢が離れているわけではないのだが。そんな彼女に美雪は確かに自分よりも一回り大きな年輪を感じた気がした。

「お話をするのはもう少し落ち着いてからの方が良さそうですね。それまではどうか、ゆっくりしていて下さい」

怪我の治療はまたその時にでも、と恭しく一礼し。かれんはゆっくりと踵を返す。

「あ――」

その背中に何か声をかけようとする菜緒だったが上手く言葉が浮かんでこなかったのか。
伸ばしたその手は虚しく宙を掻き、結局無言でかれんを見送る事となってしまった。

「――何やってんだろ、あたし」

失意のままに小さく息を吐き。再度菜緒はソファへその身を沈み込ませる。

「ホント、あんな事言うつもりなんて全然なかったのに。かれんさんに嫌な思いさせちゃった」
「――気にしちゃダメだよ。かれんさんもそう言ってくれたんだし」
「うん、わかってる。わかってるんだけど――」

その先の言葉は続く事無く、自己嫌悪に再び顔を伏せる菜緒。だが彼女が飲み込んだ言葉が美雪には痛いほど伝わってくるようだった。

(だって――わたしだって同じだったんだもの――)

菜緒が声を荒げたのは恐怖に対する気持ちの昂りであったに相違無い。そして程度の差は有れど、それは美雪もまた同じだった。
彼女の折角の厚意を断ろうとしたのは食欲の無さだけが理由ではなかった。美雪ははかれんの親切の中に潜んでいるかもしれない悪意を幻視してしまったのだ。
つい先程までは赤の他人であったはずの自分たちに食事を振舞い、優しい気遣いを見せるかれん。
そんな彼女は掛け値無しの善人であると、今までであるならば当然の如く判断出来た。そう感じる事に何ら疑問が生じる事など無かった。
だが今となっては、そんな思いも純粋には受け取れない。心の片隅で、何かを疑ってしまうのだ。
長沢勇治に、黒江唯子に。そして遂には鳴神圭介にまで裏切られた。人を信じるという単純で神聖な感覚は無情に踏みにじられ続けて来た。
信じたい、信じてあげたい。でも今までの経験がそれを許さないのだ。殺し合いの理が、それを許してはくれないのだ。

(怖い――)

今まで他人との触れあいをこんなにも恐ろしいと感じた事など無かった。今更ながらに美雪は実感する。これは命を奪い合う「ゲーム」であるのだと。
だとすれば、到底生き残れるわけがない。平気で人を欺き狂気を振り翳す輩を相手自分たちが太刀打ち出来るはずもない。
ましてこの先は平和な国では滅多にお目にかかることの無い、凶悪な武器の数々が準備されているのだ。

(死ぬ、の? わたしたち――)

これまでに幾度と無く襲撃を受けた。危険に晒され続けて来た。だがその度に抱いた恐怖は暴力そのものに対するもので。
その先に待ち受ける自身の喪失など、今まで美雪は想像だにしていなかった。
大門に振り払われ頭部を痛打した時でさえ、自分がそのまま死する可能性など思い描けなかった。
それが今や、震えが止まらなくなるくらいに痛烈に感じる事が出来る。骸と成り果てた己の姿が幾つも頭の中で浮かんで消えてはくれないのだ。

(わたしたち、これからどうなるの!? どうすれば救われるの!?)

安全なのは今この場だけ。だが何時までもこの戦闘禁止エリアに留まり続ける事は出来ない。
何としても生き残るための術を講じなければならないのだが、美雪の混乱には拍車が掛かるばかりであった。
気を落ち着かせるためにかれんにもらった時間は逆に不安と恐怖を助長するばかりであった。

死にたくない。死にたくない。
帰りたい。救われたい。
そんな思いだけが空回りし、まともな思考など覚束ない。
か弱い少女の心は今や崩壊寸前にまで追い込まれてしまっていた。



――君たちは、何があっても俺が守ってみせるから。



(――え?)

だがそんな中。美雪の内に浮かんだのは、自分を裏切ったはずの少年の言葉だった。




――俺が、側に居るから。力になるから。だから、そんなに悲しまないでくれ。

――知りたいんだよ。森下さんのこと、もっと。

――二人のおかげで助かったよ。だから、ありがとう。



(あ――)

少年の、鳴神圭介の残した言葉が次々に浮かんでは消えて行く。
何故だろう。彼は自分を騙していたのに。今となってはそんな言葉も全て嘘と成り果ててしまったのに。

(あ、あ、あ……)

そんなうわべだけの、薄っぺらいはずの、言葉の一つ一つがどうして。
どうして、こんなにも重く心に響いてくるのだろう――?

(圭介、くん――)

圭介の声を思い出すだけで少しずつ、恐怖が和らいでいく。まるで彼が側に居た頃のように。
嘘の言葉にそんな力があるのだろうか。偽りの言葉で、そんな事が可能なのだろうか。
そんなはずはない。圭介のこれまでの言葉には真摯な想いが込められていた。
だからこそ、この地獄のような殺し合いの舞台でも心折れずに居られた。彼と共に過ごした時間を、楽しいとさえ感じていたのだ。

(そうよ、それにあの時も――!)

不意に視界がかれんの置いていった椀を捉えた。それを切欠にまた新たな記憶が美雪の中に呼び覚まされる。
2階の戦闘禁止エリアで黒江唯子の騙し討ちが未遂に終わった後。同じように圭介に食事を振舞われた。
なけなしの食材にありったけの工夫が込められた食事は想像以上に美味であった。おかげで美雪たちは再び活力を取り戻す事が出来たのだ。
他人を貶めようとする人間が、そんな料理を作れるのだろうか? 何れ殺す予定の相手に美味いものを食べさせようとするのだろうか?

(そんなわけ――そんなわけ、ないじゃない――!)

思い返せば色々なものが見えてくる。理屈だけでは計れない、直に触れたからこそ解ってくるものが。

「う、う……」

気付けば。美雪の頬を涙が伝っていた。溢れ出す想いを止める事など出来なかった。

「――みゆ、き? 美雪っ! どうしたの!? 頭が痛むのっ!?」

美雪の突然の変調に、途端に傍らの菜緒の顔色が変わる。

「ううん……違う、違うから……大丈夫、だから……」
「大丈夫って――じゃあ、なんでアンタ泣いてるのよっ!?」
「だって、だって……」

言葉にするのは難しい。だが散りばめられた断片から、確かにそれは伝わって来た。
圭介の想い。自分たちと共に在りたい、守りたいという真剣な想いを感じる事が出来た。

ではなぜ彼は、嘘を吐いたのだろう。どうして真実を打ち明けてくれなかったのだろう?
簡単な事だった。圭介の立場に立って考えれば、そうせねばならなかった事は容易に想像出来た。
例え「殺したくない」という本心が有ったとしても、「殺さねば助からない」という絶対的な理屈の前ではその信憑性も薄れてしまう。
彼の言葉や態度は偽りに過ぎないのではないだろうか、何時か自分を殺すつもりではないだろうか。そんな疑心と恐怖を相手に与えてしまうだろう。
破綻を齎さないまでも、互いを疑うぎくしゃくした関係に陥る事は否めないであろう。
それは自分たちとて例外ではなかった。彼の真実を知り、受け入れる事が出来なかったのだから。
ならば偽るしかない。正しく在るために、嘘を吐く事は必要な事であったのだ。

(どうして……気付かなかったの……?)

「A」を割り当てられてしまったのは彼の罪では無い。なのに圭介は、相反する立場でありながらずっと自分たちを守ってくれていた。
自分が今まで無事で居られたのは、全て彼の「嘘」のおかげであったのだ。
そして「嘘」の消失と共に、今までの関係もまた失われる。だから圭介は、自分たちの元に居られなくなってしまったのだ。
真実と真意は別に在るのだと、どうして、どうして気付く事が出来なかったのだろうか?
どうして彼だけを、圭介だけを。信じ続ける事が出来なかったのだろうか――?

(圭介くん――圭介くん、圭介くん圭介くんっ!)

狂おしい程の後悔が美雪を襲う。やり直したい、時間を元に戻したいと。だがどれだけ願えども、そんな事は叶わない。
ならばどうすればいいのか。どうすべきなのか。

(――)

決まっている。今からでも取り戻すしかない。失われたものをもう一度。

「――れ」
「――え?」
「頑張れ、わたし――頑張れ、頑張れ頑張れ、がんばれっ!!」

自らへの励ましの単語を、美雪は呪文の如く繰り返し言い聞かせる。それは誰も知らない、彼女の癖だった。
辛い時、挫けそうな時。人知れず彼女は声に出し自分を励まして来た。この「ゲーム」に巻き込まれてからも以前に一度、PDAを発見した室内で独り行っていた。

「み、みゆ、き――?」

勿論それは見られた行為ではないので人前で行うのは今まで絶対に避けて来た。だから当然、親友である菜緒も知る事は無い。
何の奇行が始まったのかと目を丸くしているのを感じるが、今はそんな事に構ってなど居られない。
早急に、迅速に。今は出来るだけ早くに立ち直らなければならないのだ。

(――うん、よし!)

徐々に心が落ち着きを取り戻して来た。
美雪は手の甲で目尻を拭う。拭われた涙の下から毅然とした少女の表情が姿を現した。
もしかしたら、錯覚なのかもしれない。自分の都合の良いように勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない。
やはり圭介は理屈の通りの悪人で、悪意のままに自分たちを騙していたのかもしれない。
でも、それを含めて確かめなければならないのだ。彼の本当の気持ちが何処にあるのかを。絶望するのはそれからでも遅くは無いはずだ。
そのためには、是が非でももう一度。圭介と再会しなければ。会って、話をしなければ。
嘗て無い程の強い衝動が美雪を突き動かす。不思議と力が沸いてくる。圭介の事を考えるだけで、彼の事を想うだけで。

――ああ、やっぱりわたしは、こんなにも。
――こんなにも、圭介くんの事が好きなんだ。

何も怖くない、と言えば嘘になる。これからの事を考えると身体に震えが走る。
それでも彼のためならば。彼と共に生きられるならば。そんなものは乗り越えられる気がするのだ。
ならば、もう一度。彼と出会わなければならない。そのために自分は何をすべきなのか。今の自分に何が出来るのか。
目を閉じて美雪は没頭する。まずは考えることだ。自分の強さも弱さも余す事無く受け止めて、様々な可能性を模索する。
日常の中でも怠らず行ってきた、物語の想像を、創造を。美雪は「ゲーム」の中に張り巡らせ始めた。

それは数秒であったのか数分であったのか。やがて少女は瞼を開く。涙の残滓が景色を歪ませるがその手で力強くこすり上げ、現実の世界をその目に留める。
そして、意を決して立ち上がる。確かな想いを込めた視線の先にはサングラスの男、楯岡和志の姿があった。
破綻は彼の登場から始まった。それならば、もう一度やり直すのもまた彼から始めなければならない。

「――楯岡さん、お話があります」
「奇遇だな。実は俺もお前がそう言い出すのを待っていた処だ」

胸の前で組んだ腕を解く事無く壁にもたれ掛かる楯岡は相も変わらず無表情。圭介を追い詰め排除した事などまるで気にした風も無い。
無論彼にしてみれば正しき理念に基づいた行動であるので諌める筋合いも無いのだが、美雪にしてみればあまり好ましい感情を持てないのも確かであった。

「わかっています。この、JOKERの件ですよね」

そんな思いを心の底に押し込め、美雪はポケットから道化師の絵柄のPDAを取り出して見せる。楯岡は無言で首を縦に振った。
楯岡和志のPDAカード「2」の解除条件はこのJOKERの破壊である。そのJOKERの所持者が圭介である事を楯岡が見事に暴き出したのは記憶に新しい。
だが最後の抵抗なのか無意識の行動であったのか。圭介はそのJOKERを楯岡ではなく美雪に与えて去って行ってしまった。
衝撃の事実に我を失った美雪はとても楯岡の事まで考えられる余裕は無く、素直にそれを楯岡に手渡せる状態では無かった。
そして楯岡も無理に美雪からJOKERを奪い取ろうとはしなかった。
それは楯岡なりの優しさなのか、それとも戦闘禁止エリアというこの場のシステムにより強硬手段に訴えられなかったのか。
何れにせよすぐにでも解除が成立する状況であったにも関わらず、楯岡は今の今までその忌まわしき首輪を外す事が出来てはいなかったのだ。

「まったく随分と待たされたものだ。さて、ではそれを渡してもらおうか」

そんな楯岡が美雪にJOKERの譲渡を要求してくるのは至極当然の事だった。美雪が落ち着きを取り戻した今、彼が遠慮する理由など何一つ無い。
そして美雪の方にもまた、それを拒む理由は無い。彼女にとってJOKERは無用の長物。解除条件に係わりも無ければ使役して他者を欺くつもりも無いのだ。
だが。

「待って下さい。その前に一つお願いがあります」

当の美雪には、楯岡にそれを素直に譲り渡すつもりはなかった。
このJOKERは易々とは渡せない。その機能に意味は無くとも、これは美雪にとっては道標なのだ。
圭介へと繋がる、長く険しい道を進むためのただ一つの道標なのだから。

「――何だ」
「お渡しするのは構いません。ですがその前に、菜緒の解除条件に対する保証を約束しては頂けないでしょうか」
「え、あたしの?」

驚いたように自らを指差す菜緒に対し、美雪ははっきりと頷いてみせる。
楯岡の首輪の解除が可能となった現状、今この場で解除条件が完全に整ってはいないのは菜緒だけとなっていた。
美雪の「Q」は制限時間までの生存で解除が可能。「J」のかれんは楯岡の安全が確保されれば美雪と同様の条件となる。
だが残り4つのPDAを破壊せねばならない「8」の菜緒はまだその条件を満たしているとは言い難い。
美雪、楯岡、かれんのPDAを合わせても全部で3つ。その全てを解除後に譲渡されるとしても、あと一つが足りない計算なのだ。

「緑川の――成程、お前の言わんとする事は理解した。お前はこれが望みと言う事か」

暫しの逡巡の後、楯岡は得心したように己の胸ポケットに手を差し入れる。
そして圭介の真実を暴き出した、「ゲーム」最初期にその所持者を失った、「K」のPDAを取り出した。

「いいだろう。ならばこれと俺のPDAを、そのJOKERを交換だ。これで緑川の条件も満たされる事になる」

不要となったPDAとて、素直に譲り渡さねばならないという道理は無い。あくまでそれは個人の意思次第である。
楯岡自身はその申し出を拒むつもりはなかったのであろうが、それでも確認しておいて損は無い。
そのために、取引という形を取った。解除の成立した「2」と持ち主の死亡した「K」さえあれば菜緒の前には4つのPDAが揃う形となる。

この状況を作り出すために、美雪は保証が欲しかった。楯岡の言質を取りたかったのだと。
そう楯岡に考えさせる事こそが、美雪の真の狙いであった。

「――申し訳ありませんが、それを受け取るわけにはいきません」
「――何?」

その発言に、流石の楯岡も仰天の表情を浮かべていた。美雪が素直に交換に応じると、何の疑問も抱いてはいなかったのだろう。

「み、美雪さん?」
「ちょっと、美雪!?」

楯岡だけではない。菜緒も、かれんも。己の耳を疑いながら唖然と美雪を注視する。
その反応だけで、美雪の胸に痛みが生じる。これは道理に沿った行動ではない。我欲に満ちた不実なものであるからだ。
だが口にしてしまった以上、もう後に退く事は許されない。

「どういう事だ、森下」
「そのPDAでは菜緒の条件を満たせないという事です」

息を呑み、美雪は挫けそうになる心に芯を入れる。サングラス越しの楯岡の厳しい視線を真正面から受け止める。

「菜緒の条件は『5つのPDAを破壊』です。つまりそのPDAは無傷でなければなりません。でも、どうでしょう――そのPDAははたして無傷なのでしょうか?」
「む――」

言葉を失う楯岡の手の中のPDAは、その液晶画面はひび割れボタンの配置は微妙にずれていた。
楯岡はそのPDAを1階でペナルティを受け、警備システムによって殺された女性の死体から取得している。おそらくはその銃撃の名残であるのだろう。

「機能が無事であるならば破壊条件には抵触しないかもしれません。でも、『かもしれない』でわたしは親友に命を賭けさせたくはありませんから」
「美雪――」

「過不足無く5つを破壊」が条件である以上、間違いは許されない。だからこそ、この「K」は受け取れない。
「K」の状態を思い出した時に、美雪はこの理屈を武器に楯岡に挑む事を心に決めた。
楯岡が交換条件に「K」を差し出してくる事は予想済みだった。そしてそれを美雪は元より跳ね除けるつもりだったのだ。

「確かにその通りだ。このPDAは機能しているとは言い難い。絵柄が表示されているだけで、操作は既に不可能となっている」
「そうですか」

その告白に美雪は人知れず胸を撫で下ろす。もしあくまで外装が破損しているだけならば、それでも押し切れる自信は無かった。
圭介を退けた楯岡が真っ当な理屈を備えれば、舌戦で打ち勝てるとは正直思っていなかったのだ。

「それでは交換は成立しませんね。最初の条件に立ち戻るだけです」
「最初の、条件?」
「ええ。『このJOKERを渡す前に菜緒の解除条件に対する保証を約束する』、という条件です。楯岡さんは承諾して下さいました、ですよね?」
「な――」

初めて見せた楯岡の愕然とした表情に、漸く美雪は此処まで辿り着いたと実感した。

「つまりお前は、『もう一つ無傷のPDAを手に入れるまでJOKERは渡せない』と言いたいのか」
「はい、そうです」
「それまで俺に手を貸せ、と」
「はい――そうなります」
「ふざけるな」

語調は平静なれど、多分に怒気を孕んだ返答が返って来た。

「そんな事をして一体俺に何のメリットがある。お前は俺に、助かるはずの命を捨てろと言うのか」
「そこまでは言ってません、けど」
「鳴神に毒されたか。森下、お前のやっている事は取引ではない、脅迫だ」
「――理解している、つもりです」

そう、美雪の思惑は最初から此処にあった。
もし首輪を外せばペナルティが無効となる楯岡は、他の参加者が手出しできない階下の侵入禁止エリアに身を潜めてしまうだろう。
だが楯岡にまで去られてしまっては圭介を探すどころか身を守る術すら失ってしまう。
長沢、木戸、唯子に加え、大門すらも此方に牙を剥いてきた。乃得留の説得が成功していなければこれからはこの4人を相手取らなければならない。
対して此方の戦力といえば辛うじて菜緒の名前が挙がるくらい。到底この先の「ゲーム」を生き延びるのは絶望的とも言える状況となってしまうのだ。

だから、手の内にあるJOKERを利用した。JOKERを釣り餌にこの一筋縄ではいかない男に協力を強制した。
今の美雪には人格には難があるが知力と胆力、そして行動力を兼ね添えた彼の力がどうしても必要だったのだ。
「菜緒のための最後のPDAを、圭介のものとするため」には。

(嫌な子だ、わたし――)

産まれて初めて、明確に他人に悪意を向けた。初めて陥れる事を前提に、相手に話を持ちかけた。
楯岡の善意に付け込んだ。菜緒の解除条件まで利用する形になってしまった。
早鐘を打つ鼓動で息が苦しい。緊張感が目眩を引き起こし気分が悪い。自分が許せずに自己嫌悪で身を引き裂きたくなる。

「非礼はお詫びします、ごめんなさい。でもこうまでしないと楯岡さんはわたしのお願いなんて聞いてくれそうにはありませんでしたから」

だが、それでも譲れないものがある。物語の終わりを幸福なものとするためには。
菜緒が、圭介が、かれんが、楯岡が。そして何より自分自身が。笑顔で終わりを迎える為には、これだけはどうしても譲れないのだ。

「だから――お願いです楯岡さん! わたしたちに力を貸して下さい!」

美雪は楯岡に心の底から訴える。深々と頭を下げる美雪を目前に楯岡は暫し黙したままであったが、やがて一つ息を吐き帽子を目深に被り直した。

「――交渉は決裂だ。行くぞ、かれん」
「え――」

非情な通告に美雪の意識は一瞬途絶えかけた。少女の返答を待つ事も無く、楯岡は話は終わりだ、とばかりに背を向ける。

「え――ええっ!? ちょ、ちょっと楯岡さんっ!」

慌ててかれんが走り寄り、楯岡の行く道に立ち塞がった。

「どうした」
「どうした、じゃありません! 交渉は決裂って――じゃあ、JOKERはどうするんですか!? 楯岡さんはあれが無いと――」
「手渡す気が無い、と言うならどうしようもないな。また機会を改めて今度は違う手段で奪取するしかない」
「!? そ、それってまさか――」
「他の参加者を全員敵に回して森下たちを守るよりは森下たちを敵に回す方が楽だろうからな」
「はいっ!?」

その発言に、瞬時に室内の空気が張り詰める。

(え、それ、って――)

それは美雪の行動が完全に裏目であった事を意味していた。
命綱のJOKERさえ盾に取れば、楯岡は逃げ場を失うと勘違いしていた。
無事にJOKERを取得するためには仕方が無しにでもこちらの申し出を承諾する他は無い、と。
だがそれはとんでもない見誤りであったのだ。美雪が欲した楯岡の能力は、この程度の窮地であるなら易々と覆せるだけのものであったのだ。
素直に譲り渡す気が無いのであれば無理やりにでも奪い取ればいい。
この室内では暴力行為は禁じられているが、行為に及ぶのは別にこの部屋で無くても構わないのだ。
侵入禁止エリアの拡大という制限がある以上、いつまでもこの部屋に留まり続けるわけにはいかない。いずれ部屋を出る時は訪れる。
その後に闇に乗じて強襲し、JOKERを強奪する。楯岡は無駄な犠牲は極力避ける意向ではあったが必要であるなら躊躇うつもりはないのだろう。
そして楯岡のPDAには他のPDAを感知出来るツールがインストールされている。
例え美雪たちと物別れとなり別行動を取る羽目になっても、いくらでも追尾は可能なのだ。

「じょ、冗談ですよね楯岡さん。そんな事しなくたって、協力してあげれば――」

楯岡を阻むかれんの言葉尻は震えている。楯岡が、これまで行動を共にしてきた仲間がそれ程の非道を行うとは信じたくは無いのだろう。

「前にも言ったはずだ、かれん。人一人が背負えるものなど、驚く程に少ないとな。お前だけなら兎も角、俺にはこいつらの命までは背負いきれん」
「でも――でも、美雪さんたちは困ってるんですっ!」
「それは誰しも同じ事だ。どの道この『ゲーム』が誰の犠牲も無しに終わりを迎える事は有り得ない」
(あ、あ――)

向けられた眼差しに宿る敵意が美雪の身体を強張らせる。最悪の結果になってしまった。そしてそれは至極当然の理屈だった。
自らの命を守るために、他者の命を脅かす。それは今まで美雪が散々痛感してきた「ゲーム」の中での現実だ。
しかも今回は、先に相手の命を危険に晒したのは他ならぬ美雪なのだ。解除条件に直接関わるJOKERを譲渡せず楯岡を脅迫したのは美雪の方なのだ。
ならばどうして楯岡を非道と責める事が出来るだろうか。自分にそんな資格は無い。敵視されるのは当然の帰結であったのだ。

(やっぱり――わたしには無理だったんだ――)

美雪ははっきりと敗北を自覚した。突き付けたはずの刃は何時しか自分の喉元に迫っていたと実感した。
最初から思い通りに事が運ぶわけもなかった。所詮この類の駆け引きに未熟な自分が上手に立てるはずもなかったのだ。
想像の中ですら悪意を思うがままに使いこなせない、そんな自分があの少年を退けた楯岡を相手に勝利を得ようなどおこがましい考えであったのだ。

「降参か。ならば素直にJOKERをこちらに渡せ」

勝利の愉悦に浸る様子も無く、楯岡は再度無表情で美雪に譲渡を要請する。
最早従う他は無かった。楯岡を味方に付け、圭介を追いかける。そんな理想はやはり理想でしかなかった。

「わかり、ました――」

だがこの男を敵に回すという最悪は、どうしても回避せねばならない。
観念し、美雪は手の中のJOKERを楯岡に向けて静かに差し出す。

すると。

「はい、バトンタッチ」
「――え?」

突然横手から腕が伸びてきて、瞬く間にJOKERを奪っていく。
慌てて振り向く美雪の視線の先では無二の親友、緑川菜緒がその手でJOKERを摘み上げていた。
何時の間に落ち着きを取り戻したのだろうか。圭介を失い悲しみに暮れていた姿は今や見る影も無く、その佇まいは背筋の伸びたいつもの菜緒のものだった。

「まったく、さっきから聞いてりゃあたしの解除条件なのに。何をあたし抜きで勝手に盛り上がってるのよ」
「え? え、と」

呆れたような表情の菜緒の不満は尤もで、美雪は何も言い返せない。

「いいじゃない、別に。こんな男に協力なんてしてもらわなくてもさ」
「!! 待っ――」

無視していたわけではない。決して菜緒本人の事情を蔑ろにしていたわけではない。
ただ納得してもらえるとは思っていなかったから。こんな風に反対されるのは解り切っていたからなのだ。
元来男嫌いな上に度重なる裏切りで今の菜緒は人間不信に拍車が掛かっている。
そんな彼女が楯岡を仲間にする事を、まして圭介をもう一度信じようなどと同意してくれるわけもないと思っていたからなのだ。

「――と、言いたいところなんだけどさ。もう形振り構ってられないのも確かなのよね」
「え?」

だが菜緒は美雪が驚く程にあっさりと前言を撤回した。

「さっきの美雪の話を聞いてわかったの。あたしが今、どれだけヤバい状況なのかって。この人とかれんさんが一緒じゃないと助からないかもしれないって、
 ようやくバカなあたしにも理解できた。だから――覚悟を決める事にした」

「菜緒――」

話の輪に加われない間、彼女なりに思う処があったのだろう。考え、考え抜いて一つの結論が出たのだろう。
少女の顔つきは言葉に偽り無く、厳しさの中に悲壮感さえ漂わせていた。

「後はあたしに任せて、美雪。アンタ一人に背負わせたりなんてしない。あたしがこの人を絶対に引き入れてみせるから」

そう宣言しつつ菜緒は唇を真一文字に切り結び、楯岡と正対する。
そして手の中のJOKERを一瞬だけ楯岡の前に翳し、それを自らのポケットに収納してみせた。

「さ、これで今の持ち主はあたしよ。欲しけりゃあたしから奪い取ってみることね」
「――森下が漸く諦めたかと思えば、今度はお前か。つくづく救い難いな、お前たちは」

付き合いきれない、とばかりに楯岡は一つ息を吐く。

「所持者がお前になったとて同じ事だ。聞けば剣術に覚えがあるようだが、この『ゲーム』でそんなものには何の意味も無い」
(あ――)

その一言が、美雪の胸に鋭く突き刺さる。それは自惚れから来るものではない、純然たる事実なのだ。
おそらく菜緒は自らがJOKERの持ち主となる事で強奪の危険性を楯岡に示したのだろう。奪い取るためには自分と戦う事になる、さすれば無事では済まないと。
だが武器を持った人間がルール無用で襲ってくるこの「ゲーム」ではたして彼女の剣術技能がどれだけ通用するのだろうか?
この場における強さとは、人を殺める覚悟と引き金の軽さのみ。それが楯岡に備わっていないとは美雪には到底思えなかった。

「話は終わりだ。其処を退け、かれん」
「え、でも――」

流石に苛立ちが募っているのか、楯岡はかれんの手を掴むとやや強引に部屋から連れ出そうとする。

「待ちなさいよ、逃げる気?」
「そう受け取りたいなら勝手にしろ。この部屋で手出しが出来ない事だけは否定する気は無いがな」
「やめて、菜緒――」

これ以上楯岡の怒りを無用に買う事は無い。殺意に火を灯してはならない。
もう素直にJOKERを渡してしまうべきだ。でなければ楯岡に惨殺の理由を与えてしまう事になると、焦りのままに美雪は菜緒に歩み寄りを促そうとした。

だが、美雪は理解していなかった。菜緒が先程口にした「覚悟」という言葉の本当の意味を。

「いいの? それで本当に」

その一言は、美雪に向けられたものではなかった。その確認は、この場を去ろうとする楯岡の行為に対するものだった。

「――何がだ」
「あたし、この部屋からもう一歩も出る気は無いわよ?」
「好きにすればいい。そうも言っていられなくなる時がいずれ――」

言葉が途切れ、楯岡が振り返る。それを受けた菜緒の顔に、ぎこちない微笑みが浮かんだ。

「緑川、まさか、お前は――」
「はい、ご名答。例え侵入禁止になったとしても、あたしこの部屋から出ないから」
「――菜緒っ!!」

思わず、美雪は親友の名を叫んでいた。

「や、だってさ。ここでこの人を引き留め無いと、あたし自力であと3つはPDAを集めなきゃならないんでしょ? しかも大門や長沢相手に。
 さすがにそれはあたしでも無理だと思うからさ、だから同じ事なのよ」

「そ、んな――」
「どの道あたしは死ぬのよ、このままじゃ。でもその時はアンタも道連れよ、わかるでしょ? 楯岡さん」
「――」

楯岡は言葉を失っている。菜緒のたった数言で、今や状況は完全に覆されていた。
このフロアが侵入禁止エリアとなってもこの室内に留まり続ければ、菜緒は警備システムの発動により殺される。
だがその時点でJOKERが無傷であるならば、最早楯岡にJOKERを破壊する術は無い。
そうなれば首輪の解除は成立せず、その時点で彼の死もまた確定してしまうのだ。

「さあ、どうするの? これでもまだつまんない意地張って命を捨てるつもり? それとも大人しくあたしたちに従ってくれる?」
「――ならば他の手段を探して首輪を解除する、と俺が言えばどうする? そうすればお前は無駄死にだ」
「その時はその時よ。運が悪かったと思って諦めるしかないわね」

自分だけが命を落とす可能性を示唆されても菜緒は一歩も退く事は無い。背筋が凍る程の潔さを持ってして、逆に楯岡を追い詰めて行く。

(菜緒――)

痛みを感じるくらいに、美雪は今理解した。これが本当の駆け引きなのだ。ここまでやってこそ駆け引きは成立するのだと。
それに比べて自分が行った行為の何と稚拙である事か。ただ半端に理想を描き、楯岡の命を玩び怒りを買ってしまった。 
相手の命を預かる為には自らの命を張るくらいはしなければ、相手を説き伏せられなどしない。
なのに自分はその程度の覚悟も持たず、戦いの席に着いてしまった。それでどうして勝利を得る事など出来ようか。

幾度目かの静寂が、室内に訪れる。最初に口を開いたのは渦中にいる男だった。

「――やはり楽に終わらせてはもらえない、か。今回こそはと思っていたのだがな」

指でサングラスを押し上げ、楯岡がまた息を吐く。

「え? それ、じゃあ――」
「ああ、素直に負けを認めよう。緑川の条件が整うまでは同行を約束する」
「――あ、ありがとうございますっ!」

万感の思いで美雪は楯岡に深々と頭を下げる。
実った、届いたのだ。とうとう楯岡という巨城を動かす事に成功したのだ。

「だが予め断っておく。俺の何に期待しているのか知らないが、俺にはお前たち全員を守りきれる力など無い」

だがこれだけは譲れぬ、とばかりに楯岡は主張する。

「引き受けた以上、出来る限りの助力は惜しまないつもりだ。その程度は弁えている。だが俺の手に余る事態に陥った時は――」
「――わたしたちを見捨てる可能性もある、という事ですか?」
「その通りだ。その覚悟だけは常に抱いておけ」
「――はい」

言われるまでも無い事だった。元より楯岡には利点の無い依頼、そこまで望むのは酷というものだ。
有事の際には己が身を優先すべきは道理であるし、寧ろそうあって欲しいと美雪も理解はしている。
楯岡を利用する形となってしまったが、それは彼を踏み台にしようという腹積もりではない。是非に楯岡も一緒に生き残って欲しいと美雪は願っているのだ。

「ならばもう、俺の口から語る事は無い」
「え? あの――」

そんな思いを伝える間も無く。楯岡は早々に会話を打ち切り美雪に背を向ける。

「準備が出来たら声をかけろ。俺は俺の方で準備を進めておく」

そして持ち出し出来る食料の調達のためなのか、足早にキッチンへと歩いて行ってしまった。

「――はあっ」

その姿が見えなくなると待ちかねたように重いため息が、菜緒の口から吐き出される。
よろめき伸ばした手でソファを掴み身体を支えるその様子は、彼女が途轍もない疲労を感じていた事を物語っていた。

「な、菜緒!? 大丈夫なの!?」
「あ、はは。平気平気――」

力無い微笑みが痛々しい。無理も無い、菜緒はまさしく命がけで楯岡に挑んだのだ。その重圧たるや、想像を絶するものであっただろう。

「ごめん、菜緒。わたしの所為で、そんな」

そんな負担を彼女に強いてしまったのは誰であるのか。申し訳無さと自らの無力に対する嘆かわしさで美雪は胸が詰まる思いだった。
菜緒にも、そして楯岡にも辛い思いをさせる羽目になってしまった。自分は望みを叶えるために、一体どれだけの人に迷惑をかければ気が済むのであろうか。

「まあまあ。結果的に上手く行ったんだからそれでいいじゃない」
「でも――」
「そんな顔しないで、お願いだから」

美雪の謝罪を遮るように、途端に菜緒の声が張り詰めたものとなる。

「そりゃね、正直あんな奴とこの先も一緒だなんて真っ平御免だけど。でもあたしたちが生き残るためにアイツの協力はどうしても必要なんでしょ?」
「え? ――う、うん」
「これはそのための交渉で、そのために美雪が必死になってたのはあたしにも伝わってきた。だからあたしも、出来る事をしなきゃって思ったの」
「菜緒――」
「だから、謝らないで。自分だけで抱え込もうとしないで。こんな時に力になれないで、何が親友だってのよ」
「――うん。ありがとう」
「そそ、聞きたいのは寧ろそっちの言葉ってね」

欲しいのは謝罪では無く感謝であると、菜緒の表情がまた緩む。その笑顔一つで、美雪は幾分か気持ちを楽にする事が出来た。
改めて痛感させられる。やはり彼女はかけがえの無い親友であるのだと。菜緒が居てこその自分であるのだと。

「でもね、菜緒。実は――」

だからこそ、正直に打ち明けねばならないと美雪は覚悟を決めた。
楯岡との交渉は自分たちだけのためのものではない。これは自分たちを謀ったはずの少年をも救いたいという、自分の我儘でもあったのだと。

「わかってるわよ。圭介を探したいんでしょ」
「え――ええっ!?」

だが自らが語るよりも先に、菜緒の口からその名前が告げられてしまった。
予想だにしていなかった返答に、美雪は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「ど、どうしてそれを――」
「うーん、まあ何となく、なんだけどね。なぜだかわかっちゃったのよ」

会話の中に少年の影を含ませたつもりはなかった。故に菜緒もまた根拠を見出せなかったのだろう。それでも勘で見抜ける当たりは流石親友、というべきなのか。

「でも結局さ、あたし自身もこのままで済ませたくない、って思ったからなのかもね。やっぱあんな好き放題言われっ放しで納得できるワケもないし」
「うん――そう、だよね」

成程、と美雪は得心する。何よりも共感できる、わかりやすい理由だった。
彼女もまた、圭介にただならぬ感情を抱いていた事は傍目にも明らかではあった。
だからこそ、諦めきれなかった。執着を捨てられなかったとするならば気付かれても無理は無いと言うものだ。
本来ならば恋敵として複雑な思いを抱くべきなのだろうか。だが今の美雪にはそれが何故か嬉しく感じられた。
同じ少年を想い、同じ目的を親友同士で目指す事が出来る。想いを秘めたり嘘を吐いたりする事無く、これからを共に過ごせる事は何よりも幸福な事なのだ。

「ま、そんなワケだから。あまりグズグズもしてられないかもね。あたしちょっと顔洗って気持ち切り換えて来るから――かれんさん、後はお願いできます?」
「ええ、勿論です。さ、美雪さん。怪我の具合を看ますので其処に座ってもらえますか?」
「あ、はい」
「それじゃまた後でね、美雪」
「うん」

そう言い残すと、予告通りに菜緒は思いの外しっかりとした足取りでシャワールームへと向かって行った。

「――素敵な関係ですね。美雪さんと菜緒さんは」

後を引き継いだかれんが美雪をソファへ座らせながら、背中越しに優しく語りかけて来る。

「そうですね、自慢の親友だと思います」

多少照れ臭さを感じたが素直な気持ちを美雪は吐露した。命のやり取りの最中でも決して色褪せない彼女との関係。
それは誇れるものを持ち得ない美雪にとって唯一他者に胸を張って自慢出来るものであるからだ。

「ふふ、ちょっぴり羨ましいです」

会話を繰り広げながらもかれんは淀み無く手を動かしていた。当初の約束通りに美雪の頭部の包帯を解き患部に指を添えながらてきぱきと診断を続けて行く。

「出血は止まってるみたいですね。痛みの方はどうですか?」
「あ、はい。今は然程は」

気が付けば、傷の痛みは殆ど感じなくなっていた。緊張状態から解放されてぶり返してくるという感じも無い。
想像していたよりも軽い怪我だったと言う事なのだろうか、一先ず美雪は胸を撫で下ろした。
これからの行動において足を引っ張る要因は出来る限り排除しておきたい処ではあるのだ。

「そうですか。見たところ縫う程の傷では無いと思いますので包帯だけ新しくしておきますね。でも何分頭の怪我なので油断は出来ません。
 後遺症とかが心配ですので、気持ち悪くなったりしたらすぐ言って下さいね」

「はい、あの――」
「何でしょう?」
「すみません、何か、色々とご迷惑をおかけしちゃって」
「いえいえ、別に構いませんよ。曲がりなりにも医療の道に携わっている者としては黙って見過ごす事は出来ませんから」
「いえ、それだけではなくて」
「え? あー、そう言う事ですか」

新しい包帯を美雪の頭に巻き終えたかれんはそれだけで言い分を察したらしく、言葉少なに納得の意を示す。
そうなのだ。理屈の上では楯岡に同行を強制されている彼女は、必然的に美雪に協力せざるを得ない境遇に陥ってしまった事になる。
つまりかれんもまた美雪の都合に巻き込まれ、運命を捻じ曲げられてしまった一人に他ならないのだ。

「そうですね、正直褒められたやり方では無かったのかもしれませんけど」

だが発せられた言葉自体は美雪を責めるものであったものの。かれんの口調はあくまでも穏やかなものだった。

「でも楯岡さんはあれくらいの調子でないと決して自分を曲げたりしない人でしょうし。それに考え方自体は間違ってないと思いますよ?
 どこまでがあの人の本音かはわかりませんが、やっぱりこの状況で一人だけ助かろうとするのは私もいい気持ちではありませんでしたから」

「かれんさん――」
「迷惑だなんてとんでもない。私は美雪さんと菜緒さんとご一緒できて嬉しいですよ? 奇妙な縁ですが、それでも折角知り合えたんです。
 出来る事なら互いに手を取り合って行きたいじゃないですか」

「――はい」

立ち位置の関係から目を合わせる事は出来なかったが、耳に届く言葉だけでかれんの想いは伝わってくるようだった。
やはり彼女は感じたままの人物だった。無償で他人を気遣える、疑いなど抱けるべくもない。完全無欠の善人であったのだ。

「微力ながらも是非お手伝いさせてください。楯岡さんの面倒は私の方で引き受けますから。みんなで助け合って――そして『みんな』で助かりましょう、ね?」
「あ――」

一拍置いて告げられた「みんな」の微妙なニュアンスの違いに、美雪は思わず反応し振り返る。すぐ間近には悪戯っぽく片目を瞑って見せるかれんの顔があった。
そう、彼女の告げた「みんな」とは今の4人だけではない。此処には居ないもう一人の少年すらもその数に含まれているのだ。

「はい――は、い……」

このタイミングでそれはずるい、と美雪は思わず感極まってしまう。みるみるうちに目の前の景色が歪んで行く。
どうにも彼女には見た目にも実年齢にも似つかわしくない人の深みのようなものが感じられる。
そんな雰囲気はおくびにも出さないがもしかすると今まで相当の苦労をしているのではないか、と美雪はつい邪推してしまう。

しかし、こんなにも上手く行っていいのだろうか?
自分の我儘を貫き通せたばかりか、その想いまで菜緒もかれんも汲み取ってくれていた。
自分たちを裏切ったはずの少年を再び信じる事を、この状況で誰も咎めはしなかった。
でも、だからこそ胸を張って前に進む事が出来る。もう一度自らの足で、この地獄のような「ゲーム」を歩んで行く事が出来る。

(しっかり、しなくちゃ。今度は、わたしも――)

みんなの想いに報いるためにも、望みを叶えなければならない。誰もが幸福な終わりを迎えられるよう、物語を描いていかねばならない。
そのためには。確かな意思を持ち続けなければ。何が起ころうとも何者に襲われようとも決して折れない強い心を持たなければ。

「――お待たせ」

シャワールームの方向から菜緒の声と扉を閉める音が聞こえてきた。
それを合図とばかりに美雪は手の甲で目尻を拭うと勢い良く立ち上がった。





だが、この時点では美雪はまだ気付いてはいなかった。
何もかも上手く事が運んでいると感じたのは幻想であったという事に。
目指すべきものは同じでも、決してそれぞれが同じ想いを抱いていたわけではないという事に。
そして、この先自分の身体にどのような悲劇が待ち受けているのかさえも。



(――あ、れ?)

違和感を感じて美雪は再度目尻を拭う。
すっかり涙は拭い取られたはずなのに、彼女の視界は未だぼやけたままであった。





 ゲーム開始より40時間09分経過/残り32時間51分



[21380] EPISODE-49
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/03/22 04:40

菜緒が戻って来てしばしの後、美雪は二人を引き連れて楯岡の元を訪れた。

「鳴神を探してもう一度仲間に引き入れたい――か」

3人の総意として伝え聞かされた方針を楯岡が自らの言葉で繰り返すと忽ち室内に緊張が張り詰める。
菜緒とかれんの不安そうな視線を背中に感じつつ、美雪は汗ばむ手のひらを握り締めた。
楯岡にとって好ましい提案では無い事は重々承知の上だった。言うまでも無く楯岡は圭介を一行から排斥した張本人である。
また、その件を抜きにしても彼ら二人の関係はお世辞にも良好なものとは言えなかった。
一方的に楯岡を忌み嫌っていた圭介は元より楯岡の態度も圭介に対してはより辛辣であったのは美雪の目にも明らかなものであったのだ。
害為す敵として認識した相手に悪感情まで加われば、一体誰がその人物を再び招き入れたいと思うだろうか。
ましてや楯岡個人に圭介を追わねばならない理由は無い。己を捨てるだけの利など存在しない。
圭介との邂逅を望むのは、あくまで美雪にとっての個人的な感情でしか無いのだ。

「お願いします、楯岡さん。協力して下さい」

反対されるのは目に見えている。だが、だからこそ美雪は正直に、真っ直ぐに。楯岡に対し思いを告げた。
例え強制的に従わせる事が可能であるのだとしても。こちらの手元にJOKERが有る以上、楯岡はこちらの意向に背く事は出来ないのだとしても。
美雪はそれを由とはしなかった。この男を相手にして再度駆け引きを行う事を選びはしなかった。
そんな形で説得が成功したとしても、おそらく蟠りは残されたままであるだろう。さすれば有事の際に楯岡の判断を鈍らせてしまう可能性がある。
安易な強制の所為で皆を危険な目に陥らせてしまう未来があるとするならば、それだけは何としても避けなければならないのだ。
ならば自分に残された手段はこれしかない。例えどれだけ時間がかかろうとも、楯岡の怒りを誘発する事になろうとも。
あるがままに、真摯に全てを伝えよう。どれだけ自分が鳴神圭介という少年を大切に想っているのか。欲しているのか。
そんな決意と覚悟を胸に秘め、美雪は他の誰の手も借りる事無く楯岡に説得を試みたつもりだった。
だが。

「いいだろう。その方針に従おう」
「――え?」

その思いの丈を何一つ語る間も無く。意外な程にあっさりと楯岡は美雪の言葉を受け入れた。

「あ、あ、あの、本当ですか!?」

予想だにしなかった展開だった。驚きのあまりに思わず美雪は慌てた口調で確認を求めてしまう。
それが楯岡の気に障りはしないかと瞬時に後悔に襲われたが、楯岡は何時も通りの無表情のままに静かに一度首を縦に振った。

「ああ、二言は無い」
「よかった――」

些か拍子抜けの感もあったが、それでも美雪は心より安堵し胸を撫で下ろす。
楯岡にどのような心境の変化が訪れたのかはわからない。だが先程の件を考えても彼は寡黙なれど約束を違える男ではないはずだ。
その本人が自らの口で「従う」と告げた以上、有る程度了解した上で共に行動する腹積もりではあるのだろう。

「よかったですね、美雪さん」
「――はい」

穏やかに語りかけて来るかれんもまたほっとした様な表情だった。おそらく先んじて同行していた者としての責任のようなものを彼女なりに感じていたのだろう。
これでやっと、本当の意味での出発の準備が整った。これで何の気兼ねも無く圭介を追いかける事が出来る。
各々の生存権を得るために殺し合い、騙し合いが本格化しつつある「ゲーム」の最中においてそう思えるのは何よりも喜ばしい事であるはずだ。
つくづく自分は恵まれている、そんな思いがふと美雪の胸に去来した。

「――何か妙な事考えてなきゃいいんだけどね、アイツ」

ただ一人菜緒だけが納得の行かない顔つきで、楯岡に聞こえない様ぽつりと小声で呟いた。
気は許しても警戒は怠るべきではないという親友なりの助言のつもりなのだろうか。
そういう考え方もまた然るべきものなので咎める気も起らず、美雪はただ無言で頷いておいた。

「ところで鳴神を探すにあたって何か具体的な考えはあるのか」
「いえ、申し訳ありませんが今のところは。そこで楯岡さんにお聞きしたい事があるのですが」
「何だ」
「楯岡さんのPDAで、圭介くんの行方は掴めないものでしょうか?」
「俺の――成程、そういう事か」

美雪の質問を受け楯岡は自らのPDAを取り出し液晶画面に視線を落とす。
この広大な施設において特定の人物を探し出すのが如何に困難であるかは美雪も自覚しているつもりだった。
それでも何か糸口は掴めないものかと頭を悩ませた結果思い浮かんだのが、先程のやり取りにおける楯岡の「他者のPDAを感知できるツール」の存在である。
真実を暴かれ隠し持っていたPDAをJOKERを含め放棄した圭介であったがまだ自分本来のPDA、「A」は未だ手の内にあるに違いない。
その反応を楯岡のツールで追尾できれば、と考えたのだ。

だが、対する楯岡の返答は決して色良いものではなかった。

「目の付け処は悪くないが生憎だな。このツールはあくまでPDAの存在反応のみでその識別までは出来ない形になっている。
 そしてもうこの近辺に新たなPDAの反応は無い。既に鳴神の反応がどれであるかは判断出来なくなっている」

「そうですか――」

美雪は力無く肩を落とす。有る程度期待を掛けていただけに残念な結果となってしまった。

「んー、でも反応だけは生きてるんでしょ? だったら手当たり次第に行ってみればいいんじゃない?」
「それが木戸や長沢の反応である可能性がありながら、か?」
「うぐ」

にべも無く論破され菜緒が悔しそうに歯噛みする。そう、その反応が圭介のものであるという確信が無ければこの作戦は意味を為さない。
PDAの反応とは即ち現存する参加者の反応であり、現在の参加者は最早その殆どが危険人物と言えるものなのだ。
これで楯岡のPDAに頼る事も出来なくなってしまった。何か他に画期的な案は無いものかと首を捻る美雪だったが如何せん情報も機能も決定的に不足していた。

「とは言え何時までもこの部屋に留まっているわけにもいきませんもの、ね」

かれんの何気ない呟きが殊更に身に染みる。確かにこれ以上の時間の浪費はあまり望ましいものではない。
圭介との距離がより一層離れてしまうだけでなく、彼がその危険人物の手にかかる可能性もまた高くなってしまうのだ。

「それでもまずは動いてみる、今はそれしかないだろうな。無闇な接触さえ避ければ後手に回らさせる事も無いはずだ」

楯岡の宣言に一同は無言で頷いた。瞬く間に主導権を握られてしまった感はあるが、その迷いの無い物言いは導き手として相応しい確かなものが感じられた。

「異存は無いようだな。ならばそろそろ出発するとしよう。俺に声をかけた、という事は既に準備は出来ているのだろう?」
「ええ、それはもう。最初からそういう話でしたから」
「でも何処に行こうってのよ。あたしにあんなインネン吹っかけといてまさか何の目的も無しに、なんて言い出さないでしょうね」
「それなんだが一つ気がかりな点がある。その確認のためにまずある場所へ案内してもらいたいのだが――構わないだろうか?」
「ある場所って――それは危険な場所じゃないです、よね」
「ああ。それについては保証しよう」

美雪たちは互いに顔を見合わせる。協力を取り付けられたとは言えまだまだ楯岡は謎多き人物だ。その言葉を鵜呑みにするには危険が過ぎる。
だが彼以外の誰もが今後の指針を未だ持ち得てはおらず、ここで彼を否定すれば再び事態は停滞の一途を辿る事となってしまうだろう。

「その場所を聞いてから、判断しても構いませんか?」
「無論だ。理由を黙っているつもりもない」

慎重を期して一歩踏み込んでみるが楯岡は間も置かず承諾する。どうやら意図的な言葉足らずの説明で煙に巻くつもりも無いらしい。
美雪は再度、菜緒とかれんの顔を交互に見つめる。無言のままの二人の真摯な表情は美雪に判断を委ねる意図を示していた。

「わかりました。それは、何処でしょう?」

意を決して、美雪は楯岡に向き直る。彼女の真っ直ぐな視線を受けてもやはり楯岡は無表情のままに、一拍を置き告げた。

「お前たちが大門三四郎と遭遇した場所だ」






「当初お前たちはあの部屋で波多島と合流するはずだったのだろう。だが波多島は現れなかった。何か不測の事態が起こったと考えるべきだろう」
「あ――」

戦闘禁止エリアを出発し。道すがら行われた楯岡の説明に、美雪の鼓動が跳ね上がる。
想像を絶する出来事の連続にすっかり失念してしまっていた。本来美雪たちの待ち人は楯岡とかれんでは無かったはずなのだ。
大門の足止めを独りで引き受け、先に戦闘禁止エリアに向かうよう指示した女性、波多島乃得留。だが彼女は一向に姿を見せる事無く既に数時間が経過してしまっていた。
最早手間取っている、という言葉で言い表せる時間では無い。楯岡の言う通り、おそらく乃得留の身には合流出来ない何らかの理由が生じてしまったのだ。

「まさか、ノエルさんが、そんな――」

一行の殿を務める菜緒がやや強張った顔つきで洩らした低い呟きが、更に美雪の不安を掻き立てる。
乃得留は確かに底知れぬ才覚の持ち主だったとは言え、自分と同じ女である事もまた間違いではない。
あの暴走した巨人を相手取り無事で居られる確固たる保証があるわけもなかったのだ。
もしも自分たちが残っていれば、という仮定が無意味であるとはわかっている。
半ば意識を失っていた自分と大門との交戦で疲労困憊だった菜緒ではそれこそ乃得留の足手まといにしかならなかったであろうから。
けれど、それでも。自分たちの窮地を救ってくれた人物がその所為で傷付いてしまったかもしれない、と考えると悔やまずには居られないのだ。

「そのための確認だ。今の段階であれこれ考えても仕方があるまい」
「そ、そりゃそうだけどっ!」
「それよりも自分の役目に集中しろ。今のところ近くに反応は無いとは言え警戒を怠る理由にはならん」
「くっ、この――」

怒りに身体を震わせる菜緒だがその後の言葉が続かない。楯岡の意見は冷徹だが正解なのだ。
今美雪たちが進んでいる通路は先程までのような安全な性質の場所ではない。常に危険が蔓延る無慈悲な殺戮ゲームの舞台なのだから。

(わたしも――自分の役目に集中しなきゃ)

乃得留の安否は気がかりだが兎に角今は無事を祈る他は無い。そう思い立ち美雪は手の中の自らのPDAに視線を落し込んだ。
彼女の現在の役割は今まで同様地図拡張機能による全員の誘導である。先陣を切る楯岡の後方から行く先を指示する方針もまた以前と変わりは見られなかった。
ただ楯岡のPDAのツールにより他者の接近をいち早く感知できる事が可能となり、急襲に関しては然程不安視する必要が無くなった。
それだけが今までとは違う安心出来る大きな要因であった。

「楯岡さん。ここからしばらく道なりで――先の分岐を左です」
「そうか」

平静を装った指示に楯岡が短く答えゆっくりと通路を進み、残る3人がそれに続く。
幸いにしてその道中は何ら問題は生じる事無く、約30分の後に一行は無事に目的の部屋へと辿り着いた。

「な、何ですか、これ――」

その扉を目の当たりにするなりかれんが呻き声にも似た呟きを洩らす。
解放された鋼鉄の扉は数箇所に渡り陥没し、歪に変形を果たしていた。
更には所々に附着した血痕がその異様さに拍車を掛けている。凡そ人の手で行えるべきものではないそれに彼女が驚きを示すのも無理からぬ事であった。

「これは、大門の仕業か。成程常人離れした剛腕の持ち主だとは思っていたが――まさかこれ程とはな」
「そんな事よりノエルさんよ! ノエルさんは中に居るのっ!?」
「いや、姿は見当たらない。やはり離脱した後のようだな」
「そ、そう、よかった――」

室内を覗き込む楯岡の返事に深々と息を吐く菜緒と共に、美雪もまた安堵する。
元気な姿で再会出来なかった事は残念ではあるが、少なくともこの場所から離れる事が出来る程度には乃得留は健在であるという事なのだろう。
波多島乃得留は自分たちのために犠牲になってはいなかった。それを知る事が出来たのは大きな収穫であると言えた。

(――あれ?)

だが、そこで不意に違和感に気付く。確かにこれで乃得留も大門もこの場に居ない事は判明した。
しかしそれは果たして、その目で直に確かめるしか術の無いものであったのだろうか。

「あ、あの、楯岡さん?」
「どうした」

室内に踏み込み周囲を見渡す楯岡の背中に、美雪は恐る恐る声を掛ける。
大門が暴れた名残であるのだろう、部屋の荒れ果てた惨状が目に入り一瞬戦慄を覚えたが、今はそれを気にしてなどは居られない。

「楯岡さんのPDAに入ってるツールは、他の参加者のPDAの動向がわかるソフトなんですよね?」
「そうだが」
「じゃあ、もしかして――この部屋にPDAの反応が無い事は知っていたんじゃないですか? ノエルさんは此処には居ないって、わかってたんじゃないですか?」

徐々に感情が言葉に乗っていくのを自覚しつつも美雪は楯岡を問い詰める。
楯岡はその機能により「周囲に参加者の反応が無い」事実を確認し続ける事でこれまでの道中の安全を確保していた。
だからこそ此処まで自分たちは然程足を止める事無く速やかに辿りつけたなのだ。
ならばこの状況も事前に察する事が出来ていたはず。「反応が無い」近辺とはこの部屋も含まれていなければ筋が通らないのだ。

「ああ、知っていた」

だが楯岡は悪びれた様子も無く、さらりとその事実を告白した。

「戦闘禁止エリアを出発する段階では既に、な。感知範囲を拡大すればこの付近までの状況は表示されていたからな。言っただろう、『安全は保証する』と」
「ちょっ!? ならどうしてそれを最初から言わないのよっ!」
「そうです、それなら余計な心配をする必要なんてなかったのに!」

堪りかねて美雪は菜緒と揃って楯岡を非難する。
今の場所を訪れた行為自体を否定するつもりは無かった。今後のために詳しい状況を確認しておく事はそれは必要であるのだろう。
だが言葉足らずにも程がある、その所為で一体どれだけ自分たちが心を痛めていた事か。
事前に乃得留が無事であることが判っていれば気を取られる事も無かった。注意力の散漫さを咎められる事態も起きはしなかったのだ。

「PDAの反応と参加者そのものの動向はイコールでは結びつかない。余計な期待を持たせてより失望する可能性を避けただけだ」
「はあ? 言ってる意味がわかんないんだけど!」

流石に美雪も同感だった。割り当てられたPDAが各々の命綱であることは既に周知の事実、そう易々と手放すはずも無いではないか。
参加者が無事であるなら反応は動く、そうでなければ留まったまま。それが道理では無いのだろうか。

「――いずれわかる時が来る。それよりも、だ」

これほどの詰問を受けても楯岡は詫びの一つも入れようとはしない。逆にもう興味は無い、とばかりに部屋の反対側の鉄扉を静かに指差して見せた。

「お前たちが入って来たのはあちら側の扉だな?」
「――ええ、そうですけど」

最早この男の勝手や無礼を気にするだけ無駄なのかもしれない。諦め心地で美雪はその問いに呼応する。

「ふむ、開かないな。波多島のツールによる施錠か――森下、この向こう側に回り込む経路を検索してくれ」
「え? それは構いません――けど、何故ですか?」
「言ったはずだ。大門と『遭遇』した場所に案内してくれ、と」
「はあ」

どうにも言葉の意図が読み取れない。先の戦闘は追撃戦の様相を呈した所為で現在地は大門と遭遇した場所では無いのは確かだが、それに何の意味があると言うのか。
だがおそらく詳しい説明を望むのもまた、無駄だと悟った美雪は言われるがままに自身のPDAを操作する。
拡大された地図の道筋をなぞって示すと楯岡は小さく頷いて見せた。

「そう大きく迂回するわけでもなさそうだな。他の参加者が接近してくる様子も無い――動くなら今のうち、か」
「あ、ちょっと!?」
「着いて来い、遅れるな」

言うが早いか楯岡は菜緒の制止も聞かず、即座に踵を返し部屋を飛び出していく。

「もう、やりにくいったらありゃしないわ、まったく――ほら、追うよ二人とも!」
「う、うん」
「わ、わかりました」

吐き捨てた菜緒に背中を押され、慌てて美雪もかれんと共に後を追う。

「待って楯岡さん、待ってくださいってば!」

既に楯岡との距離は数メートル程開いている。声を掛けられ楯岡は一瞬美雪たちを一瞥するものの、追いついて来るのを待つ事も無く再び進行を開始する。
その歩調は残りの仲間が皆女性である事を鑑みると、お世辞にも気を配った速度とは言えなかった。あの一瞬で順路を記憶したのか、足を止めて美雪に確認を促す事も無い。
おかげで3人は多少急ぎ足に成らざるを得ず、体力に自信の無い美雪とかれんの息は徐々に上がっていった。

(いったい、何を、そんなに――)

それでも必死にその背中に追い縋りながら美雪は考える。楯岡のこの突然の行動は一体何に起因しているのか。これから向かう場所には一体何が有ると言うのか。
過去の記憶を手繰り寄せても、大門と遭遇した段階で起こった出来事と言えば突如現れた木戸の襲撃くらいである。
だがその彼とて楯岡のPDAによれば既にその姿は近くには無い。ならばあの場所にはもう、何も残されていないはずなのだが――

(――あっ!)

否、そうではなかった。
何故あんな大事を忘れてしまっていたのだろう。大門は現れた時、一人ではなかった。
あの場所には、もう一人。彼の手によって連れ立たされた人物が取り残されているはずなのだ。

「楯岡さん、まさかっ!?」

美雪が気付いた時には目的地はすぐ近くに迫っていた。最後の分岐を右に曲がり、一瞬楯岡の姿が消える。

「待って下さい楯岡さ――」
「止まれっ!」
「っ!!」
「わっ!」

初めて耳にした楯岡の鋭い声に、身体が強張り足が止まる。だが後続のかれんは勢いを殺しきれなかったのか、短い悲鳴と共に美雪の背中にぶつかって来た。
辛うじて床に身体を打ちつける事は避けられたものの、少女たちは次々と分岐の先へ押し出されていく。

「あ――」

開けた視界の中で美雪が捉えた人物の姿はやはり予想通り、楯岡のものだけではなかった。
楯岡のすぐ前方には美雪がこの「ゲーム」の中で初めて出逢い、そして志半ばで命を失った参加者の女性。
古谷小枝子の遺体が壁に寄り添うように横たえられていた。

「あ、あ――」

だが、その有様は以前見た時とは一変していた。
辺りに充満する焼け焦げたような臭い。そして遺体から滲み出た赤黒い液体。
嘗て圭介が丁重に弔ったはずの彼女の身体には、無数の銃痕が穿たれていたのだ。

「ど、どど、どういう事なんですか!? これ――」
「ルールに違反したペナルティだろう。確か『スマートガンシステム』という名称だったか」

口元に手を当て、その小さな身体を震わせながら声を絞り出すかれんに対し、やはり冷静に楯岡は言ってのける。
真偽は定かでは無いが確かに美雪にも見覚えのある光景だった。この古谷小枝子と出会った時。彼女の側にあった女性の死体と今の彼女は酷似したものであったのだ。
だがそれでは辻褄が合わない部分がある。あの女性はおそらくそのペナルティを受けて殺されたのであろうが、小枝子はそうではなかったはずなのだ。

「はあ!? 何言ってんのよ、だってその人、あたしたちが最初に見た時から死んでたのよ!?」

そう。先刻美雪たちが彼女と再会した時には既に小枝子は帰らぬ人となっていた。
もう二度と自らの足では立ち上がる事も出来ない彼女が、一体何の違反を犯す事が出来ると言うのだろうか?

「簡単だ。他の何者かが古谷の首輪を起動させればいい。解除を満たしていない段階でPDAを首輪に接続すれば容易にシステムは発動する」
(あ――)

説明を受けて美雪の過去の記憶が突如として呼び覚まされる。
もう一日以上も前の事。1階で遭遇した人物に美雪は同様の手口で危うくシステムを起動させられそうになった。
圭介の介入であの時は事無きを得たものの、忌まわしい記憶として今でも消えない心の傷となっていたのだ。

「でも、どうしてこんな――古谷さんはもう、亡くなっていたのに――」
「そうする理由が有った、と考えるのが妥当だな。そうすれば何者の仕業であるかは自ずと見えて来るだろう」
「そんな――」

考えたくもなかった。こんな死者に鞭打つ冒涜行為は美雪には理解及ばぬ領域で、例えどんな意味が有ったにせよ到底許されるものではないのだ。
それでも現実に非道は行われてしまっている。それがただ、どうしようもなく悲しかった。

「ちょ、ちょっとアンタ! 何しようとしてんのよっ!」

突如として菜緒の叫び声が通路に響き渡る。慌てて我に返った美雪の目の前には信じられない光景が広がっていた。
楯岡が小枝子の遺体を抱き起したかと思うとその身体を弄り始めていたのだ。

「こんな時にバカな事してんじゃないわよ、やめなさい、ぶっ飛ばされたいのっ!?」
「――」

これ以上無い程に怒りを露わに怒鳴り声を上げ続ける菜緒を無視して楯岡は黙々と手を動かし続ける。
やがて衣服の隙間からあるものを取り出した楯岡は小さく一つ息を吐いた。

「やはり、か――どうやら本気で腹を括るしかなさそうだな」

サングラスの下に険しい表情を見せる男の手の中には最早見慣れてしまった黒色の携帯端末が有った。状況から察するにおそらく古谷小枝子のものであるのだろう。
だが一際異彩を放つのは小枝子の身体を傷付けたものと同じ二つの小さな穴。弾丸に貫かれたと思しきそれは完全にその機能を停止しているように見えた。

「こ、の――勝手に一人で納得してんじゃないわよっ!」

ついに菜緒が怒りを爆発させた。高々と拳を振りかざし、背後から楯岡に挑みかかる。
だがその一撃を楯岡はほんの半身ずらしただけで回避したかと思えば忽ちその腕を後ろ手に捻り上げてしまった。

「あ痛たたた!」
「な、菜緒さんっ! ちょっと楯岡さん、そこまでする事無いじゃないですかっ!」
「仕掛けて来る方が悪い。このまま組み敷かれてJOKERを奪われても文句は言えない処だぞ」

苦言を呈しつつ腕を放し、楯岡は菜緒の身体をかれんに向けて突き放す。よろめきながらかれんに支えられた菜緒は無手の格闘では敵わないと思い知らされたのだろう。
険しい目つきで楯岡を睨みつけるがそれ以上喰ってかかろうとはしなかった。

「手間を取らせたな。俺の用件はこれで終わりだ」
「用件、ってまさか――今のが、ですか?」
「ああ」

断言する楯岡の手の中から小枝子のPDAが零れ落ちる。救うべき主も自らの力も失った携帯端末が乾いた音を立てて床の上を転がっていく。

「あ――」

その瞬間、美雪の中で全てが繋がった。

「そういう事、だったんですか――」

この男が何を望み、何を求めてこの場所を訪れたのか。どうしてわざわざ、死者を冒涜するような行為を働いたのか。

「楯岡さん、貴方の目的は――古谷さんのPDAを『無傷で』入手する事だったんですね」

そう。楯岡との契約はあくまで「菜緒の解除条件が整うまで」、つまりはあと一つPDAを手に入れるまでの間のこと。
それが特定の人物のものである必要は美雪は明言してはいない。圭介の追跡はその条件に絡めた後付けの要請でしかなかったのだ。
その言葉の隙間を見逃さず、楯岡は古谷小枝子のPDAを入手する事でその条件を満たそうとした。それがこれまでの行動の真意であったのだ。
辛くもそのPDAが警備システムの銃撃により破損していた事で難は逃れたものの、もし楯岡の計画通りに事が運んでいれば彼の離脱は避けられないものであっただろう。
その抜け目の無さには驚嘆せざるを得ない。そして同時に得も言わぬ失望感が美雪の中を満たして行く。
楯岡は心変わりなど最初からしていなかった。こちらの意思に呼応して見せたのは全て計算に基づいたものだったのだ。
おそらく圭介の件に関しても、そこに善意など微塵も含まれてはいないのだろう。PDAを無事に入手する手段としてしか彼の目には映っていないのかもしれない。

「どうして――」

思わず呻くような呟きが美雪の唇から零れた。
どうしてこの男はこのような考え方しか出来ないのだろう。どうして人を人とも思わず機械的に見る事しか出来ないのだろう。
なのにその理念こそがこの場所では有用に働いている。もしも小枝子のPDAが無事であったなら誰も傷付く事無く彼の望みは果たされていたのだ。
だからこそ否定の言葉が告げられない。それが美雪には堪らなく悔しい事だった。

「どう受け取ろうともお前の勝手だ。だが結果としてお前たちの思惑通りになった事にはなる」
「――どういう意味ですか」
「俺もまた、鳴神を本気で追う理由が出来たという事だ。契約を果たす為に最も容易くPDAを入手するにはあの男が打ってつけだろうからな。
 さて、どうする? 俺の力はお前たちには必要ではないのか?」

「それは――」
「愛想が尽きた、と当初の契約を破棄するのであれば俺としては願ったりだ。これ以上足手纏いを引き連れて行動する意味も無くなるからな」
「――」

圭介ならずとも「こちらから願い下げだ」と言いたくなる瞬間だった。だが悲しいかな、そうとは言えない状況が美雪たちには既に訪れてしまっていた。
これまでの道中において一行を統率していたのは一体誰であったのか。的確な指示と先見で安全を確保していたのは誰の手柄であったのか。
楯岡和志という人物の存在が大きな力となる、という美雪の読み自体は決して間違ったものではなかった。
その考え方には賛同出来ねども、やはり彼の持つ力は必要不可欠なものであるのだ。
しかもここで楯岡を解放すれば、当初の宣言通りその力はこちらに牙を剥く事になる。彼の解除条件であるJOKERを今度は闇に乗じて奪いに来るはずだ。
最早選択肢など有ろうはずもない。少なくとも圭介と再会するまでは、何としても楯岡は繋ぎ止めておかねばならない存在なのだ。

「はい――今後とも、宜しくお願いします――」

手のひらに爪を立てながら、美雪は何とかそれだけ紡ぎ出す。従わせているはずの自分たちが今や彼に従わざるを得ない、そんな立場の逆転を痛感しながら。
それでもせめて目だけは逸らすまいと。見上げた視線の先の楯岡の姿は何故か滲んで見えたのだった。





暫しの後、一行は楯岡の指示で少し離れた資材置き場へと場所を移していた。

「一先ずこの部屋辺りで、ある程度必要なものを見繕っておくか」
「それは――武器なども含めての事、ですか?」
「ああ。願わくば新たなPDAの拡張ツールも見つけておきたい処だな」
「――」

喉の先まで出掛かった言葉を美雪はぐっと飲み込んだ。
人を傷付ける為にしか存在しない武器を積極的に集める行為に賛同などしたくはなかったが、今や忌避感を抱いていられる場合ではない。
行使の是非は兎も角としても、せめて女子供ばかりと襲撃者に侮られる事無く警戒させる程度の武装は最早必須であると言えるのだ。

訪れた部屋はかなり広めの部類に入るもので、特に資材棚は一辺が20メートルはあろうかという部屋の二面を覆い尽くしていた。
その全てに個人が目を通すのは困難であるため、打ち合わせの結果4人は分担して散策を行う事となった。

「重量物は俺が引き受けよう。森下たちは3人で棚を調べていってくれ」
「はい、わかりました」
「じゃ、あたしはあっちから調べていくわね」
「あ、菜緒――」

楯岡の支持を聞くが早いか菜緒は我先に、と部屋の対角に据え付けられた一番遠い棚の方へ向かっていく。
分担という都合上誰かがその場所から調査を始めねばならないのは道理ではあるのだが、おそらく真実は楯岡からなるべく距離を取るためなのだろう。
楯岡の命綱であるJOKERの現在の所持者である事は元より、先程の件も踏まえ菜緒は完全に楯岡を毛嫌いしているようだった。

「もう――」

気付けば既に楯岡もかれんも散策を開始していた。美雪は肩を落としながら自らも務めを果たすべく近場の棚へと歩み寄って行った。
陳列された物資の大半は小型の段ボールで占められていた。その一つ一つを棚から引っ張り出し美雪は中身を確認していく。
だがその中身の殆どは空であり、稀に入っていたとしても奇妙な空き瓶が幾つか転がっているだけであった。
その所為か思いの外美雪の作業は順調に進み、気付けば中央付近を担当していたかれんの持ち場へと足を踏み入れてしまっていた。

「かれんさん、わたしの方は終わりましたのでお手伝いします」
「あ、そうなんですか。じゃあお言葉に甘えちゃいますね」

見たところかれんの進捗状況は他の二人と比べても芳しいものではなかった。かれんもそれは自覚しているのかすんなりと美雪の申し出を受け入れた。
そのまま暫く二人で並んで作業に没頭する。時折楯岡と菜緒が荷物をひっくり返す音が響く以外には、静かな時間が過ぎて行った。

「――ごめんなさい、迷惑をかけてるみたいで」
「え?」

不意に零れたかれんの呟きに思わず美雪の手が止まる。

「楯岡さんの態度です。あまり気分の良いものではないでしょう?」
「そんな――そんなの別にかれんさんの所為じゃ無いじゃないですか」

ちらりと楯岡の方を一瞥すると丁度楯岡は美雪に背を向けて大型の木箱の検分をしている最中で、こちらの会話に気付いている雰囲気は見られなかった。

「それに、楯岡さんの気持ちも理解しているつもりですし」

それは美雪の本心だった。確かに楯岡の振る舞いは褒められたものではない。
だが命運を美雪たちに握られている彼にしてみれば、不躾な態度は当然なものであるはずなのだ。
寧ろ協力という契約を律儀に果たしているという点においては真摯であるとも言えるだろう。
そして一刻も早く自由の身になりたいならば形振り構わずPDAの取得を目指すのもまた当然。
楯岡は間違ってはいない。ただ「ゲーム」を乗り切る事に誰よりも真剣なだけなのだ。

「そう言ってもらえるのは嬉しい事なんですけどね――まったく困った人です、あの人は」

不用品を詰め込んだ段ボールを棚に戻しながら、かれんは息を一つ吐く。因みにこれまで武器の類は一切発見されてはいなかった。

「さっきの件にしてもそうです。何でわざわざ、あんな無意味な行動をしてみせたんでしょうね?」
「――無意味、ですか?」

突飛な単語が飛び出して来た。無駄を嫌い時には説明すらも乏しい楯岡の行動の、一体何処にそんな言葉が踏み込む余地があるのだろうか。

「ほら、つい先程です。どうして楯岡さんは故人の亡骸を漁る様な真似をしたのやら、ですよ」
「それは、古谷さんのPDAが欲しかったからでしょう? 菜緒の解除条件に必要な、無傷のPDAがどうしても」
「でもだって、楯岡さんは最初から知ってたはずじゃないですか。あのPDAが壊れてるって」
「――え?」

愕然。思わず美雪は一瞬言葉を失った。

「ど、どうして――」
「え、楯岡さん言ってたでしょう? 『この周辺にPDAの反応は最初から無かった』って」
「――あ!」

閃きが、身体を貫く。その一文が、今までの情報を次々に違う意味へと塗り替えて行く。
そう、確かに。壊れたPDAが反応を示すはずが無い。だが死者が移動を行えるはずも無く、そうなれば導き出される答えは自ずと限られてくるのだ。
成程、言われてみれば思い当たる節も有る。楯岡が小枝子が眠る場所への案内を欲していたのは、彼女のPDAの反応が掴めなかった所為だったのだ。
もしも反応が生きているならば彼は誰の手を借りる事も無くあの場所に辿り着く事が出来たであろうから。

「え、ちょ、ちょっと待って下さい。それなら、どうして――」

だからこそそれはかれんの思い違いなどでは無く。故に彼女が「無意味だ」疑問を抱くのも確かに納得ではある。
なぜ楯岡は小枝子のPDAが破損していると承知の上であの場所を訪れたのか、と。
ヒントに成り得る情報は各所に散りばめられている気がする。だが決定的な、それらを繋ぐ何かが美雪には見えてこない。
ほんの少し、あと一歩。その何かに気付く事さえ出来れば全てが明るみに出る気がするのだが。
その答えを持つ本人はすぐ傍に居る。答えを知りたくば本人に直接問い質すのが筋道ではあるのだが。

「――どうせ聞いても教えてはくれないんでしょうね」
「でしょうね、楯岡さんの事ですから」

あの寡黙で無粋な男が不要であると判断した以上、そう簡単に口を割るとも思えなかった。

「ただ、あの人にとっては間違い無く意味が有る事なのでしょうね。そしておそらく黙っている事自体にも、だと私は思っています」
「――」

かれんの言葉を意外に感じてしまう自分に美雪は少し驚きを隠せずにいた。
これまで楯岡に苦言を呈している様が多々見られた事から、彼女が決して楯岡に盲目的に、従順に従っているわけではない事は明白ではあった。
だがそれでもその根底には楯岡への信頼が存在しているように今は見て取れる。それが不思議だと、今までの自分ならば疑問を抱く事すら無かったはずなのだ。
人の悪意を描く事が出来なかった自分。綺麗な性質、綺麗な関係を只管に望み続けた自分。それが今までの森下美雪だった。
だがこの「ゲーム」に漂い続ける濃密な悪意。それに自分もまた毒されてしまったのだろうか。
楯岡の行いを間違いだとは断じない。責めるつもりも更々無い。だが信頼のおける人物かと言われれば、異を唱えざるを得ないのだ。
情の欠片も無い言動、冷徹な行動。それらを目の当たりにし我が身に受け、それでも彼を善人だとはどうしても評せない。
諦観の意を含めた距離感を保ち、形ばかりの協力関係を取る事が今の美雪にとっての精一杯の譲歩だった。
そんな自分に軽蔑の念を抱きつつも、だからこそかれんの心情がわからない。
聞けば自分たちと出会う前には拘束されるなど余程に酷い仕打ちを受けていると言う。にも関わらず、どうしてそんな風に思えるのだろうか?

「そうですね。変、かもしれません。私も実は『なんでこんな人を』と思わなくも無いんです」

そんな表情の変化を悟られたのか、かれんは美雪が問うまでも無く自ら語り始める。

「でも私は、何の役にも立たない女です。利用するよりも見捨てる方が、楯岡さんにとってはよっぽど有利に働くはずなんです。
 そんな私をあの人は今まで生かし続けている、それだけで前向きに考える理由になると思いませんか?」

「それは――でもそれなら、あんな冷たい態度を取る理由がわかりません。もっと友好的な関係でありたいと思うはずでしょう?」
「ええ。普通なら、そう思うでしょうね」
「だったら――」

ならばどうして楯岡は突き放すような物言いで悪印象を与えようとばかりしているのか。
利用価値の無い人物を側に置き、手を掛けない理由が善性を示す根拠だと言うのなら、なぜ彼は歩み寄る態度を取らないのか。
殺伐とした空気を作り続ける事には何の利点も無いはずだ。それならば利害を共にする関係だけであるが故に、と考える方が余程に合点が行くものなのに。

「『自分が生き残るために、何が必要で何を為すべきか、それは自分で考えろ』」
「――え?」
「以前楯岡さんが、私に語った言葉です。もしかするとあの人はわざと冷たく接する事で、私たちに自覚を促そうとしているのかもしれませんね」
「あ――」

「自覚」。その言葉が殊更に美雪の中に重く響き渡った。それは今まさに美雪自身が直面しているものだったからだ。
自分の命は自分で守るもの。圭介が一緒だった時にはそんな当たり前の事すら漠然としたものだった。
自ら厄介事を背負い込み、自分たちを率いる彼の作る空気の心地良さに、申し訳無さを感じつつもつい甘え委ねてしまっていた。
だからこそ、彼を失い我を忘れた。窮地を初めてのように思い知らされ、それでも暫しどうすることも出来なかったのだ。
だが今の自分は何とか、自らの足で前に進もうとしている。危険に恐怖に絶望に、ちゃんと自分で立ち向かおうという意思が有る。
そしてその原動力の中には、楯岡に対する憤りや対抗心も少なからず含まれていた。
言葉足らずのままに我を通す彼に付いていくために、しっかりしなければと思う気持ちがいつの間にか芽生えていたのだ。
それが楯岡の目論見であったという事なのだろうか。
自覚とは厳しさの中でこそ大きく育つものだと、知っていたからこそ敢えてあの態度を取り続けて来たのだろうか。

「悪い人ではないはずなんです」

まるで自分自身に言い聞かせるように、かれんは静かに呟きを洩らす。

「少なくとも目の前の命が失われても構わない、そんな風に考えられる人ではないはずなんです」
「かれんさん――」

仮にもし、それが正しいとするならば。楯岡は自分たちの背中を支え続けていた事になる。
利用するためだけの相手に自覚を促す必要は無い。逆にこれから共に生存への道を歩もうとするならば、それは大きな力となるだろう。
成程、理由は存在していた。その冷徹な態度や振舞いが装いであるという理由は確かに其処に有ったのだ。

「でも、それなら尚更ちゃんと言って欲しかったです」

だが美雪は正直に口にする。それは納得は出来ても肯定に至るものではないと。
厳しさも確かに必要ではあるのだろう。しかし真意が他にあるとするならばそれを示さぬままで良いわけがない。
意思の疎通も図れぬままでは自覚と共に不信感もまた生じてしまう。正しい協力関係など、到底築けるものではなくなってしまうはずなのだ。

「そうですね、私も楯岡さんのそんな部分だけは好きにはなれません。こんな形でしか人と関われないなんて、あまりにも寂し過ぎますから。
 そう思って今までさんざん言い聞かせて来たつもりですけども――やっぱりダメですね。男の人って、本当に意固地です」

「――同感です」
「だから私、鳴神くんが戻ってくる事に少し期待しているんですよ」
「え?」

丁度思い浮かべていた「意固地な男性」の名が飛び出し、美雪は俄かに戸惑わされた。

「異性がダメなら同性ならば、と。先程もあの二人、険悪ではありましたがその分ストレートにぶつかり合ってた気がするんです。
 だから鳴神くんならもしかして、楯岡さんの心を解き解せるんじゃないかって思ってるんです」

「ああ、なるほど。そうかもしれませんね」
「ぶっちゃけそのまま愛し合っちゃうのもアリだと思ってます」
「――はい?」
「――今のは失言です。忘れて下さい」
「はあ」

最後の台詞は甚だ意味不明ではあったが。兎に角かれんの意見は尤もなものであった。
楯岡と圭介の有り様は真逆であるが故に互いに足りないものを持っている。
だからこそ二人が揃えば、それは大きな力となるのではないだろうか。脱出に向けてまた大きな一歩を踏み出せるのではないだろうか。

「――余計に空気が悪くなる可能性もあるかも、ですけど」
「ふふ、その時は私たちで出来る限りのサポートをしましょう」
「そうですね」

何れにしろまた一つ、圭介に戻って来てもらいたい理由が出来た。そして楯岡も冷酷なだけの人間ではないのかもしれない。
前向きになれる事象が増えてきて美雪の心は幾分か軽くなった気がした。

――頑張らなきゃ。

これを気の所為で終わらせてはならない。そのためにはより一層の研鑚が必要であると。
決意を新たに美雪は再び作業を開始した。






程無く室内の点検を完了し、4人は部屋の中央に集まっていた。

「どうやら目ぼしいものは見つからなかったようだな」
「ええ、まあ」

楯岡の言葉に美雪とかれんは揃って首を縦に振る。結局二人が担当した持ち場では有用な物は何一つ発見する事は出来なかった。
だがそれは楯岡も同様であるらしく、空手を広げてその成果を示していた。

「となると、収穫が有ったのはお前だけだな。緑川」
「みたいね。収穫って言える程のものかわかんないけど」

全員の視線を受け、菜緒は両手で抱えていたそれを小さく掲げて見せる。

「え、それって――」

思わず美雪は目を見開いた。「それ」の名称は美雪ですら一目でわかるものだったのだ。
1メートルほどの長さに意匠のこらされた装飾。現代においてその存在は芸術の意味合いが強いが、ことこの場においてその用途は語るまでも無いのだろう。

「業物かどうかは判別つかないわね。でもウチに有るのと似た様な感じだから、それなりのモンではあるんでしょ」

意外にも興味は無さそうに、菜緒はその「日本刀」で鞘の先端を床にこつり、と小さく叩きつけた。

「楯岡さん。これはもちろん、あたしが持っててもいいのよね?」
「ああ。扱いはお前が一番長けているだろうからな。だが――」
「わかってるわよ。調子に乗るな、って言いたいんでしょ」
「――その通りだ」
「まったくもう、こんな時なんだからあたしだって身の程は弁えてるってのよ。ねえ、美雪?」
「う、うん」

求められた同意に返事を返しつつ美雪はほっと胸を撫で下ろした。
剣術道場の一人娘として生まれ育った菜緒にとって日本刀とはまさに誂えられたような武装であると言える。
だが既にフロアに点在する武器は重火器が主流となっており、これからの敵はそれらを使役し襲いかかってくるだろう事は最早明白であった。
剣技などでは到底埋められない圧倒的な格差。それを理解せぬままに菜緒は自ら矢面に立とうとはしないだろうか、立たされはしないだろうか。
そんな危険性を美雪は危惧していたのだが、どうやら菜緒もそれは自覚しているらしく、楯岡にもまた彼女を進んで前に出させるつもりは無いらしい。

(――)

そう、楯岡には菜緒を戦わせるつもりがない。
かれんの話を聞いた今だからこそ、美雪にはその事象に思考を入り込ませる余地が有る。
想像するだに恐ろしい事だが今の彼の立場だけならば、菜緒をそうさせない理由は無いのだ。
何故なら今楯岡をこの場に縛り付けているのは「菜緒が破壊すべきJOKERを手放そうとはしない」という一点のみ。
その彼女に危険が迫れば迫るほど、楯岡は首輪の解除に近付く事になる。彼女の命が失われれば、JOKERの回収が容易なものとなる。
けれども彼はそれを由とはしない。それどころか菜緒を敢えて危険から遠ざけようとしている。
やはりかれんの言う通り、楯岡は自分たちに犠牲を強いてまで生き残ろうとはしていないのだろうか。それとも何か別の思惑があるのだろうか。

「そうか、ならばいい」

その答えを持つ男の表情はやはりサングラスで覆われたままで、その心中は読み取れない。
だが何れにせよ親友である少女が傷付く事になる、また人を傷付ける事になる未来が一先ず回避されたのは美雪にとっては安堵出来る要因であると言えた。

「結構な時間を消費してしまったな。さて、これからどうするか、だが」

話も一段落した処で楯岡の視線が全員を一巡し、最後に美雪の元で止まった。決定権は委ねる、という意味合いなのだろう。

「――このまま、5階へ向かいましょう」

ならば、と美雪は先程から思い描いていた方針を提案する事にした。

「あまりこの階に長い間留まる事は得策とは思えません。それは他の人たちも、圭介くんもおそらくそう考えると思いますので」

圭介の思惑が何処に有るにせよ、それがこのフロアでのみ行える事であるとは美雪には思えなかった。
つまりは彼もまた上の階を目指さなければならない。ならば再会を望むならばより上の階の方がその確率は高いと判断したのだ。

「成程、妥当な意見だ。無論俺としては緑川がJOKERを譲り渡してくれればそれが一番なのだが」
「冗談、あたしがそう簡単にこれを手放すとでも思ってんの?」
「至って真面目なつもりだがな――それが望めぬならば仕方が無い。他に異存が無ければその意見に従うとしよう」
「異議なし」
「私も特にありません」

瞬く間に菜緒とかれんは即決し、満場一致で美雪の提案は受け入れられる事となった。

「よし、ならば時間も惜しい。すぐにでも出発するとしよう。先頭は引き続き俺が務めるという事でいいんだな?」
「あ、はい。お願いします」
「了解だ」

短く任務を受諾した楯岡は、これ以上の会話は不要とばかりに美雪に背を向ける。

「あ、あの――楯岡さん!」

その背中を、思わず美雪は呼び止めた。このまま何もしないままでは同じ事の繰り返しになってしまう。
せめて少しだけでも話をしなければ、彼との関係は進展しないままなのだ。

「――」

一拍置いて楯岡の足が止まり、訝しげな視線が無表情と共に返って来る。

「え、と」

だが突発的な反射行動であったが故に、次の言葉が出て来ない。聞きたい事は山ほどあるはずなのに、それが言葉になってはくれない。

「どうした、用も無いのに呼び止めたのか」
「い、いえ、そうではなくて」

その不躾な態度に今まで以上の拒絶を感じ、それがますます美雪の混乱を加速させる。
どう話せば向き合ってくれるのだろう、何を話せばその胸の内を明かしてくれるのだろう。考えるほどに答えが見つからない。
かれんの真摯な訴えにも動かされる事は無かったこの男性に、知り合って間も無い自分の言葉が届くとも思えない。
圭介のように巧みな話術があるわけでもなく、菜緒のように感情をあるままにぶつける事も出来ない。
それでも、このままではいたくない。彼のおかげで芽生えた自覚が、美雪の中でそう叫び続けていた。

「あのっ、わたし、頑張りますから! みんなで助かれるように、一生懸命努力しますから!」

気付けば声を上げていた。自分でも驚くほど大きな声を、美雪は楯岡に向けて放っていた。

「だから――楯岡さんもわたしたちを助けてください、ね?」

呆れるくらいに稚拙な物言いだと、美雪の頬は熱くなる。
これでは自覚よりも甘えを示してしまったようで、寧ろ不快を買ってしまったのではないかと恐々としながら楯岡の様子を上目遣いに窺う。

「――契約が続いている間は、な」

そう言い捨てた楯岡は再びその身を翻らせた。その言葉から何を彼が汲み取ったのか、その仕草だけではわからなかった。

(――何やってるんだろ、わたし)

もっと他にかけるべき言葉はいくらでもあっただろうに。ただ只管に自分が情けない。
また、目の前の景色が滲む。だが泣いてなどいる場合ではないと、美雪は悔しさのままに袖口で目尻をこすり上げた。

(――あ、れ?)

だがどうした事か。今までのようにその歪みが直ってはくれない。
慌てて二、三度同じ事を繰り返すも、美雪の視界は虚ろに揺れるばかりであった。

(変、だな。そういえば、さっきから――)

思い返せば時折同じ様な症状に見舞われている気がする。それは振れ幅激しく動く感情の所為だとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。
コンタクトレンズの類は元より装着してはいない。そうなると考えられる理由は一つだけ。
自分の視力そのものが低下し始めているのだと、美雪が解答に行き着くまでに然程時間はかからなかった。

(何でだろ――でも、このくらいは我慢しなくちゃ駄目だよね)

幸いにして症状はごく軽微なものだった。多少輪郭が定まらないだけで判別が付かない程のものではない。
目を凝らせばPDAの地図情報を見失う事も無く、差し当たっての行動に支障があるわけではなさそうだった。
これまで異常な状況、空間に長く身を浸している。そのため肉体に過度な負担を強いられている事には間違いは無い。
だからおそらく、この症状はその一端であるのだろう。ならばこの程度の変調は誰しも抱えているはずだ。
なのに安易に弱音を吐いてしまっては他の仲間に申し訳が立たないと、美雪は自らの身体の虚弱さを嘆きつつ思考を打ち切る事にした。
でも、出来る事ならば一時的なものであって欲しいと。心の何処かで願いながら。





しかし、その願いも虚しく美雪の症状は今後悪化の一途を辿る事になる。
最終的にはその瞳から光は失われ、彼女は「ゲーム」の結末を見届ける事は出来なかった。
もしもこの時点で美雪が自らの異変を皆に訴えていたとしたならば、その未来は回避できたのであろうか。
答えは否である。その些細な違和感が後の悲劇に繋がるなどと、美雪本人が気付かぬままに他の者に伝わるわけもない。
気を払うくらいが精々で、誰もが解決を導き出す事など不可能であっただろう。
仮に気付けたとしていても、その治療を施す為の環境も人材もこの「ゲーム」には存在していない。
更にはそもそもこの時の美雪の状態で既に手遅れであったとなれば、最早それは定められた未来でしかなかったのだ。
過去に遡り、その原因を取り除く以外には。だがそんな事が出来るはずもなく。

今はまだ滲むだけの視界の中で、その背中を目の当たりにしながら。
美雪は楯岡の後をゆっくりと追いかけ続けていた。





そして。


(――気付かれて、ないわよね)

更にその美雪の背中を、緑川菜緒は息を殺し見つめていた。
彼女が位置するのは一行の最後尾。与えられた任務は他の仲間の背後を守るため、後方からの襲撃を警戒すること。
それは即ち彼女が唯一、自分の背中は自分で守らねばならないという厳しく過酷な立場である事を意味していた。
だが今の菜緒には一切の不安も恐怖も無い。そんなものは吹き飛んでしまうくらい、今の彼女は高揚していたのだ。

(ふ、ふふ)

平静を装う努力をしなければ、こみ上げてくる笑いを抑えられそうになかった。
必死で気を落ち着かせねば、身体を走る震えを止められそうになかった。
どうしてなのか。理由ははっきりしている。
「これ」の存在が自分をそうさせているのだと、菜緒は右手から伝わる日本刀の質感に身を委ねていた。

棚の裏に無造作に転がっていたそれを発見した時、菜緒は思わず我が目を疑った。それは少女の拙い鑑識眼でも一目で相当の代物だと理解出来たからだ。
本来ならばその筋の好事家がそれこそ血眼になって探し求めるべき一品であるのだろう。それがどうしてこんな場所でこんな粗雑な扱いを受けているのか。
曲がりなりにも剣術家の娘である菜緒にとっては看過し難い事実であった。思わず怒りに歯の根が鳴った。
だがそれは同時に誰にも憚らずそれに触れられる好機でもある事に気付くと、忽ち菜緒の中に衝動がこみ上げた。
他の仲間に気付かれないよう、背を向けるようにそれを掻き抱く。僅か刀身を露出させるとその光沢のみで想像以上の品質であると見て取れた。

――もし、これをあたしが使えるのだとしたら。

想像が、菜緒の中を駆け巡る。先程無手の自分は楯岡和志ににべも無くあしらわれ、辛酸を舐めさせられた。
だがナイフ程度であっても一度刃をその身に帯びていたならば。最強の空手家にすらも遅れを取らない自分で有れると、記憶は無くとも身体は覚えていた。
ならば考える間でもない。このまま放置する理由が何処にあるだろうか。
歓喜の声を上げたくなる。自分はこんなにも強大な戦闘力を有したのだと、誰彼無く誇示したくなる。
しかし菜緒は思い留まった。それは今までとは仲間の数も質も大きく様変わりしていたからだ。
今、一行の実権を握っているのはあのいけ好かない不遜な男、楯岡和志である。
彼がこの事実を知れば、これ幸いとばかりに自分を矢面に立たせるであろう事は想像に難くない。
楯岡にとって緑川菜緒の命とは、失われた方が都合の良いものでしかないのだ。
大切な人のためならば、いくらでも身体を張る事は厭わない。だが楯岡はその限りではない。
彼のために傷付くなど、菜緒にとってはあってはならない許されない事だった。

だから、嘘を吐いた。日本刀の入手など取るに足らない事象だと、我ながら似合わない演技をして見せた。
そして今。その嘘は看破された様子も見えず、事は菜緒の思惑通りに運んでいる。
手に入れた強さを誰に利用されるでも無く、自分のために振るえるようになっている。

(そうよ、楯岡――この力は、強さは。アンタのためにあるんじゃない)

表には出せない。この事実を白日の元に晒すわけにはいかない。
だから菜緒は、胸の内で。けれども確かに叫び声を上げる。

(あたしのこの強さは――美雪を守るためにあるんだから!)

信じていた少年に裏切られ、悲しみと絶望の淵に叩き落とされた。それでも親友である少女はただ一人、自分の側に居てくれた。
お世辞にも気の強いわけではない少女はそれでもその身を必死に奮い立たせ、得体の知れないあの男、楯岡に立ち向かってくれたのだ。
親友の命を救うために、どうか力を貸して欲しいと。
嬉しさのあまり涙が出そうだった。そしてその時菜緒は決意した。この子だけはこの先何があっても絶対に守り通さねばならないと。
美雪のためならば、この身が幾ら傷付いても構わない。美雪のためならば、汚れ役など幾らでも引き受けられる。
もちろん美雪の悲しむ顔は見たくない。状況にはできるだけ添うつもりではいる。
無謀は起こさない、攻撃的になるつもりもない。彼女の意思を尊重し、無闇に事を荒立てたりもしない。
だが時が来れば、この剣を抜き放つのは躊躇わない。敵が自分たちを脅かすと感じたならば、その時自分は人を捨てる事を選ばねばならないのだろう。
例え相手がどれだけの重武装を有していようとも、自らが血の海に沈もうとも。
命ある限りその海を泳ぎ切り必ず相手の身体に刃を届かせて見せると、決死の覚悟を菜緒は今その胸に秘めていた。

(敵――そうね、敵は倒さなきゃいけない、わよね)

虚ろな目つきで菜緒は先頭を行く楯岡を眺める。今の彼女の目にその背中は驚く程無防備に見えた。
信頼されるような事は何一つしていない、という事はそれはこちらを侮っている証なのか、それとも力を得た余裕がそう見せているだけなのか。
今の楯岡は菜緒にとって多分に気に食わない男ではあるものの、それでも形式上は味方である事に相違無い。それは他ならぬ親友・美雪の決断であるからだ。
そして実際に自分たちに足らないものを補ってくれてはいる。状況に即した行動力、決断力。それは確かに今は頼りにしなくてはならない部分だ。
だがその内心、何を企んでいるかなどわかったものではない。
美雪とかれんの会話が耳に届いていなかった菜緒には楯岡に対する不信を和らげる材料など存在していない。
何時その立場を翻らせ、牙を剥いてもおかしくはない男でしかないのだ。

(ふん、ま、味方であるうちは見逃しておいてあげるけどね。けど――)

もしもそうではなくなってしまったら。こちらの「敵」になるのであれば。己の利のために自分たちをを切り捨てるつもりであるのなら。
逆に斬り捨ててやる、そんな発想を菜緒は物騒であるとも感じたりはしなかった。

(――ねえ、圭介)

そしてもう一人。此処には居ない少年の姿を菜緒は脳裏に思い浮かべる。

(あんたは、敵なの? 味方なの?)

その真意を暴かれた途端、自分たちを悪し様に罵り去っていった少年、鳴神圭介は率直に考えれば「敵」に相当するのであろう。
けれども菜緒の中にはまだ迷いがある。それは美雪が彼をまだ信じているからだけではなく、彼女自身もまた彼の態度には引っ掛かりを感じているのだ。
理屈めいた事は考えられる性質ではないので、はっきりとした材料は思い浮かばない。
だから菜緒は、自分の本能に素直になる。その内に秘めたものが「悪」である少年に、自分がここまで心惹かれる事があるのだろうか、と。
それでもやはり、騙されているだけなのかもしれない。圭介は自分が思っている以上に巧妙で狡猾な男なのかもしれない。
だがそれならば尚更、はっきりさせなければならないのだ。敵なのか味方なのか。だからこそ彼にはもう一度、是が非でも。出逢わなければならないのだ。

(信じたい、けど――)

あの暴言は、理由あってのものだと思いたい。嘘を吐いたのは自分たちを陥れるためだったとは思いたくない。
でもやはり。真実は残酷なのかもしれない。圭介はやはり己と美雪の命を天秤にかけ、自分が助かる道を選んでしまったのかもしれない。
もし、そうであったなら。それが紛う方無き真実であったとしたならば。
その時は。

(その時は――あたしが引導を渡してあげるから)

静かに息を吐き、唇を切り結び。
菜緒は日本刀を握る手に力を込めた。






自分で考え、自分の力で道を切り開く。楯岡によって自覚を植え付けられたのは美雪だけではなかった。
だがそれが間違った方向へと向かっていたのは彼の言葉足らずの弊害であったのか。
そう。菜緒もまた見えなくなりつつあったのだ。自分が正しさという光を失いかけている事に。

それぞれが様々な思いを抱いたまま、一行は通路を静かに進んで行く。
薄暗い周囲の様子はまるで彼女たちの行く末を示しているかのようだった。

だがその事実に気付く者は居ない。
そう、未だ、誰一人として。





ゲーム開始より41時間12分経過/残り31時間48分



[21380] EPISODE-50
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/04/08 08:33
一方その頃。
同じフロアの遠く離れた場所で、鳴神圭介は覚束ない足取りで通路を歩み進んでいた。

だがその瞳に光は宿っておらず、以前の如く懸命な姿は見る影も無い。
通路を無駄に蛇行しながら時折体勢を崩す有様からは、罠や接敵に関する警戒は微塵も感じられるものではなかった。

(――寒い)

静謐な空気の冷たさに、少年は思わず自らの身を掻き抱く。果たしてこの施設内の温度はこんなにも低いものだったであろうか。
空調を快適に施す理由は無い。ならば初冬という季節がら、そうであるのは然程不思議な事では無い。
だがそんな事を今更初めて感じられたのは、孤独だからという事なのだろうか。
今までは常に誰かが側に居た。実際がどうであろうとも、一人ではないという事実は身体に温かみを得られる事であった。
けれども今はそうではない。今の圭介には隣にも先にも、仲間と呼べる人物は存在していない。
一人、そう、ただ独り。この「ゲーム」の中で得難いものであるはずのそれを、少年はその手で捨て去ってしまっていたのだ。

「美雪、菜緒――」

掠れた声で小さく零れた少女たちの名が、冷たい空気に解けて消える。
異常な空間の中で奇妙な出逢いを果たした少女・森下美雪と、彼女を大切に思い慕う親友・緑川菜緒。
本来ならば決して相容れぬ二人だった。圭介がこの「ゲーム」で生き残るために押し付けられた条件は、その美雪の命を奪うものであったからだ。
けれども、殺せなかった。悪意や非道といった負の感情とは無縁であるかのような純粋無垢な少女と接するにつれ、次第に圭介は彼女に殺意を抱けなくなってしまった。
だから、嘘を吐いた。真実を偽り無害を主張し、共に生還を果たそうと素知らぬ顔で彼女たちの側に在り続けた。
そして彼女たちを大切に思えるようになる程に、その嘘は重なり続けていった。

だがそんな関係が何時までも続くわけがない。予期せぬ第三者、楯岡和志の介入によりその真実は白日の元に晒された。
築き上げた信用は忽ちに裏返ってしまった。彼女たちへの想いもこれまでの尽力も、「殺さなければ助からない」という事実の前には全くの無意味だった。
弁解など出来ようはずもなかった。観念し、自ら全てを暴露して。そのまま逃げるようにその場を後にするしかなかった。
幸いにもその場が戦闘禁止エリアだった所為で争いは起こるべくもなく、誰も傷付かぬままに離れる事が出来たのがせめてもの救いであったと言えた。

(なんで、こうなっちまったんだろうな――)

こうなってしまったからこそ圭介は痛感する。破綻を免れる術は何処にあったのだろうかと。
この「ゲーム」における定めを知った時、既に美雪とは無関係の間柄では無かった。
その時点で明け透けに全てを打ち明ければ、それこそ人間らしい関係など紡げはしなかっただろう。
だから嘘はどうしても必要だった、一緒に居るためにはどうしても、真実は隠さねばならなかったのだ。
ならばいっそ、非道に徹し切ればよかったのか。情が沸く前に、想いを移す前に。手を下してしまえればこうも苦しまずに済んだのであろうか。

そんなわけはない。今ならそれだけは自信を持って言い切る事が出来る。
美雪を殺めてまで生き残らねばならない理由など有りはしなかった。
彼女の未来を奪い去り、それでもその後悔すら凌駕する生への執着を、夢を、希望を。圭介は何一つ持ち合わせてはいなかったのだ。
母親を失ってからの10年間。不器用な父と共に懸命に生きてきたその時間を、圭介は何処かで誇りを感じていた。
まだ甘えの許される、子供という立場でありながら。生きる為に努力をしなければならないという日々を。
同年代の仲間たちよりもいち早く、自分は密度の濃い人生を送っているのだと、前向きに受け止めてすら居た。
けれでもそれは実は他人よりも上手く立ち回っていたのではない、ただ他人と違う経験をしていただけだった。
愚かにも日々を「生きる」という名目に陶酔し、本来得られるべき経験を犠牲にしていただけだったのだ。
そんな中でも叶えたい夢くらいは生み出しておかねばならなかった。現実に向き合っていたつもりが実際は自分の人生から目を逸らし続けていたのだ。

そんな事にも気付かなかった。そしてそんな事を今更気付かされてしまった。
だから殺せなかった、手を下せなかったわけではないけれども。これ以上の無意味な惨劇を起こさずに済んだ事は少なくとも正しい結果ではあるのだろう。

(なんだ、結局――どうにもならなかったって事か、はは)

要するに最初から全ては定められていた。鳴神圭介はこの「ゲーム」に招かれた時点で既に救われぬ運命であったのだ。
例えどの道を選んでいたとしても。これから先の真っ当な人としての人生など、到底得られるものではなかったのだ。

「ノエルさん、貴方の言う通りだよ。俺、ホントに終わってんだな――」

自虐気味に呟く圭介の脳裏に、一人の女性の顔が思い浮かぶ。
波多島乃得留。「ゲーム」という現実に誰よりも真摯に、されども正しき志の元に向き合っていた才女。
だがその正体は諸悪の根源である「組織」の構成員であり、この「ゲーム」の管理を現場で司る「ゲームマスター」であった。
その乃得留から圭介は直々に念を押されてしまっていた。もう助かる術など失われているのだと。
その絶望に付け込み権限を餌に協力を要請してきた彼女の手を振り払えたのはその虚無の所為であるとは、何とも皮肉な事だ。

(――で? そんな俺は今、何をしようとしているんだろうな)

不意に、そんな疑問に駆られた。そんな自分は一体、何の目的で施設を彷徨っているのだろうと。
乃得留と別れたあの場から、一歩も動く必要など無かった。立ち上がる事に何ら理由は無いはずなのに。

「――ああ、そうか、ははっ」

やがて答えに思い至り、圭介は思わず声を上げる。
何の事は無い、ただ認めたくなかっただけなのだ。自分が既に「終わってしまっている」人間であると言う事に。
一処に無防備に留まっていれば危険が生じ、それは即ち死に直結する。だからその場から離れる事がそれを回避すべき行動であるのだと。
もうこれから先は何をやっても無駄でしかない、などとは信じたくなかったのだ。
要するに自分は逃げたいのだ。動きを止めずに歩み続け、今の非情な現実を振り払いたいだけなのだ。
何と惨めな事だろう、そんな自分に圭介は呆れる他は無い。
思い浮かばずとも身体が何か正しさを求めているのか、そんな仄かな期待を抱いた自分が只管滑稽だった。

「こんな階まで上がって来て――今更どうやって逃げようってんだかなあ」

逃げられないとわかっていたから「ゲーム」に従うしかなかった。人の道を踏み外さねばならない事に心を痛め続けて来た。
それなのに、今更。本能のままにであるとはいえ、こんなものは悪あがきにすら成ってはいない。

(懲りてねえなあ――この上まだ俺は無意味を積み重ねるのかよ)

正しいと信じれば裏目に出る。無意識であってもこの有様。一体自分はどれだけ救いようの無い人間であるのかと、圭介はつくづく自分に嫌気が差す。
もう何も、わからない。どうすればいいのか何をすべきなのか。
意味の有る行為とは、生き方とは。一体何であるのか、少年は既に見出せなくなってしまっていた。

(――ん?)

不意に、何の意図も無く。歩みを止めた圭介は奇妙な違和感に襲われた。
今までこの通路に響いていたのは全て自分が発したものであったはず。それなのに足を止めたにも関わらず足音が途切れていない。
すわ残響かと暫し動かぬままでもやはり結果は同じでしかない。

(まさか――)

思わず背筋に冷たいものを感じた。間違い無い、気のせいでは無い。
これは他者の足音だ。何者かがこちらに接近しつつあるという事なのだ。

(おいおい、それに、これって――)

思考を巡らす間にも、足音は徐々に大きくなっていく。しかも、その足音は圭介の耳に覚えのあるものだった。
微細な違いを聞き分けられる程、圭介は認識力に秀でているわけではない。それでも判別が容易であったのはそれが「特別」であるからに他ならない。

「っ!!」

やがて、圭介の前方、先の通路の死角から巨大な影が躍り出た。
そう。これ程の重量感のある足音を響かせる事の出来る人物は。たった一人しか有り得なかったのだ。
ヒトの規格を遥かに上回る圧倒的な巨漢の持ち主である、この男以外には。

彼の名は大門三四郎。その桁外れの肉体に空手の業まで併せ持つ男は、圭介の姿を認めるなりその凶相を歪ませた。
嘗ての大門はその風貌とは裏腹の、穏やかで純朴な人物であった。己が身に秘められた脅威を弁えた、分別のある男であった。
だが「ゲーム」の最中、想いを寄せていた女性・古谷小枝子の命を奪われ深い絶望に陥ってしまった。
更にはその犯人が圭介たちであると誘導され、今や殺意を振り撒くだけの存在に成り果ててしまっているのだ。

「見、つけ――た、ゾ――」

腹の底から絞り出した低くくぐもった声が、場の空気を震わせる。その表情は憤怒以外の何ものでもない。
武を修めた者の矜持など欠片も感じさせられず、其処に在るのはただの一匹の巨獣の如く。
既に一度この状態の大門と相見えている圭介であってもその有様は恐怖を抱くに十分足るものだった。
心変わりは起こっていない、一目でそれは理解出来た。大門にとっての圭介は、未だ復讐の対象であるのだ。

それでも以前の彼であるならば耐える事が出来たであろう。
二人の少女を守らねばならないと、使命感に躍起になっていた圭介であるならば立ち向かう事は叶わずとも立ち回り、やり過ごす方法を必死に模索していただろう。
だが今の彼は独りでしかない。戦いに赴く理由も意欲も彼の内には存在していない。

「ひっ」

短く悲鳴を上げ、その恐怖に抗えず後ずさる。
力と呼べるもの、力と成り得るもの全てを失ってしまった今の圭介は悲しいくらいに無力でしかなかった。
身体を翻らせ、完全に大門に背を向ける。気付けば足が反射的に床を蹴っていた。

「う――わあああっ!」

悲痛な声が響き渡る。一刻も早くあの魔の手から逃れんと、全速力で通路を走り抜ける。
一度は激しい抵抗の末に取り逃がした相手である以上、大門には最早欠片の容赦も無いであろう。
つまり捕まれば全てが終わる。武器を持たぬ自分に今度こそ切り抜ける手段は無い。
命を繋ぐためには何としてもこの足であの大門を振り切らなければならないのだ。

「はあ、はあっ」
「――」

だが脇目も振らず走れども。願い虚しく一拍遅れて動き始めたはずの大門の足音は瞬く間に近付いて来る。
両者の体格と体力の差は歴然たるものだった。声一つ上げる事無く迫り来る巨人の威圧感が、圭介の背中に圧し掛かる。

(殺されるっ!) 

剛腕の威力に晒される自分を幻視し焦りが加速度的に募っていく。
逃げ切れなければ全てが終わる、そんな絶望を全身に感じながらただ必死に足を動かした。

けれど。


――逃げるって、何処へ?


(あ――)

どうしてこんな時に。一瞬であっても我に却ってしまったのか。
どうしてこんな事に、今気付いてしまったのか。
身体の力が抜けていく。見る間に足取りが鈍くなる。

「――鬼ごっこは終わりだ」
「っ!!」

そんな隙を、大門ほどの男が見逃すはずがなかった。丸太のような腕に後ろから奥襟を掴まれる。
身体が宙に浮く。前に進む力が一瞬で殺された。
そして次の瞬間。圭介の身体は自分の意思とは無関係に、通路の側面の壁へと叩きつけられていた。

「ぐあっ!」

投げ飛ばされたのだ、と背中から伝わる衝撃と同時に圭介は悟る。
激痛が身体を走り抜け、力無くその場に崩れ落ちる。

「が、は――」
「ブザマだな。いい気味だ」

辛うじて意識を保ちつつ、見上げた遥か高空で大門が口元を歪ませていた。
追いつかれてしまった。逃走劇は失敗に終わった。この対面こそがその確固たる証であった。

(そう、か――逃げられなかった、か)
「気分はどうだい? 鳴神くん。ボクごときに追い詰められている、今の気分は」

最早獲物が抵抗出来ない、或いは抵抗に足る術を持たない事を何とは無しに理解しているのか。大門はすぐに手を下そうとはしてこない。
その余裕の様相から鑑みるに、殺すのは簡単であると。ならば今までの無念と鬱憤を少しでも晴らそうという腹積もりなのだろう。

(気分、ねえ――そりゃ最悪だよ、とさっきまでは言ってのかもしれないな)

だがこの土壇場において、自分が驚く程に冷静である事を圭介は自覚していた。
光明を見出したからではない。ここからの逆転の手札など、今の圭介は一枚たりとて持ち合わせてはいない。
悔しいかな、それは前向きな理由によるものではなかった。ただ気付いてしまっただけなのだ。今の自分が陥っている、状況の本当の意味に。

(なんだ、逃げたって。どの道同じ事だったんじゃないか)

逃げ切れなければ終わり、ではなかった。既に自分は「終わっていた」のだった。
例えこの場を乗り切れたとしても、自分にはもう助かる手段は無い。遅かれ早かれ死の運命からは逃れられはしないのだ。
つまり選ぶことの出来る選択肢はたった一つだけ。即ちそれは「どんな死を迎えるか」、ただそれだけだったのだ。
ならば此処で足掻く事に何の意味が有るのだろう。銃弾で撃ち抜かれる事、刃物で切り裂かれる事。それと拳で撲殺される事にどんな違いがあると言うのか。
どれも忌避すべきものではある。だがもっと別な、楽な死に方などおそらく在りはしないのだろう。
それならば、もう、いっその事。

「――好きにしてくれ、もう」

全てを終わらせてしまおう。鳴神圭介という男の人生を、今、此処で。
そうすれば、楽になれるから。一瞬の痛みと引き換えに、これ以上苦しまなくて済むのだから。

そう考える事で、圭介は不思議と安らかな気分になれた。あれ程までに怖れていた死が、甘美なものとさえ感じられた。

「な――」

だが覚悟を決めた圭介のそれとは裏腹に、大門の表情が激変する。

「ふ、ふざけるなっ! この期に及んで何を企むつもりだ!」

怒りと狼狽が綯い交ぜとなったような表情だった。
どうやら圭介の諦観を余裕の表れと受け止めたらしい。まだ起死回生の一手が隠されているのではと、見当違いを起こしているのだ。

(ああ、そっか――この人も、今まで騙され続けてきたんだもんな)

疑心暗鬼になるのも無理は無い。彼もまた、波多島乃得留に手酷い裏切りを受けていたのだ。
何食わぬ顔で正義を唱え、乃得留が彼に接近したのは彼を「こうする」ためだった。正しさを見失わせ、暴虐の徒と為す為に。

「騙されないぞ、もう騙されるものかっ! お前が何を企もうがその前にボクの拳がお前の頭を打ち砕く、それで全ておしまいなんだからなっ!」
「――ああ、そうですか」

急に自らの優位性を誇示しながらわめき散らす大門を、圭介は哀れに思いながらも決して同情はしなかった。

(ふん、羨ましいこったね)

狂えども、見失えども。大門にはその拳という縋るべきものがある。人の命を左右出来るだけの強さを持っている。
それは間違い無く、彼が重ねた研鑚の応えなのだ。つまり大門は、その人生の最中で意味を勝ち取る事が出来たのだ。
無意味ばかりを繰り返して来た圭介には、それが素直に羨ましい。
そしてだからこそ、いとも容易く謀られ利用されている大門に嫌悪を感じてしまうのだ。

(まあ、いいさ。どうでも)

だがそれを今更説いてやるつもりもない。彼を正しい方向に導いてやるつもりも更々ない。
もう、全ては此処で終わる。自分の死後、彼がどのような末路を歩もうとも。知った事では無いのだ。

「それなら、さっさとやってくれよ。でも苦しみたくはないから、絶対に一撃で決めて下さいよ?」

妙な心変わりをされてもたまらない。自らの額を指差しながら圭介は大門にさらりと言ってのける。

「い、言われなくともそのつもりだっ! せいぜいあの世で懺悔する事だなっ!」

その煽りを見事に受け、浅薄な巨人は赤ら顔でその拳を力強く振りかぶった。

(これで――やっと――)

やっと楽になる事が出来る。自らの終焉を確信し、圭介は静かに目を閉じた。

想い残す事は山のように有る。例えば父親、自分がこの世からいなくなっても独りでちゃんと生きていけるだろうか。
美雪と菜緒はこの「ゲーム」を生き延びる事が出来るだろうか。条件は整っているはずだから後は何とか逃げ切るだけなのだが。

どうか、みんな。幸せな結末を迎えて欲しい。
それを見届ける事は叶わなくなってしまったけれども。
それでも、祈っているから。みんなの側では無い、手の届かない何処かで。

「死ねぇっっ!!」

咆哮が轟いた。圭介の瞼の向こう側で、その巨体が動き出す。
圭介は動かない。動くつもりは無い。そのままじっと。最後の刻を待ち受ける。

そして――


「危ないっ!」


(――え?)

何故なのか。予想外にも身体の側面に衝撃を受けた。
その勢いで、吹き飛ばされる。続いて轟音が壁を打つ音が響く。

「な――」

一体何が起こったのか。大門の打撃を受けたのではない事だけ、辛うじて圭介には理解出来た。
巨人の業はこんなものではない。例え拳が脚に変わったところで、あれだけ怒りを籠めた一撃が破壊を伴わないはずがないのだ。
否、そもそも。今の声は誰のものであったのか。自分の発したものではない、無論大門のものであるはずがない。
統合する。第三者が介入してきたのだ。誰かが割って入って来たのだ。その者に今、「邪魔をされた」のだ。

(誰、が――)
「大丈夫ですか、間一髪でした!」

また同じ声が、耳に飛び込んでくる。慌てて圭介は半身を起しその目を見開いた。

「っ!!」

この衝撃を。果たして何と表現すれば良いのだろうか。
圭介の目の前、大門との間。その人物は圭介に背中を向け、大きく両腕を広げていた。大門の行いを、その身全てで阻止せんと。

「な――」

言葉にならない。

「なん、で――」

それでも言葉にせずにはいられない。

その人物は、凡そこの場に居るはずの無い人物だった。この場に居てはならない人物だった。

考え得る限りの可能性の中で。生き残っている参加者の中で。
この人物だけがただ一人。圭介の知る限り、この場に存在する事自体が不自然な人物だったのだ。

「なんで――なんで、何でっ!?」

わからない、意味がわからない。
ただ混乱のままに圭介は「何故」を繰り返す。

繰り返し、繰り返して。
そして遂に、彼はその者の名を呼んだ。





「どうして――どうしてアンタがこんな処にいるんだよ、吉田さんっ!!」






ゲーム開始より41時間21分経過/残り31時間39分



[21380] EPISODE-51
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/04/22 10:01
時は、少しばかり遡る。
今より約10時間前、フロア3階。
圭介たち4人が休憩のために訪れた、戦闘禁止エリア外での出来事。



ぱん。

「!!」

乾いた炸裂音が通路に響き渡り。吉田の身体が不自然に揺れた。驚愕のままにその目を見開き、そのまま床へとへたり込む。
焦げ臭い臭いが周囲に満ちる。漂い始めた微かな白煙は、決して吉田の煙草によるのものではない。

(痛、う――)

左手から伝わる痛みと痺れに圭介は顔を顰めつつ、更に吉田へと迫り寄る。
此処まではほぼ予定通り。だがこのままではまだ何も出来てはいないに等しい。
余韻に浸っている場合では無い。自分の思惑通りに事を運ぶためには、一瞬の躊躇も有ってはならないのだ。

そのまま右手の拳銃を投げ捨てる。そして自らの懐に手を入れる。
上着の内の収納から、予め取り出し易く工夫していたそれを掴み取り、勢いに任せて吉田を地面に押し倒す。

「! ひ――」

怯え露わな吉田の心情になど構いはしない。どの道彼はこの場で確実に抹消される運命なのだ。
腹部を抑えて逃げ場を奪う。更に空いた左手で肩を床に縫い付け抵抗する手段をも奪い去る。その一連の行動に淀みは全く無い。

そして完全に吉田の行動を支配した圭介は。

そのままゆっくりと右手の「それ」を吉田の首筋に押し当てた。

「――へ?」

間の抜けた吉田の奇声と共に、けたたましい電子音が突然通路の中を鳴り響く。

『おめでとうございます! 貴方はJOKERを5回使用し、首輪を外すための条件を達成しました!』

次いで発せられた合成音声と共に、吉田の首輪が左右に割れる。
その一部始終を見届けた圭介は漸くその緊張を緩め、大きく息を吐き出した。

「ふう、やれやれ――すみません吉田さん、手荒な真似をしてしまいました」

素直に謝罪を述べながら、手にしていた「6」のPDAを再度懐に仕舞い直す。

「へ、へ? はい?」

そして相手の吉田はと言えば何が起こったのか皆目見当が付かないとばかりに目を白黒させている。

「い、一体何がどうなって――あ、あれ? 私は確か、銃で撃たれたはずじゃあ――はれっ?」

ぱたぱたと両手で自らの身体を弄る吉田の身体には当然の如く銃創は穿たれていない。
逆に辛うじて肩に引っ掛かっていた、「外された」首輪がからりと音を立てて床に転がった。

「ど、どういう事なんでしょう、鳴神さん」

結局自分自身の中で答えを見つける事が出来なかったのか。恐々とばかりに圭介の顔を覗き込んでくる。
それも無理は無いのだろう。何故なら彼に与えられた情報は、その半分も真実を満たしてはいないのだから。

「撃たれてませんよ。それどころか俺は引き金すら引いてはいません」
「え? で、ではさっきの銃声は――」
「それは、これです」

腰を屈めて座り込んだままの吉田に目線を合わせ、圭介は「左手」をその目の前に広げてみせる。
拳銃を携えていた利き腕とは逆のその手のひら。その中には小指の先ほどの紙片が赤く腫れ上がった皮膚の上に乗せられていた。

「俺の手品用グッズの一つで、衝撃を与えると破裂音が鳴るんです。陸上競技のスタートピストルを思い浮かべてもらえれば、わかり易いかもしれませんね」
「――はあ」
「たまたま上着の中に残ってたんで今回使わせてもらいました。だって銃なんか使ったら危ないじゃないですか」

殺伐としていた雰囲気を何とか和ませようと圭介はおどけて見せるものの、どうにも顔が強張ったままで我ながら不自然に感じてしまう。
どうやら自分でも思っていた以上に緊張していたという証拠なのだろう。

「つまり、先程までのは演技であった、と?」
「まあ、そうなりますね」
「な、なんだ。驚かせないでくださいよ。私、こう見えて結構気が弱い性質なんですから」
「――」

どう見てもそうとしか思えないのだが、と喉まで出かかった言葉を圭介は敢えて口には出さずにおいた。

「でも――どうしてこんな事を? 行為自体を含めて私にゃ色々と腑に落ちない点が多過ぎるのですが」

服に付いた埃を払い除けながら立ち上がり、吉田は再度事の次第の説明を求めて来る。
騙された事自体には欠片も憤りを感じている様子が無いのは如何にも彼らしいとは言えた。

(さて、と――)

実際の処、圭介にとっては寧ろ此処から先が本題だった。
吉田の疑問点は明白と言ってもいい。なぜわざわざこんな演技が必要であったのか。なぜ自分の知る条件とは別の条件で首輪が外されたのか。
そしてそれをなぜ本人の了解も得ずに強引に、しかもこんな二人の少女の目の離れた人気の無い場所で行わなければならなかったのか。
それら全てを細部に至るまで、逐一説明せねば到底吉田には納得の行かない行動であっただろう。

「――どうだっていいじゃないですか、そんな事」

だがその要求を拒む意思を、圭介は吉田に対し曖昧に告げる。
反応を窺うと、吉田は予想通りに絶句していた。

「い、いや、鳴神さん? どうだっていいと言われましても、私としてはですね」
「そんな事より、取引をしましょう吉田さん」

戸惑いながらの吉田の反論に言葉を被せ機先を制す。付け入る余地は与えない。

「と、取引?」
「ええ。理由はどうあれ、これで貴方の首輪は解除されました。それはわかりますね?」
「――はあ」

居丈高の物言いのままに、圭介は吉田の首筋を指差してみせる。
参加者であるはずの吉田のその部位に銀色の首輪は既に無い。それはこの施設に存在する全ての者が願い欲しているはずの状態であった。

「おめでとうございます。これでもう、吉田さんは『ゲーム』はクリアーです。何の気兼ねも無く元の世界に戻る事が出来るんです」
「――」

圭介の迫力に圧されたのか、反論は許されないと悟ったのか。吉田は口をつぐんだままだった。

「その安全こそが、俺の提示する取引の条件です。それと引き換えに一つ、俺の望みを叶えてはくれませんか」
「望み、ですか?」
「ええ」

一つ、圭介は息を吐く。そして吉田の顔を正面から見据え、次の瞬間はっきりと宣言する。

「このまま何も聞かず、PDAを渡して俺たちの前から消えてください」

一層空気が冷たさを増した、そんな気がした一瞬だった。

「邪魔なんですよ、貴方の存在が」

辛辣な物言いとなったその言葉は、掛け値無しの本心だった。
根拠の乏しい善意を前面に押し出した言動・行動に対する払拭できない疑念。そして表向きと真実のPDAの齟齬。
それら全てが圭介にとっては不発弾を抱えているに等しいものだった。
これ以上この男と行動を共にするのは危険が過ぎる。かと言って力ずくで放逐すれば今度は見えない影に怯え続けなければならない。
ならば、と一度は吉田の抹殺を企てた圭介であったが、流石に自らの都合のために命を奪う非道はどうしても躊躇わずにはいられなかった。
そこで気付いたのが、吉田本来のPDAが「6」であるという事実である。
自らが偽るカードと重なってしまっていたその事実こそが吉田を煩わしく感じる一因ではあった。
だが一考すれば「6」の解除に必要な条件は既に出揃っている。
JOKERの偽装機能が後付けのツールにまで及んでいると発見した圭介は他者の動向を探るため、既にその条件である5回以上の使用を終えていたのだ。

――そうか、何も殺すまでする事はないんだ。

それ以外に道は残されていないと言うのならば、その禁忌に身を犯さざるを得なかった。
だがそうではない。必要なのは吉田をその存在ごと抹消する、その一点のみ。それが達成できる別の方法は、確かにこの場に存在していたのだ。
「吉田の首輪を解除して、この『ゲーム』から離脱させる」という画期的な方法が。

そうなれば残る問題はそれを如何にして行うか。本来ならば真実を明かして自らの手で解除を行ってもらうのが筋道ではある。
しかしそれでは「なぜ美雪と菜緒にまで真実を偽っているのか」という点にまで言及せねばならない。
その説明を常軌を逸した善人を体現する吉田二郎が看過出来るとは思えなかった。
そのため、多少強引な手段を取らざるを得なかった。有無を言わせずこちらの手で解除を行うという選択肢を選ばざるを得なかった。
拳銃を使用し殺意を明確にし、吉田に抵抗する暇を与えず怯ませる。そしてPDAを吉田の首輪に接続する。
演技を真に迫らせるための「銃声」というあと一押しも、偶然破裂音を演出するための火薬紙片が上着に残っていたためクリアする事が出来た。
吉田から銃口を外さずに、しかも実弾を使用しない状況を構築出来たのは奇跡的な僥倖であったのだろう。

「このまま下の階に降りて下さい。侵入禁止になった階まで辿り着けさえすればもう絶対的な安全を確保する事が出来ます。
 PDAも案内も無しでは、そこまで辿り着くまでが問題と言えば問題ですが。その程度のリスクは受け入れて然るべきでしょう」

これで吉田の命は保証され、圭介にとっても吉田の存在を合法的に抹消する事が出来る。
誰一人傷付く事無く、傷付ける事も無く。疑惑も真実も纏めて闇に葬る事が出来るのだ。

「邪魔――ですか。そうですか」

漸く事の次第を理解したのか、吉田は圭介に突き付けられた言葉を自らの口で繰り返す。

「私も私なりに鳴神さんたちに不愉快な思いをさせないよう努力してきたつもりでしたが――残念です」

俯きがちのその表情には、驚く程に穏やかなものだった。
刻んだ年輪が自らの半分にも満たない若造に不必要だと切り捨てられた怒りも憤りも其処には無い。
ただ無念であると、悲しいのだと。そんな感情がぎこちない微笑みの中に見え隠れしていた。

「参考までに、一体に何がお気に障ったのか聞かせて頂く事は――無理ですね。何も聞かない、という約束ですから」
「――」

寂しそうに語る吉田の一言一言が、圭介の胸を締め付ける。良心の呵責に押し潰されそうになる。
こんな有無を言わせぬ厄介払いが正しい選択であったのかと、ついそんな思いに駆られてしまう。
だがこの場においてはこれがたった一つの冴えたやり方であるはずと、その考えを圭介は即座に打ち消した。
全ての条件を満たす事など最初から不可能だった。あらゆる意味での後の危険の可能性を無視するわけにはいかなかった。
例え身勝手な理屈であろうとも。命のやり取りの最中にそんな甘えは通用しないのだ。
吉田をここで切り捨てる、それが最良で間違いは無い。しかも無用に手を汚さず生還の足がかりまで作ってやった、これ以上何を望めと言うのだろうか。

「それでは名残惜しいですが、これにて失礼致します。鳴神さんもどうかご無事で」
「――ええ」

吉田は上着のポケットから取り出したPDAを圭介の手に乗せる。そして深々と一礼し、ゆっくりと圭介に背を向けた。

「――あの、鳴神さん」

だがその足が二、三歩前へと進んだだけで、再び振り返り圭介に視線を向けてくる。

「――何か」
「いえ、その――助けて下さって、ありがとうございました」

決してその表情は礼を述べたいがだけには見えなかったが。それでもそれ以上の台詞を添える事無くまた歩き出した。

「――」

吉田のその背中が闇に溶けて見えなくなるまで見送った後、圭介は静かに手渡された「JOKER」に目を落とす。
道化師が姿を変えた「7」の絵札と懐の残る二つのPDAの感触が、漸く圭介に懸念が一つ無くなった事を実感させた。
これで吉田とはもう二度と会う事は無い。ペナルティを受け付けない立場となった彼は階下の侵入禁止エリアで「ゲーム」の終わりを待ち続ける事だろう。
即ち圭介が美雪たちに偽っている「6」のカードの所持者という立場を脅かす存在はもう居ない。
今後は吉田の既に不要となった「6」のPDAを根拠に、胸を張って真の所持者であると主張する事が出来るのだ。

だがしかし、これでもう後戻りも出来なくなってしまった事にもなる。
明確な意思を持ってPDAのカード操作を行った以上、真実が暴かれた時に言い逃れは不可能であるだろう。
人一人の運命を捻じ曲げてまでカードを偽ったのは何のためか、それはどう考えても「Q」の抹殺を裏で画策していたとしか取られない。
本音はそうではないと幾ら言葉を重ねても、一体誰がそんな言葉に説得力を感じるだろうか。
考えるだけでも恐ろしい。美雪と菜緒にそんな目で見られるなどと、想像すらもしたくない。

(ならその前に――何としても俺自身の首輪を外す方法を見つけないと、な)

一先ず吉田の首輪が外れた事で、良い意味合いでのルールの正しさも実証された。首輪さえ外せば助かる事が出来る、それ自体は間違いでは無いらしい。
だとすれば、原点に立ち返るだけだろう。一刻も早く「美雪を殺さない」方法で首輪を外し、己が身の証を立てる。
吉田が現れる前にずっと考えていた事を、再度熟考すれば良いだけの話なのだ。

(――よし)

とりあえずはこの状況を、どうやって美雪と菜緒に説明するか。圭介はそこから考える事にした。
元の世界に戻るため。美雪と菜緒と、共に「ゲーム」を乗り越えるために。
今の努力が何れその現実に繋がるはずであると。少年は一心に願っていた。
この時までは、まだ。





「何でだよっ!」

時は戻り、4階通路。
その時の希望など全て失ってしまっていた少年は我が目を疑いながら声高に叫んでいた。

どうして吉田二郎が此処にいるのだ? どうして自分を助けようとしているのだ?
考えども答えは出ない。大門と圭介の間に立ち塞がる吉田の首筋には当然の如く首輪は装着されてはいない。
もうこれ以上「ゲーム」に参加する必要は無いのに、煩わしいルールに翻弄される事も無いのに。
このまま何もしなければ、確実に命が助かるのに。一体何を好き好んで階下に降りるばかりかこの4階という危険域に足を踏み入れているのか。
そしてその五体が凶器そのものである巨人の前にどうしてその身を曝け出しているのか。
何の利も無い、意味も無い。そんな吉田の登場に、行動に。圭介は混乱の極みに達していた。

「邪魔をするなっ! その男は人殺しなんだぞ!?」

そして壁面から打ち付けた拳を引き剥がしながら大門が怒号を轟かせる。

「ボクの大切な人の、小枝子さんの! 命をそいつらは結託して奪ったんだ! だからそいつは報いを受けるべきなんだっ!」
(ぐ――)

それは違う、と言い切る事も出来ず圭介はただ唇を噛み締める。
此処に現れた吉田を含め今までに誰も直接手をかけてはいない事は確かなのだが、自分の行動が古谷小枝子の死の遠因である事もまた間違いではない。
大門がこうなってしまった事、そして美雪と菜緒を傷付け悲しませてしまった事。
その他殆どの悲劇は自分の身勝手な理屈の所為なのだ。報いを受けるべき存在というのもあながち的外れな意見では無いのだろう。

「だからって! こんなの黙って見過ごせるわけがないでしょうが!」

それでも吉田は甲高い声を張り上げながら一歩も退く様子は無い。逆に銀縁の眼鏡を通して大門の巨体を真っ直ぐに射抜いている。

「例えどんな理由が有るにしても! 貴方のやっている事は間違ってます!」
「黙れっ!」

巨人の恫喝が、再び空気を震わせる。

「間違ってるなんてとっくに判ってる! それでも、それでも許せない事だってあるんだっ!」

それは悪意に翻弄され、全てを奪われた男の切なる叫びだった。
自らを絶望の淵に叩き落とした理不尽が許せない。その理不尽を作り出した人間が許せない。
それらに力で報復する事が間違っているとわかっていても。最早自分でも歯止めが利かないのだ。自分で自分を律する事は出来ないのだ。

もう、止められない。自分自身でも制御出来ないあの巨体の進撃を、他者が止める事など出来るはずもない。
ましてや何の武器も特技も持たない吉田二郎に、大門を抑えられるわけがない。
このままでは彼も、殺される。今でこそ部外者として扱われているが、このまま引き下がらなければ大門は吉田を小枝子殺害の一味と判断してしまうに違いない。
その前に、何としても彼だけはこの場から逃がさねばならない。助かるはずの命をこんな場所で捨てさせるわけにはいかないのだ。
これ以上、自分のために人が傷付くのを見るのはもう沢山なのだ。もう、誰かが悲しむ姿を見たくはないのだ。

「逃げてくれ、吉田さん――」

痛む身体を引き摺りつつ、圭介は吉田の背中に手をかけようとする。
自分の後ろに彼を押しやり、何とか逃げ切るだけの時間を稼ごうと。
だが。

「だから――」
「!?」
「だからっ! その拳で人を殺めるのですか、大門三四郎さんっ!!」
「っ!!」

その一言が。巨人の身体を凍りつかせた。

「貴方の勇名は鳴神さんから窺っています――何でも空手の大会で何度も日本一に輝いているとか」

多少声音を静めつつ。それでも視線を離さずに。吉田は朗々と語り続ける。

「それを聞いた時、私は姿を知らぬながらも貴方を尊敬せずにはいられませんでした! 恥ずかしながら私ゃそういった方面はからっきしですから――
 一体その方はその栄誉に至るまで、どれだけ血の滲むような研鑚を重ねて来たのかと!」

「あ、あ」

大門の表情が見る間に歪む。絶対不敗であるはずの巨人が、力持たぬ中年男性の言葉によって追い詰められて行く。

「なのに、貴方は! その磨き上げた拳を抵抗出来ない少年に向けて振るうのですか!」
「や、めろ、やめ――」
「彼をその拳で殺して! 自らが学んだ業は人殺しの道具であったと! 先達に胸を張って言いのけるつもりなのですかっ!!」
「うおおおおっっ!!」

何かが砕けた、そんな気がした一瞬だった。
大門が自らの頭を抱え込む。獣のような咆哮を叫び散らす。
哀れな程に狼狽するその様は、もう殺意の塊であるかの如くの巨人の姿ではなかった。

「ボクはっ! ボクはっ! ボクはあああっっ!!」

そして闇雲にその場を徘徊し。遂には脱兎の如く走り去る。大門の背中は驚く程のスピードで、圭介たちの目の前から消え去ってしまった。

「――ふうっ」

やがて空気が静かになると。吉田は大きく息を吐き、へなへなと座り込んでしまう。

「はは、さすがに力が抜けてしまいました」
言葉通りに力無い声ではあったものの、その表情は実に満足げなものであった。

「――どうして」
「へ?」
「どうして、こんな所に現れたんですか」

それを見て、圭介は我に返る。初期の疑問に立ち戻る。
なぜ吉田はこの場に現れたのか。どうして大人しく階下に潜伏していなかったのか。
誰もが命を失いたくないと、思いながら望まざる選択肢を選んでいる「ゲーム」の中で。彼の行動は到底理解出来るものではない。

「どうしてって――そんなの決まってるじゃありませんか」

いや、理解は出来なくとも。その答えはとうの昔に出ていたのだろう。
吉田二郎とは一体どういう人物であったのか。
一体彼の何が許せなくて、煩わしくて。あんな追い立てるような真似をしてしまったのか。

「鳴神さん、貴方を助けたかった。貴方の力になりたかった。だからですよ」

「誰かの役に立ちたい」。吉田の行動は全て、当然のように言ってのけたその一言に集約されていた。
最早疑いようも無かった。不信の入り込む余地など在りはしなかった。
一体どんな企みがあれば自らの安全を捨てて他人の窮地に飛び込む事が出来るだろう。
一体どんな人間ならばあんな形で追い立てられた人間の元に駆けつけようなどと考えるだろう。
紛う方無き、掛け値無し。吉田は一片の曇りも無い完璧な善人であったのだ。

「――余計なお世話ですよ」

本来ならば、その善意を有り難く受け止めるべき場面であったのだろう。だが圭介は気付けばそんな言葉を吐き捨てていた。

「別に、アンタの助けなんて必要無かったんだ」
「おや、そうでしたか」

くるりと身体を反転させ、吉田は圭介へと向き直る。望んでいた言葉では無かったはずなのに、その顔には然して失望の色も無い。

「そうですね。鳴神さんならば私の助けなどなくてもあれくらいの窮地は切り抜けられますか。いやはや――また迷惑な行為を働いてしまいました、はは」
「――そうじゃない!」

その根拠の無い過大評価に苛立たされる。申し訳無さそうな乾いた笑い声が癇に障る。
気付けば圭介は、感情的な吉田を怒鳴りつけていた。

「助かる見込みがあったからじゃない! 俺は別に――あのまま殺されても構わなかったんだ!」
「――はい?」
「俺はもう、生きていても仕方が無いんだ! 生きようとする努力なんて、もう無駄でしかないんですよ!」

助かる術は既に無く、死の運命は既に決定付けられている。後はただ、それが遅いか早いかでしかない。
だからこの場で、大門の手にかかる事を選んだ。助けて欲しいなど、微塵も思ってはいなかった。
それなのに。

「なのに、どうして! どうして俺を助けたりしたんですか! どうしてアンタは何時も何時も俺の邪魔ばかりするんですかっ!」

わかっている。こんなものはただの言いがかりだと。
答えもわかっている。それは吉田の混じり気無しの善意によるものなのだと。
だがそれでも迷惑には違い無い。善意とは必ずしも相手の為になるものではない。
今の圭介にとっては、吉田の気持ちは害悪以外の何ものでもないのだ。

「――あ、あの、鳴神さん? 私のいない間に、一体貴方に何があったんです?」

自分の行為が疎ましく思われている、それはある程度吉田も理解はしているのだろう。
だからこそ問いには答えず逆にその前の言葉に対する疑問を恐る恐るぶつけてくる。
いわくありげに自分を放逐した男が、再会してみれば独り自暴自棄になっているともなればその疑問も当然ではあるのだろう。

「あれ、そういえば森下さんと緑川さんの姿も見えませんが――ま、まさかお二人がいらっしゃらない事も原因の一つなんじゃあ――」
「――あの二人は無事ですよ。吉田さんの想像してる事じゃありません」
「そ、そうですか。よかった――でもならば、どうしてなんです?」
「――俺が! あの二人を騙していた事がバレたからですよ!」

最早真実を隠す意味も無かった。真実を吉田に知られようが、圭介にとってはどうでもいい事だった。

「俺の引き当てたカードは美雪を殺す事が条件だった! だから嘘のカードを言って、何食わぬ顔であの二人の側に居たんだ!
 なのに、その嘘のカードの持ち主のアンタが現れたから! だからアンタが邪魔だったんですよ!」

「な――」

一旦口火が切られれば、もう止める事は出来なかった。立ち上がり、吉田の上から圭介は怒声を浴びせかけ続ける。
流石に考えもしていなかったのか、吉田は愕然とした表情を浮かべている。

「でもそれもバレちまった! だからもう一緒に居られるわけもない! 同時に俺の助かる道も無くなってしまった! だからもう――どうでもいいんです!」
「鳴神さん――」
「わかったでしょう。俺はアンタが考えているような人間じゃない、ろくでもない人でなしなんですよ! わかったらまた、さっさと何処かへ消えて下さい!」
「――」

これで言いたい事は言いたいように言い尽くした。
罵られようとも軽蔑されようとも構わない。否、寧ろ軽蔑して欲しかった。
吉田のような善人からも見損なわれれば、今度こそ本当に諦めも付く。自分は救えない、救われる価値も無い人間なのだと。

「――合点が行きました。成程、そういう事情があったのですか」

俯きがちのまま、吉田はズボンの埃を払い除け静かに立ち上がる。
この場を立ち去る前動作なのだろう。思惑通り、見損なってくれたのだろう。
如何な吉田でも善悪の区別の付かない人間ではない。その判断が出来るからこそ危険を承知で大門の方へ立ち向かったはずであろうから。
そう圭介は確信した。確信しなければ不自然な、そんな状況であるはずだった。

だが、圭介はまだ吉田二郎という男を理解しきれてはいなかった。次の瞬間吉田の口から飛び出たそれは、正に仰天するものであったのだ。

「――お気の毒に。鳴神さんはそんな秘密を抱えながら、独りでずっと辛い思いをしていたんですね」
「っ!! な――」

今度は圭介が呆然とする番だった。

――おい、ちょっと待て。どうしてそんな結論になる?

戸惑いながらも心臓が早鐘を打つ。肌寒さを覚える冷たい空気の中で、滲み出る汗が止まらない。

「それだけじゃありません。貴方はそんな立場に在りながら、懸命に皆さんを守ろうとしていました。私の事も助けてくれました」
「違う!」

違う、それは違うのだ。
美雪たちを守ろうとしていたのも、吉田の首輪を解除したのも、全ては自分の都合のためだった。
しかもそれは結果として何の意味も為さなかった、無駄な行為でしかなかったのだ。

「違いませんよ。だから私は今こうして此処に居る事が出来るんですから」

だが吉田は、優しく諭すように圭介に言い聞かせる。刻まれた顔の皺が動き、柔和な微笑みが現れる。

「人でなしなんて、とんでもない。貴方はとても、立派な人ですよ」
「やめてくれっ!」

放たれた言葉を打ち消すように、圭介は大きく腕を振る。
でも、消えてくれない。吉田の言葉は風のように腕をすり抜け、圭介の胸に次々に突き刺さる。
そう、それは本当の真実なのだ。
守りたかった。殺したくなどなかった。救えるのならば救いたかった。
でもそれは都合や理屈に覆い隠された、誰にも決して届かない真実だったはずなのだ。

「やめてくれ、やめて、下さい……俺は、そんな人間じゃ……」

それを、初めて見抜かれてしまった。見抜かれてしまえばもう耐えられるものではなかった。

「いいんですよ、もう、我慢しなくても。今まで本当によく、頑張りましたね」
「く、う……あ……」

温かい手が、肩に触れる。圭介の視界の中で、吉田の姿はもう輪郭を留めてはいなかった。

「そう、です……吉田さん……俺は……」

独りで戦い続けてきた。殺さねばならない少女を守り続けるという矛盾した行動を取り続けてきた。
それが理解出来るものなど居るとは思えず、だから理解してもらおうとも思わなかった。
だがそれは、おそらく。自分自身に吐いた嘘であったのだろう。
心の何処かでは、こんな言葉を欲していた。
正しくなくては意味がないと、結果が出なければ無駄でしかないと。わかっていてもその努力だけは誰かに認めて欲しかったのだ。そう、こんな風に。

そんな自らの意外な幼さに呆れながら。
この「ゲーム」が始まって初めて圭介は大粒の涙を流し続けた。





ゲーム開始より41時間29分経過/残り31時間31分



[21380] EPISODE-52
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/05/20 08:27
どれだけの時間が過ぎただろう。どれだけの涙を流したのだろう。
漸く落ち着きを取り戻し始めた圭介はハンカチで目元を拭いながら呆然と中空に視線を泳がせていた。

傍らでは吉田が無言で煙草の煙を燻らせている。おそらく圭介の調子が整うまでは会話を行うつもりはないのだろう。
その気遣いは如何にも善人の彼らしく、また今の圭介にはありがたく感じられた。

(あー、もう――)

徐々にはっきりとしてきた意識の中で、圭介は猛烈な後悔に襲われていた。
まさかこの歳にもなって人前で号泣する羽目になるとは夢にも思わなかった。
今までひた隠しにしていた苦悩をものの見事に見抜かれて、無様に狼狽し泣き崩れてしまったのだ。
格好が付かない事この上ない。それに比べて先程の隣の男性の行動の何と見事であった事か。
まともに戦えば敗北は必至であるはずの最強の空手家の目の前に立ち塞がり、言葉だけを武器に退ける事に成功した。
そして誰一人として届かなかった自分の真実に到達し、そればかりかそれまでの努力を認めてくれた。
そんな人物を、自分は今まで見下していたのだ。手のひらの上で転がしていた気になっていたのだ。
これら全てを醜態と言わずして、一体何と表せば良いのだろうか。

(けど、まあ)

だがそれも、悪い気分ではないと次第に圭介は思い始めていた。羞恥を覚えるという事は心が健常を取り戻した証拠なのだろう。
先程までの絶望に彩られた暗鬱な気分よりは余程に良いとは言える。
やはり何某かの形で吐き出す事は必要ではあったのかもしれない。それがあのような形であった事は甚だ遺憾ではあるのだが。

「あの、吉田さん」
「はい?」
「その――ありがとうございました」

だから圭介は、素直に吉田に礼を述べた。
おそらく彼は全てを理解してはいない。明確な根拠も無く、ただ己の善性に身を委ねた結果なのだろう。
けれど出逢った時と何ら変わらない、その想いと行動に間違いなく自分は救われた。
彼のおかげで少なくとも無念だけを残したまま死を迎える事だけは避ける事が出来たのだ。

「いえいえ、お役に立てたのならば光栄です」

その言葉を受けて吉田は皺だらけの顔をくしゃりと嬉しそうに歪ませる。
彼にとってもそれは大きな成果だったのだろう。邪険に扱われ続けても貫き通した善意が遂に伝わった、そんな喜びに満ち溢れた表情だった。

「しかし、ですね」

だが、それもまたすぐに神妙なものとなる。

「鳴神さん。貴方はこれからどうなさるおつもりなんです? その、申し上げにくいのですが――」

思いは通じた。行動は成功という結果を成し遂げた。
だがそれは根本的な解決に至るものではないのだと、吉田も気付いているのだろう。

「ええ、わかっています」

だから圭介もはっきりと告げる。まるでそれが当然であるが如くに。

「ここで助かっても、どの道死ぬ運命なんですよね、俺」

救われた事には感謝している。自分のこれまでの行動がささやかながらに報われて穏やかな心持ちになる事も出来た。
しかし事態は何ら好転してはいなかった。圭介の死に場所を選ばざるを得ない境遇に依然変わりは無い。
少年が「Q」の殺害を望まぬ以上、その首輪を解除する見込みはゼロに等しいものなのだ。

「ふーむ。何か良い方法が見つかればいいのですが」

まるで我が事のように吉田も苦悩の色を滲ませる。
美雪の命を奪ってまで助かりたいとは思わない、その考えを尊いと思うからこそ親身に成らざるを得ないのだろう。

「いいんです、もう」

だが圭介は吉田の思いをやんわりと否定する。
他ならぬゲームマスター・波多島乃得留のお墨付きがある限り、これ以上の足掻きは無駄でしかない。
結局はそういう運命でしかなかった。ただそれだけの事だったのだ。

「吉田さんには申し訳ない結果になってしまいそうですが。せっかく助けてもらったのに」
「い、いえ。私の事なんかこの際どうでもいいのですが――」
「でも、大丈夫です。この命、決して無駄には終わらせませんから」

言い淀む吉田に対し、圭介はきっぱりと宣言する。今の圭介には覚悟を決めたと同時に一つの考えが思い浮かんでいた。

「こうなれば誰か一人でも。みんなの命を狙う奴を道連れにしてやります」

吉田に感謝する一つとして、あのまま大門に殺されていれば犬死ににしか終わらなかったという点があった。
自分の死は誰にも影響を与えない。ただ機械的に、参加者の人数が一人減るだけでしかなかった。
しかし木戸なり長沢なり、この「ゲーム」において積極的に殺戮を企てる人物に真っ向から立ち向かい、死を迎えると言うのであれば。
相打ちならば上々。敵わずともせめて手傷を負わせる事が出来たならば。
おそらくその犠牲は意味のあるものとなる。今後美雪たちや吉田に対する脅威は格段に減少する事となるだろう。
無論どの輩も生半可な相手ではない。人を殺める事を早期に決断した人物に相対するなどと考えただけで身震いする。
けれども死をも厭わぬ姿勢で挑む事が出来たならば、その格差も或いは覆せるのではないだろうか。
重火器の行使も躊躇わず、傷付く事も恐れずに闘う事が出来るのならば。突破口は開けるのではないだろうか。

「――正直、賛同しかねます」

そしてそんな考えを吉田が認めるはずもない事も承知していた。
短くなった煙草を携帯灰皿ですり潰し、険しい顔つきで圭介を見つめている。

「そうでしょうね。吉田さんならそう思うのも当然です。でも、他に出来る事なんてありませんから」

善きにしろ悪しきにしろ、そんな所業をこの善人が見過ごせるわけもない。
だが、さりとて否定も出来るはずがない。救われない命、という道理がある以上それを崩せぬ内は彼もまたどうする事も出来ないのだ。

「馬鹿な事は止めておけ」、その先に続く言葉は「何もせず大人しく死を受け入れろ」と同意になってしまうからだ。
「――決意は固い、みたいですね」

吉田が大きくため息を吐く。圭介は無言で頷いてみせる。

「わかりました。では私も口を挟む権利は無いのでしょう。でも一つ、聞かせてください」
「何でしょうか」
「どうせ死ぬなら誰かのために死にたいと――鳴神さんは本心から思ってますか?」
「そんなわけないでしょう」

覚悟はすれどもそれは決して本心ではない、圭介はあっさりと告白した。

「他に道が無いから、そうするだけの事です。でなきゃ、誰がこんな事したいと思うもんですか」

何もかも上手く行く、そんな道があるのならばとっくにそれを選んでいる。自ら進んで死地に飛び込むなど、本来ならば冗談ではない。
どうせ同じ運命だから。結果としてそれは変わらぬならば。だからそうしなければならない、それだけなのだ。

「だったら、その――他の考え方も有るんじゃないですかい? 『出来る事』、ではなく『やりたい事』をやるべきだと」

ならば、と吉田は神妙に説く。いずれ果てる運命なのだとしても、望まぬ非道に手を染める道理は無いのだと。

「ははっ」

そんな如何にも吉田らしい、正し過ぎる意見に思わず圭介の口から乾いた笑いが零れ落ちる。
恩人に対しあまりにも礼を失する行為だと自覚しながらも笑わずには居られなかった。

「随分と酷な事を言うんですね、吉田さん」
「?」
「ありませんよ。俺にやりたい事なんて、最初から何も無いんです」

夢も希望も描けない、無意味で無価値の繰り返し。それが鳴神圭介という少年の人生だった。
それは「ゲーム」においても何ら変わりは無い。全ての行動は裏目に転じ、多くの人を傷付けて来た。
残されたのは自分が居なくなれば一人の少女が救われるという事実だけ。存在の否定こそが正しい意味を為すという皮肉な結果だけだった。
そんな自分が何を望めと言うのだろう。無様に命を永らえてまで何を欲しろと言うのだろう。
何もない。何も自分を満たせない。ただ只管に虚ろな少年には、吉田の言う「やりたい事」など何一つ見出す事は出来なかった。

「いや、しかしですね」
「吉田さんにはわかりませんよ。俺みたいな奴の気持ちなんて」

自虐の言葉が吉田を遮る。

「貴方が迷い無くやりたい事が出来るのは、貴方が善人だからですよ。正しい行動は成就すれば正しい結果に結びつくんですから。
 でも、俺はそうじゃない――そんな風にはなれない! だって俺は、間違いだらけの人間だから!」

次第に感情が昂っていく。惨めな独白が、空気を張り詰めさせていく。

「俺のやる事は無意味しか生み出さない! だから望みなんて抱けない! だから、だから――」

だから、せめて。命と引き換えに意味を勝ち取りたい。せめて生きていた意味を残したい。
だからこうするしかない。このまま無意味なままに終わりたくはなかったから。

「――」

最後は言葉もままならず、そのまま通路に沈黙が降りる。
暫しの後、吉田のライターが点火する音が小さく響いた。二本目の煙草に火を灯し、吉田はゆっくりと紫煙を燻らせる。

「――別に私は善人なんかじゃありませんよ」

やがて。吉田の口を突いたのはそんな一言だった。

「何を今更」

白々しい、と圭介は内心毒を吐く。

「『誰かの役に立ちたい』なんて、善人でなきゃ言えない台詞でしょうに。しかも吉田さんはそれを見事に体現してるじゃないですか」

槍玉に挙げたその言葉は、以前の圭介であるならば最も信用ならないものだった。
無償で誰かを救おうとする人間など居るわけがない。其処には必ず打算や思惑が絡んでいるはずだと。
だが時間の経過を待つだけで命が助かる立場を自ら投げ捨て、見つかるかどうかもわからない人間を危険の蔓延る階層で必死に探し続けた。
そして鋼の筋肉を纏った暴虐の巨人の前に、何ら勝算も無く立ち塞がった献身を見せつけられては最早異論の挟める余地は無い。
そういう人間も居るのだと。そしてそれが吉田二郎という男なのだと。
だから今更否定の言葉を述べられても、到底納得には程遠い。おそらくは慰めのつもりなのだろうが、だとすれば余計なお世話というものだ。
正しい行為を正しく結びつけた人格を謙遜されては、自分なんかと同列に並べられては。ますます自分の惨めさが際立ってしまうからだ。

「――はて。『誰かの役に立ちたい』という思いは、そんなにも善いものなんでしょうかね?」
「――は?」

突拍子も無く飛び出した言葉に、思わず圭介の思考は停止した。
いきなり何を言い出すのだろう。それが真の思いであるのならば、善行と呼ぶにこれ以上相応しいものは無いだろうに。

「確かにそれは結果が伴えば、素晴らしい事なのでしょう。ですがその思いだけでは、それこそ何の意味も無いのではないでしょうか?
 『役に立ちたい』人間と、『役に立つ』人間。その間には大きな差があるように私は思うのですが」

「いや、ですから」

今その結果を見せつけられたのではないか、そう反論しようとした圭介はふとその言葉を失う。
吉田が掛け値無しの善人であると痛感させられたのは、何故この期に及んでであったのだろうか。
その主張は一貫して変わってはいなかったのに、何故以前は疎ましくしか感じていなかったのだろうか。
無論それは圭介が偽っていたPDAのカードの真の所持者であった事が大きい。
だがそれを抜きにしても、はたして彼は仲間として歓迎されるべき存在であっただろうか。
その答えは否である。「ゲーム」に対する稚拙な取り組み方や緊張感の欠如、そして怪しい言動の数々は、凡そ信頼を寄せるには値しないものだった。
つまり彼は、その思いに比肩するだけの結果を出してはいなかったのだ。
もしも今回の救済が成就していなければ圭介は黄泉路においてでも吉田に無能の烙印を押したままであった事だろう。

「――ご推察の通りです」

そしてその内心を見透かしたかの如く、吉田は続けざまに言葉を放つ。

「私は自分が『役に立ちたい』人間である事は否定しません。ですが、同時に『役に立たない』人間でもあるわけです。
 今までの人生において、私の思いに基づく行為が実を結んだ事など殆どありません。時には逆に利用され、負債や責任を背負わされた事も少なくはありませんでした。
 だから寧ろ今回が、稀有な例であると言えるでしょうね」

「な――」

愕然とさせられた。そして以前に吉田が放逐された時、最後には妙に素直にその事実を受け入れた事にも合点が行った。
それが初めての苦渋では無かったのだ。彼は圭介の倍以上の人生の中で、途方も無い回数の辛酸を舐めさせられていたのだ。

「私はどうにも物知らずで思慮に欠けるきらいがあるみたいですからね。それもまた、身から出た錆と言うものですか、はは」
「――気付いているなら、どうして改めようとしなかったんですか」

根元まで燃え尽きた煙草の灰を床に落としながら寂しそうに微笑む吉田に思わず圭介は詰問する。
結果が伴わないのならば原因はその仮定の拙さにある。そして吉田はそれを自覚している。
なのになぜ、それを正そうとしなかったのだろうか。なぜ成功率の低い愚策を何時までも繰り返し続けたのだろうか。
そしてなぜ。そんな失敗ばかりを積み重ねた上で、そんなにも真っ直ぐに生きられるというのだろうか。

「それは、私がこのやり方自体に悦びを感じているからです」
「――え?」

それは、圭介が思いもよらない返答であった。

「もちろん結果も欲してはいます。でもそれ以上に私は『人の役に立とうとする』自分の行為自体に酔いしれているんです。
 だから改めようにも改められない。誰かに手を差し伸べた時点で、私の目的は達成されているようなものなのですから」

(何だよ、それ――)

そんな馬鹿な話があるか、と圭介は思わず言葉を失う。

「わかりますか? つまり私は相手の気持ちなどまるで尊重してはいないんです。そればかりかねじ曲がったやり方を押し付けてばかりいる。
 疎まれようとも迷惑がられようとも、ただ只管に。そんな人間の、一体何が善人と呼べるのでしょうか?」

「いや、それは――」
「そうです。だから私は善人じゃありません」

念を押すように吉田が呟く。

「ただ自分の欲求に忠実なだけの――変人でしかないんですよ」

そして、最後は自分に言い聞かせるかのように。そう切り結び長い独白を終えた。

「そんな――それで吉田さんは本当に満足なんですか!?」

思わず圭介は叫ばずには居られなかった。

「そんな風に誰からの感謝も得られなくても、そうしただけで喜べると言うんですか?」

正直吉田が真性の善人ではなかった事は然したる問題ではなかった。無償の愛を説かれるよりは余程に説得力を感じられる。
だがその見返りが納得には程遠いものだった。ただ自分がその行いを為すだけで悦楽を感じるなどと、到底理解出来るものではない。
もっと多くの賞賛を得たいとは思わないのだろうか。これ以上無碍に扱われたくないとは思わないのだろうか。
自分よりも遥か長きに渡る間違いだらけの人生から、脱却したいと感じた事は無かったのだろうか。

「全部が全部そう、とは言い切れませんけどね。まあ、概ねその通りです」

だが吉田は平然と言ってのける。その表情には微塵の迷いも含まれてはいなかった。
求めてはいるけれども多くは望んではいない。無理に自分を曲げるくらいなら、今のままでも十分満足であるのだと。

「そう、ですか――」

ややあって。圭介は大きく一つ息を吐く。

(そうか――それで、いいのか)

不思議と失望は無かった。寧ろ潔いまでの率直さに畏敬の念すら抱かされる。
どうして吉田が今の境地に至ったのか。それは吉田自身も答えは持ってはいないであろう。ならば考えても仕方の無い事だ。
それよりも注視すべきはその異常の自覚がありながら決して折れない点にある。
どれ程に疎まれようとも、どれ程に危険な行為であっても。吉田は自らに委ね、それを貫き通している。
その理由が圭介は知りたかった。吉田は一体、自分が持っていない何を持っているのかと。何を心に抱いていれば、そんなに愚かにも強く居られるのかと。

だがいざ聞いてみればその答えは凡そ常人には理解出来るものではなく、参考にするには程遠いものだった。
ただ、それでもわかった事が一つある。
そう、それは。他人には何ら理解出来ない、そんな異常な理由でも。取るに足らない理由であっても。
人はちゃんと求心力を得る事が出来るのだと。

「ははっ」

思わず笑いがこみ上げて来た。思えば単純な理屈であった。

(そうか、いいんだ――それで)

今まで間違いは罪だと思っていた。正しく無ければ無意味だと思い込んでいた。
そしてそれはその通りであるのだろう。けれどだからと言って、否定すべきものでもなかったのだ。
間違っていてもいい、正しく無くてもいい。
例え無意味を重ね続けても。それでも吉田のように自分を保ち続ける事が出来るのならば。
人は、動けるのだ。動けるものなのだ。

「おや、ようやく笑顔が戻りましたね」

そんな圭介の内心を知ってか知らずか、吉田もまた顔を綻ばせる。

「ええ、まあ。何か、吹っ切れた感じです」
「そうですか、それは重畳。私の話の何処に何を感じたのかはわかりませんが」
「うーん。色々悩むのが馬鹿らしくなってきた、ってところですかね」

本当の事を逐一説明するのは何となく憚られた。真面目語りで吉田を恐縮させる事もない。彼とてそんな雰囲気はこれ以上望んではいないはずなのだ。

「はは、それはまた手厳しいお言葉で」

そして吉田の反応はそれが正解であった事を示していた。

「『出来る事』よりも『やりたい事』――ですか。なるほど確かにその通りですね」

今にしてみればこの吉田の先程の言葉には、どれだけの説得力が有る事か。
例えその身を危険に晒そうとも、それでも吉田は構わなかった。それが吉田にとっての「やりたい事」であったからだ。
階下で知り合った少年を救いたいという欲求に、その行為に身を窶したいという衝動に。命を賭ける価値を見出していたという事なのだ。
それに比べて自分はどうであっただろう。自らの命と引き換えに危険人物を始末しようという考えは、はたして望んでいたものであったのか。
違う。それはそれ以外に正しい選択肢など無い、と思いこんでいたからだ。自分の悲劇性に酔いしれていた、ただそれだけだったのだ。
そんな行為など本当は望んではいない。今ならそれだけは確かに断言出来る事であるのだろう。

「でも――なら俺の『やりたい事』ってのは何なんでしょう」

だがそこでまた圭介は行き詰まりを迎える。更に言えば「ゲーム」に参加する前の自分に立ち戻ったと言ってもいい。
夢も希望も抱いてはいない圭介にとって「やりたい事」を考えるのは正に難題そのものである。
ましてや限定された状況下で、一体何を持って答えと為すべきなのか。それがわからずただ途方に暮れるばかりだった。

「別に難しく考える必要は無いんですよ」

そこですかさず偉大なる先人が助け舟を出してくる。

「例えば『上手いラーメンを食べに行きたい』とか、『気になる野球の試合があるので見たい』であるとか。その程度で十分なんです」
「いや、それどっちも無理じゃないですか今は」
「――それもそうですね、失礼しました」

そして瞬く間にその舟を座礁させる吉田に圭介は苦笑する。この辺りの会話の運びの拙さが他者の同意を得られなかった証なのだろうか。
しかし言わんとする事はおぼろげながら理解出来た。要するに己の内から生じる欲求に従えば、自ずと答えは出るはずだ、という事なのだ。

(欲求、か――そうだよな。多分、何も無いってわけじゃないと思うんだ)

大望を抱けぬ性質ではあるものの、全くの無欲でもないという自覚は圭介にも存在する。ならまずは其処から始めるべきなのだろう。
今はまず純粋に芽吹くままに。その欲求を生じさせてみる。それが最初の第一歩であるはずなのだ。

(俺の、やりたい事――)

集中するため目を閉じ黙考する。そんな手間をかけねばならない自身の愚かさも、今は思考の内から吹き飛ばす。
渦を巻く意識の中に、様々な「それ」が浮かび上がって来た。生への執着、それに伴う生還への希望。
そして吉田の言葉を借りるわけではないがそれこそ人としての三大欲求に至るまで。
こうしていざ落ち着いてみれば成程湧き上がる欲求の数々は枚挙に暇が無い。

だが、それらははたして決死の状況下での慰めに足るものなのだろうか。
例えば食欲を満たそうにも閉鎖的なこの施設の中ではまともな食材の調達すらも見込めない。
逃避のためではなくあくまで悔恨を残さぬためでなければ、活力は得られない。そのためにはもう少し自分を駆り立てる何かである必要があるだろう。

(そうなると――だ)

今までならば、其処で投げ出していたのだろう。成就の確率の低さを嘆きつつ、また無為に走っていたのだろう。
例えその予想が違えた事は殆ど無かったのだとしても。それがリアルなのだと達観しながらも。
そうして歩みを止めて来た。だから情けない今の自分が在るのだと、圭介は唇を噛み締める。
否定の理屈は交えながらも。正しくは無いから、叶わないからと手前勝手には諦めない。
そして最後に必ず答えを導き出す。そう決意しながら圭介は再び思考の海に没頭した。

(――あ)

やがて。それは何の前触れも無く訪れた。さまざまな欲求の中で一際光り輝くそれが圭介の中に見出された。

「そう、か――これが」

意図せず呟きが口から零れた。

「それ」を考えるだけで心が躍る、身体が震える。もしも叶えばと夢想する程に頬の緩みが止まらない。
そのためならば身体を張っても惜しくは無い。そのためならば短い命を燃やす価値がある。
例え結果に結びつかずとも、そのために努力する自分を思えば後悔など何ら感じられない。

(そうか、これがそうなのか)

動機は十分、理屈も十分。それこそが自分の思う、本当の「やりたい事」であるのだと。圭介が確信に至るに然程の時間もかからなかった。

「吉田さん」
「はい」
「見つかりました」
「そうですか」

同じく黙して待ち続けていた吉田の返事は実に素っ気無い。だがそんな短いやり取りにこそ吉田の真意が込められているように感じた。
こんな事は然して難しい事では無い。だから必ず圭介ならば答えを見つけ出す事が出来る。
そんな信頼を感じさせる声が、圭介の耳には心地良かった。

「吉田さん、俺は――」

だからこそ、恥ずかしげも無く語ろうと思う。圭介は一息吐き気を落ち着かせ、そしてはっきりと「それ」を口にした。

「俺は――もう一度美雪の笑顔が見たいです」

突如心の中から呼び起こされたのは、出逢ったばかりの頃の少女との記憶だった。
思えば奇妙な出逢いだった。目覚めた時には無機質な施設の中、すわ誘拐されたと混乱は極みに達し、独り芝居を始めた処にその少女は現れた。
無様な姿を晒している真っ最中だった圭介に彼女は笑いを堪え切れなかった。
けれどもそれは決して悪意のあるものではなく、おかげで圭介は抱いた恐怖と不安を幾分か和らがせる事ができた。
そして言葉を交わす毎に逆に不安を募らせていく彼女になし崩し的に見せた手品に、森下美雪はまたも笑顔で賞賛を与えてくれた。

だがそれが少女の笑顔を純粋に受け取れた最後の機会だった。
命を奪い合うゲームへの招聘、そして自分が助かるためには美雪の命を奪わねばならないという過酷な運命の発覚。
真実を偽りながらも彼女と共に在った圭介は、その後も度々見せる彼女の笑顔に悲痛な思いを感じずにはいられなかった。
そして遂にはその嘘も暴き出され、少女に悲しみを与える事となってしまった。

だからこそ、もう一度あの時のように。彼女の笑顔が見たい。彼女を心から喜ばせてあげたい。
それこそが圭介が本心から望んでいる、絶対的に確かな事だった。

「いいですね。実に素晴らしい理由です」
「まあ正直下心も無いわけではないと思うんですけどね」

しかし表向きにはあまりにも正し過ぎる理由となってしまっただけに多少の困惑も有った。
本心であるが故に、今回に限り正しさのフィルターはかかってはいない。あくまで欲望に忠実に考えた結果、生じた答えである。
となれば其処には邪な思いが源泉としてあるのではないだろうか。「笑顔を見たい」、その先に自分の本当に求めているものがあるのではないだろうか。
この期に及んで見栄を張るつもりもない。だが少なくとも字面程の尊い理由では無いと思うと、どうにも圭介は気恥かしさを感じずにはいられなかった。

「はは、それでいいんですよ。若者らしい結構な理由じゃないですか」

それでも吉田はそんな圭介の迷いも諸共に笑い飛ばす。

「それが鳴神さんの本当にやりたい事であるのなら。私は心より応援したいと思いますよ」
「――はい」

徐々に霧が晴れていく感覚と共に、圭介の中に実感が沸いてきた。
この先どうなるかはわからない。死の運命は恐らく覆せない。
そして折角見出した目的も現時点ではその達成率は絶望的なもので、その方法すらも今は皆目見当が付いては居ない。
でも、それでも構わない。望まぬ事象に身を窶し、力も命も捧げるよりは余程に良い。残された時間を思うがままに生き抜けるのならば。

――ああ、こんな単純な事でよかったのか。

ずっと以前から、悩み続けて来た事の答えが今見つかった。
やりたい事に理由付けなど必要無かった。
ただ我がままに、在るがままに。それだけで良いのだと、圭介は今初めて気付かされた。

「吉田さん」
「はい?」
「――ありがとうございました!」

もう迷いは無い、と言えば嘘になる。怖いものなど何も無い、とは過言であるだろう。
けれども、確実に一歩は踏み出せる。このままでは終わりたくない、そんな気持ちにさせられる。
その事に気付かせてくれた愛すべき変人に、圭介は再度礼を述べる。
今度は本当の感謝を込めて。深々と吉田に頭を下げた。

「いえいえ」

そして吉田は目を細めながら。

「お役に立てたのなら光栄です」

これまた先程と同じ言葉を、当たり前のように口にしたのだった。





それから圭介と吉田は二人連れ立って移動を開始した。
目的地は階下へと降りる階段。つまりは吉田の見送りのために圭介はそれまでの道のりの同行を申し出たわけなのだが、

「――いいんですか? 本当に」

傍らの吉田に肩の荷を降ろせたという様子は見られなかった。

「出来る事なら最後まで、鳴神さんを見届けたい気持ちもあるのですが。こんな私でもお役に立てる事はあるかもしれませんし」

病的なまでに「人の役に立ちたい」という吉田の欲求は、どうやら未だ尽きてはいないらしい。

「うーん。正直確かに吉田さんには一緒に居てもらいたい気持ちはあるんですが」

そんな吉田に圭介は正直な思いを口にする。戦力としての吉田二郎は多分に心許無いものの、今の圭介の精神的支柱としてはこれ以上相応しい人物は居ない。
ましてや現在、圭介には吉田以外の味方が「ゲーム」の盤上には存在していないのだ。

「でも、それ以上に俺は吉田さんを危険な目には遭わせたくないんですよ」

だが既に首輪を解除している吉田はこれ以上の「ゲーム」の中で生還のために為すべき事は無い。
後は終了まで自らの安全を確保するために他の参加者が立ち入れない侵入禁止エリアに身を潜める事が唯一の命題であるのだ。
なのに自分に付き合わせてしまっては、確実であったものがそうではなくなってしまう。
まさか条件を満たしておいて命を落とす事態になるなど、有ってはならない事なのだ。

「ですが――」
「それも、俺の『やりたい事』の一つですから」
「むう、それを言われると返す言葉もありませんが」

この恩人を死なせてはならない、それもまた圭介にとっての欲求。その圭介を立ち直らせた言葉を槍玉に挙げられてはさしもの吉田も反論は出来なかったようだ。

「――わかりました。意地を張っても仕方がありませんね。ここは大人しく従う事にします」
「よかった」

残念な面持ちを隠しもせずそう告げる吉田に漸く圭介は人心地ついた思いだった。

「えっと、確かあと3時間弱で3階が侵入禁止エリアになるはず――間違いないですね。それまでの辛抱ですから」

そう言いながら圭介は取り出したPDAの液晶画面に目を走らせる。画面には今までに無い数字のカウントが新たに表示されていた。
新規PDA拡張ツール「Timer/Off-limits」。侵入禁止エリア拡大までの制限時間を表示するツールである。
それは圭介に波多島乃得留が別れ際に半ば押し付けるように与えたツールの一つだった。
ゲームマスターである彼女に与えられたツールを使用するのは施しを受けたようで些か気に食わなかったが、今は吉田に有用な情報は少しでも提示したい。
そう思い立ち圭介が先程インストールしたものだった。

「わかりました。それではまた鳴神さんと再会出来る事を信じて、潜伏するとしましょうか」
「――そうして頂けると助かります」

一瞬の動揺を悟られないよう、必死に表情を作り告げる。
生還が濃厚な吉田との「再会」とは即ち圭介自身もまた「ゲーム」をクリアする事が必須条件になる。
だがそれはほぼ絶望的である以上、その「再会」は決して果たされない約束となってしまうだろう。
しかし真実を告げれば恐らく吉田は前言を撤回し、共に生還を叶えようと独り階下に降りる事を拒む事だろう。
だから、圭介はまた嘘を吐く。再び吉田を騙す事になっても今度は躊躇いも罪悪感も無い。
大切な事のためならば例え正しく無いとしても。貫き通す覚悟は既に心に決めているのだ。

「――あの、吉田さん」

その代わりに。ふと疑問に思った事を問いかける。

「はい?」
「吉田さんは――俺とまた会えると、嬉しいですか?」
「はい、それはもう。何故そんな事を?」
「いえ、少々気になったもので。勿論俺は嬉しいんですけども」
「はは、それは光栄です」

勘違いなのかもしれない。ただの考え違いなのかもしれない。
だがそれは、「結果を求めている」事になるのではないかと何の気無く圭介は感じたのだ。
彼は確かに自分に語った。「結果云々では無く過程に悦びを感じている」のだと。だが「鳴神圭介に再会したい」という願いに対する過程は既に通り過ぎた後だ。
ならばそれが叶わずとも吉田にとってはもう十分満足ではないのだろうか。それでも自分とまた会いたいと、本当に思ってくれているのだろうか。
吉田の表情からは真摯な思いしか受け取れない。ということは彼は本心から望んでくれている。
つまり「結果を求めていない」とは吉田の嘘ではないのだろうか。或いは知らぬ間にそう思い込んでいるだけではないのか。
気の遠くなる程の失敗を積み重ねて来た、と吉田は言う。ならばその果てに、諦観と言う悪癖を身につけてしまったのかもしれない。
彼には過程の大切さを教えられた。それ自体は恐らく正しいものだ。だがそのために結果を求めないというのはまた別な話であるはずだ。
今の圭介もまた努力だけで満足したいとは思っていない。美雪の笑顔をもう一度目にしたい、その想いだけで終わらせるつもりはない。
求めても、良いはずなのだ。結果を得る事を諦めるべきではないはずなのだ。それなのに――

「吉田さん、貴方は――」

余計なお節介なのかもしれない。でもどうにも一言言っておかねば気が済まない。
そんな悲しい考えは、どうかしないで欲しいのだと。

そう圭介が決意した、その瞬間。


「っ!!」


その足元で。乾いた音を立てて床の一部が炸裂した。





ゲーム開始より42時間07分経過/残り30時間53分



[21380] EPISODE-53
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/06/14 03:51
「っ!!」

一体何が起こったのか、惑うのはほんの刹那。次の瞬間には既に圭介の理解は追いついていた。

硬質な床を穿つ狂気の弾痕。今までに幾度か目にした非日常の象徴。
即ちそれはこの「ゲーム」の本質。他の参加者の銃器での襲撃の証であった。

「吉田さんっ!」
「へ? ――わっ!」

考えるよりも先に圭介は吉田の腕を掴み、そのまま引き摺るように走り出す。
対抗する術も心構えも持たぬままの突然の強襲。逃れるためには一刻も早くこの場を去る以外には無い。

「ち、外したかっ!」

遥か後方より、忌々しさを隠そうともしない男の怒声が空気を伝わり聞こえて来る。
その声には聞き覚えがあった。故に襲撃者が何者であるかは容易に特定する事が出来た。
木戸亮太。この「ゲーム」において殺戮を企てる、圭介にとっては最早怨敵に等しき存在。
逃走の最中、背後に視線を飛ばせばその認識と寸毫のずれも無い赤髪で派手な装飾の、そして顔の半分を包帯で覆った男の姿が目に入る。

(――なっ!)

だがそんな圭介を更なる驚愕が襲う。木戸が潜んでいたらしき物陰から、第二の人物が姿を現したからだ。

「おいキッド、逸るなよ。仕留めるなら確実にやれ!」
「言われる間でもねえっ!」

針金のような極細の手足に木戸とは真逆の白髪の男。これまた因縁深き参加者の一人、長沢勇治にその姿は相違無い。

(嘘だろ、あの二人――手を組んだのかよ!)

俄かには信じ難い事だった。共闘とは殺し合いを求めない、正しき価値観を持つ者にのみ許される関係であると圭介は今まで思い込んでいた。
他者の命を奪うという行為に身を染める者同士が互いに気を置けるはずもない、裏切りを怖れ遠からず破綻を招くだけであると。
だがこれまでの情報と考察を元に少し思索を巡らせれば、それは早合点であったことに圭介はやがて気付く。
獲得賞金の引き上げのため、一人でも参加者の人数を減らしたい長沢と、特定の人数を手に掛けねば生還は見込めない木戸。
その互いの立場は現時点では、驚く程に利害が一致していたのだ。

(ふざけやがって――お互い潰し合ってればよかっただろうによ!)

そうすればどれだけこの「ゲーム」の脅威は損なわれていた事か。だがそんな希望的楽観も目の前の現実により打ち消されてしまった。

「待ちやがれっ!」

迫り来る足音と、断続的な銃撃音が交互に背後から響き渡る。
その度に圭介と吉田の足元が、両脇の壁が、天井が。目視出来ない銃弾によって削り取られていく。

(拙い――)

背筋に冷たい汗が流れるのを感じつつ、圭介の焦りは渦を巻く。

「はあっ、はあっ、は――」

隣りを走る吉田の息は既に切れ始めている。想像に違わず彼の身体能力は人並みには著しく劣るものだった。
自分だけならばこの凶手から逃れる事も可能であったかもしれない。足の速さは同等なれど、発砲体勢に入れば流石に二人もその足を止めざるを得ない。
その隙に間合いを開く事は然程に困難な事では無かったからだ。
だが吉田を連れ立ったままでは、その有利さも霧散する。
事実おぼろげであったはずの木戸と長沢の姿は、今や圭介の眼にははっきりと見える距離に位置しているのだ。

「おら、どうした鳴神! こんな時こそ得意の口先を使うべきなんじゃねえのか、あ?」
「おいおい、そんな事言ってホントにそれで逃げ切られたらどうするんだよ?」
「は! ソイツは確かに困りモンだな!」

背後からは高らかに笑う木戸と、それを諌める長沢の声。だが互いに緊張感に欠ける響きから、本気でそうとは思っていないのだろう。
わかっているのだ二人とも。そんなものが通用するのは武装に乏しい浅い階層のみであると。
圧倒的な武力を備えた今となっては、策謀や話術など全くの無意味なのだ。

(くそ、好き勝手に――)

憎らしげに圭介は心中で悪態を吐く。されども現状を打開する策など思い浮かばず。今はただ闇雲に足を動かす事しか出来ない。
そんな自分の無能さが、圭介はただ恨めしかった。何も出来ない自分が悔しくて、血が滲む程に唇を噛み締めながら走り続けた。


斯くて、時は訪れる。
それは圭介が待ちわびた奇跡の瞬間ではなく。
どこまでも非情な現実の、当然の如きの帰結だった。

「っ!! ぐ――」
「吉田さんっ!」

短い悲鳴と共に吉田の身体が突如不自然に跳ね上がった。慌てて駆け寄りその身を支える圭介の腕に、吉田は力無く体重を預けて来る。

(あ――)

手のひらにぬるりと伝わる生温かい感触。鼻腔を刺激する絶望的な臭気。吉田の上着の背中の一部から、瞬く間に朱の色が広がっていく。
その全てが何を現すのかなど、考える間でも無い事だった。

「くそっ!」

危うく怒りに我を忘れそうになるも辛うじて踏み止まり、圭介は吉田の身体を担ぎ上げる。
此処で自棄になって木戸たちに立ち向かっても共倒れになるばかり。丸腰の上に無策では敵うべくもないのだ。
今は兎に角この追手を振り切る事が先決。そう即断し、圭介は逃走劇を再開した。

「く、お――」

力を失った吉田の重みに身体の節々が軋みの音を上げる。以前ほどの速度を明らかに維持できてはいない事を自覚する。
耳に届く足音が、背後に迫る気配が。次第に大きくなっていく事を痛感する。
追いつかれれば全てが終わる。折角の決起も無に帰する。そんな絶望感に支配されつつも、不思議と其処に恐怖は無かった。

「鳴、神、さん……」

最早言葉を繋ぐ事も難しげに、吉田が背中越しに語りかけてくる。

「私を、置いて、どうか先に……鳴神さんだけ、なら、或いは……」
「こんな時にまで性分を発揮しないで下さい!」

選りにも選って今と言う窮地に至っても他者への役立ちを求める中年男性を圭介は走りながら大声で怒鳴り飛ばした。
そんな事が認められるわけがない。例え見ず知らずの赤の他人であってもその行為には嫌悪感を抱くものなのに。
返しきれない大恩を受けたこの吉田二郎という人物を、どうして見捨てるなど出来るものだろうか。

「吉田さんは助かるんです! 助かれる人なんです! 助からなきゃ、いけないんです!」

吉田に、そして自らに言い聞かせるように。叫びながら圭介は走る。
例え本人が自分をどう卑下しようとも、吉田は紛う方無く善側に属する人物である。そんな彼が助からずして、一体何が救いだと言うのだろうか。
確かに我が身を縛る鎖無き立場で好き好んで戦場に足を踏み入れた行為は愚かと称されるものなのであろう。
そして衝動に抗えなかったと語る吉田自身もまた、それは熟知しているに違いない。
だがだからこそ。その行為によって救われた自分自身だからこそ。この行為を暴挙で終わらせるわけにはいかないと圭介は強く思うのだ。

誰にも彼を嘲笑わせない、馬鹿にはさせない。
だから吉田に結果を与えてあげたい。彼は勇敢な行為によって一人の少年の心を救い、そして見事に生還を果たしたのだと。
そう願うからこそ、恐怖は無い。今の圭介の胸に去来するのはただ吉田を助けたいという一心だけであったのだ。

(あそこまで、あそこまで行ければ――)

そんな圭介が視線を向けた先に在るのはは、左方向への曲がり角。其処を曲がれば、追手からはほんの数瞬死角となる。
そしてその先に更なる通路の分岐が行われているならば。身を隠す扉が有るならば。木戸たちは自分たちの姿を見失う事となり、或いは振り切る事も可能かもしれない。
その確率は果たしてどの程度であるのか。圭介にはPDAを開き地図を確認する余裕すら無かったが。
だが今は、その可能性に縋るしかない。望まぬ博打を打つ他は無い。

「おっと、そうはさせるかよ」
「っ!!」

しかし、その一縷の望みを抱く事すらも。狩猟者たちは許してはくれなかった。
今まで木戸に攻め手の全てを委ね、自らは傍観者に徹していた長沢が悠然と引き金を引く。

「ぐっ!」

圭介の左肩を掠めるように銃弾が通り過ぎた。
焼け付く様な痛みに圭介は顔を顰める。幸い直撃は避けられたものの、それでも速度は確実に減速させられた。

「ははっ、いい仕事だぜ長沢!」

そしてそれを合図とばかりに木戸が逆に足を速める。
今までのような弾丸をばら撒きながらの追撃ではない。今度こそ確実に仕留めるために、外さぬ距離まで接近するつもりなのだ。

「く、そ――」

慌てて圭介も再度始動するものの、その間合いは見る間に縮まっていく。

(駄目なのか、やられるのか――)

振り切れない。確信めいた絶望を感じた。
こんな場所で朽ち果ててしまうのか。このまま二人諸共に、討ち取られてしまうのか。
だとすれば、それはあまりにも残酷な運命ではないのか。
吉田のような善人が何ら報いを受ける事無く、非道の権化とも言うべきこの二人に死を齎されてしまうなどと。
そんな事は断じて認められない。だが背中に迫りつつあるそれは紛れも無い現実で。

「くそ――くっそおおおっっ!!」

抗うように圭介が吼える。その咆哮に勝利を確信した木戸がその背中に銃口を向けた、その瞬間だった。


「――まったく。世話がやけるわね」


「!?」

その場には居ないはずの、聞き覚えのある声が圭介の耳に届いたかと思うと同時に建物を震わす轟音が鳴り響き。
そして、圭介の足元が文字通り「失われた」。

(な――)

何が起こったのか、と考える間も無く圭介の身体は吉田と共に落下し始めていた。
そして視界が瞬く間に暗転し。次いで背中から受けた衝撃により、少年の意識は失われた。





「――おい、ちょっと待て。何だそりゃ」

あまりにも急転した目の前の光景に、木戸亮太は呆然と悪態を吐くしかなかった。

これ以上は望めぬ程の絶好の好機であったはずだった。何せ丸腰かつ無抵抗な相手が2人も連れ立って現れたのだ。
上手く纏めて討ち取れば3人の参加者の殺害という解除条件が現実的なものとなる。
しかもその一人が因縁浅からぬ鳴神圭介とあっては、是が非でも取り逃すわけにはいかなかった。
考え得る限りの全力を尽くし、確実に追い詰めた。あと一歩で願いの成就に結びつくはずだった。

だがまさか。その寸前で床が割れ、獲物が落下するなどと誰が想像出来ただろうか。

「落とし穴、に分類すべき代物なんだろうね、こりゃ」

慌てた様子も無く漸く追いついてきた長沢が床に膝を着き指先でその表面をなぞり上げる。
圭介と吉田を飲み込んだ床の大穴は、次の瞬間には塞がれてしまっていた。
現在木戸の目に映る光景は以前と変わり無い、何の変哲もない通路である。
一連の変化を目の当たりにしていなければ、それこそ圭介たちは忽然と姿を消したようにも見える事だろう。

「構造から察するに、落ちたのはすぐ下の階だね。その程度の高さじゃ大した怪我も負わせる事も出来ないだろ」
「! 何だと、じゃあ――」
「ああ。残念ながら追撃は失敗だ。ご愁傷様、だねキッド」
「ふざけるなっ!」

我を取り戻すと同時に木戸は怒りを爆発させ、拳を壁面に叩きつける。

「罠ってのは――参加者を陥れるためのモンだろうがよ。なのに逆に助けちまって、どうすんだってんだ!」

こんな逃避行を意図的に行えるわけがない。ならばこれは、施設の各所に配置されているという罠の類であるはずだと木戸は歯の根を打ち鳴らす。
本来ならば予期せぬ足元の喪失は、圭介たちに心身ともにダメージを与えていた事だろう。
だがこと今回に限り、それは幸運に作用してしまった。窮地の脱却という願っても無い形となってしまったのだ。
皮肉にも程が有る。無慈悲な殺し合いを企てる「ゲーム」企画者の設計したシステムが、選りにも選って参加者を救う羽目になってしまったとは。

「罠、ねえ――さて、どうなんだか」
「おい長沢、罠が起動するスイッチを探せ! 今ならまだ追いつけるはずだ!」
「無駄だよ。もし仮にそんなものが見つかったとしても、わざわざ下の階まで追いかけるなんて疲れる事はしたくない」
「文句垂れてる場合かよっ!」
「――聞こえなかったのかい? オレは『疲れる事はしたくない』って言ったんだ。これ以上の説明が必要か?」
「――ち」

その眼光に狂気を宿らせる長沢に木戸は忌々しげに舌打ちし、その意見を渋々ながらに引き下げる。
命綱であるPDAを握られている木戸にとって長沢の指示は絶対である。
元より如何なる非道も平気で行える輩でもあり、機嫌を損ねるのは得策とは言えなかった。

「ま、そう悲観するばかりでもないだろうよ。見ろよキッド、これを」

瞬く間に表情を穏やかなそれに変化させた長沢が、今まで辿って来た道のりを顎で指し示す。
乞われるがままに木戸が発見したのは自らの足元へと続く一条のライン。
その色が朱で彩られている事から長沢の言わんとする事がおぼろげながらに理解出来た。

「この出血量なら、鳴神の小僧は兎も角あの爺いはもう助からないだろ。おめでとうキッド、漸く一人目だな」
「はん、馬鹿抜かせ。それで俺が殺した事になる保証が何処に有るってんだよ」

これまでの経験から学んだ「許される程度の罵り」を長沢に浴びせつつも、木戸にとってそれは至極真っ当な疑問だった。
自らが放った銃弾が名も知らぬ中年男性を貫いたのはこの目ではっきりと確認している。
だがこの後あの男に与えられる死があまりにもその因果からかけ離れてしまったとしたら、はたしてそれは自分が殺したという事実と成り得るのだろうか。
「射殺」ではなく「失血死」と判定され、条件の一部を達成したとは見なされないのではないだろうか。
木戸にはそれが気がかりで仕方が無い。折角の好機を逃してしまったばかりか、負わせた致命傷すらも無効とされてはたまったものではない。
殺害判定の成否は木戸にとっては死活問題であるだけに、どうしてもその不安は拭い去れないものであった。

「ああ、それについては安心してくれ」

その明確な基準は一介の参加者には知るべくもない、と思いきや長沢はあっさりと肯定を示して見せた。

「実は同じ様なケースを前回俺も経験してんだよ。丁度半死にのおっさんが目の前をうろついてたもんでな、とりあえずそのどてっ腹を撃ち抜いて、
 そのまま小一時間ほど泳がせて様子を窺って見たんだ。それで死亡と同時に条件達成が確認された。だから『最後にその死に関わった人間に殺害判定が下る』、
 そう考えてほぼ間違いないだろうな」

「ふーん」

冗談にしては話が凝り過ぎている、さりとて鵜呑みにする気にもならなかった。
どちらにせよあの男の最後をこの目で見届けられないのは致命的に過ぎる。他の誰かに止めを奪われる可能性もまた皆無ではないからだ。
結局慎重を期するならば今回の件は無かった事と考えておいた方が良いのだろう、遺憾ながら木戸はそう結論づける事にした。

「で、どうなんだよ。感想は」
「は?」
「は、じゃねえよ。これで目出度く殺人童貞を捨てられたんだぜ? ショックを受けたとか後悔してるとか、それとも逆に快感だったとか。そーゆーのは無いワケ?」
「――別に」

長沢の煽りに反抗的になったわけでは無く。それは木戸の偽らざる本心だった。
確かに他人に殺意を向け、引き金を引いた。自分が放った弾丸は、何れあの男の命を奪うのかもしれない。
だが何の感慨も無い。それは末期を目の当たりにしていないからなのか、それとも拳銃による射殺という行為が人を傷付ける行為と結びつかないからなのか。
兎に角今の木戸にはどうしても実感なるものが沸いてはこなかった。ただ、己の目的のために果たさねばならない事を為した。それだけでしかなかった。
おそらく非日常な空間で異常に身を委ねている故に本来の感覚が鈍っている、そう考えるのが妥当な線なのだろう。
或いは自分は自分が思っているよりも非道で冷徹な性質であったのか。
別にどちらが正解でも構わない、と木戸は思う。それが後の人生における己の人格形成に多大なる影響を与えるのだとしても。
その「後の人生」さえ得る事が出来るのならば。瑣末な事だと思えるのだ。
それが緩やかに狂気に侵されているという事なのか、心の何処かでふとそんな事を考えながら。

「ふうん――お前って案外大物なのかもな」
「好きに受け取れよ。それよりこの場所にはもう用はねえと思うんだが」
「ん、ああ、そうだな。それにしても急に積極的になりやがった気がするな」
「うっせえよ」
「――お前の事じゃねえよ」
「は?」

一瞬神妙な顔つきになった長沢の含みある発言を訝しむものの、やはりその真意までは汲み取れず。
何か引っ掛かりを残したまま、木戸は長沢と共にその場を後にした。





「吉田さん――吉田さんっ!」

フロア3階。既に誰の姿も見当たらない階層に悲痛な叫びが木霊する。
長沢の推測通り、圭介たちが落下したのはすぐ真下の階だった。陥った者を絶命させるだけの高度でもなければ落下地点に仕掛けも施されてはいない。
事実圭介も背中を床に打ち付けてほんの数刻意識を失ったものの、然して大きな傷を負う事も無かった。
あのままであれば木戸の手にかかり仕留められるのは必至であった事も踏まえれば幸運な落下であったと言う他は無い。

「しっかり、しっかりしてください吉田さんっ!」

だがそれはあくまで圭介にとってだけの事象でしかなかった。
意識が回復してすぐ。圭介の目に飛び込んできたのは苦悶の表情でその口腔から鮮血を吐き散らす吉田の姿だった。
恐らくその衰弱した身体では受け身を取る事もままならなかったのだろう。銃撃に貫かれた内臓に、彼は更に重篤な負傷を負ってしまったのだ。

「……あ」

混濁した意識の中に漸くその声が届いたのか。虚ろな視線を吉田は圭介に向けて来る。

「なる、かみ、さん……」
「っ!!」

しかしその声音に力は無い。顔色も既に蒼白で、血を流し過ぎてしまった事は容易に窺える。
このままでは助からない。悟りたくもない現実を圭介は悟ってしまった。
一刻も早く、この瞬間にでも。然るべき処置を施さねば、吉田の命はこの場で潰えてしまうのだ。
だが圭介にその術は無い。これ程の重傷を回復させる手段など、当然の如く持ち合せてはいない。

「誰か! 誰か居ませんかっ!」

だから、叫ぶ。喉が張り裂けんばかりの大声で。

「お願いです! この人を助けて下さい! この人を病院に連れて行ってくださいっ!!」

無駄な行為だとは百も承知だった。救いの手などこの「ゲーム」には存在していない事など。
それでも奇跡に縋らずにはいられない。奇跡を望まずにはいられない。
自分だけの力では、彼を救えはしないから。吉田二郎という男性の命をどうしても救いたかったから。

「なあ、今の状況が視えてるんだろ!? この人がどれだけ危険な状態かわかってるんだろ!? だったら! だったらすぐに救護班を寄越してくれよっ!!」

天井付近に据え付けられた、一見すれば見落としがちな小さなカメラに向け、圭介は必死に訴えかける。
あのカメラの向こうには、この「ゲーム」を企画した「組織」の存在がある。その「彼ら」に向かって声を轟かせる。
だがどれ程に願えども反応は無い。その必死さを嘲笑うかのような静寂が其処に在るだけだった。

「ちくしょう、何で――」

強く唇を噛み締めながら、呪詛にも似た呟きを圭介は洩らす。
どうして彼が救われてはならないのか。どうして自分だけがこうして無事で居られるのか。
せめて逆であったなら良かったのに。今は以前のように死を望んではいなくとも。
木戸に撃たれたのが自分であったならば。正しく助かるべき人間が助かっていただろうに。

「すみ、ません……鳴神、さん……」

息も絶え絶えの、吉田の掠れた声が圭介の耳を打つ。慌ててその朱に染まった手を握り締める。
驚く程に冷たくなってしまったその手を。何とか自分の体温を分け与えようと。

「結局、最後まで……私は、貴方に、迷惑をかけて……ばかりでした……」
「何が迷惑なものですかっ!」

こんな時にまで自分を貶める吉田を、圭介は叫び否定する。

「俺がどれだけ貴方に感謝していると思ってるんです!? 貴方に救われて、導かれて! どれだけ嬉しかったと思ってるんですかっ!!」

これ程までに気恥かしい本音の吐露をした事があっただろうか。
飾り気も無ければ誤魔化しも無い、けれどもそれは、純然たる思い。
吉田のおかげで自分を取り戻す事が出来た。否、昇華する事が出来た。死を待つばかりの時の中で、生きる意味を見出す事が出来た。
どれだけ言葉を尽くしても、その感謝は言い表せるものではない。
貴方に出会えて良かったと、本当に心の底から思えるのだ。

「迷惑をかけてばかりなのは俺の方です! 勝手な都合で貴方を振り回した、こんな俺を助けてくれてっ! なのに、こんな――」

それなのに、こんな形になってしまった。
その恩義に何一つ報いる事が出来ぬままに、吉田の命の灯は消えようとしている。

「ごめんなさい、吉田さん……俺の、俺のせいで、貴方をこんな目に遭わせてしまった……」

だから詫びるべきは自分の方で。そうする事しか出来なくて。
圭介は込み上げる嗚咽を必死に堪えながら、吉田の手を握り続けた。

「……そう、ですか」

けれども吉田は、そんな圭介を何ら責めようとはせず。逆に驚く程穏やかな表情を浮かべて見せた。

「私は……貴方の、お役に、立てました、か……それは、実に、喜ばしい、事で、す……」
「! そんな――」
「久しく、忘れて、いました……『報われる』、という事は、こんなにも、嬉しいもの、なんですね……」
「あ――」

何処か遠くを見つめる様な吉田の瞳に、圭介は先程の疑問の答えを見たような気がした。
やはり彼も結果を求めてはいたのだ。自分の努力が報われたいとは心の内で望んでいたのだ。
過程における自身の献身に満足していた事もまた偽りでは無いのだろう。だがそれはあまりにも永き時の中で。只管に「無意味」を重ね続けてきた所為で。
何時しか吉田は其処で立ち止まるようになってしまったのだ。その先を求める事などおこがましいと、自分を謀るようになってしまっていたのだ。

「はは……よか、った……本当、に……」

でなければ。こんなにも、晴れやかな顔は出来るものではない。
他者に命を奪われるという究極の理不尽の果てに、自身の命の終わりの際に。
今までに見せた事のないような、こんな微笑みを見せられるはずがないのだ。

「…………」
「――え?」

そしてそれが合図であったかのように。
圭介の手の中の、吉田の手から突然力が失われた。

「よ――しだ、さん? ――吉田さんっ!!」

もう、答えは却ってはこなかった。
いつの間にか閉じられた、眼鏡の奥の両瞼はもう何処も見つめてはいない。
半開きのままの唇も、もう二度と圭介を諭す言葉を紡ぎ出す事は無い。

「あ、ああ……」

圧倒的な脱力感と共に、圭介は床に尻餅を付く。

「う――あああああっっ!!」

限界だった。内なる衝動赴くままに、少年は感情を爆発させた。

「吉田さん――吉田さんっ!! うわあああああああっっ!!」

響き渡る慟哭。止め処無く溢れる涙。
気付かされた。恩人であるこの男性は、決して戻ってはこれない世界に旅立ってしまったのだと。
そして彼が自分にとって、どれ程にかけがえのない人物であったのかと。
悲しみの深さはその証。心の痛さもその証。
失われてはならない命を失ってしまった、何よりの証だった。


 


ゲーム開始より42時間41分経過/残り30時間19分



[21380] EPISODE-54
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/08/02 19:00
暫しの時が過ぎ。
膝を抱えて蹲っていた圭介はふと吉田の亡骸に視線を向けた。

「――」

両瞼を赤く腫れ上がらせた自分と、物言わぬ傍らの吉田。
そういえばつい先程もこんな状況であったと、圭介は懐かしむように振り返る。
けれどその時と決定的に違うのは。当時の吉田の無言は彼の誠実さが齎す気遣いによるもので。
今の彼は、もうどんな心情をも。その身で表す事は出来ないのだ。

「――」

そのまま顔を、全方位に巡らせる。その視界の一端に、数メートル先の扉が捉えられた。
もう一度、周囲を見渡す。そして立ち上がり、少年は足早に扉へと近付いていく。
開け放した扉の向こうは小さな部屋となっていた。
誂えられた幾つかの棚と、一際目を引くのは隅に配置された簡素なベッド。
スタート地点と似通った造りのそれは、一応の休憩施設として宛がわれたものなのであろうか。

「――いいか、此処で」

行動を開始して初めて、圭介の口から言葉が紡ぎ出された。
その声色は異常なほどに無感情であると、もしも同行者が存在していたならそう感じていた事だろう。
室内の点検も程々に、踵を返す。すぐさままた元の場所へと戻り、吉田の身体を担ぎ上げる。

「う――」

決してその身体を自力で支える事の無い遺体の重さに、能面の如き無表情が少しばかり歪みを見せる。
けれどもそれも、一瞬の事で。そのままゆっくりと歩を進める。
目指すのは先程確認した部屋。程無く苦も無く辿り着く。
そして室内のベッドへと歩み寄り。吉田の身体をその上に横たわらせた。
この施設の中ではどんな場所に遺体が在ろうと然して変わりはないのかもしれない。だがあのままにしておくのはあまりに忍びなかった。
例え意味の無い行動だったのだとしても。このままあの場所に吉田の身体を放置しておく事は、圭介にはどうしても許せなかったのだ。
返しきれない程の大恩を受けた。それなのに、約束されていたはずの生還すら叶えてはあげられなかった。
だから、せめて。この程度では弔いにすらならないかもしれないけれど。
出来る限りにきちんとした形で見送りたい。そんな思いが圭介を突き動かしたのだ。

「――」

身体を丁寧に伸ばし、ベッドの淵と平行になるよう整える。
そして胸元で両腕を重ね。これで簡易ながらも一応の体裁は整った。
滲み出た額の汗を拭い、小さく一つ息を吐く。そして黙祷し、合掌する。

「――どうか、安らかに」

故人の逝く先の安全を切に願う、そんな言葉が圭介の唇から零れた矢先の事だった。

(――ん?)

突然胸元から電子音が鳴り響き始めた。自らのPDAから発されているものだと気付いた圭介は懐に手を差し入れ、「それ」を掴み出す。

『このフロアが侵入禁止になるまで 1時間58分11秒』

けたたましい電子音と同期するように点滅しながら、液晶画面の文字はそう告げている。
最後の秒数は圭介がその文字を目で追う間にも刻一刻とその数字を変化させていた。

「――ああ、そうか。そうなるの、か」

別段驚く事も無く、圭介はその意味に納得する。
この表示と電子音は先程インストールした「侵入禁止エリアタイマー」の機能によるものだ。そして自分たちは4階から「下に落とされた」。
つまり今居る階は3階に相当し。そのフロアが侵入禁止エリアとなる時間が迫っているという事なのだ。
おそらくは残り2時間を切った時点で該当階層に未だ所持者が位置していれば、この警告が発動する仕組みとなっているのだろう。
このまま警告に従わねば、やがてルール違反に抵触する。自らが足を踏み入れずとも、侵入禁止エリアの方が圭介を呑み込んでしまうのだ。

「――吉田さん」

再度懐にPDAを収納しつつ、圭介は物言わぬ吉田に語りかける。

「非常に名残惜しいですけど、俺、行かなきゃいけないみたいです」

当然の如く答えは無い。だがまるで生きている吉田と会話しているかのように、言葉を紡ぎ続ける。

「どうか、見守っていて下さい――なんて言えた義理じゃありませんけども」

呟きながら。横たわる吉田の顔に手を伸ばす。一瞬だけ指先で冷たい頬に触れ、そのまま銀縁の眼鏡を摘み上げる。

「せめて、これだけでも持って行かせて下さい。この先の景色を、吉田さんにも見せてあげたいから――うわ、吉田さん結構きつい眼鏡してたんですね」

拒まれるはずのない断りを入れ。自らの目線を通し、その度の強さに少し大げさに驚いて。その眼鏡をPDAと同じ場所に仕舞い込む。
他に出発の準備など必要無かった。着の身着のまま、ただ独りこの部屋を後にするだけ。
だからこそ圭介は改めて痛感する。これ以上吉田と共に居る事は出来ないのだと。
だからこそ思わずにはいられない。この状況が嘘であればよかったのにと。
けれどもこれが現実。死してなお正直な吉田が訴える、どうしようもない現実なのだ。
故に受け入れるしかない。彼との別離を。為すべき事を為す為に。

「――それじゃ吉田さん、さようなら。お世話になりました」

最後にもう一度、吉田に対し向き直る。そして未練を断ち切るように深々と一礼し。
圭介は恩人に別れを告げ、背を向けた。





「さて、と」

侵入禁止までのリミットを告げる電子音は相変わらず鳴り響き続けていたが、圭介の態度は悠然たるものだった。
そもそもこの忌まわしき最悪の事態に陥る前は、吉田を見送るために移動していたのだ。
その道中で「真下に」落とされたのだから4階への階段までの距離が絶望的に遠いわけがない。
事実PDAの地図機能で経路を確認すればその移動時間は十分に2時間弱の制限時間に納まる範疇ではある。
加えて危険人物と呼べるべき存在とは皮肉な事にその殆どと上の階で遭遇していた。
ならば慌てねばならぬ理由もない。寧ろ気が逸る事で唯一の危険性、施設の罠を見落とす事こそ本末転倒であるとさえ思えた。

「とはいえ――寄り道をする余裕があるわけでもない、か」

独り事を呟きながら圭介は進行方向の先に在る扉に目を遣り、首を捻る。
然して危険の無い今ならば丸腰でも不安は無いが、だからこそ今後のために装備を充実させておく絶好の機会とも言える。
最早「ゲーム」の展開は強者が弱者を喰らう段階へと発展している。
その身を守るためには武器の所持は必須条件に等しいと圭介はつい先刻思い知らされたばかりなのだ。
だが残念ながら探索に感けていては折角の時間の余裕も意味を為しそうになかった。
戦いの準備のために戦いの舞台に上がる資格すら失うわけにはいかず、止む無く圭介はこの階での武器の調達を断念した。

「――」

通路に異変は無いか注視しながら、圭介は進む。人の気配の無い道行きは何処までも静かで、寂しさすらも感じさせられる。
胸元から鳴り響く無機質な電子音だけが物音足り得るもので、それが却って孤独感を駆り立たせるようだった。

そんな空間を圭介は無言で突き進み、やがて4階への階段へと無事に到達した。
PDAのタイマーが示す時間は残り15分。ほぼ予定通りの進行だった。

とは言えやはり時間に追われる道中に不安を感じなかったわけではない。何かのトラブルが生じ間に合わなかった、という事態を恐れていなかったわけではない。
しかしこの階段さえ上がり切ってしまえばそんな不安から漸く解放される事が出来る。
そんな思いがそうさせたのか。気付けば圭介は早足で階段を駆け上っていた。

「おっと、ストップ」

だがその中途。上方から制止の声がかかる。
反応して向けた目線の先で、鈍い光を放つ拳銃の銃口がこちらに狙いを定めていた。

「――」

実の処。この「待ち伏せ」という可能性を圭介は考慮していないわけではなかった。
半ば退路を塞がれた状態で、上階に上がる階段は一つだけ。あの場に居た人間が自分を確実に仕留めるつもりならば、その策に打って出る事は十二分に考えられると。

(――やれやれ)

だがその対策を何ら練らなかったのには訳が有る。時間超過の危険を承知で武装を揃えなかったのには理由が有る。
それはあの出来事は決して偶発的なものではなかったと知っていたから。
自分が助かったのは偶々落とし穴が発動したからではないと、強く理解していたからなのだ。

「止めましょう、そんな意味の無い事なんて」

冷静に、声音厳かに。圭介は拳銃の持ち主にそう声をかける。この相手が木戸や長沢であるならば、それこそ無意味な訴えでしかない。
だから、この人物はその二人ではない。そしてこの人物は、自分を殺すつもりはない。
殺すつもりがないからこそ、わざわざ警告じみた言葉で自分を立ち止まらせた。そのつもりがあるならば、ただ無言で引き金を引けば良いだけの話なのだ。
そして。そのつもりが無いからこそ。この人物はわざわざ自分を「助けた」はずなのだから。

「あら、予測済みだったかしら? 少しは驚いてくれるかとてっきり思ってたのに」

そう残念そうに呟くと、その人物・波多島乃得留は静かに銃の照準を圭介から外した。

「――まあ、ヒントは残してくれてましたし」

その仕草と一連の性質の悪い冗談に多少の苛立ちを感じつつ、圭介はそう抑揚無く告げてみせる。
思い返せば3階に落ちる直前。聞こえた声は確かに彼女のものであった。恐らくは本来到達するはずだった分岐の先に身を潜めていたのだろう。

――まったく。世話がやけるわね。

あの言葉が示すものは、乃得留があの時介入を行った証左である。
つまり圭介は落とし穴に「落ちた」のではない。乃得留の人為的な操作により「落とされた」のだ。
気付いてしまえばその先の予想は困難ではなかった。わざわざ危険性の無い真下の階に落としたのならば即ちそれはこちらを助けるつもりが有ったと言う事。
ならば最後までその思いを完遂するために。或いは無為に終わった事を確認するために。
乃得留がこの場所でほぼ間違いなく待機しているはず。そう結論に達したからこそ圭介は待ち伏せの危険性を考えなかったのだ。

「――木戸たちは? ノエルさんが追い払ったんですか?」

あの凶悪な二人を女性独りで圧倒する意味合いの台詞に我ながら珍妙さを感じずにはいられなかったが、波多島乃得留であるならば不思議ではない。
彼女はこの「ゲーム」の企画者、「組織」の端末ゲームマスター。のみならずその才覚は今までに幾度となく目の当たりにさせられているのだ。

「いいえ? 勝手に何処かに行ってしまったわよ。向こうも向こうで私の存在を察知していたのかもしれないわね。
 その辺りは腐っても過去の『ゲーム』の生還者、長沢勇治といった処かしら」
「――そうですか」
「ま、積もる話も有るわけだけど。とりあえず、上がって来たら? まだ其処は厳密には4階ではないんだし」
「ええ」

言われて圭介は自分の身体が未だ階段の途中に在った事に気付く。
残り数段を上がり切り完全に4階へと到達した形になると、漸くPDAの警告音がその役目を終えたように静かになった。

「――吉田二郎氏は?」
「――」
「そう――残念だったわね」

圭介が首を横に振り彼の他界を無言で告げると乃得留は沈痛な面持ちでその死を悼むような素振りを見せる。
そう、「素振り」なのだ。彼女が真にそんな感情を抱いているわけがない。出会ってもいないはずの吉田の名前と状況を知っている事が何よりの証拠だ。
しかしその演技にはまるで違和感は感じられず。一見すれば本物の悲観と見紛うばかりであった。
だからこそ恐ろしい、と圭介は戦慄する。この女性は本当に、己の感情表現を自在に操れる人物なのだと。

「けれど、君だけでも無事で本当に良かった。あの時はどうなる事かと思ったけど、こうしてまた再会出来て素直に嬉しいわ」

だから。そんな涙が出そうになるくらい優しい言葉も信じられはしない。
その華やかな笑顔は本当に自分との再会を喜んでいるものなのか。或いは舞台演出の道具としてまだ利用価値を見出しているからなのか。

「んもう、そんな目で見ないでよ。悲しくなるじゃない」

精一杯の皮肉を込めた視線で睨め付けるが乃得留は全く気にした風も無い。そればかりかそんなやり取りを楽しんでさえいるようだった。

「――それで? まさか機嫌伺いのためだけに俺を待っていたわけではないんでしょう?」

これ以上の茶番には付き合いきれない、とばかりに圭介は話題を振り替える。
自分の無事を確認するだけなら別段声を掛ける必要も無い。にも拘わらず接触を図って来たという事は乃得留にはまだ何らかの思惑があるという事なのだ。

「あら、相変わらず察しがいいわね。だから好きよ、圭介くん」
「それは光栄ですね。でも俺は真面目な話をしたいんです」
「んもう、つれないわね。まったくどうしてそんなに刺々しいのかしら」

呆れた様に乃得留は肩を竦めて見せる。だが、そして。

「――ねえ、どうして?」
(っ!?)

いつか見た時と同じような。魔性の顔がその姿を現した。

「そ、そんなの――決まってるじゃないですか」

その妖しさに、呑まれそうになる。圭介の肌にじわりと汗が滲み出してくる。

「貴方は『組織』の側の人間です。つまり俺にとっての敵でしょう。敵と話すのに和やかな雰囲気なんて――」
「違うわね」
「う」

囁くような、ほんの一言。なのにまるで臓腑を抉るように突き刺さり、圭介の言葉は遮られる。

「もちろんそう言った部分も無いわけではないのでしょうけれど。でも、今はそれだけじゃない。もっと別に、大きな理由が有るはずよ」
「何、を――」
「抑えきれない程の怒りを必死に押し殺しているから、でしょう? 吉田氏を殺した、木戸くんと長沢に対しての」
「っ!!」

何処で自分は答えを明かしてしまっていたのだろうか。そう勘違いするくらいの見事な解答だった。
吉田が息を引き取って後。悲しみの先に待っていたのは狂おしい程の憤怒だった。
どうしてあんな奴らに、彼が殺されなければならなかったのか。どうしてそんな輩が、今ものうのうと生きているのか。
許せない。到底許される事では無い。
是が非でも報いを与えてやりたい、破滅に導いてやりたい。
そんな感情が次々に生じて溢れ返りそうになった。
意識を保とうとしなければ、叫び声を上げてしまいそうになった。思い留まらねば何度も壁を殴りつけそうになった。
だが、思いに駆られて壊れてしまっては何も果たせはしない。
だからこそ、務めて平静を装おうとした。感情を内に仕舞い込み、理性的になろうと努力した。
前に進むために。今は、今だけでも生きようとするために。
生きて、生き抜いて。そして――

「――どうやら正解みたいね。だったら話は早いわね」

圭介の表情の変化に微かに得心すると乃得留は更に言葉を綴る。

「あの二人を、このままにしておきたくはない?」
「ええ」

最早包み隠す意味も無い、と圭介は即答する。

「殺してやりたい、とさえ思ってる?」
「――はい」

今度は間を置いて。返事をする。

「――そう。でも君一人ではおそらく無理でしょうね。自分でもそれはわかっているんじゃない?」
「それも、その通りです」

誘導されている、と感じつつもそう答える他はなかった。
例え彼らがどれ程の外道であるとしても。否、外道であるからこそ。闘って勝利を勝ち取るのは絶望的ではある。
相手はとうの昔に禁忌を犯す覚悟の向こう側に辿り着いている。人を殺す為の研鑚を重ね続けている。
そんな輩に只の凡人が対抗して敵うべくもない。思いだけではこの格差を埋める事は不可能であるとさえ言えるのだ。
鳴神圭介が凡人である限り。そして独りである限りには。

「じゃあ、答えは一つじゃないかしら?」

そして最後の問いには。答えすらも発する事は出来なかった。
そう、問うまでも無く圭介は既に気付いていたのだ。
乃得留が自分に何を望んでいるのか。何を望み、この場所で待っていたのかなどはとうの昔に。

「木戸くんたちに復讐したい、でも一人の力では敵わない」
「――」
「でも――そんな君の力を必要としている人物が今、此処に居る」

それは再度の共闘の要請。サブマスターという相方を早期に失った「ゲーム」統率者は、再び圭介をその座に据えようとしているのだ。

(く――)

以前に一度は断ったはずの申し出。拒絶する事は簡単であるはずだった。
なのに。言葉が出て来ない。その時とはあまりにも変わり果ててしまった状況が、圭介にそれを許さない。
自らの空虚に気付いてしまったが故の自暴自棄、それが嘗て乃得留の手を払いのけた理由だった。理由無き事こそが理由だった。
だが今は違う。彼女の言う通り、今の圭介には。彼女の力を欲するに足る理由が、確かに存在しているのだ。

「さあ、それじゃあ質問よ、圭介くん」

そんな圭介の葛藤を歓迎するかの面持ちで、乃得留は更に畳みかけてきた。

「以上の条件を理解した上で――『君が今、やりたい事は何なのかしら?』」
「っ!!」

それは偶然であるのか意図的なものであるのか。
乃得留が答えを導くために用いたそれは、嘗ての吉田のそれと全く同じものだった。

「それ、は――」

目が眩む程の衝撃を受け、圭介の口からうわ言のような呟きが零れ落ちる。
あの時。その言葉に救われた。自分を見つめ直すきっかけを与えられた。
難しく考える必要など無い。ただ、己の欲求に従うだけで良いのだと。
そのおかげで立ち直る事が出来た。自分の心の奥底に眠る、正しき思いに気付く事が出来たのだ。
だが今は。圭介の内を満たしているのはその時見つけた思いとはまるで真逆のそれ。
同じ様に欲求に従うとするならば、それはまさしく乃得留の望みを叶える事となってしまうのだ。
しかし、それでも。乃得留がその言葉を発した所為で否応無しに痛感させられる。
この言葉の以前の持ち主はもうこの世にはいないのだと。殺されてしまったのだと。
そして彼を殺した人物たちは――今もこの施設を闊歩しているのだと。

(くそ、ダメだ! 絡め取られるな!)

口にしたい。そう答えてしまいたい。
自分は貴方を欲しているのだと。吉田二郎の仇を討つために、貴方の力が必要なのだと。
そんな衝動に駆られつつも、それでも圭介は必死に踏み止まろうとする。
この思いは決して正しいものではない。そう理解しつつも燃やさずにはいられなかった。
けれどもその理屈を今一度展開する。「復讐からは何も生まれない」、そんなサスペンスドラマの探偵役が使う凡庸な台詞を何度も心の中で繰り返し。
少しずつ少しずつ。少年は心を鎮めようと努力する。

(そうだよ。それに、吉田さん自身も俺に復讐なんて――)
「望んではいない、でしょうね」
「っ!?」

だがその努力が徐々に身を結び始め、天秤が逆の傾きを見せ始めたその刹那。
すかさず乃得留は二の矢を番え放ってきた。

「ど、どうして俺の考えてる事が――」

その言葉は一言一句違わず完全に圭介の言葉を継いでいた。
どうすれば此処まで見抜く事が出来るのか。つい思いを口にでもしてしまっていたのか。
そう見紛うばかりの乃得留の驚異的な洞察力に、圭介は震えが走る程恐怖する。

「顔を見ればわかるわよ、それくらい。今の君なら、ね」
「――」

言葉も無かった。今まで幾人の参加者を騙し謀る事で「ゲーム」を乗り切って来た自分であるはずなのに。
それ程に今の自分は感情が激しく揺れ動いている、という事なのだろうか。

「まあ、それは一先ず置いておくとして。そうね、人の良い彼の事だもの。圭介くんが自分のために他者を傷付ける事を決して由とはしないでしょう。
 例えそれが自分を殺した、木戸くんや長沢勇治が相手であったとしても、ね」

更に驚くべきは圭介が必死で打ち立てたその希望的観測を、乃得留が決して否定しようとはしなかった事だった。
彼女は今まさにその復讐心を利用して自分を手の内に収めようとしていたはず。
ならばそれが霧散するような理屈は決して受け入れられるはずもない。意地でもねじ伏せ打ち砕きにかかるのが常道であるはずだ。
それなのに、なぜ? 圭介には理解が及ばなかった。
少なくとも、次の乃得留の言葉を耳にするまでは。

「きっと彼はこう願っていたのでしょう。圭介くん、『君に何としても生き延びて欲しい』と」
「っ!!」

それは一体何度目の驚愕であるのか。そして乃得留の慧眼は何処まで見通せているというのだろうか。
確かに。吉田二郎にとって鳴神圭介は「生きていて欲しい人物」であったからこそ危険を承知で救いの手を差し伸べたに違いない。
だからこそ彼は今際の際にまで。生きて救われた事を感謝した自分に無上の笑みを見せたのだ。
彼には何も返してあげる事が出来なかった。出来ぬままに死なせてしまった。そんな後悔もまた圭介の中には有る。
ならば今からでもせめて、彼の思いにだけは報いたい。そんな考えをつい己の復讐心と結びつけてしまっていた。
だが一旦切り離す事が出来ればその通りなのだ。吉田が望んでいたのは決してそんな物騒な事象ではない。
それよりももっと、正しく尊いもの。けれどもそれは、今までは決して叶うはずのなかったもの。
そして、それは。

「でもそれも、叶える事が出来るはずよ?」

そう、それは。波多島乃得留と共にならば、不可能ではない願いなのだ。

「――」

例え条件を満たさずとも生還への便宜を図る事が出来る。それがゲームマスターである彼女が最初に提示した取引の条件。
そしてその効力は今も失われてはいない、乃得留は暗にそう告げていた。

「私としては別にどちらでも構わないわ。君の本心が復讐であっても故人の遺志を継ぐ事であっても。でも君にとっては答えは同じはずよ」
「――もし、そのどちらでもないとすれば?」
「その時は、君が独り無力さを噛み締めながら朽ち果てるだけでしょうね」

自分から話を持ちかけておきながら、別に断られても構わないと言いたげな口ぶり。
恐らく乃得留にとって、ここで圭介がどう決断するかなど然したる問題ではないのだろう。
一人でも十分に任務は完遂出来る。ただ自らの舞台演出として、より映える役目に圭介を据えたいだけ。

「命を落とした人物のために奮闘する少年」という図式を「ゲーム」の中に組み込みたいだけなのだ。
「あら、気に食わないって顔をしてるわね。でも悩む理由なんて有るのかしら? 断る事が君にとって、どんなメリットを生むのかしら?」
「く――」

だが。それでも彼女の望みを受け入れる事は、望外の利を生む理なのだ。
吉田の犠牲の元に成り立つこの生は今や無意味なものではなくなった。彼の思いに報いるためにも簡単に死は受け入れられない。
その生が、保証されている。そしてそれは即ち、乃得留と共に自分たち以外の参加者を見殺しにする事で。
つまりは仇である木戸と長沢の粛清も果たせるという事なのだ。自ら手を下さずとも、それは自動的に。
彼らを消し去りたい、殺したい。そんな燻り続ける思いも昇華する事が出来るのだ。

(くそ、なんでこうなっちまったんだ――)

こんなはずではなかったと、圭介は唇を噛み締める。
こんな思いを抱いて決起したわけではなかった。もっと別な、誰もが正しいと認める理由で再び立ち上がったはずなのに。
なのにその誓いも今や胸の奥に追いやられ、どす黒い感情がその手前で激しく渦を巻いている。
悲しみ、怒り。後悔と、自分自身への軽蔑。ありとあらゆる負の感情が吉田という大恩人を失った事で生まれ出てしまった。
その隙間を乃得留に付け込まれてしまった。ゲームマスターは狡猾にも故人に寄せる思いまでも利用して、圭介を操ろうとしているのだ。

「――一体何処までが貴方の筋書きだったんですか」

自らの思いに押し潰されそうになりながらも。抗うように圭介は呟く。
こんな洗脳じみた説得を行うには今と言う機会は絶好と呼ぶに相応しい。
あまりにも乃得留にとって都合の良過ぎるこの状況に、彼女の意思が何ら介在していないとは考え難い事だった。
もしかすると目の前の女性が木戸たちをあの場に呼び寄せた張本人ではないだろうか。
もしかすると吉田が自分を助けに来たのは彼女に唆されたからではないだろうか。
更にまさか。吉田が「ゲーム」に選ばれた意義はそのためにすらあったのではないか。そんな有り得ない妄想にすら圭介は囚われてしまう。

「『全て』――と言えば格好も付くのでしょうけどね」

しかし乃得留は肩を竦めつつ、万能たる自分を飾りもしない。

「残念ながら今回の一件は全て私の予想外の出来事よ。解除を成立させ生還をほぼ確定させた参加者が何の利も無しに『ゲーム』を続行するなんて思いもしなかった。
 ましてや危険を承知で戦闘の最中に介入するなんて、永い歴史を誇る『ゲーム』のこれまででも、滅多にお目にかかれなかったケースなんじゃないかしら?
 だからこそ私は吉田氏を私と君以外の『3人目の生存者』と位置づける事に疑いの余地も抱かなかったし、彼が4階に上がって来て以降も始末しようとは思わなかった。
 それは本当の事よ、誓ってもいいわ。私は君を階下に落とした時、君だけでなく吉田氏もまた助かっても構わないとさえ思っていたの」

「――そうですか」
「がっかりしちゃった?」
「いえ」
「嘘。全てが私の采配であった方が圭介くんには都合が良かったはずでしょう?」
「――そうかも、しれませんね」

何処までが真実であるのかなど確かめる術は無い。
だがそうであるならば、彼女を憎む理由になっていた。全てが彼女の所為であるならば、胸を張って彼女を拒む事が出来たはずだった。
けれども実際は、乃得留の才覚を再認識させられただけだった。
彼女は状況を作り出しただけではない。ただ状況に合わせただけだった。
それでもほんの僅かな介入で、自分の意の通ずる状況として仕立て上げる事が出来た。
これを類稀なる才能と言わずして、一体何と称すれば良いのだろうか。

(いったいどんな育ち方すれば、こんな風になるんだよ――)

次元の違う才覚に、怒り以上に怖れを感じずにはいられない。
自分では少女一人、騙しきる事は出来なかった。そして一人の男性の未来を閉ざさせてしまった。
なのに、この人は。自分どころか全ての参加者さえ意のままに操ろうとしている。
しかも彼女の才覚は頭脳だけに留まらない。それを十二分に活かせる身体能力も兼ね備え、更には武器を扱う技術にまで精通しているのだ。
敵わない。自分などが到底比肩出来る相手では無い。圭介は改めて痛感させられた。
そして乃得留はこの「ゲーム」のゲームマスター。
つまり彼女に及ばないと言うなれば、それは「ゲーム」の定めを決して違える事は出来ないと言う意味にもなるのだろう。
希望など最初から有り得なかった。もしも有るとするならば、それは彼女が示す漆黒に彩られたそれなのかもしれない。

「――」

大きく大きく。圭介は一つ息を吐く。乃得留の口元がほんの少し綻んだ、そんな気がした。
最早歩める道は一つしか無い。その道を選ぶ事以外には何も許されてはいないと思えた。

「――でも」

でも、それでも。僅かな沈黙の後に圭介ははっきりと口にする。

「それでも俺は、貴方には従えません」

否定の一言を。抵抗の一言を。そして決意のその一言を。

「あら、どうして?」

受けた乃得留のその表情は些かも崩れた様子は無い。ただ、ほんの微かに声に力が籠っていたと感じられた。
やはり彼女にしてみれば予想外とは言わずとも理解し難い愚かな選択と映ったのだろう。
事実圭介にもその自覚が無いわけではない。復讐心も吉田への思いも。絶望感も無力感も全て偽らざる本心で。
それに背く事には何の利も無いはずなのだから。

「俺にはやっぱり、美雪たちを死なせるような選択は出来ませんから」

それでも、そんな心に支配されながらも。決して消えなかった思いもある。
追いやられようと押し潰されようと。片隅で静かに芽吹く想いも確かにあったのだ。
彼女の笑顔が見たい。もう二度と悲しい顔はさせたくないと。
だが乃得留に協力すればその思いを自ら踏みにじる事になる。
一度として駆け引きの材料に上がらなかった以上、目の前の女性に美雪たちを生かす選択は欠片も無い。
その最後がどんな形であろうとも。ゲームマスター・波多島乃得留はそのシナリオに少女の生存を描いてはいない。
だから従うわけにはいかなかった。今度こそ本当に、彼女を裏切るような真似を圭介は自分に許す事は出来なかったのだ。

「でも選ばなくてもあの子たちが助かる保証にはならないわ。それはわかっているんでしょう?」
「ええ、勿論です」

確かに救済が叶うとは限らない。自分の無力さなど嫌になるほど思い知らされている。
乃得留と袂を分かつ事になれば必然立場は彼女を止めるものとなるのだが、勝てる自信など微塵も有るわけではない。
更には当時は良かれと思って行った別れ際の「嫌われるための」やり取りが、今となっては完全に足かせになってしまっている。
思いとは裏腹に信用は地に堕ちているも同然。助けになるどころか受け入れてもらえるかどうかすら甚だ疑わしい。
状況は最悪にして絶望的。このままでは無駄な足掻きに終わる公算は、高過ぎる程に高かった。

「でも」

それでももう、後には退けない。退きたくない。

「でも足掻かなきゃ、奇跡は絶対に起きませんから」

それでも諦めきれないから。願わずにはいられないから。絶望的であるからこそ、誰もが再び笑えるその未来を。

「確かに俺には無理なのかもしれません。でも俺はもう、『無理かもしれない』と考えるのは止めにしたいんです」

そのためには、自ら可能性を狭めてはならない。理に囚われていては決してそれは思い描けない。
打算や妥協を超越し、全力すらも凌駕する。その気概こそが必要なのだ。
嘗て吉田が、美雪が、菜緒が。凡そ敵うべくもない最強の巨人に立ち向かったように。
奇跡とは。愚直なまでに想いを貫き通した先に存在する。座して待つべきものではない、自らの手で掴み取るものなのだ。

「俺は、美雪と菜緒を助けます。それが俺の答えです」

だから圭介は告げる。例えそれがどんなに困難であっても。叶わぬ夢であったとしても。
吉田の仇討ちよりも、ただ生きる事への執着よりも。それが今の自分にとっての「やりたい事」であるのだと。

「――確認するわ。本気で言っているのね?」
「はい」

もう迷いは無い。相変わらず心の中は整ってはいなかったがそれだけははっきりと断ずる事が出来る。
それ以上の言葉はもう必要無い。言うべき事は伝えたつもりだった。
圭介は無言で正面から乃得留を見据えると、やがて乃得留は根負けした様に短く息を吐いた。

「そう――残念だわ」

白旗を掲げあっさりと敗北を認めた才女は軽く肩を竦めて見せる。

「まさか振られるなんて思いもしなかった。私の魅力もその程度だったって事なのかしら」
「いえ、そういうわけでは決して無いのですが」
「ふふ、馬鹿ね。冗談よ」

くすりと喉を鳴らしつつ、静かに乃得留が近付いた。そして手が届きそうな距離で立ち止まり、そのまま上目遣いでこちらの顔を覗き込んでくる。

「ねえ、一つ質問してもいい?」
「な、何でしょうか」

思わず鼓動が跳ね上がったのはその美しい顔立ちが間近に迫ったからではない。

「もしも断ったらこうなるかもしれないって――考えたりはしなかったのかしら?」

圭介の左胸には拳銃の銃口が押し付けられていた。心臓への最短距離、もしもこのまま撃ち抜かれれば絶命は免れない。
慌てて距離を取ろうにもすぐ背後には壁。気付いた時にはもう既に何もかもが手遅れだった。
そう、彼女が暗に示しているのは脅迫の手口としては最もシンプルなそれだった。
従わぬならば殺すしかない、それは道徳の通用しないこの「ゲーム」においては当然の如く在るべき可能性。
それを考えぬ程にお前は愚かであるのかと、乃得留の薄笑いはそう告げているようだった。

「――ははっ」

だが圭介は笑う。無論それは絶望に触れ、精神に支障を来したからではない。

「そうですね、考えもしませんでした。そして今も全く考えてはいません」
「――?」

怪訝な表情の乃得留を前に圭介の思考回路は驚く程正常に、そして迅速に答えを弾き出していた。

「だって役に立たない男を役に立たないままに始末しても、面白みなんてないでしょう? 貴方にとっても、『組織』にとっても」

錆びついていたはずの歯車が今、動き出す。この場を乗り切るために語るべき言葉が次々に組み立てられていく。

「それよりもこのまま泳がせておいた方が、ずっと有用じゃないですか。『ゲーム』も終盤、争いは益々激化します。
 そんな中で独り女の子のために凡人の俺が奮闘する、その結末は惨たらしい死に様か起死回生の奇跡であるか。何れにしても見せ場になると思いますけどね」

「――」

呆然。乃得留のそんな表情を、圭介は初めて目の当たりにした気がした。
それが益々火を点ける。自分の中で勢いを増す炎を少年は自覚せずにはいられない。

「踊ってあげますよ、ノエルさん。貴方の舞台の上で」

自分たちが「ゲーム」という舞台の役者に過ぎないと言うのなら。敢えてその運命を受け入れよう。
だが何もかも台本通りに演じなければならないわけではない。演出家の思惑を超えたアドリブを行える、そんな権利は役者にだって有るはずなのだ。

「貴方に従う事は出来ません、けれども貴方の役に立つ事は出来ます。俺の想いが、貴方の意に反しない限りには」
「だから、この場を見逃せと?」
「そうです」

そしてそれが舞台により良き影響を齎すならば、演出家にとっても望む処であるだろう。自身のシナリオに安い矜持を抱いていない限りには。
そう、つまりこれは数刻前に乃得留が圭介に持ちかけた取引と全く同種のそれなのだ。
同調すれば得られる破格の利。断る道理があるはずもない。

「ノエルさん、貴方は俺のように愚かな人間じゃない。一時の感情に任せて大局を見失う人ではないはずでしょう」

もしも有るとするならば、それは自分と同様心の中の譲れない何かのため。

「さて、それでも俺を此処で殺しますか?」

だが、乃得留に其れは無い。これは彼女にとって今後の命運を大きく左右する事柄では無い。
無価値な人間を葬り去るか否か、そんな瑣末な選択に譲れぬものなど有るわけがないのだ。

「それでもこの引き金を引く事が――貴方の『やりたい事』だとでも言うんですか?」

その考察を確かなものとするために、圭介はここぞとばかりに用意していた言葉を解き放つ。先程乃得留自身が吉田に習い、自分に用いた一言を。
彼女ほどの賢明な女性ならば、この言葉の意味は理解できるはず。
賢明な女性だからこそ、自分とは違い己の感情を排し合理的な選択が出来るはずだ。
此処で自分を始末する事に意味は無い。ゲームマスターの立場ならば「やりたい事」は理屈の内にあるはずだと。

「――」

乃得留は無言。圭介もまたそれ以上は語らず黙して彼女の答えを待つ。
自信はある。だが確証は無い。彼女の凄味は十二分に思い知らされているが、彼女の全てを理解しているわけではない。
例えどんな理由であろうとも、否定されれば全てが終わり。この早鐘を打つ心臓の鼓動は次の瞬間停止する事になる。
分が悪いわけではないがそれでも賭けは賭けなのだ。自分の命をチップと換算した博打である事に間違いは無い。
暫しの時が過ぎる。緊張で息が詰まりそうになる。
それでも気を張らなければ、毅然とあらねばならない。
自分が対等以上の立場であると示さねば、忽ちにその隙に付け込まれ、途端に賭けは成立しなくなってしまうからだ。

「――OK。合格よ」

時間にして約2分。乃得留は微かに微笑みながら、手にした拳銃を取り下げる。
左胸から押し付けられていた鋼の感触が消えていく。一先ず危機を脱した事を実感し、圭介は大きく深々と息を吐いた。

「合格、って事はもしかして、俺は試されていたって事なんですかね?」
「ええ、そうよ。そして結果次第ではその胸に風穴が空いていたでしょうね。当然でしょう? この程度の揺さぶりも切り抜けられないようじゃ、
 それこそこの先見せ場なんて作れるわけもないんだし」

ぐえ、と喉は奇声を発し、背筋には冷たいものが走り抜ける。
やはり乃得留はとっくに承知の上であったのだ。此処で自分を殺す事に意味は無いのだと。
ただ問題は鳴神圭介という男は彼女にとって真に有用であるのか否か。
今自分を見逃したとて、今後何も起こせぬ程度の凡夫であるなら、生かしておく意味もまた有りはしない。
だから乃得留は試したのだ。自分に欠片なりとも才覚があるのかどうか。武器すら持たぬ状況でも意思を持って戦えるのかどうか。

「でも君は、私の期待に応えてくれた。嬉しいわ、それでこそ私の見込んだ圭介くんよ」
「はは、そりゃどうも」

ほんの一瞬でも彼女に並び立てたと思えたがやはり未だ掌の上であったか、と圭介は苦笑する。
だが不思議と不快な感じはしなかった。それは自分らしく事を運び、結果合格を勝ち取れたからなのだろうか。

「そうですね――やっぱり俺は、こんな戦い方しか出来ないんだと思います」

そして実感させられる。例えどれ程自分を変えたいと願っても、所詮無いものねだりは出来ないのだと。
自分に足りないものを今更備えられるわけもない。備えるだけの時間も無い。
ならば。今まで培ってきたものを礎に、その先を目指すより他は無い。
それは何か。即ち話術とハッタリだ。良くも悪くもその二つが有ったからこそ、自分は今まで生き延びて来れた。
ならばこれからも、それを駆使しながら。そして磨き上げながら軸としやっていくしかない。
尽力すべきは自分を変えようとする事では無い、自分を超えようとする事なのだ。

「そうね。その方が君らしいと思う」

まるで教え子を導く教師のように、乃得留もまた同調する。その振る舞いはとても今し方返答次第で命を奪おうとした者とは思えない。
つくづく彼女とは奇妙な関係だ、と圭介は呆れ心地で肩を竦めた。

「まあ、あれだけ大口を叩いたんだから。ちゃんと結果は示してみせなさい」

兎に角これで腹は決まった。挑発めいた乃得留の物言いに勿論です、と圭介は胸を叩いて見せる。

「OK、安心したわ。それと、わかってるとは思うけど。今後は私の助けがあるとは思わないでね? もう私に君を助ける理由なんて無いんだから」
「はい、わかってます」

言われるまでも無い。今まで彼女の助力が得られていたのは、偏に彼女が自分を手駒として手元に置いておきたかったがため。
その交渉が決裂した今となってはそれも今後は望めない。しかも「自分の死に様すら見せ場としてみせる」と言い切ってしまったがために余計にだ。
だがそんなものは元より期待はしていなかった。圭介はもう、乃得留の支えなど欠片も望んではいない。
彼女の用意した道はもう歩く事は出来ない。それでも道を歩かなければならないという道理は無い。
例え険しいばかりの荒野でも。道は自分の力で切り開くと心に誓っているのだから。

「そう――だったらこれ以上私から言う事は何も無いわ。精々頑張りなさい」
「はい!」

力強く、返事を返す。それが別れの合図だった。

「それじゃ、お別れね。きっともう二度と会う事は無いでしょう」

その表情に少しばかり名残惜しさが視えたのは気のせいであっただろうか。ゲームマスターである彼女はあまり舞台の上に立つ事を由とはしない。
今後は自身のシナリオのために裏から暗躍し、前線に姿を見せるつもりは恐らく無いのであろう。
だから、これが最後の別れ。圭介の今後がどうなろうとも、再びまみえる事は無いという宣言なのだと受け取れた。

「いえ、俺はそうは思いません」

だが圭介は否定する。断言したその先で、乃得留は驚いたような顔つきをしていた。

「ノエルさんとはきっとまた会える、そんな気がするんです」

確証は無かった。ただ何となく、そんな予感がしただけだった。

「でも俺は、それを気のせいにはしたくない。だから約束します。必ず貴方と再会すると」
「な、何言ってるのよ」

一体何を言っているのか、それは自分でもわからない。
次に彼女と出会う機会がもしもあるとするならば、その時はおそらくこんな和やかな関係ではいられないはず。
もしかすると今度こそ、真剣に命を奪い合う形となってしまうのかもしれない。
けれども圭介は願う。乃得留との関係を、これで最後にはしたくはないと。
そして理解する。どうして今まで彼女の事を、一度たりとも憎しみの目で見られなかったのかと。
状況を意のままに操り、この凄惨な舞台の黒幕とも言える彼女をどうして恨めなかったのかと。

「ノエルさん。俺は貴方に憧れているんです」

それが、答えだった。
例え諸悪の根源であろうとも。その才覚に魅せられずにはいられなかった。
自分とそうは変わらぬ年齢で、この非常を操る彼女の敏腕を尊敬せずにはいられなかったのだ。
馬鹿げている、と我ながら思う。だがそれも偽らざる本心だ。人とは様々な思いが同居する生き物なのだ。
だから胸に仕舞う事無く、思いのままに圭介は告白する。
乃得留は呆然。その場に立ち尽くしたまま動けず口を開けずいる。
その脇を、圭介は口元を綻ばせながらすり抜ける。そして擦れ違いざま、彼女の耳元でそっと囁いた。

「だから、待っていて下さい。その時、俺はきっと――貴方に並び立つ男になっているはずですから」

その言葉を聞き及び、乃得留はどんな顔をしただろう。
だがそれを確認する事も無く、圭介はそのまま走り出す。
もしも、彼女と再会する事が出来たなら、その時は恐らく全ての危機を乗り越えた後であるだろう。
ならば少なくとも今よりは。随分とマシな男となっているはずだ。
決して届かないはずの憧れの女性の、せめて背中くらいは見えるくらいの男に。

気障ったらしい台詞だな、と思わず苦笑しながら。
そのまま二度と振り返る事無く、圭介は通路を駆けていった。





「ちょっと――今のは反則でしょ」

去っていく圭介の足音を背中に感じながら、乃得留はその場から一歩も動けず振り返る事も出来なかった。
頬に熱が灯っている。心臓の鼓動がうるさいくらいに鳴り響く。
圭介が残したその一言は、彼女にとってはまさに不意打ちそのものだった。
乃得留に比肩する男になりたい。そうなれば、自ずと奇跡も奇跡ではなくなる。
そんな思いの元に告げられた言葉は、果たして他人にはどう聞こえるものであったのか。
恐らく愛の告白と受け取る者もそう少なくは無いだろう。多分に漏れず乃得留もまたその一人であった。

「予想外にも程があるでしょ、まったくもう――」

そう独りごちながら深々とため息一つ。多少心を揺さぶられた感は有ったが、さりとて何時までも引き摺る類のものでもない。
自分はそんな純朴な乙女ではないと少し考えれば、それだけで彼女の気持ちは切り替わり身体は瞬く間に正常を取り戻す。
然したる時間をかける事も無く、乃得留の表情は再び何時ものそれに戻っていた。

(予想外、か――そうね。まさか断られるとは思ってなかったわ)

そして先程決裂に終わった、もう姿の見えない少年とのやり取りを思い返す。
予定では彼は今、自分の隣に居るはずだった。恐らくは全てを諦めたような、濁り淀んだ瞳のままに。
その交渉を成立させるための条件は十二分に揃っていたはずだった。
元より発生する圧倒的なメリットに加え、今回の状況は復讐心と故人の悲願達成を満たす事すら可能なものであった。
そして圭介が自らの足で4階に上がって来た。という事は彼には「ゲーム」を続行する気概がある。
そうでなければ彼は吉田と共に下の階で命の終わりを迎えているはず。ならば前回のように自暴自棄を理由に断られる事も無い。
これだけの理由があれば勝利は約束されたも同然であると、乃得留は当然のように考えていた。
もしかすると彼の方から共闘を持ちかけて来るかもしれないと、さえ推測していたのだ。
それなのに、彼は断った。「美雪を死なせるような選択は出来ないから」と。
なぜそう思えたのか。思う事が出来たのか。どうにも乃得留には不思議でならない。

(まあ、美雪ちゃんは男の子が好きそうなタイプだから気持ち自体はわからなくはないんだけども)

共に時間を過ごす内に情が沸いてしまった。或いはそれ以上の感情を抱いてしまった。
そういった感情の移り変わり自体は未成熟な少年には有りがちであるとは言える。
ましてやこの異常な空間。所謂「吊り橋効果」が発生してしまい、出逢ったばかりの赤の他人では無くなってしまったとしても無理はない。
だが、それでも釣り合いが取れるものでは無い。彼女を生かす事は自身の死に繋がる以上、その思いを貫き通す事は無益でしかないのだ。
しかも相思相愛であるならまだしも、今の処は圭介の一方的な片恋だ。
でなければ美雪が圭介を見捨てるはずがない。その秘められた真実が白日の元に晒された時、圭介は彼女と共に居る事は出来なくなった。
件のやり取りが行われた時の戦闘禁止エリア内の様子までは流石の乃得留も把握してはいないが、それだけは純然たる事実である。
となれば喧嘩別れとは行かないまでも、少なくとも美雪は圭介を引き留め無かった。引きとめるだけの理由は無かったのだ。
つまりそれは命を賭する、命を捨ててまで美雪が圭介を想っていなかったという事になる。それを理解できない圭介ではあるまい。
ならばなぜ、彼は数ある利を捨ててまで彼女を守る事を選んだのか。
どちらかといえば理知的な性質であるはずの鳴神圭介が、どうしてそんな夢見がちな結論に達してしまったのか。
幾つか根拠が見出せないわけではない。彼の本来の性質は実はそのようなものであった、或いは吉田二郎という人物に影響されてしまったのか。
若しくは男性にありがちな意固地な考え方が、全ての思考を放棄してしまったのか。だが所詮どれも推測の域を出ない。

(――ま、考えても仕方が無い、か)

暫し自らの思考に没頭していた乃得留だが、やがて下した結論は「考えるだけ無意味」であった。
例え明確な理由があるにせよ、それが今後に影響を及ぼすわけでもない。圭介が自分の管理下に居ない事も、大局を見据えれば些細な事だ。
ましてや結果としては手元に置いておく煩わしさが無いまま、有効に彼を動かせる事にはなった。
今後はこの結果を踏まえた上で運用を考えていくべきなのだろう。思い通りに動かせない事に若干の不安は感じるのだが。

(それも、何時もの事だしね。予想外の事なんて起きて当然なんだし)

嘯くつもりもない。それは乃得留の本心だった。
元々彼女はあまり予想というものを好まないタイプの人間だった。というよりは偏った決めつけをしないというべきだろうか。
未来を予測しシナリオを構成する、それは確かに淀み無く円滑に場を支配するには大切な技能であるのだろう。
だがそれに囚われ自らを見失う危険性を、乃得留は何よりも怖れていた。
予測を違えて混乱する事、「そんなはずはない」「こうであるはずだった」と言い訳を並べ立て現実から目を背けてしまう事。
それが例え数瞬であったとしても、死に繋がる可能性がある。特にこの「ゲーム」においては尚更だ。
過去の「ゲーム」で命を落としたゲームマスターの数は決して少ないものではない。
その殆どが「予想外」に対応出来ないか、狼狽し自らを失った結果だった。
人間という生物を相手取る以上、可能性の数は星の数すら及ばない。
型に嵌めてはいけない。己の能力を過信してはいけない。予想が外れる事など当然有って然るべきなのだ。

今回とてそうだった。乃得留は改めてこれまでの「ゲーム」を振り返る。
早期に命を落としたサブマスター・利根川静香。スタート地点からPDAを持ち出さない2人の参加者。
そして「最初の犠牲者」として目論まれ選ばれたはずの人物の奇跡的な解除条件達成、更にはまさかのその状態からのゲーム続行。
そのどれもが大なり小なり彼女にとっては予想を違えたものだった。
だが乃得留はその全てを自らに適したものへと対応させた。静香の死を見せしめと利用し参加者に現実を直視させ、「A」と「Q」を二人きりになる状況へと導いた。
そして吉田二郎が鳴神圭介に接触を図るや否や、絶好のタイミングで彼を間接的に抹殺し圭介への交渉材料とした。
その驚異的とも言える修正能力、対応力こそが波多島乃得留の最大の武器。数ある才の中でも彼女が最も自信を持っている能力なのだ。

物事とは人体を流れる血流のようだと、乃得留は常々考えている。
指先に至るまで身体中に無数に存在する血管。その一つ一つを気にかける人間など居はしない。
そしてその一つ一つが傷付き血が流れたとて、それだけで絶命に至るものではない。
適切な処置を施し有るべき循環を保ちさえすれば。心臓という中枢にさえ重篤な影響を及ぼさなければ。大事に至りはしないのだ。
なのに傷付いた事に混乱し、思考を失っている間に致死量の血液を失う者も居る。
実に愚か。救いようが無い。然るべき治療を行えば動脈の損傷すらも取り返しが付くものであるのに。
そういえば生前の彼女はその典型例だったか、と乃得留は利根川静香の姿を思い浮かべる。
世辞ではなく優秀な女性だった。だが同時にその能力に自惚れを抱きしばしば迂闊な面がみられる女性でもあった。
彼女の死因は未だ判明してはいないが恐らくはその気質に殺されたようなものなのだろう。
サブマスターである自分が、まさか戦闘禁止時間帯に命を落とす危険性など微塵も想像していなかったに違いない。
気付く事が出来れば何処かで修正は可能であったはずなのに。己の能力に溺れなければあんな無惨な死に様を迎えずに済んだかもしれないのに。
静香は事有る毎に自分をライバル視していた。そしてそれを疎ましく思った事は無く寧ろ光栄だと感じてさえいた。
彼女はそれだけの才ある人間であったのだ。それだけに残念でならないと乃得留は今でも思っている。

(まあ、性格的には相容れない人ではあったけど――さて、圭介くん。君はどうなのかしら?)

だが惜しむ気持ちは有れど、悲しいとは感じない。乃得留もまた「組織」の人間、そして過去の「ゲーム」の経験者。
人の命など言われる程に価値は無いと、そう宣言して已まない悪鬼の一員なのだ。
あっさりと思考は切り替わり再び圭介について舞い戻る。
対応力、という点においては未熟なれど中々に目を見張る才を持っている。本人は否定するだろうがこれまで数々の窮地を乗り越え生き延びてきた事が何よりの証だ。
そんな彼がこの先何を見せてくれるのか。魅力的なまでに無惨な死なのか、それとも。

(それとも、本当に私に追い付いてくれる? 私は待っていてもいいのかしら?)

ふふ、と乃得留は唇の端を綻ばせる。
何一つ果たせずともそれはそれで構わない。けれどももし、とんでもない何かを起こしてくれるのならば。心躍る展開となるだろう。
そしてもしそれが、自分にとって不都合なものであるのだとしても。受け入れ対応する準備は出来ている。
「殺し合いのゲーム」という大前提さえ崩れていなければ、どうとでも修正は可能なのだ。

予想はしない。だが期待はしていよう。そんな風に思いながら。
才女はゆっくりと。圭介の去っていった方向とは逆に歩み始めた。





ゲーム開始より45時間30分経過/残り27時間30分



[21380] EPISODE-55
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/08/08 20:23
足を止め、振り返る。
その景色の中には、空間には。誰の姿も存在していない。
居たはずの人物と「別れた」場所は既に遥か遠く。その距離を引き離したのは他でもない自分自身。
後戻りは出来ない。出来るはずもない。自分が望み選んだのは前に向かって進む事だから。
鳴神圭介は立ち止まったまま大きく息を吐く。そして二、三度両手で頬を張るともう一度進行方向に目を向けた。

「――よし」

短く一声、そしてその一歩を前に進ませる。そのままくるりと全体に視線を巡らせ罠の有無を確認。
もう二日近くもこの施設内を駆け回ってきた所為なのか、これまでは入念に行っていたその作業も今やそれだけで事足りた。

――さて、これからどうするか。

歩みを進めつつ圭介は考える。意を決して乃得留と決別したものの、正直前途は多難であった。
まず美雪たちが何処に居るのかがわからない。彼女たちと別れた戦闘禁止エリアすらも一度階下に落とされた所為で相当の距離が離れてしまっている。
まさか未だにあの部屋に留まっているとは思えないので、どう足跡を追えばいいのかわからない。
そしてもし仮に、追いつく事が出来たのだとしても。一体どの面を下げて彼女たちに対面しろと言うのか。
現状美雪たちにとって自分は裏切り者以外の何者でもない。罵られるだけで済めば問題は無いが最悪武器を向けられる可能性だってある。
更にはその道中において、何事も起こらないという保証もない。
彼女らが既に5階へ到達しているとすれば引き離された距離はほぼ丸一フロア。そしてその領域は紛れも無い戦闘領域だ。
戦いを避けるにせよ受け入れるにせよ、はたして乗り切る事が出来るのか。所詮は凡人でしかない自分に。

(それに――)

胸元に手を伸ばし、触れた指の固い感触に圭介はぎりりと歯の根を鳴らす。
もしその襲ってきた参加者が、木戸と長沢であったとしたならば。はたして自分は冷静でいられるのだろうか。
自分に道を示してくれた、恩人であるこの眼鏡の持ち主、吉田二郎を殺したあの二人。その姿を思い浮かべるだけでどす黒い殺意に侵されそうになる。
正気を保てる自信が無い。感情のままに突貫してしまいそうになる自分が怖い。心の整理は未だ付いてはいないのだ。
入念な準備も計画も無ければ悪戯に死期を早めてしまうと、理屈ではわかっているはずなのに。

(――考えるな、今は)

思わず駄目な方に熱くなってしまう頭をどうにか鎮めようと圭介は自らに言い聞かせる。
心は熱いままでいい。だが頭は逆に冷静でいろ。
そうでなければ自分の本領は発揮出来ない。自分の武器は何であるのか思い出せ、と。
考えるべき事など他に山のように有る。それは積み上げられた難題を少しずつでも崩していく事。

目指すべきもののために。果たしたい思いの為に。
そしてその先の――希望のために!

(ああ、そうさ! そうでなきゃ前になんて進めやしないだろう!)

苦悩も苦難も振り払うように。圭介は自らの理想を思い描く。
美雪が笑う、菜緒が笑う。自分と共に在りながら、それでも笑顔を絶やさない。
そして側にはかれんも居て、また同じ表情。楯岡の笑顔までは流石に想像出来なかったがそれでも敢えて考える。
サングラスの下に隠されていた美丈夫を柔らかく崩した様は思っていた以上に絵に成っており、何だか少しばかり面白くない。
けれどもその光景こそが、自分の手に入れたいものだ。そのためならばどんな困難も苦に成りはしない、自信を持ってそう言える。

「おっしゃ!」

何とか上手く気持ちを切り替えられた、と圭介は声を張る。
そして同時に気付く。今までの自分ならば、決してこんな切り替え方はしなかったであろうと。
現実を見る事を第一に考えていた。どんな困難でも敢えて受け入れ、そして耐える事で打開策を見出していた。
けれども今は違う。例え為し得ぬ妄想であったとしても、それを支えに生きていく事が出来る。どちらがより良いなどとは、考えるまでもない。

(そうか、これが――)

肌が粟立つ、心が弾む。
こんな感覚は久しく忘れてしまっていた。自分にはもう、失われてしまった考え方だと思い込んでいた時期も有った。
でも、そうではなかった。確かにそれは自分の中に存在していたのだ。

(これが、夢を見るって事なのか!)

一体何を大仰に考えていたのだろう。何を達観し、諦観していたのだろう。どうして自分には出来ないと、決めつけてしまっていたのだろう。
それはこんなにも簡単な事だった。難しく考える必要などなかった。
吉田が嘗て言った通り。それはごく単純に、当たり前に出来る事であったのだ。

「馬鹿だよなあ――ホント、俺ってば」

思わず呆れ心地になる。たったそれだけに気付くために、どれだけ悩み時間をかけてきたのか。
それともこんな時だから、こんな場所だからこそ気付けたと言うのだろうか。だとしたらこれ程皮肉な事は無い。
だが兎にも角にも間に合った。そんな気がした。
これならば大丈夫だ、そう感じられる自分が今此処に居る。
唇を湿らせようと舌舐めずりすると、微かな血の臭いと味が圭介の口腔に広がった。
そういえば、何時からこんな癖が身に付いてしまっていたのだろう。
無力さを、悔しさを、絶望を。感じる度に唇を噛み締めていた。それが今までの自分を象徴していたように感じられた。
耐えるために。唇に歯を突き立てる。その痛みが奮起を促していた。
中途半端に、小器用に。立ち回れている内はそれでもよかったのだろう。
でも今は駄目だ。そんなストイックに自分を追い込むやり方ではなく、大志を抱いて前に進まなければ。
「耐える」と言う事はその場に留まる事でしか無いのだから。
ならばどうする? 自然答えは浮かび上がっていた。今の気持ちに素直になれば、それがきっと正しい事なのだろう。

「ははっ!」

憚る事無く圭介は笑う。そう、この場合は笑う事こそ正解だ。
愉しみを抱くのが夢であるならば、其処には笑顔が無くてはならない。

だから、笑え。耐えるのではなく進め。暗い気持ちも暗い現実も、心の隅に追いやってしまえ。
絶望的なマイナスが其処にあるのならば――圧倒的なプラスで押し返してみせろ!

多少強引に考えを帰結させ、圭介は頬に手を当てる。まだ不慣れである所為か、どうにもぎこちなさは否めない。
それでも以前よりはずっと気楽な感じがした。だから今はこれでいい、そう思う事が出来た。
何時かは吉田がそうであったように、自然と笑える時も来るだろう。
その時までは努力を続けよう、そう少年は心に誓うのだった。





「うーん、参ったな」

だが一時間が経過した頃。圭介は通路の壁に身体を預けながら険しい顔つきとなっていた。
一先ずは美雪たちと別れた戦闘禁止エリアを目指してみようと出立したものの、程無くその考えの甘さに気付かされてしまった。
今圭介が視線を落とすPDAの画面には地図機能が展開されている。だがその地図には「戦闘禁止エリア」の表記が記されてはいなかったのだ。
本来はそれが当然であるのだが、生憎圭介が今まで認識していた「地図」とは拡張ツールによってその機能を拡大させた美雪のPDAのそれである。
色分けされた区画と機能を有した部屋の表記。それを頼りに今まで移動を行っていた。
だが今は美雪は側に居らず、彼女のPDAも無い。JOKERで機能を複写しようにもそのJOKERすらも手元には無い。
記憶を辿ろうにも漠然としたものですら無い。そもそもナビゲーションは美雪一人に一任していた所為でこのフロアの地図は殆ど目にしてはいなかったのだ。
それでも必死にこの不親切な地図と格闘しながら移動を続けて来たのだが、此処に来て完全に手詰まりとなってしまった。
無機質な図形の集合体のような地図のどの場所があの部屋であったのか、まるで判別が付かない。
そう。有り体に言えば圭介は今、道に迷ってしまっていたのだ。

とは言え事態はそこまで深刻な状況というわけでもない。
元より有るかどうかもわからない情報が残されている事を僅かに期待していただけで、戦闘禁止エリアに立ち寄る事自体は別に不可能でも特に支障は無い。
そして次の目的地となる5階への階段は流石の初期設定の地図でもきちんとその属性通りに記載されているので、これまた問題にはならない。
つまり寄り道を諦め一足飛びに5階へ向かうべく方針を修正さえすれば何も気にする必要は無いのだ。
だが今まで当たり前に行われていた事が出来なくなった、という煩わしさはどうしても拭えない。現状の不便さという点は如何ともし難い事実である。
戦闘禁止エリアは元より他の部屋も種別がわからないでは一々その場その場で調べなければならない。
さすれば武器を探す事も、各々の施設を利用するにも手間がかかろうと言うものだ。
今までならば「武器庫」や「資材室」と記載された部屋に向かうだけで良かったのに。
つくづく自分はあの高性能な地図に頼りっ放しだったのだな、と圭介はPDAの角で唇を突きながら反省した。

(それと――美雪にも、か)

そしてそのPDAを操っていた少女にも思いを馳せる。そんな重要な任を自分は他人に委ねきっていたのかと。
だが不思議とその点に関しては後悔は無い。あの時は互いが互いを補い合っていた。そうする事が当然だと思っていた。
それはチームとして行動していたという証であり、つまりは自分たちは揺ぎ無い信頼関係で結ばれていたという事なのだ。
後ろ暗い真実を抱えていた自分を、あれほどまでに信じてくれていた。初対面であるはずの自分を、決して打算的にではなく。
だから、あの時の関係を再び取り戻したい。改めてそう思えるのだ。

――さて、それではどうするか。

やる気に再び火が灯り、現状を如何に打破するか。そう圭介が考え始めた時だった。

(っ!?)

ぞわり、と全身が総毛立つ。鋭敏になった感覚が奇怪な気配を感じ取った。

(な、んだ――?)

慌てて周囲を見渡すも目の前の景色に変化は無い。となればこれは予感だと圭介は確信した。
良くない事がこれから起こる。そんな予感であると経験則を元に判断出来る。
そしてこの施設においてのそれは、最早何であるかなど言うまでも無い。
敵が居る。すぐ近くに。剥き出しの牙をこの身に突き立てんと、獣が此方へ向かって来ているのだ。

拙い、と圭介は再度辺りに視線を走らせる。まず目についたのは数メートル後方の二連の扉。
続けざまにPDAの地図機能を展開させ、その内の一つが通り抜け出来る小部屋である事を確認する。
すぐさま回転。扉に向けてダッシュ。ドアノブに手をかけ勢い良く開け放つ。
その瞬間。その予感と判断は正解であったと圭介は思い知った。
本来の自分の進行方向。その先の分岐から、小さな影が飛び出して来た。

(――あれは!)

想像の産物に過ぎなかった獣の姿を想起させる身のこなし。「それ」は圭介とは比較にならない速さで周囲に視線を巡らせるとこちらに銃口を向けてくる。
圭介が床を蹴る。部屋に向かってダイビング。
通路との境をその身体が跨ぐ寸前、盾にするように開かれていた扉の表側で、同時に2発の着弾音が鳴り響いた。

「あっぶねえ――見境なしかよまったくっ!」

転がるように室内に入り込んだ圭介は中の確認も程々に、直ちに逆方向の扉から逃走を企てる。
まだ急場を凌いだだけで逃げ切れたというには程遠い。相手が追撃を諦めるまで距離を離さねば、窮地を乗り切ったとは言い切れない。
そして銃撃を放ってきた「それ」は、恐らく生半可な距離で諦めるような相手では無いのだ。
見間違えようにも見間違えるわけもない。その特徴的な外観は、参加者の中ではきっと大門と双璧であるだろう。

黒江唯子。その幼き体躯に静かな殺意を秘めた黒き衣服の少女。彼女と初めて出会ったのはもう一日以上も前になるがその時の記憶は圭介の脳裏に鮮明に焼き付いている。
戦闘禁止エリアの扉の外に待ち構え、菜緒の首を薙ごうとしたその冷徹さと強かさ。
そして失敗に終わったと見るや一瞬の間も置かず撤退した周到さ。その何れもが恐怖に値するものだった。
見た目に惑わされてはならない。侮ってはならない。そう思わせるに十分足る少女だった。
その唯子が遂に拳銃という飛び道具を手にして現れた。つまり今や彼女は木戸や長沢に匹敵する難敵となってしまったのだ。

「つーか、何なんだよあの子はっ!」

扉を抜け、唯子とは逆方向に逃走経路を定めつつ走りながら。圭介は思わず呻くように叫ぶ。
彼女が銃器の行使に躊躇いを持たないであろうことは想像の範疇だった。
だが接敵と同時に発砲された弾丸の数と行方を鑑みれば、彼女が相当にそれを使いこなせている事が容易に見て取れる。
どうしてそうまで巧みに使役出来るというのか。過去に使用した経験があるのか、それともこの「ゲーム」内でそのレベルに至るまでの修練を積んだのか。
どちらにしてもまともでは無い。前者であるならばその履歴に、後者ならばその感性に尋常ならぬ問題がある。

(――どわっ!)

暫し走り続け、漸く振り切ったと思える距離を稼いだと圭介が思い始めた途端、先の通路の視界の端にまた小さな黒い影が現れる。

(先回りされてる!? なんで!?)

急制動、急転回。近くの扉を開け放ち、射線を遮りながら圭介はまた走る。
細かく分岐を折れ進み、追跡を巻こうと持てる術の全てを使うがどうしても振り切れない。

脇を銃弾が掠める、扉に当たる。漸く背後から気配がしなくなったと思えば前方からまた現れる。
弾切れにでもなれば流石に諦めるかと思いきや肩から下げたバッグからマガジンを取り出し拳銃に装填する。

(し――つけえっ!!)

悲鳴じみた叫びを内に、圭介は幾度目かの室内退避を企てた。勿論通過に使用できる事は確認済み。
袋小路に飛び込んでしまえばその瞬間に全てが終わる。逃げ場の無い室内で彼女と対面すれば瞬間蜂の巣にされてしまう事だろう。

(く、そ――何とかならねえのかよ!)

荒く息を切らせながら圭介は頭脳をフルに回転させる。
正直このままではじり貧だ。何故か体力面においても唯子は自分の上を行っているようでその動きに未だ衰えは見られない。
これでは遅かれ早かれ追いつかれてしまう。そして仕留められてしまう。
ならば、逃げ切る事が不可能であるならば。何か別の方策を早急に打ち立てねばならない。

(説得――出来るのか? あれを?)

まず思い浮かんだのは自分の得意分野に持ちこむ事だった。何とか口八丁手八丁で、彼女に手を引かせる方法は無いだろうかと考える。
そもそも唯子は何故、こうまで執拗に自分を狙って来るのだろうか。どうして自分を、古くは菜緒を殺そうとまでするのだろうか。
その理由に解決の糸口が見つかるかもしれない、と思考を巡らせるも途端に圭介は絶望的な事実に気付いてしまった。

(ああ、くそ! そうか、そういう事かよ!)

この「ゲーム」において殺人に加担する理由が有るとするならば、それはほぼ間違い無く首輪の解除条件に起因している。
つまり唯子はキラーカードを引き当ててしまった。圭介と同様に誰かを殺さねば助からない運命なのだ。
そして先の戦闘禁止エリアでの楯岡の分析により、全参加者に宛がわれたカードはほぼ確定している。
その記憶を遡れば、唯子のカードは「9」。条件は――「自分を除いた全参加者の死亡」。

(どう説得しろってんだよ、こんなの!)

通路に飛び出し、右へと曲がる。其処に唯子の姿は無かったが、そう遠くない距離に居ると妙な確信があった。
これでは如何な条件を提示した処で彼女が首を縦に振る理由は無い。
何れ自分以外の全ての参加者を殺さねばならないなら、こちらの命を差し出す以外に取引となる条件は無い。

無理なのか。諦めてしまうべきなのか。このまま速やかに死を受け入れるべきなのか。
そんな考えが不意に圭介の頭を過ぎる。

(――冗談じゃないっ!)

だが否定。今更そんな甘えは許されない、許せない。
あれだけの大見栄を乃得留に切っておいて、いきなりこんな簡単に死ねるわけもない。吉田に救われた命をそんな簡単に捨てられるわけもない。
そして何よりも。夢を抱いて踏み出した第一歩でこんな簡単に躓いてはいられないのだ。

(まだ死ねるかよ――俺の死に場所は、此処じゃないんだっ!)

背負っているものは大きい。だがだからこそそれが原動力となる。
唇を歪ませ圭介は無理に笑う。前へ進め、と自分に強く言い聞かせる。
アイツを騙せないなら、自分を騙せ。無理だと感じる自分を騙せ。
諦めなければ――まだ活路はある!

「っ!!」

そして姿を現す幼き死神。今度の距離はやや近い。背を向けるにはかなり危険な状況。
すぐに目の前の扉を開き盾にする。圭介の視界から唯子の姿が消える。
着弾音。そして機器を操作する微かな音。それがマガジンを入れ替える音だと圭介は瞬時に判断する。

(――なら!)

今までならばその隙を、逃走のために利用していた。
だが今は逆。圭介は扉の陰からその身を踊り出させ、唯子に向かって猛烈な勢いで突進する。

「うおおおっ!!」

両腕を頭の前で交差させ、咆哮と共に地を駆ける。
体格だけなら勝っている。それだけは動かしようの無い事実。ならば接近すれば勝機はある。
発砲される前に、仮にされても致命傷さえ受けなければ。体当たりを喰らわせられれば、組み伏せる事が出来る。
そして打撃を与え、武器と残弾の入ったあのバッグさえ奪い取れれば。形勢は逆転できると信じて圭介は走る。

「――」

対する唯子は慌てた様子も無く、冷静に装填を完了させる。
まだ二人の間は遠い。このままでは唯子が拳銃を構え、狙いを定めて引き金を引く方が早いと思われた。
だが既に賽は投げられた。修正は不可能、このまま突っ込むしか術は無い。

「おおおあっ!!」

雄叫びを上げ続けるのは恐怖を振り払うためなのか。少しでも威嚇になればという算段か。
しっかと目を見開きながら、圭介は唯子に向けて突貫する。

現状だけを客観的に分析すれば。圭介に勝ち目は微塵も無かった。
圭介は知らない。黒江唯子が武器の扱いに長けているのは、彼女が途方も無い時間を裏社会で生きて来たからであると。
そんな彼女が凡人である圭介の突貫などには些かも取り乱す事は無いのだと。
もし唯子がこのまま引き金を引けば、狙いを外す事は有り得ない。
仮に圭介がその銃創をものともせず彼女を組み伏せる事が出来たとしても、そのバッグから瞬時にナイフを抜き放ち圭介の首に突き立てていたであろう。

だが、そうはならなかったのは圭介の懸命な努力によるものだった。
諦めず、逃げ惑いながら必死に活路を見出そうとした。
逃げ場を失ってもそれでも前に進もうとした。唯子に対して闘う意思を見せた。
だからこそ、奇跡は起きた。それも圭介が予想もしなかった方向で。

「――え?」

その刹那。圭介は思わず違う声音を上げていた。
あの唯子でさえも。その驚きに目を見開いていた。
二人の間に、巨大な物体が。轟音を上げながら高速で飛来してきた。
そのままそれは二人の目の前で壁に衝突し、けたたましい音を立てて崩壊しその破片を四散させた。

(な、んだ――?)

慌てて急停止した圭介は元の体勢のままに両腕で破片を防御する。破片は一つだけ腕を掠め、その鈍い痛みが如何に猛烈な勢いで飛来してきたかを想起させる。
腕の間から唯子を見やればどうやら彼女は防御が間に合わなかったらしく、右肩を抑えながら微かに顔を歪めている。
その手に拳銃は携えられていない。痛みで取り落としてしまったのかと思えばそれは唯子の遥か後方に転がっており破片に弾き飛ばされた事が窺えた。

一体何が起きたのか。唯子を取り押さえる事も忘れ圭介は呆然と床に散らばるその破片を注視する。
木片と金属片の混合物。既に原形には見る影も無いそれでも元が何であったかは容易に推測出来た。
今まで何度か目にしてきた。そして圭介の元の日常においてもそれは馴染み深いものではあった。
だが、それは。決してこのような用途に使われるものではない。こんな使い方は、想定外とすら呼べるものではない。

(なんで――何でいきなり机が飛んで来るんだよっ!!)

確かこの規格のものは今まで訪れた部屋に幾つか積み上げられていたものだ、と圭介は記憶している。
何処にでも有るがどうにも使えない。こんな施設のこんな状況でまさか席を形作り座る意味も見出せない。
精々が休息のために腰掛けるという本来の用途から些か外れた形でしか役には立たないものだった。
そんなものがどうして突然飛来してくるという異常が発生してしまったのか。

いや、そうではない。圭介は次の瞬間に気付く。異常は自然発生したのではない。異常は何者かによって起こされたのだと。
机が勝手に空を飛ぶはずがない。そんな事は有り得ない。ならば誰かが空を飛ばさせた。
それすらも常識的には有り得ない事ではあるのだが。だが不可能ではない。
そしてそれをいとも容易く可能とする者がただ独り――この「ゲーム」には存在する。

「――あ」

机が飛んできた方向に、恐る恐る目を向ける。
その者は確かに其処に居た。投擲を為したその構えのままに。
力無き者であるならば両手で持ち上げる事すら困難であるはずの机を、まるでボールでも投げ終えたかのように。
天を突くばかりの巨躯の持ち主が。丸太のように太く分厚い手足を持った巨人が、其処には居た。

「大門――さん」
「――」

圭介がその名を呼ぶや否や。巨人が大股でゆっくりと此方に向かって近付いて来た。





ゲーム開始より47時間04分経過/残り25時間56分



[21380] EPISODE-56
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/09/25 17:54
思わず我が目を疑わずには居られなかった。幻覚であって欲しいとさえ思った。
だがその特徴的な巨体をまさか見紛うはずもなく。否応無しに圭介は「彼」の登場を認識せざるを得なかった。

大門三四郎。誰よりも大きく誰よりもぶ厚い、「規格外」の体現者。
その身そのものが重火器に匹敵する、圧倒的な破壊力の持ち主。その彼が再び自分の前に現れたのだと。
少し視線を外せばその巨体の後方に開け放たれた扉が一つ。唐突に現れたように見えたのは恐らくその部屋に潜んでいたからなのだろう。
そして喧騒を聞き付け、その部屋にあった机を持ち出し投げつけてきたのだ。

「――」

机の炸裂により動きを止めていた唯子が再び立ち上がる。
感情の無い黒の瞳が圭介と大門の間を微かに往復し、そしてそのまま背を向ける。
第三者の、しかも異常なる体躯の持ち主の出現に自らの不利を悟ったのだろうか。
弾き飛ばされた拳銃を拾い上げ、そのまま現れた方向、圭介と大門とは逆の方向へ駆け足で去っていく。
程無く姿が消えたのは最近の分岐を曲がったからなのだろう。その一連の様を見届け終えた瞬間、圭介は自らの愚かさに気付かされた。

何を悠長に呆けているのだろう。彼女のその判断と行動は本来自分こそが取るべきものではなかったか。
幾度となく遭遇し、その度にその身に痛みを刻み込まれてきた自分こそが一刻も早く大門の前から姿を消すべきではなかったか。

「っ!!」

振り向けば。巨人の姿はすぐ間近にまで接近していた。
大門の丸太のような腕が伸びてくる。慌てて身を翻そうとするがもう遅い。
右肩を、掴まれた。振り解こうと全身を捩れどもがちり、と食い込んだ指がそれを許さない。

「がっ!」

抵抗虚しくそのまま身体を背中から壁に叩きつけられた。衝撃で息が詰まる、目が眩む。

「ぐ、う――っ!!」

寸での処で気絶は避けられたものの、気付けば既に目の前で固められた拳が振り翳されていた。
鍛え抜かれた巨人の拳が。驚異的な威力の籠められた必殺の拳が。解き放たれるその瞬間を待ち侘びている。
考え得る限りの最悪の状況だった。身体は壁に縫い止められ、身動きもままならない。この状態ではとても攻撃などかわせるべくもない。
しかも相手が大門となればその一撃はこの身を傷付けるには留まらない。
正に絶体絶命。逃れる術など果たして存在するのだろうか。
有るはずも無い。だが諦めれば死ぬ。ならば何処までも無様に足掻くしか無いと、圭介は大門の顔を睨みつける。
せめてもの抵抗。そして願わくば其処から脱出の糸口をと。

(――え?)

だが。その瞬間、圭介は気付かされた。大門の表情が、嘗ての殺意と激憤を露わにしていたものとは一変しているという事に。

「――く」

歯を食いしばり、何か痛みに耐えている様な、そんな表情。
まるで拳を振り下ろす事に苦渋の決断を強いられているような、というのは都合の良過ぎる解釈であるだろうか。
しかしそれが正解であると語るかの如く、処断の時は何時まで経っても訪れない。
掲げられた右腕はその高さのままに、小刻みに震えているようにも見える。
迷っているのか。このまま自分を殺してしまう事を。
今まで散々致死に至る攻撃を繰り広げておきながら。この土壇場になって躊躇う理由が出来てしまったとでも言うのだろうか。

(――そうか、そういう事、か)

程無く圭介はその答えに思い至る。記憶を辿ればその推測は容易であった。
そう、大門には出来てしまったのだ。忌むべき敵と定めていたはずの、自分を殺せない確かな理由が。
あの時の吉田の言葉が、響いているのだ。自分を救うため、戦闘に身体を張って介入してきた彼にとっては名も知らぬ男性の言葉が。
「鍛えた拳を無力な人間に無闇に振うものではない」、その言葉は空手の頂点を極めた大門には殊更に堪えるものだったのだろう。
大切な仲間を失い、信じていた仲間に裏切られた。彼にとって「善」であったものは全て消え失せるか「悪」と成り果ててしまった。
だからこそ大門は狂ってしまった。力だけが突出していた好漢はその行き過ぎた正義感により暴虐の徒と化してしまった。
だが、そんな中で純粋過ぎる程の吉田二郎という「善」と出会ってしまった。そしてその「善」は有ろう事か「悪」と定めた人間の味方であった。
その瞬間に、大門は気付いてしまったのだろう。目に見える全てが「悪」であるという自分の考えは間違っているのかもしれないと。
そんな迷いの最中、自分と唯子の戦闘に出くわしてしまった。それが益々混乱を加速させてしまったのだろう。

「答えろ。なぜあんな小さな女の子を襲っていた」

此処まで考察が辿り着けば今の状況にも納得が出来る。漸く絞り出された大門の質問にも然して戸惑う事は無い。
一見言いがかりに等しいそれも客観的に一部分を切り取れば、まさしくそれは自分が唯子に襲いかかったように見えたであろう。
唯子の素性を知らねば一体誰があんな幼女の方にこそが加害者であったと受け取れるだろうか。
やはり鳴神圭介は悪人であった、そう大門が思い込んでも無理も無いとは言える。
だがまだ悪人だと完全な認定はされていない。圭介はそう確信する。でなければこの拳はとうの昔に振り下ろされている。
ならばまだ十分に挽回の利く範囲だ、と圭介は改めて大門の顔を見据えた。

「別に、襲ってやしませんよ。逆に襲われていたからこそ抵抗した、それだけです」
「また嘘を吐くつもりか」
「嘘じゃありませんよ。銃を持っていたのはあの子の方です。大門さんにも銃声は聞こえていたでしょう?」
「そ、そんなもの隠そうと思えば幾らでも」
「ついさっきまで闘ってた人間にそんな余裕があるとでも? 何なら身体検査も受け入れますけれど」

少々強気過ぎる物言いだったか、と思いつつもそれは大門にも心当たりが有ったのだろう。ぐむ、という無念そうな唸り声が上がる。
そう、あれ程近くに潜んでいたならばあの乱射された唯子の銃声が聞こえていないはずがない。
皮肉にも「武器を所持していなかった」という事実こそが今、大門に対抗出来る武器となっているのだ。

「馬鹿な、信じられない。あんな子まで、人を殺そうとしていたなんて――」
「――」

項垂れる大門に、圭介は一瞬口を挟むべきかと迷った。
黒江唯子は恐らくもう既に「人を殺して」いる。それも大門がこうなってしまった原因である「古谷小枝子」を、だ。
容疑者として挙げられる人物のうちまず乃得留は「直接は関わっていない」口ぶりであったので除外できる。
そして木戸や長沢の手口としては考えたくも無いが、「もう少し死体に苛烈な損傷が残っている」べきだろう。
この推測を告げるべきか否か。暫しの逡巡の後、圭介は敢えて言及しない事にした。
例えそれが事実であってもこの状況下で一方的にこの場に居ない唯子を悪人に仕立て上げるのは卑怯な態度と受け取られるかもしれない。
それが大門の逆鱗に触れてはたまらない。会話が交わせる間柄に落ち着いているとはいえ、依然間合いは巨人の拳の射程圏なのだ。

「――わからない。いったい何が正しくて、何が間違っているんだ」

俯きながら大門は呟く。弱々しく、苦渋の表情を浮かべながら。

「ノエルさんは、悪人だった。君もそうだった――はずだった。なのにそんな君を今度は命がけで助けようとする人が現れて――」
「――」

おそらく大門にとってこの「ゲーム」の出来事はあまりにも常軌を逸していたのだろう。
生き残るためならば平気で他人を騙す。人の命を奪う。其処には性別も年齢も関係無く、ただ抜き身の感情だけが交差する。
だからわからなくなってしまった。一体誰を、何を信じればいいのか。
一度は狂気に身を窶す事でそんな思考を放棄する事が出来た。だが理性を取り戻した今だからこそ、道を失ってしまっている。
なまじ力を持ってしまっているが故に、対抗する術を携えているが故に。余計にその悩みは深い。
今もまたこの拳を振り下ろすべきか否なのか。その判断がもう出来なくなってしまっているのだ。

「どうすれば、いいんだ――ボクはこれから一体、どうすれば――」

うわ言のように呟き続ける大門の苦悩を、今ならば圭介は理解出来る。
身に余る状況の変化に、日常でのやり方は通用しなかった。だからこそ惑い誤り、道を踏み外しかけてしまった。
暴力で、或いは言葉で様々な人を傷付け続け、そしてその結果が間違いである事に気づき、無明の闇に嵌り込んでしまった。
同じなのだ。大門と自分は。形こそ違えど、この「ゲーム」で己を歪め捻じ曲げられた事に何ら変わりはなかったのだ。
ならば、今の自分にでも。いや、今の自分にならば。
出来る事があるはずだ。彼よりも一歩先んじて、少しずつでも前に進もうとしている自分であるならば。

「――それでも」

虚ろな瞳を最早合わせようともしない大門の左手に、圭介は静かに手を添える。
拘束を振り解こうと力を込めるでもなくただ、静かに。

「それでも、自分の先行きは。自分で決めるしかないんです、大門さん」
「!?」

決して声を張り上げたわけではない。それでもその言葉は大門に届ける事が出来た。
俯いていた顔が上がる。再びその視線が、自分に向けて注がれるのを確かに感じる。

「それが例え間違っているのだとしても。また他人を傷付ける事になってしまっても。それが自分で決めた事ならいいんです、それで」
「な――」

そして重ねて続けたその言葉に、大門の表情が愕然と変化した。

「な、何を言っているんだ君は! そんな身勝手な言い分が許されるわけが!」
「許す許さないは結局他人の判断です。だから気にする必要も無い」

我儘に、有るがままに。それは圭介が吉田から学び教わった生き方だった。
迷いが有るなら自分の中に一本の芯を通す。決して折れる事の無い、強靭で強固な信念を。
多少歪ではあるが故に単純なその考え方により、圭介は再び自分を取り戻す事が出来た。だからこそ同じ境遇の大門にも伝えたかった。
迷いの霧を晴らすのは、自分自身の手で行わなければならないのだと。
無論これだけで説得が成立するとは圭介も最初から思ってはいない。自分たちと大門とでは決定的な差が有るのだから。

「だ、だったらもし――もしボクが君を悪人だと自分で決めつけたならば! 今ここで君は酷い怪我を負う事になるんだぞ! それでもいい、と君は言うのか!?」

そう。大門のように力を持ったものの決断は周囲に及ぼす影響は絶大なものとなる。
その力を遺憾無く発揮すれば他人を容易に傷付けると、自覚があるからこそ大門には馬鹿げた発想と聞こえる事だろう。
例に挙がった通り、偏った解釈が行われてしまえば瞬間その拳は放たれる。それでも許されるのか、と大門は問う。
冷静に状況を判断すれば到底許されるものではない。例えその心情を由としても自分が傷付けられてはたまったものではない。

けれども。

「――構いません」
「っ!!」

それでも圭介は自説を曲げず果敢に挑む。我が身可愛さの詭弁で大門の傷付いた心を揺り動かせるはずがない。
嘗てこの巨人の前に身を投げ出した大恩人のように。痛みの覚悟も無いままに己の信念が貫き通せるはずがないのだ。

「でも、それなら一つだけ約束して下さい。俺を打つならば、絶対に自分の覚悟と責任の上で打つのだと。決して感情に振り回されず、自分の意思で打って下さい」
「う――」

真っ直ぐに。圭介は大門に視線をぶつける。拳の代わりに言葉と思いを、大門に向け放つ。
結局は同じ事なのだ。例えどれ程の力を持っていたのだとしても。ただ力を持つ者には相応の覚悟が必要となる。
そしてその覚悟を享受しそれでも自分を曲げない者こそが真の強者と成り得るのだ。英雄として名を残せるのだ。
先刻までの大門はその覚悟も責任も持ってはいなかった。ただ狂うがままに暴力を振り撒く巨大な獣でしかなかった。
だが人でありたいと願うのならば。例え間違っているのだとしても自分の拳に責任を持ってもらいたい。
そのためならば喜んで犠牲になる、などとは勿論微塵も思ってはいないものの。それが大門の選択であるというならば圭介とて覚悟は出来ている。
この先何度追い立てられようとも、傷付けられようとも。互いに生きていられるならば構わない。
それが最初期にカードを偽った事で未来が歪んでしまった大門に対しての、せめてもの圭介にとっての責任の取り方だった。

「もちろんこのまま、俺への疑いを晴らしてくれるに越した事はありませんけれど」

大門は答えない。言葉を発する事が出来ない。

「でももう、大門さんも騙されたくはないでしょうから。どうか自分の判断に委ねて下さい。それでも大門さんならきっと正しい選択をしてくれる、俺はそう信じています」

その言葉を最後に、圭介は口を閉ざす。口にした通り、自身もまた大門の判断に委ねる事にする。
正直、迷いはある。これが本当に、最も冴えたやり方であったのかどうかと。
だが真なる状況の打開は大門自身の力を以って行わなければならない。彼が彼自身の思いで再び立ち上がらねばならないのだ。
だから信じるしかない。伝えるべき事を伝えた上で。
大門を、その純粋さを、正義感を。そして彼を信じると決めた自分自身の判断を。

訪れる静寂。過ぎ行くままに時が過ぎる。
はたしてどのくらい、時計の針は進んだのか。

「――あ」

そしてやがて。圭介の肩を掴んでいた大門の手から力がゆっくりと消えていった。
拘束が緩む、指が解かれる。巨人の腕が巻き戻るように、再び胸元へと引き寄せられていく。

「――君と初めて会った時の事を思い出したよ。時間的にはつい先日になるのにな」

訥々と語り始める大門の表情に目立った変化は見られない。だが確かに、纏う雰囲気に今までと違う何かが感じられる。

「ボクは見ての通りの風貌だ。初対面で怖がられる事には慣れている。というよりそれが当然の反応だともう諦めているのだけれど。
 それでもあの時の君は、毅然としてボクを見ながら話をしようとしてくれていたな――そう、今のように」

「大門さん――」
「そんな君を、立派な少年だと思った。絶対にこの子は誘拐犯などではない、と感じられた。だから」
「――」
「まだ上手く整理できていないけれど――その時の自分の気持ちを。ボクはもう一度信じてみたいと思う」
「っ!!」

その言葉が告げられるのを、どれ程に渇望した事だろう。どれ程に強く願っていただろう。
信じてみたい。その言葉には他ならぬ大門自身の確かな意思が含まれているように感じられた。

「あ――ありがとうございます!」

感謝を表さずにはいられなかった。気が付けば、素直な礼が圭介の口を吐いていた。

「やめてくれ、お礼なんて。ボクにはそんな資格は無い。それよりも、今まで本当に――済まなかった」

対する大門は巨体を折り曲げ深々と謝罪の頭を垂れる。信じると決めたからには今までの非は自分に有ると認めたという事なのだろう。

「いいんですよ、別に。きっと仕方の無い事だったんです」

そんな実直な対応が圭介には嬉しかった。やはり彼もまた、吉田同様に生粋の善人であったのだ。
だがそれが「ゲーム」を操るあの女性にとっては格好の獲物であった。だからこそあの変貌は不可避であったと言わざるを得ない。

「――許してくれるのか、こんなボクを」
「許すも何も、おかげさまで俺も大した怪我は負ってはいませんから」

それでもあれだけの猛攻に晒されてなお、五体満足でいる。その結果こそを重要視すべきだろう。
まだ大いなる過ちには至ってはいない。それが大門にとっての救いなのだ。

「そうか――ありがとう鳴神くん」

漸く巨人の口から安堵のため息が漏れる。それに応え圭介もまた強張った表情を緩める事が出来た。
思えば長く険しい道のりだった。此処に辿り着くまでに、一体どれだけの回り道を自分たちは強いられてきた事だろう。
争う理由は無いはずだった。いがみ合う必要もないはずだった。それなのに行き違いや擦れ違いを繰り返し。
他者に思いを捻じ曲げられ、何時しか当然のように敵対するようになってしまっていた。
だがそれももうこれで終わり。そう思える事の何と喜ばしい事であるだろうか。

(――っと、悦びに浸ってる場合でもないか)

しかしそうそう安心してばかりもいられない。和解が為されたといっても今はただそれだけでしかない。
それは漸く元の関係に立ち戻ったに過ぎないのだ。

「わかってもらえて何よりです。ところで大門さん、少々時間を頂いても構いませんか? 今の状況を出来る限りで説明したいと思いますので」
「そうだな、そうしてもらえると有り難い」

そこで圭介は早速状況説明を行う事にした。その関係を今よりも進めるためにまずはそれが先決であるだろうと。

「兎に角ボクにはわかってない事があまりにも多過ぎるし。それに気になってる事もある」
「気になってる事、ですか?」
「ああ、その――何だ。どうして君は独りで行動しているのかと」
「――」

確かに大門の立場からすれば圭介の味方となる人物が側に居るか、或いは現れなかったのは今回が初めてのケースとなる。
最悪の形で二人の同行者を失った彼だからこそ、気になってしまうのも無理は無い。そして実際にそれは半分正解であるのだ。

「――ええ、ですからそれを含めての説明、ですね」

吉田との死別、そして美雪たちとの決別。その発端となった自身の愚かさを踏まえた一切を、圭介はもう何一つ偽るつもりはなかった。
責められても構わない。自分の犯した過ちまでも「仕方ない」で済ませるつもりはない。その程度の潔さを持たずして一体どの口で説得を行ったと言うのか。
これまでの道のりを完結に脳内で纏めつつ、まずは一番最初に別れてからの事を説明する事にする。

「――実は俺のPDAのカードなんですが」
「うん」

だが。
それ以上の説明を圭介は大門に行う事は出来なかった。
圭介はまたも判断を誤ってしまっていたのだ。この状況下でまず第一に行う事は状況の説明ではなかったのだ。

「――ぐっ!」
「っ!!」

突如大門の顔が苦痛に歪む。その原因となったのは直前に響いた二発の銃声。
肩口に穿たれた銃痕から判断し即座に圭介が襲撃の方向に視線を向けると小さな黒い影が物陰に姿を隠す様が見て取れた。

(黒江唯子!? 戻ってきやがったのかよっ!!)

一体何度己の迂闊さを呪えばいいのだろうか。撤退したから、姿を消したから暫くは安全であるなどと何を安易に決めつけていたのか。
唯子は逃亡したわけではなかった。ただ様子を窺っていただけだったのだ。
例え2対1でも分の悪さが露見するのはあくまで接近戦でのみの事。一旦距離を取れば再び自分の領域へと引き込めると判断したのだろう。
そして悔しいかなその判断は的確だった。大門もまた圭介同様武器の類は所持していない。規格外のそのリーチも遠距離戦ではまるで意味を為しはしないだろう。
このままでは二人纏めて蜂の巣にされる。そしてその最悪の結果こそが「参加者を全て死亡」させねばならない唯子にとっての目論見であるのだ。

「大門さんっ! 早く逃げ――」

最早一刻の猶予も無い。だが無情にも次なる銃撃で大門の脚部から血飛沫が舞う。

(あ――)

絶望的な光景。逃走を成功させるべき最大の原動力、足を潰されてしまった。
これでは歩く事すら容易ではない。ましてや拳銃を片手に追撃してくる相手を振り切るなど到底不可能だ。

「先に行け、鳴神くんっ!」

そんな状況下、深手を負った張本人であるはずの大門からまさかの叫びが放たれる。

「そんな!?」

圭介は思わず耳を疑った。まさかその身体で殿を務めると言うのだろうか。この状態で独り立ち残り、あの武装少女を相手取ると言うのだろうか。
そんな馬鹿げた話があるか、と言葉が喉まで出かかるが確かに他に術など無い。
圭介の力では大門を背負って移動などする事など出来ない。二人で逃げるという選択肢が取れない以上は唯子に立ち向かい撃退するより他は無い。
そしてその場合には鳴神圭介という存在は足手纏い以外の何者でもないのだ。

「ボクなら大丈夫だ! この程度でやられる程ヤワな鍛え方はしていない! さあ早く!」
「けど!」

それでも迷いを振り切れない。そうすれば最悪自分だけは助かるのだとしても、いやだからこそ容易には選択できない。
やっと誤解が解けたのだ。漸く争う理由が無くなったのだ。それなのにこんな形で決別するなど許されるわけもない。
何か出来る事は残されているはず、そう念じつつ圭介は脳細胞を激しく回転させる。
だが混乱の最中、思考は上手く纏まらず、どうにか出来るだけの手札も猶予も圭介には残されていなかった。

「頼む――ボクを信じてくれ」

身体を壁際に寄せなるべく的にならないよう、その上で圭介を庇うように。血濡れの巨人が静かに呟く。
それはつい先刻圭介が大門を説得するために用いたものと同じ言葉。皮肉にもそれが最後の決定打となってしまった。

「――信じます、大門さんっ!」

苦渋の決断。血を吐くような叫びと共に圭介はその場から離脱する。
こうなれば信じるしかない。大門が無事命を永らえつつも時間を稼いでくれる事を。自分が羨み嫉妬したその強さで唯子の攻撃を持ち堪えてくれる事を。

(くそっ! 何処まで俺は役立たずなんだよ!)

己の無力さを呪いながら走り遠ざかる。戦闘の助力とならないばかりか、結果だけ見れば最悪の事態を引き起こしてしまった。
それも唯一の武器と拠り所にしていた話術がその起因となってしまった。
はたして此処からの挽回は可能であるのか。そうであると信じたい。でなければあまりにも残酷な運命ではないか。

(兎に角武器だ――武器を探さないと!)

無論このまま独り逃れるつもりはない。このまま大門を捨て置くわけにはいかない。
そのためには一刻も早く唯子に対抗できる武器を発見する。その上で再び大門と合流し、二人がかりで唯子を退ける。
それしかない。だが問題はそれまで大門が時間を稼ぎ切る事が出来るのか否か。

(――馬鹿な事を考えるな! 大門さんなら必ずやり遂げてくれる!)

恐らくはそう稀有ではない絶望的な可能性を頭を振って打ち消しつつ、圭介は更に速度を上げる。
祈るように、委ねるように信じながら。
視界の端に捉えた通路の先の扉に向かって。





ゲーム開始より47時間29分経過/残り25時間31分



[21380] EPISODE-57
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/11/01 03:35
(――行ってくれたか)

遠ざかっていく圭介の背中を見つめながら大門は胸を撫で下ろす。
他の場所とて安全であるとは言い難いが、少なくともこの場に留まるより危険では無いはずだろう。
これで彼は命を永らえる事が出来る。その手助けが出来たのが今の大門にとっては何よりも喜ばしい事だった。

(自分の先行きは自分で決めるしかない、か――)

先程の少年の言葉が頭の中で反芻される。白々しい程にありふれた言葉ではあるがこの状況においてはこれ以上の金言は無い。
それをまさか、あんな年下の少年から教わる羽目になるとどうして予感出来ただろうか。
否、予感はあった。彼ならば、鳴神圭介ならば。その程度の言葉を操っても何ら不思議はないと心の何処かでは思っていたかもしれない。

初めて出逢った時から大門にとって彼は異質の存在だった。自分という存在を目の当たりにしても恐れず、怯まず。
さりとて匹敵する武力を持ち合せているわけでもない。それでもただ、言葉だけを頼りに。彼は真っ向から対峙してきた。
即ちそれだけ彼は卓越した頭脳と度胸を携えていた、という事なのだろう。
その証拠に彼はその後出逢った波多島乃得留の難解な説明に誰よりも理解を示していた。
まるで大地が水を吸い込むように与えられた情報を我がものとし、自らの知識として活用していた節が大門にも見て取れた。
その姿が頼もしかった。例え年齢も身長も一回り劣る少年であっても憧憬の念を覚えずにはいられなかった。

だからこそ、その才能を彼が悪用していると「思い込まされた」時、怒りに身を焼き焦がしてしまった。
その頭の冴えを他の参加者と結託し、古谷小枝子の命を奪うために使用したという事実がどうしても許せなかったから。
だが、それも誤解だった。彼もまたただ必死であるだけの、哀れな参加者の一人に過ぎなかったのだ。
そうとは知らず一体どれだけの酷い仕打ちを彼に行ってきたのだろう。
今更ながらに自分の愚かさを大門は思い知る。「あの頃」から自分は全く成長していないと。
圭介と同じ歳の頃。同じ様な過ちを犯してしまっていた。今回のように怒りに我を忘れ、無関係の人間を暴力に巻き込んでしまった。
その男性に空手の道を示されたからこそ今の自分があるというのに。一体何故同じ事を繰り返してしまっているのか。
自分が目指したのはあの男性、葉月克巳のような立派な大人ではなかったのか。迷う子供に道を示す事の出来る正しい大人の姿ではなかったか。
なのに今度はその子供に救われ道を示されている。これでは全くの逆ではないか。

(バカ、だな。まったく――)

ああ、しかも思い返せば少年の言葉は当時葉月が用いていたものと全く同じではないか。
そんな事すら忘れていたのかと思えば、つくづく自分が嫌になる。救いようが無いとは正にこの事だ。
だが、どれ程に悔やんでも過去が変わる事は無い。犯した過ちは消えてはくれない。
ならば挽回するしかない。これから、この手で。その過ちを上書きしていくしかないのだ。

――ああ、そうだとも。

圭介少年をこの場から逃がし自らは居残ったのはそのためだ。無論この程度が償いになるわけもない。
だからこそ、自分自身もまたこの窮地を乗り越える。そして彼に追い付き共に行く。出来るだけ永くの時間を、その贖罪に注げるように。

さあ、始めよう。その時に至るための戦いを。

大門は改めて襲撃者を見やる。幼い体躯の黒衣の少女がその手に帯びているのは所持する事すら許されない最大の禁忌。
それを躊躇いも無く行使するその様はあまりにも判り易い、今度こそ掛け値無しに「間違った」姿だ。迷いを抱く必要も無い。
両拳を腰だめに構え、攻撃の姿勢を取る。だが少女との距離はあまりにも遠い。業を使うと心に決めてもまずはその間合いに近付かねばならない。
加えて先程傷付けられた右足の深手も足枷となっている。くるぶしから先には痛みの感覚しかない。肩口の傷を含めた出血量も気がかりだ。
何とも厳しい状況だ、大門はぎりりと歯の根を鳴らす。
だがやるしかない。長い年月をかけて鍛え上げた己の身体を、そして業を信じて。無謀を承知で飛び込むより術は無い。

(――)

短い伊吹で呼吸を整え、鼓動を落ち着かせる。現在少女の姿は視界に無い。物陰に隠れて様子を窺っているのだろう。
しかしその影が徐々にちらつき始める。大門には遠距離での攻撃手段が無い事の確認が、確信に近付き始めているのか。
その微かな姿に合わせるように小さく身体を上下させ、リズムを刻む。突撃の機を見計らうために。

沈黙、静寂。張り詰めた空気の中で日本最強の空手家が刻を待つ。
そして遂に、小さな少女が死角から飛び出した。その身を宙に躍らせながらも銃口は大門を確かに捉え、引き金には指がかかっている。
何の躊躇も容赦も無く。数瞬の刻も待たずして、必殺の弾丸は今まさに撃ち出されようとしていた。

(――行くぞ!)

だがそれよりも速く。大門の剛脚が床を蹴る。空気を貫き吹き飛ばすように、巨人の身体が発進した。

「!!」

少女の瞳が驚愕に揺れたのはまるで大門の姿が消え去ったかに見えたに相違無い。
規格外の歩幅に神速の踏み込み。僅か一挙動で大門の身体は唯子の射線から外れ、数メートルの接近を果たしていた。

されど「たかが数メートル」。唯子との間合いは未だ遠い。更なる踏み込みで距離を残り半分とするも幼き少女は冷静に膝立ちで拳銃を構え直す。
距離を詰めれば的もまた大きくなる。初動で虚は突かれたものの立場の優位は変わらぬと判断したのか。

もう一歩。これであと四分の一。着地した右足の傷口から鮮血が舞い、大門の表情が苦悶に歪む。
あと一歩。既に少女の姿は眼前。だがその前を遮るは漆黒の銃口。

間に合わない、届かない。だが此処で横に跳べばまた距離が離れる。中途半端な間合いが開く。
その距離では何も出来ない。是が非でもこのままもう一歩、踏み込まなければ勝負にはならない。

「うおおおっ!」

巨人が吼える。突撃する。
領域に突入。そしてその距離は絶対に銃撃の避けられぬ距離。
業を繰る。引き金を引く。挙動の大きさ、速さ。どちらが上回るかは言うまでも無い。

だが、大門三四郎とは何者であったのか。日本最強の肩書ははたしてその体躯の齎す破壊力によるものであったのか。
否、そうではなかった。
10年を遥かに越える永き年月。真摯に、愚直に只管に。
磨き上げたその業は、確かにその称号に相応しいものであったのだ。

「っ!!」

銃声とほぼ同時に。唯子の拳銃が高々と跳ね飛ばされた。
天井が僅かに爆ぜる。少女が跪く。空となった手を抑えながら。

「――もう、止めるんだ。こんな事は」

そして大門は、放った左足の足刀を引き戻しながら。小さく厳かにそう告げた。
距離を奪った、武器を奪った。もうこれで少女に戦う力は無い。勝敗は決した。ならばこれ以上の追撃の必要も無い。

それは思い込みなどでは無く純然たる事実であると、大門ならずとも他者の目がこの場にあるなら誰もがそう判断したであろう。
同じ無手同士、一方は業を極めた強靭かつ巨大な男、そして一方は幼き少女。二人の間に更なる戦いなど、まさか起こるわけがあるまいと。

「――ぐ、がっ!!」

だが少女の瞳が鋭く尖った次の瞬間、大門の腹部には3発の銃痕が穿たれていた。
気を抜いてなどはいなかった、といえば嘘にはなる。だがそれを踏まえて尚、唯子の反応速度は尋常なものではなかった。
肩に下げられたバッグから二挺目の拳銃が引き抜かれ、続けざまの発砲。その一連の動作の速さもまた、神速と呼ぶに相応しいものであったのだ。

「こ、の――!」

衝撃と焼けるような痛みに膝が折れそうになるものの、それでも大門は蹴りを放ち再び拳銃を弾き飛ばす。

「止めるんだ、君――止めるんだ!」
「――」

しかし今度は織り込み済みとばかりに唯子は逆に接近、武器をナイフに持ち代え大門の懐に潜り込む。
死角からの斬撃。勘任せで腕で防御する。その腕に鋭い痛み、構わずそのまま押し返す。
唯子の身体が浮遊する。其処に手刀。武器を叩き落とすための一撃は寸での処でかわされた。
四足獣のように軽やかに少女が着地。再度接近し斬撃を振るう。少女の間合いは大門の更に内側だというのにその踏み込みには些かの迷いも無い。
それはおそらく、彼女が気付いているからなのだろう。ここまで大門が、一度たりとて「自らの意思で有効打を放ってはいない」事に。

業に威力を籠めさえすれば、一撃で少女を無力化する事も出来るのだろう。彼女の脅威を退ける事が出来るのだろう。
だが今の大門は決してそれを由とはしない。頑なに由とはしない。
そんな事のために業を磨き続けたわけではない、とのたまえば何を今更と反論されるに違いない。
しかしだからこそ、同じ過ちは繰り返したくは無い。もう二度と過剰に他人を傷付けるわけにはいかないのだ。

目指したものは最強などではなかった。憧れたのは何者をもなぎ払い頂点に君臨する王者の姿などではなかった。
葉月のように、業を伝えた師のように。弱き者に救いの手を差し伸べる、子供に道を指し示す。そんな立派な大人になりたかった。
だからこそ大門は空手を学んだのだ。人を傷付けるためではない、人を傷付けない加減を身に付けるために。破壊にばかり長けている自らの巨体を御するために。
未だ理想には程遠い。そればかりか今回もまた怒りに我を忘れる悪癖で道を踏み外しかけていた。
しかし今、彼の目の前には明らかに道を誤った少女の姿がある。如何なる理由か定かではないが、人殺しの業を身に付け人を殺そうとする子供の姿がある。
導いてやらねばならない。救ってやらなければならない。だからそのために業を振るう。
例え傲慢な思い込みであったとしても。今この場における対処法としては間違っているのだとしても。
あの日憧れを抱いた大人の姿に一歩でも近づくために。大門は自らの思いで一撃を封印したのだ。

「止めるんだ」

それでも絶え間無く振るい続ける唯子の必殺の斬撃を大門は捌き、受け流す。時に寸止めの拳を、膝を少女の前に突き付ける。

「止め――るんだ――」

無駄であると悟って欲しい。無意味であると気付いて欲しい。しかし少女は止まらない。
徐々にダメージの蓄積が顕著になってきた。元より常人であるならば立っているのも不思議なくらいの重傷なのだ。
痛みが感覚を鈍らせる、出血が意識を鈍らせる。防御のための業の精度も格段に下がり、大門はその身を時を追う毎に切り刻まれ始めた。
それでも打たない。何度も何度も「止めるんだ」と訴えながら。大門は唯子の攻撃を受け止め続けた。

「っ!! ――」

幾度目かの押し返しで唯子が後方へと着地する。さしもの少女も息が乱れつつあった。

「困った、な。どう、すれば――わかって、もらえる、のかな――?」

しかし大門はそれ以上に荒く息を吐きながら。純粋な疑問として口にする。

「気の、利いた、言葉の一つでも使えれば――とは思う、のだけど――ごめん、ボクは――彼のように、口が、達者じゃ――ないんだ――」

口腔に鮮血が溢れ、言葉が上手く紡げない。霞む視界は真っ赤に染まっている。床の血溜まりは既に尋常ではない範囲まで広がっていた。
本当に、どうすれば彼女は理解してくれるのだろう。どうしてこんなにも他人を傷付ける事に執着するのだろう。
既に思考が覚束ない大門には彼女の有様が本気でわからない。否、誰であろうとわかるはずがなかったのだ。
他人を苦しめ傷付ける以外に生きる術を知らない彼女の壮絶で異常な人生を。そしてそれでも生きたいと願う彼女の妄執を。

「なあ、一体、どうすれば――」

だがわからないからこそ答えを願う。どうして傷付けるのか、どうすれば傷付けなくなるのか。
そしてどうしてその幼さで、自分とは真逆の道を歩もうとしているのかと。

「近寄るな、化け物」

しかし漸くその口から紡がれた言葉は望んだものとは裏腹の侮蔑だった。
これ程までに彼女の身を案じても、彼女の未来を重んじても。大門の思いは何ら少女には届いてはいなかったのだ。

「どう思われても、構わない」

それでも諦めず、一歩踏み出し手を伸ばす。初めて少女が怯んだ様子を見せた。
身を捩り、その手から逃れようとする。だが血溜まりに足を取られ、よろめいた。
その身体を、捕まえる。巨人の太い腕が唯子の細腕を掴み取った。

「っ!!」
「君は、間違って、る。例えどんな理由が、あるにせよ――こんなのは間違って、るんだ」

息も絶え絶えに訴える。一文字毎に身体の力が抜けていく感覚に襲われる。
このまま倒れる事が出来ればどれ程に楽であるだろう。だがそれは許されない。
やり直そうと決めた第一歩。蘇った目指していたもの。その答えの全てが此処に有る。
だから目の前のこの「過ち」を、幼き少女の「過ち」を。曲がりなりにも大人として、中途半端に捨て置くわけにはいかないのだ。

「ボクを、傷付けて気が済むのなら、幾らでも、傷付けるといい」

少女の目を見る。表現に乏しいその瞳が困惑に揺れているのは幻覚であるのだろうか。

「でも、これで、終わりに、するんだ――君のような子供が、こんな事は――絶対にしては、いけないんだ!」
「っ!!」

思わず声に力が入る。勢い余って腕を握る手にも力が伝播する。
今度は間違い無く、唯子の顔が苦悶に歪んだ。力を入れ過ぎてしまったのだ。
慌てて手を離す。少女がたたらを踏み、握り締められていた箇所に逆の手を添える。

「済ま、な――」

詫びるよりも速く、唯子のナイフが一閃された。伸ばした腕に一条の傷が走る。鮮血が吹き出しまた床に飛沫が描かれる。
そのまま少女は踵を返し、一目散にその場から離脱して行った。追いかけねば、と思えどももう大門の身体には一歩も動く力は残されていなかった。

(駄目――だったか)

少女の背中は瞬く間に見えなくなり、大門は掲げていた血濡れの腕を力無く降ろす。
結局最後まで快い返事は貰えなかった。武器も最後までその手に握られたままだった。
それは聞き入れるつもりは無い、という意思表示なのだろう。残念ながら説得は失敗してしまった、という事なのだろうか。

(少しくらいは――気にしていて欲しい、んだけどな)

それでもそう望まずにはいられない。自分の行いが全くの無意味であったとは思いたくは無い。
そうであるならまだチャンスはあるはずだ。それは次に再会した時の糧になるはず、と大門は前向きに思い直す。

(そうだとも、一度で駄目なら二度、三度――今までだってそうしてきたじゃないかボクは)

愚直なまでの繰り返し、それが決して覚えの良くない自分が業を身につけるために為して来た事だ。
元より対面しての説得や交渉など一番不得意な分野、最初からそうそう上手くいくわけもない。
ならば何度でも諦めず挑み続けよう。彼女が考えを改めてくれるまで何度でも。
また手酷く傷付けられてしまうかもしれないが、それでも構わない。無駄に頑丈なこの身体は恐らくきっと、そのためにあるのだ。

(そう考えれば――この大嫌いな身体も、少しは好きになれそう、かな)

叶えたい事のためには何一つ役には立たない自分の巨体を大門は一度として誇りに感じた事は無い。
だが今だけは。そう思ってもいいかもしれないと、解け掛けた意識の中で儚く微笑う。


そんな巨人の背後から慌てたような足音が近付いてきたのはそれから暫く経っての事だった。





(な――)

3つ目の部屋で漸く一丁の拳銃を見つけ、元の場所へ戻ってきた圭介は思わず言葉を失った。

凄惨な光景だった。夥しい量の血の朱が辺り一面を覆い尽くしていた。
その中心で背中を向け佇む者が独り。見間違うはずもない、その巨躯の持ち主は大門三四郎をおいて他に無い。
その彼もまた、全身を変色した床と同じ色に染め上げている。全てが彼の身体から流れ出たものであるとは最早疑う余地も無かった。

(そんな――!)

あまりにも衝撃的な光景に我を忘れそうになりながらも、それでも圭介は周囲に視線を張り巡らせる。
黒江唯子の姿が見当たらない。一体何処へ消えてしまったのか。
二の轍を踏まぬよう注意深く辺りの物陰を観察し、万が一の待ち伏せを警戒するが何処にも気配は感じられない。
どうやら既に遠くへ去ってしまった後らしい。戦いの決着がどのように着いたのか不明である以上は撤退した理由はわからないが。
だがはっきりしている事が二つある。一つはあの幼き暗殺者は依然健在であること。
そしてもう一つは、彼女が撤退したと確信できる事実。ここまで圭介が彼女と鉢合わせしなかったという事実。
それは、つまり――

「大門さんっ!」

そう。それはつまり大門三四郎が誓いを果たしたという事。彼はその全身全霊で以って唯子の突破を許さなかったという事なのだ。
改めて圭介が駆け寄り目にした巨人の有り様は想像を絶するものだった。
あらゆる部位に刻み込まれた刃物傷。腹部に穿たれた3発の銃創。流れ出た血液は致死量と呼ぶにもおこがましい。

それでも彼は立っていた。通路の真ん中に立ち塞がり何者をも突破も許さぬように。
大きく両腕を広げたままに。その巨体を惜しげも無く世界に晒し、佇んでいたのだ。

「大門さん――大門さんっ!」

その姿は宛ら遥か千年も昔から伝わる伝承を模したかの如く。ならばその結末までも同じだと言うのか。
そうであるべきではない。そうであっては欲しくない。願いながら圭介は声の限りに大門の名を叫び、呼び続ける。

「お願いです大門さん! 返事を――返事をしてくださいっ!」

この声が誰に聞かれても構わない。けれどもならば、目の前の雄々しき男にも届いて欲しい。
そして振り向いて、応えて欲しいと祈りを込めて叫び続ける。
しかし結果は虚しいものだった。どれ程に訴えようとも巨人の身体は動かない。立ち尽くしたままに微動だにしない。

「そ、んな――」

どれ程の時間が過ぎただろう。どれ程に声を嗄らしただろう。心より先に身体が無為を悟ったのか、圭介の膝が力無く折れる。

「――俺の、せいだ。俺があんな事、言っちまったから――」

赤く濡れた床にへたりこみながら、うわ言の様な言葉が唇から漏れる。
「自分の先行きは自分で決めろ」、それは彼のためを思って放った言葉だった。
この「ゲーム」で騙され振り回され続けた大門にせめてこれからは後悔の無い選択をして欲しかったからだ。
だがその言葉は大門に無用の責任感を植え付けてしまったのではないだろうか。
黒江唯子の再度の襲撃に対し、自ら立ち残り食い止める事を大門に「自分の判断として」選ばせてしまったのではなかろうか。
敵から味方を守り抜くという純然たる正義の行い。それこそがそれまでの過ちを悔いていた大門には格好の償いの機会であったに違いない。
其処に導いてしまった。むざむざ死地に向かわせてしまった。大門の人となりを考えれば彼がそうする事など自明の理であったにも関わらず。
あの時はそれが最善の選択であったなど、何が言い訳になるだろう。
最も二人同時に生き残る公算の高い選択であったなど、どうして言い切れるだろう。
例え何も言わずとも大門ならばそうしたのだとしても、唯子が現れたタイミングが最悪のものであったのだとしても。
それでも時間は巻き戻らない。失われたものは取り戻す事は出来ないのだ、もう二度と。

「畜生――畜生っ!」

猛烈な後悔に襲われながら、圭介は静かに吐き捨てる。だがそんな彼の耳に、不意に不可思議な音が届いた。

――れば。

「――えっ?」

音では無かった。それは、声。愕然と圭介が顔を上げれば機能を停止したはずの大門の唇が微かに動いている。

――追いかけなければ。追いかけなければ――

壊れた録音機器のように、ただその一言が何度も何度も繰り返される。
生きている、のではない。大門の精神は既に死滅を迎えている。
ただその肉体にだけは、未だ使命感が宿っているのだ。生きてもう一度圭介を、そして唯子を追いかけるという。
それはもう敵わない願いであると、理解する事も出来ぬままに。

「――」

人体の神秘と呼ぶにはあまりにも大門が気の毒だった。
これはもう呪いの類だ。このままでは大門の身体は何時までも再起動を求めながらこの場に立ち尽くしている事だろう。
解放してやらねばならない。もう彼は十分に戦い、傷付いた。これ以上はもう、何もする必要は無いのだから。

「――大丈夫ですよ、大門さん」

こみ上げてくる何かを必死に飲み込んで、まるで世間話でも持ちかけるように圭介は大門に声をかける。

「俺はずっと、待っていますから。だから少し身体を休めてから――ゆっくりで良いので追いかけてきてください」

言葉を、贈る。それはもう届かないものなのだとしても。そう告げずにはいられなかった。

「――ありがとう。貴方のおかげで俺は救われました」

感謝を込めて。その背中にそっと触れる。
声が止まった。そしてその口元が僅かに綻んだ、そんな気がした。
その一部始終を見届けて、圭介は大門から一歩遠ざかる。そして最後に深々と一礼し、彼に対して背を向けた。
そのままゆっくりと歩き始める。大門の身体から遠ざかっていく自分を実感しながらも決してその足を止める事無く。


背後でずしり、と大きく地響きが鳴り響いた。だが圭介は振り返らない。
見上げる程に巨きく雄々しい、その姿を大門の最後の記憶として留めるために。





ゲーム開始より48時間07分経過/残り24時間53分



[21380] EPISODE-58
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/12/14 04:19
大門三四郎の生命活動が停止してから暫しの後、「ゲーム」は奇妙な状態へ展開していった。
現在生き残っている参加者達はその活動の手を緩め、まるで示し合わせたかの如く挙って休息を取り始めたのである。
制限時間もまる二日を経過し、落ち着いて身体を休める機会はこれが最後かもしれないと全員の思惑が一致したのだろうか。
或いはこの異常な舞台を同じ時間駆け抜けた者たちのみに共通する人体のサイクルであったのか。
真偽の程は定かではない。だがそれからしばらく「施設」内部は不気味な静けさに包まれる事となった。

そして何時しか各々が再び行動を開始する。流石にその時刻までもは一致したものではなかったが。
今度は逆にそれが利を生み、それぞれが一箇所しかない上層への階段を苦も無く潜り抜けていく。
時間にして約5時間後。以前より潜伏していた者たちを含め、参加者達は全員が施設5階へと到達していた。





「さて、食い物食い物――と」

5階戦闘禁止エリア。妙に陽気な口調で鳴神圭介はキッチンの棚を物色していた。
兎に角腹が減っていた。気が付けばもう半日以上も食料を口にしていない。
「腹が減っては戦が出来ぬ」とはあながち馬鹿に出来ない故事ではあると己が身で実感した圭介は次々に棚扉を開け放って行く。
流石に休憩所の目論見で設置されている場所らしく、一通りの点検が終わる頃にはざっとひと山分の食料が机の上に積み上げられていた。

「――ま、そんな大層な期待はしてなかったわけだけど、さ」

だが折角の大量の食料を目の前に当の圭介は渋面だった。理由は単純、それが缶詰や干し肉といった保存に適した味気ないものばかりだったからである。

「何も生鮮食品揃えとけ、とまでは言わないけどさ。それにしたって腕の振い甲斐が無さ過ぎだろ、これ」

包丁とまな板までご丁寧に引っ張り出し、完全に調理の準備万端だった圭介は大仰に肩を竦めてみせる。無論彼の他に誰が居るわけでもない。
どうせなら温かいもの、手の込んだものを口にしたかった。少なくとも今まではそれが可能であったのだ。
サバイバルの様相を呈しているこの「ゲーム」でこの展開は至って当然であるものの、普段は台所の長である圭介にとってはそれが何とも不満でならなかった。

「それに何だよ、この無駄に豪華な調味料の数! こんなのどうやって使えってんだよ、嫌味か、嫌味なのか!?」

しかも不満の原因はそれだけに留まらなかった。集めた食料の山の半分近くを占める調味料の数々は、圭介が滅多にお目にかかれない代物ばかりであったのだ。
バルサミコ酢、ワインビネガー、オリーブオイルに豆板醤。その品目自体は別段どうという事も無い。
だがその品質が問題なのだ。過剰に豪奢な装丁、他国語で埋め尽くされたラベルなどから考えればそれはどう見ても一般の量販店でおいそれと手に入るものではない。
おそらくは相当に質の高い、ビンテージ物ばかり。値段は想像するだけで目眩のする代物であるのだろう。
なのにそれらの使い道は全くと言って良い程に残されてはいない。釣り合う食材はおろかその食材すら見当たらないのだ。
間違い無く悪趣味な意思がこの品揃えには働いている。それが気に食わないとばかりに圭介はそれらを強い視線で睨みつけた。

「くそ、持って帰りてえ――いや待て、つかこれ持って帰ってもいいんじゃねえの!? 後から請求書送られてきたりしねえよな!?」

しかしその可能性に急激に思い至り、突如として色めき立つ。
そして次々に調味料を手に取り品定めしながらあれが作れる、これも作れると暫し妄想に耽っていたが――やがて大きくため息を吐き、その手を止めた。

「――やれやれ。傍から見たら完全にただの馬鹿だな、今の俺」

薄笑いを浮かべつつ、オリーブオイルの瓶を元の位置に戻す。
些か羽目を外し過ぎたか、と思えども自省はしない。寧ろこんな時だからこそ無理やりにでもふざけた態度を取る必要があった。
自分に関わった二人の人物に目の前で先立たれてしまった。失ったものの大きさが、絶望的な未来を想起させた。
このまま自分はこの先も、もっと多くのものを失ってしまうのではないか。
何も果たせず何も為し得ない。自分に待っているのはそんな未来だけではないか。この数時間はそんな自問自答の繰り返しだった。

だが折れるわけにはいかなかった。挫ける事は許されなかった。
それでは自分は何のために再び立ち上がったのか。用意された逃げ道を選ばなかったのは何のためなのか。
吉田と大門、二人の死は確かに辛い。彼らの命を奪った輩たちに怒りの感情を抱かずにはいられない。
けれどもそれを凌駕する思いがある。その思いが消えない限り、戦いを放棄する事は出来ない。
だからこそ必死に気を紛らわせながら此処まで来た。しかも漫然とではなく、確かな足場を築きながら。
逸る気持ちを抑えつつ、適度な睡眠も取った。ここまでの道中である程度の物資も確保できた。
後は食事さえ取れば、準備に大まかな目処が立つ。自分なりに自信を持って、美雪たちを追いかける事が出来るのだ。

「ああ、そうだとも――だからこの際、贅沢は言ってられない、よな!」

自らに号令を発し、缶詰を開け胃の中に流し込む。大した味はしなかったがそれでも徐々に身体に力が漲ってくる感じがした。

「――よし」

口元を拭い形ばかりの合掌をして食事を完了させる。そして直ちに圭介は持ち物の確認へと行動を移していた。

「やれるだけの事は精一杯やってやるさ――だから頼む、間に合ってくれよ!」

思いを込めたその宣言と共に。少年の手の中で「彼の武器」ががしゃり、と音を立てた。





同時刻同フロア。一発の銃声が鳴り響いた。

「走れ!」

楯岡和志が拳銃を手にしたまま声を張り上げる。同時に彼を除く全員が、踵を返し走り出す。
森下美雪と緑川菜緒が並走。やや遅れて北条かれんが続く。
その三人の姿を背中越しに、サングラス越しに見やりながら楯岡が更に2発の銃弾を正面の誰も居ない通路に向け放つ。

「お、わ! てめ、このっ!」

弾丸が30メートル先、床の一部を削り取る。それに呼応するようにやや間の抜けた何者かの声が響く。
今まさに死角から通路に足を踏み入れようとする、そんな人物の行く手を弾丸が阻む。
その様子を見届けた楯岡が最後に反転。全速力で美雪たちの後を追う。
一連の動きに淀みは無い。統率された、同一の意思の込められた行動だった。

「森下!」
「はい!」

楯岡の呼びかけに美雪が力強く返答。手の中のPDAの画面上を細くしなやかな指がなぞる。
拡張地図を展開、逃走ルートを確認。全ての操作を数瞬で終了させ、隣を走る菜緒に目配せする。

「菜緒、この先を左! 後はお願い!」
「合点!」

頷いた菜緒が速度を上げる。背中に背負った日本刀が小刻みに揺れる。
いち早く先行し、指定の分岐路へと我先に辿り着く。
壁に背を寄せ左方向へと視線を巡らせ、大きく腕で「安全」のサイン。
追いつく美雪、続いてかれん。菜緒の脇をすり抜けながら左折する。

「アイツは!?」
「来ていない、大丈夫だ」

間も無く到着した楯岡が自らのPDAに視線を落としつつ、菜緒と短く言葉を交わす。
追跡者は迫っていない、その事実を把握した途端、楯岡を除く全員の口から安堵のため息が漏れた。

こうして美雪たちがこのフロアに到着してから「三度目の」逃走劇は幕を閉じた。





「――で? やっぱり今回もまた『アイツ』だったわけ?」

その後やや離れた場所の一室に移動し、全員の息が整い始めた頃。やや苛立ちを露わに菜緒が楯岡に対し呟いた。
まるで襲撃者が誰かもわからないままに逃げ出して来たかの如くの口ぶりだがそれは純然たる事実である。
楯岡の銃撃により先手を取り、楯岡の号令で逃走を開始する。故に襲撃者が何者であるか、という確認は現在楯岡のみが行っているのだ。

「ああ、姿は一瞬しか見えなかったが間違い無い。あれ程特徴的な外見の人間は滅多にお目にかかれないだろうからな」

その楯岡が相も変わらず無感情な声音で肯定の意を示す。やっぱりか、と美雪が吐いた重いため息が傍らに座るかれんと同時に揃った。
確かにあの異常な佇まいは一旦記憶に留めれば暫くは抜け落ちる事は無いだろう。
大門三四郎とは対照的に身体に肉を纏っていないのではないか、と思わせる程やつれ痩せきった体躯。
そして細面に似つかわしく無い白髪の男の名は長沢勇治。彼の手によるこのフロアでの襲撃は既に三度を数えていた。

「あの人、確か人を殺める必要のない条件でしたよね? なのにどうして、こうも執拗に私たちを――」

全く理解出来ない、という口ぶりでかれんが視線を床に落とす。これまでに長沢と面識の無い彼女にしてみればそれは当然の疑問であるのだろう。
彼の生還のための必要条件は13の条件の中で数少ない「他の参加者と関わる必要の無い」もの。
各所に定められたチェックポイントを制覇するだけで達成される条件は、自らの危険も伴う戦闘行為とは最も縁遠いもののはずなのだ。
それでも長沢は襲ってくる。一人でも多くの参加者の命を奪おうとする。その姿勢は美雪が初めて彼と出会った時から一貫して変わる事は無い。
賞金のため、と彼は嘗て声高に語った。だがおそらくはそれだけではない。
長沢は殺戮を愉しんでいる。人を傷付ける事を無上の喜びとしている。
美雪とて到底理解に至る事は出来ないが、それが長沢という男の有り様なのだ。

「さて、な。狂人の内実など考えるだけ無駄な事だ」
「同感ね。でもその狂人を毎度返り討ちに出来てるんだからつくづく大したものだと思うわ――その『PDA探知ツール』って」

菜緒の物言いに多分に皮肉が含まれているように感じるのはきっと気のせいでは無いのだろうな、と美雪は複雑な面持ちになる。
「PDA探知ツール」。過去に圭介の秘匿していた真相を暴いたその楯岡の持つ外部ツールは現在もその効果を存分に発揮していた。
兎に角PDAの反応を辿る事で他の参加者の動向が一目でわかる。故に対策も立て易くなる。
過去三度の長沢の襲撃を退けられたのもこのツール無くしては有り得なかった、とは確かに過言ではないのだろう。
だがそれは楯岡だからこそ使いこなせている、という点もまた否定出来ない。彼の的確な判断と決断力を抜きにして今と言う時間は成り立ちはしない。
もし自分たちだけでこのツールを活用しても宝の持ち腐れであっただろう、というのが美雪の正直な感想だった。

(的確が過ぎる、というのも正直な感想なんですけどね――)

と、内心呟きながら美雪は楯岡をちらりと見やる。楯岡はといえば菜緒の皮肉を意にも介さず拳銃の手入れをしているらしかった。
一体彼はこのフロアに上がってから何発の銃弾を放ったのだろう、美雪はふとそんな事を考える。

――直接戦闘は絶対に避けるべきだろう。何せこちらには非戦闘員が多過ぎるからな。

嘗て彼が語ったその言葉に釈然としない様子の菜緒を含め美雪たちに異存は無かったが、それでも彼が引き金を引く機会は決して少ないものではなかった。
威嚇射撃、牽制射撃。他の参加者の反応と接触した時、楯岡は躊躇無く弾丸を消費し続けていた。
その全てが相手が長沢であったが故に正しい判断だったと言えなくもないが、それを踏まえても迷いが無さ過ぎる、と美雪は多少困惑している。
何せ先手を打つ最善のタイミングとは反応がその姿を現す直前。相手が誰か判別も付かない一瞬のタイミングなのだ。
威嚇であるが故に相手を傷付ける事も無い、と楯岡は述懐するがそれでも美雪は気が気でならない。
「長沢であった」とは所詮は結果論。もしその反応が圭介であった場合、どうするつもりなのか。彼に弾丸が当たらない、という保証は何処に有るのか。
圭介は何処にでも居るような平凡な男子高校生で、その彼を探し見つけ出すのが今の自分たちの最大の目的であるはずなのに。
「その時は素直に詫びればいい。奴とて事情もわからない凡夫ではあるまい」と臆面も無く言ってのけられた時には流石の美雪も開いた口が塞がらなかった。
それがシステムとして最も有用である事は重々理解しているつもりだ。だがそれでも感情までは追いつかない。
まったくどういう頭の構造をしているのだろう、と美雪は怒りを通り越して呆れ心地になる。
そもそもどうしてこの状況下でこうまで態度が堂に入っているのか。自分と同国人のはずなのにどうしてこうも容易く拳銃を使いこなす事が出来るのか。
そして自らが矢面に立ち拳銃を乱射する選択を、どうして不安や怯えとは無縁に行えるのか。
頼もしい、とは思う。けれども同時に怖さも感じる。
未だ計りかねている内心も含め、楯岡和志という男性の人間形成には現在も謎に満ちたままだ。
何れは語り聞かせて欲しい、とは思っているのだがどうにも現時点ではそれも望み薄であると、美雪はまた大きく息を吐き出した。

「――いや、訂正する。無駄と言うのは間違いだった」
「え?」

すると唐突に楯岡が前言を翻した。すわ何事かと顔を上げた美雪の眼前で菜緒の表情があからさまに不快なものとなる。

「何それ、当てつけ?」
「そうではない」

会話の流れを踏まえれば菜緒がそう受け取るのも無理は無い処であったがどうやら楯岡は彼なりに思う処があるらしい。
自らのPDAの画面に視線を落し込むその表情はサングラス越しにも真剣なものであるように見えた。

「俺たちはここまで三度、立て続けに長沢の襲撃を受けている。かれんの言葉を借りれば確かに『執拗に狙っている』感はあるだろう。
 だが俺たちには奴にそこまで狙われる理由は無い。奴の解除条件は皆も知っての通りだからな」

その場にいる全員が揃って首肯する。

「だからこれは偶然だ、と不覚ではあるが俺も考えていた。手当たり次第に他の参加者に手を出している、その最初の3回に偶々当たっただけだとな。
 だがよく考えれば、そうではない可能性がある。その仮説がたった今成立してしまった」

「そうではない可能性――ですか?」
「ああ」

それが何であるのか、美雪には皆目見当がつかない。考えるよりもこのまま話を聞く方が早そうだったので大人しく楯岡の次の言葉を待つ事にした。

「俺たちは何も反応が近距離まで接近するまで漫然としていたわけではない。無用な接触を避けるべく、早めに判断を下し行動してきたはずだ。
 無論鳴神の件があるから徹底していた、とは言い難いのだがな」

「――」
「それなのにこうも頻繁に長沢は襲ってくる。これはどういう訳だ? 奴の行動速度が恐ろしく速い、というわけでもないはずなのに」
「知らないわよ、そんな――」
「――あ!」

菜緒の声を遮るように、短く叫んだのはかれんだった。

「まさか、楯岡さん。長沢さんはもしかして、私たちと――」
「ああ。同種のツールを持っている、そう考えるべきなのかもしれない」

全員が一斉に言葉を失った。美雪の身体を冷たいものが走り抜ける。
度重なる長沢の襲撃は偶然でも偏執によるものでもなく計算に基づくものだった。信じたくは無いが話の辻褄はあまりにも合い過ぎている。

「そ、それじゃあ条件は五分、という事に――」
「寧ろこちらが不利になった、となるのかもしれないな。ここまで俺たちはあまりにも奴の襲撃を『上手く切り抜け過ぎた』」
「はあ? ちょっと意味が――」
「長沢さんにもこちらが反応察知ツールを所持している事を知られてしまったかもしれない、という事ですね」
「え、え?」

菜緒はまだ理解が追いついていない様子だったがつまりはそういう事なのだ、と美雪の気持ちはまた重くなる。
楯岡の推測が長沢の行動の不自然さに導かれたものであるのならば、こちらの対処の迅速さはより顕著に長沢に違和感を与えた事だろう。
先回りを敢行し、襲撃計画を企てた。だがそれを事前把握していたような撤退行動。その意味に気付かない長沢では無いはずだ。
もしかすると初期の段階で気付いたからこそあまり深追いをしてこなかったとすら考えられる。
全て妄想の域の考察だが一笑に付すわけにもいかない。命がけの戦いである以上は警戒心は出来るだけ高い意識で保たなければならない。
それがわかっているからこそこの場に居る誰もがきっとそんなものは世迷言だ、と異論を挟もうとすらしないのだろう。

「そういう事だ。各員、気を引き締め直せ。寧ろ此処からが本番だ」

誰かが息を呑む音が聞こえた。それを合図とばかりに楯岡は再び口を噤んでしまった。

「――」

沈黙が訪れる。その中で美雪は胸が張り裂けそうになるくらいの鼓動の早鐘を感じていた。
精一杯、やってきたつもりだった。拳銃の使用が当然とされるフロアに来てもなけなしの勇気を振り絞り、向き合い、行動してきたつもりだった。
それでもまだ、今の状況はほんの序章に過ぎなかったのだ。これでもまだ、到底足るに至るものではなかったのだ。
襲い来る絶望感。良くない妄想は妄想を呼び、やがては絶対に考えないようにしていた可能性までが首をもたげて来る。

(お願い、無事でいて――圭介くん!)

祈るように、その名前を胸中で呟く。
楯岡のもう一つの外部ツール、「残り生存者表示ツール」によればあれから2名の参加者が命を落としてしまったらしい。
そのうちの一人は、まさか圭介ではないのだろうか。その可能性は決して少ないものではない。
自分たちと袂を分かち、独り去っていった圭介。その彼が新たな協力者を見つけたとは考えづらい。
ならば、戦闘力に乏しい普通の少年の彼は。長沢たち殺戮目的のプレイヤーには格好の的になるはずなのだ。
鳴神圭介は既に死亡している。決して有ってはならない事だが、そう考えれば長沢の行動の説明にもなる。
あの男がもし、単独で無害な参加者を全て屠り去った後なのだとしたら。
もう自分たち以外の参加者は好戦的な参加者以外には残っておらず長沢がそれを知っているのだとするならば。
「現状最も与し易い参加者」として自分たちを執拗に狙ってくるのは当然の理なのだ。
どうしてそんな事を今、思いついてしまったのだろう。自慢にもならない想像力を何も今発揮しなくてもいいだろうに。
そう自分を呪いながら、思わず美雪は顔を伏せる。

「――大丈夫よ、美雪。大丈夫だから」

不意に、肩に手を置かれた。見上げると菜緒が隣でやや強張った笑みを浮かべていた。

「何があっても絶対、大丈夫。美雪はあたしが守ってあげるから、ね?」
「――うん。ありがとう」

自分も何とか笑顔を形作りながら、美雪も菜緒に礼を返す。満足したのか菜緒はもう一度美雪の肩を叩くと、少し離れた場所に座り刀の状態を点検し始めたようだった。
こんな時でも一番に気遣いを見せる、揺らぐことの無い彼女の友情が本当に嬉しかった。
けれどもそんな菜緒もやはりいつもの様子では無い。いつもの様子で居られるはずもない。
親友だからこそ感じられる、張り詰めた様な雰囲気。それは有事の際には真っ先に戦力として数えられるべき立場にあるからなのだろうか。
真偽の程は定かではない。でも何れにせよ彼女が悲壮な決意を胸に秘めているのは確かな事で。それを和らげる術が思いつかない自分が美雪は何とももどかしい。
どうか無茶だけはしないで欲しい。そしてそのためには彼女に頼り切りになってはいけない。
もしもの場合には、と美雪は傍らに置いてある鞄の表面を指でなぞる。その中には一丁の小型拳銃が収納されていた。
まだその時ではないはず、と言いながらも楯岡は美雪とかれん、そして菜緒にも帯銃を強制させていた。
何れ使用する時が来るかもしれない、その時は使用を躊躇うな、と。
美雪とて菜緒を守りたい思いは同じだった。だからこそ何時までも嫌悪感を盾に目を背けてもいられない、とはわかっている。
何時かはこの拳銃を取り出し、何者かに向かって発砲する時が来るのかもしれない。
その覚悟を抱かねば到底生き残る事は出来ないと、重々承知しているつもりなのだ。
だが美雪は思う。本当に自分は引き金を引く事が出来るのかと。
失いたくないもののために失うものもある、その割り切りには未だに抵抗感が有る。
本当に何かを犠牲にしなければ自分は生き残れはしないのか。何かの犠牲の上に成り立つ程、自分の生には価値があるのだろうか。
死にたくない、と切に願う。その思いこそがその答えであるのかと、考えれば考える程迷いが消えない。

(こんな気持ちで何時までも居る事が、一番いけないってわかってるはずなのに――!)

情けなさで涙が出そうになる。だがそれでも解決に至る事は無く。

そして不安になる理由がもう一つ。
先程から美雪は周りの状況を全て概念で捉えていた。それは明確な判別が付かなくなっているためだった。
楯岡たちと行動を共にし始めた頃から感じ始めていた視力低下の症状。それは緩やかであるものの徐々に悪化の傾向を見せている。
ごく近距離であるならばまだ問題は無い。PDAの読み取り程度ならば支障を感じる事は無い。
だが隊列を組めば先頭の楯岡の姿はおぼろげな人物像しか把握出来ず、表情の変化などはそれこそ眼前まで近寄らねば見て取れるものではない。
明らかな異常。さすがの美雪もこの期に及べばそれを自覚するしかなかった。
だが少女はその事実を外には決して洩らそうとしない。それは適度な休憩を挟めばある程度は回復の兆しが見えていたため。
そしてこの極限状況下では誰しもこの程度の身体の異変は抱えているのだろうと、都合の良い思い違いをしてしまっていたため。
そしてまさかこのまま完全に視力が失われる事になると、最悪な想定は露とも頭に浮かばなかったため。
更にはその遠因ともなる大門から受けた頭部の傷がもう痛みを発しなくなってしまったからだった。

秘匿を美徳とする事で、後に大きな災いを招く。
皮肉にも彼女が陥っている今のそれは、無自覚ながら嘗ての圭介の立場と酷似したものとなってしまっていた。





「いやー。参った参った。中々思うようには近付かせてくれないんだ、これが」

更に同フロア、美雪たちとは直線距離で数百メートル離れた場所。
木戸亮太の前に戻って来た長沢は呆れる程に陽気な調子で語って見せた。
その様子はとてもではないが銃弾飛び交う戦場から帰還してきたものには思えない。まるで散歩にでも出かけて来たが如くである。

「おいおい何だ。今回も何も出来ず、でスゴスゴ撤退かよ。まったくやる気の欠片も見えねーな」

そんな長沢に対し、木戸は多分に皮肉を込めた発言をさらりと口にする。
半ば隷属させられている関係にしては些か度を越した物言いではあるが長沢は然して機嫌を損ねる風も無く、また木戸もそんな反応が却ってくる事は承知の上だった。

「そうは言ってもさ、相手は探知ツール持ちだぜ? そうそう踏み込む隙を見せてくれるかっての。そんなのキッドだって最初からわかってんじゃん」
「ま、そうなんだけどよ。ここは一応言っとくべきかな、と」
「はは、わかってんじゃん。こういう会話も偶には良いな。何つーか、仲間っぽくてさ」

怖気が走るほどに白々しい台詞を吐きながら長沢はけらけらと喉を鳴らす。
最早木戸は苛立ちを覚える事も無くなっていた。それだけこの狂人との付き合いにも慣れてしまったと言う事なのだろう。

「――さて、どんな感じだ?」

とは言え、何時までもこんな茶番には付き合えない。木戸は気を取り直し早々に本題を切り出す事にした。

「え、どんな感じって?」
「惚けるな。今回の『偵察』の結果に決まってるだろうが」

そう。最初からわかっているのだ。長沢の「彼ら」に対する襲撃が成功するはずが無い事も、また長沢が失敗に対する言い訳を重ねているわけではない事も。
近付けない、近付かせてくれないのではない。寧ろ近付くつもりなど元より無かった。
長沢勇治が楯岡和志たちのグループに接触を試みようとしていたのは単なる様子見に過ぎなかったのだ。

木戸たちが現存する参加者の反応をPDAに落とし込む外部ツール、所謂探知ツールを発見したのは今から凡そ3時間ほど前の事だった。
その存在自体は過去の「ゲーム」経験者である長沢から伝え聞かされてはいたものの、実物を目の当たりにして流石の木戸も目を疑わずには居られなかった。
何せこの「ゲーム」の攻略を難解せしめている最大の理由は無駄に広大過ぎる、舞台となる施設の規模に他ならない。
その中で僅か10人を超えるばかりの参加者を探し出し、接触する。それが如何に困難であるかを木戸は今までに散々思い知らされていたからだ。
こんなツールが実際に存在するならば、これまでの苦労は一体何だったのか。
そんな一抹のやるせなさに一瞬浸されたものの、だからこそ今後の自分たちの活動はこの上無く円滑なものとなる。
3人の参加者の殺害という首輪の解除条件も未だその一人目すら達成しているのかどうか定かではない現状も劇的に打開する事が出来るだろう。
そう思い返せば湧き上がる喜悦を抑える事が出来なかった。長沢の小馬鹿にしたような視線もその時ばかりは気にもならなかった。

ところが事はそう上手くは運んではくれなかった。
自らのPDAにツールをインストールした長沢がその機能を展開するなり「不自然な動きをしている参加者が居る」と言い出したのだ。
何事かと問い質せば、全ての反応から遠ざかるような道のりを選び、進行している。そんな一団が存在しているらしい。
まさか、と続けざまに訊ねると長沢の仮説は見事に木戸が危惧するものと同一だった。
生き延びるために、賞金のために。一人でも多くの参加者を殺し尽くす。そんな自分たちだからこそ、探知ツールは他参加者との接触のために使用される。
だが他の参加者が入手していればどうなるのか。ただ時間経過のみが達成条件である人物にとって探知ツールの用途は如何なるものであるのか。
考える間でも無い。それは逃げるためだ。出来る限りの危険を回避するため、逃亡のためにこそ使われて然るべきなのだ。
つまりそのグループもまた、探知ツールを所持している。そう思い至った瞬間、木戸は無縁となるはずだった猛烈な苛立ちに襲われた。
何という道化であろうか。圧倒的な力を手に入れたはずが、こんなものは先んじていた者にただ追いついたに過ぎなかったのだ。
つくづくままならない。今までの人生と同じ、何者かの手で踊らされるばかりの理不尽さ。
一体何時になったら逃れられるのか、そんな嘆きに答えが出るはずもなく、ただ固く拳を握り締める木戸に長沢が邪悪に微笑みかけた。

――なら、さ。まず最初に、こいつらをぶっ殺してやるかい?

多少面倒ではあるが勝算が無いわけではない、そうしたり顔で語る長沢の提案に木戸は頷かずにはいられなかった。

「――そうだな。驚く程統制の取れた逃げっぷりだった。その印象は過去二回よりも強く感じさせられたよ」

漸く真剣に話を進める気になったのか、急に表情を引き締めた長沢が訥々と語り始める。
探知ツールを持つ一団とやり合うためには兎に角より多くの情報が必須となってくる。
そのためには多少の痛みを伴っても出来る限り接近し、その目で状況を確認する「偵察」を行わなければならない。
そう切り出した長沢は意外にもその役目を自ら進んで買って出た。
わざわざ自分で危険に身を晒すなどどういう風の吹き回しかと最初は木戸も訝しんだものの、理由を聞けば納得だった。
彼らの攻略のためにはどうしても別行動を取る必要がある。そしてその任務はどうしても木戸でなければ出来ない事柄であったのだ。

「褒めるのは癪だが認めざるを得ないね。奴らはほぼ完璧にツールを使いこなしてる。足手まといばかりを引き連れてあの動き――大したもんだ、あのグラサンは」
「――成程、な」

報告を聞き終え、木戸はふうむ、と腕組みする。
どうやら狙いのグループ、楯岡たちのグループは中々に手強い相手であるらしい。
彼らの人数は4人。当初2人で4人を相手取るのは困難なのではないかと冷静になった木戸は不安を抱いたが、長沢の見解は逆なものだった。
曰く、この数の利は利では無い。でなければその利を捨て逃げ回る事を選択したりはしない。
強者は決して群れたりはしない、弱者であるからこそ群れているのだと。
事実そのグループは楯岡以外は凡そ戦闘に向かない少女たちばかりで構成されているらしく、一見すれば撃墜数を稼ぐには打ってつけの相手に長沢には見えたようだった。
ところが彼らはそのハンデをものともせず、逆に長沢を何度も退けた。
長沢の側に不必要に過剰な接近を行う腹積もりはなかったにせよ、それでも最低限情報を得られる以上の距離には近づけなかったらしい。
しかもその対処の練度は回を追うごとに増している、となればいよいよ侮るべき相手では無いと結論づけて然るべきなのだろう。
それも全ては楯岡の采配によるものか。木戸は脳裏に初めて出逢った時からいけ好かなかったサングラスの男の姿を思い浮かべ、思わずぎりりと歯の根を鳴らす。

「しかもこうも短時間に立て続けにアタックをかました所為で、そろそろあっちにもこちらのツールの存在を気取られてるかもしれないね。
 いやはや、ホントどうしたものやら――なあ、キッド?」

想像を遥かに上回る迅速な対応に、此方の手の内もバレつつある。これでは完全にお手上げだとばかりに長沢は嘆いた素振りを見せる。

(――けっ)

だがそれもまた白々しい芝居であると、木戸には既にわかっていた。
進退極まっている、どころでは無い。寧ろ事は長沢の思惑通り、順調に進んでいるのだ。
確かに彼の得た情報では楯岡たちの脅威ばかりが目についているのかもしれない。
だがその一方で、付け入る隙もまた確かに存在している。だからこそ長沢はここまで別行動で「下準備」を進めていた木戸に敢えて話を振ってみせたのだ。

「心配するな、とでも言っておけばいいのか?」

多くを語る必要は無い。言葉はそれだけで事足りる。それだけで長沢は、さも愉快そうに口元を釣り上げた。

「へえ、そう、か――そうか、そうか! キッドの方は問題無し、か! まさかうっかりヘマこいてたりはしてないだろうな!?」
「馬鹿にしてんじゃねーよ。万事ぬかり無し、だ」

言われる間でも無い、とばかりに木戸は憮然と吐き捨てる。似合わない裏方作業に従事してきた所為か、どうにもストレスが溜まって仕方が無い。
だが言いなりに使われる事に異を唱えられぬ程に、長沢の策は魅力的なのだ。

「ああ、そうかいそうかい! そりゃ結構!」

遂に高笑いを始めてしまった長沢の不快な態度も、これからの事を考えれば耐えられる。
この策が成功すれば、4人を一気に仕留められる。そうすれば条件は達成できる。
命綱を未だ握られているが故に安易には受け止める事は出来ないが。それでも今までよりは格段にマシな状況になる事は確かなのだ。

種は蒔いた。後はただ刈り取るのみ。望む決着を思い描き、木戸の意識も微かに高揚し始める。
一頻り笑い終え、満足したのか長沢が大きく息を吐く。
子供のように目を輝かせながら。人殺しの算段を整え切った悪鬼が宣言する。

「さあ、切り札を切る時が来たな――いよいよ決戦だぜキッド!」





ゲーム開始より54時間14分経過/残り18時間36分



[21380] EPISODE-59
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2012/12/24 11:01

(そ、んな――)

その目の前の光景は。凡そ少年には受け入れ難いものだった。
床といわず壁と言わず、辺り一面に飛び散った朱の飛沫。溢れ返る埃の中、鼻を突き刺す鮮血の臭い。
その中で、二人の少女が倒れている。似合わぬ血化粧に身を染めながら。

知らぬ顔では無い。知らぬ顔である、はずがない。
ほんの数日前までは何の縁も無い関係であったのだとしても。少なくともこの「ゲーム」においては決して捨て置けぬ繋がりを持った少女たちだった。
一人の少女は心優しき少女。数奇な運命により共に生き残る事は許されないながらも、それでも共に在り続けた少女。
一人の少女は気の強い少女。性格的な問題から多少の諍いはあったものの、それでもやがては共に在ろうと互いに認め合った少女。

その二人が、動かない。身体を数多の銃弾で撃ち貫かれ、無惨な姿と成り果てている。

(嘘、だ――)

鈍い身体を引き摺りながら、少年は二人の身体に手を伸ばす。身体に触れればその手もまた赤に染まる。
気の強い少女はもう息をしてはいなかった。あれ程に生命力に満ち溢れていた嘗ての姿は其処には無い。
心優しき少女はまだ微かに胸を上下させている。だがその傷も出血も最早手の施しようも無く。遠からずその命が失われるのは必定だった。

「あ、あ、あ――」

少年の口から悲鳴とも言えぬ声が漏れる。信じたくは無い、光景。
それでもそれはどうしようもなく現実で。抗いようも無く覆しようもない純然たる結果なのだ。
もう二度と、彼女たちと共に時間を過ごす事は出来ない。
例えこの先どんな苦難が待ち侘びていようとも、どんな幸せが訪れようとも。彼女たちと共に泣き笑う事は出来ない。
決して取り戻す事の出来ないものが、今。この場で失われてしまった。

「あ、あ、ああああああああ」

底知れぬ喪失感に襲われ少年は我を忘れて奇声を上げ続ける。
また同じ事を繰り返してしまった。
絶対に守ると決めたのに。もう二度とあの娘の想いを裏切らないと心に強く誓ったのに。
今度こそはと差し伸ばした手はまたしても何も掴む事は出来なかった。彼は目の前の大切な、かけがえのない命を救う事が出来なかったのだ。

「うわあああああああああっっっ!!!」

無機質な通路に慟哭が響き渡った。
少年は徐々に温もりを失っていく少女の身体を抱きかかえながら。どうしようもなく無力な己を呪いながら。
止め処無い涙を流し続けた。悪夢のようなこの非情な現実に抗うように。





「――動き始めた。来るぞ」

PDAの画面を見つめ続ける楯岡が発したその一言に、全員が一斉に息を飲む。より一層張り詰めた緊張感が場の空気を満たし始める。

つい十数分ほど前から、楯岡のPDAにはこちらの動きを遠巻きに追尾する反応が見受けられていた。
一体誰の反応であるのか、自分を含めた全員が同じ人物の姿を推測しているだろうと美雪は息を殺し、想像する。
それは間違い無く、長沢勇治。ただ我欲のために参加者の殲滅を目論む、非道の悪鬼が4度目の襲撃を企てようとしているのだ。
楯岡を殿に、一行はゆっくりと通路を後ずさる。接近を許しているからとて、誰もこの時点では全速力での逃亡は選択しない。
拳銃と言う長射程の武器を保持する事が当然となっている実状、無闇に無防備な背中を晒す事は許されない。
まずは足止めを行い、相手の動きを留めること。僅かながらにも安全の保証を確保すること。
それが楯岡の教えであり、その教えを忠実に守って来たからこそ美雪たちは今までを切り抜けられてきた。
だからこそ今回もそれに倣う。だからとて決して油断は出来るものではない。
日常から遠くかけ離れたこの殺戮舞台で気の緩みは禁物であることも然ることながら、直前に行われた楯岡の釘刺しが美雪たちに有効に作用していた。
恐らく長沢もまた、探知ツールを所持している。だからこそ今回も遂に振り切る事は出来なかった。
嘗ての「ゲーム」経験者であるという長沢が、一体そのツールをどう使いこなしてくるのか。ツールを根拠に何を行ってくるのか。
残念ながら美雪には見当もつかなかったが、故に不気味さはより募る。
兎に角考え得る限りの対処は出来るように、と少女は汗ばむ手で自らのPDAを握り締める。
防衛役が楯岡であるなら自分の役目は逃亡のための先導役。その重要さは決して軽いものではない。
現在美雪たちが進んでいる通路は部屋へと続く扉こそ多いものの、進路の変更や身を隠すに適した分岐は近くには見当たらなかった。
だからこそ経路の選択や誘導は慎重に行わなければならない。美雪はPDAを展開し周囲の環境を確認すると少し離れた場所に幾つかの分岐が見つかった。
とりあえずは最近の分岐から正しい経路を取る事さえできれば、足止めの成功が前提ながらも何とか長沢を振り切れそうな可能性を模索出来た。
その先の二、三の選択肢を頭の中に叩き込み。今度は仲間の様子を窺う。
菜緒は張り詰めた表情ながらもその身体には十分に気合いが漲っている。かれんにも臆した雰囲気は見られない。
その姿形もおぼろげながら捉える事が出来ている。危惧していた視力低下も今は許容の範囲で納まっている。

(うん、大丈夫――!)

自らを奮い立たせるように、美雪は胸の内で声を発する。
楯岡によれば長沢と思しきもの以外の反応は見当たらないらしい。
つまりは今までのように、今まで以上の意気込みで挑めば乗り切る事が出来るはず。
楽観はいけないがさりとて悲観してばかりでも決して前には進めない。そして前に進まねば生き残る事は出来ないのだと、美雪は心に覚悟を抱く。

そして同時に、遂に楯岡の身体が挙動を開始した。
腕を水平に掲げ、拳銃の射角を固定する。誰も居ない通路の先に、照準が定められる。
逆の手に携えられていたPDAが、胸ポケットに収納される。神の目とも言うべきそれを、楯岡はもう必要とはしなくなった。
と、言う事はつまり。

(来る――!)

長沢の訪れが迫っている、そう美雪が実感した刹那、通路に銃声が鳴り響いた。
都合6発。今まで威嚇に用いていたものの3倍量の空薬莢が楯岡の拳銃から弾き出される。それが彼なりに警戒を強めたが故の所作なのか。
着弾地点付近の分岐で人影が揺れる。今までと同様、踏み出そうとしたその機先を制した。そう誰もが疑わなかった。

「よし、走――」

だが微かな安堵はすぐさま驚愕へと変貌する。
次の瞬間、楯岡が号令を告げ切るよりも速く。楯岡の発したそれとは比較にならぬ程、夥しい回数の銃撃音が轟いたのだ。

「っ!!」

楯岡の手前、10メートル。その周囲に無作為に、されど無数の弾痕が穿たれていた。
その意味を、美雪は理解し戦慄する。
過去に実物を目の当たりにしていた。それが現実に使用されている光景も記憶にあった。
だがそれが無かったとしても、その音から想起させられる武器は恐らく容易いものであったに違いない。
超高速で圧倒的な量の弾丸をただ一度のアクションで撃ち出すその恐るべき重火器を、知らぬ者など居るはずが無いのだから。
楯岡の不安は的中してしまった。相手は先手を打たれてなお戦いを挑むに足る根拠を有し、4度目の襲撃を企ててきたのだ。

「はん! そうそう何度も大人しく引き下がると思うなよ!」

特徴的な甲高い声が通路の奥から聞こえてくる。姿は見えねどその声の持ち主は長沢勇治に相違無い。
距離も射角も満足に保てぬままに、それでも弾丸を撃ち放ってきたのは彼もまた威嚇のつもりであるのだろう。
マシンガンという広大な攻撃範囲を誇る武器を所持している、その事実を美雪たちに見せつけるために。
しかもそれは誇張に留まるものではない。もしも長沢が十分な射撃体勢を維持する事が出来たならば、圧倒的な火力が美雪たちを襲う事となるのだ。
今までとは勝手の違う窮地。それを思い知らせた威嚇の効果は絶大であると言えた。

「何を呆けている、行け!」

楯岡の叫び声に美雪が我に返れば、楯岡は立て続けに拳銃を連射していた。
長沢を前に進ませれば、通路に出現させてしまえば射角が確保され、その瞬間に均衡は崩れ去る。
そうさせてはならないと、独り正常な判断で以って何とか長沢を現在位置に縫い止めようとしているのだ。

「でもっ!」
「他にお前たちに何が出来る!」

だが流石の楯岡とて美雪たちを引率しながらでは長沢の足止めは行えない。
このままでは彼を独り取り残してしまう事になる、と気付いた美雪の声は即座に否定された。
そうなのだ、今の自分たちには楯岡の力になれるような事は何一つ無い。
例え覚悟を決めて撃ち合いに参戦したとしても満足な修練も積んでいない自分たちでは長沢を脅かす事すら出来はしないのだ。

「――すみませんっ!」

従いたくはなかった。でも従わないわけにはいかなかった。
断腸の思いで美雪はその身を翻らせ、通路を駆ける。やや遅れて菜緒とかれんが追いついて来る。

「二人とも、こっちです!」

断続的に背後から聞こえる銃撃音に肝を冷やしながら全速力で美雪は走る。
PDAを取り出している余裕は無い。記憶を頼りに予め決めていた分岐路に二人を誘導する。
程無く無事に辿り着いた。そのまま全員、傾れ込むように通路を折れ曲がる。
壁に張り付くように背中を預け、呼吸を整えていると最後尾で後方の様子を窺う菜緒の口から悲鳴のような叫びが漏れた。

「! ちょっとアイツ、出て来てるわよっ!?」
「っ!!」

端的に告げられた言葉の意図を即座に汲み取り、慌てて美雪は陰から通路へ顔を覗かせる。
現在の視力では判別は困難だったが確かに楯岡の姿の向こう側、その特徴的な造形がおぼろげに見て取れた。
やはり完全に押し留める事は不可能であったのか。楯岡と長沢の戦いは正面からの撃ち合いに発展してしまっていた。
現在楯岡は無数に並ぶ鋼鉄の扉を盾に何とか長沢を押し返そうと射撃を繰り返している。
だがそれは長沢も同様で、人口の遮蔽物を巧みに操りその銃弾を防ぎながら、時折連射弾を楯岡に向けてばら撒いていた。

(あ、あ――)

戦い方に差異は無い。だが楯岡の不利は今の美雪であっても明白だった。
なぜなら一度の射撃で用いられる銃弾の数の桁が文字通り違う。楯岡が一度に数発しか放てないのに対し、長沢は引き金を保持するだけでその何倍もの銃弾を放っている。
その驚異の火力は本来防御の用途では無い鉄扉を突き破らんばかりの勢いで。
楯岡もそれは実感しているのか、徐々に後退しながら新たな扉の陰にその身を入れ替えている。
押し返そうとしていた相手に、逆に押し潰されそうになっている。そんな非情な現実が、今美雪の目の前では繰り広げられていた。

「ちょ、マズいわよ! このままじゃ此処まで追いつかれるっ!」

そして菜緒の口から発された、予期される絶望的な未来が更に美雪を絶望の淵に追い詰める。
そう、この場に逃げ込む事で決着していたのは今までだからこそ許されていた事態。楯岡が長沢を退け続けていたが故なのだ。
だが今回は違う。趨勢はまるで逆、長沢が楯岡を押し切ろうとしている。
それでも何とか戦いの呈を為している楯岡の戦闘力は驚嘆に値するものではあったが、さりとて事実に変わりは無い。
このままでは例え楯岡が無事であっても遠からず戦場はこの場へと辿り着く。そうなればこの場所もまた危険域へと陥ってしまうのだ。
そうならないためにはその前に、この場を離れる必要がある。それも一刻も早く、早急に。

(でも、それだと楯岡さんが――!)

だがそれでは今度こそ本当に楯岡は置き去りになってしまう。長沢の足止めの邪魔にならぬよう一旦距離を取るのではなく、本当に見捨てる事になってしまう。
それは到底許される事では無い。荒事を一手に押し付けているだけでも心苦しいのに更に鞭打つような仕打ちを美雪はどうしても決断できない。
逃げるならば今という時以上に絶好の機会は無い。そんな事はわかり過ぎる程にわかっている。
自分たちという枷が無くなれば楯岡は存分に力を発揮出来、単独でこの戦場を切り抜けられるという都合の良い可能性も頭を過ぎらずにはいられない。
けれどもそんな最良の選択が、最善では無いからこそ。善良な少女は迷わずには居られないのだ。

「美雪さん、経路を検索して下さい! 『長沢さんの後ろに回り込む』経路です!」

そんな時、耳に届いた鋭い言葉に美雪は慌てて振り返る。視線の先では北条かれんが青ざめた、されども厳しい表情で佇んでいた。

「え、かれんさん。それって――!」
「それしかありません、私たちに出来る範囲で、楯岡さんの手助けをするためには!」

彼女が言わんとする事は明白だった。明白であるからこそ菜緒ですら驚きの色を隠せずにいる。
挟み撃ち。それこそがかれんによる一計。即ち通路を迂回し長沢を背後から急襲しようと言うのだ。

「もちろん上手くいく保証なんてありませんし、私に引き金が引けるかどうかもわかりません――ですが、このまま楯岡さんを見殺しになんて出来ませんっ!」
「かれんさん――」

思わず美雪は圧倒される。その声音に含まれる心優しい少女の悲壮なる決意に。
他人を傷付ける事を決して由とはしない、そんな信条に背いてでも守りたいものがあるという必死の想いに。
そして同時に自らの不甲斐なさを否応無しに痛感させられる。どうしてそんな発想が、自分には思い浮かばなかったのかと。
自らの先行きは自らの力で道を切り開かねばならない、今まで楯岡はそう自分たちに暗に示していたはずではなかったか。
自分の無力を理由にして、いつまで守られるばかりの立場で居るつもりであったのか。
かれんの方が楯岡と付き合いが長いから、より失いたくないという想いが強いというのはただの言い訳に過ぎない。
この期に及んでただ待つばかりで好転する事態など訪れるはずもなかったのだ。自らの望む未来は自らの手で手繰り寄せねばならなかったのだ。

「――はい!」

だが悔やんでいる時間は無い。こうしている間にも楯岡が持ち堪えられなくなる可能性は皆無ではない。
PDAを取り出し、美雪は画面に指を走らせる。地図を拡大、現在位置を確認。その上で長沢の背後へ最短で回り込める道筋を瞬時に弾き出す。

「行きましょう、まずはこの先を左です!」

そして10メートル余り先の分岐を指で指し示し、二人を促し行動を開始する。
こうなればもう腹を括るしかない、美雪はそう観念した。
長沢に対し銃撃を行う、それがどんな結果を招こうともその行為無くして打開の術は無い。
おそらくかれんは自ら口にした以上、その行為を率先して行おうとするだろう。だがもうその想いに甘えるわけにはいかない。
足を止めぬまま鞄の留め金を外し、美雪は中から音も無く拳銃を取り出し握り締める。
守りたいもののために、大切な仲間のために。
共に生き残るために、生きて再び元の世界に戻るために。
そのために、禁忌に手を染める事を。遂に美雪は心に固く誓った。

だがそんな決意は意外な形で頓挫する。しかも、次の瞬間に。


「おっと残念、この先は通行止めだ」


響き渡ったのは邪悪な声色。辿り着くはずだった曲がり角から現れたのは長身の影。

「っ!!」

愕然。意気込みのままに動いていた美雪の足が急停止する。
それが何者の訪れであるのか。本調子でない目が理解する、そして頭が理解する。
鮮やかに染め上げられた、異彩を放つ赤い頭髪。全ての他人を見下すその態度。一致する人物はただ一人しか存在しない。
木戸亮太。幾度となく美雪たちを窮地に陥れてきた、もう一人の悪鬼が通路を塞ぐようにその身を曝け出していた。

(そ、んな――どうしてっ!)

急転直下の事態に美雪が困惑したのは決して数刻前に自分たちが画策した、「挟撃」という手管を用いられたからだけではない。
なぜ彼が、木戸亮太が。突如としてこの場に現れたのか。現れる事が出来たのか。彼女は本気でわからなかったのだ。
長沢以外の参加者はこの付近には潜んでいない。それは何度も入念に確認したはずだった。
複雑に入り組んだこの施設は見た目の距離以上に移動に時間がかかるため、範囲外からの急接近も考慮する必要は無い。それも全員の共通の認識であるはずだった。
なのに、何故。木戸は今此処に存在しているのか。一体どのような魔法を使えばこのような現実に至るのか。わけも判らず美雪はただ混乱するしかない。

だが美雪が、美雪たちが。「有り得ない」と決め込んでしまったその判別式こそが現状に対する答えであった。
彼女たちの考え方は全て楯岡の探知ツールの反応によって入手された情報に基づいている。
だが彼の使用するツールの機能はあくまで「参加者のPDAを探知する」ものでしかなく、決して参加者そのものの反応であるわけではなかったのだ。
無論首輪解除の最後の鍵であるPDAを生存する参加者がむざむざ手放す道理は無い。故にそう考えてしまう事は別段不自然な感性では無い。
しかしだからこそ、未だに気付けない。木戸の立場こそがまさにその「例外」に属するものであったという事実に。
長沢によってその命綱を奪われ、隷属を強いられざるを得ない、「PDA」と「参加者」が分離している立場であるという事実に。
いや土台気付けるはずもなかったのだ。先の論理も然ることながら、過去に木戸と長沢の間にそのような出来事があったなどまさか美雪たちが知る由も無い。
そればかりか、今に至るまで。木戸と長沢が共闘している様を、彼女たちは一度として目の当たりになどしてはいないのだから。

全ては長沢の目論見通りだった。木戸が自分の手駒とは殆どの他参加者に認識されていない事実を彼はこの時に至るまで温存し続けていた。
そして美雪たちの探知ツールが「PDAを認識する」ものという可能性に思い至った時。この切り札の切り時と判断を下したのだ。
それでも決行には慎重を期し、襲撃とは名ばかりの偵察の裏で木戸に確認作業を促した。
美雪たちの逃走経路の近辺に木戸を潜ませ、気付かれる素振りが微塵も無い事を確証を得るまで入念に確認していたのだ。

利を利のままに粗雑に扱わず、周到に練り込んだ末に生まれた勝負手。それこそが魔法の正体。
そしてそれが今まさに。美雪たちを絶体絶命の窮地へと陥らせていた。

「――っ!!」

何も考えられなかった。声を上げる事すら出来なかった。
ただ、反射的に身体が動いた。気付けば美雪は木戸に背を向け駆け出していた。
後ろに逃げても同じ事であると。寧ろより苛烈な戦場が待ち受けていると、気付く事すらままならない。

「逃がすかよ」

だが重く冷たい響きの木戸の声。

(っ!?)

そして一発の銃声と共に。美雪の視界は暗闇に包まれた。





こんな処で朽ち果てるわけにはいかない。そんな絶対の意地があった。
是が非でも生き延びなければならない。それが誓いに等しい想いだった。
だからこそ折れない、屈しない。例えそれが圧倒的に不利な戦いであっても。
諦めさえ抱かなければ、必ず活路は生まれるのだと、楯岡和志は頑なに信じ続け長沢勇治と戦い続けていた。
だが、しかし。

「きゃあああっ!!」
(っ!?)

耳に届いたのは少女の悲鳴。風雲急を告げる絹を裂くような声。
更にその直前に聞こえたのは。聞き間違いで無ければまず違えようはずがない――銃声。
一体何が後方で起こったのか。楯岡がこの場から確認するには些か距離が離れ過ぎていた。
だが、それでも一つだけ。一つだけ確かだと断言する事が出来る。
その声の主は、紛れも無く北条かれん。訳有って彼が、これまでずっと。守り続けてきた少女。
その少女に異変が起こった。それが何かまでは見当も付かないが彼女が恐らく今、命の危機に晒されているのだ。

「かれんっ!!」

気付けば楯岡は叫んでいた。少女の名を、声高に。
こんな処で死ねはしない、何があろうと生き延びなければならない。その想いに揺らぎは無い。
では何のために死ねなかったのか、自分は何のために生き延びようとしていたのか。その答えもまた、楯岡の中で不変のものであったのだ。

そのために、生きてきた。そのためだけに、生きてきた。
全てを投げ打ち、全てを偽り。約束を破り、約束に背き。
それでも「楯岡和志」が今存在している理由は――ただ、そのためでしかなかったのだから。

「おおっと、お前の敵はオレじゃなかったのか!?」

だがその心の乱れは、戦いの最中に生じさせては決してならないものだった。
その隙を突き、長沢が速射砲の引き金を絞る。吐き出される無数の弾丸、楯岡の反応は僅かに遅れた。
刹那にして決定的な、遅れだった。

「!! ぐっ――!」

一発の銃弾が右肩を貫いた。そして一発が腕の肉を抉り取り、更に一発がこめかみを掠めていた。
サングラスが破損する。そして勢いのままに、楯岡の顔から剥ぎ取られるように宙を舞う。

(く――)

それでも何とか倒れ込む事だけは防がんと、足に力を入れ体勢を持ち直す。
明瞭になった景色の中で、一瞬長沢と視線がぶつかった。





「――は?」

思わず長沢は、場に似つかわしく無い間の抜けた声を上げてしまった。
策は完璧に成功した。通路の奥から聞こえた銃声と悲鳴は木戸という手駒が想定通りの働きをしてくれた結果なのだろう。
しかもそれは望外の副産物をこちら側に与えてもくれた。目の前の男は後方の様子に気を取られ、こちらが放った銃弾をその身に浴びてしまったのだ。
殲滅には絶好の機会。だが長沢の手足は動かない。それは驚きという名の感情に支配されてしまったが故だった。

「は――ははっ!」

そして今度は笑いが込み上げてくる。その間に男は鉄扉の裏側に潜り込んでしまった。
迂闊であると自らを責める気持ちも無くは無い。だが優先すべきはこの現状を出来る限りに愉しむべきと長沢は勝手に結論付けた。
手傷は負わせた。これで相手は満足に戦えない。別に今が千載一遇のチャンスというわけではないのだから、と。

「ははははははっ!! そう、か――そういう事だったのかよ、道理で、道理でなあっ!」

それよりもこれが笑わずに居られるだろうか。
全ての疑問は氷解した。長沢は全てに納得した。
「ゲーム」当初から感じていたささやかな違和感。何処と無く心地の悪い空気。これだけ表に裏に掻き回してなお、一向に増える気配の無い犠牲者の数。
その原因の一端は、正に今此処に有ったのだと。

「そりゃお前が――いや、アンタが居るならそうなるはずだよ、ならなきゃ逆におかしいってもんだ!」

興奮を抑えきれず、長沢は次々に言葉を浴びせかける。
今は姿の見えない、鉄扉の裏側に向けて。


「なあ! そうだろうよ楯岡和志――いや、御剣総一っ!!」





ゲーム開始より55時間17分経過/残り17時間43分



[21380] EPISODE-60
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2013/01/20 12:14
――どうして自分は生きているのだろう?

見知らぬ白い、「施設」とは明らかに違う天井を見上げながら御剣総一は呆然と考えた。
最後の最後、自分は夥しい数の銃弾をその身に受けたはずだった。その痛みの一部は今も身体に付き纏っていてあれが幻であったというわけでもない。
人の命が、肉体が。あれ程の損傷に耐えられるものなのか、そう純粋に疑問を抱かされた。
だがそんなものは瑣末な事だとすぐに少年は思い直す。
生きていること、「ゲーム」を生き延びた事。それが結果だというのならば甘んじて受け入れるしかない。
それよりも、問題はある。そんな事よりも、もっと大きな問題が彼の前には立ち塞がっているのだ。

――どうして自分だけが、生き延びてしまったんだ?

その事実だけは、今し方伝えられたその事実だけは。俄かには受け入れる事も納得も出来そうもなかった。
彼には多くの仲間が居た。命を奪い合わねばならない非情な「ゲーム」の最中においても心を通わせる事が出来た参加者たちが居た。
だがそんな仲間たちは誰一人として生き残ってはいなかった。
瀕死の重傷を負いながらも生きて施設を脱出出来たのは彼ただ独り。他の仲間は全員等しくその命をあの冷たく巨大な建物の中で強制的に終了させられてしまったのだ。

(そんな、バカな話があるかよ――)

愕然という表現すら生温い。そんな絶望感に総一は言葉を口にする事すら覚束なかった。
生き延びるべき人物は他にもたくさん居た。生き残るに相応しい人物は他にもたくさん居たはずなのに。
否、それは寧ろ自分以外の全員で。死ぬべき人間が居たとするならば、それは自分を於いて他には有り得なかったはずなのだ。
生き延びる意味など最初から無かった。これから先の人生に生きる意味など見出せなかった。
心の底から愛した少女は、もうこの世の何処にも居ないから。決して手の届かない世界に先立ってしまったから。
彼女の後を追いたかった。何度も何度もそう願った。けれども潔癖なまでの正義感の持ち主だった彼女は死してなお、それを許してはくれなかった。
だからこそ、求めていた。意味のある死を。自分の犠牲で誰かが救われるのならば、それこそが許される死なのだろうと。
御剣総一は誰もが生を欲する「ゲーム」の中で、誰よりも真剣に自らの死を願っていたのだ。

それなのに、どうして。自分だけが生き残ってしまったのか。
どうして生き延びたのが、自分でなければならなかったのか。

(どうしてだよ――どうしてっっ!!)

自らの内で慟哭すれども答えは決して返ってはこない。
少年が最も望んではいなかった結末。それが数年前に行われた「ゲーム」の結果であった。





「ひひゃははははっっ!! そうだった、そうだったよなあ! アンタあん時生き残ってたんだよ、なあっ!!」

そして現在、遠慮も無く高笑いを響かせる長沢のマシンガンが再び火を噴き始める。
瞬く間に鉄扉に数十発の弾痕が穿たれ、裏側に潜む楯岡に衝撃を伝える。
このままではそう遠くない未来扉は破壊され、盾の意味を為さなくなる。その危機を直感した楯岡は銃声の切れ目に転身する。
ずきり、と撃ち抜かれた右肩が悲鳴を上げる。握り締めていた拳銃を思わず取り落としそうになる。
微かに力の残る指先に何とかトリガーガードを引っ掛けそれを防ぎ、更に後方の鉄扉を開きその裏側に回り込む。
先程までの防御壁が銃声と共に吹き飛ばされたのはほぼ同時の出来事だった。

「く――」

危うい処で一命を取り留めた楯岡だったが、それでも依然絶望的な状況に変化は無い。
傷を負った利き腕である右腕は現在のままではまるで機能を果たせず、左手一本では満足な反撃は繰り出せそうにない。
そして長沢は今回に限り、自分たちを見逃すつもりは無いだろう事は容易に推測が出来た。
長沢なら、「あの」長沢勇治なら。自分が「御剣総一」であることを知ってしまったと言うのならば、と。

長沢勇治という男に楯岡が出会ったのは、彼がまだ御剣総一と名乗っていた頃の事だった。
問答無用の殺し合い。今なお変わらぬその「ゲーム」に初めて楯岡が巻き込まれた時、彼もまた参加者の一人として名を連ねていた。
当時の長沢はその体躯も精神も未成熟な少年で、他人に見下されるのを極端に嫌う男であった。
だからこそ、当初は誰も彼を脅威とは感じなかった。
「ゲーム」への入れ込み、即ち殺人を嬉々として享受し不穏な言動を繰り返す彼の態度も幼児性の一部として捉えられていた。

だが、実際の彼は掛け値無しの異常者であったのだと後に幾人かの参加者は知る事になった。
その理性を超越した残虐性は「勝ち残るためには3人の参加者を殺害せねばならない」という条件により更に加速され。
次々に長沢はその手で屍の数を積み上げていってしまったのだ。

「そうそう、死んでなかったんだよ! あの時の『ゲーム』が終わってから、生き残った奴の名前を聞いて卒倒しそうになった覚えがある!
 まさかあの時、最後の最後で――アンタだけ殺し損ねてたなんてなあっ!」

「――」

そして楯岡も否、御剣総一もまた彼の手にかかり危うく命を落としかけた一人であった。
「ゲーム」制限時間73時間、その到達寸前。
条件を達成し、フロア全域が侵入禁止エリアとなった3階で御剣は身を潜めていた。だが其処に、長沢は現れた。
彼もまたその時には既に御剣同様条件を達成し、ペナルティを受ける立場では無くなっていたのだ。
躊躇無く発射された無数の銃弾。現在と同一の得物を携えた長沢に、御剣の身体は撃ち貫かれた。
それでも御剣が生き残る事が出来たのは、彼が強運の星の元に生まれたからなのか。
それとも「ゲーム」終了と同時に流し込まれた催眠ガスが両者を昏倒させたため、致命傷だけは辛うじて免れた所為なのか。

「いやあ、おかげでこちとらエライ大損だったっての! 生き残り4人と3人じゃ、どれだけ賞金の分配額が違うかわかってる!?
 2億6600万だぜ、2億6600万! それだけあればまだまだ豪遊出来てたってのにっ!!」

兎に角今の長沢にとって、楯岡は狩り損ねた獲物である事に間違いは無い。
そして当時と同様の条件で相対した今、因縁も絡めてこの場での決着を是が非でも望むであろう事もまた間違いでは無さそうだった。
つくづく素顔を晒してしまったのは失策だったと楯岡は後悔する。
光度の低い施設の中でサングラスで頑なに顔を覆っていたのは何よりもこの事態を恐れるが故だったというのに。
とは言え結果は結果として受け止める以外に無い。改めて楯岡は、現状の打開に臨む。
諦めてはならない。諦めるわけにはいかない。その思いは依然変わりは無い。
最愛を失い、その上で更に誰一人救えなかった男はそれでも生に執着する。
まだ、守りたいものは残されているから。たった一つ、ただ一人だけ遺されているのだから。

「あの時」。長沢に襲われる直前。御剣総一の傍らには一人の少女が居た。同様に条件を達成し、救われるはずの少女だった。
だがその少女もまた、残酷な運命に逆らう事は出来なかった。御剣と同じ状況で長沢の銃弾を浴びた少女は、その少女だけは命を永らえる事は出来なかったのだ。
おそらく他の誰よりも、生還に拘っていた少女。「ゲーム」をクリアする事で得られる報酬で、助けたい人が居た少女。
かれんの実姉、北条かりん。その彼女の遺志を継ぐ事こそが、楯岡和志の存在理由。
かれんが健やかに人生を送れるために、賞金を手術費用に充て影ながら見守ってきた。そして自らはその身を鍛え続けてきた。
何時か、彼女もまた「ゲーム」に召喚されてしまうかもしれない。「組織」が健在である限り、その可能性は決してゼロではない。
だからこそ彼は、備えたのだ。ただ鍛えるだけではない。「組織」に宛ててメッセージも送った。
直接ではなく「嘗ての遊戯から生還し後に命を落とした男の名を敢えて名乗る」という現在の「ゲーム」責任者、過去の怨敵である男にのみ通ずる方法で。
北条かれんが参加する「ゲーム」の駒としてはこれ以上無い人材。
それは自分をおいて他には無いと認めさせるために「御剣総一」は「楯岡和志」に成り替わったのだ。
ずるでも卑怯でも構わない。それがかれんのためならば、と。

そしてそのかれんに今、危機が迫っている。一刻も早く駆けつけねばその誓いは果たせない。
もう「間に合わなかった」では許されない。彼女を救いたいという願いだけで終わらせてはならない。
あくまで「彼女を救った」という結果を為さなければ。楯岡という存在自体が意味を失ってしまうのだ。

「けどまあ、許す! 許すぜ御剣の兄ちゃん! よくぞこうしてオレの前に生きて現れてくれた! お礼に今度こそ! 正真正銘! 何の後腐れも無く!
 オレのこの手でぶっ殺してやるよ――あはははははっっ!!」

だが今楯岡の目の前に立ち塞がる、突破せねばならない悪鬼もまた生半可な男では無かった。
奇声と共に放たれた弾丸が再び鉄扉の上で不協和音を奏で始める。
独り語りに意識を割かれている所為か銃撃の間隔は今までよりも長くはなっているが付け込む隙にまでは至るものではない。
迂闊に飛び出せば狙い撃たれる。長沢の元までは到達する事無く。そんな未来をありありと予見させられる。

「あー、それから先に断っとくけどさ! ここで第三者の介入とか、期待しても無駄だから!」
「っ!?」
「だってほら、オレの探知ツールにはさ。今も近くにオレたち以外の反応は無いからね! しかもオレのはアンタらが使ってる『PDA探知』みたいな、
 手垢に塗れたポンコツツールじゃないんだなあ、これが! 『参加者の首輪そのものを探知する機能』、それが俺のツールなんだぜ? 
 これじゃあ万が一にも他の奴が現れたりする可能性は無いよなあっ!」

「――」

そしてどうやら場を乱す外的要因も望めそうにはなかった。
それをわざわざ伝える辺り、つくづく弱者のいたぶり方を熟知している男だと、楯岡は思わず歯噛みする。
正面突破は絶望的、そして救援も期待は出来ない。
いよいよ以って事態は最悪。それでも楯岡の瞳から光が消える事は無かった。

――ふざけるな。この程度の何が最悪か。

本当の最悪を、絶望を。楯岡は知っている。そしてそれは諦めの先にこそ有る事を。
過去の彼は、誰よりも懸命だった。だが同時に自惚れてもいた。
自分の命など惜しくは無い。自分の命と引き換えに、仲間たちを救ってみせる。そんな強い想いを常に抱いていた。
だがそれは、「ただ命がけでありさえすれば救えぬものなど何も無い」という致命的な勘違いでもあったのだ。
思えば自分の命にすら責任を持てぬ者が、どうして他人の命を左右出来ると思えたのだろう。
だからこそ、誰一人として救えはしなかった。自分一人だけが生き残ってしまった。
その結果こそが「死にたがり」が大層にも大望を抱いた報い。御剣総一に与えられた考え得る限りの「最悪」。
そんな事を、二度と繰り返すわけにはいかない。だから安易に死を望む事は許されない。
北条かれんと、共に生きてこの「ゲーム」から生還する。それが楯岡和志の願い。
その願いを成就するためにも、この程度で諦めを抱いてはならないのだ。

(必ず何処かに突破口は有るはずだ、必ず――!)

心の中で何度も呟きながら。楯岡は長沢の更なる猛襲に耐え続けていた。





「きゃああああっ!!」
(っ!!)

それは、緑川菜緒にとっては信じたくも無い光景だった。
親友と呼べる少女が銃声と共に大きく体勢を崩す。そして傍らに居たかれんを巻き込み、地に倒れ込んで行く。

(撃た、れた――?)

あまりの現実に、菜緒の思考は追いつかない。
突如現れた木戸亮太、そしてその手に掲げられた拳銃。香る硝煙の臭いと倒れた美雪とかれん。
散らばった情報の断片を繋げる事は容易なはずだった。だがその答えを否定したいが故なのか。彼女は呆然と立ち竦んだままだった。

「ち、外したか――まあこの目とこの距離じゃ一発必中とはいかねーか。まあ足止め喰らわせられただけ上出来ってことにしとくか」
「っ!!」

そんな菜緒の耳に木戸の不満入り混じる呟きが届く。慌てて振り返れば確かに銃撃を人が受けた証、鮮血は何処にも見当たらなかった。
やはり美雪は撃たれてはいなかった。最悪の現実だけはどうやら回避出来ていると菜緒が思い至るも束の間、さりとて安堵出来る要素は何処にもあるわけではなかった。

「――美雪さん? しっかりしてください、美雪さん!」

半ば美雪に押し倒されるような形になっていたかれんがどうにか身体を入れ替えるも、彼女の言葉に美雪は反応していない。
美雪は意識を失っている。つまりすぐには動けない。そしてそれは現状、致命的とも言える状態であるのだ。
なぜなら危険はすぐ傍まで迫っている。少女たちの命を脅かす脅威そのものは、今彼女たちの目の前に立っているのだから。

「おっと。妙な動きは見せるなよ? 楽に死にたきゃ、おとなしくしといた方が身のためだぜ?」

顔の左半分を包帯で覆い隠した、隻眼の男はゆっくりと間を詰めて来る。以前目にした時からその姿から鑑みるに、射撃に難がある事は先程の言葉通りであるのだろう。
だからこそ確実に仕留めるために接近を試みようとしている。故にその足が止まった時が、彼にとっての射程距離。
そしてその間合いに踏み込まれた時が、菜緒たちにとっての最後の刻と成り得るのだ。
何としてもそれだけは阻止せねばならない。そう直感する菜緒ではあったが、ならば如何なる術があると言うのか。
後方には逃げられない。楯岡と長沢による苛烈な戦闘が後方では行われている。
その場から逃れるために今此処に居るのだからまさか引き返す事は自殺行為に他ならない。
さりとて左右は壁に阻まれ逃げ場は無い。そうなれば道は一つ。木戸が現れた方向以外には無い。
だが気を失っている美雪を抱えたまま木戸を振り切る事もまた不可能に等しい行い。ならば答えは自ずと知れて来る。
つまりは、目の前の。この男を打ち倒さぬ以外には。生還の道など望めないのだと。
そう菜緒が結論づけた折、木戸の拳銃が再び火を噴いた。

「きゃあっ!」
(っ!?)
「妙な動きは見せるなっつっただろ――ああ、くそ。やっぱ当たらねえか」

明らかに自分の方向と違う向きに向けられた銃口の先で身を竦ませるかれんの姿が菜緒の目に留まる。
その傍らに拳銃が転がっている事からおそらく彼女も同様の結論を下し、先の覚悟通り木戸に狙いを定めようとしたのだろう。
だが甲斐無く阻止された。どうやら美雪同様、彼女の身体そのものに弾丸は当たってはいないようだがこれでかれんは攻め手を失ってしまった。
これで戦えるのはただ一人。自分以外にはいないのだと改めて菜緒は思い知る。

「――へっ。どうしたい、怖い顔しやがって」

視線の先では不愉快を催すうすら笑い。侮られている、と菜緒は瞬時に理解した。
それは携えた得物が射程が桁違いに短い日本刀であるからなのか。それとも菜緒が木戸にとって、一度は打ち倒した相手であるからなのか。
ならば好機と言えなくも無い。間合いは不足なれど業がある、覚悟がある。
親友を守るためならば、幾らでも血を流そう。菜緒は随分前にそう決意していた。その誓いは当然の如くに今も変わりは無い。
そしてそれは自らの身であろうと構わない。どれ程にこの身体が傷付こうとも、それが美雪のためであるならば。
そう、思い続けてきた。そして今が、その時だった。
その時である――はずだった。

(――なんでっ!?)

だが、菜緒の内は混乱の只中に在った。
腕が、動かない。否、正確には――その刀を抜き放つ事が出来なかった。
どれ程に力を込めようとも、その刃は鞘からその身を曝け出そうとしてくれないのだ。

(なんで、なんでよっ! なんで抜けないのっ!?)

不具合は決して有り得ない。今までに何度も確認してきた。
それなのに鯉口が微動だにしない。これは一体どうした事なのか。理由が判らず菜緒の焦りは加速する。
抜けなければ、戦えない。刀を抜けてこそ、「あの時」の力は発揮されるはずだった。
日本最強を誇る拳を持つ巨人と互角に渡り合ったあの「力」を。菜緒は記憶に無くとも身体で覚えていた。
刃と一体となったかのような淀み無き動き。枷から解き放たれた如くに圧倒的な速さと軽さ。
あの「力」が自分の全力で、本領であるならば。例え相手が凶悪な武器を持つ男であっても決して後れを取るものではない。
だが逆に言えばその「力」が発動しないのであれば。自分は単なる小娘に過ぎないいう自覚もまた菜緒の中には存在しているのだ。

(どう、して――)

発動条件は整っている、はずだった。仲間が窮地に陥り、それを救いたいと願う自分。状況的にはあの時と何ら変わりは無い。
ならば何が足りないのか。何が欠けているというのか。迫る木戸から少しずつ後ずさり、菜緒は己に問い掛ける。

――貴方の中には鬼が住んでいます。
――その鬼を御するか、或いは調伏するか。全ては貴方次第でしょうね。

まず思い至ったのは何時の日か告げられた、そんな言葉。
少女がまだ実家の道場で剣術を学んでいた折。唯一同性で敵わぬと思い知らされた女性の言葉だった。
その女性が何者であったのか、菜緒は詳しくは覚えていない。ただ父親と旧知の仲という以外のプロフィールは名前すらも記憶に残ってはいなかった。
ただ当時の自分が見下ろせる程に小さな体躯と年上の割に幼さの残る外観、長く艶やかな黒髪。
そしてたった一度の仕合でこれでもかと見せつけられた出鱈目な強さだけが鮮烈な印象として菜緒の中に刻み込まれていた。
大門との戦闘の後、自分の本当の強さが無意識下にあると知った菜緒は不意にその言葉を思い出していた。
当時はその女性が何を言いたいのか全くの理解不能で記憶の隅にすら留まってはいなかったのだが、思い出してしまえば納得だった。
あの言葉の中に織り込まれた「鬼」というキーワード、それはこの「力」の事を指し示していたのだと。
確かに思い返せばあの時の仕合の内容もまた全く記憶にない。ただ気が付けば倒されていた。
だからこそ、菜緒は実感した。自分の中には確かな力、「鬼」が潜んでいるのだと。

(だからその「鬼」がっ! どうして今、出てこないのよっ!!)

だがその「鬼」の顕現方法が今の菜緒にはわからない。御し方はおろか、その姿すら見えてこない。
仲間を想い、精神を集中させる。雑念を捨て、懸命になる。
考え得る限りの意識改革は実行した。それなのにあの境地には至れない。

(早く答えを見つけないと危ないのに! 美雪が、かれんさんがっ!!)

自分の事などどうなっても構わない。ただ仲間を、親友を救いたい。そんな正しき想いこそが鬼を従える鍵ではなかったのか。
もしも違うと言うならば、一体何が正解であるのか。困惑する少女の願い虚しく刻一刻と刻限は迫っていく。

実際には菜緒は答えに辿り着いてはいた。ただそれを実行出来ていないだけだった。
鬼の顕現、それは即ち「無我の境地」とは似て非なる究極の精神集中状態。余計な思考を排し心を細く一本化させた末の状態である。
確かに菜緒はそれを試みようとしていた。だが徹しきれてはいなかった。
縋ってしまったのだ。「自分の本当の強さ」というものに。
それを知ってしまったが故に。「そうありたい」、「そうならねばならない」という思いを抱いてしまった。
その思いが邪魔をした。雑念となってしまった。
彼女が「強くなる」ためには。「強くなりたい」とは考えてはいけなかったのだ。

だが菜緒はその事実に気付かない、気付けない。
そして気付けぬまま遂に――その時を迎えてしまった。

「――流石にこの距離なら、外しようがねえかな」

木戸の足が止まる。刀の間合いにはやや遠い、絶妙な距離で。

「あ――」

呆然と。少女は思い知る。自分は間に合わなかったのだと。
駄目だった。出来なかった。その事実に菜緒の心は反転する。希望は絶望に、戦う意思は圧倒的な恐怖へと。

「あ、あ」

腕だけではなく、身体全体が凍りつく。気丈な少女の面影は失われ、ただただ怯えの感情に支配される。
終わってしまう。殺されてしまう。誰も守れず、何も出来ないままに。そんな認めたくない末路が目の前に訪れている。
回避は出来ない、と無意識に悟らされた。せめて悪あがきを、という気概も力も今の少女は失ってしまっていた。

「ようやくだ、漸く――マトモな形で死人を数える事が出来る」

絶対の勝利を確信したのか。木戸はすぐにはその引き金を引かず朗々と謳い上げるように語る。

「ああ、そうだともさ! お前らは俺の獲物だ! 長沢なんぞに渡してたまるもんかよ、ははっ!」
「っ!!」

しかしその菜緒にとっては意味不明の独白も程無く笑い声と共に終わりを迎え。更に突き出された銃口に菜緒は観念して目を閉じる。

(た――)

何も考える事は出来なかった。ただ、彼女の内から湧き上がった衝動は。

(たす、けて――)

懇願だった。本当は自分こそが誰かに守られたい、そんな切なる想いだった。
すると、その瞬間。

「――わぷっ!?」

(っ!?)

突然、目の前に居ると思しき木戸が珍妙な奇声を上げた。

(え――何!? この――臭い!?)

次いでこれまた奇妙な香りが菜緒の鼻を突く。明らかに今までには有り得なかった、突然訪れた「香り」。
いや、香りなどという生易しいものではない。酸味がかった強烈な刺激臭。ほんの僅かに吸い込むだけで鼻腔は焼かれ、喉には刺すような痛みが走る。

「な、なんだこりゃ――くそっ! 目が、目がっ!!」

慌てて菜緒が目を開くと目の前の木戸が佇んだまま悶絶していた。
頭頂部から琥珀色の液体を滴らせ、無事な右半分を片手で頻りに拭い続けている。どうやら臭いの発信源はその液体であると、菜緒が気付く間も無く。

今度は。その木戸の身体が不自然な体勢で、勢いで。右方向に吹き飛ばされた。

「――っ!! が……」

猛烈な加速度を伴い、木戸の身体が通路の壁に激突する。そしてそのまま昏倒したのか、ずるずると壁沿いに崩れ落ちる。

「――え?」

一体何が起こっているのか。わけもわからず呆然と立ち尽くす菜緒の目の前に。

「――」
「う、そ――?」

現れたのは、更なる第三者。それもよく、見知った人物。
思わず目を疑わずには居られない。本当に目の前の「彼」が自分が思う通りの人物であるならば、あまりにもタイミングが劇的過ぎはしないだろうか。
願いが届いた、にしてはあまりにも実感が無さ過ぎた。だから声すら出なかった。
「彼」の名を、想い焦がれた少年の名を。菜緒は叫ぶ事すら出来なかった。

「っ! な、鳴神くんっ!?」

だからこそ、その少年――鳴神圭介の登場の宣言を。
後方のかれんに譲る形になってしまったのは、ある意味仕方の無い事だったのだろう。





ゲーム開始より55時間19分経過/残り17時間41分



[21380] EPISODE-61
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2013/03/10 08:36
緑川の家は剣術道場を営んでいる事もあって純和風の造りだった。
石垣に白塗りの外壁に瓦屋根、道場そのものは勿論中庭や母屋に至るまで。
現代っ子でありそんな歴史を感じる家風に反抗の意を込めた菜緒の自室を除けばそれはもう見事に「和」を描ききった家だった。
言うまでも無く毎日の食事も和食が中心。娘にその遺伝子を伝え損ねたのではないかと思う程に母・緑川爽子の料理は丁寧で、繊細で。
そしてそんな献立の偏りに誰も異を唱える事が出来ぬくらいに美味なものであった。
中でも得意な料理はちらし寿司。祝いの際、行事の際。決まって食卓に乗っていたのは大きなお櫃に山盛りに盛られたそれだった。
親友ということもあり家に泊まりがけで遊びに来る事も少なくはなかった美雪もまた相伴に預かれるのをいつも楽しみにしており。
それを伝え聞いた母はその度にいつも以上の腕を振るっていた、そんな記憶が菜緒の中にはあった。

今となってはまるで遠い昔のような記憶。それをなぜ今、こんな時に。
自分は思い出しているのだろうかと、呆然と菜緒は考えていた。
答えは辺り一面に漂う香り。それが記憶と僅かに繋がりを見せたからだ。
それは母お手製のちらし寿司から香る淡く優しい香りに比べ、悪意すら感じる程に暴力的な刺激臭ではあったものの。
その根本に在る成分には、似通ったものが感じられたのだ。

(うそ、じゃあこれって――お酢?)

そんな馬鹿な、と思わず自分の中に声が響く。恋焦がれる家庭の味の一端が、なぜこんな非常識な「ゲーム」の中に登場するのかと。
だが考えれば現在の状況にも漠然と納得が生じる。
本来何倍にも希釈して使用される「酢酸」を、更に何倍にも濃縮したようなそれを無防備な顔面に浴びればどうなるのか。
当然まともに目を開けてなどいられない。そしてそれが、先程の木戸の突然の変調であったのだ。

(――って! 何をあたしは暢気にそんな!)

と、そこまで考察に筋道を通した時点で菜緒は慌てて我に返る。
そうだ、今そんな事の何が問題なのか。問題はそうやって木戸に「目潰し」を食らわせその隙に渾身の一撃を叩き込んだ目の前の男にこそあるではないのか。

「――けい、すけ?」

見間違うはずもない。厳しい目つきで倒れた木戸の昏倒を確認している少年は紛れも無く鳴神圭介だ。
なぜ、どうして。彼が此処にいるのか。どうしてよりにもよってこのタイミングで現れたのか、現れる事が出来たのか。
そして自分たちを裏切ったはずの彼が。どうして自分たちを助ける様な事をしたのか。

「え――え?」

理解が追いつかない。様々な感情が溢れ返り、菜緒の中で言葉が上手く纏まらない。

「――」

呆けている間にも、圭介がこちらに近付いてきた。反射的に菜緒の身は固くなる。
圭介は無言。無言であるからこそ何を考えているのかわからない。
わからないからこそ菜緒は彼に何も出来ず、何も声を掛けられず――

「ボケてんな、さっさと逃げる準備しとけ」

足も止めずに脇を通り過ぎる圭介が発したその一言にも。理解にするまで数秒を要してしまった。

「え、ちょっ!!」

ちょっと待て、という言葉すら容易に口から滑り出してはこない。
振り返れば圭介はかれんと美雪の側も僅かに速度を緩めるだけで走り抜けていく。

(ちょっと、そっちは――)

圭介の向かう先。それに気付いた菜緒は思わず目を剥いた。
その方向は菜緒たちにとっては逃げてきた先。圧倒的な火力を携えた、忌むべきもう一人の敵がいる方向なのだ。
その事実に圭介は気付いていないのだろうか。いや、そんなはずがない。
一時の絶望感から脱した今の菜緒の耳にも高速無数の連射音は煩いくらいに耳に届いている。
圭介の耳が壊れてでもいない限り、正確な状況は兎も角分岐に遮られた死角の向こうで何が起こっているのかなど誰であろうと気付かないはずはないのだ。

(まさか――)

まさか、一人で立ち向かうつもりなのか。自分たちが3人揃って為す術も無く、あの楯岡ですら足止めが精一杯のあの男、長沢勇治と正面から。
だとすれば勝てるはずもない、と菜緒の顔から血の気が引く。
木戸を倒せたのはあくまで背後からの急襲という不意打ちが上手く嵌った結果に過ぎない。
だが今回は正面からの突貫だ。長沢に見留められるのは避けられない。そして見留められたが最後、あの男はごく簡易な動作で必殺の銃弾を放つ事が出来る。
どう考えても無謀。限り無く自殺に近い行動。圭介はそれがわかっているのだろうか。
止めるべきだ、菜緒は振り返る。後方の木戸を一瞥する。ぴくりとも動かず起き上がる様子はまるで見られない。
確認は一瞬。次の瞬間には考える間も無く走り出していた。
だが追うべき圭介の背中は遠く、既にその身体は分岐の近く。
マシンガンの銃声が途切れた。それが合図とばかりに圭介は更に加速して。

何の躊躇も無く。その先の通路へ飛び出して行った。

「鼻と口、塞げっ!」
「っ!?」
「あ?」

菜緒の視界からその姿が消える。そして三者の声が響く。

(っ!! バカ、何を声出して――!)

菜緒は愕然とした。それは何か策が有るとは到底思えない、安易で考え足らずの行為に見えた。
存在を気取られていないという唯一の優位性を、見えない圭介はあまりにもあっさりとかなぐり捨ててしまった。
それでは狙い撃ってくれと、蜂の巣にしてくれと言っているようなものなのに。
全身を撃ち貫かれ、血の海に沈む圭介。そんな姿が想像され、菜緒の心臓は一瞬止まりそうになる。

「――ぶわっ!」
(っ!?)

だが予想はまたしても裏切られる。次の瞬間菜緒の耳に聞こえてきたのは無慈悲な高速連射音ではなく、長沢の場にそぐわぬ間の抜けた声だった。
いったい何が起こったのか。いやいったい何を、圭介は起こしたのか。
漸く遅れて曲がり角に辿り着く。壁に背を張り付かせ、菜緒は顔だけを通路に覗かせる。

「けほっ、げほっ! く、が……」
「――鳴、神?」
「――」

その視線の先では、投擲後の姿勢を解きつつある圭介と、そんな彼を顔の下半分を手で覆いつつ見つめる傷だらけの、サングラスの無い楯岡。
そして何やら大量の粉末に身を包まれながら膝を折り苦悶の形相で咳を繰り返す長沢の、三者三様の姿があった。

(う、そ――)

いったい何度。この短い最中に目を疑えばいいのだろうか。菜緒は呆然と立ち尽くす。
今度は理解に然程時間を要する事は無かった。先程の木戸の件を踏まえれば、驚く程するりと菜緒の中に事態の真実は入り込んできた。
今の立ち位置にも微かに漂ってくる粉末の香り、それは間違い無く調味料の一種、胡椒の類。
胡椒を吸引すれば鼻腔が過度に刺激され、激しい咳ないしくしゃみを誘発する。それは誰もが知る一般的な常識だ。
おそらく圭介はそれを利用した。何処かで調達した大量の胡椒を小袋か何かに詰め込み、それを長沢に向けて投げつけたのだ。
長沢がそれをまともに食らったのか、或いは避けたのか。それはわからない。
何れにせよ袋そのものをかわす事が出来たのだとしても、袋から解放された微粒で大量の粉末までは避ける事は出来なかったのだろう。
いや、それよりも特筆すべきは驚嘆すべきは。圭介がそんな笑い話のネタにもならない事象を真剣に武器として長沢に立ち向かったという事だ。
何故彼は重火器の咆哮を恐れなかったのか。どうしてそんなものに勝算を見出す事が出来たのか。
どう考えても分が悪過ぎる。少なくとも菜緒の知る圭介はそんな分の悪い博打に手を出す人間では無いはずだった。
小賢しさすら感じさせる策を弄し、その上で事を為そうとする。それが鳴神圭介という少年だったはずなのに。
わからない、わからない。菜緒の頭はまた混乱する。
しかもそれが成功してしまっているだけに、余計にそう思ってしまう。

「今のうちだ、走れ、逃げるぞ!」

すかさずかかる号令。いち早く状況を察知した楯岡が無言で頷きその場を離脱する。
菜緒も慌てて我に返る。そうだ、何を呆けていたのか。ともあれ二人の悪鬼はこれで沈黙した。逃げるには今が絶好のチャンスなのだ。
振り返る。後方ではかれんが美雪の身体を助け起こし、立ち上がっていた。これまた無言で菜緒に目で合図を送っている。

「ま、待ちやが……が、がああああっっ!!」
(っ!?)

突然。長沢の獣にも似た叫び声が周囲に響き渡った。
圭介に喰らわされた身体の変調から立ち直ったのかと思いきや。

「がっ、ぐあっ、ぐおあああああっっ!! 痛え、痛え痛え痛ええええっっ!!」

自らの胸を掻き抱くようにして倒れ込み、床を転がりのたうち回り始めた。
長沢の不健康な風体は決してフェイクではなく、その中身は重篤な病魔に侵された病人と何ら変わりは無い。
それを「薬」の力により抑え込んでいるのだが、体内に侵入した大量の刺激物の粉末が再びその激痛を呼び覚ましたのが原因だった。
だが勿論そんな真相を菜緒が知る由も無い。これもまた圭介の、理解及ばぬ繰り手によって引き起こされたものかと困惑する。

「菜緒、早く!」

また圭介が、脇をすり抜けていく。すれ違いざまに鋭く声を放つ。気付けばもう楯岡もかれんも先行し逃走を開始していた。
長沢との戦いで傷を負ったらしい楯岡はそれでも統率者の責務を全うしようとしているのか。美雪の身体を支えつつ先陣を切って進んでいる。
菜緒もまたその場を後に走り始めた。すぐ前を走る圭介の背中を追いかけながら。
未だ予断を許さぬ状況ではあるが、一先ず最悪の事態だけは回避する事が出来た。劇的な圭介の登場と、行動によって。

(――)

圭介の後に続いて進む。その並びに菜緒は何処か懐かしさを感じつつあった。
思えば以前は、こうして行動していた。彼の背中を見つめながら、彼の背中を守りながら。共に生き残ろうと互いに誓い合った。
もう二度と、同じ立場に戻る事は無いと思っていた。だが圭介は、こうして戻ってきた。
以前とは比べ物にならない程に、頼りがいのある存在として。

(圭介――)

いつの間にか圭介は楯岡とかれんを追い越し、PDAを片手に逃走経路の先導をしていた。
従い、分岐を右へ左へと曲がる。長沢も木戸も、追いかけてくる気配は無い。
漸く助かったのかもしれないと、実感が徐々に菜緒の身体に浸透して行く。

(――圭介!)

同時にとある感情が。菜緒の身体に去来した。歓喜、感動。そういった類の胸の苦しくなる感情。
この気持ちが、思いが。そのような名を持つものであるならばどれだけ彼女は幸せな心地になれていただろうか。
だが、違った。菜緒の内を満たすその感情は決してそんなものではなかった。

(アンタ――今度は何を企んでんのよ)

暗き情念、不信感。自分が今圭介に抱く思いは決して快いものではないと、菜緒ははっきりと自覚した。
あまりにも出来過ぎだった。あまりにも上手く事が運び過ぎていた。
本来それは望むべきものであったのだろうが、だからこそ菜緒はありのままを喜べない。
嘗て自分たちを裏切った男。友好的な態度に務めながら、真実を隠匿しこちらに殺意すら抱いていたかもしれない男。
その采配があまりにも見事過ぎたが故に。どうしても菜緒は裏を感じずにはいられない。
彼女の知る鳴神圭介は、あくまで凡人の域を出ない男だった。だが凡人なりに奮闘し、結果ぎりぎりでも危険を乗り越えてきたからこそ、好感を抱ける男だった。
だが、目の前の男は違う。危ういと思わせられる突貫を平然と成功させ、ろくに事情も把握出来ていないはずなのにこれしかないという立ち振舞いを見せた。
自分の知らない圭介。それが彼が今まで装ってきたものの裏に潜むものだとするならば。

彼の本性は、つまり。自分の目に映っていたものでは無く。
「親友である少女を殺さねば助からない」という真実をひた隠しにしていた方、だという事になるのではないだろうか。

(――)

走りながら。背中を追いかけながら。菜緒は利き手の日本刀の鯉口に指を当てる。
木戸の前では微動だにしなかったそれは、驚く程あっさりと。切り開き鈍い光を放つ刀身を覗かせていた。





(っ! ぐ――)

暗闇から現実へと引き戻された木戸亮太を待ち受けていたのは次々に襲い来る身体の異常だった。
側頭部から激痛が絶え間無く走り抜ける。自由の利くはずの右目から腫れのような痛みが滲み出し、上手く瞼を開く事が出来ない。
そして極めつけは頬から伝わる冷たい石畳の感触と身体の側面にかかる不可思議な重力。倒れている、と頭が認識するのに然程の時間を要するまでもなかった。

(な、んだ――何が、どうなっている!?)

何故自分は倒れているのか。木戸は慌てて上体を跳ね起こし、右目を指でこすり挙げ一先ずの視界を確保する。
眼球自体にも同様のダメージを被っているらしく映る光景はなかなか安定しなかったが、はっきりと判る事が一つだけある。

(な――)

周囲に誰もいない。人影は勿論のこと、嘗てヒトであったものの形跡すらも見当たらない。

(嘘、だろ――おい)

現実を知るには十分過ぎる事実だった。
あと一歩まで追い詰めていた。首輪の解除に必要な供物を3人、この手で殺害する寸前だった。
だがそこで記憶は途切れている。そして自分は倒れていた。
つまりは宿願は叶わなかった。目の前に捧げられた格好の供物は自分の手をすり抜けて行ったのだと。気付いた木戸はただ途方に暮れるしかなかった。

(――?)

ふと、足音が耳に届く。聞こえてきた方向に目を向ければ薄曇りの画像の中に一人の人物が姿を現していた。
何者であるかの判別は容易だった。はっきりとした人物像は捉えられないが、それでもその人物の特徴だけははっきりとしていたからだ。

「――よう。ひでぇナリだな、おい」

痩せぎすの体格、頭部付近に乗っている白。忌むべき相棒・長沢勇治が木戸の元へとゆっくりと歩み近付いてくる。

「いやー。失敗したねえ、こりゃ。まさかあそこで鳴神のガキが出張ってくるとは。予想外にも程があったってもんだ」
「っ! 鳴神だとっ!?」

相も変わらぬ耳障りな語り口調。思わず顔を顰めかけた木戸だったが、流石にその名は聞き流せなかった。
一体何を思考停止していたのか。この身体に刻み込まれた異常や痛みは決して偶発的に発生したものではない。
それは明らかな第三者介入の証であり。そしてそれは当然の如くに生き残った参加者の何れかの手によるものであり。
更にはその中ではあの3人の少女たちと関わりの深い、鳴神圭介による犯行であるとは十二分に考えられる可能性であったのだ。
木戸の中でおぼろげな記憶が徐々に形を成してくる。そう、確かに引き金を引く直前、何やら奇妙な液体を頭から降りかけられ視界を潰された。
そして有無を言わさぬ一撃。成程、考えればこれほど腑に落ちる答えは無い。あの口先だけは一丁前で姑息ないかにもあの男らしいやり口だ。

「そうか、あの野郎の仕業か――ふざけた真似しやがってっ!」

最早筆舌に尽くし難い忌々しさだった。憤怒を滾らせ木戸は勢い良く立ち上がろうとする。
だがその瞬間、また頭部が悲鳴を上げた。痛みに目が眩み、無様に膝を着く羽目になる。

「おいおい、まだ無理すんな。大人しく座っとけよ」
「く――気味の悪い事ぬかしてんじゃねえ」

未だ安定しない視界の中で長沢が走り寄ってくる。折角の申し出を悪態で返したのは怒り任せの部分もあったが、木戸としては今まで通りのやりとりのつもりだった。
だが、もし。木戸の視力がもう少し早く回復していたならば、長沢の表情の変化に気付く事が出来ていたならば。

「――ああ。その方が蹴り易い高さだからな」

「今」この時に限っては。それは許されない対応であったと理解出来ていたのかもしれない。

「っ!!」

突然、目の前の長沢の足が跳ね上がった。既視感を感じる衝撃と共に木戸の身体は今度は地面へと激突する。
傷付いた場所と同じ位置を蹴り飛ばされた、そう気付くのは一瞬だった。倍加する激痛、声にならない声が喉の奥から吐き出される。

「――その鳴神は、さ。こっちの方向から飛び出してきたんだよ。これは一体、どういう事なんだろうなあ?」
「ぐ……」
「それはつまりキッド、お前が通したって事じゃない? って事はお前のせいって事じゃない? お前のせいで、失敗したって事なんじゃないのかなあっ!?」

長沢の声音が徐々に変化する。軽薄な感じから重苦しさを含んだものへと。

「人がせっかくお膳立て整えてやったってのにさあっ!! なのに何この結果、ふざけてんの!? ふざけてんのかお前!? ああ、ふざけてんだよなあっ!!
 でなきゃこんな失敗、ありえねーよな、有り得ねえよなあああっっ!!」
「がっ! ぐ、あ!」

地を這う木戸に降り注ぐ、容赦無い蹴りの嵐。
飄々と、人を食ったような何時もの態度は見る影も無い。身震いする程の狂気も今は欠片も見当たらない。
掛け値無しの本気の憤り。それは今までに見せた事の無い、長沢の怒りそのものだった。

(ぐ、う――)

最初の一撃が重く響き、木戸は身動きもままならない。
ただ罵声を、蹴りを全身に浴びながら。何とか頭部だけは両腕で防御し無言で耐える他は無かった。

「まったく肝心の時に役に立たねえ屑が! 死んどくか、いっぺん死んどくか、ああ!?」
(っ!!)

だが、その一言で我に返る。このまま耐え続けるのは失策なのだと。
長沢に常識は通用しない。「死」という言葉は決して恫喝にのみ用いられるものではない。
この男は簡単に人を殺せる。彼の気が済んだ時、自分が命を繋いでいる保証など、何ら有りはしないのだ。

――抵抗しなければ。でなければ今までの努力が無駄になる。

「ぐ――おおっ!」
「っ!?」

伏したままの状態から、上半身だけで長沢の足を掴みにかかる。だがその腕は虚しく空を切った。

「く、キッド、てめぇ――」

それは偶然だったのかそれとも反射が働いたのか。危うく飼い犬に牙を突き立てられかけた長沢は慌てて距離を取る。
木戸の方は未だ立ち上がれてはいない。これではもう飛びかかる事も叶わない。
長沢の表情が激しく変化する。驚愕から、再び怒りを秘めたものへと。蹴りを浴びているうちに回復した木戸の視界にははっきりとそれが見て取れた。
そして。

「――いや、悪かった。こっちも今回の失敗で気が立ってたもんでな。許してくれ」

意外にもその表情はすぐさま何時もの泰然かつ尊大なものへと戻り。素直な謝罪がその口からは齎された。

「――まあ、大方そんなこったろうとは思ってたよ。別に気にするこっちゃねえさ、こちとら頑丈さは取り得の一つなんでな」

文字通りの上から目線に噴出しそうになる怒りを何とか抑え、気にしない素振りを演じつつ木戸はゆっくりと上体を起こす。
その間も長沢からは目を逸らさない。それが本音であるとはとても信用ならない相手である。
ここで油断すればそれこそ左目を傷付けられた時の二の舞になりかねないからだ。

「そうか、さすが相棒。話が早くて助かるぜ」

にへらと笑う長沢はどうやら本当にこれ以上剥き出す敵意は持ち合わせてはいないようだった。
おそらくあの一瞬で、長沢は計算を働かせたのだろう。このまま自分を怒りに任せて粛清する事が、はたして今後のプラスになるか否なのか。
そして答えを否とした。それはつまり長沢にとって木戸亮太という存在はまだ手駒として相応の価値があるという事なのだろう。

――まだ生かしておいてやるから、これからもオレの役に立ってみせろ。

長沢は言葉の裏でそう告げている。自分が理解している事を承知の上で。
釈然としない思いを抱く木戸だったが、兎にも角にもこれで一命は取り留めた。
それだけでも今までの献身じみた行動の甲斐はあったのかもしれないと、とりあえずは安堵する事にした。

「ところで長沢、そっちは」
「ああ、成果はゼロだ。オレもあのガキにしてやられちまったよ。だからキッドの事を責められる立場じゃないやね」
「お前も――?」

立場を痛感していてこの仕打ちか、という思いよりも長沢までもがあの鳴神圭介にやりこめられたという事実の方が気にかかった。
聞けばどうやら胡椒の入った小袋を投げつけられ、呼吸不全に陥ってしまったらしい。
また何時もの冗談かと呆れかけた木戸だったが、自分が目潰しに喰らわされた液体もまた同種のものかもしれないと思い至り一笑に付す事は出来なかった。

「まったく、おかげで回復に余計な薬を使わされちまったぜ。あと一歩で御剣の奴を仕留められたってのによ」
「御剣?」
「あのグラサン野郎の正体だ、詳しくは後で話す。いや、それよりも――だ」

暫くは普通の口ぶりであらましを語っていた長沢だったが、途端に険しい表情になる。

「あのガキ――どっから現れやがったんだ?」
「どっから、って――」

その言葉の真意に木戸が気付くには、ほんの少しの間が必要だった。

「気付いたかキッド。そうだ、オレたちが御剣の奴らを此処で『殺ろう』と決めたのは何故だったか。そりゃ『万が一にも邪魔が入るはずがない』からだった」
「――」

そう。そしてそれは自分が犯した失態の最大の原因でもあったと、木戸は記憶を遡る。

「オレのPDAには奴ら以外の反応は周囲には無かった。奴らのような『PDAの反応』なんて不完全なもんじゃない。『参加者の首輪の反応』が、だ」

周囲に他の反応が無かったから。誰の邪魔も入るはずがなかったから。
盲信していた、というわけでもなかったがそれでも背後の警戒は完全に怠ってしまっていた。だからこそ木戸は圭介の不意打ちを防ぐ事が出来なかったのだ。

「範囲外から急激に接近してきたわけじゃ勿論ねえ。そんな時間は無かったはずだし、オレは御剣と闘いながらもギリギリまでPDAで反応を探っていた。
 そんであの野郎の首にまだ首輪が嵌っていた事も一瞬だったが確認してる。なのにこりゃ――どういうカラクリだ?」
「さてな。その探知を無効にするツールでも持ってたんじゃねえのか」

正直「ゲーム」に関しては一日の長がある長沢にわからないものが自分にわかるわけもない、とばかりに木戸は投げやりな解答を口にする。

「――」
「――おい、まさか」

だが、突然顔色を変えた長沢の様子に理解する。それが正に、完全解答であったのだと。

「あ、ああ――オレも実物まではお目にかかった事はねえが存在だけは聞いた事がある。確か、『探知系ジャミング』とかいう機能だ」
「ち、マジかよ。そんなもんまで手に入れてやがったのか――あのイカサマ野郎!」

追えば姿を消す、忘れていれば現れる。口を開けば人を謀り、黙ったと思えば背後から不意を突く。
一体何処まで忌々しい存在なのかあの男は、と木戸は歯の根をぎりりと鳴らす。

「おい、行くぞ長沢。鳴神はともかく楯岡たちの反応はPDAで探知できるんだろ!? 今なら奴らは一緒に居る、とっ捕まえてぶっ殺してやる!」

まだ頭部の痛みは完全に消えてはいなかったが目立った傷も無く重篤には至らない。それよりも憎しみの方が先に立っていた。
こうなれば最早因縁だ。条件に関わらずともあの男の存在は許してなど置けない。必ずこの手で殺してしまわなければ気が済むものではないと。

「いや――ここは一旦様子見だ」
「――あん!?」

だが床に落ちていた拳銃を拾い上げ、勢い勇み即時行動を促す木戸の耳に届いたのは長沢の意外な一言だった。

「お前って切り札が相手方にバレちまった。その上で鳴神が合流したとなりゃ半端な策は通用しねえかもしれない。体勢を立て直すにゃ少々時間が必要だ」
「――」
「脳筋のお前にゃわからねえだろうがなキッド、こういう時こそ落ち着きが肝心なんだよ。敵はあいつらだけじゃねえ、命がけなのはこっちも同じなんだ」
「――わかった。お前がそこまで言うんなら仕方ねえ」

嘆息しつつ木戸は足を止める。本音では長沢の意向を無視してでも圭介たちを追いたかったのだがPDAも無しには追跡どころではない。
それにPDAの件を抜きにしても今更長沢と袂を分かった処でメリットがあるわけでもない。
鳴神圭介の登場は予想外だったものの、それでも楯岡和志たちをあそこまで追い詰められたのは世辞を抜きにしても長沢の力に他ならない。
長沢が自分を生かす選択をしたように、自分もまた長沢の力を必要としている。遺憾ながらに木戸は自覚する。
ましてあの男たちが手を組み共に行動するとなれば尚更、と言えるはずだと。

「――それで? ならこれからどうすんだ?」
「まずはチェックポイントを走破する。オレの解除条件でもあるし、薬も集めなきゃならねえからな」
「そうか――そういやこの階にもまだ幾つか残ってたな」
「ああ。それから出来れば奴らより先に6階に上がって階段前で待ち伏せできりゃ理想なんだが――難しいかもな。時間はともかく、先客が居る」
「先客?」
「既に反応が1つ上に昇ってやがる。単独行動でここまで生き残ってるって事はそれなりのやり手なんだろうよ、警戒しないわけにはいかねえだろ」
「――」

誰だろうか、と疑問に思う木戸の脳裏に二人の人物が描かれる。
波多島乃得留と大門三四郎。成程、この二人のどちらかであるならば階段下を気にしながら相手取るには中々に難しいのではないかと目される。

「ま、先の事は追々考えるとするさ。武器やツールの入手状況次第でどうとでもなるだろうしな、じゃ、行くか」
「――待てよ、一つだけ聞かせてくれ」
「ん?」

何時も通りに先行しろ、と先を促す長沢を今度は木戸が呼び止める。

「何だよ」
「――気弱になってるわけじゃ、ねえよな?」
「当たり前だ、バカ」

即答だった。そんなわけがあるか、とばかりに長沢の表情に険が走る。

「お前と同じだよ、キッド。もう何が有ろうとも、あいつら全員皆殺しだ。いや、ただ殺すだけじゃ飽き足らねえ――全身引き裂くか蜂の巣にしてやるともさっ!!」
「――そうか、それを聞いて安心したぜ」
「安心した!? 今の台詞を聞いてかい!? けひゃひゃ、お前も大概異常者だなあキッドっ!!」
「――」

漸く何時もの調子が戻ってきたか、と木戸は長沢を冷めた目で見つめる。
安心した、それは木戸の偽らざる本音だった。やはり長沢はどこまでも長沢であったのだと。
一度や二度の失敗で気弱になるのはらしくない。幼子のような癇癪も似合わない。
人を人とも思わぬ、人ならざる狂人。それでこそ長沢勇治であるはずだと、木戸は強く思うのだ。

(同じ思い、か――そうだな、その通りだ。殺すだけじゃ飽き足らねえよ)

――お前の事が一番、な。

痛む頭を押さえながら。最後に長沢を一瞥し、木戸はゆっくりと歩き始めた。





ゲーム開始より55時間32分経過/残り17時間28分



[21380] EPISODE-62
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2013/04/24 08:22
(うおおおおっ!! マジびびった死ぬかと思ったっ!)

一行の先頭を疾走しながら。圭介は溢れ返りそうな感情を必死に抑え込んでいた。
出来る事なら大声で叫び続けたかった。心臓の鼓動は何時もの数倍の速さで鳴り響き、全身の肌が粟立っていた。
この感覚を何と言い表せば良いのだろうか。興奮とはまた違う、一種の奇妙な高揚感。恐怖の残滓が拭い去れていないのもまた一役買っているのかもしれなかった。
望外の大成功だった。長沢と木戸に挟撃され絶体絶命の窮地に立たされていた美雪たちを誰一人欠ける事無く救い出す事が出来た。
使用したのは高火力な武器では無くあくまで身の丈に合ったもの。
戦闘禁止エリアで発見した調味料の数々は本来の用途からは完全に外れていたものの、その一級品の質に違わぬ効果を発揮してくれた。
そして何と言っても決めては散々走り回って掻き集めたPDA外部ツール。
乃得留に渡された「首輪探知ツール」は美雪たちと長沢たちの争いの中に圭介自身を間に合わせ。
この階で発見した「探知ジャミングツール」はその存在を誰にも気取られる事無く接近を可能とさせた。
とは言えそれだけの装備で重火器の暴れ狂う最中に飛び込んで行くのは相当の勇気が必要だった。
それでも圭介は迷わなかった。己が危険よりも「届かなかった」という事実を再び体験する事が何よりも怖かった。
だからこそ、断言できる。そのおかげで、今があるのだと。

(つかマジか、本当に現実かこれ!? どっかに落とし穴があったりしねえだろうなっ!?)

それでも自分が為した事を俄かには信じられず、足を止めずに圭介は後方を振り返る。
美雪、菜緒、かれん、楯岡。ちゃんと4人、着いて来ている。
条件は達成できているはずの楯岡がなぜまだ一行に加わっているのかは少々疑問であったが今は然したる問題では無い。
やはり現実だった。やはりちゃんと、間に合っていた。
再び進行方向へ向き直る。自身のPDAに目を落とし地図を確認する。
時折上書き表示される「バッテリー残量の警告文」がその道筋を妨げる。高性能の外部ツールを2つ同時に展開させているため激しい負担をかけている所為だ。
だがその機能を今切断するわけにはいかない。長沢と木戸、二人の反応から安全圏へと逃れるまでは。
それが叶うまでは、気を抜く事は許されない。改めて圭介は緊張を取り戻す。
今という現実を維持するために。漸くこの手に掴み取ったものを手放さないために。
そのまま凡そ10分。圭介は一行を従え走り続けた。

「――はあっ! はあ、はあ……」

そして漸く、その反応がそう簡単には追いつけない程の距離まで引き離せたと確信した時。圭介は立ち止り膝に手を当て荒く息を吐いた。

「ここ、まで、来れば――もう、大丈夫、だろ――」

胸に、身体に。溜め込んでいたものを同時に少しずつ吐き出していく。引き換えに摂取された酸素が身体の中に潤いを与えていく。
暫し呼吸を整える事に専念し。身体が正常を取り戻したと自覚出来た頃、圭介は改めて全員の方へ顔を向けた。

「いやあ、危ないところだったな! みん、な――?」

だが出来るだけにこやかに、と作り上げた表情の鼻先に。突き付けられたものに仰天する。
鍛え抜かれた玉鋼。先細る程に鋭さを増すその切っ先は、まるで空気すらも切り裂くかの如く慄然としている。
ナイフ程度では及ぶべくもない、純粋にして荘厳なる刃。圭介の目の前にあるのは紛れも無い、自国が誇る芸術そのものだった。
日本刀。少年がその実物を目にするのはこれが今までの人生で初めてだったが、当然素直に感動など出来はしない。
古来よりそれは何を第一に製造され続けてきたのか。そしてそれを持つ少女はどんな人生を歩んできたのか。
圭介は以前に、伝え聞かされていたからだ。

「あ、あの――菜緒、さん?」
「――ふざけないで」

その切っ先を微動だにさせる事無く、菜緒の唇から重苦しい呟きが漏れる。

「裏切り者が、今更のこのこと。何をしに来たっての? 今度は何を企んでるの?」
「う――」

冷や水をかけられた心地にさせられた。一瞬で圭介の中の喜びは吹き飛ばされた。
視線を巡らせる。既に特徴とまでなっていたサングラスの無い楯岡はより一層その顔に不快感を露わにしている。
かれんの表情は戸惑いの色。調子を崩しているらしく顔を伏せたままの美雪を除けばその場に居る誰一人として。圭介に歓迎の意は示してはいなかった。

「い、いや。ちょっと待ってくれ。俺は――」
「窮地を救われた事には感謝する。だがここから先はそれとは別問題だ」

今度は楯岡の拳銃が、その手元に翳される。

「お前は危険人物だ。俺たちにとって、特に森下にとってはな。まさか自覚が無いわけではあるまい」
「――」

予想外に若々しい、男の素顔を気にする余裕も有りはしなかった。
あからさまな拒絶。それをこうまで剥き出しに突き付けられてはさしもの圭介も平静を装うのが精一杯だった。

(そうか――そうだよ、な)

そして妙な因果を感じずにはいられなかった。今までのあまりにも都合の良過ぎる展開は、このためにあったのかと。
裏切り者、危険人物。それは決して誤解では無い。彼女たちがそう思うのは無理からぬ事なのだ。
それだけのことをしてしまった。決して拭い去れない傷跡を自分は残してしまったのだから。
立場を偽り、嘘を吐き続けた。相容れぬはずの関係を、安全なものだと謀り続けた。
忘れていたわけではなかった。だが「窮地を救う」という絶大な戦果を果たした事で、勝手に引き換えになったと思い込んでしまっていた。
事はそんな単純には出来てはいなかったのだ。依然自分たちの間は大きく深い溝で隔てられているのだと。今、圭介は漸く理解する事となった。

「何よ、その顔。言いたい事があるなら言ってみたらどうなのよ!」

語気を荒げる菜緒の物言いには言葉とは裏腹に、如何なる申し開きも聞くつもりはないという意思がありありと感じられる。
目の前に居るはずの彼女との距離はあまりにも遠い。気付けば圭介の視線は菜緒から外れ、後方の美雪と、そしてかれんへと向けられていた。

(――おいこら、何を考えてるんだ)

だがすぐに目を逸らす。一瞬の事で彼女たちに気付かれていない事を願いながら。
つい甘い考えを抱いてしまった。明確な敵意を向けて来ている菜緒と楯岡ではなく、美雪とかれんであるならば。この場の仲裁を買って出てくれるかもしれないと。
それは救いを求めた、といえば聞こえは良いが結局は二人の温和な性格に付け込もうとした、という事だ。彼女たちの本音がどうであるかに関わりなく。
つくづく進歩が無い、と圭介は自分に嫌気が差す。まったく何時まで姑息に立ち回るつもりなのかと。
それが自分にとって数少ない持ち味である以上、全否定をするつもりはない。だが使い処としては今は完全に間違えている。

――思い出せ。何のためにここまで来た。

言葉には出さず自らに言い聞かせる。出逢えただけで満足できるわけもない。求めていたものはこの先にあるもののはずだと。
それを得るためには、勝ち取るためには。真正面から向き合わねばならない。
大勢に囲まれていながらの孤立感も、逃げ出したくなるほどの息苦しさも。全て受け止めきらねば意味が無いのだ。

「わかった。じゃあ、言いたい事を言わせてもらうよ」

生存競争ではないもう一つの戦い、それが今此処に在る。意を決した圭介は固く拳を握り締めた。

「何よ、くだらない事だったらたたっ斬るわよ」
「判断は任せる」

彼女にとっては予想に無い反応だったのか、菜緒の顔色に若干の戸惑いが走る。それを見た圭介は一度深く深呼吸をし、

「――ごめんなさい。俺が全面的に悪かったです」

その場に膝を着き、深々と頭を垂れた。

「――え?」
「怖かったんだ、こんな条件を持つ男だと知られてしまうのが。危険な奴だと思われて、逆に攻撃されてしまうんじゃないかって。でも黙ってるわけにはいかなかったから。
 嘘を吐く以外に俺には方法が見つからなかったんだ。正直に話せばわかってもらえる、そんな立場じゃないと思ってたから」
「ちょ、ちょっと」

明らかに狼狽する菜緒の声が、圭介の耳に伝わってくる。

「もちろん邪な考えがあった事も否定できない。本当の事を隠しながら、内心ずっと悩んでた。『美雪を殺せば楽になれる』、そんな誘惑とずっと戦ってたんだ。
 でも本気で殺そうなんて、一度も思っちゃいない。殺すつもりだったから黙ってた、騙してたわけじゃない。それだけは誓って本当なんだ!」
「鳴神くん――」

今のはかれんの声だろうか。顔を伏せたままの圭介にはわからない。

「それでもこんなのは全部俺の勝手な、独りよがりの考えだ。だから許される、なんて思っちゃいない。おかげでみんなに辛い想いをさせてしまった、
 それは全て俺の責任だから、だから――ごめん! 本当に悪い事をしてしまったと反省してるんだ!」
「――」

最後の息づかいは美雪のものか、それとも楯岡のものか。それも判別は付かなかった。
気付けば手のひらが汗ばんでいる。顔の熱が引いてはくれない。それはきっと、「恥ずかしい」という感情そのものなのだろう。
兎に角全ては吐き出しきった。心の奥底に溜め込んでいたものを、思いの丈を。精一杯に今、この場で。圭介は吐露し尽くした。
沈黙が訪れる。今の言を受けてそれぞれがそれぞれに、思う処があるのだろうか。暫く誰一人として口を開く事が無かった。

「何、よ、それ――ちょっと、待ちなさいよ」

やがて。口火を切ったのはやはり圭介の目の前の少女だった。

「今更、そんな風に謝られたって、あたしは――」

途切れ途切れの声が震えている。おそらくは菜緒本人も何を言いたいのか定まってはいないのかもしれない。 
複雑な心境、なのだろう。自分を、親友を。謀っていた男が頭を下げて謝罪をしている。きっとそれは彼女にとっては考えもしない展開だったのだ。

「いいんだ、そんな簡単に割り切らなくても」

圭介は顔を上げ、そんな菜緒に優しく語りかける。
元よりこの程度で許されるとは思ってはいない。無論本音ではそう望んではいるものの、そう簡単に片付く程に失った信頼は軽くは無い。
それでも、謝りたかった。何は無くともまずは謝りたかった。傷付けて済まなかったと、申し訳無かったと。
偽らざる本心として、心の底から本当に。だからこそ向き合わねばならなかった。
誤魔化さず斜に構えもせず、ふざけず気取らず剥き出しに正面から。そうでなければ届くものも届きはしないのだと。
そしてそれは間違いではなかったのだと、菜緒の様子が何よりも物語っている。
良くも悪くも感情の振れ幅が大きい少女。その少女に今の気持ちの一部でも伝わっているからこそ、菜緒はこんなにも困惑しているのだ。

「――本当に、反省してるの?」

少しばかりの間を置いて、再び菜緒が口を開く。突き出された刀の切っ先が地へと向く。

「ああ、もちろんだ」

圭介は自らの表情を殊更に引き締め、毅然と菜緒に言い放つ。こころもち、菜緒の纏う空気が柔らかなものに変化した気がした。

「そう、だったら――」
「茶番だな」

だがそれを吹き飛ばすかの如く。冷たい一言が場に放たれた。
思わず圭介は息を飲む。全員の視線が一点に注がれる。発言者が誰であるか、それは語るまでも無い事だった。

「楯岡さんっ!!」
「相も変わらず食えない男だ。そうやって『真摯に謝って見せる』のが今度のお前のやり口か」

悲痛なかれんの声にも眉一つ動かさず楯岡和志は傷付いた腕で更に拳銃を前へと突き出してくる。

「――どういう意味よ、それ」
「言葉通りの意味だ。今のこいつの態度もまた『騙し』の手法の一つだとな」
「っ!!」

再び菜緒の顔色が変わった。揺れ動いていた感情に、理屈という名の楔が打ち込まれたのが圭介にも見て取れた。

「騙しって――圭介、まさかアンタ」
「違うっ!」

気付けば声を張り上げていた。急転しかける状況を、何としても留めるべく。

「ならばお前の持っていた、『6』のPDAをどう説明する」

だが楯岡の口は止まらない。嘗て真実を見破られた時のように、彼はまたもや淡々と理屈を構築していく。

「お前自身の口から語られたはずだ。偽装の一端、所持していた真実の『6』。それは本当の持ち主、吉田二郎から殺して奪ったものだと」
「違うっ! 俺は吉田さんを殺してはいない! あれは、俺が吉田さんの首輪を解除して不要になったものを譲り受けただけだ!」
「ほう、では何故そんな嘘を吐く必要があったんだ」
「っ!! それは――」

何とか反論しようとするも言葉に詰まる圭介。確かにそれは楯岡や美雪たちにしてみれば、決定的な矛盾に他ならない。
今更謝り、許しを請うのならどうしてあの時にそうしなかったのか。それは圭介自身ですらそう思ってしまうのだから。
嘘が積み重なっていく事を、気付けば逃げ場を求めて美雪に殺意を抱いてしまう事を。必要以上に罪深く感じてしまっていた。
自分はもう引き返せない処まで来てしまったと勝手に思い込んでしまっていた。
だから真実を知られればもう一緒にはいられない、ならば徹底的に悪役を演じるべきだと。最後の嘘を吐いてしまった。あの時にはもう、諦めてしまっていたのだ。
その場で全てを償って、もう一度やり直そうという気概も何も無くしてしまっていたのだ。
その事実が今、ここまで重いものとなってしまっている。しかも、問題はそれだけには留まらなかった。

「仮にそれが嘘だとして、自暴自棄になったお前の迷い言だったとして。ならばお前は吉田の生存を証明出来るものを提示できるのか?」
「ぐ――」

つくづく物事の根幹を掴むのが巧みな男だと、圭介は歯噛みする。
本来それは逆の効果を狙ったもの、なのだろう。首輪の解除に成功した参加者は、安全な階下に潜み「ゲーム」の終わりを待つのが常套となる。
つまり5階まで到達している自分たちが、半日以上も前の解除成功者と出会う事は決して有り得ない。つまりは証明する手立てが無い。
そうやって真実がどうであろうが、その発言は黙殺する。おそらくはそれが楯岡の目論見であるのだろう。

「――いや、吉田さんはもう生きてはいない」

だが現実は更に圭介に不利に働くものだった。

「殺されたんだ、木戸と長沢に。俺が心配だからって、上の階に昇って来て。それで俺を助けてくれて、その後あいつらに――」
「ほう。自らの安全を捨ててまでわざわざ他人の心配のためにか。そんな酔狂な人物が居るとは驚きだな」
(――居たんだよ。信じられないだろうけどな)

溢しても皮肉にしか聞こえないその一言を圭介は飲み込み口を閉ざす。
そう、「あの時点」では生きていた吉田は「今」は生きてはいない。その事実が圭介の嘘を嘘では無くしてしまっているのだ。
楯岡の言う通り、その後の吉田の行動は凡そ常軌を逸している。その桁外れの他者救済精神により、失わずとも良い命を彼は失ってしまったのだ。
命を救われた張本人である圭介ですら、伝聞であるならばそんな事実は信ずるに値しない。
吉田と直接交流した美雪と菜緒でも、彼がここまでの人物だったとは思いもよらない事であろう。
故に証明は不可能。自身の身の潔白も、吉田が死んだタイムラグも。彼の尊すぎる心の尊さも、その全てが楯岡たちには信用には程遠いものなのだ。

(くそ――)

真実を晒せば傍目には見苦しい言い訳として映る。自分の犯した過ちの所為で、大恩ある人物の生きざまが捻じ曲げられて伝わってしまっている。
それが圭介には悔しかった。自分が信じてもらえない事よりも、その事だけが只管に悔しかった。

「お前は『他の方法で首輪を外す』と嘯いて俺たちの元を去った。だが実際は他に方法が有るわけでは無く、何処かに隠れ潜み機会を窺っていた。
 ところがその対象である森下が『他の参加者に殺されそうになった』。自分自身の手で森下を殺さねば助からない、だからこそお前は俺たちを助けた。
 多少の危険を冒してでも助けに入らざるを得なかった。そう考えた方がお前の言葉を鵜呑みにするよりも辻褄は合う気がするな」

そんな圭介を意にも介さず楯岡は自論を完結させる。
付け込む余地は何処にも無かった。それは誠意などよりは余程に、その場の誰もを納得させるに十分過ぎる理屈だった。

「そう――そう、よね。アンタが『美雪を殺さなきゃ助からない』、その事実に変わりはないんだったわ」

再び菜緒の声音に灯る、辛辣な響き。親友と圭介との只ならぬ関係を思い出し、その疑心は深みに到達している。

「――」

違うんだ、そんな否定の言葉すらもう圭介は吐き出す事は出来なくなってしまっていた。
楯岡が居る限り、最早どんな言葉も通じはしない。どれ程言葉に思いを込めようとも、どれ程に謝意を見せようとも。
だが不思議と怒りは湧いてはこなかった。今の圭介には彼の正論が正しいものとしてきちんと受け止められていたからだ。
傲慢な理屈、自分たちにとっての理屈。その理屈で嘗て自分も吉田二郎を追い立てた。彼の誠意を一握とても汲み取ろうとはしなかった。
その立場に今、自分が立たされている。しかも楯岡の理屈は彼個人のためのものではなく、一行全てのためのものなのだ。
そう、彼は悪人ではない。容赦無い物言いながらも美雪たちを守ろうとすべく行動、言動している。
でなければ彼が此処に居るはずはない。如何なる密約が美雪たちの間で交わされているかは見当もつかないが、楯岡は本来この場に居るべき人間では無い。
彼の首輪の解除に必要なJOKERはこの中の誰かが所持しているはずであり、それを破壊する事はそう難しい事では無いはずなのだから。

「他に何か、言い分はあるか?」
「――いや」

そんな楯岡に敬意を表するわけでもなかったが。圭介は彼の申し出を緩やかに首を振り辞退する。

「今、俺に言える事は全部言ったつもりだよ。俺は嘘を吐いていた、それを申し訳無く思ってる。もっと謝れば許してもらえるなら幾らでも謝りたいけど――
 でも、そうじゃないんだよな? それで許してもらえるわけじゃないんだよな?」
「当然じゃない!」
「――だよな。なら逆に聞かせて欲しい。俺がもしここからそれでも許して欲しいと願うなら、いったいどうすればいいんだろう?」
「っ!! それ、は――」

逆に問い掛けられ、勢い勇む菜緒が言葉を失う。だがすかさずその後を楯岡が奪い取り続ける。

「お前のPDAを置いてここから去れ。そして二度と姿を見せるな」
「楯岡さんっ!?」

またかれんが声を荒げる様を圭介は妙に穏やかな心地で見つめていた。やはりそう来たか、それが素直な感想だった。
「Q」を殺して初めて光を求められる「A」としての立場。鳴神圭介を危険人物と成らしめているのは偏にその存在に他ならない。
だからこそ人格は意味を為さず否定される。誠意も謝意もこの理屈の前には無力以外の何者でもない。許せる嘘も、許せないものと成り果ててしまっているのだ。
だがそのPDAそのものには、彼らにとっては深い意味合いを持ってくる。即ちそれは緑川菜緒の首輪解除条件。
生き残るためにはあと4つのPDAを特定範囲で破壊せねばならない菜緒には少なくともあと一つ、無傷のPDAが必要となってくる。
あとは実行するのみの楯岡、時間経過を待つばかりの美雪とかれん。
其処に圭介のPDAという最後のピースが加われば、彼らは晴れて全員生還の見込みが立つ事になるのだ。 
そしてそのためには圭介自身の存在が邪魔となる。それは奇しくも「ゲーム」開始当初、波多島乃得留が提唱した理論とまったく同一のものだった。

「――なるほどね。キラーカードを持つ参加者に、人権なんて認められない、か」

流石の楯岡も、今回は口を閉ざしたままだった。だが彼は暗に言っている。「自分たち、彼女たちのためにお前は死ぬべきだ」と。
それを口にしないのは、そしてこの場で圭介を始末しないのは。彼なりの情けなのだろうか、それとも他の少女たちへの義理立てなのだろうか。

「――」

少し間を置いて、圭介は左手で小さく胸を叩く。その右手に彼のPDA、「A」が姿を現した。

「え、ちょっと――」

菜緒の声を聞こえないふりをして、じっとそのPDAを見つめる。命そのものとも言えるその端末機器を。
もしかすると心の何処かで期待をしていたのかもしれなかった。歓迎まではされずとも、彼女たちが少しでも自分の価値を認めてくれていればと。
だがやはりそれは甘い夢でしかなかった。状況証拠が弾き出す危険性を覆す程には想われてはいなかった。
彼女たちが必要としているのはこの無機質な小型の機械のみ。彼女たちにとっては鳴神圭介は不要な存在でしかなかったのだ。

(だったら――)

それでも彼女たちを想う気持ちに変わりは無い。償いたいという気持ちが消えるわけではない。
ならばいっそ、これを渡してしまうべきなのだろうか。そんな考えが圭介の中をふと過ぎる。
一度は諦めた、そして救われた命。その使い処が有るとするならば、此処なのかもしれないと。
自然と足が前へと出る。一番間近に居る、最もこのPDAを必要としている少女・緑川菜緒の方へと圭介の足はゆっくり静かに迫っていく。

「――いや、やっぱダメだ。そればっかりは出来ないな」

だがすぐにその足は止まり、口から零れたのはそんな言葉だった。
空気が淀みを増した、そんな気がした。それでも精一杯に気を保つ。折れてはならない、そんな台詞を自らの内に言い聞かせながら。

「一緒に、居たいんだ。例えみんなにどう思われようとも」

気の利いた台詞など何一つ思い浮かびはしなかった。ただありのままの素直な気持ちを。気付けば圭介は口にしていた。

「正直一瞬、心が動きかけた。どうしても信じてもらえないならいっそ、役に立つだけ立って消えようかな、と。でもそれは違うって気が付いちまった」
「圭、介――」
「嫌なんだ。せっかくまた、こうして会えたのにまた離れ離れになるなんて。俺にはもう、そんなの耐えられそうにない」

裸の言葉とはこういうものを指すのだろうか、ふとそんな事を考える。
先程の謝罪ともまた違う。邪な思惑など一切無かったとはいえそれでも「用意していた」感はあった。
自分にもこんな言葉が吐けるのか、圭介は奇妙な感覚に陥ったが不思議とそれは悪い気分ではなかった。
ただそれが上手く伝わるかどうかはまた別問題。視線を巡らせれば案の定、一行は揃いも揃って複雑な表情を浮かべている。
また嘘ではないのだろうか、そんな無言の意図が察せずとも伝播してくるようだった。

「何故、そう思う」
「好きだから、かな。あと寂しいから、ってのもあるのかもしれない」
「ふざけるな」
「ふざけてない。大真面目だ」

どう追及されようとも他に言い表し様がなかった。率直な感情には理屈は纏えない。
しかしこのままでは何時まで経っても平行線は覆せない。
何をどう言っても嘘と受け取られる。今の圭介の立場では、どう在っても楯岡たちの信頼を勝ち取る事は不可能なのだ。

(そうか――そういう事か)

おぼろげながらに答えが見えてきた。否、それは今まで気付いていても目を逸らし続けていた事なのかもしれなかった。

「わかったよ――なら少しの間だけ、黙って見ていてくれ」

だがもう観念するしかない。元よりこの難題に空手で挑むべきではなかったのかもしれない。
もう一度、大きくため息を一つ。そして圭介はもぞりと肩を動かした。

「! ちょっと、妙な真似はするなって言ったでしょ!!」

すかさず菜緒の鋭い声が飛ぶ。良い反応だ、と人ごとのような感想が浮かぶ。

「妙な真似じゃないってば。ただ、上着脱ぐだけだからさ」
「はあ!?」

逐一説明するのもまた疑心を招きそうな気がして返答はしない事にした。
両手を襟口に引っ掛け、袖から腕を抜く。一般生徒よりも少しばかり重い制服の上着を脱ぎ、そのまま無造作に床に投げ捨てる。

「何を――」

訝しむような視線を一身に受けながら今度は両腕を腕まくり。外気に晒された肌がほんの少しだけ冷たく感じさせられた。

「さて、と」

多少身軽になった実感に浸っている場合ではなかった。取り落とさぬよう慎重を心がけていた右手のPDAを一瞥し、圭介は目前の菜緒と向き合った。

「ところで菜緒、いちおう確認なんだけど」
「な、何よ」
「お前の解除条件ってさ、あれから少しは進んでる? まあ進んでるとは思えないんだけど」
「だから何の話だって言ってんのよっ!!」
「そっか、その様子じゃやっぱ進んでないんだな」
「ちっとは質問に答える気になりなさいこのバカっ!!」

菜緒はさっぱり意図が汲み取れていない様子だったが、圭介は答える気はしなかった。
答える余裕は無かった。少しでも答えようという気を起こせば決意が鈍りそうだった。
息を吸い込む、胸を張る。そして右手を大きく掲げる。その右腕に力を込める。

「! おい、馬鹿な真似はよせ!」

ただ一人、楯岡だけが反応した。初めて圭介は彼の慌てた声音を聞いた気がした。
だが止めない。止める気は更々ない。目を見開いた圭介の視界に今まで俯いたまま沈黙を保っていた美雪が顔を上げたのがわかった。
もしかすると今まで意識が混濁していたのかもしれない。自分が駆けつけた時倒れていた彼女ならそれも有り得る話だ、とそんな事をふと思う。
ならば何より、そして幸いだとも感じられた。
何故ならば圭介が、今から自分が為す事を。誰よりも見届けて欲しかったのは――他ならぬ森下美雪という少女だったのだから。

「菜緒、よく覚えとけよ」

念押しの言葉と共に、最後の覚悟を決める。掲げられた右手の中には当然のように圭介自身のPDAが握られていた。

「え、何。ちょっと、まさか――」
おそらく、気付かれた。いやこの期に及んで気付かれないはずもなかった。
でも遅い。既に圭介の右腕は動いていた。
人造の大地に向けて。その右腕は既に振り下ろされ始めていた。

「! 圭介くんっ!!」
「これでお前が壊さなきゃならないPDAは――あと、3つだっ!!」

重なる、声。勢いを増して指先から放たれる電子技術の結晶。
高度な機能と引き換えに物理的な耐久性に乏しいそれは次の瞬間激しく床に叩きつけられ――そして音を立てて砕け散った。

破片が転がる微細な音すらも聞こえる様な、そんな静寂が辺りを支配した。
誰も言葉を発さなかった。発する事は出来なかった。右腕を振り下ろしたままの姿勢の圭介を、誰もがただ呆然と見つめていただけだった。

「――どうだい、これで全て解決したはずだよな」

顔を上げ、全員の顔を見回しながら圭介は佇まいを正す。答えは無い。誰も反応を返さない。

「俺が危険人物である最大の理由は、何は無くともこのPDAの存在だった。俺が『A』である限り、『Q』の美雪の命を常に狙ってる疑いがかかる。
 でもこれで、俺は『A』じゃなくなったわけだ」

息を飲む音が一つ、また一つ。言葉は無くとも無関心ではないという何よりの証拠だった。

「俺が『A』でないならば、美雪を殺す意味は無い。殺したとしても肝心のPDAがないんじゃ、それこそ解除条件もくそも無い。どうだい?
 これで何の問題もなくなったわけだ。俺が君らと一緒にいたって、何の危険も無くなったはずだよな?」

感情の昂りを抑えきれず最後の辺りは若干早口になってしまったかもしれない。それでも勢いに任せて言い切り、圭介は言葉を結ぶ。
反応を窺う。場の雰囲気は呆然から徐々に戸惑いの色を含み始めていた。
それも無理は無いのだろう。自分たちにとってPDAとはどれ程に重要な代物であるのか。
参加者の立場となって既に55時間以上が経過している彼女らが、それをわかっていないはずもないのだから。

「だ、騙されないわよ!」

暫しの後。真っ先に口を開いた菜緒の声は若干上ずっているように聞こえた。

「そんな事言って、どうせ壊したのなんて偽物なんでしょ!?」
「――おいおい」

告げられたのは今まで通りの否定の言葉。けれども今の圭介はその程度の言葉では揺さぶられる事は無い。

「今表示板は見せただろ、間違い無く『A』だっただろ? そもそも俺はもうJOKERを持ってないんだから、偽装なんて出来るわけがないだろ?」

故に泰然と言い放つ。少々挑発的な物言いになってしまったか、そんな反省すら生じる程に余裕を持って菜緒に接する事が出来た。

「だ、だったら! 今の一瞬ですり替えたのよっ! あんた手品が得意だもの、それくらい簡単でしょ!?」

それでも必死に食い下がろうとする菜緒からも今までの圧は感じない。今やその叫び声も悲痛なものにすら感じさせられる。

「そうよ、そうに決まってるわ! でなきゃ、こんな事そんな涼しい顔で――」
「もうよせ緑川」

そんな彼女を居た堪れなく感じたのか。楯岡が菜緒の肩を掴み制止を促した。いつの間にか掲げられていたはずの拳銃は腰のベルトに収められていた。

「そういう疑いを消す為に鳴神は上着を脱いで見せたんだ。お前も心の底では気付いているはずだろう」
「はあっ!? どういう事よ!」
「俺もそこまで詳しいわけではない、だがあの手の手品の仕込みは八割がた衣服の死角を利用したものだ。だからこいつは上着を脱ぎ、腕をまくってみせた。
 今、鳴神の肘から先にPDAほどの大きさのものを隠し持てる場所は無い。つまりあれは、イカサマはしていないというこいつなりの意思表示だ」

思わず感心のため息が圭介の口から漏れそうになる。
今まで嫌という程思い知らされてきた楯岡の見識の深さと察しの良さから、おそらく彼ならば気付くだろうとは考えていた。
だが他の者への説得のためにそれを口に出す事までは流石に予想外だった。
助け舟は正直に有り難かったが今までの関係が関係であったが為に圭介は何とも妙な心地にさせられた。

「で、でも! それじゃあ、だって!」

事実を明確に突き付けられた菜緒の顔がくしゃりと歪む。その視線が楯岡から美雪へ、そしてかれんへと移り渡る。
二人は何も言わなかった。ただ揃って首を横に振るだけだった。

「だってこんな、こんなの――」

その肩が、震えている。唇が、震えている。
おそらく彼女とて、とっくに気付いてはいたのだろう。目の前で繰り広げられた光景が何を意味するのかと。
けれども認めたくはなかった。菜緒の叫びは、抵抗は。「今回ばかりは嘘であって欲しい」という切なる訴えでもあったのだ。

「こんなの、自殺したようなもんじゃないっ!!」
「――」

これ以上無く端的に言い表されたその一言に圭介の心臓は跳ね上がる。それでも無言で首肯しその言葉を肯定する。
条件を達成し、PDAを首輪に読み込ませ外す。それが「ゲーム」クリアの法則である以上、PDAそのものを失えば首輪を外す事は出来なくなる。
つまりそれは死と同義。それを自ら行った圭介の行動は確かに「自殺」に相応しいものであると言えた。

「だが、だからこそ身の潔白を示すにはこれ以上無い行動とも言える。そうだな鳴神」
「――ま、そういう事だよね」
「だから! あんたなんでそんな平気な顔してんのよっ!!」
「平気なわけないだろ。さっきからめっちゃ焦ってるよ。ただ表に出したらみっともないから我慢してるだけだし」

事実PDAを破壊して以降、圭介の内では様々な異常が発生していた。
目眩、寒気、脂汗、嘔吐感。「死」という言葉がより明確なものとなり気を抜けば倒れてしまいそうな気分の悪さと必死に戦い続けている。
覚悟は決めていた。だがそれでも不変の状態で居られる程には心身共に頑強には出来てはいなかったという事なのだろう。

「けど、美雪を殺さなきゃ助からない状態よりはよっぽどマシだ」

それでも気を張り言い放つ。そのための行為であったのだと、背筋を伸ばし場に告げる。

「このPDAが美雪を殺して初めて役に立つものなら、こんなもの俺には必要無い。ただそれだけの事だったんだよ」
「ば、か――」

張り詰めたような菜緒の表情がみるみるうちに歪んでいく。そして糸が切れた様に菜緒はへなへなとその場に座り込む。

「あんたって、もっと狡賢い奴、だったじゃない――あたしになんて考えもつかないようなアイデア考えられる、奴だったじゃない――それなのに、何で?
 なんで――ここまでしなきゃいけなかったのよ――!?」

途切れ途切れの菜緒の言葉、一つ一つが圭介の中に痛切に響く。
正直に言えば後悔は有った。本当にここまでする必要があったのかと。他に方法は幾らでも存在していたのではないのかと。

「――全然大した奴じゃないよ、俺なんか」

だが自分の中ではこれが限界だった。己の我を貫き、それを納得させる。それが何の犠牲も払わずに行える程に才に秀でてはいなかった。
自らの命綱を放棄してみせる以外には、圭介にはこの場を見事に切り抜ける術は残されてはいなかったのだ。
此処から先、自分はどうなってしまうのか。考えるだけで空恐ろしい。
それでも残された時間を共に過ごす事がこれで出来ると言うのならば。不思議と気持ちも楽になれる、圭介は素直にそう思うのだ。

(まあ、これで本当に許してもらえるかどうかではあるんだけど)

とは言え身も蓋も無い事を言ってしまえばこれで認めて貰えなければ本当に立つ瀬が無い。
多少祈るような心地で圭介が半眼で視線を送れば楯岡とかれんは揃って諦観の表情を浮かべていた。
あれほどまでに殺伐としていた空気は今や完全に消し飛んでしまっている。それだけでも一先ずは安心出来る材料であるとは言えた。
そして菜緒はあれきり床にへたり込んだまま顔も上げず口を開こうともしない。圭介は少々心配になったが、だからこそ思いは伝わったのだと理解もまた出来る。
こういった訴えを何よりも裏切れない、緑川菜緒とはそういう少女であるのだから。

「すみません。ちょっと、通してもらえますか」

不意に、声が響いた。小声でありながらもよく通る声。それは声質も然ることながら今の静けさの度合いを如実に表すものでもあった。

「――美雪さん?」

独り後方に控えていた美雪がかれんたちの脇をすり抜け圭介の方へと近付いて来る。
一歩一歩ゆっくりと。その足取りは不自然に覚束なく、進むたびに身体が崩れ落ちそうで不安にさせられる。
それでも最後まで転倒する事無く。やがて美雪は圭介の元へと辿り着いた。

「圭、介、くん――圭介くんっ!」

最後の一歩。飛び込むように圭介の胸へ。圭介は両腕を広げ、その身体を抱き止める。
距離がゼロになった。腕の中から仄かに伝わり始める温もりを感じつつ、初めて圭介は少女と正面から触れあえた事を実感した。

「美雪――」

この気持ちを何と言い表せばいいのか。胸の内から溢れんばかりの衝動が圭介の身体を駆け廻る。

「ねえ、圭介くん」

だがその感触を確かなものにしようと更に腕に力を入れようとしたのも束の間。美雪の唇から零れた言葉は意外な厳しさを含んでいた。

「な、何かな」
「とりあえず、足を少し開いて。それから目を閉じて歯を食いしばってもらえますか?」
「え」
「いいから、黙って言う事を聞いて」

少女らしからぬ、有無を言わさぬ威圧感。その言葉の意味に相当する行為を、圭介は何となく想像出来た。

(ああ、成程)

そして納得する。そもそもこのまま無条件に幸福な結末となるなどおこがましい事であったのだと。
彼女は「Q」。即ち鳴神圭介という存在に最も苦しめられた少女。ならば如何に心優しい彼女とて思う処が何一つ無いわけではなかったのだ。

「OK、よし来い」

ならば従わないわけにはいかない。美雪には「そうする」権利は十二分にある。寧ろその程度で済むなら安い話だとさえ思わずには居られない。
圭介は足位置を正し、目を閉じる。腹筋に力を込め、背筋を伸ばす。

(いや、待てよ――はは、まさかそんなわけもない、か)

その際にふと、別の可能性も頭を過ぎる。それは本来行われるべき行為とはまるで真逆のもの。
思春期の青少年そのものの妄想じみた可能性を、流石に有り得ないと圭介は一笑に付す。
それでも思い浮かんでしまったものは仕方が無い。心の底でほんの少し、僅かばかりに期待を寄せつつ圭介は心の準備を完了した。

「いきますよ」
「お、おう――え?」

しかし返事の後、暗闇の世界で感じたのは両肩に添えられた柔らかい手の感触。
何故両肩なのか。そうなれば当然、美雪の両腕は封じられる形になる。
まさかこれは、妄想が現実に――などと甘い期待が再び圭介の脳裏を掠めた瞬間、

「せいっ!」
「っっ!!!」

可愛らしい掛け声と共に、まったく予想していなかった部位から衝撃が走り抜けた。
思わず目を見開けば。美雪の膝が圭介の股間にめり込んでいた。

「が、は……」

多少の遠慮はやはり有ったのか、衝撃自体はそれ程でもなかった。だが確実に急所は捉えられていた。
変形した。すり潰された。膝と骨盤の間で圧迫され「ごりっ」という音がした気がした。

「ぐ、お、お……!!」

悶絶。圭介はその場に崩れ落ちるしかなかった。視界の端では菜緒が驚愕の表情、かれんは顔を手で覆い心持ち頬を赤らめている。何故か楯岡だけが顔を背けていた。

「い、いや、美雪さん? ……これはさすがにどうかと思う、んだけど……」

額に脂汗を浮かべながら圭介は非難の目で美雪を見つめる。
ある程度の痛みは覚悟していたつもりだった。だが平手や拳までならまだしも、まさか股間を蹴り上げられるとは。
しかもその行為をまさか森下美雪という少女が行うなどと、どうして想像出来ただろうか。
少し離れていた間に彼女の人格が一変する出来事でも起こったのかと戦慄するが周囲の反応を見る限りどうやらそうでもないらしい。
つまりこれは突発的な事象であり。楯岡たちにも予想だにしなかった事態でもあったのだ。

「こ、これくらいの罰は当然じゃない! 圭介くんはそれだけの事をしたんだから!」
「い、いや、まあ……」

それを言われると言葉も無い。それでもこれは少々やり過ぎではないのかと圭介は思う。
罪の大きさどうこうではなく、少女としての立場的に。

「勝手に決めつけて勝手に背負い込んで! 勝手に判断して勝手に行動して! 振り回されるわたしたちの気持ちを考えた事があるの!?」
「――」
「今までだってそう! 今だってそう! あんな嘘、絶対に許されないと思ってたの!? PDAを壊さなきゃ、許してもらえないと本気で思ってたの!?」
「――ごめん」

飾り気無しの、本気の吐露だった。接する時は常に礼儀正しいおしとやかな少女は見る影を潜めていた。
思わず謝罪の言葉が圭介の口を突く。彼女を怒らせた、悲しませた。その事実は如何様にも覆し様が無く、ただ詫びる事しか出来なかった。

「でも――!」

だがここで声のトーンが落ちる。言葉は途切れ、一瞬の静寂が舞い降りる。

「わたしも――そんな圭介くんの気持ちを、まったくわかってあげられませんでした――」
(あ――)

美雪の腕が、圭介の頭を抱きしめた。膝立ちのままの圭介の顔が美雪の胸へと誘われて行った。

「ごめんなさい――もっと早くに気付いてあげるべきでした、貴方は独りで苦しんでいたはずなのに」
「美雪――」
「嘘を吐いていた、騙されてたってわかった時、とても悲しかった。でもよく考えたら、それも仕方が無いって気付いたんです。わたしが圭介くんの立場なら、
 きっと同じ様にしたかもしれない。わたしも同じ様な嘘を吐いていたのかもしれません」
「――」

きっとそれは違うだろう、柔らかい温もりに身を委ねながら圭介はふと考えた。
純真で真っ直ぐなこの少女なら。きっと自分の立場がどれだけ悪くなろうとも本当の事をすぐに告白した事だろう。
あれはひねた部分のある自分だからこそ吐いた、だからこそ成立してしまった嘘なのだ。
けれどもその気持ちが嬉しかった。頭ごなしに、悪し様に否定せず噛み砕いて理解してくれている。それだけでも圭介は救われる思いだった。

「『A』を割り当てられたのは圭介くんの責任じゃありません。悪いのはこの『ゲーム』そのものです。だからその事についてはわたしには別に責める気持ちはありません」

冷たさを感じる通路の空気の中、美雪の声だけが響き渡る。

「ですがそれ以外の余計な嘘や勝手な行動に関しては責任を感じてもらわないと困ります」
「あ、ああ」

それは文字通り痛いほど身に染みた、と思わず圭介は顔を顰める。だがそれを抜きにすれば美雪の言い分は実に真っ当なものだった。
許せる面もあるならば、許したくない部分も有る。だから全否定も全肯定もするつもりはないのだと。
そしてそれこそが圭介が最も求めていた解答だった。誤解と後ろめたさ、同時に解消するためには何れか一方に偏っていては駄目だった。
受け入れて欲しかった、認めて欲しかった、許して欲しかった。けれども詫びたかった、謝りたかった、罰しても欲しかった。
そうする事で何のわだかまりも無くまた共に在れればと。それこそが圭介が最初に思い描いていた予想図であったのだ。
それが今、現実のものと成りつつある。優しく髪を撫でる美雪の手がそう物語っている。それは何と幸福な事であるのだろう。
やはり目指したものは間違いではなかった。圭介はこれまでの険しい道のりを振り返りながら静かにそっと目を伏せた。

「それではもう一度、確認させてください」

彼女もまた落ち着きを取り戻したのか、今まで通りの物腰豊かな口調が耳元に届く。

「もう、変な事は考えていませんよね?」
「勿論だ」

圭介は自信を持って即答する。もう後ろ暗い事など何一つ持ち合せてはいないと。

「吉田さんを殺した、というのは嘘だったんですね? 圭介くんは誰も人を殺めてはいないんですね?」
「――うん。全てはさっき話した通りだ。あのPDAは吉田さんから正式に譲り受けたもの――というには語弊があるかもしれないけど。詳しい話は後でしたいと思う」
「わかりました、信じます」

この質問に関しては事情が事情であるだけに多少含みの有る解答になってしまったかもしれない。けれども美雪の言葉には微塵の疑いも込められてはいなかった。
更には「後で」という単語に対する肯定。それが何を意味するのか、圭介には嬉しく感じられた。

「じゃあ、最後の質問です」

そう告げた美雪の顔は何故だか少し厳しい表情だった。
言いにくい事なのだろうか、それでも少女は一拍間を置いた後、意を決したようにその質問を圭介に告げた。

「さっき壊したPDAは――本当に本物、なんですよね?」
「――そうだよ」

ざわり、と空気が変わった気がした。疑いの余地はもう何処にも残されてはいないはずだったが、それでも本人の口から念が押されたのが決定打となったようだった。

「何ならそこの上着も含めて身体検査をしてもらっても構わない。俺はもう、自分のものを含めて一つもPDAを持ってない事がわかるから」
「――そんな」

美雪が言葉を失う。座り込んだままの菜緒の顔が更に引きつったものとなる。

「じゃ、じゃあ鳴神くんは本当に――」
「自分の命と引き換えに信頼を勝ち取ろうと決意した、という事か」

かれんの言葉を受け継いだ楯岡の顔色も心なしかやや青ざめて見える。それが決して失血の所為では無い事は流石の圭介にも判断出来る事だった。

「つまり非道な手段で未来を勝ち取るよりも残された少ない時間をこの子たちに捧げる事にした――それがお前の選択なんだな、鳴神」

言い切った後に帽子を目深に被り直すその仕草に、何故か圭介は敬意のようなものを感じさせられた。
他人のために命を差し出す行為。その尊いとされる部分が冷徹に見えたこの男の心を打った、ということなのだろうか。

「そういう言い方をされるとちょっとくすぐったい、かな」

今まで敵対関係にあった人間のそんな反応は気恥かしさを感じるものだ、と圭介は照れ隠しに頬を掻く。

「しかし」
「あー。それに一応言っとくけどさ」

正直この空気は重すぎる。居心地の悪ささえ徐々に感じ始めた圭介は早々に状況の打開を図る事にした。

「別に、このまま大人しく死ぬつもりはないよ? 俺」

また沈黙。その場の誰もがその表情を凍りつかせていた。

「いや、当たり前だろ? こんな気持ちいい感触、あとたった十数時間で手放してたまるかっての」
「え、あ、きゃああっっ!!」

漸く自分が随分と大胆な事をしているのに気付いたのか、絹を裂くような悲鳴と共に美雪は圭介の身体を突き飛ばした。

「こ、こんな時にふざけないで下さいっ!」
「はは、ごめんごめん」

顔を真っ赤にして睨みつけてくる美雪を軽く笑ってあしらう圭介。
そんな仕草も実に愛らしいと素直に感じたが、すぐに表情を引き締め立ち上がり、全員へとまた向き直る。

「まあそれは半分冗談だとしても。別に強がりや見栄で言ってるわけじゃないぜ? 俺、本気で諦めてないから」

怪訝そうに見つめる全員の視線を跳ね除けるように胸を張り、宣言する。

「まだ絶対死ぬって決まったわけじゃない。PDAを使わなくても首輪を外す方法、首輪を外さずに助かる方法。どっちも可能性がゼロって決まったわけじゃない」
「――見当は、付いているのか」
「いや、今のところはまったく全然。でもだからって何もしない、何も考えないってのは馬鹿らしいだろ」
「――」

楯岡は一瞬尚も続ける素振りを見せたが諦めたように口を閉ざす。
「ゲーム」を熟知している節のある彼の事、それが如何に絶望的であるのかは重々承知しているのだろう。
だが諦めない。圭介は毛頭諦めるつもりは無い。それは一片の偽りも無い本心での思いだった。
命を賭けた、命を捧げた。だが命を捨てるとまでは言ったつもりはない。
もうこの命は無意味なものなどではない。無明の世界をもがくばかりだった今までとは明らかに違っているのだから。

「俺は、生きたい。みんなと一緒に生きていたい。みんなと一緒に幸せになりたいんだ」

美雪の、菜緒の。好意を寄せる人たちの心からの笑顔が見たかった。その一心がこれまでの圭介を突き動かして来た。
だがやはりそれは、この施設に囚われている限り目の当たりに出来るものではないと気付かされた。
例えわだかまりが無くなり共に行動出来たとしても、「ゲーム」が終わらない限りは死の恐怖からは逃れられない。
ならばその本懐を遂げるためには。やはり是が非でも生き残らねばならない。
生き残り、元の生活へと舞い戻り。その上で辛い記憶を全て過去のものへと追いやらねば成り立ちはしないのだ。
そしてその姿を観測する。そのためには自分もまたその一員で有らねば意味が無い。
だからこそ死ねない、死ぬわけにはいかない。それが今の圭介の切なる思い。
夢を描く事を諦めていた少年が、久方ぶりに抱いた途方も無い、けれども確かな思いなのだ。

「でもその方法を考えるには、俺一人だけじゃきっと無理なんだ」

独りでも、生きていけると思い込んでいた。小賢しく、小器用な自分ならば下手な大人よりも余程に立派に世を渡っていけると。
だがそれはとんでもない勘違いで。自分の才覚など所詮凡庸なものでしかないと圭介は事有る毎に思い知らされた。
自分一人の道行きすら満足には決められず、迷い、惑い。多くの人を身勝手に巻き込んでしまった。

「だから、力を貸して欲しい」

そんな折、手を差し伸べてくれたのは所謂「下手な大人」に傲慢にも分類していた人々だった。
明らかに歪で偏った年輪を刻み続けてきた人たち。でもその厚みこそが圭介を救った要因だった。
大門の肉体と技の研鑚。吉田の人柄と他者への理解。何れも圭介には到底真似のできないものだった。
一体何が「大人など信用できない」なのだろう。そう考えてしまう事自体が幼さの、子供である証拠でしかなかったのだ。
そんな二人の犠牲の上に成り立つ今の生を、無碍には終わらせてはならない。
「人は一人では生きられない」、そんな使い古された常套句も今の圭介には金言と素直に受け取る事が出来る。

「俺はみんなの力になる、なりたい。だけど――みんなも俺を助けてくれないだろうか」

男としてはおそらく格好悪い発言なのだろう、といった思いが圭介の中をふと過ぎる。
このまま自己犠牲の美しさに酔っていた方が面目は立つのではないか、そんな思いも無いわけではない。
けれどもそんなものは御免だ。ここまで来て執着しない理由は無い。

「頼む、お願いします! 俺を――みんなの側に居させて下さい!」

例えみっともなくとも精一杯に足掻いてみせる、それが一番自分らしいのだと――圭介は最後にそう告げてからもう一度深々と頭を下げた。

「――圭介くん」

それはどれだけの時間だったのだろうか。ほんの一瞬のようでかなりの長い時間のようでもあった。
美雪の声に反応し、圭介は顔を上げる。目の前には彼女の手が差し伸べられていた。

「いいんです、もう。それ以上は何も言わなくても」

優しい声が圭介の耳を通り抜け、やがて内側へと辿り着く。
更に視線を上向かせればそれは圭介が望んでいたものとは程遠いものではあったのだけれど。
それでも美雪は笑っていた。目尻に涙を浮かべたままぎこちなく、儚く。それでも確かに微笑んでいた。

「――うん」

その様子で圭介は理解した。美雪の言う通り、もう言葉は必要無いのだと。
後はただ、目の前の事象を素直に受け取ればいい。圭介は一歩歩み寄り、手を伸ばす。
そして静かにゆっくりと――差し出されたその手を握り返した。

「おかえりなさい、圭介くん。ありがとう、帰って来てくれて」
「うん――ただいま」

さりげない一言に万感の思いを込め、少年は少女へ応える。
この瞬間をどれ程に待ち望んでいただろう。その言葉にどれ程焦がれていただろう。
自らの意思で断ち切ってしまった関係という名の糸。それを今、この手と共に再び結びつける事が出来たのだと圭介は確かに実感した。

(やべ、泣きそう――)

歓喜で身体に震えが走る。込み上げてくる感情をどうにも抑えきれそうにない。
だがこれ以上の無様は流石に醜態だと、懸命に圭介は堪え続けた。

「――あーもう。あー、もう!」
(!?)

すると突然横合いから叫び声。釣られて圭介が顔を向ければ其処には予想外の光景が待ち構えていた。

「――なっ!?」

驚きの声が口を突いたのとほぼ同時に。菜緒が自分の頬をその手のひらで殴りつけていた。
張った、などという表現では生温い。周囲に響き渡った音は自らに向けたものとは思えぬ程に大きく、相当の強さで叩いたのだと容易に想像する事が出来た。

「い、痛ぁ……」
「お、おい、大丈夫か?」

いったいどういうつもりの行動なのか、痛みに顔を顰める菜緒に不安そうに圭介は声をかける。
だが彼女はすぐに唇を切り結び。圭介が駆け寄るよりも先に顔を上げ、そしてすぐさま頭を垂れた。

「ごめん圭介っ! あたし、あんたの事誤解してたっ!」
「え」
「まさかあんたがこんなにもあたしたちの事、美雪の事を考えてくれてたなんて全然気付けなかった! 本当に――本当にごめんなさいっ!」
「え、と――」

頬に手のひらの跡を刻み込んだ少女の切なる訴えに圭介は暫し当惑する。
誤解に気付き態度を改める。それは正に望んでいた事態ではあったものの、目の前のそれはあまりにも思い切りの良過ぎるものだった。
だが、だからこそ痛い程に伝わってくる。彼女がどれ程に悔いていたのかが。
疑心暗鬼に陥り真実を見定められず。拒絶の態度を示した事は過ちであったと菜緒は本気で猛省している。
もしかするとPDAを壊さなければならなかったのは自分の所為だとも思っているのかもしれない。
その懺悔として自らの頬を張り、精一杯に謝罪する。如何にも彼女らしい有様に、思わず圭介は胸が熱くなるのを感じていた。

「ありがとう、菜緒。嬉しいよ、そんな風に思ってくれて」
「――じゃあ、許してくれるの?」
「当たり前だろ。んでつまりこれって、菜緒も俺が側に居てもいいと思ってるって考えてもいいのかな?」
「――」

その言葉を受けて菜緒は一瞬沈黙するも。

「――うん!」

すぐに憑き物が落ちたように。はっきりとした返事を圭介に告げた。

「じゃあ、次は私が謝る番ですね」

すると今度はかれんが前へと進み出て来る。

「え? でもかれんさんは別に――」
「ええ、何もしてはいません。ですからその『何もしなかった』事を謝りたいんです」

圭介の言葉を遮りつつ、神妙な顔つきで続ける少女。

「私は鳴神くんとは知り合って間がありません。なので今回の件に口を挟む権利は無い、そんな風に思ってました。ずっと黙っていたのはその所為です」
「――」
「ですが、それは立場に甘んじた卑怯な行いだったのかもしれません。私たちの、鳴神くんの行く末をただ傍観していただけでした。私もチームの一員である以上、
 無関係ではなかったはずなのに。その所為で鳴神くんには随分と辛い思いをさせてしまいました、本当にごめんなさい」
「かれんさん――」

成程、それが彼女の後悔なのかと圭介は即座に納得する。
美雪と菜緒は当事者で、楯岡は真実を看破した人物。つまり一行の中ではかれんが唯一圭介の「嘘」に影響を受けてはいなかった。
故に拒む理由は無かったものの、だからこそ殊更に主張できる立場でもなかった。自身の判断を当てには出来なかったのだ。
だから黙っていた。だが黙っていた事で菜緒と楯岡の糾弾の意思が一同の総意となってしまった。
かれんの意思とは無関係に、かれんもまた圭介を否定しているように表されてしまったのだ。

「でもそれは、かれんさんの立場なら仕方がないでしょう」
「そう言ってもらえると嬉しいです。でもこのまま黙ったままなのも潔くはないですから」

肩を竦めて微笑むかれん。本当に善良な女性だと、改めて圭介は彼女を見直す事となった。

「それじゃあ」
「ええ、もちろん私も賛成です。私自身の意思で、鳴神くんを歓迎したいと思います」
「――ありがとうございます」

それぞれが、それぞれに。ちゃんとした言葉で以って自分を受け入れようとしてくれている。それが圭介にはたまらなく喜ばしい事だった。
さて、そうなると当然の帰結として最後の一人の動向が否応無しに気にかかってくる。
恐る恐る圭介が楯岡に視線を向けると男もそれに気付いたのか、腕組みを崩し片眉を上げた。

「そう警戒するな。流石に俺もこの期に及んでお前を否定しようとは思ってはいない」

その物言いは何時もと変わらぬ抑揚の無さではあったものの。それでも刺々しさのようなものは感じられなかった。

「とは言え他の奴らのように謝る気も更々無いがな。俺は別に自分が間違った事をしたつもりは無いのだから」
「――わかってますよ」

彼の相棒たる少女は「もう、またそんな事言って」と口を尖らせてはいたものの。圭介もそれは承知の上だった。
楯岡の警戒心は間違ってはいない。一行を導く立場の者としては危険分子への対応は相応の厳しさを以って当たるに越した事は無い。
ましてや率いているのがお人好し揃いの少女たちとあっては尚更と言えるものなのだ。

(ま、それにしたって言い方ってもんが有るとは思うけどな)

無論あくまで承知出来ているだけで圭介としては彼をまだ好意的に受け取れるわけでもなく、憮然とした部分を必死に押し殺しているのも事実ではあったのだが。

「なら、つまりはあんたも別に反対はしていない、と考えてもいいのか?」
「ああ、お前の覚悟と気持ちは見せてもらった。もう疑う余地も無い」
「――いよっし!」

最後の難関、楯岡の言質を得る事に成功した圭介は拳を握り締める。
此処に至るまで、一体どれだけの回り道をしてしまったのだろう。どれだけの苦難に行く手を阻まれてきたのだろう。
それでも辿り着く事が出来た。全員が自分を認め、受け入れてくれた。
感動。それ以外に今の気持ちを言い表す言葉が見つからない。そしてそれは恐らく、彼が今までの人生でも終ぞ覚えの無い感覚に相違無かった。

「け、圭介くん、痛いです」
「え? あ――ごめん」

美雪の声で我に返れば圭介は自分が彼女の手をまだ握り締めたままであった事に漸く気付く。
どうやら興奮で手に力が入ってしまったらしい。慌てて手を離す。離れて行く温もりが名残惜しく感じられた。

「さて、そうなれば何時までもこんな場所に留まっている理由も無いな」

切り替え早く冷静な判断を楯岡が下す。その手には既に自身のPDAが握られていた。

「今の処は近くに反応は無いが先程の件も有る、警戒に越した事は無い。そういえばお前たちの方では一体何が起こっていたんだ?」
「木戸よ。あの男が襲ってきたのよ」

どうやら事情を断片しか把握していないらしい楯岡に菜緒が吐き捨てるように言い放つ。

「そうか。一先ず此処を離れよう。道すがら状況を纏めたい、誰か説明出来る奴は俺に随伴してくれ」
「あ、でしたら私が。菜緒さんと鳴神くんは美雪さんをお願いします。まだあまり体調がよろしく無いみたいですので」
「そうなの? 美雪」
「う、うん」
「あー、何かそんな感じだな。特に目の調子がなんだかおかしいみたいだし」

それは圭介にとっては何の気も無い、率直な発言でしかなかった。

「――え」
「え?」

だが瞬間青ざめる美雪の様子に逆に圭介は驚かされる。
尋常ではない反応。そしてそれには身に覚えが有った。重大な秘密を突然暴き出された、嘗ての自分と酷似していたのだ。

「ど、どうしてそれを――」
「い、いや、どうしてって。普通に見てれば気付くだろ?」

一体何をそんなに慌てているのだろうか。困惑する圭介は思うがままに答えを告げる。
違和感と呼ぶにはあまりにもあからさま過ぎた。瞬きの回数、目を擦る回数。そして時折他の者を見る時に目を細める仕草。
それは目に異常を抱えている所為なのではないか、そう考えるに十分足る根拠に圭介には見えたのだ。
だがそれは当然全員周知の事実であり。そしてその原因は疲れ目か埃で痛めたか、或いはコンタクトレンズの紛失か。
その程度の軽度な理由であると、だからこそ誰も気にした様子が無いのだと。一行に再会したばかりの圭介は思い込んでいたのだ。

「――って、え、何? この空気」

だが変わらず沈痛な面持ちの美雪。そして「今初めて知らされた」という感じの呆然とした他3名。
その只事では済まされない雰囲気に、初めて圭介は自分の発言の重大さを思い知らされる事となった。

「そ、その――実は圭介くんの言う通りなんです。わたし、今かなり視力が落ちてまして」
「――何時からですか? それは」
「え? えっと。4階の戦闘禁止エリアを出た頃から、です」

何時になく険しい顔つきのかれんが美雪に近付き、顔を覗き込む。
医療という分野の一端に携わる彼女が齎すその空気は、この件を誰よりも重きに受け止めている証のようにも見て取れた。

「あ! で、でも! まったく見えないってわけでもないんですよ? きちんと外観は捉えられていますし、今は前と比べても少しは見えるようには――」
「頭の怪我が原因となっているかもしれません。あまり安易には考えないでください」
「! あ――」

その一言で美雪だけでなく、その場の誰もが凍りつく。そして圭介の脳裏で一つの記憶が呼び覚まされた。
今は亡き大門の暴走状態に巻き込まれ、頭部を強打してしまった美雪。その名残は今も彼女の頭の真新しい包帯に残されている。
もしもかれんの言う事が正しいとするならば、それはとても容易に看過出来るものではない。
もしかすると目の異常程度では済まされない、そんな可能性とて皆無では有り得ないのだ。

「ちょ、ちょっと美雪! どうしてそんな大事な事今まで黙ってたのよっ!」
「ご、ごめん。このくらいの異常はみんなにもあるんだと勝手に思い込んでて――」
「そんなわけないでしょ! せいぜい疲労か筋肉痛ぐらいよっ!」
「おい、落ち着けって菜緒」

また感情的になる菜緒を見かねて圭介は間に割って入る。

「落ち着いてなんて居られないわよっ! だって!」
「――鳴神くんの言う通りです。とにかくこんな場所では安心して診断も出来ません。もっとも私程度の知識では判る事なんて限られてはいるのですが」
「と、言う事らしいぜ? ここは専門家の意見に従うべきだ」
「う――」

説得に用いる台詞は全てかれんに持って行かれてしまったが、それでもどうにか後を継ぎ菜緒を宥める事には成功する。 

「よし、ならば移動を急ごう。森下、歩くのには支障は無いな? 気分が悪い等、他の症状は今の処出てはいないな?」

そしてすかさず楯岡が出発の号令と共に美雪の現状を確認する。症状を隠していた事にまだ後ろめたさを抱いているのか、美雪はただ「はい」と返事をするだけだった。

「鳴神、彼女を誘導してやれ。万一戦闘に突入した場合、緑川の身体が空いている方が対応の手段は多い」
「あ、ああ」

ごく自然に役割を振られた事に圭介は一瞬戸惑いを感じたが、それが自分が勝ち得た立場である事に改めて少し感動し、素直に首肯する。

「でも、誘導だけでいいのか? そこまでヤバい状態なら、いっそ背負ってやった方が良くないか?」
「残念ながらそこまでの余裕は無い。お前という戦力が全く使えなくなる事態は出来るだけ避けるべきだ、此処は大丈夫と言う自己申告を信じる事にする」
「うは」
「あれだけの大見栄を切ったんだ。それなりの働きは期待させてもらうぞ」
「――勿論だ。さ、美雪」
「は、はい」

もう何の疑いも、迷いも抱く必要は無かった。声に力強さを含ませ、圭介は美雪へ合図を送る。

「ちょ、ちょっと――」
「ま、そう心配すんなって」

そしてただ一人まだ理解の追いついていないらしい菜緒の肩をぽん、と叩く。

「大丈夫だ、絶対に大丈夫。美雪もお前も、俺が必ず助けてみせるから。そのために俺は此処に戻ってきたんだ」
「圭介――」
「なんてな、ちょっとクサ過ぎるか、はは」
「――まったくよ、このバカっ!」

何故か罵倒されてしまったが、そのくらいの方が切り替えるには丁度良いと圭介は菜緒の様子を見て思う。
一難去ってまた一難。漸く取り戻した関係の中にも、どうやら一筋縄では行かない部分がまだあるらしい。
それでも彼女たちが居るならば、彼女たちが力をくれるなら。自分もまた力を出せる。今までよりも一層、力を出す事が出来る。
菜緒に言った言葉は偽りでは無い。そして皆の前で語った言葉にも、今度は嘘は何一つ無い。
この子たちと、生き残りたい。彼女たちを生かすだけでなく、自分もまた生き残りたい。
そのために、戻ってきた。そしてこれからも戦い続けて行けるのだと。上着を拾い上げ、もう一度圭介は美雪に対し向き直った。

「――行こう、美雪。一緒に俺たちの未来を掴むために」
「――はい!」

手を伸ばす。美雪の手もまた差し出される。
本当に目が見え辛くなっているのか、二度、三度宙を掻くその少女の小さな手を。
圭介は。しっかりと握り締めた。





(――)

その目の前の光景を。今もまだ菜緒は信じられない、という面持ちで見つめていた。
美雪の隣に圭介が居る。そしてその背中を自分が追っている。
それは少女が夢にまで見た光景だった。けれども同時に決して叶う事は無いだろうと、半ば諦めてもいた光景だった。
彼の事を信じたいと思う気持ちは有った。だが絶対に相容れない立場を偽り自分たちを欺き続けていた、その事実は如何様にも覆し様が無く。
奇跡でも起こらぬ限りには二度と再び彼が自分たちと繋がる事は無い、何時しか菜緒はそう思い込むようになってしまっていた。
だが奇跡は起きた。圭介は奇跡を起こしてしまった。
危うい処を助けられても尚消えぬ、全員が抱いていた疑心を真正面から受け止めて。その上で自分の否を、過ちを認め謝った。
そして自らのPDAを破壊し条件解除の可能性諸共「美雪の命を狙う立場」を葬り去り、身の潔白を証明した。
そうまでしてでも側に居たい、そして共に生き残りたい。そう切に訴える事で全員から再び認められる事に成功してしまったのだ。

(――すごいわ、あんた。本当に)

気付けば自然に今まで通りに溶け込んでしまっているその圭介の姿に多少の呆れを含ませながら、菜緒は素直に感心する。
もう疑う気持ちは無い。まだ信頼と呼ぶには程遠いものの、少なくとも圭介が同行している事に関する嫌悪感めいたものは微塵も感じられはしない。
寧ろこの状況を作り出した少年に対し今は憧憬の念すら抱かずには居られなかった。

(それに比べて、あたしは――)

だが故に。今度は自分が犯してしまった失態の数々に自虐せざるを得ない。
圭介が去った後、最早頼れるのは己れだけだと自惚れた挙句が一体どうであったのかと。
肝心な時に身体が動かなかった。ただ呆然とするばかりで危うく一行の全滅を招く処だった。
あまつさえ親友である美雪を絶対に守り抜くと意気込みながら、彼女の身体の異常に全く気付く事も出来なかった。
圭介はあんなにもあっさりと気付いてしまったと言うのに。まったく目が見えていなかったのはどちらだと言うのか。嘆かわしいにも程があるではないか。
「一人では無理だから」。圭介が自らを省みた台詞が今頃になって菜緒の胸に突き刺さる。
確かにその通りなのだろう。そもそも複数人が命の奪い合いを行わざるを得ないこの舞台において何でも一人で背負いこもうと考える事自体が間違いなのだ。
嘗ての圭介もそうだった。だが彼はその過ちを素直に認めた。
ならば自分もそうあるべきだ。そうであらねばならない。

――助け合おう、これからは。

早速菜緒は心に誓う。圭介と言う以前の相棒が戻ってきた今、何時までも後悔を引き摺っていても仕方が無い。
これから何が待ち受けているのか、その不安は尽きねども。それでも美雪が、圭介が一緒であるならば。おそらくきっと乗り越えられるはずなのだと。
今は信じて行動するしかない。そう菜緒は思うのだった。
再び視線を前に向ける。前方を行く美雪と圭介の手が繋がっているのが何とも微笑ましく感じられる。
考えてみれば似合いの両名なのかもしれない。
普段は些か夢見がちな感のある美雪と現実主義の割にはその壁を時折越えてみせる圭介。相性としてはそう悪いものではないのだろう。
それに本人たちにどれだけ自覚があるのかは不明だが、思いのベクトルは間違い無く互いに向き合っている。
二人の関係がこの先どうなっていくのか。場を弁えなければそれを見届けるのも一つの楽しみではあった。

(――ま、あたしの目の黒いうちはそう簡単には認めないんだけどね)

そう口元を綻ばせる事が出来るようになれたのは余裕が出てきた証拠なのか、だとすれば良い傾向なのかもしれないと菜緒は自己分析する。

けれどもその際に、何故か少しばかり寂しさを感じたのは。
一体何故なのだろう、という処までは分析しきれてはいなかった。





ゲーム開始より55時間59分経過/残り17時間01分



[21380] EPISODE-63
Name: でしお◆ff3c50cd ID:b22b2541
Date: 2013/06/10 22:55
あらゆる意味での圭介の復活を喜んだのも束の間。今度は美雪の目に異常が発覚した事でまたしても事態は風雲急を告げていた。
原因と思しきは大門との交戦時の頭部の衝撃。ならばこの異常ははたして視力の低下「程度」で済まされるものなのか。
危機感を感じた一行は早速移動を開始し、約30分後に最寄りの戦闘禁止エリアへと到着した。
正確な症状を申告してもらうため二人きりになる必要がある、室内の安全確認後そう告げたかれんの言を採用し二人をそのままベッドルームへと誘導。
残された圭介は菜緒と楯岡と共にそれぞれソファに腰を落ち着け、かれんの診察の終了を待つ事となった。
それから更に15分が経過。再び圭介たちの前に現れた二人の表情は少し青ざめているようにも見えた。

「ど、どうだったのかれんさん! 美雪の症状は――」

流石に気が気ではなかったのか、飛びつかんばかりの勢いでかれんに結果を求める菜緒。
それを受けてかれんは美雪と顔を見合わせ、美雪が頷き一歩前へ進み出た。

「えっと、今の処は視力低下以外の症状は出ていないみたい」
「ホントに!?」
「う、うん」
「そう――よかった」

菜緒が深々と安堵のため息を吐く。が、そんな彼女に申し訳なさそうに今度はかれんが口を開いた。

「ええ、本当です。ですが――ごめんなさい。肝心な処は実は何一つわかってはいないんです」
「え? それって――」
「美雪の症状が実際は何なのか、それがわからないって事ですよね」

圭介が会話を引き継ぎ、美雪とかれんがそれに首肯する。
無慈悲な回答に菜緒は絶句していたが圭介は微かに眉根を潜めただけだった。それは彼にとってはある程度、予測できた事態であったからなのだ。
網膜剥離、白内障、緑内障。目の異常症状といえばその程度の単語は圭介でも知識として思い浮かべる事が出来た。
だが美雪の症状がそのどれかに当て嵌まるのか、或いは全く別のものなのか。それがかれんならば判るとは到底思えなかったのだ。
何故なら彼女は医療という分野の一端に携わる人物ではあるものの、残念ながら医師そのものではない。
それどころか看護師としても未だ修士課程の身分でしか有り得ないのだ。
更には診察に有用な医療器具すら揃っていないとなれば、彼女に異常の全てを解明しろ、というのはあまりにも酷過ぎる要求に他ならない。
寧ろそれでも現状把握にまでこぎ着ける事が出来たのは賞賛すべき行為なのだろう。

「付け加えますと異常が少なく見えるのはあくまで『今の処は』、です。今は大丈夫でもこの先どうなるか、保証は正直――」

そしてそれは残念ながら今後の見通しすらも立たないという結果をも指し示している。
症状がわからなければ処置法もわからない。即ち治せる処か悪化を食い止める事も出来はしない。
例えこの先美雪の視力が更に低下してしまっても。もしかすると失明にまで至ってしまうのだとしても。
更には考えたくもないがそれ以上の状態に陥ってしまうのだとしても。
どうする事も出来ない。手の施し様が無い。
ただ指を咥えて眺めている事しか出来ない、それが不可避の結論なのだ。

「すみません、本当に。ご期待に沿える事が出来なくて」

謝罪するかれんに対し誰も言葉を発さない。菜緒も相当に落胆の様子ではあるが当然彼女を責めるような事はしない。
誰もがわかっていた。かれんには何ら責任など有りはしないと言う事を。恐らくは彼女自身でさえ。
それでも彼女は非情の結論を告げなければならなかった。「どうしようもない」という美雪の状態を全員に周知させるために。
仲間である以上は全員がそれを受け止めなければならない。受け止めた上で背負って行かなければならない。
それがたまらなく申し訳無くて、謝らなければ気が済まなかった、という事なのだろう。
気の毒だ、と圭介は感じた。かれんにはつくづく損な役回りを押し付けてしまっていると。
だがそれが出来るのは彼女以外の適役はおらず、だからこそそんな思いをさせてしまった自分に歯がゆさを抱かざるを得なかった。

「けど、本当に大した事無い症状なのかもしれない」

けれども、なればこそ。自分も自分に与えられた役割を果たそうと圭介は意を決し口を開く。

「もしかすると安静にしてれば直に回復する、そんな可能性だって皆無じゃない。とにかく今は前向きに考えよう」

白々しいとは自分でも自覚していた。こんな言葉は前向きどころか気休めにもならないと。
そんなごく軽度な異常であるならばとうの昔に治っている。かれんの診断でも容易に発覚する事だろう。
それでも誰かがそう言わなければ、何時までも陰鬱な気分を引き摺ってしまうだけ。事態の理解は必要だがそれでも必要以上に重苦しく受け止めても仕方がない。
ならばその誰かは自分であるべきだ。一行に新たな因子として加わった自分にこそ出来る役割だと。圭介は懸命に熱弁を振るう。

「今は目が見え辛い以外には特に支障は無い。なら美雪、あと一日程度の辛抱だ。そうすれば医者に診てもらえるんだから」
「え――?」

すっかり黙り込んでしまっていた美雪が驚きの声を上げた。彼女の中ではその言葉と状況に繋がりが見えない様子だった。

「いやだって、その頃には俺たち、全員この『ゲーム』をクリアしてるんだぜ? なら医者なんて行き放題じゃん」
「行き放題って、アンタ――」
「別に間違っちゃいないだろ?」

咎める様な菜緒の目線を真っ向から受け止め、更ににやりと笑って見せる。
発覚した異常が「ゲーム」の難易度を引き上げた、そんな過程を差し置いて一足飛びでの結論。
そんな能天気な発言に「何をこの男は」という呆れた様な空気が徐々に漂い始める。
けれどもそれこそが圭介の目論見。無用なシリアスなど由とはしない、圭介なりの切り替え方だった。

「――そうですね。全くその通りだと思います」
「でしょ? さすがかれんさん、貴方なら理解してくれると思ってました」
「何バカな事言ってんのよ、まったくもう」

菜緒のため息と罵倒と共に、緊張の弛緩が確認される。成功を確信し、一先ず圭介も人知れず安堵した。

「それで、かれんさん。現状俺たちが気にしておかなきゃならないのはどういう事がありますか?」

しかし緩めてばかりでは後も続かない。早速圭介は今後の打ち合わせを手短に行う事とする。

「えっと、そうですね――なるべく目に負担をかけるような事は避けるべきだと思います。それとストレスの軽減、といった辺りでしょうか」
「目の負担、か。となるとナビ役はもう森下に任せない方が賢明だろうな」

今までソファの上で彫像のように黙していた楯岡が唐突に提案した。
成程、道理だと圭介も納得する。言われてみれば確かにPDAという小型の端末機器の液晶画面を凝視し続けるナビゲーションはお世辞にも目に優しいとは言い難い。
そんな役割をこれ以上今の美雪に任せるべきではないのだろう。

「OK。じゃあ今後そっちは俺が担当するよ。構わないかい?」
「――ええ。申し訳ありませんがお願いします」

美雪が恐縮の様子で賛同する。恐らく彼女は立場を譲りたくはなかったのだろうが、意地を張っても仕方が無いと自覚したのだろう。
独りよがりの自己犠牲精神は無意味なものでしか無いと、先程圭介に訴えたのは他ならぬ彼女自身でもあったのだから。

「了解。んじゃ問題はストレスの方なんだけど」
「それは問題ないんじゃない? 解消には打ってつけのバカが戻ってきてくれた事だし」
「へえ、初耳だな。参考までにそいつが誰か聞かせてくれるか?」
「あんたに決まってるでしょ」
「お前だ」
「圭介くんです」
「――おい、待たんかい」

自分で誘導した自覚はあったが予想外の人物が二人も呼応してきた事で、流石に一言添えねば気が済まなかった。
ただ独り広言しなかったかれんの気遣う様な微笑みだけが救いと言えば救いだった。

「ちぇ、まあ、いいんだけどさ」

口を尖らせ、それでも圭介は気を取り直す。多少釈然とはしないながらも、自分が道化扱いされる事で本来の目的が果たせるならそれも止む無しと感じられた。
実際の処、事はそう簡単ではない。かれんの言う「ストレス」とはその大部分は恐怖に因るものに相違無いのだ。
最早何時、どのような手段で襲撃者が現れるかわからない。そしてそれを回避出来なければ死ぬしかない。
そんな状況下で感じるストレスは日常とは比べ物にならない程大きなものに違いない。それをこの先どのように緩和していくべきなのか。
甚だ難題としか言いようが無かったが、とりあえずは定期的にこのような会話をこなしていくしかない。
これはその試金石だと考えれば扱いの悪さに不満を抱いている場合では無いと、圭介は独り納得する事にした。

「あ、ところでさ。みんな腹は減ってないのか?」

そして更に場をほぐすべく次なる手を打ちにかかる。考えれば此処は戦闘禁止エリア、施設に定められた数少ない休憩場所。それを利用しない手はなかった。

「え、圭介くんが作ってくれるんですか?」

すかさず表情が華やぐ美雪に勿論、と圭介は首肯する。
手間は別段苦には感じない。寧ろ以前に好評を博した自分の料理を再び振舞う機会が訪れた事を純粋に喜ばしいとさえ思えていた。

「え、鳴神くんはお料理される方なんですか?」
「ええ、それはもう――わたしたちの女子力に自信が無くなる程に」
「へえ、意外――という程では無いですね。何となく鳴神くんはその辺り器用そうなイメージがありますから」 

ふふ、とかれんは口元を綻ばせ、「それではお願いします」と続ける。その目にはある種の期待が込められており、それが益々圭介のやる気を促進させた。

「よし、じゃあ折角なんで腕を振るうとしますか。しばらくそのまま休んで待っててくれ」
「あ、じゃあ一つ提案!」

ぽん、と膝を一つ叩いて立ち上がる圭介の目の前に、突然菜緒の腕が勢い良く掲げられる。

「ん、何かリクエストでもあるのか?」
「ううん、待ってる間さ、あたしたちシャワー浴びて来てもいい?」
「え、そりゃ別に構わないけど。どうせ待ってる間暇だろうし」

調理に手伝いの必要性も感じなかったので特に反対する理由も無い。寧ろわざわざ断る必要があったのか、と訝しむ圭介の眼前で菜緒の瞳が妖しく光る。

「よかった。じゃあ美雪、一緒に入ろ?」
「!!」

即座に圭介は凍りついた。それ程にその一言に込められた魔力は絶大なるものだった。

「えー? それはちょっと恥ずかしいかなあ」
「いーじゃん別に。一緒にお風呂なんて何時もの事だし。それに目が見にくいなら身体も洗いにくいでしょ? あたしが代わりに洗ってあげるからさ」
(――)

圭介は動けない。そのくせやたらと聴覚だけは鋭敏過ぎるほど鋭敏に働いていた。

「ね? 絶対その方がいいってば」
「もう、しょうがないなあ。わかった、一緒に入ってあげるわよ」
「やった! さすが美雪、愛してる!」
「あ、じゃあ折角なので私もその後で頂いちゃってもいいですか?」
「どうぞどうぞ。あ、だったらかれんさんも一緒にどうですか?」
「――へ?」

今度はかれんの時間が止まった。突拍子も無い申し出に彼女の中では繋がりが視えなかったのか。

「え、え――ええええっ!!」

だがすぐに、素っ頓狂な悲鳴にも似た声が室内に響き渡る。

「そ、そ、そ、それはさすがにご遠慮させて下さい! その、私――自身無いですから!」
「えー? そんなの別に気にする事無いじゃないですか。ここは一発、裸の付き合いで親睦を深めましょうよー」
「あうう――」

赤面しつつ沈黙するかれん。そのまま暫し時が過ぎる。
だが何か思う処があったのか、やがて意を決したように少女は力強くその顔を上げた。

「わ、わかりました。これも後学のため、ご一緒させて頂きます!」
「よかった! それじゃさっそく参りましょうか!」
「は、はい! どうかお手柔らかにお願いします!」

鼻息荒くかれんが応える。そして女性陣は一斉に席を立った。

「つーわけで、これからあたしたちは一緒にお風呂しますので。後の事はよろしくお願いしまーす」
「え? あ、ああ――」

その一言で圭介は漸く我に返る。ふと見れば菜緒が目の前でにやにやと笑みを浮かべていた。

「圭介、わかってるとは思うけど――覗いちゃダメだからね?」
「な、何を言うんだよ突然」
「そうですよ、えっちなのはいけない事なんですからね?」
「だから、わかってるってば」

菜緒と美雪、二人から同時に釘を刺されたじろぐ圭介。だがこのまま押し切られるのはどうにも癪なので心ばかりの反撃を試みる事にした。

「――つーかさ、前から気になってたんだけど。菜緒はともかく美雪も結構、エロネタに敏感じゃない? それってもしかしてさ」

――もしかして、それなりに興味があるって事なんじゃない?

そう続けるつもりだった。そしてある程度の驚きや照れ顔を引き出せればそれで十分満足だった。
つまり裏を返せば所詮はその程度で満足するくらいの、牽制球でしかなかったのだ。

「え」
「え?」

しかし言い切るまでも無く、美雪は絶句しその顔は見る間に紅潮していく。
求めていた以上の、過剰過ぎる反応。それはどれ程に真実を正確に射抜いてしまったのかを如実に表していた。

「え、嘘、マジ?」
「そ、そそそ! そんなワケないじゃないですかっ!! 何を言うんですかまったく!!」
(――おいおい)

それにしてもこれは些か動揺し過ぎではないのか。一体どれ程に自覚があったのかと圭介は必死に否定する美雪を呆れ心地で見つめる。

「あ、やっぱり気付いちゃった? そーなのよこの子、大人しそうな顔して実は中々の逸材よ? 一緒に寝てる時とかやたらと胸触ってきたりするし」
「なんと」
「菜緒もこの状況でどうしてそういう事言うのかなっ!?」
「あはは、ごめんごめん。じゃ、行こっか」
「もう――」

なお不満げに頬を膨らませる美雪を適当に宥めながら、今度こそ菜緒は二人を連れ立って移動を開始する。
バスルームの扉を開き全員で中へ。最後にかれんがこちらに一礼し、扉を閉めると途端に辺りに静寂が訪れた。

「――やれやれ。姦しい事だな」
「まったくだ」

今まで殆ど口を開かなかった楯岡の零した一言に同調しつつ圭介はうん、と伸びをする。

「さて、と」

硬直で強張った身体を十分に解し、圭介もまた目的の場所へ向かう事とした。

「キッチンはそっちじゃないぞ」

だが「バスルーム」へと向かおうとしたその矢先、その背中を呼び止められる。

「――止めないでくれ。桃源郷を目の前にして見ないふりが出来るほど俺は人間が出来ちゃいないんだ」
「何を言っているんだ、お前は」
「いや、そこはわかっとこうぜ? 男ならさ」
「それは男ではなく下衆の感性だ。そんなものに共感なぞしたくはない」

相変わらずの能面のような表情で正論を並べ立てる楯岡だったが、やがて呆れた様にため息を吐く。

「悪い事は言わん、止めておけ。折角取り戻した信用をまた地に堕とす気なのか」
「むぐ、それはそうだけどさ」

そう言われると流石の圭介も言葉に詰まる。確かに扉の向こうの光景は魅力的なものではあるのだが、天秤に掛けていいものとはお世辞にも言い難い。
欲望に忠実になり過ぎるのも考えものか、と落ち着きを取り戻しかけた圭介だったが、その瞬間向こう側から賑やかな声が聞こえてきた。

――わー、やっぱ予想通り。かれんさんの肌って白くて綺麗だわー。
――ど、どうも、恐縮です。菜緒さんの方こそその、脱いだら更にすごいと言いますか。
――そうですか? でもこんなの肩が凝るばっかりで全然良い事ないですよー。あ、こら美雪、何触ってんのよ。
――あれ? ちょっと菜緒、また大きくなったんじゃない?
――あー、そういえばこの秋にまたちょっと成長しちゃったかな、はは。
――う、うらやましいです! 少しでいいから分けて下さい!

「――くそっ! 信用とか知った事か! こんな千載一遇のチャンス、逃すわけにはいかないだろっ!!」

矢継ぎ早に繰り出される扇情的な台詞の数々に完全に圭介は我を見失った。飛びかからんばかりの勢いで扉へと突進する。

「おいやめろ鳴神、死にたいのか!」

が、正にドアノブに手をかけようとする直前、楯岡に鋭い声で一喝される。

「構うもんか! これで殺されるなら本望だ!」
「誇張ではない! もし見つかったら彼女たちはお前にどうすると思う!? 此処が戦闘禁止エリアだという事を忘れたか!」
「な、に――?」

冷や水をぶっ掛けられた思いだった。先程とはまた違う意味で圭介の身体は凍りつく。
シミュレーションを行う。覗く、見つかる。悲鳴が上がる。そして当然美雪たちは一刻も早く咎人を排除しようとする。
無理に押し出す、洗面具を投げつける。はたしてその行為は何と呼称されるべきものであるのか。

「!! あ、あっぶねえ――」

考えるだに恐ろしい結論だった。浴室四方壁面から展開する無数の銃口。狭い室内で乱射される自動速射砲。
湯船も床も血で染まり、誰一人として生き残れない。単なる覗き行為がこの状況下では、そんな展開にまで発展してしまうのだ。

「怖え、なんつートラップだよ――そんな事で全滅なんてシャレにもなってないっつーの」
「それはこっちの台詞だ馬鹿者が。わかったならとっとと其処から離れて持ち場へ着け」
「――うい」

不快感を露わに命令する楯岡に圭介は何も反論出来なかった。肩を落とし大人しくキッチンへと向かう。

(とは言ってもな――正直ロクな材料がねえから大したものも出来ないんだよなあ)

程無く到着し早速食材の確認を行うものの、その備蓄の乏しさは以前別の戦闘禁止エリアに滞在していた際と同様のものでしかなかった。
流石の運営もこの段階において暢気に調理に勤しむ輩が居るとは想定もしていなかったのか、下層では幾つか見受けられた根野菜の類も殆ど存在していない。
食事の準備を買って出たのは少々失敗だったか、と少しばかり後悔したが今更そんな事を言っても始まらない。
苦肉の策で缶詰のスープを大鍋に移し味を整えつつ、干し肉と玉葱を炒めて一品作成する。
始めてみれば長年の手際でものの数分でそれらは終了し、たちまち圭介は手持ち無沙汰になってしまった。
仕方なしにリビングへと舞い戻る。楯岡は先程と同じようにソファに座ったままで、今は頻りにPDAを操作していた。
バスルームからはシャワーの音と話し声が未だ聞こえてくる。どうやら3人が出て来るまではもう少し時間がかかりそうだった。

(――つまり、それまではこいつと二人きり、って事か)

途端に圭介は気が重くなる。楯岡は圭介の登場に意を介した風も無く、一瞥すらしようとはしない。
先程の件を根に持っているのだろうか。そもそも「ゲーム」の攻略に関して以外には最初から言葉を交わす気は無いのか。
少なくとも彼から会話の切り口が生じる様子は微塵も見られなかった。

「――あの、さ」

ならば、と圭介は自分から切り出す。彼から話す気が無いのならそれならそれで構わない。
だが自分には聞きたい事も話したい事もそれこそ山のように有る。だからこそこの期を逃すわけにはいかなかった。

「とりあえず礼を言わせてくれ。ありがとう」

楯岡のPDAを操作する指が止まる。そして少しばかり不思議そうに圭介に視線を向けた。

「俺の居ない間、美雪たちを守ってくれて。本当に感謝してるんだ」

まずそれだけは、どうしても伝えておきたかった。美雪と菜緒がこれまで生き残ってこれたのは偏に楯岡の助力あっての賜物に相違無い。
その立場を強引に奪い取られたのは確かではあるのだが、それでも彼の奮闘は決して色褪せるものではないのだ。

「――別に。俺にもそうせねばならない理由があった。単に利害が一致していただけの事だ」
「ま、それはそれとして、って事だよ」

圭介は楯岡の向かいのソファに腰を下ろす。「そうせねばならない理由」についてはある程度美雪から事前に伝え聞いていた。
それが果たして契約として成立しているのかどうかは些か腑に落ちない点があったが、逆にそれこそが彼の善性を示しているとも言える。
強引にJOKERを奪わず約束に準じた、その非情とはかけ離れた行為に圭介は敬意の念を抱いたのだ。

「――そうか」
「ああ。だから、もうこれ以上は付き合ってくれなくていい」

だがだからこそ。その善性に身を滅ぼされる前に解放してやらねばならないと、強く思わずには居られなかった。

「契約内容はもう十分に満たしてるんだ、なら菜緒が出て来次第JOKERは返却するように俺が言っておくから」
「それで条件を確定させ、とっととこの部屋から出ていけ、と」
「――まあ、ね」

何かと引っ掛かる物言いも、今は以前ほどには気にかからない。

「正直に言えば最後まで同行してもらいたいとは思ってるよ。一緒に居てくれれば確かに頼もしい事この上無い」

圭介は飾らず本心を語る。ウマが合う、とはお世辞にも言い難いがそれでも実力上位の存在としても精神的支柱としても楯岡の存在は不可欠と言える。
それは自分だけでは無く、おそらくは少女たちにとってもそうに違いない。

「けど、もう嫌なんだ。死ななくてもいい人間が死ぬかもしれないってのは」

だがそれは、所詮は身勝手な我儘に過ぎない。楯岡にはもう同行するだけの理由が無い。助かる条件は既に出揃っている。
それでも善意に付け込んでこれ以上連れ回してしまうのは、また同じ過ちを繰り返してしまう可能性があるのだ。

「それは、吉田二郎の件か」
「ああ」

助かるはずの人物が自分に関わった所為で命を落とす。そんな事はもう二度と有ってはならない。
例え自分でそう望んだのだとしても。安易には受け入れず全力で否定せねばならないのだ。

「もちろん俺の一存で決める事じゃないんだろうけど、きっと他の子たちも納得してくれる。でなければ俺が必ず説得してみせる」
「――お前一人で彼女たちを守りきれるのか?」
「それは――何とかする。何とかするしかない。そのために最後に一つ、頼みが有る」
「何だ」
「教えてくれ。あんたが知っている事、全部」

圭介は一層強い目線を楯岡に対し、向ける。

「俺の想像が正しければ楯岡、あんたはこの『ゲーム』の過去の経験者のはずだ」
「ほう、何故そう思う」
「この『ゲーム』に対する造詣が深すぎる事、それとあの長沢と旧知の間柄のようだったからだ」
「――聞こえていたのか」
「ほんの少し、だけどね」

先の戦闘において、長沢の声は銃声に紛れてではあるが断片的に圭介の耳にも届いていた。
正確な内容はわからなかった。だがそれは確実に楯岡を参加者以上の存在として認識し、その上で彼を抹殺しようという意思に満ち溢れたものだった。
そこから既存の情報を繋ぎ合わせれば自ずと答えは導き出せた。ほぼ間違い無く楯岡は、嘗ての『ゲーム』、それも長沢が参加したものと同様の経験者であるのだと。

「そうだな、否定する理由も無い。俺は確かにこの『ゲーム』を一度、過去に体験している」
「やっぱりな。そしてあんたはその『ゲーム』をクリアした。だからこうして生きている」
「――」
「なら、俺の知らない情報を山ほど持ち合せているはずだ。頼む、それを教えてくれ!」
「鳴神――」
「! あ――」

言い終わり、圭介はしまったと後悔した。
つい気色ばんでしまった。語気が荒くなってしまった。焦りを表に出してしまった。
そしてそれがどうしてなのか、目の前の男は今までに幾度となく心の内を見透かしてきた男。悟られないはずがなかったのだ。

「そうか――やはり、本当に。お前は自分が生き残る方法を全く思い付いてはいなかったのか」
「――ああ」

頷き圭介は肯定する。自らの手でPDAを破壊してしまった圭介は現状首輪を外す手段が無い。
そのためルールに則る以外の方法で解除法を模索する必要があったのだがその目処は今現在、全くと言っていい程立ってはいなかった。
本当はすぐにでも全員で相談したかった。だが美雪の目の異常が表面化し、まず彼女の身体を第一に考えなければならなくなってしまった。
故にそちらの方向に考えを裂く余裕は無く、焦燥感が徐々に募っていた。
そんな思いを気取られぬよう必死に体裁を保ってきたのだが「経験者の情報」という打ってつけの要素が目の前に現れた瞬間、ついそのタガが緩んでしまったのだ。

「このままだと多分、確実に。俺は死ぬんだろうな」

考えるだけで身震いし、圭介は思わず自らの肩を掻き抱く。

「怖いな、ホント――このまま何も出来なきゃ一日足らずの内に死んじまうってのは」
「そう思うなら何故あんな真似をした」
「仕方無いだろ! 他に方法が思いつかなかったんだから!」

正論過ぎる正論につい感情が露わになる。そんな圭介を楯岡は無言で見つめていたが、やがてやれやれ、といった風に首を捻った。

「――だからあの時大人しくPDAを渡していればそんな思いをせずに済んだんだ」
「いや、だってさ。渡したらその場から去らなきゃいけなかったんじゃん。そう言ったのはあんただろ?」
「本当にお前は馬鹿なのか聡明なのかわからんな。なぜその二つの事柄を繋げて考える必要がある」
「え? ――あっ!」

判り易い言い方とは言えなかったが、それでも圭介はその意味を瞬間的に理解した。理解出来てしまった。
そう、あの時に必要であったのは美雪の殺害が絶対条件となる「A」の立場を捨て去る事。
そのために圭介はPDAを破壊してみせた。信用を取り戻す為にはそれしか手段は無いと思い込んでいた。
だが楯岡の言う通り「PDAと自分との関係性を断つ」という事ならば。それこそ破壊では無く譲渡するだけで事足りたのだ。
他人に扱いを委ねるならばそれは破壊されても文句は言えない、つまり破壊と同等の価値有る行為となる。
その上でその「行為」自体で見直される事が出来たならば、PDAそのものは存在したままに現在の立場を勝ち取れたかもしれないのだ。
無論美雪を殺さないという前提に変わりは無いのだが、ルールの抜け道を含めて模索できる可能性とそれが絶無となった現在。
そのどちらが優れているかなど、議論の余地すらない事だった。

「どうしてそれを早く言ってくれなかったんだよ!」
「あの時のお前にそれを伝えてどうする。お前が信頼に値する人物か、その分岐点はPDAを差し出す覚悟があるか否かだったのだから」
「む、ぐ――」

恨みがましいその叫びもあっさりと斬り捨てられる。
確かに最初から認めるつもりがあったのなら兎も角、試験が必要であったのならばそんなヒントは出すべきではない。
二の句が告げられず圭介はただ歯噛みするしかなかった。

「そしてその時にこそ俺はお前を受け入れる、それが俺の描いた台本だったのだが――正直に言えば済まなかった、とは思っている。
 まさか自分でPDAを叩き壊す様な真似をしでかすとは夢にも思っていなかったんだ、もう少し判り易い誘導をするべきだった」

そう語る楯岡の言葉にはやはり皮肉めいたものが感じられるものの。
その表情からは若干の悔恨なるものが見受けられないわけでもなく、彼は本音を語っているのだと圭介には見て取れた。

「あー、くそ。マジ信じられねえ――もし過去に戻れるならあの時の俺を殴ってでも止めてやりてえ――」
「とは言えお前の選択が完全に間違っていた、というわけでもない」
「へ?」

襲い来る猛烈な後悔に思わず圭介は頭を抱えたが、その一言に反応し顔を上げる。

「どういう意味だよ、下手な慰めなら要らねえからな」
「そうではない。残念ながらお前には前科があるからな。もし仮に俺の手元に『A』がある状態でお前が同行していたとしたならば、
 彼女たちはお前に未だ疑いの心を抱いたままだっただろう。『もしかしたら鳴神は従ったフリをしていてPDAを取り返す策を練り続けているのではないか』と」
「――あ」
「だがお前は自らの手でPDAを破壊した。その捨て身の行動に、あいつらは心を打たれた。だからこそお前は完全に信頼を取り戻す事が出来たんだ。
 そうでなければあいつらが、あんな無防備な姿を晒す事は無かっただろう」
「無防備な、姿――」
「おい、今何を考えた。そして何処を見ようとしている。そういう意味では無い」
「う、うるさいやい」

健全な青少年なんだから仕方ないだろう――などと口元まで出かけた台詞を辛うじて飲み込み、圭介はバスルームから意識を離す。
少女たちが扉の向こうから出て来る様子はまだ無かった。

(――そっか。意味は、あったのか)

気を取り直し圭介は考える。またしても間違いを犯してしまった事は猛省せねばならなかったが、それでも救われた思いでもあった。
全くの無意味では無かった。はっきりとそう示されたわけではなかったが、その可能性を示唆された事は活力と成り得るものでもあったのだ。

「さて、話を戻そう。俺の知っている事を教えろ、だったか」
「ん、ああ」

などと感慨に耽っている間に楯岡は既に話題を切り換えようとしていた。慌てて圭介は同調する。

「そう言われても何を話せばいいのだろうな。お前も気付いてはいるだろうが、お前が求める直接の解答は俺とて持ち合わせてはいない」
「――だろうね」

直接の解答、とは言うまでも無く「PDAに頼る以外での首輪の解除法」である。
だがそれを楯岡が知り得ている道理としては彼が過去の「ゲーム」で同様の方法で生還を果たしておらねばならず、その見込みは多分に薄いものだった。
それでもその可能性を捨てきれなかった圭介は一縷の望みを託していたがやはり現実はそう甘くはないらしい。
わかっていた事ではあったが、それでも圭介は落胆せずには居られなかった。無論楯岡の手前、それを表に出す事は無かったのではあるが。
だがそれで打つ手が全て無くなったわけでもない。妥協案ではあるが寧ろ本筋に当たるそれを、すぐに圭介は楯岡に切り出した。

「――じゃあ、前回の『ゲーム』でどんな事があったのか。それを聞かせてくれないか」

瞬間、楯岡の片眉が微かに動く。

「つまり、体験談を語って聞かせろと?」
「ああ、その中から何かヒントが見つかるかもしれないから」
「成程、随分と非情な事だ」
「――自覚はしてるつもりだよ」

言われるまでも無く、後ろめたさは圭介にもあった。この場合の「体験」とは当然ながらに「ゲーム」の体験。
即ち無慈悲な命の奪い合いが行われた過去語りを楯岡に強いているという事なのだから。
だが形振りに構ってはいられなかった。直接的な解除方法が未だ不明である以上、圭介はより多くの情報を取得する必要があった。
その上で取捨選択を行い、正しい解を導き出さねば死を避ける事は出来ないのだ。

「前に長沢から聞いた、あんたたちが参加した『ゲーム』は今回とルールは一緒なんだってな。だったら尚更参考に出来る点は多いはずなんだ」

訴えつつ顔色を窺う。楯岡は口を閉ざしたままだが否定の様子は見受けられない。

「話し辛い、話したくない事だってのは重々承知の上だ。でも、悪いけどその上でお願いしたい。頼む、どうか教えてはくれないだろうか」
「――それが俺にとって何のメリットがある?」
「ある。俺を含めた無用な犠牲が少なくなるかもしれないというメリットだ」
「――」

この上無く真剣に、圭介は真っ直ぐに楯岡を見つめる。
冗談と紛らわすつもりは一切無い。この男ならば、楯岡和志ならば。自らが語る自分本位とは真逆の性質の彼ならば。
右肩を撃ち抜かれてなお自分たちに同行し続けている彼だからこそ、本気でメリット足り得るのだと。圭介は楯岡から視線を離さない。
沈黙。静寂。奇妙な緊張感が、時間の経過感覚を狂わせる。

「――わかったよ」

やがて根負けしたように、楯岡はやれやれと頭を捻った。

「そっか、ありがとな」

それでも確信出来る程の根拠とは言い切れず内心恐々としていた圭介はほっと胸を撫で下ろし安堵する。
そんな彼に、楯岡は少々意外な言葉を次に告げた。

「そうだな、お前には聞く権利があるのかもしれない」
「――権利?」

随分と不自然な単語だと圭介が訝しむ、その瞬間の事だった。

「同じだよ。俺も嘗てはお前と同じ条件だったからだ」

愕然。全く以って予想だにしなかったその発言に圭介は思わず耳を疑う。
だが聴き間違いではない。確かに今、目の前の男は告げたのだ。「お前と同じ条件」と。

(え――え?)

声に出す言葉が見つからない。それくらいに圭介は混乱していた。
同じ条件。その言葉をそのままに解釈するならば嘗ての楯岡に宛がわれたカードは「A」であったという事になる。
突如発覚した意外な共通点。楯岡は単なる経験者であるだけでなく、カードそのものすらも先達であった。
しかし驚愕に値する最大の注視点は其処では無い。問題はその更に先にある。
先程彼が語った言葉。当然予想された解答であり、当然そこまで気にかける必要も無かった言葉が、今となっては全く違う意味合いを持ってくるのだ。

――お前が求める直接の解答は俺とて持ち合わせてはいない。

(って事は――おいおい、ちょっと待て)

嫌な汗が滲み出し始めている、そんな身体の変調を圭介は感じ始めていた。
同じ条件。即ちそれは「Q」を殺害する事での生存条件。圭介はそれを忌避し、別の手段での解除を模索する事を決意した。
その直接解答を持ち合せてはいない。つまり嘗て「A」であった楯岡は、同じ道を選んでなどいない。なのにこうして今、目の前に存在している。
そうなれば。自ずと結論はたった一つに導き出される。否定の否定、それは肯定であるのだと。

(――マジか)

迂闊な自分を後悔する。ある程度決意を以って挑んだそれではあったものの、やはりそれは踏み込んではならない領域だったのかもしれなかった。
ただ単純に人の生き死にを目の当たりにしてきただけではない。楯岡は確実に直接的に関わっていた。
その内実たるや想像を絶するものである事は容易に想像する事が出来る。はたしてそれを受け止めきれるものなのか、受け止めるべきものなのか。

「流石に気付いたか。どうする、止めるなら今のうちだぞ」

相も変わらず心内を見透かしてくる楯岡の言に圭介は迷う。だがやがて覚悟を決め、一層身を乗り出した。

「――ああ、頼む」

知るべきではないのかもしれない。知れば後悔するのかもしれない。
それでも知りたかった。それは自分の為のヒントを得るためだけでなく。楯岡という男をより理解する又と無い機会であると思えたからだった。
彼の過去を知る事で、彼自身を知る事で。見出せる何かは確実にある。今まで不明であった形や繋がりが、必ず色づいて見えて来る。
それは自分のためにも美雪たちのためにも、そして楯岡にとってさえ。意味のあるものだと考えるのは都合の良い妄想なのかもしれない。
けれども前に進むために、前に進んで抜け出すために。それが例えどんな事実でも受け止めようと圭介は心に決めた。
この不躾で無遠慮な、されども誠実な男と仲間であるために。

「了解した」

それでもそう告げた楯岡が語り口を開くまでには少々の間が必要とされた。
その間、幾度と無く繰り返された静寂がまた訪れる。
シャワールームからは依然水音が鳴り響き続けていた。





ゲーム開始より56時間53分経過/残り16時間07分


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