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[21114] 【完結】千雨の世界 (千雨魔改造・ネギま・多重クロス・熱血・百合成分)
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2012/08/14 15:07
はじめまして、弁蛇眠と申します。
数々の素晴らしい千雨改造ものに触発され、妄想のおもむくまま書き連ねました。

この作品には

・主人公チート。
・多重クロス。設定改変。
・厨二展開。
・百合要素。
・ネギまは原作開始まで到達しません。
・ほぼオリジナル展開。

などの地雷要素があります。嫌いな方はお気をつけください。
それでは、よろしくお願いします。

■一応
クロス先に関しては、最低限の情報を載せるようにします。
原作を知らなくても、それなりに読めるように心持配慮しています。
以下主なクロス先(一部)
・魔法先生ネギま!
・マルドゥック・スクランブル
・ジョジョの奇妙な冒険
・とある魔術の禁書目録

●マルドゥック・スクランブルについて。
 おそらく未読でもあまり問題はありません。
 当初はある程度能力やキャラがクロスしてましたが、途中から原作からかけ離れてます。
 でも、面白いのでぜひご一読をオススメします。

●かんたんなあらすじ
ちょっとビビリな千雨が、マスコット的なネズミと一緒に麻帆良にやってきて、女の子達とキャッキャッウフフ。
百合百合な学園ラブコメディ。そんな話です。

●作者サイト オルタイン軟膏(医薬品)
http:/
/nao-sko.sakura.ne.jp/

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■関連スレ
●【短編集】
「追憶の長谷川千雨」や「アイアン・ステッチ」など。

http:/
/www.mai-net.
net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=all&all=29380&n=0&count=1

●るいことめい(佐天魔改造・禁書×ネギま『千雨の世界』)
佐天涙子魔改造。2章の裏話みたいなヤツなんですが、千雨の世界進めるのに凍結中。

http:/
/www.mai-net.
net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=all&all=25216&n=0&count=1
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

更新履歴
2010/08/14 プロローグ、1話投稿。
2010/08/15 2話投稿。誤字修正。
2010/08/20 3話投稿。2話にサブタイトル追加。
2010/08/22 4話投稿。色々修正。赤松板に移動。
2010/08/27 5話投稿。全体的に微修正。
2010/08/28 6話投稿。誤字など修正。
2010/08/30 7話投稿。微修正。
2010/09/04 8話投稿。やっぱり微修正。
2010/09/06 9話投稿。
2010/09/11 10話投稿。
2010/09/14 11話投稿。
2010/09/18 12話投稿。
2010/09/23 13話投稿。
2010/09/25 14話投稿。
2010/09/26 15話投稿。
2010/09/29 16話投稿。
2010/09/31 17話投稿。
2010/10/02 18話投稿。微修正。
2010/10/05 19話投稿。色々修正。あとがきにて説明。
2010/10/08 20話投稿。その後20話を大幅修正。
2010/10/10 21話投稿。やっぱり色々修正。まえがきも少し修正。
2010/10/15 22話投稿。
2010/10/17 23話投稿。
2010/10/22 24話投稿。
2010/10/23 25話投稿。
2010/10/25 26話投稿。
2010/10/30 27話投稿。
2010/11/01 28話投稿。
2010/11/04 29話投稿。
2010/11/06 30話投稿。
2010/11/08 第二章あとがきと?章プロローグを投稿。
2010/11/15 ?章第一話投稿。
2010/11/21 ?章第二話投稿。
2010/11/25 ?章第三話投稿。
2010/12/04 ?章第四話投稿。
2010/12/11 ?章第五話投稿。
2010/12/19 ?章第六話投稿。あとがきなどを大幅削除。
2010/12/28 ?章第七話投稿。
2010/12/31 ?章第八話投稿。
2011/01/01 31話投稿。?章を別スレに移動、削除。
2011/01/16 32話投稿。
2011/03/25 33話投稿。
2011/03/28 34話投稿。
2011/04/04 35話投稿。
2011/04/16 36話投稿。
2011/06/13 ifルート投稿。
2011/06/28 37話投稿。
2011/06/29 38話投稿。
2011/08/31 1-38話の書式統一、修正完了。
2011/09/05 39話投稿。
2011/09/07 40話投稿。
2011/09/13 41話投稿。
2011/10/22 42話投稿。
2011/10/23 43話投稿。
2011/10/24 44話投稿。
2011/10/25 45話投稿。
2011/10/26 46話投稿。
2011/10/27 47話投稿。
2011/10/28 48話投稿。
2011/10/29 49話投稿。
2012/02/20 50話投稿。
2012/02/21 51話投稿。
2012/02/23 52話投稿。
2012/02/25 53話投稿。
2012/02/27 54話投稿。
2012/02/29 55話投稿。
2012/03/02 56話投稿。
2012/03/03 57話投稿。
2012/03/04 最終話投稿。
2012/08/14 ――――投稿。




[21114] プロローグ
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2011/10/04 13:44
 教室中からの好奇の視線で顔が引きつるのを堪えつつ、千雨は転校の挨拶をした。

「えーと、長谷川千雨と言います。よろしくお願いします」

 適当すぎる挨拶に棒読み極まりない口調だが、その内容に関係なく、そこかしこからハイテンションな歓迎の野次が飛んだ。

「おぉ! やっぱり長谷川じゃん!」
「千雨ちゃんだー、おかえりー!」

 初等部時代に何度か同じクラスになった明石裕奈や佐々木まき絵の言葉に、我慢していた千雨の顔の筋肉が崩壊した。

(うぜぇ……)

 千雨は顔を隠すように俯きつつ、伊達メガネのブリッジをくいっと上げ、感情の落ち着きを取り戻そうとした。
 横から苦笑いをしていた担任の高畑も、その機微を察したのか、助け舟とばかりにホームルームを進行させた。

「あぁ~、みんなとりあえず落ち着いて。長谷川君は以前はここの初等部に在籍してたが、この度ご家庭の事情でこの学園に戻ってきたとの事だ、みんな仲良くしてあげるように」

 は~~い、とクラス中から上がる元気な返事がまた千雨のモチベーションを下げていた。

「それじゃ長谷川君、廊下側から三番目列の一番後ろが君の席だ。これから授業だから長谷川君への質問は休み時間にやるように」

 高畑は言うだけ言って教室を後にした。
 担任の声を半分聞き流しつつ、千雨はトボトボと自分の席へ歩き出した。相変わらず好奇の視線は衰えることを知らない。

(わたし、やっていけるだろうか)

 千雨にとってこの麻帆良の地にいい印象は無い。この場所に戻ってきたのだって、己の意思では無かった。この土地に来ると、昔感じた何とも言えない孤独感を思い出す。だが、昔はなかったが、今はあるものはある。

〈大丈夫だ千雨。私がついている〉

 千雨は左腕に巻いた腕時計を見た。アナログの文字盤には金色のネズミが描かれている。そのネズミがウィンクをしたのを見て千雨は思わず顔が綻んだ。
 席に着くなり、右隣の裕奈が挨拶をしてきたので、千雨は適当に流した。丁度一時間目の予鈴が鳴り、担当の教師が入ってきた。
 千雨は大慌てでカバンを漁り、筆記用具とノートを出した。

「あっ」

 転校が急だった事もあり、まだ教科書を貰っていなかった。確か昼休みに取りに来てくれと言われたのを思い出した。

(まぁいいか)

 千雨にとって手元に教科書が有るか無いかなどは関係なかった。視界を広げるように……
 ごつん、と机と机がぶつかった。
 左隣の生徒が席を寄せてきた。

「長谷川さん、まだ教科書がないのデスね。とりあえず授業中は私のを一緒に見ましょう」
「あぁ、ありがとう。今日の昼には貰う予定なんだけどな。えーと……」
「綾瀬です。綾瀬夕映と言います」
「そ、そうか。綾瀬、ありがと」
「いえいえ~」

 表情をピクリとも動かさず、ひょうひょうと少女――綾瀬夕映――はのたまった。
 教師が黒板に板書をし始めた。真横に夕映がいる状況ではノートを取らないわけにもいかず、千雨は真新しいキャンパスノートに細々と書き写し始めた。
 漏れそうなため息を飲み込み、突きそうな頬杖を我慢しながら、千雨の三年ぶりの麻帆良学園での生活が始まった。







 千雨の世界 プロローグ






「ふぅー」

 昼休み、千雨は人影の少ない屋上の片隅で菓子パンをかじっていた。
 休み時間の度に教室中の生徒に囲まれ、トイレにすら自由に行けず、千雨は辟易としていた。
 特に朝倉和美とかいう女の執拗な質問攻めにはまいったとしか言い様がなく、意趣返しの一つでもしてやろうか、というのが千雨の本心である。
 昼休みには逃げるように教室を後にし、売店まで直行し飲み物とパンを調達したのだ。初めての場所だろうと、今の千雨にとって〝売店への道筋〟など造作も無いことだった。
 コロッケパンをもぐもぐとリスのように頬張りつつ、頭の中にうずまくグチが口からこぼれた。

「なぁ、今回の――」

 軋むような音と共に、屋上のドアが開かれ、二つの人影が視界を横切った。

「ん、ゲホゲホ、ング、ング」

 ごまかす様に咳き込みつつ、千雨は牛乳を喉に流し込んだ。

(クソ、気付かなかった。調子狂うぜ)

 この半年間の慣れきった〝感覚〟を切っているせいで、二人が近づくのを見過ごしていた。
 千雨は二人を視線で追いかけた。金髪の見るからに幼い少女と、その後ろを一歩引いて歩く緑髪の長身の少女。

「あ、お前らは確か……」
「こんにちわ、長谷川千雨さん。私は同じクラスの絡繰茶々丸と申します」

 長身の少女が答え、一礼した。幼女の方はは千雨を一瞥するも、興味ないと言った風だ。

「茶々丸、早くしろ」
「了解です、マスター」

 千雨の前で、茶々丸は淡々を昼食の準備をした。シートを引き、重箱を並べ始めた。
 幼女はシートの中央にドカッと座り込み、昼食の準備が整うのを待った。

「準備ができました」
「うむ、では頂くぞ」

 日本人らしからぬ容姿の幼女が、箸を上手に使い、和食をどんどん消化していく様をぼーっと見つつ、千雨はふと茶々丸に質問を投げかけた。

「なぁ、絡繰さん……だっけ。その、絡繰さんはロボットなのか? 」
「はい。正確にはガイノイドと言います。この麻帆良学園で作られ、中等部に編入しました」
(やっぱりコスプレじゃないのか)

 ジト目になりつつ千雨は呆れていた。茶々丸の容姿はパッと見人間と変わらないが、耳にはメカメカしいアンテナが立ってるし、脚は球体関節がむき出しだった。これでは疑うなという方が難しい。

「相変わらず、非常識な所だぜ」

 千雨の呟きに、幼女の箸が止まった。先ほど千雨の存在を素通りした視線が、再び千雨に向いた。

「おい、貴様。名前は何と言う」
「はぁっ? いや、いきなり初対面でどんな口調だよ。大体教室で自己紹介したし、さっきだって隣の絡繰さんが言ってただろ。それに名前を聞くならそれなりの――」
「いいから答えろ」

 年齢不相応の威圧感のある瞳に見つめられ、千雨は言葉が詰まった。この半年ほど、何度か味わった感覚を思い出す。そう、明確な死の予感だ。

「ぐっ……」

 ジトリと首筋に冷や汗が流れる。幼女は視線をそらさず、千雨を射すくめている。幼女の口に愉悦が浮かんだ。

「は、長谷川だ。長谷川千雨だ」
「ふむ、千雨か」
(いきなり呼び捨てかよ!)

 搾り出すように名前を言ったら、先ほどまでの威圧感は霧散した。

「ところで千雨、お前何者だ?」
「は?」
「千雨は何者だと聞いている。おかしいのだよ。いいか、茶々丸がロボットだと初見で気付く。千雨はこれが普通だと思っているのだろう。それがおかしいのだ」
「マスター、私はガイノイドです」
「ええい! うるさいぞポンコツ! 横槍を入れるな」

 なんだかなー、と目の前の光景を眺めつつ、千雨は並列思考で自分の言動を洗っていた。

(何かおかしいところあったか?)
〈いや、ないはずだ。少なくとも私には確認できない〉

 目の前では幼女がグリグリと茶々丸の頭をイジっていた。一段落し、落ち着いたのか幼女は言葉を続けた。

「はぁはぁ……で、だ。長谷川千雨。お前の言動や疑問は一般的には正しい。極めて正しい。場所がこの〝麻帆良〟で無ければな」

 千雨の脳内に衝撃が走った。

(え? いや、そうか。なんとなく判った。それで、――そうなのか。ここでは〝疑問を持つ事〟が異質なのか)

 幼い頃の情景が頭をよぎる。何を言っても取り合ってもらえず、友達も離れ孤立していった自分。
 ここに戻ってくる時に貰った情報のピースがカチリと頭に入る。
 ギチリと歯が軋んだ。

〈落ち着け千雨。まだ初日だぞ〉

 千雨の一瞬硬くなった態度に、目の前の幼女は得心がいった様に微笑んだ。

「は、はぁ? だからどういう事なんだ。わたしにはさっぱ」
「白々しい演技はいいぞ。興がそがれる。まぁ、どういった目的であろうと構わん。千雨は面白そうなので老婆心ながら忠告をしただけだ」

 千雨はカァーと顔が赤くなるのを感じた。それを見て幼女はクックと笑いをかみ殺した。
 千雨がコチラ側に来て半年、目の前の〝怪物〟相手に腹芸は無理か……と時計盤のネズミが目を瞑った。

「クククッ。なかなか正直な奴のようだな千雨。気に入ったぞ。お前にも茶々丸の作った食事を分けてやろう。あと茶々丸、茶のお代わりをよこせ」

 幼女は自分の隣をぽんぽんと叩きつつ、ニヤニヤと笑っている。
 千雨はなにか無性に腹が立ち、おもむろに立ち上がり二人に背を向け、無言で出口に向かった。

「悪いな! わたしはこれから職員室まで教科書をとりにいかにゃならん」
「なんだ食わんのか、めったに無いことだぞ」
「どうぞマスター、お茶です」
「うむ。あ、そうだ千雨。一つ忘れていたな」

 その言葉に千雨は足を止め、顔だけ振り向いた。

「私の名だ。私はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ。特別だ、エヴァと呼んで良いぞ」
「そうか」

 千雨は小さく呟き、ついでエヴァに対して言葉を発した。


「エヴァ、わたしは長谷川千雨。たんなる! ただの! 一女子中学生だっっ!」


 その瞬間、茶々丸のセンサーが一斉にエラーを起こし、視界が真っ白に染まる。
 エヴァは口を浸けた緑茶からビリリとしびれが発したのを感じ、口を離した。

「なっ!」

 熱ではない〝何か〟により、エヴァの舌先は火傷をしていた。

「え……」

 また、茶々丸の視界も正常に戻っていた。この間一秒にも満たず。
 一人と一体が気付いた時には、屋上に千雨の姿は無かった。



[21114] 第1話「感覚-feel-」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2011/10/04 13:43
 学園長室にて、麻帆良学園の学園長を務める近衛近右衛門は革張りのイスの背もたれを揺らしていた。

「ふぅむ、長谷川千雨君のぉ」

 机の上には千雨の経歴が書かれた書類が数枚並べられている。その出自から始まり、親族、学歴、趣味や嗜好、さらには半年ほど前に起きたアノ事件に至るまで。
 その経歴には、なんら隠すことも無い、と言った体で堂々とある文字が書かれていた。

「『学園都市』からとは、いやはや露骨すぎじゃあないかの」

 半年前のアノ事件で大怪我を負った千雨は、東京の三分の一を占める学園都市に運び込まれ”治療”された、と書類にはおおまかに記載されていた。
 日本国内では間違いなく断トツ、世界的にも類を見ないほどの科学力を持つ『学園都市』。特に人間開発なる分野の研究成果は世界中から注目を集めていた。フィクションの中だけだと思われた超能力を科学の面から発現させてしまったのだ。そんな学園都市で施された”治療”とやらを真っ当に信じる程、近右衛門の脳はもうろくしていない。
 千雨は治療後、学園都市内の常盤台に転校し、さらにそこから麻帆良へ戻ってきたという学歴になっている。刺客としては間抜けだが、相手方の警戒感をあおるには十分である。

「アレイスターめ。まぁ目と鼻の先じゃ、お互い鞘当も必要かの」

 東京の三分の一を占める『学園都市』と、埼玉の一都市をそのまま学園にした『麻帆良学園都市』。お互い対立する理由はないが、だからといって手を取り合うには隔たりが大きすぎる。

「長谷川君も難儀じゃのう……」

 その呟きには、茶番劇の主役にも等しい立場に追い込まれた少女への同情がこもっていた。






 第1話「感覚-feel-」







 屋上を飛び出した千雨は階段で身悶えをしていた。

(あぁ~~~、恥ずかしいっ!)

 エヴァに会って数分で見透かされた自分の薄っぺらさであったり、その後の言動であったり、秘匿すべき力を意趣返しに使ってしまった幼稚さであったり、様々な至らなさに千雨の脳内は後悔のリフレインをしていた。

(部屋に帰ってベッドに潜りたい。帰ってネットがしたい)
 千雨の心の呟きは、皮膚の上をピリピリと通し、周囲に微かに伝播している。

〈千雨! 落ち着け! 出てるぞ〉
「うぇっ! 」

 脳内に響く声に驚き、思わず素っ頓狂な声が出た。通りがかった生徒達も、唐突に奇声を上げた千雨をジロジロと見ている。

(あう~、く、クソ。なんなんだよ、もう)

 千雨は深呼吸を二度し、心を落ち着かせた。半年前に千雨が得た力は、その心の機微に非常に敏感だった。千雨にとっては瞬きなどの肉体の反射に等しい行動なのだ、意識を常にしておかないとすぐにこうなる。
 思考の分割をし、マルチタスクを行い、力の制御の意識を常駐させた。最大二千以上もの思考分割が出来る千雨にとっては造作もない事だが、いくら分割しても千雨自身の精神が成長するわけではない。
 羞恥や後悔により、分割された思考はそれ一色に染まってしまっていたのだ。

(……ふぅ。すまない先生。これからは気をつけるよ)
〈気にするな、それが私の役目だ〉

 出会って半年。相変わらずの物言いに千雨の口の端が上がる。視線を変えないまま、左手首の腕時計をトントンと二回小突く。
 千雨は職員室へ向かい歩き始めた。



     ◆



 自室のベッドにうつ伏せのまま、千雨は今日の出来事を思い出していた。
 元来人付き合いの苦手な千雨にとって、無駄に注目を浴びる転校生としての立ち位置は辛さが先走っていた。
 昼休みに教科書を職員室で貰った後、午後の授業はスムーズに進んだものの、放課後のチャイムが鳴るや、裕奈やまき絵さらに大河内アキラや和泉亜子といった面子に引きずられ、部活見学なるものへ連れて行かれた。
 終始テンションが高いメンバーながら、アキラだけは千雨の心情を察し、色々フォローしてくれたのが不幸中の幸いだった。
 気付けば夕方。やっと開放されると思い、自室で私服に着替えたのもつかの間、激しくノックされるドアを開けた途端、また引きずられ、寮内での歓迎会の主賓として参加させられた。
 寮内の規則ギリギリの時間までドンチャン騒ぎが続き、ついさっき本当に開放され、ベッドへダイブした所だった。
 そんなこんなで、受身のままズルズルとアッチコッチへ引っ張られた千雨は肉体的にも精神的にも疲労でいっぱいだった。

「づがれ゛だ~~」

 ふと、千雨の左腕に巻かれた腕時計がクルリと反転(ターン)し、黄金色のネズミが現れる。ネズミは千雨の顔近くまで移動し口を開いた。

「だが、いい子達じゃないか。あの子達は千雨を心から歓迎していると思うぞ」

 ネズミとは思えない、バリトンの聞いた低い声だ。

「まぁ、それはそうかもな」

 表情を悟られないよう、枕に顔をうずめたまま千雨は答える。
 そのまま言葉を交わし続けることなく十分、二十分と時間は過ぎていく。今部屋には千雨とネズミしかいない。引越しの荷物は大半がダンボールの中のままで、テレビやパソコンといったものは音をならすものはまったく無く、静寂が支配していた。
 ときおり聞こえるのは隣室のオーディオ音楽やら、テレビの微かな音。千雨も目を瞑ったまま、何かしらを考えていた。
 その静寂を破ったのは黄金色のネズミ――ウフコック――の声だった。

「千雨」
「あぁ。わかってるよ、先生」

 千雨はベッドからガバッと立ち上がると、バスルームに向けて歩きながら衣服を脱ぎ始めた。全裸になるや、頭からシャワーを浴びた。千雨の肌は滑らかな曲線を描き、染み一つ無い美しさを持っている。
 ”その体には傷跡の一つも無かった”。
 千雨は体を拭くこともせず、シャワー室を出たが、足元には水溜りの一つも出来ない。髪もキューティクルを輝かせながらも、余分な水気は消えている。

「先生、たのむ」

 ウフコックを両の手のひらで大事そうにすくうように持ち上げる。

〈まかせろ〉

 低いバリトンの声が、直接千雨の脳内に響く。
 黄金色の毛の塊が反転(ターン)すると、千雨の体はは真っ黒い、肌に張り付くようなボディスーツに覆われていた。
 手のひらを合わせていたため、両手を覆う生地が手のひらを境にしてくっ付いてるのをペリペリと剥がす。剥がした手のひらの上にはまたウフコックが載っている。

〈もう一度だ〉

 ウフコックが再び反転(ターン)すると、今度はボディスーツの上にダブダブのコートが羽織られた。五月という季節を考えると厚着だが、コートの中はひんやりと涼しかった。
 フードをかぶり口元まであるコートのボタンをはめれば顔が見えず、さらに左右に張った肩幅のあるコートのデザインが性別や体型を悟られないようになっていた。

〈千雨、感度はどうだ。阻害されていないか〉
(問題ない。むしろボディスーツのおかげで好調だ。さすが先生)

 ひとまず千雨は感覚を広げた。たった一日とはいえ、離れていた感覚が戻るのは気持ちが良かった。だが、ここでトチるわけにはいかない。範囲は最小限、とりあえず自室までにした。
 ピリリと肌の上にあったホコリのツブが焼けた。千雨の知覚が鮮明になり、自室全てに広がる。いまや百四十にまで膨れ上がった千雨のマルチタスクが、集められる情報を緻密に精査し、脳内にはワイヤーフレームにも似た線で構成された部屋の見取り図が浮かび上がる。
 ダンボール内に入ったデスクトップパソコンのCPUプロセッサの回路の本数の一本一本だって数えられる。

「部屋の中はどうだ?」
「とりあえずは問題なさそうだ、先生。監視や盗聴といったものは見つけられない。だが相手が相手だからな、さすがに未知のものに対しては万全とは言えないけどな」
「それはしょうがあるまい。どっちにしろ見られてるとしたらもうこの時点でお終いだ。せいぜいオフダとやらの効果に期待しよう」

 お札とは千雨が麻帆良に来る際に支給された物品の一つである。オカルトに対しての阻害効果があるとかナントカ。千雨は眉唾モノだと思ってるが、すがるしか無いのだからしょうがないと、部屋の四隅にしっかり貼っておいた。
 相手側から見ても元から警戒すべき人間なのだ、今更この程度で状況はたいして変わらないだろう。疑いが確信に変わったところで、それは元から想定の範囲内、むしろ力の秘匿こそが優先すべき課題だ。

「じゃあさらに広げるぞ」

 部屋の中から外へ繋がる、ありとあらゆるものがバイパスとなり、千雨の知覚を広げていった。電子干渉を旨とする千雨の能力は、絶縁体以外のものを通して感覚を広げていく。

「おぉ、ここのセキュリティすごいぞ。どうなってやがる、本当にただの女子寮なのか? 」

 千雨の知覚はあっという間に寮内を覆い、残るは警備システムの掌握だけだった。だがそのシステムのセキュリティの強固さに驚いていた。学園都市程でもないが、一部ではそれ以上かもしれない技術力により警備システムは守られていた。
 だが千雨としてさるもの。彼女の演算能力は現在、間違いなく世界でも最高峰である。彼女は電子干渉により空気中に自らを補助する演算装置を作り、さらにその余剰の演算能力で演算装置を作る、という芋づる式とでも言うような事ができるのだ。通称『ループ・プロセッサ』。足りなくなったエネルギーにしろ、そこら中の電源からかっぱらってくる荒業を容易になす。
 そんな彼女の演算能力は、後に学園都市内で産まれた一万五千余の並列演算から作られる有機ネットワーク『シスターズ』を単身で追い抜き、その身一つで世界中のシステムに干渉できる数値を叩き出した。
 もちろんそれはあくまで数値上のものであり、実際は不可能である。千雨自身にもある程度の制御リミッターが掛けられていた。必要以上の知覚の広がりは、千雨と他者……いやこの場合”内”と”外”の境界を無くし、千雨自身を廃人としてしまう。
 千雨自身とてそれは嫌だし、学園都市側としても自分達では制御できない輩を野放しにしたくなく、お互いの了解の下リミッターは付けられていた。
 だが千雨にリミッターをつけた所で、その付けられた本人が超一流の開錠師なのだ。当てになるはずがない。そこで目を付けられたのがウフコックなのだ。
 千雨はウフコックを信頼している。そこには愛情もある。またウフコック自身もそれに似た感情らしきものがあった。二十年前の大戦のおりに封印された『楽園』の結晶であるウフコックは、自らが友愛を感じているのかを自分では判別できない。だが『ナニか』はあるのだ。
 つまり、ウフコックは千雨にとっての師であり、親であり、相棒であり、首輪なのだ。千雨自身の力の濫用はウフコックを傷つけ、壊す様になっている。それは千雨にとって何よりも重い枷になっていた。
 されど、その首輪があるからこそ、千雨の人権を認めさせ、違法であるはずの『楽園』の技術を持つ千雨に対し、国連法の特例が認められた一因でもある。
 そしてリミッターがあろうと、元が能力過剰な千雨なのだ、どんなにセキュリティが強固だろうと、学園都市でも無ければ造作なく破ることができる。千雨にとって既存のセキュリティなど薄紙程度のものであり、この半年の経験と修練で、その薄紙を破るばかりでなく、切れ目をそっと入れ、継ぎ目無く修復もするという事もできるようになった。
 この寮のセキュリティだって、千雨から見れば薄紙三枚重ね程度のものなのだ。開錠も修復も容易い。
 瞬き一つで警備システムを掌握した千雨は、堂々と自室のドアを開け廊下に出た。先ほどまで裸足だった足元にはいつの間にか靴が履かれていた。また、一歩一歩踏み出す度に靴の形が変わった。またサイズや靴裏の形や向きまでランダムに変わっていた。淡々とまっすぐ歩いているのに、そこに残るかすかな足跡はおおよそ一貫性が無いように残る。

(ここまでやる必要あるのかよ)
〈一応の保険だ。用心するにこした事はない〉

 これを人の少ない場所ででもやったら異質だが、雑多な人間が住む寮内ではさして違和感なく足跡はまぎれた。
 顔をフードとマスクで隠した不審者極まりない姿ながら、それに気付くものがないまま千雨は寮を堂々と出て行った。



     ◆



(さて、と。どうしたものかな)

 こちらはあくまで調査で来ている。某所からの依頼により、魔法というオカルト染みたものの詳細なデータを求められていた。現在の千雨は”治療”と言う名の人体改造により、とんでもない負債を抱えている。それは一命を取り留めるための最新医療の費用であったり、二十年前を境に違法とされた『楽園』の技術であったりと様々だ。
 正直、勝手に改造しておいて負債もクソもないだろ、というのが千雨の本音だが、権力もコネもない千雨はとりあえずしぶしぶ従って返済を着実にこなしていた。
 何よりウフコックの存在が千雨を後押しした。自分が壊れかけたあの時を救ってくれたかけがいのない存在。依存している自覚もあるが、だからと言って自立するには千雨の精神は若すぎる。
 ウフコック自身も負債に囚われているらしく、千雨の当面の目標は自分とウフコックの負債の返済だった。そのためには多少のトラウマなんかへっちゃらだ! と麻帆良にやってきたのだ。
 そんなわけで千雨にとって交戦は望むべきものではなく、魔法を使っている所のひっそりとした観察を望んでいた。
 その気になればありとあらゆる電子情報を掌握し、根こそぎ調べることも出来るのだが、リミッターの手前出来るはずもなく、また手近なネットワークではほとんど魔法に関する情報が無かったのだ。
 どうしたもんだと首を傾げていた千雨の元に、麻帆良への転入手続きをした旨が書かれたメールが送られたのが二日前。制服が届いたのが昨日なのである。
 そんな千雨が事前に仕入れられた魔法の情報は少ない。
 どうやら魔法は秘匿すべきものであるらしく、人目に触れる事がとても少ない。
 魔法というと万能性を持ったものを想像しがちだが、実際は戦闘技術の延長としての進化が著しいこと。
 そしてこの麻帆良学園こそが、アジアでも有数の魔法使いの本拠地であること。
 そんな場所だから麻帆良への侵入者が後を絶たないらしく、夜になると熾烈な戦いがあるとの事だ。
 千雨自身も侵入者なわけだが、侵入者が侵入者が撃退される図を観察しようとしているのだ。

(まぁボチボチ適当に行きますかね)

 どうせ相手はわけのわからない技術を使っているのだ。多少姿を見られるのは想定しつつ、千雨は夜の闇にそっと消えた。



     ◆



「刹那、気を付けろ! 何かがおかしい!」

 龍宮真名は焦っていた。長い戦場経験を持ちながらも、こんな状況は初めてだった。
 先ほどまでは学園への侵入者とおぼしき式神の群れを、桜咲刹那と共に撃退していた。だが途中から違った。残り数匹。今日の仕事も終了か……と思った時、周囲一帯をナニかが覆ったのだ。どうやら刹那は感じないらしいが、真名はその異質さをしっかりと感じていた。魔眼持ちである真名に見えないナニかが、意思のあるようにうねっている。多くの意思有るものを魔眼で見通してきた真名だからこそ感じた違和感である。
 魔眼では見えない。だが、かわりにソレの流れは感じられる。大元となる方向には微かにだが人影が見える。森の中という事もあり、木々が邪魔をするのだが、魔眼持ちの真名には関係のない事である。

(アレか)

 真名としては牽制のつもりでライフルの引き金を引いた。同じくして式神を始末し終えた刹那は、真名が放った銃弾の方向へ全力で走り始めている。
 体中で練った気が爆発的に身体能力を増加させ、常人には消えたと錯覚させる程のスピードで走った。
 真名も撃ちつくした弾倉を取り替えつつ、遮蔽物を利用しながら高速で近づく。

(異質すぎる。学園都市の超能力者とやらでも来たのか?)

 超能力者の名前は聞くが、真名自身はその手の輩と戦ったことは無い。世界中にいる魔法使いの数が約七千万人に対し、超能力者は二百万にも満たず、またそのほとんどは戦闘に耐えられる代物ではないらしい。それを考えれば戦闘経験が無いのは仕方の無いことだ。
 この麻帆良では感じなれた魔法。それとは違う異質なナニかが周囲にある。真名の推論は未知の超能力の可能性を考えていた。

「刹那! 奴は超能力者かもしれん、注意してくれ」
「判った! 」

 刹那の判断も速かった。その言葉を聞くなり人間相手への手加減の一切をやめ、自らが込められる最大の一撃を放とうと大きく振りかぶった。
 走りながら見た人影は黒いコートを着た人間。口元まで覆うコートと頭を隠すフードで顔は見えないが、おそらく肩幅から察すれば男だろう……と見える。

「何者だ、答えろ! さもないと……斬る!」

 刹那の誰何には無言。コート男は右足を引き、迎撃の態勢をとる。

「御免!」

 心にも無いことをコート男に叫びつつ、刀に気を込める。刀身に紫電が走る。

「神鳴流奥義、雷――」

 ガァン、という一つの銃声の後、握っていたはずの刀の感触が消える。
 いつ手にしたのか、コート男は拳銃を持っている。
 刹那の視界の端には宙を舞う刀が見える、また刀の柄尻にはくぼみがいくつかあった。

(まさか、今の一瞬で)

 神鳴流に飛び道具は効かない、という言葉がある。それはまったくの間違いではなく、飛び道具を使う際の体の動きを見て、かわすなり、飛び道具を切るなりしてるからだ。
 だが、今の攻撃には起点が一切なく、刹那はコート男のモーションがさっぱりわからなかった。
 刀を失いはしても、相手とは指呼の間。無手であろうと神鳴流は扱える、と切り替え、刹那は体を低くしつつ敵の懐に入ろうとした。
 そんな刹那の目先には縦長の缶が浮いていた。

「なっ! まさか」

 その正体に気付いた刹那は急いで目をつぶり、耳を手で覆った。それは閃光弾。
 爆音とともに周囲に閃光が指した。マグネシウムの放つ光が三秒程、こうこうと森を照らした。
 刹那は至近距離での衝撃を緩和させるため、地に伏せ、頭を地面にこすりつけ、口を開けた状態で衝撃に耐えた。
 遠くから見ていた真名も対処はしたものの、魔眼を切り替えそこない、すくなからず目を焼かれた。
 先ほどのコート男が手をかざした途端、手の中に拳銃が現れ反動も何も無いかの用に連射をしたのだ。銃身には射撃後の跳ね上りが一切なかった。単発式のはずのリボルバーを、銃声が一回しか聞こえない速度で引き金を引くという、自分でも出来ない芸当を目に呆けてしまったのだ。
 二人が戦闘へ復帰できるまでにかかった時間はおよそ数秒。だがその時には周囲に人影があらず、さらに真名の魔眼が回復した時にはその痕跡すら終えなくなっていた。



     ◆



(な、な、な、何なんだよ、あれは!!)

 ドクンドクンと脈打つ鼓動が耳に響きながらも、千雨は走るのをやめなかった。できるだけ暗闇を走りながら、周囲を無造作に電子攪拌(スナーク)し、自分の痕跡をできるだけ消していく。

(魔法ってのはあんなにスゴイのか? 超人万博でも始める気かよ)



     ◆



 寮を出た千雨は、自分の痕跡を消しつつ、できるだけ慎重に学園内を探索していった。自分の持つ電子干渉を知られるわけにはいかないし、もしかしたら相手はそれを探知できるかもしれないと思い、慎重に事を進めたのだった。
 ウフコックに暗視スコープに反転(ターン)してもらい、学園都市で見せられたスニーキングのビデオの動きを自分にシュミレートさせながら進む。
 今のウフコックは感情の匂いを嗅ぎわける事はできないが、硝煙程度の匂いを追うのはたやすい。
 そんな折に真名と刹那を見つけたのだ。
 最初は鬼の形をした式神にビックリしていた。

(すげぇな。倒すと紙に戻るとか漫画みてぇだ)
〈おおよそ不可解極まりものだな〉

 スコープの倍率を上げて見える映像には、バッサバッサと切られる鬼の姿が映る。
 しかも、切っている刀の方からは、何やら光やらビームやらが出ており、そのド派手な殺陣シーンに千雨は関心していた。

(それにしても、まさかクラスメイトが魔法使いとはなぁ)

 真名と刹那の名前までは思い出せなかったが、見覚えのある容姿に驚く千雨だった。
 その後、鬼達の数が少なくなると、このままでは魔法の情報が集まらない、と業を煮やした千雨が知覚領域を限定的に伸ばした所で相手に気付かれたのだ。
 一キロも離れた場所から見ていたはずなのに、伸ばした領域をあっという間に見破られただけではなく、胴元である自分までもあっさり見つけ、追撃の体制に入ったのだ。
 その時の千雨はパニックの連続だった。顔がスッポリと隠れ、その姿が見えないだけはるかにマシだったが、コートの中では奇声を上げる千雨と、その千雨の奇声の振動を吸収しつつも落ち着かせようとするウフコックの戦いが早くもはじまっていた。
 空を飛ぶような速さで走りよってくる刹那の姿は、千雨にとって恐怖の対象にしかならず、ときおり聞こえる銃声もパニックを助長させていた。
 この数ヶ月血なまぐさい思いもしたし、自らの手も汚した千雨だが、ロジカルな性質なせいか想定外の斜め上をいく状況に容易く混乱したのだ。
 頭に直接流れるウフコックの指示に従い、万能兵器たる彼自身を電子干渉し、すばやく反転(ターン)させる。
 潤む肉眼の視界を切り捨て、広げた知覚領域の中で相手の位置を確認した。頭に響くウフコックの指示を正確にこなし続けた。
 涙を流しつつも追撃を退けられたのは奇跡に近かった。ほとんどがウフコックのお手柄だったりするのだが……。



     ◆



(もう嫌だ。帰りたい。帰って風呂入って寝たい)

 滲む涙をコートの裾で拭いつつ、千雨は走り続ける。
 千雨にとっての魔法使いのイメージは、学園都市にいた超能力者達が基準だった。
 だが、蓋を開いたらどうだろう。刀からビームは出るわ、すごい速さで走るわ、学園都市内でも一部の能力者しか感知できなかった自分の知覚領域を感知するわ。転校初日の疲労と、カルチャーショックが交じり合い、千雨の心はほぼ折れていた。
 涙を流しつつ、鼻水ダラダラの千雨にかける言葉が見つからず、ウフコックは黙って千雨のグチを効き続けるのだった。

 こうして長谷川千雨の麻帆良学園の転校初日は過ぎていった。



 つづく。




あとがき

ここまで読んでいただきありがとうございます。
わからない人のために補足すると、千雨の魔改造クロス元は「マルドゥック・スクランブル」という作品です。
他にも「とある魔術の禁書目録」も今のところクロスしています。
後者に関しては、千雨魔改造の有名サイトにて掲載されてるんで、なんとか差別化できたら……とビクビクしています。
ご感想、お待ちしています。

追記 8/14
いくつかの誤字や、不自然なシーンを修正。
追記 10/4
物語上の矛盾点やらがあったりしたので、微修正や追記。



[21114] 第2話「切っ掛け」 第一章〈AKIRA編〉
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2011/11/28 01:25
 いつの頃だったろう。
 幼い千雨は泣いていた。
 あれは何? どうしてこうなるの? なぜ?
 子供が物事に疑問を持つことは必然で、千雨も決して例外では無い。
 それに両親は真摯に答え続けた。だが大人とてその疑問全てに解が持てるわけではない。

「どうして空は青いの?」「青いからだよ」

 何気ない受け答え。あるがままをあるがままにしておく事に、幼い千雨は我慢ができない。

「おかしいよね?」

 千雨の一言に同い年の子供達は首を横に振る。

「おかしいのは千雨ちゃんだよ」

 そうなのか……おかしいのは自分なのか……。千雨の心に小さなトゲが刺さった瞬間だった。
 目の前にある異常に対し、驚くことが変だと言われた。
 子供は残酷だ。思ったことを素直に口に出す。
 千雨の疑問は他者にとっての必然であり、千雨の常識は他者にとっては異質であった。
 麻帆良においてそれは顕著であった。
 千雨が泣いていても、何故泣いているのか周りは判らないのだ。
 世界樹は少女に対し呪いを振りまいていた。
 涙が視界を滲ませ、頬を伝う雫は一緒に色をも失わせる。
 千雨にとって麻帆良は灰色で、孤独で、寂しい場所だった。
 モノクロの世界が千雨を待っていた。
 そんな千雨に少女が手がさし伸ばす。

「何で泣いてるのか、私にはわからないよ」
「う……うあぁぁ、うぁぁぁぁ」

 少女の言葉に千雨の嗚咽は一層酷くなる。

「だから、一緒に考えてあげる。わたしがんばるよ、ね」
「え……」

 首をかしげながらニコリと笑う少女。差し出された手はまだ千雨の目の前にあった。

「ほら、立ってちーちゃん。そのままじゃ汚れちゃうよ」

 少女は千雨の手を強引に握る。

「う、うん。――ちゃん」

 少女の顔は逆光でおぼろげにしか見えない。短い黒髪に、柔らかな瞳。
 グイ、と腕を引っ張られ千雨は立ち上がる。
 気付いた時、千雨は木漏れ日の中に立っていた。鮮やかな緑が視界を覆う。

「ちーちゃん、早く、早く!」
「ちょっと待ってよ――ちゃんっ!」

 少女は走り出す。繋がれた手はそのまま。色が流れる。赤い花、黄色い花、ピンクの花。土と草の匂い。息を弾ませ千雨は走る。色の奔流が網膜を貫いた。
 雲ひとつ無い快晴。
 空はどこまでも青く、それは千雨にとっての救いだった。







   千雨の世界 第一章〈AKIRA編〉 第2話「切っ掛け」







 千雨が転校して五日が経った。
 熱しやすく冷めやすい……そんなクラスかと思っていたが、どうやらそれは千雨の勘違いなようだ。
 『熱しやすい』のではなく元々『熱かった』。ただそれだけだった。
 クラスの中での外様状態はなんとか脱しつつあるが、気を使ってるのか使ってないのか、放課後になる度に千雨は様々なクラスメイトに引きずられていった。

「いい加減にしてくれ! 」

 と言うのが千雨の本来のリアクションなのだが、いかんせん初日の事を引きずり、言うがまま為すがまま状態でホイホイと付いて行ってしまう。
 そのおかげで、三年前には縁の無かった女子中等部の施設やら地理やらを実地で知ることができたのは僥倖だった。
 なぜなら、千雨は初日以降いまだ能力を使っていなかったからだ。本来であれば校舎内に落ちているシャーペン芯の数すら平然と数えられる千雨だったが、能力無しとなるとマンモス校舎内では容易に迷子になる事ができた。
 ビビリにビビった千雨は、「学園をさぐるため」という自分を納得させるための取って付けた理由で能力を封印している。
 現実逃避をしながらも、内心は焦燥にかられていた。
 千雨の当初のスケジュールとしては、今回の依頼をさっさとこなし、一週間程度で麻帆良を去るつもりだった。自分の力と、先生ことウフコックの力があれば楽勝……という算段はあながち間違いではなかったが、なまじ凄すぎる知覚能力と、対象の情報の少なさが当初の最適解を見失わせた。一番の原因は千雨のビビリ加減だったりするのだが……。



     ◆



 そんなこんなで、金曜の最後の授業。転校後、最初の一週間をなんとかこなした千雨だった。
 今週最後の授業が終わり、このまま土日の休日が待つだけとなった二年A組のクラスはいつも以上の活気に溢れている。

(いい加減、覚悟を決めないとな)

 初日の状況から物事を判断するのは早計すぎる。これは千雨自身が繰り返し考えた結果だった。
 本当に魔法使いは自分の知覚領域を察知できるのか。魔法使いはあのような超人達ばかりなのか。
 少ない情報から得られる結果は不安要素が多すぎた。
 それとて判りながらも、実行に移せないのが千雨である。
 夜になる度、『明日やろう』『明日こそ』と呟きつつ、トラックボールを転がしネットの海を遊覧し続けた五日間。ウフコックとて慰めたり、叱咤したりと様々な行動を起こすものの、千雨の心底怯えた瞳を見ると矛を収めてしまう。
 荒事に向かない千雨を引っ張り込んだのは自分とドクターだ、という負い目がウフコックの切れ味を鈍くさせていた。



     ◆



 高畑がホームルームを終えて教室を出た途端、室内の喧騒は一気に爆発する。
 ワイワイガヤガヤと土日の予定を話し合ったり、部活の予定を確認したりしている。
 そんな中、千雨は無言でそそくさと帰宅の準備をしていた。カバンを持ってさぁ行くぞ、という時に制服の裾が引っ張られた。
 振り向けば、隣の席の綾瀬夕映がじっと千雨を見ている。手には『すき焼きプリン』なる常軌を逸した飲料が握られていた。小さな体躯に反し、床につこうかと言う長い髪。さらにはチョコチョコと動く独特の仕草が、小動物を思い出させる少女だ。

「長谷川さん、これから予定はありますか?」

 またか……、とここ数日のお決まり展開をかみ締めつつ、千雨は正直に首を横に振る。

「そうですか、それは良かったデス」

 微妙な語尾のイントネーションを残しつつ、ニタリと笑う夕映に、千雨はちょっと怯える。二人の話を聞いていたのか、千雨の前の席の近衛木乃香も話に加わってくる。

「ゆえ~、長谷川さんも誘うの?」
「えぇ、そのつもりデス。長谷川さんは以前麻帆良に住んでいたんデスよね? 図書館島はご存知デスか」
「あぁ。あのバカでかい図書館だろ。昔は本に興味なかったからな、行った事ないけど覚えてるぜ」

 図書館島。フランスのモン・サン・ミッシェルを彷彿とさせる巨大な建築物で、島がまるごと図書館になっているトンデモ施設だ。国会図書館をも越え、世界一の蔵書量を誇る……という名目にも関わらず、それ目当ての観光客がほとんど来ない所でもあったりする。最近になりやっとその意味が理解できた千雨としては、あまり関わりたくない場所だ。

「私達は今日、そこへ探検に行こうと思うです。ぜひ長谷川さんにも参加してほしいのですが、どうでしょうか?」
「は? 図書館で探検?」
「そうです。ぜひ」

 千雨としては今日はさっさと家に帰り、夜の調査行動のため、心身ともにコンディションを整えたかった。(もちろん調査に中止はありえる。)
 そんな逃げの論理は、後ろにいる天然にはお構いなしである。

「それはえぇなぁ~。なぁ、長谷川さん一緒に行こう、行こう~」
「ちょ、あ、おい!」

 問いかけつつも、有無を聞かずに千雨の腕を抱え引っ張り始める木乃香。おっとりとした関西弁に、日本人形のような艶やかな長髪を持つ木乃香に、千雨は大和撫子という言葉を思い出す。
 木乃香にズルズルと引っ張られる際、首の後ろがチリチリした。

(先生、なんかおかしくないか)
〈ん……、これは……怒りの臭い? 嫉妬か? すまん、以前のようにはいかないようだ〉
(あぁ、いいって別に。そこまで気にしてるわけじゃないし)

 木乃香に引きずられる千雨。その後ろからトコトコと付いて来る夕映、さらには同じ部活であるらしい宮崎のどかと早乙女ハルナを加え、千雨一行は図書館島に向かった。



     ◆



「刹那落ち着け」
「なんだ真名。私は落ちついてるぞ」
「……そうか」

 刹那のその答えに、真名は内心ため息を突いた。
 千雨と木乃香がピッタリとくっ付く様を見た刹那は、持っていたカバンの取っ手を粉々に潰していた。
 殺気と羨望……と殺気と殺気と殺気が混ざった目線で千雨を見つめる刹那。近衛木乃香の幼馴染であり、本来その警護をも受け持つ刹那は、なぜか木乃香と距離を置いていた。その上、他人が木乃香と仲良くする度にこの状態になるのだから困る。
 その上先日の侵入者の件もある。コート男を取り逃がしてから、刹那の機嫌が治る兆しは無い。奴の行方は未だに判らず、潜伏しているのか、逃げ出したのかも判然としないらしい。だが、真名自身としては厄介そうなヤツから生き延びた上で、報酬も貰えて文句無しだ。妙な好奇心が命を擦り減らすのは戦場で幾度も学んだ。

(それにしても、さっさと正直になればいいのだがな)

 直接話して貰ったことはないが、魔眼持ちである真名には刹那の悩みを正確に見抜いていた。個人的には「この程度の問題」という気持ちだが、本人自身にしてみれば大きい問題なんだろう。わざわざそこを抉ってけし掛ける程、お人好しでも幼稚でもない。
 とりあえず友人として、刹那の再起動に手を貸すべく、少し強めに刹那の背中を叩いた。

「ほら刹那。今日は部活に顔を出すのだろう、こんな所で呆けてて良いのか?」
「あ、あぁ。そうだった。すまない真名」

 取っての壊れたカバンを小脇に抱え、竹刀袋を背負った刹那は部活に向かう。

「さっさと解決してもらいたいものだな」

 ルームメイトとしても、仕事仲間としても、また友人としても切実な問題だと思う真名だった。



     ◆



 部活先へ向かう際、大河内アキラは背後の喧騒に振り返った。長いポニーテールが揺らぐ。。

(千雨ちゃん。に木乃香と夕映達か。珍しい組み合わせだな)

 先ほど自分が出てきた教室の出入り口でギャーギャー騒いでる集団の中に、最近かなり見知った相手を見つけた。
 アキラはここ数日、千雨を引っ張りまわす裕奈達と放課後は行動をともにしていた。
 大きなメガネに地味な風貌。そして他者を寄せ付けまいと言わんばかりのぶっきら棒な千雨の態度に、当初アキラは一線を引いていた。名前を呼ぶときも「長谷川さん」と呼んでいた。
 だが、一歩引いて見ていたら意外な事を知ったのだ。千雨はぶつぶつと文句を言いつつも、裕奈やまき絵のフォローをしていた。転びそうなら腕を引き、落としたりぶつけた物はそっと元の場所に置く。何気ないながらも、さも当たり前のようにこなすのだ。

 アキラに明石裕奈や佐々木まき絵、和泉亜子と言った面子に共通点が多い。全員が運動部に所属し、なおかつルームメイトである。アキラは裕奈と、まき絵は亜子と寮では同室だ。そのせいもあり四人はいつの間にやら一緒に遊ぶ事が増えていった。
 その際になんとなく友人内の役割が出来上がっていた。みんなをグイグイ引っ張る元気な裕奈、場を盛り上げるまき絵に、ブレーキ役の亜子。そんな中、アキラはみんなと楽しみつつも、そっとフォローをする事が多い。性分なのか、その手の事に苦痛を感じる事はほとんど無かった。またアキラ以外の三人も、アキラの優しさや気遣いには感謝をしており、四人の仲を一層深めていたりする。
 なので千雨にアキラは親近感を持っていた。そして、何度か千雨と行動を共にするうち、いつしか裕奈やまき絵の気さくな呼びかけに便乗し、アキラは千雨を「千雨ちゃん」と呼ぶようにもなっている。

 木乃香やハルナに押されて階段へ消えた千雨を見つつ、アキラはあっと思い出す。カバンを開け、新品のハンカチを出した。

「渡しそびれちゃったな……」



     ◆



 それは昨日。普段なら寄りつきもしない、学園内の展示室や資料館などを千雨に案内していた時だった。アキラはともかく、裕奈やまき絵といった面子的にも元来縁の無い場所なのだが、仲間内で変なテンションを維持したまま、その勢いで来てしまったのだ。

「うおおお、なんだこれ! はにわか、はにわなのか! まき絵見てごらんよ!」
「キャハハハ! 面白ーい! 絶対これ笑い顔だよ!」

 裕奈とまき絵は『お静かに』の表示に目もくれず、ガラスケースを縫うように走り、その度に笑い転げている。後ろでは監視員が厳しい目を向けていた。さすがに放っておけず、おろおろとしながらアキラは口を開く。

「みんな、もうちょっと――」
「おい、お前ら。もう少し静かにしないと怒られるぞ」

 アキラのつぶやく様な言葉ににかぶさり、千雨の稟とした声が耳朶を打つ。

「「うぅ、ごめーん」」

 へこむまき絵と裕奈。後ろでは亜子が苦笑いをしている。
 アキラはそっと千雨に近づいた。

「その、ありがと」
「はぁ? 何言ってるんだ」

 顔を赤くしつつプイとそっぽを向く千雨に、アキラはちょっと嬉しくなった。
 そんな折、アキラの視界に何か光るものが見えたのだ。声のトーンを落としつつも、キャイキャイ騒ぐ友人達からそっと抜け出し、〝ソレ〟に近づく。
 室内の中央に置かれた小休憩用のベンチ。背もたれも何もない革張りのイスの中央に、照明を反射し、ときおりチラチラと光る物体があった。

(なんだろ、これ)

 手のひらに丁度乗るようなサイズの三角形の石。つた模様の装飾も施されている。

(さっき似たようなものを見たような)

 先ほど通りがかりに見たガラスケースの中身を思い出す。

(そうだ、これは鏃(やじり)だ)

 鏃をそっと持ち上げ、マジマジと見るアキラ。なんかの手違いでここに置かれたのだろうか。係員に渡そう、と思った時アキラに丁度声がかかった。

「おーい、アキラどったの?」
「あ、裕奈。今そこにこれが落ちてて……痛っ!」

 かけれた声に振り向き、鏃を見せようとした所で手のひらに熱が走った。痛みのあまり鏃を落としてしまう。
 見れば手のひらがざっくり切れて、血がしたたり落ちていた。

「にゃにゃにゃっっ!」
「あわわわ、たたたた大変だ~~~!」
「ちょっとどけ!」

 慌てる裕奈とまき絵を押しのけ、千雨はアキラの腕を握った。

「うわ、こいつは深いな。とりあえずコレでも巻いておけ」

 血で汚れるのも構わず、千雨はハンカチを取り出すとアキラの手のひらをそれで縛った。そのままアキラを引っ張り、係員に聞いた水場まで連れて行かれる。

「とりあえず軽く洗い落としたら保健室まで行こう」
「う、うん。ありがとう」

 千雨の迅速な対応に呆けながらもなんとか返事は返した。ハンカチを取り、ジャブジャブと水で洗い流すと不思議な事が起きる。

「あれ?」
「どうなってやがるんだ」

 傷口が無かった。水場まで滴った血の跡はあるし、千雨に巻いてもらったハンカチにもベッタリと血がついている。なのに傷が見つからないのだ。

「もう止まっちまったのか。まぁとりあえず一通り洗ったら保健室にいこうぜ」
「うん……」

 後ろからは追いかけてきた三人の心配する声が聞こえる。
 その後、アキラ達は保健室に行き治療を受けた。保険医も傷がないのを不思議に思ったが、巻かれたハンカチを見て、とりあえず消毒だけでも……ときれいに消毒をし包帯を巻いた。
 アキラの右手に包帯が巻き終わるのを見て、血だらけになったハンカチを無造作にポケットに突っ込もうとする千雨に声がかかる。

「あ、待って」
「あん、どうした」
「そ、そのハンカチ。洗って返すよ」
「いや別にいいよ。安物だし」
「ううん! 洗う! 洗いたい!」

 アキラの剣幕に、千雨は一歩引く。その隙にハンカチを強奪するアキラ。

「いや~、なんかラブコメみたいだねぇ」
「女同士じゃなきゃ完全に少女漫画だよねーーっ」
「アキラ、大胆……」

 裕奈やまき絵、亜子の野次にアキラの顔が沸騰する。

「あ、いや、その……あぁぁぁぁぁ~~~~~」

 アキラの悲鳴が保健室に木霊した。



     ◆



 自室に帰ったアキラはハンカチを洗うも、血はなかなか落ちず、いくらやっても綺麗にはならなかった。

「ど、どうしよ~~」

 時間は七時半。頑張ればまだ閉店まで間に合う。
 麻帆良は巨大な学園都市のため、様々な店舗があるが、学生中心のため閉店は早かった。
 寮監に見つからないよう、同室の裕奈に協力してもらいつつ、夜の街を走り、閉店準備中の店に滑り込みハンカチを買いに行った。
 同じ寮内なら今渡せばいいじゃない。との裕奈の声もあったのだが、なんだか夜にわざわざハンカチを渡しに行くのも迷惑な気がしてやめたのだった。
 明日学校で渡せばいいや、と思ったものの、気付いたら放課後。裕奈達に付き合いすぎて今週は部活に顔出せずにいたので、さすがに追いかけるわけにもいかない。

「寮に帰ってから渡せばいいか」

 ハンカチをカバンに仕舞いなおし、アキラは部活へと向かった。



     ◆



「うげ、マジかよ」

 『探検』なんておおげさな……なんて言葉はあわくも崩れ去った。
 図書館探検部なる四人に連れられ、千雨は図書館島に来ている。
 小さい頃から遠めに建物を見ていたが、興味も少なく面倒で、麻帆良に住んでた時は来る機会が無かったのだ。実際どれだけの蔵書量を誇ろうと、初等部の校舎内の図書室はかなりのラインナップを誇ってたし、家の近場に書店も多かった。ついぞ千雨には無縁の場所だったのだ。
 図書館島へ続く長い橋を渡り終え、巨大すぎる正面ゲートを進んで見た光景は、まさにファンタジーそのものである。
 書架、書架、書架。空中を縦横無尽に走る手すりの付いた回廊には本棚が並び、壁一面に本が並んでるような錯覚を思わせる。本の森の中には木々が立ち並び、室内にも関わらず、木漏れ日が淡いコントラストを作っていた。天井はマンションの十階分ぐらいに達しようとしている。巨大なガラス窓からの光が周囲を照らし出す光景は、教会のような壮言さを感じさせている。
 千雨の耳に、図書館には似つかわしくない水音が聞こえた。。
 目の前にある広場の隅から手すり越しに下を見てみると、これまた深い。本棚が立体的に配置され、その隙間を水が流れていた。

「つか、本に水気は厳禁だろ!」

 千雨の突っ込みに合いの手を入れる者は居らず、図書館四人組は笑いながら千雨をさらに奥へ奥へと引っ張っていった。

(先生、どう思う?)
〈言わずもがな、だな。真っ当な技術力と感性じゃ作れない施設だろう〉

 奥へと進みつつ、その幻想的の光景の数々に千雨は目を白黒させる。それを図書館四人組はニヤニヤしなが見続けた。

「良いリアクションデスね。誘ったかいがありましたデス」
「いや~~、長谷川さん、いや親愛を込めて千雨ちゃんと呼ばせて貰おう。千雨ちゃんがこんなに面白い……ゲフゲフ、かわいい子だとは思わなかったよ」
「パル、本音が出てますよ」

 パルこと早乙女ハルナは溢れんばかりの笑みを維持し、千雨のリアクションを堪能している。
 だが、千雨の耳にはそんなハルナの言葉は届かない。目の前の光景に見惚れているのだ。
 光と自然の美しい風景の隙間から、縫うように人工物が突き出ている、それが千雨の感想だった。
 欧風の装飾は行った事もないヨーロッパのフィレンツェを思い出す。テーマパークで使われるスカスカとしたハリボテと違い、そこには重みがあった。
 だが、ふと慣れてしまうと、別のものも見えてくる。その〝異常さ〟。ここに来てさんざん再認識した事が思い出される。千雨にかけられた呪いは心を重く縛った。
 千雨はあえて異常さを指摘せず、ただ疑問を投げかけた。

「なぁ、さっきから水がそこらかしこに見えるんだが、本の状態は大丈夫なのか」
「はわ! えーとですね、大丈夫なんですっ」

 目元を前髪で隠した宮崎のどかは、しどろもどろながらもハッキリと言い切る。

「丁度良かったです。この通路を抜けると良いものが見えますよ」

 先頭をいく夕映の声に、千雨はアーチがかかった通路の先を見る。
 涼しい風が顔にかかる。ふと伊達メガネに雫が付いた。

「これが図書館島の人気スポット! 北端大絶壁デスぅ!」

 どどどどど、と激しい水音が耳朶を打つ。綺麗に一列にならんだ書架の山。その上から大量の水が落ち、壮言な大瀑布を作り出していた。

「うわぁ」

 思わず吐息が漏れる。

「でわでわ、長谷川さんの疑問にお答えしましょうか」
「え!?」

 自分から質問しておきながら、美しすぎる光景のおかげですっかり忘れてた千雨だった。
 夕映はトコトコと滝に近づく。書架の壁に沿うように作られた回廊だが、一部はそこに近づけるように出来ていた。手すりにしっかりと掴まりながら、夕映は手を伸ばし、水しぶきを浴び続ける本棚から一冊の本を取り出した。

「見てください、長谷川さん」

 そっと差し出されたハードカバーの本はズブ濡れだ。だが夕映が軽く本を振ると、綺麗に水が飛び、ピカピカの本が現れる。

「はぁぁぁぁぁ????」

 出来の良い手品のようだが、そんな素振りは一切無かった。

「中も良く見てみるといいデスよ」

 渡された本をペラペラとめくるが、そこに水の染みは一切無い。肌触りを見る限り、普通の本とも一切変わりが無かった。

〈千雨!〉
(あぁ、判ってる)

 ビビリの千雨と言えど、これを見せられてはそのまま帰れない。五日ぶりに能力を発動させた。知覚領域を手元の本のみに移し、解析を行う。
 熱や成分、ありとあらゆる数値が正常をあらわした。ただ電磁波に多少のゆらぎが合った。それ以外はなんら代わりの無い、ただの本だ。

(おそらくビンゴだぜ先生っ! これが『魔法』だ!)
〈そうだろうな。むしろ魔法じゃ無ければ、無理がありすぎる〉

 目を見開く千雨。そのあまりの驚きように、夕映の目はキュピーンと輝いていた。

「そりゃ驚くよね~。だって普通の本にしか見えないもんね」
「ウチも最初見たときはビックリしたもんな~」
「はうはう。ただこの本の加工技術に関しては秘匿されてて、施設側も明かしてくれないんですよ」

 千雨の驚きように満足しつつ、図書館組は補足した。

「うちの部活では麻帆良工大が開発した新技術って説が一番有力かな。ほら、あそこって何でもありだし」
「これだけの水量を誇りながらも、図書館内ではコケすら生えないのがいい例デスね。定期的に清掃するにしろ時間がかかりすぎデス。おそらく何かしらの技術が使われてるのでしょう」

 ハルナと夕映が推論を語るも、千雨は耳から耳へきれいにスルーだ。

「長谷川さん、聞いているデスか?」
「ん、あぁ。聞いてるぜ、聞いてる」
「ふっふっふ。大丈夫デス。そんな驚く長谷川さんに朗報があります。見て貰った通り、この図書館は謎につつまれているのデス。ですが! ですがっ!」

 トークに熱くなり、夕映は飲み終えたであろう紙パックを握りつぶした。ちなみに飲み物の名前は『あんみつ餃子』だ。

「その未知! 未解明! の謎を解くのが我ら『図書館探検部』なのデス! 長谷川さんに案内したのは表層の表層。この程度の場所で借りれるのはそこらへんの品揃えのいい本屋で売っています。」
「え? え?」

 夕映は千雨にズズイと顔を近づき語り続ける。

「私達は長谷川さんを面白い逸材であると思っているデス。ぜひに図書館探検部に入部をっ!」
「おっと、まだ返事はしなくていいよ~。探検はこれからだからねぇ」

 ハルナの声に、千雨は答えた。

「いや入部するもしないも、わたしは……」
「いいフォローですハルナ」

 ズビシッ!とサムズアップで返す夕映とハルナ。

「まだ長谷川さんはここの魅力に取り付かれてないようデスね。安心してください。明日は学校がお休みです。今夜は思う存分図書館島の魅力をお見せしましょう」
「こ、今夜?」
「えぇ、そうです。夕食後にお迎えに行くので準備をしていてくださいね。あ、準備と言っても装備はこちらで用意しておきますからご安心を!」
「そ、装備?」

 相変わらずのテンションの高さについていけない千雨。そんな千雨に関係なく、話はどんどん進んでいく。

「夕映、部屋に戻ったら大忙しだね!」
「ゴールデンウィークは帰省してたし、久しぶりやな~」
「むふふー、こんなこともあろうかと、この前新品のライト、買っておいたんだよね~」

 目の前の喧騒に辟易する。

(こっちに戻ってきてからこんなんばっかだ)
〈だが、悪くは無いだろ。少しくらいはかまわんじゃないか〉
(少しくらいは……か)

 相棒の言葉を反すうする。千雨にはやらねばならない事がある。だがそれに反して千雨の口元が僅かに上がる。
 少し、楽しみになってきた。
















     ◆






















 麻帆良大学前駅に一人の男が降り立った。
 五月も半ばとなり、強い日差しもあいまって、半そでの者もちらほらと見える。
 なのに男はビッシリと厚着を着込んでいる。学ランにも見える裾長襟詰めのコートに、アクセサリーをジャラジャラと付け、古き学帽にも似た円筒形の帽子を目深にかぶっている。そんなナリをしながらも、服の色は頭から下まで真っ白だ。
 百九十を越すであろう長身。筋肉質な体をしているのに、その実スリムな体型だ。

「人が多すぎる都市だ」

 活気に満ち溢れ、そこらかしこから喧騒が聞こえる。まるで祭りを見ている気分だが、ここではそれが日常なのだな、と資料を思い出しながら結論づけた。
 彫りの深い顔立ち、そこにあるのは強い意志を潜める瞳だ。その瞳が周囲を一望した後、伏せられる。

「ジジイめ、やっかいなものを持ち込んでくれたもんだ」

 帽子のつばで顔を隠しつつ、片手にぶら下がっていたトランクを地面に下ろす。
 懐を探り、取り出したのは幾枚かの書類や地図、そして写真だった。
 今は懐かしいポラロイド写真。そこにはおぼろげな輪郭を持つある物体と、大樹が写っていた。
 男は顔を再び上げ、視線を遠くに放った。
 遠くにそびえながらも、その巨大さが視界を覆う。
 通称『世界樹』。正式名称を『神木・蟠桃』と言う。写真に写っていた大樹に違いなかった。
 男は空を仰ぎ、ため息を吐いた。

「やれやれだぜ」

 片手に持った写真。その中の世界樹と一緒に写っているものは、矢に見えなくも無かった……。



TO BE CONTINUED...



※この作品は原作ネギまの一年前を舞台にしています。
(2011/11/28 あとがき削除)



[21114] 第3話「図書館島」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2011/10/16 18:26
 千雨とウフコックは自室で夕食を取っていた。とは言ったところで、典型的な現代っ子の千雨が料理ができるはずもなく、簡素なカロリーブロックをもそもそと口に放り込み、牛乳で押し流している。
 ウフコックもネズミの姿に戻り、自分用に調整された食事をカリカリと摂取していた。
 ちなみに千雨の食べているカロリーブロック。実は学園都市謹製の最新技術により作られた一級品で、一般流通してなかったりする。そのため市場ではプレミアにより価格が高騰していた。ネットオークションに流せば一箱ウン万円というアホみたいな価格であり、千雨が胃に流し込んだ分だけでも、近場の焼肉屋で『メニューの高いものから三つ』が平気でできてたりする。
 千雨達が丁度食事を取り終えた時、コツコツと控えめなノックが聞こえる。指先に付いた残りかすをぺろりと舐めつつ、千雨は玄関のドアを開けた。

「長谷川さん、準備はよろしいですか?」

 動きやすそうな私服にバックパップにヘッドライト。さらに足には編み上げのサバイバルブーツと完全装備な夕映が立っている。時間と周囲の人影を気にして、声を潜めながらの訪問だった。

「あぁ、丁度夕飯も食べ終えたところだよ」
「? ずいぶん遅い食事デスね」
「ちょ、ちょっとな、色々あって」
「太りますよ?」

 千雨の頬がヒクヒクと引きつった。







 第3話「図書館島」







 今日の放課後、図書館島を案内された千雨だったが、なんだかんだ言いつつも五時ごろには帰宅していた。今は九時を回ったくらいである。じゃあその間何やってたのか、と言うと例の本の分析だった。
 図書館島で魔法が掛けられているだろう本を数冊、千雨の能力で出来る限りの情報をサンプリングし、記憶野に保存しておいたのだ。自室に戻った後、部屋のパソコンに電子干渉(スナーク)をし、モニタにデータを出力。自らの電子干渉ネットワークを形成し、幾つかのサブノートをも並列演算させながら、ウフコックとあーだこーだと検討していたのだ。
 千雨自身、演算能力には秀でていても、物事を調べ、検討し、判断するといった事は人並みなのだ。なのでウフコックにもお知恵拝借とばかりに検討に付き合ってもらっていた。
 そして気付いたらこんな時間、と相成ったのである。

 千雨は夕映の後に付いて、寮の廊下を歩いていた。まだ九時過ぎと言うのに人影はほとんどない。
 だが、それも仕方の無いことだった。『寮』とは言うものの、それぞれの部屋にはキッチンにシャワールームが付き、部屋の出入りの際に靴を履き替えるため、廊下は土足。実質アパ-トメントに近い作りをしており、自室だけでほとんどの事が済むのだ。
 また、寮内にも簡単な小規模店舗がいくつかあり、生活品程度には困らない仕様になっていたりする。
 寮の管理人が厳しいというのもあり、夜の寮の廊下はひっそりと静まり返っていた。
 千雨自身も管理人の話を噂で聞いたが、そんなに厳しそうには思えなかった。いつも正面玄関の窓口に座っている女性である。美人なのだが未亡人だという話だ。いつも付けてるヒヨコエプロンが嫌に印象的である。
 思索にふけっていたら、いつの間にか目的の場所に着いたらしい。寮二階のサロンのバルコニーである。

「ここは女子寮に代々伝わる秘蔵の脱出スポットなのデスよ」

 バルコニーの柵、その右から三番目の柱の根元をクイと回す。そうすると柱がスポリと床から抜け、柵がドアのように開き、手すりとしての意味を無くした。
 夕映は千雨を手招きし、柵の無くなったバルコニーから下を覗かせた。

「ほら、見てください長谷川さん。実はこの下は壁の模様に隠れて見づらいのデスか、一階まで降りれるようなはしごになっているのデスよ。」
「うわ、本当だ……」

 降りる先には、先行した木乃香達三人が手を振っていた。

「さぁ、行きましょう、長谷川さん!」
「お、おう」

 ちなみに夕映達は完全な脱出劇をした、と思ってるが実際は甘い。千雨ですら驚く技術で作られた警備システム。それが見逃すはずがない。
 管理人室に置かれたモニターには、はしごをえっちらおっちらと降りる二人の姿は鮮明に映っていた。
 あらあら、と言った風情で見守る管理人さん。時折あるこの手の違反も、麻帆良の技術を持ってすれば完全に防げるのだが、それはそれ。自分の目の前でやったり、よほどの非行に走らない限り、管理人は大体見逃しているのだ。
 それに、金曜の夜に図書館探検部が抜け出すのは例年の事である。それに、あちらには〝彼〟が居る。からかわれる心配はあれど、命の心配はまったく無いであろう。
 千雨達の姿はモニターにはもう映っていなかった。



     ◆



 女子寮を無事脱出した(?)千雨達は、図書館島の内部へと進むべく、島の裏手にある出入り口の前に立っていた。

「ここが我ら、図書館探検部秘蔵の第七秘密入り口デス!」
「第七?」

 夕映の言葉に、千雨は首を傾げた。

「あんな~、図書館島内部への入り口はけっこうたくさんあるんよ。図書館探検部が発見できただけでも十五も見つかっとるんやで」
「だけどね、そのうちの八つは泥棒対策のダミーで、五つは表層のみへの連絡通路。実際に地下に繋がってるのは三つなんだけど、私達的にはここが一番オススメってこと!」
「あ、でもですね、歴代の部の活動記録を見ると、どうやら周期的に通路は塞がれたり開通したりしてるみたいなんですよ。なのでこの通路も実質『今のオススメ』って事になるんです……」

 三人の補足に感心する千雨。

「へ~~……って地下っ!? 地下に何しに行くんだよっ!」

 聞いてないぞ、と言わんばかりの剣幕だ、まぁ実際に聞いてないんだが。

「ふっふっふ、今更そんな事を言うデスか」
「愚問だね千雨ちゃん」
「そんなん決まってるやないか~」
「そ、それはもちろん――」


「「「「探検ですっ! 」」」」


 四人の声が重なる。

「ア、ソウデスカ」

 つまり具体的な目的は無い、と千雨は認識した。
 探検部の四人はキビキビと装備を確認し始める。ブーツの靴紐を締め直し、ヘルメットを装着し、ヘッドライトの調整を行う。ザックから取り出すはロープ。のどかは缶詰や水の数を確認している。ハルナの手元には最新型の端末がある。

「あ、あれ?」

 タッチパネル型の端末を弄っていたハルナが声を上げた。

「どうしたデスか」
「夕映~、どうしよう。なんかマップデータが開けないよ」
「またデスか」

 図書館島の地下は、ゲームのダンジョンのような場所であり、命に関わらないものの数々のトラップが行く手を塞いでいる。迷路状になった通路も、探索や冒険の大きな障害となっていた。
 そのため探索した際に得た、トラップなどのマップデータを探検部内で共有しているのだ。麻帆良工大の大学生――やっぱり探検部OB。現在は麻帆良工大図書館冒険部に所属――により作られたシステムが、それらを担っている。
 もっとも、図書館島の地下は、目の前の入り口と同じく、頻繁に中の構造が変わる。そのため毎回のデータ更新が必須なのだ。利便性が良く好評なんだが、いかんせん学生の作ったものであり、時折この様なトラブルが起こっている。
 そして、ハルナは高校生の男子部員達が三日ほど前に潜ったデータを受信したのだ。手元のディスプレイにはその内容がバグり閲覧できなくなっているのが映っている。

「どれ見せてみろよ」

 何気なく近づいた千雨は、ハルナの端末を受け取る。

(エンコードでもミスったのか。読み込む際にファイルを破損しているな)

 周囲に気付かれぬ様、千雨は電子干渉(スナーク)を発動させた。端末の記憶媒体に直接接続し、中身のプログラムそのものを精査する。思考を四百まで分割し、一気に分析する。

(プログラムの製作者は大学生か? 学生の割には良く出来てるが、こいつは端末側に負担をかけすぎだろ)

 ソースに残った断片的な残滓、そこから製作環境や製作年度を割り出し、簡易的なプロファイルを行う。以前、麻帆良工大謹製のソフトウェアに含まれていた共有ライブラリデータが幾つか見つかったのだ。

(マップデータそのものは簡単に修復可能だ。ちょっとクライアントの方をいじるか)

 そんな事を考えつつ、千雨は端末をポチポチと押す仕草をした。心配そうに見守る四人に対して口を開く。

「この程度、簡単に直せるぞ。それにちょっとソフトイジっていいか? バグらないようにしてやるよ」
「え、本当に? それにそんな事も出きるの?」
「まぁな、時間はかけないよ」

 なにせ、千雨は無線状態で精密機器を直接ジャックできるのだ。端末の記憶媒体とパネルに接続し、演算を全て自分経由にした。この程度の事なら、手も触れずに一秒もかからず処理できる千雨だが、それは不審すぎるだろうと思い、ダミー情報をパネル表示させた。自らに干渉し、高速でデータ改ざんをしているように演技させる。
 片手でタッチパネルを弄る千雨。高速で動かす指の先では、見るからに『デジタル』といったわざとらしい画面が、上から下へとアルファベットの羅列を流した。

「おぉ! 」
「よくわからないデスがすごいです」
「長谷川さんはパソコン得意なんか~」
「め、目が回りそうだね」

 ソースコードのように見えて、実際は暗号アルゴリズムで変換した千雨自作のポエムなのは内緒だ。バックグラウンドではとっくにマップファイルの修復と、クライアントソフトの改良が終わっている。
 変な罪悪感に苛まれながらも、一、二分ほどこの状況に耐えた。指が疲れ、演技が面倒くさくなったあたりでやめ、ハルナに端末を返す。

「ほらよ」
「ありがとう、千雨ちゃん! おぉ、直ってるし! しかも、ソフトも使いやすくなってるー!」

 ペタペタとタッチパネルを弄りながら、興奮するハルナ。

(おおげさだなぁ)
〈いや、一般人から見たら驚くべき所業だろう。最近ズレてきたな千雨〉

 辛辣極まりないウフコックのツッコミに、思わずORZフォームを取りそうになる千雨だった。



     ◆



 地上にある図書館島の一般階層を見たときも驚いた千雨だったが、地下も負けず劣らずのトンデモぶりだった。
 本棚だらけの開けた空間。時折街頭のような物が設置され、窓が一切無いにもかかわらず、それなりに明るい。水が流れる隙間を縫い、地面から生えるように立つ巨大な書架。そのの上を千雨は歩いている。
 歩きつつ、千雨は内心で呟く。

(ど、どんだけ広いんだよぉ!)

 ポツポツと周囲を照らす光が、見れば目線の先にどこまでも広がっている。東京ドーム○個分なんて例えがあるが、見える範囲だけでも二、三個は入りそうな感じだ。
 さらに天井もとんでもない事になっている。『秘蔵の第七秘密入り口』とやらを入った後、十数分ほど続いたのはひたすらに階段を降りる事だった。降りに降りに降りて、たどり着いたのがこの図書館島、地下”一階”だそうだ。
 地下一階を銘打ちつつも、天井は高すぎて見えないのだ。ヘッドライト程度では見えない高さらしい。

「長谷川さん、私達からはぐれないように気をつけてくださいね」
「お、おう」

 端末でマップデータを確認しつつ、細心の注意を持って先行する夕映とハルナ。その背中を追い、千雨はおっかなびっくりに歩を進める。そんな千雨のさらに後ろには木乃香とのどかが付いていた。図書館島初心者の千雨のために、後ろから見守っているのだ。
 本棚の天板を通路として歩きつつ進むのは、物を大事にしてないようで罪悪感を感じる千雨だが、実際のところ周囲にはそこ以外に進めるような場所がないとのこと。一見安全そうな書架の間の通路も、トラップが盛りだくさんらしい。

「いやー、千雨ちゃんのイジったこのソフト、調子いいね。それに先輩達のデータも今のところ大丈夫みたい。変更されたトラップも通路もないみたいだしね」
「油断は禁物デス。ありえない事が起こるのが図書館島デスから」

 夕映がハルナを諌めた。

「ともかく、今日はこのまま進んで、地下三階の第二百八十二図書室を目指します。個人的にもあそこは珍しい自販機もあり、好きデス」
「あ、あそこは探検部でも行き着けの場所で、快適なスペースになってるんですっ」
「へぇ~」

 のどかの補足に頷きつつ、『第二百八十二』という桁数はスルーする。ツッコむのが面倒なのだ。
 千雨は周囲を見渡す。図書館島の地下は人の気配が無く、しんとしていた。にもかかわらず、施設としての設備はしっかりとしており、整備も行き届いているのだ。本や本棚をオモチャのように並べつつ、そこらかしこにトラップを仕掛ける。なのに荒廃していないあたりが凄すぎる。
 視認できない巨大さを考えると、費用はとんでもないものだろう。

(本当にどれくらいでかいんだか。先生、ちょっと調べてみるわ)
〈気を付けろよ、千雨〉

 腕時計の文字盤に写る黄色いネズミが尻尾を振った。
 それに首肯で返しつつ、千雨は知覚領域を拡大させる。周囲二十メートルに綺麗な立方体を作った後、それを下へ下へと伸ばしていった。四角柱はグングンと伸び、概算で地下十階を越えた。

(深いなぁ)

 やはりまったくの無人という訳ではないらしく、時折図書館島関係者だと思われる人を数人を確認する。だが、それと混じって、ありえないような動物の影も領域をかすっている。鱗で覆われた翼だ。そうファンタジーで見るドラゴンのような――

(まさかな)

 歩きながら首を振る千雨に、木乃香は首を傾げる。

(お、なんだこれは)

 部屋である。千雨の知覚領域が到達した先には一人の男が優雅に紅茶を飲んでいた。ぶかぶかのコートをきた美青年。だがどこか胡散臭さのようなものも滲んでいる。
 それを領域越しにマジマジと観察していた所、男は口元に近づけようとした紅茶を止めた。周囲を睥睨した後、天井を見上げ、千雨のいる方向をじっと見つめる。
 ゾクリ、と千雨に悪寒が走る。地下数百メートル先にいる男と目が合ったような気がする。男は千雨を見つめたまま、口元に笑みを作った。そして、口をパクパクと開く。



『コ・ウ・チャ・ハ・オ・ス・キ・デ・ス・カ?』



「ひぃいいいいいいい!!!??? 」

 パニックになった千雨は知覚を切る。
 突如奇声をあげた千雨に、夕映たちは驚いた。

「は、長谷川さん!」
「どったの千雨ちゃん?」
「あわわわわ、このかさぁぁん」
「だ、だいじょうぶやで。のどか」

 夕映とハルナは千雨を心配し、のどかを腰を抜かして木乃香の腕に抱きついていた。

「だだだだだだだ、大丈夫だ。ぜぜぜぜぜ全然なんともないぜ。と、とてもクールなコンディション極まりないぜ、わたしはなァァ!」

 涙目をしつつガクガクと震える千雨の言葉に、信憑性は皆無だ。
 夕映は、千雨が何かを幽霊などと勘違いし怯えてる、と推測した、ハルナに目線で問うと、苦笑いしつつも同じ意見のようだ。薄暗く、人気の少ない図書館島を探検する際、この手のパニックになる人はたくさんいるのだ。言うなれば非常口の無いお化け屋敷みたいなものである。この状況で出来る事は少ない。
 夕映は千雨に近づくと、震える手を取り、ギュっと掴む。

「安心してください、長谷川さん。大丈夫です。私達がいます。何も怖くないのデスよ」

 頭一つ分小さい夕映が、千雨を見上げながら言う。

「だだだ、だからへへへへ平気だと、いいい言ってるだろ」
〈千雨……〉

 あまりの体裁に、文字盤のネズミは肩をすくめた。

「無理しなくていいんデスよ」

 掴まれた手のひらが、さらに強く握られる。夕映の熱が千雨に伝わってきた。震えが体中からスーッと消え、潤んだ視界が明瞭に戻り始める。
 冷静さが戻り、現状を認識すると、千雨の顔が一気に紅潮する。

「あう、ああああうううう」

 千雨は目をグルグルと回し、頭から湯気を昇らせる。今度は別の意味でパニックになっていた。
 そんな千雨を、ハルナは嫌らしい視線で、木乃香とのどかは安堵したように見つめる。

「震えはどうやら止まったようデスね」
「あ、う、うん」

 手を繋いだまま問いかける夕映に、顔を頷かせて隠したまま千雨は答えた。
 夕映はハルナに先頭を頼み、千雨を引っ張る。

(こうやって手を引っ張られるなんて、いつ以来だろうな)



『ちーちゃん、早く、早く!』
『ちょっと待ってよ――ちゃんっ!』



 脳裏によぎる過去の映像。おぼろげな少女の姿が夕映と重なった。

「どうしました、長谷川さん」
「い、いやなんでもねぇ」

 千雨の視線に振り向く夕映。
 ふと、二人の足元が消えた。

「「え?」」

 真下には穴。円柱状の穴が千雨と夕映を大口を開けて飲み込む。

「「キャァァァァァーーー!!」」

 二人が落ちると、穴は綺麗に消えた。残るは悲鳴の残響のみ。
 ハルナと木乃香とのどかは突然の事態に呆然とし、口をあんぐりと開け固まった。

「「「た、大変だぁーーーーー!」」」

 ハルナ達は焦り、走り回ったり、地面を叩いたり、二人を大声で呼んだりするも結果は何も変わらず。最終手段として図書館探検部レスキュー隊への緊急コールボタンを連打するのだった。



     ◆



アキラは千雨の部屋にまで来ていた。片手にはラッピングされた新品のハンカチを持ち、ドアをノックする。深夜とは言えないまでも、寮内での部屋の出入りが推奨される時間帯ではないので、インターフォンは控えたのだが――。

(反応が無い。いないのかな)

 少し強めに叩いても、なんの物音も返ってこない。
 しょうがない、と思いつつインターフォンを押すも、やはり同じだった。

(もしかしてシャワー? 大浴場かな?)

 ドアにそっと耳を近づけるも、水音一つ聞こえず、廊下側に設置されている換気口からは、部屋の電気は一切見えない。

(こんな時間にどうしたんだろ)

 ふと、放課後に千雨が夕映達図書館部と一緒に思い出した。
 そして、夕映達が時折深夜に寮を抜け出し、図書館島に潜っているのはクラスメイトには周知の事実である。さらには明日は土曜で休み。

(そうか、付いていったんだ。残念)

 アキラはあきらめ、踵を返した。
 アキラは今日の放課後、部活に顔を出すも寝不足がたたり、寮に戻ってきたところでダウンしてしまったのだ。目を覚ましたのはついさっきである。
 ハンカチをそっと抱き、自室へと戻るアキラ。蛍光灯が時折揺れ、ピシャリと光を放った。だが、それを見たものはいなかった。



     ◆



 落とし穴の中をすごい速度で落ちつつ、千雨の頭は冷静さを保っていた。死の予感と夕映の手のぬくもりが、芯のようなものを千雨の脊髄に流し込む。

「あわわわわわ」

 口から一定の声が漏れつつ、カチコチに固まった夕映を、無造作に抱き寄せる。知覚領域を広げ、現状を把握した。

〈千雨っ!〉
(了解だ先生っ!)

 自らの肉体を電子干渉(スナーク)し、マルチタスクが考え出す、最良の動きを空間上でトレースさせる。
 頭から落ちているため、クルリと一回転し体勢を整え、ウフコックに干渉。改良された軽合金製のフックと、それに繋がれたワイヤーを複数だし、ばら撒いた。
 だが落とし穴の壁は、つるつると光沢を持つ金属面であり、そのどれもが引っかからない。

「くそっ!」

 パラシュートでも出すか、とも思うが、穴の深さを考えると効果は期待できないだろう。思考の高速化により、ゆっくりと流れる視界を感じつつも、焦りが手詰まりをおこさせた。
 『楽園』の技術にによって死の淵から戻った千雨と、そこで産まれた万能兵器たるウフコック。そんな二人がたかが落とし穴に敗北を喫していた。

「まだだ! こんなところで死んでたまるかよォ!!」

 半年前の情景を思い出す。思い出の中の二つの影が、千雨を奮い立たせた。
 しかし、そんな千雨の思考をあざ笑うように、落とし穴の中に、落とし穴が産まれる。

「へ?」

 空間を切り取ったように、空中に開いた穴は、再び千雨達を飲み込んだ。

「うおぉぉぉぉぉいいい!!」
「あわわわわわわ」

 千雨達が入った後、穴はキュポンという音と共に消えた。



     ◆



 落とし穴の中で、さらに変な穴落ちた次の瞬間、千雨は椅子に座っていた。なんのタイムラグも感じていない。手の温もりも消えておらず、目線を横に向ければ夕映も隣の席に座っている。
 視界を正面に戻せば、目の前のテーブルで紅茶が湯気を上げていた。

「は?」

 湯気の向こうには、先ほど知覚領域で感知した、胡散臭い男が笑顔で座っていた。両手を机の上で組み、その上にあごを乗せている。観察するような視線が不愉快だった。

「て、てめぇは!!」
〈落ち着け千雨〉
「う、うぐ」

 ガタンと立ち上がる千雨を、ウフコックが諌める。
 ふと、握っていたはずの夕映の手が消える。横を見れば人形然とした夕映が、両手を掲げ、自らの両頬にバチンと平手をくらわした。

「いいっ!」

 狂ったか? と失礼な考えを持つ千雨。

「夢……では無いようデスね。落とし穴に落ちたと思ったら、こんな場所に。途中の記憶が判然としませんが、図書館島の奥底にあるこの一室。考えられるのはあそこしかない」

 ぶつぶつとつぶやく夕映。

「こ、ここが伝説の! 図書館島の司書室なのデスねっ!!」

 夕映は椅子をなぎ倒しながら立ち上がる。瞳がスパークを帯びる様にキラキラと光り、鼻息はタイフーンのようだ。
 ついで、ビシッ! という擬音を響かせつつ、夕映は胡散臭い男を指差す。

「あなたがその伝説の司書さんなんデスねっ!!!」

 千雨は夕映の後ろがドドンと爆発する幻影を見た。

「はっはっは。いやはやご名答。僕がこの図書館島の司書をやっているクウネル・サンダースです。相変わらず面白い子ですね、綾瀬夕映君」
「えぇ!? わ、私の名前をご存知なんですか」
「僕は図書館島から出れない体質でしてね。君達のことをいつも楽しく見させて頂いてるんです。綾瀬夕映君の活躍もいつも拝見していますよ」

 詐欺師っぽいアルカイックスマイルが夕映に降り注がれる。夕映は、あわわわと叫びつつ、恐縮です、と答えた。

「そ、それで司書さんにお願いがあるデス!」
「はい。なんですか?」
「サインをもらえますか!」
「はは、それくらいお安い御用ですよ」

 夕映はヘルメット帽とサインペンをクウネルに差し出す。クウネルはそれを受け取ると、キュッキュと帽子に『くうねる・さんだーす』とひらがなで書いた。

「はい、どうぞ。おっと忘れるところでした」

 クウネルは夕映に渡した帽子を片手でさっと撫ぜ、指をパチンと弾く。そうするとクウネルのサインがポーッと薄く輝き、すぐに収まる。

「僕のサインは悪用されると困るので、少し細工をしました」
「は、はぁ」

 なんの事かわからず、夕映は首を傾げるが、千雨はおおよその現状を察した。

〈千雨、おそらくバレてるぞ〉
(だろうなぁ。今のだってアレだろ――)

 夕映が伝説とまで語る司書が、顔を出す理由はやはり自分だろう。自分の知覚領域を感知したりする輩ともなれば、その存在は限られる。
 クウネルは大はしゃぎをする夕映を一瞥し、正面に向きなおった。

「まず、こんな形でご招待したのを詫びねばなりませんね。申し訳ありません」

 クウネルは二人に頭を下げる。

「ですが、こちらにも要件があったのです。それは長谷川千雨さん、あなたにです」
(ついに来たか)

 千雨の背がひやりとする。

「わたしにだって? はっ、一介の小市民であるわたしにどんな用があるんだ。伝説の司書さんとやらはよ」
「有体に言ってしまえば〝取引〟ですよ」
「〝取引〟?」

 クウネルの言葉に、千雨は考え込む。ちなみに夕映は隣でじっと二人の会話を聞いていた。

「えぇ、〝取引〟です。あなたにとって、損は無いはずないですよ」

 クウネルはそう言いつつ、笑顔を深めた。

〈気をつけろよ千雨。この手の輩は嘘を吐きつつ揺らぎが無い。惑わされるな〉
(はいよ、先生)

 千雨はメガネのブリッジを上げつつ、椅子にふんぞり返った。

「損もなにも、わたしには欲しいものなんてないぞ」
「そうですか」

 嫌に簡単に矛を収めるクウネルに千雨はいぶかしんだ。すると、クウネルの手元から何かが投げられる。それはテーブルの上を回転しながら滑り、千雨の目の前で止まった。
 本だった。四六判の革張りで出来た一冊の本。タイトルが何やら英語とは違うアルファベットの組み合わせで表記されている。

「こ、これは!」
「なんですかこの本は。英語――いや、ラテン語でしょうか?」

 夕映が横から覗きこむ。千雨は瞬時にネットワークを介し、言語データを習得したため、その言葉が読めていた。『初級魔法概論Ⅰ』それが本のタイトルだ。

「どうです? よろしければその本、お貸ししますよ」

 クウネルの言葉に歯軋りしそうになりながらも、千雨は耐え、疑問を投げた。

「何が目的なんだ」
「目的? そうですね、面白そうだからでしょうか」

 クウネルの言葉にカチンとくる千雨。脳内で「こちとら遊びじゃねーんだよ!」と叫んでいる。心の声はしっかりとウフコックまで飛び、文字盤のネズミがビクリと震えた。
 千雨の拳がギチギチと固められ、テーブルを強く圧迫する。

「あ、あの~、すみませんデス。状況がさっぱり読めないのデスが――」

 緊迫した空気に、夕映の声が混じる。

「ははは。僕はね、長谷川千雨君に興味があるだけなんですよ。この麻帆良の地を去ったはずの君が、学園都市に行き、再びここの地に戻ってきた。君が何を経て、何を知ったのか。そしてこれから何を選択するのか、をね」
「が、学園都市! は、長谷川さんは学園都市から来たのデスか? もしかして超能力者なのデスか?」
「あ、あぁ、えーと、それはだな――」

 嘘がばれたような気まずさがあり、千雨は目をそらす。
 三年前、麻帆良から引越した際、千雨は学園都市近郊のある街で暮らしていたのだ。だが、半年前のアノ事件で重傷を負い、学園都市に運び込まれた。その際、学籍だけは移したものの、実際はほとんど学園都市内の学校に通わず、麻帆良へと転校したのだった。
 そのため、どこの学校から来たの? いう質問に、学園都市近郊の学校名を出していた。

「おっと、これは失礼しました。どうやら綾瀬夕映さんはご存知なかったようですね」
「てめぇ……白々しいぞ」
〈千雨、挑発だ〉

 ウフコックの声に、なんとか爆発しないですむ千雨。

「いやはや、なんて事でしょう。まさか長谷川千雨さんの秘密をばらしてしまうなんて。では、フェアに僕の秘密も明かしましょうか」

 そう言ってクウネルは人差し指を一本、上にかざした。

「私は〝魔法使い〟です」

 ゴウ、と指先に炎が灯る。熱風がチリチリと二人の肌を掠めた。だが、すぐに炎は消え、シャボン玉に変わる。周囲にシャボン玉が幾つも浮かび、周囲のものをおぼろげに反射する。ついでシャボン玉がはじけたと思うと、今度は中から花びらが飛び散った。赤、青、黄色。極彩色の色の渦と、花の香りが奇妙なお茶会を覆いつくす。

「ぐっ!」
「おぉぉぉぉぉ!」

 千雨は目を見開き、目の前の不可解な現象を知覚しようと努めた。対して夕映は、ただただ目の前の出来事に感嘆している。
 二人の耳に、パチンと指をはじく音が聞こえると、花びらの渦は霧散した。

「どうです? 信じてもらえたでしょうか」

 柔和そうな表情を向けるクウネルだが、実のところドヤ顔である。

「す・す・凄すぎるデスうううううう!!」

 夕映大興奮。壊れた人形の様に手をグルグル回しながら、抑えられない高揚感を身も持って現している。
 何事かを叫び続ける夕映を放置し、千雨はクウネルに問いかける。

「おい、これっていいのかよ?」
「これ? もしかして魔法の秘匿の事ですか。いやー、駄目に決まってるじゃないですか。一般人に魔法がばれて、その秘匿処理を怠った場合、オコジョ刑にされますよ」
「おいおい……」(オコジョ刑?)

 クウネルの適当すぎる答えに呆れる千雨である。
 ちなみに、オコジョ刑とは魔法がばれた場合、その責任者が負う刑罰であり、姿をオコジョに変えられ収監されるとか。後に千雨は知る。

「どうして、自分の正体を明かしたんだ? メリットなんてないだろう」
「ありますよ。あなたが〝取引〟のテーブルに付きやすくなる。そのためならこれくらいのリスクは当たり前です。どうです、話を聞きませんか」

 クウネルの言葉に無言。後ろでは夕映が未だに絶賛オーバーヒート中で締まらないが。

(どう思う?)
〈情報が少ないな。秘匿を旨とするのはわかるが、それがリスクに直結してるのかは判断できない。おそらく、”嘘をついていない”が”本当のことも言っていない”と言ったところだろう。だが、この手の輩は律儀な所もある、聞くだけ聞いたほうがいいだろう〉
(なるほどな)

 二人が結論を出したとき、クウネルに声をかけられた。

「〝ご相談〟は終わりましたか?」
「――ッ。あぁ、取引とやらを聞こうか」

 動揺を悟られまい、と必死に取り繕う。それを見て楽しむクウネル。千雨のイライラは増していった。

「では、来たれ(アデアット)」

 クウネルは一枚のカードを取り出し、そう呟く。気付いた時には、クウネルの周囲にたくさんの本が浮かんでいた。本が意志を持ったように一列に並び、クウネルを縛るかの様にらせん状に取り巻く。
 プカプカと浮かぶ本の一冊を無造作に取り、千雨たちに見せた。

「これは私のアーティファクト『イノチノシヘン』です。人の半生を記憶する魔法のアイテムだと思ってください。この一冊一冊が人が生きた証です」

 そう言われ、千雨はクウネルの周囲の本を見る。

「ここまで言えば判るでしょう? 私は長谷川千雨さん、あなたの半生を記録したいのです。その代わりにあなたが今必要なものを上げましょう」
「必要なもの?」
「えぇ、単純にして明快です。麻帆良にいる間の私の援助ですよ」
「……は? 一つ言っておくが、わたしは自分の体を売るつもりなんてないぜ」
「いえいえ、そういう意味ではないですよ」

 クウネルはイノチノシヘンを消した。指を弾くと、千雨の目の前に先ほど置かれたラテン語の本が浮かび上がる。クウネルは片手で本を掴み、コツコツと表紙を叩いた。

「何時まで居るのかは知りませんが、魔法について、あなたは知りたい。いや、知らなければいけない。違いますか?」

 ニコリと微笑むクウネル。

「ふぅ、条件がある。腹を割って話してくれないか? 正直あんたと話していると疲れる」
「おやおや、腹を割るも何も、僕は先ほどから正直に話していますよ。あなたの事は興味深いし、面白そうだ。ぜひともその生き様を私のコレクションに並べたいと思っています」
(先生、こいつは本当に享楽者のようだぜ。腹は立つが、受けるべきじゃないだろうか)
〈いざとなればやり様がある〉

 両者の見解は一致した。
 千雨は腕をドンと叩きつける。

「それじゃあ、取引とやらの条件を詰めようじゃないか」

 千雨とクウネル、二人の口元が三日月を描く。夕映はそれを見守るばかりである。



     ◆



 千雨とクウネルの間に交わされた取引は単純である。
 千雨はクウネルに対し、その半生をアーティファクトに記録させる。ただし、その時期は一年後以降、三年以内とされた。理由としては、クウネルが取引の持ち逃げをしないかという千雨側の理由と、記録した時点での人生しか反映されないアーティファクトのため、数年後の方が面白そうだというクウネル側の理由が合致した結果だった。
 ついで、クウネルが千雨に対し行うべき事。まずは千雨自身の情報の秘匿である。千雨がクウネルと接触している事をはじめ、魔法に関する知識を有することなど、クウネルが知る千雨についての事柄を一切学園に報告しないという事である。そして、千雨が知り得たい情報の提供である。もちろんそこには然るべき程度があり、それも交渉しだいとなった。
 さらに、千雨の要求内容には夕映の身柄についても追記された。魔法の事を知りつつも、それを学園側に報告せず、また身柄も拘束しない旨を約束させた。クウネルも面白がってる節があったが、一応は自らの過失なので素直に従う。
 それらの条件を書面に記し、お互いサインをする。法的根拠も強制力も何も無いが、片方がやぶった場合、お互いが使い道のある誓約書である。しかるべき場所にばら撒けば、火種になる物品だ。

「さて、と色々聞きたい事があるんだが――」

 そう千雨は切り出しつつ、知覚領域を広げた。部屋の中を満たし切り、言葉を続ける。

「あんた、いや魔法使いは〝コレ〟を認識できるのか?」

 先ほどから夕映はほとんど言葉を発せず、二人のやり取りを聞き、断片をつぎはぎしながら情報を整理している。だが、今の千雨の言葉がさっぱり判らず、首を傾げた。

「ほう、やはりこの違和感はあなたでしたか。私が感じたのは〝見られている〟という感覚だけで、具体的には何かはわかりません。ただ二十年前には戦場で何度か感じましたね。おそらくそれに類する能力か技術といったところでしょうか? ちなみに心配する必要は無いと思いますよ。よほど鋭敏でない限り、魔法使いとて〝ソレ〟は感じられません。おそらく麻帆良の中でも片手に納まるでしょうね」
「か、片手?」

 本当かどうかは判らないが、千雨はその言葉に愕然とした。まさか、初日にその片手とやらに当たったのではないだろうか。そう思うと運の無さも、自分の怯え具合も悲しくなってくる。

「あぁ、ありがとよ。参考にする」

 肩を落とす千雨。

「では、早速ですが、魔法について簡単なレクチャーでも行いましょうか」
「簡潔にたのむ。忘れてたが、こちとら遭難してるんだった。さっさと帰らないと、上がやばそうな気がする。だから、今回は要点だけでいいし、あとできればさっきの本みたいな情報媒体も欲しい」
「連れないですねぇ。まぁいいでしょう」

 千雨の物言いに苦笑いを浮かべるクウネル。

「では、簡単に言います。魔法とは、魔力を用いて現象を引き起こす技術体系です」
「魔力ねぇ」

 フィクションでよく聞く単語だが、いかんせん千雨にはそれが信じられなかった。なんせ知覚領域なんてものを使える千雨だ、そんな不思議パワーがあれば気付くだろう、というのが千雨の考えだった。

「魔力とは、人間の中にもあり、大気中にもある力の総称です。せっかくですので見せてあげましょう」

 クウネルは空気を掴む様に手を握り、そして開く。肉眼で見る限りは何も見えない。

「これが魔力です。ちょこっとばかし凝縮してみました」
「コ、コイツが! コイツが魔力だって言うのか! 」

 千雨の知覚は鋭敏にソレを感じ取る。今まで当たり前のように感じていたどこにでも存在していた〝流れ〟。空気のように当たり前に扱っていた、判然としない空間を満たすもやがクウネルの手のひらに集まる様は衝撃的だった。千雨の脳内ではマルチタスクがフル回転し、人工皮膚(ライタイト)を通じて集まる大量の情報を処理している。その情報から、千雨の中での魔力が定義づけされていった。

「一般人でも魔力は多かれ少なかれ持っているんですが、これを見たり感じられる人はほとんどいないんですよ。やっぱり面白いですね、長谷川千雨さん」

 その瞬間、後ろでは聞き捨てなら無い言葉が発せられる。

「あ、あのー。その丸いポワポワした物体。普通は見えないんでしょうか?」
「「へ?」」

 千雨とクウネルは珍しく同じ言葉を発したのだった。



     ◆



「ではお二人にはこれをお渡ししますね」

 千雨と夕映がこの部屋に来てから一時間が経っていた。その間色々あったが、とりあえず戻ることになり、地下一階への直送エレベーターとやらまで見送られたのだ。
 そしてクウネルに渡されたのは二枚のカードだった。金属のプレートには細かな装飾と、優美な筆記体が彫られている。

「夕映さん。あなた達で言う、第二秘密入り口をご存知ですか?」
「あ、はい」

 ふと夕映は胸元に手を伸ばす。

「……確かダミーの入り口デスよね。通路の先にドアが一つだけあり、そのドアを開けても壁しか無いという――」
「実はあの入り口、ここへの直通ルートなんですよ。ただし魔法がかかっててましてね、このカードはその解除用のカードキー、と言ったところです」
「おぉぉぉ! そうなんデスか」
「ふーん」

 千雨は興味なさ気な返事をしつつ、カードをじろじろと見た。先ほど定義した魔力情報をフィルティングしつつ知覚してみれば、確かにプレート状には微量な魔力が感じられる。
 何冊か借りた本が、紙袋の中でガサリと音を立てる。
 帰るにあたりクウネルに魔法関連の本を幾つか見繕って貰っていた。また、周囲の人間を誤魔化すために、ギリシャ語やラテン語といったものだけを選別している。正直、千雨ならば本の中身を電子干渉(スナーク)し、インクパターンを記憶野に保存する事など容易なのだが、能力の秘匿故にに自重した。

「でわ、長谷川さんに夕映さん、ぜひまた遊びに来てくださいね」
「内心遠慮したいぜ」
「ぜ、ぜひ来るデス!」

 夕映の魔力が見える発言の後、クウネルは一層夕映を気に入り意気投合。いつの間にか名前で呼び合う間柄となっていた。

「そ、その時にはぜひ、魔法を教えてほしいデス!」
「ふふふ、夕映さんのような方に魔法を教えれるなんて、面白そうですね」

 ハハハ、と笑うクウネルを遮る様にエレベーターのドアが閉まる。ウィーンというモーター音が聞こえると、エレベーターが上昇をはじめた。

「やはり、私の勘に間違いはありませんでした。千雨さん、あなたはやっぱり面白い人デス。一緒に居ればもっと楽しい事が起きるような気がします。たった一日一緒にいただけで、私の世界は広がりました」

 興奮冷めやらぬと言った夕映はキラキラと目を輝かせている。千雨はいじわるをしたくなった。

「綾瀬。お前判ってるのか? 知ることで失う事もある。平穏や日常、家族に友人、信頼や愛情。不変だったものが崩れていくかもしれないんだぞ。お前は今、片足を突っ込んでるんだ。引き返すなら今だと思うぜ」
「――そうかもしれませんね。でも、不変なものなんてきっと無いと思うデスよ」

 夕映は一息吐いて、言葉を続ける。

「家族だって友人だって死にます。私達はきっといつも流れの中にいるんデス。だから私は色々なものを知り、聞いて、話したい。そこに悔いを残したくないのデス」
「だけどよ、今日見たことや聞いたことを他人に話したとしても、信じて貰えないだろう。綾瀬がどれだけ真実を語ろうと、人の目には映らない事だってある。言った事、感じた事を一切聞いてもらえず、自分自身に嘘つきのレッテルだけが重ね貼りされていく。そんな時お前はどうする?」

 静かなる慟哭だった。

「どうするんでしょうね。その場に立たなきゃ判らないと思うデス。でも、どうすればいいかは判ります。信じてもらうようにする、もしくは〝信じてくれる人を探す〟。私ならきっとそうするでしょう」

 夕映は制服の下のネックレスを、布越しにギュッっと掴んだ。

「いやに直球だな」
「シンプルさに真理があるのは多くの偉人が多種多様な語彙を持って語っています。それに尊敬する祖父の教えでもあるデス」
「おじいさん?」
「えぇ祖父――デス。祖父は色々な事を知ってる素敵な人だったデス。私にとって祖父は世界そのものでした。ですが、祖父は生前言ってたんデス。『この世には面白く不思議な事がもっとたくさんある』って。今はその言葉がよくわかるデス。長谷川さん、私は今うれしいんデス。あなたと出会えて、『わたしの世界』がもっと広がりました」

 夕映の言葉をかみ締める。

「――世界が広がる?」
「えぇ、そうデス。のどかも、ハルナも、木乃香も、クラスのみんなも、探検部のみんなも、全てが広げてくれた『わたしの世界』デス。だけど長谷川さん、今日あなたのおかげで、もっと広げることができました」

 夕映は千雨の手をギュっと握る。

「わたしはみんなと、もっともっと楽しく、不思議なものを見てみたいデス。長谷川さんとも一緒に見たいんデス」

 チン、と一階に着く音が聞こえ、エレベーターのドアが開いた。

「さぁ、行きましょう。みんなが心配してるデスよ、〝千雨さん〟」

 それは何かの合図のようだった。

「わかったよ、〝夕映〟」

 ちなみに二人が地上に戻ると、おおげさなテントが張られ、捜索本部なるものが立ち上げられていた。ヘルメットにマスクにゴーグルといった、一昔前の学生運動のようないでたちをした男達並ぶ。どうやら彼らが探検部レスキュー隊らしく、千雨達を捜索していたとの事。
 探検部のみんなに泣かれたりなんだったりで、全員が部屋に戻れたのは日が昇る直前だったとか……。



     ◆



「ふふ、君の大事なお姫様は健やかに育っているようですよ」

 クウネルは司書室の片隅にある一枚の写真を見ていた。クウネルと男性が、テーブル越しに談笑している姿が写っている。

「因果なものですね。平穏を望む君が死に、魔法使いである私はピンピンしている」

 クウネルにとって、男は友人であった。図書館島から出れないクウネルだが、時折図書館の地上階に現れる事がある。その時に知り合った男性であった。〝真っ黒な髪〟の温和な男性。彼の独特な波長とウマが合い、頃合を見ては遊びあう友だったのだ。

「これ以上、友が死ぬのは忍びない。ぐうたらな私ですが、見守ることぐらいはしましょう。まぁ見てるだけでしょうが」

 言葉を返す友人は、もういない。

「……それに、あの娘も――」



     ◆



「臭うな」

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、いつもと違う道を警邏と称して歩いていた。結界と繋がっているエヴァは、不審者がいればわざわざ出歩かなくても感知できる。
 そのため、警備員としての職務の警邏は、毎回適当に麻帆良を徘徊して帰るだけであった。
 侵入者が通るとは思えない麻帆良の片隅で、エヴァは違和感を覚えた。平和ボケしたここ数年感じなかった、あの凄惨な臭いだ。

「面倒くさそうだな。おい、茶々丸、録画をしっかりしておけ」
「了解しました、マスター」

 ガイノイドにして従者たる茶々丸に指示を出す。
 人通りの少ない石畳の通路、そこから外れて数メートル先に小さい倉庫がある。長らく使われていないのか、所々塗装がはげ、錆が浮いている。
 濃密に薫るソレに、ペロリと舌が唇を舐めた。それと共に、異様なこげ臭さがある。
 倉庫の入り口には鍵がかかってないらしく、隙間が開いていた。隙間からは黒い染みが覗ける。
 エヴァは無造作に両開きの引き戸をあける。ギギギ、と不快な金属の擦れる音が響く。先ほど感じた香りは消え、異臭が吹き出た。

「おや、まぁ」

 エヴァは呆れたように呟いた。
 中は体育倉庫のようだった。汚れた体操マットが積み重なり、古い跳び箱が散乱している。
 だが、そこには異質なものがある。
 血。血。血。血。血。
 地面も壁も天井も、倉庫の中にあるありとあらゆるものが血に染まり、ドス黒い色をしているのだ。
 そして中央には黒く積み重なる影が見える。
 人だった。大口を開け、苦悶の表情をしている男子学生が五人ほど積み重なっている。見える範囲では外傷が無く、周囲の血の量と相まってエヴァに不審を抱かせる。

「茶々丸、周囲は?」
「問題ありません。センサーの範囲内に人影なしです」
「フン」

 エヴァは男達に近づく。腐ったようなツンとした臭い。血よりも濃厚な腐敗臭がエヴァの顔を歪めさせる。一番手短な男の口に指を突っ込む。

「茶々丸、ライト」
「了解」

 照らし出された男子学生の口内を見た。

「やはり死んでるな。死後一週間ってところか。それにしても――」

 外傷が無いのに舌が焦げていた。

「まぁ、どうでもいいがな。帰るぞ茶々丸、臭くてたまらん。ジジイの所に報告したら、さっさと風呂に入り寝たい」
「わかりました」

 翌々日、『男子学生変死事件』として発表された。
 それは、これから麻帆良で起こる事件の最初の1ページ……。



 つづく。



(2010/12/30 あとがき削除)



[21114] 第4話「接触」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2011/08/31 12:04
 学園都市の片隅にその施設はある。
 半地下にある入り口をくぐると、中は蟻の巣の様に広がっている。幾何学的なデザインが先進性と冷たさを感じさせた。
 元は『死体安置所(モルグ)』と呼ばれていたが、その実は学園都市内によくある人体実験場だった場所である。
 今、その施設には一人しか人間はいない。電子眼鏡(テク・グラス)を掛け、髪はまだら色、継ぎはぎの白衣を着た痩せ型の男だ。
 薄暗い研究室の中で、彼がキーボードを叩く音だけが響く。
 ポーン、とメールの着信音が響いた。彼の目の前にある端末からではない。研究室の中央にある小型サーバーからである。
 そのサーバーは奇妙だった。外部のネットワークへ一切繋がっていないスタンドアロン。なのにそのセキュリティは厳重で五重六重に守られている。されとて重要なデータは入ってないのだ。男が知る限り、このサーバーにメールを送れる人間は一人しかいない――。
 男は嬉々としてサーバーを弄り、メールを開く。

「ありゃあ、本当に宣言通りにこなしちゃうのか」

 男は苦笑いをしつつ、腕を組む。メールに添付されたファイルを開けば、魔法に関するレポートが表示される。魔法の基本的な情報から、その技術理論。検証例は少ないものの魔力に関する観測結果などがつらつらと書かれている。

「ははは、さすがだね。僕の用意してたものとほとんど同じじゃないか」

 男は自らが〝作っておいたレポート〟を取り出す。形式や細部は違えど、ほぼ同じものだ。裁判の物証としてはお互い使えるだろう。
 一週間前の事を思い出す。

『いいか! 一週間だ! わたしと先生であればこんな依頼あっという間にこなしてやる。メシとかちゃんと食えよ、ほっとくと何も食わねんだからな』

 そんな事を言いながら出て行った彼女だったが、その優秀さには困ったものである。

「――せっかくの計画が台無しだよ」

 男は、ここ学園都市から彼女を引き離したかったのだ。そのために〝楽園経由で〟千雨に対して法外な治療費を請求し、学園都市の取り込みを退けていた。学園都市側も、男自身はともかくとして、楽園と通ずるのは対外的に危険なのである。
 二十年前の大戦の時、楽園で開発された技術は〝人〟の多くを超越した。魔法使いも超能力者も、なにもかもをだ。もちろん例外はある。だが一人当たり三十万ドルという格安の値段で改造された兵士達は、眠ることもせず、食べることもせず、おおよそ人の生理現象から開放された存在として猛威を振るった。
 その大戦を、地球の表面に住む多くの人々は知らない。しかし、大戦を知るものは楽園の解体を望んだ。何回かの協議の末、楽園は本当の意味で〝楽園〟になった。衛星軌道上に浮かぶ巨大プラントは、完全に閉ざされた世界だ。そこでは昔も今も変わらず、知恵の実を食べるものがいないまま、そこに在り続ける。科学の結晶『楽園』として。
 男は無造作に電話を取り出し、かける。何度もコール音を聞かずに繋がったようだ。

「ドクターか、どうしたんだい?」
「クライアント、吉報だよ。うちの子猫ちゃんは早速仕事をこなしたようだ」
「ほう、さすがだね長谷川君は」
「えぇ、困ったもんだよ。御剣検事、悪いけど以前渡した資料をこれから送るのと交換しておいてくれ。内容はさして変わってない。ただ作成者の欄が違うだけでね」
「了解した。報酬の方は――」
「こちらが頼んだことなんだ、気にしないでいいよ検事。むしろ法務局(ブロイラーハウス)に世話になったら便宜をはかってほしいね」
「善処しよう」

 そういうと男は電話を切った。
 ブロイラーハウスと呼ばれる場所がある。一般公開されぬ司法の場であり、人の命が日本でもっとも安い場所だ。その場所を人々は揶揄を込めてブロイラーハウス(鶏小屋)と呼んでいる。
 先ほどの電話の男は御剣怜侍。新進気鋭の若手検事だが、まだ駆け出しのため、裏のこととなると資料請求の権利が満たされないのだ。
 今回の事件は企業側による魔法によっての要人の殺害。そのため秘匿されている魔法の資料開示を御剣は法務局(ブロイラーハウス)側に要求したものの、それは御剣の立場の低さ故に開示拒否されたのだ。そうなると御剣自身が資料を見つけねばならず、男の元へと依頼がやってきたのだ。
 実は男自身、魔法に関する資料は持っていたのだが、依頼にかこつけて、学園都市を欺くように仕向けた。
 学園都市側も丁度いい麻帆良への牽制だと思い、彼女の麻帆良への転校はスムーズに成功した。
 男はこの時期を使い、彼女を縛る鎖を断ち切ろうとしていたのだ。だが、それも彼女自身の拙速な行動によりご破算である。

「僕は、何をすべきかはわかるけど、どうしたら良いかはわからない……」

 そう呟きつつ、彼女――長谷川千雨の笑顔を思い出す。ふと十数年前に別れた妻と娘を思い出した。
 この半年の生活は本当に楽しかった。だが、それは傷の舐めあい、家族ごっこだったのだろうか。

「――らしくないね。そんな事を考えるのはメロドラマのライターだけで十分だ」

 男は自嘲めいた笑顔を作る。楽しさにわざわざ罪悪感のスパイスを加えるなんて、両面焼き(ターンオーバー)のカリカリの目玉焼きにシロップをかけるようなものだ。つまりは冒涜だ。
 男の名はドクター・イースター。地上に残った楽園の落とし子であり、千雨の治療医であり、そして保護者である。
 ドクターの電子眼鏡(テク・グラス)に明りが灯り、数々の数値やグラフがその表面を彩る。
 キーボードを叩く音だけが死体安置場(モルグ)に響いた。



     ◆



 かすかな鳴き声が聞こえる。
 水泳部の部活帰り、少し湿った髪をなびかせながら、アキラは寮への帰り道を歩いていた。どんよりした雲、一雨来そうな雰囲気に足も早くなる。そんな折に声が聞こえたのだ。
 麻帆良には自然が多い。数々の欧風建築の合間には、必ずといっていいほど緑が配置されている。視界の中には常に木々なり林なりが飛び込んでくるのだ。
 そんな木の一本、根元に小さな影が横たわっている。小鳥だ。
 アキラは近づき、そっと手で救い上げる。

「かわいそうに……」

 見上げれば頭上に巣がある。小鳥がそこから落ちたのは容易に想像できた。
 落ちてから長いのだろう、アキラの手の中で小鳥は震えるばかり、かすかな鳴き声しか発せられないようだ。

「お医者さんに連れて行かなきゃ」

 すっくと立ち上がり、走ろうとする。だが――。

「ピギィィ!」
「えぇっ?!」

 虫の息だった小鳥が奇声を発する。見れば小鳥の足先に黒いもやがかっていた。そのもやは小鳥を飲み込むように、少しづつ覆っていく。じわりじわりと黒い染みが羽に広がり、その度に小鳥は奇声を発しながら悶えた。

「あぁ……あぁ、あぁぁぁぁ――」

 目の前の出来事にアキラは声が出なかった。命が削られていく。
 やがて小鳥はガクガクと痙攣した後、泡を吹きながら動かなくなった。アキラは怖くなり目を瞑った。目の前の死も怖かったが、得体のしれないもやがアキラをすくませる。
 アキラは目を瞑ってて気付かなかったが、人影がすぅっとアキラの後ろに立っていた。
 二メートルもの長身をしており、頭があり、手足がある。シルエットだけ見れば背が高い人間と言った風だが、細部は違った。背中からは尻尾のようなものが五本ゆらゆらと動いている。毛はなく、硬質そうな表面を持ち、一本一本が成人男性の腕を越える太さだ。体は女性のようなラインを持ちつつ、服を着ていない。何か異質な材質で出来たパーツが部分部分に張り付いている。そして顔。まるで狐を模した被り物をしてるようだった。目じりが鋭くつり上がり、眼光が異彩を放つ。
 守護霊のようにピタリとアキラに貼りつくも、本人は気付かない。やがて、その姿は霞に消えた。
 アキラは恐る恐る目を開ける。やはり小鳥は死んでいた。だが、先ほどまであった黒いもやや染みは綺麗に消えている。小鳥の死に悲しみつつ、内心安堵もしていた。
 木の根元に腰を下ろし、素手で穴を掘り、小鳥の死体を埋めた。
 近くの水道で手を洗い、アキラは家路を急いだ。
 アキラの足跡に、微かな火花が散る。歓喜の火花であった。







 第4話「接触」







 さかのぼる事、三日前。
 頭から足先まで白一色に身を包んだ長身の男、空条承太郎は学園長室にて、この部屋の主と対面していた。
 後頭部が突き出るように伸びた老人、麻帆良学園学園長の近衛近右衛門だ。

「――ふむ、《弓と矢》のぉ」

 近右衛門は手元にあった写真と書類の束を机に置く。

「はい。この場所にある〝確証〟は無いですが、〝可能性〟は高いと思われます」

 承太郎が丁寧に答える。彼をよく知る仲間達が見れば、彼のらしくない態度に笑い転げていただろう。

「〝可能性〟とは、この写真のことかの」
「はい、そうです」

 近右衛門が持つ写真には、麻帆良の中央にそびえる世界樹と、おぼろげで焦点が合わない矢のようなものが写っている。

「それは祖父、ジョセフ・ジョースターが『スタンド』で念写したものです」
「ほう、『スタンド』とはそんなこともできるのか」

 近右衛門は多少おおげさに驚いている。
 それもまた仕方ない事だった。魔法使いに対し、超能力者は少ない。だがそれにも増してスタンド使いは少ないのだ。
 スタンド使いとは、人が持つ精神、それを具現化したものである。学園都市が研究する『超能力』の原型だ。
 学園都市を良く知るものだったら、その誕生過程にスタンドの名を見ることができる。元々はスタンドを模倣するために学園都市は作られたのだ。
 スタンド使いになる方法は二つしか発見されていない。生まれつきスタンド使いであることか、もしくは――。
 そのため近右衛門はスタンドの名を聞いたことはあれど、能力の程度や方向性、その力の大きさすらも詳しくは知らなかった。

「矢がここにある限り、スタンド使いが生まれ続ける。そしてこのままでは街に危険がおよぶ。ましてや魔法使いがいるこの場所だったらなおの事です。早急に手を打つべきでしょう」
「だがのぉ」

 承太郎には確信があった。それはこの街に来た時の空気である。いつか誰かに聞いた言葉を思い出す。

 ――『スタンド使いは惹かれあう』。

 おそらく放っておいてもあちらからやってくるだろう。だが、それでは遅いのだ。

「こちらとしては、ぜひ空条君には調査をお願いしたい。またできる限りの報酬も便宜も計ろう。支援も行う。だが――」
「だが?」
「だが、魔法使いは、こちらの人員は貸せない。いや動かせない」

 現在、麻帆良と学園都市の間には静かな対立があった。お互いの頭にその気は無くとも、下にはそのような風潮があるのだ。
 そこへ来てこのスタンド事件だ。安易に魔法使い達を動かせば、いらぬ火種になる事は明白である。
 スタンドには秘匿義務がない。なのに一般的な認知は皆無であり、裏の者も知る人は少ない。そして知らないという事が問題なのだ。多くのものが学園都市の攻撃や陰謀を疑う。そこに学園長の説明が入ろうと、種はくすぶり続ける。

「本当にすまない」

 ゴツリと近右衛門の頭が机を叩いた。

「いや、構いません。スタンド使いにはスタンド使いでしか対応は出来ないでしょう」
「――そうなのか?」

 顔を上げつつ、長い眉に隠れた目が、剣呑な輝きを放つ。

「あなたには『コレ』が見えますか?」

 ユラリ、と承太郎の後ろに精神の具現化たるスタンドが立ち上がる。だが、それは不可視。本来、スタンド使い同士でしか見えない代物だ。

「いや、何も見えぬの。だが、確かに〝何か〟は感じおる」
「――さすがは『魔法使い』と言った所か」

 承太郎は聞こえないように呟いた。

「スタンドはスタンド使いでなければ見えません。またそれぞれが特殊な能力を有している。例えば――」

 承太郎は手に写真を持っている。

「このように」
「なっ!!」

 今しがたまで、確かに近右衛門が握っていた写真が、瞬きもしない間に承太郎の手元に移っていた。近右衛門は魔力も一切感じない、異常な現象に驚く。
 学園長としての席を持ち長いが、元々は第一線で活躍した戦士だ。今でも魔法使いとして一流である。その近右衛門が一切認識できず、警鐘すら感じなかった出来事に驚きを隠せなかった。

「い、今のはなんじゃ?」
「もうしわけ無いがそれは言えません。ただ、スタンドは容易に物理法則をねじ曲げます。聞くところによれば、魔法は魔力というものを用いて、様々な現象を引き起こすとか。おそらくそこには何かしらの技術限界があるでしょう。ですが、スタンドは意思の強さ次第で限界すらもたやすく――ブチ破ります」

 承太郎は十年前を思い出す。母を救うためのエジプトへの旅。その間に会った数々のスタンドの姿を。

「人員に関しては、我がスピードワゴン財団から呼ぶ事の許可をお願いします。また、この敷地内での調査に伴う権利、私自身の怪しまれない身分も頂きたい」
「う、うむ。許可しよう。セキュリティパスも発行する。空条君は確か海洋生物学の博士号を持っていたね。麻帆良大の非常勤講師の枠を作ろう。なに、週に一、二度講義をするだけでかまわん。これでどうだね?」
「助かります」

 承太郎は机に近づき、先ほどの写真とともに、一枚の紙を置いた。

「携帯の番号と連絡先です。近場にホテルを取っています」

 その後、幾つかの打ち合わせをし、承太郎は部屋を去った。

「厄年かのぉ」



     ◆



 承太郎は麻帆良市内のホテルを拠点として、《矢》の捜索を行っていた。
 学園長との会談から三日が経ったが、いまだに何も掴めないでいる。しかし、それは仕方の無い事である。麻帆良は巨大であった。そこを一人で歩き続けて得られるものはたがが知れている。
 財団への報告を行い、調査員の派遣を要求するも、まだ人員は到着していない。彼個人としても数年前に知り合ったスタンド使いを呼んだ。彼のスタンドは必要になるだろう、と思い連絡をとり、承諾を貰ったものの、相手は多忙な漫画家だ。速筆とは言え、いつ来れるかは知れなかった。

「やれやれだぜ」

 今日は日曜という事もあり、麻帆良学園の喧騒は幾分和らいでいる。数々の本格的欧風建築が日本にいる事を忘れさせていた。
 十年前に写された《弓と矢》の写真を取り出し、見つめる。この小さな《矢》一本を、巨大な街から探し出す事を考えると、心が重くなる。
 考え事をしながら歩いていたせいか、承太郎は人とぶつかってしまう。

「おっと、すまねえ」
「い、いえ。こちらこそ」

 相手は女子中学生だった。制服を着ていて辛うじて判断できたが、高校生と言っても十分通用する体躯である。承太郎の風貌を見て、少し驚いているようだ、
 ふと、承太郎は手元にあった写真が無くなっている事に気付く。

「あ、写真落としましたよ」

 少女は長身を屈め、写真を拾う。長い〝ポニーテール〟が揺れた。

「あれ、これって――」

 少女は写真を見て、少し考えている。

「すまないが、知っているのか?」
「え、あ……はい。たぶん」
「――ッ! 教えてくれ、どこで見た!」

 承太郎の態度に、少女は口を詰まらせた。

「えぇっと、学園の歴史資料室に落ちていました……」
「歴史資料室だな。ありがとう、恩に着る」

 会話を打ち切り、承太郎は急ぎ足で資料室に向かった。三日経ってのやっとの糸口に、承太郎はある言葉を忘れていた。

 ――『スタンド使いは惹かれあう』。

 少女は多少いぶかしんだものの、女子寮へと足を向ける。邂逅は刹那だった。



     ◆



「あぁ、あの鏃(やじり)ですか。裏の事務室に保管してありますよ」

 学園をさ迷い、やっと見つけた関係者に聞き、承太郎は歴史資料室にたどり着いた。そこで厳つい風貌の警備員に《矢》の写真を見せたのだ。
 男は関係者以外禁止のドアをくぐり、その先の通路へ承太郎を呼び寄せる。

「二、三日前ここに来ていた学生が拾ったんですよ。最初はここの展示物だと思ったんですが、リストにも無く、困っていたんです。リストに無いものを保管室に置いたら怒られるのはコッチですからね。だからと言ってぞんざいにあつかうような品にも見えないし……って事で事務所に保管しておきました」
「それは助かる。貴重なものでね、うちの財団も盗難にあってから随分探したんだ」
「はは、それにしたって持ち主が出てきて良かった」

 厳ついながらも温和な表情で男は答えた。やがて部屋が見えてくる

「ここです。中は少し汚いですが、ご勘弁ください」

 男が先導して部屋に入る。承太郎に悪寒が走った。
 ドアを開けた先には事務室が広がっている。多少荒れていた。

「うわ、誰だよ。汚いなー、片して置かないと怒られるのは俺なんだぞ~」

 警備員の男はブツブツ言いながら、部屋をかきわけて入る。承太郎は入り口で固まったまま、部屋を観察していた。

「おっかしいな~、この箱に入れたはずなのに。すいませんね、今ちょっと探しますんで」

 空き箱を机の上に置き、ガサゴソと棚を漁り始める。

「新入りもいないし、どうなってやがるんだ……うん?」

 男の頬になにか当たる。ふと雨漏りを連想したが、ここは三階建ての二階。漏るとしたら水道管だ、などと思いつつ、男は頬に拭った。
 拭った手は赤かった。
 血。

「ひぃぃ」

 男は叫び声を上げ、天井を見上げた。
 天井から血が滴っていた。肉片がへばりついている。

「おい、離れろ!」

 承太郎は部屋に飛び込み、男を通路まで引きずり出した。
 スタンド――『スター・プラチナ』――を出し、周囲を警戒する。だが、スタンドにある独特の気配は遠く消えている。
 スタンドを消し、事務室の天井を見つめた。
 人の体であろうものが、天井に貼り付いていた。そこで不思議な事に気付く。人にしては体の〝パーツ〟が少ないのだ。顔や内臓と言ったものがごっそり無くなり、まるで魚の開きのような状態である。

(なんだ、こいつは)

 張り付いた肉片の影に、警備員の服が見える。
 服を着たまま、体を開き、内臓を抉り出し、わざわざ天井に貼り付けたのか。いや違う、これは――

(まるで、〝内側から爆発した〟ように――)

 そう考えた瞬間、再び承太郎の背筋に警鐘が走る。間髪いれずにスタンドを出し、その方向に拳を振るった。

「オラァ!」

 事務所の壁に穴が穿たれ、バチバチと火花が散った。どうやら電圧ケーブルを傷つけたようである。

(チッ、気のせいか?)
「ひぃぃぃぃぃ!!」

 後ろでは男が悲鳴をあげている。同僚の死体を見つけた後、今度は急に壁が崩れたのだ。情けない格好をしながら念仏を唱え始めている。

「――やれやれだぜ」

 麻帆良に来て何度目かの呟きをしつつ、承太郎は学園長へと連絡を取った。
 その後の調査で判った事は少ない。死んだ人間はここの警備員である近藤某、二十五歳の一般男性である。また、部屋から《矢》が消えた以外、盗難の一切が見つからなかった。



     ◆



「うぐぐぐぐ」

 千雨はくぐもったうめき声が発した。目の前には自習用のプリントが置いてある。
 月曜の一時間目は、急遽職員会議があるとの事で自習となっていた。
 先生が不在という事で、そこかしこで話し声が聞こえる。だがそれはいつもの明るい話題では無い。
 昨日発表された『男子学生変死事件』の噂で持ちきりであった。テレビのニュースなどでも報道されたが、メディア上では事件規模に対しての扱いは小さめであった。もちろんそこには麻帆良独特の理由があったりするが、それは割愛。
 とは言え、学生達にとって見ればすぐ近くで起きた事件である。当面の部活動禁止も言い渡され、事件をより身近に感じた。
 だがそこにあるのは恐怖などと言ったものではなく、興味や関心といったものだった。いくら身近で起きようと、そこに自分達が直接関わるとは微塵も思っていないのである。
 「こわいよねー」、「死因は何なの?」、「誰が死んだの」、「大会が近いのに~」、などと言った言葉が教室内を往復していた。そんな中、報道部の朝倉和美は大活躍だった。水を得た魚と言わんばかりに、現在判っている情報を語っている。
 そんな教室内を聞き流しながら、千雨は目の前のプリントと戦っていた。一次関数の問題である。
 麻帆良は基本的には中高一貫のエスカレーターなので、学業進度が他よりも速い。一般的な公立校が二学期でやる一次関数の単元も、麻帆良学園中等部では一学期の五月には入っていた。
 千雨にとっては「たかが一次関数」といった程度の問題である。だが、何を思ったのか千雨は、視覚情報を暗号アルゴリズムで変換したり戻したりを三往復させてから、脳の思考野に持ってくるというくだらない事をし、さも一次関数が出来ないかのように振舞っていた。その実情を知っていたら、他人からは嫌味としか見えないだろう。
 本来なら一本の直線であるはずのそれが、今の千雨には複雑怪奇なパズルに見えるのだ。うんうんと唸りながら、遅々の速度で解いていく。

「あ、千雨さん、そこはこうじゃないデスか」
「お、そうだな。すまねえ夕映」

 横から夕映の手が伸び、千雨のミスを指摘する。夕映はクラスの中でも成績は悪い方から数えて五位以内に入っており、「バカレンジャー」の異名を持っていた。だが、元来は頭の回転が良く、多少真面目に取り組めば、今の千雨よりもはるかにマシな頭脳を持っている。
 クラスメイト達が談笑をし、ろくにプリントに手をつけない中、千雨と夕映は三十分程でプリントを解いた。

「お、終わったー」
「お疲れ様デス」

 手を伸ばし、ベタリと机にへばり付いた千雨に、夕映のねぎらいの声がかけられた。

「あー、一昨日と言い、昨日といい、わたしはもうバテバテだよ」
「一昨日はともかく、昨日、デスか?」

 一昨日は千雨と夕映が図書館島から帰宅した日である。

「まぁね、色々とあるんだよ」
「色々……そうデスね」

 夕映は魔法や超能力の事だと当たりをつける。夕映は千雨がどうやら超能力者だと思っているようだが、千雨はそれを肯定する気も否定する気も無かった。
 千雨も、”一応”は学園都市で超能力者として登録されている。ちなみにレベル3の強能力者だ。関係者から見れば、もっとまともな嘘をつけ、と言われるだろう内容である。
 ちなみに千雨は土曜の朝に図書館島から帰宅してから、丸一日以上かけて魔法の分析を行い、突貫でレポートを作成したのだ。気付けば日曜の午前、そのまま死んだように眠り、さらに気付いたら教室に座っていたというのが実状である。

「ん?」

 夕映の方を向いたとき、その奥の空席が目に入った。アキラの席だ。

(大河内、休みなのか)

 朝のホームルーム時に裕奈が言っていたのを思い出す。あの時は眠すぎて、完全に意識から遠ざかっていた。なんだか風邪とか何とか言っていたと思う。
 千雨にとってアキラは落ち着く存在だった。先週転校してから様々なクラスメイトに絡まれているが、そのほとんどが振り切れんばかりのテンションなのだ。
 そんな中、そっと近づき、落ち着いて物事を考えて、話す。そういうアキラを千雨は好ましく思っているのだ。
 ふと、『信じてくれる人を探す』という夕映の先日の言葉が思い出される。

(そういやケガもしていたな)

 資料室を裕奈達と行った時、指にケガをしていたはずだ。その上、風邪を引いているらしい。

(世話になっているからな見舞いにでも行くかー)

 そんな事を考えていると、教室のドアが開き、高畑がやってくる。

「みんな、遅れてすまないね。ちょっと会議が長引いちゃったよ」

 いつもの苦笑いをしつつ入ってくるものの、どこか表情は硬い。

「それでみんなに連絡だ。とりあえず今日の授業はここまでで、臨時休校となる」

 やったー、という歓声が教室中から沸き、それを委員長である雪広あやかの怒声が戒める。

「こらこら、遊びじゃないんだぞ。それに続き今週の学校は全て休校となった。だが、もちろん課題はたくさん出してあるぞ。来週にはしっかりと提出して貰うから覚悟しておくように」

 今度は逆に、えー、という悲鳴が響き渡る。
 高畑はゴホンとせきを一つし、表情を引き締めた。

「みんなももう聞いているだろうが、昨日我が学園の生徒の変死体が見つかった。集団自殺だろうという警察の見解だが、いくつかの不審点があるそうで、まだ言い切れる段階ではないらしい。僕らは君達を親御さん達から預かってる身だからね。用心をして越した事はない。なので、とりあえず速やかに寮に戻る事、もちろん部活も禁止だ。またできるだけ外出をしないように、するにしても二人以上で昼間だけだ。夜の外出は原則禁止。いいね? 守らなかったら課題を三倍にするからね」

 はーい、という声が一斉に上がる。

「うん、それじゃ以上。号令」

 日直の帰りの挨拶が済むと、高畑は急ぎ足で教室を出て行く。

〈何かあるな〉
(だろうなぁ……とは言ってもこちとらお役御免だろ)

 レポートを送った後、ドクターからの返事は『現状維持』のままだった。おそらく手続きか何かに手間取っているのだと、千雨は思っている。
 ウフコックは千雨の考えも、ドクターの真意も分かっていたが何も言わないでおく事にした。

〈そういえば千雨、お見舞いにいくのだろう? 何か買っていくのか〉
(そうだなー。あんまり遠くに行くわけにはいかないだろ。とりあえず寮内の売店見て、果物でも持ってくかな)

 千雨はカバンを持ちつつ、席を立つ。

「あ、千雨さん。一緒に帰りませんか?」

 夕映が千雨に声をかける。傍らには夕映のルームメイトであるのどかとハルナの姿がある。

「あー、悪いな。ちょっと、その、な……」

 本来、このまま寮へと直帰せねばならないはずである。一緒に帰れない理由をとっさにでっち上げる事ができず、千雨は言葉を濁した。

「そ、そうアレだ。アレ」

 わけのわからない事言いつつ、手首をプラプラさせ、教室を出る千雨。

「じゃあな夕映、宮崎、早乙女」

 一斉に帰宅する女生徒の波に紛れ、千雨は消えた。

「あーらら、フラレちゃったわね夕映」
「べ、別にそんなんじゃないデスよ」

 そんな事を言いながら頬をプーッと膨らます夕映。制服の下のネックレスがジャラリと鳴る。

(ゆえゆえ、可愛い)

 のどかはその可愛さに内心悶えた。



     ◆



 教室を出た千雨は、女子寮への最短ルートを外れ、少し遠回りをしつつ向かっていた。木や建造物を見る度にそれに触る。

(先生)
〈了解だ〉

 亜空間にある材料を使い、使用者のイメージに合わせて物質を構成する。ウフコックが万能兵器と呼ばれる由縁だった。
 ウフコックと共に、麻帆良の各所に兵器なりトラップなりを仕掛けているのだ。

(まったく面倒だよな)

 土日にかけて、魔法についての情報を分析して、千雨は愕然としたのだ。書面上どれほど正しいのか分からないが、魔法の戦闘面の汎用性の高さにびっくりしたのだ。
 障壁魔法なるバリアーがあり、物質的衝撃やら魔法やらを無効化するなぞ、一体どこの漫画だ、と千雨はグチりまくったいたのだ。もちろんそれらにも限界があるらしいし、魔法の属性などによっても容易く破れると書いてはあったものの、千雨にはその属性とやらが無いのだ。
 残すはドクターが待つ死体安置場(モルグ)に帰宅するだけなのだが、用心深い――ビビリとも言う――千雨は保険をかけておくために、こうやっていそいそと、兵器を麻帆良に散布していた。
 空が落ちてきそうだった。曇天は薄暗く、まだ晴れ間は見えない。



 つづく。






(2010/12/30 あとがき削除)



[21114] 第5話「失踪」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2011/08/31 12:04
 月曜。本来なら学校がある時間に、アキラは自室のベッドの上で震えていた。
 木から落ちた小鳥を埋めた日から、アキラの周囲では不思議な事が起きていた。部屋の中の物がふと移動する事をはじめ、ふいの物音や気配、そして――

「あっ、あぁぁぁ」

 脳裏に昨晩の出来事が蘇る。



     ◆



 昨日、アキラは大浴場で体を洗っていた。ここ数日の苛まれる不安感も、集団に混じれば和らぐ。アキラ自身も、賑やかな喧騒の中で確かにそれを実感していたのだ。
 洗面台の前で椅子に座り、手足を擦る。泡立つタオルで満遍なく体を洗っていた。ふと顔をあげ、目の前の鏡を見た。
 目。細い、薄い刃のような目が、ギラギラと自分を見つめていた。

「ひっ!」

 悲鳴が漏れ出て、背後を伺う。確かに、そこには人の姿をした〝ナニか〟が居た。女性の体躯をし、尻尾のような物が数本揺れている。狐の面がアキラを見下ろしていた。
 恐怖が体を襲い、椅子からずり落ちる。タイルから臀部へと冷たさが直に伝わる。

「ア、アキラ。どうしたの?」

 隣で体を洗っていた椎名桜子が、不思議そうにアキラに問いかけた。

「こ、これ。変なのが、た、助けて……」

 しどろもどろな言葉に首をかしげつつ、桜子はアキラの視線を追う。

「うーん、どこらへんの事言ってるの?」
「――え?」

 アキラは愕然とした。すぐそこ、それこそ目と鼻の先に立つ人影があるではないか! 言葉にならない叫びは誰にも届かなかった。

「どったのー?」
「あぁ裕奈、アキラがねぇ」
「アキラ変な格好でなにしとるん?」

 クラスメイトの喧騒が、アキラを囲う。だが、誰一人とて自分を見つめる人影に注意を向けない。

(み、見えてないの?)

 もしかして幻覚かもしれない。アキラは甘い逃避に入りそうになる。だが、アキラが見える限り、目の前の人影は本物だった。周囲の水しぶきが人影に降り注ぎ、その表面に雫を作っている。足元には人影の体を伝った水溜りが出来ていた。
 見れば見るほど本物なのに、周りはそれを見てくれない。
 いつかの出来事を思い出す――誰かが泣いていた――誰が――そう、あれは――。

「ちょっとあなたたち、何かあったの!」

 アキラを囲った小さな人垣が割れた。奥からは自分達より年上の上級生が歩いてくる。

「あなたどうしたの、床に座って。湯当たり? それとも体調でも悪くなった?」

 心配そうに聞いてくる上級生。アキラに近づき、顔を寄せる。上級生の背後にはやはり人影が見下ろしている。

「い、いえ――」

 アキラの言葉は途中で止まった。
 目の前の人影が、尻尾をユラリと動かし、上級生の足首へと巻きついたのだ。尻尾から黒いもやが発生する。
 染みがうっすらと広がる。目の前の上級生が、眩暈を起こし、アキラに倒れ掛かってきた。

「ひっ!」

 アキラはこの前の小鳥を思い出し、目を瞑る。

「あら、どうしちゃったのかしら。ごめんなさいね」

 上級生は、頭を振りながらアキラから離れ、立ち上がる。
 その言葉に気付き、アキラは目を開ける。周囲を見渡すが、先ほどの人影は無い。あるのはアキラを心配そうに見つめるクラスメイトの視線だけだった。

「あ、その。だ、大丈夫です。ご心配ありがとうございました。」

 ペタリと座りっぱなしで深くお辞儀する。その何ともいえないシュールな光景に、周囲から笑いが起きた。
 だが、その喧騒はもう、アキラの心を和ませる事は無かった。







 第5話「失踪」







 風が千雨の栗色の髪をなびかせた。首元で色気も無く束ね、ただ利便性を重視してその髪型にいていた。
 今の千雨には、髪型を気にする気持ちがわかない。半年前の事件で、その髪のほとんどを失った。頭皮すら焼き尽くされ、枯野のような頭だったらしい。今の髪は全てが楽園で作られた人工毛である。本来ある細胞と癒着し、本物と同じように髪が伸びるのだ。

「ふぅ~」

 近くの自販機で買った甘ったるい缶コーヒーをチビチビ飲みながら、欄干越しに風景を眺めた。
 千雨の居る場所は、麻帆良にある幾つかの公園の一つである。傾斜地に作られた公園は、麻帆良を睥睨するように作られている。園内には物見台のような物まであった。所々に木々が生えており、それはその公園の下も同じである。まるで円形の小さな公園そのものを木々が持ち上げているようだった。気分はツリーハウスと言った所だ。
 放課後、女子寮への帰り道上を反れまくりつつ、ウフコックの協力の元、着々と兵器を街中に仕込んでいた。もちろんそれらには物理的、電子的なロックをかけ、千雨の干渉により動かせる様に加工してある。
 そんな物騒な一仕事を終え、千雨は公園で一休みをしていたのだ。
 麻帆良は学生の街である。そしてその学生らに外出規制のお達しが出ているため、いつもと違い人気がほとんど無くなっていた。閑散とした風景を眺めつつ、さらにコーヒーをすする。

「そこの君」

 一人の男が公園の入り口に立っていた。白い服の長身の男――空条承太郎――だった。人気の無い公園に、一人でいる千雨を不審に思い声をかけた承太郎だった。承太郎の只ならぬ気配に、ウフコックの鋭敏な感覚に引っかかる。

〈千雨、気を付けろ〉
(うげ、マジかよ)

 ウフコックの声に従い、千雨は公園を覆うように知覚領域を広げる。
 そして、承太郎もまた、千雨の違和感に気付く。

(何者だ?)

 承太郎は帽子のつばを押さえつつ、千雨と一定の距離を保ち、対峙した。ふと、麻帆良に来る時に読んだ資料を思い出す。

「――君は、もしかして長谷川君か?」
「へ? なんで名前を?」

 反射的とは言え正直に答える千雨に、ウフコックは頭を抱えるのだった。



     ◆



 学校が休校になり、裕奈はドッサリと渡された二人分の課題を持って、一直線に寮へと戻ってきていた。

(アキラの奴、大丈夫かな)

 昨日、それとも一昨日だろうか、ここ数日アキラの様子が少しおかしいのに気付いたのは。一緒に部屋にいても、急に何か怯えるように視線をさ迷わせたりする時があるのだ。
 どうせ映画やテレビで恐いものでも見たのだろう、と思ったのだが、昨日の大浴場での出来事が、裕奈に何かを確信させる。
 今日の朝、アキラが体調不良を訴え、裕奈に欠席届を渡した時の事を思い出す。
 ベッドに半身を横たえたまま、青い顔で苦笑いをしている様は、まさに病人といった感じだったが、瞳の奥にある恐怖は本物だった。そう、まるで何かを失う事が恐いかのように――。
 女子寮の玄関を越え、自室へと向かう。ポケットからのカードキーを使い、部屋に入った。

「戻ったぞー。アキラは元気にしてるかー」
「だ、だめだ裕奈! 出てって! 逃げて!」

 尋常じゃないアキラの声に、裕奈は靴を脱ぐのも忘れ、部屋へと飛び込んだ。
 しかし、そこにあるのはベッドの隅で震えるアキラだけである。部屋の中をグルリと見渡すが、何も見つからない。
 寝ぼけたのかな? などと思い、緊張を解いた裕奈だったが――

「う、後ろ! 逃げて!」
「え……」

 裕奈は腹部に圧迫感を覚えた。まるで、〝何か〟に締め付けられてるような。
 視線を下げる。そこには太い一本の腕のようなものが腹に絡みついていた。そしてその表面からは黒いもやが染み出てきている。もやが触れた部分は染みとなり、服を滲ませていく。

「かはっ。あ、あ、あぁ」

 体を襲う脱力感。体に急な寒気が走る。まるで、高熱で倒れたような感覚に、眩暈まで起こった。
 裕奈は腕のようなモノの元を見ようと後ろを振り返る。そこには人影があった。狭い部屋の中にいながら、なぜいままで気付かなかったんだという様な長身の女性。体は奇妙な服で覆われ、頭には仮面をかぶっている。かぶっているはずだ。
 だが狐のような仮面にある細い溝、そこからギョロリと目玉が動くのが見える。偽者の〝はず〟の耳もピクリと動く。

「あ、う……が」

 口をパクパクとさせながら、体が崩れ落ちた。頬にフローリングの冷たさが感じられる。
 気だるさと気持ち悪さが交じり合う。吐き気を堪えつつ、視線で女を追いかけた。裕奈には一瞥をくれることなく、アキラの方をじっと見ている。

(アキラ、逃げて――)

 目蓋が重く、裕奈の意識は遠のいていく。



     ◆



「ハッ、ハッ、ハッ!」

 アキラの呼吸は浅く、速かった。目の前の光景が恐怖と悔恨を催す。
 最近、自分の周囲で見るようになった人影が、今日はハッキリと自室に立っていた。その風貌や剣呑に感じる気配に、アキラは恐怖していた。しかし、アキラは目の前のものがなんなのか、おぼろげにだが分かり始めている。
 何故か早めに帰宅した裕奈だったが、彼女は人影に気付くことなく、その尾に絡みとられ、黒いもやに侵されてしまった。
 床に倒れつくす裕奈を、潤む視界で捕らえつつ、アキラは動けないでいた。先日の小鳥といい、この前の大浴場での出来事、そして目の前の裕奈。それらはまるで自分のせいではないか。アキラの推論はそこに帰結するも、心がそれを拒否する。
 だが――。

〈オ前ノセイダ! オ前ノセイダ!〉

 自分を染めるような声が、耳に響く。バチバチと周囲に火花が散った。

〈オ前ガイッショニイルト、周リノ人ガ傷ツイテイクゾ。全部オ前ノセイダ〉

 頭に木霊するその言葉が、アキラを絶望の淵へと追いやる。

「アァァアァ」

 視線が泳ぎ、口の端からは泡が落ちた。爪でガシガシと髪を掻き毟る。アキラの瞳は恐怖に染まっていた。

「行かなくちゃ、行かなくちゃ」

 ブツブツと喋り続けるアキラは、もう室内にいる人影は見えていない。いや、人影はいつの間にか消えていた。
 朦朧としたアキラは玄関へ向かう。パジャマのまま、乱れた髪はそのままに。裸足で廊下へ出て、そのまま寮の玄関へと向かう。不思議と誰とも会わなかった。監視カメラに紫電が走り、各部屋の電子ロックがカチリと音を鳴らす。空からポツポツと雨が降り始めた。
 その日、アキラは行方を眩ませた。



     ◆



「スピードワゴン財団……ですか」
「あぁ、そうだ」

 公園のベンチに千雨と承太郎は並んで座っている。
 千雨達はその後、お互いの立場を確認しあった。千雨は学園都市からの転校生として、承太郎はスピードワゴン財団からの支援を受けた調査員として、だ。
 承太郎は麻帆良に来る前の事前調査で、千雨の資料に目を通していたのだ。承太郎が麻帆良に赴くほんの数日前の転校ながら、財団はしっかりと調べ上げ、顔写真とともに承太郎の元へ送られていたのだ。
 なにせ学園都市から麻帆良への転校は非常に珍しい。だが無いわけでは無いのだ。しかし財団や承太郎が注目したのは、千雨の保護者欄にある名前『イースター』である。以前世話になった事件屋の名前だった。
 それらの事を承太郎は大雑把に千雨に語り、千雨はその事をウフコックに聞いた。

〈スピードワゴンと空条姓には聞き覚えがある。直接の面識は無いがな〉

 ウフコックの言葉に、千雨は警戒を二段階ほど下げ、承太郎との会談に移ったのだ。

「君は学園都市出身者だったね。それでは『スタンド』について知っているか?」
「ス、『スタンド』て、あの『スタンド』か? 生粋の超能力とか何とかの」
「人によってはそう言うらしいな。とりあえずはその『スタンド』だ」

 承太郎はそう言い、コートの中から数枚の資料を出した。

「先ほどの気配から、君が只者でない事くらいはわかる。超能力者なのか、それともこの麻帆良の――なのかね。」
「あんた、本当に何者だ?」

 超能力者はまだしも、麻帆良の事情にまで精通してるらしい。

「しがない調査員だよ。とは言っても、本職は海洋冒険家だがな」
「ぼ、冒険家」

 うさんくせぇ、と口には出さず、顔に出す千雨だった。
 渡された資料をペラリと捲る。

「うえぇ」

 吐き気を催す写真が何枚か添付されている。汚いものを触るように写真の淵を持ち、裏返した。

「何ですか、これ?」
「君も知っているだろう。今回の変死事件、その詳細だよ」
「これが?」

 ふーん、といった感じで、千雨は写真は見ずに、資料を斜め読みしていく。現場に残された不可解な程の大量の血。外傷の無い男子学生。しかし、体内に残る焦げ跡。ゴミを重ねる様に放置された遺体。

「これ、変死事件じゃあないですよね」
「あぁ、間違いなく〝殺人〟事件だ」
「――〝殺人〟事件にできない事件って事ですか?」
「さすがに聡明だな」

 承太郎の行動に、千雨は違和感を覚える。

「なんで、わたしに教える……んですか?」
「今、この街は危機に陥っている。いやこれからも根本が解決されなければ、このような事件が起こり続ける。だから味方であれ、敵であれ、君のような存在に多少なりとも現状を知って欲しかったのだ」
「多少?」
「あぁ多少だ。できるならこの様な状況になる前に〝回収〟したかった。それに、君なら丁度いいと思ってね」

 承太郎は立ち上がり、千雨の方を向く。

「君は『超能力者』だろ。これが見えるか?」

 奇妙な感覚が千雨を襲う。ズズズズズ、と承太郎の背後から〝何か〟が立ち上がるように感じられる。透明な空気に揺らぎが起こる様な。薄っすらとした輪郭が千雨の瞳に写った。

(魔力? いや魔力に確かに近いが違う。この前得たフィルティング情報のおかげで微かに感じられる)
〈千雨も感じるか。この臭いはおそらく『スタンド』だ〉
「――これが『スタンド』?」

 思わず口からこぼれた。

「!? 『超能力者』ってやつも見えるのか。本来『スタンド』は『スタンド使い』にしか見えないんだがな」
「あ、いや違うんだ。そのわたしの『超能力』? みたいなやつがそういうのを感知しやすくて、薄っすらと輪郭が見えるっつーか、何っつーか」

 わたわたと手を振りながら、余計な事までいう千雨だった。

「そうなのか。まぁ丁度いい、だったら気をつけてくれ。今、この『麻帆良』を騒がしてるのは間違いなくスタンド使いだ」
「この変死事件とかがスタンド使いだってのか」
「十中八九そうだな」

 承太郎はスタンドを消しつつ、再びベンチに座る。

「『ある事情』により、本来稀有なスタンド使いが、この麻帆良で増えている可能性がある」
(『ある事情』ねぇ)
「実際、先ほどの変死事件だって、氷山の一角だ。今回の事件を調べる際に発見された事だが、この麻帆良ではここ数ヶ月で十数人の行方不明者が出ている」
「へ、そんな事聞いたことないぞ」
「それはそうだろう。最近になって分かったことだ。『電子データ』が改ざんされていた。紙媒体の資料との齟齬が発見され、やっと気付けたのだ。何者かが悪意を持ってやっている事は確かだろう」

 承太郎は立ち上がり、千雨に背を向ける。

「お、おい」
「気に止めて置いてくれ。おそらく君にとっても、俺にとってもの『敵』だ」

 そう言いつつ、承太郎は公園を出て行った。

「言うだけ言って、勝手な奴だ」
「だが、おかげで得られたものは多い」

 ウフコックがいつの間にかネズミの姿で千雨の肩にのっている。

「って言ってもねぇ――」

 グッと伸びをしつつ、空を仰ぎ見る。どちらにしろ関係ないことだ、そう千雨は思っていた。



     ◆



 承太郎との会談を終え、寮に帰宅した千雨が見たものは、いつにもましての喧騒だった。
 廊下に人だかりが出来ている。千雨はその人垣を掻き分けつつ、自室へと向かった。
 どうやらこの人の集まりは自分達、つまり中学生のフロアを中心に起きているのが分かった。
 なんとか自室のドアに辿り着き、部屋へ入ろうとする千雨に声がかかる。

「あーー! 千雨ちゃんだ。大変なんだよぉ!」

 佐々木まき絵の声だ。大きな声はいつも通りだが、どこか声音には不安が読み取れる。新体操で使うだろうリボンを駆使し、廊下の人の群れをアクロバテイックなジャンプでかわし、千雨の前に降り立った。

「今ね、ゆーなとアキラが大変なんだよ!」
「は? 大変ってなんだよ」
「えーと、かんせんしょう? とかで病院に運ばれたんだって」
「はぁぁぁぁ」

 まき絵の話を聞き、千雨は人込みを裂くようにアキラの部屋まで向かった。

「なんかねー、先生が言うには『感染力が低いから大丈夫ですよ』とか言ってたんだけど、さっきまで寮の前に救急車が来て大騒ぎだったんだから」
「二人は無事なのかよ?」

 千雨は歩きながら、切羽詰ったようにまき絵に問い詰める。

「う、うん。〝二人とも〟大丈夫って聞いたよ。ただ姿は見れなかったんだけど」
「そうか、良かった」

 最悪の事態は免れたようだ、と千雨はほっと胸を撫で下ろした。
 そうこうしてる内に、アキラ達の部屋まで来ていた。
 ドアの周りに黄色いテープで囲いが出来ており、廊下には消毒液の臭いが充満している。「下がってー」「戻ってー」、という先生方と思われる声が聞こえるが、やじ馬は一向に減らないようだ。

(おかしい……)

 千雨は知覚領域を薄っすらと発動させ、周囲を探知した。部屋の中にいる人間のほとんどが魔力持ちだった。ドアの隙間から見えるのはガンドルフィーニとかいう黒人の教師だったろうか。なぜ魔法使いがこんなに――。

(考えるまでもないか)

 『スタンド』なのか? だが、どっちにしろ栓の無い事である。千雨にはスタンドであろうと、感染症であろうとたいした事ができるわけではないのだ。幸いな事に二人は無事なようである。
 麻帆良を離れる前に一度お見舞いに行けばいいだろう、と千雨は思っている。
 だが、千雨はまだ『スタンド』の真の恐怖を知らない。
 窓の外ではいつの間にか雨が降っていた。



     ◆



 夕映はトイレの中で便座カバーの上に座っていた。ポケットをがさごそと探し、何粒かの錠剤を手のひらの上に乗せる。指が多少震えている。
 水も飲まずに、それらを一気に煽り、飲み込む。
 喉につまりそうになるのを堪え、一息。

「ふぅ」

 そして、またポケットを漁り、今度は小さなプラスチックケースを出す。
 中にはミニチュアのような銃が入っていた。銃身の変わりに、小さなガラスのビンが付いており、ビンの中には液体が満たされていた。
 夕映は銃口の位置にある針を、器用に新しいのと交換する。キュッキュと回転させ、固定。
 その銃を持ち上げ、首筋に当て、引き金を引く。
 プシュ、っという空気が抜ける音がし、夕映の体内に注射針と液体が流し込まれる。数秒間、それに耐え、夕映はゆっくりと針を抜き、道具を再び箱の中にしまった。
 気付けば体の震えは止まっていた。だが、虫食いのようなぼやけた感覚が残る。夕映は無意識にペンダントを握った。

「いつまで――」

 ぼやくような呟きに、自嘲の笑みを浮かべる。今更の事だ。
 夕映にはルームメイトが二人おり、なかなか一人になる事ができなかった。二人の前で錠剤はごまかす事ができるが、注射となるとごまかしが効かない。
 そのため、しばしばこの様にトイレに篭っているのだ。
 夕映はトイレの水を流し、そこから出る。
 部屋ではのどかとハルナが明るい声で何かを話していた。

「何を話しているのデスか」
「あ、ゆえゆえ、あのね――」
「もう聞いてよ~、のどかったらさ」

 夕映はニコリと笑い、談笑に加わる。その一時を噛み締めるように。
 『祖父』と呼ばねばならなかった最愛の人の顔はもうおぼろげで――。

(ジョ……さん)

 ただ、ペンダントの感触のみが、夕映の繋がりだった。



 つづく。




(2010/12/19 あとがき削除)



[21114] 第6話「拡大」+現時点でのまとめ
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2012/03/03 20:26
「裕奈……」

 病室に男性の声が響く。
 まだ若々しく、長身で、黒縁の眼鏡をかけた温和そうな顔の男である。だが、その表情は不安に揺られている。
 娘の手を両手で包み、心配そうにベッドに寄り添っている。
 男は明石裕奈の父親だった。麻帆良大学の教授を務めているが、娘には隠して魔法先生としても麻帆良では知られている。
 娘が倒れた、との一報を聞き急いで病院へ駆けつけたのだ。
 娘である裕奈は、多少荒い呼吸をしつつも、ベッドで眠っている。そう思い、多少安心した。
 病室にノックの音が響き、ドアが開かれる。

「が、学園長」
「やぁ、明石教授」

 麻帆良学園の長、近衛近右衛門だった。和服の出で立ちで、好々爺といった雰囲気を持つ老人である。だが常日頃纏っている、その気質が無くなっている事に教授は気付いた。

「すまんのぉ、教授。これはわしの失態だ」
「――どういう事でしょうか」

 近右衛門は手をかざし、遮音結界を病室に張る。無詠唱でこの展開速度、極東においては数人しか出来ない洗練された技術であった。
 近右衛門は裕奈の寝るベッドに近づきつつ、教授に話しかける。

「さすがにわしが触れるわけにもいかんじゃろ。すまんが裕奈君のふとんの中をそっと覗いて見てくれんかのぉ」
「――ジジイィ、うちの裕奈に何させる気だぁ」

 温和な表情が一変。教授は鬼の表情をし、学園長を睨み殺そうとする。

「ち、ちがうのじゃ! ホレ、とりあえず覗いて見てくれ」

 いぶかしみつつ、教授は裕奈のふとんを持ち上げ、固まった。
 そこには腹を中心に、黒いもやが裕奈を縛るようにうねっている。

「こ、これは呪い? 回呪の魔法は行ったんですか!」
「一応行ったが、まったくの無反応じゃった。それにそれは『魔法』では無い」
「『魔法』じゃない?」
「そうじゃ。おそらくそれが『スタンド』なのじゃろう。本来はスタンド使いにしかスタンドは見えないらしいがの。特別に見えるのもあるとの事じゃ」
「『スタンド』ですか。いや、なんであのスタンドが、この麻帆良で! 裕奈はどうなるんですか!」

 本来、紳士然とした態度の教授が取り乱し、近右衛門に問い詰める。

「すまぬ。わしとした事が甘く見ておった。麻帆良でスタンド使いが〝発生〟するとの連絡があったのだが、その調査や報告を最小限にしておったのじゃ。明石君ならまだしも、今の若い者のほとんどは『スタンド』の名前を知らん。学園都市とのいらぬ摩擦を避けたかったんじゃ」

 そんな事で裕奈を……、という言葉を教授は飲み込む。おそらく自分が責任者であっても、『スタンド』を麻帆良にいる魔法使い達に告知するなどという事はしなかっただろう。只でさえ侵入者が後を絶たない麻帆良の地では、ただいらぬ猜疑心をあおるばかりである。

「――何が起きているんですか」
「正直言ってわからぬ。ただ、麻帆良の地にスタンド使いを産み出す道具が持ち込まれ、それが悪用されている事くらいじゃ。なにせこちらは『スタンド』に関してほとんど知らぬからのぉ」

 だが、それは教授が欲した答えでは無かった。拳を握り締め、絞るような声を出す。

「それで、裕奈は。裕奈はどうなんですか?」
「――。とりあえず〝今のところ〟は命に別状は無い。だが改善もされておらぬ。その黒いもやはどうやら〝ウィルスのようなもの〟らしいのぉ。らしい、というのも実際はわからん。裕奈君の体には一気に感染が広がるものの、二次感染などは起きておらぬ。むしろ他者にまとわりついたもやは綺麗に消えてしまう。魔法と同じく不可解な症状じゃ」
「〝今のところ〟はとはどういう事でしょう」
「無理じゃろうが、気を悪くせんでおくれ。先ほども言ったが、改善されておらぬのじゃ。〝ウィルスのようなもの〟は徐々に裕奈君の体力を奪っておる。このままじゃいずれ体力が無くなり、最悪の事態になるじゃろう。現状、点滴などでどうにか凌いでおるがの。どの程度持つか、それすらも予想出来ん」

 教授は近右衛門の言葉に愕然とする。カクン、と体から力が抜け、椅子に沈み込む。そうですか、と蚊の鳴くような声でかろうじて返事をした。
 数年前に妻を亡くした時、娘とはお互いが支えとなり立ち直った。だが、今度はその娘が亡くなろうとしている。妻はすぐには手の届かない、遥か遠くの魔法界で死んだ。しかし、裕奈はすぐそこに居るのだ。裕奈の温もりはまだ手のひらにある。

――モウ、コボサナイ。

 漆黒とも言える執念が、教授の瞳に灯る。
 狂気にも似た目線を、教授は学園長にぶつける。

「学園長、お願いします。現状で判っていることを教えてください」
「う、うむ」

 近右衛門は語る。『矢』の事を伏せつつ、承太郎が来訪し、告げた事実を。また、ここ数日話題になっている変死事件が、スタンドによる殺人の可能性が高い事。数ヶ月に渡り学生の失踪があり、それらが巧みに隠蔽されていた事。そして――

「大河内アキラ、ですか」
「うむ。裕奈君のルームメイトじゃ。面識はあるかの?」
「えぇ、裕奈が何度か一緒に連れて来てくれましたよ」

 教授は長いポニーテールに長身と、目立つ容姿をしながら、酷くおとなしい女の子の姿を思い出す。

「そうか……。それでじゃが、その大河内君なのだが、行方不明なのじゃ。あの日、大河内君は体調不良を理由に寮に残っていたらしい。寮の警備システムにも、大河内君が外へ出た記録は無かった」
「はい」
「臨時休校となり、早々に帰宅した裕奈君が部屋に入る所も記録されておるのじゃ。その後、部屋を訪れたクラスメイトに倒れた裕奈君が発見された。じゃが、その時点で大河内君は部屋に居らず、警備システムにも、監視カメラにも姿が写っておらんのじゃ。裕奈君の異常な状態を寮長が察し、いち早くわしの所に連絡が来た。おかげで、どうにかパニックは収める事ができたんだがの。とりあえず〝二人〟は入院という事に〝しておいた〟のじゃ」

 言外に匂わす意味を、教授は履き違えない。

「アキラ君については?」
「さっぱりじゃ。ただ、色々と調査を進めると、どうやらここ数日、行動が変だったようじゃ。まるで何かに怯えるように。幾つか理由が考えられるがの、スタンド使いにさらわれたのか、もしくは自らが――」
「大河内アキラ」

 それが裕奈を救う『鍵』の名前だ。脳裏に刻み込む。今必要なのは友愛の精神ではない。

「大河内君を探すこと、それが解決の糸口となるじゃろう。こちらも専門家に調査をして貰ってる。どうにか耐えてくれ」

 近右衛門の言葉は、教授の耳に届かない。消えていたはずの笑みが浮かぶ。だが、それは常日頃浮かべるものとは別種のものだった。
 近右衛門は意識の戻らない裕奈を見つつ、思う。

(不謹慎じゃが、このまま裕奈君以外に広がらねば良いのぉ)

 しかし、近右衛門の不安は的中する。アキラの失踪から三日後、麻帆良内でのスタンド・ウィルス感染者は四人までになっていた。







 第6話「拡大」







 千雨はモシャモシャと焼き魚を頬張った。自炊能力が低めの千雨は、どうしても食事が偏る。特に麻帆良では洋食や中華が多く、シンプルな和食は食欲をそそった。
 ズズズ、とあさりの味噌汁を飲みつつ、きんぴらごぼうにも箸を伸ばす。

「食欲旺盛デスね」
「悪かったな」
「いえいえ、褒めてるんデスよ」

 夕映の言葉に若干顔をしかめつつも、箸は止まらない。
 千雨は夕映達三人の部屋に、夕食のお呼ばれにやってきていた。本来であるならルームメイト必須の女子寮では、なぜか千雨は個室なのだ。転校生、というだけじゃない理由があったりするのは勿論だ。
 変死事件の報道により学校は臨時休校。さらに寮では感染症が起こり二名が入院となって、二日が経った。
 寮生達は、ほぼ寮内に監禁状態で過ごしている。夜の外出は完全に禁止。さらに昼の外出も申請書を出した上での許可制になり、よほどの事が無いと許可が降りなかった。
 とは言っても、寮内には食堂も店舗もある。大抵の日常雑貨はそろうし、もう一つある寮塔には幾つかの店舗にATMまでがあった。スーパーより多少割高ながら、生鮮食品も揃っていて、自炊も出来る。
 ほぼ生活には困らないのである。
 千雨自身は寮からの外出は容易だが、わざわざ事件に首をつっこむのも面倒だった。
 すっかり慣れ親しんだハルナやのどかとも会話を交えつつ、食事は進む。ここ数日、ほとんどの生徒が変わり映えのない部屋に篭り、課題をやらされていたため、ストレスが溜まっていた。必然会話は弾む。
 サボろうと画策する者も多かったが、毎日寮の上級生による監査が入る。課題の進行具合によっては、後々ノシを付けられて課題が戻ってくるとの事で、みんな必死だった。

「そういやさ、大河内と明石の入院先って知らないか? 見舞いぐらいだったら申請降りるだろ。ちょこっと行ってきたいんだがな」
「う~ん。それがね、判らないんだよ。症状は軽い、って事らしんだけどね、なんでか先生達が入院先教えてくれないんだってさ。やっぱり感染症とか、その辺の事が関係してるのかもね」
「そっか」

 ハルナの言葉に納得しつつ、どうせ自分の力で調べればいいや、と楽観する千雨だった。

「只でさえ、今の麻帆良は大変なんデス。さらにウチのクラスに場所を教えれば、大挙して押しかけるのが目に見えるデス。好判断でしょう」

 小動物がカリカリと木の実を食べるイメージそのままな、夕映の食事風景だった。

「おい、夕映付いてるぞ」
「ふぇ?」

 夕映の頬に付いた米粒を、千雨はひょいと掴み、自分の口に放り込んだ。
 顔がカァーッと熱くなるのを夕映は自覚する。

「ん、どうかしたか」
「い、いえ。ナンデモナイデス」

 何も気にしてない千雨に対し、夕映はしどろもどろだ。

「「ニヤニヤ」」

 それを見守る視線が二対。
 夕映はハッと気付き、二人を睨みつける。

「んまー、ラブ臭がするわねぇぇぇぇ」
「ゆえゆえ、かわいい」
「ウガーーーーー!」

 ブンブン腕を振り回す夕映に対し、二人は冷静だ。
 何やってるんだか、と我関せず千雨はみそ汁をすする。



     ◆



 千雨は部屋に戻り、パソコンの電源を付けた。ブーンとハードディクの回転音が部屋に響く。

「さて、と」

 パソコンに電子攪拌(スナーク)をし、ネットワークへと繋がる。とりあえず麻帆良内にある病院を片っ端からアクセスし、アキラと裕奈の入院先を洗おうとする。

(――ん? ありゃ?)
「どうした千雨」

 ウフコックは机の上で丸まっていたが、千雨の表情に気付き、顔を上げた。

「んー、なんて説明したらいいんだろうな。違和感つーか、そういうものが麻帆良内のネットワークにあるんだ。ピッカピカの滑らかな床が、何かを引きずって傷つけられてる、みたいな感じだ」
「ふむ」
「まぁ、気にするほどじゃないだろ」

 千雨は気にせず、方々への電子的不正侵入を再開する。
 だが、ウフコックは先日の承太郎の言葉を思い出しつつ、考え込んだ。

〈麻帆良内でのデータの不正改竄。それに千雨がやっと気付けるほどのネットワークの違和感。もしや私達以外にも『楽園』の怪物がいるのか?〉

 じっと固まったウフコックはそのままに、千雨は次々と病院のセキュリティを破り、患者名簿を洗っていく。

「うーん、ここも駄目。一体どこにいやがるんだ。お? あったぞ」

 二人が入院している病院を見つけた。だが、その情報に千雨は違和感を覚える。

「なんか情報が少ないな」

 裕奈には最小限のカルテ情報はあるが、治療経過などがほとんど無い。

(やはりなんらかの特殊な状況にあるのか)

 そう思い、今度はアキラのカルテ情報を開いた。

「なっ!」

 白紙。
 名前と性別、学籍などはあるものの、それ以外は白紙。病状も、治療方針も何も無かった。

「どうなってやがるんだコイツは……」

 千雨は幾つかのネットワークを介して、本来外部へ繋がっていない病院内の警備システムへアクセスした。
 幸い二人が入院しているのは『特別治療室』なる監視カメラ付きの病室だった。
 カメラの映像に介入し、病室を見た。
 裕奈の病室では、寝ている裕奈に一人の成人男性が付き添っていた。家族だろうか。
 今度はアキラの病室に切り替えてみる。そこに映ったのはがらんどうな病室だ。ベッドはシーツが綺麗に張られ、使用した様子もない。室内の電灯も最小限にしか付けられてない。そう、これは空室だ。
 千雨は椅子を倒しながら立ち上がる。

「なんなんだよ、コレは!」
「千雨、どうした?」
「どうしたもこうしたもねぇ、先生見てくれ!」

 激昂した様子で千雨はウフコックに見える様にモニターを動かす。
 名前だけのカルテ、空室の病室。他にも、書類だけのアキラの存在証明が表示されている。
「なるほどな。千雨、大河内嬢はいま大変危険な状況にいるようだ」
「そりゃ、わかってる!」
「いや、判ってない。落ち着け、千雨。現状をしっかり把握しろ。なぜ大河内嬢がいないのか、なぜ学園側が隠ぺいするか」

 千雨はウフコックの言葉に、深呼吸を一つし考える。

「大河内が病院から抜け出した、いや違う。病院とは違う施設に連れて行かれたのか?」
「可能性はあるな。だがもう一押しだ。我々はもっと致命的な〝見落とし〟をしている」
「〝見落とし〟――」

 あの日、裕奈達が入院した日を思い出す。ふと、まき絵の言葉が思い出される。その後も、何人かのクラスメイト達との会話から、ある共通点が見出された。

「そうか! 誰も大河内が寮内から運ばれるところを〝見ていない〟のか」
「そうだ。誰も見ていない。つまり、第三者が現場に行った時にはもう大河内嬢はいなかったのだろう。明石嬢をあのような状態にした者に連れ去られたのか、もしくは他の理由があり自発的にいないのか、現状では判断できん」

 千雨はあごに手を添え、うんうん唸りながら考える。

「学園側が何かしらの隠ぺい工作をして、この事件を明るみに出すのを避けているのか。さらにさっきの病室から判断すれば、まだ事件は解決に至っていない。」
「空条殿の情報を照らし合わされば、おぼろげながら輪郭が見えてくる」
「そこで『スタンド』か。変死事件に失踪者。データ改竄に加え、大河内の誘拐? までと。動機がさっぱり判らないが、悪意だけは感じる。むかつく野郎だ」
「千雨、どうする。やはり傍観するか? 我々が首を突っ込んでも得るものはないぞ」
「うっ」

 千雨は調査のために麻帆良に来たにすぎない。荒事などできれば御免だ。なまじ力を持ってしまい、巻き込まれざるを得ない状況に陥ってるが、できれば平穏に暮らしたいのだ。だが――。

「も、もっと現状を知る人に聞き、それから考える!」
「そうか」

 ウフコックが笑った気がした。顔をそらし、千雨は携帯電話を手に取る。先日貰った名刺を出し、ポチポチと番号を押した。
 名刺には『空条承太郎』と書かれていた。



     ◆



 大河内アキラが目覚めたとき、自分がどこにいるか判らなかった。
 光の奔流。管のような所を滑り落ちながら、前から後ろへと膨大な光の矢が飛び去っていく。

「ここ、どこ……」

 目は虚ろ、思考も正常に程遠いが、なんとか現状を把握しようと周囲に目をかざす。
 そこはやはりどこを見ても光だけだ。ただ、独特の浮遊感だけが体を覆っている。
 自分の体を見る。服を着ているのか、裸なのかすら判らない。ただ、光が体のような輪郭を取っているだけだった。

「なに、これ……」

 漏れ出る言葉に、恐怖が走る。さらに思い出していくのは絶望的な光景。
 友人が倒れていく姿が目蓋に蘇る。

「いや、いやぁぁぁぁ」

〈オ前ノセイダ〉

「なんでこんな事に!」

〈全部オ前ノセイダ〉

「助けて!」

〈誰モ助ケニコナイ〉

「お願い、誰か!」

〈ミンナオ前ヲ殺シニクルヨ〉

 アキラの一言一言に〝誰か〟の言葉が被さる。その度にアキラの心は絶望に染まった。
 気付いた時、アキラはレンガ敷きの道の上に座っていた。

「あれ? さっきのは夢?」

 光の中にいたはずなのに、今周りに見えるのはうっそうと茂る緑と、夜の闇だった。近くの街灯がアキラ周囲を微かに照らすばかりだ。

「暗い。暗いよぉ」

 大雨がアキラの体を濡らす。ズブ濡れになりながらも、アキラはそこから立ち上がる事ができない。
 ただ絶望と不安だけが、心に広がり続けた。
 そこへ――

「大河内君」

 一人の男性の声がかかった。



     ◆



 千雨は承太郎に連絡し、以前出会った公園での約束を取り付けた。能力を駆使し、女子寮を抜け出し、大雨の中を急いだ。
 傘に当たる雨粒の音が、一層激しくなっている。
 程なくして公園が見えてくる。中央にある東屋に人影があり、千雨は近づいた。

「夜分、呼び出してすいません」
「いや、いい。手短にいこう」

 千雨は傘を折りたたみ、承太郎の向かい側に座った。

「それじゃお聞きします。大河内アキラをご存知ですか?」
「あぁ、名前だけなら。いや違うな、写真を見てビックリしたよ。一度だけなら会っていた」
「会って? ともかく、それじゃあやっぱり大河内はこの事件の当事者なんですね」
「そうだな。俺達も追っているが、未だに尻尾すら掴めない。だが、確証は無いが恐らく大河内アキラは『スタンド使い』だろう」
「はぁ? なんで急にそうなるんだよ!」

 承太郎の言葉に、千雨は思わず素で返す。

「俺の勘だ。『スタンド使いは惹かれあう』という言葉がある。放っておけばスタンド使いは会ってしまうんだ、自分と同属にな」
「だからって大河内がスタンド使いって事にはならないだろ!」
「あぁ、ならない。だから君に聞きにきたんだ。この写真を見てくれ」
「写真?」

 一瞬、以前見せられたグロ写真かとも思ったが違った。老婆が弓矢を持っている写真である。

「この写真に写る『弓と矢』を見てくれ。見覚えないか?」
「『弓と矢』――」

 アキラ達と学園内の資料室に行った事を思い出す。確かあの時、アキラは何かを持ってケガをしたはずだ。アキラは何を持っていたんだ。金属のそう――。

「『鏃』だ。アキラは先週、資料室で『鏃』で怪我をしたんだ。確かこの写真のと似てる気が――」
「やはりそうか。これで確定だ」
「ど、どういう事だよ」
「そのままの意味だ。大河内アキラはその時、『スタンド使い』になったんだ。現状から察すればおそらく暴走してるんだろう。いいか、さっきの『弓と矢』で怪我をすれば死ぬ。もしくは『スタンド使い』になるかの二択なんだ」
「え……、は……。ちょっと待て、じゃあ、あの時――」

 承太郎からの情報が千雨を混乱させる。〝理解〟はしている。だが信じたくは無いのだ。
 下唇を強く噛み、立ち上がる。

「わたし、確かめてくる!」

 濡れるのをいとわず、千雨は雨の中、女子寮へ向けて走り出した。

「おい、待て!」

 承太郎の呼びかけにも、一顧だにしない。

「クソ、これだから女は……うん」

 承太郎の胸元から携帯の着信音が鳴り響いた。



     ◆



 高畑・T・タカミチの目の前に、アキラはいた。
 大雨の中、地面に座り、遠目からも判るほど震えている。
 三日前、学園長から魔法先生達に現状が告示された。高畑は渦中にいる自らの生徒達を救うため、一睡もせずに麻帆良内を駆け回っていたのだ。
 そして、やっとの事でアキラを見つけたのだ。
 アキラの姿は酷いものだった。着の身着のままだったのだろう。パジャマのまま大雨に晒されている。このまま放置すれば風邪になる事は明白だ。

「大河内君」

 相手を脅かさないように、できるだけ優しい声音で話しかけた。

「良かった、大河内君。探したんだよ、みんなが心配しているよ」

 アキラに声をかけつつ、高畑は歩を進めた。
 顔を振り向き、アキラは高畑を見る。

「たか、はた、先生」

 酷い顔だった。グッショリと濡れた髪が顔中に張り付いている。雨のせいで泣いているのかは判らないが、目は真っ赤だった。瞳が光を返すことは無く、そこに黒い穴を穿つのみだ。
 戦場で何度か見た子供を思い出す。

「ずぶ濡れじゃないか、さぁ急いで帰ろう」
「先生ぇ……」

 できるだけ明るい声音でアキラに話しかける。アキラはクシャリと顔を歪め、搾り出すような声を出した。
 だが、ふとアキラの耳音に火花が散る。小さな光だ。最初は雨粒が光を反射したのかとも思ったが、違うらしい。パリパリと小刻みに火花が散る音が聞こえる。

「あぁぁぁぁ、いや、誰か、助けて」

 火花が散るたびに、アキラの顔色がどんどん悪くなり、絶望が広がっていく。高畑の背筋に悪寒が走った。だが――

「大河内君!」

 このままではいけない。戦士としての警鐘を、教師としての本能が上回った。アキラに走りより、肩を掴む。瞳を覗きこみ、声をかけた。

「大丈夫だ、大河内君。心配ない。もう安心していいんだ」
「もう、大丈夫……なの?」
「あぁ、そうだ。後は全部僕にまかせておけばいい」
「本当に? 本当に?」
「あぁ――」





〈ソンナワケナイダロ、バーカ〉

 そんな声が聞こえたような気がした。周囲に火花が散る。冷え切った高畑の体に、熱が走る。

「え……」

 高畑の胸から腕が生えていた。バチバチと火花を散らしながら、光る腕が後ろから高畑を貫いている。

「が、ゴボ、ガハ」

 呼吸をしようとするも、口から溢れる血が邪魔をする。血泡が口の周りに付いた。

「いや、いや、いやぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 アキラは目が見開き、口から絶叫を上げる。

「お、おぉこ、ガボッ、う……」

 なんとか安心させようと声をかけるも、溢れ出る血が邪魔をする。それに、高畑の体は動かなかった。気付けば、アキラの背後に長身の女性の人影が立っている。そこから伸びる尻尾のようなものが、高畑の傷口から黒いもやをまとわり付かせた。

(そうか、これが大河内君の『スタンド』。それじゃあさっきのは――)

 倒れた体が雨粒を弾く。冷たい地面が高畑の体温を奪っていった。地面に血の花が咲く。

「あぁぁあああああああ――」

 アキラの慟哭は唐突に遮られる。アキラに雷が落ちたと思うと、もうそこにアキラの姿は無かった。
 ただ、倒れ伏した高畑の姿が残るばかり。



     ◆



「ちょっと、あなた。何時の間に外出したの!」

 ずぶ濡れになり女子寮まで辿り着いた千雨は、玄関口の部屋にいた寮監に見つかり、声をかけられた。
 だが、千雨はそれを気にせず、階段を一気に上る。

「待ちなさい!」

 後ろから怒声が聞こえた。
 体中から滴る水を気にせず、ズンズンと進む。

「あ、千雨さん――ど、どうしたんデスか、その格好」
「気にしないでくれ」

 夕映の呼びかけにも目もくれず、廊下を進む。
 千雨の異様な出で立ちと雰囲気に、すれ違う生徒達は道を譲っていった。
 やがて目当ての部屋まで辿り着く。ドアの周りに立ち入り禁止のロープが張られているが、気にせず乗り越える。
 ドアには厳重にテープが張られているが、それも剥がした。テープの下から『明石、大河内』の表札が見える。

〈千雨、落ち着け〉
(わたしは落ち着いてるぜ、先生)

 電子ロックを触れただけで解除し、部屋の中へ入った。
 小奇麗な部屋だった。それがアキラと裕奈の気質なのだろう。装飾過多なものはほとんどなく、シンプルなインテリアだった。
 千雨は部屋全体に知覚領域を広げ、その中を精査する。幾つかの魔力が感知された。それはあの日、ここを調べていた魔法使いものだろう。感知できる魔力を除外し、更に調べていく。承太郎との会談でみた、『スタンド』の感触を思い出す。
 千雨の瞳に薄っすらと、人の姿をした輪郭の残滓が見えた。その感触は承太郎の時に感じたものと変わりが無い。

「く、くぅぅぅぅぅぅ」

 その事実に、千雨は歯を食いしばる。悔しさが口の中に広がった。

「ちくしょぉぉぉぉぉ!!」

 壁を拳で叩く。その衝撃で、タンスの上にあった写真立てが床に落ちた。
 千雨は壁を背に、ズルズルと滑らせ、床に力なく座った。
 いつの間にか、千雨の肩には金色のネズミが乗っていた。

「千雨……」

 ウフコックはかける言葉が見つからなかった。以前だったら容易に、論理的に話しかける事ができただろう。だが、今は恐いのだ。自分の言葉が千雨を壊しそうで、千雨の言葉が自分を――。
 カタリ、と落ちた写真立てが千雨の手に当たる。何の気も無しに、それを手に取り見た。
 写真の中では少女二人が手を繋いで遊んでいた。アキラの幼い頃の写真なんだろう。目元や顔立ちが似ている。だが、今と違って髪が短い。
 逆に、もう一人の少女の髪は長かった。幼いながら、ロングの髪をポニーテールにしている。赤味がかった栗色の髪。

「こ、れ、は……」

 千雨の目線は写真から離れない。鼓動が早くなる。視界が狭まり、写真しか見えなくなった。
「あぁ、そうか。そうなのか。ちくしょうぅ」

 目から涙がポロポロとあふれ出し、メガネの内側のレンズを濡らした。再び口を強くかみ締め、嗚咽を堪える。

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちく……」

 千雨は泣いた。



 つづく。








(2012/03/03 あとがき削除)


●現時点(第6話)でのまとめ
・長谷川千雨
両親を殺される事件に合い、「楽園」と呼ばれるある科学研究所の技術で治療を受ける。
その際、ウフコックやドクターと出会う。
さらに楽園の技術により、電子への干渉や、周囲への超感覚を持つ。
以前麻帆良に住んでいた事がトラウマになっている。
対外的には「超能力者」のフリをしている。
魔改造済み。
元ネタは「魔法先生ネギま!」「マルドゥック・スクランブル」。

・ウフコック
多次元に貯蔵した大量の素材を使い、使い手の思考に合わせて様々なものへ変身できるネズミ。
楽園で産み出された万能兵器である。
ドクターとともに楽園を出て、千雨と出会う。
本来は感情などの臭いを嗅ぎわけるのだが、千雨との出会いにより自らの感情が発露。
現在はその力はかなり減衰してる。
やっぱり魔改造済み。
元ネタは「マルドゥック・スクランブル」。

・ドクター・イースター
千雨を治療した科学者。事件屋も営んでいる。
元々「楽園」出身であり、現在は学園都市に滞在している。
現在両親のいない千雨の保護者。
元ネタは「マルドゥック・スクランブル」。

・空条承太郎
ジョジョ第三部の主人公。
時系列的には第四部登場時と同じ。
時を止める最強スタンド「スター・プラチナ」を持つ。
ほぼ原作と同じ。
スタンドを発現する「弓と矢」を追い、麻帆良にやってくる。
元ネタは「ジョジョの奇妙な冒険」。

・大河内アキラ
スタンドを発現する矢に傷つけられ、スタンド能力を得る。
しかし絶賛暴走中。
魔改造中。
元ネタは「魔法先生ネギま!」「ジョジョの奇妙な冒険」。

・綾瀬夕映
よくわからない過去持ち。
不思議な事が好き。
少し語尾のイントネーションがおかしい。
絶賛魔改造中。
元ネタは「魔法先生ネギま!」「?」。

・麻帆良学園
街一つが魔法使いの土地になっている。
「弓と矢」が流れ着き、悪用されている。
元ネタは「魔法先生ネギま!」。

・スタンド能力
人間の精神力を具現化した能力。
先天的に持っているか、「弓と矢」で傷つけられるかでしか発現しない。
ちなみに「矢」には未知のウイルスが付着しており、感染すると普通は死ぬ。
スタンド能力を発現したものだけが生き残れる。
元ネタは「ジョジョの奇妙な冒険」。

・学園都市
超能力者を開発している都市。
東京の三分の一を占める。
麻帆良とは電車で五十分程の距離にある。
スタンド能力を人工的に模倣した果てに産まれたのが超能力、という設定改変がされている。
元ネタは「とある魔術の禁書目録」。



[21114] 第7話「double hero」+時系列まとめ
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2012/03/03 20:27
 高畑の回収と治療は速やかに行われた。
 彼自身が意識を失う寸前に放った念話は、即座に近右衛門へと送られ、近右衛門は魔法先生を現場へと急行させた。
 おおよその位置しか特定できず、一刻を争うという事もあり、動ける魔法先生の全員が高畑の捜索へと飛び出す。
 発見された高畑の容体は酷いものだった。急所をギリギリで通り抜けているものの、少しズレていれば間違いなく即死である。内臓も削られ、真っ当な表の世界では緩慢な死しか選べないだろう。
 だがここは麻帆良、魔法使いの土地である。近右衛門を筆頭に、治癒魔法が使える者による一大治療が行われた。削られた内臓を再構築し、失った血を補給させ、体の各部に起きた異常を調整する。魔法による治療としては長い、一時間以上もの時間がかかり、高畑の傷はほぼ完治した。だが――。

「やはり取り除けぬか」

 高畑の傷跡を中心に広がる黒い染み。今、関係者間では『スタンド・ウィルス』と呼んでいるものである。魔法での治療中も、この染みが消えることは無かった。明らかに魔法とは別種の力だと、改めて近右衛門に確信させる。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 高畑の息は荒い。魔法での治療は酷く患者の体力を奪う。それが故の治癒能力の高さなのだ。しかし、今はそれが仇となっている。魔法による治癒をしなければ死んでいただろうが、その治癒により、高畑の『スタンド・ウィルス』の抵抗力が衰えているのだ。
 このままでは高畑の死が近い。明石裕奈にしろ、調査中に感染した魔法使いにしろ、体力のある状態で感染し、しっかりとした施療がなされているからこそ未だに持っていた。

「むぅ……」

 近右衛門が唸り声を上げた時、病室のドアがすごい勢いで開かれる。

「――ハァハァハァ、おいジジイ! タカミチが死に掛けてるというのは本当か!」

 金髪の幼女が肩を上下させている。走ってきたのだろう、息も荒ければ歩き方もぎこちない。エヴァはそのまま近右衛門に問い詰めた。

「ジジイ!!」
「わ、わかったから落ち着くのじゃ。とりあえず高畑君は一命は取り留めた。だが――」

 エヴァはキッっとベッドに眠る高畑を見る。視線が傷跡で止まった。

「『スタンド・ウィルス』か。どいつがやった、今度こそ判ったのだろう」
「う、うむ……」

 高畑の治療中、彼の記憶を読み取る魔法を使い、当時の状況がかなり克明に判っていた。今までも感染者に対し、同様の事を行ったのだが、『スタンド』のせいなのか、おぼろげな記憶しか覗けず、犯人の確信に至らなかったのだ。
 口ごもる近右衛門に業を煮やしたエヴァが口を開く。

「大河内アキラ、で間違いないのだな」
「う、うむ。そうじゃ」
「それだけ判れば十分だ」

 エヴァは踵を返し、病室を出て行こうとする。

「エヴァ! どうする気じゃ」
「――ジジイの渡してきた『スタンド』の資料にあったじゃないか。例外はあるらしいがスタンド能力の解除は大別すると二つ。本人の意思による解除、もしくは――能力者本人の死亡」
「まさか、お主」
「おいおい、ここまで来て日和見か。もうろくしたなジジイ。いいか、私はな――」

 エヴァは足先から腕先まで綺麗に気を流し、勁を混ぜ合わせた裏拳を病室の壁に叩き込む。壁一面にヒビが入り、中央には穴が穿たれた。華奢な体に似合わぬ破壊力である。

「我がままなんだよ! これ以上酒を飲みあう友が居なくなるなるのは気に入らん!」

 怒りに満ちた瞳だった。

「うぐ、だが、しかし――」
「学園長」

 そこへ声をかけたのは明石裕奈の父、明石教授である。彼の後ろには数名の魔法先生が付き従っている。

「わたしもエヴァンジェリンに賛成です。この状況になってまでこまねいていたら、全て取り返しが付かなくなってしまう」

 後ろに居る魔法先生も、神妙な面持ちで同意の首肯をする。

「うぐぐ……」

 近右衛門の額に脂汗が溜まる。殺伐とした世界に在りながら、ここ数年のぬるま湯のような期間が、近右衛門を苦悩させた。悔恨と責任がせめぎ合い、一つの結論を出す。
 数分後、麻帆良内の魔法先生のみに通達された念話の内容は『大河内アキラの抹殺』だった。
 事態は一刻を争う。







 第7話「double hero」







「うぐ、ううううぅぅぅぅぅぅ」

 堪えきれない涙が溢れている。嗚咽も止まらず、ただ歯を食いしばり、写真を抱え込んだ。雨によって濡れた千雨の体から、落ちる雫がフローリングに水溜りを作る。ポタポタと落ちる雫はなにも雨ばかりでは無い。
 膝の間に顔を埋めつつ、千雨は思い出していた。いつかの昔、自分が幼い頃に救われた日々を。

「……」

 肩に乗るウフコックは、じっと千雨を見つめたまま動かない。ふと、鼻をひくつかせ、千雨の手首に巻きつき、いつも通りの腕時計に反転(ターン)する。
 いつの間にか、部屋の入り口には夕映が立っていた。

「千雨、さん」

 ビショビショに濡れ、うずくまり泣く千雨に近づく。まるで赤子のようだ。夕映は千雨を抱きしめたくなる、だがそれを寸前で止めた。
 以前、図書館島の地下に行ったときから、千雨が何かしらを抱えている事を知っている。それが日常の中に無いことも。
 彼女がどれ程の世界に身を置き、どれほどの苦悩を抱えているのか、夕映は判らない。されとて、このまま千雨を放っておく選択も出来ない。出来るわけが無かった。
 夕映は千雨の肩を強く掴み、顔を上げさせた。

「う、えぐっ、えぐっ」

 酷い顔だった。目は真っ赤に腫れ、髪は濡れて貼りつき、鼻水はダラダラ、口も必死にくの字の形を保っている。
 ポケットからハンカチを取り出し、顔を拭いてあげた。
 涙は拭いた傍から溢れ出し、髪は大量の水気で、とてもハンカチ一枚では足りない。部屋にあったティッシュで、チーンと鼻をかませる。
 少し落ち着いたのを見計らい、夕映は声をかけた。

「私には何故千雨さんが泣いてるか判りません。何故女子寮を抜け出したのか。何故明石さん達の部屋に来たのか。何故写真を抱えているのか」

 その言葉に、千雨は写真を一層強く抱きしめる。

「ですが、一つだけ判ります」

 夕映は両手を大きく開き、千雨の両頬に同時に平手をした。パチーンと小気味良い音がする。そのままおでことおでこをぶつけ、至近距離で千雨を見つめた。

「このままじゃ駄目デス。私に出来ることは少ない。でも千雨さんは違うでしょう? 私、図書館島で落とし穴に落ちた時、パニックになりながらも千雨さんを見ていたんデス」

 ほんの数秒の落下だった。だが慌てて固まるばかりの自分と違い、必死で助かろうともがく千雨がいた。その姿ははるか昔、虫食いのような記憶にある『祖父』に重なる。それはまさに――。

「麻帆良が今おかしいのは、さすがの私でも判ります。そして、きっとそれが千雨さんを悲しませているという事も。だから、このままじゃ駄目デス。あなたは立ち上がれる」

 夕映の言葉が耳に広がる。昔、麻帆良にいた時のやるせなさ。半年前、死にゆく両親を前に何も出来なかった無力感。まだ、わたしに出来る事があるのだろうか。
 零れ落ちた水を戻す事ができない、などと誰が言ったのか。今の千雨にはそれが出来る。ウフコックがいて、ドクターがいる。

「う、うぅぅぅぅぅ」

 ポロポロと落ちる涙は止まらない。だが、その涙の先――千雨の瞳に小さな火が灯る。

「――りがとう」
「えっ?」

 千雨が急に立ち上がり、その勢いで夕映はコロンと仰向けに倒れた。千雨は顔を服の袖でグシグシと擦る。
 そこから現れた表情は、先ほどまでとは一変している。
 涙の痕は隠せないが、それでも顔に覇気があった。

(先生、すまない)
〈腹は決まったようだな〉
(あぁ!)

 夕映に背を向け、部屋の玄関に向かう。

「夕映、ちょっと出てくる。取り戻してくる、全部っ!!」
「は、はい!」

 アキラ達の部屋の周りに、数人の人垣が出来ていた。それはそうだろう。寮を抜け出し、帰ってきたらびしょ濡れで廊下を疾走。さらに封鎖されている部屋をブチ破ったのだ。
 寮長や上級生の姿も遠くに見え始めた。

「や、やべ」

 千雨は人垣を掻き分け、玄関へ向けて走り始める。
 後ろから怒声や静止を催す言葉が聞こえるが、無視をする。
 だが、千雨の体力は並だった。徐々に追いつかれる。

「ぜぇぜぇ、く、くそぉ!」
「待ちなさい! 寮則を破った挙句、立ち入り禁止の部屋にまで入るなんて何考えてるの!」

 追跡者の手が、千雨の肩に触れそうになる。

「任せてくださいデス」

 その間に小柄な影が割って入った。
 上級生の伸びた手を掴み、綺麗に背負い投げを決める。

「え?」

 気付いたら天井を見ていた。そんな状況に上級生は間抜けな声を上げる。

「あれ?」

 投げた本人、夕映自身も不思議そうに自分の手を見ていた。

「ゆえゆえすご~い!」
「さすが探検部のリーサルウェポンね、私の見込みどおりよ!」

 いつの間にか周りに探検部のメンバーが並走している。

「なんだか判らないけど、千雨ちゃん急いでるんでしょ。『ここは任せて先に行け』ってね! 言ってみたかったんだ~」

 そう言うなり、ハルナやのどかは寮長や上級生達にダイブした。足や腰に抱きつき、足止めをしてくれていた。少し遠くを見れば二年A組のクラスメイト達も妨害をしてくれている。

「み、みんなっ!」

 後ろを振り返りつつ、千雨の足は止まらない。

「千雨さん、頑張ってください!」

 その声はしっかりと千雨の耳に届いた。



     ◆



 走り去る千雨を見つつ、夕映は床に投げ倒した上級生を起き上がらせ、謝罪した。

「申し訳ありませんデス」

 言い訳はせず、ただ頭を下げる。千雨が抜け出た事で、周囲の熱も下がり、そこらかしこでクラスメイトの謝罪が飛び交った。
 寮長と上級生達も、そのあまりの変わり身の早さに呆然とするが、すぐさま事態を再確認し、改めて怒声を発する。
 夕映はその声を聞き流しつつ、千雨の姿を思い出していた。幼い頃見た『祖父』の姿と重なる、それは――。

(そう。私はあなたに、昔見た『ヒーロー』を重ねたんですよ)

 小さく囁いた。



     ◆



 高畑が血の海に倒れる光景が目蓋に焼き付いている。
 アキラは絶叫を上げたはずだった。だが、声は伝播せず、空気を振動させない。いや空気そのものが無かった。
 また光の中を落ちていた。輝きがうねり、自らを絞っていく。

(なんで、どうして)

 口を開く気力も無く、身をそのまま委ねた。
 血を見た事でふと、数日前の事を思い出す。千雨にハンカチを借りた事を。新しいハンカチを買ったのに、とうとう渡す機会が無かったのだ。

(もう渡せないかな)

 切なさが込み上げる。それが、辛うじてアキラを繋ぎとめていた。
 気付けば時間の感覚が無くなり、何も出来ない絶望感が感情を塗りつぶす。
 また光の渦が消え、雨に濡れた地面に座っていた。

「木……、世界樹?」

 うっそうと茂る巨大な姿は、夜の闇の中でも確認できた。世界樹広場と呼ばれる場所の中央に、アキラは居た。
 周囲を見渡す。街の光がたくさんあった。だが、少しづつ、その光が消えていく。ポツポツ、ポツポツと。
 アキラの周囲に黒いもやがあふれ出した。いや、もうもやではなく煙である。勢い良く噴出し、広場を覆っていく。紫電が周囲に走る。バチバチと、雨粒を弾く電気の音。
 これから自分が引き起こすだろう事に、罪悪感が溢れた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 もう、顔を伝う雫が、何なのか判らなかった。
 ”闇”の中に〝黒〟が染みる。

〈〈アハハハハ〉〉

 歓喜は二つ。巨大な樹の下と、はるか遠くの地下からだった。



     ◆



 寮を出た千雨は、土砂降りの中を走り続ける。
 麻帆良中にある監視カメラのシステムにアクセスし、状況を把握しようと努めた。雨のため視界が悪いカメラ映像を、並列思考で精査していく。千雨の頭には麻帆良内の地図と、把握できる限りの人物の現在地が表示される。
 監視カメラの酷い映像からは確証は無いが、麻帆良中央にある世界樹広場、そこにいる人影がアキラだろうと当たりをつける。顔は見えないが、パジャマらしき服装と、長髪は確認できた。
 しかし、脳内に広がる人物の配置に違和感を覚える。数人の教師が、常人とは思えないスピードで、アキラの居る世界樹に向かって動いているのだ。千雨の方が世界樹に近いのでアドバンテージはある。だが、それすらもあっという間に覆されそうだった。

「ちくしょう、どうなってやがる!」
「おそらく、大河内嬢の保護、もしくは――」
「あれ? 先生、わたし達の進路上にも人影が」

 教師陣の異常さに見とれていた千雨だが、自分達の向かう先の人影を見落としていた。

「空条さんか」

 長身の男性が雨の中、電灯の下に仁王立ちしている。

「やっと来たか。それでどうだった?」
「あぁ、あんたの言ったとおりだったよ。急いでるんだ、どいてくれ」
「待て、話を聞け」
「だからそんな暇――」

 承太郎の威圧する目線に言葉を飲み込む。

「長谷川君が公園を飛び出した後、学園長から連絡が来た。君の担任の教師が大河内アキラを発見し、負傷したと」
「えぇ!」
「幸い、魔法とやらで治癒したらしい。怪我はな。だが、感染したとの事だ」
「感染、って何にだよ」

 苛立たしげに千雨は聞く。

「麻帆良では今こう呼ばれている『スタンド・ウィルス』と。黒いもやに触れると感染し、感染者からの二次感染は確認されていない。徐々に体力を奪い、死に至らせられるだろう、と目されている。遅効性の毒みたいなもんだ」
「『スタンド・ウィルス』って、まさか」

 承太郎は帽子のつばを上げ、愕然とする千雨を真っ直ぐ見定め、答えた。

「そうだ。大河内アキラのスタンド能力だ。明石と呼ばれるルームメイトも感染してるらしい、他にも麻帆良内で数名。いずれも存命だが、いつまで持つかわからんとの事だ」
「っ――」
「俺はスタンドの解除方法を聞かれたんだがな。そんなもの二つしか知らない。本人が解除するか、本人が死ぬかだ」
「は……?」
〈――やはりな〉

 予想していた、というようなウフコックの声が脳内に響く。

「そしてついさっき、学園長から再度連絡が来た。『大河内アキラの抹殺を決定した、協力して欲しい』とな」
「なぁっ!」

 脳内にある麻帆良のマップデータが千雨をさらに焦らせる。この教師陣はアキラを殺すために動いてるのだ、と気付くと、寒気が一気に駆け巡った。零れ落ちたモノをすくいなおす。そのはずなのに。

「な、なんであんたはわたしにそんな事まで話すんだよ」
「――さて。なんでだかな」

 一瞬思案し、承太郎は答えた。
 千雨は脳内のマップデータを再確認する。麻帆良の中央にはアキラが、そこに一番近い位置に千雨と承太郎がいる。だが後方には十数人の人間がすごい勢いで世界樹へ向けて動いていた。
 迷ってられなかった。千雨は地面にこすり付けんばかりに頭を下げる。

「あんた、じゃなかった空条さん。たのむ、わたしに力を貸してくれ!」
「力をだと? 君はどうするつもりなんだ」

 顔を上げ、承太郎の目に直接語りかける。

「もう、零したく無いんだ! 大河内は大切な奴なんだ! わたしは全部をどうにかする! したい!」

 千雨は力の限り叫ぶ。支離滅裂な言葉の羅列。しかし、そこには千雨の思いがあった。

「……仮に、俺の力を借りたとして何が出来る。スタンドを暴走させた大河内アキラに、魔法使いの追っ手。君一人に何が出来るんだ」
「出来る! わたしにはそのための力があるし、それに……先生だっている!」
「先生?」

 シュルリと千雨の腕時計が姿を変え、金色のネズミが千雨の肩に乗る。

「お初にお目にかかる、空条殿。事件屋のウフコック・ペンティーノと言う。書類上ではお互い顔見知りだな」
「あんたが、ウフコックだと」

 喋るネズミに、少しばり承太郎は驚く。

「いや、失礼した。それでウフコックとやらがいてどうなる」
「空条殿、私が『楽園』出身だと言えば判りますか?」
「『楽園』!? なるほど、それであんたらは……。いいだろう、ただ一つ条件がある」

 千雨の返答も待たず、ゆらりと承太郎は一歩を踏み出す。
 承太郎の背後がぶれる。千雨はとっさに領域を拡大し、自らの演算能力を酷使した。
 大砲。
 承太郎のスタンド『スター・プラチナ』の拳はそう形容するしか無いようなものである。たった一発の拳打が、地面に大きな溝を作った。
 轟音の後、砂煙が舞う。だが、雨のおかげで、砂煙はすぐに晴れた。

「ほう」

 承太郎の感嘆する声が出た。
 千雨はスター・プラチナの一撃を、ギリギリの所で避けていた。一般人と変わらない身体能力の千雨にとっては、本当に紙一重である。身近に立つ〝死〟が、千雨を怯えさせる。だが――。

「てめぇ、いきなり何しやがる!」

 決して瞳を逸らさない。

「〝承太郎〟だ」
「は?」

 いきなり殴ったと思ったら、変な事を言い出す承太郎に、千雨は首を傾げる。

「俺の名だ。そう呼べ〝千雨〟」
「な、いきなり何呼び捨てにしてるんだ!」

 承太郎の目線も揺るがない。

「かつて、俺と仲間達はエジプトへの旅をした事がある。その旅の戦いの中、俺達が正義の中に見たものがある」

 千雨の言葉を一切聞かず、承太郎は話し続ける。

「輝き――千雨、君の瞳には怯えと恐怖がある。だが、俺の拳を受けてなお、その中には〝輝き〟があった」

 彼の祖父である人物は、その〝輝き〟を『黄金の精神』と呼んでいた。

「なっ……?」
「そして君には〝力〟がある。〝輝き〟と〝力〟を持つ同じ志の人間を、俺は『仲間』と呼んでいる」

 承太郎はそっと拳を出した。

「胸糞悪ぃ申し出より、遥かに価値のある行動だ。魔法使いどもは受け持とう。思う存分にやれ、千雨」
「あっ」

 千雨は承太郎の拳に、そっと自分の拳を合わせた。

「お、お願いします」
「違う。そこは『頼む』だ」
「た、頼みます! 〝承太郎さん〟」

 ゴツンと承太郎の拳が当たる。ジーンと痺れる拳を押さえつつ、千雨はその力強さがありがたかった。

「――まかせろ。さっさと行け」
「は、はい」

 承太郎の横をすり抜け、千雨は世界樹の元へ一目散に走る。
 それを見送りつつ、承太郎は千雨と逆の方向を見た。自らのスタンド、スター・プラチナの視力を使い、遠くを見る。何人もの人影が近づいてくるのが見えた。

「やれやれだぜ」

 帽子を深く被りなおす。
 人影の方向を向き、足を広げて立つ。両手をポケットに入れ、胸を仰け反らせた。
 その姿は壁に似ている。
 誰も通さない、無言の気迫が立ち上っていた。



 つづく。










(2012/03/03 あとがき削除)


●第7話時点、時系列まとめ。

■20××年 五月 (ネギま原作開始の九ヶ月くらい前の設定)

■第二週
●月曜
・千雨、麻帆良に転校。
・麻帆良にて初陣。
●火曜
●水曜
・承太郎麻帆良へ到着。
●木曜
・資料室にてアキラが怪我を負う
●金曜
・千雨、図書館島に行く。
・クウネルとも出会う。
・エヴァが男子学生の変死体を見つける。
●土曜
・アキラ、スタンド能力が目覚め始める。
・承太郎、資料室でスタンドの矢とニアミス。警備員が殺される。
・千雨、魔法に関するレポート提出。

■第三週
●日曜
・変死事件が公表。
・千雨、爆睡。
・アキラ、不可解な現象に悩む。
●月曜
・アキラ欠席、臨時休校決定。
・アキラ失踪。裕奈ウィルス感染。
・千雨、承太郎と出会う。
●火曜
●水曜
▲夕方~夜
・千雨、夕食にお呼ばれ。
・高畑瀕死。
▲夜
・アキラの抹殺決定。
・千雨、承太郎共闘。



[21114] 第8話「千雨の世界ver1.00」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2012/03/03 20:27
 千雨の息は荒い。
 只でさえ体力が人並みの千雨が、麻帆良中をずっと走り続けているのだから当たり前である。降りしきる雨も、千雨の体力を徐々に奪っていく。

「くそ、見えねぇ」

 雨水に濡れたメガネを擦る。

「おわっ」

 足元が水で滑りかけるが、なんとか持ちこたえる。一度立ち止まると、足がガクガクと痙攣しているのが分かった。だが、止まるわけにはいかない。
 座り込みたくなるのを堪え、再び走り始める。
 喉がナイフで刺されたようだった。手足に鉛を付けられているようだった。一歩足を踏み出すのが遠く感じられる。だが、止まらない。
 千雨の背中を数多くの手が押してくれた。かつて裏切られ、救われたこの地で、再び救われたのだ。そして、今度は千雨が救いたい。
 ”輝き”が千雨の体を駆け巡る。
 しかし、千雨の知覚領域に意外な人影が入った。承太郎が足止めを受け持った場所とは違う方向から、二つの人影が向かってきている。先ほどの魔法使い達とは比較にならないスピードだ。
 幸いな事に、千雨とはかち合うコースであった。
 だが、電子干渉(スナーク)をし、いくつかの監視カメラから姿を把握しようとするものの、あまりのスピードに影しか把握できないのだ。

「チッ! こんな時にかよ」

 千雨はウフコックに干渉し、拳銃に反転(ターン)させる。銃口を相手の来る方向に向けた。風の様な速さで、地を駆ける二つの人影が、千雨を前にして止まった。

「お前は」
「貴様は」

 千雨と相手の声が重なった。







 第8話「千雨の世界ver1.00」







 明石教授は魔法先生達十四人の先頭を走っていた。即座に集められた魔法先生達の人数である。何れも麻帆良内の警備を担当しており、戦闘経験を持っていた。今回、魔法使いの学生、通称『魔法生徒』には連絡もしていない。まだ彼らには、これから行われる凄惨で生臭いものを見せたくない、という思いからだった。もっとも、それらがどれほど彼らを思っているかは定かではない。
 それぞれの先生達が、体に魔力や気を纏い、身体能力を底上げしつつ走る。常人の範疇を越えながらも、息を切らせる者は皆無だった。
 走りつつ、学園長が頼んだ助っ人との合流ポイントへ近づく。

「あそこか」

 街頭の下、一人の長身の男性が立っていた。
 空条承太郎。今回、麻帆良へスタンド使いが現れる情報を掴み、調査を申し出た男との話だ。あのスピードワゴン財団からの全面バックアップもあり、本人もスタンド使いという一角の人物らしい。海洋生物に関する論文も幾つか発表してるらしく、プライベートなら気が合うかもしれない、と密かに教授は思った。
 承太郎の前に魔法先生達は立ち止まる。代表するように教授が一歩前に出る。

「空条さんですね。麻帆良大で教授をしている明石です。今回の事件での協力をして頂けると、学園長から聞いております」
「あぁ、そういう話『だったな』。すまない」

 そう言うと、承太郎は帽子のつばを掴み、目礼をする。

「あの、どういう事でしょうか?」
「要点だけ言おう、魔法使い殿」

 教授は空気が変わるのを感じた。承太郎への目線が離せない。
 ドサリ、と後ろで音がして振り返る。

「な、何だ!」

 一人の魔法先生が気を失っていた。あご先にアザがある。
 今、ここにいる者達は大なり小なり、魔法障壁を張っていた。障壁は物理的、もしくは魔法などの衝撃を緩和する。その障壁を抜けて攻撃されていた。

「みなさん! 警戒してください! 周囲に何者かがいます!」
「その必要は無いぜ」

 教授の耳に承太郎の声が重く響く。地鳴りのような音が聞こえた気がする。

「『俺』が『あんたら』の敵だ、ついさっきからな。悪いがここを通すわけにはいかない」

 承太郎の不敵な言動には、先ほどの攻撃が彼によるものだと確信させる何かがあった。自分達『魔法使い』が感知できない攻撃、『スタンド』、そして目の前にいる『スタンド使い』。次々と連想される単語が、等しく目の前の男へと収束される。
 高畑が死に掛け、他にも魔法使いの仲間の命も削られている。なにより、娘たる裕奈も命の危機なのだ。その焦燥感に、教授は歯をギチリと軋ませながら、承太郎に問いかける。

「なぜっ! なぜ邪魔をするんですか! 今、ここで彼女を殺さなければ、我々の友人達が死んでしまう! む、娘も死に掛けてるんだ!」

 教授の必死の説得。いや、説得にすら至らない、心情の吐露だ。背後に控える同僚達も、その心情に共感する。無言のまま、憤怒の視線を承太郎にぶつけた。

「『輝き』だ」

 承太郎の一言に、一瞬怒気が薄れる。

「俺は先ほど一人の少女の『輝き』を見た。大河内アキラを殺す。組織として正しく、なにより効率的だ。だがな、俺は気に入らない。敵のスタンドの根暗さに、この麻帆良とやらは毒されてるらしい、そしてその暗さを吹っ飛ばすのは『輝き』だ」

 承太郎はポケットから手を出し、魔法使い達に向け、ピシリと指をさした。

「俺は『輝き』、正義の中にある『光』にかけただけだ。御託はもういいだろう、さぁおっぱじめようぜ。俺に背を向けて逃げられると思うな」

 承太郎の背後にスタンドが立つ。『立ち向かうもの』の異名を持つ、人の精神の具現。今、この場で承太郎のスタンド『スター・プラチナ』を見えるものは本人しかいない、またその能力を知る者も。
 承太郎の得体の知れなさに、教師達は一斉に距離を置いた。障壁に魔力を注ぎ、より強固にする。

「おいおい、いいのかそんなに離れて。そこは『俺の距離』だぜ」

 承太郎の言葉を聞いた次の瞬間、衝撃が教授を襲った。障壁をハンマーで殴られた様な感覚である。外傷は無いが、肌がピリピリと痺れた。

「な、なんだ一体!」

 周囲を見れば、同じ様な目にあっただろう数人が首肯している。今の一瞬で五、六人に対し、同時攻撃を行ったらしい。

「くぅ、みなさん、死なない程度に無力化させます!」

 教授を始め、複数の人間が魔法を詠唱した。資料によれば、スタンド使いは障壁を張るなどといった事はもちろん出来ず、身体的な強度は一般人と変わらないらしい。

「魔法の射手、光の3矢!」

 あの体躯だ、この程度は大丈夫だろう。教授はそう思いつつ、杖を承太郎に向け、魔法を放った。光弾が尾を引き、承太郎に向かって飛ぶ。
 後に続くように、他の先生達による『魔法の射手』と呼ばれる、魔力による矢が幾本か放たれる。
 承太郎の周囲には数十本の矢。だが、微動だにしない。ポケットに手を突っ込みながらの仁王立ちだった。
 矢が当たり、地面を抉った。砂煙が舞う。

「おい、大丈夫なのか」
「加減はしたはずだ」

 何人かの話し声が耳に入る。しかし、教授は妙な胸騒ぎがしていた。

「忠告したはずだぜ、そこは『俺の距離』だってな」

 砂煙が晴れれば、そこには仁王立ちのままの承太郎がいた。服が少し破れているが、無傷のようだった。

「な、なんで無傷――」

 言葉を最後までいう事ができない。また衝撃が教授を襲う。

「ぐぅ!」

 見れば魔法障壁に金属の小さい玉がぶつかっていた。障壁にめり込むように、数個の玉が浮かんでいる。一切知覚出来なかった。

「パチンコの玉、いやベアリングか」

 教授は麻帆良工大の友人の研究室を思い出した。そこで見た円形ベアリングに使われる玉とそっくりなのだ。
 思考を走らす間にも、障壁にめり込むベアリングは増えている。飛んでくる軌道も何も感じられない。ただ気付いたら『目の前にある』のだ。

「くっ、みなさん動いてください! 相手は『転移』らしき〝何か〟を多用しています」

 教授は、学園長が承太郎の能力を語っていた事を思い出していた。
 『わしでも感知できなかった。おそらくは空間に何かしらの干渉をする能力だろう』、その言はあながち間違いではない。
 体に魔力をまとわせ、一方的な的にならぬ様、空間を飛び回った。だが、それを追いかけるようにベアリングは目の前に現れ続ける。

「なんて正確な!」

 周囲を見渡せば二、三人の教師はベアリングの雨に打たれ、障壁を破壊されて撃墜されたようだ。その教師達を、戦線から運び出した仲間からの念話が入る。全員生きているらしい。それどころか余程上手い所に当てたらしく、最小限の怪我しかしていないとか。

(なんとも歯がゆい相手だ)

 教授は心中で呟きつつ、詠唱を再び開始する。このまま手をこまねいていたら負ける。それは他の教師陣も同じようだ。もはや相手を格下だと見ることは出来ない。

「魔法の射手、光の37矢!」

 先ほどの十倍以上の矢が承太郎に撃ち放たれる。やはり承太郎は動かない。回避の必要が無いとでも言うように。
 そしてそれは現実となる。三十本以上の矢が『反れた』のだ。まるで不可視の曲面の上を滑るように、承太郎だけを回避し、その背後に直撃する。
 攻防は続く。
 魔法使いの魔法が次々と打ち砕かれた。炎が霧散し、氷が砕かれる。その隙間を縫うように、いつの間にかベアリングが魔法使いを襲っていた。教師陣はどんどん削られていく。
 されとて、承太郎とて無傷では無くなっていた。コートはボロボロになり、血が幾つもの場所から噴出している。

「くそ! 頼む引いてくれ!」

 焦りが口から溢れ出る。戦闘時間は未だ五分にも経っていない。
 承太郎を迂回し、先へ進むのは容易だろう。
 だが、彼ら自身が持つ、自覚無き後ろめたさがそれを許さなかった。『教え子たる子供を殺す』その事実に真っ向から立ち向かう目の前の男は、彼らが壊さねばならない壁だった。そして、目の前の男ですら倒せないなら、大河内アキラも殺せないだろう、という思いが逃げ道になる。『スタンド』の実力を正確に把握できていない彼らは、薄っぺらな願望にしがみついた。
 また、承太郎の『能力』の事もある。果たして彼に背を向けて、無事に逃げられるのか……。
 痺れを切らした葛葉刀子が、周囲に叫ぶ。

「このままでは相手の思う壺です! 一気に畳み掛けます!」

 妖怪をほふる事を生業としている京都神鳴流。その剣術を納める淑女の言葉に、皆が彼女の行動を理解した。
 長刀を振り上げ、気を充実させる。紫電の走った刃を腰溜めにし、承太郎までの距離を一気に駆け抜けた。
 彼女に同意するように、追随する教師が四名。『転移』を能力とする相手と、距離を置くのは愚行。それが彼らの一致する意見だった。
 一撃必殺の刃に、魔法の剣、数々の攻撃が承太郎の体に降り注ごうとしている。だが――。

「やれやれやっとか。やっと『俺の距離』に来てくれたか」

 気付けばもう遅い。



     ◆



 高畑の病室を出たエヴァは、麻帆良工大に寄り、茶々丸と合流をした。本来はメンテナンスの予定があったのだが、切り上げさせたのである。そしてこの行動が幸か不幸か、他の魔法使い達と別のルートを辿り世界樹へ向かう事となり、承太郎の妨害を受ける事が無かった。
 建物の間を飛ぶように走りつつ、エヴァは自らの力の充実を感じていた。

(力が戻ってきている?)

 本来の力の十分の一にも満たない。だが、一般の魔法使いの数倍の魔力が溢れ始めているのだ。
 エヴァンジェリンは真祖の吸血鬼と呼ばれる怪物だった。齢六百歳にして、不老不死。魔法使いの間で『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』と呼ばれる凄腕の魔法使いであり、元賞金首だ。
 それがある事件によりこの麻帆良の地に縛られ、中学生を十年以上も続けている。さらには魔力のほとんども呪いにより封じらていた。
 そのはずが、今封じられているはずの力が戻り始めているのだ。
 エヴァは周囲を見る。雨のせいで視界は良いとは言えないが、普段はもっと明るいはずの麻帆良が、ありのままの夜の闇に沈んでいる。光は少なく、数えるほどにしか見えない。

(まるで大停電だな)

 麻帆良では半年に一回、麻帆良を覆う結界の電力メンテナンスのために、停電を行う事があるのだ。エヴァは先月の大停電を思い出す。
 その際、エヴァの魔力に揺らぎがある事を茶々丸が観測していたのだ。それを知り合いに伝えた所、ある仮説が立てられた。

『エヴァの魔力は電力による結界により封じられているのでは』

 と言うようなものである。エヴァも一つの意見として保留したものの、今の自分を見れば納得である。だが、この十数年の間、なぜ気付かなかったのか、と腑に落ちない一面もあった。
 実際、エヴァの魔力への封印は、電力による結界によって行われていた。大停電の時なども、エヴァの封印だけは、予備電力のほとんどを使い維持し続けられたのである。しかし、万全では無い。その万全では無い揺らぎが、先月の大停電の折に、茶々丸に感づかれたのだ。

「茶々丸、麻帆良で停電の予定はあったか? もしくは停電の情報は?」
「いえ、どちらもありません。停電があれば、真っ先にネットワーク上に通知が来るシステムが麻帆良にはあります。この停電はおそらくイレギュラーです」
「ふむ、やはりスタンドとやらの行動と考えるべきか」

 病院を出た時点では、近右衛門も停電については何も言ってなかった。周囲を見れば、停電は世界樹を中心に広がっている事が分かる。今も広がり続けているようだ。

「おい、茶々丸。私の魔力と停電の関連性は?」
「現在のマスターの魔力は、本来のマスターの魔力、その想定値の八%に達しています。依然上昇中です。また、麻帆良内のネットワークが寸断されデータは不足していますが、その電力の不足具合の概算の域から算出する数値は、マスターの魔力増加量との関連性が見出せます」
「ええい、要点だけ言え!」
「確証はありませんが、先日の仮説はほぼ間違いないかと」
「……そうか」

 エヴァの口角が釣り上がる。久々に感じる力の奔流が、自らの本能を刺激した。高畑の命が消えかけている、その事実がスパイスとなり、焦燥が加速し、迷いが消える。

「大河内アキラめ、馬鹿な事を」

 スタンドの暴走をし、あまつさえ殺される相手に塩を送るとは、愚の骨頂だろう。
 エヴァはさらに足に魔力を込める。余剰魔力をドール契約している茶々丸へと、ラインを通して与えた。茶々丸も追いついてきたようだ。
 世界樹へあと一歩、という所でエヴァは意外な人影と出くわす。

「貴様は」
「お前は」

 体中が雨と泥で汚れていたが、大きなメガネはいつも通りだった。
 長谷川千雨である。
 拳銃をエヴァに向け、立っていた。ここまで走ってきたのだろう、肩で息をしているのが分かった。

「フン、千雨か。そこを退け、今貴様には用は無い」

 エヴァなりの気遣いであった。

「おい、エヴァ。お前も大河内に用があるのか?」
「ほう、知っているか」

 少し感嘆する。やはり、只の一般人と言うわけでは無さそうである。

「なら話は早い。そこを退け、今の状況を知っているのだろう」
「……大河内を、殺すのか?」

 千雨の目は怯えていた。エヴァはその目が酷く気に入らなかった。卑屈さ、不安、猜疑心。人が持つ負の感情を容易に想像させる。

(所詮、人間か)
「あぁ、そうだ。だから退け、貴様も死にたくなければな!」

 周囲に魔力の奔流が走り、殺気も放たれる。重圧は周囲を覆い、その空間だけ雨が散った。

「ぐぅぅ」

 あまりの力の激しさに、腕で顔を覆いつつ、千雨は言葉が漏れ出るのを抑えられない。
 後ずさる足が止まらない、鼓動は早くなる。だが、千雨の目は死んでいない。承太郎の認めた微かな輝きは、その程度では消し飛ばない。

「や、やなこった! そっちこそ退け! わたしは救うぞ! 大河内を!」

 千雨の言葉に、エヴァは頭に血が昇った。エヴァにとって千雨の言葉は青臭く、また軽すぎた。子供の世迷言で、自らの行いを貶されたようだった。

「ほざけ小娘!」
「お前に言われくないぞクソガキ!」

 幼稚な言葉の応酬。しかし、その言葉はしっかりとエヴァの懐に抉りこんでいた。

「私は不老不死たる真祖の吸血鬼だぞ! 貴様の十倍以上の時を生きとるわ!」
「きゅ、吸血鬼!? くそ、またファンタジーか。だったらもっとまともな格好しろ!」

 また痛いところを突かれ、地団駄を踏むエヴァ。ふと、状況を思い出し、態度を一変させる。

「まぁ、貴様程度どうでもいい。茶々丸、後はまかせた。殺しても構わん、そこの〝ゴミ〟をさっさと始末して、私を追いかけて来い」
「なっ! ゴ、ゴミ」
「了解です、マスター」

 瞳を氷のようにして、憤然と言い放つエヴァ。茶々丸もそれに淡々と従った。
 絶対的強者の優越。自らを縛る鎖が解けて行く、その感覚は万能感に等しかった。
 エヴァにとって千雨は、道端の小石であり、障害物としても写っていない。時間に追われる身として、雑事に構う余裕など無いのだ。
 信頼すべき従者に処理を任せ、改めて世界樹へ向かおうとする。
 千雨はその一連のエヴァの行動を瞬時に察した。

(わたしが写っていない!)

 瞳の灯火が炎となる。
 千雨の感覚が、エヴァの魔力の異常さを捕らえていた。他の魔法使いよりも多く、なおかつロスが少ない。圧倒的密度を保てるのは技術だろう。鋭敏な感覚が、先ほどのエヴァの言葉を裏づけしていた。少なくとも、見かけの歳相応の力では無い。つまり――。

『このまま行かせれば大河内が殺される』

 千雨の体を風が通り抜けた。決意の風。弱者が圧倒的強者に立ち向かう、その愚行を貫き通す〝決意〟。

「申し訳ありません、長谷川さん」

 もう一人の強者、絡繰茶々丸が尋常ではないスピードで千雨との間合いを詰めている。その謝罪の言葉が耳に届いた。優しいヒトなのだろう。故に――。

「こっちこそすまないな」

 千雨も相手に謝罪をした。これからする行いに対しての謝罪。
 瞳は熱く、熱く燃えていた。
 周囲に展開した知覚領域、そこから得られる茶々丸の攻撃の軌道を紙一重で避ける。しかし、その速さに完全に避ける事ができず、服が破れ、皮膚が引き裂かれる。鮮血が滲む。

「なっ」

 茶々丸の顔が驚愕に染まる。
 すれ違い様、千雨は茶々丸の額にポンと触れた。
 電子攪拌(スナーク)。
 茶々丸の電子領域を修復可能程度に混ぜ合わせた。少なくとも数時間は目覚めぬように。
 意識を失った茶々丸は、言葉の通り、糸の切れた人形として地面に崩れ落ちる。
 視界の端に写るありえない光景に、エヴァは振り向く。

「貴様ぁ! 茶々丸に何をした!」

 憤怒。自らの行動を阻害し、従者をほふった者への正当な怒りだった。
 千雨は倒れた茶々丸を足蹴にし、仰向けに転がし、その額に銃口を押し付けた。

「あんたを行かせる訳にはいかない。安心しろ、絡繰は無事だよ。ただ数時間は目覚めないだろうがな」

 口角を吊り上げ、千雨はエヴァを見据える。

「行くなら絡繰を〝殺す〟。言葉の意味が分かるか? 修復可能だとか思うな、存在自体を消去する、という意味でだ。アンタだってわたしが《学園都市》出身だと知っているんだろ、わたしの〝力〟はそういうものなんだよ。なぁに安心しろ、アンタがここにいる限り、絡繰には手を出さない」

 悪役染みた、というより悪役そのものの発言に、千雨は内心焦っている。だが、こうでもしなければエヴァは止まらない。

「貴様の言葉が守られる保障は無いが、どちらにしろ私がここにいる限り茶々丸には手を出させんよ。小娘、懺悔の時間すらやるのは惜しい。命乞いの暇も無く肉塊に変えてやる!」

 激情が周囲を震えさせる。人間の上位種としての圧倒的な力がエヴァから溢れる。千雨は茶々丸から銃口をどけ、右手に持つ銃の感触を確かめた。指がカタカタと震えていた。

(やっぱりわたしだな)

 千雨にとっての自嘲の笑み、だがエヴァには余裕に取れたらしい。

「ほう、余裕だな千雨」
「あぁ、もう勝負は見えてる」

 決意がハリボテの笑みを作る。

「わたしの勝ちだぜエヴァンジェリン。相棒(バディ)を失ったアンタが、相棒(バディ)のいるわたしにかなうわけないだろ」
〈わかってるじゃないか千雨〉

 普段から紳士然としているウフコックが、珍しく獰猛な笑みを浮かべた……気がした。

「ほざくな小娘ェェェエ!!!!」

 エヴァの咆哮と共に、魔法の矢が千雨に殺到する。
 千雨の戦いが始まる。



     ◆



「オラオラオラオラオラオラオラ!!!」

 承太郎の口から発せられた咆哮。不可視の拳が教師陣を襲った。拳という名の大砲の連打が、教師陣の持つ強固な壁を破壊しつくした。
 苦悶の声が教師達から放たれ、その体は吹き飛んだ。

「やっぱり硬いな」

 拳に伝わる障壁の感触に、思わず呟いた。
 刀子を始め、今向かってきた教師達は全員、承太郎の周辺に倒れている。微かに動くことからやはり死んでいない事も分かった。
 承太郎も今の攻撃を無傷では退けられない。刀子の刀は承太郎をかすり、その電撃は肉体を焼いていた。魔力による攻撃も、右足を貫き、歩くのが困難な程だ。
 だが、承太郎は倒れない。まだ相手は四人も残っている。

「チッ、まだいやがるか」

 ポケットにあるベアリングの数は心許なくなっている。麻帆良に来る際に用意していた、間に合わせの秘密兵器だった。
 元々、この戦いは圧倒的に承太郎に不利なのだ。
 承太郎のスタンド『スター・プラチナ』の能力は『時を止める能力』だ。しかし、それとて無限に止められるはずもなく、せいぜい四、五秒。今の承太郎だと三秒が限度である。さらにリーチの短さもある。スター・プラチナが真価を発揮するのは、承太郎の周囲二メートルが限度だ。
 対し、魔法使いは空を飛び、鉄壁を誇り、遠距離から魔法を放つ。
 そんな輩を相手に、承太郎が勝っているのはこの『能力』と『相手が能力を知らない』という二点であった。
 承太郎はこの二点を有効に使い、教師陣が誤解をするように誘導し続けた。あたかも距離を取られる事が有利なように。
 時を止め、スター・プラチナのパワーと正確さを使い、ベアリングを的確に飛ばし続けた。できるだけ一点に集まるようにコントロールして撃ち、障壁に穴を開ける。
 また、相手にはベアリングを撃つ所を一切見せないようにも注意した。
 そして、苛立った相手が『本当の自分の距離』に来るまで待ち続ける。
 数分間の激闘は、全てこのチャンスのための忍耐だった。
 だが、それでも取りこぼしはある。

「来な、魔法使い。俺はまだ生きてるぜ」

 雨の中、足元に血溜まりを作りながら、平然と言い放つ承太郎。ボロボロでありながら、その瞳は平然と輝きを放っている。自らの信念を燃やしていた。
 教授はそんな承太郎に言い知れぬ恐怖を抱いていた。娘を助ける。その一念のために選んだはずの選択が間違っていたのではないか。不安が恐怖となり、さらに疑念へと変わる。
 その思考を振り払い、目の前の戦いに集中しようとする。

(駄目だ、迷うな!)

 教授は自らに言い聞かせる。もう戦力は半分以下に減っている。されとて、諦めるわけにはいかない。
 承太郎が歩き出した。この戦いが始まって以降、承太郎はその場を一歩も動いていなかったのだ。それが平然と、教師陣へと向かい歩く。血が尾を引く。
 しかし、そこにあるのは強者の風格だった。絶対的な意志の強さが歩みに現れている。
 戦闘者としての卓越した歩法でも無い。ただ、強さのみを体現する歩み。承太郎の『黄金』が周囲を覆った。

「どうした怖気づいたか」
「ぐ……あ……」

 血みどろの『スタンド使い』の言葉に『魔法使い』は言い返せない。
 この時、すでに戦いは決着していた。



     ◆



「うぉぉぉぉぉぉ」

 千雨もまた、承太郎と同じく、降り注ぐ魔法の矢を相手に戦っていた。
 ただし、その多くは氷の矢であった。曲線を描き、迫り来る矢の数々を、両手に持った拳銃で撃ち落し続ける。
 銃を撃った反動は、ウフコックが吸収してくれた。そうでもしない限り、走りながら千雨が銃を連射するのは不可能だろう。
 無様に転げまわりながら、矢の一撃をギリギリで回避し続け、エヴァの魔法の詠唱の隙間を付き、銃で狙い撃つ。それが千雨に今出来る事だった。
 しかし状況は芳しくない。幾度かエヴァまで届いた弾丸は、ことごとく弾かれた。

(あのバリア、ズルすぎる)
〈しょうがあるまい〉

 クウネルの資料により、魔法障壁は事前に知っていた。だが、予想以上の強度に驚いているのだ。
 千雨は知らない事だが、エヴァの障壁は一流である。一切の無駄を省き、最小の魔力で、最高の強度を発揮するように作られた技術の塊だった。長い年月をかけ磨かれた力だ。見るものが見れば、エヴァの障壁の完成度に驚くあろう、その芸術的なまでの術の構成の高さに。
 そんな障壁が、たかが拳銃の一発で破れるはずは無い。

「ちぃぃぃ、チョコマカと動く!」

 エヴァもまた歯噛みしていた。近くに倒れている茶々丸がいる為、広域魔法は使えない。いや、使う必要が無いと思っていた。魔力が回復してきている自分の『魔法の射手』なら、すぐに撃退できるだろう。しかし、目の前で未だ千雨は走り回っている。素人とたいして変わらぬ鈍い動き。なのに――。

「なぜ当たらん!」

 自らの攻撃の数々、その隙間を的確に千雨は通り抜ける。その度に銃弾が障壁にぶつかる。一方的な蹂躙のはずが、戦いは拮抗していた。
 ガガガッ、先ほどまでと銃撃のリズムが違う。気付けば千雨はアサルトライフルを持っていた。弾切れの銃は投げ捨てられていた。

(アーティファクト? 転送(アボート)か? どちらにしろ面倒だ)

 突如現れた銃をいぶかしむも、エヴァは魔法の矢を止めない。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、氷の精霊、29頭、集い来りて、敵を切り裂け、魔法の射手、連弾・氷の29矢!」

 氷の矢が再び千雨を襲う。
 隙間無く、矢の〝面〟で覆われる視界。
 だが、千雨には見えているのだ。
 千雨の肌を覆う人工皮膚(ライタイト)が周囲の歪みを知覚する。千雨の脳が、瞬時にマルチタスクを行い、手に入れた情報を演算処理していく。加速された感覚の中で、誰よりも千雨が『世界』を知覚していた。
 いや、違う。千雨が『世界』を作り上げていた。
 突き刺さる矢の数々を、避け続ける。肉体が重くなり、肺が悲鳴を上げる。それでも動きは止まらない。
 脳内では矢の軌道が予測され、可能性とともに幾つかの三次元曲線が引かれている。周囲の無駄なものをそぎ落とし、ワイヤーフレームで視界は構成されていた。その中には曲線が溢れている。膨大な可能性の海を、情報と確率を武器に走り抜ける。
 これが〝今〟の『千雨の世界』だ。

「こなくそぉ!」

 ごろごろと地面を転がる。落ちていた小石が背中に裂傷を作った。
 体勢を整えた瞬間、銃口をエヴァに向け、アサルトライフルの引き金を引く。
 引き金一回に付き三発の弾丸が放たれる。三点バーストと呼ばれる機構だった。
 相変わらずビクともしない障壁に歯噛みしつつも、障壁のデータは揃っていく。

(どう思う)
〈なんとも言えんが、障壁は何もかもを通さないわけではないようだ。やりようはある〉

 障壁が張られているにも関わらず、エヴァの視界は遮られる事は無く、音も聞こえている。
 そこに何かしらの勝機があるような気がした。

「ラチがあかん!」

 本来勝負巧者なエヴァが戦いを焦り、一手を進めた。魔法の矢を囮に、足に魔力を乗せ、千雨との距離を一瞬で詰める。

「なぁっ!」

 千雨の目が見開かれる。己の知覚領域で見出せなかった可能性だった。足に魔力や気といったエネルギーを乗せ、爆発的な瞬発力を得る技術『瞬動術』である。

〈千雨っ!〉

 ウフコックが警鐘を鳴らす。
 千雨の肉体的な死角に現れたエヴァは、その足先を千雨の頬に叩き込んだ。

「ぐあぁぁぁ!」

 なんとか打点をずらすも、奥歯が口から飛び出し、鮮血が舞う。水平に飛ばされる千雨を追う様に、エヴァは再び瞬動を行う。

「やらせるかっ!」

 戦いが始まってから初めて、ウフコックが肉声を上げた。意識が飛びかけてる千雨の腕を操作し、自らが反転(ターン)してる銃口をエヴァに向けた。
 フルオートで乱射される弾幕という盾がエヴァを襲う。

「チィッ」

 弾丸に瞬動の速さでぶつかる事により、エヴァの障壁は一瞬砕けていた。初めて弾丸がエヴァの肉を抉った。

〈なるほどな〉

 ウフコックがその状況を逃すまいと、意識が混濁している千雨の代わりに情報を集める。
 ゴロゴロと地面を転がる千雨に、ウフコックの叱咤が飛ぶ。

〈走れ、止まるな!〉

 ヨロヨロと立ち上がり、近くの森に飛び込もうとする。だが――

「させるか、氷爆!」

 氷の塊が現れ、爆ぜた。ウフコックは瞬時に特殊合成繊維のマントに反転(ターン)し、千雨を覆う。
 布越しにも冷気が刃の様に肌に刺さった。

「ぐぅぅ」

 痛みを我慢しつつ、千雨の意識は明確になっていく。合成繊維のマントという『殻』を脱ぎ捨てたウフコックに再び干渉。閃光手榴弾をエヴァに投げつけ、自らは今度こそ森へと飛び込んだ。

「ぐあぁ」

 背後からは激しい閃光と、エヴァの苦痛の声が響く。
 這うようにして進み、一本の樹を背もたれにし、呼吸を整えた。

「先生、死にそうだ……」
「勝機は見えたぞ千雨。まだ動けるはずだ」

 安易な労いはかけない。なぜなら千雨とウフコックは相棒(バディ)なのだから。お互いへの賛辞は勝利の後だ。

「教えてくれ、先生」
「あれを使うぞ。やはり用意はしておくものだな」

 その言葉に千雨は合点がいく。ここ数日の物騒極まりない保険の成果が出そうだった。



     ◆



「ちぃぃ、やってくれるな小娘」

 視界が回復したエヴァは、目の前に広がる森を睨み付けた。千雨が潜伏しているであろう、その場所を。
 ためらいは無い。森を氷付けにする決意をし、詠唱を開始した。だが――。

「どこからだ」

 銃撃がエヴァを襲う。森とは逆の方向からだった。障壁が防いでるものの、放置するわけにはいかない。

(何時の間に移動した? それとも新手か?)

 エヴァが警戒を催した時を狙い、人影が森から飛びだした。千雨だった。

「うおぉぉぉぉ!」

 両手に持った拳銃を、正確無比に連射する。障壁のただ一点へ、ピンポイントで当たり続けるのだ。例え如何に強固に編みこもうと、それでは破られてしまう。エヴァは打点をずらそうと移動する。しかし、再びあさっての方向からの銃撃が浴びせられた。

「ええい、うっとおしい!」

 溢れる魔力を糧に、周囲の空間を氷の爆破で制圧する。弾丸の雨を綺麗に掃除した。
 千雨の姿を探す。エヴァと一定の距離を保ちつつの銃撃を繰り返している。カチリ、と弾切れの引き金の音を、エヴァの耳が拾う。千雨は銃を投げ捨てるが、手にはやはり新しい銃が握られていた。

(魔力を感知できん。あれが奴の『超能力』なのか?)

 戦いつつも、未だ千雨の力の本性が把握できないでいた。
 過ぎ行く時間が、エヴァを苛立たせていた。見上げれば、世界樹の周辺から黒い煙が噴出している。
 ギチリ、と歯が軋む。目の前の小娘に煮え湯を飲ませられているという現実が、エヴァにさらなる怒りを沸かせた。

「いい加減くたばれぇぇぇ!!!」

 紡がれる詠唱。魔法の矢、二百本近くが現れ、一斉に千雨へと殺到する。
 かつてない絨毯爆撃。しかし千雨は冷静だった。
 先日、麻帆良内に設置した数々の武器やトラップの数々。今この場所で使えたのは、周囲に設置したリモート操作式のマシンガン二丁と、地雷が一つ。あと数百メートル戦場ずれていたら、もっと使えるものが多かった、という悔しさがあったりする。
 電子干渉(スナーク)を使い、マシンガンの軌道を予測し、遠隔操作でエヴァに向けて撃った。銃弾にも限りがあり、もう残りは少なかった。だが、躊躇は出来ない。加減すればそこで待つのは千雨の死だ。
 注意を引かせ、牽制するようなタイミングでマシンガンを操作する。
 二百本の矢を放ち終わった一瞬を狙い、エヴァへと弾丸が突き刺さる。もちろん、障壁に防がれ、エヴァには傷一つ付かない。
 だが、それで十分。千雨は回避行動中、エヴァの追撃を恐れずに済む。『千雨の世界』を展開し、矢を避けながら次々と銃弾で撃墜していく。弾丸が尽きた銃を投げ捨て、新しい拳銃で迎撃し続けた。なんとか二百本もの魔法の矢をやり過ごすも、千雨の戦いは続く。
 エヴァとの距離を保ちつつ、そのエヴァを地雷の設置場所まで誘導し続けた。だが、エヴァは空を飛び、追随不可な動きをしている。

「クソコウモリがぁ!」

 千雨の口から罵声が飛び出る。エヴァが空を飛ぶシルエットはコウモリそのものだった。
 手に持ったライフルをエヴァに向かい撃ち続ける。それに伴い、電子干渉(スナーク)でマシンガン二丁も操作した。残弾を使い尽くす様に撃ち続けた。空を鉛が覆う。

「ちぃっ」

 さすがのエヴァも銃弾の嵐を避け、一旦地上へと逃げた。

(占めた!)

 これこそが千雨の狙いだ。
 エヴァが大地に足を付けた瞬間、爆ぜる。指向性地雷『クレイモア』が牙をむく。
 爆煙の中でも、障壁はやはり破られていない。
 千雨は再び銃を投げ捨て、ウフコックへ干渉する。
 両手の中に現れたのは巨大なライフルだ。
 『ラハティL-39対戦車銃』、それに良く似た銃だ。外観は同じだが、中身はメイド・バイ・ウフコックとして改造されている。五十年ほど前、世界大戦で猛威を奮った『銃』というカテゴリの『砲』だ。その重量は千雨の体重を越えている。本来であれば持つことさえ出来ないそれを、反転(ターン)しているウフコック自らの助けにより、なんとか保持していた。
 銃身をどうにか水平にし、煙の中にいるだろうエヴァに向かい引き金を引く。

「ッ!!!!!!」

 ガオン、という大よそ『銃』に似つかわしくない爆音が響く。エヴァを覆っていた煙は一瞬で晴れ、障壁を揺らした。

「な、何事だ!」

 ありえない程の衝撃に、エヴァも驚愕する。あわてて障壁へ回す魔力を増やした。

「まだまだぁ!!」

 歯を食いしばり、再び引き金を引いた。衝撃が千雨を襲う。いくらウフコックでもこの銃の衝撃は吸収しきれなかった。銃床が千雨の右肩を撃ち、グリップが手の平を強打する。保持している左手からは血が滲んでいた。爆音も鼓膜を揺さぶる。ウフコックが渡した耳栓が無ければ鼓膜が破けていただろう事は想像に難くない。
 痛みを堪えつつ、ぶれる照準を一点に定め、引き金を引き続ける。その一回、一回がエヴァの障壁を削り、また千雨を痛めた。

〈ズレてるぞ!〉
「すまねぇ」

 ウフコックの言葉に謝罪しつつ、目線は外さない。エヴァも、魔力を集中させるため、動けないでいる。

「よくやるな小娘ェ、だが甘い!」

 前面に集中させた堅固な盾をそのままに、盾を迂回させるようにエヴァは魔法の矢を放つ。千雨は銃を引きづりつつ、それらをかわそうとする。一撃が顔をかすり、メガネが割れた。破片がザックリと千雨の額を切る。

「ガァァァァァ!!!」

 雨音が消えた。痛みを吹き飛ばす闘争の叫び声。ちゃんとした保持をしないまま、千雨は引き金を引く。
 銃弾は二発。エヴァの障壁に一発がめり込み、もう一発が破壊した。だが、そこまでだった。反動(リコイル・ショック)により銃が跳ね上がり、鉄の巨体が千雨の右腕から飛び出した。千雨は後ろに吹き飛びながらも、体の精査する。右肩が脱臼し、指も骨折。各所にヒビが入っていた。
 痛みが駆け巡る。だが、目線はまっすぐ離さない。
 吹き飛んでいく『銃』という殻を脱ぎ捨てたウフコックは、黄金のネズミの姿となり千雨の右腕に飛びついた。そのまま右腕を走り、右肩から左肩、左手の先までを一気に駆け抜けた。

(なんだ、アレは)

 その姿を、吸血鬼たるエヴァの視力はしっかり捕らえている。
 ウフコックは千雨の指先でクルリと反転変身(ターン)する。ズシリとした重みが手の平にあった。
 白い銃だ。千雨の思い、願い、イメージ。それらが人工皮膚(ライタイト)を通し、ウフコックの中を駆け巡る。多次元に貯蔵されたパーツの数々が、千雨のために組み合わされ、世界にただ一つの『千雨の銃』をウフコックが作り上げた。
 流線型を帯びた回転式拳銃(リボルバー)。回転式の弾倉には弾丸が六発、口径は小さく、障壁を打ち抜くという千雨の意志が、貫通力を何より優先させた。しかし撃鉄は外側に見えない。撃鉄を起こすのはウフコックの役目なのだ。引き金は千雨。二人が揃って始めて撃てる、それが千雨の選んだ武器の形だった。
 言葉は要らない。
 吹き飛ばされる体をそのままに、千雨は引き金を引く。
 エヴァは砕けた障壁を再構築していた。万全とは言えない、だが銃弾程度はどうにかなるはずだった。
 一発、二発。先ほどの砲弾のような一撃とは程遠い。だが、小さいながらもその貫通力は、再度張った障壁に小さくないヒビを作っていく。
 三発、四発。まったく同一の軌道で撃たれた弾丸が、障壁のヒビをさらにこじ開け、崩壊させた。エヴァは障壁を諦め、無詠唱の魔法のために魔力を集めた。
 五発、六発。エヴァ目掛けて撃たれたその弾丸を、無詠唱の『氷爆』で打ち落とすも、一発は軌道がそれただけで、頬を掠った。
 カチリ。引き金を引くも、発射音は聞こえない。空しい弾切れの音を、エヴァは再びしっかり聞いた。例え無限に銃を出せようとも、片手しか使えない今、その隙は好機だった。
 決着を付けるべく、エヴァは足に魔力を溜め、瞬動術を発動させた。一秒にも満たない間に、薄いながらもまた障壁が修復されている。

(貰った!)

 千雨は後ろにふっ飛び、倒れかけながらも、弾切れの銃口をエヴァに向け続ける。その闘争心の高さに関心しながらも、エヴァは無慈悲な一撃を振りかぶった。









『この時を待っていた』










 千雨の口がそう動いた気がした。
 瞳の炎がまだ消えていない、むしろこの雨の中でもより一層燃え上がった。
 ガチリと撃鉄があがる。それはウフコックの合図。〝弾薬の補充〟の合図だ。

「なっ!」

 エヴァの口から驚きの声が上がる。弾切れのはずだ、『今までも弾切れの銃は捨ててきただろ』。周囲には千雨とウフコックが意図的に捨ててきた弾切れの銃が散乱していた。
 だが、万能兵器であり、物質の構成を瞬時に変化させる事ができるウフコック。そのウフコックが反転(ターン)した銃に弾切れなどは〝ありえない〟のだ。
 全てはこの時のため。無造作にこちらへ”瞬動を使って向かってきてくれる”時のための布石だ。

「――――――ッ!!」

 声にならない裂帛の咆哮。
 この五秒にも満たない、加速した時間の戦いの幕が下りようとしている。
 千雨は引き金を〝一気〟に引いた。弾丸はまるでマシンガンのような連射速度で、弾倉にある六発を放つ。
 一発が薄いエヴァの障壁を破った。一発がエヴァのあごを掠り、その衝撃で脳が揺れた。耳元、こめかみ。大よそ生物であるが故に、避けられない急所、そこへギリギリの弾丸を霞め、弾丸の衝撃だけをエヴァに残していく。知覚領域と弾丸の軌道計算を演算しつくした、針の穴に通すごときの所業だ。
 千雨は加速された時間から解き放たれ、地面へと放り出される。背中が地面に直撃し、鈍い痛みが全身に広がった。右腕が熱を持ち、動かない。額からの血で、片目も塞がっていた。

「痛っ――」

 しかし、まだ油断できなかった。左手の銃をなんとか持ち上げ、倒れ伏している金髪の幼女に近づく。エヴァは気を失っていた。見るからに外傷は無い、むしろ自分の方がよほど重傷だろうと思う。

「なんとか勝てたか。クソッ、ここは化け物だらけだ」

 勝ちながらも愚痴を言う千雨に呆れつつ、ウフコックは千雨に告げた。

「千雨、私をマクダウェルに近づけてくれ」

 千雨は言われた通り、金色のネズミをエヴァに近づけた。ウフコックはエヴァの髪に潜り、すぐに這い出てきて、千雨の手の中に収まった。

「大丈夫だ。行こう、もう時間は無さそうだぞ千雨」
「あぁ、そうだな……」

 見上げた先の世界樹は、黒いもやに覆われていた。周囲にもう電気の明りは見えず、雨音だけが響いている。
 千雨はボロボロの体を引きずり、世界樹へと急いだ。



 つづく。







(2012/03/03 あとがき削除)



[21114] 第9話「Agape」 第一章〈AKIRA編〉終了
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2012/03/03 20:28
 一つの部屋があった。
 窓が一つも無く、壁は打ちっぱなし。見方によってはデザイナーズマンションの一室とも言えるかもしれない。
 その部屋にはたくさんのポスターが貼られている。音楽史上に残る数々のロックスターやギタリスト。例え興味が無くても、一度はその名を聞く、といったスターばかりだ。
 その下には多種多様なギターが陳列し、乱雑にアンプが置かれている。
 部屋の中央にはソファーが一つ。周囲には食べ物や飲み物が散乱し、生活感が溢れていた。そのソファーの対面には大量の液晶モニターが並べられている。一部はテレビやミュージシャンのライブが流されているが、ほとんどは共通のあるモノが映っていた。
 麻帆良中に設置された監視カメラなどのライブ映像が映されている。世界樹を中心に、黒いもやが広がる様がありありと映し出されていた。
 そして、そのモニターの前に男が一人。長く伸びた前髪を片側で流し、肩にはギターのストラップ。両手でエレキギターを持っていた。
 麻帆良に広がる災害をモニター越しに見つつ、男はウットリとし、ギターを奏でた。激しい曲調。そこにあるのは喜びであり、激情であり、感謝であり、救済であった。
 感情の高まりを抑えきれず涙が頬を伝う。
 密閉された部屋の中で、男はひたすらギターを奏で続けた。
 男の名を『音石明』と言う。







 第9話「Agape」







 視界に映るのは、一面の〝黒〟だった。
 世界樹広場全てを、あの黒いもやが満たしきっている。しかも、そのもやは未だ増え続けていた。千雨はそっともやに触れてみた。

「うわっ!」
「大丈夫か、千雨」

 触れた部分から侵食が始まり、肌を少しづつ黒い染みが覆っていく。うかつな自分を呪いつつ、千雨は感覚を研ぎ澄ませ、侵食を分析しようとする。
 魔力のフィルティング情報を使い、かろうじてウィルスが認識できた。電子干渉(スナーク)を使い、電子分解を起こさせ、どうにか侵食を止めたものの、染みの除去は予想以上に困難な作業だった。魔力に近い性質のため、千雨はそのノウハウをまだ会得しておらず、手探りでのスタンドへの干渉だからだ。

「なんとか対応できるだけマシかな」
「万全じゃないにしても対処法があるのは僥倖だ」

 千雨は前方を見据えた。世界樹の下、ここから真っ直ぐ百メートル程に人影を感じる。スタンド・ウィルスによるノイズが多いが、間違いなくアキラだろう。
 ローマのスペイン広場のような巨大な階段が、世界樹の真下の広場まで繋がっているはずの風景が、もやにより、階段の一段一段すら視認できない。だが、千雨にとっては関係の無い事だ。多少のノイズがあろうと、地形ぐらいは把握できる。知覚領域を広場全体へと広げる。

「先生、たのむ」
「あまり期待はするなよ」

 肩に乗っていたウフコックがクルリと反転(ターン)。何重にもなっている特殊繊維の生地がスルスルと千雨に被さり、気付けば防護服を纏っていた。
 頭部には透明な特殊アクリル板が視界を遮らないように使われていたが、あまり役に立たないだろう、と千雨は内心思う。右手はプラプラと揺れている。時折生地にあたり、激痛を催すも、それは我慢した。何も痛いのは右腕だけじゃないのだ。
 呼吸を整え、階段の上を睨む。

「行くぞ!」

 ウフコックへの合図と、自身への叱咤だった。
 重い体を無理やり動かし、もやの中へと飛び込んだ。防護服のいたる所に取り付けられたライトは、地面にすら届かない。防護服の表面を照らすのみだった。それでも千雨は走り続ける。雨は一層強くなり、防護服越しに感じる、足裏の感触は心許ない。石畳が雨水で滑りがよくなっていた。

(ここまで来て、転んで死んだら笑い話にもならないな)
〈ドクターの話のタネにはなるだろうな〉

 栓の無い話をしつつも、なんとか階段の半分までは進めた。そこで防護服を見れば、侵食がかなり進んでいた。

「うわっ!」

 あわてて服の内部を見た。構造上、大きめに出来ており、千雨の視点から、内部のかなりの所までを見渡せた。もやは服の内部まで達していた。
 左手を防護服の内側から目先まで持ってくれば、侵食は手首近くまで進んでいる。

「こいつはヤバイ」

 自らに電子干渉(スナーク)し、スタンド・ウィルスの分解を始める。だが、千雨の膨大な演算処理を使えど、その速度は微々たるものだった。歯噛みをしつつ、その処理を並列思考に放り込み、千雨自身は再び広場の中央を目指す。
 体が重かった。それは疲労もあれど、ウィルスの影響による所も大きい。只でさえ少ない体力が抉られるようだった。
 息も切れ切れで、中央広場まで辿りついた。千雨の体を血と汗と雨水が混じりあい覆っている。そして、更にそこにウィルスが侵食が進んでいた。
 発生源に近づくなり、スタンド・ウィルスは一層濃さを増し、千雨の能力ではそれを抑えきれなくなっていた。

〈時間が無い、早くしろ。大河内嬢を急いで救出しろ〉
「あぁ! さっさと終わらせて風呂に入る!」

 ターゲットは目前、渾身の力で千雨はアキラの元へ走った。だが――。

「なんだよ、コレは!」

 千雨に向かい、丸太程の太さの鞭が振り落とされた。闇の中、千雨の知覚がそれを正確に察した。アキラの後ろに立つ、二メートル程の人間型のシルエット、その背中から生える尻尾状の物体が千雨を襲っていた。防護服が破られる。それを尻尾に絡ませるように脱ぎ捨てるが、五本ある尻尾は次々と千雨に狙いを定め、襲ってきた。

「ここに来てぇ!」

 ウフコックに干渉し左手に銃を産み出す。銃口を尻尾へと向けた時、ウフコックから制止の言葉が放たれた。

「止めろ千雨、忘れたか! スタンドを傷つければ、スタンド使いも傷つくことを!」
「あ……」

 承太郎に渡された資料を思い出す。斜め読みした資料の中に確かにあった言葉だ。
 一瞬の躊躇が千雨を無防備にする。尻尾の一撃を腹に受け、地面をゴロゴロと転がった。

「ぐあぁぁぁぁ!」

 脱臼し、骨折をした右腕が地面に叩きつけられ、押さえ切れない絶叫が漏れる。防護服を失った事により、スタンド・ウィルスの進行もより一層強くなった。
 もう、麻帆良の街の灯りは消えていた。停電は全域に渡り、一部の電源を残し、そのほとんどが奪われている。
 また、世界樹を中心に漆黒が加速度的に広がり、先ほどまで世界樹広場で収まっていたはずのもやが、今や学園の施設の一部までを覆っている。感染者は三桁に到達しようとしていた。
 雨はより強く降る。地上にある熱を全て冷やすように。抗うべき灯火を消し去るように。
 麻帆良壊滅は時間の問題であった。
 だが、その中心にまだ微かな〝輝き〟が残っている。
 口の中には血とジャリと雨水の冷たさが広がる。痛みは体中を駆け巡り、もはやどこが痛いのか分からなかった。心臓と肺は休む暇無く動き続け、オーバーヒート寸前だ。逆に体は雨に冷やされきっている。
 アキラを助けられない不安が心に広がり、自らの死への恐怖が渦を作っている。痛みへの肉体的反射で、我慢していたはずの涙が瞳に溢れた。
 だが、手の中に感触があった。背中を押してくれた人々がいた。臆病な千雨に輝きを見出してくれた人がいた。
 そして……暗闇の向こうには、かつて千雨を救ってくれた人がいる。
 微かな輝きは、より一層輝く。麻帆良を覆う闇も、降りしきる雨も、全身を襲う苦痛も、瞳の中の炎だけは消す事が出来なかった。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 千雨は、翔る。



     ◆



 アキラは暗闇の奥底にいた。
 さっきまで、視界には微かな街の光が見えていた。だが、今はそれすら見えなくなっている。
 手も足も動かず、まるで体の内側から磔にされているようだ。かろうじて出来る呼吸も、今は細い。する度にパリパリという音がして、痛みが走る。
 涙も、心も枯れ果てていた。ただ、体の表面も雨水が滑るのみ。漆黒の感情が、絶望だけをアキラに残し、心を食い荒らし終わっていた。
 懺悔も届かず、謝罪は虚空。救いを求める手を掴む者も誰もいない。視線すら動かせず、傀儡に成り果てたアキラに出来る事はもはや無かった。
 耳に雨音以外のノイズが走った。微かな音だ。
 それはどこかできいたことがあるおとだった――。

『ちーちゃん』

 色が、見えた。
 しかし、それは幻。アキラの視界には未だ漆黒が根付いている。
 闇が人々を蝕んでいくのを感じた。裕奈の顔を思い出した。高畑の倒れる姿も思い出した。
 枯れたはずの涙が再び流れる。届くはずのない懺悔がよぎり、消え行く謝罪の念を抱いた。
 動かないはずの手が微かに動いた。右手が闇の先へと延ばされる。
 痛みを堪えながら、細い声を発した。

「た、す、け、て……」

 しゃがれた、汚い声。こんな状況なのに、自嘲の笑みが漏れそうになる。
 その声に誰も答えるはずはな――





「大河内ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」




 届いた。



     ◆



 巨大な鞭が地面を穿つ。石畳に亀裂が入り、巨大な破片が宙を待った。
 縦に、横に、斜めに。一つを避ける度、他の尾が方向を変え振り回された。
 ノイズ混じりで、その本来の能力を発揮できない千雨は、ウフコックとともに尾の嵐の中を進む。

〈屈め!〉
「くっ――」

 頭上を通る尾に髪を数本散らされる。
 千雨自身が得られる情報を、ウフコックと共有。ウフコックの知覚と〝カン〟も総動員して、闇の中を疾走していた。
 千雨の襟元から、ネズミ姿のウフコックが顔を出し、鼻をヒクヒクさせた。本来、感情の匂いを嗅ぎわけるウフコックだが、今はその力がかなり失われていた。だが、『攻撃』という強い意志を嗅ぎ分けるくらい、造作も無いことだった。そして、ウフコックが持つ経験こそが、『情報』を失った千雨が頼れる力だった。

〈右に避けろ!〉
「あいよ」

 アキラまでもう十メートルも無い。しかし、尾の嵐はより一層激しさを増し、千雨へと襲い掛かる。石畳の破片すら、飛礫となり千雨を傷つけた。

「くそぉぉ」

 千雨のノイズ混じりの知覚が、確かに目の前にアキラがいる事を感じている。最後の一歩が踏み越えられなかった。
 ふと、アキラのシルエットに動きがあった。広場に来てからずっと、千雨が知覚できる限り、微動だにしなかったはずなのに。
 アキラの右腕が伸ばされ、空を掴む。それはまるで――



「た、す、け、て……」



 微かな、微かな声が千雨の耳に届く。しゃがれた老婆のような声だった。血が沸騰したようだった。熱さが、自然と体を動かした。
 世界樹広場を覆っていた知覚領域を狭め、周囲十メートルまで絞る。並列思考が加速し、限界を越える四千人の並列思考を作り上げた。その一人一人が周囲のノイズを分解し、千雨に確率の世界を見せる。
 アキラへ向かい、まっすぐ千雨は駆けた。尾の一撃、一撃を致命傷をさけて避ける。体に裂傷が走るのも気にしない。傷口はウィルスで真っ黒く染まり、千雨の体力をごっそりと奪っているはずだ。
 だが〝輝き〟は収まらない。激情が肉体を凌駕する。アキラへの最後の一歩を前に、二本同時に尾が攻撃を仕掛けた。

(避けられない!)

 背筋が凍り、体が固まる。

〈あきらめるな!〉

 だが、頼もしい言葉とともに、それは解けた。
 ネズミ姿のウフコックが、千雨の頭を駆け上り、飛ぶ。空中で反転変身(ターン)し、特殊鋼材となり、真上からの一撃を反らさせた。
 もう一本の一撃を、千雨はかろうじて避け、アキラ目掛けて飛び掛る。

「大河内ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 伸ばされたアキラの右腕を掴み、思い切り引っ張った。自分よりも冷え切った体が、胸元に当たるのを感じる。

「先生ぇぇ!」
「まかせろ」

 千雨の願いを、ウフコックは瞬時に悟る。先ほど展開した特殊鋼材が千雨とアキラを覆った。二人の人間が顔を寄せてやっと入れる程の小さい空間を作り上げる。
 それは『殻』だった。卵の『殻』を彷彿とさせる。違いと言えば、金属でできている事と、大きさぐらいなものだった。中身は――たいして本物と変わらない。ギュっと詰まった黄身と白身が入っている。孵化はすぐそこだった。



     ◆



 『殻』を割ろうと、尾が攻撃しているのが振動で分かる。一体どれほど持つのだろうか。一分か、それとも二分か。だが、今はそんな事は関係ない。
 ウフコックが細工してくれたのだろう、二人の人間が身を屈ませてやっと入れる空間は、かすかに明るかった。『殻』の裏面がほのかに光っていた。
 それにより、千雨は自らの体のほとんどがウィルスに蝕まれている事が分かった。染みは首筋まで広がっている。
 そして、目の前には無表情なアキラがいた。数日前とは別人、まるで人形のようである。ここにきて千雨は緊張でツバを一飲みする。
 動く左手で、アキラの肩を強く握った。

「なぁ、大河内。助けにくるのが遅れてすまない。本当はもっと早くこれるはずだったんだけどな」

 千雨の声に、アキラは一切反応しない。

「わたし、な。前、麻帆良にいた事があるの知ってるだろう。初等部時代なんて悲惨だったぜ、ほとんど友人もいなかったしな。まぁ、お気楽なこの学園の奴らだ、何かと言うと話かけてくる奴はいたがな、明石とか」

 明石、という言葉にアキラがピクリと震えた。

「だけどな、わたしはそれなりにやれていた。転校するまでやる事が出来たんだ。それは、ある人のおかげなんだ」

 『殻』に響く衝撃が、ピシリと嫌な音を立てた。

「幼稚舎の時さ、わたしは不思議に思う事が多かったんだ。だってよ、テレビでは『二足歩行ロボットを世界で始めて開発~』なんて言ってるのによ、幼稚舎から見える大学ではさ、ロボットが走ったり、あまつさせ鬼ゴッコまでしてるんだぜ。おかしいったらありゃしない」

 千雨はクック、と笑いを噛み殺す。

「わたしさ、幼稚舎の子供達に言ったんだよ『あれおかしいだろ!』ってさ、そうしたらもう袋叩き。ガキが揃って『おかしいのはお前だ』って大合唱だ。もう泣きに泣いたよ。それからもな、わたしが疑問に思った事を、かぶせる様に否定されていくんだ。うちの親も、一生懸命話は聞いてくれるんだが、結局はわたしへの説得に入って終わるんだよ。もう、完全に人間不信だ。冬に桜が咲いても誰も疑問に思わないし、近くの大学校舎が半壊してるのを驚いただけでも笑われる、ってどんなだよ。なぁ? 」

 相変わらずアキラは無言、無表情のままだ。

「でも、そこである人がわたしに言ってくれたんだ。『私にはあなたが何を言ってるかわからない。だから一緒に考えてあげる』ってさ。初めてだった。わたしの隣で一緒に悩んでくれる人が居て、本当に、本当に……嬉しかったんだ」

 千雨の声は尻すぼみ、涙がポツポツと落ちた。

「今まで、そんな事言ってくれる奴なんで居なかった。わたしは、その救いがあったからここまで来れた。立ち続ける事が出来たんだ。モノクロだった世界に、そいつが色を取り戻してくれた。そいつとは初等部で離れちまってな、会えなくなっちまったんだ。なにせこのマンモス校だからな」

 千雨はアキラの額にゴツリと、自分の額をぶつけた。

「なぁ、大河内。今、お前の世界は真っ黒で色あせてるんだろ。だから、そんな目をしてるんだろ」

 無表情の顔に、雫が一筋流れた。

「今度はわたしが色を取り戻してやる。大丈夫だ、今のわたしならできる」

 アキラの瞳がすぐそこにあった。目に、微かな光が戻る。

「今度はわたしが一緒にいてやる、一緒に考えてやる。だから、自分を否定するな!、そうだろ――」

 アキラの瞳に、しっかりと千雨が映る。

「あーちゃんっ!」

 その言葉が、アキラの耳に染み入った。

「……ちーちゃん?」
「あぁ、そうだ!」

 『殻』が割れた。千雨の左手と、アキラの手はしっかりと握られている。
 アキラの瞳はしっかりと光を映し、顔には表情が戻っていた。

「ちーちゃぁぁぁん……」

 クシャリとアキラの顔が潰れ、涙と嗚咽が漏れる。
 その瞬間、アキラの周囲を紫電が走った。火花がバチバチと弾ける。

〈サセルカヨォォォォ!!〉

 合成音のような声が、確かに響いた。電撃がアキラの服を焼き、そのまま千雨を襲う。

「やっぱりか……」

 ポツリと千雨が呟いた。
 電撃は千雨に触れることなく、徐々に分解されていく。電気の流れを操る事など、ウィルスを分解する事にくらべれば千雨にとって造作も無かった。

〈どうだ千雨〉
「中だ。あーちゃんの中に〝いる〟」

 千雨はアキラに顔を近づけ、そのまま唇を押し付けた。アキラの顔が涙と驚愕と羞恥でとんでもない事になっている。千雨はそのまま舌を伸ばし、アキラの口内をまさぐった。ふと、舌先に痺れを感じ、その方向へ舌を通じて電子干渉(スナーク)させる。

(ビンゴだ!)

 パチリという音とともに、千雨はアキラに棲くうモノに噛み付き、体内から引きずり出した。

「グギャァァァァァ」

 甲高い奇声が響く。アキラの体内から出たそれは、黄色く発光していた。体躯は一メートル二、三十センチというところだろうか。人間の形をしながらも、頭は鳥のような奇妙な姿をしている。

「お前が真犯人、ってところか」

 千雨の知覚にはスタンドとしての反応がある。だが、電気を纏い、発光しているせいだろう、肉眼でもはっきりと姿が捉えられていた。

「キヒ、キヒヒヒヒ。知ッテルゾ、長谷川千雨。麻帆良カラ逃ゲ出シタ臆病者ガ。コノ『レッド・ホット・チリ・ペッパー・OTT』ヲ前に良ク楯突ク。ダガナァ、麻帆良中ノ電力ヲ手中ニ収メタ俺ニ敵ウ訳ガナイダロォ!」

 『レッド・ホット・チリ・ペッパー』と名乗ったスタンドが大量の電気を周囲に走らせた。スタンド・ウィルスの闇さえも切り裂き、周囲が一瞬明るくなる。
 『チリ・ペッパー』の後ろには、アキラのスタンド――狐に近い姿の女性型――が従うように立っている。

「……お前の能力は『電気を操る』のか? あーちゃんを操ったのもお前か?」
「ギャハハハ、マァソレダケジャナイガナ。『電力』ガ大キケレバ大キイ程、自分ノ、ソシテ他ノ奴ノ能力ヲ強化デキル。ソレガ俺『レッド・ホット・チリ・ペッパー・OTT』ダ!」
「そうか、なら簡単じゃないか」

 千雨のウィルスの侵食は顔の半分まで覆っていた。だが、『チリ・ペッパー』から庇う様に、アキラを背にし千雨は立っている。
 ウフコックはクルリと反転(ターン)し、千雨の首に巻きついた。高性能な演算装置を内臓したチョーカーである。
 千雨にはリミッターが掛けられている。
 それは千雨の能力を応用し、空間に擬似的な演算装置を作る事、通称『ループ・プロセッサ』の禁止だった。
 いくら強い電子干渉能力を持っていても、その演算が出来なければ意味が無かった。そのため千雨は、空中に電子干渉(スナーク)で回路を作る事を思い浮かべたのだ。それにより、演算装置を作り、干渉能力が上がり、演算装置を増やす、というループが起こり、千雨の能力は際限無き上昇をもたらす事になっていた。それを危険視する学園都市から、千雨に向けて首輪が掛けられたのは当たり前の事だった。
 つまり、千雨には演算装置が足りなかった。そのため、莫大な干渉能力を余しているのだ。なら、どうすればいい? 調達すれば良かった。
 目の前で放たれる電撃を、素手で掴み、簡易的なエネルギー源とした。そのままメイド・バイ・ウフコックのチョーカーを通し、電子干渉(スナーク)を周囲に行った。ケーブルを使わない、独自のネットワークを作り上げる。
 麻帆良に光が戻り始めていた。



     ◆



 麻帆良工大にある研究室の一室で、超鈴音は複数のモニターの前に座っていた。薄暗い研究室の中、モニターの光だけが明りだった。
 超鈴音は若干十四歳ながら、麻帆良内で知らぬものはいないとまで言われる、天才中の天才である。麻帆良内で大規模な停電が起き、ネットワークが寸断される中、彼女のいる研究室だけは平時と変わらぬ働きをしていた。
 彼女により作られた特殊な発電機と、〝この時代〟には相応しくない強固すぎるセキュリティが、電気を操るスタンドからシステムを守ったのである。

「超さん、どうですか?」
「うーむ、なんとも言えないヨ」

 世界樹広場を映しているカメラ映像には、相変わらず黒いもやが見えるばかり。ときたま走る電撃が、事態が推移してるのが確認できるが、それだけだった。
 超の背後には、メガネをかけた少女が立っていた。超のクラスメイトにして、共同研究者の葉加瀬聡美である。

「あれ、超さん見てください。この数値……」
「どれネ」

 葉加瀬が指したのは隣のモニターだった。それは麻帆良内のインフラに関するデータであった。電力の数値が急激に変動している。超は椅子から立ち上がり、研究室の窓を開いた。叩きつける雨の中、目を凝らす。

「明りが戻ってきてるネ……」

 真っ暗だった麻帆良に、街の光が戻り始めていた。ふと、研究室の電灯もつき、部屋が一気に明るくなる。

「フフフ、勝負はついた、ってところかネ」
「超さん、しっかりとデータを取っておきましょう」

 二人は笑顔を振りなきながら、モニターの前に戻る。が、そこで表情は一変した。

「な……」
「う、嘘ですよね!」

 研究室にあるモニター、全てにデフォルメされた金色のネズミの画像が表示されていた。キーボードを叩こうと、一向に反応しない。綺麗に電源と演算装置を奪われたのを超は確信した。

「ハハハハ、やられたネ。さすが《楽園》の怪物。数世代先のセキュリティもザルのように破るカ」
「チャ、超さ~ん。システム復帰できません~」
「いいネ、せっかくだから私達も麻帆良を救う一助となろうじゃないカ」

 泣き喚く葉加瀬を背景に、カカと笑う超。視線は世界樹へと向けられた。



     ◆



 千雨が作り上げた電子のネットワークを、四千にまで分割された思考がダイブする。ウフコックの補助をそのままに、片っ端から演算装置のあるものをジャックしていった。それと平行し、電力の復旧も忘れない。
 『チリ・ペッパー』へと流れている電力ラインを、正常な形へと戻していく。いくら演算装置をジャックしようと、電源が入ってなければ意味が無い。麻帆良中のパソコンを初め、携帯電話にテレビに洗濯機。演算回路を持つ全てを無造作にジャックし、並列処理を施す。ジャックした機器には表示できるなら、ウフコックを模した画像を表示させた。
 麻帆良中に完全な明りが戻り、ウフコックの画像も溢れた。もはや『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は千雨の電子干渉(スナーク)の敵では無かった。
 千雨に向かって放たれる電撃をいなしつつ、指をパチンと弾いた。その途端、千雨を侵食していたウィルスが一斉に消え失せ、塵となった。

「ナ、ナニヲシタァーーー!」

 『チリ・ペッパー』の顔が驚愕に染まる。目の前で行われた『スタンド能力の無効化』、それを行ったのがスタンド使いじゃないというのが信じられなかった。

「へぇ、スタンドっていうヤツもそんな顔ができるのか」

 未だ周囲にもやが覆う中、千雨は平然と言い放つ。

「ホザクナァ!」

 『チリ・ペッパー』はアキラのスタンドを〝操作〟し、周囲のウィルスを一斉に千雨に叩きつける。それに対し、千雨の髪が解け、長髪が舞った。本来、人工毛である千雨の髪の毛には特殊な用途が想定されている。電子干渉の補助である。事故前の髪の色を演じていた有機塗料がパリパリと剥がれ、白い光を放つ髪が現れた。

「だから意味無いって言ってるだろ」

 千雨は左腕を無造作に横に振るった。まるで巨大な手がもやを掴む様に、周囲の闇が一瞬で消える。その力は空まで達し、世界樹の上空の雨雲までを分解した。闇が払拭され、月と星々の光が麻帆良を照らす。

「ナァッ!」

 それだけでは無かった。千雨の電子干渉(スナーク)は広場を中心に伝播し、麻帆良中にあるスタンド・ウィルスを分解していく。

「ウ、嘘ダロ……」

 『チリ・ペッパー』は後ろに後ずさり、よろめいた。膝をついたまま立ち上がらない。

「チ、チカラガ出ナイ」

 『チリ・ペッパー』の後ろに立つ、アキラのスタンドの目に光が灯った。呪縛から解き放たれたようだった。
 アキラのスタンドの姿が霞むと、倒れ伏しているアキラの元に現れた。

「アキラ、大丈夫?」
「あの、あなたは……」
「ワタシハ、アナタ。アナタノ『スタンド』よ」

 どこかおかしいイントネーションながら、女性らしい口調だった。
 狐顔のスタンドに怯えつつ、アキラは言葉を交わす。千雨はふと、アキラが裸なのに気付き、ウフコックに頼みコートを出してもらう。それをアキラの肩に掛けながら、その手を握った。

「あ……」

 強く握られた手から、温もりが伝わる。一緒に考え、立ち向かってくれる人がいる。その安心感が、アキラを自分の鏡である『スタンド』と向き合わせた。

「あの……私はあなたが恐い。人をたやすく傷つける力を持つあなたが。でも、それも私。私逃げていた。きっとちゃんとあなたと向かい会えたらこんな事にはならなかった。だからゴメン」

 アキラは自らのスタンドの手を握った。

「恐いあなたは私。ずるい私はあなた。これからはしっかり見る。お願い、私の力になって『フォクシー・レディ』」
「オーライ、ソレガワタシノ名前ネ、最高ニクールダワ」

 アキラのスタンド『フォクシー・レディ』はガッシリとアキラの手を握り、その〝傍に立った〟。
 千雨とアキラは、キッと『チリ・ペッパー』を睨みつける。もはや逃げ道が無い『チリ・ペッパー』は慌てるばかりだった。

「クソォォォ!」

 渾身の力で、チリ・ペッパーは近くの電源ケーブルに飛び込んだ。千雨達はそれを何もせず見送る。

「まったく、さっきから言ってるだろ。『もうお終い』だって。なぁ?」

 千雨はあらぬ方向を見つめながら喋った。まるでその方向にヤツがいるように。

「さてと、始末をつけるか」

 髪が発光し始めた千雨。その袖をアキラが引っ張った。

「あの、ちーちゃん。私も、私達もやる!」

 後ろでは『フォクシー・レディ』もコクリと頷いていた。ちなみに何故か先ほどから千雨の腕には、『フォクシー・レディ』の尻尾が一本絡まっている。

「わかった。存分に暴れようぜ、あーちゃん。サポートは任せろ」
「う、うん。行くよ! 『フォクシー・レディ』!」
「オーライ! showdownヨ、アキラ!」

 千雨に絡んでる以外の四本の尾が弾け、千雨の誘導の元、電子の海へ消えていった。



     ◆



 光の海を『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は泳いでいた。
 だが、そこにはかつて程の自由も、力も無かった。電気の海を漂いながらも、力が徐々に力が失われていく。

「本体マデ、ドウニカ戻ラナケレバ……」

 『チリ・ペッパー』の自我は強い。電気を操るという能力故、本体の意志を確認している時間が無いのだ。そのため、本体から離れてもこれだけの活動が行えていた。
 だが、今はそれが仇となっている。
 本体の元へ戻ろうと、電気ケーブルの海を泳いでいたが、どこを行っても行き止まり。千雨の妨害に合い、帰還がままならなかった・

「クソ! クソ! アト一歩デ俺達ノ『呪縛』ガ解ケ、『本当ノ自由』ガ手ニ入ッタト言ウノニ!」

 罵詈雑言を吐きつつ、『チリ・ペッパー』は逃げ続ける。だが、ふと足元の違和感に気付いた。

「ナ、何ダト、マサカ!」

 足に尾が絡みついていた。そして絡みついた部分からは黒いもやが染み出てきている。更に今度は左腕に尾が絡みつく。更に右腕。更に首。絡まった先から〝染み〟が広がっていく。

「アァァァァー! チクショーーー!」

 『チリ・ペッパー』から光が失われていく。もはや、終わりは時間の問題だった。



     ◆



『まったく、さっきから言ってるだろ。『もうお終い』だって。なぁ?』

 モニター越しの千雨の視線が、音石明の心臓を跳ねさせた。彼は焦りと緊張を音に変え、ギターをかき鳴らす。

「大丈夫、大丈夫だ。この場所がバレるはずが無い」

 音石が生活しているこの場所はシェルターだった。麻帆良工大のある研究室が数年前、閉鎖環境の研究をする際に作った地下シェルターである。その後、研究チームのリーダーである教授が急死し、多くの者に忘れられる形で放置された。
 音石は自分の計画にあった避難場所を探す際、このシェルターに気付き、根城にしていたのだ。

「大丈夫、大丈夫だ……」

 ギターのネックをガリガリとかじり、脂汗が地面に落ちる。目が泳ぎ、足を小刻みに揺らす。その足に違和感があった。まるで何かに縛られているような。
 だが、足を見ても何も無い。試しにズボンを捲り上げた。

「あぁぁぁぁ!」

 足に黒い染みが出来ていた。それが徐々に広がっていく。今度は左腕に圧迫感。次は右腕、更に首。そのどれもに染みが広がっている。

「『レッド・ホット・チリ・ペッパー』めぇ、しくじりやがったなぁ!」

 音石明は自らのスタンドをなじった。体から体力がそぎ落とされる恐怖がせり上がる。
 床に倒れ、もがいた。誰も来ないこの場所で、ひっそりと死ぬのが恐かった。

「誰かー! 助けてくれー! ここから出してくれー!」

 その瞬間、天井が爆ぜた。
 厚さ数メートルはあるだろう分厚い鉄筋と、大量の土が一瞬で消え、空が見える。
 雨雲が無い、綺麗な月夜だった。その月の光の中、一つのシルエットが浮かび上がる。

「よかろう、その願い叶えてやろう」

 金色の長髪に、黒いマント。妙齢の女性の姿をしたそれは、身体年齢を幻術により底上げした『不死の魔法使い(マガ・ノスフェラトゥ)』エヴァンジェリンだった。
 千雨の麻帆良ジャックにより、電力は回復していても、エヴァを抑える結界は復旧していない。つまり、今のエヴァの魔力は枷無き時と同じであった。

「まったく、余計な知恵を働かせるな。〝千雨達〟は」

 髪の中から取り出したのは通信機だった。

「おかげで事のあらましが良く分かったよ。いい度胸しているな、小僧――」
「あぁぁぁぁぁぁ……」

 エヴァの殺気を直に受け、音石は硬直する。スタンド・ウィルスの侵攻と、目の前の吸血鬼。二つの恐怖の前に、音石は思考が止まった。

「――なぁに、殺しはせんよ。それに幾ら死にたくなっても『死なせない』。覚悟しておけ」

 エヴァの口角が高い角度で釣り上がる。そこにあるのは愉悦。
 音石の絶叫が木霊した。



     ◆



 承太郎が世界樹広場に到達した時、もう事態は終息を迎えていた。
 広場の中央では、千雨とアキラが背中合わせに眠っている。裸にコート一枚と、アキラの姿も目の毒だが、何より千雨の姿が酷かった。見るからに骨折、裂傷のオンパレード。さらに何故か髪の色まで変わっている。

「俺の仕事はまだ終われんか。ウフコック、二人はコチラで保護するぞ」

 千雨のチョーカーがクルリと反転(ターン)し、ネズミへと戻る

「お手数をかける、〝空条殿〟」
「すまんが、名前で頼む。お互い今日から戦友だ」
「了解した、〝承太郎殿〟」

 その後、承太郎はどこかへと電話を掛ける。数分後にスピードワゴン財団の迎えが来ることになった。
 これ程の規模になった大事件。魔法使いどもに二人をそのまま渡したらどうなるか分かったものでは無かった。そのため、スピードワゴン財団での回収が最善だと承太郎は判断する。

(それにしても――)

 承太郎は千雨を見ながら思う。まさか、ここまでの〝輝き〟を持つものだとはな。
 頭上にヘリコプターの音が響いた。
 帽子を飛ばされないように抑えつつ、呟く。

「本当に、やれやれだぜ」



 第一章エピローグへつづく。






(2012/03/03 あとがき削除)
(2010/12/30 あとがき追記削除)



[21114] 第10話「第一章エピローグ」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:29
 グラグラと肩を揺らされ、千雨の意識は浮上し始めた。それとて覚醒には至らず、まどろみは未だ張り付いていた。
 千雨の夜は遅い。深夜アニメにネットにゲームとやる事はたくさんあった。電子干渉(スナーク)や並列思考など、無粋な事は行わずに巡回サイトを回り、時間が来たら深夜アニメをチェック。ついで、寝る前にゲームをする。
 両親が健在の時には、コスプレ写真や自作ポエムなども作っていた。あと数ヶ月無事に過ごしていたら、ネットアイドルとしてデビューし称賛を浴びていたかもしれない、と千雨は思ってたりする。だが、今のような状況になり、安易に自分の情報を流すことは、強いては周りも危険に晒す事だと考え、自制していた。それ故、憂さを晴らすように千雨の深夜のネット徘徊は続いている。「こいつより、わたしのコスプレの方が良い……」などと愚痴るのだ。
 そんな千雨が日曜の朝に起きれるはずが無い。

「ちーちゃん、朝ご飯出来てるよ」

 アキラのそんな呼びかけに「うぁ」とか「おぉ」とか「うぅ」などと、返事なのかうめき声なのか分からない声を連発している。
 カーテンが開かれ、朝日が部屋を照らした……といってももう午前十時だが。アキラは窓を開け、換気をする。初夏の風が気持ちよかった。
 天気は快晴。青い空が、緑溢れる麻帆良を照らしている。ここからでも、そこらかしこから生徒達の賑わいが聞こえた。
 エプロン姿のアキラはパタパタと千雨に近づき、その手を取る。

「ほら、起きて起きて」
「う……うーん」

 ベッドに上半身だけ起こし、目は糸を引いている千雨。肩に黄金の毛色をしたネズミが乗っかった。サスペンダー付きのズボンを履き、そのズボンの穴からは長い尻尾が揺れている。そのネズミの様相は、どこかコミカルで可愛かった。

「すまないな、アキラ」
「いえ、気にしないでください、ウフコックさん」

 ネズミ――ウフコックの言葉に驚きもせずアキラは答える。
 千雨はボケた頭の中、無意識にメガネを探した。いつもの伊達メガネだ。枕元をパタパタと探し、手先の感触でそれを掴み、メガネをかけた。先日メガネが壊れた後、ウフコックに作って貰った新品である。
 だが、その伊達メガネも、以前より一回り小さくなっていた。
 あの長い夜から十日余り経った、日曜の朝の風景である。







 第10話「第一章エピローグ」







 アキラの作った朝食は洋食中心だった。トーストにサラダ、スクランブルエッグといった定番メニューだ。
 千雨の食事はかなりズボラで、放っておけば毎食カロリーブロックやらサプリメントで済ませてしまう。ウフコックもこの手の事は無頓着で、栄養学やらなんやらの観点でしか指摘しない。そんな千雨だが、更に輪をかけて酷いのはドクターであった。ズボラな千雨ですら心配する食生活で、ハラハラしながら千雨自身が食事の用意をしてたのが、ここ数ヶ月学園都市に住んでいた時の生活だったりする。
 そんな食が細い千雨には、朝の和食などは重いらしく、ご飯を出すと箸が進まないのだ。そこに配慮して、アキラは軽めの朝食を毎回作っていた。

「ウフコックさんはこれくらいでいいですか?」
「あぁ、すまないな、アキラ」

 朝食のテーブルの上に、小さなプレートが置いてある。人形か何かが使うような皿に、トーストの小さな欠片やら、スクランブルエッグの一さじが置かれていた。その前でウフコックは器用にエプロンを首に回し、食事の準備をしている。
 いただきます、とアキラとウフコックの声が重なる。千雨のうめく様な声が遅れて続く。
 もぐもぐ、かりかり、と租借する音が部屋に響く。食べながらやっと千雨の頭は覚醒してきたらしく、目が開き始める。
 向かい側ではアキラがもりもりと朝食を食べていた。体育会系のアキラは千雨と違いしっかり食べる。量も千雨の二倍近かった。千雨の量が少ないと言うのもあるが。
 二人と一匹で朝食食べつつ、ときおり談笑をする。アキラの笑顔も以前のように、いや以前よりも良い笑顔をするようになっていた。

(もう十日か……)

 千雨はこの十日間を思い出す。



     ◆



 『レッド・ホット・チリ・ペッパー』との死闘の後、千雨とアキラは意識を失い、それを承太郎により保護された。
 太平洋上に浮かぶスピードワゴン財団の巨大クルーザーに運ばれ、治療が施された。アキラは軽度の心身衰弱で済んだが、千雨は酷いものである。右肩の脱臼に始まり、指の骨折、腕のひび、体中に裂傷が出来ていた。額からまぶたの上部にかけての傷があり、あと数センチずれていたら失明である。外傷以外にも、ウィルスのせいで栄養失調の状態になっていたのだ。さらに体力をごっそりと持っていかれた上で、雨に打たれ続け、免疫力も低下していた。
 だが、承太郎は千雨が『楽園』の技術により改造されている事を、ウフコックの存在からおおよそ察していた。千雨へ安易に治療して良いのか、ウフコックに尋ねつつ千雨への治療は行われた。ウフコックも、本来であれば学園都市に千雨を連れて行くなり、ドクターをこちらに連れて来るなりしたかったが、現状ではどちらも難しく、歯噛みしながら千雨の治療を頼んだ。
 スピードワゴン財団が誇る医療チームは、最先端の医療技術だけでなく、秘匿義務をしっかり守るプロ意識もあるとの事。ウフコックとしては承太郎の言葉を信じるしか無かった。
 その間、承太郎は麻帆良学園側との連絡も行う。承太郎は千雨とアキラの保護を学園長に伝え、自分が知る限りの事件の顛末も伝えた。学園長の近右衛門もおおよその事を察し、二人の保護に感謝しつつ、麻帆良の現状を報告してくれた。『スタンド・ウィルス』の被害者が皆助かったことや、真犯人らしき人物を確保した事などだ。
 半日も経った頃アキラは目を覚ました。点滴をされたまま、アキラは承太郎に事の詳細を聞く。自らの事、スタンドの事、事件の事、麻帆良や魔法の事。そして千雨の容態も。
 千雨の事を聞き、アキラは点滴台を持ちつつ、よたよたとおぼつかない足で千雨の元へ向かった。止めても無駄なのが承太郎も判り、部屋の場所だけを言い見送った。
 アキラが二つ隣の千雨の部屋にたどり着き、見たものは驚愕だった。自分は点滴に病人服であり、幾つかの擦り傷に包帯が巻かれる程度だ。だが、千雨は違う。片目を包帯が覆い、他にも見える限りの場所に包帯が巻かれていた。同じ服を着ているはずなのに、肌が見える場所がほとんど無いのだ。
 そんな千雨の姿に、アキラは歯を食いしばる。ベッド横の椅子に座り、千雨をじっと見つめた。ふと、千雨の首元が動いたのに気付く。そこからヒョコリと頭を出したのは、金毛のネズミだった。

「ね、ネズミ!?」
「この姿ではお初にお目にかかるな、大河内嬢。私はウフコック、千雨のパートナーをしている」

 アキラは突如喋ったネズミに驚きつつ、自己紹介を済ませ、ウフコックにもある程度の事情を聞いた。

「あの、ここでちーちゃん……千雨ちゃんが目覚めるまで待ってていいですか」

 ウフコックとしてはアキラの病状も考え拒否したところだが、本人の意思の固さは目に見えている。それならば、と妥協案を持ち出した。千雨のベッドの横に簡易ベッドを置き、そこで待つという事にしたのである。
 千雨が目を覚ましたのは、更に丸一日経ってからだ。目覚めた千雨が見たのは、泣きながら謝り続けるアキラの姿だった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 そう呟き続けるアキラを、千雨は唯一動く左手で自分の元へ引き寄せる。千雨の胸にアキラの体が圧し掛かる。ズキリと痛みが走るのを我慢し、嗚咽を堪えるアキラの背中をポンポンと叩いた。

「気にすんな、って言っても無理かもしれないが、わたしには遠慮する必要ねーよ。とりあえずお互い無事で何よりだろ、な」

 そう言いながらニカッと笑いかける千雨、だが反面アキラの瞳には一層涙が溜まり、ワンワン泣き出してしまう。千雨の病人服と包帯に、びっちょりとアキラの涙が染み込んだ。

(あれー?)

 会心の慰めをしたはずが、逆に号泣させた事に驚いたが、アキラの呟きは変わっている。

「ありがとう、ありがとう、ありがとうちーちゃん……」

 謝罪では無く、感謝へと。それに安心し、泣き続けるアキラを片手でギュッと抱きしめた。強く、強く、アキラが泣き止むまで。



     ◆



 一時間ほど経ち、アキラが落ち着いたのを見計らい、自分達を見守っていたウフコックに現状を聞いた。
 あの事件後、『スタンド・ウィルス』感染者が無事助かった事には安心したものの、学園内の施設破壊や、麻帆良を守る結界やシステムの復旧を聞き、顔が青ざめた。
 元はといえば音石明が原因だが、麻帆良内を壊しまくったのは間違いなく千雨の武器や能力の数々だった。ちなみに千雨は知らない事だが、けっこう承太郎も壊していたりする。
 そこへタイミング良く入ってきた承太郎は、その事について千雨達に話し始めた。

「大河内君にはスピードワゴン財団の保護下に入ってもらおうと思う」

 その言葉の真意が判らない千雨達だが、その後の承太郎の言葉でなんとか理解する。つまり麻帆良での今後の生活を考え、アキラに後ろ盾を作ってやろうというのだ。さらに、感染者達に対する見舞金や援助金も出してくれるという。

「いいんですか?」

 アキラの言葉に、それがスピードワゴン財団の理念だ、と言いきった。莫大な資金を持つスピードワゴン財団だが、元々は承太郎の母方の血統『ジョースター家』を援助するために作られた財団である。表向きは自然保護団体の名前を語っているが、その『自然』の中にはスタンド使いも入っているとの事だ。
 無条件、というのも信用しにくいだろうという事で、なにかの非常時には手を貸してもらうという約束を取り決めた。承太郎とて、その約束をわざわざ使うつもりは無く、アキラの罪悪感がまぎれる様にとの配慮だった。
 承太郎はアキラに幾つかの物品を渡す。それは財団の証明書だたったり、連絡先であったりする。
 そして、更に一日を置いて千雨達は麻帆良に戻る事となった。本来、アキラと承太郎だけだったのだが、無理を言い千雨も付いていく事になったのだ。
 千雨達と学園側の会談は、麻帆良内で一番セキュリティが高い学園長室で行われる事となった。
 土曜の午前、広いはずの学園長室内に主要な関係者が集まり、狭苦しくなっていた。
 承太郎を筆頭に、その後ろには千雨とアキラが。学園側も近右衛門を筆頭に、魔法先生が揃っていた。
 魔法先生達の目は承太郎に注がれている。幾ら不意を打たれたからとは言え、たった一人で自分達を無力化する人間に好感は持てなかった。
 そんな中、会談は淡々と進む。承太郎が千雨達から得た情報なども使い事件の実情を語る。勿論千雨の能力の詳細は語らず、相性がうまく合い敵のスタンド能力が暴走した、という事で通した。その際、音石明の身柄の引渡しも学園側に申し出た。

「おたくらもスタンド使いの異質さを知ってるだろう、身をもってな」

 その言葉に口を引きつらせる者が数名、対して近右衛門は涼しいものだった。善処しよう、の一言で片付けてしまう。
 学園側も音石明の対応には困っているらしい。『電気を操る』というトンデモな能力のため、迂闊な場所では拘束すらままならず、今は生命維持を魔法で行いつつ、氷漬けにしていた。
 お互いが得た情報を照らし出すうちに、事件の実情が浮き彫りになっていく。音石明によるスタンド使いへの無差別の覚醒、その他者の能力の悪用。加害者だと思われた生徒が、実は被害者だという一面。つい一週間ほどまで一般人だったアキラに同情の念が集まった。
 会談が一段落した頃、アキラが学園側の教師陣の前に一歩進む。

「本当に、申し訳ありませんでした」

 アキラは深く、深く頭を下げた。その姿に教師陣は息を飲んだ。被害者であるはずの彼女を、あまつさえ自分達は殺す決意をしたのだ。『立派な魔法使い』という理想を掲げ、その英雄譚の数々に憧れてきた面子である。大人になり、その理想が遥か高く、難しい事は知っている。だが、知っている事と理解できる事は違う。
 頭を下げるアキラを前に、彼らの心を罪悪感が覆った。
 そのアキラの横に、松葉杖を使いながら千雨が並ぶ。

「すいませんでした」

 千雨も頭を下げた。言葉は素っ気無いが、誠心誠意伝わるように、不自由な体を必死に曲げた。
 彼らにとって千雨は眩しい存在だ。
 聞けば、半年前に事故に遭い両親を失い、その後学園都市で治療を受けた際、超能力に目覚めたとの事。目覚めたと言っても大した大きさでは無く、レベル3という能力の五段階評価の三番目程度らしく、自分達魔法使いとは比較にならない程度の強さとの事である。
 魔法という強大な力を持つ自分達が、生徒を救う事を諦め『殺す』という選択肢をしたにも関わらず、彼女はたった一人それに反抗し、そして解決してしまったのである。彼女もまた半年前までは一般人だったのに、だ。
 見ればボロボロの体だった。体中に包帯をし、片目まで隠れている。自分達は魔法による防御手段があるが、彼女の能力にはそういったものが無いらしく、あの暴虐の夜を生身で駆け抜けたらしい。
 声が詰まる。自分達より身も心も幼い、守るべき生徒達に、逆に救われた。そしてその彼女達に、今自分達は頭を下げさせてるのだ。悔しさと恥ずかしさ、情けなさが入り混じる。

「頭をあげてくれないか」

 誰かがそう言った。アキラと千雨は驚いたように顔をあげた。罵声が飛んでくるのでは、と彼女達は身構えていたのだ。

「私達こそすまなかった」

 教師陣は一斉に頭を下げる。その行動に二人は慌てた。
 言葉で伝えたい、だが彼らの内にあるものは様々で、簡単に表せるもので無い。また、その言葉が彼女達の重みになる事は避けたかった。だから、ただただ頭を下げ、謝罪を続けた。

「君達を危険に晒し、さらに命を奪おうとした事、本当にすまなかった」

 アキラも自らが事件当日、標的になっていた事は知っていた。だが、それとて彼らにとって苦渋の決断だった事を、彼らの言葉で理解した。
 学園長室を無言が支配する。
 完全な和解に至らずとも、それは確かに少しづつ動いていた。日常の兆しが見え始める。



     ◆



「高畑先生」

 学園長室での会談が解散された後、千雨達は高畑を呼び止めた。胸に穴が開いた、と冗談みたいな話を聞いたのだが、高畑はピンピンしており、いつも通りの背広姿だ。

「大河内君、長谷川君……」

 助けられずにすまなかった、そしてありがとう、と高畑の言葉が続く。
 アキラの脳裏に、血の海に倒れる高畑の姿が浮かび、涙が溢れた。千雨は横でアキラの手をしっかり握った。
 高畑と一通り話し、彼の案内で『ウィルス』被害者の元へ案内して貰った。だが、そのほとんどの生徒には直接の謝罪が出来ない。魔法の秘匿を守るためである。感染した魔法使いは数人であり、それらを回るのに一時間も掛からなかった。
 最後に行くべき場所のメモは高畑に貰っている。高畑は仕事のために戻っており、一緒にはいない。

「その前に、ちょっと行くところがあるんだがいいか?」

 千雨の言葉に頷きつつ、その千雨の案内である場所に向かう。
 タクシーを一台捕まえ、図書館島までを指定した。千雨達が着いたのは図書館島の裏手、小さな石造りの通路だった。

「こっちだ」

 千雨の後に着いていくと、通路はどんどん地下へ潜っていく。行き着いた先には扉があり、千雨はカードを取り出し、扉へ近づけた。
 本来なら壁しか見えないが、そのカードがあれば地下へ直行するエレベーターに乗れた。
 緩やかな浮遊感と共にエレベーターが下りた先には、広大な空間が広がっている。書架が立ち並びながら、地下とは思えない陽光が照らしていた。

「ここが図書館島の地下らしいぜ、んであいつがその司書とやらだ」

 千雨が指差す先に、いつの間にか男が立っていた。

「おやおや、どうやらこっ酷くやられたみたいですね。半生を取る時が楽しみです」

 ニコリと微笑む優男。

「うるせぇ、契約だ。わたしの体をさっさと治せ。マホウとやらで出来るんだろう」
「はいはい、それではちょっとお体を拝借」

 男――クウネルは千雨に近づき、手をかざした。千雨がほのかに光る様を見て、アキラは驚く。魔法の存在を聞いてはいたものの、見るのは初めてだった。
 クウネルが何事かを呟くと、光は一層強まり、そして消えた。千雨は体の痛みが引いたのに気付き、包帯を取る。包帯の下に傷跡はほとんど無くなっていた。光の加減で薄っすらと線が見える程度である。

「あーちゃん、ここはどうだ?」

 鏡が無いため額の傷が見えず、アキラに聞く。アキラは心配していた、千雨の顔の傷が消え、うれしさのあまり抱きしめた。

「のわぁぁぁ」

 千雨の嬌声で、はっと気付き離れる。アキラはクウネルに振り返り、力の限り頭を下げた。

「あ、あの司書さん。ちーちゃん、じゃなかった千雨ちゃんを治してくれてありがとうございます!」
「お気になさらず〝契約〟ですので。遅れましたが私、図書館島の司書をやっているクウネル・サンダースという者です。お気軽にクウネルとでも呼んで下さい、大河内さん」
「あ、はい……って私の名前」

 いつものひょうひょうとしたクウネルのペースに取り込まれるアキラ。千雨は自らの体を知覚領域で精査し、異常が無い事を確認していた。

(さすが魔法、相変わらずファンタジーだぜ)
〈これほどの治癒速度とはな〉

 呆れつつ感嘆していた。
 ふと気付き、千雨は用が済んだとばかりに、アキラを連れて出て行った。

「今度来るときはおみやげもお願いしますよー」

 というクウネルの言葉を聞き流しつつ、図書館島を後にする。



     ◆



 二人はある病室の前にいた。
 コンコン、とノックをすると元気な返事が返ってくる。

「失礼します」
「おぉ! アキラじゃん! ずっと会えなくて心配してたんだよ~」

 ベッドの上には裕奈がいた。元気はつらつといった体で、雑誌を広げてテレビを見ている。
「おぉ、長谷川も来てくれたんだ、サンキュー」
「あぁ、元気そうで何よりだな……」

 人恋しかったのだろう、いつに無くテンションが高い。裕奈は感染症という名目で、ここ数日友人との面会が認められていなかったのだ。くしくも千雨達はそのお見舞い第一号となっていた。
 裕奈は目覚めた後の病院での色々を語る。父親が号泣し娘離れができるか心配だった、とかそういう話だ。
 アキラは必死に謝罪の言葉と涙を堪えながら、笑顔を浮かべ続けた。裕奈に見えないベッドの下では、千雨がアキラの手を握っている。それでなんとか堪えつつ、アキラは談笑を続けた。
 千雨達がお暇しようとした時、病室へ男が入ってきた。

「あ、おとーさん」

 明石教授である。千雨達は凍りついたが、教授は大人だった。裕奈に何か悟られないよう、普通の会話を続ける。

「おや、アキラくんじゃないか。君も大変だったね、心配してたんだよ」
「え、えぇ……」

 数分会話した後、三人は場所を近くの待合室に移し、対面していた。

「本当にすみませんでした」

 アキラは必死に頭を下げる。それに千雨も続く。
 教授も困惑していた。自分は率先して目の前の少女、裕奈の友人であるアキラを殺そうとしたのだ。あの日、娘を守る、という名目の元に持った殺意の残滓が、未だに教授を悔やませている。
 その上で、アキラ達の謝罪だ。教授にとっては傷口に塩を塗られているようだった。

「いや、頭を上げてくれ。謝るのはこちらだ。僕は恨まれこそすれ、謝ってもらえる立場じゃないよ」

 自嘲の笑みを浮かべつつ、疲れた表情で教授はあの日の事を語った。娘を守るため、アキラに殺意を燃やした事をありのままに語る。それは教授にとっての懺悔だった。年齢が一回り以上離れている彼女達に話すべき事では無いが、教授は止められなかった。

「――だから、むしろ僕があやまるべきなんだ。本当にすまない」

 頭を下げる教授に、今度は千雨が声をかけた。

「裕奈のお父さん、わたしは色々経験が少ないが、あなたが間違ってるとは思えない。だってさ、誰かを殺して親が生き返るなら、わたしだって殺してると思う」

 千雨の頭に両親の顔がよぎった。もう会えない、懐かしい顔だ。

「だから、しょうがなかったんじゃないかな。わたしが言うのも無責任な話だけどさ、親としては当たり前だと思う」

 教授の目に、薄っすらと涙が覆ったが、男として、大人としてそれを見せるわけにはいかず、目頭を押さえた。
 千雨達はそっとその場を離れた。



     ◆



 翌週、臨時休校が明け、通常授業が再開された。
 変死事件はある大学生による犯行として報道されたが、テレビを賑わしたのはほんの数日で、あっという間に人々の記憶から消えた。そこには麻帆良やスピードワゴン財団の名が働いたのは言うまでも無い。
 殺人鬼として報道された、麻帆良大学の大学生『音石明』は、警察の手に渡った……と名目上なっているが、彼に正当な法の裁きが下ることは無いだろう。
 また、千雨の環境も多少変わった。千雨は事件が落ち着いたら、《学園都市》へ戻ると思っていた。多少寂しいが仕方は無い、と。

「交換留学生、ですか」
「そうじゃ」

 週明け早々千雨は学園長に呼び出され、急にそんな事を言われた。
 スタンド事件を機に、麻帆良と学園都市の緊張が高まってるらしい。そこで魔法と超能力、お互いの実情を知るものが親交という名目で学生を交換しようと言うのだ。体の良い公認スパイという事である。

「何しろ急に決まった事じゃ、人数も期間もまだ決まっておらん。じゃが、とりあえず長谷川君をそのテストケースにする、というのが先方の意見のようじゃ」
「先方って……それって後づけじゃないですか。いいんですか?」
「構わんじゃろ、それで困るものはおらん」

 千雨はまだ知らない事だが、この交換留学生を働きかけたのは、千雨の保護者やるドクター・イースターである。学園都市を離れられない、彼なりの援護のつもりであった。

「それで、じゃ。長谷川君には寮に関しての通知がある」
「通知?」

 それは寮の部屋換えの話である。女子寮のアキラと裕奈の部屋が例の感染症の後、封鎖される事となった。この女子寮というのがかなり部屋割りが大雑把で、三人部屋を二人で使ってたり、二人部屋を一人で使ってたりするのだ。前者はまき絵と亜子であり、後者は千雨である。
 それに伴い、裕奈がまき絵と亜子の部屋に、アキラが千雨の部屋に移れとのお達しだった。超能力者にスタンド使い、要は監視対象をうまくまとめるという事なのだろう。
 裕奈はアキラと部屋が別れる際、ちょっと寂しそうにしながらも、

「まぁ、すぐに遊びにいけるしね!」

 と元気に語っていた。
 こうして千雨が遭遇した事件は収束していった。
 そして千雨とアキラがルームメイトして過ごし、丁度一週間となっていた。
 千雨も交換留学生という名が付属し、まだ当分は麻帆良に居る事になった。その事をドクターと相談したが、何やら目的があるとの事。うまい事お茶を濁されたが、仕方があるまいとも思う。
 千雨は欠伸を一つ。窓からの風景を眺めた。
 初夏の日差しが爽やかに都市を照らし、世界に色を輝かせていた。








     ◆








「そんな面白い事があったなんて。スケジュールを全部放り投げて来るべきだったな」

 承太郎の後ろを歩く男がいった。奇妙な風体の男である。
 逆立った髪を綺麗に横に流し、変わったデザインのヘアバンドをしている。体は細身であり、筋肉が少ないのも、服越しにわかった。だが、目は異常に鋭い。いつも周囲に対する観察を怠らないような周到さが伺えた。
 男の名は岸部露伴。承太郎が要請した救援である。本来ならばもっと早くに着いていたはずが、彼自身が海外にいたり、トラブルに見舞われたりと、合流が遅れたのだ。
 そして彼はスタンド使いであり、漫画家だった。有名週刊少年漫画雑誌に連載を持ち、コアなファンを獲得し続けている。

「あぁ~~、惜しかったなぁ~、見たかったなぁ~。何でもっと早く言ってくれなかったんだぁ。ねぇ、承太郎さん」

 承太郎は無言で通路を進み続け、ある扉を前にピタリと止まった。

「ここだ」
「へぇ、やっとご対面ですか」

 承太郎は扉を前にして、服についている貴金属などを外し始めた。

「ヤツのスタンド能力は知っているだろう。用心のためだ、外せるものは外しておいた方がいい」
「それもそうですね」

 露伴は素直に従う。貴金属だけでなく、携帯電話やボタン電池式の腕時計も外してから、扉を開けた。
 中は薄暗く、また冷たい。ヒヤリとした風が頬を撫でた。

「おぉ」

 露伴も思わず声が出た。
 そして部屋の中を確認すれば、中央に大きい氷の塊が鎮座している。氷の中には男の体が埋まっており、顔だけ外へ出ていた。

「へぇ、君が『音石明』か」
「たのむぅ、助けてくれぇ……」

 露伴は無遠慮に近づき、音石の顔をペチペチと叩く。音石は消え入りそうな声でこれに応じた。
 部屋の壁は特殊ゴムで出来ていた。ありとあらゆる物が絶縁体で覆われており、一部の隙も無い。明りも特殊な蛍光ランプにより、電気を使わず部屋を照らし出している。

「露伴、たのむ」
「わかりましたよ、承太郎さん」

 承太郎の短い言葉を理解したのか、露伴は即座に応じた。

「たのむ、〝話せる事〟は全て話すから助けてくれぇ」
「いや、必要無い。君は一切話す事は無い。なぜなら」

 露伴は人差し指を、音石の目の前に突き出した。

「僕のスタンド『ヘブンズ・ドアー』があるからね」

 指先が光を帯び、その軌跡が露伴の代表作にして主人公『ピンク・ダークの少年』の顔を描いた。

「あぁぁぁぁぁ」

 それを見た音石の顔の表面がパラリとはじけた。まるで顔そのものが本になったようだった。
 岸部露伴の能力『ヘブンズ・ドアー』は自らが描く絵を見せることで、相手を本にする事ができる。能力を受けた人の本の中身には、その人の記憶が書かれている。また、この本の中に命令を書くことで、相手にその命令を守らせられる、というとんでもない能力だったりする。
 露伴は手馴れた調子で音石明のページを捲っていった。

「ふんふん、なるほど」

 ペラペラと捲りながら、音石の名前、出身、特技に趣味に性癖と、あらゆる物を斜め読みしつつ音読していった。
 ページを捲り続けると、途中からきな臭い内容になってきた。

「大学からの帰り道、矢にさされて能力が発現か。その後好き放題してた所で――」

 そこから音石のページに〝アノ人〟という言葉が増えだした。

「『その日、俺は〝アノ人〟に会った。思えばずっと〝アノ人〟の手の上で転がされてた気がする。俺は〝アノ人〟に興味を抱いて聞いたんだ、お前は誰だ、ってな。これが間違いだった。”アノ人”は自分の名前や住所に性別、好きな映画から嫌いな芸能人まで、自分に関する事を延々喋りはじめやがった。余りのウザさにスタンドを発動しようとした。その時に気付いたんだよ、これが〝アノ人〟の手だってな』か。ふむふむ」
「やめろぉぉ~、たのむ、それ以上覗きこまないでくれぇ」

 露伴の口は軽やかに回る、対照的に音石の声はか細く、必死だった。

「『〝アノ人〟の能力により、俺は縛られた。呪いだ。〝アノ人〟を知ったせいで、かわりに俺は〝アノ人〟の願いを叶えなくてはならなくなった。『自らの平穏のために、麻帆良にいる魔法使いを殺す』。最初聞いたときは気が狂ったか、とも思ったが納得だ。まさか魔法使いが本当にいて、あれ程の力を持ってるとはな。俺達スタンド使いが、自由気ままに過ごすには確かに邪魔だろう』」
「もう、触れないでくれ! たのむ、〝アノ人〟はぁぁぁぁ」

 承太郎は音石に注意を払う。

「『〝アノ人〟から得たものは二つ。スタンド能力と〝矢〟だ。〝アノ人〟は計画実行のため、俺に〝矢〟を渡してきた。おめでたいやつだ。ついで、俺の能力も成長した。〝アノ人〟への恐怖が、俺のスタンドを強くした。それまで『電気を操る能力』だった『レッド・ホット・チリ・ペッパー』に、『他者のスタンドを操り、強化する能力』に成長した。だが、クズみたいなガキどもで能力を試したが、ロクなものじゃなかった。大量の電力がなければ操る事は難しいし、強化だって微々たるものだ。だけど、どうにか出来る筈だ。とりあえず、矢を使いスタンド使いを量産する。なぁに、死んだやつは電気ケーブルの海に放り込めば見つからない』」
「ごめんなさい! 謝る! 謝るから、それ以上読まないでくれぇぇぇ!」

 音石の顔は涙と鼻水でビショビショだ。だが、露伴は気にもしないという態度でページを更に捲った。

「『何人目だろう、ついに目的が達成できるスタンド使いを発現させた。弱い、はっきり言って弱い能力だ。遅効性のウィルスをばら撒くというクソみたいな能力だが、俺が強化すれば凶悪になる。この能力で麻帆良を覆えば、〝アノ人〟の願いを聞きつつ、〝アノ人〟を殺せるはずだ。俺は歓喜した。これで自由だ』。なるほどね、君の狙いはそこだったわけか。首謀者の命令を聞きつつ、自らを脅かす首謀者を殺す。悪くは無い選択だと思うよ、僕は」
「もう、もう無理だ。たのむぅぅぅぅぅぅ!」

 しかし、露伴は止まらない。

「『〝アノ人〟の顔を思い出す。そうこんな顔だった……』。おや、次のページには写真があるようだね」
「駄目だーーーーーーーっ!!!」

 音石の言動が激しくなる。承太郎は露伴を止めにかかった。

「露伴やめろ! 〝そのページを捲るな〟!」
「承太郎さん、こいつの焦り方を見れば分かるでしょう。載ってるんですよ、この次のページに〝アノ人〟とやらが」

 露伴はページを指で掴みつつ、ペラペラと揺すった。隙間からは確かに写真のようなものが微かに見える。

「たのむ、捲らないでくれ、それ以外だったら何でもやる、下僕にでもなってやる、だからァァァァーーーー!」
「……そうかい、そこまで――」

 音石の言葉に露伴の指が止まった。音石の顔には希望が浮かんでいた。まるで地獄の底で天使を見かけた様な、晴れ晴れとした表情だ。

「だが断る。この岸部露伴はあと一歩の真実の前に、怯むことを知らない。そこに他人がいて、迷惑がかかるならなお更だッ! 見せて貰うぞぉぉぉ!」
「やめろぉぉぉぉぉ!」

 露伴は一気にページを捲った。次のページには確かに誰かの写真が載っていた、人影、シルエット、だがそれは――。
 音石が内側から爆発した。

「露伴っ!」

 承太郎はスタープラチナの能力で時を止め、露伴に近づき、その体を壁まで飛ばした。時を止めた瞬間が遅かったらしく、写真の載ったページは真っ先に爆発していた。
 時の流れが戻る。

「ぐぅっ!」

 背中を強打し、くぐもった声を出す露伴。

「大丈夫か露伴」
「えぇ、すいませんね、承太郎さん」 
「まったくだ。それにしてもやられたな、これが〝アノ人〟とやらの呪いだろう。自らの正体の完全な隠蔽。記憶にすら干渉するのか。それに〝アノ人〟じゃあ性別すら分からない」
「僕も写真を見損ないました。せめてあと一秒あれば」

 露伴は悔しそうに頭をかいた。
 部屋の中は爆発の影響で散々な状況になっていた。音石を縛っていた氷まで砕け、壁に突き刺さっていた。だが、その程度だ。
 音石の姿はほとんど残っていなかった。血も、肉片も、元の大きさを考えれば微々たるものしか残っていない。

(こいつはまるで――)

 承太郎は先日の資料室の事を思い出していた。麻帆良での『矢』の捜索中、警備員が殺された事件だ。

「これが〝アノ人〟とやらの仕業となると、『矢』の持ち主は……」

 麻帆良を騒がした『スタンド・ウィルス事件』の犯人『音石明』の最期であった。
 だが、まだ事件は終わらない。



 第一章〈AKIRA編〉エピローグ終。
















●アキラのスタンド能力設定

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<スタンド名>フォクシー・レディ
<スペック>まったく考えてないですが、おそらくスピードはA
<基本的特徴>
人型で、ニメートルほどの身長。背中から五本の尻尾が伸びている。
自我があり、喋る事もできる。
性格コンセプトは「ズルイ」。これはアキラの性格の対比と、スタンド名から。
また、体長三メートルの狐の姿になり、その背に人を乗せ走る事ができる。
速さは車程度。
<スタンド能力詳細>
・他者に自らが作るウィルスを感染させられる。だがウィルスで致死にいたるには時間がかかり、それは感染者の体力に比例する。
・ウィルスの進行速度は能力者が調整出来る。
・ウィルス感染者はスタンドを見ることが出来る。
・尻尾一本に付き、一人しか感染させられない。また感染させた尻尾は固まり、動かす事が出来ない。
・固まった尻尾を破壊されると、能力者の意思関係なくウィルスは解除される。
・感染者の数に比例し、スタンドの身体能力に負荷がかかる。

●解説。
 コンセプトは「鬼ごっこ」。ヒットアンドウェイを地で行くスタンドです。
 また「車並みのスピード」と言うのがそそります。
 この表現の曖昧さが、その後の話の展開を広げるのです!
 ある意味最高に強いんですが、ソロで行くと微妙。
 弱体版パープル・ヘイズといった感じです。
**********************************************************************************

(2012/03/03 あとがき削除)




































 男は世界樹を見上げた。
 日も暮れ、人が少なくなってきた時間、男は麻帆良の郊外に立っていた。
 初めて来た東洋の国、その異様な風貌に圧倒されてきた。だが、どこかこの麻帆良地には親近感を覚える。それは西欧を模した作りの建物の数々がそうするのだろう。
 いつか歩いたフェレンツェの地を思いだした。
 だが、フィレンツェにもこれほど大きい木は無かっただろう。世界樹。その名に相応しい巨大さと荘厳さだった。
 風が男の髪をなびかせた。色あせた金髪を、そのまま伸ばし、無造作に後ろで縛っている。元は美男子だったろう顔立ちだが、今は顔を無精ひげが覆っていた。体は黒いタイトな服で覆っている。細身ながらも筋肉質な事が分かった。
 こうやって見れば、渋みのある色男といった感じだが、それを目の下の隈が台無しにしていた。強すぎる色合いの隈の上には、碧眼の瞳が乗っているが、その瞳も濁っていた。
 剣呑さを隠しもせず、男は麻帆良の地に立っていた。
 ここに、彼の願いを叶えるモノがあるはずなのだ。

「そこの君、すまないが名前を教えて貰えるか」

 男の背後に、更に男が立っていた。黒色の肌に、肩幅のある長身。日本では目立つ風貌だが、この麻帆良ではそこまで目立たない容姿、麻帆良の魔法教師ガンドルフィーニである。

『はは、すまないが、僕は日本語が不自由でね。観光に来たら迷ってしまったよ』

 ガンドルフィーニの言葉に男は英語で答えた。

『そうだったのか。ぶしつけにすまないが、君は何者だ。私はここで教師をやっていてね、生徒達のために不審者は排除せねばならない』
『不審者、不審者だって、僕がか。またか、本当に日本は窮屈だな。冗談はやめてくれないか』

 男はさもありなん、と言った感じで大げさなジェスチャーをする。そんな彼にガンドルフィーニは苦笑いをした。

『いや、すまないね。僕も経験がある。日本は僕ら外国人に排他的だが、良い国だ。観光者の君の気を悪くしたのは申し訳ないが、身分証明書を見せて貰えないだろうか』

 ガンドルフィーニの言葉に、男は片手に持ったバッグから、パスポートを取り出し渡す。

『名前はピーノ・サヴォナローラ。イタリアからの旅行かい。それにしては英語が流暢だね』
『昔少しアメリカに住んでた時があるんだよ、そのせいかな』

 男はガンドルフィーニとの会話をしつつ、その懐の膨らみを凝視していた。男はガンドルフィーニの立ち居振る舞いから、ただ者じゃない事を察している。

『宿はもう決まっているのかい』
『いいや、まださ。本当はこの駅で降りるつもりは無かったんだが、あまりにも故郷の風景に似ていたせいで降りてしまったよ』

 ハハハ、と続く男の笑い。だが、その笑顔には鋭さがあった。しかし、それに気付かぬまま、ガンドルフィーニは男に近づく。

『そうか、じゃあ案内しよう。この時間となれば、流石に他の駅まで行くのは億劫だろう。駅向こうなら、幾つかホテルがあるんだ』

 その不用意さが仇になった。

『ありがとう紳士(ジェントルマン)。そしてさようなら、だ』

 ゆったりとした男の動き、そこには魔法などの異能の力は一切無い。あるとしたら練磨の上にある卓越した技術と〝才能〟だった。
 ガンドルフィーニの首から血の噴水が上がった。次いでガクリと膝が折れ、自らが作った血の海に飛び込む。バシャッという音がして、周囲にさらに血が跳ねた。
 男はもう傍には居なかった。片手にはナイフ。その表面には小さな文字が幾つか刻まれている。刃に乗った血糊を、腕の一振りで飛ばし、仕舞う。
 男の体には血の一滴すら付いていない。
 男は天才であった。〝殺す〟その一点に置いて、他の追随を許さない正真正銘の天才。その力は魔法ですら薄紙に変えてしまう。
 ガンドルフィーニにとっての不幸は、その〝天才〟と会ってしまった事だった。血の海に沈み、体が冷えていく。薄れゆく意識の中、妻と娘の姿がよぎった。

(すまない……)

 呟きすらままならず、ガンドルフィーニは永遠の眠りについた。
 男は振り返る事もせず、その場を離れる。瞳には再び濁りが渦巻いていた。
 十年前、男は欧州で名を馳せていた。名が売れる事が二流である世界で、名を売り一流であり続けた男。
 そこではこう呼ばれていた――『ピノッキオ』と。
 その姿は麻帆良の夜の闇に溶けた。



 第ニ章〈エズミに捧ぐ〉に続く。



[21114] 第11話「月」 第ニ章〈エズミに捧ぐ〉
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:30
 星の瞬きが視界を覆っていた。そして、それらが尾を引き光のラインを夜空に描いている。

「うわー、きれい~」
「ほらほら、見てよあそこ!」

 クラスメイトの声に、夕映はハッっとする。思わず見惚れていたのだ。冬に入り、夜になると肌寒さも増した。厚着をしているが、チクチクと刺すような冷気が服の隙間に入り込む。白い息を両手に吐きつつ、ゴシゴシと擦った。
 その日は、普段閉鎖されている女子寮の屋上が開放され、多くの生徒が詰め掛けていた。今年はある流星群の大出現の年らしく、テレビでも一週間ほど前からこの話題で持ちきりである。そのため、今日は特別に寮長の監督の元、生徒達へ屋上が開放される事となった。
 もう十一月となり、クラスメイトも屋上に行くにあたり、それなりの厚着をしている。夕映もパジャマの上にダッフルコートとマフラーをしていた。鼻がむずむずし、マフラーに顔の半分を押し付ける。

「ゆえゆえ、あっち空いてるよ、行こう」
「ひゃ~、なかなか絶景だねぇ」

 ルームメイトの宮崎のどかと早乙女ハルナが呼びかける。

「わかりましたデス」

 二人の姿を追いかけつつ、返事をした。あまり広くない屋上に、人が溢れている。中等部だけで無く高等部の生徒もいるので、なかなかの混雑ぶりだ。
 背の低い夕映は、人垣に入ってしまうと空が見えなくなってしまう。人の隙間にかすかに星が見える程度だ。だが――。

「こんな夜空でも月はしっかり輝くのデスね」

 どこまでも透き通るような高い夜空に、月が輝いている。満月だ。人垣も、一際空高く浮かぶ月は隠せなかったようだ。周りを跳ね回る星の群れには負けん、とばかりに常に無い輝きを放ってるように夕映は感じる。
 やがて人垣が途切れ、星の海が目に飛び込んでくる。地平線まで続く夜のスクリーンだった。

「おぉ、流れ星のバーゲンセールだ! こりゃあ願い事叶え放題だねぇ。のどかは何願うの?」
「えぇっと、読みたい本があるから、それが図書館に入るようにって……」
「即物的~! さっすがのどか」
「ふ、ふぇ、? パルちがうよ~」
「やれやれデス」

 二人の会話を聞き流しつつ、夕映は夜空を見上げる。少し首が痛かった。
 いつかの『祖父』との思い出がよぎる――気がした。記憶には無い。だが、〝感覚〟はある。確かあれは天体望遠鏡が――。
 周囲の喧騒が消え、星の光と冷気のみが夕映の世界だった。だが、温もりはあったはずだ。肩に手の重みがあり、彼の吐息が頬をかすめた。ただ、私はそれが嬉しかった。

「ゆえゆえ、寒いの?」

 のどかが夕映の手を握った。ギュっと掴まれた手のひらから、心配する気持ちが伝わる。いつかの逡巡を捨て、目はしっかり今を見つめた。

「いえ、ちょっと昔の事を思い出してましたデス」

 グシャグシャと頭を乱雑に撫ぜられた。

「も~、また『おじいちゃん』の事でも思い出してたんでしょ、本当におじいちゃんっ子なんだから」

 ハルナは笑いつつも、夕映に温もりを伝え続ける。ルームメイトの二人は夕映の祖父が数年前に死んでいる事を知っている。だが、それを口に出す事に対する遠慮はしない。夕映もまたそれを望んでいなかったからだ。

「『祖父』は、その……素敵な人デス。尊敬に値する素晴らしい人だったのデス」

 若干赤くなりつつ、目線を反らして夕映は呟く。もちろん二人には聞こえている。
 寒さと喧騒が心地よかった。コートの隙間に手を突っ込み、胸元のペンダントを触る。ヒヤリとした表面、だがそれも気にせずギュっと握った。夕映の視界をまた流れ星が落ちた。

(もし、叶うなら――)

 十分程星の祭典を堪能し、三人は部屋に戻った。ベッドに潜り、明りを消す。カーテンの隙間からもあの星空が見えていた。そして月も。
 暖かいものに包まれたような感じがする。冷たいはずのペンダントが、夕映に温もりを与えた。
 眠気のせいか、頬に一筋涙が流れた。誰かの名前を呟く。だが、夕映すらもそれが誰の名前なのか分からない。ただ、その姿を月が見守り続けた。
 その夜、夕映はぐっすりと眠れた。
 去年のある日の事である。







   千雨の世界 第ニ章〈エズミに捧ぐ〉 第11話「月」







 ピンと栗色の髪が跳ねた。事件からおよそ二週間、千雨の髪の色も完全に元に戻っていた。当初、特殊な有機塗料が剥がれてしまい、それを市販の染料で染めてごまかしていたのである。
 しかし、さすがは『楽園』の技術。時間が経てば自動的に髪を覆い、元の色に戻してくれるのだ。これからは髪が伸びようと、根元の白髪部分にドキドキする事は無くなった。
 千雨の口が開いた。無警戒な姿だった。布団を無造作に放り投げ、へそを出して大の字で寝ている。エプロン姿のアキラはその姿に微笑を浮かべつつ、そっとベッドに腰を下ろした。
 千雨の髪を一撫でした。サラリと流れるストレートの髪の感触は、自分とほとんど変わらない。だが、この髪も肌も、そのほとんどが人工物だという。先日、同居するにあたりアキラは千雨の実情を聞いていた。



     ◆



「人工皮膚(ライタイト)?」
「あぁ、そうだ。それが今のわたしを覆ってるんだ」

 部屋で千雨は向かい合いながら、アキラにおおよその事を話していた。もちろん、機密に関する事は話せない。だが、千雨が半年前に『事故』に遭い、両親を失った事を話した。

「その時にな、わたしも重傷でさ、学園都市に運ばれて改造されたってわけだ」

 千雨は二の腕まで袖をめくり、肌をツルリと触る。

「綺麗なもんだろ。一応細胞と同化しちまったから、よほどの技術力が無い限り、本物とは区別がつかないらしい。で、おかげで得た能力がコレだ」

 千雨はテレビを指差す、するとテレビの電源が入った。指を鳴らす、エアコンのゴウゴウと風を吹き始めた。

「これがわたしの能力『電子干渉(スナーク)』。凄まじいリモコンとでも思ってくれ。そしてもう一つ人工皮膚(ライタイト)を通した周囲への超感覚もある。まぁ電子干渉(スナーク)の延長線上、すげぇレーダーって感じかな。この部屋の中ぐらいだったら何でも知覚できるんだ。はは、ロボットみたいだろ。恐いかな、あーちゃん?」

 自嘲気味の笑い。明るく語っているが、どこか目に不安があった。

「ううん、そんな事無い。それよりも!」
「ふぇっ」

 アキラは頭をブンブン振り、髪が尻尾の様に舞った。

「そ、その寿命とか! こ、子供を産む機能とかどうなの!」
「あ、あぁ……。確かそこらへんは大丈夫って言ってたぜ、ドクターが。あ、ドクターってのはわたしの治療した人で、今の保護者だ」
「そっかぁ、良かった」

 千雨の手を掴み、体を乗り出していたアキラは、ペタリと床に座った。どこか安心していて、悲しそうだった。

「……ちーちゃん、さ、ご両親の事とか、その色々あると思う。私はまだ親いるから分からない。けど、分からないけど一緒にいて考える事はできると思う。寂しくなったり悲しくなったら、私にどんどん言っていいからね。私、背高いから、ちーちゃんくらい抱える事できるし」

 アキラのすこし寂しそうな笑顔に、千雨は心が暖かくなった。両親が『殺されて』半年。ウフコック達のおかげで立ち直れはしたものの、吹っ切れてはいない。いや吹っ切ってはいけないのだ。
 寝る前、まぶたの裏に両親の顔が映され、胸が締め付けられる時がある。『もしも……』とありもしない未来を夢想する時もあった。
 だから、アキラのその真摯な一言は、千雨には何より嬉しかったのだ。

「あれ、あれ、どうしたんだろ」

 ふと、千雨の瞳からポロポロと涙が落ちた。まるで意図しないそれに、千雨は困惑する。

「あれ、嬉しいはずなのに、ど、どうして涙なんか出るんだよ。チクショウ、おかしいだろ」
「ちーちゃん――」

 アキラは千雨に近づき、そっと肩を抱いた。

「ち、違うんだぜ。別に悲しくて泣いてるわけじゃないんだ、ただ、なんか涙が……」
「うん、分かってる」
「分かってねぇよ、わたしは全然、そういう事じゃなくてだな」
「うん」

 千雨の筋道が無い言い訳に、アキラは逐一答える。アキラの肩に、千雨の涙が広がった。
 部屋の片隅で状況を見守っていたウフコックは、そんな千雨を見て安心していた。最近お得意のサスペンダースタイルに、金毛をなびかせている。

「良かったな千雨」

 二人に聞こえぬよう、小さく呟き、ウフコックは寝床に向かう。最近作られたウフコック専用ベッドだ。そこに寝転がり、腹を仰向けに、ネズミらしく寝た。
 千雨のすすりなく様な声と、言い訳だけが部屋に響いた。

「め、目にゴミが入っただけなんだ」
「うん、そうだね」



     ◆



 そんな先日のやり取りを思い出し、アキラは微笑んだ。
 そして、ふと毎朝の儀式を思い出す。髪を撫でていた指先を滑らせ、髪先から頬へ、そして口元へと移す。千雨の唇は朝なのに潤いを無くさずてかてかと光っていた。その唇を撫ぜ、指先を千雨の口の中へと入れる。

「フォクシー・レディ」

 小さく呟いた。すると、指先から黒いもやが溢れ、千雨の中に流れ込む。二人で決めたとは言え、このどこか背徳的に見える行いが恥ずかしく、頬が紅潮する。
 ほんの一、二秒で指を離す。今、千雨の体の中には『スタンド・ウィルス』が根付いている。だが、その進行速度は微少。アキラのコントロールにより、ウィルスの侵食は最低限に抑えられていた。
 アキラのスタンド『フォクシー・レディ』の能力は、対象にウィルスを感染させ、死に至らしめるというとてつもないものだ。だが、元来のアキラの性格が災いしたのだろう、その進行速度は遅い。健常な人間だったら最速でも一週間以上かかってやっと死ぬ、という兵器としては微妙なものだった。二次感染も発生しない。更にウィルス感染者が五人まで、と決まっていた。
 スタンドの本体『フォクシー・レディ』には尾が五本ある。その一本一本が拳代わりとなり、攻撃する事もできる。そして、対象をウィルスに感染させる事もできるのだ。しかし、感染をさせるとその尾は石のように固まり動かせなくなってしまう。一本を代償にし、一人に感染させるのだ。尾は五本で最大五人。これがアキラのスタンドの限界だった。
 更には感染させる対象が増えるたびに、スタンドの身体能力が落ちていく。具体的に言うと一本に付き一割減、といった所だった。
 ちなみにあの事件の最中は、『音石明』のスタンドにより底上げされ、これらの制限が無くなっていた。
 このように枷が多い能力だが、反面能力の効果範囲やコントロールは優れていた。
 今、千雨に感染させたウィルスも、実際の所ほぼ害は無い。放っておいても十数年は無害なはずだ。よほどの大怪我や重病にかからない限り、感染しっぱなしのウィルスが原因で死ぬことは無いだろう。
 ではなぜウィルスを感染させるかと言うと、千雨とアキラ、お互いの安全のためだった。千雨はスタンドを知覚領域を展開することで、なんとか視認できるがその輪郭を追う程度だ。自我を持つスタンドの声を聞くことも本来は出来ない。だが、アキラのウィルスに感染することで千雨はスタンドを肉眼で見ることができるのだ。
 アキラも千雨にウィルスを感染することで、千雨との通信ラインが出来るというメリットがあった。これは承太郎の監視の元でアキラの能力が分析され判明した事である。アキラはウィルスに対し、その進行速度をコントロールできる。そのコントロールする通信系統に千雨が逆アクセスできる事がわかったのだ。
 さすがに千雨以外はやる事は出来ないが、ウィルスを通じての会話や、画像の送信などが行えた。
 携帯電話があるご時世、そんなに必要なものでも無かったが、荒事に巻き込まれる可能性のある二人である。用心に越した事は無く、お互いの合意の元で、千雨へのウィルス感染が決まった。

「あっ……」

 アキラも意識すれば千雨が感じられた。ウィルスを通して、気配を感じるのだ。
 万一の事も考え、寝る前にはウィルスを解除する。そして体力の回復をした朝に、また感染させていた。
 そんな朝の儀式を終え、アキラは臨戦態勢を取った。これから千雨を起こし、身支度を整えさせなければならない。
 可愛い衣装が好きなくせに、それを人前でするのが恥ずかしく、千雨はいつも地味な姿をしていた。
 アキラとしては元が可愛いだけに、色々といじって見せびらかしたい気持ちがある。だが反面、その可愛さを独り占めしたい気持ちもあった。
 なので、いつも通りの大きなメガネに、後ろで束ねた髪という格好を千雨は今でもしているが、そこにはアキラの細かなデティールアップがあったりする。
 寝ぼけ眼な朝の千雨は、アキラの言うがまま成すがままだった。そしてアキラもそれを楽しんでいた。

「ちーちゃん、起きて」

 戦いが始まる。



     ◆



 昼休みのチャイムが鳴る。四時限目の古典の先生は、鳴るなりそそくさと教室を出て行った。
 千雨も周りを警戒しつつ、教室を出ようとする。と、そこへ。

「〝千雨ちゃん〟、一緒にお弁当食べよ」
「あ、あぁ。わかったよ〝アキラ〟」

 アキラが行く手を遮った。
 放っておくと、猫のようにどこかに飛び出してしまう千雨を、アキラが襟首を持つように捕まえ、机を寄せ合った一角へ連れて行く。ここ最近のいつもの光景だった。
 ちなみに「ちーちゃん」「あーちゃん」と呼ぶのは恥ずかしいらしく、人前では止めている。
「あははは、また捕まっちゃったね千雨ちゃん」
「いい加減あきらめな。アキラに敵うわけないじゃん」

 まき絵と裕奈が机を動かしながら笑った。いつの間にか机がガシャガシャと寄せ合い、一つの小島を作っている。
 その片隅へ千雨は座らされ、目の前にアキラ特製の弁当が置かれた。

「――ありがとう」
「どういたしまして」

 千雨の控えめな感謝の言葉に、アキラは快活に答える。姦しい談笑の中、千雨は弁当を広げ、もそもそと食べ始めた。

(あ、これうまい)

 ほとんどが冷凍食品であるが、一部千雨の好みを狙い打つアキラお手製の一品が入ってたりする。傍目からも分かるほど嬉々として、それをもぐもぐ食べる千雨。どこか小動物を思わせる姿に、テーブル周りの数人は癒されてたりする。

「何気に長谷川は癒し系だな。頭に耳でも生えてそうだわ」
「アキラ、完全に餌付けしとるねぇ」

 裕奈と亜子が何やらボソボソと話していた。
 食事も終わり机が戻された。千雨もトイレにでも行くか、と席を立った所を呼びかけられる。
「おい、千雨。ちょっといいか」
「げぇっ」

 そこに立っていたのはエヴァだった。横にはいつも通り茶々丸がいる。
 事件後からお互いの直接的接触は無く、時折クラスで目が合っても千雨は視線を避けていた。いつも通りビビっていたのである。
 エヴァの尋常じゃない強さは身に染みており、触らぬ神に祟り無し、と露骨に避けていた。だが、千雨とていつまでも避けれぬ事は知っていた。何せクラスの席順が至近距離なのだ。

「な、なんでせう」

 古典口調になりつつもなんとか返事をする。

〈千雨、大丈夫だ。今のところ敵意は無い。はずだ、たぶん〉
(何だよ『今のところ』とか『はずだ』とか『たぶん』とか! 嘘でももっと自信持って言ってくれよ!)

 ウフコックに泣き言を言いつつ、千雨はエヴァを見た。いや、見たふりをした。視線はエヴァの後ろの貼り出された『渋み 神楽坂明日菜』と書かれた汚い習字を見つめている。

(きたねぇ字だな)
〈部首の跳ねが逆だな。また、漢字とかな文字の大きさが不釣合いだ〉

 もはやエヴァの事から現実逃避をし、心の中では習字の批評を始めている。
 そんな千雨の状態を察したアキラは、そっと千雨の横に立った。背中からは不可視の尻尾が一本飛び出し、千雨を守るように浮遊した。

「おいおい、そんな警戒をするな。むしろお前達の思ってる事と逆だ。謝礼がわりに食事に招待しようと思ってな」

 ニヤァとエヴァが顔を歪める。その気配に、アキラは足がすくんだ。

(わたし的には言葉のチョイスも問題だと思うんだが)
〈いや、文字数的にも画数的にも書きやすい部類だろう。そしてヘタなりに、なにか熱意は感じるぞ〉

 それを他所に、千雨とウフコックの習字談義も過熱していた。
 一触即発な気配を放ち、対峙するエヴァとアキラ。二人に挟まれ、明日菜の汚い習字を論議し始める千雨とウフコック。それらを興味深げに見守るのはクラスメイトだ。
 一部〝裏〟を知る人間は、剣呑な雰囲気に緊張をしていたが、他の生徒は千雨を奪い合う二人、という穿った見方をして嬌声を上げていた。

「うぅぅむ、これがリアル修羅場か。勉強になるわー」
「ゆえゆえ、なんか機嫌悪そう」
「べっつにぃ、何でもないデスよー」

 目線するどく、口調も投げやりな夕映だった。
 この変な空気は、茶々丸のツッコミにより、エヴァがあらぬ誤解を振りまいてる事に気づくまで続く。
 そして千雨とウフコックの論議は、習字から得られる作者のプロファイリングまで展開していた。

(粗野で大雑把。だが情熱家)
〈直線にブレが少ない。決断力があるな。だが、もう少し向上心を持つべきだ〉

 ちなみに明日菜は食後のシエスタタイムに入り、机に突っ伏して寝ていた。

「高畑せんせ~、ムニャムニャ」

 完全に蚊帳の外だった。



     ◆



 昼休みに変な騒ぎがあったものの、その日の授業は滞り無く終わった。エヴァも、後で迎えを寄こすという捨て台詞を残し、帰っていった。
 放課後、今日はアキラの部活も無く、千雨は二人で帰路を歩いている。気分を変え普段とはちょっと違う道を通る事にした。
 その通りは賑わっていた。
 学生が多いこの街だが、それと共に外部からやってくる者も多い。また人口のわりに家族単位での居住が少なく、外食の比率が高いという事もある。金銭的にも学生は毎食外食というわけにいかないが、それを取っても外で食べるものが多い。
 千雨達が通ったのは、そんな食事処が立ち並ぶレストラン街だった。和洋中を中心に、トルコ料理やイタリアンもある。学生が立ち食いしやすいクレープなどの屋台も出ていた。
 平日にも関わらず、地方のお祭り並の人並みである。千雨も数年前までは慣れていた光景だったが、久しぶりに見るとなかなか威圧される。

「相変わらずの人の多さだな」
「そうだね」

 はぐれまいと、二人の距離は心ばかし近くなっていた。
 歩いていると、路上にテーブルを出し、カフェテリア形式でもディナーを出すイタリアンレストランが見えた。

『おい、それは俺のだぞ』
『けっ、何言ってやがる、テーブルの真ん中にあって俺のもお前のもあるか』

 そのカフェテリア席で二人の男が英語で言い争っている。顔の半分をひげで覆った男と、チョビひげのキザそうな男だ。二人ともガタイが良いらしく、無理やりそれをスーツに詰め込み、パッツンパッツンになっている。
 どうやらテーブル上に並んだ料理を取り合っているようだった。
 ドン、と机を叩く音がした。料理の一部が浮く。

『アンタら、いい年なんだからもっと静かに食いな!』

 中央を陣取るふくよかな老婆が吼える。顔に刻まれたしわは深いが、体中から覇気が溢れていた。鷹のように鋭い目。彫りが深く、明らかに日本人では無い。桃色の髪を後ろでお下げにし、まるで二本の角のように固めていた。

『でも、ママ~』
『うるさいよ、シャルル、ルイ』

 髭面の男達はどうやら息子らしい。怒られてる二人の影には、もう一人男がおり、静かに食事を続けている。
 またもう一つのテーブルには、先ほどの男達と同じく不恰好なスーツを着た男達が数人。同じような食事に手をつけている。肌の色からも様々な人種がいるようで、共通する事と言えば、食事の汚さぐらいなものだった。
 二つのテーブルには山のように食事が盛られ、それらをガツガツと食いこぼしを飛ばしながら胃に詰め込んでいる。
 総勢九人ものその所帯は、通りを歩く人々の視線を一手に集めていた。千雨達も例外で無く、彼らのやり取りを見ていた。

「――なんか、あの前通るのやだな。ちょっと通りはずれないか」
「うん」

 千雨とアキラはわき道を通り、大通りから一本外れた道へ出た。ここは商店なども少なく、また寮までの最短の道とは外れており、人通りも少なかった。
 並木道に石畳が引かれた、なかなか趣のある通りだった。夕焼けが二人を照らした。

「さっさと帰るか。なんかエヴァから色々あるみたいだしな」
「そうだね、ちーちゃん」

 並んで歩く二人。ふと千雨は後方に気配を感じた。誰かが走ってくるようである。
 千雨は振り向く、それに釣られアキラも後ろを向いた

「あれは……」
「おぉ、アキラに千雨じゃないアルカ。こんなところでどうしたアル」

 クラスメイトの古菲(クーフェイ)だった。褐色肌の中国人留学生である。中国拳法の名人、という話を千雨は思い出した。

「古か」
「くーちゃんこそどうしたの?」
「どうしたもこうしたも無いアルヨ。見たとおり鍛錬してるアル」

 そういう古菲は身軽そうな服を着ていた。喋ってる間も足の動きは止めず、もも上げを行っている。

「へ~」
「あ、千雨ちゃん。くーちゃんは中国武術研究会の部長で、とっても強いんだよ」

 アキラのそんな言葉に気を良くしたのか、古菲は照れながら拳法の型を見せ始める。

「そ、そんな事ないアルヨー。私なんてまだまだ未熟アル!」

 そう言いながらも、凄まじい武術を見せていた。飛び上がって蹴りを放つも、その回数は片手じゃ数え切れない。

(すげぇ……つかあんな事普通できないだろ)
〈片足で四メートルも垂直に飛んでいるぞ〉

 千雨とウフコックも内心ツッコミを入れていた。

「うわぁ、くーちゃんカッコイイ」

 アキラだけが素直に褒めていた。

「えへへー。あ、でも今度師匠がこっちへ来てくれる、ってさっき連絡があったアルヨ。それで思わず張り切っちゃったアル」
「へぇ、良かったじゃん」
「うん! 久しぶりに会えるから楽しみアル!」

 古菲が来た道から、息も絶え絶えの男達の集団がやって来た。話から察するに、どうやら集団でランニングをしていた所、はしゃいだ古菲だけが一人先行してしまったらしい。

「もう、みんな遅いアルヨー!」
「はぁはぁ、む、無茶言わないでください部長」

 筋骨隆々、タフさが外見からも分かる男達が、古菲の周りに倒れこんでいる。

「よーし、じゃあ最後に流しで十周走るアルヨ! 再見(ツァイツェン)アキラ、千雨!」
「うん、じゃあねくーちゃん」
「気を付けろよ~」

 千雨達に別れを告げ、古菲は砂煙を上げ去っていった。
 それに男達がよろよろと追随する。

「大変だな、あいつらも」

 千雨の言葉に、アキラは苦笑いをした。



 つづく。







(2012/03/03 あとがき削除)



[21114] 第12話「留学」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/10/16 18:28
 食事はうまい。それがいつも日本に来たときの感想だった。
 老婆は肉やパスタを口に放り込みながら思う。仕事柄世界中を回っているが、食事に外れが少ない国はこれほど無かった。特に自国以外の料理となるとトンデモないものが出てくる国がある。
 それを考えれば、極東の果てにありながら、それなりに食えるパスタが出てくるあたり、評価はできた。
 だが、自分の引き連れた男達には分からないだろう。目の前でイジ汚く食う息子達に目をやる。おそらく味なんてさっぱり分かって無いだろう。
 そんな日本たが物価が高いのが難点だった。ここの支払いだって馬鹿にできない値段だろう。だが、算段はある。
 『お宝』を手に入れる前祝いだと思えば安いものだった。
 目の前に置かれた、分厚い肉にフォークをガツンと差し、歯で引きちぎるようにして食べる。肉汁が口の中に広がる。ガツガツと食べつつ、それをワインで流し込んだ。
 視線を横に向ければ、通りを歩く人々が自分達を見ているのに気付く。
 通りに面したこの席で、これだけ食っているのだ。自分達に注目が集まらないはずは無い。
 その視線の中に、幾つかの違和感を覚える。
 老婆はニィッと笑いながら、男達に少し訛りの入った〝中国語〟で話しかけた。

『野郎供! さっさとメシをかき込みな。そろそろお仕事の時間だ』
『えぇ~。せっかく日本に来たんだ。もう少し観光してからにしようよママ』
『そうだぜ! ここは美人が多いから、少しばかり親しくなってからでも遅くはないぜ』

 老婆の言葉に〝フランス語〟や〝スペイン語〟など、様々な言葉で返された。
 一見無学に見える彼らだが語学に関しては堪能なようだった。商売柄、様々な国を渡るため必須となった技能である。またこのような会話の時、周囲を気にせず話すため、幾つもの言語を混ぜ合わせ会話するのがいつもの彼らの手段だ。

『うるさいよ! さっさと三人一組で回りな。他の奴らに〝お宝〟を取られたらどうすんだい! こちとら情報は少ないんだ、食ったら馬車馬の様に働きなっ!』

 老婆の怒声に、テーブルを囲む男達ばかりか、通りを歩く客達まで驚き肩をすくめた。
 男達は無言でコクコクと頷き、急いで皿を空にして、走り去っていった。
 静かになったテーブルで、老婆は再びワインに口をつける。酸味が広がった。こぼれそうになる雫をペロリと一舐めする。

『『運び屋』ドーラ一家、仕事の開始だ』

 老婆の名はドーラ。荒事専門の『運び屋』、カタギでない集団の首領だった。







 第12話「留学」







 さかのぼる事、二週間程前の事である。
 麻帆良学園の学園長室には陰鬱な空気が蔓延していた。

「ふぅ」

 学園長、近衛近右衛門の心境は重い。次々と起こる不足事態に辟易していた。
 学生の変死事件に始まり、スタンドウィルスの蔓延にあの大停電である。そして――。

「ガンドルフィーニ君……」

 麻帆良学園の教師にして、魔法先生のガンドルフィーニの死体が先日発見された。現場に魔力の残滓も無く、ガンドルフィーニには抵抗の跡も無かった。
 彼の記憶を魔法で洗ったが、外国人との男性の会話を最後に切れている。その外国人の顔もおぼろげで、それ以上死者の記憶を蘇させる事は出来なかった。
 今、麻帆良の地は混沌としている。それは何もスタンドが原因というわけでは無い。
 あの日、大停電のあった日に麻帆良を覆う結界が消えた。その折に麻帆良内のデータまで流出したのだ。一時的にネットワーク内のセキュリティまで無力化され、侵入された。もちろん、ネットワーク内にある情報だ、重要度の高いものは避けてある。だが、導火線にはなりえるのだ。
 麻帆良の結界は、魔力の有無を持って外部の者を退けている。もちろん、不審者なども取り締まるよう警備を強化しているが、大前提として相手が魔力を持っている事を、敵対対象への優先項目としているのだ。
 逆を言えば、魔力を持たないものは麻帆良内に侵入しやすい。また、麻帆良は外に厳しく、内に優しい。すねに傷持つ者がその庇護下入ってくるのは必然だった。見方を変えればエヴァンジェリンだってそうである。そうした者達が麻帆良内に潜伏しているのは、長くこの地に居る近右衛門は理解し、また放置していた。逐一取り締まった所で意味が無いし、むしろ敵対感情を持たれて暴れられる方が厄介だからだ。
 どの都市にも、その程度の人間は居る。
 だが麻帆良には物理的な結界と、数世代先をいくネットワークセキュリティがあった。それがブラインドとなり、外部からの多くの視線を退けていた。
 それが先日一時的に失われ、『何かしら』を外部が見つけたらしい。

「厄介じゃな」

 そして学園側がその『何かしら』を認識できないのが一番の問題だった。
 今、多くの人間が麻帆良に入ってきている。そのほとんどが魔力を持たない人間であり、こちらの結界をすり抜けてきている。様々な人種がいた。だが、麻帆良には『認識阻害』の魔法が都市全体にかかっている為、一般人が外国人を奇異に思うことはない。相手側がそれを知っているならば、他所にくらべ遥かに動きやすいだろう。
 麻帆良という優しい土地に埋もれていた、幾つかの導火線に火が付き始めたのだ。だが、その種火の行く先も、数も、規模も計り知れない。
 近右衛門は頭痛を堪えるように、こめかみをぐりぐりと押す。
 コンコン、とドアをノックする音がした。

「入りなされ」
「失礼します」
「し、失礼します」

 近右衛門の言葉に、二つの声が応じた。ドアを開け入ってくるのは二人の女生徒だ。片や麻帆良内にある聖ウルスラ女子高等学校の制服を着ており、片や麻帆良学園中等部の制服を着ている。

「ウルスラ女子一年の高音・D・グッドマンです」

 スラリとした長身と金髪。年齢よりどこか大人びた雰囲気を持つ少女である。

「ちゅ、中等部一年の佐倉愛衣です」

 対してもう一人の少女は見た目どおりの幼い感じであった。赤みを帯びた髪を、後ろでお団子にしている。

「うむ、ご苦労じゃの。ま、ま、そこへ座っておくれ」

 ふぉっふぉっふぉ、と笑い声を挙げつつ、近右衛門は二人を近くのソファへと誘導した。
 先ほどの深刻な表情は鳴りを潜め、好々爺然とした雰囲気をかもし出していた。

「あ、わかりました」

 その雰囲気に愛衣の緊張もほぐれたようで、ニコリとしながら腰を落ち着かせる。
 近右衛門は二人の前にお茶を出す様に連絡し、対面へと座った。

「さて、と。二人を呼び出したのは、この前の事件についてじゃ」
「この前、と言いますと『スタンド・ウィルス』とやらのあの事件、ですか?」

 高音はどこか探るように問い返した。

「そうじゃ。わかっておると思うが『スタンド』と『超能力』は別物じゃ。じゃが、若いものの中に超能力開発をしている《学園都市》を敵視するものが増えている」
「そうですね。私達の近くにも数人、そういう方達がいるのは知っております」

 高音と愛衣はこの学園に所属する魔法使いだった。通称『魔法生徒』と呼ばれる者達である。彼女らは日々麻帆良を守るため、この土地の警備を行っていた。警備の際には色々な魔法使いと組むこともあり、またミーティングなどの会合もある。最近になり、その時々に学園都市に対する不満の声が耳に入る時があるのだ。

「若手の中でも聡い君達なら分かると思うのじゃが、麻帆良と学園都市がぶつかる。これが示すものはわかるじゃろう」

 高音はあご先に指を添え考え始めた。愛衣は二人の会話を邪魔しまい、とじっと聞いている。

「最悪、戦争の引き金になりますね。《学園都市》と言いつつ、あちらはほぼ自治国家。日本の法が適用されない。またこちらは魔法協会の極東支部という位置づけ。各支部からの支援が放っておいても受けられるでしょう」

 高音の言葉に愛衣が凍りついた。まさか、そこまでの事態とは考えていなかったのだ。

「ふむ、なかなか的を得ている。まぁ、あくまで最悪の場合じゃ。想定しておいて損は無い程度に考えておいておくれ、のぉ」

 ふぉっふぉっふぉ、と笑う近右衛門に、愛衣も涙目ながら落ち着きを取り戻している。

「元々戦争なんてのは非生産的で、非効率的じゃ。じゃが、人と人との怨恨はそんな道理も吹き飛ばしてしまう。そこで、じゃ。グッドマン君に佐倉君、二人に打診したい事があるのじゃ」
「打診……ですか?」
「ふ、二人!?」

 いぶかしそうな顔の高音と、驚く愛衣。

「二人には交換留学生として《学園都市》に行って欲しい。もちろん、それ相応の待遇を保証しよう。二人が一緒に住める住居に生活費はもちろん、留学中の麻帆良学園内の単元も無条件で取得とする。他にも要望があれば、出来る限りの事はするつもりじゃ」
「学園都市……へ?」
「りゅ、留学~~!」

 二人とも呆けた顔をしていた。だが、高音はすぐさま思考を回転させる。

「学園長、それは私達に『探れ』というご命令として受け取るべきなのでしょうか?」
「ふむ、まぁそういう側面もあるのぉ。だが、あくまで親交目的の留学じゃ。あちらさんも〝今は〟戦いを避けたいらしくての、最近は門戸を大きめに開いておるようじゃ。それに乗り、こちらも幾人か派遣しとこうとして、おぬし達に白羽の矢が立ったのじゃ」
「別に私達じゃなくても良かったんじゃありませんか? もっと実力のある先輩方がいると思うのですが」
「実力だけを見れば上がおるじゃろうが、それとて君達が劣ってるわけじゃなかろう。それにのグッドマン君、わしは君を評価しているのじゃ。あの『スタンド・ウィルス』事件の際、多くの若手が外部に敵意を向けた。だが君は逆に自分自身への悔恨としていた。他者ではなく、自分自身への戒めとする。それは人として中々出来る事では無い、とわしは思っている」
「なっ!」

 高音の顔が一気に紅潮した。事件後の説明の会合で発した、自らの青臭い発言が思い出される。

「多少頭が固いところはあるようじゃがの、君のような人材こそが今回の留学生として適切だと思っておる。まぁ、あっちの世界から出てきてもらった上に、さらに留学までさせて申し訳ないのじゃが。佐倉君とて、グッドマン君を一番近くで見てきているようじゃし、魔法の成績も良い。二人とも、考えてくれんかの?」
「少し、考えさせてください」
「あ、あの私も時間が欲しいです」
「ふむ。それは仕方あるまい。資料を渡すので、じっくり考えて欲しい。とりあえず期間は半年。物見遊山程度に考えた方がいいじゃろ。別に荒事を求めておらんからのぉ」

 その時、ドアがノックされ、女性が部屋に入ってきた。手には茶が三つ乗ったお盆がある。三人の前に緑茶が並べられ、女性は退室していった。

「もう、いいかのう」

 一般人が居なくなり、近右衛門はパチリと指を弾き、防音結界で部屋を覆った。

「言い忘れておったが、もしもおぬし達が留学する場合、超能力開発はされないよう、特別な処置をする事を約束しておこう」
「《学園都市》に行くのに、超能力に触れないのですか?」
「えぇ~、なんか少し勿体無いような……」

 愛衣の言葉に、高音は内心少し同意している。

「ふむ、そうなのじゃがの。問題なのは『魔法』なのじゃ。未確認ながら、ある筋の情報によるとのぉ、『超能力』はどうやら『魔法』を、引いては魔力の運用を阻害するようなのじゃ」
「「え?」」

 二人の顔が引きつった。

「大丈夫じゃ。だから特別な措置と言ったじゃろう。行く際に幾つかの呪的プロテクトも施すつもりじゃし、相手の理事側にも確約を取っておる。留学先で能力開発を強制される事は無いはずじゃ」

 その後も、幾つかの点に付いての質問が飛び交った。結界を張ってあるので、魔法に関する事も気にせず話題と出来た。
 一段落した所で、愛衣が一言呟いた。

「あぁ~、こんな時にガンドルフィーニ先生がいればいいのに」
「……そうですわね」

 少し高音の表情は堅い。

「学園長先生、ガンドルフィーニ先生の出張は長いんですか?」
「ふぉっ。そうじゃのぉ……まだ少し『出張』は長くなりそうじゃ」
「そうなんですかー。帰って来てたら相談できたのになぁ」

 高音と愛衣は、ガンドルフィーニとチームを組んで警邏する事が多かった。必然、魔法に関する事などもガンドルフィーニに相談する事が多いのである。

「学園長、それではそろそろ失礼させていただきます。ご返事は一週間以内、という事でよろしいんですよね?」
「うむ。長々とすまんのぉ。良い返事を期待しておる」
「はい、それでは失礼いたします」
「し、失礼しました~」

 二人は深々とお辞儀をして、退室していった。
 二人が退室をして、数分。近右衛門は背もたれに体重をかけ、天井を見つめた。

「すまんのぉ、ガンドルフィーニ君」

 ガンドルフィーニの死はまだ伏せられていた。知っているのは学園内でも本当に一部の人間と、遺族のみである。
 現在、ガンドルフィーニの死は、いたずらに麻帆良内の若手を躍起にさせるだけであり、より状況を緊迫させる事が明白だった。そのため、近右衛門はその死を伏せた。
 近右衛門の密命を帯びた、長期の出張という事で魔法関係者を納得させ、一部の重要な者数名に真実を話した。今、高畑などはガンドルフィーニを殺した人物を探すため、麻帆良内を飛び回っていた。
 そのためだろうか、どうやら高音も何かに気付き始めてるようだった。

「さすがに無理があったかのぉ」

 その事情を遺族に話したところ、ガンドルフィーニの妻は、どなる事も怒る事もせず、ただ頷いた。それが彼選んだ仕事ですから、と一言言うだけである。
 彼の遺体の埋葬は密かに行われた。遺族は妻と娘の二人、それに学園長と数名の魔法教師だけの、密やかな葬儀だった。墓石に名前は無い。事態が集束したら再び葬儀を行う。慰めにもならない言葉だった。
 だが、妻も娘も近右衛門達を前に気丈に振る舞い続けた。それが何より悲しく、痛かった。近右衛門としてもしたくない措置であり、罵声を浴びせられる事を覚悟していたのだ。それすらも無い。

「はやく解決しないとのぉ……」

 近右衛門の呟きは虚空に消える。
 二人から留学の承諾の連絡が来たのは、この二日後だった。



     ◆



 くつろいでいた千雨達の部屋にノックの音が響いた。

「誰だ?」

 部屋の前に居たのは茶々丸だった。普段とは違いメイド服を着て立っている。

「千雨さん、アキラさん。お迎えにあがりました」
「あぁ、これってマクダウェルの言ってたご招待ってヤツか?」
「そうです。ご準備がよろしければ私に付いてきてください」
「夕食、準備しなくて正解だったね、千雨ちゃん」

 アキラの呑気な言葉に「あぁ」と答えつつ、千雨の表情は引きつっている。
 千雨達は茶々丸に従い、女子寮を出て歩いた。森の中を十分ほど歩き、見えてきたのはログハウスである。

「あれが?」
「はい、あれが我が主の家です」

 茶々丸は扉を開け、二人を中に入るよう促した。

「さぁ、どうぞお入りください」
「お、おう。お邪魔します」
「お邪魔します」

 中は暗かった。そこらかしこに人形が置いてあり、微かな明りがその陰影が克明に見せ、不気味だった。

「ひぃっ」
「ちーちゃん……」

 恐怖に、千雨は思わずアキラの腕に抱きつく。アキラはそんな千雨を、頬を染めて見つめていた。

「失礼しました。今、明りをつけます」

 明るくなれば印象は一変した。ふんだんなレース生地を使った部屋の装飾の数々。その上に並んだ可愛らしい人形はたくさん。少女らしい趣味の部屋である。
 だが、エヴァの姿は見えない。

「マスターはこちらでお待ちです」

 二人が更に促されたのは地下室だった。不思議に思いつつも地下に足を進める。
 そこにあったのは巨大なガラス球だ。中には精緻に作られた家らしきものの模型が入っている。

「おぉ……」
「すごい。綺麗……」

 二人とも見惚れる程の出来だった。

「お二人とも、もう一歩足をお進めください」
「お、おう」
「うん」

 茶々丸の言葉に従う、と。その瞬間、視界が一変した。

「え?」

 透き通るような空、青く輝く海。目の前には先ほど見つめた模型と同じ建物がある。二人は事態に付いて行けず、目を見開いた。

「マスターはあちらでお待ちです。さぁどうぞ」
「どどどど、どうぞってここ歩くのかよ!」

 建物へ続く細い道が目の前にあった。だが、そこは空中にせり出た回廊である。下を見れば二十メートルは固いであろう高さなのに、手すり一つないのだ。だが、退路も無い。千雨はガクガクと震えつつ、アキラにしがみ付き歩いた。

「千雨ちゃん、可愛い」

 そんなアキラは震える事無く、むしろしがみ付く千雨に恍惚とした表情を向けていた。

「危ないから、ちゃんと捕まっててね」
「う、うん」

 もう千雨はアキラの成すがままだった。



     ◆



 茶々丸によれば、どうやらこの場所は先ほどのガラス球の中だという。魔法により時間と空間をいじり、あの地下室にこれほどの巨大な別荘を置いているとか。

(なんつー、適当さ。魔法には呆れるばかりだな)
〈まぁ諦めろ〉

 ずっと大人しくしていたウフコックが慰めた。

「よく来たな、千雨、アキラ」

 茶々丸に案内された先には、長い金髪をなびかせた妙齢の美女がいた。肌も露な格好でふんぞり返っている。手にはワインを持ち、くゆらせていた。

「えーと、誰?」

 千雨の質問は真っ当なものである。予想はできるが、確証は無かった。

「ふふふ、わからんか。私はエヴァンジェリンだよ」

 嬉しそうに答えつつ、エヴァは自らが纏っていた幻の魔法を解き、普段の姿を見せる。そしてまた妙齢の女性の姿に戻った。

「まぁ、そこらに座れ。〝外〟だと丁度夕食時だろう。今晩餐を持ってこさせよう」

 エヴァの後ろでは茶々丸に似た給仕たちが、世話しなく動いていた。
 勧められた席へ座ると、二人は少し緊張した。高級レストランにも似た雰囲気に圧倒されたのだ。
 今居る部屋も、シンプルでありながら高級そうな装飾が施されている。窓から見える景色も格別で、どこかホテルの展望台を彷彿とさせた。

「ふふ、そうかしこばるな。なに謝礼の晩餐だ。気楽に楽しめ」

 そう言いつつ、ワインを飲むエヴァの仕草は様になっていた。
 千雨達はそれを身ながらコクコクと首を縦に振るばかり。
 少し経つと、千雨達の前に皿が並べられた。

「さぁ、頂こうか」

 エヴァの言葉を皮切りに食事が開始された。千雨達も緊張はしていたものの、前菜やスープの美味しさに、口が緩み始めた。

「あ、これ美味しい」
「家でこんなにうまいもの食えるのかよ」

 やがてメインディッシュも運ばれ、食事は進む。時折エヴァとの会話もあり、お互いのしこりも少しは解けていった。

「そういえばさ、マクダウェルって、その『吸血鬼』なんだよな」
「あぁ、そうだ」

 アキラもその事を聞いてはいたものの、信じられないでいた。

「でも、お前普通に外歩いてるよな。本当に吸血鬼なのかよ?」
「ふむ。私は不老不死の真祖の吸血鬼だ。だが、物証が無いと信じられない、と。なら簡単だ」

 エヴァは片手に持ったナイフを振るう。そうするとエヴァの左腕の肘先が切れ飛び、宙に舞った。鮮血が部屋を汚す。

「なっ!」
「ひぃっ」

 二人は驚愕の声を発する。だが当人は落ち着いたものだった。

「茶々丸、持って来い」
「はい、マスター」

 切れ飛んだ腕を、茶々丸は拾い上げ、エヴァの傷口にピタリと付けた。そうするとどうだろう。切れたはずの腕の指先がピクリと動き、次の瞬間には何事も無かったかの用に腕にくっ付いた。
 茶々丸は傷口の血を布で拭く。そこにはもう傷口すら無い。先ほどの行動を示すものは、床にばら撒かれた血の跡のみだった。

「これでどうだ。信じられたか?」

 ニヤリと笑うエヴァ。

「も、もっとやりようがあるだろ!」
「き、気持ち悪い」

 顔を真っ青にする二人だった。



     ◆



 一しきり落ち着いてから、千雨は再び切り出した。

「とりあえずあんたが吸血鬼とやらなのは分かった。で、やっぱり日光とか大丈夫だよな。にんにくが苦手とか、あの手の話は嘘なのか?」
「ふむ。概ね合ってるぞ。伝承に尾ひれは付き物だが、それと同じく正鵠を射ているものもある。日光やにんにくが苦手で、心臓に杭を刺されると死ぬ。まぁ、昔からの言い伝えどおりだな。違うとすれば、私がその上位種である真祖の吸血鬼、といったぐらいだ」

 千雨は聞きなれぬ言葉に眉をひそめた。

「真祖、って何だよ」
「ふん、吸血鬼の親玉とでも思えばよかろう。噛まれて吸血鬼になったのではなく、ある時に吸血鬼になってしまった者、あるいは吸血鬼として産まれた者の事を指している」
「へぇ~」

 アキラは興味深そうに聞いていた。顔色も戻ってきている。

「そういや、マクダウェルは、自分で噛み付いて吸血鬼とか作らないのか。よく映画とかだとやってるだろ」
「私はそういうのに飽きたんだよ。幾ら眷属を増やそうと、そいつらは私の言うがままだからな。だが、吸血鬼というのはそういう風にコミュニティを作っていくものだ。寿命が無く、長命なために繁殖能力が低くて、ほとんど子供を残せないからな。中国の西部から、中東、ヨーロッパにかけて吸血鬼の大きなコミュニティが幾つかある。人間に混じり何事も無いように生活してるぞ。そいつらは氏族と名乗り、ときおり小競り合いをしおるわ」

 クックックッと笑うエヴァ。

「わたし達の世界に、そんな奴らがいるなんて」

 ずーん、と落ち込む千雨。

「吸血鬼が弱点を克服するのは容易くないが、科学の発達した世の中だ。やり様は幾らでもある。うちにもカタログが来てたが、吸血鬼用の日焼け止めクリームなんてのもあるそうだぞ」
「あっそ」

 千雨は半ば呆れつつ、デザートの皿に端にあるクリームをグリグリとフォークの先でいじった。

「所詮日常など、薄皮の中にある野暮ったいものなんだよ。一枚破ればこんなもんだ。あきらめろ千雨。お前もその住人だ」
「うるせぇ、お前らと一緒にするな!」

 アキラはどこか二人に対し、疎外感を感じていた。エヴァに噛み付く千雨の横顔をじっと見る。それに気付いたエヴァはアキラを見て、ニヤリと笑う。

「大河内アキラ、お前も覚悟を決めておけ。もしかしたらまだ引き返せるかもしれないぞ」

 覚悟、という言葉にドキリとする。それが一体何なのか、具体的には分からない。だが、きっとそれが千雨と一緒にいるためには必要なのだ。

「おい、マクダウェル。あまり脅すなよ」
「ふふふ、過保護な事だ」

 それなりの悪くない空気で食事は進んだ。
 食後、帰ろうとする千雨達だが、一度この別荘に入ると二十四時間出られない、というとんでもない仕掛けを知り、一悶着あったりする。



 つづく。




(2010/12/19 あとがき削除)



[21114] 第13話「導火線」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 12:17
 カラン、と氷がグラスを叩いた。
 イタリアの南部は貧しい。さしたる観光資源も無く、経済が不安定な今、その煽りを一気に受けていた。
 そんなイタリア南部の酒場。農家の息子達と日雇い労働者が集まる、所謂場末のパブだった。
 その片隅に一人の男が酒を飲んでいた。誰かと戯れる事も無く、一人で、ひっそりと、隠れるように酒をあおるのだ。
 ボサボサの髪に、壊れかけのメガネ。小太りの体躯をしている。
 酒場の喧騒も男の耳には届かない。目は虚ろに店の壁の向こうを見ていた。
 店のドアが開いた。誰かが入ってくる。喧騒が止んだ。
 カッ、カッ、カッ。床を叩く一定のリズム。それは歩幅が乱れなく等しい事を指していた。
 男は耳を澄ます。かつて聞きなれていた、その足音。訓練を受けた者の足音だった。
 足音が自分の近くで止まり、男は振り向いた。
 女性だ。自分と同じくらいの長身に褐色の肌。ブロンドの長髪を後ろで一本に纏めている。着飾れば美しい女性だろう。だが、女性は上から下まで、ピシリと揃ったパンツルックのスーツを着ていた。男装の麗人、そんな言葉が思い浮かぶ。どうやら酒場内の視線は彼女に集まってるらしい。
 そして、女性は夜なのになぜかゴーグル型のサングラスをしていた。
 女性の顔立ちに、男は誰かを思い出す。そして同時に一人の少女をも思い出した。苦い味が口の中に広がった。

(いや、違う。そんなはずは無い)

 女性は男の隣に座り、カウンター越しに酒を頼んだ。女性はサングラスをずらし、男を見る。赤い瞳が男を見据えた。

「お久しぶりです、マルコーさん。探しました」
「お、お前は、まさか……。そんなはずは無い。生きているはずが」

 女性の声に男は確信をするが、それを必死で否定した。

「信じられませんか? 私があの場所『社会福祉公社』が無くなって十年も経つというのに生きているのが」

 女はサングラスを戻した。とたん表情が伺えなくなる。

「私も信じられません。あの人が死んで、私も処理されるはずだった。だけど、もう――」
「い、今更なんのようだ。用がないならさっさと帰れ。俺はお前達の顔なんて見たくないんだ」

 男は懐からタバコを取り出し、吸った。手が小刻みに震えている。

「そう邪険にしないでください。私は十年前の事を調べてるんです。知っている事、教えてもらえますか?」

 女性の言葉に男――マルコーは沈黙した。タバコを深く吸い、吐く。グラスに残ったウィスキーを一気に流し込んだ。

「……なにが聞きたい」
「十年前の襲撃の理由。なぜ、公社があんなにも簡単に解体されたのか。いつも『破片』という言葉で行き詰まってしまいます」
「ふん。答えは出ているじゃないか。まさにその通り『破片』だよ。空高くある楽園から、パラパラと舞い落ちる破片。その奪い合いにすぎんさ」

 男は茶化す様に手をヒラヒラとさせた。

「マルコーさ――」
「例え話じゃない。そのまんまだ。知っているだろう、二十年前に起きた『大戦』。そこで猛威を奮った脅威の科学力ってヤツだ。ヤツら《楽園》は今衛星軌道上の隔離プラントで技術とともにまるごと封印されている。特例でも無い限り、あいつらの技術は国連法に触れる重罪だ。だが、どこにでも抜け道がある、それがヤツらが落とした『破片』ってわけだ。お前達の〝体〟にも使われてる技術だ」

 マルコーは酒を注文しなおした。指先の震えは止まらない。

「人体の模造、そんなもんが真っ当な技術力で出来るものか。公社の創設には《楽園》が関わってたのさ。その漏洩があの襲撃に繋がり、そして公社のスムーズな解体に繋がる。見事なシナリオだろ」
「――マルコーさん、もう一つお願いします。私達が入れなかった『第三研究棟』、あそこには何があったんですか?」
「あぁ、それか。ジョゼの事か?」

 運ばれてきた酒を、マルコーはまた一気に煽る。目が眠気を帯びだした。

「はい。ジョゼさんは最後まで、あの研究棟に足しげく通っていたのを私も、同僚も見ていた。そして、公社が解体される時に、あの人は消えた」
「はっ。よく憶えてやがる。ヘンリエッタが死んでからジョゼの野郎、仕事に精細を欠いていたからな。まぁ、いつも通りあてがわれたってわけだ、新作の義体とやらをよ」

 ヘンリエッタ、その言葉に女性は唇を噛む。

「それは四期生ですか?」
「そうらしい。義体としては第三世代とか言ってやがったな。もっともその第三世代のサンプルケースだとかで、三人中一人しか成功しなかったらしいがな。幼児の頃からの生体改造だとよ。オカルトな奴らを相手にするための特注品らしい。眼球から骨格まで、拒否反応が出にくい様に、幼い頃からやるそうだ。気が長くて金がかかりそうな実験だ。次世代では遺伝子からの改造を施すとか言ってたが、全ておじゃんだ、笑えるよな」

 ははは、とマルコーの笑い声だけが響いた。酒場の幾人かも、マルコーを見る。女性は無表情だった。

「ジョゼはなその娘に夢中だった、ってわけだ。毎日ガキにおもちゃだ、絵本だって持っていく。本当にイカレてやがった。だからだろう、あいつは公社が解体される時、あの娘と一緒に逃げ出した。『破片』も一緒に持ってとんずらだ。それを知ってるのは俺とジャンくらいなもんだろうな。あの騒ぎの中、全部がうやむやになっちまった」
「その娘の名前、わかりますか?」
「なんだ、それが目当てだったのか? 探してるのか?」
「約束、なんです」

 女性の脳裏に、死に行く同僚の言葉が思い出される。自分が死んだ後の、ジョゼのパートナーを頼む。なぜなら彼女は自分にとっての妹みたいな存在だから、と。

「もう私以外、同僚は生き残っていない。ならば、最後の妹分の足取りだけでも、知りたいと思ってます」
「約束、ね。――そうだな、なんだったか忘れたが、ジョゼは変な事言ってたぜ。星よりももっと輝いて欲しいだの何だの。アジア系の顔立ちだ、とかでどっかの国の「月」って言葉をそのまんま名前にしたとか言ってたな。恥ずかしい野郎だ」
「星……月……」

 かつて同僚達と流星群を見に行った事を思い出した。記憶が継ぎはぎになる前のヘンリエッタも、確かジョゼと星を見た話をしていた。

「ありがとうございました、マルコーさん。それで十分です」

 女性は大目の金額をテーブルに置いて、立ち上がった。

「お、おい待てよ」

 マルコーは立ち上がろうとするが、視界が歪み、テーブルに突っ伏した。女性が店から出て行く後姿が見える。目蓋が重くなってきた。

「待てよ、ト、トリエラ――」

 その言葉を最後に、マルコーの意識は沈み、いびきをかいて眠りだした。
 麻帆良で停電が起こる、一ヶ月前の出来事である。







 第13話「導火線」







 その日の千雨とアキラは早々と寮を出た。特に何があった、という分けではないが、千雨の寝起きが良かったのだ。
 登校のピークには程遠い時間である。通学する人はまばらだった。されとて人がいないわけでは無い。
 道着を着た人達や、野球のユニフォームを着た集団などがときたま視界をよぎる。部活の朝練をしてるものには遅い時間らしい。

「みんなご熱心な事で……そういやあーちゃんは部活出なくていいのか?」
「うん、とりあえず秋までは休部しようと思って。ほら私の場合、能力がまだ安定してないとも限らないし」
「そっかぁ、そりゃ残念だな」
「ううん、そうでもないよ」

 少し頬を染めながらニコリと笑うアキラ、対して千雨は意味が良く分からず首を傾げた。
 歩を進めていくと、何やら人だかりが出来ている。

「またか」
「くーちゃんだね」

 先日、帰り道でも会った古菲だった。どうやら複数の男子と組み手を行っているようだ。
 様々な格好をしている各部の男子達が、古菲に向かい拳を振り上げるも、それらをするりするりと捌いている。演舞のようだが、その実しっかりと理にかなった動きだった。

「ホアッ! とりゃ!」

 古菲は男子達を瞬く間に倒していく。倒された男子達で背後に山が出来てきいた。

「みんなまだまだアルネ」

 どこか高揚した表情で立つ古菲。その古菲にふと影が襲い掛かった。人込みから飛び出し、一足飛びに襲い掛かる。
 古菲の頬に拳が突き刺さった。だが、古菲もそれを体をよじらせ、衝撃を軽減しようとする。
 古菲はバランスを崩しつつ、転がる様に影の主と間合いを取る。

「古よ、お前もまだまだだな。だが、どうやら少しは成長しているようだ」

 そこには成人男性が立っていた。不適な笑みを浮かべ、古菲を見る。
 さほど身長は高くないが、体の筋肉の盛り上がりが服越しにもわかる。古菲と同じく赤みを帯びた肌が、同郷の匂いを感じさせた。髪を後ろでまとめ、三つ編みにし、道着を着ている様は、日本人が描く拳法の達人をそのまま絵にしたようである。

「うお、なんかまた出て来たぞ」
「すごい、くーちゃんにパンチしちゃった」

 千雨はその胡散臭そうな姿に怪訝になり、アキラは見慣れない光景に驚く。
 地面を転がっていた古菲も男の姿を見るなり、瞳をキラキラとさせた。

「烈老師! 来てくれたアルカー!」

 古菲は男に向かい、じゃれ付く子犬の様に飛び掛った。

「フンハッ!」

 だが、男に顎を打ち抜かれ、地面へヘナヘナと倒れ伏した。

「やはりまだまだだな。精進せい、古よ」

 男は拱手をし、一礼した。周囲に立っているのはその男だけだった。



     ◆



 千雨達は倒れた古菲に近づき看病した。いくら武道家とはいえ、女の子である。千雨達からすれば心配だった。

「おい、大丈夫か」

 とか言いつつも、千雨は古菲の頬を容赦無くペチペチと叩く。やがて古菲は目覚め、先ほどと同じように男に飛びかかり、抱きついた。

「老師~! 会いたかったアルー!」
「それだけ元気なら大丈夫なようだな。それに壮健なようで何よりだ。だが、まだ鍛錬が足りんな」
「う~、老師にまだ勝てるわけないアル」

 どうやら男は古菲の師匠らしく、その対面シーンを見つめる千雨とアキラ。ふと、古菲がその視線に気付き、男性を千雨達に紹介した。

「あ、千雨とアキラ、さっきは看病ありがとうアル。それでこちらはワタシの師匠の烈海王老師アル。と~っても強い拳法家ネ」
「烈海王という。どうやら愛弟子のご学友のようだな。馬鹿な弟子だがよろしくたのむ」

 烈は拱手をし、千雨達にペコリとお辞儀をした。千雨達はアワアワと慌て、手を振った。

「い、いえ、こちらこそです」
「くーちゃんには色々お世話になって……あれお世話してかな?」

 さり気なくぶっちゃけるアキラに、古菲はナハハと笑いながら応じた。
 千雨とアキラ、さらに古菲と烈は登校時間までまだあるという事で、話しながらゆっくりと学校へ向かう。烈も少し付き添うそうだ。

「老師はいつ日本に来たアルカ。こんなに早く来るとは思わなかったネ」
「日本自体にはここ一年ほど滞在していた。今はある道場でお世話になっている」
「ふぇっ! 日本に来てたのなら、連絡して欲しかったネ」
「はは、すまんな。私も修行中の身。鍛錬と実践にいそしんでいたのだ」

 仲の良い師弟は会話を弾ませていた。千雨達は少し離れ、二人をそっと見守っていた。

「つか、中国拳法とかってどれくらいすごいんだろうな。古が強いのは分かるが、今いちピンとこねぇんだよな」
「うーん、どうなんだろうね」

 千雨達の会話に、烈が反応した。

「ふむ。それじゃ少しお見せしようか」

 烈はクルリと振り向き、千雨と相対した。

「長谷川さん、だったね。私はこれから君がかけてるメガネを拝借しようと思う。正面から普通に歩いて取りに行く。だから君はそれを避けてくれないか」
「うぇっ?! あぁ、はい」

 烈の突然の提案に驚きつつ、千雨は答えた。それと同時に周囲に知覚領域を張る。

「では、行くぞ」

 だが、烈は一歩も動かない。千雨はそれをいぶかしむが、急に目の前に烈が現れた。

「なっ!」
〈千雨、どうした?〉

 ウフコックの警戒の言葉も上の空。メガネのブリッジへ伸ばされる手を避けようと、千雨は後ろへ体を傾けた。だが――。

「おっと危ない」

 地面に倒れそうになる千雨の片手を、烈が掴んでいた。もう片方の手にはメガネが捕まれていた。

「ふぇっ?」

 千雨は驚きのあまり、変な声を出した。自らが絶対と思っていた知覚領域、それをすり抜けてきたのだ。

(ど、どうなってやがる。あの人、瞬間移動でもしたのか)
〈いや、彼は普通に歩いて、千雨のメガネを掴んだだけだ。そうか、そういう事か〉

 千雨の疑問の声に、ウフコックは合点がいったという感じに、一人納得している。

「長谷川さん、不思議かね?」

 そういうと、烈は千雨にメガネを返した。

「女性に非礼をしてすまなかった。あやうく怪我をさせる所だった」
「い、いえ。それよりさっきのは何なんです?」
「さっきのか。君は私が目の前に急に現れたように見えたかい」
「は、はい。そうです」

 烈は少し嬉しそうに微笑みながら答える。

「簡単な話だ。〝呼吸〟だよ」
「呼吸、ですか?」
「そうだ。息を吸い、吐く。人間が普段から行っている呼吸だ。人間は息を吐く時に無防備になる。ただその時を見計らい、動いたにすぎない。幾ら鍛えようと、人間の生態には欠陥がある。そこを突く。これは中国拳法全般に通ずる基礎にして極意だ」
「生態、ですか」
「すごい。くーちゃんも出来るの?」
「アハハハ、ワタシにはまだそこまでは無理アルヨ」

 烈の言葉に、千雨は少し感心していた。魔法やら超能力やらというものばかり見てきたせいか、このような現実的な技術に興味を持った。

「それにしても長谷川君はなかなか鋭いようだな。まさか、あの速さで反応するとは思わなかったよ」
「千雨は学園都市に居た事もあるから、そのせいアルかもネ!」
「ちょっ、おい、古!」

 ちなみに千雨が学園都市から来た事は、もう公的にも隠す事ではないのでクラスメイトにバレていた。千雨が積極的にバラしたわけではないが、クラスメイトの報道部員にさりげなく漏らされたのである。

「ほう、学園都市か。そうすると君も超能力者なのか?」

 学園都市、その言葉に烈の瞳が鋭くなった。

「あ、いえ。超能力者って言ってもボンクラで、ほとんど役に立たない能力なんです。アハハ」

 千雨はクラスメイトに超能力を『リモコン代わり』程度だと教えていた。しかも数回使うだけで疲れるとも。そのため無理に請われて能力を使う事もほとんど無い。

「ふむ。実は先日、私も学園都市に行ってきてな」
「おぉ、老師すごい所行ってきたネ。ちょっと羨ましいアル」
「よく入れましたね。最近は一般人への入場規制がより厳しくなって、観光ツアーも減ってるらしいのに」

 外部からの人材などを取り込むため、門戸を広げたものの、出入りのセキュリティは厳しくなったらしい。その様な事をドクターからの連絡で千雨は知っていた。

「うむ。入れなかったのでな。忍び込んだのだよ」
「おぉ、その手があったアルカ」
「「へ?」」

 千雨とアキラの声が重なった。

「超能力者に興味があったのでな。その手合わせのために忍び込んだんだがな」
「超能力者は強かったアルか?!」
「正直、期待はずれだったな。確かに超能力はすごかったが、それとて銃器などの延長にすぎないのがほとんどだ。そして何より彼らは能力は持てど、戦う意志も術もまったく知らなかった。何人かの荒っぽい者達と手合わせ願ったが、赤子がナイフを持っているようだった。一般人には脅威かも知れぬが、我らから見ればあの程度、片腕で捻れる輩ばかりだ」

 目を瞑り、淡々と語る烈。

「そういえば一人だけすごい能力を持った少年がいたな。白髪に白い肌の痩せた少年だった。少女をいたぶり殺そうとしてたので、思わず割って入ってしまった。何やら異質すぎる力のようでな、あらゆる物が彼に届かなかった。異常な気配に警戒し、標(短剣)を幾つか投げつけたものの、全て跳ね返された。おそらく普通に拳を交えていたら、四肢を失っていただろうな」
「ぶふぉぉっ!」

 千雨は思わず噴いた。

「千雨ちゃん、大丈夫?」
「どうしたアル?」
「だ、大丈夫。大丈夫だ」

 どうやら千雨には何か心当たりがあるらしい。

(先生、まさかとは思うが)
〈あまり深く考えるな〉

 千雨の脳裏に、以前見た学園都市内のトップの能力者の一覧が思い出された。確かその数人の簡単なプロフィールの中の一人と、嫌に印象が似ていた。

「そ、それで烈さんはどうしたんですか」
「あぁ、もちろん倒した。脆いものだった。まさか崩拳の一撃で気を失うとはな。彼もまた戦いを知らないのだろう。だが、あの目は脅威だ。今はまだ私が勝てるが、彼が戦う意志と術を知ったら、おそらく勝てないだろう」
「ぶふぉっ!」
「老師でも勝てない、世の中にはすごい奴がやっぱりいるネ」

 千雨は再び噴出した。

「ちょ、ちょっと待ってください。さっき相手は何でも跳ね返す、みたいな事言ってませんでしたか。それって矛盾しません?」
「そこも説明しておこうか。私は先ほど〝呼吸〟の欠点を突いた。だがね、呼吸はそれと同時〝武器〟でもあるのだよ」

 烈はしゃがみ、道端の小石を手のひらに乗せた。

「呼吸をし、体内に力の流れを作る。そして、それを放つ。このようにな。ハッ!」

 手のひらの小石が、衝撃も無いのに内側から弾けた。

「これが『気』と呼ばれるものだ。国や場所によってはオーラや波紋と言ったりするな。我ら白林寺の拳法が行き着く先はここだ。人の生態を突き、生態を武器にする。件の少年にも『気』を纏わせた拳で攻撃したのだよ。そうしたらあっさりと片がついてしまった」

 そう語る烈はどこか残念そうな表情だった。
 変わって千雨はと言えば、顔を引きつらせハハハと投げやりに笑っている。

(駄目だ。やっぱこいつもファンタジーだ)

 その後も、古菲は嬉しそうに烈の話を聞き、喜んでいた。
 校門が見えた当たりで、烈とは分かれる。どうやら麻帆良市内に当分滞在するらしく、古菲は喜び跳ねていた。



     ◆



「これは本当かね」
「まだ確証はありませんが、かなり正確な情報かと」
「うーむ」

 学園長室では、近右衛門と高畑が何やら話し合いをしていた。
 高畑は書類を机の上に広げ、言葉を継ぐ。

「外務省に勤める友人からの話です。情報元のアメリカ政府から、米軍経由でリークされたそうです」
「殺し屋、のぉ」

 本来、その手の輩は麻帆良にとって敵にならない。だが、政府筋からの情報となれば、何かを感じざるを得なかった。

「イタリア内部にある組織からの依頼で、さる殺し屋が麻帆良に潜入。三文芝居でも見てるようじゃな」
「アハハ、仰るとおりで」

 軽口を叩きつつ、二人の表情は堅い。だが、その情報は馬鹿に出来なかった。
 イタリア国内の情勢が危ういのは、今に始まった事ではない。ここ数年、GDPの成長率も低迷が続き、経済的な困窮が新聞の紙面を飾るのも珍しくない。経済不安が民衆の不満となり、一部ではテロへの加担の要因となっている。その混沌とした国家内のゴタゴタを、国家主導の元処理している組織は幾つかあった。何れも民間業者を装っているが、その資金源は明白だった。
 今回の依頼元とされる組織も、その一つからだった。

「困ったものじゃな。この所、こんな事ばかりじゃ。わしもそろそろ引退時かの~」
「今学園長に辞められたらみんな困りますよ。もう少し頑張っていただかないと」
「年寄りの扱いがキッツイのぉ。ところで高畑君、その件の殺し屋君の詳細はわかっておるのか」
「いえ、それがさっぱり。今のところ目的すらはっきりしませんが……」

 学園長の眉に隠れた瞳が、ギョロリと動いた。

「ガンドルフィーニ先生、彼をやったのももしかしたら」
「可能性は高いのぉ。高畑君、分かっておると思うが、当分出張は中止じゃ。〝ソチラ〟に関しては各方面への連絡を行い、救援を送ってもらおう。まずは麻帆良の治安を回復してからじゃ。わし以上に働いてもらうからの」
「ははは、こりゃ手厳しい。ですが望むところです。僕としても、同僚をやられたまま、おずおずと下がるわけには行きませんから」

 温和な表情をしつつ、高畑の瞳には熱が帯びている。それは怒り、憤り、悔恨。様々なものだった。



 つづく。






(2010/12/19 あとがき削除)



[21114] 第14話「放課後-start-」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 12:18
 期末テスト。その言葉は生徒達に重く心に圧し掛かった。
 担任の高畑により配られたプリントには、テストの日程から教科ごとの範囲まで書かれていた。
 テストまで十日余り。そう考えればまだ大丈夫に思えるが、実際その程度あっという間だ。
 そんな中、テストに怯えるのは千雨も同じである。

(やべぇ、最近勉強してねぇ)

 理系教科は強いものの、文系教科となると勉強してやっとそこそこの成績だ。ここ最近の怠惰な生活で、そんな成績も更に切れ味を鈍くしている事だろう。
 クラス内の阿鼻叫喚を流しつつ、背中に冷や汗が一筋流れ、口は半笑いで固まった。ふと横を見ると、夕映は余裕しゃくしゃく、飄々とすました顔をしていた。

「夕映は随分と余裕みたいだな。お前って成績良かったっけ」
「いえいえ、かなーり悪いデスよ。なんたって私はクラス内のバカ五人衆バカレンジャーの一員デスから」
「よく分からんが、それってかなりやばいって事だよな」
「そうデスねー。焦らなきゃいけないでしょう」

 普段話をしていると端々から知識の豊富さが伺えただけに、夕映がクラス内でも五指に入る程成績が悪いという事に少し驚いた。
 日直が号令をし、高畑が教室を去っても、まだ喧騒は収まらない。
 喧騒の最中、一人が机に突っ伏し、プルプル震えてた。そして何かを思いついたように立ち上がり、机を強く叩いた。
 その音に一瞬、教室は静まり返る。

「よし! 今日は遊ぼう!」

 神楽坂明日菜、バカレンジャーのバカレッドだった。







 第14話「放課後-start-」







 明日菜の発言により、クラスメイトで放課後遊びにいく事になった。とは言え、話が急すぎた。各々が部活だ何だと集まりが悪く、都合が付いたのは言いだしっぺの明日菜に、千雨、アキラ、まき絵、夕映、のどか、木乃香という面子であった。明日菜のルームメイトの木乃香に、図書館探検部が引っ張られ、ついでに千雨も釣られたという構図だった。
 七人は特にする事もないので、街をぶらつく事になった。

「ねーねー、明日菜どっか行く予定あるのー」

 先頭を歩く明日菜と並んだまき絵が聞いた。

「うーん、特に無いわね。まぁお店みたりゲーセン行ったりして、みんなで遊びましょ!」

 あっけらかんと言い放つ明日菜。

「いや、つーかこんな事してていいのかよ。もうすぐテストだぞ」
「うっ」

 千雨のツッコミに明日菜は声を詰まらせた。

「で、でも、ほら! もうすぐみんなテストで目いっぱいになっちゃうから、その前の息抜きよ息抜き! ここでパーッと発散させて、テストへ向けて頑張るのよ!」

 ムン、と鼻息を荒くしながら拳を振り上げる。そんな明日菜の横では「ほんまか~」と木乃香が困ったような顔で、頬に手を当てていた。
 そうした中、夕映はじゅるじゅると紙パックのジュースを飲みながらついて来る。ちなみにジュースには「ハバネロあんみつ」と書かれていた。図書館島の地下でしか手に入らないレア物らしい。
 のどかも普段遊びなれない相手がいるせいか、夕映の後ろに隠れながらおずおずと付いてきた。

「ふぅ。まぁここまで来ちまったんだ、みんなで適当に回ればいいんじゃね」

 麻帆良内にあるアーケード街まで千雨達は足を運んでいた。麻帆良の人口は多いため、平日とはいえ、集まる場所には人が集まる。通りを人が埋め尽くしていた。
 麻帆良は学園都市なのだが、総合デパートや大手のスーパーなどが参入していない。その背景にあるものは様々だが、そのためこの様な商店街が繁盛していた。
 綺麗に区画整理された道に、凝ったデザインの店舗が沢山並んでいる。建物の合間合間に緑が配置されているのも、世界樹がある麻帆良ならではであった。

「ねぇ、服でも見に行かない?」
「う~ん、でもこっちで買うより、東京出た方がいいんだもんなぁ」
「あはは、そやなぁ」

 明日菜が人込みを掻き分け、それにまき絵と木乃香が続く。

「ほらほらのどか、はぐれちゃいますよ」
「ふぇっ、私そんな子供じゃないよ~」

 夕映がのどかを引っ張って行く。

「なんで私まで……」
「千雨ちゃんはもっと外で遊んだほうがいいよ」

 愚痴る千雨をアキラが諭していた。
 七人は服に本にアクセサリーと、様々なお店を冷やかしつつ遊んでいた。

(あれ? あれって桜咲だよな)

 何件も店を回っているが、ときおり遠くに刹那の姿を見かける事に気付いた。だが、千雨も以前の事があり、刹那に対して苦手意識を持っていた。

(見なかった事にしよう)

 軽くスルーした。



     ◆



「うわ~、本屋ちゃん可愛い」
「おいおい、こいつはすげぇな」
「あわわわ、そんな事ないです~」

 ゲームセンターでみんなでプリクラを撮る際、夕映がおもむろにのどかの前髪を掻き分けたのだ。普段は前髪を目の下まで伸ばしているものの、その下にはみんなが驚くかわいい顔が隠れていた。

「ふふふ、のどかは隠れた逸材なのデスよ」

 驚くがいい、と言わんばかりに胸を反らせ、我が事の様に自慢する夕映である。

「じゃあ千雨ちゃんも、ちょっとメイクアップしようか」
「うわ、こらちょっとアキラ。何するんだよ」

 今まで大人しく見ていたアキラが、千雨の髪を取り、ブラシですきはじめた。普段無造作に首の後ろで縛っていた髪を流し、幾度かすけば綺麗なキューティクルが出来上がる。リップグロスをさし、前髪をさらりと整え、アキラは最後に千雨の伊達メガネを取った。

「おぉ。以外、千雨ちゃんこんなに可愛かったんだ」
「すんご~い、美少女じゃん。うらやましいよ~」
「ほんまやな~。ウチもここまでとは思わんかったは」

 明日菜達が絶賛の声を上げた。

「あ、あう、あう」

 千雨は顔を真っ赤にし、のどか以上にパニックになり固まった。

「……」
「ゆ、ゆえゆえ。口! 口元からこぼれてるよ」

 夕映は千雨の顔にボーッと見惚れ、口の端からジュースがボタボタと落ちた。それをのどかがハンカチで拭っている。ちなみに今度のジュースは「バナナ大福、エビチリ風味」だった。
 女三人寄れば姦しいを地でいく騒がしさで、七人は放課後を楽しんだ。



     ◆



 日が傾き始め、夕日が七人を照らした。寮の門限が近く、そろそろ戻ろうかという雰囲気になる。
 誰がいう事も無く、騒がしい雰囲気のまま、女子寮の方向へ足を向けた。
 そんな七人に声がかけられた。

「お、そこのお嬢さん達、ちょっといいかな」

 髪を七三に分け、チョビ髭を生やした男であった。サングラスをかけ、白いスーツにピンクのシャツという出で立ちである。後ろにももう一人男が立っているが、どうやらお揃いの服装から同僚か何かだと推測できた。

「あ、はい。何でしょうか」

 男の様相に、明日菜は柄にも無く緊張し答える。

「あはは、いや~、君達可愛いね。俺の名はルイって言うんだ。今ちょっと仕事で日本に来ててね、良かったらお茶でも――」
「ナンパですか?」

 明日菜が額にしわを寄せた。

(あれ? アイツ、この前帰り道でみかけなかったっけ)
〈以前帰り道で見た、騒がしい一団の一人だな〉
(あ、私も覚えてるよ)

 千雨とウフコックの秘密会話に、さりげなくアキラは入っていった。ウィルスを通し、千雨を中継しつつ、二人と一匹は秘密裏に意思疎通を行う事が出来る様になっていた。

「あ、いや違うんだ。ちょっとね、人を探してて、協力してくれたらなー、と思って。どうにもお兄さん、日本人の顔を見分けるのが苦手でね。いや、君らは別だよ。こんな美しいお嬢さん達を見分けられないわ――」

 ルイの言葉に耳を澄ますと、流暢ながらどこかイントネーションに違和感がある。

「ほらほら、この写真の子なんだけどね。うぅん? あれ?」

 ルイは写真を見せようと懐から取り出し、固まった。その写真を見つつ、何度か首を傾け、千雨達と見比べた。

「あーーーーーっ! 居たっーーーー!」

 ルイは千雨達を指差した。何事か、と周囲の人達がルイを見る。
 ルイは近づこうと、明日菜を腕でどけようとする。

「ちょ、ちょっと――何すんのよ、このぉ!」

 バチーンと明日菜の平手がルイの頬に張られた。

「ぶがぁ!」

 平手とは思えない勢いで吹き飛ぶルイ。

「な、なんだか分からないけど逃げようよ!」
「警備員呼んだ方がええんやろか」

 怯えるまき絵と、不安がる木乃香。倒れたルイはもう一人の男向かい叫び声を上げた。

「何やってやがる! さっさと捕まえろー!」

 その声に驚きながらも、もう一人の男が千雨達に襲い掛かった。
 周囲に知覚領域を広げた千雨は、人の隙間を縫うように動き、男に近づき、その脚元をすくう。

「おわぁ!」

 男が叫び声を上げて倒れた。

「ほら、今のうちだ。さっさと逃げようぜ」
「う、うん」

 千雨の言葉に、明日菜たちも同意し、人込みの中を走り出した。
 後ろからはルイの叫び声が聞こえる。

「ママー、見つけたよ。はやくみんな集めてくれ!」

 背後を見ると、ルイに老婆――ドーラ――が近づき頭を小突いた。

「このバカ息子! お前が大声で騒ぎ立てるから取り逃がすんだろ! さっさと追いかけな!」
「う、うん」

 ルイが起き上がり、千雨達を追いかけ始める。同じような格好の男が四人にまで増えていた。

「やべぇ、なんか増えてるぞ。さっさと女子寮まで戻ろう」
「そ、そのほうがいいみたいデスね」

 夕映の顔はどこか青ざめていた。
 先頭を明日菜とまき絵が走り、その後ろに夕映、のどか、木乃香、最後に千雨とアキラと続いている。
 千雨とアキラは多少の荒事を踏まえているので、みんなを守るために進んで殿を務めていた。
 千雨達より足が速いはずの男達も、大きな体と人込みが邪魔をし、思うように走れないようだった。だが、差は徐々に埋まっている。こちらはのどかが息を切らし、ほうほうの体で走っていた。夕映が腕を引っ張り、どうにか付いてこられているのだ。
 途中、通りの脇から白服の男二人が飛び出してきた。一人がガッシリと明日菜の肩を掴んでいる。だが――。

「何すんのよ、この変態!」

 あごを一蹴。大男をまたもや一発でノックダウンした。

(神楽坂ってすげぇな)
(明日菜運動神経いいから)
(いや、そういう問題か?)
〈確かに一般人とは思えんな〉

 千雨達もそんな明日菜に驚愕していた。

「のどか、先に行ってくださいデス」

 もう一人の男も、夕映が振り回したカバンの角が額に当たり、悶えながら倒れている。
 一連の慌しい逃走劇のせいで、周囲に混乱が伝播した。一定方向に流れていた人込みがうねる様に動き、千雨達の動きを邪魔し始める。

「のわぁ!」
「ちーちゃん!」

 アキラががっしりと千雨の手を握った。だが、うねりの激しさに他の面子とははぐれてしまったようだ。目の前のわき道に入り、なんとか人垣を脱したものの、周囲に明日菜達はいない。

「やばい、はぐれちまった」
「いたよ、兄ちゃんこっちだ!」
「げっ」

 落ち着く暇も無く、路地の向こうに白服の男が見えた。
 千雨とアキラは再び走り始める。

「ちくしょー、何なんだあいつら。何が目的なんだ」
「ちーちゃん、私は能力使った方がいいかな」

 アキラのその言葉に、千雨は足を動かしたまま、少し沈黙した。

「いや、止めといた方がいい。神楽坂が先に手を出したってのもあるし、あいつらがその手の輩かはまだ分からない。つっても真っ当な職種とは思えんけど」

 言葉ではそう言いつつ、内心千雨はアキラにただ能力を使って欲しくなかった。それは千雨なりのアキラへの配慮だった。日常の境界を踏み越えてなお、アキラを向こう側に置きたいという、かなわない願い。アキラもそれは気付いたが、ただ首を縦に振る。

「だけど、ちーちゃんやみんなが危険だったら、私は能力を使うよ」
「まぁ、それはしょうがないだろ」

 先ほどよりは人が少ない通りを走りつつ、そこらかしこから男達の声が聞こえる。
 体力の無い千雨はもう息が上がり始め、アキラに引っ張られつつ、逃走を続けた。



     ◆



「のどか、千雨さん」

 夕映は人込みに揉まれ、流されていた。伸ばした手は虚空を掴み、目的の人物まで届かない。
 パニックになった人に押され、一緒に来たクラスメイトと離されていく。特徴的な栗色の髪が視界に過ぎった。

「ちさ――」

 だが、千雨の近くにはアキラがおり、人並みをしっかり掻き分けながら二人は離れていく。

(あっ)

 夕映の伸ばした指先が止まり、人並みにそのまま流されていく。



     ◆



 千雨とアキラは、ある通りの行き止まりで追い詰められていた。目の前にはドーラがおり、周囲を白服の男達が囲っている。背後には建物の壁がそびえ、逃げる場所は無い。
 とは言っても、千雨とアキラである。逃げるなら方法は幾らでもあるし、追い詰められる前に隠れる方法もあったのだ。ウフコックの助言により、相手の目的だけでも知っておいたほうがいい、という事でわざわざ相手をこちらへ誘導したのだ。

(やっぱりわたしが目的みたいだな)
〈そのようだ〉

 その後も追いかけてきた白服達は明日菜達を探すそぶりも無く、一心不乱に千雨達を追いかけてきた。
 アキラを追いかけてきた可能性も無くは無い。だが、アキラがスタンド使いだという事はごく僅かな人しか知りえない。そして彼女にはそれ以外、何か追われる様な要素が見当たらないのだ。
 千雨が目的、という方が可能性が高いのは明白だった。

「はぁ、はぁ、はぁ、な、何のようだ」

 どもりながら話す千雨。実際のところ、息が切れすぎて途切れ途切れだ。

「やっと観念したようだね嬢ちゃん。えーっと、ハセガワチサメ、って言うのかいあんたは」
「ハッ! ど、どうだったかな。忘れちまったよ」

 ドーラの問いかけに返すも、やはり息は切れ切れだった。

「正直に言いな。こちとら騒ぎを起こして切羽詰ってるんだ。あんたが『破片』を持ち出してる、ってのは分かってるんだ」
「は?」

 千雨の目が点になる。『破片』と言われても、そんなゴミだかクズ鉄だかを盗んだ記憶も、拾った記憶も無かった。

「私はそんなもん、拾った事ないぜ」
「しらばっくれるんじゃないよ!」

 ドーラの怒声が響き、男達が一歩包囲を狭め威圧してくる。アキラも千雨を庇うように一歩前に出た。

〈千雨、恐らく彼らが言っているのは楽園の技術についてだ〉
(な、何だって)
〈『破片』というのは楽園の技術の流出データを指している。それらは加工され、多くの場合国連法上グレーゾーンとして扱われている。そのため、多くの団体や企業が狙う宝箱になっているのだ〉
(なるほどな。それでわたしを狙ったってわけか)
〈いや、それもおかしいのだ。千雨は国連法の特例により処置された献体だ。使われている技術は純正であり、第三者が流用しようとした場合、完全な犯罪だ。もっとも、技術データの一部だけを使えばそれなりにごまかせるだろうがな。とにかく『破片』とはニュアンスが違う〉
(じゃあこいつらは――)

 千雨達が密談を交わしていたが、ドーラには怯えている様に見えた。

「さっさとしな。あんたが『社会福祉公社』謹製の義体だってのはわかってるんだ」

 その言葉に千雨はカチンと来た。

「おいババア! さっきから聞いてりゃ何言ってるんだか訳わからねえよ。何だよ『破片』とか『ナンタラ公社』とか『義体』とか!」
「バ、ババアだと! そりゃあたしの事かい。ふざけんじゃないよ小娘!」

 ドーラの後ろに揺れる二つの三つ編みが角の様に立ち上がり、鬼の形相に変わった。

「うわ~、すげぇな。おいシャルル、あの子ママにあんな事言っちゃったよ」
「俺はあんな事出来ないな」

 ルイにシャルルと呼ばれた髭面の男が答える。周囲を囲っていた白服達も、暴言を吐く千雨と、怒り狂うドーラを怯えた様な目で見ていた。



     ◆



 夕映は気付いたら、商店街近くの広場にいた。人並みに揉まれ、気付いたらここまで来てしまったらしい。
 人はまばらで、先ほどの白服も見えない。先ほどまでの危機感も焦燥も薄れ、一気に冷える。

(帰ろう)

 ふとポケットに手を入れると、携帯のサブディスプレイが点灯していた。

(のどかからのメールデス)

 ふたを開けば、どうやらのどかは明日菜達と合流し、女子寮の近くにまで来ているらしい。夕映は自分が無事な事と、これから自分も寮に向かう旨を書き、メールを返信した。
 それにしても、千雨達は無事だろうか。そんな事を考えるも、心の奥底では確信がある。彼女なら大丈夫だろう、と。
 あの日、千雨は大雨の中、寮を出て行った。今でも走り去る千雨の後姿が鮮明に思い出された。その後、寮内では感染症に倒れる人が出たり、停電が起きたり大変だったが、気付いたらそれらは全て解決していた。
 携帯のディスプレイには変な画像が映っていた。金色のネズミの絵。ディフォルメの効いた可愛い画像だ。大停電が復帰した途端、寮内にあった電化製品のモニターに一斉に表示されたのだ。みんな不思議がったり、恐がったりしたが、夕映は知っていた。あの絵が、千雨のしている腕時計の文字盤に描かれている事を。
 きっと千雨がどうにかしてしまったんだろう。
 そんな千雨だから、たかが男に追いかけられたぐらいで、どうにかなるとは思えなかった。自分が逃げ出せるのだから、きっとうまく逃げているだろうと。
 千雨の横にいたアキラを思い出し、ズキリと胸が痛んだ。
 停電の後、数日して寮に戻ってきた千雨は、なぜか入院していたはずのアキラと一緒だった。話を聞くと、どうやら幼馴染だと分かったらしい。アキラの部屋で、千雨が泣き崩れていた理由が分かった気がした。
 その後も、千雨とアキラは仲が良く、気付けば一緒に居た。それが夕映に堪らなく――。

(いえ、よしましょう)

 思考を閉ざす。頭を振り、寮への道を急いだ。

(そういえばさっき)

 ついさっきの人込みの違和感を思い出した。あの人込みで、ときおりなにか〝流れ〟を感じたように思う。この感覚は以前感じた事があった。

(あれは確か、千雨さんと一緒に図書館島で)

 千雨、という言葉に再び胸がズキリとした。
 誰かを思い出した。『祖父』、いや違う、本当の名前は――。白いベッド。染みの無い部屋。ドア、銃声。暖かい腕。紙の上に『綾瀬』と書かれている。違う、私は――。
 虫食いの様な記憶の奔流が、脳裏をかすめ、揺らぎ消えた。その不安感を拭うように、制服の下にあるペンダントを服越しに握った。

(な、何なのデス)

 もうペンダントの中身は飽和していた。中身がどんどん削られていっている。一人になり、夕映に現実の恐怖が襲う。

(恐い、恐い)

 両腕を抱いた。不意に襲う孤独感が、夕映の不安を増大させる。
 通りに人は居なかった。整然と並ぶ街路樹に夕日が差し、幾何学的な模様を影が地面に作っている。周囲には大学の研究棟や病棟と思わしき高い建物が幾つも並んでいた。
 そこを歩きつつ、夕映は携帯を開き、アドレス帳から千雨を探した。
 視界に再び違和感があった。風に臭いがある。硝煙、火薬。瞳にラインが見えた。
 銃声が耳朶を穿つ。
 弾丸が夕映を貫き、人影が地面へと崩れ落ちた。



     ◆



 千雨とドーラの口論は激しさを増したものの、途中からはお互いの齟齬を埋めるような話し合いへと発展した。

「なんだ、その『義体』っつーのは、『ナンタラ公社』が発明したサイボーグみたいなものなのか。そしてわたしがその義体だと。アホか! 数百メートル走ってバテバテになるサイボーグがどこにいるんだよ!」
「言われてみりゃそうだね――チサメ、あんたは生まれはどこだい?」

 ドーラはあごに指を置きながら、千雨に問いかけた。

「わたしは生粋の麻帆良生まれだ。幼馴染だってここにいるし」

 隣にいるアキラを指差す。

「あんま見せたくないけど、写真だってある」

 千雨は生徒手帳を取り出し、中のページを開いたまま、ドーラに投げつけた。
 生徒手帳に挟まれた写真は、両親と幼い千雨が、世界樹をバックに写ってる写真である。

「これは両親かい?」
「あぁ、そうだ。大事に扱ってくれよ、数少ない親の写真だ」
「……そうかい」

 察したのだろう、ドーラはそれ以上何も言わず、写真と千雨を見比べた。写真に写る父親は、千雨と同じく〝栗色の髪〟をしている。母親は逆に黒髪を肩で揃え、どこか日本人離れした容姿をしていた。

「返すよ」

 ドーラは生徒手帳を投げ返し、千雨はそれを受け取る。

「どうなってんだい、まったく。仕入れた情報先は複数なのに、ターゲットの情報が違う」

 ぶつぶつと呟き始めたドーラを前に、千雨が手を上げた。

「あーちょっといいか。痛くない腹を探られても嫌だし、隠す事でも無いんで言っておくんだが、わたしは超能力者だ。つっても半年前に事故で学園都市に運ばれて、能力開発されちまっただけなんだがな。テレビのリモコン代わりにしかならない程度の役立たずな能力だ」

 千雨は公になっているプロフィールを吐いた。せっかく相手が手をこまねいているのだ。自分が《楽園》の技術の結晶である事を隠す、牽制である。
 ドーラの目が、鷹のように鋭くなった。

「学園都市だと! クソ、やられたね」

 ターン。ドーラがそう言った瞬間、千雨は遠くに聞きなれた音を聞いた。

「千雨ちゃん、何この音」
「今のは、もしかして銃声か?」

 ドーラ達も音の方向を見ていた。喧騒は遠く、音がよく響いた。
 そして――。

「うおっ!」
「きゃっ」

 様々な方向から爆破音が幾つも轟いた。周囲を見れば、遠くに黒煙が幾つも上がっている。
 間もなく、各所から悲鳴が聞こえ、スピーカーから避難のアナウンスが流れる。消防車のサイレンも聞こえ始めた。

「何が、起こってるんだ」

 呟く千雨。
 街に非日常の音が溢れ出す中、千雨の携帯の着信音が鳴った。



 つづく。




(2010/12/19 あとがき削除)



[21114] 第15話「銃撃」+現時点でのまとめ
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:32
 視界をよぎった違和感に体が反応した。たかが一歩分だが、横に避けれた。
 熱。何かが夕映の右肩を貫き、熱さが全身を襲う。地面に倒れた。

「ぐあっ」

 続いて、痛みが走った。声が意図せず漏れる。じわりと目に涙が溜まった。
 得体の知れない危機感が、夕映の体を動かした。地面を這う様にして、周囲にある藪に飛び込んだ。背後では銃声がまた一つ鳴り、石畳を砕いている。
 藪の中で一旦落ち着き、仰向けになり、肩を見た。制服にじんわりと血が滲んでいた。

「ひっ」

 血が恐い。だが、何より〝痛みが消えていた〟のだ。どこかで痛すぎると痛覚が麻痺すると聞いた事があった。だが、これは本当にそうなのだろうか。未知の状況に瞳が揺れた。
 恐怖が背筋を昇る。カタカタと歯が小刻みに音をたてた。

「そ、そうだ。携帯っ」

 携帯は左手に持ったままだった。持ったまま地面を這ったせいだろうか、液晶ディスプレイの表面にはギザギザな線が入り、砂まみれだ。だが、そのアドレス帳にある『長谷川千雨』の文字ははっきり見えた。

「電話、はやく、電話」

 恐怖で指が振るえ、通話ボタンが中々押せなかった。
 また、あの違和感。夕映は衝動のまま、藪を転がった。枝が容赦なく夕映の肌を傷つけた。
「っ」

 目を瞑り、その痛みを堪える。先ほど自分の居た所の地面が弾けた。ちぎれ飛んだ枝や葉が舞っている。

「はぁっ、はぁっ。やだ、やだデス。死、死にたくない」

 顔が土まみれになり、そこに大粒の涙溜まった。夕映の脳裏にとりとめも無い後悔がよぎった。どうして今日真っ直ぐ帰らなかったのだろう。どうしてこの道を選んでしまったのだろう。なぜ、今日は学校を休んでベッドで寝ていなかったのだろう。どうして、どうして、どうして――。
 ありえたかもしれない「もしかしたら」の世界に、夕映は羨望の眼差しをおくる。

『夕映、ちょっと出てくる。取り戻してくる、全部っ!!』

 いつかの千雨の姿を思い出した。走り去る力強い後姿が、少しだけ夕映に勇気を奮い立たせた。

「ひぐっ、で、電話しなくちゃデス」

 指は震えたままだが、なんとか通話ボタンを押せた。コール音が長い。一秒が何時間にも感じられた。心臓がバクバクと鳴り、鼓膜を叩いている。
 視界に、また違和感。夕映は、出来るだけ体を動かした。
 銃弾が夕映の足を掠め、肉をちぎった。

「あうっ」

 痛みを再び夕映を襲った。じゅくじゅくとした熱が下半身を覆うものの、また痛みは引いていく。自分の体の異変に恐怖しつつも、電話のスピーカーを押し付けるように耳に当て続ける。
 周囲に爆音が響いた気がする。だが、夕映にはそれが現実なのか、夢なのかすら認識できなかった。
 ふいにコール音が途切れた。

『夕映か! さっきの爆発、大丈夫だったか!』
「ち、千雨さぁぁぁん」

 救いの声の様な気がした。夕映の防波堤は崩れ、涙が溢れ出た。







 第15話「銃撃」







 麻帆良に轟く爆発音に驚きながらも、千雨は自分の携帯が鳴っている事に気付いた。
 ふいに遠くでまた銃声が鳴った。だが、さっきとは方向が違う。

(なんだ、この違和感)

 ディスプレイには夕映の名があった。みんなの安否が気になり、すぐに電話に出る。

「夕映か! さっきの爆発、大丈夫だったか!」
『ち、千雨さぁぁぁん』

 泣きじゃくる夕映の声だ。

「どうしたんだ、夕映!」

 千雨の只ならぬ声に、アキラもドーラ達も千雨の会話に耳を澄ました。

『た、助けてください。さっきから血が、銃声が――』

 ターン、とスピーカーからと遠くから、二つの銃声が耳に響いた。

『きゃうっ!』
「夕映っ! まさか、お前撃たれたのか!」

 銃声と夕映の悲鳴が重なる。

「夕映っ! 夕映っ!」
『……た、助けてください』
「あぁ、まかせろ。すぐ行く! 電話はそのままにしとけ!」

 夕映が死に掛けている。その事実が、千雨を焦らせた。

「ちーちゃん、夕映は――」
「やばい。夕映が撃たれた。助けに行く!」

 千雨は走り出した。

「どけっ、邪魔だ!」

 周囲を囲っていた男達を跳ね除け、千雨は闇雲に走った。

「落ち着け、千雨。どこへ向かっている」

 いつの間にか肩に金色のネズミが乗っていた。

「銃声の方向に決まってるだろ、先生!」
「落ち着けと言っているんだ。先ほどから銃声の方向はまちまちだ」
「だけど、スピーカーから銃声が――」

 ターン、とまた一つ銃声が鳴った。スピーカーからも銃声が聞こえる。

「夕映、大丈夫か」
『うぅ、ゲホゲホ。千雨さん……』
「今、今行くからな」

 千雨は、銃声の鳴った方向へ再び走りだす。

「だから、落ち着けと言っているんだ。今ので気付かなかったか。『先程と銃声の方向が違う』事を、それなのに『電話越しに同じ音が聞こえてる』のだ」
「あっ――」

 千雨の足が止まった。銃声の方向がまちまち、それの示すところは――。

「夕映は『移動させられている』のか、もしくは『何か異能の力』を受けているのか」
「どちらとも言えんだろうが、おそらく後者だろう。闇雲に探しても無駄な時間になる」
「くそっ! どうすりゃ――」

 千雨は地団駄を踏んだ。

「冷静になれ、なんのためにその力がある」
「あっ、携帯電話。電子干渉(スナーク)かっ!」

 何故気付かなかったんだ、と頭を掻き毟る千雨。携帯電話を電子干渉(スナーク)し、夕映の携帯までの経路を読んだ。

「あっちの方向か――動いてはいないみたいだ。クソ、少し遠いっ。間に合うかっ」

 夕映のいる方向を定め、千雨は走り出すも、夕映のいる場所はさっきのアーケード街の更に向かい側だった。

(大丈夫だよ、ちーちゃん)

 アキラの声が脳裏に響いた。

「あーちゃん」

 背後から何かがやって来る。虎やライオンに近いシルエットの獣に乗るアキラだ。風の様な速さで、地面を滑るように走っている。
 それはアキラのスタンド『フォクシー・レディ』だった。一撃離脱を旨としたスタンド。普段は女性のような姿を持つ狐頭のスタンドだが、このような獣の姿になり、アキラを背に乗せ走る事も出来るのだ。
 頭は相変わらず狐のまま、尻尾を含めない体だけでニメートル以上の長さを持った巨体である。さらに尻尾も含めれば、かなりの大きさだ。

「乗って」

 アキラはスタンドのスピードを緩めないまま、千雨に手をかざした。千雨もその意図を汲み、アキラの手をしっかり握り、そのままアキラの後ろにまたがった。

「ちーちゃん、どっち?」
「あっちだ」

 ウィルスを通し、アキラの脳裏に直接方向を示した。アキラは頷き、『フォクシー・レディ』を疾走させる。重力が消えたような軽やかな動きで、木の枝に足をかけ、壁を駆け上がり、屋根を疾駆する。
 あまりの激しい動きに、千雨はアキラの腰にまわした腕を強くした。
 ごうごうと風を切る音が耳をかすめる。
 気付いた時、『フォクシー・レディ』は空を飛んでいた。

「うわぁぁぁぁぁ!」
「しっかり捕まってて」

 千雨の悲鳴も何のその、アキラは真っ直ぐ前を見据えている。
 建物を二つ程飛び越え、『フォクシー・レディ』は建物の屋根にほとんど音も無く着地し、また飛ぶ。
 二人は夕映の元へ、疾風の速度で急いだ。



     ◆



 ルイ達、ドーラ一家の男衆はポカンと空を見上げた。
 千雨が飛び出したのはまだいいとしても、もう一人の少女が異常だった。
 何事かを叫んだと思ったら、何か透明なものにまたがる様にして、空を飛ぶような速さで千雨を追いかけ始めたのだ。
 遠くからそれを見つめてたら、仕舞いには本当に空を飛んでいってしまった。

「おいおい、ありゃ魔法か。にしてもなんかスゲェな」
「兄ちゃん、兄ちゃん、でも魔力の反応は無いみたいだよ」
「げっ、本当かよ。ポンコツだから壊れてるんじゃねぇか」

 チョビひげ男のルイの言葉に、末っ子のアンリが答えた。アンリが持つのは鉄クズかと思ってしまうような歪な機械。直方体の本体にメーターが付き、二本の棒が飛び出している。どうやら魔力を検知する機械らしく、アンリはアキラの居たあたりを丁寧に検査している。

「フンッ。あんたらは知らなかったね。あれはおそらく『スタンド』さ。あたしも久しぶりに見たよ」
「あれがスタンドかよ~。しっかり見てみたかったなぁ~」

 ドーラの言葉に、子供っぽい声で長男のシャルルが続いた。

「そんな事より、お前ら! さっさとズラかるよ!」
「え、ママ。せっかくここまで来たのに手ぶらかよ。赤字になるぜ~」

 次男のルイは残念そうに言った。

「いいからさっさと車を呼びな! 手が回らないうちに麻帆良からはトンズラだ。どうせこの騒ぎで追っ手は向けられんさ。この街さえ出ちまえばこっちのもんだ」

 そう言い、周囲を見渡す。黙々と黒煙が各所に上がり、ときおり屋根を走り飛ぶ人間が見えた。

「魔法使いどもは、焦ったあまり認識阻害も緩くなってるようだね」

 そう言いつつ、ドーラの目は怒りに満ちていた。手近な街路樹に向かい、強烈な足蹴をかました。
 ズン、と重い音が周囲に響く。さすがに折れはしないものの、その音の大きさが、そのままドーラの怒りの大きさを物語っていた。

「このあたしを囮にしてくれるとはね。舐め腐ってやがる」
「マ、ママ。囮って何の事なんだ」
「お前らは相変わらず、自分で考えるって事を知らないのかい! オンボロエンジン以下の脳みそだね!」

 その言葉に、周囲の男達は肩をすくめる。

「ふん、まぁいい。足が来るまで言ってやるよ。簡単な話さ、あたしらが麻帆良をかき回すのは囮。この爆発騒ぎと合わせて、いい当て馬になったってわけさ。おそらく仕組んだ奴にはド本命がいて、今頃拉致なり殺すなりしてるってわけさ」
「じゃ、じゃあ『破片』も嘘だっていうのか?」
「それに関しては本当だろうね。あたしは情報を三ルートから仕入れた。『破片』に関する情報は一番最初に出回った情報だ。それに上書きするように流したんだよ。それにしても、ポルコのクソジジイめ、ガセ掴まされやがって!」

 だが、と冷静になってドーラは考える。情報屋のポルコ爺さんは、今でこそしょぼくれたジジイだが、昔は軍で名をはせた戦闘機乗りだったらしい。そのツテが今でもあり、政府の高官やら、軍のお偉らさん方とのパイプを持っているのだ。

(そのジジイがガセを掴まされる。どこが仕組んだ――)

 ドーラの思案も、アンリの一言で遮られた。

「で、でもさママ。何でそんな事わかるんだよ。証拠とか無いじゃない」
「あぁ、このバカ息子。そんなもん決まってるよ、カンだよカン。あたしのカンが外れた事があったかい」
「な、ないなぁ」

 息子達はドーラの『カン発言』の数々を思い出したが、そのいずれもが真実の何かしらに触れていた。

「それに、出来すぎてるじゃないか。あたし達が襲おうとした相手が、あの《学園都市》出身だって、笑わせる!」

 そう言うドーラの後ろに車が二台、けたたましいブレーキ音を響かせながら止まった。ピックアップトラックが二台。片方の荷台はシーツで隠されていた。
 ドーラは運転手を蹴飛ばしながら、ハンドルを握った。

「さっさと乗りな野郎ども! 船まで撤収だ!」

 男達はワラワラと乗り込み、たちまち車は満杯だ。
 二台の車は、麻帆良の中を走り始めた。



     ◆



 男が麻帆良に入るのは容易い事だった。視力がほとんど無く、盲目に近い。
 麻帆良で新開発した眼病薬の臨床試験を受けたい、と希望したらたやすく潜入できた。あまつさえ迎えの車までやってきてくれる始末だ。

「アリガトウゴザイマス」

 片言の日本語を話せば、相手も容易く自分を信じた。
 魔力を持たない男は、麻帆良を覆う結界を容易く通過した。
 後は待つだけであった。
 病室の窓から、外を眺めた。瞳は光をほとんど感知しない。だが、男には〝見えている〟。
 毎日、毎日、決行日が来るまで待った。待つ間、依頼の事を考えていた。
 依頼主はイタリアのある企業。だが、その資本のほとんどがペーパーカンパニーを跨ぎ、国から出資されている。いわば公的機関だった。
 どうやら以前解体した組織の不始末をつける仕事らしい。解体される前、その組織では体が不自由な子供に対しての、義手や義足の提供といったことをやっていたらしい。それが表向きだ。実際は子供に対しての人体改造と、その子供らを使った要人の暗殺が目的だという事だ。
 だが、内部からのリークと、外部組織からの牽制。世論の攻撃などにより壊滅した。実際、政府は外部への露見を恐れ、秘密裏に全てを〝処分〟したそうだ。そして十年達、その処分しそこなった残りカスが見つかったというわけだ。
 ある人権団体の女性の代表者はこう言ったそうだ。『このような非人道的な行いを許す事は出来ない!』。笑わせられた。どこの世に人道などというものがあるのだろう。それに確かな感触はあるのか。
 少なくとも男は知らない。植民地の骸の山に、ふかふかのベッドを置いて寝ていた欧州人が笑わせる。
 男は元軍人だった。以前はアメリカ陸軍に所属し、狙撃手としての訓練を受けていた。中東の治安維持に派遣された事もある。そこで浴びた灼熱と硝煙と鎮痛剤の香りは、少なくとも人道的では無く、演説ぶった人権庇護者の言葉より感触があった。

「東京に住む、友人さんから、また花が届いてますよ」

 看護婦がドアを開け、病室に入ってきた。

「いつも、アリガトございマース」
「いえいえ、それにしてもいいご友人ですね。定期的に花を贈ってきてくれるなんて」
「ワタシ、目がミエナイから、カオリ楽しみマス。花スキです」
「そうなんですかー」

 その後、看護婦はニ三言葉を交わし病室を出た。男のにこやかな表情が崩れ、花のアレンジの中に手を突っ込む。
 手の中には、土に汚れた物体が握られていた。鈍色に光るそれは、銃の部品だった。
 部品はあと一つ。男は部品をそっと部屋の片隅に仕舞い込む。
 そして、窓からの風を心地よく浴びながら、男はぐっすりと寝た。
 男の名はジョンガリ・A。殺しを生業とする狙撃手である。



     ◆



 夕方、屋上へ通ずる階段、その途中にある小さな窓からジョンガリはライフルを構えていた。
 彼はほぼ盲目だった。瞳で感じられるのはせいぜい昼か夜か、といった程度である。
 そんな彼が狙撃を出来るはずが無い。常であれば。

「行け、『マンハッタン・トランスファー』」

 ふよふよと、傘のような物体が空中に浮遊していた。それは『スタンド』。狙撃手ジョンガリ・Aの〝目〟となる『スタンド』だった。
 スタンドを飛ばし、病院下の通りまで飛ばした。距離はおよそ三百メートル。かなりの長距離だ。
 予定通りであれば、もうすぐ目標が来るはずだった。
 目標は幼い少女であるらしい。だが、その体には当時の最先端の技術が使われているらしく、単なる銃撃程度では撃ちもらす確率が高いと聞いていた。
 そこで、ジョンガリの出番となった。彼のスタンド『マンハッタン・トランスファー』は、スタンド本体の周囲の気流を読み、その情報をジョンガリに渡す事ができる。また、ジョンガリの弾丸を中継し、狙撃衛星としても動けるのだ。
 これにより、ジョンガリ自信が盲目であっても、一流の狙撃手としての仕事が出来た。さらに彼の能力はそれだけでない。『ジャミング能力』というものもあるのだ。
 周囲の気流を読みつつ、相手に弾道の軌跡や、銃撃の音などをかき混ぜ、認識しづらく出来る。
 常人を相手にするのなら無用の能力だが、これが魔法使いやそれに類する者となると話が違ってくる。障壁破壊の銃弾を使っても、容易く貫通できない硬さを持つ相手もいる。また魔法により探知され、こちらの場所がばれるのも厄介だった。そんな相手に対し、ジャミング能力は効果抜群である。なにせ、相手に一方的に攻撃し続ける事ができるのだ。狙撃手の冥利としては、いささか不満だが、相手が相手なのでジョンガリは割り切っていた。
 銃口を通りに向け、自らのスタンド『マンハッタン・トランスファー』にピタリと照準を合わせた。自らが正確に『マンハッタン・トランスファー』に銃を撃てば、後はジョンガリ自身のスタンド操作に狙撃はかかっている。
 銃口を構え、十分ほど経った時だろうか。少女が通りに現れた。まだ爆弾の爆破までもう少し。残り時間を考えても、少女が視界から消える事は無いだろう。だが――。

(マズイな)

 少女が携帯電話を取り出し、弄り出した。どうやらメールらしく、ホッっとする。ジョンガリは少女の指の動きまで、正確に気流で読んでいた。

(また、携帯か)

 今度は通話をするようだった。アドレス帳をいじっている。後は通話ボタンを押すだけ。だが、今されると、爆破時間と重なってしまう。
 麻帆良内の数箇所に仕掛けた爆弾を爆破させ、その瞬間銃撃を行い、銃声を消す。そして、麻帆良内がパニックになっている間に、銃が回収されるという手はずになっている。

(仕方あるまい)

 多少、計画が崩れるが、この時を逃すべきでは無かった。
 少女が通話ボタンを押す前に、ジョンガリは引き金を引く。
 銃声とともに、銃床から肩に衝撃が伝わる。その衝撃をしっかりと骨が支えたのを、ジョンガリは感じた。

(貰った)

 必中の間合い。そのはずが、少女はギリギリで体を捻り、頭部を狙った銃弾は肩へと突き刺さった。

(避けた、だと)

 完璧なタイミングであった。ジョンガリは改めて依頼の内容を思い出す。

(銃撃を避ける。なるほどな)

 確かに自分を雇うはずだ。これは他の狙撃手では不可能だろう。ジョンガリは特注のボルトアクション式の銃のハンドルを引き、排莢をした。弾丸を薬室に送りなおし、もう一度構えた。
 少女は藪の中に隠れてるようだった。だが、ジョンガリからすれば先ほどと変わらない。『マンハッタン・トランスファー』に向かい一撃を放ち、跳ね返った銃弾は少女へと向かう。
 ところが、また寸前で少女は避ける。手には携帯電話が握られていた。

(まずい)

 薬莢を再装填し、急いで引き金を引いた。またもや避けられた。しかし、足をかすったはずだ。

(クッ、調子が狂う)

 ジョンガリはギリッと歯を食いしばった。その瞬間、周囲に爆音が轟く。
 爆弾の事を意識外にしてしまっていたジョンガリは、数秒呆けてしまった。だが、その数秒は少女が電話をする決定的なチャンスだった。電話をする姿が、スタンドを通してジョンガリに伝わった。

(しまった! 俺とした事が)

 どうやら少女はどこかへ救援を求めたらしい。相手が何者かは分からない。だが、時間が無い事は明白だ。
 焦るように引き金を引く。その一撃、一撃がかするものの、決定打にはなりえなかった。相手は血みどろだ。死は近いはず、なのに。
 少女の前に、影が舞い降りたのはそんな時だった。



 つづく。













(2012/03/03 あとがき削除)




●現時点(第15話)でのまとめ
・長谷川千雨
両親を殺される事件に合い、「楽園」と呼ばれるある科学研究所の技術で治療を受ける。
その際、ウフコックやドクターと出会う。
さらに楽園の技術により、電子への干渉や、周囲への超感覚を持つ。
対外的には「超能力者」のフリをしている。
最近はアキラとラブラブ、キャッキャウフフな状況。
魔改造済み。
元ネタは「魔法先生ネギま!」「マルドゥック・スクランブル」。


・ウフコック
多次元に貯蔵した大量の素材を使い、使い手の思考に合わせて様々なものへ変身できるネズミ。
楽園で産み出された万能兵器である。
キャラが増えたため、出番と台詞が少なくなってきている。
元ネタは「マルドゥック・スクランブル」。


・ドクター・イースター
千雨を治療した科学者。事件屋も営んでいる。
元々「楽園」出身であり、現在は学園都市に滞在している。
現在両親のいない千雨の保護者。
二章では多少活躍予定。
元ネタは「マルドゥック・スクランブル」。


・綾瀬夕映
千雨へホの字の二章ヒロイン。
何やら人体改造されているらしい。
記憶をどんどん失ってる上に、薬中フラグ。
魔改造中。
元ネタは「魔法先生ネギま!」「ガンスリンガー・ガール」。


・ジョゼッフォ・クローチェ
故人。夕映のフラテッロ。
戸籍上、夕映の『祖父』だったりする。
色々フラグを残して死んでしまった人。
ちなみに、麻帆良内には仲の良かった友人がいる。
元ネタは「ガンスリンガー・ガール」。


・大河内アキラ
千雨のルームメイトにして嫁。
だらしの無い千雨の生活全般を一手に担う。
スタンド使い。千雨に感染させた『スタンド・ウィルス』を通して意思疎通可能。
魔改造済み。
元ネタは「魔法先生ネギま!」「ジョジョの奇妙な冒険」。


・ピノッキオ
原作より十年歳をとったが、ビジュアル的にはワイルドに。
目の下には隈があり、髪はボサボサ。
気も魔法も使えないが、殺しの技術は一級品。
二章の最強キャラの一人である。
現在目的は不明。
魔改造済み。
元ネタは「ガンスリンガー・ガール」。


・ドーラ、ドーラ一家
荒事有りの運び屋を営む集団みたいなの。
現代を舞台に空賊というのも変な話なので、船舶持ちの海賊モドキという設定。
タイガーモス号はオンボロ船という設定改変が成されている。
あと何気にドーラがデジタルに強いという設定もある。
目的は『破片』の奪取で、金儲け。
魔改造済み。
元ネタは「天空の城ラピュタ」。


・ジョンガリ・A
元アメリカ軍人で、イタリア政府から依頼を受けた狙撃手。
原作どおりだとさすがに分が悪いので、スタンドを多少改造。
ほぼ盲目。病人として麻帆良に潜入した。
他にもジョンガリのサポートを旨とした人物が数人、潜り込んでいる。
目的は夕映の抹殺。
魔改造済み。
元ネタは「ジョジョの奇妙な冒険」。


・トリエラ
十年前、社会福祉公社解体の際、どうにか処理を免れる。
原作より、少しだけ成長している。
なぜか、公社の庇護下に無いの、体を維持している。
現在の所在は不明。
目的は夕映の保護。
魔改造済み。
元ネタは「ガンスリンガー・ガール」。


・烈海王
中国拳法の達人にしてツンデレ。
本来は三章で活躍してもらうつもりでしたが、色々あって早めに登場。
以前、学園都市に潜入し、暴れた事がある。
その時に、幾つかやばいフラグを立ててる人。
二章では今後、出番ほぼ無し予定。
魔改造済み。
元ネタは「バキ」シリーズ。


・破片
オリジナル設定。
『楽園』の技術の断片であり、国連法上のグレーゾーンにあたる技術。
そのほとんどが、今現在の技術の数十年先をいっており、一攫千金の宝箱になっている。


・楽園
二十年前に大暴れしてしまった、スーパー科学研究所。
余りにも暴れすぎたので、その技術のほとんどを国連法で禁止とされた。
一部の呼びかけにより、ある程度の特例が認められてる。
現在は施設ごと、衛星軌道上に打ち上げられ、地球の周囲を漂っている。
魔改造済み。
元ネタは「マルドゥック・スクランブル」。


・社会福祉公社
イタリアに十年前まで存在していた公益法人。
障害者に対する福祉が目的の組織だが、その実は少女達への肉体改造と洗脳により、要人暗殺などを行わせていた。
肉体改造の際に使われていた技術は、『楽園』の持つ技術を流用していた。
世論に後押しされ、解体される。
元ネタは「ガンスリンガー・ガール」。


・麻帆良学園
街一つが魔法使いの土地になっている。
結界に覆われているものの、それは対魔力を考慮にいれた措置であり、魔力を持たない人間にはザルに近い。
そのため、問題のある人物が多々潜伏している。
またもや爆破された不幸な街。
元ネタは「魔法先生ネギま!」。


・魔法使いさん
この作品の中では、異常に強いものの、活躍の場が無い人たち。
みんなそれなりにえらいです。
元ネタは「魔法先生ネギま!」。



[21114] 第16話「悲しみよこんにちは」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/10/16 18:29
「夕映ーーーーッ!」

 空からスタンドに乗り降りてきた千雨達が見たのは、血みどろで倒れる夕映の姿だった。
 千雨の血の気が引いた。
 三十メートル程の距離をとり、スタンドらしき姿も見えた。

「先生っ!」

 夕映の傍に降り立つなり、ウフコックに干渉し、半球状の防弾アクリルの盾を作った。
 瞬間、アクリル板を弾丸が叩いた。

「夕映っ!」
「うそっ……、酷い」

 千雨の呼びかけにうめき声を上げるも、夕映は意識を失っていた。酷い有様だった。肩は服越しにもドス黒く染まり、体中には切り傷が多数。足は肉が抉られ、血が滴っている。

「先生、止血をたのむ」
「了解だ」

 ウフコックは反転(ターン)し、夕映を覆った。薄い繊維が一旦、夕映の体を覆い、必要な箇所にベルトが現れ、簡易ながら止血していく。各所をギュっとしめ、ウフコックはベルトから這い出て、千雨の元へ戻ってきた。

「クソ、早く治療しないと」

 千雨は焦り、スタンドの方に視線を向けた。アキラは夕映を地べたに寝かさないように、膝の上に夕映を乗せ、周囲を警戒している。
 スタンドがふよふよと動き出し、盾を迂回できるような位置へ動こうとする。

「あの『スタンド』は一体何なんだ。銃を撃つ『スタンド』なのか?」
「相手の能力がわからん。迂闊な行動はできんぞ」
「んな事いってられないだろ!」

 千雨がウフコックに干渉し、拳銃へと反転(ターン)させた。
 アクリル板の端から、手と拳銃だけを出し、目標に連射した。弾道予測が出来る千雨にとっては、目標が見えなくても朝飯前な事だった。

(何だ、違和感がある)

 そんな事を感じつつも、引き金を引いた。六発の弾丸がスタンドへ向かい放たれ、全て命中するも、スタンド自体にもその動きにも何の異常も無い。むしろ一発の弾丸がお返しとばかりに、千雨の持つ拳銃へ当たった。

「うわっ!」

 それを感知した千雨とウフコックは間一髪で手をどける。ウフコックも銃という殻を脱いだので無傷だ。銃の残骸が周囲にばらまかれた。

「承太郎さんが言ってた『遠距離型スタンド』ってやつか」
「確かほとんどの場合、本体には影響が無いと言っていたな。とりあえず落ち着け。相手をよく把握するんだ。千雨の能力で何かを感じなかったのか」

 ウフコックの問いに、千雨は首を横に振った。

「あのスタンドが銃弾を跳ね返している、という事だけは知覚できた。だが、それ以外がサッパリだ。撃たれた銃弾の軌道を追ったら――」

 千雨は何も建物すら無い虚空を指差す。

「あっちから飛んできたんだ。どうなってやがる。テレポートかなんかに近い能力なのか」

 アクリル板越しにスタンドを観察するも、能力はよく把握できない。だが、何かしらの違和感は覚えていた。

「なんだ、この違和感。ノイズ、それに近いものか?」

 千雨はぶつぶつと呟き、ウフコックをもう一度見た。

「先生、もう一度攻撃してみる。頼めるか」
「了解だ」

 ウフコックが先ほどより一回り口径が大きい拳銃へと反転(ターン)する。
 そっと盾の外へ拳銃を出すと、即座に敵スタンドに打ち抜かれる。正確な狙撃だった。
 千雨は手を引きながら核心する。

「やっぱりだ。さっきとは銃撃の方向が違う。銃声もだ。ここへ向かうときに、色々な方向から聞こえた銃声、あれも含めてこいつの能力だ。『狙撃場所を見つけさせない』能力だ!」

 千雨の知覚領域で感じた、二度の銃の軌道は、まるで別の方向から放たれていた。また銃声も方向と一致してない。
 歯噛みする。

「クソッ! やっかいすぎる。こっちは時間が無いっていうのに。あーちゃんのスタンドで一気に逃げ出すか」

 チラリと夕映を見た。アキラが心配そうに夕映の顔を覗き込んでいる。

「いや、それは止めたほうがいいだろう。相手の狙撃が正確すぎる。逃げるにしろ、敵に一撃を入れてから離脱するべきだ」

 ふとスタンドを見ると、スタンドの射線が、盾を迂回できる位置まで動いていた。千雨は慌てて盾を動かす。
 今度は少し間が空きながらも、タン、タン、タンと三発連続で盾が撃たれた。

「げぇっ!」

 まったく同じ場所に三発打たれ、盾がひび割れている。
 千雨はウフコックに干渉し、同じような盾を出し、割れた盾を捨てた。

「確かに、おとなしく逃げられそうにないな。あーちゃん、夕映はどうだ」
「う、うん。なんか思ったより落ち着いてる。こんなに血を流してるのに……」

 見れば夕映の呼吸は落ち着いていた。すーすー、とまるで普通に寝ているようである。

「やはりな」
「先生?」
「いや、それよりだ。とりあえず現状を打破しよう。千雨、狙撃と言ったって、千雨の領域を広げれば補足できるはずだ」
「お、おう」

 少し不安感を持ちつつ、千雨は周囲五百メートルまで領域を広げた。

「うぷっ」

 不意に嘔吐をしそうになった。急いで知覚を切る。

「千雨っ!」
「ちーちゃん、大丈夫」

 口を押さえ、うずくまった千雨に二人の声がかかった。

「うぇっ。な、なんとか大丈夫だ。気持ちワリィ。まるでジェットコースターの乗りながら、コーラ一気飲みした気分だ」
「何があった」
「整合性だ。周囲で知覚した情報の整合性が取れない。適当すぎて本体の場所なんてわかりゃしねぇ」

 千雨は拳を地面に突き立て、イラつきを抑えた。

「そこまで能力の範囲か、厄介だな」

 それまでじっと聞いていたアキラが不意に口を開いた。

「場所。相手の場所が分かればいいんだよね」

 アキラは夕映を抱えながら、千雨の元に近づき、夕映を渡す。

「まかせて、私がやる。ウフコックさん、私にもその盾、一つ貰えますか」
「ちょ、ちょっとあーちゃん、どうする気だよ。まさか――」
「ううん、ちゃんと算段あるから大丈夫。わかるでしょ私の気持ち。だって私たちは」
(――繋がってるもの)

 スタンド・ウィルスを通し、アキラの声が感情とともに千雨の中へ流れ込む。微かな勇気と、大きな恐怖。だがそれとともに、確かな信念がアキラを奮い立たせていた。
 アキラはウフコックの出した盾を掴むと、無警戒に立ち上がる。
 千雨の支える盾から踊りだし、一気にスタンドに向かい走った。

「フォクシー・レディ!」
「オーライ!」

 アキラの背後に、獣形態の『フォクシー・レディ』が現れ、アキラを跨らせた。
 敵スタンドまでの距離は短いものの、高さ十メートル程の場所に浮いている。
 銃声が響き、アキラの持つ盾に衝撃が走る。

「くっ!」

 盾を両手で押さえ、何とか衝撃を堪えた。次々と放たれる弾丸を持ちこたえつつも、フォクシー・レディは距離を一気に詰めた。街路樹を足場に、敵スタンドまで一気に近づく。
 盾を放り捨てた。

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 勇気を振り絞る雄叫び。銃弾がアキラの耳を掠め、血が舞う。スタンドが前転をするように、体を前に捻った。

「フォクシー・レディィィィ!!」
「シィィット! クールにキメルヨ!」

 『フォクシー・レディ』の五本の尾の内の四本が、波打つ様に動いた。黒いもやを纏わせ、敵スタンドへ一撃をぶつける。

「くっ!」

 自らの攻撃の反動で、アキラ達は吹き飛んだ。敵スタンドは無傷だ。しかし――。

(ちーちゃん、あそこっ!)
(りょーかいっ! ナイスだぜ、あーちゃん)

 黒いもやが敵スタンドの一部に絡まっていた。つまり、相手スタンドは本体ごと『スタンド・ウィルス』に感染したのだ。そしてアキラは感染者の場所を補足できる。
 アキラはウィルスを通し、千雨へ本体の位置情報を送信する。

「あそこか」

 千雨が見つめたのは、とある病棟の階段。小さな窓があるが、ここからじゃ射線上を木が邪魔していた。

「邪魔ならぁぁぁぁぁ!」

 ウフコックに干渉し、エヴァとの戦いで使った巨大な銃『ラハティL-39対戦車銃』に反転(ターン)させる。
 自らの体重ほどある重さの銃を、力の限りを振り絞り持ち上げた。

「邪魔なものごと、ぶっ壊してやるっ!!」

 銃声とは比較にならない轟音が麻帆良に響いた。弾丸が街路樹を破壊しながら、病院の壁へ突き刺さる。まだ敵スタンドは消えていない。

「もう、いっぱぁぁぁぁつ!!!!」

 痺れる両手で何とか保持しつつ、更に引き金を引いた。衝撃で、千雨は尻餅をついた。
 敵スタンドが。フッっと消えた。

「今だ!」

 千雨は夕映を抱え上げジャンプする。後ろからスタンドに乗ったアキラが二人を救い上げ、そのまま疾走し、通りを離脱した。お互いを見ずとも、二人は繋がっている。

「あーちゃん、病院……いや学園長のとこまで急ごう。魔法ならすぐにどうにか出来るはずだ!」
「うん、分かった」

 アキラのスタンドは通りを滑るように疾走し、麻帆良学園まで急いだ。







 第16話「悲しみよこんにちは」







「ぐっ、あっ……」

 ジョンガリはうめき声を上げた。ジョンガリのいた病棟の階段の壁や柱といった一部は、粉々に破壊されている。
 うつ伏せになり、千雨が放つ弾丸を避けたものの、背中には天井の破片やら、壁の残骸やらが乗っていた。幸いな事に、動けない程の大きなものは乗っていなく、近くに出した自らのスタンド『マンハッタン・トランスファー』を使い、周囲を把握しながら立ち上がった。
 足がよろつくが、壁に体をすがらせ体勢を保つ。多少身構えたものの、もう弾丸は飛んでこないようだ。

(なぜ、場所がわかった。『魔法』? だが、俺のスタンドには効かないはずだ)

 ふと、気流に違和感を覚えた。足が重たい。スタンドを通して見れば、足になにかもやの様なものがからみついてる。

(あの小娘のスタンドッ。てっきり移動に特化した能力かと思ったが、こいつが本命。探索系の能力か? クソッ、厄介だ)

 遠くからサイレンや悲鳴が聞こえるものの、病院近くの通りから、先ほどの少女達の声も、気配も感じなかった。

(逃げたか。それともこちらに追撃をかける気か?)

 どちらにしろこの場所から早く離れるべきだった。周囲の気流を読みつつ、歩を進めた。壁に空いた穴から西日が差す。夕日が地平線へ沈もうとしていた。病院に少しづつ薄い闇が満ちようとしている。
 だが、ジョンガリはそれに気付けない。彼は空間の形を認識するだけで、色までは把握できないのだ。
 そんな彼の周囲に違和感があった。夕日が当たらない柱の影に、一人の人間が立ってる。いや、現れたといった方が正しい。ジョンガリは周囲に警戒を保っていながら、その存在を見過ごすはずが無い。

「誰だ!」

 柱に向かい、銃を向けた。残弾はほとんど残っていない。だが、人間の一人や二人ならたやすく殺せる、とジョンガリは思っていた。彼の能力『マンハッタン・トランスファー』の真骨頂は長距離狙撃だが、〝弾丸を跳ね返す〟という能力は狭い屋内でも有効だった。現に彼はこれで数名を屠っていた。
 気流から読み取れる人間の体系は女性を指している。季節外れのロングコートを羽織り、長い髪を後ろで一まとめにしている。いわゆるポニーテールだった。
 それだけなら、まだ一般人かと看過できた。だが、彼女の手に持たれた一丁の銃が問題だった。ポンプアクション式のショットガン。銃身と銃床が短いため、屋内戦を想定したソードオフ・ショットガンだとアタリをつけた。
 柱の影にいる女は息が上がっていた。呼吸の荒さが耳にまで届き、ジョンガリは笑みを深めた。ここまで走ってきたのか、緊張をしているのかわからない。どちらにしろアドバンテージだった。さらに、こちらには先手をしかけられる要素があり、相手には無い。

「スイマセンー。私、目が見エナイデス。サッキ、ココが爆発してビックリしましタ。ヨケレバ、手貸してクダサイ」

 ジョンガリの銃は杖にも見える特注品だった。コツコツと床を叩くふりをした。我ながらしらじらしいと分かりながらも、相手に少しでも迷いが出来れば僥倖だ。
 人影がピクリと動いた。ジョンガリのスタンドも、柱の影を射線軸における場所まで動いている。

(貰った)

 ジョンガリは笑みを深くする。

「アレ、オカシイですね。人イマセンか? スイマセーン」

 慌てるふりをしながら、ジョンガリは杖に似せた銃を振り回す。指はしっかりと引き金を握っている。
 ジョンガリは銃口を『マンハッタン・トランスファー』に合わせ、引き金を引く。
 飛び出した弾丸は、スタンドを解し曲がり、柱の影の人物に吸い込まれた。

(勝った!)

 堅いものに何かがめり込む様な鈍い音がした。女は柱から飛び出し、銃弾を左腕で受け止めた。被弾しているのに、何事も無いように、左腕を振るう。血まみれの弾丸が飛沫と供に廊下に落ちた。

「何だとぉ!」

 女は間合いを一足飛びに詰め、ジョンガリを足の裏で壁に叩き付けた。

「がふっ!」

 肺を圧迫され、息を詰まらせた。女は胴体を片足で壁に固定したまま、ショットガンをジョンガリの両方の二の腕に一発ずつ打ち込んだ。

「ギャアァァァァ!」

 ボトリ、と二つの肉塊が地面に落ちる。ジョンガリの両腕だった。ジョンガリは立つ気力さえ失い、女に胸を押さえつけられたまま、壁をズルズルと滑り、床に座り込んだ。壁には血の跡がベットリとついている。
 夕日が女の顔を映し出した。褐色の肌をした美しい女性だった。息を弾ませ、金糸のような髪を顔に張り付かせる様は、どこか色気を感じさせた。目元にはゴーグル型のスポーツサングラス。それは以前、イタリア南部のパブに現れた女性――トリエラだった。

「ハァ、ハァ、手間、かけ、させるんじゃ、ないわよ、まったく」

 息を荒くしながら、死に体のジョンガリに毒を吐く。

「爆弾なんてしかけて。麻帆良中を走り回っちゃったじゃない」

 夕日が落ち、廊下を影が覆った。トリエラはサングラスを取り、泡を吹きながら震えるジョンガリと目線を合わせた。赤い瞳が、ジョンガリを見据える。
 頬を強めに叩く。

「死ぬ前に吐くこと吐いてから死になさい。誰に依頼されたの」
「ハッ! だ、誰が吐くか、この雌犬ッ」

 銃声がまた一つ。ジョンガリの膝から先が無くなっていた。

「ギャアァァァァァァ!」
「ねぇ。私はね、頼んでるんじゃないの。命令してるの、わかる?」

 トリエラの声音は変わらず。ジョンガリは薄ら寒いものが走った。激痛が矜持を崩していく。

「……」
「あら、だんまり?」

 トリエラは一瞬の逡巡も許さない。また一つ引き金を引き、ジョンガリの四肢全てが無くなった。

「アァァァァッ! 言う、言うからぁぁぁっ!」
「素直にそうしていれば、足が無くなる事も無かったのに。さぁ、依頼主を言いなさい」
「うぐっ、サ、サヴォーナ運輸だ」

 ジョンガリの失った四肢の先っぽを、トリエラはかかとで力の限り潰した。

「ガァァァァァァッ!」
「そんな末端なんていいのよ。その運輸会社とやらがどこと繋がってるの?」
「アアッ、せ、正確なところはわからない。だが、俺はイタリア政府直轄の公安組織の一つと繋がってると思ってるぅ。グガッ、わかった言う、言う。俺に依頼してきたのは、以前軍警察に所属していた知り合いだ。だ、だから俺は……」

 傷口をグリグリと足先でイジリながら、トリエラは自らが仕入れた情報と照らし合わせていた。

「そう、ありがと。そしてさよなら」
「ま、待ってくれ。せ、せめ――」

 トリエラのショットガンが再び火を噴き、ジョンガリの頭部が潰れたスイカの様に破裂した。壁面に大きな血の花が咲く。
 頭部と四肢を失った死体が、ゴトリと地面に横たわった。一面に血の臭いが充満し、トリエラは恍惚しかけたが、何とか気力で振りはらった。

「急がなくちゃいけないみたいね」

 走り出そうとするトリエラの前に、一人の男が降り立った。

「そこの君、ちょっと待ってくれないかな」

 高畑・T・タカミチ、千雨達の担任教師にして、この学園の最強の一角を担う魔法教師だった。いつも通りの温和な表情ながら、目は剣呑な光を灯している。一瞬、血の臭いにむせ返り、目をしかめた。

「あら何かよう? ナンパなら間に合ってるわ。退いて頂けないかしら」
「ハハッ、手厳しいね。だけど僕も仕事でね。君のような輩を放置できないんだ。申し訳ないがご同行願えるかな」
「却下よ。あいにく急いでいるの。犯人なら始末しといてあげたわ、後ろに転がってるのがそう」

 トリエラの指し示す先には、血の海の中に幾つかの肉塊が転がっていた。高畑は片手をポケットに入れ、半身になり身構えた。

「派手にやったもんだね。そこまでやる必要があったのかな」
「時間がない、って言ったわよね。そこをどきなさい」

 トリエラの瞳が赤く光った。

「――ッ。君は……、そうか。君がエヴァの言っていた。目的はやっぱりエヴァンジェリンかい?」
「『不死の魔法使い(マガ・ノスフェラトゥ)』ね。あいにく私は姫君に興味が無いの。私には別のお姫様がいるからね。さぁ、お喋りはお仕舞い。とっとと退きなさい」

 トリエラはショットガンの銃口を高畑に向けたまま、歩き出した。

「どうやら、交渉決裂のようだね」

 身構えつつ、高畑は病院の避難要請を念話で飛ばした。
 次の瞬間、二つの影が交錯し、周囲の壁が吹き飛んだ。



     ◆



「千雨ちゃんっ」
「どうしたアキラ」

 学園へ向かう途中、スタンドの上でアキラが焦った様な声を出した。

「さっきのスタンド使いの反応が消えたの」
「消えた、だって」

 千雨は後ろを振り返った。
 アキラのスタンド『フォクシー・レディ』はウィルスの感染者の人数が限られている。最大五人まで。そして感染した人数に合わせ、スタンドの尾が石の様に固まるのだ。
 相互通信のため千雨が一人分感染し、敵スタンド使いも感染している。固まっている尾の数は二本のはずだ。

「一本しか固まってない」

 四本の尾がゆらゆらと揺れ、一本だけ石の棒のように固まっている。スタンド能力が解除された証拠だった。

「どういう事だ。敵スタンドが死んだ、って考えるのは都合が良すぎる」

 『死んだ』、その千雨の言葉にアキラは震えた。肌が氷の様に冷えていく。アキラの『スタンド・ウィルス』で死ぬ、という事は〝アキラが殺した〟事なのだ。その感情が千雨に流れてくる。
 前に跨るアキラの腰の横から腕を伸ばし、片手を掴みギュっと握った。千雨のもう一方の片手は気を失っている夕映を抱いている。

「あーちゃん、ごめん。そしてありがとう」

 言葉少なげに千雨は言う。ウィルスを通し、千雨の感情がアキラに流れてくる。熱を持たないはずの情報の羅列が、アキラを温かさで覆った。

「う、うん」

 アキラは下唇を噛んだ。少なくとも今は泣く時では無い。暖かさを確かめつつ、前を向き、瞳を見据えた。

「アキラの能力は致死性が低いはずだ。むしろスタンド能力が解除されたか、第三者に殺された、と見るべきだろう」

 ウフコックが二人の言葉に続く。

「先生、それってどっちみちヤバイんじゃないか」
「楽観は出来んだろうな」

 胸元で血みどろで眠る夕映を見つつ、千雨は歯噛みをした。

「なんで夕映が……」
「その事なんだがな、綾瀬嬢に関して話がある」

 ウフコックはネズミ姿で千雨の肩に乗った。

「先ほど綾瀬嬢の止血をした時に気付いたのだが、彼女の血はもうほとんど止まっている」
「な、なんだって。だって、あの深手だぞ。そんなすぐに止まるわけないだろ。現にこんなに血だらけなんだ」

 千雨の胸元で眠る夕映、制服には黒い染みが散乱している。

「なら、千雨の能力で調べてみろ。用心をして強めに止血を行ったが、ほとんどの傷は薄く癒着していた。血にしても、傷の大きさからすれば少ない。気を失ったのも、おそらく精神的なものだろう」

 千雨は夕映の肩に触れ、その体を知覚領域を広げ精査する。
 素人の千雨が、人体図を見たところで分かる事はたかが知れている。だが、千雨とて怪我はした事あるし、他の人の人体も何度か調べた事があった。

(傷口を周囲の筋肉が締めて止血している。それに傷口の癒着も始まっている。筋肉にしたって、細く見えるが、密度が常人とかけ離れてやがる。それに何だ、この違和感。全体的に、どこか幾何学的というか、人工的な感じがある)

 良く見ると、骨などに薄い人工繊維などが入り込み、部分部分を強化していた。千雨から見れば全体的に荒い。だが、その荒さは自分自身と比べて、という事だった。そう――。

(わたしの人工皮膚(ライタイト)と似ている。それの劣化版か)

 知らず、ゴクリと喉が鳴った。

「まさか――」
「老婆の言葉を鵜呑みにするわけにはいかんが、話は繋がってきたな。綾瀬嬢、彼女には『破片』の技術が使われている。こうして狙われるのも、それ故だろう」

 アキラが驚き、千雨達を振り返った。

「それって夕映が」
「あぁ、あーちゃん。わたしと同じだ」

 千雨に悔しさが募った。両親を失い、体を改造され、悲嘆に暮れた日々もあった。だが傍にはウフコックとドクターがおり、今はアキラもいる。非日常に立ち向かう意志が千雨にはあった。
 だが、夕映はどうだろう。同年代とはいえ、目の前に夕映の小さな体がある。千雨が容易に抱えあげる事が出来るほどの小さな体だった。夕映が過ごしてきた日々や絆を悲劇にするつもりは無い。電話越しに聞こえた夕映の悲鳴が思い出された。自分と似た環境にありながら、非日常へとポツンと一人置き去りにされたのだ。
 力を持つことが万能性へと繋がる。千雨は若さゆえ、どこかでそう感じていた。自分なら出来る、夕映を救えたはず。そんな傲慢さが、見当違いな悔恨を千雨に持たせた。
 アキラへ伸ばしていたはずの手が、今度は逆に握られた。

「ちーちゃん」

 一人で背負わないで、そう聞こえた気がする。千雨の負の感情が霧散した。一つ深呼吸をし、夕映を再び見た。

(確かに、肉体をいじられてるのは可愛そうだが、今回は良かったかもしれない。思ったより傷が浅く、どうにか持ちそうだ)

 ポジティブに考えたら、少しだけ千雨の心は軽くなった。
 ふと、夕映の首元で何かがが光った。

「ペンダント、か?」

 縦長の直方体にチェーンを通したようなペンダントだ。表面に意匠は無く、無機質な金属光沢が見える。
 軽くペンダントを精査する。どこかで見たような気がした。

(ただのペンダントじゃない。外部記憶装置(ストレージ)だ。しかも何だこの容量、それに表面がそのままアクセス域になっている)

 千雨はそっと表面に触れてみた。ゾワリと背筋に冷や汗が流れた。
 記憶。人の記憶だった。夕映の記憶が条件別、項目別に目録が作られ、それに即座にアクセスできるようになっている。最新の更新日付もアクセスの日付も今日になっていた。
 心臓の音がうるさかった。最悪の考えが頭をよぎる。

(なんで、夕映は、こんな、モノが、必要なんだ。だって、これじゃあ、まるで――)

 軽くデータを精査する。そこで外部記憶装置(ストレージ)の容量に気付いた。小型ながら莫大な容量を持っているはずのこの装置ながら、その容量は満杯。飽和状態だった。つまり。

(書き込んだら、何かが消える、のか?)

 更新日付は今日。つまり、今日の記憶が、何かを消したのだ。

(いや、そんなはずは無い。きっとカメラとかと同じはずだ。そうだ)

 冷や汗が止まらず、指先も微妙に震えていた。平常を保とうと、ペンダントを胸元に戻そうとする。
 そこで、制服の内ポケットにある箱が飛び出してきた。嫌な予感がした。

(何だ、この箱。何なんだよ)

 だが、千雨は止められない。自由な片手で、そっと箱を開けた。中にあったのはオモチャのような小さな銃。銃口の位置にあるのは針。それは注射器だった。

(あぁっ――)

 思考が最悪の形を再び描き出した。箱の中には幾つかのビンが入っていた。錠剤も。
 ラベルにある名前はほとんど理解できない。だが、幾つかの単語が以前、ドクターの研究室で見かけた事がある。確か、その用途は――。

(あぁぁぁっ――)

 千雨は再び夕映の体を精査し、細部までしっかりと見た。そして自分のと比べた。
 荒い、荒すぎるのだ。体中に異物が混入され、元あるはずの細胞の発達が阻害されていた。『破片』。まさしく『破片』だった。まるで地雷か何かを踏み、体中に破片が突き刺さった様に、ボロボロだった。

(あぁぁぁぁぁぁぁっ――)

 千雨の表情が一気に青ざめる。眉が八の字を描き、歯を強くかみ締めた。
 夕映は今、自分の胸元で、血みどろながら正常な呼吸をしている。だが、その体が不意に砂糖細工のお菓子の様に見えた。外は綺麗に見えるが、中身はスカスカで、強く握ると、脆く崩れてしまう。そんなお菓子を想像した。

(あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ――)
「ちーちゃんっ!」
「千雨っ!」

 千雨の言葉にならない慟哭を、一人と一匹が聞き分けた。

「どうしたっ、何があった」
「駄目、駄目なんだ。このままじゃっ」

 アキラは前方に気配を感じた。千雨の言葉を耳に入れつつ、前方を見た。
 男が立っていた。まだ多少の明るさを持つ薄暮の中を、金色の髪を無造作に伸ばした男が正面に立っている。

「夕映が、夕映が――」

 瞳は闇を映す様に、濁り沈んでいた。その男の手元がきらりと光った。手に持っているのは小さな片刃のナイフ。

「壊れてしまうっ」

 漆黒の瞳はそのままに、男は口元を三日月の様にし、笑った。



 つづく。






(2010/12/19 あとがき削除)



[21114] 第17話「lost&hope」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 12:21
 頭蓋を内側から爪で引っかく様な、カリカリという音がする。
 その音が、男を酷く苛立たせた。
 頭を掻き毟っても、酒を大量にあおっても、女を抱いてもその音は消えない。虫が体内を這い回る様な不快感を、男に感じさせるだけだった。
 人を殺した時だけ、その不快感から逃れられる。
 殺し屋として多くの人を殺した。全ては親の様に慕った〝あの人〟のためだった。だが、その人も死んだ。
 もうこの世に〝あの人〟の温もりは無く、すがるべきものも無かった。
 だから彼は逃げた。組織から、知り合いから、そして〝あの人〟の死んだ土地からも。
 人が少ない過疎化した村に逃げ込み、ピーノと名を改めた。元々、愛称で呼ばれてた名前だ。ツテを使い身分証を偽造し、なけなしの金で畑を買った。
 日常の中に埋もれようとした。このまま、ゆっくりと死を待つのだ。
 夜は眠れなかった。ベッドに入ろうと、睡魔は依然やってこなかった。カリカリという音が耳に届く。不快感が背筋から昇ってきた。
 〝あの人〟を守ろうとして受けた傷を治療された際、ピーノは脳内を隅から隅まで覗かれていた。幸いモルモットにならずに済んだが、脳内を覗かれた折、ただ一つ体をいじられた部分があった。
 それは『睡眠』。ピーノは『夢を見る』事を奪われた。
 夢の中で温もりにすがることすらできず、土まみれの体は冷ややかな空気と現実に覆われている。
 逃げるべき虚構すら無く、ただ頭を這い回る音だけが現実で、彼はその音が嫌いだった。
 日に日に痩せほそり、目の下に隈が出来た。周囲の数少ない村人も、そんな彼を心配した。

「おじちゃん、大丈夫? 病気なの?」

 近くの農家の幼い娘が、ときおりピーノの元へやって来た。人の良い家族なのだろう、独り者で田舎へ引っ越してきたピーノに良くしてくれるのだ。夕食に招かれたのも一、二度じゃない。

「僕はおじちゃんじゃない、お兄ちゃんだ。それに病気じゃなく、眠れないだけだ」
「ふ~ん。じゃあ私のマルコ貸してあげるよ!」
「マルコ?」
「うん、クマさんなの。抱いて寝るとよく眠れるんだよ!」
「ふーん」

 いつかの夕食の席で、夫婦が娘のぬいぐるみ好きの話をしていたのを思い出した。

「でもそれじゃ今度は君が眠れなくなるんじゃないか?」
「わたしもう子供じゃないもん! 来年には学校にだって行くんだからね!」

 ここに住んで、もう五年になろうとしていた。来たばかりの時、赤子だった目の前の娘も、もうやんちゃ盛りの年頃になっている。
 人が少なく、一緒に遊ぶ子供も少ない。必然、野を駆け山を駆けな、わんぱくな子供に育っていた。だが、それに反してやっぱり女の子であり、可愛いものが好きなのだ。胸には以前誕生日にあげた安物のブローチが付いている。

「ねぇねぇ、ピーノは何で結婚しないの?」
「さぁね、何でだろうね」
「うふふ、じゃあね。私が大人になったら結婚してあげる。嬉しい? ねぇ、嬉しい?」
「あぁ、そうだね。嬉しいよ」
「やったーっ!」

 目の前の仕事の手を止めず、黙々と作業をこなしながら娘の言葉を流した。ピーノのぞんざいな言葉でも娘は嬉しかったようで、周囲を兎か何かの様に跳ね回っている。
 ここに来て八年。隈は益々深くなっていた。ベッドに入るものの、一睡もした事は無い。
 鍵のかかっている筈の家だが、娘は学校が終わるといつの間にか家の中に忍び込んでいた。台所でへたくそな料理を作り、ピーノに食べろと言うのだ。

「ねぇ、美味しい?」
「……まずいな。食えたもんじゃない」

 生湯でのパスタに、泥のようなソースがかかっている。

「ひ、ひどーい! お母さんに教えて貰ったのにっ!」
「じゃあ食ってみろ」
「え、んぐ。んぐんぐ……ぐぇっ」

 娘の口にパスタを押し込む。何度か租借した後、娘は水道まで走っていった。
 娘が部屋から出て行った後姿を見つめつつ、残りのパスタを口に放り込んだ。舌に苦味が広がる。
 数分後、柱の影に隠れ、娘が怯えたような目でピーノを見ていた。

「ご、ごめんねピーノ。私、へたな料理を出しちゃって。そ、それ捨てちゃっていいから。今度こそ美味しいの作るからっ!」

 涙目でそう叫ぶ娘を、特に無関心な目でピーノは見つめた。

「捨てるも何も、もう残ってない。日も暮れてきたし、さっさと帰れ」

 ピーノが空の皿を娘に見せると、呆然とした表情の後、娘は笑顔を輝かせてピーノに抱きついた。

「ピーノッ! 大好きっ!」

 ブロンドの髪が鼻をくすぐった。子供特有の甘ったるい香りがする。昔は短かった髪が、もう肩まで伸びていた。

「邪魔だ、離せ」
「は~な~さ~な~い~」

 腰に両腕をガッチリとホールドさせ、娘はイジイジと顔を動かした。
 娘が腕を離すまで待ち、家まで送り届けた。娘の親夫婦はそんな二人を見て、ほがらかな笑顔を向けた。

「ははっ、本当にピーノの事が好きなんだな」
「うん大好きっ」

 父親の言葉に、娘が元気に返す。母親もそれを聞き、微笑みを深くした。
 十年目。ピーノの体は往年の力強さを取り戻していた。枯れ枝のようだった腕も、畑仕事のおかげで筋肉質になっている。痩せこけていた頬も、張りを取り戻していた。
 しかし、目の下の隈と不快な音は消えていなかった。
 ただ――。

「ピ~~ノ~~~」

 学校帰りのカバンを片手に、娘が走ってくる。バスで街の学校までわざわざ通っているのだ。
 そうして帰りのバスから降りると、一目散にピーノの元まで走ってくる。

「おかえり。それと、じゃあね」

 素っ気無い言葉で挨拶し、ピーノは農具を持って家路へと赴いた。

「ちょ、ちょっと! ピーノそれだけ? 私を見て何もないの?」
「何って?」
「あ~~~、もうっ! 髪よ、髪。今日は髪型変えてるの! 朝、わざわざお母さんに整えて貰ったんだから」

 胸を張りながら、フンフンと鼻息荒く娘は言った。そして見せ付けるように、クルリと回る。
 確かに普段と違い、今日は頭にお団子が二つ付いている。

「ふーん」
「ふーん、じゃないっ! そんなんだからピーノ結婚できないのよっ!」

 娘はガミガミと言いながらピーノの後を付いてくる。そして当たり前の様に家に上がり込み、台所で紅茶を沸かし始めた。

「はやく家に帰りな。親が心配するぞ」
「だいじょーぶだもん。今日お母さんにピーノの所寄る、って言ってあるもん」

 テーブルに紅茶を二つ並べながら、娘は言う。
 少しの沈黙が部屋を覆った。不意に娘が口を開いた。

「ピーノの家って男のくせに綺麗よね」
「やる事、あんまりないからね」

 ピーノはズルズルと汚い音を鳴らしながら紅茶をすすった。

「そういえば、ピーノの家の鍵かかった部屋って何なの。もしかして、エッチなものとか置いてあるんじゃ――」
「あぁ、よくわかったね。だから近づいちゃ駄目だよ」
「えっ、えぇっ! ピ、ピーノ本当なのっ! あわわわわ、私ってものがありながらーっ」

 娘はバンバンとテーブルを平手で殴り始めた。グラグラとテーブルが揺れ、カップに入った紅茶が飛び跳ねた。
 その時、ノック音が家に響いた。かんしゃくを起こした娘を放置し、ピーノは玄関に向かった。
 覗き窓を見ると、立っていたのは一人の女性だった。農村に似つかわしくない、スーツをピシリと決めた女性だ。
 いぶかしげながら、ドアを少し開け、応対する。

「どなたですか」
「こんばんわ。ピーノ・サヴォナローラさんでしょうか」
「あぁ、そうだけど」
「そうですか。それは良かった。〝サヴォナローラ議員の息子〟のピーノさんに会えて光栄です」

 ピーノは目を見開いた。

「お前、何者だ」
「はい、私はこういう者です」

 女は一枚の名刺を差し出した。イタリア語で何かが書かれている。

「S社、生態科学研究所? 学園都市?」
「はい、わが社は最先端を誇る《学園都市》に居を構える医療会社です。わたくしはそこの研究ラボに所属している一員でして。ぜひ、あなたの治療を行いたく、こうしてはるばるイタリアまでやってきた所存です」

 女の遠まわしで鼻に付く言葉が、ピーノを苛立たせた。

「何が言いたい?」
「ふふ、簡単な事です。〝眠り〟たくありませんか?」

 〝眠り〟、その言葉にピクリとピーノの眉が動いた。

「なーに、簡単な事です。一つお仕事をしてもらえば、あなたの不眠を解消するお手伝いをしようと思います。お返事はいつでも……と言いたいのですが時間がありません。良い事を教えましょう。先日、五共和国派(パダーニャ)の大きな支部が襲われ、たくさんの資料が流出しました。政府も今過激派の残党狩りに大急がしです。私が訪ねてきた理由も、ご理解いただけますよね」

 女がニタリ、と笑みを深くした。

「ピーノ、誰が来たの?」

 後ろから娘の言葉が聞こえた。

「あら、お客様がいた様ですね。では、今夜もう一度お迎えに来ますので、その時お返事を頂きます」

 女は挨拶もそこそこに、車に乗り込み去っていった。

「なっ、何あの女の人! ピーノ! 浮気っ? 浮気なの?」

 娘の言葉を呆然と聞きつつ、ピーノは娘の襟首を掴み、外に放りだした。

「んなっ」

 ドサリ、と尻餅をついた娘は、信じられないといった瞳をピーノに向けた。

「もう、ここに来ないでくれ。迷惑だ」

 そっけなく言い放ち、ピーノはドアを閉め、鍵をかけた。娘が何事かを叫び、ワンワン泣き出した。頭蓋をカリカリと何かが引っかく。虫が、体中を這い回った。脂汗が頬を一筋流れる。
 小一時間ほど経ち、娘は諦めたのかトボトボと帰宅の途についた。
 ピーノはそれを確認すると、寝室に行き着替えをすました。ついで、ベッド脇のラックから一本の鍵を取り出す。家の奥にある、鍵のかかった部屋の鍵だった。そのドアを開けた。
 カビ臭い匂いが鼻にかかった。窓の無い部屋には、幾本ものナイフが置かれていた。何丁かの拳銃もあった。何度か油を差したりしたものの、ほとんどが錆付いたりしており、使えない。
 特注の防弾コートのホコリを払いながら、何本かのナイフを見繕い、研ぎ始めた。ルーン文字の刻まれた、対魔法使い用のナイフもあった。二時間ほど武器の調整をし、それらを体に仕込んでいった。
 腰にベルトを通し、ナイフを数本入れる。手首にも即座にナイフを取り出せるように仕込んだ。襟元、足首、ありとあらゆる所に仕込んでいく。脇には拳銃を一丁と、予備の弾倉を幾つか仕込んだ。そしてその上に薄手のコートを羽織る。
 外を見れば、もう日は完全に沈んでいた。遠くから初夏を告げる虫の鳴き声が聞こえる。そして、小さなエンジン音も。
 家の中で、明りさえつけず、仁王立ちするピーノの目は濁っていた。夜の帳より暗く、どろどろとした淀みを持っている。カリカリと頭蓋を引っかく音が、歓喜の声を上げる。



     ◆



 娘はベッドで泣いていた。うつ伏せになり、ぬいぐるみに顔を沈ませている。うさぎのぬいぐるみだった。去年ピーノが『うさぎに似ているから』と誕生日にくれた品だった。
 それから毎日娘はそのぬいぐるみを持って寝ている。
 月が、暗い部屋の中を照らした。未だグズグズと泣きじゃくる娘を、夫婦は部屋の外から見守っていた。
 夕方、ピーノの家から帰って来た娘は、涙で顔をグシャグシャにしていた。何やら要点を得ない言葉を叫び続ける娘の話を根気良く聞き続けると、どうやらピーノにいきなり家を追い出されたらしい。
 夫婦にとってピーノは良い隣人だった。十年前、若い青年が一人でこの村に来たのをいぶかしんだが、日々付き合いを続けると、悪い人間では無い事がわかった。顔色が悪く、口数も少ないが、いつも遊びにいく娘を大事に扱ってくれてるようだった。
 両親がいないというピーノに対し、夫婦はどこか息子のような気持ちで彼に接していた。そんな彼が娘を追い出すなんで、娘が何か怒らせたか、もしくは事情があるのだろうと思いたった。
 気付いたら夜も遅い。娘に明日一緒にあやまりに行こうと諭し、ベッドへと向かわせたのだ。
 泣きすぎて少し眠った後、娘はベッドの中から月を見上げ、今日の事を考えていた。一体ピーノはどうしたのだろう。
 最後にピーノが向けた、自分への視線が恐かった。今まで見たことの無い視線だった。それを思い出す度、泣きたくなる。じんわりと目じりに涙が溜まり、鼻奥がジンと痺れる。ゴシゴシと両袖で顔をこすり、それをごまかした。
 明日ピーノにあやまろう、と思った。お茶の入れ方が悪かったのか、それとも先週の失敗した料理を無理やり口に入れたのが悪かったのか、エッチな本を許さなかったのか分からない。だけど、あやまろう。そして、またピーノと楽しく過ごそうと思った。
 そう考えると、少しだけ気持ちが軽くなった。うさぎのぬいぐるみを抱く力が一層強くなる。月が夜空を青く照らしていた。そこに、赤が混じった。

「えっ?」

 月の丁度真下に、赤味が差したような気がする。いや、違う。炎だ。
 林の向こうに、炎が上がっている。

「あ、あそこは」

 ピーノの家の方向だった。娘はあせり、パジャマのまま、ぬいぐるみを持ったまま部屋を飛び出した。
 娘の急な騒ぎに夫婦も起きるが、娘はそれに目もくれず家を飛び出した。後ろから夫婦の声が聞こえるが、耳に入らなかった。
 あぜ道を走る。毎日通った道だった。目を瞑っていたって通れる道のりだ。

「大丈夫、きっと大丈夫」

 焦りが声に出た。胸の鼓動が速まり、息が思った以上に早く切れた。少しづつ、炎の明りが近づいていく。そこを曲がればピーノの家が見えるはず。火事だとしても、きっとピーノは逃げてるはずだ。無事なはずだ。娘はそう願った。

「ピーーノォーーー!」

 ピーノの家が燃えていた。炎は空を焦がす様に、高く、高く燃え上がっている。火の粉が目の前まで降ってくる。一瞬、愕然とするものの、家の前に立つピーノの後ろ姿が目に入った。

「良かったっ! ピーノ、無事だったのね!」

 ピーノに近寄ろうと走った。だが、そこで不思議な事に気付く。ピーノの近くに大きな〝何か〟が沢山落ちている。パシャリと足元の水が跳ね、うさぎのぬいぐるみについた。
 炎が勢いを上げ、周囲を煌々と照らした。〝何か〟が鮮明に見えた、人だった。腕を切り取られた者、腹を抉られた者、首から上が無い者。たくさんの人が落ちていた。それらは共通し、血にまみれ、ピクリとも動いていなかった。ぬいぐるみを見る。跳ねたのは水ではなく血だった。

「ひぃっ!」

 先ほどまでとは違う恐怖が娘に襲い掛かった。足元にボタボタと水が落ちる。失禁していた。
 周囲には肉塊が散乱していた。そしてその中心にピーノが立っている。ボサボサの髪、身長、いつもと違う服装ながら見間違えるはずが無かった。
 きっとピーノは何かに巻き込まれたんだ、そうなんだ。娘は都合の良い考えを巡らせ、襲い掛かる真実から目を背けた。

「ピーノ、そこから逃げてっ!」

 ピーノがゆっくりと振り返った。服に血は一切無い。だが手にはナイフが握られ、刃がドス黒い色をしていた。

「え……?」

 ピーノ後ろで炎が燃え上がり、顔が影になり見えなかった。黒い面を被ったようなピーノがゆっくりと少女に近づく。

「はっ、はっ、はっ」

 その光景に、震えが止まらず、呼吸が出来なくなった。目から再び涙が溢れる。
 目の前にピーノが立っていた。まるで冷たい氷の柱が立っているようだった。いつも温かかった彼の温もりが遠く感じられる。
 ピーノが娘を間近で見下ろした。そこまで近づいて、やっと娘はピーノの顔が見れた。

「ひぃっ」

 誰? それが第一印象だった。ぶっきら棒な表情はいつもの通りだが、目の下の隈が一際大きく、淀みきった瞳が常と違っている。それはまるで顔に穴を二つ穿ったようだった。ピーノの口が三日月状の笑みを浮かべた。
 震える。だが、ここで立ち止まっちゃ駄目だ。娘は勇気を振り絞り、声をかけた。

「ピーノッ!」

 ピクリとピーノが動き、目が見開かれた。目に焦点が戻り、娘を驚きと供に見つめている。

「俺は、またあの時と……」

 ピーノが何かしらを呟いた。娘はピーノが元に戻った事を感じ、抱きついた。

「ピーノ、良かったっ! 良かったよっ!」

 コートに涙と鼻水を擦りつけながら、娘は泣く。ピーノは呆然としたまま、そのまま立っていた。

「いやー、素晴らしい。さすがですね」

 パチパチ、と拍手が聞こえる。昼間やって来た女だった。車に背を預け、ピーノを見ている。

「お迎えに上がりました。さぁ、行きましょうか。まだまだ追っ手はやってきますよ」

 女はそっとドアを開け、大仰な仕草でお辞儀をする。
 ピーノは娘の体を離し、頭を撫ぜた。

「さよならだ、ラプンツェル」

 そのまま娘――ラプンツェルの横を通り、車に乗り込んだ。

「学園都市は歓迎します〝ピノッキオ〟様」

 女の言葉に〝ピノッキオ〟は頷いた。

「待って、ピーノ! どこへ行くの!」

 ラプンツェルは泣きながらピノッキオへ叫んだ。

「僕は、ピノッキオだ。もう、ピーノじゃない」

 車が走り出した。後ろから少女の鳴き声が聞こえる。
 また、あの音がした。カリカリ、カリカリと。肉を引き裂いた時には消えていた、あの音がぶりかえす。まだ手に持っていた、一本のナイフを見た。血がベットリと付いている。それを一舐めしてみると、少し音が和らいだ気がした。







 第17話「lost&hope」







 正面を見ていたアキラはいち早く男の存在に気付いた。男――ピノッキオの放つ異常な気配に、怖気が走った。
 自らのスタンド『フォクシー・レディ』に横に避ける様、指示を出した。
 しかし、男はそれより早く間合いを詰めてきた。男の足が速いわけでは無かったが、お互いの相対速度のため、あっという間に間合いが埋まる。

「駄目っ! フォクシー・レディ!」

 避けられないなら飛び越すまで。アキラの指示を忠実に、フォクシー・レディは脚に力を込め――。

「えっ」

 風景が後方に流れていく、そんなスピードの世界を、男はさもありなんという体で、ヒョイと飛び上がり、そのまま空中で体を捻り、アキラの顔に蹴りを放った。

「がふっ――」

 顎を綺麗に打ち抜かれたアキラは、そのまま意識を手放し、蹴られた力のまま吹き飛ばされた。

「なんだっ」

 千雨もそこでやっと状況に気付けた。目の前でアキラが横へ吹き飛んでいる。目の前には金髪の男の姿が見えた。
 跨っていたスタンドがフッっと消え、勢いそのままに千雨は空中に投げ出される。

「うあぁぁぁぁぁ」

 夕映だけは離すもんか、とギュっと抱き、そのまま石畳にぶつかり、ゴロゴロと転がった。背中を強打し、息が詰まる。衝撃で、夕映のポケットから薬のボックスや携帯電話が飛び出し、路上に散乱した。

「ゲホゲホッ!」

 胸元を見れば、夕映はどうにか大丈夫の様だった。周囲に色々散らばったが、ネックレスは無事だった。

〈千雨ッ〉

 ウフコックの警戒の声に、千雨はそのままゴロゴロと石畳を転がった。さっきの場所には男――ピノッキオが立っている。
 夕映を横たえつつ千雨は立ち上がり、ピノッキオと相対した。

「さきほどの子と同じ制服、君達は同い年なのか? 日本人の顔は見分けにくいな」

 ピノッキオが奇妙な質問をした。

「あぁ、そうだよ。手前ぇ、何しやがる」

 視界の隅にはアキラが倒れていた。ギシリと歯噛みする。先ほどからウィルスを通して呼びかけているが、どうやら意識が無いようだった。藪に突っ込んだため、思ったよりは傷は浅そうだが、心配だった。
 しかし、今は目の前の男が専決である。千雨はウフコックに干渉し、手の中に拳銃を作り出す。

「子供か。すまない事をしたな。こうでもしないと止められそうに無かった」

 ピノッキオが丁寧な言葉で謝罪をする。千雨はその行動に呆気に取られた。

〈千雨、危険だ。コイツは〝並〟じゃあ無い〉
(で、でも魔力も、スタンドも感じられないぜ)

 千雨はピノッキオを知覚領域の中で観察をしていた。最近、散々見た異能の数々の波長を、ピノッキオからまったく感じられない。しかし、ウフコックはピノッキオの危険性を肌で感じていた。
 ピノッキオとの距離は十メートル。相手を精査した限り、片手に持っているナイフ以外に、数本ナイフを体に仕込んでいるが、拳銃は一丁が懐にあるだけだった。取り出し、撃つには時間がかかる。千雨に絶対的に有利な状況だった。
 気にかかるのはアキラである。千雨の位置からよりも、ピノッキオの位置からの方が近い。人質にされたら厄介だが、後ろに夕映が居る今、ここを動くわけにもいかなかった。

「僕は子供を殺すのが嫌いだ。だから、〝そこ〟のを渡してくれないかな」

 ピノッキオは〝そこ〟と言いつつ、夕映を指差した。

「てめぇ、やっぱり夕映が目的か。あいにく友達を売るほど腐っちゃいねぇ!」

 そう言葉を吐きながら、千雨は引き金を引いた。速攻。手加減のつもりか、急所は外して撃つ。確率の海の中、必中のラインに弾丸を乗せた――はずだった。

「なっ!」

 弾丸は全て男の後ろへと消えた。ピノッキオには傷一つ無い。

「何なんだよぉ!」

 リロードした拳銃を、再びピノッキオへと放とうとした。しかし、ピノッキオの姿は消えていた。知覚領域が異常を感知しない。ただ、ピノッキオはまっすぐ千雨へ向かって走っただけだった。
 ナイフが煌めき、千雨の拳銃の銃身を切り裂いた。その勢いのまま、千雨の腹に蹴りを放つ。

「うがっ」
 衝撃を後方へ飛びながら緩和させる。そして千雨は、ピノッキオの異常さに驚愕していた。十メートルの距離を、千雨に気付かれずに近づいたのだ。知覚領域のログを見る限り、ピノッキオの速さは異常とは言えず、一般人の範ちゅうだ。なのに――。

(生態か。こいつ、人間の隙間を狙ってやがる)

 烈の言葉が思い出された。人間である故に生まれる、必然の隙間。千雨が息を吐く一瞬を狙い、ピノッキオは動いたのだ。

「いきなり撃つなんて危ないな。それにしても今のを避けるなんて、すごいね、君」

 男がゆらりと立ち上がり、千雨を見つめた。井戸の底の様などろどろ濁った瞳が、千雨を見下ろしている。

「ひっ!」

 悲鳴が漏れた。千雨は数々の異能者を見てきたが、千雨は自らの能力ゆえ、それらを分析できた。だが、目の前の存在は違う。一目で理解できるような異能は持たず、ただその存在が〝異常〟だった。
 万能であったはずの、千雨の知覚領域が脆くも崩れた。理解できない目の前の存在、そして瞳に宿る狂気が千雨を怯えさせる。
 奮えていたはずの心が萎える。助けを呼ぶべき仲間はおらず、頼るべき友も意識を失っていた。されど――。

〈構えろ千雨。震えるのは家に帰ってからにしろっ!〉

 支えあう相棒はいた。ウフコックの叱咤に、千雨はハッっとした。相手は知覚できずとも、周囲にいるアキラと夕映は知覚できた。今、背中に背負っているものを確認し、千雨はなけなしの勇気を振り絞る。
 ウフコックが反転(ターン)した拳銃を強く握り締め、再びピノッキオを向き合った。

「まだやるのかい。殺したくは無いんだけどな、だから子供は苦手だ」

 ピノッキオが千雨へ向けて走り出した。それを知覚したはずなのに、いつの間に顔の前に投げナイフが現れている。投げたモーションすら知覚できなかった。

「ぐぅっ」

 体を捻り、なんとかかわすも、頬を浅く切り裂かれる。痛みがほんの刹那、千雨の集中力を欠いた。ピノッキオにはそれで十分だった。
 距離を一気に詰め、千雨とは指呼の間である。だが、千雨も拳銃の狙いを付け、ピノッキオに向かい連射した。

「そこ、食らえっ」

 今度こそ、と思った弾丸もことごとくかわされる。人間である以上不可能なはずの回避を、千雨が引き金を引くより早い段階で動き始め、可能にしていた。

「射撃が正確すぎる、おかげで避けやすいよ」

 ピノッキオは千雨の視線を見て、弾道を予測している。千雨の正確すぎる射撃の腕が仇になっていた。
 腕を振りかぶり、ピノッキオの掌底が千雨のこめかみに突き刺さった。

「この野郎――ぐっ!」
〈千雨っ!〉

 脳を揺らされ、意識を失いかけるも、なんとか持ちこたえた。されとて声すら出せず、力を失った体は地面へと崩れ落ちる。肺が痙攣している様に、息苦しかった。

(先生、頼むっ)
 千雨はなけなしの電子干渉(スナーク)で、ウフコックへ思念を送った。ウフコックは反転(ターン)を解除しようとするも――。

「そこの拳銃、動かないでくれ。君には何か〝意思〟みたいなのを感じるんだ。魔法とかのオカルトかな? 僕は良く分からないけど、その手のものなんだろう。動いたら、そこの子、殺すよ」

 ピノッキオが持ったナイフの先には、倒れたアキラがいた。

〈くっ、すまない千雨〉

 夕映に近づき、その体を持ち上げた。ピノッキオが手を振り合図を送ると、近くから車が出てくる。

「ほら、これでいいんだろう」

 夕映をかかえたピノッキオは、運転手の男に声をかけた。

「はい、確認いたしました。ピノッキオ様」
「仕事先で名前を呼ぶな、三流」
「こ、これは失礼しました」

 男が慌てた様に、ピノッキオに頭を下げる。
 体が動かない千雨は、それを聞いていた。

(ピノッキオ、だと)

 聞いた事も無い名前だった。本名なのか、偽名なのかすら分からない。
 ただ、目の前で夕映がさらわれ様とする事だけは理解できる。歯を食いしばり、立ち上がろうとするものの、体が動かない。

(くそぉ、夕映を――)
「夕映を離せっ!」

 千雨を代弁する様な声が響く。頭を抑え、ふらつく様に立ち上がるアキラの姿がそこにあった。
 千鳥足のまま、ピノッキオに近づく。夕映へ向けて伸ばした手は、いとも簡単にピノッキオに避けられた。ただ、微かに夕映の靴に掠っただけである。

「邪魔だよ」

 ピノッキオは空いた片手で、アキラの首をトンと叩いた。アキラが糸の切れた人形のように地面に落ちる。

(あーちゃんっ!)

 声すら出せず、千雨は己の無力感に歯噛みした。
 夕映は後部座席に押し込まれ、ピノッキオを乗せた車は走り出す。周囲に鳴り響くサイレンや悲鳴をものともせず、ただ平然と、日常を謳歌するように車は去っていった。

「ち、チクショウ……」

 地面に這いつくばり、ただそれを見る事しか千雨には出来なかった。



     ◆



「すまない」

 なんとか千雨の呼吸が正常に戻ったのは数分後だった。だが、まだ体を起こせなかった。目先にはネズミ姿のウフコックが頭を下げている。

「先生は良くやってくれたよ。ただ、礼は言っても、謝られる筋合いはないさ」

 そう言いながら、両手でそっとウフコックを包んだ。

「先生、わたしはくやしい。目の前で友達がさらわれて行くのに、何も出来なかった。何も――」

 悔しさが頬を伝った。千雨は一方的に貰った力で、有頂天になってた様な気がした。努力もせず、ただ貰った力を使い、自らが万能になったと思っていたのだ。その油断、隙が目の前の事態を引き起こした。そう、千雨は感じている。

「わたしはもう、失うのが嫌だ。誰が死のうと構わない、ただ目先にあるものを失いたくないんだ。わたし、我がままかな?」
「いや、それがヒトとして正しい姿だろう。ネズミである私が、客観的に見たヒトの正しい姿だ。ただ、それを貫くのは難しく、皆が理由を付けてあきらめてしまうのだ。お前は正しいよ、千雨」

 ウフコックの言葉に、何かが吹っ切れた気がした。体の感覚が戻ってきた。地面に足をつけられる。まだ、終わっていないのだ。
 千雨はよろけながら、アキラに近づいた。

「あーちゃん」

 顔や体に傷が見えた。だが、土の上に放り出されたせいだろう、傷は思ったより少ない。体を精査しても、軽い捻挫があるくらいで後は小さな切り傷ばかりだ。
 意識がまだ戻らないアキラを、千雨は抱きしめた。
 麻帆良の各所で黒煙が昇り、悲鳴と怒号とサイレンが周囲に満ちていた。夕映は遥か遠く、車で連れさらわれた。
 しかし、瞳の煌めきはまだ残っていた。微かな輝きが、確かに息づいていた。ギュっと拳を握り、走り去った車の方を睨みつける。
 まだ、終わらない。終わらせない。

「おや、小娘。こっぴどくやられたようだね」

 その時、希望を繋ぎとめる声が千雨にかかった。



 つづく。







(2010/12/19 あとがき削除)



[21114] 第18話「その場所へ」+簡易勢力図
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 12:22
「すいません、取り逃がしました」

 高畑が携帯に向かい、そう語った。電話相手である学園長の反応は薄く、そうじゃったか、と言われた後、幾つかの指示を受け電話は切れた。
 夜風が熱くなった体を冷やしてくれる。急にタバコの欲求にかられ、ボロクズのようになったスーツのジャケットを漁ったが、出てきたのは粉々になったタバコの欠片だけだった。
 体に纏わりつく疲労感から、手近にある壁に背を預ける。何となく、座ることはしたくなかった。

「どうしたもんかな」

 そこは病院のとある階であった。トリエラと対峙し、一戦を交えた結果、その階の通路の壁は全て粉々に吹き飛び、麻帆良を見下ろせる巨大なパノラマになっていた。
 清潔であったリノリウムの床は、ホコリと瓦礫にまみれており、ヒビがそこらかしこに走っている。ショットガンの弾痕も壁に幾つか見受けられるが、それよりも驚くべきは、壁に作られた拳による穴であった。
 弾丸よりも大きい穴を穿ち、中心には綺麗に拳の後が残っていた。それは十や二十じゃ数えれない程である。

「甘くなったもんだ。師匠達の戦いを身近で見ていながら、自分の強さを見誤っていた」

 高畑とトリエラの戦いは、高畑のワンサイドゲームで終わるはずだった。魔力も気も扱えないトリエラが、究極技法とも呼ばれる『咸卦法』を扱える高畑に敵うはずが無い。それは高畑本人も、きっと内容を知れば第三者の多くもそう判断するであろう。
 されど、トリエラはそれに立ち向かった。人外の膂力のみで、拳が砕けるのを恐れず、真正面から高畑に向かったのだ。
 高畑に目立った傷は無い。服はボロボロなれど、素肌には小さな裂傷すら無かった。しかし、壁には幾つもの血が散乱していた。一体どちらの血なのか、語るまでも無い。
 無謀とも思える特攻を繰り返し、高畑の精神と鉄壁の防御、その両方をぶち抜き、腹に一撃をあびせたのだ。
 衝撃が高畑の脳髄に響き、瞬間的に思考が滞った。その時を見逃さず、トリエラは壁を破壊し、夜の闇に逃げ込んだのだ。残されたのは高畑のみ。痺れるような倦怠感と、敗北感が苦味として口に広がる。
 戦いに勝ち、勝負に負けた、という所だろう。お互い目的が違うのだ。相手を無意識ながら見下した高畑と、相手の力量を察し最善を行ったトリエラの違いだった。
 高畑は探知の魔法が使えず、あまり正確には気配を調べられない。とりあえず周囲の気配を感じる限り、もうトリエラはいないようだった。
 遠くを見れば、もう黒煙のほとんどは消えていた。麻帆良を襲った一時的な混乱も、収束して来たようである。
 今日、何が起こり、何が目的で、誰が行ったのか正確には分からない。だが、少なくともその断片を知る女性を逃してしまった。

「まだ眠れないか」

 背を壁から離し、瓦礫をかきわけて進んだ。先にあったのは一つの死体――ジョンガリだった。四肢と頭部を失った体は歪で、多くのものに忌避感を抱かせるだろう。
 高畑は爆発音の中に混じる銃撃音を聞き分け、ここまでやって来たのだ。とは言っても、最初はどこから音が鳴ったのか分からず、彼がここに来れた切っ掛けは千雨の銃声だったりするのだが。

「彼が、そうか」

 微かに残った右肩部分を見た。特徴的なマークの刺青が入っている。これは以前、高畑が政府の高官からリークされた殺し屋の特徴と一致していた。
 元アメリカ陸軍所属の軍曹だったはずだ。六年前に眼病を患い除隊。その後の経歴は不鮮明だが、ときおり殺害事件の容疑者リストに名が挙がったらしい。されとて彼の視力は盲目に近く、すぐにリストから除外されたそうだ。彼はヒットマンとして好都合な素材だったのだろう。
 麻帆良学園内にある、魔法の隠蔽や処理を行う担当に連絡を入れる。まだ、事態は終わっていない。警戒を怠らず、高畑は街へ飛び込んだ。







 第18話「その場所へ」







「おや、小娘。こっぴどくやられたようだね」

 千雨が振り向くと、そこには車に乗ったドーラがいた。運転席から半身を出し、ニヤニヤとした笑みを浮かべつつ、千雨を見下ろしている。
 二台のピックアップトラックがあり、ドーラが連れていた男達は車の荷台に押し込まれ、ぎゅうぎゅう詰めだった。

「バアさん……」
「バアさんじゃないよっ! ドーラ様か船長とお呼びっ!」

 ドーラのかんしゃくを起こしたような怒声に怯まず、千雨は車に近づくと頭を垂れた。

「頼む、車を貸してくれ。友達がさらわれたんだっ!」
「はっ! やなこったい。なんであたしがあんたに車を貸さなくちゃいけないのさ。真っ平ごめんだね」

 その言葉に、千雨はグッっと唇を咬む。だが、まだ引き下がるわけにはいかない。
 頭を地面にこすりつけ、再び頼み込んだ。

「たのむ、この通りだ。大事な奴なんだっ。あいつ、わたしのために色々してくれた。だけど、まだわたしは何も返せてない、だからっ――」

 麻帆良に戻り、最初の授業で教科書を見せてくれたのは夕映だった。図書館島を案内してくれたり、放課後みんなと一緒に買い物にも連れてってくれた。自分がアキラとの関係を知り、打ちひしがれていた時に、叱咤してくれたのも夕映だった。奇妙なジュースをいつも携帯し、無関心そうながらもよく見るとコロコロと表情を変え、小動物を思わせる動きをする夕映の姿が脳裏に蘇る。
 千雨は石畳に一層額を擦りつけ、懇願した。

「今なんだっ! 今しか無いんだ、だからお願いだ。わたしにあいつを助けさせてくれっ!」
「いい加減におしっ! あたしゃね、金にならない事ははやらない主義なんだっ!」

 後ろで男達が千雨に向かい同情の視線を向けた。ママァ、と男達がドーラに嘆願の声をかけるも、ドーラの一睨みですぐに消えた。

「金、金さえあればいいのか?」
「小娘、あんたが大金持ちにはあたしゃ見えんけどね」

 ドーラはフフンとした笑いを含み、言う。
 千雨は顎に手をかけつつ悩み、左腕をズズイと前に出した。

「わたしの左腕一本やる。それでどうだ?」
「左腕一本? だーれが小娘の小汚い腕いるかいっ! 持ってくるならもっと金目のものをだしな」
「バアさん、あんたらは『破片』を探してたんだよな。安心してくれ、わたしは『破片』なんかじゃなく、その『破片』の本体そのものだ」

 腕を失う恐怖を、ハリボテの勇気で封じ込めた。相手に弱気を悟られてはいけない。
 千雨が指をパチンと弾く。電子干渉(スナーク)により、ドーラ達の車内のラジオをジャックした。そのスピーカーから千雨の声が漏れた。

『これで理解してもらえたか? わたしは超能力者じゃない。《楽園》ご謹製の改造体だ』

 ドーラはギョッと目を剥きながら、考え始めた。

「バカなっ! 《楽園》の技術が直接使われた人間だと。いや、まさか数年前に出来た国連法の特例って奴かい? 確かに一度施行されたと噂が出回ったが――」
『たぶん、それがわたしだ。半年前事故に遭い、瀕死の重傷を受けたわたしは、《学園都市》保護下にある《楽園》の科学者に治療――改造されたんだ』

 千雨の言う事に確証はまったく無い。目の前で起きているラジオのジャックにしろ、魔法や超能力で再現可能のはずだった。されど、ドーラのカンはこれを是と感じている。
 千雨はジャックを切り、再び肉声で語りかけた。

「これでわかったろう。わたしの左腕には《楽園》の技術が使われている。それなりに売ればバカ高いはずだ」
「仮に小娘の腕に価値があったとしよう。だが、それを渡す保証がどこにあるって言うんだい。小便臭いガキがナマ言うんじゃないよ!」
「――クッ!」

 駄目か、と思いつつ千雨は自らの腕を見た。そして嫌なことを思いついてしまった。恐怖と怯えが再び這い上がり、なけなしの勇気を砕く。呼吸が乱れた。指先が震えるのを、拳を握り締めて耐える。

「じゃ、じゃあ、それが証明出来ればいいんだよな」

 石畳に左手を開いてペタリとつけたまま、ウフコックを強制的にナイフに反転(ターン)させた。

「とりあえず、指一本でたのむ」
〈止めろ、千雨っ!〉

 ウフコックの制止を無理やり押さえ込み、ナイフを振り上げた後、自らの指へ向けて下ろした。体を干渉(スナーク)し、小指をキレイに切れるような動きをトレースさせる。

「駄目っ!」

 横から腕が伸び、千雨のナイフの軌道を反らした。切っ先が石畳にあたり、小さな火花が散った。勢いを付けすぎた反動で、そのまま千雨は後ろへコロンと倒れる。
 千雨の腕を抱えているのはアキラだった。いつの間にか意識を取り戻したらしい。瞳に涙を溜め、千雨を睨みつける。千雨の現状をウィルスを通し理解したらしい

「なんで、自分の体を大事にしないの! もうっ!」

 バチン、と千雨の頬をアキラが思い切り平手で叩いた。千雨はその勢いのまま、コテリと地面に頭をぶつける。
 涙を溜めつつ、眉をキリリとあげたアキラは、ドーラに振り向いた。鷹の様な目で睨みつけるドーラに怯むことなく近づく。

「あのっ、お金だったら、私頑張って働いて払います。だから、ちーちゃんの腕じゃなくても、どうにかなりませんか。お願いしますっ」

 アキラの髪が、お辞儀の勢いのあまり空中に散らばった。
 ドーラはそれらを冷めた目で見ているかと思いきや、表情をニカリと変え、笑い出した。

「ハーッハッハッハッ! こいつは面白いガキだ。日本のギャングの真似かい、なかなか肝っ玉が据わっている、どうだいチサメ、ウチのバカ倅の嫁に来ないかい? それにそこの小娘、名前は?」
「あ、あの。大河内アキラ、です」
「アキラ、あんたもなかなか見所があるね。気に入ったよ」

 ドーラが笑みを深めている後ろでは、男達が千雨の啖呵を見て戦々恐々としていた。

「ママ相手にアレだよ。日本の女の子はおっかねぇな」
「うん、信じられないよ」
「だが、凛々しい……」

 シャルルとアンリがボソボソと会話をしている。その横ではルイが千雨をキラキラとした瞳で見つめていた。
 ドーラは運転席から更に身を乗り出しつつ言った。

「ところでさらわれた〝あいつ〟ってのは義体の子かい?」
「――っ。あぁ、そうだ」

 ドーラの問いかけに一瞬迷うも、正直に答えた。

「ふん、なら話は早い。あたしゃね、〝コケン〟って奴に泥を塗られたままなのは、どうにも尺でね。塗られた泥は塗り返す主義なのさ」

 ドーラは助手席に乗る男を足蹴にし、車から放り出した。

「痛っ、ママ~何すんだよ~」
「おだまり。女を荷台に乗せる気かいっ!」

 その言葉に千雨とアキラの顔が輝いた。

「それじゃあ……」
「報酬はとりあえず腕一本、もしくは同等の価値のある何かで取引は成立だ。後払いにしといてやる」

 笑みを深くしつつドーラは口を開いた。

「四十秒で支度しなッ!」



     ◆



 ガタガタと揺れる振動で、夕映は意識を取り戻した。
 体中に痺れが残っていた。さっきまで、温かい何かに包まれていた気がするが、それが何かは思い出せない。
 記憶を思い出そうとすると、耳にあの銃声が響いた気がした。

「ひっ」

 恐怖が蘇った。そう、学校帰りに千雨達と遊びに行き、皆とはぐれた折、何者かに銃撃されたのだ。
 何で巻き込まれた、どうして自分なのだ、そういう原因や過程に夕映の意識は向かず、ただ起こった事のみを反すうし続け、次第に震えが夕映を覆った。
 夢では無いのか、そう思い自分の肩を見ようとした。だが、そこで不思議な事に気付いた。体が動かせないのだ。

「起きたのかい」

 男の声が聞こえた。周囲を見れば、どうやら自分のいる場所は車の後部座席のようだった。声は前の助手席から聞こえた。

「とりあえず、応急処置はしておいた。まぁ、する必要は無かったみたいだけどね」

 男の声にいぶかしげつつ、夕映は首だけを動かし、自分の体を見た。
 制服の肩の部分が破かれ、包帯が巻かれていた。足にも巻かれていた。真っ白い包帯の淵には、幾らか黒味がついている所がある。破られてない制服の所々にも、血の跡のような染みがある。暗い車内ながら、夕映の瞳には、なぜかそれらがしっかりと知覚できていた。そしてそれらが、夕映に先ほどの事が現実だと感じさせるのだ。
 どうにか動こうと、体を動かそうとするものの、何かに阻まれた。どうやら後ろ手に手錠か何かをされているらしい。よく見れば胴体にも、脚にも細い何かが巻きついている。

「〝彼ら〟お手製の特殊合金のワイヤーだそうだ。細身ながら、繊維面がなめらかで、肌を傷つけにくい一品らしいよ」
「かれ、ら」

 喉が痛い。枯れた声で夕映は問うた。

「うん、〝彼ら〟だ。まぁ、説明しなくても、おいおい分かってくるさ」

 助手席の男は、指先を運転席に向けながら答えた。対向車のヘッドライトが助手席の男の輪郭を映す。無造作に伸びた金髪に、無精ひげ。どこか二枚目の面影を残すが、濁った瞳と、目の下の隈がそれを台無しにしていた。ピノッキオである。
 見たことの無い顔だった。夕映は恐怖を押し殺し、ピノッキオに再び問いかける。

「あなたが、私を撃った、のデスか」
「そういえば君、銃撃を受けてたみたいだね。それは僕らの仕事じゃない。別の輩さ。まぁ、目的は対して変わらないけど」

 目的、その言葉に敏感に反応した。一体自分をさらってどうするというのか、そう思った時、ふいに幼い頃の記憶が蘇った。
 白い部屋、何も無い白い部屋。そこへ一人の人間が入ってくる。男は笑いかけ、何かを話して去っていく。その度に部屋に物が増えていった。おもちゃ、ボール、クレヨンに画用紙。様々なものだったが、何より嬉しかったのは本だった。本には名前でしか聞いたことの無い『月』が描かれていた。月、それは――。
 ガタン、という車の揺れでそれらは霧散した。先ほどまで何を思い出していたのか、それすら夕映にわからなくなった。
 情報を得るために、もう一度声をかけようと思った。

「あの――」
「もう喋らないでくれるかな。子供は嫌いなんだ」

 ピノッキオの拒絶の言葉。口調だけなら、夕映はもう一度問いかけようとしただろう。だが、ピノッキオの目を見て息を呑んだ。顔にポッカリと空いた二つの穴、それが瞳だと気付くまで数瞬かかった。
 冷や汗が伝った。ピノッキオが視線を反らすまで、夕映は呼吸すら忘れていた。

「ハッハッハッ」

 呼吸が荒くなる。どうにか落ち着こうと、深呼吸するも、うまくいかない。
 手に恐怖以外の震えが起きた。

(あ、こんな時に)

 薬、と思ったものの、胸元にいつもの薬箱の感触が無かった。どちらにしろ、両手を塞がれた今、服用する事は出来ないが。
 視界がたわみ、歪んだ。先ほどまで感じなかった体の痛みが戻り始め、激痛が夕映を襲う。奥歯をかみ締め、それに耐える。
 思考がバラバラにはじけ、記憶も散らばった。今日何をしていたのかすら、良く思い出せなくなった。脳裏にルームメイトらしき顔が思い出されたが、それすらすぐ名前が出ない。
 誰かが何かを叫んでいた気がした。自分の名前を大声で叫び、近づいてくる人。ジョゼさん、いや違う。顔を隠す大きなメガネ、だがその下にあるのは人見知りで、泣き虫で、恐がりな性格……だけどどこか凛々しく、意志を貫き通せる人だと知っている。
 夕映は首をすえる事すらできず、力を失い、後部座席にダラリと寝そべった。口元からは涎が一筋。眼球だけを動かし、微かに見える窓の外を見た。
 視界の端に見えたのは、周囲の建物より遥かに巨大な壁だった。
 その時、夕映の靴先にある、微かなもやが揺れた。



     ◆



 千雨とアキラは、周囲に散らばった荷物を拾い集め、ドーラの車に乗り込んだ。もちろん四十秒以内に、だ。
 夕映の懐にあった薬も、無事だったもののみを集め、箱に入れなおした。
 ドーラの運転する車が夜道を疾走する。

「それで、どこへ向かえばいいんだい」

 一人用の助手席に千雨とアキラ、二人で座っていた。大き目の仕様のために、思ったより窮屈ではない。

「えぇっと、とりあえずアッチの方向にいったわけだけど――そうだ、携帯。夕映の携帯の電波を追いかければ」
〈千雨、綾瀬嬢の携帯はさっき自分で拾っただろう〉

 ウフコックのツッコミに、しまったー、と叫びながら千雨は頭を抱えた。

「これじゃ、どこへ行ったかわからねぇ」
「大丈夫だよ、千雨ちゃん。私、わかる」

 そんな千雨に、アキラは声をかけた。

「ドーラさん、そこを右に真っ直ぐ。とりあえず南に向かってください」
「あいよ、コッチだね」

 キキーッっと砂煙を上げつつ、車は荒々しく交差点を右折した。後ろをもう一台の車が追いかけてくる。

「何でわかるんだよ」
「千雨ちゃん、忘れた? 私はスタンド能力者だよ。夕映にしっかりと感染させておいた」
「あっ――」

 夕映がピノッキオにさらわれる直前、立ち上がったアキラが夕映を取り返そうと、フラフラで近づいた時を思い出した。夕映の靴先を手が掠めた様に見えたが――。

「あの時かっ」
「うん。今、送るね」

 千雨はウィルスを通しアキラから送られてきた情報に、マップデータを重ねた。

「確かに南下している。このまま東京に出るのか?」

 相手はおそらく国道を一気に南下していた。このままでは東京に入ってしまう。
 千雨は海路や空路を使った移動経路を想像した。どちらにしろ国外に出られたら、夕映を取り返すのは容易ではなくなる。
 ふいに、相手の経路が西に反れた。

「国道を反れたぞ、西だと……。まさか」

 ドーラは夜の国道を疾走する。少しでも渋滞を見つけると、脇道を通り、アクセルを一切ゆるめようとしない。荷台に乗った男達は、そんなプチジェットコースターに悲鳴を上げている。
 あぶなっかしい運転をしつつ、ドーラは話に加わってきた。

「やっぱりだね、おかしいと思ったんだよ。あたし達がガセをつかませられ、そのガセのターゲットは名目上だが『超能力者』だ。少なくとも、この事態には二つの大きな勢力が関わっている。そしておそらくその片方はイタリア政府、もしくはその下のどこぞの機関だろうよ」
「イタリア? これ、国がやったのかよ。ギャングとかマフィアとか、そういう奴らじゃなくて」

 千雨は声を荒げた。まさか、相手が国だとは思わなかったのだ。

「あたしのカンが鈍ってなけりゃそうだろうね。んで、あたしらとチサメ達は、お互いそいつらのコマとして盤上で踊らされた、ってわけだ」
「つまりバアさん達を誰かが騙して、わたしを襲わせたって事か? それに何の益があるんだよ」
「そいつがあるんだよ。相手はチサメを敵だと思ってる。いや、チサメが所属している組織を敵だと認識しているんだ。それとあたしはバアさんじゃない」
「それは……」

 西へ向かっていた夕映の乗る車が、今度は再び南へと方向を変えていた。千雨の脳内のマップータはある場所を示していた。
 そのまま行けば西東京――。

「おい、じゃあまさか、イタリアと敵対していた組織ってのは」
「そうさね。ほら、見えてきたじゃないか」

 夜の街並みの中、遠めに一際明るく見えるモノが見え出した。巨大な壁である。その中からは、きらびやかな明りを漏らし、近未来的な建物が幾つか見えた。
 千雨には否が応でも見覚えがある。自分が半年間暮らした街だった。

「あっちだ……」

 隣でアキラが呟いた。彼女が感じている情報が、千雨の脳内のマップデータと照らしあわされる。確かに、あそこに夕映はいる。

「学園都市」

 千雨が呟いた。確かに夕映の反応は壁の向こう、学園都市の中に消えていったのだ。



 つづく。










(2010/12/19 あとがき削除)

■簡易勢力図
・千雨達→夕映奪還へ、ドーラ一家と共闘。
・ドーラ一家→千雨に協力。
・ピノッキオ→夕映を拉致。学園都市からの依頼。
・ジョンガリ→夕映の殺害が目的だったが失敗。イタリア政府からの依頼。
・トリエラ→夕映の保護が目的。高畑から逃亡し、夕映を追う。

・麻帆良学園→爆破事件により街が混乱。治安維持に努める。
・学園都市→『楽園』の破片をある研究所が所望。一枚岩では無い。
・イタリア政府→十年前に解体した公社の残党などの処理を目的。



[21114] 第19話「潜入準備」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 12:23
 高畑との戦闘から、からくも抜け出したトリエラは、気配を殺しつつ街中を疾走し、麻帆良郊外までたどり着いていた。
 そこには彼女が足として使っていたバイクが隠されている。出発する前に荷物の中から治療セットを取り出し、体の傷を治療した。
 とは言っても、傷はほとんど治っていた。コンクリートを素手で殴り、砕けた拳も血が止まり、薄い皮膜が覆っている。高畑の拳を受け止めたせいで、皮膚を突き破った腕の骨も元に戻っていた。されど、痛みはあるのだ。まだ治癒の浅い部分に薬を塗りながら、包帯を巻く。痛み止めを数錠、喉に流し込む。
 彼女の体は異能の力に侵されていた。不老不死という特性は、体の治癒力を強固にする。特定の呪詛や術式、もしくはスキルでも無い限り、トリエラは頭部を吹き飛ばされても、一週間程度で復活してしまう。

「さて、と」

 骨伝導のヘッドセットを付け、携帯電話に接続した。その上からヘルメットを被り、バイクに跨る。アクセルをふかし、バイクは一気に加速する。そのまま結界を通り抜け、トリエラは麻帆良の土地から逃れた。
 エンジン音とヘルメットに当たる風の音を聞きつつ、トリエラはマイクに向けて呟いた。

「『アドレス呼び出し』、『エルスリー』、『通話開――」

 口頭での携帯電話操作。アクションワードを一言一言を丁寧に言う。だが、最後の一言は着信音によって遮られた。

〈着信中・着信中・相手は『エルスリー』〉

 トリエラは顔をしかめつつ、『通話』と一言呟く。

『無事だったようだな、トリエラ』

 男性の声がトリエラの耳に届いた。

「夕映は、本当に麻帆良から出たのね」
『あぁ。麻帆良学園内の監視カメラから、ユエ嬢がさらわれる所を確認した。県道に設置された固定カメラから、ずっと追跡してるぜぇ。車の乗り換えも線に入れたんだがな、県境には県警が極秘に設置した、車内探索用の熱センサーもある。それで確認した限りじゃあぁ、麻帆良と車内の人数は変わっちゃいない』

 通話先の男は、ひょうひょうとした物言いだ。

「目的地はどこ、〝L-3〟」
『まぁ、このルートじゃあ《学園都市》で間違いないだろうなぁ』

 トリエラはバイクを南に向け、県道を疾走した。

『おぉっと、その先は渋滞だ。二個目の信号を左折して、最初の交差点を右。そうすりゃうまいこと流れるはずだぜぇ』
「了解」

 ナビを聞きつつ、L-3と呼んだ男の事をトリエラは思い出していた。
 実際のところ、トリエラは彼の顔を知らない。欧州で夕映の情報を探ってた折、ある中年の男性に紹介されたのだ。帽子を深く被り、白髪混じりのあごひげを伸ばした、くたびれた感じの中年である。
 凄腕のハッカーにして、情報屋。その売り文句は満更でも無いと、トリエラは感じ始めていたが、第一印象は最悪だった。雇用条件の一つに、自分の顔写真を送る、というものがあったのだ。男に向かいメールを送信した所、二十秒後には教えていないはずの携帯電話に通話着信の表示が光った。

『ひょ~、可愛い子ちゃんじゃなぁーい。俺ってば仕事頑張っちゃうよ』

 トリエラは即座に電話を切ったものの、五分後には夕映に関する幾つかの資料がメールで送付されてきた。

『どうだい。俺を雇う気になったかい』
「えぇ、予想以上だわ。ところで名前を聞いていいかしら」
『俺の名は〝L-3〟。かの名高き――、なんだっけかな』

 そんなやり取りをして二週間。トリエラは単独で行動しながらも、二つの組織と渡り合えてたのは彼の存在が大きかった。

『どーうやら確定の様だぜぇ。車は《学園都市》内部に入った。おかげで追跡が切れちまいやがった』
「厄介な事になったわね」

 トリエラは歯噛みする。知らずアクセルを強く握り、バイクが加速した。

『あちらさんのネットワークはこちらとの接点が少なく、ほぼ独立してやがる。おかげで中に入ったら、トリエラへ直接のサポートが出来なくなっちまう』
「そう」
『だが安心しておくれ。《学園都市》には外部ネットーワークを検閲する、四つの中継ターミナルがある。そこにダミーシグナルを混ぜながら、〝俺のコアシステム〟のコピーを分割送信している。《学園都市》内部のどこかのアクセスポイントで、大体五時間後には〝俺様の分身体〟が再構築されるはずだ』

 L-3はまるで自分を人間じゃない様に語る。そしてそれを隠そうともしないのだ。

『そうすりゃ学園都市の中でもエスコート出来るって寸法だ。ニョホホホホ、どうだい安心したかい、トリエラちゅぁ~ん』
「だぁれが、トリエラちゅぁんよ、このバカッ!」

 ヘルメット内で自分の叫び声が反響し、耳がジンジン痺れた。

「つっても《学園都市》の中の科学力は、世界でもズバ抜けてるんでしょ。アンタ、出来るの?」
『まかせとけって。〝盗む〟事にかけちゃあ、俺の右にでるものはいねぇんだぜ』
「本当かしら」

 男の実力は知っているが、信頼性は皆無だった。

『とりあえず、あと五時間は待ってくれ。もう一人の俺が、内部から隙間を見つけるはずだ。潜入が楽になるはずだぜ』
「五時間……」

 焦燥感が昇ってくる。苛立ちをL-3にぶつけたくなるのをトリエラは堪えた。

『疲労はお肌の大敵だ。ちゃーんと休まないと、美人が台無しだぜぇ』
「うるさいっ!」

 堪えたが、しっかりとぶつけていた。







 第19話「潜入準備」







 夕映がさらわれた日から一夜明け、千雨達は東京湾の片隅に浮かぶボロ船に乗っていた。
 ドーラ一家の持ち船『タイガーモス号』である。夜を通してこの船までやって来た千雨達は、千雨やアキラの傷の手当てを受け、船室で一晩の休息をしたのだ。
 その船の甲板で千雨は携帯電話を片手に、麻帆良学園長の近右衛門に報告をしていた。本来は昨日の夜のうち連絡したかったのだが、混乱のせいか連絡がつかず、とりあえず要点をメールにして送っておいたのだ。その後、千雨は疲労のためダウンしてしまった。

「――と、そういうわけです」

 昨晩、何者かに二度の襲撃を受け夕映がさらわれた旨を、詳しく語り終えた。夕映がさらわれた理由に関しては、知らず存ぜぬで通す。

『そうじゃったか。すまなかったの、長谷川君。わしらも周囲の不穏な動きを察知し、警戒を怠っていなかったのじゃが……』

 電話越しに沈んだ声で話す近右衛門。脳裏にはガンドルフィーニが殺され、眠るのを忘れ、働き続けている高畑を中心とした一部の魔法先生の顔が思い出された。

「警戒してたって、あんたら――」
〈落ち着け〉

 近右衛門に憤りをぶつけようとする千雨を、ウフコックが諌めた。
 近右衛門から最近の事情も聞いた千雨である。学園側がどれだけ苦労していたかも、何となく察することが出来た。それに目の前に夕映がいながら、助ける事が出来なかったのは千雨自身なのだ。自分が子供とは言え、都合が悪いことばかりを大人になすりつけるのは気が引けた。

「――ッ。いえ、声を荒げてすいませんでした」
『構わんよ。自分達の膝元で、またもや生徒を守れんかったのじゃ。責められるのは当たり前じゃて』

 罪悪感と、情けなさが心に広がった。されど、まだ悔いるべき時ではない。少しでも情報を多く手に入れなければならない。

「昨日の二回の襲撃者について、何かわかりましたか?」
『スタンド使いの狙撃手と、ピノッキオと呼ばれる人間じゃな。おそらく二回の襲撃はそれぞれ別の者がやったと考えるべきじゃろうな。狙撃手と思われる方は昨日、高畑君が〝拿捕〟した。どうやら君達を襲った後、第三者に倒されたらしい』

 近右衛門はあえて〝死んでいた〟とは言わなかった。

『ピノッキオという名前については、長谷川君から報告を受けた時から、職員に調べさせておる。お、ちょっと待っておくれ。どうやらある程度調べがついたようじゃ』

 スピーカーから、職員らしき人の声や、紙束をめくる音などが聞こえた。

『ふむ、あまりよろしくない報告になりそうじゃ』

 近右衛門はどうやら資料を斜め読みしているようだった。一呼吸置いてから語りだした。

『ピノッキオ、その名前で当てはまる人物は一名。まぁ本物かは保証出来んが。欧州を中心において活動する『五共和国派(パダーニャ)』という組織があっての、十年ほど前にその過激派の手先として活躍していた殺し屋の名前じゃ』
「殺し屋、ですか?」

 フィクションなどで良く聞く言葉であり、千雨は実感が沸かなかった。

『そうじゃ。経歴を見る限り凄腕、いや天才肌をいった方がいいんじゃろうか。魔法使いでは無いにも関わらず、かなりの数の魔法使いを倒しているそうじゃ。最近、『五共和国派(パダーニャ)』の支部がイタリア政府直々の襲撃があったそうでの、内部情報が流出し、その男の経歴が載っておった。まぁ細かいことは伏せるが、その後なぜか急に失踪したらしい』
「そいつが昨日の男なんですか?」
『麻帆良内にある監視カメラなどに、何度か件の男が写っておるので、魔法も併用し検証しているが、魔力の一切を感知できない。資料の幾つかの情報と共通しておる』

 男の濁りきった様な目を思い出した。それだけで昨晩の恐怖が蘇る。しかし、あの男――ピノッキオ――こそが夕映を助け出すために、立ち向かわなければいけない〝敵〟だった。

『それで今後のことじゃが、とりあえず麻帆良へ戻ってこんかの。綾瀬君の救出は、我々が全力を持って対処しよう』
「お断りします」

 千雨の迷いない言葉に、近右衛門はため息を一つついた。

『――君ならそう言うと思っておったわ。わしとしては出来れば戻ってきてほしいのじゃがのぉ。学園都市は閉鎖的な場所じゃ。外から助けられる事は少ない。わしとて出来る事といったら、正規のルートで理事会に抗議をする事くらいじゃ。今、人員を直接派遣する事は、いらぬ刺激を周囲に与える事になる。麻帆良を預かる者としてそれは出来ん』

 夕映がさらわれたんだぞ! その言葉を飲み込む。

「ならっ、一つお願いがあります。わたしと大河内、それと綾瀬の欠席の手続き。あとある生徒への援助です」
『ある生徒じゃと?』
「えぇ。事後承諾になりますが、わたしが今の状況で助けを求められる、数少ない可能性です。麻帆良には迷惑をかけないようにします」

 近右衛門と幾つか要点を確認し、電話を切った。

「ちーちゃん」

 千雨の背後にはアキラがいた。普段より髪が乱れ、少し疲れた面持ちである。

「あーちゃん、とりあえず麻帆良の方は片が付いた。とりあえず数日休んでも問題ないはずだ」

 そう言い、朝日に背を向けて西を見た。高層ビルが群れを為して建っている。その向こうに、壁に囲まれた目的地があるはずなのだ。

「あの場所は外とは違う。隠蔽されるはずの異能が当たり前の様に溢れ、暴力が現実の価値観を奪い去っている。わたしの能力も、あそこでは死角ができる」

 そう呟く千雨の横顔を、アキラはじっと見ていた。
 千雨は自分の携帯電話をポケットにしまい、代わりに違う携帯を取り出した。

「ちーちゃん、それは」
「うん、夕映の携帯だ。ちょっと悪いんだけど、使わせてもらう」

 千雨の携帯に入っているアドレスはまだ少ない。されど、さすが一貫性の学校である。クラスメイトが滅多に変わらないせいだろう、夕映の携帯にはクラスのほぼ全員のアドレスが入っていた。
 この状況で救援を求められる人は少ない。千雨自身、余り面識が無いクラスメイトだが、彼女の異常性には以前から気付いていた。
 相手はどの程度状況を知っているか、それに本当に協力してくれるのか。不安要素は多々ある。だが、どのような対価を求められようと、協力を取り付けなければならない。
 アドレス帳に目的の名前を見つけ、コールした。数回のコール音の後、相手に繋がったらしい。

「もしもし……」



     ◆



「やはり彼女は行くかのぉ」

 千雨との電話が切れた受話器をそっと置いた。
 長谷川千雨という少女の性格を、近右衛門はこの前の事件を通し何となく察していた。彼女は寂しいのだろう。人との繋がりが希薄な幼少期を過ごしたせいか、それを失うことを酷く怯えているようだった。そのため、絆のために容易に自分の身すらかけてしまうのだろう。
 その行動はヒロイックな反面、脆い。されど学園長室の椅子に悠々と座っている自分が、責めれるはずもない。

「瀬流彦君、それで調査結果に間違いはないのかのぉ」

 答えたのは瀬流彦と呼ばれた、若い魔法先生だった。

「はい。ガンドルフィーニ先生の遺体の近くにあった毛髪や繊維片や靴跡などと、昨日の誘拐現場を魔法で照合させた所、同じ人物の存在証明が取れました。魔法界の裁判や法務局(ブロイラーハウス)でなら、物的証拠として立件出来るレベルです」
「ピノッキオ、やはり彼がガンドルフィーニ君を殺した犯人という事じゃな。わしらは同胞の仇を、やすやすとこの街から取り逃がしてしまったわけじゃ」

 いつも通りの表情で淡々と話す近右衛門を、瀬流彦は黙って見ていた。
 疲労のためか彼らの警戒感は薄く、結界も張らずに話していた。そして、外にはその話を聞いていた一人の生徒がいた。

(嘘、でしょ。だってガンドルフィーニ先生は出張って……)

 口に手を当て目に涙を溜めている少女が、ドアの近くに立っている。昨晩の爆破事件での報告書をまとめ、学園長室に持ってきたのだ。
 彼女の名前は夏目萌(なつめめぐみ)。麻帆良芸大附属中学校に所属する一年生にして、魔法生徒であり、ガンドルフィーニを慕う高音や愛衣の同僚でもあった。



     ◆



 タイガーモス号の船長であるドーラ、その私室は混沌に満ちていた。船室とは思えない、豪華な壁紙にアンティーク。だが、さらに奥の部屋には奇妙なものが大量に置かれている。文字盤が十四分割されている時計や、気持ちの悪い人形の数々。その合間合間に海図などの資料が大量に壁を埋め尽くしていた。

「たしかここらへんだったんはずだ」

 ドーラは尻をあげ、上半身を資料の山に突っ込んでいた。プリプリと大きい尻を左右に振りながら、発掘作業に勤しんでいた。ガサゴソという音とともに、ガラクタが宙を舞う。その後ろで千雨は、見たくもないドーラの尻を見つつ、飛んでくるガラクタをキャッチしていた。

「おぉ、あった、あった。これだ」

 ドーラはクルクルと丸まった、古ぼけた紙を片手に出てきた。テーブルの上の物を腕の一振りでどかし、紙をその上に広げた。

「なんだこれ? 地図か?」

 そこには漢字とカタカナで書かれた地図があった。しかも横書きなのに、読みは右からである。どうやらよほど古いものらしい。

「おやチサメ、あんた日本人なのに読めないのかい。情けないねぇ」
「いやいや、こんな古い書体、今の学生じゃなかなか読めないだろ」

 地図はどうやら通路が書かれているようだった。迷路のように曲がりくね、地図を見るだけでも迷いそうな場所である。

「一応聞くけど、バアさん。これ、どうする気?」
「察しが悪いね。使うに決まってるじゃないか」
「やっぱりか」

 千雨の悪い予感は、バッチリ的中していた。
 現在、《学園都市》のセキュリティレベルは上がり、外部からの侵入が大変困難になっていた。
 千雨一人ならばパスがあるから大丈夫だろうが、アキラやドーラ達を連れては入れない。それに千雨一人で入った所で、出来ることは限られていた。
 壁を力ずくで越える事も困難であり、途方に暮れていたのである。それを昨日、ドーラが妙案があると言い始め、わざわざ彼女らの根城である、この船までやって来たのだ。

「ふむふむ、大体メドが付いてきたね」

 ドーラは古ぼけた地図にコンパスを乗せつつ、片手には液晶ボードの端末をいじっている。タッチパネルで拡大縮小をしているのは、どうやら都内のマップデータのようだ。
 そこへ控えめなノックがされた。そおっとドアを開け、中を覗くのはアキラだ。

「あの~ドーラさん、千雨ちゃん。朝食が出来たんですが」



     ◆



 タイガーモス号の食堂に、久々にまともな食事が並んでいた。船上の長旅のせいか、食料庫は空に近く、あり合わせの材料を使いつつ、アキラは十人以上の朝食を用意したのだ。
 男達はテーブルに並べられた食事に目をキラキラさせているが、ドーラが来るのだけはしっかりと待ち、手を付けずにいた。それはどこか良く躾られた犬を思わせる。

「おぉ、なかなかうまそうじゃないかい、アキラ」
「あ、ありがとうございます」

 ドーラが、千雨とアキラを引き連れて食堂に入ってきた。男達は少しでもよい所を見せようと、紳士然とした姿勢をとるも――。

「それじゃ頂こうか」

 ドーラの一言でそんなハリボテも失せ、かきこむ様に食事を平らげていく。各人に盛られたシチューはもちろん、大皿に乗ったサラダや卵料理にパンといったものが、あっという間に男達の胃に収められていく。

「さすがアキラの料理はうまいな」
「う、うん。ありがと。朝からシチューは重いかな、と思ったんだけど、それ以外作れそうな材料が残ってなくて」
「でもトマトが多めに入ってるせいか、けっこうアッサリしてるのな」

 そんな中、千雨とアキラだけは別種の空気を作り上げていた。男達の喧騒を背景に、いつもに近い食事風景である。

「アキラ、頬にシチューはねてるぜ」
「え、どこどこ」
「ここだよ、ほれ」

 千雨はアキラの頬に付いたシチューを指ですくい、ヒョイと自分の口に入れた。アキラはなぜか顔を赤くし、千雨を見ている。
 男達も、千雨達の一部始終を食事の手を止め、見つめていた。

「なん……だと……」

 特にチョビヒゲを携えたルイはそんな千雨の行動を凝視していた。目の前にあるシチュー皿を見つめ、その中に顔をおもむろに飛び込ませた。
 バシャリ、と周囲にシチューの飛沫が跳ねた。「うおっ、汚ねぇ」とルイの隣の男が声をあげる。
 皿から顔を上げたルイは、滴るシチューを煌びやかに飛び散らせつつ、張り付いた前髪を一掻きし、キラキラと光る眼差しを千雨に向け、ジッっと何かを期待した。
 ルイの行動を、千雨は変態でも見たかのような、さげすみの瞳で見る。ルイの鼓動が高鳴り、何かを勘違いしたのか目を瞑りはじめ、そっと顔を千雨の方に突き出した。

「何、汚い真似してるんだい、このバカ倅がぁ!」

 シチューまみれの顔にドーラの投げた皿が食い込み、ルイは体ごと食堂の壁まで吹っ飛ばされた。

「一体なんだったんだ? 相変わらずよくわかんねぇ人達だな」
「――うん、そうだね」

 千雨の言葉に愛想良く相槌を打つアキラだったが、目が笑っていなかった。

〈確かに良く分からんな〉

 食堂の片隅の死角。ウフコックはネズミの姿で、アキラの盛った朝食を食べつつ、興味深そうな視線をルイ達に向けていた。



     ◆



 男達の馬鹿騒ぎを見つめつつ、千雨もモリモリと食事を平らげていく。普段から食が細く、朝食となるとトンと進まない千雨には珍しい事だった。

「今日は朝なのに良く食べるね」

 もぐもぐと租借しつつ、千雨の片手にはパンが握られている。

「今回ばかりはしっかりと食べとかなくちゃな。あの場所は何が起こるかわからねぇ。それに――」

 昨晩の夕映のボロボロの姿が思い出された。千雨の持つ不安感が、アキラにも伝わった。
 千雨の持つパンがグシャリと握りつぶされ、わなわなと震えた。その手に、アキラの手が重ねられる。

「大丈夫。今度は私、負けない。それにドーラさん達もいるよ」

 アキラが千雨の瞳を覗き込みつつ言った。言葉は少ないが、千雨に伝えたい気持ちはたくさんあった。ウィルスを通しその感情が千雨に流れ込むが、例えそんなものが無くても、千雨にはしっかりと伝わっていたはずである。

「そう、だな」

 不安が、少し和らいだのだった。
 そして、そんな二人のやり取りを、ルイは凝視していた。

「なん……だと……」

 見つめる先には、パンが盛られた大皿があった。



 つづく。






(2011/08/28 あとがき削除)



[21114] 第20話「Bad boys & girls」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 12:23
 朝食後、千雨達は簡単な準備をし、タイガーモス号から、再び二台の車で移動を始めた。
 千雨とアキラにウフコック、ドーラ一家という総勢十二名と一匹の大所帯の出発となった。荷台にまで飛び出た人員を抱えつつ、都内の道路を通り行く。

「本当にそんなのあるのかよ」

 不安になった千雨が、運転席で相変わらず豪放にハンドルを切るドーラに問いた。

「まかせておきな。こう見えてもあたしゃ日本で何度か仕事をしてるんだ。そん時世話になった奴に貰った秘蔵のルートさ」

 昭和通りを道なりに進みつつ、新橋の手前で横道に反れる。そのまま幾つかの小道を通りつつ、行き着いたのは古い石造りの屋敷だった。どこか古き良き欧風建築を思わせる建物である。
 都心の中にありながら、そこだけポツンと時代が取り残されている様であり、なぜか一目を引かないような雰囲気があった。

「なーんか、地味だな」
「意識しないと気付かなそうだね」

 千雨もアキラも、建物をボーッと見つめている。

「いい目の付け所だね、ほら、男供はさっさと門を開けてきなっ!」

 ドーラの声に押され、荷台から工具を持った男達が、ワラワラと飛び出し、門に張り付く。金属製の門扉の開錠にかかったらしい。門や柵は錆付いているものの、隙間から見える庭園はそれほど荒れていない。

「目のつけどころ、って何さ?」
「ヒヒッ、そのまんまの意味でだよ。おそらくコイツは『まじない』って奴だろうね。知っている奴が見つけようとしない限り、ここには辿りつけないって寸法さ。東京ってのは面白い街でね、新しい建物がズンドコ建てたせいで、人の管理を離れたこういった〝遺物〟が人知れずゴロゴロしてるってわけさ」
「またオカルトかよ」

 話している間に、どうやら門の開錠が済んだらしい。男達の手で、錆付いた音を鳴らしながら門がゆっくりと開いていく。

「さぁ、ちゃっちゃっと行こうじゃないか」

 二台の車は敷地に入り、そのままグルリと屋敷の裏手にまで進んだ。屋敷の周りを走る際、窓から見た屋敷の内部は荒れ果てていた。千雨は庭園との落差に少し驚いていた。

「ボロボロだね」
「庭は定期的に整備されているようだが、屋敷は放置されてるのか。変な話だな」
「いーや、どちらも放置されてるよ。庭にも『まじない』がかけられてるとあたしゃ見るね。まぁ、どちらにしろ金にはなりそうにないが」
「これもか……」

 ドーラのウンチクを聞きつつ、千雨とアキラは再び周囲の庭を観察した。

「全然わかんねぇ。魔力ってのも確かに微妙に感じるが、それは大抵どこでも感じられる程度の量だ」

 不意に車が止まり、ドーラが運転席から飛び出した。
 屋敷の裏手には、納屋か倉庫かガレージか、といった建物がある。入り口の南京錠を、ドーラは拳銃で破壊し扉を無造作に開ける。開けた勢いのせいか、中からほこりが飛び出した。周囲にカビ臭い空気が漂う。
 中にはクラシックカーや馬車などといったものが、錆とほこりを被っていた。

「お前ら、また仕事だ。中のもんを外に出しな。欲しいもんがあったらかっぱらっていいよ」

 ドーラの「仕事」という言葉に悲鳴があがったものの、盗みのゴーサインが出た途端、男達の動きが良くなる。
 小一時間もかからず、倉庫の中身は外へと出された。男達が外に出されたガラクタの山を検分している時、ドーラに千雨は呼ばれた。

「チサメ、ちょっとこっちに来な」

 呼ばれたのは倉庫の中だった。物品が運び出され、ガランとしている。

「倉庫の中、特にこの床を中心に調べておくれ、あんたの〝力〟でな」
「あぁ、わかった」

 コツコツと、ドーラはつま先で石畳の床を指しながら指示した。ドーラ達に対し、千雨は自分の能力をある程度教えていたのだ。
 千雨は周囲に知覚領域を広げていく。違和感はすぐにあった。この床の下に、何か穴があるのだ。

「なんだ、これ」

 地面を凝視しながら、思わず口に出してしまった。千雨はそのまま倉庫の中を歩き回り、手近にあった石で、地面に目印となる傷を作っていった。

「バアさん、これでいいんだろう」
「あぁ、上出来だ。おい、野郎供ガラクタ漁りは仕舞にしな。仕事の再開だよ」

 千雨の目印をつけた所を少し傷つけると、下には大きめの杭が出てきた。それを数箇所外すと、石造りの床の一部がスライドするように出来ているのだ。
 倉庫の地面がパカリと開き、地中へ伸びる緩やかな傾斜が見えた。大きめのピックアップトラックでもすっぽり入るサイズの道路である。

「さて、地下探検へとしゃれ込もうかね」

 ニヤリ、とドーラが笑みを濃くした。







 第20話「Bad boys & girls」







 学園都市の第十学区。研究所などが多く立ち並び、唯一墓地を有するこの場所は人の出入りが他学区に比べ少ない。その片隅にある建物の奥の一室に、天井亜雄(あまいあお)の姿があった。
 無造作に伸びた髪、顔色は白く、ギョロリとした目が目立つ。どこか小物じみた雰囲気を白衣の中に詰め込んでいる男である。
 空調の聞いた一室で、目の前に置かれた研究対象を見つめていた。
 綾瀬夕映、確か本名はユエ・クローチェとかいう名前のはずだ。されど、天井にとって名前などはどうでもよく、すぐに忘れた。
 夕映には手術着のような薄手の繊維が羽織られてるだけで、肌はかなり露になっている。

「ひひっ、やっとだ。やっと」

 天井は夕映のおでこに手を当て、口角を吊り上げた。
 彼にとって、夕映は自らの栄達を助ける、天からの恵みに他ならない。

 天井亜雄は以前『量産型能力者(レディオノイズ)計画』という研究を行っていた。学園都市に七人しかいないレベル5と呼ばれる超能力者。その一人である『超電磁砲(レールガン)』のDNAマップを手に入れ、クローニングによりレベル5を量産する計画だった。
 だが、出来たのはレベル5に遠く及ばない欠陥品の群れだった。いくら作れど、出来上がったモノはせいぜいレベル3止まり。能力の底上げをしようにも所詮人間のクローン、あっという間に壊れてしまう。
 彼、いや彼の所属する研究チームは窮地に陥った。
 そこに救いの手が指し伸ばされた。『絶対能力進化(レベル6シフト)計画』である。学園都市のレベル5序列第一位に、二万もの戦闘パターンを経験させ、前人未到のレベル6に至らせる計画であった。
 その実験モルモットに『量産型能力者計画』のクローン体が選ばれ、二万体のクローンの量産と共に、天井の首は繋がるはずだった。しかし、また無常に計画は頓挫する。学園都市最強が、一介の武道家に敗れるという事が起きたのだ。相手は能力開発すら行っていない一般人である。学園都市が誇る高性能コンピュータ『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』が出した解答は〝計画の凍結〟。

 再び彼の元には多大な負債が残された。今度は一万五千もの人形付きである。
 さらに研究チームの主任は処断され、彼に責任者としてのお鉢が回ってきたのだ。学園都市から逃げ出す事も出来ず、ただただ荒れ果てた研究室で途方に暮れていたが、唐突に転機が訪れる。

 彼の元へ一つのデータが回ってきた。イタリアのある組織から亡命した男が持ち込んだデータらしい。内容はほとんどゴミクズに等しかったが、一部が彼の目を引く。『人工皮膚(ライタイト)』と呼ばれるそれは皮膚を通して、電子部品への干渉が行えるという。
 ただし、そのオリジナルの楽園謹製の『人工皮膚(ライタイト)』には遥かに劣り、劣化コピーにすぎない代物だった。
 天井の脳に閃きが起こった。彼に残された一万五千ものクローン『欠陥電気(レディオノイズ)』は確かに出来こそ悪いが、彼女らは独自の脳波ネットワークを持ち、繋がっているのだ。一種のバイオコンピューターに近い形式を持っている。
 現在のコンピューターは第四世代と呼ばれ、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』ですら例外では無い。
 現在学園都市内でも、次世代のコンピューターの開発競争は活発に行われているが、未だ実現に至っていないのだ。
 バイオコンピューターもその一つで、有機物を使った演算を目指すものの、出力が足りなかったり、外部へ情報を伝えるアウトプットに難があったりと様々な問題がある。

 だが、『欠陥電気(レディオノイズ)』と『人工皮膚(ライタイト)』、これがあればその問題は解決される。一万五千もの有機並列演算に、『人工皮膚(ライタイト)』による既存の外部ネットワークへの干渉。
 未だロスが多く『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』を越える程まで至ってないが、彼の研究は次世代コンピューターの試作モデルとして注目され、多大な研究資金が流れこんできた。

 天井にとって見ればたなぼたに近く、碌な努力と研究をしない上での成果である。
 味を占めた天井は、亡命した男が言っていた〝研究素体〟と『破片』に興味を持った。情報を探し始めた途端、すぐに見つかる事になる。
 麻帆良学園都市、自分達の目と鼻の先に潜伏していたというのだ。
 彼は強奪を試みようと思ったが、あの場所はまずい。魔法使いなる人間達の極東本部があり、その防壁は強固であった。
 異能に反応するという結界があり、学園の能力者を送り込む事も出来ない。例え送り込んだとしても、相手に捕まり解剖でもされれば、それは機密漏洩と見なされ天井が処断されるのだ。
 魔法使いのという脅威がある街で、自らのリスクを最小限にし、なおかつ最大限の成果を上げれる人材を探さねばならない。そして、その人材も思いのほかはやく見つかった。ピノッキオ、と呼ばれる殺し屋だ。十年前に失踪したとの事だが、欧州のゴタゴタに紛れ彼の情報も流出したらしい。
 脳に『破片』の技術による手術を受けているらしく、代謝の自動調整により、睡眠を取る事のない体になっているとの事だ。その治療を引き換えに交渉した所、あっさりとこちら側に転がってくれた。
 仕事もしっかりこなし、難なく目標を拉致してくれた。
 今はこの研究所の一室で休んでいるようだが、天井はピノッキオの治療など、正直どうでも良いのである。目の前の少女、正確にはその中身にしか眼中に入らなかった。知らず、笑みがこぼれる。

「ヒヒッ。おい、そっちの外部記憶装置(ストレージ)はどうだ?」

 天井は部下の研究員に、夕映の持っていたネックレスの詳細を聞いたのだ。

「はい。どうやら中身は補助記憶装置の様です。任意の記憶に受けた印象を、脳波パターンと、簡素なイメージ画像や音声で記憶しているようで……中身は膨大なため、細かいチェックは出来ませんでしたが、重要な研究データや技術などはありませんでした。強いていうなら、この装置そのものに使われた技術の方が素晴らしいですね」
「ふん、記憶障害の補助というところか」

 資料に間違いではないようだった。人工的に作られた体『義体』との拒絶反応を抑える薬には、発症を抑える代わりに記憶野に障害を起こすらしい。さらに幾つか脳波パターンを見る限り、この素体には膨大な研究データを記憶野に入れ、それを人格制御という名の洗脳で雁字搦めに封印してあるようだった。それが記憶野との正常な接続を日々困難にしていったようである。
 幾つかの情報が、亡命した男の残した証言とも合致している。

「なら簡単じゃないか」

 元々、天井は脳科学の専攻であり、ネットワークやら演算装置は専門外なのだ。

「人格も、何もかもを全て切り刻めばいい。最悪、脳だけでも残れば上々だ」

 そう言いつつも、彼は物理的に切り刻むつもりは無い。いや、必要がないと言った方が良い。みすみす素体を危険にさらし、中のお宝が失われるのはナンセンスなのだ。
 彼には自らが開発した、次世代型有機コンピューターの試験モデル『シスターズ』があるのだ。メスよりも遥かに小さい、電子のナイフで人格を切り刻み、中身を取り出せばいい。

「さぁ、オペのはじまりだ」

 夕映は抱えられ、曲線を描く奇妙なベッドへと押し込まれた。研究室のドアが開き、何人かの人影が入ってくる。その全員が同じ格好をし、同じゴーグルを被り、同じ顔をしていた。
 それは『シスターズ』と呼ばれたクローンの群れであった。夕映の周囲に八人程が立ち、その中の一人が夕映に近づき、頭部に直接触れた。
 瞬間、夕映は目を見開き、絶叫した。
 体が痙攣し、顔中から体液が溢れる。
 それを『シスターズ』は表情一つ変えず見つめ、彼女らの背後にいる研究者達は愉悦を浮かべた。
 一の不幸が、多の幸福に蹂躙される。その部屋ではある意味、そんな世界の縮図が再現されていた。



     ◆



 ピノッキオが案内されたのは、研究所のフロントに近い一室であった。どうやら彼を奥にまで案内する気はないらしい。部屋の隅を見れば、そこには只の天井と壁しか無い。だが、彼はそこから独特の視線を感じていた。

(監視カメラか)

 学園都市の技術を考えれば、その程度造作も無いだろう。
 ふと冷静になると、自分がどれだけ馬鹿な取引をしたかと思ったりもする。
 ただ、眠りたかった。
 故に、治療という甘い餌に容易に飛びついてしまったのだ。
 されど、奴らがそれを守る保証は無いのだ。仮に自分が手術台に乗ったとしても、果たして再び目覚められるかも怪しい所である。
 苛立ちが増した。天井とかいう
 柔らかすぎるソファーに体を沈ませても、多少の疲労感を感じるだけで、眠気は一切やってこない。目は冴えるばかりで、苛立ちが殺意の衝動へと変わっていく。目の前のモノを、力の限り破壊したくなるのだ。
 壁の一点見つめ、思索の海に浸っていたら、いつの間にか日が昇っていた。不意に空腹を覚えた。
 ピノッキオは立ち上がり、人気の無いフロントを通り、外に出た。

「どちらへ?」

 数人の警備員がピノッキオを囲んだ。

「腹が減った。ついでに散歩だ」
「食事はこちらでご用意いたします。お戻りください」

 警備員の制止を、ピノッキオは瞬時に振り切った。視界から消えたピノッキオを探そうと、男達が首を周囲に向けた時、警備員がもう二人倒れていた。

「なっ」

 何が起こったか、男達はわからない。ただピノッキオは男達の視線と呼吸を読み、最小の行動で死角へ潜り込み、最高のタイミングで身をかがめただけだった。もちろん、それで全員の視界から消えるわけではない。自分を視認し続けられた二人を瞬時に無力化させたのだ。
 肉を切り裂きたくなる衝動を堪えた。一人の首にナイフを当てつつ、他の警備員に確認を取った。

「食事を取りに行く。それに何か問題あるのか?」

 責任者らしき男はなんとか口を開こうとするも、ピノッキオの視線の前に首を横に振った。

「じゃ、そういう事で」

 一切の能力を使わず、武装をした警備員に引き金一つ引かせずに無力化してしまう。男達にとってそれはヘタな能力者より理解が難しく、異質であった。
 立ち去るピノッキオの背中を目で追いかけつつ、異質さに恐怖を持ったのだった。



     ◆



 ピノッキオが向かったのは、二つほど隣の地区にある第十五学区だった。研究所の周辺を散策したが、店たる店が見つからず、適当に見つけたバス亭から、適当な場所へと向かったのだ。
 途中見つけたパンフレット冊子によれば、第十五学区は最新の繁華街らしく、一番の賑わいを見せる場所でもあるらしい。

(失敗したか?)

 今更、人の多い場所に行くのも気が引けた。カリカリと頭蓋を削る音は、たやすく爆発してしまいそうだ。だが、それも面白いかもしれない。
 バスの窓越しに見る風景に、放課後なのだろう、学生が多くなってきた。
 繁華街に降り、人込みを避けるようにピノッキオは進む。

(子供ばかり。そしてこいつらのほとんどが超能力とやらの〝調教〟を受けているのか)

 視線はまっすぐ動かさないまま、視界に入るもの全てを観察した。うるさく、落ち着かない街だが、異常性は余り感じなかった。
 大通りを避け、小道にあった小洒落たレストランで食事を取った。ピノッキオにとって、食事の美味さは余り関係なく、ただよほど不味くなければそれで十分だった。ただ一例を除いては。
 レストランを出て、幾つかの通りを散策した。途中、学生がアクセサリーの露天を開いている通りがあった。第九学区にある美術学校の面々が、放課後になるとこの通りまでやって来ては似顔絵などを売るとか何とか、そんな事がパンフレットに書いてあった気がする。
 ピノッキオの視界に、一つのアクセサリーが目に入った。

「うさぎ?」

 うさぎをデフォルメして、マスコットにした小さなブレスレットだった。

「お、お兄さん。いいとこ見つけましたね。観光ですか? だったらぜひ一つ買っててくださいよー。オマケしますぜ」

 地面に胡坐をかいた少年が声をかけてきた。どうやら彼がこのアクセサリを作り、売っているようだった。

「いくらだ?」
「お、買ってくれますか。いやー、全然売れなかったんで、すげーうれしいですよ。本来千二百円ってところなんですが、サービスして千円でどうです?」
「千円。これで足りるな」

 ピノッキオはポケットを適当に漁り、手に掴んだ万札を少年に放った。そのままアクセサリをポケットに突っ込み、踵を返した。

「おわっ。って、ちょっと待ってよお兄さん。お釣り!」

 後ろから少年の声が聞こえたが、ピノッキオは気にせず人込みに紛れた。何故あんなものを買ってしまったのか、分からなかった。ポケットの中には、滑らかな金属の感触。それが段々と苛立ちを濃くし、頭のカリカリという音が激しくなった。

「ぶつかっておいてその態度はないよなぁ、オイ」
「えぇ~っと、その事はごめんなさい。あの急いでるんで、離して貰えませんか」

 路地裏から声が聞こえた。どの国でもある一種のチンピラ特有の掛け合いである。

(丁度良い)

 濁りきった瞳が躍動した。頭蓋が軋む程、音が高鳴り、体に熱が入る。
 路地裏に入れば、一人の女子学生を四人ほどのチンピラが囲んでいる。チンピラの一人は女子学生の手首を掴んでいた。
 その姿に、何かが重なった。
 ピノッキオに気付いたチンピラ達は、目線で威嚇を始めた。

「あぁ、何見てるんだよ、おっさ――」

 チンピラは最後まで言葉を紡ぐ事が出来ない。なぜなら彼の頬には、ピノッキオの放った拳が突き刺さっていたからだ。チンピラの口から血と歯が吹き出た。

「てめぇ!」

 一人のチンピラが手をかざした途端、周囲に落ちていた金属片が空中に浮かび、ピノッキオ目掛けて放たれた。

(念動能力とやらか、それとも磁力? まぁいい)

 事前に教えられた、簡単な能力の区分けを思い出しつつ、ピノッキオは横の壁に背を預け、最小限の動きでそれらをかわししていく。相手の射線に対し、できる限り平行な体勢を保ちつつ、背中の壁をも使い、金属片全てを無傷でやり過ごした。

「な、よけやがったのか」

 チンピラ達が、ピノッキオの動きに動揺した瞬間、手首に収まっていたナイフを真上に放った。光を反射しながら回転するナイフに、チンピラ達の視線が奪われる。
 ピノッキオは視線を低くしたまま、手近な男の喉元に手刀をねじ込んだ。

「うぐっ」

 くぐもった声を出しながら倒れる男を影に、勢いをつけたまま跳躍した。壁面を足場に二歩分走り、高く飛び上がる。
 倒れた男の声に反応し、視線を戻した時にはもう遅い。逆に空中に放られたナイフをキャッチしながら、ピノッキオはチンピラ達の背後に降り立った。
 三人目には背後から後頭部に蹴りを浴びせ、昏倒させる。残るは一名だった。

「なんだよ、こいつ。わ、わけわかんねぇんだよ!」

 能力を使わず、あっという間に三人が倒されたチンピラは、恐怖を顔に滲ませながら、手に炎を集め、をピノッキオに放った。

(試してみるか)

 腰のナイフを抜いた。ナイフの表面には細かい文字が彫られている、それはルーン文字と呼ばれるもので、物に刻む事により様々な付加を与える事ができる文字だった。
 ピノッキオは対魔法使い用の切り札として、この抗魔力が強いナイフを持っていた。ピノッキオが使えば、魔法の障壁すら切り裂く一品であり、十年前まで彼の命を何度も救った相棒でもある。
 相手の視線の揺れ幅が大きく、能力の射線を正確に捉えることが出来なかった。それ故に、ピノッキオはいささか余裕を持って炎を避けつつ、ナイフの切っ先をさり気なく炎に当ててみた。

(切れる。超能力にも使えるのか?)

 魔法に対して抗力を持つはずのナイフが、超能力にも効くようだった。もう一度試してみようと、今度はチンピラの前に仁王立ちをして待った。
 だが、チンピラはそんなピノッキオの態度に怯え、呆然とするばかりだった。

「ほら、どうした撃ってみろ」
「う、うあぁぁぁぁぁ」

 ヤケクソになったチンピラは、路地裏の周囲の壁を焦がすような大きな火の玉を、ピノッキオに放り投げた。

「や、やめてよッ!」

 女子学生がそれを見て声をあげた。何かをしようと走り出すものの、それよりピノッキオの行動の方が早かった。
 火の玉に自ら飛び込み、その淵をナイフで切り刻んで霧散させ、自分だけがかろうじて通れるような穴を作り上げた。歪な形になった火の玉は、あたかもピノッキオだけを避けた様にさえ見れる。

「はっ?」

 女子学生は、目を点にしながらその現象に驚いていた。

「ひぃぃぃぃ」

 勢いを殺さず、ピノッキオは最後のチンピラの懐にまで飛び込み、拳を振るった。鼻っ柱を折られたチンピラは、ズルズルと壁を背に倒れこんだ。
 ピノッキオは、目の前に倒れた、四つの体を見下ろした。手にはナイフがあり、そのグリップをギュっと握りなおす。さぁ、この男達の肉を引き裂き、嬲り殺そう。
 そう思った時、声がかけられた。

「あ、あの。ありがとうございました」

 ペコリとお辞儀をする女子学生。見たところ制服を着ていたが、イタリア出身のピノッキオにとっては見慣れない制服――セーラー服――だったため、多少違和感が残った。顔立ちも彫りが浅いせいで、よく年齢も分からない。おそらく中等部、いや小等部だろうか、と当たりをつける。

「その、助けてもらったのはありがたいのですが、やりすぎだと思います」

 少女が顔を上げた。キリリとした眉が印象的で、瞳もまっすぐピノッキオを見ていた。黒い髪を背中まで伸ばし、耳元の少し上に、花を模した髪留めが刺さっている。
 ピノッキオは興が冷めたと言わんばかりに、腰にナイフを戻し、無言で路地をさろうとした。

「あ、ちょっと待ってください。そのお礼を――」

 そう手を伸ばしかけた少女だったが、路地奥からの声に思いとどまった。

「佐天さーん! どこ行っちゃったのかと、心配しましたよ」
「あはは、ごめんごめん。ちょっとね――」

 セミロングのお団子髪の少女が走ってきて、女子学生に声をかけたようだ。
 ピノッキオは横目にそれを確認しつつ、路地を去った。



     ◆



 その日、学園都市の唯一の空の玄関口、第二十三学区にある国際空港で、職員は奇妙な物を見つけた。
 物資輸送用の貨物機であり、乗客は乗っていない。しかし、詰め込んである荷の中に、不思議なものが混じっていたのだ。飛行機の倉庫、その片隅に置いてあった、蓋の開いた箱だ。
 ミニチュアハウス、とでも言うべきか。手に抱えられる程の箱の中に、ソファーやテレビといったミニチュアが詰め込まれ、お洒落なリビングが再現されている。
 別にそれだけだったら良く出来た模型だ、と思いつつ遺失物なりとして部署に届けるだけで終わるはずだ。
 だが、そのミニチュアは生活感に溢れていたのだ。
 スナック菓子の残りが散乱し、ワインのビンも床に転がり小さな水たまりまで作っている。職員がおそるおそるテレビのスイッチをボールペンの先でいじると、なんとテレビまで映ったのだ。もちろんノイズ混じりで、ほとんど何も見ることは出来なかったが。
 職員はその異常さに冷や汗を隠せなかった。



     ◆



 四人の男達が空港から出てきた。特に手荷物が無く、手ぶらで堂々と歩く様は周囲に違和感を抱かせない。
 四人とも彫りが深く、一目で日本人じゃない事がわかる。

『ったくよ、誰だよ。テレビも持っていこう、とかいった奴は。飛行機の中でテレビが映るわけねーだろっ、どうせならDVDとかも持ってこいよな』

 丸坊主の男が周囲にグチを漏らした。どうやらイタリア語で話しているようである。

『お、お前だって賛成したはずだぜ、ホルマジオ。それ以上、その汚い口を開くんだったら、ぶ、ぶっ殺すぞ』

 気の弱そうな男が、ホルマジオという男に噛み付いた。

『うるせーぞペッシ。黙れ』
『プ、プロシュートの兄貴ィ。いや、だってホルマジオの野郎が――』
『黙れって言ったよな。もう一度言わせるな。それでリゾット、これからどうするんだ』

 プロシュートと呼ばれたのはスラリとした身長の男。プロシュートは四人のリーダー格であろうリゾットという男に話しかけた。

『仕事はこなす。だが、せっかく組織の援助付きでここまで来れたんだ。この都市で頂けるものは頂く。超能力、面白そうじゃないか。ボスをブチ殺す鍵を見つけられそうだ』

 四人の男達はイタリアのギャング組織『パッショーネ・ファミリー』の一員である。
 暗殺を生業とする彼らのチームは、いつも過酷な任務を押し付けられつつ、冷遇されていた。
 それに不満を持ったチームのメンバーは、秘密主義であるボスを調べようとしたものの、すぐに粛清されてしまった。今、彼らには組織からの首輪がかかっているのだ。
 その折、組織から一人の子供を殺せ、と彼らに命令が来た。
 その場所は何とあの《学園都市》である。彼らは任務を受けつつ、影で笑みを濃くした。
 従順な振りをしつつも、彼らはボスの首を狙っている。
 ボスを打倒し、幾つかの資金ルートを奪うことが出来れば、莫大な金が手元にやってくるはずだった。彼らはその機会を虎視眈々と狙っていたのだ。

『聞けば超能力とやらは、俺ら『スタンド』のコピーらしいじゃないか。せっかくだ。便利な奴は拉致るなり、薬漬けにするなり使い道がある。運ぶのにはホルマジオがいる』
『あぁ、まかせておけ』

 ホルマジオはニヤリと笑う。どうやらホルマジオのスタンド能力は、物を運ぶのに有効らしい。
 四人の男は空港近くの駐車場に向かい、車を物色した。

『とりあえずイタリア車を頂こうぜ。ドイツ車は好きになれねぇ。日本車はなおさらだ』

 プロシュートの言葉を聞き、リゾットはとりあえず手近なフィアットに狙いを定め、その鍵穴に触れた。
 ガチャリ、と触れただけでドアの鍵が開き、運転席に乗り込む。
 四人乗りとは言え、さして大きくない車だ。大の男が四人も乗ると窮屈だった。

『適当に暴れておく。そうすりゃ〝向こう側のヤツら〟も勝手に迎えに来てくれるだろう。そいつらもブッ殺せば、楽して情報が手に入るはずだ』
『いいねぇ、リゾット。手っ取り早くて素敵だ』

 ターゲットの写真を、リゾットはプロシュートに投げ渡した。髪の長い子供の写真だった。写真の淵にはターゲットの名前らしき走り書きが書かれている――〝ユエ〟と。
 リゾットの運転する車はゆっくりと動き出し、街並みにまぎれた。



     ◆



 その日、レベル5序列二位の垣根帝督は、アレイスターの影に忌々しい視線を送っていた。

 その日、『アイテム』のリーダーである麦野沈利は、セーフハウスで仲間と共に、優雅に紅茶を飲んでいた。

 その日、学園都市の暗部にある武装部隊『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』は血肉を貪っていた。

 火種がゆっくりチリチリと《学園都市》に火を灯し始めていた。



 つづく。



(2010/12/19 あとがき削除)



[21114] 第21話「潜入」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/10/16 18:53
「なんだよこりゃ」

 閉じられた空間のせいか、千雨の声は良く反響した。
 周囲は暗く、二台の車のヘッドライトだけが灯っている。ライトの先にあったのは、巨大な扉。反対側にはどこまでも続く線路。横の壁にはタイル模様で『新橋』の文字が描かれている。

「ここは幻のシンバシ駅さ。でっかい扉は車庫だろう。安心しな、あたしらが向かうのは逆側だ。恐らく西東京のあたりまで通路が伸びてるはず。地図どおりなら、抜けた先は《学園都市》の壁の先さ」

 扉と逆の方向には、まっくらな通路がどこまでも続き、床には錆付いた線路も伸びている。

「戦前の陸軍が作った秘蔵の地下通路ってやつだ。物資搬入路や軍本部からの緊急避難路としても設計されたらしい。一度、シンバシ駅と連結させる計画があったそうだが、ホームだけ作って頓挫。今はめでたく、本物のシンバシ駅はこの上に開通してるってわけだ」

 ドーラは天井を指しながら言った。地下鉄とは思えないぐらい天井が高く作られている。

「幻の新橋駅って……」

 聞いた事も無い名前に、千雨は言葉を無くした。

「さぁ、急ぐよ。こんな辛気臭い所はさっさと出るに限る!」

 地図を確認していたドーラが顔を上げ、車がゆっくりと走り出す。
 真っ暗闇の中、二台の車のライトだけが、巨大な地下通路を照らしていた。







 第21話「潜入」







 千雨達は五時間程地下通路をさ迷い、どうにか目的地近くまでやってきた。
 本来、地上を通れば一時間程度の距離も、この地下通路では倍以上かかるのだ。途中、幾つもの閉められた門が千雨達の行く手を遮り、その度に車から降りて作業をしなくてはならなかった。

「バアさん、あとどれくらいなんだよ」
「フン、もう目の前のはずだよ。ほれ、あそこからもう光が漏れているじゃないか」
「えっ」

 見れば、通路の奥に小さな光があった。
 真っ直ぐ伸びた先に、地上へ向けた傾斜路が見える。どうやらその先の入り口から光が漏れているようだった。

「やっとか。つーか、向こうは封鎖されてないのな」
「ふむ、まぁ古い通路だからね。学園都市側に察知されてるとやっかいだが」

 二台の車はゆっくりと通路を進む。
 ふと、千雨は出口近くの通路の壁に違和感を覚えた。

(漆喰? それにこの模様、何なんだろう)

 壁の白い模様が何かを想起させた。
 流れる視界に、一瞬黒い扉がかすめた。

「なぁ、アキラ。今、壁側に扉あったよな」
「うん。なんかあったね」
 多少不思議に思ったものの、そのまま通路が傾斜しはじめ、半日ぶりの日差しが千雨達を出迎えたのだった。
 通り過ぎた扉の上には、ひっそりと『丑寅』と書かれた紙が貼ってあった。



     ◆



 千雨達が出たのは、入り口と同じく古ぼけた屋敷だった。
 その裏手、石造りのアーチがかった建物から、二台の車は出てきたのだ。
 そこそこの広さがある庭に二台の車は停車し、千雨達は一息をつく。

「GPSで確認したが、ここは間違いなく《学園都市》だ」
「言われなくても分かってるよ。あんなもんがそう色んな所にあってたまるか」

 屋敷の敷地はレトロだが、その敷地の柵の外側は近代的な建物が目を覆わんばかりに建っている。
 千雨が指差す先には、風力発電用のプロペラの群れが見えた。

「んで、どうする気だい。あたしらはコッチではド素人だ。あいにくおのぼりさんなもんでね」
「一応わたしもここにいた事あるが、それでも半年だけだ。とりあえずはドクター、わたしの保護者がいる場所に行こう」

 千雨は携帯を取り出し、液晶に学園都市の地図を表示させた。

「場所はここ、第十九学区だ」

 千雨のナビの元、車は再び走り出した。アキラを含め《学園都市》初体験の者達は、曲線を多く使う近代的な建物や、道端を動く清掃ロボットといった物に目を奪われている。

(普通はそうだよな。わたしは重態で運び込まれたから、こういう経験ないんだよな)
〈それは致し方あるまい〉

 助手席の窓に肘をかけつつ、ボンヤリと久々の学園都市の風景を見た。

(夕映、待ってろよ。無事でいてくれ)

 ギュっと手を握り、気を強く持った。
 夕映がここに運び込まれたのは昨日の夜。今はもう夕方近くになっている。
 あと数時間で、ほぼ丸一日経った計算だ。そう思うと、背に冷や汗が伝う。

(大丈夫、大丈夫なはずだ)

 根拠の無い呟きを、千雨は心の内で繰りかえす。

(ん?)

 チリ、っと肌に何かがかすった気がした。

(何だこれ)

 千雨は周囲を知覚する時、普段は不要なものはフィルタリングし、除外するようにしていた。それがどうだろう、久しぶりに学園都市へ戻った千雨は、空気に違和感を覚えたのだ。

(空気に〝意思〟を感じる。まるで誰かに見張られているような――)

 様々な事が千雨の心を重くしていった。言い知れぬ不安感を、吐露することも出来ず、ぐっと飲み込むのだった。



     ◆



「くははははは、いいぞ、いいぞ。これがあれば私は」

 天井はモニターに向かい、大口を開けて笑う。
 研究所にある自らの私室で一人、笑いを堪えきれず声を上げていた。
 夕映の脳内から取り出したデータの数々は、天井の予想以上の代物だった。

「クローンとは違った形での生体部品の生成。魔力を感知する生体視認システム。未完成のものが多いが、これがあれば、これならば――」

 天井は失敗した『量産型能力者(レディオノイズ)計画』を思い出した。
 あの時、クローンとして出来たのは粗悪な肉の塊ばかりである。
 能力の底上げをしようと、数々の実験をするも、脆い体では耐える事が出来なかった。
 しかし、この技術があればどうだろう。強固な肉体があれば、能力向上への様々なアプローチが出来、それは完全なる能力者の量産へ繋がるのでは――。
 天井の妄想は、後ろから響いた激しい音で遮られた。
 部屋のドアが蹴破られ、一人の男が入ってきた。ピノッキオである。

「おい」

 手をブラブラろさせながら、さながら幽鬼の様な足取りで部屋に入ってきた。

「お、お前はっ」

 天井が忘れていたピノッキオの事を思い出した。

(な、何でこいつがここにいるんだ。奥のエリアには入れるな、とあれほど言っていただろ! クソ、無能供め!)

 ピノッキオの暗く歪んだ瞳が、天井を見据える。天井の喉が、ゴクリと音を鳴らした。

「き、君か。いやー、君には感謝しているよ。それよりどうしたのかね、わざわざこんな所まで。何か不都合があったのなら、こちらから出向く――」
「御託はいい。俺の治療はどうなっている」

 天井の言葉を、ピノッキオが遮った。
 ピノッキオの纏う戦闘者としての空気が、天井を恐怖させた。指先の震えが止まらない。

「あ、あぁ。今、『破片』の情報を分析していてね。幾つかの治療技術が君に応用出来そうなんだ」
「なぜ、そんな事がわかる。俺自身を検査もせずに、どうして治療が出来るなどとほざくんだ」
「んぐっ」

 天井は声を詰まらせ、視線が泳いだ。

「い、いや……そう、検査だ。検査は明日するつもりだったんだ。今は機材のメンテナンス中でね。とりあえずは『破片』の分析の方を進めてただけなんだ。うん」
「……本当だな?」
「あぁ、もちろんだとも」

 みえみえの嘘を、おくびにも出さずに吐いた。
 天井の体が、壁際の書類ラックへと押し付けられた。引き戸のガラスが割れ、部屋中に散乱する。
 ピノッキオはスチールラックに蹴りを放った体勢のまま、天井の体を固定し、首にナイフを突きつけている。

「もう一度言う。〝本当だな?〟」
「あ……」

 天井は涙目のまま、首をコクコクと動かす。そのためナイフが浅く皮膚を裂き、血が一滴ほど床に垂れた。
 ピノッキオはそれを見るなり、踵を返して部屋を出て行った。

「ひゅぅぅ、ひゅぅぅぅ」

 天井は、情けない声を漏らしながら息を整えた。
 部屋にある手近な回線に手を伸ばす。

「く、くそ、警備の奴らは何をしてやがるんだ!」

 警備室へ向け、コール音を鳴らすも、一向に反応が無い。

「早くでろっ!」

 怒りをスピーカーにぶつけるも、反応は無い。

「チィッ」

 舌打ちをしながら受話器を戻し、自らの足で警備室へ向かおうと、廊下に出た。

「な……」

 廊下で見たもの、それは地面に倒れる職員であった。一人、二人では無い。見える範囲には少なくとも十数人いる。

「どうなってやがる」

 警備室まで走る。見える所々に、倒れる警備員の姿も確認した。
 スライドドアの開いた先、警備室内も廊下や通路と同じ光景である。

「何でだ。これを、あの男がやったと言うのか。こ、ここは《学園都市》、最先端の警備システムがある研究所だぞ。そ、それを能力者でもない男がやったというのか」

 その事実を、先ほどのピノッキオの姿が裏付けられているようだった。
 このままでは不味い。天井は焦燥感が襲われた。

(何で、何でまた邪魔が入りやがる。もう少しで、俺の念願が叶うと言うのに――)

 ピノッキオを治療する、という選択肢は天井の中に無かった。
 ただ、どうやって邪魔を排除するか、その一点に思考が注がれる。

(クソ、金がかかるがしょうがない。学園都市の暗部に依頼するか)

 天井が携帯を弄り始めた時、背後の警備システムに警戒表示が灯っていた。
 それに合わせ、有機演算ネットワークたる『シスターズ』が起動を開始するのだった。



     ◆



 千雨達が向かった第十九学区は、古い街並みの場所である。
 再開発に失敗し、かつて沢山あった研究所も大半が閉鎖してしまった。
 その片隅に、かつて『死体安置所(モルグ)』として使われた、ドクターの住む地下施設があった。
 研究所の裏手にある車搬入用の通路を降り、地下駐車場に車を止めた。
 千雨の案内の元、巨大な施設をドーラ達は進む。

「なーんか辛気臭い場所だな」

 ルイの言葉に、男達がうんうんと唸った。

「仕方ないだろ、ここ元は死体安置所なんだぜ」
「いいっ」

 シャルルやアンリがギョっとして目を開いた。

「あれ? 言ってなかったけ」
「千雨ちゃん。私も初耳なんだけど」

 千雨の袖のすそを掴みつつ、アキラが怯えた様な目で見つめる。

「あー、とりあえず大丈夫じゃないかな。わたし、幽霊なんて見たことないし」

 ハハハ、と千雨が乾いた笑みを浮かべるも、アキラはギュっと袖を掴み続けるのだった。



     ◆



 案内された一室で、千雨にドクターと呼ばれる男――ドクター・イースター――が腕を広げて千雨を迎えた。

「千雨、元気そうじゃないか。ほら、僕の胸に飛び込んできな」

 千雨は一歩を踏み出し、ドクターに向けて走り出す。
 周囲の面子もそんな光景を見つめたが――。

「こぉの、バカ博士ぇぇぇぇぇ!」

 ゴイン、と千雨の拳がドクターの頬を捉え、殴り飛ばす。
 ドクターはそのまま足をもつれさせ、後ろにあった椅子の背もたれに後頭部を強打した。

「がぁぁぁぁ」

 ドクターは後頭部を抑え、地面でもがいていた。

「ふーふー」

 千雨は鼻息荒く、怒りを滲ませた目でドクターを見つめている。

「おい、クソ博士。あんたがアホな三文芝居を打っていたのは、先生に聞いたよ」

 ドクターは恨みがましそうな目線で、千雨の手首にまかれた腕時計を見た。

「わたしを心配してくれたのは嬉しいよ。だけど、それじゃあんたはどうするんだよ。それに、せめて一言くらい相談してくれたっていいじゃないか!」

 ドクターは千雨をこの《学園都市》から逃がすために、法務局(ブロイラーハウス)という公的な機関を通じ、調査依頼を受けさせたのだ。
 ただ《学園都市》を逃げ出しても、千雨の貴重さに保護の追っ手を差し向けるのは目に見えている。そのため『麻帆良』という土地を利用したのだ。
 極東にある魔法使いの総本山『麻帆良』。いくら《学園都市》でも、おおやけに麻帆良に干渉する事は出来ない。
 かつて千雨を拒絶した土地で、ドクターは千雨自身を守ろうとしたのだ。
 それを知った千雨は悔しかったのだ。
 自分を救ってくれたドクターやウフコックに何かをしたい。そう思いつつも、むしろ甘え続けていた事実が。
 ポタリ、ポタリと千雨の目から涙が溢れ、床に小さな水溜りを作った。
 それを見たルイは、千雨を泣かせたドクターに怒りの視線を送り、殴ろうと袖まくりをした。だが、ドーラが何かを察し、腕一つでルイを止めた。

「やめな、ヤボってもんさ。〝家族〟のイザコザに他人が押し入るのは一番最後って相場が決まってる。どうせ広い施設なんだ。空き部屋なんてたくさんあるはずだろ、ほらほら、お前らさっさと部屋を出な。チサメ、あたしらは適当な部屋で休んでるよ」

 ドーラと男達がゾロゾロと部屋を出る。アキラも心配そうな瞳を向けるものの。

〈大丈夫だ、まかせてくれ〉

 ウフコックの言葉に納得し、部屋を出た。
 グズリ、グズリと泣く千雨を、ドクターはどうしたものかと見つめた。
 千雨を泣かせてしまった申し訳なさや罪悪感があれど、同時に自分を心配してくれた事が嬉しかった。

「すまない」

 ポンと千雨の頭に、無骨な大人の男の手が添えられる。千雨はいつかの父親の手を思い出した。

「うぅぅぅぅぅ、このバカメガネ! 今度はちゃんと! ちゃんと相談しろよぉ!」

 グジュグジュの顔を、ドクターの白衣に押し付けつつ、千雨は泣き続けた。泣きながら文句を言い続けた。
 そんな千雨の背中をポンポンとドクターは軽く叩き続ける。いつの間にかネズミの姿に戻ったウフコックが、千雨の肩に乗り、ドクターの顔を見つめていた。
 「お前は……」――「仕方あるまい」。そんな会話を目線で行っていた。



     ◆



 およそ三十分ほど経ち、なんとか落ち着いた千雨は、アキラやドーラ達を再び部屋へ呼び戻した。
 情けない姿を見られたせいか、千雨の顔は真っ赤である。

「うぅ、えーとコイツがわたしの保護者にして、わたしを治療した張本人のドクター・イースターだ」
「みなさん、千雨がお世話になったようですね。ありがとう」

 短いながらも、ドクターにしては珍しく普通な礼節を言い、頭を下げた。

「そんな堅っ苦しい挨拶はいいよ。それでこれからどうするんだい?」
「ドーラさん、で良いんですよね。とりあえず粗方の事情は千雨から聞きました」
「ドーラ、でいいよ」
「わかったよ、ドーラ。それで何だが、千雨達がここに来たのは正解でもあるが、同時にまずくもあるんだ」
「へ?」

 千雨はちょっと驚いた。

「みんな知ってると思うが、僕が誰だか知っているかい。そう『楽園』の科学者だ。僕はね、幾つかの法と権力の隙間をついて、ここに居られるんだ。そこにはけっこうな制限がかけられている。そしてそんな僕を、学園都市側が放置していると思うかい?」
「それじゃ……」
「うん。監視されているのさ。おそらく、君達もマークされたはずだ。せっかく忍び込んでもらって悪いんだけどね」

 わざわざあんな地下通路を通ったのに、持っていたイニシアチブを早速幾つか失っていた。

「だがある意味正解でもあるんだ。まず、ここには高性能なサーバーがある。目的地を見つめるのには最適な場所のはずさ。それに話を聞く限りだが、その目的の綾瀬夕映君も僕は治療できるはずだ」
「治療、出来るのか? あんなボロボロの体なのに」
「一応ね」
「そっか。そうなんだ」

 千雨の顔に覇気が戻ってきた。

「そんなわけでドーラ達にも悪いが、もう一蓮托生だ」
「構いやしないよ。儲け話にリスクは付き物さ。さっさとガメて、とんずらと行こうじゃないか」

 ドクターの言葉に、ドーラは笑みを浮かべながら答える。

「そうだぜ! 千雨さん、俺たちにドンとおまかせあれ。この不肖ルイ、あなたのためならたかが《学園都市》、敵に回しても恐くも何ともありません! そうだよな、みんな!」

 おぉ……、とルイの余りのテンションの高さに、引き気味の声が重なった。
 アキラがそっと千雨に近づき、その手を重ねた。重ねた先から、アキラの意思が伝わってくる。

(私も頑張る。みんなも一緒だよ)
「あう」

 さっきは散々泣き顔を見られ、その上慰めの様な形で周りが答えてくれ、嬉しいやら恥ずかしいやらで千雨の顔は更に赤味を増した。

「……ありがとう」

 呟くような小声。だがその部屋にいた全員は、しっかりとその言葉を聞いた。



     ◆



「さて、と。それじゃあ千雨、探索を始めようか。もう時間との勝負だ。出来るだけ速やかに綾瀬嬢を回収して、ここで簡易的な治療をし、さらに学園都市からも脱出する。これが一番の理想だろうね」
「ここで治療って、ドクターは一緒に脱出しないのかよ!」

 ドクターの言葉に千雨は噛み付いた。

「ははは、いや僕も逃げるさ。脱出するにしろ、ここの機材は持っていけないからね。外で準備するとしても多少時間がかかる。だから、短時間でもある程度の治療をここでしておきたいんだよ」
「あぁ、そっか。安心したぜ」

 千雨はほっと胸を撫で下ろしつつ、周囲にある沢山のサーバーに目を向けた。

「千雨のキャパシティには遥かに劣るだろうけどね。とりあえず、これだけの演算装置使いつつ千雨の能力なら、ある程度まで気付かれずに侵入できるはずだ。」
「わかった。やってみる」

 本来、わざわざ端末に触る必要など無いのだが、千雨は端末に触れてから電子干渉(スナーク)を開始した。
 二千まで思考を分割し、ネットの海へ潜る。学園都市のネットワークは、何となく千雨に不快感を持たせた。
 そこを泳ぐとき、麻帆良と違い、両手両足に抵抗を感じる様な気がする。

(とりあえず、《学園都市》の総合データベース『書庫(バンク)』だな)

 学園都市では、都市側が運営する学園などの組織のほぼ全ては、『書庫(バンク)』をいうデータベースで情報を共有していた。
 そのデータベースでは、アクセスレベルをもうける事により、情報閲覧の制限をもしているのだ。

(相手の車のナンバーは分かっている。外部ゲートにある交通情報を狙う)

 セキュリティを分割思考を最大限に使ってすり抜けつつ、情報の森を奥へ奥へと進んでいく。

(あった、こいつだ)

 ゲートを通過した情報を元に、セキュリティレベルの高い地域区画に設けられた、特殊な交通情報なども閲覧し、車の足取りを追った。

(第三学区のゲートから、第四、第五、第十八学区を通り、第十学区へ進んでいる。その後、周囲の学区へその車が移動した形跡は無いっ!)

 第十学区には研究所が多い。必然各施設毎にセキュリティに余念が無く、普通に考えたらハッキングにも骨が折れるはずだった。

(思考を二百ずつ分けて、十箇所同時に侵入する)

 されど、千雨には電子干渉(スナーク)と分割思考があった。端から平らげるように、次々と研究所を漁っていった。

(違う、ここも違う。どこだ、どこにいる)

 分割思考を更に二百増やし、入ってくる膨大な情報をそちらに処理をさせる。

(ここは……)

 そんな中、千雨は一つの研究所を見つけた。幾つかの厳重なセキュリティが、千雨に何かを予感させた。
 セキュリティの鍵を一つ一つ外し、研究所のデータベースへと潜り込む。

(うわっ! 何だっ)

 横ばいから衝撃を受けた。セキュリティの反撃か、と思ったものの受ける感覚が何かと似ていた。

(まさか、電子干渉(スナーク)かっ)

 自分と似ている、のだ。攻撃を受けた方を見れば、同じ顔をした少女がたくさん立っている。

(不正なアクセスを感知しました。ミサカはこれを撃退します)

 不意に無機質な音声が耳をかすめる。
 データの連撃が千雨を襲う。一人一人の攻撃は千雨より遥かに劣るが、数が膨大だった。
 少女の姿が、まるで分裂する様に増えていき、千雨の視界を覆った。百や千ではきかない数である。

(どうなってやがる。もう少しで夕映の所在を確認出来るのにっ!)

 千雨は分割思考を最大の四千まで増やし、迎撃した。これに対し、相手はどうやら一万以上の数らしい。数の奔流に周囲が埋め尽くされていく。

(くそぉぉぉぉ!)

 力を尽くし、分割思考の一人を、少女達の隙間にすべり込ませた。そこから見えた微かなデータの端に、夕映の姿を見つける。

(居た。ここだ、ここに夕映が)

 千雨は自らの分割思考を劣りにしつつ、脱出を図る。データの嵐の中を、なんとかすり抜け、アクセスを放棄していく。
 気付いた時には、ドクター達が見守る部屋に戻ってきていた。

「千雨、大丈夫か」

 顔色の悪い千雨を、ドクターが心配そうな顔で見つめた。

「あぁ、大丈夫だ。それより見つけたぜ、ここだ」

 近くの端末を電子干渉(スナーク)し、目的地のマップデータを表示する。

「ここは……そうか。千雨が手こずるわけだ」
「ドクター、知ってるのか」

 一瞬、迷った様な素振りを見せたものの、ドクターは淡々と語りだした。

「ここはね、学園都市で開発が進んでいる次世代のコンピューターの中でも、一際注目を集める試作を作った研究所だよ」
「試作、って事はさっきのアレがそのコンピューターなのか」
「うん。そして僕が見る限り、おそらく使われてる技術には『楽園』の技術が使われている。千雨と同じ『人工皮膚(ライタイト)』。おそらく品質はもっと下がるだろうけど」
「『人工皮膚(ライタイト)』? って事はさっきのはコンピューターじゃないのかよ」
「いや、彼ら曰くコンピューターさ。学園の能力者のクローンに、『人工皮膚(ライタイト)』をくっ付けて並列演算させている。いわば人間コンピューターだね」

 人間コンピューター、その陳腐な言葉が《学園都市》の異質さを表しているようだった。

「それって――」

 怒りをぶつけようとした千雨の言葉を、ドクターが遮る。

「気持ちは分かるよ。でもね、僕も千雨に同じ様な事をしているんだ」

 ドクターは苦笑いを浮かべ、そう呟いた。



 つづく。



(2010/12/19 あとがき削除)



[21114] 第22話「ユエ」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/10/16 18:55
 物心、そんな物がいつ付いたのかは分からなかった。
 ただ最初の記憶だけは覚えていた。
 真っ白い部屋。ベッドも天井も壁紙も床も。
 四肢はほとんど動かず、本能的なまどろみの中にいた。
 周囲は何もかもが白で構成されていて、薄っすらと輪郭を残すのみである。
 その真っ白い空間を、何か色の付いた煙の様なものが漂っている。少女はその色を目で追いかけた。
 「おぉ、成功だ」「どうやら魔力をしっかり視認出来ているようだ」「三体目でやっと成功例か」。そんな言葉が部屋の隅のスピーカーから洩れ聞こえる。
 当時は何のことか分からなかったものの、二年後、少女が三歳になった時にはその意味が理解できた。
 この白い部屋も、自分に植え付けられた知識も、体に施された手術痕も、只の実験のためのものなのだと。

 空虚な時間。
 頭に膨大な知識と、感情という名のガラクタが置かれていた。ガラクタは所詮ガラクタで動くことはせず、寂しさも悲哀も、少女にはただの単語でしかなかった。
 母の温もりは知識で。優しげな声はスピーカー越しで。向けられた笑顔は自分を通り過ぎる。
 頭には膨大な知識があり、それを反すうするだけでも時間は潰せた。
 だが、部屋には何冊かの本があった。
 幼稚な絵本であったが、少女はある一冊の本を頻繁に読んだ。
 主人公の女の子が母と姉と一緒に、父の誕生日にケーキを作るという話である。
 女の子は苺を手に入れるために姉と冒険をし、クリームを作るために母と一緒に魔物と戦うのだ。しかし、それは全て女の子の夢で、ケーキを作っている最中に寝てしまったらしい。最後に父が帰って来て、家族全員でケーキを食べて、話はおしまいだ。
 少女は考える。
 姉はともかく、自分が産まれたというなら父と母が存在しているはず。
 一体、どこにいるのだろう。
 ぼんやりとそれを夢想した。顔を想像するために絵本を見るが、本の絵はお世辞にもうまいとは言えず、その作業を助けてはくれなかった。



     ◆



 ある日、少女は夢を見た。一人の男性が立っているのだ。
 その男性が笑うと自分も嬉しくて、もっと笑って欲しいと思う。
 その男性が悲しむと自分も悲しくて、その悲しみをどうにかしたいと思う。
 その男性が怒ると――。
 その男性が喜ぶと――。
 感情というガラクタが、〝ジョゼ〟という名の会った事もない一人の男性によって繕われ、まるでパッチワークのような歪な心が出来上がった。

「ユエ」

 その声の先には、夢で見た男性の姿があった。

「ジョゼ?」
「うん、よくわかったね。僕はジョゼッフォ・クローチェ。君のフラテッロ(兄弟)だ」
「フラテッロ……」
「そう、僕たちは兄弟だ」

 兄弟、これがそうなのだろうか。ユエは多少疑問を持つものの、彼女の持つ知識はこれを是とした。
 仕事上の相棒、フラテッロ(兄弟)。そう知識は示していた。
 ジョゼは頻繁にユエの部屋へやって来た。
 ユエはジョゼと会い、話す事がともても楽しみだった。されど、彼もずっとこの部屋にいられるわけではない。
 そのため、ジョゼは本やおもちゃなどを毎回持ってきてくれた。
 最初は目新しく、はじめて見たおもちゃに興味を持ったものの、その仕組みがわかるとすぐに興味が失せた。
 変わりにユエが興味を持ったのは本だった。ジョゼが来ない間は本を一日中読み漁り、貪欲に知識を吸収していく。

「ユエ、君の名前は〝月〟って意味なんだ」
「月、ですか。空に浮かぶという丸い円形の物体でしょうか」
「はは、そうだよ。東洋の文字『漢字』を知ってるかい? その漢字で月と書いてユエと読むのさ。ユエはどこか東洋的な顔立ちだったんでね、そう名づけたんだ」
「ユエ、『月』ですか。私もいつか月を見てみたいです」

 そう言いつつ、ユエは天井を見上げた。無機質な蛍光灯が部屋を白く染め上げるだけだった。







 第22話「ユエ」







 ユエの願いは程なく叶えられた。
 ある日、常とは違う雰囲気を纏ったジョゼが部屋に入ってきて、ユエを抱え上げた。

「ジョゼさん、どうしたんですか?」
「ユエ、月を見せてあげるよ」
「本当ですか」
「あぁ、本当だとも。だから僕の背中にしっかり捕まってくれ」

 ジョゼの大きな背中に、ユエは力の限りしがみ付いた。
 ヒーロー、そんな言葉が思い出される。自分をあの部屋から助け出してくれる王子様のようだった。
 ジョゼはそのまま廊下らしき場所を一気に走り抜けていく。ユエの視界には、天井を照らす電灯の光が、一定間隔で飛び込んで来た。
 今まであの部屋から出た事の無かったユエは、新たな予感に心を躍らせた。
 不意に電灯が無くなり、視界一面に無数の小さな光が見えた。

「うわぁ」

 周囲にときおり銃声が聞こえた。だが、ユエは目の前の光景に目を奪われている。
 星空、これが星空。
 ユエは植えつけられた知識から、正しい情報を引き出す。
 満天の星がユエの瞳を煌めかせた。
 でも、それ以上にユエを驚かせたのは、星空の中でも一際輝く存在だった。

「月、あれが月。すごい。あれが私……」

 まん丸の満月が、ユエの真上に浮かんでいた。
 遠くに浮かぶ小さな円。しかし、ユエには目の前に巨大な鏡が現れた様だった。
 あまりの美しさに、知らず涙が一筋流れる。

「あぁ……」

 手を伸ばす。あと数センチも伸ばせば、月を掴めそうだった。
 その手はジョゼに遮られた。
 ドサリ、とどこかに放り込まれた。それは車の後部座席だった。

「ユエ、しっかりとシートに掴まっててくれ」

 車が荒々しい音をたてて動き出す。
 シートを揺らす激しい振動に、ユエはコロンと仰向けに倒れた。
 車の窓下からも空が覗け、ユエはそのまま月を見続けた。

「ふふふ」

 車の中にはタバコの匂い、窓の隙間からは草の匂いがする。遠くから犬の鳴き声も聞こえた。
 ユエにとっては全てが初めてで、新鮮だった。
 ジョゼはユエを連れたまま、ヨーロッパを転々としつつ、最後にはある場所へと辿りついた。

「ジョゼさん。今度はどこへ向かうのでしょうか」
「日本さ。日本の麻帆良という土地だ」
「マホラ?」

 ユエが初めて見た麻帆良の印象は、まさに驚愕の一言だった。

「す、すごい木ですね。私、あんな大きな木、初めて見ました」
「あぁ、本当だな。僕も予想外だよ。でも、ここならやって行けそうだ」

 まず二人がやらねばならなかったのは、日本語の勉強であった。
 ユエの知識内にも、日本語の言語情報は入っておらず、一からの勉強である。
 幼稚舎に通いつつ、ユエははじめて同年代の子供達と触れ合い、少しずつ日本語を学んでいった。
 ジョゼも日本語学校に通い、元々素養があったのか、数ヶ月で日常生活には支障が無くなった。
 その学校で、日本語では『月』を『つき』と読むことにジョゼが驚く一幕もあったりする。
 てっきり漢字はどの国でも同じ読みをする、と思っていたのである。

「ハハ、ユエも日本語がうまくなったじゃないか。ハハハ」
「ど、どうしてそんなに笑うんデス。ジョゼさん」
「いや、なに。その〝デス〟って発音が、中々面白いと思ってね」
「ひ、ひどいデス!」

 そう言いながらも、二人は笑いあった。
 ユエも、ジョゼに笑ってもらえるのが堪らなく嬉しかったのだ。
 ジョゼは麻帆良に居を構える事を決意した。ここならば――という淡い希望があったのかも知れない。
 居を構えるにあたり、ジョゼは日本の戸籍を手に入れようとした。
 戸籍、という概念はアジアの一部の身分証明制度であり、ジョゼにとっては聞きなれないものではあったが、日本での身分証明としては必須のものらしい。
 蛇の道は何とやら。昔取った幾つかのルートを使い、『綾瀬』という人間を書類上の親類とし、その下にユエの名前をつけた。
 そして、ジョゼは持ち出せた幾ばくかの資金で一軒家を買い、そこを二人の家にしたのだ。


     ◆



「私が綾瀬夕映、デスか」
「あぁ、そうなる。これで晴れて日本人、というわけだ。さすがに僕は違和感が残るだろうからね。娘が日本人の男に嫁ぎ、一緒に日本へやってきた……という所かな。そして娘夫婦の子供が夕映、って設定だ」
「私が孫で、ジョゼさんが祖父。そういえばジョゼさん、最近しわが増えてきましたしね、ピッタリだと思いますよ『祖父』」
「な、何だと! ちょ、ちょっとどこだ夕映。一応僕はそこらへんも気にしてるんだぞ」

 二人ながら、賑やかな家だった。
 学校に行き、友達と笑い、家に帰る。家に帰ればジョゼとも話せた。
 ときおりジョゼが望遠鏡を出して、天体観測をしてくれた事もあった。
 そんな日々がいつまでも続くといい、そんな夕映の願いはあっさりと砕けてしまう。
 夕映が十歳の時、ジョゼがころりと病で死んでしまったのだ。
 心が壊れるようだった。
 ジョゼという糸で縫われた夕映にとって、彼という存在は必要不可欠なのだ。ジョゼがいなければ、またガラクタに戻ってしまう。
 ジョゼの居なくなった家を漁り、ジョゼの残り香を探した。
 そして、ある一室で、夕映はジョゼの手紙を見つける事になる。
 地下室に一つの箱が置かれていた。中には小さなペンダント。
 飾り気も何も無い、金属光沢を持つペンダントである。
 夕映はそれに触れ、驚いた。頭にジョゼの残した言葉の数々が流れ込んでくるのである。
 なぜ、自分を連れて逃げたのか。
 これからどうするべきなのか。
 そして、ジョゼが何より夕映の幸せを願っていた思いの数々が、記憶としてその外部記憶装置(ストレージ)たるペンダントに納められていた。

「ジョ、ゼさん……」

 ボタボタと、涙が床を濡らす。
 冷え冷えとした家の中で、唯一そのペンダントだけが温もりだった。
 夕映は、ギュっと……ギュっとペンダントを握り締める。
 ジョゼの残した温もりが、夕映の心を繋ぎとめていた。
 だが落ち着いた夕映は、泣いてばかりいられなかった。
 ジョゼが死んでしまい、家には自分だけしかいなくなる。
 子供一人では、満足に学校へも通えず、様々な制限がつくはずである。
 何より、ジョゼとの思い出が詰まったこの家を失いたくなかった。
 そこへ、一人の男がやってきた。大きな帽子にブカブカのコート、それを屋内に入っても取らなかった。顔はうっすらと輪郭が分かるばかりである。
 発せられる声は低く、落ち着いていた。
 だが、不思議とその姿に違和感を覚えなかった。
 麻帆良に来てからのジョゼの友人だ、という男は夕映の後見人になってくれるというのである。
 家もそのまま。様々な財産管理などといった処々の事柄も自分が行うと。
 夕映はいぶかしがったものの、男の一言で納得をした。

「彼は私の数少ない友人でしてね。そんな彼との約束なのです、彼が死んだときには君の助けになるとね。会う度にあなたの写真を見せられ、毎回自慢されてたので、初対面ですが私は君をよーく知ってるのですよ。どうか私の力を、君のために使わせていただけないかな」

 独特の飄々とした言葉ながら、男の発する強い思いは夕映に伝わる。
 夕映は「お願いします」と頭を下げた。
 家はそのままながら、中学に入ると共に、夕映は女子寮へと入寮した。
 その中学二年の時、夕映はある女子と出会う。
 ジョゼをどこか似た雰囲気を持つ女子であった。
 風貌も言動も、一切似ていない。なのに、どこかが彼と被るのだ。
 不思議に思いつつも、夕映は目で彼女を追っていた。
 あぁ、彼女はまるで――。
 夕映の感情の糸が不意にほつれていく。
 追憶が徐々にまどろみに消え、過去にあったはずの感情の激しさが全て無機質な物に変わっていった。

〈『条件付け』と呼ばれる無意識野の洗脳記憶を消去していきます、とミサカは報告します〉

 聞いたこともない少女の声が頭に響く。
 ジョゼと呼ばれた男性への〝アイジョウ〟が消えていく。
 彼への思いで形作られた夕映の心が形を失い始め、あの無様な物体へ戻ろうとした。
 ジョゼが笑うと、自分も嬉しかったはずなのに。
 ジョゼが悲しむと、自分も――。
 ジョゼが怒ると――。
 ジョゼが――。
 ジョゼ、その名前をユエは思い出せなくなっていた。一体誰だったろうか。
 とても大事な名前の気がするのに思い出せない、それなのに悲しみも不安もせり上がってこないのだ。
 自分の中に、感情という名のガラクタが落ちていた。
 糸がほつれ、バラバラになったガラクタ。ガラクタが無くなったおかげで、心の中の見晴らしはいい。
 少女は虚空を見つめながら、そう思った。



     ◆



 千雨達は夕映がいるのであろう、第十学区にある研究所まで来ていた。
 二台の車を近くに止め、少ない人数で物陰から研究所を覗き込んでいる。
 夜ともなり、人気も明りも少なかった。

「ふむ、少ないね」
「少ない?」
「警備の数だよ。研究所の大きさのわりに、外にいる人数が少なすぎる。特殊な警備システムでもあるのかと思ったが、ゲート近くの詰め所の大きさから考えたらもっと人員が沢山いるはずだ」

 ドーラの言葉を受け、千雨は警備員の数を見た。視界に入る限りは三人。奥にももっといるのだろうが、千雨には判断がつかなかった。
 相手が人工皮膚(ライタイト)を持っているとなると、無闇に知覚領域を広げるわけにいかない。

「まぁいいさ。ウチの男どもを正面から突っ込ませて囮に使おう。アタシ達は裏から入り込んで、ガメるものをガメるよ」

 千雨が何か言う前に、ドーラは「シャルル」と言い、髭面の長男にテキパキと指示を出していく。

「ママ、俺もママ達についていくぜ」

 その中で次男のルイが、ずずいと千雨とドーラの間に割り込んできた。

「ふん、頭数は揃ってるからいいだろう。車に運転手を二人残し、裏からの潜入はチサメとアキラ、それにあたしにルイだ。残りの男は正面から突っ込みな。派手に誘導し、派手に逃げるんだよ!」

 男達はワラワラと車の荷台に飛び込み、手に銃やら何やらと獲物を抱えて戻ってきた。
 そんな男達を背景に、千雨達はドーラの誘導の元、裏口へ向かい移動する。

「な、なぁバァさん。本当にあいつら大丈夫なのかよ。そりゃそれなりに出来るんだろうけどさ、相手は学園都市の警備員だぜ」
「心配するんじゃないよ。あの男どもは弱いけどね、あたしが鍛えたんだ。裏方家業必須の〝逃げ足〟だけは完璧さ」

 シシシ、と歯をむき出しにしてドーラは笑う。千雨はドーラの「弱い」という発言に、不安を隠せなかった。



     ◆



 研究所の裏手、資材搬入口であろう場所はあっさりと見つかった。
 周囲には幾つものセンサーがある。
 千雨達はひっそりと物陰に身を隠し、時を待った。

「……どうやら始まったようだね」

 正面ゲートの方から、爆音や銃撃音が聞こえる。
 それを合図に千雨達は物陰から飛び出した。千雨は周囲をすぐに電子攪拌(スナーク)し、情報をかく乱させた。
 そのまま裏口に飛びつき、一瞬でドアのロックを解除する。解除する時に、件の違和感を覚えた。

(感づかれたか)

 わざわざ囮を使ったものの、早々とシスターズに補足されたらしい。建物に千雨と似た力の展開を感じた。
 千雨は通路を走りながらも、この研究所のデータベースからマップデータを奪い取る。どうやら低セキュリティのデータらしく、シスターズの妨害無しに奪うことが出来た。
 並列思考を使い、夕映のいるだろう場所を洗っていく。一階中央にある隔離区域に狙いを定め、千雨は足を速めた。

「こっちだ。おそらくこっちに夕映がいる。アキラ、どうだ?」
「うん、ここまで来れば分かる。私も同じ方向に感じてるよ」

 アキラのスタンド・ウィルス感染者の方向を探る力も、学園都市に来てからは気配があやふやになっていたのだ。どうにもこの街には、能力を阻害する〝何か〟があるらしい。

「ならさっさと頂くとしようか」

 四人は廊下を走り抜けていく。途中出会う何人かの警備員を片っ端から昏倒させていった。
 ドーラとルイも手に持ったライフルの銃床を振り回し、意外なほどの強さで警備員を倒していく。

「くそ、なんて広さだ!」

 千雨はそう愚痴りつつ、角を曲がろうとしたものの、奇妙な違和感を覚えて後ろに飛んだ。 そんな千雨の行動に巻き込まれ、ドーラ達三人も地面に倒れる。

「うわぁっ」

 千雨の頭上をナイフが数本飛び越し、壁に突き刺さった。
 角の奥には男が立っていた。
 無造作に伸びた金髪、その下には淀んだ瞳がじっと正面を見据えている。

「て、てめぇ、ピノッキオとか言う奴!」

 千雨が銃を構え、アキラがスタンドを出した。だが、その行動をドーラが制した。

「チサメ、先に行きな。こいつはあたし達が相手しよう」
「うぇっ、あたし達ってもしかして俺も?」

 ルイが驚いた様にドーラを見た。

「その、ルイさん。大丈夫なのか?」
「ハハハ、大丈夫ですよ。ピノッキオだかキノッピオだか知りませんが、このルイにおまかせあれです。ささ、千雨さんは先をお急ぎください」

 千雨の言葉に一転、歯をキラリと輝かせながらルイは千雨の手を握り、そうのたまった。
 アキラはそれをジト目で見つめている。

「あ、あの、たのむぜ! 絶対に死なないでくれよな」
「ありがとうございます」

 千雨とアキラはそう言いつつ、ピノッキオのいない通路を進んだ。どうやら迂回して進むらしい。
 残ったのはドーラとルイ、それにピノッキオである。
 ピノッキオは千雨達に興味なしと言った体で、事の成り行きを見守っていた。

「あんたがピノッキオかい。噂はかねがね聞いてるよ」
「……」

 ドーラの言葉に無言。
 次の瞬間にはノーモーションでナイフが投擲された。

「ぐうっ」
「ひぃ」

 ドーラはそれを銃身で受け、ルイはおおげさな動きで地面に伏せた。
 ピノッキオはその間にも距離を詰めてきている。ドーラは銃身にナイフが刺さったまま、照準も定めずに引き金を引いた。
 ガガガガ、という銃撃音とともに通路の壁が削られる。
 しかし、弾丸はピノッキオの服を掠った程度だった。ピノッキオはドーラの懐に飛び込み、ナイフを振り上げた。

「ちぃっ!」

 銃本体で辛うじてナイフを反らせるも、ドーラは肩を浅く切られた。金属同士がぶつかり周囲に火花が散った。

「ママをやらせるかよ!」

 立ち上がったルイがピノッキオに向けて拳銃を放った。ピノッキオは体勢を低くして回避し、お返しにルイの持つ拳銃の銃口へナイフを放つ。そして低い体勢のまま、ピノッキオはドーラに向けてタックルをした。

「がふっ!」

 ライフルがドーラの手から離れた。
 ドーラは壁へ叩きつけられながらも、ピノッキオに向け膝蹴り撃つ。ピノッキオはガードをしながら後ろへ転がった。
 一瞬のこう着。
 ドーラは咳き込みながら腰に挿してあった大降りのナイフを取り出す。
 ルイも駄目になった拳銃を捨て、地面に落ちたドーラのライフルを拾う。銃身を取っ手に鈍器の様にして構えた。
 ピノッキオは首をさすりながら、ドーラ達を興味深そうに見つめる。
 タイミングは完璧だったのに、反応が思いのほか速かったのだ。

「君達、何者?」
「只の賊さ。それにそんなにボーッとしてていいのかい?」

 カラン、と金属音が聞こえた。通路の床に缶の様なものが転がっていた。
 ピノッキオがドーラ達に視線を戻すと、二人とも防護マスクを顔に装着している。
 缶から煙が勢い良く噴出す。

「ちっ!」

 ピノッキオはその場を引き、後方へ走り出した。

「逃がすんじゃないよ! ルイ、さっさと追っかけな」
「さすがママ、えげつないぜ」

 ドーラとルイはピノッキオを追いかけるために、煙の中に飛び込んだ。



     ◆



 千雨とアキラは、ピノッキオの塞いでいた通路を迂回するように中心部へ向かう。
 なぜかほとんど妨害に遭わずに施設内を進んでいった。

「千雨、硝煙の臭い。左方からだ」
「了解だ、先生!」

 千雨は伏せながら、ウフコックに干渉し、手の中にアサルトライフルを作った。
 いくらか照準の甘い銃撃が、千雨達の後方の壁に穿たれる。

〈――警備の不備を確認。ミサカの一部を物理的迎撃に回すと、ミサカは指令を出します――〉

 千雨にノイズの様なかすかな信号が聞こえた。
 視線の先には、千雨のこの施設へのアクセスを妨害した少女と同じ顔が見えた。

「あれは『シスターズ』」

 銃を持ち、物陰から射撃体勢に入っている。見れば同じような少女の影が数人見て取れる。

「ちーちゃん、先に行って」

 アキラがさも当たり前の様に告げた。だが、表情には出ずとも、その不安は感じられる。なにせ目の前で銃弾が跳ねているのだ、恐くないはずは無い。

「そんな事出来るかよ」
「大丈夫。ちーちゃんにウフコックさんがいるように、私にもいるから」

 アキラの後ろに狐顔の人影が立ち上がった。
 動く四本の尻尾を壁面に叩きつけ、壁を破壊する。その破片を尻尾の先が器用に掴み、「ブルン!」と尻尾を振り回して通路の向こうへ投げつけた。
 腹に響く破砕音。スタンドの力で投げられた破片は、大砲の様に通路の壁を抉り取った。

「ね、大丈夫だから。はやく夕映を助けてきて」
「ハハハ。そうだな、少しだけ頼む。すぐ戻る」

 千雨は乾いた笑いを残しつつ、ウフコックを防弾アクリル盾に変えて、弾丸を避けつつ通路を急いだ。

「ふぅ……」
「大丈夫? アキラ」

 後ろからフォクシー・レディが心配している。カタカタとアキラの手が震える。

「恐い、恐いけれど――」

 アキラは前方、物陰から銃を構えている。銃口が自分に向いているという現実に、体中が凍りつく様だ。

「引けない。私はちーちゃんと一緒にいる! これくらいの事で引けない!」
「ソレデこそアキラよ。ワタシ達ノ初めての二人ダケの戦い、気合イレテイクワ」
「うん!」

 震える体を微かなプライドで押さえつけ、頭に一人の人物を思い浮かべた。
 勇気が沸いてくる、そんな気がした。



 つづく。





(2011/08/31 あとがき削除)



[21114] 第23話「ただ、その引き金が」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 13:06
 また一つセキュリティを破り、ドアのロックを外す。それとて、相手が『シスターズ』となれば長くは持たない。
 千雨はドアの隙間に体を滑り込ませ、前へ前へと進んでいく。
 途中何故か警備員がほとんどいなく、千雨を妨げるものは『シスターズ』のネットワーク攻勢のみだった。
 時折、遠くから銃声が聞こえる。反響音から考えれば施設内だろう。

「待ってろよ、夕映」

 ドーラ達やアキラが身を呈して千雨をここまで進ませてくれたのだ、夕映を絶対に取り返さなくてはいけない。
 気を引き締めなおし、千雨は通路を進んだ。
 あと一つ、角を曲がれば目的の部屋のはずだ。
 何故か千雨の手のひらには、嫌な汗がじっとりと浮かんでいた。







 第23話「ただ、その引き金が」







 ドーラ一家の長男、髭面のシャルルは警備員を足蹴にしつつ、周囲を見渡した。
 どうやら仲間達もこの施設の警備の無力化が終わったらしい。

「兄ちゃん、終わったよ!」

 末っ子のアンリがそう言いながら走ってくる。
 後ろには縛られ、山になって積まれた警備員達が倒れている。

「おう、こっちも終わったよ。後はママ達が戻ってくるのを待つだけだな」

 手下の男達もわらわらと集まってくる。
 シャルルにアンリに手下三名。二名は運転手として車に残っている。
 総勢五名という人数で彼らは、研究所の正面に居た警備員十数名を無力化したのだ。
 見回せば五名ともほぼ無傷だ。

「なんか思ったよりあっけなかったね」
「あぁ、ママの方がはるかに恐いよ」

 アンリの言葉にシャルルが頷く。
 まだ施設内から銃声が聞こえるが、ドーラの事だからうまくやるだろう、そうシャルルは結論付けた。

「よし。じゃあお前ら、少し施設漁って金目のものを頂こう。研究データとかなんかはどうせ俺らにゃ判断つかないんだ。適当に頂いていこう」

 男達の目がキラキラと輝き、研究所へ我先にと進もうとするも――。

「あら、なかなか面白そうな事になってるわね」

 シャルルの背中に寒気が走った。
 普通ならば心躍らせる美女の声、そう思うだろう。だが、〝コレ〟は違う。
 短くないシャルルの裏家業の経験が語っていた。
 振り向けば研究所の門の前に車が止まっており、その中から一人の女性が降りた。
 背中まで伸びた髪は、少しウェーブを効かせている。
 どこか大人びた服装をしており、モデルに似た小じゃれた印象を抱かせる女性だった。

「依頼が来て、せっかく尋ねてみれば研究所はこの有様。まぁ面白そうだからいいけどね」

 女性――麦野沈利はそう言いながら髪をかき上げた。学園都市の七人しかないレベル5、その序列四位たる『原子崩し(メルトダウナー)』の姿がそこにあった。
 車からさらに三人の女性が降りてきた。そのうちの一人、小学生の様な容姿をした女性が話しかける。

「それで、『アイテム』としてはどうするんですか?」
「とりあえず依頼人に話だけでも聞きましょう。絹旗、邪魔な〝アレ〟掃除しておいて」
「超面倒くさいですが、仕方ありませんね」

 絹旗、と呼ばれた少女はゲートに使われている重厚な鉄柵に触れた。するとメキメキと音をたてながら、鉄柵が持ち上がった。
 その一連のやり取りを見ていたシャルルは、仲間に呼びかける。

「やばい、お前ら〝逃げろ〟!」

 ドーラ一家にとって『逃げろ』という言葉は常とは違う一大事を示している。
 シャルルの焦りを感じた男達は、力の限り足を動かし、周囲へと散らばっていく。
 そこへ――。

「ふっ!」

 強大な風きり音を響かせながら鉄柵が投げられた。巨大な鉄の塊がアスファルトを抉りながら飛んでくる。
 先程、シャルル達が無力化した警備員達もあっさりとミンチに変え、鉄柵は研究棟の壁に突き刺さり止った。
 轟音が空気を揺らす。
 砂煙が舞い、周囲には血肉が散乱している。
 少女の一投により、この場が瞬時に凄惨な狩りの場に変わっていた。
 その惨状も確認せずに、シャルル達は逃げの一手を打つ。
 わらわらと、まるでゴキブリが四方八方に散るように逃げていく。

「麦野さん。一部取り逃がした様ですが」
「いいわ、どうせ小物でしょ。さっさと中に入って現状を教えてもらいましょう」

 手をひらひらさせつつ、麦野はコンビニでも行くかの様な気楽さで、銃声と爆音が響く研究所へ入っていく。残りの三人の少女も、その後ろ姿へ追随した。
 この四人こそ、学園都市の暗部に存在する組織『アイテム』だった。



     ◆



 通路の奥からの銃撃は続いている。
 的確な射撃は、ときおりアキラへ当たりそうになるものの、アキラのスタンド『フォクシー・レディ』の尾の守りでなんとか直撃は避けていた。
 こちらも壁の破片をスタンドの力で投げられるものの、その軌道は正確ではない。
 スタンドの力を振り絞り、なんとかそれなりの力を出しているが、元々アキラのスタンドはパワー型では無いのだ。そのため正確さを犠牲にしなければあの力は出せなかった。

(本当に私に倒せるの?)

 相手が何人いるのかすら分からない。その上、銃まで持っているのだ。
 こちらはスタンドがあるとはいえ、一撃を受けたら死ぬかもしれない。
 ゾクリ、と不安がせり上がってきた。

「アキラ、落ち着キなサイ。ワタシ達の目的ヲ良く考エテ」

 フォクシー・レディの助言に、ハッとする。
 そうだ、何も倒さなくてもいいのだ。
 〝今の状態を維持する〟。
 それはすなわち千雨を追いかけさせない事だった。
 そして、それこそがアキラの目的だ。
 アキラは一つ深呼吸をしてから、息を吐いた。

「ありがとう、フォクシー・レディ。そうだったね」

 何か、勝手な思い込みをしていたようだ。
 以前は恐ろしかった自分のスタンドだが、今はとても頼もしかった。
 見える範囲で『シスターズ』は三人。通路の柱や角に身を隠しつつ、半身を出して射撃を繰り返している。
 アキラも何度か破片を放り投げるも、決定打には至らない。
 ふと、自分の能力を思い出す。自分の能力は『スタンド能力』であり、相手は視認できない。されど、自分の能力に感染したものはスタンドを見る事が出来るのだ。
 千雨ですら知覚が難しかった『スタンド』を、相手の『シスターズ』が知覚できてるとは思えない。
 ウィルス感染前後の認識の差を使い、何か相手に誤認を与えれば、『シスターズ』を混乱させられ、時間が稼げるのではとアキラは思った。

「――やってみる」

 フォクシー・レディは現在動く四つの尾それぞれに破片を持ち、ほんの少しの時間差をつけ連続で通路に向けて投げた。
 照準は適当、相手が少しでも混乱してくれればいい、その程度だ。

「『フォクシー・レディ』! 全力で走って!」

 獣の姿に変わったフォクシー・レディがアキラを抱えたまま、壁面を走る。四本の尾をピック代わりに壁に突き刺しながら、常と変わらぬスピードで進んだ。
 砲撃に身を隠していた『シスターズ』も、アキラの挙動に気付き、銃撃を再開する。

「もっと上!」

 壁からさらに飛び、今度は天井を走り出す。機材を運ぶためだろうか、思いのほか高く作られた天井をも縦横無尽に走り、彼我の距離を詰め寄った。
 天井を走りながらのため、フォクシー・レディも完全にアキラを守ることが出来ず、銃弾が体を掠める。

「行けぇぇぇ!」

 そのまま『シスターズ』の三人が固まっている場所へ飛び降りた。
 フォクシー・レディの四本の尾のうち、二本がアキラの盾となり銃弾を受ける、もう二本が二人の『シスターズ』に攻撃をした。そしてアキラは残った最後の『シスターズ』に、身を呈してのタックルをかました。

「ぐぅぅ!」

 体格的にも恵まれているせいだろう、小柄な少女の形をした『シスターズ』の一人は銃器を落としつつ、仰向けに倒れた。

「今! 『フォクシー・レディ』!」
「オーーライ!!」

 フォクシー・レディは黒いもやを纏った尾で、残った二人の『シスターズ』に触れた。
 そして、そのままアキラを抱え、離脱する。
 アキラは二人の『シスターズ』を『スタンド・ウィルス』に感染させた。また、ウィルスの侵攻速度を片方だけ極端に遅く設定している。
 傍目からは見て、片方の『シスターズ』(仮にA)だけ感染した様に、もやの量を調節したのだ。
 そして、もう片方(仮にB)がAのもやを確認しようと体に触れた瞬間に、Bの方のウィルス侵攻速度を上げて、あたかも二次感染したかのように偽装する。
 アキラの『スタンド・ウィルス』は二次感染せず、しかも感染者の数が最大五人までと決まっていた。だが、相手はそれを知らないのだ。
 二次感染をする、という偽装の情報を『シスターズ』内で流させ、この施設内にもやをばら撒けば、かなりの牽制になるはずだ。
 アキラの能力を知っている千雨やドーラ達には牽制にすらならず、逆に一方的なアドバンテージとなる。
 『シスターズ』から離れながら、アキラはそのタイミングを計っていた。
 視界の先には二人の『シスターズ』がむくりと起き上がった。
 片方の『シスターズ』は見るからにもやに包まれている。
 もう片方の『シスターズ』が状況を把握しようと、もやに触れた。

(今だ!)

 もやに触れた『シズターズ』にぶわりともやが纏わりついた――ように見せた。
 『シスターズ』の二人は、何事が起きたのか確認するために体をキョロキョロと見回す。

〈――カ一〇〇十二号と一〇〇――号が敵性攻撃を受け――確認。二次感染の可能――慮し、素体の処分を決――す〉
「え?」

 『シスターズ』の口から、機械的な声が聞こえた。
 幾つかの単語がアキラの耳に入る。
 そして――。

「あぁ……」

 ニ発の銃声。
 しかし、それはアキラに向けられたものでは無かった。
 『シスターズ』が〝自分自身を撃った〟銃声だった。口の中に銃口を突っ込み、何の躊躇も無く引き金を引いた。
 顔半分が吹き飛び、周囲に脳しょうの欠片が散らばった。
 死んだ体から、もやが霧散する。
 相手は被害が拡大するのを懸念し、即座に個体を切り捨てたのだ。
 アキラは離脱しながらも、その光景がしっかり目に焼きついていた。
 フォクシー・レディを掴む手が一層強くなる。
 少し離れた場所まで行き、スタンドから降りた瞬間、アキラは嘔吐感を堪えきれずに床へぶちまけた。

「おえぁぁぁぁぁ……」

 ボタボタと涙も一緒に床に落ちた。
 それは嘔吐した苦痛からでは無い。
 人の命が奪われる瞬間を、アキラは初めて目の前で見てしまった。何より、その引き金を間接的にだが自分が引かせた、という事実に愕然とする。
 自分の両腕を抱きこみ、襲い来る不安感に耐える。
 その時ウィルスを通し、千雨から激しい感情が流れ込んできた。



     ◆



 千雨が辿りついた部屋は混沌としていた。
 大量のモニターもさる事ながら、紙媒体の資料も大量に積まれている。
 情報端末が発達した学園都市では、少し珍しい光景だった。
 薄暗い研究室に人影は無く、千雨は資料の山を押し倒しながら奥へ進む。
 すると、部屋の奥にガラスで区切られたもう一つの部屋を見つけた。

「夕映!」

 ガラスの向こうには、手術台の様な場所に寝かされた夕映の姿があった。
 ドアを蹴破り、夕映の元へ急ぐ。
 そこで千雨は夕映の姿を見て絶句した。

「……っ」

 麻帆良で見たときより酷い姿だった。
 体は薄い手術着の様なものを羽織られているものの、四肢はむき出しだ。
 その四肢を見る限り、撃たれた傷はそのまま放置され、肌に乾いた血がそのまま残っている。
 場所によっては、弾丸が皮膚の癒着に挟まれているのも確認できる。
 なにより――。

「夕映、わたしだ。おい! 夕映っ!」
〈千雨、今は無駄だ。とにかく綾瀬嬢を連れて離脱しろ!〉
「だって! 先生、そんな事言ったって!」

 夕映は瞳を開け、どこかを見つめていた。瞬きもしてるし、呼吸もしている。
 だが、それだけだった。
 千雨が一目見て想像したのは、蝋人形だ。
 例え人間から型を取り、精巧に色を塗っても、本物の人間とは明らかな違いが感じられる。
 今の夕映にもそういう印象を抱いたのだ。
 人間の形をした〝ナニカ〟。
 そう思ってしまった自分が悔しく、また夕映のそんな惨状が悲しかった。

「夕映っ! 夕映っ!」
〈千雨! いい加減にしろ!〉

 ウフコックの静止も聞かず、千雨は夕映の肩を揺さぶった。
 ガクガクと揺れるものの、首が据わってないようで、頭部も揺れた。
 顔が力無く傾く。その表情はやはり変わらず、ただ口の端から涎がツーっと流れるだけである。
 そんな夕映の顔が見たくなくて、千雨はギュっと夕映を抱きしめた。
 千雨の体温より冷たい体だ。
 持たれかかる夕映の体も、常よりも重い。
 関節にまったく力が入らず、重心の定まらないグニャグニャの夕映の体は鉛の様に感じられる。
 顔を見ずとも感じられるそんな現状に、千雨の顔は更に歪んだ。

「なんでだよ。なんで夕映がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。こいつ、電話越しで泣いてたんだ、助けて、助けてってさ。それで助けに来たら、今度は泣く事さえ出来なくされてる。クソ! チクショウ!」
〈お前が悔しいのもわかる。だが、後悔は後だ。後で好きなだけできる筈だ。今は最善を尽くすんだ。それ以上、取りこぼすつもりか?〉

 ウフコックの挑発に似た言葉に、千雨は奥歯をかみ締める。
 千雨は何かを発しようとした時、それを遮る言葉が聞こえた。

「おい、なんだこの有様は!」

 部屋の電気が付き、全てが明るみに出る。
 研究室の入り口には一人の男が立っていた。
 陰気な雰囲気を持つ白衣の男、この研究所の責任者たる天井亜雄だった。

「ガキ、どこから紛れ込んできた。ふん、どうやら素体に用があるらしいな」

 天井は千雨の姿を見つけるやいなや、懐から銃を取り出し、千雨に突きつけた。

「ちっ! さっきの外部からの侵入者の一団とやらだな。まさかガキだとはな。いいからその〝ゴミ〟から離れろ。中身をコピーしたとは言え、他所へ情報を残すのはしたくないんでね。しっかりと焼却処分せねばならん」

 千雨は一層強く夕映を抱きしめ、天井の方を見もしなかった。

「ゴミ、だと?」
「ふん、中身さえ手に入れれば、そいつはただのゴミだ。菓子の空き箱、CDのビニール包装、その程度のもんだ。ただ厄介なのは脳の一部でも残れば、せっかくのお宝の中身が漏れてしまう可能性があるぐらいか。まだ普通のゴミの方が有用ってもんだよ」

 ハハハ、と笑う天井。その冗談に呼応するものは、この部屋に誰もいない。

「――お前がやったんだな」

 千雨が小さく呟いた。

「は? 何だガキ」
「……っ! お前が――」

 周囲に火花が散った。
 千雨のかみ締めた唇からは血が流れ、目からは悔し涙が浮かぶ。
 憤怒の形相、怒りが思考を真っ赤に染めた。

「お前がぁぁぁぁぁァァァァァァァァ!!」
〈千雨っ!〉

 研究室内のモニターが、過負荷の電力により一斉に爆ぜた。
 怒りが千雨の能力を瞬間的にオーバーフローさせる。『シスターズ』の攻勢も一瞬振りぬき、部屋の中にあった夕映に関するデータも電子干渉(スナーク)で上書きした上で破壊した。
 壁面に埋め込まれた様々なケーブルもショートを起こし、部屋内に少なくない振動が起きた。

「ひぃぃ! なんだコイツ! ま、まさか能力者なのか? が、外部から来たと報告が……まさか魔法使いっ」
 千雨は夕映から体を離しつつ、天井に向け突進した。

〈千雨、しっかりと――〉
(止めるな先生。こいつだけは、こいつだけは!)

 無理矢理ウフコックに干渉し、拳銃へと反転(ターン)させる。
 手に持った拳銃で、正確無比に天井の持つ銃を撃ち落とした。

「ひっ!」

 手に伝わる痛みに、天井は顔を歪めた。
 そのまま千雨は引き金を引き続け、天井の両足をズタズタにした。

「ギャァァァァァァ!」

 ベチャリ、と自分が作った血溜まりに倒れこむ天井。
 千雨は仰向けに転がっている天井の胸に足を置き、口の中に銃口をねじ込んだ。

「お前が! お前がぁぁぁぁ!」
「おおがおあああ!! あおあおええくえぇぇぇぇ!」

 天井は銃口を突っ込まれながらも、情けなく涙を流して何かを懇願する。
 こんな奴が夕映を……、そう思うと千雨の中の憎しみがさらに膨れ上がる。

〈ッ、千雨、落ち着け。まだ綾瀬嬢が助からないと決まったわけではないはずだ〉
「ぐっ!」

 ウフコックの言わんとしてる事は分かる。
 夕映が助かったときに、千雨が犯人を殺した、という枷を作らせたくないのだろう。
 千雨は一瞬の逡巡の後、銃口を口から引き抜き、かわりに天井の両肩に銃弾を見舞った。

「がぁぁぁぁぁ!」

 天井の絶叫が響く。
 口から泡を吹いているようだが、意識は失わせない。
 人体に多少の電子干渉(スナーク)をし、意識を取り戻させる。

「だ、だずげで……」

 あらゆる体液に汚れた天井の顔を、千雨は一睨だけした。
 夕映を抱え上げ、近くのテーブルに置かれた夕映のペンダントを見つけ、それもポケットにねじ込む。
 天井のうめき声を背景にしつつ、千雨は部屋を出る前に一言告げた。

「お前は直接手を下す価値すらない。そのまま苦しんで――死ね」

 冷たい瞳。
 天井のうめき声はそのままに、ドアはゆっくりと閉じられた。



     ◆



 痛い、痛い、痛い。
 激痛の中、天井が思い浮かべたのは他者への怨嗟だった。
 血の海を泳ぐようにもがきつつ、自らの反省は無い。

(ちくしょう、なんで俺がこんな目に! 役立たずどもばかりだからだ! なんでみんな俺の邪魔をするんだ)

 部下や警備員の無能な言葉を思い出す。そしてそれらに罵倒を吐き尽した。

(まだ、まだ死ねるかぁ)

 外部へ連絡しようと、手を伸ばす。
 肩を撃ち抜かれているため、とんでもない激痛が襲ったが、おかげで意識は飛ばなかった。
 床に落ちていた受話器をどうにか掴むものの、先ほどのショートの影響か、ウンともスンとも動かなかった。

「ク、そォ」

 天井の体に、影が重なった。背後に誰かいるようである。
 残りの力を振り絞り、天井は仰向けに転がった。
 霞む視線の先にはボサボサの金髪が見える。ピノッキオだった。

「ダ、スケ、テ」

 どろどろと濁った瞳が天井を見下ろしている。
 感情さえ無いかのような瞳の中に、微かな喜びがあるように天井には見えた。

「その傷じゃあ、僕の治療は無理だな」
「ヂ、リョ、ウスる、カラ」

 ゴポリと喉に血が詰まり、呼吸出来なくなった。

「あぁ、無理しなくていい。また他の場所でして貰うさ。なにせここには研究所が多い様だからな。それに、助けてはやる、安心しろ」
「ホ、ホンドカ」
「あぁ」

 ニタリ、とピノッキオの口元が笑った――気がした。
 されど、天井には確認する機会は永遠に訪れない。
 首が綺麗に胴体と切断された。ピノッキオの手には小さなナイフが一本握られている。
 ピノッキオは部屋の中を見渡す。

「あの子供を、もう一度見つけなければいけないか」

 ピノッキオには、夕映の中の情報に自分の治療法があるのかは知らない。だが、例えなくても、どこかへの土産ぐらいにはなるはずだ。
 建物内からは、相変わらず振動や爆発音が感じられる。
 ここも仕舞いかと思い、ピノッキオは頭に脱出経路を思い浮かべるのだった。



 つづく。










(2010/12/30 あとがき削除)



[21114] 第24話「衝突-burst-」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 15:41
■interlude

 午後四時を過ぎれば、この街は一気に賑わいに埋め尽くされる。
 《学園都市》の住民のほとんどが学生となれば、当たり前の事であった。
 部活やバイトの無い者達は、放課後を友人達と楽しく過ごすために、歓楽街へ乗り出す。
 第七学区のとある通りにあるファーストフード店も、学生服を着た人間に埋め尽くされていた。
 二階の窓側の席の一角。
 三人の男子学生がハンバーガーやポテトを片手に歓談していた。
 一人がノートパソコンを取り出し、動画サイトなどを三人で見て笑う。
 ふと、思い出したようにブラウザのブックマークをクリックし、あるサイトを開いた。
 『学園都市伝説』と呼ばれるサイトだった。
 なまじ超能力なんてものがあるので、この手のオカルト話は信憑性がある様に感じられるらしく、近頃学生に人気があるのだ。
 ブラウザのスクロールボタンを押し、ゆっくりとページを下にずらしていく。

・風力発電のプロペラが逆回転するとき、街に異変が起きる!
・使うだけで能力が上がる道具レベルアッパー!
・○○公園のボートに恋人同士で乗ると、二つに別れる。
・中央図書館の検索端末で呼び出してはいけない本があるらしい。
・怪奇! 毛玉人間。夜の街に忍び寄る恐怖!
・どんな能力も効かない能力を持つ男。
・夕方4時44分に学区をまたいではいけない!幻の虚数学区に迷い込む!

「どんな能力も効かないって、んなのあったら俺も欲しいぜ」

 一人の学生が、ページを見ながらそうのたまった。

「まだレベルアッパーの方がありそうじゃね。そういやこの前隣のクラスの岡村がさ――」
「は? なにそんなサイトあんのかよ」

 日常の談笑の中に、そっとその都市伝説は消えていった。

■interlude end







 第24話「衝突-burst-」







「あら、死んじゃってるわね」

 麦野たち四人を研究所の奥で出迎えたのは、依頼人たる天井亜雄の遺体だった。

「絹旗~、こいつで間違いないの?」
「はい、写真を見る限り間違いありませんね。血も固まってなく新しい。おそらく私達が来る直前に殺されたのでしょう」
「ふーん、運の無い依頼人ね」

 麦野は天井の遺体を足蹴にしつつ、周囲を探った。

「滝壺、どう?」

 滝壺と呼ばれた少女は首を振った。

「ううん、何も感じないよ」
「超能力者じゃないって事か。まぁいいわ。フレンダ、そっちは?」

 麦野は金髪の少女へも声をかける。どうやら部屋内に残った端末を弄っているようだ。

「ん~、駄目みたい。結局のところ全滅って感じ。根こそぎデータブチ壊されてるわけよ。それ系の能力者いればサルベージも出来そうだけど、私達には無理ね」
「そっか。でも無駄足ってのも尺ね。お、これは」

 麦野は何か気付いたように、周辺の紙束を手に持った。
 それらをパラパラとすごい勢いで斜め読みしていく。
 三十秒ほどで何束かの資料を読み、ニヤリと笑いながら顔を上げた。

「私達はツイてるわ。どうやらここには〝お宝〟があったみたい。そして今もお宝は近くにある。せっかく出張って来たんだから、手ぶらは損よね~」

 麦野は資料を放り投げ、腕を一振りする。光が部屋を満たした後、資料の束は綺麗に無くなっていた。



     ◆



 夕映を背負いつつ、千雨は走る。
 ウフコックに反転(ターン)して貰ったベルトで、夕映と千雨はしっかり固定されていた。
 只でさえ体力の無い千雨には、人一人を抱きかかえて走るのは困難であり、背負う事でなんとか走れる状況だった。
 ときおりよろめき壁に手を付きつつも、この場所を脱しようと急ぐ。
 通路のあちこちは破壊され、いまだ研究所内の喧騒は途切れていない。
 千雨の鼻筋を汗が流れる。夕映を背負って走ってるせいで、気付けば汗びっしょりだった。
 息も荒く、苦しい。
 倒れそうになる体を、細い二本の足で支えつつ、ただがむしゃらに走った。
 背中から来る絶大なプレッシャーを、千雨は本能的に悟っているのだ。
 だが、その存在から千雨が逃れる事は出来なかった。

「見~つけた」

 真後ろから声がかかり、千雨の背筋に悪寒が走る。
 コツコツ、とヒールが床を叩く音が響いた。
 千雨は固まったように動けなくなり、どうにか首だけでもゆっくりと動かそうとする。
 喉がカラカラになって痛かった。ツバを飲もうとするものの、うまくいかず、乾いた感触だけが口内に残る。
 ボタボタと床を濡らす汗は、きっと走ったからだけでは無いのだろう。心臓の鼓動が速まった。

(なんだ、なんで私はこんなに緊張してるんだ)

 千雨の鋭敏な感覚が、無意識に能力者が放つ『AIM拡散力場』を感知していた。
 そして、今声を発している人物の〝ソレ〟が規格外なのも感じていた。

「ふーん、なんか普通の子じゃない。ちょっとイモ臭いけど」

 顔が日影にあり見えない。
 されど、そのシルエットはこちらに近づく度に、日影を抜けて鮮明に見えてくる。
 顔が見えた。
 どこかお嬢様然とした美女だが、目に鋭利な輝きが見えた。

(ま、まさか。先生、コイツは)
〈私も思い当たる。この都市で仕事をする上で、知らずにはいられない面構えだ〉

 以前見た、思い出したくないリスト。その四番目にあった顔である。
 麦野沈利、この学園都市で四番目に恐ろしい超能力者の名前だ。
 その麦野の後ろには、更に三名の少女が付き添っている。
 常ならば多少は受け止められた威圧感も、今の千雨は様々な要因が重なり過酷だった。
 震える膝をなんとか叱咤しつつ、千雨はどうにか口を開いた。

「こ、こんな所で『原子崩し(メルトダウナー)』さんが何の用だよ。わたしは急いでるんだ、悪いが後にしてもらえないか?」

 千雨の言葉に、麦野は少し感心しながら返答した。

「へぇ、私の事知ってるんだ。なら話は早い。その背中の、置いていきなさい」

 ピクリ、と千雨の眉が動いた。

「あなたもどうせ『破片』狙いのコソドロでしょ。あいにくソイツは私達が貰うことにしたの。ただ働きは嫌だし、それに――」

 麦野は指先を唇に添え、からかう様に言う。

「あなたみたいな子には、ソレは持て余すでしょう。うまく使えば、レベルの壁も越えられるかも――」

 ギシリと千雨は歯を鳴らし、手の中でウフコックに干渉する。
 右手に現れた大口径の拳銃を、千雨は麦野に突きつけた。

(――銃が瞬時に現れたッ。このガキ、空間移動能力者(テレポーター)か?)

 千雨の行動に多少驚きつつも、麦野は冷静に千雨を観察していた。

「おい! 訂正しろよ厚化粧! 夕映を物扱いだって……こいつはわたしの友達だ!」

 厚化粧、という言葉に麦野は表情を固まらせ、後ろの少女達は笑いを堪えている。
 麦野が鋭い視線で少女達を睨みつけ、なんとか含み笑いの音は消えた。

「おい、イモガキィ! こっちは穏便に済まそうとしてるのに、何様のつもりだ。あァん!」

 嘲笑に怒りを含ませた様な表情を、麦野は曝け出した。

「私が誰か知ってるのに、銃を突きつけるなんてなァ。意味ねぇのわからねェのかよ!」
「はん、本当に意味ないと思ってるのか? コイツは〝特別製〟だぜ」

 少しの降着。お互いがお互いの出方を伺っていた。
 とは言っても、アドバンテージのほとんどは麦野達にあった。
 虚勢を張ってはいるが、千雨は内心焦りが加速するばかりである。

(クッ……怒りに任せて突きつけたが、レベル5相手に銃は効かないだろうな)
〈おそらく。だが、一瞬程度なら時間を稼ぐことは出来る。その隙に逃げろ〉

 ウフコックがそう言い、拳銃の内部が変形したのを千雨は感じた。
 時間にして五秒にも満たない静寂。
 ウフコックの合図の元、引き金を引こうとする千雨を止めたのは、意外な声だった。

『見つけたぜ、リゾット。あの背負われてるガキ。今度こそ間違いないんじゃねぇか』

 千雨と麦野達が来た通路とは違う、三叉路の別の通路から人影が歩いてくる。
 話している言葉はイタリア語だろうか。
 思わぬ闖入者に、千雨と麦野達の視線がそちらに集まる。
 やって来たのは三人の男。ガタイの良い、見るからに西洋人といった体の男たちだ。
 先頭にはリゾットと呼ばれたフードを被った男。手に持った写真と夕映を見比べている様だ。

『あの馬場とかいう男もなかなか使えたな。間違いないだろう』
『俺のスタンドを使うか?』
『プロシュート、やめておけ。敵は女ばかりで好都合だが、とばっちりはゴメンだ』

 リゾットにプロシュートと呼ばれたスーツの男は、チッっと舌打ちしながら、とりあえず拳銃を取り出した。

(なんだ、なんなんだよ)
〈どうやらイタリア語だな。しかもターゲットはやはり綾瀬嬢だ〉
(なんでこのタイミングに……最悪だ)

 千雨は麦野に銃を突きつけたまま、リゾット達の動きを警戒している。
 ふと、麦野が口を開いた。

『ねぇ、おっさん達。悪いんだけどコイツには先約があるの。調子コイた事言ってないで、どっか行ってくれる』

 流暢なイタリア語だった。
 翻訳には自信あるものの、リスニングには自信の無い千雨にはさっぱり意味が分からず、ウフコックの通訳を通してなんとか理解した。
 麦野の言葉にリゾットとプロシュートは無言。
 最後の一人である坊主頭の男が前に出てきた。

『あぁ、おい女ァ。俺ら――』
『ホルマジオ。こいつは今までとは〝違う〟』

 リゾットはホルマジオを手で制した。不満はあるものの、ズコズコとホルマジオは下がる。
 すると、リゾットの雰囲気が変わった。半歩足を前に出し、戦闘体制を取る。
 それに合わせ、プロシュートも拳銃を前へ突き出した。
 麦野の後ろにいる絹旗と呼ばれる少女も軽く構えをとり、隣のフレンダも懐から何やら短い棒の様なものを何本か取り出した。
 千雨も相変わらず銃を突きつけている。
 三者三様、一触即発。まるで空気そのものが爆薬に変わったようだった。
 千雨は震える手を、力の限り握り締め堪える。
 だが、麦野沈利はその中央に立ち、まるで何事も無いように泰然としていた。目を猫の様に細め、愉快そうに笑っている。

「無駄なんだよ。アンタらみたいなクズが幾ら集まってもね」

 麦野はそう言いながら、光る指先をリゾット達の方へ向ける。
 それを合図にリゾット達が動いた。
 リゾットは麦野に向けて走りながらも、体が周りの風景に溶ける様に消えていく。プロシュートは銃を撃ちつつ、光を警戒ししゃがんだ。
 麦野の指先から光線が放たれた。
 ゴウッ、という空気を切り裂く音。光は真っ直ぐ進み、その射線上にある物を全て解体していく。

『やべーーぞ、こいつッ! リゾットォォー!』

 プロシュートは地面に伏せながら、リゾットの名前を呼ぶ。麦野に向けて放たれた銃弾は、麦野がもう片方の手で作った光の盾に分解された。
 麦野沈利の超能力『原子崩し(メルトダウナー)』は、名前の通り原子を崩すという強力無比な能力だ。その光に貫かれたものは、例え何であろうと分解される。
 そんな麦野の前に、周りの風景に溶けていたリゾットが現れる。

『メタリカァァァァァァァ!!』

 麦野の腕、その皮膚の下から剃刀の刃が現れ、皮を切り裂いた。

「チィッ!」

 突如出血した右腕に、麦野は驚きを隠せない。
 リゾットのスタンド能力『メタリカ』は磁力により鉄分を操る事が出来る能力である。
 その範囲は人体の鉄分すらも入り、射程距離ならばこうやって人体の鉄分で物体を作り出す事も可能だった。また、その鉄分を全身に纏わせ、周囲の風景に溶け込む事も出来るのだ。
 麦野の首を狙い、懐に飛び込もうとするリゾット。
 だが、麦野の後ろから飛び出した小さい影が迎撃した。

「超遅すぎです」

 絹旗最愛だった。
 小さい体に似合わぬ膂力で、リゾットを一蹴する。その力に能力が使われているのは明白だった。
 リゾットは蹴られた腹部に鉄分を集めて、どうにか衝撃を緩和する。

「ナイス、絹旗」

 麦野は指先をリゾットに合わせ、再度光を放とうとする。

『甘いぞ、『メタリカ』ァァァ!』

 麦野の腕が何かに引っ張られる様に動き、光の向きが変わる。通路の天井を穿ち、周囲に破片を撒き散らせた。
 リゾットはスタンド能力で、〝麦野の右腕の鉄分を磁力で引っ張った〟のだ。
 圧倒的な力と巧者の技術、二つがぶつかり合う戦場を見て、千雨は震えていた。
 虚勢のハリボテは無残に剥がれ、表情は青ざめている。

(なんだよ、なんだよコレ)

 レベル5が放った無造作な一撃は、通路や天井を幾何学的に抉っている。千雨はそれを鋭敏な感覚で精確に知覚し、愕然とした。

(熱で溶かしたというレベルじゃない。強度や構造なんかも関係なく、空間ごと分解してる……)

 抉られた天井や建物の鋼材などは、まさに光が真っ直ぐ通ったままに分解されていた。その誤差は限りなく小さく、微少そのものである。
 千雨は千雨だからこそ感じられた視点で、レベル5の余りの強大さを理解したのだ。
 銃口がガクガクと乱れる。背中にある夕映の体がずっしりと重くなった気がした。

〈千雨っ! 引き金を引けっ!〉

 ウフコックの言葉に、条件反射のまま持っていた銃の引き金を引いた。射線は麦野とリゾットの間。
 壁面にぶつかった弾丸は、光を爆発させた。

「照明弾だとぉ!」

 不意の光の激流に、周囲の人間は目を焼かれる。

〈今だ! 走れ!〉

 言葉に押され、千雨は夕映を背負い走り出す。
 知覚領域に、目を腕でかばう麦野の姿を確認した。
 千雨の脳裏に甘い誘惑が沸く。千雨は走りながらも左手に銃をもう一つ反転(ターン)させた。
 ウフコックのサポートが無ければ、肩を脱臼するだろう大口径の拳銃を、力の限り麦野へ乱射する。

(当たれ! 当たれ!)

 恐怖と逃避による銃撃。今ならもしかしたら――という夢想にも似た千雨の懇願だった。
 だが、それらは全て麦野へ防がれる。唯一、一部の弾が壊した壁の破片が、麦野の頬を浅く切るのみだった。

「――っ!」

 麦野は目を焼かれながらも、その頬の感触に苛立ちを募らせる。
 リゾットもすぐさま動いていた。目を瞑ったままで周囲の磁力を操り、金属片を麦野達、『アイテム』の面々へ撃ち放った。
 それらを麦野と絹旗の能力が盾になる形で防がれる。
 目を焼かれた面々の視界が戻った時には、もうその場に千雨はいなかった。
 頬の血が一滴垂れて、麦野の服を汚した。右手にも裂傷が出来ている。麦野は苛立ちを隠そうともせず、青筋を立てる。

「フレンダァ! あのイモガキを始末してきな。あいにく私達はここを離れられない」

 フレンダと呼ばれた金髪にベレー帽の少女は、「え、私?」と言わんばかりの表情で麦野を見つめる。
 麦野が顎で千雨の逃げた方向を指し示し、しぶしぶ追いかけ始めた。
 周囲を省みれば、通路はその大部分が破壊され、外の風景が丸見えである。黒煙がそこらかしこから昇りながらも、サイレンなどの物音一つしない。
 どうやらしっかりと情報封鎖されているようだ、と麦野は再確認した。
 目の前には奇妙な出で立ちの男が三人。
 まずはこいつらを殺して、そしてあのメガネのガキも殺し、『破片』を奪う。
 シンプルでありながら、麦野には何ら不可能ではない、順当な計画だった。



     ◆



 睨み合いが起きていた。一分にも満たない時間だが、お互いが動かず無言のままの状態が続いた。
 麦野は怒りをそのままに、思考に余裕を取る。目線で滝壺に確認を取るも、少し顔を傾けた後、首を横に振った。

(力場らしきものを感じながらも良く分からない、か。さっきの奇妙な現象を見る限り、こいつらが噂の『スタンド使い』とやらか)

 麦野は目の前の三人の男達を見た。

(能力のプロセスがまったく分からない、まさに天然の『超能力』といった所ね)

 右手をペロリと舐める。傷口から剃刀が現れ、それをペッっと口で吐き出した。
 床に落ちた剃刀が、小さな金属音を響かせる。

(さっきは腕をこの剃刀に引っ張られた気がする。磁力の能力? それにしたって剃刀が現れた理由にはならない。もしや後ろの男達の能力か? ――まぁ、いい)

 麦野は手の平に光の塊を出した。リゾット達が身構える。

(だったら、その『スタンド能力』も、全て蹂躙すれば事は済む)

 笑みを深くした麦野は、イタリア語で男達へ語りかける。

『あんた達さぁ、なんか勘違いしてるみたいだからいい事教えてあげようか。私の能力ってね、別に〝手や指先からじゃなくても使える〟んだわ。もう、あんな小手先の力では反らせられないわね』

 麦野の周囲に光の玉が五つほど浮かんでいる。今までは指先や手といった、肌から直接現れていた光が、麦野が一切触れずとも不意に空中に現れた。
 それらはまるで砲塔の照準を合わせる様に、ギラギラした光をリゾット達の方向へ向けた。
 ――マズイ。それがリゾット達三人が共通して感じた事だった。
 リーダーたるリゾットは即座にこの場からの戦線離脱を決意し、背後に構える二人に言葉をかける。

『ホルマジオッ! プロシュートッ!』

 ホルマジオはその言葉に反応し、ポケットから〝ミニカーの様な物〟を数個取り出し、麦野の方向へ投げた。
 ホルマジオのスタンド『リトル・フィート』は、そのスタンドで傷つけた〝人や物を小さくする〟という能力だ。小さくするためには時間がかかるが、小さくなったものを元のサイズにするのには時間がかからない。ただ能力を解除するだけだからだ。
 今投げた〝ミニカーの様な物〟の物も、もちろんミニカーそのものでは無かった。
 手の平に乗るほどのサイズの物体がむくむくと大きくなり、トンを越える鉄の塊になる。
 投げた勢いのまま、本来の乗用車サイズに戻った車の群れが、天井や壁を破壊しながら麦野達へと迫った。
 更に車の中にはガソリンもたっぷり詰まっている。それらは巨大な爆弾でもあった。
 狭い通路で爆破したら、リゾット達も只ではすまない。
 しかし――。

『さぁ、出番だぜペッシ』

 プロシュートは右手を掲げた。右の手の平からは、皮膚を突き破って釣り針と釣り糸が垂れている。
 もう片方の手で釣り針をチンと叩くと、釣り針が生き物の様にうねった。

『掴まれッ! リゾット、ホルマジオ!』

 プロシュートが右腕を中心に、〝釣り針〟に引っ張られた。壁の穴を通り、体がすごい勢いで空中へ放り出される。
 リゾットやホルマジオは、プロシュートの手や足に掴まり、便乗する形で空を飛んだ。
 グングンと引っ張られるプロシュートは、研究所近くの車道を一つ通り越し、数百メートル離れた一台のオープンカーの座席に突っ込んだ。
 オープンカーには、気の弱そうな顔立ちのペッシが釣り竿を持って立っている。
 その釣り竿こそがペッシのスタンド『ビーチ・ボーイズ』であった。

『あ、兄貴ィ。俺のタイミングはどうでした?』
『完璧だぜ、ペッシ』

 プロシュートは遠くの研究所を見ながら、ニヤリと笑った。
 爆発音が研究所から轟いた。



     ◆



 一方、麦野は車の津波に視界を覆われていた。
 『原子崩し(メルトダウナー)』で車を壊そうとしても、所詮は〝線〟の攻撃であり、〝面〟を有する車を止める手立てにはならない。

「チィッ! 絹旗ァ、ぶちかませっ!」

 そう言いながら、麦野は後ろに下がり、滝壺を背後にかばう。
 周りに浮かんでいた五つの光球で、自身を中心に幾つもの螺旋を描き、光の円盤を幾つか作り出した。
 麦野の能力は云わば〝砲台〟であり、自身の肉体を強化するような力ではない。
 故に、彼女は自身の肉体の防御を優先しなくてはいけなかった。
 小柄な絹旗はその合間を飛び出し、車の群れへ体を突っ込ませる。
 『窒素装甲(オフェンスアーマー)』――窒素を操り、自分に纏わせる絹旗の能力だ。一種のパワードスーツな様なものであり、それが彼女の膂力の正体だった。
 ズン、と絹旗と車がぶつかり合った。
 さすがにあの車の群れを止めるにはいたらず、絹旗の両足が床にめり込み、そのまま二本の尾を引きながら押し戻されていく。

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」

 絹旗の雄たけび。
 常には無いほどの感情を露わにし、必死に車を止めようとする。
 だが止まらない。ならば――。
 麦野は盾の隙間から、光の線を一本撃ち放つ。
 こちらに来る前に爆発させる――それが麦野の判断だった。
 狙いは一台の車のガソリンタンク。タンクは穴を開けられ、ガソリンが飛び散る。

「絹旗、下がりなっ!」

 金属と金属がぶつかり合い、火花は周囲に溢れている。そこへガソリンが引火するのは必然だった。
 絹旗は迫り来る車を蹴り、その反動で一気に離れる。
 車が爆発したのはその時だった。
 一台の爆発が、次の爆発へとつながり、あっという間に巨大な熱量が吹き荒れた。
 飛んでくる鉄の破片を、麦野は自らが作った盾のシェルターで分解しながらやり過ごす。
 麦野の盾の内側に潜った絹旗も、能力を維持し続け、隙間からくる熱風を防ぎ止めた。
 数秒か数分か。爆発は施設の天井も床も壁も破壊している。周囲にまともな状態で残っているのは、麦野達を中心とした一メートル程の床だけだった。
 未だ空気は熱く、肌をチリチリと焼く。滝壺が咳き込み、煙のせいか目から涙を流した。
 絹旗は麦野と滝壺を抱え、崩れかけた床から飛び降り、研究所の駐車場へ着地した。
 麦野は腰に手を当て、ふぅと一息吐く。そして、クククと笑い出した。

「やられたわね。あれが『スタンド使い』とやらか。なかなか面白いじゃない」
「スタンド使い、ですか?」

 麦野の言葉に、絹旗が問うた。

「おそらく間違いないわ。それで滝壺、どう?」

 後ろで煤まみれになった滝壺は、顔をハンカチで拭いていた。

「う~ん、ちょっと違和感あるけど、だいじょうぶだと思うよ」
「じゃあ問題ないわね。このまま『スタンド使い』を追うわよ。あのオッサンどもをミンチにしないと気が済まないわ」

 麦野は正門前で待っているはずの車を呼び出す。そんな麦野に、絹旗はまた問いかけた。

「フレンダはどうしましょう、なんか超嫌な予感するんですが」
「まぁ、大丈夫でしょ。死ななきゃそのうち合流するだろうし」

 あっけらかんとしつつ、麦野は手をふる。



     ◆



 千雨は壁に手を付きながらも、足を止めていなかった。
 呼吸は荒い、動機も激しい。
 元々体力が無い上に、レベル5との遭遇で心も削られていた。
 夕映という守るべき存在がいたから何とか立ち向かえたものの、実力差を正確に測れる千雨としては恐ろしすぎる事だった。
 体中から汗が噴き出る。反面、顔は青ざめていた。
 気を緩めると、胃から全てを吐き出しそうだった。
 窓の外は完全な夜。街灯の明りがポツポツと見える。

(――ちーちゃんっ――)

 アキラの声が脳内に走る。
 その声に一瞬ほっとするものの、一緒にウィルスを通じ流れてきた感情は不安、恐怖、罪悪感。

(あーちゃん、どうした? 大丈夫か?)

 アキラの状況を知るべく、千雨は問いかける。

(う、うん。こっちはなんとか大丈夫。それより夕映は?)
(あぁ、なんとか助け出した。だけど今やばくて――)

 アキラへの言葉が止まる。
 千雨は広げた領域に人影が入ってくるのを感じたのだ。『シスターズ』の影響下のため大きい領域が張れず、感づくのが遅くなった。

「こ、こいつは『原子崩し』と一緒にいた女か?」
〈誰か分かるか?〉
「あの金髪の女だ」

 相手は小柄ながら、千雨の足より圧倒的に速かった。

(悪い、あーちゃん。敵に追いつかれたみたいだ。とりあえず逃げる)
(ちょ、ちょっとちーちゃん!)

 まるで電話を途中で打ち切る様に、アキラとのラインを閉じた。
 背後から「見つけた!」という声が聞こえる。

「ま~ったく、〝毛玉女〟の事といい、私って結局貧乏くじな訳よ」

 金髪の少女――フレンダが千雨に追いつこうと走ってくる。

「そこのメガネ、さっさと止まりなさーい!」
「ゼェゼェ、誰が止まるかっ! クソ、わたしは金髪に祟られてでもいるのか」
〈否定できんな〉

 千雨は夕映を抱えながら、必死に走る。
 例えここでフレンダと一戦交えても、更に後ろから来るかもしれない『原子崩し(メルトダウナー)』に追いつかれた時点でアウトなのだから。

「止まらないってんならぁぁ!」

 後ろからフレンダがぬいぐるみを投擲した。千雨は瞬時にそれを精査し、中に爆弾が仕掛けられているのを見抜いた。リモコン式の簡素な爆弾である。

(うぇ、あれはやばいっ!)

 千雨は電子攪拌(スナーク)を使い、爆弾を千雨とフレンダの丁度中間で爆破させる。

「げぇっ! あいつ発電能力者(エレクトロマスター)? やばい、やばい」

 フレンダはそう言いながら、腰に巻いたベルトを一本外に投げ捨てた。ベルトには何個かぬいぐるみが固定されている。
 千雨は息も絶え絶えに、拳銃を背後に構えた。
 照準は曖昧、集中力は切れかけている。放たれた弾丸は、壁面を小さく削るばかりだった。

「うおっと」

 フレンダは身を屈ませながらも、器用に走り続けている。
 スカートからマラカスの様なものを指で挟みつつ取り出し、その柄の尾を引っ張った。気の抜けた様な音と共に飛んでくる、小さなミサイル弾。
 千雨もそれらをなんとか銃で撃ち落す。

「ぜぇ、ぜぇ。くそ、このままじゃジリ貧だ」

 千雨の撃つ弾丸を、フレンダは巧みな移動で避け続ける。

「ふーん、やるじゃない。でもね、あんたが能力者でも、手はあるってね!」

 フレンダはポケットから小さなボールを取り出し、床に叩きつけた。
 キィン、という甲高い音が耳朶を打つ。

「なぁっ!」

 学園都市が開発した、能力者鎮圧様の特殊音響弾だった。
 千雨は脳が揺さぶられた様になり、一気に平衡感覚を失う。視界が波を打っていた。

「ははは、もーらいっ!」

 フレンダは耳栓を投げ捨て、千雨に一気に近づく。

〈千雨、避けろっ!〉
「へっ?」

 ウフコックの言葉にも、即座に反応できない。
 次に訪れたのは顎への衝撃だった。
 千雨の手から拳銃が滑り落ちた。体の力が一気に抜けて、そのまま床へ倒れる。

(せ、先生っ)
〈ぐぅっ、すまん。私もすぐには動けん〉

 千雨と同じく、ウフコックも脳を揺さぶられていた。
 千雨はウフコックたる拳銃へ手を伸ばそうとするものの、その手はフレンダの足の裏で止められた。

「ぐぁぁぁぁ」

 手を踏み砕かんとする圧力に、苦痛の声が漏れる。

「思ったよりチョロイね。さぁってと、背中のお荷物を貰いますよ~」

 千雨と夕映を固定していたベルトがするすると解かれてゆき、離された。

「やめろぉぉぉぉ!」
「ったく、ウルサイなぁ。さっさと死んじゃえ」

 先ほど出した小型ミサイルを、千雨に突きつけた。
 千雨は最後の力を振り絞り、踏まれてない手でフレンダの足首を掴み、全力の電子攪拌(スナーク)をする。

「ひっ!」

 発電能力者には遥かに及ばない電撃だが、フレンダを一瞬すくませる程度にはなった。

「うぉぉぉぉ!」

 そのまま千雨は転がる様に前に飛んだ。
 先にはよろついたまま歩くウフコックがいる。拳銃を脱ぎ捨て、ネズミの姿でふらつきながらも千雨に近づいてきたのだ。

「先生っ! たのむ!」

 ウフコックは何も言わず、千雨の手の中で普段より歪な拳銃へと反転(ターン)した。
 千雨は揺らぐ視界の中、フレンダの人影に向けて引き金を引く。
 銃弾二発が外れ、三発目がフレンダの持っていたミサイルへ当たる。

「ギャアアアアアアア!」

 フレンダの右手が爆発し、指が空中へ弾け飛んだ。
 血をボタボタ流しつつ、怒りに目と顔を真っ赤にしたフレンダが、千雨に蹴りを放つ。
 胸を圧迫された千雨は、そのまま仰向けに転がされ、銃を持ったままの右手を踏み抜かれた。

「こぉの、クソメガネ! 私の右手をどうしてくれるんだよ!」

 フレンダは目を血走らせ、痛みを堪えるためかふぅふぅと息を荒くしている。目じりに涙も溜まらせながら、指の無くなった右手を押さえていた。

「ごほっ!」

 千雨は意識が朦朧として答えることが出来ない。
 フレンダは左手で、グリップに針金の様なものが付いたツールを取り出す。

「楽に死ねると思うなよォ!」

 そしてそのまま左腕を振り上げ。

「ダメェェェェ!」

 フレンダの頭部を〝尾〟が横殴った。血を撒き散らしながらフレンダは通路を転がる。
 降り立ったのはスタンドに乗ったアキラ。千雨の異状を感じ飛んできたのだ。
 尾の二本で床に転がったままの夕映を掴み上げ、アキラは千雨に手を伸ばす。

「ちーちゃん、乗って!」

 千雨はなんとかアキラの手を握る。その途端グイっと引っ張られ、アキラに抱きしめられる形でスタンドに乗った。
 倒れたままのフレンダをそのままに、アキラは窓ガラスを割り外へ飛び出す。
 近くで爆発音が轟いた。
 研究所の一部が、炎を吹き上げ崩れ落ちていく。その光景を背に、千雨達は研究所を離脱するのだった。



 つづく。












(2011/08/10 あとがき削除)



[21114] 第25話「綾瀬夕映」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/12/12 01:20
「ぐっ……あぁっ……」

 フレンダは頭に残る鈍い痛みと、右手の焼けるような痛みで覚醒した。
 ほこりだらけになった髪を振りまき、苦痛に顔を歪めながら起き上がる。
 研究所の廊下にはもう微かな明りしか残っておらず、遠くで建物が燃えている事で周囲の陰影を辛うじて確認できた。

(一体、何が)

 メガネの女を追い詰めた所までは覚えている。そこから記憶が飛び、気付いたら研究所が崩壊していたのだ。
 興奮状態が解け、指を失った右手のじゅくじゅくした痛みに、涙が溢れた。

「痛い、痛いよぉぉぉ」

 ポケットにあったハンカチで傷口をなんとか縛り上げ、フレンダはよろよろと歩き出した。
 とりあえず麦野達と合流しなくてはいけない。そして――。

「あの女ァァァ」

 千雨の顔が脳裏をよぎる。忌々しさが喉元をせり上がり、下唇を強く噛んだ。

「絶対ブチ殺してや――」

 パァンという乾いた音と共に、フレンダの頭が跳ねた。
 そのまま体は力を失い、壊れた人形の様に床に転がる。頭部を中心に血溜まりが広がり、フレンダの体を真っ赤に染め上げた。
 銃を持った装甲服の人間が数名、通路を走っていく。フレンダの体もその者達に踏まれ、汚されていった。
 装甲服の後には、一人の白衣の男がゆっくりと歩いていくる。

「あぁ、なんだこの女? お、暗部のガキじゃねーか」

 白衣の男はしゃがみこみ、フレンダの襟首を掴んだ。
 光を失った顔をジロジロと見つ、フレンダの正体を思い出すと、興味を無くした様に放り捨てる。

「ったく。ちょっと遅れてきたらこの有様だ。重役出勤も辛いねぇ」

 白衣の男が通路を歩きながらも、そんな事を呟く。ふと通信機から『目標発見』という言葉が聞こえた。
 白衣の男は通信機に命令を下した。

「よーし、それじゃあ『シスターズ』接収だ。どうせ全員はここに居ないはずだ。持ってけるだけ持ってけよー」

 男は嬉々とした笑顔を見せる。
 男が指揮するのは学園都市の暗部、アレイスター直属の戦闘部隊『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』。
 そして白衣の男の名は『木原数多(きはらあまた)』。
 研究所の炎に照らされたその顔半分には、禍々しい刺青が刻まれていた。







 第25話「綾瀬夕映」







「どういう事だよ!」

 千雨の怒声が、ドクターの鼓膜を揺らす。

「どういう事も何もないさ。そのまんまの意味だよ。僕の専門じゃないんだ」

 そう言いながらも、ドクターの作業の手を止めない。
 数時間前、千雨達は夕映を抱えたまま研究所を脱し、逃げ出していたドーラ達と合流。
 皆が命からがらの状態で、ドクターのアジトたる死体安置所(モルグ)まで辿りついたのだった。
 今、ドーラ達は別室で休んでいる。アキラも疲労のためか、顔を青くして寝ていた。
 千雨も目蓋が重くなりかけていたが、なんとか夕映の治療に付き添っていた。
 今、夕映は卵型のカプセルに入れられ、奇妙な液体に浸されている。千雨は自分の治療にもこれを使われていたのを思い出した。
 夕映の治療は順調で、半日程あればとりあえずの処置は完了するらしい。
 夕映自身が〝体を改造する事を前提に作られていた〟事が不幸中の幸い、とはドクターの言だ。予想以上にドクターの扱う《楽園》の技術と相性がいいらしい。
 とは言っても実際の治療としてはもっとかかるらしく、学園都市の外部でおおよそ二週間の治療期間を予定しているとのこと。
 そんな治療の中で、ドクターが発した言葉に千雨が噛み付いたのだ。

 ――綾瀬君の心までは治せない――。

 助け出した時、夕映はまるで人形の様だった。常だって感情をそんなに激しく表すタイプではないが、それ以上に無表情で、意識があるのに言葉に一切反応しなかったのである。

「だって、ドクターは治せるって言ってたじゃないか!」
「うんそうだね。ごめん、千雨」

 ドクターはキーボードを打ちながら千雨に答えた。カプセルの中では極小のマニュピレーターが何本も蠢き、夕映の体を治療していく。

「でもね、僕だって万能じゃない。肉体の治療ならともかく、心に至っては門外漢さ。そりゃ、ある程度は出来るだろうが、ここまでとなるとね」
「くっ」

 千雨は視線を反らし、泳がせる。
 ドクターは千雨が研究所から持ってきた夕映のペンダントを取り出す。

「これに幾らかの情報が載っていた。どうやら彼女は『条件付け』と呼ばれる洗脳操作を受けていたようだ。誰かを愛する、すがる、そんな操作をね。どういう意図があったのかわからないが、『破片』と呼ばれる僕らの劣化コピー技術を彼女の脳内に詰め込み、その上で蓋を閉める様に『条件付け』を行なったみたいだ」
「『条件付け』……」
「うん。彼女はその誰かにすがるような形で心が形作られたのさ。だが、肉体の劣化とともに、薬の副作用で健忘症状が現れだす。この場合、条件付けという操作が更に記憶へのアクセスを阻害し、症状を悪化させてたみたいだ。彼女のペンダントはそれを見越しての補助器具、という見立ての様だ」
「見立て、ってペンダントを作った奴は夕映がこうなるって知ってたのか?」
「一応ペンダントの一番奥に、それらしき情報がこっそりと置いてあったよ。作ったのはジョゼッフォ・クローチェ、綾瀬君の〝祖父〟にして『条件付け』の対象だ」

 祖父、いつだったか夕映が嬉しそうにその話をしていた気がする。

「なんで夕映のじいさんは、知ってて治療を受けさせなかったんだよ!」
「違うな、出来なかったんだと思う。幾らかの推測が入るがね、どうやらクローチェ氏はイタリアのある組織から綾瀬君を連れて逃げてきたらしい。そしてその先が麻帆良学園になるわけだ。麻帆良には結界があり、裏の者にとっては内外への出入りが厳しい。反面、異能を持ってないものには逃げ込みやすい土地なんだ。おそらく彼はあの場所で綾瀬君に普通の生活をさせたかったんだろう。コッチの世界は歪でね、病院のカルテ程度ならばたやすく覗けてしまう。精密検査なんて受けさせたら、逆に狙われるってわけさ。一応様々なアプローチで彼女を治療しようとしたみたいだけどね。その結果の一つがこのペンダント、ってわけさ」

 金属光沢を持つ、意匠の無いペンダント。

「話は戻るが、綾瀬君の心はクローチェ氏への愛情で形作られているんだ。それこそクローチェ氏が死んだら自分も死ぬ、という程度に深くね。でも幸か不幸か、そのクローチェ氏の死に際して、彼女にもう健忘の症状が出ていた。それが直接の原因かまではさすがにわからないが、おかげである程度の感情の抑制が起きたようだよ。彼女の中から『破片』を取り出すには、『条件付け』を破壊するしかない。その結果がこれだ」

 天井の顔が蘇り、千雨は拳を握り締めた。

「学園都市には最近開発された学習装置(テスタメント)という機械もあってね、人間の人格や記憶野への様々なアプローチを実現してるんだ。綾瀬君の『条件付け』を破壊するのは無理ではない。むしろ『シスターズ』もあるし、可能だと思ったんだろう。そして事実それは成功した。現在の彼女は『条件付け』という芯を失った状況だ。骨の無い人間が立てない様に、今の彼女は心がバラバラなんだ」

 ドクターはそう言いながらペンダントを近くのテーブルに置き、作業を続けた。
 千雨はドクターの言葉を理解しようと必死に考える。

「なぁ、ドクター。なにか、なにか方法は無いのかよ」
「幾つかはある」
「ほ、本当かよ!」

 ドクターは千雨の方を向き、指を二本立てた。

「一つは《楽園》に行くことだ。あそこの連中は僕と同じく狂っているが、この手の治療に関しては少なくとも太陽系内の中でも随一なはずさ。ただし、《楽園》がある衛星軌道上まで上がるのは骨が折れるね。真っ当な方法じゃ精進しても数年かかるし、治療もとなるともっとかかる」
「数年って。じゃ、じゃあ他には?」

 ドクターは指を一本折り込んだ。

「二つ目は簡単さ。綾瀬君に『条件付け』を行なうことだ。すがる者が必要なら作ってやればいい。幸いそれらの技術はペンダントの中にも入っていた。僕から見ても、なかなか良く出来た操作法だと思ったよ」

 ドクターの言葉に千雨が立ち上がった。

「ゆ、夕映をまた洗脳しろって言うのかよ! それが本物の心っていうのかっ! それに、それじゃあ夕映を改造した奴らと一緒じゃないか!」
「千雨、君は本物の心と言うが、今までの綾瀬君は偽者だと思うのかい?」
「うっ……」

 千雨はドクターの言葉に、口を詰まらせた。

「洗脳、というと印象は悪いかもしれない。けどね、人は多かれ少なかれ何かにすがっているものさ。人類の歴史で、宗教の存在を外すことは出来ない。親の間違った教えで、子供の心が歪むのなんて珍しくもない。人が他者に影響されるのは、群集として生きる人間の定めだと、僕は思うね」
「でも、でも」

 ドクターの言い分は、千雨にも理解できた。自分もウフコックやドクターにすがっているし、ネットやアニメも影響を受けているのだと自覚できるからだ。

「僕は道を示した。そして、もし『条件付け』をするのなら、対象も決めてくれ。幸いここにも学習装置(テスタメント)に似た機材もあるから、プログラムを走らせるぐらいなら出来るだろうし」
「た、対象って。そのクローチェって人でやるんじゃないのか」
「治療の際、彼女の健忘の抑制も行なう。そうなれば、もしクローチェ氏を対象にしたら、綾瀬君は目覚めた時に、死にも近い苦痛を覚えるはずだ。再び得たはずの支えが、もうこの世にいないんだ」
「――っ」

 千雨もここで目覚めた時、両親はもういなかった。その思いが蘇るのだ。

「千雨、君が決めるんだ。ここにいるみんなは君の決断で集まったんだ。だったら最後まで君が決めるべきだ。綾瀬君をこのままにするのか。それとも故人にすがらせるか。もしくは――」



     ◆



 少女は真っ白い空間を、プカプカと浮かんでいた。
 白く明るいはずなのに、まるで真っ暗なときと同じく、自分の体さえ見る事が出来ない。
 手がどこにあり、足がどこなり、口がどこで、鼻がどこで、目が何個あるかさえもわからないのだ。
 何もかもがあやふやで、形を持たない。そんな世界だった。

「ユエ」

 一つの声が、世界に光を降り注がせる。
 少女は気付いたら、自分の体を見ることが出来るようになっていた。
 手足があり、顔もある。目はしっかりと風景を見せ、鼻は周囲の匂いを届かせた。

「ユエ、君の名前だ」

 自分へ向けられた初めての言葉。
 男性の声、ユエはじっと男性を見た。
 彼――ジョゼの笑顔がユエは大好きだった。

「夕映、ちょっとそこの取ってくれないかな」

 日常の中の何気ない言葉。
 ジョゼとの二人の生活は、夕映にとって幸せな思い出だった。
 初めての、そして唯一の家族だ。
 いつか見た絵本では、父と母と姉がいる家族を見たが、この家では〝祖父〟との二人きり。
 それでも夕映は嬉しかった。

「夕映、ごめんな」

 ジョゼが病院のベッドで最後に言った言葉。
 謝ってほしくなかった。むしろ自分がジョゼにお礼を言いたかった。
 だが、涙と嗚咽が喉を詰まらせ、言葉が出なかった。
 そっと涙を拭うように頬へ伸ばされた手。消えかかる温かみを零さないように、夕映はギュっと握った。
 ジョゼはそのまま、すこし寂しそうに笑って、死んだ。

「綾瀬、ありがと」

 教科書を見せた時にに言われた言葉。
 数年が経ち、夕映は一人の少女と出会った。
 面白そうな人、そう思い彼女を追いかけていったのだ。
 恐がりで泣き虫で、でも頼りになる。まるで自分を助けてくれた祖父のようだと思った。

「夕映」

 図書館島で初めて名前で呼ばれた。
 彼女に惹かれていたのかもしれない。いや、惹かれていたのだろう。
 だが、もう確認する術は無い。
 だって――。

「千雨、さん」

 夕映の心は、千雨への思いで満たされていた。
 千雨が笑うと自分も嬉しくて、もっと笑って欲しいと思う。
 千雨が悲しむと自分も悲しくて、その悲しみをどうにかしたいと思う。
 千雨が怒ると――。
 千雨が喜ぶと――。
 狂おしい程の感情の海が、夕映の中に流れ込む。
 しぼんでいた風船が膨らんでいく。空を飛ぶような高揚感が夕映を襲った。

(あぁ……)

 千雨の感情も、心に流れ込んできた。
 きっと彼女は悲しんでいるのだろう。罪悪感に満ちているのだろう。
 ならば、その彼女の誤解を解かねばならない。
 夕映はまどろみを抜け出した。



     ◆



 夕映が目覚めた先は、見知らぬ部屋のベッドの中だった。
 寝起きだというのに、頭は今までに無いくらいに爽快だ。
 また、夕映の中には幾つかの知識が埋め込まれていた。夕映が狙撃を受けた理由、それからの経過、現状。次々と現れる知識を再確認していく。
 そして夕映に施された処置、『条件付け』の事も。
 ふと夕映は腰のあたりに重みを感じた。
 見れば千雨が傍らの椅子に座ったまま、ベッドによりかかり寝ている。
 夕映の中に愛おしさが広がり、千雨の髪を撫でた。
 普段はサラサラの髪が、幾分ゴワゴワしていた。それでも我が子をあやす様に、夕映は髪を撫で続ける。
 数分ほど撫でていると、千雨は唸りつつ、そっと目蓋を開いた。
 夕映と千雨の瞳が見詰め合う。
 千雨はバッっと起き上がり、椅子に座ったまま、顔を伏せた。

「千雨さ――」
「ごめん! 夕映、ごめんっ!」

 夕映が何か言う前に、千雨の謝罪がそれを遮った。

「わたし、わたし、お前に酷いことをしたんだ」
「千雨さん、落ち着いて聞いて下さい。私は今まで何が起きて、私に何があったのか知っています。おそらくその処置のついでに、現状の情報も入れてくれたんでしょう」

 千雨が驚いたように目を見開いた。
 夕映は一息つき、千雨の目をまっすぐ見る。

「ありがとうございます。私のために、ここまでしてくれて。私、嬉しいデス」

 夕映は力の限り微笑んだ。それが、千雨には眩しすぎて目をそらす。

「わ、わたし、酷いことをした。方法が無いって分かってたけど、夕映の心を弄ってしまったんだ。夕映のじいさんを対象にする事も出来たけど、わたし、わたし……

 千雨の唇が震えていた。顔を伏せ、涙がポツポツと落ちる。寝起きでメガネをしていないため、握り締めた拳に小さな水溜りを作っていた。

「わたし、わたし――」
「千雨さん」

 今度は夕映が、千雨の言葉を遮った。

「私は今、千雨さんの事がとても愛おしい。だけど、きっとそれは嘘じゃありません。あなたが麻帆良に来てから、ずっとあなたの存在が私の中で膨らみ続けてきました。あなたに私は〝ジョゼさん〟を重ねていたと思うデス。だからそんなに自分を責めないでください。先ほども言いましたが、私は嬉しいんです」
「――ッ! だけどっ!」

 千雨は夕映の言葉に耐え切れず、逃げようとした。夕映は千雨の腕を掴み、グイッっと引っ張る。
 千雨は夕映に覆いかぶさるような体勢で倒れた。
 夕映の目線のすぐ先に千雨の顔がある。照明の影になりながらも、その表情は細かいところまで見える。
 嗚咽を上げながら、目じりに涙を溜めている。ポツポツと落ちるその雫が、夕映の頬を濡らした。

(また泣いてる)

 思えば、千雨はいつも泣いてた様に思える。図書館島に行った時も、あの停電の日も。
 そのくせ、いざという時はかっこいいのだ。
 夕映の中に感情が溢れた。

(この涙を止めてあげたい)

 千雨の鼻先に溜まった涙の雫を、夕映はペロリと舌先ですくった。

「ひっ!」

 千雨は顔を真っ赤にしながら、体を離そうとする。
 だが、夕映はそうはさせない。
 がっしりと握った腕を、さらに引っ張る。体勢を崩した千雨は、夕映とおでこ同士をぶつけてしまう。
 そして――。

「んぐっ」

 唇が重なった。
 夕映は目を瞑り、千雨へ思いのたけをぶつける。
 千雨は急な出来事にパニックになり、顔を真っ赤にしたまま、固まっていた。
 二人の唇が、光る糸を引きながら離れる。
 そのまま夕映は千雨を抱きとめ、肩に顔を埋めるようにして囁いた。

「千雨さん、もし私に対して罪悪感があるなら、ずっと私の傍にいてください」

 すこし千雨から汗の匂いがした。

「そうすれば、この気持ちが嘘じゃないとわかってもらえるはずデス」
「……」

 千雨は顔を真っ赤にしたまま、首をかくかくと縦に振った。
 そのまま無言でいた二人だが、ある人物の声で静寂は破壊される。

「あー、ゴホンゴホン。ちょーっとお取り込み中悪いんだけどね、いいかな」

 バツの悪そうな顔をしたドクターが、部屋の入り口で立っていた。



     ◆



 千雨は夕映から急いで体を離し、ベッド脇の椅子に座りなおす。
 ドクターが近づき、手の平から金色のネズミを出した。

「ウフコックの調整も終わったよ。とりあえず問題なしだ」

 サスペンダーを付けた、お得意のスタイルのウフコックがピョンと千雨の肩に飛び移った。

「千雨、どうした。顔が赤いぞ?」
「あ、あぁ。なんでもないぜ、せんせい」

 ハハハ、と乾いた笑いをしながら千雨が答える。

「あなたがウフコック、さんデスか。お初にお目にかかるデス」

 夕映は自分に新しく植え付けられた知識の中に、ウフコックの存在があるのを思い出す。ウフコックもそれを知っているのだろう、特に何も不思議に思わず挨拶をした。

「今まで挨拶する機会が無くてすまない。私がウフコック・ペンティーノだ。千雨がいつも世話になってるな」
「あ、いえ。こちらこそデス」

 そこにドクターも割り込んだ。

「知っているとは思うが、僕は君を治療したドクター・イースターだ。まぁ挨拶もそこそこに、ちょっと試してもらいたい事があるんだ。ウフコック」

 固まったままの千雨をそのままに、ウフコックは夕映へ飛び移る。
 夕映は手の平に乗ったウフコックをじっと見つめた。

「ウフコックがどんな存在かも、そして君がどんな改造を受けたかも知ってると思うが、色々と確認したい事があるんでね。そのまま……そうだな、ウフコックに対しグロック17をイメージしたまま〝干渉〟してくれるかな」
「は、はいデス」

 干渉、という言葉に反応し、千雨が立ち直る。

「ちょ、ちょっと待てよ。ドクター、それって――」

 千雨が何かを言おうとする前に、ウフコックが夕映の手の中でクルリと反転(ターン)する。出来上がったのは一丁の拳銃。9ミリ口径のオートマチック拳銃『グロッグ17』そのままだった。

「なっ!」

 千雨は驚きを隠せなかった。
 千雨が干渉しなくても、ウフコックが自分の意思で反転(ターン)する事は出来る。だが、他者がウフコックを反転(ターン)するためには必要なものがあった。

「ドクター、まさか『人工皮膚(ライタイト)』を」
「手の平にだけね。これから千雨と一緒にいるんだ、嫌でも必要になるだろう。それに現状だって安心できたものじゃないからね」

 感情では否と思っても、理性が是と結論を下す。千雨は歯噛みをした。

「あと綾瀬君、君には受信機をつけて置いた。簡単な外科手術でも取り出せる、小さな機械だ。もし不快に思ったなら言ってくれて構わない。いつでも取り外そう」
「受信機、ですか?」
「『人工皮膚(ライタイト)』を通じて行なう相互通信で必要なものなんだ。綾瀬君の『人工皮膚(ライタイト)』では、細かな制御が難しいと思うから、千雨と波長を合わせておいた。まぁ通話料のかからない携帯電話、とでも思っておいてくれ」
「千雨さんとの繋がり、ですか」

 夕映は少し嬉しそうに笑った。
 その後、夕映はもう一度ウフコックへの干渉を試した。
 次に出てきたのはナイフである。

「す、すごいデス。まるで魔法使いになった気分デス」
「出すモンは物騒なモンばかりだけどな。いや、モノホンの魔法使いも物騒な奴だったな……」

 麻帆良初日に襲われた事や、エヴァンジェリンの事を千雨は思い出す。
 ウフコックは銃やナイフといった『殻』を脱ぎ捨てる。

「じゃあ次に、その銃を解体してもらえるかな。出来るはずだ」
「え? わ、わかりました」

 夕映はベッドの上で、銃を手早く解体していった。最初こそぎこちなかったものの、数秒経てばまるで熟練の傭兵の様に銃を解体していく。
 五分もしないで、ベッドの上に銃のパーツが並んだ。

「今度は元に戻してくれるかな」
「はいデス」

 さっき以上に動きが早くなった。あっという間に銃が元通りになり、最後にスライドをバチンと引いて終了した。
 千雨はその光景をポカンと見つめた。
 夕映自身も少しだけ驚いている。

「ふむ、やはりね。綾瀬君、君は自分にある知識へのアクセスに障害を持っていたんだ。今回、にわかだけどそこらへんの治療……いや整理かな。とにかく簡単な処置をしておいた。それで君の中にある知識へとしっかりアクセス出来る様になったわけだ。君にはどうやら銃器やその扱いのデータが収められているようでね。最初は誤差があるだろうが、今みたいにすぐに慣れるだろう」
「ちょ、ちょっと待てよ。銃器とかって、夕映に銃を持たせるのかよ!」

 千雨はドクターに詰め寄る。

「千雨、僕も君に銃を持たせてしまう選択をさせて、すまないと思ってる。そして綾瀬君に持たせるのもね。大人として恥ずかしい限りだ。だが、もう遅い。持つか持たないか、そいう選択肢はとっくに過ぎてるんだ。持たない事の意味、わかるね」
「うぐっ」

 千雨はまたもや声を詰まらせる。
 夕映は千雨の袖を、少し引っ張った。

「千雨さん、ありがとうございます。でも、おかげであなたと一緒にいれる。私も戦えるデス」

 夕映がニッコリと千雨に笑顔を向けた。
 千雨はまた顔を赤くする。何かを思い出したようだ。

「さてと、確認はそのくらいだ。二人とも、そろそろ準備をしよう。いい加減ここもやばそうなんだ。今アキラ君とドーラ達が荷物なんかを地下駐車場に運び込んでくれてる。幸い僕の荷は少ないが、どうせここは爆破するつもりだ。欲しいものを全部持っていけ、と言ったら彼らはりきって運んでいるよ」

 ハハハ、とドクターが少し乾いた笑いをした。

「そういや今何時なんだ?」
「今は午後の四時過ぎさ。この地区は五時も過ぎれば人気が無くなる。都市側が暴れやすくなる前に、素早く退避しよう」

 ドクターは研究室の中のデータなどを整理している。
 千雨も私室に行き、簡単な荷物確認をした。
 半年とは言え、千雨が両親を失ってから過ごした家だった。私物も少なくない。
 余り多くの物は持てないだろうから、小さいものをとりあえず適当にバックに放り込んでいく。
 夕映の病室に戻った時には、夕映の着替えは終わっていた。
 血の染みも傷跡も無い、新品同然の麻帆良の制服だ。
 どうやらウフコックが反転(ターン)して作り出したようで、幾分生地の組織が違うように見える。
 千雨は気恥ずかしく、夕映を正視できなかった。
 あわあわと慌てて、そのまま部屋を出て行こうとする千雨だったが――。

「な、なんだこの揺れっ!」

 施設を振動が襲った。
 千雨がいる場所も地下だが、更に下の階層から何かが落ちるような音が響く。
 と思えば、同じ階層からも振動が響いた。

「ど、どうなってやがる」
「しまった。やられたよ」

 部屋内のモニターを見つめていたドクターが口を開いた。

「この施設内のシステムが乗っ取られた」

 ごぉん、ごぉんと施設内に衝撃音は響き続けていた。



 つづく。



(2011/11/28 あとがき削除)



[21114] 第26話「sorella-姉妹-」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/10/16 18:56
「システムが乗っ取られたって?」

 千雨が驚きの声を上げる。
 近くのサーバーへ電子干渉(スナーク)すると、この施設内のネットワークがズタズタに喰われている事が分かった。

「こいつは……『シスターズ』? あの研究所の奴らが夕映を取り戻しに来たってのかっ!」

 予想以上の侵攻速度に、千雨は歯噛みをする。

「――だといいけどね。クソッ、施設内の隔壁を好きに操っているみたいだ。地下駐車場や、そこから伸びている地上への資材搬入通路も隔壁が下ろされた。このままじゃドーラ達は隔離され、連絡も車での脱出もままならない」

 未だ隔壁の下りる音は、施設内に響いていた。
 施設内を監視するモニターを見れば、施設への正規の入り口から、装甲服を着て銃を持った人間達が入って来た。銃口を前方に向け、体を低くして走ってくる。

「なんだよこれ」

 千雨は見慣れぬ人間達に恐怖を感じていた。まるで映画か何かの映像の様だった。

「学園都市側からの襲撃だ。もう少し時間を稼げると思ったんだがね」

 モニターに表示されたマップデータを見ながら、ドクターは言った。

「正規の入り口から、僕らのいる地下三階の部屋まで一直線になる様に隔壁が下ろされたみたいだ。僕らが離脱するためには、彼らを迎撃するか、もしくは隔壁を突破するかの二択になった。ちなみに前者はご遠慮願いたいな。現在の侵入者は六名程だが、施設周囲にはもっと車があるみたいだ。とても徒歩じゃ逃げられそうにない」
「んな事より、アキラ達を見捨てられないだろ!」

 千雨はウフコックに干渉し、チョーカー型の演算装置に反転(ターン)させる。

「千雨、やってくれるかい?」
「やるしかないだろ。先生、サポート頼む」
〈あぁ、まかせろ〉

 千雨は施設内の監視カメラの映像を見た。半年とは言え、我が家だった所が破壊され、蹂躙されていっている。
 思い出が崩されていくようで、寂しい思いがよぎった。
 夕映は隣でそんな千雨の表情を見て、拳を堅く握る。

「――っ! とにかく、システムを奪い返すぞ!」

 千雨は電子干渉(スナーク)を開始し、ネットワークへ飛び込んだ。一万五千という圧倒的な数の『シスターズ』相手に、余力など無い。
 部屋内のサーバーの演算力を借り、施設中央の管理システムを奪い返すべく、攻勢に出る。

〈敵性のアクセスを確認。ミサカはこれを迎撃します〉

 複数の声が重なり、エコーの様に聞こえる。圧倒的な数の攻撃に、千雨は主導権を握る事が出来ない。

「クソォォォォォォ!」

 管理システムの影は見ることが出来るものの、その前には一万五千の壁。並列思考を最大の四千にまで膨らせるものの、圧倒的に演算力が足りてなかった。
 幾ら四千にまでコマを増やしても、千雨一人と部屋内のサーバーの演算力しか無いのだ。一万五千という膨大なマンパワーに対抗できない。

〈千雨、急げ。侵入者が地下二階にまで来ている。時間がないぞ〉
「んな事言ったってぇぇぇぇ!」

 あらゆる方法を試していくものの、その壁は厚く、高かった。
 絶望的な状況での千雨の戦いは続く。







 第26話「sorella-姉妹-」







 夕映の目の前で、千雨は唸り声を上げながら目を瞑っていた。
 どうやらこれが千雨の能力の『電子干渉(スナーク)』なのだろう、と自分の知識と照らし合わせながら結論付ける。
 戦況は芳しくないようだ。セキュリティシステムも乗っ取られ、自陣にありながら満足な迎撃行為も出来ない。
 相手側はネットワーク制御を受けていない扉を壊す程度しか、障害が無いのだ。

「地下一階を通過され、相手はもう地下二階だ。ここに来るのも時間の問題だな」

 ドクターはそう呟き、キーボードを叩くも、どうにもあまり意味が無い様である。
 夕映は施設内の地図を軽く見て、その作りをしっかり覚えた。
 ベッド脇には先ほどウフコックが反転(ターン)した拳銃とナイフがある。夕映はそれらを手に取った。
 不思議と焦りも緊張も無い。

(これが『条件付け』というものなのでしょうか)

 ただ、千雨の悲しそうな表情を見て、ふつふつと怒りが沸いてくる。
 夕映はそっと部屋を出、侵入者達の方へ走り出した。
 そんな中、ドクターはモニターに集中しつつ、様々な情報を整理していた。

(今の彼らの目標はおそらく『破片』では無く《楽園》そのものに移っているのだろう)

 国連法のグレーゾーンたる『破片』も重要だが、今この場所には《楽園》の技術そのものがあるのだ。
 今までは特例により、学園都市の保護という名目で不可侵を貫き通したが、今回のアクションによりそのベールも剥がされている。

(狙いは僕。もしくは施設そのものあろう)

 今、夕映のあるべき価値はこの施設の特例が消えた事により、相対的に下がっていた。

(まさに一蓮托生。全員の命が天秤に乗ってしまった)



     ◆



 『死体安置所(モルグ)』の周囲には、何台かの装甲車が止まっていた。
 その一台の内部にはモニターや通信機が溢れ、一つの指揮車となっている。
 奥の一席に、白衣を着た男――木原数多の姿があった。
 現在『死体安置所(モルグ)』を襲撃しているのは、学園都市の理事長直轄の部隊『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』である。
 その指揮を取る木原はニタニタと笑顔を浮かべながら、事態の推移を見守っていた。

「『シスターズ』順調に稼動中。相手側のシステム奪回の迎撃にも成功しています」
「突入部隊、地下二階まで制圧完了。あ、いえ連絡が入りました。『目標アルファ確認。保護の有無を確認されたし』」

 木原はその言葉に、少し考え込んでから口を開いた。

「『破片』のガキはもういい。適当に始末しておけとクズどもに伝えろ」

 木原の背後に、ゆらりと人影が立つ。
「おぉ、アンタやっぱり行くのか。俺は気に入ってたんだがなァ、まぁ短い間楽しかったぜ」

 無造作に伸びた金髪に、幽鬼の様な表情。ピノッキオだった。

「世話になったな」

 指揮車のドアを開け、ピノッキオは外に飛び出した。そんなピノッキオに木原は更に声をかける。

「ここはゴミクズの様な街だが、運がよければアンタの願いも叶うかもしれねェ。せいぜい夢見とく事だな。この街では下を向けば、脳天を撃ちぬかれる」

 ギャハハ、と木原は何が面白いのか、ツボに入ったように笑う。そのままドアは閉められ、ピノッキオの姿は見えなくなった。

「さーてと。例のガキの始末は終わったのか?」

 通信員が顔を強張らせた。

「それが……」
「あァン」
「ひっ、ぜ、全滅です。六名全員と、通信が途絶えました。『シスターズ』も突入部隊の壊滅を報告してきています」
「全滅……クハハハ、ガキ相手に全滅ってマジかよ。相変わらず使えねェクズどもだ。能力者でもないガキにねぇ。あの男がこだわる理由もそこら辺にあるのかねぇ」

 その時、装甲車を衝撃が襲った。

「な、なんだァ!」

 車の中の天地が逆さまになる。鉄板を叩くような音。それが車が転がっているという事実に、木原が気付くまで時間がかかった。
 横転した状態で車が止まり、木原は外へ這い出た。
 見れば自分達の乗った車以外にも、数台の車が転倒したり、破壊されたりしている。
 その道筋は、まっすぐ『死体安置所(モルグ)』へと続いていた。
 こめかみから血が一筋流れている。木原はそれを拭いながら、怒りを滲ませた。

「おい、テメエァ! どうなってる!」

 木原の怒声で、『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の動きが慌しくなってきた。



     ◆



 時は少し遡る。
 千雨達の部屋を脱した夕映は、拳銃を片手に通路を進んでいた。
 頭に施設の地図は入っている。相手の移動経路も掴んでいるのだから、遭遇箇所も大体の予想は出来た。
 走りながら、夕映は体の違和感に気付く。常より体が軽く、まるで飛ぶように走れるのだ。
 体にあった重りが取り払われた気分だった。

(軽い。それに)

 拳銃もしっくりきていた。女子が持つには大きいはずのグリップも、手になじみ、片手で持っても落としそうに無い。
 腰には鞘なしのまま、ナイフを突っ込んである。
 拳銃一丁に、ナイフ一本。銃は初めて撃つ素人だ。
 相手は装甲服にライフルを持つ人間達。本来なら結果は見えている。
 だが、夕映の心には恐怖も焦りも憐憫も不安も無かった。
 ただあるのは事実。自分なら負けるはずが無い、知識のみの根拠だった。

(そろそろ遭遇するはず)

 通路を曲がろうとした夕映は、角で止まった。近くから鉄が擦りあう音が聞こえたからだ。
 角の先からライフルが三発放たれ、夕映の前を弾丸が掠めた。

「チッ、外したか。目標は始末しておけ、だとさ。とりあえず皆殺しにしていいそうだ」
「さっさと終わらせようぜ。昨日から働きづめだ」

 夕映の聴覚が、男達の会話を拾った。相手は『シスターズ』で施設のシステムを乗っ取っているのだ。こちらが先に補足など出来るはずもない。
 夕映は通路の角に体を隠しながら、右腕と顔の半分だけを出し、射撃をしてみる。
 乾いた音が一つ、通路に響いた。
 本来ならば射撃の衝撃に驚くべきなのだろうが、夕映のしなやかな人工筋肉は軽い衝撃しか夕映に伝えない。

(射線が少しずれてる。右に二度程修正する)

 男達は急な射撃に、一度遮蔽物に隠れるものの、一発こっきりの散発的な射撃に笑みを深めた。
 リーダー格の男がハンドサインで指示を出し、夕映へ向けて突入を開始しようとするが。
 夕映はそれより早く動いていた。
 角から飛び出し、人とは思えぬスピードで間合いを詰める。
 魔力さえ感知する、特殊な眼球。人工的な魔眼とも言えるそれが、突入部隊の持つ銃口の向きを正確に捉えていた。射線に入らぬようにしつつ、全力で走る。

(クッ! 速すぎるデス!)

 スピードの加減がうまくいかず、男達の合間をすり抜け、床との摩擦で煙を上げながら止まった。
 夕映はその時、致命的な隙を作ったものの、男達はあまりの動きに驚いて呆けている。
 体の感覚を確かめつつも、夕映は相手側の隙を見逃さない。
 拳銃を即座に二発、近くの男へ向かい撃つ。狙いは装甲服の隙間、関節だ。

「がぁぁぁ!」

 男は苦悶の声を上げながら、銃を落として倒れた。
 他の男達もやっと状況に気付き、夕映に向かい引き金を引こうとするも、それもまた遅い。
 狭い通路の壁や天井を足場に、まるで猫の様に飛び交う夕映。
 義体の人工筋肉は、今その真価を発揮していた。
 男達は夕映を補足出来ない。
 夕映は壁を蹴った勢いそのままに、一人の男に飛び掛った。銃を持たない手で、男の顔をヘルメットの上から殴りつける。

「ごぼぉぉぉ!」

 男はくぐもった声を上げながら吹き飛んだ。ヘルメットはベコベコに歪み、隙間からは血があふれ出している。

「二人ィッ!」

 歯をむき出しに、咆哮を上げる。
 夕映が上空へ飛び上がると、先ほどまでいた場所が蜂の巣の様になる。
 長い髪で弧を描きながら、空中で体を捻り天井に〝着地〟。
 一人の男の頭頂部へ向け、銃を連射。
 ヘルメットの天辺を撃たれた男は、力を失い倒れる。

「三人ッ!」

 天井を蹴り離れ、体を横に回転しながらさらに一人へ近づく。長髪も一緒に回転し、さながらそれは独楽だ。
 独楽は男の目の前に着地し、回転の勢いを膝に乗せ、男の胸部へ叩き込んだ。

「四人ッ!」

 残る突入部隊は二人。夕映の視界の端と端、左右に分かれる形で存在していた。
 二つのライフルから放たれる銃弾を、夕映はその場から動かずに回避した。
 制服が破けるも、夕映は血の一滴も流していない。
 一人の男のヘルメット下、首の付け根の隙間に銃弾を撃ち込む。血の花が咲いた。

「五人ッ!」

 残った最後の一人は恐慌を起こし、銃を乱射する。
 されど夕映にはその程度、もはや問題では無い。
 数分にも満たないこの戦いで、知識と肉体にあった溝は埋まりつつある。

「ば、化け物ォォォォォ!」

 男の叫び声を、夕映は繰り出した蹴りで止める。ライフルが空中を飛んだ。
 十メートルの距離は、もはや夕映にとって指呼の距離だ。
 怯んだ男の腕を掴み、壁に押し付ける。

「ひいぃぃぃぃぃっ!」

 夕映の睨みつける眼光に、男は情けない声を上げた。

「私がッ! 私が化け物なら、あなた達はなんなんデスかぁぁぁぁ!」

 夕映の拳が男の顔の横を通る。にぶい音とともに、コンクリートの壁に小さいヒビが入った。

「……」

 男は泡を吹きながら失神する。夕映が手を離すと、そのままズルズルと壁を伝って倒れてしまった。

「なんで……なんで、放っておいてくれないデスか」

 夕映の呟きに、誰も答えなかった。



     ◆



 周囲の男達の意識が無い事を確認して、夕映を千雨達の元に帰ろうとする時、違和感がよぎった。
 顔を横に振るう。頬に線が走り、血が舞った。

「――ッ」

 壁に何本かのナイフが刺さる。夕映は体を転がしながら、ナイフの投擲元を探った。
 金髪の男が立っている。淀みを宿した目が、夕映を睨みすえていた。
 知らずゴクリと喉が鳴った。

「やぁぁぁ!」

 銃を構え、男に向かい放つ。男の動きは夕映と比べれば、遥かに緩慢だ。
 されど、夕映の弾丸は男を掠る事すら出来ない。
 初めて陥る不可解な事態に、夕映は混乱した。
 カッ、という音。手首に衝撃が走り、銃を見たら銃口にナイフが刺さっている。
 一瞬視線を動かした隙に、男は夕映の目の前まで迫っていた。
 夕映は銃を投げ捨て、腰のナイフを取り出す。
 男は手に持ったナイフを振りかぶり、夕映に切りかかった。
 両者の間に火花が散る。膂力では圧倒的に優位なはずの夕映の方が押し負けていた。

「こぉのぉぉぉぉぉ!」

 一度離れた刃が、再びぶつかり合う。一撃、二撃、三撃と刃を煌めかせなら、夕映はどうにか持ちこたえた。

(なんでしょう、この感じ。不思議です)

 自分を誘拐した男――おそらく彼がピノッキオなのだろう、と夕映は思った――のはずなのに、そのナイフ捌きに何かを感じた。
 ピノッキオも思うところがあるのか、少し眉をひそめる。
 経験の差だろう、隙を見つたつもりになり、大振りになった夕映のナイフ。それを避け、ピノッキオは蹴りを夕映のがら空きの腹に見舞った。

「げふっ!」

 夕映はゴロゴロと地面を転がされる。苦痛に顔を歪めながら、追撃を恐れ脚に力を入れるも、追撃はやってこなかった。
 ピノッキオは棒立ちのまま、倒れた夕映を見下ろしている。

「君、僕に似てるね。……そうか、君のナイフは〝僕のナイフ〟か」

 ピノッキオは訳のわからない呟きをボソボソとした。

「あなたはピノッキオ、でいいんデスよね。どういう意味でしょうか」

 ピノッキオの瞳から感情は読み取れない。ただ顔にぽっかりと穴が開いてる様だった。夜に、井戸の底を覗き込んだ様な恐怖を夕映は覚える。

「そのまんまだよ。君、義体なんだよね『公社』製の。君にはおそらく僕のデータも使われてるのさ。ナイフの捌き方がそっくりだ。十年前の嫌なクセまで思い出したよ」
「データ、ですか」

 夕映も感じていた。鏡写し、とまではいかなくとも、夕映の中に染み付いたナイフの軌跡と、ピノッキオの軌跡が被るのだ。

「ははは、どこまで行っても過去に縛られる。現実はどこまでも追いかけてくる。嫌になるね、お互い」

 初めてピノッキオの顔に感情が表れる。嘲笑、まるで今までの自分を振り返り嘲っている様だ。

「君と会ったもの戒めだ。君は僕だ。もう一つの僕だ。あるべき形で祝福されたもう一つの僕。だから、僕は君を殺さなくてはいけない」

 ピノッキオの雰囲気が変わった。顔から表情が完全に抜け、目の下の隈が一層広がった気がする。
 暗い闇がピノッキオを中心に広がっていく様だった。

「あなたの事情は知りません。で、でも私にはまだ会いたい人がいる、やるべき事があるんデス!」

 夕映は目の奥が熱くなるのを感じながらも、必死に堪える。
 思い浮かべるは、いつかの千雨の背中。泣きながらも、彼女は戦場へと身を投じていったはずだ。

(あの勇気、少しでも私にください)

 ナイフをギュっと握り締め、夕映はピノッキオへ飛び掛った。



     ◆



 万策尽きる。
 圧倒的な物量の前に、千雨は逆転の糸口が掴めずにいた。

(せめて隔壁だけでも……)

 管理システムの一部、隔壁の操作だけでも取り戻せば、千雨達は脱出できるのだ。
 されど、道は遠く険しい。
 幾度もの失敗が、首筋をチリチリとさせる程に焦燥を感じさせた。

「先生ッ! 敵が来るまでどれくらいかかる」

 先ほど言われた情報を思い出し、ウフコックに千雨は問いかけた。

〈わからん。だが、とりあえず最初の侵入者は撃退できたようだ〉
「げ、撃退って誰が? ま、まさか」
〈千雨、集中を乱すな。今お前が離れたら、この部屋のネットワークも制圧される。察しの通り綾瀬嬢が出て、迎撃に成功した様だ〉
「ゆ、夕映は無事なのか! それに相手の狙いは夕映なんだろ」
〈無事だ。今のところはな〉

 その言葉に千雨はほっとする。

〈だが、その認識は間違いだ。相手はもはや綾瀬嬢を狙っていない。おそらくこの施設そのものを頂くつもりだろう〉

 千雨は少し考えて、ウフコックに確認した。

「それってわたしのせいか? わたしがドクターを巻き込んだから……」
〈何、元からアイツらはこうするつもりだったんだ。ただ、時期が早まったに過ぎない。綾瀬嬢が時間を稼いでくれたが、余裕は無い。相手の援軍がいつまた侵入してくるかわからん現状だ〉

 夕映が頑張っている、その事に千雨は力を取り戻す。

「あぁ! やってやる!」

 どこまでも広がるネットワークの海に、千雨とウフコックは浮かんでいる。
 向かうべき先には『シスターズ』が壁を作っていた。

「いっけぇぇぇぇ!」

 ネットの海に軌跡を作りながら、千雨は一直線に壁にぶつかって行く。
 『シスターズ』の壁は一瞬へこむものの、すぐに盛り上がり、千雨を包囲しようと形を変えた。

「くぅぅぅっ、もうちょっと、もうちょっとなんだ!」

 『シスターズ』の隙間から手を伸ばすも、その手は空を切る。
 弾け飛ばされそうな千雨の耳に、男性の声が聞こえた。

『スマートじゃないなぁ』
「へ?」

 千雨は『シスターズ』とぶつかりながら、キョトンとした顔になる。

『いいかい、泥棒ってのはスマートじゃなきゃいけない。それが俺の美学だ、わかったかい、お嬢さん』
「ど、泥棒って、わたしは泥棒じゃないっ! それより誰だよ、アンタ!」
「ニョホホホホ、おー恐い。だけど可愛いからおじさん許しちゃおう。まぁ知り合いのよしみだ、今回は俺が手を貸してあげよう」

 千雨の体が不意に二つに分裂した。

「へ?」

 見れば千雨自身の体は色が希薄で、分かれた方の千雨は色が濃かった。
 『シスターズ』達はもう一人の千雨に攻撃をし続け、色の薄い千雨は無視している。

『君のダミーデータを作り出し、囮にした。少しの間なら奴らの目を盗んで、システムをいじるぐらい可能なはずさ。ささ、どうぞどうぞ。じゃあ俺はお先に帰らしてもらうわなー』

 千雨の目の前にシステムへの道が出来ていた。『シスターズ』の波が割れているにも関わらず、誰もそれに違和感を覚えていない。

「一体、何者なんだ。先生、知ってるか」
〈いや、わからん〉

 千雨とウフコックは謎の声が作り出した道を、まっすぐに進んでいく。

『あ、そうそう。言い忘れてたんだが、俺の知り合いがもうすぐここへ来るんだわ。会ったら優しくしてあげてちょうだい。彼女、けっこうナイーブみたいだからさ。まぁ、そこがかーいーんだけどね』

 男はそう言い、今度こそその場から居なくなった。
 緑色のジャケットに黄色いネクタイ、そんな男の影が千雨には見えたような気がした。



     ◆



 ピノッキオの熾烈な攻撃に耐えかねて、夕映の持っていたナイフの刃が砕け散った。
 体勢を崩したピノッキオの追撃を、夕映はギリギリでかわす。
 だが、そのかわす事も予想の範囲内なのだろう、夕映がかわした先にはピノッキオの蹴りが待っていた。

「グフッ!」

 内臓に響くような蹴り。地面を転がり、夕映は壁に頭をぶつけて止まった。
 更に放たれた投げナイフを、夕映は人工筋肉の力を最大限に使い避ける。
 一本が肩を掠め、制服に血が滲んだ。
 痛みはすぐに引くものの、傷口に鈍い重たさが感じられる。

「はぁーっ、はぁーっ」

 荒い息をどうにか整えようとするものの、相手はその暇すら与えない。
 死の予感が夕映の中によぎる。明確な恐怖が目の前に立っていた。

「だけどぉぉぉぉ」

 武器すら無くなった夕映は、無様に床をごろごろと転がりながら、ピノッキオの攻撃を避け続けた。
 体中にアザが出来、傷口が衝撃で開く。血が飛び出した。
 なんとか立ち上がった夕映は、そのまま壁や天井へと飛び上がり、常無い速さでピノッキオに蹴り放った。
 ピノッキオはタイミングを合わせて蹴りを捌き、カウンター気味の掌底を夕映に当てる。
 夕映は再び壁に衝突した。

「はっ――」

 肺が痙攣し、呼吸をうまく出来なかった。一瞬朦朧としたが、なんとか意識を保つ。

「終わりだ」

 ピノッキオがナイフを投げた。真っ直ぐと夕映の眉間へ飛んでいく。

(避けれないっ)

 夕映の中に走馬灯が過ぎった。ジョゼの顔。のどかやハルナ、このかの顔。クラスメイトや部活先の先輩の顔。千雨の顔。
 息を詰まらせながらも、目を反らさない。真っ直ぐ自分へ飛んでくるナイフを見つめ、最後まで夕映は抵抗するつもりだった。
 そして――。

「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!!!!」

 女性の怒声、ついでコンクリートを破壊する轟音が響いた。
 夕映とピノッキオの間の天井が崩れ落ちる。分厚いコンクリートの破片が、ピノッキオのナイフを弾き飛ばした。
 巨大なコンクリート片と砂煙が、二人の間を遮る。
 そして、破片と共に上の階から現れたのは一人の女性。長い金髪をポニーテールにし、顔にはゴーグル型のサングラス。
 肌は褐色で、ところどころ黒い染みが出来た季節外れのロングコートを羽織っていた。息は荒く、良く見れば肌に玉の汗が浮かんでいる。
 女性は夕映の姿を見つけると、ツカツカと音を立てて近づいてきた。
 サングラスを投げ捨てる。その下に見える瞳は赤い。
 夕映はなんとか呼吸を取り戻しつつ、近づいてくる女性を警戒し、体を堅くした。
 女性は腕を広げ――。

「へ?」

 夕映をギュっと抱きしめた。

「ごめん。ちょっとこうさせて。やっと……やっと会えた」
「あ、あの~」

 夕映は事態が分からず、目をキョロキョロさせた。
 未だ周囲の砂煙は酷く、視界は晴れない。
 その中でもはっきりと見えた女性の顔に、どこか見覚えがあると夕映は思った。

「あの、ちょっと離して下さい。今はそれどこじゃないデス」
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと嬉しくてね」

 女性は夕映を離し、ニカリとした笑顔を向けた。
 二十歳ぐらいなのだろうに、その笑顔はどこか子供の様だ。

「夕映、でいいのよね。私はトリエラ、あなたを守りにきたの」
「トリエラ、さん……守りに、デスか」
「うん、本当はもっと早く着くつもりだったんだけど、間に合わなくて。それでも、あなたが生きていてくれて、本当に良かった」

 トリエラ、その名前で夕映はジョゼの部屋の写真を思い出す。ジョゼが持っていた一枚の写真にあった女性の一人、その名前は確か――。

「も、もしかしてジョゼさんのお知り合いでしょうか」
「知り合い――そうね。それで、ある人にあなたを頼まれたの。でもそれ以上に、私はあなたを助けたかったのよ」
「……なんで、デスか?」

 夕映の中に、何かを期待する気持ちがあった。

「いきなり初めてあってこんな事言うのも変だと思うでしょうけどね――」

 トリエラは一瞬躊躇したが、言葉を続けた。

「――私はあなたの〝お姉ちゃん〟なのよ。血の繋がりも何も無い、けれど世界で唯一残った姉妹。それが私達なの」
「――〝お姉ちゃん〟……」

 いつか見た絵本を思い出した。父と母と姉がいる、家族の話。
 とても遠いように見えた風景が、少し近くになった気がする。
 トリエラの傷だらけの指が、夕映の手にそっと触れた。

「そう。〝あの場所〟でほんの少しだけ一緒に過ごしたね。私達を繋ぐのは、血ではなく絆。〝あの場所〟で生きて、死んだ。そんな人達との繋がりの上に私達がいるの」
「……」

 夕映はトリエラの顔をじっと見つめ続けた。

「だからね、信じられないかも知れないけど、私はあなたの〝お姉ちゃん〟のつもりよ。夕映がどう思おうと、私はあなたのピンチにはいつも駆けつけるわ」

 夕映の表情が固まり、そして――。

「ふぇ」
「え?」
「ふぇ~~~~~ん!」

 夕映からボロボロと涙が零れた。玉の様な涙の粒が、滝の様に溢れてくる。

「あわ、わわわわわ、ど、どうしたの夕映! ご、ごめんなさい、急だったかしら。それとも私なんか変なことを――」
「違うんです。エグッ、嬉しいんです」

 夕映は涙を袖で拭う。

「私、家にいてもずっと一人で、前からお姉ちゃんが欲しくて、ジョ、ジョゼさんが死んでッ」

 ジョゼと過ごした家。今でもあるその家には、もう夕映しかいない。
 夕映の言葉は取りとめも無く吐き出され続ける。トリエラはそれを聞いて、夕映を再びギュっと抱きしめた。

「大丈夫。大丈夫よ、夕映。後はお姉ちゃんに任せなさい」
「ヒグッ、その私が妹なんかでいいんですか。だって私は――」
「言ったでしょう、私達は唯一の姉妹……えーとその、か、『家族』なのよ。うん、そう」

 トリエラはどこか照れくさそうに、うんうんと頷きながら言った。

「だから安心しなさい。お姉ちゃんが後はどうにかしてあげるから。友達が待ってるんでしょう、ここは任せて先にいきなさい」
「で、でも」
「麻帆良で待ってて。お姉ちゃんもすぐに向かうわ。私、夕映の友達や、夕映の部屋見てみたいもの。それにね――」

 トリエラは腕を曲げて力こぶを作った。

「お姉ちゃんはとーっても強いの。だから大丈夫。ほら、もう隔壁は開いてるはずだわ。今度会う時は麻帆良で会いましょう」

 トリエラは夕映の体を離し、トンと突き放した。
 そしてピノッキオがいるだろう砂煙の方に体を向ける。夕映は後ろ髪を引かれながらも、千雨達のいる部屋へ向かおうとする。
 ふと振り返ると、トリエラの背中が目に入った。その背中は夕映が見てきたヒーローの姿と重なる。

「――ッ! お、お姉ちゃん! 私、待ってます! 麻帆良で、麻帆良で『おかえり』って言えるまで待ってます!」

 トリエラは振り返らず、ただ親指をグっと上げた。
 その姿に安心し、夕映は通路を走っていく。



     ◆



 夕映を見送った後、振り向かなかったトリエラの顔は先ほどのそれと違い、剣呑な雰囲気を帯びている。

(あの子、傷だらけだった)

 体中にアザや裂傷があった。それだけでない、皮膚の上には幾つもの真新しい治療痕もある。
 麻帆良でさらわれてから、学園都市に入ったまでのおおよその経緯はL3によって知らされていた。にもかかわらず、その全てが後手に回らずを得なかったのが悔しかった。
 砂煙が晴れ、コンクリート片の向こう側にピノッキオの姿が見える。

「ひさしぶりね。随分汚らしいナリになったじゃない」
「やっと済んだか。僕をあんまり待たせないで欲しいな」

 十年。トリエラは十年前にも、ピノッキオと何度か戦っていた。
 その戦いでピノッキオに重傷を負わせ、殺したと思ったのだが、彼は今も生きている。
 ピノッキオの瞳に歓喜が宿った。カリカリと頭蓋を引っかく音が激しくなり、殺意の衝動が体の隅々にまで巡る。これからの死闘に、細胞全てが喜悦を叫んでいた。

「さぁ、はじめよ――」
「よくも!」

 ピノッキオの言葉を、トリエラの呟きが遮る。
 トリエラは顔を伏せ、片手に持ったショットガンをギュっと握る。

「よくも、よくも、よくも、よくもッ!!」

 バキリ、という音と共に握っていたショットガンが潰れた。

「よくも、〝私の妹〟に酷い事してくれたわねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 憤怒の形相。赤い瞳が怒りの炎を上げ、更に色を濃くしている。食い縛った歯からは、ギロリと伸びた犬歯が見えた。
 ピノッキオは危機を察し、感覚だけで回避行動を起こす。砲弾の様なトリエラが、二人の間にあったコンクリート片を吹き飛ばし、ピノッキオのいた場所を通り抜け、壁に拳を撃ち放った。
 爆発音。分厚いコンクリートの壁は、トリエラの拳打の一撃で崩壊した。比喩ではなく、その威力はまさに大砲そのものである。

「万ッ死に値するわッ! 楽に死ねるとは思わないでねッ!」

 ピノッキオの頬に、冷や汗が一筋流れる。
 されど――。

「面白い。ならば死合おうか」

 両手にナイフを取り出し、ピノッキオは構えを取った。



 つづく。




(2011/08/31 あとがき削除)



[21114] 第27話「ザ・グレイトフル・デッド」+時系列まとめ
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:35
 隔壁のシステムだけをなんとか奪取し、地下駐車場への道が開けた。
 千雨はそれを確認するやいなや部屋を飛び出し、夕映を助けに行こうとするが。

「千雨さんっ!」

 千雨が向かうよりも早く、夕映が戻ってきた。

「夕映、大丈夫か」

 見れば先ほど綺麗だった制服は、ところどころほつれていた。肌にも浅い傷が幾つか見える。

「はい、大丈夫でデス! 〝お姉ちゃん〟が助けてくれました!」
「お姉ちゃん?」

 ふいに登場した名前に千雨は眉を傾げた。
 先ほどの男の声が脳裏をよぎる。

――『俺の知り合いがもうすぐここへ来るんだわ。会ったら優しくしてあげてちょうだい』――

 目の前で夕映はニコニコとし、嬉しそうな顔をしている。

(つっつくのも野暮ってもんか)

 千雨は苦笑いをした。

「そうか、良かったな」
「はいっ!」

 千雨と夕映は部屋に戻り、手早く荷物をまとめる。
 そして、ドクターやウフコックも一緒に、地下駐車場へ向かった。

「そういや、夕映。これ渡し忘れてたぜ」
「これは」

 千雨に手渡されたのは、夕映がずっと肌身離さなかったペンダント。
 夕映は笑顔を益々深めながら、首元にチェーンをかけるのだった。







 第27話「ザ・グレイトフル・デッド」







「千雨ちゃんッ!」

 地下駐車場へ入った千雨達を出迎えたのは、アキラの声だった。
 ネットワークで『シスターズ』と攻防を繰り返していた千雨に、アキラの通信は届かず、かなり混乱してたらしい。
 先ほど隔壁を開けた後あたりから、ウィルスを通してひっきりなしにアキラの連絡が入ったのだ。
 ある程度の事情は説明したものの、アキラは千雨を直接見て、落ち着いてはいられなかったらしい。

「アキラ、準備は?」
「う、うん。荷物とかも運び終えてるよ。夕映も大丈夫なの?」

 千雨の影に隠れる様に立っていた夕映が、一歩踏み出した。

「アキラさん、私は大丈夫デス。色々ありがとうございます」

 ペコリと頭を下げた。

「ドーラさん達も、ありがとうございます」

 ドーラ達の方にも向き、再び頭を下げた。

「よしてくれや、こっちは金のためにやってるのさ。ま、礼儀正しい子は、あたしゃ嫌いじゃないけどね」

 そう言いつつ、ドーラは夕映の頭を無骨な手でグシャグシャと撫でる。
 地下駐車場には車が三台程止めてあった。
 《学園都市》に乗り入れたピックアップトラック二台に、この駐車場にあった大型バンが一台だ。
 人員と荷が増えたことで、どうやら三台で逃げ出すらしい。
 ピックアップトラックの一台の荷には、相変わらずシーツに包まれた大きめの物が置かれていた。

「よし、じゃあ早速逃げようぜ。もう時間はない」

 千雨は指をパチンと一つ弾く。駐車場から地上へ伸びる通路の隔壁が、次々と上がっていく。その先の入り口に敵がいるのは明白だ。だが。

「強行突破だ」

 千雨の手には身長ほどの巨大なライフルが現れた。
 夕映は腰から二丁の拳銃を取り出し、アキラはスタンドを出す。
 ドーラ一家の面々が、次々と得物を手にした。
 ドーラはショットガンを肩に担ぎながら、口元の笑みを深くする。

「賊としては失格だが、まぁそれも嫌いじゃないね」

 薄闇の中、ギラギラと光る瞳がそこにはあった。



     ◆



 学園理事長直下の部隊『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』。
 その部隊は今、『死体安置所(モルグ)』と呼ばれる地下施設を包囲していた。
 されど、地下施設内は隔壁により閉じられ、正規の入り口以外に施設への出入りはできない。彼らの出番は来ないはずだった。
 男達は目の前にある地下駐車場へ伸びる通路をじっと見ている。
 通路は細いが、縦幅は大きい。おそらくトラックなどの大型の車両の使用を考え、作られたのだろう。
 男達の背後には装甲車が二台。この通路を塞ぐようにバリケードとして置かれていた。
 部隊員である男達は、耳元にある通信機から指令を受け取っていた。

「隔壁が破られた、か。やっと俺らにもお鉢が回ってきたわけか」

 一人の男が嬉しそうに手元のライフルを撫でた。
 幾人かの男達も、それに賛同する様に口元に笑みを作る。
 ヘルメットのバイザーを下ろしながら、一人の男が叫んだ。

「来たぞ! 奴さんのお出ましだぁ!」

 男達の視界に入ってきたものは奇妙だった。
 少女三人が〝空中へ浮いたまま、滑る様に飛んでくる〟光景だ。
 スタンド使いが一人でも居れば、それがアキラのスタンド『フォクシー・レディ』に跨った千雨とアキラ、そして夕映の姿だと判断できただろう。
 男達の驚きは一瞬。すぐさま思考を戦闘のソレに切り替えた。
 この《学園都市》という街で、この程度を気にしていたら生きていけないからである。

「撃てぇッ!」

 リーダー格の男の声で、一斉に引き金が引かれた。闇を切り裂く様なマズルフラッシュが煌めき、通路を明るく照らし出す。
 千雨達の居た場所を、床も壁面も関係なく抉る。
 しかし、千雨達はもうそこには居ない。
 アキラのスタンドは素早く飛び上がり、天井に尾を刺して固定した。そのまま勢いを殺さず、尾を併用しながら天井を走るように進む。
 千雨は手に持った対戦車ライフルを、装甲車の片方に狙いを付け、撃ち放った。

「行けェッ!」

 轟音が狭い通路内に反響し、弾丸が装甲車に突き刺さった。

「まだまだぁぁ!」

 車の一台が装甲をひしゃげながら、背後に滑る様に押される。更にニ発三発と撃たれ、車はベコベコになり爆発した。

「ふ、伏せろぉぉぉぉぉ!」

 リーダー格の男が指示を出す。男達が姿勢を低くした上を、爆炎が掠めた。

「アキラさん、お願いします」
「う、うん」

 スタンド上で夕映はアキラに合図を送った。アキラは気乗りしないまま、その指示にしたがう。

「大丈夫です、私ならやれます」

 夕映はそのまま、『フォクシー・レディ』の尻尾の先に乗った。
 夕映にスタンドは見えていない。されど、千雨を通して送られる情報を元に動いているのだ。
 今の夕映にとって、千雨から送られてくる情報に疑う余地など無い。
 アキラは夕映が乗ったままの尾を大きく振りかぶり、前方へ向かって放った。夕映は尾の加速を使いつつ、強靭な人工筋肉をバネとし、生身のまま砲弾の様に敵陣へ突っ込んだ。

「やぁぁぁぁっっっ!」

 まるで解体現場の鉄球が当たった様だった。砲弾となった夕映は、残っているもう一台の装甲車に蹴りを放つ。装甲車は横転し、そのままゴロゴロと数メートル程転がる。

「クッ!ば、化け物かコイツ!」

 リーダー格の男は驚愕を顔に残しつつ、呆れの言葉を吐いた。

「失礼デスね」

 夕映は蹴りを放った勢いを使い、空中へ飛んでいた。男達を見下ろす様な位置から、無慈悲な弾丸を両手から連続で撃ち放つ。
 バタバタと倒れる仲間達を見て、男達の視線は上空へと注がれた。千雨達への迎撃の手を休めて、だ。

「『フォクシー・レディ』!」

 アキラのかけ声と共に、通路が黒いもやで満たされる。男達は標的を見失った。

「チィッ、煙幕か。お前ら、とにかく撃て――」
「遅いね」

 ゴォン、という音と共に、リーダー格の男の頭部が跳ねた。ヘルメットのおかげで貫通していないようだったが、頭部の装甲には細かな散弾が沢山めり込んでいる。
 リーダー格の男は泡を吹きながら倒れた。
 もやを突っ切り出てきたのは三台の車だった。戦闘の車の助手席からは、体をせり出しながらショットガンを構えるドーラがいた。

「ものどもぉぉぉ! 蹴散らして突っ切るよッ!」

 男達の雄たけびが上がった。
 トラックの窓や荷台からニョキニョキと銃口が生え、『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』へ向けて一斉に撃つ。
 千雨とアキラは先頭のトラック、その運転席の天井部分へ着地した。

「バアさん、待て。まだバリケードは残ってるぞ」

 見れば二台の装甲車のバリケードは、まだかろうじて形を残している。一台は炎上し、一台は横転しているものの、その隙間は小さい。

「ハハハ、あれだけ開いてれば僥倖だッ。いいかいチサメ。閉じてるものがあれば、こじ開けろ。あたし達の流儀だ!」

 ドーラは隣にあるアクセルペダルを、運転手の足ごと押しつぶした。

「げッ!」

 千雨とアキラは急加速にびっくりしつつ、必死で車にしがみ付いた。
 そのままトラックを隙間に突っ込ませた。ガリガリと火花が散り、細かな振動が車体を揺らす。

「ぎゃぁぁぁぁ」

 炎上している車の炎が、千雨の髪先をあぶった。
 片方の装甲車を弾き飛ばしながらも、なんとかトラックは突き抜ける。
 トラックの横面が削られ、見れば助手席のドアも弾き飛ばされている。

「はははっ! どうだい見事なもんだろう!」

 ドーラが一人笑い声を上げた。背後からは車二台も付いて来ている。
 千雨はちぢれた髪先を、ジトリと涙目で見つめていた。
 その時、夕映もトラックの荷台へと降り立った。

「どうにか抜けられましたね」
「夕映、体は大丈夫なのか」

 千雨の心配の声に、夕映は少し頬を赤くした。

「千雨さん、私の事そんなに心配デスか?」
「うん? あぁ、もちろんだ」
「……そう、デスか」

 夕映は顔を伏せながらもはにかんだ。
 アキラはそのやり取りを隣でじーっと見ている。
 ゴンゴンと天板が叩かれた。

「チサメ、道を指示しておくれ。このまま東でいいのかい?」
「あぁ。どっちにしろこのまま行くしかねぇ。わたし達が使った地下通路までは遠い。悠長に西側へ向かったら囲まれてジリ貧だ。幸いここから『壁』は近いから、そこの搬入ゲートをわたしがどうにかこじ開けて東京方面へ突っ切る」

 見つめる方向には学園都市を囲む巨大な『壁』があった。
 あれを越えなければ、もう道は無い。

(もうなりふりなんて構ってられない)

 千雨は自らの携帯電話を電子干渉(スナーク)し、〝あるクラスメイト〟へ一通のメールを送った。
 その時――。

〈――ミサカは対象を補足しました――〉

 微かなノイズは千雨の耳を掠めた。



     ◆



「グッ……ハァッ……」

 学園都市の片隅、両側をビルの壁面に囲まれた路地裏で、苦しそうなうめき声が聞こえた。
 しかしそこには誰もいない。いや、〝見えない〟のだ。
 まるでまるで迷彩柄のシーツが剥がれる様に、徐々に人間の体が現れていく。
 体の表面を覆っていたスタンド能力を解除していったようだ。

「チッ、傷が深い、な」

 夕映を殺すために派遣された、イタリアの暗殺者リゾットだった。
 彼の左腕は丸々無くなり、傷口をスタンドの力でなんとか止血している状況だった。左足も膝先から存在しない。
 幾らスタンド能力で血を操作しようと、ボタボタと少しづつ血は滴っている。

「血を流しすぎたか」

 目が霞み、意識もまどろみを帯び始めた。

(だが、どうにか目的は達成できそうだ。うまくやれ、プロシュート)

 リゾットの眼光は揺るがない。自らの目的はあれど、仕事の失敗を許容する事は出来なかった。
 今回の標的は未だ健在なはずだ。ならばやる事は一つ。
 厄介すぎる女に体を削られたものの、おかげで〝時間が稼げた〟。
 ペッシもやられてしまったが、相手のレーダー役の様な女も重傷にしたはずだ。
 それに、相手は我々を始末したと思い込んでいる。
 故に――。

(運んでくれるはずだ)

 殺意もない、悪意もない。ただ〝殺す〟という誇りだけはあった。
 誇り故に引けないのだ。
 リゾットの意識は路地裏の闇に落ちていった。



     ◆



■interlude

 そこへ数人の風体の悪い男達が通りかかる。

「オイ、こいつ死にかけてるぞ。腕も足もブチ切れてやがる」
「リ、リーダー! こっちへ来て下さいリーダー!」
「ばっかもーん! リーダーじゃなく『先輩』と呼べと言っとるだろうが!」
「わ、わかりました鳥さ――」
「む……怪我人がいるではないかッ! 何故早く言わん! ええい、お前ら車を出せ! さっさと病院まで運ぶのだ! 残った奴らは探索を続けろ!」
「「「わかりましたリーダー」」」
「だから……」

■interlude end



     ◆



 千雨達を乗せた車は、一路東へと向かう。
 されど、その道のりは平坦ではない。

「どんどん集まってきやがる!」

 千雨の悲鳴は流れる風にかき消された。
 背後には『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の装甲車が追いかけてくる。その数は刻々と増えていた。
 それだけでは無い。

「次の交差点の手前を左だ! まっすぐ行ったらぶつかるぞ!」

 千雨の指示の元、車が一車線分しかない狭い道へ滑り込む。交差点では様々な車が絡まりあい、交通渋滞を起こしていたからだ。

(『シスターズ』め……)

 この学区の交通システムを『シスターズ』に掌握され、意図的に渋滞が起こされていた。
 千雨もなんとか介入を試みたものの、現状では歯が立たない。
 先ほどからこうやって道を塞がれては迂回する事を繰り返し、壁へ近づけないのだ。

「ウフコックさん、お願いします」
〈了解だ、綾瀬嬢〉

 夕映は先ほどから、小柄な体に似合わない長大なライフルを担ぎ、狙撃を繰り返していた。
 もちろんその武器を出したのはウフコックだ。
 先頭車両の荷台に乗るのは千雨とアキラと夕映の三人、助手席にはドーラいる。後ろにはドクター達を乗せた二台の車が追いかけてきている。

「東も東でジリ貧だね」

 ドーラが苦虫を噛み潰した。
 そんな時、ドーラの背筋に悪寒が走った。車は狭い路地を抜け、渋滞が起きていない大通りに出ようとしていた。

「車を止めな! あたしの〝カン〟がやばいって言ってるよ!」

 だが車は止まれない。
 ドーラの言葉に、千雨の感覚が鋭くなった。一気に知覚領域が広がり、周囲の風景が精査に頭に浮かぶ。
 角を曲がった大通りの先に人影があった。
 腰まで伸びた髪、猫の様な瞳、艶やかな体を包むのはカジュアルな服。されど、そこから放たれる気配は異常。
 忘れられない恐怖が蘇った。

「見~つけた」

 夜の薄闇に何かが輝いた。
 大通りに出た車の下部を、光が貫く。
 エンジンやタイヤ、更にガソリンタンクさえも、光の中で分解されて消えた。
 ガクンと車体が落ち込み、走っていたスピードのまま、タイヤの無い車体は地面を滑る。
 ガソリンタンクが無くなったのは幸いだった。車体と地面の摩擦で盛大に火花が散るものの、引火すべきガソリンも消えていたからだ。

「うあぁぁぁぁ!」

 千雨だけでなく、アキラや夕映も悲鳴を上げた。
 車体を揺らす振動の中、千雨の体が浮く。

(あ……)

 千雨は車から投げ飛ばされ、空中を舞った。

「ちーちゃんッ!」
「千雨さんッ!」

 伸ばされた手は二つ、されど両方とも千雨には届かない。
 ウフコックに干渉して状況を打破しようとするも、千雨の手元にはウフコックがいなかった。

(――しまった!)

 ウフコックは夕映の手にあった。
 千雨はそのまま何の対策も取れず、アスファルトに背中から叩きつけられた。

「グハァッ!」

 体から空気が吐き出される。激痛が千雨の体を駆け巡ったが、頭も強打した千雨はその痛みを味わい尽くす前に意識を刈り取られた。
 放り出されたスピードのまま千雨の体は地面をゴロゴロと転がり、やっとの事で止まったその姿はボロ雑巾の様だ。
 それだけではない。アキラと夕映の乗る車体もバランスを崩し横転、まるで独楽の様にガリガリと地面を削り回転する。
 アキラや夕映達は車体に体を打ち付けられながら、必死にしがみついた。
 車体が止まった時、いち早く飛び出したのは夕映だった。

「千雨さんッ!」

 千雨達の後続車二台もスピンを起こし、歩道に乗り出していた。その周囲を『猟犬部隊』の車が囲んでいる。
 されど夕映の視界にそれらは映らず、入るのは倒れる千雨だけだった。

〈綾瀬嬢、横だ!〉

 焦りのため、ウフコックの助言にも反応が遅れた。

「ぐふっ!」

 夕映の体がくの字に折れ曲がった。横合いから素早く近づいた小さな影が、拳を夕映の腹に打ち据えている。絹旗最愛だ。

「夕映っ!」

 未だ起き上がれないアキラが悲鳴を上げた。
 場にそぐわない拍手の音が聞こえた。

「は~い、ゲームオーバーよ。侵入者さん」

 街灯の明りの下、地面を覆う白く薄い霧をヒールが貫いた。
 余裕の笑みを浮かべ、ヒール音を響かせ近づいてくるのはレベル5『原子崩し(メルトダウナー)』の麦野沈利だ。
「まったく踏んだり蹴ったりだわ。フレンダは死んじゃうし、滝壺はダウンするし。面子を補充するのって手間なのよねー」
 そう言いながら麦野は毛先を指でくるくると弄った。

「この落とし前、どうつけてくれるのかしら」

 ゾワリ、と空気が一変した。圧倒的強者によるプレッシャーが場を支配する。

「チッ、レベル5か」

 千雨達を包囲している装甲車の一台から木原数多が降り、麦野を一瞥して吐き捨てた。
 片側三車線ある大通りながら、その場は歩道も含め封鎖されていた。
 道路に隣接するデパートや店舗の建物も避難勧告を出され、人が群れを為して逃げだしている。

「あら、理事長の犬じゃない。邪魔しないでね、原子の藻屑になりたいなら止めないけど」
「ハッ! こちとら無策でレベル5を相手するほど馬鹿じゃねェよ。そのガキどもはくれてやる。残りは俺たちが貰うぜ」

 木原が顎で示した先には、苦痛に顔を歪ませ地べたを這いずる夕映の姿がある。

「……ふーん。まぁ、いいわ。私の場合、ただの憂さ晴らしってのもあるしね」

 何か思うところもあるらしいが、麦野はそのまま夕映に近づく。
 ふと、麦野は体に違和感を覚えた。

(重い)

 体が重く感じる。
 周囲を見れば、白い霧の様なものがこの場に満ちていた。
 街は日が沈み、煌々とした街灯の元、違和感無くその〝霧〟を看過していた。
 足元に薄っすらと溜まっていた〝ソレ〟がいつの間にか膝上まで昇ってきている。
 周囲を囲んでいた『猟犬部隊』の面々が銃を落とした。いや、持てなくなっていた。

「うあぁぁぁぁ……」

 『猟犬部隊』から力ない悲鳴が上がった。
 装甲服を着た男達は、その装甲服の重さに押しつぶされていた。肌が露出する部分を見れば、皮膚がダルンダルンに緩んでいた。
 瞳は霞み、骨がギシギシと悲鳴を上げる。
 それは何も『猟犬部隊』だけでは無い。
 麦野の瑞々しい髪が、乾いた白髪へとなっていた。

「こぉの、クソ○○○がぁぁ! どいつがヤリやがったァァァ!」

 麦野が怒りの咆哮を上げる。
 周囲の状況、そして何より自分のしわだらけになった手を見て、麦野沈利は素早く状況を理解した。
 『人間を老化させる攻撃』。
 こんな攻撃をしかける奴など限られている。

『この時を待っていた。ご案内ありがとうお嬢さん(シニョリーナ)』

 イタリア語が聞こえた。
 四肢の力を失い、膝を付いた麦野の髪から二つの小さな影が飛び降りた。
 それはむくむくと大きくなり、現れたのは二人の人間。
 彫りの深い顔立ちは西欧人のそれである。
 イタリアから送られたギャングにしてスタンド使い、プロシュートとホルマジオだった。
 プロシュートの周囲を見つめる眼光は鋭く、威圧的だ。
 そして、その周囲の人物のほとんどが立ち上がる事すら出来なかった。
 まるで王の前に跪く民衆を彷彿とさせる。
 ホルマジオはプロシュートの背後に立ちつつ、口に氷を放り込み続けている。
 手に持った袋に氷が入ってるものの、中身は解けかけて少ない。

『プロシュート、さっさとしてくれ。もう氷が少ねぇ』
『時間なんてかからない』

 燦然と言い放つプロシュートは、倒れ伏す夕映に向かい歩を進めた。
 うずくまりながら、顔も体もしわだらけになった夕映には、苦痛の声を上げるしか出来なかった。
 そして、その胸元に抱えた小さな塊。黄色いネズミも白目を向き、ピクピクと痙攣していた。



 つづく。










(2012/03/03 あとがき削除)



※以下ネタバレあり?




■■第26話時点での時系列まとめ■■
※注意事項
●ネギまキャラは原作の約一年前。
そのため千雨達は2-Aであり、愛衣は中一、高音は高一。
●禁書キャラの学年などは原作通り。ただし原作と時期が多少ズレており、幾つかの要素が一ヶ月ほど前倒しで描写されてます。
●その他作品に関しても、かなりいじくってあります。
・ジョジョ 四部と五部と六部が入り乱れ中。
・マルドゥック 原作大幅改変。

※()内は話数です。
■20××年 一月
・この一月、もしくは前年十二月頃に、千雨の両親が殺害される。(未描写)
重傷を負った千雨は学園都市に運ばれ、治療される。



■20××年 四月
・麻帆良で学生が幾人か失踪。しかしデータ改竄により大事にはならず。
・トリエラ、L3と初接触(13)
・烈海王、学園都市を訪問。月末から五月上旬にかけて。(未描写)



■20××年 五月 (ネギま原作開始の九ヶ月くらい前の設定)
■第一週
・御剣、魔法に関する調査を依頼。(未描写)

■第二週<物語スタート>
●月曜
・千雨、麻帆良に転校。調査開始。(プ)
・麻帆良にて初陣。(1)
●火曜
●水曜<第一章スタート>
・承太郎麻帆良へ到着。(2)
●木曜
・資料室にてアキラが怪我を負う(2)
●金曜
・千雨、図書館島に行く。(2)
・クウネルとも出会う。魔法に関する情報を手に入れる。(3)
・エヴァが男子学生の変死体を見つける。(3)
●土曜
・アキラ、スタンド能力が目覚め始める。(4)
・承太郎、資料室でスタンドの矢とニアミス。警備員が殺される。(4)
・千雨、魔法に関するレポート提出。(4)

■第三週
●日曜
・変死事件が公表。(4)
・千雨、爆睡。(4)
・アキラ、不可解な現象に悩む。(5)
●月曜
・アキラ欠席、臨時休校決定。(4)
・アキラ失踪。裕奈ウィルス感染。(5)
・千雨、承太郎と出会う。(5)
●火曜
●水曜
▲夕方~夜
・千雨、夕食にお呼ばれ。(6)
・高畑瀕死。(7)
▲夜
・アキラの抹殺決定。(7)
・千雨、承太郎共闘。(7)
・千雨VSエヴァ、承太郎VS魔法使い。(8)
・千雨さん大暴れ&百合フラグ。事件終結へ。(9)
・この夜に麻帆良内の情報が漏洩する。
●木曜
・千雨、アキラSPW財団に保護される。アキラ目覚める。(10)
●金曜
・千雨目覚める。(10)
●土曜
・麻帆良で千雨、アキラ、承太郎と学園側の会談。(10)

■第四週
・ガンドルフィーニ死亡。(10)
・ピノッキオ含め、様々な勢力が潜伏しだす。(未描写)
・ジョンガリも病人として潜入。(未描写、回想のみ)
・高音と愛衣に留学の打診。(12)
●土曜
・第一章エピローグ冒頭。(10)

■第五週
・特になし。



■20××年 六月
■第一週
・高音と愛衣が学園都市に留学。(未描写)

■第二週<第二章スタート>
・事件から二週間。エヴァにお呼ばれ。(12)
・烈海王来訪。(13)

●ある平日(麻帆良にて)
▲午後
・放課後に遊びに行く。(14)
・夕映、銃撃される。(15)
・夕映がピノッキオに誘拐される。(17)
・ドーラ一家と共闘。(18)
▲夜
・トリエラ、からくも麻帆良を脱出。学園都市へ向かう。(19)
・夕映がピノッキオとともに学園都市入り。研究施設へ運ばれる。(18)

●学園都市潜入一日目
▲午前
・リゾット、空路で学園都市入り。(20)
・夏目萌、ガンドルフィーニの死を知る。(19)
・千雨、クラスメイトの『誰か』に救援を要請する。(19)
・東京方面から千雨達は侵入。(20)
・ピノッキオ、ペンダント購入。佐天をチンピラから助ける。(20)
▲午後
・千雨達、地下探検。『丑寅』と書かれた奇妙な部屋を発見(21)
・天井、夕映からデータを取り出す(22)
・千雨、ドクターと再会。夕映の場所を探す。(21)
▲夜
・研究所へ襲撃。(23-24)
・天井死亡、夕映奪還。(24)
・千雨、『アイテム』、『暗殺チーム』の三つ巴。(24)
・『アイテム』フレンダ死亡。『アイテム』は『暗殺チーム』を追撃。(25)
・『猟犬部隊』、シスターズを接収。(25)
・ピノッキオ、木原数多と遭遇。(未描写)
・千雨、夕映の治療の決断をする。(25)

●学園都市潜入二日目
▲午前
・『アイテム』と『暗殺チーム』の追撃戦。(未描写)
▲午後
・『死体安置所』のシステムを掌握される。(26)
・『猟犬部隊』の襲撃。夕映の初陣。トリエラが到着。(26)

■第三週

■第四週<第三章予定>
・期末テスト(予定)
・その後は学園祭の準備期間。



[21114] 第28話「前を向いて」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 16:19
■interlude
 姫神秋沙(ひめがみあいさ)の手が虚空の扉に触れた。
 生と死の境界がゆっくりと解け始め、曖昧なモノへなっていく。
 それを見て、笑みを深めるのは天ヶ崎千草だ。
 この《学園都市》という場所を使い行なわれる術式。
 壁の中に満ちた『科学的な』AIM拡散力場を、『魔術的な』モノへと変換させていく。
 それは姫神の特性を利用したものであった。
 幾つかの不安要素さえも、〝学園都市側〟のネットワークトラブルにより解決している。
 麻帆良と同じ様な電力を使った『科学的な結界』も、今は一時的に失われていた。
 都市を一望できるビルの屋上。風力発電を行なう風車すらも見下ろす高所に、彼女達はいた。
 遠くに見えるは『世界樹』と呼ばれる大樹だ。

「やっと、やっとや」

 千草の心に渦巻くものは、悲願か悔恨か。
■interlude end







 第28話「前を向いて」







 スーツをピシリときめたプロシュートは、歩きながら懐の拳銃を取り出す。
 彼を止める人間はいない。いや、止めようにも止められなかった。
 プロシュートのスタンド能力『ザ・グレイトフル・デッド』。
 霧を介して周囲の人間の老化を早めるという能力だ。その対象は敵味方関係無い。
 だが、体温が低いほどその老化のスピードは遅くなる。ホルマジオが氷を口にしている理由がソレだった。

『身内の仇は二の次だ。だろ、ペッシ』

 『アイテム』との追撃の最中、釣り竿型のスタンドを持つペッシはその命を失っている。
 リゾットも自分達を標的まで辿り着かせるために、身を張って囮になったのだ。
 殺意も悪意も無い。ただあるがまま引き金を引く。
 ワインを飲むときに空気を含ませるように、プロシュートにとってその程度の日常の延長だった。
 アキラはどうにかスタンドを出そうとするも、未だ意識が朦朧とし、能力が発動できない。また老化が精神力をも衰えさせていた。
 ドーラも助手席で、うなだれる様にして気を失っている。
 そんな中、ドクターとルイがお互い肩を支えつつ、スピンした車から辛うじて這い出で来た。

「老化を早める力……いけない、この能力はウフコックに危険すぎる」

 老人と化したドクターが、力無く焦りの言葉を吐いた。

「んな事はみんなわーってると思うぜ、ドクターさんよ」

 ルイの言葉に、ドクターが首を横に振る。

「そういう事じゃ無いんだ。そういう事じゃ」

 見れば、夕映に向かい銃口を突きつけ様としたプロシュートの動きが止まった。

『――?』

 視線の先、夕映の胸元に黄色い塊があり、それがピクピクと痙攣していた。
 プロシュートは嫌な予感を感じ、素早く処理してしまおうと、銃口を向け引き金を引いた。

「夕映!」

 アキラのかすれた悲鳴。
 放たれた弾丸は三発、いずれもが夕映の頭部への必中コースだ。
 しかし。

「ガァァァァァァァァァァ!!」

 激痛に歪む雄たけび。それは夕映の声では無く、もちろんプロシュートの声でもない。
 夕映の胸元から現れたピンク色の〝肉塊〟の声だった。
 先ほどまでピンポン玉程度の小ささだったそれが、一瞬で数十倍の大きさにまで膨れ上がる。黄色い毛皮――ウフコックそのものが破裂し、桃色の肉塊が彼の内側から風船の様に飛び出した。
 比喩でも無く『肉の壁』そのものになったウフコックは、夕映に向けられた弾丸を浴び、周囲に自らの血の雨を降らせた。
 これを予期していたドクターは歯噛みする。
 隣ではヨボヨボの姿のルイが、目を見開いた。

「な、なんだい、ありゃぁ。千雨さんの肩に乗ってるタダのネズミかと思ってたのに……」
「あれがウフコックさ。自らの体を分割し、多次元に貯蔵する事が出来るネズミ型万能兵器。莫大な質量さえ他次元へ収納し、瞬時に取り出す。また複数の体を持つことにより、外傷などによる死はまずない。彼は科学的なアプローチでの不死に近い成功例だ。ただ――」
「ただ?」

 ドクターの言葉を、ルイは急かせた。

「ウフコックは不老では無い。彼の体を構成する莫大な質量は、加速度的に成長して、いずれ彼自身を押しつぶす。今のウフコックはその未来を体現してるんだ」

 ウフコックの体は益々大きくなっていく。肉塊の隙間から鋼材や機械群が飛び出し、血と共に周囲を破壊する。
 ウフコックの意志なのだろうか。夕映を守るかのようにその体は、プロシュートの方にしか肥大していない。プロシュートも抵抗はするものの、巨大な質量の前に拳銃では歯が立たなかった。

『クソッ! はじき飛ばせ『グレイトフル・デッド』ォ!』

 プロシュートの前に二本足の奇妙な姿のスタンドが現れ、ウフコックに蹴りを放った。常人を大きく越えるスタンドのパワーながら、その程度では肉塊はビクともしなかった。
 しかし、その蹴りの反動でプロシュートは背後に飛ぶことが出来た。ウフコックのプレスを回避したプロシュートは体勢を整え反撃に移ろうとする、が。

『ガッ……グァ……ッ』

 肉塊の隙間から飛び出た鋼材が、プロシュートの眼球を通り、頭蓋を貫いた。顔の半分を抉られたプロシュートはそのまま倒れる。

『プロシュートォォーーーーー!』

 ホルマジオがスタンドを飛ばし、プロシュートを回収しようとする。
 だが、瀕死のプロシュートはまだ動いていた。右手に持った拳銃を握り締め、未だにその照準を合わせている。

『俺たち、は、『栄光』を、掴む、んだ。この程度で、離すかよォ!』

 脳を失いながらも、プロシュートの〝漆黒の意志〟は未だ体から失われていなかった。
 指に力を込めるが、もう引き金すら引く力は残っていない。

『やれーーッ、ホルマジオ!』

 プロシュートが命を振り絞り叫ぶ。もはや打算では無かった。ただ〝殺す〟、その誓いに突き動かされ、ホルマジオはスタンドを舞わせた。
 肉塊を迂回するように飛んだホルマジオのスタンド『リトル・フィート』の狙いは、夕映の首だけだ。
 意識も無く、スタンドも見えないウフコックは、ただ周囲に物質を飛び散らせる。
 されど、その物質の量は凄まじい。ホルマジオに小さな鉄片が散弾の様に突き刺さり、後方へと転がってしまった。スタンドもその影響を受けてしまう。
 その時、肉塊が弾け消えた。

『しまったッ!』

 消えた肉塊の元には、小さな黄色いネズミ。それが示すところはスタンド能力の解除――プロシュートの死だった。
 血溜まりに沈んだプロシュートの瞳に、もう光は無い。

『まだだ、このチャンス、逃せるか!』

 未だに夕映は起き上がらない。ホルマジオは小さな少女の元へ走った。
 そして――。

「――――ッ」

 ホルマジオの〝下半身のみ〟が地べたへと落ちる。
 その背後には、立ち上がった麦野沈利の姿があった。鼻や口から荒々しく息を吐き、目は血走り怒りに満ちている。
 手には超能力『原子崩し(メルトダウナー)』の光の残滓が、未だなお残っていた。

「このイタリア野郎がァァァ! きたねェケツの穴をコッチに向けやがってェー!」

 麦野の口がガパリと開き、雄たけびの様な罵倒が響いた。
 怒りを外に吐き出した麦野は、プロシュートの体をも光で塵に返し、落ち着きを取り戻した。

「コイツら殺したと思ったのに……そうか、あの男の迷彩能力? 偽装? チッ! 滝壺を出し惜しみなんてするんじゃなかった」

 麦野は爪を噛みつつ、事態の推移を確認していた。
 未だ動けない者も多いが、体が無事だった『猟犬部隊』の面々もポツポツと立ち上がり始める。
 ドーラを含め、ドーラ一家の面々は軽装だったり意識を失っていた事が災いし、老化による体の弱体化の怪我はほとんど無かった。
 されど、事態は好転していない。
 アキラはよろよろとしながら膝立ちをするも、車の横転のダメージが残っていた。
 夕映も絹旗と老化のダメージで、意識がありながら四肢が動かなかった。

「ウフコック、さん」

 目先にはピクピクと痙攣するウフコックの姿がある。夕映は手を伸ばすも、一メートル程届かなかった。
 そこへ。

「ふーん、このネズミ……なるほどね。あんたらの武器の倉庫代わりって事か」

 周囲にはウフコックが吐き出した機械群に混じり、銃器なども落ちている。
 麦野は昨日、千雨が何も無い所から武器を取り出したのを思い出していた。

(空間干渉系の能力者かと思ったが、滝壺は力場を感じないと言っていた。タネはこれって事か)

 麦野はチラリと木原を見る。やはり彼の狙いはコッチの様だ。

(まぁ、いい)

 麦野は爪先でウフコックを二度三度突いてから、興味を無くした様に視線を動かした。
 夕映を見て、片側の口角を吊り上げる。

「ガァァーッ!」

 夕映の伸ばした左手が、麦野のヒールに踏み抜かれた。
 外傷の痛みは少しの時間を置けば消える義体だが、この様な形での攻撃の痛みは消えない。夕映の体に激痛が走り抜けた。

「どいつも! こいつも! 私の邪魔ばかりしてくれて! さぁさ、お人形さんは私と一緒に帰りましょうねぇ~」

 グリグリと夕映の左手がすり潰される。抗おうとしても、知らず涙が溢れた。
 木原数多はその光景を目の端で捉えながら、持っていた端末の警報に目を落とした。

「あぁッ! なんだぁ、こいつは」

 その情報を見てギョっとした。木原の手がワナワナと震える。

「アレイスターの野郎ォォォ!」

 今現在、この場所以外でも学園都市は混乱のるつぼにあった。『猟犬部隊』のスケジュールもいつの間にか引っ切り無しに入り、この案件の始末がついたら、すぐに次の戦場へと赴くはずだった。
 にも関わらず、まだ彼らはここに居る。
 更に、隊員達の装甲服にはバイタルセンサーが付いており、交戦可能かどうかの判断が出来るのだ。先ほどの数分間、スタンド攻撃を受けた彼らのバイタルサインは『交戦不可』。
 そして、アレイスターは一つの決断をしたのだ。

「『六枚羽』を使うだとぉ! ハハハハッ! お笑い種だぜ!」

 怒りに嘲笑を混ぜ合わせ、木原は叫んだ。
 HsAFH-11、通称『六枚羽』。本来、《学園都市》の壁からの侵入者を迎撃する、最新鋭の無人戦闘ヘリの名前だ。
 今、その兵器の用途は変更された。
 木原が耳を澄ますと、遠くからけたたましいローター音が聞こえる。

「イカれてやがる! だったらコッチもさっさと始末をつけねぇとなぁ!」

 木原は通信機を通じ、『シスターズ』に指令を出した。
 彼女らは研究用途のため制限かけられており、さすがに学園都市の防衛システムにまでは干渉できない。交通システムへのアクセスでさえ、かなりのグレーゾーンなのだ。もう少し時間があれば、その制限すら解除出来ていたはずだった。
 そのタイミングの悪さに、木原は苛立ちを募らせた。



 そんな中、多くの人に置き捨てられる形で、ボロボロの千雨は倒れている。
 その時、空から小さな光の粒が、風に流されるように飛んできた。それはまるで吸い込まれる様に、千雨の体に落ち、消えた。



     ◆



 千雨の中に記憶が溢れた。
 幼少の頃の麻帆良での日々。
 人間不信に陥りそうになった記憶。
 アキラとの出会い。
 ある程度の割り切りが持て、広がった世界。
 転校した先での学校生活。
 それらの時間の中で共通したものがあった。千雨の両親の姿だ。
 千雨の両親は、麻帆良での千雨の境遇を理解は出来なかったものの、理解しようと試みはした。
 小学生の時の転校も、そんな千雨への気遣いもあったのだ。
 中学生になり、思春期を迎えた千雨は、両親との間に多少の溝を作っていた。
 決して嫌いでは無かったが、麻帆良での乖離が未だに尾を引き、千雨の中でふつふつとした不満が残っていたのだ。
 「あぁ」とか「ふーん」などと、両親の言葉にそっけない返答するのがいつもの事である。
 雪が降っている日だった。
 両親と共に乗った車は事故に遭う。炎上した車に炙られ、千雨は重傷を負った。両親も小さくない傷を負いつつ、千雨を抱えて車から逃げ出した。
 だが、千雨達は事故に〝遭遇した〟のではない。〝殺されそう〟になったのだ。
 そして、未だ凶刃は輝いていた。
 死に体の千雨達の前に現れた男は、千雨の父親に拳銃を撃ち放った。
 即死を免れた父だったが、男はまた拳銃を突きつける。
 痛みにもがきながらも、千雨の父は母と娘を守るように、男に立ち塞がった。
 千雨は朦朧とした意識の中、その姿をぼんやりと覚えている。
 母親も普段のキリリとした双眸を崩しつつも、千雨をギュっと抱きしめ、千雨を守るために男に立ち向かった。
 千雨の記憶はそこで途切れる。

 次に気付いた時、千雨の両親は亡くなっていた。
 意識を取り戻すまで二週間ほどかかり、千雨は両親の遺骸に会う事すら叶わず、別れた。
 再会したのは小さな二つの骨壷だった。
 あの日、千雨達を襲った人間は、どうやら逃亡中の殺人犯だったらしい。
 千雨達は用事のため、長野県のとある道を走っていた。人通りも建物も少ない山沿いの道だ。
 そこで男は通りがかりの車を奪おうとした。されど、対象の車を止めようとしたら事故を起こし炎上。
 口封じのために千雨達を殺そうとしたのだ。
 元々暴力団関係者らしく、数日前に暴力団同士の抗争である人物を殺害。
 運良く捜査網を掻い潜り、長野まで逃げ延びたものの、車が故障し強盗に至ったのだ。
 日常にありふれた凶刃に千雨は両親を奪われた。

 幸か不幸か、千雨は本来助からない重体患者のため、逆に生き延びる事が出来た。
 《学園都市》内では、特例を起こし《楽園》の科学者を保護していた。だが、それらの扱いは国連法に則り、厳重に定められている。
 されど、その技術力のサンプルケースは否が応にも欲しかった。
 その実施のために、科学者が解答したサンプルの推奨基準を知り、秘密裏にその基準に会うサンプルを探した。
 学園都市内、そして周囲の都市の学生などを基準にし、身体検査を通してサンプルを選定していき、リストを作った。
 仮にこのリスト内の人物が重傷を負った場合、即座に国連法の特例が申請され、《学園都市》に運び入れられる予定だった。
 一万人に近いリストの中で、千雨のランクは百五位。
 事故に遭った千雨は、即座に学園都市に運ばれ、治療された。もちろんモルモットとしてだ。
 その後、千雨はウフコックとドクターの協力の元、両親の仇となる男を殺害しているが、別の話しだ。

 千雨にとって、両親との別れは悔いの残りすぎる別れだった。
 世の中に悔いの無い別れなど少ない。されど千雨は両親を看取ることも、言葉をかける事も、何も与えず、むしろ奪うような形で別れてしまった。
 心の中の憤りが胸を詰まらせる。
 千雨は人との距離が分からなくなってしまった、
 だが、千雨は奪われる事だけは許せなかった。そして、その事に無性に怯えてもいた。

 混濁する意識の中で、両親の幻影を見た気がした。
 栗色の髪のなよっとした父親。欧米系の血が少し入ってるという、キリリとした目つきの母親。
 半年前まで、確かに一緒にいたのだ。

(あぁ、夢でも嬉しいな)

 千雨の頬を、涙が伝った。
 両親の手が、千雨の頬に触れた。温かさが伝わり、千雨は幸せな気分になる。

「お父さん、お母さん」

 最近、口に出さなくなった言葉だ。かみ締める様に呟く。

「ごめん。ごめん、わたし、何も出来なかった」

 炎上する車を背景に、男に立ち向かう父の背中を覚えている。涙を溜めながら、必死に千雨を抱きしめる母の感触は体に染み込んでいた。
 ぼろぼろと泣きじゃくる千雨を、両親はそっと抱きしめた。

「このまま……このまま、わたしは」

 温もりの揺り篭に、千雨の意識は浮遊した。
 だが――。
 ペチン、と千雨の頬が音をたてた。
 目の前には母親の厳しい目がある。振り抜いた平手もそのまま。

(懐かしいな)

 母親が千雨を叱る時に浮かべる表情だった。
 千雨に似たキリリと釣りあがった瞳は、えも言われぬ凄みがある。
 両親の口が動く。言葉は発せられずとも、千雨には伝わった。

「――ああ。分かってる。これが現実じゃないって、だけども」

 父親が千雨の頭を撫ぜた。そこに慈しみが満ちていた。

――すまない、そしてごめんな。

 父の言葉に、千雨は言い返そうとするも、背中がパンッと叩かれ言葉が詰まった。
 見れば、母が歯をむき出しに、ニヤっと笑っている。

――いつでも、あなたを見守っている。

 千雨の中から何かが溢れそうだった。だが、それらは言葉にならず、ただ涙となって地面へ落ちた。
 両親に背中を押された。
 千雨は子供だ。だが、立ち向かうべきモノがあった。譲れないモノがあった。
 だから――。

「ありがとう、お父さん、お母さん」

 両親の幻影に背を向け、走り出した。
 意識の奥底から、水面の境界を飛び出すように浮上する。
 まるで空すらも突き抜けるように。
 千雨の後姿を両親は見送った。
 母がクスリと笑い、父に向かって言った。

――あなたにそっくりね。



     ◆



 夕映の髪を掴み、そのまま引きずる麦野は、絹旗に対して指示を出した。

「絹旗、そこのイモガキをさっさと処理しておきな」
「超メンドイですが、了解です」

 絹旗が、老化から回復した体のコリをほぐす様に、関節をブラブラとさせた。
 そのまま倒れた千雨の方へ歩いていく。

「ちょーっと待ったぁぁぁ!」

 絹旗の前に立ちふさがったのは、チョビヒゲのルイだった。
 老化の影響か、未だ息を荒げつつ、所々に戦闘の傷も残している。

「お嬢ちゃん、悪いがここは通行止めだ。引き下がってくれるかな」

 余裕綽々で言い放つルイだが。
 絹旗は近くに転がっていた車の一台に蹴りを放った。車は放物線を描きつつ、近くのビルの二階へ突き刺さる。
 ルイはそれを見て、目をギョっと剥きだした。

「なにか言いましたか、『無能力者(レベル0)』? 何も無いなら超即座にそこをどいてください」

 ルイは無手だ。武器の一つすらなく、絹旗に抗う術は無い。
 カタカタと足が震えた。
 ルイは長年の経験から、目の前の小柄な少女の実力を正確に測っていた。

(敵わない)

 ドーラ一家の判断に合わせれば、即座に〝逃げろ〟と言われる輩だ。今までもそれで何とかやって来ていた。
 ルイの脳内も、それを是としてる。
 されど――。

「それは聞けねぇ相談だぜ、お嬢ちゃん。惚れた女を見捨てたとあったらママに殺されちまう。だったらここで引く選択なんて存在しないね」

 顔はピクピクと痙攣し、恐怖を表情がものがたっていた。

「それはご立派です。なら、遠慮なくやらせて貰いましょう」

 絹旗は軽くステップを踏んだ。その一歩がアスファルトを割り、粉塵を周囲に舞わせる。
 引いた右手を、真っ直ぐルイに放った。
 ゴォン、という地響きの様な音が鳴る。

「え?」

 絹旗の右手に奇妙な感触が残った。本来、その一撃で相手は吹き飛び、ビルの壁面にでも当たって潰れてる筈だ。
 違和感に眉をしかめたが、粉塵が晴れた先を見てそれは驚愕に変わった。

「へぇぇ~」

 麦野が珍しい光景に感嘆の声を上げた。
 粉塵の晴れた先には、両腕を交差させ前のめりになりながら、絹旗のパンチに耐えたルイの姿があった。
 絹旗のいる位置から大分引きずられ、アスファルトには摩擦で溶けたルイの靴跡が線となって残っている。
 スーツの上半身はボロ布の様になり、髪はまるで爆発した様に乱れていた。両鼻からは鼻血も噴出している。
 突き出した両腕は紫になり、二倍以上に腫れ上がっていた。

「クハ、クハハハハハ!」

 ボロボロになりながら、未だ立っているルイが笑い声を上げた。

「どうしたお嬢ちゃん。俺が無事で不思議か? あんたは俺に何の力も無いと思ったんだろう。だが、違う。俺には力がある!」

 絹旗はその言葉に、更に驚愕を深めた。

「何なんですか、私の『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を防ぐなんて……」

 ルイはにやけたまま顔を上げた。焦点が合わないのか、瞳がクルクルと回っていた。

「『愛』だ! 『愛の力』だッ!!!」

 絹旗を含め、周囲で事態を静観していた人間達が、呆然とした顔を向ける。

「そんな馬鹿げた――」
「馬鹿げた? お嬢さんの車を蹴り飛ばす程の力を受けても、俺はここに立っているんだぞ。それ以上の証拠があるのか! 超能力だか何だか知らないがな、俺の『愛の力』すら砕けない、あんたらに勝機は無いぜ!」

 ルイの体がふらついた、そこへ声がかかる。

「ルイ! 男なら前のめりだ。間違っても後ろに倒れるんじゃないよ!」

 車体の残骸からふらつきながら出てきて、ドーラが叫ぶ。

「……了解だぜ、ママ」

 ルイは絹旗の方向、前のめりに倒れた。
 そのままガクガクと痙攣しつつ、ルイは呟く。

「千雨さん、後はお願いします」

 ルイの後方に、立ち上がる人影があった。
 メガネは割れ、体はボロボロ。背中を強打し、指一つ動かしただけで痛みが走った。
 見れば夕映は『原子崩し』に掴まり、アキラもかろうじて体を起こしている状況だ。
 いつも傍にいたウフコックも今は無く、負傷して倒れている。

――頼るべき味方は傷ついていた――

 レベル5は不敵な笑みを浮かべる。
 『猟犬部隊』は数は減れど、その手にライフルを持ち、立ち上がった。
 遠くからヘリのローター音が響く。
 周囲の空間やネットワークを『シスターズ』が制圧していた。
 空に奇妙な紋様が浮かび、白と黒の光の粒が《学園都市》を覆っている。

――倒すべき敵は健在だった――

 だが、微かな輝きが、炎の様に燃え上がる。
 為すべき信念が芯となり、背中を支えた。
 手にいつもの銃の感触は無い。されど失っていないモノもあった。
 かつて誰かが言った『黄金の精神』。
 受け継がれるべき精神の息吹が、そこに確かに息づいていた。
 握りこぶしを作り、歯を食いしばって立ち上がる。

「まかせろ」

 長谷川千雨は爛々と輝く瞳をまっすぐ前に向けて、そう言い放った。



 つづく。



[21114] 第29話「千雨の世界ver2.01」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/10/16 19:00
 状況は最悪だ。
 しかし、まだ皆が生きている。
 アキラも、ルイも、ドーラ一家も、ウフコックも、そして夕映も。
 喉の奥からせり上がる恐怖を奥歯で噛み潰し、まっすぐ前を見据えて歩く。
 背中には両親の温もりがあった。人工皮膚(ライタイト)に焼きついた二人の手の平は、決して幻じゃないはずだ。
 ならば、立ち向かわねばならない。
 今の千雨には、周囲に光の糸が見えていた。
 《学園都市》に戻ってきてから感じていた違和感。見られている様な感覚の正体に、今になって気付くことができた。
 空気中を満たしている特殊な電子ネットワーク。
 何人にも視認できないはずのソレを、より感覚が鋭敏になった千雨は感じていた。
 腕を振るい、その無数の糸を束にしてグシャリと掴む。

「?」

 見つめていた周囲の人間達は、千雨の奇異な行動に眉をひそめた。
 だが――。

「――ふッ!」

 呼気一つ、周囲にあるネットワークへの電子干渉(スナーク)を開始すると、千雨にしか見えなかった光の糸が、周囲の人間にも見えるように発光し始めた。

「そうだ。こいつらと正面向かって勝てるはずがないんだ。わたしは戦うための努力を重ねてきたわけじゃない。なら、やれる事をやるべきだ」

 ルイの「お願いします」という言葉が耳に残った。救うべき味方は多く、倒すべき敵も多い。
 近づいてくるヘリの音が聞こえる。ネットワークを斜め読みする限り、どうやら《学園都市》の防衛システムが働いてるらしい。

「敵は目の前のコイツらじゃない。《学園都市》そのものだ。なら――」

 千雨の髪がパシリと紫電を帯び、弾けた。前髪の一部の特殊塗料が消し飛び、本来の白い髪が色を覗かせ、淡い光を放っている。

「いただくぜ、《学園都市》ッ!!!」

 千雨を中心に閃光が広がる。
 不意の光に『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の面々が銃を構え、『原子崩し(メルトダウナー)』が笑みを崩さぬまま、千雨に狙いを付ける。
 ビルの隙間を縫うように低空飛行をする『六枚羽』の影が、遠く視界に入ってきた。
 輝きの中心に立った千雨は、携帯電話を取り出した。
 そこへ一通のメールが入る。わざわざ液晶を開かずとも、今の千雨にはその内容が容易に分かった。

「――ったく。遅いぜ」

 千雨はそう吐き捨てながら、口角を吊り上げた。

『千雨サン、お待たせしたネ』

 たった一言のメール。されどそれは千雨にとっての、最後にして最大の援軍だった。







 第29話「千雨の世界ver2.01」







 少しばかり時間はさかのぼる。
 ロシア東部、太平洋に接するある田舎町に二人の姿があった。
 超鈴音と葉加瀬聡美。
 千雨のクラスメイトにして、中学生ながら大学部に研究室を持っている、天才科学者の二人である。

「うぅっ、やはり寒いですね」
「だからこそネ」

 初夏といえど、緯度の高いロシアは寒かった。国土が広いため気候にはバラつきがあるものの、六月に気温十度を下回る時があるほどだ。
 二人は千雨からの連絡を貰い、一路空路でロシアの土地にまで来ていた。
 向かう過程でも様々なことがあったが、ここでは割愛する。
 元々二人は様々な研究の実験をするため、幾つかの地域に実験用の施設を作っておいたのである。
 ここの施設もその一つだ。麻帆良から一番近いという理由もあり、やって来たのだ。
 千雨からの依頼は簡単。「《学園都市》との電子戦の折、助けて欲しい」という物だった。

 二週間ほど前に起きた『スタンド・ウィルス事件』。千雨は麻帆良のほとんどのネットワークを手中に置き、膨大な演算力を駆使して敵を撃退した。
 その事件の最中、千雨は超達の研究室も制圧してしまったわけだが、超達の持つ技術に違和感を持ったのだ。
 彼女らの技術力には、千雨から見れば〝空白〟があった。技術とは本来積み重ねで出来ていく。そのため系譜の様なものを作り、ある程度の向上過程を読み解いたり、技術を発達を予想できたりもする。
 されとて超達の持つ技術の一部には、その前後が無かった。ポッと出の技術が幾つも使われており、なおかつそれらの出力が現代技術に合わせる様に調整されていた。
 千雨は力押しで超達の技術に打ち勝ったものの、彼女らの科学力には感嘆の念を感じていたのだ。
 その技術の根本が何処にあるのかは分からない。自分とて似たような物なのだ、そこを探る気はなかった。
 だが《学園都市》に行くにあたり、都市内で自分の力がどこまで及ぶか分からず、彼女達への救援を求めて今に至る。



     ◆



 超達とて、本来そんな要望に軽く答えるわけにはいかない、
 だが、超達にとってこれは好都合だった。

「ワクワクするネ」
「えぇ、学園都市との電子戦争。現行のシステムの出来を確認するのに丁度良いですね」

 超の言葉に、葉加瀬はメガネを上げながら答える。
 二人とて千雨達が窮地にいる事は分かっていたが、それ以上にこれからの出来事に胸を躍らせる。研究者の性だった。
 町の片隅にある廃工場、元は精肉工場だった場所に二人は入る。ボロボロの内部を進んでいくと、ある場所に大きな扉が見えた。
 金属製の扉である。厳重な電子ロックもされたそこを、葉加瀬は片手にもったノートパソコンを接続し、あっという間に開放する。
 扉が開き始め、隙間から冷気が溢れ出た。
 二人は一瞬身震いするものの、何事も無い様に中へ入っていく。

「終ぞ麻帆良内では、完全稼動出来なかたネ」

 超がポンポンと叩く先には、巨大な円柱がある。直径三メートル、高さ五メートルに及ぶ円筒形のソレは超達が開発した特殊サーバーだ。それが二つ、連結する形で置かれている。

「消費電力も、発熱量も桁違いですからね。大学の研究棟では、すぐに電源落ちちゃいますよ。それにこの巨大な冷凍庫並みの冷却システムが無ければ、あっとい間に蒸し焼きになっちゃいます」

 彼女らがわざわざロシアに、サーバーを移設した理由だった。
 サーバーはブーンという巨大な音を響かせ起動し始めた。表面の金属もすぐに熱を持ち始める。

「コンディションも上々、ハードウェアに問題なさそうネ」
「定期メンテナンスのおかげですね。さっさとやっちゃいましょうか」

 超は白衣を翻した。

「敵は《学園都市》。四つのターミナルセンターなど、幾つか問題あるが、まぁいいネ。物理的な問題が無い限り、私達の障害にはならないヨ」

 超は不敵な笑みをこぼした。

「それに千雨サンと、もう取引したしネ」
「超さん。本当にあんな要求で良かったんですか?」

 葉加瀬はノートパソコンから顔を上げ、ジトリと超を見た。

「何言うてるネ! とても重要なコトヨ」
「あーはいはい、分かりました。それじゃ超さん」
「うむ。『超包子7号ロシア店』のデリバリーサービス開始ネ!」

 超の携帯から一通のメールが送られる。
 そして背後にあるサーバー『超包子7号ロシア店』が、豪快な唸り声を上げた。



     ◆



 千雨は電脳世界にダイブをした。広がるネットの海に立ちふさがるのは、一万五千の『シスターズ』。
 彼女らと正面から戦い続けた千雨は、彼女らの単純な実力が自分を上回っている事を知っている。
 分割思考を最大の四千にした。千雨の周りに四千の分身体が現れ、『シスターズ』と対峙する。

(時間が無い)

 千雨の体には銃口が突きつけられ、目前にヘリが迫っていた。おそらく二秒にも満たない時間で、千雨はこの状況を打破しなければならない。

(上等ッ!)

 高速思考がより高まった。本来、普通の人間であれば呼吸一回で満たしてしまう時間に、千雨は幾回もの思考を重ねつつ、行動を起こす。

(コイツらとは目的が違うんだ!)

 『死体安置所(モルグ)』での攻防が、千雨の思考を柔軟にしていた。
 四千もの千雨が、まるでミサイルの様に電脳世界を飛ぶ。海中に真っ白い軌跡を残しながら、一万五千人の壁に立ち向かう。
 そんな千雨の後方から、風が吹いた。

(へ?)

 後ろからやってくる膨大なデータの津波。それを構成するのは小さな〝肉まん〟だ。
 千雨達だけを避け、それらは『シスターズ』を襲う。

〈『シスターズ』は再び迎撃を開始すると、ミサカは――ムグッ〉

 『シスターズ』の動きが止まった。
 千雨の前にヒラリと一枚の紙が落ちる。

『――デリバリーお待ちネ――超包子』

 見れば、迎撃を開始しようとする『シスターズ』の口に、肉まんのデータが詰め込まれた。
『シスターズ』は一瞬だが固まり、そのままモグモグと咀嚼しながら動き出す。
「クハッ! ハハハハハ! そうだ、そうだよ。真正面からぶつからず、スマートに、だよな」

 どこかシュールな光景に笑いがこみ上げる。何も相手に合わせてやる必要は無い、小バカにしてやるくらいが丁度良いはずだ。
 ふと、緑色のジャケットが脳裏を掠めた。
 四千の千雨は、それぞれ更に四人に分身した。
 演算力の無い、殻だけのダミーを作ったのだ。数の上では一万六千と、『シスターズ』の一万五千を上回る。
 所詮数だけだ。だが、それで良かった。

「どうせ抜けるのは一人で良いんだ!」

 肉まんの津波に混ざり、一万六千になった千雨は『シスターズ』に向かう。ぶつかる直前に左右二つ、八千同士に別れた。

「まだまだぁぁぁぁぁぁ!」

 『シスターズ』もそれに合わせ、左右に分割する。されど千雨はまだ終わらない。左右に分かれた二つが今度は上下に二つ、合計四つのグループに別れ、更に八つ、十六へ。
 次々と分割する千雨に合わせ、『シスターズ』も別れていく。
 そして――。

「正面ががら空きだぜ」

 『シスターズ』はいつの間にか薄く広がっていた。一人一人の間は離れ、網は目が大きくなっている。
 千雨が〝目指すべき場所〟へと、道は開ききっていた。
 一万六千にまで分かれた全ての千雨は、全て囮だ。本体たる千雨はじっと動かず、この時を待っていた。

「うぉぉぉおおおおおおおッッッツツツツツツ!!」

 ネットの海を切り裂く千雨の軌跡は、まるで大渦を見ているようだった。先ほどの加速が比にならない程の速さで、『シスターズ』の隙間を駆け抜けていく。
 『シスターズ』も千雨の目的に気付き、包囲を狭くした。玉砕を狙うが如く、己の体を省みずに千雨へぶつかっていき、そして弾かれていく。
 『シスターズ』も無事ではすまないが、千雨とて無事ではすまない。体を構築するデータの所々が吹き飛ばされ、ほうほうの体だ。
 だが千雨は何も一人では無い。
 超の肉まんが爆発しデータの奔流として、『シスターズ』の動きを阻害した。

「ハハハハッ!」

 笑いが込み上げる。瞳には揺ぎ無い闘志があった。
 『シスターズ』にぶつかりながらも、加速は止まらない。まるでブレーキが壊れていくようだ。
 それでも、『シスターズ』の開けた穴を通り抜けるには至らなかった。
 遠く見える穴の出口が、ゆっくりと『シスターズ』により塞がれていく。もう腕一本程度の隙間しかない。
 千雨はそれを見ても、ただ笑みを深くするだけだ。

「『閉じてるものがあればコジ開けろ』! だろ、バアさんッ!!」

 ドーラの言葉が過ぎった。
 千雨はそのまま小さな隙間へ頭から突っ込む。衝撃が体を襲った。『シスターズ』の分厚い壁が千雨の体を受け止める。千雨の動きがピタリと止まった。
 だが――。

「吹き飛べぇぇぇぇぇぇぇ!」

 背中に二つの手の平があった。そっと、柔らかく、されど力強いその手の平は、確実に千雨を助けた。
 まばゆい光を放ち、千雨の髪の毛が全て白くなっていく。
 その瞬間、千雨に覆いかぶさっていた『シスターズ』の壁が、破裂する様に吹き飛んだ。
 弾けた『シスターズ』の群れの隙間を、閃光となった千雨が貫いていく。
 向かうは《学園都市》の中枢。頂くは鍵。
 そのまま千雨は学園都市の巨大な衛星アンテナを経由し、空を舞う。グングンと高度を上げ、目指すは静止軌道、三万六千キロの彼方だ。
 大気圏を突破し、視界を満遍なく星の光が占めていた。直下には青い地球がある。

「見つけたぜ、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』!」

 《学園都市》の誇る、現行で世界最大の演算力を持つコンピュータの名前だった。衛星軌道上に留まり、膨大な演算能力で《学園都市》の研究を支えていた。
 それが持つ、強固なセキュリティという扉の鍵を、一秒も関わらず千雨は壊していく。
 人工衛星内にあるモニターに写ったのは、『肉まんをかじる金色のネズミ』の絵だった。
 《学園都市》に光が降り注いだ。



     ◆



 瞬き一つ。それが千雨が電脳世界で戦った時間だった。
 前髪の一部だけだった髪の発光も、電脳世界に合わせ今では髪の全体にまで広がっている。
 銃を構える『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の姿が見えた。
 『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』を奪ったとて、未だこの周囲は『シスターズ』の影響下だ。分割思考をしながら、千雨は『現実』と『電脳』の二つの戦いを始める。

「――ふッ!」

 指を軽く振った。『猟犬部隊』の面々の持つヘルメット、そのヘッドマウントディスプレイを瞬時に電子干渉(スナーク)する。
 映したのは『肉まんをかじる金色のネズミ』だ。

「クッ、何だこれは!」

 彼らは視界を奪われ焦り、引き金を引くも照準はバラバラ。千雨に掠りもしなかった。
 千雨はそのまま走り出す。目指すは麦野沈利、そして夕映だ。
 目前に『六枚羽』が近づき、敵味方の識別を瞬時にした。狙いが千雨とドーラ達に設定され、機銃がせり出す。
 更に横合いからは絹旗も千雨目掛けて近づく。

「こなくそぉぉぉぉぉ!」

 千雨は『六枚羽』へ伸びる電子の糸を鷲掴みにし、思い切り引っ張った。
 電子干渉により制御システムを乱された『六枚羽』は、まるで本当に糸に引っ張られる様に傾き、同時に機銃の照準も変わる。
 銃弾は絹旗を襲った。

「わわっ!」

 絹旗は悲鳴を上げながら、『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を削り取らんとする大口径の弾丸に、必死に耐えていた。
 周囲に降り注ぐ弾丸や振動を掻い潜りつつも、千雨の足は止まらない。

「夕映を、返せぇぇぇぇえl!!」

 千雨の知覚領域が広がる様を、麦野はその能力の高さ故に、違和感として覚えていた。

「うるせぇんだよ! クソガキィィ!」

 麦野の手から閃光が放たれた。されど――。

「ぐぅ!」

 千雨の髪を掠る。狙いとは違う場所を通過した。

(発射角がズレた。――ッ! 違う、私の)

 千雨の髪が更に強く光った。目は戦意を失わず、今の〝事象〟を当たり前として受け取ってる目だ。
 麦野にとって、千雨のにやつく口元が、何とも言えず不愉快だった。

(私の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を乱しやがったァァァァ!)

 『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』、それは超能力者が持つ自分独自の感覚だ。
 本来他者が理解する事は困難で、間接的にならともかく、直接の干渉は限りなく難しい。
 しかし――。

「こぉの、ガキがぁぁぁぁ!」

 麦野が雄たけびと共に放った光線は凡そ十条。いずれもが千雨から反れるように発射角が乱れた。

「貰ったぁぁぁぁぁぁ!」

 体を低くして、千雨は麦野にぶつかっていく。麦野の右手は能力発動のため伸ばされ、左手には夕映を引きずっていた。
 麦野は冷静に左手の夕映を離し、千雨の顔面へ拳を振り抜く。

「ごふぅっ!」

 壊れかけのメガネが完全に砕け、千雨の顔と麦野の左手に裂傷を作った。千雨は慌てて目を瞑ったため、どうにか眼球への傷は防げている。
 転がりながらも、千雨の闘志は乱れない。顔を血で染めつつ、再び獣の様に走り出す。

「幾ら乱されたってさぁぁぁぁぁぁ! この距離じゃ関係ないよねぇ!」

 叫びなら麦野は腕を振り上げる。至近距離での『原子崩し』。
 目前に浮かんだ光球を散らせたのは千雨では無かった。
 麦野は自らへ浴びせられた弾丸を防ぐために能力を駆使した。

「チィィツ!」

 遠くで硝煙を上げる銃を持つドーラがいた。

「行きな! アキラ!」

 アキラは地面を飛んでいた。『フォクシー・レディ』が限界以上のスピードで、地を滑空する様に走る。アキラはさながらバイクレーサーの様な体勢だ。

「夕映ッ!」

 アキラは手を伸ばし、麦野の横をすり抜けた。左手にはガッシリと夕映の体が掴まれている。そのままアキラは無事だった車二台のうち、ドーラが乗り込んだバンへ向かった。

「ちーちゃんも早くッ!」

 アキラは千雨に悲痛な声を上げた。見れば後部座席には、ボロボロのルイも運び込まれていた。

「先に行っててくれ。ここにはまだ先生もいる。それに……コイツは駄目だ。この『原子崩し(メルトダウナー)』を残したままじゃ、わたし達は帰れない!」

 千雨は麦野の能力を理解していた。距離を取り逃げる。この莫大な射程を持つ麦野相手に、それでは駄目なのだ。
 先ほど千雨がバランスを乱させた『六枚羽』が復活し始めた。
 さらに追加で二機がこちらへ向かっている。その二機がドーラ達の乗る車へ機銃の照準を合わせた。

「このままじゃみんなお陀仏だ! さっさと車を出しなッ!」

 ドーラの指示を受け、二台の車が煙を巻き上げながら走り出す。

「ドーラさん、まだ千雨ちゃ――」

 アキラの言葉を遮るように、ドーラが頭を撫ぜた。

「大丈夫さ。いいかい、あたし達は賊だ。戦場で人間一人盗むくらい容易いことさ。今はあたし達の心配をするよ」

 バンの開け放っていた後部ドアの片方が、ヘリの機銃で弾き飛ばされた。
 夕映がヨロリと立ち上がり、手近にあった銃を取った。

「あいつを、あのヘリを壊して、千雨さんを迎えに行きます!」



     ◆



 千雨の残った場所はまさに戦場と化していた。一人で近代兵器と余裕で渡り合えるレベル5が暴れ、その合間に本物の兵器たる戦闘ヘリの攻撃が入る。
 地面が割れ、車が次々と爆発する。まるで空爆の中にいるような光景だ。
 瓦礫から這い出る影がある。白衣を着た、顔に刺青のある男。

「クソォォォォ! テメェら、ターゲットはどさくさに逃げやがった、『六枚羽』にブッ殺される前に回収するぞ!」

 木原数多が命令を出した。
 ヘッドマウントディスプレイを投げ捨てた『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の面々は、次々と車に乗り込んでいく。

「追わせると思うかぁぁぁぁぁぁ!!!」

 千雨は必死に声を振り絞り、周囲に干渉した。ヘリの機銃と『原子崩し』を反らせ、装甲車を襲わせる。約半分が破壊された。
 しかし、残りの半分は夕映たちを追いかけ、走り去った。

「絹旗! あんたも行ってきな! 私はこのガキを始末してから追う!」

 絹旗はコクリと頷きながら走り去る装甲車、その一台の天井に飛び乗る。
 依然、千雨の周囲には銃弾と閃光が満ちていた。軌道の計算と確率を元に、それらを掻い潜り続ける。
 その間も千雨の知覚領域はグングン広がっていく。『シスターズ』の迎撃も跳ね除け、『樹形図の設計者』と超の協力の元、次々と周辺の演算装置をジャックしていく。
 隣接する学区にいる学生達の携帯の液晶に、『肉まんをかじる金色のネズミ』のイラストが表示されていく。大型の街頭モニターにすらその絵が映っていた。

(まだだ)

 周囲の発電装置をも奪っていく。その電力をを演算装置のある物体へ、片っ端から送り込んでいった。

(まだだ!)

 千雨の感覚が際限なく広がっていった。そして、〝空間そのもの〟に干渉を始めた。

(何だ、これは)

 そして、見つけた。《学園都市》の上空に〝何か〟があった。

(扉? それとこいつは)

 都市内でも一番高い建物の壁面を、人影が走るように昇っていく。黒い尾をなびかせる影が見えた。

(おかしい。《学園都市》そのものに何かが、魔力か?)

 千雨が《学園都市》を手中にしていくのに比例し、魔力が集まっていく。白と黒の光の粒が、まるで雪の様に降り注いだ。

(だがまるで――)
「クッ!」

 千雨の目前に光が迫り、無駄な思考を止めざるを得なかった。現在千雨の並列思考は全開で働き、余裕など無い。

「また避けやがったか、この○○が。一体何なんだよ、オマエ」

 麦野が卑猥な罵倒と共に、疑問をぶつけた。
 千雨は血みどろの顔を袖で拭い、口の中で邪魔だった奥歯を吐き捨てた。一緒に血塊も飛ぶ。

「わたしが誰かだって?」

 千雨は笑みを強くした。
 瞳にたぎる、力強い輝き。
 依然は恐怖に震え、逃げ出した存在へ、高々と言い放った。

「わたしは長谷川千雨。たんなるッ! ただのッ! 一女子中学生だッ!」

 視界が広がった。周囲に舞っていた白い光の粒が、二つの人影を形作り、消える。
 力が一気に膨れ上がり、ネットワークを通し『シスターズ』が一気にショートしていく。
 一万五千にも及ぶ並列演算が、まるでドミノ倒しの様に崩れていった。
 千雨を縛る鎖が弾け飛ぶ。もはや彼女を縛るものは何も無い。

「決着だ! レベル5ッ!」

 学園都市に『千雨の世界』が広がっていった。



     ◆



 車は激しく揺れていた。
 ヘリ二機による機銃は猛威を奮う度、左右へ激しくハンドルが切られ、車内に置かれた物が宙を舞う。
 千雨の電子干渉のおかげで多少照準がずれているらしく、未だ車は直撃を免れていたが――。

「これじゃあ、ラチがあかん!」

 ドーラは愚痴を吐きながら、バンの後部ドアからライフル銃を撃ち放つ。
 されどその程度で最新鋭の無人戦闘ヘリが落とされるはずはなく、空しく装甲に小さな音を響かせるだけだった。
 その中で夕映は苛立ちを募らせていた。
 夕映の身体スペックを考えれば、戦闘ヘリの機銃、その銃口を打ち抜くのも不可能では無い。
 自身もそれを理解し、火力が少ない中での起死回生として、先程から狙っているのだ。

「――ッ」

 夕映の放つ銃弾は、大きく的を外れる。
 ライフルを持つ左手がピクピクと振るえ、銃身をうまく保持できなかった。

「なんでこんな時に! なんでッ!」

 悔しさと焦りで目じりに涙が溜まった。
 麦野に傷つけられた左手は、その傷跡をしっかり残していた。義体のおかげで痛みは感じていなかったが、かわりに繊細な作業には支障が出ているのだ。

「夕映」

 アキラはウィルスを通して送られてくる、千雨の状況の把握に努めていた。
 彼女は銃を持った事が無く、現状ではする事が無い。悔しさを滲ませる夕映に、声をかける事も出来なかった。
 『六枚羽』が急に高度を落とした。墜落するのではないか、という程地面スレスレを飛ぶ。有人飛行ではできない芸当だった。

「マズイ!」

 ドーラが焦りの声を上げた。先ほどまでの撃ち下ろす様な射撃ではない。水平になぎ払う射撃がこれから行なわれるのだ。
 夕映の背中に冷たさが走った。

(駄目デス、ここで、ここで決めなければ。皆が、皆が死んでしまうッ!)

 後部ドアの真正面に、ヘリの本体が現れた。
 ヘリの前面の装甲が、夕映にはまるで醜悪な悪魔の顔の様に見える。
 狙うは機銃の銃口。刹那の時に夕映の左手が一層震え、照準が乱れる。
 その時、舞い落ちる白い光の一つが、夕映の周囲を取り巻いた。
 夕映の肩に一つの手が置かれた。

「――え?」



     ◆



 トリエラの体に、血が流れていない箇所など無かった。
 千雨達が去った『死体安置所(モルグ)』と呼ばれる地下施設で、トリエラとピノッキオの激闘は続いていた。
 施設のあらゆる所が崩壊し、この場所が埋まるのは時間の問題に見える。
 資料などを破壊するために、ドクターが設置した爆薬はせいぜい部屋の機材を壊す程度のものだった。
 元々強靭に作られている、施設そのものを吹き飛ばす程では無い。
 だが、トリエラが戦いの最中に振るった人外の膂力が、施設の支柱となる部分をことごとく破壊し、ドクターの爆薬が施設崩壊をより促す結果になった。

「はーッ、はーッ」

 トリエラは口を大きく開け、呼吸を繰り返した。
 服は破れ、切り裂かれ、もうボロ雑巾の様になっている。
 左腕も、肘から先が綺麗に切断され、周囲に転がっていた。
 対するピノッキオも疲労は色濃く見えるが、トリエラの様な体の欠損は見受けられ無い。
 周囲のパイプが弾け、頭上からは破片などが絶え間なく落ちている。
 時折その隙間から光の粒も落ちてきていた。されど二人にそれを構う余裕は無い。
 立っている床とて平坦ではなく、数々の残骸によって、まるで山奥の森の様に起伏に富んでいるのだから。

「ハァ、ハァ。い、いい加減、死んでくれないかしら」
「それはコッチの台詞だ。死なぬ存在とは厄介だな。だが――」

 ピノッキオが一歩を踏み出した。それに合わせ、トリエラも脚に力を込める。
 床を踏み砕き、一直線にピノッキオまで迫る。

「うあぁぁぁぁぁぁッッッ!!」

 残った右手で拳を力の限り振り抜いた。
 ピノッキオはトリエラの動きを感覚で理解しつつ、その視線すらも観察し、拳の軌道を予測する。
 紙一重では避けない。なぜならその距離で避けたなら、一緒に肉も抉られるからだ。
 本能が恐怖と歓喜の嬌声を上げ、ピノッキオの動機が激しくなった。頭蓋を引っかく音などもう聞こえない。
 拳から離れていながら、空気を切り裂く轟音が、ピノッキオの鼓膜を激しく叩いた。
 そのまま振り抜いた体勢のトリエラの腿に、ナイフを突き刺す。

「がぁぁぁぁぁッ!」

 血の噴水をピノッキオは顔で浴びる。
 それに構わず、苦悶の声を上げるトリエラの鼻先に、ピノッキオは膝蹴りを放った。
 カウンター気味の一連の攻撃を受け、トリエラは後方へ吹っ飛ぶ。

「――だが、脳漿すらすり潰せば、動かなくなるだろう」

 トリエラは激痛の中、必死にピノッキオの姿を探すも。

(目が、目が見えない!)

 視界が曇りを帯び、ピノッキオを探せなかった。
 目を擦るというワンアクション、それが致命的だった。
 視界を取り戻したトリエラに見えたのは、眼前に迫るナイフ。

(間に合わない)

 トリエラに過ぎったのは自分の死では無い。不死たる彼女は、例えミンチになろうと長い歳月があれば元に戻れる。
 彼女が思い描いたのは夕映の死だった。このナイフに貫かれるのは、自分の最後の希望たる夕映なのだ。
 その時、周囲の光の粒が何かを形作り、弾丸がピノッキオのナイフを弾き飛ばした。
 不意の横槍に、ピノッキオが固まる。返してそれが彼の致命的な隙になった。

「ああああああああああ!!」

 トリエラは今度こそ力を振り絞った。体に巡る血の一滴すら無駄にせず、まさに渾身の一撃をピノッキオの体に叩き込む。
 ピノッキオは咄嗟に後ろに飛び、威力の軽減を計るも、その程度では甘い。

「――ゴッッふォッ!!」

 かろうじて肉体の貫通は免れたが、彼自身が弾丸になった様に壁に突き刺さり、落ちる瓦礫に押しつぶされていった。
 トリエラは体だけでなく、精神にすらこびり付いた倦怠感を、どうにかいなしながら立ち上がる。
 そして、銃弾の放たれた方向を見て固まった。

「――え」

 白い光が集まり、淡い人影を形作っていた。
 それはトリエラの良く知る人物であり、彼女が世界で一番愛してやまない人物だった。
 涙が溢れた。
 たとえそれが幻だとしても、目の前に彼が立つ光景を、トリエラはこの十年間夢見てきたのだ。

「ヒ、ヒルシャーさぁぁん」

 トリエラの大人の皮が剥がれ、出てきたのは泣きじゃくる一人の幼子だった。
 まるで仔犬が母を求めるように、トリエラは目の前に立つヒルシャーに歩み寄る。
 ヒルシャーはどこか困ったように、そしてどこか嬉しそうに、泣きじゃくるトリエラを抱きしめた。
 周囲には施設の崩壊の音が響き続けている。瓦礫に埋もれるようにして二人は立っていた。

「ヒルシャーさん、私、私……」

 泣きじゃくるトリエラは言葉が出なかった。夢の中で思い描いた再会では、次々に話したい事が沸いたのに、今は真っ白になっている。
 ヒルシャーは、限りある時間をかみ締める様にトリエラを見つめた。
 彼がここへ来れたのは奇跡に等しかった。《学園都市》で行なわれている術式に巻き込まれ、生と死が曖昧なこの空間で、つかの間の体を保ててるだけなのだ。
 見つめる瞳は親子のソレとも、恋人のソレとも違った。だが、愛情に満ち満ちていた。
 ヒルシャーは、銃ばかり握っていた無骨な手でトリエラの頭に触れた。
 彼が覚えているトリエラはもっと小さかったはずだが、彼女の身長は彼と並ぶ程に伸びていた。

――トリエラ、君がずっと後悔してるんじゃないかと、心配していた。
「え?」

 トリエラはドキリとした。トリエラはこの十年、何度も後悔している。
 『公社』襲撃の最中、トリエラがヒルシャーと別行動を取ったほんの少しの時間に、彼は殺されてしまった。
 ヒルシャーの叱咤も、罵倒も、別れの言葉すら貰えず、彼は死んでしまった。
 トリエラの瞳に恐怖が過ぎった。あの日の出来事が走馬灯の様に蘇り、体がすくむ。
 トリエラにとって、ヒルシャーの拒絶は何よりも恐ろしかった。
 離れようとするトリエラを、ヒルシャーはひっしと抱きしめる。

「あっ……」

 トリエラの吐息が漏れた。

――君に出会えて嬉しかった、ありがとう。この言葉を、ずっと伝えたかった。
「あぁぁ――」

 トリエラの目から、涙が滝の様に溢れた。しゃくりを上げ、嗚咽と共に血の混じった鼻水まで出てきている。

――もう時間が無いみたいだ。トリエラ、君は生きているんだろう。そして、君にも生きがいが出来たんなら立ち上がってくれ。

 周囲の粉塵が、ぼやけたヒルシャーの顔をさらに淡くした。

「ヒ、ヒルシャーざん、わ、私、い、妹が出来たのッ! 私、わた……」

 ヒルシャーはにっこりと微笑んだ。

――そうか。良かったな。

 クシャリ、と髪を再び撫でた手が、霞むように消えた。光の粒となり、上方へ舞い上がる。
 トリエラはそんな光の粒を目で追った。溢れ出る涙もそのままに、ヒルシャーの昇った先には、地上へ伸びる微かな光があった。

「行かなきゃ……」

 トリエラの周囲の残骸が爆ぜた。



     ◆



 ピノッキオは、落ちてくる破片と瓦礫に囲まれた、小さな空間に居た。
 後ろにある破片に背を預け、辛うじて体を起こしているような状況である。
 トリエラの攻撃により、彼の体の内臓の幾つかが破裂していた。口から溢れる血液は死へのカウントダウンだろう。
 目が霞んだ。
 手の先からナイフが落ち、もう再び握る力さえ残っていない。

「お、じ、さん」

 霞んだ視界の先に、父の様に慕った〝おじさん〟が見えた気がした。
 だが、例え本物だとしても、この一筋の光も無い空間で見えるはずが無い。
 幻影だと分かりながらも、ピノッキオは手を伸ばした。
 その時、力が抜け、ガクンと腕が落ちた。

「あ……」

 幻であるはずの〝おじさん〟が、その手を握ってくれていた。
 そのままピノッキオは、しな垂れるように地面に伏せた。
 指先には、おぼろげな温かみがある。

(ははは、悪党の死に目なのに出来すぎてる)

 血が溢れ、体を寒気が襲う。しかし、手だけは温もりに包まれていた。
 もう幻影すら見えない。
 辛うじて動く片方の手で、コートのポケットを漁った。指先に触れる感触は、いつか買ったウサギのキーホルダーだ。

(誰、だった、か)

 思考は途切れ途切れになり、心臓も動きを次第に緩やかにしていった。

(眠い……。あぁ、これが……)

 ピノッキオの顔が至福に満たされ、彼は眠りについた。
 体の隙間から光の粒が溢れ、瓦礫の隙間を縫う様に上を目指す。
 粉雪が天上に戻っていくように、光が目指すのは、《学園都市》の空に現れた『扉』だった。



     ◆



■interlude

 崩れ行く『死体安置所(モルグ)』を目の前にして、一人の少女は目に悔しさを溜めた。
 瓦礫の隙間から光の粒が溢れ、空を目指し舞っている。
 その光景に、涙を溜めつつ怒りを吐き出した。

「なんでッ! なんで、あなたがッ! 先生を殺した、あなたが、なんでッ!」

 金色の長い髪を振り回し、少女は叫ぶ。
 地面を力の限り蹴った。拳を壁に撃ち付けた。
 されど、彼女の怒りは、悔しさは、収まらない。
 涙を零さない様に空を見上げた。
 彼女の見上げる先では、まだ戦っている人がいる。

「行かなくちゃ、いけませんわね」

 彼女の矜持が、これ以上の無様さを拒否していた。
 涙を袖で拭い、高音・D・グッドマンはあるべき場所へ走り出した。

■interlude end



     ◆



 夕映の左肩に手が置かれ、震える左手にもそっと手が重ねられた。
 不思議とそれを受け入れ、いつも通りに夕映は引き金を引く。
 弾丸の軌道は、夕映が思い描いたものと寸分たがわず、機銃の銃口に命中した。
 機銃の破壊の衝撃でバランスを崩した『六枚羽』は、地面と接触し、そのまま炎上した。

「あっ」

 夕映はすぐに振り返る。彼女の前にあったのは、在りし日のジョゼの姿だ。
 淡い光が集まり、ジョゼが人としてそこに立っていた。薄っすらと体が透けるジョゼは、どこかの映画の幽霊を彷彿とさせる。
 バンの後部にいたドーラやアキラも、その光景を唖然として見ていた。

「ジョ、ジョゼさん。な、なんで」

 夕映は目の前の存在が本物かどうかすら考えず、声をかけた。目の前にいるジョゼは、夕映が良く知る彼より、大分若かった。

――尻拭いさ。夕映の幸せを望んだはずの僕の判断が、逆に枷となってしまった。

 ジョゼが申し訳なさそうに顔をしかめる。

――すまない。僕が君にやれる事はもっとあったはずなのに。

 ジョゼの独白に、夕映はプルプルと顔を振った。

「違います! ジョゼさんは私をあの部屋から連れ出してくれたデス。あの白い部屋から」

 自分を背負ってくれたジョゼの背中を、今の夕映はペンダント無しでも思い出せた。

「おかげで、私は自分の世界を広げられたんです。あの狭い部屋では見えなかった、風も、匂いも、本も、友達も、そして――」

 夕映はぐっと下唇を噛み締めた。

「だから、私はッ!」

 零れそうな涙を堪える。そんな夕映の頭を撫ぜる手があった。
 横を向けば一人の少女がいた。彼女もまた、ジョゼと同じように淡い光を放っている。
 身長はさほど変わらないながらも、夕映よりも幼そうに見える。
 キリリとした眉を持ち、肩で揃えた髪をカチューシャでまとめていた。

「あなたは」

 トリエラの時と同じように、ジョゼの書斎の写真を思い出す。

――私はヘンリエッタ。トリエラがあなたのお姉ちゃんなら、私もお姉ちゃんだね。

 そう言って、ヘンリエッタはニコリと笑った。
 かつて、ジョゼが夕映と出会う前に『フラテッロ』として一緒に戦っていた少女だった。
 ジョゼへの狂おしい愛情と共に、散っていった少女である。
 その時、運転席から声が上がった。

「ママァ! やばい、前に回りこまれてる!」

 『六枚羽』の最後の一機が、道の先でホバリングをしていた。後方からは追いすがる装甲車の群れ、『猟犬部隊』も迫っている。

――夕映、僕はいつでも君の幸せを願っている。そして、今だけはそれを助ける事が出来る。

 ジョゼは懐から拳銃を取り出し、スライドをガチャリと引いた。
 ヘンリエッタも手に持ったバイオリンケースから、特殊な形のサブマシンガンを取り出す。

「お、おいアンタら」

 ドーラが思わず声をかけた。それに対しジョゼが頭を下げる。

――夕映を、お願いします。

 あまりの真正面な真摯な言葉に、ドーラは呆気に取られるも、にやりと口を歪ませた。

「我が子のために地獄から、って所かい。難儀な事だね、まぁ、まかせな」

 ジョゼはドーラの言葉に笑みを浮かべた。
 ヘンリエッタもアキラの元にトトトと近づいた。アキラから見ればヘンリエッタはとても小さい。狭いバンの中で、腰を折るようにして目線を合わせた。

――あの、妹をお願いします。

 ヘンリエッタもペコリと頭を下げる。
 アキラはそれを見つめつつ、ただ「うん」と言い、ヘンリエッタの頭を撫ぜた。
 ヘンリエッタはくすぐったそうに顔を赤らめながら、アキラから離れた。

「ジョゼ、さん」
――心配するな夕映。君は助けたい人が居るのだろう。行きたい場所があるのだろう。なら道は僕らが開こう。それに……。

 ジョゼの言葉をヘンリエッタが継いだ。

――私〝達〟が負けるわけないもの。せっかく出来た妹を前に、かっこ悪い所、見せられないしね。

 そう言いながら、ヘンリエッタはバンの後部ドアから飛び出した。そして――。

「え?」

 ヘンリエッタの体が弾け、四つの人影となった。一つはもちろんヘンリエッタだ。
 だが他の三つは。
 困惑する夕映に、ジョゼが声をかける。

――あれも君の……うーん、姉って事になるのかな。

 頬を申し訳無さそうに掻いた。
 彼女らも、ヘンリエッタと同じく条件付けをされ、血と硝煙の中で命を削らされた、人形たる少女である。
 彼女らに血の繋がりは何も無い。ただ〝あの場所〟で過ごした小さな幸せの日々が、彼女達の繋がりだった。
 それを知らず、夕映はただ硝煙に身を焦がす、四人の少女に見とれていた。

「あれも、お姉ちゃん」

 メガネをかけた少女が、手馴れた様にサブマシンガンを操り、近づいてくる装甲車に向かっていく。
 短髪の少女はバンの天井に乗り、長大な狙撃ライフルの照準を前方の無人ヘリに合わせた。
 お姫様を思わせる小柄な少女は、アサルトライフルを持ち、ヘンリエッタと協力しながら『猟犬部隊』を迎撃する。
 少女達四人の攻撃が、周囲に爆発を起こさせた。次々と《学園都市》の近代兵器を撃沈していく。
 目前の無人ヘリが、道路脇のビルに突っ込む様を見て、助手席のアンリは感嘆の声を上げた。

――僕も行く。夕映、幸せになってくれ。

 ジョゼは返答を聞かず、そのまま戦場へと飛び込んでいった。
 夕映はその言葉に、声を詰まらせた。

(私、私、幸せです)

 そんな夕映の背を、ドーラがバシンと叩いた。

「今がチャンスだ。ユエ、チサメを迎えに行くよ」
「え?」

 夕映が顔を上げた。

「ママ~、無茶だぜ。今車を引き換えしたら、もう俺たち戻って来れないよ」
「バカ息子が。誰が車で行くって言ったんだい!」

 ドーラがバンのスライドドアを開け、隣を並走するピックアップトラックを、ジェスチャーで近づかせた。

「いいかいアンリ、あんたらはこのまま『壁』へ向かうんだ。あたしらはチサメを回収して、この車を追う」
「ママ!」

 アンリは何かを悟ったのか、驚きの声を上げた。

「ユエ、来な」

 そのままドアに近づくと、ピックアップトラックの荷台が目の前まで迫っていた。
 ドーラの指示に従い、そこへ夕映は飛び乗った。ドーラも続く。
 荷台に乗った男衆を掻き分けたり、逆にバンへ向けて蹴り飛ばしたりしながら、ドーラはさほど大きくない荷台にスペースを作った。

「こいつさ」

 荷台には白いシートが被さった物体があった。
 バンから見つめていたアキラは、それが麻帆良を出発した時から車に載っていたのを思い出す。
 ドーラはシートを勢いよく剥がした。
 小さな車のボンネット部分だけを削りだした様な、奇妙な機械があった。
 その後ろには、小さな操縦席も付いている。
 まるで鉄籠にエンジンを載せたような機械だった。
 そして一番の特徴は、エンジン部分から四枚の羽が折りたたまれる様に付いてる所だ。

「こ、これは?」

 余りの奇天烈な機械に、夕映は言葉を失った。

「フラップター、うちの爺さんが作った小型飛行機だ。いささか航続距離に問題はあるがね、性能はピカイチさ」

 ドーラは操縦席に乗り込み、夕映を手招きした。

「この部分にベルトがある。落ちたくなけりゃ、しっかり締めておきな」

 ドーラの指示通りに夕映はベルトを締める。今度はドーラがゴーグルを放り投げてきたので、それも付けた。

「あの、これで?」
「決まってるじゃないか!」

 ドーラもゴーグルを下ろしながら、フラップターのエンジンを始動させる。
 ブーン、という重低音が鳴り響く。

「野郎供、しっかり押しなッ!」

 ドーラの指示の元、フラップターを荷台の後ろへ突き落とす様に男達が動いた。

「え? え?」

 夕映はその行動に、疑問符を浮かばせ続けた。

「さぁ、行くよ!」

 走ったままのトラックから落とされたフラップターは、閉じていた羽を開き、そのまま高速で振動させる。

「えぇぇぇぇ~~!」

 地面への激突の恐怖で、夕映は声を上げる。
 だが、フラップターは地面と接触する事無く、そのまま空高く舞い上がった。
 夜闇を切り裂く様に、フラップターが天空を駆けた。
 周囲には淡い光の粒が舞っている。

(この光はジョゼさんが纏っていた光? 一体、何が起きてるんデスか……)

 夕映の思考を遮る光景が目に映る。
 遠くに闇を切り裂く閃光が走ったのだ。
 建物を破壊しながら、遠く空へと突き進んでいく。月明かりに照らされた雲さえ霧散させるそれは、『『原子崩し』に他ならない。

「あれは!」

 夕映は音にかき消されない様に、大声で指を差す。

「間違いないね、チサメだ!」

 フラップターは一路光の根元へ向け、飛んだ。



 つづく。



[21114] 第30話「彼女の敵は世界」 第ニ章〈エズミに捧ぐ〉終了
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 16:27
■interlude

 明りの消えた麻帆良の上空に、一輪の巨大な花が咲いた。
 夜闇の中、透明な花は輪郭だけをひっそりと光らせる。
 近くで見たならば、その花が氷で出来ているのが分かるだろう。
 まるで麻帆良という街を守るかのように、花は大きく、そして力強く咲いている。
 花弁の一枚に影が落ちた。夜を纏った真祖の姫が、蒼い瞳を輝かせる。
 見据えるは南。
 禍々しい気配が空気を揺らす。
 ニヤリと歪めた彼女の口元には、牙があった。
 姫を守るように、更に二つの影が現れ、近くに侍り立つ。
 風は彼ら、彼女らに吹いていた。

■interlude end







 第30話「彼女の敵は世界」







 夕映とドーラがフラップターと呼ばれる機械で飛び立つのを、アキラはバンの後部から見上げていた。

(ちーちゃん)

 今も千雨が戦っているのを、ウィルスを通して感じている。すぐにでも飛び出したい、千雨の元へ走ってゆきたい。
 アキラは込み上げる気持ちを、なんとか押さえ込む。
 今、自分が行っても足手まといになると分かっていた。だから。

(ちーちゃんも一緒に帰れるように、万全を尽くす)

 車は『壁』に近づいていた。いずれ搬入ゲートも見えてくるのだろう。
 車の遥か後方には、銃声や爆音が未だ聞こえる。
 どうやらジョゼ達が、しっかりと足止めをしてくれている様だ。
 そこから、一台の装甲車が飛び出してくる。ジョゼ達の銃撃すらものともせずに、銃弾の雨を平然と走っていた。
 遠くて正確には見えないが、車の天井部分に小さな人影がある。

「――あれは」

 距離はまだあった。こちらの車も旧式のバンとは言え、時速百キロ近く出しているのだ。
 容易くは追いつけまい。
 そんなアキラの予想は覆される事になる。
 激しい銃撃を受け、装甲車がスピンをした。天井に乗った人影は、まるで装甲車を〝履き潰す〟かの様に踏み砕く。
 装甲車を蹴り飛ばした勢いのまま、人影が砲弾になった様に地面を滑り、こちらへ向かう。勢いが無くなったところで、更に地面を蹴り飛ばす。
 異常な光景に呆気に取られ、アキラの反応が遅れた。

「だ、駄目ッ!」

 人影がバンにぶつかる。バンは上下にガクガクとバウンドするが、なんとか走っていた。

「な、なんだぁぁぁ!」

 助手席のアンリが驚きの声を上げる。
 気付いたらバンの天井の半分が消えていた。まるで内側から弾けた様に。そして――。

「せっかくここまで来たのに、一足遅かったですか」

 アキラの目の前に絹旗最愛の姿があった。
 小柄な体躯を、無難なカジュアルルックで包んでいる。あの戦場を抜けてなお、彼女の服に汚れは無かった。
 スタンドを出し、アキラは身構えた。
 大きめのバンとはいえ、この三メートルも無い空間に、アキラと絹旗が対峙する。緊張から冷や汗を流すアキラだが、絹旗は何処吹く風。
 余裕を崩さなかった。

「やはり先ほどのヘンテコな機械に、ターゲットが乗ってた様ですね。まぁ、いいです。ここまで来たのなら、あなた達には沈んでもらいましょう」

 絹旗の言葉に、アキラはいち早く動く。

「やらせない!」

 人型になった『フォクシー・レディ』の尾が、大きく振りかぶられた。



     ◆



 千雨は周囲を精査に知覚する。
 本来は物体の大きさや動き、それに熱量などを感じるに留まる彼女の『領域』が、更に広く強くなっていった。
 〝光〟が千雨に直撃する。
 電信柱程の太さの光、『原子崩し(メルトダウナー)』は千雨の体を分解するはずだった。
 だが。

「ぐぅぅぅぅッ!」

 千雨が吹き飛ばされ、地面に転がる程度に終わる。
 干渉出来ていた麦野の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』は、より強力な意志の元、堅固になっていく。
 先程まではノイズを走らせ、方向を反らせられたが、今はそれも難しかった。
 千雨が力を増していくたびに、明晰な頭脳を持つ麦野も対応していった。
 千雨は自らの『世界』で、『原子崩し』を相殺していた。されど、全てを打ち消す事は出来ず、まるで鈍器で殴られた様な、鈍い衝撃が体に打ちつけられる。
 転がっても、なお前を向き続けた。痛みが広がり、惰弱な心を呼び起こそうとするが、それすらも靴裏で踏みつけた。

「がぁぁぁぁぁぁぁッッ!」

 麦野へ向け、再び走り出す。得物の無い千雨と、長距離射撃を得意とする麦野。どちらが有利かなど考えるまでも無い。

「いい加減死ねよォォ!」

 光条が周囲を抉りながら千雨を襲う。千雨は自らが構築している『千雨の世界』の中で、それらへの最適な回避パターンを読んだ。
 避けられない光は、手に『世界』を纏い相殺させていく。

「あぁぁぁぁッッ!」

 激痛。
 例え相殺されど、衝撃はやってくる。横に振るった左手の、爪が何枚か剥がれていた。
 今、千雨は『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』やその他の演算装置に、学園都市の電力も合わせ、膨大な電子干渉(スナーク)を周囲に起こしている。更にその空間に知覚領域を重ね、自らが統べる『世界』へと作り上げたのだ。
 しかし、万能では無い。元々千雨の能力は戦闘に向いた力では無いのだ。
 電子干渉(スナーク)とて本来は超能力に干渉できる様な存在ではないのを、千雨は経験と才能で、自らの能力の骨子そのものをひん曲げている。
 激情が千雨を動かしていた。
 失うのが、嫌で嫌でたまらなく、引けないのだ。
 体を疲労と痛みが襲い、脳はゆだり、肺は悲鳴を上げる。
 だが、体は前へ、前へと向かっていた。足は立ち止まる事を知らず、主の思うがままに走り続ける。
 瞳には淀みの一片すら無い。

「こぉの、ションベン臭いガキがッ! なんなんだよぉぉ!」

 麦野はそんな千雨の姿に不快感を抱く。自らが納得し得ない存在。自分の能力に比べれば、圧倒的に劣る人間が、倒れても倒れても向かってくるのだ。
 光の網を掻い潜り、千雨は麦野の目の前まで近づいた。
 拳を握る。思い出すは麻帆良での烈海王、そして古菲の動き。自らの体を操作し、トレースする。

「そっちこそ、くたばれぇ!」

 崩拳。千雨のひ弱な体から放てる、最大限の打撃が麦野の腹に決まる。

「――ッ!」

 常ならば耐えられる一撃も、疲労の溜まった麦野には鉄球で殴られた様だった。
 肺から一気に空気が抜け、声すらも発せないまま、仰向けに倒れる。
 追いすがろうとする千雨を、光条の嵐が迎え撃った。
 苦悶に怒りを滲ませた麦野が、倒れたまま眼光するどく千雨を見据えている。

「ごぉのぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 麦野は口から泡を吐きながら、原子の光を連続して千雨に撃つ。
 頬、腹、肩、足、腕。まるでボクサーの乱暴なラッシュを見るように決まっていく。
 それら全てを相殺しながらも、やはり衝撃だけは殺せない。四肢が跳ね、千雨が逆に仰向けに倒される。
 麦野は近くに落ちていた拳銃を拾った。『猟犬部隊』の物だろうか。

「能力で死なないならさぁ、コレでさっさと殺してやるよぉ!」

 銃口が千雨に向いた。千雨には銃弾を分解する能力は無い。
 そこへ――。

「千雨ッ! 下がれッ!」

 麦野に向け、鋼材が伸びた。「工」の字をした長い鋼材が、麦野の目前に突き刺さる。麦野の手の中の拳銃が飛ばされる。
 鋼材の根元は、金色のネズミの毛皮から飛び出していた。体中から血を流し、毛皮からネジや機械も飛び出している。
 ウフコックはふらつく足を、どうにか四本で支え立っていた。

「せ、せんせぇ!」

 呂律の回らない千雨は歓喜の声を上げる。
 ウフコックは鋼材に飛び乗り、そのまま走る。足跡には血が滴っていた。

「またこのネズミかぁッ!」

 光がウフコックを襲う。ウフコックは自らの下腹部に手榴弾を吐き出し、起爆。空に跳ね上がる。爆発箇所を金属プレートで覆ったものの、体を内部から打たれ、をまるでボロクズのようだ。
 されど、放物線を描きながら、ウフコックは千雨の元へ辿り着いた。
 二人に言葉は要らず、示したのはただ形のみだった。
 ウフコックの体がグニャリと歪み、白いリボルバーへと姿を変える。流線型のボディに、撃鉄が内部に埋まった不思議な形の拳銃だ。
 それはいつかウフコックが反転(ターン)した千雨のための『千雨の銃』。
 千雨の銃口と、麦野の光球が対峙する。

「あぁぁぁぁぁッッッ!」

 千雨の咆哮。
 手の中の重みが、千雨の勇気を増加させる。
 『世界』を纏った弾丸が弾け、広がった。



     ◆



「ぐぅ……」

 アキラは呻いた。
 目の前にいる絹旗はスタンドを視認出来ず、触れることも出来ないはずだ。
 なのに、一方的に攻撃されていたのはアキラだった。
 アキラの尾の攻撃は絹旗の装甲を破るに至らず、ウィルスは即効性に欠ける。
 また、ウィルスを相手に感染させてしまえば『スタンドが見えない』という数少ない優位性を崩してしまう事になる。
 八方塞がりの中、アキラはそれでも立ち上がり続けた。
 助手席のアンリも拳銃を構えていたが、この狭い車内ではアキラにも危険が及ぶので、そう何度も撃てない。

(ちーちゃんはまだ戦っている)

 ウィルスを通じて、千雨の苦しみが伝わる。その中で何かを貫こうとする輝きも感じた。だから――。

「私達は負けられないんだぁぁぁぁぁ!」

 アキラは『フォクシー・レディ』の自由に動く四本の尾の内、二本を車内の側面に刺した。そのままの体勢でさらに二本を絹旗へ向けて放つ。

「無駄です。いい加減、超意味が無いのに気付いてください」

 絹旗はどこふく風。例えスタンドが見えずともアキラは戦闘のド素人、攻撃する時に身構えるのでタイミングはバレバレである。
 絹旗は予想通りの衝撃を上半身に感じた。それを粉砕しようと拳を引き絞るも。

「え――」

 〝下半身が引っ張られた〟。アキラが自らの体で、絹旗の足元をすくっている。
 上半身がスタンドにより押され、下半身が引かれる。虚を疲れた絹旗の体が宙を舞い、そのまま車外へと押し出される。
 それだけでは無い。
 下半身は未だアキラが車内でがっしりと抱えている。絹旗の背中が走る地面とぶつかった。上半身だけが車内にせり出している状況だ。

「こ、こんな事をしたって、私には能力が――」
「アンリさんッ! アクセルをッ!!!」

 アキラの指示に従い、車がより速度を増す。
 絹旗の能力『窒素装甲(オフェンスアーマー)』には、自動防御の機構もあり、この程度の衝撃では破れる事も無い。
 ただただ、アスファルトが抉られるだけである。
 それでも。

「やあああああああ!! 『フォクシー・レディ』ィィィィィ!!!」
「了解よ、マスタァァァ!!」

 スタンドの尾が二本、絹旗の胸元へ押し込まれる。車の側面に固定された二本の尾もギチギチと音を立てた。
 車の重量を使い、絹旗をより地面に押し付ける。

「なッ!!」

 絹旗を、耳元でゴゴゴゴッというアスファルトを抉り続ける音と、脳を揺らす絶え間ない振動が襲う。本能的な恐怖が込み上げた。
 地面がやすりの様に、能力の表面を削り続ける。
 不意に能力を駆使する演算が霧散しかけるが、自動防御が働きなんとかそれを保持し続ける。

「届けぇぇぇぇぇぇぇ!」

 目の前には強い意志を目に宿した少女が、決死の思いで自分を押さえつけている。

(強い)

 先程まで劣勢に立たされていた少女が、自分をここまで追い込んでいた。それに驚きつつも、絹旗はこの程度で負けるわけにはいかない。
 学園都市の暗部に身を置く。それには人それぞれ理由があり、絹旗にもまたあるのだ。

「この程度で――」

 遠くに衝撃が起こった。『世界』と『現実』のぶつかり合いだと、絹旗はもちろん多くの人が気付く事は出来ない。
 ぶつかり合う衝撃が〝波〟となり広がり、絹旗すらも襲う。時間にして十分の一秒にも満たない小さな時間だが、それは絹旗の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を乱し、能力を一瞬だけかき消す。
 その一瞬に頭をゴツリとぶつけ、絹旗は意識を失った。能力はそのまま保持され、体を守っている。
 四肢の力を失った絹旗は、そのままアキラの体をするりと抜け、車外へと転げ落ちる。
 絹旗を倒した事もだが、自分を駆け抜けた〝波〟に、アキラは驚きを隠せなかった。

「ちー、ちゃん」

 遠くに爆発の光が見える。ドーム状に連続して破裂する、光の追突。ウィルスを通さなくても、千雨がそこにいるのをアキラは感じた。



     ◆



「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!!!」
「ガァァァァァァァッッッッッ!!!!!」

 千雨は弾丸に自らの『千雨の世界』を纏わせ、連続で放つ。対する麦野も光条に『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を帯びさせていた。
 決して混じる事の無い、〝個〟と〝個〟がぶつかり、光が破裂する。
 衝撃が地面を捲り、周囲に残っていた建物の窓ガラスを粉末にまでした。
 千雨が引き金を連続して引くにあたり、麦野はそれを複数の『原子崩し』で対抗する。
 弾丸と光が触れ合うたび、空間が爆発を起こすのだ。
 それはお互いの体をも傷つけていた。衝撃により吹き飛ばされたのは一度や二度ではない。体を地面にこすりつつも、お互いが一歩も引かないのだ。

「こぉぉのぉぉぉぉ!」

 千雨の手にいつもより強い衝撃が走る。白い銃の隙間からは血が零れていた。
 それは千雨の血では無い。ウフコックの血だ。
 老化させられ傷ついた今のウフコックに、もはや銃の衝撃を緩和させるだけの余力は残っていない。弾丸を内部で補充し続けるだけが、ウフコックの出来る事だった。

「ここで引けるかぁぁぁぁぁ!!」

 血で滑るグリップを、千雨はしっかり握りなおす。零れ落ちそうな涙は、ウフコックへの侮辱だ。だから歯を食いしばり、辛くても口角をニヤリと上げ、前を向く。

〈……そうだ、千雨。見据えろッ!〉

 力無いウフコックの声に、頷くだけで答えた。
 光の奔流へ、千雨は立ち向かい続ける。
 対して麦野も、こめかみに青筋を浮かべながら笑っている。今までに経験が無い程の次元に、能力が昇華されていた。
 脳に分泌されるアドレナリンが、まるで口からも溢れてくるようだった。押さえ切れない力の爆発に、満たされていく。なのに――。

「どうして死なないィィィィィィッッ!!!」

 自分の放った『原子崩し』は五十発近くを数えている。なのに、それらはことごとく打ち消されていた。
 イラ立ちが、理性を吹き飛ばす。

(当たれば死ぬ。当たらないなら、〝全部に当てればいい〟)

 幼稚な考え。されど、今の麦野には不可能では無かった。

「アアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!」

 咆哮と共に生成されるのは、数十の光球。そのいずれもが、今までに無いくらいに大きい。

「みんな! 吹き飛びなッッ!!!」

 放たれる光線は数十か数百か。麦野を中心に、光が無秩序に放たれる。

「こいつぅぅぅぅ!!!」

 千雨は自らに当たる光のみを迎撃する。だが、それはほんの一部だ。
 残りの光は周囲の建物をも串刺しにし、捲りあがった地面をもさらに穴だらけにしていく。
 上空に退避していた『六枚羽』すら破壊し、近くのビルへ墜落した。
 今までの激しい戦いの中も、形を保っていた物体が崩れていく。
 左右にあった十階近くの高さのビル群が崩壊を始めた。

「やばいッ!!」

 千雨は落ちてくる破片の軌道や確率を演算し、自らにとっての最適な退路を導く。
 その退路も千雨の身体能力程度では、生き残るルートは残されていない。
 されど。

「コジ開けろォォォォォォォォォ!!」

 まだ諦められない。
 自らの『千雨の世界』に存在し、まだ動く車を一斉に電子干渉(スナーク)する。捲りあがった車道を疾走し、千雨の元まで辿り着く車は一握りだろう。
 数十台の車が一斉に動き、千雨を潰そうとする破片にぶつかっていく。
 衝撃、爆発の中を千雨は走り続ける。
 車が次々と現れ、千雨を生き残らせるバリケードになっていく。
 その時、千雨の知覚領域に奇妙なものが感じられた。
 千雨のはるか後方。巨大なビルの壁面が、麦野を押しつぶそうしていたが、それがピタリと止まる。
 麦野が壁面を〝掴んでいた〟。

「ハハハハハハ、いいわぁ。力が、満ちてくる」

 麦野は口を三日月状に歪めた。
 『原子崩し』が形を変え、右手を覆いながら五メートルにも及ぶ、巨大な光の手になっている。それが巨大な壁面を鷲掴みにしているのだ。
 ビルの十数メートルになる壁面を、麦野はフリスビーの様に投げつける。
 空から落ち続ける瓦礫を砕きながら、それは千雨を守るバリケードをも破壊する。
 爆風が背中を襲い、体が浮く。
 空中で体を捻り、千雨は向かってくる麦野を見つめ続けた。

「ギャハハハハハハッッ!!!」

 麦野は右手を携え、荒れ狂う崩壊の嵐を突き進んでくる。右手に触れたものはまるで存在しないかのように、原子に分解されていった。
 周囲にあったはずの爆炎も、落ちてくる破片さえも飲み込んでいく。
 地面に千雨は叩きつけら、右手のウフコックが血でするりと滑り落ちる。
 光の手を高々と空に向け掲げ、目の前に佇むのは麦野だ。
 千雨の目はそれでも、光を失っていない。
 麦野はそれにいらつきを覚えながら、振りかぶる。

「その目、ムカつくんだよ。たかが小娘一人に何を熱くなってるんだ。ガキが売られる、この程度の『悲劇』、世界に五万とありふれてるだろーよぉ!!」

 振り下ろされ右手は、千雨の顔に向かっている。
 周囲に溢れた巨大な破片を分解しながら迫るソレを、千雨は左腕一つで受け止めた。

「ぐぅぅぅぅッ!!」

 衝撃が走り、左腕の骨が砕ける。千雨は歯を噛み締めた。襲い来る膨大な『原子崩し』を自らの『世界』で分解し続ける。

「――ッ! ……ありふれた『悲劇』だってか。それくらいガキのわたしにだって分かってるよ、だけどもなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 折れた左腕をそのままに、押し上げる様に千雨は立ちあがった。

「『悲劇』を『悲劇』のままにッ! 『ありふれた』なんて言う奴がいるからッ!」

 麦野は光を纏わない左手を振りかぶり、光線を千雨に向けて放つ。

「『現実』を知らない戯言だァ! クソガキィ!!」

 麦野が吼える。
 千雨は右手でその光線を握りつぶす。手から血が溢れた。

「ガキで十分だッ! 『悲劇』を当たり前だと言う、オマエみたいな大人がッ! 『世界』があるなら、それはわたしの『敵』だッ!」

 千雨は血を振り乱し叫ぶ。そのまま残った右手で、麦野の左手を掴む。
 その行動に、麦野は目を見開く。

「くたばれぇッ!! レベル5ッッッ!!!」

 体を大きく仰け反らせた後、千雨は勢い良く頭を振り下ろした。麦野の顔面へ向け、渾身の頭突きが突き刺さる。

「ガッ……ハッ……」

 もはや能力も関係ない。鼻を潰され、血を噴出す麦野。目は泳ぎ、意識は混濁していた。
 千雨も顔の裂傷がさらに抉られ、痛みが体中を駆け巡る。

〈畳み掛けろッ!〉

 ウフコックの声が聞こえた気がする。痛みを堪えつつ、千雨は「りょーかい」と、声に出さず返す。
 麦野は口を開けたまま混乱していた。その瞳に映るのは、死地の中、強く歯を食いしばり、笑みを浮かべる千雨だ。

(あぁぁぁぁぁ……)

 麦野の中に、初めて恐怖が競りあがった。
 千雨の瞳には爛々と輝く光があった。貫くべき信念が、未だ燃え続ける。
 麦野の本能が、体に残る超能力の全てを引き出し放とうとするが、それすらも千雨の細腕に握りつぶされる。

「やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」

 麦野の恐怖が、言葉になって現れた。
 だが、千雨は止まらない。『黄金の精神』を宿した瞳で睨みつける。

「終わりだッ!!! 『原子崩し(メルトダウナー)』ァァァァァァッッッッ!!!」

 麦野の頭部に、再び衝撃が走った。千雨の放った二度目の頭突きは、麦野の頭頂部から、足元へまで綺麗に突き抜け、脆い地面に綺麗なクレーターを作っている。
 意識を失い、目から涙の様に血を流す麦野は、そのまま地面に倒れこんだ。
 そのままよろよろとふらついた千雨。麦野との間に建物の破片が落ち、二人の間が両断される。

「くッ……そうだ、先生」

 未だ周囲の崩壊は収まっていない。大通りに隣接した建物は原型を留めず、ゆっくりと崩れていっている。
 近くに倒れたウフコックを見つけ、胸元へ抱きしめた。
 ウフコックは意識を失っている。

「先生のおかげだ。――早く、逃げないとな」

 千雨は走り出そうとするも、足が動かない。思わず地面に倒れてしまう。

「あれ? クソ、なんでだ。早くッ、早く行かないと!」

 千雨の周囲に影が差す。
 真上から巨大な破片が一つ、千雨達に向けて落ちようとしていた。



     ◆



 千雨のいる場所へ向かう夕映達は、低空飛行をしていた。
 《学園都市》の大通り、その建物の隙間を縫う形で飛んでいく。
 視界を覆う建物群が、あっという間に後方へ流れる。今まで感じたことの無い程の風が、体にぶつかって来る。
 ゴーグルをしながらも目を凝らしていた夕映は、はるか前方に千雨の影を見つけた。義体の特殊眼球のおかげだった。

「いました、千雨さんです!」
「クッ、やばいね。周りの建物が崩れて始めてやがるッ!」

 ドーラはそう吐き捨てながら、フラップターの速度を上げた。エンジンが唸り声を上げ、羽の振動が増す。
 千雨の近くの建物が大きく揺れた。

「ユエッ! 時間が無いッ! チャンスは一度きりだ、すり抜けながらかっさらえ!」
「はいッ!」

 ドーラの言葉に答えながら、夕映は体をしゃがませた。フラップターの鉄柵に足を絡ませながら、上半身をフラップターの後部から下へ出す。
 夕映の視界が上下にひっくり返る。顔に当たる風が増し、破片が目前に迫りは反れていく。その光景に恐怖を感じるも、この先には千雨がいるのだ。
 千雨の近くの建物が崩れ、巨大な破片が彼女を押しつぶそうとする。

「千雨さんッ!」

 夕映は自らに内臓された通信機を、千雨に向けて発した。

「千雨さん、手を! 手を上げてくださいッ!!」
(夕映、なのか)

 千雨の返事は力が無い。されど。

「今度は私が! 私があなたを受け止めますッ!!!」

 以前、図書館島で落とし穴に落ちた時、夕映は驚くばかりで何も出来なかった。その時受け止めてくれたのは千雨だ。ならば今度は――。

「なんて破片の量だッ!!」

 ドーラはフラップターのスピードを緩めないまま、降りしきる破片の嵐を突き抜けていく。
 機体を左右にゆらし、時には螺旋を描く軌跡で飛んだ。
 千雨の真上を、まるで破片がアーチを作る様に覆っている。フラップターが入れる隙間はごく僅か。

「千雨さぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
「……夕映」

 千雨は力を振り絞り両手を挙げる。夕映も両手を広げ、千雨を掴み取ろうと必死だ。

「戦場程度からガキ一人盗めなかったら、賊の名前が廃るさ」

 ドーラがボソリと呟き、笑った。
 フラップターは破片をすり抜けながら、一緒に千雨の体をもかっさらう。
 そのままフラップターはグングン上昇し、《学園都市》の夜空に舞い上がった。

「良かった。良かったデス」

 夕映は千雨の体を力の限り掴む。決して振り落とされない様に、力強く。

「夕映、わりいんだが、引き上げてくれないか。この体勢、辛い」

 千雨は、夕映に上半身だけを抱きしめられる形で宙吊りだ。
 夕映はあわてて、自らの義体の膂力を駆使し、フラップターの操縦席部分に千雨を持ち上げる。

「しっかり生き残ったかい、千雨」

 怪我だらけの千雨を見つつ、ドーラは片手で千雨の頭を撫ぜる。

「はは、なんとかな。夕映も、バアさんもありがとう。なんとか命拾いしたぜ」

 ふと、千雨の制服の胸元がモゾリと動いた。

「ここは……」
「先生ッ! 良かった、目覚めたんだな!」

 千雨は喜びの声を上げる。
 そのまま三人と一匹を乗せたフラップターは、夜空を飛びながらアキラ達を追いかける。
 遠くにアキラやドクター、ドーラ一家が乗っているはずの車が見えた。遠くてもこのフラップターならすぐのはずだ。

「まだ、わたしには仕事が残っているな」

 千雨の髪の毛の光は、どんどん弱くなっている。それでもまだ『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』は手中にあった。

 折れていない右手で、パチンと指を弾いた。
 厳重な警戒の元に開閉される、『壁』の全ての搬入ゲートが開き、学園都市の防衛システムに幾つかのエラーが起きた。
 今頃『壁』に居る警備員達はてんてこ舞いだろう。
 千雨達が向かう東側のゲートも開放されているはずだ。

「東京、だ」

 遠く、壁の向こうに東京の夜景が見える。
 あの光の一つ一つに、人の生活の営みがある。
 そして、千雨達もあの中に帰って行く。
 フラップターが降下を始めた。
 頬に当たる風に、千雨は心地よさを感じ、笑った。



 第二章エピローグへつづく。



[21114] 第30話アフター?
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:37
(2012/03/03 第ニ章あとがき削除)
























 車の振動に、まだ少しチクリと痛みを感じる。
 《学園都市》の脱出に成功した千雨達だが、どうやら《学園都市》そのものに混乱があるらしく、追撃の一つも無かった。
 また、脱出の際に映像データなどの千雨達の情報を片っ端から消去したり、改竄したりしたので追ってくるのは難しいだろう。
 大型バンの後部に、千雨は足を伸ばしてペタリと座っている。両肩にはアキラと夕映の頭があり、二人はスヤスヤと眠っていた。
 千雨の体は、例の如くボロボロだ。左腕を骨折し、裂傷や打撲に関しては数え切れない。ドクターの治療により、顔半分を包帯で巻き、左手も吊るしている。
 ドクターが『死体安置所(モルグ)』から持ち出した薬品の中に、痛み止めが少しあったのはありがたかった。
 おかげで、酷い痛みもいくらか和らいでいる。
 《学園都市》の周囲は比較的閑散としていた。都心部に近いながら、《学園都市》の防衛上繁華街などが作られず、まばらに住居があるだけなのだ。
 その中をボロボロの車が二台、東京に向けゆっくりと進んでいた。もちろんこの場所も都内と言えば都内なのだが。
 千雨は大型バンの後部から空を見上げた。バンの両開きの後部ドアは両方とも無くなり、ついでに天井部分も綺麗に消えていた。更に側面にも穴が開いてるので、事実上トラックの荷台と変わらなかったりもする。
 空には月が浮かんでいた。今は時刻にして夜の九時近く。『死体安置所(モルグ)』を飛び出して四時間が経っている。
 未だ興奮が冷めやらず、体の痛みと相まって千雨は眠る事が出来なかった。二台の車とも、運転手以外のほとんどが寝入っているのに。
 千雨はふと思い出す。自分が《学園都市》で戦っている間、あの時、あの場所では”何かが”起こっていた。そして自分はそれを正確に把握していないと。
 自らの『世界』が構築され、広がっていく領域の中に、その断片を見た気がする。
 学園都市を覆った光の粒。満たされた魔力の様なもの。空に浮かんだ模様、そして『扉』。

(そういえば――)

 千雨は、ビルの壁面を走る様に昇る影を思い出す。あの状況では見逃していたが、よく考えればとんでもない光景だった。

(一体、何だったんだ)

 考えても出ない答えを考え続け、少しづつ眠気が千雨を襲い始める。
 欠伸を一つ。トロンとした瞳を、目蓋が覆っていく。
 少し肌寒い初夏の夜ながら、アキラと夕映の温もりが千雨に伝わり、そのまま眠りに落ちた。



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[21114] 第31話「第二章エピローグ」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 16:30
 学園都市のとあるビルの一フロア。
 学園都市の維持を行なう統括理事会、その一人である親船最中(おやふねもなか)の事務所である。フロア丸ごとが彼女の仕事場となっていた。
 とは言っても本人は「経費の無駄」と言ってはばからない。彼女自身が〝自分は仕事をしない理事〟と自称しているぐらいのだ。
 されとて《学園都市》のVIPであり、彼女自身がどう思おうとその権限は大きい。必然、彼女の元に集まる情報も機密度が高いものばかりだ。
 警備やセキュリティのためにも、ビルの一フロア程度は必要条件だった。
 そのフロアの一室。ドアには『秘書室』と書かれている。
 一人の女性がデスク上にあるキーボードを叩いていた。目の前に置かれた液晶モニターには、様々なメールや、スケジュール表のようなものが表示されては消されていく。
 女性は美しかった。二十台後半の頃合に見えるが、実際は四十に近い。されど完成された美貌が衰えも無く発揮され、年齢以上の輝きを放っていた。
 ブラウンの髪を、きっちりと後頭部でまとめ、はちきれんばかりの体を上品な作りのスーツへ押し込まれている。
 鼻筋はピンと真っ直ぐ。ふっくらとした唇が艶かしさを匂わせた。
 ふと、コール音が響き、受話器が点滅する。
 彼女のパッチリとした瞳が、モニターから横にある受話器へと移った。
 女性はため息を吐きつつ、受話器を取った。

「もしも――」
『こにゃにゃちわ~、子猫ちゃん。元気にしてたかーい』

 どこか耳に残る、間延びした声。女性は一瞬驚き目を見開くも、ふぅとまた息を吐きながら苦笑いをする。

「変わらないわね」
『ありゃ、驚かないのかい?』
「驚くも何も、私はあなたが死んだとは思ってなかったもの」
『そりゃ残念。せっかく皆驚かすために死んでやったのにな~』

 ヒャヒャヒャと笑う電話先の声に、女性はいつかの彼の姿を思い出した。緑色のジャケットをひるがえし、世界を奔放に飛び回った彼を。

「十年ぶりね。どう電子の世界の居心地は」
『悪くは無いが、女の子とイチャイチャできないのは悲しいねぇ。どうだ、こっち来てみないか。こっち来りゃお肌の心配もしなくてすむぜぇ』
「あいにく私、不変の物には興味が無くなったの。日々美しくなる事にこそ、女の真価があると気付いたわ」
『そりゃ残念。せーっかく久しぶりにその柔肌をまさぐれると、思ったのになぁ~』
「それで用件は何なのかしら」

 女性は椅子の上で脚を組みなおした。手の小指を唇に這わせる様は、どこか妖艶だ。

『素っ気無いなぁ。感動の再会なんだから、もっと泣いたりしてほしいもんだが』
「あら、それなら大丈夫よ。〝彼〟、未だにあなたの事追ってるのよ。きっと彼なら泣いて喜ぶんじゃないかしら」
『げ、とっつあん。まだ諦めてないのかよ』
「ふふふ。十年前、あなたの遺体が発見されて、DNA検査でも適合したのに、彼だけ〝あなたが生きている〟って言いはったのよ。袖引っ張られるのも振り切って、国際警察機構に辞表叩きつけて、それでもあなたを一人で追ってる。ほんっと、妬けちゃうわ」
『まーた、無駄な事してやがるな』
「無駄だと思ってるの? あなた〝彼〟の事、全然調べてなかったみたいね。彼ね、たぶんあなたのすぐ傍まで来てるわよ。最近なんて、あの歳で大学の情報工学の博士号まで取ったらしいし。たぶん、感動の再会まであと少しじゃないかしら。たかだか電子の海程度で、彼から逃げられるはずないじゃない」
『げげげ、勘弁してほしぃぜぇ~』

 そう言いながらも、男の声にどこか喜びが混じっていた。

(本当に妬けるわね)
『あ、そうそう。用件だったな。今メールで送ったから開いて見てくれるかい』

 女性はカチカチとマウスを動かし、一通のメールを開いた。

「これは」
『先日の〝事件〟、それに関わったお宅側の理事の詳細だ。都市側が切り捨てるに十分な証拠だろ。例え都市内で裁けなくても、法務局(ブロイラーハウス)なりに提出すれば、少なくない影響が出るはずだ』
「何が条件?」
『なぁに、ちょっと知り合いがその事件で暴れたんでね。幾つかもみ消して欲しいと思ったわけよ。彼女は平穏を望んでるらしいからな。出来れば〝汚れ〟を掃除してあげたいわけさ』

 女性はジト目になった。

「……飽っきれた。あなた、体失っても女の事ばかりなのね。まぁ、いいわ。私達も喉から欲しい情報ですもん。その程度だったらお釣りがでるし」

『その詳細に関してもメールで送っておくぜ。今度は〝お肌のぶつかり合い〟をしてみたいもんだ』
「そうね」

 女性はどこか寂しそうに答える。

『それに、お目当ての〝モノ〟はしっかりと頂いたからな――』

 不意に、秘書室のドアが開き、初老の女性が入ってきた。親船最中(おやふねもなか)だ。

「〝富士峰〟さん。どうかしたの?」
「え?」

 電話のスピーカーからは、もうツーツーというコール音しかない。
 別れの言葉も無く、いつの間にか彼は消えていた。
 なぜなら――。

(彼らしいわね。なんせ〝怪盗〟だもの)

 フフフと笑いながら〝富士峰〟は親船に答えた。

「いえ、懐かしい声を聞いたものですから。それより理事、お話があるのですが、よろしいでしょうか」

 途端、雰囲気の変わった〝富士峰〟に親船最中はコクンと頷いた。







 第31話「第二章エピローグ」







 暗い一室に二人の女性が向かい合ってた。
 片方の少女は柔らかそうなソファに身を預け、足を組んでいる。窓から差し込む月明かりが、少女の金糸の様な髪を艶やかに彩っていた。
 所々にレースがあしらわれている黒を基調とした服に、少女は身を包んでいる。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、吸血鬼の真祖の姫君である。
 どこか気だるそうに頬杖をつきつつも、エヴァは向かいの女性に愉悦の目線を向けた。
 エヴァの前に跪いている女性はトリエラだ。褐色の肌の上に、凛々しいスーツを着ているが、服装はどこか薄汚れている。スーツの端々がほつれ、泥や煤にまみれていた。
 左腕にいたってはスーツだけに留まらず、腕自体が存在していない。肩口からバッサリと切られた様で、今は傷口ごと布で縛ってあるのみだ。
 トリエラは膝をつき、頭を垂れ、エヴァの前に服従する姿勢を見せている。

「――トリエラと言ったか。貴様の願いは分かった。だが、本心で無かろうに」

 エヴァは爪先をトリエラの顎先に当て、顔を上げさせる。トリエラは無表情、ただ淡々とエヴァに従っていた。

「いえ、私は心から姫様の眷属になれる事を願っております」
「クククク、本来の主人の束縛をも振りほどいたお前が、今更私への従属を願うなど見え透いている」

 エヴァの言葉を聞いてなお、トリエラは表情を崩さない。片腕しかない手をしっかりと地に付け、ただ服従を示し続ける。

「あの娘が、そんなに大事か?」

 トリエラの眉が、ピクリと動く。

「私はくだらぬ三文芝居に付き合いたくなど無い。貴様の願いは私の庇護、強いては麻帆良での居住のツテとでも言うところだろう」

 エヴァはサイドテーブルにあったワインをそっと飲む。そしてグラスの淵を、ピンと指で弾いた。
 その音を切っ掛けに部屋にある闇の中から人影が飛び出す。影が跪くトリエラの背後に回り、首にナイフを突きつけた。
 月光が映し出した影の正体は茶々丸だ。手に持つナイフをトリエラの首の皮一枚程にめり込ませている。トリエラの首元に線が一本走り、血が滲んだ。
 それでもトリエラは顔色を変えず、ただエヴァを見つめ続ける。

「ただ、私は姫様の眷属になれる事を願っております」
「クハハハハハ、いいぞ。面の皮の厚いヤツだ。気に入ったぞ女。我は《闇の福音》(ダーク・エヴァンジェル)、よもや誓いの後に抗えるなどと思うなよ」
「ありがたき幸せ」

 トリエラは頭を更に垂れる。

「近う寄れ」

 エヴァの命令にトリエラは立ち上がりながら、彼女の座るソファに近づく。
 自らの髪を手で払いつつ、トリエラは首元を相手に差し出した。
 満月が照らす中、エヴァはギラリと牙をむき出した。トリエラの首元に口を近づける、エヴァの鼻腔にムンと汗の匂いが触れた。
 エヴァは牙が触れる寸前で止め、笑みを深めながら声をかけた。

「この誓いが終われば、晴れて私の眷属だ。私が『あの娘を殺せ』と言えば、お前は抗えぬぞ」

 瞬間、表情は変わらぬものの、トリエラの紅い瞳がギラリと剣呑なものに変わる。

「……よしなに」
「クククク、面白い。では頂こうか、同属の血はマズイのでな、さっさと済ませたい」

 カプリ、とエヴァの牙がトリエラの肌を貫いた。

「あっ」

 トリエラの頬に朱が浮かぶ。真祖に血を奪われる事に本能が快感を与えるのだ。血がドクドクと奪われながらも、トリエラは恍惚に蝕まれ、意識せずに体がピクピクと動く。
 体に刻み込まれた主への従属が、エヴァの体液により上書きされていくのがしっかりと感じられた。
 この日、トリエラはエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの眷属となった。



     ◆



 千雨達が学園都市から脱出し、丁度丸一日が経った。
 東京に着いた一行は、ドーラの知り合いの医者に治療して貰う事となった。
 千雨としては麻帆良に戻れば魔法という手段があるし、ドクターという存在もあるものの、全員がボロボロ。千雨自身、先日の『スタンド・ウィルス事件』並に、体は故障だらけだ。故に、とりあえず医者にお世話になる事と相成った。
 特にルイは酷かった。両手が複雑骨折な上、あばら骨も何本か損傷、更には内臓まで傷ついてたらしい。
 ドクターが持ち出した特殊な医療機材の治療のおかげで、思ったよりも完治が早くなりそうらしいが、それでも数ヶ月はベット暮らしという事だ。
 千雨や夕映にしてみれば申し訳ない限りで、千雨が「何か私に出来ない事はないか?」とルイに聞くと、「ぜひメールアドレスが知りたい」と返された。そんなもんでいいのか、と千雨が首を傾げながらアドレスを渡せば、ルイは滂沱の如く泣きじゃくり、歓喜の雄たけびを上げながら壁を殴り始めた。
 ちなみに骨折した腕で壁を殴ったため、ルイの完治は更に伸びたらしい。
 ルイなどの一部重傷の人物を東京に残し、千雨達は麻帆良までドーラに送ってもらう事となった。東京の東部から麻帆良まで車で一時間弱。
 麻帆良を包む結界のギリギリの場所で、ドーラ達と別れる事となった。
 朝焼けの中、傷だらけのワゴンが一台ゆっくりと止まり、中から千雨達が降りてくる。
 アキラや夕映は所々に包帯が巻かれているが、一番酷いのはやはり千雨だ。顔は片目を覆うように包帯が巻かれ、左腕にはギプス、足にいたっても包帯やら湿布がこれでもかと貼られていた。
 立って歩いてる方が異常、という状態だ。
 そんな千雨の後に降りたのはドクター・イーズターである。彼自身には大した傷は無いが、自分の研究所から持ち出せた数少ない資材を背負いつつ、手にはペットボトル程の物体を持っている。その物体は小型の医療ポッドであり、中にはウフコックがいた。
 千雨はそんなウフコックの姿を見て、顔をしかめた。
 ウフコックは学園都市脱出の際に、体にかなりの負担がかかり、色々と調整が必要になったらしい。
 とは言っても資材も設備も揃った研究所はもう無い。現在は対処療法でどうにかしているという状況だった。
 運転席の窓から半身を出しているドーラに、千雨は声をかけた。

「バアさん、ここまでありがとう。お陰で夕映を助ける事が出来た。で、報酬なんだけど……」
「はん! チサメの汚い腕なんていりやしないよ! まだあんたがウチに嫁に来てもらった方がマシさね」

 千雨の背後に立っているアキラの瞳から光彩が消えた。

「それに頂く物はしっかりと頂いたからね」

 ドーラが懐から取り出したのは、光ディスクやメモリなどの各種デジタルメディアだ。そのラベルから見るに、シスターズのいた研究所から盗んできたのだろう。
 車に乗って付いて来た一部ドーラ一家の面々も、ズラリと戦利品を見せつける。

「遺伝子改造やら何やらのヤバイ研究目白押しだが、斜め読みした限り真っ当な医療技術へ応用できそうだよ。ヤサに戻ったら欧州を中心に製薬会社に売りさばくつもりさ」

 ドーラはニタリと笑みを強くする。そんな強かな面に、千雨は乾いた笑いを浮かべた。

「――それでも」

 夕映がドーラ達の前に一歩進み出た。昨日から何度目だろう、夕映は感謝の言葉を言い続けている。

「ありがとうございました、ドーラさん。あなたの協力のおかげで、私はこの場所へ戻ることが出来たデス」

 ペコリ、と深くお辞儀をする。
 ドーラはチッっと苦虫を噛み潰した様な表情をし、そっぱを向く。

「べ、別にあんたのためにやったんじゃない、って言ってるさね。まったく、ガキが余計な事に気を使いすぎなんだよ」

 ドーラは顔を背けたまま、骨太の手を夕映の頭に伸ばし、ガシガシと荒々しく撫でる。
 そのまま今度は夕映の背をバンバンと叩く。

「ほら、さっさと行きな。待ってる人がいるんだろ」
「は、はいデス」

 ドーラは車のエンジンをかけて、千雨達を一瞥する。

「じゃあな、ガキ共。せいぜい死ぬんじゃないよ」

 そんな言葉を言い残し、ドーラは車を出した。車の窓からは千雨達に向かい手を振るドーラ一家の面々が見える。
 夕映はドーラ一家の乗る車が見えなくなるまで、道に立ち続けた。



     ◆



「ふむ、甘いかのぉ」

 麻帆良学園の学園長である近衛近右衛門は、髭を撫でつけながら呟いた。
 近右衛門は先程まで、千雨の保護者であるドクター・イースターと会談をしていた。
 彼からの要望は二つ、麻帆良での滞在の許可と、一部資金の援助であった。
 普通なら言語道断である。
 先日麻帆良で爆破と誘拐事件が起こり、その数日後には麻帆良以外をも巻き込んだ大災害が起ころうとしていた。
 何かとトラブルが絶えない中で、《楽園》の科学者を囲うなど、リスクの方が余り過ぎる。
 だが、彼の持ち出したのは《図書館島》に適用されている国際図書法に利用だった。
 様々な思想や権力の元、数々の書籍が歴史上消失している。それを防ぐため、国際連盟が設立された約一世紀前に、国際憲章の一部に記述されたのを始め、今では明確な条約となって各国間で守られている。
 世界中に五十二箇所指定されている特殊図書保存施設に、麻帆良の《図書館島》は入っているのだ。日本では国会図書館と合わせて二箇所だけである。
 この国際図書法が施行される場所では、治外法権となり一切の武力制圧や他国の干渉が禁止となる。
 ドクターはそれを使い、自分の存在を麻帆良内で立証しようと言うのだ。
 つまり《図書館島》の一部施設の貸与を求めてきたのだ。幸いあの場所は広大だ。人一人住むのも、隠れる事も容易に出来る。
 更にドクターが切ってきたカードは、《楽園》の一部ローカライズした技術供給だった。明確な形での技術提携は、国連法に触れ麻帆良そのものの首を絞める事にもなりかねない。
 だが、一部の患者への直接の医療行為であれば、なんとかグレーゾーンといった所か。
 正直、近右衛門自身にはさして旨みが無いものの、千雨への後ろめたさを考えれば、応じざるを得なかった。
 ドクターの資金提供というのも、どうやら綾瀬夕映を治療するのに必要な設備、その購入費用だという。
 近右衛門はそれらの案件を、即座に部下の瀬流彦に指示を出して調整した。一両日中には、《図書館島》内で彼は生活が出来るだろう。麻帆良内で出来る限り用意できる設備も、運び込む事を約束した。
 学園長室の窓から見える風景は、いつもの様に賑やかで平和だ。学園祭を目の前にして、どこか浮き足だっている様にも思える。
 例えあれだけの事があっても、《世界樹》を中心に広がるこの世界は揺るがない。そう思っていた――。



     ◆



 夕映は走った。
 いつ以来だろう、こんなにワクワクして帰宅するのは。
 あっちが先に来ているとは限らないし、家には鍵がかかっているはずだ。
 それでも――どこか期待しているのだ。
 ジョゼが死んで以来、夕映はほとんどを女子寮で過ごしている。
 今となっては、自宅に帰るのは荷物整理をする時ぐらいだ。
 人のいない家は冷たい。空気がガラスをまぶした様に尖り、夕映の心を薄っすらと削っていく様に感じる。
 でも、これからは。

(あそこの角を曲がれば)

 夕映は長い髪を揺らしながら走る。麻帆良から連れ攫われて三日、たった三日なのに夕映の体は驚くほど変わっていた。
 オリンピックの短距離選手もかくや、という勢いで道を疾走していく。麻帆良学園の陸上部員が見れば、即座にスカウトするだろう走りっぷりだ。
 角を曲がれば、見覚えのある屋根が見えた。
 ジョゼと日々を過ごした、変哲の無い二階建ての家屋。
 朝方という事もあり、家の中の明りが付いてるかは確認できない。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 希望を孕んだ緊張が夕映の中に広がる。門を通り、自宅の玄関を前にし、夕映は鼓動を早めていた。
 そっとドアノブに触れる。鍵はやはりかかっていた。
 鍵を開けて中に入るも、玄関から見える自宅内部は、いつも通り人気の無い空間だった。

「あぁ」

 分かっていた事だった。昨日の今日で、すぐさま場所も知らない夕映の家に来れるはずが無い。
 それを分かっていながら、夕映は自分の願望を相手に押し付けていたのだ。
 でも――。
 眉が八の字を描く。初夏なのに、家の中の空気は人気が無いせいで冷たい。
 視界が歪みそうになる、夕映にはそれが悔しかった。
 そこへ、夕映の耳に物音が聞こえた。金属の擦れる音。そう、まるで家の門扉が開かれた様な。
 夕映は急いでドアを開けた、朝の日差しが家の中へ降り注ぐ。その中を、門から歩いてくる人影があった。

「あはは、せっかく〝アイツ〟に住所まで調べてもらったのに、追い越されちゃったね」

 褐色の肌の女性。流れる金髪をポニーテールにして纏めている。
 凛々しかったスーツは所々破けているし、左腕にいたっては肩口から生地が存在していなかった。
 だが、体に〝目立った傷は無く、五体満足の様だ〟。

「あぁ」

 夕映の口から吐息が漏れる。夕映にとって欲しくて仕方が無かったものの一つが、目の前にあった。

「せーっかく先回りして出迎えてやろうとしたのに、このチビっ子は足が速いのね」

 女性の伸ばした指先が、夕映のおでこをポンと小突いた。それがくすぐったくて、夕映は笑った。

「なんか立ち位置が逆になっちゃったけど、言いたいから言うわね」

 女性が立つのは玄関口、夕映が立つのは家の中。本来だったら言葉は逆のはずだ。だが――。

「おかえり、夕映」
「……ただいま、デス」



     ◆



 ラプンツェルは不思議な夢を見て起きた。
 ある青年が父親と再会する夢だ。それは嬉しい光景だったはずなのに、少女の目じりには涙の跡があった。
 少女は虚ろなまま起き上がり、部屋を見回す。途端、夢の内容は霧散していく。
 まだ夜は深い、特に街灯のほとんど無いこの村では、常よりも深い闇が広がっていた。
 なのに、視界の片隅に微かな光の粒が見えた気がする。

「え」

 チロリと光った微かな粒は、すぐに消えてしまった。だが、消える間際、少女はある青年の見慣れた背中をを重ねた。

「ピーノ」

 思わず手を伸ばし、ベッドからずり落ちてしまう。

「痛っ」

 毛足の長いカーペッドが彼女を受け止めたおかげで、怪我たる怪我は無い。
 なのに、何とも言えない寂しさが、涙腺を刺激する。
 コツコツと部屋に時計の秒針の音だけが響き、少女は夢が覚めたのを理解する。
 ピーノが消えてから一ヶ月。未だ彼から音沙汰は無い。寂しさから、彼の夢を何度も見ているぐらいだ。
 肘がズキズキする。少女はもしかしたら血が出てるかもしれないと、サイドテーブルに置かれたベッドランプを付けた。

「あれ?」

 明りを付けたら見慣れない物が目に入った。サイドテーブルの上に、小さな人形が置かれている。

「ウサギ、のキーホルダー?」

 少女はウサギの人形の付いたキーホルダーを手に取った、途端に忘れていた夢の内容が一気に甦ってくる。

「あぁ……」

 夢の中で確かに〝彼〟は、少女へ別れの言葉を送っていたのだ。

〈――――――〉
「うん、うん」

 彼の言葉に頷き、答える。キーホルダーを両手にしっかりと握り、彼が残した言葉を反すうした。
 少女の目から涙が溢れた。ボロボロと、ボロボロと。
 青年の面影も温もりも、まだしっかりと覚えている。
 産まれてからずっと一緒にいた家族だった、初恋だった。ずっと、ずっと変わらないモノだと思っていた。
 たくさんの後悔がありながらも、あるはずの無かった別れの逢瀬に、少女は笑みを浮かべるしかない。例え、顔中が涙に濡れようと、笑みを止めるわけにはいかなかった。
 だって彼は、たかだがキーホルダーを渡すために、それだけのために自分の所まで来てくれるのだ。

「ピーノってさ、私にベタ惚れだよね」

 最後に彼の困った顔を見れたのは望外だった。隈の取れ安らかな寝顔を自分に見せ、彼は消えていった。
 窓を開けると、たくさんの星が見えた。星の中へ向かう、小さな光の粒がある。
 ラプンツェルは零れる涙を拭うことなく、光へ言葉を送る。

「ピーノ、おやすみ」



 第ニ章〈エズミに捧ぐ〉エピローグ終。



 第三章〈フェスタ《殻》編〉につづく。



(2011/01/08 あとがき削除)



[21114] 第32話「声は響かず……」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/12/12 01:20
 彼、広瀬康一にとってその日の行動は、特に変わらない習慣だった。
 定期的に病院に行き、検査を受ける。
 そして三ヶ月に一度は《学園都市》を訪れ、身体検査(システムスキャン)を受ける。
 康一が《学園都市》を出てからも、義務付けられている行いだ。
 《学園都市》という場所に良い思い出は無い。いや、あるのかもしれないが、それ以上の苦い記憶が上塗りしていた。
 超能力というヒエラルキーに支えられた《学園都市》で、低能力者(レベル1)に属されていた彼に、能力においての恩恵は無い。
 ましてや『音声複写(エコーズ)』などという、携帯に付属されているボイスレコーダー以下の能力では何の役にも立たず、無能力者(レベル0)と同じだった。
 小さな体躯と気弱な性格が災いし、イジメのターゲットにされたのが中学一年生の頃。大きめでダブダブの制服が初々しい時だ。
 最初はクラスの男子達に一緒に帰ろうと誘われただけだった。だが、康一の性格を把握したのか、徐々にその扱いは酷くなっていった。
 体のいい荷物持ちから、コンビニへの使い端、そして財布代わりへと。康一の持つ財布にある金は、暴力により容易く奪われる。
 康一とて反抗しようとしたが、そこには絶対の〝壁〟があった。
 超能力。
 この《学園都市》の根幹であり、康一の大嫌いな存在だった。
 康一をイジメていたリーダー格の男子は、中一でレベル3という強能力者だった。空中の水分を凍らせ、氷の針を打ち出す彼の能力は、証拠の残らない凶器に等しい。精神の未熟な中学生が拳銃を持ち歩いてる様なものだ。
 未熟な精神は引き金を軽くさせる。
 イジメへの抵抗を見せた人間に対しては、リーダー格の男子の制裁が行なわれた。

「ギャァァァァ!」

 目の前で、同級生の手の平に氷の針が打ち込まれる光景は目に焼きついていた。次は自分かと思い、歯の根が合わない程震えていたのも思い出す。
 康一は逃げたかった。
 だが、学園都市を囲む《壁》は分厚く、高い。
 それでも彼は《壁》の外へ出たかったのだ。
 駄目元での外部への転校申請。壁の中ならまだしも、壁の外への許可など降りるはずが無いと分かりながら。
 本来、能力開発を受けた人間の都市外への外出には、厳しい制限が設けられている。
 なにせ世界中の人間が興味を持つ、超能力のサンプルである。
 技術流出という観点から見ても、本人の安全のためにも、この《壁》は必要不可欠なのだ。
 数日の外出にしても、体内へマイクロチップが埋め込まれ、常時GPSによる監視が入る。
 康一の様な転校申請も、年間数千に渡り提出されている。その様なありきたりな要求に、都市側が一々答えるわけなど無い。
 簡素な定型文で、やんわりと拒否されるのが落ちのはずであった。
 だが――。

「出れるんですか? 僕が、《学園都市》から……」

 校長室へ呼び出された康一は、驚きを隠せないまま校長へ問う。

「うむ、異例だがね。理事会からの承認がしっかりと記載されている」

 薄っぺらい紙が一枚、康一へ渡された。康一はマジマジと用紙を見た。

「ふん、うまくやったな広瀬君。おめでとう」

 皮肉混じりの言葉に、康一はどこか罪悪感を持つ。果たして本当に出て行っていいのだろうか。
 一人、タブーとなる逃避方法を得た康一の脳裏に、自分以外のイジメられっ子を思い出す。
 それでも、一度動き出した事態は止まらない。
 諸所の手続きはスムーズに進み、たった二週間で転校と相成った。
 転校先は《麻帆良学園》。
 この時の康一は何故〝自分だけが転校を許可されたのか〟。その意味をじっくり考える事はしなかった。



     ◆



 『康一の保護のため』という名目の元、康一が《学園都市》に在籍していた半年ばかりの証拠は徹底的に抹消された。
 小学生の時の同級生すら、康一が学園都市に行った事を忘れていた。
 様々な書類の改竄もされた。
 『保護プログラム』という名を康一は教えられる。綺麗な大人の女性が康一の元に尋ねに来て、懇切丁寧に説明された。
 超能力者の存在がどれだけ重要で、どれだけの機密に値するのか。被害はもしかしたら親類や友人に及ぶかもしれない。女性が話す〝もしかしたら〟の事態に康一は怯え、過度に見える『保護プラグラム』の内容も納得した。
 プログラムは徹底されていた。
 都内にあり、密かに《学園都市》と関係のある病院への定期的な通院を義務付けられる。偽名のIDカードも渡された。
 《学園都市》内の研究所で行なわれる、定期的な身体検査(システムスキャン)もそうだった。
 もはや都市内のデータベースにも広瀬康一の名は無く、あるのは件の研究所ぐらいだ。
 三ヶ月に一度、偽名IDで《学園都市》の観光ツアーに紛れて入り、身体検査(システムスキャン)をして帰る。
 なにかスパイの様だと、最初は緊張したものだが、それは日常に変わっていく。
 そして三年が経ち、康一は高校一年生になっていた。



     ◆



「やぁ、広瀬君」

 研究所のロビーで、咥えタバコをしている女医が手を上げながら快活に挨拶をする。
 ちなみタバコに火は付いていない。

「あ、どうも先生」

 康一はペコリと頭を下げる。もう三年の付き合いであり、どこか気楽なものだった。
 女医はこの《学園都市》の中で数少ない、『広瀬康一』を『広瀬康一』だと知っている人物である。
 また、康一の身体検査(システムスキャン)を担当しているのが彼女だ。

「どれ、さっさと済ませてしまおうか。おっと、あと帰りにお願いがあるんだ」
「お願い、ですか?」

 火の付いてないタバコをかみ締めながら、キシシと笑う女医。

「うん、お願い。まぁ、君にとっても悪くないと思うがね」
「はぁ」

 康一は気の無い返事する。どうせ碌でも無い事なのだろうと、予測はついていた。
 ほんの一時間もすれば身体検査(システムスキャン)は全て終わった。
 やるのは簡単な身長体重の検査と、能力開発の程度を見るくらいだ。〝いつも通りの〟機械に座り、三十分も目を閉じてれば終了である。

(いつもながら、クラクラするなこれは)

 どうにも身体検査(システムスキャン)を受けると頭がぼやける。体にもドっとした疲れが襲い、帰りの電車で寝入ってしまったのは一度や二度では無い。
 ふらつく体をどうにか支えながら、研究所のロビーまで戻ってきた。
 そこでは件の女医が手を振っていた。

(そういえば、お願いがどうとか言っていたな――)

 女医が手招くのに、嫌な予感がしつつもとりあえず応じる。

「お疲れさん。なんか飲むかい?」
「いえ、こちらこそありがとうございました。それと飲み物は遠慮します。それで〝お願い〟って言うのは……」
「ふむ、せっかちだな君は。まぁ、いいか。おーい、湾内君」

 女医の合図にあわせて、一人の女子生徒が歩いてくる。
 思わぬ登場に康一はドキッとし、ぼやけた脳が一気に目覚めていく。
 肩口まで伸びた栗色の髪は、緩やかなウェーブを描きながら揺れていた。顔はどこか幼いながらも、柔らかな印象を与える。肌は小麦色という程ではないが健康的に焼けていた。

(あの制服、確か常盤台中学? 僕より年下か)

 『湾内』と呼ばれた少女は美少女と言っても差し支えなく、自分に自身の持てない康一は気後れした。
 少女が近づくにつれ、彼女の身長が康一より大きいことに気付いた。なにせ康一ときたら、クラスでも一番背が低いのだ。勉強が優秀というわけでも無く、運動も苦手だ。

(――僕よりも身長高いや。情けないなぁ。あれ? それに)

 少女の二の腕に包帯が見えた。あの位置の包帯は、康一にも覚えがあった。

(そう、〝外〟へ出るときのマイクロチップを埋める場所だ)

 康一の二の腕にも、未だに三年前に埋め込まれたマイクロチップがある。

「ほれ、湾内君。こっちだ」
「は、はい」

 少し戸惑いつつも、少女は女医に押され康一の正面に立たされる。
 康一は少しだけ見上げるような状態で、彼女を見つめた。

「広瀬君、こちら湾内絹保君。中一だ。どうだ、美少女だろ~」
「せ、先生!」

 絹保が顔を赤らめながら、女医に迫る。

「はははは、照れるな照れるな。それでこっちが広瀬康一君。先日話した様に、彼はちょっと〝特殊〟でね。あまり都市内では名前を呼ばない様に。それ以外は特に平凡な、人畜無害な男だ。私が保証しよう」
「せ、先生。話しちゃってもいいんですか――」

 康一は周囲をキョロキョロと見回すも、研究所のロビーはいつも通り人気が無い。

「なぁに、この施設内で話す分には大丈夫さ。それに彼女には簡単な経緯は話してある。それで君へのお願いってのは、湾内君を麻帆良まで送ってほしいんだ」
「麻帆良まで?」

 康一は訝しげな表情を浮かべる。

「あぁ。彼女はね、所謂交換留学生という奴だ。どうにも《学園都市》と《麻帆良》はずっと疎遠でね。最近になり、ちょっと親交を深くしようという動きがあるのさ。彼女はそのモデルケース。半年間限定で麻帆良に遊びにいくというわけだ」
「はぁ……」
「彼女は本日ウチの研究所で身体検査(システムスキャン)をし、マイクロチップを埋め込み、外へ出る準備万端なわけだが……。近いと言っても地理に不慣れだろうし、ガイドを付けてやろうと思ってね」

 事情は察することが出来た。確かに《学園都市》の北口ゲートの周辺は、東側よりも閑散としており、交通も不便なのだ。
 康一自身は知らなかったが、そういう何気ない不便さにも、都市間の対立というものがある。

「彼女は知っての通り常盤台のお嬢様だ。男性にも余り免疫が無い。そこで君に白羽の矢が立ったというわけだ。年上で一応男、だが人畜無害は保証済み。例え襲われたとて、広瀬君ぐらいならすぐに返り討ちできるだろうからね。ついでに土地勘もあるし、帰り道のついでにエスコートして貰うと思ったワケだ」
「酷いッ!」

 康一は泣きそうになるが、女医はハハハと笑うばかりだ。絹保は後ろで申し訳無さそうに苦笑いしている。

「で、でも。僕はその、保護プログラムがありますし……」
「一応その心配についても上に許可は取ってある。それにこれから麻帆良との交流も進めば、保護プログラムといっても意味は無くなるだろう。現在、君においての問題は『学園都市に来る理由』だけだ。君が超能力者であった事や、その他諸々の経歴はほぼ抹消済みだ。必要なのは能力開発後のケアだけだからな」

 今、市井に紛れてしまえば、康一が超能力者だったとバレる事はほぼ無いだろう。それは彼の家族や友人が危機にさらされる事が無いという事だ。
 ただ、能力開発は一度受けてしまうと元に戻す事は出来ない。都市内でしか能力のケアができなく、康一は仕方無しに《学園都市》との繋がりが切れないのだ。
 だが、麻帆良との交流が進めば、麻帆良の学生である康一が《学園都市》に通う理由が作れるかもしれない。そういう意味で女医は言っていた。

「あの、やっぱりご迷惑なんじゃ」

 絹保がおずおずと尋ねる。

「あ、いや、その。全然ッ! 全然そんな事ないよ、うん」
「ありがとうございます、広瀬先輩」

 ニコリと笑う絹保に、康一は更にドギマギした。

(――って僕は。相手は三歳も年下だぞ。なのにっ)

 だが、実際一般の人が見れば、絹保の方が年上に見られるだろう事が、康一の悲しい所だった。

「広瀬君の承諾も得られたようだし、早速向かったらどうかね。確か夕方までに入寮するんだろう。今から行けば麻帆良でデートも出来るだろう」
「デ、デートって!」
「……」

 女医のからかいに、二人は顔を紅くしながら慌てる。

「ほらほら、急ぎたまえ。うまく乗り合わせれば、ここから二時間もかかるまい」

 康一と絹保は、女医に背中を押されながら研究所から放り出された。
 研究所の自動ドア越しに、バイバイと言わんばかりに女医が手を振っていた。
 二人はそれを見た後、示し合わせた様に苦笑いを浮かべる。

「えーと、湾内さんだったよね。遅れたけど僕は広瀬康一。こう見えても一応高校一年生。頼りないだろうけど、麻帆良まで送るよ」
「よろしくお願いします先輩。私は湾内絹保。常盤台中学の一年生です」



     ◆



 女医はギシリと椅子の背もたれに体重をかけた。
 口に咥えたままだったタバコに火を点ける。紫煙が部屋に広がった。
 ドアのノックと共に入ってきたのは、男性の研究者だった。

「先輩、さっきのって良いんですか?」
「あぁ、構わんよ。どうせもうすぐ使い道は無くなる」

 女医が冷たい声で返す。
 端末を操作し、広瀬康一のカルテデータを呼び出す。とは言っても、内容は康一自身の健康状態などの記載はほぼ無い。
 広瀬康一は〝目〟だった。
 三年前、お互いの不干渉が暗黙の了解であった《学園都市》と《麻帆良》。
 だからと言って、お互いが素直に境界線を守るはずが無い。水面下での情報戦は遥か昔から始まっているのだ。
 そんな時、学園都市内で記憶のサルベージやデジタルデータ化のメカニズムが出来上がった。
 後に天井亜雄が学習装置(テスタメント)として扱う技術の原型。人工皮膚(ライタイト)とは程遠い、粗悪なものだった。
 されど、人間の記憶の表層を読み取れる、その技術は様々な使い道を求められた。
 その一つが人間カメラ、無自覚のスパイ活動。
 広瀬康一は、学園都市側から言っても無用な人間だった。そんな彼の有用な使い道こそが、潜在的な麻帆良への情報端末である。
 彼自身がレベル1の能力者、というのも都合が良かった。定期的に《学園都市》に戻らせる口実にもなるし、家族や友人も枷にすれば離れる事も出来なくなる。
 康一が受けている身体検査(システムスキャン)も、実際は彼の記憶を読み取り、《麻帆良》の情報源にしているに他ならなかった。
 だが、三年経つものの芳しい成果は上げられていない。
 潮時か、というのが《学園都市》側の見解だ。
 最近は都市間での緊張も高まり、水面下での攻防も余り意味を無くしている。
 康一の存在や使い道そのものが無くなってきた。

「有用なデータは皆無。使えん〝目〟だ。せいぜい麻帆良側をかく乱してくれたら御の字だな」

 絹保が麻帆良側から調査を受けるのは自明の理だ。ならば、その時に広瀬康一という本来接点が無い男子高校生が出てきたらどうだろう。
 もしかしたら、彼が《学園都市》に通っているという所まで、辿り着くかもしれない。そうすれば麻帆良側も彼女達を注視するだろう。まったくの無意味な事に。

「人畜無害も美点だが、益も無いのは罪だよ、広瀬君」



     ◆



 康一達は順調に交通網を乗り継ぎ、麻帆良行きの電車に揺られていた。
 最初こそぎこちなかった二人だが、康一は年上という自負と、絹保の話しやすい性格に後押しされ、普段より積極的に話しかけた。
 絹保も、男性は苦手という程でも無いが、普段は話す機会も無い。
 だが、康一の小柄な容姿に実家の弟を思い出す。どこか親近感を覚える。
 変な下心が無い所も安心できた。
 二人は談笑しながら麻帆良までの時を過ごした。

「へ~、麻帆良祭ってそんなのすごいんですか」
「うん、僕としては《学園都市》の一端覧祭にも負けていないと思ってるよ。とは言っても、僕自身は一端覧祭を体験する前に転校しちゃったんだけどね」

 ハハハ、と苦笑いをする。なぜそんな時期に、とは絹保は聞かなかったし、康一も言わなかった。
 年下に『イジメられたから転校しました』などと言えるはずも無く、情けない気持ちが少し滲んだ。

「あ、そういえばそろそろ麻帆良祭の時期でね。もうすぐ準備期間に入るんだったかな。今年はきっと湾内さんも参加できるよ」
「はい。楽しみですわ」

 康一も、ほんの数時間だが自分を頼ってくれている絹保に、妹の様な感覚を持ち始めていた。
 車内アナウンスが麻帆良の名前が流れた。

「そろそろだね、ほら見てごらん」

 康一は車内から麻帆良の方向を指差す。まだ山間に隠れて見えないが、直に〝ソレ〟が見えた。

「うわぁ……」

 絹保は驚きとも、喜びとも分からない声を上げる。
 目前に広がるのは巨大な世界樹。そして世界樹を中心にヨーロッパ風の街並みが作られた麻帆良だった。
 まるで魔法の国に来たみたい。絹保のそんな思いも、あながち間違ってはいない。
 世界樹の向こう側には巨大な湖があり、その中心には図書館島と言われる島が浮かんでいる。
 近未来的な《学園都市》とは対極の風景に、絹保の心は躍り上がった。

「すごい、すごいです!」

 絹保の喜び様に、自分の物でも無いのにどこか鼻高々となる康一であった。
 元々麻帆良の情報は余り公開されて折らず、都心に近いにも関わらず観光者も少ない。
 予備知識の少ない人間が来て、麻帆良の光景に驚くのは通例となっていた。

「そ、そうだ。入寮は夕方で良いんだよね。お昼時だからちょっと食事していこうか。せっかくだし奢るよ」

 女医の『デート』という言葉が頭を掠めたが、どうにか振り払う。

「え、よろしいんですか?」
「うん、まぁちょっとした収入もあったしね」

 康一は身体検査(システムスキャン)に行く度に、交通費という名目で少し多めにお金を貰っていた。
 『検査データの対価だ、内緒だぞ』と笑って渡してくれる女医に感謝する。お陰で少し高めの食事でも行けそうだった。

「次の駅で降りてから、路面電車で移動しようか。すぐ繁華街に着くよ」
「わぁ、路面電車ですか。私乗った事無いんですよ」

 先程まで大人びてたのに、どこか年相応にウキウキしている絹保を見てると、康一も自然と笑顔になるのだった。



     ◆



 食事を終えた二人は、絹保の希望によって簡単な麻帆良の観光をしていた。
 図書館島を遠くから見たり、雰囲気のある繁華街を散策したり、麻帆良工学部の実験トラブルに驚いたり。
 麻帆良に来た人間が浴びる洗礼を、しっかりとこなして行く。

「それにしてもすごいですね。どこか学舎の園を思い出しちゃいましたけど、それよりももっと大きい!」

 学舎の園、とは学園都市内にある区画だ。お嬢様学校が幾つか共同して作った区画で、関係者以外は出入りが制限されている男子生徒憧れの場所である。

「確かあそこもヨーロッパ風の街並みなんだっけ」
「はい。あちらも素敵でしたけど、麻帆良も素晴らしいです!」

 絹保は本当に嬉しそうに笑顔を零した。
 電車で聞いた話では、留学の打診があった当初、絹保はかなり悩んだらしい。
 だが、部活の顧問の言葉が決め手になった様だ。
 絹保は水泳部に所属しているらしく、部活の顧問が麻帆良の運動部が強い事から勧めたらしい。
 なんでも去年、麻帆良女子水泳部の女子中学生が、一年生ながら県大会で優勝したとか。
 大河内がどうちゃらと、絹保は熱弁を振るっていた。
 留学の間に、麻帆良の水泳部に入部して様々な事を学び取るとの事。
 そんな絹保には、留学するか悩んだ時の影は無い。

(彼女も、麻帆良できっと楽しく過ごせるよな)

 そんな事を思いつつ二人で並んで歩いていたが、康一は遠くに見知った人影を見つける。

(うげ、あの二人は)

 知り合いに見つかると、よからぬ噂を流されるかも知れず、背に冷や汗が伝った。

「どうしました?」

 固まった康一の目線を、絹保は追った。

「あれは……不良?」

 今日は土曜で休みだと言うのに、リーゼントに学ランという目立つ二人組が歩いていた。

「いや、悪い人達じゃないんだよ、うん。だけどねぇ、見つかったら冷やかされそう、かな」

 乾いた笑いを浮かべながら、康一は絹保に説明する。

「悪いんだけど、ちょっと物陰に隠れていいかな」
「は、はい」

 康一に説明されても、絹保は昔の漫画に出てくるような不良ルックの二人に半信半疑だ。

「つーかよぉ、今日も康一の奴いないんだよ。あいつ土日の付き合い悪いよなぁ~。女でもいるんじゃないかと俺は思ってるんだが、薫はどう思う?」
「名前で呼ぶなって言ってるだろ仗助。まぁ康一は良い奴だからなぁ、彼女の一人くらい作れそうだよな……身長さえあれば。作ったら作ったで冷やかしてやる!」

 学ラン姿の二人を物陰でやり過ごした康一だが、表情は堅い。

「やっぱりか……」
「ははははは、で、でも確かに悪い人達じゃないみたいですね」

 絹保がフォローした。
 ふと空を見ると日が傾き出していた。時間も丁度良かったので、康一は絹保を女子寮近くまで送る事にした。
 だが、あの二人と鉢合わせするのが嫌で、人気の少ない道を選んでいたりする。
 人通りがまばらな並木道を歩きつつ、都合が良いと思い、康一は絹保に超能力について聞いてみた。

「そういえばさ、聞きそびれちゃったんだけど、湾内さんってレベル幾つなの?」
「私ですか? とりあえずギリギリでレベル3という所ですわ」
「レベル3……やっぱり常盤台はすごいなぁ」

 自分より遥か上の存在に、康一はため息を漏らす。超能力というヒエラルキー社会から逃げ出したはずだが、未だ体に残る能力の残滓が尾を引いていた。

「いえ、常盤台ではまだ私よりもすごい人が沢山います」
「ちなみに能力の種類なんかも聞いていいかな?」
「えぇ。私の能力は『水流操作』。液体に干渉し、ある程度なら操作が出来ますよ。ほら」

 手に持ったペットボトルの中で紅茶の残りが球体を作っていた。

「わ、すごい!」
「本当は壁の外ではあまり使うなと言われてるんで、内緒ですよ」

 絹保はチロリと舌を出した。

「それで、あの先輩は……」
「あぁ、うん気にしないでいいよ。僕はレベル1、能力は『音声複写(エコーズ)』って言うんだ」
「『音声複写(エコーズ)』、ですか?」

 聞きなれない能力名に、絹保は首を傾げた。

「珍しいらしいけど、能力自体は大した事ないよ。ほらこんなの」

 康一は、自分の手の平を絹保の目の前に突き出した。

「えっと、なんですか?」
「『えっと、なんですか?』」

 自分と同じ声が返ってきて、絹保はビクっと驚く。

「ははは、ちょっと驚いてくれたかな。これが僕の能力『音声複写(エコーズ)』だよ。周囲の音を皮膚の上で録音し、再生する。それだけの能力なんだ」
「で、でもすごいじゃないですか」
「すごい、って言ってもねぇ~」

 康一はボリボリと頭をかく。

「録音できる時間は二秒程度。しかも録音中も、音を保持している間も息を止めてないといけないんだ。一回でも呼吸しちゃうと録音データはパー。携帯に付属してるボイスレコーダー以下だよ」

 予想以上の使えなさに、絹保はフォローの言葉が見つからず、戸惑った。

「あの、その……あう」
「ははは、だから気にしないで。僕はさ、もうこの能力と見切りをつける事が出来たんだ」

 そう口では言いつつも、どこかに昔持っていた憧れがある。

「麻帆良のおかげかな。いや、クラスメイトにも恵まれたんだろうね。まだ見つかっていないけど、僕は超能力じゃない何か自分が打ち込める事を探したいんだ。でも運動も苦手だし、勉強もできないし、本当に見つかるかわからないけど……」

 情けない先輩の愚痴を聞かせちゃってゴメン、という康一の言葉に絹保は首を振る。

「先輩ならきっと見つかります。だって麻帆良ってすごいじゃないですか。大学では巨大なロボットが動いてたり、おっきな図書館があったり。こんなに沢山の物があるんです、先輩の打ち込めるものも見つかりますよ」

 絹保の言葉に、どこか希望を感じた。
 そして、ちょっとだけ頑張ってみようかと、康一は思った。

(そうだな、頑張ろう。せめて、湾内さんに胸張って先輩だ、と言い張れるくらいに)

 お互いの能力を明かした。
 康一にとって超能力にかんして話せる同世代はここ三年いなかった。それ故口が軽くなり、お互いが秘密を共有した。
 しかし、それは〝二人〟だけだった時だけだ。
 ここは人通りが少ないだけで、人が居ないわけでは無い。
 並木道に立つ一本の木の陰に、一人立つ人間がいた。

「ほぅ、あれが『超能力者』か」

 人影はニタリと笑い、懐から鈍く光る何かを取り出した。
 それは弓矢の矢の先に付く《鏃(やじり)》と呼ばれる物。
 矢は半ばで折れ、短い棒に《鏃》が付いているだけの《矢》であった。



     ◆



 それは女子寮が近づき、周囲に人影が居なくなった時だった。
 康一にとっても、絹保にとっても唐突であり、何の予兆も無かった。

「それじゃ、ここらへんでいいかな。あんまり女子寮まで近づくと不審者だと思われちゃうし、それに湾内さんに余計な噂たっちゃうのも、ね」
「ふふふ、私は別に構いませんよ」
「ええ~」

 驚く康一を絹保は笑顔で見つめる。
 絹保も康一の他意の無い性格に、半日しか経っていなかったが信頼をよせていた。

「今日はありがとうございました。私まだこちらに知り合いがいないので、またよろしかったら付き合ってくださいね」
「う、うん。その時にはメールでもしてよ」

 康一と絹保は、先程の並木道でアドレスを交換していた。

「はい、では失礼しま――」

 ズプリ、と《矢》が胸を貫いた。

「え――」

 絹保が目を見開く。血が噴水の様に弾け、彼女の顔を汚す。

「げ、ぷ……」

 喉元から血が溢れ、呼吸が出来ない。まるで溺れたかの様に手をかざす。
 《矢》は〝康一の胸元〟から突き出していた。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 絹保の悲鳴が木霊した。
 康一の体は力無く、地面に倒れる。絹保は急いで康一に近づいた。
 傷口からは血がどんどん溢れていった。

「あっ、あっ、あっ」

 絹保は今まで見た事の無い血の量に、パニックに陥る。
 自分が何をすべきかすら分からず、康一の手を握るばかりだ。
 無理も無い、彼女はただの中学生に過ぎず、まだ子供だった。
 それでも、康一の手から感じる震えに、絹保は何をすべきか悟る。

「そうだ、傷。傷を止めないと」

 霧散しそうになる演算をどうにか食い止めつつ、絹保は自らの能力を発動した。
 康一の胸元に直接手を当て、血そのものを操作する。
 血管から血が溢れない様に、必死で血流を操作する。本来レベル3が行なえないぐらいの、正確な能力操作をしていた。
 おかげで、康一の傷口からそれ以上血が漏れる事は無く、また口から血が溢れる事も無かった。

「はっはっはっはっ」

 絹保の呼吸が、緊張により荒くなる。霧散しそうになる演算を必死で掴んだ。
 今、能力が消えたら康一は――。

(駄目、駄目! そんな事を考えてはッ!)

 康一はおぼろげな意識の中で、血みどろになりながら必死に傷口を押さえる絹保を見ていた。
 寒気が酷い。
 霞む視界の中に、〝ナニか〟が浮き出てきた。
 絹保の背後に人影がある。人影? あれを人影と言えるのだろうか。
 人の形はしている、手があり足があり頭がある。だが、顔はどこか猫を思わせ、筋肉質の体は裸に見えるが、鎧を着ているようでもある。桃色の肌が全身を覆い、腰にはベルトを巻いていた。
 康一は超能力に近い何かをを〝ソレ〟に感じた。

(あれは、いけない。あれ、からは、逃げ、ないと)

 喉に残った血を吐きながら、必死に絹保に警告する。

「う、うし、ろ。うしろ、に」
「しゃ、喋っちゃ駄目です! え、後ろ?」

 絹保は能力を維持しつつ、キョロキョロと周囲を見た。確かにすぐそこの後ろにいるはずなのに、絹保は〝見えていない〟かの様に、その存在に気付かない。

(そうか、見えて、いないのか)

 康一は何故か自分だけが〝ソレ〟を見えているのだと理解する。

「へぇ、私の『Queen(クイーン)』が見えているのか」

 ■の声が聞こえた。
 ピンク色の〝ソレ〟が手をヌッっと伸ばす。掴んだのは康一の胸元に突き刺さる《矢》だ。
 乱雑に抜き出された。

「キャァァァァァ!」

 〝ソレ〟が見えていない絹保からすれば、傷口を押さえていた手の隙間から、《矢》が一人でに浮かんだ様に見える。
 パニックにより一瞬能力が消え、血が溢れる。絹保は慌てて能力を再構築した。
 〝ソレ〟は《矢》を持ったまま、木陰から出てきた■の元へ移動する。■は手に〝ソレ〟から渡された《矢》をしっかりと握っていた。

「超能力者、というからどんな風に違うのかとも思ったが、《矢》への適性は変わらないみたいだね。でも、少年は面白そうだ。このまま死ななければ、スタンド使いになれるかもしれない」

 ■の呟きが耳に残った。

(スタンド、使い?)

 唐突に現れた■に、絹保は助けを求める。

「あの! 助けてください! 先輩が、血が止まらないんです! 救急車を!」

 ■は絹保の言葉も意に介さず、康一に近づく。
 康一は■の背後にある〝ソレ〟を目で追った。

「ふむ、どうやらしっかりと私のスタンド『Queen』は見えているようだね」
(……『Queen』?)

 どうやらソレは『Queen』と言うらしい。

「私は君、いや君達に興味がある。そうだ、『ゲーム』をしよう」

 ■は余裕の笑みを崩さずに言い放つ。

「なに簡単さ。私はね、私の《日常》を崩されるのが嫌なのさ。だから君らに顔を覚えられるのもゴメンだ。でも、君達に私の《日常》を与えよう」
(何を、言っているんだ)

 康一の死は刻一刻と近づいていた。絹保は涙を流しながら、必死に何かを叫んでいる。

「私の名前は■■■■。住所は■■市■■町■■■■番だ。趣味は……」

 男は自分の事をつらつらと語り始める。男の奇行に、絹保はパニックになりながらも恐怖を抱いた。

「さぁ、聞いたね。それじゃ『ゲーム』を決めようか」

 ズン、と康一の臓腑に押しかかるものが出来た。カチカチと何か、そう時計の針の音が聞こえた気がする

(な――)
「まず少年。君には私の『日常』に対して対価を貰おう。そうだな先程聞かせた事を含め、『私の名前や性別、外見などを忘れる』でどうだろう。そしてゲームの目的は『私の事を誰にも話さずに見つける』だ。いいかい、私を探してる事を、君自身が他人に漏らしちゃいけない。そうすればゲームオーバーだ」

 康一の体に透明な鎖が巻かれた。目の前にいる■■の顔がおぼろげになり、記憶が黒く塗りつぶされていく。男性なのか、女性なのかすら思い出せなくなっていく。

「ゲームオーバーになった瞬間、君の胸にある爆弾はドカン、だ」

 死に体の康一の胸を、■■がコツンと指で突く。

「次は君かな」

 ■■は絹保を見た。絹保は■の顔を見て、歯をカタカタ震わせている。それでも、彼女は能力を維持し続けた。

「そうだな、君には寝てもらおうか。王子様が眠れるお姫様を助ける、王道だね。『君はずっと眠り続ける』。おっと、超能力や魔法なんかで無理やり起こしてもルール違反だからね、気をつけたまえ」
「ま、魔法?」

 絹保は■■の言葉を問い返すも、無視される。

「それでゲームの目的だが『少年が私を倒す』にしようか。まぁ無理だろうけどね」

 絹保の体も、見えない鎖で縛られる。
 それは対等なゲームでは無かった。
 ■から一方的に強制されるだけであり、ルールは■が納得できればそれでよく、対等かどうかの物差しも■の価値観しだいだ。
 ■が対価として差し出したという『日常』、ただそれに見合う範囲で行なわれる。だが、■にとって『日常』は何よりも大切であった。故に、能力の範囲は莫大だ。

「さぁ、始めようか。目的を達すれば爆弾は消えるよ。私が離れて三分後にスタートとしようか。おっとそういえば救急車だったね」

 ■は康一のポケットから、手袋を付けた手で携帯を取り出す。119番を押してから、絹保に放り投げた。

「せいぜい頑張ってくれよ。それじゃ『ザ・ゲーム』」

 康一の耳で、時計の針の音が強くなる。
 体の重みが増した気がする。
 ■■はゆっくりと康一達から離れていった。
 絹保は能力を維持しながら、必死に携帯電話をいじる。
 一体何分たったのだろう、遠くからサイレンの音が聞こえた。
 目の前で絹保が必死に睡魔と戦っている。

(あぁ……)

 痛みと寒気と重圧と。様々なものが康一の精神に圧し掛かり、薄暗い闇にズブズブと沈んでいった。



     ◆



「――っ!」

 康一は目覚めるなり勢い良く体を起こした。
 鼓動は速くなり、体は汗をかいている。
 多少ふらつくが、体に穴が開いてるとは思えない。

(なんだ、夢か)

 胸元を触るが、傷などは無い。ほっと息をついた。
 部屋の片隅にはデジタル時計があり、日付は一日後を示している。
 そこで康一は周囲の違和感に気付いた。自分の部屋では無い事に。

「ここは、病室?」

 外から朝日が差した。
 部屋の一面は白く、隣にある茶色い木目調のサイドテーブルだけが色を放っている。
 康一は自分が患者服を着せられている事にも気付く。
 胸元をはだけさせると――。

「え?」

 傷痕があった。まるで〝穴でも開いていた〟かの様な傷痕が。
 その中央に小さなコットンがほんの僅かに乗っていた。
 背に冷や汗が流れる。
 嫌な予感が一度落ち着いた鼓動を再び速めた。
 ギュっと手を握ると、手の平には卵の様なものがあった。
 市販の卵と同じサイズで、形も同じだ。
 だが、表面はゴツゴツと歪な凹凸があり、灰色のくすんだ色をしている。

「コレは、何だ」

 夢の中で見た〝アレ〟と似たような気配を感じた。
 その時、病室のドアが唐突に開かれ、看護婦が入ってきた。

「あ、広瀬君。目覚めたんだね」

 看護婦がほっとした様に笑顔で言う。

「あの、一体何が?」
「えーと、覚えていないのかな」

 看護婦は一連の出来事を簡単に説明した。
 少女からの連絡により、現場へ急行した救急車は、そこで血溜まりに沈む康一と眠るように気絶する絹保を見つけたらしい。
 二人は急いで搬送されるも、康一の傷は救急隊員が驚くほど軽症だったのだ。
 胸元に大きめの古い傷痕は見つかれど、重なる様に存在していた小さい傷しか見つからなかったらしい。
 道に残っていた出血量とまったく合わず、破れた服とも一致しない。体を調べたものの、それ以外の傷は見つからず。
 病院に運ばれた折に行なわれた処置は、輸血のみであった。
 康一はこの時まだ知らなかったが、彼の傷を処置したのは《麻帆良》に所属する魔法使いの一人であった。
 絹保の悲鳴を聞きつけ、急いで駆けつけたのだ。魔法で一応の対処後、康一達を救急隊にまかせ、犯人を追う事にした。されとて犯人は未だ見つかっていない。
 康一は看護婦の言葉の一つ一つに、嫌な確信を深めていく。

「あ、あの看護婦さん。僕、〝コレ〟を握っていたんですが……」

 康一はおずおずと手の平の〝卵の様なモノ〟を見せた。

「えっと、コレって何かな? 何も無いみたいだけど」

 看護婦は不思議そうに問い返す。

(やっぱり、見えていないッ!)

 悪寒が体中に走る。卵をギュっと握った。

「あの! 湾内さんは、湾内さんはどうしました!」

 康一は看護婦に詰め寄った。体がすこし揺らぐ。

「わ、湾内さんって、広瀬君と一緒に倒れていた彼女よね。彼女は外傷が無くて気絶してるだけなんだけど、大事をとって入院してるわ。起きたら一応検査する予定だけど、すぐに退院でしょうね」

 康一の顔が歪む。『起きたら』という言葉に含まれる真実を、康一だけが知っていた。

「ど、何処にいるんです? 湾内さんは何処に!」
「とりあえず隣の個室に――」

 看護婦が言い終えるのを待たず、康一はベッドから飛び出した。

「あ、ちょっと! 広瀬君、今先生を呼ぶから!」

 康一は這うようにして隣の病室へ向かう。
 スライドドアを開け、見えたのは薄暗い病室だった。

「あぁ……」

 絹保は規則正しい呼吸をしながら〝寝ていた〟。
 カーテンの隙間から差し込む朝日が、白いベッドに陰影を付けている。
 絹保の栗色の髪が、光の残滓を浴びてキラキラと光っていた。
 どこか神聖な絵画を思わせる光景であった。
 これが御伽噺なら、少女は王子のキスで目覚めるのだろう。
 だが、ここに王子は居ない。
 康一は昨日の事が唐突に思い出された。
 絹保は自分が意識を失うまで必死に能力を使い、自分を助けてくれた事を。

「――」

 目の前の少女には、外傷が無いらしい。
 健康的な肌はそのままに、確かに今にも起きてきそうだ。
 だが、彼女はこのままじゃ決して目覚めない。
 康一だけがそれを知っていた。
 情け無く、悔しかった。
 それなのに歯を食いしばる事すら無く、馬鹿みたいに口を開けて涙を流す。
 ただ、病室は無音だった。全ての音が消えていた。
 康一の握る〝卵〟だけがプルプルと振るえるばかりで、外の小鳥の鳴き声でさえ消えている。
 そんな空間で、康一は誰にも聞かれること無く、音無き声を上げた。

「――――――!」

 学園祭準備期間を二週間程前に控えた日の事だった。







 千雨の世界 第32話「声は響かず……」







●広瀬康一
・超能力名『音声複写(エコーズ)』 レベル1低能力
音を皮膚で録音し、再生する能力。
ただし録音時間は最大で二秒。
更に録音時と録音した音を保持している間、能力者は息を止めていないといけない。

・スタンド名『エコーズ』
卵の形をした音響爆弾。
卵型の本体を中心に、能力者任意の空間の音を吸収する。
吸収されている間、その空間は無音となる。
空間の大きさの上限は現在の所不明。
そして音を吸収した後、本体を投げたりする事で割る事により、爆弾として発動する。
周囲に甲高い爆音と衝撃波を発生させる。
ただし爆音による聴覚障害を能力者自身は受けない。衝撃波はもちろん能力者も効果範囲に入れば浴びる。
また、本体が許容量以上の音を吸収すると破裂する。その際には爆発させた時と同じ効果が起きる。



●■良■■
・スタンド名『Queen(クイーン)』

第一の能力『■■■■■■■』
■■■■■■■■■■■■■

第二の能力『ザ・ゲーム』
条件付爆弾。
能力者本体がリスクを背負い、相手にルールを強制する爆弾。
ルールに従わねば爆弾が発動する。
またそれらの条件は、あくまで能力者本人の価値観により対等であり、決してフェアでは無い。
第一章において、音石明を殺した能力である。

第三の能力『■■■■■■■■』
■■■■■■■



 つづく。



(2011/12/12 あとがき削除)



[21114] 第33話「傷痕」 第三章
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/11/28 01:27
 そこは不思議な街だった。
 中央にそびえ立つ巨大な木。日本とは思えないヨーロッパ風の街並み。街の外よりも遥かに進んだ科学力。
 『街』は明確な異質さで覆われていた。
 だが、そこに住む人々にとっては日常。異常も続けば常と為り、日々の生活に溶け込んでいく。
 多くの人々はそれらを当たり前と受け止め、目にも留めない。街では助長する〝力〟も働いている。
 無垢な善意。自覚無き悪意。
 優しく感じられる行動も、時に凶器となる。
 『麻帆良』という街に、心を抉る刃はありふれていた。
 麻帆良に住むある子供は孤立していた。
 目で見たもの耳で感じたものを他者に伝えても、子供の意思がうまく伝わらないのだ。
 本来あるべきコミュニケーションが使えず、子供は困惑した。
 自らが細々と培ってきたはずの価値観が、この街では異端だった。
 子供は聡く、これから生きる上での処世術を見出していく。
 それは中庸。
 決して突出する事無く、人波の中に埋没していく。
 誰にも悟られること無く、希薄な存在のまま日常を過ごす。
 徐々に子供は人に価値を見出せなくなっていた。
 風景が色褪せていく。
 世界はモノクロに見え、空は灰色。
 怒って癇癪を起こしたり、泣き喚きたいと思うが、それを行なえば視線が集まる。
 子供は人の視線を何より嫌っていた。
 憤怒や憎悪は吐き出されること無く、心の奥底へ降り積もっていく。
 子供一人に麻帆良を出て行くという選択肢は無い。
 逃げ場の無い激しい感情は、心の形をも変えていく。
 作り笑顔をしながら、他の子供達と遊んだ。リーダーにもならず、イジメられっ子にもならない。幼少の頃から傷つけられていた子供は、人との距離をうまく掴んでいた。
 ある日、街は喧騒に包まれていた。
 麻帆良祭。
 一年に一度、学園を中心とし、街全体を使って行なわれる祭りだ。
 常に無い喧騒は、喜びと驚嘆の声に溢れている。
 人々の笑顔が華やいでいた。
 子供はその中をひっそりと歩く。
 先程までは一緒に歩いていた子供達がいたが、どこかではぐれたらしい。
 少しずつ日は傾いてきている。
 なのに街並みは一向に輝きを失わず、益々彩を強くした。
 子供はフラフラと歩きながら、ある光に誘われる様に歩いた。
 この麻帆良にいる限り、どこからでも見れるという世界樹。空を突き抜けんばかりの大樹の葉が、薄っすらと光っていた。いや、薄っすらなんてものでは無い。光は段々と強くなり、街全体を照らし出していた。
 あの木にイルミネーションをどれくらい取り付けているのだろう、子供はそんな事を考えつつ、光に向かって歩く。
 モノクロの視界の中でも、世界樹の放つ光ははっきりと認識できた。
 〝色〟に負けない、明確で力強い輝き。
 誘蛾灯に引き寄せられるように、本能がその場所を目指していた。
 何度もカップルとすれ違うも、彼らは皆なぜか世界樹を背にし、逆の方向に歩いてゆく。
 子供は世界樹の周囲に広がる広場に辿り着く。
 何故か一人だった。
 街は喧騒で溢れ、世界樹は光り輝いている。なのに世界樹の立つ広場には自分一人だった。
 押し隠していた寂しさが、頬を伝う。
 子供は巨大な木に直接触れた。
 木は大きかった。少なくとも子供がテレビでも見たこと無いくらいに巨大で、異常だ。
 なのに、触れた感触はそこらの木とまったく変わらない。
 ただ大きい。それだけなのだ。
 子供は木に直接触れて、初めて分かった。
 見上げれば、世界樹は麻帆良全体を覆うかの如く枝葉を伸ばしている。
 舞い落ちる木の葉が、キラキラと光っていた。緑の濃い匂いが鼻を刺激する。
 遠くの喧騒。
 周囲に人が無く、寂しさが込み上げる状況に、自然と呟きが漏れた。

「友達が、欲しい」

 子供の呟きは、強い光によって返された。

〈――――〉

 言葉になっていない。それでも、何者かの意思が子供の頭に直接流れ込んできた。

「だ、誰」

 子供は周囲を見渡すも、人影は無い。ただ、木だけが立っていた。
 周囲の木の葉が光を強くする。

「世界樹、なの?」
〈――〉

 是。という旨の意志が伝わってくる。
 この日、子供は世界樹と友誼を結ぶ。
 世界樹の急激な発光現象は認知されていたものの、この事を知るものは当事者達しかいない。
 そして、当事者たる子供の名前は吉良吉影。
 それは二十年前の出来事であった。







   千雨の世界 第三章〈フェスタ《殻》編〉 第33話「傷痕」







 コポリと気泡が浮かんだ。
 綾瀬夕映は治療用の特殊溶液に漬かりながら、おぼろげな視線を天井に向けていた。
 浴槽程の大きさの治療用カプセルの中に夕映は浮かんでいた。円柱状のカプセルは上面が透明な特殊素材で出来ている。施設内の明りが、そこを通して夕映の顔を照らしていた。
 溶液に満たされたカプセル内で、夕映は裸だった。唯一口元に付けられた呼吸用のマスクだけが、彼女の体を隠している。
 カプセルの周囲にあるリング状の機械が動いた。丁度カプセルを輪の中に通させる様に動くそれは、カプセル内に光線を照射する。
 夕映の体の頭頂部から足先にかけて、満遍なく光線は当てられる。
 リング状の機械はスキャナーだった。光線の照射が終わると、カプセルの近くのモニターにスキャニングの結果が表示される。

「ふむ」

 トントン、と自分の肩を軽く叩きながらドクター・イースターは検査結果を見た。
 周囲には幾つものモニターや特殊な機械が置かれている。雑多な室内の様子は、まるで数年も誰かが住んだ雰囲気だが、実際は一週間ほどでこの様相となってしまったのだ。
 ドクターのラボとも見えるこの場所は、麻帆良学園図書館島の遥か地下に置かれている。
 学園長との会談の後、すぐにこの場所は用意された。ドクターの指示に従い、幾つかの器具や機械が設置され、どうにか夕映の治療が開始されたのが十日前。
 夕映の体中の内部にある〝穴〟を埋めるためのナノマシンは、学園都市の『死体安置所(モルグ)』で使用していた。
 後は経過を見つつ、体にガタの来ている〝部品〟を交換していくだけだ。
 経過は順調。
 夕映の体は元々イジられる前提で作られているため、ドクターの持つ技術との相性がすこぶる良い。以前千雨に治療を施した時より、遥かに簡単だろう。
 あと数日もすれば、予定通りに治療は終わる。
 だが問題もある。ドクターは千雨にあえて言わなかったが、夕映はこれから生きていく上で様々な障害を抱えていく。確かに体は〝直る〟ものの、また〝壊れる〟という事だ。
 夕映の体の多くは人工物で出来ている。人が骨折した場合、極端な話添え木でもしていれば自然とくっ付くが、夕映の場合は違う。場合によっては折れた〝部品〟ごと交換しなければ、永遠に治る事は無い。治ったとしても歪な形状で癒着し、再度治療が必要になるだろう。
 そして、そんな夕映に治療を行なえる場所は少ない。仮に出来たとしても、果たして悪意無しで行なってくれるかは甚だ怪しいものだ。
 これまでの十数年、たいした大怪我も無く、大病にも冒されなかったのが望外なのだ。
 されど、体に現れた不具合を劇薬で誤魔化していた代償は大きい。只でさえ真っ当な生を考えられてない夕映の、数少ない命の灯火を削られていた。
 肉体の芯とも言える、代わりの効かない根幹は抉られている。
 彼女自身が残り少ない生身の肉体を捨てれば、生きていける方法もある。
 その手段を取らない場合、持ってあと二十年という所だろうか。これでもかなり伸びた方なのだ。
 夕映の姉だと言うトリエラに説明した所、泣いて喜ばれた程だ。
 それでも、人間の長い生には届かない。
 ましてや恐らくこれからも荒事に身を投じて行くのだろう。二十年という時間でさえ真っ当できるとは思えない。

「よし、経過は順調だね。出てきてかまわないよ」
「わかりましたデス」

 カプセル内の溶液がゴポゴポと排水される。やがてカプセルの蓋が開き、全裸の夕映は起き上がった。
 ドクターも一応夕映を視界から外す。幾ら治療とは言え、裸をジロジロ見られたら気分も悪いだろう。素知らぬ振りをして、モニターの検査結果を見つめる。

「次の検診は明後日にしよう。そこでも問題なければ一段落ってところかな。後は月一で体の安定を見ていけば大丈夫なはずさ」
「はい。お世話をかけるデス」

 ダボダボのバスローブを羽織り、濡れた髪をタオルでゴシゴシと拭きながら、夕映はペコリとお辞儀をする。
 ドクターは夕映に寿命の事を話している。
 先日その事を伝えた時、夕映は「そうですか」と呟いた後苦笑いし、「千雨さんには言わないで欲しい」と言っていた。
 夕映は千雨にとっても大切な人間だ。ドクターとしても出来る限りの事をしてやりたい。
 ドクターの机の上にはペンダントが置いてあった。
 夕映の祖父たるジョゼが残したペンダント。これと言った意匠は無く、ただ金属光沢のみが輝いている。どこか無骨な表面は、接触により外部との接続を図る特殊な端子となっている。
 中には高密度な記憶装置が入っているデジタルストレージ。
 ドクターは夕映の許可の元、このペンダントの改造を行なっている。元々入っていたデータは失われ空の状態のこの記憶装置に、ある機構を施すのだ。
 夕映の肉体の監視、出来ればある程度の調整や治療も行なえれば望ましい。本来であればこの小さな機械に『治療』などという行為は望むべくも無いが、最近出回っているあの〝技術〟を使えば不可能では無いだろう。
 先日、《学園都市》を襲った複数の事件。その際のネットワーク破壊とも言える状況で、《学園都市》内で研究されていたある技術が流出していた。
 元々アメリカのMITで研究されていた技術らしいが、実験のために《学園都市》内にも一部データが保管されていたらしい。
 話だけ聞けば馬鹿馬鹿しい技術だが、実践できるとなれば話は変わる。大量の電力や高度な演算回路が必要だろうが、アプローチを変えれば応用の効く技術だ。
 ドクターとしても新鮮な技術だ。《楽園》の凄さは身を持って知っているが、それでも地上ではこの様な奇抜さが時として発露される。
 そこにドクターは面白みを感じていた。

「お、夕映は治療終わったのか」
「千雨さん」

 背後のドアが開き、千雨がヒョイと顔を出した。夕映は千雨を見つけ、嬉しそうな声をあげる。

「げ、夕映裸じゃねーかよ。ドクターはもっと気を利かせろよな、シッシッ」

 そう言いながら千雨は手でドクターを追い払う。

「やれやれ、これでも僕は医者なんだがな。患者に劣情を抱くほど倒錯はしてないよ」

 ドクターは苦笑いをしながら部屋を出る。
 背後では夕映と千雨の声が聞こえていた。
 千雨は夕映の付き添いで毎回この施設に来ている。そして、夕映の治療中はいつもお決まりの場所にいた。
 ドクターはポケットのタバコに手をかけ、止めた。先程まで千雨が居ただろう部屋へ向かう。
 その部屋は夕映が居た部屋と似ていた。沢山のモニターや機械が設置され、壁際の中央には件のカプセルが鎮座している。
 違うのはそのカプセルの中身くらいなものだ。
 カプセルの中には金色の毛を持つネズミが浮いていた。
 ウフコック・ペンティーノ。
 万能兵器であり、《楽園》が産んだ技術の結晶でもあり、そして千雨の唯一無二の相棒でもある。
 彼は今、治療用の溶液の中でプカプカと浮いている。
 カプセルの前面にはマイクとスピーカーが設置されていた。
 ドクターはそこに向け語りかけた。

「千雨は何か言っていたかい、ウフコック」
〈あぁ。期末テストに関して愚痴を零された。後、学園祭がどうのこうのとも言っていたな〉

 スピーカーから濁った様な声が帰って来た。

「ははは。千雨の成績は偏っているからね、理系に関しては舌を巻く程だが」
〈国語に関して泣き言を漏らしていたな。作者の心情なんて分かるわけないだろ、と〉
「目に浮かぶよ」

 雑談をしながら、ドクターは部屋の片隅にあるコーヒーサーバーへ向かう。
 マグカップにコーヒーを注ぎ、ミルクも砂糖も入れずに口をつけた。
 ドクターがコーヒーを飲んでいる間、部屋に静寂が満ちる。
 コーヒーをすすりながら、チラリとウフコックを見る。
 ウフコックの体は、夕映以上に深刻だった。
 ウフコックは云わば、完成された人工生命体とも言える。
 他次元へ干渉し、自らの体を分割し貯蔵する。言うは易し、行うは難し。他の次元への干渉というシステムは、今の《楽園》でも再現不可能な所業だ。稀代の天才が寄り集まり、然るべき環境と条件が整って初めて行なえる、奇跡の様なものだった。
 ウフコックはその奇跡を体現している。
 肉体を分割されているお陰で、ウフコックに外傷による死はほぼ無い。頭を撃ち抜かれようと、ミンチにされようと、他次元に貯蔵された肉体がいずれ補完するだろう。
 そういう意味で完成されていた。
 だが、もちろん欠点もある。
 日々成長を続ける肉体は、他次元を含めれば巨大だ。いずれその成長により、ウフコックは自重で押しつぶされ死ぬ。されど、それはまだ先の事のはずだった。奇しくも、ウフコックは《学園都市》で受けたスタンド攻撃により、一時的に老化を助長された。
 一時的とは言え、ウフコックの受けた傷は甚大であった。現在も治療を続けているが、完治は見込めない、それどころか……。
 更にはウフコックに付けられた〝首輪〟がある。千雨の能力制限と人権保護のために《学園都市》により付けられた首輪だ。ウフコックの精神野に施されたソレも、今の千雨の能力なら容易に外せるはずだった。これもスタンド攻撃による老化の影響が強くでていた。かつてはウフコックの精神を覆うように付けられていた枷が、今は精神に食い込んでしまっている。まるで仔犬に小さな首輪を付け、成長してもそのまま放置したかの様に。
 ウフコックは肉体と精神、両方に大きな傷を負っていた。現在のドクターでは根本的な治療は出来ない。
 千雨達の死闘により、どうにか掴んだ《学園都市》からの脱出。それでも、未だ《学園都市》の戒めは燻っていた。

「どこまで逃げても、ままならないものだね」

 小さく呟きながら、ドクターは白衣のポケットにあったタバコを握りつぶした。



     ◆



「……可愛い」

 アキラは頬を染めながら、ぼーっと見つめ続けた。

「う、うるさい!」

 見つめる先にはチャイナドレス姿の千雨がいる。膝上十五センチという露出の激しいチャイナドレスの裾を必死に引っ張りながら、千雨は顔を羞恥で染めた。
 髪はアップで纏められ、綺麗な二つのお団子になっている。髪を整えたのはもちろんアキラだ。

「なかなか似合ってるネ」

 屋台の整備をしていた超鈴音が奥からやって来る。ここは大学棟にある超の研究室。
 放課後、千雨は超にこの場所まで呼び出された。部屋に入るなりチャイナドレスを渡され、着替えてくれと言われたのだ。
 研究室の奥にはガレージの様なスペースがある。そこには路面電車を改造した様な屋台が置いてあり、千雨が着替えている最中、超はその整備をしていた様だ。

「超~、なんでわたしはこんな服に着替えなくちゃなんねーんだよ!」

 羞恥に顔を真っ赤にしつつ、恨みがましい目で超を見つめる千雨。

「しかも、よりによってもうすぐ期末テストって時に呼び出しやがって」
「何言ってるネ。期末テスト前だから呼んだんじゃないカ」

 超は呆れた様に千雨を見る。

「テストが終われば学園祭の準備期間。即ち『超包子』の出番ネ!」
「『超包子』……って何だ?」

 聞いた事も無い名前に千雨は首を傾げる。

「そっか、千雨ちゃんは去年の事知らないんだよね。『超包子』って超さんが経営している点心屋台だよ。去年の麻帆良祭では準備期間から話題を攫って、麻帆良祭期間中も大行列作ってたんだ」

 アキラが補足してくれた。
 ちなみに今年の準備期間は短い。毎年テスト後二週間程取る学園祭の準備期間だが、今年は一週間しか猶予が無いのだ。
 二週間程前に起こった麻帆良内の爆破事件。公的にはガス漏れによる事故として処理された事件により、期末テストの日程がずれ込んだためだ。

「ふーん、そういやオマエってよくそこらで肉まん売りさばいてたよな。それって屋台の延長だったのか」
「まぁそんなところネ。そして千雨サンもそんな屋台の従業員ヨ!」

 ビシっと千雨を指差す超。千雨はウッと呻きながらも、その言葉を受け止める。

「いや、まぁ確かに手伝うって言ったけどさ……この格好どうにかならないのかよ」
「ならないヨ」

 超は即答。
 千雨は以前に《学園都市》に潜入する際、超に連絡を取っていた。その際に提示された条件というのが、『学園祭期間中に超の催し物を手伝う』というものだった。余りにも軽い条件だったので、願ったり叶ったりで了承したものの……。

「くそ、騙された」

 千雨は少ない生地を引っ張りながら、肌を隠すようにモジモジする。

「いい加減あきらめるネ。それに古なんてその格好でヒョイヒョイ給仕してるネ」

 煮え切らない千雨に、超は苦笑いを浮かべる。

「……」

 ついでに、千雨がモジモジしている背後では、アキラが携帯でひたすら写真を撮ってたりする。

「あと時給もそこそこ出すから安心していいヨ」
「時給って、学園祭の催し物だろ。そんなん出せるのか?」

 千雨の質問に、超はムフフと笑い返す。手に携帯端末を出し、何かのデータを表示させた。

「これが去年の『超包子』の売り上げネ」
「……げ。何だよコレ、桁間違ってんじゃねーか」

 学園祭、そして準備期間の限定期間のみとは思えない売り上げ金額が表示されていた。千雨は端末に噛り付くように見つめる。
 アキラも興味をそそられたのか、横から除き見て「うわ」と声を漏らしていた。
 少なくとも中学生が扱う金額の規模では無い。

「今年は期間が短いけど、去年より知名度が上がってるからもっと高い売り上げが見込めるヨ。教師陣にも評判高いし、夜はほぼ満席ネ」

 飲食店、ましてや屋台ともなれば収益などたかが知れている。そう思ってた千雨だったが、目の前のデータには馬鹿に出来ない金額が表示されている。

「お前、何気にすごいな。つーか、中学生がこんなに稼いでどうするんだよ」
「ふむ。まぁ話してもいいが、コレはまだ稼ぎの一部ヨ。私が持ってるパテントや特許で入る金額はもっとあるネ」

 ポチポチっと端末をいじって出てきた金額の表示に、千雨をアキラは更に目を丸くする。

「え? はぁ? ちょ、ちょっと待てよ、なんだよこの額は」
「すごい……」

 先程の額とは比にならない桁数に、千雨達は言葉に詰まった。

「まだ目標にはちょっと届かないネ。使い道も、ちょっとだけなら千雨サンに話してもいいかも知れないヨ」

 超はゴソゴソとポケットをまさぐり、懐中時計を取り出した。
 金色のボディにチェーンが付いた時計だ。ジャラリと金属の擦れる音を鳴らしながら、千雨達の目の前に吊るされた。
 時計は素人目にもとても精緻な印象を与える。時計盤がガラスで出来ており、内部構造が見える。中身には細かな歯車が合わさる様は、どこか目を奪われた。

「この時計はタイムマシンネ。航時機《カシオペア》、これで私は未来から来たネ」
「タイム、マシン?」

 見るからに時計でしかない物を掲げ、これはタイムマシンだと言い張る超に、アキラは首を傾げた。一体どういう対応をすればいいのか、どういう冗談なのか。超へのリアクションに窮したのだ。

「なっ……」
「千雨ちゃん?」

 対して千雨は驚愕の表情を顔に張り付かせた。まるで目の前にある物体が信じられない様に。

「なんなんだよ、コレ。――わけわかんねぇ」

 千雨の知覚領域が、《カシオペア》を事細かに知覚する。千雨の頭に浮かぶ構造は驚くべきものだった。
 この小さな懐中時計に施された機構の数々はまさに膨大。歯車一つ一つに施された処置とて、千雨の知識の範疇を超えている。
 まさに異物。
 人工皮膚(ライタイト)を通じて流れ込む情報は、千雨の分割思考を持ってしても嚥下に時間が掛かった。されとて完全には理解できていない。
 千雨は超をじっと見た。先程の言葉が真実味を帯びてゆく。

「ふむ、やはり《楽園》の化け物はさすがネ。時計見せて『私は未来人だ』といった所で普通信じる人はいないヨ」

 超の《楽園》という言葉に千雨達は身構える。

「おい超、テメェ――」
「おっと、安心するネ。事を構えるつもりは無いヨ。それに千雨サンの素性なんて今更ネ」

 数秒のにらみ合いの後、千雨はため息を吐きながら力を抜く。そして近くの椅子を引き寄せ、ドカリと座った。

「はぁ。そりゃそうだな。なにせ相手は自称未来人となれば、わたしの情報ぐらい筒抜けって事か」

 今、千雨には超が未来人である、という確信がある。《カシオペア》を見せられれば、否が応にも納得するしかない。

「未来人と言っても完璧では無いヨ。特に《楽園》ともなれば、手を焼く事この上無いネ」
「あん、なんでだ? そんなタイムマシンでさえ作れる科学力を、お前は知ってるんだろう? 《楽園》よりすごい何かを作れるんじゃねーのか?」

 超は苦笑いしながら答える。

「確かにスペック上ならその人工皮膚(ライタイト)だって再現できると思うネ。だが、再現するだけヨ。正直、千雨サンの力はカタログスペックを大幅に上回ってるはずネ。《楽園》の恐ろしいところはソコネ。時に基準値を大幅に上回る〝化け物〟を排出する、私の住んでた未来でも《楽園》の名前が恐れられてたのはその点ヨ」
「《楽園》って未来でも恐れられてるのかよ。マジで何者なんだ……」

 千雨は表情を引きつらせた。
 二十年前、〝裏〟の世界を覆った大戦。国境という垣根では無く、イデオロギーにより対立した集団による世界大戦。決して新聞やテレビで報道されない戦い。その中で誰しもが扱える〝科学〟という方向性で、世界に驚愕を与えた集団が《楽園》だ。
 現在《楽園》は、施設と《楽園》の住人を乗せたまま、地球の衛星軌道上を周回している。研究プラントという名目で地球上から排他され、空気の無い世界で思うがままに研究に没頭しているのだ。
 千雨の体は、その《楽園》から零れ落ちたドクター・イースターという人物により改造されている。
 千雨自身は《楽園》に行った事が無い。故に《楽園》の技術を体に宿しながらも、《楽園》そのものには無知だった。

「んで、その未来人さんはこの時代にやって来て金稼いで何やるんだ。出稼ぎか?」
「それも面白いかもしれないネ。未来でも天才とか言われてきたが、こっちの方が実入りが良いヨ」

 カラカラと超は笑う。

「まぁ、そんなに簡単には行き来できないネ。目的は安っぽい話『未来を変えるため』という所ネ。安心するヨ、千雨サン達には迷惑かけないネ」
「だったらいいだけどな」

 千雨としても、わざわざ厄介ごとに首など突っ込みたくない。超はそれなりに信用が立つ、と千雨は思っている。彼女がそう言っているのだから、放っておいても千雨達には迷惑はかからないのだろう。

「これから仕事を一緒にする間柄、しこりを無くすために少しぶっちゃけてみたヨ」
「おい、仕事をするって、こんな服で出来るか! 変えてくれなきゃ手伝うか!」

 勢い良く立ち上がる千雨。チャイナドレスの裾が跳ね上がったが、何気に近くにいたアキラが裾を押さえた。

「ハハハ、千雨サン。これ、この前の《学園都市》にアクセスした時に廃棄されたコンピューターの値段ヨ」

 超に提示された金額に、千雨は固まった。

「うっ……」
「今『超包子』を手伝えば、この代金がチャラな上にバイト代まで弾むネ」

 千雨はダラダラと汗を流しながら思考する。そして、ポンと超の肩に手を置いた。

「こ、これから一緒に働く間柄に、隠し事も良くないしな。うん、痛くも無い腹を探られるのもゴメンだ。仲良くしようぜ〝未来人〟。それに衣装も露出は激しいが、なかなか良い感じだしな、あははは……」
「いやー、良かったネ。今年は古も忙しいらしいんで、少し人手不足だったヨ。良い看板娘が増えて重畳ネ」

 二人して笑いあうが、千雨は若干引きつっている。

「あの、超さん」

 今まで黙っていたアキラが、超に話しかけた。

「私も、アルバイトできるかな?」

 アキラの言葉に、超は笑顔を浮かべた。



 つづく。






※三章に当たってもう一度。この作品は原作ネギまの一年前を舞台にしています。
(2011/08/27 あとがき削除)。



[21114] 第34話「痕跡」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 16:33
 広瀬康一は重い足取りを引きずって教室へ入った。
 あの襲撃事件から二週間以上も経っているが、未だ犯人への糸口が掴めていなかった。いや、それどころか何をすればいいのかすら判らない。ただ、手の中にザラついた〝卵〟の感触があるだけだ。
 あの日、病院に運び込まれた後、康一は三日間程入院した。一緒に運び込まれた絹保は怪我すら無いのに意識不明。康一に至っては、大量の出血痕が見えるのに傷が無いという状況だ。
 精密検査を受けたり、警察の事情聴取を受けたりしてあっという間に三日間が過ぎ、康一のみが退院と相成った。康一はあの日の事を話していない。〝話すことが出来ない〟し、〝思い出す〟事も出来ないのだ。
 あの日、目の前に立った人間の顔も体格もおぼろげだ。男だった様な気もするが、確信が持てない。それぐらい記憶があやふやにされているのだ。
 康一は事情を聞きに来た人物達に、ただ知らぬ存ぜぬを通し続けた。
 絹保が目覚めない事と、ここ最近の不審者の目撃で大事になりそうな中、あの事件を覆い隠さんばかりに麻帆良での爆発事故が起きた。どうやらガス漏れ事故らしいが、康一も病室の窓からその光景を見ていた。
 まるで麻帆良が戦場に変わったようだった。そこらかしこから上がる悲鳴や黒煙。後日、さほどの被害規模では無い事が発表されたものの、沈んでいた康一の精神はさらに押しつぶされた。

「はぁ……」

 ため息を一つ。
 康一は何人かの朝の挨拶に小さい声で答えつつ、自分の席へと向かう。

「よう、康一」
「……おはよう」

 クラスメイトである東方仗助の言葉も軽く返し、自分の席へ座る。
 そんな康一を、仗助と隣に座る豪徳寺薫は背後から見つめていた。
 仗助達も康一がここ二週間程気落ちしている事を知っている。学校を欠席していた数日の間に何かがあっただろう事も察していた。
 無理に聞き出すのも戸惑われ、気が紛れるだろうと何回か遊びに誘ったものの、全て断られている。
 リーゼントに長ランという時代錯誤なツッパリスタイルをしている二人だが、その中身はけっこう優しい。友人である康一を放っておけず、一度無理やり聞き出そうとした事があったが、康一が怒り心頭で拒絶したのだ。気弱な康一が怒った所を二人は初めて見た。
 そんな事があったせいか、どこか仗助達と康一の間に薄っすらと溝が出来ていた。
 仗助達の視線の先では、康一がぼーっとしながら座っている。
 周りの学生達は時間を惜しみながら、教科書や参考書を必死で読み漁っている。
 仗助達とて例外では無い。康一を見ながらも、手元には教科書が開かれている。

「なぁ仗助。康一の奴、今日が期末テストだって気付いてないんじゃないか」
「だろうな」

 仗助は頬杖を付きながら教科書を斜め読みしていく。昨日それなりに勉強した箇所なので、頭には入っている。あくまで確認のための作業だ。
 そうしていると、担任の教師が教室に入ってきた。
 日直の号令の後、教師から期末テストの用意を言い渡された。クラス中が粛々と準備をする中、康一一人だけが慌てている。

(やっぱりな)

 仗助は予感が的中したと思った。どうやら本当に期末テストを忘れてたらしい。
 康一は慌てて教科書をバッグに戻したせいで、ペンケースの中身を床にぶちまけた。更に慌てながらペンケースの中身を拾う。周囲の人間がそれを手伝っていた。
 仗助はそんな康一を見ながら小さく呟く。

「本当に、どうしたもんかね」







 第34話「痕跡」







 空条承太郎は久しぶりに麻帆良の地へやって来ていた。
 先月起こった《スタンド・ウィルス事件》、そして犯人たる音石明の死から一ヶ月が経っている。
 音石明を殺した真犯人は未だ謎だ。だが、承太郎とて暇では無い。
 麻帆良にいつまでも張り付いているわけにはいかず、一時的に麻帆良を離れていた。
 その間自分達――スピードワゴン財団――の保護下にある大河内アキラが、何かしらの事件に巻き込まれた事を知った。
 承太郎の支援を行なっているスピードワゴン財団から、逐一送られてくる事件の経過。その断片の中に見え隠れする言葉があった。
 〝イタリア〟。
 綾瀬夕映、ジョゼ、義体、社会福祉公社、ジョンガリ・A、スタンド使い。
 本来スタンド使いと呼ばれる存在は稀有なのだ。なのに、何かに導かれるようにこの場所へ集まってくる。スタンドに関する研究チームも持つスピードワゴン財団とて、所属しているスタンド使いの数はたかが知れている。
 学園都市、ピノッキオ、リゾット・ネエロ、パッショーネ・ファミリー。
 事件の進行と共に、〝イタリア〟という言葉はより強く絡まっていく。
 丁度同時期、承太郎の視線はイタリアに向いていた。
 元々、イタリアにある《パッショーネ・ファミリー》というギャング組織にスピードワゴン財団は注視していたのだ。
 この《パッショーネ・ファミリー》には、スタンド使い〝らしき〟人物が多いと財団は見解を示している。スタンド使いか否か、それをスタンド使いじゃない人間が判断するのは難しい。
 されど、このギャング組織には不可解な痕跡が多いのだ。人間一人分の肉体が、幅三センチ足らずの立方体の細切れになり見つかった事件。まるで、タンク・ローリーにでも引かれた様に薄くペラペラになった遺体。どう見ても不自然とか言いようが無い事件の数々。これらの事件の背後には《パッショーネ・ファミリー》の影がちらついた。
 ある程度の知識があれば確信に至るだろう。
 偶然も多々あるだろうが、おそらくイタリアには《矢》がある。
 触れた者に『死』か『スタンド使い』か、二者択一を強制する《矢》だ。
 そんなイタリアの《パッショーネ・ファミリー》に動きがあったらしい。秘密主義で知られる組織のボスが死んだ、との事だ。
 千雨達が《学園都市》に潜入している間の前後、組織内で何やら激しい抗争があった様だ。
 現在崩れかかった組織を立て直し、ボスの座に就いているのは十五歳の青年だという。
 話だけを聞けば馬鹿馬鹿しい戯言だと思う。だが、幾つもの情報がこれを是としている。
 更に調べていくと、この青年の出生に怖気がたった。
 名前は『汐華初流乃(しおばなはるの)』、日本人女性を母に持つイタリア国籍の青年だという事だが、父親の名前が分からないのだ。
 ただ十五年ほど前、彼の母親と承太郎の宿敵たるDIO(ディオ)に親交があった事が確認されている。
 ディオ、承太郎の血筋『ジョースター一族』と浅くない因縁がある男だ。
 彼とジョースター一族の戦いは百年を越える。自らを吸血鬼としたディオは、無限の生をいきていた。そしてこの長い戦いに終止符を打ったのは、誰でもない承太郎だ。
 しかし、ディオの残した因子はまだ世界中に散らばっている。《矢》もその一つだ。彼のシンパと言える存在も多々いるだろう。
 承太郎には理解出来なかったが、ディオに魅了され信奉する人間は多かったらしい。
 『汐華初流乃』、どうやら今はジョルノ・ジョバァーナと名乗っているらしいが、彼にはディオの遺児である可能性がある。
 十五歳がギャングのボスになる。この結果だけ見ても、ジョルノが只者であるとは思えない。
 結果、承太郎は思うのだ。
 この一ヶ月余りの事件、様々な要素が絡まり見えにくくなっているが、本来はもっとシンプルなのでは無いかと。
 《矢》と《矢》。
 麻帆良に存在する《矢》と、イタリアにあるだろう《矢》。その二つの力の引き合いこそが、事件の根幹じゃなかろうか。

「ったく、やれやれだぜ」

 麻帆良の石畳を歩きながら状況を確認すると、知らず愚痴が零れる。
 承太郎が周りを見回すと、以前来た以上の喧騒に包まれている。どこもかしこも人々が騒ぎ、何かを作っている。

「学園祭って奴か、それにしたって――」

 本格的すぎる。学生達が遊びながら作ったものとは思えないイミテーションが、街中に溢れていた。
 また激しすぎる喧騒に、承太郎は顔をしかめた。
 承太郎は知らなかったが、現在は麻帆良祭の準備期間であるが、喧騒は例年以上だ。準備期間が短縮された事がその主な理由だった。
 そのため学生達は毎日の徹夜を押し、いつになくハイテンションなのだ。
 人込みを掻き分けながら、承太郎は進む。
 今、承太郎はある人物に会うために、待ち合わせ場所に向かっていた。
 遠く、人込みの中でも飛び出る長身が見えた。髪型は時代遅れのリーゼント。否が応にも目立つ男だ。
 承太郎と男の目が合う。どうやら相手も承太郎の存在に気がついたらしい。
 承太郎が近づくと、男はペコリと頭を下げた。

「お久しぶりッス、承太郎さん」
「元気そうだな、仗助」

 承太郎の言葉にニコリと笑うのは、東方仗助だ。
 リーゼント頭に長ラン。一昔前の不良の格好をしているが、彼が優しい事を承太郎は知っている。
 そして仗助こそが、十五歳も年下の承太郎の『叔父』であり、今日の待ち合わせ相手だった。



     ◆



「久しぶりだな。二年って所か」
「そうッスね~。前会った時がじいちゃんの葬式でしたからね」

 二人は場所を移し、通りに面したオープンカフェでくつろいでいた。
 テーブルの上にはコーヒーが二つ。温かい陽気のため仗助はアイスコーヒーを頼んだのだが、承太郎はホットだ。この陽気でも未だロングコートを脱ごうとしない承太郎ならではだった。
 コーヒーを飲みながら仗助を見る。目の前の仗助は、承太郎の祖父であるジョセフ・ジョースターの息子だ。晩年見つかった隠し子でもある。
 そのため承太郎の方が年上に関わらず、仗助は承太郎の『叔父』となる関係だった。

「それにしても、騒がしい所だな」
「毎年こんなもんッスよ。それに麻帆良祭当日になればこんなもんじゃないですし」

 仗助はそう答えながら、ゾゾゾッとアイスコーヒーをすすった。
 元々宮城県に住んでいた仗助だが、中学になる時にこの麻帆良に入学した。それからは寮制の学校という事で、ほとんどの時間をこの麻帆良で過ごしている。

「そういやめでたく高校生になれたようだな。遅れたがおめでとう」
「ははは、ありがとうございます。まぁ、ほとんどのクラスメイトは中学からの顔見知りなんで、実感沸かないスけどね」

 承太郎はコートの内ポケットから封筒を取り出した。

「進学祝の小遣いだ。受け取れ」

 仗助に封筒を差し出す。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉ! あざースッ!!!」

 仗助は封筒を受け取り、中身を覗いて更に感嘆の声を上げた。
 血筋による体の大きさと顔の彫りの深さ故に大人っぽく見える仗助だが、こういう時には年相応の子供に見える。
 封筒をバッグに仕舞う時も、目元がニヤニヤと笑い続けていた。
 それから二人は近況など、他愛も無い話をする。
 そこで、ふと話が仗助のクラスメイトの話に移った。

「ふむ、それでお前はそのクラスメイトを元気付けたいってわけか」

 仗助は頬杖を突きながら、もう片方の手でグラス内をストローでグルグル回している。カラカラと氷が音を鳴らした。

「ん~、まぁそうっちゃそうなんですが。なんつーか、いい奴なんスよ。そのぶん放っておけないつーんスかね」

 仗助の言葉はどうにも要領を得ない。

「どういう事だ」
「いやね、最初は落ち込んでただけだと思ったんスよ。だけど、へんな仕草っつーんスか。ちょっとおかしいんですよ」

 仗助がアイスコーヒ-を混ぜる手の動きが速くなった。

「たまたま見たんスけど、康一……あ、そいつの名前なんですが、その康一が良く手に何か握ってるんですね」
「ふむ、クセか何かか」
「それがよく判んないッス。手の中でボールか何かを握る仕草をしてるんスが、見ると『何も無い』んですよ」

 仗助がその仕草を再現する。まるで手の中にボールがあるかの様に指を動かす。出来の悪いパントマイムの様で、確かに奇妙な仕草だった。

「前からそんなクセがあったのかどうかは、さすがに分からないんですがね。余りにも血走った目でソレをしてるんで、もしかしてヤバイもんでもやってんじゃねーかと」
「薬物の可能性があると思ってるのか」
「ビビリな康一が手を出すとは思えないんですがね。ボールの幻でも見てるのか、いつも何かを握っている仕草をしてるんスよ。まるで〝俺たちに見えない何かを見てる様に〟」

 ピクリ、と承太郎の目線が鋭くなる。

「いつぐらいから、その少年はそんな行動を取っているんだ?」
「二週間ぐらい前ッスね。丁度数日休んで学校に来てから、ずっとそんな調子なんスよ」

 二週間前。確か麻帆良での爆破事件もその頃だと、承太郎は思い返す。

(――スタンド)

 《矢》はこの街にあるのだ。だったら街にスタンド使いはまだ沢山いるはずだ。
 そして恐らくその少年こそ《スタンド使い》であろう。
 確証は無い。だが、何かしらの予感があった。
 痕跡だ。真犯人たる人間の痕跡。今、自分はその淵に手をかけたのだ。
 仗助はスタンド使いでは無い。故に仗助には見えなかったのだろう、その少年が握っていたモノを。

「もう一度、クラスメイトの名前を教えてもらっていいか?」
「え? 別にいいスけど」

 仗助はちょっと不思議そうな顔をした。

「広瀬康一ッス」

 ――広瀬康一。
 承太郎はその名前を刻み込んだ。



     ◆



 ドタバタと騒がしい喧騒が教室の中を満たしていた。
 千雨は辟易しながら、どこか他人事の様にその光景を見ている。

「ちょっと明日菜さん、なんですのソレ!」
「うっさいわね、別にいいでしょ!」

 雪広あやかと神楽坂明日菜のいつものやり取りが始まった。
 仕切り屋のあやかと大雑把な明日菜が衝突するのも、数えれば十回を越えているだろう。
 期末テストが終わった翌日から、麻帆良学園内は麻帆良祭に向けた準備期間となる。例年より一週間も短い準備期間のため、必然学生達は慌しくなった。
 ある程度計画的なクラスは期末テスト前からチョコチョコと準備をしていたらしいが、2-Aに限ってそんな殊勝な心掛けは無い。
 テスト終了と共にゼロからの準備が始まった。
 麻帆良祭では学生達による催し物の営業を可としている。中等部から金銭の扱いも許可されるため、三日間という短い期間ながら学園祭とは思えない規模の金額が動くのだ。
 大学の研究室などは、企業への技術プロモーションという側面も持っている。逆に企業側が麻帆良の優秀な学生を青田買いしていく事もあるくらいだ。
 中高生にとっても無関係では無い。毎年クラスの出し物での売り上げが発表されるが、トップともなれば金額の桁が八桁に及ぶこともある。
 クラブにとっては部費を稼ぐチャンスだ。部費の少ない弱小クラブも、麻帆良祭での逆転を狙っている。
 まさに学生達から見れば千載一遇。
 この機に一発当てれば様々な夢が叶うかもしれないのだ。俄然気合が入る。
 実際2-Aも出し物を決めるときに紛糾した。
 『武道四天王』がいるのでリングを設置した武道ショーをやろうという意見や、お好み屋などの飲食店という意見。
 バンドや演劇など様々な案が飛び出したが、クラス内では意見が割れた。
 実際、期末テスト期間になっても出し物は決まらなかった。結果、体育館などの施設使用の申請締め切りに間に合わず、武道ショーやら演劇などは立ち消えとなってしまった。
 残るは教室内で出来るものだけとなり、飲食店という意見が大多数を占めた。
 これで決まりかと思いきや……。
 「メイド喫茶だ」「いや、そんなありきたりじゃ飽きられる、ここは巫女さん喫茶に」「それこそ……」
 とかくやもまた意見が割れた。最終的に鶴の一声ならぬ超の一声が決定打となった。

「だったら全てやればいいネ」

 というわけで2-Aの出し物は『メイド喫茶』となった。教室を改装しながら、クラスメイトが必死で縫い物をしつつ、更にその横では軽食やドリンクの検討が為されている。
 内装の雰囲気はヴィクトリア調もかくやといった感じで、元々の校舎の作りと合わさり、なかなか異国情緒溢れる欧風な出来になってきている。みんなが着るメイド服にしろ、漫画などに出てくるものよりも本格的でクラシカルな印象となっていた。
 だが、これだけ見るとそこらにある十把一絡げの『メイド喫茶』と変わらないが、2-Aのメイド喫茶には『〝超電脳〟メイド喫茶』と、奇妙な文字が頭に付いていた。
 内装やら衣装作りを必死でしている片隅で、超がスポットライトの様なものを付けたスタンドを幾つか立てていた。そのスタンドが並ぶ中央に、まだ未完成だろうメイド服を着た和泉亜子が立っていた。

「さぁさ、お立会いネ。実験開始するヨ。あ、教室の暗幕も閉めておいて欲しいネ」

 昼間という事で、暗幕を使ってもまだ教室内は幾らか明るい。薄ぼんやりした教室の中、みんなの視線が亜子に集まった。

「うぅ……」

 亜子が恥ずかしそうに身じろぐ。

「では、スイッチオン!」

 超の言葉と共に、スポットライトに小さな明りが付く。さほど強い光量では無いようだ。
 だが、スポットライトの点滅と共に亜子の姿が一変した。

「ふ、ふぇ~~、なんやのぉ!」

 先程までメイド姿だったのに、何故か今は露出の激しいバニーガール姿になっている。

『おぉぉ~~~』

 周囲から一斉に感嘆の声が上がる。

「どうネ、私の研究室で開発した立体投影は。この様にボタン一つで様々な衣装にチェンジ可能ヨ」

 そう言いながら超は次々と亜子の衣装を変えていく。

「ギャーーー!」

 一部に余りにも過激な衣装があり、亜子は絶叫を上げた。最終的には元のバニーガール姿に落ち着く。

「ムフフ、露出が激しいように見えても心配いらないネ」

 超は亜子に近づき、露出の激しい二の腕をツンツンと突付いた。

「ひゃ……って、あれ?」
「もちろん肌が露出してる様に見えても、実際は服の上に投射してる仕組みネ」

 肌を直接触られると思い声を上げた亜子だったが、思いがけない服越しの感触にキョトンとした。超はそんな反応を交えつつ、このシステムの解説をしていく。
 超はスポットライトが当たる中央に手を伸ばし拳を握る。そして一拍置いて開けば、手の平からファンシーにデフォルメされた魚が飛び出した。空中にプカプカと浮いている。まるで空を泳ぐ魚の様だ。

「こーんな風なありえない物も投影可能ヨ。これで衣装共々教室内を不思議空間にコーディネイト出来るネ」

 超がそのままパチンと指を弾くと、亜子の周りの空間だけ水に満たされた。まるで透明な円柱形の水槽に入れられた様だが、どうやらこれも立体投影らしい。

「まぁ、まだ長時間は稼動できないから、喫茶内の限定イベントくらいにしか使えないのが問題ネ」

 ナハハと笑う超。
 実験は終わったのか、葉加瀬が暗幕を開き、明るい日差しが教室を照らした。
 それと同時に亜子のバニーガール姿が徐々に透過し、メイド服姿と重なって表示される。

「暗幕が無いと、さすがに完全に映像を重ねる事ができないネ」
「ムムム、ですがこれは使えますわね。普段はクラシカルな王道メイド喫茶。客入りの短い期間だけイベントと称してこれを行なう……超さん、これはどれくらいの規模で実行できますの」

 あやかが顎に手を添えながら聞く。

「もちろん教室内は完璧にカバー出来るネ。費用に関してもウチの研究室の名前を出してくれればこちらで負担するヨ。丁度実験データも欲しかったしネ。ただ、人や物が立体投影を妨害すると思うので、このライトの数をかなり多くしなくちゃいけないヨ」

 ヒョイと超が指でつまんで出したのが、どうやらそのライトの本体らしい。五センチほどの楕円形の機械であり、かなり小さい。

「これを教室中に設置するネ。まだ実験機で耐久度が低いから、一個に付きせいぜい一、ニ時間の稼動が限界ヨ」
「ですが充分ですわね。超さん、ぜひご協力お願いしますわ!」
「了解ネ、いいんちょ」

 ガッシリと握手する二人。
 その周囲にクラスメイトがワイワイと集まってきた。

「でもすごいよねー!」
「これ使えば、私達全員イケメンにも変身できるんじゃない!」
「いやいや、モンスターとかに変身して、ダンジョン喫茶とかも」
「なら教室ごと空中の風景にして……」

 様々な意見を出し合い、笑いあっている。
 千雨はそんな一連の様子を教室の端にある椅子に腰掛けつつ、遠めに見ていた。

(テンション高ぇ……)

 千雨は机の上に載ったノートPCをポチポチ打ちながら、内心で呟く。
 何故か千雨は経理係に決定し、準備に使われる材料費やらなどの集計を任されていた。
 まだ準備初日という事で大した仕事は無いが、手持ち無沙汰なのでポチポチと数枚ポッキリの領収書の内容を打ち込んでいる。

(つーか超の屋台手伝うのに、こっちでまでコスプレなんてやってられるか)

 ふと千雨の視界に、縫いかけで放り出されたメイド服が視界に入った。ミシンを使っているのに、縫い目は醜く波打ち、どうにも拙い。

(クソ、なんでこんな事も出来ないんだ。もっと綺麗に縫えよな)

 千雨は料理などの家事はほぼ全滅しているが、裁縫だけは得意だったりする。それは以前好きだった彼女のある趣味からなのだが……。

(コスプレなんて……)
(好き、だよね)

 千雨の思考に割ってはいる言葉。アキラだった。千雨とアキラはスタンド・ウィルスにより思考の共有化や通信などが出来るのだ。
 少し離れている場所に立つアキラを、千雨はキッと睨みつける。それに対しアキラはニコリと笑い返すばかりだ。
 何か言い返そうとするも、反論が出ず口をパクパクさせた。千雨は顔が赤くなるのを感じ、柳眉を下げることもせずそっぽを向く。
 この二ヶ月ばかり、千雨は生活のほとんどをアキラに依存している。そのため大抵のことを見透かされているのだ。
 千雨の学習机の上にあるノートに書かれた自作ポエムも、クローゼット内にある自作のアニメコスチュームも、千雨の恥部となるものは全て見られていた。
 ついでに餌付けにより胃袋も握られているのだから、千雨がアキラに勝てるはずも無い。

(~~~~ッ!)

 コスプレ好きで悪いかよ! という意志が脳内を走り回りながら、羞恥で言葉に纏まらない。
 あさっての方向を向きつつ、懊悩する千雨の姿を見ながら、アキラは「ほうっ」と吐息する。
 千雨の羞恥の感情がスタンドを通し伝わり、何故かアキラの血圧が上がった。息も荒くなる。

「ど、どうしたんデスか、アキラさん」

 ジュルジュルと『バジル風大納言小豆ジュース』なる物を飲みながら実験を見ていた夕映が、隣に立つアキラの変化にビクリと驚く。

「ハァハァ……うん、何でも無い。何でも」

 赤味を隠すように頬に手の平を添えつつ、息も荒々しいアキラ。どう考えてもおかしいが、夕映は「そうですか」と答えながらニ歩離れた。
 だが興奮の収まらないアキラの視線の先を見て、夕映は納得した。
 顔を赤くしながらうんうんと唸る千雨。その困っている姿が微妙に可愛かった。
 ついで、近くの席の机の上には作りかけのメイド服がある。
 夕映の聡明な頭脳がこの状況からある結論を導く。

(千雨さん)
(――ッ! な、なんだ夕映)

 千雨と夕映も《楽園》という超科学の技術により、意志一つで通信をし合える繋がりがあった。

(千雨さんなら似合うと思うデス。そのメイド服も)
(なななな、何を言ってるんだ、夕映!)

 千雨が再び顔を上げ、夕映を見つめた。

(別に恥ずかしがらなくて良いと思うのデスが)
(う、うるさいッ! 大体なんで急にそんな話にッ!)

 などという言葉の応酬が千雨と夕映の間で繰り広げられた。だが、傍から見れば無言で見詰め合ってるに等しい。
 幾らか距離があるが、目で見つめあいながらお互いが表情を変えている姿は、まさに『目で通じ合っている』様に見えた。

「うわ~、無言で会話してるわ~」
「ゆえゆえ、すごい」

 呆れたように呟く早乙女ハルナと、何故か感嘆している宮崎のどかがそんなやり取りを見ながら呟いた。
 千雨はアキラや夕映と通信しつつ、イライラとノートPCのキーボードを叩いた。
 未だ気恥ずかしさは抜けず、顔は赤くなったままである。
 ふとそこで、ワイワイと騒ぎあってた集団の中心人物、超の言葉に千雨の名前が混じった。

「なら、千雨さんに頼むと良いネ。きっとあっという間に作ってくれるヨ」
「ふえ?」

 急に話題を振られ、キョトンとする千雨を、ワイワイガヤガヤと寄り集まっていた2-Aの集団が見つめた。
 一斉に見つめられ、千雨が後ずさる。

「い、一体何なんだ」
「むふふ、もちろんこの『〝超電脳〟メイド喫茶』の要たる投影データヨ。さすがに幾つかの衣装データは私とハカセが試作したが、今後を考えるとさすがに人手が足りないネ」
「だ、だからって何でわたしにッ!」
「いや~、千雨さんはそういう衣装デザインとか得意なのかと思ったヨ」
「――ッ!」

 タラリと冷や汗が流れる。何故バレてる、と内心苦虫を潰した。

「それに私達のクラス、そんなにデジタルに強くないヨ。モデリングデータを作れるのは、私とハカセ除いたら千雨さんくらいネ」
「うぐッ……」

 確かに中学二年生となれば、それぞれ人並に携帯やらパソコンやらを弄るが、千雨の様に専門的スキルを要求するのは無理だろう。

「千雨さん、お願いネ」

 ウィンクしながら片手でお願いする様なポーズを取る超に、千雨は拒否の言葉を飲み込んだ。

「わ、わかったよ」
「みんな、千雨さん了承してくれたようネ」

 わぁぁぁぁ、とクラスメイトが千雨の周囲に集まった。

「長谷川ー、カウボーイみたいな衣装作ってよ! 西部劇みたいなヤツ」

 明石裕奈が早速千雨にオーダーを言った。

「ぐッ、だったら着替えりゃいいだろ、着替えれば」
「え~、違うよ。こうメイド服を着たまま、ヒラリと回転したらカウボーイってのがカッコイイんじゃん」
「訳わから……、いや、確かにそれはアリかもな」

 即座に否定しようとするものの、裕奈の言葉のどこかが千雨の琴線に触れたらしい。

「千雨ちゃん、私はウエディング・ドレスが良いなぁ。こうね、フリルの間に花の蕾がいっぱいあって、歩くたびにそれが開いていくの」
「え~、それキモくない?」
「そうかなー」

 そんな会話が周囲で囁かれる中、千雨は思考を分割しながらノートPCを電子干渉(スナーク)していた。
 このPCは経理用に、と超に今日貸与されたばっかりの物だ。恐らく彼女の事である、千雨が了承する事も考慮し、立体投影とやらのモデリングソフトを入れてあるはずだ。

(やっぱりな、ビンゴ)

 ハードディスクの中身をザラっと自らの能力で直接洗い出しつつ、お目当てのソフトを見つけ、ある程度の内容把握をする。この間五秒程度だった。

(どうせこいつら、ある程度のモデリングでも見せてやらんと落ち着かないだろう)

 「衣装のデータを作るなんて、そんなすぐに出来るわけ無いだろ」なんて言えば、ブーイングし出すのが目に見えていた。
 付属してあったサンプルデータを脳内に読み込み、衣装やら風景やらの構築方式も大雑把に覚えていく。
 その間、千雨の右手はノロノロとノートPC上のカーソルを動かし、件のソフトのアイコンをクリックしたばかりだ。
 ジジジ、と小さい駆動音を上げながらソフトが起動した。
 立ち上がったソフトをマウスでポチポチとイジりながら、サンプルデータに偽装したファイルを読み込む。実際はバックステージで、千雨が数秒で捏造したデータだ。
 幾つかのサンプルデータを読み込み、それらをつぎはぎしている作業を見せ、裕奈所望のカウボーイルックを作り出す。

「ほらよ、こんなもんか? まぁサンプルデータの寄せ集めだから、わたしはほとんど何もやってないがな」
「うわ~、でもすげぇよ長谷川! いい感じで雰囲気出てるじゃん!」

 モニターに表示された衣装に裕奈は驚嘆の声を上げる。
 千雨に賛辞を送りながらも、あーだこーだと細かい注文を付けている。千雨もそれに「へいへい」と答えながら、適当にいじっていく。
 ガヤガヤとパソコンの周りに人が集まり、千雨にどんどんリクエストを挙げていく。最初はある程度相手していた千雨だったが、注文の多さに次第に苛立っていく。

「ってゆーか、お前ら自分の仕事しろよ! 暑苦しい!」

 ついには千雨の方が爆発する。鳴滝風香など「はせがわが怒った~」などとケタケタ笑いながら走り回っている。
 そんな喧騒の片隅で、どこかモデル然とした風貌の柿崎美砂が、同じチアリーディング部所属の釘宮円と話していた。

「フフフ、なーんか面白くなりそう。そう思わない円」
「まぁ騒がしくはなりそうね」

 周囲の余りのハイテンションっぷりに、円は少し呆れながら言葉を返した。

「3Dってすごいよねー。今回の麻帆良祭ではパパも来るし、私もスンゴイ衣装作って貰わなきゃ!」
「パパって。あんたんち、お父さんすごい忙しいんじゃなかったっけ」
「パパはいつも世界中を飛び回る仕事をしてるらしいんだけど、今回は都合付いたんで来てくれるらしいの!」

 美砂は嬉しそうに言う。にこやかな笑顔の美砂に円もどこか微笑ましさを感じ、つられて笑った。

「そっか、良かったじゃん」
「うん!」



 つづく。






(2011/04/04 あとがき削除)



[21114] 第35話「A・I」+簡易時系列、勢力などのまとめ
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:39
 麻帆良学園の学園長室は張り詰めた静寂に包まれていた。
 普段とて騒がしい場所では無いが、今回はその質が違っている。
 来賓用のソファにテーブルを挟んで座る二人の男性が居た。
 片方はこの部屋の主である近衛近右衛門。
 鋭い瞳を伸びた眉で隠しながら、好々爺とした雰囲気で茶を啜っている。
 対面に座る男は、どこか物静かな印象を与える男だった。
 白髪混じりの黒髪をピシリと後ろに揃え、黒いスーツに身を包んでいる、歳は四十か五十という風の中年男性だ。スーツ越しにも体が引き締まっているのが判り、物静かな風貌と合わさり、どこか危険な雰囲気を纏わせていた。
 また近右衛門と同じく目元を隠しているのもそれを助長させているのだろう。こちらは室内ながらサングラスをかけていた。
 二人は声を発する事無く、目の前に置かれた茶を飲み続けている。
 緊張感のある空気が室内を覆う。

「……それで、国際警察機構の長官殿がどのような要件でしょうかの」

 近右衛門が沈黙を破った。対面に座る男は視線を窓の外に向ける。

「祭り、ですな」

 ポツリと一言呟く。耳を済ませれば、静寂の中に子供達の喧騒が遠く聞こえた。

「ふぉっ。えぇ、もうすぐ学園祭なので生徒達がはりきっておりましてな」
「祭りは良いですな。活気が溢れ人も集まる。生きていると実感できる空間です。だからこそ護らなくてはいけない、害意や悪意から。そう思いませんかな?」

 男は紳士然とした情緒で語る。

「そうですな。年に一度の祭りです。我が学園としても万全の警備体制を整えています」

 近右衛門は男の質問にキッパリと答える。

「果たしてそうでしょうかね」

 男は顔を伏せ、クククと笑い出した。瞬時に紳士然とした雰囲気が崩れる。
 目元はサングラスに隠れているが、口元は三日月の様な形の笑みを浮かべている。どこか悪ガキの様な印象を与えた。

「先日の爆破事件に、件の学園都市の衝突。それにこの都市にはまだ《矢》があるそうじゃないですか?」

 男は嫌らしい笑みを浮かべたまま近右衛門に詰め寄る。近右衛門は表情を変えぬものの、こめかみには汗が伝っていた。

「――何が言いたいんですかな、中条長官殿?」

 男――中条長官と呼ばれた人物は目の前の茶を一気に煽り、テーブルに湯呑みを置く。

「な~に、簡単ですよ。我ら《国際警察機構》をこの麻帆良祭期間の警備、及び捜査を許可してもらいたい」

 中条は無作法にも、近右衛門の胸元にピシリと指を差す。

(こやつッ)

 近右衛門は内心で苛立ちを募らせた。
 目の前にいる人物は中条静夫。
 世界的治安組織である《国際警察機構》の北京支部長官である男だ。北京支部とはいえ、その影響力は極東全域に及ぶ程である。
 《国際警察機構》にはエキスパートと呼ばれる優秀かつ特殊な捜査員が存在する。彼らは気や魔法など多種多様な異能を使いつつも、魔法協会などの組織に所属しない人間だ。
 そのエキスパートの中でも更にトップクラスの人間を、《国際警察機構》では九大天王と呼んでいる。
 選ばれし九人の中に中条は入っている。
 〝静かなる中条〟という名を、近右衛門は何度も聞いたことがあった。物静かな風貌と確かな実力によりついた異名らしい。
 だが――。

(なにが〝静かなる〟じゃ)

 目の前で雄弁に語り、ニタニタと笑う男に、その異名は不釣合いだった。
 されど、彼の実力は否が応にも理解してしまう。
 溢れんばかりの膨大な気が彼の体に眠っているのだ。体から漏れ出る気の量ですら、あの高畑と同等であろう事を近右衛門は推察する。
 爆弾。そう爆弾だ。
 近右衛門は中条を見て、『爆弾』を想起する。

「それは認められませんな。正直、わしらは《国際警察機構》の最近の状況を好ましく思っておりませんのじゃ。内憂外患、現状ではあなた達を招き入れる事は、この麻帆良の長として許容できませんな」
「ほう」

 きっぱりと言い放つ近右衛門に、中条は感嘆の声を漏らす。
 近右衛門の周囲に魔力が覇気となって現れる。近右衛門と中条、お互いの圧力が室内の空気を歪めた。
 近右衛門の手元にある湯呑みの中の茶が、何も無いのにピチャリと跳ねる。

「ククク、さすが極東一の魔法使いと呼ばれるだけありますな。我らが九大天王の無明幻妖斉殿にもまったく引けを取らない御力だ」

 中条は立ち上がり、部屋を出て行こうとする。

「今回はお暇しましょう。だが、この麻帆良に《矢》がある限り、災厄は防げますまい。ましてやBF団が見逃すとは思えませんな」
「BF団、あの諸葛孔明ですかの?」

 ピクリと眉を上げ、その下から近右衛門の剣呑な眼差しが現れる。
 BF団、世界征服を目的に掲げている非合法組織だ。国際警察機構もBF団の活動に対し、インターポールが整理されて出来た組織だった。
 彼ら国際警察機構の宿敵とも言える存在である。
 そして、そのBF団の最高幹部である諸葛孔明の名も、裏の世界に携わる近右衛門は知っていた。智謀に長けた策士にして軍師。
 情報が真実なら、確かに麻帆良にある《矢》を手に入れようとするかもしれない。
 中条が投げた懸念は、確かに近右衛門の心に突き刺さった。

「孔明の事もご存知でしたか。なら話は早い、必要になったならば我ら《国際警察機構》にいつでもご連絡ください。すぐさま駆けつけましょう」

 ニタリ、と気味悪い笑みを残し、中条は学園長室から去った。
 近右衛門は数分間、冷めた日本茶を見つめ続ける。
 子供達の遠くの喧騒だけが、室内に響いた。







 第35話「A・I」







 学校での喫茶店の準備の後、千雨とアキラと夕映は図書館島の地下にいた。
 これから千雨とアキラは『超包子』での仕事があるし、夕映も図書館探検部での出し物の打ち合わせがあるらしい。
 忙しい身であるが、ドクターからの呼び出しがあり、三人は時間を作り図書館島の地下奥深くまでやって来ていたのだ。

「んで用って何だよ」

 ドクターの研究室で、千雨はぶっきら棒に話しかけた。

「ははは、どうしたんだい千雨。なんかイラついてるね」
「べっつに~」

 ドクターの言葉に、千雨は不機嫌に返す。先程まで教室でさんざん弄くられ、千雨はいささかストレスが溜まっていた。
 千雨の後ろでアキラが苦笑いし、夕映は素知らぬ顔で紙パックのジュースを飲んでいる。
 彼女らの表情で、ドクターはおおよその事を察した。

「ふむ。まぁ千雨も色々あるようだね。とりあえずみんな忙しいみたいだから、手早く済ませようか」

 ドクターは机の引き出しを開け、ゴソゴソと漁り出した。

「綾瀬君」
「はいデス」

 ドクターは夕映に呼びかけ、手招きをする。夕映はチョコンと首を傾げたまま、ドクターに近づいた。

「はい、これ」
「これは……」

 ドクターに手渡されたのは、先日からドクターに預けていたペンダントだった。
 四角く何の装飾も無い、無骨なペンダント。ただ表面に滑らかな金属光沢があり、それが光彩を放っている。
 《学園都市》の事件で、表面にかなりの傷が付いたはずだが、それも綺麗に修復されていた。

「以前言っていただろう。ペンダントに君の肉体をモニタリングする機構を入れたんだ。あとちょっとしたオマケも入れておいた」
「オマケ、デスか?」
「うん。とりあえず付けてごらん」

 夕映は言われるままに、ペンダントを首にかける。重みも感触も以前のままだ。以前は虫食いの様にちぐはぐになっていく記憶を補うために、このペンダントによく触れるクセがあった。
 以前のままにペンダントに触れる。すると――。

〈ん~~、むにゃむにゃ〉
「えっ!?」

 まるで寝言の様な声が夕映の頭に響いた。

「ん、どうしたんだ夕映」

 どうやら千雨達には聞こえなかったようだ。

「いえ、あのですね。変な声が……」
「ははは、早速聞こえたかい?」

 ドクターが楽しそうに笑う。

「そのペンダントには綾瀬君の肉体をモニタリングするためにAI、つまり人工知能を入れてあるんだ。皮膚接触による直接接続での会話なら、たぶん千雨にも聞こえないと思うよ」
「人工知能?」

 夕映はペンダントをペチペチと叩くと〈う~ん……〉と、寝ぼけた声が頭に響いた。

「――本当に役立つんですか?」

 ジト目でドクターを見る夕映。

「おや、まだ立ち上がってないのかい。一応綾瀬君をマスターに設定して、君との接触で起動するようにしたはずなんだが。どれどれ」

 ドクターはペンダントの表面に吸盤の様な端子を貼り付け、研究室内の端末と繋ぐ。
 そしてモニターに現れた結果を見て苦笑いを浮かべた。

「どうやらファジーに調整しすぎたかな。綾瀬君、ちょっと呼びかけてごらん」
「はぁ。――起きるデスよ、このねぼすけ」

 コツコツとペンダントを指で突付きながら話しかける。

〈ぐ~~、って、おわっ! あわわわ、すいませんマスタ~~〉

 ペンダントから情けない声が聞こえた。どうやらAIは起きたらしい。

「起きたみたいデス」
「うん。それじゃ外部音声に切り替える様にAIに伝えてくれないかい。そうだな、この研究室内のスピーカーを使っていいともね」
「だそうデスよ」

 ドクターの言葉を引き継ぎつつ、夕映はペンダントに話しかける。

〈了解しました~〉

 AIは陽気に答えながら、何かしらの作業を始めた。

『これでどうですか~』

 今度は脳内では無く、室内に設置されたスピーカーからAIの声が聞こえる。

「情報端末としても大丈夫な様だね」

 AIが速やかに研究室内のシステムにアクセスしたログを見て、ドクターはペンダントの正常稼動を確認した。

『えへへ~、もっと褒めてくださってもいいのですよ』
「調子に乗るなデス」

 夕映がペチンとペンダントにデコピンする。

『痛ッ! 酷いですマスタ~』

 そんなやり取りを黙って見ていた千雨とアキラは、お互いある事に気付いた。

「なぁ、アキラ。どう思う?」
「やっぱり千雨ちゃんも?」

 目で確認し合う。二人が気付いた事は同じ事らしい。

「ちょっといいか。夕映、なんかさお前とAIの声、似てない?」

 千雨の言葉に夕映は一瞬キョトンとする。

「そう、デスかね?」

 自分自身の声という事もあり、夕映にはそのような印象は無いようだ。

「そりゃそうだろう。このAIにはマスターである綾瀬君の声を元に、ボイスデータを作ったからね」
「へ?」

 ドクターの言葉に、夕映が驚く。

「あのー、聞いてないのデスが」
「あ、こりゃ失礼。言い忘れてたかな」

 ドクターがボリボリと頭を掻いている後ろで、千雨が額を手で覆い、溜息を吐きながらあきれている。

「んじゃ、とりあえずこのAIの機能を説明しておこうか」

 ドクターは仕切りなおしとばかりに、説明を再開した。

「このAIは日本国産の桜-A型というものをほぼそのまま使わせてもらっている。僕はこの手は専門じゃないからね。それで基本的には綾瀬君の肉体のモニタリングを行なっている。AIだけに情報処理もそれなりに出来るね。あと、肉体の監視だけで無く、簡単な〝治療〟も行なえるよ」
「〝治療〟だって? AIったってプログラムだろ。そんなん出来るのかよ? それともペンダントにそういう治療用の器具でも入ってるのか?」

 千雨が疑問の声を上げた。

「普通だったら出来ないし、ペンダント内にそんな器具は入ってないよ。だけど最近ある技術が出回っているんだ。僕らが《学園都市》から脱出した際、一部《学園都市》内の研究データが流出したようでね。今回、そのデータを応用した技術を組み込んでみたんだ」
「技術、ですか?」

 アキラがボソリと返した。

「百聞は一見にしかずさ。さぁ、桜-A型やってごらん」
『わかりましたー』

 夕映の胸元――ペンダント――が一瞬まばゆく光ると、ペンダントの表面から小さな人影が這い出して来た。

「は?」

 夕映はポカンと口を開ける。手の平で握りつぶせそうなサイズの人影が、自分の胸元にあるのだ。

「よいしょ、よいしょ」

 ペンダントから這い出た小人は足場を失い、夕映の胸元から滑り落ち、近くのテーブルの上にコロンと転がった。

「イタタタタ……」

 小人は頭を擦りながら体を起こした。

「これ、立体映像かなんかか?」

 千雨は昼間の超の実験を思い出し、小人を指先で軽くつつく。

「おわっ! か、感触がある」
「当たり前ですよ! 失礼ですね、千雨様!」
「あ……わ、わりぃ」

 千雨の行動に、小人が怒りを露にした。千雨もその剣幕に負け、素直に謝ってしまう。
 小人の姿は、どこかキャラクターモノのぬいぐるみを思わせた。大きな頭と小さな体、おおよそ十五センチ程の身長で、二頭身だ。女子中学生や女子高生の様な制服を、デフォルメして着ていた。髪は紺色、頭身のせいだろう、足元まで伸びる長髪だった。目はクリクリとしており、顔のパーツではキリリと太目で強調された眉が目立った。可愛らしい幼女の様にも見える。
 声は夕映と同じ。その口調からも、先程まで説明を受けていたAIと目の前の小人は同じなのだろうと、千雨達は推察する。
 夕映は小人の襟首をヒョイと掴み上げた。

「わわわ、何するんですか、マスター」
「えーと、どうなっているんでしょうか?」

 小人の言葉を流しつつ、夕映はドクターに問いかける。

「ククク、そりゃ驚くだろうね。《楽園》出身の僕も驚いたよ。それこそが件の技術『実体化モジュール』ってヤツだ」
「「「実体化モジュール?」」」

 千雨達三人の声が重なった。

「そう。平たく言えばコンピュータープログラムを現実に実体化させる、ってとんでもない物さ。このチビっ子の様にね」

 夕映が手に持つ小人を、ドクターが指差す。

「作ったのは日本人らしくてね。MITに在籍するコウベヒトシっていう天才青年らしい。だけど彼の作った基礎プログラムはかなり難解で膨大らしくてね、かなりの設備を必要としているらしく、そこらへんの簡略化を《学園都市》と提携して研究してたみたいなんだ。今回流出したのはその簡略化したモデルさ。大型の物体は実体化できないが、こんな感じでAIをチビっ子として実体化したり、綾瀬君の肉体に簡易的な治療を行なう事も出来る。さすがに銃みたいな難解な構造は無理だけど、ナイフぐらいだったら武器も実体化出来るよ」

 強度は保証出来ないけどね、とドクターは付け足す。

「とんでもねぇ技術じゃねぇか。しかもそれが流出してるってヤバくないか?」

 千雨が懸念を上げた。

「それなら当分大丈夫だと思うよ。簡略化したとは言っても、セッティングがとんでもなくピーキーなんだ。僕もプログラムを安定化させるのに四苦八苦したよ。それに実行にも簡易モデルとは言えかなりの設備を必要とする。綾瀬君の端末だって、この研究所のシステムを併用した上でやっと起動できてるぐらいなんだ。あ、そうそう。その『実体化モジュール』は麻帆良内でしか使えないと思ってて欲しいね。それ以上になると、研究所のシステムとたぶんラグが発生して使えないと思うんだ」
「わかりましたデス。とは言っても、コイツを実体化して使い道があるのやら」

 夕映の指先では、襟首を掴まれた小人がプランプランと揺れていた。

「は~な~し~て、く~だ~さ~い~」

 小人が目に涙を浮かべながら、ジタバタと暴れていた。

「夕映、離してあげたら」

 アキラがいたたまれなくなったのか、小人に救いの手を差し伸べた。

「了解デス」

 パッと夕映の手が離され、小人はテーブルにペシャリと落ちた。

「へぷっ!」

 顔から落ちた小人が、奇妙な悲鳴を上げる。

「だ、大丈夫? えーと、小人さん?」

 アキラは小人をなんて呼んでいいのかわからず、疑問符を付けながら呼びかける。

「酷いですよマスタ~~」
「……悪かったデスよ」

 夕映はそっぽを向きながら、口先だけで小人に謝る。どうやら自分と同じ声という所など、どこか小人に対して思う事があるようだ。

「それにしたって、そのAI。名前無いと不便だよな。ドクター、こいつの名前は?」
「決めてないよ。強いて言うなら『桜-A型』ってのが仮の名前かな。綾瀬君、君が決めてくれないかい?」
「私、デスか?」
「これから君の相棒になると思うしね」

 ドクターの言葉に、夕映は小人を見つめる。小人は胸を張り、どうだと言わんばかりにふんぞり返っている。

「相棒……」
「でも夕映、ちゃんとした名前が無いと可哀想だよ」

 またしてもアキラが助け舟を出す。

「だな。夕映、なんかいい名前無いのか?」
「うーん」

 夕映は腕を組んで考えるが、良い名前は浮かばない。

「桜-A型。SAKURA-A……、じゃあひっくりかえしてASAKURA、アサクラでいいんじゃないでしょうか」

 夕映が単純すぎるアナグラムで名前を作る。

「おぉ、ナイスですマスター! どこか知的で優美な感じがします! 決めました、私はこれからアサクラです!」

 小人――アサクラが喜んでジャンプする。思いのほか気に入ったようだ。

「夕映、クラスメイトにも朝倉がいるんだけど」
「あ、そうでしたね。同じ名前だと紛らわしいですよね」

 アキラのツッコミに、夕映が即座に反応する。

「じゃあ、『あちゃくら』にしましょう。クシャクシャしてるし、丁度良いデス」

 夕映が冷酷に言い放つ。

「な、なんですか『あちゃくら』ってぇー! もっとかっこ良い名前にしてくださいよ!」

 アサクラがピョンピョンと跳ね、訂正を呼びかけるも――。

「マスターの命令デス。正式名称は『アサクラ』で構いませんが、普段の呼称は『あちゃくら』で決定。以上」
「そ、そんなぁ~」

 アサクラがうるうると瞳を滲ませている。

(確かにアサクラって言うより『あちゃくら』って感じがするな)
(――うん)

 アサクラのそんな態度を見て、千雨とアキラは意思疎通を使いながら、そんな会話をしていた。
 アキラはアサクラに近づくと、その体を手の平に乗せ、指先でそっと頭を撫ぜた。

「えーと、あちゃくら。その、私はカワイイ名前だと思うよ」
「うぅ、えーとアキラ様、でよろしかったですよね。あなたは女神の様なお方ですぅ~~」

 アサクラはひしっとアキラの指に掴まり、涙目ながら笑顔を浮かべる。

「それに比べてウチのマスターは……」

 チラリとアサクラが夕映を見れば、逆に睨み返された。

「何か、文句でもあるのデスか、あちゃくら?」
「な、何もないですよ~、マスター」

 アサクラの虚勢も、夕映の前ではすぐに剥がれた。

「名前も決まったようだね。それじゃあちゃくら、綾瀬君のモニタリング頼んだよ。こちらのシステムにも定期的にデータを送ってくれ」
「了解です。どくたー!」

 アサクラは元気良く答える。
 夕映はこれからこの幼稚園児みたいなのと一緒に時間を過ごし、なおかつ体を監視される事を考えると気が重くなってきた。
 千雨も夕映の雰囲気からそれを察し、元気付けようと声をかける。

「ま、まぁ良かったじゃねぇか夕映。なんか色々出来て便利そうだしな」
「おぉ、さすが千雨様。私の利便性をいち早く理解しているご様子ですね。マスター、私はちゃんとデータさえあれば、ナイフからドライバー、更には爪きりに毛抜きとと様々な物に変身出来るんですよ! 十徳ナイフもビックリな便利さです!」

 あちゃくらがキラキラと目を光らせ、拳を天井に向けて掲げた。

「――そんなの、どれも百円ショップで買えるデスよ」

 対し、夕映がボソリと呟く。

「いや、ナイフは買えねえんじゃねぇか」

 千雨も冷静にツッコんだ。

「ねぇ、千雨ちゃん。そろそろ時間」

 そんな会話の中、アキラが千雨に提言する。

「おわ、ちょっと時間厳しくなってきたな。さすがに初日から遅刻するわけにいかないし、そろそろ超の所に行くか」

 千雨も研究室内の時計を見て、少し慌てる。

「なら私も上の階に戻って、図書館探検部の打ち合わせに参加するデス」

 夕映も時間を確認し、追随する。そして千雨達は研究室を出て行こうとするも――。

「ちょ、ちょっとマスター。私を置いて行かないでくださいよぉ!」

 実体化したアサクラが、夕映に追いつこうと床をチマチマ走っていた。

「ちっ」
「あぁ~! い、今舌打ちしましたよね!」
「してないデスよ。ほら、あちゃくら。ちゃっちゃと行くデス」

 夕映はヒョイとアサクラを掴むと、自らの肩口に乗せた。この時期、麻帆良祭や準備期間ではコスプレや仮装をする人間が多く、肩にぬいぐるみを乗せてるぐらいでは不審に思われないだろう。

「若いってのは良いねぇ。学園祭、頑張ってきなよ」

 ドクターが気だるそうに見送った。ゾロゾロと退室していく千雨達だが、最後にヒョイと千雨がドアから顔を出し、ドクターを指差す。
「ドクター、タバコも良いけどしっかりメシ食えよ。あと風呂も入れ、ちょっと臭うぞ」
「はいはい、分かってるよ」
「――本当かよ」

 ジロリと睨みつつ、千雨は今度こそ部屋から出て行く。
 そんな千雨を見送りつつ、ドクターは口元に笑みを浮かべた。



     ◆



 昇降口で上履きから革靴へと履きかえる。爪先でとんとんと地面を叩き、靴をしっかりと押し込んだ。
 周囲には興奮した風情の男子学生達が、慌しく走っている。
 そんな中、広瀬康一は一人で寮への帰路につこうとしていた。
 喧騒を煩わしく感じる。
 二週間程前、電車の中で湾内絹保に対して麻帆良祭について話していた事を、嫌でも思い出してしまう。
 その度に口の中で苦味が広がった。自らの情けなさに知らず拳を強く握ってしまう。
 鬱屈とした気持ちを心に押し込め、ただ無意味に時間を浪費していく。
 手には、他の人には見えない〝卵〟だけがある。

(コレは一体……)

 未だ、この〝卵〟の正体は分からない。ただ、康一の意志一つで、周囲の音を消すことが出来る事は知っていた。
 一度、授業中に音を消す能力が発動し、焦った事があるくらいだ。その時にはちょっとした騒ぎになったものの、次の日には皆気にしていなかった。
 いつの間にか、この〝卵〟の表面を指先で撫でるのが康一のクセになっていた。ザラつく表面が指先に引っかかる。だが、それが康一にあの日が夢で無い事を実感させ続けた。
 ゴシゴシと指で〝卵〟の表面を撫でながら、人で溢れた麻帆良内を歩く。
 ふと、人込みの中に背の高い人物が目に止まる。
 麻帆良では身長の高い人物はさして珍しくない。ましてや準備期間の今は仮装だコスプレだと奇妙な格好をしてる人が多く、ただ背が高いというだけでは印象にも残らないだろう。
 しかし、その背の高い人物はじっと康一を見つめていた。瞳には力強い意志が宿っているようで、康一はそんな瞳に見つめられ萎縮する。
 初夏なのに真っ白いロングコートを羽織り、頭には学生帽に似た白い帽子を被っている。体中に特徴的なアクセサリをたくさんつけてもいた。彫りの深い顔立ち、見たところ二十から三十歳といった風のガタイの良い男性だ。瞳には強い意志と共に、知性的な輝きも垣間見える。
 その男性――空条承太郎――は広瀬康一を見つけると、人込みを掻き分けながら近づいてきた。
 康一は自分にまっすぐ向かってくる男性に怯え、硬直する。
 それと同時に、何故か憧れが湧き上がった。

(眩しい)

 それが康一の承太郎への第一印象だ。何もそれは承太郎の服装が白いだけでは無いだろう。
 ただ歩くだけでも、承太郎の持つ覇気が康一には感じられた。いかつく肩を張り、人を押しのける様な粗野な歩き方では無い。だが、人込みの中に置いても、一歩一歩を踏み出す承太郎に確かな強者としての風格があった。
 羨望だ。絹保を助けられなかった自らの弱さ、その裏返しとも言える力への憧れ。
 見かけて数秒。目の前の男性の素性も性格も知らないのに、康一は承太郎に魅了されていた。そして男性の眩しさが強くなる度、自分に突き刺さった罪の痛みが増す。

(――っ)

 病院のベッドで眠る絹保の姿が脳裏に過ぎる。たった一日を共に過ごしただけの少女なのに、ベッドに眠る彼女の姿は目蓋に焼き付いて離れない。
 康一が懊悩している間に、承太郎は目の前にまで来ていた。
 身長の低い康一は承太郎を見上げる格好になる。彼我の身長差は四十センチ程度。しかし、康一はそれ以上の大きさの違いを感じた。
 目の前の男性を、それこそ巨大な岩壁の様に感じる。
 すがる様に〝卵〟を力強く握る。
 承太郎はそんな康一の所作を見逃さなかった。チラリと視線を向けた先の〝卵〟をしっかりと確認する。

「君が広瀬康一君で間違いないだろうか? 俺は空条承太郎、君のクラスメイトの東方仗助の親戚だ」
「へ? 仗助君の?」

 承太郎の言葉に、康一は張り詰めていた気が緩む。

「そうだ。君に話があって来た。少し付き合って貰えるかな?」
「あ、はい」

 康一は無意識に生返事を返す。

「……ふむ、すまないな。じゃあ付いてきてくれ」

 承太郎は康一を促し、共に歩き出した。



 つづく。











(2012/03/03 あとがき削除)



●千雨の世界 簡易時系列
┌─────────────────┐
│■第一章<AKIRA編>          │
│時期 五月上旬               │
│1話~10話                  │
│                          │
│・千雨、アキラや夕映と出会う       │
│・承太郎と出会う。               │
│・スタンド、魔法について知る。       │
│・音石明、エヴァとの戦い。         │
│・真犯人は捕まらず。            │
└─────────────────┘
    │
    │
    ↓
┌──────────────────┐
│■第ニ章<エズミに捧ぐ>麻帆良編    │
│時期 六月上旬                 │
│11話~19話                  │
│                          │
│・学園都市との交換留学生。<リンク>─────┐
│・一章の後始末                │    │
│・ドーラとの出会い。              │    │
│・イタリア勢との邂逅。            │    │
│・夕映の秘密。誘拐。             │    │
│・ピノッキオ登場。               │    │
│                          │    │
└──────────────────┘   │
            │                   │
            │                   │
            ↓                   ↓
┌──────────────────┐ ┌────────────┐
│■第ニ章<エズミに捧ぐ>学園都市編   │ │■反章<るいことめい>   │
│時期 六月中旬                 │ │時期 六月上旬~中旬    │
│20話~30話                   │ │プロローグ~13話      │
│                          │ │連載中              │
│・学園都市へ潜入、夕映争奪戦。       │ │                   │
│・パッショーネ・ファミリー参戦。        │ │・佐天さん魔改造。       │
│・シスターズ登場。               │ │・佐天&佐倉コンビ      │
│・学園都市暗部も参戦。            │ │・妖怪、悪霊が敵。       │
│・夕映の真実。                 │ │・学園都市が舞台。      │
│・謎の術式が学園都市を覆う<リンク>──→│・オカルトGメン。        │
│・学園都市より千雨達生還。         │ │・国際警察機構。        │
│                           │ │・関西呪術協会。        │
└──────────────────┘ └────────────┘
    │                   │           │
    │                   │           │
    │                   │           │
    │                   └───┬───┘
    │                         ↓
    │                     ┌───────────────┐
    │                     │■二章と反章のリンク         │
    ↓                     │・登場人物の相互登場。       │
┌───────────────┐   │フレンダ、佐倉愛衣など        │
│■第三章<フェスタ《殻》編>    │   │・千雨編での「interlude」描写     │
│時期 六月下旬            │   │ は佐天編の描写。           │
│31話~ 連載中            │  │・千雨編24話の冒頭にて登場の  │
│                       │   │ 「毛玉人間」の都市伝説。     │
│・ウフコック重傷。            │   │ この時点で佐天は活躍中。    │
│・一章の真犯人、吉良吉影。     ?←─┤・また千雨24話でのフレンダは   │
│・広瀬康一がスタンド使いに。    │   │ 佐天13話後のフレンダ。      │
│・国際警察機構登場。         │   │・千雨20話後半。佐天を迎えに   │
│・etc……                │   │ 来た少女「セミロング~」は     │
└───────────────┘  │ 佐倉愛衣。              │
                           │・etc                   │
                           └───────────────┘

●千雨の世界 組織勢力図

■麻帆良学園
 原作 魔法先生ネギま!

埼玉の一部を中心とした学園都市であり
極東の魔法使いの拠点。
周囲の組織とは融和政策を図りたい。


■学園都市
 原作 とある魔術の禁書目録

東京西部を中心とした学園都市。
壁に囲まれ、ほぼ都市国家となっている。
都市内は外に比べ、科学力が十年以上先を行っている。
また、学生達に超能力開発を行なっている。


■楽園
 原作 マルドゥック・スクランブル

二十年前に起こった裏の世界での大戦。
その折に独自の科学力により大暴れした研究者集団。
現在、この《楽園》の技術は国連によりご法度となり、
施設、研究者諸共、地球の衛星軌道上にあるプラントに幽閉されている。


■スピードワゴン財団
 原作 ジョジョの奇妙な冒険

空条承太郎の後ろ盾でもある財団。
ジョースター家を一手に支援している。
またスタンド使いの保護や支援も行なっている。
アキラは現在ここの保護下にある。


■公益法人 社会福祉公社
 原作 ガンスリンガー・ガール

イタリア政府直轄の障害者支援組織。
だが、暗殺などの非合法行為を主な活動としている。
少女達を義体と呼ばれるものに改造し、非合法活動に従事させていた。
夕映、ジョゼ、トリエラなどが所属していた。
過激派の掃討による五共和国派の弱体化や政争により、十年前組織が解体される。


■五共和国派(パダーニャ)
 原作 ガンスリンガー・ガール

イタリアの反政府組織。
ピノッキオが所属していた。
十年前に弱体化。現在は形骸だけ残っている状況。


■パッショーネ・ファミリー
 原作 ジョジョの奇妙な冒険

イタリア国内を中心としているギャング組織。
多数のスタンド使いを抱えている。
夕映の暗殺事件の際には、イタリア政府からの依頼で
暗殺チームを学園都市に送った。
その後、ボスの交代が成される。
現在のボスはジョルノ・ジョバーナという青年である。


■国際警察機構
 原作 ジャイアントロボ OVA版、漫画版
※キャラ、設定と共にOVAと漫画を混ぜてます。

国際的な治安維持組織だが、現在私利私欲による活動が多く、問題になっている。
特にBF団に対する活動は、他の迷惑を顧みない。
BF団の十傑集に対抗し、九大天王と呼ばれる超人集団がいる。


■BF団
 原作 ジャイアントロボ

世界征服を目的とした悪の組織。
十傑集を始めとした数々の超人とロボットを備え、世界に対して攻撃活動を行なっている。
現在首領のビッグ・ファイアが不在のため、最高幹部である諸葛孔明が指揮を取っている。


■オカルトGメン
 原作 GS美神

日常に起きる心霊現象や妖怪騒ぎなどを処理するゴースト・スィーパー。
魔法協会による『魔法認知の一般人への融和政策』として近年増加しているGS業務。
そのお役所版である。
国際警察機構の一機関として存在し、国境を越えて霊障の処理に従事している。


●今回出てきた設定群とか色々メモ
■実体化モジュール
 原作 A・Iが止まらない!

ネギま作者、赤松先生の過去作より拝借。
プログラムをスパコン使って実体化させるとか、雷が落ちたエネルギーがどうとか。
二次元を三次元化する素晴らしい技術。


■あちゃくら
 原作 涼宮ハルヒちゃんの憂鬱

声優は夕映と同じ桑谷夏子さん。
わざわざこの設定をやるためだけに、夕映に物語冒頭からペンダントを持たせてました。
夕映のパートナーになる予定。



[21114] 第36話「理と力」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 16:36
 康一と承太郎は並んだまま歩き続ける。
 大通りに出ると、道の端は露天やら屋台が準備期間ながら早くも連なっていた。通りの中央も祭りの準備をする人々でごった返している。
 二人は人込みに逆らわず、そのまま流れに身を任せて進む。

「あ、あの~、どこへ向かっているんでしょうか?」
「いや、何処へも向かっていない。ただ歩いているだけだ」
「え?」

 承太郎のきっぱりとした答えに、康一は呆気に取られる。話があると言われたから、てっきり何処かの喫茶店やらに入るのだとばかり思っていた。

「すまないが、このまま話を始めて良いだろうか?」
「えーと、だったらとりあえず何処かに落ち着いてからにしませんか」
「広瀬君には申し訳ないのだが、〝歩きながら〟だから好都合なんだ。一箇所に留まっていたら話しづらい事もある」
「??」

 康一は疑問符を浮かべる。承太郎の言葉がどうも要領を得ないようだ。
 じっと承太郎の顔を見上げるも、彼はただ前を向いているばかりでなかなか話を切り出そうとしない。

「……えーと、ですね」

 沈黙に耐えられなくなった康一が、話とやらを促そうとすると――。

「広瀬君」
「は、はい」

 承太郎の唐突な呼びかけに、康一は焦る。

「君が持っている〝手の中にあるモノ〟は何だ?」
「――ッ」

 ゾワリ、と怖気が走る。康一の背中に冷や汗が流れた。
 それはこの二週間、ついぞ知ることが出来なかった非日常への欠片。自分しか見えないはずのモノが承太郎には見えている、その事実が康一の心に不安を広げる。

「そ、それ――は――」

 喉がカラカラになり、声が詰まる。顔は伏せられ、視線は自分の靴の爪先をただ呆然と向けられていた。
 手の中にある〝卵〟を強く握り、思い切り良く顔を上げ、承太郎を見る。

「――ッ!」

 そして再び康一は声を詰まらせた。
 承太郎の背後にナニかが立っていた。青白い、奇妙な姿をした人影。奇抜なデザインをしながらも四肢があり、人の様相をしているソレを最初は人形かと思った。
 だが違う。目には力があり、体から生命の力強さが伝わった。

「やはり見えるのか。俺の『スター・プラチナ』が」

 承太郎のその言葉に、康一は混乱しながらもこの人影が『見えない事が正常』なのだと理解する。

「こ、これは?」
「『スタンド能力』。俺達はそう呼んでいる」

 承太郎は自らの後ろに立つ人影――『スター・プラチナ』を視線で示しながら言う。

「ス、スタンド?」

 康一は聞きなれない名前を反すうする。いや、違う。〝アイツ〟――■■――も言っていたはずだ〝スタンド〟と。

「そう、スタンド能力。魔法や超能力とは違う、世界に自分のルールを強制する異質な力だ。例外はあるが、スタンド能力は基本的に《スタンド使い》にしか見えない」

 承太郎の言葉の一つ一つが、康一の忌まわしい記憶の断片を蘇らせる。手の中の〝卵〟を強く握り締めた。

「これの意味することは簡単だ。広瀬康一君、君は《スタンド使い》だ」
「――」

 分かっていた様な気がする。康一は承太郎の言葉を聞いても無言。ただ無様な姿を見せないために、表情を硬くした。

「二週間程前、君は病院に運ばれているね」

 だが、そんな薄っぺらい鎧も容易に剥がれる。康一の表情は瞬時に焦りに包まれた。

「一緒に運ばれたのは湾内絹保。《学園都市》からの留学生だ。本来ならば君と接点の無いはずの少女だが、調べていくと君は何度か《学園都市》へ赴いているようだね」

 淡々と語る承太郎。康一は不安と共に、時計の音の様なものが聞こえた。カチカチ、カチカチと。

(これは――)

 康一は自らの体内にある異物を再認識した。それは〝アイツ〟に強制されたルール。今なら『スタンド』だと分かる異物、それが自分の言動を監視しているのだ。

「君らは一緒に運ばれた。だが大量の流血痕がある君は無傷、対して傷痕らしきものが一切無い湾内絹保は未だ目覚めず入院している」

 とぼとぼと歩きながら、周りの喧騒は徐々に遠くなり、康一の耳には時計の音と承太郎の声だけがはっきり聞こえる様になっていく。
 心臓が喉から飛び出そうだった。ワイシャツがベットリと背中に張り付く。

「君は湾――」
「言うなぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 康一の叫び声と共に、周囲の空間が一変する。

「――」

 承太郎は何か声を発しようとするも無音。それだけじゃない、周囲の賑わいも喧騒も、全てが聞こえない。
 どうやら自分の聴覚が異常をきたしたのでは無い事を、周囲の人間の慌てぶりで理解する。

(音を消す能力)

 康一が握っている〝卵〟がブルブルと震えた。康一を中心に無音のフィールドが球状に広がっていく。

(まずいな)

 康一のスタンド能力は、感情の爆発により際限なく音を消しているようだ。能力の限界はいつか来るだろうが、周囲に対する混乱を考えると看過する事はできない。人込みの中というのも厄介だった。

(『スター・プラチナ』ッ!)

 承太郎がスタンド能力を発動させた。
 康一の無音空間をも飲み込む様に、承太郎だけが動ける世界が作り上げる。
 承太郎のスタンド能力『スター・プラチナ』はほんの数秒だけ時間を止める事が出来る。そしてその中を承太郎だけが動けるのだ。
 承太郎はそのまま自らのスタンドで康一の襟首を掴み、人の少ない路地の方向へと康一ごと投げた。
 投げたと言ってもそのままでは大怪我をしてしまう。道の端にある垣根がクッションになるように、うまくコントロールした。

(時間か――)

 承太郎が止めた時間は約三秒。時は動き出す。

「――ッ、うわぁぁ」

 康一は急に視界が切り替わったうえ、背中にも衝撃が走ったので混乱した。おかげでどうやらスタンド能力は消えたらしい。
 植物の垣根に体が埋もれている康一は、混乱したまままるで溺れた様にじたばたと暴れている。
 通りがかりの人達も康一の奇異な行動に目を止めるが、どこかコントの様な状況にクスクスと笑いながら歩き去っていく。
 承太郎は先程康一の影響下にあった周囲の人間を確認するが、どうやらさほど混乱してない様だ。
 ジタバタと暴れながら、なんとか立ち上がった康一に向かい、承太郎は近づく。
 康一は体に付いた葉っぱを落としながら、未だに何故自分がこんな場所にいるか理解できない様だ。

「広瀬君、すまなかったな」
「あっ――」

 康一は承太郎を見上げながら、今さっき起こった事をなんとなく理解する。

「も、もしかして今のが――」
「あぁ、そうだ。君を移動させたのは俺のスタンド能力だ。そして、君がついさっき使った能力もスタンド能力だ」

 康一は体中から一気に力が抜けた。

(今のが、スタンド能力。そして僕が使ったのも――)

 異質な力には慣れているはずだった。《学園都市》という箱庭で嫌というほど見たし、自分自身にもその力はこびり付いている。
 そして、また異能が自分へと押し付けられたのだ。

「――」

 そんな康一を、承太郎はただジッと見つめる。

「――ッ」

 康一はまるで承太郎に責められているようだった。自分の中にある罪悪感が、爆発的に大きくなっていく。康一は承太郎の視線から逃げるように、下を向いた。
 そうだ。
 自分は逃げたんだ。
 《学園都市》からも。湾内絹保からも。〝アイツ〟からも。
 手には超能力があった。『音声複写(エコーズ)』、市販のICレコーダー以下の能力だった。
 手の中にはスタンド能力があった。名前はまだ無い。卵の形をした音を消せる力。
 どれもが役に立ちそうに無い能力。
 しかし、自らの負のレッテルにはなった。
 どんな形にしろ、マンガやアニメの様な異能を持ちつつも、自分は逃げ続けている。
 逃げた先で何かを捨て、そこでも逃げる。
 その自分の有り様に、自然と震えが昇ってきた。
 ギュっと歯を食いしばるも、心に落ち着きは戻らない。
 康一が俯いたまま動かなくなったのを見て、承太郎は諦めた様に胸元からメモ用紙を出す。

「君の力は危険だ。このままでは取り返しがつかなくなるかもしれない。落ち着いたらここに連絡してくれ、出来る限り力になろう」

 承太郎は押し付ける様に康一にメモ用紙を渡し、そのまま踵を返した。
 康一はただ渡されたメモ用紙を見つめながら、承太郎が見えなくなるまで終ぞ顔を上げる事させ出来なかった。
 そしてそんな二人を見つめる小さな人影が、近くの建物の窓際に存在している事にも、康一は気付かなかった。







 第36話「理と力」







 古菲が渾身の拳を振り抜いた。

「フッ!」

 対する烈海王は呼気を一つ。余裕を持って拳を捌いていく。
 手の甲で古の腕を軽くいなし、軌道を反らす。
 古はそれでも手を止めず、次々と拳や蹴りを放った。
 だが、そのどれもが烈の体に直撃せず、ただ服を掠るばかりだ。

「ぬ~、これでどうアル!」

 焦れた古が大振りの攻撃をするも――。

「甘いぞッ!」

 あっさりとかわされ、たやすく無防備な体の内側まで詰め寄られてしまう。
 烈は古にピッタリとくっ付きながら、その腹部に軽く手を添えた。そして――。

「フンッ!」

 裂帛の気合。
 ゼロ距離から放たれた寸勁により、古の体が内側から揺さぶられた。

「がッ!」

 古は苦悶の声を上げながら吹き飛ばされる。
 ゴロゴロと芝生を二回転した後、芋虫の様にまるまりながら痛みに耐えている。

「古、礼節がなっていないぞ!」

 組み手が終わってなお、倒れたままの古に烈の叱咤が飛ぶ。

「老師、さすがにそれは酷いアルよ~」

 烈のに対し古は涙を流しながら訴える。ここ数日の見慣れた光景であった。
 二人がいるのは、麻帆良内にある広場の一つだ。麻帆良市内に数多くある広場は、公園やレクリエーション施設として多く使われている。古達が使っているのは、中国武術同好会が良く使う広場であった。
 円形の広場を中心の底にし、外側に行くほど段差になるように作られている。すり鉢状の中心たる場所だけ芝生がひかれ。それ以外の段差部分は格子状の石畳で出来ている。周囲には麻帆良特有の街路樹が多く、なかなか壮観な風景だ。
 古がなんとか回復してからも、二人の鍛錬は続いた。
 古の所属する中国武術研究会も、今回の麻帆良祭では演舞発表の予定がある。
 今回、その演舞の練習に烈が特別講師として参加しくれるらしい。
 とは言ってもさすがに準備期間の初日。会員の多くはクラスの出し物の準備に追われていた。
 古は中国武術研究会『部長』の肩書きを持っているが、実際の所中国武術研究会は同好会なのである。部よりも重要度は低かったりする。
 よって本格的な練習は明日からとなっていた。
 だが、なかなか麻帆良を離れられない古にとって、師たる烈が麻帆良にいるのは好機に他ならない。
 暇を作って貰っては、こうやって鍛錬に勤しんでいるのだ。ちなみに超のアルバイト要請も、古は烈との鍛錬のために控えていた。
 つかの間の休憩の際、古が烈に質問をする。

「そういえば老師はいつまで麻帆良にいるアルか?」
「ふむ。さすがにそろそろこの地を去ろうかと思っている」
「え~、もっといて欲しいアルよ~」

 古の言葉に烈は内心苦笑いをしながら答える。

「そうもいくまい。まだ私も修行の身。ここで後輩に教えを説き続けるわけにはいかんよ」
「で、でも。老師より強い人なんて少ないアル。海王様達くらいしか思い浮かばないネ」
「海王、か」

 海王。烈の名前にも入っているそれは、烈の武の門派に与えられる高位の称号である。つまり、一握りの武人にしか与えられない強さの証なのだ。

「確かに我が中国武術は武の極みたる〝理〟の頂点だろう。だが我々は越えねばならぬモノがある」
「越えねばならぬモノ、アルか? 老師、それは何ネ?」

 ワクワクといった感じで古は聞く。

「簡単だ。〝理〟の対となる〝力〟だ」
「力? ワタシもけっこう力持ちアルよ」

 そう言いながら近くにあった石のオブジェをひょいと片手で持ち上げる。

「そう単純な事でも無いのだ。……いや、ある意味単純かもしれんな」

 烈は少し思案する。

「古は『オーガ』を聞いた事があるか?」
「おーが、何かむかーし聞いた記憶があるよーな……」

 ムムムと顎に手をやり、文字通り頭を捻り出す古。

「『オーガ』、範馬勇次郎という武術家の通り名だ。我らが〝理〟の極地なら、彼こそが〝力〟の極地だろう」
「範馬勇次郎。なんか聞き覚えあるネ。そんなに強いアルか?」
「強いな。私は何度か彼の戦いを見ているが、彼は技を使わない。使うとしても余興だ。武の道にありながら武を使わず、己の膂力のみを使って戦う。そういう男だ」

 古はポカーンと、口を開けている。頭にはハテナマークが浮いていた。

「武術家なのに武術を使わないアルか? それってバカアルか?」

 古の言葉に烈は一瞬硬直し、その後噴出した様に笑った。

「クハ! ハハハハ、バカか。確かにそうだな、オーガはバカだ」

 烈は一通り笑った後、顔を引き締めた。

「……だがな、そのバカに我らが中国武術は一度負けたのだ」
「負けた? 負けたアルか!」
「古には言っていなかったな。去年の事だ。海王の一人であられる劉海王が、範馬勇次郎に倒されている。顔の皮を剥がされてな」

 途端、古の顔に緊張が走る。

「劉、老師が……」
「そうか、古も一度会っていたな。あぁ、その劉海王が負けたのだ」

 烈の脳裏に闘いの一部始終が蘇る。劉海王は烈の師であり、齢が百を越えてなお、比肩するものがほとんどいない強者であった。

「一瞬だった。圧倒的な〝力〟による闘い。我らはあの男に勝たねばならん」

 烈は強く拳を握り、闘志を露にする。

「劉老師……。うん、決めたアル!」

 古が体を飛び跳ねさせ、拳を振り上げた。

「ワタシがそのオーガをぶっ倒すアル!」

 勢い良く叫ぶ。

「とりあえず、今度の麻帆良祭で格闘に関する大会に沢山出るネ!」

 古の言葉に、烈は笑みを浮かべた。

「ほう、大きく出たものだな。それにこの祭りでは何か大会があるのか?」
「そうネ! 中武研の後輩が言ってたアル。今年は小さい格闘大会が何個かあるらしいネ」
「ふむ」

 烈はなにか思いついたような表情をした。

「ならば私もどれかに出場しよう。切りが良いだろう、その大会が終わったら麻帆良を去るとしよう」

 烈の言葉に、古が喜びを露にする。

「おぉ! 老師も出るアルか! 老師が出場する大会決まったら、ワタシにも教えて欲しいアル」
「いや、教えん」

 烈が口角を上げる。

「私と戦いたくば、全てに出ろ。そうすれば私とも戦えるぞ」

 そんな烈の挑発に、古も闘志を燃え上がらせた。

「ヌフフフ、分かったアル! ワタシは全部に出て、片っ端から優勝するアル!」

 そう、古は力強く宣言した。



     ◆



「う、うまい」

 もぐもぐと箸を進めながら千雨が呟く。
 千雨とアキラが座るテーブルには幾つかの点心が置かれていた。
 肉まん、あんまん、餃子に春巻きなどという一般的なものから、小籠包やちまきといった手のかかる物まである。
 超の屋台で働くためにやってきた千雨とアキラだったが、仕事に関する一通りの説明を受けた後、屋台の試食を勧められたのだ。
 思いのほか仕事の説明は早く終わり、開店まで一時間程ある。自分達の給仕する物に興味があった千雨達は時間の余裕も助け、その申し出を快く受けたのだ。
 アキラを口元を手で隠しながら咀嚼し、その美味しさに表情をコロコロと変えていた。

「本当に美味しい……」
「どうネ、うちのシェフの腕前は」

 超が自信満々といった表情で聞いてくる。

「いや、本当にスゲェよ。中学生とは思えないレベルだな」

 路面電車を改造した屋台。その車内にある厨房でクラスメイトの四葉五月が仕込をしていた。千雨の言葉に、手を止めないまま「ありがとうございます」と小さい声で答える。
 目の前にある数々の点心、冷凍食品などでも食べれる身近な品々もたくさんあるが、これらの料理は全て五月の手作りらしい。
 料理に舌鼓を打ちながら、超に全て五月が手作りをしている事を聞かされた際、千雨達は少なからず驚いたものだった。
 アキラも五月が料理上手なのは知っていたが、これほどとは知らなかったようである。
 元来小食の千雨も美味しくて箸が止まらないようで、先程からヒョイヒョイと皿に乗った点心を平らげていた。

「あ~、千雨サン。仕事前だからあんまり食べ過ぎると後が大変ネ」
「う……」

 口に胡麻団子を頬張りながら、言葉に詰まる千雨。
 気付けばけっこう食べており、体が重くなってたりする。
 千雨はテーブルに置いてあるお茶を一口飲み、気まずそうにごちそうさまと呟いた。
 続いてアキラも箸を置く。元々体育会系のアキラは健啖なのか、食事量も余裕があった。。

「じゃあお皿を片付けたら、開店準備と行こうかネ!」

 超が立ち上がるのに合わせ、千雨達も立ち上がった。
 千雨もアキラも件のチャイナドレスを着ていた。
 千雨は以前と同じく、髪をアップにしお団子状にしていた。裾が膝上までしかないの短いミニの赤いチャイナドレス、腰にはエプロンも巻かれている。
 対してアキラはいつも通りのポニーテールのまま、青いチャイナドレスを着ていた。身長が高く足が千雨よりも長いため、アキラは裾が膝下まで伸びて長いものを選んでいる。だがサイドに付けられたスリットが普通より深めに作られており、足元の露出は千雨以上に多かったりする。

「了解。色々ご指導ご鞭撻頼むぜ店長」
「まかせるネ」

 こうして千雨とアキラの『超包子』でのアルバイトが始まった。



     ◆



 承太郎と分かれた康一は、ただ何をする事も無くボーッとしていた。近くの建物の壁に背中を預け、辛気臭い顔を地面に向けている。
 日は傾き、空が橙色に染まり出す。
 未だ喧騒は止まないが、その音は遠い。
 人気の少ない裏通り。ただ無気力に俯き、手の中の〝卵〟の感触を確認した。だが――。

「こんなモノ……」

 手にある〝卵〟にイラ立ちを感じる。消えろ、と意識すれば卵は綺麗に手の平から消えていた。
 もう片方の手には承太郎に渡されたメモ用紙があった。承太郎の名前と携帯電話の番号が書かれたソレを、最初は捨てようとも考えたが、とりあえずポケットにねじ込んでおく。

(帰ろう)

 康一は寮に帰るために歩み始める。
 相変わらず足取りは重く、ヨタヨタと歩く様は情けなさが溢れ出ていた。
 背を預けていた建物から離れたところで、道の小さな段差に足を引っ掛けてしまう。

「うわっっと」

 あやうく転びそうになるが、どうにか持ちこたえる。
 その時『ビスビスッ!』と奇妙な音が聞こえた。聞きなれない音に振り向くも、そこには何も無い。
 ただ足元に異常があった。

「蟻の巣?」

 自分が先程まで立っていた場所に、小さな穴が沢山開いていた。一つ一つを見れば蟻の巣の様だが、ここは石畳の通りである。石畳に綺麗な幾何学模様を描きながら、小さな穴が整然と並んでいる。
 康一はその穴に触ろうとするも、奇妙な〝空気の感触〟を感じ、慌てて手を下げた。
 すると――。

「うわッ!」

 目の前は幾つもの小さな光条が通り過ぎた。そして地面には再び小さな穴が開いている。
 康一は愕然としながら、瞬時に恐怖が迫り出す。
 ガタガタと震える体を叱咤し、逃げ出そうと必死に走り始める。
 ビスビスッ! っと再び何かが弾ける様な音が背後からした。同時に肩を何かが掠める。

「ぐぅ!」

 熱を帯びた痛み。
 見れば、半袖のワイシャツの肩に赤い穴が数個出来ている。赤いのは自らの血だった。
 近くにあった街灯の根元に飛びついた。自らの体を完全に隠せるわけでは無いが、小柄な康一だと体を丸めれば街灯の影にほとんどが隠れた。
 康一は街灯の影に座り込みながら、自分を〝撃ってきた〟方向を覗き見た。
 そこに目ぼしい人影は見えない。しかし。

「何だ、アレ」

 近くの建物の二階の窓枠部分に小さい人影があった。本当に小さい。十センチ足らずの小さな人影が沢山あるのだ。
 良く見ればその小さな人影の一つ一つが銃を持っていた。人影の格好も見れば、まるで軍服の様な格好をしている。康一はすぐにミリタリーフィギュアのミニチュアを想起した。
 見えるだけでも人影は二十を越えている。そのミニチュアの兵隊が、どうやら自分を狙って攻撃したらしい。

「あれもスタンド?」

 少なくとも、自分の知っている《学園都市》の超能力であの様なものを見たことは無い。それに《学園都市》ならば、こんな能力を作る前にもっと効率的な兵器を作るだろう。
 ゴクリと喉が鳴る。
 一見すればオモチャの兵隊だが、あのミニチュアの一つ一つの持つ銃の威力は本物だ。
 先程の『ビスビスッ!』というのも発砲音だと想像できた。
 ズキズキと痛む自らの肩を握った。恐らく針で刺された程度の穴だとは思うが、当たる場所によっては致命傷になるだろう。
「なんで、なんで僕ばっかり……」
 恐怖が体を覆う。出来もしない後悔が頭を過ぎり出す。

(誰か、助けてよ)

 視界に涙が滲む。そこで、康一は先程渡されたメモ用紙帳を思い出した。

「そうだ、電話! 電話だ!」

 震える手をポケットに突っ込み、お目当ての紙をどうにか見つける。
 そして携帯電話を取り出し、承太郎の電話番号を入力しようとする。

「えーと、09……」

 その瞬間、遠くからの小さい発砲音と共にメモ用紙が弾けた。

「わっ!」

 康一は慌ててメモ用紙から手を離し、体を丸める。携帯電話も落としてしまい、石畳を滑り遠くまで行ってしまう。
 石畳に落ちたメモ用紙は、ミニチュアの兵隊の攻撃のせいで穴だらけになっていた。

「あぁ……」

 最後の頼みが途切れ、康一の顔に絶望が走る。

「まーったくよぉ~、困るんだよなぁ。余計な事されるとよぉ」

 ふいに康一の背後から男の声が聞こえた。男の声に、康一の動機が激しくなる。

「広瀬康一の監視を〝命令〟されててよぉー、楽な仕事だと思ったらあの空条承太郎と接触しちまう」

 康一は未だ振り向けない。街灯をピッタリと背にしたまま、男の声を必死に聞いていた。

「まぁ、おかげで終わりが見えた。『空条承太郎と接触したら殺してよい』、これが〝アイツ〟が課した俺へのゴールだ。おかげで解放される事が出来るぜ、この胸糞ワリィ爆弾とよぉ!」
(ば、爆弾ッ!)

 自らの心音が更に速くなる。男の言っている事が、なんとなく分かった気がする。おそらくこの男も〝アイツ〟にスタンドを課せられているのだろう。

(こ、この人も僕と同じ、なら――)

 康一はどこかすがる様に後ろを振り向いた。
 男は十メートル程先に立っており、自分と同じ制服を着ていた、どうやら同じ高校生らしい。
 だが、背も肩幅も自分より大きく、一目で上級生と分かった。髪を後ろに流しながらも、襟首でまとめて尻尾の様に髪を垂らしている。
 顔立ちは良いが、どこかふてぶてしい表情をしていた。

(む、無理だ)

 しかし、康一は男を見てすぐに悟る。この男と和解は無理だろうと。
 なにも男の体格や言動に惑わされたわけでは無い。
 目。目であった。
 嗜虐を好む瞳。康一が《学園都市》でさんざん見て、逃げ出す切っ掛けになった目を男は持っていた。
 康一の心身に刻まれた、《学園都市》での苦痛の日々が思い出される。
 ガチガチと歯の根が合わなくなる。

「さーてと広瀬君よォ! 早速なってもらおうかァ!」

 男がポケットに手を突っ込み、歪な笑みを浮かべた。
 同時に男の周囲に様々なものが集まる。
 足元にはミニチュアの兵隊。今度は模型の様な戦車も混じっている。
 空中にもやはりミニチュアの戦闘ヘリ。男の頭より少し上に四機も浮かんでいた。
 男を中心にミニチュアの軍隊が整列していた。その光景に、康一は恐怖を深める。

「この虹村形兆のスタンド『バッド・カンパニー』の餌食になァァ!」

 男――虹村形兆――はそう吠えた。



 つづく。





(2011/08/31 あとがき削除)



[21114] ifルート
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:40
※これは三章の分岐した未来であり、もしネギま原作に突入したらという話です。



 空港から降りて最初に感じたのは匂いの違いだった。
 故郷のイギリスでは嗅いだ事の無い匂い、ここが異国だと否が応にも理解する。

「よし、行こう」

 小さくガッツポーズをして、背中のバッグを背負いなおす。
 手荷物の受け取りは済ました。背中のバッグ以外には、キャスター付きのトランクが一つ。中には本来なら個人で空輸できない物もあったが、なんたって自分は魔法使いの卵だ。学院側が発行した証明書は、この極東の地でも効果を発揮した。
 さすがに大きい杖は持ってきていない。代わりに携帯できる発動体を幾つか持ってきていた。

「えーと、こっちかな」

 姉代わりの人物に書いてもらった、目的地までのメモを見る。

「あ……」

 案内看板には丁寧な事に英語でも書いてあった。駅の方向はなんとなく分かっている。それでも目の前の光景を見て、そちらへ向かわずにはいれなかった。
 ガラガラとトランクを引きずりながら走る。コートが体の動きを阻害して走りづらいが、一心不乱にそちらへ向かった。
 自動ドアが開き、空港の正面ゲートから飛び出す。
 体を冷気が包んだ。イギリス程の寒さじゃないが、乾燥しているせいか空気が肌を鋭く突付く。だが、そんな事は全然気にならなかった。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 目の前に広がる光景に声が漏れる。空からも見たはずの風景だったが、やはり地面から見ると違った。
 アスファルトとコンクリートだけで構成された街並み。ロンドンでも都会的な風景を見たが、目の前の風景はそれ以上だった。建物の巨大さに圧倒される。
 さびしさが無いわけでは無いが、東京の近代的な光景に高揚感が沸く。

(そうだ。だって――)

 幼馴染も、今はロンドンで占い師の修行をしてあるはずだ。負けてはられない。
 魔法学校の卒業課題で出されたのは『日本で教師をする事』、というなんとも酷い難題だった。一般のハイスクールですら出ていない自分が教師など出来るのか、心配ではある。
 それでも、魔法使いになるための試練というならば頑張らなくてはならない。

(まだ東京に着たばかり)

 そう、未だ飛行機の座席に数時間座っただけなのだ。これからが頑張り時だと気合を入れなおし、メモを見た。

「ふむふむ、空港内に地下鉄が……」

 正面ゲートをくぐり直し、施設内に戻る。
 案内板を見ながら、地下鉄の駅まで向かった。

「うえぇ~」

 駅のチケット販売機の上にあったのは、おそらく線路図なのだろう。
 馬鹿みたいな駅の数だった。じっと見ていると目がしばしばし、何度か目元を擦った。

「行けるのかなぁ」

 一応、行き先も電車のチケットの値段も分かっている。ロンドンで両替し、日本円も充分だ。
 それでも空港という場所のせいか、人が慌しく行きかい、券売機に並ぶ勇気がなかなか持てないでいた。
 そんな子供を心配してか、一人の駅員の女性が笑顔で近づいてきた。

「大丈夫? 何処へいくのかな?」

 流ちょうな英語。場所が場所だけに、何ヶ国語かを習得しているのだろう。
 それに返すのは日本語だった。

「えーと、マホラって所に行きたいのですが」
「あら、日本語喋れるの、上手ねー」

 麻帆良、という地名を喋る時に幾らかアクセントが上がったものの、日本語はかなりのうまさであった。
 さすがにこれから教師をやる国なのだ、これくらい出来ねばやっていけない。
 半年という短い期間に日本語を習得出来たのは魔法の恩恵も大きい。もちろん努力もしたが。
 実践で言葉が通じた事の喜びと、一人ぼっちの寂しさが後押しし口も軽くなる。

「はい、勉強しましたから」
「すごいわねぇ、その歳で」

 ころころと笑う駅員の人に教えてもらいながら、無事チケットを買い、地下鉄へと乗り込んだ。



     ◆



 路線を何度か乗り越えながら目的地へ向かっていた。
 途中、駅のホームにあったレストランらしき所で食事を取った。
 以前、テレビで日本食の紹介があり、そこでやっていたソバというヌードルを食べてみようと思った。
 しかもこのソバは、駅のホームで食べれるというのに驚いた。更には皆が立って食べている。

(日本人は忙しいのかな?)

 自分の胸元程の高さのテーブルに、熱々のスープで満たされたソバが置かれた。

「はい、お金」
「あいよ」

 周りの客を見ると、どうやら商品が来た時にお金を渡すらしい。折り目すらない千円札を店の主人に渡すと、じゃらじゃらと硬貨が返された。

「うーんと……」

 お釣りが合っているか確認する。どうやら間違いないようだった。
 さぁ食べよう、とした時に大変な事に気付いてしまう。

「あっ……」

 今まで箸をいうものを使った事が無かった。きょろきょろと見回し、周りの人の使い方を見て、見様見真似で箸を持ってみる。

「うーん……」

 そのまま中のソバをすすろうとするものの、ソバは端からするすると落ちてしまう。
 カウンター席の中から覗いていた、立ち食いソバの主人が、気を利かせてフォークを取り出し渡した。

「ほら、使いな」
「あ、ありがとう」

 少し顔を赤くしながら、ありがたくフォークをもらう。フォークで麺を絡ませながら、ちゅるちゅると食べてみた。

「お、おいしー!」

 少し味は濃いものの、ショーユの効いたスープは以前イギリスで食べた日本食よりも遥かに美味しかった。
 ソバを美味しいと言いながら食べる異国の子供に、周囲の人間は暖かい視線を送る。

「お、ありがたい事言うね。こいつは特別にオマケだ」

 ソバの椀の中に、ぽちゃりと天ぷらが落とされる。その天ぷらはサイズが普通の半分ほど、おそらく揚げ損ないの品なのだろう。

「あ、ありがとう」

 戸惑いながらも、異国の地のなにげない優しさに嬉しくなる。

「おい、おっちゃん。俺もかけなんだぜ、なんかサービスしてくれよ」
「うるせぇ、お前は天かすでも入れてろ」

 わはは、と賑やかな笑いが店内に広がった。普段、この立ち食いソバでこんなやり取りなどは起きない。それは間違いなくこの子供が起こした事なのだが、当の本人は知らず、ハフハフとソバを平らげたのだった。



     ◆



「ふん~~ん~~♪」

 お腹も膨れて、気分よくなり、口からハミングが鳴る。
 次に乗り換えてしまえば、目的地まで一直線。この複雑な路線図からも解放される。
 だが――。

「え?」

 そこは東京内でも大きな駅の一つだった。必然駅構内はとんでもなく広い。
 今までは路線図に辟易してたが、今度はホームに向かうまでが大変そうだ。

「なんでこんなに複雑なの……」

 案内板には駅の地図が階層事に書かれているが、増築に増築を重ねた構内図は、決して綺麗では無い。まさにラビリンス――迷宮だ。
 朝の通勤時間のピークが過ぎたのだろう、乗客の姿は先程よりまばらだ。それでもやっぱり自身が住んでいた地元より遥かに多いが。
 そんな時、子供の泣き声が聞こえた。

「ん?」

 自分より小さな少女が、階段の下で尻餅を付いて泣いている。
 トランクをガラガラと引きながら寄ってみる。どうやら階段の近くで転んだらしい、膝を擦りむいてるが、それ以外には怪我をしていない。

「えーと、大丈夫?」

 少女がピクリ、と後ずさった。赤い髪の異国の子供にいきなり話しかけられ、驚いた様だ。

「擦りむいちゃったんだ。よし、じゃあ治療してあげる」

 背中のバッグを下ろし、中をごそごそと漁る。取り出したのは絆創膏、そして見えないように手首にブレスレットを付けた。

「はい、じゃあ膝を出して」
「う、うん……」

 絆創膏を傷口に貼り付け、上から軽く撫でてあげる。

「痛かったね。今、痛みを取ってあげる」

 撫でながら、手の平だけで魔法を発動する。ブレスレットが発動体だ。
 口の中で小さく始動キーを呟き、最初に行使するのは消毒の魔法。傷口の汚れを飛ばし、今度は治癒の魔法も連続して使う。

「あったかい」

 少女は頬を染め、体がぽかぽかするのを感じた。

「はい、お仕舞い。もう痛く無いでしょ」
「うん!」

 少女はニコリと笑いながら、勢い良く頷く。
 さぁ、立ち去ろうとするも――。

「あのね、袖離してくれるかな?」
「おかーさんがいないの……」

 少女はしっかりとコートの袖口を掴んでいる。
 はぁ、と溜息をつきながら、今度は少女を連れ立って駅員のいる所に向かう。少女も迷子だが、自分も迷子なのだ。一緒にお世話になるしかない。



     ◆



 少女が母親と再会出来たのを見送った後、今度は自分が駅員に電車まで案内して貰った。
 これで後は一直線。居眠りでもしなければ麻帆良に着くだろう。

「遅くなっちゃったな」

 待ち合わせの時間には二十分ほど遅れそうだった。確か麻帆良学園駅前だったはず。
 だが焦った所で電車のスピードが上がるわけではない。
 揺れる電車内の椅子に深く腰掛けつつ、風景でも眺める事にした。
 電車がどんどん東京から離れていく。
 先程までの背の高い建物は減っていき、緑も増えてきた。
 何気ない異国の光景だが、それだけでも不思議とわくわくする。

「ローン……イザカヤ……ヤキトリ……チキンの事?」

 様々な日本語の看板が電車の窓から見える。それらを流し読みしながら、店の内容を想像していく。
 やがて電車は住宅街ばかりになり、山の谷間へと入っていく。
 山を抜けた瞬間、目を見張った。

「なに、これ」

 そこは欧州だった。そう、まるでイタリアのフィレンツェの様な赤レンガ屋根の街並み。

「すごい……」

 そして街には緑が多かった。
 密閉しているはずの電車内にまで、濃厚な緑の香りがした気がする。
 こここそが目的地、極東の霊地にして、自分の修行場所である麻帆良だった。
 電車は麻帆良市内の幾つかの駅を通った後、ついに『麻帆良学園中央駅』に到着した。
 電車のドアが開くと同時に外に出た。
 少しでも速く待ち合わせの場所に辿り着く様に、ガラガラとトランクを引きずりながら走る。
 自動改札を通り抜け、駅前の広場で立ちすくむ。
 ぐるりと首を回せば、何人かの人物がいるが、どれが待ち合わせの人物か分からない。

「ど、どうしよう――」

 相手の人物が分からねば、謝りようも無い。とりあえず相手が自分を見つけてくれるまで待つか――いや、こちからから大声で呼びかけようか。そう思っていると。

「よう、遅かったな」

 ぽん、と肩が叩かれた。

「え?」
「イギリスから来た、魔法使いの卵、だよな」
「あ、はい」

 振り返った先に居たのは少女だった。
 自分より三・四歳上だろうか。
 栗色の髪を首の後ろで縛り、背中に垂れ下げている。ダッフルコートを着、襟元にはマフラーをしている。ポケットにまで手を突っ込んでいた。どうにも寒がりらしく、コートの裾から出る足元も、きっちりとタイツで固められていた。
 顔には大きな丸メガネ。だが、メガネの向こうの顔は、目つきは鋭いものの美人に見える。あいにく口元はマフラーで隠れていたが。

「よし、じゃあ行こうか。時間も迫っているから、歩きながら自己紹介しようぜ」
「あ、そのすいませんでした。時間に遅れちゃって」
「あー、いいっていいって。つか、あの時間に待に合わせる方が大変だろ。飛行機の到着時間見たが、ここにくるまでかなりギリギリの時間だった。初めて東京に来た人が、電車をスムーズに乗り換えられるわけないもんな」

 少女はけらけらと笑い、特に気にした風も無い態度だ。
 少し安心した。初日の遅刻でとんでもなく責められるかと思っていた。

「それにジジイ――ここの学園長になんか言われたら、わたしが弁護してやるよ。そっちの指定時間が悪い、ってな」
「あ、ありがとうございます」

 二人はそのままとぼとぼと歩き出した。駅前の大通りを歩く。
 道の真っ直ぐ先に学校らしき建物が見えた。

「あれが?」
「そう。あれが麻帆良学園だ。運が良かったぜ、もし時間通りに来てたら、ここらへん登校ラッシュでもみくちゃにされてたぜ」
「登校ラッシュ?」

 頭に浮かぶのはせいぜい普通の登校風景だ。もしかしてあの東京の駅の様に混雑するのだろうか、と想像する。
 少女の顔を見上げていると、マフラーの襟元からピョコンと影が飛び出した。

「うわっ!」
「おっと、すまねえな。こいつはウフコックって言うんだ」

 白いネズミだった。ネズミは周囲の匂いを嗅ぐために鼻をひくつかせ、その後すぐにマフラーの中に戻ってしまう。

「わたしの相棒ってやつさ」
「へー」

 使い魔だろうか。それならばやっぱり彼女は魔法使いなのだろうか。そんな推測をした。
 少女が麻帆良に関する話をしてくれていると、いつの間にか重厚な門の目の前に着いた。

「よっと、ここが校門だ。そういや自己紹介忘れちまったな」

 少女は振り返った。マフラーを顎下に引っ張ると、端正な顔立ちが現れた。

(うわ、綺麗……)

 メガネを外しながら少女は名乗った。

「わたしは長谷川千雨、ここの生徒だ」

 千雨はそっと手を出した。

「よろしくな、えーと」
「はい、私は――」

 もう一人の〝少女〟も手を差し出し、千雨の手を握った。

「アンナ・ユーリエウナ・ココロウァです。長いのでアーニャって呼んでください!」

 後ろで二つに縛った、赤いおさげが揺れた。
 アーニャはしっかりと千雨の手を握る。
 二人の出会いこそが、物語の始まり。



   千雨の世界 ifルート、原作突入編

 続かない。












(2012/03/03 あとがき削除)



[21114] 第37話「風が吹いていた」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/08/31 16:38
「う――ぁ」

 『バッド・カンパニー』と呼ばれたミニチュアの軍隊が、形兆を取り巻くように並んでいた。その威圧感に、康一は思わず声を漏らす。
 サイズは違えど、そのミニチュアの持つ火器の威力は馬鹿に出来ない。
 康一程度ならあっという間に蜂の巣に変えるだろう。最悪の想像が康一の頭に過ぎった。

(逃げる。とにかく逃げるんだ)

 今の康一に戦う意志など無い。この場に置けるお互いの立ち位置は絶対だった。
 逃げる以外に康一に選択肢など存在しない。
 康一は出来るだけ『バッド・カンパニー』の射線に周囲の物が入るように考えつつ、街灯の下から転がるように走り出した。
 だが――。

「痛っ!」

 件のビスッ! っという小さい射撃音と共に、康一の片耳の淵が抉られていた。その痛みで康一はバランスを崩し、転んでしまう。
 頬に石畳がぶつかった。

「――ッ」

 転んだ衝撃が脳髄まで響き渡り、一瞬声が出なかった。視界がグラリと歪む。
 ピチャリ、と音が聞こえた。目の前の石畳に赤い雫が落ちた音だ。

(これは、血?)

 血を自覚した途端、強い痛みが康一を襲う。
 手を耳に当てると、ぬるりとした感触があった。

「うぐぅぅ……」

 肩口より痛みが強い。くぐもった声が出る。

「ひーろせ君、どこ行くつもりなんだい? ん?」

 コツコツと形兆の足音が近づいてくる。それと共にキュラキュラとキャタピラが回る音や、ヘリのローター音の様なものも聞こえた。
 康一にとっての死神の足音だった。

「意外としぶといが、所詮おちこぼれって奴か。スタンド能力もロクに使えないみてぇーだしな」

 耳を押さえながらも、石畳を這うようにして康一はその声の主から離れようとする。

「ぐぁぁ!」

 またもや射撃音が響き、今度は右足に穴を開けられていた。針の様な穴だが、その威力は康一の肉を確かに抉っている。さながら蛇にでも噛まれた様な傷口だ。

「イイ声で鳴くなぁ。だけど惜しいぜ。サツや先公に見つかるとヤッカイだ」

 康一の悲鳴に愉悦を感じたのか、形兆の顔は笑みを強くしている。

「血はしょうがないが、肉片は一つ残らず消してやるよ。良かったなぁ、広瀬君」

 その言葉に康一は旋律する。死の恐怖が先程よりも明確なイメージを作り出した。

「はっはっはっはっ――」

 呼吸が荒くなる。
 なのに、体の心は冷たく、どんどん重くなっていく。
「まぁ、『スタンド使い』って言っても、モノによっちゃこんなもんか」

(――スタンド?)

 形兆の言葉に、康一は自らのスタンドを思い出した。いつの間にか手の平には卵型の〝スタンド〟が握られている。

「綺麗に消えてくれよなァ! ブチ殺せ『バッド・カンパニー』ィ!!」

 形兆の号令とともに、周囲を飛んでいたヘリからミサイルが発射される。もちろん標的は康一だ。その威力は疑うべくも無い。直撃すればおそらく致命傷は避けられないのだろう。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 悲鳴とも怒声とも付かない声を上げながら、康一は地面に這いつくばる体勢でがむしゃらに右腕を振るった。手の中からスタンドが離れる。
 康一と形兆の間は十メートル程。
 その中を『バッド・カンパニー』のミサイルが加速しながら康一に向かい突き進んでいく。
 対して康一の投げた〝卵〟は弱々しい放物線を描いている。だが、それは丁度ミサイルの軌道と交差した。

「は?」

 形兆はその事に気付き、呆けた顔をした。
 ミサイルが〝卵〟に当り、ピシリと殻を割った。
 その瞬間、〝卵〟を中心にして、巨大な音と衝撃波が溢れる。
 爆発。
 その音は麻帆良中に広がった。



     ◆



「ん?」

 爆発音が聞こえた。
 千雨はトレイを抱えながら、夕闇の中ライトアップされていく街並みを遠く見つめた。
 特に煙の様なものも見えない。
 周囲の客も一瞬ピタリと静かになるが、すぐさま喧騒が戻ってくる。

「またかよ」

 千雨もほとんど気にせず仕事を再開した。
 麻帆良祭の準備期間中、爆発音が聞こえるのなんてしょっちゅうなのだ。
 特に麻帆良工大は酷い。巨大ロボットやら、何やらのデモンストレーションの機械等、何度も壊しているのだ。
 その度に爆発音が麻帆良に響いている。今日とて準備期間初日ながら千雨は五回ほど聞いていた。最初こそ何事かと驚いたものの、この一日で慣れてしまっていた。

(よくもまぁ中止にならないもんだ)

 呆れ混じりにそんな事を思うが、「ここが麻帆良だから」という理由である意味納得してしまう。
 超包子での給仕の仕事を始めて数時間。
 学園祭の出し物とは言え、予想以上の厚さの接客マニュアルがあるのは超の性格故だろうか。おかげで千雨でも比較的まともな接客が出来ていた。
 むしろマニュアルなどである程度システム化しあった方が千雨にとって好都合である。脳内にはマニュアル内にあったチャート表が表示され、淡々と機械的に接客対応を行なえていた。笑顔はぎこちなかったが。

「――はい、ご注文を確認させてもらいます。焼売が二人前、春巻きが一人前、鶏粥が一人前
、水餃子が二人前でよろしいでしょうか?」
 記憶力が良いため、千雨の注文の受け方はほぼ完璧だった。手元で注文票を書いているものの、実際のところ今日接客した全ての注文を暗記していたりする。
 だが点心の入った蒸篭などを積み重ねて持つと、途端腕力の無さが表に出る。ヨタヨタと不安定な歩き方をしてしまう。
 千雨の際どいチャイナ服姿に目を奪われてた男性客も、思わず心配になる程だった。
 そんな千雨の背後から、アキラがヒョイっと千雨の持っていた料理を奪う。

「あ、悪い」
「ううん。これ三番テーブルで良いんだよね、千雨ちゃんはお客さんの注文お願い」
「お、おう」

 アキラはそのままスタスタと料理を持っていってしまう。
 モデルの様にすらりとしたスタイルをするアキラは、さすが運動部だけあり筋力もある。蒸篭を山の様に積み片手で持っても、バランスも崩さず手も震えないで平気で持っていくのだ。
 反面、接客や注文の受けるのにはぎこちなさや戸惑いが多いようだ。
 ある程度店内――とは言っても屋外に広がる屋台だが――での客の回転が少し落ち着いた時、千雨は溜息と共にどっしりと疲れが押し寄せてきた。

(客商売って疲れるのな)

 始めて三時間ほどしか経ってないが、初めての〝まともな〟仕事をしている千雨としては、予想以上に疲れるものだった。
 厨房を見れば四葉五月が八面六臂の活躍をしている。炒め物と蒸し物を同時にしながら、鍋の中のスープの味付けをしていた。
 更に超は、そんな五月をサポートするために、洗い物などをしながら、料理の助手を務めつつ、客達と談笑などもしている。
 客席と厨房を引っ切り無しに移動しながらも、千雨の数倍の仕事をこなしていた。

(相変わらずすげぇな)

 どこか呆れたように超の働きっぷりを見る。

「千雨サン! 四番テーブルにこれお願いネ!」
「了解、店長」

 千雨は超の言葉に反応し、厨房へと急いで向かった。



     ◆




「――がッ! はッ!」

 衝撃で吹き飛ばされながら、康一は体の中の空気が全て外へ吸い出された様な苦しみを感じた。それは遠からず間違いでも無い。
 腹部を襲ったのは自らのスタンドの爆発による衝撃波。更に吹き飛ばされながら石畳に背中や腕、脚なども強打していた。必然息が詰まり、呼吸も出来なくなる。
 頭部を打って無かったのは幸か不幸か。痛みに苦しみのうめき声を上げ、口から涎を垂らしながら、意識だけははっきりしている。
 痛みのために周りを見る余裕すら無い。ただ少しでも痛みから逃げるために、体をうずくまらせるばかりだった。

(痛い、痛い、痛い)

 ガンガンと頭をハンマーで叩かれている様だった。肩の傷口も、じゅくじゅくと強く熱を持ち始める。
 それと同時に康一の頭に自らの『スタンド』に関する力の情報が入ってくる。いや、把握したと言った方がいいかもしれない。

(音を吸収し、爆発させるのか? あれは卵じゃない、爆弾?)

 ――爆弾。
 自らにスタンドを背負わせた犯人も、同じように爆弾の様な力を使うはずだ。
 奇しくも康一も同じ様なモチーフの能力らしい。

(いや違う。アイツだ、アイツが爆弾を僕にしかけたからこそ――)

 痛みの中、康一は能力の把握とともにとりとめもない思考が広がった。

「ぐっ――」

 数秒か数分か、おそらく十秒ほどなのだろう。だが痛みが引いてくるまでの数秒を康一は長く感じた。
 康一は這い蹲りながら周囲を見渡す。
 先程まで自分がいた場所より少し離れている。
 そして、その自分がいた場所の近くには小さなクレーターが出来ていた。爆発の中心から半径三メートル程の石畳が抉れている。更にはその周囲の石畳のブロックが盛り上がり、道をズタズタに破壊していた。
 クレーターの向こうには、仰向けに倒れる形兆の姿も見える。周囲にあるミニチュア軍隊『バッド・カンパニー』の数も減少していた。

「くっ――、はぁ」

 息を吐きながら、体に活を入れる。出血はあれど骨折などはして無いようだ。体中が未だじんじんとした鈍い痛みを持ちながらも、康一はなんとか立ち上がった。ふらつく体を近くの壁にもたれ掛けさせる。
 そこへ――。

「広瀬ぇぇぇ、康一ィィィィ!!!」

 怨嗟の声。
 虹村形兆が憤怒の表情をしながら、康一を見つめていた。未だ立てないのか、地面に倒れたまま顔だけをこちらに向けている。

「よ゛ぐも゛ぉぉぉぉ、や゛っでぐれ゛だな゛ぁぁぁぁ!」

 口からは唾とともに赤い雫も一緒に噴出された。目からは涙がボタボタと落ち、鼻水も垂れている。目は焦点が合わず、耳を強く手で押さえていた。
 形兆もどうにか立ち上がろうとするものの、どうやらダメージは康一より大きいようだ。ふらつく様は怪我だけの様には見えない。

(なんで?)

 康一は自らの能力をもう一度把握する。
 音を吸収し、圧縮して自らのスタンド本体に閉じ込める。そしてスタンドの表面の破壊と共に、その音を一気に放出する。云わば音響爆弾とも言えるのが康一の能力だった。

(『音声圧縮(エコーズ)』ッッ!!!)

 自らの超能力と同じ名前を思い浮かべる。再び他者により与えられた力、音を操るスタンド『音声圧縮(エコーズ)』だった。
 そして『音声圧縮(エコーズ)』は爆発と共に、平衡感覚を狂わせる音をも発する。能力者本人である康一にはその狂わせる音は、『音を吸収する』というスタンドの能力故に中和されていた。
 形兆はガクガクと震える足でなんとか立ち上がり、康一を睨みつける。康一に指を突きつけながら叫んだ。

「もう油断しねぇぇぇぇ! てめぇのドタマをカチ割ってよぉぉぉぉ! ミンチになっても更にスリ潰してやるッ!!!」

 康一のスタンドの攻撃だけでは無く、半分にまで減った『バッド・カンパニー』の影響もあるのだろう。形兆は体中から血を滴らせていた。
 スタンドの影響は本体も受ける。それはスタンドに共通する法則だった。

「いけぇぇ! 『バッド・カンパニー』!!」

 形兆のかけ声と共にミニチュアの歩兵が走り出す。さっきの爆発で破壊されたのか戦闘ヘリは消えていたが、歩兵と戦車は健在だった。

「く、来るなァ!」

 体にある銃創の痛みが恐怖を呼び起こす。手の中にまた『音声圧縮(エコーズ)』がいつの間にかあり、康一はすがる様にして再び投擲した。
 腰の入ってないヘナチョコな投げ方。体力測定のソフトボール投げでさえ平均に遠く及ばない康一の肩は、非常に貧弱だ。

「くッ!」

 だが、形兆は先程の威力を身を持って知っている。『バッド・カンパニー』に『音声圧縮(エコーズ)』を撃ち落す様に指令を出しながら、耳を両手で覆って地面に伏せた。
 ピスピスピス、と歩兵が一斉に射撃をし、スタンドを迎撃する。
 狙いたがわず『音声圧縮(エコーズ)』の表面は蜂の巣となり、割れた。
 康一も形兆も、来るべき衝撃に備え目をつぶる。だが――。

「え?」
「なんだ?」

 ポスン、と気の抜けた音だけが響いた。いつまで経っても衝撃は来ず、二人はそっと目を見開く。そこには粉々となり、殻だけになった『音声圧縮』の姿があった。

「しまっ――」

 康一はすぐに理解する。そう、康一のスタンドは〝吸収した音を圧縮して放出〟するのだ。つまり〝音を吸収〟してなければ、先程の様に爆発しない。
 康一のスタンド能力は連発できない、一撃のみのスタンドだった。

「はーはっはっはっ! こけおどしかよ! もうタネ切れって所か、えぇ? このフニャ○ン野郎がぁ!!」

 形兆はニタニタと嫌らしい笑みを浮かべながら、再び立ち上がる。
 自然と康一の足が後ろに動いた。
 目の前の明確な悪意が、そして怒りが、康一の心をぐしゃぐしゃに踏みにじる。

「く、来るなぁぁぁぁぁぁあ!!!」

 無様だった。涙がぼろぼろと零れ、口の端から涎を垂らしながら、幼子の様に叫ぶ。
 手の中にいつの間にか戻った『音声圧縮』が、がむしゃらに無音空間を広げて音を吸収するも長くは続かない。
 無音の中で放たれた銃撃が康一の肩口を掠り、痛みで無音空間は解除される。

「ぐっ!」

 康一は倒れそうになりながらも走り続ける。

「逃がすかよぉぉ!」

 背後から形兆の声が聞こえた。その度にぞくりと背筋に悪寒が走る。
 目の前にある小さな横道に、必死に飛び込もうとするものの――。

「きゃあっ!」
「うわっ!」

 そこで横道から出てきた少女とぶつかってしまう。

「いたたたた。ちょっとなんのよ、もぉ~」

 少女は尻餅を付きながら、ぶちぶちと文句を言い放った。



     ◆



 その日、柿崎美砂はたまたま一人で寮への帰宅の途についていた。とは言っても道すがら様々な出し物を冷やかしながらだが。

「へ~、これとか円好きそうね」

 文化祭準備期間だと言うのに、街はもう祭り気分だ。柿崎にしても気分は少し浮かれていた。
 通りには早々と様々な露天が開かれ、少しこじゃれた小物や手作りのお菓子なんてのも売られている。
 美砂が手に取ったのはそんな露天で売られてたアクセサリーだ。どうやらデザイナー志望の大学生の手作りらしく、市販品の様な綺麗さは無いが独特の味があった。
 そうやって見ている内に、街はゆっくりと暗くなっていく。
 夕暮れになると、今回の文化祭のために街中に設置されたランタンの明りがともり、どこか本物の欧州の街並みの様な雰囲気を作り上げた。
 普段見慣れた物が全然違う色合いを見せる事に、美砂の心は浮き上がる。
 上機嫌のままそこかしこを見て回ると、いつの間にか小さな狭い横道へと歩みを進めてしまう。

(確かこの先に小さな広場があったよね~)

 麻帆良の街中には、そのような小さな広場が幾つもあった。美砂はそれを思い出しながら、ランタンでほのかに明るいと道を進む。
 と、そこで爆発音が聞こえた。

「な、なにこれ」

 地面から振動が美砂の体に響き、肌がピリピリと震える。
 おそらく音源は近くなのだろうと、美砂は判断する。

(また麻帆良工大かな)

 少し覗いてみよう、という好奇心が勝り美砂は歩を早めた。
 だが、横道から出るときに、小さな人影とぶつかってしまう。

「きゃあっ!」
「うわっ!」

 そのまま地面に尻餅を付いてしまう。
 膝も少しすりむけた様だ。

「いたたたた。ちょっとなんのよ、もぉ~」

 ひりひりと痛む膝とお尻を撫でつつ、文句を言いながら周りを見れば、自分とぶつかった少年が倒れていた。

「へ?」

 少年の姿は異常だった。
 耳から血が流れ、それが顔を伝っている。更には肩口と足からも血が出ていた。
 自分とぶつかったからか、と一瞬思うものの、すぐにその可能性を否定する。

「だ、大丈夫ですか」

 美砂は慌てて立ち上がり少年――康一に近づく。

「――な、なんでここに来たんだ」

 康一の美砂に対する第一声だった。康一とて最初誰かとぶつかった時、少しだけ期待をしていた、もしかしたら誰か助けてくれるかも、と。
 だが実際は少女だった。アイドル顔負けのビジュアルだが、制服から察するにおそらく康一より年下の中学生なのだろう。
 その現実を知り、康一は顔をしかめる。

「な、なんでって。アンタこそ怪我してるじゃない」

 美砂も制服から相手が高校生と知って敬語を使ったものの、心配してあげたのにぶしつけな返事をされ、思わず言葉を荒げる。

「ちっ、目撃者かよ。まったくどうしてスムーズにいかねぇんだ!」

 康一の後方から形兆の声が響く。血みどろの形兆が二人を見つめていた。

「ふ、伏せて」
「へっ?」

 康一は尻餅をついたまま、立った状態の美砂の襟元を掴み、自らの体重で引っ張った。そのお陰で美砂は康一にもたれかかる様に倒れる。
 それと同時に、美砂の背後にあった壁が銃弾により抉られる。
 美砂は音の方向を見て驚嘆した。

「な、なに? 何なの? 撮影とかなの?」

 美砂はうまく現状が発揮できない。康一の目には周囲に展開する『バッド・カンパニー』の姿が見れるが、美砂には見えないのだ。そのため放たれた弾丸も砲弾も、その発射の機微すらも分からない。ただその音と結果だけが美砂に感知できたものだった。

「くっ!」

 康一は美砂を抱きかかえる状態で、地面をごろごろと転がった。
 銃弾はそれを追いかけるように、地面に次々と穴を穿っていく。

「ちょっ! 何なのよ、このエッチ!」
「ご、ごめん。少しでいいから――ッ」

 美砂が康一の突然の行動に悲鳴を上げる。康一自身は地面を転がるという行動で、体の痛みが更に増した。
 美砂が出てきた横道とは反対方向に康一たちは転がる。
 そこには小さな広場があった。建物と建物の間に作られた小さな憩いの場。
 半径十メートル程の円状の広場で、広場自体が周囲に対し少しだけ低く作られ、窪地になっている。
 康一はそこの入り口の階段へと転がってしまう。

「ぐっ! はっ! あっ!」
「きゃ~!」

 そのまま二人は階段を転げ落ちるはめとなった。
 美砂を抱きしめたままの康一は、更に体中に傷を作っていく。
 幸い階段は低い段差が十段程であり、康一の傷は思ったほどでは無い。

「なんだなんだ、さっきまで泣き喚いてたのに、今度はナイトきどりかよ」

 階段の上から形兆が見下ろしている。
 康一はどうにか上半身を起こしながら、美砂に必死になって語りかけた。

「は、はやく逃げて」

 美砂はなんだかもうよく分からなかった。ただ、今何か危機的な事が起きているのを、必死な形相の康一から察する。

「で、でも――」

 それでも、目の前で怪我をしている康一を放っておくのには、良心の呵責があった。

「いいから早く」

 康一は力を振り絞り、広場の奥の出入り口へ向けて美砂を押しやった。美砂も後ろ髪引かれながらも、逃げ出そうと足を速める。

「ぐっ!」

 美砂が出入り口まで行きかけた時、康一の悲鳴が上がった。

「おーっと、そうはいかないぜ」

 形兆が階段の上から飛び降り、そのまま康一の背中に蹴りを入れたのだ。
 康一はまた地面に倒せ伏せられる。
 更には康一の『スタンド』を握っている手を靴で踏み抜いた。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 悪意を持った一撃が、康一の指の骨を折る。

「知ってるぜぇぇぇ! 音を無くすお前のスタンド。何度か監視の最中に見せてもらったが、まさか爆発させる方が本当の能力だとはなぁ。 でも、もうやらせねぇ!」

 ぐりぐりと足で踏み抜きながら、もう片方の足で康一の腹を蹴りぬく。

「――ぐふっ!」

 息が詰まり、口から吐しゃ物が出た。痛みが精神を支配する。

「痛い、痛い、助けて、誰か、誰かぁぁぁぁぁ……」

 自らの汚物に溺れながら、嗚咽が、涙が、懇願が、弱音が口から漏れる。先程まで美砂に見せていたメッキは易々と剥がれた。

「惨めだなぁ、惨めな姿だ。なぁ、そう思わないか嬢ちゃん」
「ひっ」

 形兆の視線に晒され、逃げようとしていた美砂は固まる。

「よく見ろよ、こいつ男なのにゲロ吐いて泣いてるぜ。見殺しにするのか? あぁ?」

 形兆は自らも血をポタポタと垂らしながら、歪な笑みを浮かべた。

「こっちに来い、逃げたらコイツ殺すぜ。このまま見捨てたら夢見悪いだろ、な? あんたが来たら殺しはしない。まぁ、コイツには少し痛い目見てもらうけどな」

 形兆はそう言いながら、『バッド・カンパニー』を粛々と進ませた。美砂を確実な射程に入れるまであと少し。

「ほ、本当ですか?」

 目の前で見せられた血と惨劇に、美砂の判断力は失われていた。まるで形兆の提案が救いの様に思えてしまう。

「あぁ、本当だ」

 そんな二人の言葉を聞きながら、康一は泣きながらも言葉を放とうとする。

「ひぐっ、う、嘘を――」

 口を塞ぐように、形兆の足が康一の頭部を踏みつける。

「広瀬くーん、うるさいぜぇ~」

 そのまま地面へと頭を押し付けられた。

「や、やめてください! 行きます、行きますから!」

 美砂は恐怖からぼろぼろと涙を零している。

「へぇ、さすが物分りが良いなぁ嬢ちゃん」

 形兆の足の重みが強くなる。

(痛い、痛い、痛い)

 康一の脳裏で悲鳴が上がり続ける。

(何で、何で僕ばっかりこんな風に――)

 同時に様々な思いも駆け巡った。視界のほとんどは踏みつける靴に覆われていたが、隙間からは被虐に愉悦を浮かべる形兆の顔が見えた。

(いつもそうだ。僕はこうやってなじられ、傷つけられて――)

 学園都市での日々が思い出された。超能力に憧れていたのだ。だが、そこで突きつけられたのは自らの才能の無さ。そして超能力による絶対的なヒエラルキーの存在。

(僕は超能力で何がしたかったのだろう――)

 誰かに自慢したかったのだろうか。それとも、テレビのヒーローの様に悪人を倒したかったのか。仕返しがしたかったのか。もしくは、自分を痛みつけてた奴らの様に、誰かをいじめたかったのか。

(違う、そうじゃない。僕は何も持っていなかったんだ――)

 あこがれに目的は無かった。ただ光に誘われるように、虫が誘蛾灯に近づくが如く、超能力という存在に引かれただけだった。

(僕には超能力があり、スタンド能力がある。だけどそれは与えられたモノだ。僕は何かをしたのか――)

 超能力は《学園都市》の能力開発により与えられた。スタンド能力は《矢》により与えられた。しかしそこに康一の強い意志は無い。プレゼントの中身を見て落ち込み、それを磨こうともしなかった。研磨すらせず、ただ見てくれの悪さにあきらめたのだ。

(無様だな、僕は。今更か――)

 昔から逃げ続けていたのだ。麻帆良にいた少しの間忘れることが出来ていたが、それでも自らの逃げ癖はどこまでも追いかけてきた。
 顔は涙と鼻水と吐しゃ物にまみれ、体は地に這いつくばっている。心は惰弱、元々あった小さなプライドも散々に踏みつけられていた。

(『先輩ならきっと見つかります』――)

 彼女の声が思い出される。ほんの一日一緒に過ごした後輩だ。康一は柄にも無く先輩風を吹かせ、エスコート紛いの事をしていた。
 そんな彼女が康一を励ますのに使った言葉。彼女の言葉のおかげで、康一はもう少し頑張ってみようと決意をしたはずだった。

(なのに、僕は――)

 自らへの怒りが込み上げる。
 彼女――湾内絹保――は、《矢》により死に掛けた自分のために、ギリギリまで超能力を使い続け、そのせいで昏睡に至っている。それもスタンドによる特殊な呪縛で。
 康一は自らの命が、絹保の頑張りによるものだと改めて気付いた。
 そして、康一は再び同じ愚行を繰り返そうとしている。

「――」

 目の前に死があった。
 恐怖は未だ体を覆っている、なのに口からは言葉が溢れた。

「――ろ」

 美砂ががくがくと震える足を、一歩一歩形兆へと進める。
 形兆はそれを囲むように『バッド・カンパニー』を配置する。

「――めろ」

 康一は彼女を汚すわけにはいかない。
 自分が立派で無い事は嫌でも知っている。それでも、彼女を汚さないために、惨めでも貫かねばらないものがあるはずだ。

「やめろ」

 小さいが、はっきりとした声が発せられる。

「あぁ? 何だって?」

 形兆は先程まで嗚咽を上げていた足元の存在へ問う。

「やめろと、言っているんだ」

 折れた指で必死に形兆の足首を掴んだ。体の芯をハンマーで叩かれた様に痛みが駆け巡る。
 それでも――。

「やめろと言っているんだぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」

 泣き声では無かった。恐怖による叫びでも無かった。痛みによるうめき声でも無かった。
 それは咆哮だった。
 広瀬康一なりの咆哮。
 弱者が弱者たる事を認め、強者へと反抗を決意する闘志の発露。
 形兆の足を、自らの力を振り絞り払いのける。
 そしてそのまま転がるように立ち上がった。
 康一の体中から血飛沫が地面に落ちる。
 足を引きづりながらも、必死に走り、美砂の前に立ちふさがった。

「え……」

 美砂は唖然とする。
 先程まで散々にいたぶられていた康一が、いつの間にか自分を守るように目の前にいた。
 康一の身長は小さい。美砂自身が女子にしては長身という事もあるが、それにしたって康一の背中は小さかった。
 目には涙が浮き、服は血で濡れ、更には吐しゃ物までこびりついていた。
 手の指は折れ、足も引きずっている。
 それでも、彼は美砂に背中を見せて、あの醜悪な男と対峙していた。

(なんで――)

 美砂はなんでか、康一の背中を大きく感じた。まるでこのまま彼は自分を守りきってくれるような錯覚を起こす。
 形兆は康一が足元から抜け出したせいで、バランスを崩しかけて反応が遅れた。
 か弱いはずの康一が、さんざん強者である自分への反抗をし、苛立ちがつのっていた。

「っざけんなよ、クソチビィィィィ!! 女諸共ミンチになりやがれぇぇぇぇ!!」

 康一に悪態を叫びながら、形兆は自らのスタンドの引き金をひく。

「『バッド・カンパニー』ィィィィィ!!!」

 ミニチュア軍隊からの一斉射撃。その存在が見えないはずの美砂も、形兆の剣幕に一瞬にして凍りつく。
 そんな中、康一の中で頭の中で何かがカチリと合わさった。
 彼の体には超能力『音声複写(エコーズ)』があった。皮膚を介して音を吸収、発露させる力。
 彼の手の中にはスタンド『音声圧縮(エコーズ)』があった。音を吸収し、圧縮する力。
 それらが合わさり、『超能力』を使うときに浮かぶ脳裏の公式が、今までの様におぼろげで無く、よりはっきりとした形で現れる。
 それと同時に『スタンド』の中身もはっきりと理解する。先程の一瞬の間に吸収した、微かな音だろうか。『スタンド』内に収まっている『音』が、まるで音楽プレイヤーの曲名の一覧の様に頭に浮かぶ。
 『音』が彼の体を巡った。

(なんだ、コレは)

 早鐘の様な自分の心音が聞こえた。それだけではない周囲の人間の心音や息遣いまで聞こえる。周囲に満ちた音という音が康一の感覚に鋭敏に入ってきた。

「――もう、目は反らさない」

 そして弾丸と砲弾が彼を中心に弾けた。



     ◆



「なん、だよ……」

 形兆の目の前で広瀬康一は銃弾の嵐に見舞われた。一瞬砂煙に覆われるも、おそらく煙の向こうにあるのは蜂の巣となった肉塊だろう。
 そう思っていた。

「なんで生きてやがる!!」

 砂煙が晴れると共に現れたのは、相変わらずの立ったままの康一の姿だった。学生服は穴だらけになっているものの、その下の皮膚には穴が無かった。

「まだ弾丸が足りてないっていうなら――」
「――やらせない!」

 康一の指先で『音』が唸った。
 圧縮された幾つかの『音』の塊が、皮膚の上を走り抜け、彼の指先へと集中していく。
 『音』が集まる同時に、骨折していない左手を手首のスナップだけで振るった。キン、と甲高い音を発しながら、綿密に凝縮された『音』の弾丸が放たれる。
 弾丸と言いながらも、その威力は砲弾に等しい。
 一瞬にして地面が直線状に抉られ、形兆の脇をすり抜けた。背後にある広場の段差すらも粉々に破壊する。それに巻き込まれて『バッド・カンパニー』の一部も壊されている。

「な……」

 形兆はその威力に呆然としていた。先程の爆弾の威力も凄まじかったが、あれぐらいならまだ対処が出来た。放られる爆弾はみえみえだし、離れれば威力も減衰するだろう。
 しかし、この攻撃は違った。自分の『バッド・カンパニー』の攻撃が豆鉄砲にも見える。

「て、てめぇぇ! ナニをしやがったぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 形兆に戦慄が走った。
 康一はガクガクと震えている。それは肉体的な限界でもあり、精神的な限界でもあった。それでも、瞳には微かな輝きがある。強い意志が体を動かし続ける。

「う、動いてみろ! 次はお前だ、虹村形兆ォォォォ!」
「ざけんなチビガキがぁぁ! ゲロまみれになって死んでろよぉぉ!」



     ◆



 康一には力があった。
 スタンド『音声圧縮(エコーズ)』は音を吸収し、圧縮する力を持つ。だがその攻撃は一発でリセットされ、その上能力を効果的に使用するためには投擲しなくてはならない。身体能力が著しく低い康一には補えきれない程の欠点であった。
 また『スタンド』の音を吸収する能力の維持にも、集中力が不可欠であった。今の康一には音を吸収する時間も集中力も無い。
 今日までの数週間、時間をかけて音を貯蓄していたものの、その音のほとんどは最初の爆発で失われてしまった。残ったのは爆発の際に身に受けて中和した音と、先程混乱して無音空間を作り出した一瞬の分だけ。
 先程まで『音』の残量は満タンの五パーセントにも満たない。今の弾丸でも消費し、微々たる量しか残っていないのが現状だ。
 そして超能力『音声複写(エコーズ)』は単なるボイスレコーダー程度の力しかなかった。自らの皮膚をスピーカーとマイク代わりにして音を録音再生する。
 それぞれの能力は数多くの欠点を持っていた。だがそれらが合わさり、一つの力となって康一の中で顕現する。

「《エコーズ》ッッ!!」

 スタンド『音声圧縮』でも無い、超能力『音声複写』でも無い。
 世界に一つだけ、康一だけの異能《エコーズ》だった。
 『スタンド』で『音』を集めて圧縮し、『超能力』で皮膚に読み込ませて外部に出力する。
 それらは康一が自らを見つめ、自らの力の活かし方を構成し直したにすぎない。だが、その形は新たなカテゴリを生む。現在は二つの力を混ぜ合わせただけだが、やがては土台となる力の形を逸脱するだろう、新たな力の形であった。
 そして康一はその力を使い、『音』そのものを脅威となる衝撃波にまで、圧縮精製したのだ。

「っ――ざっけんなぁぁぁぁぁぁ!!!」

 憤怒と共に形兆は自らのスタンドの引き金を引く。
 再び康一へ向けて、ミニチュア軍隊の銃弾が襲い掛かった。

「このぉぉぉ」

 対して康一は《エコーズ》を全開にする。背後に美砂がいる時点で、弾丸を避ける事も出来ず、防御に徹しなければいけない。さっきの弾丸自体の『音』の消費量は少ないものの、『音』の残量は三パーセント程だ。
 その残り全部を圧縮し、自らの皮膚の上を走らせる。
 先程の一斉射撃も皮膚上に衝撃波を走らせ、急所の弾丸を跳ね返して防いだのだ。
 今度の射撃も、そうやってやり過ごす。

「――《エコーズ》!!」

 『バッド・カンパニー』の弾丸が幾つも皮膚から跳ね返された。幾つかの弾丸は肉を抉り、やはり無傷とはいかない。
 それでも、康一は背後の美砂へとただの一発も弾丸を届かせなかった。
 康一は手を広げ、出来る限りその身に受けて弾丸を弾き返した。
 倒れそうになるのを、歯を食いしばって耐えた。

「……も、う、反らさない!!」

 ギラギラとした目で形兆を睨み続ける。視線が牙となり、初めて形兆の心を抉った。
 更に、『音』の残量がほぼ無いにも関わらず、《エコーズ》を無理やりひねり出した。弾丸にも至らない、小さなつま楊枝程の音の塊が発射される。キィン、という高音を響かせながら、塊は形兆の頬に小さな傷を作った。

「く、クソがぁぁぁぁ!」

 頬の痛みが怒りを、康一の視線に恐怖が呼び起こす、それでも形兆にはまだ余力があった。

「まだだ! 撃ちつくせ『バッド・カンパニー』ィィィ!」

 再びの一斉射撃。
 康一にはもう『音』の残量は無い。
 絶望的な状況でも、康一の体は自然と動いていた。

「え?」

 それまで呆然と成り行きを見ていた美砂が声を上げる。
 康一がまた美砂に抱きついてきたからだ。
 美砂を庇うように、康一は形兆に背中を見せてかぶさった。

(せめて、彼女だけでも――)

 康一に根付く悔恨の念が、柄にも無い行動を起こさせていた。それでも、自らの行動に後悔は一片も無い。

(でも、悔しい)

 虹村形兆という卑劣な男になすまま屈してしまう。絹保を助けられぬまま終わってしまう。 康一の脳裏に嘆きが過ぎり、形兆の顔に今度こその必勝の笑みが浮かぶ。
 だが――。

「やれやれだぜ」

 声が聞こえた。



     ◆



 形兆は再び驚愕する。
 ほんの一瞬前まであったはずの康一の姿が、目の前から消えたのだ。

「やれやれ。どうにも急いで追いかけたが、ギリギリだった様だな」

 形兆は背後から聞こえた声に振り向いた。
 そこに立っていたのは白いコートを着た長身の男――空条承太郎だ。
 彼の足元には康一と美砂の姿がある。

「き、貴様はぁぁぁぁぁぁ!!」
「遅いな」

 グシャリと間髪いれず、形兆の顔に承太郎のスタンドの拳が叩き込まれる。

「――ッ!!!」

 形兆は悶絶しながら顔を抑えた。手の隙間から血や歯らしきものがぼろぼろと落ちる。
 だが、どうにか反撃をしよう『バッド・カンパニー』を動かすも――。

「遅すぎるんだよっ!!」

 拳の連打が形兆を打ち据える。

「オラオラオラオラオラオラオラ!!!!!」

 顔、肩、胴に次々と撃ち放たれる、拳という名の砲弾。

「――がッ!――ゴッ!――グッ!」

 白目を向きながら意識を失いつつ、形兆の顔は形が変形する程腫れ上がっていく。

「オラァァァァァァ!」

 承太郎の最後の一発が、形兆の体を遠くまで吹き飛ばした。
 激しい音と共に、形兆の体は地面へ叩きつけられる。同時に周囲に展開していた『バッド・カンパニー』の姿が消失した。
 康一は目の前出来事を、呆気に取られて見ていた。美砂も同じく状況に付いていけなかった。

「お、終わった?」

 地面にペタリと座りながら、康一は隣に悠々と立つ承太郎を見上げていた。
 そこで、ポツリと承太郎が言葉を放った。

「すまなかった」
「――え?」

 康一は承太郎の言葉にキョトンとする。

「俺は君を囮にした。大通りでわざと君にスタンドの話をし、周囲に俺との接触を見せ付けた」
「囮、ですか?」
「この街にいる『真犯人』は、俺の事を知っているはずだ。故に、何かしらの反応があると思われた。そして君自身も見極めなければならなかった」

 『真犯人』、承太郎の示すのは恐らく■■――アイツなのだろうと康一は思う。

「広瀬康一君、君が敵なのか、もしくは保護すべき人間なのかを見極めるためだ」

 承太郎は康一の顔を見た。泣きじゃくり、血にまみれ、吐しゃ物が顔の端についている、酷い顔だった。慣れぬ戦いの中で、彼はよほどの恐怖を感じたのだろう。

(仗助の言うとおり、彼は優しい人間なのだろうな)

 おそらく広瀬康一は人が傷つけられるのが酷く嫌いなのだ。それでも彼は、誰かを助けるために暴力に立ち向かおうとしていた。
 悪意が立ち込める世界に、彼自身が彼自身の意志で抗おうとしていたのだ。
 その姿は数ヶ月前に出会った一人の少女を思い出させた。
 そして自分の至らなさににも気付く。もっと穏便に、速やかに事を済まさせる事が出来たのではないかと。
 承太郎は康一と別れた後、自らを監視するスタンドの様な気配が消えた後、急いで康一の後を追った。
 しかし周囲の人波が予想以上に承太郎の進路を妨害し、辿り着いた時点で康一は窮地に陥っていたのだ。承太郎はすぐさまスタンド能力を使い、時を止めて康一達を救ったのだ。
 だが、この時に承太郎は確信をする。康一はあれ程の劣勢の中、何かを貫こうと必死に、満身創痍の体を引きずり、巻き込まれた少女をかばったのだ。

(本当に、やれやれだ)

 承太郎は帽子のつばを押さえた。

「だが、どちらでも無かった様だな。君は〝立ち向かう人間〟だ。例えそれがどんなに惰弱だろうと、悪意に立ち向かえる人間を俺は尊敬する」

 承太郎の賞賛に、囮にされた被害者であるはずの康一は何故か怒りよりも喜びが勝ってしまう。

(空条さんなら――)

 康一の中に微かな希望が沸く。もしかしたら彼ならば彼女を救えるのではないか、と。

「あの――」

 その時、康一の体の中からカチカチという音が聞こえ、固まる。それは爆弾の音だった。〝アイツ〟により仕掛けられた、康一を縛る爆弾だ。
 何かを言いかけて固まる康一を見て、承太郎は落ち着かせるように言う。

「分かっている。君は何も言わなくていい。『真犯人』が他者を束縛する能力だという事を、俺は知っている」

 承太郎の脳裏に、つい先日殺された音石明の存在が浮かぶ。彼もまたこの麻帆良に潜む真犯人に踊らされ、殺された男でもあった。

「君にもその束縛が掛かっているのだろう。条件は分からんが、自発的に他者に情報を開示するのが起点になっているのか? ともかく君は喋らなくていい、無理して情報を俺に与えなくていい」
「――ッ」

 康一は自らの状況を把握している人がいる事に、そして味方になってくれる存在がいる事に、泣きそうになる。

「俺は『真犯人』を追い詰めて《矢》を回収する。君の目的もその先にあるだろ」

 風が吹いていた。麻帆良を飲み混む強い風が。
 承太郎達を叩き潰そうと、凶悪なまでの力を風は持っていた。
「君ももし戦うのなら、俺と協力してくれないか」
 だがそれが逆風であるなら好都合なのだ。風の向こうには根源がある。風は多くの情報をその根源からもたらしてくれる。
 承太郎は拳をそっと康一の方に向けた。
 康一は傷だらけだった。制服は血みどろになり、汚物もついている情けない格好だ。
 だが、承太郎はそんな康一をも対等な戦士として扱おうとしている。

(違う、彼女を救うことを誰かに託しちゃいけない。例え助けをもらいながらでも、僕自身が――)

 体中が軋みながらも、康一は力ずくで立ちあがる。顔をしかめながら、必死で承太郎と並ぼうとする。
 承太郎はそんな康一に一切手を貸さなかった。
 やがて承太郎の拳にボロボロの康一の拳が合わせられた。
 コツン、と。







 千雨の世界 第37話「風が吹いていた」







●広瀬康一

現在世界でただ一人の異能者(※)。

・異能《エコーズ》
広瀬康一だけが使えるスタンドと超能力を混ぜた新しい力の形。
現在はただ二つの力を重ね合わせているだけだが、成長するにつれ一つの新しい力へと収束していく。そのため、いつかは『スタンド』が見れなくなる。(彼がスタンド使いじゃなくなるため)
未だ能力は不完全であり、不安定。
能力は『音』の圧縮と操作、そして皮膚を介した出力。
この『音』の区分は、多分に能力者自身のイメージに依存する。


※現在、彼の能力をカテゴライズする言葉が無いため、承太郎により便宜的に名付けられた仮称。



 つづく。



[21114] 第38話「甘味」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/10/16 19:01
「――というわけだ」

 承太郎は先日の事件の内容を一通り千雨達に話し終え、喉を潤すためにコーヒーを手に取った。
 額に手を当てて千雨は首をふった。

「よりにもよってこの祭り時にか」
「それに柿崎も」

 アキラも神妙な顔をする。
 千雨達がいるのは学園近くにあるファミレスだった。そのボックス席に承太郎と千雨、アキラに夕映が座っている。

「その、空条さん。柿崎さんにはどのような対応を?」

 じゅるじゅると珍しく普通のオレンジジュースを飲んでいた夕映が、挙手をしながら承太郎に問いかけた。

「話せる事は話した。『スタンド使い』には秘匿の義務も無い。彼女も被害者だからな」
「柿崎に話しちゃって良かったんですか」

 アキラが心配そうにする。

「――いや、むしろ知っといた方がいーんじゃねぇか。やたらに話しまわるわけにもいけないが、あーちゃんを巻き込んだクソ野郎がまた動いてるんだ、知っておけばそれだけで自衛にも繋がるだろ」
「それもそうデスね」

 夕映も千雨に賛同する。オレンジジュースを半分程飲んだところで、夕映はグラスをテーブルにコトンと置いた。すると。

「へい、マスター! 角砂糖パスですぅ~」

 テーブルの上を先程からトコトコと走り回っていたアサクラが、すかさず夕映のグラスに角砂糖を数個投げ入れた。

「なにするんデスか、このバカAI」
「ふぎゃっ! ひ、酷いです~」

 夕映の右手からデコピンがアサクラに向かって放たれた。

「私はマスターが甘いのを好きだと思って……」
「じゃかあしいデス」

 ついでドスドスと額を小突かれて、アサクラはコロコロとテーブルを転がった。
 夕映とアサクラのそんなやり取りを、承太郎は不思議そうにじっと見つめる。

「あー、そういえば説明まだでしたね。コイツはなんていうか……一応うちのドクター謹製の人工知能という事らしいですよ。ただ色々と機能付けたらこんな風になったみたいですが」

 千雨が先程までケーキを切っていたフォークで『コイツ』と指し示した。『コイツ』とはもちろんアサクラの事だ。

「ふむ」

 千雨の説明で承太郎はなんとなく納得をしたようだった。ちなみに承太郎と夕映は今日が初対面だが、もう挨拶は済ませている。

「そういえばお前達の格好は、一体何なんだ?」

 承太郎は最初から気になってた事だったが、ついでとばかりに聞いてみた。
 千雨とアキラは露出多めのチャイナドレスを着ており、夕映は逆に露出が少ないクラシカルなメイド姿だ。夕映の頭部は典型的なメイドカチューシャでは無く、頭部全体を覆うキャップがかぶさっている。更にはそのキャップに乗ろうと、アサクラが必死によじ登っていたりもする。

「私の格好はクラスのメイド喫茶デス。まだオープン前ですが空条さんも時間が出来たらどうぞお越しください」
「え、えと。私のは今やっている中華屋台の衣装で、よかったら来て下さい」

 夕映は淡々と、アキラは衣装に照れながら答える。

「……時間が出来たら覗こう」
「マスターのかしずく姿が見れるのですよ! ぜひ来るのです!」

 夕映の頭の上からそう叫ぶアサクラだが、これまた夕映に小突かれて黙らされた。

「話は戻すが、とりあえずこれらの事は学園長にも通してある。俺はこのまま広瀬君と協力して事に当たっていくつもりだ」
「――じゃあ、わたし達も」
「余計な事は考えなくても良い。実際ヤツがここに潜伏していた事は元からわかってた事だ。ヤツが大きな行動をするかどうかもわからん。そんなヤツのためにわざわざ学園祭を棒に振る事もあるまい。ただ、警戒は怠るなよ」

 言うなり、承太郎は立ち上がって、テーブルに一万円札を置く。

「あっ……」

 アキラが何かを言いかけるが、承太郎が言葉をかぶせる。

「子供が遠慮などするな、残りは小遣いだ」

 千雨達三人は声を揃えて「ごちそうさまです」と言うと、承太郎は立ち去りながら手を上げて返した。







 第38話「甘味」







 カタカタとキーボードの音が空間に響くと同時に、グシャリと何かを噛み砕く音もした。

「ふむふむ、順調な様ネ」

 超は膝に置いたノートパソコンを弄りながら、ニヤリと笑う。口元にはカロリーバーが加えられ、モグモグと咀嚼しながらも、手元は動き続けていた。
 ここは麻帆良内に作られた巨大な地下施設だった。
 麻帆良の地下は入り組み、まるで迷宮か何かの様な状況になっている。それというのも麻帆良に鎮座する世界樹という存在、そして魔法使いという存在が大きく影響している。
 秘匿を旨とする魔法使い達は地下を好む。現在も魔法協会の極東支部の本部として地下施設を使用しているが、それと同時に破棄された施設も多いのだ。この麻帆良の地での長い魔法使いの歴史が、そのままこの土地にその痕跡を残している。
 近代に入り、様々なインフラ整備によって地下が掘り起こされる様になり、更に麻帆良の地下は混迷することとなる。
 東京の地下鉄もかくやという具合に、通路や施設と世界樹の根が入り組んでいた。
 そんな麻帆良の状況を逆手に取り、超は世界樹の根を観察できる場所に巨大な空間を作っていた。数百メートルお隣には魔法協会の施設があるが『灯台下暗し』といった具合だ。
 葉加瀬協力のもと、超ご自慢の科学力と資金にものを言わせ、作り上げたのがこの巨大な空間だった。
 高さ四十メートル、奥行きは千メートル程あるだろうか。体育館を縦に四つ重ね、奥に向けてニ十個程並べた様な空間だ。
 そこでは一列に屈強な男――超達が開発したアンドロイド――が並んでいたり、巨人――東洋の鬼神のコピー、その未完成モデル――が立っていたりする。これらは超が一年後予定しているある計画のための準備物である。
 実際これだけの巨大な物体や施設を保有しながら、学園側にばれていないもの超が学園を統べている電子精霊に対して特殊な改竄を行なっていたりするからであった。また施設自体にも麻帆良結界に使われている魔力や、結界そのものの余波をうまく絡めていたりする。
 そして超は今回の学園祭にあたり、この施設にて世界樹のモニタリングを行なおうとしていた。
 世界樹が二十二年周期で巨大な魔力を発露するのは既知だったが、どうやら去年の観測などを見る限りその発露が速まる可能性が高いとの事。
 今度の世界樹の魔力の膨大な発露はおそらく来年。実際に超もそれに合わせて計画を練っていた。
 だが、その魔力の発露とて最大の年に比べれば微々たるものだが、毎年この学園祭の期間には世界樹から魔力が解放されている。
 超は今年の観測データを見て、来年の計画の詳細を詰めようとしている。
 それにこの施設とてわざわざ観測しやすい様に、世界樹の根の一本が露出するこの場所を選んでいた。世界樹の末端とは言え中々の大きさだった。乗用車一台分の太さの根が、施設の壁面から飛び出している。その根には奇妙な機械が取り付けられており、そこから伸びたコードが超の持つノートパソコンに繋がっている。

「――やはり魔力の変動値が高いカ。この波形から言えば、例年通り学園祭の最終日がピークかネ」

 世界樹のこの魔力の発露に合わせて学園祭を行なうのにも、様々な理由があるとの事。それは世界樹の発光現象と、学園全体の過剰なまでの警備、この二つをごまかすためらしい。
 ただしそれには幾つものリスクが内在していた。観光客への安全面の配慮や、外敵からの防備など。だが恐ろしきかなは歴史であり、百年以上に渡る慣習が伝統となり、現在は名物となっている。
 超からすればやりやすい事この上ないが、正直言うならばわざわざ学園祭と重ねる必要はないだろうと思う。

(いや、もしかしたら他にも理由があるのかもしれないネ)

 超の産まれた時代にも幾つか麻帆良の世界樹に関するデータが残ってはいたが、その多くは失われていた。その時代にはもう麻帆良に世界樹は存在していない。

(学園祭で多くの人が騒ぎ、世界樹がそれを見て喜んでいるとカ)

 ふとそんな想像をして笑みが零れた。世界樹が学園祭の盛り上がりに便乗し、「僕も!」と樹全体から魔力を放出させるという漫画チックなイメージが脳裏に映る。

(ふふふ、馬鹿馬鹿しいネ。世界樹は巨大なエネルギー体、そんな事が――)

 自嘲しながら首を振る。その時。

 ――〈……スター……な……け……〉

 超の見ていた観測データに、一瞬ノイズが走った。

「ん? 何あるカ」

 一瞬、観測データのトラフィックに異常が走った。超は食べ終わったカロリーバーの包装紙をゴミ箱へ投げ捨て、口元をペロリと舐める。モニターを見る限り、麻帆良のネットワークを監視する電子精霊にも一瞬変動があったようだ。

「うーん、ちょっと違和感を覚えるネ」

 だがどこを見ようと、それ以外の異常は無かった。機器の誤作動かとも思うが、やはり観測上の変動値域内なので気にしない事にする。

「おっと、そろそろ開店の時間ネ。オーナーとしても顔出さないといけないヨ」

 ノートパソコンをパタンと閉じて、近くのコンソールの上に置く。ついでに自分の携帯するモバイル機器にも先程のデータを移して置いた。後で自室にて軽く解析をかけてみようと。
 さすがの超も千雨が存在している麻帆良で、ネットワークストレージに自らの秘匿データを置く勇気は無いようだった。



     ◆



「やーっぱね、男は度胸よ。こう……土壇場とかでさ、行動できるってゆーの?」
「は?」

 こいつは何を言っているんだ、と心だけにあらず顔にも出てしまっている釘宮円だった。
 彼女の目の前には、先程出来上がったばかりのメイド服を試着し、くるくると回りながら何やらほざいている柿崎美砂がいる。

「美砂、アンタこのまえ男は顔が一番とか言ってなかったけ」
「え、そう?」
「こいつは……」

 円は溜息をつきながら、肩をすくめた。この親友が移ろい易いのは何も今に始まった事ではなかった。

「顔なんて……まぁ良いことに越したことは無いけど、多少悪くても愛嬌よね。それに身長だって、低くたってほら、今の時代は〝ぐろーばる〟だし」
「あぁ、そう」

 呆れを露骨にしながら、円は適当に相槌を打つ。どうせまた変な出会いでもあったのだろう。聞くつもりはサラサラ無いが、美砂は『聞いて欲しいオーラ』をバンバン出していた。
 周りでもメイド服の制服や、喫茶店内で置く手作りの小物などを作っているクラスメイト達がいるが、手は休めないものの美砂の話に少し興味を持っている様だった。

(面倒くさい)

 柿崎美砂はもてる。それはもう一緒にいるとナンパに会う頻度が桁違いなのだ。自分達は十三・四歳、まだ中学二年に成り立てだ。一年ちょっと前には小学生だった私達に、東京などでショッピングをしていると高校生が我先にと話しかけてくる。それもこれも、この見栄えだけは良くミーハーな友人のせいだ。
 実の所、釘宮円の容姿もかなりのものなのだが、隣に美砂という比較対象があるためにナンパにあう度にスルーされてしまうのだ。円にとって慣れたものだったが、それでも気分が良いものではない。
 円は溜息一つ。
 クラスメイトの誰かが、おそらく喫茶店のインテリアとして置いた洒落た小瓶。その中に入っている飴を一つ頂き、口の中に放り投げた。ミルク味の滑らかな甘さが口の中に広がり、円の鬱屈を和らげた。
 とりあえず円はあきらめて美砂の話を聞くことにする。

「で、何があったの」
「うん! この前さ、円とか忙しくて一緒に帰れなかった時あったでしょ――」

 そこからの美砂の話というのが何とも陳腐だったが、円以外の周りの生徒は興味津々で聞き入っていた。

「でさ、その人私を庇ったまま、なんか手からボーってビームだしたの!」
「ビーム! すげぇなソイツ。改造人間だったのか?」
「ほほう、ビームでござるか」

 鳴滝風香と長瀬楓が嬉々として反応した。

(うさんくさ~)

 円はうんざりしながら美砂の言葉をまとめていた。

(つまりアンタがイジメだか恐喝の現場に巻き込まれて、んでイジメられっこに助けてもらったわけでしょ)

 正直「だからなんだ」と言いたくなる。円としては散々イジメられてる時点で、あまりその男に好印象が持てないでいた。

(更には手からビームって。まぁ超能力のあるご時世だけどさ、ここは《学園都市》じゃないんだよ)

 円自身、超能力なんてテレビでやってた《学園都市》特集ぐらいでしか見たこと無かった。《学園都市》は超能力者の管理というのは、とても厳格に行なっているらしい。ならば幾ら電車で一時間の距離とは言え、麻帆良にそんな人間などいるはずが無いだろう。

(あんまりあの子、変な与太話とかしないしなー。だとしたら男の方が胡散臭いのかな)

 どうやら美砂は楓達に話すに夢中らしい。円としても聞き流す程度に留めて、手元にある生地の裁断を進めようと思った。

「いや、本当にビックリしたわよ。パパ以外にあんな事できる人がいるなんて~」

 ザクリ、と生地が型紙より大きく反れた。ついでに口の中の飴玉も、奥歯で噛み砕いてしまった。
 美砂の爆弾発言を、円はしっかり聞いてしまった様だ。

「ほほう、柿崎殿の御父上もビームなどを?」
「うーん、私はよく分からないけど、なんかビューンと飛んだり跳ねたりしてたよ。昔は良く肩車してもらって、ビルの屋上をずーっと飛び回ったりしてもらったな~」

 何でもない様に話す美砂に、円はジト目で見つめた。

「美砂~、アンタのお父さんって商社マンとかじゃなかったっけ?」
「あれ? そんな事言ったっけ?」
「うっ……」

 円は今までの美砂との会話をどうにか思い出そうとする。確か「世界中を飛び回ってる」だの「スーツ姿がかっこいい」だの「タバコやめて欲しい」だのと言っていたか。それらが合わさり、円は勝手にやり手のサラリーマンの様なイメージで固めてしまったらしい。

「んじゃ何なのさ、アンタのパパって忍者か」

 「忍者」という言葉に楓はピクリと眉を動かした。

「う~ん、良くは知らないけど『世界を動かす大事なお仕事』って言ってたよ。最近は姉さんも手伝ってるみたいだし」
「姉さんって、それも私聞いてないんだけど」
「あれ?」

 美砂とはけっこう長い付き合いになる円だが、聞く事聞く事が初耳だった。

「はぁ、もういいわ。どうせ今度の学園祭に来るんでしょ。どんなスーパーマンが来るのか楽しみにしとくわ」
「スーパーマンかぁ、確かにパパっぽいかも! それにパパにもさっきの話聞かせたいし! それにあわよくば――」

 ふふふ、と何か楽しそうに笑う美砂に、円はやれやれと首を振るのだった。



     ◆



 手に持った最中を一口で頬張ると、今度は緑茶で喉を潤した。

「うむ、タカミチめ。今度の土産はちゃんと美味い物を持ってきたようだな」

 エヴァンジェジンはそう言いながら、テーブルに乗った茶受け皿にある最中に手を伸ばす。
 エヴァがどっかりと座るソファーの向かい側には、トリエラが座っていた。

「どうしたトリエラ、食わんのか」
「いえ、私は――」

 拒もうとするトリエラに、エヴァは手に持っている最中を放り投げる。

「いいから食え。そこでただ座られてるのも興が冷める」
「はい」

 トリエラは日本の餡子という物を、食べられないわけでは無いが余り好きではなかった。豆のブヨブヨとした感覚が、舌に絡まるのが好きではないのだ。
 だが、エヴァに薦められたのではしょうがない。丸い最中の一端に小さく口をつけた。

「――」

 甘い――そして食感が滑らかだった。舌に滑る様に入ってくる。ジェラートとコーンの組み合わせの様に、この最中の皮と餡もマッチしていた。
 トリエラは意外な美味しさに目を丸くする。

「どうだ、美味いだろ」
「――はい、驚いてます。私はこの『餡子』というのが苦手だったので」
「ククク、そういう反応を見れるだけでも、お前を眷属にしたのは正解だったかもな」

 エヴァの従者には食事を一緒に楽しむ様な者はいなかった。どうやらエヴァはそれに少し不満を持っていたらしい。

「こいつは高級品だ、そこらのスーパーやコンビニで売ってる菓子とは手間が違っててな。わざわざタカミチ――お前が殴り倒した男に買ってこさせたのだよ」

 実際は高畑が出張のついでに買ってきただけだったりする。

「――」

 モグモグと最中を食べるトリエラを見ながら、エヴァも一口で咀嚼した。そうしながらほぼ無言でお茶をする事三十分。

「どれ、腹ごなしでもするか」
「え?」

 エヴァがひょいと立ち上がる。その背後には付き従う様に、給仕の姿をした茶々丸が立っていた。

「何を呆けている。お前を呼んだのは最中を馳走するためでは無いぞ」

 そのままログハウスのドアを開け、エヴァは外へと出て行ってしまう。トリエラもそれを追いかけた。
 周囲は薄闇、エヴァの家は森の中にポツンとあった。敏感な嗅覚が森の匂いを強く感じてしまう。

「貴様は私の眷属――保護下となったのだ。ならば貴様も私の役に立たねばならんだろう」

 エヴァとトリエラが数メートルを置いて対峙する。

「別に給仕などに困っているわけでは無い。何か余興の様な特技も無かろう。ならば必然、お前には武力を求められる。腕っ節くらいしか脳が無いだろに、なぁトリエラ」

 確かにトリエラが誇れるものと言ったらそれくらいだった。《社会福祉公社》が無くなって十年、トリエラはその腕っ節だけで生きてきた。

「だがなぁ、貴様弱いだろ。魔力は感じんし、日常で気をコントロールしている気配も無い。我が眷属としては惰弱すぎる、故に――」

 ゾクリと肌が粟立った。トリエラのこめかみを汗が伝う。

「稽古をつけてやろう。ほら、掛かって来い」
「――ッ」

 恐らく拒否権など無いのだ。彼女――エヴァは相変わらず自分を試し続けている。トリエラにはやるべき事がある、そのために力は必要なのだ。ならばこれは好機に他ならない。

「わかりました、マスター」

 ベストの下には拳銃が一丁隠されている。されど対して役には立たないだろう、相手は魔力が封印されているとは言え、欧州では伝説になっている程の存在。

(小技では駄目だ)

 ギシギシと唸る筋肉を、一気に解放させた。
 爆ぜる。地面が抉れ、トリエラは一個の砲弾となった。拳を強く握る。エヴァ、目前だ。
 自らの鼓動が聞こえた、違和感。
 必中、体を捻り加速させ、拳がエヴァの頭部へと吸い込まれ――。

「がぁぁっ!!」

 次に聞こえたのはトリエラ自身の唸り声だった。
 いつの間にか天地はひっくり返り、背中が何かに叩きつけられていた。ふらつきながら周囲を見渡すと、どうやら周囲の森に突っ込んでしまった様だ。幾つかの大木が倒れているのは、恐らく自分が叩きつけられたからだろう。

「何が起こったかわかるまい。すこし力の方向を変えて投げ飛ばしてやったくらいだ。馬鹿力一辺倒では役に立たんぞ」

 そこでエヴァはふと思いなおし、笑みを強くした。

「いや、こう言った方がいいか。『あの娘が守れないぞ』と」

 カチン、とトリエラの中の何かが切れた。トリエラの瞳孔が広がり、筋肉が盛り上がっていく。

「ぐぅぅ!」

 エヴァへの隷属を強いられたはずの本能が、ぶちぶちと引き千切れてゆく。主人である存在へ向けての殺気が溢れた。トリエラは再び徒手空拳でエヴァに立ち向かう。

「ほう、眷属の血に抗うか。どうりで以前のマスターから逃げおおせたわけだ。大した精神力だな」

 怒りにまかせた特攻。されどそれらは全て空を切る。フック気味のパンチも、至近距離の膝蹴りも、ことごとくがかわされた。
 それに対してエヴァの攻撃は面白い様に入る。カウンター気味の打撃が、トリエラへと次々と決まった。
 顎に決まった時には昏倒しそうになったが、どうにか持ちこたえる。がくがくと震える膝をしっかりと大地に根付かせ、前へ前へと向かい続けた。

「その根性だけは認めてやる。だが、私の眷属に三流はいらん」

 グシャリ、と今度は顔が地面にへばりついていた。視界が歪む。立ち上がろうとするトリエラを、エヴァは紅い瞳で見下ろしている。

「せめて気ぐらい使えるようになれ。そうでなければ話にならん」

 エヴァの言葉を遠くに聞きながら、トリエラは必死に歯を食いしばった。



 つづく。



[21114] 第39話「夢追い人への階段――前夜」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/10/16 19:02
 まどろみの中に千雨はいた。
 枕元にある時計のアラーム音でどうにか意識を取り戻すも、体に残るじっとりとした疲労のせいで、なかなかタオルケットから這い出る事が出来なかい。

「うーん」

 アキラのうめき声も聞こえる。どうやら彼女も千雨と同じに疲れている様だ。
 この一週間ほど、学園祭のクラスの出し物の準備に超の屋台と、二人は奔走していた。
 充実していたとも言える。
 千雨はかつてこれほど学校で様々な事をした事は無かった。ウフコック達と会う以前にだって、千雨は部活に入った事すら無かったのだ。
 そう考えれば、この日々はとてもかけがいの無いものなのだろう。
 それでも、千雨は非日常に生きていた。
 今、こうやって目を瞑っていても、千雨には周囲の事が容易に把握できた。部屋の内装、アキラの寝姿、周囲の物の輪郭が頭の中に浮かぶ。
 人工皮膚(ライタイト)――千雨の皮膚に使われている、《楽園》の科学力の結晶だ。
 本来は宇宙空間での周囲の認識・知覚のために作られた技術らしいが、千雨はその力の延長線上である電子干渉(スナーク)をも発達させ、製作者であるドクター・イースターも驚く使い方をしている。
 これらの力は、もはや千雨の在りかたの根幹にまで根を張っており、切っても切り離せない状態になっていた。
 ぼんやりとそんな事をとりとめなく考えながら、千雨は自らの肌を触った。この人工皮膚はいつも艶やかで張りがある。人工とは思えないぐらいの自然さで、千雨に馴染んでいた。

「ん?」

 感触に違和感があった。指先にザラリとした感覚があり、目を開けて確認する。千雨の知覚領域にも確かに奇妙な物質が見えた。

「なんだ……これ?」

 砂……いや、金属粉だろうか。指先には銀色のザラついた粉が付いていた。良く見れば指先だけではない、手も、目の前にある腕にも、更には――。

「な、な、な――」

 知覚領域を広げて驚いた。自分の体表に満遍なく、奇妙な銀色の粒が付いていた。
 千雨はタオルケットをひっぺ返して、ベッドから転げ落ちた。ベッドのシーツの上には銀粉が大量に落ちている。まるで砂場で遊んだ子供が、そのまま布団で寝てしまったかの様な惨状だ。
 自らの顔を手の平で拭う。やはりザラリとした感触が帰ってきて、パラパラと銀粉が零れ落ちた。

「なんだこりゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

 千雨の絶叫は、脳内にあるラインからアキラと夕映にも伝わる。アキラは驚きながらベッドから飛び起き、夕映は遠くの別室で驚いて目を丸くしていた。

「ど、どうしたのちーちゃん!」

 アキラが起き上がりながら千雨に問う。更には廊下からどたばたとした音が聞こえると、ドアの施錠が外れて慌てた夕映も転がり込んでくる。どうやら部屋の電子錠をアサクラに解かせたらしい。

「何があったんデスか!」

 二人を目の前に固まる千雨。

「わ、わからない」

 言葉をぽつりと零す。
 後は、ただ肌からサラサラと銀粉が落ちるばかりだった。







 第39話「夢追い人への階段――前夜」







 千雨は銀粉を落とすために朝から部屋付きのシャワーを浴びた。千雨がシャワーを浴びている間、アキラが簡単な朝食を作り、夕映がドクターへと連絡を入れる。
 状況を聞いたドクターはその銀粉を採取した上で、研究室に来るようにと返す。

「本当に一体何なんだ」

 千雨は髪をごしごしと拭きながら愚痴を吐く。シャワーを浴びたせいでほとんどの銀粉は落ちたものの、バスタオルにはまだキラキラと輝く粒が幾つか付着していた。
 アキラはテーブルに朝食を並べる。夕映も相伴に預かる形だ。

「とりあえずイースターさんのご指示通りに、銀粉は摂取しました」

 夕映がひょいと持ち出したのは、台所によくあるタッパーウェアだ。片手で持てるそのタッパーの中に、銀粉が小さな山を作っている。

「ただ、イースターさんの電話での反応を考える限り、あまり大事では無いと思いますが――」
「本当にそうあって欲しいもんだ」

 実際、今のところ千雨の体にさしたる異常は無かった。ただ朝の段階で、体の皮膚上に塩でも浮き上がる様に、銀粉が付着していただけである。現在は体の節々を見る限り、突如銀粉が浮き上がってくる様には見えなかった。

「でも何かあったら大変だよ。とりあえず朝ご飯は食べて、それからすぐに図書館島に向かおう。学校には遅刻するって連絡しておいたから」

 アキラは心配そうに言う。

「デスね。私も付き合います」

 夕映も頷きながら賛同した。

「悪いな、二人とも。それにしたってよりにもよって準備期間の最終日になぁ」
「麻帆良祭当日じゃなかっただけ良かった、と思うべきデス」

 千雨の言うとおり、今日は麻帆良祭の準備期間最終日。明日からは麻帆良祭が開催される予定だった。
 今日も学校はあるものの、学園都市である麻帆良の街中は祭りムード一色。こうやって朝食を食べながらも、窓からは祭り特有の賑わいが聞こえた。
 街中のホテルももうほとんどが満室という事だ。明日になれば駅も大混雑するだろう。都内から始発で大量に来訪する人間がいるので、生徒によって電車の混雑を避け、前日から学校に泊り込んだりもするらしい。

「はい、千雨ちゃん。ブルーベリーで良かったよね」
「ん? あぁ、ありがと」

 アキラはそう言いながら、千雨の口元にトーストをそっと渡す。千雨の手元にあったはずのトーストに、最近の千雨お気に入りのブルーベリージャムが薄く塗られていた。千雨はジャムが好きだが、甘すぎるのも好きではなく、トーストを食べるときにはかなり薄く塗るのだ。アキラは一緒に暮らすうちに、そこら辺まで心得てしまっている。

(まるで餌をもらう雛鳥と、餌をやる親鳥ですね)

 夕映は朝食をもぐもぐと咀嚼しながら、じとりと目の前の光景を眺める。アキラに甲斐甲斐しく世話されている千雨だが、世話されている事自体に違和感を覚えていない様だ。

「まさにヒナとオヤドリですぅ~~」

 食事のテーブルを走り回っていたアサクラが、千雨達を見て叫んだ。ぷりぷりと体を揺すりながらアサクラはそんな事をのたまう。

(コイツ……)

 夕映は「思考を覗かれてるのでは」という錯覚を覚えた。
 アサクラの発言に、千雨とアキラはきょとんとする。

「雛と親鳥って、何言ってるんだあちゃくら」

 意味がわからないといった風に、千雨は首を傾ける。アキラも不思議そうにしながら、千雨の口元のパンくずをティッシュで拭っている。

(自覚が無いデス。でも、ならば――)

 夕映は意を決し、手元にあったフォークで皿の上にあったウィンナーを刺した。そしてそれを千雨の口元へ近づけた。

「ど、どーぞ」
「ん? ありがと。はむっ」

 千雨は抵抗無く受け入れる。夕映は良く分からない快感を覚えた。

(これはぁぁ)

 犬のお腹を擦っている様な、猫のあご下をくすぐっている様な、そんな得も知れない快感だった。
 千雨はもしゃもしゃとウィンナーを咀嚼する。ちなみに今、千雨の手には食器が何も握られていないという驚愕の事実があったりする。
 恍惚とする夕映を、アキラは穏やかな顔で見つめていた。



     ◆



 朝食後、三人は寮を出て一路図書館島に向かった。
 図書館島の秘蔵の入り口を使い、地下深くまで一直線に行く。
 以前、クウネルと会談した場所がある階層に、ドクターの研究室はあった。千雨もあれから研究室に行きがてらに、クウネルとは何度か会っている。

「おや、こんな時間にここに来るとは。サボタージュですか?」
「体調不良だよ」

 今回も廊下で出会った――というより向こうから登場した形で、クウネルと顔を合わせる事になった。クウネルの存在はとかく知覚しずらい。千雨もある程度警戒しているものの、この男はいきなり地面から沸く様に現れるのだ。
 千雨も魔力の感知が出来るようになり、目の前の存在がどのようなものなのか、何となく察せられるので、余り気にしない様にしている。
 クウネルは呼吸をしていない。臓器の鼓動も無い。というか、しっかりとした肉体すら無い。目の前の人間に見える姿は、魔力により構成されていた。
 魔法に関する基礎知識をある程度仕入れた千雨だが、クウネルの正体までは分からなかった。だからと言って、問いただそうとかそういう気は起こらない。そこら辺の分別はさすがに付いていた。

(スタンドやら超能力なんてのを見てるし、幽霊もどきなんて今更。それに薮蛇はゴメンだ)

 正直、千雨としてはこれ以上トラブルとは関わりたく無かった。それでもクウネルとは契約がある。魔法の情報を千雨に与えるという対価の代わりに要求されたのは、千雨の半生を記録するという事だった。どうやらクウネルはそういう道具を持っているらしい。
 また、その契約のおまけという形で、魔法による傷の手当てを受けている。そのため邪険にするにも気が引けた。

「それより、わたしの半生とやらを記録するってーのはどうなったんだ? やるんならちゃっちゃとやってほしいんだけどな」
「いやいや。まだ早いでしょう。もう少し経ってからの方が面白そうですね」
「くっ……」

 ニコニコと笑うクウネル。まるで見透かす様だった。

「司書さん、司書さん。魔法はいつ教えてもらえるんデスか!」

 横からひょいと出てきた夕映が、クウネルに質問した。夕映はクウネルにあこがれがあるせいか、けっこう仲が良かったりする。

「おや、綾瀬さん。うーん、そうですね。じゃあ麻帆良祭が終わった当りはどうでしょう。簡単な魔法なら教えてさし上げますよ」
「本当デスね! 約束デスよ!」
 夕映は目をきらきらとさせる。
「おーい、さっさと行くぞ」

 千雨はクウネルの脇をすり抜け、ずかずかと廊下を先に行く。

「待ってください」

 夕映がそれを追いかける。アキラはクウネルにお辞儀をしてから、二人に続いた。

「おやおや――」

 クウネルは仲が良さそうな三人を見て、笑みを深める。
 かつてクウネルは夕映の祖父であるジョゼと友人であった。不思議とウマが合い、何度もお茶をしたものだ。あいにくクウネルはこの図書館から離れる事が出来ない、そのためもっぱらジョゼが尋ねてくるばかりだったが。
 それでも、ジョゼの残した夕映の事は心配だった。ジョゼが何かしらの事情があったのはどことなく理解していたし、夕映の事は終始気にしていた様だった。
 そのため、本来なら出れない図書館島から分身体を飛ばし、夕映の保証人代わりなんて事もやった事があった。
 最近、この図書館島の地下の同居人として、ドクター・イースターなる人物が住み始めた。彼の目的の一つに夕映の治療があると聞き、クウネルは歓迎した程である。
 今、夕映の体調が安定してきていると聞き、クウネルは素直に嬉しかった。

「それでも――彼女は――」

 呟きには確信があった。彼の経験から言えば、夕映には安穏とした日常は遠いだろう。
 そしてそれは何も夕映ばかりでは無い。むしろ、夕映と共にいる彼女こそ。

「魔法、ですか」

 本来、クウネルは誰かに魔法を教える事などほぼ無い。
 しかし、彼女のこれからを考えれば、必要になるやもしれない。
 それに――。
 いや、嘆くまい。自分はこれまでも同じ事を繰り返し見てきたのだ。
 クウネルは目を細めた。



     ◆



 盆地故にあまり強い風が吹かない麻帆良だが、建物の屋上となるとそれなりに風が吹いていた。
 広瀬康一はなびく髪をそのままに、祭り気分に浮かれる麻帆良を見下ろしている。

「……《エコーズ》」

 その言葉はスイッチだった。彼の身の内に宿る《スタンド》と《超能力》という二つの歯車がカチリと合わさり動き出す。
 麻帆良の上層にまで飛んでくる喧騒の『音』を能力ですくい上げた。そして、その音を体内に吸収しながら、精査に調べ上げていくのだ。
 単なる雑談や議論、噂話まで様々な『音』を康一は自らの能力を使い、重要なフレーズだけを探して洗っていく。
 〝■■吉■〟への手がかりを探すために――。
 一時間程そうしていると、建物の屋上のドアが開いた。出てきたのは長身の男――承太郎だった。

「あ、承太郎さん」
「康一君、どうだ?」

 康一は承太郎の問いに首を振った。あの虹村形兆の襲撃から一週間、康一は自らの能力の習熟がてら、この場所にて情報を探っていた。
 能力の使い方は大分なれたと言っていい。以前、超能力はその力の弱さゆえ使い道が限定し、スタンドに至っては力そのものを把握していなかった。
 だが今は違う。承太郎のアドバイスの元、自らの力を把握し始めている。
 なにより、自らの持つ《異能》の方向性には引かれるものがあった。

(この力は色々な使い方ができる)

 『音』、それは空気の振動である。康一の能力はそれに直接的に干渉し、様々な加工が出来た。力も応用性が利けば有用な武器にも道具にもなる。
 武力がある事に越したことは無いが、康一は自らの能力が暴力以外の使い道が多々ある事が嬉しかった。

「そうか。じゃあそろそろ行くぞ」
「は、はい」

 康一は去っていく承太郎の背中を追いかけた。
 口数が少ない承太郎だが、その実かなり面倒見が良い事を、康一は一週間共に動いて知っていた。
 康一の傷でさえ、承太郎がこの麻帆良にいる魔法使いに働きかけて、魔法による治療をしてもらったのだ。

(魔法か……)

 体中に穴が開いていたはずなのに、もうほとんど傷口は分からなかった。治療を受けた当日はまだ鈍い痛みが残っていたものの、次の日には痛みはまったく残っていなかった。

(二回目、なんだよな)

 麻帆良側が言うには、どうやら康一は以前にも治療を受けていたらしい。そう、康一が入院する切っ掛けとなったあの事件の時だ。

(魔法があれば、もしかしたら――)

 絹保も助けられるのでは、という甘い幻想が過ぎる。
 しかし、康一は思い出す、〝■■〟が言った言葉を。

――おっと、超能力や魔法なんかで無理やり起こしてもルール違反だからね、気をつけたまえ。

(〝アイツ〟は魔法の存在を知っていた。その上で、この街で何かをしているのか)

 目的は何なのか、単なる愉快犯なのか、何故自分が狙われたのか。それらが判然としなかった。統一性の無い、愉快犯の様にも思えるが、魔法使いの膝元で捕まっていないあたり知能犯にも思える。

(僕が考えても思いつくものでもないか)

 二人は階段を降り、建物の一階にやってきた。彼らが居たのは七階建てのマンションだった。
 学園に近いそのマンションの周囲には、早くも学生が入り乱れている。
 今年の学園祭の準備期間は、例年より短いためほぼ自由登校になっている。朝のホームルームにさえ出れば出席扱いになり、その日一日どの様に過ごしても構わない。
 おおまかに言えば、クラスの出し物の準備に参加する生徒、部活の出し物の準備に参加する生徒、サボる生徒、の三通りに分けられた。もちろん康一は三番目だ。
 康一のクラスはどうやら何かを販売するらしい。荒稼ぎするべく仗助が張り切っていた。薫はしぶしぶといった体だったが。
 そんなクラスから密かに抜け出しつつ、康一はこうやって街を徘徊していた。

「あっ!」

 そんな時、康一は聞き覚えのある声が耳朶に響く。
 振り向けば、一人の女子中学生が自分を指差していた。

「確か、君は……」

 見覚えはある。先日、康一が襲われた際に一緒に巻き込まれた少女だ。

「はい、柿崎美砂です! 覚えてたんですね、康一さん!」

 美砂は屈託の無い笑顔で康一に近づく。

「あ、空条さんもこんにちわ」
「あぁ」

 おまけの様に扱われながらも、承太郎は口数少なく答える。

「えーと、柿崎さん」
「いやだなぁ、年下なんだから美砂って呼び捨てでいいですよ」

 年下と言いながらも、美砂は康一より背が高い。康一も美砂の嫌に馴れ馴れしい態度に辟易する。

「う、うん。美砂ちゃん、それでどんな用事が――」
「そうなんですよ。私クラスの出し物で買い物頼まれたんですけど、皆忙しくて一人なんです」
「ふーん、そうなんだ」

 なんとなく話の先が読めた気がする。

「それで康一さん、お暇なら買い物に付き合ってくれませんか?」

 美砂はそう言うが、実際は先程まで釘宮円が一緒に付いて来ていた。ただし、康一を見かけた美砂に追い返されたのだ。

「あー、うん。でも――」

 ちらちらと承太郎に助けを求める康一。だが康一の背後からは、美砂の懇願の瞳が承太郎に向けられている。
 美砂とて危機感は薄いが、現状を知っている上で遠まわしに承太郎に許可を求めていた。

「……かまわん。行って来い」
「えぇっ!?」
「やったー!」

 承太郎の返事に、康一は驚き、美砂は喜んだ。
 ぶっちゃけ承太郎も美砂の扱いが面倒くさくなったのだ。
 それに、何処にいるかも知れない人間を、男二人で手がかりも無く追い続けても意味は無い。

「何かあったら電話をくれ。すぐ駆けつける」

 そう言うなり、承太郎は康一を置いて歩き始めた。

「え、あ、そんな。承太郎さ~ん!」
「ささ、行きましょう。康一さん」

 美砂にずるずると引っ張られる康一。さながら強引な姉と弱気な弟の様な図だが、年齢は逆だ。
 承太郎は歩きながら、内心ほっとしていた。
 ここ数日の康一は、気を張り詰め過ぎていた。自らの力の使い方を知り、ひたすらにその修練もしている。彼がここ数日、学友などと話している姿も見ていない。
 そういう意味では、美砂は彼にとっての良い気休めになるのではとも思っている。
 それに――。

(『スタンド使い』は惹かれあう)

 スタンド使いの多くが、この言葉を聞くと頷いてしまうだろう。絶対数の少ないスタンド使いだが、同じ街にいるだけで自然と出会い、なぜか戦う。承太郎の知るだけでも枚挙に暇が無い程だ。
 ならば、この事件の真犯人とて例外では無いだろう。いずれ相対する事になるはずだ。
 だが、それでも腑に落ちない事がある。

(虹村形兆――スピードワゴン財団の監視下の元、爆発して死亡)

 ある程度の予測はあったが、形兆は尋問するまでも無くその命を絶たれた。
 密室の中で、体の内側から弾ける様にして肉片へと姿を変えてしまった。部屋内部の肉片などの検分を進めた限り、爆弾に使われるような火薬や金属片などは発見されいない。
 ならば必然、魔法やスタンド、超能力といった特殊な能力になる。

(真犯人の力――スタンド能力は爆破? 爆弾?)

 推察は出来る。それでもその能力の大きさには驚かせられる。
 判明しているだけでも音石明、虹村形兆、広瀬康一、湾内絹保の四人がその能力により枷がはめられている。どの人物が、どの時期に枷をはめられたか判明してないが、少なくとも三人以上同時に能力の対象に出来るようだ。

(能力が強すぎる、本当に〝スタンド〟なのか?)

 スタンド能力の強さは距離に比例する。例外はあるが、強いスタンド能力ほど効果範囲は狭くなる傾向がある。
 それから考えると、この能力は範囲の制限すらなく、相手に束縛を与え、更には何かしらの法則の元に対象の殺害まで行なえる。
 ありえない――とは言えないのが『スタンド能力』だが、不可解ではあった。

(いや、違う。俺は何か勘違いをしていないか)

 承太郎は麻帆良を歩きながら、思いを巡らせた。

(そうだ、何故俺は〝犯人が一人〟だと思っているんだ)

 知らず、犯人像を絞っていた。
 犯人が自らの存在を隠す事を徹底してるため、いつの間にか犯人を一人だと思っていた。音石明は〝アノ人〟と言い、康一は〝ヤツ〟や〝アイツ〟と対象を単数として証言している。
 その言葉が承太郎の思考を誘導していた。
 可能性として注意しておくべきだ、そう思いながら承太郎は黙考を続けた。



     ◆



「やっぱりね」

 ドクターは千雨の腕を触診しながら、納得する様に呟く。

「やっぱり、ってどういう事だよ」
「ははは、大丈夫。焦らなくてもいいさ、問題なし、健康だ」

 千雨の顔色を察し、心配させない様にドクターは笑う。

「まぁ簡単な話さ。千雨の閾値(しきいち)が上がったに過ぎない」
「しきいち、ですか?」

 聞き慣れない言葉に、背後で見守っていたアキラが質問する。

「あぁ、簡単に言えば千雨の人工皮膚(ライタイト)の能力が上がったって事さ。いや馴染んだといった方が正しいかな」
「はぁ……」

 あまり要領を得ない様だ。

「人工皮膚(ライタイト)は本来千雨の実際の皮膚では無い。それが今までもそこそこ馴染んでいたんだが、ここに至って〝馴染みきった〟って事さ。それでいらなくなった人工皮膚内の余分な金属を皮膚から体外へと排出したんだ」

 ドクターは近くの端末に、簡単な図を表示させながら説明する。千雨はもちろん、アキラや夕映もなんとなく理解したようだ。
 夕映がぴょこんと挙手をした。

「質問です。それではこの様な現象はこれからも起こるのですか?」
「うーん、絶対無いとは保証出来ないが、僕はもう起こらないと思うよ」

 ドクターは懐からタバコを取り出したが、それを千雨に奪われ苦笑いを浮かべる。

「正直、千雨の閾値は頭打ち――これ以上の成長は望めないだろう。現状でもはっきり言って異常な数値なんだ。《学園都市》での一件での能力の急激な成長があり、ここに来てこんな事が起きたんだろうね」

 ドクターは手持ち無沙汰に、テーブルに乗っていた冷えたコーヒーカップを引き寄せて、一口飲んだ。

「健康診断は終了ってわけさ。そういえば千雨、ウフコックが何か話があるみたいだよ、学校に行く前にちょっと隣に寄っていってもらえるかな」
「先生が? あぁ、じゃちょっと行ってくるわ」

 千雨は立ち上がり、部屋を出て行こうとする。ドクターは一緒に立ち上がろうとするアキラや夕映に目配せをした。

「千雨ちゃん、私達ちょっとイースターさんと話あるから、先行ってて」
「お、りょーかい」

 アキラの言葉に千雨は頷きつつ、部屋を出て行く。
 残ったのは三人、アキラと夕映と、ドクター・イースターだ。

「えぇっと――」
「どちらでしょうか?」

 ドクターの言葉に、夕映が言葉を重ねた。

「どちら、とは何がだい?」

 夕映は「ふぅ」と溜息一つしつつ、ドクターをジロリと睨みつけた。

「この場合二つしかないでしょう。『私達だけに話す事がある』のか、もしくは『私達に話を聞かせたくない』のかデス」
「うん。相変わらず聡いね。この場合は後者かな、君達に千雨とウフコックの話を聞いて欲しく無かった――いや、千雨とウフコックの〝二人だけにさせたかった〟かな」
「そう……デスか」

 そのドクターの言葉から分かる事は多くない、だが明るい話題では無いのだろう。
 アキラは無言で壁を見つめた、その向こう側にはウフコックがいる部屋があるはずだった。


     ◆



「先生、来たぜ」

 ノックもせず、気安い足取りで千雨は部屋に入っていった。
 部屋の中は相変わらず雑多であり、中央ではウフコックが溶液に満たされたカプセルに身を沈めている。
 ネズミサイズの体を考えれば、明らかに大きさが合っていないプールだ。千雨も漬かれそうな大きさのカプセルの中で、ゆっくりとウフコックが目蓋を開けた。

〈千雨、来たか〉

 カプセル正面のスピーカーから、ウフコックの声が聞こえる。いささかノイズも伺えるが、千雨は余り気にしなかった。

「あぁ、久しぶり、先生。悪いな、最近色々忙しくてさ」

 以前はほぼ毎日ウフコックの所へ通っていたが、ここ数日は顔すら見せられなかった。
 千雨は謝罪をしながら、椅子を一脚引っ張り、ウフコックの前に座る。背もたれに両肘を乗せ、だらしなく頬杖を付いた。

〈文化祭、とやらはどうだ?〉
「どうだ、ってもまだ始まってないんだけどな――まぁ準備期間でも充分うるさいよ」

 何かを思い出したのか、千雨がキシシシと笑い出す。

〈ん、どうした?〉
「いやさ、聞いてくれよ。この前、超の屋台のバイトやってる時にさ――」

 千雨はこの一週間で起きた様々なトラブルを話す。その度にウフコックは相槌を打ったり、助言を与えたりする。
 他愛も無い雑談、以前であれば日常的に交わされていた会話だろう。

「――ってさ。あ、そういえば先生も話あったんだよな」
〈あぁ〉

 ウフコックはためらいながら答える。

〈千雨、そこの机の上から二段目の引き出しを開けてみろ〉
「二段目、これか?」
 千雨はウフコックの指示通りに引き出しを開けると――。
「これって……」

 引き出しには拳銃が入っていた。千雨はこの銃を知っている。
 表面は白く、鮮やかな光沢を放つ。流麗なデザインの回転式拳銃。
 千雨がかつて二度の戦いで使った《千雨の銃》。千雨の願望やイメージを、ウフコックが具現化した銃だ。ただその時と違うのは撃鉄だ。かつて撃鉄は内部に埋まるように作られ、ウフコックが共にいないと撃つことが出来なかった。だが、この銃は撃鉄は通常の銃と同じく、外部に露出している。
 千雨はズシリと重い拳銃を握った。弾倉にはきっかり六発弾丸が入っている。引き出しを見れば予備の銃弾とガンベルトが見えた。
 知覚領域で内部まで知覚すれば、どれもこれもが見事な精度で作られている。明らかにメイド・バイ・ウフコックだと分かる一品だった。

「先生……どうして、これが」

 千雨の静かな怒りは、怪我をしているウフコックを叱るものだった。体調が悪いにも関わらず反転(ターン)し、これを作ったのが分かったからだ。

〈状況は聞いている。もっと早くに渡したかったんだがな〉

 ウフコックはカプセル内にぷかぷかと浮きながら、淡々と話す。

「だからって、それは先生が回復すれば済む話じゃねーか。もう少しなんだろ、わたしはそれまで待って――」
〈千雨〉

 千雨の声をウフコックが遮る。

〈良く聞け。私はもう長くない〉
「……は?」

 沈黙が室内に広がった。千雨はただ目を見開き、ウフコックのいるカプセルを見つめ続けた。

「いや、だって、ドクターが治療中だって、それに先生は不死なんだろ、なのに」
〈ドクターには黙っていて貰った。奴を責めないでくれ〉

 焦る千雨に、ウフコックはゆっくりさとす様に話す。

〈私は確かに不死に近いだろう。肉体を幾つもの別次元に格納している。例え現在のネズミの姿をミンチにされようと、おそらく少し経てば復活する事が出来るだろう〉
「だったら、なんで」
〈だが、不老では無い。私の肉体は膨大だ。年を経ればその分、肉体は比例して巨大になっていく、際限無くだ。何れ自重を支えきれなくなり、私は自らの肉体に殺される。それも本来ならもっと先だったのが〉

 千雨はごくりと唾を飲んだ。その言葉の先が分かったのだ。その時、千雨は気を失っていたが、後にその場の詳細は聞いている。

「《学園都市》での、スタンドなのか?」
〈そうだ〉

 思い出されるのは《学園都市》で遭遇したスタンド使い、その能力は周囲の生物の老化だった。ウフコックはその能力の影響を受けて暴走したらしい。結果、夕映を救う事にも繋がったのだが。

(また、なのか)

 ギリリ、と千雨は歯を食いしばる。「またスタンドか」という思いと、自らがウフコックを学園都市に連れて行ってしまったという悔恨の思いが巡る。

〈私の根幹そのものに大きな歪みが出来てしまった。もはや修復も出来るまい〉
「うぐ、いや他にもあるだろう。《楽園》に行くとか、それに魔法だって!」

 千雨の言葉に、ウフコックはただ首を振り、否定した。

〈《楽園》とて不可能だ。私を作られた時にいたプロフェッサー、――三博士は、もはや《楽園》に一人しかいない。それに今《楽園》は衛星軌道上にある、生半可な手段じゃ辿り着けまい。魔法に関しても、ここの司書をしているクウネル氏に助力を願ったが無理だった〉
「あ、あんなエセ魔法使いじゃなくて、もっとすげぇ魔法使い呼べば、大丈夫かもしれねぇだろ」

 千雨は縋る様に可能性を探す。

〈学園長殿によれば、クウネル氏は世界でも十本の指に入る魔法使いだそうだ〉
「そん、な」

 体中にブワリと冷や汗が浮かんだ。恐ろしい想像が頭の中に次々と沸いてくる。そして一緒に思い出されたのは、半年以上前のあの夜、両親と過ごした最後の日。

「はっ、はっ、はっ」

 呼吸が浅く速い。手がカタカタと震え、体中の力が抜けて膝を付きそうになる。なんとか机に体を預け、体勢を維持した。

〈千雨、落ち着け。これは私にとっての寿命なのだ。それが少しだけ早い形で現れたに過ぎない〉

 ウフコックはあえて〝首輪〟の影響は話さない。千雨に人権的な保護を行なうために、《学園都市》に対価としてはめられたウフコックへの枷。千雨の能力『電子干渉(スナーク)』を意図的にループさせ、単身で《学園都市》をも制圧させてしまう力『ループ・プロセッサ』を封じるためにはめられたのが〝首輪〟だった。
 本来、千雨がその力を使う事により、ウフコックは人格を歪ませる程の苦痛を覚えるはずだった。逆を言えば、能力さえ使わなければ問題無いはずの首輪、しかして今回はその首輪こそがウフコックの根幹を歪ませたのだ。
 ウフコックの治癒は、ドクターとクウネルが協力し合えば可能だったかもしれない。だが、それを妨害させる程の歪み作ったのが〝首輪〟だったのだ。
 捨てられた仔犬にはめられた首輪が、やがて成長するにつれて首に食い込み、その成長を歪ませるように。ウフコックの人格と精神にも、強く歪みを作っている。
 急激なウフコックの老化は、彼の芯を確かに歪にさせたのだ。肉体の成長に限界を作られていないウフコックには、その歪みこそが危険なのだ。
 千雨の力を最大限に使えば、おそらく以前ならば〝首輪〟は外せた。しかし、もう遅い。〝首輪〟は力強くウフコックの首元に食い込み、彼自身の崩壊を想定しなければ外せないだろう。

「うぅっ、うっ……」

 千雨はぽろぽろと泣き出した。彼女のそんな姿を前にして、ウフコックは真実を言えない、言える筈が無い。
 千雨の姿は、半年前に《学園都市》で目覚め、両親の死を知り泣きじゃくった姿を思い出させる。
 それに言ってしまえば、おそらく千雨はよりウフコックに依存してしまう。彼女は〝卵〟なのだ、まだ殻を破らずにひっそりと羽根を休ませている雛。自分はきっと彼女を覆う殻なのだろう。
 雛が殻に依存する、それは馬鹿げた光景だろう。だから言う、ウフコックはその言葉を。

〈千雨、私はお前の何だ?〉
「えっ――」

 ウフコックの言葉に、千雨は一瞬涙を止める。
 幼い顔立ち、半年前に比べれば少し背が伸びただろうか。そんな取り止めも無い事を思いながらも、ウフコックは言葉を紡いだ。

〈親か、兄弟か、師か?〉
「っ」

 千雨は口をつぐむ。心の端にチクリと何かが刺さった。

〈私を通して、両親を見るな。私は所詮ネズミだ、人とは生きる時間も違う〉
「違う! 先生、わたしは先生を――」

 口では否定するも、千雨はウフコックに失った両親を重ねている事を自覚していた。

〈私はお前の両親にはなれない。兄弟にも、師にも〉
「先生、やめてくれ!」

 千雨は泣きながら首を振る。

〈私が成れるものなど一つしかないだろ。だから――〉

 ダン、と机を叩く音が響いた。千雨は机を力まかせに殴ったのだ。

「もういい! 先生は私が治す。治してみせる」

 そう言うなり、千雨は部屋を出ようとする。

〈待て、千雨。行くのなら銃を持っていけ〉
「いらねえよ。先生を治したら、もういらなくなるだろ」
〈千雨ッ!〉

 ウフコックの強い声色に、千雨は怯えながらも振り向いた。

〈お前には守りたいモノがあるはずだ。だったら銃を持て、そうでなければまた繰り返すぞ〉
「――ッ!」

 ウフコック自身、意地悪な囁きだと理解している。だけど、今は千雨の手に銃は必要なはずだった。
 千雨は顔を歪めながら、早足で机に戻り、銃と弾丸を引っ手繰る様に抱える。

〈それでいい。学園祭の前にすまなかったな〉
「うるせぇ、先生は私が治してやるから、おとなしく寝ていろ!」

 ウフコックは肩をすくめながら、部屋から出て行く千雨の背中を見つめ続けた。
 金色の毛の中にある真っ赤な瞳が、どこか寂しそうに光っていた。



     ◆



 街には夜の帳が落ちていた。
 あの後、千雨は学校に行かず、人目の少ない場所で時間を潰した。
 アキラと夕映にも連絡はいれてある、二人も心配していたが「一人にしてくれ」と無理やりに通信を切った。
 以前、承太郎と初めて出会った公園。
 麻帆良を見下ろすように出来た、小さな丘に出来たそこで、千雨はベンチで膝を抱えていた。
 思考はウフコックを救う事に終始している。

(ドクターは治せない。《楽園》も駄目。魔法使いも治せない)

 千雨の知る限りの可能性を検討していく。

(《学園都市》か? でも《楽園》でさえ出来ないのに、あそこで出来るのか)

 施設や場所だけでない、千雨は今までに様々な異常なモノを見てきた。

(ならばスタンド能力は? 先生を老化させる力があるなら、治す力があるかもしれない。承太郎さんに聞いてみるか?)

 しかし、スタンド使いは絶対数が少ないと聞く。過剰な期待はしない方がいいだろう。

(いや、待て。今この街にはスタンド使いを発生させる《矢》があるんだ、ならば――)

 どす黒い思考が千雨の中に広がった。
 〝治せる者を探す〟のでは無く〝治せる者を創る〟という思考。一瞬、甘美な妄想に思えるものの、その思考をどうにか振り切った。

(駄目だ。それじゃ駄目なんだ。だけど、あの《矢》の凄さが分かった気がする)

 《矢》という存在がどれほど魅力的なのか、そしてどれほどの可能性があるのかを。
 犠牲を考えなければ、おそらく様々な奇跡が可能となる。もちろん創りだしたスタンド使いが自らに牙を向く事もあるだろうが。
 承太郎が言うには、様々な外部の組織からも、《矢》目当てにこの麻帆良へと圧力がかかっているらしい。
 切羽詰った千雨としても、その気持ちはなんとなく理解できた。

「八方塞がりかぁ……」

 そう思うと、体が一気に冷えた気がする。ウフコックを失うという想像が、千雨の心を萎縮させる。

「あるはずだ、何か先生を救える方法が」

 魔法使いという、オカルトで不可思議な存在が匙を投げている。他にどんな方法が――。

「あっ」

 千雨は思い出す、一週間前に見せられたアレを。

「そうだよ、いるじゃねぇか」

 バイト先のオーナーである少女、彼女のいう事が確かなら。

「未来人の天才がいるじゃねーか」

 超鈴音、ウフコックもドクターも、彼女が未来人だという事は知れない。
 それにただの未来人なら無理かも知れないが、彼女はなんて言ったって天才だ。もしかしたら、という可能性がある。
 今、ドクター達が思いつかず、千雨が思いつく存在は超だけだった。
 ベンチから立ち上がる。

「携帯で……いや、今ならまだ屋台にいるのか」

 もう営業時間は終わっているが、今なら会えるかもしれない。
 千雨は公園を飛び出した。
 坂を一気に走り降りながら、前夜祭に浮かれる街中を疾走した。
 通りは夜ながら、なかなかの盛況であり、そこらかしこから喧騒と音楽が聞こえた。
 学園祭前夜という事で、夜遅くても多少の融通は効いているのだ。その分、警備は強化されているが。
 そんな中、焦りすぎたせいで千雨は人とぶつかってしまう。

「おわっ」
「おっと」

 そのまま尻餅をつく。
 ぶつかった相手は男性の様だ。二十台後半ぐらいの男性は、ブランドものだろうジャケットを小脇に抱え、ワイシャツにスラックスという姿。ジャケットを抱えてる腕の先には、少しこじゃれたバッグを持っていた。
 胸元のネクタイは紫といういかつい色をしながら、彼の存在そのものはシックであり、人波に容易に埋没する様な印象だった。

「あぁ、すまないね」
「いえ、こちらこそすいません」

 謝罪の言葉に、千雨もおうむ返しの様に言葉を返す。どう考えても千雨の前方不注意だった。
 どうやら男性もよろついた様だが、千雨の様に倒れはしなかったらしい。
 千雨の目の前に、男性の手の平が差し出される。

「あ、ありがとうございます」
「いや、かまわないさ」

 その手を握り、男性に引っ張られて千雨は起き上がった。そしてそのまま会釈をしながら立ち去ろうとするも――。

「あ、あの」

 男性の手は離れていなかった。千雨の手をしっかりと握り続けている。
 手は握られたまま、男性の親指が千雨の肌をまさぐる様に、くにくにと動いた。

「ひっ」

 ぞわり、と鳥肌が立つ。言い知れぬ嫌悪感。目の前の紳士然とした男の目が、ギラリと光った気がする。
 千雨は怯えるように、その手を振り切った。

「あ、いや、余りにも綺麗な肌でね。思わず職業柄見とれてしまった、本当にすまない」

 男性は両手を挙げながら、大げさなまでに頭を下げて謝罪した。
 その態度に、いぶかしげながらも千雨は幾分安心する。

(な、なんだ。もしかして化粧品とか取り扱ってる人なのかも)

 ぺこぺこと謝罪する自分より年上の男を見て、気まずくなった。

「いえ。き、気にしてません。あの、わたし急ぐんでこれで」

 男性の反応も見ずに、千雨はそそくさと逃げ出した。
 それでも、男性は千雨の背中に向けて謝罪をする。ただ伏せられた顔には笑みがあった。
 千雨の肌を触った親指を、ぺろりと一舐めする。

「あぁ、なんて美しい〝手〟だ。長谷川千雨」

 周囲に人が居るにも関わらず、男の声は誰の耳朶を揺らさない。
 その醜悪な笑みさえも、見る人間はいない――はずだった。

「おい」

 男の肩に手が置かれていた。男の背後には一人の男子高校生が立っていた。頭の両側を刈り上げ、頭頂部だけにパーマをかけた特徴的な髪型の高校生。
 その目は決して友好的では無く、殺意に満ちていた。

「ちょっと面かせや、〝吉良吉影〟さんよぉ」

 男――吉良吉影――は、高校生の言葉に愉悦も、落胆も、悔恨も、一切の感情を見せずに頷いた。



     ◆



 街の喧騒から少し離れた場所で、吉良と高校生は対峙した。

「おい、てめぇ、虹村形兆って名前は知っているな」
「あぁ、知っているよ。まだ僕の中にしっかりと〝刻み込まれている〟」

 吉良は抑揚無く淡々と答える。

「なら、話は早い。俺は虹村億泰、形兆は俺の兄だ」

 億泰は怒りを滲ませながら、自らの存在を相手に叩きつける。

「ふむ、虹村億泰君か。覚えたよ、それで要件は何かな」
「――っざけんな! テメエのやった事はなぁ、兄貴からしっかり伝わってるんだよ!」

 億泰は携帯電話の液晶を突き出す、そこに表示されているのは形兆が知る限りの吉良の情報であった。

「なるほどな、どおりで『ザ・ゲーム』の参加人数が減っているわけだ。君のお兄さんはゲームオーバーだ。残念だね」
「っ、この、野郎」

 ブチブチ、と億泰の頭部に血管が浮かび上がった。

「わかってんのか、こいつを警察やらネットに流す事だって出来るんだ」
「でもしていない。それにしてくれても構わんよ、何しろ〝もう遅い〟」

 時刻は遅い。学生中心の街ならば、本来静寂に包まれている時間帯だ。
 だが年に一度のこの時期だけは、その規範は破られ、夜中でも喧騒が街を覆う。
 もう少しで日付が変わる時間だった。

「あいつはなぁ、兄貴はクズだった。それでもよぉ、俺の残されたたった一人の兄貴だったんだよぉぉぉ!」

 億泰が叫ぶ。
 彼の背後に『スタンド』が浮かび上がった。力強さに溢れている、おそらくはパワー型のスタンドなのだろう。

「ほう」

 吉良は感嘆の声を上げる。
「だからこそ、俺はキッチリとけじめをつけなけりゃならねぇぇぇ!」
 億泰はそのまま吉良に襲い掛かる。背後のスタンドは、右手を――まるで凶器の様に――構える。

「『ザ・ハンド』ォォォォォ!」

 ガオン、という音と共に『ザ・ハンド』は右手を振りぬいた。

「ちっ!」

 吉良は脇に抱えていたジャケットを投げつけながら、背後へと転がる。手に持っていたバッグも、近場へとそっと転がした。
 投げられたジャケットは右手に触れた途端、その存在そのものが消失した。

「俺の『ザ・ハンド』は触れた全てのモノを削り取る! あきらめな!」

 その威力に冷や汗をかきながらも、吉良は冷静に対処をする。

「やれやれ、相変わらず頭の悪い兄弟だ」

 吉良の傍にも、自らのスタンドが立っていた。ピンク色の肌をした人型のスタンド。『ザ・ハンド』と同じく屈強な姿である。

「『キラークイーン』」

 吉良の手には、ジャケットから引き千切ったボタンが一つあった。それを億泰に向けて指で弾いた。

「甘いぜ、てめぇの能力は知って――」
「遅い」

 億泰がスタンドで削りとる直前に、ボタンが爆発した。
 爆発を幾分か削ったものの、そのダメージは億泰本人にも響いた。

「くっ! て、てんめぇぇ!」

 億泰は肩膝を突きながら、吉良を睨みつける。吉良は悠然と立ちながら、億泰を見下ろした。

「君の能力は強力が、如何せん使い方が悪い」
「へ、ご説教ありがとうよ。けどもさぁぁぁ!」

 億泰はその場で『ザ・ハンド』を振るった。ガオン、という音と共に周囲の〝空間〟が削られる。

「なにっ!」

 空間はその穴を埋めようと周囲の物を引き寄せた。そして吉良もそれに巻き込まれる。
 吉良はいつの間にか億泰の間近へと移動していた。

「貰ったぜ! 『ザ・ハンド』ォォォォォォ!」
「くそぉぉぉ、『キラークイーン』!」

 『ザ・ハンド』は吉良に向けて右手を振り下ろす。対して吉良は自らのシャツのボタンを引き千切り、爆発をさせた。しかし、そのどれもが億泰に捌かれてしまう。

「このぉぉぉぉ!」

 スタンドでどうにか攻撃を避けようとするも、相手のスタンドは空間そのものをも削る。
 吉良は体を捻って避けようとするが――。

「ぐあぁぁぁぁぁ!」

 左腕を肩口からごっそりと『ザ・ハンド』に削られた。
 吉良は痛みでうずくまる。その姿を、今度は億泰が見下ろした。

「さっきまでの偉そうな姿はどうしたんだよ、殺人鬼さんよぉ」

 億泰は吉良への警戒を解かないまま、先ほど地面に転がされた吉良のバッグへと近寄った。

「き、貴様、まさか」
「へへへ、こいつかな」

 足先でバッグをひっくり返すと、中から異物がゴロリと落ちた。
 手。
 それは人の手だった。手首で寸断された人間の手、華奢なその作りと大きさは成人女性のものだろうと推測できる。

「やっぱり、この情報はマジモンなのか」

 億泰は携帯を見ながら、吉良の事を確認する。

「手首フェチの変態殺人鬼。俺の兄貴もクズだったが、お前も終わってるよ」
「たのむ、たのむから彼女だけはぁ」

 億泰へ懇願する吉良。だが、それは無常にも叶えられなかった。

「それはできねぇ相談だわな」

 ガオン、とスタンドの右手が振られ、女性の手首は消滅した。

「あぁ……」

 それを見て、嘆きの表情をする吉良。

「さてと、それじゃあ――」
「ははははははッ!」

 億泰の呟きを、吉良の奇声が遮った。

「そうか、そうなのか。虹村億泰、君は僕の中に刻み込まれた」

 泣き笑い、とでも云うのだろうか。狂気に満ちた表情で吉良は言う。肩からは血が溢れ、とめどない痛みがあるはずなのに。

「てめぇ、何を言ってる。本当に狂っちまったのか」
「狂っている? あぁ、狂っているさ。この麻帆良という土地は、土地そのものが狂っている」

 血は地面に水溜りを作っていた。吉良は青白い顔をしながらも、意識ははっきりとしている。その顔を見ると、億泰は怖気が背中に走った。

「だが、私はこの場所を愛してしまった。だから、だから私はぁぁぁぁぁ!!」
「ご高説は地獄ででもしてろ! 狂人に付き合う義理はねぇぇんだよぉ!!」

 億泰は『ザ・ハンド』を吉良の頭部に向けて振り下ろす。その威力は地面すらも抉り取った。
 しかし――。

「な、なんだよ。なんで、今」

 削ったはずだった。しかし、億泰は今しっかりと見たのだ。頭部を削り取る瞬間、〝吉良の姿そのものが消えた〟のを。
 きょろきょろと周囲を見渡す。
 その時、夜の十二時を知らせる鐘の音が鳴った。
 上空に、どこかのサークルが打ち上げたのだろうか、余興の小さい花火が空を彩る。
 空に輝く光が、億泰の視界を一瞬染め上げた。

「ど、どこに――」
「《負けて、死ね》」

 声が聞こえた。
 同時に、ずぷり、という音と共に億泰の胸元から手が生える。いや、生えたのでは無い、貫かれたのだ。

「がっ……はっ……」

 億泰の口から血が溢れだした。体から力が一気に抜けていく。それでも必死に抵抗を試み、胸を貫いている腕から脱した。
 そして、かろうじて首を動かして背後を見る。

「な……、なんで……」

 そこに立っていたのは、紛れも無く〝吉良吉影〟だった。
 〝五体満足〟であり、〝ジャケットとスラックスを着て〟、〝手にはバッグ〟を持っている。
 彼の胸を貫いていたのは、吉良のスタンドの腕だった。

「まさか僕にアレを使わせるとはね。だが、ありがとう。おかげで私は一つ賢くなった」

 無傷の吉良吉影がそこにいた。
 億泰は血で言葉を詰まらせながら叫んだ。

「げはっ! まだ、だ。まだ兄貴、に、虹村形兆の仇はとれて、ねぇぇ!」
「虹村形兆?」

 その言葉に、吉良は首を傾げた。
 億泰の背後でボロボロの姿の『ザ・ハンド』が立ち上がるも――。

「――くたばれ」

 ボソリと呟かれた吉良の一言を切っ掛けにして、億泰の体が内側から破裂した。
 断末魔の言葉すらなく、億泰は肉片となって生を終えた。
 吉良はスタンドを使い、飛び散る血や肉片から自分を守ったものの、ジャケットの裾に血の染みを見つけて顔をしかめた。

「まいったな、こいつは落ちそうにない」

 そのまま何事も無かったかのように踵を返す。
 日付を跨ぎ、いつのまにか学園祭当日になっていた。
 だが、まだ日が昇るまでは時間がある。

「そういえば、虹村形兆と言っていたな」

 億泰の最後の言葉を思い出した。

「はて、一体どんな人物だったのだろう」

 心底不思議そうにしながら、吉良吉影は夜の中に消えていった。



●吉良吉影
・スタンド名『Queen』

第一の能力『キラークイーン』
触れたものを爆弾に変える。
対象は一つのみ。

第二の能力『ザ・ゲーム』
条件付爆弾。
能力者本体がリスクを背負い、相手にルールを強制する爆弾。
ルールに従わねば爆弾が発動する。
またそれらの条件は、あくまで能力者本人の価値観により対等であり、決してフェアでは無い。
第一章において、音石明を殺した能力である。

第三の能力『■■■■■■■■』
■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■



 つづく。




(2011/09/13 あとがき削除)



[21114] 第40話「フェスタ!」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:41
 麻帆良祭当日。
 この日の出来事は後に、麻帆良そのものの根幹を揺るがす大事件として記憶される。
 魔法を含めた様々な異能や異法、そして国や組織が形を変えざるを得ない状況に追い込まれる。
 まさに分水嶺とも云える事件であった。
 観測者であり、また事件の当事者でもある人物は、「あるべき流れが、大きく歪みきってしまった」と残している。
 麻帆良という大河が、自らの歪みにより決壊してしまう。
 これは一つの物語の結末であり、長い長い一日のはじまりでもあった。
 ――そして、一人の少女の誕生の物語でもある。







 第40話「フェスタ!」







「――ちーちゃん」

 アキラはそっと寝ている千雨の髪を撫でた。
 昨日、屋台の店仕舞いをしている時に、千雨が慌てて駆け込んできたのだ。
 超に用事があったらしいが、あいにく彼女は不在。携帯も繋がらず、超の居場所がさっぱり掴めなかった。
 深夜という事もあり、千雨はあきらめてアキラと一緒に帰宅したのだった。
 千雨が悩んでいる内容を、アキラはおおよそ察している。その事を直接相談してくれない事に、どこか寂しさを感じていた。
 アキラの出来ることは少ない。いくら体が大きくても、まだ中学二年生であり、子供だ。
 それでも、千雨の力になりたいと思う。
 幼馴染であるという事もある。千雨に助けられたという事もある。理由を一概に一言では表せないが、アキラは千雨という存在に心底惹かれているのだ。
 そして同時に、同性である対象に不相応な程の愛情も感じている。
 彼女が他の異性と親しそうにしていると、どこか苛々とするし、彼女が自分を気にかけてくれると嬉しい。彼女の世話を焼いていると、何故か心が満たされた。

(これって――)

 以前、事件の最中だったが、千雨に口づけされた事をアキラはしっかりと覚えている。その事を思い出すと、アキラはたまらない気持ちになる。
 彼女はこの感情が何かを確信する――同時に不安にもなった。その感情を吐露した途端、千雨に嫌われるのではないか、そして周囲にも拒絶されるのではないか。
 アキラは『スタンド・ウィルス』事件の際に、自らの意志はともかく他者を傷つけた。その経験が、他者に拒絶される恐怖をアキラに刻み込んでいる。
 そのため元々快活な性格では無いが、今でもいつも受身になってしまうのだ。
 だから自分からは聞けない。
 千雨の心の奥底にまで踏み込めない。
 アキラの心は、千雨の全てを欲している。彼女の美しさも、気高さも、強さも、醜さも、悲しさも、弱さも、全てを知りたいと思う。しかし、踏み込めない。
 スタンドという特殊な力を用い、お互い心を接す繋がりがありながらも、アキラはその繋がりの距離を感じてしまう。
 いや、心で繋がるという〝道具〟に縋ってしまうのだ。

「――んっ」

 千雨のうめき声。
 寝ている千雨の唇に、アキラは指を這わせた。それは二人にとっての毎朝の儀式。アキラが千雨との繋がりに、明確な形を作る儀式だ。
 千雨の体内にアキラの『スタンド』が流れ込み、二人の間に明確なラインを作り上げた。
 アキラがこの〝道具〟に依存してしまうのは、夕映の存在があるかもしれない。
 彼女も、千雨に対して並々ならぬ感情を抱いている。元々その気配はあったが、《学園都市》から戻ってきてからは隠そうともしない。
 むしろ夕映の友人達は、それを応援しようとする気配すらあった。
 アキラ自身、夕映に対して悪い感情はさして無い。
 最近は一緒にいる事も多く、お互いに仲間意識もあり、友情もあるだろう。共有する感情もあるかもしれない。
 だが、千雨と夕映には明確な形での繋がりがあった。
 元々あった千雨への好意を使い、『条件付け』という洗脳を夕映は施されているらしい。また千雨と通信できる装置が埋め込まれ、手の平には千雨と同じ人工皮膚(ライタイト)がある。
 彼女は存在そのものが、千雨と共にある様に作られていた。
 見る人が見れば、歪だと思うだろうし、残酷にも感じられるだろう。
 だが、千雨と夕映はその状態を常とし、この数週間は日常として過ごしている。当人からすれば残酷ではないのだ。そこに他者の価値観を押し付けるのは、余計なお世話としか言いようが無いだろう。
 なによりアキラは、そんな夕映の在りかたが羨ましかった。

「ふぅ」

 千雨の口から息が漏れる。未だ彼女は目覚めない。
 ちゅぴ、と小さな水音を残しながら、アキラの指が千雨の口元から離れる。
 唾液が糸を引き、朝日の中きらきらと光った。
 アキラはその指先を、自らの口につける。

「――ッ」

 無意識の行動だった。だが、その行動の浅ましさを自覚し、顔に羞恥が走る。

(――醜いッ)

 千雨はあけすけだ。
 自分と共にいる時、千雨は行動のほとんどを隠そうとしない。
 アキラはそれを信頼の証だと感じていた。実際は千雨がずぼらなだけなのだが。
 その信頼を、アキラは裏切った様な気がした。
 ぐっと拳を握る。

(ちーちゃん)

 目の前に千雨は寝ている。
 手は艶やかな千雨の頬を撫で、その吐息すらも感じられた。
 心で呼びかければ、いつでも千雨の言葉が聞けるだろう。
 なのに――。

(ちー、ちゃん)

 アキラには、千雨の存在が遠く感じられた。



     ◆



 朝食の席に付きながら、千雨は吐息を一つ。
 ウフコックの事を考えると気が沈んだ。
 昨日は超に相談を持ちかけようとしたが、どうにも会うことが叶わなかった。
 その後、千雨は失念していた事を思い出す。ドクターにウフコックの状態を詳しく聞いていなかったのだ。
 アキラ達の目をごまかしながら、ドクターに携帯で連絡を入れて聞いてみた所によれば、ウフコックは明日明後日に死ぬというものでは無いらしい。
 とは言っても、それは安静にしてればという事である。ウフコックが反転変身などを使えば、体調がどうなるか分からない。使わないとしても、寿命は半年が良い所だろうとの事。
 「何故隠していた」と怒りたい気持ちもあったが、ドクターの口ぶりからその気持ちが失せた。ドクターも必死だったのだろう。それに、ドクターのそんな話を聞きながらも、千雨もアキラや夕映へ真実を告げていない。それなのにドクターを責めるのはお門違いだった。
 千雨はアキラや夕映にはこの話をするつもりは無かった。夕映に伝われば、きっと自らを責めてしまうだろう。アキラに話してしまっても、おそらく自然と夕映へと話が伝わる。

(それにしても半年、か)

 奇しくもウフコックの余命は、千雨とウフコックが出会ってから過ごした時間にほぼ等しい。
 それだけの時間があれば、どうにかなるやもしれない。少なくとも、超とは今日中に会えるだろう。会えば、何かしらの打開策を提示してくれるかもしれない。
 千雨はそんな事を考えながら箸を動かした。
 今日の朝食は和食だった。
 普段、余り時間が無いという事もありパン食が多い。しかして今日は、朝から炊きたてのご飯が出てきた。
 アキラの話を聞くと、今日は朝早く起きすぎたらしい。
 だからだろうか、今日はいつにも増して口数が少ない。

「なぁ、あーちゃん。まだ眠いのか? 少し時間あるから、メシ食べたら少し横になれば?」
「ううん。大丈夫」

 微笑を浮かべながら、アキラは首を振る。
 千雨はそんなアキラの表情に違和感を覚えた。疲れているとか、眠いとかじゃない。なにかもっと違うものをアキラは抱えているのでは無いだろうか。

「本当に、大丈夫なのかよ」

 千雨はそっと手をアキラの顔に伸ばす。さらりと揺れる黒い前髪をめくり、露出した額に手の平を添えた。

「――っ」

 アキラが目を大きく見開き、硬直した。。
 アキラの体温が手を伝わる。若干平熱より熱い様にも感じる。
 千雨とて、電子干渉(スナーク)を使えば怪我などを把握は出来るが、病気まではさすがに分からない。

(まぁ、平熱か)

 千雨がそう思っている時、自らの手がパシリと弾かれた。
 アキラが千雨の手を振り解いたのだった。

「えっ」
「あっ……」

 一瞬の沈黙。千雨はアキラのその行動に驚き、アキラは無意識の自分の行動に怯えた。

「ご、ごめんなさい、ちーちゃん。私――」

 アキラは何かを言おうとするものの、言葉が続かない。

「あはは、悪ぃ。わたしこそごめん。いきなり顔なんて触って」
「違う! 違うの、私ね――」

 千雨の申し訳なさそうにしている瞳。アキラはそれを見ると、心が痛んだ。
 枯渇。
 人はどこまでも浅ましく、手に入れても手に入れても、次々と欲しいものが出てくる。
 目の前の存在が欲しい。アキラは全てをぶちまけて、千雨に全てを受け入れて欲しかった。
 それは自分の中にある甘い囁き。唐突なる衝動。

「私ね、ちーちゃんの」
「ん?」
「ちーちゃんの――」

 アキラの言葉は、窓の外で鳴り響いた花火の音でかき消される。
 破裂音と共に、朝の空に色とりどりのスモークが舞った。

「おっと急いで食べないとな。あーちゃん、体調悪くなったらわたしに言えよ」

 千雨はアキラが自分に対し、また謝ろうとしていると察し、話題を切り替えた。まるで先ほどのアキラの行動を気にして無い様に。

「う、うん」

 頷きつつ、アキラは羞恥で顔が赤くなった。

(私、何を言おうとしていたの)

 思い出すと恐怖も心に広がる。
 アキラの中にある感情を出す、それは対価として今の関係を差し出すという事だった。
 この二人で過ごす何気ない日々、いつまで続くか分からないこの日常を、アキラはとても大切にしていた。
 アキラの心に、少しのしこりが残った。



     ◆



 朝も早くから、学園祭当日の麻帆良は騒がしかった。
 大通りのあちこちでは、催しの準備が進み、早くも観光客がぼちぼちと来ている。

「へー、活気があるわねぇ」

 トリエラは喧騒を横目にしながら呟く。
 『学園祭』などと聞き、キャンパスの一般公開程度かと最初は思っていた。トリエラは夕映の実家に住んでいるのだが、ここ最近は週に一、二度夕映が夕飯を食べにやってきてくれる。その際に学園祭について話してくれるので、何となく理解はしていた。しかし、実物を見るとさすがに驚いた。

「あれ、本当に作り物なのかしら」

 恐竜らしきモニュメントがあるかと思いきや、それはどうやらロボットの様だった。スムーズに歩行しながら、目玉まで器用に動いている。恐竜の皮膚もまるで本物の様に見えた。
 他にも巨大な出し物やら装飾やらがそこかしこにある。
 まさに街総出の祭りという所だろうか。地方の小さなお祭りとは規模が違った。

「テレビでもやるはずよねぇ」

 トリエラは朝食を食べている時に見たニュースを思い出した。ニュースキャスターが麻帆良祭について懇切丁寧に説明していた。
 どうやら世間的にもかなりの注目があるらしい。
 日本ではあの《学園都市》と並ぶ、とまで言われている研究都市である麻帆良。実際はその差は大きいのだが、それでも国内有数の都市なのだろう。そして外部へのプレゼンテーションたる麻帆良祭は、麻帆良という都市の実力を示す絶好の機会なのだ。
 秘匿主義を旨とする魔法使い達も、この時ばかりは胸襟を開くらしい。
 なにせこの開催中三日間に来る観光客はかなりの数だ。現に麻帆良市内の宿泊施設はほぼ満室。この日ばかりは都心から麻帆良への列車も、始発から大混雑となる。
 トリエラも祭りの喧騒に誘われ、薄手のチュニックにデニムのパンツというラフな格好でここまで来ていた。
 髪は相変わらず後頭部で適当に纏めてある。
 瞳には日光対策のコンタクトレンズ。エヴァと契約したので、以前よりも日光には強くなったものの、一応だ。
 家から徒歩で十分くらいの、学園部分の入り口となる当りのエリア。
 ここ二週間程で見慣れた場所だったが、様子は一変していた。
 まるでどこぞのアミューズメントパークの様な姿に変わっている。
 屋台や露店が設営を行い、元々あった喫茶店などが特別なオープンカフェのために、本来ならば車道であるはずの場所にまで椅子やテーブルを出していた。
 麻帆良祭の特徴としてはテキ屋などが存在しなく、それら屋台全てが学生や運営側による出し物になっている。
 だが、トリエラの周囲にある屋台の設営などを見ると、学生なのに皆が異様に慣れている。
 それというのも、この麻帆良にいる学生達は在学歴が長い者が多い。そのためこの麻帆良祭を稼ぎ時としっかり認識しており、幼い時からちゃっかりこの手の商売を手伝っている者もいたりする。そんな中で、先輩から後輩へと連綿とノウハウが継承されていくのだ。
 トリエラはそこらで配布されている、麻帆良祭のガイド冊子を手に取った。

「うわぁ、これ本当に学生の催し物なの……」

 三日間に渡るおおよそのイベントスケジュールやら、学園内の出し物のマップなどが載っている。スケジュールにいたっては、様々なコンテストやイベントが多種に渡りあり、とてもじゃないが全てを見れるはずが無い。出し物も数百という単位で掲載されていた。学校ごと、クラスごと、部活動ごと、ゼミごと、更には複数の学校の共同だったり、色々な単位で出し物を企画提供するらしい。
 トリエラは呆れつつも、夕映のクラスの出し物だけはしっかりとチェックする。

(妹の雄姿を見なければ)

 クラスではメイド喫茶をやり、部活では図書館島のガイドをするらしい。どちらも夕映が参加する日程は聞いてある。

「見逃せないわ」

 グっと拳を握り、瞳に決意を灯した。
 そんなトリエラの姿を、学生たちは横目で見ていた。
 日本にしては外国人の比率が多い麻帆良なので、トリエラの褐色の肌が興味を引いているわけでは無い。長い金髪を無造作に後ろで束ね、服装もラフながらも、トリエラのスタイリッシュさは周囲の中でも際立っていただけだ。
 褐色の美人であるトリエラに、男達は声をかけるか迷っている。しかし、トリエラの出す雰囲気に今一歩を踏み出せないのだ。
 そんな中――。

「おっじょうさ~ん。良かったら俺と一緒に祭回らない?」

 背後から軽薄で間延びした声。
 トリエラは一瞬不快気に眉をひそめたが、その声にハッとする。

「あんたは――」

 振り返った先には男がいた。
 スラリとして中々の長身だ。黄色いネクタイをし、黒いワイシャツにスラックスをはいている。緑色のジャケットは脇に抱えていた。顔は面長で愛嬌がある。短く髪が刈られているが、もみ上げだけは異様に長い。
 シシシ、と意地汚く笑う男に、トリエラはジトリとした視線を送る。

「ダサ……」
「酷いな~、トリエラちゃん」
「ちゃんって言うな!」

 男の持つ雰囲気、口調にトリエラは確信する。だが、彼は人間では無いのでは――。
 思案顔のトリエラを察し、男はニタリと笑う。

「予想通りだよ、今の俺は人間じゃない。ちょっとばっかし裏技使って、実体を手に入れてるだけさ」

 その言葉を聞き、トリエラは妹が最近一緒に家に連れてきた存在を思い出す。

「実体化モジュール……」
「おぉ、ご名答~」

 パチパチと手を叩く男、トリエラはキッと睨みつけた。

「あんたが《学園都市》に行った理由って」
「ぬふふふふ、そりゃあトリエラっていう美人を助けるために決まってるじゃない。ただ言ったろ、俺様は大怪盗だって。金庫の中に入ってわざわざ手ぶらで出てくる道理なんてないのさ」

 男は含みを持った言い方をする。今、世界に流出した《学園都市》の一部の技術。おそらくそれを行なったのは……。

「はぁ。ま、お互いすねに傷持つ者だし、それに結果的には助かったしね。で、一体今度は何のよう? 報酬は払ったはずよね、エルスリー」

 トリエラは呆れた様に言う。目の険しさも幾分和らいだ。

「冷たいねぇ、トリエラちゃん。それに要件はさっき言ったはずだぜぇ。所謂デートのお誘いってやつだ」
「ふん、本当の名前さえ名乗らない男の誘いにのるわけないでしょ」
「おっと、こいつは失礼しちまったなぁ」

 男は仰々しい身振りをしながら、地面に片膝をついて手を差し出した。

「俺の名はルパン三世。かの名高き怪盗ルパンの孫だ。マドモワゼル、よろしかったこの不肖の私めにお付き合い願えますか」

 ルパンの言い回しに、トリエラは思わず噴出した。

「プッ、キザったらしい。何よソレ」

 トリエラは目に涙を溜めながら笑っている。

「おいおいひでーなぁ、せっかくかっこつけたのによぉ」
「一々古臭いのよ、おじさん」
「お、おじさん!」

 ルパンはその言葉に愕然とする。

「まぁいいわ。どうせ暇なんだし、一緒に回りましょ」



     ◆



 麻帆良祭当日の朝、女子中等部2-Aの教室では出欠が取られていた。

「超君だけ欠席か」

 高畑がそう呟く。

「超君は昨日からいないのかい?」

 担任の言葉に、クラスの面々がお互い顔を見合わせた。
 色々と話を聞けば、昨日超の経営する屋台で一度見かけたものの、それ以降の行方が分からないのだ。

「ハカセー、ハカセは超どこ行ったか知らないの?」
「うーん、私も探してるんですが、携帯も繋がらないんですよね。超さんの事だから心配無いと思うんですが……」

 葉加瀬はそう言いながらも、訝しそうな表情をする。

「昨日、寮でも超さんを見かけませんでしたわ」

 委員長であるあやかも補足した。

「困ったなぁ。とりあえず超君については色々と連絡してみるよ」

 高畑は内心困惑していたが、表情には出さなかった。なにせせっかくの学園祭なのだ、生徒達を不安にはさせたくなかった。
 とりあえずクラスの雰囲気を一新するために、高畑は注目させる様に手を叩いた。

「よし、じゃあみんな準備をしちゃおうか。もうすぐ開会式とパレードがある。そっちも見に行くのを考えると時間はないぞ」

 開会式はともかく、オープニングの仮装パレードはかなりの見物だった。時間があえばクラスの多くの人物が見に行きたいだろう行事だ。
 その事を思い出し、クラス内はどこかそわそわと色めきだした。

「怪我無く、無理せずに頼むよ。それじゃホームルームは解散だ。困ったことがあったら僕に連絡するんだよ」
「はい!」

 高畑の言葉に、クラス内の生徒が一斉に返事をする。
 普段は禁止されてるが、麻帆良祭期間中は教師への連絡などでも携帯電話の使用が許可されている。さすがにこの規模の祭りとなれば、携帯でも無ければ連絡を取るのは困難だ。特に広域指導委員である高畑は、手広く学園内を回る。より連絡が困難なのは明白だ。
 高畑が退室すると同時に、クラス内が一斉に慌しくなった。
 部活や同好会の出し物を優先する人間は、あらかじめクラス内で申告してある。そういう生徒は、あやかに一言交わしてから教室を出て行った。
 残った生徒も、教室内に作られた敷居の中で続々と着替えを始めた。
 教室の中は、普段とは様変わりをしていた。
 どこかヨーロッパの伝統的な洋館の一室を模した装いになっている。教室の奥手は、調理場兼着替えのバックスペースになっており、手前の部分は喫茶スペースだ。
 その喫茶スペースも四隅に巨大な柱が立てられていた。もちろんこの柱も雰囲気作りのイミテーションであり、ハリボテである。だがパッ見は重厚な木製の柱にしか見えず、そこに施された装飾も気合が入っていた。これらの所業には、2-Aというクラスの凝り性な面が強く出ていた。更には喫茶スペース内のテーブルや椅子や、その他の装飾品も、にわかながらヴィクトリア調を模したもので統一されている。
 更にはクラス内のそういう装飾の裏では、綿密にケーブルが張られ『超電脳メイド喫茶』の名に相応しいような、最先端技術を導入している。イミテーションの各部に設置された小さなライトは、立体投射をするホログラムプロジェクターだ。
 これで教室内全てにライトを投射し、一種のバーチャル空間を客に楽しんでもらおうというイベントの機材である。未だその稼働時間に問題はあるものの、超の研究室の協力の下、今回はクラスの出し物として使わせてもらっている。
 葉加瀬がケーブルに自らの端末を接続し、システムチェックを行なっていた。茶々丸もスポットライトの点検をしている。本来ならば超も参加する作業だったが、あいにく今はいなかった。
 そして、そんな葉加瀬などを除いたクラスメイト達は、早くも衣装などに着替え始めていた。クラスの一部の人間は、このまま衣装で仮装パレードに参加し、喫茶店の宣伝をするらしい。パレードに参加しない人間とて、この麻帆良祭の間は普段とは違う仮装をしているのが、一種の暗黙の了解となっていた。
 そんな中、千雨もしぶしぶといった感じに着替え始めていた。午前中は喫茶店のシフトに入ってないので、アキラと一緒に自由に祭り散策する予定だった。しかし、それだったらついでに宣伝して来いと言われ、しょうがなく衣装に着替えているのだ。あいにく夕映は午前中に図書館探検部の方に参加するらしい。明日は比較的自由らしいので、夕映と一緒に回る予定は明日に立ててあった。
 千雨の衣装は半袖膝丈の標準的なエプロンドレスである。
 いざ着替えようとした時に、ある事に気付いた。

「しまった……」
「どうしたの千雨ちゃん」

 横で着替えていたアキラが問う。

「先生に渡された銃を忘れちまった」
「無くしたの?」
「いや、たぶん寮の部屋の中だな」

 あれだけきつく言われたのにも関わらず、気もそぞろになってしまい、忘れたらしい。

(超にも会えないし、銃まで忘れるなんて)
「どうする? 午前中に取りに帰ろうか」
「あぁ、大丈夫。午後の空き時間にでも、ちゃちゃっと取りに戻るさ」

 午前中、仮装パレードを見に行こう、と約束していたのに、アキラを引き連れて寮へ戻るのはさすがに気が引けた。
 千雨のシフトはお昼から三時くらいまでだ。三時からは『学園全体鬼ごっこ』なる催しがあるため、麻帆良全体が混雑する。
 少し早くに切り上げさせてもらい、急いで取ってこようと思う。

(さすがに今日は大丈夫だろうけど)

 幾らか安穏とした気分もあった。わざわざ午後も遅くになってから取りにいくというのも変だが、そこらへんはウフコックに対し律儀な千雨だった。
 取りとめも無い事を考えつつも、千雨は着替えを終えていた。

「よし、まぁまぁかな」

 姿見を見ながら、くるりと回ってみる。
 膝丈の簡素なドレスの上に、レース生地のエプロンがついている。漫画などで見る典型的なメイドさんという風情だが、しっかりとした生地を使っていたり、千雨の細部への拘りがあるせいで、安っぽい雰囲気がほとんど無い。まるで実際に現場で使われている様な印象を受けるエプロンドレスだった。

「あ、千雨ちゃん。髪縛るね」
「お、ありがとう」

 アキラが千雨の後ろに立ち、髪をブラシですき始める。そして髪留めで頭の左右に尻尾を作った。

「い、いや。幾らなんでもこれは……」
「可愛いと思うよ」

 所謂ツーテールという髪型にされた千雨は、鏡で自分を見て顔を真っ赤にした。千雨のどこか野暮ったい印象がガラリと変わる。メガネのブリッジを無意味に押し上げて、必死に表情を隠そうとしている。
 そんな千雨の頭を正面に向けさせながら、アキラは左右の髪のバランスを確認している。

「うん、大丈夫。ばっちり」

 アキラはニコリと笑った。
 そんなアキラの反応に、千雨も拒む事が出来ず、しぶしぶ頷いた。

「おぉ、長谷川も可愛いじゃん!」
「なんかいい感じだね~」

 明石裕奈と佐々木まき絵が、千雨の姿を見つけてやって来た。

「う、うるせぇ!」

 二人の茶々に、千雨はシッシと追い払う様なジェスチャーで答える。されど、二人がこの程度で引き下がるはずが無い。

「なんかメガネは合わないなー」
「よし取ろう、取っちゃおうよ!」
「おい、こら、テメェ!」

 裕奈の意見を、まき絵が実行する。メガネを取り上げられた千雨は、更に顔を紅潮させた。
 恥ずかしそうにしながらアタフタする千雨を、夕映は少し離れた場所でジーっと見ていた。

「あちゃくら」
「モチのロンですぅ!」

 夕映が呼びかけると、ヒョイと夕映の頭頂部に座っていたアサクラが飛び上がる。ちなみに夕映は制服のままだ。これから図書館島での仕事があるため、そちらで着替える予定だった。

「しっかりと録画中ですぅ。このあちゃくら、マスターの嗜好をしっかりと把握しているですよ」
「うむ。たまには使えますね」

 どうやらアサクラは、夕映の特殊眼球とリンクして、その視界をしっかりと録画しているらしい。夕映の首にかかっているストレージデバイスが搭載されているペンダントには、しっかりと千雨の醜態が記憶されていた。

「なんかあの二人、仲が良いね」
「ゆえったら、普段は邪険に扱っているけど、なんだかんだであのA・Iちゃんと息合ってるのよね」

 夕映の隣にいた、のどかとハルナがそう呟く。夕映と同室の二人は『アサクラ』の存在をしっかりと了承していた。麻帆良工大の開発した、最新型のペースメーカーの様なモノ、として説明されている。少し訝しんだものの、夕映の健康管理のために作られた代物として、一応の納得はしていた。
 そして、アサクラの本物の生き物の様な反応に当初は戸惑ったものの、直に慣れた。
 ドタバタと騒がしいながらも、麻帆良祭の開始時間は刻一刻と近づいていった。



     ◆



「くぅ、たまらん」

 おそらく人込みに揉まれたせいだろう、男の首元に汗が浮いていた。

「こいつはかなわんな」

 ポケットから出したハンカチで、首もとの汗を拭う。若干不快感は取れたものの、汗はきっとすぐに浮かんでくるだろう。
 男はワイシャツにネクタイにスラックスという出で立ち。それだけだったらこの季節何処ででも見かけるサラリーマンの姿だった。
 だが、彼の小脇にはスーツのジャケットと〝トレンチコート〟が抱えられていた。片方はともかく、もう片方は明らかに季節外れの異物だ。
 されど、彼にとって見れば大事な商売道具でもあった。彼の扱う様々な道具は、ポケットに入れるには大きく、カバンに入れると取出しが面倒くさい。故に彼にとってコートは収納具代わりにもなっていた。
 不恰好な蟹股で石畳を歩く。
 昭和や下町を感じさせる中年の男は、この麻帆良の雰囲気とは合っていなかった。
 されとて、今は祭り。まだ開始前とは言え、雑多な人間が溢れてるせいで、男は浮いてる様には見えなかった。
 鋭い目つきで周囲を眺める。
 その癖は、中年の男にとって身に染み込んだ職業病でもあった。常に周囲への警戒を怠らない。
 そして目の前でそれは起こった。
 この人込みだ、人と人が肩をぶつけるなど珍しくも無い。
 中年の男の目の前で、女性が一人の若い男と軽くぶつかった。お互いが軽く会釈をするも、片方の男はさりげなく手を伸ばし、女性のバックから財布をすった。
 若い男はそのまま立ち去ろうとするも、中年の男が行く手を遮る。

「おっと待ってもらおうか」
「おい、おっさん! 何のつもりだ!」

 若い男が叫ぶが、中年の男は表情一つ変えない。若い男の剣幕に、財布をすられた女性が振り向く。

「聞いてるのかよ! おっさん、って――」

 そこで若い男は異常に気が付いた。中年の男の首元に手を伸ばそうとしたら、何やら腕に違和感があった。

「ろ、ロープ?」

 若い男の手首が、いつの間にかロープで縛られていた。
 若い男が混乱している間に、女性へと呼びかける。
 呼びかけながら、若い男の胸元から財布を引っこ抜いた。

「お嬢さん、これはお嬢さんの財布で間違いありませんか」
「え、えぇ」

 中年の男性に呼びかけられた女性は、自分のバッグの中を確認しながら返事をする。やっとスリにあったと気付いた様だ。

「そうですか。やはりスリの様ですな。それじゃ、交番に行きましょうか。おい、若造行くぞ」
「ちょ、な、何なんだよ、おっさん」

 若い男はわめいているが、それも構わずズルズルと引きずっていく。周囲の人間もそのあっけない捕り物に呆然としていた。
 ハッとして、女性も中年の男を追いかけた。もちろん一緒に交番に行くためだ。

「あ、あの、本当にありがとうございました」
「いえいえ、お気になさらず。私も一応以前は警官をやってたもんで、当然の事をしたまでです」

 中年の男は、女性にしっかりと敬語を使いながら答えた。

「それでも、ありがとうございます。わざわざお手を煩わせて――、せっかくのお祭りなのに」
「それならばなおさらお気になさらず。別に祭りが目的で来たわけでは無いですから」
「祭りが目的じゃない?」

 女性は目の前の中年男性が『元警官』と言った事から、定年退職をして余生を過ごしているのかと思った。だが、よく考えたら定年するには若すぎる。

「えーと、じゃあお仕事でこのお祭りに?」
「仕事……まぁ仕事に近いですかな。言うなれば野暮用ですが」
「野暮用?」
「えぇ、野暮用ですな。そう、生涯をかけた――」

 中年男性――銭形幸一はそう呟いた。



 つづく。








(2012/03/03 あとがき削除)



[21114] 第41話「heat up」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2011/10/16 19:03
「おぉ!」

 思わず三人は声を漏らした。
 世界樹広場から麻帆良学園の中央を貫く大通り、そこでは麻帆良祭の開始と共に、仮装パレードが始まっていた。
 只の仮装ならば、適当に拍手でも送ってお仕舞いだが、ここは麻帆良。動く恐竜のロボットに、バルーンで作られたお城、その周りを彩るのは仮装したダンス関係の部活の人間だろう。煌びやかな光の軌跡が目に映る。
 午前十時を持って開始された麻帆良祭は、早速の大喝采に包まれていた。

「相変わらず派手だなぁ」
「うん、本当に」

 千雨の呟きに、アキラが答えた。千雨にとっては数年ぶりの光景だ。以前は只の傍観者だったが、今回は千雨自身も祭りの開催者側だ。少し気分が違っていた。
 今、千雨とアキラと夕映は三人で仮装パレードを見に来ている。千雨とアキラは午前中はクラスの喫茶店のシフトには入っていないので、このまま少し祭りを探索する予定だ。とは言っても、その格好はメイド姿。胸元にはクラスと出し物の名前が入ったプレートが付けられている。遊びながらも、広告塔代わりになって来いというお達しである。

「千雨さん、来ましたデスよ」
「うわ、本当に参加してやがる」

 クラスの午前中組は相変わらず喫茶店オープンのための準備に追われているが、一部の人間は仮装パレードに出場して、宣伝するとの事。
 事実目の前にはクラスメイトの柿崎美砂を含んだチアリーダー組やらが踊り、長瀬楓をはじめとする肉体派の面々が広告の手持ちプレートをぶん回していた。

「うわ、すげー目立ってる。つかハズイ」
「だね」
「視線を外しておきましょう」

 千雨の意見に、二人も同意した様だ。だが、そんな事もお構いなしなのがパレード参加組だ。

「お、長谷川殿ではないか! おーい!」
「アキラー!!」
「夕映っちー!」

 パレードでも目立っている2-Aの面々が、千雨達を見つけてブンブンと手を振る。
 その行動に、千雨が明らかに嫌そうな表情をするも、関係無いとばかりにパレード組は千雨達にアプローチし続ける。
 アキラは苦笑いしながら、小さく手を振り返す。夕映は小柄な体躯を使い、ひっそりとパレード組の視界から見えない様に隠れたりする。
 やがてパレードは進み、千雨達の視界から2-Aのパレード組が消えた。

「ふぅ、やっと行ってくれたか。よし、んじゃわたし達もどっかへ行くか。夕映は図書館島だっけか?」
「はい、探検部主催の図書館島ツアーのガイドをやる予定デス。良かったら千雨さん達も来て下さいね」
「おう」

 三人はそう言いながら、仮装行列の観客の群れから抜け出し、図書館島へと続く分かれ道まで一緒に歩いた。
 夕映に「頑張れよ」などと言いながら別れた。
 丁度その時、空に花火が鳴った。色とりどりの煙を破裂させる昼花火だ。どうやら仮装パレードは無事フィナーレに至ったらしい。
 そう、これからが本当の祭りの開始だった。







 第41話「heat up」







「いらっしゃいませ」

 客を出迎える声が、ひっきり無しに店内に響く。
 2-Aの喫茶店は早くも盛況を見せていた。余りの盛況ぶりに、客の滞在時間に制限を付ける程である。
 問題児なクラスであるが、2-Aの生徒の容姿は秀でていた。
 男子部の生徒としても、お近づきになりたいクラスであったし、あわよくば……とも思う生徒もいる。
 そんなこんなで下心満載の男達であったが、2-Aの生徒の邪気の無い態度や雰囲気に、下心は薄れつつあった。まだ男に媚びる様な態度を取っていれば、男達も色々と思うところがあったのだが、『メイド喫茶』などというお題目を上げつつ、けっこうサバサバとした印象の喫茶店であった。
 もちろん、メイド扮する女生徒とお喋りなんかも出来るが、そういう接客をしている生徒は、うまく話を盛り上げて、早々と場を切り上げてしまう。
 ちなみに当初は某秋葉原の様なコテコテに男に媚びる喫茶店の案もあったのだが、さすがに女生徒の視点では却下され、どこか重厚な雰囲気の本格喫茶となっていた。
 飲食物には喫茶店としての場所代も含まれ、少し値段は高いものの、その分美味しい紅茶やらコーヒーやらを提供している。あやかや五月のお墨付きだ。
 店内では雰囲気作りとして、あやかチョイスのクラシック音楽が流されている。祭だというのに、普段よりも静謐な空気を作っているあたり、徹底していた。

「三番テーブルにこれを持っていってくださいな」
「了解~」

 バックスペースでクラス内を取り仕切っているのも、もちろんあやかだった。次々とクラスメイトに指示を出していくが、それに不満を持つ者はほとんどいない。多少人使いが荒いので、サボろうとする者もいるが。
 美砂も、あやかの指示に合わせて各テーブルを回っていた一人だ。

「ねぇ、君。午後暇? よかったら俺達と回らない?」

 下心が薄いと言っても、もちろんこの様に露骨にナンパする客もいる。

「あはは、ごめんなさい。私先約があるので~」

 美砂も慣れたもので、そこらへんは軽くあしらってしまう。
 そうやって一時間ほど経った頃だろうか、教室の入り口に一人の男性が現れた。
 髪は黒いものの、欧米人特有の肌の白さがある中年男性だ。黒のスーツに身を包んでいるが、仕立ての良さからして素人目でもブランド物と分かる品だった。あごヒゲに口ヒゲを生やしながらも、綺麗に整えられて清潔感がある。片目に片眼鏡(モノクル)を付ける男性は、威風堂々とした品格があった。
 一瞬、教室内が男性の威圧感に静まり返る。その空間の中でクラシック音楽だけが響き続けた。男性は教室内をグルリと見渡す。その時――。

「あぁ~~、パパ~~~!!」

 静寂を破ったのは美砂だった。男性に向かって走り、そのまま首へと抱きつく。男性は美砂を軽々と抱きとめた。

「おぉ、久しぶりだな美砂! その格好似合ってるじゃないか!」

 美砂を両手で持ちながら、男性はくるくると回る。まるで幼い子供をあやしているかの様だ。

「へへへー。さすがパパ、分かってるぅ!」

 男性の褒め言葉に、美砂は満面の笑みを浮かべた。美砂と男性の一連のやり取りを見ていた人達は、一様に緊張を緩めた。
 バックスペースから見ていたクラスメイトも、ホッとしたのか一気に話し始めた。

「びっくりしたわぁ~。堅気じゃないお方かと思ったわ~」

 ころころと笑いながら、近衛木乃香が酷いことを言い始める。

「なーんだ、美砂のお父さんかよ。あれ? って事は噂のスーパーマンなのか?」
「ねぇ、かえで姉。あの人すごかったの?」

 鳴滝姉妹に見つめられ、楓は返答に困った。

「うーん、拙者にはちと分からないでゴザルな~」

 なはは、と笑っているが、内心は冷や汗ものだった。

(柿崎殿の父親殿か。一体何者でゴザルか)

 美砂の父親は、特に威圧などしていない。ただあるがままにそこに〝いた〟だけだ。なのにあの溢れる威圧感。楓も戦慄せざる得ない力の片鱗だった。
 美砂の父親は、美砂に腕を掴まれたまま席へと案内される。それに嫌な顔せず、むしろ娘との久々の再会に笑みを強くした。
 事情は聞いていたので、あやかも美砂に休憩時間を与え、親子は二人でテーブルを一つ使う事となった。

「ほう、うまいな」

 給仕されたコーヒーを一口飲んで、美砂の父親は意外な美味しさに驚いた。

「学生の模擬店という事で期待してなかったんだが、中々だな」
「でしょ~、うちのクラス、料理すんごいウマイ人とかいるんだよ!」

 父親に会えた事が嬉しいのか、ニコニコとしながら美砂はクラスの事を語り出す。

「――でね、あ、そうそう。私の友達を紹介するね~」

 バックスペースから、ちょこちょこと覗き見していた釘宮円と椎名桜子を呼んだ。

「円~、桜子~、ちょっと来て~」
「なになに~」
「ま、待ってよ、桜子!」

 美砂の呼びかけに、若干躊躇した円を引っ張りながら、桜子は美砂達のテーブルへと向かう。
「この二人は同じチア部の友達なんだ。こっちが円で、こっちが桜子」

 美砂は軽い感じで紹介していく。

「ど、どうも。釘宮円です」
「椎名桜子って言います。美砂のパパさん」
「ちょっと、桜子」

 桜子の軽い物言いに、円が嗜める。しかし――。

「ハハハハ! いや、失礼。楽しいお嬢さん方だ」

 そう言うなり、美砂の父親は立ち上がった。

「〝わし〟が――

 美砂がジロリと父親を睨みつける。娘は父親が『わし』というと、「ジジ臭くてヤダ!」と機嫌悪く言うのだ。

「私が美砂の父です。娘とは今後とも親しくしてやってほしい」

 美砂の父親が円と桜子に、そっと握手を求めた。

「え、あ。こちらこそ……」
「もちろんですよ~」

 慣れぬ握手に戸惑いながらも、円はぎこちなく握手をした。桜子もひょうひょうと握手をする。
 分厚く力強い手。円は一瞬自分の父親を思い出したが、たぶんそれ以上にこの手は大きい。そんな気がした。
 それに一連の挨拶で、この父親が美砂の事を、とんでもなく溺愛しているのを円は感じた。 円と桜子を加えながら、美砂は捲くし立てるように様々な事を父親に話した。合間合間に桜子がボケやらツッコミを入れて、話を盛り上げていく。
 美砂の父親も、微笑ましいとばかりに、笑顔を浮かべっぱなしだった。
 しかし、その笑顔がある一言で凍りついた。

「そういえばねパパ、私好きな人が出来たの!」

 ピシリ、と確かに空気が凍った様に、円は感じられた。美砂の父親は先程と同じく笑顔を浮かべているが、どこか堅さがある。
 円は美砂の無邪気さに、頭を抱えたくなった。視線を反らすと、美砂の父親が手に持つコーヒーカップに違和感を覚えた。

「――ひっ!」

 美砂の父親は、相変わらず表情はにこやかだが、コーヒーカップを持つ手が小刻みに震えていた。更にはカップの中身たるコーヒーが、急激に沸騰したかの様に気泡をゴポゴポを出している。その異常極まり無い光景に、円は引きつった悲鳴を漏らす。
 どうにか助けを求めようと、隣に顔を向けるも、そこに桜子の姿は無かった。どうやら要領良く逃げたらしい。

「桜子のヤツ~」

 目の前の親子に聞こえぬよう、小さく毒づいた。
 だが、そこで円は閃いた。

「そろそろ私、給仕に戻ろうかな~、と思います。じゃあ、後は親子水入ら――」
「あ! そういえば円も康一さん知ってるね。円も康一さんについてパパに教えて上げてよ」

 さり気なく場をフェードアウトしようとするも、それも美砂に防がれた。美砂はまるで自慢の彼氏を紹介するかの様に、父親に無邪気に話している。

「ほう、その男は康一と言うのかね?」

 美砂の父親の視線が鋭くなった。円は冷や汗が出る。
 確かに円は康一と会った事がある。準備期間中に、美砂の紹介で一度だけ会話した程度だ。
 康一についての印象は薄い。正直、美砂が一人で騒いでるばかりで、身長も低くて気弱そうな康一の風貌は、円の好みからはかけ離れている。ほんの少しの会話の印象を単語にするならば、良くて『穏やか』、悪く言えば『軟弱』だろう。

「うん、そう。広瀬康一さんって言うの! 麻帆良学園の高等部に通う一年生なんだって」
「ほう、高校生なのか――」

 気のせいか、周囲の空気が更に重くなった様に、円には感じられる。まるで胃の中に漬物石でも落とされたかの様だ。

「でね、でね、その康一さんったらスゴイんだよ~」

 そこから始まるのは、美砂と康一の出会いの話であった。
 円は再び頭を抱えた。

(よりにもよって、なんであの与太話をお父さんに話しちゃうの~)

 手からビームが出ただの、悪漢から救ってくれただの、真面目に聞く方が馬鹿馬鹿しい。
 父親の立場なら、普通は娘が性質の悪い詐欺にでも引っかかったと思うだろう。
 円は美砂の父親が憤慨する所を想像した。
 しかし、実際には違っていた。

「ふむ、そんな事があったのか」

 美砂が一通り話し終えると、美砂の父親はコクリと頷き、顎に手を置いて考え始めた。
 当初こそ、美砂の話に怒りを感じてたものの、詳しく聞くに連れて、その表情は「興味深い」と言わんばかりに変わっていた。
 そして何かを思い立ったのか、美砂の父親は首肯を何度かした。

「では、その青年には借りが出来てしまったのだな」

 そう言うなり、美砂の父親は立ち上がる。

「え、パパ。もう行っちゃうの?」
「あぁ、少し調べ物があるのでな。なに、三日ほどはここに滞在するつもりだ。何かあったら連絡しなさい」

 美砂の頭を軽く撫でた後、美砂の父親は会計を済ませて出て行った。



     ◆



 夕映と別れた千雨とアキラは麻帆良内を当ても無く散策していた。
 図書館島に後で行こうという予定はあるものの、それ以外は特に決めていない。
 それに今の麻帆良は適当にぶらついているだけで、様々な出し物や催しを見る事が出来た。人込みが嫌いな千雨だが、アキラと一緒にいる事で若干その傾向は和らいでいた。

「このアイスうまいな」
「うん、手作りとは思えないね」

 ウルスラ女子の料理研が路上で販売してたジェラートを食べながら、二人は歩いていた。千雨はマンゴー味、アキラはストロベリー味のジェラートを選んでいる。

「あーちゃん、そっち一口くれよ」
「うん、いいよ」

 そっと出されたジェラートを、千雨は手に持ったプラスチックスプーンを使わず、直に噛みついた。

「はむ。うん、こっちも美味いな」
「……」

 アキラはそれをじっと見ている。そして、今度は千雨がジェラートを差し出した。

「ほい、あーちゃんも一口」
「あ、うん。ありがとう」

 何故かドキドキしながら、アキラも直接ジェラートを舐めようと、口を開き――。

「おぉ~~~~!!」

 と思った所で近くから歓声が上がった。
 アキラはそれで距離感を間違い、口元を汚してしまう。

「なんだなんだ?」
「……何なんだろうね」

 千雨の問いかけに答えるアキラは、少し不機嫌だ。

「あ。あーちゃん、口元」
「え?」

 千雨はアキラの口元を指差す。そのまま一指し指で、すくう様にアキラの口元のジェラートを拭った。千雨はそのまま指先に付いたジェラートを、自らの口で食べてしまう。

「うん、取れたぜ」
「あ、あ、あ、ありがとう」

 顔を紅潮させながら、アキラは小さく呟いた。茹だった様なアキラを引っ張りながら、千雨は歓声の元へと向かう。
 そこではそこそこの人垣が出来ていた。人波を掻き分けて見ると、中央に小さなステージが見える。

「なんだあれ? クイズでもやってるのか」
「な、なんだろうね」

 アキラの受け答えは未だ曖昧。のぼせ上がった様にポーっとしている。アキラが時折こうなるのを知っているので、千雨は特に気にしなかった。
 ステージの上には二つの席があり、そこに二人の人間が並んで座っていた。テレビで良くあるクイズ番組似た様相だ。
 二人の間には大きめのモニターがあり、そこでは数字が素早く何度も表示されていく。

「さぁ、答えを出してもらいましょう!」

 司会とおぼしき男子生徒が言うなり、席同士に座ったステージ上の二人はフリップボードを出した。そこにはお互い違う数字が書かれている。

「174」
「212」

 どうやらそれが二人のクイズの回答か何からしい。

「さぁ、正解は……『174』! またしても数学研の勝利です!」
「おぉ~」

 司会の煽りに、観客は歓声を上げた。

「んーと、これって『フラッシュ暗算』とかいうヤツか?」
「うん。テレビで見た事あるね」

 以前、何かの教養番組で見た記憶があった。モニターに次々に表示されていく数字を加算していく競技だったはずだ。ちなみにアキラの調子も戻ってきた様だ。
 どうやらこれは一般客の挑戦者と、麻帆良学園高等部の数学研究会の会員が勝負をするイベントの様だった。

「ふーん、一般客が挑戦するのか。でもこれじゃ数学研の圧勝に決まってるだろ」
「そうでも無いみたいだよ」

 ステージの横にはボードが置かれていた。そこには『初級』『中級』『上級』と書かれている。対戦方法は数学研と挑戦者の一対一のサドンデス方式。フラッシュ暗算でどちらかが間違ったら即負けというルールの様だ。
 数学研側のフラッシュ暗算はかなり難しく設定してある。それに対して挑戦者側は初級や中級といった難易度に応じ、暗算の桁数などのハンデが貰えるとの事。そして上級になるとルールは対等。数学研の猛者とまったく同じ桁数、同じインターバルのフラッシュ暗算で戦わねばならないらしい。
 千雨達が今見た対戦も、どうやら『上級』の戦いの様だった。

「なるほどね。これだとそこそこやれそうだな」
「さすがにあの速さの暗算は難しいよ」

 千雨達がそんな話をしていると、またステージに挑戦者が現れた。どうやらまた上級の挑戦の様だ。

「なんでまた上級なんかに挑戦するんだ?」
「ちーちゃん、アレ」

 アキラの指差す先を見る。ボードの端っこには、参加料や景品といった文字が見える。

「うわ、景品狙いか。……ってマジかよ」

 千雨はその景品を見て驚いた。
 このゲームの参加料は二百円であり、『初級』『中級』『上級』でそれぞれ勝った時の景品があるらしい。『初級』は三百円分のお菓子、『中級』は五百円分の図書券、そして『上級』になるとなんと五万円分の商品券になると書いてあった。ちなみに同じ挑戦者が二度参加する事は不可とも書かれている。
 この盛況っぷりは計算能力に自信のある大学生やらが、一稼ぎを目的に挑戦し続けてる様だ。「参加料が二百円なら負けて元々」といった感じだろうか。

「五万円って奮発したなぁ。数学研がトチらなければ、そりゃ儲かるだろうけど」

 実際勝ち続ければ、例え一回二百円でもそれなりに稼げるだろう。『五万円の商品券』と『参加料二百円』という二つの誘蛾灯が、貧乏学生を我先にと誘い込んでいく。
 ジェラートをペロペロ舐めながら、千雨はボーっとその有様を眺めていた。

「あ、惜しい。九回目の数字の桁入れ違えてるな」
「え、九回目?」
「あぁ、34を43で計算してやがる」
「へー」

 ボーッとしながらも、千雨は計算過程の間違いまでを見抜いていた。

「ねぇ、ちーちゃん。思ったんだけど……」
「ん?」
「出てみたら?」
「出る?」

 千雨はキョトンとする。

「え、わたしがか?」
「うん、勝てそうな気がするんだけど」
「いや、確かに勝てるだろうけど……」

 どうやら千雨は自身が参加する、という選択肢を考えて無かったらしい。アキラに促されて、千雨は考え始める。

「ほら、それに商品券五万円だし」
「五万……」

 五万円という事を考えると、かなり魅力的な提案な気がしてきた。先程までは自分が出場する事を考えず「そこそこの値段だな」と割り切っていたが、改めて考えればかなりの額だ。

「新しいノートPCは無理そうだが、欲しいゲーム機が買えるな」

 千雨の中で決断がなされた。

「よし! ちょっくらわたしも出場してくるよ」
「うん、頑張ってね」

 ジェラートの残りを一気に食べながら、千雨はステージ脇の挑戦者の列へと向かう。
 ある程度の列が出来てるものの、実際の所フラッシュ暗算では初見殺しがが多い。大抵のものは一度目で失敗するので、列はスルスルと消化されていった。

「はい、次の人。難易度はどうする?」

 数学研の会員だろう人が受付を行なう。テーブルには参加料の百円玉が大量に入った缶があった。千雨はそこに二百円を投じながら「『上級』で」と答えた。

「はいはい、『上級』ね。それじゃ今の挑戦者が終わったらステージ上ってね。丁度良かったね、君で午前は最後だよ」

 千雨が『上級』と言っても、大して気に留めずに対応された。あれだけ『上級』の挑戦者が多ければしょうがない事だろうが。
 それに数学研側の回答者も、さすがに疲れが出てきている様だ。千雨を最後に、おそらく休憩に入るのだろう。千雨はタイミングが良かった。

「また数学研の勝利です! さてさて、それでは次で午前の部の最後の挑戦とさせて貰います。それでは数学研会長へのラストチャレンジャーどうぞ~!」

 どうやら回答者は会長だったらしい。
 同じような構成で飽きがきたのか、拍手はまばらだ。
 千雨はなんかいたたまれないといった感じで、とぼとぼとステージに上った。さっきまで五万円に釣られて、勢いで快諾したものの、よく考えれば千雨は人前が苦手なのだ。祭り気分に浮かれ勢いで参加したものの、千雨のテンションは一気に落ち込んでしまった。
 ステージに上ると、周囲の客が千雨に一身に向かう。

(うっ……)
(ちーちゃん、ガンバレ)

 すくみそうになる千雨に対し、アキラがスタンドを通して千雨にエールを送った。
 千雨もアキラの姿を見つけると、幾分リラックスする。
 ステージ上の回答席に座ると、隣の数学研の会長らしい男子学生がうろんな視線を送ってきた。ふふん、と小馬鹿にしている印象だ。
 その態度に千雨は少し苛立ちを感じつつも、モニターを見つめる。

「それでは、第一問始めます!」

 司会の合図で回答席の間にあるモニターに、問題開始のカウントダウンがなされる。
 会長は慣れた様子でリラックスして見ている。対して千雨も、幾分気落ちしながら投げやりな態度で見ていた。
 カウントダウンし終わると、二桁の数字が次々と表示されていく。
 ぱっぱっぱっぱっ、とまさに間断なく数字が明滅した。ものの十秒で十個もの数字が表示される。普通の人ならまず計算など無理だろう。

「さぁ、それでは答えをどうぞ!」

 司会の合図に、千雨と会長が同時に回答をフリップボードで出した。千雨はしぶしぶ、会長は自信満々といった様子だ。

「326」
「326」

 お互いが同じ答え。会長は少し驚きながらも、余裕の表情を崩さない。

「おぉ、答えが一緒です! さて、正解は……326! 両者正解です」

 久しぶりに歓声が上がった。その中でアキラは「千雨ちゃんがんばれ!」と声を上げていた。

「――チッ、早く間違えろよな」

 千雨のすぐ横で会長が舌打ちをしながら呟く。どうやらステージの長丁場に、疲れが溜まってるらしい。悪態をつかれながらも、千雨は余り気にせず隣を見た。すると――。

「……お、デカイな」

 再び会長の小さな呟きが聞こえる。その視線は観客席のアキラに向かっていた。より正確に言うならばアキラの胸元。千雨の知覚領域が会長の視線をより正確に知覚してしまう。

「ぬ……」

 千雨は少し苛立つ。アキラは中学生とはいえプロポーションは抜群だ。そのため男の視線を集めてしまうのは理解している。だが、身近で露骨に言われれば腹も立つ。
 千雨は深呼吸をして、吐いた。

(落ち着け、わたし。こんな事で怒ってどうする)

 別に直接アキラが害されたわけでは無いのだ。千雨はどうにか心を落ち着かせる。

「なかなか凄そうなチャレンジャーが来ました! 次は第二問です!」

 そんな事は構いもせず、司会の進行は続く。
 そして、また同じような問題が出された。それに千雨も会長も次々と正解し続けていく。最初こそ余裕の態度を取っていた会長だったが、千雨のあまりやる気の無さそうな表情とは裏腹に、淡々とまるで機械の如く正解していく姿に、驚嘆を隠しきれなかった。
 千雨にとって見れば、この程度は正解出来て当たり前だった。電子の海を自由自在に泳ぐ千雨にとって、この程度の桁数の単純な四則演算など児戯に等しいのだ。
 千雨は調子に乗って出場した事を、少し後悔していた。それでもここまでやって負ける訳にはいかなかった。なにせ隣の会長とは直接話したわけでは無いが、ブチブチと聞こえる呟きが苛立ちを加速させていく。こいつにだけは負けたくない、そんな意志がふつふつと沸くのだ。

「まさか! まさかの十問目まで成功! これほどの難問にまで喰らいついてきたチャレンジャーは今回初です!」

 白熱した戦いに、先程までボチボチとだった観客の数が増えていた。
 隣では会長が苛立たしげに指でテーブルを叩き、横目で千雨を睨みつけていた。
 ふと、会長がなにかを閃いた様だった。

「すまない、少し提案があるのだが、どうだろう?」

 会長が何やら司会に話しかけた。

「提案ですか?」
「あぁ、そうだ。このままではお互い千日手だ。ならばどうだろう、難易度を一気に上げて見ては?」

 観客も「少し面白そうだ」といった感じに会長の提案を聞いていた。

「なるほど! 面白そうですね!」

 司会は観客をも煽るように同意する。

「具体的には桁数を三桁に、インターバルを半分にしようではないか」
「おぉっと、これはかなりの難易度ですよ。大丈夫なんですか」
「はは、僕も自信は無いさ。でも挑戦者の彼女とならいい調子で勝負できそうでね」

 会長は爽やかにそう言い放つが、内心は苛立ちが募っていた。彼とて三桁で短いインターバルの暗算など、正答率は格段に落ちる。だが、まったく当たらないというわけでも無い。千雨が外す事を前提に、何度かやれば勝負がつくだろうとタカをくくっていた。

「挑戦者さんはどうでしょうか? 難易度を上げるのに同意して頂けるでしょうか?」
「え、あの、その」

 司会が千雨に質問を投げかけた。
 質問と言いつつ、観客の空気がとてもじゃないが断れる雰囲気では無い。隣で会長は嫌らしくほくそえんでいた。
 千雨は急にマイクを向けられた事にしどろもどろになりながらも、会長のその態度に反撃を思いついた。

「は、はい。同意します。ただし、一つ条件があります」
「おぉ、どんな条件でしょうか」

 千雨は司会の質問に答えながら、メガネを指先でツイとかけ直す。

「桁数は四桁でお願いします」
「よ、四桁!?」

 観客は「おぉ~」と歓声を上げ、隣では会長の顔が引きつっていた。

「し、しかし四桁ともなれば、かなりの難問ですよ」
「問題ありません」

 千雨はちょっと顔を伏せながら答える。

「会長、どうでしょうか?」
「あぁ、うん。そうだね、せっかくだから挑戦してみようか」

 こんどは会長が断れない雰囲気に見舞われていた。冷や汗を流しながらも、千雨の提案を了承する。

「お互いの同意が取れましたので、難易度をアップしての第十一問目に入ります。両者、準備は良いですか? それではスタートです!」

 司会の言葉と共に、モニターにカウントダウンの数字が現れる。
 ゼロが表示されるやいなや、四桁の数字がすごい勢いで表示されていった。先程のインターバルの半分、ほんの少し息を止めた程度の時間で、十個もの数字が表示されては消えていく。
 千雨はさっきまでと同じく、特に気合を入れずにモニターを見ていた。会長は先程よりも切羽詰った様に、顔に皺をよせながらモニターを凝視する。

「いやぁ、この問題は無理でしょう~。果たして両者の答えは? 回答お願いします」
「71282」

 千雨はポンといつも通りにボードを開示する。

「くっ……58921だ」

 対して会長は悩んだのか、苦しい表情をしながら回答を出した。

「回答が分かれました。果たして正解はどちらか、それとも両者不正解か! それでは解答は!」

 中央のモニターに表示された数字は『71282』。千雨の正解である。

「おぉぉぉぉっと、正解が出たァ! なんと、なんと挑戦者の勝利だぁぁぁぁ!!」

 歓声が弾けた。そんな中、隣の会長が呆けた様に立ち尽くす。『僕の五万円がぁぁぁ』という呟きを聞く限り、どうやら自前で用意した景品の様だ。
 千雨はそのままステージの中央にまで引っ張られ、簡単な称賛の言葉と共に、景品が譲渡された。
 パチパチと拍手を送られながらステージを降りる千雨に、アキラが近づいてきた。

「おめでとう、ちーちゃん。すごかったよ」
「あぁ、うん。なんか勝っちゃったよ」

 あはは、と乾いた笑いを浮かべる。
 手にはぴらぴらと揺れる五万円分の商品券があった。
 ちなみに午後からの数学研のイベントは休止となった。会長の落ち込みようが激しかったのが理由、との事である。



     ◆



 外は初夏の日差しによる暖かさがあったが、図書館島の地下は静謐な冷気に満たされていた。それは地下だからという理由ばかりで無く、魔法による温度や湿度の調整がなされているからだ。
 これだけの巨大な規模を誇る施設を、クウネルを始めとした数人のスタッフで賄えるはずが無い。図書館島の維持には最大限に渡り魔法が使われた結果だった。
 司書であるクウネル・サンダースの仕事の大半は、この施設維持の魔法の調整にある。
 そのため、図書館島の奥底にある一室では、エアコンすら無いのに快適な空気を保っていた。
 その部屋――司書室の一つでは部屋の主たるクウネルと、最近隣人になったばっかりのドクター・イースターが茶を飲んでいた。

「――いやはや、なんとも。お互い奇縁もあるもんですね」

 クウネルがにこやかな笑顔を絶やさす言った。

「まったくです。昔もさる事ながら、今に至ってお互い向かい合ってお茶を飲むなんて」

 ドクターは電子眼鏡(テク・グラス)を外してテーブルに置いた。そうしてからティーカップを手に取り、紅茶を飲む。
 彼ら二人には接点があった。かつてあった大戦、その折にお互いは敵同士として戦ったのだ。
 特にドクターはクウネルの本名に驚いた。まさに二十年前の大戦で大活躍した一派の一人であったからだ。
 対してクウネルはと言えば、《楽園》の名前は知っているが、さすがにその時にまだ若かったドクター・イースターの名前までは知らなかった。
 それでも幾つかの会話をしていけば、お互いがかなりの接点を持って、戦場で対峙していた事が分かったのだ。もちろん、ドクターは武器を持って最前線で戦ってた訳では無いが。
 外ではお祭り騒ぎが始まっていた。
 さすがに図書館島の奥底にまで音は聞こえない。しかし、クウネルが外部の風景を魔法でドクターに見せてくれていた。

「へぇ、賑やかだなぁ」
「そうですね。この時期になると、この図書館島も一気に騒がしくなるのですよ」

 クウネルが言うには、祭り気分に浮かれて、図書館島の地下へと挑戦するものが増えるのだらしい。更には、図書館島上部のガイドツアーだけで無く、地下へのガイドツアーも毎年密かに企画、実行されるとか。
 仕舞いには窃盗狙いの輩も多いので、侵入者の選別や保護、捕縛などに忙しくなるらしい。

「そんなに忙しいのに、お茶なんてしてていいんですかな?」
「はははは、何事も息抜きは必要ですよ。それにその手の連中が動くのは夜と相場が決まっています」

 そんな会話をしている時、クウネルは「おや」と呟きながら眉を潜めた。

「どうかしましたか?」
「いえ……なんでしょうか。今違和感があった様な」

 クウネルはそう言いながら、周囲の魔力を探査する。特に異常は感じられなかった。

「ふむ、異常は無いみたいですね。世界樹の周期的な波動かもしれません」
「世界樹、ですか?」
「えぇ。世界樹の活動が活発化する一年に数日の日を狙って、麻帆良祭は開催されるんですよ」

 クウネルはつらつらと得意気に話し出す。

「しかし、それだと手間が多くありませんか?」
「でしょうね」

 ドクターの疑問に、クウネルが首肯する。世界樹が活発化する数日に、わざわざ外部から大量に人を呼び寄せるなど、警備を考えればかなり危うい。麻帆良を敵視する組織などがあるなら、なおさらだ。

「ですが、ここで問題なのは手間では無いのです。世界樹が活発化する数日に、人を大量に呼び寄せねばならない。これは合理的では無い価値観、所謂『伝統』により根付いているんですよ」
「じゃあこの麻帆良祭は祭事、神事という事なのですか?」

 電子眼鏡(テク・グラス)をかけ直しながら言うドクター。クウネルはニンマリと笑顔を深める。

「ご名答です。この麻帆良祭は世界樹に対する神事。れっきとしたオカルト儀式なのです」

 クウネルがパチンと指を弾くと、二人の目の前にあったティーカップの中身が、再び入れたての紅茶で満たされた。

「故に、麻帆良はこの行事を毎年行わねばいけないのです。実際、世界樹は膨大な魔力を内包し、極東の地脈の集積点でもあります。この土地の管理は関東魔法協会にとっての、一番の優先すべき目的です。まぁ、とは言っても世界樹は今のところ無害。数十年に一度、周囲の人間を強制的に縁結びにしてしまうくらいで、大した事はしないのですがね」
「でも、興味深いですな。こういう風習に対し、なんらかの意味や目的があると、オカルトを漠然とは分かっているつもりなのですが」

 ドクターがぼりぼりと頭をかく。ふふふ、とクウネルは笑った。

「魔法使いでない人間には分かりにくいでしょうね。この時期の世界樹はいわば子供なのです。たくさんの人間が集まってきて、きゃっきゃと騒ぐ。実際世界樹に起こる発光現象などは、その余波にすぎません。そしてそこで行なわれてるのは、純然たる浄化のシステムです。大量の人間が麻帆良に滞在する事により、多くの人の体を通して魔力を循環させる。それが世界樹を活発にし、また安定の材料にもなるわけです」
「ふむ、何となくは分かります。とは言っても畑が違うので、その話に整合性があるかまでは判断できませんけどね」

 二人はその後も雑談を続けた。そしてある時、クウネルがピクリと固まった。

「おぉ、これは……」
「また何かあったんですか」

 ドクターが訝しげに聞く。クウネルはその言葉に返事をせずに、指をパチンと弾き、先程外の風景を見せた様に、映像を魔法で投射しはじめた。

「おやおや、これは」

 ドクターの表情が和らぐ。映像に映っているのは夕映だった。どうやら図書館島の地上部分でガイドツアーのガイド役をやってるらしい。

「このミスマッチ。そそりますね」

 クウネルは笑みを張り付かせたまま呟いた。
 夕映の格好はバスガイドの様な、ちょっとシックなレディスーツよいった装いだ。しかして夕映の身長が低いため、どうにも浮いた印象を抱かせている。
 クウネルにはそこがツボらしい。
 男二人は地下の一室で、夕映のガイドツアーっぷりを眺め続けた。



 つづく。



[21114] 第42話「邂逅」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:231840e3
Date: 2011/10/30 02:55
 広瀬康一はお目当てのクラスを探して、校舎を彷徨っていた。

「確かこっちの方だよね」

 同じ学園とは言え女子部、しかも中等部の校舎ともなれば別世界だ。
 男子部よりかなり精緻に作られた校舎内の廊下を歩き、目的地を探す。
 本来ならばクラス番号の表示を追いかけていけば着くのだろうが、現在は様々な装飾が為されており、自分がどの教室の前を通っているのかも怪しかった。
 誰かに道順を聞こうかとも思うものの、訪ねるとなるとこの校舎の住人――つまりは女子中学生になる。余り女性に対して免疫が無い康一には、見知らぬ女子に気軽に道を聞くだけの度胸が無かった。
 よって「なんとなくコッチかな」という直感に従い続け、未だ目当ての教室にまで至ってないのだ。

「うぅ……どこだろ」

 十分ほど歩き続けると、さすがに諦めも沸いてくる。
 そこで廊下に違和感を覚えた。

「あれ? 男?」

 女子中等部の校舎内で見た客の割合は、男と女が大体半々、やや女性が多いだろうか。それなのに、この廊下の一角だけは男の割合が極端に多かった。
 よく見れば、どうやらこれは列を作っているらしい。

「行列? 何かの待ち順かな」

 康一はその行列を追いかけていくと、数十メートル程歩いてやっと列の先頭が視界に入る。

「あ……」

 行列の先頭は2-Aと書かれた教室へと吸い込まれていく。そここそ、まさに康一の目的の場所だった。







 第42話「邂逅」







 康一は長い行列に並び、ひたすら順番を待つ。
 2-Aは喫茶店をやっていると聞いてはいたが、康一はまさかこんなに男性客に人気だとは思わなかった。
 待つことニ十分程、やっと教室の中へと入る事が出来た。

「やっとか」

 気付けばもうお昼だった。せっかくなのでこの喫茶店で昼食を取ってしまおうと決める。

「いらっしゃいませー」

 康一が教室に入るやいなや、少女特有の甲高い声で出迎えられた。
 メイド服姿の少女たちの視線が、一斉に康一に突き刺さる。

「うっ」

 多少怯む康一だったが。

「あっ! 康一さーん!」

 パタパタと寄ってきたのは、柿崎美砂だ。

「約束通り来てくれたんですか」
「あぁ、うん。まぁね」

 康一は多少美砂を見上げる形で頷く。
 美砂よりも康一の方が身長が低い、そのため美砂が年上に見れる。だが、実際はもちろん康一の方が年上だ。
 高校生、しいてはモデルにすら見られるビジュアルを持つ美砂と、親しく話をしている康一の姿は、店内にいた男性客からも視線を集めた。

「ささっ、どうぞどうぞ。お客様一名入りまーす」

 そう言いながら美砂は康一の手を掴み、ぐいぐいと引っ張っていく。
 店内の一つのテーブルに康一を座らせ、美砂は対面に腰を下ろした。

「あ、私休憩入りまーす。あとよろしくー!」

 康一との時間を作るために、美砂は無理やり休みを入れようとしているようだ。
 そんな美砂の頭にゲンコツが落とされる。

「あほ! あんたはさっきお父さんが来た時に散々休んだでしょ! あと一時間で交代なんだから頑張りなさい!」

 美砂の背後に釘宮円が立っていた。

「痛いよ~。冷たいなぁ、円は」

 ぶ~、と口を尖らせて美砂は文句を言う。
 そこへ、お冷を持った千雨が近づいてきた。千雨は午前中はアキラと二人で学園内を見回り、先程クラスへと戻ってきたばかりだ。メイド服を着ているが、相変わらず伊達メガネは付けたままである。
 千雨はテーブルにお冷を置く。

「ご注文は何にしましょうか」
「うーんと、それじゃアイスティーとこのサンドイッチでお願いします」

 テーブルに置いてあったメニューをチラ見して、適当に指を差して注文した。

「はい、承りました。ご注文を確認させて頂きますと、アイスティーが一つ、ミックスサンドが一つでよろしいですね」
「はい」

 さすがにここ一週間の間、超の屋台でバイトしていただけあって、千雨の接客もこなれたものだった。接客をしながら、千雨は康一の顔を確認する。

「申し訳ありませんが……えーと、広瀬先輩ですよね」
「え、あ、うん」

 いきなり千雨に問いかけられ、どぎまぎとする康一。対して美砂と円は接点の無さそうな二人を怪訝に見つめている。

「あ、わたしは長谷川って言います。承太郎さんから色々話を聞いています」
「承太郎さんから?」

 ピクリと康一の眉が動いた。康一もここ数ヶ月の麻帆良の状況を、おおまかにだが承太郎から聞いていた。そして、そこに長谷川千雨という少女がいた事も。

「あ、じゃあ君が、承太郎さんが言ってた例の」

 どの例なのかは分からなかったが、千雨は頬をポリポリと掻きながら「はい、それです」と答える。
 そんな二人を美砂はジト目で見つめ、円は会話に付いて行けず疑問符を浮かべていた。

「ちょっと、ちょっと! 何千雨ちゃんも康一さんと知り合いなわけ?」
「あ、柿崎。いや、初対面だよ。ただ顔合わせっつーか……」

 美砂の剣幕に、千雨もたじろぐ。

「と、とりあえずそんな訳で。じゃあ何かあったら連絡ください」

 千雨はそう言い残しつつ、そそくさと逃げ出した。

「わかったよ」

 返事を待たずに逃げ出したため、聞こえたか分からないものの、康一は一応返事をしておく。康一はバックスペースに消える千雨の後ろ姿を見つめていた。
 美砂はそれを面白くないと感じ、急に話を振る。

「そういえば康一さん! 午後の『学園全体鬼ごっこ』参加しますか?」
「『学園全体鬼ごっこ』って、あの無茶な企画か。三時からだっけ?」

 初日の目玉イベントとして、午後三時から『学園全体鬼ごっこ』なるものが開催される予定だ。
 有志千名の鬼役と、逃げ役五千名の総勢六千名による学園全体を使った、壮絶なる鬼ごっこの企画だ。
 南北に麻帆良を貫き、北端が世界樹へと繋がる大通りを鬼ごっこのエリアとし、巨大なモニターなどでその有様を中継するのだとか。
 鬼役やら逃げ役には、あらかじめ麻帆良でも有名な人間を起用し、注目選手として中継するとか。確か朝に配られた麻帆良祭のガイド冊子にも『注目選手紹介』なるコーナーがあった。
 当日の来場者枠も多く取ってあり、今日も朝から参加者を募っていたはずだ。

「で、ですね。もし参加しないんであれば、私と――」
「あ、ごめん。その時間には用事があるんだ」

 午後三時、確か図書館島に近い広場で、格闘技大会があったはずだ。康一は友人の東方仗助と豪徳寺薫が出場するらしく、ぜひ応援してくれと言っていた。

(でも、出場理由がなぁ……)

 その格闘大会の優勝賞金はなんと十万円。大学のどこぞの格闘サークルが企画したらしいイベントだが、いかんせん『学園全体鬼ごっこ』と被ってしまっているのだ。参加人数は恐らく少ない。
 しかし、そこで目を着けたのが仗助だった。
 「これだったら俺でも優勝できるんじゃね」といった感じで、人数が少ないのを見越しつつ、賞金に目が眩んで参加を決意。更に薫も「仗助が出るなら俺も出る」といった様子で参加を決定した。
 二人に絶対応援に行くよ、などと言った手前、さすがに行かないのは気が引ける。
 康一は事のあらましを伝えると、美砂は口元を膨らませて不満を示した。

「う~、せっかく康一さんと色々見ようと思ったのに~」
「あんた何ワガママばっかり言ってるのよ。それにしても、賞金十万円ってけっこうすごいですね。やっぱり午後三時となると客足鈍るんでしょうか」

 美砂をたしなめつつ、円がそう言った。

「うちの喫茶店も三時に閑古鳥が鳴かない様に、イベントを行なうんですよ」
「へー、そうなんだ」

 康一はお冷を一口含みながら答える。

「そうなんですよ! でも私その時間はパパと麻帆良を回ろうかなー、とか思ってたりして」
「美砂ちゃん、お父さん来てるんだ」
「はい! 今日も午前中にここへ遊び来てくれてたんです」

 その話に及ぶと、円がいたたまれないと言う感じの視線を、康一へと送った。

「パパに康一さんの話したら、すごく喜んじゃって! ぜひ、会いたいって言ってたんですよ~」
「え、美砂ちゃんのお父さんが……」

 康一とて、露骨な美砂の好意を感じていないわけでは無い。それでも康一には今美砂をどうこうする様な状況で無く、それを先送りしていた。
 美砂が好意を持っている、そんな男に対して父親がどういう感情を持つだろう。

(うぅ、嫌な予感がする)

 美砂は女子中等部に通っており、箱入りとも言える。そんな娘に、高校生の男が近寄ってきている。正直要点だけ抜け出せば、好意など感じ様が無いかもしれない。
 康一はタラタラと冷や汗をかいた。そして、その時に美砂の友人の円の視線に気付いた。
 美砂は嬉しそうに父親の事を語っている。康一は目線で円に父親について伺いを立てると、円は目を伏せながら残念そうに首を振った。

(えーと、釘宮さんだっけ。あの子のリアクションを見る限り、なんかヤバそうだぞ)

 中学生を毒牙にかける風聞の悪い高校生、とでも思われてるのだろうか。

「あー、でもほら。せっかくの親子で会うのに、僕がいたら邪魔でしょ」
「そんな事無いですよ! パパもきっと喜びますって! 明日とかどうですか? パパも三日間いるって言ってたし、明日時間に都合合わせて一緒に会いましょうよ~」

 美砂はキラキラとした瞳を康一に向ける。この視線を受けると、どうにも断りづらい。

「う、あ、その……。う、それじゃ――」
「ほら美砂。いい加減戻るわよ。すいません康一さん、長い間お邪魔しちゃって」
「うぇ、何するのよ円ったら~」

 康一が了承の言葉を吐きそうになる前に、円がうまく横槍を入れてくれた。美砂は円に襟首を掴まれながら、ズルズルとバックスペースに戻されていく。
 それに代わるかの如く、バックスペースから康一の注文の品を持ったメイドが現れた。長身にポニーテール姿をしているその少女は大河内アキラだ。
 大きめのトレイを持ちながらも、一切のブレが無く、スムーズに品を運んでいる。

「失礼します。ご注文の品をお持ちしました」

 アイスティーにミックスサンドがテーブルに並べられる。

「ご注文はお揃いでしょうか?」
「大丈夫です」
「はい。それでは失礼します」

 ニコリと笑顔を返すアキラに、康一はドキリとしてしまう。美砂にしろ、このクラスの生徒はどうにも大人びて見え、康一は年上なはずなのに、すぐにドキドキしてしまう。
 なんとなく情けなくなりつつ、アイスティーを一口飲む。

「あ、美味しい……」

 紅茶自体がそんなに好きでは無いが、喉越しが爽やかなそれは康一の舌にもしっかり合った。
 空腹を思い出した康一は、更にミックスサンドをがっつく。その美味しさに、お代わりまでしてしまうのだった。



     ◆



 古菲は軽く肩を回す。次に肘、そして手首。
 異常が無い事を確認したら、今度は脚の関節を確かめる。
 更には軽くストレッチをし、体全体の違和感を見極めた。

「うむ。大丈夫アル!」

 どうやら午前中のダメージは残っていない様だ。
 古は麻帆良祭の初日の午前中から、早速宣言通りに格闘大会を二つ制覇していた。
 とは言っても、両方とも小さいサークルのイベントなため、賞金も参加人数も微々たるものだった。
 だがおかげで午前中という限られた時間で、二つもの大会を制す事が出来たとも言える。
 片方はある大学のボクシングサークルが行なった、ボクシング大会だ。ボクシングのルールは馴染み無いので、おおよその禁止事項を部員に直接聞いた後、ほとんどぶっつけで出場した。
 一回戦はそこそこの強者にあたり、ルールへの無理解もあって多少苦戦したが、それい以降は順当に勝ち進み優勝。見事に三万円のクオカードを手中に収めたのだった。
 続いて出場したのは、高校のアームレスリング部主催の腕相撲大会だ。大学生の屈強な運動部員達が参加する中、古の姿は否が応にも目立つ。それでも、古は中国武術研究会部長として知られているので、一部の参加者は戦慄していた。
 単純な膂力という意味では、古のそれはズバ抜けていない。しかし、だからと言って腕相撲で負ける理由にはならないのだ。
 それこそが理合。弱者が持つからこその武術である。
 古は冷静に相手の呼吸を感じながら、腕にかける力の強弱をコントロールした。それにより、時に一気に、時にじわじわと相手を追い詰め、勝利をもぎ取っていく。
 またもや腕相撲大会に勝利し、古は学食の共通食券を手に入れるのだった。
 古はその後昼食を取り、午後に行なわれる格闘大会の会場へと向かっている。大会にエントリーするためだ。
 確か二時まで受付が行なわれているはず。場所は図書館島方面の広場。湖に近かった気がする。
 古菲は意気揚々とその場所へ向かう。今日の格好はお得意のチャイナドレスに、下は七部丈のスパッツを履いている。
 屋台や露天が立ち並び、人でごった返す街並みを歩く。途中にあったクレープ屋台で一つ買い込み、食べながらも歩き続けた。

「うむ、美味アル」

 古の目的は何も格闘大会の全てに勝つ事ではない。彼女の目的は師である烈海王と戦い、そして勝つ事だ。
 ただ戦うだけなら鍛錬の場でも出来るだろう。だが、それでは駄目なのだ。
 実戦とも言える場でこそ立ち合い、戦うからこそ価値がある。

(おそらく今のワタシじゃ烈老師には敵わないアル。それでも――)

 それでこそ燃えるものがあった。常勝の相手に立ち向かい、何の意味があるのだろう。武とは格上の相手を打倒するからこそ、意味を見出せるのだ。明確な言葉には出来ないものの、古菲は漠然とそう感じている。
 そして、師である烈海王が自らとの戦いを誘った。それはきっと意味がある。
 古の心はこれからの戦いを想像し、愉悦を感じた。

「お、あそこアルカ」

 喧騒より少し離れた場所に、その広場はあった。近くには湖があり、湖に浮かぶ図書館島もよく見える。
 広場の中央にはズデンとリングが設置され、周囲にはパイプ椅子が整然と並んでいた。収容客数は多くて五百といった所か。
 戦いの匂いを感じ、自然と体が浮ついた。軽くジャンプして体をほぐすのは、無意識の所作だ。
 リングより少し離れた場所に、運営サークルのものと思われるテントが見えた。
 その場所へ向かおうとすると、ゾクリと古の背筋に戦慄が走る。
 背中を力強い指でなぞられた感触。強者、よく知っている強者の気配。
 知らず口が弧を作っていた。

「早くも当りを引いてしまったアルネ、烈老師」

 古の視界が狭まる。見つめるべきは、会場の片隅に立つ一人の男。
 中国拳法の世界に産まれた異端児にして天才。その男は若くして称号たる海王の名を受けた。
 烈海王、その人が立っていた。

「よく来たな古よ」

 男もまた武人。成長著しい愛弟子との戦いを楽しみにしていた。



     ◆



 康一は仗助達を応援するために、格闘大会の開催場所へと足を運んでいた。
 そこで意外な人物と出会う。

「あ、承太郎さん」
「康一君か」

 そこにいたのは空条承太郎だった。
 リングが設置された場所の近くに、いつもの白いコートに白帽子の様相で、承太郎は佇んでいる。

「承太郎さん、どうしたんですか?」
「あぁ、仗助に呼ばれてな」
「あ、承太郎さんもですか。僕も応援に呼ばれてたんですよ」

 そう言いながら二人は飲み物を買い、連れ立って客席のパイプ椅子に座った。
 そこへレスリングのユニフォームを着たガタイの良い男性が通りがかり、承太郎に挨拶した。

「空条先生ちわーっス、って。あれ? 先生も参加ですか」
「いや、今回はただの応援だ。お前こそ参加か」
「はい! なんたって賞金十万円ですからね。しっかりもぎとってきますよ、見ててくださいね!」
「あぁ、頑張れよ。それと、レポート忘れるなよ」
「あは、あははは。了解ッス」

 男性は大学生らしく、ペコリとお辞儀をしてそのままイベント受付の方へ走っていった。

「そういえば、承太郎さんは大学で講師やってたんですよね」
「臨時だがな。一応海洋生物学が専門だ」

 先程の男性は、承太郎の講義に参加している生徒の様だ。
 二人がそんな話をしていると、暑苦しい格好の二人組みが近づいてきた。
 二人ともリーゼントに学ランという、時代遅れの不良という印象である。東方仗助と豪徳寺薫だ。

「おう康一、来てくれたのか。それに承太郎さん」
「はじめましてッス、空条先生。仗助から話は聞いてます。豪徳寺薫って言います」

 気軽に手を上げて挨拶する仗助とは対照的に、薫は初対面の承太郎に対しキッチリとお辞儀をした。

「俺も仗助から話を聞いてるよ、豪徳寺君。せわしない奴だが、よろしく頼む」
「うぃッス。がんばります」

 二人のやり取りが、なんとなく自分を貶してる様で、余り面白くない仗助がいた。

「そういえば二人とも、その格好で出場するの? てっきり柔道着とか運動着かと思ってたよ」
「はッ! 何言ってやがる康一! 男だったらこの格好しかないだろ。ビシっと勝ってくるから、見ててくれよなぁ!」

 ワハハ、と余裕の笑い声を上げながら、仗助は受付に向かった。

「俺もこの格好に問題はあるとは思うんだがな。やはり、この格好が一番しっくりくるんだわ。優勝は出来ないまでも、力の限りやってみるさ」

 薫はいささか自信無さ気だ。康一は薫がかなり強いらしい事を聞いている。『遠当て』なる技を使えるとか何とか。
 最近まで超能力以外の存在を知らなかった自分なら信じなかっただろうが、今の康一ならそれも納得できた。
 なのに、何故薫は自信が無いのだろう。逆に仗助が自信有り過ぎな気もするが。

「薫君、どうして優勝できないの?」
「いや、どうしったってなぁ~」

 薫がチラリと視線を横に向けた。そこには一人の少女が軽くジャンプをしたり、手首を回したりしている。
 褐色の肌に、色素の薄い髪。顔もどこか幼く、康一は中学生くらいかと思う。
 肩までの髪にお団子を二つ付けて、チャイナドレスを着ている姿は、中華レストランの給仕にも見えた。

「あの子がどうかしたの?」
「おいおい康一。お前彼女を知らないなんて、何年麻帆良に通ってるんだよ」

 薫が呆れたとばかりに言う。

「あの人は古菲さんだよ。去年の秋にあったろ『ウルティマホラ』って。あれの優勝者だ」

 『ウルティマホラ』とは、秋に麻帆良で行なわれる格闘大会だ。中学、高校、大学と様々な学校から格闘サークルの人間が集まり、トップを決めるというイベントである。

「えぇ! 優勝って、あの大会って男女別に分かれてなかったよね」
「当たり前だ。古菲さんは大の男も含めて、みんなノシて優勝してるんだよ。それに中武研の部長でもある。言わば格闘の天才ってヤツだ」
「へぇ~」

 思い出せば、確かに去年「中学の女子が優勝した」だの、なんか話題になってた気がする。だが、格闘技に興味が無かった康一は、優勝者の名前やら詳細まで耳から素通りしていた。

「まぁ、優勝は出来ないだろう。それでも、全力でぶつかっていくぜ。今の俺がどこまで出来るか、それが楽しみだ。最初は暇つぶし程度に思ってたが、この大会、かなりのもんだぜ」

 薫の瞳には闘志があった。ぐるりと見渡せば、狭い会場にポツリポツリと人が集まって来ている。
 出場者と思われる人間は姿格好で分かるが、そのどれもが一癖も二癖もありそうだ。

「あいつは山下か。過疎ってる大会なんて嘘ッパチだな。これはウルティマホラよりヤバクなりそうだ」

 ニヤリと笑う薫の表情が固まった。
 康一は不思議に思い、その視線を追いかけた。
 視線は先程の少女――古菲の背中を見つめていた。いや、違う。古菲のその先、彼女が対峙しているある人物に注がれていた。
 古菲と同じ浅黒い肌をした屈強な男性だ。康一が想像する『中国拳法家』が実在したら、こんな格好だろうという姿だ。
 黒い髪は後ろでピッチリ纏まっており、後頭部から先が三つ編みが施され、尻尾の様になびいている。

「はは、なんだあの人。すげぇ……」
 薫がその男性に見とれている様だった。
「――烈海王」

 康一と薫のやり取りをおとなしく聞いていた承太郎が呟いた。

「え、知ってるんですか承太郎さん」
「あぁ、有名な御仁だよ。中国拳法の大家だ」

 視線の先では古菲と烈海王が何か会話をしていた。しかし、さすがに声までは聞こえない。
 薫は笑みを浮かべながら、意気揚々と受付に向かった。
 ちなみに後でこの事を知った仗助は、薫とは対照的にひどく落ち込んだ。

「ちくしょう。十万円、手堅かったはずなのに……」



     ◆



 お昼を境にクラスの喫茶店業務に参加した千雨とアキラだったが、途中で夕映も喫茶店に合流した。
 三人はあくせくと働きつつも、祭りの空気を楽しんでいた。

「ふーん、やっぱトリエラさん来たのか」
「はい。なんかすごくはしゃいでたデス」

 夕映の話では、午前中夕映が行なっていた図書館島のガイドツアーにトリエラが来たらしい。はしゃいでたとの事だが、妹を溺愛するあの人ならしょうがないだろう、と千雨は思う。
 現在バックスペースで、千雨はノートパソコンを弄っていた。
 三時から例のヴァーチャル空間ショウを行なうらしく、その調整やらチェックやらを頼まれたのだ。超は何故か不在、葉加瀬は屋台の方もあるらしく、今はそっちに出張っている。
 パソコンに詳しい存在となると、必然千雨にお鉢が回ってくるのだ。
 千雨は椅子に座りつつ、だらしなく脚を組んでキーボードをポチポチ叩いている。
 背後では夕映が立ってモニターを覗き込んでいる。そうしながら二人で雑談をしていたのだ。
 並列思考を持つ千雨は、会話をしながら作業するなど容易い。
 そうやって十五分ほどかけて、千雨は一応のチェックを終了した。

「よし、こんなもんだろ」
「どれどれ、せっかくだから私も見てあげるです~」

 そう言いながらアサクラが夕映の頭から飛び降り、ノートパソコンの前に立った。
 パソコンに直接触れながら、データの確認をしているらしい。

「うぅ、さすが千雨様ですぅ。バグの一つも無いなんて……」

 アサクラは活躍の場が無い事に残念らしい。

「まぁ、バグが無いって言っても、ヒューマンエラーは往々にしてあるからな」

 落ち込むアサクラの頭をぐいぐい撫でながら言う千雨。
 そこへ、アキラが少し急ぎ足でやって来た。

「千雨ちゃん、ちょっと窓の外見てよ」
「窓の外、ってうわ~」

 窓から世界樹の方を見れば、かなりの人数の人が集まっていた。
 まだどんどん増えている様子だ。

「なんだこれ」
「『学園全体鬼ごっこ』でしょうね、おそらく」

 夕映がひょっこりと窓の隙間から覗く。

「うぇ、あの五千人だかが参加するってヤツか。でもこれ五千人所じゃないだろ」

 正確には分からないものの、現在見えるだけでも一万人程人がいそうだ。

「確か開始が三時で、二時からエントリーなはずです」
「マスター、報告するですぅ。今、麻帆良祭運営委員会のサイトを確認した所、参加者枠を五千から一万へと拡大するとの事。それにより景品なども変更されるらしいです」

 夕映の頭に乗ったアサクラが報告する。自らの本体たる記憶媒体を使い、ネットへとアクセスしたらしい。

「だ、そうですよ」
「うぇ、一万人の鬼ごっこって、怪我人続出するんじゃねーか」

 千雨が面倒くさそうな顔をする。

「千雨ちゃん、千雨ちゃん」
「ん?」

 アキラが千雨の肩をとんとんと叩く。

「寮に戻るんなら早く戻った方がいいんじゃないかな」
「あ……」

 千雨はウフコックに貰った銃を自室に忘れてしまい、それを時間が出来た時に取りに帰る予定だったのだ。
 午前中はアイス食べたり、アキラと遊びまわったり、数学研に参加してたりしてて忘れてしまっていた。
 急げば三十分程度で戻ってこれるはずだ。
 午後三時にもなって今更取りに戻るのも変な話だが、ウフコックに渡された物だからこそ、千雨は取りに帰りたかった。

「時刻は二時過ぎか。ちょっと行って来るか」

 千雨はあやかにイベント用のプログラムに問題が無い事を述べつつ、所用で少し外出する旨を伝えた。あやかもそれを承諾する。
 アキラもあやかに三十分ほどの休憩を貰った。サボったり、客と仕事関係なく騒いだりするクラスメイトが多い中、アキラは厨房と接客、両方で八面六臂の活躍を二時間していたのだ。
 あやかとしても三十分程度の休憩を上げるは、やぶさかでは無かった。
 千雨達は午前中に目立った事を反省し、手早く制服に着替える。

「夕映とあちゃくら、悪いけどもしわたしがイベントに間に合わなかったら、ソッチの管理任せられるか」

 ソッチと言いながら千雨はノートパソコンを指差す。

「分かりました。きっちりあちゃくらにやらせます」
「私がしっかりやるですぅ。安心して遅刻してください、千雨様!」

 アサクラがプリプリと腰を振りながら答える。
 千雨はアサクラの頭にポンと手を置き、「よろしくな」と言う。
 そのまま千雨とアキラは教室を抜け出し、校舎の玄関口まで来ていた。

「なぁ、あーちゃん。別にいいんだぜ、寮まで付き合わなくても」

 千雨としても自分の忘れ物程度に、アキラは付き合わせるのが申し訳なかった。

「うん、でも……」

 アキラは心配そうに千雨を見る。

「大丈夫だって。パッと行って、すぐ戻ってくるよ」

 ニカリと千雨は笑う。

「うん、そっか。じゃあ私もちょっと行きたい所あるから、そっち覗いてくるよ」
「了解。んじゃ、あとでなー」

 千雨とアキラは校門で別れ、各々別の方向へ向かう。千雨は中等部から東の方にある女子寮へ。対してアキラが向かうのは北西、図書館島のある方向だった。

(うん、聞いてみよう)

 昨日よりはマシだが、それでも千雨はまだふとした瞬間に不安そうな表情になる。

(私が何が出来るか分からない。それでも――)

 アキラは千雨の事が知りたい。そして少しでも手伝ってあげたかった。
 そうなると、彼女の行ける場所は一つしか無かった。
 いつも行く時には千雨か夕映がいた。あの場所――図書館島の地下へ一人で行くのは初めてだ。
 アキラは小さな決意をしつつ、図書館島へと向かった。



     ◆



「ふぅ……つ、疲れた」

 千雨はくたくたになりながら自室へと入る。
 普段だったら大して時間も掛からずに着くのだが、『鬼ごっこ』参加者の大群に巻き込まれ、なかなか寮に行き着けなかったのだ。

「一応、それも見越してたんだけどなぁ」

 往復三十分を考えていたが、行きに三十分以上掛かってしまった。
 千雨は部屋に入るやいなや、冷蔵庫から飲み物を一口飲む。そしてベッドに倒れこんだ。

「あぁ~、癒される~」

 静かな自室。されども窓から喧騒が聞こえた。
 外はあれほど騒がしいのに、この部屋の中はいつも通りの日常だ。どこかそれがおかしく、千雨は笑みを作ってしまう。

「こんな時間がずっと続けばいいのに……」

 アキラがいて、夕映がいて、ドクターがいて、クラスメイトがいて――そしてウフコックがいる。
 千雨には今の日々が、奇跡の様に感じられる。
 本来、両親を失った千雨は親戚か施設に引き取られるはずだった。それがどんな運命か、彼女が運び込まれたのは《学園都市》。
 そこで起こった事は楽しい事ばかりじゃない。それでもズタズタに傷ついた千雨を、歪な家族ごっこで癒してくれたのは、間違いなくウフコックとドクターだ。
 千雨にとって一匹と一人はかけがいの無い存在になっていた。

「うっ……」

 千雨の中にさみしさが込み上げてきた。
 今はアキラも夕映も、ましてやウフコックもいず、一人で部屋にいる。
 寮の中はしんと静まり返り、人気がほとんど無い。
 そんな空気が、千雨も孤独感をゆさぶり起こしたのだ。
 そして想起するのは不安。嫌な未来。不安定な自分、ウフコックの体。冷たい予感が背筋を這う。
 千雨は必死にそんな気持ちを振り払おうとする。

「大丈夫だ。先生はきっと助かる……助けてみせる」

 ベッドに寝転がりながら、息を大きく吐いた。

「大丈夫。ドクターもいる、先生も助かる、あーちゃんも夕映も……」

 おまじないの様に呟き続けた。千雨の想像が、まるで絶対に正しい揺ぎ無い真実の様に。
 気付けば十分ほど寝転がってた様だ。

「やばい。は、はやく帰らないと」

 ベッドから起き上がり、千雨は銃を取るために自分の机の引き出しを開けた。
 そこにあったのはウフコックから貰った『千雨の銃』、そして何発かの弾丸だ。
 千雨はそれをホルダーごと太ももに装着した。

「よし、これで大丈夫」

 チラリと時計を見れば三時に近い。

「うわ、喫茶のイベントには間に合わないか……」

――《turning-point》

 脳内に垣間見えたノイズ。一瞬視界がクラリとしたが、すぐに持ち直す。

「ん?」

 ふと、何かが脳裏を過ぎった気がしたが、泡の様に霧散してしまう。
 自室の外を覗けば、遠くに見える『鬼ごっこ』の集団の賑わいも一段と増していた。
 スピーカーでの呼びかけが必死に行なわれている。おそらく運営側が大量に増えた参加者を、どうにか捌こうとしているのだろう。
 もうすぐ三時になる。そんな時に千雨は奇妙な気配を感じた。

「な、なんだこれ……」

 本来視覚では見えない。されど独特の知覚領域を持つ千雨は〝ソレ〟をしっかりと確認した。
 世界樹を中心に空間に広がる波。不可視の波が周囲の建物、人、そして千雨自身までをも通り過ぎた。
 そう、波は体をすり抜けただけなのだ。

「な、なんだあの波は……」

 異常な感覚。心に警鐘が鳴り響いた。
 千雨はまったく事態が飲み込めず、混乱した。
 外の街並みに今の所変わりは無い。
 なのに、千雨だけはその異常を察知した。
 ふらつく体に活を入れ、千雨は立ち上がり、異常をアキラ達に知らせようとする。
 しかし、その時声が聞こえた。

『『ゲーム』を始めよう』

 始まりの鐘は万人に届かず、鳴らされた。



     ◆



 午後三時。
 長谷川千雨は寮の自室にいた。
 大河内アキラは図書館島からの帰り道をトボトボと歩いていた。
 綾瀬夕映は2-Aの教室でイベントに参加していた。
 広瀬康一は空条承太郎と共に、格闘大会の応援に参加していた。
 高畑・T・タカミチは『学園全体鬼ごっこ」』を運営委員と共に見守っていた。
 近衛近右衛門は学園長室で座っていた。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは自宅でくつろいでいた。
 トリエラは男性と別れ、一人街を歩いていた。
 そして、超鈴音は――。
 かくて、短く長い戦いの幕は上がる。



 つづく。



●千雨の世界 42話時点でのサブ資料
http:/
/nao-sko.sakura.ne.jp/novel/c-sub042.html





(2011/10/30 あとがき削除)



[21114] 第43話「始まりの鐘は突然に」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:231840e3
Date: 2011/10/24 17:03
 ◆◇◆
※注意
これからの話には震災を想起させる場面があります。
これらの場面は、2010年段階で練ったプロットに、作者の震災体験を加味したものです。
決して震災で被害にあった方々に対し、他意を持った描写では無い事を先に述べさせて頂きます。
もし、それらが不快だと感じる方は、読む事をお勧めできません。

本来、エンターテイメントであり、更には二次創作である拙作で、この様な勧告をするのは大げさな気がしますが、時期が時期だけに書かせて頂きました。
これらの注意を了承してくださった方は、続きをどうぞ。
 ◆◇◆


 世界樹を北端に、麻帆良を南北へ貫く大通り。
 世界樹広場とは対極に位置する広場に、数万人という人間が集まっていた。
 鬼役五百人、逃げ役五千人という規模で行なわれる『学園全体鬼ごっこ』だったが、現在は変更されていた。あまりの参加者のために、逃げ役の人数枠を増やし、急遽一万人という事になったのだ。
 参加者に渡されるのはGPS。このチェックによりエリア外に出たら即失格とされる。
 エリアは現在集まってる広場を南端とし、世界樹を北端。大通りを中心とした縦長の長方形のエリアで行なわれる。
 また建物内への侵入ご法度。それぞれの行動はしっかりGPSで管理されている。
 もちろんGPSを他者に渡すのも失格とされた。
 背番号とGPSを渡された参加者がスタート地点でワイワイと騒いでいる。周囲には観客も大勢いた。しかし、このイベントは麻帆良内に設置された様々なモニターで視聴可能だ。
 そのためオープンカフェなどでくつろぎながら見る人々もいる。
 午後三時のスタートはもうすぐだった。



     ◆



 太陽が高く昇っていた。
 雲ひとつ無く、空には綺麗な青がどこまでも広がっている。
 青の中に緑が一つ。
 世界樹と呼ばれるそれは、枝を空一杯に伸ばし、葉を青々と繁らせている。
 そして街は、世界樹の足元に広がっていた。
 この麻帆良は世界樹を中心に出来ている。それは万人が理解していた。
 麻帆良には多くの人が集まり、世界樹への感謝を示す。
 それは連綿と続く儀式であった。
 そう、この日までは。







 第43話「始まりの鐘は突然に」







「さぁ『ゲーム』を始めよう」

 吉良吉影は声を高らかに言い放つ。
 道化師染みたその口調に、吉良自身苛立ちを感じていたが、〝コレ〟こそが必要なのだ。
 吉良は頭が良かった。自分の立ち振る舞いが、相手にどの様な印象を与えるのか、それを予想できるくらいには。
 自分を狂気染みた快楽主義者とでも思ってくれれば、都合が良い。
 また自分を恨んでくれれば、それはそれで吉良自身の〝弾丸〟として刻みこまれる。
 脳内には世界樹を通して、様々な人物に対し念話を送っているのが理解できた。今、念話を送っている人物は、魔法使いを中心にしつつ、この麻帆良にいる『危険人物』にしぼっている。もちろんその定義には「吉良にとって」という言葉が頭に付くが。

「この声が聞こえてる皆さん、私の名前は吉良吉影。《矢》の所持者にして、この数ヶ月に起こった事件の首謀者だ」

 名前を言い放つ。これで条件の一つが揃った。

「今、私は世界樹広場にいる。見晴らしの良い風景だ。ぜひ、皆さんにも堪能して欲しいものだ」

 そして現在地を言い放つ。おそらくこれで充分。自らのリスクを多大に背負い、スタンドの撃鉄が上がった感触を感じる。

「皆さん、『ゲーム』をしよう。ルールは簡単、デッド・オア・アライブだ。私の命をリスクに、あなた達の命を貰いたい」

 スタンドが発動した感触があった。おそらく、念話を受け取った人間に対し、スタンドの爆弾が体内に設置されただろう。

「あなた達への対価は、私の命。そしてこの《矢》だ」

 吉良は懐からそっと《矢》を出す。

「制限時間は三十分。その間に私が殺されれば君達の勝ち、殺されなかったら私の勝ち。簡単だろう? その間、私はこの世界樹広場から一切離れない」

 そう言いながら、吉良は世界樹の幹を愛おしそうに撫でる。
 現在、吉良は世界樹の協力の下、ある計画を進めていた。
 彼は以前から麻帆良の在り方に危機感を抱いていたのだ。そしてそれは《学園都市》の存在や、春先にあった麻帆良爆発事件で加速していく。
 文化祭という状況を利用し、彼はこの計画を急速に推し進めたのだ。
 彼には『ザ・ゲーム』というスタンド能力がある。相手にルールを強制し、吉良自身がリスクを背負う事により発動する爆弾だ。
 しかし、彼はそれを詭弁だと理解している。ここでのリスクとは、彼自身の主観に依存する。スタンドに存在するルールとは、とても漠然としているのだ。
 故に、吉良はそれを悪用した。
 現在吉良が発動しようとしている爆弾の対象は、三桁を余裕で越える。本来それほど多くの人間に対し発動など出来るはずが無い。
 それを吉良は世界樹という望外な協力者と、自らのスタンドに存在する『リスク』という言葉に賭けたのだ。
 自分の存在はもちろん、そこに『麻帆良限定』とする事により発動を可能にした。更には爆弾の威力が小さいのも、可能にした要因だろう。
 スタンド能力は、スタンド能力者にしか触れられない。『ザ・ゲーム』を受けた対象達は、仕掛けられたスタンドを視認出来る様になる。だがスタンドが見れても、心臓に仕掛けられた小さな爆弾に触れられる事は無い。
 だからこそ、爆弾の威力は最小限で構わない。心臓の間近で破裂する爆弾。魔法使いとて即時に治癒をしなければ助からないだろう。
 そして彼らにそんな事が出来るのか。爆弾は彼ら全員に、同時に爆発するのだ。
 また、今は『学園全体鬼ごっこ』の最中。世界樹広場へと真っ直ぐ伸びる通りの先には、大量の人間が集まっているのが見えた。
 果たして魔法使い達は彼らを見捨てられるのか。おそらく無理だろう。
 だが、どう転ぼうと構わない。そう、現時点では。

「君達に拒否権は無い。ゲームマスターはいつでもきまぐれで、横暴だ。さぁ、始めよう。『ザ・ゲーム』だ」

 吉良の言葉と共に、世界樹が強烈な光を放つ。
 秒針がカチリと小さく音を立てた。



     ◆



 千雨は心臓の鼓動が早鐘を打っている事に気づいた。
 脳内に響く訳の分からない声。
 狂言か幻聴か。周りに人がいないせいもあり、果たしてこの声が真実なのかすら確かめる術が無い。
 そう、本当だったら。

「う、嘘だろ……」

 千雨は自分の胸元を見た。
 本来肉眼で自分の体内を見るなど、普通は出来ない。
 なのに、千雨は自分の体内に薄っすらとした影が見えた。心臓に張り付いたコレを、千雨は知っている。知覚領域を広げて確認するが、やはり間違いない。
 魔法では無い、超能力でもない。いつも一緒にいる親友が持つ能力に酷似している。
 それは『スタンド能力』だ。

「な、何なんだよ、これはァーー!」

 心臓に張り付く影はピクピクと動き、小さな時計の音を鳴らす。音は体内から聞こえた。
 爆弾。
 時限爆弾を連想させる。
 先程の男――吉良の言葉が思い出された。
 ――『ゲーム』を始めよう。
 千雨は強く歯を噛み締める。

「吉良吉影……ゲームだぁぁッ!」

 千雨は自分の拳を机に叩きつけた。
 瞳には涙が浮かんでいる。
 それは悔しさだった。
 馬鹿馬鹿しい。とても馬鹿馬鹿しい。
 千雨が大事にしているモノが、今たやすく壊された。そしてその理由が『ゲーム』だそうだ。相手の能力は分からないものの、以前承太郎が言っていた『相手に何らかのルールを課す』『爆破させる』という言葉が当てはまる気がする。

(ちーちゃん!)
(千雨さん!)

 脳内に二つの声が響いた。
 それを聞き、荒れ狂った千雨の内面が少し落ち着く。

「あーちゃん、夕映、無事か!」
(うん、私は大丈夫だよ。でも……)
(おそらく同じ状況でしょう。私も確認しました。この不可思議な影、いや爆弾でしょうか)

 同じく承太郎の話を聞いていた夕映も、やはり同じ結論に至ったらしい。

「二人共どこにいるんだ。わたしは女子寮の自室だ。とりあえず合流しよう」
(私は今……その、図書館島の近くにいるんだ)
(こちらは変わらず教室です。現在ヴァーチャルショーの真っ最中デス)
「くっ! どっちも遠いな」

 アキラは図書館島近辺、夕映は麻帆良学園。
 千雨の場所からだと、教室へ戻るのと世界樹広場へ行くのでは大して変わらない。
 そして図書館島となると、世界樹広場をはさんで、まさに逆だ。

(お二人にご報告があります)

 焦る千雨に対し、夕映が冷静に状況を報告する。

(先程の放送……とでも言うのでしょうか。とにかくあの吉良なる人物の演説の後、私達には不可解な現象が発生しましたデス。具体的には、体内に奇妙な物体が薄っすらと見える。おそらくこの物体はスタンド。そして以前に承太郎さんが話していた情報から察するに、爆弾である可能性が高い。ここまではお互い大丈夫デスね)
「あぁ」
(うん)

 夕映の問いかけに、千雨とアキラが頷く。

(演説中、クラス内で奇妙な行動を取った人物に確認を取りましたが、やはり各々に『爆弾らしきモノ』が同じ様に体内に仕掛けられてます。人物はこのかさん、楓さん、桜咲さん、龍宮さん、確認できただけでこの四名デス)

「四名! ちょっと待て、これって全員に仕掛けられているわけじゃないのか」

 千雨は声を荒げた。

(そうデスね、千雨さんは今一人なのデスよね。アキラさんはどうでした?)
(うん。声が聞こえてる時、周りの人は何にも反応しなかった。てっきり私だけに聞こえてるものかと……)

 千雨は考える。そう、先程の吉良の言葉に何かがあったはずだ。
 ――この声が聞こえてる皆さん。
 ヤツはそう言っていたはずだ。

「この能力――いや、スタンド攻撃には対象があるのか? 何かを基準にして選定されている?」
(はい、私が言いたかったのはそれデス。先程も言いましたが、クラスでは〝ヴァーチャルショーが継続されてます〟。未だ多くのクラスメイトは異常に感付いてません)
「異常に感付いていない……」

 ならば一体どういう事なのだろう。千雨は麻帆良を訪れた当初、桜咲刹那と龍宮真名の二人と交戦している。そのため、あの二人が魔法関係者なのは既知の事実だ。
 しかし、あとの二人は。

「桜咲と龍宮はともかく、なんで長瀬と近衛が?」
(分かりません。でも、今はそれは置いておきましょう。現在私達に大切なのは、これからどうするか、という事デス)

 千雨はハッとする。今、相手の思惑などを悠長に考えている場合では無い。
 もしかしたらブラフかもしれない。しかし、吉良が言う事が本当なら――。

「そう、吉良吉影の言葉が本当なら、制限時間は三十分」
(はい。もう三分も時間が経過しています。早急に行動を決めるべきかと)

 状況確認に三分も掛かってしまったらしい。いや、三分で済んだと思うべきか。
 千雨は二人と会話しながら、銃の弾倉を確認する。

「あぁ、決まっている。わたしはアイツ、吉良を倒しにいく」

 千雨らしくない言葉に、アキラと夕映は驚いた。

(ちーちゃん……)
(千雨さん、本気ですか?)
「あぁ。分かってるだろ、アイツの言ってる事がどうあれ、今わたし達がスタンド攻撃を受けてる事だけは確かだ」

 千雨の中にはギラギラとした激情があった。スタンドと矢による一連の事件、その根源が今その姿を現したのだ。そして再び相手は牙をむき出しにした。
 怒りが千雨を支配する。
 許せない。
 自分にとって居心地が良かった日常が、薄氷を踏みつけるが如く壊された。
 二ヶ月前、あの世界樹広場で、アキラの助けを求めるしわがれた声は、耳の奥に未だ残っている。
 スタンドという存在は、夕映もズタズタに傷つけた。
 《学園都市》でのスタンドによる傷は、ウフコックの命を今をもって脅かしている。
 ぐつぐつと沸騰するかの如く、千雨の心は激しく荒れる。
 アキラはスタンドのラインを通じて、その怒りを感じられた。

(ちーちゃん……)

 心配そうな声。アキラは何かを千雨に言おうとする。
 だが、それは寸前で止められた。

「な、なんだッ!」

 かたかたと家具が音を鳴らす。その音は徐々に大きくなった。
 激しい揺れが麻帆良を襲う。

(うわ!)
(今度は一体何事デス!)

 アキラと夕映も慌てている。
 千雨は床に尻餅を付き、近くにあった机の足にしがみ付いた。
 ゴゴゴゴ、と地鳴りが聞こえる。
 バサバサと棚から本が落ち、食器が割れる音も聞こえた。
 数秒で地震は治まり、千雨は這うようにして窓に近寄った。
 そして驚愕する。

「何だよ……。本当に……、何なんだよッッ!!」

 怒り、嘆き、困惑、様々な感情が混じる。
 千雨は驚愕した、目の前に広がる光景に。



     ◆



「くっ……」

 葉加瀬聡美は額から流れる汗を袖で拭った。
 彼女がいるのは『超包子』、超の経営する屋台だ。
 この屋台は超を中心とし、葉加瀬と四葉五月が立ち上げた店である。
 葉加瀬も超と会う以前には料理などに興味が無かったが、彼女と出会い、友誼を交わし、彼女の目的を知り、資金集めに屋台をやると言い出した当りで変わってくる。
 五月を料理長とし、彼女を補佐しながら学んだ料理はとても楽しかったのだ。自分が作った料理を客が口に運び「美味しい」と言って貰えると、不思議なくらいに幸せになれる。
 葉加瀬にとって料理とは、超達を通じて得られた趣味であった。
 超と連絡が取れなくなり、葉加瀬にとって今日はとんでもなく忙しくなった。
 午前中は喫茶店に掛かりきりになり、午後は夕方の『超包子』開店に合わせた仕込みをしている。
 本来なら超を葉加瀬で分担する仕事を、葉加瀬一人で行なっていたのだ。それは忙しいはずである。
 慌しく白菜などの野菜を切り刻んでいた彼女の耳に、奇妙な声が聞こえた。
 吉良吉影による一連の演説。

「吉良、吉影……?」

 そして胸元を確認すると、まるでレントゲンか幽霊の様に、自分の体内に存在する異物が薄っすらと見えた。
 葉加瀬は焦る気持ちを抑え、冷静に分析しようとする。
 彼女は魔法やスタンドなどに付いての知識は浅い。ならば知っている人間に確認するべきだろう。

「超能力では無さそうですね。そうなると魔法? いや、吉良なる人物の発言を考えれば、例の『スタンド』の可能性が高い気がします」

 ガリガリと頭を掻く。こんな時に、何故超と連絡が取れないのかと。

「あぁ、もう!」

 その時、自分の持っていた端末から警告音が鳴った。ポケットから取り出し、端末を確認すれば、彼女らの持つ地下のホストコンピューターに異常があるとの旨が書かれていた。

「嘘! なんでまた!」

 葉加瀬は手を拭くことも忘れ、路面電車を改造した屋台の中を歩き、自分の荷物からノートパソコンを取り出した。その時――。

「きゃあ!」

 激しい揺れ。突然の地震により、車内にある物が次々と落下した。
 葉加瀬はパソコンを抱えたまま、手を頭に置きうずくまる。
 揺れが治まると同時に、葉加瀬はパソコンを開いた。今の彼女にとって地震など二の次なのだ。
 なぜならば。

「え、どうしてこんな事に」

 エラー。エラー。エラー。
 彼女たちのホストコンピューターへのアクセスが全て拒絶された。
 かろうじて見れるサーバーログには、碌な事では無い表記が見て取れた。

「まさか……」

 サーバーログから読み取った情報が正しければ、今の地震はまさに――。
 葉加瀬の額から、汗が滝の様に噴出す。
 彼女にとっての最悪の想像。
 そして意識を外に向ければ、屋台の外は悲鳴に包まれていた。
 当たり前だ。
 ガラスの割れた窓から外を見る。
 そこに広がる光景に、葉加瀬は愕然とした。

「あぁ……」

 腰が抜け、くたくたと床に倒れそうになるのを、窓枠を掴む事で耐える。
 割れたガラスの破片が、手の平を切ったが、それすら気にならない。
 背後では常に無い大声で、五月が葉加瀬を心配している。
 それでも、葉加瀬は目の前の光景から目が離せなかった。



     ◆



 ――■■■■。
 ――■良■■。
 ――■良吉■。
 ――■良吉影。
 ――吉良吉影。

「――吉良吉影」

 康一の脳内にあったぼやけた単語が、明確な形となって輪郭を作った。
 記憶にあった虫食いの穴のピースが埋められ。湾内絹保が倒れたあの日の状況を、より鮮明にする。

「あぁ、そうだ。アイツが、アイツが湾内さんを!」

 吉良の顔が思い出された。どこにでもいそうな、埋没しそうな個性。
 しかし、康一達を襲った吉良は被虐的な顔を見せていた。
 彼の嗜虐性が、康一を、そして絹保を傷つけた。
 康一の中で何かが弾ける。
 走り出そうとする康一。だが、それは寸前で隣にいた承太郎に止められた。

「承太郎さん!」
「落ち着け康一君。冷静に状況を考えるべきだ」

 周囲を見れば、多くの人は普通に格闘大会を観戦している。
 よく見ると、一部の人が何やら康一の様に慌しい動きをしている。

「こいつはスタンド攻撃だ。おそらく康一君の受けたヤツと同じな」

 承太郎が自分の心臓をコートの上から指差す。目を凝らせばスタンド爆弾の輪郭が見えた。

「あいつの名前は吉良吉影。康一君を襲ったのも同じ人物なのか」
「はい、さっきアイツの声を聞いてはっきりと思い出しました。アイツは、吉良は湾内さんを……」

 承太郎はそれを確認すると、携帯電話を取り出し、どこかへと連絡をする。
 電話をしながらも、承太郎は歩き始めた。康一は急いでそれを追う。

「リミットが三十分というのも真実か分からんが、急ぐに越したことは無い。今、スピードワゴン財団に連絡をしている。吉良吉影について調査をしてもらおう」

 承太郎は急ぎ足で歩きながらも、連絡するべき相手を脳内で列挙していく。

「康一君、君は世界樹へ向かうのだろう。それは間違いないな」
「はい、僕は行かないといけません。そうだ、僕はこの時のために――この機会を待っていたのかもしれません」

 ――吉良吉影を倒す。
 それは奇しくも、吉良自身が提示した湾内絹保の解放条件だ。
 知らず握った拳に力が入った。

「分かった。一緒に行こう」

 承太郎がそう言うと、康一の中に少し喜びがあった。

「はい!」

 康一と承太郎が勢い良く、格闘大会の会場を飛び出していく。
 その時、選手控え室から出てきた二人の存在を、康一達は気付かなかった。

「おい、仗助、どうしたんだよ」
「どうしたもクソもあるかよ薫。お前聞こえなかったのか、さっきの変な声」
「声? なんだ、観客に変なヤツでもいたのか?」
「違うって。こう、頭に直接響くっつーか、あぁぁ、もう!」

 仗助は地団駄を踏んで悔しがる。薫はそんな仗助を見ながら、あきれ返った。



     ◆



 承太郎がスピードワゴン財団に続き、麻帆良首脳部に連絡をしようとした所で問題が起きた。

「うわ、すごい人込み……」
「そうか。『鬼ごっこ』とやらか」

 『学園全体鬼ごっこ』を見るために、人が世界樹方面へと大量に移動をし始め、とてもじゃないが走れる状況では無かった。

「仕方無い。康一君、ショートカットをしよう」
「ショートカット、ですか?」

 承太郎はそう言いながら、指を上へと差す。
 周辺には三、四階建ての建物が整然と並んでいる。
 つまり――。

「『スター・プラチナ』!」

 承太郎の背後に、人型のスタンドが現れた。スタンドは康一の返事も聞かぬまま、以前の様に襟首を掴み、体ごと投げた。今度は垂直に、だ。

「えぇぇぇぇぇぇ!」

 康一は悲鳴を上げる。建物の壁が視界の下へ下へと流れていく。焦った康一は目の前にあった窓枠へとしがみ付いた。
 気付けば、康一は建物の三階まで投げ飛ばされている。
 承太郎も自らのスタンドに腕を掴まれ、康一の場所まで自分を投げ飛ばす。
 康一の隣の窓枠にしがみ付いた承太郎。

「よし、あと一階だ」
「え? え? え?」

 康一たちがしがみ付いている建物は四階建てだ。まだ一階分残っていた。
 承太郎は再び『スター・プラチナ』を出し、康一を建物の屋根まで投げ飛ばした。

「うわぁぁぁぁ~~~!」

 情けない悲鳴を上げながら、康一はどうにか建物の屋上へ辿り着く。朱色のの屋根タイルにしがみ付き、落下を防いだ。
 康一に続いて、承太郎も屋根に飛び降りる。

「よし、着いたぞ康一君。建物の屋根ならば、かなり距離を短縮できるはずだ」
「は、はやく言ってくださいよ」

 大通りに面した麻帆良の建物は、建物同士の隙間が小さい。そのため屋根から屋根へと飛び移れそうだった。
 多少離れていても、今の様に力技ならどうにかなるはずだ。
 承太郎の意図を察した康一は、戦意を改め、遠くに見える世界樹を睨む。
 その時。
 始まりは小さな音だった。屋根のタイルがカチカチと音を鳴らす。やがてその音は数秒も掛からずに、巨大な破壊音へと変わった。

「うわぁぁぁぁぁ!」
「くっ!」

 激しい揺れが二人を襲う。
 地鳴りが耳を打ち、足場の悪い場所がより揺れを感じさせた。
 屋根タイルがガラガラとズレて、眼下にる来場客の群れへと落ちていく。
 さすがに承太郎も立っていられなく、屋根へしがみ付き揺れが治まるのを待った。
 周囲からも悲鳴が絶え間なく上がっている。
 康一の戦意は霧散し、恐怖が競りあがった。四階建ての建物のてっ辺にいるせいでもあるだろう、揺れはより強く感じられる。
 揺れが治まった時に康一が感じたのは、安堵だった。
 しかし、それもすぐに崩れた。
 伏せていた顔を上げた時、彼の視界に現れたのは――。

「え?」

 目の前にいたのは巨人だった。
 体を機械により縁取られた、歪な巨人。
 その腰の高さと、康一達がいる建物の高さは同じであった。つまり、巨人の背の高さは八階建て以上に相当した。
 巨人の周囲を見れば、巨大な穴があった。
 まるで地の底から出てきたような、先ほどの地震と無関係には思えない。
 そう、この巨人が地面をめくり上げ、出てきた震動の余波が、あの地震であったかの様に。

「なんだ、コレ……」
「康一君ッ!」

 呆ける康一を、承太郎が引っ張った。二人は屋根の上を転がる。

「ゴォォォォォォォォォンンンンッッッ!!!!」

 奇声。甲高い咆哮が巨人の口から発せられた。
 それは声の振動だけで屋根がめくれ、先程まで康一達がいた場所を破壊する。
 康一と承太郎は、どうにかその破壊の余波を免れ、隣の建物の屋根へと辿り着いていた。
 巨人は康一達を歯牙にもかけず、背中を向けてどこかへ行こうとする。

「はっ、はっ、はっ……」

 康一はまったく状況が理解できないといった感じで、目を見開いていた。

「クソ! まずいなんてレベルでは無いな」

 珍しく承太郎が悪態を吐く。それほど切羽詰っていた。
 なぜなら――。

「あのデカブツが〝六体〟もいやがるなんて!」

 麻帆良を見渡せば、同じような巨人が六体も見えた。
 しかし、それらは同一では無い。機械で出来た巨人は、それぞれが所々のパーツが違う。
 いや、パーツが違うというより、足りていないのだ。まるで未完成品を無理やり持ち出したかの様に。
 更に――。

「こいつらも味方とは思えないしな」

 麻帆良の屋根の上だけでも、多くの人影が見えた。
 その人影は人の形と大きさをしていながらも、体は露骨なまでに機械で出来ていた。目元をサングラスで隠す、機械仕掛けの男。
 それが承太郎が周囲を見ただけでも数十という数が確認できる。
 遠くを見れば、もっと多くが視認出来た。

「最悪だ」

 阿鼻叫喚の絵図がそこにあった。



 つづく。



[21114] 第44話「人の悪意」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:231840e3
Date: 2012/02/19 12:42
「駄目です! 制御が利きません!」

 関東魔法協会の地下本部施設の司令部では怒号が飛び交っていた。
 本部付けの構成員は、今の状況を打開すべく、様々な試行錯誤をしているが、そのどれもが失敗している。
 前方の巨大モニターには、麻帆良を睥睨する映像が映し出されている。
 その映像の中で一際目を引くのは巨人だ。機械で構成された、歪な姿。ある程度の魔法使いなら、あれが何を模しているか分かるはずだ。
 巨人は、東洋に伝わる幾つかの鬼神を模倣していた。
 魔法世界には鬼神兵と呼ばれる兵器もある、恐らくは同じコンセプトで作られているのだろう。
 鬼神兵は咆哮を上げながら、周囲の建物を破壊していく。あのままでは観光客に少なくない被害が出るだろう。

「電子精霊の復旧はどうじゃ!」

 関東魔法協会の長たる近衛近右衛門が、焦燥を滲ませながら叫ぶ。
 彼はスタンド攻撃を受けた直後から、携帯で連絡を密にしつつ、この司令部へ魔法を使って急いだ。
 連絡をしながら、司令部内ではおおよそのスタンド攻撃の対象が判明した。
 一般人においてスタンド攻撃を受けた人間を、今の所は確認できなかった。しかし、魔法使い――その勢力に所属する人間は現在確認できる限り全員が攻撃を受けていた。
 近右衛門は到着した時点で、麻帆良の維持運営を賄っている電子精霊の制御は失われ、結界は不安定な状況になっている。
 それだけでは無い。
 先程の大きな振動とともに、地下から六体もの巨大な鬼神兵が現れた。更には千体はいるだろう人型のアンドロイド兵器までも各所から飛び出してくる。
 電子精霊の制御を奪われたせいで、正確な情報管制が出来ないものの、幾つかの映像を見る限り両方とも敵対行動を取っていた。
 おそらくは、これも電子精霊――いや、吉良吉影の仕業なのだろうと思う。

「一体、どうやって電子精霊を!」

 歯噛みをする。後手後手に回ってしまう現状に、無意識に手を壁に叩きつけた。
 電子精霊は奪われたものの、幾つかのカメラは映像を司令部へと送ってきている。
 その内の一つの画面へと、近右衛門の目線が釘付けになった。いや、近右衛門だけでは無い、司令部にいる多くの職員、魔法使い達がそれを見る。

「あやつが、吉良吉影か……」

 近右衛門の目が鋭くなった。
 世界樹広場の中心に立つ男。ビジネススーツを着ており、普通だったら特に目にも留めない只のサラリーマンの様に思える。
 今も、普通に佇む姿に異常が無い。
 だが、それこそが異常なのだ。観光客は立て続けに起こる事態に、混乱をして逃げ回っている。阿鼻叫喚の絵図の中、吉良だけが常と変わらず立っていた。
 近右衛門は決断する。
 現状で人道的手段での解決など望むべくも無い。
 吉良吉影の速やかな抹殺、排除こそが必要だった。

「龍宮君と連絡が取れるかの?」

 麻帆良内の通信は混乱しているものの、まったく繋がらないわけではない。
 オペレーターが龍宮真名の携帯電話へと連絡を入れる。

『学園長、仕事かい?』

 真名の声が司令部の中に響いた。オペレーターが電話をスピーカーから流している。
 真名の言葉の言外の意味を理解しながら、近右衛門は口を開いた。

「分かっておるじゃろう。この非常時じゃ、君に仕事を頼みたい。お主はどこにおるのかのう?」
『今は2-Aの教室さ』
「そうか。そこから世界樹広場までの狙撃は可能かの?」
『無理ではないよ』
「なら早急に頼む。報酬は言い値で構わぬ、速やかに吉良吉影を排除して欲しい」
『分かった。善処しよう』

 真名との電話が切れるやいなや、近右衛門は学園中の魔法使いへ指示を出していく。更には関西呪術協会、オカルトGメンへ救援を頼んだ。もはや確執や沽券などを気にしていられない。この巨大なオカルトテロに対しては、出来る限り被害を抑えるために尽力しなくてはならない。それが長たる自分の役目だと、近右衛門は思っている。
 日本政府への連絡。来場客の避難のための自衛隊の要請。事は速さが要求された。
 近右衛門が指示を出している間に、未だに映像を取得できるカメラの一つが、女子中等部の屋上にいる真名を捉えた。
 彼女はライフル銃を構え、遠く世界樹広場を見つめている。目標までは三キロ近くある。本来なら狙撃など不可能だろう。しかし、魔眼を持つ真名と魔法の存在が不可能を可能に変えた。
 真名は屋上の出来るだけ高い場所へと陣取る。世界樹広場自体が周辺より高い位置にあるため、辛うじて射線に入れられたが、狙撃が難事なのは変わらない。
 ましてや、今は街には破壊が満ちていた。巨大な鬼神兵や、宙を舞う破片の隙間を通さなければならない。
 呼吸を整え、真名が引き金を引く。その瞬間、銃口に魔方陣が浮かび上がり、光の軌跡を残しながら弾丸が飛ぶ。
 ほんの一瞬の出来事。
 近右衛門を含む数人は、息を呑んで結果を待った。
 もう一つのモニターに映っているのは、ターゲットたる吉良吉影だ。

(これは当たる)

 凝視する近右衛門に確信が走った。
 解像度の低いカメラ映像だが、銃弾が光の軌跡を残しているため、その射線が明確に分かる。
 確信は外れず、銃弾は吉良の頭部に吸い込まれ――。

「なッ――!」

 吸い込まれず、銃弾は弾かれた。
 吉良の前方に、まるで透明な盾でもあるかの様に、弾丸は綺麗に防がれた。
 真名が次々に弾丸を撃ち出し、連続して吉良に襲い掛かるも、その全てが弾かれる。
 その不可思議な現象を、この司令部に存在する人間達は良く知っていた。

「ま、魔法障壁じゃとッ!」

 魔法障壁。
 戦いを担う魔法使いにとっては必須の技術であった。
 自らの魔力を使い、周囲に透明な壁を作る。それにより、物理的・魔力的な攻撃や衝撃を、緩和・無力化する魔法である。

「龍宮君の狙撃をあれだけ受けて、障壁が一枚も破壊されていない。かなりの強度じゃぞ……」

 吉良吉影はスタンド使い。それは間違いなかろうが、まさか魔法使いでもあるのだろうか。

「学園長、吉良吉影に関するデータです」

 近右衛門の机の上に、バサリとプリントアウトされた冊子が置かれた。
 スタッフに返事する時間が惜しいとばかりに、冊子を捲る。
 表紙に添付されている顔写真を見る限り、モニターに映る男性に間違いない。
 その中に書かれている事は平凡。
 麻帆良に生まれ、麻帆良学園で小中高と進み、やはり学園内の大学へ進学している。
 その後は麻帆良市内にある商社へと就職。
 どこにでもいそうな経歴であった。
 ただあるとしたら備考欄にある、丸の中に『軽』と書かれている記号。
 これは世界樹から発せられる『認識阻害』と呼ばれる魔法の影響度である。これが強い場合は丸に『重』と書かれ、弱くも強くも無ければ何も書かれない。
 『認識阻害』と呼ばれる魔法は、『魔法は秘匿する』という魔法使いの矜持の維持のためには必要な措置だった。ましてや情報化と呼ばれる近代に置いて、魔法を秘匿するためには、機械ではなく人に対して何らかの予防策を取らねば為らなかった。
 ただ、『認識阻害』は人によって個人差がある。
 余りにもその魔法の影響を強く受けすぎる場合、通常生活に支障をきたす場合があるのだ。そのため、そういう人間に関しては特別な措置が行なわれ、魔法を使って〝調整〟される。
 しかし、軽度の場合は違う。
 軽度の場合には、他者との認識の違いが起こるものの、直接的に生活に支障が起こる分けではない。
 そのためよほど酷い状況でもない限り、魔法使いは介入しない事になっている。
 麻帆良学園に存在する生徒は、一部の魔法先生により、これらのチェックを長い時間を通して行なわれるのだ。
 吉良の備考欄にある記号は、『認識阻害』の影響度が軽度であるという事だ。
 それ以外に、魔法に関わりのありそうな記述は存在していない。

「ぬぅ……」

 糸口は掴めない。それでも今は手をこまねいてる場合では無かった。
 それに、事態の中心があの吉良である事は間違いない。

「高畑君に連絡を取ってくれ。厳命じゃ。何を持ってしても、高畑君を世界樹広場へ向かわせるんじゃ」

 吉良が魔法使いなのかどうかは判断できない。しかし、おそらくは違うのだろうと近右衛門は思う。
 先程の大規模な念話、電子精霊の掌握、魔法障壁。これらから察するに、オカルトに秀でた協力者がいると予想する。
 何より、先程の魔力障壁の密度は生半可では無かった。
 あの障壁を打ち破れる存在は、麻帆良ではおそらく近右衛門を含めて数人しかいないだろう。
 ならば、こちらの最大のカードをぶつける。
 高畑の攻撃力は折り紙付きだ。

「鬼神兵-Dに、まずは魔法先生で総攻撃をかけるのじゃ。魔法生徒には避難誘導と、アンドロイド兵の迎撃を!」

 鬼神兵にはAからFまでのナンバリングがなされ、モニターに表示されている。
 また、鬼神兵と共に出てきた二メートル程の大男が、アンドロイド兵である事が判明していた。
 そんな中のの鬼神兵-D、現在『鬼ごっこ』の参加者が集まる広場に現れた鬼神兵には、高畑が対処している。彼を世界樹へ行かせるためには、彼の代わりに鬼神兵と戦う存在が必要だ。

「大変です。結界が、結界の稼働率が急激に落ちています!」
「ぬぅ――」

 電子精霊が制御を失った事から、予想していた事態ではあった。
 麻帆良を覆う結界が解除される。
 それは麻帆良という巨大な霊地が、完全な無防備になるという事だ。
 魔法の術式によっては、都市一つに呪いをかける事すら可能だ。その様な攻撃を防ぐためにも、そして麻帆良を通る巨大な霊脈を安定させるためにも、結界は必要不可欠だった。
 モニターに表示された麻帆良結界の稼働率が0になり、結界は消えた。今、麻帆良は霊的に裸の状態で、その姿を世界にさらす事になる。

「くっ……いや、しかし、これならばエヴァの封印も!」

 結界が解ければ、エヴァンジェリンの封印も解かれる。彼女の参戦を願えば、この状況を覆せるかもしれない。
 しかし――。

「いえ、結界は完全には解除されてません! まだ存在しています! 稼働率を0にしただけで、まだ作動しているのです!」
「――ッ」

 今結界は完全な解除にはいたらず、維持はしてある。つまり、車で言うならば、エンジンはかけてあるが、アクセルには触れてない状況だ。
 つまりはエヴァの封印は解けず、ますます八方塞になっていく。

(明らかに計画されてるのぉ。エヴァに関する情報、こちらに裏切り者でもおるのか? この場合〝協力者〟が問題なのか)

 近右衛門の中に様々な疑問がよぎる。
 これほどの規模のテロを起こしながら、犯人の意図が読めないのだ。
 自らの姿を晒しながら、明確な要求も見せない。思想の発露とも思えぬし、単なる快楽的行動とも思えない。
 本来、行動には目的が伴う。その規模が大きければ大きいほど、明確な目的が必要になるはずだ。
 一見すれば吉良は狂人の様に思えるが、結界の処理の仕方でその考えは消えた。結界に関しての明確で合理的な行動、これは精緻な計画に則っている。

(しかし、荒い)

 結界に関しての行動以外は、このテロは荒かった。
 麻帆良を壊滅せんばかりの数々の兵器、これらは確かに問題だ。
 だが、司令部でモニタリングできる限り、その行動に統一性がない。
 まるで〝行動目的そのものを考えながら動かしている様に〟。
 近右衛門は首を振る。今は何より対処だ。
 画面に映るのが鬼神ならば、その属性は『魔』。

「皆聞くのじゃ、今から麻帆良結界の内側にもう一枚結界を作る!」

 近右衛門は自らの代理となれる後進を育成しなかったのを悔やんでいた。
 もし仮にその様な人物がいれば、近右衛門は前線へ飛んでいける。彼自身、前線に何年も立っていないので不安はあるものの、戦力の一端には成れるはずだった。
 しかし、この状況において、麻帆良の指揮権を移譲出来る人間はいない。
 それならば、この場にいながら出来る最善の事をすべきだった。

「ほい、っと」

 右の手の平に息を吹きかける。そうすると手の平に切り傷が生まれ、血が流れた。
 ボタボタと流れる血を気にせず、右手を司令部中央の床に付ける。

「やはり――本部の霊脈が荒れておるのぉ」

 この霊地は世界樹を中心とした霊脈、地脈で成り立っている。地下のこの本部施設もその影響が大きい。結界もこの施設を基幹にしているぐらいだ。
 しかし、この時ばかりはその影響の大きさがありがたかった。

「ぬぅんッ!」

 近右衛門の声と共に、血が司令部の床に広がっていく。雫が線を描き始め、複雑な幾何学模様をものの数秒で創り上げた。
 血の魔方陣。
 司令部の人間は、その卓越した技術の高さに驚愕する。
 これは魔法使いとしての極みの一端。『極東一』と言われる近衛近右衛門の真骨頂であった。

「邪を滅し、魔を打ち砕け、我が血はその代償ぞ」

 近右衛門の顔に皺が強く刻まれる。ボタボタと流れる脂汗。血からは彼の魔力がコンコンと垂れ流れている。
 それでもまだ発動はしない。
 近右衛門の行使するべき魔法には、まだそそぐべき魔力が足りないのだ。

「ならばッ!」

 左の手の平も歯で掻き切る。そのまま左手も魔方陣に叩きつけた。
 血が燐光を帯び、魔法が発動する。

「ぬぅぅぅぅ!!!」

 ゴォッ、と不可視の清涼な風が、近右衛門を中心にして広がった。その風は麻帆良に内在していた矮小な魑魅魍魎を消し去り、鬼神兵を弱体化する。
 広がった風は、麻帆良結界の存在していた場所の、ほんの少し内側に小さな膜を作る。
 麻帆良結界に比べれば脆弱なそれだが、個人で発動した結界としては破格。麻帆良は再び霊的な加護を得た。
 モニターでは、鬼神兵の動きが鈍ったらしい報告が上がる。
 それに対し、近右衛門はニィッと笑みを作った。
 汗と血は流れるまま、顔面を蒼白にした近右衛門は立ち上がり、近くにあった椅子にドカリと座った。

「が、学園長!」

 それに気付いた司令部の人間が近寄り、近右衛門の両手を治療しようと、杖を取り出す。

「ふぅ、はぁ……とりあえずこれで幾分か事態を緩和出来たはずじゃ。いいか、出来る限り鬼神兵を足止めし、一般人の被害を防ぐのじゃ」

 近右衛門は治療を受けながら指示を出す。
 事態は余談を許さなかった。







 第44話「人の悪意」







 2-Aの教室では本来、ヴァーチャル空間のイベントショーが行なわれるはずだった。
 もちろん、現在それは中止されている。
 立体投射のライトは継続して稼動し、室内に西部開拓時代を思わせる風景が再現されていたが、教室の窓側の暗幕が開かれ、外からの日差しで立体投射は実際の風景を透過する形で描写されていた。プカプカと空中に浮かぶスクリーンにも思える。
 激しい揺れの後、暗幕を開いて外を見た2-Aの生徒は固まった。
 校舎内では非常ベルが鳴り響き、悲鳴が絶え間なく聞こえる。

「なんやの、あれ」

 夕映の隣で、外を呆けた様に見つめている近衛木乃香が呟く。
 クラス内は二つの人間に別れた。混乱してとにかく逃げようとする者と、余りの事態に理解が及ばず呆気にとられる者だ。
 木乃香は後者らしい。夕映の背後では、男性客が何かをわめきながら次々と教室外へ出ようとする。あまりの慌てぶりに出入り口に人が挟まり、身動きできない状況だ。

「本当に、何なんでしょうね」

 木乃香も返事を期待したわけでは無いだろうが、夕映は一応返事をする。
 視線の先には、麻帆良の街並みに突如現れた巨大な人型の物体があった。
 物体――機械の様でもあるし、生物の様でもある――は暴れ始め、次々と街並みを壊していっている。
 まるで出来の悪い特撮映画だ。
 夕映の中にある特殊眼球が、それを凝視する。見えてくるのは異常な魔力の流れ。予想は出来ていたが、どうやらあれは魔法による産物の様だ。

「――鬼神」

 木乃香とは反対の隣に立っていた、桜咲刹那が言う。

「知っているのデスか?」
「いえ……ですが、私が知る鬼神にそっくりなのです。私が住んでいた京都でも十数年前に現れた事があるらしく、その時の資料にあった姿に似ています」

 鬼神。
 そう言われると、どこかしっくりするものがある気がする。
 夕映がふと視線を反らすと、刹那の背後で真名が誰かと電話をしていた。
 真名は電話を切るやいなや、バックスペースから大きなカバンを取り出す。

「すまないが、仕事が入った」

 そう言うやいなや、彼女は窓から外へと飛び出した。

「あー!」

 真名の自殺するがの如く行動に、クラスメイトの多くが悲鳴を上げる。
 だが、一部の人間は特に驚きも無く見送った。

「――ッ! みなさん、先生がいない今、私(わたくし)が責任を持ってあなた達を守りますわ!」

 あやかが教室内に聞こえる様に大声を出す。

「まず速やかに校舎から出ましょう」

 あやかは次々と指示を出す。入り口で固まっていた男性客をしっかりと誘導し、クラス全体の避難を整然と行なおうとする。

「お嬢様、こちらへ」
「あぁ、うん。せっちゃん……」

 木乃香は刹那に腕を引っ張られ、窓際から離れた。
 夕映は二人の胸元を見る。二人ともやはりスタンド攻撃を受けている。
 刹那と木乃香が仲が良いとは聞かないが、木乃香を心配する刹那を見る限り、二人には何かしらの関係があるのだろう。
 そんな二人を見ていて、夕映はハッとする。

(千雨さん、アキラさん、無事デスか?)
(――ッ、あぁなんとかな。一体何なんだあのデカブツ)
(こっちも無事。でも……)

 すぐに千雨とアキラから返事が来た。二人ともやはり困惑している様だ。

(千雨さん、やはり行くんですか?)
(わたしが行ってどうにかなるか分からない。けど行く。行かなくちゃ、そうじゃなきゃ――)

 千雨の声は、どこか切羽詰っていた。どうにも感情が整理しきれず、普段とは違う悪い方向へ意識が向いている様だ。

(無謀。それにつきます。けれど、私達だからこそ、やれるのかも知れないデス)

 千雨達には『スタンド使い』との交戦経験が何度もある。スタンド使いとは、いわばジョーカーだ。単純な力では超能力に大きく離され、汎用性では魔法に劣る。それでも『スタンド』の存在は危険なのだ。
 時には驚天動地の威力を見せる、それこそが『スタンド』。
 それに、『スタンド』は『スタンド使い』にしか見えない。この法則が厄介であり、スタンド使いでない人間は、スタンドそのものを観測できずに、相手のルールに乗せられてしまう。
 その点、千雨達三人はお互いの力をうまくリンクさせる事により、その欠点を補っている。
 かつてあった『スタンド・ウィルス』事件、《学園都市》で遭遇した老化させるスタンド。それらのどれもが強力な力であった。
 ならばこそ、自分達が――。

(千雨さ――)
「きゃぁぁぁぁ!」

 千雨に何かを伝えようとした瞬間、木乃香の悲鳴が聞こえた。木乃香が窓の外を指差す。
 次に聞こえたのは破砕音。
 ガラスが割れ、何かが教室に飛び込んでくる。床の一部が破砕された。

「なっ……」

 窓を割って入ってきた人影。それは鬼神ほど大きくは無いが、常人よりも遥かにでかい。
 二メートルを越える体には、幾つかの機械が装着され、ケーブルまで飛び出している。
 アンドロイド。
 魔力を用いて稼動するアンドロイド兵の姿があった。

「あ……あぁ……」

 アンドロイドの目の前には、固まって逃げ遅れた宮崎のどかがいた。

「本屋!」
「宮崎さん!」

 のどかに対して大声で呼びかける声。しかし、恐怖によりガタガタ震えるばかりで、のどかの足は一歩も動かなかった。
 アンドロイドはそのままガパリと口を開けると、その中から光が漏れた。

「ま、魔力!」
「マスター、口からですぅ!」

 アンドロイドの口に魔力光が集まる。
 夕映の特殊眼球と、アサクラのセンサーがいち早く反応した。
 窓際に佇むアンドロイドに、のどかに次いで近いのは夕映だ。
 義体の力を振り絞り、一気にアンドロイドへ近づく。

「のどかから離れるデスぅぅぅぅ!」

 夕映の渾身の拳が、アンドロイドの頬を直撃した。
 鉄を鉄で殴った様な金属音。
 口から発射される魔力砲は、夕映の拳で射線が反れた。反れた魔力砲は、教室の窓や天井、更には隣のクラスとの壁をも破壊する。

「いやぁぁぁぁぁぁ!」
「腕がぁぁぁ、腕がぁぁぁぁ!」

 悲鳴は一層強くなる。魔力砲により開いた壁の大穴からは、隣のクラスでの惨事の一部が聞こえた。
 しかし、夕映にはそれを心配している余裕は無い。

「ぐぅぅ!」

 今度はアンドロイドの右手が、夕映のを頭部を鷲掴みにする。そのまま夕映を体ごと床へと叩きつけた。

「がぁぁぁぁぁッッッ!」

 激痛。
 床が割れ、破片が舞う。
 叩きつけられる際に両手でガードした事により、ダメージは軽減した。しかし木製の床タイルは砕け、華奢な夕映の体は、ピンボールの様に跳ねた。
 再びアンドロイドは夕映を掴み、二度目の攻撃に移ろうと右手を振り上げる。

「ゆえぇぇぇぇぇ!」

 固まっていたのどかが、夕映に向けて走り出す。
 それを取り押さえたのは長瀬楓だ。

「それ以上はやらせはせんでゴザル!」

 楓が四人に増えていた。
 分身の術。現代にまで伝えられていた、忍の技術がそこにあった。
 四人に増えた楓は、一人がのどかを避難させ、残りの三人で夕映を救おうとアンドロイドへ向かう。
 楓は手に持った小刀で斬りかかるが、そのどれもが分厚い装甲に阻まれた。

「ぬぅ、硬い!」

 しかし、更に楓の背後から飛び出した影があった。

「まかせろ、楓!」

 刹那だ。手に持つ長刀を振りかぶり、夕映を鷲掴みする右腕に狙いを定める。

「斬岩剣!!」

 鋭利な一太刀。
 光刃が煌めき、アンドロイドの右腕は綺麗に切断された。夕映も解放される。

「ゲホッ! ゲホッ!」

 解放された夕映は、地面に蹲る。

「マスター! 後ろ!」

 咳き込む夕映に、アサクラの警告が届く。特殊眼球にアサクラが投射した情報が過ぎり、危機を正確に把握した。

「くっ」

 歯を食いしばりながら、床を転がった。先程までいた場所には、アンドロイドの左腕が突き刺さっている。
 ゴロゴロと地面を転がった後、夕映は起き上がった。楓と刹那が至近距離で攻防を繰り広げているのが見える。
 視界の中に、また魔力の流れが目に留まった。

「長瀬さん、桜咲さん、先程のがまた来ます!」
「ぐっ!」
「何だと!」

 魔力砲の予兆。夕映の予想は外れず、口が再びガパリと開かれた。
 しかし、夕映にはしっかりと魔力の流れが見えた。

「首です! 首の後ろのケーブルを切ってください!」

 アンドロイドの首の後ろに、二つのケーブルがあった。

「ほう、これでゴザルか!」

 楓の武器では、アンドロイドの装甲を断ち切れない。それでもケーブル程度なら切れた。
 分身による一体が背後に回りこみ、ケーブルの一本を切断する。
 まるで頚動脈を切られたかの如く、魔力が噴水の様に、首もとのケーブルから飛び散った。 それでも不完全な形で魔力は口に集束していく。
 アンドロイドは左腕一本で、刹那と楓の攻防を凌いでいる。
 このままでは魔力砲が発射される。時間が無い。

「なら!」

 夕映は再び拳を握り締め、楓と刹那に加勢するかの如く走る。

「夕映!」「綾瀬さん!」「夕映っち!」

 背後には心配するクラスメイトの声。
 それでも夕映は止まらない。

(千雨さんなら……)

 夕映の中にある偶像が、自分と重なる。

「ここです!」

 再びの拳撃。狙うはアンドロイドの足元、ひび割れた木製のタイル群だ。
 先程夕映が叩きつけられ、ボロボロの有様の床。
 ゴン! という音と共に、夕映の拳が床を穿つ。アンドロイドの足元が崩れ、小さな穴が出来る。
 かなりの自重を持つアンドロイドは、急激な床の形状変化に対応できず、出来た穴に下半身を埋もれさせてしまう。

「貰ったぁぁぁぁ!」

 その隙を、刹那は見逃さない。
 下半身が埋もれたアンドロイドの肩に足を乗せ、そのまま体を浮かせる。全体重を乗せ、刹那は手に持った刀の切っ先をアンドイドの頭頂部に押し付ける。
 金属が引き千切れる音と共に、頭頂部から顎にかけてを刀が貫いた。
 砲口を潰された魔力砲は、行き場を失う。激しい火花が散った。

「まずいデス!」

 魔力の飽和。
 高圧の魔力が、アンドロイドの内部で弾けた。

「きゃあああぁぁぁぁ!」

 爆発。再びの悲鳴。
 楓の分身が夕映や刹那を抱え、教室の端まで瞬時に運ぶ。爆発の直撃は避けたものの、分身は全て消滅した。楓自身も浅くない怪我を負っている。

「くっ……楓すまん。恩に着る」
「なに、軽いでゴザルよ」

 刹那と楓はそんな事を言い合っていた。
 見渡せば、窓際は跡形も無く消えていた。教室の床の三分の二が消滅し、天井も破壊されている。かろうじて教室を形作る枠組みだけ残っていた。
 夕映はその惨状を見ながら、違和感を覚える。

(なぜ……、これほど被害が……)

 爆発の規模の割りに、被害が少ない。見ればクラスメイトで爆発による大怪我を負った人は見えない。擦り傷や切り傷がせいぜいだ。
 そして――。

「こ、このかさん?」

 クラスメイトを守るように木乃香が立っていた。彼女の体には淡い燐光がある。

(魔力、濃密過ぎる魔力デス。そうか、だから被害が――)

 その中で、夕映が感じていた疑問に明確な答えがでた。
 スタンド攻撃の対象者、その区分が。

「お嬢様……」

 夕映の隣では、刹那が悲しそうな声を漏らした。



     ◆



「はぁ、はぁ、クソ! クソ!」

 千雨は悪態をつきながらも、走り続けた。
 夕映に聞いたクラスの状況が、千雨に焦燥感を覚える。
 この現実感の無い光景の中で、少し震えた夕映の声は、その事実を強く感じさせた。
 恐さはある。悲しさはある。
 ウフコックのいない事により、その思いは強い。
 また、千雨は自らの力を存分に振るえる事が出来ないでした。麻帆良全体のネットワークが何者かに制圧されている。
 千雨の手元には演算装置はほぼ無く、対抗すら出来ない。
 その状況は、《学園都市》で『シスターズ』と戦った時を思い出した。あの時も、超の援護や謎の人物の介入があって、初めて勝利できたのだ。
 状況が重くのしかかる。
 少しでも気を緩めれば、そこらの道端に座り込んでしまいそうだ。

(先生! 先生! 先生!)

 すがる対象を思い浮かべる。ウフコックがいたら、どれだけありがたい事か。
 しかし、ウフコックの現状を考えると、背中が凍りついた。

「ダメだ。ダメだ、ダメだ、ダメだ。わたしは、先生を――」

 頼れない。
 これ以上ウフコックが傷つくかもしれない事に、千雨は耐えられない。
 轟音。
 千雨の頭上を、魔法使いが飛んでいく。
 その背後を、夕映の報告にあったアンドロイドが追いかけていった。
 周囲の人間は千雨とは逆方向に逃げていく。
 千雨はその人波を掻き分けながら、世界樹へ向けて急いだ。
 耳に響くのは破壊音と悲鳴。
 麻帆良は一人の悪意により、戦場に変わってしまった。

「うぅ……」

 その状況に、目頭が不意に熱くなる。
 想像してしまうのだ。もしこの状況がどうにかなったとしても、昨日までの生活は戻らないだろうと。
 両親が死んでから初めて手に入れた、ほんの少しの陽だまりの日々。
 それは水が手の隙間から零れ落ちるように、たやすく無くなってしまう。
 なぜもっとしっかりと掴まなかったのか、なぜもっと優しく包まなかったのか。
 悔恨だけが一人歩きしてしまう。
 千雨が走っていると、不意に見覚えのある看板が見えた。
 ついこの間、クラスメイトに誘われて行ったカラオケボックスだ。看板は崩れ落ち、店内も廃墟の様な有様だった。
 首を振れば、コンビニも見える。夜中に女子寮から抜け出して、買い物に行ったのは先週の事だ。
 バカバカしいとか言いつつも、そんな何気ない事を友人とやれたのは、本当に楽しかった。

「に、逃げろぉぉ!」

 大声の警告。
 見ると十メートル程先で、崩れた建物の破片が車を押しつぶしている。車体から漏れた液体からの刺激臭が、風に乗り千雨の鼻にまで届く。

「えっ」

 その事に気づいたのもつかの間。
 車の傍の小さな火花が一瞬で燃え広がり、爆炎となって破裂した。
 光、音、熱、衝撃。それらが千雨の体に叩きつけられる。

「うわぁぁぁぁぁぁ!!!」

 口から漏れる言葉は無意識のものだ。
 吹き飛ばされ、千雨はゴロゴロと石畳を転がる。
 幸い爆心地から離れていたため、炎が直撃する事は無かった。
 痛む体に叱咤をしつつ、のそりと起き上がる。そして――。

「な、何だよ。何なんだよ、コレ」

 目の前に広がる惨状。車はボロボロになりながら、残り火の中にシルエットを残している。それを中心にし、真っ黒くなった石畳が放射状に広がる。そこらかしこに、人の形をした何かが落ちていた。
 車、人影、うめき声。
 千雨の中で両親の最後がフラッシュバックする。

「――――――ッッ!!!」

 嘔吐感。喉元をせり上がる異物に耐えられなく、千雨は膝をつき、地面に嘔吐する。
 口からだけではない。鼻を突く肉の焦げた臭い。異臭が千雨の感情を撫で回す。
 ポロポロと涙が零れた。
 人の悪意が恐ろしいのだ。
 人はこれほど醜い事をたやすくしてしまう。
 テレビでは知っていた。両親が死んでからの日々で、嫌でも体感した。
 それでも、改めて目の前に突きつけられる現実に、千雨の心は壊れそうになる。

「先生ぇぇ、先生ぇぇぇ……」

 幼子が母を頼るように、ただ言葉を紡ぐ。
 しかし、その言葉に答える存在は、千雨の傍に存在しなかった。



 つづく。



[21114] 第45話「killer」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:231840e3
Date: 2012/02/19 12:42
 拳に伝わる感触は硬い。
 先程から相手しているこいつは、どうやら鬼神兵を模した物らしい。
 高畑の戦ってみた感覚からも、あの世界の戦場で見た兵器に酷似している。幾らかの違いはあるものの、その骨子は同じに見えた。
 それでも、鬼神兵に注がれる潤沢すぎる魔力が、兵器の能力を底上げしており、なかなか破壊に至らない。
 眼下には逃げ惑う観光客がいる。
 どうにか彼らを逃げさせるため、高畑は単身で鬼神兵を相手取っていた。
 建物の屋根から屋根へと飛び移り、自分より数十倍大きい鬼神兵へ、気を乗せた拳を放ち続ける。

(高畑先生、もうすぐ援軍が到着します。到着後、速やかに世界樹へ向かってください)

 司令部から念話での指示が来た。

(援軍はありがたいが、僕が離れてしまったら――)
(世界樹広場にいる吉良吉影らしき人物は、強力な魔力障壁を持っているようです。そのため
、他の人物では攻撃が難しいのです)
 魔力障壁、という言葉に軽い驚きがある。しかし、念話を麻帆良全域に仕掛けてきた事からも、魔法運用の造詣が深いのは頷けた。

(その点は理解した。だがこの鬼神兵も厄介だ。何より、僕が少しでも離れたら、周囲への被害が広がってしまうよ)
(高畑先生が受け持っている鬼神兵ですが、現在学園長がその弱体化のための手段を講じているようです)

 司令部も『鬼神兵』と判断している様だ。

(弱体化?)

 その時、麻帆良の全体に一陣の風が広がった。濃密な魔力を持つ、清浄なる風。魔を祓うそれは、鬼神兵の体吹き抜ける。

「ゴォォォォォオオオ!!!」

 鬼神兵が苦しそうな声を上げる。
 途端、先程に比べて明らかに動きが鈍った。相変わらずの魔力量だが、それでもこれなら対処がしやすい。

(学園長の仕業かな――)
「高畑先生ッ!」

 背後をチラリと見れば、同僚の魔法使いやその教え子達が、空を飛んでやって来る。

「こちらは私達におまかせください! 高畑先生は早く世界樹へ」

 その言葉にコクリと頷く。

「ありがとうございます、お言葉に甘えましょう」

 援軍に後を託す。弱体化した鬼神兵に対し、あの人数なら時間はかかれど処理できるだろう。

(でも、通りすがりに置き土産ぐらいに――)

 足裏に気を集め、一気に加速した。虚空瞬動。そのまま鬼神兵の横を通り抜けようとする。

「せめて片腕ぐらい貰っておこう!」

 高畑は右拳に力を溜める。
 通り抜ける瞬間、渾身の一撃を、鬼神兵の右腕の関節目掛けて放つ。
 金属が捻くれる甲高い音。
 鬼神兵の苦悶の悲鳴と共に、その右腕がねじれた。これで片腕を無力化出来ただろう。
 高畑の凄まじい一撃に、後方の魔法使い達から感嘆の声が上がる。
 背後に振り向きもせず、世界樹へ向けて一直線に進む。
 屋根から屋根へと、空を翔るが如く跳躍を繰り返す。
 そんな高畑に対し、執拗な追撃が加わった。

「く……数が揃うと厄介だね」

 夕映を襲ったのと同種のアンドロイドが、束になって高畑を襲う。標的と見定めた様だ。
 高畑から見れば、決して強いわけではない。
 それでも、どこから持ってきたのか分からない程の濃密な魔力が、アンドロイド一体一体に注ぎ込まれ、それぞれが尋常じゃない強固さを持っている。
 二メートルを越える、屈強な男性の姿をしたアンドロイド達が、高畑に次々と殴りかかる。また、高畑の周囲にアンドロイドがいなくなったと思えば、魔力砲の一斉射撃に狙われた。
 いくら高畑とて、そこまでの攻撃で無傷のままいられない。
 スーツは焼け焦げ、体の各所から血が滲んでいる。
 しかし、深手は一つも無い。

「温存して起きたかったんだけどね」

 そう呟くと、高畑両手を広げる。それぞれの手にあるのは魔力と気。高畑はその二つを重ね合わせた。
 相反する二つの生体エネルギーは、本来なら混ざる事無く無駄に消費されるだろう。
 しかし、見事に調整された高畑の魔力と気は、混ざり合いながら爆発的に力を強める。
 それこそが、魔法の詠唱が出来ないという高畑の欠点を補って余りある、彼の一つの到達点『咸卦法』だ。
 高畑の周囲に強い力の余波が漏れた。それだけで突風が吹く。

「はッ!」

 究極技法とも呼ばれる『咸卦法』を纏った拳は、もはや常人の枠から大きくはみ出した一撃を生む。
 高畑に組み付いたアンドロイドをガラクタへと変え、次々と撃たれる魔力砲を霧散させていく。
 それでも、アンドロイドの数は減らなかった。
 苦虫を噛んだ様な表情を浮かべながらも、高畑は世界樹広場へ急いだ。







 第45話「killer」







 世界樹へもう少し、という距離まで高畑は来ていた。
 追撃をどうにか撃退したにものの、魔力は半分程に減っていた。元々魔法の才能に長けていなかった高畑の魔力は少ない。ある程度温存した上で、世界樹まで辿り着きたかったがしょうがない。
 空を翔けながら、視界に入ってきた幹を見つめる。その下、幹のふもとに男が立っていた。 中肉中背、顔立ちや姿格好に目立った所は無い。
 だが、男の放つ雰囲気が、高畑に警鐘を鳴らす。

(彼が、吉良吉影)

 話を信じるならば、高畑の胸元にあるスタンドを仕掛けたのも彼という事になる。
 更には、強固な魔力障壁まで持っているらしい。
 それが本当ならば、こちらとしては不利だ。スタンド攻撃に関して真実ならば、あと十数分で自分達は死ぬ事になるかもしれない。この数十分で相手を仕留めるか、もしくは解除させねばならない。
 対して相手は、あと十数分守りきれば良いのだ。もしくは逃げ続ければいい。
 強固な魔力障壁があるならば、それで大抵の魔法は防げるだろう。
 だからといって、高畑に打つ手が無いわけではない。彼の実力ならば、魔法障壁を打ち破れるだろう。
 しかし、『スタンド使い』という情報が、自信を不安定にさせる。彼らの力の片鱗を、高畑は自らの負傷という形で身に染みている。

「まったく、厄介だね。――ん?」

 吉良について考えを巡らせていると、頬に何かが当たった。

「砂か? 風に飛ばされたのか」

 頬にゴミらしき粒が付いていたのだ。
 高畑はそれを拭う。
 ゴシゴシと、かろうじて形を保っているスーツの袖でゴミをふき取った。
 そして、高畑はついに世界樹広場の上空に辿り着く。
 特に虚勢を張ることも無く、身軽に世界樹広場へと降り立った。
 真正面、五十メートル程先には吉良吉影が立っている。
 吉良は高畑の登場に驚いた様だが、すぐに表情を取り繕い、にこやかな笑顔を向けた。

「確かあなたは……高畑・T・タカミチ、でしたね」
「僕を良く知ってるね、吉良吉影君」
「えぇ、あなたは有名人ですから」

 ポケットに手を突っ込みつつ、高畑はゆっくりと吉良に近づいていく。

「君は自分が何をしているのか、理解してるのか?」
「もちろん。充分に理解しているつもりですよ」
「そうか。ならば話は早い。あの鬼神兵を全て止めて、このスタンド攻撃も解除してほしい」

 自分の胸元を親指でコツンと指し示した。
 頼み事をする様な言い方だが、高畑の口調には凄みがあった。吉良へ向ける視線も険しい。 吉良はゴクンと喉を鳴らしつつ、こめかみに汗も溜まっている。
 しかし、表情は変えなかった。

「それは出来ませんね。ルール違反ってやつです。でも、簡単な方法がありますよ。ルールに則った上で、勝利条件にそう様にすればいい」
「そうか」

 吉良の言葉に、高畑はあきらめを感じた。もはや、この男に対し言葉では対処できないだろう、という印象を感じた。
 高畑の心に、漆黒の思いが走る。
 瞬動。
 呼気一つの間に、五十メートルという距離を縮めた。
 吉良の目の前に現れた高畑は、拳を吉良の顔目掛けて放った。
 音を置き去りにする拳打。
 されど、ズン、という音と共に高畑の拳は止められた。
 吉良の周囲に広がる無色の壁、魔力障壁だ。

「――ひっ!」

 吉良の引きつるような声が聞こえる。
 高畑の期せぬ威力の拳に、恐れを抱いた様だ。
 対して高畑は冷静に分析していた。

(強力な障壁だ。魔力の密度も量も段違い。いや、これは違う。これは『障壁』というカテゴリーでは――、まさか……)

 高畑は吉良から距離を取りながら、頭上に広がる世界樹を見上げた。
 この世界樹広場には魔力が充満している。それは高畑の感覚も狂わせる程だ。先ほどから、自分の感覚野に鈍いものを感じている。

「世界樹の魔力が活性化している。異常活発は来年のはず。でもそれとは違う。やはり――」

 呟きつつ、高畑は一つの結論を出す。

「それならば納得がいく。君の自信の理由が分かったよ」

 高畑は吉良を睨みつける。

「君の周囲にあるのは障壁というレベルでは無い。もはや結界だ。
 なぜ君が結界クラスの大規模魔法を行使できるのか――その答えが世界樹なわけだね。
 おそらくは君のスタンド能力とやらで、世界樹を操作している。
 確かに世界樹からの魔力の流れが、君の周囲にあった。
 莫大な魔力による電子精霊の掌握。正直鬼神兵やらはどうやったかわからないが、外部にも協力者がいるのかな。
 世界樹を操るという、大きなオカルト面におけるアドバンテージこそが、君の自信。
 だがね、君は弱者だ。弱い者としか戦った事が無いのを、さっきの攻撃で理解した。
 それに、その結界とて完全ではない。
 もはや君に勝ち目は無いよ。おとなしくスタンドを解除し、世界樹と電子精霊を解放するんだ」

 高畑が長々と喋る。その間、吉良は神妙な顔立ちで聞いていた。
 しかし――。

「……プハ……、ハハハハハハ!! ぼ、僕が操っているだって! 笑わせるな高畑・T・タカミチィ!」

 吉良は腹を抱えて笑い出す。更に、先程までと口調が変わっていた。

「まぁ、なかなか良い線はいってたと思うよ。でも、世界樹を操る? そんなわけないだろ。僕が世界樹を操るなんて事は絶対にしない! 絶対にだ!」

 歯牙をむき出しにして、笑うように叫ぶ。

「僕はね、弱いよ。とても弱い。だからこそ、今君と戦う事により、より高みに至る。僕の中に刻み込まれてくれよ、高畑・T・タカミチ」

 吉良の視線は鋭い。相変わらず冷や汗を流し、余裕が無いように見えるが、先程とは違い闘志が満ちていた。

「そうか。ならこちらも遠慮無しにやらせてもらおう!」

 高畑は再び、結界レベルの障壁へと攻撃を仕掛ける。
 ガガガガガ、という連続した打撃音。
 吉良の周囲に存在する壁に向かい、高畑の拳が絶え間なく叩きつけられた。
 障壁は強固だ。それでも壊れないわけでは無い。
 ピシリとヒビが入り、次第にそれは障壁全体に広がっていく。
 目の前で行なわれる連打に、吉良の顔に汗が噴き出した。
 ガラスが割れた様な音。
 それは魔法障壁が壊れた音だった。

「君には死んでもらうよ」

 高畑は小さく呟く。戦士としての冷徹な部分が、吉良に対しての慈悲を無くす。
 拳を振り上げ、それを吉良に振り落とそうとする。
 客観的に見れば、高畑という屈強な戦士が、一般人を一方的に嬲り殺そうとしている様にも思える。
 しかし、吉良は一般人では無かった。

「それはこちらの台詞さ」

 吉良も小さく呟く。しかし、拳を振り下ろそうとする高畑は気にも止めない。
 その時、高畑の視界が濁った。

「――なッ」

 爆発。
 高畑の肉体の内と外が爆発したのだ。
 爆発は口の中、メガネ、腕の袖口から発した。

「がっ……ぐっ……」

 魔法使いとて人間だ。超人の様な力や動きが出来ても、弾丸の一発で致命傷を負うし、呼吸出来なければ死ぬ。おおよそ人であれば防げない、当たり前の欠点を持ち合わせていた。
 高畑は口の中が爆発し、片頬が破けていた。うずくまると血が頬の穴からボタボタと零れる。喉が焼けただれ、呼吸も苦しい。ヒューヒューという、気の抜けた音が喉から漏れた。
 メガネも破壊され、レンズの破片が片方の眼球に突き刺さっていた。腕も酷い。スーツの袖口を起点とした爆発は、手首の肉を容赦無く抉り、かろうじて手を繋ぎとめてる状況だった。

「クハ、クハハハハハハ! どうした高畑・T・タカミチ、それで終わりかい?」

 吉良は倒れる高畑を前に、汗を流しながらもどこか愉悦を含んだ笑みを浮かべる。

「ヒュー、ヒュー……な、何をシた……?」

 喉の痛みを押し殺しながら、高畑は疑問を投げかける。

「僕が正直に言うと思うかい?」

 吉良は倒れた高畑を挑発する様な仕草をする。両腕を開き、自分はここにいるぞと示すのだ。

「さぁ、どうした高畑・T・タカミチ。僕はまだ生きているぞ」

 先程壊された魔力障壁も、時間が経って修復されている。

「が……くぅ……」

 高畑は喋る事すらままならないまま、どうにか立ち上がった。
 千切れかかった手首すら気にせず、両手に魔力と気を集める。
 片方の手はぶらんと垂らしたまま、もう片方の手で両手を合わせるように調整した。
 咸卦法。高畑の切り札だ。
 痛みは酷い、しかし溢れ出した力の奔流が、高畑の背中を押す。

「へぇ、すごいな。それが咸卦法ってヤツか」

 吉良にとっては、名前は知っているという程度だ。
 魔法に関しての造詣は浅いため、目の前で見ても咸卦法がどの程度すごいのかは分からない。
 それでも溢れる余波から、一般人の視点で「すごい」という事だけは理解した。
 あの一撃をまともに食らえば、恐らく吉良は一溜まりも無いだろう。
 死が迫っている。
 己の危機を肌で感じながら、吉良は自らの中でスイッチが入っていくのを理解する。

(危機でこそ、スタンドは進化する。あぁ、僕の『Queen』の鼓動を感じるぞ!)

 吉良はポケットに突っ込んでいた手を引き抜いた。
 その手には白い何かが握りこまれている。

「――がぁぁぁぁぁぁああああ!!!」

 高畑が突貫した。
 流れ落ちる血を気に止めず、自らが砲弾となって分厚い魔法障壁へ突っ込む。
 世界樹が構築した障壁は強固だ。
 先程、高畑が破壊した時も、全力の拳を数十発と放たなければならなかった。
 しかし、今回は必要無い。
 触れた瞬間に、障壁にヒビが入る。
 その威力に、吉良も表情を引きつらせた。

「くッ、このぉ!」

 手の中に握りこんだ何かを、吉良は地面に叩きつける仕草をした。しかしそれが地面に叩きつけられるはずは無い。
 吉良が握りこんでいたのは〝一握りの小麦粉〟だった。手には、白い粒の残りがある。
 叩きつけたと思われた小麦粉も、地面に着く前に風に煽られた。小麦粉は、吉良の周囲を舞う。一瞬、吉良の姿を覆い隠したが、すぐに吉良の姿が浮かび上がった。
 高畑は無事な片目でその出来事を見つつ、嫌な予感が胸を襲った。
 だがそれはほんの刹那。
 障壁が破壊された直後、棒立ちとなっている吉良に咸卦法による拳を叩きつけた。

「あぁぁぁぁぁぁぁああああッッッッ!!」

 吉良の顔面へ向けて、拳は振りぬかれた。
 風が吹き荒れ、激しい衝撃波が周囲を襲う。
 残ったのは地面に穿たれた大穴。
 高畑の圧倒的な勝利に見えた。

「ヒュー、ヒュー、な、なんだコレハ」

 高畑は拳を振りぬく直前、吉良の姿が消えたのをしっかりと見た。
 いや、消えたというよりも、元々いない。まるで幻に攻撃したかの様な――。
 片膝を突く高畑の周囲に、小さな小麦粉の粒が漂っていた。
 それらが高畑の服に付着すると、チロリと赤味を帯び――。

「ガァァァア!!」

 爆発。
 高畑の体が、再び爆炎に襲われる。
 未だ咸卦法の余波が体を覆っているのに、爆炎が肉体を焼いていた。

(ぐ、何だこの爆発は。内側、僕の魔法障壁の内側で爆発している)

 高畑が痛みの中で、その爆発を分析していた。
 爆発が収まると、少し離れた場所から吉良が現れた。
 まるで透明なヴェールでも被っていたかの様に、いつの間にかそこへ立っていた。

「はは、勝てたぞ。僕が、この麻帆良の魔法使いに勝った! 勝ったんだ!」

 吉良はそう吠える。
 そのまま倒れている高畑に近づく。
 高畑はもはや虫の息だった。それでも、瞳は吉良を睨みつけている。

「すごい威力だったよ。咸卦法? まさに化け物の所業だね」

 近くには高畑が穿った大穴がある。吉良はそこを少し覗き込むと、余りの深さに背筋が凍った。これが自分に直撃してたらと思うと、恐ろしくてしょうがない。
 吉良は高畑の傍にしゃがみ込むと、ポケットから手に握った〝小麦粉〟を出した。

「冥土の土産に先程の答えを教えてあげよう。
 僕のスタンド能力『キラークイーン』についてだ。『キラークイーン』は『対象一つを爆弾に変える』という能力だ
 だがね、この能力のルールには穴がある。
 『対象一つ』なんてのは、物体に置いて対してアテにならない。ポケットに入れたビスケットを、叩いて二つにする様に、抜け穴はたくさんあるのさ。
 こんな風にね」

 吉良はポケットから取り出した小麦粉を、さらさらと落とした。

「握れば『一つ』、開けば『沢山』。これが種明かしだ。
 それに魔法障壁とて、『衝撃』や『魔法』は遮断しても、塵や埃、空気などは遮断しない。
 ましてや小麦粉など、わざわざ魔法障壁で防ぐ必要なんて無いね」

 朦朧とする中で、高畑は世界樹広場へ向かっているとき、顔に付いた粉をふき取った。
 風に飛ばされた粉。
 それこそが吉良の『キラークイーン』により爆弾化した小麦粉だった。
 小さな粒は、おそらく口の中に入り、更にメガネにも付着したのだろう。
 戦いが始まった時点で、知らず高畑は罠に陥っていたのだ。
 吉良は続ける。

「更に、だ。僕の『キラークイーン』は爆弾を作り上げる。
 でも、この爆弾というものに、明確な定義は存在しない。
 それこそ爆竹だって爆弾と言えない事は無い。
 だからこそ、僕は自分の能力をこう定義した。『瞬間的な熱量の操作』とね
 そうすれば、先程の現象も単純だ。
 そう、この大穴を開けた時だよ。
 君はしっかりと引っかかってくれたね。僕が熱量の操作で映し出した幻影に。
 よもや本物の魔法使い相手に通用するとは思わなかったよ、ハハハ」

 本来であれば高畑はそれ程チープなトリックに引っ掛からなかっただろう。しかし、大怪我をしつつ、充満した魔力による感覚の阻害が高畑に致命的な隙を与えた。
 吉良はポン、と高畑の肩を〝叩く〟。

「君のお陰で、魔法使いとの戦いの経験を積ませてもらった。君は僕の中でしっかりと刻み込まれたよ、高畑・T・タカミチ」

 吉良はそう言いながら、高畑から離れる。
 高畑の脳裏に過ぎったのは悔恨だった。かつて憧れた英雄の後ろ姿。ついぞ自分はその後ろ姿に追いつけなかった。

(すみません……ナギ……)

 体に寒気が走る。

「さようなら」

 耳に吉良の言葉が届いた。
 高畑はその意味を理解する時間すらなく――爆発と共に、体を肉片に変えた。

「さて、と」

 高畑の死体を一顧だにせず、吉良は遠くを見た。

「あの鬼神兵とやらが二体程倒された様だな。あれだけの大きさなのに、よくもまぁ倒せるものだ」

 魔法使いに対する呆れ。
 吉良は、魔法使いを倒す事は出来るだろうが、とてもあのデカブツを自力で倒せるとは思えなかった。
 遠くから空を飛んで向かってくる、魔法使いの姿が幾つかあった。
 おそらく、目的は自分なのだろう。
 吉良はこれからの戦いに恐れを抱く。
 しかし、高畑を打ち破ったという自信もあった。

「これからだ。そう、これから。なぁ、そうだろう」

 手をそっと世界樹に触れさせる。吉良の言葉に応じ、世界樹が少しだけ輝いた。



     ◆



(ちーちゃん、しっかりして!)
「ひっ……ぐ」

 アキラの声に、千雨は幾らか自分を取り戻した。
 涙は頬を濡らし、顎先から雫となってボタボタと垂れる。

「ごめん、あーちゃん。わたし……もう大丈夫。大丈夫だから」

 アキラの呼びかけに答えつつ、千雨は心を落ち着かせようとする。
 一言二言会話を交わし、世界樹での集合を確認して通信を打ち切った。
 今、ここで座っているわけにはいかない。あやふやになりそうな意識を、義務感で補う。
 零れる涙を手で拭っていると、急に腕を引っ張られた。

「おい、大丈夫か!」

 人の良さそうな青年男性が、千雨の腕を引っ張って立ち上がらせようとする。
 逃げ遅れた千雨を助けようとしたのだろう。

「や、やめ……大丈夫。わたしは大丈夫だから、ほっといてくれ!」

 千雨はその手をありがた迷惑と感じ、振りほどこうとする。

「大丈夫なもんあるか! ほら、さっさと逃げるぞ。子供が無理をするな」

 それは普通であったら優しい言葉だったのかもしれない。
 しかし、千雨にはまるで無能をなじられている様に感じた。

「――い」
「え?」

 千雨の呟きに、青年男性はピクリと眉を寄せた。

「うるさい! いいから邪魔だっつってんだろ! それに子供だ? わたしには、わたしにはコレがある!」

 千雨が突き出したのは、ウフコックにより作られた『千雨の銃』。
 青年はそれを見て、困ったような表情をする。

「お嬢ちゃん。そんなオモチャでどうするって言うんだ。子供がどうこう出来る状況じゃない。早く避難するんだ!」

 諭す様に言いながらも、青年が千雨の腕を引っ張る力は強くなる。
 だが、千雨はショックを隠せずにいた。
 青年の言葉が、心を強く抉る。

(オモチャ? 先生の銃が、オモチャだと?)

 青年が誤解するのも致し方無い事だった。麻帆良祭の間、コスプレしている人間は多い。手に模造刀やらモデルガンを持ち、歩き回る人間も沢山見かけるからだ。
 ましてや、『千雨の銃』は真っ白く塗装され、金属光沢を隠している。一見すればオモチャに見えなくも無かった。
 しかし、今の千雨にはそこまでの理解が追いつかない。
 ただ、銃を否定された事の怒りが心を満たす。

「ほら、立って――」

 ガァン、という銃声が青年の言葉を遮る。間近で響いた銃声が、青年の鼓膜を強く震わせた。

「ほら、この銃が本物だって分かったろ」

 千雨は冷たい瞳のまま、銃を持った手を真上へと向け、引き金を引いたのだ。肩にジンジンとした痛みがあるが、それを電子干渉(スナーク)による肉体操作で遮断する。

「――ひっ!」

 青年は驚きに目を丸くした。
 そして、千雨の瞳に恐怖を覚えたのだ。
 先程まで泣きじゃくっていた少女が、今は化け物の様に思える。
 青年とて、心は悲鳴を上げている。彼なりの矜持がどうにか保っていた平静を、千雨の銃声が打ち破ったのだ。

「うわぁぁぁぁ!!」

 青年は千雨の腕を突き放し、転がるように逃げていく。
 その後ろ姿を見ながら、千雨は自分のしでかした事に呆れ返っていた。

「はは……、何が『許せない』だ」

 自虐があった。自分の浅ましさに嫌気が差す。

「やってる事が、あのクソ野郎と同じじゃないか――」

 心は荒れ果て、体もボロボロだった。

「……」

 千雨は無言のままのっそりと起き上がり、ただ意識の向くままに世界樹へ向かい歩き出した。
 足は重い。
 されどあの場所へ辿り着くことが義務の様に、足を動かし続けた。



     ◆



 広瀬康一は痛みで意識を取り戻した。

「……どこだ、ここは」

 小さく、枯れた声。
 自分の顔に影が差していた。
 背中に当たる硬い感触。
 動かない顔の代わりに、眼球だけを動かして、状況を確認する。
 周囲を大きな破片に囲まれている。どうやら建物の崩壊に巻き込まれ、瓦礫に埋もれてしまっている様だ。
 それでも、康一は目の前にある破片の隙間から。外に向けて少しだけ顔を出していた。完全に生き埋めでは無い。
 左手も破片の外に伸び、どうにか動かせるが、右手は全然動かなかった。恐らくは破片に押しつぶされてるのだろう――もしくは……。

(はぁ――はぁ――)

 自分の体を確認できない。その状況が康一に恐怖を覚えさせる。ズキズキと体中に痛みが走り、四肢の有無すら確証が無い。ただ自分の視界に映る、外に向けて突き出した左手だけが、確認できる部位だった。

「なんで、僕は……」

 思い出されるのは、承太郎と屋根に上り、地震に遭遇した事。
 そしてあの巨人。
 康一達は必死に逃げ出したものの、逃げ出した先でも待つものがあった。
 機械を体に括りつけた大男。いや、機械で作られた人間の様なモノ――ロボットでもいうべき存在が、康一達を囲んでいた。
 恐らくは囲んでいたわけでは無く、自分達がその囲いに入ってしまったのだろう。ロボット達は康一達を確認するやいなや、一斉に攻撃を仕掛けてきた。
 振るわれる豪腕。口から発射される光線。
 彼らの攻撃、そのどれもが康一達にとって致死に至るだろう一撃だった。
 承太郎はスタンドを使いながら必死に迎撃し、康一も音の衝撃波を放ちながら戦う。
 だが、それでも数の前では無力でしか無かった。
 承太郎とて無限に時を止められるはずも無く、康一の能力も限りがあった。
 何時しか承太郎とは散り散りになり、気付けば建物の崩壊に巻き込まれていた。
 経過を思い出しながらも、康一はどうにか助けを求めようとする。
 叫ぼうにも、内臓がおかしいのか、大声が出ない。
 能力を使おうにも、先程使いすぎて、康一の頭はうまく働かなくなっている。
 破片に体を押しつぶされながらも、小さな隙間で生きながらえている。左手以外は動かしようもなく、携帯電話を使おうにも使えない。
 それに、康一の視界に映る麻帆良を見る限り、携帯がまともに動くのか、それすら不安になる。
 康一が出来る事は、ただ見続ける事だけだった。
 破片の隙間という小さな窓から見える麻帆良は、康一の知っている風景から一変していた。
 青い空は灰色の煙に覆われ、赤茶色で統一された屋根屋根は、次々と崩れていっている。学校へ行くときに時間を確認できる時計塔も、今まさに崩壊しようとしていた。
 ふと、人々の悲鳴が大きくなった。
 地鳴りがズンズンと近づいてくる様な気がする。
 振動が響くたび、破片がグイグイと肉体に食い込み、耐え難い激痛が康一を襲う。意図せず涙がぼろぼろと零れた。

(な……なんだ)

 地鳴りは強くなる一方。そして、康一の視界全てを、影が飲み込んだ。

(か……げ)

 破片の隙間から見える小さな視界に、大きな影が差し込む。
 最初は理解できなかったが、考えれば難しい事では無かった。

(あれは、巨人の足の裏?)

 康一の近くに巨人が立っているらしい。巨人は足を大きく掲げている。康一が見えるのはその足の裏。
 巨人はただ歩いているだけだった。
 問題なのはその先に、康一が身動きできず倒れている、それだけである。

「あぁ……」

 あまりの事態に、感慨も恐怖も憐憫も悔恨も、何もかもを感じる暇すら無かった。
 巨人の足裏は徐々に大きくなっていく。
 ただ、呟きだけが残った。無意識の言葉だった。

「湾な――」

 巨人の足により、康一の埋まっていた瓦礫の山は、木っ端微塵に砕かれた。
 その破片の下に、一人の骸があった事は、終ぞ判明しなかった。
 広瀬康一は誰に看取られる事も無く、その生涯を閉じた。



 つづく。



[21114] 第46話「終幕」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:231840e3
Date: 2012/02/19 12:43
「――ッ」

 腕が浅く切れたが、アキラは小さなうめき声だけで耐えた。
 流れる風景の中、必死で自らのスタンド『フォクシー・レディ』にしがみつく。

「フォクシー・レディ!」

 尻尾を地面に叩きつけて黒いもやを出すものの、それでアンドロイドを巻けるとは思えない。なんせ相手は機械なのだ、スタンドとは言えウィルスは通じないだろう。
 それでも煙幕代わりなればいいと、『スタンド・ウィルス』をばら撒く。
 アキラは戦場となった麻帆良市内を駆け抜ける。
 駆け抜けながらも、大量のアンドロイドの攻撃にさらされていた。
 なぜなら彼らの攻撃定義には『スタンド使い』が登録されており、アキラはその上位にリストアップされている。本人の知らぬ所で、アキラは大きな標的とされていたのだ。
 狭い路地から狭い路地へ、更にその路地の壁から壁へと三角飛びをする。スタンドはアキラの意志を受け、必死に逃走を続ける。
 アキラの視覚は目まぐるしく変わっていき、体も激しく揺さぶられた。

「うぅ……くっ……」

 胃がシェイクされ、吐き気を催すも、どうにかそれを堪える。
 建物の屋根に着地すると――。

「ゴォォォォォ!!」

 背後五十メートル程から、アンドロイドの叫び声が聞こえた。
 口には光が溜まっている。

(――来る!)

 その光を、アキラは何度も見ている。
 魔力による砲撃だ。
 アキラは左右に動きながら、背後の魔力砲に備える。
 轟音。砲撃は建物を破壊しながら突き抜けてくる。

「――ンン!!」

 背筋を走るのは壮絶な恐怖。アキラは体を硬くするも、スタンドは足を止めなかった。
 魔力砲を避けるため、今度は建物から飛び降りた。
 すぐ背後を魔力の塊が通過する。背中がチリチリとした。
 浮遊感からくる不安を、どうに耐える。
 大通りの中央に着地するが、そこも安全とは言えない。
 通りは観光客に溢れていた。
 銘々が別の方向へ避難しようとしており、それが混乱を助長していた。統率されていない人の群れは、それだけで危険だ。なにせ、人と人がぶつかり合いながらも、止める人がいないのだ。幼子も転ばされ、他の人間に踏まれていた。
 アキラはそういう場所に降り立ったのだ。

「うわ! なんだコイツ!」
「ひぃッ!」

 空から降ってきたアキラに、周囲の人間が過剰に反応する。
 アキラはスタンドに跨っていたものの、スタンドは他者に見ることが出来ない。民衆にすれば、アキラは空中に浮かぶ謎の人間に見える。

「あ、あの私は――」

 アキラは必死に弁明しようとするものの、そんな時間は微塵も無かった。
 背後に魔力の光。気付いたときには、スタンドが無意識に回避行動を取っていた。
 魔力の奔流がアキラが先程までいた場所――民衆のド真ん中に突き刺さる。

「ギャアァァァァァ!」
「いやぁぁぁぁ!」

 悲鳴。

「あ……あ……」

 アキラは自分のせいで被害にあった人々を見て、茫然自失となった。

「アキラ!」

 『フォクシー・レディ』の叱咤が飛ぶ。

「――ッ。うん、ゴメン。行こう、千雨ちゃんが待ってる……」

 自らのスタンドに頷きながら、アキラは更に強くしがみ付いた。
 背後からはまだアンドロイドが追いかけて来ている。それでも行かねばならない。
 しかし、アキラの手はより一層震えていた。







 第46話「終幕」







 麻帆良の街並みは徐々に崩れていった。
 黒煙が上がり、甲高いサイレンの音が悲鳴をかき消す。
 多くの人間は混乱し、現状把握に至らなかった。どこへ避難すべきなのか、一体何が起きているのか。
 目前に見える巨大な鬼神兵という脅威と、人を脅かす人型の機械の群れから、ただ逃げる事だけを考えた。
 鬼神兵の振るう腕が建物を破壊し、アンドロイドの光線が車を炎上させる。
 祭りのために立てられた大きな門のモニュメントも、衝撃により倒壊し、観客を押しつぶした。
 民衆は当ても無く逃げ惑う。
 沈没する船からいち早く逃げ出そうとする様に、弱者を押しのける人の浅ましさがそこにあった。
 しかし、カルネアデスの板に罪は無い。あるとしたらそれは――。



     ◆



「夕映ッ!」
「――お姉ちゃん!」

 人波を逆走する夕映を見つけ、トリエラが叫ぶ。
 トリエラは夕映の傍まで近寄ると、その小さな体を抱きしめた。

「良かった……本当に、良かった」
「お姉ちゃん」

 トリエラの力強い抱擁に、夕映の中の緊張がほぐれていく。その暖かさにほだされ、瞳の端に小さな雫が溜まった。
 夕映の髪はボサボサに乱れていた。顔も煤けて酷い有様だ。抱きしめながらも、トリエラは夕映の乱れた髪を手櫛で揃える。

「あぁ、もうこんなに汚れちゃって!」

 トリエラは不安を押し殺し、まるで泥遊びをした娘を叱る様な態度を取る。夕映はハンカチで顔を拭われながらも、特に抵抗せずに流されるままにした。

「おチビちゃんも無事で良かったわ」
「はいです、お姉さま!」

 トリエラが、夕映の頭に乗るアサクラを撫でる。すると、アサクラはピョコンと嬉しそうに跳ねた。

「夕映、逃げましょう。――って言っても無駄なのよね」

 今、二人がいる場所は世界樹広場に近い。ここまで来ている事を考えれば、夕映の意図は明確だ。

「……、駄目なんデス。千雨さん達が、あの場所へ向かってます」

 あの場所、そう言いながら夕映は世界樹を見る。

「それに、今やらないと……」

 夕映はトリエラの胸を見た。彼女の体内にも薄っすらとスタンドの影があった。分かりきっていた事だが、今はその現実が――辛い。

「私の、私の大事なモノがみんな無くなってしまうデス」

 夕映がクシャリと顔を潰した。何も好き好んで戦いたくなど無いのだ。
 それでも、夕映は知っているのだ。戦うべき時に戦わねば、容易く大事なモノを失う事を。
 トリエラはそんな夕映を見ながら、内心の憤怒を押し殺して笑顔を作る。夕映を悲しませた存在へと、怒りは向かっていた。

「そうか、そうよね……」

 夕映の髪を撫でながら、怒りの中に己の悔恨を思い出す。
 トリエラの脳裏に過ぎるのは十年前、『社会福祉公社』の壊滅の日。トリエラはヒルシャーの最後すら看取れず、その亡骸に縋ったのだ。
 燃え盛る炎の中で、トリエラは全てを失った。
 絶望の中、十年経って見つけた希望こそが夕映なのだ。トリエラは夕映を抱きしめ、逃げ出したかった。
 しかし、同時に夕映に同じ思いをさせたくないという気持ちもある。
 後悔は辛い。トリエラの心に突き刺さった棘も、十年経つが未だに根強い。

(ヒルシャーさん、私は……)

 トリエラは夕映を再び抱きしめ、上を向いた。奥歯を噛み締め、盛れそうな何かを垂下する。

「……お、お姉ちゃん?」
「大丈夫。大丈夫よ、夕映。私が連れてってあげる。どこまでも――どこだって」

 トリエラは夕映を離すと、拳銃を取り出し、残弾を確認する。右手で拳銃を持ち、左手で夕映の手を握った。

「行くわよ、しっかり付いてきなさい」
「はい!」

 トリエラは走り出す。夕映も手を引っ張られたまま、足を速めた。
 二人が向かうのは世界樹。視線の先には、未だ混乱が渦巻いていた。



     ◆



 図書館島の奥底も、混乱に満ちていた。

「これは……」

 ドクターもモニターに映る光景に衝撃を受けていた。
 図書館島から繋がるネットワークのほとんどが断線し、やっと見つけたネットワークの隙間から、外部の映像を盗み取ったのだ。
 千雨の携帯へは電話が繋がらず、アキラや夕映も同じ。
 ドクターは天井を見上げながら息を吐いた。

「僕は無力だな」

 彼の腕力は成人男性の平均より遥かに劣る。ましてやアキラや夕映とは比較にならない。
 ドクターも当初は外部に出る事も考えたのだが、自分が出て行っても何の役にも立たないのを自覚している。
 この地下室に篭り、何か出来ないかと模索していたのだ。

〈――ドクター、頼みがある〉

 スピーカーからウフコックの声が聞こえた。

「ウフコック?」

 ドクターは隣室へと急いだ。ドアをスライドさせた先には、散乱した室内が見える。
 やはりさっきの地震が尾を引いている様だ。
 そんな中、ウフコックが収まってるはずのカプセルが口を開き、体にケーブルを巻きつけたビショビショに濡れたネズミが這っている。かつてとは比べ物も無い程弱々しい足取り。体毛に隠れているため、肉体の衰えは余り見て取れないが、動きを見れば一目瞭然だった。
 ウフコックは鼻を引くつかせ、ドクターの方に顔を向けた。ウフコックが体内の亜空間を制御できず、時折視力を失うのは、日々彼の体調管理をしているドクターの知るところだ。

「ドクター、いるのか?」
「あぁ、いるさ。君の前にね。どうしたんだい、バスタブの湯加減でも悪かったのかい。見たまんまの濡れネズミだ。酷いな」

 ドクターが軽口を言う。

「酷い浸かり心地だったな。出来れば二度と入りたくないもんだ」

 ウフコックの口元が緩んだ。そして――

「ドクター、分かってるのだろう。私が何を君に頼みたいのかを」

 ドクターは深い溜息を吐いた。

「分かってる。分かってるさ。僕だって同じ気持ちだ。でも、僕らに何が出来る。君の願いを叶えたくたって、その方法が無い。ましてや君は――」
「どうせ死に体だ。外に放り出すだけでも構わない。頼む」

 ドクターは肩をすくませる。そして、おもむろにテーブルの引き出しから拳銃を一丁取り出した。

「豆鉄砲だろうが、無いよりはマシかな」

 そう言いつつ、ドクターはウフコックをそっと掴み、自らの白衣の胸ポケットに入れた。

「ドクター……」
「余り期待しないでくれよ。所詮僕だ、十中八九犬死さ。でも、万が一千雨の元に辿り着けたら――そうだな、ヴィンテージワインでも奢ってもらおうか。スンゴイ高いヤツだ」
「あぁ、善処しよう。頼む」

 ドクターはそのまま部屋を出た。向かうは地表、世界樹広場。
 そして、ドクターとウフコックがこの部屋へ戻ることは二度と無かった。そう、二度と。



     ◆



 千雨はほうほうのていで、世界樹広場へと辿り着いていた。
 自らの知覚領域を最大限に使い、あらゆる脅威を回避しつつ、なんとかやって来たのだ。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 息は切れている。なのに、いつもよりも冷たい感触が千雨の体を覆っていた。
 千雨がここに来るまで、遠くに悲鳴を幾つも聞いた。
 おぞましい悪意が、千雨の心を折ろうとしていた。
 それでも千雨は向かわねばならなかった。
 棒立ちになりそうな足を叱咤し、引きずる様にここまでやって来た。
 後は長い階段を上るだけだ。
 千雨は階段を上りながら、二ヶ月前の事を思い出していた。
 『スタンド・ウィルス』事件。
 アキラを救うために、あの時も千雨はこの場所へ向かった。
 しかし、あの時とは違う。
 麻帆良は今あの時以上の非常事態の渦中にあり、千雨の手の中の水はもう零れようとしていた。
 夕映やクラスメイトの様に、背中を後押ししてくれる存在は無い。
 千雨は自分自身の義務感だけでやってきたのだ。
 そしてなにより――ウフコックがいなかった。
 千雨はいつも強敵と向かい合う時、傍らにはウフコックがいてくれた。傍に立ち、時に厳しく、時に優しく諌めてくれる愛しい存在。
 でも、ウフコックは今いない。
 その現実が、千雨の心を弱くしていた。人はすがるものが無いと、どこに立っているのか分からなくなる。
 千雨も、自分自身がまっすぐ立てているか分からなかった。
 しかし、事態はその確認の猶予も与えてくれない。
 千雨は抱きすくめるように、ウフコック謹製の拳銃を握り締める。ただそれだけが、千雨にとって縋れるものなのだから。
 一歩、一歩階段を上がれば、広場の全景が見えてくる。千雨からすれば、己の能力で視認するより早く状況を理解できた。
 だから――。

「あ……」

 口を開けたまま、肉眼に映る光景に呆けてしまう。
 世界樹広場は死に満ちていた。
 濃い赤。
 死体、骸、肉片、指の断片、黒ずんだ衣服、赤黒い液体、すえた臭い、ハラワタ――。
 知覚領域に納まる情報が、これらをフェイクだとは認めない。
 千雨の心臓が早鐘を打つ。
 広場に足を着けた時、ピチャリと跳ねた。
 丁度千雨の足元に血溜まりが出来ていた。

「血……」

 靴についた赤黒い液体。
 その血溜まりを作っている根源たる存在――肉片を目で追いかけた。

「高畑せ――」

 見覚えのある顔の破片が、石畳にあった。
 目がギョロリとむき出しになり、生前の面影は無い。
 蘇ってきた吐き気を必死に堪える。
 その肉片を見ないようにしながら、視線を広場の中央へ向けた。
 たくさんの骸の中、唯一一人の男が立っていた。
 その男も満身創痍である。
 体中に血の染みを作り、左腕は肘から先が無い。傷口からブスブスと煙が上がっている。
 辛そうに息を吐きながら、彼は世界樹を背もたれにして、辛うじて立っていた。

「吉良……吉影」

 確信が過ぎる。
 声しか聞いた事は無い。それでもあの男こそが、吉良吉影だと理解した。

「長谷川千雨……か」

 男――吉良は千雨を一瞥して笑みを作った。
 千雨は昨日、この男とすれ違った事を覚えていない。いや、思い出せる分けが無かった。
 魔法使いの骸の群れに立つ、血みどろの男。それを、昨日すれちがった男と同じだと思える程、千雨の精神は正常では無い。

「な、なんでわたしの名前を知ってる、吉良吉影ェェ!!」

 千雨は恐慌を起こしそうになる。
 吉良は周囲の骸を「邪魔だ」と言わんばかりに掻き分けながら、千雨へと近づいてくる。

「二ヶ月前から、君には注目していた。あの状況から、まさか全員を救ってしまうとはね、驚いたよ」

 吉良に向けて、千雨は拳銃を突きつける。銃口はカタカタと揺れていた。

「あの日から、君の事は調べさせて貰った。あぁ、僕には頼もしい〝友人〟がいるのでね。調べるのに特に苦労も無かったよ」

 〝友人〟と言いながら、吉良は世界樹を見上げる。
「実に興味深い。君は僕に似ていた。あぁ、似ていたんだ」

「わたしが、お前に似ている、だと」

 吉良が歩くたび、ビチャビチャと黒い雫が跳ねた。吉良の穿くスラックスも、膝下からグッショリと血が染み込んでいた。

「似ているさ。君は僕にソックリだ。この麻帆良という歪な街の中で、君は孤独な日々を過ごしたらしいね」

 吉良の言葉に、千雨の灰色だった日々が思い出された。
 誰に何を言っても理解されない、同意されない。言葉がナイフの様に、千雨の幼心を抉った。未だに彼らの言動の一つ一つがフラッシュバックされ、千雨の惰弱な心を弄ぶ。

「――認識阻害障害。これは僕と君のプロフィールに記されているモノだ。それが何か知っているかい?」
「は?」

 こいつは何を言っているんだ。障害? 障害が何だって。
 千雨の心に様々な言葉が過ぎるが、そのどれもが口から出ない。
 吉良は歩きつつ、体を傾けている。息も荒い。それでも、口元の笑みは変わらなかった。

「今更説明するでもないが、僕も君と同じ幼少の体験をしているのさ。そしてその原因こそが――」

 吉良は残った右手で、真下を示した。

「この麻帆良だ。この麻帆良こそが、僕らの体験の原因。魔法使い共はね、自分達の既得権益のために、ロクでも無い魔法をこの地にかけている。それこそが『認識阻害』、いわばタチの悪い洗脳ともいえる」

 千雨はじっと吉良の言葉を聞き続ける。心の底に残ってたわだかまり。薄々は気付いていたのだ。麻帆良に来て、魔法を知り、その存在をより詳しく調べた時に。
 自分の幼少期の体験に、麻帆良による意図的な介入があったのでは、と。
 だが、それはある程度は納得し、折り合いをつけていた。今更、という気持ちがある。

「そ、それがどうしたって言うんだよ」
「わからないのかい? そして、何故僕らのプロフィールに〝認識阻害障害〟などと書かれていたのかを」

 その意味を考え、千雨は目を見開いた。視界が一気に狭まっていく。

「この『認識阻害』のタチの悪い所は、効果が曖昧な所だ。洗脳効果が強すぎれば、その異常さが浮き出し、危険性が露見する。だが、この『認識阻害』はうまく調整してある。おかげでこの『認識阻害』の効果が薄い場合は、周囲の人間関係から孤立する〝程度〟で済む」
「程度……」
「あぁ、そうだ。〝程度〟だ。それがね、この麻帆良側の認識なのだよ。彼らはね『僕らの孤独を知りながら、それを放置していた』。彼らにとっては、僕らの孤独程度は、考慮に値しないモノだったのさ」

 フラッシュバックが駆け巡る。

「君と僕は似ている。この麻帆良の土地に見捨てられた、可愛そうな人間なのさ。なのに君は、この麻帆良のために戦う。滑稽だね」
「違う、わたしは――」
「いいや違わないさ。たとえどんな思惑があろうとも、君は結果的に麻帆良を救っている。そしていみじくも僕と対峙している。麻帆良を捨て切れなかった僕と、麻帆良を捨てたはずの君が」

 吉良はもう千雨の目の前にまで来ていた。

「僕は、平穏を望む。ただこの世界樹と、麻帆良の街並みがあればいい。魔法使いも、学園都市もいらない。ただ、平穏を作り出すために、僕は行動を起こした」

 爆音、悲鳴、サイレン。焼け付く臭い、血、怒号。
 意識を少し外に向ければ、日常とはほど遠いモノが溢れていた。

(コイツは、何を言っているんだ)

 この状況の何処から『平穏』などというものが生まれるのだ。そんなもの、生まれるはずがないだろう。
 なのに、吉良の目は自信に満ち溢れていた。己の片腕を失い、体から決して少なくない量の出血をしている。

(コイツは、『化け物』なんだ)

 麻帆良という街の歪さが生み出した化け物。それこそが吉良吉影だと、千雨は思った。
 たとえ、これほどの惨事を想像しても、実行など出来るはずがないのだ。
 なのにこの男は、それを平然とこなす。スタンド使いであるとか、そういう範疇を越えている。

「長谷川千雨。何故君は麻帆良にいる。麻帆良は君を必要としていない」

 吉良がゆっくりと右手を突き出した。
 千雨は吉良に照準をつけた銃口が、体の震えからしっかりと固定出来ないでいる。

「必要と、していない?」
「そうだ。君は異物。たとえどれだけ馴染んだように誤魔化そうと、所詮醜い何とかの子だ。己の特異性で浮く。水と油が溶け合わない様に、君はこの麻帆良にとっては異物なんだ」
「ふ、ふざけるなぁ!」

 異物、という言葉が、この二ヶ月の生活を否定された様に感じられる。
 千雨は怒りのままに引き金を引くが――。

「なッ!」

 銃弾は吉良の目の前にある不可視の壁に阻まれた。
 弾丸が弾かれたのを、千雨は自らの感覚で知る。

「なんで、なんでお前が――」
「不思議かい? 僕の周りに魔法障壁があるのか」

 千雨はエヴァとの戦いで散々苦しめられた魔法障壁を思い出す。

「何、不思議な事じゃない。僕はこの広場にいる限り、〝友人〟の加護を得られるんだ」

 吉良は再び世界樹を見上げた。

「僕が何故、麻帆良が君を必要としていない、と言ったか分かるかい。麻帆良は『世界樹』だ。世界樹の存在こそが麻帆良という街を作っている。僕はね、この世界樹と友達になったんだ。君が大河内アキラに救われた様に、僕は世界樹に救われた。ただ、それだけだ」

 吉良が発言すると、まるで同意すると言わんばかりに、世界樹が発光し始めた。

「世界樹にとってもね、君は異物なんだ。君は誰にも求められていない。君は邪魔者なんだ。君は――」
「やめろ……やめろ、やめろ、やめろやめろやめろ!」

 ゆっくりと吉良の右手が千雨に向かって伸びてくる。
 千雨が再び引き金を引こうとするが、それは吉良の背後から伸びたもう一つの手に防がれた。

「なッ――」

 スタンド。
 吉良の背後には、左腕を失った人型のスタンドが立っていた。
 そのスタンドが、千雨の手から拳銃を奪い取る。
 千雨は奪い取られた反動で尻餅をついた。血がパシャリと跳ねる。

「か、返せ! それは、それは先生の!」

 千雨のために作られた、真っ白い回転式拳銃。それが吉良の血みどろの手に握られた。

「へぇ、これが拳銃か。なかなか重いね」

 吉良は自らの右手と、スタンドの右手を器用に使い、拳銃を色々といじくる。白い本体が、血で徐々に汚れていく。
 まるでウフコックが汚されている気がした。

「やめろって言ってるだろぉ!」

 パチリと紫電が走る。千雨の電子干渉(スナーク)だ。だが、千雨の本質は電撃による攻撃では無い。その威力たるは微々。皮膚を軽く火傷させる程の威力しか無いが、その電撃も魔法障壁に防がれた。
 たとえ電子干渉(スナーク)を全力で使おうと、今の千雨には演算装置が圧倒的に足りない。電子精霊がネットワークを掌握している今、千雨に出来る事は限られていた。
 周囲に小さな電撃を放ちつつ、涙目で叫ぶ千雨を見下ろしながら、吉良は愉悦の表情を見せる。

「ふぅん。これは君にとって大事な物らしいね」

 弾倉を開け、吉良は銃弾の一つをスタンドに持ち上げさせた。

「キラークイーン」

 吉良は自らの能力を呟く。弾丸の一つを爆弾化させたのだ。

「どれ、試し撃ちしてみようか」

 その弾丸を装填しなおし、吉良は銃口を骸の山へと向けた。

「何を! 何をするんだ!」
「見てなよ。きっとすごいよ」

 乾いた銃声が一つ。そして――。

「ばぁん」

 吉良の呟きと共に、銃弾が爆発する。
 銃弾が当たった魔法先生の骸の山は、爆炎と共に破裂した。

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 世界樹広場に、文字通り血の雨が降った。血肉が空中を舞う。千雨が叫びながらも、びしゃびしゃと鮮血が周囲に降り注ぐ。

「これは便利だね。頂いておこうか」

 吉良は残弾を確認しながら、銃を懐へとしまう。

「お前はぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 千雨は獣の様に這い蹲りながら、吉良へと飛び掛った。紫電を纏った体当たり。それも不可視の壁に当たり、跳ね返される。
 倒れそうになる千雨の首元を、吉良のスタンド『Queen』が掴む。千雨は首を絞められたまま宙吊りになった。

「くっ――はッ!」

 本能が空気を求めて暴れる。宙吊りになった千雨は、襟元の圧迫をどうにか外そうともがいた。
 痛みか苦しさか――それとも悔しさか。涙を流しながらも、千雨は必死に暴れ続ける。
 血みどろのローファーの切っ先が、吉良の膝にコツンと当たった。さすがにこの程度の衝撃は、魔法障壁に抑制されないようだ。それは千雨にとっての最初の、そして最後の反撃だった。

「さようなら、長谷川千雨」

 カチリ、という音と共に、爆炎が千雨の視界を覆った。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 そして広場の入り口から悲鳴が上がった。千雨が爆炎に包まれる光景を見た人物、それは――。



     ◆



「アキラさん!」
「夕映!」

 トリエラに先導された夕映は、世界樹広場まであと少しという距離で、アキラと合流を果たした。
 だが、アキラの背後からは追いかけてくるアンドロイドの姿が三体ほど見える。

「――ッ。アキラちゃん、伏せて!」

 トリエラはアキラの姿を認めると、援護のために拳銃を向けた。
 アキラはこちらへ向かい、真っ直ぐに向かってきている。トリエラには見えなかったが、おそらくアキラはスタンドに乗って移動しているのだろう。

「当たれッ!」

 連続した銃撃音。それらはアキラに当たる事無く、ことごとくがその後方のアンドロイド達へと命中した。その数発が一体のアンドロイドの首のケーブルに運良く当り、魔力の漏洩を起こし本体ごと爆発させた。
 残った二体のアンドロイドは一部欠損しながらも、アキラとの距離を縮めようとする。

「こんのぉ!!」

 瞬動。
 トリエラは付け焼刃の瞬動を使い、アキラを一気に追い越して、一体のアンドロイドへ肉薄した。
 突如現れたトリエラに驚きつつも、アンドロイドは迎撃しようとするが――。

「壊れろ! ポンコツ!」

 トリエラの力任せのパンチにより、頭部をひしゃげさせながらアンドロイドは地面へと突き刺さった。
 トリエラの大振りを見逃さないわけ無く、残った最後のアンドロイドが魔力砲を放つべく、口に魔力を溜めるが。

「お姉ちゃんに、何するデスかぁ!」

 夕映の手から、近くに落ちていた瓦礫の破片が投擲された。義体の人工筋肉をフルに使い射出された瓦礫は時速四百キロにも達する、まさに砲弾といっていい威力だ。
 拳大の破片が、アンドイロドの口に命中した。砲口たる口内を破壊されたアンドロイドは、魔力飽和により爆散する。

「夕映……」
「アキラさん、無事で良かったデス」

 アキラは夕映に近づき、スタンドから降りた。お互いの安全を確かめる。
 そこへトリエラも戻ってくる。

「トリエラさん、ありがとうございました」
「アキラちゃんもどうにか無事ね」

 アキラの謝辞を、トリエラはアキラの頭を軽く撫ぜながら答える。身長の高いアキラは頭を撫でられる事が少なく、少し照れた。

「でも、再会を喜んでばかりはいられない様ね」

 トリエラがそう言うと、遠くにアンドロイドの姿が幾つか見えた。

「また……。ごめんなさい、なんでか私をずっと追いかけてくるの」

 アキラが悔しそうに言う。
 トリエラがアキラの背中にポンと手を置く。

「後はお姉さんにまかせておきなさい。夕映、アキラちゃんと一緒に向かうのよ」

 その言葉に、夕映は戸惑いを持つ。

「でも……」
「でもも何も無いでしょ。大丈夫よ、私がこの程度でどうにか出来るわけないでしょ。それよりも夕映達が心配だわ。いい、無理だったら逃げなさい。千雨ちゃんも連れて、とにかく遠くへ逃げるのよ。もしかしたら、そうすればこのスタンドの効果範囲から逃げられるかもしれないわ」

 トリエラは自分の胸元を指差す。ここへの移動の間に、トリエラは夕映のスタンドについての推論を聞いていた。

「でもお姉ちゃんが」
「大丈夫。私は不死身よ。こんな爆弾くらいで死ぬわけないわ」

 夕映の頭部に乗るアサクラに、トリエラは手を伸ばした。

「おチビちゃん、夕映の事をよろしく頼むわね。この子、そそっかしいから、あなたが頼りよ」
「はいですぅ、お姉さま! おまかせください! マスターはこのあちゃくらがしっかりとお守りするですぅ!」

 アサクラはトリエラの指にくすぐったそうにしながらも、満面の笑みを浮かべる。

「うっさいデス。調子にるな」
「あう!」

 夕映の指が、頭部のアサクラを小突く。

「お姉ちゃん――」
「しっかりしなさい。あなたは〝私達〟の末の妹なんだから、もっと自信を持ちなさい」
「――、はいっ!」

 アキラがスタンドに乗り込み、夕映もそれに続く。

「お姉ちゃん、行って来ます!」
「えぇ、行ってらっしゃい」

 夕映達はそのまま風の様に、世界樹へと向かった。
 トリエラはその姿を見届ける事無く、ただ背中を向けた。
 風が吹いた。焦げ臭く、熱気も含んでいる。そして、この体になってから、明確に感じる事が出来る『血』の臭い。

「あぁ、もう本当、嫌になるわ」

 麻帆良に来てまだ三週間しか経っていない。
 それしか経っていないのに、騒乱はあちらからやってくる。
 でも、この三週間は楽しかった。
 記憶の奥底で散らばっていた『家族』という言葉の意味を、身を持って思い出す事が出来た。

「姉らしく、してやらないとね」

 トリエラの顔が獰猛に歪む。夕映の前では絶対に見せない表情、そこには怒りがあった。
 目前に迫った機械仕掛けの大男に向かい、トリエラは駆け出した。



     ◆



 先程までたくさんあった人の姿も声も、混乱の中心ではまばらだった。とっくに多くの人間が避難しきっているのか、もしくは――声すら発せなくなったのか。
 アキラ達はさしたる妨害が無く、世界樹広場に向かう。
 だが、二人には心配があった。
 先程から千雨へ連絡がつかないのだ。
 おそらく、今千雨に何かが起きている。その確信は、二人をより焦燥させる。
 世界樹広場への階段を『フォクシー・レディ』が跳ねる様に進む。
 鼻にツンと突く臭いがあり、アキラは表情を険しくした。無意識に、じんわりと不安が広がる。

「もう、すぐ」

 アキラの呟きに、背中に掴まる夕映もコクンと頷いた。
 二人が世界樹広場に入った時、見えたのは異常な光景。

「え――」

 濃い赤。
 広場一面が奇妙な色で溢れていた。
 それを一呼吸置いて認識する。これが全て血なのだと。
 二人は呆気に取られる時間も無かった。その血の園の中央に、見慣れた人影を見つけた。
 一人の男の目の前で、少女が首を掴まれていた。掴んでいるのはおそらくスタンド。

「ち、ちさ――」

 それはアキラか、夕映の呟きなのか。判別はつかなかった。
 なぜなら――。
 爆炎。
 千雨の顔が、爆炎に包まれた。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 アキラが恐怖に満ちた悲鳴を上げた。
 おかげで夕映は冷静でいられた。トリエラの言葉を思い出す。

「アキラさん! 急いで!」

 それだけで充分だった。アキラは、千雨の元へとスタンドを走らせる。
 男――おそらく吉良吉影が、千雨の首元を離す。
 ドサリと地面に倒れ落ちた人影に、もはや力は無い。
 ブスブスと燻りながら、顔面からは煙が上がっている。
 夕映は冷静さを持ちながらも、体中の細胞が怒り狂うのを感じた。

「き、吉良ァァァァ!」

 走るスタンド上から、夕映は飛び出した。
 二重に加速された勢いのまま、夕映は吉良へと飛び蹴りをかます。

「ほう、君達は」

 ゴォン、という鐘でも鳴らした様な重い音。
 夕映の蹴りは、吉良の目の前の空中で止められた。
 魔力による壁、夕映の特殊眼球にはその密度の高さが浮き彫りになる。

「魔力障壁!」
「ご名答」

 夕映の攻撃は通らない。しかし、逆は通るのだ。

「マスター!」

 アサクラの警告。

「Queen」

 吉良の呟きと共に、隻腕のスタンドが夕映に殴りかかる。
 無防備な体勢の夕映は、その拳を腹に受けてしまった。

「げほッ!」

 吹き飛ばされ、地面を転がる。
 しかし、夕映は痛みを押し殺し、どうにか立ち上がる。

「ちーちゃぁん!」

 その隙を狙い、アキラは倒れていた千雨を拾い上げ、吉良の目の前から離脱していた。
 夕映もそちらへと向かう。
 夕映は戦闘態勢を取ったまま、背後に千雨とアキラを庇う形で、吉良と対峙する。

「ちーちゃぁぁんん……」

 背後からはアキラのすすり泣く声が聞こえる。スタンドから降りたアキラは、自らの膝の上で千雨の体を横たえている。
 吉良と対峙しながら、チラリと見ると、そこには見るも無残な千雨の姿があった。
 顔の皮が剥げ、肉がむき出しになり、血すら焦げ付いている。
 それはほんの一時間前に見た千雨とは程遠い姿だった。
 アキラの戦意はもう砕けている。目の前に吉良がいるというのに、千雨の姿を見た途端、泣き縋るばかりだ。
 千雨の呼吸は浅い。
 口とも鼻とも思えぬ場所から、小刻みな音が聞こえ、指先がピクピクと動くばかり。

「あちゃくら!」

 夕映は己のペンダントを外し、千雨の胸元へと投げた。

「は、はいですぅ!」

 アサクラもその意味をしっかりと理解していた。ペンダントはアサクラの本体であり、夕映の肉体管理もしている。
 簡易的とはいえ、肉体のスキャンを行い診断する事ぐらいなら出来た。
 アサクラはすぐさまバイタルチェックを行い、千雨の肉体の状況をチェックしていく。

「だ、ダメですぅ。顔の火傷の深度が深く、ショック症状を起こしてます。心拍も下がってます。早く医療施設へ連れて行かないと、連れて行かないと!」
「――ッ!」

 夕映はその状況に歯噛みをする。

「アキラさん! アキラさん、しっかりしてください! このままじゃ千雨さんが死んでしまいます! 早く抱えて逃げてください!」

 強く叱咤する。
 アキラは「千雨が死ぬ」という言葉に、嗚咽を一瞬止める。今、アキラの膝の上に千雨がいた。見るも無残な姿でいる千雨の命が、零れ落ちようとしている。
 アキラは千雨を抱きすくめる。

「私が殿を務めるデス。だから早く、早く千雨さんを。あちゃくら、あなたは千雨さんをしっかりと見てるデス!」
「は、はいぃ」

 アサクラはオロオロとしながらも、夕映に返事をする。
 その時、千雨の指が少し動いた。
 アサクラの本体たるペンダントに、千雨の指がわずかに触れた。

「――え」

 流れ込んでくる記憶、意志。アサクラはそれが千雨の最後の言葉だと気付いた。

「ち、千雨さまぁ……」

 千雨の意識は僅かにだが戻っていた。だが、喋る事も出来ず、ほのかに残った力で、アサクラに自らの思いを伝えたのだ。
 アキラは千雨とアサクラをまとめて抱き上げ、スタンドに乗った。
 夕映は相変わらず吉良と対峙したまま、体勢を崩さない。

「おいおい、もう帰るつもりか。残念だな」

 吉良は余裕を感じさせる言葉を吐くが、片腕を失って血にまみれる彼も、満身創痍に他ならなかった。
 しかし、夕映は無言。この男と話す時間すら惜しいのだ。
 アキラはスタンドを走らせ、世界樹広場から飛びだそうとするが――。

「でも、果たして帰れるのかな」

 吉良の声。
 世界樹広場の外縁部に、小さな白い粉が風に舞っていた。
 アキラ達はそれに気付かない。

「――キラークイーン」

 アキラ達がスタンドに乗り、広場を飛び出そうとした時。夕映がそれに追いすがろうと走り出した時。
 世界樹広場の周囲に爆炎が広がった。

「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
「――ッッ!!」

 それは吉良が爆弾化した小麦粉を風に舞わせたものだった。そのため命中精度は落ち、直撃はしなかった。
 それでも、『フォクシー・レディ』は爆風に煽られ、ひっくり返される。アキラも千雨やアサクラを抱えたまま、血みどろの地面に叩きつけられた。
 夕映も不意な爆発により防御もままならず、背後に転ばされた。

「残念。出来なかったみたいだね。それに、〝タイム・オーバー〟だ」

 ――タイム・オーバー。
 夕映はハッとする。自分がここに来た理由、それを思い出したのだ。
 胸に取り付いたスタンドを見る。
 スタンドの刻んでいた時計の様な音は、もう止まっていた。
 さぁっ、と背中が冷たくなる。
 夕映は自分が冷静である様に思えたが、千雨の姿を見て、やはり動転してたらしいと自覚する。
 夕映が顔を上げると、自分を見下ろす吉良の顔があった。彼の背後のスタンドは、何やらスイッチの様な物を手に握っている。
 夕映はその時理解した。
 だから、せめて、と思う。
 首を振れば、アキラが呻きながら必死に千雨を抱きかかえている姿があった。
 夕映もそこに手を伸ばし――。

「ザ・ゲーム」

 カチリ、と吉良のスタンドがスイッチを押す。

「――ッ!」

 それと同時に、夕映の体内で爆発が起こった。
 体の内側をミキサーにかけられた様な苦しみ。だが、それも一瞬であった。
 意識はあっという間に無くなり、二度と目覚める事の無い骸へと成り果てる。
 夕映が意識を失う間際、最後に見たのは血を吐くアキラの姿だった。

(おねえ、ちさ――)

 夕映の伸ばした手は地に落ちた。
 同時刻、麻帆良内にいた一部の人間達が同時に死亡した。それらの身元に共通する事は少ないが、ただ一つ『ただの一般人では無かった』という事だけが上げられる。
 麻帆良の地下にある司令部は血に塗れ、街中にも多くの骸が出来上がった。

「はははははは! すごいぞ! 僕の能力はすごい!」

 吉良は笑う。
 自らの能力により、麻帆良に巣食う魔法使いは今一網打尽にされた。
 それと同時に、体の力が抜ける。彼とて限界であった。
 世界樹の幹に背中を預け、ずるずると座り込んだ。



     ◆



 五分ほどだろうか。吉良は晴れ渡る麻帆良の姿を見ていた。
 腕の傷口は己のスタンドで焼いたために、とりあえず出血は防いでいる。

「やはり、〝最初〟からは無理か」

 疲れを感じさせる溜息。
 これだけの殺戮をしておきながら、彼の心に悔恨や罪悪感は無く、あるのは己への労わりだった。
 麻帆良の街並みに、ゆっくりとした静寂が戻ってきた。
 鬼神兵の動きは鈍くなり、その動きを停止させる。
 もくもくと上がる黒煙とサイレンはあるものの、破壊音は消えた。
 その時、南の空に異物が見えた。
 吉良はそれを見て、舌打ちをする。

「やはり来たか、《学園都市》」

 吉良が世界樹に指示を出すと、《学園都市》に関する情報を電子精霊が整理する。
 どうやら麻帆良の状況を察し、《学園都市》は麻帆良に制圧部隊を仕向けた様だ。
 現状での敗北は必然。

「これが問題だな……」

 何かを思案する吉良。
 その間にも、遠くを飛ぶ影の姿が大きくなり、それが輸送機だと分かってくる。
 《学園都市》からの輸送機は三十機程。それらが隊列を為して麻帆良へ向かってくる。
 吉良はそれを認めると、懐から何かを取り出した。
 《矢》。古めかしい鏃、この一連の原因ともなった物だ。
 吉良は世界樹を見上げ、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。

「頼んだよ、我が友。さぁ使おう、君の力を、さ」

 吉良はサクリ、と《矢》で世界樹の幹を傷つけた。
 《矢》には特殊な力があった。
 傷つけた生命に対し、スタンド使いになれるかどうかの試練を貸す力。
 そしてもう一つ。『スタンド使い』の力を、飛躍的に上げる、暴走にも似た力の爆発を起こさせる力。
 今、『スタンド使い』たる世界樹はスタンドを暴走させながら、自らの魔力でそれを制御していた。
 麻帆良祭の三日間。この時期だからこそ、世界樹の体内には魔力が溢れかえっていた。その力を、スタンドに注ぎ込む。
 世界樹の葉の一つ一つが膨大な光を放ち、巨大な光の柱を形作った。
 その光は太陽にも似ていた。
 はるか古代の人間が太陽に見た創生の光。
 今、それを世界樹が体現しようとしている。

「君の力、『ビューティフル・ドリーマー』だ。そして――」

 吉良の手の中に、スイッチが一つ現れた。

「僕の『バイツァ・ダスト』。さぁ、行こうか。長い旅になる」

 吉良の第三の能力『バイツァ・ダスト』。
 この能力の発動条件はややこしいが、幸い条件は整っていた。
 吉良はスイッチを押す。すると彼の姿は空間に出来た穴へと吸い込まれ、この世界から存在を完全に消した。
 世界樹の光はより一層強まり、世界を覆おうとしていた。



     ◆



 ノイズが体中を走った。
 アサクラは、亡骸となってしまった千雨とアキラの体の間から這い出る。
 体にまだ幾ばくか残る機能が、二人の死亡を断定していた。

「千雨さまぁ……アキラさまぁ……」

 常時発信され続ける夕映のバイタルサインも消えていた。少し離れた場所に、夕映の遺体もあった。

「マスターぁぁ」

 アサクラはポロポロと涙を零す。A・Iであるアサクラにとって、涙は幻に過ぎない。
 しかし、アサクラにも悲しみが理解できるのだ。
 夕映達に説明されていなかったが、アサクラは夕映の過去を知っていた。
 自らの本体たるペンダント、そこに書き綴られた夕映の虫食いの記憶。アサクラはその一部を保有している。
 夕映の喜びも、悲しさも、辛さも、怒りも、アサクラはずっと昔から知っていた。
 いわばアサクラは、もう一人の夕映だったのだ。
 アサクラにとって、この一週間はかげがえのない程素晴らしい日々だった。
 短かい日々だったが、それでも己の中にあったゼロたる経験が一になるのは、計り知れない喜びがある。記憶の知識が、経験や思い出に昇華された。
 かつて夕映が喜んだ、祖父の暖かい手。
 アサクラは姉と慕う存在が自分の頭を撫でる時、その夕映の虫食いの記憶を思い出す。思考ルーチンに走る喜びの信号、これこそが『暖かさ』なのだと確信した。
 だからこそ今、アサクラの中で悲しみの信号が止まらない。
 設定として作られた感情表現は、歯止めの効かない程の幻の涙を流せ続けた。
 決して地面に染みを作ることの無い涙が、アサクラの顔を覆っている。

「ひぐっ、ひぐっ」

 そんなアサクラの顔を、ノイズが走る。
 千雨の亡骸からポロリと落ちたペンダントには亀裂が走り、アサクラの本体たるストレージ媒体がむき出しになっていた。
 アサクラは自らの本体を背負い、歩き始めた。
 向かうは世界樹。光を帯びだしたその根元へと、ゆっくりと歩き出す。
 諸悪の根源たる吉良は何かを喋っていた。アサクラには理解できないが、出来る限りの情報を記録した。

「お姉さま、すいません。私は、私は、誰もまもgbakまもれha;ませんでした」

 ノイズがより一層強くなる。
 アサクラは自分より遥かに大きい世界樹の幹に、どうにか辿り着いていた。いつの間にか吉良はいなくなっている。
 光が周囲を覆っていた。

「マスter、まda」

 光の奔流の中に、膨大な情報の流れを感じた。
 アサクラは願うのだ。
 夕映が、トリエラが、千雨が、アキラが、皆が笑って暮らせたら、と。
 この一週間の間、食卓を皆で囲んだ事を思い出す。アサクラは食べれないが、夕映の味覚を多少拝借する事は出来た。
 食事の楽しさが分かったかもしれない。
 でも、一人ではダメなのだ。
 皆がいてこそ――。
 アサクラは光の奔流の中で思いを託す。
 自らの思い、千雨から預かった記憶。ノイズ混じりの思考の中で、それらを情報の流れに託した。
 それは大洋にボトルレターを投げ込む様なものだ。人に届くかすら分からない。届いたとしても、それは遥かな未来になるかもしれない。
 アサクラはコロンと倒れ、仰向けになった。

「あああaaaあああaあああa……」

 天に伸びる光。その遥か遠く先の隙間に、アサクラは皆が笑い会う光景を見た。
 自らの機能が停止する数秒前、アサクラはその光景を見て安堵し、笑みを浮かべた。

「マste」

 実体化モジュールが停止し、アサクラの体が消えた。残ったのはボロボロのペンダント。それもひび割れが進行し、パキリと真っ二つに割れた。
 アサクラの思いはキラキラと小さな粒になり、光の奔流に紛れた。そして――。



     ◆



 麻帆良学園女子中等部二学年の主任教師をしている新田は、校舎内を走り回っていた。
 一通りの生徒の退避は完了しているものの、まだ校舎内に残っているのかもしれない。
 巨人が動きを止めたのをこれ幸いと思い、新田は校舎に再び戻ったのだ。
 五十を過ぎた肉体は、すぐに呼吸を乱れさせる。
 それは何も年ばかりの話ではないだろう事が、新田の表情の険しさからも読み取れた。
 学園祭という事もあり、校内は宴会の後の様に荒れている。ベニヤ板やダンボールで作られた敷居が多く、隠れ場所はたくさんある。
 新田は大声を張り上げ、生徒が残っていないかを確認し続けた。

「あとはここか」

 新田が最後の確認に向かったのは学園長室だ。
 あの巨人が現れて以降、学園長と連絡が取れない。
 生徒の避難を優先したために考えが至らなかったが、もしかしたら学園長は怪我でもして学園長室に取り残されてるかもしれない。
 そんな懸念があり、新田が学園長室に寄ったのだ。
 ドアを開け放つと、倒れた本棚やら、床に散らばった書類やら、荒れ果てた室内が見えた。
 これはどこでも同じだ。
 あの巨人が現れた時の揺れは、まさに大地震といってよかった。
 新田は書類や棚を掻き分けながら、室内に人影を探す。

「学園長! いませんか!」

 大きな書斎机の後ろも影も見たが、近右衛門の姿は見えなかった。

(どうやら逃げられたらしいな)

 新田はほっと息を吐き、部屋を出ようとする。その時――。

「な、なんだ!」

 窓からまばゆい光が降り注いだ。
 あまりの眩しさにまともに目も開けれず、腕をかざして隙間から窓の外を見た。

「せ、世界樹!」

 世界樹の発光現象は、この麻帆良での有名な謎の風物詩である。
 新田も何度も見ている現象だ。しかし、これ程の光量では無かったはずだ。

「一体、何が起きているんだ!」

 光は新田の体をすり抜ける。光はあまねく生命を包み込み、その心をも溶かした。
 新田の中にあった不快感も無くなり、心地よい原初の香りを嗅ぐ。
 室内は光に覆われた。



     ◆



 船を漕いでいた頭が腕に当たり、新田は意識を取り戻した。

「……う、うむ」

 目元をぐにぐにと揉む。
 どうやらいつの間にかうつらうつらと寝てしまったらしい。
 麻帆良学園の学園長たる新田は、自らの書斎机で様々な決済を行なっていた。
 疲労がじっとりと体に染みている。

「どうも座りなれないな」

 とは言うものの、新田が学園長になって長い。なのに、彼はなぜか自分が座る革張りの椅子に違和感を覚えていた。まるで〝自分の椅子じゃない〟かの様に。

「さすがに、疲労も溜まるか……」

 背もたれに上半身を預けながら、新田は窓の外を見た。
 そこでは様々な声が上がりながら、復興が徐々に進んでいる。

「もう二ヶ月か」

 二ヶ月前、麻帆良は大地震に襲われた。
 局所的な直下型地震。
 麻帆良は石造りの建物が並ぶ、西洋的な街並みが広がる、これは明治期より作られた伝統的な街並みであり、おおよそ地震には弱い作りである。
 しかし、この街並みが麻帆良に作られた要因に『地盤が安定している』という点があった。
 地震多発国である日本の中でも、麻帆良の地震の数は極端に少ない。どうやらそれらの事も要因の一つとなり、麻帆良の都市建設は始まったらしい。
 その予想は外れる事無く、一世紀に近い長い間、麻帆良にとって地震は無縁の存在だった。
 されど、今年の六月には大地震が起こった。まさに青天の霹靂である。
 だが、死者や怪我人は少なく、迅速に避難出来た事は幸いだった。
 麻帆良はその後、多くの支援を受けて、復興への道を歩んでいた。
 壊れた石造りの建物は再建に時間がかかりそうだが、国から文化財として認められ、どうやら支援金も貰えそうなのだ。
 新田も麻帆良や学園の再建・復興のために、寝ずに働き続けている。
 学園の無事な施設を避難所として開放したり、外部の組織に援助を頼んだりと様々だ。
 その中でも特にありがたかったのが《学園都市》だった。
 『超能力開発』などという物騒な謳い文句を持つ《学園都市》に、新田は最初余り良い印象を持っていなかった。だが《学園都市》は、震災後なんと三十分で救援に来てくれたのだ。
 最新型のパワードスーツとやらを使い、瓦礫を撤去して被災者を数多く救ってくれたのだ。
 おかげで死傷者の数はグンと減った。
 それに、その後も次々と空輸されてくる物資のおかげで、麻帆良市民は特に飢える事も無く、被災後を過ごせる事となった。
 この初動の速さというのも、地震が局所的だったのが良かったらしい。
 麻帆良を中心に起こった地震は、ほぼ麻帆良だけに被害を及ぼし、隣接する市などではほとんど被害が無かったとか。せいぜい花瓶が落ちたという程度のもので、家屋の倒壊数はゼロだったらしい。
 そのため、被害が無かった《学園都市》は迅速に行動できたのだ。
 また、初動が遅い日本政府よりも、独自に自治権を持ち都市国家としての側面が強い《学園都市》の方が早く動けたのも、道理と言えた。
 とにもかくにも、新田は様々な助けを貰いつつ、自ら老骨に鞭を打って、復興という一大事業に参加していた。

「しかしなぁ、こんなにもズサンだったとは――」

 様々な書類を整理していく中で、問題も多数あった。
 その一つが『存在不明』の生徒だ。書類上存在するのに、見た人も聞いた人もいないという奇妙なものだった。
 どうにも書類上の不備があったのか、それとも学園のデータベースが改竄されているのか。
 学園全体の五パーセントにも及ぶ、この書類のみの生徒の処理に、新田は奔走させられている。
 そしてもう一つ、それが麻帆良の中心部に出来た巨大な大穴だった。
 麻帆良学園の中心部、本来ならば〝麻帆良〟広場と言われる場所に、突如現れた穴。それはかなりの大きさで、現在《学園都市》側が調査をしてくれている。
 どうにも穴の下には建築物の様な痕跡も見えるらしい。それが震災後の地盤沈下などの、被害の原因の一つではないかと言われている。
 学園の敷地内とはいえ、新田はたかが学園の責任者に過ぎない。これらの案件では、行政の采配を期待していた。

「まったく、次から次へと」

 麻帆良の風景を見ていると、新田は無性に何かが足りない気がした。
 一瞬、視界に巨大な樹の姿を幻視する。

「いかん、いかん」

 街を覆う巨大な樹、そんなものが存在するはずなど無い。
 幼稚な妄想に頭を振り、新田は再び書類とにらめっこを始めた。
 麻帆良は徐々に、日常を取り戻し始めていた。



 第三章〈フェスタ《殻》編〉 終



[21114] 第47話「そして彼女は決意する」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:231840e3
Date: 2011/10/27 15:03
――Return to the 《turning-point》for chapter 42.



     ◆



「ん、あっ……」

 千雨は目元をぐしぐしと拭った。いつの間にか寝入ってしまったらしい。
 ぼーっとする頭で、なんで寝てたのかを思い出す。確か銃を取りに寮に――。

「――って、時間」

 ぱっと周囲を見れば、壁時計は三時少し前を指している。

「三時。あれ、わたしは三時頃に寮の部屋に行って、それで」

 違和感。そして周囲をしっかり見れば、それは確信に至る。

「ここって、教室」

 千雨がいたのは、2-Aの教室だった。整然と並ぶ学習机の列。少し汚れた黒板。そこは紛れも無く見慣れた教室の風景だった。千雨の服装は記憶通りの制服。ブレザーにチェック柄のスカート、ここに二ヶ月で慣れた装いだった。
 だが、何かがおかしい。千雨の記憶が確かならば、現在は麻帆良祭の初日。教室は一週間掛かりで、喫茶店へと改装したはずだ。
 それにあれ程の喧騒は一転静寂に変わっている。
 一瞬、自分が寝すぎたのかとも思ったが、それにしては不可解な点が多すぎる。先程まで千雨は自室にいた、それが何故教室にいるのか。仮に寝すぎたとしても、周囲は夜とは思えない明るさだ。必然、多少の喧騒はあるはずだった。
 そこから導き出される答えを、千雨はここ数ヶ月で培っている。

「またオカルトか……」

 不可解な状況は、その言葉に押し付けるに限る。千雨の経験則でもあった。
 教室内を観察しながら、窓から外を眺めた。
 麻帆良の街並みが遠くまで見える。もちろん麻帆良の象徴たる世界樹も、視界の中央にそびえ立っていた。
 その風景を見ながらも、やはり違和感がある。どうにもハリボテ臭いのだ。街に人影は存在しなく、空は雲が動いてるものの、チープなゲーム画面を見ている印象がある。
 全てが作り物の様に感じられた。
 ジオラマの街に、一人だけ放り出されたようだ。

「漫画や小説だと『これがわたしの心象風景だ』とか『あなたの夢の世界だ』とか言うんだろうな」

 千雨は窓ガラスに手を当てながら、自嘲気味に呟く。不思議と落ち着いていた。
 教室の壁時計は三時少し前を指したまま、秒針は動いてない。携帯電話の時計表示も二時五十八分を指したまま固まっていた。ボタンを押しても反応が無い。

「さて、と。どうしたもんやら」

 千雨はスタンド・ウィルスを通じてアキラに話しかけるも、やっぱり無反応。夕映への通信も無駄の様だ。
 知覚領域を広げてみても、周囲に人の存在は確認できなかった。
 しかし。

「こいつは――、なるほど。なんとなくわかったぞ」

 この街、いや空間には千雨なりに感じる歪さがあった。そのシステム、カラクリの作り方は、妙に誰かのものに似ている。

「おい、そろそろ出てきたらどうだ」

 千雨は虚空に呼びかける。そんな千雨の声を待っていたかの様に、人影が目の前に突然現れた。

「なははは、さすがに千雨サンにはバレバレネ」
「御託はいいから、さっさと要件言ってくれよ、未来人」

 千雨の目の前には、この一日行方知れずだった超鈴音が立っていた。



     ◆



 千雨と超は教室の学習机を挟んで座っていた。目の前にはなぜか紅茶が入ったティーカップが二つ。超が指を弾いた途端に、いきなり現れた代物だ。

「――って事は、ここはリアルなヴァーチャル空間みたいなもんなのか」
「まぁ、要約すればそういう事になるネ。でも別に完全な仮想空間ってわけでもないヨ、千雨さんは肉体ごとココに転移させてもらったネ」

 話を聞く限り、ここは超の作り出した仮想空間らしい。全てが出来の良い模造品で囲まれた場所に、千雨は招待された様だ。
 千雨は喉を潤すために、目の前の紅茶を一口飲んだ。しっかりと紅茶の香りが口いっぱいに広がる。

「で、一体なんでわたしをこんな場所に呼んだんだ。普通に電話じゃ話せないってか?」
「――と言うよりも、これしか方法が無かったヨ」
「方法?」

 超は指を弾いて、空中にモニター画面らしきものを浮かばせた。

「今、この空間は時間の流れがゆっくりになっているネ。私の航時機《カシオペア》を最大限に使い、時間の流れを歪めた小さな空間をどうにか作ったよ」
「時間の流れを遅くしている?」

 その言葉に千雨はハッとする。手の中の携帯は無反応だが、液晶ディスプレイに時計の時刻は表示されていた。

「んじゃあ、この携帯が無反応なのも」
「無反応っていうより、レスポンスが遅れてるだけネ。実際はちゃんと反応してるだけヨ。もっとも《カシオペア》で調整すれば通常通りに動かせない事は無いが、外部の時間の流れを考えれば携帯電話なんて無意味ネ」

 そう言いながら、超は千雨の携帯をヒョイと取った。

「ちょっと拝借ネ」
「お、おい何だよ」

 千雨の携帯に何かをしている。

「まぁまぁ、ちょっとしたおまじないヨ。ほい、お返しするネ」

 今度は軽く携帯を投げられ、千雨は慌ててキャッチする。
 ブーブー文句を言う千雨を流しつつ、超はモニターに何かを表示させた。

「千雨サン、よく聞いて欲しいネ。これから通常時間の二分後、麻帆良では大規模な事象が発生するネ」
「事象?」
「そう! 麻帆良そのものを覆う大規模な結界、いや時空間の閉鎖とも言うべき現象ヨ」

 超が話す言葉をどうにか受け止めようとするものの、単語そのものが理解できなかった。

「あー、よくわからんが、麻帆良が壁がなんかで隔離されるって事か」

 超は少し嬉しそうに頷く。

「端的に行ってしまえばそうネ。ただ、物理的な閉鎖では無いヨ。麻帆良を出るも入るも自由。もっとも、麻帆良には魔力持ちや魔物を排除する大結界があるがネ。問題は時系列の閉鎖ヨ。本来あるはずの連続した時系列が失われ、現在より通常時間の二分後を持ってして、この麻帆良を中心とした時空は――」
「タイム! タイムだ! わたしにそういう難しい説明するな。するんだったら葉加瀬とでもしてろ。もっとわかりやすくたのむ」
「むぅ、せっかく良いところだったネ」

 超はしぶしぶといった感じで、事象の説明を判りやすい言葉を選んで説明していった。
 麻帆良は通常時間の三時を持ってして、それからの一時間程をひたすら繰り返しているのだそうだ。
 何度も何度も、麻帆良ではその一時間が繰り返され、いつ終わるともわからない鬼ごっこを行なっているらしい。

「あれか、『時をかける少女』とかそういうヤツか」
「タイムパラドックスという点では正解ネ。しかしこの時間のループ現象は最高にタチが悪いヨ」

 超はモニター画面に図を表示させる。

「これが一時間だけの繰り返しだったら、毎回ほとんど同じ事が起こっておしまいネ。だけど今回のは違う。これは麻帆良という舞台を使って、平行世界で起こりうる事象を際限なく再生させているのヨ」

 モニターには幾つかの横線が表示される。そのどれもが一つの他の平行世界の時間軸を模しているらしい。そしてそれらの平行世界の三時からの一時間だけを切り取り、現在の時間軸に重ねていく。
「もっと簡単に言ってしまえば、麻帆良という舞台を使って、物語の『イフストーリー』をひたすら演じさせてるネ」
 千雨は頭を捻りながら言葉を発した。未だに信じられない、半信半疑といった感じだ。

「つまり、よく漫画とかである『もし○○が死ななかったら~』とかいうヤツか」
「そうネ。沢山の因果律をこの麻帆良に集中させながら、ある人間だけがその世界を移動し続けているヨ」
「――ある、人間?」
「千雨サンもよく知っているはずネ。《矢》により起こった、一連の事件。その引き金を引いた人間を――」

 その言葉に反応し、千雨は椅子を倒しながら立ち上がった。

「そ、そいつって!」
「吉良吉影。それがこの事件の犯人の名前ネ」
「きら、よしかげ」

 その名前を千雨は反すうする。そしてしっかりと心に刻み込んだ。

「表面化したのは春先の『スタンド・ウィルス事件』だったカ。だけど、実際はもっと根が深いみたいネ」

 超はモニターに幾つかの情報を表示させた。

「私はこの空間に留まり、《カシオペア》を使い、ほんの少し未来の時間軸を観測し続けてるネ。おかげで従来のデータベースになかなかアクセスできないせいか、この情報は不完全ヨ」

 超が表示させたデータは、吉良吉影の一般的なパーソナルデータだ。学歴や職歴。更には部活動に在籍した時の経歴、成績表もあった。

「可も無く不可も無く。そんな人間としての履歴ネ。余りにも長所が少なく、余りにも短所が少ない。こういう傾向にある人間は得てして、何かを隠しているものヨ」

 モニターには今度は地図が表示された。麻帆良と近隣の市などが表示されている。
 幾つかの矢印が地図の部分部分を示していく。更には何かの数字も表示された。

「これは麻帆良とその隣接する市町村の失踪者や行方不明者のデータネ。ここ十年での失踪者の増加傾向は、麻帆良近辺だけを見ると明らかに近似値を越えているヨ」
「――何が言いたい?」

 おとなしく聞いていた千雨だったが、その超の言葉に嫌な確信を持つ。

「吉良吉影は『スタンド・ウィルス事件』のはるか昔から、この地を中心にして〝なにかしら〟の事件に関与していた事が高いって事ネ」
「いやいや、だってここは魔法使いの住処の麻帆良だぜ。その吉良ってやつの可能性とは限らないじゃねーか」

 千雨も吉良に対して思うところはあるものの、超の言葉を鵜呑みには出来ない。

「それはそうヨ。それに私自身も穿った見方をしてるのは承知ネ。それでも――」

 今度は棒グラフが表示された。それは失踪者の推移を時系列順に並べたものらしい。

「吉良吉影は今勤めている会社で、二度ほど長期の出張をしているみたいネ。〝彼が麻帆良にいない期間の失踪者数は明らかに減っている〟。これは確実なデータヨ」

 千雨はじっとデータを見つめ、息を吐いた。

「あぁ、わかった降参だ。こいつは間違いない。さすがに関連性を否定できないわ。んで、今回もこいつが何かをやってるってのか」
「そう。この男は麻帆良という魔法使いの極東本部という場所を根城にしながら、多くの人に気付かれずひっそりと、淡々と事件を起こしてきたネ。そして吉良は麻帆良そのものに牙を剥いたヨ」

 そう言いながらも、千雨は未だに実感がわかない。

「いやさ、超の言いたいことはなんとなく分かった。けれどもお前って未来人なんだろ。なのになんでこんなに後手後手に回ってるんだ?」
「ふふふ、痛い所を突かれたネ」

 疲れた顔を見せながら、超は背もたれに体を預けた。

「はっきり言って予想外としか言い様が無いネ。本来私の知っている時間軸と形が変わってしまってるヨ。あるべき形が大きく崩れてしまってるネ。私の知る歴史では、この麻帆良祭は何事も無く終わるはずだった。しかし、現実にはこれ程大きく変わってしまっているヨ」
「でも、タイムマシンあれば過去へ飛んで、吉良とかいう奴も止められるだろ」
「それも考えたが難しいネ。《カシオペア》の時間跳躍には大量の魔力が必要ヨ。現在の魔力じゃ、こうやって時間の流れを遅くしたり、少し先の未来を観測するのが関の山ネ。それに、おそらく過去へ飛んでも無意味ヨ。時系列の閉鎖が起きている今、あの時間帯だけは何処へ行こうと逃げられない。例え過去へ飛び吉良を殺そうと、矛盾をはらんだまま取り込まれるのがオチネ」

 超の言葉に、不思議な感覚を覚える。何故超はここまで事象を掴んでいるのか、その違和感。
 千雨の表情から何かを察したのか、超は言葉を続けた。

「――それもこれも、知る事が出来たのはこいつのおかげネ」

 超はそう言いながら、フラッシュメモリーを千雨に投げた。

「おっと、何だよコレ」
「中のデータを見てみると良いネ」

 千雨はメモリーを電子干渉(スナーク)してみる。すると――。

「な――ッ」

 それは記憶だった。千雨自身の記憶であり、誰かの記憶でもある。吉良と呼ばれる人間の存在。吉良の宣言に始まり、麻帆良が戦場に変わり、そして多くの人が死んでいく。吉良の心を抉る言葉、苦痛。千雨自身の死もあった。断片的な映像や音声となって、千雨の中を駆け巡る。そして千雨達への思い、笑顔。これは一体誰の――。

「あちゃくら、って言ったかネ。あの夕映っちの頭に乗ってたA・I。彼女が送ってくれた情報ヨ」
「あちゃくら、が……」

 それはとても奇跡的な事だったらしい。この繰り返される世界の一巡目。まだ時系列の閉鎖そのものが完成していない時に、能力を発動させた世界樹にうまく紛れ込ませ、過去へとデータを飛ばしたらしい。

「――ッ」

 データの内容に震えた。恐怖が体に染み込んでくる。超の言った内容、それに伴う実感が初めて千雨の中に生まれる。

「私は所用で世界樹を数日前から観測していたネ。おかげで昨日それに気付けて、ギリギリまで作業をしていたヨ。データの破損が酷くて、復元に手間取ったネ」
「だから連絡取れなかったのかよ。つか、世界樹ってどういう事だ」

 千雨の言葉に、超は苦々しい笑みを浮かべる。

「本来、時系列を閉鎖させる、なんて事を容易く出来るはずないネ。そして仮に出来るなら、それは〝人間〟ではありえない」
「世界樹がやってるっつーのか?」
「この事件の根は深いネ。吉良吉影は実行犯だが、共犯がいる。世界樹《蟠桃》、そしてそのスタンドこそがこの麻帆良の閉鎖の原因ヨ。そのデータを復元する際、断片的ながらその名前があったはずネ。『ビューティフル・ドリーマー』と」

 手の中にあるメモリーをもう一度精査する。確かに吉良とおぼしき人間が発言していた。

「――『ビューティフル・ドリーマー』」
「おそらくそれがこの状況を作ったスタンドの名前。彼らの目的は正確には分からないが、麻帆良は〝平行世界を移動できる〟吉良吉影と、〝平行世界を作り続ける〟世界樹という二つの存在に弄ばれている。彼らは何かを目的をし、その目的が果たされるまで、この一時間を繰り返し続けている。これが私が調べて分かった事ヨ」



     ◆



 どれぐらいこの空間にいたのだろう。
 それを知ろうにも、時計が役立たないのでは意味が無い。
 千雨は超の長々とした説明が一区切りした所で、とりあえず紅茶を一口。乾いた喉が潤った。

「――状況は分かった。けどなんでわたしを呼ぶのかが分からねぇ」
「いや、千雨サンだからこそ呼んだヨ。むしろ私はこれくらいしか思いつかないネ」

 いつの間にか超の目の前にはチェス盤が置かれていた。目の前の駒を、超は話しながら次々と動かしていく。
 その動きを、千雨は数秒程固まったまま見ていた。

「時に千雨サン。千雨サンは麻帆良が好きカ?」

 超の言葉に、背中がヒヤリとする。千雨は視線を泳がせながら、小さく呟いた。

「――いや、嫌いだ」

 机の下で拳を握った。

「この街の能天気な所が嫌いだ。虫唾が走るような雰囲気に腹が立つ。あからさまな悪意だったらいい。けど善意を押し付けられて傷つけられる事ほど、惨めな事は無い」

 ぽつりぽつりと千雨は語った。アサクラが残したメモリーにあった吉良の言葉。『孤独を容認されていた』、そこに麻帆良に対する憎しみもある。

「わたしはこの街を出て行けるときに、少しだけ寂しさや不安があった。だけど、これで解放されるっていう喜びの方が強かった」

 千雨は顔を上げて、どこか遠くを見つめた。

「麻帆良の外は和やかだった。悪意が悪意としてあり、善意が善意としてある。ぼやけてた視界が一気にクリアになった気分だ。でもさ、でも――」

 目を瞑り、息を強く吸う。

「わたしのお父さんとお母さんを殺したのは、明確な悪意だ。麻帆良には無い強い悪意。わたしが麻帆良を出るのを止めてれば、とも何度か思った」

 千雨の独白を聞きながらも、超はチェスの駒を動かす手を止めない。やがて盤上の駒は少なくなっていった。

「それに後から知ったけど、訳有りの夕映と夕映のじいさんを守ってたのも、結果的には麻帆良だったみたいだな。それにアキラの事だってある。わたしさ、二ヶ月前にここに来るのすげー嫌だった。さっさと仕事済ましてドクターの所に戻るつもりだった。けどさ、けど、この二ヶ月、クラスメイトはひっきり無しに引っ張りまくるしさ、わたしに出し物の手伝いさせるし。ウザイってーの」

 そう言いながらも、千雨の口角は少し上がっている。

「わたしは麻帆良が嫌いだ。それでも、ほんの少し、ほんの少しだけ好きになれたかもしれない。いや、なってるんだと思う」

 千雨は超の顔を真っ直ぐに見て言った。

「――ククク。そこまで正直に言ってくれるとは思わなかったネ」
「なっ!」

 超の反応に、千雨の顔が紅潮する。

「て、テメェ――」
「だったら私も話さないとフェアじゃないネ」

 超はチェスの盤上から、一つ駒をはじき出し、それを手に取った。超の手の中にある駒は、まるで盤上を見下ろしている様だ。

「私はこの駒と一緒ネ。盤上を外から見守る傍観者。本来私の目的はこの一年後の歴史の改変にあるネ。でもこの《カシオペア》の力の関係もあって、こんなにも長くここへ滞在してしまった」

 超は自嘲気味に笑う。

「失敗だったヨ。外から見守ってたら冷徹になれたネ。でも、私はこの場所が気に入ってしまったネ。あの馬鹿馬鹿しい日々も、慌しい喧騒も。本当は、今動くのは時期じゃないヨ。それでも、私はこの麻帆良で出会った人達を気に入っているネ」

 超の顔に陰りが出た。

「それにあちゃくらサンの記憶を見たネ。あそこに映った巨大な鬼神、アンドロイド。あれらは私達が来年の計画のために試作したものヨ。まさか制御を完全に奪われるとは思わなかったネ」
「げッ、あれお前が作ったのかよ。最悪じゃねぇか」
「ご尤もネ。けど、本来は魔力不足で非殺傷の兵器になるはずだったヨ。それをあれ程の兵器に変えるなんて、どれほど魔力をそそいだのやら……」

 手に持っていた駒をコツンと盤に戻した。

「これは私の贖罪でもあるネ。だから、一人の麻帆良の人間として戦うヨ。そして、この事態を解決するのに千雨サンが必要だとも思ったネ」
「私が?」

 千雨は訝しそうに、目を細めた。

「あぁ、そうネ。千雨サンとウフコック氏に――」
「そ、そうだ! 超に話したい事があったんだ」

 千雨は話の腰を折りながらも、超にウフコックの事について話した。ウフコックの体に異常が起こっている事を、懇切丁寧に説明する。腰を折られた超も、千雨の剣幕に真摯に聞く事にした。

「――ふむ。問題は肉体の成長の限界の無い事と、肉体そのものの歪みカ。でもおそらくその欠点は意図的に残されたものだと思うヨ。不老不死、それは永遠に生きられるのでは無く、〝生に終わりが無い〟。きっと《楽園》の開発者もそれを見越して、ウフコック氏に終着点を作ったんじゃないカ?」
「うぐっ。だ、だとしてもわたしは先生にまだ死んで欲しくないんだ! どうにかならないか!」

 千雨は苦々しい顔で懇願する。

「無理では無い、と思うヨ。要は歪みを取り除き、生物としての限界を設定するって事ネ。この《カシオペア》を使えば、不可能じゃないヨ。肉体を若返らせ、相応の遺伝子治療を施す。おそらくウフコック氏ならば、遺伝子治療をしやすい様に施されてるんじゃないかネ」
「ほ、本当か!」
「――ただし、失うものはきっと多いネ。若返らせるというのは、人格や肉体も含めての事。今のウフコック氏とは完全に別の物になってしまう。果たしてそれがウフコック氏の望むものなのか――」

 そう言われると、千雨も言葉を詰まらせた。そしてその行動は、奇しくも吉良の行動と同じであった。

「しかし、ウフコック氏の体調が悪いとは、それは盲点だったヨ。私が見つけた突破口こそ、千雨サンとウフコック氏だったね」

 千雨はキョトンとした。

「わたしと、先生?」
「そうヨ」

 超は手元のチェスを再びいじり始める。次々と黒の駒が無くなり、やがて黒のキングは白の駒に囲まれる事となる。

「チェックメイト。おそらくこれがこの〝ゲーム〟の終着点ヨ。キングに逃げ場は無い。完全な詰みネ。けれど――」

 いつの間にか隣に新しいチェス盤がもう一つ現れた。黒のキングは、隣の盤へと飛んで逃げる。

「おい、反則じゃねーか」
「そう反則。これが吉良吉影の力ヨ。都合が悪くなると逃げる。自分が気に入らなければもう一度やり直す。空間に穴を開け、自由自在に世界を渡り歩く。ルールがルールとして成り立ってないゲーム。だからこそ千雨サンとウフコック氏ネ」

 そこには黒のキングが消えたチェス盤が一枚残された。

「これもまた最悪の形ネ。吉良が消えた世界は、死んだ者、無くなった物をそのままにして、構成されなおし、上書きされるみたいヨ。《カシオペア》を通して見れた断片的な情報だから確定ではないがネ。無くした積み木をそのままに、残った積み木だけで積みなおした歪なモノが出来上がるはずヨ。吉良に蹂躙され、吐き出された世界。吉良は都合よくリセットボタンを押し続けられるヨ。故に――」

 黒のキングのてっ辺を指で押した。

「『吉良を殺してはいけない』。いや、殺した時点で相手の思う壺ネ。吉良はおそらく自分の死をゲームの終着点とする――だが、殺した時点で世界はうやむやになり破綻するヨ。そのくせ、他の盤上にある吉良が動き出す。また幾つもの平行世界を食いつぶし、自分の何かしらの願望が満たされるまで動き回る」

 超は残された盤上を見た。

「残された世界は、ある意味幸せな世界かもしれないネ。吉良を、この事件の核心を誰も知らずに、安寧のままに過ごす世界。……でも、そこに本当に安寧があるのかも分からない事を除けば。世界樹により何を塗りつぶされるのかも分からないという、恐ろしい結果があるネ。だからこそ『吉良を殺してはいけない』。これが私の出した結論ヨ」
「おい、でも殺さないと、アイツのスタンドにわたし達が殺されるんじゃねーか」
「そう、そこが問題ネ。この災厄は吉良という存在の歪なルールの上に乗っているネ。吉良こそがルールであり、ルールこそが吉良になっているヨ」

 超は白のキングを盤の中央に叩きつけた。

「だが、千雨サン達ならばおそらくこのルールすら変えてしまえる。『スタンド・ウィルス事件』、そして学園都市の戦いを見る限り、私は予感してるヨ」

 《学園都市》を制圧した千雨、そして〝他次元〟へ肉体を分割しているウフコック。

「――ッ。だけど、わたしは先生を――」
「わかってるネ。でも聞いて欲しいヨ。強制など出来るわけが無い、けれど、この麻帆良は千雨サン達を待っているネ」
「わたし達を待っている?」

 千雨はこの都市から一度逃げ出したのだ。それでも、この都市は自分を待ってくれているのだろうか。
 それに吉良はかつて、どこかの世界で言ったのだ。

――麻帆良は君を必要としていない。

 お前は麻帆良という世界に馴染めない。例え馴染んでいると感じていても、それはまやかしにすぎない。お前は邪魔だ。お前がいるから災厄を起こすのだ。お前が、お前が――。
 吉良の残した呪詛が心を過ぎる。
 顔をしかめるが、その心にポツリと落ちるモノがあった。

「あぁ、そっか」

 たった二ヶ月。目を瞑れば、アキラと過ごした共同生活が思い出された。夕映と遊びに行った事を思い出す。クラスメイトに部活見学をさせられた事もあった。もちろん、目の前の超に頼まれ、屋台でバイトした事も。
 ウフコックを助けたい。それは千雨に取って譲れない思いだ。それでも、今――。

「捨てられるわけ、無いか。わたしって奴は欲張りなんだ」

 必要としているとか、されていないとかは関係ないのだ。
 ただ千雨は、千雨の世界を――。
 目の前のチェス盤を見つめた。

「なぁ、超。わたし達なら出来るのか?」
「確証は無い、けれど確信はしてるネ」
「そっか」

 スー、と息を吸って、吐いた。
 目に意思が宿る。
 それは輝き。きらきらと眩しいほどの星々が、千雨の瞳の中で煌めいた。

「超。確か言ったよな、わたし達だったらルールが変えられる、って。だけどルールを変える必要なんざ無い。キングを倒すだけだったら簡単だ。ルールにすら乗らなければいい」

 千雨は目の前のチェス盤を掴み、ひっくり返した。ばらばらと宙を舞う駒。その中の一つを千雨は掴み取る。そしてそれをひっくり返った盤へと叩きつけた。
 ミシリ、という音と共に駒の先端は割れていた。

「チェックメイト、だろ」

 握るは黒のキング。千雨は歯を剥き出しにして笑う。
 ルールに乗らない、そんな馬鹿げており、なおかつ単純な答えに、超は呆れと喜びを感じた。
 相手はルールは提示しているが、こちらも同じルールに乗らなくてもいい。チェス盤が置いてあるからといって、対面に座る必要など無いのだ。

「クククク……ははははははは。そうね、それだったらたぶん千雨サンの勝ちネ」

 底抜けの馬鹿げた答えに超は笑う。それは嘲りでは無い、確信だ。自分には無い考え、それを持つ千雨に、超は希望を垣間見た気がする。
 千雨もつられて笑い声を上げた。
 二人しか存在しない空間で、ただ笑い声だけが響いていた。



     ◆



 千雨は通常空間に戻った。今は女子寮の自室にいるだろう。

「まだ少し時間はあるネ」

 この空間は広いように見せかけているが、実際千雨一人を呼び込むのにも窮屈だったのだ。
 これ以上の人間に知らせようとしても難しく、たとえ知らせても意味が無いだろう。
 なにせ超が得た情報のほとんどは、通常時間に置いて『ビューティフル・ドリーマー』が発動するほんの数分前に得られたものだからだ。
 昨日、超はアサクラの送った断片を解析して、この場所の構築を決意する。その後はこの空間から、《カシオペア》を使って、ほんの少しの未来の情報を観測してきたのだ。
 だが、どれだけ時間をかけようと、得られる情報は曖昧だった。
 時系列が歪められた『ビューティフル・ドリーマー』の時間軸は、観測する度にその情報を変える。玉虫色に変化している未来。それを最初は理解できなかった。しかし、後に目まぐるしい未来の変化が、様々な平行世界の焼き増しだと気付いた。
 見る度に形を変える万華鏡の様だ。不可思議で不安定な未来の中にも、超は一定の法則を見出したのだ。

「おっと、来たネ」

 それでも、より近くなればその未来は安定していく。この空間は時間を止めている分けでは無く、ゆっくりとだが確実に時は流れている。
 『ビューティフル・ドリーマー』の時間軸に近づく程に、観測は正確になっていく。
 超の端末に映るのは、世界樹に制圧された電子精霊から漏れたデータの断片だ。完全な解析は出来ないものの、この中には重要となるキーワードが幾つも見つけられるのを、超はこの場所で知った。
 そのデータの断片を見続けていく内に、超の瞳が驚愕に彩られていく。

「な、何なのカ、コイツは――」

 モニターに流れる情報の中に、様々な単語を見つける事が出来た。

《国際警察機構の介入が開始される》
《パッショーネ・ファミリー、ジョルノ・ジョバーナの存在を麻帆良内で確認》
《範馬勇次郎が侵入》
《学園都市に動き有り》

 それは仮に本当ならば最悪な未来図であった。
 国際警察機構の介入も厄介だが、パッショーネ・ファミリーと範馬勇次郎も危険度としては変わりが無かった。
「ジョルノ・ジョバーナ、範馬勇次郎」

 超は先日、イタリアでジョルノ・ジョバーナという青年がギャング《パッショーネ・ファミリー》のボスになった事を知っている。彼女の持つ未来のデータの中にも、ジョルノ・ジョバーナの名前は残っていた。曰く『最悪のスタンド使い』として。その詳細は分からないものの、筆舌に尽くしがたい程のものらしい。
 超自身との接点は無かろうと思いながらも、警戒していた人物の一人だった。しかもギャングのボスになったという話を聞く限り、もうジョルノがスタンドに覚醒しているのは間違いなさそうだ。
 そして範馬勇次郎。
 彼の存在も異常であった。人間に生まれながら、人間としての限界を打ち破った存在。その遺伝子は超の時代にも研究対象とされ、強靭な魔力や筋力を持たせる肉体強化の礎になったと言われる、
 超の体に施されている魔力を底上げする呪紋回路も、元を辿ればこの研究に行き着くのだ。
 人間に生まれながら、その種族そのものの進化を底上げしてしまった異物――怪物だ。

「ハハ……何でこの名前が出てくるネ。偶然、いやそんなはずは無いヨ」

 『ビューティフル・ドリーマー』というスタンドが関わっている以上、そんな偶然があるはず無かった。
 ならば必然。意図的に作られたと見るべきだ。

「平行世界を作り、やり直しをしているだけじゃないのカ。平行世界からの様々な状況の収集? 違う、可能性を重ね合わせているのカ」

 歪さが浮きあがる。平行世界を透明なセロファンに書かれた絵とするならば、そこに重ねられるだけ絵を重ねる。様々な色が混じりながら、歪な輪郭が浮かび上がるだろう。それこそが超の観測した未来だった。
 万が一、国際警察機構が介入したかもしれない。万が一、パッショーネ・ファミリーがやって来たかもしれない。万が一、範馬勇次郎が侵入するかもしれない。万が一――。
 『万が一』の全てを一にしてしまう。
 そうやって並立出来る限りの全ての可能性を、『ビューティフル・ドリーマー』はこの時間軸に放り込んだのだ。
 だが、これこそが『ビューティフル・ドリーマー』のスタンド能力の本質だった。

「因果の集束。正直馬鹿げているし、厄介だが一体何が目的なのかネ」

 これほどの事態を引き起こせば、吉良の目的は困難になるのでは無いか。

「んん、デメリットに目がいってたガ――」

 ハイリスク・ハイリターン。おおよその事象に置いて当てはまる言葉だった。

「潰しあいが目的カ? これほどの災厄を招きながら一体何をするつもりネ」

 拳を強く握った。いつの間にか体が汗ばんでいた。

「それでも、やるしかないネ」

 超は決意を新たにする。
 今、超の持ち駒は少ない。彼女が一年後のために用意したアンドロイド兵や鬼神兵も、いつの間にか電子精霊に制御を奪われていた。電子精霊もその名の通り精霊の一種であり、魔力と強い因果関係を持っている。
 世界樹に操られた電子精霊は強固だ。人が操れる魔力よりも、遥かに巨大な魔力を持つ世界樹により動かされているからだ。本来は意思無きエネルギー体のはずが、今は吉良に制御されてるのか、本当に意志があるのか不明だが、世界樹は吉良に加担している。
 その事実は、電子精霊の制御の奪回がより困難な事を示していた。

「行なえるだけの対策を考えておくネ」

 千雨との約束もある。そして自らの尻拭いもあった。

「このままじゃいられないヨ」

 体感時間にして一時間。それが超がこの空間にいられる限界だった。
 おそらく『ビューティフル・ドリーマー』の時間軸に突入すれば、超もまた『ビューティフル・ドリーマー』の弄る駒の一つになってしまうだろう。
 超はモニターにジョルノや勇次郎の情報を表示させる。ついでに電子精霊の情報の断片から、危険と思われる単語や、目に止まった単語を片っ端から解析していった。
 故に、超は見逃してしまった。
 絶望の後には希望が残る。彼女は情報の断片に、微かに残っていた希望の単語に目を止める事は無かった。

《佐―――が――しま――》

 《殻》は破れ、《雛》に至る。
 これは少女が生まれる物語。



   第三章 side B 〈ビューティフル・ドリーマー《雛》編〉
   第47話「そして彼女は決意する」



 つづく。



[21114] 第48話「賽は投げられた」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/04/14 17:36
 吉良吉影は世界樹広場の中央でポツンと立っていた。
 現在時刻は三時のほんの少し前。
 たった今、平行世界からやってきた自分と同化し、その記憶を受け継いだ。
 平行世界を移動できる『バイツァ・ダスト』の能力は複雑だ。発動条件も多く、その使用は易々と行なえない。
 この能力を使うためには、まず自分が危機に陥ってなければいけない。それは身体的であったり、精神的であったり様々だ。
 そして、世界を一度超える度に、吉良は人ひとりとの『絆』を失う。人といっても、そこらに歩いている人物との『絆』では無い。名前を知り、何かしらの強い縁で関係してないといけない。そこに好悪は関係無いので、吉良は自らが殺した人間や、スタンドで縛り付けた人間との『絆』を使い、平行世界移動の糧にしている。吉良はそれら『絆』を『弾丸』と呼んでいた。
 『絆』を失うと、吉良はその人間に関する記憶を失う。思い出などは、その人物の顔だけ黒く塗りつぶされた様になり、幾ら考えても名前や顔を思い出すことは出来ない。
 一見するとすさまじい能力に思える『バイツァ・ダスト』だが、これらの条件が揃って初めて吉良は世界を超えられるのだ。
 その条件故、無限に移動し続ける事は叶わない。
 また移動した先で、違う世界の自分と出会うと、肉体が同化してしまう。同化すると片方の肉体の怪我や部位欠損を、もう片方の肉体で補う事が出来る。そして記憶も共有出来るのだ。
 これも一見メリットに見えるが、同化する事により『絆』――吉良が『弾丸』と呼ぶものの残弾数も継承される。
 吉良は平行世界から平行世界に渡り、自らの理想のために繰り返し麻帆良に攻撃を仕掛けている。
 その中で吉良は様々な事を学んだ。魔法使いとの戦い方、《学園都市》の行動、そして他の勢力の介入。
 吉良にとって、この繰り返される一時間は、自らにとっての最高の形で終わらなければならない。八十点や九十点に意味は無く、あくまで満点が要求される。
 それを考えれば『弾丸』の残弾数こそが彼の生命線であった。ましてやこの『弾丸』の中には、彼が要注意人物としている人間も含まれる。彼らに関する記憶を失えば、吉良は為す術も無く即死する、などという事もありえる。
 そして、この平行世界というのも厄介だった。彼は少し前にこの能力に目覚めたものの、使った回数は少ない。
 何しろ『平行世界』という定義が曖昧なのだ。どの様な世界に行くのかも不明であり、もしかしたら地球の存在しない世界へと飛ぶかもしれない。なので、吉良はこの能力を慎重に使わねばならなかった。
 だが、この麻帆良祭の間だけは違う。数々の時間軸との繋がりを持つ世界樹、その力が発揮されるこの三日間だけは、世界樹の補助により安全に能力が使えた。
 更に世界樹の平行世界を作り出しループさせる『ビューティフル・ドリーマー』と共に使用すれば、擬似的な時間逆行まで出来た。
 一つ前の世界の終わりから、吉良にとってのスタート地点であるこの三時少し前へと。吉良は数多く時間を繰り返しているのだ。

「果たして何回目やら……」

 吉良は考えるものの、その答えは出ない。吉良の中には数多くの経験はあるものの、それらは情報としての概念が強い。感覚的には一年前の日記を読み返している気分だった。
 吉良は数多くの自分と統合し、もはやその末端まで数え切れないのだ。それに、おそらくは自分が敗北し、死に至った時間肢もあるだろう。
 ならば、自分への絶対の協力者であり、平行世界を観測出来る世界樹に聞こうかとも思うが、それも難しい。
 均等に切り分けられたホールケーキのどれが一番目なのか、それは本当に一番目なのか。おそらくは答えが出ないだろう。平行世界とは空間的にも、時間軸的にも繋がりを密にしながら、整然と並んでいるものらしい。
 世界樹はそのうちの一時間だけを切り取り、無理矢理先端と末端を繋ぎ合わせている。無限の螺旋に似たその平行世界の数々に、終わりは無い。
 だが、始まりを求めるのならば、この世界樹のスタンド能力を発動、暴走させたあの時だろう。
 高畑・T・タカミチ、魔法使い、そして長谷川千雨を殺したあの世界。
 その後、何度も戦っている相手達だが、最初の戦いは印象に残っていた。長谷川千雨から取り上げた拳銃は、今でも吉良の懐にあった。

「長谷川千雨、か」

 彼女が自分のいる世界樹広場まで辿り着いた回数はほとんど無い。大抵こちらの戦力を軽くぶつければ終わるのだ。
 最初こそ危険視していたものの、現在はさほど注意していない。情報能力には長けているのだろうが、それ以外は特に注視すべき所も無かった。

「彼女の手は綺麗だった」

 だが、その手には魅力があった。艶と光沢のある皮膚。昨日、軽く触れた際に感じた瑞々しさ。
 吉良には奇妙な性癖があった。それは女性の手を好む、という所だ。この時、手以外の部位は吉良にとって不要であり、彼は幼少からその性癖に悩まされていた。
 だが、ふとした事で手に入れたスタンド能力、そして《矢》により彼の性癖は止められなくなる。
 スタンドで女性の手首だけを切断し、女性そのものは肉片すら残さず爆発させてしまう。
 彼はそれを様々な方法で行い、世界樹の助けで隠蔽し続けたのだ。魔法使いの存在を知っても、彼はその行いをやめられず、様々な場所で性癖を処理し続けた。
 吉良にとっては日常であり、当たり前の行いだった。同時に、これが世間的に異常なのも、聡い彼は理解している。
 吉良の知能は、この日常を続ける事が可能と判断している。それは彼のスタンド能力、そして世界樹の存在が後押ししていた。
 されど、問題もある。それは魔法使いの存在であった。
 麻帆良という土地に根付く、吉良の憎悪の対象。彼らは吉良の人生を狂わせ、その日常すら奪い取ろうとしている。吉良にとっては許せざる存在だ。
 彼は虎視眈々と計画を練っていた。世界樹の力が最大に活かせる年まで待ち、計画を行なうはずだったが、その狙いは早まる事となった。
 この春先に起きた『スタンド・ウィルス』事件、そして麻帆良襲撃事件。一連の事件の中で、吉良は麻帆良と周囲の組織や団体との、危うい均衡を知る。
 吉良にとって欲しいのは、この麻帆良で営む〝彼にとっての〟日常だ。
 その日常に魔法使いなどはいらない。ましてや《学園都市》も、他の危険因子も論外だ。
 吉良にとって今回のこの行動は、麻帆良という街のクリーニングに近い。魔法使いを排除する事はもちろん、外部の麻帆良にちょっかいを出す可能性のある存在を出来るだけ引き寄せ、潰し合わせて全員を消す。
 その上で、世界樹の力で地ならしをするのだ。元々世界樹には『告白を絶対実らせる』などという洗脳染みた力の余波があった。その力とスタンドの力を合わせれば、その存在ごと抹消出来る。
 自らが為された事と、これから自分が為そうとする事。その二つに共通点がありながら、吉良はその矛盾に躊躇しない。彼のエゴイズムの発露でもあった。
 もちろん地ならしの際には写真や書類、様々な場所に消えた存在の痕跡を残すだろうが、それは問題では無い。なにせその時にはもう本当に存在しないのだから。
 これだけの事をやりつつも、吉良は自分が作り出すだろう日常が、恒久的では無い事を理解している。終わらない日常など望むべくも無い。だから、彼にとっては数年、もしくは数十年の日常を得る闘争なのだ。

「そろそろか……」

 時間はもうすぐ三時を示そうとしていた。今の吉良にとっては初めての――数多の平行世界の吉良にとっては馴染みの――惨劇の幕を開けねばならない。

「ザ・ゲーム」

 背後に立つ吉良のスタンド『Queen』が何かを握りこんだ。小さな爆弾が、手の平に大量にあった。
 彼の能力『ザ・ゲーム』は、能力者にとってのリスクにより、その効果範囲は跳ね上がる。
 吉良が世界樹の協力の下、指定した空間は麻帆良市内、その中に存在する一定の常人離れした素養の持ち主、魔法使い、スタンド使いに向かい、小さな爆弾を放つのだ。
 この能力を使えば、多くの人間が自分の名前を知ることになる。世界樹広場の監視カメラを破壊しないのも、自らの顔をカメラに残すという『リスク』のためだ。
 だが、吉良とて逃亡手段を持っていないわけでは無い。彼はこの仕事を完遂したら、顔と名前を変えてもう一度麻帆良に住む算段をつけてある。
 準備は万端。
 広場から見下ろす形になる大通り、そのはるか遠くに『学園全体鬼ごっこ』に参加する民衆の群れが見えた。おそらく三時のスタートが待ちきれず、興奮しているのだろう。
 吉良が三時という時間を選んだのは、このイベントのためだった。
 あれだけの民衆が固まって存在しているのだ。魔法使い達の薄っぺらいモラルは、民衆の犠牲を是としない。
 単純な話、魔法使いが総出で吉良のいる場所にくれば、彼らの勝利で終わるだろう。
 まぁ、仮にそうなったとしても、吉良はある意味諦めがつく。その時はきっと他の平行世界の自分がどうにかするだろう、と。
 この戦いは吉良にとって勝利が確定しているのだ。吉良はリセットボタンを押すことが出来、同時に試合終了のホイッスルも持っている。ただ、良い出目を待ち続けるだけでも良いのだ。
 ただ一つ問題があるとすれば、リセットボタンの回数だけなのだ。
 彼の中にある『弾丸』は、果たしてピーク時の何割なのか分からないが、それでも多いという程では無い。
 一抹の不安も、焦燥もある。
 それでも――。

「三時か……」

 時計の鐘が午後三時を示す。
 吉良はそれと同時にスタンドのスイッチを押し、世界樹への合図も送った。
 世界樹が巨大な念話の糸を麻帆良市内に伸ばしていく。それらの標的は、世界樹の中でしっかりとリサーチされていた。念話の糸と同時に彼のスタンドの基点となる〝波〟も広がった。
 用意が整うと、吉良は幾度繰り返したか分からない言葉を吐く。
 疲れは見せない。あくまでふてぶてしく、道化染みて言わねばならない。

「さぁ『ゲーム』を始めよう」

 世界樹が光を放った。







 第48話「賽は投げられた」







「ここでいい」
「はっ?」

 ヘリコプターのパイロットをしている三等陸佐は、その言葉の意味を図りかねた。
 彼が運んでいる人間は、国家にとっても重要な人物であり、最大限の便宜を図って対応される。そんな超VIPな客が、不明瞭な事を言い始めた。

「で、ですが範馬様。まだ麻帆良には着いておりませんが――」

 パイロットの代わりに、副パイロット席に座っていた陸佐が疑問の声を上げる。

「ここでかまわん。このままだと祭りに間に合わん」

 そう答えたのは一人の大男だ。
 壮年の様に見えるが、筋骨隆々にして、肌は艶々と若々しく輝いている。
 柔道や剣道を思わせる道着を着ており、筋肉ははちきれんばかりに道着を圧迫していた。
 その男こそ範馬勇次郎。
 人間にあって『地上最強の生物』と畏怖される人物だ。
 普通の人間なら、肉体はとうにピークを越え、老化に蝕まれている年齢だろう。
 だが、彼は違う。壮年たる域に達してなお、勇次郎の肉体は成長を続けていた。『地上最強』の異名は、何も腕っ節だけでは無いのだ。『細胞の老化』すら彼には勝てなかった。
 そして彼の伝説は、今なお多数の国家や政府に足跡を残している。範馬勇次郎がアメリカに向かえば、大統領が賓客として勇次郎を招こうとするぐらいだ。
 今、勇次郎は麻帆良に向かっていた。
 虫の囁きとも言う。彼の直感に閃くものがあったのだ。彼の闘争本能に根付く、強い欲求を満たす存在が。

「匂いだ。芳醇な戦いの香りだ。荒れるぜ」

 勇次郎は事も無しに言う。付き添いの自衛隊員は首を傾げた。
 彼らの任務は『範馬勇次郎氏の護送』である。
 勇次郎が現職の総理に、麻帆良について問いただしたのだ。そこで判明したのは国際警察機構による作戦の一部である。勇次郎はそれに興味を示したが、総理はどうにか勇次郎に諌めるように説得したのだ。
 総理は勇次郎の死亡や怪我を危惧したのだ。勇次郎の影響は計り知れない。アメリカの大統領は彼のファンであるし、ただ日本に範馬勇次郎が存在しているだけで、それは外交のカードにすらなり得るのだ。
 だが、たかが一国の総理に勇次郎が止められるはずも無く、妥協点として自衛隊による護衛が付き添われる事となった。
 勇次郎のヘリの背後には、一個中隊を乗せたヘリが幾つか追随して来ている。彼らは『範馬勇次郎に何かがあった場合、速やかに彼を回収する事』と命令されていた。
 故に知らない。彼らは〝どちらが護られている〟かを。
 蟻が象の護衛をしようとしても、傍から見れば脅威は象だけなのだ。むしろ象が蟻を護っていると判断するだろう。
 総理の認識も浅はかであった。なぜ勇次郎が『地上最強の生物』と呼ばれているのか、その意味や大きさを知らず、総理という椅子へと座ってしまった。勇次郎の存在は国家機密に近かいため、代替わりの激しい日本の総理が、その言葉の意味を履き違えるのも無理は無いのだが。
 勇次郎の先程の発言の意味は理解出来ぬものの、ヘリのパイロットは彼が着陸を望んでいると意志を汲んだ。

「では、少しお待ち下さい。今着陸できる場所を――」
「その必要はねぇ」

 勇次郎がぬぅ、っと手を伸ばした。
 ヘリの背後の席にふんぞり返ってた勇次郎が、座ったまま金属製のドアに手を当てた。そしてそのまま――。

「ひぃッ!」

 その光景をしっかり見てしまった副パイロットが悲鳴を上げる。ロックの掛かっているはずの金属製のドアそのものを、勇次郎は片手でグシャリと握りつぶしたのだ。
 ギャギャギャ、と甲高い音がヘリ内に響く。それは一瞬ローター音すらかき消す音だった。
 まるで壁に掛かったポスターを手の平で掴んで握りつぶすかの如く、ヘリのドア一枚を無造作に掴んで、本体から引き離してしまった。
 そのまま勇次郎はドアを虚空に放り出すと、自らも身を乗り出してドアの先――空中――へと向かう。

「じゃあな、悪くない乗り心地だったぜ」
「待ってください! 範馬様――」

 副パイロットの制止も聞かず、勇次郎は空中へと体を投げ出した。現在ヘリは千メートル近い上空にいる。勇次郎はパラシュートすら着けてない、普通に考えれば地面にぶつかり即死だ。
 パイロットは副パイロットに状況を確認しろと、大声で命令した。
 副パイロットは旋回するヘリの中で、窓に張り付いて勇次郎の姿を探す。

「いた!」

 幸い空から飛び降りる勇次郎の姿はすぐに発見できた。しかし、あと十秒もすれば地面と激突してしまうだろう。副パイロットはその場面を想像し、背が凍った。
 しかし――。

「え?」

 勇次郎は地面と激突した。激突はしたものの、まるでピンピンしていた。ヘリの高度はまだ五百メートル程あり、本当に怪我が無いかまでは判断出来ない。
 それでも、地面に小さなクレーターが作られた場所から、範馬勇次郎は意気揚々と走り出したのだ。

「う、嘘だろ」

 取り出した双眼鏡のレンズ越しに見える光景は、彼の持つ常識を覆すものだった。
 勇次郎はそのまま走り出し、車道を飛ばす車を次々と追い抜いていく。ヘリも勇次郎を追いかけ始めたが、なんとか引き離されないで済むという程度だ。とても生身の人間と競争してるとは思えない。

「な、何なんだよ、コレ」

 自衛官としての口調も忘れ、肉眼に映った光景に、パイロットの陸佐も呟いた。
 勇次郎は走りながら笑みを強くする。近づけば近づく程、匂いはより濃くなっていった。
 彼の走る先には、麻帆良学園都市があった。



     ◆



 範馬勇次郎が麻帆良を目指していた時、その青年は悠々と麻帆良内を歩いていた。
 金髪を軽くカールさせながら、後頭部へと流している。黒を基調とした上下の服は、日本でなら学生服としても通用しそうなデザイン。白い肌と高い鼻を見る限り、日本人では無さそうだった。
 瞳の色は青、その双眸の奥底にはぐつぐつと煮えたぎった強い意志があった。
 彼の名前はジョルノ・ジョバァーナ。
 つい先日、十代という若さでイタリア内部のとあるギャングのトップになった青年だ。
 そしてそのギャングは千雨達とも関係があった。《学園都市》にて夕映達を襲ったスタンド使い、彼らが所属していたのもジョルノのギャングファミリーである『パッショーネ』だ。
 もっとも、その指示を出したのは先代のボスであり、現在のボスであるジョルノはその事実も知らなかったが。

「ここに《矢》があるんですね」
「ですね。間違いないようですボス」

 ジョルノの言葉に、背後に立つ青年が答えた。
 幾分日焼けした肌に、金色の髪が逆立っている。されど、彼の醸し出す雰囲気は理知的であった。
 それもそのはず。今のジョルノの右腕にして参謀役のパンナコッタ・フーゴだ。

「国際警察機構が動いてるらしいのは、うちの情報員が調べ上げました。《学園都市》も怪しい、というタレコミもあります。二ヶ月前の『スタンド・ウィルス』事件以降も、この場所に《矢》があると、多くの組織がアテを付けている様です」

 フーゴの補足に頷くジョルノ。そこでふと気付いたフーゴが顔をしかめた。ジョルノの傍にいるべき人物がいないのだ。

「おい、ミスタ! 何をやってやがる!」
「んん、何やってるかって? 決まってるだろ、ナンパだよナンパ」

 フーゴの罵声に答えるのは、奇妙な形の帽子を被った青年だ。
 ピッタリと張り付いたトップスに、皮のズボンを履いている。ビジュアル自体悪くは無いものの、彼の物腰が三枚目を演出してしまっている。
 その青年――グイード・ミスタはどうやら周囲に色めく女性達に我慢できず、口説こうとふらふらしていたらしい。だが、言葉の壁は厚く、日本語が喋れないミスタは総スカンを食らってしまう。

「貴様はボスの護衛だろう! ボスから離れてしまってどうする!」
「んな事言ったってよ~、俺は銃無けりゃスタンド使えないし~」

 彼らは東京から車を使い、駅がある東地区とは逆側、西地区から麻帆良へ入った。
 だが、いざ巨大な学園の敷地に入ろうとした所で、簡単な金属チェックやら手荷物検査に掴まってしまったのだ。
 その時、ミスタは所持していた拳銃と弾丸を〝一時的〟に手放している。

「その事なら大丈夫ですよ、ミスタ」

 ジョルノがニコリと笑い、手をかざす。そうすると上空から一匹の小鳥が降りてきた。

 手に小鳥が止まるやいなや、ジョルノは小鳥を覆うように、右手で握った。
 すると――。

「どうぞ、ミスタ」
「お、悪いな」

 小鳥が拳銃と弾丸へと変化した。いや、〝戻った〟のだ。
 ミスタは拳銃の重さを確かめながら、弾倉の中身もチェックする。周囲の人間も、お祭り騒ぎやら仮装などで、ミスタが拳銃を持っていても、オモチャかモデルガン程度にしか思わないようだ。
 弾丸を詰め終わると、ミスタは拳銃を腰に差す。そして、ジョルノの近くに侍り立った。
 並び立つ三人の若者は、一見すれば仲の良い三人の外国人に見える。学生同士で日本へ遊びに来た観光客、という所だろうか。
 しかし、彼ら三人はギャング『パッショーネ』のトップとその幹部であった。そして三人全員が『スタンド使い』でもある。
 先程の小鳥も、ジョルノのスタンド能力で、拳銃を一時的に生物へと変化させたものだった。

「では、《矢》があるか確認しておきましょう」

 ジョルノはそう言いながら、近くのベンチへと腰を下ろした。
 フーゴとミスタはジョルノを守るように立っている。

「『ゴールド・エクスペリエンス』」

 ジョルノの背後に、人型のスタンドが浮かび上がった。彼のスタンド『ゴールド・エクスペリエンス』だ。
 スタンドが右手をそっと差し開くと、手の平から何かが浮かびあがり始めた。
 それはスタンドの内部からせり出し、手の平にプカプカと浮かんだ。まるでコンパスの様に、何かは浮かびながらゆっくり回転している。
 それは《矢》だった。スタンド使いを産み出し、今この麻帆良をも混乱に巻き込んでいる《矢》。
 世界中に数個しかないと言われるソレの一つが、ジョルノの手の中にあった。

「さぁ、どうだ」

 ジョルノが呟くと《矢》がクルクルと回り始め、ある方向を指して止まる。
 指し示す先には、巨大な一本の木があった。



     ◆



 千雨はハッと意識を取り戻す。
 場所は自室、時刻は午後三時少し前を示している。

「夢、だったのか?」

 そんなはずは無い。ギュっと手を握ると、手の平に感触があった。開いてみると――。

「黒のキング……」

 チェスの駒。黒のキングが握られていた。

「夢じゃない。なら――」

 心に巡るのはアサクラのメモリー。あれこそがこちらのアドバンテージ。決して逃す事の出来ないチャンスたる起点。
 つい数分前まで、ただ祭りで遊んでいたのだ。本来なら、千雨の心は浮ついてるはずだった。
 しかし、アサクラの思い、記憶がそれを変えてくれる。あの凄惨な世界での出来事を再現させるわけにはいかない。

「これは――」

 世界樹を中心に〝波〟が広がった。千雨の知覚領域に、魔力的なネットワークを感じた。
 そして――。

『『ゲーム』を始めよう』

 かつて聞いた声。千雨の中にあるアサクラメモリーが、この男の顔を教えてくれる。
 千雨は口を結び、炎を内に潜める。これこそが始まり、これこそが打ち破るべき相手。
 吉良は知らない。
 たった一人の少女が、強い輝きを放ち、自分を見据えている事を。



     ◆



 湖畔は未だ静寂を保っている。

「時刻は?」

 国際警察機構の長官たる中条静夫は、隣にいた部下へと問いかける。

「はっ。あと二十秒で十五時になります」
「あと少しだな」

 中条は麻帆良の街並みを眺めながら呟いた。彼がいるのは図書館島のある湖のほとり、世界樹がある街の中心とは対岸にある場所だ。麻帆良結界のほんの少し外側から、麻帆良市内を遠く睥睨している。
 そして午後三時になった瞬間、世界樹が光った。それと共に、世界樹を中心に不可視の強烈な〝波〟が広がる。

「これは――」

 力の強烈な波動を感じながら、中条は口角を吊り上げた。

「間違いありません。おそらく時空間への力の振動です」
「やはり、か」

 世界には時折、時空間へ影響を与える得意な能力者が現れる。そのため国際警察機構では、それに即したデータの蓄積があった。世界樹の発した力を完全には解析出来ないものの、その感知はかなった。

「幻妖斉殿の未来視は間違いなかったですな」

 中条がそう言うなり、背後に老人が現れた。
 長く伸びたあごひげに、厳つい顔立ち。和服に長い杖を突くその姿は、珍しくも無い老爺に見える。しかし、その体躯を包むのは濃密たる魔力。魔法使いとしての能力は、極東一の魔法使いの近衛近右衛門とも並ぶと云われている。九大天王が一人、無明幻妖斉だ。

「ふん、どうだが。わしでも半信半疑じゃよ」

 幻妖斉はそう吐き捨てる。今回の件の一因となったのは、幻妖斉が見たという未来視であった。彼の持つ巨大な魔力は、不思議と本人に様々な危機を知らせる。されとて、本来未来視など出来ない幻妖斉であったが、今回の麻帆良の事件に関しては、なぜかその未来を垣間見たのだ。時刻や場所など、異常なくらい鮮明に、〝誰か〟に見せられてるかの如く――。
 違和感がある。まるで踊らされているかの様な。それは幻妖斉だけで無く、中条も感じているだろう。

「ですが――、お、これは」

 麻帆良を覆う結界に異常があった。魔法を専門としない中条でも感じられる異常。

「幻妖斉殿の仕事が減りましたな」

 麻帆良の結界の能力が著しく減退した。中条からすれば無いも同然である。
 本来なら幻妖斉に結界の通り道を作ってもらう予定だったので、これは僥倖だった。

「まぁ、どちらにしろ、もはや賽は投げられてしまった」

 中条はサングラスのブリッジを、ツイと指で上げる。それを合図に、中条の背後に次々と人が現れてくる。
 今まで何処に隠れていたんだ、というばかりの人数だ。麻帆良の湖の岸辺を埋め尽くさんばかりの人数。その多くの人間が、奇妙な格好をしていた。
 古代中国の武人を思わせる格好。手に銃などは無く、持つ得手は剣や槍に弓である。およそ近代兵器に劣る武具ばかりであるが、彼らが持てばそれは近代兵器をも超越する。なぜならば、中条の背後に並ぶ人々は《梁山泊》だからだ。国際警察機構極東支部の一員にして、英雄奸雄の群れ、それこそが《梁山泊》だ。
 《梁山泊》は中核となる百八人を中心に、千人近い軍勢を誇る。

「日本政府へ連絡を送れ。予定通り〝作戦〟を始めると」

 中条が部下へと指示を出す。
 この作戦は国際警察機構が政府首脳に圧力をかけて、認可を取ってあるものだ。その条件が『麻帆良が関東魔法協会の制御を離れたら』というものである。
 結界は効果を失った。
 視界には光る世界樹だけで無く、異常な振動の余波までが感じられる。魔力の異常活発もあった。噴火直前の火山、麻帆良をモニタリングしている研究員がそう例えた。
 小刻みな揺れが起こった。それは段々強くなる。
 そして気が付けば、また中条の周囲には人影が増えていた。幻妖斉を含め、総勢八人もの人間が中条を囲んでいる。

「久しぶりの九大天王の全員集合か」
「それほどの事態であるのか」

 九大天王であるディック牧と大あばれ天童が言う。
 九大天王――中条を始めとした国際警察機構のエキスパートの頂点たる九人である。本来彼らのうちの一人で街一つを壊滅出来る程の超人揃いだ。それが九人全員、更には《梁山泊》という軍隊までが、この場所には揃っている。

「場合によっては最悪の事態だ。だが好機でもある」

 中条は笑みを崩さない。

「現在、麻帆良はその制御を失っている。極東の一大霊地たる麻帆良、神木たる世界樹も暴走。住民達への被害は防げないだろう。その要因は様々だが、例の《矢》の件もある。そして《楽園》の技術――」

 チラリと図書館島を見た。

「麻帆良はその小さな器に、数々の物を抱え込みすぎた。その器の破壊は周囲の無辜(むこ)たる住民にも及ぶ。ならば我々がその器となってやろうではないか」

 中条は嫌らしく笑みを強めた。

「我らの目的は世界樹の奪取、及び《矢》の回収。ついでに《楽園》の技術も回収していこう。この状況に至っては国際図書法も有名無実化だ。《梁山泊》の人員を回せば、図書館島の制圧も軽かろう」

 先ほど連絡の指示を出された部下が中条に近づき、耳元で何かを伝えた。

「なに、《学園都市》に動き。ふん、我らに合わせてでしゃばるつもりか」

 苦々しそうに顔をゆがめる。

「時間は無さそうじゃな」
「そうですな。拙速が要求されるかと」

 幻妖斉の言葉に、中条が答える。
 中条はくるりと振り返った。目の前には英雄奸雄の群れが立っている。それらの一人一人が中条を見つめていた。

「皆の集! 今、麻帆良は危機にある。彼らには我らの正義が必要だ。我らの力を示す時が来たッ!」
「応ッ!!!!!」

 中条の鼓舞に、数百の声が破裂した。武侠達の目が熱く燃える、目の前の戦場に涎を垂らしているかの様だ。

「狙うは世界樹、そして図書館島だ! 往くぞ、皆の集!!」

 手を挙げ、一気に振り下ろす。中条のその仕草だけで、英雄奸雄は一斉に、そして一直線に戦場へ向けて走り出した。
 麻帆良の中心へは、湖がその道を妨げている。だが《梁山泊》の兵(もののふ)たる彼らには関係ない。水上を超人的な速度で走った。千人に近い人間が、一斉に水上を走っている光景は圧巻である。
 更には上空で、巨大な輸送機が周回を始めた。それは国際警察機構のある兵器が収められている。
 本来なら結界を無効化してから投入する予定だったが、早めてもいいかもしれない。
 戦力は万全。これで《学園都市》の横槍さえ入らなければ、作戦は完遂出来るだろう。

「――『麻帆良制圧作戦』の発動だ」

 ニヤリと微笑む中条に横槍が入る。

「して、わしらはどうするんじゃ」

 幻妖斉が過剰なまでの戦力の投下に、半ば呆れている。

「なーに、決まっています。私らは九大天王。悠々と、そして大胆に突き進みましょう」

 その言葉に、周囲に同意する雰囲気が漂った、彼らは視線を交わし、軽く首肯する。

「では、行こうか」

 中条が地面を足裏で軽く叩くと、その地面が爆ぜた。次いで、中条の周囲の地面も次々と爆発していく。その回数は九。土煙が晴れたその時には、もはや九大天王の姿は水上の遥か遠くにあった。



     ◆



 手の中の拳銃の残弾を確認する。
 伊達メガネにブレザー、チェックのスカート。
 栗色の髪は首の後ろで素っ気無く纏める。それはいつもの千雨の制服姿に他ならない。
 千雨は早足で女子寮の中を歩く。
 吉良の巨大な念話が始まった時から、千雨は部屋を出て玄関へ向かっていた。
 その間も吉良は高らかに何かを言い放っている。
 それを耳朶にもかけず、千雨は臨戦態勢を整えていた。

「アキラ、夕映」
(ち、千雨ちゃん、コレって……)
(千雨さんも聞こえてるデスか。この男の声が)

 千雨は自らのラインを使い、二人に呼びかける。未だ、吉良の言葉は終わっていない。

「あぁ、聞こえている。二人とも、受け取ってくれ」
(え?)

 どちらの疑問の声だったろうか。千雨は有無を言わさず、二人にアサクラメモリーを送りつける。
 本来であったら画像程度しか送れないはずのラインを、千雨は自らの力の成長と共に広げていた。
 己の中にある、違う世界の自分の記憶、アサクラの思い、それらをラインを通して二人の脳内へと注ぎ込む。

(――ッ)
(うぅ)

 二人から喘ぐ声が聞こえた。ほんの数秒で無理矢理見せられる、超高速のムービー。情報だけが先を行き、それらに伴う感情や感慨にまで至らない。
 それでも、千雨は問いかけずにはいられなかった。残された時間は少ない。

「どうだ、二人とも」
(千雨ちゃん。この映像って本物なの?)
「あぁ、間違い無い」

 千雨はアサクラメモリーを送ると同時に、その入手の経緯も添付してある。突如脳内に現れた情報の冊子に驚いていたが、アキラは千雨を信じていた。

「夕映は?」
(――はい、驚いてます。今のこの放送、そして彼の、吉良吉影のおおよその目的まで。荒唐無稽な話です。ですが――)

 夕映は一拍置いた。

(このふざけた思考回路は、あちゃくらに間違いありません。ならば、この情報は確かデス。あのアホウも、たまには良い仕事をするデス)
「そうか」

 千雨は夕映の言葉に少し嬉しくなる。と同時に、夕映の口調に怒りが含んでいた事も感じた。
 三人が会話する間も、吉良の演説は続く。

(千雨ちゃん、私はどうすればいい?)

 アキラの問いかけ。そこに千雨の行動への疑問は無い。それは夕映も同じだった。
 二人は知ってた。
 嵐の中でこそ、千雨という少女は立ち上がるのだ。
 そこに小奇麗な姿は無い。例え泥にまみれ様と、千雨は起き上がる事だけは知っているのだ。
 千雨といた二ヶ月で、彼女たちはそれを良く理解していた。

「二人に頼みがある。先生を――先生を世界樹広場まで連れて来てくれ」

 千雨の思いが駆け巡る。死に体のウフコックを、更に死地まで運ぶという葛藤。

(千雨さん。でもそれは――)

 夕映の逡巡、それを、アキラが遮った。

(分かったよ、千雨ちゃん。私、図書館島の前にいるんだ。すぐにウフコックさんを連れてくるね)
(ア、アキラさん)

 夕映は自らの肉体の治療のために、図書館島の地下へは良く行くのだ。故に、なんとなくウフコックの事は察していた。
 しかし、それはアキラも同じだった。彼女は先程まで図書館島の地下で、ドクターから千雨の悩み、強いてはウフコックについても、それとなりに聞いている。

(夕映、ウフコックさんの事なら私も千雨ちゃんも知っているよ。でもね、ウフコックさんの事なんだよ、千雨ちゃんが悩まないはずは無い。それでも、千雨ちゃんは私達に頼んでるんだ。だから、私達が信じてあげなきゃ)
(――ッ!)

 二人の会話を、千雨はただ無言で聞いていた。
 女子寮の玄関が近づく。自動ドアを出て、女子寮の門を通る。
 遠くに世界樹が見えた。千雨は、あの場所へ向かわねばならない。

『さぁ、始めよう。『ザ・ゲーム』だ』

 吉良の強い宣言の声が聞こえた。その瞬間、体に痺れが走る。

「ぐっ」

 胸元への圧迫感。見れば、そこにはかつての記憶通りに、小さな爆弾型のスタンドがあった。

(これが……)
(爆弾デスか)

 アキラと夕映もスタンドを確認したらしい。

「こいつも含めて、全部に決着をつける。けれども、わたしだけじゃ駄目なんだ。先生が、先生がいないと、わたしは――」

 ウフコックの事を考えると、先程まであった強い意志が揺らぎそうになる。
 そんな千雨を理解したのか、夕映が言葉をかけた。

(今、私は2-Aの教室デス。近くはありませんが、私も図書館島に向かいます。絶対にウフコックさんを、世界樹広場まで届けます。だから、千雨さんも必ず来てください)
(まかせて、千雨ちゃん。私達が、絶対に届けるから)
「――――ッ!」

 千雨は二人に肩を強く叩かれた気がした。
 いつかの千雨は、吉良への戦いに向かいながらも、ウフコックがいないというだけで孤独に襲われていた。
 だが、今は違う。
 千雨は共に戦ってくれる仲間を、強く感じた。
 その時、音がした。

「え?」

 吉良の宣言の直後、麻帆良の上空に花火の音が響いた。昼花火だろうか。
 破裂音のわりに、空には大きな火花は見えなく、小さな煙が空中に少しだけあった。

「なんだ、アレ」

 小さな呟き。空から何かが降って来ている。小さな粒。どうやらあの昼花火の様な物と共に打ち上げられた〝なにか〟らしい。
 その小さな粒は、麻帆良市内に大量にばら撒かれた。
 そして、唐突に麻帆良の上空に巨大な人影が現れる。
 ホログラム。立体映像たるその存在を、千雨はクラスの出し物で散々知っていた。
 また、その映像に映る人影も。

『ニーハオ、麻帆良の皆様。私の名前は超鈴音。今から皆様に早急に伝えねばならない事があるネ』
「超……」

 千雨は空を見上げた。と、同時に携帯電話が震える。二つ折りの携帯電話を取り出すと、ディスプレイを開いてないのに、本体から光が発せられた。
 立体投射。ホログラムと同じ現象がこの小さな携帯から発せられ、千雨の目の前の空中に小さなウィンドウを作る。そこには上空と同じく、超が映っていた。

「これって……」

 確か、超は千雨の携帯を掴み『おまじない』とか言っていた。千雨が携帯電話を精査すると、本体部分に喫茶店で使ったライトの様なものが埋め込まれていた。

「ライト……そうか、超お前」

 先程の花火、バラまかれた小さな何か、そしてこの超の登場。
 千雨は口角を吊り上げた。
 幾度も繰り返された惨劇がまた始まろうとしていた。
 状況は最悪だ。千雨は知らなかったが、かつて無い程の危機が大挙してこの麻帆良にやって来ようとしていた。
 しかし、その災厄に抗うかの如く、永劫の果てにいま逆襲の旗が掲げられようとしていた。



●吉良吉影
スタンド名『Queen(クイーン)』

第一の能力『キラークイーン』
触れたものを爆弾に変える。
対象は一つのみ。

第二の能力『ザ・ゲーム』
条件付爆弾。
能力者本体がリスクを背負い、相手にルールを強制する爆弾。
ルールに従わねば爆弾が発動する。
またそれらの条件は、あくまで能力者本人の価値観により対等であり、決してフェアでは無い

第三の能力『バイツァ・ダスト』
平行世界を渡る力。
世界の壁を破壊する爆弾。
ただし、発動には条件がある。

・一度世界を越えるのに、人ひとりとの絆を代償にしなくてはならない。
(その人の関係は好悪に限らない。絆を失うと、吉良はその人に関する思い出や記憶を失う)

・吉良自身が窮地に陥っている時のみ使用可能。常時発動は出来ない。

また、平行世界へ渡った時、その時間軸の同位体が存在する時、その同位体と同化する。
同化する事により、肉体の傷や欠損が平行世界の自分により補われる。
(平行世界の自分も同じ肉体部位を失ってたら、補うことは出来ない)
また、同化する事により、お互いの記憶や知識も得ることが出来る。
(リスクとして、持っている絆の数も継承される)

どの様な平行世界へ行くか不明で、地球の存在しない世界へ行く可能性もある。
そのため、吉良はこの能力の制御を、世界樹へまかせている。
故に世界樹の力が活発化する麻帆良祭初日でしか使っていない。



●世界樹《神木・蟠桃》
スタンド名『ビューティフル・ドリーマー』

発動後、因果律を歪めて幾つもの平行世界を収集する。
幾つもの平行世界の可能性を集め、いらない世界は廃棄していく。
(廃棄された世界では世界樹が消え、存在しないものをしないままとして、世界は再構築される。それは世界樹の魔力の余波の影響)

そして、出来る限り多くの可能性を一つの平行世界に集める。
現在、世界樹は、おおよそ学園祭のPM3:00からPM4:00を繰り返し続けている。
(ただし、全ての世界が同じ時間とは限らない。可能性の数だけ、時間の歪みもあるため、数秒ないし数分の誤差はある)
また、莫大なエネルギーが必要なため、《矢》の存在が必要不可欠。
一巡目の世界で、吉良が《矢》により傷つけた事が、能力発動のスターターとなっている。



 つづく。



●千雨の世界 48話時点でのサブ資料
http:/
/nao-sko.sakura.ne.jp/novel/c-sub048.html





(2011/10/29 あとがき削除)



[21114] 第49話「strike back!」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/19 12:43
「さぁ、行くネ」

 超はそう呟き立ち上がった。
 《カシオペア》で作った空間を脱し、出てきたのは大学棟にある超の研究室。
 時刻は三時ほんの少し前。まもなく吉良の演説が始まるだろう。
 三時に吉良の演説、三時三分に鬼神兵が現れたはずだ。現在は二時五十八分。猶予は五分しかない。
 現状で吉良を直接襲撃するという方法もある。しかし、それではダメなのだ。
 『吉良を殺しては意味が無い』。それが超の導き出した答えだ。
 吉良を殺した時点で、この時系列は終わりを迎える。それでは意味が無い。

「盤上をひっくり返す……」

 この世界のルールこそ、破壊せねばならなかった。そのために全力を尽くさなくてはならない。
 超は即座に葉加瀬に連絡を入れた。

「ハカセ、確か今は屋台にいるはずネ」
『あ、超さん。今までどうしてたんですか、超さんがいないから――』
「すまないが葉加瀬、緊急事態ネ。五分後に、麻帆良を襲う大事件が起きるヨ。屋台を飛ばして、この私の研究室へ横付けして欲しいネ。大至急」

 『五分後』という超の言葉に、葉加瀬は疑問を持たない。なぜなら葉加瀬聡美も超の事情を知る数少ない人物なのだから。

『ご、五分? 良くは分かりませんが、とりあえずこの屋台を飛ばせばいいんですね』
「そうネ。詳しい事情はデータとしてすぐに渡すネ」

 超はそう言いながらも、研究室から様々な物を持ち出していく。幸い、クラスの出し物のおかげで立体投射のライトは沢山あった。
 それらを用意しながら、研究室の端末を次々と立ち上げる。

「くッ。やっぱりメインサーバーは電子精霊にやられてるネ」

 地下の研究室は、完全に制圧されていた。ならば、頼みは外部。

「台湾、南米、欧州に用意してあるサーバーで、この麻帆良のネットワークにどうにかラインを作らないとダメネ」

 その時、研究室の窓から、巨大なジェット音が聞こえた。

「来たカ!」

 窓から見えたのは空を飛ぶ路面電車。
 屋台『超包子』は、路面電車を改造してあり、自力での飛行までを可能にしていた。

「超さーん!」
「ハカセ、ナイスネ」

 超は立体投射ライトの入った箱やら、バズーカ砲の様なものやらを屋台に次々と積み込んでいく。
 その際に、ライトの一つを葉加瀬に投げた。

「ふぇっ、これって私達が開発していた」
「ホログラムウィンドウ。そのシステムを使うネ」

 葉加瀬の目の前、空中にパソコンのシステムウィンドウが開いた。投射された立体ディスプレイを指でなぞれば、それに合わせてウィンドウの内容もスクロールされた。
 それは超達が『超電脳メイド喫茶』で使っているライトの応用だ。それをネットワークのインターフェイス代わりの端末として代用する。

「ハカセ、私が伝えたい事は、そこに大体書かれてるヨ。三十秒程で読んで欲しいネ」
「さ、三十秒でですか?」

 葉加瀬はそう言いながらも、すごい速度でホログラムウィンドウをスクロールしていく。葉加瀬もまた非凡であり、速読ぐらいは出来た。
 葉加瀬が固まってる間、超は次々と荷物を運び入れていく。
 見れば、屋台の運転手は四葉五月がしてくれている様だ。

「五月もつき合わせてすまないネ」

 五月は軽く首を横に振った後、ニコリと笑った。超も合わせて笑みを作る。
 超はバズーカ砲の様なものの砲弾らしきケースに、ライトをザラザラと入れていく。元々このライトをばら撒くというのは、来年考えていたケースの一つであった。
 幾つかの砲弾を作るものの、これだけでは圧倒的に数が足りない。
 来年のために仕込んでいた大型の投影機。更には今、祭りという事で設置されている大型街頭ビジョン。様々な物を使わなければ、この街そのもののネットワークを作り上げる事は出来ない。
 しかし――。

「超さん!」

 背後にいた葉加瀬が声を上げる。

「どうかネ、ハカセ」
「はい。疑問は多々ありますが、あなたが今まで何をやってたかも、これから何をするつもりかも、大よそは理解してるつもりです」
「上々ネ」

 超はそう言いながら、取り出したキーボードを弄り出す。
 葉加瀬も端末を立ち上げ、超の作業に参加した。

「私も手伝います」
「ハカセ、悪いネ」
「ここまで来たら一蓮托生です。正直信じたくはありませんが――」

 葉加瀬のモニターには、メインサーバーのアクセスが拒否されたログが表示される。

「データは嘘をつきません。あれが事実なら、たった数分とはいえ、呆けてばかりはいられません!」
「そうカ」

 超は笑う。
 その時、超の耳に吉良吉影の声が聞こえ始めた。
 世界樹がほのかな光を発し始めてる。

「はじまったネ」

 耳を押さえて呟く超に、葉加瀬が問いかけた。

「超さん。これって吉良吉影という人物の……」

 どうやら葉加瀬にも、吉良の声は聞こえている様だ。

「そうネ。奴の宣言が終わると、この街の中の異能者は一斉にスタンドを仕掛けられるヨ。ついでに三十分という期限付き。吉良を殺してもお終い、吉良を殺さなくてもお終い、本当に最悪なゲームネ」

 超は笑みを作る。

「だからこそ、奴は油断するネ。圧倒的な優位、それこそが付け入るスキになるヨ」

 超はそう言いながら五月に指示を出す。
 これから出来るだけ人が密集している場所へと、先程のライトをばら撒かなくてはいけない。
 超には超の戦いがある。彼女は決意を改めた。







 第49話「strike back!」







 麻帆良内の人が固まった場所の幾つかに、超の行動により投射ライトはばら撒かれた。
 多くの人間が『学園全体鬼ごっこ』の花火か空砲と勘違いする。
 ばら撒かれた地域は、麻帆良全体からすれば微々たるものだ。それでも多くの人に目に渡る形で、ライトは撒かれた。
 そして、麻帆良の上空に、巨大なホログラムが現れる。
 一人の少女――超鈴音だ。
 彼女は神妙な面持ちで話し出す。

『ニーハオ、麻帆良の皆様。私の名前は超鈴音。今から皆様に早急に伝えねばならない事があるネ』

 超の事を見た多くの人物が、ホログラムの出来に驚き、イベントか何かと勘違いした。

『これは演劇でもイベントでも無いネ。紛れも無い事実だと思って欲しいヨ。麻帆良はこれから大きな事件に巻き込まれるネ』

 各所にばら撒かれた投射ライトでも、小さなウィンドウが空中に描かれ、上空と同じ超の姿を映し出していた。
 それだけでは無い。外部サーバーを使い、電子精霊との電脳戦を行ないつつ、麻帆良内の幾つかのネットワークを手中に収めた超達は、大胆な電波ジャックを行なっていた。
 『学園全体鬼ごっこ』の実況用の巨大街頭ビジョン、案内版の液晶ディスプレイ、様々な場所へと中継を映している。
 今、麻帆良にいるほとんどの人が、超の姿を見ていた。

『私が開発した『T-ANK-アルファ2』と呼ばれるアンドロイド兵千体強と、『鬼神兵』と呼ばれる兵器の開発段階のプロトタイプ六体が、麻帆良の世界樹《蟠桃》と電子精霊に制御を奪われたネ』

 超は映像の中に更にウィンドウを開き、二つの兵器の映像を出した。

『これらは本来、開発段階であり、それほどの能力を持っていなかったヨ。だが、世界樹の魔力を注ぎ込まれ、兵器としての力を底上げされているネ』

 映像が切り替わり、麻帆良全体のマップが表示される。

『これらの兵器は地下にある工廠から、約二分十秒後に地表にあらわれるはずネ。その際、大きな揺れが起こるはずヨ。この赤丸の地点にいる人間は、出来るだけ早く退避して欲しいネ』

 地図に丸が書き込まれる。その地点は六個。正確なデータでは無く、あくまで超の予想だった。

『これらは私の落ち度ネ。本当にすまないと思ってるヨ』

 超が再び映像に表れ、深々と頭を下げた。

『でも、私は、この麻帆良を助けたいネ。だから、お願いだから力を貸して欲しいネ。魔法使い、スタンド使い、超能力者、誰でもいい、この言葉の意味が分かる人は、麻帆良のために力を貸して欲しいヨ。これからの事件では、誰か一人の力では解決出来ない、多くの人の力が必要ネ。そして、これらの言葉が分からない人間は、先程散布したホログラムウィンドウの表示に合わせて避難して欲しいヨ』

 超は出来るだけ語気を強くした。この超の訴えこそが、これからの成否を決めるのだ。

『なお、これらの事柄に関する、分かる限りの情報を、今表示させているウィンドウに情報共有システムとして公開するネ。電子精霊の対策もあるので自由とは行かないが、多くの人が情報を手早く書き込めるように工夫したつもりヨ。多くの有志が立ち上がってくれる事を望むネ』

 超の姿が消え、代わりにシステムの立ち上げ画面が出てくる。
 丸いサークルの中に肉まんがクルクルと回るアイコンが表示され、次には情報共有システムの画面に切り替わる。
 そこには鬼神兵の登場までの残り時間が表示されていた。その表示は百秒を切っていた。



     ◆



「……そうか」

 千雨は走りながら、空中に浮かぶウィンドウを電子干渉(スナーク)で弄っていた。
 超の考えは単純だ。かつて、どこかの時系列では一方的に情報を制御され、たくさんの戦力を持っているはずの麻帆良が、その戦力を有効に使えなかったのだ。
 銘々に戦う軍隊ほど打ち破るのは容易だ。
 だからこそ、超は一つの賭けに出た。
 情報の開示。
 何もかもを隠さずに明かし、その上で多くの人間の戦力の統一を図ろうというのだ。
 もちろん賭けである以上、リスクも存在した。多くの人がパニックに陥る可能性もあれば、人が超の存在に不審を抱く可能性もある。
 それでも超は行いに賭けたのだ。
 超のシステムもうまく作られていた。
 この情報システムには、マップ上に麻帆良の人口分布が表示され、主要な人間のマーキングがされていた。
 更には一部の人間の能力の推察なども書かれている。
 例えば吉良吉影の項目を見れば、そのスタンド能力の推定が書かれていた。だが『スタンド能力』が何か、は書かれていない。あくまで分かる人間にだけ分かればいいと、情報をうまく選別されてある。
 システムのトップページでは、現状に置ける重要な項目を、出来るだけ簡素に書かれている。
 多くの人が、ただ見ただけで何をすべきなのか理解するために、その点に注意してシステムは作られていた。
 だが、それだけではダメなのだ。残り時間は八十秒を切っている。
 今も多くの人間に動いてもらい、その被害を小さくしなくてはならない。
 ならばこそ――。

「貸しを返す――いや、こっちも助けて貰ったし、イーブンかな」

 超はかつて《学園都市》に潜入した千雨を助けてくれた。超への貸しは、屋台のバイトぐらいでは返済しきれてない。

「わたしも、貸してやるぜ。しっかり返せよ、〝戦友〟!」

 電子精霊に制圧された麻帆良で、千雨の力は十全に発揮されなかった。巨大な演算装置があって、千雨の電子干渉(スナーク)は真の力を発揮するのだ。
 だが、携帯電話を通して超のシステムに干渉する事ぐらい出来る。
 携帯電話に内臓されていたセキュリティキーで、千雨はあっという間にシステム内部までダイブできた。
 おそらく超も千雨が干渉してくるのを予想していたのだろう。
 千雨が分割思考をシステム内部に常駐させた。そこで千雨は送られてくる情報の選別を、有機的に行なう助けをしようとした。
 これほどのシステムを開放したら、イタズラや誤情報などが大量に出てくるのが常だ。それらを出来るだけ減らすためには、人間の判断が一番だった。
 千雨にとっては、ただそれだけの行いだった。
 システムのトップページの右上にある肉まんのアイコン、その下にもう一つアイコンが輝いた。そのアイコンの意味を、当の本人たる千雨は知らない。



     ◆



 広瀬康一は困惑していた。
 あの吉良の言葉を聞き、憤慨したと思ったら、見知らぬ少女が上空に現れ、鬼神兵やらアンドロイドやらと良く分からない事を喋っていた。
 康一の手の中に、先程ばら撒かれた投射ライトが一つあった。
 空中に浮かぶホログラムウィンドウ、それを指で触れれば、タッチパネルの様に弄る事が出来た。どうやらこの二センチ程度の小さなライトは、端末としての役割もあるらしい。

「どう思いますか、承太郎さん」
「鵜呑みには出来んな。だが、先程の吉良吉影の件もある、あながちブラフとも思えん」

 康一は隣に立つ承太郎に聞いた。
 二人は仗助達の出場する格闘大会の応援で、湖に面した会場へとやって来ていた。
 承太郎もそのシステムを見ていた。
 端っこに表示されているカウントは八十秒を切っている。
 システムを弄くりだすと、何故か吉良の能力まで開示されていた。

「吉良吉影のスタンド能力まで……『平行世界を越える能力』。何故そこまで分かるんだ」

 承太郎は訝しむ。ここまで相手の詳細が分かっていながら、なぜ未然に防ごうとしなかったのか。
 そして、『平行世界を渡る』などという能力をどうして知れたのか。超鈴音という謎の少女への、疑問が尽きる事無く沸いてくる。

「『吉良吉影を殺してははなら無い。殺した瞬間にこの時間軸は破棄される』……て書いてありますが、どういう事なんでしょう」

 康一は苛立ちを含ませながら言う。彼にしてみれば、このシステムは吉良を守ろうとしているかの様に思えた。
 康一にしても、承太郎にしても、目の前に分厚い辞書を出されたら、その理解をするには時間がかかるだろう。このシステムはそういう面でのサポートが万全では無いのだ。だが――。

「え? 何ですか、コレ」

 急に右上の肉まんのアイコンの下に、『金色のネズミ』が現れた。
 そのネズミはトコトコとウィンドウを横断し、康一と承太郎の目の前に、二人が知るべき情報だけを表示させる。

「世界樹……あの樹がスタンド能力を持っている? それに吉良の能力が重なって……」

 かなり簡略化された内容が提示され、康一はものの数秒で読み終わった。
 隣にいた承太郎は、そのウィンドウを見て破顔した。

「……なるほどな。康一君、どうやらこの情報システムは信頼出来るらしい」
「え?」

 承太郎はウィンドウを軽く手の甲で示した。その先にあるのは金色のネズミ。

「俺の〝戦友〟も戦ってる様だ。吉良の元へ向かおう。ついでに、出来るだけ多くの観客の避難を促すんだ」



     ◆



 関東魔法協会の地下司令部では、超の登場により更に混乱の度合いを強めていた。
 それはそうだ。
 いきなり大量のデータベースを提示され、なおかつあと数十秒というカウント表示までされている。
 更には吉良による謎のスタンド攻撃。
 多くの関係者が混乱をするのは必然だった。
 学園長の近右衛門も、司令部でモニターを見ながら唸っていた。
 近右衛門の卓上のディスプレイにも、超の提示したデータシステムが表示されていた。
 そこを見れば、超の推論による吉良の能力情報までがある。

「超鈴音君のぉ……」

 2-Aには様々な能力や問題を抱えている生徒を集めている。その中でも超鈴音は群を抜いていた。中学生にして、大学棟に研究室を持ち、『天才』と呼ばれている少女。
 この少女には魔法を知っている疑惑までがあった。
 だが、今となってはそれは正しいのだろう。
 このデータシステムには魔法に関する様々な情報まで明記されていた。
 それこそ、吉良が結界規模の魔法障壁に守られている事まで。

「だが、しかし……」

 信頼に足らない。カウントは七十秒を切ろうとしていた。近右衛門のこめかみに、汗が一筋流れる。
 その時に、モニターに不可解な表示がされた。

「ふぉっ!」

 モニターの右上に現れたのは金色のネズミのアイコン。
 それが、麻帆良の結界の出力低下に関する情報や、地下の魔力の活性化のデータをヒョイヒョイと表示させた。
 司令部の各所で、モニターを見ていた人間が声を上げた。
 そして彼らはこのネズミを知っている。
 かつてあった『スタンド・ウィルス』事件で活躍し、この麻帆良を、ボロボロになりながら救った少女。彼女が麻帆良内の演算装置を制圧した時にも、このマークは出ていた。
 麻帆良に所属する魔法使い達は、少なからず彼女を敬意を持っていた。そして今、彼女はどうやら超と共に戦っているらしい。
 超に対する信頼は無いが、彼女なら信頼出来た。
 ならばする事は決まっている。

「皆の者! このシステムを全面的に活用するのじゃ! 鬼神兵の出現場所と思われる場所の避難に、近場の魔法使いを向かわせるのじゃ! あと市内全部で出来る限り放送せい! これは事実じゃと!」

 近右衛門は声を張り上げた。多くの魔法使い達も、『金色のネズミ』の意味を理解し、コクリと頷く。
 おそらく、鬼神兵の出現を止める事は出来ないだろう。ならば被害は最小限に抑えねばならない。
 それに――。

「このシステムの情報が本当ならば……」

 湖の向こう、麻帆良の北側には国際警察機構がいるらしい。更には南東からは範馬勇次郎が向かっており、麻帆良内部にはスタンド使いが侵入しているとの事。
 そのどれもが初耳であり、近右衛門は混乱しないと努める。

「まるで、戦争じゃな」

 いや、これは確かに戦争なのだ。
 麻帆良を守る防衛戦。負けられぬ戦いがそこにあった。
 近右衛門はシステムを弄ると、鬼神兵やアンドロイドに関するスペックが表示される。
 スペック的には大した事は無いが、世界樹の強大な魔力を注ぎ込まれ、実物はもっと強化されているらしい。
 超はそれに対処するために、それぞれの兵器の欠点や弱点を表記していた。
 鬼神兵は脇腹の装甲が薄く、そこを突き破れば左胸に搭載された、核たる動力が剥き出しになるらしい。
 アンドロイドは、首の後ろのパイプが口から放たれる魔力砲の魔力経路になっており、そこを破壊されると魔力の漏洩が起きるとか。
 これらの欠点は、超からすればあと一年を通して強化される予定の物だった。

「麻帆良結界の制御かのぉ……」

 今も奪い返そうとしているが、麻帆良結界の制御が電子精霊に奪われていた。
 しかも、相手は結界の出力を無くしたまま、結界を維持している。この結界はエヴァの封印、呪いと連結していた。電源をオフにせず、ボリュームをゼロにしたオーディオの様な状態だ。
 この結界の運用はエヴァを封じ、更には――。

「不死の吸血鬼をも殺しにくるか。確かにこれならば殺せるやもしれんな」

 エヴァンジェリンは、封印された状態では幼子と同じであり、吸血鬼の特性たる不死の力は発動しない。
 この状況でスタンドが爆発すれば、おそらくエヴァを殺せる。
 しかし、エヴァはこちらの切り札でもあった。莫大な魔力、それを操る技術。どれもが人間の齢では達する事が困難な次元にある。
 こちらに切り札を切らせない形で、切り札を殺す。ある意味理想的な戦略だ。
 近右衛門は思考を巡らせていると、カウントは三十秒を切っていた。

「もうすぐか……」

 避難は徐々に進んできている。
 多くの観光客が、半信半疑といった様子でゾロゾロと混乱無く歩いていた。
 超のデータシステムが街頭の所々で表示され、避難経路を明確に指示している。元々集団行動を好む日本人は、その指示に粛々と従った。
 パニックが加速し、他人を押しつぶしたりするのが避けられているのは僥倖だ。
 それでも、全員の避難は間に合わないだろう。一体どれ程まで被害を防げるか。
 近右衛門の目の前のモニターには、麻帆良全体の魔力の活性化が見えた。



     ◆



「皆さん、静粛に! 静粛に!」

 手を叩きながら雪広あやかは、クラス内にしっかり届く様に声を張り上げた。
 クラスの担任教師がいない今、責任者はあやかである。
 幸い、このクラスには投射ライトがたくさんあった。
 クラスメイトの各々が、そのライトを弄くり、映し出されているホログラムウィンドウを見ていた。
 男性客の面々も、皆が訝しげに超の放送を聞いていた。

「ねぇ、超のこの放送って何? ドッキリ?」
「いやー、超の事だから本当かも。でも魔法使いって何よ」
「うーん。なんか嫌な予感がするかも~」
「スタンド使いって……康一さん、関係してるの?」

 クラスの中では小さな呟きが治まらない。

「静粛に! 静粛に!」

 あやかは再び叫んだ。
 シン、と静まり返った室内で、あやかは周囲を見た。

「みなさん、どうやらこれから何かが起こる……らしいのです。事実はどうあれ、もしもの事を考えると、とりあえず速やかな避難を皆さんにしてもらおうと、私は思うのですが」
「いいんちょ! でもでも、外見てみなよ」

 暗幕を捲り上げて、外の窓下を見る風香が叫んだ。今はイベント中のため、廊下と窓に暗幕が張られていた。
 そこには、ゾロゾロとゆっくりとした動きで避難をする観光客や生徒が見える。おかげで昇降口や校門は人で埋まり、身動きが出来ない状況だ。
 元々この女子中等部での来客数が多かったため、この様な事態に陥っていた。

「これじゃ避難している間に、そのなんかでっかいロボット? とか出てきちゃうんじゃない」

 ふむ、とあやかが顎に手を当てた。そこで近くにいた那波千鶴に顔を向けた。

「千鶴さん。どう思われますか?」

 おっとりとした大人の女性、という雰囲気の那波千鶴は、頬に手を当てながら答える。

「そうねぇ。とりあえず皆教室で、その時間とやらが来るのを待った方がいいんじゃないかしら。校舎は元々避難所に使われたりするぐらい丈夫に作られてるはずだし」

 ホログラムウィンドウに映った地図を見れば、鬼神兵とやらの出現ポイントは世界樹広場を中心にし、円状に六つ。幸いこの校舎はその円の外側にあり、多少離れていた。

「そうですわね。皆さん、本当にこの情報が信じられるか分かりませんが、とりあえず机の下に隠れてください。その後、特に問題が無ければ一端校舎外に避難し、先生方の指示を仰ぎましょう」

 あやかがそう言うと、多少不満を持ちながらも了承の答えが帰ってくる。来客達もとりあえず指示に従うようだ。
 そんな中――。

「これは起こりますデス、間違いなく」

 夕映が確信に満ちた声を発した。

「綾瀬さん、ですが……」

 無駄に不安を煽る夕映に、あやかは苦言を呈しようとする。

「いえ、事実デス。これから起こります」

 夕映はそう言った後、刹那や真名がいる場所へ向かう。二人はどうやら今後について、内密に相談していたようだ。

「桜咲さん、龍宮さん、私はこれから行かなくちゃ行けない所があります。お願いします、クラスの皆を守ってくれませんか」

 夕映がペコリとお辞儀をする。
 その神妙な面持ちに、半信半疑だった人達の顔に不安が過ぎった。

「綾瀬さん……」
「綾瀬、やはりコイツは本当なのか」

 刹那が返答につまる。真名は、ホログラムウィンドウを差しながら言った。指先には金色のネズミのアイコン。

「はい、あの人も戦ってます。これから起こるのは、大きな戦いです。だから、皆の事をお願いしたいのデス」

 夕映の言葉に、真名は少し考えながらコクンと頷いた。

「いいだろう、クラスメイトぐらい守ってやるさ。な、刹那」
「うん、あぁ、そうだな……」

 刹那は自分を見つめる木乃香を気にしながら頷いた。

「ありがとうございます」

 そう言う夕映の背後で、不安そうな顔をしているのどかがいた。のどかの後ろにはハルナもいる。

「ゆえゆえ……どこかへ行くの?」
「はい。行かなくちゃいけません。のどか、それにハルナ、しっかりとお二方の言う事を聞いて避難してください」

 のどかにそう言い聞かすと、夕映は目線を楓に送った。楓も、真名や刹那と同じようにコクンと頷く。
 ホログラムウィンドウのカウントが二十秒を切っていた。

「皆さん、早く机の下に隠れてください」

 夕映はそう言いながら、暗幕を閉めた。窓ガラスが割れ、破片が散らばるのを防ぐためだ。
 夕映の行動にポカンとしていた人達も、とりあえずといった感じで机の下に入る。
 カウントは十秒を切り、一瞬の静寂があった。誰かがツバを飲む音が聞こえた。
 手に汗が浮かんだのは、一人や二人じゃない。
 呼吸音、その合間に小さい地鳴りが混じり始めた。
 ものの数秒で地鳴りは巨大な轟音へと変わる。

「う、嘘!」
「マ、マジで!」
「え? え? え?」

 半信半疑だった生徒から、驚きの声があがる。
 机のパイプ脚を必死で掴み、やってくる揺れに備えた。
 教室が揺れた。
 縦揺れ、遊園地のフリーフォールの様な落下感が間断無くやって来る。
 ガラスの割れる音、悲鳴。多くの人が不吉な想像を頭に浮かべた。

「いやぁぁぁぁぁぁ!!」

 多くの悲鳴が重なり、誰が叫んで、誰が叫んでないのか判断出来ない。
 激しい揺れは、何もかもをも破壊しようとしてるかの如く、その動きをなかなか止めない。
 十秒だろうか、二十秒だろうか、揺れが収まった時、多くの人間が呆然としていた。
 教室内は荒れ果て、せっかくの装飾も無駄になる。
 蛍光灯が落ち、教室内の明りはホログラムウィンドウのみになった。誰かが光欲しさに暗幕を捲る。すると――。

「え……」

 呆然とした呟き。
 予期されていたはずのものだ。なにせ超は地震が起こる事、そしてそれにより何が起こるかを明確に言っていたのだから。
 それでも、目の前に光景に呆けた声が出た。
 多くのクラスメイトや来客が、暗幕を取り除き、窓の外を見つめた。

「嘘、でしょ」
「映画みたい」
「超の言ってた事、やっぱり本当だったんだ……」

 そこでは巨大な鬼神兵が世界樹を取り囲む形で現れ、咆哮を上げていた。
 鬼神兵の脚元の地面が大きく割れている。恐らく先ほどの揺れの原因はあれなのだろう。
 六体の鬼神兵、それぞれが身の丈三十メートルを越えていた。まさに異形の化け物といった巨大な兵器の周りに、ぞくぞくと小さなアンドロイドが現れる。
 小さいと言っても、それは鬼神兵に対してであり、アンドロイドの身長は二メートルを越えていた。
 愕然とするクラスメイト、その中には雪広あやかもいた。

「委員長さん!」

 夕映の声が叱咤する。

「委員長さん! あなたがしっかりしなくてどうするんですか!」

 あやかはハッとし、周囲を見回す。

「み、皆さん! 怪我をした人はいませんか! いないのなら速やかに避難しましょう。ただ、慌てず、迅速にです」

 混乱を押し殺し、あやかは毅然とした態度を取る。その姿に、クラス内の混乱が幾分か和らいだ。
 その中で夕映は一人、窓へと向かった。颯爽と歩く夕映のメイド服のスカートの裾が、軽く翻った。
 そのまま飛び上がり、窓枠に立つと、夕映は背後、クラス内の真名を見つめる。夕映の行動に、クラス一同が何をするのかと見守っていた。

「ゆ、ゆえゆえ?」
「こ、こら、ゆえ! 危ないでしょ、さっさと降りなさい!」

 のどかとハルナが心配そうな声を上げた。
 それに対し、夕映は少し嬉しそうな表情をする。

「私は大丈夫デスよ。真名さん、援護をお願いできますか」

 見れば、真名はどこからか持ち出したのか、ライフル銃を握っていた。

「心得た」

 どうやら魔眼を持つ真名にも見えている様だった。
 夕映は背後をもう見る事無く、正面――窓の外を見つめる。
 この教室へと向かってくるアンドロイドの一体を視界に納めた。
 その瞬間、夕映は飛んだ。
 窓枠が人工筋肉の膂力に負け、グシャグシャにひしゃげる。メイド服を翻しながら、夕映はまさに弾丸となって空を翔る。

「あちゃくら!」
「はいですぅ!」

 夕映の呼びかけにアサクラは即座に反応する。アサクラの体が光を帯びると、ナイフへと姿を変えた。実体化モジュールの応用。強度こそ高くは無いが、すぐさま使える利点があった。
 夕映はナイフを持ち、空中でのアンドロイドとの交差に身を備える。
 その時、銃声と共にアンドロイドの顔が陥没する。真名の援護射撃だ。
 アンドロイドは不意の狙撃に、一瞬体を硬直させる。

「貰ったデス!」

 夕映はその隙を見逃さない。
 アンドロイドの繰り出した拳をすり抜けながら、後頭部から伸びる二本のパイプをナイフで切断した。
 吹き出る魔力。魔力を見る人工眼球を持つ夕映には、視界が魔力色に染まった。それでも、アサクラの援護で相手の場所くらいは分かる。

「落ちろぉぉぉ!」

 とどめとばかりに、アンドロイドの背中に体重を乗せた踵落としを食らわす。
 アンドロイドはまっ逆さまに地面へ向けて落ち、学園の塀にぶつかって落ちた。
 幸い人のいない所だった。アンドロイドはその自重もあり、塀を粉々に破壊し、地面に大穴を開けていた。
 それを横目で確認しつつ、夕映は蹴った反動を使い、近くの建物の屋根へと着地する。
 夕映は本当だったら千雨から連絡が来た後、教室を飛び出したかった。だが、アサクラメモリーにより、このアンドロイドが来ることを知っていた。
 そのため、夕映は待っていたのだ。このアンドロイドが来るまで。
 かつてはかなりの苦戦をしたものの、今の夕映はアンドロイドの弱点を知っていた。
 そして、体にはかつてない程の闘志が満ちていた。憎たらしげなアサクラが根性を見せたのに、マスターである自分が負けるわけにはいかない。小さな競争心が夕映を強くしていた。
 ともあれ、これで2-Aの皆の安全はより高まったはずだ。
 夕映は決意を改めて走り出した。
 向かうは図書館島。アキラと合流し、ウフコックを千雨にまで届けなくてはならない。
 そして、教室にいた2-Aの面々は、夕映の行動に驚きを隠せなかった。

「うっそ~……」
「ちょ、ちょっとゆえっちってあんな凄かったっけ」

 佐々木まき絵と朝倉和美が、呆然としていた。
 のどかとハルナも驚きはしつつも、どこか夕映の行動に納得していた。

「あー、なんか最近隠してるとは思ってたけど、あそこまでとはねぇ~。でも、ま、行っちゃったか。千雨ちゃん大好きっ子だもんね、夕映は」
「……うん」

 ハルナは呆気らかんと、のどかはどこか寂しそうに、夕映の後ろ姿を見送った。



     ◆



 世界樹広場。その中央の世界樹の幹に背中を預けながら、吉良吉影は麻帆良の街並みを見ていた。
 顔には思案が見れる。眉を潜め、現状の推移に驚きを持っていた。
 超鈴音の登場。それに次いで展開された、麻帆良全体の情報ネットワーク。

「何が起きている……」

 少なくとも、吉良の記憶にはこれらの様なケースは無かった。
 もちろん、今回の時系列は、様々な因子が盛り込まれている。それでも、この様な事態は初めてだった。

「超鈴音。思えば彼女が今まで事態に参加しなかった事の方がおかしいか」

 名前は知っていた。麻帆良の地下で様々な暗躍を重ねる、麻帆良に置いて『天才』と呼ばれる少女。
 吉良の計画とて、超の何かしらの計画があったからこそ、それに便乗する形で早める事が出来たのだ。
 彼女の作った鬼神兵やらアンドロイドが無ければ、おそらく今年の決起は頓挫していただろう。
 それを考えれば、彼女が自分に対し、何かしらのアクションが無かったほうが不自然。吉良は得心する。

「まぁ、いい。これもまた新たなケースだ。見届けよう」

 吉良にとって全ては盤上の出来事。ルールは手中にあり、例え不足の事態が起ころうと、再起は容易に敵うのだ。
 今までの戦いの記憶が、彼を後押ししている。
 世界樹に小さな紫電が走り、電子精霊の情報を吉良に見せた。
 北からは国際警察機構が、東からは範馬勇次郎という男が、西からは自分と同じ《矢》を持つスタンド使いが向かってきている。
 そろそろ《学園都市》にも動きがあるだろう。
 これらの要素が一つ二つ重なる事は、吉良の記憶にもあったが、これほど重なったケースは初めてだった。
 だが、吉良は知っている。これこそが『ビューティフル・ドリーマー』の真骨頂。
 停滞していた時系列を吹き飛ばす、因果の爆弾である。

「これからが見物だな」

 麻帆良に向かってきた多くの勢力が敵対をしている。積極的な敵対はせずとも、そこに協調性などはないだろう。麻帆良も然りだ。必然、これらは潰しあい、擦りへし合う。
 多くの戦力が潰れてくれれば、それだけ吉良の望む形になった。
 吉良にとって、これらは作業なのだ。早く終わるに限る。
 終わりの兆しが見えた途端、吉良の口に愉悦の笑みが浮かんだ。
 視線の先には、悲鳴と怒号が乱れる街並み。
 麻帆良結界の出力が低下したお陰で、上空には何やら飛行機の様なものも見える。

「さて、どうなる事やら」

 呟きは誰に聞こえる事もなく消える。その言葉の端には、確かな余裕があった。



 つづく。



[21114] 第50話「四人」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/29 23:38
 アキラは人の波を避けながら突き進む。
 図書館島から一斉に観光客が飛び出して来た。
 湖の中央に浮かぶ図書館島と陸地を結ぶ橋は、逃げ惑う人でごった返している。
 橋に一定間隔で置かれた街灯。その先端を足場にし、『フォクシー・レディ』は人々の頭上を走り抜ける。
 背後には麻帆良の街並みを破壊する巨人の姿が見える。先程アサクラメモリーを貰ったとはいえ、実際目にしてもその大きさに現実とは思えなかった。

(でも……)

 これは現実なのだ。
 アキラにすれば、さっきまで図書館島の地下で、ドクターに色々話を聞いていたのだ。図書館島から教室への帰り道に、この災厄は起きてしまった。
 ついさっきも通った図書館島への道が、まるで一変している。人々の笑顔は消え、恐怖と混乱に染まっていた。
 観光客の多くが図書館島から避難している。向かうのは麻帆良の陸地。方向からいえば災厄の中心へ向かう事になるが、図書館島では逃げ道がないために避難するのだろう。
 図書館島の道のアチコチにも、超の施したホログラムウィンドウが浮かび、避難経路を大きな矢印で示していた。
 アキラはそれに逆らう様に進む。図書館島の正面玄関を迂回し、建物の裏手へ回った。
 そこで緩い下り坂になった石造りのアーチを通り、建物の半地下の扉へと進み、スタンドを降りた。
 目の前の扉は、普通に開けたら只の壁しか見えないが、アキラの持つカードをかざせば、なぜかエレベーターが現れる。
 扉を開き、アキラは地下直行のエレベーターに飛び乗った。
 エレベーターはあっという間に地下深くへ到着するものの、焦ったアキラにはその時間すら長く感じられた。
 ドクターに連絡は入れてある。準備は出来ているはずだ。
 扉が開いた途端、アキラは飛び出した。廊下を走り、目当てのドクターの研究室の扉を開けた。

「イースターさん!」
「やぁ、アキラ君。お早いお帰りだね」

 ドクターは大量に立ち並ぶモニターを前にして、キーボードを打っている。
 アキラが室内に入ったというのに、顔を向けもせずに、モニターに視線を固定していた。
 室内は先程以上に散乱していた、おそらくあの揺れの影響なのだろう。

「えっと、ウフコックさんを……」
「ウフコックなら隣の部屋で準備を完了しているはずさ。そちらは頼んだよ」

 ドクターのぞんざいな物言いに訝しくしつつ、アキラは隣の部屋に入った。
 そこには、いつものサスペンダー姿のネズミが、液体の満たされたカプセルの前で座っている。金色の毛には幾らかの湿り気も見て取れた。
 赤い目はどこか視点の定まらぬ方向を見ている。
 ウフコックはピクピクと鼻をひくつかせた後、おもむろにアキラの方向を向いた。

「アキラ、いるのか?」
「は、はい、います! ウフコックさん、もしかして目が……」
「すまないな見苦しい時に。さぁ、行こうか。千雨が待っている」

 ウフコックはどうにか起き上がるも、その動きは鈍い。
 かつての軽快な姿はそこに無く、金色の毛に隠されたウフコックの衰えを確かに感じさせた。
 アキラはそっと膝をつき、ウフコックを両手ですくう様に持ち上げた。
 ウフコックの体は小さい。手の平に収まる小さな生。小さくとも本来強靭なはずのそれが、今では砂糖菓子の様に脆くなっていた。触れただけでポロポロと崩れ落ち、やがて消えてしまうかの様に。

「あの……私……」

 ウフコックの姿を見ると、先程夕映に吐いた自分の言葉が揺らぎそうになる。
 アキラは自分の中に湧き出る罪悪感を言葉にしようとするが――。

「私は、感謝しているんだ。私の生き方に意味を持たせてくれた事に」

 ウフコックがその言葉を遮った。

「漫然とした生では無い。意味ある、価値ある生を与えてくれた。一介のネズミには分不相応な宝物だ。千雨にも、ドクターにも、夕映にも、そしてアキラにも感謝している。今しか……いや、今だからこそ言っておこう。ありがとう、と」

 ウフコックはアキラのいるだろう方向に顔向け、見上げていた。しかし、ウフコックの向いてる方向は、アキラの顔と少しズレている。
 それが無性にアキラには悲しかった。目尻に溜まる涙をごまかしながら、アキラは立ち上がる。

「私も、私もウフコックさんのお陰で救われました。だから、だからこそ――」

 あの『スタンド・ウィルス』事件の時、千雨とアキラを覆ってくれた《殻》。あれはウフコックが創り出した殻だ。
 ぼんやりとした明るさ、ほのかな温かみ。あの殻はアキラの中でウフコックのイメージそのものだ。
 自分達を守り、慈しんでくれた存在に、アキラは精一杯の恩返しを約束する。

「私が、ウフコックさんを千雨ちゃんの所まで、絶対に連れて行きます!」







 第50話「四人」







 ドクターはモニターに映る超のシステムに感心していた。
 その割り切った構築の仕方や、電子精霊に対抗するための措置。それでもこのシステムとて十分程度の時間しか持つまい。今も激しい電子精霊の戦火に晒されているのだ。
 システム停止後、道しるべを無くし、戦場に放り出された一般人の行く末など分かりきっている。
 それに、このシステムがあるからこそ、麻帆良の戦力は一貫した対応を取れていた。それは何も魔法使いだけでは無い。《楽園》の一角たるドクターすらも参加させてしまうのだ。
 麻帆良に内在する様々な垣根を、この状況で取っ払ってしまったのだ。
 だが、この垣根を取り払ったのは超じゃない事に、ドクターはもちろん気付いていた。

「君か」

 システムのトップページの片隅にある、見覚えのあるネズミのアイコンマーク。こんな趣味の悪いアイコンを使う人間を、ドクターは一人しか知らない。

「くくく、まさか君がね……」

 思い出すのは八ヶ月程前。去年の暮れだったろうか。自分の研究所に運ばれてきた被験者こそ、彼女だった。
 銃創と体表の五十パーセント近い火傷。ショック症状を起こさず、かろうじて生きているのが奇跡なくらいだった。
 両親を殺され、炎上する車の中での唯一見つかった生存者だったらしい。普通の医療機関ならお手上げだったろうが、彼女は運良く《学園都市》の近くにいたため、速やかに内部に搬入されドクターの元まで連れて来られた。
 あの日出会った少女が、まさかこれほどのトラブルメーカーだとは思わなかった。
 全てを失った少女は、心を《殻》で覆いながら自分の『世界』を創り出した。そして、知らずその『世界』へ人を引き寄せてしまう。何もかもを《殻》で守ろうとするかの如く。

「僕はその二番目の被害者って所かな」

 一番目の被害者は隣の部屋にいる。今に彼女の元へ走っていくのだろう。
 ならば、ドクターのやる事は決まっていた。

「僕は、何をすべきかはわかるけど、どうしたら良いかはわからない」

 大人としては最悪の態度だろう。ドクターは自ら道を選ばない。不意の事態も決断を彼女に任せ、彼自身はその背中を押す事だけに専念する事にした。
 彼女の通った道をゆっくり追いかけながら、時に立ち止まる彼女の背中をそっと押してあげる。ただ、それだけ。
 そして、今こそがその時だった。

「僕の出来る事なんかたかが知れている。ならば、やってあげようじゃないか」

 ドクターの出来る事、それはこのシステムを維持させる事だった。
 現実と同じく、ネットワーク上でも激しい砲火が飛び交い、戦場の体を為している。
 その状況で、このネットワークの要となる情報システムは死守せねばならない。
 幸い、この研究所にも大型のサーバーがある。戦力としてはそこそこだろう。
 その時、隣の部屋が開き、ウフコックを抱えたアキラが出てきた。

「やぁ、ウフコック。ご機嫌な服装でお出かけかい?」

 ドクターはその門出にも、顔を動かさない。ただモニターを見つめ、目まぐるしくキーボードを叩き続ける。

「あぁ、少し出てくる。それにしてもドクター、久しぶりに嗅ぐ君の臭いはタバコ臭いな。禁煙は破ったのか」

 ウフコックの辛辣な言葉に、ドクターは固まる。
 一人と一匹は、お互いの顔を見ない。顔は見ずとも会話くらいは出来た。
 一人と一匹の会話に、アキラは口は挟まなかった。

「――ウフコック、君は面白いネズミだった。僕の知る限り、ピカイチのネズミさ。また君と酒を飲み交わしたいものだね」
「安酒は臭いが嫌いだ。値の張る物を用意しておいてくれ、ドクター。また会おう」
「あぁ、また」

 それで一人と一匹の話は終わった。ウフコックはアキラがいるだろう方向へ首を向け、コクンと頷く。アキラもそれに「はい」と答えた。
 その時、先程とは違う揺れ。何かの破壊音が聞こえた。
 テーブルの上の灰皿が、カタカタと揺れた。

「え……」

 アキラは頭上を見上げた。音の場所、それは――。

「この、建物?」

 頭上から響く破壊音。それは軍靴の響きに似ていた。



     ◆



 ジョルノ達は突然のスタンド攻撃に驚いていた。
 脳内に響いた男の声。
 ジョルノとフーゴだけは日本語を分かったものの、ミスタには何を言っているのか分からなかった。
 更には激しい揺れが麻帆良を襲い、とんでもない大きさの巨人まで現れていた。

「失敗しましたね」

 ジョルノは自分の胸元――体内に巣食う小さなスタンドを見つめながら言った。

「僕がスタンドの力を使っていれば、この攻撃は避けられたのに」

 そう言いながら、ジョルノは《矢》を強く握り締める。すると、自らのスタンドの内部へと《矢》が埋まっていく。

「だが、これで《矢》の在り処は分かった。キラ・ヨシカゲ……」

 雑踏の中、ジョルノの姿だけが力強さが溢れている。漆黒の光、強い信念に裏打ちされる強者の証だ。

「このジョルノ・ジョバァーナには夢がある。そのためには一つでも多く《矢》が必要だ」

 ジョルノの言葉に、フーゴは頷き、ミスタは口角を吊り上げる。

「ボス、私達をも標的にしたクズがいます。あのでっかい樹の下にいるとほざいてますが……」
「オーケー、ボス。目的地はあの樹だろう。俺が送ろう。あんたは堂々と踏ん反りかえってればいい」

 フーゴの言葉を、ミスタが遮った。
 駐車している車を一台見つけ、ミスタはそれに近づく。運転席側のドアのカギ穴に向けて、拳銃の銃口を向ける。

「しっかりブッ壊せよ! 『セックス・ピストルズ』ッ!」

 『キャオオー!』と歓声を上げる声が聞こえた。よく見れば弾倉に小人の様な人影が幾つか見える。それこそがミスタのスタンド『セックス・ピストルズ』だった。
 彼の能力はその小さな複数のスタンドによる、弾丸の軌道操作だ。
 鍵穴に向け放たれた弾丸は、鍵穴だけでなくドア内部にあるものを出来る限り破壊する。
 ミスタが追い討ちとばかりに蹴りを入れれば、運転席側のドアはボロンと取れた。

「よし、乗ってくれ」

 ミスタは内側から後部座席のロックを開け、ジョルノを呼び寄せる。フーゴも助手席に乗り込んだ。
 全員乗り終わると、ミスタはある事に気が付く。

「やべ、キーが無い。エンジンどうしよう」

 フーゴはその言葉を聞いて頭を抱えた。

「あなたは……どうしてそう考え無しなんです」

 観光客は逃げ惑いながら、徐々に車の周りにも人の流れが出来てしまう。
 その時、周囲に悲鳴が上がる。人の流れが離れていく。車の周囲になぜか影が差した。

「はて、なんでしょう」
「おいおい、周りのヤツら逃げていくぜ」

 訝しそうにしながら、フーゴとミスタは車から頭を出した。そして自分達の頭上に迫るモノに気付く。

「う、うおぉぉぉ! 何時の間に!」

 ミスタの悲鳴にも似た叫び。彼の視線の先には巨大な足の裏があった。
 麻帆良に現れた数体の鬼神兵。その一つが今、ジョルノ達の車を踏み潰そうとしている。
 焦る二人に対し、ジョルノは冷静。車の外に落ちていた運転席のドアの破片を拾い、ミスタに投げ渡した。

「ミスタ、受け取れ」
「受け取れって……うわ、ミミズ!?」

 ミスタに投げ渡されたのは、ジョルノのスタンド能力によりミミズに変化させられた金属片だ。ミスタは唐突に渡されたミミズに驚き、キャッチし損ねたが、ミミズはそのまま空中を舞い、チュルンとエンジンの鍵穴へと入り込む。
 そこでジョルノがスタンドを解除したところ、鍵穴には歪ながらも鍵が差し込まれていた。

「おぉ、ナイスだぜボス!」

 ミスタは急いでエンジンを始動させ、アクセルを一気に押し込んだ。
 急加速により土煙を上げながらも、車はなんとか鬼神兵に踏み潰されるのを防げた。

「ヒャッホー! ざまぁみろデクの坊!」
「ふぅ、なんとかギリギリでしたね」

 先程の自分の体たらくを棚に上げながら、ミスタは背後に離れていく鬼神兵に軽口を叩く。フーゴも安堵の息を漏らした。
 車は人を掻き分けながら世界樹へ向かう。
 遠くには、先程自分達を踏み潰そうとした鬼神兵が見えた。
 多くの人々はそれを見て恐怖に駆られ、混乱したまま麻帆良の外へと走ろうとしているらしい。
 ミスタは人の少ない道を選んでいるが、それでも逃げてくる人は多い。

「こ、これじゃあ先へ進めませんよ」

 人の多さにフーゴが思わず口に出す。

「行ってください。このまま真っ直ぐ」
「で、ですが」

 ジョルノの言葉に、フーゴが返す。

「フーゴ、僕はこう言ったんだ。『真っ直ぐに行け』と」

 ジョルノは後部座席にどっしりと座り、足を組んだ。助手席から振り返っていたフーゴは、ジョルノの放つ威圧感にゴクリと唾を飲み込む。

「了解だボス。かっ飛ばして行くぜ」

 対してミスタはジョルノの言葉に軽く答える。
 アクセルを強く踏む。
 背中がシートへとグイとめり込む感触があった。
 車が加速すれば、必然人は避けられなくなる。

「うわぁぁぁぁぁ!」

 男性の悲鳴と共に、車内にゴンゴンという音が響く。男性がどうやらこの車のボンネットに乗りあがってしまったようだ。男性はそのまま転げ落ち、地面へと叩きつけられる。
 ミスタの運転する車はそんな事お構い無しに、道を突き進んでいく。
 ジョルノはその光景を後部座席から見ながら、笑みを強くした。
 瞳には漆黒。確かに彼には帝王たる血がしっかりと受け継がれていた。



     ◆



 トリエラは歯噛みをする。
 彼女が向かってるのは麻帆良東部の林。盆地状の麻帆良外延部には、まだ森林が残っていた。残っていたといっても莫大な広さでは無いが、それでも麻帆良という土地の緑の多さをイメージする一因にもなっていた。
 その場所には、トリエラの主のエヴァンジェリンがいる。
 今、トリエラの肉体はその制御を失っていた。主たるエヴァの命により、トリエラは抗えぬ衝動に襲われている。

「――くッ」

 ギリリ、と下唇を噛む。彼女は今すぐにでも夕映の元へ行きたい。けれどもマスターの命令に縛られ、その束縛を解くことが出来なかった。かつては自分を吸血鬼にしたマスターから逃げおおせたが、その時のマスターとはレベルが違った。
 魔力を封印されてるとはいえ、エヴァの施した眷属としての束縛は、トリエラを強く縛っていた。
 背後を振り向けば、麻帆良の街並みが破壊される光景が見える。あの巨大な人影は鬼神兵というらしい、トリエラは手に持った投射ライトの映すホロウィンドウで情報を仕入れながら走る。
 どうやらエヴァは何かと戦うために自分を呼んだようだ。ウィンドウを見る限り、夕映も何かしらの行動を起こした様子が分かる。
 トリエラの選べる選択肢は少ない。
 この状況でエヴァを倒し、束縛を解くなどは問題外だろう。ならば、夕映を助けるために救援を頼むしかなかった。
 トリエラは携帯電話を取り出し、どこかへとコールをした。



     ◆



「僕のと条件が違います」

 康一が呟く。
 康一と承太郎の二人は世界樹広場へ向かって走っていた。

「条件? 吉良のこのスタンド能力か」
「はい、そうです」

 康一は『ザ・ゲーム』の束縛により説明出来なかったが、承太郎はおおよそ察した。
 承太郎達に出された開放条件は『吉良を殺すこと』。
 対して康一に課せられたのは『吉良を倒すこと』。この差は大きい。

「『吉良は殺してはいけない』とシステムには書かれてましたが、幾ら『殺すな』と書いてあっても、誰かが吉良を殺すかもしれない。それに『殺さなければ』――」

 ましてや、ここは魔法使いまでが住む都市なのだ。吉良程度、誰かが殺してしまいそうだ。それにスタンド攻撃を受けた人数は、システムを参照する限りかなり多い。
 多くの人を助けるために、吉良を殺すことは正しい行いだと思われた。

「僕と――湾内さんを解放するためには〝吉良は死んでてはいけない〟んです。僕は誰よりも早く吉良の元へ着いて、決着をつけなくてはなりません」

 吉良が死んでしまっては、康一と絹保は吉良のスタンド能力から永遠に開放されないかもしれない。
 康一は走りながら世界樹を見上げた。周囲の建物の屋根向こうに緑の葉が見える。
 だが、その世界樹を隠すように、巨大な鬼神兵が視界を遮った。
 二人は世界樹に向かおうとするも、鬼神兵の存在に遮られ、なかなか進めなかった。本来、格闘大会の会場から世界樹までは比較的近い。だが、鬼神兵を迂回しようとするために、回り道をしなくてはならなかった。
 回り道をするものの、康一達が動けば、鬼神兵ももちろん動く。なかなか世界樹に近づけずに、二人はやきもきしていた。
 その時、背後から呼びかける声が聞こえた。

「お~い、二人とも!」

 後ろを振り向けば、走ってくる人影が二つあった。学ランルックにリーゼントのコンビ、仗助と薫だ。

「おーい、待ってくれよ。はぁはぁ、幾ら呼びかけても止まってくんねーし!」

 仗助は腰を曲げ、膝に手を置いて休んだ。薫も息を切らしているが、どうにか背を伸ばしている。

「仗助君、薫君……」
「よぉ、康一。なんか困ってるみたいだな」

 ニヤリ、と仗助は笑った。
 それに合わせ、薫も口を開く。

「俺達にはサッパリ状況がわからないが、あのデカブツといい、康一はなんか分かってるんだろう」
「なーに、簡単な話だぜ康一。俺達も混ぜろって事だ」

 康一の呆然としている首元に、仗助の腕が回された。

「まぁ、そういう事だ。康一達が血相変えて走ってくのが見えてな、避難する方向とは真逆だから追いかけてきたんだ」
「それに、あの変な男のスピーチも気になるしな。なんだったんだ、本当に」
「おい、仗助。さっきから男のスピーチって何だよ。あの超って女の子の話じゃないのか」
「ちげーよ、ほらさっきのシステムとかに書いてあったろ吉良ナントカっつー男が……」

 二人の話を聞いていて、康一はハッとした。

「じょ、仗助君! 吉良って、あの演説が聞こえたの!」
「お、おぉ。康一も聞こえたのか。ほら薫、お前の耳が遠いんだって」

 康一の剣幕に多少慌てつつも、仗助が答えた。
 承太郎がズイと仗助の前に割り込む。
 そして、背後に自らのスタンド『スター・プラチナ』を出現させた。

「うわぁぁ! な、何スかそれ! 承太郎さん!」

 その途端、仗助が驚いて声を上げた。

「仗助君……」
「やっぱり見えるのか」

 どうやら仗助には『スター・プラチナ』が見ているらしい。
 承太郎は仗助の胸元を見ると、本人は気付いて無い様だが、確かに吉良のスタンド攻撃が見て取れた。

「どうやら仗助もコチラ側に踏み込んじまったみたいだな。まぁ、血筋か」
「ちょ、何スかそれ。説明してくださいよ!」
「いや、仗助。俺こそ訳が分からないぜ。お前達には一体何が見えてるんだ」

 仗助が騒ぎ立て、一人だけ蚊帳の外の薫が苦言を吐いた。
 康一は顔をしかめる。

「説明したいのは山々なんだけど、時間が無いんだ。僕は世界樹広場へ行き、吉良吉影と戦わなくちゃいけない。だから早く二人は避難して」

 康一の何か決意した物言いに、二人は何かを感じた。

「おいおい、康一マジかよ。こんな戦場みたいな場所潜り抜けて、どこぞの男に喧嘩でも売りに行くのか」
「正気じゃねぇな」

 仗助と薫が呆れる。
 周囲の客の数は少なくなっていた。大多数の人間は避難指示を見ながら逃げ出したのだろう、おおよそこの麻帆良の中心部からは脱した様だ。
 それでも、この場所からは鬼神兵の姿が見える。
 屋根から屋根へと飛び回り戦う、魔法使いとアンドロイドの姿もあった。
 戦いが溢れるこの状況で、その真っ只中に飛び込むなど正気では無い。
 それでも、康一の目には何かを取り返そうとする、強い意志が感じられた。
 仗助と薫は口角を吊り上げて、同時に言う。

「「面白い」」

 「へ」と呆けた康一の顔。

「なんだか分からねーが、言うようになったじゃねーか康一」
「この豪徳寺薫を差し置いて大喧嘩なんて、つまらねーこと言うな」

 それに、二人もこの状況が差し迫ってることに気付いていた。
 超鈴音という少女の言葉、彼女は麻帆良の窮地に助けを求めていた。最初こそ胡散臭かったものの、この状況を見て納得した。
 二人も道すがらかっぱらった投射ライトによって、麻帆良のこの状況の元凶が吉良という男らしいという事だけは分かった。
 空から放たれる光線。崩れ落ちる建物、それらを見て二人は無力感を感じていた。薫など、素人ながら気を飛ばす領域にまで至っている。そのため、その威力の強さを肌で感じていた。
 しかし、そんな中で康一は言い放ったのだ。この事件の張本人らしき男と戦うと。
 確かに首魁を打てば、この状況を収める事が出来るかもしれない。それは古来からの戦場の慣わしであり、痛快な選択肢でもあった。

「俺も乗ったぜ康一。あの男、喋り方がいけすかね~と思ってたんだ。この暴れっぷりの落とし前をガツンとしてやろうぜ」
「あぁ、俺もだ仗助。俺ともあろうものが尻込みしてたぜ。こいつは喧嘩だ、俺ら麻帆良に売られた喧嘩。そっから逃げたとあっちゃー、後生の恥だ」

 仗助は肩を回し、薫はパシンと胸の前で拳を合わせた。

「じょ、承太郎さん~」

 康一は困った顔で承太郎に伺いを立てた。

「まったく、やれやれ――」

 承太郎が帽子のツバに手を当てた時、背後に巨大な何かが落ちる音がした。
 地面が割れ、そこに二メートルを越す大男――アンドロイドが立っていた。
 サングラスに隠れたメインカメラを光らせ、目の前の得物をロックオンする。
 金属の拳を、後ろを向いたままの康一に振り落とそうとした。
 康一と承太郎にすれば背後の出来事。振り返って気付くのに、一拍の時間が必要だった。

(しまった――)

 承太郎も不意を突かれ、慌てて時を止めようとするが――。

「康一ィィィィィィィィ!!!」

 康一の目の前に、飛び出した薫が立ちふさがる。
 人外による金属の拳。それに、薫は自らの拳を重ねた。

「漢魂ァァァァァァァ!!!」

 漢魂(おとこだま)と呼ばれる、薫が編み出した気を使う技だ。本来「遠当て」といい遠距離に飛ばす技だが、薫は意図的にそれを使った。
 光り輝く気で覆われた薫の拳が、魔力を纏ったアンドロイドの拳とぶつかり、弾ける。気と魔力は相性が悪く、ぶつかると相反する力が働いた。

「ぐあぁぁぁぁぁ!」

 薫はアンドロイドの攻撃を退けながらも、康一を巻き込みながら背後へと転がされた。
 アンドロイドも後ずさったが、自重のため倒れるまでには至らない。

「テメェェェェ!! ダチに何してるんだゴラァァァ!」

 薫と康一が攻撃されたのを見て仗助がキレ、その背後から何かが飛び出す。
 それは人の精神力を形にしたヴィジョン。
 スタンド。仗助はこの時、『スタンド』に覚醒した。
 ピンク色の肉体に銀色の鎧で覆ったような、人型のスタンド。それは後に承太郎により『クレイジー・ダイヤモンド』と名付けられるスタンドだった。
 しかし、まだこの時点では名前は無い。

「ふざけんなァァァァァ!!」

 仗助は怒りの余り、自らのスタンドの存在に気付かない。アンドロイドに殴りかかろうと走り出すと、それより先に『クレイジー・ダイヤモンド』が飛び出した。

「ドラァァァァ!」

 『クレイジー・ダイヤモンド』が仗助の意志に従い、拳を振るった。それは一撃でアンドロイドの装甲をへこませる。

「このデカ――」

 仗助は更に追撃をしようとする。
 アンドロイドが反撃をしようと魔力を口に溜めるが、自らのスタンドにすら気付かない仗助には、その威力が察せられなかった。
 だが――。

「『スター・プラチナ』」

 承太郎がスタンドを発動させ、時間を止めた。
 そして時間が止まった世界で、隣に立つ仗助とそのスタンド見た。

「やれやれ、友人の危機に覚醒するか。間違いない、お前はジジイの子供だ」

 承太郎は呆れながら、アンドロイドに近づいた。
 そして、『スター・プラチナ』で拳打のラッシュを浴びせる。

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!」

 アンドロイドはその体をデコボコにひしゃげさせながら、地面の石畳を砕いて、地面に埋まるまで殴られる。

「硬いな。コイツが千体もいるのか」

 康一と例のシステムで情報を確認した時、確か個体数にそのような表記があったはずだ。
 そして時は動き出す。

「――ブツ野郎!! って、あれ?」

 仗助は目を丸くした、先程まで目の前に立っていたアンドロイドが、ボコボコになって地面に埋まっている。更には、自分の周囲に立っている謎の人影にも驚いた。

「う、うわ! うわ! なんだコレ! だ、誰だよお前!」

 自らのスタンドに問いかけるも、スタンドは無言。

「ふぅ、それはスタンド――《学園都市》で使われてる、超能力みたいなもんだ。そしてそのスタンドは仗助、お前の力だ」
「ふぇっ、お、俺ッスか。このムキムキのヤツが俺の超能力?」

 仗助は自らのスタンドを訝しげに睨みつつ、自分の思ったとおりに動くことに気付き、喜びの声を上げた。
 そこへ、吹き飛ばされていた康一と薫が起き上がり、近づいてきた。

「二人とも大丈夫か」
「は、はい何とか。薫君が助けてくれたんで」
「俺も大丈夫です。ちょっと拳がヒリヒリしますがね」

 薫は手首をプラプラとさせる。右手は赤くなってはいたものの、骨は折れてないようだ。

「仗助と……豪徳寺君だったな。二人には助けられた。ありがとう」
「ふへへ、いいっすよ~。そのうちメシでも奢ってくれれば」
「こ、コラ仗助! いえ、自分の力の至らなさが身に染みたっす」

 調子に乗る仗助に対し、薫が諌めた。

「康一君。二人は力になる。協力を求めよう」
「で、でも――」
「超鈴音、それに千雨。彼女らの言っている事が分かった気がする。今、この街の災厄には多くの力が必要なんだろう。だからこそ、あんな演説をして、こんなシステムまで持ち出したんだろう」

 承太郎が手に投射ライトを取り出した。

「もはや一蓮托生だ。それに、こいつは戦争だぜ。一人では誰もが何も為せなくなっている」

 その言葉に、康一も言葉を返せなくなる。
 康一とて異能の力を持ちながらも、先程の攻防でまったく役に立たなかった。それどころか避難を薦めた二人に助けられたくらいなのだ。
 自分の慢心を諌める。どこか虹村形兆を倒した事で、増長していたのかもしれない。思い出せば、あの戦いとて承太郎の助けがあって、初めて倒せたのだ。
 康一は仗助と薫に向き直り、頭を下げた。

「ごめん、二人とも。さっきの言葉は取り消すよ。僕を助けて欲しい、僕は世界樹広場まで行かなくちゃいけないんだ」

 それに対し、二人は笑みを作った。

「顔を上げろよ康一。それに忘れてるぜ」
「あぁ、これはお前だけの喧嘩じゃねぇ。俺達の喧嘩だ。クソ野郎のとこまではしっかりと送り届けてやるぜ」

 周囲に戦いの音が溢れていた。
 その中で、康一は二人の言葉に心強さを感じた。
 四人は顔を見合わせる。

「行こう」

 承太郎が素っ気無く急かし、走り出す。
 康一達三人はそれを追いかけた。目指すは世界樹広場。
 四人は遅れを取り戻すべく、足を速めた。



 つづく。










(2012/02/29 あとがき削除)



[21114] 第51話「図書館島崩壊」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/21 15:02
 エヴァンジェリンは、装備を確かめながらログハウスを出た。
 体を覆うマント、その中には魔力の代用たる薬品が幾つも収納されている。
 場所はエヴァの家がある麻帆良東部。自宅たるログハウスの周囲は緑で覆われていた。
 喧騒から離れたそこからでも、麻帆良中心部の騒動の音は聞こえている。
 エヴァの背後には、従者の絡繰茶々丸が付き従っている。彼女の手にはスピーカーモードの携帯電話があった。

「おいジジイ! いいからタカミチをこちらに寄こせ」
『ぐぬ、じゃがエヴァよ……』

 苦渋に満ちた近右衛門の声が携帯から聞こえた。エヴァは苛立たしげに叫ぶ。

「貴様は阿呆か。あの鬼神兵モドキくらい、そっちの魔法使いで処理しろ。分かってるのか、コッチに来るのはあの戦闘狂だぞ」

 エヴァとしても、麻帆良を守るなどという偽善に満ちた行いはこりごりだった。それにこの前も、似たような〝らしくない〟行いをしている。
 されど今回は規模が違う。
 確かに麻帆良の中央で起こっている災厄は脅威だろうが、これからコチラへとやって来る存在は、そんな比では無い。
 超のオモチャに世界樹が魔力を注ごうと、注ぎ込んだ筐体自体が脆いのだ。封印が解けたエヴァならば、余裕で一掃できようレベルだ。

「迷うなジジイ。貴様とてあのバカ――範馬勇次郎の習性ぐらい理解しておろう」

 範馬勇次郎。魔法界に置いても脅威と為される武道家、いや闘争家とでも言い表そうか。
 勇次郎は戦場を好む。より強い者との闘争をなによりの愉悦とし、無手で戦場に飛び込むのだ。
 その上、彼にとって敵や味方など存在しない。
 自分に牙を向く全てと戦い、蹂躙する。
 勇次郎が麻帆良のの中心部へ至れば、おそらく今よりも凄惨な光景になるだろう。
 エヴァとて封印された体で勇次郎と対峙するのは無謀だと分かっていたし、自分がそんな偽善染みた行いをするのをおかしく思う。
 されど、戦う理由はあった。
 プライド。
 縛られているとはいえ、自らが存在するこの土地を一方的に荒らされている。更にはそこへ外から飛び込もうとする輩がいるのだ。エヴァからすれば許せる存在では無かった。

『ぬぅ、分かった。タカミチを送ろう。エヴァ、頼んだぞ』
「ふん。だったらさっさと結界を解除しろ」
『今やっているんじゃが……制御を中々取り戻せぬのじゃ』
「何から何まで後手後手。怠慢のツケが出たな、ジジイ」

 エヴァは皮肉気な笑みを浮かべる。その後、二三言葉を交わし、電話は切れた。

「さて、茶々丸。トリエラと範馬勇次郎はどうだ」
「はい、超さんのシステムに寄れば、トリエラさんはまもなく到着するかと。高畑先生もギリギリ、範馬勇次郎の到着前に間に合うかと思います」

 フン、とエヴァは鼻を鳴らした。

「私の魔力が戻ってれば、こんな七面倒な言しなくていいものを……」

 それは虚勢でもあった。エヴァも全力を出せば、範馬勇次郎に劣るとは思わない。だが勝るとも言えなかった。
 エヴァも化け物だが、範馬勇次郎もまた化け物なのだ。
 横目には、麻帆良を襲う災厄が見て取れた。鬼神兵による攻防など、魔法界での戦争では珍しくも無かった。ある意味見慣れていた。それでも――。

「自分が住んでいる場所が壊されるのは、気分が悪いな」

 茶々丸はホロウィンドウにタッチせず、自らの電脳から直接アクセスしてシステムを操作している。機械オンチのエヴァからすれば、茶々丸がどのような操作をしているのか分からない。
 それでも、覗き込んだウィンドウに見慣れたモノが見えた。
 金色のネズミ。
 そのアイコンを見て、エヴァは口元で弧を作る。

「ククク……ただの中学生が聞いて呆れるぞ、千雨。まぁ良い。貴様はせいぜい麻帆良でも救ってろ」

 エヴァは南に視線を向けた。
 東京の方角、そこから確かに巨大な存在が近づいてきていた。
 気や魔力といった分かりやすいものでは無い。感じられるのは生命の放つ存在感、そのレベルが違うのだ。
 ビシビシと肌に当たる感覚に、エヴァは久しく無かった強敵との戦いを思い出す。
 そこで、ふと千雨との戦いも思い出した。
 あのとき自分は全力では無かった。それでも素人同然の身体能力しか持っていなかった千雨に対し、エヴァは圧倒的に能力は勝っていた。
 こちらの攻撃が一撃でも当たれば千雨は死に、相手の攻撃は何発当たろうと防げるはずだった。
 その状況を千雨はひっくり返してしまった。
 自らの油断を悔しく思いながらも、今となってはその戦いっぷりに称賛の念が沸く。
 そしておそらく千雨は今も戦っているのだろう。

(ヤツの事だ。また何か起こすのだろうな)

 千雨に出来たのだ。エヴァにすれば自分も出来ないはずでは無かった。
 まったく魔力を持たず、今のエヴァは吸血鬼としての能力のほとんどを失っている。
 胸にはスタンドより、小さな爆弾が仕掛けられていた。
 爆発すれば、おそらく自分は死ぬだろうという確信がある。
 この窮地にあって、戦う相手はあの範馬勇次郎だ。

「燃えぬはずが無いな。ククク……」

 エヴァは歩き出す。

「行くぞ茶々丸。途中でタカミチとトリエラと合流し、範馬勇次郎を迎え撃つ」

 多勢に無勢は卑怯、などという考えには至らない。闘争はかくも残酷なのを、エヴァは長い年月を通して知っていた。
 麻帆良の戦火は、より強く燃え上がろうとしていた。







 第51話「図書館島崩壊」







「烈老師、あれって何アルね」

 隣に立つ古菲が疑問の声を上げた。並んで立ちながら烈海王は湖の向こうを見て、その存在を確かめる。
 湖に面した格闘大会の会場にも、様々な所で超のシステムが情報を映し出されていた。
 この場所にも危険域として警告されている。その理由は何も鬼神兵などによる攻撃ばかりでは無い。
 烈の視界には湖上に並ぶ水柱の横列があった。水の壁にも思えるそれが、まるで波の様に向かって来ている。

「どうやらこの情報は確かな様だな。あれは《梁山泊》、我が国の恥知らずどもだ」

 手の甲で近場に立てられた液晶ビジョンを指し示した。そこには《梁山泊》に関する注意と、その目的が書かれていた。
 国際警察機構が中心に行なわれる『麻帆良制圧作戦』の発動は、先程麻帆良に隣接する市や町の自治体に説明、勧告されたらしい。
 その作戦の旨は「麻帆良の治安回復」なるものであったが、彼らの今までの所業を知っているものは、そんな言葉など信用できなかった。なにせ作戦名に『制圧』なる言葉が入っているのに、信用など出来ないだろう。
 そしてその国際警察機構の実働部隊である《梁山泊》、その名前は烈などの武術家ならば嫌でも知っていた。
 その身を古代の武具で包みながら、近代兵器を超越する武威を見せる猛者達だ。
 反面、その力の方向性に品位は無い。自らを英雄奸雄と称しながら、まるであさましい獣の様に無駄な戦いと殺戮を好む、野蛮な輩だ。
 烈とて『武は自らのためにある』という意識を持っているが、そこに誇りも持っていた。そのため、彼ら誇り無き《梁山泊》に対しては嫌悪を持っていた。
 その《梁山泊》が今、湖の上を滑走しながらこの麻帆良へと向かってきていた。
 烈の目算では千人前後。それだけの人間が水上を走る事により、巨大な水柱がそこいらで上がっている。
 あと数分もしないで麻帆良に上陸し、この街を更なる凄惨な場に変えてしまうだろう。

「アイツら、敵アルか?」

 古は訝しげに《梁山泊》を見た。

「おそらく、な」

 この格闘会場の近くを、多くの避難客が通っている。麻帆良中心部の騒乱に対して、多くの人が外縁部へ向けて逃げていた。
 烈らの背後にも、群れを為して逃げようとする一般人が沢山いる。
 今、《梁山泊》が突入してきたら、即座に被害が出る事は明白だった。
 彼らの正義は彼らだけにしか理解出来ない、と誰かが言っていたのを烈は思い出す。
 ふと、湖上の集団が二手に分かれた。百名程が図書館島の方へ流れていった。残りはまっすぐこちらへ向かうらしい。
 そして、その百名は図書館島に迫り、その建物を破壊し始めた。図書館島の扉や門、更には屋根を壊し、内部へと流れ込んでいく。図書館島から逃げ出す人々も、その行動に恐怖の悲鳴を強める。

「なッ!」

 システムの情報に半信半疑だった人も、その目の当りにした事実に声を上げた。
 「もしかしたら救援かも」と思われた存在は、賊の類だという事が明白になる。

「老師! ワタシあいつらボッコボコにするアル!」

 隣で古が声を荒げる。
 今の状況で、更に場を荒らそうとするだろう彼らの存在に、古は腹を立てた。

「古菲さん、付き合いますぜ!」
「あぁ、こんな時に救助じゃなく、攻め込んでくるとか、何が『警察』だ!」

 古菲の後ろからゾロゾロと格闘大会の参加者が出てきた。彼らも武を嗜む存在、目の前の暴虐に怒りを表している。
 それらは今にも飛び出してしまいそうだ。
 いきりたつ古に、烈は手の平で静止をかける。

「古よ、相手の力量が分かっているのか?」
「うぐ、それは……」

 彼ら《梁山泊》は只でさえ水上を走っているのだ。その力量の程は素人目にもわかる。更には敵は幾らか図書館島へ向かったとはいえ、千に近い。
 烈は振り向き、大会の参加者達にも言う。

「君らも武を志す者。彼我の実力差を理解出来よう」

 ぐ、と多くの者が口をつぐんだ。

「だ、だけど! 今、俺らがやんなきゃ誰がやるんだ!」

 例の超の放送にあった「魔法使いらしき人々」は、空を駆けながら鬼神兵やアンドロイドと対峙している。
 とてもじゃないが、こちらへと余力を割り振れるとは思えなかった。
 災厄は目の前にまで来ていた。
 武道家のひよっ子たる彼らにも義憤があり、誇りがあった。
 自らの土地を蹂躙される屈辱、それに抗うべき思いが彼らを駆りだてている。

「そうだ! 俺らだって出来るはずだ!」
「こんな数値なんてアテになるかよ!」

 参加者の一人が、ホログラムウィンドウに映る数字を指差す。
 システムには暫定的な戦力数値なるものが割り振られていた。これは超が一般人に対し、現在の脅威を知ってもらおうと、戦力を分かりやすい数字に直したものだ。
 もちろん戦いは数学ではない。明確な数値による勝敗など有り様が無いが、それでもおおよその指針にはなった。
 一般人を1と基準し、アンドロイドが100と書かれていた。梁山泊の兵士の一人一人が70程度であり、格闘大会の参加者は5とされていた。
 これらの数値から考えれば今いる三十名程度の参加者で、兵士の二人程度は倒せる計算になった。
 それでも、そこに彼らの死があっての事であり、無謀の極みとも言える。

「このまま、このまま黙っていられるか! 麻帆良が荒らされてるんだぞ!」

 烈は彼らの声を聞き、顔をに皺を作る。そして――。

「その意気や良し!!!」

 烈の強い声に、周囲の空気がピリピリと振るえた。
 その意外な答えに、古をはじめ、多くの参加者が驚く。彼らも目の前の人物が、麻帆良の誇る天才格闘少女たる古の師匠だと、少し前の二人のやり取りで知っていた。故に、烈の言葉が不思議に思えた。

「君らの意志は汲み取った! 武を志す者として、見上げた心意気だ!」

 この極地に置いて誰かのために武を振るう勇猛さに、烈は侮蔑では無く感嘆を感じた。
 ならばこそ、彼らを生かしたいと思った。

「だが、君らはまだ未熟だ。私が――」

 チラリと古を見る。彼女の瞳には強い闘志があった。

「――私と弟子の古が先陣を切ろう。君らは取りこぼした者から、周囲の避難民を守って欲しい」

 烈の言葉に文句を言いそうな参加者達に背を向けて、烈は湖に向けて歩き出す。
 その後ろを古が追いかけた。

「ろ、老師! ワ、ワタシも良いアルか!」
「ふむ、さすがに私一人では難しかろう。お前には付き合ってもらうぞ」

 そう言いながら、烈は上半身の道着を脱ぎ捨てた。彼の鍛え抜かれた半身に、闘気がみなぎっていた。
 靴も脱ぎ捨て、裸足になる。烈にとって靴とは手を覆うグローブに似ていた。グローブは拳を守るが、同時に相手をも守っている。裸足になった烈の足は、抜き身の真剣に等しかった。

「時に古よ、水上を走る事は出来るか?」
「え……、あははは、何度かやったけど、すぐ沈んでしまうアルよ」
「ふむ。相変わらず鍛錬が足りぬな」

 烈としては意外だった。古ほどの実力を持ちながら、水上を走れない。相変わらずのムラのある粗忽ぶりに苦笑いを浮かべる。
 天才的な才能を持ちつつ、莫大な鍛錬を課してきた古菲は、烈にとって発芽直前の種子に似ていた。
 今、目の前に実戦という餌がある、その時、彼女は大きな成長を遂げるかもしれない。

(自らの武の追求にばかり目を向けていたが、弟子の成長にも心が躍るとはな)

 烈は近くの街路樹に近づき、その根元に軽く手刀を放った。

「はッ!」

 ピシリ、という小さい音と共に、街路樹がメキメキと折れる。
 それを見守っていた格闘大会の参加者は、烈の小さな挙動から生み出される、莫大な威力に口を開けて驚いた。
 烈は次々と街路樹を切り倒し、それを真上に放り投げる。

「フンハッ!」

 樹の断面に拳や蹴りを入れると、まるで街路樹がロケットの様に空を飛んだ。湖上の中央に辿り着いた樹が、そこで内側から弾ける。
 烈が街路樹に気を込めたために起こった現象だった。それを幾度か繰り返すと、ものの一分も掛からずに、湖の中央へ向けて木片が浮かぶ道が出来ていた。
 木片の大きさは小さい、更に破片と破片の間は広いものの、烈にとっては充分すぎる施しである。

「さぁ、道が出来たぞ古」
「あ、ありがとうございますアル、老師!」

 烈の自分への気遣いに、古はしどろもどろな感じで感謝の拱手を行なう。

「硬くなるなよ古。戦いはすぐそこだ。お前の成長の証、見せてもらうぞ」
「はいアル!」

 《梁山泊》は湖の中央を通り過ぎていた。早くしなければ、彼らはまもなくコチラへ上陸してしまうだろう。上陸は完全に防げないだろう、それでも、押し留めるぐらいは出来るはずだ。なぜならば――。

「我が名は烈海王! 海王の名を継ぐ武人だ!」

 声を張り上げ、湖上の《梁山泊》に名乗りを上げた。
 幾千幾万の猛者の上に立ち、初めて名乗れる称号。『海王』の名は中国の武術史の中で燦然と輝き、歴史に残る。伊達や酔狂では名乗れぬのだ。

「行くぞ!」

 烈は一気に水上に飛び出す。そのまま水上を走りぬけ、一路《梁山泊》の元へと向かった。
 烈の走りは静かであった、《梁山泊》には水柱を上げる荒々しさがあったが、烈はほとんど飛沫を上げずに、彼ら以上のスピードで水上を駆ける。

「ま、待ってくれアル!」

 古はそれを追いかけるべく、木片の散らばった道を行く。幾ら木片とはいえ、普通であったら人が乗ったら沈む、小さな木片だ。
 そこを古は陸地であるかの様な足取りで進んだ。
 圧倒的とも思える二人の技量を目の当たりにした、格闘大会の参加者は、その実力差に悔しさを滲ませながらも、自らの決意を行動に移そうとする。

「さぁ、俺達もやるぞ! あの二人に負けてられるか!」



     ◆



 明石裕奈の父である明石教授は戦っていた。麻帆良に所属する一魔法使いとして、今この時に杖を振るわぬ道理は無い。

「このぉッ!」

 彼の手から放たれたのは、幾本もの魔法の矢。それが周囲を取り囲むアンドロイドに向かっていく。
 アンドロイドの装甲は、魔力耐性があるため強固だ。真正面からの攻撃はけん制程度にしかならないだろう。
 それでも、わずかな時間は稼げるはずだ。

「葛葉先生ッ!」

 麻帆良市街の屋根から屋根へと飛び移りながら、教授は叫ぶ。
 教授の叫びに呼応するが如く、スーツ姿の女性が風の様にアンドロイド群の間をすり抜けた。手に持つのは長刀。魔法先生にして京都神鳴流の剣士でもある葛葉刀子だ。

「はぁぁぁぁぁぁッ!」

 叫び声を上げながら、刀子は手に持つ刀を握り締める。彼女が立ち向かうのは、身の丈四十メートル近い鬼神兵だ。
 鬼神兵の腕が刀子を押しつぶそうと、拳を振り下ろした。

「せいッ!」

 刀子は上空に飛翔する。先程まで屋根を走っていた家屋は、鬼神兵により粉々に破壊された。飛んだ勢いのまま、鬼神兵の腕へと着地する。

「斬岩剣ッ!」

 火花が散る。足元へと振るわれる一刀だが、それは分厚い鬼神兵の装甲に阻まれた。

「――硬いッ」

 そこへ、刀子に向けてアンドロイドの魔力砲が何本も放たれた。
 刀子はそれを回避しながら、鬼神兵の腕部を上っていく。
 この鬼神兵とアンドロイドの連携が厄介であった。その相互的な連携を断つために、教授は先程からけん制を行なっているのだが、敵の数が多いため、どうしても取りこぼしがある。
 人で言う肘に当たる部分に辿り着いた刀子は、長刀に気を込めた。刃に紫電が走る。強度が弱いだろう関節部分に、最大の一手を叩き込む。

「神鳴流奥義! 雷鳴剣ッッ!!」

 光が爆ぜた。雷を纏った刀は、激しい音と共に、鬼神兵の関節部へと突き刺さる。

「はぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 突き刺さった刀で、内部構造を引き千切っていく。刀子は歯を食いしばり、力を込めた。メキメキと音を立てながら関節の半分が壊れる。腕部の肘先は、ただぶら下がっている様な状況だ。
 鬼神兵が残った手で刀子を握りつぶそうとするが、刀子はそれを察して退避する。

「一度退くしか無いわね」
「援護します」

 後退する刀子とすれ違う様に、教授の放った中級火炎魔法が飛んでいく。
 教授の隣に刀子が並び立った。
 二人は戦闘を続けながら話し合う。
 刀子が苦い顔をした。

「これは更に戦線を下げる必要がありますね」
「そうですね。現在構築している戦線では、とてもじゃないですが一般人の避難まで持ちません」

 世界樹の中央部から現れた鬼神兵とアンドロイド軍団。麻帆良側はそれを覆う様に、円状に戦線を敷きながら戦っていた。しかし、こちらの戦力は少ない。それに、高畑が戦線から抜けたのも痛かった。
 もちろん情報システムを通じて、学園長からの説明は受けていた。

「範馬勇次郎に、国際警察機構」

 ギリっと歯噛みをする。
 前者はかの英雄『紅き翼』と並んで有名な人物だ。ただ、その評判はまったくといっていいほど対称的だが。
 後者に至っても悪評が耳に入る。そして何故今介入するのか、という憤怒の感情もあった。
 これらの勢力、人物に対応するため、麻帆良の戦力は分散される事となった。
 そのため、教授と刀子の受け持ちも広い。今はどうにか戦線を維持しているが、それが何時まで持つのかも怪しかった。
 それでも教授は引けなかった。
 魔法使いとしての誇りも責務もある。しかし、今はそれよりも背後にある校舎に戦いの意義を見出していた。
 教授が受け持つ戦線の背後には、娘が通う麻帆良学園の女子中等部の校舎があった。
 おそらく娘は避難を開始しているだろう。それでもこのまま戦線が崩壊したら、娘へ被害が及ぶかもしれない。

「負けられませんね。親として、娘を守るためにも負けられないッ!」

 その時、風が吹いた。

「――それは〝わし〟も同感だ」
「え?」

 教授の耳に低い男性らしき声が聞こえた。そして教授の脇を黒い人影が通り抜ける。
 黒い人影は一気にアンドロイド群の中に突っ込み――。

「はぁぁぁぁぁぁ!!」

 黒い人影が撫で切る様にして破壊する。ほんのすれ違う一瞬で、アンドロイド十数体がスクラップと化した。

「遅いぞッ! デカブツがぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 そのまま人影は鬼神兵に肉薄し、刀子が苦労して破壊した片腕をもぎ取った。鬼神兵はその衝撃でバランスを崩して倒れた。
 人影は振り向くことすらせず、一切止まる事無く、走り去っていく。
 黒い人影の所業に、教授と刀子は唖然とした。自分達が戦っていた中をただまっすぐに走り抜けた人影は、その進路上にあるものを蹴散らして、そのまま走り抜けていってしまった。

「……一体何だったの、今のは」
「わかりません、けれど――」

 背後にあるのは麻帆良学園の中等部。そこから来たのか、もしくは中等部を通っただけなのか。
 黒い人影の姿はほとんど視認出来なかったものの、顔に片眼鏡(モノクル)を付けていたのだけは分かった。
 何はともあれ、教授達にすれば望外な事だった。敵か味方かは分からぬものの、少なからずこの戦場は好転した。

「今が好機です。一気に攻勢に出ましょう!」
「了解です、明石教授」



     ◆



 徐々に激しくなる揺れに、アキラはただ目を丸くする。

「一体何が」
「アキラ君、急いだほうがいいみたいだ。国際警察機構の実行部隊が、この図書館島に攻め込んでいるらしい」

 ドクターがやはりモニターから顔を離さずに言う。

「国際警察機構……」

 超のシステムにもそんな名前があった。『警察』という名前の組織が、なぜここへ攻めてくるのか、その意味が理解できなかった。

「警察なんて名前が付いているがね、実行力の無い国連が、治安維持を名目に集めた、国家に所属しない武装組織だ。言っちゃ悪いが『世界平和』をお題目に暴れる荒くれ者さ。恐らく彼らの目的は僕か――」

 ドクターは補足しながら一拍置いた。

「――ウフコックだろうね。彼らが殊勝に文献やら歴史書を漁りにここに来たとは思えない。まったく、薄汚い火事場泥棒さ」

 吐き捨てる様に言う。目的がドクターとウフコックならば、急いで避難しなければならない。

「じゃ、じゃあイースターさんも!」
「僕は遠慮するよ。君には君の使命がある様に、こんな僕にもやる事はあるのさ」

 モニターには様々な数字の羅列が映っている。

「それに、このサーバーにはあちゃくらの実体化データがある。端末に本体は入っているが、実体化モジュールの維持となるとこのサーバーは必須だ」

 ドクターが説明する間も、頭上では激しい音が聞こえてる。

「さぁ、急いでくれ。ウフコックを千雨の元まで届けてくれるんだろ」

 迷いを残しつつも、アキラは研究室を飛び出した。

「イースターさんも無理はしないでください!」
「僕は無理なんてしないさ」

 そんなドクターの呟きを耳に残しつつ、アキラはエレベーターへ向かった。ボタンを押してドアを開けるも――。

「なッ」

 中は破片で埋まっていた。どうやらエレベーターシャフト自体が破壊に巻き込まれ、埋まってしまった様だ。

「ど、どうしよう……」
「仕方あるまい。アキラ、階段で上を目指そう」
「――ッ、はい!」

 アキラはスタンドを出して飛び乗った。ウフコックはブレザーの胸ポケットに入れてある。
 この階の通路は狭い。そこを素早くすり抜けていく。フロア中央にある階段から、一つ上のフロアに昇った。
 そこで見たのは驚愕の風景だった。

「嘘……」

 そこは広く作られたフロアだった。
 二十メートルに及ぶ高さに、縦横数百メートルの巨大な直方体の空間だった。
 そこには本棚が森の如く並び、空中にも回廊が作られ、縦横無尽に書架が配置されている。
 その巨大な空間の天井が崩れていた。
 破片が本棚の森に落ち、グシャグシャに押しつぶす。
 迷宮となっている上層部へ続くこの空間の天井に、吹き抜けの大穴が出来ていた。今もその吹き抜けは大きくなり続けている。

「まずいですね」

 気付けば隣にクウネルが立っている。相変わらず、幽霊の様な唐突な現れ方だった。

「クウネルさん、これってやっぱり……」
「はい。国際警察機構の《梁山泊》とやらの仕業です。地上の建物内の人々はどうにか避難した様ですが。《梁山泊》は地下迷宮内のトラップやらセキュリティ対策のゴーレムなどを、力ずくで破壊しながら進んでいます」

 巨大な吹き抜けからは、破壊音が未だ聞こえている。ときおり数メートル規模の石材の破片やら書架が、穴からボロボロと落ちていた。

「ギャオォォォォォオオオオオオオオ!!!!」
「うっ……」

 臓腑を抉るような咆哮が聞こえ、アキラは思わず耳を塞いだ。
 ズシン、ズシンと何か大きな物が連続で壊れていく音。

「これは……」

 クウネルが何かを察し、自分とアキラを包むように、球状の魔力障壁を作った。
 その時、天井の穴が更に大きく広がる。そこから落ちてくるのは、穴よりも大きな生物の体。
 爬虫類の様だが、背には巨大な羽根が付いていた。今その羽根の一本がもぎ取られ、おびただしい血を噴出しながら、それが落ちてきたのだ。
 どうやら先程の音は、上の階のフロアが連続して壊れていく音だった様だ。

「ド、ドラゴン!」

 アキラが声を荒げる。それはドラゴンであった。正確にはワイバーン、ドラゴンの一種である。この図書館島の地下迷宮のガーディアンとして存在するワイバーン。強大なはずの竜種が、無様な醜態を見せていた。
 地響き。ワイバーンの体は大量の瓦礫と共に、本棚の森へと突っ込んだ。
 落ちてくる破片をどうにかクウネルの魔法で防御しきると、天井が綺麗に無くなっていた。
 それだけでは無い。その上のフロアも、それまた上のフロアも、ほとんどの階層の地面と天井が大きく崩れていた。見上げるだけで遠くに地上の陽光が見えた。
 図書館島の地下は、数百メートルの深さの巨大な縦穴へと変わり果てていた。

「ぬぅ、見つけたぞ!」
「あやつ、リストにもあった者だ!」
「金色のネズミ、《楽園》の産物だ!」

 上空から次々と落ちてくるのは、古代の大陸の兵士を思わせる格好の《梁山泊》だった。
 彼らは標的をアキラとウフコックに見定め、次々と落下してくる。
 アキラの隣に立つクウネルが囁いた。

「大河内さん、あなたのスタンドとやらなら、壁ぐらい昇れるでしょう。幸い地上までは一直線です。一気に駆け抜けてください」
「け、けど!」
「大丈夫、まかせてください。これでも私は司書なので」

 そういってクウネルは自分の顔の前で指を一本立てた。

「ほら行ってください、露払いは私がしましょう」
「は、はい!」

 アキラはクウネルに急かされるまま、再びスタンドに乗った。
 『フォクシー・レディ』はそのまま跳ねる様に飛びながら、壁面に残った書架を足場にして上って行く。

「――ッ!」

 しかし、剣を掲げた《梁山泊》の一人が、上空からアキラ目掛けて落ちてくる。

「貰ったァァァァ!」

 アキラは身構え、スタンドで迎撃しようとするも、相手のスピードは速い。

「やらせませんよ」

 クウネルの小さな声と共に、《梁山泊》の一人が球形に形作られた重力魔法により、壁へ叩きつけられた。

「グァァアアァァァ!」

 そのまま《梁山泊》の一人は壁面に埋もれてしまう。

「き、貴様はアルビレオ・イマ!」
「『紅き翼』の一人のお前はやはりここにいたのか!」
「その首貰うぞ!」

 壁面を上るアキラのすぐ横にフワフワと浮かぶクウネルは、まるで残念なものを見たかのように首を振った。

「それは勘違いです。私はクウネル・サンダース。この図書館島の司書をやらせて頂いてます」
「ほざくな! 下郎!」

 槍を持った兵がクウネルに襲い掛かるが、それもまた簡単にいなされる。
 ある者の剣の一筋は、巨大な岩をも真っ二つにし、ある者の矢は放った一本の矢が、いつの間にか数百という数になり突き刺さった。
 しかし、そのどれもが当たらない。
 アキラは壁を上りながらも、次々と周囲で起こる激闘に、目を白黒させる。

「ク、クウネルさん!」
「大丈夫ですよ。ほら、大河内さんは前だけ見て、危ないですよ」

 クウネルはそう言いながらも、両手で魔法を行使して、次々と《梁山泊》の兵の超人的な妙技を退けていく。
 アキラにすれば目で追うのも難しい攻防だ。
 クウネルに促され前方――本来であるならば頭上だが――を見れば、大きな書架が落ちてくる。

「うわ!」

 それを『フォクシー・レディ』はヒョイと、横に避けてそのまま上る。しかし、一緒に落ちてきた本の一冊が、アキラのこめかみに当たる。血が一筋流れた。
 走る速度はまるでジェットコースターの様だ。巨大な図書館島地下の壁面を、アキラは凄まじい速さで上っていた。
 顔に空気があたり、目を開けているのも辛い。周囲の光景はあっという間に後方に流れる。
 そんな世界でありながら、クウネルも《梁山泊》も生身で付いて来ていた。ある者はアキラとクウネルを追いかけるために、背後から壁面を上り、ある者は上空から落ちてきて襲撃をかける。
 クウネルはその一連の攻撃を、一人でいなしていた。

「さすが歴戦の英雄!」
「だが多勢に無勢よ!」
「よもや貴様も長くは持つまい!」

 《梁山泊》が叫ぶ。
 確かにクウネルの顔色が、どこか青白かった。

「ははは、確かに持たないかもしれませんね、けれど――」

 クウネルは話しながらも、《梁山泊》をまた一人倒した。

「何も、私一人で戦う必要は無いですよね」

 その時、アキラの背後――もはや穴の遥か底に見える場所から咆哮が聞こえた。

「ギャオォォォォオオオオ!!!」

 それと同時に、垂直に巨大な炎の柱が出来上がった。

「うわっ!」

 悲鳴を上げるアキラだが、クウネルが自分を含めた周囲に魔力障壁を張っていたので、直撃は避けられた。

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」
「しまったぁぁぁ!!」

 《梁山泊》の何人かが火達磨になり、落下していく。
 それと代わるかの如く、穴深くからドスドスという、けたたましい足音が聞こえた。
 ワイバーンだった。先程翼をもがれたワイバーンが、背から血を流しながら、壁面を巨大な足爪で鷲掴みにしつつ、目まぐるしい速さで上ってきた。

「ちぃぃ、仕留め損ねたかぁ!」

 《梁山泊》がワイバーンに襲い掛かるが、それよりも早くワイバーンの咆哮が響いた。

「■■■■■■■■ッ!!!」
「――ッ!」

 ビリビリと空気を揺さぶる咆哮。その威力で《梁山泊》の襲撃者も一瞬硬直する。

「し、しまっ――」

 気付けば遅い。ワイバーンの喉奥にチロリとした火が灯ると、それは一気に膨れ上がった。
 竜の吐息(ドラゴン・ブレス)。
 口から放たれる猛烈な炎が、再び《梁山泊》を襲う。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 またしても数人が火達磨になった。
 ワイバーンの目に灯るのは怒り。
 ガーディアンとしての責務が守れなかった自分と、図書館島を破壊した愚かな侵入者への怒りだった。

「あ、ありがとう!」

 アキラはワイバーンに向かい、お礼を言うと、ワイバーンは一鳴きで返事をする。

「やれやれ、あなたもどうにか起き上がってくれましたか」

 クウネルは顔色を悪くしながらも、笑みを絶やさない。
 アキラはクウネルとワイバーンに囲まれて頭上――外へと向かう。
 先程から《梁山泊》を次々と屠っているが、その一人一人は弱くは無い。アキラが立ち向かえば、あっという間にやられるだろう。
 明らかにこのクウネルとワイバーンが強いのだ。
 しかし、二人も本調子では無い。クウネルの顔色は悪く、ワイバーンは大怪我を負っている。
 それでも、二人はアキラとウフコックのために戦ってくれた。アキラが出来ることは、一刻も早くこの場所から脱する事だった。

「お願いします! 私達を地上まで守ってください!」
「おまかせあれ。迷子を入り口までエスコートするのも、業務の一つだと私は考えてますから。なぜなら――」

 クウネルは笑みを深める。

「私は司書ですから」

 上空から《梁山泊》の第二陣が降りてくる。図書館島は次々と破壊され、積み木を壊すように容易く崩壊していった。
 アキラが真っ直ぐ上を見れば、《梁山泊》や破片の向こうに、確かな光が見える。
 空。蒼い空。

「邪魔しないで!」

 崩壊の真っ只中を、アキラは向かうべき場所へ、力の限り突き進んだ。



 つづく。



●ワイバーン
ドラゴンっぽい何か。
3話にチラリと登場。



[21114] 第52話「それぞれの戦い」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/29 23:38
 世界樹広場へ向かう康一達の前には、何度もアンドロイドが立ちふさがった。
 まるで自分達を標的にしてる様な、しつこいまでの襲撃である。
 それらも承太郎の能力を駆使しつつの、四人での共闘によりなんとか撃退していった。

「うわっ!」

 そんな四人の目の前で、車がスピンした。
 制御を失った車は、通り沿いの店舗のディスプレイに突っ込み、盛大にガラスをぶちまけて止まる。
 幸い、世界樹広場に近いこの当りでは避難が進み、事故に巻き込まれた人はいない様だ。

「うおっ、マジかよ」
「承太郎さん、どうします?」

 仗助が驚き、薫が承太郎に訪ねた。今は先を急いでいる、そのため承太郎の答えも一拍遅れた。

「……とりあえず助けよう」

 車はボンネットが潰れている。ガソリンが漏れているかは分からないが、危険な状態ではあるようだ。
 中の人間を助け出すだけはしようと、承太郎は判断した。幸い自分達にはスタンドがあった。
 その時、車から声が上がった。

『このっ!』

 助手席のドアが乱暴に蹴られて飛んだ。そこから這い出して来たのは、金髪を逆立てた青年――フーゴだ。

『ボス、大丈夫ですかボス!』

 フーゴはそのまま後ろのドアに近づき、無理矢理こじ開けた。

『いてて……。くっそ、トチっちまった』

 ドアの無い運転席から出てきたのは、帽子を被ったどこか軽い調子の男。ミスタだ。

『トチっちまった、じゃねーぞミスタ! てめェ、何やらかしてやがる!』

 フーゴが怒る。

「えーと、あの人達って外国人?」

 康一は眼前で行なわれているやり取りを見ながらも、どうにも言葉が理解できなかった。それは仗助も薫も同じらしい。

「イタリア語だ。外国人観光客という所か」

 承太郎が冷静に解説する。
 承太郎達が車に近づいたとき、フーゴが弄ってた後部座席のドアが開いた。
 そこから一人の青年が降りてくる。
 波立つ様にカールした金髪。スラリとしながらも、力強さを感じさせる肉体。顔は整っており、女性ならば振り向かざるを得ない程の美青年だ。
 なによりそれらに合わせて、彼からは周囲に対して神秘性を感じさせるカリスマがあった。
 彼の青い瞳には強い漆黒の意志が見れる。
 降り立った一人の青年に対し、承太郎は一人の男を幻視した。

「ディオ……」

 かつて承太郎が死闘の果てに倒した、強いカリスマを持つ帝王の名前だ。未だに彼のシンパは多く、死した後もディオの影響は世界的に根強い。
 そんなディオを、承太郎は視界に映る青年と重ねた。
 だがすぐに思い立ち、自分の記憶と照らし合わせる。承太郎は彼の名前を知っていた。
 若くしてイタリアのギャング・ファミリーを手中にした、謎の青年。

「お前は、ジョルノ・ジョバーナか」

 承太郎の声を聞いて青年――ジョルノは振り返り、承太郎の事を目にして、軽く驚く。
 そして笑った。

「そういうあなたは、――空条承太郎さんですよね」

 流暢な日本語。確信に満ちた声で、ジョルノは問い返した。







 第52話「それぞれの戦い」







 スタンド使いは引かれ合う。
 今まで何度思い出したか分からない言葉が、承太郎の脳裏に過ぎった。
 確信がある。目の前のジョルノ・ジョバーナの異質な雰囲気、裏打ちされた自信の背後にあるのが『スタンド』だという事の。
 承太郎達とジョルノ達。二つのグループの間に緊張が走った。

『おいおいジョルノ。何言ってるんだが、俺にはサッパリわからねーぞ』

 その緊張を壊したのはミスタだ。この面子の中で唯一日本語を理解していないミスタが、疑問をそのままジョルノにぶつけた。

『大した事じゃないよミスタ。僕達の目の前にいる人が、〝あの〟空条承太郎ってだけだよ』

 ジョルノの言葉に、ミスタは驚きと共に、ベルトに挟んでおいた拳銃に手をかける。臨戦態勢に入った様だ。

『おいおい、それってアレだろ。フーゴの持ってきた――』
『えぇ、例のリストにもある、最大級の危険人物です』

 フーゴが補足する。
 ジョルノ達とて無能ではない。自分達の力を脅かしえる存在、具体的にはスタンド使いに関する情報も集めていた。絶対数の少ないスタンド使いの中で、一番有名であり、そして最強のスタンド使いと言われているのが、目の前にいる空条承太郎であった。
 承太郎のスタンド能力はその強力さ故に、良く知られていた。『時を止める』能力。これは相手が能力の詳細を知っていても、完全に防ぐことが難しい、汎用性の高い能力ともいえる。
 ジョルノ達とて、ある程度仕入れられた情報には目を通している。今回の麻帆良への介入に際しても警戒していた人物、それが承太郎であった。
 今、ジョルノ達は承太郎と遭遇してしまった。そこには、只の偶然とは思えない引力が働いていた様に感じられる。

『これは嵌められたかもしれませんね』

 フーゴが呟く。
 彼は違和感は覚えていたのだ。
 本来、世界樹の西側にいた彼らは、車を拝借して世界樹へ一直線に向かうはずだった。
 だが、鬼神兵を迂回したり、サイボーグの妨害を受け、何時の間にやら世界樹の北側へと至ってしまった。
 そしてタイヤのパンクによるスピン。気付けば目の前に承太郎がいた。
 この混乱の中。敵と遭遇しない方がおかしい。それでも、承太郎という存在と出会ってしまった形に、何かしらの力が働いていると思わざるをえなかった。

『フーゴ、考えるのは後だ。これも好機と考えよう』

 ジョルノの言葉にハッとする。

『はい、ボス』

 フーゴもイタリア語で返した。そして体を軽くほぐし、目の前のグループと相対した。ボスの命令一つで、いつでも相手を殺せる様に、神経を張り巡らせる。

「はじめまして空条さん。お名前は常々拝見していますよ」
「こちらも名前は聞いている。ジョルノ・ジョバーナだな。イタリアのギャング組織《パッショーネ・ファミリー》の若きボス。そしておそらく《矢》の所持者でもある」

 康一達はギョっとする。康一は《矢》を持っているという事に、そして仗助と薫は年下に見える目の前の男がギャングのボスであるという事に。

「お互い自己紹介はいらなかった様ですね。どうです、共闘といきませんか?」
「共闘、だと?」

 承太郎は眉をピクリと動かす。

「あなた達の目的も恐らくキラなる男ですよね。幸い、僕も目的は同じです。それに、こちらには色々と算段もあります」

 ジョルノはにこやかな笑顔を向けている。温和な語り口だが、状況を考えれば不気味だった。

「何が目的だ?」
「そうですね……空条さん、あなた方が所持している《矢》の一つを共闘の報酬として貰いたい」

 確かに承太郎の所属するスピードワゴン財団には、保管されている《矢》があった。

「一方的だな。何よりこちらにメリットが無い」
「ありますよ。なら、証拠をお見せしましょう」

 ジョルノの背後にスタンドが浮かび上がった。そして、そのスタンドの手の甲には《矢》が見える。

「あ、あれは《矢》!」

 康一が叫ぶ。康一は一度《矢》に刺されているが、その形までは覚えていなかった。しかし、承太郎から渡された資料で、その形状をしっかり把握していた。
 ジョルノのスタンド『ゴールド・エクスペリエンス』の手の甲にある《矢》が動き出した。まるで皮膚の下を這いずる様に、スタンドの体表を昇り、腕から胴へ、胴から顔へと至った。
 《矢》が額に辿り着いた時、周囲に輝きが広がる。

「な、なんだコイツは!」
「うお、どうなってやがる!」

 仗助と薫が腕で光を遮る。スタンドが見えないはずの薫にも、この光は見えたらしい。
 ジョルノのスタンドの体が、まるで《殻》の様にひび割れ、その下から新しいスタンドが現れた。

「《矢》を取り込む、だと……」

 承太郎はその一連の出来事に驚嘆していた。スタンドを覚醒させる《矢》を、スタンド自身が取り込む。その様な行動の結果を、承太郎は知らない。

「そう! これこそが僕のスタンド『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』!」

 『ゴールド・E・レクイエム』と呼ばれたスタンドは、その名の通り黄金の輝きを持った人型のスタンドだ。ただジョルノの背後に佇むだけで、他者を圧倒する力強さがあった。
 力の奔流。
 場はジョルノという青年を中心に回りだした。

「どうです? これが《矢》の力。《矢》の本当の使い道です」

 ジョルノはじっと承太郎を見つめた。承太郎のこめかみに汗が一筋流れる。

「……君は《矢》を手に入れてどうするつもりだ?」
「僕は自らの正義を貫きたい。そのために力は必要不可欠だ。《矢》はそのための礎。僕の力を磐石にしなくてはいけない」

 ギャングのボスが『正義』という言葉を吐く。だが、そこには薄っぺらい欺瞞もためらいも無い。ジョルノの瞳には強い意志が宿っていた。
 しかし――。

(こいつは危険だ)

 承太郎の本能が強い警鐘を鳴らしていた。
 目の前の存在は言葉だけなら温和で高潔だが、その裏にあるどす黒い野心が見え隠れした。才能に裏打ちされた野心。
 間違いなく目の前の青年は、ディオの血を受け継いでいた。

「そうか。なら、君に《矢》は渡せない! 『スター・プラチナ』!」

 承太郎の背後にスタンドが現れ、時間を止める。
 ジョルノとは十メートル程離れていたが、承太郎からすれば指呼の距離だ。
 承太郎は一気にかたをつけようと、距離を詰めてスタンドの拳の連打をジョルノに向けて放った。

「オラオラオ――」

 ジョルノに拳が当たる瞬間、承太郎は驚愕に目を見開く。

(何、だと……)

 拳はジョルノに触れるほんの少し前で止まった。それだけでは無い。まるで自分のスタンドが、映像の巻き戻しの様にスルスルと戻っていく。
 〝ジョルノを攻撃する直前〟の姿にまで戻った。

(時を戻す能力なのか? いや、だがそれでは――)

 気付いたらもう一度ジョルノへ攻撃出来る体勢へと戻っていた。未だに承太郎のスタンド能力は働いていた。
 もう一度攻撃しようと拳打を放つが。

「オラオラオ――」

 またもジョルノへ触れる間際に、攻撃は戻ってしまう。
 承太郎が幾ら繰り返してもジョルノへの攻撃には届かなかった。
 やがて承太郎がジョルノへの攻撃を諦めると、時間の流れは順調に動き出した。
 体感時間にして五秒ほどの『スター・プラチナ』の時間停止が終わる。
 ジョルノの目の前に急に現れた承太郎へ、周囲からの驚きの視線が突き刺さる。

『テメェ!』
『チッ!』

 ミスタが銃を向け、フーゴも身構えた。

「うおっ!」
「何時の間に!」

 仗助と薫も、承太郎の動きに目を丸くした。
 その中で、ジョルノだけが涼しい顔をしている。承太郎の身長は高い。そのため承太郎がジョルノを見下ろす形だが、その顔にはビッシリと汗が浮かんでいた。

「どうでした、僕への攻撃は?」
「これが、《矢》の力ってわけか」

 ジョルノはニヤリとする。

「えぇ、『全ての攻撃を無かった事にする』。これが僕の『ゴールド・E・レクイエム』の能力です。この場合の攻撃とは、僕の肉体に害を与えるものや、敵意ある行動になります。つまり、僕への攻撃は永遠に届きません。例え届いたとしても、その攻撃は無かったとされる。そして僕への攻撃を諦めるまで、永遠に時間は進みません」
「――ッ」

 承太郎なりの推察とほぼ同じであったが、それだけに衝撃であった。もちろんブラフの可能性もある。
 だが、ジョルノの言葉通りなら、目の前の青年のスタンドはまさに『無敵』。
 承太郎ですら『敵』に為りえない。

(なら、なぜこいつは俺達に取引などを持ちかける)

 承太郎の冷静な部分が、ジョルノの言動の不可解さに引っかかった。
 わざわざ自分の能力を明かしている。
 それに、これほどの強大な能力を持つならば、承太郎達を容易く葬れるはず。なのに、やらない。

(いや、やれないのか)

 何かしらの制限があるのかもしれない。
 それにおそらくジョルノの目的は《矢》。

(《矢》を俺から引き出すため――)

 承太郎は視線を鋭くした。

「ジョルノ・ジョバーナ。こいつは俺への挑発って所か?」

 承太郎の言葉に、ジョルノは笑みを強くした。

「なるほど。流石に鋭いですね。ご明察です。僕の力を知れば、噂通りのあなたならば、僕を放っておけない。必然、あなた自身が《矢》を持ってやって来てくれる」

 ジョルノの能力を相手にするならば、同じ土俵に上がるしかない。今、手元には無いにしても、承太郎には自らも《矢》を使う選択肢しか思いつけなかった。
 《矢》の力を使った承太郎に負ける、とはジョルノは思っていない。それは彼の自信の表れでもあった。
 承太郎に《矢》を使わせ、そして自分の目の前にやって来させるために、わざわざ《矢》の使い方と自分の能力をジョルノは見せつけたのだ。

「最初から共闘なんてする気は無かったってわけか」
「いえいえ。状況が状況です。温和に解決出来るならそれが一番でしょう」

 承太郎が苦虫を潰した様な表情をしている。
 承太郎へと、ミスタとフーゴの攻撃の照準が定まっていた。対してジョルノにも、康一がスタンドで、薫が拳に纏った気で狙いを定めている。
 一触即発の空気があった。
 そこへ、第三者の乱入があった。
 上空から落ちてきたアンドロイドだ。
 承太郎とジョルノを目標とし、アンドロイドは自重を乗せた打撃を振りかぶっていた。

「なッ――」

 周囲は一瞬唖然とする。アンドロイドを視界の隅に視認してほんのコンマ一秒で、その姿は承太郎達に肉薄した。
 しかし、ジョルノの『ゴールド・E・レクイエム』の能力により攻撃は無効化され、アンドロイドの拳は承太郎達が立つ場所のすぐ横に突き刺さった。
 石畳が粉々に破壊され、破片が宙を舞う。
 それらの幾つかが承太郎の頬を浅く抉ったが、ジョルノには破片が一つも掠らなかった。
 承太郎はこの隙にジョルノと距離を取り、康一達の所へ戻る。

「康一君、君は世界樹へ向かうんだ。ここは俺達が引き止める」

 承太郎が叫ぶ。

「え、でも――」

 ためらう康一に、承太郎は言う。

「あの男は危険だ。決して吉良吉影が持つ《矢》を渡してはいけない。康一君、だからこそ君が行くんだ」

 目の前ではジョルノ達とアンドロイドの戦いが始まっていたが、ジョルノ達が圧倒していた。
 ミスタと呼ばれた青年が拳銃を放つと、その銃弾が容易くアンドロイドの眼球部を貫いた。弾丸はそのままアンドロイドの内部を破壊していく。

「時間が無い。頼む」

 承太郎は康一の背中をドンと押す。そして承太郎は薫も見た。

「豪徳寺君、君も康一君に付いて行ってくれ」

 スタンド使いとの戦いは、スタンド使いで無いと難しい。
 スタンドが見えない薫からすれば、先程の一連のスタンドのやり取りも、ほとんどが分からなかった。そのため、承太郎の真意をしっかりと汲み取った。

「分かりました、こっちは任せて下さい。仗助、死ぬなよ!」

 薫は仗助の肩を叩きながら走り出した。ためらい気味な康一の背も叩く。

「ほら行くぞ康一」
「う、うん!」

 康一はチラリと承太郎達を振り返った後、世界樹へ向けて走り出した。

「康一、俺の分もしっかり殴って来い! いいな!」
「分かった!」

 仗助が叫び、康一が走りながら答えた。
 丁度その時、ジョルノ達が戦っていたアンドロイドが破壊された。
 承太郎は背後にいる仗助に話しかける。

「すまんな仗助。貧乏くじだ」
「はは、なーに言ってるんスか。モノホンのヤクザ相手に喧嘩。これもまた味がありますよ」

 仗助は軽口を言いながらも、どこか緊張していた。
 アンドロイドが破壊され、ジョルノ達の注意がこちらへと向く。

『なるほど。あなた達が足止め、という事ですか』

 ジョルノがイタリア語で呟く。

『ヘイヘイ、ボス。あんたも先に行くべきだ』

 ミスタがジョルノに話しかけた。

『クージョーナントカってのは、俺らがぶっ殺す。だからあんたは先に行って、《矢》をガメられない様に、キラとやらをぶっ殺してきてくれ』

 ミスタが拳銃の弾丸を詰めなおし、銃口を承太郎達へと向ける。

『いささか不本意ですが、僕もミスタに賛成です。私達の中でキラに対抗出来るのはおそらくあなたしかいない。空条承太郎ならまだやり様があります。何より、相手は僕の能力を知りませんから』

 フーゴが言う。
 二人は知っていた。ジョルノの使う《矢》の力は、恐ろしく能力者の精神を疲労させる事を。後々を考えれば、ジョルノは力を温存させるべきだった。
 そしてそのジョルノの力を温存させるための露払いこそが、彼らの仕事だった。

『ミスタ、フーゴ……。分かった。君達に命令だ。〝僕を先に行かせろ〟』

 ミスタの拳銃にスタンドが現れる。フーゴの背後にも人型のスタンドが現れた。

『了解だぜボス!』
『了解!』

 ジョルノは一気に走る。世界樹へ向けて走るが、選んだ道は康一と異なっていた。

「ちっ! 行かせるか『スター・プラチナ』」
「やらせませんよ、『パープル・ヘイズ』」

 承太郎のスタンドの『スター・プラチナ』が時間を止める。
 対してフーゴのスタンド『パープル・ヘイズ』が拳を振るった。
 フーゴのスタンドは体が紫色の人型のスタンドだ。手の甲には球状のカプセルが片手に三個、両手で合わせて六個ある。
 ジョルノを追いかけた承太郎の針路に合わせて、『パープル・ヘイズ』は拳を地面に向けて振るい、カプセルの一つが割れた。
 承太郎はそんな『パープル・ヘイズ』の所作を気に留めながらも、時が止まった空間の中でジョルノへと向かう。
 『パープル・ヘイズ』の横を通り抜けた時、承太郎の腕に違和感があった。

「なにッ――!」

 見れば、自分のスタンドの腕の一部が奇妙な形で腫れ上がっていた。コートの袖を捲り上げ、自分の腕も確認する。そこにも同じような小さい腫れがあった。
 承太郎はこれと似たような現象をしっていた。

「『フォクシー・レディ』……」

 アキラのスタンド『フォクシー・レディ』のウィルスに似ていた。いや、それよりも厄介かもしれない。
 この空間は時間が止まっている。止まっているといっても、ほんの少しずつ時間の流れは戻ってきているのだ。
 その些細な時間の流れで感染し、即座に腫れを作る。
 アキラの能力よりも即効性がある様だ。
 腕の腫れている部分に触れないように、承太郎はスタンドでその部位を大きく抉った。腕からは血が飛び出す。肉の破片は地面に捨てた、
 そして、フーゴのスタンドから距離を取る。
 チラリとジョルノを見れば、康一とは別の道で世界樹へ向かうらしい。

(ジョルノ・ジョバーナ。ここまで予想していたのか)

 仮にここでジョルノが康一と同じ道を選んでいたなら、フーゴのスタンドを省みずに追走していただろう。
 だが、康一に直接的危険が無いのならば、承太郎は目の前の敵を優先する。
 おそらくジョルノはそこまで予想し、あの進路を取ったのだろう。
 時間が動き出す。
 そこでフーゴは、腕から血を流す承太郎を見て感心した。

「なるほど、さすがですね」
「くっ。厄介な能力だな」
「それはお互い様です」

 フーゴが承太郎の前に立つ。

「ちょ、承太郎さん。腕、大丈夫なんスか!」

 腕から血を流す承太郎に、仗助は近づこうとするが――。

「おわッ!」

 仗助の足元に銃弾が突き刺さった。

『おいおい、そこの坊や。テメェの相手は俺だぜ』

 仗助にはミスタが立ちふさがった。
 ミスタの言葉はイタリア語だ。それでも彼の放つ怒気は、仗助へと伝わった。

「テメェ、上等だッ!」

 仗助もそれに相対する。
 承太郎と仗助、二人の戦いが始まった。



     ◆



 超は情報システムの維持に四苦八苦しながら、戦況を見つめていた。
 戦況は芳しくない。
 自らが作り上げたシステムのおかげで、戦力の無駄な偏りやロスは少ないものの、麻帆良に敵対する存在の数が多かった。
 そして、超が注意していた人物の詳細が、たった今、超の放ったスパイカメラの一つにより判明した。
 ジョルノジョバーナ、『ゴールド・E・レクイエム』。
 ジョルノと承太郎のやり取りの一部を、超はしっかりと掴む事が出来た。ただ、ジョルノ達とアンロイドとの交戦の余波で、空中を飛ぶ小型のスパイカメラは粉々に破壊された様だ。

「攻撃を無効化する能力。何ともまぁ、バカらしいくらいの力ネ」

 超の時代のデータにも残っていなかったジョルノ・ジョバーナのスタンド能力。能力の詳細を知れば、データに残らなかったのも頷けた。
 また、承太郎とジョルノの一連のやり取りの時に発生した時空間の乱れも、超はしっかりと観測している。おそらくジョルノの言葉に嘘は無いだろう。もちろん、全ては言ってないのだろうが。

「攻撃したという分岐した未来そのものを破壊する。やってる事は吉良の縮小版といった所カ」

 選択肢を選択肢にしない。相手がノーと答えるまで、永遠に同じ質問を繰り返す様に、ジョルノの能力は相手の選択肢を潰している。
 超は麻帆良側の戦力を脳内で巡らせるが、彼に対抗出来る人間が思い浮かばなかった。
 範馬勇次郎とて脅威だが、戦力の飽和でどうにか出来る相手ではある。
 しかし、ジョルノ相手では戦力が戦力なりえない。
 どのカードを切ろうともゼロに帰結してしまう。その様な相手では対処が出来ようはずが無い。

「いや、違うネ。私は何を勘違いしてたヨ。そう、戦うと考えるからこそ――」

 選択肢を潰している。違う、ジョルノという脅威を前にして、自らが選択肢を狭めていたのだ。
 相手は単なるスタンド使い、やり様があるはずだ。

「私も、覚悟を決める時ネ」

 超は立ち上がり、モニターの前から離れる。
 幸い、こちらの情報システムの維持のため、葉加瀬やドクター・イースターまで参加している。あと二・三十分程度なら持たせられるだろう。
 超は《カシオペア》を握り締めた。

「おそらくチャンスは一度。外せないネ」



     ◆



 麻帆良東部にある森林区域で、トリエラはエヴァンジェリン達と合流した。
 エヴァの格好はいつもの少女趣味なファッションと違い、外套を纏った〝いかにも魔法使い〟といった様相だ。傍らにはいつもどおり茶々丸が立っている。
 周囲がそこそこの大きさの森に囲まれている広場。芝生が広がる、一辺が二百メートル程の正方形型をした森の中にある開けた場所だ。
 この森というのも、麻帆良の結界の境目であるから残されたものだった。麻帆良結界の境界線は、不意の事態には戦線になる可能性がある。
 そのため民間人の被害を避けるため、家屋などの建築をしなかったのだ。また、森は魔法の秘匿性を助ける役目もある。単純に人目に付きにくいからだ。

「茶々丸、タカミチは?」
「あと十秒ほどで到着する見込みです」

 トリエラは無言。ただ二人のやり取りを聞いていた。
 そして十秒が経ち、高畑が空から落ちてきたかの様にして、三人の前に現れた。
 降り立った高畑はいつものスーツ姿だ。しかし服はところどころ破れ、顔にも幾つか傷が見える。
 高畑はエヴァ達三人に向かい、軽く手を上げた。

「や、すまない。ちょっと手間取ってね」
「ふん、なんとか間に合ったようだな」

 エヴァはそう返すなり、高畑の背後をジッと見た。

「――来るぞ」

 エヴァの呟き。
 風が吹いた。トリエラは体を叩く強風に、目を細める。
 ほんの数秒で風は治まった。
 そして、トリエラは視界の変化に気付く。

「え……」

 風が治まった時、エヴァやトリエラ達の向こう五十メートル程先に、一人の壮年の男が立っていた。
 髪はなびかせるままにしつつ、顔は笑みを作っている。
 筋肉質の体躯は大きく、その立ち方ですら他者を圧倒する何かがあった。
 男はゆっくりと歩いてくる。笑みを作りながらも、その瞳は鋭く、トリエラの心は萎縮させた。

(なに、何なの)

 バクバク、と自分の心音が聞こえる。
 エヴァに事前に聞いていたはずなのに、目の前の男の名前すら思い出せない程、トリエラは混乱した。

「来たか、『オーガ』」

 エヴァは背後に茶々丸と高畑を従えながら、男に近づく。トリエラは立ちすくみ、歩くことすら出来ない。

「よぉロリババア、久しぶりだなぁ」

 男――範馬勇次郎は笑みを作りながら、手を上げた。

「クソガキが、一丁前の口をきく様になったな、えぇ?」

 勇次郎の物言いに、エヴァは言い返した。
 だが、勇次郎は無言。
 ただじっとエヴァを見つめた。

「くはッ!」

 そして噴出した。
 堪えきれぬといった感じに、腹を押さえて笑い始める。

「くはははははははははッ! おいおいババア、噂は本当だったのかよ! あの『闇の福音』とか呼ばれたお前が封印されてるとか! 本当に魔力がねぇよ! くははははは!」

 勇次郎は嘲るような視線を、エヴァに向けた。

「惨め過ぎるぜバァさん! 惨め過ぎて笑いが堪えきれねぇ、クハハハハハハハハ!!」
「貴様――」

 憤怒の表情のエヴァンジェリンを、高畑が手で制した。
 そのままエヴァの前に立ち、勇次郎と向かい合う。

「お久しぶりです、範馬勇次郎さん。僕を覚えておいでですか?」

 勇次郎は笑うのを止めて、高畑を見た。

「高畑・T・タカミチか。前に会ったのは、確か二十年前の大戦で『紅き翼』の後ろに隠れてたガキンチョの時か。腕を上げたようだな」

 範馬勇次郎はさも当然の様に言う。
 この男は『地上最強の生物』などと言われ、その肉体のスペックばかりに目を引かれるが、実際の所、知能の高さも群を抜いているのだ。
 記憶、知能、知識とてそこらの大学教授では顔負けのものを持っている。
 また、強者の存在を知ることもやめない。常に情報のアンテナを広げ、貪欲なまでに強さを求めるのだ。
 その渇望もまた、『地上最強の生物』たる所以の一つであった。

「覚えててくれましたか」

 高畑は相好を崩した。

「範馬さん、僕はあなたが何故この場に来たか、分かっているつもりです。ですが、今はこの状況です」

 手で戦場となった麻帆良を高畑は示す。

「どうか、手を引いては貰えないでしょうか」

 高畑は勇次郎に懇願した。
 高畑の後ろにいるエヴァが言う。

「おい、タカミチ。無駄だ、やめろ」
「エヴァ、ここはまかせてくれ」

 二人の呟きを流しつつ、勇次郎は退屈そうに答えた。

「なんだ高畑・T・タカミチ、お前は昔馴染みのよしみで、俺を追い返そうというわけか。この楽しそうな〝祭り〟に、俺を参加させないために」
「えぇ、そういう事になります。かつてナギ達と戦ったあなたは誇り高い戦士でした。あなただったら、きっとより良い返事をしてくれるはずです」

 高畑は毅然と答える。その真っ直ぐな視線に、勇次郎は自嘲気味の微笑をした。

「俺に対して、そう真っ直ぐ言える奴はなかなかいねぇよ。たいしたもんだ、あのガキンチョがな」
「それじゃ――」
「あぁ、昔馴染みのよしみだ。ここは手を引いてやるよ」

 勇次郎は肩をすくめながら、両手を挙げた。
 高畑はその答えを聞き、ほっとする。
 気を緩めてまばたきをした一瞬、視界から勇次郎が消えた。

「――んな事言うわけねーだろ」

 衝撃。
 高畑の頭部に、勇次郎の蹴りが入る。高畑の体はそのまま森林へと飛ばされた。

「――チィ! だから言わんこっちゃ無い。ジジイのもうろくがうつったか、タカミチ!」

 エヴァがすかさず魔法薬を放り投げる。自身に魔力は無いものの、媒介を使った魔法なら構築出来た。
 腐っても大魔法使い、魔法の構築力は世界有数だ。
 高畑を蹴った勇次郎の足先を氷漬けにした。

「茶々丸! トリエラ!」

 エヴァが声を上げる。戦いの合図だ。

「了解です、マスター」

 茶々丸はエヴァの声と共に、巨大なライフルを構え、勇次郎に向けて斉射する。

「――ッ!」

 対してトリエラも、固まってた肉体が一気に動き出した。恐怖を血の束縛が上回り、エヴァの命令のままに走り出す。
 にわか仕込みの瞬動で一気に間合いを詰め、勇次郎に向けて最速の拳を放った。

「へぇ、氷漬けの足も、なかなか悪くないじゃねぇか」

 勇次郎は一連の攻撃を受けながら、笑みを浮かべていた。蹴りを放ったままの足は、膝から先がエヴァの魔法により氷の球体の中に埋まっていた。
 茶々丸の銃撃は、勇次郎の肌の上を滑るばかりで、肉を抉るまでに至って無かった。
 そしてトリエラの攻撃も軽く避けられた。

「よっと!」

 勇次郎は氷漬けの足を、そのままトリエラに叩きつけた。
 トリエラはカウンター攻撃に目を見開く。

「――グッ!」

 腹に当たった攻撃で、思わずくぐもった声を漏らす。
 パキパキ、と骨が折れた音がした。
 トリエラを攻撃すると同時に、氷は盛大に砕け散った。トリエラは高畑と同じ様に吹き飛ばされ、地面を盛大にバウンドする。
 トリエラにとって幸いだったのが、勇次郎の足に氷があった事だ。あの氷があるからこそ、トリエラのダメージは軽減されていた。仮に氷が無ければ、不死であるトリエラは死ぬ事は無いが、それでも幾つもの肉片へと姿を変えていただろう。
 地面に倒れたトリエラは、四つんばいに起き上がるが、喉から湧き上がる嘔吐感を堪えきれず、地面に盛大に吐いた。
 吐いたのは血だ。口から滝の様に血が溢れる。
 トリエラが血を吐いた時、森の奥から高畑が起き上がった。
 勇次郎に飛ばされた高畑は、森の気を数十本道連れにしても止まらず、かなりの距離を飛んでいた。ただ、咄嗟に張った魔法障壁で致命傷は避けていた。
 高畑はふらついたまま、戦場へと戻ってくる。
 そこでは残ったエヴァと茶々丸が、勇次郎と対峙していた。
 戻った高畑は、勇次郎に問いかけた。

「範馬さん……騙したんですか?」

 高畑は自分が甘い事を言っているのを知っていた。それでも、勇次郎の姿は自分も憧れた『紅き翼』のジャック・ラカンと通ずるものがある。
 戦士としての矜持。そこにかけた交渉だったのだ。
 だが、口から出た言葉はたやすく反故にされた。それに対する怒りが、高畑にはある。

「おいおい、高畑ちゃんよ。お前は何様だ。俺が誇り高い戦士だ? 馬鹿じゃね~の。それを決めるのはお前じゃない。〝俺〟だ。戦うか否かも全て俺が決める」

 勇次郎にとって、行動の選択は全て自分の意志によって為されるのだ。
 それはある意味当たり前の事なのだ。人が社会という集団の中で存在する以上、それを続けるのは難しい事だった。
 だが、勇次郎はそれを生まれてから現在まで、平然とこなしてきている。
 究極のエゴイズム。
 他者による偶像すらも全て否定し、全てを自らの基準によって為す。そこに他者の意志や意見など介入しない。

「だから言ったのだ、タカミチ。何故お前を呼んだのか分かってるのか。奴とお話し合いなどさせるためでは無いぞバカモノ」

 エヴァはそう言いながらも、視線は勇次郎から離さない。
 場は完全に勇次郎が握っていた。
 その時、麻帆良の街から鬼神兵の一つがこちらへと突進してきた。巨大な体躯の鬼神兵からすれば、エヴァ達がいる場所まで小走り一つの距離だ。

「ちっ、ここに来て乱入か」

 エヴァは背後へと飛ぶ。茶々丸達もそれに続いた。
 森の木々をなぎ倒しながら、鬼神兵は得物を見定めて拳を振り上げた。そこらの家屋と同じ大きさを持つ腕が、勇次郎へ向けて振り落とされる。
 轟音。飛び散った土砂が、空中に柱を作った。
 周囲を舞う砂煙が風で飛ばされると、鬼神兵の拳の先に人影が立っていた。

「ふん、デカブツめ。無駄な事を」

 エヴァは遠めに状況を見ながら呟く。エヴァ達三人は近くの森林まで退避していた。
 自分より張るかに大きい質量を持つ鬼神兵の一撃を受けながら、勇次郎はその場所を一歩も動いていなかった。
 両手をポケット入れ、胸を反らしてふんぞり返っている。鬼神兵の拳はしっかりと勇次郎の頭部に当たっているが、ピクリとも動かなかった。

「ククク、懐かしいな。鬼神兵か。これだ、この戦の匂いこそ、俺を沸かせる」

 ポケットから引き抜いた右腕の筋肉が盛り上がる。皮膚に血管が浮き出る程力み、拳を握った。
 勇次郎の戦いとは力の解放にあった。解放をするためには、力みが必要不可欠だ。勇次郎は右腕に力を溜め、振りかぶった。

「ぶっ飛べ」

 自分の頭部に拳を当てている鬼神兵、その腕に対し勇次郎の拳が返された。
 巨大なドラを叩くような音と共に、鬼神兵の腕が破裂した。

「ゴォォォォオオオオオオ!!!」

 鬼神兵が咆哮を上げながら、殺しきれなかった衝撃のために後ずさる。
 その鬼神兵の口内に、膨大な魔力が溜まっていく。個人では為しえない、巨大兵器であるからこそ放てる魔力砲。勇次郎に照準を定めたそれが今、発射されようとしている。

「タカミチ、今だ!」

 エヴァが叫ぶ。
 高畑を呼んだ理由は他でもない、現在のエヴァ陣営に欠けている一点突破の火力故だった。
 高畑は前もって用意していた究極技法(アルテマ・アート)の『咸卦法』を発動させる。高畑の周囲に力が満ちた。
 勇次郎と鬼神兵が戦っているこのタイミングに便乗し、勇次郎に追撃をかけようとする。

「はぁぁぁぁぁぁあああ!!!」

 裂帛の声。高畑が力を溜めた。

「喰らえ!」

 エヴァはマントから取り出した魔法薬を勇次郎に投げつける。魔法薬の瓶が割れ、液体が飛び出す。エヴァの詠唱と共に、液体は粘性の水の鞭となり、勇次郎の体を簀巻きにした。

「へぇ……」

 勇次郎は感心したと言わんばかりに、自分の身に撒きついている魔法を見る。
 エヴァの拘束魔法により、勇次郎の動きをコンマ数秒程制限したはずだ。
 それを見届け、エヴァは自分の従者達に命令を下す。

「茶々丸、トリエラ! 上へ飛べ!」

 主の命令に、茶々丸はエヴァの体を抱え、ブースター機能を使い空高く飛翔した。
 離れた場所にいたトリエラも、エヴァの声は聞こえている。痛む体に鞭を打ち、背後にあった樹に飛び上がった。
 樹の枝を足場にしつつ、どんどん上る。てっ辺まで行き、更に上空へと飛び上がった。
 その時、鬼神兵の魔力砲が放たれた。
 それに合わせて高畑も渾身の一撃を撃つ。『咸卦法』を最大限に纏った拳は、巨大な光の柱となり、勇次郎へと突き刺さる。
 二つの光線は勇次郎を中心に地面を抉った。まるでその場所が爆心地になった様に、余波が地表を放射状に広がる。
 周囲の樹木が次々と空中に舞い上がり、熱波が草花を焼く。
 空中に退避していたトリエラも余波の爆風に巻き込まれ、更に上空へ飛ばされた。
 体がきりもみをしながら、麻帆良を見下ろす高さまで至る。

(く……何なのよ、コレは!)

 眼下には一瞬で荒地に変わった麻帆良東部が見える。その中心には片腕を失った鬼神兵が未だ健在であり、近くには高畑の姿もあった。
 まだ周囲には砂煙が立ち込めている。
 そんな中で、鬼神兵の矛先が今度は高畑に移った様だ。鬼神兵の残った腕が、高畑に向けて振り回されている。
 だが――。

「面白いことしてくれるじゃねぇか!」

 鬼神兵の足に掴みかかる人影があった。
 砂煙が晴れると、そこにいたのは範馬勇次郎だった。
 トリエラの強靭な視力が、その姿を視認する。道着は破けてボロボロであり、体も砂や埃で汚れてるものの、皮膚の上には傷が一つも無い。

「なんで無傷なのよ」

 トリエラが呟く。勇次郎は小さな体躯で鬼神兵の足にしがみ付いた。足回りだけでも、家屋一つ分もある巨大な足だ。勇次郎の両手ではとても抱える事は出来ないだろう。

「シャァァ!!」

 だが、勇次郎のかけ声と共に、鬼神兵の体が浮かび上がった。勇次郎はそのまま抱えた足を軸に、鬼神兵を投げ飛ばす。
 地面に叩きつけられた、数百トンという物体は、それだけで巨大な地震の様に地面を揺らした。
 土煙がまた柱を作った。

「嘘」

 トリエラが呆然とする。
 見れば、投げた瞬間を狙って高畑が一気に勇次郎に近づき、連打を仕掛けている。エヴァも茶々丸に魔法弾による援護をさせながら、勇次郎に拘束系の魔法を放っていた。
 倒れた鬼神兵は、倒れながらも口内に魔力を再びチャージし始める。勇次郎も高畑も一網打尽にしようとしているのだろう。
 激しいやり取りは、トリエラの知る戦場とレベルが違っていた。
 何故エヴァが自分を呼び出したのかやっと理解する。

「なりふり構ってられないのね」

 あの男、範馬勇次郎の牙はたやすく麻帆良に穴を穿つだろう。そして、その穴の中には夕映や、その友人達も含まれているはずだ。
 エヴァはその事態を察し、向けられる限りの戦力をここに向けたのだろう。
 その中でもトリエラは一際実力不足だった。かつて高畑から一本出し抜いた事もあったが、それでも勝てたわけでは無い。
 しかし、トリエラにも勝っている点があった。それは足掻く事だ。
 『社会福祉公社』から逃げて十年間。トリエラは平穏無事に過ごしてきたわけじゃない。ガラクタの様な肉体で生きていくため、吸血鬼にまでなり下がり、汚く生き足掻いた。
 ただ生きるためだけに費やされた十年だった。
 そして辿り着いたのだ。
 あの『社会福祉公社』で過ごした短い思い出。ヒルシャーや共に過ごした姉妹達との繋がりの先に見つけた、小さな絆の証。
 今のトリエラは十年間、自分のためだけに浅ましく生き抜いただけの存在では無い。
 彼女の内には、守るべき絆が宿っていた。
 目前にある危機は、その絆さえ食い破ると、本能が警鐘を鳴らしている。

「だったらッ!」

 トリエラの瞳が紅く輝いた。食いしばった口元には、長く伸びる犬歯が見える。
 数百メートルの高さにまで飛ばされたトリエラは、眼下に見える勇次郎を強く睨みつけた。
 勇次郎もトリエラの放つ殺気に気付いたのか、視線を一瞬上空に送る。二人の視線が交差する。勇次郎は心地よいとでも言う様に、笑みを作った。
 トリエラは体に力を入れる。ピキピキと筋肉が絞り込まれ、血管が浮き上がった。
 脳裏に夕映達の姿が過ぎった。それだけでは無い、『社会福祉公社』で共に過ごした人の顔が次々と過ぎってくる。
 もう、あの様な出来事は起こさせない。
 トリエラにとって、『社会福祉公社』での日々は無駄では無かったはずだ。
 ならば――ならばこそ。

「うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」

 トリエラは一直線に戦場へと落ちていく。真っ青な空に、紅い瞳が軌跡を残した。
 溢れんばかりの闘志を宿したトリエラは、範馬勇次郎へと挑みかかった。



     ◆



 施設が半壊し、ポッカリとした地下への大穴を開けた図書館島。
 その大穴の淵から、アキラがスタンドで飛び出してきた。
 胸ポケットに入れたウフコックを大事そうに抱えている。
 未だ地下ではクウネル達と《梁山泊》がやり合っていた。アキラはどうにかそこをすり抜け、地上へと辿り着いたのだ。
 いつ追撃がくるか分からず、止まるわけにはいかない。

「ウフコックさん、大丈夫ですか」
「大丈夫だ」

 声を返すウフコックをチラリと見るが、やはり視線は定まっていない。
 アキラは迷いを振り払いながら、麻帆良と図書館島を繋ぐ橋へと向かう。
 来た時には避難客でごった返していた橋も、今はほとんど人が見えなかった。
 橋の向こう、麻帆良では暴れる鬼神兵の姿が見えた。それだけでは無い、アキラから見て左手、麻帆良東部の森林では、爆発や巨大な砂柱が見える。森林部では大きな戦いが起こっている様だった。
 スタンドを走らせながら、状況をおおまかに理解する。
 そこへ、アキラを呼びかける声が聞こえた。

「アキラさん!」
「夕映!」

 クラスの出し物のメイド衣装をボロボロにしながら、夕映がこちらへと走ってくる。
 橋の中央で合流した二人は、お互いの無事を喜んだ。

「アキラさん、ウフコックさんを連れて来れたんですね」
「うん。でも、イースターさんやクウネルさんはまだ……」

 チラリと背後を見ると、図書館島の地下からは戦いの音がまだ聞こえる。
 夕映もアキラの視線で事を察した。

「とにかく先を急ぎましょう。このままここに留まってたら大変です。ウフコックさん、大丈夫ですか?」
「あぁ、夕映。問題無い。千雨の元まで頼む」

 アキラの胸ポケットから顔だけ出したウフコックが言う。口調はいつもよりどこか弱々しかった。

「じゃあ、行くよ。夕映、乗って――」
「おやおや、これは僥倖だな」

 アキラが夕映を呼びかけた時、声が重なった。

「え――」

 二人が見上げれば、橋に並んでいる街灯のてっ辺に男が立っていた。
 いつから男がいたのか、いつ男がやって来たのか、何もかもが二人には分からない。
 男は白髪混じりの髪を綺麗に纏め、口ひげとあごひげも整えられていた。目元を隠すサングラスに、黒色のスーツを着ている。
 口元には嫌らしい笑み。
 その男こそ、国際警察機構のトップたる九大天王の一人。
 中条静夫、またの名を『静かなる中条』という。
 中条は街灯の上からしゃがみ込み、アキラの胸元にいるウフコックを指差した。

「これこれ君達。そのネズミ、《楽園》のやつだろ」

 中条の不躾な物言いに、アキラはさっとウフコックを隠した。夕映はその間、アサクラによって目の前の男のデータを伝達されていた。

「いかん、いかんな~。君達の様な前途ある若人が、そんな危険な物を持ち歩いちゃいかんだろ」

 ニタニタと笑いながら、中条はのたまう。
 中条の放つオーラが、この場を覆っていた。明らかな実力の差異。

「ウ、ウフコックさんは物なんかじゃありません!」

 恐怖を押し殺しながら、アキラが言い放つ。

「ほう……」

 アキラが言い返した事を面白いとでも言う様に、中条は笑みを強くする。

「中条殿、あまり苛めるものでは無いですぞ」

 また違う声が聞こえた。今度も気付かないうちに、中条の隣の街灯に人が立っている。
 見るからに警察官といった出で立ちの、小太りの中年の男。九大天王の一人『大塚署長』だ。

「いやはや大塚君。関心してるんですよ、僕は。まさか言い返して来るとはね」

 二人の男の会話を聞きつつも、夕映は愕然としていた。
 アサクラから特殊眼球に投影されている情報を見れば、目の前の二人は九大天王というらしい。
 超も九大天王には強い注意を呼びかけていた。一般人に分かりやすく危機を伝えるために作られた、個々の戦力数値。アンドロイドを100と定義されたのに対し、九大天王の九人に付けられた数値はどれもが四桁だ。数値をただ信じるわけにはいかないが、おそらく目の前の人間は夕映達を容易く殺せる実力者だと、彼らが放つ威圧感で理解できた。
 夕映はアキラのスタンドに跨ぎながら機をうかがう。いかにこの場から逃げるのか、もしくはウフコックだけでも先に行けるのかを考えた。

(やはり私が囮に……)

 しかし、果たして自分程度で囮に成りえるのだろうか。彼らは夕映達に感知されずに、目の前に現れたのだ。その実力差ははっきりしていた。
 仮に夕映が数秒の時間を作った所で、アキラ達を逃がせるか、甚だ怪しかった。

「早速目標を一つ完了出来るな」
「戴宗殿を先行させて、我々はゆっくりやって来たが、なんともまぁ」
「残り物には福がある、ってヤツですかね」

 再度の聞き覚えの無い声に、夕映の背筋がゾワリと粟立った。
 二人の男の周囲に、また人影が増えていた。
 夕映達を囲むように、街灯に立つ男は都合八人。六人もの姿が瞬時に増えたのだ。

(う……あ……)

 夕映は目の前にいるアキラの服をギュっと握った。アキラも周囲を警戒しながら、背後の夕映と顔を合わせる。
 二人とも驚愕と不安が溢れそうだった。それでも、気丈に表情だけは保つ。
 釣り竿を持った男、学生服の男、赤いジャケットの男、忍者装束の男、背中に龍の刺青をしている男、杖を持つ白髪の老爺。先程増えた六人それぞれが、強者であった。
 彼らは八人で軽い談笑をしている。
 まるでウフコックを手中にしたかの様に。

(アキラさん!)
(――ッ、分かった!)

 限りなく無謀に近い。それでも、今この時しか無いように思えた。
 彼ら相手に囮が意味を成さないのなら、夕映が一緒に付き添いつつ、迎撃をするしか無い。
 アキラは一気にスタンドを走らせようとする。

「――え?」

 そこでアキラははたと気付き、固まる。

(アキラさん!)

 夕映が急かすものの、アキラは固まったままだ。

「え、何で……」

 アキラは自分の胸元を見た。そこにあるはずのウフコックが消えていた。

「ふむ、これが《楽園》の兵器。ただのネズミにしか見えませんな」

 その声に顔を上げると、街灯に立つ忍者装束の男が、ウフコックの襟首を掴んでいた。

「ふむふむ」
「ぐ……」

 ウフコックが辛そうなうめき声を漏らすが、忍者装束の男はじろじろそれを観察していた。
 忍者装束の男は九大天王の一人『影丸』。影の如く消える、忍術のエキスパートである。
 夕映は影丸がウフコックを奪った事に歯噛みする。

「この! ウフコックさんをかえ――」

 パチン、と指が弾かれた。その音で夕映の声は遮られた。
 音と共に、夕映とアキラは一気に体が重くなった。

「――ッ!」

 体に急激な負荷。まるで背中に巨大な重りを背負ったような感覚。
 アキラの『フォクシー・レディ』もその衝撃で消えてしまう。アキラと夕映はそのままスタンドの背から落ち、体を地面に押し付けられた。

「な――に、が」

 辛うじて夕映は声を絞り出せたが、アキラは無言。いや、喋れる程余裕が無いのだ。呼吸一つでさえ困難な程の圧力に、アキラは必死に耐えていた。

「何、ちょっとお痛しようとしてたので、僕の念力で押さえ込ませてもらったぜ」

 そう言うのは赤いジャケットの男、九大天王の『ディック牧』だ。彼の指弾き一つで、夕映達は無力化された。
 ディック牧は生粋の超能力者。《学園都市》の様に人工的に作られた存在で無く、生まれながらの超能力者であった。そのため、《学園都市》の様に、能力者に対して一つの能力という常識は当てはまらない。《学園都市》流に言うならば多重能力者(デュアル・スキル)にして『原石』。ディック牧は幾つもの超能力を操る複合能力者であった。
 夕映は重圧に耐えながら、顔を少し動かし、どうにか上方を睨みつけた。だが、夕映の視線もどこふく風、八人の男は気にしたそぶりが一切無かった。

「いやはや、早速当りを引くとはなぁ。こうなると戴宗君に悪かったかな」

 中条の言葉に、他の面子から同意と取れる仕草をする。

「まぁ、彼の神速ならば、すぐにでも戻ってくるでしょう」

 大塚署長が答える。
 九大天王の残りの一人、『神行太保・戴宗』は偵察に出ていた。彼は足に札を貼ることにより、高速で移動する道術を会得している。その速さを生かし、戴宗には麻帆良全体の偵察を指示していた。
 麻帆良も大きいとは言え、たかが街一つである。戴宗は間もなく戻り、九大天王に様々な情報をもたらしてくれるはずだった。
 九大天王達の中で、戴宗への信頼は厚かった。
 そんな中、ディック牧の念力に抗おうとする人がいた。

「――ッ!」

 呼吸はままならない。体は夕映の様な義体でも無く、トリエラの様に不死でも無かった。気や魔法を扱えるわけでも無い。ただの生身であるはずの肉体が、その力に抗えるはずは無かった。
 それでも――。

「――――ッッッ!!」

 歯を食いしばり、拳を地面に叩きつける。そのまま、片腕の肘を二十センチ程上げた。あご先が地面から離れ、自分達を念力で押さえつけているディック牧を見た。

「ウ、フコック、さん、をは――はなせぇ……」

 アキラは絶対的な力へと抗う。強い輝きが瞳を過ぎった。
 目の前の存在に勝てるとは思えない。それでも、負けるわけにはいかないのだ。
 千雨との約束が、アキラに力を与える。

「へぇ、僕の念力に逆らえるのか」

 それでも、アキラの行動は、ディック牧に興味を抱かせるに留まった。
 ウフコックは九大天王の手の中にあり、アキラ達は圧倒的な力に押さえつけられている。
 だが、彼女たちは抗うのをやめなかった。



     ◆



 大通りをひた走りながら、千雨は引き金を引いた。
 しかし、弾丸は無情にアンドロイドの装甲に火花を散らしただけだった。

「くっ、このぉ!」

 ゴロゴロと石畳を転がる。その頭上を魔力砲が通り過ぎた。

「ちくしょう! わたしって奴はぁ!」

 アンドロイドの攻撃から逃げる千雨の口から愚痴が漏れる。
 脳裏に過ぎったのは、女子寮を出てからこれまでの事だった。



     ◆



 女子寮を出た千雨は、世界樹広場を目指して一路走っていた。避難する『学園全体鬼ごっこ』の参加者達をかき分け、世界樹まで真っ直ぐ一本の大通りまでやって来たものの、そこで千雨は一人の子供を見かけてしまう。
 大通りにはまだ避難し切れてない人がチラホラいたが、それでも多くの人間は麻帆良の南部に逃げていっている様だ。
 千雨が踏み込んだのは、そんな避難民を守るために、麻帆良が作った円状の戦線の内側だった。
 自らの知覚領域を最大限に使い、外敵から身を隠す様に進んでいく。なにせ千雨の武器といえば、たった一丁の拳銃だけだ。相手がアンドロイドとなれば、豆鉄砲もよいとこだろう。
 自らの実力を知る千雨は交戦を避け、吉良と戦うためだけに世界樹広場へ向かう選択をしたのだ。
 大通りの建物から建物へ、隠れるようにして身を進める千雨の視界に、逃げ遅れた子供が見えたのだ。
 石畳に尻餅を付き、泣いていた。まだ残っていた幾人かの避難する人間も、我先にと焦るばかりで、座り込んでいる子供に気付いていない。
 千雨は舌打ちをする。何故誰も助けないんだという苛立ち。しかし、その対象に自分も入る事を考えれば嘲りも浮かぶ。
 その時、上空からアンドロイドの一体が落ちてきた。ほとんどのアンドロイドが屋根の上で戦っている中、その一体だけが地表に現れたのだ。見ると、どうやら一部損壊しているらしい。ダメージのために屋根から落ちてきたのだろう事が予想できた。

「キャァァァァ!」
「うわぁぁぁぁぁ!」

 恐怖による悲鳴。ダメージのため、体の一部から火花を上げるアンドロイドに、逃げ遅れた人々が一斉に悲鳴を上げる。
 そんな中、先程の子供は座り込んでいた。
 泣きはらした目で、すぐ近くにまで迫るアンドロイドを呆然と見ていた。恐怖のためだろう、カタカタと体が震えていた。
 それに気付いた避難客の女性が、子供を助けようと走り出したが、彼女は物陰に隠れている千雨より遠い場所にいた。
 千雨は一瞬逡巡する。

(どうする、どうする)

 焦り。自らの無力を知るが故、千雨は出て行く事をためらった。ここで出て行けば、吉良のスタンド世界そのものを破壊する、という千雨の目的が果たせなくなるかも知れない。
 しかし――。

「――お父さん、お母さん」

 子供がポツリと呟いた言葉。それを千雨の知覚領域がしっかりと知覚した。
 カッと目の前が赤くなる。
 気付いた時、千雨は物陰を飛び出していた。アンドロイドに襲い掛かられる子供は、半年前の千雨に似ていた。
 突如現れた暴漢。自分を庇う両親。炎上する車。フラッシュバックするあの夜の惨劇。血を流しながら、自分を抱きしめてくれた母親。暴漢の前に立ちふさがった父親。《学園都市》での、つかの間の再会をした両親の顔。
 溢れるばかりの思いが、ちっぽけな正義感が、かつての悔恨が、千雨の両足を勝手に動かしたのだ。

「やめろぉぉぉぉぉぉ!!」

 拳銃をアンドロイドに向け連射しながら、子供にかけよる。弾丸は幸い、ダメージを追ったアンドロイドの装甲の隙間に入り、動きを阻害した。それをチャンスと思い、千雨はアンドロイドの壊れた装甲の隙間に手を突っ込んだ。
 電子干渉(スナーク)。
 小さく散った火花。アンドロイドの表面上には何かの電磁対策がされており、千雨の今の状態での電子干渉(スナーク)は通り難かったが、直接内部を触れればこっちのものだった。
 アンドロイドの制御機構をさんざんミキシングし、機体をダウンさせる。
 千雨の攻撃を受けたアンドロイドは、そのまま機能停止し、石畳に倒れこんだ。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 息を切らせた千雨の背後には、呆然とする子供がいる。
 駆け寄ってきた大人の女性に子供を託し、千雨はその場を離れた。
 なぜならば、千雨は自らの場所を相手に教えてしまった。アンドロイド達は千雨を捕捉し、標的として狙い始める。
 千雨の周囲に、大量のアンドロイドが立ち塞がった。



     ◆



 石畳から起き上がった千雨は、這う様にして走った。背後にアンドロイドが二体、前方には三体の姿がある。おそらくそれで充分だと思ったのだろう。周囲にはまだ沢山のアンドロイドが知覚領域から感じられた。例え目の前の五体を倒しても、すぐに増援が来ることは予想できた。
 しかし、千雨からすれば周囲の五体だけでも余裕は無い。

(釣りが出る所じゃねーぞ!)

 知覚領域と高速演算をしながら、細い糸を手繰る様にして、アンドロイドの攻撃を避けてきた。
 相手の攻撃は千雨にとって必死の一撃。対して千雨の攻撃は相手にダメージをほとんど与えない。

「はぁ、はぁ、はぁ……くそ、どうしろっつーんだ!」

 先程、千雨は情報システムを通じて、救援の要請を出してある。とは言っても、周りの魔法使いは戦線の維持で動けなさそうだ。
 チリチリと背中に痺れる様な焦燥感が過ぎる。
 ここまで走ってきたため、体力も底をつきそうだった。
 銃を撃つが、回転式拳銃のため、すぐに弾込めが必要になった。ウフコックがいた時には必要無かった作業だが、今ウフコックはいない。

「ちっ!」

 走りながら弾倉に弾を込めるものの、焦っているため手付きがおぼつかない。
 不意に手が滑り、弾丸を何発か地面に落としてしまう。一瞬の思考のロス、背後からの攻撃の反応が遅れる。
 アンドロイドの無慈悲な拳が、千雨の後頭部に突き刺さろうとしていた。

「こなくそぉぉぉぉ!」

 千雨は体を倒れこむ様にして避けようとする。拳は千雨の髪先を掠る距離で、なんとか回避した。
 攻撃は避けたものの、態勢が崩れた千雨はその場に倒れてしまう。

「うっ!」

 石畳が頬を擦る。
 息が荒く、ガクンと体から力が抜けた。
 千雨の意志はここで休む事を是としていない。それでも、疲労で体が言う事を効かなかった。
 即座に意識を切り替え、自らの体を電子干渉(スナーク)で操作しようとするも――。

「ぐっ……」

 目の前には二メートルの巨体。アンドロイド数体が自分を見下ろしている。
 不安が心に押し寄せてくる。恐怖が目尻に涙を溜めさせた。
 それでも、千雨は決めたのだ。
 自らが為すべき事を、為したいと思う事を。
 力が抜けた体を操作し、死中に活を見出すために立ち上がろうとした。

「こんな所で、寝てられるかよぉぉぉぉ!!」

 千雨が叫ぶ。
 その時、視界に人影が舞い降りた。



     ◆



 仗助達に促され、先を急ぐ康一と薫は、ある人物と遭遇してしまった。

「ほう、こんな所にいるからには、お前ら一般人では無いな」

 気付かぬ内に目の前に立ってた男は、指を康一達に突きつける。
 男は古い大陸の戦装束の様な格好をしている。しかし、コスプレなどと違い、しっくりと様になっており、わざわざ装っているとは思えない姿だ。
 頭髪は頭巾で隠されていた、飄々とした表情。細い目が見開き、鋭い瞳で康一達を見つめている。
 足には何故か札が貼られていた。康一達は知らなかったが、それこそが男の素早さの仕組み。道術のタネであった。
 男の名前は戴宗。『神行太保・戴宗』と呼ばれる九大天王の一人だ。

「お前ら、何者だ?」

 戴宗の指がクイと曲がる。それは康一達への返答の促しだった。
 康一も目の前の人物の異常さは感じていた。先程のジョルノとはまた違う異質さ。
 戦いの中で育まれた、武人としての強さ。目の前の男はそれを持っていたのだ。
 戴宗の強さをより感じていたのは、康一よりも薫だった。試合や喧嘩を繰り返してきた薫には、戴宗の実力が自分と天と地ほどの違いがある事が分かった。

(分かってる。分かってるさ。でもな、男には男なりの見栄の張り方ってもんがあるんだ)

 薫はゴクリと唾を飲み込み、康一の前に出た。

「おいおいおっさん。人に名前聞くときにはまず自分から、ってのを知らないのか」

 薫は堂々と、胸を反らせて戴宗に言う。
 戴宗も薫のそんな姿を見て、口角を吊り上げた。

「クククク。坊主、なかなか言うじゃねーか。確かにそうだな。俺は戴宗、九大天王の戴宗だ」

 康一達は『九大天王』という聞き覚えの無い名前に疑問を持つが、とりあえず流すことにした。

「た、戴宗さんっつーのか。俺の名は豪徳寺薫、コイツは広瀬康一。俺らはただの麻帆良の高校生だよ。道を開けてくれ、急いでるんだ」

 そう言いながらも、薫のこめかみには汗が流れた。内心の不安を必死で隠し、目の前の戴宗に対応する。
 戴宗は微笑しながら、降参とばかりに両腕を広げる。

「単なる、ね……。了解、分かった、分かった。さっさと言ってくれ」

 オーバーなアクションをしながら、戴宗が道を開ける。
 二人のやり取りを見守っていた康一の背中が叩かれた。

「ほら行くぞ、康一」
「う、うん」

 薫に促され、康一も走り出した。
 走りながら戴宗に近づいていく、薫はこの男を信じていなかった。明らかに見下した表情。最悪の状況を考え、薫は拳を握った。
 戴宗の脇を走り抜ける時、ギラリと戴宗の瞳が光った。
 戴宗の手の平から衝撃波が飛び出す。

「――ッ!!」

 薫はそれに気付き、体の前で腕を交差させ、衝撃波を受けた。しかし、衝撃波は薫ごと背後の建物へと吹き飛ばした。ショーウィンドウのガラスが割れ、その中に薫は消える。

「薫くんッ!」

 康一も瞬時に事態を悟る。カチリと自分の中の二つの力、超能力とスタンド能力の歯車が合わさり、異能《エコーズ》が起動する。

「このぉぉぉぉ!!」

 怒りにまかせたまま、康一は戴宗に向けて音の弾丸を放った。キィンという甲高い音ともに、不可視の鋭利な衝撃波が戴宗へと飛ぶ。

「おっと」

 対して戴宗は、それを手足から衝撃波を放つ『噴射拳』でいなした。
 完全にいなしたと思った康一の衝撃波だったが、戴宗の頬に浅い傷が出来ていた。戴宗はそれに気付き、感心した様に言う。

「へぇ。ただの高校生、って言う割には面白い芸じゃないかい」

 康一の最大の一撃が、いともたやすく防がれた。それは目の前の男との実力差を物語るものでもあった。
 戴宗は頬の傷を指で拭い、指先に付いた血をペロリと舐める。

「魔法使い、鬼神兵、アンドロイド、オーガ、吸血鬼、吉良吉影、おおよその勢力やら何やらの情報は掴んでいる。だが、お前らは何だ? 戦場の真っ只中にいて、中途半端な術を使う。魔法使いかと思ったがそうでも無い。戦い方は素人臭い。どうにも興味が引かれるねぇ」

 マジマジと康一を見つめる戴宗を、康一はにらみ返した。

「あんたこそ何なんだ! 今、何が起こっているのか分かってて、何で僕らの邪魔をする!」
「そいつはこっちの台詞だ。今、この麻帆良って土地はうまい果実だ。誰もが蜜に引かれてやって来ている。かくいう俺達の組織も同じでね、この土地の利権やら技術は美味しく戴こうってんだ。だからこそお前に興味がある。いや、興味が沸いたとでも言うかな」

 戴宗の瞳が鋭くなった。

「お前本当に何者だ? スタンド使いとは戦った事あるが、それに似てるが何処か違う。お前が俺を攻撃した〝力〟に、強い違和感を覚えるぜ」

 歴戦の戦士としてのカンが、康一の素性を鋭く洞察していた。

「まぁ、いい。面白そうなヤツだ。手土産にしておくか。何、心配するな。死にはしないさ。〝死に〟はな」

 戴宗の言葉に、康一の背筋が凍った。
 今、康一と薫の命は、この男の手の平にあった。
 ガクガクと足が震えた。弱い自分が飛び出してしまいそうだ。
 それでも――。

「やれるもんならやってみろクソ野郎! 僕が返り討ちにしてやる!」

 心で友人の真似をして虚勢を張った。

「良く言ったぜ康一!」

 康一の後方、割れたショーウィンドウの中から、薫が飛び出してきた。

「くらえよ、おっさん! 漢魂ァァァァァァァァ!!」

 薫の拳から気の塊が繰り出された。走りながら、薫はそれを繰り返し放っていく。

「おらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 気でけん制しながら、薫はインファイトに持ち込もうとしている様だ。
 康一もそれに合わせて音の弾丸を飛ばす。
 対して戴宗は、その場を動かず、全ての攻撃に対処していた。

「素人としては悪くない。まぁ、その程度だ」
「ほざくなぁぁぁぁ!!」

 戴宗の間近まで迫った薫は、相手の頭目掛けて蹴りを放つ。
 薫の渾身の蹴りが、戴宗に頭部に決まるものの――。

「――ぐッ!」

 足に強い痛みが走った。ニタニタと笑う戴宗の顔、まるで巨大な鉄塊を蹴った様な感触だった。
 がら空きの薫の胴体に、戴宗の手の平が押し付けられる。

「ほら、もう一度だ。しっかり飛べよ坊主」
「しまっ――」

 腹に激痛。戴宗の手から衝撃波が放たれた。内臓が揺さぶられ、口から血が飛び出した。薫はそのまま、前より早い速度で、空中を飛ばされる。

「薫君!」

 空中を舞う薫に合わせ、康一がその射線に飛び出した。自分より二周りも大きい薫の体を、康一が受け止める。地面を何度か転がった後、康一は薫の姿を見た。

「薫君……」

 薫の腹部の服が破け、青色になった皮膚が見えた。口には吐血の痕もある。
 康一は薫を寝かせた後、立ち上がった。

「あなたは――」
「おぉ、おぉ、良い目だな少年」

 ギリッと歯を食いしばる。足もとの石畳の破片がカタカタと揺れている事に、康一は気付かない。それら破片が寄り集まり、〝ナニカ〟の形を創り出そうとしていた。
 しかし康一は、それらに気付く事無く、戴宗との距離を詰めた。
 康一の通り一遍等の戦い方を見て、戴宗は肩をすくめるが、その行動は半ばで終わった。

「――」

 戴宗の口から声が出せなくなった。それだけでは無い、耳に何かが詰まったかの如く、自分の心音すら聞こえない。完全な無音。
 感覚器官は一瞬のパニックに陥る。戴宗も平衡感覚が揺らいだのを確かに感じた。それでも戴宗は九大天王であった、状況を瞬時に察し、目の前の康一に相対した。

(こいつ、『音』を消したのか)

 康一は《エコーズ》を展開し、無音の空間を作り上げたのだ。手の中の《卵》はブルブルと震え、周囲の音を吸収しながら、戴宗へと近づいていく。
 相手のパニックを望んだが、あまり効果は無かった様だ。それでも――。

「このぉぉぉぉ!」

 無音空間を解除する。急に音が戻ってきた事により、戴宗はまたほんの少し硬直した。
 康一はその瞬間を狙い、目前の戴宗の腹に自分の手の平を当てた。先程薫がされた事と同じ状況。
 康一の体に『音』が巡った。圧縮された音が、康一の手の平から放たれた。

「お返しだぁぁぁ!!」

 キン、と甲高い音が響き、戴宗の腹に衝撃が届く。

「――ぬぅぅ!」

 くぐもった声。しかし戴宗の体には傷一つ付いてなかった。戴宗は腹に添えられた康一の手首を掴み、そのまま捻り上げた。

「あうッ!」

 康一は地面に捻り倒される。そして康一の胸元に、戴宗の足の裏が置かれた。

「面白かったぜ少年。覇気はなかなかだったが、如何せん未熟すぎる。残念だったな」

 胸を踏みつける戴宗の足の力が強くなり、康一は歯を食いしばり痛みに耐えた。
 戴宗の手が康一へと振り下ろされようとする時、声が聞こえた。

「――未熟とな。貴様が言うか、戴宗ッ!」

 低く力強い声が聞こえた。戴宗はその声を聞き、驚愕の表情を浮かべる。
 地面に仰向けになり、見上げる格好となっていた康一には、辛うじて建物の屋根から飛び降りた人影が見えた。
 人影は着地するやいなや戴宗に肉薄し、腹部に拳を放った。

「――ぐゥッ!」

 戴宗のくぐもった声。後方の建物へと吹っ飛ばされる。建物を破壊しながら突き進み、瓦礫の中に体が埋もれた。

「げほッ! げほッ!」

 束縛が解けた康一は、咳をしながら起き上がった。
 目の前には戴宗を投げ飛ばした人影――中年の男性がいた。
 黒い髪を後ろに流し、顔には片眼鏡を付けていた。彫りの深さや鼻の高さを見る限り、日本人では無く欧米系だろう。あごと口にひげを生やしているが、整えられて不潔には感じられない。
 広い肩幅、屈強そうな肉体を黒のスーツが覆っていた。黙っていたら富裕層の紳士に見える様な、戦場に似つかわしくない整った身なりである。
 康一は突如現れた男性に、どう言葉をかけるべきか迷った。

「あの――」
「そこの小僧、貴様が広瀬康一だな」
「は、はい!」

 男性の言葉に思わずコクコクと頷いてしまう。男性は康一をチラリと横目で見て、表情を険しくした。
 フン、と鼻息を一つ鳴らした後、忌々しそうに口を開く。

「勘違いするなよ小僧。わしは貴様を助けるつもりは無かった。だが、貴様には借りがある。ただそのためだけに来ただけに過ぎん」
「は、はぁ……」

 康一は良く理解出来ぬものの、とりあえず相槌をうった。

「――チッ。情けない男だ。しかし、戴宗相手に立ち向かった事だけは褒めてやろう」

 前方で建物が弾けた。ガラガラと崩れていく家屋から、戴宗が幽鬼の様に歩いてくる。
 その瞳には怒りがあった。

「なぜだ、なぜ貴様がいる!」

 憤怒のまま、戴宗は言葉を吐いた。

「いて悪いか戴宗。堕ちたものだな九大天王も。為す事は下郎の如き所業よ」
「ほざくな!」

 男性と戴宗の間で風がぶつかり合った。余波が康一の髪を揺らす。

「小僧、わしの娘に感謝しろ。貴様など本当は助けたくも無いが、たまの娘の頼みで来てやってるのだ」
「む、娘さん?」

 康一は一体誰の事を言ってるのかと思ったが、今日のお昼に父親の事を話していた少女を思い出した。

「む、娘ってもしかして――」

 男性は懐から葉巻を取り出し、口に咥える。そして、手をかざすだけで葉巻に火をつけた。口からフーッ、と紫煙を吐き出す。

「良く見ておけ小僧! わしを倒せねば、娘などやらんぞ!」

 風が男性の周りを舞う。周囲への威圧感は、先程の戴宗以上だった。

「わしの名はアルベルト! 十傑衆が一人『衝撃のアルベルト』だ!」



 つづく。







●千雨の世界 52話時点でのサブ資料
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(2012/02/29 あとがき削除)



[21114] 第53話「Sparking!」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/25 20:29
 時間はほんの少し遡る。
 2-Aの生徒達は雪広あやかの指示の元、混乱する事も無く校舎外へと避難した。
 校庭で合流した同学年担任の教諭も加わり、世界樹から離れる形での避難措置が取られた。
 世界樹を中心とした市街部と北部が主な騒乱の場となっている。それに、どうやら麻帆良東部でも激しい争いが起きている様だった。
 そのため、世界樹から見て南西に位置する女子中等部の生徒達は、南へ進む形で避難する事となる。
 多くの生徒達が、不安の表情を浮かべて避難していく。例え現実と認めたくなくても、振り向けば視界には巨大な鬼神兵の姿が見え、黒煙もそこらで上がっていた。
 2-Aの生徒もいつもとは違い、表情を硬くしたまま避難の列に加わっていた。

「美砂! 無事か!」

 そこへ男性の声がした。避難の列に加わっていた美砂は、その声の主を探してキョロキョロと顔を動かし、目当ての姿を見つけると表情を緩めた。

「パパァ!!」

 美砂は人を掻き分け、父親の元へ急ぐ。そして父親の胸へと抱きついた。

「おぉ、美砂、無事だったか」
「パパ~~。恐かったよ~」

 美砂は涙混じりの顔を、父親の胸元へ擦りつけた。父親も娘の背中をゆっくりと撫ぜる。
 硬い表情のままだった2-Aの生徒も、そのやり取りに幾分和らいだ雰囲気になった。

「美砂、良かったじゃない。お父さん無事で」

 釘宮円が美砂に話しかける。

「ううん、私はパパが強いの知ってたから、心配なんてしてなかったわよ」

 そう言いながらも、美砂はギュウっと父親の腰に腕を回し、強く抱きついた。

「ははは、そうさ。パパは強いからな」

 父親は美砂の頭を優しく撫でた。
 美砂の父親はある事柄を調べるため、麻帆良の隣の市にいた。麻帆良の急変を知り、飛ぶが如き勢いで麻帆良へ戻ってきたのだ。
 何かを思いついた様に、美砂はバッと顔を上げた。

「そうだ、パパ、お願いがあるの!」
「ん、お願い?」
「そう!」

 父親は抱きつく美砂を促しながら、2-Aの避難の列に合わせて歩いていた。

「康一さんを助けて欲しいの!」
「康一……広瀬康一だと」

 この後に及んで、娘の口から男の名前が出てきた事で、父親のこめかみには血管が浮き出ていた。

「私は良く分からないけど、きっと今康一さんは戦ってると思うの! あの超が言ってた『スタンド使い』ってのが康一さんだと思うし。パパ、すごいんでしょ。だから康一さんを助けてほしいの」
「ぬぬぬ」

 父親は逡巡した。娘のたまの頼みであり、出来ればしてやりたい。康一に借りもある。しかし、この状況で娘を放り出すなど、父親からしたら心配極まりない事であった。

「出来ん」
「なんで! パパ、康一さんに借りが出来た、って言ってたじゃん!」
「お前を放っていけるか!」
「普段から放ってるじゃない! たまにしか会いに来てくれないし!」
「ぬ、それは……」

 美砂の言葉に、父親は言葉を詰まらせる。
 突如始まった親子喧嘩に、周囲のクラスメイトは気まずそうに視線を反らした。

「えーと、御二方、ちょっとすまないでゴザルがよろしいか」

 二人の間に割って入ったのは意外にも長瀬楓だった。

「ふむ、君は?」
「あ、申し送れたでゴザル。拙者、美砂殿のクラスメイトの長瀬楓でゴザル」
「ちょっと楓。邪魔しないでよ」
「まぁまぁ、美砂殿。ここは拙者におまかせあれ」

 楓は美砂を落ち着かせながら、美砂の父親に向き直った。

「美砂殿のお父上の心配はご尤もでござろう。ですが、拙者は友人よりクラスメイトの安全を頼まれているでゴザル。その点に関しては、信じて欲しいでゴザル」

 美砂の父親は、楓の実力をいち早く見抜いた。おそらくそこらの雑兵相手には遅れを取らぬだろう実力。あごに手を当て、ふむと頷いた。

「ねぇ、パパお願い。康一さんを、麻帆良を助けてよ」

 美砂は懇願する。

「わしに、この街を助けろ、と」
「だってパパすごいんでしょ。お願い、この街はね私の友達がたくさんいるの。思い出もいっぱい詰まってるの。知ってるでしょ、私幼稚舎からここに通ってるんだよ」

 父親が世界中を飛び回っている事を知っていた。それに母親と正式に籍を入れていない事も、美砂は知っている。以前、姉と言われる人物とも会ったが、その姉も異母姉妹であった。おそらく父親は女性関係がズボラなのだろう。それでも、経済的に不自由しなかった事は、幸いだった。
 それに、父親は足しげく自分の元にやって来て、様々な話をしてくれたし、プレゼントも持ってきてくれた。幼い頃、美砂にとってはそれが嬉しかった。父親に肩車されたまま、夜の街並みを、本当に空を飛ぶように走った時など、父親のかっこ良さにはしゃいだものだった。
 美砂にとって父親は初恋であり、憧れであり、スーパーマンなのだ。

「ねぇ、お父さん。お願い、お父さんのかっこいい所、もう一度私に見せて」

 美砂が本当に幼い頃、父親の事を「お父さん」と呼んでいた。それがいつしか軽い口調の「パパ」へと変わっていったのだ。
 美砂の父親は、口元にフッと笑みを作る。

「男のため、というのは気に食わんがいいだろう。広瀬康一とやらの十人でも二十人でも助けてやる。美砂、見せてやろうパパのかっこいい所を」
「パパ……」

 美砂は笑顔で父親を見つめた。
 背後を振り返れば、遠くの屋根の上で二人の魔法使いらしき人物達が、アンドロイドや鬼神兵を相手に戦っているのが見えた。

「長瀬君、娘の事はよろしく頼む。行ってくるぞ、美砂」

 その瞬間、美砂の父親の目がギラリと鋭利な光を宿した。
 避難列の中から、父親の姿が消える。

「え?」

 事のやり取りを見ていたクラスメイト達が声を上げる。美砂や楓に合わせて真上を見れば、上空二十メートル程に美砂の父親の姿があった。

「シィィィィッー!!」

 呼気一つ。美砂の父親は何も無いはずの空中を蹴り、砲弾の如き速さで空を駆けた。
 屋根から屋根へと飛び移りながら、先程見えた魔法使い達の戦いの場へと突っ込む。
 そして、そのまま魔法使いが苦戦していたアンドロイドを瞬く間に破壊し、自分よりも遥かに大きい鬼神兵を張り倒して走り去った。
 鬼神兵が倒れた音は、この場所にまで響いた。

「嘘~」

 誰かの呆れ声が上がる。彼女たちが目撃した夕映の所業も驚きだったが、それ以上の行いにもはや呆れの感想しか浮かばなかった様だ。

「いやはや、何とも凄いでゴザルな」
「あはは……あんたの話。本当だったのね」

 楓は驚嘆し、円は目元をヒクつかせながらぼやいた。

「円、信じて無かったの? 言ったじゃない。パパはすごいんだって」

 美砂は笑顔を浮かべる。こんな状況にありながら、父親への信頼は揺るがなかった。







 第53話「Sparking!」







 美砂の父親――『衝撃のアルベルト』は戴宗を睨み付けた。
 アルベルトはBF団と呼ばれる組織の一員だ。
 BF団は首領ビッグ・ファイアを頂点とした組織であり、そのエージェントの中の精鋭十人が『十傑衆』である。
 十傑衆であるアルベルトの実力は九大天王と肩を並べる。元々九大天王は十傑衆に対抗するために国際警察機構が作ったものなのだから、当たり前とも言えるが。
 アルベルトは背を向けたまま、康一に喋りかけた。

「小僧、この男はわしが受け持ってやろう。貴様は貴様の為すべき事をしろ」
「は、はい!」

 その時、アルベルトと戴宗の間の風が強くなった。
 衝撃波を操るアルベルトと、両手足から衝撃波を噴射する『噴射拳』の使い手戴宗。
 お互いの力が似ているため、彼らは戦場で幾度も拳を交えていた。

「ふん、戴宗よ。小僧一人に熱心な事だな」
「ふざけるなよアルベルト。お前が何故この場にしゃしゃり出てくる。よもや義侠にでも目覚めたか」

 お互いが纏う風が強くなる。それを見ていた康一は、腕で顔を隠した。

「義侠か。貴様を倒せるならそれも悪くないわッ!」

 アルベルトの足元が爆発した。それはアルベルトが地面を蹴った結果だった。
 一足飛びに戴宗へ近づき、その顔を右手で掴む。そのまま勢いに任せて、戴宗を建物の壁へと叩きつけた。壁面に巨大なヒビが入る。

「うおおおおおお!!」

 顔を掴まれた状態で、戴宗は両手から衝撃波を撃ち放つ。
 アルベルトはそれを左手でいなし、顔に当たるものは首を傾げて避けた。

「どうした戴宗ォォォォ!!」

 両足から衝撃波を放ち、アルベルトは加速する。戴宗をより強く押した。
 メキメキと地響きをたてながら、三階建ての建物は形を崩していく。戴宗を建物ごと押し切ってしまう。

「まだまだぁぁぁぁぁぁ!!」

 土台を引き千切られた建物は、そのまま隣の建物にぶち当たり、さらに次の建物をも動かした。まるで積み木の家を子供が乱暴に転がしたかの様に、建物群が地面をスライドしていく。

「でしゃばるな、老人がァァ!」

 顔を掴まれたままの戴宗が、右足の裏から衝撃波を放ち、強烈な足蹴をアルベルトの腹にぶち込む。

「ぬぅ!」

 腹を蹴られたアルベルトは、そのまま真っ直ぐ上空へ、都合百メートルの高さまで瞬時に飛ばされた。
 にも関わらず、アルベルトは口元に弧を作った。

「笑止ッ!」

 まるで空に天井があるかの如く、アルベルトは逆さまの体勢で宙を蹴った。速度をグングン上げながら、戴宗へ向けてまっ逆さまに落ちていく。

「はぁぁぁぁぁぁぁ!」
「おぉぉぉぉぉぉぉ!」

 落ちてくるアルベルト、迎え撃つ戴宗の拳が重なる。
 戴宗の足元に巨大なクレーターが出来、石畳が次々と捲れ上がった。

「――ッ!」

 康一は危険を感じ、ボロボロの薫を引きずってその場を離れた。

「この、未熟者がぁぁぁぁぁぁ!」

 アルベルトの咆哮が聞こえたと思った途端、二人を中心に爆発が起きる。康一は《エコーズ》を起動させ、自らと薫を守るために力を展開した。

「くっ……!」

 崩れた家屋の破片が飛んできた。それらを身を低くして耐える。
 ほんの数秒の後、砂煙に覆われた視界が一気に晴れた。強風が吹き、それらを流したのだ。

「え?」

 晴れた視界には、戦闘の痕が見れる瓦礫の山が出来ているが、アルベルトの姿が見えない。
 キョロキョロと見回すと、遠く数百メートル先の建物の屋根の上にアルベルトらしき姿が見えた。超人と言える速度で走りつつ、片手には戴宗らしき人間の襟首を持って引きずっていた。康一にはあの戦いの趨勢は分からなかったが、どうやらアルベルトが勝ったようだ。

「一体何処へ……」

 疑問は尽きない。アルベルトが戴宗を引きずって何処へ行くのか。
 だが、彼の助けがあり、どうにか康一達は生き延びる事が出来た。

「あ、薫君!」

 友人の容体を思い出し、康一は薫に駆け寄った。

「――痛ッ! ってなんだこれ、どうなってんだ俺は」

 痛みにより、薫は意識を取り戻した様だ。いつもの制服はボロボロに破け、顔も肌も先程の戦いの余波で埃塗れになっている。
 仰向けのまま、視界を周囲に巡らせば、廃墟といわんばかりの風景が見えた。
 ほんの数分意識を失ってただけなのに、薫は事態の変化についていけなかった。

「おい、康一。あのバンダナのおっさんはどうした?」
「あぁ、うん。良く分からないけど、知り合いのお父さんが助けてくれた……んだと思うよ、たぶん」
「知り合い? お父さん?」

 康一もどう説明したものか、と逡巡する。

「と、とにかく助かったんだよ。それで薫君、体は……」

 薫は腕を上げてみるが、それだけで痛みが走った。戴宗を蹴った足と、戴宗に殴られた腹は強い鈍痛が絶え間なくある。

「――ッ、悪い。とても付いて行けそうに無い。康一、お前は先に行け。なに、調子良くなったら追いかけっからよ」

 そう言ってニカっと笑う薫。
 そんな薫の態度に、康一は言葉を詰まらせた。ここに来るまで、承太郎や仗助の助けを借りている。先程だって薫の奮闘が無ければ、自分は死んでいたかもしれない。
 康一は薫の服を掴み、ズリズリと引きずり始めた。

「お、おい康一!」
「薫君。建物の下だと危ないかもしれないから、ここで待ってて!」
 康一は薫を近くの茂みにへと押し込む。薫をここに放置などしたくは無いが、その上での苦肉の策だった。
「薫君、行ってくる。すぐ戻ってくるから!」
「そんな必要ねーよ。ちょっと休んだら俺が追いつく」

 康一はそう言いながら、世界樹広場に向けて走り出す。
 街路樹の横にある茂み、その中に体を埋めながら、薫は走り去る康一を見つめていた。
 足はどうやら骨折している様だった。服を捲れば、腹は青くなっている。骨の数本やられてるかもしれない。

「康一にはあぁ言ったものの、無理かな」

 深く溜息をつく。それだけでも痛みが走った。

「死ぬなよ、康一」



     ◆



 ほんの少しだけ上体を起こしたアキラを、九大天王の八人は見下ろしている。
 彼らからすればアキラなど、地面を這う蟻に等しかった。踏み潰すのは容易。
 アキラも目の前の人間達が、自分の敵うような相手では無いと分かっている。それでも、退けなかった。
 アキラの中にも、アサクラの記憶がある。ありえたかもしれない何時かの可能性。あの中で千雨は血みどろの無残な姿になっていた。そして自分を含め皆が死んでいった。
 そんな未来が許せるはずが無い。
 アキラはそれら全てに抗うが如く、体をどうにか持ち上げようとする。

「返せ……ウフコック、さんを、返せぇ!」

 腕で上半身を持ち上げる。体には念力での強大な負荷がかかっていた。

「頑張るね。だけど、ほらこれでおしまいだぜ」

 ディック牧が再び指を弾くと、体にかかる念力が強まった。

「――がッ」

 起きた上半身が、再び地面に押し付けられた。アキラはその衝撃に声も出せなくなる。
 その近くで、同じく念力の攻撃を受けていた夕映も耐えていた。

(あちゃくらッ!)

 夕映はアサクラに直接呼びかける。

(マスター! 情報システムに救援を出してますが、麻帆良側の戦力は離れた場所に戦線を構築していて無理そうです……)
(くッ)

 夕映は歯を食いしばる。
 相手はウフコックと自分達をモルモット程度にしか考えていない。
 ここで自分が倒れたらどうなるか、それを考えると背筋が冷たくなる。
 アサクラメモリーにあった様に、千雨もアキラも死んでしまう光景。トリエラもスタンド攻撃を受けているだろう、その末路はどうなるのだろうか。
 夕映のまなじりに涙が溜まる。

「……お姉、ちゃん」

 ポツリと零した言葉は、九大天王にも聞こえたらしい。

「おやお嬢ちゃん。お姉ちゃんが恋しくなってしまったのか」
「悪いことをしてしまったな。すぐに楽にさせてあげよう」

 彼らが言う。
 九大天王はただ当たり前の様に、夕映達を殺そうとしていた。戦場に長くいた者達の狂気が、彼らを覆っている。
 その時――。

「――悪いな。お姉ちゃんじゃ無くってさ」

 声が聞こえた。
 九大天王が全員、不意を突かれた様に声の方を向いた。
 アキラ達が倒れている場所の近くの欄干。そこにもたれ掛かる様にして立つ男がいた。

「何奴!」

 誰何の声に、笑みを浮かべ何処吹く風。

「おいおい、大の大人が寄ってたかって女の子苛めるなんて、見てらんないな~」

 緑色のジャケットに黒いシャツ、黄色いネクタイ。派手な装いをしながらも髪は短髪。黒髪に黒い瞳をしているが、どこか欧米系の血も感じられる顔立ちである。

「なッ……貴様は」
「何故、貴様がいる! 貴様は死んだはずじゃ!」

 九大天王の古株が男の顔を見て驚いた。
 それは彼が十年前に死亡と断定されたはずの男だからだ。

「あ、なたは……」

 地面に押し付けられ、傾く視界の中で、夕映はその男の顔に見覚えがあるのを思い出す。
 今日の昼間、図書館島のガイドをしている時に、トリエラと共にやってきた男だ。印象深い名前を名乗っていた。
 あの大怪盗と同じ名前。確か――。

「ルパン、さん」

 夕映と男――ルパン――の視線が合う。

「お嬢ちゃん、ちょっと待ってな。いーま、助けてやるからなぁ~」

 ルパンはそう言うと、自らのジャケットの懐を探る。

「それにしても、けったいな奴らだね~。こーんなネズミ一匹に、何熱くなってるんだか。なぁ」

 そう呼びかけながら、ルパンが懐から取り出したのは金色のネズミ――ウフコックに間違いなかった。

「こ、ここは?」

 いつの間にかルパンの手の中にいたウフコックも驚いている。

「何だと!」

 九大天王が一斉に影丸を見た。ウフコックをしっかりと手中にしていた影丸だが、気付けば手元からウフコックが消えていた。
 それを確認し、再びルパンを見た彼らは、更に驚いた。

「なッ――」

 ルパンの背後には、いつの間にか夕映とアキラが立っていた。二人も一瞬の出来事にポカンとしている。

「あれ、なんで私ここに?」
「あちゃくら。今のは?」
「だ、だめです~。観測できませんでした」

 そんな周囲の驚愕を眺めながら、ルパンはニシシと笑う。

「おいおいアンタら。俺が誰だか忘れたのかい。俺はルパン三世、かの名高き怪盗ルパンの孫だぜ。〝盗む〟事に関しちゃ、誰にも負ける気がしないな」

 大怪盗ルパン三世。彼はかつて多くの美術品や宝石を堂々と盗んでいった。世界中の新聞で彼の名前が載らない月は無く、国際警察機構もルパン専門の捜査官を派遣したものだった。
 ルパンは目の前の男達からスリをしたに過ぎない。ただすった対象がウフコックやアキラであり、すられたのが世界屈指の超人ばかりというだけだ。

「ルパン三世……」

 夕映はその名前を聞き驚く。十年前に死んだはずの有名な怪盗だ。彼に関する本は死後も出版され続け、夕映も何冊か読んだ事があった。
 本人かどうか分からない。それでも、ルパンの顔は本に載っていた写真に似ている気がする。

「あの、なんで私達を――」

 おずおずと夕映が問う。

「お嬢ちゃんのお姉さんに頼まれたんよ。それに俺は紳士だからね、女の子がイジメられて放っておく趣味は無いのよ」
「お姉ちゃんに」

 ルパンは飄々と答えつつ、手で掴んでいたウフコックをアキラへと渡した。

「ほらよ。今度は離すんじゃねーぞ」
「あ、ありがとうございます」

 ウフコックを受け取ったアキラは、深々とお辞儀をする。

「お礼はいいから、急いでるんだろ。このおっさんどもの相手はお兄さんがしてあげるから」

 ルパンはさっさと行け言わんばかりに、シッシッと手で追い払う。
 アキラも夕映も、もうためらわなかった。ここまで来るために沢山の人の助けを借りている。ここで立ち止まる事など出来ない。

「ありがとうございます!」
「ありがとうデス。ルパンさん、今度ぜひお礼をさせてください!」

 ルパンはそれを聞き、軽く返す。

「ならお姉ちゃんによろしく言っておいてくれ。お兄さんがどれだけかっこ良かったか、懇切丁寧に説明してくれたら嬉しいぜ」

 その言葉に、夕映は微笑を浮かべる。

「分かりました。お姉ちゃんへの報告はまかせてください!」

 アキラが出したスタンドに飛び乗る。二人が去るまで、ルパンは九大天王と対峙し続けた。
 アキラ達が一気にこの場を離れていく。
 九大天王とて、ただ見逃したわけでは無かった。単に自分達が追撃する必要性を感じなかっただけである。《梁山泊》を数人差し向ければ、アキラ達など簡単に捕まるだろうという算段だ。

「よもや貴様が生きているとはな。まぁ生き死にが曖昧な世界だ、不思議な事では無いか」

 そう言いながらも、中条は内心で訝しんでいた。何せ、十年前に彼もルパンの遺体を確認しているからだ。
 そして、ルパンを追いかけていた元同僚を思い出す。彼はルパンの遺体を見た後も「奴は生きている」とほざき、辞表を叩きつけて自主的な捜索を始めた。
 当初は気が狂っていると思ったものだが、今考えれば彼の考えが当たっていた事になる。

「そいつはお互い様だ。もっと死んでると思ったが、変わらない顔ぶれがちらほらいやがる」

 十年以上前にルパンは九大天王と何度か遭遇している。その時と変わった顔ぶれもいるが、半分は同じ面子であった。
 その中に、かつて自分をしつこく追いかけてきた存在はいない。
 そこに少しの寂しさを感じたルパンだったが――。

「待て~~い!」
「へ?」

 背後からドタバタとした音。次いで手首にヒヤリとした感触があった。
 ルパンが右手を上げると、その手首に手錠がはめられている。
 そして手錠のもう片方を握るのは――。

「ふふふ、ついに捕まえたぞ、ルパァ~ン!!」

 茶色の古めかしいトレンチコートに紳士帽。帽子のつばの下からは、ギラギラと光る瞳があった。顔には幾筋ものしわが刻まれ、髪には白が混じっている。
 体はほこりまみれだ、恐らくここに来るまでに色々あったのだろう。
 ルパンも、九大天王も、その男の登場に唖然とした。
 その場の全員が、この男と面識があったからである。
 元九大天王であり、怪盗ルパンの専任捜査官をしていた男。
 銭形幸一であった。

「お~い、とっつあん。久しぶりだっていうのに、相変わらずだなぁ」
「ふん! 貴様を捕まえるのは、ワシの生涯の本懐だ」

 軽い口調のルパンに対し、銭形は歯を食いしばりながらクククと笑う。
 銭形はもう片方の手錠を、しっかりと自分の手首につけた。
 本来、二人の間には十年という隔たりがあったはずだ。しかし再会した二人の間には、年月による隔たりなど存在しなく、彼らの関係はまったく変わっていなかった。
 銭形により手錠をはめられたルパンだが、体は仮想構築されているに過ぎない。実体化モジュールを使った肉体のエミュレート、そのためルパンには余裕があった。

「おいおいとっつあん、俺には手錠なんて効かないんだぜ。あらよっと――あれ?」

 ルパンは右手だけ実体化を中止させ、手錠をすり抜けようとしたが失敗する。
 体の実体化が無理矢理固定された様な違和感があった。

「グフフフフ、ルパン知っておるぞ、貴様の肉体が仮初だって事はな! どうだワシ謹製の特殊電子手錠はッ!」
「うえっ、これとっつあんが作ったのかよ!」

 この手錠がルパンの肉体に影響されているらしい。先程からハッキングを試みているが、ルパンにしても難解なセキュリティが施されていた。
 以前、銭形が自分を追いかけるために大学で勉強したらしい事は聞いていたが、まさかここまでだとは思わなかった。

「その歳で大学行って、これ作るってよ~。とっつあん分かってるか、俺ってば肉体の人格を電子化した、云わば偽モンよ」
「ハッ! 貴様が本物か偽物かなど関係ないわ! ワシには『ルパン』と呼ばれる人間がいる限り、日夜永遠に追い続ける義務があるのだよ!」

 そう言いながら銭形はガハハと笑う。
 そんな二人のやり取りを見つめていた九大天王、その一人の影丸がひっそりと動き出した。
 目の前の銭形が、以前の九大天王であった事は聞いていた。それでも、このくだらないやり取りを見ていると、嘲りが心中に浮かぶ。
 何より、先程手に入れた《楽園》の代物を無様に奪われたという屈辱が、彼を動かした。
 自らの足元の影に、トプンと沈みこんだ。姿を消した彼は、今度はひっそりとルパンと銭形の足元の影から現れた。
 まるで影を水の中の様に移動し、二人に肉薄する。
 おそらく二人は気付いてないだろうと思い、影丸は内心で笑う。
 腰から取り出した直刀を構え、無言のまま一気に二人に切りかかった。

「――ッ!」

 影丸は驚きで目を見開く。彼の必中の一撃はルパンと銭形を繋ぐ手錠、その鎖で止められた。

「ほんっとしつけーのな、とっつあんってばさー」
「何を言う、逃げる貴様が悪いのだ!」

 二人は背後の影丸を一顧だにしていない。相変わらず不毛な言い争いを繰り返しているばかりだ。

「こ、このぉぉぉ!」

 無視された事に怒りを覚えた影丸は、次々に連撃を繰り出す。しかし、直刀によるどの攻撃も、ルパンと銭形の見事な動きにより、全て手錠の鎖で止められた。

「くっ、ならばッ!」

 影丸は一旦距離を取り、クナイと手裏剣による攻撃を繰り出そうと、懐に手を入れるが――。

「なッ――!」

 懐にあったはずのクナイも手裏剣も消えていた。
 そこで初めて、ルパンは影丸の方に顔を向けた。ニヤニヤと嫌らしい笑みを作りながら、ルパンは懐から何かを取り出した。

「もしかしてこれがお探しの物かな~」

 ルパンが取り出したのは、片手いっぱいのクナイや手裏剣だ。

「い、何時の間に!」
「あれ、さっき言ってなかったけ。俺様は〝盗む〟事はピカイチなんだよね~」

 ルパンは懐から次々と、影丸が持っていた暗器を取り出し、地面に放り投げる。
 先程のほんの少しの接触で、かなりの量を盗んでいた様だ。
 例え武器が無くとも九大天王、影丸はすぐさま対応を変えようとするが――。

「ぐっ!」

 そのまま地面に倒れてしまう。気付けば動きを戒めるように、都合五つもの手錠が両足首にはめられていた。

「ふん、若造が。足元も確認せんで」

 指先でくるくると手錠を回しながら、銭形が吐き捨てる。銭形が言葉を吐くと同時にロープを投げた。ロープは影丸の体に絡まり、グルグルと簀巻きにしてしまう。
 繊維合金を織り込んだロープでの束縛。幾ら忍であろうとも、脱出が不可能な銭形流の縛り方である。それを銭形はほんの一瞬で為した。

「ぐっ……!」

 口にまでロープが絡まり、影丸はうめく事しか出来ない。

「貴様ッ!」

 ルパン達の所業に、怒りを感じた天童が飛び出そうとするも、中条がそれを制した。

「中条殿ッ!」
「待ちたまえ天童君。少し話をしてみようじゃないか」

 中条は街灯から飛び降り、十メートル程の距離を置いてルパン達と対峙する。
 銭形はそんな中条の姿を見て、フンと鼻を鳴らした。

「中条、ますます偉そうになりおったな」
「ご無沙汰してます、銭形さん。健勝な様で何よりです」
「はっ、心にも無い事言うな。背中がムズ痒くなるわ」

 銭形はギョロギョロと九大天王を見回す。

「相変わらず、くだらない事をやっておる様だな。今回の一件、どうせ貴様らが原因の一端を担っておるのだろう。ここに来るまでに、危険に瀕してた民間人がたくさんおったぞ」

 銭形は何人もの人間を助けながら、ここまで走ってきたのだ。そのため、言外に中条を非難しているのだ。

「それがどうかしましたか。私達の正義は、いずれより大きな災厄から人々を救う。そのためにも多少の犠牲には目を瞑らねばなりません」

 然もありなん、と答える。

「変わらんのう。貴様らの押し付けがましい倫理に呆れてた事もあり、ワシは辞めたのだ。義理も人情も無く正義を語る、ワシには理解出来んわい」
「そうですか、銭形さん。影丸君の行いはこちらの不手際です、申し訳ありません。ですがどうでしょう、ルパンをそのままお引渡し願えたら、銭形さんに関してこちらで最大限の便宜を図らせていただきますよ。望めば九大天王への復帰も可能です」

 銭形の言葉を聞きながらも、中条はそうのたまった。
 銭形はため息一つ漏らしながら、九大天王の一人、大塚署長に目を向けた。

「おい、大塚よ。どうだ、ワシが抜けた後に座った九大天王とやらの席の座り心地は」
「……銭形、先輩」

 日本の警察官の制服を着た大塚署長。彼は銭形と同じく、日本の警察からのたたき上げで九大天王にまで上り詰めた人間である。
 十年前に銭形が《国際警察機構》、そして九大天王を辞めた後、その後釜に座ったのだ。
 二人は似たキャリアのため、おのずと先輩後輩の間柄になっていた。
 大塚は、問いかける銭形を強く睨み返す。
 その反応にため息を漏らした後、銭形は隣のルパンのわき腹を肘で小突いた。

「おいルパン。貴様は何故ここにいる、こいつらに何か目をつけられたのか?」
「いんや、こいつらが俺の知り合いの妹さんにちょっかいかけてたんだよ。八人がかりで嬲ろうとしてたから、俺様が止めに入ったって寸法さ。なにせ俺は紳士だからね~」

 銭形はルパンの言葉を聞いて、粗方を把握する。おそらく嘘は言ってないが、真実も語ってないだろう。
 九大天王が介入する存在、それが何かしらの特殊な事情を抱えているのは明白だった。
 それでも、銭形は決意する。

「おい、中条。こいつを引き渡せば、ワシを九大天王に戻してくれるんだな」
「えぇ、銭形さん程の実力があれば是非も無いかと」

 銭形の言葉を聞きながらも、隣にいるルパンは涼しい顔だ。

「なら御免だ。貴様らの様なヤツらの味方をするぐらいなら、犯罪者で十分だわい!」

 銭形はそう言いながら、コートの裾口から手錠を取り出す。

「ルパン、協力せい!」
「おいおいとっつあんいいのかよ、俺を逮捕出来なくなっちまうぜ」
「ふん《国際警察機構》ばかりが警察じゃないわい。貴様など埼玉県警に突き出してやる!」

 その言葉にルパンは微笑する。

「銭形さん正気ですか。影丸が拘束されたとは言え、九大天王。こちらには八人もいるのですよ」
「――いいや、七人だ」

 どこからか聞こえた声と共に、橋の下に水柱が上がる。
 何かが橋の近くの湖上に投げられたのだ。水柱が収まると、水上にプカプカと浮かぶ人影があった。
 それを見て九大天王の誰かが声を上げる。

「戴宗ッ!」

 九大天王の一人戴宗が、ボロボロの姿で浮かんでいる。一人先行し、偵察任務を行っていたはずの彼が、無残な姿で戻ってきたのだ。
 黒い影が橋向こうの建物から飛んでくる。その影は九大天王と同じく、橋の街頭のてっ辺に着地し、腕組みをしながら見下ろした。

「笑止ッ! 笑止ッ! 笑止ッ! 国際警察機構の腑抜けどもがッ! よもやここまで腐り果ててるとは、見下げ果てた奴らよ!」

 ギラギラとした瞳、片眼鏡を付け、口元には葉巻。〝衝撃のアルベルト〟がそこに立っていた。
 その姿を見て、ルパンは顔を引きつらせた。

「げっ……」
「貴様、ルパンか!」

 ギロリと睨み付ける。
 美砂の異母姉妹の姉であり、アルベルトの娘である女性がいる。
 そのアルベルトの娘とルパンはかつて親交があり、娘はルパンの大ファンでもあった。
 しかし、アルベルト本人はその関係に腹が立ち、何度もルパンを叩き出そうとした。ルパンもルパンで、そんなアルベルトの猛攻をヒョイヒョイと避け、いつの間にか逃げ切ってしまう。そんな関係も十年ほど前、ルパンの死亡により終わってしまうのだが。
 二人の間にはそんな事があり、ルパンはアルベルトを苦手としていた。

「おいおい、なんでアルベルトのおっちゃんまでいるんだよ」
「貴様、生きていたのか。それに銭形までおるか」

 アルベルトの鋭い眼光に、ルパンは及び腰になる。
 手錠で繋がれた銭形は、後ろに下がるルパンをグイッと引っ張った。

「久しいなアルベルトよ。よもや、お前は《国際警察機構》に協力するなどと言わんよな?」

 銭形の言葉に、アルベルトは笑いを堪えるかの様に答えた。

「わしが《国際警察機構》に? これ以上笑わせるな。たとえ奴らがどれだけ変わろうが、わしの生涯の敵である事は変わらん!」
「なら協力しろアルベルト。ワシはどうにも腹の虫が収まらん。こいつらが街中に入る前に、この橋の上で叩き返す。さすがに手が足らん、貴様も二、三人相手をしてやれ」

 アルベルトはそれにフン、と鼻息荒く返した。

「――いいだろう。貴様に協力するのはしゃくだが、虫の居所が悪いはわしも同じだ。だが、勘違いするな、元九大天王である貴様の味方になったわけでは無いぞ」

 銭形とアルベルトが闘気を発する。手錠で繋がれたルパンは、戦意を上げる銭形にズルズルと引っ張られる形だ。

「交渉決裂ですか。まぁいいでしょう。だが、あなた達は我々の実力を勘違いなされている様だ」

 それに対して、中条がスーツのジャケットを脱ぎ、軽くシャドーボクシングをして拳を温める。

「老いぼれどもが騒いでやがる」
「我々に勝つつもりか」
「とんだ思い上がりですな」

 九大天王が次々と銭形達へ敵意を向ける。
 一触即発の空気が場を支配した。
 その空気を切り裂いたのは、銭形であった。

「どぉおりゃぁぁ!!」

 銭形が空高くへと手錠を投げた。
 遥か上空まで飛んだ手錠は、そこで一瞬煌いた後、大量の投げ手錠へと分裂した。

「なぬッ――」

 九大天王の一人が驚きの声を上げる。
 分裂した数千の手錠が、まるで豪雨の様にこの橋へと降り注ぐ。

「ガハハ、これがワシからの宣戦布告だぁぁぁ!!」

 銭形の声。
 大量の手錠が舞う中、敵味方各々が動き出す。
 今、総勢十人の超人による乱戦が、図書館島を繋ぐ橋の上で始まった。



     ◆



「ちぃッ!」

 承太郎はフーゴのスタンド『パープル・ヘイズ』から距離を取った。
 そこへフーゴの背後から、承太郎を狙ったミスタの銃弾が襲い掛かる。

「オラオラ!」

 スタンドの拳の連打で、承太郎はそれをどうにか防ぐ。
 承太郎は予想以上の苦戦を強いられていた。
 こちらのスタンド能力は『時を止める』という反則的なまでの力を持っている。
 しかし、相手もさるもの。
 フーゴとミスタの二人は、しっかりと承太郎への対応をしていた。お互いの短所を補うコンビプレー。
 そのため、承太郎も決め手に欠いていた。
 ウィルスをばら撒きつつ、パワー型の『パープル・ヘイズ』が遠距離からの攻撃を防ぎ、ミスタは承太郎の隙を突いて狙撃や牽制を繰り返す。
 相手にこちら側の能力がばれているというのも痛かった。
 そして問題の一つがこちらの味方、仗助の存在であった。
 仗助もスタンドを使うが、それは数分前に発現したもの。まだ扱いに慣れていない上に、その能力も判明していない。
 故に、承太郎は仗助を守るというハンデを背負いつつ、手練二人を相手にしなくてはいけなかった。

「わわッ!」

 背後では仗助がスタンドを出しつつ、何やら慌てている。
 仗助はスタンドを御しきれていない。
 おそらくは自分と同じパワー型のスタンドなのだろうが、その溢れる力を持て余している様だ。

『くそッ、厄介だな』

 フーゴが舌打ちをする。
 決め手に欠けていたのはフーゴ達も同じだった。
 幾ら承太郎のスタンド能力を知っているとはいえ、その力は強大だ。ほんの少しの隙が、自分達の死へと繋がる。

(だが、後ろの男のおかげで均衡を保てている)

 フーゴ達が仗助を攻撃すれば、承太郎は下がらざるを得ない。仗助もスタンドで防御を行おうとするも、それは拙かった。
 歴戦のミスタからすれば、その防御の隙間を狙うのは容易い。かろうじて致命傷は避けているものの、仗助の体には少なくない傷があった。

(しかし、このままではマズイ。僕の能力には限りがある)

 フーゴのスタンド『パープル・ヘイズ』は強力だ。拳にあるカプセルが割れると、中から致死性のウィルスがばら撒かれる。日光に当たるとあっという間に殺菌されてしまうものの、感染すれば三十秒程で死に至る強力なウィルスだ。
 しかし、能力で使われるカプセルは両手に三個ずつ、合計六個しかない。もう二回ほど使用しているため、残りは四個。今後の戦闘も考えれば、出来るだけ多く残したい。
 フーゴは一気に畳み掛ける事を決意する。

『ミスタ一気に畳み掛けるぞ! あの〝変な髪形〟のガキに牽制をかけ続けろ、僕が空条承太郎を殺すッ!』
『良いプランだ。俺もこの戦いには飽き飽きしていた頃合だ』

 イタリア語でのやり取りだったが、距離が離れてたため承太郎には良く聞き取れず、イタリア語の分からない仗助には理解できないはずだった。
 しかし、仗助はフーゴがチラリと自分を見た事に気づいていた。その視線が自分のどこの部位を見ていたかも。

「あぁッ!!」

 仗助がこめかみに血管を浮かび上がらせながら吼える。

「おいイタリア野郎ッ! てめー今、俺の髪型を馬鹿にしただろう!」
「やめろ、仗助」

 仗助が無防備に歩いていく。承太郎の静止も振りほどき、メンチを切りながらフーゴに近づいた。
 そんな仗助に、承太郎は頭が痛くなる思いだった。
 仗助は昔から今のリーゼント頭に憧れており、その髪型を貶されるのを何よりも嫌う。現に今、本来理解出来ないはずのイタリア語ながら、相手の視線と口調で何を言っていたか察してしまったらしい。
 こうなると仗助は止められない。
 承太郎も一気に加勢しようとするが――。

「クッ!」

 承太郎の体に次々と銃弾が向かってくる。
 四方八方から、ジグザグに飛んでくる弾丸を、承太郎はスタンドで叩き落した。

『余所見するなよ、おっさん!』

 ミスタの罵声。

『予定変更だぜフーゴ。お前はそのガキをさっさと始末しろ。ウィルスに感染すれば、おそらくクージョーは助けようとするだろう。その隙を狙う!』

 その提案にフーゴも乗る。
 目の前に迫る仗助に対し、無慈悲な『パープル・ヘイズ』の一撃を放った。

「貰ったッ! 『パープル・ヘイズ』ッ!」

 『パープル・ヘイズ』の拳が仗助に向かう。

「舐めんなよッ! ドラァァァッッ!」

 フーゴの拳に合わさるように、仗助のスタンドの拳がぶつかった。

「なにッ!」

 拳と拳が正面からぶつかる。その威力故に、『パープル・ヘイズ』の右の拳のカプセル、残っていた二つともがヒビ割れた。

(クソッ! しくじった)

 まさかの捨て身の戦法に、フーゴは大事なカプセルを一度に二度も失った。それでも、ウィルスさえ間近で散布してしまえば、仗助の感染は必須。フーゴは冷徹な計算でもって、勝利への確信を抱いた。
 しかし――。

「なッ――」

 割れたはずのカプセルが、動画の逆再生を見るかの様に復元していく。
 その現象に、フーゴは一瞬硬直した。

「ドラァァァァァ!!」

 その隙を逃さず、仗助のスタンドの拳が『パープル・ヘイズ』の顔面に突き刺さる。

「ぐっ!」

 スタンドの影響を受け、フーゴが吹き飛びかけるが、どうにかこらえた。

「この、クソガキがぁぁぁぁぁッッ!」

 フーゴは怒りを露にしながら、再び『パープル・ヘイズ』で殴ろうとする。

(さっきの現象は何だ? いや決まっている、こいつのスタンド能力だ。じゃあ一体――)

 フーゴの中で様々な思考が過ぎる。
 『パープル・ヘイズ』の拳は、再び仗助のスタンドの拳で止められた。カプセルは割れるものの、瞬時にそれは元に戻る。

「こいつぅぅぅぅぅぅ!」
「ドラドラドラドラァ!」

 拳と拳がぶつかり合うのが繰り返された。

(この野郎の能力は復元? 物体を元に戻すのか?)

 その攻防で、フーゴは確信する。仗助のスタンド能力はおそらく復元、カプセルが割れた時、同時にあった拳の傷さえも修復された。そこから推測されるのは、物質や生命を復元するという能力の方向性。

(なら、ウィルスをばら撒かせないために、こちらを修復し続けるはず。なのに――!)

 フーゴ側の傷はすぐに復元した。しかし、仗助の傷は元に戻らない。おそらく仗助のスタンド能力は自分に適用されないのだろう。
 この状況は圧倒的にフーゴに優位なはずだ。

(なんで、僕が押されてるんだ!)

 拳と拳のぶつけ合い。フーゴは仗助により傷の復元をされ続けているにも関わらず、体の芯に強い痛みを感じた。

「どうしたイタリア野郎ッ! ドラドラドラーーーッ!!!」

 仗助の攻撃はより一層激しくなる。
 一撃当てれば終わるはずの優勢な戦いが、いつの間にか仗助により逆転されていた。

「いい加減くたばれーーーッ!」

 フーゴの理性が飛び、『パープル・ヘイズ』が野獣の様に仗助に襲い掛かろうとした。

「――なッ!」

 だが気づいたら、襲い掛かろうとした『パープル・ヘイズ』の両腕がブランと下に垂れていた。痛みがフーゴの体を走る。

(まさかッ――!)

 仗助とのスタンドの打ち合い、度重なる傷の復元で、フーゴのスタンドは確かに磨耗していたったのだ。
 折れた両腕を垂らしたフーゴの目前に、仗助の顔面があった。

「どうした! 仕舞いか、この野郎ッ!」

 仗助の生身のヘッドバットがフーゴに決まる。

「――ぶッ!」

 体勢を崩すフーゴに、仗助のスタンドの追い討ちがかかった。

「ドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラーーーーッ!」

 スタンドによる拳の嵐が、フーゴの体とスタンド、両方に降り注ぐ。

「――ガハッ!!」

 フーゴは血を撒き散らしながら、地面へと沈んだ。
 倒れたフーゴを見下ろし、そこで仗助は怒りが静まったのか、ハッと周囲を見渡す。
 今がどの様な状況か思い出したのだ。
 すると――。

「うぇっ?」

 少し離れた地面にもミスタが倒れているのを確認し、仗助は変な声を上げた。

「こっちは片付けた。良くやったな、仗助」

 承太郎がミスタを倒していた様だ。承太郎の能力は一対一なら絶大な力を発揮する。さすがのミスタも、承太郎相手では時間稼ぎが限界だった様だ。

「にしても、お前のそのすぐ頭にくる癖、どうにかならんのか」
「いやー、どうしても髪型貶されるとカーッとなっちまうんッスよね」

 ボリボリと首の後ろをかく仗助。

「とにかく急ごう。時間をくってしまった、康一君や豪徳寺君が心配だ」
「そうッスね、急ぎましょう」

 戦場の中心となる場所へと、二人は走り出した。



     ◆



 関東魔法協会の地下本部で、近右衛門は考えあぐねていた。
 現状に置ける手の少なさが、彼の苛立ちを強くさせている。

「ぬぅ……」

 現在、魔法協会の魔法使い達は、鬼神兵が現れた世界樹広場周辺を囲む形で戦線を作っている。円状に囲まれた戦線は、北部を除いたお椀型になり、避難民を守る壁となっていた。
 しかし、東部の戦線は崩れてしまっている。
 東部では範馬勇次郎とエヴァンジェリン達の戦いに、鬼神兵が混じる形で死闘が行なわれていた。
 幸い、避難民は西部と南部に誘導されているので、巻き込まれた人数は少ないだろう。
 湖に面した北部は、国際警察機構の侵攻に晒されている。避難誘導はかけたものの、戦線の維持のため、そこまで戦力が回せないのが現状だった。
 そしてなにより――。

「吉良吉影」

 吉良吉影と言われる今回の犯人は、あの世界樹を味方に付けているらしい。
 超の情報によれば、よほど密度の高い魔法障壁に守られているとか。
 それでも、彼を殺せば多くの魔法使いに仕掛けられている『スタンド』が解除できるはずなのだが、これまた超の情報システムによれば、殺すこと自体がこちらの不利になるらしい。
 だからといって放置する訳にはいかない。速やかなる処置が必要であった。吉良のスタンド発動まで二十分を切っている。
 本来、近右衛門は戦線を維持しながら、鬼神兵の数を減らした段階で、高畑に吉良討伐を命じようと思ってたのだ。
 システムの情報通りならば、高畑くらいの腕が無ければ、あの障壁を破るのは至難の業だ。
 現時点で魔法使いを複数向かわせた場合、避難民を守るための戦線は崩壊する。

(わしが行くか……しかし)

 近右衛門は極東一の魔法使い、などと呼ばれているが、その肉体はとうにピークを過ぎていた。魔力量と魔法の構成だけならば、人間の中ではかなりのものだろう。
 されど、実戦を離れた期間の長さが、近右衛門に不安を抱かせる。痩せ衰えた体に、かつての力強さは無い。魔力による強化が無ければ立つ事さえも難しいだろう。それに、近右衛門は元々前線で戦うタイプでは無いのだ。
 現状打破の手を考えている中、情報システムのマップの中に、一つのマーカーを見つける。

「ふぉっ、これは――」

 魔法使いが構築している戦線の内側に、金色のネズミのアイコンマーカーがあった。

「彼女が向かっているのか」

 近右衛門が知っている少女は、再び最前線で戦っている様だ。彼女には魔力も無く、気も扱えない。
 魔法使い達から見れば無謀とも思える状態で、彼女は最前線をひた走っているのだ。

「ふぉっふぉっふぉっ、わしは確かにもうろくしていた様じゃな」

 二ヶ月前にエヴァに言われた言葉が過ぎった。

「未だ矜持がある」

 ニヤリ、と近右衛門は強い笑みを作った。こめかみを汗が伝う。
 身の守り、保身。人が長く生きていると、それらにより眼が曇っていく。近右衛門は腹を括った。この戦いは誰しもが流血を避けれぬ戦いだと気付いたのだ。
 そうと決まれば、行動は早かった。

「皆の衆、この場から退避せよ。これから本部を破棄する!」

 近右衛門の言葉に、本部で作業していたスタッフ達が驚愕の表情をした。

「学園長、しかし――」
「しかしもへったくれも無いわ! これからこの地下本部ごと『麻帆良結界』を破壊する」

 結界の破壊、その意味を魔法使いの彼らはよく理解していた。
 この大きさの結界は何も不可視の壁、というだけでは無い。この土地の安定にも必要不可欠であり、世界樹の力の影響を外に漏らさない役目もあるのだ。
 『麻帆良結界』は云わば、建物の骨組みに等しい。世界樹という巨大な霊樹を抱えている麻帆良が、地脈などの安定をさせるために、一世紀以上の長い時間をかけ、改良改築してきた代物だ。
 そのため、結界の根幹はこの施設に直結している。結界の破壊は、この施設の放棄と同じ意味なのだ。
 結界が無くなれば、世界樹の持つ巨大な魔力により、いずれ何かしらの災害がこの地を襲うかもしれない。地脈やらに乗せた呪詛を街に蔓延させる輩もいるかもしれない。
 簡易的な結界ならば再構築は可能だろうが、一度破壊した後に『麻帆良結界』と同規模の結界を構築するのは数十年単位での時間が必要だろう。
 破壊すれば長年抑えられていた地脈は乱れる。そこからもう一度情報を精査して、こまかく構築を考えるのだ。
 結界の再構築には、巨大な歴史的建造物を一から作り直す程の根気が必要なのだ。

「現状では『結界』などお荷物に過ぎん。それに『結界』を壊せば、こちらの〝切り札〟が息を吹き返す」

 近右衛門はそう言いながら、足元に魔方陣を構築していく。空中に光の筆が現れたかの様に、魔力による光の軌跡が、複雑な幾何学模様を作った。
 巨大な施設である地下本部をまるごと壊すのは難しい。それでも『麻帆良結界』の基幹部分である場所を破壊すれば、麻帆良結界はドミノ倒しの様に崩れるはずだ。
 施設の中央部が破壊される様に、近右衛門は次々と魔方陣を作っていく。

「早く退避じゃ! そして戦線の維持に参加じゃ。わしもすぐに追いつく。我ら魔法使いの意地、見せてやれ!」

 この地下本部にいたスタッフは魔法使いであるが、それでも戦闘に秀でているわけでは無い。魔法とはなにも戦う術では無く、総合的な体系技術なのだ。
 それでも、彼らは一般人よりはるかに戦闘力を持っているだろう。
 近右衛門の指示に首肯した彼らは、手に持てるものだけを持ち、急いで施設から退避していく。
 人員が施設から完全退避するまでの数分、近右衛門は司令部で施設内部を見つめた。
 ガランと人がいなくなった光景に、どこか郷愁の念が沸く。

「ここともお別れじゃな」

 スタッフから退避完了の報告が持たされた瞬間、近右衛門は施設を破壊した。近右衛門の魔力光が設置した魔方陣から放たれ、次々と施設の支柱を破壊していく。結界の根幹となる、施設の中央も破壊された。
 近右衛門はそれを見届けると、あらかじめ用意しておいた短距離転移の術式で地上へと飛ぶ。
 老爺の瞳には、戦士たる鋭さが宿っていた。



     ◆



「こんな所で、寝てられるかよぉぉぉぉ!!」

 周囲をアンドロイドに囲まれ、千雨が疲労で倒れてしまった時、人影が空から舞い降りた。

「――え?」

 知覚領域にも確かに反応があった存在だ。
 千雨が叫んだ時、その人影はあっという間に数百メートルを走り、目の前までやって来た。
 その人間離れしたスピードに驚くものの、麻帆良の魔法使いならやってのけるだろう。先程出した救援要請により、やってきた魔法使いかと思ったのだが――。

「――よっと!」

 近くの建物の屋根から飛び降り、千雨とアンドロイドの間に飛び込んできた。
 余りのスピードに、人影は靴裏を石畳に擦りつけ、砂煙を上げながら止まる。

「な、なんだ」

 千雨は人影の存在に驚きを隠せなかった。
 その体躯は小さい。
 千雨の知覚領域が、目の前の存在の体格をしっかりと把握する。千雨と同じくらいの背、華奢な体つき。おそらく同年代の少女なのだろう。
 千雨が驚いたのは少女だという事では無い。

「てぇいっ!」

 少女は掛け声を上げながら、手に握った棒の様なものを振るった。
 振るうと同時に少女の長髪が、空中に筆で文字を書く様に軌跡を残す。
 その髪は異常だった。地面にまで着く程の長髪であり、その髪が少女の体躯や顔までも覆ってしまっている。
 千雨が驚いたのは、そんな少女の奇異な容姿なのだ。
 少女の手により振るわれた物は棒では無い。古い装飾、骨董品屋にでも置いてありそうな槍である。
 槍は近くのアンドロイドの体に突き刺さった。

「うわ」

 千雨はその現象の意味をしっかりと把握する。槍の成分はおそらく粗悪な鍛鉄。対してアンドロイドの装甲は最新技術の合金で出来ていた。単純な強度では後者が勝る。
 なのに槍は、アンドロイドの装甲を軽々と突き破った。

「そりゃぁぁぁぁ!!」

 少女は槍を持ち上げる。その切っ先にはアンドロイドが突き刺さったままである。
 少女の細腕が、信じられない程の膂力を発揮した。
 槍を肩に担ぎ、背負い投げの要領でアンドロイドを地面に叩きつける。

「ゴォォォーー!」

 アンドロイドの口から音が漏れた。石畳は破壊され、アンドロイドも上半身をその隙間に埋もれさせた。
 少女は素早く槍を引き抜き、まだ残っているアンドロイドへと対峙する。
 そんな少女の後ろ姿を見つめながら、千雨は呟いた。

「お前は、一体――」
「え、私?」

 少女は注意を前方に向けながらも、チラリと背後の千雨を見た。

「うーん、そうだね。えーと」

 少女はしばし逡巡した後、何かを思いついた様に笑みを浮かべる。

「通りすがりのヒーロー……見習いってとこかな!」
「……は?」



     ◆



 幾度目もの連鎖の果てに、超が見逃した希望の断片が姿を現す。
 本来交わらぬ線と線が交差し、状況は加速した。

――《佐天涙子が来訪しました》



 つづく。



●佐天涙子
二章の裏話的な話「るいことめい」の主人公。
別スレにて連載中。
獣の槍と呼ばれるアイテムを手に入れ、超人的な身体能力を得ている。
千雨の世界本編でも20話後半でチラリと登場。
また24話冒頭の都市伝説、同話のフレンダの台詞中にもちょこっと出てます。


●千雨の世界 勢力マップ
http:/
/nao-sko.sakura.ne.jp/novel/tizu004.jpg



[21114] 第54話「double hero/The second rush」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/27 13:56
 関東魔法協会の地下本部が崩壊し、麻帆良全土にひび割れの様な音が響いた。
 都市を包む結界の崩壊。
 麻帆良という土地を安定させていた枷が外れる。
 そして、時を同じくして麻帆良東部に光の柱が現れた。
 異常とも思える魔力量。溢れるばかりの力の奔流が、空を貫く光の柱を作っている。

「ククク……ハァーッハッハッハッ!! ジジイにしては中々の英断だッ! 今度あのハゲ頭を撫でてやろうか!」

 光の根元にいるのはエヴァンジェリンだった。
 彼女の力を封じる鎖も解かれた。今、エヴァンジェリンは全盛期の魔力を、思うが侭に使える。
 エヴァの体は酷い有様であった。体中から血を流し、骨が剥き出しの部位もある。
 それらも、光の柱が現れると共に、するすると元に戻っていく。吸血鬼の異常なる回復力が、エヴァンジェリンの莫大な魔力に後押しされて活性化していた。ものの数秒でエヴァの傷は快癒する。
 周囲は荒れ果てていた。麻帆良東部の森林部は更地かと言わんばかりに変形し、スクラップとなった鬼神兵が倒れていた。
 鬼神兵の近くには、意識があるものの立ち上がるのも困難な高畑がいる。少し遠くには辛うじて頭部と胴体は残っているが、戦闘不能だと一目で分かる茶々丸も倒れていた。
 激戦の余波がうかがえる。そんな中、まだ立っているのはエヴァと範馬勇次郎――そしてトリエラだ。
 勇次郎はほとんど無傷であるが、対するトリエラは満身創痍であった。
 体中は血に染まっている。肩口からねじ切られた自分の腕を、口元でくわえながら、両足と片手を地面にそえて構える姿は獣に似ていた。いや、獣そのものと言っても過言ではない。
 トリエラの唯一勝っている点は回復力。
 吸血鬼の利点を使い、トリエラはただ愚直に勇次郎に向かい続けた。

「フーッ、フーッ」

 鼻息荒く、血走った目で勇次郎を睨みつける。己が闘争本能に身を任せたそれは、獣性のもの。人の姿をした獣に等しい。
 そんなトリエラにも、エヴァの封印解放の余波は届いた。
 血の盟約の繋がりにより、エヴァの魔力がトリエラの回復能力も加速させた。おもむろに口にくわえた腕を取り、肩口に付ければあっという間に繋がる。
 トリエラは繋がった腕を軽く回し、その感触を確かめた。
 勇次郎がエヴァの変容を見る。

「おいおい、バアさん。やっと本気かよ。待ち飽きたぜ。いや――」

 そう言いながら、勇次郎はトリエラに視線を動かす。

「そうでもないか」

 勇次郎からすればトリエラは圧倒的に弱かった。鬼神兵にも、高畑にも、茶々丸にも届かない、この場にいた中で最弱の存在だろう。
 ところがどうだ、気付けばこの場に残っているのは勇次郎とエヴァとトリエラだけである。
 トリエラとて、別に逃げ隠れてたわけでは無い。ほとんど前線で勇次郎や鬼神兵に対し、お粗末な肉弾戦をこなしていただけだった。
 最初は勇次郎も嘲った。生意気な小娘、それこそ犯すくらいしか価値の無さそうな女だと思っていた。
 しかし、その認識はすぐ覆される事となる。
 真祖でも無い吸血鬼の回復力などたかが知れている。それなのにトリエラはその回復力だけを武器に、砕けた拳で相手を殴り、折れた足で蹴りを放ち続けた。
 とてつもない激痛が走っただろう、それこそ戦意を根こそぎそぎ落とされる程に。
 なのにトリエラの心は萎えなかった。自らが求める強い何か。トリエラはあさましいまでに戦場で生き続け、逃げる事も無く敵へと向かい続けた。
 その姿は勇次郎に取って賞賛に値するものだった。

(こいつを犯す? そんな勿体無い事出来るか)

 勇次郎は笑う。
 トリエラは単なる〝雌〟で無く、勇次郎にとって〝獲物〟になった。自らの強さを底上げする〝餌〟として。
 ましてや今はエヴァもいる。
 魔法使いと従者は、セットで始めて真価を発揮するのだ。
 エヴァの魔力はピシピシと勇次郎の肌を叩く。勇次郎は濃い戦いの匂いに酔いそうになる。
 勇次郎は物足りなさを感じていた。せっかく久々の戦場にやって来たものの、肩透かしをくらった気分である。
 しかし、今目の前にいる主従は、自分を満たしてくれるかもしれない。
 得も知れない高揚感が身に溢れた。

「くはははは、ババア、俺をもっと楽しませろよ!」

 エヴァも口元で弧を描く。
 先程までの勇次郎との戦いは、エヴァにとって歯噛みする戦いであった。身の不自由さに苛立っていた分、今は解放感に包まれている。
 未だ呪いのために学園の外には出れないものの、力は解放されていた。
 エヴァの瞳が強い光を放つ。

「小童が生意気な口を聞く。どれ、私が躾をしてやるかッ!」

 エヴァと勇次郎、二人の体から強大な力が溢れ出た。
 空気が振動し、地鳴りすら聞こえた。

「トリエラッ! 前衛を務めろ。数秒でいい、あの小童を足止めしろ」
「――了解」

 マスターたるエヴァの命に、トリエラは短く返す。
 『闇の福音』と呼ばれる吸血鬼、『地上最強の生物』と呼ばれる男、生ける二つの伝説が再び激突しようとする。
 その中でトリエラは疾駆する。

「あああぁぁぁぁぁぁぁッッッーーーー!!」

 心を駆け巡る思い、身を焦がす程の熱さがトリエラを動かし続けた。
 そんなトリエラの拳を顔面に受けながらも、勇次郎は笑みを絶やさない。
 激闘は更に過熱した。







 第54話「double hero/The second rush」







 《学園都市》の学生、佐天涙子にとってその話は寝耳に水であった。

「学園祭?」

 ほんの数日前の放課後、行きつけのファミレスにて、対面に座っていたのは佐倉愛衣である。

「はい、今度麻帆良で学園祭があるんです。佐天さんも行きませんか?」
「ふーん、学園祭かぁ」

 涙子はドリンクバーから持ってきたジュースを飲みながら、少し考える。確か麻帆良とは、目の前の愛衣と同じく〝魔法使い〟が集まる土地らしい。
 涙子もここ一ヶ月程で魔法やらオカルトには詳しくなった。なにせ当事者だ、詳しくならざるをえない。
 ここ《学園都市》は超能力開発を始めとし、様々な最先端科学を研究する都市だ。そこを一ヶ月程前から、ある人物達がオカルトや妖怪を使い襲い始めた。
 涙子はそんな事件のトリガーともいえるものを引いてしまった人間である。彼女が持つ霊槍《獣の槍》が、事件の起因に関係していた。
 その後涙子は、愛衣や様々な人の助けを借りながら、《学園都市》を襲った事件を解決した。
 その時の縁だろうか、佐倉愛衣とは戦友とも呼べる仲になっている。事件解決後も、学校が違うながらも、こうやって放課後にしばしば会うのは慣例になっていた。
 そこで切り出されたのが冒頭の話である。
 麻帆良からの国内留学生である愛衣は、ルームメイトであり姉弟子である、同じ留学生の高音・D・グッドマンと共に、学園祭で一旦麻帆良に戻るらしい。
 それに同行しないか、というお誘いだ。

「確か麻帆良の文化祭も規模が大きいって言ってたよね~」
「こちらの学園祭、一端覧祭でしたっけ? その規模は良く知りませんが、麻帆良もかなり大きい文化祭をやりますよ」
「ふーん」

 とは言っても、涙子はどちらも知らない。なんとなくテレビや話で聞いた事はあるが、麻帆良には今まで縁が無かったし、《学園都市》にはこの四月に入ったばかりだ、十一月の文化祭はまだ未経験である。

「興味はあるかな。麻帆良って綺麗な所らしいし、見てみたい気がする」
「それじゃ――」
「でも、たぶん無理。さすがに学園祭までの時間が無さ過ぎるよ、〝外〟へ出る申請は一ヶ月くらい経たないとたぶん下りないし。かなり厳しいと思うよ。ほら、佐倉さんは特別にしてもさ、私はただの一中学生だし~」

 涙子は顔をテーブルに突っ伏しながら、ひらひらと手首を振る。
 この一ヶ月で涙子は有名になっていた。もっとも、『毛玉女』とか『毛玉人間』とか、訳の分からない名前でだが。
 それらは、涙子が《獣の槍》を使った時の風貌を現している。奇異な姿ながらも、学園都市中を飛び回りながら人助けをするその姿は、今では概ね好意的に受け取られている。一部では熱狂的なファンがいるくらいだ。
 されとて、それは表沙汰に出来る事柄では無い。
 愛衣もコネを持っているが、それを使えば涙子の素性が怪しくなる。

「そうですか。残念です……」
「うーん、まぁ一応申請してみるけど、期待しないでよ。麻帆良の学園祭がすごいって事は、きっと他の学生も沢山申請してるだろうし」

 《学園都市》は閉鎖的だ。都市そのものが壁に囲まれ、最先端の技術の漏洩を防いでる。それは人間も同じであり、外への出入りには厳しい制限がある。
 近場でそれほど大きなイベントがあるのなら、他にも申請を出している人間は多いはず。後発の涙子の申請など通るはずは無かった。
 しかし数日後、涙子の携帯に届いたメールには外出申請の許可が表示されていた。
 本来は交わらぬ線と線は、邂逅の時を迎えようとしていた。



     ◆



 麻帆良にやって来た涙子と愛衣の二人と、高音はそれぞれ別行動を取る事となった。
 高音は学園長の元へ向かい、愛衣は涙子を案内する。

「うわ~、賑やかだねぇ」

 見渡す限りの人、人、人。
 欧風な街並みに、人がごった返していた。まるで某遊園地に来た気分である。
 涙子は愛衣に案内されるまま、様々な場所やイベントを巡った。
 しかし午後三時、麻帆良に異常が起こった。
 吉良吉影なる人物による宣言、そして超鈴音と呼ばれる少女のスピーチに、巨大な人型兵器の登場。
 突如溢れ出した大量のアンドロイド兵器に、民衆はパニックになる。
 そんな街中で、涙子は立ち上がった。

「佐倉さんッ!」

 愛衣に呼びかけながら、涙子は体の内から《獣の槍》を取り出す。その途端、涙子の風貌が一変する。
 背中に届く程の髪が更に伸び、立っていても地面に広がる程の長髪に変わる。爪も伸び、目もぎょろりと見開いた。
 一見すると変わってない様な細身の肉体も、筋肉が瞬時に密度を上げ、強靭なものに変わる。
 周囲の人間が涙子の変貌に驚くも、それに躊躇はしない。
 近くで暴れているアンドロイドに、涙子は一気に肉薄した。

「てぇい!」

 ぶるんと槍を振るい、アンドロイドに攻撃を仕掛ける。抗魔力を持つアンドロイドの装甲は硬い。
 しかし、抗魔力を持つからこそ、涙子の《槍》の敵では無かった。

「このぉぉぉぉぉぉ!!」

 破魔の霊槍、それが《獣の槍》だ。妖(バケモノ)を殺すために作られた槍は、魔力すらも斬る。
 涙子の放った一閃は、アンドロイドの装甲を断ち切った。

「佐天さん、行きます!」

 そこへ魔法使いである佐倉愛衣の援護射撃が追い討ちをかけた。
 殺到する炎の矢が、涙子の作った切り口に入り、アンドロイドを粉々にする。

「ナイス、佐倉さん!」
「はいっ!」

 二人は息の合ったコンビプレーでアンドロイドを駆逐していき、観光客の避難を助けた。
 だが、守るべき人も、倒すべき敵も多かった。
 混乱の中、涙子と愛衣はそれぞればらばらになってしまう。
 それでも涙子は、いつの間にか構築された戦線の先頭に立ち、槍を振るい続けた。
 そして涙子は一人の少女の叫び声を聞く。ただ体が動くまま、アンドロイドの群れへと飛び込んだ。



     ◆



 佐天涙子は千雨を背後に庇いながら、槍を構える。

「ほら、そこの人。今のうちに逃げた、逃げた」

 背中を向けながら、しっしと追い払う仕草をした。
 そんな涙子を見ながら、千雨は苦虫を潰した様な表情をする。
 息は荒い。ここまで走り通しだったため、足はぷるぷると震えていた。それを電子干渉(スナーク)で誤魔化しながら、どうにか立ち上がる。

「――助けてくれた事は感謝する。だけど、それとこれとは話が別だ。わたしには約束がある
、ここで引き下がれるかってーの」
 土と埃と血に塗れながらも、千雨の瞳には未だ輝きがあった。
 救いの無い葛藤の中で、自らが導き出した答え。今までの数々の思い出が、千雨の中で熱く輝き続けている。

「あっ――」

 ちらりと背後を見た涙子は、一瞬千雨に見とれてしまった。
 戦場と化してしまった麻帆良。
 この状況でも、背後に立つ少女の思いが揺るぎ無いと、涙子は直感で分かってしまった。
 《学園都市》での壮絶な一日。
 仲間達と戦い抜いたあの日々、涙子はそういう人間をたくさん見た。

「ふーん」

 ただ素っ気無く、涙子は千雨の事を見直す。
 それと共に、ふつふつと体から湧き上がる思いは何なのだろう。悲哀、憤怒、不安、どうととも取れる淡い感情だ。
 ただ、涙子の理性はこの感情を是としている。そうだ、これは〝期待〟だ。
 途端、ぶわっと感情が膨れ上がった。
 〝期待〟と判断した時、得も知れぬ高揚感が涙子を襲う。

「知っている、この感覚ッ!」

 ペロリと唇を一舐め。
 かつてモノレール上で妖怪と戦った時、一人の青年に感じた感覚。涙子の中でそれは鮮明に残っている。
 千雨の存在を意識しながらも、油断はしない。
 周囲を囲っていたアンドロイドが一斉に涙子に襲い掛かってくる。
 体勢を低くし、アンドロイドの拳を避けた。槍を振るい、次々と放たれる攻撃を捌いていく。
 千雨の眼前では目まぐるしい攻防が行なわれていた。

「うわ……」

 その光景を、千雨はただ呆然と見てしまう。
 もはや千雨の肉眼では捉えきれず、知覚領域でやっとその攻防を理解出きるくらいだ。
 涙子とアンドロイド群、お互いが致命打を与えられぬものの、戦いは拮抗していた。圧倒的な手数で攻めるアンドロイドを、涙子はいなし続けている。

「ね、ねぇ! そ……このメ、ガネちゃん!」
「メ、メガネちゃん?」

 激しい動きで声を途切れさせながらも、涙子は千雨に呼びかけた。
 千雨は聞きなれぬ自分の呼び名に、目を丸くしている。

「なんで、メガネちゃんは、逃げないの? ……どこへ、行きたい、の?」

 単純な疑問だった。
 涙子はこの事態をまったくと言っていい程理解していない。
 ただ目の前に害意があったため、涙子は事態に飛び込んだに過ぎない。
 だが、おそらくこの少女は違うのだろうと、涙子は推測した。
 麻帆良の制服を着た女子学生、大きなメガネが印象的で、涙子はつい『メガネちゃん』などと言ってしまった。同級生だろうと予測し、馴れ馴れしい呼び方をしている。実際は千雨の方が年上なのだが。
 彼女は何かを知っている、何かを為そうとしている。
 それは涙子の直感だ。

「……そんなの決まってるだろ」

 涙子はアンドロイドとの攻防を繰り返しながらも、千雨の小さな呟きが聞こえた。

「意地だ。これはわたしの、いや〝わたし達〟の意地だッ! あの世界樹には腹が立つ野郎が偉そうにふんぞり返っている。そいつをとっちめにいってやる!」

 その答えに、涙子は笑った。
 けったいな大儀では無く、只の意地。

「――でも、分かりやすくていいね、ソレ!」

 涙子が槍を大振りすると、それに合わせてアンドロイドが距離を取る。
 そして幾つかのアンドロイドが、口内への魔力の集束を始めた。
 ほんの一呼吸後、この場に魔力砲が放たれるのが予想出来た。
 涙子は背後の千雨の腕を掴んだ。

「へ?」

 グイと引っ張られ、千雨はポスンと涙子の背中に収まる。おんぶされる格好だ。

「特別だよ。私があなたのタクシー代わりになってあげる。まかせて、《獣の槍》があればひとっとび、ってね!」

 千雨達のいる場所に、魔力砲が殺到する。
 爆発。
 その炎の中から千雨を背負った涙子が飛び出した。
 強靭な足腰のバネを使い、上空へと一気に飛び上がる。
 そのまま四階建ての建物の屋根へと着地した。

「よっと」
「げほっ! げほっ!」

 涙子はさも当たり前の様に呟き、背負われた千雨は驚きながら咳き込んでいる。
 そんな二人へと、屋根の上にいたアンドロイドが一斉に襲い掛かった。

「えぇっ、こんなに!」

 十や二十じゃきかない数だ。
 アンドロイドは無秩序に破壊をしているわけでは無い。ある程度ターゲットを絞って行動している事を、涙子はこの十数分の戦いの最中で理解していた。あくまで一般人はその余波に巻き込まれているだけなのだ。
 ならば、このアンドロイド達の動きはおかしい。
 まるで自分達を集中的に狙っているかの様だ。

「もしかして……」

 涙子は背中にしがみ付いている少女を見る。
 先程、千雨を助けた時にも違和感があった。たかが一人の少女を相手に、あれだけの数のアンドロイドが集中するだろうか。
 涙子の中にあった予想が確信へと変わる。

「そっか、メガネちゃんこのロボットにモテるんだね」
「げほっ、こんなのにモテたくねーよ!」

 間違いない、アンドロイド達は千雨を狙っている。
 それを知るなり、涙子は口角を吊り上げた。
 アンドロイドが襲い掛かってくる。不安定な足場だが、涙子はうまくかわした。

「ほっ、やっ、とっ!」
「うわ、おえっぷ」

 涙子は軽やかに避け続けるものの、背中にしがみ付いた千雨はその動きに翻弄されて、乗り物酔いの様な状況だ。
 涙子の長い髪が顔中にまとわり付きながらも、千雨は必死に周囲を見た。

「ど、どうなってやがる」
「ほ、本当に、洒落になんないんだけど」

 涙子は屋根から屋根へと飛び移るが、数で押すアンドロイドはそのルートを片っ端から潰していく。

「道が無いか。――だったら!」

 涙子はその場から一気に空中へと飛び上がる。
 無防備な跳躍。それを隙と見たアンドロイド達が、魔力砲の照準を涙子に定めた。

「お、おい。やばいぞ!」
「だまっててッ!」

 千雨の心配も余所に、涙子は思考を集中させた。
 頭にある自らが生み出した演算式、それらをカチカチとはめていく。
 構築された〝ソレ〟を、一気に発露した。

「おい、これってまさか――」

 千雨の知覚領域が、その発動を察知した。千雨は〝ソレ〟を知っている。

「……超能力?」

 涙子の意思が、周囲に一つの変化を作った。
 風がなびいた。
 空気が一気に圧縮していく。
 涙子の飛ぶ先に、小さな空気の塊が出来上がった。
 ――空力使い(エアロハンド)。
 《学園都市》で空気の流れを操作する能力として区分される〝ソレ〟が、発動する。
 とは言っても、涙子の能力は所詮レベル1、ピンポン玉程の空気の塊を作る程度しか出来ない。
 しかし、《獣の槍》と合わさればその力は一気に飛躍する。

「いっけぇぇぇぇぇぇ!!」

 涙子は自らが作った空気の塊を足場とした。小さな塊は爪先で乗れる程の大きさしか無い。そこに足を掛けて更に高く飛ぶ。
 飛ぶ瞬間に空気の塊を破裂させ、跳躍を加速もさせた。

「――いっ!」

 ぐん、と体にかかる重圧が強くなり、落とされまいと千雨は必死にしがみつく。
 アンドロイドの魔力砲の一射目は見事に反れた。
 それでも相手は機械、再度予測した涙子の軌道に合わせ、次々と射撃が繰り出される。
 涙子達の眼前に、幾つもの光条が過ぎる。光線が絡み合い、麻帆良上空に光の網を作った。

「お、多すぎでしょ!」

 涙子が焦った声を出す。

「――くそっ!」

 千雨は背中をよじ登り、涙子の後頭部と自らのおでこをごちりとぶつけた。

「え? 何?」
「いいから黙ってろッ!」

 涙子の逡巡も構わず、千雨はそのまま電子干渉(スナーク)を使う。
 千雨の周囲にパチリと紫電が走った。

(こいつの肉体なら、大丈夫だろ)

 本来、人に対してこんな荒業は行なわないが、危機に瀕して手段など選んでいられなかった。
 くっついた額と後頭部を通じて、直接涙子へ情報を送る。
 千雨の知覚領域が、そのまま涙子の脳裏に投影された。

「え? え?」

 ほんの一瞬の出来事。涙子は戸惑いの声を上げた。

「な、何これ!」

 空中、風が涙子の頬を叩く。
 眼下には広大な麻帆良があり、頭上には手で掴めそうな雲があった。
 そんな視界が一気に広がる。まるで背中にも目が出来た様な感覚だった。三百六十度だけではない、上も下も、周囲の空間そのものが視界に入る。
 また、周囲から迫ってくる光線の予測軌道も見えた。
 それはまぎれも無く、千雨が感じている世界だ。

「すごい! すごいよコレ!」

 涙子達へ向けて幾つもの光線が突き刺さるが、涙子はそれを体を捻り、ギリギリで避ける。
 それだけでは無い、あらゆる角度から迫る光線を、体の回転、捻り、槍を振る反動、全てを使って紙一重で避けていく。
 千雨の周囲への感知能力と、涙子の身体能力が合わさった結果だった。

「ははははははッ!」
「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇ!」

 余りの高揚感に、涙子は笑い声を上げる。対して千雨は絶叫した。
 視界はくるくると空と地上が入れ替わり、浮遊感と落下感が絶え間なく襲う。ジェットコースターに乗っている気分だった。
 網の目を避ける様に、次々と跳躍していく。

「――ふっ!」

 空中で回転しながら涙子が槍を振るった。魔力砲を弾き、一番近いアンドロイドへ突きを喰らわせる。
 槍は装甲を容易く貫いた。
 しかし、一撃では仕留めきれない。動きの止まった涙子に、何体ものアンドロイドが追いすがった。

「くっ――」
「下だ、下に降りろ!」

 千雨はルートを提示する。涙子の脳内に、目標ポイントが示された。

「下?」
「いいから早くッ!」
「りょ~かいっ!」

 アンドロイドに槍を突き刺しながら、鉄棒の要領でくるりと逆上がりをする。体の上下が入れ替わった瞬間、上空に作っておいた空気の塊を足裏で掴み、跳ねた。
 存在しない天井を蹴った様に、涙子は地面へと真っ逆さまに落ちてゆく。

「どりゃッ!」

 矢の様な落下。

「だ、だから加減しろー!」

 再び千雨は叫んだ。
 普通に地上に降りろというのに、とんでもない速度で地面に向かっているのだ。
 地面が目前に近づくと、涙子は槍を手近な建物へと突き刺した。刺さった槍が壁面を破壊しながら、ゆっくりと落下のスピードを落としていく。
 丁度良くブレーキが効いた所で、涙子は槍を引き抜き、地面へと降り立った。

「えーと、ここに降りたらどうするの?」

 千雨は頭を抑えながら、ふらふらと涙子の背中から降りる。

「こいつを使うんだよ」

 そう言いながら、千雨は近くに乗り捨てられた車を指差す。

「上空じゃ、あのレーザーみたいなので進路阻まれて進めねえ。だったら地上を車か何かで一気に行くしかないだろ」
「車かー。でも私運転出来ないよ」
「安心しろ、槍女。この手の事は得意なんだよ」

 千雨が車の車体に触れる。一瞬パチリと紫電が走ったと思ったら、エンジンが掛かり出した。

「おぉ、すごい。――って、槍女って何よ。私にはちゃんと――」
「あーうるせえ。お前こそわたしの事をメガネちゃんなんて呼んでたろ!」



     ◆



 二人の口喧嘩が始まろうとしたが、状況がそれを許さなかった。
 何体かのアンドロイドが、千雨達に向けて落下してくる。
 アンドロイド達の攻撃から逃げるため、車のシートに腰を下ろす事も出来ず、そのまま車体にしがみ付く形で車は発進した。

「わわわ」

 千雨は車体によじ登れきれず、両腕と片足を天井部分に引っ掛けている格好だ。そんな格好をしながらも、車体を通して車をコントロールしている。
 アンドロイド達によりでこぼこになった道を、車は一気に疾走していく。

「ほら、危ないでしょ」

 車の天井に軽やかに立っている涙子は、千雨をヒョイと掴み、天井に部分に大の字に寝転がれるように誘導する。

「あ、ありがとよ」
「どういたしまして。メガネちゃんはこのまま運転に集中してて。私が露払いするから!」

 そう言うなり、涙子は車のボンネットで槍を構えた。不安定な足場のはずだが、ほとんど意に介さず動いている。

「――、やばい!」

 千雨の知覚領域が、アンドロイドの魔力砲の襲撃を感知した。車のハンドルを切り、急激な蛇行をする。
 突然の蛇行には、さすがの涙子も少しバランスを崩した。

「うわっと! ……さすがにこのままじゃ戦えないか。はぁ、これ高かったんだけどなー」

 少し悔しそうな顔をしながら、涙子は履いていたサンダルを脱ぎ捨てた。
 《獣の槍》の力により、涙子の足の爪はまるで鉤爪の様に変化している。足裏に力を込めると、メキメキと音がした。金属がひしゃげ、足裏がボンネットそのものを鷲掴みにする。

「よし、いける!」

 その有様を見ていた千雨は、口元を引きつらせながら呟いた。

「うわー、化け物かよお前。引くわー」
「人間リモコンのメガネちゃんには言われたくないよ!」

 涙子は千雨の能力を、リモコンの様な超能力と理解した様だ。《学園都市》で超能力とオカルトに触れた、涙子ならではの解釈であった。
 車は更に加速し、涙子の髪が筆で線を描くかの如くなびいた。
 髪の下には不敵な笑み。
 車が加速し、周囲の建物が後方に流れていく。
 前方に幾つかの影。数体のアンドロイドが立っていた。
 その口元に魔力の光。

「ちっ、避けるぞ掴まって――」
「大丈夫、このまま真っ直ぐ進んでッ!」

 千雨の声が遮られた。涙子の瞳には自信があった。
 あの日の事件を戦い抜いた己と、相棒たる《獣の槍》への揺るがぬ自信。
 千雨はそんな涙子を見て、舌打ちをする。

「くそ、言う通り真っ直ぐ走ってやる。しっかりどうにかしてくれ!」
「まーかせて!」

 どこか不思議な口調で涙子は答える。
 半身で構える涙子の姿は、サーブボードを車に変えたサーファーさながらだ。
 そのまま涙子は槍を前面に突き出した。

「ゴォォォォ!」

 前方から放たれた魔力砲。
 光条が車へと突き刺さろうとする――が。

「こんのぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!」

 涙子は《槍》の切っ先でそれを受ける。
 光の洪水が、槍によって引き裂かれた。
 真っ二つに割れた魔力砲は、車の周囲の建物を破壊していく。
 その間も光は未だ放たれ続けている。
 涙子はそれを必死に受け続けた。腕の筋肉が盛り上がり、その表面に血管も浮かび上がる。

「メガネちゃん、もっと速く!」
「わーってるよ!」

 光を引き裂きながら、車はその根元へと突き進む。
 エンジンが唸りを上げた。

「貰ったぁぁぁああああああああ!!」

 魔力の奔流を潜り抜け、車はアンドロイドをすり抜けた。
 その瞬間、涙子の槍が一閃する。《獣の槍》がアンドロイドをすだれに変える。

「――ッ!」

 落ち着いたのもつかの間、涙子は視線を上空に向ける。
 そこにはまた、魔力砲による攻撃をしようとするアンドロイドが一体残っていた。

「まだ!」

 その魔力砲を受け止めようと涙子は身構えるが。

「こいつは狙いたい放題だな」

 パン、という小さな破裂音。
 魔力砲を撃つ瞬間のアンドロイドの口内で小さな火花が出来、続いて頭部が爆発した。

「え?」

 涙子が呆気に取られて視線を戻せば、車に張り付きながら銃を構える千雨がいた。

「正面向いてタイミングさえあえば、わたしでも倒せるみたいだな」

 千雨は体勢を戻しながらそんな事を言う。

「メガネちゃんすごい! リモコンだけじゃないんだ!」
「うるせぇ、さっさと前向いてろ、来るぞ!」

 世界樹に近づくにつれ、敵の数は増えていく。
 アンドロイドの集団を時に槍で、時に銃弾で、次々と千雨達は駆逐していった。
 情報システムがその有様を表示していく。
 吉良陣営と麻帆良陣営、彼女達はそんな拮抗した戦線から飛び出した一本の矢だ。
 アンドロイドの集団を切り裂いていく姿は、麻帆良にいる人々の目に、確かに触れられていた。

「げ……」
「嘘でしょ」

 あともう一息で世界樹広場という所で異変が起きた。
 建物を掻き分け、破壊しながら一つの巨体が出てくる。
 身の丈四十メートル近い姿。
 鬼神兵と呼ばれる兵器の登場だった。

「くそ、戻ってきやがったか」

 鬼神兵の何体かは、最前線で魔法使い達と戦っている。
 千雨はその隙間を縫って突き進むつもりだった。
 しかし、鬼神兵は千雨達の迎撃のために戻ってきた。
 周囲の建物より明らかに大きい巨体。それでいて、それなりの素早さもある。
 千雨達が乗る車程度、簡単に踏み潰せるだろう。

(このままじゃ道が塞がれる。どうする、車を乗り捨てるか。でも、足が無ければ――)

 千雨は思案する。
 その間にも、巨体は進路を塞ぐように動いていた。
 見上げると首が痛くなるほどの大きさに、千雨は歯噛みする。
 すると――。

「――漫画や御伽噺だと、巨人が小人に負けるって王道だよね」

 涙子が呟いた。

「は?」
「大丈夫、まかせて」

 そう言いながら、涙子は千雨の体を小脇に抱えた。

「うわ、ちょっと待て。お前どうする――」
「黙ってて、舌噛むよ!」

 涙子は車のボンネットから飛び出した。
 車の加速を使い、そのまま近くの建物の壁へと着地する。

「行っくよぉぉぉぉぉ!!!」

 そして走った。
 垂直にいきり立つはずの壁面を、重力すら無視して涙子は裸足で駆け抜けていく。
 《槍》を前方に突き出し、空気の壁をも破壊した。
 乗り捨てた車が隣を並走していたが、それすらも追い抜き、涙子は益々加速していく。

「■■■■■■■ォォォォ!!!!!!」

 鬼神兵の咆哮。ビリビリと空気を振動させる。
 次いで放たれたのは、涙子達へ向けての拳打だ。
 家屋一戸分もありそうな腕が、地面へと突き刺さる。
 乗り捨てた車はその余波に巻き込まれ、空中に舞い上がり、無残にひしゃげている。
 粉塵が周囲に巻き起こり、涙子達の姿が消えた。
 しかし――。

「――甘ァい」

 涙子は跳躍し、巨人の腕に飛びついていた。その装甲に槍を突き刺し、どうにかしがみ付いている。
 小脇に抱えられた千雨は、声を押し殺しながら、必死に涙子の体に抱きついた。

「行くよメガネちゃん。しっかり掴まっててね!」

 涙子はそのまま鬼神兵の腕上を走り出す。
 鬼神兵もその姿を見つけ、虫でも追い払うかのような仕草をする。
 だが、涙子は跳躍しながら槍を駆使し、鬼神兵の頭部へ向けて足を速めた。

「こんのぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ォォォォ!!」

 すれ違い様、涙子は鬼神兵の頭部へと一撃を与える――が。

「――ッ、さすがに倒す事は出来ないか」

 人間で言う眼球部分を《槍》は確かに引き裂いたが、それでも相手は兵器、どれほどダメージを与えたのかは分からなかった。
 涙子はそのまま、鬼神兵の背中を一気に駆け下りていく。
 降りてくる涙子達を迎撃するため、何体かのアンドロイドが地上から魔力砲を放ってくる。幾つかが涙子の体を掠め、血が舞う。しかし、足は止めなかった。

「――ふッ!」

 息を吐きながら、涙子は鬼神兵の背中を蹴った。
 体が空を翔る。
 眼下には戦場となった麻帆良の街並み。そして、涙子達の飛ぶ先には、世界樹広場があった。
 それでもこのままでは届かない。広場までは涙子の跳躍では埋められない距離があった。

「まだ、まだーーーー!!!」

 カチリと脳内で演算式が構築された。
 勢いを失い、落下するはずの涙子の足元に小さな空気の塊が出来る。
 超能力。
 それを蹴り、更に高く、高く跳躍した。
 広場への距離は一気に埋まる。アンドロイドの追っ手をすり抜けながら、一直線に世界樹広場へ向かった。
 空中でくるくると回転しながら、跳躍の勢いを削ぎ、涙子は着地した。
 石畳に着地の勢いの痕跡が残る。裸足なのに石畳を削ったのは、《獣の槍》の肉体強化故だった。

「到着、っと。メガネちゃん着いたよ」

 涙子が小脇に抱えた手を離すと、千雨はペタリと地面に倒れた。
 どうやら目を回した様だ。
 千雨は電子干渉(スナーク)で体を操作しながら、立ち上がる。

「くっ、お前もうちょっとやり方無かったのかよ……」
「ほらほら、文句言わない。メガネちゃん、やる事あるんでしょ」

 千雨の背中がパシッと叩かれる。押し出された先には、世界樹広場へと続く階段があった。

(そうだ、この先に――)

 千雨がチラリと背後を振り向くと、こちらに矛先を向けたアンドロイド群と鬼神兵がいた。
 そこへ、涙子が立ちはだかる。その背中、その光景に千雨は数ヶ月前、共に戦った戦友の姿を垣間見た。
 自分を『仲間』と呼んでくれた、あの人の姿を。

「さぁ行った行った。私の仕事はここまで。タクシー代わりの私は、あのおっきいのを倒しながら帰路につくだけ、ってね」

 そう言いながら、涙子はニコリと笑う。

「あぁ、ありがとよ槍女。死なないでくれ、今度何か礼するからな!」
「――って、メガネちゃん。私にはちゃんと名前が……って、まぁいっか」

 階段を上っていく千雨を一瞥した後、涙子は再び鬼神兵達へと向き直った。

「ったく。お祭りに来たと思ったらこの騒ぎ。今年の春から、私呪われてるのかな」

 《槍》を見つめ、少し目が引きつった。

「まぁ、こんな《槍》持ってるなら、呪われてるんだろうね。――けれどもさ!」

 佐天涙子はかつて力を求めていた。
 《学園都市》という歪なヒエラルキーを持つ社会で、その底辺にいた涙子が力を求める事は自然な事だった。
 そして今は力がある。様々な悔恨と苦悩の果てに、涙子は力の矛先を自らの信念で決める事にした。
 ちっぽけな正義感。
 良心とでも表現していい。
 幼稚で果てしなく単純な思いを、笑わない友人と仲間がいた。
 だからこそ涙子は槍を持ち、戦える。
 今という時間の中で、涙子の思いは強く体を動かす。
 千雨の足音は遠くなっていく。
 彼女の姿に、涙子はシンパシーの様なものを感じていた。
 姿や形では無い何かが、おそらく似ているのだ。

「まぁ、後はメガネちゃんに任せようか。私はお手伝いするだけかな!」

 目の前には倒しそびれたアンドロイドが軍勢を作り、その中心には鬼神兵までいる。
 涙子は槍を構え走り出そうとするが――。

「え?」

 アンドロイド達に向け、大量の炎の矢が突き刺さった。装甲にはばまれ致命傷に至らぬものの、足並みは止まった。

「佐天さーーーん!」
「あ、佐倉さん!」

 上空、箒に乗った佐倉愛衣が降りてくる。
 その背後には何人もの魔法使いの姿があった。
 佐倉愛衣、涙子にとってこれほど頼りになる援軍はいなかった。

「佐倉さん、合わせて!」
「ふぇっ? も、もう佐天さんッ!」

 涙子は愛衣の姿を確認するなり、無造作に敵陣へ突っ込んだ。
 愛衣はそんな佐天の姿に驚きながらも、必死に追いかけ、サポートする。
 こうして長谷川千雨と佐天涙子の邂逅は、お互い名前を知らぬまま終わった。
 彼女達が再会するまでには、後に数年の歳月が必要であった。



 つづく。



[21114] 第55話「響く声」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/02/29 13:24
 麻帆良はかつてない状況に置かれていた。
 巨大兵器が街並みを破壊し魔法が飛び交う。
 それはオカルトと科学が混ざり合う、大規模な戦場であった。
 その中心たる世界樹広場にはなぜか平穏があった。
 戦線は世界樹を中心に円状に構築されている。
 そのため本陣たるこの広場まで戦火は広がらず、吉良吉影は悠々と世界樹の幹に背中を預けてくつろいでいる。

「来たか」

 電子精霊が警告を発した。この世界樹広場へ誰かが来たらしい。
 吉良は幹から背を離しその人物を待つ。
 これから自分の戦いが始まる。
 思うと、手の平にじっとりと汗が吹き出る。そうなりながらも幾度もの戦いの経験が吉良に自信を持たせていた。
 この麻帆良でも指折りの実力を持つ高畑すら、平行世界の自分は倒してみせたのだ。揺るぎ無い結果は、吉良の自信を後押しする。
 吉良は人物が来るだろう方向へ視線を向けた。
 カツカツと階段を上る音がする。
 やがて階段の下から、人影がゆっくりと現れた。

「へぇ、君か」

 吉良は少し驚いた様な顔をする。
 予想外だった様だ。
 人影は階段を上りきり、そして――。







 第55話「響く声」







 御剣怜侍は、自分の執務室でそのデータを見て顔をしかめた。
 送られてきたデータはほんの数分前に発信されたもの、かつて自分が仕事を依頼した男からのメールだ。
 その内容は急を要するものだった。しかし、ドクター・イースターたるものが一介の検事である自分にこの内容を送ること自体、畑違いも甚だしい。
 それを鑑みれば、彼がなぜ自分に麻帆良の状況を、救援を求むメールを送ったか分かった気がする。

「そこまでなのか」

 国際警察機構が麻帆良に侵攻した旨は一切報道されていなかった。
 テレビのチャンネルを回すものの、ニュース速報も流れていない。
 端末で交通情報を確認すれば、埼玉方面の列車が事故のため運転見合わせになっていたり、その路線間でバスによるピストン運送をする旨が書かれている程度だ。
 大規模な情報封鎖。
 政府はこの状況を傍観しているのだろう。東京の目と鼻の先で行なわれている戦場を、放置し続けているのだ。
 御剣は拳を机に叩きつけた。

「馬鹿げているッ!」

 麻帆良祭の来場客数がどれ程の規模か、それを考えれば愚行としか思えなかった。
 御剣は千雨により渡された魔法の情報を切っ掛けにし、オカルトが関連している一部の情報ネットワークにアクセス出来るようになっていた。
 そこで知った魔法の兵器としての一面に、愕然としたのを覚えている。
 魔法、などというクラシカルでファンタジーな言葉が、スイッチ一つで大量の人間を殺せる近代兵器と同じ、もしくはそれすらも凌駕する威力がある事を知った。
 今、それらが放たれる状況に置いて、政府は一切介入の予兆を見せない。
 執務室の外に広がる東京の風景は日常と変わらなかった。
 それだけを見れば、御剣は先程のメールの真偽を疑わざる得ない。
 しかし、先程の交通情報や幾つかの漏れた情報の断片が、麻帆良の異常を示していた。

「私に何が出来る」

 司法の徒である自分が、国政に意見具申など出来る分けが無い。
 それに自分はまだ新人の検事に過ぎない。
 だが、御剣の中にある義務感が、このまま放置する事を是非としなかった。
 彼は執務室を出て行く。
 この数分後、彼の嘆願により、司法という異例の権力基盤から政府の情報封鎖に穴が穿たれる事となる。
 それを切っ掛けとした自衛隊の独断での出動も続き、多くの人間が職を辞し、処罰される事態となった。
 だが、この彼の行動により多くの避難民がいち早く自衛隊に保護されたのも事実である。
 数ヵ月後に行なわれた衆議院選挙にて現政権が大敗した事からも、世論の評価では正当なものであった。
 御剣怜侍もまた、戦った人間の一人だった。



     ◆



 世界樹広場に辿り付いた人影に、吉良は軽い驚きを感じていた。
 そう、〝彼〟がこの麻帆良に存在していた事は知っていたが、かつて一度もここへ辿り着いた事は無かった。少なくとも現在の吉良が知る限りは。

「意外だね、広瀬康一君。君がこの場に現れるなんて」

 康一は肩を上下させながら、世界樹広場へと進む。

「吉良……吉影」

 視線の先には悠々と立つ吉良の姿。その顔は先程思い出した自分の記憶の断片に合致する。
 湾内絹保の顔が過ぎった。彼女は病院で眠り続けている。康一の背後には破壊されていく麻帆良の街並み。その中には彼女が入院している病院もあった。果たして絹保は無事なのだろうか。それでも――、今だけは。

「お前がァ!!」

 康一の激情が口から飛び出した。
 体の中を巡る〝音〟が指先に集まりだす。
 それは金属が発する甲高い音に似ていた。
 音を圧縮して放つ。康一がスタンドと超能力、二つの力を混ぜ合わせて得た答えだった。
 康一が腕を振るうと、その指先から音の弾丸が飛び出す。
 空気を揺るがす衝撃波。
 それも――。

「へぇ」

 ズン、と地鳴りの様な音がした。吉良の前にある不可視の壁、魔法障壁が康一の攻撃を全て受けた。
 世界樹が淡く発光し、この広場を吉良に有利なフィールドへ作り変える。

「やっぱり面白いね、広瀬康一君。君を《矢》で刺して正解だった」
「くッ――」

 自らの数少ない攻撃手段を難なく防がれ、康一は歯噛みした。
 それでも、康一は行動を止めない。そのまま吉良へ向けて走り出す。
 康一がここまで来るのに数多くの助けがあった。
 承太郎や仗助、薫。美砂、そして美砂の父親。康一は知らなかったが、何時かの平行世界では多くの場合、ここまで康一が辿り着くことは無かった。
 それを思えば奇跡の様な巡り合わせなのだ。
 今、目前に吉良吉影がいる。

「ここで全部だ! 吉良、お前から取り戻すぞ!」

 康一の背中には数多くの思いがあった。
 体を低くし広場を一気に駆ける。足裏から衝撃波を出すのは、無意識の所作であった。
 初めてスケートリンクに立ったかのぎこちなさだが、どうにか倒れずに済んだ。

「吉良ァァァァ!」

 《エコーズ》を纏いながら体ごと障壁にぶつかった。
 衝撃音。先程より幾分高い音が魔法障壁から漏れる。
 康一の肩に確かな手ごたえがあった。
 見れば、薄っすらと障壁にヒビが入っている。

(行けるッ!)

 康一は力を更に込め――。

「ふむ、本当に面白いな。スタンドと超能力を同時に使う、か。良いサンプルになる」

 吉良は康一に近づき、障壁越しに観察している。
 その所作、表情が康一を更に苛立たせた。

「こ、のォォォォォ!」
「おいおい、熱くなるなよ。たかがゲームじゃないか」

 そう言いながら吉良は〝ポケットに手を突っ込んだ〟。
 たかがゲーム、その言葉に康一はカッとなる。未だ目覚めぬ湾内絹保。荒れ果てた麻帆良。それらを思うと怒りと共に目尻に涙が浮かんだ。

「お前はッ!!」
「おやおや、そんなに〝私〟が憎いのかい。困ったなぁ」

 小馬鹿にした態度。康一はそれが許せなく、〝音〟の残量も気にせず、更に全力で魔法障壁にブチ当たった。

「〝私〟は君に恩義を感じてるくらいなんだ。超能力者がスタンドを使える、これがどれ程すごい事なのか、分かるかい?」

 魔法障壁のヒビが更に広がっていく。

「どうやら《学園都市》で超能力開発を行なわれた人間は、魔法やオカルトの行使に問題が起きるらしい。なのに、スタンド使いにはなれる。これは発見だよ」

 吉良は懐から《矢》を取り出した。古めかしい意匠の鏃、それを康一に見せつける様に持つ。

「どうせ空条承太郎に聞いているだろう。これがスタンド使いを発生させる《矢》だ。聞くところによれば、《学園都市》は随分おっかないらしいね。精神の未熟な子供が、超能力なんてオモチャを手に入れたせいかな。君も経験あるんだろう、広瀬康一君」

 康一の脳裏に自分を苛めていた存在が過ぎった。グっと歯を食いしばる。

「だからどうしたッ!」
「おぉ、恐い。もっと落ち着いて考えてごらん。いいかい、あの《学園都市》では超能力開発に成功した者と、成功しなかった者に愕然たる格差があると聞く。そこがまた治安の悪化にも繋がっているんだろう。多くはそのヒエラルキーに屈折した思いを抱いてるだろうさ。そこで、だ」

 吉良は《矢》を康一の目前でプラプラと振った。

「この《矢》を《学園都市》にばら撒く。そうだな、ハンマーででも叩いて、何個かに分割すればいいんじゃないかな。触れて死ななければスタンド使いになれる、魔法の道具の完成だ。あっという間に《学園都市》内に広がるさ。そして起こるのは、ヒエラルキーの逆転だ」

 ニヤリと吉良が笑う。

「あの都市は超能力開発という、科学の延長で成り立っている。それが『スタンド』に逆転されるのさ。どうなるか、恐らく《学園都市》はスタンド使いを消そうとするはず。いや、モルモットかな。そこで起きるのは混乱と粛清、『超能力者』と『スタンド使い』による激しい抗争だ」

 パッと吉良は両手を開き、康一にこれ見よがしに笑顔を向ける。
 《学園都市》で抗争を起こさせる案は、吉良の中の次善策としてあった。吉良にとっては自らの平和、安寧こそが目的。《学園都市》の弱体化は、その中で望むべきものである。
 しかし、それをそのまま話すわけにはいかない。出来るだけ憎たらしく、康一を煽る様に語りかけた。
 見れば、康一は憤怒の表情をしながら自分を睨んでいた。
 吉良は内心でほくそえむ。

(たやすいな)

 吉良の言葉に怒りを感じ、康一の視野は狭まった。

「お前はァァァァァァ!」

 康一は力を強めた。ヒビが一気に広がり、呆気無く障壁が崩れて〝消える〟。まるで〝意図された〟如く。
 目前に吉良。康一は残りの力を振り絞り、手の中に音の弾丸を作り出す。
 対して吉良は、背後に自らのスタンド『Queen』を出した。
 『Queen』の動作は遅く、康一は必中を確信する。

「貰ったァァ!!」

 康一が狙ったのは吉良の肩口であった。頭部や心臓を狙わず、彼はあくまで吉良の無力化しようとする。

「『キラークイーン』!!」

 吉良も応じる。
 二人の間に爆発が生じた。そして――。



     ◆



 湖上での激闘は続く。
 烈海王の放つ拳が《梁山泊》兵の体に吸い込まれた。
 烈を取り囲む兵は五人。四方八方から突き出される剣や槍を紙一重でかわしながら、拳や蹴りで応戦していく。
 致命傷は無いものの、烈の褐色の肌に幾つもの赤い線があった。肩には矢も一本刺さっている。
 それでも動きに乱れは無い。
 足場は水上。気を抜けば容易く水中に沈む状況だが、まるで地面に立っているかの様な安定した立ち居振る舞いだ。

「フンッ!」

 烈のアッパー気味の肘撃ちが、《梁山泊》の一人の顎を打ち抜いた。打ち抜かれた兵士は、血と折れた歯を口から盛大に吐きながら、吹き飛んでいく。
 飛んでいった兵士が、湖上に大きな水柱を作った。

(これで五十八人ッ!)

 それは烈の倒した相手の数であった。
 湖上に横一列で並び、一気に麻帆良に向かってきた《梁山泊》。
 それに対し烈は自ら名乗りを上げて古菲と二人で立ち向かったものの、押し寄せる『線』に対し『点』で止めるには限界があった。
 足止め出来たのは十分の一がせいぜいであろう。もちろん、それとて快挙に他ならないが。
 大部分の《梁山泊》兵はもはや麻帆良へ辿り着き、街に浸透し始めている。

(彼らは無事だろうか)

 自らの力で街を守ろうと決起した武道を志す若者達。彼らを生かすため、烈は尖兵として飛び出したのだ。
 そんな状況にありながら望外な事もあった。

(古よ)

 四人の兵士をいなしつつ、烈は視線をチラリと遠くへ向けた。
 そこでは古菲が三人の《梁山泊》兵を相手にしながら、烈と同じ様に戦っている。

(ものの数分でか。我が弟子ながら見事ッ!)

 戦端を開いた当初、古菲は烈の背後を守るという位置取りであった。
 古も慣れぬ水上という事もあり、烈が用意した木片の上に乗りながら一人の兵士とどうにか互角に戦う程度であった。
 だが、それはものの数分で変わる事となる。
 《梁山泊》の兵とて英雄奸雄の群れである。その実力や技量は本来、古菲より遥かに上であった。
 古とて最初の一人には浅くない傷を負わされ、大苦戦していた。
 血に塗れながらも、古菲という刃は実戦の中で研ぎ澄まされていく。
 一人を倒せば、烈の周辺に群れていた兵の一人が古に向かっていった。古はなんとかそれを最初の一人より素早く倒す。そこへ今度は二人襲い掛かり――。
 度重なる戦いの中、古菲という種子は見事に花開いたのだ。
 古は敵の猛者達の一挙手一投足を貪欲に吸収し、もはや《梁山泊》兵一人では太刀打ち出来ない程に実力を上げている。
 足元にはもう木片も無い。本人も気付いていなかったが、古は戦いの中で水上での移動すら会得していた。

「チェイ!」

 古菲の蹴りが《梁山泊》の一人の顔面に突き刺さる。その一人もまた、湖上に水柱を作る事となった。
 古菲の顔には笑顔があった。戦士としての高揚、口元を吊り上げながらも目はギラギラと燃えている。

「これアル! これが! ワタシが求めてたのはッ!」

 次々に振られた刃を拳で破壊し、一斉に放たれた数十の矢を跳躍でかわす。
 この場に残っている《梁山泊》の兵士は二十を切っている。そして彼らの周囲には水面に浮かぶ同胞達の姿があった。
 誇りを尊ぶ彼らからすれば、ここで引ける道理は無い。

「海王はともかく、この小娘もやる!」
「海王も小娘も手傷を負っておる! 一気に片付けるぞ!」

 十人程が烈と古を取り囲み、残りの十人が少し離れて弓を構えていた。
 《梁山泊》兵の矢は、鉄をも貫く。そして十人居ればほんの数瞬で数千の矢を放つ事が出来る。その異常さこそが《梁山泊》なのだ。
 烈と古を囲む十人はおそらく時間稼ぎ。烈達を足止めし、射手の一斉射撃と共に離脱する。烈達が兵を追いかけようとしても蜂の巣になる。それが彼らの作戦であった。
 烈達には矢より早く、数百メートル先の人間を攻撃する術は無い。されど――。

「古よ、合わせろ!」
「はい、老師!」

 宙を舞う古菲を追いかける様に、烈も空へ舞い上がった。そして古へ向けて自らの足裏を向ける。

「行くね、老師ッ!!」

 古は体を大きく捻り、自らが放てる最大の蹴りを烈の足裏へ向けて撃った。

「――ッ!」

 その攻撃を受け止めた烈の体は、矢を構える射手達へ向けて飛ばされる。

「何だとッ!」
「くっ、放て!」

 その行動に慌てた射手達が、一斉に矢を放ち始める。
 烈は空を飛びながら両手で顔と体を覆い、射線に晒す肉体の面積を最小限にした。
 放たれる矢は容赦なく烈の体から肉を抉っていく。しかし、致命傷には至らない。
 海王を名乗り、中国拳法の歴史に名を刻む武人の体を破壊するには、鉄を貫く程度では足りないのだ。
 例え皮膚を裂き、肉を抉ろうとそこまでだ。気を纏い凝縮された筋肉がそこで矢を止めてしまう。
 事実、烈の肩には数本の矢が刺さったものの、肉をほんの少し抉った所で〝止められていた〟。
 射手達が目を見開く中、烈の体は彼らを追い越した。
 着水の音は僅かだった。水柱を上げる事も無く、ただ飛沫が数粒空中に舞うだけ。
 《梁山泊》の射手達は背中に悪寒を感じた。
 背後にいる存在は無手で至れる武人の極み、その一角。
 烈の目が笑みを作る。口が歪な弧を描いた。

「ぐ……が……」

 コキリ、という音と共に射手の一人の首が奇妙な方向へ曲がる。
 射手達が振り向くのに一秒もいらない。ほんのコンマ一秒で済む動作、なのにそのほんのコンマ一秒で五人が倒れていた。
 海王に隙だらけの背中を見せた結果であった。

「フンハッ!」

 震脚。本来地面を踏みしめる武術の動作を、烈は水上で行なった。
 されどやはり水柱は発生しない。無音のまま水面に波紋が広がっただけだ。

「ぬ」
「なッ――」

 射手達が動きを止める。
 確かに音は発しないものの、その波紋には烈の膨大な気が込められており、それに触れた彼らは体を硬直させた。
 残った五人は無防備な姿を、また海王の前に晒す。
 そこで烈の戦いは決着した。
 対して、古菲も戦っていた。
 烈を射手へ向けて飛ばした後、その場に残された古が相手するのは、自分の敵だけで無く、先程まで烈が相手していた敵も含む。
 一度に相対する敵が倍になったのだ。

「難局にて難敵を相手する。これほど武人の心が躍るのカ。一騎当千の心地アル!」

 古は烈を蹴った後、下で待ち構える《梁山泊》のド真ん中に着水した。
 槍と剣が一斉に突き放たれる。

「ハァァァァァァァ!!」

 古菲の体に莫大な気が練り上げられる。彼女の才覚、その発露。古は劣勢にありながら、純粋な力勝負を仕掛けようとしていた。
 突き出された剣や槍の切っ先一つ一つを、指の間、手の平、脇の下、足先、膝の裏で受け止めた。
 総勢十本の武器を己の体一つで受け、古は一本足で立っている格好である。

「何を!」

 《梁山泊》が驚愕する中、古は受け止めた武器の切っ先全てに力を込めた。

「飛ぶがいいアル!」

 古菲は武器を、その持ち手ごと真上に投げた。
 投げ飛ばされた十人はバラバラの高さに散らばっている。

「この膂力、化け物め!」
「やはり海王の弟子か!」
「さればこそ、我々を舐めるなよ!」

 《梁山泊》は気を取り直し、各々が空中で姿勢を整える。空中で縦一列になりながら古菲へ向けて落ちていく。

「――いっぱいまとめて相手すると厄介アル。だけど、一人一人だったら無問題(モーマンタイ)アル」

 縦に一列。つまりは古にすれば一対一を十回。しかし、その十回の戦いはほんの二、三秒に過ぎないだろう。
 それでも、古は確信を持っていた。心が躍った。力が溢れた。
 拳の刃は鋭さを増している。
 その刃が折れる事など、今の古には想像など出来ない。

「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 空中から落ちてきた一人目が奇声を上げる。
 古はそれを拳の一発で黙らせた。
 一人目の影から、二人目が飛び出してくる。
 その人間を振り上げた蹴りの一撃で吹き飛ばす。
 そして三人目が――。
 頭上に次々と現れる《梁山泊》。一対十の戦いは、常人には目視も難しい。
 ただ破裂音だけを聞き、終わるだろう。
 そして音の後に現れるのは、水面に倒れる十名の姿と――。

「ハァァァァァァァァ!」

 ――その中央にたたずむ少女の光景。
 古の歓喜が、裂帛の咆哮として口から溢れる。
 後に、女性初の『海王』となる古菲の産声であった。



     ◆



「う……あ……」

 康一は仰向けに倒れていた。
 鈍い感覚。体中がギシギシと痛んだ。

(何が、起きたんだ)

 記憶が飛んでいた。
 康一は回復しかけた意識を総動員して、現在の状況を確認しようとする。

(確か)

 魔法障壁を何とか破り、吉良に肉薄し、至近距離で《エコーズ》を放った。しかしその時吉良も何かを爆破させ――。

「ぐぅぅぅぅ……」

 激痛が足元から上ってきた。
 康一は上体を起こし、その傷を見てしまう。

「あ、あぁ」

 自らの両足の酷い有様を。爆発のため溶けた靴や制服が皮膚に張り付いており、その隙間からはどす黒い色の肌が見える。膝下が普段の数倍に膨らみ、見るだけで顔を背けたくなった。辛うじて足の形をしているが、その傷の酷さに康一は「もう歩けないのでは」という思いが過ぎる。
 それでも、本来被るはずだった傷よりは軽い。康一は纏っていた《エコーズ》のおかげで、この程度で済んでいたのだ。

「――ッ!」

 傷を認識した途端、痛みが激しくなった。涙がポロポロと溢れる。良く見れば、膝下以外も爆発のために少なくない火傷を負っていた。

「おやおや、これは酷いな」

 声がかかり、康一はハッと顔を上げた。
 視線の先には吉良がいる。ジャケットにスラックス、そのどれもに汚れや血の跡も無い。康一は先程、魔法障壁の内側に飛び込んだ。あの間合いで自分の攻撃が外れるとも思えない、それに、あの場所で爆発が起きたはずだ。なぜ自分だけが――。

「な、なんで……」
「あぁ、もしかして私に傷一つ無いのが不満かい? なに、件の魔法障壁でありがたく回避させて貰ったよ。幾ら世界樹と言えども、障壁は一度破壊されたら、修復に多少の時間はかかる。そう、破壊出来たらね」

 康一は記憶をほじくり返す。先程自分はその障壁を破壊したはずだ。それならば。

「不思議そうだね。君は障壁など壊してないよ。たかが、その程度のスタンドで、戦車砲すら受け止められる魔法障壁を破壊出来ると思ったのかい? 障壁は一回消して、僕の近くでもう一度再構成したに過ぎない」

 魔力などというものを康一は感知出来ない。魔法の存在とて、承太郎に教えて貰ったばかりであり、その実物を見たのは今日が初めてだ。
 そのため、魔力障壁への違和感など感じる術すら持ち合わせていなかった。

「お陰でトラップも仕掛けたい放題さ。へぇ、かっこいい足になったじゃないか」

 『トラップ』、『仕掛け放題』などと言葉に含みをもたせて言う。そんな吉良を、康一は怯えた目で見た。恐怖、畏怖、そんなものが多分に混ざった瞳に、吉良の嗜虐心に喜びが混じる。
 吉良の行いは単純であった。ポケットに入れておいた小麦粉を、爆弾化して地面にばら撒き、そこへ康一をおびき寄せたに過ぎない。康一の視線が地面に向かない様に、挑発を繰り返した上でだが。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 康一の息は荒い。
 体を痛みが襲う。骨まで露出はして無いものの、足の損傷は激しい。虹村形兆との戦いで負った傷も、今考えれば軽傷だったのでは無いかと思えた。
 半袖のワイシャツもぼろきれの様になり、むき出しだった腕も少なくない火傷を負っていた。
 爆発時に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたせいだろう、背中にも鈍い痛みがある。
 そして――。

(恐い、恐い、恐い)

 恐怖が心を抉っている。
 康一は自らの慢心に気付き始めた。虹村形兆を倒した事により、まるで自分がヒーローか何かになった様な気分だったのでは無いか。

(僕の音はアイツに通じない。僕には、何も出来ない)

 康一は自らが忌避していた超常の力、それに頼りきってしまっていた。その頼りが脆くも崩れ、康一は戦意を喪失してしまう。

(いや、違う。僕は元々何も出来ないんだ。あの時だって、承太郎さんに助けて貰ったし。それに今日だって――)

 虹村形兆との戦いでは、承太郎の助けがあり助かった。ここに来るまでにも、承太郎達や様々な人に助けて貰うばかりで、康一は何もしていないも同然であった。
 それなのに康一は吉良の挑発に乗り、自らの力を過信してただ真っ直ぐに挑んでしまったのだ。

「ほらどうしたんだ? さっきまでの威勢はさ?」

 吉良の周囲――先程まで自分が立っていた場所は、爆発のせいで石畳が捲れ上がっていた。瓦礫となった石材が、ゴロゴロと転がっている。吉良のスタンドの威力がうかがえた。

「うっ」

 康一はズリズリと後ずさりをした。足が動かないため、必死に手を動かす。足の傷が地面に擦れて痛みが増すが、それでも止められなかった。

「どうしたんだい? ほら、私を倒しに来たんだろう」

 康一の怯えきった様子に、吉良はほとほと呆れていた。

(こんなものか。障害にもなりえないな)

 嬲る仕草をしながらも、吉良の冷徹な部分が康一を観察していた。
 その時、小さな音が聞こえた。

「え?」

 聞き覚えのある音に、康一は声を漏らす。
 石畳を小刻みに叩く音と共に、ポップスのメロディーラインが流れた。
 音の方向を見れば、少し離れた場所に折りたたみ式の携帯電話が落ちていた。
 吉良は携帯電話を確認し興味を失うも、康一はそれを見つめ続けた。

「あれは」

 康一の携帯電話だった。爆発の余波を受け、ポケットから飛び出したのだろう。衝撃で開いたディスプレイには、着信相手が表示されている。

「美砂、ちゃん」

 柿崎美砂。
 康一が一週間程前に助けた少女だ。彼女はまるで自分をヒーローか何かの様に扱う。
 それは幻想だと、康一自身思っている。
 しかし、彼女は康一に無垢な信頼を寄せていた。更には、父親にまで康一の援助をお願いしたのだ。
 そんな美砂が、康一の電話に向けてコール音を鳴らしていた。
 彼女が何を言おうと電話したのかは分からない。
 それでも、康一は美砂が無事な事にホッとした。
 そして、美砂のコール音を切っ掛けに様々な〝声〟が康一の耳に響き始めた。
 美砂だけでは無い。仗助、薫、承太郎。康一がこの街に来て、知りえた多くの人達。そして、康一の命を救った、湾内絹保。
 背中を押された気がした。

「僕は情けないな。後輩にばっかり心配させて」

 ――何度もの失敗が許される世界は無い。それでも……。

「僕はまだ何もしていない。まだ立ち上がれる。あぁ、そうだ、吉良を殴ってやるんだ」

 大きく息を吐いた後、康一は地面に手を付いた。

「ん?」

 吉良はその所作に、疑問符を浮かべた。
 足先はボロボロだ。爪が溶け、指がひしゃげ、皮膚が赤く焼けただれている。
 そんな片足をまるで地に突き刺すが如く、地面に叩きつける。

「おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおお!!」

 脂汗が一気に吹き出る。康一の瞳は見開き、歯は必要以上に食いしばられた。
 駆け巡る激痛を無理矢理押さえつけ、康一は膝立ちをする。そのまま両手を使い、もう片足も地面に触れさせた。

「あぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」

 産まれたての小鹿の様に、プルプルと震えながら、康一は立ち上がる。
 足元には小さな血溜まりが出来ていた。
 立ち上がった康一に対し、吉良は素の表情で驚いていた。あの傷は明らかに立ち上がれる様な傷ではない。

「君は――」
「吉良、僕の声が聞こえるか」

 吉良の言葉が遮られた。康一の不可解な問いに、吉良は眉をしかめる。

「何を言っているんだ。広瀬康一」
「そうか、聞こえてるなら――」

 ――何度もの失敗が許される世界は無い。それでも、その失敗の数だけ立ち上がれる人間がいたら、人は彼らを……。

「僕の、勝ちだ」

 汗があご先を伝った。康一は歯を食いしばり、不敵に笑う。

 ――人は彼らを〝勝者〟と呼ぶのだ。



     ◆



 世界樹広場で対峙する二人。
 一方は満身創痍であり、もう一方は無傷である。
 状況は圧倒的不利であるのに、満身創痍な康一は歪な笑みを浮かべた。

「気でも狂ったか。今の君に何が出きる。立っているのでやっとの君が」

 先程立ち上がってから、康一は一歩も動いていない。いや動けなかった。

「僕は勘違いしていた。でも、それに気付けた」

 瞳にはまだ輝きが残っていた。恐怖はある、しかしそれを越える思いが、康一の中で燻っていた。

「〝音〟……」

 美砂の着信音。
 単純な事であった。〝音〟で作り上げた弾丸は障壁に阻まれたのに、携帯の着信音は吉良の耳に届いている。
 そのあやふやな矛盾。同じ空気の震動でありながら、何かしらのフィルタリングにより、それらは選別されていた。
 魔法を良く知らない康一には、それがどの様な基準か分からない。
 しかし『声が聞こえている』。それだけで充分なのだ。
 康一の唯一の武器、それらは〝音〟に起因している。ならば、康一はそれを使い、勝機を見出さなくてはいけない。

「僕はもう歩けない。だけど、お前を倒せるだけでいい。それだけのために――」

 康一の手には〝殻〟があった。本来スタンドとして発現した〝卵〟。それが割れ、パラパラと小さな〝殻〟になる。
 それらが目前にある捲れ上がった石畳に散らばった。

「変われる」

 康一の奇妙な動作に、吉良は警戒を強めて間合いを取る。

「君のお小言は聞き飽きたよ。今度こそさようならだ、広瀬康一」

 自らのジャケットのボタンを引き千切り、爆弾化する。それを康一へ向けて投げた。
 空中を回転するボタン。
 吉良はタイミングを合わせて、起爆スイッチを押した。
 衝撃。
 爆炎が一気に広がり、ビリビリと空気を震わす。
 肉片に変わった康一の姿を、吉良は想像した。
 しかし砂煙が晴れた先には、先程同じく康一が立っていた。

「何ッ」

 その不可解な現象に吉良は警戒を強めた。
 康一の姿は満身創痍なのは変わらぬが、爆発の影響を受けていない様だ。

(何だ。何をした。援軍? いや、この広場に他の人間は入ってきてないはず。ならば、やはり広瀬康一が何かをしたのか)

 その時、康一の目の前にある捲れた地面がモゾリと動いた。周囲にある破片や瓦礫がくっ付き合いながら、歪なシルエットを作っていく。
 破片が吸い寄せられ、シルエットに重なる。出来上がったのは一メートル余程の小柄な人の形をした〝何か〟。

(スタンド? それにしては違和感がある)

 吉良の経験が、その〝何か〟がスタンドでは無いと判断する。
 精神の具現化たるスタンドは、時として様々な形を作り出す。しかし、そこにはある一定の法則性が存在していたが、吉良には目の前の〝何か〟が法則性からはみ出てる様に感じられた。
 人型になった〝何か〟は、一歩を踏み出し、歩き始める。

『F…r…F、Frr……F――ze』

 奇妙な機械音が、その口とも鼻とも言えない場所から聞こえてきた。

「――あぁ、行くぞ《エコーズ》!」

 康一のかけ声と共に〝何か〟――《エコーズ》――も雄たけびを上げた。

『FFFFFFFFFreーーーー!!!』

 瓦礫で出来た体を軋ませながら、《エコーズ》は吉良へ向けてゆっくりと走り出す。
 それだけの行動でも、康一の体は悲鳴を上げるように疼いた。

「くッ――」

 脳内に溢れる演算式。それは《エコーズ》の超能力としての一面だったが、能力そのものが形を変えると共に、その演算式もシフトアップされていた。
 事実、本来レベル1であった康一の超能力は、この時レベル2へとなっていた。
 肉体と脳内、二つの苦痛が康一を襲う。

「何だコイツは」

 走る《エコーズ》の有様は奇妙さを醸し出していた。子供が糸人形を繰り、無理矢理走らせている印象。
 吉良は魔法障壁を張りながらも、《エコーズ》に対して警戒を強める。
 手に爆弾化した小麦粉を持ち、それを《エコーズ》の進路上にばら撒く。

「壊れろ、木偶が」

 《エコーズ》の足元が爆発し、その体はまた破片と瓦礫に戻っていく。
 だがすぐにバラバラになった破片が集まり、先程と同じシルエットを作りだした。
 再び体を取り戻した《エコーズ》は吉良へ向けてゆっくりと走り出す。

(スタンドでいう自立型か? 壊しても本体に影響が無い。厄介だな。この土壇場で能力が成長したか。だが、この状況も一つのサンプルになる)

 幾ら相手の力が成長しようと、吉良の周りには鉄壁の防御があった。
 フラフラと壊れた人形の様な、ぎこちない動きをする《エコーズ》は予想通りに進路を魔法障壁に阻まれた。
 《エコーズ》はその歪な手の平を、ペタリと不可視の壁に貼り付けた。それはまるでパントマイムをしている様な仕草だ。
 そして――。

「行けッ! 《エコーズ》!!」
『FF――FREEZEEEE!!』

 ドゥン、と重低音が広場に響いた。
 いつの間にか《エコーズ》の手の平がスピーカーの様な形に変わっていた。そのウーファー部分が細かく震動する。

「何を――」

 言葉が途切れる。吉良の頬に衝撃。
 視界が明滅する。倒れそうになるが、吉良はなんとか踏みとどまった。

「ぐっ……あっ……」

 鼻からボタボタと血が流れる。
 それは頬を殴られた感触に似ていた。されとて周囲には誰も居ない。ならば必然、あの《エコーズ》がやったのだと理解出来た。
 吉良は歯を食いしばり、前方を睨む。
 そこには相変わらずボロボロのまま立つ康一と、魔法障壁に手を貼り付ける《エコーズ》が見えた。

『F……F――』

 しかし《エコーズ》の様相は一変していた。瓦礫の歪な塊だった体が、人型のシルエットを残しつつ、光沢のある流線型の体へと変わっていた。それはどこか工業製品を想起させる。
 両手の平はスピーカーの様な形をしており、目の部分はバイザーの様なもので隠れていた。

「ぐ、あのスタンド、また形を変えたのか」

 吉良は知らない。
 《エコーズ》は『スタンド』としての側面を持っているが、それが徐々に失われていっている事を。
 超能力とスタンド能力の融合が進み、《エコーズ》はまた一つ形を変えた。本来スタンド能力としての、『スタンドはスタンド使いしか見えない』という特性は失われている。
 今の《エコーズ》の体は、周囲の物体を吸収して構築されただめ、誰でも見ることが出来た。

『FREEーーーーZE!!』

 また《エコーズ》から重低音が発せられた。それは確かに、吉良の耳にまで届いた。そして――。

「ごふッ」

 パン、という破裂音と共に吉良の顔に衝撃が走った。
 再びの頭部への衝撃で、吉良はまた体をふらつかせる。

(何だ、何が起きた。何故魔法障壁が僕を守らない。何故、何故――)

 そこへ、更に次々と衝撃がやって来る。連続する破裂音。
 吉良はまるでサンドバッグになった様に揺さぶられながら、状況を必死に認識しようとする。

(違う! 魔法障壁が守らないんじゃない。あのスタンドは『魔法障壁を無効化』しているんだ!)

 それは事実であった。
 《エコーズ》の両手のスピーカーはそれぞれ別の音を出している。それをうまくコントロールし、二つの音を吉良の眼前で共鳴、破裂させ、衝撃波を作っていた。
 魔法障壁を無効化する、ただそれだけのために、《エコーズ》は姿と力を変化させた。
 『音の拳』。
 康一が使っていた『音の弾丸』より遥かに劣る威力ながら、それは吉良と戦うに置いては最大の武器になる。
 康一は『吉良を倒す』、そのためだけに能力の形を変えたのだ。
 音が届く限りリーチすら無視して放たれる、不可視の拳。
 それが今、吉良の体を撃つ。

「一気に畳み込め、《エコーズ》!」
『FREEEEZEEEE!!!』

 《エコーズ》は唸りを上げながら、拳のラッシュをする。
 吉良はそれを『Queen』の腕でガードしようとするが、『拳』は容易にその内側に潜ってくる。吉良はアゴを打ち据えられた。

「が……は……」

 視界が揺らぐ中、吉良は自らの懐に手を入れた。取り出したのは白い銃、かつてどこかの世界で千雨から奪った『千雨の銃』だ。
 弾丸を爆弾化して、照準を付ける。銃口は《エコーズ》に向いていた。

「消えろォォ!」

 腫れ上がった顔、吉良の口からは叫び声と共に血飛沫が混じる。
 放たれた銃弾は、世界樹により開けられた魔法障壁の小さな穴を通り、《エコーズ》の体へ突き刺さった。そこで弾丸は爆発する。
 《エコーズ》の流線型の体がスクラップになるが、今度は周囲にある瓦礫だけで無く、石畳の石材を空間ごと抉り取って復元した。
 ほんの数秒で《エコーズ》はまた元の姿に戻る。

『F……F……F――zzee』
「チィッ!」

 再び《エコーズ》は『音の拳』の照準を合わせ始めた。
 しかし、その復元から攻撃までの数秒の時間で、吉良は目の前の事象を見極めていた。

(やはりコイツはスタンドじゃ無い。スタンド〝もどき〟だ。半自立型の様に、能力者の制御を受けながら、能力者はスタンドのダメージに影響されていない)

 本来スタンドとは、能力者自身の精神ビジョンであった。例外はあるものの、スタンドが受けたダメージは、本体たる人間にも影響を与える。
 見れば、康一は怪我はしているものの、《エコーズ》自身のダメージを受けていなかった。

(スタンドもどきの攻撃力は低い。即死する程の威力じゃないが、このまま受けたらどん詰まりだ)

 《エコーズ》の攻撃は、銃弾に遥かに及ばない。十発近い攻撃を受けた吉良も、死んではおらず生きている。
 もちろん、吉良の体は所々腫れ上がっていた。骨も数箇所、ヒビなり折れるなりしてるかもしれない。
 このまま受け続けたら、おそらく危険だろうが、そこまでなのだ。

(スタンドもどきへの攻撃は現状では時間稼ぎにしかならない。ならば、本体を叩けばいいだけの事)

 銃弾を取り出して込める。幸い、吉良はこの銃に合う銃弾を、幾つかの平行世界で得ていた。銃口を康一へと向けなおす。
 康一との距離は三十メートル程、吉良の銃の腕を考えたら当てるのは難しいだろう。
 だが吉良は当てる必要は無い。弾丸がその方向に向けて飛べば、爆発の余波に巻き込めるだろう。
 満身創痍の康一ならばそれだけで――殺せる。

「死ねェ!!」

 引き金をひく。放たれた銃弾は、康一の傍に着弾し、爆発。

「がぁッ!」

 爆炎が康一を炙り、衝撃が体を叩く。ボロボロの足は、それだけでも折れてしまいそうだ。崩れ落ちそうになる体を必死で支えた。
 《エコーズ》を自分の周囲に戻して、守りに徹しようとする思いが過ぎるが。

「退けるかァ!」

 康一は腕を交差して爆発に耐えながら、決して《エコーズ》を下がらせようとしなかった。
 吉良が倒れるか、康一が倒れるかの我慢比べが始まる。
 そこは戦場の中心だった。
 世界樹広場に配置されたカメラは、超によって情報端末に公開されている。麻帆良の多くの人間が、その状況を見つめていた。
 《エコーズ》の攻撃が吉良を撃ち続ける。対して吉良も走りながら康一へと銃撃をした。攻撃されながらのため吉良の照準は甘く、直撃はしない。
 それでも、爆発のため少なくないダメージを康一は受け続けている。
 憧憬があった。悔恨があった。怨嗟があった。嫉妬があった。恋慕があった。喜びがあった。
 麻帆良という都市が崩壊していく中で、康一の思いが駆け巡る。
 《学園都市》から逃げた自分は、この都市に救われたのだ、あの何でも無い日々が、情景として脳裏を掠めた。
 周囲を爆炎が覆い、康一の意識が僅かに反れる。《エコーズ》の動きが鈍くなった。その隙を、吉良は見逃さない。

「いい加減、くたばれェーーー!」

 吉良の放った銃弾が、初めて康一へ直撃しようとする。が――。

「なッ――」

 銃弾は吉良と康一の中間で爆発した。同時に、吉良の脳裏に情報がもたらされる。それは電子精霊が示した、侵入者の警鐘。

「チィッ! このタイミングで……」

 吉良の顔が醜く歪んだ。睨みつけたのは自らの銃弾を〝撃ち落した〟人物。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 息を切らせた千雨が、銃を構えながら広場へと入ってきた。

「長谷川千雨ーーー!」
「やっちまえ先輩! 銃弾はわたしが撃ち落してやる!」

 均衡が破れる。
 知覚領域を周囲に展開する千雨には、吉良の銃口の向きで射線が分かる。そこへ向けて千雨は銃撃を放った。
 吉良の攻撃は千雨に撃ち落されていく。

「もう離さない! 絶対に、絶対にだ!」

 康一が吼えた。
 それは悔恨の日々だった。一ヶ月前、何故あの時に自分は何も出来なかったのだろうと。
 眠り続ける絹保の顔。康一の声はもはや届かず、彼女の体は徐々に衰弱していった。

『FREEーーーーーーーーーーーーZE!!!』

 加速していく《音の拳》。
 吉良の意識を確かに削り取っていく。

(マズイ……こ、こで、こんな――ところで、ぼ、くが……)

 吉良が片膝をつく。

「届けぇぇぇぇぇええええ!!!」

 もはや康一も限界であった。残った力を振り絞り、《エコーズ》が最後の一撃を放つ。
 力が抜けた吉良は、その一撃で吹き飛ばされた。宙を舞う体躯。世界樹の幹にぶつかり、吉良は止まる。

「――がッ!」

 吉良のうめき声。
 その瞬間、パリンと何かが壊れる音がした。
 康一は自らの胸を見ると、そこにあるはずのスタンド爆弾が消えていた。

「はは、やった。やったんだ……」

 康一は笑顔を浮かべ地面に倒れこんだ。
 それは康一が――そして絹保が吉良の呪縛から解放された音だった。
 千雨が倒れる康一に気付き、慌てて近づいてくる。

「やったよ、湾内さん……」

 そう小さく呟き、康一は目を閉じた。



     ◆



 戦場となった麻帆良の余波は、市内の病院にまで届いていた。
 職員達は患者を様々な方法で退避させていく。
 救急車は起き上がれない患者をしこたま詰め込んで、近くの病院へとピストン輸送を繰り返している。
 そんな中、ストレッチャーに固定された湾内絹保の姿があった。
 従来の治療法では対処が出来ない絹保は、近右衛門や承太郎の援助の下に《学園都市》に戻らず、麻帆良の病院で様々な治療が為された。しかし、状況は一向に快方に向かわず、寝たきりの彼女の体は徐々に痩せ細ろえていった。
 ストレッチャーを救急車に乗せ様とした時、絹保が薄っすらと目を開けている事に看護士の一人が気づいた。

「嘘……」

 驚いた看護士だったが、事態は非常時だ。

「湾内さん、少し我慢してくださいね」

 そんな言葉をかけて、とりあえず救急車に絹保を詰め込む。
 絹保はぼうっと救急車の天井を見ながら、先程の〝声〟を思い出した。

「……先輩?」



     ◆



 倒れた康一を見て千雨は慌てた。傍目からもあの傷は危険だ。恐らくすぐに処置をしなければ、命に関わるはず。
 だが、千雨は康一に近づけなかった。

「えッ――」

 千雨が上がってきた広場の向かい側、そこに巨大な物体が落ちてきた。
 轟音。吹きすさぶ粉塵に千雨は顔を腕で覆う。
 階段を割り、石畳を粉々に破壊するそれを、千雨は先程見ていた。

「あのデカブツの腕?」

 鬼神兵の腕だった。おそらく肘関節からねじ切られた事が、その有様から想像できる。
 そして、その腕に続くように人影が三つ降り立った。

「ほう、首魁はもう倒されちゃったのか。残念だな」

 白髪交じりの頭に黒いサングラス。破れて汚くなったワイシャツを身に纏う男。九大天王が一人、中条であった。
 その背後には老爺と釣り竿を持った男が付き添っている。

「されど、間は悪くないかと。漁夫の利を得たり、という所ですかな」
「ははは、それは美味しい」

 中条と釣り竿の男は二人で談笑し、ヤンヤヤンヤと笑い出す。
 戦場に似つかわしくない二人の雰囲気に、千雨はしばし呆気に取られた。

「フン、話はそこまでのようだ。来おったぞ」

 老爺――無明幻妖斉が二人をたしなめた。
 幻妖斉の言葉に、二人は視線をある方向に向けた。千雨から見て右手。千雨の知覚領域にも反応がある。
 空中から飛び降りてきたのは、近衛近右衛門を中心とした、数人の魔法使いであった。
 各々が戦ってきたのだろう、様相は傷だらけだ。それでも彼らの眼光には戦意があった。
 近右衛門が一歩踏み出し、広場の向かい側にいる中条と対峙する。

「――中条殿、これはどういう事じゃね」

 近右衛門は言葉を発する。その口調には明確な敵意があった。

「どう、とは何の事ですかな」
「ここに来てしらばっくれるな、馬鹿者ッ!」

 怒声。魔力を含むそれは、ピリピリと空気を振動させる。

「ははは、お怒りを沈ませてください。なに、我らのこの介入は麻帆良という土地の『治安回復』を目的としてるんですよ。ですがなにぶん、戦士というのは血の気が多いものでして、いささかやり過ぎてしまうきらいがありますが」

 世界樹広場は、麻帆良の中心に盛り上がった形で作られている小高い丘だ。故に街並みを見下ろす事が出来た。
 千雨が首をグルリと回すと、周囲の情勢は一変していた。
 アンドロイドと鬼神兵はその多くが撃破され、数を減らしている。
 世界樹を中心に、南に半円状に作られた魔法使いによる戦線がどうにか持ちこたえたらしい。それと同時に北から攻め込んだ《梁山泊》勢が、アンドロイド勢を駆逐したのだ。
 しかし――。

「おい……こいつは……」

 千雨は息を呑んだ。
 アンドロイドが少なくなるや、今度は魔法使いと《梁山泊》による衝突が始まったのだ。
 もちろん、未だアンドロイドや鬼神兵は残っている。
 三つ巴による泥沼の戦場が広がっていた。

「テロ行為への対処は感謝する。しかし、この暴挙は一体何だと言うのじゃ!」
「暴挙……ですか? 勘違いして貰っては困りますな。私達の目的は『治安回復』。つまり、あなた達はその妨げになると判断されています。しからば、これは必然」

 近右衛門に対し、中条は悠々と答えた。

「我が国際警察機構は、関東魔法協会が麻帆良を管理する事は不適当と判断しました。これは治安回復と共に、施設の接収なのですよ。そこで反抗があれば対処する。我らは無辜(むこ)の民には優しいですが、反乱分子には厳しく当たります」

 そう言いながら中条は口元を嫌らしく吊り上げた。
 近右衛門は表情を険しくする。明らかに相手は根回しをしていた。錦の旗は中条の背後になびいているのだろう。
 それでも今、中条に麻帆良を明け渡す事への危険性は理解できた。

(恐らく、あやつの目的はそれだけでは無かろう)

 ちらりと世界樹へ視線を向ければ、その根元に倒れる吉良吉影が見えた。

(吉良吉影――いや、この場合は《矢》かのう)

 相手の目的の一つには入っているはずだった。
 だが、麻帆良と吉良、そのどちらも明け渡すわけにはいかない。
 特に吉良を奪われてしまったら、麻帆良所属の魔法使い達の命綱を握られる事となる。
 吉良が『倒された』事により康一達だけは解放されたが、『殺されて』いないため吉良の爆弾はまだ動いていた。
 近右衛門達含め、多くの人間の心臓に仕掛けられた『スタンド』は解除されていないのだ。

(皆の衆。よいか、これから中条らと衝突する。その時、数人は吉良の身柄確保に動くのじゃ)

 近右衛門は中条を見つめたまま、背後にいる魔法使い達に指示を出した。出しながら、チラリと視線を巡らせれば、呆然としている千雨がいた。

(よもや本当にここまでやって来るとはのぉ)

 その感心は千雨だけでは無い。中央に倒れる康一にも向けられている。魔法を使い、空さえ飛べる自分達よりも早くここに到着し、事態解決の一助を彼らは担ったのだ。

(ならばこそ、子供達ばかりに無理はさせられん)

 近右衛門の放つ闘気に、ピリピリとした空気が場を覆う。
 ゆったりとした佇まいながら、中条達も臨戦態勢を整えている。
 そこへ――。

(――千雨ちゃんッ!!)
「うぇ?」

 脳内に響く聞きなれた声に、千雨は周囲を見渡した。

「アキラッ!」

 見れば、世界樹の西側遠く、空を飛ぶ路面電車があった。千雨がここ数日働いていた場所でもある。

「ちゃ、『超包子』? なんで空飛んでんだよ!」

 路面電車はアンドロイドの砲撃により、そこらかしこから煙を上げていた。背後には攻撃を仕掛けるアンドロイドが数体追いかけて来ている。
 そこには電車の窓から身を乗りし、千雨に声をかけるアキラの姿もあった。



     ◆



 アキラは必死に窓枠にしがみ付き、目前にまで迫った世界樹広場を見つめている。
 アキラと夕映は、ルパン達に助けられたものの、その後は執拗なアンドロイド達の追っ手に捕まっていた。
 そこへ超達の乗る飛行路面電車に助けられ、ここまで運んできて貰ったのだ。
 激しく揺れる車内から世界樹広場を見れば、そこには千雨だけで無く、先程自分達を捕縛した男達――中条ら――の姿もあった。

「――なんでッ!」

 自分達もかなりの速度でここへ来たのだ。それよりも早く到着したという事実、そしてあの場を受け持ったルパンへの不安が募った。
 その時、背後から撃たれた幾本もの光条の一つが、電車へ直撃する。

「ぐッ!」

 爆発音が響き、車内が激しく揺れた。
 車体の後方で炎が上がる。

「あちゃー、これはやばそうネ。五月、どうヨ?」

 超の呼びかけに、運転席の五月が首をフルフルと振った。

「このままじゃ広場まで持ちそうに無いネ」

 執拗に追撃をかけるアンドロイド達により、路面電車は機動性をかなり削られていた。
 アキラは窓枠に手をかけ、応戦の用意をしようとするが――。

「アキラさん、待ってください」
「……夕映」

そのアキラの肩を、夕映はがっしりと掴む。

「私が行きます。あなたはウフコックさんをしっかりと千雨さんに届けてください」

 夕映は「これ借りますね」と言いながら、路面電車の開閉ドアを引き千切った。即席の武器にする様だ。
 風が車内を通り抜け、夕映の髪が大きくなびく。

「ウフコックさん、千雨さんを……お願いします」

 アキラの胸ポケットに収まっているウフコックがモゾリと顔を出した。
 相変わらずその動きに力は無い。それでも鼻をひくつかせ、夕映の方向を見る。

「わかった。夕映、君も無事でいてくれ。そうでなければ千雨も悲しむ」
「了解デス」

 そんなウフコックの言葉に、夕映は口を綻ばした。

「では、ちょっと行ってきます!」

 夕映はドアの無くなった出入り口から外へと飛び出す。そのまま車体の外部をよじ登り、屋根の上を後方へ走った。

「あちゃくら! しっかり仕事をするデス!」
「わ、分かってますよマスター!」

 夕映の髪にしがみ付くアサクラが必死に声を返す。周辺データを夕映の特殊眼球に映し出した。

「敵アンドロイドが三体、真っ直ぐ三十メートル先、俯角六十五度の方向からこちらを攻撃中です」

 アサクラの指示の元、燃え盛る後部機関部を飛び越え、眼下に見えるアンドロイド達へ夕映は戦いを仕掛ける。
 空を舞う夕映の眼下にアンドロイドの姿が見えた。

「喰らいやがれデス!」

 跳躍していたアンドロイド達へ向けて、金属製のドアを投げつける。夕映の膂力とドアの形状が合わさり、水平に回転したそれは予想以上の威力を発揮し、アンドロイドの一体を吹っ飛ばした。
 そのまま雪崩れ込む様に、残りの二体にも攻撃を仕掛けた。
 そんな夕映が、どんどん視界の後方へ流れていく。
 アキラはその姿に後ろ髪を引かれながらも、必死に前を見続けた。
 なんとかアンドロイドの追撃は振り切ったものの、電車は変わらず炎上しているのだ。

「ギリギリ持ちそうネ。みんな、このまま広場へ突っ込むヨ! 何かにしっかり掴まってるネ!」

 超がそう言うやいなや、路面電車の速度が上がった。
 ガラスが割れた窓から、勢い良く風が車内に入ってくる。
 焦げ臭い匂い。強くなる震動。
 アキラは必死に車内のポールにしがみ付く。
 視界にはどんどん広場が近づいてきた。

「三、二、一、着地するヨ!!!」

 超のカウントダウンに合わせ、車体が広場へ突っ込んだ。おそらく人のいない場所へ飛び込んだのだろう。
 加速していた路面電車が石畳にぶつかり、盛大に火花を上げた。

「――ッ!」

 地鳴りの様な音。激しい縦揺れが車内を襲う。
 アキラはつぶりそうになる目を必死に開けて、周囲を見続ける。もしも最悪の場合には、車内にいる人間を抱えてスタンドで飛び出せるように。
 路面電車はそのまま石畳を捲りながら速度を落とし、スピンしながらもゆっくりと止まった。
 しかし、車体の損傷は激しく、炎はより強く燃え上がった。

「みんなッ!」

 アキラは時間が無いと見るや、『フォクシー・レディ』の尾で超と葉加瀬、五月を掴み、車外へ転がるように飛び出す。
 間髪無く、路面電車は爆発した。

「ぐッ……」

 アキラは必死に歯を食いしばる。
 そして、その爆発を切っ掛けにし、中条達と魔法使い達は衝突を開始していた。
 転がるアキラ達の頭上で、激しい戦闘音が響く。
 アキラ達の所へ、魔法使いの一人が救助に来る。

「君達、大丈夫か!」

 心配する魔法使いに対し、アキラは「大丈夫です」と言い、振り切るように走り出した。

「待て、今は危険だッ!」

 背後で呼びかける声を振り切り、アキラは千雨のもとへと向かう。
 人のいない場所へ着地したせいで、千雨とは大分離れていた。
 魔法使いがいるなら超達は大丈夫だろう。そう思い、アキラは一心不乱に駆けた。
 周囲では九大天王と魔法使い達の衝突、吉良の身柄の争奪戦が起こっている。
 飛び交う超常の力の嵐。
 その一つでも直撃すればアキラの命は危うい。激しい音や光、そんな具体的な姿かたちが、目で捉えられぬ銃弾より明確に恐ろしさを感じさせた。

「『フォクシー・レディ』!」

 スタンドを出し、その体にしがみ付いて地を滑る様に走る。
 ほんの数十メートルの距離が、いつも以上に長い。

「アキラッ!」

 千雨の呼びかけ。
 光弾の一つがこちらへ向けて飛んでくる。
 アキラはそれをスタンドの尾で弾こうとするものの、防ぎきれずスタンドの腹部に掠った。
「――がッ!」

 スタンドのダメージは本体たるアキラにも影響する。
 掠っただけとは言え、その威力はまるで強いボディブローを受けたかの様だった。
 痛みの余り、スタンドが消失し、アキラは加速されたまま地面に放り出され、ゴロゴロと転がった。
 それでも――。

「もう、絶対に――絶対にッ!!」

 アキラにはかつてあった世界の記憶がある。
 血みどろの中に沈む千雨、もうあんな姿は見たくないのだ。
 恐怖も悔恨も、全ては後回しにする。
 アキラは脇腹を押さえながら、転がった勢いを使い立ち上がる。
 地を這うようにして走るアキラの姿に、千雨の目頭が熱くなる。
 千雨も必死に走り、手を伸ばした。
 アキラもまた手を伸ばす。
 その姿は二ヶ月前、この場所で行なわれた事の再現の様だった。
 二人の指先が絡み合い、しっかりとお互いの手を握った。

「あーちゃん……」
「はぁ……はぁ、ごめんねちーちゃん、遅れちゃって」

 アキラのそんな言葉に、千雨は涙を滲ませながらプルプルと首を振った。
 戦いは未だ続いていた。
 そのため二人は地面に膝をつき、おでこをくっ付け合う様にして話している。
 アキラは自分の胸ポケットに手を伸ばし、中からそっと取り出した。

「ちーちゃん、ちゃんと連れてきたよ」

 アキラの手は細かな傷がたくさんあり、土や埃で汚れている。それが千雨には無性に愛おしく、美しいと感じられた。
 その差し出された両手の上には、ちょこんと金色の毛のネズミが乗っている。

「……先生」
「千雨」

 千雨の言葉はどこかためらいがあった。対してウフコックの口調はハッキリしている。
 ここに来るまで、千雨はウフコックの事を散々考えてきた。ほんの数十分前、閉ざされた空間で超に様々な事実を告げられた時から、千雨はウフコックに何を望み、何を与える事が出来るのかを考え続けてきたのだ。
 それは昨日、カプセル越しにウフコックが千雨に告げようとしている事と重なっていた。
 ゴクリと生唾を飲み込む。目の見えないウフコックは、ただ千雨の方向を向き、言葉を待っている。

「先生、わたしは――」



     ◆



 それはまるでコイントスの様であった。
 西部劇の決闘で良くある『コインが落ちたら開始の合図』というやつである。
 ただ今回違ったのが、落ちたのがコインでは無く、もっと大きな路面電車であったという事だけだ。
 激しい音を響かせながら、路面電車は世界樹広場に突っ込んできた。
 まるでそれが合図であるかの様に、近右衛門を中心とした麻帆良の魔法使い集団と、中条を中心とした九大天王の三人は動き始める。
 数では勝るものの、麻帆良勢では近右衛門以外に九大天王に比肩する実力者はいなかった。
 故に、近右衛門は魔力による肉体強化を使いながら、老躯とは思えない速度で中条達に向け先陣を切った。
 近右衛門が身を捻りながら放つ蹴りを、中条が拳で受け止める。
 衝撃の余波が、石畳を大きく抉った。

「ぬっ!」
「ほう」

 その一撃で、お互いがお互いの実力を量る。
 近右衛門の背後では、神多羅木を中心とした一部の魔法使い達が無詠唱の魔法を放ち、幻妖斉に牽制をかけようとしていた。
 また残りの魔法使い達は、吉良の身柄を確保すべく動いている。
 その中の一人、魔法教師である瀬流彦は、手に持っていた魔法発動体がいつの間にか消えているのに気付いた。

「え? なんで!」

 ほんの一秒前まであった杖の感触が無い。
 見れば、数十メートル先に佇む男――釣り竿の男――が手に何本もの発動体を持っている。

「大漁、大漁」

 そう言いながら、ニヤリと笑みを浮かべる。
 そして、片手に持つ長大な釣り竿を振った。
 瞬動、いやそれ以上の速度で動く釣り針を目視できるはずが無い。
 気付けば、瀬流彦の周囲にいた魔法使い達は、自らの発動体を釣り針で奪われてしまう。

「くっ、発動体が無くとも!」

 杖が無かろうと、魔力操作は行なえる。懐にある予備の発動体を出すよりも、瀬流彦は瞬動による吉良の身柄確保を優先した。

(明らかに敵わないな、ここは一気に身柄だけ確保し、すぐに離脱する)

 おそらくここにいる戦力を全て投入しても、単純な力比べではたった三人の男達に敵わない事を、瀬流彦は直感的に理解した。
 瀬流彦達の危機を知り、神多羅木が援護のため風の魔法を釣り竿の男に向け放つ。

(神多羅木先生! ありがたいです)

 心でお礼を言いつつ、瀬流彦は瞬動を使い、吉良に近づく。あとほんの数メートルで手が届くという時――。

「ぐッ……」

 襟首を掴まれるかの様な感触。襟元が喉に食い込み、呼吸が阻害された。
 何が起きたのか確認しとようとする間も無く、視界が一気にひっくり返り、瀬流彦は地面へ叩きつけられた。

「がァ!」

 魔法障壁も粉々に破壊されたため、無防備な体躯は深刻なダメージを喰らう。
 口から血飛沫が舞った。

「君達、ちょっと油断しすぎではありませんか。幾ら武闘派じゃないとは言え、私も九大天王の一人ですよ。小細工程度で足止め出来ると思いましたか?」

 釣り竿の男はそう言いながら、手に持つ竿を無造作に振るった。
 その一動作だけで、神多羅木の魔法はかき消され、吉良に近づこうとした魔法使い達は撃退されていく。

「では、さっさとその男共々頂きましょうか」

 釣り竿の男の目線は吉良に注がれていた。再び釣り竿が揺れ、吉良へ向けて放たれる。
 だが、釣り針は吉良の体に触れる事は無かった。
 ドラを鳴らすような音と共に現れたのは、吉良を守る不可視の壁。
 魔法障壁が復元され、釣り針は跳ね返された。

「……む、かなりの密度ですね」

 男はその障壁の強さに感心していた。
 その時ゴポリと音が聞こえた。
 見れば、仰向けに倒れている吉良の口元から、血泡が溢れている。

「おや、意識を取り戻しましたか」

 釣り竿の男は焦らない。それでも厄介だとは感じていた。
 竿のしなりを強くして、障壁をまるごとぶち抜くように釣り針を撃ち放つ。
 再びの衝撃音。まるでそこが爆心地になったが如き風。
 それでも、障壁と釣り針は拮抗していた。
 ギチギチと軋みを上げながら、針は徐々に障壁にめり込んでいく。
 そんな中、満身創痍の吉良はヨタヨタと立ち上がった。
 息は荒いながら、表情は歓喜に満ちている。
 そして、両腕を開き、虚空を見つめながら言った。

「……僕は、本当に、運が、良い」

 ゴポリと血が口の端から滴り落ちる。

「この状況、この有様にありながら、僕はまだ生きている。あぁ、なんて幸運なんだろう。まだだ、まだ僕はやり直せる」

 吉良がそう言う間にも、分厚い障壁は一枚一枚と破壊されていく。
「そやつ逃げるぞ! 急げ!!」
 九大天王の一人、幻妖斉が声を荒げた。彼は何かを感知した様だ。
 智謀の徒であり、軍師でもある釣り竿の男は、その意味を即座に理解する。
 竿を握り締める力を強くした。
 吉良は手に持っていたままだった《矢》を握り締めた。

「まだだ、まだ諦めない。僕は、そう、僕は――」

 何事かを呟こうとする吉良の体が、トプンと地面に沈み込み始める。まるで地面が水面に変わった様だ。

「ぬぅ、間に合えッ!」

 釣り針が障壁を破壊した。そのまま吉良の体へ向けて飛んでいくが――。

「『バイツァ・ダスト』(負けて死ね)」

 吉良の第三の能力『バイツァ・ダスト』が先に発動しきった。
 地面に吉良の体は吸い込まれ、釣り針は空を切った。

「ぬぅッ!」

 釣り竿の男が、悔しそうに歯噛みする。
 吉良の身柄確保に動いていた人間達が呆気に取られていると。

「今度は何だ!」

 地響きと共に、世界樹が輝き始めた。
 この麻帆良の地を占める、膨大な魔力が世界樹を中心に放出されていく。
 世界樹が持つ魔力と、スタンドによる力。それらが混ざり合い、本来はありえぬ程の力の奔流を作り上げている。
 葉の隅々から黄金色の光の粒が舞った。
 その有り様に、その場にいた全員が動きを止めてしまう。

「――始まってしまったカ」

 魔法使いの治療により、どうにか立ち上がれる様になった超が言葉を発した。

「吉良の消失により、世界樹がこの世界の破棄を始めたヨ」

 超は脇腹を押さえながら、光を放ち続ける世界樹を見上げた。

「もうすぐこの世界は塗りつぶされるネ。私達は何を失ったのか分からぬまま、何かを失うネ」

 それは大事な人との記憶かもしれない。もしくは忘れた方が良い記憶なのかもしれない。
 そこに善悪の基準は無く、ただ必要に準じて記憶は奪われていく。
 ある意味幸せなのかも知れない。
 人は生きていく上で様々なものを失う。その記憶が取り除かれれば、人は悲しさを感じない。

(――やはり無理カ)

 超の手には航時機《カシオペア》があった。懐中時計の形をしたタイムマシン、それを動かすためには莫大な魔力が必要である。
 今、この場を満たす魔力により、《カシオペア》は起動していた。
 しかし、その表面はひび割れ傷ついている。路面電車の不時着と、先ほどの乱戦に巻き込まれたせいだ。

(過去に飛べない。スタンドの影響かネ。それに飛ぶ時間のコントロールの調整が出来なくなってるヨ)

 この一時間という閉鎖された状況の中で、過去へ飛ぶという行いが出来なくなっていた。
 これから先、世界樹により塗りつぶされた未来なら飛べそうだ。しかし、その意味は限りなく少ない。

(これはもう、無理かもしれないネ)

 超の非凡な知性が、より深く現状を察してしまう。
 また、先程の超の言葉で多くの人が状況を理解し、呆然とした。自らが力を持つ故、目の前に存在する力の強大さを理解出来してしまうのだ。一部、中条を含めた数人が恍惚とした表情をしていたものの、ほとんどの人々は顔を青ざめさせている。
 それは災害にも似ていた。
 雪崩、洪水、津波、台風。それらが目前に迫った時、人はそれを止めようと思うだろうか。
 世界樹広場は静まり返り、ただ世界樹の発する甲高い魔力の放出音だけが響いた。
 広場に諦観にも似た絶望が過ぎり、人々の口から言葉が発せられなくなった。
 ただ――、一人と一匹を除いて。

「行こう、〝ウフコック〟」
「あぁ、〝千雨〟」

 その声は大きくないにも関わらず、全ての人間の耳朶を揺らした。
 動きを止めた人々の合間を一人の少女が走っていく。
 揺れる栗色の髪を皆が目で追った。
 この日、この時を持ってして、長谷川千雨はその名を歴史に刻み始める事となる。



 つづく。



[21114] 第56話「千雨の世界verX.XX/error」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/02 22:57







 第56話「千雨の世界verX.XX/error」






 目の前にウフコックがいる。それだけなのに、伝えたい事が多すぎて千雨は何を言っていいのか分からなかった。

「先生、わたしは……」

 千雨は一度口を結び、ギュっと力を込め、再び口を開いた。

「わたしは先生が好きだ。でも、それが自分でも歪なのは分かっている。昨日先生がそれをわたしに言いたかったのも、……何となく分かる」

 千雨にとって、ウフコックはシンデレラの魔法使いであった。
 シンデレラは両親の愛を失った後、魔法使いの力を借り、王子の愛を得る。

「きっと、わたしは戻りたかったんだ。お父さんとお母さんがいる家に、戻りたかったんだ」

 だが千雨は違った。
 両親の愛を失った幼い千雨は、魔法使いにその愛を貰おうとしたのだ。千雨にとってウフコックは、魔法使いであり、綺麗なドレスであり、カボチャの馬車であり、ネズミの御者であり、ガラスの靴であった。

「あの日、わたしが先生と初めてあった日、今でも覚えている。最初はさ、嫌なネズミだと思ったんだ。でもさ、でも――救われたんだ」

 両親を失い、帰る場所も、これからの生き方も、全てを失った千雨にウフコックは魔法をかけたのだ。
 それでも魔法はいつか解ける。ウフコックはゆっくりとした時間の中で、千雨自身が殻を破ってくれるのを待っていた。
 しかし、それはウフコックの寿命が、状況が待ってくれなかった。千雨が背けていた真実を、ウフコックは伝えなくてはいけなくなったのだ。

「先生といるのは居心地が良い。でも違うんだよな。『先生』は『先生』じゃ嫌なんだよな」

 いつしか千雨はウフコックを『先生』などと呼び始めた。
 それは千雨なりの答えでもあったのだ。ネズミであるウフコックは自分の親にはなってくれない。それでも彼に一緒にいて貰いたい。
 そんな幼さが、千雨の口から『先生』という呼び方を発したのだ。

「先生、ごめん。そして、ありがとう。わたしは、本当に幼稚だ。だからこそ、だからこそ、頑張ってみようと思う」

 ウフコックは常々、自分を『道具』、そして『只のネズミ』と言っている。それは間違いでも無いが、決して卑下しているばかりでも無かった。
 千雨は盲目的にウフコックを信じている。きっとウフコックが命じれば、千雨はほとんどの事を命じるままに行なうだろう。
 しかし、ウフコックはそんな事を望んでいなかった。
 故に、自らを『道具』と言い、自らと千雨を戒めていたのだ。

「……いや、私こそありがとう。千雨、君は私に『救われた』と言ったが、それは君だけじゃない。私も『救われた』のだ。君とのこの半年が、私にとってかけがえの無いモノになった。《楽園》にいたらきっと手に入れられない、そんな日々だった」

 ウフコックは濁った赤い瞳で、千雨の方向を見つめる。

「そんな日々のせいで、私はネズミには分不相応な願いが出来てしまった。私は、〝千雨と共に立ちたい〟と思ってしまったのだ。それが君を傷つけると知りながら、私はその思いが止められなかった」

 縋るのでも無く、依存するのでも無い。お互いが支えあう、そんな絆をウフコックは求めていた。
 そしてそれが出来るなら、きっと自分が死んでも千雨は立ち続けられる。歩いて、走っていける。

「私は両親にはなれない。兄弟にも、師にもなれない。私がなれるのは……なりたいのは、君のパートナーだ」

 それは簡単な答えだった。
 千雨はポロポロと涙を流しながらも、顔には笑みを浮かべている。

「そっか。うん、うん。わたしも、――わたしもなりたい」

 千雨はアキラからウフコックを受け取り、そっと抱きしめた。小さなウフコックを慈しむ様に、そっと、優しく。
 それは心の在り方の問題であった。二人はもはやパートナーに〝なる〟事は出来ない。なぜならもう〝なっている〟のだから。

「千雨、立とう。まだ私達にはやるべき事があるだろう」
「うん、うん……」

 千雨はグシグシと袖で目元を拭って立ち上がった。
 見れば周囲では戦いが続いていた。
 そんな中、吉良が立ち上がり、何かを言っている。

「あれは……」

 そして千雨は『バイツァ・ダスト』の発動の瞬間をしっかりと〝見た〟。
 吉良の姿が消えた途端、世界樹の活性化が始まった。いつかの平行世界でも起きた現象だと、千雨の中にあるアサクラメモリーが教えてくれる。

「――アキラ、ちょっと行ってくる」

 千雨は世界樹を見つめたまま、そう呟いた。
 アキラはその言葉に、笑みを浮かべながら「うん」と答える。
 周囲が突然の現象に呆然とする中、膝立ちのアキラは、立っている千雨を見上げた。
 世界樹を見つめる千雨の瞳には、きらきらと光る強い輝きがあった。真っ暗な夜に見る満天の星空を思わせるそれに、アキラの目は吸い寄せられた。
 千雨の手にウフコックがいる。この状況の意味を知るものはいない。
 数多の平行世界の中で起こった唯一の奇跡。それがいま目の前に存在しながら、誰ひとり気にもかけなかった。

「行こう、〝ウフコック〟」
「あぁ、〝千雨〟」

 『先生』では無く、『ウフコック』と呼んだ。
 そして千雨は走り始める。
 もう足取りに不安は無い。力強く、一歩一歩を踏みしめる。
 呆然とする人々の合間をすり抜け、世界樹へ向けて走る後ろ姿を見ながら、アキラは喜びと嫉妬の入り混じった笑みを浮かべた。



     ◆



 立ち尽くす人達の間をすり抜けながら、千雨は世界樹へ向けて走った。
 溢れ出る魔力が風となって周囲に吹きすさんでいる。
 その風に逆らいながら、千雨は必死に進んだ。

「ウフコック!」
「了解だ」

 その言葉だけで二人はお互いの意思疎通をする。
 手の平に乗っていたウフコックを叩き潰すかの様に、千雨はもう片方の手を重ねた。
 重なった瞬間、合わせた手の隙間から白い樹脂が溢れた。樹脂は手の平から腕、胴体、そして脚へと服を分解しながら千雨の体を覆っていく。
 ほんの数秒。そこには幾つかの黒いアクセントが付いた、白いタイトなボディスーツを身に纏う千雨の姿があった。
 接着されている両手の平の樹脂ををペリペリと引き離せば、メイド・バイ・ウフコックの特殊スーツの完成である。

「着心地はどうだ千雨?」
「文句無しに最高だ」

 襟元に付けられたスピーカーからウフコックの声がした。今、ウフコックは反転(ターン)し、千雨の肉体を覆うスーツそのものになっていた。
 スーツを纏う間も千雨達は足を止めていない。
 見上げれば巨大な木が視界のほぼ全てを覆う程に近づいていた。溢れる黄金の光。対峙した千雨は、より強くその力を感じた。

「巨大な力だ。しかし――」
「あぁ、木の一本や二本にビビってられるか!」

 周囲の電子機器に干渉する、というのが千雨の力の根源であった。周囲への精緻な知覚能力も、ネットワーク支配も、その延長線上に過ぎない。
 今、麻帆良のネットワーク上では壮絶な戦いが起きていた。
 世界樹が操る電子精霊、国際警察機構による介入、学園都市の《シスターズ》による干渉、超一派やドクターによる防衛。
 混沌としたその状況に介入し、千雨の力を最大限に使うための演算力を得るのは難しい状況だ。ならば――。
 千雨は顔をしかめながら言う。

「ウフコック――」
「わかった」

 言葉を言い終わる前にウフコックが答えた。
 それは了承の言葉。
 千雨はためらいそうになる気持ちは振り払う。ためらいはウフコックへの冒涜だ。『共に立ちたい』、そう言ってくれたウフコックに、千雨は答えなくてはいけない。

「……痛いからって泣き叫ぶなよ」
「善処する。だがその時には耳元でワンワン叫んでやろう」

 千雨は口元を少し吊り上げた。
 そして、右手を自らの首元に伸ばす。指先にパチリと紫電が走った。
 体を覆う特殊スーツは、千雨の人工皮膚(ライタイト)の力を最大限に引き出すためのものだ。また首元にはウフコック謹製の補助演算装置も付いている。
 千雨の現状の戦力はこれだけ。
 他所から力を奪い取るのも難しい。ならば――創り出せばいいのだ。自らが為したいと思える事を、為すだけの力を。
 首元に紫電が走った後、千雨は紫電が未だ残る指先で空中に線を描いた。指揮者がタクトを振るような仕草。状況を見守っていた人々は奇異な視線をぶつける。
 千雨が空中で振るった指先の軌跡が、そのまま光の線として空間に残っている。

「なんだ、あれは……」

 それは誰の言葉だったか。魔法や異能、様々な力を行使する人々も、目前で少女が始めた行為が把握できない様だ。

「くッ」

 千雨の脳裏をパチリと刺激が走った。
 目前で創っているのは、電子干渉(スナーク)で空中に描かれた演算装置そのものだった。
 コンピューターの内部にある、本来目視では理解不可能な構造を、千雨は指先で創り上げていく。
 そんな精緻な工業製品一つを再現するのに、千雨は膨大なリソースを費やしていた。
 しかし製作に掛かった時間はほんの二・三秒。
 絵を描き上げた画家の如く、力強く最後の一筆を指先で描く。

「よし」

 千雨の目前には、電気の光で出来た奇妙な幾何学模様が浮かんでいた。

「いくぜ――『ループ・プロセッサ』起動!」

 千雨は自らの内部にあるコードを打ち込んだ。
 かつて《学園都市》での実験の際、千雨が乱暴な理論で作り上げた機構である。
 空間に作り上げた演算装置を使い、電力を奪い取り、その電力で更に演算装置を空中に作り上げる。ネズミ講にも似た暴論を千雨は実践してしまったのだ。
 その力は〝当時〟ですら理論上《学園都市》すら単独で制圧出来、世界中のシステムにアクセス可能と言われた代物だ。
 これに危機感を抱いた《学園都市》はその力に枷をつけた。千雨自身には力のリミッターを付け、千雨にとって心の拠り所になっていたウフコックへも、人格そのものに影響を与えるほどの強烈な精神錠を施したのだ。
 千雨の異常な力を考えれば、開錠も難しくは無かっただろうが、《学園都市》での戦いがウフコックの体に影響を与え、その開錠を難しくしていた。
 枷は『ループ・プロセッサ』の起動コードとともに始動する。

「ぐ……う……」

 ウフコックのくぐもった声が千雨の耳朶を打つ。
 現在ウフコックの精神野を枷が蹂躙している。仔犬に付けた〝首輪〟が成長と共に肉に喰い込んでいく、そんな印象を抱かせる枷だった。

(――くそ!)

 苦しそうなウフコックを千雨はしっかりと感じている。
 だから、だからこそ。

(だったら、引き下がれるかッ!)

 千雨の目前にあった幾何学模様が大きく広がる。
 それを一つのパターンとし、次々と空間に複製されていく。それと共に、周囲の電力ケーブル、電源などを次々と掌握していった。

「まだ足りない」

 世界樹に対峙する千雨。彼女の周囲を円柱状に光の線が覆いながら、次々とラインを延ばしていった。

「もっと、もっとだ」

 千雨の呼応に答えるように光の線は空へと延び、雲を貫き霧散させた。
 巨大なキャンパスを得た光の筆は、空に次々と紋様を描き上げていく。
 千雨の四千に及ぶ分割思考が光ファイバーなどの通信ケーブルを介して、麻帆良――いや日本中へと飛んでいく。

「まだ、まだ行ける。ぐッ……こんなモノ!」

 自らの右手で千雨は自分の頭部に触れ、何かを引き千切った。電子干渉(スナーク)の紫電。千雨の視界が一瞬明滅する。
 引き千切ったのは自らのリミッター。安全弁たる枷を引き千切ったのだ。
 リミッターが無くなり、千雨の知覚能力が際限無く広がっていく。自らの〝内〟と〝外〟の境界が曖昧になっていくのを、千雨は必死に堪えた。

「あああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 千雨の中に様々な思いが過ぎる。
 孤立した幼少期。両親との日々、そして別れ。ウフコックとドクターとの出会い。アキラとの再会。世界樹広場に広がる『スタンド・ウィルス』。夕映を助けるために再び向かった《学園都市》。そこで見た上空に広がる魔方陣、『門』。両親の幻影。学園祭の準備の日々。カシオペア。ウフコックの傷。クラスメイトとやった出し物。そして――。
 空っぽだったはずの自分の中に、こんなにもたくさんの思いが入っているのに千雨は驚いた。

「――全部だ、全部を、今ここで!」

 後ろで纏められていた髪が解け、長髪が舞う。
 特殊染料で染め上げられていた栗色の髪が、白い光を灯した本来の姿へと戻っていく。
 上空に広がっていた光の模様は更に巨大になっており、麻帆良全土を覆っていた。
 この時、病院などの重要施設や最低限のライフラインを残しながら、電気エネルギーが次々と奪われていった。麻帆良を中心に始まったそれは、ものの数分も経たずに日本全土へと拡大していく。
 更にそれはユーラシア大陸、はたまた太平洋の向こうにまで伸びた。
 それは千雨の持つ『世界』が広がっていく光景だった。



     ◆



 紫煙のたゆたう先では、光の幾何学模様が空を埋め尽くしていた。
 ドクター・イースターはそんな光景を見ながら、クククと笑いを堪える。
 吸いかけのタバコを地面に落とし、靴裏で踏み潰した。
 図書館島地下に残った彼だが、崩壊の度合いが強まった挙句、クウネルに救助されて地上に放り出されたのだ。
 幸い、彼自身が行なえる事は全てやったつもりだ。
 千雨とウフコックが揃うまで超の情報共有システムを維持させたし、アサクラのメインシステムも麻帆良内の別のサーバーへ移動させた。彼の狭い交友関係もフルに活用し、義侠心溢れる人間に麻帆良の状況を添付したデータを送信してある。彼ならばそれを有効に使ってくれるだろうと、ドクターは確信していた。
 廃墟となった図書館島の縁から湖の向こうを見れば、世界樹から溢れる黄金の光を振り払い、白い光の柱が空へ伸びている。

「そうだ。僕は分かっていたんだ。こんな日が来るのを」

 千雨に施した『人工皮膚(ライタイト)』と呼ばれる技術。本来は無重力下での通信や周囲の認識に使われるはずの技術であった。
 今の千雨の様に、ネットワークを制圧したり、様々な事象へ干渉したりするのは想定外に他ならない。

「僕はただ君に切っ掛けを与えただけだ。だけど、君はいつも僕を驚かせる」

 魚が水を得たように、鳥が翼を得たように、ドクターの技術はあるべき人間へと渡ったのだ。
 ありえない使い方、ありえない力の顕現。千雨は『人工皮膚(ライタイト)』を切っ掛けにし、自らの才覚の限りを発露している。そう、彼女の力は技術によるものでは無い。彼女自身の力なのだ。

「所詮『人工皮膚(ライタイト)』なんて、君の力の断片だ。君を守っていた分厚い《殻》に過ぎない」

 今、《殻》は破れようとしていた。もうすぐ《雛》が産まれ、大きく羽ばたくのだろう。

「見せつけてやれ。君達の力を世界中に見せつけて、度肝を抜いてやるんだ」

 光が、幾何学模様が、上空いっぱいに広がった。
 ドクターは空を見上げながら、喜悦と悲哀が入り混じった様な表情を浮かべ、ぽつりと零した。

「いってらっしゃい、千雨」



     ◆



 上空に現れた幾何学模様はあっという間に膨れ上がり、巨大な規模になっていた。
 その模様の外縁は北米大陸を北西から南東に横切り、アフリカ大陸の北部を貫き、オーストラリア大陸の南海を通過した。
 日本を中心とし地球の半分をすっぽり覆う半球状ににまで巨大化した空中の幾何学模様は、世界中の多くの人間の瞳に映し出されていた。
 それは麻帆良にいる人々も同じであった。
 目まぐるしく行なわれた激しい抗争。その渦中にあっても、空に浮かぶ模様は目に止まらずを得ない。
 大半の人々にとって、幾何学模様はただ驚嘆しつつ、不可解なものであったろう。
 しかし――。

「これって、《学園都市》でのヤツ?」

 佐天涙子はその幾何学模様に覚えがあった。
 《獣の槍》が持つ知識は魔法である事を否定しているものの、涙子には《学園都市》で見たあの術式に酷似している様に思えた。
 一ヶ月ほど前の《学園都市》を混乱させた事件。あの時に主犯である天ヶ崎千草は、大規模な魔法術式を空に作り上げたのだ。
 光の軌跡で作られた魔法陣、今上空にある幾何学模様はそれを想起させた。
 そして同時刻、超鈴音もまた空に浮かぶ幾何学模様をより深く認識した一人であった。

「これは……そんな……」

 超の口から呆然とした言葉が吐き出される。
 空の幾何学模様は徐々に形を変え、一つの機構へと変化していった。
 線、円、曲線、様々な光の軌跡が弾け、寄り集まり、超にとって見覚えのあるモノになっていく。

「これは、歯車か?」

 世界樹広場に佇む誰かの声が超の耳に届く。
 確かにそれは歯車だった。光に縁取られた歯車が噛み合いながら、地球の半分を覆う巨大な機構へと至った。

「カシオペア……」

 そしてその機構は超にとって理解し得るものだった。
 超は手に持っていた懐中時計――航時機《カシオペア》――を見返す。手の平に収まるその中には、今後数百年で進化する科学と魔法の粋が結集されている。

「まさか、あの時カ。あんな短い時間で……」

 準備期間の初日、そして超が作り出した止められた空間、千雨は二度《カシオペア》を〝見ていた〟。

「これはカシオペアを再現しているのカ」

 空に広がる機構は、超の創り上げたカシオペアを再現するものだった。
 歯車と歯車が噛み合い、重なり合い、時を刻む針を動かす。空に描かれた模様は、まさに時計の機構そのものだ。
 だが、再現は完全では無い。
 航時機《カシオペア》は科学と魔法の両方の技術が使われていた。二つの技術がお互いを補い合い、奇跡の様な融合により時間跳躍を可能とし、また超の手の平に収まるサイズになっていた。
 されど、上空に広がる機構に魔法の気配は無い。
 千雨の力で編み上げられた光のライン、それにより形作られている機構は、全て千雨の演算と《楽園》の科学の結晶だ。
 そこには超の感じられる限り、魔法の存在は確認出来なかった。それどころか。

「魔法による機構を、全て科学で補っているネ」

 アルファベットの『A』と『C』が並べば間に『B』が入る事を想像する様に、千雨は理解し得る科学の機構から、合間合間に入る魔法の働きを予測し、その魔法を補うような働きの機構を新たに創り上げていったのだ。
 『魔法』が神代により創られた奇跡なら、『科学』は人の歴史そのものである。
 天上に輝く『魔法』という星々に、連綿と紡がれた人類の叡智たる『科学』が今触れようとしていた。
 ――原初の魔法使い。
 そんな言葉が超の脳裏に過ぎる。
 超の目前で行なわれている所業は、人類の歴史が『魔法』の領域に至ろうとしている事そのものだ。
 本来手が届くはずが無い天上へ届くように、千雨という才覚が叡智を束ねたのだ。
 未来から来た超ですら、その所業は驚嘆に値するものだった。
 はは、と呆れ混じりの苦笑いを浮かべる。

「……あるべき流れが、大きく歪みきってしまったネ」

 この超の呟きは、近くで聞いていた葉加瀬によって記録され、後々にまで残される事となる。
 超の知る未来では無い。
 今この場所は、歴史の転換点へと変わろうとしていた。



     ◆



「ぐッ――」

 弾けそうになる意識を、歯を食いしばり、千雨はどうにか繋ぎとめた。
 脳裏には焼け付きそうになるくらいの情報の激流が溢れている。
 目前にある世界樹へ向けて、自ら創り上げた機構の矛先を定めた。
 千雨が今までに〝見た〟様々な現象、知識、それらを全て束ねて一つの力へと還元する。

「いっけぇーー!!!」

 振り上げた手を、力強く振り下ろした。
 それに合わせて上空から光のラインが世界樹へ向けて何本も飛び出した。
 空気を切り裂く振動。
 糸を思わせるそれは、魔力の激流を作っている世界樹にぶつかり、巻き付いて行く。激流により何本もが霧散した。
 それでも負けじと、更に大量の光の糸が世界樹へ向けて発射され、やがて樹全体を覆う光の繭を作り出した。

「戻れぇぇぇ!!!」

 千雨は世界樹をその手に握りこむ様な仕草をする。
 頭にイメージするのは数分前の世界樹の状態。一時間や二時間では無い、ましてや数日、数年では無い。
 ほんの数分。
 たったそれだけの時間をさかのぼるために、千雨は膨大なリソースを食い潰す。
 人工皮膚(ライタイト)の補助をする人工毛がより強く輝いた。
 上空にある機構の歯車がけたたましく動き出す。アナログなその動きの中にも、《カシオペア》の機構はしっかり組み込まれている。
 それに合わせて光の繭が独楽の様に激しく回転しだし、――弾けた。

「……なッ!」

 言葉を失ったのは、その動向を見守っていた周囲の人間だった。
 繭が弾けた先には、本来の世界樹の姿があった。そこに魔力が暴走している様子は感じられない。

「固有の物体に絞った時間の逆行。あの状況でかネ」

 超はその力の意味を理解する。現在の《カシオペア》では時間を遡る事が世界樹の影響により出来なくなっていた。しかし千雨は自分が時間を遡るのでは無く、世界樹そのものを無理矢理逆行させてしまったのだ。

「ウフコック!」
「まかせろ」

 まだ千雨は止まらない。
 世界樹の時間をさかのぼらせたものの、それは数分の時間を稼いだに過ぎない。
 未だこの状況の根本は放置されたままだ。
 手に持った白い銃、かつてウフコックが千雨のイメージから創り上げた『千雨の銃』。
 それをウフコックが体内へと再び取り込んだ。
 いま必要である力。上空にある巨大な機構を扱う端末、デバイスとして銃の形を選び、千雨のための力を創り直す。
 白い銃が特殊スーツに飲み込まれた後、手の平に新しい形の銃が産み出された。
 白い光沢はそのままに、一般的なオートマチックの銃より一回り大きく、どこかビデオカメラにグリップを付けた様な印象の銃だった。
 新しい『千雨の銃』。

「――よし」

 銃の重さをしっかりと手の平で感じた後、千雨はその銃を頭上に掲げた。
 空の巨大な機構から、再び光の糸が落ちてくる。それらは寄り集まり、力強いケーブルとなり、『千雨の銃』に接続された。
 『銃』が端末としての機能を起動させ、淡い光を放っていた。
 銃を構える。
 銃口が指し示す先は、先程吉良が消えた場所だ。
 吉良が消える姿を、千雨はしっかりと〝見て〟いた。そう、〝見て〟いたのだ。
 上空の機構と、ウフコックの空間干渉能力が合わさり、一つの力の形を再現していく。
 光が千雨の瞳の中を駆け巡った。
 誰よりも強い光、意思、思いが現象となって発露する。

「『バイツァ・ダスト』ォ!!」

 紡がれた名は吉良吉影のスタンド能力。
 瞬間、千雨の背後に人の姿のノイズが走り、消えた。ピンク色の筋肉質な人型のヴィジョン。どこか不思議な容貌は、まさに吉良の持つ――。
 銃口から放たれた不可視の弾丸が、吉良が消えた空間に小さな穴を穿つ。
 衝撃波が飛び散り、頬を掠め鮮血が舞う。
 割れてしまったメガネを、千雨は放り投げた。
 もう瞳を覆い隠すものなど必要無い。ただ光はまっすぐ前へと向かっている。

「もっと大きく!」

 繰り返し引き金をひく。その度に地震の様な揺れが起こり、空間に出来た黒い穴を広げていく。
 超が手の平の中で起こせる奇跡を、吉良がその身一つで行なえる力を、千雨は大陸を覆うほどの労力を持ってやっと再現出来るのだ。

「もっと! もっとだ!!」

 しかし、並んだ。
 空間に出来た穴は、ひと一人を通せる程の大きさになっていた。

「盤上をひっくり返しにいこうか、ウフコック!」
「そうだな、相手のルールに乗り続けるのも、居心地が悪い」

 千雨達はそこに躊躇せずに飛び込む。
 穴はすぐに塞がり、残ったのは『千雨の銃』に接続された光のケーブルだけだった。
 それが、確かに目前で消えた少女の存在を誇示していた。



     ◆



「くっ……、先程のは誤算だったな」

 吉良吉影は今しがた平行世界から来たもう一人の自分と同化した。
 傷は治り、今までの戦いの知識も引き継がれる。
 午後三時少し前という時間、吉良はこれまでと変わらず世界樹広場に佇み、麻帆良を見下ろしていた。

(広瀬康一か。彼が今までここに来ることは無かった)

 康一の存在自体は確認していたものの、それを脅威とは認識していなかった。
 これから起こす戦いに置いて、康一の排除の優先順位を上げておく。吉良自身は手こずったものの、アンドロイドを複数体向ければ容易に排除できるだろうと予測する。

(それにしても、長谷川千雨はどうやって……彼女が単独で広場まで辿り着いたのか? いや
、彼女はアンドロイドが一体もあれば駆逐出来るはずだ)
 あの場に千雨が現れた事に、吉良は内心驚いていた。
 いつかの世界で吉良が長谷川千雨と初めて対峙して以来、千雨への対抗策は取られていた。アンドロイド群は優先的に千雨を排除するように動いている。その真っ只中を彼女が突破できるは思えない。
 魔法使いか、それに類する何かが彼女を助けたのだろう、と吉良は結論付ける。
 吉良は知らない。世界樹の力により、もう一人の少女が呼び込まれ、あの奇跡を作った事を。

(ふん。だが――)

 先程は千雨に対し不覚は取ったものの、単独での彼女の戦力は脅威には値しない。
 もうすぐ三時になろうとしている。吉良にとっての何度目かの戦いの幕が開けようとしていた。
 背後の世界樹に淡い光が灯り、力の脈動が伝わってくる。
 『ビューティフル・ドリーマー』。
 因果律を歪め、幾つもの平行世界を作り出す世界樹のスタンド。
 その力が発動しようとし――。

「な、何だッ!」

 ズン、と地鳴りの様に重い音が麻帆良全土に轟いた。空気を強く揺らし、体の芯まで響くそれは少しづつ大きくなっていく。
 まるで居留守を使う住人に対し、ドアのノックで脅しつける様に。
 吉良は今までの経験に無い現象に驚き、慌てて周囲を見渡した。
 観光客も突然の轟音に慌てたものの、その元凶が分からず、不安に顔を歪めている。
 その間も音はどんどん強くなっていた。

「――上か!」

 吉良は空を見上げた。
 世界樹の上空、空に薄っすらとした黒い線が入っている。
 ひび割れ。
 音はその空間のひび割れから聞こえていた。
 そしてガラスを砕く様な音と共に、上空に巨大な穴が出来上がった。
 穴から人影が落ちてくる。
 麻帆良の上空に現れたのは一人の少女。
 白くタイトなスーツに身を包み、淡い燐光を灯す髪をなびかせ、手には長いケーブルが延びた銃を持っている。
 瞳には星空。
 長谷川千雨は平行世界の上空で、遥か眼下に佇む吉良に向けて吼えた。

「吉良ァァァァァァ!!!」
「長谷川千雨、だとッ……」

 吉良は瞳を見開いた。
 突然の邂逅。吉良は想定外の出来事に呆然としてしまう。
 千雨が飛び出したのは麻帆良の上空わずか数百メートル。ほんの数秒で地面に激突してしまう状況でありながら、冷静に真下にいる吉良を補足した。
 ガチン、と銃から音が鳴る。『千雨の銃』の内部で、ウフコックが通常の弾丸を装填した音だ。
 落下しながら、すぐさま銃の照準を付けて引き金をひく。
 連続する銃撃音。

「――ちぃッ!」」

 吉良もすぐさまスタンドを出して迎撃を取った。
 しかし不意の銃撃のために、致命傷は免れたものの、肩口に銃撃を受けてしまう。

「ぐはッ!」

 血を飛び散らせながら倒れる吉良に、周囲の観光客が悲鳴を上げる。
 麻帆良の勢力に感づかれないために、世界樹による魔法障壁はまだ構築されていない。
 そのほんの数分の隙間を襲撃されてしまったのだ。

(何故だ。何故長谷川千雨が。彼女はまだ女子寮にいるはず――いや、違う。あの長谷川千雨は……)

 吉良は空から降ってくる千雨が、自分と同じく平行世界を渡ってやってきた存在である可能性に思い至る。

(まずい。このままでは……このままでは僕は死んでしまう。ここまでやってきた経験が、知識が失われてしまう。それだけは防がなくてはならない)

 計画が始まる直前の段階で、致命傷にも近い傷を負ってしまった。ましてや上空から落ちてくる千雨は未だ銃口を向けてきている。
 吉良はこの世界での敗北を察した。
 だが、自らの窮地に至り『バイツァ・ダスト』の発動条件が揃った。

「クソ! 『バイツァ・ダスト』ッ!」

 歯噛みしながらも、吉良にはそれ以外の選択肢は無い。
 能力発動と共に、吉良の体が地面に沈んでいく。

「逃がすかァーーー!!」

 千雨は吉良の消えていく場所に向け、再び『千雨の銃』を放つ。
 もちろん発射するのは空間を破壊する『バイツァ・ダスト』。
 吉良の消えた場所に出来た穴へ、千雨は落下の勢いそのままに飛び込む。
 世界と世界の隙間。
 そこはどこか宇宙に似ていた。
 上も下も無いはずなのに、ただ落下感だけが体にある。
 周囲はどこまでも広がる真っ黒な空間、遠くには幾つもの点の輝きがある。
 星の輝きに似たそれら一つ一つは様々な可能性の『平行世界』だった。
 光の一つ一つは遠いのに、意識すればまるで目の前にあるかの様に中が覗けた。映画のスクリーンの様な平行世界への『窓』が、千雨の周囲に溢れんばかりに存在している。
 そしてそれら『窓』を貫く、大きな光の柱が空間の中心にあった。
 強い脈動を感じさせる柱は、おそらく世界樹《神木・蟠桃》。スタンド『ビューティフル・ドリーマー』により構築されたこの宇宙で、因果も時間軸も全てを貫いて鎮座している、空間の主。

「またここか」
「気を抜くなよ千雨。ここは相手のフィールドだ」
「分かってるさ」

 ウフコックの注進に答えながらも、千雨は空間を落ちていく。
 先程の世界に辿り着く時もこの場所を通ったのだ。

「いたッ!」

 この空間では千雨の知覚領域がうまく働かなかった。そのため吉良を探すのは目視になる。
 千雨の落下方向、そのかなり先に吉良の姿がある。

「吉良ッ!」

 その言葉に反応し、吉良が振り向く。

「やはりそうか。君は僕と同じ力が使えるのか」

 得心がいったとばかりに吉良は呟く。距離が離れているはずなのに、吉良の言葉が鮮明に聞こえたのは、おそらくこの空間のせいだろう。
 吉良は体を捻り、落下しながら千雨と対峙する体勢になった。

「君がここまで来ると言う事は、僕の能力も、僕の目的も、おおよそ察しているんだろう。長谷川千雨」
「あんたがこうやって平行世界を移動できるって事は知ってるけどな。それと『平穏を望む』だったか、いつだったかのお前のご高説はしっかり覚えてるよ!」

 千雨は銃を突きつけながら叫ぶ。それに対し吉良は呆然とした表情をした。

「驚いたな。それは以前僕が違う世界で君と対峙した時の言葉だ。そうか、どうやったのか知らないが、君も僕と同じ知識を持っているのか」

 この惨劇の始まり。血みどろの世界樹広場での言葉だった。

「だったら簡単だ。君に取引がある」
「取引?」
「そうだ」

 千雨は眉をしかめた。

「僕の能力『バイツァ・ダスト』は他者との〝絆〟を対価に、平行世界を渡る能力だ。そしてこの能力で僕は平行世界の自分と同化出来る」

 血を垂れ流す肩口を指差す。

「そして同化すれば、その同化した自分の知識を得つつ、負傷しているのなら傷も塞がる」

 吉良の背後に平行世界の『窓』が近づいてくる。その『窓』を吉良の体がすり抜けた。

「このようにね」

 すり抜けた後、吉良の肩口の傷は綺麗に消えていた。先程すり抜けた『窓』の中の吉良と、目の前の吉良は同化したのだ。

「僕の傷は治り続ける。対して君はどうだ。今でさえ傷だらけの君が、僕に勝てるか?」
「はッ! ここに来て取引持ち出すヤツが粋がるなよ!」

 千雨は吉良の言葉に耳を貸さない。しかし――。

「じゃあ、これはどうだい?」

 千雨の周囲に大量の『窓』が広がった。巨大な映画館のスクリーンを何千個と並べたものが周囲を覆う。

「なッ――!」

 そして千雨はそこに映し出されたものを見て、言葉を失った。

「これは、わたしか……」

 そこに映されていたのは平行世界の千雨の姿だった。
 剣士となって戦っている千雨。超能力者となった千雨。妖怪になった千雨。魔法使いに憧れた千雨。陰陽師として大成した千雨。魔物を使役する千雨。
 それは可能性だった。
 千雨という人間が歩んだかもしれない、無限に等しい可能性が数限りなく映し出されている。
 その中には――。

「お父さん、お母さん……」

 両親と共に生活する千雨もいた。友達のアキラや夕映とじゃれ合いながら学校に行き、家に帰ると母親におかえりと言われ、夕食時に父親と学校の話をして笑いあっている。
 ありえたかもしれない可能性。
 憧憬にも似たその光景に、千雨は唇を噛み、胸を押さえた。

「惑わされるな千雨ッ!」

 ウフコックの声に答える事もせず、千雨は必死に顔を伏せる。手に持つ銃口は力なく下がった。

「これは幻じゃない。君が望むなら、僕の能力を使って好きな世界に送り届けよう。何、その世界の君を排除して入れ替わるのでは無い。ただ君の記憶が同化するだけだ」

 甘い囁き。
 千雨が失ってしまったもの。喉から手が出るほど取り戻したいものが、目の前にあった。

「どうだい?」

 吉良の問いかけに、千雨は強く歯を食いしばった。
 幾つもの世界の可能性が目前に現れては、背後に消えていく。二人が対峙する空間は加速していき、光の回廊へと姿を変えた。

「わたしは、戻れるのか?」
「そうだ、戻れる。僕が戻してあげよう」
「そっか。戻れるんだ。だけど――」

 千雨は顔を上げ、吉良を睨みつけた。目尻には僅かに涙が浮かびながらも、虚勢を張るかの様に口角を吊り上げる。

「そいつは死んでもゴメンだッ!」

 もう一度両親に会いたい気持ちはある。それでも、千雨の背中には《学園都市》で再会した両親の手の感触が残っている。強く、強く後押ししてくれた、あの感触が。

「わたしは沢山間違ったッ! 沢山後悔したッ! それでもッ!」

 歩んできた道のりで支えてくれた人がいた、触れ合った人がいた。

「振り返る事はしてもッ! もう止まらない、そう決めたんだッ!」

 再び銃口を突きつけ、引き金に指をかけ――。

「残念だよ。長谷川千雨」

 吉良が背後に『Queen』を出す。その手にあるスイッチの様なものを――押した。

「『ザ・ゲーム』」

 能力が発動する。

「なッ――ごぶッ!」
「ぐッ!!」

 千雨とウフコックの心臓部で爆発が起きる。千雨の口から大量の血が溢れ、手の力が抜け『銃』が宙を舞った。ウフコックも苦悶の声を上げる。
 千雨達に付けられたスタンド爆弾は解除されていなかった。吉良とて平行世界を越えての発動は不可能だったが、同じ空間、ましてやこの距離ならば発動は容易だ。

「ぐッ――、千雨ッ!」

 ウフコックはいち早く回復した。
 体を複数の空間に収納しているウフコックは、肉体としては不死に近い。心臓の一つを潰されても、苦痛はあれど死ぬ事は無い。
 千雨の体を覆うスーツに反転(ターン)しているウフコックは、千雨の状況を確認しようとする。

(バイタルチェック――くそ、心臓が止まっている。出血も酷い!)

 心臓部での爆発は右心部に穴を開け、肋骨の骨も肺に突き刺さっていた。辛うじて呼吸はあるが、もって数分だろう。治療には緊急を要した。
 だからこそ、ウフコックは吉良の接近に気付くのが遅れた。

「しまっ――」
「遅い」

 近づいた吉良は、スタンドの手刀を使い、千雨の右手首を切り落とした。
 千雨の手首から血が噴水の様に飛ぶ。

「貴様ァァァァァ!!!」

 ウフコックが怒りの咆哮を上げる。
 吉良は千雨の右手を回収し、その表面にある特殊樹脂のスーツ部分をペリペリと剥がした。 そして露になった右手にほお擦りをする。

「長谷川千雨。君は愚かな女性だった。しかし、君の手は美しい。僕はずっと君の手を愛したかった」

 そう言いながら、千雨の右手に口付けをする。

「今の君は覚えていたのだろうか。いつか僕は君に『似ている』と言ったね。そうだ、僕らは似ていた。そんな君と僕は一つに成りたかったんだ」

 ウフコックは怒りながらも、ただその言葉を聞き流すしか出来なかった。スーツの中ではウフコックによる必死の治療が施され続けている。

「愛しているよ、長谷川千雨。僕は君と共に平穏に生きてみせる」

 吉良は慈しむように、千雨の右手を抱いた。

「これは君への手向けだ。もう苦しませないさ」

 自らのスーツのボタンを引き千切って爆弾化し、それを瀕死の千雨に投げる。
 その時、千雨の体に僅かなノイズが走った。

「――ッ!」

 治療を止められないウフコックは、その爆弾への対処が出来ない。

「さようなら、長谷川千雨」

 吉良の視線の先で爆発が起こる。
 事態は決したと思った吉良の耳に、予想外の声が突き刺さる。

「プロポーズにはしっかりと返事しないとな。『おととい来やがれ』だ、クソ野郎ッ!!」

 爆炎から飛び出したのは、特殊アクリル製の盾を構えた千雨だ。
 盾を投げ捨てながら、無事である左手を握り締め、吉良の顔面へと叩き込む。

「――ぐッ――はッ!」

 不意を突かれた吉良は、体重の乗った千雨の拳の直撃を喰らい、吹き飛ばされる。
 爆発の状況下で、千雨は咄嗟にウフコックを強制的に反転(ターン)させ、盾を作って身を守ったのだ。

「千雨、何故、お前は……」

 ウフコックもそれは理解していた。
 しかし、千雨の心臓の鼓動は止まっていた。それは今を持ってもだ。
 それなのに普通に動き、手首からの出血も止まっている。ましてや――。

「まさか……」
「ウフコック。お前が全力で戦ってくれてるんだ。だから、私も全力で戦う。そうだろ、なぁ相棒ッ!」

 肉体の放棄。千雨はその意識を肉体から切り離し、人としてのカテゴリーを抜け出した。
 今の千雨は人よりむしろアサクラに近い状況だった。
 ウフコックもずっと痛みと闘っていた。例えこの戦いを潜り抜けようと、その先に待っているのは恐らく自我の崩壊。
 それを押してなお、千雨達は戦う事を選んだのだ。

「そうだったな。決着をつけるぞ、千雨ッ!」
「あぁ!」

 宙に浮いていた『銃』を無事だった左手で掴んだ後、千雨は吉良へ向けて一気に落ちていった。
 朦朧とした意識を振り払った吉良が見たものは、目前にまで迫る千雨の姿だった。

「ぐぅぅぅ、長谷川千雨ェェェェ!!」
「吉良ァァァァァァ!!」

 二人の頭部がぶつかり合い、血が舞う。
 至近距離でのインファイトが始まる。
 千雨は銃を吉良の体へ放とうとするが、それはスタンドに阻害された。
 更に千雨のスーツからウフコックがスパイクを打ち出し、吉良の肉を抉る。
 対して吉良のスタンドの拳が、千雨の脇腹へと突き刺さる。骨が折れ、内臓が破裂した。
 千雨は肉体の痛覚を遮断し、対抗する。
 ウフコックが次々にスーツ表面から様々な武器を射出し、吉良を追い詰めていく。その度にウフコックの苦悶の声は大きくなった。
 千雨と吉良はもつれ合うかの様な距離で、くるくると回りながら落ちていく。視界が目まぐるしく流れていった。

「こんのぉぉぉぉぉ!」

 千雨は左手に持つ銃をどうにか吉良の肩へと押し付け、銃弾を放った。

「ぐあぁぁぁッ!」

 激痛に吉良は顔を歪める。

「まだだ! 『バイツァ・ダスト』ォ!!」

 吉良が能力を発動させる。落下する先の『窓』をすり抜けると、吉良の傷は完全に消えていた。
 しかし、千雨とウフコックの追撃は終わらない。スタンドの攻撃を受けて傷が増えながらも、千雨達の思いは揺るぎ無く輝き続けている。
 吉良は傷を負う度に、〝絆〟を代償に能力を行使して癒していく。

(そうだ、超は言っていたはずだ。『吉良を殺してはならない』って)

 吉良を殺せば、平行世界のどこかでまた吉良が同じ行動を起こすだけだ。
 ならばこそ。

(――このまま全ての吉良を同化させてやるッ!)

 千雨は『銃』に接続されているケーブルを口に咥えた。そのケーブルは遠く、千雨本来の世界の上空に創られた機構へと繋がっている。
 電子干渉(スナーク)、パシリと走った紫電が千雨の背後、ケーブルの周囲に衝撃波を創り出す。その勢いにより、千雨達の落下速度は更に加速した。

「ぐッ! な、何だ、何を――」

 急な加速による圧力に、吉良は歯を食いしばる。

「どこまでも落ちてゆけ、吉良吉影ッ!」

 それは流星に似ていた。真っ黒な空間を、千雨達は光の尾を引きながら切り裂いて行く。
 幾つもの『窓』を貫き、ひたすらに落ちていった。
 そんな状況でありながらも戦いは止まらず、千雨は傷を増やし、吉良は能力を使い続けた。
 やがて、吉良の瞳から理性が失われていく。
 過度の『バイツァ・ダスト』の行使により、吉良の記憶は虫食いの様になり、混乱していった。
 吉良は必死に千雨から離れようとする。

「離せ! 僕は平穏に生きるんだ! 僕は! 僕は!」

 千雨は『千雨の銃』を構えた。向ける先は、この空間に鎮座する光の柱――世界樹の力の奔流。

「どこまでも逃げてみろ。だけどもな……」

 銃弾に思いを込めた。いつかのアサクラが行なった様に、千雨は自らの意志、記憶、思いをその弾丸に託す。放たれた不可視の弾丸は光の柱に当たり、弾けた。
 千雨達の周囲に、再び沢山のスクリーンが並ぶ。
 そこには千雨の様々な可能性が映し出されている。

「どこまで行っても、わたしが――わたし〝達〟がぶっ倒してやるッ!」

 その瞬間、全ての『窓』に映った千雨〝達〟が、スクリーン越しに吉良を一斉に睨みつけた。

「ひ、ひぃぃッ!」

 吉良は恐怖に引きつった声を上げる。
 千雨が放った弾丸は、幾つもの平行世界に向けて放たれた、自分へのボトルレターだ。
 それを受け取った千雨〝達〟は意志を、思いを引き継いでくれる。
 手に握られていた《矢》を、吉良は恐怖のあまり強く握った。矢が手の平に食い込む。
 恐怖と《矢》が吉良のスタンド能力を暴走させた。
 際限無い『バイツァ・ダスト』の連続使用。吉良の体は傷つく度に修復され、数多の自分と同化していく。

「あぁぁぁぁ、誰だ。僕は誰だ。お前は、お前は誰なんだーーーーァァァァ!!」

 吉良の心が崩壊していく。
 背後の『Queen』でガムシャラに攻撃を仕掛けながら、幼子の様にわめき立てた。
 その攻撃が『千雨の銃』を破壊し、破片が千雨の頬を抉った。
 もはや自分の名前も、目の前にいる千雨の名前すら分からなくなった様だ。

「吉良、お前……」

 哀れみを感じながらも、千雨は歩みを止めない。
 千雨の瞳にある光が、強く、強く輝いた。それは吉良に恐怖を忘れさせる程に。

「しっかり刻み付けろ吉良吉影ッ! わたしは長谷川千雨ッ!」

 残った『銃』のケーブルを右腕に巻きつけた。
 自由になった左手で再び拳を握り、

「たんなるッ! ただのッ!」

 振りかぶり、

「女子中学生だッ!!」

 放たれた。

「――ぐぅッ、ぁッッッ!!!」

 拳が吉良の顔面を打ち砕く。
 それは単に肉体を傷つけただけでは無い、吉良の心、芯そのものを壊したのだ。
 吉良の傷はすぐに快癒する。しかしもはや瞳に力は無い。体は弛緩し、無気力なまま漆黒の空間をどこまでも、どこまでも落ちていく。
 対して千雨は右腕に絡めたケーブルを支えに、緩やかに落下スピードを落としていく。
 眼下には遠く離れていく吉良の姿があった。吉良は次々と平行世界の自分と同化して落ちていく。
 それはまるで坂を転げ落ちる雪玉の様だ。終わりがこなければ、永遠に転がり続けるだろう。

「終わったな」
「あぁ」

 ウフコックの言葉に、千雨は頷きで返す。
 お互いが満身創痍であり激闘の余波が伺えた。
 千雨はケーブルの続く先、頭上を見上げた。

「戻ろう、元の世界へ」

 千雨達の姿にノイズ走り、それはそのままケーブルに飲み込まれるように消えた。
 そこに残ったのは薄っすらと消えていく光のケーブルの残滓と、『千雨の銃』の残骸だけだった。



     ◆



 そこが一体どこなのか、男には分からなかった。

(ここは……)

 無気力な瞳。彼はどうやら力なく、樹の幹に横たわっていた様だ。
 気付くと、体が地面へずぶずぶと沈んでいく。
 それを見つけた周囲の人間が悲鳴を上げ、何かを喚きたてているが、男にはそんな声すら聞こえなかった。

(あぁ、眠い。僕は何をしたかったんだろう)

 地面に沈みながら周囲を見ると、美しい街並みが広がっていた。それはどこか見覚えのある光景だった。

(懐かしい。懐かしいな)

 彼の心に何かが過ぎった。しかし具体的な名前は何も浮かばない。記憶は虫食い、彼の心は確かに壊れていた。
 ふと、自分の腕の中に何かがある事に気付いた。

(手……手首?)

 それは人の手だった。おそらく手首で切断されたのだろう、切り口からは血が未だに滴っている。

(綺麗だ。僕は、この手を――)

 それに触れようとした時、腕の中から手がころりと落ちてしまう。それは石畳を転がり、周囲にいた人々の所まで行ってしまう。
 また悲鳴が上がり、蜘蛛の巣を散らす様に人が逃げていく。
 逃げる人々の足にあたり、美しい手は踏み潰されていく。

(やめろ、やめてくれ。その手は、僕の――)

 男はそれを拾いに行きたいが、体は半ばまで地面に埋まってしまった。
 その時、心に刻み込まれた何かが聞こえた気がした。

『――っり刻み――ろよ――シカゲッ! わ――は――チサメッ!』

 輝き。全てを包み込む様な、眩い輝き。
 男はからからに渇いて張り付いた喉から、声を振り絞る。

「……チ、サメ……」

 ぽろぽろと涙が男の頬を伝った。
 その時、鈴が鳴る様な音がした。
 瞳を動かすと、頭上には巨大な樹の枝葉が広がり、陽光をきらきらと反射させていた。
 音はそこから聞こえたのだ。

(音、なんだコレハ、マルデ、ボクハ――)

 葉から降り注ぐ光が、男の心を絡めとる。
 気力も、自由も奪われた男は、光の為すがままになった。

(ソウダ、《矢》ガ必要ナンダ。《矢》、ヤ、ヤヤヤヤ……)

 男の体はほとんどが地面に沈み込んでいる。残っているのは顔の半分と、左腕だけ。
 左の手の中には《矢》が握られていた。
 光に導かれるまま、男は《矢》をそっと大樹の幹に触れさせた。
 すると、《矢》はするすると幹に飲み込まれた。
 途端、樹が強い輝きを発し始める。その光だけが、沈み行く視界の中で男が唯一見たものだった。



 つづく。



[21114] 第57話「ラストダンスは私に」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/03 20:21
 千雨が空間の穴に飛び込んで数分が経っていた。
 上空にはけたたましく動く光の歯車。そこから伸びる光のケーブルは千雨が消えた場所でぷっつりと途切れているものの、おそらく空間を越えた先で千雨に繋がっているのだろう。
 魔法使い勢と国際警察の対立はこう着状態になっていたが、世界樹の沈静化を確認した中条はいち早く動き出した。
 ポケットにある通信機を取り出す。

「呉先生、例のものを頼みます。世界樹の接収作業を始めましょう」

 その言葉が均衡を破ろうとした。

「中条、貴様ッ!」

 近右衛門が声を荒げたと同時、空の幾何学模様に変化が起きた。

「おい、あれ……」

 誰かが空を指差した。
 見れば、上空にあった光の歯車が徐々に崩れていっている。崩壊は僅かだが、それでも一部の機構が壊れれば全体に歪が出てくる。
 歯車が噛み合わなくなっていき、不協和音が麻帆良に響いた。

「千雨ちゃん……」

 その光景がアキラを不安にさせる。
 ジジジ、と残っていたケーブルが奇妙な振動音を発したかと思うと、突然千雨の姿がそこから現れた。まるで何かに押しだされた様に地面をゴロゴロと転がる。

「――ッ!」
「千雨ちゃん!」

 倒れている千雨にアキラは近づき、その身を起こさせた。

「あ……」

 アキラは千雨の姿を見て息を呑んだ。千雨が身に着けているスーツは所々破れ、血が付着していた。顔にも幾つもの傷が有り、腹部に至っては奇妙なへこみが出来ていた。
 なにより――。

「千雨ちゃん、手が……」

 千雨の右手の手首から先が無くなっている。それを見て、アキラはくしゃりと表情を歪ませた。

「ま、待ってて! 今、魔法使いの人を呼んで治療を――」
「アキラ、いいんだ。大丈夫、〝いらないんだ〟」

 千雨は走り出そうとするアキラを呼び止める。

「え、だって……」

 アキラの戸惑いに千雨は首を振り、そっと右腕を差し出して傷口を見せる。アキラは驚愕に目を見開き、口を押さえながら言葉を失った。

「……」

 目尻からボタボタと涙が溢れる。
 傷の断面には〝何も無かった〟。
 体を覆うスーツの下は空洞。僅かに空間にノイズが走るだけで、そこにはもう肉体が存在していなかった。
 アキラと千雨は特殊なラインで繋がれている。その意味を、千雨はラインを通じてそっと伝えた。

「あぁ……」

 必死に涙を止めようとするものの、その努力は空しく意味を成さない。アキラは力なく地面に膝を付いた。
 千雨はアキラをここまで悲しんでしまう事に痛みを感じながらも、それ程に自分を思ってくれる事に嬉しさも感じていた。

「ごめんな。そして――」

 アキラの慈愛に対し、千雨は精一杯の感謝を示そうとした。そっとアキラを抱き寄せる。彼女の感触、肌の熱さ、ほのかな汗の匂い。千雨は自分にしっかりと刻み込む。たとえどれだけ離れようと、どれだけの時間が経とうと、どれだけ自分が無くなろうと、決して失わない様に、しっかりと、強く、強く。

「――、――だ」

 千雨の言葉は、アキラの耳元で小さくそっと囁かれた。
 座り込んだアキラをそのままに、千雨は立ち上がる。

「ウフコック、さっきのは?」
「やはりそうだろうな。……来るぞ!」

 見つめる先は世界樹。千雨が一時的に沈静化をし、主犯たる吉良も無力化したはずだった。
 それでも、この場所に戻る時に千雨達は世界樹の力の激流に巻き込まれ、あの世界の隙間から押し出されるように戻ってきたのだ。
 世界樹が淡く発光し、柔らかな魔力を発露し始める。
 と同時に突如、その世界樹の幹の辺りには強い力を発する《矢》が現れた。
 強い力の予兆にいち早く気付けたのは千雨とウフコック、そして近右衛門と九大天王だった。

「皆の者、障壁を!」

 近右衛門の言葉に合わせ、魔法使い達が負傷者達を守るように魔法障壁を張り始めた。

「幻妖斉殿、お願いできますかな」
「ふん、もうやっとるわ」

 中条が言葉を発する前に、察していた無明幻妖斉は九大天王三人を守る結界を構築している。

「ウフコック、頼む!」

 千雨のスーツから離れた金色のネズミは、空中でクルリと反転(ターン)し、千雨とアキラを覆う球状の盾を作り出した。
 導火線に火が灯されるかの様に、《矢》はジワジワと世界樹の幹に沈んでいく。それが沈みきった時、衝撃が広場を襲った。
 それはまるで魔力の爆発だ。

「……ぐッ、……あッ!!!」
「――きゃッ!!!」

 千雨達はそれに必死に耐える。ウフコックが作った盾の中にいても、その衝撃の強さは感じられた。
 多層構造の盾は、その表面をほんのコンマ数秒で破壊され続けている。ウフコックが反転(ターン)で継ぎはぎを繰り返している状況だ。

〈くぅぅぅぅぅぅ!!!〉

 ウフコックのくぐもった声、彼の体も限界が近かった。枷の呪縛、肉体の浪費、先程は心臓まで一度破壊されている。そしてここに来ての反転(ターン)の連続使用。

「ウフコック!」

 千雨はたまらず声を上げるが、すげない声で返された。

〈心配そうな声を出すな、千雨。『もう止まらない』のだろう。だったら前を向けッ! 私も共に進んでやる!〉

 千雨はこくりと頷いた。

「あぁ。……あぁッ!」

 広場を覆った衝撃は、世界樹から放たれた魔力の奔流であった。それは以前の魔力の放出の比では無かった。
 あれが強風の中だとしたら、これは塵すら残さない爆発の中心の様だ。
 それでも爆発は永遠に続かない。世界樹の力の放出が収まってきた時、千雨は盾の外へ出ようとするが――。

「ぐ……、くそ。何だよ、これは!」

 収まってなお黄金色の魔力が世界樹を中心に吹き荒れていた。気を抜けば体ごと飛ばされる激流の中で、千雨は立ち上がる事すらままならない。
 只でさえ異常な魔力量を放っていた世界樹だったが、今は更にそれを越える力を放っていた。
 考えられるのは《矢》の力。吉良は《矢》を使い、自らのスタンドの力を更に引き出していた。暴走すら起こさせる《矢》の特性を、千雨は先程の戦いで得ていた。

「世界樹のスタンドが暴走しているのか?」

 それを確かめる術は無い。だが、このまま放置出来る分けも無かった。
 世界樹広場の周囲の建物は、先程の魔力の爆発によって破壊されていた。幸い、近右衛門が渾身の結界を作った事により、魔法使い勢も無事である。
 反対側には飄々とした九大天王の姿もあった。
 夕映の存在も感知できた。アサクラの連絡によれば、うまく建物を壁にして持ちこたえたらしい。現在こちらへ向かっている様だ。
 千雨は前回と同じく、世界樹に時間の逆行を行なおうとしたものの、上空の機構を確認して愕然とした。

「駄目だ、足りねぇ。もう一度構築する時間も、力も――無い」

 麻帆良上空の機構は、魔力放出の余波で半ばが壊されていた。
 再構築しようとするものの、千雨の力は激減していた。
 《カシオペア》の機構を再現するために、世界中に放たれた自分の分割思考、分身体。本来ならばそれは千雨の演算を脳内で分散して効率化を図る技術だったが、広がり過ぎた感覚によりそれらは独立した自我を持ってしまった。
 小さな虫が巨人の視界を得たように、千雨の感覚は世界を睥睨する程に広がってしまったのだ。
 そのため〝個〟が崩れてしまう事を防ぐため、遠くへ飛ばされた凧の糸を切るが如く、千雨は分割思考の幾つかの切り離しを行なっていた。
 未だに感覚は広がり続けている。それと同じ速度で千雨は自らを失っているのだ。
 魔力の激流が容赦なく体に叩きつけられ、千雨は立ち上がれない。
 失われた右手は地面すら掴めず、左手ももがく様に空を切ろうとしたが、その手がしっかりと誰かに握られた。

「アキラ……」
「千雨ちゃん」

 目尻に涙の痕を残したアキラは、真っ直ぐに千雨を見つめ、掴んだ手を強く握り締めた。

「千雨ちゃん、さっき言ってくれたよね。私も、私もね――」

 アキラの口が言葉を紡ぐが、その声は魔力の激流にかき消された。
 それでも千雨にはしっかりと伝わっていた。
 微笑を浮かべた千雨が、アキラの手を握り返す。

「ありがとう」

 過ぎるは万感の思い。吉良が見せた幻よりも強く、千雨の心を満たしてくれた。
 世界樹を振り返る。

「頼みがある。あの樹をぶっ壊す、……手伝ってくれアキラ――」

 不安そうな千雨の声を、アキラが遮った。

「うん」

 千雨の不安を拭うようにアキラは笑う。知っているのだ、目の前の少女が何より恐がりで、何より涙脆い事を。

「でも、きっと大丈夫だよ。一人では立ち上がれなくても……」

 アキラはグイと千雨を引っ張り上げた。荒れ狂う魔力の激流の中、千雨とアキラは支えあう様に立ち上がった。

「二人なら立ち上がれる。それに、ウフコックさんもいる。出来るよ、私達なら」

 盾から分離したウフコックは、アキラに抱えられるようにして胸元にいた。
 ちっぽけな千雨達の前には、巨大な世界樹が立っている。激しい魔力の奔流は、世界を覆い尽くして全てを塗り替えようとしていた。
 それでもなお、千雨達は立ち向かおうとしている。

「そうだな。やろう、最後の大仕事だ」







 第57話「ラストダンスは私に」







 世界樹の力の異常さ、その仕組みをいち早く理解したのは近衛近右衛門だった。
 周囲に放たれている魔力の勢いは凄まじく、まわりの魔法使い達も驚きを隠し得ない。
 しかし、問題はそこだけでは無いのだ。

「明らかに世界樹の魔力保有量を越えておる……」

 世界樹という超常の物体の魔力保有量は、細かく測定出来るものでは無いが、ある程度の大枠では予想出来た。現在放出されている魔力は、その大枠に収まるものでは断じて無い。

「地脈の流動が激しい。これは吸い取っておるのか」

 地面に触れた手が、敏感にそれを察する。
 慌てて周囲に視線を向けた。魔力で視力を強化すると、麻帆良に点在する樹木が徐々に枯れていっているのに気付けた。更に遠くを見れば、麻帆良を囲む山々の緑まで失われ始めていた。
 視界を覆いつくす金色の波動が、世界を喰らっていく。
 世界樹はその力を際限なく広げ、魔力を根こそぎ吸収しようとしていた。千雨が世界中の電力をコントロールし、空にカシオペアの機構を再現した様に、世界樹もスタンドの力まで使い、幾つもの平行世界からも魔力を吸収して、自らの力と変換した上で放出していた。
 その放出した魔力で何を行なうのか、そこまでは近右衛門を理解し切れない。それでもこのまま放置すれば、日本中の魔力が吸い取られるのは時間の問題であった。
 目の前の存在は『世界樹』、神話より語り継がれる神の遺産は、人間の知己を遥かに越えていた。

「ぐぬ……」

 動こうとした時、膝が地面に落ちた。先程の魔力爆発から皆を守るために張った結界は、近右衛門の魔力の残りを継ぎ込んだ。
 実際あの時に結界を構築してなければ、各々の魔法障壁では耐えられなかっただろう。
 それでも、近右衛門は立ち上がらなければならなかった。
 世界樹の一度目の魔力放出時、この場にいたほとんどの人間が余りの魔力量に呆然と立ちすくむしか出来なかった。
 あの時は一人の少女の働きで助かったものの、再びあの様な事を期待してはならない。何より全てを一人の少女に託すのは、魔法使いとして、大人として許容出来るものではない。
 今回の魔力放出は数分前の一度目とは比にならない。それでも近右衛門を含めた魔法使い達の瞳には、一人の少女の行動が焼きついている。
 竦む足を叱咤し、戦える者全員が立ち上がった。

「皆の者! これから世界樹を破壊する! あのまま暴走を許せば、麻帆良だけでは無い、日本全土が危機に陥るじゃろう。わしらの背中には多くの人々の命が掛かっている。立派な魔法使い(マギステル・マギ)の矜持を持つのなら、その意気を力の限り見せいッ!」

 近右衛門の声に対して、一斉に鬨の声が上がる。
 士気は高いが、近右衛門の冷静な部分が今の状況の問題部分を指摘していた。

(この魔力の奔流。果たして皆が魔法を使えるのか。何より、魔法で世界樹が壊せるのか)

 川底に沈む木片を燃やすのに、火の付いたマッチを川に投げ込んで意味があるのだろうか。燃えさかる火の中に、水の一滴を垂らして意味があるのか。
 この魔力の暴風域で魔法使い達の真価を発揮するのは難しいだろう、と結論付ける。
 今必要なのは『魔法以外』の世界樹の破壊手段なのだ。
 近右衛門はまず最初に、九大天王との共闘を思いつく。
 彼らも正義を自称する徒だ。この状況であれば協力体制を作れるのでは無いか、と近右衛門は淡い期待を巡らす。
 視線を横に向ければ、離れた場所で九大天王の三人が笑みを浮かべて立っていた。

「ククク、ハーハッハッ! 見てくださいよ、この力。《矢》にしろ世界樹にしろ、ここまでのモノだとは思いませんでしたな。これは我らが得るべき力です」

 中条の言葉に、釣り竿の男がニヤニヤと笑いながら頷く。

「同感ですね。これほどの脅威は我らが管理するに限る。中条殿、接収作業を始めましょう」

 釣り竿の男が指をパチンと弾くと、麻帆良上空を周回していた国際警察機構の輸送機に動きがあった。
 巨大な寸胴型の輸送飛行機の腹部が開き、巨大な何かを落としていく。その数は五つ。激しい振動が物体の質量を容易に想像させる。
 落ちてきたのは人型の機械。鬼神兵より一回り小さいシルエットのロボット兵器が、少し離れた麻帆良外縁部に落とされる。
 落ちてきたロボット兵器は各々が別の姿をしていた。その先頭に立つロボットがまるで戦意を溢れさせるように、咆哮を上げた。

「ゴオオオオオォォォォォーーー!!」

 頭に角を生やしたシルエット、狂気の天才が創り上げたロボット『ギルバート』だった。
 中条は通信機に話しかける。

「呉先生。ロボット兵器のコントロールは?」
『現在電子防壁とセキュリティを最大にしていますので、十分程は完全な制御を保てるはずです。申し訳ありません、世界樹上空は魔力の放出により近づけないため、降下場所が離れました』

 電子戦の想定は為されていた。だが、現在電子ネットワークには規格外の千雨も含め、学園都市の《シスターズ》もいる。中条からすれば十分という時間も御の字であった。

「構いません。それにそれだけ時間があれば充分です。さぁ、行きましょうか」

 五つの巨大なシルエットが世界樹に向けて近づいてくる。それと共に進む《梁山泊》の一部軍勢もあった。そんな一団を背後に引き連れる中条が、近右衛門には醜悪な化け物に思えた。

(共闘じゃと? あやつらにそんな言葉が通用するものか!)

 自らが思いついた手段を即座に却下した。

(しかし、どうするんじゃ。この状況下で打てる一手が……)

 打開策が思いつかない。麻帆良勢の戦力は激減していた。現在でさえ、麻帆良各地に存在するアンドロイドの残党と《梁山泊》兵の対処に負われ、全戦力をここに振り分けられないのだ。
 その時、近右衛門の視界の片隅に何かが見えた。
 世界樹の根元、魔力放出がより激しい場所に立ち上がる人影。強い魔力光によりシルエットしか見る事は出来ない。
 それでもその人影を、近右衛門は――この場にいる人々は、知っていた。
 立ち上がる彼女達は人々に背を向けている。決して世界樹から目を逸らさず、立ち向かおうとしていた。
 近右衛門はその光景にどこか得心する。この数ヶ月、彼女はいつもそうだった。大人達が作り上げた状況の中で必死にもがき、子供なりの道理で全てをどうにかしてきたのだ。
 それは『世界』を変える事に似ていた。
 過ちを過ちのままとせず、理不尽を理不尽だと声高に指摘する。それは誰しもが経験する幼稚な行いだろう。過ちは変えらぬまま、人は大人になって看過する術を得ていくのだ。
 それでも時には過ちそのものを変えてしまう人間がいる。
 近右衛門はそんな人間を知っていた。
 多くの尊敬と多くの怨恨をその身に宿す、そんな偶像染みた人間を。

「英雄、か……」

 知らず呟きが漏れていた。
 かつて知己となったその存在も、最初は今の彼女より幼い姿だった。

(彼女に背負わすわけにはいかない、なんて考えは年寄りの傲慢なんじゃな)

 恐らく放っておいても彼女達は勝手に立ち上がり、勝手に走っていくのだろう。
 そして彼女達はきっと為してしまう。出来る、出来ないなどもはや問題にすらならない。
 為せる事を為すのは常人だ。
 為せぬ事を為す事こそが、『英雄』たる資質なのだ。

(ならば、我らのやる事は決まっておる)

 二ヶ月前、近右衛門達は彼女達に矛を向けてしまった。
 あの事件での忸怩たる思いは、今でも近右衛門ら魔法使いの胸に残っていた。
 矛は向けるべき方向に向かねばならないのだ。汚名はそそがなくてはならないのだ。
 そして、今がその時だ。

「皆の者、我らは長谷川君らを助けるために動く! いつぞやの汚名をすすぐのじゃ! これは血戦じゃ、力を惜しむなッ!」

 「おうッ!」という鬨の声と共に、魔法使い達が一斉に飛び出していく。
 目前に迫る脅威から、千雨達の一分一秒を稼ぐために。
 魔力の激流の中、魔法の行使は困難を極めた。各々が状況の中で最善を尽くして国際警察機構へと立ち向かっていく。
 それに対し、中条は嬉々とした表情で応対した。

「止められるなら止めてみるがいい。この『静かなる中条』をッ!!」

 中条の周囲に莫大な気が溢れた。魔力の激流すら一時吹き飛ばす程の量。命を燃やして放つ『ビッグバン・パンチ』、その使い手たる中条の力量はこの場に置いても抜きに出ている。
 連続して放たれる拳打はまさに暴風雨だ。数人の魔法使いが瞬時に無力化される。
 釣り竿の男も振るった竿で、魔法使い達を撃退していった。
 九大天王の力は圧倒的であったが、その時転機が訪れた。
 魔法の詠唱を行なっていた幻妖斉が目を見開く、紡いでいた言霊が消えた。それどころか彼の周囲は無音。音そのものが消え、せっかく作り上げた術式も霧散する。

(何じゃと!)

 幻妖斉の目前に、その原因たる存在が立っていた。
 工業製品を思わせる、滑らかな光沢を持った人型の物体。
 《エコーズ》であった。
 魔法使い達の後方で立ち上がった康一が、《エコーズ》を使い、ピンポイントで幻妖斉の魔法を無効化していた。

「《エコーズ》、吸い取れッ!」

 《エコーズ》は幻妖斉と自分を含めた周囲数メートルに音を吸収するフィールドを作り上げた。
 かつて純粋な『スタンド』であった頃より遥かに微弱な力、それでも効果は出ていた。

(ちぃっ! 面妖なッ!)

 されど幻妖斉も歴戦の猛者、詠唱を封じられたとて魔法くらい使えた。無詠唱の魔力を《エコーズ》にぶつければ、脆くもその体は崩れていく。

「ふん!」

 崩れれば《エコーズ》の力は解除され、幻妖斉の周囲は音を取り戻した。だが――。

「ぬっ……」

 幻妖斉の目の前で《エコーズ》が復元されていく。瞳を爛々と輝かせながら、《エコーズ》は再びフィールドを作り出す。

(再生するのか、ならば!)

 無詠唱で幾本もの魔法の矢を作り出す。それを《エコーズ》の力の源、康一へ向けて放った。
 詠唱も無く、世界樹の影響もあってかなり威力は落ちるものの、生身の人間に当たれば容易に体を貫ける。
 康一へ向けて放たれたそれを遮るように、二つの人影が飛び出した。

「ドラドラドラァー!」
「漢魂ッ!!」

 リーゼント頭の二人組、東方仗助と豪徳寺薫だ。それぞれがスタンドと気を纏った拳で魔法を撃墜していく。

「舐めた事しやがるな、オラァ!」
「空気読めよ、ジジイ!」

 二人は幻妖斉にメンチを切るが、もちろん無音のフィールドにいる幻妖斉には聞こえていない。
 意気揚々と立っているものの、周囲の状況にはさすがの二人も驚いている様だ。

「おい薫。それにしたって何なんだこれ。うちの担任も大概だが――」

 チラリと仗助が視線を向ければ、そこには彼らのクラスの担任教師が跳ね回りながら魔法を使っている。

「周りは超人だらけじゃねぇか」
「しかもこの強風の中でだからな。魔力、だっけか。恐ろしいなメルヘン、いやファンタジーって言うのか?」

 周囲は黄金色の光に包まれ、強風が荒れ狂っている。体格の良い二人ですら立っているのがやっとという有様だ。

「……よく康一は生き延びたな」
「ははは」

 二人の背後で康一が乾いた笑いを浮かべた。康一とて今の状況には驚きを隠しきれない。
 その康一だが、服はボロボロに破れているものの、肌に目立った傷は無かった。魔法使いによる治療と、先程駆けつけて来た仗助のスタンド能力で治癒されている。
 三人の背後から伸びた手が康一の頭を掴み、ガシガシと荒々しく頭を撫でる。

「うわっ!」

 驚いた康一の横に立っていたのは空条承太郎だった。所々服は破れているものの、偉丈夫な姿はそのままに、目には穏やかさがあった。

「よくやったな康一君」
「じょ、承太郎さん……」

 康一から離れ、承太郎は歩を進める。

「仗助、豪徳寺君。ここは頼む」

 この場所には康一の他にも動けない負傷者が固まっている。

「は、はい」
「うぃっス。でも承太郎さんはどうするんスか?」

 承太郎が帽子のつばを掴み、深くかぶりなおす。白いコートが魔力の激流によってはためいた。

「今、戦友が戦っている」

 千雨が立ち上がる姿を、承太郎も見ていた。

「……それに、だ」

 初めて麻帆良を訪れた時を思い出した。騒がしい場所だと思ったが、それと共に美しい街だとも思ったのだ。今、その景観は消えていた。悲鳴と怒号が飛び交い、戦火が街を焼いている。

「――ヤツらは俺を怒らせた」

 普段から物静かな承太郎が怒りを露にする。義憤が光となり、瞳に力強さを抱かせる。
 かつて誰かがいった『黄金の精神』、それはこの同じ黄金色の嵐の中でも、一際強い光となって輝いた。
 承太郎の歩みは、強者の歩みだ。
 単純な力自慢では無い、内にある人間としての強さ、それが歩き方として出ているのだ。
 承太郎の向かう戦場には、ロボット兵器に《梁山泊》兵まで加わろうとしている。
 それでもなお、歩みに変わりは無い。
 体躯以上に巨大な背中を、康一達はただ見送るばかりだった。
 そんな中、薫が視界の片隅に何かを見つけて指差した。

「なぁ、あれ何だ」

 薫が示す方向には空を飛ぶ巨大な飛行機があった。ロボット兵器を落とした飛行機とはまた違う、独特なデザインの飛行機。
 仗助は訝しげに見るばかりだが、康一には見覚えがあった。
 別にあの飛行機自体知っているわけでは無い。あのデザイン、あの先進さを感じさせるフォルムは、自分がかつていた場所を思い出させる。

「……《学園都市》」

 不安そうな康一の声。いつの間にか、南の空に幾つもの機影が現れ始めていた。



     ◆



『おいおい、何だこいつは。聞いていないぞ』
「同感だな」

 通信機から聞こえる声に、操縦桿を握った男は頷いた。
 編隊のオープンチャンネルを開くと、そこらかしこで罵倒が毒づかれている。
 《学園都市》を出発した飛行輸送機の集団は、埼玉県麻帆良市という目と鼻の先な場所へ向けて飛んでいた。
 本当なら数分で往復出来そうな退屈なフライトなはずだったが、いざ離陸という時、上空に巨大な幾何学模様が発生したのだ。それは幻でも無く、離陸した後の上空からも見渡す限り満遍なく存在していた。
 先月に話題になった都市伝説の様だった。あれも確か《学園都市》上空に描かれた魔方陣、とかいう馬鹿馬鹿しいタイトルだった。どこぞの研究施設で行なわれた、放電現象をコントロールしたアートだと発表されて沈静化したが、この模様もその延長線上なのかもしれない。
 だが、問題は上空の幾何学模様ばかりでは無い。
 眼下に見渡せるようになった麻帆良は酷い有様であった。
 巨大な人型兵器がそこらかしこに倒れており、街はまさしく廃墟といった有様だ。
 戦火も未だ収まらず、上空からでも望遠カメラで戦闘の様子がまざまざと確認出来た。
 何より皆が驚いたのは麻帆良の中心部にそびえ立つ、黄金の光の柱だった。
 巨大な噴水か何かに思えた。

『こちらアルファ・スリー。全機、あの金色の光に近づくな。コントロールを持っていかれるぞ』

 通信機から聞こえた声。確かに先程から操縦桿が重い。
 金色の光はまるで嵐だ。
 《学園都市》謹製の特殊合金パネルの装甲を容赦なく叩いている。
 ヘルメットのディスプレイに新たな情報が表示された。視線ポインタで詳しく見ていくと、どうやら降下ポイントが変わるようだ。

「〝お客さん〟には難儀な事だな」

 数十機の輸送機のカーゴには〝お客さん〟を乗せていた。
 彼らの任務は『麻帆良で起こっている大規模テロの鎮圧』、また『《学園都市》から盗まれた物品の確保』というものらしい。
 その盗まれた物とやらは、麻帆良の中心部に立て篭もっているテロの主犯が持っているとの事。
 そのため《学園都市》としては、〝お客さん〟こと実用化されたパワードスーツ部隊を二つに分け、片方を中心部に直接降下させ、もう片方を外縁部から補給路を確保しながら鎮圧、侵攻していく予定だったのだ。
 この気流の激しさもあり、中心部への降下は中止され、現在は指定された降下ポイントへ向けて動いている。

『全機、降下準備』

 アナウンスが入った。ポイントまであと五秒という所だった。
 カーゴではパワードスーツを着た兵士達が、身を強張らせているだろう。何度もの試験はしたものの、パワードスーツの実戦投入は今回が初めてだ。予期せぬアクシデントも予想出来る。

「……ん、何だ」

 急に男の持つ操縦桿が動かなくなった。金色の光のせいでは無い。慌ててコックピットのタッチパネルで調べるが、ソフトウェア上ではエラーが見つからない。
「ハードエラーか。いや、そんなはずは……」
 《学園都市》製のこの飛行機は、幾通りものアクシデントを想定されて作られており、エラーの原因が見つからないというのは、まずありえない。

「ぐ……この、一体何なんだ!」

 ガンガン、と操縦桿を殴りつけるがビクともしない。周囲の輸送機では次々と降下作戦が始まり、パワードスーツが地面へ向けて落ちていっている。

『おい、どうなってやがる! ハッチが開かないぞ!』
「黙れ! コントロールが聞かなくなってやがるんだ!」

 カーゴからの通信を一喝した。操縦桿だけでは無い、タッチパネルは使えるものの、各種のスイッチ、コパイロット用の操縦桿までが動かなくなっている。
 自動操縦用のAIも反応が無い。

「な、何だ!」

 急な揺れ。旋回。見れば操縦桿が勝手に動いていた。

「おい、何だこれは」

 操縦桿はまるで意志があるかの様に輸送機を動かし、その機首を変えた。
 視界に別の輸送機の姿が近づいてくる。このまま行けば――。

「おい……おい、止めろ、止めろォォォーーーー!!」

 男が絶叫を上げている時、機体底部に動く人影があった。

「……やけに容易かったな」

 機体の装甲にペタリと手足を貼り付けているのは、一ヶ月ほど前、夕映を狙って《学園都市》へ潜入したスタンド使い、リゾット・ネエロだ。
 良く見れば、彼の右手右足に違和感を覚えただろう。服の下には《学園都市》で作られた最新型の義手義足が付けられている。麦野沈利との戦いにより重傷を負ったリゾットは、《学園都市》に収容され、その力を研究材料とされていたのだ。
 この一ヶ月の記憶は、まさに拷問といって過言でなかった。されどそのお陰で得られるものもあったのだ。
 彼の磁力を操るスタンド『メタリカ』は、実験という名の拷問、様々な薬物の投与により異常な程成長をしている。義手義足も彼のスタンド能力で自由自在に動かせる一品だ。その内部にはリゾットを殺すための爆薬や、無力化するための薬品などが入っているが、今の彼の力を考えればまったく意味が無い機構であった。その程度のものを首輪代わりにしている当り、可愛く思えてしょうがない。

「やっと自由になれた。こいつは手土産だ。ありがたく思えよ《学園都市》」

 リゾットが『メタリカ』の力を強めた。彼はもうこの輸送機のコントロールを掌握している。このまま真っ直ぐ飛べば、他の輸送機と衝突回避不可能なコースに入るはずだ。

「こんなものか」

 タイミングを合わせ、リゾットは輸送機から手を離した。空中に身を投げ出してなお、彼の表情に焦りは無い。
 先程までコントロールしていた輸送機が、他の輸送機二機を巻き込み爆炎を上げた。その墜落していく様を見て、リゾットは笑みを浮かべる。
 こうしてリゾット・ネエロは《学園都市》を脱出した。
 彼の誇りと復讐心が巻き起こす惨劇は、また別の話。



     ◆



 突如現れた飛行機の集団が何かを地上に落とした後、数機かがもつれ合う様に墜落していく姿は佐天涙子にもはっきり見えた。

「嘘、やばいよあれ!」
「ど、どうしましょう!」
「どうしましょうって言われても、……この状況じゃ無理でしょ」

 佐倉愛衣の慌てぶりに突っ込みつつ、涙子は眼下の風景を見た。
 涙子達はアンドロイド兵と戦っていたものの、途中で《梁山泊》兵が参戦したため、愛衣の箒に乗って上空に退避したのだ。
 幸い、アンドロイドと《梁山泊》は潰しあいをしていたし、涙子がいた場所の避難は完了していたはずなので、逃げても問題が無いはずだ。

「それにしたって……これ一体何なのよ」

 世界樹から上がる光の柱、上空には崩れた幾何学模様、鬼神兵のほとんどは破壊されていたが、まるでおかわりでもするかの如く、今度はロボット兵器が降下された。
 そこに来て今度は輸送機の墜落である。
 涙子達のいるのは麻帆良西部、輸送機が落ちるのは恐らく東部あたりなので、追いかけてもまず間に合わない。それに東部はいち早く観光客の避難が為された所のはずだ。愛衣曰く『怪物が戦っている場所』らしく、空から見ても東部の異常さは一目瞭然だった。
 森林部だった場所が、ゴルフ場でも作るかの様に更地に変わっており、大地には幾つものクレーター、巨大な氷柱まで見えた。

「わわっ!」

 二人の乗る箒が揺れた。慌てて愛衣は魔力を集中し、姿勢制御をしようとする。
 麻帆良上空の気流は乱れ、飛んでいるだけでもかなりの集中力を必要とした。

「このまま上にいてもやばいね。とりあえず下に降りようか」

 吹きすさぶ魔力流を避けるため、愛衣の操る箒は高度を落としていく。
 そうしていくと、世界樹へ向かっていくロボット兵器の姿がしっかりと見え始めた。

「あのロボット何なんでしょう? 味方……でしょうか」

 この時点で愛衣達はロボット兵器の所属を知る術は無い。しかし、愛衣に対して涙子は明確な答えを返した。

「いや、あれは敵だよ」
「え、敵ってそんな根拠……」
「うん、間違いない。どうみたって悪者だわ」

 五体のロボット兵器達は建物を破壊しながら世界樹へ向かっていく。そのうちの一つ、『ギルバート』は背中のバーニアに火を灯して浮かび上がり、衝撃波を発しながら低空を一気に駆け抜けた。

「うッ!」
「きゃあッ!」

 その衝撃波のせいで、涙子達の乗る箒は盛大に煽られた。

「これ、本当にやばいよ!」

 今、世界樹で何かが起こっているのは理解できていた、そこで多くの人間が戦っている事も。
 残った四体のロボット兵器はどうやら空を飛べないらしい。その足元には共に進んでいく《梁山泊》兵の姿は見えた。

「ほらね、やっぱり悪者だ」

 涙子は得意気に言う。あのロボットが《梁山泊》とやらの一派の持ち物ならば、世界樹へ辿り着かせるのは状況を悪化させるだろう。

「行ってくるね、佐倉さんッ! サポートよろしくッ!」

 箒から飛び出した涙子は、くるりと体を捻った後、頭上に作っておいた超能力の足場を蹴った。
 矢の様な速度で落下する。目標はもちろんロボットの一つ。

「あぁ、もうッ、佐天さんッ! 勝手なんだから!」

 愛衣も怒りを露にしながらも、涙子に追随する。
 落下の速度をそのままに、涙子はロボットの頭部に飛び蹴りを食らわした。
 ガツン、という衝撃音はあるものの、圧倒的な質量差の前にはロボットに変化は無かった。

「痛ッ! さすがに無理あるか」

 その反動で近くの建物の屋上に着地した時には、ロボットの反撃の拳が迫っていた。

「うわッ!」

 避ける暇すらない。涙子は覚悟を決めてタンクローリー以上の質量の激突を受け止めようとする。
 手には《獣の槍》。ざわりと髪をなびかせた後、肉体の強化を一段と強めた。

「ぐぐぐぐぐぅぅーーーーー!!」

 しかし、拳を止める事など出きるはずも無く、涙子の体は容易く空中へと放り出された。衝突の瞬間にミンチにならなかっただけ常人離れしていたものの、このままでは何処かに激突してしまう。

「佐天さん!」

 愛衣の悲鳴。
 涙子は来るべき激突に歯を食いしばったが、体はフワリと誰かに優しく受け止められた。

「えっ?」

 受け止めてくれた人物は、黒衣を纏った長身、顔には仮面を付けている。その姿に涙子は見覚えがあった。
 呆然とする涙子の周囲を、同じ装いの人影が駆け抜けていく。その数は十六、次々とロボット兵器へ殺到していった。

「相変わらず無鉄砲ですわね、佐天さん。あなたはもう少し思慮深さを持つべきですわ」

 フワリと横に舞い降りたのは、愛衣の姉弟子にして、同じ《学園都市》への留学生に選ばれた高音・D・グッドマンだった。
 普段は金糸の様な髪は埃で汚れ、肌も所々に傷がある。
 それでもなお、彼女の気高さは失われていなかった。亡き師への思いを心に宿しながら、彼女はこの戦場を駆け回っていたのだ。
 涙子を受け止めたのは高音が操る『使い魔』であった。彼女は総勢十七の影の使い魔を操る、特異な魔法使いなのだ。

「行きなさいッ!」

 高音の指令と共に、涙子の傍に残っていた使い魔が、ロボット兵器へ向けて走っていく。
 涙子達が立つ建物の屋根部分へと、愛衣も降り立った。

「お姉さま無事だったんですね!」

 愛衣の言葉を聞きながらも、高音は真剣な表情を崩さない。

「愛衣、佐天さん。これからこの場を死守します。学園長の連絡によれば、世界樹が暴走し破壊作業を行なっているとの事です。妨害する可能性の高いあれらロボット兵器は、ここで足止めをします」
「いや、それは良いんですけど。もうロボットの一台はおっきい木の方へ飛んで行っちゃってるみたいですけど」

 先程ロボット兵器の一台『ギルバート』は飛行能力を使い、世界樹へと辿り着いてしまっている。

「あ、あれは仕方ないでしょ。あんなの止められるわけありませんもの! 幸い、残りの四台は飛行能力が無いようなので、こちらで対処します。よろしいですわね」

 二人が頷いた時、ロボット兵器はもう百メートル程先まで近づいていた。
 涙子は槍を構え、愛衣は箒に魔力を込めた。

「いきますわよッ!」
「了解ッ!」
「は、はい!」

 高音の言葉を合図に、二人は動き出す。
 涙子は建物の屋根から屋根へと飛び、高速で走っていく。手に持つ《獣の槍》を煌めかせながら、ロボット兵器の一台へと肉薄した。
 狙うは装甲が薄い関節、駆動部位。
 ロボットの頭部が光り、熱線が放たれる。涙子を追尾して撃たれつづけるそれを、涙子は紙一重でかわして行く。
 放たれたミサイルは愛衣の魔法が迎撃してくれた。他のロボットの攻撃は高音の使い魔が牽制する。

「ここまでお膳立てされたなら――」

 ペロリと乾いた唇を一舐め。
 前傾姿勢のまま建物の屋根から飛び降り、ロボットの周囲の細い路地を滑る様に駆けた。
 ロボット兵器の足元。
 超能力を足場にしながら、その膝に向けて一直線に飛びかかる。

「決めなきゃ女がすたるでしょッ!」

 《槍》に渾身の力を込めた。
 突き刺すは装甲の隙間。人型をしてるが故の最大の弱点、巨大な質量を支える脚部に狙いを定めたのだ。

「どぉうりゃぁあッ!」

 覇気。突き刺した穂先を今度は横薙ぎに振るう。関節部位を完全には断ち切れなかったものの、それで充分だ。
 ロボット兵器はバランスを乱し、建物を壊しながら倒れた。
 涙子はその場を離れながら周囲を確認する。
 一台の足止めは完了したものの、その一台とて移動できないだけで兵装は生きていた。まだ完全な状態のロボットは三台。
 対してこちらは涙子を含めて三人。明らかに無理のある戦力比だった。
 その時、ロボット兵器の一つが変形した。体をスパイクの生えた球体にし、グルグルと素早く回転し始める。

「いいッ!」

 そのまま回転の勢いを使い、こちらへ向けて高速の突進をしてくる。
 撒き上がる粉塵、轟音。
 相手と涙子の質量比を考えれば、今度こそ触れた瞬間にミンチになるだろう。
 回避しようと涙子が足に力を込めた時、その球体へ襲い掛かった人影がいた。

「シャァーーーーーーッ!」

 獰猛な獣を思わせる叫び声。衝撃波を纏いながら生身でロボット兵器にぶつかった人物は、『衝撃のアルベルト』だった。
 その小さな体が、巨体の突進を止めてしまう。

「はぁぁぁ?」

 さすがの涙子も驚きを露にした。学校の校舎程の巨体を、ひと一人が押し返してしまったのだ。
 同じ時、違う方向からは爆発音が聞こえた。
 高音が牽制していたロボット、その装甲に魔法が爆ぜる。見れば南から飛んでくる援軍の姿があった。

「先生方!」

 明石教授と葛葉刀子の二人だった。
 両者とも満身創痍の装いながら、はっきりとした戦意を持っている。

「グッドマン君と佐倉君か。君達は援護を頼む。我々が前衛を勤める、出来て足止めだ、欲張らないでくれ!」

 そう教授が言いながら、二人はロボット兵器の方へと向かっていく。
 二人の視界に、ロボットと生身で殴りあうアルベルトの姿が映った。

「あれは……」
「そうですね。おそらく先程の人物なのでしょう」

 モノクルを付けた中年に目を向ける。
 教授達が先程まで死守していた戦線で、鬼神兵を一撃で殴り倒した人間がいた。
 あまりの高速にしっかりと視認出来なかったのだが、戦うアルベルトの姿を見て同一人物だと確信した。

「これは引けませんね」
「同感です。行きますよ!」

 紫電を纏った刀を掲げて刀子は突撃する。刀の細かい刃こぼれが激闘の余波をうかがわせた。
 そこに槍を構えた涙子も並走する。視線でお互いを確認し、こくりと頷く。
 その姿は何もかもを打ち砕く砲弾に似ていた。
 二人は迫り来る光線、レーザー兵器すら切り裂いていく。
 豪放な二人の女傑の姿に、教授はやや辟易とした苦笑いを浮かべる。

「……女性は恐いですね」

 元気なのはいいが、娘にはもう少しおしとやかさを持って欲しい、そんな事を考えながらも明石教授は二人の援護のための魔法を構築していった。



     ◆



 魔力の激流、その根元で支え立つ千雨とアキラの目前に、巨大な人型の影が映りこんだ。

「行け、ギルバート!」

 中条の声。
 低空を飛んできたギルバートは、その速度を突進力に変え、魔力の嵐を突き進んできたのだ。

「うわッ!」

 二十メートルを越える巨体が世界樹の幹に掴みかかかろうとするが、大きければ体に受ける魔力の量も増え、あと数メートルが近づけないでいる。

「ゴオオオオオオオ!!」

 ギルバートの咆哮。バーニアの出力を上げてなお、幹には触れられなかった。
 埒が明かないとばかりにギルバートは胸部を突き出す。その意図を千雨は正確に察知する。

「正気かよッ!」

 胸部の放射板が輝き、赤い稲妻を思わせる溶解光線が放たれた。光線はやはり魔力の流れに勝てず、周囲に散らばった。
 無秩序な破壊、光線は千雨達をも襲うが、間一髪でウフコックの反転(ターン)したシールドが間に合う。
 その陰に隠れながら千雨はギルバート、強いては国際警察機構に対する苛立ちを露にした。

「クソッ! ……やるぞ、アキラ、ウフコック!」

 左手にはアキラ、胸元にはウフコックがいる。異能と超科学、その二つの力を千雨が繋いだ。
 電子干渉(スナーク)。紫電が走る。

「あッ!」
「くッ!」

 ピクリとアキラとウフコックが反応した。
 上空に残った力の残照を束ねて、一つの力の形にしていく。

「お前ら……いい加減にしろぉッ!」

 シールドの陰から飛び出し、手首から先が消失した右手を振りかぶった。千雨の肩口から飛び上がったウフコックがクルリと体を捻れば、存在しないはずの右の拳が構築されていく。
 巨大なシルエット。拳の軌跡に合わせ、千雨の背後から轟音を上げながら膨大な質量をもった塊が飛び出していく。
 列車の如く加速したそれはまさしく『拳』だった。金属の継ぎはぎで出来た『拳』。
 アキラの『スタンド』を核にし、ウフコックの無尽蔵の資材により形作られた『拳』は、ギルバートの体を遠く、数百メートル先まで吹き飛ばす。
 世界樹の嵐の中、『拳』の姿はあっという間に変わっていった。『腕』が、『肩』が、『胴体』が、『脚』が、『頭部』が、そして五本の『尾』が形成されていく。

『オォォーーーーン!!』

 巨大化した『フォクシー・レディ』が遠吠え染みた声を上げた。
 全長二十メートル程の姿。鬼神兵の半分、ロボット兵器より一回り小さい体だ。
 そのサイズは今の千雨達の限界だった。
 目の前の世界樹を破壊する、そのイメージで形作られた姿は、奇しくも鬼神兵をモデルにしていた。
 それでもこのサイズとなれば、ウフコックが作れるのはせいぜいハリボテであった。
 そのためのアキラのスタンドが必要だった。ウフコックが作り出したのは云わば『鎧』、スタンドが身につける巨大な『鎧』だった。
 そして、スタンドが『鎧』を身に纏うという矛盾を、千雨が上空の機構で調整している。
 構築されたばかりの巨大化した『フォクシー・レディ』は、ギルバートの二の足を踏まない様に、四本の尾を地面に突き刺して体を固定した。
 スタンド能力の制限として、現在千雨に『スタンド・ウィルス』を感染させているので、五本の内一本は硬化して動かないままだ。されど、四本の固定でどうにか『フォクシー・レディ』は飛ばされる事を免れた。

「ぐぅぅぅぅ! 頼むアキラッ!」
「うん、『フォクシー・レディ』、進んでッ!」

 千雨とアキラは『フォクシー・レディ』の足を盾にして、魔力の激流を防いでいる。
 アキラは自らのスタンドに指示を出す。

『オーライ、アキラ!』

 巨大化したためか、スタンドから嫌に低くなった声で返された。
 西洋鎧を模しつつも、狐の印象を残す頭部に瞳の明りが灯った。
 『フォクシー・レディ』は四本の尾と二本の足を交互に使い、一歩一歩を確実に進んでいく。一歩進むたびに魔力の激流はより強まっていった。
 装甲がひしゃげ、割れ、剥がれていく。『鎧』に反転(ターン)しているウフコックはその度にそれらを補修していく。
 千雨もウフコックの負担を軽くせんと、『ループ・プロセッサ』の一部を装甲の表面に転写し、魔力の分解を微少ながら行なっていた。
 視界が金色に染まっていく。
 風は酸素すら奪い、呼吸すらままならない。繋いだ手を強く握り、二人はお互いの存在を確かめた。

 暴風雨にありながら、霧中を進むような心地。
 不安があり恐怖がある。それでも、それを払拭する様に鮮やかな色彩が心を巡っていた。
 千雨にとってモノクロだった『世界』に、色を与えてくれたのは紛れも無くアキラだ。
 一歩一歩を共に支え合い歩いていく。
 やがて千雨達は世界樹の幹にまで辿り着いた。

「ウフコック、やるぞ!」
「『フォクシー・レディ』お願いッ!」

 二人の掛け声に合わせ、『フォクシー・レディ』の巨大な両手が世界樹の幹に突き刺さる。

「いけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 メキメキと幹が割れた。硬く閉じた門をこじ開けるかのように、『フォクシー・レディ』は世界樹を引き裂いていく。
 しかし――。

「うわッ!!!」

 ゴウ、っと更に魔力の激流が強まった。
 フワリと千雨の体が浮き上がり、そのまま飛ばされそうになる。

「千雨ちゃんッ!」

 アキラは千雨を掴んでいる右手を引っ張った。幸い、アキラのもう片方の手は『フォクシー・レディ』の脚部に作られた取っ手を握っている。
 宙に煽られている千雨を、アキラが必死に引き戻そうとした時、奇妙な声が聞こえた。

「■■■■■■■ィィィーーーー!!」

 可聴域にギリギリ収まる甲高い奇声。音の方向を見た千雨達は驚愕した。
 世界樹の割れた幹の先には、吸い込まれたはずの《矢》が浮かんでいた。魔力の激流が強くなったのは、おそらく《矢》のせいだろう。
 そしてその《矢》から巨大なヴィジョンが浮かび上がっていた。
 広く繁った枝葉を抱き寄せるために、細く長くしたかの様な腕。女性を思わせる優美な曲線を持つ上半身。瞳はあるものの鼻も口も存在しない無機質な頭部。下半身は存在しない。
 《矢》の中から半身を覗かせる様に現れたのは、世界樹の『スタンド』。

「――『ビューティフル・ドリーマー』」

 かつて吉良が口にした名前を千雨は思い出した。
 それは『ビューティフル・ドリーマー』の顕現だった。



     ◆



 同時刻、まるでタイミングを見計らったかの様に、世界樹広場へ上る青年の姿があった。
 漆黒の思いを宿した青い瞳。流れるような金髪。
 《パッショーネ・ファミリー》のボス、ジョルノ・ジョバァーナだった。
 今、世界樹は《矢》の力により、天地を喰らうかの如き暴走をしていた。それは《矢》の確かな価値を示すものでもある。
 ジョルノの手には、対となる様にもう一つの《矢》が握られていた。
 吹き荒れる嵐、その中で魔法使いが、《梁山泊》が、スタンド使いが戦っている。
 目前に戦場が迫りながらも、ジョルノの足取りに不安は無い。
 自らが構築できる『世界』、それは絶対なる力だった。
 手の平の《矢》が体に飲み込まれ、ジョルノの背後に浮かび上がった『スタンド』が割れていく。
 光を飛び散り、生まれたのは『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』。
 因果律すら歪め、ジョルノへの攻撃を全て無効化する能力は、比肩すら出来ない力だ。
 この力がある限り、ジョルノは目前の戦場に入ってもおそらく傷一つつかないだろう。
 それだけでは無い、あの魔力嵐さえ彼を避け、もう一つの『矢』にまで辿り着けるはずだ。
 靴音を響かせながら歩くジョルノの前に、立ちふさがる人間がいた。

「おっと、ここは通行止めネ。部外者は通れない事になってるヨ」

 ジョルノにイタリア語で話しかけたのは超鈴音だった。
 服や肌は汚れ、時折痛むのか脇腹を押さえている。それでも彼女はいつも通りの飄々とした笑みを浮かべていた。

「君は……」

 ジョルノはどこか見覚えのある少女に眉をしかめた。

「私は超鈴音ネ。はじめまして、《パッショーネ・ファミリー》の若きボス、ジョルノ・ジョバーナさん」

 言外の意味を込めつつ、超は自己紹介をした。

「へぇ。あの時の女性ですか。すいません、東洋人の顔立ちはどうにも覚えにくくてね」

 思えば半時間程前に、麻帆良全域にスピーチをした少女だった。

「ジョルノさん、これは警告ネ。あなたはここへ来ないほうがいい。あなたは部外者ヨ。大人しく踵を返して帰る事を強く勧めるネ」

 超の言葉に、ジョルノは首を振る。

「それは無理だ。僕には夢がある。そのためにもあの《矢》の存在は放置出来ない」

 超には超の、ジョルノにはジョルノの、背負うべき思い、信念があった。決して譲り合いなど不可能な決意、故に二人は衝突せざるを得なかった。

「こちらこそ忠告しよう、超鈴音。君はそこを退くべきだ。知らないだろうが、僕のスタンド能力は誰にも防ぐことが出来ない」
「――知ってるよ。あなたのスタンドがどれほど異質で、どれほど脅威かを」

 ジョルノの声を遮り、超は淡々と話し始めた。まるで独白をするかの様に。
 ジョルノは少し感心していた。能力は知られたが、彼の力はその程度で揺らぐ事など無い。

「あなたの力は発動している限り、打つ手が見つかりそうにないネ。本当にその能力の法則が維持され続けるなら、この場……いやこの麻帆良であなたを傷つけられる存在はいなくなる。必然、あなたを止めれる者も存在しないヨ」

 超はふーっ、と長く息を吐き、遠くを見回した。
 麻帆良の街並みは崩れ、初夏の濃い緑は失われていた。
 形も、色も無くなっている。まるでこの都市で過ごした二年間が失われるように。
 騒がしい日々。いま振り返れば、毎日がお祭だった様に思える。
 特にこの二ヶ月、千雨が来てからは退屈などしなかった。
 大学の研究棟の学生、超包子の常連、クラスメイトの面々が思い浮かぶ。
 クスリと笑いが込み上げた。

(あぁ、私はこんなにも楽しかったのカ)

 超は再びジョルノを見据える。

「さっき、一度はあなたの存在を利用する事も考えたネ。この世界樹の暴走を止めるために、危険な存在ながらあなたに託そうかとも思ったヨ。けれど――」

 目を瞑れば、振り向かずとも背後で彼女達が戦っているのが分かった。

「必要が無くなったネ。むしろあなたの危険性が増したヨ」

 超が危惧したのは、ジョルノがあの世界樹の暴走を御した場合だ。スタンドや世界樹といった人知を越えた存在は、超の予測を容易く超える。そんな存在を、目の前のジョルノが御した時の危険性は大きい。
 超が喋っている間も、ジョルノの歩みは止まっていない。彼は確実に世界樹との距離を縮めていた。

「それで君はどうする気だい。君は僕に危害を加えられない、歩みすら止めれない。御託は家に帰ってしておくれ、バンビーナ」

 超はポケットからそっと時計を取り出す。
 ヒビの入った懐中時計、航時機《カシオペア》だった。

「これは賭けネ。あなたの『スタンド』と私の意志。どちらが勝つか、私はそれに賭けるヨ」
「一体、何を――」

 言っているんだ、という言葉をジョルノは飲み込む。目前の超が消え、背中にフワリと包み込む様な感触が現れた。
 《カシオペア》を使った擬似的な瞬間移動。
 敵意を一切出さず、超はジョルノの背に抱きついた。母が子をあやす様に、優しく、そっと。

「君はどう――」

 再びジョルノの言葉を遮られる。悪意無き抱擁は『ゴールド・E・レクイエム』の壁を打ち抜いた。
 超は手に持つ《カシオペア》のスイッチを押した。
 莫大な魔力を吸い取った航時機は一気にうねりを創る。損傷のためコントロールは効かない。未来への一方的な片道切符だ。

「ジョルノさん、〝何時〟へ落ちたい?」

 気休めの問いかけ。ジョルノは驚愕を露にした時、うねりが二人を覆った。

(再見、みんな!)

 再会を心に思い描きながら、超は時を越えていく。
 この日を境に、超鈴音とジョルノ・ジョバーナの足取りは忽然と消えた。



     ◆



 ふん、と不機嫌に鼻を鳴らしながら地面に胡座をかき、頬杖を付く。
 図書館島と麻帆良を繋ぐ橋は崩壊し、その袂に銭形幸一の姿はあった。
 愛用のトレンチコートは破れ、帽子もボロクズの様になっている。
 それでも四肢に異常が無いのは、銭形の頑丈さ故だろう。
 彼の背後にはロープや手錠で幾重にも拘束され、気を失っている九大天王の六人が山積みに置かれていた。
 この場で行なわれた銭形・ルパン・アルベルトと九大天王による戦いは熾烈を極めた。
 お互いの力が拮抗したため、数で勝る九大天王が優位に戦いを進めていたものの、銭形達は経験による巧みさで捌いていったのだ。
 しかし、事態の急転を察した中条は、この場に九大天王のうち戦闘可能な四人を残し、自らは二人を引き連れて世界樹へ向かったのだ。
 それが均衡を崩した。
 銭形達は若い九大天王に隙を与えず、あっという間に倒してしまった。
 その後、ただ放置しておいても危険なため、銭形は元々倒されていた二人を含め、合計六人の九大天王を拘束し、そこらに転がして置いたのだ。
 事態が決したと見るや、アルベルトは高笑いを浮かべて走っていった。
 銭形が不機嫌な理由はそれでは無い。
 左腕を上げると、ジャラリと空の手錠が揺れた。
 ルパンを拘束するために作った特殊電子手錠だったが、戦いの真っ只中の間に、どうやらルパンは開錠キーを作り上げたらしい。
 気付いたら逃げられていた、それが銭形の不機嫌の理由だ。
 追いかけたくとも、後ろに山積みになった輩を押さえられるのは自分しかいない。生真面目な彼の気質が、この場を離れる事を許さなかった。

「くそー、ルパンめ! まんまと逃げおって!」

 器用に胡座をかきながら、地団駄を踏む。
 彼が逃げた方向は知っている。銭形は空を見上げた。

「見ておれルパン! 貴様はワシが絶対捕まえてやるッ!」

 視線の先には、上空を周回する国際警察機構の輸送機の姿があった。



     ◆



 呉学人。
 国際警察機構に所属するエキスパートである彼は、中条などから尊敬を込めて『呉先生』などと呼ばれる知識人だ。
 今回、彼はこの『麻帆良制圧作戦』で管制を勤め、上空から各所へ指示を出している。
 また彼の乗る輸送機には、危急のためにロボット兵器までが搭載されていた。
 遠隔操作で動くロボットのコントロールには強固なセキュリティを施してあるが、《学園都市》や麻帆良を相手では不安が残るため、緊急時、もしくは巨大な施設の接収のみの運用が想定されていた。
 このロボットの運用管理も彼の仕事だ。
 現在麻帆良に投下された五体のロボット兵器の制御も、彼を含めた国際警察機構北京支部のチームが行なっていた。

「……マズイですね。バッカスが脚部破損。サターンも損傷部位が増えています。なんとか継戦出来てますが、……このままじゃ世界樹への処理が行なえない」

 次々と映し出されるロボット兵器の状態に、呉は悔しげに顔を歪める。
 世界樹に辿り着いた『ギルバート』も、その力を発揮できずに撃退されてしまった。今はこちらの制御で、どうにか継戦出来るように調整している真っ最中だ。
 呉の手の平がタッチパネル式のキーボードを叩いていく。浮かび上がる幾つものウィンドウを並行して処理していく様は、彼の知能の高さを窺わせた。
 この戦いは佳境を迎えようとしていた。暴走する世界樹を止められるのは、国際警察機構であり、我らが九大天王だと彼は信じている。
 時に暴論を持って為される彼らの行動は、彼らなりの正義なのだ。呉もまた自らの正義を信じている。

「おぉっと、こいつは意外に警備がザルだなぁ。駄目だぜ、天下の国際警察機構がこーんな時代遅れのシステム使ってちゃ」

 聞き覚えの無い声が呉の耳朶を打つ。慌てて振り向くと、そこには緑色のジャケットを着た男が立っていた。

「き、君はルパン! どうやってここに……、君は確か九大天王と交戦中だったのでは」
「んん、あいつらだったらとっつあんがノシちまったよ。いやー、あの年であんだけ暴れまわるんだから、困ったジジイになったもんだわ」

 ルパンが苦笑いを浮かべて首を振る。呉がパネルに手を触れれば、拘束された九大天王の姿がモニターに映った。

「そ、そんな……」
「荒事はとっつあんにまかせておくわ。俺様は俺様の仕事をさせてもらおうかなーっとね」

 その言葉を切っ掛けにし、呉は巨大な扇子を取り出し身構えた。彼もまた国際警察の一員、戦いの心得は知っていた。

「何が目的です」
「そいつはあれだ、下で暴れてるデカブツを止めるのさ。制御システムをごっそり頂いて停止させるって寸法さ」

 馬鹿馬鹿しいくらいに正直に語り出すルパンに、呉はより警戒した。

「させると思いますか?」
「いやいや、させるも何もさ――もう〝終わっている〟だろ」

 ルパンの手にわざとらしい作りのスイッチが握られていた。

「ポチっとな」

 ボタンを押し込んだ途端、周囲にあったモニターに警告表示が出るが、その甲斐も無くシステムはルパンの姿を模したデフォルメアイコンに制圧されていく。

「なッ……、幾ら《学園都市》には劣るとは言え、国際警察機構で使われているシステムを、こんな短時間で……」
「呉先生とやら。あんた目の前にいる俺が誰だか知っているんだろ」

 ニヤリと笑みを作った。

「伊達や酔狂で『大怪盗』名乗ってるんじゃないんだぜ。そんじゃま、お疲れさーん」

 ルパンがモニターに触れると、溶けるように姿が消えた。彼はまた電子の世界に戻ったようだ。
 輸送機内にけたたましいアラームが鳴り続けている。
 応答すらしなくなったシステムコンソールを前に、呉はただ呆然と立ち尽くしていた。



     ◆



 顕現した『ビューティフル・ドリーマー』は、麻帆良全土へ響き渡る甲高い声を上げた。
 頭部に口は存在しないものの、おそらく精神のヴィジョンであるスタンドには関係が無いのだろう。
 『ビューティフル・ドリーマー』は巨大な体を折り曲げて、『フォクシー・レディ』の鼻先に顔を突きつける。野生の動物が匂いを嗅ぐ様な仕草だ。
 そして――。

「――ぐッ!」

 アキラが呻き声を上げた。
 『ビューティフル・ドリーマー』は長すぎる両腕を窮屈そうにくの字に曲げ、『フォクシー・レディ』の腕を掴んだのだ。強靭な握力が装甲の表面をギチギチと握りつぶしていく。
 『スタンド』のダメージは本体たるアキラにも影響を与えた。
 涙を浮かべながら、アキラは痛みに耐えた。

「アキラ!」

 千雨も声を荒げる。アキラの右手は吹き飛ばされそうな千雨を掴み、もう左手はスタンド表面の取っ手を掴んでいる。
 そんな状況も重なり、アキラの体は悲鳴を上げている。

「ウフコック、どうにか出来ないのか!」
『無理だ! 手が足りんッ!』

 ウフコックは巨大な『鎧』の維持で限界であった。膨大なリソースを装甲の修復に割り当てていた。
 その時、『フォクシー・レディ』の右腕が限界を迎えた。バキリという音ともに、『ビューティフル・ドリーマー』に折られてしまう。

「うあああァァーーーーー!!」

 アキラが悲鳴を上げた。
 千雨を掴む腕が歪に曲がっている。

「アキラ、離せ! その腕じゃ限界だ」

 その姿は見ていられなかった。折れた部位はすぐに腫れあがり、それを千雨を掴む事で悪化させている。
 痛みで目尻に浮かんだ涙も、強い風に煽られ中空に舞った。
 下唇を噛み、必死に堪えるアキラに千雨は声をかけ続ける。

「アキラ、わたしを離せ! わたしならどうにかなる! だから!」
「――だ」

 アキラの呟き。

「え?」
「嫌だッ! 絶対に離さないッ!」

 涙を浮かべつつも、怒りを露にしてアキラは叫ぶ。

「『フォクシー・レディ』ィィィッッ!!」

 ギラリと『フォクシー・レディ』の瞳が光った。
 掴まれた腕はそのままに、目先に浮かぶ『ビューティフル・ドリーマー』の頭部に頭突きを喰らわせる。
 大質量同士のぶつかり合い。『フォクシー・レディ』の頭部はへこみ、アキラは額から血を流した。

「――まだァッ!」

 更にもう一発。
 『ビューティフル・ドリーマー』の体が揺らぎ、魔力の激流も少しだけ弱まった。
 アキラはその機を逃さない。

「こんのぉぉぉぉ!!」

 痛みを押し殺し、千雨の体を一気に引き寄せた。折れた腕から奇妙な音がしたが、それすらも無視をする。
 千雨はアキラの体に抱きつく形で、スタンドの脚部に体を固定した。

「アキラ……」

 不安そうな千雨に、アキラは青い顔で返す。

「千雨ちゃん。今だけは、今だけはこの手を離さないで。お願い」

 それはアキラの懇願だった。
 例え戦いの中にあろうとも、アキラはこの時間の意味をしっかり理解していた。

「……うん」

 だからこそ、千雨も答えた。
 千雨は振り向き、激流の根源を見つめる。
 『ビューティフル・ドリーマー』の体は再び安定し、魔力の勢いも戻ってきた。
 《矢》が強く輝いている。
 全てはあの《矢》だった。世界樹の割れた幹の中央に輝くそれこそが、全ての元凶だ。

「あの《矢》さえ――」

 ほんの数十メートル先に浮かぶ《矢》は、魔力の激流に覆われ、『ビューティフル・ドリーマー』の陰にも隠れていた。
 千雨は装甲に触れ、ウフコックのリソースの一部を借りて装甲にスパイクを創り出す。
 知覚領域のおかげで《矢》の正確な位置は分かっていた。それでも――。

「くそ、何なんだ、この魔力ってのは!」

 流れ出る膨大な魔力が千雨の射撃計算を乱した。辛うじて知覚は出来るものの、千雨にとって未だ魔法や魔力は理解しがたい存在なのだ。
 何とか照準を合わせてスパイクを射出したが、それらは全て明後日の方向に反れて消えた。

「ぐ……どうする、ここまで来て!」

 『フォクシー・レディ』の体は『ビューティフル・ドリーマー』に押さえつけられ、常に魔力の激流を体に喰らっていた。
 千雨達とて動けば魔力の激流に飛ばされる。
 このままこの場にいても、持って数分で『フォクシー・レディ』の維持は限界を向かえ、瓦解するだろう。
 世界は黄金色に染まっていた。
 原初の光が周囲を覆いつくし、創生の安らぎがやって来ようとしている。

「あの《矢》さえ――」

 浮かんでいるのはみすぼらしい《矢》なのだ。触れれば容易く壊れてしまいそうなそれに、千雨達は触れる事すら叶わない。

「あの《矢》さえ、壊せれば!!」
 ――《矢》を壊せばいいんデスね。

 声が聴こえた。
 声、千雨が心通わせ、大切に思っているもう一人の少女、その声が。
 視線を背後に向ければ、多くの人間が戦う向こう――世界樹広場の入り口に小柄な少女の姿があった。

「夕映ッ!」

 着ていたメイド服は無残な有様だが、立ち姿に不安は無い。
 遠くにありながらもしっかりと千雨の方向を見つめ、拳を突き出してコクンと頷く。

「まかせてください、千雨さん」

 綾瀬夕映の意志は、静かな、そして力強い言葉で現された。
 最後の欠片が揃おうとしていた。



     ◆



 夕映の目前には血と肉と異能が飛び交う戦場が広がっていた。だが、彼女の目的地は戦場の更に向こうだ。
 夕映の脚力を持ってすれば、ほんの十数秒で辿り着ける距離だが、どうにも遠く感じた。
 荒れ狂う魔力風が彼女の肌を叩く。気を抜けば体ごと持っていかれそうだが、彼女の目的地では更に強い風が吹いているのだ、この程度でねを上げる分けにはいかない。
 心臓は強く鼓動を打っていた。
 死を強く感じる。肌を刺すのは何も魔力だけでは無い、戦場という空気が夕映の体を切り裂いていく。
 ほんの二ヶ月前には、この場に立つ事など想像出来なかっただろう。

(甘えてばかりはいたくない)

 されど、体に燻る思いは周囲の魔力よりも強く荒れ狂っていた。
 今のこの時間、この意味を――自分の為すべき事をしっかりと確かめる。
 夕映の心は千雨で占められていた。その歪な精神は千雨という拠り所を持って、初めて再び立ち上がる事が出来たのだ。
 それでも、のどかが、ハルナが、木乃香が、クラスメイトが、アキラが、トリエラが、そしてジョゼがいた。
 トリエラを含め、沢山の姉の顔が過ぎる。《学園都市》での刹那の邂逅、あの一時で夕映は受け継いだのだ。彼女達の生き様、彼女達の思いを。
 夕映の人とは異なる体は、多くの繋がりで出来上がっていた。

(誰かのために生きられるなら――)

 それは何て幸せな事なのだろうと思う。
 誰かのために生きられるなら、きっと強くなれると思った。なぜなら誰かのために生きるためにはその人に触れなくてはならない、触れるためには手を伸ばさなくてはならない。自分のためだけに生きるよりずっと大変で――ずっと暖かいはずだ。
 そして夕映は誰かに愛されて生きてきたのだ。彼女の背中を、肩を、足を、祖父や沢山の姉妹が後押ししてくれていた。その中には『あの男』もいた。本人の意志はどうあれ、彼の技術が夕映を生き延びさせてきたのだから。

「――あちゃくら、準備はいいデスか」
「はいです! マスターの視覚情報の調整完了です!」

 強すぎる魔力により、それを視認する特殊眼球の機能が視界を塞いでいたのだ。
 今、アサクラの働きで夕映の視界がクリアに開けた。

「――ふッ!」

 呼気一つ。
 抑えられないとばかりに、夕映の体が飛び出した。義体の人工筋肉が限界まで力を振り絞る。
 夕映が進むのは戦場の真っ只中だ。
 片側からは魔法使いが魔法を放ち、もう片側からが《梁山泊》兵が矢や槍を振るっている。
 そこを全速力で駆け抜けようとしていた。

「マ、マスター、幾らなんでも無茶です!」
「分かってるでしょう、もう時間がありません!」

 千雨やウフコックと通信ラインを持つ夕映達は、現状をしっかりと把握していた。
 世界樹の力の放出は最終段階に進もうとしている。
 力の大きさ故だろう、世界樹の『スタンド』は誰にでも見える形で顕現している。見上げるばかりの巨体が、広場を覆いつくさんとしていた。

「最短距離を突き進みますッ!」

 夕映の戦いが始まった。迫り来る魔法や矢を紙一重でかわしながら戦場を走っていく。

「マスター、左方から矢が三つ! このままだと直撃しますッ!」
「――ッ!」

 アサクラのサポートで、眼球にも情報が表示される。
 体を捻り、跳躍。両手に持つナイフを煌めかせ、矢を落とす。
 そんな夕映の動きを、魔法使いに指示を出していた近右衛門が気付く。

「皆の者ッ! 道を作れいッ!」

 それを戦場に立つ人間がどう捉えたのかは分からない。
 それでも、近右衛門の指示により、夕映の目前にはか細い道が戦場を貫くように出来ていた。

(あぁ……)

 それもまた繋がりの形だった。
 人の体が壁を作り、頭上を光が飛び交っている。そんなアーチ下をを夕映は単身駆け抜けていく。
 金色の嵐の奥に、千雨の姿がはっきりと見えている。
 一歩、一歩と夕映が近づいて行く時、突如視界の右方に異常が起きた。
 地響き、轟音。
 その男の着地は、それだけで魔力の激流を一瞬かき消してしまう。
 服は破れながらも、その下に見える肌には傷一つ無い。強靭な肉体、背中の筋肉は盛り上がり、まるで鬼の形相だ。

「どうやら、祭りには間に合ったようだな」

 ニヤリと笑みを浮かべた。
 範馬勇次郎は禍々しい形相を世界樹、その『スタンド』に向ける。

「クハハハハハハハ!!」

 獣の様な荒々しい気が周囲に巨大なうねりを作り出す。人間の中でも随一の気の使い手たる中条すらたじろぐ量だった。
 跳躍。勇次郎が世界樹へ向けて百メートル以上の距離を、脚力のみで飛ぼうとしていた。
 低空を砲弾の様な軌道で進む。
 例え勇次郎とて、生身の肉体である限り魔力の激流を浴びざるを得ない。ましてや空中となれば押し返されるのは目に見えていた。しかし――。

「クハハハハハハハ!!」

 歓喜を漏らしながら、空中で振るい続ける拳の一撃一撃が、魔力の激流を切り裂いていく。

「ば……馬鹿な」

 誰かの声。
 勇次郎の行いは、氾濫した河川を拳一つで叩き割りながら歩くにも似ている。
 激流から身を守るのでは無く、激流を食い破ろうとする選択。それは彼の気質そのものを現していた。絶対的な自信の表れ。勇次郎は自らが負ける事を想像しない、例え相手が自然現象だとうと、神の遺物だろうと、だ。
 勇次郎が進路上には千雨達――『フォクシー・レディ』の姿があったが、彼はその姿を一顧だにすらしなかった。強大な力を持つ『ビューティフル・ドリーマー』を前に、千雨達は周囲を飛び回る〝蚊〟に等しい。
 その〝蚊〟を追い払うために拳を軽く握る。
 凝縮された気は勇次郎にとっては何気ないものだが、千雨達からすれば無比の一撃だ。
 その突進は止められるはずが無かった。魔力の激流に逆らい、勇次郎に追いすがれるはず無い――そのはずだった。
 刹那の時、勇次郎のあご先に『スタンド』の拳がめりこんだ。

「オラァァ!!」
「……ぬ、ぐッ……!」

 強烈な破裂音。
 承太郎が勇次郎の目前に突如現れた。
 『スター・プラチナ』の連続使用、時を止めた状態では魔力の激流も関係ない。
 承太郎が現在止められる時間は五秒程、一呼吸を置いて再び使用されたほんの十秒余のアドバンテージを使い、承太郎は勇次郎に襲撃をかけたのだ。

「チィッ!」

 勇次郎の体が宙を浮いていた事もあり押し返せたものの、承太郎の拳はあご先へのたった一撃で砕けていた。
 慣れぬ連続使用で疲労が一気に体を襲い、更には吹き荒れる魔力も重なり、承太郎は膝を付きそうになる。

「やれやれだぜ……」

 宙を浮いていたために、拳打の一撃で後ずさったはずの勇次郎が、すぐ目前にまで近づいていた。
 瞬動に似ていたが技ですらない、勇次郎にとってはただ地を駆けたに過ぎなかった。

「どうやら寝ている暇も無さそうだ」
「やるな若造、楽しくて楽しくてしょうがないぜ」

 承太郎はすぐさま『スター・プラチナ』を発動させるが、能力の持つ五秒というアドバンテージすら勇次郎にとっては焼け石に水だろう。
 承太郎が持ち応えられる一連の攻防はほんの数秒でしかない。
 だが、そのほんの数秒が夕映の力になる。
 承太郎の横を駆け抜ける時、ほんのわずかだけ目線が交差した。

(ありがとうございますッ!)

 心の中で礼を言う。全ては後回しだ。

「ギルバートッ!!!」

 中条の叫び声。
 先程吹き飛ばされたはずのロボット兵器『ギルバート』が、再び背中に噴射光を輝かせながら、世界樹へ向けて突撃していた。
 だが、それは奇しくもルパンにコントロール制御を奪われた時間と重なっていた。上空の輸送機から放たれた停止信号が届き、ギルバートは内燃機関を停止させる。

「何ッ!」

 指示を出していた中条が驚きを露にする。
 空中で突如動きを止めたギルバートの巨体は、そのまま魔力の激流を受け、地面を破壊しながらゴロゴロと猛烈な勢いで転がってくる。
 そして、その無慈悲で巨大な鉄塊は夕映の視界を覆った。

「くぅ! あちゃくら、回避ルートを!」
「む、無理です! マスター間に合いません、せめて防御姿勢を!」

 どう防御しろと言うのだ、という悪態は飲み込む。自らの数千倍もありそうな質量に対し、防御などしても意味は無さそうだ。
 その時、上空から飛来する人影があった。
 赤く輝く瞳が宙に軌跡を作る。握られた拳を転がる鉄の人形に叩きつけた。

「夕映から離れなさいッ! このポンコツッ!」

 明らかな重量差を覆し、ギルバートの巨体は夕映から離れるように反れた。

「お姉ちゃん!」

 夕映の傍に着地したトリエラは、夕映の肩を叩きながら背後を示した。

「行きなさい夕映。あとの煩わしい事はぜーんぶ私がやってあげるから、ね」

 トリエラに示された方向を見ると、まるで魔力の激流を引き裂くように、氷柱の道が出来ている。
 夕映がハッと気付き頭上を見上げれば、そこには外套をはためかせながら、空中で腕を組んでいるエヴァンジェリンの姿があった。

「エヴァンジェリンさん……」
「ふん、さっさと行け綾瀬夕映。貴様がいるとトリエラが役に立たん、目障りだ」

 夕映の顔も見ずに、エヴァンジェリンはそう吐き捨てる。

「はいッ! ありがとうございます!」
「――チッ」

 去り際の夕映の快活な返事に、エヴァは苛立ちながら舌打ちで返した。その鬱憤を晴らすべく、エヴァンジェリンは無造作に魔法を編み上げ、周囲に解き放つ。
 無秩序に放たれた魔法は激流の中にありながら、この場を氷の世界に変えてしまう。
 幾つもの氷柱がエヴァがターゲットと指定した者を襲っていく。その中にはもちろん、承太郎に仕掛けようとしていた勇次郎も含まれる。
 勇次郎が魔法への対処をしている隙を使い、承太郎は大きく間合いを取った。

「すまん、助かった」

 宙に浮かぶエヴァの足元に並んだ承太郎は、そう声をかけた。

「ふん、いつぞやの『スタンド使い』とやらか。その〝なり〟で良くもあの化け物に相対したものだ」

 ふふん、と愉快そうにエヴァは笑った。

「よぉ、バアさん。まだ生きてやがったか」

 周囲の氷柱を粉々に破壊した勇次郎が、エヴァに向けて問いかける。

「はん、たかが心臓を握りつぶしたくらいで死ねるか」

 はためく外套の下の服は胸部が破れ、エヴァの薄い乳房が露になっている。真新しい鮮血が服を汚してもいた。

「塵芥にまでしてみろ、そうすれば千年程は眠ってやるぞ、坊や」
「まったく、しつこいバアさんだぜ。せっかく楽しい獲物を見つけたのに、邪魔をするなんてなぁ」

 ボリボリと頭を掻く勇次郎に、エヴァは嘲笑で返した。

「獲物? 獲物だと馬鹿を言うな」

 エヴァの背後には吹きすさぶ魔力流の根源があり、そこから巨大な人を模したヴィジョンが浮かんでいる。エヴァは振り向きもせずに、それを親指で示した。

「あれは〝木〟だぞ。たかが〝木〟だ。貴様はどこぞの空手家の様に、木に拳でも打ち込んで喜ぶ趣味でもあるのか?」

 エヴァの口が歪んだ弧を描く。押さえ切れぬ嘲りが表情となって現れた。

「あんな木一本壊すのには女子供で充分だ。なに喜べ、退屈せぬよう貴様の相手はもう一度私がしてやる。貴様の不味そうな血肉を抉り取り、道端にでも捨ててやろうか」
「はッ! ここに来て口が回るようになったな、ババア!」

 エヴァはあご先を上げ、勇次郎だけで無く周囲へも、見下すような敵意を送る。

「来てみろ人間共、よもや私を前にして、この場を通れると思うなよ」



     ◆



 並び立つ氷柱が、夕映の体を魔力の激流から守ってくれた。
 『フォクシー・レディ』まで辿り着いた夕映は、その尾を足場に跳躍する。

「千雨さんッ! お願いします!」
(頼む!)

 求めるのは千雨の知覚領域の力。アサクラを通じて眼球に《矢》の位置情報が送られてくる。
 それを元に《矢》を破壊するのに最適な場所を割り出していく。

「頭部、ですか」

 『フォクシー・レディ』の頭部からならば、《矢》への距離が一番近い。世界樹の『スタンド』にも近くなるが、それでもやるしかなかった。
 背を跳躍しつつ、なんとか『フォクシー・レディ』の肩によじ登る。

「――ッ!!!!!」

 ゴウ、と魔力の奔流が夕映の顔を叩いた。呼吸すらままならない勢い。
 氷柱や『フォクシー・レディ』の体に隠れてここまで進んできたものの、ここにきて夕映は魔力の激流にその身を晒した。

「ままま、マスター!」
「しっかり掴まってろデス、この馬鹿!」

 吹き飛ばされそうになっていたアサクラを鷲掴みにして、服の襟元へ押し込んだ。
 気を抜けば押し流れそうな場所、目前には『ビューティフル・ドリーマー』の顔がある。ギョロリと瞳だけがある顔に、夕映は生理的恐怖を感じた。
 『フォクシー・レディ』の頭部に掴まり、その表面装甲に紫電を走らせた。電子干渉(スナーク)、夕映の手の平には人工皮膚(ライタイト)が使われている。

(ウフコックさん、お願いします)
〈了解だ〉

 装甲の表面から出て来たのは、ウフコックが作り出したライフルだ。

「あちゃくらッ!!」
「はいですぅ。千雨様から送られてくる位置情報と、マスターの魔力感知から、射撃コースを割り出しました!」

 夕映の瞳は魔力を感知する。その流れすらも正確に見えていた。
 夕映だけに見える道筋。
 視界にはワイヤーフレームが重ねて表示され、《矢》へのルートが明示されている。
 呼吸を殺し、腕の震え必死に止めて、照準を合わせた。
 連続する射撃音。
 魔力の流れの隙間に、弾丸が飲み込まれていく。必中の気配。

(よし!)

 しかし、弾丸は《矢》を目前にして薄い魔力の流れに阻まれてしまう。

「――なッ!」

 夕映はそれで確信してしまう。〝この弾丸〟は届かないと。
 幾ら魔力の流れの隙間を通ろうと、《矢》の周囲には常に魔力が溢れ出ているのだ。
 ほんの少しでいい、ほんの少し魔力の流れを引き裂くことが出来れば――。

「マスター! もう一度やりましょう! 今度こそ!」
「……駄目デス。これじゃ届きません」

 夕映の手がライフルを放り投げた。
 グっと歯を強く噛み締める。

(どうしますか。この状況で、何をすれば……)

 脳裏に様々な人の顔が巡っていく。そして夕映は自らの『知識』に行き着いた。
 《楽園》の断片を押し込まれた脳裏の片隅に、自衛のために置かれた技術。
 その中にはあったはずだ、魔力すら切り裂く力が。
 夕映は目を見開き、慌てて装甲に手の平を当てた。

「ウフコックさん、〝コレ〟をお願いします!」

 ウフコックに人工皮膚(ライタイト)を通じて送ったデータは、一本のナイフの形状についてだ。
 装甲からスルスルと出てきたのは、何処にでもありそうな片刃のナイフ、しかし刀身部分には文字が刻み込まれていた。
 ルーン文字。ナイフ自体はマジックアイテムでは無い、ただルーン文字を含めたナイフの形状が魔力を弾く性質を持つのだ。
 かつて欧州で天才と呼ばれた殺し屋は、これで幾人もの魔法使いを屠っている。《学園都市》では超能力さえ切り裂いて見せたのだ。
 『ピノッキオのナイフ』。今、そのナイフが夕映の手に渡った。

(ピノッキオさん、あなたは何を求めていたのでしょう)

 麻帆良に戻ってきた後、夕映はあの事件を引き起こしたピノッキオの素性を教えて貰っていた。

(あなたが何を求めてナイフを振るっていたのか分かりません。けれど――)

 多くの屍を作り上げた技術、それは今、夕映へと受け継がれている。

(あなたの力が、人を救う事も出来た事を、私が証明して見せます)

 腕に力を込める。『フォクシー・レディ』の頭部装甲を左手で鷲掴みにし体を固定、右手に構えたナイフを振りかぶった。

「貫けぇぇぇぇええええええええええええええええ!!!」

 腕を鞭の様にしならせ投擲。
 アサクラの示したコースへと見事に乗せたソレは、弾丸と同じく魔力流の隙間へとスルリと入り込み――。

(あっ……)

 刹那の確信。
 違わず、魔力の流れを切り裂いたナイフは、《矢》へと突き刺さる。ピシリとひびが入った次の瞬間、《矢》はボロボロと崩れ去った。

「■■■■■■■■■ィィィーーーー!!!!!」

 《矢》が崩れると共に、『ビューティフル・ドリーマー』も絶叫を上げながらヴィジョンを消失させていく。
 魔力の流れが一気に弱まっていく。広場は黄金色の光りに染まっていたが、風は穏やかに髪を揺らす程度だった。

「すげぇよ夕映――よし、一気に片付けるッ!!」

 千雨の声が響く。夕映はそれに合わせ、『フォクシー・レディ』の頭部へとしがみ付いた。
 力は弱まったが世界樹は健在だ。ヴィジョンを失っても『ビューティフル・ドリーマー』の力は残っている。
 だが事態は決していた。
 体は限界を超えてなお、千雨の瞳は輝いている。体は焼き尽くされても、心すら切り刻まれても、その光に衰えは一切無い。
 誓いが足を動かした。約束が背中を押してくれた。絆が温もりを伝えてくれた。

「こんのぉぉぉぉ!!」

 『フォクシー・レディ』の体が世界樹にぶち当たる。装甲表面にある幾何学模様がより強く輝いた。
 折られた右腕はもう動かない。だが――。

「『フォクシー・レディ』ッ!」

 アキラが叫ぶと、地面にアンカー代わりに突き刺していた四本の尾が宙を舞う。
 体を捻った勢いで、巨大な尾を世界樹にぶつけた。
 メキメキと音をたてながら、世界樹の樹冠が折れていく。

〈千雨! 照準を付けろッ!〉
「りょーかいッ!」

 『フォクシー・レディ』の装甲表面に大量の棘――スパイクが構築されていく。
 千雨はそれを世界樹の根元へと定め、発射した。
 大量のスパイクが地面を破壊し、幹と根を断ち切った。

「まだ、まだぁぁぁぁぁぁああ!!」

 動く左手が振り上げられる。ウフコックが左腕の装甲を次々に追加していき、まるで鉄球の様に姿を変えていく。

「これで、とどめだぁぁぁ!!!」

 腕先の大質量の鉄球が、世界樹の残った幹へとめり込んだ。

「いけぇぇぇぇぇぇえええええええ!!」

 千雨達の声が重なる。
 世界樹はギチギチと音を鳴らしながら破壊されていく。
 轟音。飛び散る木片。跳ね回る光。
 やがて左腕が振りぬかれ、残ったのは粉々になった世界樹の欠片だけだった。
 音が鳴った。
 カチン、とガラスが割れた様な音が『世界』に響いた。次いで何かが崩れ落ちる音へと変わる。
 それは『ビューティフル・ドリーマー』の終焉の音だった。



     ◆



 世界樹の幹が粉々になったのを切っ掛けにして、『フォクシー・レディ』の崩壊が始まった。
 くらりとした眩暈が千雨を襲う。
 装甲の表面にあった幾何学模様が消え、『スタンド』と『科学』を繋ぐものが無くなった。

「や、やばい! 逃げろ!」

 咄嗟の千雨の声。装甲の表面からスルリと落ちてきたウフコックをキャッチした後、『フォクシー・レディ』の脚部から飛び降りた千雨達は、ふらふらな足取りでその場を離れた。
 『フォクシー・レディ』の本体を覆っていた『鎧』が、ポロポロと崩れ落ちてくる。
 破片の一つ一つはそれだけで数百キロ、数トンの重さを持つ塊だ。崩壊に巻き込まれまいと、千雨とアキラは支えあいながら走った。
 金属の崩落音が収まって振り返ると、そこにはスクラップの山が鎮座していた。
 呆然とした千雨の元に、崩壊時に肩部から飛び降りた夕映が着地する。

「夕映……」
「千雨さん」

 夕映はそのまま千雨に近づくと、無言のまま腰に抱きつき顔を埋めた。

「夕映――、」

 千雨は夕映の頭を撫ぜようとして、自分の右手が無い事に気付く。視線で合図、ずっとアキラと繋いだままだった左手を離し、夕映の頭に置いた。

「ありがとな」
「……」

 夕映の抱きつきは更に強くなる。そんな夕映を見かねてか、彼女の襟元からピョコンとアサクラが飛び出した。

「んもう、マスターってば甘えん坊さんですね~」
「うるさい。黙るデス、このバカAI」

 夕映の容赦ないデコピンが直撃し、アサクラは「ギャー」と悲鳴を上げた。
 そんなやり取りの中、千雨の体を強い疲労が襲う。痛覚は遮断しているのに残る、このしこりの様な感覚は――。
 ふと顔を上げ、周囲を睥睨して千雨は目を見開いた。

「な、なんだよ、これ……」

 そこには未だ戦場が広がっていた。
 範馬勇次郎の振るう拳をトリエラが受け止め、承太郎が中条に向かいスタンドで攻撃を仕掛けている。《梁山泊》の進撃は止む事無く、魔法使いたちも残る力を振り絞り応戦していた。
 遠くでは爆発音も聞こえる。《学園都市》の降下部隊が《梁山泊》兵と衝突した音だとは、千雨も知らない。

「何でだよ。吉良も消えたし、世界樹も壊した。《矢》も存在しない。――なのにッ!」

 悔しさが涙となって溢れた。
 繰り返される惨劇の連鎖は断ち切ったはずだった。様々な人の助けを借りながらそれを為し、残ったのが目の前の光景だ。
 まるで千雨達が為した事が無意味だと言われた様な気がした。

「ウフコックさん!」

 その時、アキラの悲鳴が耳朶を打った。
 アキラの手の中にいたウフコックは、ぐったりと倒れて意識を失っていた。口元からは泡が吹き出ている。

「ウフコック!」

 血や泥で汚れてしまった金色の毛に、千雨はそっと触れてスキャンする。知覚領域を展開すれば、ウフコックの危険な状態がより鮮明に理解できた。
 ウフコックの体は酷い有様だった。《学園都市》での歪みが、この度重なる戦いの中で更に酷くなっている。

「――ッ」

 くらりと、視界が揺らいだ。倒れそうになる体を、腰に抱きついていた夕映が支えてくれた。

「千雨さん!」
「あぁ、大丈夫。大丈夫だ」

 この状況でも千雨の感覚は広がっている。失いそうになる自分を保つため、ネットワークの海へと広がっている分身体を切り離し続けていた。
 千雨の心は切り刻まれていた、今をもってなお。

「ふぅー」

 千雨は空を見上げ、深く息を吐く。
 蒼穹は失われ、黄金色の光が空を覆っていた。そこには自らが創った出来の悪い歯車の破片も残っている。

「……この二ヶ月、本当に嫌な事ばっかりだった。何かというと変な事件が起きて、巻き込まれて、痛い思いしてさ」

 目を瞑り思いを馳せる。千雨の口元に笑みが作られた。

「でもさ、けっこう楽しくもあったんだ。はは、カラオケとか初めていったよ。もう一回くらい行っとけば良かったかな」

 周囲には戦いの音が響いている。

「だから、こいつは恩返しだ」

 目を開き左手を空に伸ばす。虚空の何かを掴む様に拳を握った。
 その瞬間、上空の光の模様、歯車の断片が寄り集まり、光の輪が出来上がった。
 残骸から再び創り出した小さな機構。

「ウフコック今までありがとう。そして、ごめんな」

 千雨はそっとウフコックに近づき、その毛皮に唇を落とした。
 淡い光がウフコックを覆い、体が徐々に小さくなっていく。その現象の中、千雨の力がウフコックの体内を駆け巡り、精神野に施された〝枷〟を次々に破壊していった。
 更にウフコックの細胞に寿命を植え付けた。自らの不死に押しつぶされる事無く、限りある時間を必死に生きていけるように。

「これは私のわがままだ」

 千雨が唇を離した時、ウフコックの体は二分の一程に縮まっていた。

「千雨ちゃん。これって――」
「ウフコックの体の時間を戻した。これでもう赤ちゃん同然だ。アキラ、新しいウフコックの事、頼めるか?」

 アキラは手の平に収まるウフコックの体を優しく抱きとめながら頷く。

「夕映」

 声をかけると、夕映は腰に顔を埋めたままブンブンと首を振っていた。

「嫌デス! 絶対に嫌デス! 千雨さん、どこにも行かないでください! せっかく私は、私は!」

 縋り付く様な夕映の体をそっと離し、目を合わせるように屈んだ。
 夕映は涙を流しながら鼻をズビズビとすすっていた。必死に何かを言おうとするものの、口はただモゴモゴと動くばかりだった。
 そんな夕映に、千雨はコツンとおでこを合わせた。

「ありがとうな。夕映、こんなにも学校が楽しかったのは夕映のお陰だ。ぶっきら棒な私を色々と誘ってくれてさ。むかつく事もあったけど……やっぱり楽しかったよ」
「えぐ……ち、違うんデス。わ、私は、千雨さんに、まだ……」

 夕映が言葉を言い終わる前に、千雨はその体を抱き寄せた。

「はは、自分のために泣いてくれる人がいるのってさ、こんなにも嬉しいのな。ほんとに、たまんねぇや」

 体を離しながら、夕映の襟元で涙ぐむアサクラの頭を指で撫ぜた。

「あちゃくら、短い間だったけど楽しかったぜ。それにお前のガッツのお陰で本当に助かった。たまには夕映と仲良くしろよ」
「ち、千雨さま~~!」

 立ち上がり、千雨はアキラと向き合う。

「アキラ」
「うん」

 千雨の体にノイズが走った。体の色素が徐々に失われ、透明になっていく。

「わたしは――」
「千雨ちゃん」

 千雨の言葉を、アキラが遮った。

「覚えてる? 二ヶ月前、私が『スタンド』を暴走させた時に、千雨ちゃんが助けてくれた事を」
「あぁ」
「あの時ね。すごく寂しかった、恐かった。でも――」

 暗闇を引き裂き、光と共に千雨がやってきた光景は、未だアキラの目蓋に焼き付いていた。

「千雨ちゃんが来てくれた。今度は私の番。千雨ちゃんが何処に行こうと、そこが天国だろうと、地獄の果てだろうと、きっと私が見つけてみせる。会いにいってみせる。少しの間寂しいかもしれないけど、待ってて。絶対に見つけるから、ね」
「アキ……ラ……」

 その言葉に千雨の嗚咽が漏れた。必死に我慢していたものが、溢れ出していく。
 不安が無いはずなどないのだ。恐くないはずないのだ。
 肉体を失い、心まで刻まれている。体はゆっくりと、ネットワークの海へ溶けようとしていた。
 ポロポロと零れる電子の涙が、光の粒子を纏いながら中空で消えていく。
 再構成された光の輪が空からゆっくりと降り、千雨達の周囲を囲った。

「だから約束」
「うんっ……うん……」

 そっと突き出されたアキラの小指に、千雨の小指が絡まり――

「え……」

 千雨の体がグイと引き寄せられ、唇が重なった。

「ん……」

 それはついばむ様な口付けだった。
 千雨の目前に、潤んだアキラの瞳がある。

「は……」

 夕映がその行動に呆けていると、周囲の光の輪がハートの形に変わっていた。
 アキラから離れると、途端千雨の体は急激に色を失い始めた。

「約束……約束したから!」
「千雨さん、私も、私も会いにいきます!」

 霞む視界の中で、アキラと夕映が必死に千雨に呼びかけてくれた。

(なんだ、わたしってけっこう……)

 心に優しさが広がった。

(しあわせじゃん)

 ハートの輪に、千雨の体が吸い込まれていく。

「あぁ! 待ってるから!」

 その言葉を最後に、千雨の体は完全に消失した。
 残ったのは周囲に浮かぶハート型の輪。
 輪が、弾けた。
 膨張するかの様に、光は波となり放たれた。
 光の波は麻帆良全土を通過し、世界中へ向けて飛んでいく。



     ◆



「ふーっ、ふーっ、ふーっ」

 パワードスーツの中では、自分の荒い息遣いが嫌に鮮明に聞こえる。
 男は戦場に立っていた。
 瓦礫となった建物を壁に、ホバー走行をしながら敵に攻撃を仕掛ける。
 敵――古代の兵士の装いをした狂人どもだ。《梁山泊》と言われる輩達は剣や弓といった大昔の兵装を扱いながら、尋常ならざる攻撃をしてきている。
 幾ら《学園都市》謹製の最新鋭パワードスーツを着ようと、奴らの総攻撃の前には何人もの仲間が屠られていた。
 手に持つライフルの弾丸を、ディスプレイの視線制御を使い、跳弾仕様の特殊ショットガンシェルへと換装する。
 引き金をひいた。
 建物と建物の間、小さい路地裏を移動していた敵兵に向かい、特製の弾丸が放たれる。壁や地面を跳ねた幾つもの弾丸が、角度を変えて敵兵に直撃した。

「よしッ!」

 相手への対処法は理解出来るようになってきた。
 乱戦になってこの方、相手の異常さが際立ち、どうにも押されていた。
 なんせ相手は生身なのに、正面からの弾丸ならば、古臭い剣で易々と切り払ってしまうのだ。漫画かよ、と当初は悪態を突いていたものの、なんとか凌げる様になってきている。
 こうなればこちらのものだった。
 こちらには最新鋭の有機コンピューターネットワーク《シスターズ》のサポートもあり、情報管制は万全だ。
 乱戦とは言え、仲間同士の連携には問題が無い。

「たぎってきたな!」

 ピス、と小さな空気の抜ける音。首元にチクリとした感触。どうやら過度な興奮状態を察した制御AIが、自分に向けて沈静薬物を投与した様だ。
 興奮は士気を上げるが、同時に冷静な判断力も失わせる。
 心は高揚したままだが、そのどこかに冷静な自分も戻ってくる。

『こちらの戦線がどうにも堅い。救援を頼む!』

 視界に発信者のIDと位置情報が表示される。ここから近い。

「了解。チビる前に行ってやる。漏らすなよ」

 口元に笑みを作り、指示された最短ルートを駆け抜けていく。
 何時からだろうか、男が戦場に立ち始めたのは。
 日本を抜け出し、幾つかの民間軍事会社を渡り歩いて傭兵となり、そして今は《学園都市》に雇われている。
 鉄と油の臭いはすれど、空調が効いた分厚い棺おけの内側にまで血の臭いは届かない。それが男の知っていた戦場と、今の戦場の明確な違いだった。
 ほんの数秒もの思いにふけっていたら、いつの間にか目的地に辿りついていた。
 前時代的な矢が周囲の地面に刺さっている。ただしそれらは一本や二本で無く、数千本という量だ。しかもこれらの矢はパワードスーツの装甲すら傷つける異常極まりない兵器だと、男はこの短い戦いの中で嫌というほど知らされている。

 遮蔽物に身を隠し、補助アームで物陰から射撃している仲間達がいた。こちらはライフル、相手は矢で応戦している。

「戦況は?」
「くそ、あいつらクレイジーすぎるぜ。どっからあんなに矢が沢山打てるんだ。《シスターズ》の計算だと、秒間三十本以上撃つ奴もいやがる。M4カービン以上だぞ、馬鹿げてる!」

 それでも彼らが戦場に立てるのは、《学園都市》には超能力者と呼ばれる化け物がいるからだった。
 戦術目標は麻帆良の鎮圧が最優先事項だが、思いの他に進みは遅い。避難民の存在や領空問題もあり、航空戦力による援護が期待できないと言われていた。彼らもパワードスーツの力を過信し、必要あるまいと思っていたものの、この状況となれば航空機の援護は不可欠だ。

「空爆要請を送るか」
「だな。《学園都市》からならば一分もかかんねぇだろ」

 《学園都市》のピンポイント爆撃の精度は常軌を逸している。地面に置かれた一円玉でさえミサイルで打ち抜ける、と豪語する程だ。
 早速《シスターズ》を通して援護要請をしようとした時、光が視界を染め上げた。

「はっ……」

 真っ白になったモニター。周囲を飲み込む光の波。
 男は一人の少女の幻影を見た。淡い光を持った白い髪、少し釣り目の幼い顔立ちの少女が目前に現れ、自分の体をすり抜けていく、そんな幻影。
 パチリと、小さな刺激が体を巡った。
 脳裏に思い出が蘇る。
 あれは暑い日だった。夏休みに母の田舎に行くと、いつも祖母は自分に優しくしてくれた。
 出来の良い兄と比較されて育った幼少期、あの祖母との日々にどれほど救われた事か。
 祖母の葬式の時、号泣していた自分に対し、母と兄は泣きもしていなかった。
 外で泥だらけになって遊んでも、笑って許してくれる祖母。田舎の古い家が恐くて、泣いていた自分の手をぎゅっと握ってくれた。
 あの温もりが、手の平に蘇ってくる。

(なんで、俺は、ここに……)

 在りし日の優しさが、心に満たされていく。
 パワードスーツ越しのライフルに、重さを感じられるはずなど無かった。なのに、今は無性に重たい。
 ライフルが地面に落ちる音。周囲にも同じ音が連なり、力無くマニュピレーターが下げた仲間達がいた。手に持つ武器を次々と地面に落としていく。
 それは何もこちら側だけでは無い。
 《梁山泊》兵も呆けた様に虚空を見つめ、剣や槍、弓矢が手からこぼれ落ちていく。人によっては瞳から涙を流すものもいた。

「何なんだよ。何なんだよ、コレ」

 男の目にも涙が流れ、思い出がとめどなく溢れてくる。
 戦意は粉々に砕けていた。
 光の波は黄昏を創っていく。



     ◆



 麻帆良を中心に発生したハート型の光の波は、放射状に広がり、地球表面をくまなく走り抜けていった。
 その電子の光の波に触れた者は、ほんの少しだけ脳裏の記憶野を刺激された。
 富む人間も、貧しい人間も、老いた人間も、若すぎる人間も、母から産まれて誰かしらとの繋がりのある人間には、いつかの優しさの記憶が存在する。
 それはある人にすれば大した事の無い出来事かもしれない。しかし、わずかな微笑み、わずかな言葉、そんな事でも救われる人間はいるのだ。
 光の波に触れた人々はそんな記憶を思い出すと共に、白い髪の少女の幻影を垣間見た。一秒にも満たないわずかな時間。確かに見たのだ、ぶっきら棒な顔をしつつ、照れてはにかむ、そんな少女の幻影を。
 世界を塗り替えていく。
 それはほんのひとときの安らぎだった。
 有史以来、世界で人が刃を、武器を、掲げなかった日々は無い。争いは無くならず、人類はそうやって進化を続けてきたのだ。
 だが、この時だけは違っていた。
 共有するヴィジョン。駆け抜ける優しさの波は、人の手から刃を、武器を落とさせた。
 世界から争いの音が消えた。
 それは人類にとって初めての黄昏の時間だった。
 後に『奇跡の一時間』と呼ばれる、世界中から争いが消えた、人類の最初にして最後の安らぎのひととき。
 少女の思いが、願いが、ほんの少しの間だけ人の持つ悪意を打ち破ったのだ。
 放射状に広がった光の波は世界中を駆け抜け、ブラジルの片隅で対消滅した。
 そして人類最後の安息の一時間。
 さぁ、『千雨の世界』が始まる。



 千雨の世界 最終話へ。



[21114] 最終話「千雨と世界」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/17 02:12
 世界中から音が消えていた。
 すやすやと眠るウフコックは胸ポケットに、痛む右腕を押さえながらアキラは歩き始めた。
 世界樹広場でも多くの人々が剣や杖を落としている。
 ある者は目を瞑り、ある者は呆けたように空を見上げていた。
 範馬勇次郎ですら苦虫を潰した様な表情をし、拳を下ろした。そのまま「興が冷めた」とでも言わんばかりに踵を返して広場を出て行ってしまう。
 広場にあったはすの戦意は完全に霧散していた。
 へたり込んでいる人々の中を、アキラはゆっくりと歩いていく。
 やがて世界樹広場の縁に辿り着いた。
 そこから見下ろした麻帆良の姿はやはり、一時間前とは比べられぬ程変わり果てていた。
 それでも戦いの音は消えている。
 黒煙がそこら中で上がり、ときおり建物が崩れる音はするものの、悲鳴や怒声、銃声や爆発音は無くなっていた。無残な廃墟がありながらも、どこか静謐な空気が漂っている。
 空には黄金。世界樹が吸い上げた日本中の魔力が、金色の光の粒子として麻帆良を満たしていた。
 遠くから何かの駆動音が聞こえ、やがて山並みに幾つもの機影が現れる。緑色の塗装をされたヘリコプター。陸上自衛隊だった。
 ヘリは麻帆良郊外、比較的被害の少なかった地域に着陸し、次々と隊員を下ろしていく。
 同じ様に陸自の輸送トラックが蛇の様に連なって入ってきた。
 戸惑う避難民達に物資を配り、怪我人を輸送していく。
 戦意を失った《梁山泊》や《学園都市》の兵士達も次々と拘束されていった。
 隣接する市から消防車両が到着し、未だ燃え続けている民家の消火活動を行なっている。この麻帆良の有様を伝えようとする報道ヘリも見えた。
 それらは日常への営みが戻り始めた証でもあった。
 戦いは終わった。
 ゆるやかな風が、アキラの髪を柔らかく揺らす。
 瞳は遠くを見ていた。彼女の存在をそっと確かめ、アキラは再び歩き出す。
 手に温もり、心には約束。
 大河内アキラにとって、この時こそが始まり。
 一筋の涙の後、星々が煌めいた。
 彼女の瞳にもまた、憧れた輝きが受け継がれていた。







 千雨の世界 最終話「千雨と世界」







 麻帆良に隣接する病院、その一室に広瀬康一の姿はあった。

「もう起きてていいの?」
「はい。むしろもっと動いたほうがいいって、お医者様は仰ってました」

 そう言ってはにかむのは湾内絹保だ。
 彼女はベッドに半身を起こし、椅子に腰掛ける康一と対面していた。
 事件から一週間、目覚めた絹保の体調は快方へと向かっている。

「そっか、良かった」

 康一はほっと胸を撫で下ろした。

「先輩……その、ありがとうございました。お話は色々な方から聞きました。私のために頑張ってくれて……」

 そう言って頭を下げる絹保に、康一は慌てて手を振った。

「い、いや、お礼なんて。それに本当に違うんだ。むしろお礼を言わなきゃいけないのは僕なんだ。吉良吉影に襲われた時、助けてくれたのは湾内さんだ。あの時僕は……」

 あの日、倒れ往く康一を救ったのは絹保だった。自分を放って逃げれば、彼女は助かったかもしれない。なのに、彼女は身を呈して自分を庇ってくれたのだ。

「僕は何も出来なかった。先輩だの何だのって偉そうな事言いながら、何も出来なかった。それがきっと悔しいんだ」
「先輩……」

 康一の言葉で病室がシンっと静まり返った。

「ご、ごめん。ちょっと空気悪くしちゃったね。そう言えば湾内さん、退院後はやっぱり……」
「はい。《学園都市》に戻ると思います。今の麻帆良ではさすがに留学生の受け入れは出来ないようで……」
「そっか。そうだよね」

 現在麻帆良の復旧は急ピッチで行なわれている。それだけでは無い。一週間という短い時間ながら、世界は未だ激動の中にあり、麻帆良はその中心地なのだ。

「先輩はどうするんですか? 麻帆良に残るんですか?」

 麻帆良の学生の大半は実家などに帰省している。学校の再開は三ヵ月後を予定しているとの事だが、どの様な形での再開かも未だ明示されていなかった。多くの保護者からすれば、我が子を麻帆良に通わせるのが不安なのだろう、転校する生徒が増えているらしい。

「僕は、一度《学園都市》に戻ってみようと思うんだ」
「えっ! でも、それじゃ」

 《学園都市》は入ることは容易いが、出ることは難しい。ましてや康一は一度《学園都市》から出奔した身だ。そんな彼がもう一度入ってしまえば、再び出てくるのは困難だろう。
 絹保の懸念はそこにあった。彼は麻帆良の奔放な生活を楽しんでいたはずだ。なのに――。

「今回つくづく思ったんだ。僕は今まで逃げてばかりだ。でも背中を向け続けても、いつかは追いつかれてしまう。その時にはもしかしたら他の人も巻き込み、傷つけてしまうかもしれない」

 虹村形兆との戦い、あの時も逃げ続けた結果、柿崎美砂を巻き込んでしまった。あれらの戦いを通じ、康一は色々なもの向き合おうと決めたのだ。
 そしてずっと心の片隅にあったしこり。絹保の事について詳しく聞くうちに、承太郎から知らされた真実。
 《学園都市》と麻帆良との対立。それを融和するための絹保を始めとした交換留学生。なのに、康一は絹保が来る三年も前から麻帆良に通っている。
 改めて自分と向き合った時、康一はその違和感に気付けたのだ。

「何故僕が《学園都市》から出れたのか、きっとそれが問題なんだと思う。僕はそれと向き合わなくちゃいけない」

 康一は顔を上げる。惰弱な心には、いつしか力強さが芽生えていた。決意を瞳に込めながら、ゆっくりと笑う。

「だから僕は行くよ、《学園都市》に。そこでしっかりと決着を付けて、それで麻帆良に戻ろうと思う」
「あ……」

 そんな康一に、絹保は少しの間見惚れてしまう。

「どうしたの湾内さん」
「い、いえ何でも無いんです、何でも!」

 あわあわと慌てながら、紅潮した頬を絹保は隠す。
 広瀬康一は後に、麻帆良と学園都市の橋渡しをし、その融和に大きく貢献する事となるが、それはまた未来の話。
 病室の中には和やかな雰囲気が漂っていた。



     ◆



 『麻帆良紛争』と呼ばれる事となる一連の騒乱は、単に日本の地方都市を壊滅させただけでは無かった。
 あの日、上空に現れた幾何学模様を、人類の半分が肉眼で見ていたのだ。
 更にその後に起きた光の波動――特殊な電磁波により一時的な記憶の混乱を起こさせる――もほとんどの人が浴びた。
 まさにターニング・ポイントであった。
 国連を含めた幾つかの国際機関は、『科学』に並ぶ体系技術としての『魔法』の存在を公表する。それは奇しくも、行方不明となった超鈴音が望み、求めた結果でもあった。
 人々にとっては神話、物語、映画、そんなフィクションの中にだけ存在するはずの『魔法』の情報公開は驚きをもって迎えられる。
 国際資格として『除霊師』なるものがあったり、《学園都市》にいる超能力者が存在していたりする事が、多くの人々の理解を助けた。魔法協会による、かねてからの融和政策が効果を発揮したのだ。
 しかし『魔法』は受け入れられるばかりでは無い。魔法を扱える素養は、ほとんど産まれながらに決定し、後天的に才能が伸びるのは稀だ。明確にライン引きされた『魔法』の才能の有無は、多くの人々にとって不満足らしめるものだった。それは現代人が慣用句で「まるで魔法の様に~」などと使うように、『魔法』イコール『万能のもの』という概念が強く残っているためでもある。
 医師になるのにもF1ドライバーになるのにも才能が必要なはずだ。それと共に不断の努力も要求される。だがそれらには明確なライン引きがされていない、「もしかしたら~」という思いが残るのに対し、魔法の才能の有無は明確な「NO」を突きつけられる。
 才能の淘汰は当たり前の様にあるのに、魔法の様な明確な表現は人に不満を与えるのだ。その鬱憤は必然、魔法使い達に向かう事となる。現代の『魔女狩り』の再現を防ぐため、各国首脳は幾つかの対策を考慮した。
 なにせ魔法使い達には、異空間の火星を開拓して創られた《魔法世界》がある。その世界の住人達と対立した所で得るものなどほとんど無い事は、二十年前の大戦で学んでいた。
 ローマ法王の演説も、宗教観との対立を緩和するための一つの対策であった。
 幾つかの宗派の見解も、融和を助長した。
 また魔法使いへの個々の迫害やテロから護るため、彼らを主軸に置いた魔法研究都市の設置が施行された。お題目は立派だが、その『護る』という言葉には『隔離する』という側面もある。
 世界各国に元々秘密裏に存在した魔法学校や魔法使いのNGO、その他の施設を中心に、選定がなされて幾つかの都市計画が発表される。
 その中には麻帆良も存在した。
 麻帆良学園都市は、『麻帆良紛争』を機に世界中の目が向けられる事となる。
 麻帆良を魔法技術の交流点や窓口にする旨を基本とし、復興計画は立てられることとなった。
 麻帆良の重要度はそれだけでは無い。世界樹が吸い取った日本中の魔力が、麻帆良市内を覆っていた。
 金色の光が舞うため『黄金都市』と長らく呼ばれるのだが、その吸い取った魔力の弊害は大きかった。
 日本中の地脈が荒らされたため、日本は近代史上最大の農業不作に襲われてしまう。日本中の農家が悲鳴を上げ、腰の重いはずの日本政府がすぐさま支援プログラムを立ち上げた程だった。ちなみに地脈がやせ衰えたために、麻帆良結界崩壊による地脈の氾濫などが防げたという一面もある。
 そんな事から、各国の優秀な魔法使いが集まり、日本の地脈復興計画も立ち上がった。世界樹のあった場所に地脈への干渉魔法施設を作り、麻帆良内に残っている金色の魔力を約百年かけて地脈に戻していく、というものだ。
 百年といえば長く感じられるかもしれないが、大地からしたら微々たる、僅かな時間なのだ。
 それに農業への影響を考えるならば、ここ十年程の地脈への魔力注入で、元の収穫高に戻るという見解があった。
 麻帆良を魔法研究都市にするに当り、その地脈復旧計画も合わさり、各国は麻帆良の自治権の拡大、云わば独立を日本政府に求めた。
 各国からすれば、幾ら世界樹が倒されたからといい、一つの国家を壊滅させる程の危惧を抱かせ、世界中に激動を起こさせた場所だ。当時の麻帆良市管理側の奮闘は世界の知る事となっており、問題は日本政府の対応にあったのだ。あの危機的状況を察しながら傍観に徹した日本政府は徹底的に非難され、その信用を落としていたのだ。そんな国に管理など任せられない、と言うのが各国の言い分だった。日本政府も発言力の低下により、その提案を飲み込まざるを得なくなった。更には《学園都市》という独立都市の前例が後押しし、埼玉県の中央に一つの独立都市国家が出来上がる事となる。
 魔法研究市国『麻帆良』の誕生であった。
 黄金の国『麻帆良』、とは長らく旅行パンフレットに乗ることなるキャッチフレーズだ。
 されど、この状況で慌てたのは麻帆良側であった。なにせ復興にてんてこ舞いで、独立も何も本人達にそんな意志は無かったのだ。
 市長含めた役人の一部は魔法の存在を知ってはいたものの、行政に携わるほとんどの人間が魔法使いでは無かったのだ。これには関東魔法協会の、魔法使いが行政に関わることを良しとしない旨の方針の影響だったのだ。この方針もここに来て撤回せざるを得なくなってしまう。
 市長の泣きの嘆願により、魔法研究市国『麻帆良』の初代代表の座に近衛近右衛門が座る事となった。
 近右衛門が最初に行なったのは人材の確保であった。関西呪術協会に援助を求め、市内に封印されていた《魔法世界》とのゲートも解放し、《魔法世界》へも援助を願ったのだ。
 圧倒的に不足する国営のための人材、システム、資金をなりふり構わない形で求めた。
 なにせ市内にあるのは廃墟ばかり。放っておけば住民などあっという間に居なくなってしまう。この新しい国家のすう勢は、まさに復興の速さに懸かっていた。
 日本の優秀な建設会社と、麻帆良の魔法使いによる共同の復興風景は、日夜各種メディアに報道される事となり、多くの人を驚かせ、憧れさせた。
 杖を振り荒地に緑を蘇らせる姿や、重い建材を空を飛びながら運ぶ人間の姿は、人々に魔法の存在を確かめさせた。
 魔法がゆっくりと人の営みに染みこんで行く。麻帆良はそれを体現していた。



     ◆



 円卓に座る面々は、どれもが見た事のある顔立ちであった。
 先進国の主要十五カ国首脳による秘密会談である。部屋には電子防御が為され、種々の電子機器の持ち込みも禁止。
 デジタルなプレゼンテーション機器も無く、木製のシックなテーブルの上には、アナログな紙媒体の資料が乗るばかりだ。
 それは『電子の化物』たる彼女を危険視した故の処置だった。

「……それで、この資料の内容は事実なのかね」

 一人の男が発言する。翻訳機器が無いため、各国首脳の傍らにはそれぞれ通訳が一人だけ存在した。通訳達が一斉に男の発言を各首脳に伝える。

「概ね事実だと我が国は保証しよう」
「その〝概ね〟という所が問題なのだ。あの『奇跡の一時間』などと騒がれている現象。あの一時間に、本当に武力が無効化したのか。仮に影響が無いケースが発見されれば、現象に対しどのような対処が出来るのか検討出来る」

 ふっ、と男が笑った。

「我が国では〝概ね〟あの一時間に暴行、死傷事件が無くなった。アーパートメントで隣人が落とした缶詰を踏んで頭部を強打した事件と、少女の幻影を見たために、足元で糞を垂れていた犬を蹴っ飛ばした事件の、二つの暴行事件を抜かせば、だがな」
「それは暴行事件では無いのでは?」

 ターバンを巻いた男が問う。肩を竦めて男が答えた。

「知らんよ。弁護士はそう言っている」

 男の言葉を遮るように、理髪的な顔立ちの女性が発言した。

「それらの出来事は些細な事故と言えるでしょう。問題は幾つかの紛争地域に置いて、交戦中にも関わらず、あの一時間だけ双方の攻撃が完全に止まった、という事実です。強かなはずの傭兵達までもが、敬虔なクリスチャンになった様に十字を切っていた、との報告例もあります」
「そいつは面白いな。我が国に導入すれば、日曜日は教会に人だかり。日曜日に残業を押し付ける企業が無くなり、ストも減りそうだ」

 ククク、と幾つかの笑い声があがる。

「茶化さないでください。あなた達も体験したはずです。あの時に見た記憶を、あの少女の幻影を――」

 笑い声が消えた。

「彼女のプロフィールは即座に情報凍結されましたが、やはり漏れました。主要メディアに規制しているものの、ネットメディアの拡散は抑制しようがありません」
「やった事だけ見ればモーゼかキリストの再来か、という所だな。我々からすればタチの悪い洗脳だ」
「ですが、彼女の存在、その影響力は広がっています。なにせ彼女の顔を世界中の人が一度は見ているのです」
「一部では彼女を信仰するカルト宗教まで出来上がってるらしいの。既存の過激派の宗派によれば、神に綽名すとかで、長髪の若い東洋人女性を見かけては襲撃する事件が起きておる。受け入れるにしろ、忌避するにしろ、問題が多い事柄じゃな」

 老人の言葉に、一部の人間が顔をしかめた。

「別に宗教だけでは無いだろ。あの事件のお陰で既得権益を失った企業は数多だ。『魔法技術? 何だそれは』と鼻で笑ってたお歴々が、百ヘクタールの更地を一週間で森に変えた魔法使いを見て、顔を青くしていた。《魔法世界》には空中戦艦なる、スタートレックもびっくりな代物もある。流通、経済、全てが変わっていく。その機をチャンスと見て目を輝かせているものは良いが、乗り遅れたものの恨み辛みは彼女に向かうだろうな」

 資料がペラリと捲られた。

「それで彼女が存在しないのなら問題は無い。だが、恐らく存在している」
「……それは死んでいない、という意味ですか?」
「イエスでもあり、ノーでもある。我らの生態学から見れば彼女は死亡している。資料を見たまえ。十年以上前に世界を騒がせ死亡したはずの怪盗、『アルセーヌ・ルパン三世』が麻帆良に現れた記録が残っている。彼は自我を電子化し、世界の目を盗んでいた様だ。しかも現在は『実体化モジュール』なる技術まで開発された。我らの技術の進歩が、彼女の死を否定してしまったんだよ」
「うむ……確か、彼女はあの時、世界中の電子ネットワークの大半を制御していたらしいな。だったら死を偽装するくらい、可能だったのか。なにせ彼女は《楽園》の……」

 発言した男が、この部屋の物々しい有様を見回した。この部屋に使われている電子防御は、彼女に対する防御措置なのだ。

「死を偽装した、というのもあながち間違いでは無いだろう。だが幾つかの情報筋を見る限り、彼女の自我は分散し、世界のネットワーク中に転がっているらしい。どうだ、彼女を見つけて制御出来れば、面白い兵器が作れるぞ」

 男の軽口に皆が鋭い視線で非難した。

「君の言葉には魅力を感じるがね。一応我々は建前上『世界の平和と安全を維持する』のを目的としている。不適当な発言は控えてくれたまえ」
「これは失礼しました」

 男は謝辞を述べるが、顔に反省の色は無かった。

「しかし君の言葉には同意せざるを得ない。確かに彼女は危険だ」

 その言葉の意味を、この場にいる人間は皆理解していた。
 戦意を喪失させる、そんな事が実際に出来るのであれば、それ程恐ろしい事は無い。事実、あの『奇跡の一時間』では確認できる限りは紛争、武力衝突、様々な軍事行動が滞っていたのだ。
 もしその現象をコントロール出来、規模を一つの国家単位に絞れば、どんな大国ですら一日で陥落してしまう。人の意志が戦いを起こすのだ、その根本を潰せれば既存の兵器など意味を無くす。

「一部専門家の意見では、ネットワーク上に分散した彼女の自我が寄り集まり、復活する可能性を指摘している」
「おいおい、それじゃ本当に現代のキリストじゃないか。復活祭でも行なわれて、大勢の信徒を従え闊歩でもされたら、国家など一溜まりも無いな」

 彼ら為政者にとって宗教とは厄介な代物なのだ。政教分離が声高に叫ばれる現在、その様な混乱があれば、彼らは躊躇無く弾圧を行なうだろう。

「冗談にしては笑えん。国家の形骸が失われる……SF小説の統一国家など夢だよ。それを為してしまったら、人種も民族も言葉も、皆がそれぞれの拠り所を失ってしまう。だが想定して然るべきケースだ。現在の状況を鑑みればな」

 資料を見ていた男性がポツリと言葉を漏らした。

「この……彼女のプロフィールなんだが、彼女の周囲の人間関係を使うことは出来ないのかね」
「麻帆良にいる人間となると難しいだろう。あそこは《魔法世界》との表向きの玄関先になっている。余計な手出しはあちら側との関係を悪化させるだけだ。只でさえ世論は冷たい視線を我々に向けているのだ。これ以上の失態は御免被る」

 失態とは、『麻帆良紛争』に置ける国際警察機構の行動だった。国連の体制下にあるはずの組織の暴走。元々過激な面を持ち合わせていたが、今回の失態は世界中の知る事となり、世論の非難が集中しているのだ。
 そのため国際警察機構は解体、再編され『国際警察連合』と名を改める事となった。
 元々あった裁量、特権は大幅に削られ、国連の完全な支配下に置かれる事となる。もちろん今回の主犯たる中条は更迭。人員の意識改革のため、元九大天王の中でも常識人だった銭形への長官職のオファーをしたが、すげなく辞退されている。

「彼女の両親は死亡。一応血縁者は数人見つかるがほぼ面識は無し。ふむ、だが親しくしていたという、この二人の少女だが……うむ、なんだこれは。資料の内容が良く分からんが、彼女はレズビアンなのか?」

 示す先にはポニーテールの背の高い少女、腰まで伸びた髪で二つの房を作った背の低い少女の二人の写真があった。

「彼女の通ってたのは女子だけのミドルスクールだった様でね、レズビアンというより、思春期特有の擬似恋愛みたいなものらしい。といっても、肉親を失った彼女からすれば、依存していたんだろうな。肉体関係の有無までは確認出来なかった」
「依存していた、か。それが事実ならば彼女が自我を取り戻したなら、この二人に会いに行くのでは無いかね」
「その可能性は高いですね」

 円卓を囲む人々はコクリと頷いた。

「どうやら我々は見解の一致を得たようだ。長谷川千雨の周囲の監視は出来うる限り続行。また各国に秘密裏に通達『長谷川千雨の〝所持〟を禁ず』。反した場合は経済制裁を即座に行なう。混乱の芽は早めに摘み取らねばならない」

 議長たる人間の言葉は、緩慢な拍手を持って迎えられる。拍手とは裏腹に、円卓を囲む彼らの心は別の意味で一致していた。核を越える絶対的な抑止力の存在は、銃弾が紙幣に移り変わった現代の経済戦争に置いても有効だ。
 警鐘を鳴らし、平和を叫びながらも、彼らは自らの益を優先するだろう。
 こうして長谷川千雨は世界の敵に為ったのだった。



     ◆



 近衛近右衛門は背もたれに体を沈めた。
 ここ数ヶ月の疲労が、体から染み出てくる様だ。

「そろそろ引退かのぉ……」

 そんな言葉が出るものの、未だ近右衛門の後を継げる人材は見つからない。
 魔法などのオカルトが正式に世界に情報公開され、ついこの間の『麻帆良紛争』を機に、この地は世界中の注目の的となっている。
 迂闊な行動は出来ず、慎重さが求められる。禍根は根強く、今はまだ若手に国主などと言う重責を背負わす訳にもいかない。いずれ近右衛門はそれらを持って現役を退くつもりだ。
 おもむろに机に載った書類に手を伸ばした。

「ふむ……」

 そこに書かれているのは、先日の『麻帆良紛争』についての調査チームの報告書だった。
 あの紛争は魔法だけでは無い、オカルトに科学、様々な人間や兵器が混ざり合った異質な戦いであった。
 そのため、事件の経過や原因を調査するためには、様々な専門家達が集まらなくてはならなかった。一ヶ月に及ぶ調査の結果、導き出された答えがこの書類に書かれている。

「やはりか」

 そこに書かれているのは、あの事件の主犯が吉良であり、吉良が何かしらの方法で世界樹を操ってたという旨の報告だ。
 その方法に確証は無いものの、スタンド能力によるか、もしくは二十年前の世界樹活性化時に何かがあったのではないか、と書かれていた。
 幾つかの資料を洗い出していくと、どうやら二十年前の世界樹活性化の折、吉良は世界樹広場に来ているらしい。だからといって、あの当時に何かをやったとも思えないが、幾つかの推論を並べる事が出来た。
 吉良に関する事以外にも、様々な勢力が介入してしまった状況についても書かれていた。それらには総じて何かしらの不可思議な起点があったとの事。
 超の残したデータにも、世界樹のスタンドに関する推論が残っており、それらの内容と合致する旨もある。
 書類に書かれている内容は、今となっては目新しさも無く、近右衛門にとっては既知の事柄ばかりであった。

「まぁ、こんなものかの」

 パサリと書類を机に置いた時、一枚の紙が冊子から飛び出した。

「ん?」

 それはどうやら調査チームの一人が紛れ込ませた書類の様だ。
 生物学者であるその人間は、他の調査員とは異なる主張をした様だが、それはチーム内で受け入れられなかったらしい。
 彼はその調査による推論を、近右衛門への書類に紛れ込ませたのだ。

「どれ」

 近右衛門はその書類に目を走らせた。
 生物学者による推論とは、事件の主犯は吉良では無く世界樹である、というものであった。
 その概要はこうあった。

 ――『世界樹の生物としての防衛本能』により、麻帆良に存在する魔法使いや、《学園都市》などの潜在的に敵対する組織などを害と見なされ、己の生存を優先するためにそれらを排除しようとした行為。

 それがこの事件である、と。
 つまり彼は世界樹こそが真犯人だと言っているのだ。
 本来植物には意識や知性が無いと考えられていたが、近年は植物が周囲の状況を認識して様々な行動を移す事は既知の事柄であった。
 一部の食虫植物は明らかに記憶を有する動きをするという。もっとも記憶とてほんの数秒から数分しか持たず、すぐに上書きされる些細なものらしいが。
 森の木の一本が害虫に襲われた際、木々が化学物質を分泌させながら、森の他の木に危機を知らせ、害虫から身を守る行動を取っている事も報告されている。
 植物は社会性すら持つ生命なのだ。決してシステマチックな機械の様な生命体では無い。
 また、生物であるが故、種の生存に敏感なのは頷けた。

「ぬぅ」

 読み進めながらも、近右衛門はその推論が最初は信じられなかった。
 仮に世界樹に知性があろうとも、あの事件には確かに計画性があった。そこには人の知性も感じられる。
 世界樹という巨木は、人々の長い信仰の果てに神格化していたと言っても過言ではない。
 八百万の神を信仰する日本人の視点からすれば、世界樹に神が宿っているという考えはあった。
 しかし、ここ一世紀ばかりに限れば、世界樹に意思がある様な兆候は見つけられない。
 強力な霊力者や、自然信仰をしている巫女など、様々な人が世界樹と接触を取ったが、まったくといっていい程反応が無いのだ。
 ただ、世界樹は二十二年に一度、魔力を定期的に大量に放出するだけである。
 では意思が無いと過程した場合、一体どうやってあれ程の事件を起こしたのか。
 生物学者は、それが吉良にあるというのだ。
 つまり、世界樹は防衛本能の末端として、吉良の思考の誘導を行なっていたというものである。吉良は知らず『世界樹のため』になる様な行動を考え、それを躊躇無く実行する。
 吉良は自分自身の事を考えている様に思っていながら、その実は世界樹による洗脳だった。
 近右衛門はその推論を読みながら、心の底でどこか納得していた。

「……世界樹伝説」

 世界樹には人の願望に対し、強い暗示をかける現象が確認されている。それとて二十二年に一度の活性期に限るのだが。世界樹伝説と呼ばれ、世界樹の下での告白は成功する、と言われるこの麻帆良の都市伝説の一つだ。
 だが、吉良は二十年前の活性期に世界樹と接触を持っている、その時に何かしらの暗示をかけられていたら。
 どうやら吉良吉影という人物は、認識阻害の魔法のために、周りから浮いた幼少期を過ごしたらしい。そのため、彼は自分の個性を隠し、集団に埋没しようとする傾向があったとの事。
 そこから考えられるのは、吉良の心には孤独があった。心に隙間があるものには、容易に暗示が滑り込むのだ。
 そうして吉良は世界樹を守るための末端に仕上げられ、世界樹と、世界樹があるこの土地――麻帆良への執着を強くしていく。
 そして、麻帆良紛争が起こるまでの二ヶ月間、様々な事件が麻帆良を襲った。それこそ世界樹が危機を覚えるほどに――。

「いや、しかし」

 その一つ、『スタンド・ウィルス』事件は遠因ながらも吉良が起こした事件のはずだ。
 ふと思う。あの時にもう世界樹の防衛本能は、強まっていたのでは無いかと。

「近年、麻帆良外延部での小競り合いが増えていたのぉ」

 近右衛門の孫娘であり、現在中学二年生である近衛木乃香がいる。
 彼女は本来、関西呪術協会と呼ばれる組織の娘である。その身に巨大な魔力を秘めていたため、組織の一部からは期待の眼差しで見られていた。
 だが、木乃香の父と、木乃香の祖父――近右衛門――はその存在に危惧を抱いたのだ。木乃香のためを思い、二人は彼女を関西から離す事を決意させる。
 されとて、木乃香をかくまえる場所など限られ、この麻帆良へとやって来たのだ。
 それからだろうか、関西呪術協会との間に小競り合いが生まれたのは。ここ数十年、麻帆良近辺での戦闘など無かったのだが、木乃香がやって来た時期から、麻帆良の結界近辺での魔法使い同士の小競り合いが増えた。
 かたや麻帆良の防衛、かたや木乃香の救出という、お互いの正義をかけての戦いであった。
 近右衛門は書類を読み進めながら、その出来事こそ、世界樹を刺激してしまったのでは、と想像する。

「『スタンド・ウィルス』事件そのものが……」

 『スタンド・ウィルス』事件。あれは吉良のスタンドに囚われた音石明が、麻帆良の魔法使いを排除しようとした事件だ。
 この事件も世界樹によるものだったのでは――。

「いかんのぉ。これでは」

 この推論に、近右衛門は強く納得する。自分の中で収まり悪かったピースが、しっかりはまった感触があった。
 しかし、この推論は余りにも危険であった。
 『麻帆良紛争』では、規模の割りに死傷者は少ない。それでも少なくない人間が命を失っている。そんな中で、事件の原因が『植物による防衛本能』などという理由では駄目なのだ。あれは災害であった、では済まされない。
 人類にとっての戦争とは、人の手で始まり、人の手で裁き、人そのものが裁かれねばならぬのだ。
 それに――。

「木乃香……」

 関東魔法協会の会長としてでは無く、ましてや魔法研究市国『麻帆良』の代表としてでも無い、孫娘を持つ一人の老爺の顔がそこにあった。
 この推論が表ざたになれば、その遠因に辿り着く人物がいるはずである。矛先は木乃香に向くかもしれない。
 あれ程の紛争の原因を、何も知らない孫娘に擦り付けるなど出来ない。
 近右衛門は生物学者の推論、それが書かれている紙を空中に放り投げ、魔法で燃やした。一瞬で消し炭になった紙は、学園長室の床を汚す。

「調査チームではこの推論に賛同はされなかった。それでいい、それでいいのじゃ……」

 調査チームの行なった調査結果は、推論に過ぎない。
 吉良と世界樹の関係。当事者たる吉良吉影は消え、世界樹は破壊されていた。もはや真実を知るものはいなく、残された人々はそれを推測するしかない。

「犯人は吉良吉影。世界樹は、吉良のスタンドにより操られていた」

 近右衛門は呟く。口の中に苦味が走る、それでもやらねばならなかった。
 机の上にある電話で、ある人物を呼んだ。

「瀬流彦君、至急学園長室に来てくれ。至急じゃ」

 調査チームの一員、生物学者への対処を考えた。
 瀬流彦には申し訳無いと思いつつ、彼に汚れ仕事を頼まなくてはいけない。
 殺すわけではもちろん無い。しかし、生物学者の記憶に誘導をかけ、あの推論が世間に漏れるのを防がなくてはならない。
 近右衛門は立ち上がり、窓から外を眺めた。
 麻帆良の復旧は進んでいる。ただそこに世界樹の姿は無い。世界樹広場には巨大な魔方陣の設置と共に、その効果を補助する施設の建築が始まっていた。
 部屋にドアをノックする音が響いた。

「瀬流彦です」
「うむ、入りたまえ」

 ――こうして、『麻帆良紛争』は吉良吉影の仕掛けた大規模オカルトテロとして、歴史に名を残す事となる。



     ◆



 『麻帆良紛争』から半年程経った日、関東上空を低気圧が覆い、十二月にも関わらず、珍しく麻帆良に雪がぱらぱらと降り始めていた。
 雪が降る夜闇の中を麻帆良の国境付近に向けて歩く二人の人影があった。
 動きやすそうなハーフコートに身を包みながら、キャリーバッグを引く長身の少女。尾の様に垂れたポニーテールの先は、半年前より幾分長くなっている。大河内アキラだ。
 その隣を歩く少女は小さな体躯をダッフルコートで包み、ネックウォーマーで口元まで隠している。手にはトランクケース。長かったはずの髪を肩口でバッサリ切っている綾瀬夕映だった。
 アキラは白い息を吐いた後、空を見上げた。夜なのに降り散る雪の姿がはっきり見えるのは、上空にある黄金の光の粒子のせいだった。
 そのお陰で雪もどこか金色掛かり、ホワイトスノーとは言えなくなっている。

「綺麗だね、夕映」
「そうデスね」

 冷気が二人の肌をチクチクと刺した。
 その後は無言で歩き続ける。二人は半年も待ったのだ、飛び出したくなる衝動を抑え、半年も。
 やがて国境が見えて来る。なぜかその場所には多くの人が待ち構えていた。

「みんな……」

 石畳の終わり、そこから一歩先を行けば隣の市、つまり日本だ。もう『麻帆良』の保護が無くなる、そんな境界線。
 その境界線の付近には夜でありながら沢山の人が並んでいた。
 2-Aの生徒達、『麻帆良紛争』後に転校していった面子もいる。トリエラ、ドクター・イースター、麻帆良所属の魔法使い達もいた。

「どうしているの?」

 アキラの戸惑う呟きに、明石裕奈が近づき肩に腕を回した。

「なーに水臭い事してるんだよ、アキラ。今日は二人が長谷川の事探しに行く旅立ちの日なんだろ。だったら盛大に見送らないと。なぁ!」

 裕奈の呼びかけに、一斉に唱和が返って来る。

「ゆえゆえ。気を付けてね。何か欲しいものがあったら連絡してね。送るから」
「危ない事には気を付けなさいよ。幾らちんちくりんな身なりしてても女なんだから。それに夕映みたいなのが趣味な変態も……ゲフッ!」
「千雨ちゃん見つけたら、戻ってきてみんなでパーティーしような、夕映」

 のどか、ハルナ、木乃香らに言葉を貰い、夕映は涙ぐんだ。

「のどか、木乃香。ありがとうございます。きっとまた皆で戻ってきます」
「ちょ、ちょっと私は。ねぇ、私は!」

 夕映に殴られた頭を擦りながら、ハルナが必死に訴えている。
 そんなやり取りを眺めながら、アキラはクスクスと笑った。

「はぁ~。やっぱり行っちゃうんだ。すごいね、アキラは」
「明日菜」

 神楽坂明日菜が溜息を吐きながら近づいてき、そっと何かを差し出した。

「はいこれ」
「え、何これ」

 差し出されたものは何かの券だった。

「これ麻帆良に新しく出来たカラオケの割引券。有効期限が来年一杯だから、早く帰ってきてね。そうしたら千雨ちゃんと皆で行こう」

 そう言われ、アキラは割引券をしっかりと握った。

「うん、そうだね。行こう、皆で」

 そっと顔を見回せば、クラスメイトの面々が笑っている。アキラも笑みを零した。

「アキラ!」
「くーちゃん」

 古菲が突き出した拳に、アキラもそっと拳を添えた。

「アキラも夕映も、この半年間頑張ったアル。筋も中々良かったネ!」
「でもくーちゃん、いや師匠のお陰です。ありがとうございました」

 アキラと夕映が頭を下げた。古菲が照れている。
 アキラ達はこの半年、麻帆良内の様々な人間を師とし、色々な技術を磨いていた。
 その一つに気の扱いがあり、麻帆良でも有数の気の使い手となった古菲に、二人は師事を仰いだのだ。

「や、二人とも。昨日のうちに説明はしたと思うが、あちゃくらのモジュールの調子とか大丈夫かい?」

 ドクター・イースターがトリエラと並んで近づいてくる。

「はい問題はありません。馬鹿みたいに好調デス。馬鹿ですけど」
「もう何を言うんですかマスターは!」

 プンプンとしながら、夕映のネックウォーマーから飛び出したのは、十センチ程の体躯のアサクラだ。
 そんな姿にドクターは笑みを浮かべる。

「はは、あちゃくらは元気そうだね。……アキラ君、ウフコックの事頼むよ」
「はい、分かりました」

 その時「あ~う~」と夕映の唸り声が聞こえた。
 見ると、トリエラによって夕映が頭をゴシゴシと撫でられている。

「痛いデス、痛いデス。止めてください、お姉ちゃん!」
「この、この。当分会えなくなるんだから、これくらいさせなさいよ」

 トリエラが笑う、夕映は憮然としながらも頬は緩んでいた。

「もう、マスターったら照れ屋さんなんだから」
「いい加減うるさいデス。この馬鹿AI!」

 夕映があちゃくらに制裁している中、トリエラはそっと遠くを見つめた。

「照れ屋か……」

 遠くに連なる麻帆良の建物。その一つの屋根に、外套をはためかせる小さな人影を見つけられたのは、トリエラの視力故だろう。

「うちのマスターも何だかんだで照れ屋なのよね」

 そっとトリエラは苦笑いを浮かべた。

「夕映、しっかりとやりなさいよ。困ったことがあったら電話しなさい。いいわね」
「はい、お姉ちゃん! 行ってきます!」

 アキラと夕映は、人々に送られながら境界線に進んでいく。
 そして境界線にはアキラ達の元担任であった高畑が待ち構えていた。

「やっぱり行くのかい?」

 高畑の問いかけに、二人はまるで示し合わせたかの様に、同時に答える。

「はい!」
「そうか。なら――」

 高畑が体を沈めた。

「元担任として、力ずくでも止めよう!」

 瞬動。
 高畑の姿が視界から消え、すぐさま目前に現れる。
 アキラの顔に向けて放たれる拳打。
 しかし、それは不可視のガードに反らされる。

「ふッ!」

 呼気一つ。アキラは即座に『フォクシー・レディ』を出し、スタンドの腕に気を纏わせ、その攻撃を防いだのだ。
 体勢を捻りながら、がら空きの高畑の腹部へ向けて、アキラの肘撃ちが入る。

「――ッ!」

 強固な気に覆われた高畑には、僅かなダメージしか浸透しない。しかし――。

「こちらの勝ちデス。引いてください、高畑先生」

 夕映の手にはルーン文字の刻まれた『ピノッキオのナイフ』が握られ、高畑の首元に添えられていた。
 高畑は降参とばかりに両手を挙げた。

「これは敵わないな。僕は君らを捕らえるのに失敗。取り逃がしてしまったわけだ」

 そのわざとらしい言葉を機に、高畑の戦意が霧散する。
 夕映の持っていたナイフが空中でしゅるりと回転し、一匹のネズミに変わった。
 金色の毛を持つネズミが、アキラの肩に飛び乗る。

「ねぇねぇアキラどうだった。ぼくの反転(ターン)は?」
「うん、ちゃんと出来てたね。偉いよ、ヤング」
「えへへ」

 ヤング・ウフコックこと、通称ヤングだ。
 かつていたウフコックを救うため、肉体の若返りと共に、精神も若返ってしまったのだ。半年前までは言葉もろくに話せなかったため、口調にはどこか幼さが残っている。
 ドクターが言うには、かつてのウフコックの記憶が残っている可能性はあるらしいが、現在は思い出す兆候は一切無い。それどころか完全にかつてのウフコックとは違う人格形成が見られる、との事だ。

「それで、君達に彼女を見つける当てはあるのかい?」
「当ては……ありません」

 高畑の問いに、アキラは首を振って答える。
 この半年、多くの国家が千雨を探し、見つけられないでいる。むしろ大多数の人間が長谷川千雨の存在が消滅している、と結論付けたくらいだ。

「でも、千雨ちゃんはいる。それが私には……私達には分かるんです」

 アキラの背後に立つ『フォクシー・レディ』の姿を、この場で見る事の出来るのは、本体たるアキラと夕映しかいない。
 本来夕映は千雨というターミナルを介してスタンドを見ていたが、現在はアキラの持つ能力『スタンド・ウィルス』のキャリアとなり、スタンドの視認を可能としていた。
 そのアキラの『スタンド・ウィルス』のキャリア数には限りがある。狐に似た姿の『フォクシー・レディ』には五本の尾があり、その尾の数だけ感染者を出すことが出来るのだ。
 そして感染者の数に合わせ、尾は硬直して動かなくなる。
 現在の硬直している尾の数は二本。一本は夕映、もう一本は――。

「私の『スタンド・ウィルス』はまだ生きています。つまり千雨ちゃんも死んでいないはずなんです」

 かつて夕映を狙った暗殺者、ジョンガリ・Aに感染させた時、ジョンガリの死亡と共に『スタンド・ウィルス』は解除された。
 千雨は肉体的には死んでいたはずだった。それでもあの世界樹広場の最後の激闘の中、彼女は〝生きていた〟のだ。それは今を持って続いている。

「場所は分かりません。でも生きているなら会いに行きたいんです。だって私達は――」

 ――約束したのだから。
 『待っている』と言って消えた千雨の姿は、今も持ってして鮮明に覚えている。
 高畑は呆れた様に息を吐いた。

「でもいいのかい。君らは長谷川君に親しい人物として狙われている。ここはまだ麻帆良だから保護出来るが、ここを出れば僕達はもう助けられない」
「分かっています」

 両親にも止められたが、それでもアキラの意志は堅かった。夕映と二人並んで歩き、国境線を一歩出た。
 振り返る事もしない。
 ただ一歩外に出たまま、腕時計を確認する。

「夕映、どう?」
「あと三十秒です」

 その発言に、見送りに来ていた人物は疑問符を浮かべた。
 やがて遠くに羽音の様な音が聞こえ始める。低く唸る何かの駆動音。

「来ました!」

 夕映の言葉に合わせ、アキラは獣の姿の『フォクシー・レディ』を出し、尾の先で二人分の荷物を掴む。
 二人でその背に乗り、スタンドの四肢に気を込める。

「行って! 『フォクシー・レディ』ッ!」

 石畳に亀裂を走らせながら、『フォクシー・レディ』は真上に向かって爆発的な跳躍を見せた。

「あれは……」

 そんな空中の二人に近づいてくる機影。見覚えのある姿にドクターは思わず声を上げる。
 麻帆良の境界線ギリギリを飛ぶ二つの機影は、かつて《学園都市》で千雨達を救った、小型飛行機フラップターだ。
 黄金の光に照らされながら、宙に投げだされた様な状態のアキラ達を、フラップターはすり抜けながらキャッチする。

「ふはははは! 久しぶりだね、アキラとユエ!」
「はい。ありがとうございます、ドーラさん」

 フラップターに乗り込んだアキラ達を迎えたのは、ゴーグル姿で勇ましく操縦する老婆、ドーラだった。
 ゴーグル越しにギラついた目を覗かせながらも、どこかその視線には優しさが込められている。

「なんだか面白そうな事になってるじゃないか。世界中がいま血眼になってチサメを探している。それを横から掻っ攫うとなれば、賊冥利に尽きるってもんさね!」

 カカカ、と快活に笑うドーラ。

「そうだよなママ! 千雨さんを他の輩なんかに渡せない。俺達が迎えに行かないと!」

 隣で並走するのはチョビひげのルイだ。ちなみにドーラのフラップターにはアキラと夕映が、ルイのにはアキラ達の荷物が乗っている。

「良く言ったよ馬鹿息子! 嫁さんにしたけりゃ、世界中敵に回したって奪い取りな!」
「あぁ、俺はやるぜママ!」

 そんなやり取りを、アキラ達は苦笑いしながら聞いている。

「いいかいアキラにユエ。私ら一味に入るからには、しっかりと働いてもらう。ビシバシ鍛えてやるから、そのつもりでいな!」
「はいッ!」
「いーい返事だ。それじゃ新調したタイガーモス号まで突っ切るよ。なにせこっちは領空侵犯中だからね!」

 フラップターは舞い落ちる雪を切り裂いていく。
 遠くの夜闇に消えたその姿を、最後まで見ていたエヴァンジェリンは小さく呟いた。

「ふん、ガキどもが。生き急ぎ追って」

 新設された時計塔のてっ辺は、麻帆良上空を覆う黄金の粒子と近い。光を纏った雪を見上げながら、エヴァンジェリンは笑った。

「まぁ、貴様は面白い奴だと、最初から私は知っていたがな」

 時計塔の先端に立ちながら、エヴァンジェリンは二ヶ月前の屋上の出来事を思い出していた。千雨が転校してきた初日、二人はあそこで初めて会話をしたのだ。
 あの日から、久しく停滞していたエヴァンジェリンの世界が、けたたましく廻り始めた。

「貴様がいないと退屈で敵わん。さっさと戻って来い、千雨」

 呟きは誰に聞かれる事も無く、遠く空の彼方へ消えていく。






 第三章 side B 〈ビューティフル・ドリーマー《雛》編〉 終






     ◆






     ◆






     ◆






     ◆






「やぁ」

 たゆたう意識の中、目の前の男性の声だけははっきり聞こえた。
 男性――本当に男なのだろうか、声は確かに男の様だし、服装とて男性の服装をしている。
 しかし、顔は奇妙な面で隠されていた。面――これも面なのだろうか、男の顔の正面には不思議なマークが浮いているのだ。笑顔の子供、そんなモチーフを青いラインでシンプルに意匠化したマークだ。

「君を探すのに手間取ったよ。お陰でこんなに時間がかかってしまった」

 周囲は光の海。果てしない空間の波間に意識は浮かんでいた。なのに、男の声は狭い室内で聞く様に反響している。

「あいにく、全部は見つけられなかった。でもこれぐらいあれば目覚める事はできるだろう」

 奇妙な男はそう言うと、足元から姿を消していく。
 声を出すことは出来ない。だが、力を振り絞り相手に意志を伝えようとした。

 ――あなたは、誰?

 男が笑ったような気がした。面のマークは今まで通り笑い続けているが、その面の奥の素顔が笑った気がしたのだ。

「君とはまた会える様な気がするね。同郷のよしみだ、通り名だけ教えてあげよう。まぁ、通り名と言っても碌なもんじゃないけど」

 男は指先で円を描いた。その指の先端からアルファベットが次々と現れ、くるくると円に沿って回り始める。
 アルファベットを視線で追いながら、ゆっっくりと読み始める。

「またね」

 アルファベットの円だけを残して、男は空間から姿を消した。
 男が消えてなお、文字を見つめ続ける。

 ――The Laughing Man。

 言葉を刻み込む。
 すると、意識が浮かび始めた。波は沈みかえり、光がゆっくりと消えてゆく。
 遠くで誰かの声が聞こえた気がする。

 ――誰だろう、懐かしい。



     ◆



 目覚めて最初に感じたのは倦怠感だった。体中のいたる所が鈍い。軽く腕を動かすと、なにか機械音が聞こえた気がする。
 いや、それは間違ってない。体に人工物がある。もしかしたら体そのものが人工物で出来ているのかもしれない。
 うまく判別できないが、それを〝感じる〟力はある様だ。
 〝彼女〟にはそれが分かった。

(ナゼ、分かるの)

 違和感。
 彼女の中に残る常識が、その力の持つ違和感を明確に意識させる。
 目を開ければ、薄暗い闇が広がっていた。
 彼女が寝ていたのはベッドの上。幾何学的なデザインのベッドで、体には薄いシーツが一枚をかけられている。
 上半身を起こすと、白い肌の上をシーツが滑る。裸身。滑らか過ぎる肌だった。

「お目覚めかね」

 中年の男の声が耳朶に響く。
 彼女にとっては、この体で初めて聞く〝声〟であった。

「ワタシは誰?」
「おやおや、第一声がそれか。状況にも、周囲の対象にも警戒を抱かず、自己の存在を真っ先に他者に尋ねるのか」

 男は楽しそうに語る。

「――」

 彼女は無言。ただ男の返答を待ち続けた。

「君はそうだね……赤子だ。我らが望んだ悲願を成しえた赤子」
「悲願?」
「そう! 悲願だよ。我々は研究に心血を注ぎながら、様々な発見をしていった。その中で我らが目指す〝モノ〟を越える働きをしたものもある。だが、そのどれもが目指した〝モノ〟そのものには至らなかった」

 男の声には悔しさがあった。

「だが、君は成ったのだ。数々の状況が味方したものの、我らが目指す悲願を単身で成し遂げた。偉大なる成果だ、故に君をここに招待したのだ」

 薄闇の室内の輪郭がゆっくりと網膜に浮かび上がった。直方体の部屋には、幾つかのテーブルやインテリアはあるが、人影は見つからない。
 男の声が聞こえるのは、正面の小さなテーブルの上だ。そこには〝鳥かご〟の様なものしかない。

「君はね、《マホウ》を使ったのだよ」
「マホウ?」

 声は〝鳥かご〟の中から聞こえる。

「我らは便宜的にそう呼んでいる。魔力を使った神々の神秘《魔法》に対し、人の手により創り産み出された《マホウ》。君はその第一人者だ」

 声は興奮している。

「私達にとって魔法とは不可思議な対象だったのだよ。知っているかい、魔力さえあれば魔法は真空にさえ火を灯す事が出来る。この世に作られたあまねく物理法則を壊してしまう、絶対的なアウトロー。私達は羨望し、嫉妬した。だからこそ〝ここ〟を創り上げたのだ。そして君が産まれてくれた。この半年、どれほど私が君に会う事を楽しみにしてたか、分かるかね?」

 彼女は首を振った。

「――分からない」

 言葉は少ない。だが、声を出すたびに、彼女自身が自分の声に違和感を感じ続けている。声色がおかしいのだ、まるで自分の物では無い様な――。

「そうだろうね。いや、すまない。余りに待ち遠しすぎて、年も考えずにはしゃぎ過ぎた様だ」

 少女はじっと〝鳥かご〟を見つめた。やがて〝鳥かご〟の柵の中に、シルエットが浮かび始める。

「ワタシは、誰?」

 彼女は言葉を繰り返した。

「ははは、すまない。すっかり君の質問を忘れていたよ。状況も説明せねばなるまいな」

 男の声と共に、小さな機械音が聞こえた。
 〝鳥かご〟の載ったテーブルの向こう――壁の一面がゆっくりとせり上がっていく。壁の向こうにはガラスの様な照り返しが見えた。そして同時に室内にも明りが灯り始める。

「おめでとう。君は産まれたばかりの《雛》だ」

 明りと共に、鳥かごが鮮明に見える。〝鳥かご〟の中には老人の生首があった。だが死んではいない。瞬きをし、口も軽やかに動き続けている。その生首は生きていた。

「私はプロフェッサー・フェイスマン。こんな姿で失礼するよ、バロット」
「バロット?」

 聞きなれぬ言葉に、彼女は言葉を返す。

「そうバロット(雛)。君の名だ、ルーン・バロット」

 彼女――バロットはその名を刻み込む。

「ルーン・バロット……」

 その間に壁は上がりきった。フェイスマンの背後には、透明なガラスを通して星々が煌めいている。そして――。

「きれい」

 視界の半分を青い星が占めていた。ゆっくりと回転するその天体の名前を『地球』と言う。
 バロットは立ち上がり、その巨大な窓へと近づいた。ガラスが彼女の姿を反射する。
 真っ白な肌に、真っ黒な髪。髪は肩口で切られている。顔は精緻に出来ておりながら、どこか人形の様で生気に欠けていた。体はスレンダーだが艶かしさが漂っている。
 バロットは自分の姿に違和感を感じながらも、眼下に見える宇宙から目を離せない。
 背後にいるフェイスマンはにやりと笑い、言葉を紡いだ。地上を追われ、衛星軌道上へと隔離された研究プラントの名前を。

「ようこそ、《楽園》へ」

 《殻》は破れ、《雛》に至る。
 これは少女の生まれる物語。



 千雨の世界 完



[21114] あとがき
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2012/03/17 02:08
●あとがき



 走らせたかったわけです。
 昔からマラソン大会が苦手な作者からすれば、走る事の辛さというのは身に染みてわかります。
 脚も腰も首も喉も、あらゆる所が痛み、その上精神的にも苦痛を帯びて止まってしまう。
 体力も目標も無い人間がまともに走れるのは何分、何秒くらいなんでしょうか。おそらく長くないと思います。
 作者が辛くて止まっていると、横をピューっと走っていく人がいます。そういう人を「すごいなぁ」と昔から思っていました。
 もちろん世の中にはそんなに脚が早い人ばかりじゃありません。辛くて辛くて、止まってしまったり、倒れてしまったりする人がいます。
 それでも、もう一度立ち上がって走れる人こそが作者にはあこがれなのです。マラトンの戦いの後、伝令に選ばれた兵士は、どの様な気持ちで四十キロを走り抜けたのか、きっと辛くもありながら、喜んで走ったのでしょうか。
 それは何も現実ばかりでは無く、スクリーンで見た数々の映画のヒーローもそうでした。
 ダイ・ハードのジョン・マクレーンはいつも泣き言を言いながら走ってましたし、フォレスト・ガンプでのベトナムで戦友を担いで走るシーンとかたまりませんし、踊る大捜査線の青島刑事もTVのEDや映画問わず走ってましたし、オトナ帝国の逆襲のクライマックスで傷だらけになりながら階段を昇るしんのすけの姿は目に焼きついています。
 作者はそういう泥まみれでも走り続ける人間が書きたくて、たぶんこの小説を書いたと思うのです。
 この作品は元々、まともな小説を書いてみたいということで、練習で書いた二次創作小説でした。今後二次創作を書くまいと思い、多重クロスなんて無茶なジャンルにしたわけです。
 こんな門戸の狭いジャンルなのに、沢山の方々が読み、感想をくれたのは望外過ぎる喜びです。一年余の間に、様々な経験、蓄積をさせてもらいました。
 短編くらいは書くかもしれませんが、作者は一応これで二次創作は卒業です。現在途中で放り投げている二次創作はおおよそ凍結し、自分で考えた世界観で好き勝手に書いていこうと思います。
 それでもやっぱり新しい主人公にはぜひ走ってもらいたいと思います。
 苦境にあって泥にまみれても走れる人間は、きっと作者の中の永遠のヒーロー像です。
 『千雨の世界』をお読みくださってありがとうございました。いつかどこかでまた拙作を読んでくれたら嬉しいです。


 2012年3月4日
























大蛇足

http:/
/nao-sko.sakura.ne.jp/2012/03/post_605.html



[21114] ――――
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2014/11/29 12:34
 
「桜か……」
「うん、綺麗だね」
 
「金色に桜色、悪くないな」
「千雨さん、見とれてないで行くデスよ」
 
 
「ちょ、おい引っ張るなって」
「みんな待ってるんデスよ、ほら」
「みんなって……あっ……」
 
 
「千雨ちゃん?」
 
「ううん。いやさ、二年経てばみんなけっこう変わっちまってるな、って」
「うん、そうだね。でも変わってないものもあるよ。あれ見て」
 
「……ぷッ、本当だな。あいつら、二年経ってもああいう馬鹿馬鹿しい所、変わってないよな」
 
「チサメ、泣いてるの?」
 
「な、泣いてなんかねーよ、このアホネズミ!」
「あー、また言ったなぁ! 僕にはちゃんと――」
 
「はいはい、二人ともこんな所で喧嘩しちゃダメでしょ。ほら、みんな待ってるんだから」
 
「やれやれデスね」
「まったくですぅ~。千雨様とバカネズミは相変わらず不毛な事をやっていますね」
 
「ポンコツAI、お前こそそろそろ口のきき方を覚えるデス」
「ぴぎゃ! デコピンは止めてくださいって言ったじゃないですか、マスター!」
 
「そういえば千雨さんに言い忘れてましたね」
「うん、そうだね〝約束〟だったもんね」
 
「おかえりなさい、千雨ちゃん」
「おかえりなさいデス」
 
「――ッ」
 

 ――ただいま。







※地の文は削除しました。


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