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[2045] 家族ジャングル【TOA性格改変】
Name: スイミン
Date: 2006/07/23 04:22
前書き

これはTales of the Abyss の性格改変ものです。話の構成上、後半からかなりの独自展開も予測されますが、ご了承ください。
話のジャンル事態もかなり好みの別れるものだと思うので、耐性あるから大丈夫そうだと判断した方も、十分お気をつけください。
初投稿なので、いろいろと文章が見にくかったり、誤字脱字が目についたりすると思いますが、完結目指して頑張るので、生暖かい目で見守ってやって下さい。
それでは、よろしくお願いします。



[2045] 0-1・切れない髪と血染めの木刀
Name: スイミン
Date: 2006/04/02 16:23
「だりぃ……」

 寝起きでボサボサになった長髪を俺は乱暴にかきむしる。ぼりぼり。

 欠伸をかみ殺しながらふらふらとした足どりで廊下を歩いていると、一人のメイドとすれ違う。

 すれ違いざまに、メイドが目を見開いて俺を見るのがわかる。その反応から察するに、どうも屋敷に入りたての新人メイドのようだ。貴族のボンボンにしてはあまりにだらし無い俺の様子に、よっぽど驚いたと見える。普通ならここで自分の格好を恥じいるところなんだろうが、俺にはそんな感性なんかカケラ程も残っちゃいねぇ。

「ゴクローさん」

 へらへら笑って、適当にねぎらいの言葉をかけながら、俺はメイドの視線も気にせずさらに頭を掻きむしる。ぼりぼり。

 メイドは会釈だけ返すと、足早に去っていった。舐めた態度だとは思うが、呼び止めようとは思わない。強烈な寝癖のおかげで地獄の針山のようになった髪形の持ち主と、一緒の空間に居たくないっていう気持ちはよくわかる。ってか、俺ならいやだね。

 正直、俺はこの髪がうざったらしくてしょうがない。オヤジに何度も「切らせろやハゲ」って訴えてるのに、奴は冷たい視線で俺を睨み付け「黙れバカ息子。その服装許してるだけでも感謝しろ」と俺様コーディネェィトの特服を貶すばかりで、一向に俺の意見を聞き入れようとしやがらない。

 一度、木刀握ってオヤジの寝室に殴り込んだこともあったが、そんときゃまいったね。鼻血だらだら噴き出しながら木刀と拳で応酬しあう俺とオヤジのバイオレンス活劇に、その場に居合わせたおふくろは卒倒しちまった。

 さすがの俺とくそオヤジも殴り合いを止めて「てめぇの強面のせいだハゲちゃびん」「お前の汗臭さが原因だ。腹筋ぐらい仕舞え、ろくでなし」「うっせえハゲ!」「この腹筋割れが!」などと、おふくろを介抱しながら、手は出さずに罵り合った。

 その後、無事に意識を取り戻したおふくろは、涙ながらに暴力の虚しさを訴えると、なぜに俺が長髪でいなければならんのか、長々と説明してくれた。

 おふくろの説明を要約すると、なんでも王族足るもの長髪たれ、とかわけわからん法律があるのが一番の理由らしい。そんなルールは正直知ったこっちゃなかったが、おふくろに泣かれたのはさすがに堪えた。俺は女子供の涙に弱いのだ。なし崩し的に、もう髪に関して文句は言わないと約束させられていた。

 なんだか自分でもよくわからないものに対する敗北感に、うなだれる俺をオヤジは小憎らしい表情で嘲笑っていたが、やつも「息子に暴力を奮うとは何事です」とおふくろから三日間無視の刑に処せられていたりする。泣きながらおふくろに謝るオヤジを見て、我が家の最強が誰であるかを再認識させられた一件だった。

 なにはともあれ、もはや俺が髪を切ることはできなくなった。どんなにうざったくてもこの髪型を維持せにゃならん。文句を言いたくても、おふくろとの約束の手前、愚痴でさえも言い難い。だから好きでもない長髪してる頭を掻きむしり、ふけを振りまくぐらいは許してほしい。

「ほんと……だりぃわ」

 今日も今日とて、首都バチカルの代わり映えのしない一日の幕が開く。

 窓から差し込む陽光をその身に受けながら、惚けっと突っ立ち、俺──ルーク・フォン・ファブレはうざい頭を掻きむしるのであった。ぼりぼり。



[2045] 0-2 鼻血にティッシュといぶし銀
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/20 02:32



「かぁーあの髭! 毎度毎度マジでむかつくわぁ!!」

 貴族の子弟にしてはこじんまりした部屋の中。開け放たれた窓に向かって、俺は雄叫びを上げていた。
 何故にいきなり叫んでいるかと言えば、中庭での一悶着に、その原因がある。

 中庭で花の世話をしていた庭師のペール相手に、いつものようにダベっていたら、突然執事長ラムダスの髭野郎が現れて、この俺相手にふざけた文句を言いやがる。曰く、

『おぼちゃま。もっと身分を自覚した行動をとって下さい。このような相手にそんな気安い言葉をお掛けになるのはお止めください。それと、お腹を冷やすといけませんので、私めが用意した服に着替えてください。さぁさぁ──』

 怪しい光を瞳に宿らせ、これでもかと言わんばかりにグイグイと詰め寄ってくるラムダス相手に、さすがの俺も気押されて、その場から一目散に逃げ出した。しかし、相手もさる者、執事長。なかなか諦めようとしやがらねぇ。おかげで、俺は用もないのに屋敷中をさんざん逃げ回るはめに陥っちまったと言うわけだ。

 というかキモイ! まずキモ過ぎるわ!

 かなりの時間が立ったはずの今でも、あのラムダスの髭面が迫ってくる光景が脳裏をよぎり、背筋にゾゾゾッと寒気が走りやがるから、もうたまらねぇ。

「うううっ! がぁぁーーあのくそ髭が! 髭抜くぞ! むしろあの髪形もなんだ! 針金でも入ってんのかよ!」

 悪態混じりに突っ込み入れながら、ストレス発散に精を出す俺だったが、そこへ更なる苛立ちのもとが襲いかかる。


《ル……ルー…………ルーク》


「───ぐっ!」

 急激に沸き起こる頭痛に、俺は額を抑え、片膝をつく。

 痛い。頭がすげぇ痛い。マジで割れそうだ。しかも、電波染みたもんが飛んできて頭の中でなにやらわめいてやがる。


《ルーク……我がた…………れよ………………声に……応えよ》


 うがぁ、こいつもウゼェ!! 脳髄を爪で直接掻きむしるような電波とばしといて、声に応えよとか聞こえるかってなんじゃそりゃ?!

 好き勝手なことわめきやがる電波に、俺はふつふつと沸き出る怒りに任せ、喧嘩上等と錯乱気味に拳を振り上げた。

「大丈夫かル──ぶっ」

「あん?」

 見事に顎を撃ち抜いた一撃に、金髪の爽やかげな兄ちゃんが吹っ飛ばされた。ふっとばしたのはもちろん、俺の拳だ。拳にこびりついた鼻血を壁にこすりつけ、俺は多少の気まずさを感じながら、吹き飛んだ相手に笑いかける。

「いやワリィワリィ。居ると思わなかったわ。マジごめんな、ガイ」
「ひでぇな、ルーク。普通心配して近づいた相手に、いきなり殴られるとは思わないぞ」

 ぼたぼた垂れる鼻血を腕で抑えながら、ガイが多少くぐもった声で恨めしそうに応えた。

「まあ気にすんな。俺も気にしねぇから」
「そういう問題かねぇ?」
「男なら細かいことたぁ忘れろ。ほれ、ティッシュでも鼻に詰めとけ。ほれほれ」
「うわっ! 無理に押し込むなって! いや、そんなに入らんから! 押し込むなぁ~!!」

 無理やりガイの鼻の穴にティッシュを押し込む。

 ガイは役職だけ言うなら、使用人の一人で、俺の世話係だ。しかし人間的な間柄で言うなら、俺の幼なじみで、ダチでもある。昔なじみっていう贔屓目を抜かしても、かなり良い奴で、親友と言っても良い相手だ。その爽やかさと気安げな態度から、屋敷の中での評判も上々で、女受けも良い。かなりのもて野郎で、年がら年中女に言い寄られてやがる。

 信じられんことだが、こいつが相手の気持ちに応えたことは今だかつて皆無だ。俺にはどうしても理解できんことだが、ガイはなんと、女性恐怖症でもあるのだ。

 容姿端麗、物腰柔らか、話術だって悪くない。そんな女にモテル三大要素を兼ね備えたこいつが、女を引き寄せるだけ引き寄せといて、近づかれたら逃げやがるのだ。

 ……なんかムカツいてきたな。

「いて、いてて! ルーク、鼻の穴が広がりすぎだって! これ以上は無理! うぁ、突っ込むなぁ~!!」
「あ……ワリィワリィ。つい、考え事してた」

 へらへら笑って、一瞬漏れ出た殺気を抑える。見るからに怪しい俺の誤魔化しに、ガイは呆れたように苦笑を浮かべた。

「まあ、その様子なら、頭痛の方はもう大丈夫そうだな。心配したんだぜ、妙に騒がしい声がして、気になって来てみれば、お前が部屋の中で頭抑えて呻いてると来たもんだ」

 本当に心配したんだぞ、とガイの真剣な眼差しが俺を見据えていた。

「しかし、このところ頻繁だな。確かマルクト帝国に誘拐されて以来だから……。もう七年近いのか」

 ガイの碧眼から伝わる真摯な気持ちに当てられて、ふざけた態度取ってた自分の馬鹿さ加減が、どうにも気恥ずかしくなってきたね。

「ほんと悪かったな。まったくマルクトの連中のせいで、俺って、頭おかしいやつみてぇだよな」

 へらへら笑いながらおどけた口調で告げた俺の言葉に、ガイが少し眉を寄せる。

「ルーク……」

 ガイが口を開き、なにかを言いかけたところで、部屋に扉をノックする音が響く。

『ルークさま、よろしいでしょうか』

 俺は扉に視線を向け、ついで開け放たれた窓に視線を移し、ガイに部屋を出て行くよう促す。

 ガイは一瞬ためらうように踏みとどまったが、再度メイドの呼び掛けが響いたことで、すぐさま決断した。小さくまたなと囁くと、窓枠に手を駆け部屋を出て言った。

『ルークさま?』
「おう、ちゃんと部屋に居るぜ、入ってくれ」

 扉を開けたメイドが一礼してくる。なんだか微妙に気まずくなって、うざい長髪をかき混ぜながら、ぽりぽり頭を掻く。

「少し寝ぼけてたんでな、返事が遅れて悪かった」
「いえ、こちらこそ何度もお呼び立てして申し訳ございません。旦那様がお呼びですので、応接室にお願いします」
「わかった。わざわざすまねぇな。今度飯でも奢るぜ」

 結構本気で言ったのだが、相手はくすりと笑うと、軽く小首を傾げて見せた。

「そうですか? 期待しないで待ってます。最近の旦那様はかなり時間に厳しいようですから、なるべく急いで向かって下さいね、ルークさま」
「おうよ」

 軽くあしらわれたなぁと思いながら、俺は去っていくメイドに片手をふって応えた。

 しかし、くそオヤジの呼び出しか。いったいなにがばれたのやらね。たまに屋敷抜け出してることは、ほんと今更だし、とやかく言わんだろう。まさか下町のチンピラ連中しめて、俺がアタマになったことか? いや、それが知れたなら向こうから怒鳴り込んでくるはずだ。わざわざ応接間に呼び出す理由はなんだ? はっ! よもやあそこに飾ってあった絵を勝手に売っ払ったのがばれたのか!? いや、だがそれも───……

 犯した悪事の数々を思い返しながら、俺は親父の待つ応接間へ向かうのだった。




                     * * *




「来てやったぜ、くそオヤジ」
「閉口一番にそれとは私も舐められたものだな、バカ息子」
「止めて下さい、二人とも。お客様の前で、恥ずかしい」

 俺の相手の鼻っ柱を叩きおる一撃に、オヤジが不機嫌そうに応え、おふくろが気まずそうな視線を応接間の一角に向けた。

 お客様って、なんじゃらほいとおふくろの視線を辿ると、俺にとっても予想外の相手がそこにいた。

「げげっ、ヴァン師匠! こっち来てたんすか!?」

 あまりの大物登場に、俺は眼を見開く。彫りの深い顔立ちに、オヤジとは違って、大人の包容力満載の、泰然とした物腰の男がこちらを見返す。

「久しぶりだな、ルーク。もちろん、剣の腕は鈍っていないだろうな?」
「いや、うー、当然、俺はきちんと修行してましたよ。だから、腕も鈍ってなんかないですよー?」
「ふむ。ならば、後でそれを確かめるとしよう。中庭で基礎確認ついでに、一つ揉んでやろう」

 うげっ、もしかして墓穴を掘ったか?

 明らかに表情が引きつるのを感じる俺に、ヴァン師匠はどこか不穏な笑みを浮かべる。

「い、いまさら基礎はもういいかなーとか思ったりなんかしなかったりすんですけど」

 自分でもしどろもどろだなーと思いながら言葉を返すと、なぜか師匠の表情が引き締まる。

「ふむ。お前にはすまないとは思うが、しばらくの間、私は屋敷に来ることが出来なくなる。ダアトに帰らなければならないのでな。崩れた型があるようなら、今のうちに修正しておきたい」

「へっ? どういうことです? ダアトでなんかあったんですか?」
「私がオラクル騎士団に属していることは知っているな?」
「はぁ……まあ、一応は。主席総長だとかで、騎士団のアタマってことですよね」
「そうだ。そして、騎士には守るべき相手がいるものだ。今回の件も、それに深く関連している。肝心の騎士団が守護すべき相手である導師イオンが……行方知れずになってしまったのだ」
「はぁ……導師イオンですかぁ」

 首都バチカルから出たことない俺からすると、あまり他の街のことはピンと来ないというのが正直なところだ。ホド戦争の調停後も、マルクトとキムラスカの平和を維持する功労者だとか言う話だが、そんなこと知らんでも飯には困らん。

「ようは迷子探しってことですか……勤め人はタイヘンッすね」

 俺の思わず洩らした感想に、ヴァン師匠は苦笑を洩らし、オヤジが俺を睨み付ける。

「少しは口を弁えろ、ルーク。導師イオンは教団の象徴だぞ。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、もう少し考えてからものをしゃべれ! この馬鹿息子がっ!!」

 オヤジの物言いにムカッと来て、俺はいつものごとく百倍返ししてやろうと口を開くが、それよりも先に、おふくろがオヤジに非難の声を上げる。

「止めて下さい! ルークは、この子はマルクトに誘拐されているのですよ。あまりの恐怖に、それ以前の記憶を失ったというのに……少しばかり、世間の事情に疎くても、そんな風に責めるのはこの子が可哀相です!」
「む……いや、だがな、そうは言ってもね、シュザンヌ」
「ああ、私のルーク。可哀相に」
「……」

 さすがのオヤジも、トリップ状態のおふくろにはなんにも言い返せずに、黙り込む。かくいう俺も、あそこまで庇われるとちょっとばかし気が引ける。

 いや、確かにあなたの息子はマルクトに誘拐されて、記憶なくして帰って来たよ。けど、物覚えが悪いのは、どっちかっていうと生来のアタマの性能のせいですし、むしろ俺のアタマが可哀相? うーむ、なんか言ってて自分で悲しくなってくるな。

「ともかく、師匠。そうことなら、基礎確認、上等。むしろ俺の方からもお願いします。間が空くとなると、さすがに俺も不安ですし」
「そうか。だが、お前が望むなら、騎士団の方から私のいない間の稽古相手を派遣させるが、どうする?」
「あ~。いえ、師匠のいない間は、ガイと稽古しようと思うんで、大丈夫だと思います」
「わかった。……では、公爵。それに奥方様。我々は稽古を始めますので」
「頼みましたぞ、グランツ謡将」

 オヤジが偉そうに言った言葉に、師匠が頷きを返す。

「私は先に中庭に行く。支度がすんだらすぐに来るように」

 去り際に完璧な動作で一礼をすると、師匠は応接室を去った。

 しかし、師匠はダアトに帰って、導師を探すのか。教団の象徴、導師イオンね。そいつも閉じ込められんのに嫌気がさして、籠の外に飛び出したクチかねぇ。俺も屋敷程度からなら抜け出せるが、さすがにバチカルから逃げ出す程の気合はねぇよなぁ。いったいどんな奴なのかねぇ。

「──ク。ルーク!! 聞いているのか!?」

「へ? 呼んだか、オヤジ?」

 眉間に皺を寄せたオヤジのいかつい顔に、不可解そうな感情が浮かぶ。

「急に上の空になって、どうかしたのか?」

 いつも怒鳴り声しか上げないオヤジだが、今の声音にはどこか俺を気づかうような調子が感じ取れ、すこし動揺しながら応える。

「いや、何でもねぇよ。大丈夫、大丈夫」
「なら、いいが」

 ひらひら手を振って応える俺に、どこか納得いかなそうなものの、オヤジも一応の頷きを返した。

「しばらく間が開くのだ、どうせなら足腰立たなくなるぐらい、グランツ謡将に揉まれて来るがいい」
「修行を行うのはいいですが、無理をしてはいけませんよ、私のルーク」

 対照的な両親の言葉に、俺は苦笑を浮かべる。

「だぁー、わかってるよ。そんじゃまたな、オヤジ、おふくろ」

 形ばかりの一礼をすると、俺もその場から去った。


 そのとき微かに耳に届く歌声を感じたが、どうせ屋敷の誰かだろうと思い、俺は特に気にするでもなく、中庭へと向かうのだった。






[2045] 0-3 海兵式稽古と歌うは母音
Name: スイミン◆d33efff8
Date: 2007/08/28 21:52
「なるほどねぇ…オラクルの騎士様も大変だな」
「だからしばらくは貴公に任せるしかない。公爵や国王、それにルークの……」

「! ルーク様!」

「よっ、ペール。ところで、そっちはなにしてんだ、ガイ?」

 庭師のペールにひょいと片手を上げて応えながら、師匠とひそひとしゃべっていたガイに声を掛ける。男共が密かに集まりやる話とは何じゃらほいと問われば、即座に猥談と即答する所だが、ガイはともかく師匠は硬派な人である。今回ばかりは、当てはまらん。

 まあ順当な所で、盾使わん剣術使うもの同士、なにやら思うところがあるって所かね?

「……ヴァン謡将は剣の達人ですからね、少しばかりご教授願おうかと思ってな」
「ホントかよ? そんな感じにも見えなかったぜ」

 気取った様子で答えるガイに、俺も軽い調子で突っ込みを入れてみたが、相手は素知らぬ顔で肩を竦めて答えない。

「まあ、何でもいいだろ? お前の方こそ稽古がんばれよ。ヴァン謡将がいない間は、俺が相手してやるからさ」
「まぁ……いいけどな」

 そもそも話の流れで何となく尋ねてみただけだ。あんまり話したくないようなので、ガイのあからさまな話題転換に、今回は乗っておく。

 それに、今は稽古の方が重要だしな。

 我が相棒、硬くて黒いThe・木刀を抜き放ち、師匠の正面に立ちながら、最もなれ親しんだ構えを取る。こちらが構えを取ったのを確認すると、師匠がうむと首を頷かせ、口を開く。

「ではルーク。まず型の復習から入るぞ。豚のようにあえげ」
「押す、師匠っ!」

 軍人鍛練モードに切り替わった師匠に合わせて、俺も暑苦しい弟子モードに移行する。なにげに熱血コーチの師匠に教わるうちに、気付けば俺も鍛練中は熱血上等、常に努力・友情・勝利を目指す、なんとも恥ずかしい思考モードに切り替わるようになっていた。

 逆らえば、【死】あるのみの長年の過酷な鍛練の末に身につけた、これも一つの処世術って奴だろう。

 ……いや、冗談じゃなくて、マジでな。

「──よし、そんなところだろう。糞虫から虫螻程度には進歩したな。喜べ、ルーク」
「押す、師匠!」

 一通りの型を通したことで、荒くなった呼吸を整えるべく、俺は犬のように舌を出しながらぜぇぜぇと酸素を取り込む。

「では続いて、軽く打ち合うとするか。爺のように呻いていないで、来るがいい、ルーク」

 師匠が構えるとともに、目に見えない威圧感が周囲に放射された。この空気は、なんつぅか、あれだ。針でプスプス全身の肌を刺されまくってるような感じだ。やっぱ格が違うね。

 それでもこれは稽古なわけで、動かないことには始まらない。

「うぉぉぉおっ!」

 俺は雄叫びを上げ、肌にまとわりつく威圧をふっとばしながら、相棒を振り上げた。当然避けられるが、さらに追い打ちをかけるべく一歩を踏み込み、今度は相棒を振り降ろす。

 手応えは、ない。空振った。

 斜め後方に下がり、俺の振り降ろしをやり過ごした師匠が神速の抜き打ちを放つ。

 うおっ、アブね。ぎりぎりで、相手の抜き打ちに合わせて相棒を振り抜くことができた。

 武器が接触した瞬間巻き起こる衝撃に、一瞬手が痺れて相棒がはじき飛ばされそうになるが、辛うじて武器を離さずにすむ。

 彼我の実力差に形勢不利を悟り、一瞬間合いを離そうかと弱気になったところで、師匠の声が届く。

「そんなものか?」

 アタマに来た。俺は突撃を選択する。可能な限り姿勢を低く保ち、師匠との間合いを詰める。カウンターで突き出される相手の一撃に、俺は自らの相棒を勢いよく撥ね上げることで応える。

 師匠の一撃が弾かれた。

 その瞬間、散々身体に教え込まれた動作が流れるように発動する。


 ──双破斬


 気合のこもった振り降ろしの重い一撃に、師匠が体制を崩す。間髪入れずに、全身のバネを感じながら跳躍とともに斬撃を放つ。

 師匠の身体はわずかに後方に押し戻され、その口から軽いうめき声が漏れた。

 技が命中した後も、構えを崩さぬまま、しばし残心。

「ふむ……どうやら、技として身についているようだな。きちんとタマがついている様で安心したぞ、ルーク」
「押す、師匠!」
「今の感覚を忘れるな。基本となる技の型は、すでに教えてある。後はお前の実力が上がるにつれ、自然に使いこなせるようになるだろう。今は爺並の体力しかないが、いずれは漢になれるはず。本日の鍛練は以上をもって、終了する」
「ありがとうございましたぁっ!」

 師匠の総括を受け、俺も構えを解いて相棒を腰に納め、稽古終りの一礼を返す。

 かくして、短いながらも濃密な鍛練の時間は終わりを告げた。

「ふぅ……だりぃ」

 早速普段の態度に戻って、思うままを呟く俺の様子に、師匠が苦笑を浮かべながら、何事か告げようと口を開く。


 ────歌が聞こえた。


 トゥエ──レィ──ズェ──クロァ──リョ──トゥエ──ズェ──


 うなじを直接撫で上げられるような、ゾクリとした感覚が走る。全身は鉛のように重くなり思うように動かず、意図せず苦悶の声が口から漏れた。

「この声は……!」
「これは譜歌じゃ! お屋敷に第七音素術士が入り込んだか!?」
「第七音素術士……か。くそ……、眠気が襲ってくる。何をやっているんだ、警備兵たちは!」

 ペールが聞いてもいないのに状況を解説し、それを受けたガイがふらつきながら、その場に倒れ伏すのを必死に堪えつつ、苦しげに呻き声を上げた。

 この場に居る誰もが例外なく、歌声から届く力に囚われつつあった。

 しかし、かく言う俺はというと、ぶっちゃけ既になんともなかったりする。歌が聞こえた当初は、だるさが増したような気がしたが、この程度ならあんま普段と変わらない。ついさっき寝たばっかだからかね?

 それよりも、状況がまったく理解できん。

 騒然となる中庭で、何となく緊迫した状況に乗り遅れたまま、周囲を伺う俺の耳に、その声は届いた。

「──ようやく見つけたわ。裏切り者のヴァンデスデルカ」

 屋根の上に立つ、怜悧な美貌の持ち主が師匠の名を呼んだ。如何にも暗殺者ぜんとした黒服の女だ。しかし、顔は隠さなくていいのかね? 思わずそんな場違いな感想が頭に浮かぶ。

「覚悟──!」

 女は屋上から軽やかに飛び立つと、ヴァン師匠に短剣で切りかかった。師匠は当然のように一撃を弾くも、譜歌とやらのせいで身体が重くなっているせいか、その顔はどこか苦渋に満ちている。

「やはりお前か、ティア!」

 師匠と暗殺者らしき女の物騒なやり取りに、普段の俺なら真っ先に割って入り、女に食ってかかったろう。だがしかし、今の俺にそんな余裕はなかった。

 俺の視線は一点にクギツケとなり、全身は凍りついたように動かない。






















 な、なんだあのでかいチチはっ!?






















 かつてない衝撃に打ち震え、俺は眼を見開く。というか、あれはマジで本物なのか。バチカルに閉じ込められて十年ちょい、いまだかつて出会ったことのない衝撃だぞ。デカイ、でかすぎるぞ、暗殺者(暫定)のチチ。

 俺の射殺すような視線に、女がビクリと震え、わずかに身じろぎするのがわかる。

 くっ、そうか。そうして与えた衝撃に標的が動きを停めるのもまた、相手の作戦の内ということか、やるな暗殺者(暫定)というかチチの姉ちゃん!

 師匠もまた呪縛に囚われたのか、思うように動きがとれないようだ。ガイなんぞ声も上げられない。女性恐怖症の奴には、もはや問答無用で最終兵器クラスの威力なんだろう。

 しかし、この俺とて、オラクル騎士団主席総長ヴァン謡将が一番弟子、ルーク・フォン・ファブレ! このままチチに囚われ、むざむざとやられるつもりもないわ!!

「やられて、たまるかよ!!」
「いかん……! やめろ!!」

 まさに気合で呪縛を振り払い、俺は血走った眼のまま、無我夢中で暗殺者に切りかかった。

 チチの姉ちゃんがいろんな意味で身の危険を感じてか、とっさにロッドを構えて、振り降ろされた俺の一撃を受け止める。

 瞬間、奇妙な音と光が武器の接触点に生まれた。


 ──響け……ローレライの意思よ届け……開くのだ!


「うぉっ、また電波……!?」
「これは、セブンスフォニム!?」

 チチの姉ちゃんがなにやらわけのわからんことを驚いたように叫ぶ。相手もこの現象は予想外のことなのか、その瞳に動揺が見えた。

 もちろん、俺もびっくりですよ。しかも、なんでか身体が動かんし。うおっ、もしかして俺が切りかかったせいで、状況が悪化してやがるのか。

 武器の接触点を中心に、全身を光が覆いはじめる。

 やばい、なんかわからんが、ともかくやばいことだけはわかる。ど、どうするよ。やはり罠だったのか。チチぃ───


 光が収束し、天に向け駆け昇る。


 身体がブレルような感覚を最後に残し、俺の意識はプツリと途絶えるのだった。





あとがき

 あれ? なんかギャグ展開
 なんだかアビスSSは男カップルが多いので、チンピラにはバカとスケベェをアイデンティティに、ぜひともティアとストロベリれるよう頑張って貰おうと考えとります。



[2045] 0章までの登場人物紹介
Name: スイミン
Date: 2006/04/04 21:15
 当分出て来ない人もいるので、某師匠の人格に対するいろんな誤解を解く意味も込めて、簡単な人物紹介を乗せておきます。詳しくは話の中で明かしていこうと思うので、ネタばれは無しの方向です。



ルーク・フォン・ファブレ

 突き抜けた馬鹿。やられ役のチンピラ。スケベ。でも、どうてい。
 誘拐されて帰って来たのはいいが、記憶をなくしてパッパラパー状態に。親馬鹿二人に見守られ、日々の暮らしの中でめざましい回復を遂げる。
 が、どこで教育を間違ったのか、その言動はチンピラ染みている。
 回復の過程で友人たるガイのモテっぷりに当てられ、女好きに。彼女欲しいなぁと思いながらも、メイドに手を出すのは鬼畜? とか考えて実行できず。某王女との関係については……いずれ改めて。


ファブレ公爵

 他人に厳しく、己にはもっと厳しくを地で行く頑固オヤジ。
 とあるスコア(預言)により、息子であるルークとどう接したらいいかわからなかったが、誘拐されて帰って来た息子のあまりのチンピラじみた成長っぷりに、最近はその溝を踏み越え怒声を上げる毎日。
 なんだかんだいって息子命になりつつあるが、あくまでも公人を貫く人でもある。難しい。
 親馬鹿その一。


シュザンヌ

 セレブ。身体が弱いところもあるが、芯の強さも持ち合わせる人。息子大好き。
 誘拐されて帰って来た息子が記憶をなくしていた事実に、一時は打ちのめされて、枕を濡らす日々だった。最近は見事回復を遂げた息子に安心し、日々を健やかに過ごす。着実にチンピラへの道を歩んでいく息子を生暖かく見守る。
 親馬鹿その二。


ヴァン・グランツ謡将

 チンピラルークの師匠。オラクル騎士団の主席総長で、六神将とかいう師団規模の軍隊のトップ。何事でも決めた事は貫き通す、どこまでも生真面目な人。現在、宗教都市ダアトに帰省中。
 最初は普通のやり方でルークに剣術を教えていたが、ルークのあまりのチンピラ染みた小物っぷりに、自身の教育方針に問題があったのかと大いに悩む。某副官に相談したところ、某国の海兵隊ばりの訓練方式を薦められ、導入。当初は本人も困惑しながら教えていたが、最近いろいろと吹っ切れてきた。でも、普段はあくまで頼れる良い大人デスヨ?
 シスコンとか言う噂。


ガイ

 ルークの世話係にして親友。無自覚のたらし。ルーク女好きの元凶。
 無意識の内にいつのまにか女性を口説いているという恐ろしい絶技を持ち合わせる。でも女性恐怖症。もったいない。この話では鼻の粘膜が弱いもよう。
 シスコン!


ペール

 庭師のじいさん。ルークの茶飲み友達。なぜか状況を解説する。ガイ様華麗に解説の祖。
 脇役。


ラムダス

 ぼっちゃま命。執事長。そこそこ偉い。
 でも脇役さ。


謎の暗殺者

 マスクメロン級。



[2045] 1-1 美人の甘さと夜の海
Name: スイミン◆33fdfdc7
Date: 2009/09/20 02:35

「────ク。ルーク。起きて、ルーク」
「うっ……」

 肌を舐める冷たい空気の流れ。頬にあたる青臭い草の感触。
 茫洋とした意識が焦点を合わせ、促されるまま身体を起こす。

「──気がついたのね、よかった」

 すぐ目の前で微笑む美人さんが居りました。

「…………っ」

 俺は二の句も告げられぬまま、呆然とその笑顔に魅入る。
 そんな俺の無防備な反応をいったい誰が責められようか!
 いや、誰も責められんと俺は断言しますよ!!

 ……というか、どっかで見た顔だな。

 いまだ霞がかった意識のままじっと彼女を見据える。
 すると、姉ちゃんはすぐに微笑を消して、どこか作った様な無表情になった。むぅ、残念。

 視線を相手の顔から全身に移す。流れるような長髪にスリット入った黒服。細身ながら鍛えられた四肢は軍人のそれだ。
 ついで胸部に、信じられん程たわわに実った果実が二つばかり、視界に入、る……ん?

「って、うぉっ! 暗殺者のチチの姉ちゃんかよ!」

 一瞬で蘇る直前の記憶。師に刃を向ける襲撃者の姿。思わず仰け反り、逆手にブリッジ。
 ゴキブリの如くしゃかしゃか両手を動かして盛大に相手と距離を取る。

「暗殺者の父……?」

 俺のちょいとばかり錯乱した発言に、姉ちゃんは意味がわからないと小首を傾げた。

 ぐっ、やばい。なんか、かわいいかも。クールな美貌の中に垣間見える可憐さ。屋敷では見ないタイプだな。

「って、いやいやいやいや……こいつは暗殺者だ! 血迷うなよ、俺」

 スキルすけべぇが発動しかけるのを、必死に言い聞かせて抑える。姉ちゃんは俺の名前を知ってる様だが、おそらく予め屋敷について調査していたんだろう。屋敷での出来事を思い返す限り、標的は師匠のようだったが、俺もそうじゃないとは限らんのだ。

 半ば錯乱気味に頭をブンブンふりながら自問自答していると、不意に右足が軋んだような音を上げた。ついで訪れる激痛。

「って、いてててて……っ!」

 な、なんだこの激痛っ!?

「待って、急に動かないで。……怪我は? どこか痛むところは?」
「うっ……だ、大丈夫だ。それより……」

 こちらの状態を気づかう彼女を制し、改めて俺はぐるりと周囲に視線を巡らせる。

 虫の鳴き声が響く。なんだか綺麗な草原に俺達ポツンと二人きり。明らかに屋敷以外の場所ですよ。

「ここって、いったいどこよ?」
「さぁ……わからないわ。かなりの勢いで飛ばされたけど……プラネットストームに巻き込まれたのかと思ったぐらい……」

 後半はよく聞き取れなかったが、どうやらこの姉ちゃんも、正確に状況を把握してる訳ではない様子。どうも今回の事態はイレギュラーっぽい。

 それに、冷静になってよくよく考えてみたら、俺を殺るつもりなら、気を失ってる間に殺られてたな。

 多少気分が落ちつくのを感じて、ようやく俺は、まず尋ねて当然の疑問を口に出す。

「しかし、一体なにが起きたんだ……? それに姉ちゃん。あんた一体……?」
「私はティア。どうやら私とあなたの間で超震動がおきたようね」

 深刻そうに額を押さえながら返された言葉は、意味のわからんものでした。

「ちょうしんどう? なんだそりゃ」
「同位体による共鳴現象よ。あなたも第七音素術士だったのね。うかつだったわ。だから王家によって匿われていたのね」

 勝手に推論を展開しながら、ずいっと俺の方に詰め寄って来る姉ちゃん。

 なんだか良い匂いが髪から届き、俺の鼻孔をくすぐる。複雑な色合いを宿した瞳が俺を見据える。手を伸ばせばすぐにでも触れられそうな位置に、姉ちゃんの身体があった。

 こ、この距離はまずい!

「ちょー、ちょーっと黙ってくれ!」

 慌てて距離を離す。だが、動揺が収まり切らず、口から出るのは狼狽しきった叫び声でしかなかった。いや、むしろ落ち着け俺。

「……と、ともかく、あんたが何言ってんのか、こっちはさっぱりだっ!」
「…………」

 突然相手は口を閉じた。俺は気押されて更に一歩引く。美人は黙ってるだけでも迫力があるなぁとどうでもいい事が頭に浮かぶ。

「うっ、なんとか言えよ」
「黙れって言ったかと思えばなんとか言え、とはね」
「ぐっ……」

 相手の正論に、俺は言葉に詰まった。やはり男は女に口では勝てないようだ。

「ともかく、話は追々しましょう」

 あなた何も知らないみたいだから、ここで話をするのは時間の無駄だと思う。そう肩を竦めて話を締める姉ちゃんに、その通りだなぁと納得する。俺って自他共に認める馬鹿だしな。難しいことはわかりませんよ。

「んじゃ、このあとはどうすんだ?」
「あなたをバチカルの屋敷まで送って行くわ」

 姉ちゃんの言葉に、一瞬呆気にとられた。真意を伺う様に相手の瞳を見据えるも、わかるのはどこまでも強い自責の念と、俺に対する巻き込んでしまったという申し訳なさでしかなかった。

 ……なんつぅーか、暗殺者のくせして妙に義理堅いというか、甘いやつだな。それとも標的以外は巻き込まないとかいう、プロ意識の賜物かね?

 どっちにしろ、あんま悪い奴じゃなさそうだがな。

 しみじみと頷いていると、姉ちゃんはこっちの挙動に不可解そうな視線を送っていた。とりあえず返答が先か。

「ま、わかったぜ、迷惑かけるとは思うが、とりあえず道案内よろしく頼むわ、えーと、ティア」
「ええ。必ず送り届けるわ」

 硬い表情でいやに力強く頷くティアに、なんだかなぁと思いながら、とりあえず当面の問題を尋ねてみる。

「しかし、どうやって屋敷に向かうんだ? ここがどこか、あんたもわからねぇんだろ?」
「向こうに海が見えるでしょう」

 ティアが俺の背後を指し示した。ん、確かそっちは空しかなかったような? 疑問に思いながら背後を振り返る。

 夜の深い闇の中、月明かりを反射して輝く水のうねりがあった。一定の感覚で聞こえてくる音が、うねりが寄せては返す度に、耳に心地よく響く。これが、噂に聞く波の音なんだろうか。

「あれが……海なのか」

 他人がすぐ側に居るのも気にならず、俺は初めて見る海に───魅入られた。

 屋敷をたまに抜け出すことはあったが、さすがに港付近は危険だと散々言い聞かされていたため、近寄ったことすらない。俺の行動範囲はあくまでも、屋敷と城下の一定範囲に限られていた。それに、たかがデカイだけの水溜まりと馬鹿にして、わざわざ危険を冒してまで見に行こうなどとは思わなかった。

 そんな、地平の彼方まで続く、でかいだけの水溜まりが、今、俺の目の前にある。

 それが、こんなにも印象深いもんだとは、思わなかった。

「……とりあえず、この渓谷を抜けて海岸線を目指しましょう。街道に出られれば辻馬車もあるだろうし、帰る方法も見つかるはずだわ」
「抜ける……抜けるって、どうすれば海に出られるんだ?」

 海を見つめたまま、耳に届くティアの言葉にも、どこか茫洋とした意識のまま応じる。

「耳を澄ませて。波の音とは別に、流れる水の音がするわ。川があるのよ。川沿いを下っていけば海に出られるはずよ」
「……へえ、そういうモンなのか」

 そういうものよ。応じるティアの言葉も、どこか遠くに感じる。

 しばらくの間、俺は海に見入られたまま、動けなかった。


 結局、俺の意識が海から戻るまで、ティアはなにも言おうとはせず、静かに俺の側で佇んでいた。こいつは屋敷に襲撃を仕掛けた相手だ。俺が王都から一度も外に出たことがないって情報も、その事情まではわからずとも、調査済だった可能性は十分考えられた。

「……行きましょう」
「わ、わかってるっつーの!」

 素知らぬ顔で静かに促すティアに、我に返った俺は急激に沸き起こる気恥ずかしさに動揺しまくりの答えを返すのだった。






[2045] 1-2 大きな借りと思わぬ失言
Name: スイミン◆33fdfdc7
Date: 2009/09/26 20:37
 川はすぐに見つかった。後は流れを辿って行けばいい訳なんだが、下り坂の先に、なんだか妙ちくりんなもんが居る。

「なんだありゃ?」

 イノシシのような獣が牙をぶんぶん振り回しながら、前足で地面を掻いてやがる。見る限り、興奮してるようだが。

 ん……? おお、そうか! はじめて見るが、あれが野生の生態系の神秘ってやつか!!

 一人感心して頷いていると、ティアがぼそりと呟く。

「……魔物」
「ふぅん、あれが魔物か。……って魔物!?」

 話しにしか聞いたことないが、人間すら襲って糧にするような大型獣全般が、確か魔物とか呼ばれてたはずだ。

 あ、あれが、その魔物かよ。思わずびびって腰が引けそうになるが、一緒に飛ばされた我が相棒、The・木刀を頼りに、俺は辛うじて踏みとどまるのに成功する。

 びびり入りまくりの俺とは違って、ティアは隙の無い構えを取りながら、既にイノシシっぽい魔物と対峙していた。
 魔物も既にこちらに気づき、牙をギチギチと蠢かし、後ろ足で地面を蹴る。

「来るわ!」
「じょ、冗談じゃねぇっ」

 牙を突き上げ、魔物は猛烈な勢いでこっちに突進してきた。
 俺は自分の弱気を叱咤して、舌打ち混じりに木刀をがむしゃらに叩きつける。

 構えも動きもてんでなっちゃいない一撃だったが、師匠の扱きの賜物か、イノシシもどきの突進に対して、木刀がカウンター気味にぶち当たり、相手は仰け反って硬直する。

「な、舐めんなよっ!!」


 ──双破斬


 一瞬動きの停まった相手に、気合を込めた上段からの振り降ろしが直撃、イノシシもどきの牙がぶち折れた。
 振り降ろしの勢いもそのままに、刹那の間も置かず、俺は跳ね上がりざまに斬撃を放つ。

 魔物が苦悶のうめき声を上げながら、後方に凄まじい勢いで吹き飛ばされた。
 そこに抜群のタイミングで、ティアの譜術が炸裂。地の底から沸き上がるような闇に飲まれ、イノシシもどきは完全に絶滅した。

「へ、へへ、なんだよ。思ったより、たいしたことねぇーな」
「安心するのはまだ早いわ。ここは街の外よ。魔物なら、まだまだいるわ。魔物に接触すると、今みたいに戦わざるを得なくなるから、気をつけて」
「うっ……そ、それもそうだな」

 即座に気の弛み掛けていた俺には耳の痛い忠告だった。しかし、戦闘後の気の緩みはたやすく致命傷になり得る。
 相手は俺より戦闘に馴れてるようだし、ここは素直に受け止めといて損はない。


 その後も、俺達は周囲を警戒しながら、改めて川辺を下って行った。


 途中何度か戦闘が起こったが、ある程度落ち着いていれば、大したことはない相手ばかりだった。これも師匠の鍛練の賜物だろう。
 常に死と隣り合わせだった師匠の鬼のような扱きも、無駄じゃなかったってことなんだろうが、それがこんな形で役に立つとは、皮肉なもんだがな。

 いい笑顔で親指を立てる師匠の顔が、夜空に浮かんで消えた。




            * * *




 渓谷が終わりを告げ、ようやくあぜ道の様なものが見えてきた。

「出口ね」
「とうとう着いたか! マジで疲れたぜ。はぁ、だりぃだりぃ」

 服を引っ張って扇ぎながら、俺は無防備そのもののといった様子で、前を行くティアの後をついていく。

 いや、最初のうちは、さすがの俺も多少の警戒心をもって接していたんだぜ?
 けどそれも、これまでの道中で、もはや警戒するだけ無駄な相手と理解できた。

 何つぅーか、ティアはすごい生真面目な奴だ。
 戦闘時にきついこと言われて、むかっ腹が立ったりもするが、なんだかんだ言いながらあれこれ面倒見てくる。
 以外に世話好きなのかもしれない。

 それに俺を殺すつもりなら、あのまま谷間に放って置けば、そのまま道に迷ってのたれ死にか、魔物の餌食にでもなっていただろう。

 いずれにせよ、こっちの生命線はとっくの昔に相手に握られてるんだ。
 そんな状況で、一方的に気を張り続けていても、無駄に疲れるだけだって理由が一番大きい。

 まあ、師匠を襲撃した理由だけは、未だによくわからん訳だが……まあ、気合入ったいい奴だし、正直どうでもいい。

 そもそも聞いて理解できるとも思わんしな!

 そんなことをつらつら考えていた俺の耳に、どこか緊張したティアの声が届く。

「──誰か来るわ」

 不意に足を止めたティアが、どこか緊張した表情でつぶやく。

 獣道の終わりを見据える先に、川縁で桶に水を汲む男の姿があった。
 行商人だろうか? 疑問に思いながら見据えていると、相手の方もこっちに気付く。

 しばし見合った後で、突然相手は悲鳴を上げる。

「うわっ! あ、あんたたちまさか漆黒の翼か!?」

 数歩後退りながら、こちらに警戒の籠もりまくった視線を向けてくる。
 そんな相手を前に、かなりの戸惑いを覚えながら、俺達は顔を見合わせる。

「……漆黒の翼?」
「盗賊団だよ。この辺を荒らしてる男女三人組で……ってあんたたちは二人連れか」

 怯えてる割には律儀に解説してくれて、その上、自分の解説で誤解を解いてやがる。
 なんだかなぁと思いながら、俺はとりあえず相手に舐められないよう啖呵を切る。

「フン! 俺様をケチな盗賊野郎と一緒にするとはなっ!」
「……そうね。相手が怒るかも知れないわ」
「ぐっ!」

 適格な突っ込みに、俺はものの見事に撃沈した。

「えーと、そんで、あんたらはどうして、こんな何もない森に?」
「私たちは道に迷ってここに来ました。あなたは?」
「俺は辻馬車の馭者だよ。この近くで馬車の車輪がいかれちまってね。水瓶が倒れて飲み水がなくなったんで、ここまで汲みに来たって訳さ」

 一人話を続けるティアの背中に、俺は恨めしげな視線を向けるも、相手はまったく気にした様子を見せない。

 ……まあ、いいさ。ちまちました交渉事は俺にゃ向かんしね。

「馬車は首都へも行きますか?」
「ああ、終点は首都だよ」
「私たち土地勘がないし、お願いできますか?」
「首都までになると一人12000ガルドになるが、持ち合わせはあるかい?」
「高い……」

 ティアはそう呟くと、俯いてしまった。

 相場がわからん俺としてはなんとも言い様がないんだが、ふっかけられてんのかね。

「首都に着いたらうちのハゲ親父に払わせるがよ。それじゃ駄目なのか?」
「そうはいかないよ。前払いじゃないとね」
「ぁあん? ケチケチすんなよ。払わねぇとは言ってねぇだろが」

 メンチ切る俺に、馭者が怯えたように数歩下がる。
 ぬはは。下町のチンピラ連中の頂点に立ってるのは伊達じゃねぇぜ。俺の睨みにいつまで耐えられるかな。

「止めなさい、ルーク」
「てっ! なにすんだよ!?」

 ティアが俺の頭を軽くはたきながら、俺の腕を引っ張り、強引に後ろに下がらせた。

 不満に思った俺が視線で威圧するも、ティアは一向に気にした様子を見せない。
 軽くあしらわれてるみたいで、どうもシャクに障る。いつか目に物を見せてやるぜ! と思ったりもするのが……まあ、突っ込み担当の相方が居るのも悪くないかもしれないけどな。

「ともかく、無意味に威嚇しても、相手を怯えさせるだけよ。状況は改善しないわ」
「つってもな、お前も持ち合わせはねぇんだろ? どうすんだ?」

 腰に手を当てながら、子供に言い聞かせるようなゆっくりとした口調で諭すティアに、俺は多少不貞腐れながら疑問を口に出した。

 もっともな問い掛けに、ティアは一度瞼を閉じると、なにかを決心したような表情で、口を開く。

「……これを」

 首にかけていた鎖を外し、かなりデカイ純度の高そうな宝石付きペンダントを馭者に渡した。

 おいおい、いいのかよ。確実に24000ガルド以上しそうだが。

 はらはら見守る俺を余所に、馭者は差し出されたペンダントを受け取って、虚空にかざすと、感心したように何度も感嘆の吐息を洩らす。

「ほぅ……こいつはたいした宝石だな。よし、乗ってきな」

 素早く懐にしまうと、馭者は馬車のとめてある方向を示し、足早に歩き出した。

 あの様子じゃ、超過分を返す気はさらさらないな。

「……ってか、いいのかよ?」

 俺がしかめっ面で確認するも、ティアは無表情を保ったまま、軽く頷いて見せた。

「ちっ。……礼はいわねぇからな」

 なんだか無性に腹が立って、俺は別に言わなくてもいいようなことをわざわざ吐き捨て踵を返していた。

 結局、俺はここに至るまで、なんの役にも立っていない。

 魔物を倒せたのはティアのフォローがあったからだし、ここまで先頭に立って案内してくれたのもティアだ。
 そもそも俺一人でここに飛んでいたら、その後どうしたらいいのかまったくわからなかったろう。
 ティア一人なら、もっと早く街道に合流できただろうにな。

 俺はティアに尻ぬぐい去れて、おんぶ抱っこされてるわけだ。みっともねぇったらありゃしない。

 俺はくそ情けない自分の醜態を嘲笑いながら、決めた。
 どんだけ時間がかかろうとも、必ずなし遂げることを決めた。


 ──いつかこの借りは返すぜ!


 ガラじゃねぇのはわかっちゃいるが、やられっぱなしはどんなことだろうが我慢ならん。
 借りを返すと決めた途端、ある程度胸がすっとするのがわかる。

 現金なもんだとは思うが、単細胞なのはどうにもならんよな。

 俺は気分をすぱっと切り換えると、ドスドス音を立てながら馬車に乗り込むんだ。




            * * *




 なんにせよ屋敷に帰る目処が着いたようなので、俺は安心した。疲労の任せるまま揺れる馬車の中でグースカ寝こむ。
 いや、乗り物の中で寝るってのも初めての経験なんだが、この一定間隔でやってくる揺れが、正直たまらんですよ。俺の睡眠欲を刺激してしょうがない。

 しかし、そんな俺の安眠も長くは続かなかった。

「……なんだぁっ!?」

 馬車の揺れとは比較にならん程激しい揺れが、砲撃音とともに身体を揺らす。

「ようやくお目覚めのようね」

 ティアが無表情の中にもどこか呆れを見せて呟く。

「状況が気になるなら、外を見るのね」

 狼狽する俺に、ティアは馬車の外を指し示す。
 窓から見えた光景は、陸上戦艦が必死で逃げる馬車を追跡して、何度も砲撃を放つという非常識なものだった。

「って、おいおい、なんだよあれは。いったいここはどこの戦場だよ!?」

 混乱の坩堝に陥った俺に、馭者がどこか興奮したように身を乗り出す。

「軍が盗賊を追ってるんだ!ほらあんたたちと勘違いした漆黒の翼だよ!」
「漆黒の翼って、わざわざ軍が動員される程の大物だったのか……」

 チンケとか言って悪かったなぁとか思うが、あの様子だともう壊滅寸前だし、どうでもいいか。


『そこの辻馬車! 道を空けなさい! 巻き込まれますよ!』


 丁寧な口調ながらも、命令に馴れた者特有の静かな威圧感を感じさせる声が戦艦から響く。なんらかの譜業機関越しなのか、肉声とは感じの異なる響きだ。

 馭者も巻き込まれてはたまらないと思ったのか、慌てて馬車を脇に退かせる。



 戦艦はそのまま盗賊の乗った馬車を追撃して行く。
 しかし漆黒の翼もさる者で、トリッキーな動きを繰り返して砲撃を必死に回避する。
 そのうち橋に行き着いた馬車が何かを後方にばらまきながら、更に速度を上げて橋を渡る。
 不穏なものを察してか、戦艦が急停止、進行方向に向けて音素による障壁を展開する。

 ついで漆黒の翼が橋を渡り終えると同時に、大規模な爆発が巻き起こった。

 舞い上がる粉塵に視界が覆い隠される。煙が晴れた頃にはもはや馬車は見えなくなっていた。
 残されたのは、無傷の戦艦と破壊しつくされた橋の残骸のみだった。



「……なんか、すげぇ迫力だったな」
「驚いた! ありゃあマルクト軍の最新型陸上装甲艦タルタロスだよ! 正式配備された新鋭艦なんて、一般人が滅多に見れるもんじゃないのに! くぅ~いいもの見たぁ~!」

 微妙に軍艦オタクくさい馭者の感想なんぞは誰も聞いてない。普段ならそのまま聞き流すところだが、いま、こいつは俺達にとって聞き捨てならない単語を呟いた。

「マルクト軍だって!? どうしてマルクト軍がこんなところをうろついてんだよ!?」
「当たり前さ。何しろキムラスカの奴らが戦争を仕掛けてくるって噂が絶えないんで、この辺りは警備が厳重になってるからな。やっぱりここら辺は戦艦目撃するには絶好のポイントだね」

 後半の発言はともかく、俺とティアは呆然と互いの顔を見合わせる。

「……ちょっと待って? ここはキムラスカ王国じゃないの?」
「何言ってんだ。ここはマルクト帝国だよ。マルクトの西ルグニカ平野さ」

 平然と返された言葉に、さらに嫌な予感が高まるのを感じる。

「じょ、冗談っ! この馬車は首都バチカルに向かってるんじゃなかったのかよ!?」
「向かってるのはマルクトの首都、偉大なるピオニー九世陛下のおわすグランコクマだ」

 どこから聞いても聞き間違えようのない、明確な答えが返された。

 一瞬、馬車を沈黙が包み込む。

 ティアが無表情のまま、俺に向かって告げた。

「……間違えたわ」
「冷静に言うなっつーの! ……ってか、普通間違えるようなもんなのか?」
「土地勘がないから。あなたはどうなの?」
「俺は軟禁されてたからな。外に出たことなんざねぇ。よって土地勘以前に、どこだろうがなんもわからん!」

 あっさり応えるティアに、俺も威張れないようなことを胸張って応える。
 そんな俺達の間の抜けたやり取りに、戦艦を見た興奮が薄れてきた馭者が、不審げに尋ねる。

「……何か変だな。あんたらキムラスカ人なのか?」
「い、いえ。マルクト人です。訳あってキムラスカのバチカルへ向かう途中だったの」

 微妙に裏返った声で、ティアが馭者の疑念を否定する。いつもの無表情だったが、そこにどこか焦りが浮かんでいるのが俺にはわかった。

「しゃあしゃあと……」

 ぼそりと呟いた俺に、ティアが射殺すような視線を向ける。俺はあさっての方向を見やり、視線をやり過ごす。

 幸いなことに、馭者は特に疑問を抱くでもなくこちらの言葉に納得したようだ。

「ふーん。それじゃあ反対だったな。キムラスカに行くなら橋を渡らずに、街道を南へ下っていけばよかったんだ。もっとも橋が落ちちゃあ戻るに戻れんがなぁ……」

 気まずそうに、馭者は頭を掻いた。

「これから東のエンゲーブを経由してグランコクマへ向かうんだが、あんたたちはどうする?」

 ルートを提示してくる相手に、俺とティアはひそひそと言葉を交わす。

「マジかよ。どーする……?」
「……さすがにグランコクマまで行くと遠くなるわ。エンゲーブでキムラスカに戻る方法を考えましょう」
「そうか。ま、しゃーねぇわな」

 ティアの提案に俺も頷きを返す。帰る方法に関して、俺が言えることはなんもねぇしな。

「とりあえず、エンゲーブまで乗せてくれ」
「そうかい。じゃあ出発だ」

 馬車が走り出し、俺達はエンゲーブに向かうのだった。

 しかし、なんというか、前途多難だよな……




            * * *




 馬車が緩やかに速度を落とし、村の入り口とおぼしき場所で停まる。

「着いたぞ」

 キムラスカの首都バチカルと違って、なんとも牧歌的な雰囲気漂う場所だ。
 入り口からすぐそこで食い物を売り買いしているのが見える。
 民家の脇にも畑が広がっていたりして、バチカルじゃ考えられない光景だ。

「ここがエンゲーブだ。キムラスカへ向かうならここから南にあるカイツールの検問所へ向かうといい」

 馬車から降りた俺達に、軍艦マニアは意外と律儀に説明してくれる。
 話を聞いてるうちに、俺はふと気になったことを尋ねる。

「そういや、行き先変わったんだ。運賃、値下げとかしてくれねぇのか? ってか、むしろしろや」
「そ、それはまた別問題だ。行き先に関しては、あんたらの都合であって、こっちに落ち度はない」
「あん?」

 舐めたことを抜かしてくる相手にメンチを切る。びびる馭者。睨む俺。
 なし崩し的に相手が頷くまで、後一押しというところで、またもやティアに割って入られる。

「ルーク。止めなさない」

 咄嗟に言い返そうとするも、有無を言わせぬ雰囲気を放つティアに、俺は顔を背けて舌打ちをもらす。

「ちっ……だがよ、お前は気にならねぇのか? ありゃ結構な値打ちもんだったんじゃねぇか? そう簡単に手放してもいいもんなのかよ?」
「それは……」

 痛い所をつかれたのか、ティアが思わず黙り込む。

 思い出すのは、馭者にペンダントを手渡す前に見せたティアの表情だ。
 たかがアクセサリーを手放すにしては、気合が入りすぎていたように見えた。そこらへんが、どうも気に入らねぇ。

 別に、ティアを気づかってる訳じゃねぇぞ?

「あ~ともかくよ、あの程度の距離であんな上物は取りすぎ……」

 馭者の方に向き直ると、そこに馬車の姿はなかった。

「バチカルまで、気をつけてなぁ──」

 遥か彼方に位置する馬車の中から、俺達に向かって手を降る馭者の姿があった。

「に、逃げやがった。あいつ」

 俺はもはや追いつけない距離まで離れた馬車を見やり、口をあんぐり開いた。

 この状況はペンダントを掠め取られたに等しいはずなんだが、奇妙なことに、あの馭者に憎しみとかわいて来ないから不思議なもんだ。
 小物には小物の良さがあるってことか。

 まあ、ああはなりたくないが。

 愕然と馬車の去って行った方向を眺める俺に、ティアが微かに苦笑を浮かべる。

「ペンダントのことはもういいわ。一度渡してしまったことだし、すんだことよ」
「……そうかよ」
「でも、ありがとうルーク。気にかけてくれたみたいね」
「なっ……」

 それは、まさに俺にとって不意打ちだった。

 普段の無表情からは信じられないほど柔らかい微笑を浮かべるティアに、俺は両手をワタワタさせることしかできない。こ、こいつはやばい。予想以上の破壊力だ!

「そ、そんなんじゃねぇからなっ! 俺は仁義をわきまえるもんの一人としてだな、あの馭者の小物っぷりが気に食わなかっただけでだ。と、ともかく、そんなんじゃねぇからな! 誤解すんなよ!」

「……そう」

 俺の凄まじい動揺っぷりを余所に、ティアは割とあっさり頷いた。

「……そ、そうだ」

 それはそれでもの悲しいものがあったりするんだが、俺はこのまま誤解されるよりましだと割り切って、押し黙る。

「それよりも、これから先のことね。検問所か……。旅券がないと通れないわね。困ったわ……」
「だ、大丈夫だろ? くそ親父の息子だって言えばすぐ通すさ。それより村を探索しようぜ。俺はバチカルしか知らねぇからな、こういう村は初めてなんだ」
「確かに……探索はともかく、出発前の準備は必要ね。今日はここに泊まりましょう」
「おうよ」

 俺はぎこちなく両手両足を動かしながら、話題のすり替えに成功したことに安堵した。


 畑の脇に出された露天で、かなりの種類の食い物が売りに出されている。
 その中でも、バチカルでは滅多にお目にかかれない新鮮そうな果物類が、特に俺の眼を引いた。

「へぇ、うまそうなリンゴだな」
「おうよ、兄ちゃん。たいしたもんだろ。一個どうだい?」
「どれどれ、一個貰うぜ」

 積まれたリンゴをひょいと掴んで、皮を服で拭って一かじりする。新鮮な果物特有の鼻を抜けるような酸味が口の中に拡がる。

「くぅ~うめぇ。こんな新鮮な果物は喰ったことねぇよ」
「はっはっは。そいつはうれしいこと言ってくれるねぇ。あんた旅行者かい? エンゲーブ印は伊達じゃねぇってことだよ」
「ああ、ほんとうまかったぜ。そんじゃな」

 朗らかに笑い合って、リンゴの味に満足した俺は踵を返す。

「って、おいおい兄ちゃん! お金払ってないだろ! お金だよ。お・か・ね!」
「? なんで俺が払うんだよ?」

 笑みを浮かべながら冗談じみた言葉で俺を引き止めていた店主の表情が、俺の発した言葉で一変する。

「なにぃ……!?」

 一気に険悪な雰囲気になった俺達に、すこし後ろに引いていたティアが慌てて割って入る。

「決まってるでしょう! お店の品物を勝手に取ったら駄目なのよ!」
「いや、だって屋敷からまとめて支払いされるはずだろ……って、そうかここはマルクトだった」

 俺は自分の勘違いにようやく気付く。バチカルではファブレ家と言えば、自慢する訳じゃねぇが、知らぬ者がいないほどの名家だ。ほとんどの店に対してツケが効くため、俺は金をもって出歩いたことが数得るほどしかない。悪ガキどもへの差し入れは俺の金を使っていたが、それも小切手だったしな。

「いや、ワリィワリィ。いつものノリで、つい勘違いしてた」
「……マルクトでもキムラスカでも、普通はお店で買い物するときはその場でお金を払うと思うけど」
「これでも貴族の一員なんでな」
「そういう問題かしら……?」

 俺達の呑気なやり取りに業を煮やしてか、苛立ちを抑えきれない様子で店主が叫ぶ。

「おい! 金を払わないなら警備軍に突き出すぞ!」
「だぁー払わねぇとは言ってねぇだろ! ったく、悪かったな。それで、幾らだよ?」
「ふん……最初からそうしろ。胸くそ悪い。さっさと金置いて目の前から消えてくれ」
「あんだと?」

 思わず拳を握って、俺は身を乗り出す。こういう舐めたこと抜かす奴は一度締めておかないと、後々どうしょうもなくつけあがるのだ。

 一発放とうと拳に力を込めたところで、俺は凍りついたように動きを止める。

「……ルーク?」

 地の底から響くような声で、ティアが俺の名を呼ぶ。腕力うんぬんとは関係ない逆らい難い力を感じとり、俺は慌てて金を払い、その場から逃げ出した。




            * * *




 村を一巡りして見るものが無くなったので、そろそろ一休みしようということになった。宿屋に向かう道すがら、俺は新鮮な外の様子が見れて上機嫌だったが、ティアは俺の世間知らずの度合いに、というか、むしろ馬鹿さかげんのフォローに疲れ果てたのか、肩を落としていた。

 鼻唄混じりに宿屋前まで来たところで、なにやら不穏な空気が漂っていることに気付く。
 数人の村人が深刻な様子で、しきりに話し合っている。

「駄目だ……。食料庫の物は根こそぎ盗まれている」
「北の方で火事があってからずっと続いてるな まさかあの辺に脱走兵でも隠れてて食うに困って……」
「いや、漆黒の翼の仕業ってことも考えられるぞ」

 聞こえてくる話から、どうも食い物が盗まれたことに対する相談のようだ。
 最後に聞こえた聞き覚えのある呼び名に、俺はよせばいいのに思わず口を挟んでいた。

「漆黒の翼って奴らは食べ物なんか盗むのか?」

 なにげなく呟いた言葉に、村人の視線が殺到する。ちょっと、びびったね。こちらを睨む血走った目すべてに、殺気が浮かんでいるのがわかったからだ。これは、やばいか。

「食べ物なんかとはなんだ! この村じゃ食料が一番価値のある物なんだぞ!」

 一人の村人が代表して、怒りに任せるまま乱暴に告げる。
 たかが一般人に気押されたのがシャクに障って、次の瞬間、俺は致命的な発言をしていた。

「ぬ、盗まれたんならまた買えばいいじゃねぇかよ」

 言った後で、俺はしまったと、心の中で頭を抱えた。だが、もう後の祭りだった。後ろでティアが、またなのと呆れ返るのが見なくてもわかった。

「何! 俺たちが一年間どんな思いで畑を耕していると思ってる!!」
「なあ、ケリーさんのところにも食料泥棒が来たって?」
「まさか……こいつ……」

 どんどんヒートアップしていく村人に、俺はもうどうしょうもないかなーとか思いはじめた。確かに失言だったとは思うが、さすがにリンチとかまでには発展しないだろう。

 だが、そこにさらに状況を悪化させる一手が放たれた。


「おまえ! 俺のところでも盗んだだけじゃなくてここでもやらかしたのかよ!?」


 リンゴを売りの店主が現れ、最悪の言葉を告げやがった。

「何だと……。やっぱりあんたがうちの食料個を荒らしたのか!」
「泥棒は現場に戻るって言うしな」

 村人の熱気が、どうも奇妙な方向に向かっている。
 もう、証拠もなにもない話の流れに、俺は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。

「俺が泥棒で確定かよ……」
「うちの店先からリンゴを盗もうとしてただろうが!」
「よし! おまえを役人につきだしてやる!」

 村人に連行されて行く途中、俺は犯人扱いされたことよりも、負のオーラを纏ったティアの視線に耐えかねて、なんだか泣けてきた。

 マジでこの後、どうなるんだろ……






[2045] 1-3 裁判もどきとお忍び導師
Name: スイミン◆33fdfdc7
Date: 2009/09/26 20:38
「ローズさん、大変だ!」
「こら! 今、軍のお偉いさんが来てるんだ。大人しくおしよ!」
「大人しくなんてしてられねぇ! 食料泥棒を捕まえたんだ!」

 村の中でも比較的でかい家の中に俺達は連行された。
 屋敷の中では何やら会議でもしてたのか、他の村人よりも恰幅のよさそうな者達が幾人か見えた。

 どうも場の中心に立つ、ローズとかいう恰幅よさげなおばちゃんが、この村のまとめ役のようだ。

「……どうせ無駄だろうが、一応違うって言っとくぜ」

 どう見ても弁解を聞いてくれるような空気じゃないので、俺は憮然と告げるにとどめた。
 だが、腹の中にたまっていくドロドロした黒いものを感じる。自分の顔から急激に表情が抜け落ちていくのがわかった。

「ローズさん!こいつ漆黒の翼かもしれねぇ!」
「きっとこのところ頻繁に続いている食料泥棒もこいつの仕業だ!」

 気に入らねぇ。ドロドロが黒い炎となって燃え上がる。
 こいつらはバチカルのクソ貴族どもと一緒だ。胸の内で炎は鞴に煽られ轟々と燃え上がる。

 俺は屋敷を抜け出して、よく下町のチンピラどもとつるんでいた。
 連中は確かに家族に家を追い出されたような、馬鹿で、下品で、どうしょうもない悪ガキの小物ばかりだった。

 だが、それでも踏み越えちゃいけない一線だけは、誰よりも知ってる連中だった。

 バチカルのクソ貴族どもは、その一線をたやすく踏み越える。
 城下でなにか事件が起きると証拠もねぇのに俺達のせいだと決めつける。
 よく知りもしねぇのに、蔑んだ目で見下しやがる。

 連中は俺達を見ようとしない。自分達の見たいものしか見ようとしない。


 ──『俺』を見ようとしない。


「一目見てわかったぞ! こういうやつが、問題を起こすんだ!!」

 ぶちっ。

 あ、なんか切れた。

 内面で燃え盛っていた炎は爆発的な勢いで膨張し、境界を蹂躙すると、激情となって外に溢れ出た。

「俺は泥棒なんかしてねぇっつってんだろがぁっ!!」

 炎に駆り立てられるままに、俺は拳を振りかぶる。
 鼻っ面をぶん殴られた村人その一が、だらだら鼻血を出しながら、盛大に吹き飛んだ。

 一瞬静まり返る室内に、すぐさまこれまで以上の殺気が充満するのがわかる。

「こいつ……」
「よくもやりやがったな……」

「文句があるならかかってきやがれっ!」

 俺は盛大に啖呵を切って、連中と向き合った。

「上等だこのくそガキが!」
「やっちまえ!!」

 こうして、殴り合いが始まった。

 俺は殺到する村人どもに、それこそ死に物狂いで応戦する。
 だが、さすがに数の違いは補えなかったようだ。

 何人かの村人を道連れに、俺は屈強な村人の一人と、見事にクロスカウンターで相討ちとなって、その場に沈み込むのだった。



 ……
 ………
 …………



「まったく、威勢がいい坊やだねぇ。それにみんなも、もうちょっと頭を冷やして落ちついとくれよ、私はまったく状況が掴めてないんだからさ」

 ローズさんが苦笑を浮かべながら皆をいさめる。
 殴り合いになった村人どもと俺は、一瞬、互いの鼻血まみれになった顔を見合わせるも。

『ふんっ』

 即座に顔を逸らし、鼻を鳴らしあった。
 そんな俺達の様子に、ティアはもはや言葉もないのか、ずっと頭が痛そうに額を抑え、呆れ返っている。

「どうしたもんかね。証拠もないのに言われても、私もどうしたらいいかわからないよ」

 困ったように頬をかくローズさんに、村人どもがなにか言い募ろうと身を乗り出す。


「───いやぁ、皆さん、熱いですねぇ。でも、もう少し落ち着いて、話合いましょう」


 村人どもと違って、至極落ち着きはらった声が響く。

『大佐……』

 声の主の発言に、村人達の熱気が一気に覚めていくのがわかる。

 蒼色を基調にデザインされた制服を着込んだ、三十代ほどの男がそこに居た。瞳を覆う眼鏡が理知的な印象を、肩まで伸ばされたロンゲが男ながらに艶やかな印象を抱かせる。

 って、おえぇっ。男に対して、そんな印象持ちたくねぇー。

「事実関係もはっきりしていないのに、犯人扱いするのはさすがにやりすぎでしょう」

 俺はかなりの警戒心を込めた視線を、ロンゲの兄ちゃんに向ける。

「なんだぁ……あんた?」
「私はマルクト帝国軍第三師団所属ジェイド・カーティス大佐です。あなたは?」

 俺の睨みも一向に気にした様子も見せず、大佐はふてぶてしい態度で尋ねてくる。

 ふん、いいだろう。ここで名乗らなかったら漢が廃るぜ。

「俺様はルークだ。ルーク・フォン──」
「ルーク!!」
「ふぁぐへっ……」

 突然襟を掴まれて、ティアに後ろへ引っ張り込まれる。

「な、なんだよ急に……」
「忘れたの? ここは敵国なのよ。あなたのお父様のファブレ公爵はマルクトにとって最大の敵の一人。うかつに名乗らないで」
「へ、そうなのか?」
「そうよ。あなたの父親に家族を殺された人たちがここには大勢いる。無駄な争いは避けるべきでしょう?」

 意外にも、あのくそ親父は敵国でかなり名の通った存在らしい。名の通りかたがマイナス方向だってのは、らしいっちゃらしいがね。

「どうかしましたか?」

 爽やかな笑みを浮かべながら、大佐が尋ねる。どうも底が知れない奴だ。
 俺では役不足と判断したのか、ティアが前にでて、俺に下がっているように促す。

「失礼しました、大佐。彼はルーク、私はティア。ケセドニアに行く途中でしたが辻馬車を乗り間違えてここまで来ました」
「おや、ではあなたも漆黒の翼だと疑われている彼の仲間ですか?」

 どこか面白がっているような様子で、大佐が俺を示す。
 見んじゃねぇよと、ガンを飛ばす俺の頭をポカリと叩き、ティアが真摯な面持ちで続ける。

「私たちは漆黒の翼ではありません。本物の漆黒の翼は、マルクト軍がローテルロー橋の向こうへ追いつめていたはずですが」
「ああ……なるほど。先ほどの辻馬車にあなたたちも乗っていたんですね」

 納得したと独り言のようにつぶやくが、一方で周囲にその言葉を浸透させるような間をつくる。案の定、村人達が大佐の言葉に食いついた。

「どういうことですか、大佐?」
「いえ。ティアさんが仰ったように漆黒の翼らしき盗賊はキムラスカ王国の方へ逃走しました。彼らは漆黒の翼ではないと思いますよ。私が保証します」

 大佐の言葉で、そうだったのか、と村人達の間にしごくふに落ちたような反応が流れる。
 ついさっきまでの狂気が嘘のように、落ち着いた空気が場を満たす。

 なんというか、とんでもねぇな、こいつ。

 俺は大佐に警戒の視線を注ぎ続ける。最初から俺達が辻馬車に乗ってた奴らだって気付いてたんじゃねぇだろうかと疑いたくなるほど、見事な会話の納めかただった。



「───ただの食料泥棒でもなさそうですね」



 開け放たれた扉を潜り、明らかに村人ではないとわかる、農作業には向かなそうなヒラヒラした衣装をまとった人物が現れた。

 身体の線を隠す衣装や、十代前半と思しき歳の若さもあるだろうが、どうにも男だか女だかよくわからん奴だ。その上、整った容姿や華奢な体つきとは対照的に、穏和さの中にも強い意志の力を感じさせる瞳の持ち主でもある。

「イオン様」

 あれほどふてぶてしかった大佐が、その相手を様づけをしたことに、正直俺はぶったまげた。あいつも敬称つけて他人を呼ぶんだと、失礼ながら思ったね。

「少し気になったので食料庫を調べさせて頂きました。部屋の隅にこんなものが落ちていましたよ」

 指し示された華奢な掌の上に、ライトグリーンの毛の塊が乗っていた。

「こいつは……聖獣チーグルの抜け毛だねぇ」
「ええ。恐らくチーグルが食料庫を荒らしたのでしょう」

 ローズが毛を確かめながら、なんの毛だか判別する。
 イオンとか呼ばれた子供の保証を見るに、これで真犯人は判明したようだ。

「やれやれ、これで俺が泥棒じゃねぇってのがわかったかよ?」

 俺は自分を犯人扱いした村人どもを睥睨すると、やつらは一様に恐縮したように顔を伏せた。

「でもお金を払う前に店から離れようとしたのは事実よ。疑われる行動を取ったことは反省すべきだわ」
「ぐっ……仕方ねぇだろ。そういうのに馴れてねぇんだから」

 要所要所で、適格な突っ込みを入れてくるティアに、なんとなく苦手意識が生じつつあるのを自覚しながら、俺は自分でも力のない言葉で反論する。

「ふぅ。どうやらようやく一件落着のようだね。あんたたち、この坊やたちに言うことがあるんじゃないのかい?」

 ローズに促され、俺を連行した村人共が意気消沈といった様子で、次々頭を下げて来る。

「………すまない。このところ盗難騒ぎが続いて気が立っててな」
「疑って悪かった」
「騒ぎを大きくしたことは謝るよ」

 全員が謝罪したことを見届けると、ローズが俺達の方に向き直る。

「坊やたちもそれで許してくれるかい?」
「……幾らなんでも坊やは止めてくれや」

 襲いかかる途方もない疲労感に肩を落とす俺に、ローズが可笑しそうに笑って言い直す。

「はっはっはっ。ごめんよルークさん。どうだい、水に流してくれるかねぇ」
「……いいぜ。正直、ついさっき殴りあったような相手に、あんたらが頭を下げるなんて真似ができるとは思っていなかったからな。ワビ入れられて、ケジメ通された以上、俺がこれ以上言うことはねぇさ」

 ひらひら手を振りながら応える俺に、ティアが無表情の中にもどこか意外そうな色を浮かべるのがわかる。村人連中も一様に、信じられないものを見たような表情を浮かべている。

 そんなに俺はねちっこく見えるのかよ……

「そいつはよかった。さて、あたしは大佐と話がある。チーグルのことは何らかの防衛手段を考えてみるから、今日のところはみんな帰っとくれ」

 いろいろと事態がややこしくなったが、魔女裁判はこれで終わりのようだ。
 俺は殴り合いで妙にギシギシする身体を引きずりながら、屋敷の外に向かう。

 去り際に、ティアが解散の切っ掛けになった子供へ妙に鋭い視線を送っているのが気になった。




              * * *




「まったく、ルーク……あなた馬鹿なの?」

 屋敷を出るや否や、ティアは閉口一番そう告げた。

「な、なんでだよ」
「まだ弁明の余地があったあの状況で、いきなり殴り掛かるなんて……そんなことをする人を馬鹿以外にどう呼べばいいの?」
「うっ……」

 ティアはあくまで無表情を保っていたが、俺はそこに抑えようのない静かな怒りを感じた。

「確かに犯人呼ばわりされたのは、あなたにとって気持ちの良くない体験だったでしょうね。それでも、なにか気に障ることがある度に、いきなり暴力に訴えていたら、他人と付き合うことなんてできないわ。今後私の前で、あんな馬鹿な真似は二度としないで」

 真剣な表情で、『俺』を見据えるティアに、いつもなら説教なんて聞き流すはずの俺が、自分でも気付かぬうちに、自然と頭を下げていることに気付いた。

「わるかったよ……確かに俺が馬鹿だった。今後は、なるべく気をつけるさ」

 なぜ頭を下げたのか、自分でもよくわからなかったが、それでも悪い気はしなかった。

「……わかったなら、いいわ」

 それで話は終わりとばかりに、ティアが歩き出す。

 しばらくお互いに無言まま進んで、ローズ邸からかなり離れたところで、ティアが屋敷を振り返ってつぶやく。

「それにしても、導師イオンが何故ここに……」
「導師イオン? そういや、最近どっかで聞いたような……」
「ローレライ教団の最高指導者よ」
「いや、そういうことじゃなくてだな……」

 頭のもやを追い出すべく、あれこれ記憶を探るうちに、バチカルでの師匠との会話が蘇る。

「思い出した。どういうことだ? イオンって奴は行方不明だって聞いてるぞ。あいつを捜しにヴァン師匠も帰国するって話だったんだが……?」
「そうなの? 初耳だわ。どういうことなのかしら……。誘拐されている風でもないし」

 二人して情報を出し合ううちに、ますます疑問が大きくなるのを感じた。

「いっそ、あいつに直接聞いて来るか?」
「やめなさいって。大切なお話をしているみたいだから、尋ねるにしても明日以降にしましょう」

 確かにティアの言葉は正論なんだが、どうもすっきりしない。気持ちが悪い。

「なんか気になるぜ」

 解決しない不可解さを胸に、俺達は首を傾げながら宿屋に向かう。




            * * *




 宿屋に入ると、カウンターで店主に向けてしきりになにかを尋ねる少女の姿があった。

「連れを見かけませんでしたかぁ!? 私よりちょっと背の高い、ぼや~っとした子なんですけど」
「いや俺はちょっとここを離れてたから……」

 少女の勢いに押された店主がしどろもどろになって答えるも、彼女にとって望ましい答えはえられなかったようだ。

「も~イオン様ったらどこ行っちゃったのかなぁ」

 両手を腰に当て、両端で二つに括った髪を振りながら、少女が困ったように呻く。教会で見かけるような服装と、背中に背負う不気味な人形がアンバランスではあったが、全体的に見てもかなりレベルの高い、かわいらしい容姿をしている美少女だ。

 まあ、それでも年齢が下すぎて俺の守備範囲外なんだがね。

 普段の俺なら五年後に期待をかけて、そのまま脇を通りすぎるところなのだが、少女のつぶやいた尋ね人に興味を引かれた。

「イオン? 導師イオンのことか?」
「イオン様ならローズ夫人の所にいらしたわ」

 声をかける俺に便乗して、ティアがイオンの所在を告げる。

「ホントですか!? ありがとうございます♪」

 元気のいい様子で、少女は俺達二人に笑いかけながら礼を言ってくる。そっちの気があるやつなら篭絡されてもおかしくないくらいのいい笑顔だったが、俺はペドじゃないのでなんの反応もせん。

 それよりも教会関係者だとはっきりしたこの相手に、俺はついでとばかりに疑問を尋ねる。

「しかし、なんで導師がこんな所にいるんだ? 行方不明って聞いてたぞ」
「はうあっ! そんな噂になってるんですか! イオン様に伝えないと!」

 びっくりしたと顔を片手で抑えたと思えば、次の瞬間には弾かれたような猛スピードで、少女は宿の外に駆け出していった。

「あ、おいっ!」

 もう少し聞きたいこともあったんだが、俺の呼び掛けも虚しく、少女は去って行った。

「ちっ…………結局訳を聞けなかったなぁ」
「そうね。でも彼女は導師守護役みたいだから、ローレライ教団も公認の旅なんだと思うわ」
「導師守護役?」
「イオン様の親衛隊よ。神託の盾騎士団の特殊部隊ね。公務には必ず同行するの」
「あんなちっこくても護衛なのか……にしても、行方不明って話はなんだったんだ? 誤報にしては、師匠が妙に深刻そうな顔してたんだがな。ありゃ居なくなってもおかしくない事情に心当たりがありそうだったぞ」

 導師の情報が入ったことで、ますます俺達は訳がわからなくなるのであった。

「ともかく、今日のところは休みましょう。動くにしても、明日からね」

 俺は尚も首を捻って呻いていたが、別にティアの意見に異論はないので素直にその後に続く。

「あんたたち。さっきは済まなかった。お詫びに今日のところはタダにしておくよ」

 ケリーとかいう宿屋の店主が、申し訳なさそうに、そんなことを言って来る。
 なんとも俺にはピンと来ない話だが、農家にとって食い物泥棒とは、それほどまでに怒りを促す相手なんだな。

「ま、ありがたく受け取っておくさ。今更ぐだぐだ言ってもしゃあないし、あんま気にすんなよ」

 店主の肩を軽く叩きながら、俺はへらへら笑いながら告げる。

 そもそも誤解されんのはバチカルで慣れている。あそこでチンピラ共をまとめあげて作った俺のグループには、家に居場所のない悪ガキどもが集まりまくってたせいで、なにかことが起きるとすぐに一方的に容疑者扱いされてたもんだ。そのくせ、冤罪だったと判明しても、謝罪の一つもしやがらねぇ。

 そんなやつらと比べれば、この村の連中は事が判明した後の対応が誠実だったので、好感がもてる。

「あんたの拳、かなりいい感じだったぜ」

 店主は少し気の紛れたような表情で笑い返すと、俺達を寝室に案内してくれた。




             * * *




「明日はカイツールの検問所へ向かいましょう。橋が落ちた状態では、そこからしかバチカルには帰れないわ。あとは旅券をどうするかね……」

 そんなに広い宿じゃないため、あとは路銀の関係もあるが、俺とティアは同室だったりする。普段の俺ならこんな美人さんとの同室なんて状況に、緊張しまくって一言もしゃべれなくなるところだが、これまでの道中でこいつといろいろあったせいか、そういう対象として意識する段階なんざとっくの昔に通りすぎていたりする。

 ゆえに、色事めいた雰囲気はまったくの皆無である。

 俺様も堕ちたもんだ。

「ダリィな」

 ベッドに寝っころがりながら緊張感皆無のだれた声を上げる俺に、向かいの寝台に腰掛けたティアがため息をつく。

「ルーク。これはあなたにも関係あることよ。……もう少し真剣に話を聞いてくれたっていいじゃない」

 すねたように言って来るティアに、俺はちょっと動揺しながら、表面上は落ち着いた様子で答える。

「ま、まあ、これから先の予定もいいんだが、どうもあの導師が気になんだよ」
「そんなに気にするような事かしら?」
「俺にもよくわからねぇんだが、どうも気になるんだよなぁ」

 行方知れずの導師と、超振動とやらで飛ばされた俺達がほぼ同じ場所に居るというのは、本当にただの偶然なんだろうか。むしろ作為的なものを感じてしょうがない。

 そうはいっても、飛ばされた直接の原因は、俺が無鉄砲にもティアに襲いかかったからだし、運命論者を気取るつもりはないが、偶然と言えば偶然だ。

 一緒に飛ばされたティアも、師匠に襲いかかった件を抜かせば、気合の入った義理堅い良いやつだ。なにか企んでいるようには見えない。仮に企みごとがあったとしても、むしろこいつはその生真面目さで利用される側だろう。

 教団関係者を狙うような組織が、こいつのバックにあるのだろうか。

 今一番怪しいのは導師と一緒にいた大佐だが、導師は誘拐されているようには見えなかった。それにティアが言うには、宿屋ですれ違った少女が護衛としてついていたことからみて、どうも教団公認の旅らしい。

 なら、むしろ謎の勢力の襲撃を警戒して、少数精鋭で情報も制限して、逃げ回っている最中なのだろうか。

 うーむ、こんがらがるばかりで、一向に思考がまとまらない。

 なんにせよ、あのロンゲの大佐がすべての黒幕だとか言われても、俺は全然驚かないけどな!

 つらつらと物騒な考えを展開しているうちに、今日俺達が泥棒扱いされた元凶に考えが行き着く。

「なぁ、チーグルについてなんか知ってるか? 聖獣って言われてたけどよ」
「東ルグニカ平野の森に生息する草食獣よ。始祖ユリアと並んでローレライ教団の象徴になってるわ。ちょうどこの村の北あたりね。とってもかわいいのよ」

 最後の台詞は聞かなかったことにして、俺はさらに思考を展開する。

 また、教団関係かよ。

 偶然にしても、こうも重なってくると、疑えと言われてるような気になって来るな。師匠を狙う謎の組織に、行方不明なはずの導師イオン、盗みを繰り返す聖獣。

 ん? ちょっと待てよ……

「チーグルってのは、盗みをするような習性があるのか?」
「いいえ、そんなことはないはずよ。私もチーグルが食べ物を盗むなんて、初めて聞いたわ」

 極めつけが、盗みなどしないはずの聖獣チーグルか。どーも、きな臭くてしょうがねぇ。

「明日になったら、その森に行ってみねぇか?」
「え……行ってどうするの?」

 本当に予想外の事を言われてか、ティアが目をまん丸に見開いて尋ねる。

 いろいろとややこしいことを考えていたせいで、すべての事柄に繋がりがあるような気がしてきた。今回の泥棒騒ぎもその一つで、教団を狙う謎の勢力が教団の象徴たるチーグルを陥れようとしてるんじゃないか。

 なんて妄言は、どうも面と向かっては言いにくい。

 結局なんの証拠もないわけだし、俺は説明するのも面倒臭くなって、適当な理由を告げる。

「そいつらが泥棒だって証拠を探すんだよ。濡れ衣は晴れたって言っても、一度は俺様が泥棒扱いされたんだ。その元凶をこのまま落とし前もつけずに放っておくってのは、気分が悪い」
「……無駄だと思うけど?」

 冷めた表情で告げて来るティアに、俺はかなり怯みました。こいつ、無表情になるとスゲぇ、コェーんだよ。

 俺は空気を求める魚のように口をぱくぱくさせながら、辛うじて言葉を返す。

「う、うるせぇな。もう決めたんだ!」

 子供が癇癪起こしたような反論しかできませんでした。俺はガキかよ? 

 しばらく居心地の悪い沈黙が続いたが、結局ティアが折れた。

「………わかったわ。でも、あまり無茶はしないでね。森には魔物がいるだろうし。あなたを巻き込んだ者として、私にはあなたをバチカルまで無傷で送り届ける責任があるの」

 だからほんとに気をつけて、とティアは言葉を締め括る。

 そんな彼女の様子に、なんだかよくわからないが、俺は胸がむかつくような気分が沸き起こる。なにが気に障ったのかわからないが、別にティアの発言に俺の気を逆立てるような要素はなかった。だから、たぶん俺の気のせいだ。そのはずだ。

 義務感で一緒に居られるのが気に障るなんてことが、あるはずないのだ。

 俺は布団を頭から被ると、ウジウジした考えを投げ捨てるように、自らの目を閉じた。






[2045] 1-4 女王の咆哮
Name: スイミン◆33fdfdc7
Date: 2009/09/26 20:42

 頭上に生い茂る木の葉が空を覆い隠し、隙間を抜けて届く木漏れ日が、眼にも優しく周囲を照らし出す。
 チーグルの森までの道中は順調に進み、俺達二人は緑溢れる空間に足を踏み入れた。


「すんげぇ森だな」
「音素の影響もあるんでしょうね。チーグルが住処にするのもわかる気がするわ」
「ああ……なんか街とは違った居心地のよさがあるよなぁ」


 目を輝かせて、素直にはしゃぎまくる俺の言葉に、ティアも微笑みながら森を見回す。
 物珍しさに周囲をきょろきょろ見回しながら、ひたすら森の奥へ奥へと進んで行く。
すると森の入り口から少し離れたところで、魔物に囲まれたヒラヒラ衣装の子供が目に入る。

「って、おい! あれイオンって奴じゃねぇか!」

 魔物は獲物を逃がさぬとばかりに中心に囲い込むと、それぞれの得物を振り上げる。

「危ない……!」

 ティアが悲鳴を上げた。俺はとっさに飛び掛かろうとするが、駄目だ。この距離じゃ間に合わねぇ。諦めが脳裏を過───


 イオンが虚空に手をかざす。


 空間を浸蝕する円陣がイオンを中心に展開された。
 耳に心地よい低音とは裏腹に、展開された円陣はその内に秘めた強大なる力を、魔物達に向け解き放つ。
 円陣から溢れ出た圧倒的な光の渦に、魔物達はそれこそ一瞬で飲み込まれた。
 光が薄れた後には、無傷で地面に膝をつくイオンと、かけらも残さずに魔物達が消え去った事実のみが残された。

 とんでもない威力の譜術だったが、それよりも俺は苦しそうに膝をつくイオンが気になって、慌てて側に駆け寄る。

「おい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。少しダアト式譜術を使いすぎただけで……」

 息も荒く答えながら、こちらに顔を向けたイオンが意外そうな面持ちになる。

「あなた方は、確か昨日エンゲーブにいらした……」
「ルークだ」
「ルーク……。古代イスパニア語で聖なる焔の光りという意味ですね。いい名前です」

 にこやかに微笑んで来る導師に、教団のトップがこんなに警戒心なくて大丈夫かよ、と場違いな心配がわき起こる。

 俺は尚も苦しそうに息をつくイオンの背中を撫でてやりながら、なぜか少し離れた場所で緊張した面持ちで佇むティアに、おまえも名乗れよと視線で促す。

 ティアは一歩前に出ると、なぜか敬礼のようなものをしながら、硬い口調で告げた。

「私は神託の盾騎士団モース大詠師旗下情報部第一小隊所属ティア・グランツ響長であります」
「! あなたがヴァンの妹ですか。噂は聞いています。お会いするのは初めてですね」

 最初は驚きながらもあくまで自分のペースを崩さず、和やかに答えるイオンを余所に、俺は初めて耳にした単語に仰天した。

「はぁ!? おまえ、教団の一員かよ!? しかも、師匠の妹って……? じゃあ殺すとか殺さないとかって、ありゃいったい、なんだったんだ?」
「殺す……?」

 さすがに物騒な言葉がでたことが気になってか、イオンが首を傾げてティアを見やる。

「あ、いえ……。こちらの話です」

 慌てて顔の前で両手を振りながら、あくまで事情を話そうとしないティアに、さすがの俺もこれ以上黙って居られなくなって、相手に食ってかかる。

「いや、話を逸らすなよ。なんで同じ教団の人間が、師匠の命を狙うんだ? その上、おまえら家族なんだろ? 妹が兄貴の命を狙うって、いったいどんな状況だよ?」
「それは……」

 言葉に詰まるティアを、俺は幾分真剣な思いを瞳に込めて射抜く。
 そのまま気まずい沈黙が続こうかというとき、兎ぐらいの大きさの、翼のような耳を持った小動物が俺達に気付いて、みゅうと奇妙な鳴き声を上げながら逃げ出した。

「あれは、チーグルです!」
「……とりあえず話は後だ。追いかけるぞ!」

 事情の詮索は後回しだと割り切って、俺は逃げ出したチーグルの後を追いかける。
 動き出そうとしないティアとイオンが、小声で囁き合うのがわかった。
 だが、詳しい会話の内容までは俺の耳に届かない。

「ヴァンとのこと、僕は追及しない方がいいですか?」
「すみません。私の故郷に関わることです。できることならイオン様や彼を、巻き込みたく……」
「おいおい、見失っちまうぜ?」

 ぐだぐだ話し合ってる二人に、俺は呼び掛ける。

「行きましょう!」
「え? あ、はい!」

 見かけに似合わぬイオンの行動力に困惑しながら、ティアもまたイオンの後に続いて走り出した。




「やれやれ、おまえらがノロノロしてっから逃げられちまったな」

 先程までの気まずい空気を誤魔化すように、軽い口調で肩を竦めて見せる俺に、イオンが心配ないと微笑を浮かべる。

「大丈夫。この先に行けばチーグルの巣があるはずです」

 いやに明確な断言に、俺は一瞬呆気にとられながら問いかける。

「なんでそんなこと、知ってんだ?」
「あ、はい……実はエンゲーブの盗難事件が気になってちょっと調べていたんですよ。チーグルは魔物の中でも賢くて大人しい。人間の食べ物を盗むなんておかしいんです」

 む、やはりチーグルが食べ物を盗むのは、教団トップからして見ても前代未聞の事態のようだ。

「……ん? だったら目的地は一緒って訳か」
「では、お二人もチーグルのことを調べにいらしたんですか?」

 意外そうにイオンが尋ねて来る。まあ普通は意外に思うだろう。ティアはともかく、俺はただの一般人だしな。

「ま、濡れ衣着せられて大人しくできるかってところだな」

 イオンから浴びせられる理由を問うような視線に、俺は素知らぬ顔で建前を答えた。

 しかし、これからどうしたもんか。
 ティアが教団の一員だとわかった今、教団を狙う謎の組織の存在なんてものは、恥ずかしすぎて口にもできない。
 わざわざ俺がチーグルを調べに行く理由も薄くなっちまった。

 だが、今更なにもせずに帰るのもつまらんし、ほんとどうするかねぇ。
 頭をかかえて悩む俺を、イオンが不思議なものでも見るように、目を瞬かせる。

「あー、しかしよ、さっきの様子見てる限り、おまえ危なっかしくてしょうがねぇな」

 俺を見つめて来る純粋な視線に耐えかねて、あまり関係無いことを告げた。
 しかし、直ぐに自分で言った言葉から、俺はふと思いつく。

「なら、そうだ。おまえも俺達と一緒に行かないか?」

 折角森まで来たんだし、イオンについていくのも悪くないよな。

「え、よろしいんですか?」

 目を輝かせるイオンを尻目に、ティアが畏れ多いとでも言うかのように憤然と反対する。

「何を言ってるの! イオン様を危険な場所にお連れするなんて!」

 わかっちゃいないな、とティアに肩を竦めて見せながら、俺はこの小さい導師を指し示し、わざわざ一緒につれていく理由を告げる。

「だったらこいつ、どうすんだ?  村に送ってったところで、結局また一人でのこのこ森まで来るに決まってるぜ。見た目華奢なくせして、随分と頑固そうだしな」
「……はい、すみません。どうしても気になるのです。チーグルは我が教団の聖獣ですし」
「ほれ見ろ。それにこんな青白い顔で今にもぶっ倒れそうな奴ほっとく訳にもいかねぇだろ?」

 イオンを擁護する俺の言葉に、ティアは両手を胸の前で組むと、考え込むように呟く。

「ルークがそこまでイオン様が心配なら……確かに私だけ否定するわけにもいかないわね」
「なっ……!」

 まさしく予想だにしなかったティアの反撃に、俺は言葉につまる。

 嫌な予感を感じながら、俺はおそるおそるイオンの方を見る。そこには先程以上に瞳をきらきらさせて、両手を顔の前で組みながら、上目づかいに俺の様子を伺うイオンの姿があった。

「あ、ありがとうございます! ルーク殿は優しい方なんですね!」
「だ、誰が優しいんだ! ア、アホなこといってないで大人しく付いてくればいいんだよ!」
「はい!」

 俺の乱暴な言葉にも、どこまでも素直に、イオンは元気良く返事する。
 うぉっ、駄目だ。なにが駄目かわからないが、ともかくなにかが、やばい気がする。

「あ。あと、あの変な術は使うなよ。おまえ、それでぶっ倒れたんだろ。魔物と戦うのはこっちでやるから」
「守ってくださるんですか。感激です! ルーク殿」
「ちっ、ちげーよ! 足手まといだっつってんだよっ! 大げさに騒ぐなっ! それと俺のことは呼び捨てでいいからなっ! 行くぞ!」
「はい! ルーク!」

 俺は動揺の任せるまま、多少錯乱気味に自分でもよくわからないことを吐き捨て、その場から逃げ出すように動き出す。
 なんか、自分で墓穴を堀りまくってるような気がしてしょうがないが、たぶん俺の気のせいだよな。うん、気のせいだ。

 ……気のせいだといいな。


 先程の場所からそれほど離れていない位置。さっき見かけたのと同じような、翼のような耳を持つ兎ほどの大きさの小動物が鳴いてる姿が見えた。

「みゅ、みゅみゅみゅぅ、みゅう!」

 こうして改めて見ると、なんだか鳴いてる様子がブタに似ている。頭は目が大きくてサルにも似ているな。

 ……ブタザルって名前の方が通りがよかったんじゃねぇのか?

「あれがブタザ……じゃなくて、チーグルか?」
「ええ。でも、まだ子供みたいですね」

 どうやって捕まえてやろうかと俺とイオンが話し合っていると、何故か顔を真っ赤にさせてチーグルを睨んでいたティアが、なんの策も決まらぬうちから、チーグルの方にふらふらと近づいて行くのが見えた。

「みゅぅ!」

 突然近づいた人間にびっくりしたのか、チーグルは一声鳴くと、その場から猛然と駆け出した。

「あ、逃げやがった」
「野生の魔物ですからね」
「……」

 無表情ながらも、ティアはどこか哀愁ただよう様子でその場に佇む。
 どうも声のかけづらさを感じて、俺は当たり障りのない感想をつぶやく。 

「しかし、意外に簡単に見つかるもんだな」
「……この辺りは、チーグル族の巣になっているのね」
「彼らが村から食料を盗んだ証拠があればいいんですけれど」

 イオンの意見に従い、とりあえず証拠を探すことに決める。

「ま、あんな頭悪そうな魔物なら、そこら中に証拠を落としてるだろうな」
「少し探索してみましょう」

 俺達は周囲を気にかけながら、さらに森の奥まった部分へと進んでいく。

 小動物とは言ってもそこは野生の獣。捕まえるまでは行かずに進むことしばし。
 森の深遠から突き出る、一際巨大な大樹が視界に飛び込んだ。
 あまりのデカさに感心しながら眺めていると、根本付近に何やら赤いものが落ちているのが見える。

「ん……ありゃリンゴか?」
「みたいですね。行ってみましょう」

 大木の根元に着いた俺達がリンゴを確認すると、そこにはエンゲーブの焼き印が押されていた。

「このリンゴには、エンゲーブの焼き印がついています」
「やっぱりあいつらが犯人かぁ」

 結局、なんの陰謀らしい陰謀も見つからなかったことで、俺は自分のテンションが急激に落ち込んでいくのを感じた。
 さすがに、いろいろ考えすぎだったか。

 更に先へと進んだところで、ティアが大木の方を指して告げる。

「この木の中から獣の気配がするわ……」
「チーグルは木の幹を住み処にしていますから!」

 イオンはそう言うや否や、俺達が動くのも待たず、一人で駆け出して行ってしまった。

「導師イオン! 危険です!」
「まったく、イオンはしょうがねぇやつだな……」

 そのまま放って置くわけにも行かないだろう。俺達二人もそのままイオンの後を追う。




              * * *




 大木の虚と思しき部分から、幹の中に入ると、そこら中から俺達の様子を伺うチーグル達の姿があった。
 更に奥まった部分に、イオンが身振り手振り交えながら、チーグルに何事か訴えている。

「こら、あんま一人で突っ走るな」
「あ、ルーク」
「いったい何してんだ? 魔物相手に?」

 尋ねる俺に、イオンがチーグルから視線は外さぬまま、しっかりとした言葉を返す。

「チーグルは教団の始祖であるユリア・ジュエと契約して力を貸したと聞いています。その際、人語を解する能力も与えられたという話ですが……」

 後半は少し自身が無さげではあったが、イオンは諦める様子も見せず、熱心にチーグルと向き合う。
 すると、チーグルの中から一際年老いた様子の個体が進み出る。 

「……みゅみゅーみゅうみゅう。……ユリア・ジュエの縁者か?」

 驚愕に、俺達は一瞬息をのむ。
 みゅうみゅう鳴いているだけだったのが一変して、少し嗄れた人間の老人のような声が、そのチーグルの口から漏れたのだ。驚くなって方が無理な話だろう。

「本当に魔物が喋るんだな」

 しげしげと無遠慮な視線を飛ばす俺に、老チーグルは深く頷く。

「ユリアとの契約で与えられたリングの力だ。おまえたちはユリアの縁者か?」

 その言葉に、イオンが少し緊張した面持ちで、一歩前に出る。

「はい。僕はローレライ教団の導師イオンと申します。あなたはチーグル族の長とお見受けしましたが」
「いかにも」

 重々しく頷く老チーグルに、俺はとりあえず容疑を確認することにする。

「エンゲーブで食べ物を盗んだのは、おまえらか?」
「……なるほど。それで我らを退治に来たという訳か」
「ん? 盗んだことは否定しねぇのか?」

 犯行を押さえられたにしては、どうもこいつは落ち着きすぎているような気がする。
 イオンも不審に思ったのか、ひとまず理由を尋ねることにしたようだ。

「チーグルは草食でしたね。何故人間の食べ物を盗む必要があるのです?」
「……チーグル族を存続させるためだ」

 意味がよくわからなかった。草食なら、人間が食うものを盗まずとも、この森ならそこら中に食い物があるだろうに。

「食べ物が足りない訳ではなさそうね。この森には緑がたくさんあるわ」

 ますますわけがわからなくなる俺達に、老チーグルはことの次第を語った。

「我らの仲間が北の地で火事を起こしてしまったのだ。その結果、北の一帯を住み処としていた『ライガ』がこの森に移動してきた。我らを餌とするためにな……」
「では村の食料を奪ったのは仲間がライガに食べられないためなんですね」
「……そうだ。定期的に食料を届けぬと、奴らは我らの仲間をさらって喰らう」
「ひどい……」

 ティアが顔をしかめてつぶやくが、俺にはいまいちピンと来なかった。

「そうか? 普通縄張り燃やされて追い出されりゃ、頭にも来るだろ。皆殺しにされないだけ、まだそのライガとかいうのも理性的なんじゃねーの?」

 対照的な二人の感想に、イオンが事態の複雑さを悟り、深刻そうに頷く。 

「確かにそうかも知れませんが、本来の食物連鎖の形とは言えません」

 確かにイオンの意見にも一理あるとは思う。だが、俺は教団員じゃないからか、あまりチーグル族だけに感情移入することができそうもない。

 まあ、バチカルで一方的に悪者にされて、家を追い出されたワルガキどもを散々見てきたせいもあるんだろうがな。

「ところでルーク。犯人はチーグルと判明したけど、あなたはこの後どうしたいの?」

 突然ティアに今後の予定を尋ねられて、俺は言葉につまる。

「どうって……いや、特になんも考えてなかったな。落とし前つけさせようにも、こいつら既に十分ひどい状態みたいだいし……いったいどうしようか?」
「……」
「あは、あははは」

 呆れ返って額を抑えるティアに、さすがの俺も乾いた笑い声を上げる。

 そもそも今回の盗人騒動になにがしかの裏があるかもしれないと思ったからこそ、わざわざ森まで確かめに来たのだ。
 実際になんの裏も無かった場合にどうするかまでは考えちゃいなかった。

 こりゃ、ティアに呆れられてもしょうがねぇよな。

「と、ところでよ。イオンはどうしたいんだ?」

 話の矛先をずらすために、同じような理由で森に来たイオンに尋ねる。 

 イオンはなにやら下を向いて考え込んでいたようだが、俺の問い掛けに顔を上げると、きっぱりと答えてみせた。

「ライガと交渉しましょう」
「魔物と……ですか?」
「そのライガってのも喋れるのか?」

 戸惑う俺達二人に、イオンが老チーグルに言い聞かせるようにして説明する。

「僕たちでは無理ですが、チーグル族を一人連れていって訳してもらえば大丈夫だと思います」
「……では、通訳のものにわしのソーサラーリングを貸し与えよう。みゅうみゅみゅみゅみゅう~」
「なんだぁ?」

 突然みゅうみゅう鳴き出した老チーグルの鳴き声に、一匹のチーグルが俺達の前に進み出る。

「この仔供が北の地で火事を起こした我が同胞だ。これを連れていって欲しい」

 長老がソーサラーリングを外して、そのチーグルに渡す。

「ボクはミュウですの。よろしくお願いするですの」

 ぱっちりした目を瞬かせて、妙にかわいらしい声で頭を下げる。
 だが俺は挨拶にすぐには答えず、ミュウとやらの身につけたソーサラーリングに視線を注ぎ続けた。


 なぜ、こいつは、わざわざオムツはいてるような位置に、リングをもって来るかな。


「……なんか、ヒワイというか……ムカツクな、こいつ」
「ごめんなさいですの。ごめんなさいですの」

 低い声でぼそりとつぶやいた俺の言葉に、ミュウとやらが何度も何度も頭を下げる。

「……ルーク」

 ティアの冷たい視線が俺に突き刺さる。

「うっ……まあ、なんだ。そこまで卑屈になるなよ。たぶん、俺の気のせいだろうよ」

 さすがにそこまで謝られるのには気が引けて、俺は強く頭を振って、浮かんだイメージを必死に振り払うのであった。

 それと、すぐに謝ったのは別にティアが怖かったからじゃないことだけは言っておく。

 いや、本当にな。




             * * *




 出発してしばらくすると、ライガの住処があるという洞穴が見えてきた。

 川を渡るときにミュウがリングの力で炎をはけることがわかったり、イオンが一般人の俺を巻き込んだ報酬変わりとか言って身体能力の向上する響律符、C・コアを渡してきたりもしたが、それ以外にこれといって特別なことは起きていない。

「もっとオドロオドロシイしい場所を想像してたが……意外と住みやすそうだよなぁ」

 洞穴の中は思ったよりも薄暗くなかった。どこからか射し込む日の光に照らされて、そこら中に生えたコケや、洞穴を形作ったであろう巨大な木の根子などが、地底の奇妙な光景を演出している。

 物珍しそうに周囲を見渡す俺とは対照的に、ティアは緊張感に引き締まった表情でロッドを握りしめている。

「そんなにライガってのは強いのか?」 
「ライガは強大な雌を中心とした集団で生きる魔物なのよ。群れの中心となる雌は女王と呼ばれ、その強さは……あまり口にしたくないわね」
「おまえがそこまで言うような相手かよ……」

 口には出さないが、俺もかなりの腕前と認めているティアの発言に、思わず唸ってしまう。

 さらに奥に進んでいくうちに、開けた空間に出る。天井から射し込む日の光に照らされて、鳥の巣のような藁葺きの上に座す、虎のような異形の存在があった。

「……あれが、女王ね」

 俺達の存在に気付いてか、警戒の低い唸り声を上げながら、女王がその巨体を持ち上げる。

「ミュウ。ライガ・クィーンと話をしてください」
「はいですの」

 イオンに促されたミュウが、よちよちとその短い足を動かして、遥かに巨大な相手と正面から向き合う。

「みゅう、みゅうみゅうみゅみゅーみゅう……」

 みゅうの鳴き声に反応して、ライガ・クィーンが唸りながら苛立たしそうに身を捩る。

「おい。あいつは何て言ってるんだ?」
「卵が孵化するところだから……来るな……と言っているですの」
「卵ぉ!? ライガって卵生なのかよ!」
「ミュウも卵から生まれたですの。魔物は卵から生まれることが多いですの」

 魔物の生態に驚愕する俺とは別に、ティアが焦燥感も露に叫ぶ。

「まずいわ! 卵を守るライガは凶暴性を増しているはずよ」
「それにライガの卵が孵れば、生まれた仔たちは食料を求めて街へ大挙するでしょう」

 イオンもまた、やや青ざめた表情で言葉を繋ぐ。

「どいうことだ?」
「ライガの仔供は人を好むの。だから街の近くに棲むライガは繁殖期前に狩りつくすのよ」

 あまりに壮絶な事実に、俺も状況の最悪さを悟る。

「彼女に、この土地から立ち去るように言ってくれませんか?」
「は、はいですの」

 ミュウが再度ライガ・クィーンと向き合って、必死に訴えはじめる。

「みゅ、みゅうう、みゅうみゅう……みゅうぅっ!!」

 ライガ・クィーンの凄まじい咆哮に、天井から落石が落ちる。その下に、ミュウが居た。

「って、危ねぇっ!」

 ミュウに落石が激突する寸前、俺は剣を構えて落石弾く。

「あ、ありがとうですの!」
「反射的に身体が動いただけだよ。それよりも、あいつはなんて答えた?」
「ボクたちを殺して孵化した仔供の餌にすると言っているですの……」

 ライガ・クィーンが再度咆哮を上げる。

『ぐっ……!!』

 人間の根源に潜む恐怖が、無理やり引きずり出されるようなあまりに苛烈な一声がその場を圧倒する。

「来るわ。……導師イオン、ミュウと一緒におさがり下さい」
「おいっ……! だがよ、ここで戦ったら卵が……!」
「残酷かもしれないけど、その方が好都合よ」

 ……いま、こいつはなんて言った?

「卵を残してもし孵化したら、ライガの仔供がエンゲーブを襲って消滅させてしまうでしょうから」

 顔色も変えずに言い切るティアに、俺はとっさに怒鳴り返しそうになる。
 しかし、状況はそんな段階をとっくの昔に通りすぎていたようだ。

 女王の背に突き出た翼のようなものが、眼球を直接貫くような雷光をまとい始める。

「二人とも! ライガ・クィーンが!」
「ちっ! どいつもこいつも、くそヤロウが……!」

 ガキがいるところで、殺し合いをするつもりかよ!!

 俺の葛藤などものともせず、あまりに唐突に死闘の幕は上がった。

 ライガ・クィーンが咆哮を上げ、翼を広げた。稲光を伴う一撃が、頭上から俺とティアの間に降り注ぐ。

「ちっ───っがぁっ!」

 直撃は回避した。だが、足元から身体に駆け上る雷撃の余波をくらって、俺は苦悶のうめき声を上げながら一瞬動きを止めた。そんな俺の隙を見逃すはずもなく、女王が俊敏な動作で大地を駆ける。

「させない!」

 銀光が走った。しかし放たれたナイフは、寸前で身を捩った女王の鼻先を掠めるにとどまる。だがその瞬間、女王もまた無防備な脇腹を晒す。

「くらえぇっ──崩襲脚!」

 空中から放たれた二段蹴りの衝撃に、女王がその場に硬直する。この隙を見逃すかっ!!

「──受けよ雷撃ぃっ!!」

 上段からの打ち下ろし、下段からの突き上げるような切り上げ。
 そのままの勢いで空中まで飛び上がり、俺は相棒を虚空に突き出す。

《──襲爪っ!》

 爆発的な勢いで集約された音素が、雷の鉄槌となって女王に降り注ぐ。

《────雷斬っ!!》

 止めとばかりに振り降ろされた紫電をまとった一撃に、女王の身体が吹き飛ばされた。
 その隙を狙って駄目押しで放たれた譜術の一撃が、女王に追い打ちをかける。

「はぁはぁ……どうだ?」

 バックステップで距離を取った俺はティアの前に控え、完璧に決まった連係の結果を見届ける。

「直撃したはずだけど……」

 その先に、言葉は続かなかった。

 豪、と女王が咆哮で応えた。

 威風堂々と大地を踏みしめ、絢爛豪華に輝く毛皮が、先程の攻撃が女王にかけら程の損害も与えていないことを知らしめる。

「マジかよ……」
「……」

 絶句する俺達を余所に、女王は己に刃向かいし、愚かな人間を睥睨する。

「……俺が突っ込むから、ティアは援護に徹してくれ」
「……わかったわ」

 正直逃げ出したい所だが、背ろに控えるイオンの存在がそれを許さない。
 最悪な状況だった。だが、ここで殺されるつもりもない!

 襲いかかる巨体から必死で身をかわす。
 目を皿のように見開いて隙を伺う。
 見出したわずかな隙目掛けて針の穴を通すような攻撃を放つ。
 ときに正確無比なナイフの一撃が相手の動きを阻害する。
 動きの止まった女王目掛けて譜術が直撃する。

 だが、それでも、女王は止まらない。

「どうなってやがる! ちっとも倒れねぇ!」
「まずいわ……こちらの攻撃がほとんど効いていない」

 叫んでもどうしようもないないことはわかっているが、叫ばずにはいられなかった。

 もはや攻撃を放つような余裕はなく、俺は死に物狂いで相手の追撃をかわし続ける。

「くそっ……俺が引きつけてる間に、ティアはこいつをなんとかできるような策を考えろっ!」
「ルーク!」

 倒す手段の見つからない相手に突進するというのは、俺にとってもかなりの根性を要する行為だったが、馬鹿な俺にはそのぐらいの策しか思いつかない。

 じりじりと背筋を追い上げるような焦燥感にその身を焦がし、俺は女王の猛攻を避け続ける。

 もう誰でもいいから、なんとかしてくれっ!


「──私がなんとかして差し上げましょう」


 俺の心の叫びに応えるように、不意に現れた男が涼やかに応える。

「誰っ!?」
「詮索は後にしてください。私が譜術で始末します。あなた方は私の詠唱時間を確保して下さい」

 攻撃を必死で避ける俺の視界に、エンゲーブで見かけたロンゲの大佐の姿が映る。

「あんたの、譜術なら、効くのかよ!」
「さぁ? 私の方からは、なんとも」

 相変わらずの人を喰ったような大佐の返答だったが、大佐の詠唱が始まると同時に、周囲の音素が爆発的な勢いで大佐に集束されていくのがわかる。

「……今は、あの人に任せましょう。私も援護を続けるから、ルークもそのまま回避に専念して、時間を稼いで」
「ちっ、わかったよ!」

 胡散臭い相手ではあるが、俺達に策はない。

 言うほどの実力があるか、見せてもらうぜっ!

 明確な目的が定まったことで、俺はそれまで以上に神経を研ぎ澄ませながら、女王の攻撃を自身に引き寄せ続ける。

 これまでと違い、俺は攻撃をまったく考えないで回避に専念、時間を稼ぐことだけに集中する。途中何度かひやひやするような場面も在ったが、その度にティアからの正確無比な援護が飛んで、女王を牽制する。

 もはや体力も精神も限界に到達しようかというとき、とうとう大佐の詠唱が完成した。

「……雷雲よっ! 我が刃となりて敵を貫けっ!」

 頭上に渦巻く黒雲が、稲光を放つ。

 瞬間、女王の雷撃などとは比べ物にならないほどの閃光が空間を満たす。

「──サンダーブレード」

 指揮者の振るう指揮棒のように、巨大な雷の刃が無造作に振り降ろされ、女王を射抜く。
 大気を強烈な放電が満たし、視界が明滅する。

「おや、あっけなかったですね」

 全身の体液が沸騰を通りすぎて蒸発したのか、かつて女王だったものが居た場所には、煤けた炭のような黒い染みが残されるばかりだった。

「なっ……なんだよ、今の一撃は……」
「……ただのフォニマーじゃないわね」

 それまで俺達がさんざん手こずっていた相手を、一撃で消滅させた大佐の譜術の凶悪さに、俺達は戦慄する。

 警戒心の籠もりまくった視線を向けるが、大佐はまるで頓着した様子も見せない。

「さて、いろいろと伺いたいこともありますが……アニス! ちょっとよろしいですか」
「はい、大佐! お呼びですかぁ?」

 どこに控えていたのかと思うぐらい唐突に大佐の横に現れたのは、宿屋で見た導師守護役だとかいう不気味人形の少女だった。

 二人はなにやらひそひそと話し合っているが、まるで内容は聞こえて来ない。

 不気味人形の少女の後に続いて、戦闘から退いていたイオンが現れて、無事な俺達の様子に安心したのか息をつく。

 ローズ邸での一件を見る限り、この二人が導師に害をなすとも思えないので、俺はとりあえず警戒を解くことにした。

 戦闘が終わったことで、頭にのぼっていた血が急激に冷めていくのを感じる。

 住処を火事で追いやられたという女王。
 もうすぐ子供が孵ると唸っていた女王。

 のろのろと力無い足どりで進み、俺は最初に女王が腰を降ろしていた藁葺きの中を覗き込む。

 大佐の譜術の影響か、そこには沸騰して爆ぜ割れた無数の卵の残骸が並んでいた。

「……後味、悪いぜ」
「優しいのね。……それとも甘いのかしら」

 あまりにも割り切ったティアの言葉に、俺は抑えきれない感情の昂りに任せるまま口を開いていた。

「魔物だろうが、俺達はガキを殺したんだぞっ!」
「……生きるためよ」
「っ! 冷血な女だなっ!」

 ティアに向ける視線に殺気が混じるのを感じるが、すぐに俺自身もガキ殺しの一員であることが思い起こされ、舌打ちとともに顔を背ける。

 生まれることもなく、その命費えた無数のライガの卵が視界に入る。


 ふと、巣の一番奥まった一画に、一個だけ割れていない卵があることに気付く。


「おやおや、痴話喧嘩ですか?」
「か、カーティス大佐。私たちはそんな関係ではありません!」

 よくよく見ると、その卵は誰もつついていないのに、ガタガタと揺れ動いてる。

「冗談ですよ。それと私のことはジェイドとお呼びください。ファミリーネームの方にはあまり馴染みがないものですから」

 揺れが激しくなり、ピシリ、と殻にヒビが入る。

「ところで、そちらの彼は黙り込んでしまっているようですが、どうかしましたか?」
「卵が……」
『卵?』

 ヒビは一瞬で殻全体に拡がり、次の瞬間、卵は二つに割れた。


 ──きゅうきゅうきゅぅ


 地上に生まれ落ちた命が、まず最初になす行為。

 あたかも生まれ落ちたことを嘆くかのように、ライガの幼子は物哀しい啼き声を上げた。





あとがき
  女王強いよ。けど大佐もっと強いよ。ついにきた独自展開。孤児ライガの明日はどっちだ?



[2045] 1-5 冥府に眠れ
Name: スイミン◆33fdfdc7
Date: 2009/09/26 20:45
 七年前のことだ。

 目がものを見るものだと理解し、口が言葉を発するものだと理解し、自分に向けられる感情をただ受け止めるしかなかった、かつての記憶。

 部屋のなかで虚ろに天井を見上げる俺の周囲に、大勢のニンゲンの気配を感じる。
 周囲を取り囲む見慣れないオトナの群れが、意味も取れぬささやき声を交わしあう。

 誰も俺と視線を合わせようとしない。誰も俺に言葉をかけようとしない。誰も彼もがただ一方的に嘆き、その悲しみをぶつけて来る。
 目でものを見ることができず、口で言葉を発することもできず、自分の感情を伝える術すら持たなかった、かつての記憶。

 たった、七年前のことだ。






















               Tales of the Abyss


               ~家族ジャングル~






















「これは……」
「あの一撃の中を……生き残ったのね」

 鳴き声に引き寄せられ、イオンとティアが目を見開いて巣の中に視線を注ぐ。

「女王様の子供ですの」
「なるほど。女王の忘れ形見ですか」

 ミュウがどこか哀しげに耳を垂らし、大佐が興味深そうに巣の中を覗き込む。

「……」

 そして俺は無言のまま、巣の中で啼くライガの子供と見つめあう。互いの視線は強く絡み合い、瞬きすらせずに、ただ顔を合わせ続ける。

 視線を合わせている間、俺は無言のまま問い続けていた。

 一緒に来るか? 

 俺の意志が通じているのかはわからない。それでも、俺はこいつに対してケジメをとらなければならなかった。それはこいつが当然のように受けるはずだった親からの愛情を奪った者として当然の責務であり、なにより俺が俺である為に、譲れない一線だった。

 ライガの子供はその間、俺の瞳を不思議そうに見つめ返していた。

 しばらくすると、ライガの子供は卵の殻を踏み越え、よろよろとした足どりながらも、俺の下へと必死に近づこうとする。鳴き声の種類も、それまでの親を探し求めるような哀しげなものから、親に甘えるようなものへと変わり、俺に向けて鳴き始めた。

「……そうか」

 俺は巣の中に手を伸ばし、ライガの子供を抱き上げる。特に抵抗するでも無く、ライガの子供も俺のされるがままに任せていた。ただ他者の温もりを感じたことに安心したのか、これまでのように鳴くのを止めた。

「ルーク。あなた……どうするつもり?」

 なぜ、殺さない。

 言葉の裏に秘められた詰問に、俺は毅然と顔を上げる。

「決めたぜ。こいつは、俺が連れていく」

 注がれる視線を見つめ返し、俺はいっそ清々しいまでにきっぱりと宣言する。

「今この瞬間から、こいつは、俺の家族だ」

 本気なのか。

 その場にいた誰もがその顔に疑問を浮かべた。

 確かに今の俺は、正気じゃありえねぇぐらいに、ぶっ飛んだ考えをしているんだろう。俺自身も魔物の子供を引き取るだなんて話を他人から聞かされたら、それこそ狂気の沙汰かと笑い飛ばしただろう。

 だが、今の俺はそんな狂気の沙汰を冒すぐらいには、頭の配線がブチ切れているようだ。

「こいつのおふくろさんや兄弟連中を殺したのは、俺達だ」

 俺は他の誰でもなく、イオンと視線を合わせる。イオンの顔色が明らかに青ざめる。

「ルーク。僕は……」

「だけどよ。仮に俺達が森に来ないで、放っておかれた全ての卵が孵化していたとしてもだ。ライガの大群にエンゲーブが襲われるような事態になったら、そんときは軍が動いただろうよ」

 イオンから、まさにその軍人にあたる大佐に視線を動かして、確認する。

 その通りですね、と大佐はあまり興味なさそうに、事も無げに肩を竦めて見せた。

「なら、こいつ一匹にしろ生き残った今の状況は、そう悪いもんじゃねぇ」

 一匹ならどうとでもなるからな、と自分でも悪人じみた言葉を付け加える。

「それでも、さすがにこのまま一匹で放って置かれたら生き延びられねぇだろうし、誰かが面倒見てやる必要がある。しかしよ、そんな酔狂なことするような馬鹿が、居ると思うか?」

 当然、誰も俺の問い掛けには応えない。

 退化した翼の様なものが生えた背中を撫でると、ライガの子供は気持ちよさそうに喉を鳴らす。俺はそんなライガの様子に微笑むと、ついで唇をつり上げ周囲を睥睨する。

「そうだ。居ない。そんな馬鹿は他に居ない。それこそ、底抜けの馬鹿である俺ぐらいのもんだ。だから俺が育てる。それ以外にどうしょうもない。なら、俺はそうするだけだ」

 簡単な話だろ? 嘲笑う俺に、ティアが硬い表情で問い詰める。

「あなたは……本気でそんなことができると思ってるの?」
「思ってる」

 刹那の逡巡もなく頷き返し、俺は真っ正面からアイスブルーの瞳を射抜く。

「なにせ俺は甘いからな。胸焼けするほどの甘ったるさで、せいぜいこいつを包んでやるさ」
「──私はっ!」

 当てつけるような俺の言葉に、ティアが俺の方に一歩詰め寄る。

 立ち上る怒気が目に見えるようだが、俺とてここで引く気はない。

 ライガの子供が人を好む? それがどうした。人間だって肉は喰うんだ。肉が欲しいなら、獣の肉を用意してやればいい。魔物を引き取るなんて非常識だ? 非常識で結構。俺に常識を求める方が間違っていると返してやるよ。 

 睨み合いの裏で展開される思考の鍔迫り合いに、二人の間を険悪な空気がただよい始める。今にも罵り合いの口火が切られようかという、そのとき。

 ぱんぱん、と手を打ち鳴らす音が周囲に響き、俺達二人ははっと息を飲む。

「はいはい。とりあえず、ルークさんがライガの子供を引き取るということで一件落着。お二人とも言い足りないことはあるでしょうが、その辺りのことは、後ほど時間のあるときにでもお願いしますねぇ」

 絶妙なタイミングで割って入った大佐が、にこやかに告げる。

 人を食ったような言葉に、熱くなっていた俺達も、なんだか馬鹿らしくなってきた。

「あー……まあ、そういうことだ。これからもっと迷惑かけることになっちまうとは思うが……すまねぇな、ティア」

 いつものような調子に戻って頭を下げる俺を、ティアはしばし黙り込んだまま睨んでいたが、最後には硬い表情を崩して、ため息をつく。

「ふぅ……どうなっても知らないわよ」

 二人の間に弛緩したような空気が流れかける。

「でも、これだけは覚えておいて……」

 誤魔化しは許さないと、俺の双眸をティアの不思議な色を宿した瞳が射抜く。

「そのライガの子供が人を襲うようになったら、そのときは……」
「ああ、俺が始末をつける。……といっても、そんな奴には俺が絶対にさせないがな」

 にやりと悪党の顔で笑う俺に、ティアが俺にも聞こえないような声音で微かに囁いた。

「……本当に……優しいのね」

「ん? なんか言ったか?」
「いえ……なんでもないわ」

 寂しそうに微笑むティアの様子が気にならなかったと言えば嘘になるが、なにはともあれ彼女も認めてくれたようなので、俺は安心した。

 腕の中で目を閉じる女王の忘れ形見を撫で上げながら、不意に俺は自分の両手が塞がっているという物騒この上ない状況に気付く。

 どうしたものかと考えて、ひとまず仔ライガを頭の上に乗せることに決めた。

「よっと……あ、すまねぇ」
 
 突然持ち上げられたことにビクリと身体を震わして、仔ライガは随分と驚いた様子だった。だが頭の上に乗せてやると、すぐに俺の無駄に長い髪の感触が気にいったのか、自分の居心地いいように形を整え、再び寝息を立て始める。

 うっ、なんていうか、女の子とはまた一味違ったグッと来るものがあるというか。ともかく、
 
『か、かわいい……』
「ん?」
「……」

 一瞬俺以外の声が重なって聞こえた気がしたが、気のせいか。

 ともあれ、微笑ましい寝息を立てる子ライガにとろける俺達を余所に、イオンが気まずそうな様子で大佐に歩み寄るのが見える。

「……ジェイド。すみません。勝手なことをして」
「あなたらしくありませんね。悪いことと知っていてこのような振る舞いをなさるのは」
「チーグルは始祖ユリアと共にローレライ教団の礎、彼らの不始末は僕が責任を負わなくてはと……」
「そのために能力を使いましたね? 医者から止められていたでしょう?」
「……すみません」
「しかも民間人を巻き込んだ」

 どうもお説教が俺達の件にまで飛び火したようだ。

 最初は特に口も挟まず大佐の説教を聞いていた俺だったが、さすがに黙っていられなくなって口を開く。

「俺達のことなら巻き込んだとは言えねぇよ。イオンとは森で偶然会ったんだからな。イオンも素直に謝ってることだし、いつまでもネチネチ言ってねぇで許してやれよ、ロンゲの大佐」
「おや。巻き込まれたことを愚痴ると思っていたのですが、意外ですねぇ」

 大佐がわざとらしい動作で目を見開くが、ついで俺が頭の上に乗せる女王の子供を見て、どこか納得したような顔になって頷く。

「まあ時間もありませんし、これぐらいにしておきましょうか」
「親書が届いたのですね?」
「そういうことです。さあ、とにかく森を出ましょう」

 なにを話しているのかはわからなかったが、ともかく森から出ることになった。

 ぞろぞろ歩き出す俺達に、ミュウが慌てて俺達の正面に駆け込む。

「駄目ですの。長老に報告するですの」

 耳をくるくる回しながら訴えるミュウに、ジェイドが眼鏡を押し上げる。

「……チーグルが人間の言葉を?」
「ソーサラーリングの力です。それよりジェイド。一度チーグルの住み処へ寄ってもらえませんか?」

 一瞬考え込むような間が開いたが、すぐにジェイドも頷いた。

「わかりました。ですが、あまり時間がないことをお忘れにならないで下さい」

 言い含ませる大佐に、イオンも真剣な表情で頷く。

 ……時間がない、か。

 さっきから二人の会話を聞いてると、その単語が頻繁に上がる。導師程の人物があんなに少人数で移動してるのは、そこらへんに答えがありそうだ。

 しかし、なぜ導師が行方不明なんて、ガセネタが流れてんだろうな。師匠が呼び戻されたことから考えても、教団上層部にまで浸透してるようだし。いったいなにを警戒しているんだ、こいつらは?

 なんともなしに俺が考え込んでいると、イオンが俺の隣に寄って来る。

「ルーク。さっきはありがとう。そして、あなたの決断に敬意を……。あと少しだけ、おつきあい下さい」

 どこまでも律儀なイオンに、俺は苦笑が浮かぶ。俺みたいなチンピラにそんな言葉はもったいないが、それでも言われて悪い気はしない。

「ま、乗りかかった船だ。最後まで付き合うさ」

 イオンもそれに微笑を返してくれた。

 洞窟を去る直前、最後に一度だけ俺は背後を振り返る。

 洞窟の中心付近に残された黒い染みを見据え、道半ばで逝った女王の冥福を祈る。

 頭の上で身を捩る女王の子供が、そうした俺の行為が偽善にすぎないと責めたてるかのように、どこか物哀しい啼き声を上げた。




               * * *




 長老に事態の報告を終えた俺達は、森の出口に向かった。

 長老に感謝の言葉を述べられたイオンは、しかし俺が頭の上に乗せる女王の忘れ形見の存在に、複雑な表情を浮かべていた。

 そして話がどう転んだのかいまだによくわからんが、なぜかミュウが俺についていくことになった。

 ライガ達が森を追われた原因がそもそもミュウの悪戯に吐いた炎にあると判断して、長老は森から一年の間ミュウを追放すると宣言した。そして、なぜかその間、俺に仕えろなどと言ってきたのだ。

 正直、女王の子供だけで手が一杯だと断ったんだが、結局押し切られてしまった。

 なんでも命の恩人である俺の役に立ちたいんだそうだ。そんなことしたか? と本気で首を傾げる俺だったが、ミュウは何度も何度も俺についていきたいと頼んできた。

 決め手となったのは、ミュウが女王の忘れ形見のお世話もしたいと告げたことだ。

 ……さすがに、今回の事態の原因として、考えさせられるものがあったんだろうな。

 ともかく、ミュウは俺について来ることになった。がんばりますの、と小さい身体に気合たっぷりの様子で、俺の助けになろうと意気込んでいる。

 正直あんま役に立ちそうにないがな!

 頭の中で結構ひどいこと考えながら歩いているうちに、とうとう森の出口が見えて来る。

「ん? あの子おまえの護衛役じゃないか?」
「はい、アニスですね」

 こちらに向かって元気よく手を振る不気味人形少女ことアニスの姿があった。

 そう言えば大佐とヒソヒソ話してたところまで居たのは覚えているが、そっから後は居なくなってたっけな。別行動してたのか。

「お帰りなさ~い」

 イオンの下に嬉しそうに駆け寄って来るアニスに、俺はロの字ではないが、なんだか微笑ましくなる。

 そんなアニスの後から、無骨な鎧の擦れあう音が無数に響く。どうもジェイドの部下達が一緒のようだ。イオン達も無事合流できたようだし、そろそろ別れ時かね。

 しかし、これから女王の子供をどう育てたもんか。大いに悩みどころだ。魔物なんざ育てたことないが、どっかに育成本とか売ってねぇーかなぁ。それに屋敷の連中はビビルだろうな。こんな小さくても魔物だし、チーグルみたいに聖獣扱いもされてないからなぁ。

 ま、バチカルの悪ガキどもは、むしろライガの方に喜びそうだがな。

 そんな呑気なことを考えていると、不意に肌が突き刺す様な気迫──殺気が全身を貫く。

『……なっ!』 

 現れた十数人にも及ぶ軍人達は、突然俺とティアを包囲すると、一斉に武器を構えた。

「──ご苦労様でした、アニス。タルタロスは?」
「ちゃんと森の前に来てますよぅ。大佐が大急ぎでって言うから特急で頑張っちゃいました」

 取り囲まれた俺達を余所に、あくまでも大佐とアニスはこれまでと同じような調子で掛け合いを演じている。

「大佐、あんた……どういうつもりだ?」
「そこの二人を捕らえなさい。正体不明の第七音素を放出していたのは、彼らです」

 静かながら有無を言わせぬ口調で指示を出された兵隊どもが、俺達二人ににじり寄る。

「ジェイド! 二人に乱暴なことは……」
「ご安心下さい。何も殺そうという訳ではありませんから」

 にっこり笑って、大佐は続けた。

「……二人が暴れなければ」

 最後の一言で凄味を増した大佐の眼力に、女王を一撃で葬った譜術が思い起こされる。

 あの一撃は、やばい。

 額に冷や汗が浮かぶ。あの術が放たれた瞬間感じた威圧感は、ヴァン師匠クラスだった。そんなこいつに俺が勝てるとは思えんし、なにより部下の軍人どもが周囲に居やがるのだ。

 俺とティアは互いの顔を見合わせると、互いの認識を確認し合った。

 この悪魔に、抵抗は無意味。

 両手を上げて大人しく拘束される俺達に、帝国の悪魔は聞き分けのいい園児を褒めるような口調で告げた。

「いい子ですね。――連行せよ」

 半ばだまし討ちのような拘束に、普段の俺だったら後先考えずに抗ったんだろうな。しかし、今の俺はそんな無謀に身をまかせようだなことは到底考えられない。

 連行されながら、ティア、女王の子供、ついでにミュウを順に見やり、ため息をつく。

 ひとりじゃないってのは、やっかいなもんだよなぁ……ガイ。

 当然、あいつがこの場に居るはずもなく。
 呼び声は虚しく、木立の中へと消えた。






[2045] 2ー1・連行されて戦艦、頼まれるは仲介
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 20:49
「……第七音素の超震動はキムラスカ・ランバルディア王国王都方面から発生。マルクト帝国領土タタル渓谷付近にて収束しました。超震動の発生源があなた方なら不正に国境を越え侵入してきたことになりますね」

 連行された戦艦の中で、大佐が淡々と尋問を続ける。

「ティアが神託の盾騎士団だと言うことは聞きました。ではルーク、あなたのフルネームは?」

 一瞬押し黙り、俺はティアと視線を合わせる。

 村での裁判もどきとは状況が違う。今の俺達は拘束されている。このまま名前を隠し通せるとは思えない。とはいえ、偽名を使おうと思えば使えないこともない。ここは帝国領で、俺の名前が本物かどうか判断する材料は乏しいからだ。

 問題なのは、そんなことは当然大佐もわかっているということだ。なのにそんな質問をして来る大佐の意図として考えられる可能性は、俺の名前を本当は知っていて単にカマをかけているだけなのか、それとも本当に知らないかの二つに一つだろう。

 いったいどっちなのか。う……く……考えれば考えるほど頭の中がこんがらがって……

 だぁーっ!! そんなことが俺にわかるかんっつーのっ!!

 俺は頭の中で叫び声を上げ、頭を掻きむしる。

 なによりも最大の問題はだ、俺がそんな複雑な判断が下せるほど上等な脳味噌を、はなから持ち合わせちゃいないってことだっ! そうさ俺は馬鹿ですよ!! 悪いかっ!!

 くぅ……俺は名乗っても大丈夫なのかよ?

 俺は多少涙目になりながら、ティアに最後の望みを託す。そんな俺の切羽詰まった思考を読み取ったのかは定かでないが、ティアは大丈夫だと言うように、軽く頷きを返してくれた。

「どうしました? 急に黙り込むなんて、さっきまでの憎まれ口が嘘のようですねぇ。……それとも名乗れないような理由があるのですか?」

 真紅に輝く双眸を物騒に光らせる大佐に、俺は白旗を上げた。

「だぁー、わかった! わかりましたよ! ったく……ねちねち嫌味なヤロウだぜ」
「へへ~、イヤミだって。大佐」

 イオンの護衛だとか言う不気味人形の少女が、大佐をからかうように笑いかけると、大佐がわざとらしい動作で額を抑える。

「傷つきましたねぇ。私はとても正直なだけなんですよ? 私の知りたいことに対して」

 それの方がよっぽど厄介だよ。心の中で突っ込んだのは、おそらく俺だけじゃないはずだ。

「ま、それはさておき。では、お名前をどうぞ」
「俺はルーク・フォン・ファブレ。おまえらが誘拐に失敗したルーク様だよ」

 気だるそうに頭をふって答えた俺の言葉に、さすがの大佐も軽く目を見開く。

「これは……キムラスカ王室と姻戚関係にあるあのファブレ公爵のご子息……という訳ですか」
「公爵……素敵かも……」

 アニスの双眸が一瞬、得物を狙う狩人のごとくギラリと輝いた。

 背筋が総毛立つような悪寒に、思わずアニスに顔を向ける。しかしアニスは俺の視線に照れたようにはにかむだけで、ついさっき感じた悪寒の発生源はまったく見出せない。

 た、たぶん気のせいだよな。俺は内心で冷や汗をかきながら、楽観が過ぎる判断を下した。

「しかし何故マルクト帝国へ? それに誘拐などと……穏やかではありませんね」

 大佐が幾分真剣みを増した様子で尋ねると、ティアが俺を庇うように身を乗り出す。

「誘拐のことはともかく、今回の件は私の第七音素とルークの第七音素が超震動を引き起こしただけです。ファブレ公爵家によるマルクトへの敵対行動ではありません。それに……ルークは私に巻き込まれただけです。彼個人にも帝国に敵意はありません」
「大佐。ティアの言う通りでしょう。彼に敵意は感じません」

 イオンもまた俺を擁護する。それに大佐は値踏みするような視線を俺に向けた。

 無遠慮な大佐の視線が俺を舐めるが、大佐の瞳にも俺を警戒するような色はまったく浮かんでいない。

「……まあ、そのようですね。温室育ちのようですから世界情勢には疎いようですし」
「もう、どうとでも言ってくれや……」

 もはや言われ慣れて来た言葉に、俺も投げやりに応える。

 ……しかし温室育ちか。むしろ箱庭育ちってのが、正しいかもな。

 上品に微笑みながら俺の頭を撫でようとするおふくろの顔と、その下で嫉妬に狂った顔で地団駄を踏む親父の顔が浮かんだ。

 一瞬浮かんだ自分のイメージに、俺は乾いた笑みを浮かべた。

 そんな風に上の空になっていたから、イオンと大佐がなにやら小声で話し合っている言葉を聞き逃した。

「──ここは彼らにも、むしろ協力をお願いしませんか?」

 へ、協力だって? 突然耳に飛び込んだイオンの言葉に、呆気にとられる。

 大佐は考え込むように瞼を閉じると、静かに口を開いた。

「我々はマルクト帝国皇帝ピオニー九世陛下の勅命によってキムラスカ王国へ向かっています」
「まさか、宣戦布告……?」

 ティアが思わずといった感じでつぶやいた言葉に、一瞬遅れて俺も理解が浸透する。

「宣戦布告……って、戦争が始まるのかよ!?」

 思わず机を蹴って立ち上がった俺の頭で、バランスを崩した子ライガが慌てて頭にしがみつく。

「あ、わりぃ」

 謝りながら頭を抑え、そっと座り直す。ちょっと間の抜けた醜態を晒したが、改めて、正面に座る二人に向けて、どういうことかと視線で問う。

「逆ですよぅ。ルーク様ぁ。戦争を止めるために私たちが動いてるんです」
「アニス。不用意に喋ってはいけませんね」

 アニスと大佐は話の深刻さとは裏腹に、軽い調子で掛け合いを続けた。

 お前ら、そんなに軽い調子で大丈夫かよ? 危うい帝国の現状に不安を覚えるが、すぐに大佐の実力が思い起こされ、不安は消える。大佐は変人だけど、能力が高いのは確かだ。きっと帝国軍は能力主義で登用した変人の巣窟なんだろうな。

 ……それはそれで恐ろしいものがあるがな。

「しかし戦争を止めるねぇ……っていうか、そんなにやばかったのか? キムラスカとマルクトの関係って」
「知らないのはあなただけだと思うわ」
「……おまえも相変わらずキツイよな」

 ティアの冷めた突っ込みに、俺は半眼で彼女を見やる。しかし、というかもう、やはり、彼女はまるで堪えた様子を見せない。かくいう俺も最近、ティアの突っ込みに腹が立たなくなってきた。俺が慣れてきたのか。はたまた別の理由があったりするのか。むしろ、知らず知らずに調教されてる、俺?

 そんなバカなことを考えていると、突然大佐が突拍子もないことを宣言する。

「これからあなた方を解放します。軍事機密に関わる場所以外は全て立ち入りを許可しましょう。艦内において、あなたたちの自由を保証します。必要なら案内もつけましょう」

 これまでと一変して、大佐が客人を扱うかのように恭しい態度になって告げた。大佐の変人っぷりを目の当たりにしてきた俺達も、この申し出を本気にしていいのか戸惑う。

 それまで自分達を犯罪者のように扱ってきた相手が、突然掌返したような態度になれば、誰でも警戒するのが普通だよな?

 じっと真意を伺うように見据える俺達の視線に、大佐が丁寧な口調で答える。

「まず私たちを知ってください。その上で信じられると思えたら力を貸して欲しいのです。戦争を起こさせないために」

 そう締め括った解放の理由に、なんだか俺は納得いかないものを感じてしまう。

「協力して欲しいなら、まず詳しい話をしてくれればいいじゃねぇか? 知ってくれって言われて人柄だけわかっても、結局なにするかわからなきゃ判断のしようがねぇよ」

 不満げに言い返す俺に、大佐が眼鏡を押し上げる。逆行で反射した光に、大佐の瞳が覆い隠される。

「説明して尚ご協力いただけない場合、あなた方を軟禁しなければなりません」
「あ……それもそっか」

 確かに、親父は城で公職についてたが、家には機密の類は持ち来ないように神経張りまくってたからな。それだけ、こいつらも本気だってことか。

「ことは国家機密です。ですからその前に決心を促しているのですよ。それに事が事だけに強制もできません。私にできることは、ただ頼むことだけです。どうか、よろしくお願いします、とね」
「詳しい話はあなたの協力を取り付けてからになるでしょう。僕もルーク達の協力は必要なものだと思っています。ルークなら……と思ってしまうのは、僕の贔屓目なのかもしれません。それでも、僕はあたなに協力して欲しいと思っています」

 イオンとジェイドは最後にそう言い残すと、部屋から出て行った。

 正直、そんな風に誰かに俺が必要だって言われた経験は初めてだった。だから、たとえそれが公爵家の息子に対する言葉だとわかっていても……心が揺れるな。

 本当に、どうしたもんかね。

「……艦内を歩いてみない? 今世界がどうなっているのか、あなたにも少しわかると思うわ」
「ご主人様! 探検ですの!」

 虚空を見つめ考え込む俺の様子に、二人は俺の気を紛らわせるような言葉を掛けてくれた。頭の上の仔ライガも、俺を促すように前足をポンポン叩いてきた。

「……そだな」

 みんなの気遣いに、だから俺も気分を切り換えるべく、二人に同意して部屋の外へ向かう。

「ルーク様。よかったら私がご案内しま~す」

 歩き出そうとした俺達に向かって、アニスが手を上げて突っ込んで来る。

「へっ……お前が? なんでまたわざわざ、自分からそんな雑用すんだ?」
「あのぉ……私がいたら邪魔……ですか?」

 いじらしい仕種で両手を背中に組みながら、アニスが上目遣いで俺を見つめて来る。

 うっ、こ、こいつは……

「そんなことない。むしろ助かるわ」
「そうですか? ありがとうございます~ティアさん♪ ところで、ルーク様はいったいどうしたんですか?」

 微笑んで答えるティアに、アニスが不思議そうに俺の様子を尋ねる。

「俺は違う! 違うんだ!! そんなんじゃないんだ!! 血迷うなよ、俺!!」

 子ライガを胸に抱き直し、がんがん壁に頭を打ちつけ始めた俺を見やり、ティアはどこか拗ねたような表情でつぶやく。

「……知らないわよ、あんなバカ」




     * * *




 タルタロス甲板に出ると、そこには外の景色を眺めるイオンの姿があった。

「よっ、イオン」

 俺が声をかけると、イオンが申し訳なそうに駆け寄って来る。

「とんだことに巻き込んで、すみません」
「全くな。せめて話を聞かせてくれればなぁ……」
「それには僕の存在も影響しているんです。だからジェイドも慎重になっているんですよ」

 導師イオンの存在が影響……か。

「ローレライ教団が平和を取り持っているからか?」
「そうですね。それもありますが……今はお話しできません」
「そっか。まあ、もうちょいしたら、俺なりの結論出すよ」

 ぽんぽんイオンの頭を叩きながら、俺達はイオンに背を向ける。

 イオンとは反対側で、同じように景色を眺めている大佐の姿があった。

 大佐はいつものように人の悪い笑みを浮かべると、出会い頭の一撃を放つ。

「やぁ、両手に花ですね、ルーク」
「やーん。大佐ったら」
「わ、私は……そんな……」

 大佐の言葉に、アニスが恥ずかしそうに頬を染め、ティアが両手をわたわたさせて動揺する。

 だが、俺はなぜに彼女らがそんな態度になるのか、よくわからんかった。

「あん? 両手に花ってどんな意味だよ?」
「……」

 つぶやいた瞬間、かつてないほど凍りついたティアの視線が俺に突き刺さった。

 うっ、お、俺は、知らず知らずのうちに、何か致命的な間違いを犯してしまったのか?

 絶対零度の空間で震える俺に、さすがの大佐も悪いと思ったのか、ティアに向けて落ち着くように諫める。

「まあまあ、落ち着いて下さい、ティアさん。……思いを図るいい機会だったのは確かですが、残念でしたねぇ」
「なっ! た、大佐!! 私は!」

 にやにやと笑いかける大佐に、ティアがその頬をこれ以上ないほど紅潮させて怒鳴る。

「それはともかく。ところで……先ほどの誘拐とは何なのですか?」
「別に七年前の話だから、あんま関係ねぇぜ? 理由は知らんが、マルクトの連中が俺を誘拐したんだよ」

 俺の答えに大佐はこれまでのふざけた調子を引っ込め、ひどく深刻そうな顔になってつぶやく。

「……少なくとも私は知りません。先帝時代のことでしょうか」
「こっちだって知るかよ。俺は、てめぇらのせいで……ガキの頃の記憶がなくなっちまったんだからな……」

 最初の記憶は、古めかしい部屋に座り込む俺を見据える無数の視線だ。

 どの視線も俺を見つめているというのに、何故か、暗い感情が込められていることがわかる。彼らは俺によくわからない言葉でぶつぶつとつぶやく。「なぜこんなことに」「あの利発だった子供が見る影もない」「…敗作か」

 言葉の意味はわからなかったが、彼らの視線に込められた感情がなんなのかは、俺にもわかった。

 ああ、彼らは失望しているのだ。今の『俺』に、かつての俺の姿を重ね見ることで──

「──ちっ。……まあ、今更の話しだがよ」

 俺は不意に思い出された暗い記憶を、頭を振って追い払った。

「……。色々帝国に思うこともあるでしょうが、何とか協力の決心をしていただきたいですね」

 ジェイドも俺の様子に、なにか思うことがあったのか、特に当たり障りのない言葉で応えると、会話に幕を降ろした。

 去り際に聞こえた大佐の台詞の意味は、『今の』俺にはよくわからないものだった。

「記憶喪失……ね。まさか……」




     * * *




 最初の部屋に戻り、俺はマルコとか呼ばれていた大佐の部下に話しかける。

「そろそろ、大佐達を呼んでくれよ」

 承知しましたと一礼すると、マルコは伝令管に手を伸ばし、なにやら呼び掛けている。

「いいの?」
「いいも悪いも、話を聞かなきゃなんともならねーだろ。どうせ今までも軟禁されてたんだしな。それに……」

 その先を言いよどむ俺に、ティアは強く問いただすでも無く、いつものような調子で静かに先を促す。

「それに……?」

 優しい色を湛える彼女の瞳に、俺はその先を言葉にする決心をした。

「それによ。公爵家の息子だって理由があったとしてもだ。お、俺は他人に必要だって言われたことなかったんだよ。だから、まあ、ちょっとぐれぇなら、て、手を貸してやってもいいかなぁ、とか思っちまったんだよ」

 あまりの恥ずかしさに悶死しそうになりながら答えた俺に、やはりティアはいつものごとく、キツイ言葉を投げ掛ける。

「……やっぱり、甘いのね」
「うるせっつーの!」

 俺は乱暴に怒鳴り返すが、別に本気で怒っているわけじゃなかった。
 ティアもそれがわかるようで、どこか俺をからかう様な仕種でくすりと微笑んだ。




      * * *




「昨今局地的な小競り合いが頻発しています。恐らく近いうちに大規模な戦争が始まるでしょう。ホド戦争が休戦してからまだ十五年しかたっていませんから」

 ホド戦争……だいたい、俺の生まれたぐらいの頃のことか。

「そこでピオニー陛下は平和条約締結を提案した親書を送ることにしたのです。僕は中立の立場から使者として協力を要請されました」

 大佐の言葉を受けて、イオンが続けて答えた。

 マルクトからの和平の提案、か。確かにそんな密命を帯びているなら、大佐達があんなに理由を話すことを躊躇っていたことにも理屈が通る。

 しかし、どうしてもある一点が納得いかなかった。

「それが本当なら、どうしてイオン、おまえは行方不明ってことになってんだ? そんな大義名分があるなら、お前の名前はプラスにはなっても、マイナスにはなりようがないように思えるんだけどな?」

 むしろ、イオンという中立勢力の介入を印象づけることで、帝国の和平反対派も手を出しづらくなると考えられる。イオンの存在を隠すメリットが見当たらない。それとも教団の象徴たる導師イオンに表立って逆らえるような組織があるのか? 俺には想像できん。

「それはローレライ教団の内部事情が影響しているんです」

 イオンがどこか暗い表情になって、話を続ける。

「ローレライ教団はイオン様を中心とする改革的な導師派と、大詠師モースを中心とする保守的な大詠師派とで派閥抗争を繰り広げているのです」

 派閥抗争、か。イオンの言葉で、ようやく俺は納得がいった。教団に対抗できるような勢力は、これまた教団内以外に存在しないってことか。

「モースは戦争が起きるのを望んでいるんです。僕はマルクト軍の力を借りてモースの軟禁から逃げ出してきました」
「大詠師派ってのはそこまでするのかよ……エゲツねぇな」

 仮にも教団のトップに対して軟禁なんて普通するか? 俺は呆れて頭をかいた。

 しかし、ティアがイオンの言葉に過剰な反応を返す。

「導師イオン! 何かの間違いです。大詠師モースがそんなことを望んでいるはずがありません。モース様は預言の成就だけを祈っておられますっ!」

 激昂したかのように、ティアは椅子を蹴って立ち上がり、声を荒らげながら反論する。

「ティアさんは大詠師派なんですね。ショックですぅ……」
「私は中立よ。ユリアの預言も大切だけどイオン様の意向も大事だわ」

 アニスの言葉にティアは怒りを抑え、淡々と答えた。だが、明らかにそこには無理が見て取れた。

「教団の実情はともかくとして、僕らは親書をキムラスカに運ばなければなりません」

 乱れた場を改めるかのようなイオンの言葉に、大佐が深く頷きながら相槌をうつ。

「その通りです。しかし我々は敵国の兵士。イオン様も表立っては動けない。いくら和平の使者といってもすんなり国境を越えるのは難しい。その上、ぐずぐずしていては大詠師派の邪魔が入るでしょう。
 そうした問題を解決する為には、あなたの力……いえ地位が必要なのです」

「地位って……あんた、俺もわかっちゃいるけどさ、さすがにそんな言い方はねぇだろ? そこはバカな俺をすかさずおだてて、追従するような場面だろが?」

 あまりにもあからさまな言い方に、俺は表面上は呆れたような態度で切り返す。しかし、内心では大佐の自分達にとって必要なものを告げる単刀直入な物言いに、好感を抱いていたりする。

 もちろん、口には出さんがな。

「おやおや。そちらがお気に召すようなら、今からでも、そうしてあげますが?」
「それこそ、御免だね」

 どこか俺の反応を面白がるような大佐の態度に、俺もにやりと笑って返してやる。

「やれやれ、見かけと違って意外と困った人ですね。しかしそれでは、肝心の答えはどうなのでしょう。御協力は頂けますか、ルーク様?」

 一瞬考え込むも、答えは既に決まっているようなものだ。ここまで話を聞かされといて、今更断れるような類の話じゃないしな。

「わかったぜ。あの親馬……もとい、伯父さんに取りなせばいいんだよな。結果までは保証できねぇが、まあこの俺様に任せとけって」

 胸を叩きながら盛大に請け負う俺に対して、大佐は型通りの態度で返す。

「御協力を感謝します。それでは、私は仕事があるので失礼しますが、ルーク様はご自由にどうぞ」

 協力を取り付ければ用はないと言わんばかりに、ジェイドは一礼するや即座に立ち去ろうとする。

 む、むかつくぜ。俺はどう仕返ししたものか考え、いい案が思い浮かんだ。

「ちょっと待てよ、大佐」

 俺は意地悪く笑いながら、大佐に少しばかりの口撃を仕掛ける。

「俺のことは呼び捨てでいいぜ、『カーティス』大佐」
「わかりました。ルーク『様』」

 一瞬、互いに視線だけで牽制し合う。大佐は最後ににやりと笑うと、踵を返してこの部屋から出て行った。

 か、かなわん。本当に大した奴だぜ。

 半ば呆れながら、俺は大佐の背中を見送った。あそこまで食えない男は初めて見たと言っても過言じゃないぜ。帝国はあんなんばっかりなのかね。


 城下に立ち並ぶ眼鏡をかけたロンゲの集団。彼らは全員が軍服を着込み、一斉に皮肉めいた笑みを浮かべながら敬礼を捧げる。


 一瞬空恐ろしい想像が思い浮かんだが、即座に頭を振って振り払う。

 考えを切り換える意味も込めて、改めて室内に視線を戻す。

 今ここに居るのはイオンと、アニス、ティア、そして大佐の部下の一人しか居ない。つまり、周囲に余計な口出しして来るような連中は居ないってことだ。

 イオンと直接話すいい機会かも知れないな。俺はイオンに話しかけることにした。

「なぁイオン、こんな大変な役目があったのによ、何だってエンゲーブの騒ぎなんかに首をつっこんだんだ?」

 かねてからの疑問を尋ねると、イオンは大したことではないといった様子で口を開く。

「チーグル族は教団にとって聖獣ですから。見過ごせません。それに、エンゲーブで受け取るはずだった新書も届くのが遅れていたし、僕の手は空いていましたから」

 にこにこ笑いながら答えたイオンに、正直言って俺は呆れたね。そんな理由でわざわざ出向いた森で魔物に襲われ、身体壊して倒れるような術を使うはめになったのかよ。普通、笑って言えるようなことか?

 これまで他人に感じたことのない、たぶん敬意とかいうものを覚えながら、俺はまだ小さいガキに過ぎない、ローレライ教団導師のにこにこ笑いを見据えた。

「おまえって……お人好しなんだな」

 感心してつぶやく俺に、ティアが顔を向ける。

「……あなたと同じね」
「なっ、なにを言いやがるかな、お前はっ!?」

 ティアがぼそりとつぶやいた言葉に、俺は顔を真っ赤に染め上げて反論する。

 ティアは俺の反論に答えず、チラリと俺の頭で眠る仔ライガに視線を向けた。

「うっ……だ、だったら、放っておいてもよかった俺を、わざわざ屋敷まで連れて行こうとしてるお前だって、十分お人好しだろがっ!」

「そっ……それは。引き取らなくても誰も責めないのに、わざわざライガの子供を引き取ったあなたに、そっくりそのままお返しするわ!」

「お、俺はだな──」
「わ、私だって──」

 ヒートアップする俺達二人を余所に、イオンが不思議そうな様子で、ふくれっ面のアニスに尋ねる。

「アニス、二人は仲が良いのでしょうか? それとも悪いのでしょうか?」
「ぶーぶー。知りませんよ。……やっぱり、ティアは強敵だね。早いうちに、私も攻勢に出ないと。さっきのルーク様の反応を見る限り……やっぱり上目づかいで決まりだね」

 マルクト・キムラスカという二国間の戦争を阻止すべく行動する者達にしては、その部屋に展開される光景は、どんなに良く言い繕ったとしても、あんまりな光景と言えた。

 そんな俺達の間の抜けたやり取りに、仔ライガはただ退屈そうに欠伸を上げると、ゆっくりとその背を伸ばした。




あとがき
 ようやくルークに好意を抱いてもおかしくない状況になったので、いっぱい詰め込みました。そして力つきました……。次回はタルタロス襲撃。子ライガ参入で状況に変化?



[2045] 2ー2・突然の孤立、向かうは艦橋へ
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 20:54
 水の流れる音がする。

「ふぅ……やっと一息ついたぜ」

 軍艦だってのに水洗式とは豪華な設備だよなぁと感慨にふけりながら、俺は勢い良く便所の戸を開け放って外に出る。

 洗面台に座る仔ライガが俺の姿を発見し、こちらに駆け寄ってきた。撫でて欲しそうに俺を見上げるが、ばっちい手で触るわけにもいかんので、さっさと手を洗うことにする。

「さて、さっさと戻るとするかね」

 綺麗になった手で仔ライガを撫で上げながら、定位置となりつつある俺の頭の上に乗っけて歩き出す。

「しかしデリカシーか。へへっ……懐かしい言葉を聞いたもんだぜ」

 目尻から溢れ出す涙を感じながら、俺は直前の会話を思い返した。



               * * *



 あの後、イオンが外に涼みに行くと部屋を出て行った。俺達もせっかくタルタロスを自由に見学して良いと言われたのだから、艦内を見て回ろうかという話がでた。

 しかし見て回るとはいっても、そこは軍艦である。これといって物珍しい場所も無く、すぐにお開きとなった。

 そこで折角時間があるのだから、大佐と今後の予定を詰めようということになった。そして、では出発しようかという段になったとき、突然それは俺に襲いかかった。

「うっ──!」

 一声呻くと、俺は腹を抑えてうずくまった。

「……ど、どうしたの?」
「わわ、ルーク様! 大丈夫ですか?」

 突然の俺の奇行に動揺する二人。

 だが俺は二人の言葉に答えるような余裕はカケラもない。全身を貫くある種の予感に畏れおののきながら、精神力を総動員して耐える。

 俺は額に脂汗を滲ませながら、アニスの顔を見上げた。

「アニス……俺に教えてくれ」
「は、はい。なんでしょうか、ルーク様♪ アニス、なんでも答えちゃいますよ~」

「便所はどこだ?」

「……えっ?」
「便所。だから便所はどこにあるんだ?」

 アニスの肩を掴んで必死の形相で問い詰める俺に、アニスも事の重大さを悟ったのか、慌ててあっちを曲がった先の角にありますよ、と即座に教えてくれた。

「二人とも、先に大佐のとこに行っててくれや。あとミュウ……お前もだ。ついてくんなよ」

 頭に引っついた仔ライガを置いていくような余裕はない。俺はこれまでに無いというぐらいの全力疾走で、その場から離脱した。

「ルーク様ってデリカシーないんだ」
「……そうね。さすがに、あれはね」
「ティアさんも、大変でしたね」
「……そうね。大変だったわ」

 後方から、囁きあう二人の会話が耳に届いた。

 いろいろと大事なものを無くしてしまった気がしたが、ともあれ俺は死に物狂いで便所に駆け込んだ。水面台に仔ライガを投げ込んで、個室に閉じこもる。

 結果はもちろんセーフ。

 危ういところだったけどな。



               * * *



 そんなこんなで、今俺は一人である。正確には、仔ライガがいるので一人と一匹かもしれないが、そんな細かいことは置いといて、ともかく艦の人間はこの場に居ない。

「で、いったいこれは何事だよ」

 警報が、そこら中から鳴り響いている。

 ──前方20キロに魔物の大群を確認──総員第一戦闘配備につけ──繰り返す──総員第一戦闘配備につけ──

 艦内放送を効く限り、どうやら魔物が艦を襲撃しているようだ。

「ま、こんだけデカイ戦艦だ。そうそうやられるようなことはないだろっ──」

 とてつもない衝撃が戦艦を襲う。

 とっさに頭の上で寝ころぶ仔ライガへ手を伸ばし、両足を踏みしめてバランスを取る。
 振動は一度で途切れた。おそるそろる周囲を見渡すうちに、違和感に気付く。

 げっ、廊下が傾いてやがる。

 斜めに傾いた廊下に体勢を合わせながら、仔ライガが頭から落ちそうになるのを防ぐ。

「……。いったいなにが起きてやがるんだ?」

 ともかく、尋常じゃない事態であることだけは確かだ。

 さっきまで居た部屋に戻ってもいいのだが、こんな事態だ。大佐達も指揮を取るため、ブリッジに向かっているかもしれない。

「あー。とりあえず、艦橋に行くとするかね」

 大佐が居なかったとしても、ブリッジまで行けば何が起こっているかぐらいはわかるだろう。

 頭の上に乗った仔ライガが、妙にそわそわした様子で身じろぎしているのが気にならないといえば嘘になったが、魔物の気配を感じて興奮しているんだろうと、そのときは簡単に考えていた。

 しかし、甲板に出てその光景を眼にした瞬間、そんな考えは吹っ飛んだ。

「……すんげぇ状況だわな」

 居るは居るは、そこら中をうろうろ徘徊するライガの群れが、甲板に引っついている。見上げると、デカイ鳥のような魔物が上空を旋回している。

 とんでもない光景に、俺は乾いた笑いを洩らすしかなかった。

「とりあえず、行くしかないよな……」

 正直今すぐにでも引き返したいところだが、こんな状況じゃ、艦のどこだろうと安全な場所なんか存在しないだろう。

 俺は周囲の状況を確認しながら、艦橋に向けての一歩を踏み出す。


 あ、気付かれた。


 甲板でたむろしていた一匹のライガが、俺に気付いて、とんでもない勢いで駆け寄って来る。

「……もうちょっとぐらいはよ、見て見ぬふりぐらいしてくれてもいいのになぁ……」

 ぶつぶつと愚痴りながら、俺は木刀を引き抜く。
 ライガの前足がふり降ろされる。
 咄嗟に『気合』を込めて得物を構えた。ぶつかり合う互いの武器が衝撃を撒き散らす。
 力を込めて前足を振り払い、相手の一撃を弾く。
 ライガは短く跳躍すると、俺との距離をとって崩れた己の体勢をたて直す。
 改めて対峙した俺達は、互いの一撃を相手より先に叩き込むべく全身に力を込めて突撃──しなかった。


 ──ぐぅるるうううう


 対峙する両者の気を散らす絶妙なタイミングで、俺の頭の上からうめき声が響く。

「……どうしたよ?」

 油断無く構えをとりながら、頭の上の仔ライガに尋ねる。
 対峙していたライガが、あっさりと俺の前から退いた。

「へっ……?」

 しばしの間、そのライガはつまらなそうに俺を見ていたが、再度頭の上で仔ライガが呻くと、慌てて俺の視界から消えた。

「どういうことだ……?」

 訳のわからない展開に首を傾げる。

 目の前で起きた事を考えるに、どうも相手は退いてくれたようだ。しかし、その理由がよくわからない。仔ライガの鳴き声が切っ掛けと言えるかもしれないが、それでも自分よりも小さい相手に怖じ気づいたとも思えない。

「わけがわからねぇけど……まあ、状況が悪化するでも無いし、後で考えりゃいいか」

 俺の頭じゃ、分析するとか無理だしな。

 なんだか釈然としない展開だったが、特に害になるようでもないので、俺は放って置くことに決めた。

 その後も甲板を進んで行った俺達に、ライガ達はつまらなそうな視線を向けるだけで、一向に襲いかかろうとしなかった。

「こんな簡単でいいのかね……」

 呆気なく、俺達は艦橋の入り口に辿り着いた。

「いや……むしろここは幸運を喜ぶところか? だけどよ……幸運の度が過ぎてるような気がして、むしろ不安になるというか……」

 艦橋へと続く扉の前で、傍目には明らかに挙動不審な動作で俺がぶつぶつとつぶやいていると、すぐ目の前で、プシュっと気の抜けたような音がする。

 顔を上げれば、目の前の扉が開いている。

「な、なんだ貴様はっ!?」

 艦の中から全身を白い鎧で覆った二人連れが現れた。彼らはたいそう驚いた様子で、俺に詰問してくる。
 大佐の部下だろうか? 艦の人間を全員知ってるわけでもない俺にわかるはずもないが、とりあえずそう思っておく。
 なんにせよ、まずは問い掛けに対する答えが先だろう。

「えーと、俺はだな…………なんだろ?」

 気の抜けた俺の答えに、二人が拍子抜けしたように肩を下げる。

「な、なんだそのふざけた答えはっ!?」
「正直に答えんと、承知せんぞっ!!」
「いや、だって本気でわかんねぇんだもん」

 ティアのようなオラクル兵でもないし、大佐のようなマルクトの軍人でもない。イオンのようなネームバリューがあるわけでもない、敵国の貴族のボンボンの名前を一兵卒が知っているとも思えない。

 本気で悩み始めた俺に、目の前の二人もどう対処したらいいものか混乱している。

「ええいっ! あくまでも答えんようなら斬り捨てるぞっ!」

 この状況に耐えられなくなったのか、全身鎧の片割れが、しびれを切らしたように剣を構え、俺に向け突きつける。

「あぁん?」

 さすがに剣を突き付けられて黙っていられるほど、俺も温厚な性格をしていない。

「そんな態度でいいのかよ……お前らの上官に確認とった方がいんじゃねぇのか?」

 だが、大佐の部下と乱闘騒ぎとか起こすのは俺としても本意じゃねぇ。忠告と恫喝の混ざり合った俺の言葉に、二人は明らかに狼狽する。

「な、なにを……」
「おいっ、待てっ! こいつ、ライガを連れているぞ」

 今にも切りかかろうとする一人を押さえ、比較的落ち着いて俺の様子を伺っていた全身鎧が、俺の頭の上に視線を注ぐ。

 あ、やばいか。そう言えば今はライガの襲撃中だ。

「いや……あのな。こいつは……」

『失礼しましたっ!』

「へっ?」

 頭の中で無数の言い訳をこね繰り回していた俺に対して、二人は突然頭を下げた。

「妖獣のアリエッタ様麾下の方ですね」
「我々は黒獅子ラルゴ様の率いる第1師団の人間であります。ライガを連れているとなると、アリエッタ様直属の御方とお見受けします。これまでの御無礼、お許しください」

「あ……まあ、そんなところだ」

 なにがなんだかよくわからなかったが、とりあえず頷いておく。

「我々はこれより艦内の制圧任務につく予定です。既に隊長は導師イオン確保のために先行しているので、我々も急ぎ合流しなければなりません。ご気分を害したとは思われますが、この場はひとまず、お怒りを納めて頂きたいと願います」
「あ、う、ご苦労」

 しどろもどろな俺の返答に、二人は一斉に姿勢を整えると、敬礼する。

『それでは、御武運をっ!』

 足早に去っていく二人の背中を見やり、俺はなんとも言えない奇妙な気分になる。

「……どういうことだ?」

 艦内の制圧任務。導師イオンの確保。
 上官と言われ、まず思い浮かんだ相手がライガを率いている人間。
 イオンの話していた、複雑な教団の内部事情。

「和平に反対する敵対勢力、大詠師派による襲撃……か」

 最悪な状況が頭に浮かぶ。

「あの二人の話から判断すっと、魔物襲撃もそいつらの仕業か……くそっ。どうしたもんか」

 やつらが艦橋から出てきたということは、この先は制圧済なのだろう。これほど迅速な制圧が可能になったのは、おそらく魔物を用いるという有り得ない襲撃方法によって、指揮系統が真っ先に潰されたからだろう。艦橋さえ潰せば、後は要所要所に魔物を配置して、追い込んでいけばいいだけだ。これなら、必要な人間は最小限で済む。

「妖獣の……アリエッタとか言ったか」

 魔物を率いていると思しきそいつと、どうにか接触できれば、状況が打開できるかもしれない。

 幸いなことに、俺が仔ライガを連れているのを見て、連中は勝手に自分陣営の人間であると判断してくれた。さすがにこの幸運がこの先も続くとは思えない。極力見つからないように気をつけて進んでいくつもりだが、それでも連中に発見された場合は、積極的に今回の誤解を押しつけてやる必要がありそうだ。

「まったく……やっかいな状況だよな」

 俺は頭の上でごろごろ喉をならす子ライガを最後の頼みに、敵地へと飛び込んだ。



               * * *



 どこにいるかわかりませんでした。

「いったい、どこに居やがるんだよ……」

 俺は通路の隅っこにうずくまりながら、啜り泣く。

「そもそも顔もわからないような相手を探そうってのが、間違ってたような……」

 自分のバカさ加減に気づき、打ちのめされそうになる。毎度毎度、よく考えもせずに突っ込むのは俺の悪いくせだ。

「本気で、どうしたもんか……ティア達大丈夫かねぇ……」

 通路の片隅に座り込み、膝を抱えてぶつぶつとつぶやく。

「……だれ……です?」

 場違いな、子供の声が響いた。

 教団兵に見つかったか、と一瞬身体を硬くするも、相手の姿を目にして呆気にとられた。

 丈の短い、どこか拘束服じみた黒のワンピースを着込んだ女の子の姿があった。胸元に不気味な人形を抱き抱え、不安に揺れる瞳を俺に向ける。

「あ~……俺はなんつぅか、そのだな」

 俺が言葉を続けようとしたとき、頭の上の仔ライガが怯えたときによく出す鳴き声を突然上げた。

「ん、どうしたよ?」

 ひとまず黒服少女への対応は置いといて、仔ライガに手を伸ばしてポンポン撫でて落ち着かせる。

 そうした俺の様子を呆然と眺めていたかと思えば、少女が口を開く。

「どうして……どうしてその仔、あなたと一緒居るの……ですか?」

「どうしてって……うーん。成り行きというか……なんつぅーか……やっぱ、俺が家族代わりになったからかね?」

 自分でもよくわかっていない答えだったが、とりあえず言葉にしてみる。

「あなたがその仔のパパ……ですか?」

「うぶっ──!!」

 黒服少女の純粋な問い掛けに、俺は思わず噴き出してしまう。

「いや、そのなんつぅか……だな」

 俺を見つめ続ける少女の瞳には、どこか期待するかのような思いも込められていて、いろいろなものに汚れきった俺としてはどうにも耐えかねて、最後には頷いてしまった。

「まあ、そんなところだぜ」
「わかった……その仔……エッタと一緒」
「ん?」

 いまいちよく聞こえなかったが、どこかうれしそうに黒服少女はつぶやいた。

 人形越しにチラチラ、おっかなびっくりといった感じで俺の様子を伺う少女に、これからどうしたものかと頭を抱えたところで、艦内にどこかで聞いたような誰かの声が響く。


 ──作戦名『骸狩り』始動せよ──


 タルタロスを衝撃が走る。


 ──動力機関停止! 管制装置停止! タルタロス制御不能です!──

 明滅する照明の中、艦内に制御不能と喚き立てる伝令管の放送が駆けめぐる。

「うわぁっ……さすがに抜け目ないぜぇ」

 周囲を見渡すと、通路のあちこちに隔壁が降りて、寸断されていくのがわかる。

 眼鏡を押し上げにやりと笑う大佐の顔が思い浮かび、俺は乾いた笑い声を上げた。

 そのとき、頭の上の仔ライガが、なにかを警戒するように低い唸り声を上げ始める。

「来ます……」

 続けて、少女が隔壁の一つを見据える。

 かなり遠くの方から、隔壁を力ずくでブチ破るような音が連続して響く。金属同士の擦れ合う耳障りな音は、どんどんその音量を増して行く。どうやら、なにがかこちらに近づいて来るようだ。

「──うおっ!!」

 俺のすぐ脇にある隔壁がブチ破られた。

 ブチ空けられた穴の向こうから、のっそりと、異形の巨躯が姿を現す。

 外で見た様な小さいものではなく、たてがみの生え揃った成人したライガの姿だった。

 大丈夫か? ピスピス鼻を鳴らす化け物に、少女はそっと手を伸ばして、鼻先を撫でる。

「お、おい……」

 思わず声を掛けた俺を無視して、少女はライガの背中によじ登る。

 頭の上で、仔ライガが全身の毛を逆立てて、成人ライガへ威嚇するような唸り声を上げる。

 なんだこいつ? 訝しむように低い呻き声を上げる成人ライガに、俺は近寄り難いものを感じて、二の足を踏んでしまう。

 背中に登り終えると、少女は一度だけ俺の方を振り向き、別れを告げた。

「さよなら……です」

 そう最後に言い残し、ライガにまたがった少女は射抜かれた隔壁を通り抜け、その場から去った。

「いったい、なんだったんだ……」

 しばし呆然と、ライガと供に去った少女の背中を見据える。

「……ん? ライガを従えるような存在……って、もしかして、あの子供が、妖獣のアリエッタぁっ!?」

 思い至った少女の正体に、これ以上無い程の衝撃を受け、俺は叫び声を上げるのだった。



               * * *



 衝撃から立ち直るのに結構かかったが、なんとか自分を取り戻すことができた。

 ライガが隔壁に開けた穴を通り抜け、俺はとりあえず外に向かうことにした。

 妖獣のアリエッタをどうにかしてやろうという考えは、明かされた衝撃の事実を前に吹っ飛んでいた。

 とりあえずあれだけ切羽詰まった様子であの成人ライガはアリエッタを連れてったんだ。この先でなにか起きてるのは確実だろう。後をついていけば、ティア達とも合流できるかしれんない。かなり自分にとって都合の良い展開かもしれないが、そう分の悪いかけでもないはずだ。

 なにしろあいつら以外に、騒ぎを起こせるような人間は居ないだろうしな。

「にしても……すんげぇ馬鹿力だよなぁ……」

 一直線にぶち抜かれている通路の隔壁を見やり、呆れてつぶやく。

「お前はこんな乱暴な奴にはなるなよ」

 ぽんぽん頭の仔ライガを撫で上げながら、俺は好き勝手に言い捨てる。仔ライガも同意するように、甘えた声を出した。

「おっ……とうとう外か」

 明かりが見えてきたので、俺は幾分早足になりながら、昇降口に一歩踏み出す。

「へっ……?」

 銃を突き付けられている大佐。昇降機の下に倒れ込み、苦痛に顔を歪めるティア。

 昇降機の上に佇む成人ライガと、銃を握る金髪美人の影に隠れる黒服少女。

 その場にいた全員が俺の唐突な出現に凍りつく中で一人──いや、一匹だけ動くものがあった。

 頭の上で、子ライガが前足を伸ばし、立ち上がる。

 響きわたる甲高い咆哮。

 目を突き刺す様な閃光が視界を圧倒し、その場に無数の落雷が降り注ぐ。

 即座に動いた大佐がなにもない手から槍を取り出し、己に突き付けられていた銃口を弾く。

「ちっ──アリエッタ!」

 金髪美人の飛び退りながらの呼び掛けに、黒服少女が成人ライガに行動を促す。

 だが、戦艦甲板から軽やかに飛び降りた、燕尾服の男がそれを妨げる。

「ガイ様華麗に参上──ってな」
「きゃ……」

 構えた刀をアリエッタに突き付け、男は冗談めかした言葉を告げる。どこか見覚えのある金髪に、人好きのする精悍な顔つきをした兄ちゃんがそこに居た。

「って、ガイかよ!」
「ははっ。久しぶりだな、ルーク」

 あまりにも唐突過ぎる親友の登場に、俺は思わず叫び返していた。

 動揺する俺を余所に、大佐は槍の刃先を金髪美人に突き付けたまま、相変わらず冷静に事を進める。

「さて、武器を棄てて、タルタロスの中へ戻ってもらいましょうか」
「……仕方ない。この場は我等が退くとしよう」

 思ったよりもあっさりと、リーダーと思しき金髪美人が承諾した。

 大佐に監視される中、続々とタルタロス内に収容されていく教団兵。

「さあ、次はあなたです。魔物を連れてタルタロスへ」

 最後に残ったのは、黒服少女──妖獣のアリエッタだった。

「……イオン様……。あの……あの……」
「言うことを聞いてください。アリエッタ」

 どこかもの言いたげな様子でイオンに話しかけるアリエッタに、イオンもいささか厳しい口調でタルタロスに入るよう促す。

 アリエッタは俯くと、成人ライガを連れてのろのろと動き出す。

 俺の側を通り過ぎたアリエッタが、俺にかつてない強い眼差しを向ける。目尻に浮かんだ滴が頬を伝う中、彼女は胸元抱いた人形越しに叫んだ。

「嫌い……嫌い嫌い嫌い!!」

 そう吐き捨て昇降口を駆け上るアリエッタに、その場にいた全員の視線が俺に集中する。

「は、はははっ……いったい俺がなにをしたよ?」

 突き刺さる視線に、俺は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。ほんと、どうしろと? 

 なんだか自分がとても酷い事をしたような気分になって、俺はひどく落ち込むんだ。



あとがき
 ヨゴレ再び。すいませんでしたっ! ルークが一人になるような状況が他に思い浮かばなかった……。あと蛇足になりますが、アリエッタがママの仇を知るのは、セントビナーの六神将の会話を聞く限り、この後だと判断しました。故にこの時点では、彼女はルークの連れた仔ライガがどこのライガの子供だったかも、まだ知りません。ああ重い伏線が……
 次回はガイ様いじりがあるぐらいで、一変してシリアス調になりそうです。そろそろ更新頻度もちょっと落ちるかも知れませぬが、あしからず……



[2045] 2ー3・届かない夜
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 20:56

「──さて、これでしばらくは全ての昇降口が開かない筈です」

 操作を終えた大佐の言葉に、ようやく場の緊張感が緩む。

「それにしてもルーク。一人でどこに行ったのかと思えば、まるで見計らっていたかのようなタイミングで現れましたねぇ。さすがの私も驚きましたよ」

 肩を竦めながら両手を広げる大佐の言葉に、周囲に居た皆が一斉に口火を切る。

「そうですよルーク! 僕も驚きました。まさかアリエッタの後ろから出てくるとは思いませんでした」
「ルーク! あなた、あの状況で無防備に外へ出てくるなんてなにを考えていたの? それにいったい、これまでなにをしていたの? 本当に心配したのよ」
「ご主人様! 無事で嬉しいですの! それにミュウ達の危機も救ってくれて、格好よかったですのー!!」
「はははっ。どうやらうちのルークは人気者ようだな。こいつの世話係としては、嬉しい限りだねぇ」

 み、耳がキーンって。ってか、ちょっと待てよ、おまえら。

「だぁっー! いっぺんにしゃべられても訳わかんねぇーっつーの!! 言いたいことがあるなら一人ずつ言えって!!」

 俺の怒鳴り声に、皆が黙り込む。

 そこまでして言いたいことでもなかったのか、誰もが一歩踏み出すことを躊躇っている。一人大佐だけは、にやにやと人の悪い笑みを浮かべながら、皆の様子を面白そうに見据えている。

 く、くそ、人事だと思いやがって。

 一向に動き出さない他の連中にしびれを切らしたのか、やはり最初に動いたのは彼女だった。

「ルーク……本当に、心配したのよ」

 どこか濡れた様な瞳が俺を見据える。言葉にされずとも、この相手が自分のことを心配していたのは予想していた。

「……悪かったよ。心配掛けてすまねぇな、ティア」

 生真面目なこいつのことだから、一般人である俺の目を離した隙に起きた一連の出来事に、責任を感じているのだろう。そんなもん、俺は気にしないんだがね。

「でもま、お前が気にするようなことはないんだぜ? 一人で離れた俺が悪いんだしな」

 自分でもガラじゃねぇとは思うが、自然とティアを取りなす様な言葉が漏れた。

「な、な、あの、ルークが、謝ってる!? その上、慰めたぁっ!?」
「うっせえよ、ガイ!! ちっとは黙ってろっつぅーの!」

 驚愕の声を上げるガイに、俺は真っ赤になった顔で吐き捨てる。

 ガラじゃねぇってのは俺だってわかってるっての……。

「やれやれ。ルークとの再開を喜ぶのはいいのですが、ところでイオン様。アニスはどうしました?」

 大佐の問い掛けに、不気味人形を背負った少女の姿が見えないことに気付く。

「敵に奪われた親書を取り返そうとして、魔物に船窓から吹き飛ばされて……ただ、遺体が見つからないと話しているのを聞いたので、無事でいてくれると……」

 絶望的な答えだったが、それでも大佐はわずかな間しか考え込まなかった。

「それならセントビナーへ向かいましょう。アニスとの合流先です」
「セントビナー?」

 またもや聞き慣れない地名に、俺は首を傾げる。

「ここから東南にある街ですよ」
「わかった。しかし大佐よ……そのだ、本当にアニスがそこに来ると思ってるのか?」

 わずかに言い淀みながらの問いかけに、しかし大佐は笑いながら謎の答えを返す。

「もちろんですとも。なにせアニスですからねぇ」
「ええ、アニスですから」

 大佐とイオンの答えは自信に満ちあふれていたが、アニスのことを大して理解できていない俺からすれば、なんの根拠もない答えにしか聞こえなかった。しかし、同時に至極納得させられるものも感じとっていた。

 信頼ってやつなのかね……。

 それ以上追求しちゃいけない気がして、俺は口を閉じた。

「そちらさんの部下は? まだこちらの陸艦に残ってるんだろ?」
「生き残りがいるとは思えません。……証人を残しては、ローレライ教団とマルクトの間で紛争になりますから」

 ガイの問い掛けに、大佐が眼鏡を押し上げながら感情の伺えない声音で答える。

「……何人、艦に乗ってたんだ?」
「今回の任務は極秘でしたから、常時の半数――百四十名程ですね」
「百人以上が殺されたってことか……」

 やり切れない命の重みを感じて、さすがの俺も気分が沈み込む。

「行きましょう。私たちが捕まったらもっとたくさんの人が戦争でなくなるんだから……」

 気丈に締め括るティアの言葉も、どこか強がっているようにしか聞こえなかった。




             * * *




 出発してしばらく経った後、突然イオンがその場に崩れ落ちるようにして膝をついた。

「お、おい、大丈夫かよ?」

 大丈夫です、と掠れた声でイオンは答えるが、明らかに無理しているのがわかる。

「イオン様。タルタロスでダアト式譜術を使いましたね?」
「ダアト式譜術ってチーグルのトコで使ってたアレか?」

 一瞬で周囲を取り囲む魔物を消し去った譜術が思い起こされる。確かにあのときも、術を使った後倒れていたっけな。よっぽど反動がキツイのか、イオンの身体が弱いのか、どっちにせよ難儀な譜術だよな。

「すみません。僕の体はダアト式譜術を使うようにはできていなくて……ずいぶん時間もたっているし回復したと思ってたんですけど」

 苦しげに答えるイオンの様子に、これ以上の無理はまずいと判断したのか、大佐が提案する。

「……少し休憩しましょう。このままではイオン様の寿命を縮めかねません」
「賛成だな。とりあえず、休んどけや、イオン」
「……わかりました」

 すぐに瞼を閉さずイオンに、これまでかなりの無理をしていたのがわかった。

 そうして休むうちに、イオンは大分調子を取り戻したようだ。しかし、あれほど悪化していた体調を鑑みて、もうしばらくの間休憩を続行することになった。

 ただ無為に座り込んでいるのも時間の無駄と考えたのか、場の話はいつのまにか現状の確認へと移っていった。

「──それで、戦争を回避するための使者って訳か。でもなんだってモースは戦争を起こしたがってるんだ?」
「それはローレライ教団の機密事項に属します。お話できません」
「機密事項ねぇ……なんだかお寒い話だな」

 初めて話を聞いたガイが、胡散臭さに眉をしかめる。

「理由はどうあれ戦争は回避すべきです。モースに邪魔はさせませんよ」
「ルークもえらくややこしいことに巻き込まれたなぁ……」
「ほんとにな……」

 ガイと俺が視線を合わせ、ため息をつく。そんな二人の息のあった様子を不思議そうに眺めていたイオンが、ガイに向けて尋ねる。

「ところであなたは……?」
「そういや自己紹介がまだだったっけな。俺はガイ。ファブレ公爵のところでお世話になっている使用人だ。よろしくな、イオン様、ジェイド大佐、チーグルのミュウ、それと……」

 順調に挨拶していたガイの動作が、最後の一人を前にして、突然止まる。

「? ………何?」
「……ひっ」

 ティアが一歩踏み出した瞬間、ガイは身体を竦みあがらせると、両腕で身体を庇いながら顔を背けた。

『……』

 嫌な沈黙が続く状況に、俺はしょうがないと口を開く。

「ガイはな、女嫌いなんだよ」
「……というよりは女性恐怖症のようですね」

 珍しいことに、大佐が呆れたような口調で俺に続く。

「わ、悪い……。キミがどうって訳じゃなくて……その……」
「私のことは女だと思わなくていいわ」

 一歩踏み出すティア。飛び上がって震え上がるガイ。

『……』

 嫌な沈黙が続く中、ティアがなにかを諦めるように首をふる。

「……わかった。不用意にあなたに近づかないようにする。それでいいわね?」
「すまない……」

 心底申し訳なさそうに謝るガイの姿は、親友の俺からしても、あまりに情けないものだった。

「ともかく、これで全員に挨拶できたようだ…………」

 言葉を途中で途切れさせると、ガイは俺の頭の上を見据えたまま動きを止めた。

「……ルーク。俺は疲れてんのかね。お前さんの頭の上で、魔物が寝こけてるように見えるんだが」

 ガイが目を擦りながら、何度も俺の頭の上で寝ころぶ仔ライガを見直す。

「見間違いじゃねぇよ。こいつはライガの子供で、俺の新しい家族の一員ってところだな」

 その通り。俺の言葉に同意するように、子ライガが短い鳴き声を上げる

 うむうむ、さすがだな。きちんと返事をするなんて、やっぱ俺の家族だね。

「へっへっへっ。どうだ? 賢いだろこいつ。それにこんな小さいなりしてる割に、意外と強いんだぜ? 雷とか出したりできんだよ。なによりかわいいしな。お前もそう思うだろ? なぁに言わなくてもわかってる。ガイもこいつに触りたいんだろ? しょうがねぇな。ちょっとだけだぞ?」

 にやつきながら息もつかせず言い寄る俺に、ガイのやつは何故か顔を引きつらせたまま、俺の差し出した仔ライガを胸に抱く。

「は、ははは……やっぱりルークも奥様の息子だな」
「どういう意味だよ?」

 ガイがわけのわからないことをぼやくが、俺にはなんのことやらまったくわからんね。それよりも、他人の腕に抱かれることで、全身が見える仔ライガの姿にとろける。ティアもまたどこか羨ましそうな視線を、仔ライガを抱くガイに向けている。

「やれやれ。それにしても、ファブレ公爵家の使用人ならキムラスカ人ですね。ルークを捜しに来たのですか?」

 なぜか大佐が見ていられないといった表情で、話を切り換えるように問い掛けを放つ。それにガイもまた助かったという表情になって、仔ライガの喉を撫でながら口早に答える。

「ああ。旦那様から命じられてな。マルクトの領土に消えてったのはわかってたから、俺は陸づたいにケセドニアから、グランツ閣下は海を渡ってカイツールから捜索してたんだ」
「ヴァン師匠も捜してくれてるのかぁ……」

 ガイの説明に、俺は複雑なものを感じる。俺の考え無しの行動から巻き起こった事態だ。師匠にはなんとも再開しづらいものを感じるよなぁ。いったいどんなお仕置き、もとい修行をさせられるものやら。ぞっとしねぇよなぁ。

「……兄さんが」

 ティアもまた、自分の切りかかった相手が探していると聞いて心中穏やかではなさそうだ。師匠ならあんまり気にしてなそうだとか俺は思うけどね。

「兄さん? 兄さんって……」

 ガイが驚いた様に眉を寄せる。

 ああ、そういや、ガイはそこら辺の事情をなんも知らなかったっけな。

「俺にもよくわからねぇんだが、ティアは……」

 説明を続けようとしたそのとき。兵士が突撃時に上げる鬨の声が、街道のすぐ側から耳に飛び込んだ。

「やれやれ。ゆっくり話している暇はなくなったようですよ」

 音素の光を放ちながら掌から槍を取り出した大佐の言葉で、俺達も意識を切り換え襲撃者に身構える。

 剣を構え、雄叫びを上げながら俺達向けて突き進む教団兵の姿が街道先にあった。

「ちょっと下がっててくれ。ミュウ、一緒に居てやってくれよ」

 ガイが抱いていた仔ライガを地面に降ろし、ミュウと一緒に下がっているように促す。二匹もすぐに頷いて、そそくさと後方に移動した。

「それじゃ、まずは俺が突っ込むとしますか!」

 まずガイが剣を構えながら集団の只中に突っ込んだ。
 それにティアが前衛を援護するべくナイフを構えながら譜術を唱え始める。
 二人の間で、大佐は軽やかな動作で槍を構えながら、前に突出した者を優先的に狙い打つ。

 目の前で繰り広げられている死闘。しかし、その中に俺の姿は存在しない。

「……っ」

 切り合い、術を放ち、貫き通す、人間同士の殺し合い。

「っ……うっ……」

 俺は、自分の足が、ひどく重くなっている事実に、ようやく気付く。

「死ねっ!!」
  
 大佐の討ち漏らした一人の教団兵が、俺目掛けて剣をふり降ろす。

「っ!!」

 ふり降ろされた剣の側面を狙い打って一撃を弾いた。同時に身体に叩き込まれた動作が流れる様に発動する。

 ──穿衝破

 本人の意志など介在しない、『必殺』の一撃は放たれた。

 突き出された気合の込められた一撃に、呆気なく腹を射抜かれる教団兵。続いて右腕に収束するフォニムが衝撃波となって、射抜かれた人間の身体を上空に吹き飛ばす。

 周囲に飛び散った赤いものが視界を埋めつくした。何よりも赤い、鮮血の赤。

「うっ……」

「! ルーク! どうしたの!?」

 前衛組の援護をしていたティアが、俺の不可解な様子に気付く。

 俺はその場に膝をついて、べちゃりと地面に落ちた死体を呆然と見下ろしていた。

「おのれぇっ!!」

 一人の教団兵が激昂した様子で、俺に向けて飛びかかった。
 混乱する意識の中、それでも、身体に叩き込まれた技は遅滞なく事態に対処する。

 怒りに我を忘れて、粗い動作で突き出された相手の一撃に合わせて、俺は右腕を突き出す。

 ──烈破掌

 気合に包まれた掌底の一撃に、敵は腹を痛打されて吹き飛んだ。地面を転がりながら、痙攣した様に身体をうごめかせる。どうやらこの一撃では、殺すまでに至らなかったようだ。

 相手を殺さないような一撃の放ち方は、経験的によくわかっている。
 
 なぜなら、俺はいつも相手を殺さないような喧嘩をしてきたからだ。

 だけど、今回は、違った。

 地面をのたうち回る教団兵のすぐ隣に、腹に風穴を空けられた死体が転がっている。

「ルーク!」

 呆然と動きを止めた俺の様子に、仲間達が駆け寄って来るのがわかる。

 俺以外の皆は、相対した敵をすべて片づけたようだ。

 殺したようだ。

「ルーク、どうしました! とどめを!」

 ジェイドがはじめて、どこか焦ったように叫ぶ。

 え、と視線を前に戻すと、地面を転がっていたはずの教団兵が、俺のすぐ目の前で剣をふり降ろす姿があった。

 ぼーっとしたまま、ふり降ろされる剣を見据える俺の脇腹を、突き飛ばす誰かの腕。

 俺に代わって、切り捨てられる誰かの姿。

 脇腹から血を流しながら、乱れた長髪が地面に広がる。

「ボケッとすんなっ! ルークっ!」

 珍しいことに、ガイが怒声を上げながら、ティアを切り伏せた相手を呆気なく切り捨てた。

 俺は腕の中に倒れた、俺の身代わりとなったティアを抱き寄せ、震える声でつぶやく。

「……ティア……お、俺は……」
「……ばか……」

 俺の泣きそうな呼び掛けにも、ティアは俺を責めるでもなく、ただ哀しそうにそっと微笑んだ。




             * * *




 燃え盛る炎が、闇を押し退ける一画。焚き火のはぜる音だけがどこまでも響く。

 幸い、ティアの傷は皮を一枚切ったぐらいのもので済んだ。自分で癒しの譜術を掛けたこともあって、これ以上傷が悪化することはないだろうという話だ。しかし、このまま移動するのは危険と考え、大事を置く意味もとって、このまま一夜を明かすことになった。

 俺達は焚き火を囲みながら、しかし、それぞれつかず離れずの距離を保つ。

「……」
「ご主人様。ティアさん大丈夫ですの?」

 ミュウの言葉に、その脇に座り込んだ仔ライガもまた、同意するように低い呻き声を上げた。

 俺は焚き火を見つめたまま、片膝を抱える。

「…………」
「ティアさん……」
「ミュウ」

 尚も言い募ろうとするミュウの言葉を途中で遮って、俺は立ち上がる。

「様子、見てくるよ……」


 切り株に腰掛けたティアの姿が、焚き火の向こう側で揺らめく。光の加減で銀に輝く長髪が、夜の闇の中であっても月明かりに映えた。

 近づく俺の姿に気付いてか、ティアが俺の方に顔を向ける。

 なにを言ったらいいのかわからぬまま近づく俺に、ティアは俺を気づかうように尋ねる。

「もう大丈夫なの?」
「……へ……?」

 訳がわからなかった。俺は呆然と、彼女の言葉を耳にする。

「人と戦うことが、辛かったんでしょう? あなたがあんなに動揺したのは……初めてだったから。人を……殺したことが」

 殺すという言葉に、俺は情けないとわかっていながらも、身体が震えるのがわかった。

 ドサリとその場に腰を降ろし、俺は自分でもしょぼくれた声を絞り出す。

「俺はよ……結局、わかっちゃいなかったのさ。魔物と戦うのは、生き残りを掛けた生存競争……そう割り切れた。だけどよ、イオン達が敵対する派閥の連中に狙われてるって聞いても、なにを相手にするのかってことが、ピンとこないままだった。ピンとこないままイオン達に協力するって約束して、いざ襲われてみたら、あの様だ。
 ──人間を相手にするってことが、わかっちゃいなかったんだ」

 額を押さえて、歪んだ自分の顔を覆い隠す。

「情けねぇよ、ほんと。喧嘩なら幾らでもしたことがあった。だけどよ」

 人間を殺したのは初めてだったんだ。

 自分でも、絞り出した声が震えているのがわかった。情けない。本当に、情けねぇよ。

「……私は、あなたが民間人であったことを知っていたのに、理解できていなかったみたいだわ。ごめんなさい」

 腰を降ろしたままでありながら背筋を伸ばし、彼女は俺に頭を下げた。

「……なんで、謝るんだ? 怪我したのは、ティアだろ?」
「軍属である限り民間人を護るのは義務だもの。そのために負傷したのは私が非力だったということ。それだけよ」

 軍人の顔で言い切る彼女だったが、俺にはどこか強がっているようにしか見えなかった。

「……謝るなよ。本当に……俺はどうしたらいいのか、わからなくなっちまうぜ」
「わ、私はそんなつもりじゃ……!」

「ごめんな、ティア……本当に、ごめん」

 それ以上、その場にいることが、俺には耐えられなかった。

 どこかもの言いたげに俺を見つめる彼女に背を向けると、俺は重くなった身体を引きずるようにして、その場を後にした。


「どうしました? 思いつめた顔で」

 周囲を警戒していたジェイドが、俺の姿に気付いて声を掛けてきた。
 俺は胸の中で持て余した感情を紛らわせるように、気付ば口を開いていた。

「ジェイド……あんたはよ、どうして軍人になったんだ?」
「……人を殺すのが、怖いですか?」

 問い掛けの裏にあるものを、直接返された。 

「あなたの反応は……まあ当然だと思いますよ。軍人なんて仕事はなるべくない方がいいんでしょうねぇ」

 自らを嘲る様に、ジェイドは眼鏡を押し上げながらつぶやいた。

「戦いと殺し合いは……同じなのか? 俺は今まで、喧嘩ならそれこそ数えきれないほどやってきた。その中で、殺意を感じることもあったよ。それでもだ。明確に『殺す』なんてことを意識した経験は……一度もなかったぜ」

 自分でも青臭いと感じる俺の甘ったれた意見に、しかしジェイドは嘲笑うでも無く真剣な面持ちで答えた。

「普通であれば、そうなのでしょうね。ですが、ここは戦場です。マルクトとキムラスカが開戦に至るかどうかの、重要な局面と言えます。戦うなら殺し、そして殺される覚悟が必要です」

 幾多の戦場を潜り抜けた軍人の言葉だ。その言葉に込められた思いは、あまりにも実感が籠もった物で、俺の想像以上に『重い』ものだった。

「俺は……」
「ですが、安心なさい。バチカルに着くまでちゃんと護衛してあげますよ。あなたに死なれては困りますから」
「……護衛か。そう言われて安心するのが、『民間人』の感覚なんだろうな」

 軍属には民間人を守る義務がある。そう告げたティアの顔が思い起こされた。

「ええ、逃げることや身を守ることは恥ではないんです。大人しく安全な街の中で暮らして、出かけるときは傭兵を雇う。普通の人々はそうやって暮らしているんですから。そして、そうした普通の人々の生活を守るのが、我々軍人にとって、唯一の存在意義であるのかもしれません」

 今は大佐の紅い瞳にも、いつも浮かんでいる皮肉めいた色合いが、まるで見受けられない。彼が真剣に、俺の問い掛けに答えてくれたことがわかる。

 真剣な表情で向き合う俺の瞳から、大佐は不意に視線を逸らす。

「軍の欺瞞を存在意義などと語るとは……。私としたことが、少し喋りすぎましたね。見回りに行ってきます」

 つい先程見回りから帰ってきたばかりだと言うのに、大佐は再び夜の闇に消えた。

 照れたのだろうか?

「らしくないぜ……大佐」

 なんだか泣き笑いのような表情が浮かぶのが止められなくて、俺はどうしょうもなく顔を歪めた。


「そう言ってやるなよ。大佐も、あれでいろいろと考えることもあるんだろうさ」

 いつから居たのか、ガイが俺のすぐ側に腰掛け、大佐を取りなす様に言った。

「初めての外はお前から見て、どう映った?」

 続けて聞かれた問い掛けに、俺は顔を逸らす。

「……知らなかったぜ。街の外がこんなにやばいとこだったなんてな」
「魔物と盗賊は、倒せば報奨金が出ることもある。街の外での人斬りは私怨と立証されない限り罪にはならないんだ」
「おまえは……今までどれくらい斬ったよ?」
「さあな。あそこの軍人さんよりは少ないだろうよ」

 闇の一画を指し示し、ガイが肩を竦めて見せた。

「後悔は……しないのか?」
「するさ。それこそ、毎日な。それでも、死にたくねぇからな。俺にはまだやることがある」
「やること、か?」

 流れる様なガイの言葉が一瞬だけ止まり、その瞳が暗いものを宿らせる。  

「……復讐」
「へ?」
「……なんて、な」

 すぐにおどけた様な仕種で誤魔化すと、ガイは口を閉じた。そのままガイの言葉の意味を問い詰めてもよかったが、それよりも今は、皆に言われた言葉を考えていたかった。

 俺はガイの横に腰掛けると、自らの内に沈み込む。


「ルーク。大丈夫ですか?」

 無言のままその場に座り込む俺達に、イオンが近づいて来る。

「イオンか……」
「ジェイドやティアの話は極端なものです。彼らは戦うことが仕事ですから。あなたは民間人ですから、戸惑ったり悩むのも仕方のないことだと思いますよ」

 俺達の話し合う声が聞こえていたのだろう。イオンは俺の苦悩を肯定して見せた。

「イオンは……自分の部下が人を殺したりするのが、容認できるのか? 極端な話しかもしれねぇが、おまえら教団の人間は、人を救うのが仕事なんだろ?」
「仕方がありません。残念ながら今のローレライ教団は人を生かすための宗教ではなくなってきているんです」

 どこか苦しげな様子で顔をうつむけると、イオンは最後に付け足した。

「……いずれ、わかると思います。」

 同じ教団内の人間に狙われている導師イオン。その苦悩は、どれほどのものだろうか。それぞれの抱える物に優劣がないことがわかっていても、それでも、俺には想像がつかなかった。

 それからしばらくの間、俺達はなにを話すでもなく夜空を見上げていた。

 星の輝く夜空は、どこまでも澄み切っていて、地上に生きる俺達にとってあまりにも──

「ご主人様。もう寝るですの?」
「……ああ」
「おやすみなさいですの……」

 俺は膝の上によじ登って来る子ライガを撫で上げながら、夜空に向けて吐き捨てた。

「遠すぎるぜ……クソったれ」  

 伸ばした腕が天に届くことはなく、俺達の苦悩などものともせず、天はただそこに在り続けるのだった。




             * * *




「ルーク。起きて」

 朝焼けの射し込む中、俺は自分の身体を揺するティアの存在に気付く。目を開けて飛び起きた俺は、昨日の傷など感じさせない様子で動き回る彼女に、気付けば問いかけていた。

「もう動いても、大丈夫なのか?」
「ええ。そろそろ出発するわ」

 俺が起きたことを確認すると、ティアは俺に背を向けて歩き出す。

「……心配してくれて、ありがとう」

 最後の言葉は小さくつぶやかれたものだったが、確かに俺の耳に届いた。
 
 出発する段になって、大佐が俺に対して一つの提案を突き付けた。

「私とガイとティアで三角に陣形を取ります。あなたはイオン様と一緒に中心にいて、もしもの時には身を守って下さい」
「……どういうことだ?」
「お前は戦わなくても大丈夫ってことだよ。さあ、いこうか」

 今にも歩き出そうとする皆に、俺は昨夜から考えていた事柄へ、決断を下すべきときが来たことを理解する。

「待ってくれ」

 俺の呼び止めに、皆が動きを止める。

「どうしたんですか?」

 イオンが首を傾げながら尋ねる。それに俺は一度瞼を閉じる。自らの覚悟に思いを馳せる。

 殺し、殺される覚悟はあるか。

 剣を手にした以上、それは一生付きまとう問題だろう。既に選択肢は昨夜の会話で示されている。利口なやつなら、きっとこのまま皆の好意に流されたんだろうと思う。

 だから、底抜けのバカな俺が選ぶ道もまた、ハナから決まりきっていた。

「俺も、戦わせてくれ」

 ジェイドが眼鏡を押し上げると、俺の覚悟を確かめるように、昨夜と同じ問いを発した。

「人を殺すのが怖いのでしょう?」
「……怖いさ」

 脳裏に思い出されるのは、昨日犯した自身の罪。

「昨日、俺は初めて人を殺したよ。だけどな、不思議なことに、まるで実感が沸かなかったぜ。おかしいだろ? なんせ、俺が気付いたときには、ついうっかり殺しちまった後だったんだからな」

 身体に染みついた反射行動の結果、腸をぶちまけられた教団兵の死体。
 自らの意志さえ介在しない、殺人の事実。

「驚いたぜ。退屈しのぎで習っていたはずの剣術で、あれほどまでに呆気なく人を殺せるなんてな。そして愕然としたね。俺は呆気なく人を殺せるくせに、そんなことにも気付かねぇまま闘ってきたってことにな。本当に、どうしょうもないバカだよ」

 人を殺す覚悟が俺にあるとは思わない。それでも──

「俺は人を殺すのが怖い。人を殺せる俺が、殺せるって認識もないまま人を殺すのが、なによりも怖い」

 閉じていた瞼を開き、皆の顔を見渡す。

「だからこそ、俺はもう一度剣を取らなきゃいけねぇ。戦わなきゃいけねぇんだ」

 無自覚ではなく、殺すという覚悟の下に、剣を振るわなければならない。

「そうでもしないと、俺は二度と剣を取れないだろうからな……たとえ、誰かに命の危険が迫ろうともよ」

 震える左手を剣の柄に伸ばし、押し殺した声で呻いた。
 脳裏に過るのは、俺に変わって切り捨てられたティアの崩れ落ちる姿だ。

「……人を殺すということは相手の可能性を奪うことよ。それが身を守るためでも」

 誤魔化しは許さないと、ティアはいつものように俺の覚悟の程を試す。

「あなたに、それを受け止めることができる? 逃げ出さず、言い訳せず、自分の責任を見つめることができる?」

 他者の可能性を奪うことに対する責任。俺は瞼を閉じ、闇を見据えた。

「誰だって好きで殺してる訳じゃねぇはずさ。それでも、殺人以外を許さない状況があるのが、俺の知らなかった、この世界の現実ってやつなんだろうな」

 瞼を開き、ティアの不思議な色合いの瞳を見返しながら、俺は自身の決意を告げる。

「受け止めてみせるさ。あんな無様な真似は二度とさらさねぇ。殺しの意味するものを見据えた上で、俺自身の責任ぐらいは背負ってみせるさ」
「……でも……私は……」

「いいじゃありませんか」

 尚も何か言いかけたティアの言葉を遮って、ジェイドが俺の瞳を射抜く。

「ルークの決心とやらを見せてもらいましょう。本当は武器を扱う者なら、誰もが最初に自覚すべき事柄なのですからね」

 大佐の言葉はいつものように皮肉めいていたが、その瞳に宿る色はどこまでも苛烈なものだった。

「無理だけはするなよ、ルーク」

 一人俺に甘い言葉をかけるガイだったが、むしろ、今はそうされる方が辛い。

「……状況がそれを許すなら、喜んでそうしてやるさ」

 吐き捨てた俺の言葉に、ガイが目を瞠りながら、俺の顔を心配そうに覗き込む。

「……ほんとに大丈夫か?」
「わりぃ……ちょっと気が立ってただけだ。大丈夫。俺は大丈夫だよ」

 頭の上で、仔ライガが心配そうに鼻を鳴らす。手を伸ばして、安心しろと撫でてやる。

「そう、大丈夫だ。大丈夫……」

 手を動かしながら、俺は自らに言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返す。
 なにかに許しを請うように、人を殺せると、ただ繰り返した。






[2045] 2-4・零れ落ちた絆
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 21:05

 特に追手と遭遇するでもなく、アニスとの合流地点であるセントビナーに到着できた。

 エンゲーブとは違って周囲を堅牢な城壁で囲まれた街並みの物珍しさに、最初は感心しながら辺りを眺めていた俺だったが、すぐにそんな興奮も覚まされる。

「なんでオラクル騎士団が居んだ……?」

 唯一の出入り口たる大門の周辺で、教団兵らしき連中が街を出入りするやつらを尋問してやがる。

「タルタロスから一番近い町はこのセントビナーだからな。休息に立ち寄ると思ったんだろう」

 ガイが事も無げに大門にはりついた教団兵達の意図を測る。

「おや、ガイはキムラスカ人の割にマルクトに土地勘があるようですね」
「卓上旅行が趣味なんだ」
「これはこれは、そうでしたか」

 ジェイドが含みのある感じで頷くが、ガイもさる者で、大佐の攻勢を軽く受け流している。
 なにをやってんだかね。無駄に張りつめた空気が漂うやり取りに俺は呆れた。

「……隠れて! オラクルだわ」

 一人生真面目に周囲を警戒していたティアの言葉に、俺達は口を閉じて身を潜める。
 大門に近づく異様な威圧感を放つ四人連れに、オラクル兵が敬礼を返す。

 どうやら、タルタロスで見かけた連中のようだ。金髪美人に、アリエッタ、それに加えて、俺が初めて見る奴らが二人居る。一人は全身黒づくめのでかいおっさんで、もう一人は仮面をつけた緑色の髪をした細っちい男だ。


「導師イオンは見つかったか?」
「セントビナーには訪れていないようです」

 門の見張りをしていたオラクル兵が、金髪美人の言葉に敬礼をしながら答える。

「イオン様の周りに居る人たち、ママの仇……。森の仔たちが教えてくれたの」

 顔を俯けるアリエッタに、成人ライガが慰める様に鼻を近づける。

「それにあの人、ママからあの仔、奪った……。アリエッタはあの人たちのこと、絶対許さない……」

 成人ライガに手を伸ばして応えながら、アリエッタは暗い表情でつぶやいた。


 ママの仇……か。

 漏れ伝わって来たアリエッタの言葉に俺は息をのむ。俺達が切り殺した連中の中に、彼女のおふくろさんがいたんだろうか。背負うと誓ったはずだったが、それでも改めて目の当たりにした現実に、動揺を禁じえない。


「導師守護役がうろついてたってのは、どうなったのさ」
「マルクト軍と接触していたようです」

 甲高い声で問いかける仮面男に、見張りが答えた。

 導師守護役の目撃情報があるってことは、アニスは無事だったのか。

 敵からもたらされた情報だったが、それでもこれでアニスが無事であることは半ば確定した。ジェイドとイオンに視線を向けると、二人もわずかに頬を緩め、安堵したようにわずかに笑みを浮かべている。

「俺があの死霊使いに遅れをとらなければ、アニスを取り逃がすこともなかった。面目無い」

 黒づくめのおっさんが、悔しげに顔を歪める。言われてみれば、おっさんの顔色は酷く悪い。ジェイドにやられたんだとしたら、よくまあ死ななかったもんだと感心するね。


 耳を澄ませながらオラクルの話を盗み聞いてると、突然周囲から拍手を叩くような音が盛大に響き渡る。


「──はーっはっはっはっは!」


 上空からどこか道化じみた哄笑が降り掛かり、門の付近から音素の色がついた光線が放たれ、とある一点を照らし出す。

「だぁかぁらぁ言ったのですっ!」

 変態が空から降りてきた。

 何故か空中に浮かんでる豪華な椅子に腰掛け、首回りをど派手な襟巻きのようなもので覆った白髪の男が、変態染みたピンク色の光に照らし出されながら笑い声を上げている。

 シュールだ。とてつもなくシュールな光景だ。

「ジェイドを負かせるのは、オラクル六神将、薔薇のディスト様だけだとっ!」
「薔薇じゃなくて死神でしょ」 

 相手するのも鬱陶しそうに、仮面の男が突っ込みを入れる。

「この美しい私がどうして、薔薇でなくて死神なのですかっ!」

 ディストとやらが憤慨した訴えると同時に、周囲に響く効果音が拍手から稲妻のような音に変わる。音源の方に目をやると、どうもあちこちに譜業のスピーカーのようなものが設置されているようだ。

 芸が細かいというかなんというか……変態だな。

 憤慨したと地団駄を踏むディストとやらを無視して、金髪美人が話を戻す。

「過ぎたことを言っても始まらない。どうするシンク?」
「エンゲーブとセントビナーの兵は撤退させるよ」

 シンクと呼び掛けられた仮面男の答えに、黒づくめのおっさんが身を乗り出す。
  
「しかしっ!」
「あんたはまだ怪我が癒えていない。死霊使いに殺されかけたんだ。しばらく大人しくしてたら? それに奴らはカイツールから国境を超えるしかないんだ。このまま駐留してマルクト軍を刺激すると外交問題に発展する」
「カイツールでどう待ち受けるかね。一度タルタロスに戻って検討しましょう」

 背後でなにやらディストが喚いているようだったが、全員が無視していた。周囲に響く効果音が、どこか物哀しいメロディに変わる。

「致し方あるまい。伝令だっ! 第一師団! 撤退!」

 でかいおっさんの一喝に、門の前で見張りをやっていたオラクル兵は敬礼を返す。すぐさまおっさんの指示を復唱しながら、街の中へ駆けて行った。

 それを見送ると、指示を出したオラクルの四人組は即座に身を翻し、去っていった。

「きぃいいいい! 私を無視するなんてっ! 私が美と英知に優れているから嫉妬しているんですねーっ!!」

 一人残された派手男が拳を握りしめて喚き立てる。効果音が再び怒りを現すような雷音を発する。

「はぁはぁ……まあいいでしょう。……私も帰りますか」

 ひとしきり叫んで気が晴れたのか、派手男が髪をかきあげながら呼吸を整える。

 そのまま帰るのかなぁと見送っていると、なぜか派手男は空中に浮かぶ椅子から立ち上がる。そのまま周囲に設置されていたスピーカーや自身を照らし出していた光源を、無言のままモソモソと回収し始める。

「……」

 なんだか見てはいけないものを見てしまったような、なんとも言えぬやるせなさが俺たちを襲う。

 一人回収を終えた派手男は空飛ぶ椅子に再び腰掛けると、やはり無言のままもっそり空へと帰っていった。

「……なんだったんだ、アレ」

 派手な登場とは対照的な去り際のわびしさに、俺は額に浮んだ冷や汗を拭いとる。

 なんというか、とんでもない存在感を持った相手だった。

 もちろん、強敵とかとは別の意味だけどな。

 なんとも言えぬ微妙な空気に仲間の顔を見回すと、イヤに強張った表情をしている奴がいることに気付く。

 ティアが屋敷を襲撃したときのような、いやに硬い表情になっていた。

「あれが六神将……」

 ティアは派手男ではなく、四人組の去って行った方向を見据えていた。

 六神将って言うと、師匠も所属してる教団の部隊だったかね。

「確か、オラクル騎士団の師団長だったか?」
「正確には、オラクルの幹部六人のことです。師団長すべてが含まれるわけではありませんね」
「でもよ、あいつら五人しか居なかったぜ。誰が抜けてたんだ?」

 ガイが指折りしながら、さっきまで居た連中の名前を数える。

「黒獅子ラルゴに、死神ディストだろ。烈風のシンクに、妖獣のアリエッタ、魔弾のリグレット……と、いなかったのは鮮血のアッシュだな」
「どいつも物騒な二つ名だよなぁ……」

 黒獅子とか烈風とか魔弾まではまだわかるとしても、死神とか妖獣とか鮮血とかまで行くと、呼ばれる方もたまったもんじゃないだろうな。明らかに言われる側も不吉な呼び名だぜ。

 げんなりした顔でつぶやく俺に、ティアが押し殺した声で吐き捨てる。

「彼らはヴァン直属の部下よ」

 なにかに耐えるように、一言一言を絞り出す。

「六神将が動いているなら、戦争を起こそうとしているのは、ヴァンだわ……」
「大詠師モースも、六神将の指揮を取れます」

 イオンの冷静な指摘にも、ティアは暗い表情で応じる。

「大詠師閣下がそのようなことするはずがありません。極秘任務のため、詳しいことは話すわけにはいきませんが……あの方は平和のための任務を私にお任せ下さいました。考えられるのは、やはり兄さんしか居ない……」
「師匠が戦争をねぇ……」

 渋い顔立ちした貫祿十分の立ち姿を思い出す。確かに師匠は超絶的なあり得ねぇぐらいの戦闘力を誇るが、それでも戦争を起こそうとするようなやつだとは思えない。

「兄ならやりかねないわっ!」

 俺がティアの考えを疑問視していることがわかったのか、ティアは強い口調でもう一度繰り返す。

「ティア、落ち着いて下さい」
「そうだぜ。モースもヴァン謡将もどうでもいい。今は六神将の目をかいくぐって、戦争をくい止めるのが一番大事なことだろ」

 イオンとガイが諫めると、さすがに取り乱している自分が自覚されてか、すぐに感情を抑えた。

「……そうね。ごめんなさい」

 ティアの謝罪で、ひとまず会話が収まった。

「──終わったみたいですねぇ。それではオラクルも撤退したみたいですし、街の中に入りましょうか」
「あんた、いい性格してるなー……」

 途端に両手を広げ肩を竦めるジェイドに、ガイが半眼でつぶやいた。俺もジェイドに視線を向ける。無論、ジェイドは一向に気にした様子はない。

 ほんと、いい性格してるよなぁ……

 悠然と先を歩くジェイドの背中を見やり、俺は呆れるのだった




               * * *




 そんな風にいろいろとあったが、無事に街の中へ入ることができた。門を潜った先には広場があって、周囲に屋台や宿屋などが並んでいる。そんな広場の奥、門から正面に位置する場所に、かなりでかい上に無骨な造りの建物が在った。

「で、六神将の奴らがアニスはこの街にはもう居ないとか言ってたけどよ、どうすんだ?」
「そうですね。マルクト軍の基地で落ち合う約束でしたが、六神将達の話から判断するに、アニスは既に次のポイントにでも移動しているでしょう。それでも無事を示す書き置きぐらいは残して行ったでしょうから、とりあえずは基地に向かってみます」

 理路整然と俺の疑問に答えると、ジェイドの全員に向けて改めて説明する。

「そんな訳なので、私は軍の基地に向かいます。皆さんはその間、街の見学でもしていてください。ですが、オラクルがこの街から撤退したとは言っても、あくまでも我々は追われる立場だということは忘れないように」
「わぁーてるよ……わざわざ俺の方向いて言うなっつーの」

 明らかに俺限定で放たれた言葉に、俺は手をひらひら振って答えた。

 ジェイドは肩をすくめると、悠然とした足どりで軍のベースへ向かった。

「……さて。そんじゃ、ありがたく見学させて頂くとするか。俺はあのでっかい木が気になってしょうがなかったんだよ」

 ジェイドの背中が見えなくなるや否や、俺はすぐさま興味の対象へと歩き出す。

「ルーク、派手な行動は慎んでね。エンゲーブの二の舞は御免よ」
「うっ……俺だってそこまで馬鹿じゃねぇ。わかってるよ」
「本当かしら……?」
「だぁーもう、気をつけるってっ! いい加減許してくれよ、ティア」

 乱暴な言葉遣いながらも素直に謝る俺の様子に、ガイがからかう様な笑みを浮かべる。

「なんだぁ? 随分と尻にしかれてるなルーク。ナタリア姫が妬くぞ」
「……」

 ガイの言葉にティアは黙り込んだかと思えば、突然ガイに腕をからめる。

「……うわっ!!」
「くだらないことを言うのはやめて」
「わ、わかったから俺に触るなぁっ!!」

 地面に倒れ込んで痙攣するガイの姿に、俺は我が親友ながら心底情けなくなったよ。

「この旅で、ガイの女性恐怖症も克服できるかもしれませんね」
「……イオンも以外にエグイこと言うよな」
「はい?」

 自分の発言が意味するものがまったくわかっていない様子のイオンに、俺は乾いた笑みを浮かべるのであった。


「しかし、でっかい木だよなぁ」

 アホのように口を開けたまま、民家の立ち並ぶ一画に生えた大木を見上げる。

「ルークじゃないけど、確かにあの大木は素敵ね」

 さっきの尻に敷く発言を気にしているのか、妙に俺に突っかかる様な物言いをする。

「あれはソイルの木だな、ここセントビナーの象徴さ。なんでも、この木が枯れかけたときには、周囲の草花も枯れかけたって話だ。一説には樹齢2000年とも言われてるらしいな」
『2000年!?』

 どんだけの時間だよ。驚愕の声を上げる俺達に、ガイが苦笑を浮かべる。

「といっても、あくまでも一説に過ぎないらしけどな」
「はぁ……しかし、それでもスゲェよなぁ……」

 数ある学説の一つに過ぎないとしても、そんなことが言われても不思議じゃないぐらいの雰囲気をこの大木は持っているってことだ。それはそれで、十分すげぇことだよなぁ。

 感心して見上げていると、ミュウが鼻を動かしながら、嬉しそうにくるくる回る。

「この木、ミュウのお家と同じ匂いがするですの~」
「チーグルんとこの木と、この木が同じ種類だってのか?」

 気になって問いかけるも、ミュウは誇らしげにその小さい身体で胸を張って、俺の問い掛けとは的外れの答えを返す。

「でも、この木よりミュウのお家の方が大きいですの~」
「確かに大きかったわね」
「そうですの、ミュウのお家の方が大きいから勝ちですの~!」
「そうね」

 微笑ましそうにミュウに答えるティアを余所に、俺はぼそりとつぶやく。

「勝ち負けの問題か……?」

 しかし、俺の言葉は誰にも拾ってもらえなかった。なんか最近扱い悪いよな、俺……。

 うなだれる俺を慰める様に、仔ライガが俺の頭を前足でポンポン叩いた。




             * * *




 そんな風に街中を見て回っていると、平穏な街並みを悠然と歩くジェイドの姿が視界に入る。基地での首尾はどうだったのか尋ねようと駆け寄る俺に向けて、ジェイドがその手に握っていたものを放り投げる。

 片手を上げて反射的に受け取ったそれに、俺は視線を落とす。

「これは……剣か?」

 鞘に収められた金属の重みを感じながら、俺は受け取った剣をしげしげと見下ろす。

「正確には真剣、です」

 訂正された言葉の意味するものに、俺は一瞬息を飲む。

「今後は六神将との本格的な戦闘も考えられるでしょう。その際、戦闘に参加する者に足を引っ張られるのは、私は御免です。とりあえず、その木剣から卒業することから始めましょう。幾ら刀身にフォニムを込め、響律符で身体能力が強化されているとは言っても、確たる実力者達を前にすれば、そんなものは児戯に等しいですからねぇ」

 いつものように微笑を浮かべながら語られたジェイドの言葉は、昨夜の俺の覚悟を試すものだった。

「……」

 俺は鞘から刀身をわずかに抜き出し、その白刃の輝きを見据える。

 脳裏を過る記憶の断片。

 降り注ぐ血の雨。腸をぶちまけながら絶滅した教団兵の死体。
 そして、俺の油断から切り伏せられ、崩れ落ちる彼女の姿。

 俺は一度だけ瞼を閉じ、自身の覚悟の程を確かめる。胸の内に確かに揺れることなく存在する、剣を取る理由に想いを馳せる。

「……わかった。ありがたく受け取っておくよ、ジェイド」

 刀身を鞘に収め直し、俺は受け取った真剣を掲げてみせた。

 俺の答えに、ジェイドは満足そうに頷きを返した。そんな俺たちのやり取りに、ガイはどこか気まずそうに頬を掻き、ティアはどこかいたましげに顔を伏せた。

「あー……ところでよ、基地の方はどうだったんだ?」

 なんだか気まずい空気が漂い始めたのを感じて、とりあえず俺は話題を変えた。

「やはりアニスは既にここを立った後のようです。基地に手紙が残されていました」
「へぇ。どんな内容なんだ?」

 そんな俺の後を引き継いだガイの問い掛けに、ジェイドがどこか含みを持った視線を俺に向ける。

「どうやら半分はルーク宛のようです。私が読み上げるのもなんですし、どうぞ」
「は? 俺宛だと?」

 渡された手紙を受け取って、とりあえず読み上げる。



   親愛なるジェイド大佐へ。
   すっごく怖い思いをしたけど何とか辿り着きました☆
   例の大事なものはちゃんと持ってま~す。誉めて誉めて♪
   もうすぐオラクルがセントビナーを封鎖するそうなので
   先に第二地点へ向かいますね。
   アニスの大好きな(恥ずかし~☆ 告っちゃったよぅ)
   ルーク様はご無事ですか?
   すごーく心配しています、早くルーク様に逢いたいです☆
   ついでにイオン様のこともよろしく。
   それではまた☆ アニスより



 正直、目眩がした。


「なんだよ、この手紙は……」
「おいおいルークさんよ。モテモテじゃねぇか。でも程々にしとけよ。お前にはナタリア姫っていう婚約者がいるんだからな」
「冗談。あいつは俺の天敵だぜ。むしろあっちの方からそのうち断り入れて来るさ」

 からかう様に言って来るガイに、俺も手をひらひら振って否定する。別にあいつ本人を嫌ってるわけじゃねぇんだが、それでもバチカルではなにかと対立することが多かった相手だ。なにかとカチあってる内に、苦手意識が染みついてしまった。

「ところで、第二地点というのは?」
「カイツールのことです」

 一人冷静に、ティアが今後の計画をジェイドに尋ねる。

「ここから南西にある街で、フーブラス川を渡った先にあります」
「ふむ。カイツールまで行けばヴァン謡将と合流できるな」

 ガイの思わず洩らした言葉に、ティアがその瞳を動揺に揺らす。

「兄さんが……」
「おっと、何があったか知らないが、ヴァン謡将と兄弟なんだろ? バチカルのときみたいに切り合うのは勘弁してくれよ」
「……わかってるわ」

 ティアも頷くが、そこにはどこか自分の感情を押し殺す様な感じが見て取れた。本当に大丈夫か、なんか心配だよな。ティアは師匠に似てどこまでも生真面目な奴だから、一人で抱え込んで潰れないといいけど。

「──では、アニスと落ち合う予定のカイツールに向かいましょうか」
「ほんとあんた、いい性格してるぜ……」

 話題が終わるや否やさっさと歩き出したジェイドに、俺は呆れた視線を向けた。




             * * *




 フーブラス川についた。周辺の大地に、ところどころ岩の突き出た部分があって目につく。川自体はもっと奥まった部分にあるのか、いまだ視界に入ってこない。

「ここを超えれば、すぐキムラスカ領なんだよな」

 これまでの旅路を思い返すと、ちょっと感慨深いもんがある。

「ああ。フーブラス川を渡って少し行くと、カイツールって街がある。あの辺りは非武装地帯なんだ」
「早く帰りてぇ……。もういろんなことがありすぎたぜ」
「ご主人さま、頑張るですの~」

 元気出すですの~とミュウがくるくる俺の周りを回る。仔ライガも頭の上で、ぽんぽん前足を叩いて励ますように唸る。小動物二人組の激励に、俺も大人げないと思い直す。

「うっ、俺だってわかってるよ。ただ言ってみただけだぜ」
「ルーク、面倒に巻き込んで、すみません」
「いや、だからそこで謝られても、むしろこっちの気が退ける」

 頭を下げて来るイオンに、俺はしどろもどろになって、なんとか言葉を返す。

「──さて、ルークの愚痴も言い終わったようですし、行きましょうか」

 それまで黙って話を聞いていたジェイドが、両手を後ろに組むと悠然と歩き出す。

「違いない」
「そうね……」
「行きましょう」

 口々に同意すると、ぞろぞろとみなが歩き出す。

「やっぱ、最近扱い悪いぜ……」

 一人取り残された俺は、ミュウと仔ライガで疎外感を慰めた。



「そう言えば、イオン様。タルタロスから連れ出されていましたが、どちらへ?」

 部分的に階段状になっている坂道を歩いていたところで、唐突にジェイドが尋ねる。

「セフィロトです……」
「セフィロトってのは確か……」

 虚空を見上げながら、なんだったか思い出そうとする。

「大地のフォンスロットの中で、もっとも強力な十カ所のことよ」
「星のツボだな。記憶粒子っていう惑星燃料が集中してて、音素が集まりやすい場所だ」
「いや、一斉に説明するなって。俺だって……あれだ、今言おうとしてたんだよ」

 ティアとガイの説明に、俺はむきなって反論した。二人は俺の言葉に苦笑を浮かべるだけで、まったく悪びれた様子も見せやがらない。

 ふくれっ面になる俺を軽く無視して、ジェイドがイオンにさらに問いかける。

「セフィロトでなにを……?」
「……言えません。教団の機密事項です」

 硬く口元を結んで、イオンは拒絶の意志を発した。

「教団は妙に機密事項とか多いよな……」

 俺が思わずつぶやいた言葉に、ティアが顔を背けた。

 別にティアを揶揄したつもりはなかったんだが、結果としてそう取られてもおかしくない言葉だったか。

 ちょっと落ち込みながら、暗い雰囲気になって歩いていると、とうとう川に行き着いた。街で下流の橋が流されたとかいう話を聞いてたから、どんだけ凄い川なのか気になってたんだが、目の前の川の流れは全然たいしたことないように見える。

「橋が流されたってわりには、静かな流れだよな」
「もう随分と経ってるからな、ようやく落ち着いたってとこだろ」

 俺のなんも考えていない感想に、ガイが苦笑を浮かべながら答えた。

「そうなのか? 荒れてるとこなんて、この様子だとぜんぜん想像できねぇぞ」
「ルーク。川に限らず、水を舐めていたら大変な目に会うぞ」
「……確かに海は怖いそうね」

 ガイの俺を諫める言葉に、ティアもなにか思うところがあったのか、自身を戒めるように頷く。

「そうね……とは、また奇妙な言い回しですね。ダアト周辺には海水浴のできる海岸が幾つもあるでしょうに」
「え、ええ、まあ」

 いつものように、ジェイドがちょっとした言葉尻を捉えて突っ込みを入れる。そんなに気にするようなことか?

「ま、それはともかく、ガイはバチカル生まれなのですか?」
「いや、そうじゃないが、いろいろと地方を回って得た教訓ってとこかな」

 確かにガイは屋敷でも、いろんな土地の事をまるで見てきたように話して俺に聞かせてくれた。バチカルに閉じ込められていた俺には望むべくもない事柄だよな。

「まったく羨ましい限りだぜ。俺もいつか旅行とかに行きたいね」
「そのうち行けるようになるさ。とにかく、そんな俺が言うんだ。海とか川を舐めんじゃないぞ。一歩間違えると、たいへん危険だからな」

 ガイがそこで言葉を切って、俺を見る。他の連中もみんなして、俺に視線を向けた。

「そこで一斉に俺を見るなっつーのっ!」

 そんなに俺は危機管理がなってない人間に見えるのかよ……
 さらに落ち込みながら、俺は皆の後について行く。
 馬鹿話をしながらも、飛び飛びに存在する川石の上を伝って着実に川を横断する。


 最初はおっかなびっくり皆の後についていった俺だったが、ところどころ深さが浅くなっている部分もあって、意外なほど簡単に川を渡ることができた。

「ふぅ……なんとか渡れたか」

 完全に対岸まで渡り切れたことに、俺は安堵の息をつく。

「しかしルーク、おまえ妙に楽しそうだったな」
「そう見えたのか……?」

 ガイのどこか面白がるような言葉を受けて、皆の顔を見回す。
 それに全員が頷きを返した。

 むむ、そうなのか。

 さすがに全員から同意されたので、俺も改めて考えてみる。

 まあ、確かに自分でも川を渡るのがつまらんとは思わなかったよな。そもそもこういう自然を感じさせるような場所がバチカルには皆無だ。自分が気付いてなかっただけで、普通に外を歩くのとかも楽しんでたのかもなぁ。

 自分でもよくわかっていなかった感情の動きに感心していると、突然、頭の上で仔ライガが立ち上がった。

 同時に、雄叫びが遠方から響く。

「なんだ……っ!?」

 周囲を警戒する俺たちのすぐ真上を、咆哮が通過した。

 見上げるのも待たず、周囲に雷を撒き散らしながら跳躍したソレは、呆気なく俺たちの前方に回り込む。

「ライガっ!」
「後ろからも誰か来ます!」

 突如現れた魔物に武器を身構える俺達に、ジェイドが首だけで背後を指し示す警告を発する。

 ライガを警戒しながら振り返ると、そこには黒い拘束服のようなワンピースを着込んだ少女の姿があった。

「妖獣のアリエッタ……見つかったか」
「逃がしません……っ!」

 六神将の一人の登場に、ガイが表情を引き締めながら、重心をわずかに低くする。
 対する少女はアニスの持っていたような不気味な人形を胸元に抱きしめ、毅然と告げた。

「アリエッタ! 見逃して下さい。あなたらなわかってくれますよね? 戦争を起こしてはいけないって」
「イオン様の言うこと……アリエッタは聞いてあげたい……です。でも」

 前に進み出て頼み込む導師に、アリエッタがわずかに顔を伏せた。ついで、屹然と顔を上げた彼女の瞳が俺達を射抜く。

「でもその人たち、アリエッタの敵!」

 こちらを見据える瞳には、憎悪の炎が燃え盛っていた。
 それに気付くことなく、イオンは説得を続けようとする。

「アリエッタ。彼らは悪い人ではないんです」
「ううん……悪い人です。だってアリエッタのママを……殺したもんっ!」

 導師の言葉すら遮って、彼女は憎しみの理由を告げた。

 殺した。

 脳裏を過るのは血に塗れて沈む教団兵の死体。戦艦の襲撃で何人が死んだかは知らないが、それでも相当な血が流れたことだけはわかる。たとえ襲撃を仕掛けたのは向こうからだとして、そのうちの誰かを俺たちが殺したのなら、確かに俺たちは憎まれる対象となるんだろうな。

 これが……背負うってことか……。

 初めて経験する殺人の重荷を意識しながら、俺は少女の瞳を見つめ返す。

「ママってのは……いったい誰のことを言ってるんだ?」
「アリエッタのママはお家を燃やされて、チーグルの森に住み着いたの。ママは子供たちを……アリエッタの弟と妹たちを守ろうとしただけなのに……」

 うつむきながらアリエッタは訴える。家を燃やされて住み着いた。ただ守ろうとしただけだ。目尻に涙を滲ませながら訴える少女の言葉に、俺は背筋が凍りつくのを感じる。

 頭の上で、仔ライガは少女に対してずっと唸り声を上げ続けている。
 少女はその敵意を剥き出した唸り声に、泣きそうなほど顔を歪めている。 

「まさかライガの女王のこと? でも彼女、人間でしょう?」
「彼女はホド戦争で両親を失って、魔物に育てられたんです。魔物と会話できる力を買われて、信託の盾騎士団に入隊しました」

 ティアとイオンの言葉が、どこか遠くに感じる。

 アリエッタは俯けていた顔を上げると、俺一人を睨む。瞳に宿る憎悪の炎がこれまで以上に燃え上がるのがわかる。しかし、そこに浮かんだ表情は同時に、どこか泣いているようにも見えた。

「それになんで……なんでママの子供をあなたが連れてるの!? ママを殺したくせに、どうしてそんなことができるの!? ママだけじゃなくて……アリエッタから妹まで取り上げるつもりなの!?」
「俺は……俺は……」

 ただ呆然と立ちつくしかなくなった俺を見据え、アリエッタは屈辱に頬を紅潮させる。

「あのときママのことがわかっていたら……だまされなかったのにっ! 少しでもいい人だなんて、思わなかったのにっ!!」

 アリエッタが一瞬優しい顔になって、仔ライガに視線を向ける。
 だが、仔ライガはそれにも唸り声で応える。肉親なんて知らないと、敵意を向ける。

「許さない……っ! アリエッタはあなたたちを許さないっ!!」

 残された唯一の肉親からすら敵意を向けられた女王の娘が、あまりにも正当すぎる怒りを俺に叩きつける。

「地の果てまで追いかけて……殺しますっ!!」

 復讐の宣言とともに、アリエッタが胸元に抱いていた不気味な人形を掲げる。
 激しく動揺する俺一人を残し、全員が一斉に武器を構えた。

 今にも戦端が開かれようとした──まさにそのとき。

 大地が激しく揺れ動く。

「うわっ!!」
「きゃっ……っ」

 揺れに足を取られ地面に膝をつく俺達と同様に、アリエッタもまた立っていられなくなって、その場にへたり込む。

「地震か……!」

 だが、異変はそれだけに収まらない。

「おい、この蒸気みたいのは……」

 激しい振動によって地面に亀裂が走り、そこら中からガスが噴き出す。

「障気だわ……!」
「いけません。障気は猛毒です」

 座り込みながらも、ティアとイオンが警告を発する。

「きゃっ……!!」

 噴き出す障気の直撃を受けたアリエッタと成人ライガが悲鳴を残し、一瞬で意識を刈り取られた。

「なっ……大丈夫なのか? 煙なんて防ぎようがねぇぞっ!」
「長時間、大量に吸い込まなければ大丈夫。とにかくここを逃げ……」

 起き上がりながら言いかけたティアの言葉が止まる。

「逃げ道が……」

 周囲の大地は陥没したように落ち込み、地面を走る亀裂から障気が噴き出していた。

「どうする……?」

 向けられた俺の真剣な表情に、ティアがなにかを覚悟するように瞼を一度閉じると、杖を構え直す。

 ティアが大きく息を吸い込み、続けてその唇が開かれた。

 ──クロァ──リョ──ズェ──トゥエ──


 周囲を障気とは対照的な優しい光が満たし始める。

「譜歌を詠ってどうするつもりです? それよりも脱出の方策を……」
「待って下さいジェイド! この譜歌は……──ユリアの譜歌です!!」

 ──リョ──レィ──ネゥ──リョ──ズェ───

 譜歌が終わると同時に、虚空に浮かび上がるようにして光の円陣が周囲を走る。

 その場に居た者達全てを包み込む巨大な紫紺の円球が出現した。球体から溢れる音素の光と、複雑な譜の旋律が周囲を圧倒する。

 視界を閃光が貫いた。

「……障気が……消えた?」
「障気が持つ固定振動と同じ振動を与えたの。一時的な防御壁よ。長くは持たないわ」

 ティアが息を荒らげ、杖に身を預けながら答えた。
 あれほど揺れていた大地も、その動きを止めている。

「噂には聞いたことがあります。ユリアが残したと伝えられる七つの譜歌……。しかしあれは暗号が複雑で、詠み取れた者がいなかったと……」
「詮索は後だ。ここから逃げないと」

 ガイの正論に、いつもの探求癖を発揮していたジェイドも苦笑を浮かべ同意する。

「そうですね」

 言うと同時に、無造作に槍を右手に取り出すと、地面に倒れ込むアリエッタに突き付ける。後顧の憂いを取り除かんと、ジェイドが槍に力を込める。

 俺の脳裏を過る無数の言葉。

 ──アリエッタのママはお家を燃やされてチーグルの森に住み着いたの。ママは子供たちを……アリエッタの弟と妹たちを守ろうとしただけなのに……──

 ──なんでママの子供をあなたが連れてるの!? ママを殺したくせに、どうしてそんなことができるの!? ママだけじゃなくて……アリエッタから妹まで取り上げるつもりなの──

 俺の頭上で、仔ライガが敵意に満ちた呻きを、彼女の『姉』に向けた。

「や、やめろっ!」

 気がつくと、俺はジェイドを止めていた。

「なぜ、止めるのですか? あなたもわかっているでしょう。ここで見逃しても、ただ繰り返すだけです」

 一切アリエッタに突き付けた矛先を逸らさずに、ジェイドは淡々と当然の事実を告げた。

「生かしておけば、また命を狙われます」

「……俺は……ただ……」
「本当に……甘いのね。あなたは……自分に敵意を向ける人に対しても、甘すぎる」

 言葉に詰まる俺に、ティアが俺に背を向けたまま、絞り出すような声音でつぶやく。
 なにも言えなくなった俺を見かねてか、イオンが前に進み出てジェイドを見上げる。

「ジェイド……見逃して下さい。アリエッタは元々、僕付きの導師守護役なんです」
「……まあ、いいでしょう」

 ジェイドは槍を消し去ると、アリエッタに背を向けた。
 どこか不満げであったものの、最終的にジェイドは俺たちの頼みを聞き入れてくれた。

「障気が復活してもあたらない場所に運ぶぐらいはいいだろ?」
「ここで見逃す以上、文句を言う筋合いではないですね」

 ガイの言葉に苦笑を浮かべながら頷き、ジェイドは眼鏡を抑える。

「そろそろ……限界だわ」

 杖を構えたまま、譜歌の効果を維持していたティアの言葉に、俺たちは急いで移動を始める。

「行きましょう」


 無言のまま歩き出す一同の中で、俺は一人背後を振り返る。
 気絶して地面に倒れ込むアリエッタと成人ライガの姿が視界に映った。
 俺と同じものを見ているというのに、仔ライガは彼女らにまるで興味がないのか身じろぎ一つ起こさない。

 ママと妹……か。

 やり切れねぇぜ。俺は自身の業の深さから目を逸らすかのように、気付くと顔を伏せていた。視線を逸らそうとも、俺が犯した罪は変わらないってのにな。

 ライガの家族の絆を引き裂いたのは他の誰でもない、俺なんだ。
 なにも知らない仔ライガが、沈み込んだ俺を慰めるように、甘えた声を出した。




あとがき
 ギャグキャラは貴重。軽い話しも書いてみたいけど挿む余地が…詳しくは感想で。次回は国境です。



[2045] 2-5・対峙する鏡像、漂うは死臭
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 21:11

「でっけぇーな」

 国境を別つ城壁が大陸の端まで続いている。到着したカイツールに漂う空気は妙にピリピリとしていて、自然と姿勢を正してしまうなにかがあった。

さすがに国境というだけあって、物々しい場所だよなぁ。

「それだけキムラスカもマルクトも、ここらを重視してるってことだな」

口を開けて城壁を見上げる俺に、ガイが苦笑を浮かべた。

「仮に戦争が始まったとしたら、ここが真っ先に戦場と成り得るということでもありますねぇ」
「開戦は阻止してみせます。そのために僕たちがいるのですから」

 皮肉混じりのジェイドの言葉を、イオンが純粋な思いから出た言葉で否定する。

 戦争が始まったらか。その戦争を俺みたいなチンピラが阻止しようとしてんだから、なんとも場違いなところに来ちまったよなぁ。

「あら……あの娘、アニスじゃないかしら?」

 ティアの指し示す先に視線を送る。城壁を潜った国境の境で、なにやら兵士と揉めている少女の姿があった。

「証明書も旅券も無くしちゃったんですぅ。通して下さい。お願いしますぅ」
「残念ですが、お通しできません」
「……ふみゅぅ」

 額に両腕をそえながら困ったなと呻くと、しょうがないとばかりに背を向け歩き出す。そして最後に、ぼそりと吐き捨てる。

「……月夜ばかりと思うなよ」

 妙にドスの入った声音に、さすがの俺もちょっとばかし腰が退けた。ありゃ相当な修羅場を潜った奴しか出せない深みがあったぞ。

「アニス。ルークに聞こえちゃいますよ?」

 イオンがぽやぽやした微笑を浮かべながら、アニスに呼び掛ける。

「あ……きゃわーん♪ アニスの王子様~」

 即座に猫被って、アニスはなぜか俺に抱きついて来た。小さいとはいえ女の子に抱きつかれて嫌な気はしなかったが、それでもさっきまでの印象が強すぎて、抱き返すこともできやしない。

「……女ってこえー」

 ガイが後ろを向いて、顔を引きつらせるのがわかった。正直、俺もそう思います。

「ルーク様。ご無事で何よりでした~! もう心配しました~!」
「そ、そっか。でもま、こっちも心配してたんだぜ。魔物と戦ってタルタロスから墜落したって聞いたがよ、大丈夫だったのか?」
「そうなんです……。アニス、ちょと怖かった……。……てへへ」

 俺もちょっと顔を引きつらせながら尋ねると、即座にしおらしい表情になったアニスが目尻に涙を浮かべる。うっ、しっとりした表情が妙に艶かしいというか。

「そうですよね。『ヤローてめーぶっ殺す!』って悲鳴上げてましたもんね」

 その瞬間を再現するように、イオンが感情込めてアニスの発言内容を繰り返した。

「……イオン様は黙っててください」

 怒りに額を引きつらせながら、アニスがイオンに向き直って抗議する。さっきまで俺に見せていたような表情は一瞬で吹き飛んでやがる。

 やっぱ、こいつ怖ぇーよ。なんか、俺には計り知れない深みを感じるよ。

「ちゃんと親書だけは守りましたよ。ルーク様。誉めて誉めて」
「そ、そっか。偉い偉い」

 思わずいつもバチカルの悪ガキ連中にしているように、アニスの頭を撫でていた。えへへ、と嬉しそうに目を細める仕種はそこらの子供と変わらないかったので、俺も多少落ち着きを取り戻すことができた。

 こいつは子供、子供……胸中で必死に言い聞かせる俺に、ティアが冷たい視線を投げ掛ける。

「……随分と優しいのね」
「そ、そんなことはねぇよ。子供相手だから普通だろ?」
「本当かしら……?」

 俺の下心を容赦なく見透かす視線に、ダラダラと冷や汗が滴り落ちる。

「ふっふっふ。羨ましいんですか~ティアさん?」
「そ、そんなことないわ」

 妙に挑発的な表情で見上げるアニスに、ティアが何故か焦ったように口ごもる。

 なんだかよくわからない微妙に切迫した空気が周囲を満たし、俺も動くに動けない。

 う、誰か、助けてくれ……

 助けを求める俺の視線に、ジェイドが気付いて肩を竦める。

「やれやれ。ともあれ、本当に無事で何よりでした」

 珍しい大佐の労るような言葉に、アニスが即座に反応して振り返る。

「はわー。大佐も私のこと心配してくれたんですか?」
「ええ。親書がなくては話しになりませんから」

 あっさりと返す大佐に、アニスがいじけた様に地面を蹴る。

「大佐って意地悪ですぅ……」

 子供らしいアニスの仕種に和やかな空気が周囲を満たし、俺も安堵の息を飲む。

「はれぇ? ところでそっちの彼氏は? もしかしてアニスちゃんが気になったりしてる?」
「あ、ああ、みんなの話を聞いてて、どんな娘なのかと思ってな」

 突然話を振られたガイが多少気押されながら、わずかに後退った。

「えぇ~? 私は普通の女の子ですよぉ」
「おやおや。アニスの普通の基準は、私とは違うようですね」
「ははは」
「大佐ひどいですよぉ。イオン様もそこは笑うところじゃありません!」

 元気良く抗議するアニスだったがその目は笑っていなかった。ガイも自分では測り知れないものを彼女に感じ取ってか、やや引きった笑みを浮かべている。

「ま、まあ、ともかくよろしくな、アニス」
「うん。よろしくね」

 ガイの挨拶にアニスも元気よく答えた。

 さっきの凄味効かせてたときとどっちが本性なのか、いまいちわからん奴だ。

 ともあれ話が一段落ついたのを感じてか、ティアが大佐に尋ねる。

「ところで、どうやって検問所を超えますか? 私もルークも旅券がありません」

 確かにどうしたもんか。首を捻る俺たちに大佐が何事か言おうと口を開き掛けて、突然俺の頭上に鋭い視線を向ける。

「───ここで死ぬやつにそんなものはいらねぇよっ!」


 頭上から叩きつけられた白刃が空を切る。


 反射的にその場から飛び退いていた俺の視界に映ったのは、燃え上がる様な真紅の長髪と、漆黒の教団服を着込んだ男の姿だった。
 太陽を背に取られ、一瞬視力を奪われた俺の明滅する視界の中で、自分に向けて振り降ろされる白刃の切っ先が鮮やかに近づくのがわかった。


 金属同士のぶつかり合う衝撃音が響く。


 辛うじて間に合った抜剣に襲撃者と鍔迫り合いを演じながら、俺は相手の顔を初めて目に映し、衝撃を受ける。

「誰、だよ……おまえ……」

 真紅の長髪、その下に見えた襲撃者の顔は、俺が鏡の向こうに見るものと同じだった。

「屑がっ!」

 気を取られた一瞬の隙をついて、襲撃者は剣先を撥ね上げる。弾かれた俺の剣が虚空に吹き飛ばされた。

「───動くな」

 俺の喉元に突き付けられた切っ先が、動きかけていた仲間の行動を制す。
 一瞬遅れで、弾き飛ばされた俺の剣が地面に突き刺さった。

 場の主導権を握った襲撃者は、剣を突き付けながら俺の顔を睨みつける。

「俺が誰だと? そんなことも推測できねぇからてめぇは雑魚なんだよ。脳味噌まで劣化してんのか? 馬鹿がっ!」
「くっ……好き勝手いいやがって……どうせ俺は馬鹿だよ。馬鹿で悪いかよっ!」

 混乱した頭が叩き出した答えはとんちんかんなものでしかなかった。
 俺の答えにそいつは馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、ついで視線を俺の頭に移す。

 俺の頭にしがみついたままだった仔ライガが、襲撃者に向けて呻き声を上げていた。

「……なんだこのライガは?」

 怪訝そうに眉を寄せる相手に、俺は自分に注意を引き戻すべく口を開く。

「俺の……家族だよ」
「家族だと?」

 呆気にとられたように目を見開く。そんな一つ一つの仕種までもが、どれも気味が悪いほど俺と似てやがる。

 俺は相手に悟られぬように手に砂を握り込む。

「そうだ……ぜっ!」
「ちっ──!」

 顔面に叩きつけられた砂のつぶてに、俺の答えに気を取られていたそいつは、咄嗟に突き付けていた剣を退いて顔を庇った。
 それでもわずかに目に砂が入ったのか、苦しそうに瞼を閉じている。
 この隙を見逃すか。剣は弾き飛ばされているが、体術まで封じられたつもりはない。

「あんまり俺をなめんなっ!」

 ───烈破掌

 深く落とした腰から砲弾のごとく放たれた掌低が相手の脇腹を狙う。

「ちっ、目障りだっ!」

 苦しげに薄めを開けながらそいつが叫んだ瞬間、俺は我が目を疑った。

 ───烈破掌

 互いの突き出した抜手がぶつかり合い、音素の激しい閃光を撒き散らす。発生した衝撃の余波に、俺たちは互いに吹き飛ばされながら距離を取る。

 地面を転がりながら、俺は弾き飛ばされていた剣を拾って、構えを取る。

 ありえない……俺は相手の放った技に、激しく動揺していた。

「な、なんでおまえが同じ技を使ってやがんだよっ!」
「はっ! 同じ流派だからに決まってるだろうがっ! 雑魚がっ!」

 俺に反撃された屈辱に吼えながら、そいつは再度突撃を仕掛けようとして──その動きを止める。

「動かないで」

 誰にも悟られない程気配を殺して動いていたティアが、そいつの首筋にナイフを突き付けていた。

「ふん。モースの犬か」

 そんな状況でも嘲笑う様な笑みを浮かべるそいつに、先程とは逆の立場となって、俺は剣を突き付ける。

「おまえはいったいなんだ? 教団兵かよ?」
「……」

 さっきとは一転して無言になったそいつに、俺は激しい苛立ちを感じる。

「彼は六神将の一人、鮮血のアッシュでしょう」
「六神将だって……?」
「なぜ彼が単独で襲撃をかけたのかはわかりませんが……タルタロスでは随分とお世話になりました」
「ふん。死霊使いジェイドともあろう御方が、子供のお守りとは大変だな」

 馬鹿にした様な視線で、俺たちを睥睨する。

「な、なんですって!」

 子供と言われて反応したのか、アニスが憤慨した様に睨み返す。

「余裕だな。だが、この人数相手にいつまでその態度が貫けるかな」

 ガイが刀に手をかけながら、威圧の言葉をかける。

「……」

 そいつは地面に剣を突きたて、一見観念した様に見える。それでもその双眸は敵意に満ちあふれ、あくまで馬鹿にした様な表情を消そうともしない。

 俺はなにも答えようとしないそいつに耐えきれなくなって、胸ぐらを掴む。

「アッシュとかいったな。六神将とかどうとかはどうでもいいぜ。それよりも、なんでお前は俺と……同じ顔をしてやがるんだよっ! 答えろよっ!」
「……屑が。やはり簡単に引っかかる」

 掴み上げられたそいつが、俺を嘲笑う。

「いけませんっ! 下がりなさい、ルークっ!」

 ジェイドがその場から飛び退きながら、警告を放つ。

 なにを、と思ったときには、既に遅かった。

 地面に突きたてられた剣を中心に、周囲に円陣が疾っている。円陣は音素の光を撒き散らしながら、次の瞬間、その内に秘めた力を解き放った。

「───守護方陣」

 地面から噴き出した激しい音素の衝撃に、アッシュにナイフを突き付けていたティアも、胸ぐらを掴んでいた俺も、咄嗟に反応が出来たジェイド以外の全員が吹き飛ばされた。

「ぐっ……」

 地面に叩きつけられ、身を捩る俺に向けて、再び剣が突き付けられる。

「無様だな。所詮は劣化野郎か……」
「くそっ……」

 最初の状況に引き戻された俺は、もはや相手を睨むことしかできない。

「───死ね」

 あっさりと突き出された剣先が、俺の胸元に吸い込まれるように届──

 神速の抜き打ちが、突き出された剣先を弾き飛ばした。

「退け、アッシュ!」

 俺と襲撃者の間に割って入った男が、威厳に満ちた声音で諫めるように告げた。

「……やはりこいつを庇うか、ヴァン」
「どういうつもりだ。私はお前にこんな命令を下した覚えはない。退け!!」
「……ちっ」

 俺を庇った男の一喝に、アッシュは舌打ちを洩らす。ついで騒ぎを聞きつけた国境警備隊の連中が駆けつけて来るのを目にすると、観念した様に首をふる。

 最後に俺と視線を合わせると、嘲りの笑みを浮かべた。

「この場は退く。だが忘れるな、ヴァンが来なければ、お前は死んでいたってことをな」

 アッシュが左腕を頭上に掲げ──振り降ろす。

 視界を放電の閃光が埋めつくす。

『ぐあっ……』

 閃光に目を焼かれ、その場に居た全員が目を閉じる。

 そのとき、俺の耳元で囁かれる言葉があった。


 ──てめぇに一つだけ忠告しておく。ヴァンには気を許すな。その家族とやらが、大事ならな……──


 なにを、と問い返そうと目を開けるが、閃光が収まったその場に、アッシュの姿はなかった。
 駆けつけた警備兵に、場が騒然となる。ジェイドが歩み寄って、なにやら話をつけているようだ。

 師匠に気をつけろって……どういうことだよ? 訳が、わからない。

「くそっ! なんだってんだよ」

 苛立ちに地面を叩く俺に、頭上からどこか深みのある重厚な声がかけられる。

「ルーク。今の攻防は無様だったな」
「ヴァン師匠……」

 俺は再開の気まずさに顔をしかめながら、俺の命を救った男の名を呼んだ。

「私の扱きが足らなかったのか?」
「うっ、そんなことないですよ。つい隙をつかれて……というか、会っていきなりそれですか……相変わらずですね、師匠は」

 まったくいつも通りの師匠の言葉に、俺はげんなりした顔になって応じる。

「ふっ……外に出たことで苦労したようだが、まだまだな。さすがは我が不肖の弟子だ」
「またそういうこと言いますか……」

 頭をかきながら不貞腐れたように言う俺に、師匠が剣を収めながら笑いかけた。

 師匠といつも通りの会話を交わしたことで、俺の中で渦巻いていた訳のわからない苛立ちはいつのまにか収まっていた。

 狙ってやったんだとしたら、やっぱり不肖の弟子だよな。俺もまだまだだよ、ほんとにさ。

 汚れた服を叩きながら俺が立ち上がったところで、師匠が登場したときから身体を強張らせていたティアが、懐からナイフを取り出すのが見えた。

「ヴァン!」

 叫ぶティアの顔には、これまでの道中では見せなかった追い詰められた様な表情が浮かんでやがる。これは、今にも師匠に切りかかってもおかしくない。

「ティアか。武器を収めなさい。おまえは誤解しているのだ」
「誤解……?」

 あくまでも疑念に満ちた声を上げるティアに、イオンが両者の間を取り持つ様な言葉をかける。

「ティア、ここはヴァンの話を聞きましょう。分かり合える機会を無視して戦うのは愚かなことだと僕は思いますよ」

 イオンの言葉はさすがに無視できなかったのか、ティアは少し考え込む様に黙り込むと、ナイフの切っ先を下げた。

「……イオン様のお心のままに。兄さんは──」
「ちょっと待ってくれ。師匠に話を聞くんなら……まず俺に話をさせてくれ」

 構えを解いてそのまま質問しようとするティアを遮って、俺は師匠に向き直る。

「師匠……さっきのあいつは、いったいなんなんです? あいつ、俺と同じ顔を……」
「……奴は鮮血のアッシュ。六神将の一画を担うオラクル騎士団の一員だ。六神将に関しては互いの素性を詮索しないことが不文律となっている。故に、私にもそれ以上のことは知らぬのだ。加えて、何故奴が動いていたのかもわからない」
「……そう、ですか……」

 何故あいつが俺と同じ顔をしているのかは、わからないままか……。

 アッシュ……奴はいったいなにをしたかったんだ? 俺を殺そうとしたかと思えば、すぐには殺そうとしない。確実に仕留めようとしてきたかと思えば、妙な警告を残す。

 そう、あの警告だ。

 ───ヴァンに気をつけろ。

 いったいどういうことだ? 一向に解決しない疑問を抱きながら、師匠に視線を向ける。

 師匠は皆からこれまでの経緯を聞いていたようだ。そこにはいつもの師匠の姿があるだけで、警戒に値するような不審げな態度は微塵も見出せない。

 話を聞き終えた師匠はしばし考え込んでいたが、そのうち納得がいったと頷いて見せた。

「……なるほど、事情はわかった。確かに六神将は私の部下だが、彼らは大詠師派でもある。おそらくは、大詠師モースの命令があったのだろう」
「なるほどねぇ。ヴァン謡将が呼び戻されたのも、マルクト軍からイオン様を奪い返せってことだったのかもな」

 ガイの推測に師匠が腕を組んで頷きを返す。

「あるいはそうかもしれぬ。先程も言ったが、おまえたちを襲ったアッシュも六神将だが、やつが動いていることは私も知らなかった」
「じゅあ! 兄さんは無関係だっていうの!?」

 ただ師匠の言い分を聞いているだけの状況に耐えられなくなったのか、ティアが叫んだ。

「いや、部下の動きを把握していなかったという点では、無関係ではないな。だが私は大詠師派ではない」
「初耳です、主席総長」
「六神将の長であるために大詠師派ととられがちだがな」

 アニスに顔を向けると、苦笑を浮かべながら付け加える。

「それよりもティア、おまえこそ大詠師旗下の情報部に所属しているはず。何故ここにいる?」
「モース様の命令であるものを捜索しているの。それ以上は言えない」

 問いかける師匠の言葉に、ティアは硬い声で返した。

「第七譜石か?」
「──機密事項です」

 あくまで拒絶するティアに、師匠が苦笑を深くする。

 兄妹喧嘩をするのはいいんだが、それよりなにを話してんだか俺にはよくわからなくなってきた。

「そもそも第七譜石って、なにさ?」

 周囲の人間が、みんな呆れ返ったかの様に黙り込む。

「箱入りすぎるってのもな……」

 額を抑えるガイに、俺はむしろ胸を張って答えた。

「ふん。お前らがどんだけ呆れ返ろうが、知らねぇものは知らねぇんだ。むしろ知ったかぶりするよりましだろが。第七譜石がなんなのか、とっとと教えてくれよ」

 堂々と尋ねる俺に、ティアが苦笑を浮かべながら口を開く。

「始祖ユリアが2000年前に詠んだスコアよ。世界の未来史が書かれているの」

 イオンが教団の導師として説明がしたかったのか、ティアの後を引き継いだ。

「あまりに長大な預言なので、それが記された譜石も、山ほどの大きさのものが七つになったのです。それがさまざまな影響で破壊され、一部は空に見える譜石帯となり、一部は地表に落ちました。地表に落ちた譜石は、マルクトとキムラスカで奪い合いとなって、これが戦争の発端になったのです。譜石があれば世界の未来を知ることができるため……」

 どこかいたましげに顔を伏せるイオンに、俺は要点だけを確認する。

「とにかく、七番目の預言がかいてあるのが、第七譜石なんだな?」
「第七譜石はユリアがスコアを詠んだ後、自ら隠したと言われています。ゆえに、さまざまな勢力が第七譜石を探しているのですよ」

 ユリアに隠された世界の預言書ねぇ……。誕生日ぐらいしかスコアに触れない俺からしてみれば、そんなの巡って戦争が起きたなんてことは、どうもピンとこないよなぁ。

「それをティアが探しているってのか?」
「さぁ、どうかしら……」

 あくまでも、はぐらかす気のようだ。それならそれで、別に俺はいいけどね。

「まあいい。とにかく、私はモース殿とは関係ない。六神将にも余計なことはせぬよう命令しておこう。効果のほどはわからぬがな」

 最後に身の潔白を訴えた師匠が話をまとめた。

 確かに師匠の話を聞く限り、怪しいところはまるで見受けられない。アッシュの警告も、単に俺の動揺を誘う類のもんだったのだろうか。

「ヴァン謡将。旅券の方は……」
「ああ。ファブレ公爵より臨時の旅券を預かっている。念のために持ってきた予備も含めて、ちょうどいい数のはずだ」

 ガイに促されて師匠が旅券を取り出して、俺たちに渡した。受け取った旅券に、ようやくここまで来たかと感慨深くなる。

「これで国境を超えられるんだなぁ」

 なんともジンと込み上げるものを感じていると、師匠がおもむろに歩き出す。集中する視線に、師匠が振り返る。

「私は先に国境を超えて、船の手配をしておく」
「カイツール軍港で落ち合うってことですね」

 ガイが確認すると、師匠が頷きを返しながら、俺に向けて笑いかける。

「そうだ。国境を超えて海沿いに歩いてすぐにある。ルーク、道に迷うなよ」
「そこまでバカじゃないっすよ……」
「ふっ。では、また会おう」

 この場を去った師匠の背中を見送って、ティアがどこか呆然とつぶやいた。

「あの兄さんが、他人をからかうような言葉をかけるなんて……」
「そんなに驚くようなことかよ?」

 思い出される試練の日々に、俺は顔をげんなりさせながらティアに尋ねた。屋敷で鬼のような扱きをしていたヴァン師匠は、常に嬉々とした表情を浮かべ、本当に楽しそうに俺をイジっていたものだ。

「なにせルークの師匠は、ローレライ教団主席総長ヴァン・グランツ謡将だからな。周囲に気を抜けるような相手も、なかなかできないんだろうよ」
「そんなもんなのかねぇ……」

 ガイの言葉に首を捻らせながら、俺はひとまず師匠の話を聞いたティアの感想を尋ねる。

「それで、師匠は信用できそうかよ?」
「信用できないわ」

 去っていった方角を見据えたまま、ティアは硬い口調で告げた。

 ヴァンに気をつけろ……か。

 殺されかけた相手の言葉だが、それでもティアまでもが警戒するよう何かを師匠は秘めているんだろうか。

 思わず黙り込んだまま師匠の去って行った方向を見据える俺たちに、ガイが眉を潜めながら肩を竦めた。

「……お寒い兄妹関係だねぇ」

 まさに両者の関係を端的に言い表している言葉であると言えた。




             * * *




 いろいろとゴタゴタはあったが、俺たちは二国間の国境を通り抜け、ようやくキムラスカ側に行き着くことができた。国境を守る兵士に敬礼を受けながら、俺たちはカイツールを発つ。

「これでようやくキムラスカに帰ってきたのか……でもなんだか実感がわかねぇよな」

 マルクト側と大差ない周囲の光景を見回す。

「駄目駄目。家に帰るまでが遠足なんだぜ? あんまり気を抜くなよ」
「こんなヤバい遠足勘弁って感じだけどな」

 ガイのおどけた言葉に乗って、俺も肩を竦めて見せる。 

「キムラスカに来たのは久しぶりですねぇ」」
「ここから南にカイツールの軍港があるんですよね。行きましょう、ルーク様♪」

 キムラスカに行き着いたことで、それぞれが思い思いの言葉をつぶやく中で、ティアだけが俯いたまま無言を保っていた。

「ティア……おまえは、なんで師匠をそんなに疑ってんだ? なんか理由があったりするのか?」
「兄は……まだなにか隠しているような気がするの」

 アッシュとのやり取りが気になって尋ねたが、ティアにもはっきりとした理由はないようだ。これといった理由がないなら、やはり考えすぎなだけなのかもしれない。

 そう考えると、やっぱり俺もアッシュの言葉を気にしすぎて神経過敏になっていただけのような気がしてくる。

 ある程度割り切れて、気分が上向いてきた俺とは対照的に、ティアは俺の問い掛けでさらに落ち込んだ表情になっている。

 このままじゃまずいよなぁ……。俺はどんな言葉を続けたものか躊躇いながら、その場で思いついた言葉をそのまま口に出す。

「確かに師匠はいろいろと底の知れないとこはあるとは思うけどさ、それでも悪人じゃないと思うぜ。あれで面倒見もいいしな。あんまりにも生真面目過ぎる性格してるから、時々ちょっと心配になるけどな」

 空気を軽くしようと笑いかける俺に、しかしティアは浮かない顔のまま俯いている。

「……」
「うっ……」

 この先どう言葉を繋げたらいいのかわからん。落いつめられた俺の頭上で、仔ライガが頑張れと前足でポンポン俺の頭を叩く。でもどう頑張ったらいいのやら、もはや皆目検討がつきませんよ。

 どんよりと沈み込んだ二人の様子に、ガイが救いの手を伸ばす。

「もう行こうぜ、お二人さん。話し合いなら向こうについてからでもできるって」
「……そうね」
「わ、わかったぜ」

 俺はガイに感謝しながら、とりあえずの窮地を脱するのであった。


 その後も重い雰囲気が漂う中進み行き、カイツール軍港に到着した。だが、どうも周囲の空気がおかしい。張りつめた空気中、波の音に混ざって、人々の争うような音が耳に届く。

「………なんだ?」

 さらに耳を済ませると、魔物の咆哮が聞こえてくる。

「魔物の鳴き声……っ! あれを見て」

 ティアの指差した上空に、翼を羽ばたかせ行き来する魔物の姿があった。

「あれって…根暗ッタのペットだよ!」 

 杖を握りしめながら、ティアが暗い表情で声を洩らす。

「港の方から飛んできた。やっぱり来たのね、アリエッタ」
「なになに? 根暗ッタとなにかあったの?」

 アニスが興味深そうに近づいて来たので、俺も表情を曇らせながら答えた。

「フーブラス川でも襲ってきたんだよ」
「フーブラス川ってすぐそこじゃん。それなのにすぐまた襲いかかって来るなんて、相変わらずしつこーい。根暗って、ほんとめんどー」
「そのときは、僕がお願いして見逃して貰ったんです」
「もう過ぎたことです。その件はもういいでしょう。今は襲撃点に急ぎましょう」

 暗い表情になるイオンの肩を叩き、大佐が話は終わりだと締め括る。


 無言のまま現場に駆けつけた俺たちを向かえたのは、むせ返るような血の臭いだった。

「……うっ……」

 俺は口元を抑え、しかし視線は逸らさずに、その場の惨状を見据えた。
 燃え上がる水上艦。漂う人の焼ける不快な臭い。血溜まりの中に倒れ伏す兵士や魔物の亡骸。

「アリエッタ! 誰の許しを得てこんなことをしている!」

 港の奥まった一画で、アリエッタに剣を突き付ける師匠の姿があった。

「やっぱり根暗ッタ! 人に迷惑かけちゃ駄目なんだよ!」
「アリエッタ、根暗じゃないもん! アニスのイジワルゥっ!!」

 アリエッタの姿を見かけるや否や、アニスが二人の下に駆け寄って呼び掛けた。
 これに涙を浮かべながら言い返すアリエッタ。その様子を見て、師匠が剣を収めながらこちらを振り返る。

「何があったの?」

 ティアの問い掛けに、師匠は厳しい表情で答えた。

「アリエッタが魔物に船を襲わせていたのだ」

「総長……ごめんなさい……。アッシュに頼まれて……」
「アッシュだと……?」

 意外な名前だったのか、師匠が眉間に皺を寄せ、気を取られる。
 一瞬の虚をついて、頭上から現れた翼を持った魔物がアリエッタを掴み上空に逃げた。

「……船を修理できる整備士さんは、アリエッタがつれていきます。『返して欲しければ、ルークとイオン様がコーラル城へ来い』……です。二人がこないと……整備士さんは……殺す……です」

 最後にそう言い残し、アリエッタは去った。去り際に俺の頭上で毛を逆立てる仔ライガに、哀しげな視線を向けるのがわかった。

「ヴァン謡将、船は?」
「すまん、全滅のようだ。機関部の修理には専門家が必要だが、連れ去られた整備士以外となると訓練船の帰還を待つしかない」

 全滅……か。

 アリエッタを見逃した事で発生した惨事に、俺は顔をしかめる。あのとき、俺に覚悟があれば、この結果は変わったのか? 柄でもない、後悔が頭をもたげる。

 考えに沈む俺を余所に、大佐がアリエッタの残した取引内容を確認する。

「アリエッタが言っていた、コーラル城というのは?」
「確か、ファブレ公爵の別荘だよ。前の戦争で、戦線が迫ってきて放棄したといかいう話だ。ここから南東の海沿いにあるとかって聞いたことがある」

 俺に視線を向けながらのガイの言葉に、俺は我に帰る。

「へ? そうなのか?」
「おまえなー! 七年前におまえが誘拐されたとき、発見されたのがコーラル城だろが」

 俺が発見された場所。

「……」

 予想外の展開に、俺は一瞬黙り込む。

「俺は……そのころのこと、なんも覚えちゃいないんだよ。もしかして……行けばなんか思い出すのか?」

 額を抑えながら押し殺した声を洩らす俺に、師匠が左右に首を振りながら否定を返す。

「行く必要はなかろう。訓練船の帰還を待ちなさい、アリエッタのことは私が処理する」
「ですが、それではアリエッタの要求を無視することになります」
「今は戦争を回避する方が重要なのでは?」

 鋭い視線でイオンを制すと、師匠は俺に視線を戻す。 

「ルーク。イオン様をつれて国境へ戻ってくれ。ここには簡単な休息施設しかないのでな。私はここに残り、アリエッタ討伐に向かう」
「……わかりました、師匠」

 どこか納得いかないものを感じたが、結局俺は頷いていた。

 師匠の決定を覆せる程の案は、俺には思い浮かばなかった。




             * * *




 カイツールへ向かいながら、俺は一人思考に沈む。

 イオンはともかく、なぜ俺まで呼び出されたのか。それがわからない。

 六神将がモースとかいう奴の命令で、和平に反対してるってのが師匠の話だ。それで和平を潰すためにイオンを確保しようとするのはまだわかる。

 だが、なんで俺まで呼び出す必要がある? 

 仮にキムラスカの大貴族の嫡男を教団が確保しておきたいって理由だとしても、王国に事態が判明した場合を考えれば、少し理由として弱い。

 イオンなら同じ教団の人間として、いくらでも理由はつけられるが、俺の場合はそうはいかないからだ。最悪教団と王国の戦争にまで発展するだろう。

 モース派閥がなんで和平を潰そうとするのかもよくわからん。長年戦争状態だった帝国と王国の間で和平を取り持ったってことになれば、教団の地位はそれこそ鰻登りに上昇するだろう。和平を潰すことで得られるような利点があるかね?
 
 今んところ考えられる和平反対の理由としては、帝国と王国の間をほどほどの仲に取り持ち続けることで、教団の有用性をアピール、仲介する際のどっかでうま味を搾り取るってところだろうか。

 うーむ、よくわからん。

 ともあれモース派閥の真意はどうあれ、コーラル城に俺まで呼び出す理由はない。

 それこそ、呼び出した奴の独断でもない限りはだ。

 ───ヴァンに気をつけろ。

 ……カイツールでやつに突き付けられた言葉が、どうも引っかかってしょうがない。

 もしコーラル城に向かえば、アッシュの真意がなにかわかるんじゃないないか? あいつの……俺と同じ顔をしたあいつが、なんなのか……

「ルーク、どうしました?」

 無言のまま皆の後に続いていた俺の顔を、イオンが怪訝そうに覗き込んで来た。

「いや……なんでもない。ただちょっとな、コーラル城が気になってただけだ」
「確かに、整備兵の方の身が心配ですけど、ここはヴァンに任せるしかないです。彼らの狙いは僕でしょうし……悔しいことですが……」

 俯くイオンの言葉で、俺は気付く。

 六神将の狙いはイオンだ。これだけは確かだ。そして呼び出されたのはイオンと俺だ。なら、要求を満たしながら、最悪の事態を回避するにはどうすればいいのか。

「そうだよ! イオンが行くのはまずいけどよ、俺が行く分にはなんも問題ねぇじゃねーかよ。こりゃ盲点だった。あんがとな、イオン!」
「え? え?」

 あんまりにもうれしかったんで、俺はイオンの肩を引き寄せて頭を乱暴に撫でていた。

「きゃわ。イオン様になにしてるんです、ルークさま!」
「あ、わりぃわりぃ」

 怒ったように訴えて来るアニスの言葉で、俺はイオンを解放する。

「いきなりなにやってんだよ、ルーク? イオンが目を回してるようだが……」
「ガイ。俺はわかったぜ」
「なにをさ?」

 尋ねる言葉にはすぐには答えないで、手元にある装備を確かめる。

「どうしたんですの、ご主人様」

 よたよたと足を動かして近づいてきたミュウが俺を見上げる。ぐるぐる喉を鳴らしながら、仔ライガも俺の足に鼻を押しつけて構ってほしそうに見上げてきた。

 折角だ、こいつらにも付き合ってもらうとするか。

「よし、お前らは一緒に来い」

 二匹を抱き寄せて肩に乗せてやる。突然のことに目を回す二匹に、他のみんなも怪訝そうに近づいて来る。

「……どうしたの?」
「いや、なんかルークがまた妙なことを言い出しててな……」
「おやおや、またですか」

 突然の騒ぎに皆が注目する中、俺は準備を終えると、矢継ぎ早に告げた。

「そんじゃ、俺はコーラル城に行ってくるぜ。イオンは任せた」

 さいならと手を振って、答えが返るのを待たずに、俺は皆に背を向けて駆け出す。

「なっ! ちょっ待て……」
「なにを考えてるの! ルーク!!」
「そうですか。任されました」
「大佐ぁっ! なに一人だけ落ち着いて答えてるんですかぁ!!」
「ルーク、一人で向かうのはさすがに……」

 騒然となる皆をその場に残し、俺は一度も振り返らずに走り続けた。

 うじうじ考え込んでるよりは、やっぱ行動だよな、行動。うんうんと首を頷かせながら、俺は足どりも軽やかに出発する。

 こうして、俺は気分も新たに、一人コーラル城へと向かうのだった。




あとがき
 そんなわけでアッシュ登場。気を抜くとノベライズになってしまう自分の腕が憎いよぉ……。今後は気をつけよう。次回はコーラル城へ。



[2045] 2-6・通り過ぎる言葉、決戦は屋上で
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 21:16

 海岸沿いを進んでいった先に、岬に立てられた古城はあった。
 遠目にはわからなかったが、中に入ってみると、かなり荒れ果てた状態であることがわかる。

「ここが俺の発見された場所……」

 崩れかけたアーチ越しに、朽ち果てた古城を見上げる。

「ボロボロですの……ここが御主人さまの家なんですの?」
「家……ちょっと違うけど、まあそんなとこかね。実感とか全然ねぇけどさ」

 ガイから聞く限りではうちの別荘って話だが……あまりピンと来ないってのが正直なところだ。

「やっぱ……なんも覚えてないもんだな」
「ご主人様……」
「あん? そんな心配すんなよ、別にガキの頃のことなんて、大した記憶はねぇだろうしさ」

 目をうるるさせて心配そうに俺を見上げるミュウに笑いかけてやった。

 そのとき、屋敷の外から近づいて来る何者かの気配を感じた。

「なんだ?」

 魔物にしてはその速度が尋常じゃない。警戒しながら、腰につけた剣の柄に手をかける。

 なにかの音としか認識できなかったものが、徐々に言葉として認識できるものになっていく。

 ん? これって……

「ルークのアホぉっ~!!」

 鼓膜を突き破るような雄叫びを上げながら、そいつは屋敷に駆け込んできた。

「ぐはっ! み……耳が……」

 キーンって……。げっ、なんかあったかいもんが穴から出てる、出てるよ。

 両耳を抑えて悶え苦しむ俺を見下ろし、駆けつけたガイが息を荒らげながら怒鳴り散らす。

「お前はバカか!? 敵陣に一人で乗り込むなんて死ぬ気かよ!! お前はちゃんともの考える力あるくせに、ある程度以上考えてわからんとすぐ割り切って諦める! だが、それじゃダメだ! バカだって自分に言い訳して甘えてないで、ちっとはものを考えてから行動してくれ!!」

 怒り狂ったガイはそこまで一息に言い切ると、大きく息をはく。

「でないと、いつか取り返しのつかないことになるぞ。俺は心配だよ……ほんと大丈夫かよ、おまえ……」

 これまでとは一変して、今度はなんだか泣きそうな表情で俺に訴える。そんな顔されると、ほんとに俺が極悪人に思えて来る。

「う……わ、悪かったぜ。すまなかった、ガイ」

 ガイの勢いに押されるように、俺は頭を下げていた。

「まったく。……いや、俺も悪かった。ちょっと言いすぎた。だが、撤回はしないぞ」

 額を抑えながら謝罪するも、ガイは自分の言葉は間違っていないと俺の瞳を見据えた。

「わかってるぜ……ホント考えなしな行動だったしな……。皆はどうしてる?」

「俺は一人で先行して追いかけたからな……ホントあの後は大変だったんだぜ? イオン様が自分もやっぱり行くって言ってきかなくてな……」
「イオンが?」
「そうだ。まあ、大佐がついてる限り、あっちは大丈夫だろ。それよりも、俺たちがどうするかが問題だな。俺はかなり飛ばしてきたから、皆が来るのは当分先だぜ。皆が来れば戦力的にありがたいのは確かなんだが、問題なのはイオン様も居るってことだ……」

 腕を組みながら、ガイが真剣な表情になって考え込む。

 確かに問題だよな。イオンが和平の要になってるのは確実だ。あいつが確保された瞬間に俺たちの負けはほぼ決まり。帝国軍の大佐一人だけじゃ、さすがに国王とやり合うには足らなすぎる。

 う、考えれば考えるほど、俺の考えなしの行動が致命的なものに思えてきた。俺が一人突っ走ったからイオンもコーラル城に行くって決断したわけで、俺が素直に師匠の言いつけ通りに国境に戻ってたら、こんな事態にはならなかったわけだ。

「うう……俺のバカがどんだけ皆に迷惑かけたか、痛感したぜ」

 地面に両手をついて、俺はうなだれた。

 ほんとバカしちまったよなぁ……。

「それはもういいって言ったろ? それより今後のことを考えよう。バカだって言い訳して、考えないとかは無しだぜ?」
「わ、わかった……」

 確かに落ち込んでても状況は変わらんよな。俺は起き上がって、改めて状況を考える。

 イオン達がこっちに向かってるにしろ、来るのは当分先だって話だ。ガイが抜けてるって言っても、あっちには護衛本職のアニス、回復要員のティア、鬼畜眼鏡の大佐まで揃ってる。心配はいらないだろう。

 ここで問題なのが、俺たちの存在だ。ただここで皆の到着を待っていてもいいが、そうするとイオンっていうアキレス腱も到着することになる。全員で城に入るにしろ、最低一人は護衛に割かれて、戦闘には参加できないだろう。

 なら、イオンの居ない状態で城に入っても、戦力的にはそんなに変わらないんじゃないだろうか? さすがに最初俺が考えてた一人で城に突入するってのは無謀でも、今はガイっていう戦力が存在するんだ。

 連中を刺激して、人質に危険はないかっていう懸念はあるが、それも連中の要求の中にあった俺って存在がいる以上、無意味に人質をどうにかするってことはないだろう。

「なぁガイ、俺たち二人で先に突入するってのはどうだ?」
「二人で突入?」
「ああ。さすがに六神将とやり合うには足らないかもしれないけどさ、イオンが来るまでの露払いってか、ある程度屋敷の中を偵察とかしとくのは悪くないんじゃないかって考えたんだ」

 どう返されるのかちょっと不安になりながらも、俺は自分の考えを告げた。さっきの反応を考えるに、反対されるのは目に見えてる。どうガイを説得したもんか。

 いろいろと考えながらガイの様子を伺うと、ガイは一つ頷き、城に向き直った。

「よし。なら行こうか」
「へ?……もっとこう、反対とかしないのか? 一人じゃないにしろ、人数が少ない分、危険なのには変わりがないんだぜ」

 あまりに呆気ないガイの反応に戸惑いながら俺が言い募ると、ガイは微笑を浮かべた。

「お前がお前なりに考えて出した答えなんだ。従うよ」

 それでも納得行かなかった俺はなにか言い返そうとしたのだが、ガイがそれを制した。

「それに俺もここに着いてから、ある程度屋敷の中を偵察することは考えていたさ。ホントにそんな悪くない考えなんだぜ? もう少し自信を持てよ、ルーク」

 俺の肩を軽く叩くと、ガイは城に向けて歩き出した。

 なんというか……こいつが女殺しと呼ばれる所以の一端を垣間見た思いだね。

「ところで、そいつは随分と屋敷を警戒しているみたいだな」
「ん? ああ、そうだな」

 俺の頭の上で仔ライガは、屋敷に着いてからずっと低い呻き声を発し続けている。

「魔物いるですの……。気配がするですの」

 ミュウもまたブルブル震えている。

「魔物……アリエッタか? ともあれ、中に入ることになったんだ。行こうぜ、ルーク」
「ああ、そうだな……」

 プルプル震えるミュウと、唸り続ける仔ライガを促し、俺達は屋敷に足を踏み入れた。

 周囲から聞こえて来る波音が、どこか俺の不吉な予感を掻き立てた。




              * * *




 屋敷内部に入ったが、やはり見覚えはなかった。

 左右には二階へと続く階段が、正面には扉のない部屋への入り口がある。玄関には薄気味悪い石像が置かれていたりもする。

 どれも年期を感じさせる年代物で、床に敷かれた紅い絨毯なんか擦り切れてホコリが溜まりまくり、朽ち果てる一歩手前といった感じだ。

「これがウチの別荘だったのか…」

 正面に見える二回の踊り場を見上げながら、俺はあまりの実感のなさにつぶやいていた。言葉にしてみれば多少は胸に思うものが沸き上がるかとも思ったんだが、やっぱり俺の記憶を刺激することはなかった。

「ご主人様さま~なんだかとっても怖い雰囲気がするですの~」
「バカだな。そんなに怖がる必要はねぇって。さっき気配を探ってみた限りじゃ、この広間には魔物はいなかったしな」

 振り返って震えるミュウをなだめてやる。

 そのとき、背後で何か重いものが動かされたような物音が聞こえた。

「る、ルーク!?」

 突然、ミュウの後ろに立っていたガイが顔色を変えて叫ぶ
 頭上で仔ライガが背後に唸りを上げる。

「へ、急にどうしたよ?」
「後ろだ!」
「へっ?」

 特に生き物の気配は感じなかったので、俺は何を焦っているのかと思いながら背後を振り返る。

 前後に身体を揺れ動かしながら俺の下へ突撃する趣味の悪い石像の姿があった。

「うぉっ! どうなってんだ!?」

 即座に腰から得物を抜き放ち、俺目掛けて倒れ込んできた石像を受け止める。

 お、重……だが、この程度でやられてたまるかよっ!

「ふっ飛べっ!」

 ──烈破掌

 突き出された気合を込められた掌低の一撃に、石像が避ける間もなく吹き飛ばされる。

「ったく──虎牙破斬っ!」

 空中に浮かんだ石像目掛けて、ガイの切り上げが放たれる。

 胴体部分に裂け目が走り、そこ目掛けて流れるような動作で、蹴り、切り下ろしが叩き込まれる。

 胴体から真っ二つに砕かれた石像は床に落下した。周囲に細かい破片を撒き散らしながら、しばらくの間痙攣を繰り返していたが、最後には沈黙した。

「なんだったんだ、こいつ?」

 真っ二つに砕かれた石像を剣先でつんつん突つく。

「侵入者撃退用の譜術人形ってところか。結構新しい型みたいだが、見た目はボロボロだな」

 ガイが俺の言葉に促されたような形で、石像に近づいて解説した。

 侵入者撃退用の譜術人形ね……六神将の連中が配置したってところか。

「まあ、こういう魔物もいるから……生き物の気配だけじゃなくて、周囲の空気の流れみたいなもんにも、これからは気を配ろうな」
「わ、わかった。今後は気をつけるぜ」

 ガイが疲れたような顔で言ってきた忠告に、俺はかくかくと首を頷かせて答えた。


 その後も屋敷の中を探索がてら、いろいろな仕掛けを解除していったわけだが……


「なんで別荘にこんな偏執的な仕掛け作ってんだよ、うちの人間はっ!!」
「うーん。確かに、ただの別荘にしては、ちょっとおかしいよな」

 玄関から正面に位置する部屋に仕掛けられた封印をようやく解除できた俺たちだったが、屋敷内部のあまりにややこしい仕掛けに首を捻った。

 六神将のやつらが仕掛けたってことも一瞬考えたが、それにしては大がかりなものが多すぎた。ほんと、なにを考えてうちの人間はこんな別荘作ったんだろうか。

「きっと作った人が、仕掛けが好きだったんですの~」

 クルクル耳を回しながらミュウが呑気な答えを返す。隣に並んだ仔ライガが、同意するように短く吼えた。

「ははは、だったら面白いけどな」
「笑えねぇー……」

 面白がる余裕のあるガイに、俺はついていけないぜ。

 小動物二匹となにやら戯れているガイを残し、俺は先頭に立って解放された扉を潜った。
 その瞬間、背後で扉の閉ざされる音が響く。

「なっ……!」

 慌てて振り向くも、俺の後に居たガイの姿は見えない。

 分断されたか、くそっ! いや、落ち着け、俺。頭に血が昇りそうになるのを、必死に抑える。ここでまた考え無しの行動したら、さっきの二の舞になるだけだ。

 そんな俺の自制心は、通路の先から届いた声に、呆気なく吹き飛んだ。

「──逃げずに来たようだな、劣化野郎」

 俺にひどく酷似した姿を持った人間、アッシュの声が、俺の耳に届いた。




             * * *




「これは……?」

 地下から天井めがけて突き抜けるように伸びる、塔のような形をした機械。何段もの階段を下り、部屋の中央に据えられた機械に近づく。

「なんで……こんな機械がうちの別荘にあんだ?」

 改めて見上げると、その機械の異様さがよくわかる。塔の中央部分にはなにかを寝かせるような台座があって、その周囲に幾何学的な模様が彫り込まれている。

「屑が。やはりなにも知らねぇままか。笑っちまうな。いや、むしろ俺が滑稽なだけか……」

 塔のような譜業機関を間に挟み、俺と対峙するアッシュが自嘲するかの様に口端をつり上げた。

「アッシュとか言ったな。お前、どういうつもりだよ?」

 わけのわからないつぶやきを無視して、俺は単刀直入に尋ねた。

「イオンを呼び出したのはまだわかるぜ。だけどよ、なんで俺まで呼び出す必要があった? 教団にはそんな理由はないはずだ。お前自信が、俺になにか用があるんじゃないか?」

 忌ま忌ましい程俺と似た顔を睨みながら、俺は自分の推測を言葉にする。
 それにやつは少し押し黙ると、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「……ふん。馬鹿の割には、少しはものを考える脳味噌があったようだな」
「馬鹿は馬鹿なりに、考えるもんなんだよ。覚えておけ」

 俺の返しに、アッシュは再度鼻を鳴らした。

「直接話すつもりはなかったが、一つ尋ねておきたいことができたからな」

 アッシュの方が、俺に尋ねたいことがあるだって?

「待てよ、こっちの方がわけがわからねぇことばっかだってのに、俺が答えるとでも……」
「時々、奇妙な声が聞こえるそうだな?」

 アッシュの言葉に、俺は押し黙る。

「なんで、お前がそれを知ってやがるんだよ?」
「聞こえるんだな? 最後に聞こえたのは、いつのことだ?」

 尋ねるアッシュの様子に、どこか有無を言わせぬものを感じた俺は、憮然としながらも答えてやった。

「聞こえるよ。最後に聞こえたのは……屋敷から飛ばされる直前ぐらいだ」

「…………屋敷から飛ばされる直前、か」

 なにかわかったのか、アッシュはそこで言葉を切った。

 なにやら目を瞑り、腰に下げた奇妙な形をした剣の柄に手をかけながら、ぶつぶつと一人つぶやいている。

「答えてやったんだ。カイツールで俺に向けて放った言葉がなんだったのか、そっちも答えろよ」

 俺の存在など居ないかのように振る舞うアッシュに、俺は詰め寄って語気も荒く問い詰める。

 そこで初めて俺の存在を思い出したとでも言うかのように、アッシュはゆっくりと顔を上げた。

「ああ……もういいぞ」

 俺の言葉を無視して、アッシュがどこかに合図するかのように、片手を上げた。

「なっ……」

 すぐ目の前に、セントビナーで見たことある白髪眼鏡の顔が現れた。

「うぉっ、なにをしやがる! 放せって!!」
「はーっはっはっはっは! 嫌ですね」

 俺の抗議も虚しく、白髪眼鏡は俺を奇怪な機器を操り拘束する。

「くそっ! 放せ!」
「まったくうるさいですね。少し眠っていて下さい」

 白髪眼鏡が懐から鉛筆削りのような機械を取り出す。取っ手部分を握ると、俺の目の前に突き付けクルクル回し始める。

「うっ……」

 奇妙な模様のようなものが現れ、白髪眼鏡がクルクル回す度に奇妙な閃光が走る。なんだ──意識が──


 薄れ行く意識の中で、俺は二人の会話を耳にする。


「よかっ……ですか……接対話……禁止……ません……たっけ?」
「知った……かっ……これぐらい……と一生……の掌のまま……だいたい……最近のあいつ……おかしすぎ……あんな……を集めさせ……どうす……だ?」

 ボソボソと囁かれる二人の言葉が、

「さぁ……あな……ノルマを果たし……ないことですし……戻った方が……いのでは……第五は……が確保した……第七はいまだ……かすら検討も……いない……シンクに……ますよ?」
「シンク……を嗅ぎ回る……鬱陶しい……めっ!」

 ジリジリとノイズ混じりで響き、

「私も似たよう……けど……あなた……な発言をしない……監視に来た……ですし」
「てめぇ……目的……はっきりして……その目的に……邪魔にならねぇ……俺に害にな……うな行動……ない……違うか?」

 グルグルと周囲を巡る。

「はーっはっ……はっ……うでしょう……れよりも……シンクが来る……」
「わかっ…る」

 プツリ。

 交わされる言葉が、途切れた。


「じゃあな、人形野郎」


 最後に放たれた言葉だけは、どこまでも鮮明に、俺の耳に届いた。

 俺の意識は、呆気なく、闇に沈んだ。




             * * *





 途切れた意識の目覚めは唐突だった。身体を動かそうと身を捩るが、なにかに動作を遮られる。はっきりしない意識の中で、話し声だけが耳に届く。

「……な~るほど。音素振動数まで同じとはねぇ。これは完璧な存在ですよ」
「そんなことはどうでもいいよ。奴らがここに来る前に、情報を消さなきゃいけないんだ」
「そんなにここの情報が大事なら、アッシュにコーラル城を使わせなければよかったんですよ」
「あの馬鹿が無断で使ったんだ。後で閣下にお仕置きしてもらわないとね」

 うっすらと開いた瞼の先で、仮面をつけた男と目が会った。

「……ほら、こっちの馬鹿もお目覚めみたいだよ」

 俺に背を向けると、階段下に向けて呼び掛ける。

「いいんですよ。もうこいつの同調フォン・スロットは開きましたから」

 答えが返ると同時に、浮かび上がった豪華な椅子に腰掛けた白髪眼鏡が姿を現す。

「それでは、私も失礼します。早くこの情報を分析したいのでね。ふふふふ」

 奇妙な音が上がったかと思えば、白髪眼鏡の姿はこの場から消え失せていた。

 視界に緑色の光が射し込む。周囲には奇妙なグラフのようなものが浮び上がり、台座のようなものの上に拘束された俺の周囲を回る。

 仮面の男も最後に俺を一瞥すると、無言のまま歩き出す。

「……お前ら……いったい……俺になにを……」
「答える義理はないね」

 一瞬足を止めたが、仮面の男は冷淡に切り捨てると、再び歩き出す。

 そのとき、通路を駆け抜ける何者かの足音が響いた。

 仮面の男が視界から消える。ついで空を切る風切り音とともに、俺のすぐ側で着地音が響いた。

「待たせたな、ルーク」
「ガイ……か」

 刀を振り切った体勢のガイが、油断なく構えながら、俺に呼び掛けた。

「ん、これは……」
「しまった!」

 ガイが床に落ちたディスクを拾い上げる。これに仮面の男は劇的な反応を示し、そのままガイに向けて切りかかる。

 油断することなく刀を構えていたガイは、上段からの振り下ろしを受け止める。ついで空中で身動きが取れない相手に向けて蹴りを放った。

 相手は蹴り飛ばされたが、応えた様子はない。おそらく自ら後ろに飛んで勢いの大部分を殺したんだろう。だが、そんな相手の着地を待たずにガイは追撃をかける。着地するや否や仮面の男も武器を構えるが、遅い。

 振り上げられる刀の一撃に、仮面が弾き飛ばされた。

 流れるような動作で更なる一撃を放とうとしたガイの動きが、その瞬間、不自然に止まる。

「……あれ……? おまえ……?」
「ガイ! どうしたの!」

 一瞬の油断。

 声に気が取られたガイは顔を殴り飛ばされ、階下に落ちた。

「くそ……他のやつらも追いついてきたか……!」

 仮面を付けなおしながら、吐き捨てる。
 言葉の通り、駆けつける仲間の姿が廊下の端に見えた。

「今回の件は正規の任務じゃないんでね。この手でお前らを殺せないのは残念だけど、アリエッタに任せるよ」

 階下のガイを見下ろしながら告げると、仮面男は身を翻す。

「アリエッタは人質と一緒に屋上にいる。せいぜい頑張って、殺されに行くんだね」

 最後に皮肉を残すと、仮面の男の姿は消え去った。

 敵が完全に居なくなったのを確認したガイが、端末のようなものをなにやら操作。するとようやく俺を拘束していた機械が、その動きを止めた。

「ふぅ……、何がなんだか……」

 拘束されていた手首を撫でながら、俺は目まぐるしい展開に頭を振った。
 部屋の中に駆け込んでくるアニスやティアの姿が見える、どうやら皆はガイと合流したらしい。

「大丈夫、ルーク? ガイからあなたと分断されたって聞いて心配だったけど……無事のようね。それにしても、六神将はいったいなにをしたかったのかしら……?」
「俺にもわかんらねぇよ。アッシュのやつは、なんだか俺と話をしたがってたようだけどな……」

 駆け寄ってきたティアに、俺は台座から起き上がって首を傾げた。

 しかし会話を思い返してみても、あいつがなにをしたかったのか、いまいちよくわからない。それに、なんであいつが『声』について知ってたんだ? まあ、別に秘密にしちゃ居ないから、調査次第ではわかるかもしれない。

 それでも、俺が『声』を聞こえることに、なにか特別な意味を見出しているみたいに感じられた。

「ルーク様、大丈夫ですかっ!」
「うおっ!」

 考えに没頭していた俺目掛けて、アニスが抱きついてきやがった。

「心配したんですよ~! ああ、わたしの金づ──じゃなくて愛しのルーク様になにかあったら、わたしもう立ち直れません!!」
「そ、そっか」

 俺を上目づかいに見上げるアニスの背中に、俺は恐る恐る手を回して、引き離す。

 空中につり下げられながらも、アニスが憤慨したと気合を入れて叫ぶ。

「アリエッタのせいですねっ! あのコただじゃおかないんだからっ!」
「ま、まあ、頑張ってくれや」

 なんだか無駄に疲れた俺は、アニスを床に下ろした。

「やれやれ、なんだか賑やかですね。さっきまで焦りまくっていた皆の姿からは想像できませんね」
「ジェイド。それにイオンもか」

 隣にイオンを引き連れた大佐が、階段付近からこちらに近づいて来る。

「ご主人様~」

 同時に、二人の足元から凄まじい速度で駆け寄って来る二匹の存在に気付く。

「心配したですの~」

 俺の胸に飛び込んで来るミュウと仔ライガを受け止めて、俺は苦笑を浮かべながら心配するなと撫でてやった。

「無事だったのですね。安心しました、ルーク」

 音機関の辺りまで降りてきたイオンが、俺に向けて微笑んだ。これに俺もなにか言葉を返してやろうと、口を開きかけ──

「これは……!」

 驚愕の声が場に響く。声の主は大佐。いつもどこか余裕を感じさせるジェイドの表情が、機械を見上げたまま、凍りついていた。

「大佐、何か知ってるんですか?」
「……いえ……確信が持てないと……」

 言いよどみながら、不意に大佐の視線が俺の方を向く。

「いや、確信できたとしても……」
「な、なんだよ、俺に関係あんのか?」

 思わず動揺しながら問いかけるが、大佐は顔を俯かせた。

「……まだ結論は出せません。もう少し考えさせてください」

 あまりに勿体ぶった大佐の様子に、俺も不安が沸き起こる。
 ここは俺の発見された場所だ。この機械と俺の誘拐に、なにか関係があんのか?

「珍しいな、あんたがうろたえるなんて……」

 機械を見上げていたガイが、大佐に向き直って尋ねる。

「俺も気になってることがあるんだ。もしあんたが気にしてることが、ルークの誘拐と関係あるなら……」

 ネズミの鳴き声が響く。

「のわっきゃゃ―――っ!!」

 普段より幾分低い声で悲鳴を上げながら、アニスがガイの肩に飛びつく。

「…………」

 一瞬の沈黙を挟み、現れた反応は劇的なものだった。

「う、うわぁっ!!やめろぉっ──!!」

 アニスの腕を力ずくで振り払い、ガイが頭を抱えてうずくまった。
 ガイの表情は恐怖に強張り、すべてを拒絶するかのように絶叫する。

「な、何……?」

 地面に振り落とされたアニスが呆然とつぶやく。

「あ……俺……」

 自分を取り戻したガイもまた、己の反応が信じられないといった様子で呆然と佇む。
 ガイが女嫌いだと知っていた俺も、あまりの過剰な反応に声が出せない。

「今の驚き方は尋常ではありませんね……どうしたんです」
「すまない、体が勝手に反応して……」

 一人冷静な大佐が、ガイに落ちついた声音で問いかけるも、ガイはバツが悪そうに頭を掻くと、振り返ってアニスに謝る。

「悪かったな、アニス。怪我はないか?」
「う、うん」
「何かあったんですか? ただの女性嫌いとは思えませんよ」

 アニスがガイの抱えるものを解きほぐそうとするかのように、優しい声音で尋ねる。

「悪い……わからねぇんだ、ガキの頃はこうじゃなかったし。ただ、すっぽり抜けてる記憶があるから、もしかしたらそれが原因かも……」

 床を見つめながら暗い瞳でつぶやくガイに、俺は思わず声をかけていた。

「お前も……記憶障害だったのか?」
「違う……と、思う。一瞬だけなんだ、抜けてんのは」
「どうして一瞬だと分かるの?」
「分かるさ……抜けてんのは、俺の家族が死んだ時の記憶だけだからな……」

 一瞬重くなった周囲の空気を掻き消すように、ガイが明るい口調で話を変える。

「俺の話はもういいよ、それよりあんたの話を」
「あなたが自分の過去について語りたがらないように、私にも語りたくないことはあるんですよ」

 背を向ける大佐に、ガイが複雑そうに顔を歪めた。

「ともかく、屋上に向かいましょう。整備長とアリエッタはそこでしょうからね」

 重苦しい雰囲気で進む中、俺は最後尾に位置し、先を行くガイの背中を眺める。

「ガイ……あいつ両親死んじまってんだな」
「ルークも彼について、知らないことがあったのね」

 隣に並んだティアが、俺の気を紛らわせようとするかのように、声をかけてきた。

「ああ。俺、誘拐される前の記憶とんじまってるからな。それに、前に聞いてたとしても、覚えちゃいないだろうしな」

 ガイとは長いつきあいだ。気付ばあいつは俺の隣にいて、いつも俺のくだらない話にも付き合ってくれた。記憶を無くす前は覚えちゃいないが、それでも七年もの間、一緒に居たんだよな。

 しかし改めて考えてみれば、ガイ自身の過去について、俺はなにも知らない。

「あいつ……自分の昔のこと、何も話さないんだよな……なにがあったのか……」
「大佐も言っていたけど、誰にでも話したくないことはあるわ。彼が話してくれるまで、待ちましょう」
「そうだな……。話し聞いてくれてありがとな、ティア」

 顔を上げて礼を言うと、ティアは少し照れたように顔を背けた。




             * * *




 譜業機関のあった部屋を後にして、俺たちは地下道のような場所を通り抜けた。その先は特に魔物と遭遇するでもなく順調に進み行き、螺旋状に折り重なった構造をした階段に突き当たる。

 頭の上で、妙に耳の先をピクピク揺れ動かしている仔ライガに気付く。

「どうしたよ?」

 気になって手を伸ばすが、一向に落ち着く気配がない。

「どうしたの?」
「いや、なんかこいつが妙に落ち着かないみたいでよ」

 ティアの問いかけに、俺も困惑しながら答える。

「もしかするとこの先に、こいつのお仲間さんが居るのかもな」

 ガイが笑いかけながら、天井を見上げる。
 階段を駆け上る成人したライガの尻尾が視界に入った。

「あれ根暗ッタのペットじゃん! 行きましょう、ルーク様」
「わかったぜ」

 即座に階段を駆け昇る俺たちに、イオンが困ったように眉を寄せる。

「あ、待って下さい。アリエッタに乱暴なことはしないで下さい!」
「待って! 罠かも知れない……!」

 ティアが呼び止めていたが、そんな悠長に構えて居られるほど俺の気は長くない。

「おやおや、行ってしまいましたね。気が早い」
「……アホだなー。あいつらっ!」

 階下からぼやき声が聞こえたが、すぐに彼らも階段を駆け上る音が聞こえてきた。
 ともあれ、俺たちは階段を駆け上り、とうとう天井に行き着いた。

 出口に足を掛けた瞬間、頭上で仔ライガが激しく警告の唸りを上げる。

「──っ!」

 咄嗟に得物を腰から抜き放ち、頭上から迫り来る気配に向け叩きつける。
 上空から俺目掛けて降下した鳥の化け物に、カウンター気味の一撃がぶち当たった。
 苦悶の鳴き声を上げながら、魔物が上空に逃れ、大きく旋回する。

「やってくれるじゃねぇかよ」

 俺は周囲を警戒しながら、今度こそ屋上に出る。

 屋上の奥まった部分にアリエッタが佇んでいた。その隣には成人ライガが控え、その背中に囚われた整備隊長の姿があった。

「──危ないイオン様っ!」

 背後でアニスが声を上げる。振り返ると、階段から出てきたイオンを狙おうとしてアニスに防がれた魔物の姿があった。イオンをかばったことで身をかわす余裕がなかったのか、魔物の足にアニスが掴まれている。

「ふみゅ……イオン様をかばっちゃいました。ルーク様、ごめんなさい……」

 両手を口元に当てながら、アニスがなぜか俺に謝る。

「なんかぜんぜん余裕って感じだよな……」

 意外と大丈夫そうだなと思いながら、俺はとりあえず武器を構えてアリエッタに向き直る。

 魔物も上空を一度旋回すると、呆気なくアニスを離した。

「いたっ……! ひどいじゃない、アリエッタ!」
「ひどいのアニスだもん……! アリエッタのイオン様を取っちゃったくせにぃ!」

 起き上がって文句を言ったアニスに、アリエッタが涙目で訴える。
 突然始まった女の戦いに、俺は呆気に取られながら、とりあえずイオンに目を向ける。

「アリエッタ! 違うんです。あなたを導師守護役から遠ざけたのは、そういうことではなくて……」

 なんとなく口を挟めず話を聞いていたら、性懲りもなく上空からイオンを狙う魔物に気付く。

「へっ、甘いぜ」

 俺の腕に掴まれたミュウが炎をはき出す。頭上の仔ライガが放電する。
 二重の攻撃に魔物が大きく羽ばたき、慌ててアリエッタの脇に戻った。

「馬鹿の一つ覚えじゃあるまいし、何度も同じ手に引っかかると思うなよ」
「ルークさま、すっご~い」
「あなたにしては上出来ですね」
「……いちいちうるさいぞ」

 話の腰を折る二人に、思わず俺は顔を向けた。ジェイドに続いて、階段から皆が次々と姿を現し、アリエッタに向けて構える。

「アリエッタのお友達に……攻撃した……っ! アリエッタの妹でも、もう許さないんだからぁっ!!」

 頭がキンキンするような金切り声で喚くアリエッタに、俺は怒鳴り返す。

「うるせぇ! 手間かけさせやがって、このくそガキ! こいつはてめぇみたいなジャジャ馬じゃねぇんだよ!! だあああ! もう気に病むのは止めだっ!!」 

「うるさいうるさいっ! いいもん! あなたたちを倒してからイオン様を取り返すモン! あなたたちの味方するなら、アリエッタの妹だって容赦しないんだからっ!! ママの仇、ここで死んじゃえっ!!」

 アリエッタのまさに子供のわめき声を合図に、魔物たちが一斉に俺たち目掛けて突っ込む。

「来な、お仕置きしてやるぜっ!!」

 成人ライガが空中を回転しながら爪を振るう。俺はタイミングを合わせてその一撃を受け流す。
 そこへ上空から鳥の化け物が追撃をかける。

 アブなっ! 咄嗟に床を転がって俺は身をかわす。

「危なっかしいぜ、ルークっ! 真空破斬っ!」

 音素をまとった神速の抜き打ちに、発生した風の刃が鳥の魔物を切り刻む。

 先程受けたミュウと仔ライガの攻撃で既に消耗していたのか、翼を傷つけられた魔物は最後の力を振り絞ってアリエッタの背後に向かうと、そこで墜落した。

「根暗ッタ! いいかげんにしてよね!」
「アニスこそ私のイオン様を返してよーっ!」
「イオン様のジャマする奴を、イオン様が認めるわけないでしょっ!」
「うあああああん! バカバカバカーッ!」

 アリエッタの泣き声に、成人ライガが怒りもあらわに俺たち向けて紫電を身にまとった突進をかける。

「う……うるせぇー」
「やりにくいよなぁ………」

 ライガの猛攻をしのぎながら、俺たちはなんとも戦闘にそぐわない子供の口喧嘩に辟易する。

「惑わされないで!」
「見た目は子供ですが、魔物を使役する力は侮れませんよ」

 アリエッタの相手をしているアニスと、ライガを引き寄せる俺たち前衛組の援護に徹しているジェイドとティアが、俺たち二人のぼやきに警告を発する。

「倒れちゃえーっ! 歪められし扉よ、開け! ネガティブゲイトっ!」

 アリエッタの突然の宣言とともに、虚空に突如現れた闇が空間を歪め爆砕──収束する。

「きゃぁ──っ」

 収束点に位置したティアが譜術の直撃を受け、苦悶の声を洩らす。

「ティアっ!」 

 脳裏に蘇る最悪の記憶に、俺はティアの名前を叫ぶ。幸いなことに、彼女は地面に倒れ込みながらも、大丈夫と掠れた声を返してくれた。
 無事かと安堵すると同時に、頭に血が上る。攻撃を放ったアリエッタに向き直ると、俺は叫んだ。


「許さねぇ……ぶっ潰れちまえっ!!」

 眼前に位置するライガから直線上に位置するアリエッタに向けて刺突の構えを取る。

《──烈震っ!》

 渾身の力を乗せた突きの一撃は周囲に音素の光が巻き散らしながら、呆気なくライガを射抜く。

《────天衝っ!》

 ついで発生した衝撃波がライガに留まらず、アリエッタもろとも飲み込んで、凄まじい地響き音を上げた。


「はぁはぁ……ざまぁ見やがれ」
「油断はするなよ、ルーク」
「わかってるって」


 舞い上がった土煙が晴れた先で、身体のあちこちが擦り切れた様子のアリエッタが、同じような様相のアニスと取っ組み合いを演じていた。


「みんな大ッキライ! あっちへ行ってよっ!」
「うるさーい! 引っ込むのはお前だっちゅーの!」


 怒鳴り合う二人から離れた場所に、地面に倒れたライガの姿が確認できた。


「……なんか、壮絶だぜ」
「……ああ、男は割って入れないような雰囲気だよな」

 頭に昇っていた血はさっき一撃お見舞いしたことで、完全に覚めている。
 俺とガイはライガが倒れたことを確認すると、アニスとアリエッタの様子に手を出しかねて、顔を見合わせた。

「大丈夫だったか、ティア」
「ええ、大丈夫。……後はアリエッタね」

 譜術で傷を癒していたティアが立ち上がって、アリエッタに視線を向ける。

「それも既に、決着がついたようですけどねぇ」

 倒れたティアの脇に立ち、攻撃を牽制していたジェイドが眼鏡を押し上げながら告げる。


「トクナガ! やっちまいなぁっ!!」


 アニスが凄まじい形相で叫ぶ。この呼びかけに応え、巨大化した不気味人形がその拳を振り抜いた。
 人形の拳に吹き飛ばされたアリエッタが目を回しながら地面を転がり、倒れた魔物たちの前に倒れ伏す。

「うぅ……」

 最後の力とばかりに倒れた魔物達を後ろに庇うと、アリエッタはその場に力尽きた。

「……すげぇ」
「……女は怖い」

 つぶやく俺たちを余所に、大佐が感情を消し去った表情で、アリエッタに歩み寄る。

「やはり見逃したのが仇になりましたね」

 音素の光を撒き散らしながら、大佐の右手に槍が出現する。

「待って下さい! アリエッタを連れ帰り、教団の査問会にかけます」

 槍が突き付けられる寸前、イオンが両者の間に割って入って、アリエッタを背後に庇う。

「ですから、ここで命を経つつのは……」
「それがよろしいでしょう」

 突然響いた第三者の声に、全員が振り返る。

「師匠……」

 悠然と現れた師匠の存在感に、その場の全員が飲まれていた。

「カイツールから導師到着の報が来ぬから、もしやと思いここへ来てみれば……」
「すみません、ヴァン……」
「すぎたことを言っても始まりません。アリエッタは私が保護しますが、よろしいでしょうか?」
「お願いします。傷の手当てをしてあげて下さい」

 進み行くヴァンに、俺たちは左右に別れる。

「やれやれ……。キムラスカ兵を殺し、船を破壊した罪、陛下や軍部にどう説明するんですか?」

 アリエッタを抱えた師匠に、ガイが疑問を投げ掛ける。

「教団でしかるべき手順を踏んだ後処罰し、報告書を提出します。それが規律というものです」

 厳しい口調でイオンが答えると、ガイは肩を竦めて見せた。確かに、どう言い繕ったとしても、アリエッタの命を助けるための建前にしか聞こえないよな。それでも、俺はそんなイオンを責める気はしなかった。

 どんな奴が相手にしろ、人死には見たくないからな……。

「カイツール司令官のアルマンダイン伯爵より兵と馬車を借りました、整備隊長もこちらで連れ帰ります。イオン様はどうされますか? 私としてはご同行願いたいが」

「お願いします。よろしいですか、みなさん?」

「大丈夫だぜ」
「まあ……しょうがないか」

 ガイが少し残念そうに答えた以外は、皆が馬車に乗ることに賛成した。

「それでは、参りましょう」

 師匠の呼び掛けに、全員が動き出す。それは魔物たちも例外ではない。
 よろよろと傷ついた身体を引きずりながら、師匠の後に続く。
 師匠の腕の中で倒れるアリエッタを心配そうに見ながら、ピスピス鼻を鳴らした。


 こうして、俺たちは妖獣のアリエッタの迎撃に成功し、カイツール軍港へと戻った。


 軍港が被った損害はかなりのもので、軍港の責任者であるアルマンダイン伯爵との会談で、俺たちはなんとも居心地の悪い思いをした。襲撃者たるアリエッタの助命を申し出たイオンは尚更だったろう。

 会談後、伯爵は親父たちにイオン達が和平の使者としてバチカルに向かっている事実を、伝書鳩を飛ばして伝えてくれることになった。
 伯爵は昔の俺を知ってるらしく、なにかと便宜を図りたがっていたが、こっちとしてはなんも覚えちゃいないから気まずくてしょうがなかった。

 翌日、完全に船の準備が整うと、ようやく俺たちはカイツールを後にすることができた。
 だが気付けば船が出ると同時に、気が抜けてため息のようなものを漏らしていた。

 ……やっぱり昔の自分を知ってる相手に会うのは、慣れないもんだ。
 一瞬、王都で俺を待ち構えているだろう彼女の顔が思い浮かんだ。


「なにを言われるんだかねぇー……」


 確実に王都に近づいてるってのに、なんだか気が重くなってしょうがない。
 船の手摺りに寄り掛かりながら、俺は空を見上げる。


 そこには、俺の悩みなど知らないとでも言うかのように、どこまでも澄みきった青空が広がっていた。




あとがき
 区切りが見出せずこの長さ……。あんまりガイ書いてないと思い、話はこんな感じになりました。次回はやっとあのイベントかぁ。



[2045] 2-7・囁き声
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 21:20

「うおっ! なんかカユイなぁ……」

 甲板に出た瞬間、潮の香りが鼻孔をくすぐって何とも面映い気分になる。
 その上、甲板に足を踏み出す度に、波に煽られた船体がわずかに傾いて、転びそうになってしょうがない。
 船内を歩いていたときもそうだったけど、船ってこんなに揺れるもんなんだな。
 一人感心しながら頷いてると、足元を駆け抜ける小動物二匹の姿が目に入る。


「すごいですのー! 周りみんな水だけですの~!」


 甲板をクルクル回るミュウと、その後をついてあちこち飛び跳ねる仔ライガの姿がなんとも微笑ましくて笑みがもれる。
 最近この二匹はいつも一緒に居たせいか、かなり仲が良くなっているみたいだ。

 しみじみと、魔物でも友達がいるのは大事だよなぁ、とか考えてしまう俺は親馬鹿なんだろうかね。


「にしても、甲板で師匠が呼んでるって言ってたけど、どこに居るんだかねぇ」

 甲板を見回すと、船内への出入り口に近いところで、海を眺めるイオンが発見できた。


「よっ、イオン」
「ルーク……」
「なんか暗い顔してんな。どうしたんだ?」


 どうにも覇気のないイオンの様子が気になって、俺は顔を覗き込んだ。


「いえ……ただ今回の事、インゴベルト陛下の不興を買って、和平が失敗しないかどうか、少し気になっていただけです」


 それを悩んでいたのか。確かにキムラスカにとって頭の痛い問題だよなぁ。


 教団の人間がキムラスカの軍港を襲撃した事実は大きい。
 復興が意外に早く済み、既に犯人が捕縛されているとはいっても、襲撃犯がダアト預かりになった以上、その処分もさして厳しいものにはならないだろう。
 そこを追求された場合、教団とは言えど苦しい立場に立たされることは間違いない。


 最悪な状況を考えて、イオンが暗くなるのもまあわかる。


「でもま、大丈夫だよ。伯父さんにはちゃんと話をするさ。うちのハゲ親父とおふくろにも頼むし」
「そういえば、ルークのお母様は陛下の妹君なんですよね」
「そういうこったな。まあ、安心しろって」


 なるべく気安く聞こえるように請け負うと、イオンも笑みを浮かべてくれた。
 教団について話しいるうちに、ふとアリエッタの境遇が思い出される。


「そう言えばアリエッタは、ライガ・クィーンに育てられたんだよな?」
「はい……アリエッタにはかわいそうなことをしました」


 人間の親をなくし、魔物に育てられた少女。それも俺たちのせいで、育ての親すら無くしてしまった。


「ある意味、あいつもアリエッタと同じなんだよな」


 無邪気にミュウと戯れる仔ライガの姿を、俺たちは言葉も無く見据えた。



 なんともしんみりした空気になってしまったが、俺はミュウと戯れる仔ライガをその場に残し、イオンに別れを告げた。
 そのまま師匠を探して甲板を歩いていると、今度は舳先に佇むティアの姿があった。


「よっ、ティア。なに見てんだ?」


 近づく俺に視線も向けず、ティアは海を眺めたままポツリとつぶやく。


「海は……蒼いものなのね」
「なんだそれ? そりゃそうに決まってるだろ」

 あのときは夜だったが、タタル渓谷でも海は見れた。
 なによりコーラル城の周りも海だった。幾らでも見る機会はあったと思うんだけどな。
 王都から一歩も外にでられなかった俺とは違って、ティアなら何度も見たことがあるはずだが。
 意味がわからず首を捻る俺に、なんでもないわ、とティアは苦笑を浮かべた。

「それにしても……あなた、随分と頑張っているわね」
「ん? そうか?」
「ええ。初めて王都から出たにしては、よくついてきている方だと思うわ」
「改めてそう言われると、なんか照れちまうな」

 俺は気恥ずかしさに、なんとなく手持ち無沙汰になって、鼻下を擦る。

「エンゲーブでお金を払わなかったときは、どうなることかと思ったけどね」
「うっ……あれを言われると、返す言葉がねぇわな」

 たじろぐ俺に、ティアがくすくすと笑い声を上げる。今の彼女からは普段の張りつめた様子が感じられず、なんだか俺自身も徐々に気分が落ち着いてくる。

「にしても、思えば遠いところまで来たもんだよな……屋敷から飛ばされたときは、どうなるもんかと思ったけど……なんとか振動とか言ったか?」

 ティアが海から顔を上げてこちらを振り向く。まじまじと俺の顔を見据えながら、わずかに小首を傾げる。

「あなたは正式な第七音譜術士じゃなかったのね」

 不躾な言葉だが、前も似たようなことを言われたよな。確かあれは……俺たちがタタル渓谷に飛ばされた直後だったっけな。

「前も第七音譜術士がどうとか言ってたよな。それって、結局なんなんだ?」
「家庭教師に習わなかった?」
「知らねぇな。なんせ、こちとら記憶が無くなってるもんでね」

 皮肉げに肩を竦める俺に、ティアが本当に不思議そうに目を瞬かせる。

「記憶障害を起こしているのは七年前まででしょ? その後は勉強しなかったの?」

 重ねて尋ねるティアに、俺はすぐに答えず、船の舳先へ歩み寄り空を見上げた。

 思い出されるのは屋敷に戻ってからの日々。

「他に覚えることが山ほどあったからな。例えば──親の顔とかさ……」

 確かに家庭教師をつけられはしたが、学ばされたのは常識以前の問題がほとんどだった。記憶がほとんど飛んでるとは言え、自分のバカさ加減に呆れたもんだ。

 これでも頑張った方だとは思うんだけど、頭の出来だけはどうしょうもなかったってことかもな。

「……」

 ぼけっと突っ立ち空を見上げる俺の様子に、ティアが顔を背けた。

「……すべての物質には音素が含まれていて、あらゆる現象と音素の間には密接な関係がある。かつて、そうした世界を司る音素は六つの属性に分かれていたわ」

 突然始まった説明に、俺はちょっと呆気に取られた。

「突然どうしたよ? もしかして、さっきの説明か?」

 ティアはわずかに首を頷けると、そのまま説明を続ける。

「この音素を星の地核にある記憶粒子──セル・パーティクルと結合させると、膨大な燃料になる。だから、記憶粒子を上空の音符帯に通して、世界中に燃料を供給する半永久機関をつくったの」

 そこで言葉を切ると、ティアは指を一本立てながら俺の方に向き直る。

「これが、プラネットストーム」
「むむ……やっぱ音素関連は難しいな。……それで?」

 顔をしかめながらも先を促す俺に、ティアは胸の前に腕を組み直すと、改めて口を開く。

「ところがプラネットストームは六属性の音素と記憶粒子の突然変移を引き起こしたの。そうして誕生したのが、七番目の音素。これが第七音素──セブンス・フォニム。これを用いて譜術を操るのが、第七音譜術士──セブンス・フォニマー」

「地核に直結した半永久機関と、音素の突然変異ね……なんだか途方もない話だよな」

 惑星規模の話というのが、そもそも規模がでかすぎて想像できない。

「まあ、話を聞いて改めてわかったがよ、やっぱ俺は第七音譜術士じゃねぇぜ」

 そもそも譜術すらまともに使えんしな。

 へらへら笑って否定する俺に、話はまだそこで終わりではないと、ティアは言葉を続ける。

「だけどあなたは私と超振動を起こした。第七音素を使う素質があるんだわ。これだけは先天的な素養だから」

 先天的という言葉で、ふと思い出す。

「そういや、ジェイドは使えないよな。第七音素」
「ええ。第七音譜術士は数が少ないの。司る現象も、未だによくわかっていないというのが現状ね。確認されている限りでは、預言を詠む預言士、それに治癒士も第七音譜術士よ。教団のある研究者は『事象の観測と確定こそが第七音素の司る力である』という言葉を残しているわ」

 私にもその意味はよくわからないけどね、とティアは付け加えた。

「ふーん。要するに、特別な音素を使える特別な譜術士ってことか……」

 特別なんて言葉を使うのは極力避けたところだったが、他に当てはまるような言葉も思いつかないのでそのまま口に出す。特別なんて言ったところで、結局のところ使いこなせなければ意味がない。素質があるだけの俺には、第七音素を使うだなんて、遠い言葉だね。

 そうやって説明を胸の内で反芻していると、不意にティアがなにやら思い詰めた瞳をしていることに気付く。

「ん、どうしたよ?」

 心配になって尋ねる俺に、突然ティアは頭を下げた。

「……ごめんさない」
「な、なんだよ。急にどうしたんだ?」

 考えもしなかったティアの唐突な謝罪に、俺は泡食ったようにうろたえる。

「私……あなたの記憶障害のこと、軽く考えていたみたい。今まであなたに意地の悪いことばかり言っていたわ。自分が恥ずかしい……」

 苦しげに目を伏せるティアに、俺もどうしたらいいかわからなくなって、混乱した頭のまま無駄に長い髪を掻きむしる。

「べ、別にだな、そんなティアが気にするようなことじゃ……」
「本当に、ごめんなさい──」

 最後にもう一度頭を下げると、ティアは俺に背を向け、そのまま走り去った。

「あ……」

 思わず言葉が漏れるが、そのときには既に、ティアの姿は甲板から消えていた。
 彼女の走り去って行った方向を見やり、俺はなんとも言えない悔しさに口を尖らせる。


「ちぇっ……別に俺は気にしてないって言いたかったんだけどな」


 常識知らずだなんて言葉は、それこそ聞き飽きた言葉だ。家庭教師についた連中から吐き捨てられた言葉と比べれば、たいしたものでもない。

 ましてや、なんだかんだと文句を言いながらも、結局は俺の面倒を見てくれた彼女と比べるなんて論外だ。

「むしろ俺が礼を言う側だってのに……ホントに生真面目な奴だよな」

 同様にひどく生真面目な彼女の兄のことが思い起こされ、俺は苦笑を浮かべた。

「にしても……ここにも居ないってことは、師匠は反対側かね?」

 舳先を回って、甲板をさらに進み行く。それでも師匠の姿は見当たらない。

 だんだん面倒くさくなってきた。このまま船室まで戻っちまうのもいいかなぁ、と不穏なことを考え始めたとき、それは訪れた。

「──ぐっ……っ!」

 あの忌ま忌ましい頭痛が、俺に襲いかかる。

「……っつぅ……ぃてぇ……っ!」

 痛ぇっ! くそっ! 頭が割れるっ!

 俺はその場にうずくまって額を抑える。

 いったい何故こんなにも痛むのか、その原因はわかっていない。医者に言わせれば記憶障害に伴う精神的なものだろうという話だが、この痛みを一度でも味わえば、そんな戯言は二度とほざけはしないだろう。

 原因はわからんが、それでもしばらくの間耐えきれば、痛みは嘘のように消え去る。ただひたすら痛みに堪え、そのときを待つ俺に、しかし今回は更に予想外の事態が襲いかかる。

(身体が勝手に……動く……!?)

 力も入れていないのに起き上がった身体は、俺の意志などお構いなしに、勝手に俺の両手を天に向け突き出す。

 ───ようやく捉えた……

「だ……誰だ、てめぇっ!」

 頭の中に響いた電波に、思わず叫び返していた。その行動で、言葉は自分の意志で発することができるという事実に安堵する。だが、次の瞬間返された電波の答えにもなっていない言葉に、そんな考えは一瞬で吹き飛んだ。

 ───我に従え。その力、見せてみよ……

 突き出された両手の先に奇妙な光の球体が生み出された。光球は徐々に、しかし確実により巨大なものへと成長していく。放たれる光の強さに、球体が内に秘めた力の凄まじさが伺える。

 だが、そんな些細な事柄は、今の俺にはどうでもよかった。

「……姿も見せねぇ奴が……従え? 力を見せろだ?」

 黒い炎が、燃え上がる。

「ふ・ざ・け・る・な・よ」

 轟々と胸の内で燃え上がる激情に突き動かされるまま、俺はそいつに向けて吼えた。

「俺は人形じゃねぇっ! 俺を見ようともしない奴が俺に指図をするなっ! 俺の意志を犯すなっ! 電波ごときが俺の──ルーク・フォン・ファブレの自我を踏みにじるんじゃぁねぇっ!!」

 ───待て、危険だ。無理にチャンネルを切り捨てると制御が……

「知ったことかよっ!!」

 頭に響く声に初めて動揺が混じるが、今の俺はその意味をまともに考える余裕なんかない。

 わずかに支配を取り戻した左腕の指先を起点に、強引に身体の支配を取り戻すべく全身全霊の力を込める。

「うぉおおおおおおおおっ!!」

 獣のように吼える俺の身体が、不意に温かいものに包まれる。

「ルーク、落ち着け」
「放せぇっ!!」

「ルーク、私だ!」

 怒鳴る俺の肩を抑え、顔を覗き込む師匠の顔が目の前にあった。

「ヴァン……師匠……」
「そうだ。私だ。落ち着ついて深呼吸をしろ」

 俺の身体を背後から抱きすくめた師匠は、そのまま腕を伸ばし俺の両腕を抑えると、耳元に口を近づけ、ゆっくりと言い聞かせるように囁く。

「そうだ。そのままゆっくり意識を両手の先に持っていけ。ルーク、私の声に耳を傾けろ。力を抜いて、そのまま……」
「師匠……俺は……」

 師匠に促されるまま動くうちに、光球は徐々にその光を薄れさせていき、身体の自由も取り戻されていく。同時に俺の意識もどこかへ遠ざかるように薄れていく。

「お前がそのように吼えるのは……あのとき以来だな」

 どこか遠くを見据える師匠の瞳を最後に、俺の意識は途切れた。










 ……
 …………
 ………………






















 ん? なんだお前?

 混線したのか? ……ああ、やつのせいか。

 最近なにかとうるさいもんなぁ、■■■■■のやつ。力抜けて焦るのはわかるが、俺から見ればみっともないもんだよ。

 ん? なに言ってるのかわからない? だろうよ。

 お前はあいつ寄りみたいだが、運が悪ければ、そのうち俺──■■■■■と会う刻がくるかもな。

 やっぱわからない? だから、それでいいの。これは所詮、可能性の一つにすぎない。やつに消されて、忘れるのがオチだ。

 仮に忘れないにしても、やっぱり俺と話すには、まだ足らないよ、お前。

 可能性の広がりは認めるが、無知が過ぎる。

 さっさと帰るんだな。次に会うときまでには、自分がなにかぐらい知っとけよ。

 じゃあな、■■■■ルーク。






















………………
…………
……










「──ーク。ルーク」

 遠くの方で、俺を呼ぶ誰かの声が響く。

「……師匠……?」

 現実を認識するにつれ、なにか忘れては行けないはずのものが抜け落ちていくような感覚が押し寄せる。

「ルーク、大丈夫か」
「大……丈夫です」

 完全に意識を取り戻した俺は、甲板にへたり込んだまま、真っ白になった頭でわけもわからぬままつぶやく。

「俺は……一体何を……」
「超振動が発動したのだろう」

 答えが返されるなどとは思ってもいなかった言葉に、師匠が重々しく口を開く。

「超振動……? タタル渓谷に吹き飛ばされたときの……?」
「確かにあの力の正体も超振動だ。不完全ではあるがな」

 師匠の言葉はよく理解できなかったが、俺は立ち上がって呆然としたまま呻く。

「師匠……いったい、俺はどうなっちまったんだ……? それにあの声は……いったい」

 頭の中に声が響いた瞬間、俺の身体の自由は奪われ、なにかとてつもない力を放ちかけていた。改めて思い返すと、自分の考え無しの行動にゾッとする。

 怒りに任せるまま、俺は強引に身体の支配を取り戻そうとしたのだが、もしあのまま師匠が割って入らなければ、声の主の制御を失ったアレがどうなっていたか……考えるだけで恐ろしい。

「声に関しては私にもわからない。だが、私も多少は知っていることがある」

 その言葉に、俺は改めて師匠に向き直り、真剣な目になってその先を促す。

「おまえは自分が誘拐され、七年間も軟禁されていたことを疑問に思ったことはないか?」
「それは……親父達が無駄に心配して……」
「違う。世界でただ一人、単独で超振動を起こせるおまえをキムラスカで飼い殺しにするためだ」

 また、超振動。その言葉かよ。だけど俺には、それがなんなのかすら未だによくわかっていない。

「待ってくれ師匠。理解が追いつかない……だいたい超振動ってなんだ……?」
「超振動は第七音譜術士同士が干渉しあって発生する力だ。あらゆる物質を消滅させ、再構成する。本来は特殊な条件の下、第七音譜術士が二人居て初めて発生する」

 本来は二人居て発生する? その言葉が意味するものを悟り、俺は愕然とする。

「あらゆる物質を消滅させ、再構成する力……超振動。……それを世界でただ一人……俺だけが単独で起こせる……?」
「そうだ。訓練すれば自在に使える。そして、それは戦争に有利に働くだろう。おまえの父も国王もそれを知っている。だからマルクトもおまえを欲した」

 背を向けながら語る師匠の言葉に、俺は自身の両腕を見下ろす。

「超振動……そんなもんのために、俺は誘拐されたってのか……」

 戦争に有利に働くなんて言うぐらいだ。超振動は相当な威力を持っているんだろう。そんな力の持ち主が敵国に居ることを知って、マルクトが黙って見ているはずもない。俺が誘拐された理由がようやくわかった。そして、異常なまでに俺の外出を嫌う親父の理由も理解した。

「はっ……俺は国に管理されている兵器だったってわけか……お笑い種だよな……」

 額に手を当てながら、明かされたあまりにも冷徹な親父達の過保護さの理由に、俺は笑った。

「師匠、あんたも知っていたんだよな? なら、師匠みたいな教団でも上の人間がダアトから家に派遣されてたのも、俺っていう戦略兵器の軽はずみな使用を、教団がキムラスカに対して牽制する意味もあったんじゃねぇか?」

 穿ったものの見方かも知れないが、事実を知った今では、そうとでも考えないと、いろいろと辻褄が合わないことが目につく。

 ただの貴族のボンボンに、教団でもトップに位置するオラクル騎士団主席総長たる人間が、わざわざ剣術を教えになど来ないだろう。

「……否定はしない」
「やっぱりな」

 わずかの間を置いて頷いた師匠に、俺は諦観の視線を向ける。

 俺は貴族のボンボンとして過保護にされてたんじゃない。いつか戦争で使われる人間兵器として、最高級の管理をなされていたってわけだ。

「どいつもこいつもふざけるなよっ! 俺は、人間だっ!」

 激昂する俺の肩に、師匠が手を乗せる。

「落ち着きなさい、ルーク。おまえの父は確かに、そうした理由の下におまえを軟禁してきた。だがその事実を知ったとしても、おまえたちの間に結ばれた、親子としての情が消えるわけではあるまい。おまえの家族は、おまえをただの兵器として見ていたのか? いや、違うはずだ」

 真摯に語りかける師匠の言葉で、俺の中で渦巻いていた怒りが、徐々に静まっていくのを感じる。

 脳裏を過るのは俺と正面から罵り合う親父の姿。見守るおふくろ。孤児院のガキども。笑いかけるガイ。俺の後を追う彼女。屋敷を抜け出す切っ掛けとなった彼ら……。

 あの街で過ごした七年間が、思い出されていく。

「そして、この私もそうだ。教団の意向があったことは確かだが、おまえを兵器として見たことはない。スコアにその生誕を詠まれた一人の人間、ルークと相対してきたつもりだ。この言葉に嘘は無い」

 真っ正面から俺を見据える師匠の瞳に、嘘はない。

 冷静になった俺は、気恥ずかしさに視線を逸らす。

「……すみませんでした、師匠。あんまりにも突然、いろんなことがわかったせいで、ちょっと錯乱してました。でも……」

 国が俺を兵器として見る一方で、俺をそう見ない人たちも確かに存在する。

「でも、大丈夫。もう俺は大丈夫です」

 俺を──ルークを見てくれる人が居る。それだけで、十分だった。

「でも、それを聞いちまった以上、尚更戦争を起こさせる訳には行かなくなりましたね」

 屋敷の中での親父は俺をバカ息子と呼んで、家族として扱ってくれるただの頑固親父でしかない。しかし同時に、親父は国に仕えている身の上だ。キムラスカにとって必要となれば、幾らでも感情を割り切れる人でもある。

 仮に戦争に勝利するために俺の力が必要となれば、親父は躊躇うことなく俺を兵器として扱うだろう。親父はそういう立場にいる。

「そうだな。兵器として扱われることを納得するな。まずはルーク・フォン・ファブレという一人の人間として、戦争を回避することを考えろ。そしてその功を内外に知らしめる。そうなれば平和を守った英雄として、おまえの地位は確立される。少なくとも管理すべき兵器として見られるような、理不尽な軟禁からは解放されよう」

「英雄か……なんだか胡散臭い言葉ですね」

 苦笑しながら師匠の顔を見上げると、師匠もまた苦笑を浮かべていた。

「そう言うな。少なくとも、英雄と称えられるほどの功績を成し遂げる必要があると、私は言っているにすぎない。そのためには、超振動という力を利用することすら考える必要がある」
「超振動を利用、ですか?」

 先程否定した兵器としての力を利用する必要があると言われ、俺は動揺に目を見開く。

 師匠はそんな俺を安心させるように、俺の肩を叩きながら激励する。

「大丈夫だ。自信を持て。おまえは不肖ながら、我が弟子なのだからな。超振動という力すら飲込み、英雄となってみせろ」

「……それでも、俺は不肖の弟子のままなんですね」

 師匠なりの不器用な励ましに、俺は苦笑を洩らした。
 そのとき見計らったようなタイミングで、汽笛の音が鳴り響く。


「……着いたようだな。ここでバチカル行きの船に乗り換えだ」


 どこか誤魔化すように遠くを見据え、師匠は会話の終わりを告げた。

「それじゃ師匠、俺はちょっと部屋に戻って荷物取ってきますんで、また下で会いましょう」

 部屋に駆け戻る俺の背後から、師匠がつぶやいた最後の言葉が耳に届く。

「……ルーク、私は迷わない」

 言葉の意味するものはわからなかったが、それでもその台詞は、まさに師匠を言い表している言葉であるといえた。

 すこし考え込みすぎるのは欠点だが、それでも一度決断したことは貫き通す、どこまでも苛烈な希代の武人。

 それが俺の知る師匠──ヴァン・グランツ謡将だった。

 ───ヴァンに気をつけろ

 一瞬アッシュに囁かれた警告が耳に蘇る。だが俺は特に気にするでも無く、そのまま船内に戻る。


 哀れな人形は、告げられた言葉の意味を知らず───




あとがき
 船に乗っただけで終わってるし……orz。早くカイザー書きたいよ、カイザー。



[2045] 2-8・貫け、カイザーディスト!
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 21:26

 乾いた風が土埃を舞い上げる。
 ギラギラと照りつける陽光が、砂漠に囲まれたケセドニアの地を紅に彩る。


 ってか暑い! 暑すぎる! 正直、こんな気温はバチカルじゃありえねぇー!


 声無き声で叫びながら、だらだらと滴り落ちる汗を拭っていると、先を歩いていた師匠が俺達の方を振り返る。


「私はここで失礼する」
「へっ……どういうことですか?」

 気を失ったままのアリエッタを抱き抱えた師匠は突然の別れを告げた。
 呆気に取られて尋ねる俺に、師匠はアリエッタを掲げて見せた。


 いわく、なんでもアリエッタをダアトの監査官に引き渡さにゃならんのだそうな。
 確かに、このままアリエッタを抱えたままバチカルに向かうのは無理があるか。
 納得して頷いてると、なにやらティアと話していた師匠が俺達全員に向き直る。


「船はキムラスカ側から出る。キムラスカの領事館に向かうといい」


 最後にそう言い残すと、師匠はケセドニアの騒がしい街中を悠然と歩き、その場から去って行った。


「行っちまったな……師匠」
「ええ……」


 船内での会話のせいもあるが、なんとも心細さが沸き上がって来るのを感じてしまう。ほんと、俺もまだまだまだよな。

 師匠の去って行った方向を名残惜しそうに見据える俺達に、ジェイドが手を打ち鳴らす。

「さて、このまま佇んでいても始まりません。キムラスカ領事館に向かいましょう」
「大佐さんよ。領事館に向かうのもいんだが、少しぐらい街も見ていかないか」
「賛成~賛成~」

 ガイの提案に、アニスが背を伸ばして手を上げる。なんというか、緊張感無さすぎだよな。
 半眼でみやるが、しかし俺が突っ込みを入れるまでもなく、ジェイドが口を開く。

「いえ、ここは先に領事館に向かいましょう。領事館に行ったとしても、すぐに船が出航するわけでもないでしょうし。とりあえず、私達が無事に到着したことを報告した後で、幾らでも時間はありますよ」

 ジェイドの流れるような弁舌に、二人も納得して口を閉じる。

「そんじゃ、まずは領事館に行くんでいいんだよな?」
「ええ、領事館はキムラスカ側の港付近にあるそうよ」

 周囲に立ち並ぶ露天の一つで、話を聞いていたティアが場所を告げた。

 こうして一先ず領事館に向かうことになったわけだが、ただ街並みを眺めながら通りすぎるだけでも、ケセドニアは十分すぎるほど面白い街だった。

 ケセドニアはこれまで訪れたどの街とも異なった雰囲気を宿している。
 露天に立ち並ぶ店が通りを埋めつくし、行き交う人々は誰もが活気に満ち溢れていた。
 なんというか、商売人の熱気とでもいうのか、そこら中から威勢のいい掛け声が聞こえてくる。

「ご主人様、新しい街ですのっ! 砂だらけですのっ!」

 ぴょんぴょん刎ね回るミュウに、仔ライガが降り掛かる砂を鬱陶しそうに払いながら、毛繕いをしている。

 元気なこったが、正直、俺にはしゃぐような余裕はない。

「小動物は元気だよなぁ……俺はなんか暑くて、この街はダメだ」
「そうね……少し暑すぎるかも」
「ははは、バチカルは気候的にも過ごしやすい立地をしているからな。初めての人間にはちょっとキツイのかもしれないな」

 暑さにぼやく俺たち二人に、まったく平気といった感じのガイが笑いかける。

「ジェイドもよく大丈夫だよな」

 ガイの向こう側で、汗一つかいていないジェイドの姿が視界に入る。

「これでも鍛えていますからね」

 眼鏡を押し上げ不敵に笑うジェイドに、アニスが両手を額に当てて首を傾げる。

「あれれ? 譜術で自分の周囲の温度を一定に保ってるんじゃありませんでしたっけ?」
「おや、ばれてしまいましたか」

 ぬけぬけと言いやがる大佐に、俺は次々と滴り落ちる汗を拭いながら呻いた。

「初めて譜術使えない自分を恨みたくなったぜ……」
「……私もちょっと、羨ましいかも」
「俺も耐えてるだけで暑いからなぁ……」

 暑さに苦しむ三人組の視線を受けながらも、大佐が涼やかに笑うだけだった。

 この鬼畜眼鏡め……! と罵りたくなるけど、絶対勝てないから口には出さない。

「それより領事館に向かいましょう。こんなところに居ても、暑いだけですよ?」
「ジェイドにだけは言われたくないぜ……」
「違いない」

 先を促す大佐の後に続いて、俺とガイは顔を見合わせて肩を落とすのであった。


 そのまま街中の雑踏を進む。

 物珍しさにきょろきょろ首を動かしながら進む俺の視界に、全身を真紅の衣装に身を包んだ女が映る。
 結構年上な感じだが、その分成熟した魅力がたまらん。

 なんとなく露出の高い衣装に目を離せないでいると、突然女が俺に向けてウィンクを飛ばす。

 でへへと鼻の下を伸ばしてみとれていると、女はさらに大胆な行為に及ぶ。
 な、なんと、妙に煽情的な仕種でしなをつくり、俺の首に手を巻き付けてきたのだ! 

「ってか! え? な、ななな、なんですとっ!?」
「せっかくお美しいお顔立ちですのに、そんな風に目を見開いては……ダ・イ・ナ・シですわヨ」

 首筋に片手を添えながら、顔を近づけてくる。
 俺は鼻の下を伸ばして、相手のされるがままになっていた。
 仕方がない。これは男の性なのだ。美人に迫られて嫌がる馬鹿は居ないのだ。

 だから軽蔑の視線を向けるのは止めて下さい、ティアさん。

 だらだら背中に冷や汗を流しながら、振り払うこともできず身を任せていると、突然アニスが苦悩の叫びを上げる。

「きゃう~アニスのルーク様が年増にぃ~!!」

 頭を抱えて結構酷いことを叫ぶアニスに、真紅の女も眉間を引きつらせる。

「あら~ん、ごめんなさいネっ! 小さい小さいお嬢ちゃん。お邪魔みたいだから行くわネ」

 女が身を翻すと同時に、懐からなにかが引き抜かれるような感触。

 ……ん? ああ、そう言うことか。

 俺は軽くなった懐に、相手の態度の真意を悟る。

「ちょっと待て、姉ちゃん」
「あらん?」

 即座にこの場から去ろうとしていた女の腕を俺は掴んでいた。

「いい思いさせてもらっといて言いにくいんだが、それでもさすがに財布丸ごとやるってわけにもいかねぇんでな」

 幾らなんでも、あの程度の触れ合いでスッカラカンは認められないよな。

「はん……身につけてるもんの割には、鋭いじゃないの」
「まあ、色気で気を引くってのは基本中の基本だよな」

 会話を続けながら女は俺の隙を伺っているようだが、そう簡単に見逃すわけにはいかない。
 なにせ、俺の背後でティアから突き刺さる冷め切った視線が痛すぎるからだ。

 ううっ、しょうがねぇだろ? ちょっとぐらい色気に惑わされてもいいじゃねぇか。

「はん」
「って、しまったっ!」

 一瞬ティアに気をとられた隙をついて、財布が近くに控えていたのっぽに眼帯の男に投げられる。

「ヨーク! 後は任せた! ずらかるよ、ウルシー!」

 財布を受け取ったヨークとか呼ばれた眼帯の男と二手に分かれ、女はウルシーとか呼ばれた背の低い男と逃げ出してしまった。

「まったくもう……」

 ティアがぼやきながら、ナイフを取り出す。
 瞬間、その腕が霞む。
 投じられたナイフが足元に突き刺さり、ヨークはその場に膝をついた。

「──動かないで」

 すかさず気配を殺して動いていたティアが、ヨークの首筋にナイフを突き付けていた。

「盗ったものを返せば無傷で解放するわ」

 無言のまま財布を取り出して放り投げると、ヨークは慌てて仲間達の下に駆け寄って行った。

「俺たち漆黒の翼を敵に回すたぁ、いい度胸だ。覚えてろよっ!」

 そんな在り来りな捨て台詞を最後に残し、盗人共は去った。
 しかし、あいつらが漆黒の翼だったのか。

「なんというか、思ったよりも間抜けな奴らだったよな……」
「あら、鼻の下を伸ばしていた人の発言とは思えないわね」

 戻ってきたティアが、グサリと俺の急所を射抜く。

「……返す言葉もありません」
「もう……バカなんだから」

 ティアの痛すぎる言葉に、俺はうなだれるしかなかった。

「まあまあ、ルークがスケベなのは今に始まったことではありませんし、許して上げましょうよ」
「そうそう。屋敷でもこいつはいつもこんな感じだったしな」
「お前にだけは言われたくねぇぜっ! ガイっ!!」

 屋敷のメイド達のアイドルだったガイに対して、俺は血の涙を流しながら訴えた。

 そんな俺の訴えなど誰も取り合うはずもなく、変わらずティアとアニスの軽蔑の視線が俺の背中に突き刺さった。

 あまりのいたたまれのなさにうなだれていると、突然ガイが首を捻る。

「それにしても、連中の名前とか姿、どこかで見たことあるような気がするんだが……」
「ん? ガイもそう思うのか? 俺もなんか連中の衣装に記憶が刺激されてしょうがないんだよなぁ……」

 黒を基調にした服装に、どこか舞台染みた派手な装飾品。どっかで見たことあるような気がするし、考えてみれば漆黒のなんたらって名前も聞いたことがあるよう気が……。

 うーんと首を捻って唸る俺たちに向けて、ジェイドが手を叩く。

「はいはい。思い出せないことをいつまでも考え込んでいても仕方がありません。早く領事館へ向かいましょう」

 ジェイドの正論に依存があるはずも無く、俺たち二人は考え込むのを止めて歩き出した。
 それでも気になるものは気になるわけで、俺たち二人は歩きながら、いつまでも首を捻っていた。




             * * *




 その後、領事館に向かった俺たちだったが、やはり船の準備が終わるまでにはまだまだ時間がかかるという話だった。
 それじゃ観光でもするかという話しになったとき、ガイがコーラル城で手に入れた音譜盤を解析しておきたいと、提案してきた。
 別にこれといってすることも決まっていなかったので、そのまま領事館で聞いた音譜盤の解析機を持っているというケセドニア商人ギルドのアスターの下へと向かった。
 悪趣味なまでにきらびやかな宮殿で、音譜盤の解析情報を受け取った俺たちだったが、どうもかなりの情報が収められていたようだ。


「すげぇーよな。あんなディスクにこんだけの情報が入ってるなんてさ」
「まあな。それにしても、俺もこれ程とは思わなかったね。船の中で、のんびり見ることにするさ」
「それもそうだな」


 肩を竦めて見せるガイに、内容は暇なときにでも見ればいいかという流れになった。
 そのまま街の中をうろうろ見て回っているうちに、俺はどっかで見覚えるの姿を見かけた。


「って、おいっ! そこのお前、ちょっと待てっ!」


 突然大声を出す俺に驚く仲間を後に残して、俺はそいつの背中に目掛けて駆け走る。
 声に動きを止めて振り向いたそいつが、俺の顔に目を留めたことで仰天する。
 すかさずそいつの肩に腕を回して逃げられないように固定すると、俺は親しげに声をかける。


「よっ。随分と久しぶりじゃねぇか? なあ、馭者さんよ」
「あ、あんたたちか。は、ははは、久しぶりだね」

 馭者は俺のまったく笑っていない目の輝きに、顔を引きつらせて答えた。

「あなたは……」

 追いついたティアが驚きに目を見開く。

「それで、俺たちからボッたくったペンダントに関して話して貰おうじゃねぇか。ん?」

 頬をペチペチ叩きながら問い詰める俺に、馭者が突然その場に身体を伏せる。
 こ、こいつ、土下座をしやがった。

「す、すまない。橋が壊れて帰れなかったから、あのときの宝石はグランコマで売っちまったんだ」
「う……売ったんです……か?」

 馭者の告白に、ティアが信じられないといった感じで口元を抑える。

「あ、ああ。ほんとにすまない。売ってみて俺もびっくりしたんだが、船代どころかおつりまで返ってきた。まさか、あれほどまでに高価なもんだとは思ってなかったんだ。本当に申し訳ない。お釣りは返す。この通りだ。許してくれ」

「……」

 財布からそれなりの金額を差し出す馭者にまったく反応しないティア。
 俺もどうしたいいのかわからなくなる。ここまでキッパリと謝られて、尚もゴネられるほど俺も太い神経はしていない。

「……どうする? まだ気が済まないようなら、代わりに取っちめてやってもいいけど」

 拳を鳴らす俺に、馭者がひっと身を竦める。

「ま、待って、ルーク」

 馭者の悲鳴で我に帰ったティアが、俺を押しとどめる。

「大丈夫。顔を上げて下さい。既に済んだことですから」
「あ、ありがとう」

 ティアの取りなしに、馭者が感動したように顔を輝かせる。

 何度も何度もお礼を言って去っていく馭者の姿を見送りながら、それでもティアの顔色は優れなかった。

「ほんとによかったのかよ?」
「大丈夫。心配してくれて、ありがとう……ルーク」
「うっ……お、俺もその場に居たからな。気になってただけだよ」

 直球で返された感謝の言葉に、俺は照れくささに耐えられなくなって顔を背けた。

「おーい。どうしたんだ?」

 雑踏の中、突然走り出した俺たちにようやく追いついたガイ達が、俺に呼び掛けるのが聞こえた。

「なんでもねぇよ」

 声を返しながら立ち去る俺の背後で、ティアが俺の耳にも届かないほど小さな声でつぶやいた。

「お母さん……ごめんね……」




             * * *




 その後もいろいろと街中を見て回った。流通の拠点というだけあって、店に売り出されているものも珍しいものばっかで、バチカルじゃ見かけたこともないようなものが所狭しと置いてあった。

 そうしてそれなりの時間が経ったとき、俺たちの下に駆け寄って来るキムラスカ兵の姿が見えた。

「こちらにおいででしたか、船の準備が整いました……」

 息を荒らげながら声を上げる兵士の背後を、深緑の烈風が通りすぎる。

「なにっ!」

 薙ぎ払われた短刀の一撃に、ガイの二の腕が切り裂かれ、ディスクが掠め取られる。

「ぐっ……」

 ガイが呻きながらも、解析結果の書類だけは抱え込む。

「それをよこしな」

 襲撃者──シンクが淡々とつぶやきながら、ガイに追撃をかける。
 辛くも後ろに跳んで攻撃を回避したガイだったが、跳んだ勢いもそのままに走り出す。

「とりあえず戦略的撤退っ!」
「ですね。ここで諍いを起こしては迷惑になるだけですし、一先ず船へ!」

 突然の襲撃に場所が悪すぎると判断した俺たちは、一目散に逃げに打って出る。

「逃がすかっ!」

 背後から声が聞こえて来るが、追われて止まるバカはいない。
 そのまま港に繋がる階段を駆け降りて、俺たちは船に駆け寄る。

「あ、ルーク様。出発準備完了しております」
「急いで出向してくれっ!」

 船に駆け込んで、俺は叫び返す。

「は?」
「追われてるんだ。だぁー、急げ! やばいからっ!」

 背後を示しながらもう一度叫ぶと、兵士は慌てて出航の合図を出した。
 港から離れていく船上から顔を覗かせると、悔しそうに船を見据えるシンクの姿があった。
 紙一重の差だったな……。離れ行くケセドニアを見送りながら、俺は安堵の息をついた。




             * * *




「くそっ……。書類の一部を無くしたみたいだな」

 書類を確かめていたガイが、悔しそうに呻いた。

「見せて下さい」

 ジェイドが書類をものすごい速度でめくりながら確かめる。それでほんとに内容がわかるのか心配になるが、大佐だしな。わかるんだろう。

「同位体と……響奏器の研究のようですね。3、1415926535……。これはローレライの音素振動数か」

 書類を最後まで確認し終わったジェイドが表情を隠すかのように眼鏡を押し上げる。

「同位体? 響奏器? ローレライの音素振動数? 一つもわからんな」

 なんだか自分の馬鹿さ加減に泣けて来るが、頭の出来だけはしょうがないよなぁ。

「ローレライは第七音素の意識集合体の総称よ」

 壁際に背を預けたティアが、いつになく優しい声で応えた。

「音素は一定数以上集まると自我を持つらしいんですよ。彼らを使役するには触媒になる道具が必要で、そうした触媒を一般的に響奏器と呼ぶんです。教団の始祖ユリアもそうした触媒を使って、ローレライの力を行使したって言われてます。教団の名前も、このローレライにあやかったものなんですよ♪」

 ベッドに腰掛けたアニスが、より詳しい説明を付け加えた。

 なるほど、だからローレライ教団か。にしても意識集合体の使役ね……。

「他の音素にも名前はついてるんだぜ」

 ガイがアニスの後を引き継ぐ。

「第一音素集合体がシャドウとか、第六音素がレムとか……どれも滅多にお目にかかれるような存在じゃないけどな。必要な触媒も、創世暦時代に作られたものがわずかに残っているだけだって話しだ」
「ちなみに、ローレライは観測すらされていません。いるのではないかという仮説です。こう言った仮説は、結局のところ証明されるまで不確かなままですから。触媒もユリアとともに失われたという話ですし、現状で証明するのは難しいでしょうね」

 ジェイドが書類をガイに戻しながら、説明を締め括る。

「はー、みんなよく知ってるな」

 本気で感心して頷く俺に、ガイが額を押さえる

「まぁ……。常識なんだよな、ほとんど」
「知識が無いことを恥じる必要はないわ。わからないことなら、これから知ろうとすればいいのよ」

 俺に向けて微笑むティアに、アニスがどこか意地の悪い笑みを浮かべる。

「なになにティアってば~。今日はなんだかいつになくルーク様に優しいよね~?」
「そ、そんなことないわ!」

 胸の前で組んでいた腕を解き、ティアが両手をわたわたさせながら否定する。

「そ、そう! 音素振動数はすべての物質が発しているものでね、指紋みたいに同じ人はいないのよっ!」

 すんごい上擦った声で、話を変えた。

「なんか、ものすごい不自然な話の逸らせ方だな……」

 壁に背を預け様子を伺っていたガイがぼそりとつぶやく。正直俺もそう思ったが、口に出すことはできなかった。

「ガイは黙ってて!」

 ピシリと撥ねつけるティアの剣幕に、ガイは肩を竦めて黙り込んだ。

「同位体は、音素振動数がまったく同じ二つの個体のことよ。人為的に作りでもしない限り、存在しないけど……」
「ま、同位体がそこらに存在していたら、あちこちで超振動が起きていい迷惑です。同位体研究は兵器にも転用できるので、軍部は注目していますけどねぇ」

 困ったものだと言いたげに、ティアの説明を強引に引き継いだジェイドが両手を広げてみせた。

「えっと~、確か、昔研究されてたっていうフォミクリーって技術なら、同位体が作れるんですよね?」

「……」

 アニスの問い掛けに、どこか不自然なぐらい突然、ジェイドが口を閉じる。

 嫌な空気が漂うのを感じとってか、ガイが会話の後を引き継ぐ。

「あ~、確かフォミクリーって、複写機みたいなもんだろ?」
「……いえ、フォミクリーで作られるものは、所詮ただの模造品です。見た目はそっくりですが、音素振動数は変わってしまいます。同位体はできませんよ」

 眼鏡を押し上げながら、どこか自嘲するように笑みを浮かべた。

「音素の集合意識に、同位体ねぇ。結局、六神将がなにしたいのかは、よくわからんままか」

 アッシュの奴が筆頭だが、やっぱ六神将の考える事はよくわからん。

 俺は天井を見上げてため息をついた、そのとき。

「──た、大変です!」

 唐突に扉が開け放たれ、一人の兵士が慌てた様子で飛び込んで来た。

「どうしました?」
「ケセドニア方面から多数の魔物と、正体不明の譜業反応が──」

 激しい爆発音が響く。

 揺れる船内にそれぞれが足を取られ、身体のバランスを崩した瞬間。

 ──うぉおおおっ!!
 
 白銀の全身鎧をまとった教団兵が叫び声を上げながら、部屋に流れ込んできやがった。

「いけない、敵だわ!」 

 真っ先に気付いたティアがナイフを構え、投じる。

 白刃の切っ先は先頭にいた教団兵を射抜く。鎧の隙間を狙い澄ました一撃に悲鳴を上げながら、そいつは錯乱したように武器を振り回し、ティアに突進する。

 体勢が崩れたティアは、動けない。

 理解した瞬間、俺は覚悟を決めた、

 鞘から剣を抜き放ち、勢いもそのままに切り上げる。
 鎧のひしゃげるような音と、肉を絶つ嫌な感触が俺の手に残る。
 尚も剣を振り降ろそうとする『敵』に向けて、俺は殺意を解き放つ。

 ──牙連

 振り下ろしに敵の腕が切り離される。絶叫する相手に踏み込み、俺は斬撃を振り上げながら飛び上がる。

 ────崩襲顎

 一瞬の間も置かず、空中から放たれた二段蹴りに敵は吹き飛ばされた。

 そのまま仲間と激突して体勢を崩した連中を、ガイとジェイドが狙い打ち、確実に仕留める。

 侵入した教団兵は、あっけなく全滅した。

「……ルーク?」

 剣を握りしめ、死体を見下ろしていた俺の名前をティアが呼んだ。

「大丈夫だ。覚悟は決まってたからな」

 ぎこちなく見えないように、必死に笑いかける。そして誰にも聞こえないように、口元で小さくつぶやいた。

「手段を選んじゃ、いられないんだよな……」

 そんな俺の様子に、ティアはなにかに耐えるようにわずかに唇を噛んだ。

「それにしてもこの襲撃……やはり、イオン様と親書をキムラスカに届けさせまいとしてのものでしょうね」

 ジェイドが槍を消し去りながら、推測する。

「水没させるつもりなら突入してこないでしょうし、となると狙いはやはり……」

 冷静に現状を分析する大佐に、アニスが勢いよく手を上げて応える。

「はいはい~! それじゃあ、きっと船を乗っ取るつもり!」
「やれやれ、制圧される前に艦橋を確保しろってことか? 厄介な」
「そういうことですねぇ」

 嫌そうに眉根を寄せるガイに、ジェイドがあっさりと頷いた。

「オラクルのやつらの目的がいまいちよくわからんよなぁ。戦争なんか起こして、いったいなにがしたいんだか……」

 頭を掻きながらぼやく俺に、ジェイドが肩を竦めて答える。

「理由はわかりませんが、今はこの状況をどうにかすることを考えましょう。行きますよ、ルーク」
「わかってるよ」

 既に部屋から出たジェイドに促され、俺たちは戦場へとその足を踏み出した。




             * * *




 できる限り戦闘を避けながら、俺たちは船内を走る。

 幸いなことに、船内に侵入した教団兵はそれほど大人数ではないようで、あちこちに設けられた防御拠点に、王国兵達が立て籠もって必死な抵抗を続けていた。

 甲板までどうにか到達したところで、俺は剣を振ってこびりついた血糊を飛ばしながら、芳しくない状況に呻く。

「にしてもキリがねぇな。どっかに居る指揮官をどうにかしねェー限り、ジリ貧だぜ?」
「ですね。しかし……この一見計画性がありそうでありながら、実は出たとこ任せな考え無しの用兵……ひょっとして指揮官は……」
「なんだ? 知ってるやつなのか?」
「いえ……どうでしょうね」

 なにやら思いついたことがあったようだが、ジェイドは口を閉じた。

 ジェイドは自分自身で確証が持てるまで、その考えを語らない。いろいろと理由はあるんだろうが、そんなに頭の性能がよくない俺からすれば、気になってしょうがない。

「そいつは……」

 問い詰めようと口を開きかけたところで、周囲からどこかで聞いたことのある無機質な拍手の音が響きわたる。

 どこからか照準されるピンク色の光に照らし出されたそいつに、俺は目を点にする。

「ハーッハッハッハッ!」

 変態が空から降ってきた。

 首回りにド派手な襟巻きを巻いた白髪眼鏡が、空に浮かぶ豪華な椅子に腰掛けている。セントビナーでも見たことのある変態だ。確か六神将の一人で、名前はなんていったか?

 俺の疑問に答えるように、白髪眼鏡は流れるような動作で片手を広げると、高らかに名乗りを上げる。正直、キモイです……。

「ハーッハッハッハッ! 野蛮な猿ども! とくと聞くがいい、美しき我が名を! 我こそはオラクル騎士団、薔薇の……」
「おや、鼻垂れディストじゃないですか」
「薔薇! バ・ラ! 薔薇のディスト様だ!」

 鼻垂れディストが顔を茹でダコみたいに真っ赤にして、猛然と抗議する。

「えぇ~? なに言ってんの? 死神ディストでしょ?」
「黙らっしゃい! そんな二つ名など認めるかぁっ! 薔薇だ、薔薇ぁっ!」

 これまたアニスが、二つ名を死神に訂正する。

 ジェイドとアニス二人のどこか手慣れた対応に、俺は呆気にとられた。

「なんだよ、二人ともあの変態と知り合いなのかよ?」
「う~ん。残念ながらそうです。でも、私は同じオラクル騎士団だからですけど……大佐は?」

 アニスの問い掛けに、薔薇の鼻垂れ死神(仮)ディストが得意気に胸を張る。

「そこの陰険ジェイドは、この大天才ディスト様のかつての友ですっ!」
「どこのジェイドですか? そんな物好きは」
「何ですってっー!」
「あ、ほらほら。怒るとまた鼻水が出ますよ。ティッシュいりますか?」
「キィ―――!! 出ません! いりません!」

 両手を振り回しながら、ディストが空中で地団駄を踏む。

 ジェイドとディストの緊張感皆無のやり取りに、俺たちは気を削がれまくりだよ。

「……あ、あほらしすぎだぜ」
「こういうのを置いてけぼりっていうんだよなぁ……」

 俺とガイのコメントに、ディストが気を取り直すように咳払いを打つ。

「まあ、いいでしょう……それよりも、さあ! フォンディスクのデータを出しなさい!」
「はい、これですか?」

 ジェイドがこれみよがしに取り出した書類が、一瞬のうちに駆け抜けたディストの手に奪われる。

「ハハハッ! 油断しましたねぇージェイド!」
「差し上げますよ、その書類の内容はすべて覚えましたから。ご苦労さまです」
「ムキ―――!!」 

 なんだかほんと扱いに慣れてるよな、ジェイド……。ディストをからかうのが楽しくてしょうがないのか、いつも浮かべている人の悪い微笑が、五割増しぐらいになってる。

「猿が、猿が私を小馬鹿にして! この私のスーパーウルトラゴージャスな技を食らって、後悔するがいいーっ!」

 ディストが宣言し、手元の装置をなにやら操作する。

「って、なんだぁっ!?」

 突如空中から出現した巨体が船に飛び乗って、衝撃に船体が激しく揺れ動く。

『ハーッハッハッハッ! 行きなさい、カイザァーッディストッ! R!!』

 鋏のような右手に、ドリルのような左手を持った譜業人形が駆動音を響かせながら、ディストの呼び掛けに応えた。

「こんなんアリかっつーのっ!!」
「泣き言を言っても始まらないわ」
「来るぞっ!」

 ドリルが凄まじい勢いで回転しながら、前方に突き出される。
 俺たちは散会して、それぞれの得意とする距離に回る。
 前衛に俺とガイ、中距離に大佐、後方にティア。アニスはイオンの側に控え、不測の事態に備えている。

 そんな位置構成なら、まずはどこが狙われるかといえば、当然決まっていた。

「げっ、掠った! 今、ドリル掠ったっ!」
「刀が弾かれる……っ! 教団の譜業人形は化け物かっ!?」

 俺とガイに向けてとんでもない質量を持った一撃がブンブンと振り回される。こりゃ、洒落にならねぇ! きっと死ぬ! マジで死ぬ! 絶対死ぬ!!

「ジェ、ジェイド! なんかデカイ譜術使ってなんとかしろっ! こいつ、大きさが違いすぎて俺たちじゃ無理! 絶対無理っ!」

 大ぶりな攻撃に隙を見出して攻撃するも、全て分厚い装甲に弾かれちまって意味がない。

「やれやれ、ディストの玩具ごときに私の譜術は勿体ないのですが……ガイでも無理そうですか?」
「た、大佐さんよ。さすがの俺も無理だ!」

 こめかみを掠めたドリルの回転に、ガイが顔を引きつらせながら応える。

「しょうがないですね……少し持たせて下さいよ」

 詠唱状態に入った大佐に、カイザーディストがさせじとばかりにドリルの回転をより一層激しくしながら勢いづいて、突進をかける。

「げげっ!」

 巨大質量の大ぶりな一撃を必死にかいくぐり、俺たちは死に物狂いで反撃しながら、カイザーディストをその場に張り付ける。

 回避して体勢を崩した俺目掛けて、ドリルが唸りを上げて迫り来る。ヤバっ! 直撃する!

「──狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイクっ!」

 甲板を走る岩礫が唸りを上げながら迫り、カイザーディストに直撃する。軌道をずらされたドリルが俺の髪を数本奪って、数センチ先を掠め通った。

「た、助かったぜ、ジェイド」
「いえ……しかし、いやに頑丈ですね」

 不可解そうに眉をしかめたジェイドに、ディストが高笑いを上げる。

『ハーッハッハッハッ! あなたが譜術をもって対抗しようとするなんてことは、この私にはお見通しでしたよ。やりなさい、カイザァーッディストッ! R!!』

 ディストの掛け声とともに、カイザーがロックブレイクの直撃したドリル腕をわずかに後方に引き絞る。同時に、ドリルを中心に音素が淡い光を放つ。

「おや、少しまずいですね。皆さん、衝撃に備えて下さい」

 ジェイドの少しも焦ったように聞こえない言葉が響いたと同時。

 《──狂乱セシ地霊ノ宴ヨ、ロックブレイク》

 ドリルの先端から飛び出したのは、先程大佐の放った譜術と全く同等の威力を伴った一撃だった。

「なにぃっ──!」
「さ、詐欺だっ!!」

 俺とガイは咄嗟に飛び退いて、譜術の軌道から身をかわす。

 甲板を走る岩礫が船体にぶちあたると沈黙した。

『ハーッハッハッハッ! どうです! 見ましたか、ジェイドっ! 対譜術機構たるシークエンサーを装備したカイザァーッディストッ! Rに、あなたの譜術など通用しないのですよっ! もはやスーパーデリシャスゴールデンハイパーで無敵なのがカイザァーッディストッ! R!!』

 勝ち誇るディストの言葉は癇に触ってしょうがないが、確かにとんでもない装置だ。

「いったいどんな原理だよ……」
「おそらく、放たれた譜術の展開過程を連続的な継起として記憶し、出力することで再現──つまり、まったく同等の一撃をカウンターとして放っているのでしょうね」

 呆れ果てたと言った感じで、ジェイドが額に手を当てる。

「原理が解明できるのでしたら、なにか対策もあるでのしょうか、大佐?」

 ティアの当然な問い掛けに、ジェイドが肩を竦める。

「やれやれ、こういう手法はあまり好きではないのですけどねぇ」
「好き嫌いはどうでもいいから、なんとかしろよっ!」

 俺の叫びに、ジェイドは億劫そうに首を振りながら前にでた。

『どうしました? いまさら謝ったって遅いのですよ、ジェイド!!』
「あんまり勢いづくと、鼻水が垂れますよ、ディスト」
『ムキ―――!!』

 ジェイドが余裕な様子で、片手を上げて詠唱を始める。

「荒れ狂う流れよ、スプラッシュ!」

 大地から噴き出した四本の水流の渦がカイザーに直撃する。

 《荒レ狂ウ流レヨ、スプラッシュ》

 同時に放たれた譜術カウンターが大佐の術を再現する。
 だがそのときには、既に大佐は次の譜術を唱え終えている。

「終わりの安らぎを与えよ、フレイムバーストッ!」

 熱量を周囲に撒き散らしながら無数の火焔が唸りを上げ、カウンターで放たれた水流を一瞬で蒸発させると、カイザーに直撃する。

《ブ…ブブ……終ワリノ安ラギヲ与エヨ、フレイムバースト》
「唸れ烈風! 大気の刃よ、切り刻め! タービュランス!」

 またもやカウンターと同時に放たれた譜術が、大気を激しく揺れ動かしながら迫る突風となって、カウンターで放たれた火焔を巻き上げながら、カイザーを切り刻む。

《ブ……ブブ……ブブ……唸レ烈風。大気ノ刃ヨ、切リ刻メ。タービュ──》
「炎帝の怒りを受けよ! 吹き荒べ業火! フレアトルーネードッ!」

 度重なる譜術の高速詠唱に追いつけなくなったカイザーディストのカウンターを、ついに大佐の詠唱が追い抜いた。

 カイザーディストを包み込むようにして、灼熱の業火は荒れ狂う。
 吹きつける炎風が、業火の中心に位置するカイザー目掛けて風刃となって降り注ぐ。

 猛り狂う炎と刃の嵐に、ついに譜業人形が爆発を起こす。

「そ、そんなバカなぁ────っ!!」

 吹き上がる爆風にディストが吹き飛ばされて、キラリと輝きを残し、空へと消えた。

「あれ……さすがに死んだんじゃないか……?」
「殺して死ぬような男ではありませんよ、ゴキブリ並みの生命力ですから。まったく、放たれた詠唱を再現できると言っても、本体がシークエンサーを装備していたら、結局攻撃をその身に受けなければならないというのに……やはりバカですねぇ」

 あっさりと断言するジェイドにビビリながら、俺はつばを飲み込む。

「そ、そっか? かなり強かったみてぇーに俺は感じたんだけど……」
「私なら本体には装備させません。事前に必要最低限な譜術は登録させておくか、攻撃を受けずに空間に残留する詠唱情報を詠み取らせるかして、一方的に連続で高速詠唱させますよ」

 ゾッとするような笑みを浮かべて、ジェイドがとんでもないことを言い放った。

 なんというか、こいつが味方でよかったような、恐ろしいような、複雑な心境だ。

「さて、そんな些細なことは置いといて、私はブリッジを見てきます」
「あ、俺もついて行く。女の子たちはルークとイオンを頼む」

 さっさと去って行ったジェイドの背中を見つめて、アニスがぼそりとつぶやく。

「大佐って、底が知れませんよねぇ……」
「ホントにな……」

 俺は心底同意して、力強く頷いた。

 後に残された俺たちは突然の終幕に呆気に取られながら、のろのろと動き出す。

「んじゃ、俺たちは……」
「怪我をしている人がいないか確認しましょう」
「そうですね」
「だな」

 幸いなことに、船内にそれほどの被害はなかった。ディストが星になると同時に、艦内に居た教団兵も見切りをつけて、早々と一斉に撤退して行った。
 そうこうしているうちに、汽笛が鳴り響く。どうやらバチカルに到着したようだ。

 なんだか最後の最後まで慌ただしい旅路だったよなぁ……。

 俺は腕を振って、凝り固まった肩をほぐす。
 周囲ではようやく行き着いたバチカルに、船員達が忙しげに動き回っている。


「帰って来たんだなぁ……」


 あまり実感のわいて来ないまま、近づきつつあるバチカルの港を見据える。


「超振動……兵器としての管理……か」


 もはや無視できない、様々な問題を残したまま、長かった俺の初めての旅は終わりを迎えた。







あとがき
 なんとなく書き上がったので更新。GW様々。内容は、あのディストならこれぐらいの装置作ってもおかしくないだろうと独自装置登場。
 大佐にあっさりやられましたけど。ともあれこれで二章終了。次回はやっと王都! 所謂一つの修羅場です。



[2045] 3-1・帰リ着キテ、王都 (閑話:公爵家の人々)
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 21:32

 港に下りると、そこにはずらりと立ち並んだ兵隊連中が、俺たちに向けて敬礼を捧げていた。
 あんまりにも仰々しい出迎えに、俺はちょっと腰が退ける。

 なんとなくそのまま固まっていると、兵隊たちの中から壮年の軍人が一歩前に出て、俺たちに礼を取る。


「お初にお目にかかります。キムラスカ・ランバルディア王国軍第一師団長のゴールドバーグです。この度は無事のご帰国おめでとうございます」
「ああ。出迎えご苦労」


 内心激しく動揺しながらも、俺はなんとか外面だけは取り繕って答えを返す。公の場では、俺も外面はいいのだ。
 俺のそこそこ重めに聞こえる返答に満足そうに頷くと、ゴールドバーグはすぐにイオンに話し始めた。


 ……まあ、主役はそっちだしな。


 俺は特に気にするでも無く、周囲の様子を伺う。なんとなく、上京した田舎物の気分だ。
 それにしても、随分と仰々しい迎えである。マルクトの使節に対する軍事的な威圧の意味も込めてるんだろうかね? だとしたら、なんともせせこましい限りだけどな。

 そんな結構不穏な感想を抱きながら港を見回しているうちに、ふと気付く。


 そう言えば、港に来るのって初めてだよな。


 区画とかもかなり整理されてるようだが、バチカルらしい大規模な港だ。
 あいつがやってる事業の中に港の開拓も含まれてるとか聞いた覚えはあった。
 随分と意気込んで力説してるとは思ったが、やっぱ言うだけのことはあるわなぁ……。
 感心しながらきょろきょろ周囲を伺っているうちに、どうやらゴールドバーグとイオンの間の話し合いは終わったようだ。


「皆様のことは、このセシル少将が責任をもってお連れいたします」

 ゴールドバーグの脇に控えていたキリッとした容姿をしてる軍人の姉ちゃんが俺たちに敬礼を捧げた。

「セシル少将であります。よろしくお願い致します」

 セシル少将の名前を聞いた瞬間、ガイが微妙に顔をしかめるのがわかった。彼女もそれに気付いてか、怪訝そうに首を傾げる。なんとなく、いつもの女性恐怖症とも違う感じの反応が俺も気になった。

 セシル少将の反応に、ガイはなにかを誤魔化すように、慌てて名乗りを上げる。

「お……いや私はガイと言います。ルーク様の使用人です」
「ローレライ教団オラクル騎士団情報部第一小隊所属、ティア・グランツ響長であります」
「ローレライ教団オラクル騎士団フォンマスターガーディアン所属、アニス・タトリン奏長です」
「マルクト帝国軍第三師団師団長、ジェイド・カーティス大佐です。陛下の名代として参りました」

 ジェイドの名乗りまで来たところで、周囲に居た軍人どもが騒めく。

「貴公があのジェイド・カーティス……」

 絞り出すように呻くセシル少将に、ジェイドがいつもの悪人顔で笑みを浮かべた。

「ケセドニア北部の戦いでは、セシル将軍に痛い思いをさせられました」
「ご冗談を……私の軍は、ほぼ壊滅でした」
「皇帝の懐刀と名高い大佐が名代として来られるとは……なるほど、マルクトも本気というわけですな」

 随分と評価が高いんだな、ジェイドのおっさん。しげしげと視線を送っていると、大佐はなんてことないと言うように肩を竦めて見せた。

「国境の緊張状態を考える限り、本気にならざるを得ません」
「おっしゃる通りだ。ではルーク様は私どもバチカル守備隊とご自宅へ……」

 警護付きで自宅に護送だって? ゴールドバーグの申し出に、俺は目を点にする。

 将軍クラスがそんなことを言うってことは、正式な命令が出てるってことか? しかし、さすがにそこまで過保護にされるつもりはない。

 それにイオン達とここで別れるのは、まだ早すぎる。

「いや、それよりも……」

 俺は手を前に掲げ、ゴールドバーグの言葉を制止しながら言うべきことを考える。

「……まずは導師イオンを伯父上に面会させてやりたい。頼まれ事を途中で放り出すのは俺の主義に反する。帰宅するのはその後でも十分だ」

 それなりに考えて言った俺の言葉に、ゴールドバーグは感心したと頷くと、すぐに代案を立てた。

「承知しました。公爵への使いはセシル将軍に頼みましょう。……セシル将軍、行ってくれるか?」
「了解です」

 機敏な動作で去っていくセシル少将を見送ると、ゴールドバーグも俺たちに別れを告げる。

「それでは、私も軍港で引き継ぎを終えた後、城に向かいたいと思います。後ほど会いましょう、ルーク様」
「わかった。ご苦労だったな、ゴールドバーグ」

 軍人連中が完全に去ったのを確認すると、俺はようやく姿勢を崩した。

「ふぅ……やっぱ疲れるぜ。堅っ苦しいやり取りはなるべくやるもんじゃねぇよなぁ……って、どうしたよお前ら、俺を変な目で見て?」

 信じられないものを見たとでも言いたげな様子で、ガイ以外の全員が目を見開いてやがる。

「ルーク……あなた、ああいうキチンとした言葉遣いもできたのね」
「驚きましたね。まさか、あなたがあんな風に喋るとは……」
「僕も少しだけ、驚きました」
「ルーク様、たとえどれだけ似合っていなくても、ああいう物腰も素敵ですよ♪」

 次々と発せられる言葉に、俺は額が引きつるのを感じる。

「お前らな……いったいどういう意味だよ?」
「まあまあ、落ち着けよルーク。確かに普段のお前の様子からすれば、想像できないってのはさすがに認めるだろ?」
「ちっ……まあな」

 宥めて来たガイの言葉は、確かに否定できないけどよ。それにしても、失礼な奴らだ。

 不貞腐れる俺に、ティアが本当にわからないといった感じでつぶやいた。

「あなたなら誰が相手でも、いつもの態度を通しているとばかり思っていたわ」
「必要だったから覚えただけだぜ? いろいろと事業に手を出すには、ああいう態度も必要なんだ。王族らしい王族ってだけでも、いろいろ付加価値がつくからな」
「え~!! ルーク様なにか事業とかに手を出してるんですか!?」

 うげっ。アニスのやつが目を輝かせて、こっちに身を乗り出してきやがった。

「ま、まあ、ちょっとしたことが切っ掛けでな。大したもんじゃねぇけどさ」
「いったいどれぐらいの利益を上げてるんですか!?」

 こ、こぇーよ。目の色がガルドに変わってやがるぜ。ぐいぐいと身を乗り出して来るアニスに、俺は身の危険を感じて話題を変えることにする。

「そ、そんなことよりもアレだ! 早いとこ城に行こうぜ?」

 促した言葉に、真っ先に我に返ったイオンが頷いた。

「ではルーク。案内をお願いします」
「おう、そんじゃ行こうぜ」

 そそくさとアニスから身をかわして、港から伸びる天空滑車に向かう。

 ともかく、ようやく俺はバチカルへの帰還を果たしたのだ。本当に、なんとも長い旅路だったもんだ。

 感慨深さよりも、なぜか押し寄せる疲労感に、俺は目尻を拭うのであった。




             * * *




 縦に伸びるバチカルの下層部分に立って、俺は街を見上げた。

 久しぶりに眺めた街の景色に、徐々に懐かしさが込み上げてくる。

 帰って来たという事実がようやく現実のものとして実感されて来た。なんとも感慨深いもんだね。

「……すっごい街! 縦長だよぉ」
「チーグルの森の何倍もあるですの」

 感動するアニスと、はしゃぎまくるミュウと仔ライガの様子に、ガイが苦笑を浮かべながらいつもの解説癖を発揮する。

「ここは空の譜石が落下してできた地面の窪みに作られた街なんだ」
「自然の城壁に囲まれているという訳ね。合理的だわ」

 なんというか、街の感想まで軍人的思考に立たんでもいいんじゃねぇのかとか思ってしまう。でもまあ、そういうところもまた、ティアらしいと言えばらしいのかもしれないけどな。

 ともあれ、街を見上げながら、それぞれが始めてみるキムラスカの首都に目を輝かせている。

「こっから正面に見える天空滑車を乗り継いだ先が王城だぜ。今からはしゃいでると、体力もたねぇぞ?」

 なんとなく普段とは逆の立場が面白く感じられて、からかうような言葉を投げ掛ける。

「ははは。ルークも屋敷を抜け出し始めた頃は、似たようなもんだったじゃないか。あんまりそう言ってやるなよ」
「うっ……まあ、そうだったかもな。なにせあの頃はどこの囚人だよって言いたくなるぐらいにすげぇー窮屈な監視下で生活してたもんな。屋敷の外に一歩も出れねぇなんて生活、今じゃ考えられねぇぜ」

 かつての記憶が思い出されて、俺は気まずさに鼻下を擦る。

 三食昼寝監視つきの生活だったもんなぁ……。

 遠い目をして監禁ライフに想いを馳せていると、俺の発言にティアが顔を強張らせるているのに気付く。

「どういうこと? あなたが王都から外に出たことがなかったのは知っていたけど……昔は屋敷の外へさえも出られなかったと言うの? たとえ貴族であってもそれは……異常よ」
「あれ、言ってなかったっけか? 一応、俺って国王命令とかで、屋敷の外には一歩も出るなって決められてるんだぜ。ちなみに、これって今も有効な」

 俺の軽い言葉に、しかしその場にいた全員が顔を強張らせる。

「それは……いったいどういう理由からです? タルタロスで言っていた誘拐事件と、なにか関わりがあるのでしょうか?」
「ん、まあ、そんなようなもんだな」

 師匠から聞かされた真の軟禁理由が思い出される。超振動を発揮できる戦略兵器の飼い殺し……まあ、理屈はわからないでもないが、納得できるもんでもないよな。

「でも体力ついた後はガンガン屋敷の外に抜け出してたんだぜ? 今じゃ軟禁とは名ばかりで、抜け出しても王都の外に出ない限りなんも言われないしな。だから、お前らがそんな深刻に考える必要はないって」

 最初は必死に阻止しようとしてた執事連中も、今じゃ完全に諦めて、抜け出す俺に向けて、いってらっしゃいと手を振ってくるぐらいだしな。

 なんだか暗い雰囲気になってしまった一同に、俺はへらへらと笑いかけた。

 実際、たいしたことないと俺は思ってるのだが、一同の顔は晴れない。

 ティアがどこか困ったように首を傾げると、俺の顔を見据えた。

「……強いのね」
「へ? どういう意味だ?」
「いいえ……わからないなら、それでいいの。それよりも、お城に早く向かいましょう。案内はお願いね、ルーク」
「あ、ああ。わかった」

 なんだか誤魔化されたような気がしないでもなかったが、言ってることは正しいので、特に反論するでもなく、俺たちは城へと向かった。

 はて、マジでどういう意味だったんだろうな……?

 どこか機嫌良さげに見えるティアの後ろ姿を見やりながら、俺は首を傾げた。




             * * *




「げっ、忘れてた!」

 城のある階層にまで来たところで、俺は突然一つの可能性に思い至る。

 やばい、そういえば俺が帰って来たのは、先行したセシル少将が既に伝えちまってるんだよな。だとしたら、当然あいつの耳にも入るわけで、そうなったらあいつがどう行動するかなんて、一つしか考えられない。

「なにやってんだ、ルーク?」

 突然、植え込みに伝いに身を潜めながら進み始めた俺に、ガイが呆れた視線を送る。

「いや、アレだ。俺の予測だと、ここらへんでそろそろ、あいつが姿を見せてもおかしくないと思ったんだけど……どこにも居ないな。おかしい。俺の思い過ごしか?」
「あいつ……? ああ、あの御方か。確かに来てもおかしくないが、そこまで警戒する必要はないだろ」

 俺とガイの会話に、皆が首を捻る。確かになに話してるかわからんだろうが、今の俺には説明しているような余裕はないのである。

「それにどうせ城に向かうんだ。行き違いになる可能性も十分ある」
「そ、そうだな。あいつが来る前にとっとと城での用事を済ませちまおう。行くぜ、皆!」

 俄然張り切り出した俺の様子に、やはり皆が不可解そうにしている。

 そんな首捻ってないで、さっさと歩いてほしいってのが本音だ。

「ねえねえガイ。ルーク様の言ってるあいつって誰なの? アニスちゃん的に、ちょっとあやしいかな~」
「ああ……それはだな」
「余計なこと言ってないで、さっさと行くぞ!」

 俺の呼び掛けに、ガイが苦笑を浮かべながら肩を竦める。マジで無駄話は止めてくれと、俺は視線で訴える。

「まあ、すぐにでもわかると思うぞ。ルークがあの御方から逃げきれたことなんて、それこそ一度もなかったんだからな」
「だぁーもう、うっさいぞ、ガイ」

 俺の再度の呼び掛けに、ガイははいはいとおざなりに頷いくと、ようやく動き出した。

 まったくガイのやつも不吉なことを言いやがる。
 まあ……よくよく思い出してみると……確かにそうだったかもしれないけど……。
 そ、それでも俺は今度こそ、捕まる訳にはいかんのだ!

 あいつには頭が上がらない分、遭遇すんのはできる限り避けたいところだ。
 なにせ今回は突然居なくなったなんていう大事だ。
 いったいなにを言われることやら……考えるだけでも恐ろしい。

 俺は内心かなりビクビクしながら、王城へと足を踏み入れる。


「うわ~、さすがお城だけあって豪勢~。なにより高そう~」


 アニスが目を輝かせて、城の内装を伺っている。
 すさまじい勢いで目線が移動し、置かれた各種小物類の値段をはじき出す。

 なんか……最近、猫被りの化けの皮が剥がれてきてないかね? 

 本性駄々漏れになりつつあるアニスに、俺は生暖かい視線を向けた。それに気付いたイオンが、アニスに優しく声をかける。

「アニス、ルークが見てますよ?」
「はわぁ? え、え~と。綺麗なお城ですよね♪」
「高そうだしな」
「高そうだろうしねぇ」
「高そうでしょうしね」
「はぅあっ!」

 一斉に返されたことで、アニスがしまったと呻く。
 なんだかんだ言って、自分に正直なやつだよな。アニスにジェイドが苦笑を浮かべ、やれやれと肩を竦める。

「確かに、そこの装飾一つとっても、売り払ったら一財産でしょうね。それも買い取るような店があれば、の話ですが」
「へ? それってどういうことだ?」

 ジェイドの含みを持った言葉に、俺は首を捻る。
 売り払うだけなら、それこそどこでもできると思うんだが? 城にあるものなら、尚更質もいいだろうし。

「王城に卸されている品は、そのほとんどがオーダーメイド。完全な一品ものです。仮に賊が盗み出して、売り払おうとしたとしても、すぐに足がついてしまいます。だから現金に変えるのは困難でしょうね」

 なるほどなぁ。俺は納得して、改めて城の内装を見やる。

 確かに豪勢だけど、金にはならんのか。そんなこと思いながら眺めていると、アニスがぼそりと吐き捨てるのが聞こえる。

「ちっ……見かけ倒しか」

 ……まあ、正直なのは悪いことじゃないよな。うん。

「それよりも謁見の間に向かいましょう。ルーク、お願いします」
「おう。わかった。といっても、すぐそこだけどな」


 俺は皆を引き連れて、正面に位置する階段を昇る。
 階段からすぐのところに、兵士が扉の前に控えている。ここが謁見の間へ繋がる場所だ。


「ただいま大詠師モースが陛下に謁見中です。しばらくお待ちください」

 兵士の律儀な言葉に、俺は出された面会者の名前を記憶から探る。

 モースっていうと……確か大詠師派のボスか。

 うーん。どうしたもんか。
 たぶんゴールドバーグかセシル少将が面会の申請はしてくれてるだろうけど、受理されてんのかな。
 まあ、伯父さんなら何も言わずに来ても会ってくれるだろうから、大丈夫だろうけど。


「ちなみに、あとどれぐらい掛かりそうだ?」
「はい。申請されている面会時間は三時間となっております。既に二時間ほど経っていますから、間もなく出て来られるのではないかと思われます」

 俺は皆の方を振り返って、肩を竦めてみせた。

「待つしかなさそうだぜ?」
「まあ、仕方がないでしょうねぇ」
「モースが来ているのですか……」
「イオン様ぁ……」

 イオンの表情が引き締まる。それも無理ない話だろう。まだ証拠があるわけじゃないが、これまで大詠師派と言われる六神将にあれだけ邪魔されてきたんだからな。

 同様に、モースを信じているっぽいティアが、イオンの様子に表情を暗くする。

 うーん。未だに、よくわからんよな。六神将とモースは繋がっているのかね? イオンの話をきく限り、導師派に対抗できそうな派閥は大詠師派しかなさそうな感じだったが、一つの派閥と言ってもその中身は一枚岩でもあるまい。大詠師派、六神将閥とかでもあるのかね。

 いろいろと考えているうちに、扉が内側から開かれる。出てきたのは、誰もが神官と言われて思い浮かべるだろう、典型的な教団の人間像をした中年の男だった。

「導師イオン…?」

 モースが驚きに目を見開く。突然行方不明だったはずの人間が目の前に現れたことにか、あるいは六神将に確保されているはずの人間を目にしたせいか。どちらに驚いたのか、その判断はつかない。

「久しぶりです、モース」
「お探ししておりましたぞ。どうやら無事なようで安心しました。しかし、突然教団から居なくなるとは、いささか導師としての自覚に欠ける行動でしたな」
「モース、確かに導師としての立場はわかっています。ですが、教団本来の目的であるスコアによる繁栄を第一に考えた場合、僕が動くことで戦争が阻止できるなら、対面などいか程のものでしょう?」
「戦争の阻止? そう言えば、そちらの方々は? 私の部下も居るようですが」

 表情を一切動かさず、どうにも本音を伺わせない調子で、モースがジェイドの方を向く。

「申し遅れました。私、帝国より和平の使者として派遣されたジェイド・カーティスという者です」
「帝国からの和平の使者……なるほど、導師が姿を消した理由はわかりました」

 それだけで事情を察したのか、あるいは事前に全てを知っていたのか。やはり判断はつかない。

「確かに導師の仰ることにも一理あります。二国間に和平を結ぶためには、教団の力が、なによりも導師程の人物が動かれたという事実は、かなりの力添えとなるでしょう。ですが、言伝ても残さず動いたのは、いささか感心できかねる行為ですな。オラクルに申し出てくだされば、護衛を動かすぐらいのことはできたでしょうに」
「それは……なるべく迅速な行動が必要だったのです。ひとまず、この話は後にしましょう。全ては、これから行われる王国との面会次第です。教団の方針をここで話していても、なにも始まりません」
「……わかりました」

 モースは少し渋面になったが、すぐに引き下がった。そして、後方に控えていたティアに呼び掛ける。

「ティア。お前は残りなさい。例の件、おまえから報告を受けねばならぬ」
「モース様。私にはルークをお屋敷に届ける義務がございます。後ほど改めてご報告に伺います」

 少し、意外だった。あれほど軍人思考を心掛けていたこいつが、上官からの命令に意見するなんて思ってもみなかった。

 俺は目を見開いてティアの顔をまじまじと見据えてしまう。

 すると、俺の視線に気付いたティアが頬を染めて顔を俯けてしまう。なんでだ?

「ふむ……まあ、それもよかろう。それでは導師、私はこれで失礼します」

 さして緊急の用件でもなかったのか、モースも特に拘るでもなくティアの申し出を許可すると、導師に一礼してこの場を去った。

「……あのおっさんが大詠師派のトップなのか?」
「ええ。彼がモースです」
「なかなか、腹の底を見せない人物でしたね」

 ジェイドが眼鏡を押し上げ、面白そうに微笑を浮かべる。

「腹の底が見えないっていうか……なんつぅーか、えらい普通の神官にしか見えなかったんだけどよ。本当にイオンと対抗してる派閥のトップなのか?」
「彼もまた敬虔なスコアの信者であることに違いはありません。ただ、スコアに求める価値観が、僕たちの派閥と異なっているというだけです」
「スコアに求めるもの?」
「そうです。大詠師派は、預言──スコアによって観測された事象と、寸分違わぬ未来の道筋を歩むことを、なによりも重視しています」

 全てがスコアに定められるままに、か。

「イオンは違うのか?」
「スコアは人間が幸せになるために用いられる、数ある手段のうちのひとつに過ぎない。僕はそう考えています」

 ふむ。なるほどね。なんで二つの派閥が反発しあってるのかわからなかったが、教義の解釈上の相違ってやつなのか。スコアを絶対視する派閥と、手段の一つと割り切っている派閥か。

 ん? そう考えると、なんか一つの可能性が思い浮かぶような……

「ルーク、なにしてんだ? 中に入れるらしいぞ」
「あ、ああ……わかった」

 一瞬なにか重要そうな考えが思い浮かびかけたが、今は伯父さんとの面会の方が重要だよな。俺はすぱっと頭を切り換えると、思い浮かびかけた可能性をそれ以上深く考えることなく、謁見の間に足を踏み入れた。




             * * *




 謁見の間に踏み込むと、玉座に腰掛ける伯父さんが俺たちに視線を巡らした。

「話はゴールドバーグから聞いている。おお、ルークではないか。こうして話すのは、久しくなかったことのように感じるぞ。よくマルクトから無事に戻ってくれた」
「心配お掛けして申し訳ございません、伯父上」
「おお、そのように堅苦しく身構える必要はないぞ。いつものように、伯父さん、と呼ぶがいい。余はまったく気にせんぞ」

 伯父さんが許可してくれてるのはわかるんだけど、両脇に控える高官の一人がものすごい視線を俺に向けてきているのを感じる。うーん。どうしたもんか。

「えーと、一先ずそういった話は、帝国からの案件を済ませてからということで、よろしいでしょうか?」
「そうか? お前がそういうなら、仕方がない。するとお前の横にいるのが……?」
「ローレライ教団の導師イオンと、マルクト軍のジェイドです」

 俺が少し後ろに引いて、イオンとジェイドが前に出られるようにする。

「ご無沙汰しております陛下。イオンにございます」
「導師イオン。久しいな。モースが行方不明と心配していたぞ」
「陛下にもご心配お掛けしたようで、申し訳ございません。こちらがピオニー九世陛下の名代、ジェイド・カーティス大佐です」
「御前を失礼致します。我が君主より、偉大なるインゴベルト六世陛下に親書を預かって参りました」

 ジェイドの捧げた親書を、高官の一人がひったくる様にして受け取る。どうもあんまり穏健な態度であるとは言えない。これは、少し言っておいた方がいいかね?

「伯父上、俺はこの目でマルクトを見てきました。首都には近づけませんでしたが、それでもエンゲーブやセントビナーなどと言った国境沿いの村落は、平和そのものと言った様子でした。マルクトに、自発的な開戦の意志はないものと思われます」

 俺の少し差し出がましい進言にも、伯父さんは頷きを返してくれる。

「ルーク、わかっている。こうして親書が届けられたのだ、余とてそれを無視はせぬ。皆の者、長旅ご苦労であった。まずはゆっくりと旅の疲れを癒されよ」

 伯父さんの言葉に、ともかく和平の意志は伝えられたようだ。一同を安堵が包み込む。

「使者の方々のお部屋を城内にご用意しています。よろしければご案内しますが……」
「もしもよければ、僕はルークのお屋敷を拝見したいです」

 イオンの言葉に、俺も軽く頷いてやる。
 あれだけ長い間一緒に旅してきたんだ。ここで別れるのもちょっと名残惜しいしな。

「ではご用がお済みでしたら城へいらして下さい」


 高官の言葉に、退室ムードが漂い始める。
 そのとき、伯父さんが少し顔を暗くして、俺にその言葉を告げた。


「ルークよ。我が妹シュザンヌが病に倒れた」
「おふくろがっ!? マジかよ、伯父さん!? ど、どういうことだよ。容態とか、わかるのか!?」

 動揺しまくったせいか、言葉を取り繕ってるような余裕がなくなっちまう。俺の擬態した姿しか知らない高官の一人が驚いた様な視線を寄こすが、知ったことか。

「落ち着けルーク。医官の話によれば、幸い大事に至る様子はないとのことだ。余の名代としてナタリアを見舞いにやっている。よろしく頼むぞ」
「わ、わかったぜ。教えてくれてありがとな、伯父さん」
「うむ。いつでも来るがいい。〝私〟は歓迎しよう」

 こうして面会は終了した。

 伯父さんの話を聞いた俺は居ても立っても居られなくなって、城から駆け出す。皆も俺になにか言うでもなく、俺の後を追ってくれた。すまないとは思うが、今は皆のこと考えてる様な余裕がない。



 王城と同じ階層にある、一際でかい屋敷の門を潜る。
 門番してた白光騎士団の一人が、俺の顔を見て驚いた様に慌てて姿勢を正す。

「る、ルーク様っ! お帰りなさいませ」
「おうっ! 今帰ったぜ!」

 言葉少なに応じて、俺は屋敷の中に駆け込んだ。
 玄関から入ってすぐのところで、セシル少将と話し込んでいる親父の姿を発見。

「オヤジ! 今帰ったぜ! おふくろの容態はどうなんだ?」
「少しは落ち着かんか、バカ息子!  陛下に聞かなかったか? 大事はない。本当だ」
「──そっか」

 オヤジから直接聞けたことで、とりあえず俺も落ち着きを取り戻す。本当に大したことなさそうだ。これが危険な状態だったりしたら、オヤジもこんなに落ち着いてはいられないだろうしな。

「ともかく、報告はセシル少将から受けた。随分と大変な目にあってきた様だが……結局、その壊滅的なまでに軽佻浮薄な性格に改善は見られないようだな。まったくもって、嘆かわしいことだ。一体私達のどこに似たのだか」
「へっ……そいつは俺にもどうしょうもない。一度鏡を見てみることを薦めるぜ。そこにはきっと、俺の原型、さらに言えばダークサイドの提供者がハゲ面さらして嘆いてると思うぞ? 主に生きてることとか。カツラでも買えば?」

 俺とオヤジの視線が交錯する。

『はっはっはっはっは』

 まったく笑っていない互いの瞳を見つめ合い、俺とオヤジは引きつった高笑いをあげた。

「……えーと、旦那さま。親子の触れ合いはそのくらいで……」
「うむ。そうだな。ガイもご苦労だった」
「……はっ」

 ガイにねぎらいの言葉を掛けたオヤジが、続いて俺の方を見やる。なにかを躊躇うように口を開いては、閉じるを繰り返している。

 怪訝に思いながら、俺はオヤジを睨む。

「あんだよ?」
「まあ、なんだ……無事でなによりだ、ルーク」

 俺は一瞬呆気にとられて、オヤジを見返した。オヤジはそれに照れたように顔を背けている。

「へへっ……まあ、オヤジも元気そうで、なによりだぜ」

 オヤジのらしくない労りの言葉に苦笑を浮かべながら、俺もそう言っていた。

 なんとも俺らみたいな親子らしくない空気がその場を満たし始めたとき、追いついてきた面々が次々と屋敷の中に姿を見せ始めた。

 それに気付いたオヤジが、公人としての顔になって口を開く。

「使者の方々もご一緒か。お疲れでしょう。どうかごゆるりと」
「ありがとうございます」

 そこまで言ったところで、誰かを探す様にオヤジは視線を巡らせた。

「ところでルーク、ヴァン謡将は?」
「師匠? ケセドニアで分かれたよ。後から船で来るって……」
「ファブレ公爵……。私は港に……」
「うむ。ヴァンのことは任せた。私は登城する」

 それを聞き終えるや否や、オヤジは目つきも鋭く、セシル少将に指示を与えた。

 ……いったいなんだ? オヤジ、妙にピリピリした空気を振りまいてやがるが。

 少し皆から遅れて登場したティアが、屋敷の中に足を踏み入れた。

「む? キミは……キミのおかげでルークが吹き飛ばされたのだったな」
「……ご迷惑をおかけしました」

 素直に頭を下げるティアに、親父は尚も厳しい視線を向ける。

「ヴァンの妹だと聞いているが」
「はい」
「ヴァンを暗殺するつもりだったと報告を受けているが。本当はヴァンと共謀していたのではあるまいな?」

 そこで初めてティアが顔を上げる。

「共謀? 意味がわかりませんが……」
「まあよかろう。行くぞ、セシル少将」

 あまり家では見せることのない威圧的な空気を振りまきながら、親父は去って行った。

「なんか変だったな……旦那様」
「確かにな。ヴァン師匠がどうしたんだ……?」

 共謀ってどういうことだ? 俺たちは首を捻ったが、やはりよくわからなかった。

「私はここで……」

 ティアがどこか居心地悪そうに身を捩る。親父のさっきの対応のせいか、ティアに周囲から使用人たちの無遠慮な視線が降り注いでいる。まあ、屋敷を襲撃したのは事実だし、そんな奴が平然と門を通って、再び訪れたらこうなるのもしょうがないか。

 しかし、事の原因だったとしても、俺が世話になった事実は変わらない。

「別にそんな急ぐ必要もないんじゃねぇの? イオンも屋敷を見ていくみたいだし、もうちょっと付き合えよ。ティアには随分と世話になったことだし、ちゃんともてなすぜ」

 俺は使用人どもを睥睨しながら、こいつは客だと訴える。するとさっきまで敵意の籠もっていた視線が、かなり和らぐのがわかる。

「でも私は……」

 尚もなにか言いかけるティアに向けて、ガイが視線も鋭く言葉を投げ掛ける。

「どうせなら奥様にも謝っていけよ。奥様が倒れたのは、多分ルークがいなくなったせいだぜ」
「……そうね。そうする」

 少し俺の望んだ形とは違ったが、ティアももう少し付き合うことになった。

 しかし皆ともさよならか。ティアが話題を出したことで、ようやく別れの時が来たことを実感する。

 なんともいろいろなことがあったが、そう悪くない旅路だったよなぁ……。

 少し感慨深くなって、俺はこれまでの道中を思い起こした。

「さて、それじゃ奥さまの所に向かおうか」
「あ、ちょっと待ってくれ」

 促すガイに背を向けて、玄関先に佇むメイド連中にミュウと仔ライガ二匹を預け渡す。

「お前ら、こいつらちょっと頼むわ」

 まだ具合が悪いだろうおふくろを気づかって、俺は小動物二匹をメイドたちに預け渡した。小さいとは言え魔物の一種にメイド達は少し怯えた様子だったが、二匹の愛らしい容姿を目にすると、すぐに歓声を上げ始めた。ちょっと尋常じゃないぐらいに二匹が揉みくちゃにされているが……まあ、あいつらなら大丈夫だろうと思っておく。

 ともあれ、俺たちはまずはおふくろの下へ向かうことになった。


 そのまま玄関から応接間へ入った瞬間、眼にも鮮やかな金髪が俺の視界に飛び込んだ。


 柔らかいそうな金髪が、ふわりと空気に揺れる。
 彼女は俺の姿を目に留めると、その碧眼を瞬かせながら、口を開いた。

「ルーク!」
「げっ……な、ナタリアか」

 伯父さんに言われた、こいつを名代として派遣したって言葉をうっかり忘れてた。まずい、なんの対策も立ててない状態で、会っちまったよ。ど、どうする。

「まあなんですの、その態度は! 私がどんなに心配していたか……」
「いや、まあ、ナタリア様……ルーク様は照れてるんですよ」

 ナイスだ、ガイっ! 親友のフォローに称賛を送る俺だったが、ナタリアは止まらない。

「ガイ! あなたもあなたですわ! ルークを探しに行く前に私の所へ寄るよう伝えていたでしょう? どうして黙って行ったのです」
「俺みたいな使用人が城に行ける訳ないでしょう!」

 怒りの矛先が変わっただけだったけど、それでも俺に被害がないから良いことだ。

 頑張れ、ガイ。負けるな、ガイ。俺は心の中で声援を飛ばす。

 丁寧な口調ながらも威圧感を放ちながら、ナタリアがさらに詰め寄ろうとした瞬間、ガイが大きく後退る。それにナタリアがいつものように軟弱だと訴えて、ガイが悲鳴を上げる。

 毎度毎度の光景に、俺は引きつった笑みを浮かべる。さすがのガイもナタリアには形無しだ。ほんと、ある意味最強だよな、こいつは。

 しかし、このまま放っておいてもいいのだが、さすがに俺を庇おうとした相手を見捨てることもできんよなぁ。

 俺は頃合いを見計らって、二人の間に割って入った。

「まあ、アレだ。そう言ってやんなよ。ガイにも立場ってもんがあるしな」
「わかってますわよ! ただ、私は使用人としての心構えを……」
「だぁーわかってるよ! とりあえず、アレだ」

 尚も言い募るナタリアの言葉を遮って、俺はその言葉を告げる。

「ただいまだ、ナタリア」
「……ええ。お帰りなさい、ルーク」

 満面の笑みを浮かべて、ナタリアも言葉を返してくれた。その笑顔はやっぱ綺麗で、こいつは美人なんだと改めて思う。

 それでも、俺はこいつを前にすると、一歩引いてしまう自分を感じる。

 別にこいつが嫌いというわけじゃない。ただ、こいつは昔の俺を中心に、今の俺を見ている。ふとした拍子に、それがわかっちまう。

 なんというか……複雑な心境なんだよ。ほんと。

「それにしても大変ですわね。ヴァン謡将……」
「師匠がどうかしたのかよ?」

 突然の話題に、俺は思わず尋ねる。さっきも親父が師匠について聞いてきたが、なんかあるのか?

「あら、お父様から聞いていらっしゃらないの? あなたの今回の出奔はヴァン謡将が仕組んだものと疑われているの」
「はぁ? そりゃまた随分と……穿った考え方だな」

 あれが完全な事故だったってのは、現場に居たやつらには十分理解できたと思うんだが……あ。それでも現場に居たのは、まさに疑われている張本人の師匠と、言い方は悪いが、一使用人に過ぎないガイとペールの二人でしかない。そんな証言は、信用できないってことか? 

「それで私と共謀だと……」

 自分が大きく関わっている話題に入ったせいか、ティアが深刻そうに目を綴じる。

「あら……そちらの方は……?」

 そこで初めてティアの存在に気付いたのか、ナタリアが顎に手を添えて、首を傾げる。続いて、突然なにかに思い至ってか、衝撃に目を見開く。

「──はっ!? まさかルーク! 使用人に手をつけたのではありませんわよね!」

 一瞬、時が止まった。

「な、なななな、なにを言いやがるかなぁお前は!? て、手なんか出すかぁ!!」
「そ、そそ、そうです違います! えっと違うの! だって違うもの! だから違うわ!」

 二人揃って動揺しまくる俺たちに、ナタリアの視線が猫のように鋭くなる。

「あ・や・し・い・ですわ」
「そ、そもそもだ! こいつは使用人じゃねーの! ただの師匠の妹だ。師匠のい・も・う・と! 手なんか出してない! つぅーか出せるか! 全部お前の勘違い! わかったか!?」
「……ああ。あなたが今回の騒動の張本人の……ティアさんでしたかしら? た・だ・の・師匠の妹さんですか。わかりましたわ」

 妙にただの部分を強調、ナタリアはわかったと言いながらも、ティアに疑わしげな視線を送り続ける。

「……」

 それになぜかティアの方も黙り込む。時折俺の顔を伺うように、ちらちら視線を送ってくる。

 え、俺、なにか間違ったこと言いました? というか、なんで二人とも、俺を見んのよ? ど、どうする俺。いったいなにを期待されてるんだ!?

「そ、そんなことよりだ! 師匠はどうなっちまうんだ!?」

 思いっきり話題をもとに戻しました。

 後ろで面白がっていたジェイドに向けて、必死に目配せを送る。すると大佐はしょうがないと言った感じで肩を竦めながらも、その口を開いてくれた。

「ともあれ、姫の話が本当なら、バチカルに到着次第捉えられ、最悪処刑ということもあるのでは?」
「はぅあ! イオン様! 総長が大変ですよ!」
「そうですね。至急ダアトから抗議しましょう」

 って、流れで振った話題の割には、かなり深刻な状況だってのがわかったな。

「なあ、ナタリア。師匠は関係ないんだ。これは絶対確かだぜ。伯父さんに取りなしてくれねぇか?」
「……わかりましたわ。ルークの頼みですもの。その代わり」

 そこで言葉を切ると、ナタリアは頬を紅く染め、両手を顔の前に添えた。

「あの約束……早く思い出して下さいませね」

 約束。

 これもまた、俺が、どうにもナタリアに踏み込んで行けない要因の一つだ。

「ガキの頃のプロポーズの言葉か……どうだろうな。昔のことは、ほんと何一つ思い出せねぇままだからなぁ……」
「記憶障害のことはわかっています。でも最初に思い出す言葉があの約束だと運命的でしょう」

 運命的……か。確かに、言いたいことはわかる。

 それでも、俺としては、複雑な気分だ。

 ナタリアが今の俺ではなく、昔の俺を求めていることが、わかっちまう。俺みたいな奴が誰かに好かれてるだけでも贅沢だってのは、十分わかってるつもりだが……それでも、なかなか割り切れないもんだ。

「約束はともかく、師匠のとりなし、頼んだぜ」
「もう……意地悪ですわね。でも、わかりましたわ」

 ぎこちない表情を悟らせないように、必死に顔を笑みの形に整え、俺はもう一度頼んだ。

「本当に頼んだぜ。それじゃ、またな、ナタリア」
「ええ、さようなら、ルーク。それと、使節の皆様」

 律儀に全員に挨拶すると、ナタリアは去って行った。

「……ナタリア様って綺麗な人。可愛いドレスも似合うし……やっぱり……」

 ティアがナタリアの去っていた方向を見据えたまま、なにやらつぶやいている。

「まあ、整った容姿してるのは認めるけどよ……ってか、ティアはああいうドレスが好みなのか? ちょっと意外だな」

 なんとなく声を掛けると、俺に聞かれていたことがよっぽど意外だったのが、ティアは激しく動揺する。

「そ、そんなことないわ。そ、それより、早く奥さまのところに向かいましょう。きっと心配していらっしゃるわ」
「あ、ああ。まあ、確かにそだな。行くか」

 すごい必死に言い縋るティアの剣幕に押されて、なんとなくそれ以上尋ねることができなかった。最近、ティアの考えがよく理解できん。そんなに好みの服を知られることが嫌なのか? むしろ俺が嫌なの……

 これ以上考えるとろくでもない結論が出そうなので、思考を放棄する。
 まあ、なんにせよ、女心は俺には理解できませんね……。
 馴れ親しんだ屋敷の廊下を歩きながら、俺は軽くため息をついた。




             * * *




 寝室で横になっていたおふくろは、少し顔色が悪そうだったが、しかしそれだけだった。実際会うまで心配だったが、この分なら親父の言ってた通り、大したことはなさそうだ。

「おお、ルーク! 本当にルークなのね……。母は心配しておりました。おまえがまたよからぬ輩にさらわれたのではないかと……」

 いつものごとく少し大げさなおふくろの言葉に、俺は苦笑を浮かべながら宥める。

「大丈夫だって。こうして帰ってきたんだし、泣くなよ、おふくろ」

 目元を拭うおふくろの様子に、ティアが顔を強張らせ、少し堅い表現で謝罪する。

「奥様、お許し下さい。私が場所柄もわきまえず我が兄を討ち倒さんとしたため、ご子息を巻き込んでしまいました」
「……あなたがヴァンの妹というティアさん?」
「はい」
「……そう。では今回のことはルークの命を狙ったよからぬ者の仕業ではなかったのですね」
「ローレライとユリアにかけて違うと断言します」

 胸の前で、ローレライ教団の聖印を切る。

「ありがとう。でもティアさん。何があったか私にはわかりませんがあなたも実の兄を討とうなどと考えるのはおやめなさい。血縁同士戦うのは……とても悲しいことです」

 事情を知らないながらも、いや知らないからこそ、本当に真っ直ぐなおふくろの言葉に、ティアは一瞬顔を苦しげに歪めると、最大限の言葉を返す。

「お言葉……ありがたく承りました」
「ルーク。おまえが戻ってきてくれたんですもの。私は大丈夫。皆に顔を見せていらっしゃい」
「わかった。……おふくろも、もうちょっと安静にしてろよ」
「はいはい。わかっています。親子そろって、心配性ですね」
「……親父と一緒にするのは勘弁してくれ」
「はいはい。わかっていますよ」

 すべてを見透かすように、おふくろは鉄壁の微笑みを浮かべている

 ……やっぱりおふくろには勝てんね。それ以上の訂正を諦め、俺達はその場を後にした。


 その後もラムダスやペール、屋敷のメイドや執事連中に挨拶して回るうちに、いつのまにか外では日が暮れていた。


「じゃあ俺行くわ。お前の捜索を、俺みたいな使用人風情に任されたって白光騎士団の方々がご立腹でな。報告がてらゴマでもすってくるよ」

 ガイがそう切り出したのを機に、皆が一斉に別れの言葉を告げる。

「僕たちもそろそろ、おいとましますね。ルーク、これまで本当にありがとうございました」
「あなたという人間は、なかなか興味深かったですよ。陛下への仲介、感謝します」
「ルーク様。結構楽しかったですよ。イオン様と仲よくしてくれて、ありがとうございました♪」

 皆の言葉に、俺も笑って別れを告げる。

「そっか。いろいろ厄介事ばっかの道中だったけどよ。まあ、そんなに悪い旅でもなかったぜ。いつかまた、会えるといいな」

 それに、全員が頷きを返してくれた。湿っぽい別れは嫌いだし、こんな別れがあってもいいよな。

「──じゃあな」

 そして、俺と皆は別れを告げた。

 そんな風にイオン達が去って行った後、一人タイミングを逃したのか、未だ部屋に残っているティアに、俺はなんとなく視線を向ける。すると、彼女が少し慌てたように口を開く。

「わ、私もモース様に報告があるから、そろそろ行くわ」
「あ……ああ……そっか。わかった」

 なんというか、ティアに掛ける言葉が、どうも見つからない。
 思えば、こいつが屋敷を襲撃したことが全ての始まりだったわけだ。

「優しいお母様ね。大切にしなさい」
「へへっ。おまえに言われるまでもねぇよ。おふくろは、家じゃ最強だからな」
「ふふ……そうなの」

 最初の頃を考えると、ティアとこうして笑いあうような関係になれるなんて思ってもみなかったよな。

「……」
「……」

 なんとなく、沈黙が部屋に続く。それは別に、居心地の悪い類のものではなかった。

「それじゃ……そろそろ行くわね」
「あ、ちょっと待てよ」

 扉に近づいたティアに、俺は言い忘れていたことを思い出す。

「……何?」
「あんま気にすんなよ。おふくろが倒れたのは、元から身体が弱いだけだからさ」

 だから気にするな、と俺はひらひら手を振って、なるべく軽く聞こえるように告げた。

 一瞬ティアは目を見開いたかと思えば、すぐに顔を背け、こちらに背を向ける。

「……ありがとう、ルーク」
「こっちこそ……ありがとな、ティア」

 背中越しに言葉を交わし合い、それでも確かな繋がりを感じながら、こうして俺と彼女は別れた。


 かくして、俺はバチカルの屋敷へと帰り着き、本当の意味での帰還を果たした。

 振り返ってみれば、いろいろとあった事は確かだが、それでも悪くない旅だった。

 これで王都の外へ出る機会は当分ないだろうと、このときの俺は思っていた。


 翌日、その考えは完全に裏切られる事になる。


 和平締結の条件として掲げられた、障気に見舞われる街、アクゼリュスへの救援要請。その親善大使に、俺は任命された。この旅には、昨日別れを告げたはずのジェイドやティア、そしてガイや師匠までもが同行するという。

 戸惑う俺に、親父や伯父さん、城の高官達、誰もが告げる。

 全ては、スコアに詠まれていたことだと───

 英雄となれ、ルーク。

 師匠に船上でかけられた言葉が、蘇る。

 あかされた事実に、なぜか俺は──吐き気が、こみ上げた。




 確定された世界の流れは、どこまでも残酷に、人の意志を押し潰す。

 観測されし崩壊の時は、近い───







なかがき【修正後】
 ちょっと文章とか諸々修正。改悪とも取れる文章力の無さに絶望です。修正のみなので、レス返しは次回更新時ということで。でも、ディスクの傷ってホント痛いですよね……(遠い目)
 ともあれ、ナタリアとの関係はあんな感じです。ナタリア嬢万歳。ティアが食われないことを祈る。
 あと原作モースってちょっと派閥の長にしては間抜けすぎない? と常々思っていたので、この話のモースはあんな感じになりました。間抜けさが抜けると途端に腹黒になる典型例。目指せ脱・小ボス。 
















 ……それと最後に、仔ライガ成分が足らないとの要望が感想にあったので追加エピソードをば。
 本編はゲームのミュウのおざなりな扱いに引きずられ登場させる場所が……orz


















         家族ジャングル~閑話~

      《チーグルとライガと公爵家の人々》


 その日の夜、俺は改めて屋敷の中を練り歩いていた。

 皆の手前、矢継ぎ早になってしまった帰還の挨拶を、改めてじっくりして回るためだ。

 そんな俺の後ろをついて回るミュウとコライガの姿があった。

 実は屋敷に入った段階で、こいつらとは別れていた。

 最初はずっと連れ歩くつもりだったのだが、城でおふくろが倒れたと聞いたときに、ちょっとまずいかもしれないと思い直した。

 何故かといえば、さすがに病人の見舞いに行くのに動物同伴で行くのは身体に悪いんじゃなかろうか、ということに思い至ったからだ。そのため、二匹は玄関先で俺たちを出迎えたメイド連中に預けられていた。

 最初は俺がつれてきた魔物にギョッとしたようだが、二匹ともまだまだ可愛い盛りの子供である。すぐにメイド連中とも打ち解けて、むしろ可愛がられていた。

 皆が帰った後で二匹を迎えに行った頃には、メイド連中は全員、二匹のジャレ合いに蕩けてきっている姿が見えた。

 そんな理由もあって、俺は改めて帰還の挨拶をするついでとばかりに、屋敷の連中に二匹を紹介して回った。

 ちなみに、二匹に対する屋敷の皆の反応を以下に列挙してみる。


 夜になって帰って来たオヤジに二匹を紹介して、家に住ませる旨を伝えたときの反応。

「……ふむ。いいのではないか? なにかの面倒を見るという行為を通して、お前の腐った性根もいくらか矯正されるだろう。うむうむ。まったくもって結構な事だ。まあ、ただ一つ、ミュウ君とコライガ君がお前に似ないよう祈っておこう」

 この後、俺とオヤジが壮絶な殴り合いを演じたことは明記しておく。


 それほど具合が悪くないということがわかったおふくろに、改めて二匹を紹介し、これから一緒に住むことを伝えたときの反応。

「あら、まあ、可愛い仔たちですね。ルークの小さいころを思い出します。ええ、そうですよ。特にあなたの小さいころは私が離れるとすぐにグズってしまって、メイド達もそれはそれは慌てたものです。それでも私が来ればすぐに泣き止んでそれはもう可愛かったもので、ああ、そうそう実は…………」

 この後、数時間に及ぶおふくろの昔語りが続いた。


 既に二匹を預かって、十分に馴れた屋敷のメイド連中の反応。

「ミュウちゃんもコライガちゃんも可愛いすぎますっ!」
「ルーク様、ぜひ私をお世話係に任命して下さい!!」
「あ、ずるいわ! ルーク様、それよりも私を!」
「いえ、私をっ!!」

 収拾がつかなくなった二匹の世話係争奪戦は、執事長ラムダスが一喝するまで続いた。


 散り散りになって仕事に戻ったメイド連中を見届けた後、初めて二匹を目にした執事長ラムダスに、二匹を家に住ませる事を伝えたときの反応。

「チーグルというと……ああ、ローレライ教団の聖獣ですね。……ところで坊っちゃま、いまライガとか言いませんでした? おかしいですね。私も歳をとったということでしょうか。ライガとは……確か、人を好むと聞いた事があるような気がするのですが?」

 そうだな、と軽く頷いて、俺はコライガを胸元に引き寄せる。

 ほら、人が好まれてるだろ? ペロペロと俺の顔を親しげに舐め回すコライガを示す。ふわりと中程で膨らんだ尻尾がぱたぱたとうれしそうに揺れている

「……」

 しばしの間、ラムダスが沈黙する。魔物は人を襲うという常識と、主の命令は絶対だという執事としての矜持のせめぎ合いは、無限に続くかと思われた。

 しかし、最終的にはプロ意識が勝った様だ。

 ラムダスはいつものように、優雅に腕を胸の前に捧げ、受諾の意を示す。

「……かしこまりました」

 ちなみにこの反応で、ラムダスは二匹の世話係となることがめでたく決定した。


 そんな風に、二匹は屋敷連中にあっさりと受け入れられた。

 これでいいのか公爵家、とか思わないでもなかったが、たぶんこんな寛大な家風になったのは、俺の奇行の影響がとんでもなく大きいことも自覚していた。

 だから俺は軽くかぶりを振って、いつものように、自分に都合の悪い考えを、頭から追い払うのであった。


 公爵家の人々は心が広い。

 これは王都に住まう人々の共通認識である。

 ちなみに公爵家に仕える人々の訓示として、四年ほど前から掲げられている標語を最後に記しておく。

 【忍耐。忍耐。耐え忍べ】

 ……なんとも屋敷の人々の苦労が、伺われる言葉であった。


《チーグルとライガと公爵家の人々・完》



[2045] むかしむかしのおはなし 第一夜
Name: スイミン
Date: 2006/05/17 21:18
 結局のところ……あの赤毛が他の可能性と比べてあれ程までに変質しちまったのも、やつらとの出会いがすべての始まりだったんだろうな。

 なんでも人間っつー生き物は、環境によっていくらでも変化するらしい。

 もともと備わってるような性質ってもんは変わらんらしいが、それでも確実に、自分ってもんと関わりある存在に影響を受けるのだそうだ。最初から固まっちまってる俺らみたいなのからすれば、なんとも奇妙な話に聞こえるがな……。

 これからする話は、そんな環境に影響を受けた、赤毛の愚か者に起きた変化の話だ。

 同時に、観測以前にすべてが確定されちまってる、結末のわかりきった退屈な過去の記録にすぎない。

 登場するやつらはどいつもこいつも、甘ったるいぬるま湯に漬かり切ったような日々が、いつまでも続くもんだと信じて疑わない。

 だから誤魔化しなど許さない決定的な変化が訪れたときも、当然の帰結として、結局なにも成し遂げることができなかったような愚か者だけが残された。

 胸がかきむしられるような慟哭も、滑稽すぎて笑い出したくなるような喜悦も、すべてはそんなどうしようもない結末に至るための、とうに分かり切った道化芝居にすぎなかったわけだ。

 けれど、そんな絶望的なまでに愚かしい環境からの影響を受けたっていうのに、あの赤毛は今も必死に足掻き続けている。

 かつて自身の体験した道化芝居から目を逸らさず、ただ意地だけを頼りに、歯を食いしばってやせ我慢を続け、ついにはすべてを飲み込んだ──そう、あいつはそんなバカなのだ。

 これはそんなどこにでも居るバカが、目も覆いたくなるようなやせ我慢を続けた結果、より底抜けのバカになるまでの過程を綴った話し──

 すべての切っ掛けとなった、とある出会いから始まるおはなしだ。

 少しばかり耳を澄ませてみて欲しい。ほら……開幕のベルが聞こえて来ないか?

 どうしょうもなく笑えて、滑稽で、泣き叫びたくなるような──


         さぁ──喜劇の幕開けだ。


















          Tales of the Abyss

          ~家族ジャングル~


















        ──むかしむかしのおはなし──




















 ……音素はただそこにあるだけでは、その結びつきを解かれ、乖離していく存在だ。第一~第六までの音素もまた同様で、発揮された力は時間とともに消え失せる。つまりは、瞬間的な《現象》を具現化させる力と言えるだろう。対して、第七のみが他の音素と一線を画した力を発揮する……

  ──『音素概論』──


















 【不良神官】


 僕は今日も今日とて暇が過ぎる職場に乾杯を上げる。

 ぐびぐびっと喉を鳴らしてビールを飲み干す。うまい、うまいねぇ。職場で飲む酒がやっぱ一番うめぇーよ。

「かぁー! ったく、酒でも飲まねぇーとやってらんねぇーな」

 僕は蒼天を仰ぎながら酒をかっこむ。座っている椅子は、教会前に設置されてる衛視小屋から引っ張り出したものだ。周囲を通りすぎる街の人々が、僕の姿を目に留める。

 大半は苦笑を浮かべて通りすぎるか、嫌そうに目を逸らすかのどちらかだ。

 ここで僕の職業を紹介しておこう。僕はキムラスカ・ランバルディア王国の首都バチカル駐在の教団武官の一人だ。つまりは神に仕える身の上なんでございます。がーっははははっ!

 酔っぱらった頭が笑えと命じるままに従って、僕は腹捩らせて笑いまくるのです。

「真っ昼間から酔っぱらうとはいい身分だな、アダンテ」

 いつのまにか気配も無く、すぐ側に立っていた銀髪の男が僕の名前を呼んだ。

「ん? なんだギンちゃんじゃねぇーか。僕に会いに来たの? でもだめだぜ。いま営業停止中。窓口は締め切られましたってか。がーっはっはっはっはっ!!」

「こ、この酔っぱらいが……っ!」
「お、押さえるでヤンス、親ビン」
「そうよ。こんな酔っぱらいに突っかかってもしょうがないわよ、リーダー」

 ん? と視線を横に滑らせると、ギンちゃん意外にも二人の人影が目に入る。一人は背の低い筋肉質の男で、もう一人は色っぽい姉ちゃんだ。ああ、いつ見てもいい女だよなぁ。でもギンちゃんに惚れてるみたいだから、手を出さないけどね。

「それでギンちゃん、どっかしたの?」
「ギンちゃん呼ぶなっ!」

 なぜか怒鳴るギンちゃんに首を傾げる。どってそんなに怒ってるのさ?

 わなわなと腕を震わせながら、ギンちゃんが両隣に立つ二人に目配せをする。

 ささっと動いて、三人が構えたところで、彼らがなにをするのかようやくわかった。

「闇を切り裂くサーベルタイガー、ギンナル!」

 背後で音素が緑色の光を撒き散らし、風が巻き起こる。

「闇に地響きナウマンゾウ、ドンプルでやんす!」

 背後で音素が黄土色の光を撒き散らし、小石が跳ね上がる。

「闇夜に羽ばたく吸血コウモリ、ユシア!!」

 背後で音素が青色の光を撒き散らし、水滴が滴り落ちる。

『我ら! 最強戦団、漆黒の牙!!』

 びしっと決め台詞を放った三人組に、僕は拍手で応えた。

「がーはっはっはっ! そうだったそうだった。漆黒の牙でした。
 ──で、何の用さ、ギンちゃん」

「こ、こいつは……」

 再び呻き始めるギンちゃんを、両隣の二人が押さえる。

「親ビン、ここはひとまず用事を先に澄ませた方がいいでヤンス」
「そうよ、リーダー。ぐずぐずはしてられないわ」
「そ、そうだったな」

 おや? いつもならこのネタで三十分は潰せるのに、今日はいやに割り切りが早いな。

「ほんとどうしたんだ? なんか随分焦ってるみてぇだけどよ」
「実はだな、お前を見込んで頼みがある」
「へっ、頼みだって?」
「そうだ。ユシア」

 呆気に取られる僕に応えて、ギンちゃんがユシアに目配せをする。

 頷いたユシアがなにやら背後から手を引いて連れてきたのは、一人の子供だった。わけがわからずきょとんと見つめるしかない僕に向けて、そのガキは少しくすんだ真紅の長髪を揺らしながら、性根の腐ってそうな目で睨み返してきた。

 子供を目にした瞬間、僕は事態を把握した。

「ギンちゃん……ちゃんと認知してやるんだぜ?」
「ああ、わかってる責任はとる──じゃねぇっよ! こいつは俺の子供じゃない! ドンプルもあっさり信じるな! ユシアも泣きそうになるよ!」 

 乗り突っ込みするギンちゃんに僕は馬鹿笑いを上げた。マジで腹がよじれるわ。

「くっ……ともかく、アダンテ。こいつを家に送って行って欲しいんだ」
「へ? なんでまた僕? 家に送るぐらいギンちゃん達でもでできるだろ?」

 あんまりにもからかい易い性格に忘れがちだが、漆黒の牙は名実共に最高技量を誇る貴族専門の窃盗集団だ。俗に言う義賊である。

「実はだな……仕事先でこいつに見つかってしまってな」
「このおっさんが、まちをあんないしてくれるのか?」

 ギンナルの言葉を遮って、性根の腐ってそうなガキが僕を不審そうに見やる。

「とまあ、そんなわけだ」
「……どういうわけだよ?」

 僕がちょっと声を低くして尋ねると、ギンちゃんがだらだら汗を流しながら弁解する。

「いや、じつは見つかっても騒がない交換条件として、街を案内しろと言われてな」
「そんな要求のんだのかよ」

 言下にそんな口約束は破っちまえと言ったのだが、ギンちゃんは即座に否定を返す。

「いや、俺は交わした約束は破らない。誰が相手でもだ。これだけは、絶対譲れん」
「親ビン……」
「リーダー……」

 ギンちゃんの断言に、配下二人も感動したように声を震わせる。

 まったくギンちゃんはバカだよなぁ……でもま、そんなやつだから、僕みたいな不良神官と親交があるわけだけどさ。

「しょうがねぇーな。他ならないギンちゃんの頼みだ。引き受けるよ」
「おお、ほんとか。ありがたい。感謝するぞ、アダンテ」
「今回だけだぜ、こんな無茶なお願い聞くのはよ」
「わかってる。この借りはいつか返そう」
「がーはっはっはっ! まあ、無期限利子無しで、いつまでも待ってるぜ」

 律儀な答えを返すギンちゃんに、僕は笑い返す。

「リーダー、そろそろやばいよ」
「む、そうか」

 なにやら袖を引っ張られて、ギンちゃんがかなり真剣な顔になる。

「どったの? ああ、もしかして仕事終わったばっかりなのか」
「そうだ。なるべく穏便に帰せる方法があるとしたら、やはり教団の人間が送り届けるのが一番怪しくないだろうと思ったんだ」

 確かに、子供が抜け出したのを『保護』したって言って一番受け入れられ易いのは、教会の人間だよな。

「それでは、我等は去る。坊主、このおっさんが街を案内して、家まで送り届けてくれるだろう」
「えーっ! ギンナルもういっちゃうのかよ! いっしょにまちみようぜ!」
「そう言うな。お前が信じる限り、漆黒の牙は不滅。いつか出会うこともあるだろう」

 駄々をこねるガキに、ギンちゃんが不敵に笑いかける。相変わらず子供に好かれるよな。

「さらばだルーク!」

 うるうると目尻に涙を溜めるガキを後に残し、ギンちゃんがばさりとマントを翻す。同時に巻き起こる突風が視界を覆い隠す。

 次の瞬間には、漆黒の牙の姿は跡形もなく消え去っていた。

 ほんと何回見ても、凄まじい移動の速さだよなぁ。

 感心していると、さっきまで強気だったガキが僕の方に向き直る。

「そ、それでおっさんがまちをあんないしてくれるのかよ?」

 どこか弱気を滲ませる物腰に、さっきまでの態度が虚勢にすぎないことがわかった。小憎たらしい口聞いても、なんだかんだ言って子供は子供だな。

 いけ好かないガキだっていう第一印象が、まだまだ子供に変化する。

「な、なに、ニヤニヤしてんだよ。こたえろよ!」
「がーはっはっはっ! わかったわかった。これもなにかの縁だ。教団は出会いを大切にすんだ。街のなかでも、お前が一番楽しめそうなところに案内してやるよ」
「ほ、ほんとかぁー?」

 さっきまでの不貞腐れた態度から一変して、目を輝かせる。身長、体格からして12歳ぐらいか? どうも見かけと違って、子供子供してるやつだな。

「ああ、本当だ。ついてきな。僕の特選スポットに案内してやるよ」

 不敵に笑いかけ、僕は子供を連れて、街へと繰り出すのであった。


【金髪奉公人】


「ルーク様を探せ……ですか?」
「そうだ」

 俺は自分の雇用主たるファブレの旦那が告げた言葉が信じられなくて、思わず命令を繰り返していた。

 俺の名はガイ。とある理由から、キムラスカ王国でもそれなりに名の通った大貴族にあたるファブレ家に仕える奉公人だ。今のところは屋敷の一人息子であるルークの世話役兼、遊び相手として日々の雑事をこなしている。

 ルークの誘拐事件があってから、旦那は俺に対していろいろな用事を言いつけるようになった。誘拐されて記憶を失ったルークを見捨てずに、世話をし続けた俺のことを妙に信頼してしまったようだ。少し、胸が痛いね。

 おっと、それよりも今は旦那さまの話しだ。

「いったい……どういうことでしょうか?」

 誘拐事件があってから、ルークは屋敷に軟禁されている。探すもなにも、屋敷から出ることは不可能なわけで、言われたことがよく理解できなかった。

 しかし旦那の言葉に嘘は無いようで、どこまでも真剣に頷きを返す。

「どうやったのかはわからないが、やつは屋敷を抜け出して街に向かったようでな。お前にはやつを連れ戻してほしい」
「白光騎士団の方々に任せるわけにはいかないのでしょうか?」
「駄目だ。それでは騒ぎが大きくなりすぎる。あくまで、お前がついている状態で、やつはお忍びで街に繰り出したにすぎない。表向きは、そういう筋書きとなる」

 なるほどねぇ。確かに屋敷の外に騒ぎが知れたら、とんでもない事態になるかもな。

「それでは、ルーク様の居所には、だいたいの検討などはついているのでしょうか?」
「うむ……それなのだが……」

 なぜか言いよどむ旦那に、俺は相手に気付かれない程度に眉をしかめる。なにか言葉にしにくい理由でもあるんだろうか?

「──に居るようなのだよ」
「はい?」

 かなり失礼な行為だったが、俺は思わず間の抜けた声を上げしまった。

 だが旦那もそれについては咎めずに、同じ言葉を繰り返した。

「やつは、孤児院に居るようなのだ」

 俺は呆気にとられて、口をポカンと開いて固まってしまった。


【赤毛小僧】


「このやろー!」
「なにくそっ!」

 オレは掴みかかってくるそいつの拳を引きつけるだけ引きつけて、限界ギリギリで身をかわす。そのとき左足をわずかに残し、相手の足を引っかける。

「あっ──」
「へっ──おそいぜっ!」

 振り抜いた拳が相手の顎を直撃する。頭を揺らされたそいつは、へなへなとその場に尻餅をついた。追撃をかけようとするオレに向けて、そいつはあわてて両手を上げた。

「ま、まいった!」
「へへっ。どんなもんだ?」

 周囲をとりまいていた連中が、一斉に歓声を上げる。

「すっげぇー。かったよ」
「かっこいー」
「なにかぶじゅつでもやっているんでしょうか」
「すごいわぁ~」
「くっ、くそ、負けたぁ!」

 オレは鼻の下を擦って、得意気に胸を張る。

 オレの名はルーク。王国の貴族、ファブレ家の嫡男だ。誘拐されたショックで、キオクショウガイとやらにかかって、昔のことが思い出せなくなってから屋敷の中だけがオレの世界だった。

 でも今日、オレは見知らぬ人物が屋敷の中を歩いていることに気付いた。そいつに近づいて見てみると、なんとそいつはマントをしてたんだ。その瞬間、オレにはわかった。そいつはオレを屋敷の外に連れ出してくれるヒーローだってことに。

 漆黒の牙のリーダー、闇を切り裂くサーベルタイガー、ギンナルは、オレの頼みを笑って聞き入れ、あっさりとオレを屋敷の外に連れ出してくれた。残念なことに、屋敷の外まで連れ出すと、ギンナルは帰ってしまった。きっと活動時間が限界だったんだろうな。

 そんなギンナルに変わって、今はアダンテとかいうおっさんがオレに街を案内してくれている。ギンナルと違って、なんだかだらし無いおっさんだが、悪いヤツではないようだ。街を行き交うほんとんどの人が、アダンテに向けてあいさつをしていた。

 街を見て回った最後の場所として、オレと同い年かもっと下の連中が集まってる孤児院とかいう場所に連れてこられた。物珍しげに見ていると、そこに居た連中のなかでも一番年長のやつが、突然オレに喧嘩をふっかけてきやがった。

 周囲のはやし立てる中、喧嘩を買ったオレは見事にそいつを叩きのめし、今や歓声に包まれているというわけだ。

「これからは、あいてをみてけんかをうるんだな!」
「くっ……」

 悔しげにうなだれるそいつに、オレはガイから聞いた喧嘩に勝ったときの決め台詞を初めて使った。

「おれのなまえはルークだ。そのむねにこのなをきざめっ!」
「くそっ! おぼえてやがれよ!」

 かけ出していくそいつに向けて、オレは指を突き付けて名前を告げた。

「ルーク兄ちゃんすげぇ! あいついつもいばってたけど、だれもかてなかなったんだぜ」
「アニキってよんでいいー?」
「なかなかの腕だということは認めましょう」
「ルーク兄さまかっこいい~」

 はやし立てる皆の言葉に、オレはちょっと戸惑いながら、くすぐったいものを感じて鼻を擦った。


【金髪奉公人】


「ごめんくださ~い」

 俺は家の塀あたりから声をかける。だが住人は家の中に引っ込んでしまっているのか、声が返ってくる様子はない。どうしたもんかと頬を掻いていると、突然肩を叩かれる。

 反射的に腰の刀を抜き放ちそうになるのを必死で堪え、顔を上げる。

「家に何か用かい?」

 金髪の長髪を無造作に背中に流した、白い鎧をまとった男が微笑んでいた。どうにも戦意が削がれるというか、人の良さそうな顔の造りをしている。だが、その物腰からかなりデキルことが伺えた。

「いや、その実は、うちの坊ちゃんがお邪魔してるって聞いて、迎えに来たんです」
「え? そうなのかい? なら一緒に来なよ。おーい、帰ったよ~」

 俺の答えもも待たずに、その人はずんずん家の中に入って行ってしまう。

 初対面の相手に悪いかもしれないが、なんともボケボケした人だ。

「あら、お帰りなさい。ちょうどよかった。いまアダンテさんが来てるのよ。挨拶しときなさい」
「え、アダンテさんが? わかった。あ、そうだ。なんか子供が遊びに来てるとかって聞いたんだけど、迎えの人が来てるよ。伝えておいて」
「そうなの? わかったわ」

 ボケボケした人と話していた黒髪を肩あたりで切り揃えた女の人が、俺に笑顔を向ける。かなりの美人さんだな。

「いらっしゃい。でも、ちょっと待っててね。連中、裏庭で遊んでるみたいだから。もうすぐおやつの時間だから戻ってくるでしょうけど。そうだ! ちょうどいい。あなたもちょっと手伝って行きなさい。はい、これ運んで」
「へっ……はぁ」

 こちらの返事も待たずに、黒髪美人は台所から一方的に指示を飛ばす。俺も特に抵抗するでもなく、なんとなく彼女に促されるまま動いていた。

 ふと我に帰った頃には、キッチンから投げ渡される大量の菓子を受け取り、次々とテーブルに並べたてている自分に気付く。

 屋敷では味わったことない感覚に、なんとも言えない懐かしさを感じて、抵抗しようなんて気が起こらなかったのは確かだが……こんなことしてて、いいんだろうか? ほんと、どうしたもんだろうね。


【不良神官】


 僕はパラパラと本めくりながら、菓子の奪い合いをしている子供連中を見据えた。

 ぎゃあぎゃあと騒がしいもんだが、これこそ子供って感じがする瞬間だよな。

「アダンテさん。今日はどうしたんですか? 連絡無しに来るのって随分と久しぶりですよね」
「ん? そうだったか?」
「そうですよ。でもアダンテさんなら、いつでも大歓迎ですけどね」

 ボケボケした笑みを浮かべるこの男は、見かけとは裏腹に、孤児院の運営費を実質一人で稼いでいるに等しい、すさまじい漢だ。

「副院長さんにそんなこと言われると、僕としては毎日でも入り浸りたくなっちまうぜ」
「え、ま、毎日ですか? そ、それはさすがにちょっと……」

 正直すぎる答えるに、僕は笑い声を上げてしまう。

「がーはっはっはっ! それこそ副院長さんだ。いつまでもボケボケで居てくれよ」
「え、は、はい」

 律儀に答える副院長の背中をばしばし叩いて僕は笑った。

「ちょっとアダンテさん。うちの人をからかわないでくれる?」
「おっと、院長さんにはさすがの僕も敵わないからな。副院長弄りはこんぐらいにしとくよ」
「お、俺って弄られてたのか……?」

 なんだか落ち込んだ様子で肩を落とす副院長を無視して、院長が僕に向き直る。

「アダンテさんの連れてきた子……どうにも危なっかしい子ね」
「だろうな。なんでも、生まれてからずっと屋敷に監禁されて育ったらしいからな」

 その言葉を聞いた瞬間の心境が思い出されて、僕は胸くそ悪さに拳を握りしめる。

「そう……だから……」
「ん? どういうことだ?」
「普通なら知ってるような知識が、随分と抜け落ちてるのよ。目の前に出されたお菓子に、あの子不思議そうな顔をしてたわ。きっと同年代の友達と一緒に食卓を囲むってことも、その話を聞く限りじゃ初めての経験なのかもね……」
「……」

 あまりの胸くそ悪さに、僕は押し黙る。まったく、どうしょもない貴族も居たもんだ。

「あ、そう言えば、迎えの人が来てたけど、どうしてる?」
「ああ、彼ならあそこでみんなの面倒見てくれてるところよ」

 院長の示した先に、金髪を短く刈り込んだ少年が戸惑いを浮かべながら、子供の相手をしているのが見えた。

「ふむ。迎えが来たのか。さすがだな。やっぱそろそろ帰さんとヤバイか」
「なによ、アダンテさん。ヤバイって……誘拐でもしたの?」

 眉をしかめる院長の言葉に、僕は笑って答える。

「さてな。まあ、あんまり口出せない類のもんだよ」

 菓子の争奪戦を繰り広げているルークの下へ、僕は歩み寄るのであった。


【赤毛小僧】


 オレは大満足で街の見学を終えた。孤児院で遊んでる途中で、ガイのやつがオレを迎えに来た。なんでも親父が心配してるらしい。まったくうちの親は心配性だよな。

「ほうほう。お前がルークの家の迎えかよ?」
「そうですが、あなたは?」
「僕は教団の人間で駐在武官の一人をやってるアダンテってもんだ。街中で一人うろついてる子供を発見して保護した。ファブレ家の赤毛は有名だからな。すぐに貴族の子供だって気付いたぜ」
「あ、なるほど」

 なんだか二人は帰り道の途中で、ずっと難しい話をしていた。よく理解できないからつまらなくてしょうがない。天空滑車に乗って、しばらくするとすぐに屋敷についた。あんなすぐ側に、あんなに面白い場所があるなんて初めて知ったよ。

 絶対また抜け出してやる。オレは胸の内で硬く決心するのであった。

「ルーク……無事だったか」
「あ、ヴァンせんせー!」

 屋敷の門の前に控えていた師匠の下に、オレは駆け寄った。

「ガイもご苦労だったな」
「ほんと疲れましたよ、ヴァン謡将」
「ところで、そちらの方は?」
「教団のバチカル駐在武官の一人で、アダンテと仰る方です。なんでも街をうろついていたルーク様を保護してくれたそうで」

 師匠はガイの話を聞くなり、アダンテのおっさんのほうに向き直る。むぅ……いろいろと話したいことがあったのに、師匠はオレに視線を向けてくれないぜ。

「ルークを保護して下さったそうで……あなたにスコアの導きがあらんことを……」
「いや、僕は迷子を保護するって一般的な行動をとっただけですよ。スコアとかはあんま関係ないですね」

 アダンテのおっさんの言葉に、師匠が片眉を動かす。あれは師匠がなにか面白いものを見つけたときの癖だ。でもおっさんのなにがおもしろかったんだろ?

「ほう……あなたは教団の人間なのに、スコアを関係ないとおっしゃる?」
「うんにゃ、盲信してないだけですぜ。だからそんな怖い顔で睨むのはやめて欲しいもんです」
「ふっ……いずれ、あなたとはもっと会話を交わしたいものです」
「まあ、僕の部署はすんごい暇してますから、いつでも来て下さいや。物好きな総長さん」

 おっさんと師匠のやり取りに、ガイが小声で囁く。

「なんか、あのおっさんすごいな。ヴァン謡将と会話して、あれほど自然体の人は初めてみたよ」
「むしんけいなだけじゃねぇーの」
「は、ははは。まあ、その可能性も十分考えられるのが、あの人の恐ろしいところだな」

 なにやら引きつった笑みを浮かべるガイに、オレはわけがわからず首を傾げる。

 ともあれ、この日初めてオレは屋敷の外の世界を知った。

 その後も何度か屋敷を抜け出そうと頑張るうちに、コツを掴んだオレは好きなときに屋敷から抜け出せるようになった。

 この日を境に、オレの世界は急激な広がりを見せていった。

 アダンテのおっさんと話し、孤児院の連中とバカをやり、時々やってくるギンナルに引っついて歩く。

 いつまでも、こんな日々が続くことを、オレは疑いもしなかった。

 これはそんな──むかしむかしのおはなしだ。

 全てが崩れさる悪夢の日まで、この暖かくて、どうしょうもなく残酷なおはなしは続く。


 どうか──できるだけ長く、この日々が続きますように──



[2045] 3-2・雨、降リシキリ
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 21:50
「―─―海は危険です」


 港に到着したところで、ジェイドは唐突に告げた。

 突然なんじゃらほいと思いながら詳しい話を聞くと、なんでも中央大海はオラクルの連中に監視されている可能性が高いらしい。
 それならどうするのか尋ねる俺に、ジェイドは言い聞かせるようにゆっくりと、その策を語った。


 海へおとりの船を出航させる。そして本隊は陸路でケセドニアに向かおうと。


 そんなにうまくいくのかよと疑問が浮かぶが、そんな俺の疑念にも、ジェイドは厭味なほど完璧な論理を持って答えた。
 なんでもケセドニアから先のローテルロー海はマルクトの制圧下にあるらしく、船でカイツールへ向かうことは難しくないのだそうだ。


 確かに納得いくものだったが、問題は誰が囮になるかだ。


 囮であっても、敵にその認識はないのだ。本隊と見なされる以上、妨害工作が集中するのは目に見えている。

 沈黙が続くかと思われた瞬間。


「私がおとりの船に乗ろう」

 師匠が名乗りを上げた。

「師匠が……ですかい?」
「私がアクゼリュス救援隊に同行することは発表されているのだろう? ならば私の乗船で信憑性も増す。神託の盾はなおのこと船を救援隊の本体と見なすだろう」


 説得力のある言葉だった。
 俺と大佐は使者として外せない人材だから除外するにしても、仮に他のメンバーが囮となったとしても、師匠ほど重要視されないだろう。
 そう考えると、最初からジェイドは師匠が囮として適任だってことは、当然わかっていたはずだ。
 さらに言えば、他に選択肢はなかったとも言える。
 それをあえて志願したように見せるとは、なんとも底意地の悪い話だ。

 それとなくジェイドの様子を伺うと、俺の視線に気付いた大佐は、にやりと見透かしたような笑みを浮かべた。

 なんというか、ほんと底が知れないね、この大佐。
 そんな視線のやり取りをしているうちに、いつのまにか師匠は船に乗り込んでいた。

 甲板から俺たちを見据えると、いつものように悠然と告げる。

「ではケセドニアか、さもなくばアクゼリュスの地にて、再び出会おう」

 こうして師匠は船に乗り込み、囮として王都を去った。


 同時に俺達は内陸をえっちらほっちら歩いて進み、アクゼリュスを目指さなければならなくなったわけだが。


「それで、どうやってアクゼリュスまで行くつもりなんだ、大佐さんよ。あそこまで周到に話を持って行ったんだ。なにか考えがあるんじゃないか?」

 ガイのもっともな問い掛けに、ジェイドが少し待てとばかりに眼鏡を押し上げる。

「なんにせよ、こちらは少人数の方が目立たなくてすみます。詳しい話については、後程改めて詰めることにしましょう。私は他の人々に話を通しておきますので、あなたたちは旅で必要そうなものを揃えておいて下さい。準備が整ったと判断したら、街の出口で合流しましょう」


 あえて詳しい内容は明かさずに、ジェイドは一方的に言い捨てると、その場を去った。
 なんとも言い様のない空気の中、残された俺たちの間をしばし沈黙が続く。


「……ジェイドの奴さ。結局、自分の考えに確信持てるまで外に出さねぇよな」
「そうだな。まあ、俺たち凡人には、大佐さんの深謀智慮は窺い知れないってことかもな」
「そこまで言う必要はないと思うけど」


 皮肉げに言い合う俺たちに、ティア一人が擁護するような言葉を放つ。
 それでも完全には庇いきれてなかったが、まあ、そこがジェイドの人徳ってやつなんだろうね。


「それよりも、準備を済ませましょう」
「だな。それじゃ、俺は必要そうな保存食材とか買い集めてくる」
「なら、私は回復道具を中心に店を巡ってみるわね」


 早速細かい打ち合わせを始めた二人に、俺は申し訳ないと思いながら手を上げる。


「あー……ちょっとすまん。悪いとは思うんだけどさ、街の知り合い連中に、顔出してきていいか?」

 てきぱきと話を押し進める二人に、俺はおずおずと申し出た。

「いきなり街から消えて、昨日帰って来たばっかだってのに、また居なくなるんだ。少なくとも無事だって知らせる意味も兼ねて、知り合いに顔ぐらい見せておきたいんだけどよ……やっぱ駄目かね?」

 否定されてもしょうがないと思いながらの申し出は、しかし意外と簡単に許可された。

「いいえ……そういうことなら、仕方がないわ。準備なら、私とガイで十分だと思うし」
「そうだな。前の旅で使わずに残った道具とかもかなりあることだし……いや、待てよ」

 突然、ガイがなにかを考え込むように顎に手を当てる。

「そうだ。折角バチカルに来たんだ。ティアもルークについて行きなよ」

 手をポンと打ち鳴らして、いいこと思いついたとガイが言う。
 話をふられたティアは、突然のことに困惑してか、俺とガイを瞬きしながら伺い見ている。

「えっ、でも……さすがに、ガイに悪いわ」
「いいっていいって。量的には俺一人で十分足りる。こんな機会は滅多に無いだろうし、二人で行ってきなって」

 そう言いながら、なんだか意味深な視線を俺に向けてきやがった。
 なんだよ? 意味がわからず首を捻る俺に、ガイは苦笑を浮かべる。

「ま、ともかく俺は大丈夫だから。さっさと行ってきなって」

 ここまで言われては、むしろ断る方が悪いと思い直してか、ティアも最後には頷いた。

「わかったわ。でも、ホントに大丈夫?」
「そうだぜ? 無理そうなら別に……」
「いいっていって。それじゃ、街の出口でまたな」

 ガイは強引に話を打ち切ると、呆気にとられた俺たち二人に苦笑を深めこの場を去った。
 ガイの不可解な行動に、俺達はわけもわからぬまま、その後ろ姿を見送る。

「なんだあいつ、突然……?」
「そうね……どうしたのかしら?」

 俺とティアはしばらく首を捻っていたが、このまま突っ立っていてもしょうがない。

「……行きましょう。時間はあまり無いわ」
「おう。それもそうだな。んじゃ行こうや」

 歩き出す俺たち二人に、後ろから呑気な声が届く。

「ご主人さまの街、楽しみですの~」

 ルンルン声を出すミュウと、ぐるぐる喉鳴らすコライガが俺たちの後ろに続く。
 あ……そういや、こいつらも居たっけ。わかった途端、理由のわからん物哀しさが俺を襲う。なんでだろ……?


 ともあれ俺とティアの二人、そして小動物二匹は、バチカルの街を歩き始めた。




             * * *




「おや赤毛の若さまじゃないか。随分と久しぶりだね」

「なんだ、また屋敷を抜け出したのか、若さま。ほどほどにしとけよ」

「このクソガキがっ! またきやがったのか!? さっさと失せろ!! ……待て、連れが居るのか。こいつ持ってぎな」

「あらあら、なんだい今日はナタリア様じゃないのかい? 珍しいね。このパンでも持っていきな」

「きゃー。なにその子。可愛いー! 撫でさせて撫でさせて!! おばちゃん可愛いもの大好きなのよー!」

 道行く人々が、俺の肩や胸を叩き挨拶し、たまに食い物を押しつけていく。


「……」


 腕の中に抱えきれない程食べ物を抱えたティアが、呆れたような視線を俺に向けて来る。


「ご主人さま人気者ですの~」

 そういうミュウもティアと似たような状況だったが、全然堪えた様子はなく、むしろうれしそうだ。
 コライガは来る人来る人に撫でられまくって、乱れた毛並みを不快そうに何度も何度も繕っている。

 マジで、こういう歓迎の仕方は勘弁してほしい。俺は注がれる視線に、引きつった笑みを浮かべた。


「まあ、アレだな。あいつらも悪気がある訳じゃねぇんだ。勘弁してやってくれ」
「……別にいいけど。それより、さっきからどこかに向かっているようだけど……?」
「ああ。ちょっとな、顔見せときたい連中が居んだよ」


 それ以上は詳しく説明しないで、俺は足を進める。
 何度か路を曲がっているうちに、街のなかでも奥まった部分に行き着く。

「ここは……?」

 古くさい蔦に包まれた煉瓦造りの建物が、そこにあった。
 錆び付いた鐘の吊るされたアーチを潜った先に、小さいながらも整えられた中庭が広がっている。
 手作りのブランコやシーソーの上で、遊んでいた子供連中が、俺たちの姿に気付く。

「よっ、久しぶりだな。ガキども。元気にしてたか?」

 集中する視線に手を上げて応えた俺に、連中が一斉に声を上げる。

「ルークじゃん!」
「またきたのかよ! さっさっとかえんないとナタリアねえちゃんにおこられるぞ!」
「久しぶりっす! ルークのアニキ!」
「ルーク兄さま……こんにちわ」
「げげっ、ルークの野郎が来やがったのかよ! 帰れ! とっと帰れ!」
「ルークさんじゃないですか。お久しぶりです」

 一部俺に突進して来るバカも居たが、軽くあしらいながら周囲を見回す。
 居るのはガキどもだけで、肝心の人たちの姿が見えない。

「あん? 院長とかの大人連中は居ないのか?」

 子供の一人が手を上げて、得意そうに答える。

「は~い。副院長はまたでかせぎだって~。院長は買い物ちゅう~」
「そっか。……ちょっと間が悪かったかね」

 俺は額を掻きながら、とりあえず伝言を残しておくことにする。普段を考えれば、かなり長い間顔見せてなかった訳だから、これぐらいは必要だろう。

「二人に伝えといてくれねぇか? とりあえず元気にしてます。またそのうち顔出しますからって」

 俺の言葉に、その場に居たガキ共が一斉に答える。

「わかった~」
「まかせとけっ!」
「しょうがねぇーなぁ。ルークは」

 まあ、生意気な返事も混じっていたが、これだけ人数居る中で話したんだ。誰かから伝わるだろう。
 そんな伝言などもどかしいと言わんばかりに、瞳を輝かせた子供連中が俺に尋ねる。

「兄ちゃん兄ちゃん、ところでそっちの丸っこいのはなに?」
「ぼ、僕ですの?」

 うろたえたように耳を激しく動かしながら、ミュウが言葉を口にした。
 その瞬間、一同が押し黙る。


『ど、動物が喋ったぁ~!?』


 叫んだかと思えば、次の瞬間には揉みくちゃにされるミュウの姿が見えた。
 ガキ共の迫力に圧倒されるティアとコライガに目を向けて、とりあえず全員紹介しておくことにする。

「こいつはティアで、まあ俺の連れだ。ほんで、そいつはチーグル族のミュウ。こっちに居るのはライガのコライガだ」

 俺の紹介に、もう一匹小動物が居ることを知ったガキどもがコライガに突進する。苛立たしく喉を鳴らすコライガにも怯んだ様子を見せず、ガキどもは撫でまくる。

「す、すごい迫力ね……」
「まあ、こんなもんだろ。なんせガキだし」

 その後、しばらくの間ガキどもに揉みくちゃにされるミュウとコライガを眺めていた俺達だったが、時間的にそろそろ行かないと不味そうなことに気付く。

「ほれほれ、放してやんな。俺たちはそろそろ行くんでな」

『え~っ!』

 俺のとりなしに、ガキどもは不満そうに声を上げた。

「そのうちまた連れてきてやっからよ。ほら放せ」

 しぶしぶながらも解放される二匹が、俺の方にふらふらと駆け寄って来る。
 ミュウのやつは泣きながら俺の胸に飛び込んだ。
 コライガなどは苛立たしげに呻きながら周囲に放電し、草地に焦げ痕を残している。
 まあ、こういうのもいい経験だろう。


「そんじゃ、またな」

『じゃ~ね~』

 俺たちは煉瓦造りの建物──王立孤児院を後にした。

 少しの間、無言のまま俺の後に続いていたティアが、ポツリとつぶやきを発する。

「……少し、意外だったわ」
「まあ……なんのことかは言われなくても、なんとなくわかるぜ」

 俺が苦笑を浮かべると、ティアは少し顔を背ける。小さな声で、ごめんなさい、とつぶやいた。

「……みんな、随分とあなたに懐いているようだったけど、いつ頃から通ってるの?」
「まあ、かれこれ三~四年になるかね」

 確か初めて屋敷を抜け出したときも、ここに連れてこられた。
 その後も抜け出すたびに、遊びに来ていた。

「連中とは長い付き合いだよ……本当にな」


 かつて過ごした日々が思い起こしながら、俺は馴れ親しんだ路を進む。
 記憶とともに蘇る、胸の痛みをまぎらすように、一歩一歩、踏みしめるように歩いた。




             * * *




 街の出口まで行くと、そこには既にガイとジェイドの姿があった。

「悪い……ちょっと遅れたか?」
「いや、大丈夫だ。それよりもまずい事態になったぞ」

 顔をしかめながらガイの促す先に、昨日別れたアニスの姿があった。

「へ? アニス?」
「ルーク様ぁ!」
「うおっ!」

 突然腰回りに飛びついてきやがったアニスに、俺は転びそうになるのを必死に堪える。うっ、背骨がキツイ……。

「逢いたかったですぅ……でもルーク様はいつもティアと一緒なんですね……ずるいなぁ」

 アニスが抱きつきながら、俺と並んでこっちまで歩いてきたティアに視線を向ける。

「あ……その……よくわからないけど……ご、ごめんなさいね、アニス」

 俺には泣きまねしてるようにしか見えないアニスに、しかしティアは狼狽しきった様子で、真剣に謝っている。律儀というか、生真面目というか……。

「というか、こんな冗談いってる場合じゃないんじゃねぇのか?」

 呆れ果てた俺の視線に、アニスが慌てて身体を離す。

「そうなんですよ! それが……」

 今度は本気で泣きそうにながら、アニスは事情を語った。

 なんでも昨日まで居たはずのイオンの姿がどこにも見えないのだという。
 周囲に目撃情報を求めたところ、なんでも奇妙なサーカス風の衣装を来た連中と、イオンらしき人物が街の外へ向かうのを見た者が居たらしい。

「おそらくは漆黒の翼の仕業でしょう」

 ジェイドが推測を裏付けるように、バチカルの出入り口周辺で、兵士が同じような人物を見かけていたことを付け加えた。

 って、どえらい事態じゃねぇかよ!?

「た、大変じゃねぇか! こんな悠長に話してないで、とっとと追いかけようぜ!」
「それが駄目なのっ! 街を出てすぐのトコに六神将のシンクがいて邪魔するんだもん~」

 アニスのさらなる発言に、今度は俺たちの間にも緊張が走る。

「……まずいわ。六神将がいたら私たちが陸路を行くことも知られてしまう」
「ほえ? ルーク様たち船でアクゼリュスへ行くんじゃないんですか」
「いや、そっちはおとりだ。しかし……六神将が居やがるのか……」

 確かに、海だけを警戒するなんてのを期待するのは、さすがに連中を舐めすぎていたか。

「ジェイド、どうする?」

 集中する視線に、ジェイドがガイに目配せする。

「実はさっきまで大佐と検討してたんだが、いい方法がある。旧市街にある工場跡へ行こう。天空客車で行けるはずだ」
「工場跡?」
「ああ。確かそこから延びる排水口が外にまで繋がっている……はずだ」

 最後の最後で肩をすかしの言葉を放つ。

「はずって……あのな……」
「まあ、他に手段もないですし、とりあえずガイの言う通りにしましょう」
「……それしかねぇのか」

 ジェイドまで賛成するってことは、本当にそれ以外に手がないんだろう。

「しっかし廃工場ねぇ……どうなることやら……」

 このメンツで行く先々で問題ばっか起こっているような気がしてならないのは、きっと気のせいじゃないはずだ。

 嫌な予感をひしひしと感じる中、こうして俺たちはアニスを引き連れ廃工場へ向かう。

 どうかこれ以上厄介事が起きませんように……。




             * * *




 天空客車の降りた先は、薄暗い闇に包まれていた。
 ところどころ空いた天井の穴から射し込む日の光が、唯一の光源として、工場内が完全な暗闇に陥ることを防いでいる。


「で……だ。実際のところ、本当に排水口伝いに外に出れるんのかよ?」


 ここまで来ておいて、やっぱり無理だったなんてことになったら洒落にならん。
 睨む俺の視線を受けて、ガイが任せろと頷きながら工場の奥の方を指差す。


「バチカルが譜石の落下跡だってのは知ってるな? ここから奥へ進んで行くと落下の衝撃でできた自然の壁を突き抜けられるはずだ。ここの排水設備はもう死んでるが、それでも通ることはできるはずだからな」

 なるほど。それなりに目算はあるわけだ。しかし、なんというか。

「毎度毎度妙なことに限って詳しいよな、お前……」
「そうか? 自分でも耳に入ってきたことを記憶してるだけなんだがなぁ」

 謙遜したように掌を振るガイに、ジェイドが眼鏡を押し上げながら口を開く。

「いえ、あなたの知識はかなりの部分が体験に沿ったものです。それなりに誇っていいものだと思いますよ」
「そうよ、ガイ。実際私達は、こうして助かっているわ」
「そうだよ。ガイのおかげでイオン様のところに行けるんだし~♪」

 仲間連中に褒められて、さすがに悪い気はしなかったのか、ガイが照れたように頭を掻く。


「──そうですわ。ガイ、あなた意外と博識でしたのね」


 頭に手を置いたまま、ガイの動きが停まる。
 かくいう俺も動きを停めている。

 えー……ゆっくりと、落ち着いて、考えよう。今、聞こえた声は誰のものだった?

 一度目を綴じて、声のした方に向き直り、そこで瞼を開く。

 まったく日に焼けていない輝くような金髪がまず視界に映る。
 動きやすそうな外出着、頑丈そうなブーツ、おまけに背中に矢筒を背負った彼女がそこに居た。


「見つけましたわよ、ルーク」

 ナタリアは俺を逃さぬとばかりに、にっこりと微笑んだ。


「な、ななな、なんで、お前が、こんなところに……!?」
「決ってますわ。宿敵同士が和平を結ぶという大事な時に、王女の私が出て行かなくてどうしますの」

 動揺に震える指先突き付ける俺に対して、ナタリアは胸を張って答えやがった。

「ルークだけに任せてなんていられませんわ。だってあなた、少し抜けているところがありますもの」
「……って、アホか!! いきなり前線に出てくる王族がどこに居やがるよ!? そんなのは、後は判子押すだけで和平がなるような段階になってからの話だろう!?」 
「そ、それは、そうですけど……。こ、この私がわざわざついて行ってあげると言っているのですよ! 黙って連れて行きなさい、ルーク!」

 だぁー! もう、理屈にもなんにもなってねぇよ。……マジで勘弁してくれよ、ナタリア。

「それとも……ルークは私と行くのが……それほどまでに嫌なのですか?」

 さっきまでのツンケンした態度から一転、俺の顔を上目づかいで見上げて来るナタリアに、俺は本気で困惑する。

「だから、そういう問題じゃねぇだろ? 外の世界は……お姫様がのほほんとしてられる世界じゃないんだぜ?」

 最後の方は本気で心配になって訴える俺に、ナタリアが少し顔を背ける。

「それこそ……あなたがそんな外の世界に赴くというのに、私だけ黙ってなどいられませんわ」
「いや、そうは言ってもよ……」

 少し気押された俺の気配を感じとってか、ナタリアは俺の方に向き直って、畳みかけるように続けた。

「私だって三年前、ケセドニア北部の戦で、慰問に出かけたことがありますもの。覚悟はできていますわ」

 それなりに真剣な調子で言われた言葉に、さすがの俺も返す言葉が思いつかない。
 正直……まいった。こいつには借りがありまくるから、そこまで無下にはできない。


「慰問と実際の戦いは違うしぃ~お姫様は足手まといになるから残られた方がいいと思いま~す」
「失礼ながら、同感です」

 そこに丁度良く、アニスとティアが反対意見を述べる。
 俺はガイに視線を合わせ、説得を続けるよう頼む。

「ナタリア様、城へお戻りになった方が……」

 頷いたガイの宥める言葉を遮って、ナタリアがピシリと鞭打つように宣言する。

「お黙りなさい! 私はランバルディア流アーチェリーのマスターランクですわ。それに治癒師としての学問も修めました! そこの頭の悪そうな神託の盾や無愛想な神託の盾より役に立つはずですわ!」

 挑発的に言い放つと、アニスとティアに視線を向ける。

「……何よ、この高慢女! ツンケンみんなにトゲふりまいといて!」
「下品ですわね。浅学が滲んでいてよ」

 さすがにカチンと来て食ってかかるアニスと、迎え撃つナタリアが至近距離で睨み合っている。

「呆れたお姫様だわ……ルーク、もうあなたの好きにして」

 ティアが額を押さえて、本気で沈痛そうにつぶやいた。

「なんだか楽しくなってきましたねぇ」
「……だから女は怖いんだよ」

 ジェイドは端から傍観に徹しているし、ガイもトラウマが発動したのかブルブル震えている。
 もはや誰もが場の収拾を諦めてやがる。やっぱり、俺がなんとかするしかないのかよ。……なんか、泣けて来るな。

「あのな、ナタリア」
「なんですの? ようやく私を連れて行く気になりまして?」

 期待に満ちた顔を向けられても……俺にどうしろと?

「いや、そうじゃなくて……」
「ルーク。お願いします。私は王家の者として、アクゼリュスをこの目にしなければいけないのです。それに……このような機会でも無ければ、私は実際に外を見ることなど、二度とできないでしょう」

 これが最後の機会なのです、とナタリアはつぶやいた。
 それは……俺にも深く共感できる理由だった。


 結局のところ、ナタリアも俺も王族だ。
 そのうちバチカルという街から外に出る機会があったとしても、おそらくは少人数で気楽な旅路という訳にはいかないだろう。
 たとえこれが危険をはらんだ旅路であっても、ナタリアに巡ってきた、最後の機会なのだろう。

 結局……こいつからはどうやっても逃げきれないってことなのかね。


「ふぅ……しょうがねぇか。わかった。わかったよ、ナタリア」
「まあ、ルーク!」
「って、おい、引っつくな! 離れろって!!」

 首回りに手を回しやがったナタリアに、周囲からなにしてやがんだお前らと、軽蔑の視線が注がれる。マジで……勘弁してくれぇ。

 なんとかナタリアを引き離し、俺は喉をコホンコホンとならしながら、場の空気を整える。

「えー……ということで、ナタリアには来てもらうことになった」
「よろしくお願いしますわ。ルークがどうしてもと頼むので、仕方なく同行することになったナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアと申します。まったく、ルークは私が居ないと駄目ですわね」

 元気よくお辞儀しながらとんでもないこと口走りやがるナタリアに、ジェイド以外の全員が正気かと俺の顔を睨む。

「そういうことだったの……ルーク、見損なったわ」

 絶対零度の視線を伴う軽蔑の言葉がティアから放たれた。こ、怖すぎる……。

「ち、違げぇーよっ! こ、これはアレだ! そう! 高度な政治的判断とかっていうやつで……」
「……つくにしても、もうちょっとましな嘘つこうぜ、ルーク」
「うっせぇーよっ、ガイ! とにかく親善大使は俺なの! いいな?」

 俺の最終的な権力頼りの決定に、不承不承ながらも、皆が一応の同意を見せる。

「やー、さすがは親善大使殿の御決定。なかなかの英断ですねぇ」

 ジェイドが変な緊張感に包まれたその場を見回しながら、言葉を洩らす。
 こいつは本気で面白がってやがる。くそぅっ……この鬼畜眼鏡めっ!

 俺はまったく人事のジェイドに射殺すような視線を向けたが、もちろん大佐は意に介するはずもなく、そのまま悠然と歩を進める。


 ホント……いったい俺がなにをしたよ?

 雪だるま式に悪化していく状況に、俺は声なき声で、愚痴をもらした。




             * * *




 その後もジメジメした暗い路を進み行き、俺たちはなんとか外へ続く路に行き着くことができた。
 無論、王女のナタリアに対するいざこざは起こった。それこそ起こりまくって、何度も俺は泣きそうになりましたよ。

 しかし、少人数での行動って要因もあったんだろうが、皆で協力して進んでいくうちに、ナタリアもなんとかこの集団にも順応することができたようだ。


「それにしても……先程の魔物はいったいなんだったのでしょう?」
「この辺じゃ見かけない魔物だったなぁ。中身は蜘蛛みたいだったが?」
「廃工場だから……蜘蛛ぐらいいてもおかしくはないけれど……」
「油を食料にしている内に音素暴走による突然変異を起こしたのかもしれませんね」
「なんか油く臭くてサイテーでしたよ」


 今もさっき襲ってきた大物に対する推測を、あーだこーだと、みんなと一緒に話し合っている。
 というか……むしろ話しについていけない俺なんかより、よっぽど馴染んでいるとも言える。
 それ以上考えても、俺にとって哀しい結論しか出なそうだったので、頭を切り換える。


「あー……それよりも、そろそろ行かねぇか? あそこに見えてんの非常口だよな」

 俺は一段下に見えている、点滅する蛍光灯に照らし出された扉を指す。

「あれは……調べてみる価値はありますねぇ」

 ジェイドが周囲を探りながら、梯子を下ろして扉を検分している。
 後に続いた俺たちに向けて、軽く頷きを返した。

「当たりか。これでようやく地上だな……」
「はいですの、ご主人様。ここを抜ければ、あとは目指せケセドニア! ですの」

 最近成長が著しいコライガの上に跨がったミュウが、短い腕をえいやと振り上げる。その下でコライガが呼応するようにガルルと呻き、飛び跳ねる。

 ああ……ほんとこいつら仲いいよな。

 微笑ましい小動物二匹の言動に和む一同の中で、大佐が皆の手綱を引き締めるように一言付け加える。

「ケセドニアへは砂漠越えが必要です。途中にオアシスがあるはずですから、そこで一度休憩することになるでしょうねぇ」

 ケセドニア……またあの暑い所かぁ……。

「砂漠越えはキツそうだよなぁ……」
「そうですわね。ガイ、もしものときは私のフォローは頼みましたわよ」
「あのなぁ……俺には無理だってわかって言ってるだろ!」

 ガイの叫びに、ナタリアが俺の方を意味深に見やりながら言葉を繋げる。

「早くそれを克服していただかないと……その、ルークと結婚したときに、困りますもの」

 頬を染めながらつぶやかれた言葉に、アニスが挑発的な笑みを浮かべる。

「ルーク様はもっとず~っと若くてぴちぴちのコがいいですよねっ♪ 子供の頃に結ばれた婚約なんて、それこそいつでも破棄できますしぃ~」
「……なんですの?」
「何よぅ……!」

 睨み合う二人から一歩引いた場所に佇んでいたティアが、なぜか目を潤ませながら俺に叫ぶ。

「ルーク。あなたって……あなたって最低だわ!」
「そこで俺に話をふるのかよっ!」

 本気で収拾がつかなくなった場に、ジェイドがさっさと見切りをつけて先に歩き出す。

「さて、開錠できたことですし、なにやら忙しそうなルーク達はそっとしておいて、私達は先に外へ向かいましょうか」
「あ、ああ」

 後に続くガイが、ちらちらと俺らの方を気にしながらも、結局は大佐に続く。

「お、お前らな! そんなあっさり俺を見捨ないでくれ──っ!!」

 俺の叫びを無視して、二人はあっさりと扉を潜ってしまった。

 本気でこの場をどう収めたものか悩み始めたとき、外から二人の焦ったような声が響く。

「これは──」
「ルーク、イオンと六神将だっ!」

 二人の言葉に、俺たちも状況を悟り、慌てて外へと飛び出す。




             * * *




 降りしきる雨の中、イオンを連れたシンクがタルタロスへと乗り込もうとしている。
 シンクの背後に、周囲を警戒するように佇む、アッシュの姿があった。

 滴り落ちる雨の雫が、普段は押し上げられている前髪を額に流している。
 鏡に映ったように、俺と同じ姿をした人間が、目の前に居る。
 そう認識した瞬間、俺の意識の中で、なにかが、切れた。


「ア──ッシュッ!!」


 背後で俺の暴走を制止する声が聞こえたような気がしたが、俺は一切を無視して、アッシュに切りかかった。


「……お前かぁっ──!」


 吐き出された言葉が、苛烈な刃となって降り注ぐ。
 応える俺も言葉を無くした獣のように吼えると、ただ刃を振り上げる。
 降りしきる雨の中、俺とアッシュは舞踏を演じるように、ただ剣戟を交わし合う。
 互いに知り尽くした流派の技が、決定打をくり出せないままいつまでも続く。

 無限に続くかと思われた剣舞の終焉は──


「アッシュ! 今はイオンが優先だ」
「分かって──っ!?」

 わずかに逸らされたアッシュの視線によって、唐突に訪れる。

「アッシュッ!!」

 叫びと供に放たれた渾身の刺突に、辛うじて相手は反応した。
 咄嗟に掲げられたアッシュの剣が、俺の突きを受け止める。
 しかし、そこまでだった。


 ──穿破


 動きの止まった相手に向けて、音素をまとった俺の斬撃が振り上げられる。


 ────斬月襲


 響きわたる、金属同士が激突する高音。

「ちっ────!!」

 アッシュの手から弾き飛ばされた剣が虚空を舞った。
 この機を逃さず更に追撃をかけようと踏み出す。瞬間、俺の足が、急激に膨らむ嫌な予感に止まる。


「灰塵と化せ──」

 アッシュの掲げ上げられた腕の先で、音素の光が真紅の輝きを放つ。

「──エクスプロードッ!!」


 視界を覆い尽くす鮮烈な赤。
 荒れ狂う灼熱の業火に、巻き起こる爆風。


「がっ──……くっ……」

 目の前で炸裂した譜術に吹き飛ばされた俺は、数回地面を転がって、呻きながら身を起こす。


「いいご身分だな……ちゃらちゃら女を引き連れやがって」


 既にタルタロスに乗り込んだアッシュが、忌ま忌ましそうに告げる。
 一瞬、アッシュの視線がナタリアへと向かったような気がしたが、それを確かめる術は無い。

「アッシュ、さっきも言ったけど、この場はイオンが優先だ」

 アッシュの視線が弾き飛ばされた己の剣へと向くが、背後からシンクに呼び止められたことで動きを止める。
 そして、なにかを振り切るように瞼を閉じる。

「ちっ……剣は預けた、劣化野郎」

 宣言と同時に、開かれた双眸が俺を射抜く。
 無言のまま睨み合う俺とアッシュ。戦艦は徐々にその場から離れて行った。


 その後も俺は戦艦の去っていた方向を、無言のまま見据え続けた。


「イオン様……。どこに連れてかれちゃったんでしょう」
「陸艦の立ち去った方角を見るとここから東ですから……ちょうどオアシスのある方ですね」
「私たちもオアシスへ寄る予定でしたよね。ルーク様、追いかけてくれますよねっ!」
「ああ……」

 上の空のまま応えながら、俺は地面に突き刺さったアッシュの剣へと歩み寄る。
 降りしきる雨の中、水に濡れた俺の身体はどこまでも重い。

 ぬかるんだ地面に突き刺さった剣が、その音叉のような刀身に、俺の顔を映し出す。
 かつての持ち主となんら変わらぬ、俺の相貌が、刀身に、映し出された。


 俺は無造作に柄に手を掛けると、そのまま、剣を地面から抜き放つ。


 かくて、鍵は灰塵の下を離れ、偽炎の手に渡る。

 されど、確定された事象の流れに、破綻は未だ見えず───








[2045] むかしむかしのおはなし 第二幕
Name: スイミン
Date: 2006/05/24 19:28





 ……未来を観測し確定する預言。負傷が完治した状態を観測し確定する治癒。こうした一連の譜術の発現過程から、第七音素の司る力とは『未だ存在しえぬ事象の観測と確定』であることがわかる。すなわち、第七音素の力とは『あまた存在する可能性を観測された一本の流れに確定する』ことに他ならない。しかし、この結論は、同時に一つの示唆を含んでいないだろうか? 第七音素とは『他の可能性を切り捨てる力』であるという……

 ──『音素概論による第七音素の考察とその展望』──














【赤毛少年、疾走す】


「へへっ。この俺が捕まるかってぇーの」

俺は俊敏な動作で屋敷の塀を乗り越えると、後を追う執事連中をものの見事に振り切った。

「ホントにいいのかねぇ……」

 俺の後に続いたガイが、胃の辺りをしきりに押さえながら顔をしかめた。

「いいのいいの。ガイだって知ってんだろ? ファブレ家嫡男、衝撃の事実、お忍びで外遊か……とかいう噂」
「うっ……確かにそんな噂が流れてるよなぁ……」
「あれだな、やっぱ事後承諾、あるいは既成事実を作る、とかいうんだったけか? 一度作っちまった前例は滅多なことじゃ突き崩せねぇーってことだな」
「うーん。微妙に用途が違う言葉もまじってるような気もするが……もうどうしょうもないのは確かだよな……」

 がくりとうなだれると、なぜかガイのやつは俺に恨めしそうな視線を向けてきやがった。まったく失礼なやつだ。けどな、俺は全てを覆す言葉を知ってるんだぜ?

「やっぱこれも、お前の教育のタマモノってやつなんじゃねぇーの?」
「うう……どっちかっていうと、アダンテさんと、ギンナルさんの影響が根深いと俺は思う。いや思いたい」

 ひたすら胃の辺りを押さえながら、苦痛に耐えるようにガイは呻いた。

 ……確かに、あの二人に影響受けてるってのは否定しないけどな。

「まあいいや。今日もとっとと連中のとこに行くぜ」
「わかりましたよ、坊ちゃん」

 俺とガイはすたこらさっさと下街目掛け、貴族たちが屋敷を構える区画を駆け抜けていく。


 初めて俺が屋敷の外へ出てから、既に二年という月日が流れていた……


【不良神官、絶叫す】


 僕は神に仕える神官です。聖職を預かるものとして、これまでの人生キヨクタダシク生きてきました。……そこ、嘘とか言わない。ともあれ、そんな僕にも忍耐の限界とか言うものはあるわけで、結局なにが言いたいかといいますと。

「お前ら──帰れっ!」

 目の前でくつろぎまくった様子で、勝手に部屋に上がり込んでやがったガキ共を僕は威圧した。

「ん、なんだおっさんか」
「ど、どうも。お邪魔してます」

 ガイはどこか恐縮したように頭を下げたが、ルークのやつは顔をこっちに向けただけで、挨拶すらもしやがらねぇ。なにやらソファーの上に寝ころんで、ひたすら何かを口に運んでいる。

「ってか! てめぇが食ってやがるのは、僕が先月から予約してやっと手に入れたエンゲーブ印の果物セットじゃねぇーか!! あ、ああ、僕の給料三カ月分の贅沢が、裕福な親に甘やかされて育ったくそガキの腹の中に、消えていく……」

 最後の一口をこれみよがしにゆっくり頬張ると、ルークは感想を述べた。

「ああうまかった。でも、屋敷で喰うもんの方がうまいな」
「る、ルークのアホっ~!」

 ぶちっ。

 はい。僕はブチ切れました。子供とは言っても、教育的指導は必要なのです。そうです。これは愛のムチなのです。

「る、るる、ルーク! あ、謝れって! アダンテさん、なんか釘バット取り出して、あ、やばいやばいって、バット振り上げてるよ!!」

 僕は振りかぶったバットを振り降ろすことに躊躇いなどおぼえません。そうです。このとき僕は純粋な殺意とはすなわち、食い物の恨みであることを悟ったのでした。

 そのとき、室内を涼やかな風が駆け抜けた。

 バットが先端から切り落とされて、ボトリと床に落ちる。

「アダンテ。気持ちはわかるが、そのぐらいにしておけ。所詮、子供のしたことだろう?」

 俺の後に続いていたギンちゃんの存在を忘れてた。ギンちゃんはどうしょうもない程底抜けの良いやつなんだが、子供に超絶甘いっていう欠点がありやがるんだ。僕がお仕置きなんざしようとしたら、止めるのはわかりきっていたことだった。

 くそぅっ……公爵家に絶対請求書送ってやるぜ! 三割り増しぐらいでなっ!!

 非情なりし復讐の誓いをあげる僕を余所に、ルークがギンちゃんにはきちんと挨拶をしてやがるのが見えた。このくそガキめっ!

「ギンナルじゃん! 久しぶりだよな」
「どうも、ギンナルさん」
「うむ。二人とも、久しぶりだな」

 ばさりと黒マントを翻しながら部屋に入ったギンちゃんは、部屋中に転がっているガラクタをかき分けて、座るスペースを作り出した。……別に僕は掃除が嫌いなわけじゃない。暇がないだけだ。

「ユシアの姉ちゃんとドンブルは居ねぇーの?」
「二人はちょっと故郷に帰省中だ。一人でいるのも暇なので、アダンテのところに寄ってみた」
「そっか。そんで肝心の話だけどさ、そろそろ俺も漆黒の牙に入隊させてくれる気になったかよ、ギンナル~」

 ルークのアホがまたとんでもないことを言ってやがる。

「う、うむ。そのうちな……」
「へへへっ」

 貴族専門の窃盗集団、漆黒の牙に入隊希望をするキムラスカ王国の大貴族、ファブレ家のバカ嫡男ルーク。ここじゃなきゃ、絶対見れねぇ光景だよな。

 ルークの残した最高級果物詰め合わせセットの残骸を、指でほじくって未練たらしく舐めとりながら、僕は生暖かい視線を二人に向けた。

 同じように一歩引いた位置に居るガイは、顔を引きつらせて、胃の辺りを押さえている。

「うんうん、わかるぜ、ガイ。こんなバカの世話役になるなんて、きっついだろう? まったくどこの誰に似やがったのか。こんな風にした奴を見かけたら、僕がぶん殴ってやるぜ」
「は、ははは。あなたにだけは、無理だと思いますよ」

 乾いた声を上げたガイが、なぜか僕の顔を見返しながら冷や汗を拭った。はて、いったいどういうことやら。

「ところで、おっさんよ。今日は無駄にダベリに来たわけじゃねぇーんだよ」
「あん? どういうことだ? 勿体ぶってねぇで要点を言えよ、要点。それじゃ僕にはまったく伝わらんぜ」
「ちっ……わかったよ。なんでもヴァン師匠がまたこっちに来ててさ、今度またおっさんと話したいってさ。屋敷で伝えといてくれって言われた」

 なに? 総長が? 僕は久しぶりに会うことになる、騎士団のトップからの言葉に少し動揺した。

「なんで僕なんかと騎士団トップの人間が話したがるんだ?」
「知らねぇーよ」
「……一度本気で沈んでみるか?」
「うっ……なんでも、おっさんが研究してることについて、いろいろ聞きたいんだってさ」
「ふ~ん。教団の人間にしては、珍しいやつだな」

 初めてルークが街へ降りてきたとき、総長とは少し話す機会があった。あれから何度か世間話程度は重ねていたが、それでも僕の研究について知りたいと言われたのは初めてだ。ダアトじゃ僕の研究はある意味有名だから、帰省中に僕の名前でも聞いたのかね。

「アダンテさんは、なんの研究してるんですか?」

 話の流れで興味を抱いて尋ねてくるガイに、僕は苦笑を浮かべた。

「まあ、あれだよ。少なくとも、教団の人間なら絶対に研究しないようなことは確かだな」

 僕の言葉にガイが首を捻る。ルークは最初から興味がない。ギンちゃんだけは僕の研究内容を知っているからか、どこか痛ましげに顔を伏せた。

 気を使わせちまったかなぁ……。

「ともかく、用件は聞いたんだ。とっと帰りやがれ、くそガキどもがっ!!」

 ここ二年間の間に、もはや何度響いたかもわからぬ怒声が、今日も今日とて教団の宿舎に響きわたるのであった。


【天然姫様、訝しむ】


 怪しいのです。

 申し遅れました。私はキムラスカ王家に属するもの、ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアと言うものです。

 なにが怪しいのかと言えば、ここ最近、私の婚約者であるルークの様子が奇怪しいのです。

 四年ほど前にマルクトに誘拐されたショックで、ルークはそれ以前の記憶を無くしてしまいました。それ以来、更なる襲撃を嫌ったお父様と叔父様の考えから、彼は屋敷の中から一歩も外にでることができない生活を強いられてきました。

 少し話がずれましたね。ともかく、そんな理由から、ルークは屋敷から出ることができないはずなのです。

 ところが、ここ最近ルークの下を訪れても、なかなか彼に面会させてくれないことが多いのです。いったいどういうことでしょう? 

 私、気になって仕方がありません。

 ある日お付きのメイドの一人にそのようなことを洩らしたところ、彼女は気の毒そうに私を見据えました。

「姫様、知らなかったんですか?」
「なんのことです?」
「ファブレ家のルーク様が、ちょくちょくお忍びで外遊してるって噂、かなり有名になってますよ」

 そのとき私が受けた衝撃がどれほどのものだったか、とても言葉では言い表せないでしょう。

 ともあれ、私は事の真偽を確かめるべく、街へと繰り出すことに決めたのです。

 幸いなことに、ここ最近、私の着手した港の開拓事業や療養所の増設などといった一連の事業を切っ掛けにして、街に暮らす人々との間にコネクションができました。

 彼らと交渉を進めるうちに、城から離れて歩くことにもちょうど慣れてきたところなのです。

 私はよく赤毛の若様が目撃されるという場所の一つに赴きました。今日はパン屋さんと呼ばれる食料品店の前に向かいます。

 毎日メイドが伝えてくれるルーク目撃情報はとてもありがたいのですが、哀しいことに、今までは行き違いが多く、遭遇にまで至っていないのが現状です。

 今日こそ捕まえて見せますわ!

 拳を握り、私は張り込みと呼ばれるものを今日も続けるのでした。


【赤毛少年、外遊す】


 俺は今日も今日とて、街へと出向く。

 ここ最近は執事連中も諦め気味で、塀の上で手を振る俺に、疲れきった表情で手を振り返してきたりする。

「ああ──!! なんだか良心の呵責がすさまじい勢いで蓄積していく……!」

 まあ、それに比例するようにして、ガイの胃痛も悪化していってるようだけどな。

「ともかく、さっさと行こうぜ。おっさんのとこには師匠が来てるはずだから、先に皆のとこ寄ってからだな」
「うーん……わ、わかった。しかし、ナタリア様は放っといていいのか?」

 胃の辺りを押さえながらも、言うべきことは言う構えを崩さないガイ。

「あぁ……まあ、そのうち飽きるだろ。ナタリアは街の連中にも好かれてるみたいだし、どうにかなるなんてことはないだろうしな」
「まあ、そっち方面に関しては俺も心配しちゃいないけどな。それよりも、アレ、きっとお前がどこに行ってるのか気になってる証拠だぞ。きちんと会って言っておいた方がいいんじゃないか?」

 ガイのもっともな忠告に、さすがの俺も唸ってしまう。

 正直、俺はナタリアが苦手だ。ある程度意識がしっかりしてから、これまで何度か会ったことがあるが、その際あいつが随分と『俺』のことを心配してくれていたのはわかった。

 しかし、である。

 どうも俺にやたらと記憶を取り戻させたがる傾向がナタリアにはある。あんま記憶無くしたことで損したような事がないもんだから、俺としては非常に扱いに困る相手だ。

 ガイのように一から俺と付き合ってくれた相手が、今更記憶をどうこう言うような事がない分、余計に対応に困っちまうのである。

「まあ、そのうちあいつも諦めるだろ。確か、今日はパン屋の前に張り込んでるだったか?」
「あ、ああ。姫さん付きのメイドが言うには、そうらしい」
「よし、今日はルートBで向かうぜ」
「ナタリア様もお可哀相に……」

 わざとらしい動作で、ガイが目尻を拭う。

 情報をリークしてるお前が言えた義理じゃないと思うけどな……。

 俺は半眼でガイを一瞥した。

 ともあれ、俺たちは見事にナタリアの張り込みポイントを避ける道筋を通って、皆の下に向かった。

「よっ! みんな」

 門を潜りながら皆に声をかけると、庭で遊んでいた連中が一斉に顔を上げる。

「ルーク兄ちゃん!」
「ルークの兄貴だーっ!」
「ルークさんですか」
「ルーク兄様だ……」
「げげっ、ルークかよ」

 連中が一斉に声を上げて、俺の近くに駆け寄ってくる。

「へへへ。今日も来たぜ」

 ここ二年の間に大分親交を深めたおかげで、最初は人見知りしてた年少組のやつらも随分と俺に懐いてくれるようになった。

 二年前は屋敷の中が全てだった。

 今では屋敷の外にも、世界は広がっている。

 こんな毎日が、いつまでも続けば良いんだけどなぁ……。

 最近の俺は気付くと、いつもそんなことばかり考えているのであった。


【不良神官、相対す】


「お久しぶりすっね、総長。こんなあばら屋で、すまねぇとは僕も思うんですけど、まあ我慢して下さい」
「構わん。今更気を使うお前でもあるまい」

 散らかりまくった部屋にやってきたヴァン総長に、僕は適当に場所を切り開いて座るよう促す。大抵の相手はこの部屋の惨状を目にすると顔をしかめるのだが、総長は肝が座っているようで、眉一つ動かさなかった。

「ところで、僕の研究が詳しく知りたいとか言う話でしたっけ?」
「そうだ。ダアトに帰ってから驚いたぞ。アダンテの名前では知られていなかったが、お前のフルネームは向こうではかなり有名なようだ。知り合いの詠師にお前の名を尋ねたところ、仰天されたぞ」

 ああ、だろうな。確かに教団の連中にしてみれば、僕の名前は鬼門に等しいだろう。そんなものがオラクル騎士団主席総長なんかの口から飛び出るなんて考えもしなかっただろうしね。

「まあ、それを知った上で僕なんかのところを尋ねる総長もかなりの変わりもんですけどね」
「ふっ……違いない」
「とりあえず、どうします? 一応わかり易い資料とかは昨日のうちにまとめときましたよ。見るんなら、勝手にどうぞ。実は僕昨日あんま寝てないんですよ。だから、ちょっと寝てきますわ。見終わったら、呼んで下さい」
「わかった」

 ずしりと積み重なった資料を指し示し、僕は総長に背を向ける。

 無礼なやつだと思われただろうが、今更上の人間のご機嫌を伺うような立場でもないし、どうでもいいってのが本音だ。

「これは……」

 資料を目にした総長がなにやら驚愕したように呻き、ついで表情を喜悦に歪めるのが視界に映る。しかし僕はそんなことよりも訪れた生理的な欲求に従い、寝室へと引っ込むのであった。


【天然姫様、遭遇す】


 私、泣いてなんかいませんわ。

 夕陽が空を彩り始める時刻になりました。今日もルークは一向に現れません。パン屋のおじさまが私に気付いて、お昼ご飯をご馳走してくれたのは、お城の皆には秘密ですわね。

 とにかく、私は今日も何ら収穫を得られぬまま、お城に帰ることになりました。

 とぼとぼと街の整備された道を歩いていると、どこか近くで、よく聞き知った声が耳に届いたような気がしました。

「いったい誰の声かしら?」

 幸いなことに、まだ少しだけ時間はあります。興味を引かれるまま声のした方向へと歩き、私は通路を右に曲がって大通りに出ました。

 そこはローレライ教団の王都在住の方々が暮らす住居がある通りでした。

 ふと目線を上げると、少しくすんだ色合いをした真紅の長髪が視界に飛び込んで来ました。

「ルークですの!?」

 私が驚いて思わず上げた声に、彼はこちらに気付いて、顔をしかめるのがわかりました。まったく、意地悪な人です。

「げげっ、ナタリア! やばい、なんでか知らねぇーけど、ここがばれたぞガイ!」
「あーあ。やっぱりな。だからいつまでも隠し通せるはずがないって俺は言っただろ」
「そんな説教はどうでもいいっつーの。それより、早いとこずらかるぞ」
「やれやれ。まだ逃げるのか? いいかげん話してやれよ」
「馬鹿言うな。俺の心のオアシスになんで天敵をわざわざ招き入れなきゃいけねぇーんだよ」

 そう。そういうことでしたの……。

 私のことを無視して、奉公人のガイと話続けるルークに、私もさすがに我慢の限界ですわ。

「ルーク!! 待ちなさい! 絶対に逃がしませんわよ!!」

 逃げるルークと追いかける私の姿に、街を行き交う人々がきょとんと目を見開いていましたけど、今の私に周囲の視線を気にするような余裕はありませんでした。


 この日を境に、街の人々の間に、一つの笑い話が語られるようになった。

 曰く、逃げるは赤毛の王子さま、追うはお城の姫さま。普通なら、逆だよな?

 当の本人たちからしてみれば、至極笑えない小話だったそうな。


【赤毛少年、逃走す】


 どうにかナタリアを振り切って、屋敷まで逃げ帰った俺たちは荒くなった呼吸を整える。

「ぜぇっ……ぜぇっ……なんとか……逃げきれたか……」
「る、ルーク……まさか、これを今後も続けるつもりじゃないよな……?」
「うっ……」

 屋敷の前で力尽きたガイが、地面に転がったまま呻いた言葉に、俺も返す言葉が見つからない。

 さすがに、これを毎日続けるのはきつすぎる。

「あ、あれだな。しょうがないから、今後は街に降りる頻度を減らして、あいつとの遭遇に備えよう」
「……無駄な努力だと思うけど……」
「うっさい! いいんだよ! そう決めた」
「さいですか……」

 力尽きたガイをその場に残し、俺は一足先に屋敷の中に入る。

 出迎えたメイド達に手を上げて答えてやりながら、正面玄関から堂々と帰ってきた俺を奥の方から恨めしげに見やる執事連中にも手をふってやる。

「あ、そういえば、師匠ってこっちに来てるはずだよな? 屋敷には来たか?」
「いええ。ヴァン謡将はどうやら、本日は教団の宿舎の方にお泊まりになるようです。屋敷にはいらしておりません」
「そっか……」

 アダンテのおっさんと話したいことがあるって言ってたけど、よっぽどいっぱい話したいことがあるのかね。

 首を傾げて考え込むが、当然俺みたいなやつに師匠の考えがわかるはずもなく、もやもやした気持ちを抱えたまま、俺はその日を過ごした。


【不良神官、驚愕す】


 ……ん? カーテン越しに届いた朝日が目に眩しいぜ。

 僕は起き上がって、微妙な鈍痛を訴える節々をポキポキ鳴らしながら背を伸ばす。

「ふぁああ。よく寝たぜ。……なんか忘れてるような気がするけど、思い出せないなら大したことねぇーか」

 僕は顔を洗うべく寝室から出て、リビングを通過しようとしたところで、凍りつく。

「すばらしい……」

 なぜか、オラクル騎士団主席総長が、積み重ねられた資料の横にいやがりますよ。

「そ、そそ、総長! なんでまたあんた、まだ家に居やがるんですか!?」
「む? ああ……どうやら徹夜をしてしまったようだな。すまない」
「いや、なんだか微妙に論点が食い違ってるような気がしてしょうがねぇーんですけど……」
「細かいことだ。気にするでない」
「そ、そっすか?」

 すっげー納得できなかったけど、それ以上触れても意味がないと判断して、会話を打ち切る。

「ともかく、ちょっと待ってて下さい。身形整えてくるんで、適当に読み直してて下さい」
「わかった」

 さすがに寝起きの顔をさらすわけにもいかないので、僕は慌てて準備をすませると、僕みたいな不良神官の作った研究資料を徹夜で読み明かした総長の前に駆け戻る。

「──っと、お待たせしました」
「いや、気にすることはない。私が勝手に読みふけっていただけなのだからな」

 鷹揚に頷く仕種に、ああ彼は人を指揮する立場の人間なんだなぁと改めて思い知らされる。

「それで、どんな感じでした?」
「すばらしい。これまで研究されていた音素が司る現象領域の明確な定義付け。加えて、第七音素研究の過程をシュレー博士の思考実験の考察を中心に、コペンハーゲン派の考えからまとめ上げ、第七音素の司る力を《観測》と《確定》という既存の次元からさらに踏み込んだ、新たなる領域へと展開している」

 静かな口調ながらも、確かな感情の昂りを感じさせる総長の言葉は続く。

「第七音素が司る力の本質は《消滅》に他ならない──このような結論を、ここまで理論的にまとめあげたレポートは初めて目にしたぞ」

 ああ、そうなのである。僕はかつて、そんなとんでも論を主張するダアトの研究者だった。

 僕のやってる研究とは音素解明学。なかでも第七音素関連に対象を絞っている。より詳しく話すと、さらに馬鹿げた話に行き着くのだが、そちらは話がややこしくなるだけなんで、今は省略する。

 ともかく、未来を司る希望の象徴たる第七音素の集合意識体を崇めるのがローレライ教団の基本的な考えである。

 そんな中で、僕の提唱した考えは異端以外の何ものでもない。第七音素が消滅なんていう絶望的に不吉な力を司るなんて提唱に、教団の研究者はこぞって僕を弾劾した。そしてひとしきり罵倒し終わると、ちょっとお前引っ込んでろとばかりに、キムラスカ王国の一駐在武官として学会から追放を言い渡した。

 僕は異端の考えを保持する教団の人間なのである。

「これは前々から考えていたことだが、今回の件で確信に至った。アダンテよ、お前に折入って尋ねたいことがある。心を落ち着けて、聞いて欲しい」

 いつものように、異端に対する罵倒が始まるんだろうか。少しげんなりしながら、僕はいつでも耳に指が突っ込めるように準備する。

 しかし、次の瞬間耳に飛び込んだ言葉は、僕の予想だにしないものだった。

「我が直属の部下として、ダアトへ来ないか?」
「…………へ?」

 告げられた言葉の意味が理解できません。このおっさん、今、僕になんていいました?

「えっと……耳がつまってたのか? すんません。なんか、ダアトがどうとか聞こえたような気がしたんですが?」

「そうだ。我が部下として、ダアトへ来ないか? アダンテよ」

 瞬間、総長の気配が変化する。

 引きずり込まれるような強烈なカリスマを放ちながら、総長は僕に向けて手を伸ばす。

「我が手を掴め……お前はこのような場所で埋もれているような人間ではない。私と共に来るのだ」

 そうあることがまるで当然のように、総長は僕に向かって共に来いと促す。

 あの神託の盾騎士団、主席総長ヴァン・グランツ謡将が、僕みたいな奴を必要だと告げる。この有り得ない勧誘に、少しも心動かされれないような奴はいないだろう。

 当然僕もその例に漏れず、ふらふらと灯に引き寄せられる羽虫のように、総長へ手を伸ばす。

 指先が相手の手を取ろうかという、そのとき。

「──アダンテ。少し上がらせて貰ってもいいだろうか?」

 突如響いた第三者の声に、僕は我に帰る。今、自分はなにをしようとしていた?

「む。すまない、取り込み中だったようだな。出直そう」

「──待ってくれ、ギンちゃん」

 総長を目にした瞬間、身を翻しかけたギンちゃんを呼び止めて、僕は総長に改めて向き直る。

「総長、僕みたいな不良神官を部下に誘ってくれたことは……とってもありがたく、思っています」

 これは本心からの言葉だった。かつて異端の研究者として弾劾されて以来、僕の周囲に居た教団の知人は次々と僕から距離を取った。当然の選択だろうと、僕も思う。異端者と好んで付き合いたがるような物好きは、教団には居ない。僕は彼らの選択を妥当なものだと判断し、納得しようと努めた。

 しかし、周囲の反応を納得すると同時に、僕の中で、ローレライに対する信仰心は急激に薄れて行った。さすがに信仰心が無くなるようなことはなかったが、それでもかつてのようにただ愚直なまでにスコアを信望するような真似は、僕には到底できなくなっていた。

 続いて、教団の人間から自分の方からも積極的に距離を取るようになった。相手が自分を拒絶しているというに、近づこうとしても虚しいだけだったからだ。

 出世などもはや縁遠いものであり、僕はこの王都に骨を埋めることになるのだろうと、静かな諦めと共に現状を受け入れた。

 だが、今目の前に立つ男は、そんな僕みたいな奴に、お前が必要だと告げる。

 こんなところで埋もれているような人材ではないと、訴える。

 こんな言葉をかけられて、受け入れない道理はない……はずだった。

「しかし──その申し出は、受けられません」

 はっきりと、誤解を許さぬ言葉で否定の意を返した僕に、総長がしばしの沈黙を挟み、口を開く。

「……理由は、話して貰えるのか?」

 わずかな表情の揺らぎも見せない総長に、僕は頭をかきむしり、少しの照れくささを感じながら、その理由を言葉にする。

「この申し出が、僕がこの街にとばされた頃にされていたなら、それこそあっさりと頷いてたでしょうね。あの頃の僕は、この街が大して好きではありませんでしたから。……いや、むしろ憎んでいたかな?」

 ダアトと異なり、スコアを道具のように利用する貴族達。一部の特権階級のみが莫大な寄付金と引き換えに、スコアを詠まれる教団のシステム。すべてダアトに居たころの自分にとっては思いも寄らなかった状況であり、なによりも許せない行為だった。

「でも、今は違います。この街も、そう悪くないと思っています。友人と呼べるような存在も、できちまいましたしね」

 言いながらギンちゃんの顔を見上げると、僕の言ってる相手が自分だと気付いてか、ギンちゃんが顔をしかめた。照れてやがるのかね。まあ、かくいう僕もちょっとこっ恥ずかしいけどな。

 ギンちゃんからはじまって、院長や副院長、孤児院の奴ら、ルークにガイ、いろんなやつらと、僕はこの街で出会ってしまったのだ。結ばれた絆は、もはや取り消せない。

「だから──総長の申し出は受けられません」

 そう言葉を締め括り、僕は総長からの反応を待つ。

 そうか、と短くつぶやくと、総長はギンちゃんに視線を向け、目を細める。

「貴殿がギンナル殿か。アダンテからよく耳にしている。……良い友を、お持ちだな」
「あまり認めたくはないことだが……俺も、そう思う」
「ふっ。アダンテの事は惜しいと思うが、貴殿に免じて、ひとまず諦めることにしよう」

 ギンちゃんの肩を軽く叩くと、総長はもう一度僕を振り返る。

「決心は硬いようだな」
「ええ。ほんと……すいませんでした」

 この出会いが、かつてのダアトでなされていたら、話は違ったかもしれない。異端と蔑まれ、逃げ出したあのときに、総長のような人間と出会えていたら……そんな考えがどうしても打ち消せずに、僕は何度も総長に向けて頭を下げる。

「顔を上げるのだ、アダンテよ。自らの意志をもって未来を掴み取ろうとする人間を、私は尊敬している。お前が気に病む必要など、なにもないのだ。だが、もしもこれから先、お前の気が変わるようなことがあれば、いつでも私の下を尋ねて欲しい。どれほど時間が経とうと、私はお前を迎え入れよう」

 あくまでも、僕を必要としているという姿勢は崩さずに、いつまでも待っていると総長は言い含めた。

「――さらばだ、アダンテよ」

 最後の最後まで、その懐のでかさを見せつけると、総長はこの部屋から去った。

 去り際に、総長の視線がギンちゃんを一瞥する。向けられた視線に、どこか暗いものが浮かんだような気がしたが、僕は特に気にするでもなく、総長を見送った。

 どこまでもあっぱれな漢ぶりだったよなぁ……。

 感心しながら総長の去って行った背中を見据えていると、ギンちゃんが少しバツが悪そうに問いかける。

「どうにも話が掴めないままだったが……随分といい誘いのように聞こえたぞ。本当に、よかったのか?」

 僕に心配そうな視線を向けるギンちゃんに、僕は笑いかけてやる。

「がーはっはっはっ! まあ、友に代わるような対価はありねぇーってことだな」

「な、な、な」

 僕の正直な思いの吐露に、しかしギンちゃんは上擦った声を何度も上げた。

「照れるな照れるな」
「照れとらんわ~っ!」

 いつものように、僕はギンちゃんとの掛け合いを通して、この得難き日常の心地よさを実感する。


 ……思い返してみれば、この日がある意味では一つの転機だったんだろう。


 僕たちの世界は……──緩やかに、軋みをあげる。



[2045] 3-3・踏ミ越エル、熱砂
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 22:00

 砂漠で最もキツイものとは何なのか?

 当然暑さだろ。俺とアニスは短絡的に答えた。
 水が無いことかしら。ティアやナタリアは少し考えた後で答えた。
 砂嵐じゃないか。ガイは自らの体験も交えて答えた。

 全ての答えをあいまいに退けると、大佐は一言で正解を告げた。


 それは気候の寒暖差です、と。


 なんでも昼夜の温度差が十数度は当然、下手すると数十度まで広がるらしい。

 そんなとんでもない砂漠を徒歩で渡るなんてことは論外らしいので、足を求めることになった。
 まあ、徒歩もやってやれないこともないでしょうけどね、と大佐は不穏な言葉を付け足していたりもしたけどな。


 ともあれ、幸いなことに、砂漠への境界付近にあるキャラバンで、ケセドニア行きの隊商と合流することができた。
 最初は俺たちの同行にいい顔していなかったが、さりげなくジェイドが権力を臭わせた途端、大人しくなった。

 なんとも世知辛い話だが、名目上は護衛として雇われ、隊商が夜盗や魔物連中と遭遇する度に撃退に駆り出されている。
 何度か戦闘を繰り返し、俺たちにそれなりの実力があることを認めると、俺たちの待遇も鰻登りで向上したから、隊商の連中も現金なもんだとは思うがね。


 今では、戦闘する者がいざというときに疲弊していちゃ話しにならないと、砂上専用の荷馬車を丸ごと一台借り出されていたりする。
 徒歩で砂漠を行くことを考えれば破格の待遇だったが、それでも暑いものは暑いのだ。
 俺たちはヒィヒィ悲鳴を上げながら砂漠を突き進む。


「……マジで、勘弁してくれ……この暑さはケセドニアなんて目じゃないぜ」

 荷馬車のホロの影に倒れ込み、俺はダレにダレまくっていた。

「ルークよ。さすがにダレすぎじゃないか?」
「……あまり気を抜けられても、戦闘になったときに困るわ」

 ガイとティアが荷馬車の中で寝っころがる俺に向けて、苦言を呈する。

「んなこと言われてもだな……暑いものは暑いんだ……どうしょうもねぇだろが」

 反論の声も元気が無く、俺はボソボソとつぶやく。
 そんな俺の様子に、二人がため息をつくのがわかったが、もはや起き上がる気力もない。

 コライガのやつも俺と同じような状態だ。
 むしろ全身を覆う毛皮のせいで、俺なんか目じゃないぐらいに、死んだようにぐったりと荷馬車の床に倒れ込んで動かない。
 時折思い出したようにパタリと動く尻尾のおかげで、辛うじて死んでないことがわかる。

 傍らに寄り添うミュウがハンカチを取り出して、団扇のようにしてコライガを仰いでいるのが見える。

 ああ、マジでダルすぎるぜぇー……

 荷馬車の上に寝っころがりながら、俺は少しでも冷たい床の感触を味わうべく、ごろごろと床を転がる。
 すると視界に、顔を俯けて、無言のままなにかを考え込んでいるナタリアの姿が映る。


 ……工場を抜けた先で六神将の連中と遭遇してから、ナタリアの様子がどうにもおかしい。


 どうおかしいのかと言われれば、答えようはないのだが、それでも幼馴染み故のカンとでも言うのか。
 なんとなくなにかを考え込んでいるのはわかった。その証拠に口数が少なくなり、終始上の空の状態だ。


 こんなときにどう声を掛ければいいのかわからんのだから、俺としても自分のバカさ加減がイヤになる。


 アニスはアニスで、護衛の自分が居たのに、イオンをさらわれたことに負い目を感じてか、最初のうちはどこか痛々しいまでに空元気を演じていやがったのが、今では口数も少なく、黙り込んでいる。


 そんなわけで、必然的に普通に会話できるやつも、ガイやティアぐらいになってしまうわけだ。そうなると小言が嫌な俺としては寝っころがるしかやることがなくなる。

 うん、ジェイドはハナから問題外だけどな。ともあれ、なんとなく嫌な空気が漂う中、俺は寝っころがったまま声を上げる。


「……というか、そろそろオアシスに着くはずじゃねぇのか?」
「そうですね。先程このキャラバンのリーダーに聞いた話では、もうそろそろ見え始める頃ですよ」

 ジェイドがホロから身を乗り出して、進行方向を見据える。

「そういえば、なんでも砂漠には〝死に水〟と呼ばれる怪奇現象があるらしいですよ」

 どこかすっとぼけた調子のまま、大佐が話題を振る。

「死に水だって?」
「ええ。なんでも砂漠の遭難者が水も底をつき、とうとう進退窮まった状態で現れるオアシスのことを、そう呼ぶらしいです」
「水が無くなって現れてくれるなら、いい話しじゃねぇか」

 おざなりに答える俺に、ジェイドが声の調子を抑える。

「それが、死に水の恐ろしいところでしてね。遭難者が歩いても歩いても、一向にそのオアシスにはたどり着けないのだそうです。最終的に遭難者は、最初から少なかった体力を無為に消耗して、死に絶えてしまうのだそうです。それ故に、〝死に水〟と呼ばれているのだそうです」

 なんとも恐ろしい話ですねぇ、と最後はいつもの調子に戻って、ジェイドが話を終えた。
 迫力に押されてツバを飲み込んだ俺を余所に、話を聞いていたティアが感心したように頷く。

「水が生死を分ける……砂漠らしい逸話ですね」
「まあ、実際は砂漠の蜃気楼が生んだ、幻影が噂の正体といったところだろうな。それでもこういう話は、いろいろとその地方特有の教訓を含んでるから面白いもんだよな」

 現実主義のティアと、旅慣れたガイの言葉で、俺はジェイドに自分がからかわれていたことに気付く。

「ジェイド……お前なぁ。俺で遊ぶなよ……マジで……」

 疲労しきった俺が訴えると、ジェイドが苦笑を浮かべながら肩を竦めて見せた。

「いえいえ。なにやら皆さんが元気のない様子だったので、話の種にでもなればと思いましてね」

 そう言って、未だ黙り込んだままのナタリアとアニスを見やる。
 なるほど。大佐もいろいろと考えているわけか。
 それでも、もうちょっと手段を考えて欲しいもんだが。

 理由が理由だったので、それ以上文句も言えずに黙り込んでいると、不意にジェイドが進行方向に視線を戻す。

「おや、とうとう見えてきたようですね」

 砂に覆われた大地の中にあって、水を湛えたオアシスの青色が、目に鮮やかに飛び込んできた。
 当面の目的地に着いたというのに、俺たちの顔は晴れなかった。



 オアシスに到着した隊商は物資の補給に忙しそうに動いている。彼らのリーダーに近づいて何やら話し込んでいたジェイドが、こちらに戻って来るのが見えた。

「それでは、目撃情報でも集めることにしましょうか。彼らに聞いた限りでは、だいたい二~三時間程休憩したら、すぐにでも出発するそうですし、時間はあまりありませんよ」
「情報次第では、隊商ともお別れってことか」

 ジェイドから伝えられた情報に、ガイが少し残念そうに顎をさする。

「……そうなると、こっからは徒歩か……キチィぜ」

 正直、砂漠を舐めていた。ケセドニアのような街中と違って、気温が高いだけではなく、地面を構成するものが砂ってのが最悪だった。足をとられてまくって歩きづらいったらありゃしない。歩くだけで、ひたすら体力を消耗するのだ。

「愚痴を言っていても始まらないわ。情報を集めることに専念しましょう」
「まあ……そうするしかないんだよなぁ……」

 別に異論があるわけじゃねぇが、それでもキツイことにかわりはない。
 俺はため息をつくと、ノロノロと聞き込みに赴くのであった。


 そうして、俺たちはしばらくの間別れて各自情報を集めたわけだが。


 出るわ出るわ……信じられない程に、多くの情報が集まった。
 中でも有力な情報が一つ。

「東の遺跡に向かった戦艦の噂ですか……」

 聞き込みをする際、最近見かけた変わったものとして、誰もが戦艦の存在をあげた。
 なんでもこのオアシスに寄った後、遺跡のある方向に去って行ったという話だ。
 かなり具体的な情報を前に、しかしジェイドは難しそうに腕を組んでいる。
 同じくガイやティアもどこか考え込んでいる様子だ。


「とにかく! イオン様の手がかりがあるかもなんだから行きましょうよっ!!」


 一人必死なアニスは藁にも縋る思いでとりあえず言うだけは言っておけと訴えるが、ジェイドは渋い顔だ。……というか、なんか様子がおかしいな。

「なんで、そんなに渋ってるんだ?」
「あまりにも、情報が具体的すぎるのよ」

 俺の疑問に、ティアがやはり口を引き結んだまま答える。

「こういう場合、向かった先には大抵ろくでもないもんが待ち構えてるってのが相場だよな」

「罠……ということなのでしょうか?」

 ナタリアが二人の言葉に顔をしかめる。


 罠。


 つまり情報を予め流しておくことで、ブラフの場所に誘い込んで、俺たちを撃退。
 イオンは別の場所に確保したまま、親善大使も始末できて一石二鳥。そんな感じだろうかね。
 俺が視線で問いかけると、ジェイドが顔に掛かった前髪を払いのけながら解説を口にする。


「いえ……罠だと断定できればまだいいのでしょうが、これまでの直接的な襲撃と比較して、今回は少しばかり回りくどい印象を受けます。六神将側の意図が、どうも測りかねますねぇ……」

 確かに、これまであんなに露骨な襲撃をかけていやがったってのに、今回が罠だとしたら、妙に持って回ったやり方だよな……。

「胡散臭い話だとは思うけどよ、結局他に情報がない以上動かざるをえないんじゃねぇか?」

 連中がなにを考えてるかわからないにしても、イオンがこのまま六神将側に確保され続けることを考えれば、こっちとしても動かざるを得ないだろう。

 まあ、俺程度の考えつくことは十分踏まえた上で、ジェイド達も難しい顔をしているんだろうけどな。
 本当にどうしたものか。うーんと皆で難しい顔のまま考え込んだ、そのとき。


 利き手と反対側に吊るしたアッシュの剣が、鈍い光を放ちながら、虫の這いずる様な音を上げる。


「なんだっ……ぐっ……」


 頭痛が、俺を襲う。


 痛む。割れるように、頭が、傷む。痛み意外に、なにも、頭に入って、来ない。
 額を抱えたままうずくまった俺に、皆が寄って来るのがわかるが、痛む頭のことしか考えられない。

 どこかで聞いたような声が、頭の中で響く。


 ──応えろ。グズがっ!──


「……っ……誰だよ……お前……」


 突然虚空を見上げ喋り出した俺に、皆がなにやら声をかけるのがわかる。
 しかし、それに応じるような余裕はない。
 ただひたすら頭の中に響く声だけに、意識が集中されて行く。


 ──ふん。バカはバカなりに考えているんじゃなかったのか? 脳無し野郎──


「お前、アッシュか……!?」


 コーラル城での応酬を皮肉として返されて、俺は声の相手が何者か悟る。


 ──奴らはザオ遺跡に居る。イオンをさっさと助け出すんだな。ったく……人が折角オアシスに情報を流してやったっていうのに……使えん屑め──

「おまえ………一体どういうつもり………」

 ──……俺の意図なんてどうでもいいだろうが。ともかく、ザオ遺跡だ。そこにイオンは居るはずだ。これ以上、てめぇらに関わってる暇はない。じゃあな──

「待っ──くそっ。……切れたの、か」


 声が消えると同時に、頭痛もまた嘘のように消え去った。
 アッシュの剣もまた、その不思議な発光を止めている。

 虚空を見上げて吐き捨てる俺に、ガイが心配そうに視線を向ける。


「大丈夫か、ルーク? また例の頭痛か?」
「いや……アッシュのやつがどうやってかはわからんが、俺に声を飛ばしてきた」
「声を……?」

 ガイが不可解そうに眉を寄せる。
 他の皆もどこか理解できないといった感じで俺を見据えているが、ジェイドだけが真剣な面持ちで、俺に問いかけた。

「アッシュが……ですか。それで、彼はなんと?」
「あいつの話を聞く限りだと、ザオ遺跡とやらにイオンは居るらしい」

「ザオ遺跡……ここから東にある遺跡ですか。目撃情報とは一致していますね」

 ジェイドが先程聞き込みで集めた情報を思い返し、さらに表情を引き締める。

「けど、なんか変なんだよな……あいつ。オアシスに情報を流したのは自分だって、言ってたぜ。その上で、さっさとイオンを助け出せとか……なんか、俺たちに有利な情報を流してるし……」

 さっき頭に響いたアッシュの言葉を思い返すに、少なくとも俺たちと絶対的に敵対しているような感じはなかった。
 まあ、それでも俺に対する侮蔑のような感情は確かに感じ取ったけどな。


「アッシュは他の六神将とは別の思惑で動いていると言うの……? だとしたら……やっぱり……六神将に指示を出しているのは……」

 俺のもらした言葉に、ティアがなにやら考え込みながら、小声でつぶやき始める。

「これはもう、罠かどうか言ってられるような状況じゃないんじゃないか、大佐さんよ」
「……そうですね。もはや、どんなカタチであれ、ザオ遺跡に六神将が関与していることは明白でしょう」

 ガイとジェイドの言葉に、アニスが目を輝かせる。

「じゃあ!」
「ええ、ここは一先ずザオ遺跡に向かいましょう。それでいいですね、ルーク」
「なんにせよ動かねぇことには始まらないだろうしな」

 ジェイドの確認に、俺も威勢のいい言葉で同意を返す。

「とりあえず行ってみるか。ザオ遺跡とやらに」




             * * *




 オアシスの東部に存在したザオ遺跡は、地上に露出したかなりの部分が風化したものだった。
 ジェイドの話によると、なんでも昔に存在した都市の名残で、遺跡の大部分は地下に存在するらしい。
 話の通り、地上部分に存在した入り口から螺旋状の階段を降りた先に、遺跡の本当の姿が広がっていた。

 地下という薄暗い場所と、あちこちに散乱する砂礫の存在が、この場所にどこか墓所めいた雰囲気を漂わせていた。


「罠の可能性はまだ捨てきれません。十分に注意して、進みましょう」

 ジェイドの忠告に頷き、俺達は遺跡のかなり奥まった部分まで進んで行く。

 途中にあった音素溜まりで、ミュウがなにやらソーサリーリングの新しい力とやらに目覚めたりもしたが、まあ、大したことではない。
 この力で小さい岩程度なら破壊できるって話だが、なんというか、力の発動の仕方が自爆特攻してるようにしか見えなくて、かなりひきました。

 ……極力使わないようにしよう。そう俺はかたく誓うのであった。


 ともあれ、俺たちは緊張感を保ったまま進み行き、とうとう遺跡の最深部に行き着いた。


 周囲を都市の残骸に囲まれたちょっとした公園ぐらいの大きさがある空間。
 奥まった場所に存在する、この先に続く開け放たれた扉らしきものの前。
 まるで門番のように佇む巨大な鎌を担いだ大男の姿があった。


「来よったか……導師イオンはセフィロト内部で儀式の真っ最中だ。おとなしくしていてもらおう」

 セントビナーで見かけた、確かジェイドに負かされたとか言っていた大男が恫喝の笑みを浮かべる。

「やっぱりイオンはここに居るってことか……」

 相手の言葉に、俺は少し考え込む。アッシュの情報は正しかったってことか。
 どういう意図かはよくわからんが、六神将同士でもなにか対立構図のようなものがあるんだろうかね?

「あなた、その物言いはなんですのっ! 仕えるべき方を誘拐しておきながら、儀式などとふてぶてしい!」
「そうだよラルゴ! イオン様を返してっ!」

 考え込んでいた俺を余所に、ナタリアとアニスが声も高らかに訴える。

「そうはいかないよ」

 そこに、ラルゴの背後に庇われた通路の先から、仮面の男が現れる。

「奴にはまだ働いてもらう必要があるからね」
「烈風のシンク……」

 二人目の六神将の登場に、ガイが顔つきを強張らせてつぶやく。
 それにシンクは仮面の下に露出した口元に、嘲りの笑みを浮かべる。

「どうやってこの場所を知ったのかはしらないけど、ここに来た以上、ただで帰れるとは思ってないよね」
「はんっ! コーラル城で逃げ出した奴が、調子のいいことほざいてんじゃねぇよ。ウダウダ言ってねぇで、さっさと掛かって来るんだな。変態仮面」

 腰から得物を抜き放ち、俺は相手を馬鹿にしたようにひらひらと掌を動かす。

「言ったね。六神将烈風のシンク。……本気で行くよ」

 口元を引き結び、シンクが腰を沈める。
 対峙する俺たちも臨戦態勢に入る中、ラルゴが俺に向けて心底面白そうに笑い声を上げる。

「わははははっ! よくぞ言った小僧! 同じく黒獅子ラルゴ。いざ、尋常に──」

 肩に担いだ鎌を眼前に構え、ラルゴがその言葉を告げる。

『勝負!』

 最初に動いたのはシンクだった。その小柄な身体を活かした小刻みなステップで、相手の意識の間隙を縫うように間合いを詰め、気付いたときには俺たちの死角にその身を滑り込ませている。

 厄介な相手の突撃に、俺たちは陣形を崩され、連係が乱されてしまう。

 って、アブなっ! 首筋を掠めた回し蹴りを、俺はカンの訴えるまま身を仰け反らせ、なんとか回避することに成功する。ついで俺は振り返りざまに剣を薙ぎ払う。

 一撃、もらってげっ!

「ちっ──」

 軽い舌打ちとともにシンクは身を翻し、次の瞬間には俺の剣の間合いから離れやがった。

 こいつ……烈風とあだ名されるだけあって、身のこなしが尋常じゃないぐらい素早い。

「シンクにばかり気を取られていていいのか、小僧?」

 間合いの外に立つ俺に向けて、鎌を振りかざすラルゴの姿があった。

「──地龍吼破っ!」

 地面に転がる無数の岩石を多数巻き込みながら放たれた薙払いの一撃が、わずかな距離などものともせず俺に押し寄せる。シンクに気を取られていた俺は対処が追いつかない。

 後衛組に攻撃対象を切り換えたシンクの相手に、ガイとアニスは手を取られ、俺をフォローするような余裕はない。

 やばいっ! これは直撃するっ!

「──そこですわっ!」

 響いた烈声と同時、後方から飛来した矢の連撃に、俺の目の前にまで迫った岩石が一つ残らず射抜かれた。大した腕だ。まったく言うだけのことはあるぜ。

「助かった!」
「当然ですわ。今です、ルーク!」

 大技を放った直後のラルゴが、ナタリアの方を見据えながら、わずかに硬直したように動きを停めている。

「行くぜっ!」

 俺は極限まで低く腰を落とした体勢で、得物を背中に担ぎ上げるような構えのまま、突進する。

 ──通牙

 全身の力を込めた斬撃の振り下ろしに、ラルゴが辛うじて鎌を両手で構え防御する。
 さすがなだ。けどな、それもこっちの想定の内だ!

 ────連破斬


 一切の間隙を置かずに放たれた右の掌底が、ラルゴのがら空きのどてッ腹に突き刺さる。
 苦悶の呻きを上げる相手に、俺は相手の防御を受けて跳ね返された勢いそのままに、一回転させた剣の柄を握り直し、渾身の斬り上げを放った。


「がっぁ──っつ!!」


 俺の連撃にふき飛ばされたラルゴの巨体が、遺跡の壁にブチ当たり、粉塵を舞い上げる。


「ラルゴっ! くっ……ゴチャゴチャとうざいんだよ……!」


 ガイとアニスの二人を相手取りながらも、特殊な歩法で全ての攻撃を避け、時にはいなしていたシンクがそこで初めて焦りを見せ、その動きを停めた。
 そこに好機を見出した二人が追い打ちを掛けるべく、シンクの両脇から一撃を放とうと間合いを詰める。


「吹き飛びな……」

 シンクが拳を頭上に向けて抱え上げながら、円を描くように両の足を踏み揃えた。
 音素が急激な収束を起こし、シンクの下へと殺到する。


「受けてみろ──昴龍礫破っ!」


 空中に飛び上がるようにして放たれたアッパーに、シンクを中心に巻き起こる音素の風刃が周囲を荒れ狂う。
 間合いを詰めていたガイとアニスがその身を切り刻まれ、苦痛の呻きを洩らした。

「チョロチョロ目障りなんだよ──さっさとくたばりなっ!」

 無防備のまま倒れ伏す二人に、シンクが止めを刺そうと迫る。

「それはこちらのセリフですね……すべてを灰塵と化せっ!」

 後方で戦場全体を眺め、機を伺っていたジェイドの譜術が発動する。

「──エクスプロードッ!」

 シンクを中心に大規模な爆発が巻き起こる。
 円形状に広がる灼熱の業火は時間と供に広がりを見せ、周囲を焼き尽くす。

「って、アニスとガイは大丈夫なのかよっ!」

 思わず叫んだ俺の言葉に、ジェイドが呆れたように肩を竦める。

「やれやれ。きちんと二人には識別──マーカーをしてありますから、なにも影響はありませんよ」
「うっ……そ、そっか。マーカーなんてもんが、そういやあったっけな」

 俺とジェイドが間の抜けた会話をしている内に、爆発が収まる。
 爆発が直撃して吹き飛ばされたシンクが、この先に続く通路付近に、虚空から投げ出された。

「命を照らす光よ、ここに来たれ──ハートレスサークル!」

 ガイとアニスの倒れ伏していた場所を中心に、柔らかい光を放つ円陣が展開。空中から降り注ぐ燐光に、二人の傷が癒される。

「助かった……」
「ありがとね、ティア」

 立ち上がった二人が、癒しの譜術を放ったティアに向けて軽く会釈を返す。

「二人とも、大丈夫なようね」

 安心したとティアが微笑む。

 ともあれ、これで、俺たちは体力の消耗は別にして、ほぼ戦力的には最初の状態に戻ったわけだ。

「さてと──まだやるつもりかよ?」

 俺は地面に膝をつく六神将の二人に向き直って告げた。

「くっ…」
「ぬぅっ! 簡単に、やられはせんぞっ!!」

 額から血を流しながらも、執念で立ち上がった巨漢が鎌を構える。

「……ケガをしたくなければ、退けいっ!」

 吹き付ける尋常ならざる闘気の高まりに、俺たちも反射的に武器を強く握りしめる。
 再度戦いが始まるかと思われた、そのとき──


「ラルゴ、やめるんだ。ここは一度、退こう」


 シンクが俺たちにとっても予想外の言葉を放ち、ラルゴを制した。

「しかし──」
「いいかい? なにも欲をかく必要はないよ。最低限であれ、とりあえず任務は果たしたんだからね」
「むぅっ……」

 黙り込んでしまったラルゴを脇において、シンクが俺たちに向けて言葉を放つ。

「取引だ。こちらは導師を引き渡す。その代わりここでの戦いは打ち切りたい」
「このままおまえらをぶっ潰せばそんな取引、成り立たないよな?」

 相手の調子のいい言葉に、俺は相手の本気を探り掛ける言葉を放つ。
 それにシンクは軽く鼻をならすと、天井を指差す。

「ここが砂漠の下だってこと忘れないでよね。アンタたちを生き埋めにすることもできるんだよ」
「むろんこちらも巻き添えとなるが、我々はそれで問題ない」

 指し示された天井は、さっき放たれたジェイドの譜術の影響もあってか、時折パラパラと、砂や小石のカケラが落ちて来る。
 シンクの言葉の通り、連中が後先考えずに奥義級の技を放てば、俺たち諸共生き埋めにするぐらいのことは簡単だろう。

「それに、こっちはまだセフィロト内部でイオンを確保してる奴が居るんだ。合流すればアンタたち程度なら蹴散らす余力は十分にあるよ」

 シンクが告げた戦力の存在に、俺達は押し黙る。

 正直、六神将二人を相手どったさっきの攻防でも、辛うじて勝利したようなものだ。
 ここで更に敵側に戦力が加わったなら、もはや勝てるかどうかはわからなくなる。ここは、提案にのるしかないか?

 皆に確認するように視線を巡らせると、全員が頷きを返した。


「ルーク。取り引きに応じましょう。今は早くイオン様を奪還してアクゼリュスへ急いだ方がいいわ」

 皆の意見を代表するように、一歩前に出たティアが俺に訴える。

「しょうがないか……わかったぜ。シンク、さっさとイオンを連れて来いや」

 シンクが無言のまま、通路の先に消える。


 数分後、シンクが約束通り、イオンを伴い戻ってきた。
 イオンを監視していたとかいう奴の姿は見えない。伏兵のつもりか、それとも俺たちを退かせるブラフだったのかね?

 なんにせよ、イオンが無事でなによりだが。

 わずかに焦燥した様子のイオンの登場に、アニスが目を潤ませながら感激の声を上げる。

「イオン様! 私、心配しました……」
「……迷惑をかけてしまいましたね。アニス、皆さん。本当に……ありがとうございます」

 少し青ざめた顔に笑顔を浮かべたイオンが、自分も辛いだろうに、俺たちに礼を言った。

「そのまま先に外へ出ろ。もしも引き返してきたら、そのときは本当に生き埋めにするよ」

 イオンを引き渡した後もこちらに向けて警告を放つのは忘れず、シンクが苛立たしげに告げた。

「ふん。こっちだってイオンが帰って来れば、お前らなんかに用はねぇよ」

 あくまで相手に対する警戒は怠らずに、俺たちもまた、その場を後にした。

「……やっぱり似てたな」

 シンクとイオンを見比べていたガイがなにごとかつぶやいたが、憤慨したナタリアを宥めることに忙しくなり、特に俺の意識に残ることなく消えた。




             * * *




 こうして地上に戻った俺たちは、再会の喜びを味わう間も惜しんで、ひたすらケセドニアへ直行した。

 体力的に砂漠越えがキツイだろうイオンのために、途中何度か休憩は挟んだが、ほぼ休み無しで進み行き、俺達はなんとか日が昇っている内にケセドニアへ行き着くことができた。


「ダリィ……もう、二度と徒歩で砂漠越えなんてしたくねぇー……」
「確かにな。今回はちょっと、つかれたな」
「ええ……やはり砂漠とは過酷な場所ですわね」


 体力お化けのガイとナタリアの二人も、さすがに砂漠の強行軍は堪えたものと見える。

「でもでも、ようやくケセドニアまで着きましたね」
「ここから船でカイツールへ向かうのよね?」

 確認するティアに、ジェイドが今後の予定を口に出す。

「マルクトの領事館へ行けば船まで案内してもらえるはずですよ。ですが……いささか疲れましたね。今日のところは、ケセドニアで宿を取りましょう」
「ですが、アクゼリュスの人々は私達の到着を待っていますわ!」

 ジェイドの言葉に、ナタリアが少しばかり感情的な反論をする。

 確かに俺も正論だとは思うが……ちょっと現状が見えちゃいないよなぁ。

「ちっとは落ち着けよ、ナタリア。俺たちの状態も少しは考えようぜ? 六神将の二人と戦闘した上に、その後砂漠を超えてきたんだぞ? これで船に乗り込んだりしたら、体力消耗しきって、どっちにせよ誰か体調崩す奴が出る。そうしたら、結局到着は遅れんだ。今のうちに、回復しといた方がいいって」
「……ええ。そう……ですわね。少し、気が急いていました」

 自分の言動を振り返って、ナタリアが少し気落ちしたように顔を伏せた。

「ねぇねぇ。そしたら宿に行こうよ。イオン様のこともどうするか考えないと……」

 アニスの言葉はもっともだ。とりあえず俺たちは宿へと向かった。


 宿帳に記帳し、二部屋を取る。
 そのうちより広い方である四人部屋に集まって、俺たちは今後の予定を確認する。

「ところでイオン様。彼らはあなたに何をさせていたのです? あそこもセフィロトなのですよね?」
「……はい。ローレライ教団ではセフィロトを護るためダアト式封咒という封印を施しています。これは歴代導師にしか解呪できないのですが、彼らはそれを開けさせて、内部でなにかしているようでした……」
「なんでセフィロトを護ってるんだ?」
「それは……教団の最高機密です。でも封印を開いたところで何もできないはずなのですが……」

 なんだか話がズレているのを感じた俺は、今後の問題に話を戻す。

「で、イオンのことはこれからどうすんだ?」
「六神将の目的がわからない以上……彼らに再びイオン様を奪われるような事態は避けたいわね」

 確かに、連中がなにを狙ってるのかわからないにせよ、戦争起こそうなんてしてる連中だ。
 少なくとも、ろくなことじゃあるまい。そんな奴らにイオンが誘拐されるのは避けたいよな。

 ああでもないこうでもないと議論する俺たちに、顔を俯けていたイオンが、なにかを決意したように拳を握り、顔を上げた。

「もしご迷惑でなければ、僕も皆さんと一緒に連れて行ってもらえませんか?」
「イオン様! そんな危険ですっ! それにモース様がまた怒りますよぅ?」
「僕はピオニー陛下から親書を託されました。ですから、陛下にはアクゼリュスの救出についてもお伝えしたいと思います。和平のために行動することは、教団の理念になにも反していません。モースには少しばかり、我慢して貰います」

 どうやら、イオンの決心は堅いようだ。

「ま、しょうがねぇか。これで送り返して、また誘拐されんじゃないかと心配してるよりは、身近にいて貰ったほうが、こっちとしても守り易いもんな」
「ご迷惑お掛けします、皆さん」
「では、アクゼリュスでの活動が終わりましたら私と首都へ向かいましょう。
 ───そういうことで、よろしいですね?」

 ジェイドが全員に確認を取り、この件は終わりを見た。

「またしばらくよろしくお願いします」

 律儀にお辞儀をするイオンの挨拶を最後に、この日は解散となった。


 こうしてイオンの同行は決まり、俺たちは翌日領事館へと赴いた。

 驚くべきことに、領事館についたところ、なんと師匠たちは先に先遣隊とアクゼリュスに向かったと聞かされた。
 なんとなく気が急くのを感じながら、俺たちは急いで領事の手配した船へと乗り込む。

 船が出航すまでの間、何度かガイが腕を抑えながら、少し気分が悪そうにしていた。
 昨日の強行軍の影響かと心配させられたが、ケセドニアから離れると同時に、なぜかすっきり収まったという。
 なんとも不思議なことがあるもんだと、俺たちは呆気にとられた。


 ともあれ、船はケセドニアを発ち、俺たちは順調にアクゼリュスへと近づいている。
 俺は甲板に突っ立ち、ぼけっと海を眺め見る。


 ───昨夜見た夢が、どうにも俺の意識に引っかかってしょうがない。


 なぜ、いまこのときに、あの夢を見たのか。
 白地の布にジワジワと広がる墨のように、漠然とした不吉な予感が沸き上がる。

 無邪気に甲板ではしゃぐミュウとコライガを目にしても、この不安は晴れない。


 なにかが、起ころうとしている。


 ただ漠然とした不安を胸に抱き、俺は拳を握りしめた。






















            ──あるよるのおはなし──






















 階段を昇っている。

 一段、二段、三段……十段、十一段、十二段。

 十三段目に足をかけたところで、彼が歩みを止める。

 取り囲む醜悪な観客達の中から、泣きそうな顔で見つめる俺の姿を一瞬で探し出し、なにかを告げる。

「──ルーク、  を  ろよ」

 前に向き直って、十三段目を踏み込む。

 ガタンッ────

 ゆらゆらと、揺れる。

 首にかかった紐を起点に、身体が揺れている。

 彼は、いったい、どうしたんだろう?

 そうか、彼は──


 死。






             * * *






「──っあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 俺は絶叫を上げながら、飛び起きた。
 額から滴り落ちる汗が、布団を濡らす。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 周囲に視線を巡らせる。ここは、ケセドニアの宿屋。
 周囲には熟睡しきった男連中の顔が見える。

 そこで初めて、俺は自分が夢を見ていたことに気付く。


 夢──それもとびきりの悪夢だ。


「……久しぶりに見たな、くそっ」

 俺は額を押さえる。一向に引く気配を見せない汗が、掌を伝って滴り落ちる。
 夢が、なにを意味するのか、俺にはよくわかっている。
 なぜなら、あれは確かに、かつて起こった現実の光景だ。


 俺の記憶から、再現された事実に他ならない。


「いったい……俺になんて言ったんだよ……」


 俺は掠れた声で、あいつの名を呼んだ。
 当然、応える声はない。窓から見上げた空は、未だ闇に閉ざされている。


 夜は終わらない。







[2045] むかしむかしのおはなし 第三幕
Name: スイミン
Date: 2006/05/28 00:17





 ……の事実より、身体を構成する音素が、死後その結びつきを解かれ、元素から乖離していく現象とは第七音素の力の一端であるものと推測される。第七音素の過剰行使者や、過剰摂取者もまたその身体を構成する音素を乖離させて行くという事実は、この推測を裏付けてはいないだろうか? また、第七音素の力の最高峰とも言える『超振動』が『ありとあらゆる物質を消し去る力』であることなどは、その最たる例と言えないだろうか? つまり、『消滅』こそが第七音素の本質であると……

 ──「異端審問局に提出された論考より抜粋」──












【allegro──速く】


「討伐令……ですか?」

 不躾に旦那から告げられた言葉を繰り返し、俺は困惑に眉根を寄せる。

 ここは玄関ホールの一画で、周囲に俺と旦那以外の人気はない。

 いつものように屋敷を抜け出したルークに胃の辺りを押さえ、ため息混じりで後を追おうと玄関に向かったところで、ちょうど城から返ってきた旦那と俺は鉢合わせした。

 なにやらいつも以上に不機嫌そうな旦那の様子に、そのまま見なかった事にして先を行くルークの後を追う訳にも行かず、なし崩し的に愚痴の様なものを聞かされる中、出た話題がそれだった。

「そうだ。愚かしいことだがな」
「……物騒な話ですね」

 討伐令とは議会などで特に凶悪と判断された罪人に対して下される決定だ。この決定がなされた瞬間から、警備軍のみならず、各将軍指揮下にある兵数までもが動員され、罪人を駆り立てることになる。

 大抵の場合は謀反──王家に対して牙を向く──などといった、よっぽど大それたことしでかした相手でもない限りは、討伐令が下されることはありえない。

 そんな凶悪犯が、このご時世に現れたっていうのだろうか?

「案件そのものは先週のうちから議題として出されていた。そして、先程正式に議会で決定がなされた。本日中に城下へ軍が派遣され、容疑者が捕えられるだろう。ふむ……そうだな。そういう状況下だから、今日の城下ではなにが起こるかわからん。お前はルークに張りついて、街へ出ないよう見張っておいてくれ」
「…………はっ」

 威勢よく答えながら、俺は内心で冷や汗をかく。既にルークは街におりているなんてことは、言い出せる様な空気じゃないね。ううっ……キリキリと胃が痛む……。

「しかし、気に入らん。未だにどのような力が働いたのかわからん……十分な審議を待つまでもなく、やけにあっさりと、この討伐令は下された。まるで始めから用意されていた結論を出したようで、どうにも気に入らん。表立って動いている連中については、わかっているのだが……その先がさっぱりだ」

 旦那の言葉に少し驚く。ファブレ家は王家とも姻戚関係をもつ大貴族だ。議会での影響力も大きく、議席をもつだけの形ばかりの三流貴族議員と違って、内政能力にも長けている。そんな旦那もよくわからない根回しによって、結論が出されるとは珍しい。

 俺の驚きが顔に出ていたのだろうか、旦那は続けて自身の考えを語る。

「決議を急かしたてていたのは、腹芸の一つも満足に使えぬ三流貴族どもだ。連中の背後にいる者が何を意図しているのかはわからぬが……三流貴族どもの動機について言えば、私怨だろうな。まったく……国庫を食い物にする三流貴族どもには呆れ果てるしかない」
「私怨……ですか?」

 貴族の私怨。その言葉に、俺は胸が騒めくのを感じる。

「ああ。今回討伐令が下された者達はなかなか頭の良い奴でな。不正に着服した私財を抱える三流貴族どもを中心に盗みを繰り返していたらしい。ものがものだけに、これまでは奴らも盗まれたと声高に訴えることができなかったというわけだ。私としても、国庫を食い物にするような連中が無駄に貨幣を金庫に仕舞込んで腐らせるよりも、盗人にでも奪われて、市場に流れた貨幣が流通を活発化される方がまだましだと吐き捨てたくなるがな」

 不機嫌そうに発せられる旦那の説明を聞くにつれ、胸の騒めきはどんどんその激しさを増していく。

「だがそうは言っても、討伐令が下された者達が明確な犯罪者であることにも変わりはない。故に、私も裁決に対して強硬な反対はできなかった。この討伐令があの三流貴族どもの私怨絡みであることや、連中の背後関係について何一つ掴めていないことを考えると、気分はよくないがな」

 そこで言葉を切ると、旦那はため息をつく。

 ときどき旦那は議会における愚痴を使用人に対してぶちまけるという悪癖があった。周囲に他の使用人達の姿を見かけないのも、おそらく事前に察した他の連中が身を潜めた結果だろう。

 いつもなら、俺も雇用主の愚痴を聞くなんて苦行を味わうのは御免なのだが、今回に限っては、その例も当てはまりそうにない。

 俺はある種の予感に突き動かされる様にして、気付いたときには、既に口を開いていた。

「討伐令を下された者の名は……なんと、言うのでしょうか?」

「む? 確か……漆黒の牙──首領ギンナルと言うらしい」


 世界が、加速していく。


【piu mosso──以前よりも速く】


 その日、俺は数日ぶりに街へと繰り出し、孤児院の連中と遊んでいた。

 今から数週間程前に、ナタリアのやつに見つかって以来、俺は街に降りる頻度を意図的に落としている。だがそんな小細工など関係ないと言わんばかりに、ナタリアのやつは必ず帰り際の俺達を見つけ出し、その度毎に俺達はデッドヒートを繰り広げるのが最近の常であった。

 それでも辛うじて、今のところ孤児院の場所だけは、なんとか誤魔化し続けることに成功している。

 ちなみに、アダンテのおっさんの住処は押さえられちまってるだろうから、ここ数週間おっさんの家には行っていない。ガイがナタリア付きのメイドに聞いた話では、毎回おっさんの家に出向いて、俺が来ていないか確認しているらしい。

 おっさんも、厄介なことになってないといいけどなぁ……。

「あ、サーベルタイガーだぁ~」
「ギン兄~」

 突然騒がしくなった皆の様子に、俺も気になって顔を上げる。

「うんうん。子供は元気が一番だな」
「あ、ギンナルじゃん」

 俺は黒マントを羽織った銀髪ヒーロの名前を呼ぶ。

「久しぶりだな、ルーク」

 俺の呼び掛けにギンナルは片手を上げて答えた。その手にはいつもここを訪れるときに持ってくる差し入れの袋がぶら下がっている。

 これはアダンテのおっさんもそうなのだが、ギンナルは孤児院を訪れるときは大抵、寄付だとか言って食い物とか日用品だとかを大量に持ち込んでくる。

 俺も最近になって気付いたのだが、ここの経営はそれなりに苦しいらしい。だから俺も暇を見て、差し入れとかをするようになった。……スズメの涙程度でしかねぇーけどな。

「今日はどうしたんだよ? この前言ってた、他の連中が帰省してて暇だから遊びに来たとか? それともアダンテのおっさんのとこが飽きただけか?」

 重ねて尋ねる俺に、ギンナルは苦笑を浮かべる。

「実はな、このまえお前が逃亡劇を繰り広げた相手が、今日も宿舎に押しかけていてな。さすがの俺も王家の人間と同じ場所に居られるほど、太い神経はしていない」
「あー……やっぱそうなったかよ」

 俺はまさしく予想通りの展開に頭を抱えた。これまでもメイドから聞いた話だけを頼りに張り込みをしていたぐらいだ。実際に目撃した場所があるとなったら、テコでも動かないだろう。

「こりゃやっぱり当分おっさんのとこには行けないな……」
「アダンテの奴は、早くお前に引き取りに来てほしいと言っていたが?」
「無理……俺なんかにあいつは手に負えねぇーよ」

 げんなりと顔をしかめて手を振る俺に、ギンナルも困ったものだと言いたげに両手を上げてみせる。

 頬に落ちる冷たい感触。

「ん?」

 空を見上げると、急速に広がり行く黒雲が視界に入る。同時に、雨粒がポツポツと降り始めた。

「あちゃ……降ってきちまったか。お前ら! そろそろ帰るぞー!」

 雨にきゃーとか歓声を上げてやがる年少組の連中に呼び掛ける。すぐにはーいと元気のいい返事が帰ってきた。

 俺の下に集まって来るガキどもから顔を戻し、ギンナルに問いかける。

「そんで今日はどうする、ギンナル? 院長と副院長は珍しくどっちも留守にしてるらしくて、俺も年少組の子守してるわけだけど、一緒に来るか? 雨宿りぐらいにはなると思うぜ」
「うむ……そうだな。ここは甘えると……」

 雷鳴が、鳴り響く。

 凄まじい轟音に、一瞬身体を竦めて目を瞑ってしまった。ちょっと恥ずかしく思いながら顔を上げると、ギンナルが妙に張りつめた表情をして、周囲を見回していた。

 同時に、俺も気付く。

 いつのまに近づいていたのか、俺達の周囲をぐるりと取り囲む、兵士達の姿があった。

「──漆黒の牙、首領ギンナルだな?」

 遠巻きに見据える兵士のうち一人が前に進み出て、厳かに尋ねた。


【decrescendo──緩やかに弱く】


「姫さんよ、もう帰れや。あのクソガキなら当分来ないと思うぜ? なんて言っても、無駄に鼻だけはきくやつだからな。ほとぼり冷めるまで動かないだろうよ」

 なんでこんなことせにゃらんのかね。僕は宿舎の前に座り込んで動かない、キムラスカ王国のお姫さまの存在に頭を抱えた。

「いいえ。私、動きませんことよ。ルークを捕まえるまで、毎日でも通いますわ」

 うわぁい。なんともお手上げだ。

 本気でテコでも動かなそうな姫さんの決意に、僕は成す術がない。まったく、こんなに良い娘相手に、ルークのアホゥはなにを気後れしてんだかねぇ。

 問答無用で叩き出してもいいのだが、女の子相手にそんな乱暴なことはできない。それに今、外は雨が降ってきたところだ。風邪でも引いたら目も当てられないし、今日のところはしゃーないか。

「はぁ……まったくしょうがねぇな。お茶でも入れてやるから、とりあえず雨が止むまで居るんだな」
「ありがとうございます」
「いいって、いいって。あの馬鹿に振り回されてんのは、僕も一緒だしな」

 思えばギンちゃんがあいつを連れてきてからこっち……落ち着けた一日はなかったような……。

「ふ、ふふふふっ……本当に、な」

 ここ二年の間に蓄積したくそガキに対するフラストレーションに、思わず物騒な笑みが口から漏れる。お姫さまがそれを見て、ちょっとひいたように顔をしかめるのが見えた。

 おっと、平常心……平常心。

 精神制御をしてストレスを押さえ込みながら、しかし同時に思うこともある。

 ……まあ、そんなに悪い二年でもなかったけどな。

 ヤカンに火をかけてお湯を沸かしながら、雨の降り始めた空をぼーっと見上げる。

 そのとき、雨の降りしきる街路を、傘も挿さずに走る見知った連中の姿を窓の外に見える。

 いったいなんだ? 僕は火を留めて、とりあえず外に出る。

「どうしましたの?」
「いや、なんか僕の知り合いが来たみたいでな。でもなんか様子が変だな?」

 首を傾げながら扉を空けて、外に出る。すると僕の姿を見かけた孤児院のガキどもが、かなり慌てた様子で駆け寄ってきた。どいつもこいつも目尻を真っ赤に晴れ上がらせて、尋常じゃない様子で泣きわめいている。

「……どうしたんだ? お前ら?」

 少し尋常でないものを感じて、僕も真剣な顔して問いかける。それに連中は堰を切ったように一斉に口を開く。

「た、たいへんなんだっ! アダンテのおっちゃんっ!」
「ギン兄が! ギン兄が孤児院の前でへいたいに……」
「ルークの兄貴が抵抗してて……でも、全然適わなくて」

 支離滅裂な言葉から緩やかに追いついた理解が、最後は弱々しい懇願によって、僕の背中を押す。

『アダンテのおっちゃん、助けて──』

 最後まで聞かずに、僕は雨の降りしきる中、外へ駆け出していた。


【crescendo──次第に強く】


 旦那の話を聞き終えると同時に、俺は街へと走った。

 こんな時に限って、ルークを一人で街に行かせたことが悔やまれてならない。

 街で暮らしている人々はルークの存在を貴族の坊ちゃんと認識している。だが、討伐令の下に動いている兵隊の連中にまで、そんな認識は期待できるはずもない。

 討伐対象がギンナルである以上、その場にルークが居合わせれば、あいつがどうするのかも手にとるようにわかる。

 きっとあいつは抵抗するだろう。

 軍人が民間人に手をかけるとは思わないが、その考えも余程の事がない限りは、という脆い前提に立っているにすぎない。あまりにも執拗な抵抗を繰り返す相手に対して、殺気だった兵士がどんな行動を起こすか……考えたくもない。

 それに、別の意味でも嫌な予感が収まらない。旦那ですら、背後関係が掴めなかったという討伐令の決議。なにか……俺には計り知れないような存在が、影で蠢いているような気してならない。

 くっ、間に合ってくれよ!

 天空滑車を使うのも、もどかしい。俺は雨にぬれて不安定になった足場もものともせず、眼下に広がる街目掛けて、パイプを飛ぶ移りながら駆け降りる。

 ここ二年の間、毎日のように歩いた道筋を辿る。二人が接触するとしたら、あそしかない。俺は──孤児院へ向けて駆けた。


 降りしきる雨の中、周囲を取り囲む兵士達の中心に、ギンナルの姿はあった。


 いつもの彼なら既に逃走していてもおかしくない状況に、一瞬違和感を覚える。しかし、直ぐに彼が逃走しない理由に思い至り、俺は自分の顔を殴りつけたくなる。

 包囲の中心に向け槍を構える兵士達の周囲には、遠巻きに涙を浮かべる子供や、どこかへ慌てて走り去っていく子供達の姿があった。それ故に、見落としていた。

 ギンナルの側には、今だ呆然と佇む数人の子供達の姿があった。

 あそこまで距離を詰められた状態で、彼が普段用いているような譜術による逃走術を行おうものなら、目標を一瞬で見失った兵士達が、包囲の中心に残された子供達になにをするかわからない。

 俺は子供達が意図せずギンナルの枷と化している事実に、拳を握りしめた。

 その枷の中には、苛立たしそうに顔をしかめ、ギンナルの横に立つ、ルークの姿もあった。

「大人しく投稿して貰おうか、漆黒の牙」

 告げられた兵士の言葉に、包囲の中に取り残された子供の一人がギンナルを庇うように進み出る。

「ぎ、ギンナルをいじめるなっ!」

「ふん……邪魔だ、どけ」

 兜に覆い隠された視線が鬱陶しそうに子供を見据え、乱暴に押し飛ばす。

「てめぇーっ! なにしやがるっ!!」

 突然の暴挙にルークが怒声を上げ、その兵士に向けて殴り掛かる。

 ──しかし

「がはっ!」

 訓練された軍人と、少しばかり喧嘩が強いだけの民間人との間に横たわる能力の隔たりは大きい。ルークはあっさりと殴り飛ばされ、地面に崩れ落ちた。振るわれた明確な暴力に、孤児院の子供達が悲鳴を上げる。

「兄ちゃんっ!」
「あ、アニキっ!」
「兄さまっ!」

 そうした子供達の反応を無視して、兵士達はひたすら槍を構え続ける。微動だにしない槍の穂先には、ゾッとするほど冷たい色を宿した双眸をギラつかせるギンナルの姿があった。

 ギンナルが一歩でも動けば、子供達諸共槍を突き出しかねない雰囲気を兵士達は放っていた。

 場を満たす緊張感が、正に限界に達しようかという──そのとき。

「くそっ──!」

 起き上がったルークが再び兵士の一人に向けて殴り掛かった。

 突然の行動に、兵士が槍の穂先を反射的にルークに向ける。ルークはそれに気付かない。

「くっ──」

 俺は刀に手を掛け、走り出す。視界に映る光景が、引き延ばされた映像のように、ゆっくりと流れ行く。ルークが拳を振りかぶる。兵士が槍をわずかに後方に引く。槍の先端が押し出される。間に合うか、くそっ……間に合わな──


 風が、吹き荒れた。


 突如荒れ狂った突風に、兵士達は鎧の上から全身を切り刻まれる。一切の行動を許されることなく、兵士達は苦悶の声を上げながら地面に崩れ落ちた。

 この場に居る全員の視線が、一人の人間に集中する。

 ガタガタと震える包囲に取り残された孤児院の子供たちも、突然の展開に呆然と立ちつくすルークも、背筋が凍りつくような寒気に襲われる俺も──この場にいる誰もが、ただ一人、無傷のまま兵士達の中心で佇むギンナルを見据えている。

 ……正直に言おう。

 俺は暴虐の風に──畏れを抱いた。

 闇を切り裂く剣虎、ギンナル。その名に偽りはなく、彼は圧倒的な力を備えている。これまで彼が戦闘においてその力を行使することがなかったためわからなかったが、対人戦において、彼の力は絶対的なものとなるだろう。

 彼がどう行動するのか、俺は恐れていた。

 先程の力を見る限り、条件付きではあるが、ギンナルが王都から逃亡することは可能だろう。

 駆けつける兵士達を、皆殺しにするならば……。


 雨が、次第にその激しさを増していく。


【morendo──命絶えるように】


、自分の行動がもたらした光景に、俺は呆然と立ち尽くす。

 周囲には、突然俺達を包囲しやがった兵士どもが、全身を切り刻まれ倒れ伏している。全員が苦痛の声をあげるのを見る限り、誰一人として死んでいないようだ。その事実に安堵すると同時に、俺は拳を握りしめる。

「大丈夫か、ルーク」

 いつのまにかこの場に駆けつけていたガイが、俺を落ち着かせるように肩に手を添えた。ガイの手に触れながら、俺は自分でも震える声を絞り出す。

「ガイ……。あいつら、いったいなんだったんだ? なんで俺達を包囲したんだ? 俺は、訳がわからねぇーよ……」
「彼らは国軍で……その狙いは、漆黒の牙だ」

 ガイは倒れ伏す兵士たちの中心で、一人無傷のまま佇むギンナルを、若干強張った表情で見据えた。

「なっ! なんでたかがこそ泥に、軍が動くんだよっ!?」

 理解できない説明に、思わず俺は叫んでいた。それにガイが何事か答えようとして、不意に視線を動かし口を閉じる。

 視線の先に、ギンナルの姿があった。ギンナルは呆然と立ちつくす年少組のやつらの近くまで歩み寄り、安心しろと微笑みかけながら、言葉をかける。

「もう大丈夫だ。安心しろ」

 悲鳴が、上がった。

 一斉に泣き出す孤児院の子供連中に、どこか戸惑ったように頭を掻いた後、ギンナルは自分の姿を省みて、苦笑を浮かべるのが見えた。

 漆黒のマントは、兵士達から飛び散った返り血に塗れていた。

 子供達の反応に、どこか泣いているような様子で立ち尽くすギンナルの姿に、俺は顔から血の気が退いていくのを感じる。

 俺は……いったいなにをした?

 握りしめた拳が、血を滴り落とす。

 孤児院のやつが突き飛ばされたことで、頭に血が上るに任せるまま行動して、呆気なく返り討ちにされた。それで大人しくするでもなく再び飛び出して、死にそうになったところをギンナルに助けられた。

 その行動の結果として、ギンナルは子供達に拒絶を返されている。自らの行動がもたらした光景に、俺はギンナルに言葉をかけることもできず、立ち尽くす。

 ガシャガシャと鎧の擦れ合う高音とともに、新たな兵士達が駆けつけてくるのが見える。

 先程の連中から少し遅れて駆けつけた兵士達はその場の惨状に息を飲み、ついで倒れ伏す同僚達の中心に位置する男に向けて武器を構える。

「──漆黒の牙、首領ギンナルだなっ! おい、お前達は早く子供達を避難させろ! ここは俺達が押さえる」
「はっ!」

 駆けつけた兵士達は子供たちを守ろうと、ギンナルに向けて槍を構える。

 そんな光景に、俺は叫ばずにはいられなかった。

「や、止めろっ! そいつは、ギンナルは俺を助けようと──」

 叫びながら飛び出しかけた俺の腕が、掴まれる。

「ルーク、止まれ」
「なんでだよ! ギンナルのやつは、単なるこそ泥で、きっと連中は誤解してるだけなんだ。そうだよ。だから俺が説明してやらないといけないんだ。だから放せよっ! 放せよっガイッ!!」
「違う……違うんだ……ルーク」

 腕をふり払って飛び出そうとする俺を押さえつけ、ガイが声を絞り出す。

「さっき旦那様から聞いた話だ。議会で、漆黒の牙に討伐令が下された。討伐令の対象となった以上、漆黒の牙は既に判決を下された死刑囚のようなもんだ。さっきの兵士連中は確かに乱暴なところはあったと思うが、それでも討伐令を下された相手への対応としては、間違ったもんだとも言えないんだよ」

 こいつは……いったい、なにを言ってやがるんだ?

 俺は呆然と、まるで信じられないような言葉を告げるガイの顔を見据えた。ガイは顔を強張らせ、泣きそうな表情で、俺の視線を受け止める。そこに、嘘を言っているような様子は見られない。

 理解できない。いったい、なにが起こっているのか、まるでわからない。

 ギンナルに視線を戻す。そこでは後から駆けつけた兵士達が周囲に倒れ伏す同僚達の惨状に怯えながらも、子供たちを守ろうと震える身体を必死に鼓舞している姿があった。そんな兵士たちの姿を目にして、ギンナルは自らの力を振るえずにいる。

 しばしの膠着のあと、ギンナルはわずかに表情を崩し、瞳だけで苦笑を浮かべた。それで、俺にはわかった。彼がどうするつもりなのかが、わかってしまった。

 ギンナルが不意に両手を上げた。過剰なまでの反応で、一斉に身構える兵士たちに、しかしギンナルはどこまでも静かに言葉をかける。

「心配するな。抵抗はしない」

 なおも警戒しながら近づく兵士に、ギンナルはあっさりと拘束された。

 連行されるギンナルに、孤児院の連中がさっき自分たちの示した反応に改めて気付いてか、後悔の涙を流す。そんな子供達に、ギンナルは心配するなと笑いかけている。

 去り際、ギンナルは呆然と立ち尽くすしかない俺に向けて、この先に待ち受ける終わりを理解してしまったものが浮かべるような──どこまでも儚い笑みを浮かべた。

「ルーク。孤児院の皆を頼んだぞ。それと、アダンテのやつによろしくな」

 それが俺の思い出せる、ギンナルから聞いた最後の言葉になった。


【smorzando──全ては消えるように】


 僕はそこに駆けつけ、現場を一目見た瞬間、全てを悟る。

 全ては終わってしまった後だった。

 降りしきる雨の中、空に向けてルークが吼えている。
 寄り集まった子供達が、涙を流す。
 ガイが刀を握りしめ、掌から血を滴り落とす。

 そうか。僕はなにもすることができなかったんだな。

 認め難い事実を、僕は認めた。

 だって、それ以外に、できることはなかったからだ。

 ただ無気力に、僕はその場に立ち尽くす。

「これは……いったい、どうしたというのだ?」

 聞き覚えのある声に顔を上げると、僕に向けて傘を掲げる総長の姿があった。

「総長……」
「アダンテ。いったいなにがあった?」
「僕にも……わかりませんよ」

 僕が顔を伏せると同時に、ルークのやつが問い掛けに答えるようにして、空に向けて吼える。

「俺のせいだっ! 俺が弱かったから!! 俺が無様に兵士に殴り飛ばされてたから! だからギンナルのやつは逃げられなかったんだ! 逃げられたのに、逃げなかったんだっ!!」

「違うっ! ルーク、それは違う!! 討伐令が出された段階で……既にすべては決まっていたようなもんだ。だから、お前が悪いわけじゃない。くっ……あんまり自分を責めるな、ルークッ!」

「う──うわぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」

 啼き声を上げるルークの肩をかき抱き、ガイもまた苦痛に耐えるように顔を歪めた。

 胸が掻きむしられるような慟哭を上げながら、二人は雨に打たれている。

 そんな二人のやり取りも、どこか遠くから聞こえるように、今の僕には現実感がなかった。

「討伐令……なるほど。そういうことか」
「討伐令……」

 二人の会話に納得が言ったと顔を頷かせる総長に、僕はただ耳に入った言葉を繰り返す。

「この国において、特に凶悪と見なされた犯罪者に下される事実上の死刑宣告のことだ。ここ最近、国軍の動きが慌ただしいことには気付いていたのだが、まさか彼がその対象となっていようとはな。おそらくは議会において、彼に恨みを持つ一部の貴族達が強引に押し通した裁決だったのだろう。しかし、よもやここまでこの国が──……」

 尚も言葉を続ける総長の存在も、どこか遠くに感じる。

 頭上では雷が鳴り響き、雨はその激しさをいよいよ増していく。

 しかし、全ては消えるように──

 僕の意識から、世界の感覚は抜け落ちて行った──……



[2045] 3-4・暴カレル、世界 ─前編─
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 22:10


 船旅は特に問題が起きるでもなく順調に進み、俺達はカイツール軍港を通過。
 ついに鉱山都市アクゼリュスへと繋がるデオ峠に到着した。


 アクゼリュスがマルクト領になってから使われていない街道だという話だったが、意外にも荒れ果てた部分は少ない。
 悪く言っても、せいぜい普通の街道より雑草が少しばかり多く生えている程度でしかなかった。


 そんな歩き易い街道のためか、なにやらイオンやナタリア、ジェイドやティアまでもが集まって、俺には到底理解できないような経済関係の議論を交わしていやがりますよ。


 俺は一人、足元を歩くコライガを抱き上げ、肉球を弄る。ぷにぷに。
 イヤイヤと首を振るコライガにも関わらず、俺は肉球を弄り続けるのだ。ぷにぷに。
 ミュウが羨ましそうに見上げてくる中、俺は隣を歩くガイにボソリとつぶやく。


「話……ついていけるか、ガイ?」
「は、ははは……俺は一使用人にすぎないしなぁ」


 あさっての方向を向いて口笛を吹き始めたガイに、俺は数少ないバカ仲間に、共感の眼差しを向けた。

 なんというか、このメンツは頭の切れるやつが多すぎると俺は常々感じてたわけで、足場が安定しきっていたり、魔物の襲撃もなさそうな場所に来たりすると、漏れ出た余裕がすぐさま難解な議論に結びついたりするのだ。正直、話についていけません。


「……バカって、なんだろな」

 遠く王都のある方向を見据えながら、俺は腐った魚のような目でつぶやいた。

「ルーク! 気をしっかり持て! 俺たちがバカなんじゃない。連中の頭が良すぎる……それだけだ」
「ガイ……」

 俺の両肩に手を乗せ、腐れた果物の放つ光沢のような瞳で訴えかけるガイに、感銘を受けた俺は涙ぐんで掠れた声を上げた。
 腕の中でコライガがイヤイヤと首を振り、ミュウが羨ましそうにズボンの裾を引っ張る。


 そんな俺たちの篤き友情を冷めた視線で見据える無粋な連中がコメントを発する。

「二人とも……こんな場所でコントをするのは止めて……」
「いやいや、なかなか面白いじゃないですか」
「呆れますわ……」
「ちょ~っとだけ、気持ちはわかるかも」


 くっ……優性遺伝子を備えた知的ブルジュワどもめっ!

 けっ、と舌を鳴らす俺たちに、イオンが本気で済まなそうに申し出る。


「二人とも……本当に申し訳ありません。確かに、こんな場所でするような話ではありませんでしたね。先を急ぎましょう」

 俺たちに気を遣い、必死に笑いかけながら先を促すイオンに、俺たちは自分たちの下種レベルを思い知らされて、激しく落ち込みました。


 ともあれ、そんな馬鹿話ができる程度には順調に峠を超え行き、とうとう終着点へと行き着いた。


「この先は……もうアクゼリュスか。どんぐらいひどい状況なんだろなぁ」
「正確な被害状況はわかりませんけど、それでもかなりひどい状況であることだけはわかりますわ。私達も、急ぎませんと……」

 そう意気込んで、若干早足になり始めたナタリアに、ジェイドが釘をさす。

「まあ、先遣隊が救援物資を配っているでしょうから、なんとか持ちこたえてくれるでしょう。むしろ気をつけるべきは、私達がアクゼリュスに着いた後です。障気がアクゼリュスの地で発生する以上、他の場所へ住人を移動させる意外に彼らを救援する方法はないでしょう。しかし……」

 わずかに言いよどむジェイドに、ティアが言葉を続ける。

「彼らに移動するだけの体力が残っているのかが、問題ですね」


 確かに、ただでさえ障気にやられてまいってる連中が、移動するだけの体力が残っているのか。
 かなりでっかい問題だよなぁ。下手するとアクゼリュスの人間の数倍の人手が必要になっちまうね。


 確実に近づきつつある目的地に対して、みんなのアクゼリュスを救援するって感覚が実感をおびてきたようだ。
 気が付けば、街に着いた段階でどう行動したらいいかの検討ばかり口に出している。
 それでも具体的な方策はなにも思い浮かばない。だが考えずにいられるほどお気楽にもなれない。

 ため息が出る。気分を切り換えようと、俺は固くなった首を回す。


 崖の上に佇む、女の影があった


 惚けたのは一瞬、思い出すのはタルタロスの襲撃、セントビナー大門前での会話。全てにおいて指揮を担当していた銃使い──


「魔弾のリグレットッ!」


 ここは、まずい。


 俺はそいつの名を叫び、武器を構える。
 遠距離から一方的に狙撃できる相手に対して、こちらは遮蔽物もなにも無い平地に見下ろされるカタチだ。
 俺は皆の反応も待たず前に出る。少しでも距離を詰めるべく走り出す。


 銃弾が、足元に撃ち込まれた。


「動くな」 


 怜悧な美貌にゾッとするような敵意を交え、リグレットは告げた。


 ……正直、あれほど距離を取られると、剣の間合いでは対抗のしようがない。
 こっち側のメンバーで純粋に対抗できるのは、それこそナタリアぐらいのもんだろう。
 脳裏に過る対策も、ナタリアを主軸に、後は譜術を仕えるやつが攻撃を援護する、ぐらいしか思い浮かばない。


「リグレット教官!」

 そんな思考迷路に嵌まっていた俺を、ティアの悲痛な叫びが現実に呼び戻した。

「ティア。何故そんな奴らといつまでも行動を共にしている」
「教官こそ、どうしてイオン様をさらってセフィロトを回っているんですか!」

 ティアの問い掛けに、リグレットは律儀に口を開く。

「ティア。お前は預言を──スコアをどう感じる?」

 放たれた言葉は、しかしその場にいた誰にとっても意外なものだった。

「どういう意味ですか……?」

 ティアもまた困惑したように瞳を揺らす。

「この世界は預言に支配されている。何をするのにもスコアを詠み、それに従って生きるなどおかしいとは思わないか? この世界は──狂っているのだ」

 苛烈なリグレットの言葉に、気押されたように言葉を無くすティアに変わって、イオンが口を開く。

「スコアは人を支配するためにあるのではなく、人が正しい道を進むための道具に過ぎません」

 懸命に抗弁するイオンに、しかしリグレットは怒りをあらわにするでもなく、哀れみの表情を浮かべた。

「導師。あなたの言うこともわかる。だが、もはや世界はスコアに呪われているに等しい。誰もが預言に従うことを当然と考え行動する……あたかも、舞台の上で操られる人形のように……すべては確定された流れの中で、オールドランドの住民はそれと意識することさえないまま、支配されているのだ。あの忌まわしき《観測者》によって……」

 静かな口調ながらも、底の伺えない狂気を含有したリグレットの言葉に、俺達は気押される。

「観測と確定……第七音素の司る力の定義でしたか? しかし、あなたの言う観測者とはいったい?」

 熱を持ったリグレットの表情が、一人冷静に問い掛ける大佐の言葉に、一瞬で冷める。

「……お前が知る必要はない、死霊使い。ただ言えるのは……この世界は誰かが変えなくてはならない。それだけだ」

 そう告げると、リグレットはその場に居る誰も無視して、ただひたすらにティアのみを見据える。

「ティア、私たちと共に来なさい!」

 リグレットの気迫に、ティアが一瞬のまれたように息を飲み、一歩後退する。

 ティアはリグレットを教官と呼んでいた。そしてリグレットもまた、ティアに対して共に来いと呼び掛ける。
 二人の関係がどんなものだったかは想像するしかないが、それでも、互いに対する思い入れは感じられた。


 しかし、ここでティアがリグレットの手を取るのは、なにかが違うように俺は感じた。


 たとえ、かつて二人の間に何があったとしても、リグレットのやつが六神将として行ってきたことはなにも変わらない。
 ……自分でもなにが言いたいのかよくわからないが、かつて結ばれた絆だけを理由に、協力を要請するなんて行為は──なにかが、違うだろう。

 俺は自分でもまとまらない考えを持て余したまま、しかしティアに何か伝えるべく、彼女の肩に手を置く。言葉で何かを言っても、この場では無駄なような気がしたからだ。

 ティアは一瞬俺に視線を向けると、再度リグレットに向き直る。
 そしてわずかな沈黙を挟んだ後、その口を開く。


「私は……行けません」


 毅然と告げられた決別の言葉に、リグレットが眉を潜める。

「……だ、そうだぜ」

 未練がましくティアを見やるリグレットに、俺はさっさと立ち去れと視線を向けた。
 その視線に応えるように、リグレットは吐き捨てる。

「……でき損ない風情が口をはさむな」

 冷めきった視線が俺を射抜いた。
 その瞳からは、まるでモノでも見るかのように、感情がぽっかりと抜け落ちている。
 路傍の石ころでも見下ろすような──何よりも、俺が気に入らない視線。


 頭に血が上る。下手な行動が時に致命的になることはなによりもわかっていた。
 それでもこの視線だけは耐えられない。認められるものか。俺が我を忘れ、口を開きかけた瞬間。


「──やはりお前たちかっ! 禁忌の技術を復活させたのはっ! 誰の発案だ、ディストかっ!?」


 へっ……大佐?

 俺の激昂を待たずに、大佐が叫んでいた。滅多に無いジェイドの我を忘れた状態に、俺は思わず口を噤んでいた。

「知ってどうする? それにあの程度を禁忌とは……笑わせるな、死霊使い」

 返された冷笑に、ジェイドが譜術を高速で詠唱しながら槍を投じる。
 刹那の間に構えられたリグレットの銃口が、放たれた槍を正確無比に迎撃する。
 同時に打ち込まれていた銃弾が地面に着弾し──閃光を放つ。

『──っ!』

 白一色に染まった世界の中で、リグレットの声だけがその場に響く。


 ──采は投げられた。世界の解放が始まる……──


 視界が晴れた頃には、リグレットの姿はその場から消え失せていた。
 大佐が忌ま忌ましそうに、リグレットの居た場所を睨んでいる。
 他の仲間もしばらくの間、周囲を警戒していたが、リグレットが本当に去ったことを確認すると構えをといた。


 だが、俺にはリグレットのことなど、もはやどうでもよかった。


「……どういう、ことだよ」

 ジェイドを睨み据え、俺は問いかける。リグレットの言葉に、激昂するジェイド。
 だが、ジェイドはなぜ俺に向けて放たれた言葉に、怒りを覚えた?

「出来損ない……禁忌の技術……いったいそれが俺と、どう関わるっていうんだ?」

 思えばアッシュのやつも、俺を劣化野郎と呼んでいた。
 一人蚊帳の外に置かれているような感覚に、俺は言葉尻も荒く問い詰める。

「答えろよ、ジェイド」

「……それは」
「ジェイド、いけません! 知らなければいいことも……世の中にはあるのです」
「イオン様、ご存知だったのか……っ!」

 イオンの突然の制止に、大佐が目を見開く。動揺する二人を冷めた目で見据えながら、俺は胸の内で吐き捨てる。


 また、それか。


 俺は理性の手綱を引きちぎり、感情に任せるまま口を開く。

「ふざけるなよ、イオン。お前らの都合で、それを判断するんじゃねぇよ! いったい……なにを知ってやがる。答えろ、ジェイドッ! イオン!」

 俺の殺気混じりの恫喝に、しかしジェイドは眼鏡を押し上げ表情を覆い隠す。

「……今は、私も冷静に話せる自信がありません。──失礼」

 何一つ答えぬまま踵を返し、ジェイドは一人先へ進み始めた。

「……すみません、ルーク」

 申し訳なさそうに一度頭を下げると、イオンもまたその後に続く。アニスが慌てて二人を追いかけて行った。
 俺は二人の背中を睨み据えたまま、苛立ちに任せて地面を蹴りつける。


「くそっ!」


 いったいなにが起きてやがる! 

 六神将。アッシュ。リグレット。劣化野郎。でき損ない。禁忌の技術。
 何一つ訳のわからない言葉だけが、俺の理解を超えたままやり取りされる。


「ルーク、二人も……」
「今は……一人にしてくれ」

 何か声を掛けようとしたティアの言葉を遮り、俺は皆から少し距離を取って歩き出した。

 今は、誰が相手だろうと、なにを言うかわからなかった。

 腹の中を掻き乱す苛立ちを抱えたまま、俺は無言のまま歩く。そんな俺の態度に、ティアは怒るでもなく、無言のまま少し距離を離してくれた。

 ミュウとコライガは俺の様子を心配そうに見上げながら、俺から離れようとしなかった。だが、こいつらを構ってやるような余裕も、今の俺にはない。

「いったいどうしたのでしょう、導師も大佐も……」
「ん? あ、ああ……そうだな」

 最後尾を歩くナタリアとガイが、険悪な雰囲気を放つ仲間達を、不安そうに見据えている。

 リグレットによってもたらされた波紋はその後も収まる気配を見せないまま、俺たちはアクゼリュスへと向かった。




             * * *




 大きくすり鉢状に落ち窪んだ蟻地獄のような都市に、誰が上げたものかもわからぬ苦痛のうめき声が、そこら中からこだまする。
 あちこちに倒れ伏す人々は、言葉は悪いが……まるで死体のようだった。


「……こいつは……」
「想像以上ですね……」


 予想以上に酷いアクゼリュスの状況に、俺たちは入り口に呆然と立ちつくす。
 そんな俺たちに下に、一人の鉱夫が駆け寄ってきた。


「あれ、あんたたちキムラスカ側から来たのか? もしかして、あんたらもグランツさんって人が言ってた救助隊の人達かい?」
「ええ。そうです」

 ジェイドがいち早く我に帰って、如才なく答える。
 なにか打ち合わせをしている二人を余所に、俺はアクゼリュスの状態に気押されていた。


「うう……苦しいよ……」

 入り口近くに倒れていた一人の子供が、苦悶の呻きを洩らす。

「しっかりなさって……大丈夫……もう大丈夫です」

 ナタリアが近づいて、第七音素による治癒術を施している。子供の顔からかすかに苦痛が和らいだように見えるが、それも気休めにしかならないだろう。

 障気が吹き出る限り、彼らに救いはない。

「くそっ……」

 この場所は、俺もかつて味わったものに溢れていた。


 これは──絶望の臭い。


 かつて感じた無力感が、蘇る。

「どうやら救助の先遣隊とグランツ謡将は、坑道の奥に向かった様です。私達もそこに向かいましょう」

 冷静な言葉に、俺は大佐を睨む。道端に倒れ伏す障気に犯された人間を再度見やり、問いかける。

「……こいつらを、放っておくっていうのか?」
「ルーク。ここで私達が固まっていても、状況は改善しませんよ」

 あくまで正論を持って望む大佐に、俺はデオ峠の苛立ちも含めて、皮肉げに笑う。

「ああ、そうかよ。さすがに、頭の良いやつは言うことが違うよな」
「ルーク! 言い過ぎよ!」

 俺の吐き捨てた言葉に、ティアが叱責の声を上げる。

「二人とも、言い争いはそのぐらいにしておけ。今は、グランツ謡将に合流することを考えようぜ?」

 ギスギスした雰囲気を振りまく俺とジェイドの間に、ガイが割って入る。
 ジェイドは特に気にした様子を見せなかったが、俺はあからさまに大佐から距離を置いた。
 今の俺が冷静でないことは、他の誰でも無く、俺自身が一番よく理解していた。

「ルーク、あなたがこの街の状況に憤るのはわかりますわ。けれど、それを大佐に向けるのは間違っています。私達とて……なにも感じないわけではありません」

「……ああ、わかってる。わかってるよ、ナタリア」

 かつての記憶と、この街の状況が重なって、ただ焦燥感だけが募る。
 その後は無言のまま、絶望に満たされたアクゼリュスの街中を進み、鉱山の入り口付近まで行き着く。
 いざ鉱山へ入ろうかという、そのとき。


「グランツ響長ですね!」


 駆け寄って来る教団兵の姿があった。


「自分はモース様に第七譜石の件をお知らせしたハイマンであります」
「……ご苦労様です」

 教団兵の報告にティアが表情を引き締め、イオンが驚きに目を見開く。

「第七譜石? まさか発見されたのですか!」
「はい。ただ真偽のほどは掘り出してみないと何とも……」

 イオンに答えながら、ティアがどこか迷うような視線を俺に向ける。
 ここまで来て別れることを気に病んでいるんだろうか?
 そこまで気にする必要はないと思うが……こんなときでも、相変わらず、生真面目な奴だよな。

 ティアの様子に少しだけ気分が和らぐのを感じながら、俺はイオンに目配せを送る。
 それで彼女が迷っていることに気付いたイオンが頷いて指示を出す。

「ティア。あなたは第七譜石を確認して下さい。僕はルークたちと先遣隊を追います」
「わかりました。この村の皆さんをお願いします」

 イオンの言葉に頷き、動き出そうとしたティアの足が突然停まる。
 わずかな沈黙を挟んだ後、背中を向けたまま、彼女は俺に告げた。

「ルーク……今のあなたからは、いつもの余裕が感じられないわ。あなたが峠の事で苛立つのもわかる。だから、苛立つなとは言わない。ただ、今はこの街の人々を救う事を第一に考えて」

 どんなときでも、周囲に居る人間を気遣うのを止めないティアに、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。

 彼女の言葉で強張っていた肩の力が少しだけ抜けるのを感じながら、俺はできるだけいつものような調子を装って答える。

「まあ、わかっちゃいるんだけどな……でもま、覚えておくよ。ティアも、気をつけろよ」

 俺の呼び掛けに無言で頷き返し、ティアはそのまま駆け去っていった。
 彼女の後ろ姿を見送り、俺とイオンは先行するジェイドの後に続く。




             * * *




 鉱山の中は街以上に濃い障気に満たされていた。時折襲いかかる魔物を退けながら、俺たちは否応なく高まる緊張感と共に奥へと向かう。

 しばらく進んだところで、ある程度の広さをもった空間に行き着く。そこには充満する障気の中、地面に倒れ伏す鉱夫たちの姿があった。

「なっ……大丈夫か。しっかりしろ」

 入り口近くに倒れていた鉱夫の一人に駆け寄って声を掛けるが、意識が朦朧としているのか、まともな返事は返って来そうにない。

 全員が散らばって、それぞれこの空間に倒れ伏す鉱夫たちの容態を確認している中、一人入り口付近に佇んだまま、冷静に周囲を見渡して居たジェイドが、不可解そうにつぶやく。

「……おかしい。先遣隊の姿がない」

 小さく呟かれた言葉だったが、辛うじて俺の耳に届いた。大佐の呟きで、俺もようやくその事実に思い至る。

「……どういうことだ? 先遣隊の連中は先にここへ向かっていたはずだろ?」

 峠での件は未だ納得できていなかったが、そんなことを気にしている状況でもないと頭を切り換え、大佐に尋ねる。

「そうですね……いったい……」

 そのとき、俺の右腰に吊るされたアッシュの剣が鈍い光を放つ。

 ───そ……か……行……っ!

「ぐっ……なんだ?」

 微かな頭痛が俺を苛むと同時に、頭の中にノイズ混じりの言葉が響く。

 ───奥……ゃ…ぇ! ……返し……ね……っ! ……くそっ……届…ねぇ──

 だがその声も、途中で何かに強引に断ち切られたかのように途切れた。

「どうしました?」
「いや……一瞬、頭が痛くなっただけだ。けど、もう治まったよ。なんか声が聞こえたような気もしたけど、気のせいだろうな」
「そうですか……。気をつけて下さいよ。あなたまで障気に侵されては、今でさえ足りない人手が、ますます絶望的な状況になりますからね」
「わかってる」

 冗談混じりに告げられた言葉だったが、そこに込められた意味は真剣なものだったので、俺も特に突っかかるでもなく頷きを返す。


「しかし……先遣隊の連中を見つけないことには、話にならねぇぞ」


 俺たちだけでアクゼリュスの住民全てを避難させるようなことは不可能だ。

 少し生臭い話をしちまえば……結局のところ俺が親善大使としてアクゼリュスへ寄越されたのは、政治的な意味合いが強い。
 敵国の王族までもが救助活動に参加しましたっていうアピールだ。実質的な救助活動は、その道の玄人の手を借りない限り、どうしょうもない。


「ええ。わかっています。彼らはさらに奥へ向かったということでしょうか……?」
「時間はあんまねぇんだろ? とりあえず、動こうぜ」

 わずかに考えるような間を置いた後、大佐が決断を下す。

「皆さん聞いて下さい。私とルーク、それにイオン様は、この先に先見隊が居るかどうか確認をしてきます。この場は任せました」
「頼んだぜ、ガイ、ナタリア、アニス」

 大佐と俺の言葉に、皆が頷きを返す。

 さらに奥まった部分へ進んでいくと、不意に上の方からなにか争うような物音が聞こえて来る。

「……上の様子がおかしい。少し見てきます。ルークは、この先の確認をお願いします」
「わかった。任せろ」

 急いで駆け戻っていくジェイドを見送って、俺とイオンは無言のままさらに奥へと進む。
 ミュウとコライガも後に続いているのだが、坑道内に入った瞬間から二匹は全身の毛を逆立てて、鳴き声一つあげていない。


 しばらく進んで行くと、直ぐに坑道の突き当たりに行き着く。救助隊の姿は見えない。
 だが、代わりに、一人佇む男の姿があった。


「──来たか」


 奇妙な文様の記された扉の前に立ち、師匠はそうつぶやいた。

「……師匠? こんなとこに居たんすか? でも……先遣隊はどこに?」
「別の場所に待機させている」

 師匠の言葉の意味するものを掴みかねて、俺は一瞬呆気にとられた後、すぐに愕然とする。

「待機って……こんな状況下で何言ってんですかっ!」
「落ち着け、ルーク。既に住民の被害状況は確認し終えている。先遣隊には実際の救助活動に向けた準備に移ってもらっているところだ。もうすぐ、ここにもやってくるだろう」

 重ねられた言葉に少し違和感を得たが、とりあえずの救助活動の目処が立ったという師匠からの報告に安堵する。

「そう、ですか……ところで、師匠はこんなところで、何をしてるんですか?」

 師匠が一人先遣隊から離れている理由がわからず、俺は首を傾げた。

「この先に、障気の発生源が存在する。私はそれを排除するために、お前たちを待っていたのだ」

 障気の……発生源だって? 言葉の意味がよく理解できない俺を余所に、師匠がイオンに向き直る。

「――導師イオン。この扉を開けていただけますか」

 促された言葉に、イオンが扉に近づいて、手を触れる。

「……これは、ダアト式封咒。ではここもセフィロトですね。しかし、セフィロトが障気の発生源になっているとは……いったい?」
「それを説明するのもやぶさかではありませんが、まずはセフィロト内部を実際に確認してみないことには始まりません。導師イオン。これはアクゼリュスを再生するために必要な措置です。開錠を願います」

 すこしの間、イオンは躊躇っていたようだが、結局師匠のアクゼリュスを再生するためという言葉に頷いた。

「……わかりました」

 扉に添えられたイオンの手を中心に円陣が展開され、ガラスの割れるような音ともに、扉は消え去った。

「行きましょう」

 この先でなにをするのか尋ねる間もなく、師匠が扉の先に消える。イオンもその後に続く。

「おい、待てって」

 正直、こんなことをしていていいのか気になったが、先に進む二人を残して俺一人だけ引き返すわけにもいかないので、俺も慌てて後追う。

「ここは……ザオ遺跡やシュレーの丘と同じ……」

 扉の先は坑道内部と違って剥き出しの地面ではなく、音素の光に照らし出された人工的に整備された空間が広がっていた。

「……師匠は何をするつもりなんだ? アクゼリュスを再生するって、いったいどうやって?」

 壁面から伸びる螺旋状の通路を進む師匠の背中を見据えながら、俺は理由のわからない不安を感じていた。

「僕にもわかりません……ひとまず、ヴァンのすることを見届けてから、皆の下に戻りましょう。既に先遣隊が実質的な救助活動に向けて動いているなら、それからでも遅くはないはずです」
「……まあ、それもそうか」

 なにがしたいのかよくわからない相手に戸惑いを覚えながらも、俺とイオンはとりあえず先を行く師匠の後に続く。

 螺旋の終点まで降りたところで、さらに先に続く扉を潜る。
 そこには天に向けて伸びる巨大な音叉状の譜業機関が存在していた。
 音叉を中心に、目に見えるまでに強まった音素の光が周囲を漂っている。

「あれは、パッセージリング」
「パッセージリング?」
「詳しい説明は教団の機密事項に触れるためできないのですが……簡潔に説明すると、セフィロトの中核に位置する音機関の名前です。いったいヴァンはパッセージリングで何を……?」


 視線の先で、師匠が腰から奇妙な形状をした杖を抜き放つのが見えた。
 先端部分に宿る光の輪が一定の間隔で回り、杖の握りの部分の繊細な細工と相まって、どこか神聖な雰囲気を漂わせている。


 師匠はおもむろに杖をパッセージリングとやらに構えると、そのまま──突き刺した。


『なっ』


 突然の暴挙に、俺とイオンが言葉を洩らす。
 だが奇妙なことに、突き刺さった杖の先端部分は、まるで最初からパッセージリングの一部分であったかのように、ごく自然に一体化している。

 理解できない現象に目を剥く俺達を余所に、師匠はなんら表情を変えずに、そのまま杖に手を掛ける。


「喰らうがいい、第六奏器よ」


 告げられた言葉に、俺の背筋をゾッとするような悪寒が駆け抜ける。同時に、周囲を漂う音素が突き刺された杖を中心に、爆発的な勢いで収束する。圧倒的な音素の流れはパッセージリングから放たれる音素も例外でなく、どこまでも貪欲に杖は喰らい尽くす。


 ───ぐぁあああああああああああああああああああああああああああああっ……──


 意識を直接殴りつけるような衝撃と共に、絶叫が俺の頭の中に響く。思わず額を抑えて膝をつく俺を目にして、イオンが困惑に瞳を揺らす。その様子を見る限り、どうやらイオンにこの声は聞こえていないようだ。

 ……いつもの電波と似た現象って……ところか……くっ……

 いつまでも続くかと思われた断末魔の叫びは、しかしなんの前触れも無く唐突に途切れた。

 ふらふらと立ち上がる俺の視界に、杖をパッセージリングから抜きとる師匠の姿があった。師匠の手に握られた杖は、一定間隔でほのかな光を放ち、奇妙な鼓動を発している。

「ヴァン。今の行為がいったい、どうアクゼリュス再生に繋がるというのです?」

 視線も鋭く投げ掛けられたイオンの問い掛けに、師匠は杖を肩に抱え載せながら答える。

「この時点をもって、アクゼリュスは彼の者から聖別されたのですよ、導師。すべてはこれから始まるのです……」

 どこか恍惚とした光を目に宿す師匠に、俺は、なぜか気押されたように一歩退いていた。
 俺の中で乾いた声が囁く。今の絶叫はなんだ? 住民の避難よりも優先すべきことがあるのか? 

「ルーク。こちらへ来なさい」

 こいつは、いったい、自分に、なにをさせようとしている?

「この先は、お前の力が必要となる……」

 師匠の呼び掛けに──俺は反射的に剣を抜き放っていた。

「……ミュウ、コライガ、イオンを頼む」

 師匠は剣を構える俺に驚くでもなく、片眉を上げるいつもの癖を出しながら、ただ俺の反応を興味深そうに見据えている。

「ふっ……やはりお前は私に剣を向けるか」

「師匠……あんた、いったい何がしたいんだ? 障気の発生源を絶つって言っても、街に染みついた障気は一朝一夕じゃ消えないはずだ。今はこんなところに居るよりも、アクゼリュスの連中を避難させて、一刻も早く治療受けさせる方が先だろ?」

「何がしたい……か」

 俺の必死の問い掛けに、師匠は片手に握った杖を弄びながら、わけのわからない言葉を返す。

「この世界において、かつてユリアの預言により観測された《繁栄》という名の事象の流れは、その後も事有るごとに詠まれた預言により確定され続けてきた……そう、一般的には言われている。だが、それは真実ではない。ある一時点からすべてを観測し、決定づけた者の存在を彼らは意図的に無視し……ついには忘却させた」

「俺は……あんたがなにを言ってるのか、まったくわからねぇよ、師匠……!!」

 震える剣の切っ先を向けた懇願にも、師匠は大して気にした様子も見せず、落ち着いた口調で続ける。

「思えば、〝お前たち〟のようなイレギュラーの登場もまた、観測者の想定内であったということだろうな。」
「師匠っ!」


 もはや堪えきれなくなって叫んだ俺に、師匠が改めて俺を見据えた。
 ようやくまともな言葉が帰って来るのかとわずかに感じた期待は、しかし続けて放たれた言葉に完膚無きまでに叩き消される。


「ルーク。お前は預言を──スコアをどう思う?」


 ───ティア。お前は預言を──スコアをどう感じる?


 目の前に立つ男の問い掛けが、デオ峠でリグレットにされたものと、重なる。

 視界が、真紅に染まる。
 頭が、放たれた言葉を、理解することを拒絶する。


「師匠、あんたはっ……! あんたがっ……!!」


 ただ──胸の内からこみ上げる衝動に、俺は決定的な言葉を放っていた。


「あんたがっ──六神将を動かしてやがったのかよっ!!」
「その通りだ」


 一切の狼狽も反論も躊躇も見せず───
 目の前に立つ〝敵〟は、ただ頷きを返した。


 ここ数年の間、積み重ねられた信頼が、掛けられた言葉が、脳裏を過る。


 ───なかなか飲込みが早いな。だが、まだまだ。


 ───屋敷を抜け出すのもいいが、ほどほどにしておけ。あまり家族に心配をかけるものではない。もちろん、私も心配だとも。


 ───結ばれた絆は変わらない。兵器であることを、自らに許すな、ルーク。



 すべてが、ただ一度の頷きで、ここに崩壊した。






[2045] 3-5・暴カレル、世界 ─後編─
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 22:20


 ここ数年の間、積み重ねられた信頼が、掛けられた言葉が、脳裏を過る。


 ───なかなか飲込みが早いな。だが、まだまだ。


 ───屋敷を抜け出すのもいいが、ほどほどにしておけ。あまり家族に心配をかけるものではない。もちろん、私も心配だとも。


 ───結ばれた絆は変わらない。兵器であることを、自らに許すな、ルーク。


 すべてが、ただ一度の頷きで、崩壊する。


 師匠は俺に剣を教えてくれた。こいつは六神将を指揮していた。
 師匠は俺に結ばれた絆の意味を示してくれた。
 目の前に立つ男の指示でイオンは狙われていた。
 師匠はこの男はこいつは俺にとって……


 混乱する思考が暴走し、取り止めも無い言葉がぐるぐると意識を苛む。
 今にも我を忘れこの手に握った剣を叩きつけたくなる。そうすることが何よりも一番ふさわしい行為に思えて来る。
 そうすれば俺の気持ちは晴々することは自明の理であり、そうしない理由など何一つ見当たらない。
 ならばそうしればいいじゃないか。早く剣を振り上げろ。早くっ早くっ早くっ!


 頭の中で急き立てる声に抗うには、明かされた事実はあまりに重すぎた。


 それでも──衝動に流され動くことだけは、もう二度と御免だった。
 今にも剣を振り上げようとする腕を必死に押さえつけ、沸騰した頭に思考しろと訴えかける。


 なにを言われたのか理解しろ。決して衝動的に飛び掛かるな。自らの力も自覚せぬまま動いた結果を、決して忘れるな。
 あの日を繰り返すことだけは絶対に許すな。頭に血が昇ったが最後その先に待ち受けるのは絶望だけだ。
 それを回避したいならばどうすればいいかお前は既に身をもって知っているはずだ。


 動揺を押さえ込み意識を研ぎ澄ませ。
 目の前の認め難き事実を見据え、
 放たれた理解し難き言葉を理解しろ。


「イオン、下がってろ。こいつは───」

 目の前に立つこの男は───

「敵だ」


 切っ先を突き付ける。剣を握る手は、もはや震えを止めていた。


「ほぅ……我を忘れて打ち掛かって来るものとばかり思っていたが、意外に冷静なようだな」

 面白そうに投げ掛けられた言葉に、俺は自分を必死に押さえ込み、押し殺した言葉を返す。

「……冷静なわけが、ねぇだろ。腸が煮えくり返ってる真っ最中さ。ただ、堪えてるだけだよ。……怒りに我を忘れて、自分の力量もわきまえずに突っかかるような無様な真似だけは二度としない……そう誓ったからな」

「ふっ……本当に、強くなったものだ」

 どこか感慨深そうに遠くを見据え、彼は軽く顎を撫でた。

「だがお前がこの私に勝てるとでも思ったか? ──自惚れるな」


 圧倒的な威圧感が放たれる。


 ギシギシと空間が音を立てるような感覚に、思わず剣から手を放して今すぐにでも背を向けて逃げ出したくなる。
 だが、そんな弱気を必死に捩じ伏せ、俺はわずかに腰を落とし構えを取る。


「さぁな。やってみないとわからないこともある。そうだろ、『師匠』?」
「確かに、その通りだな。ならば余興代わりとして、少し揉んでやろう、我が不肖の『弟子』よ」

 俺の構えに応じるように、師匠がゆっくりと杖を構える。

「剣を抜かなくてもいいのかよ」
「その必要はない。試してみたいこともあるからな」
「……後悔するなよ」

 絶望的な状況にありながら、しかし俺は僅かな諦めも抱かず、目の前に立つ最強の敵を──

「ふっ……させてみろ」

 迎え撃つ。




             * * *




 放たれる技はどれも僅かでも掠めれば、一撃で俺の意識が刈り取られかねない威力をもっていた。
 かつて女王と演じた死闘がお遊びに感じられるまでにこの相手は──強い。


「そこだ」
「……っ!」

 何ら予備動作無しに杖が突き出された。
 咄嗟に掲げた刀身が衝撃に震える。防御を通り抜けて伝わる衝撃に、俺は後方へ飛び退くことで対処する。

 離れた間合いを、師匠はただ一歩の踏み込みで無へと返す。
 僅かに杖を後方に引き絞ると──無数の突きが放たれた。


 剣を握る手に残る痺れに、俺は口の中で短く悪態をつきながら、攻撃を見据える。
 至近距離でうなじを撫でる死神の鎌を感じながら、全身全霊をかけて、相手から放たれる攻撃をひたすら受け流し続ける。

 永遠に引き延ばされたかのような刹那の交錯の後、俺と師匠は互いの獲物をぶつけ合い、間合いを離す。


「ふむ……なかなか腕を上げているようだな」
「よく言うぜ……」

 俺はうんざりと言葉を返す。致命的な一撃は避けることができた。
 しかし、それ以外の部分はすべからく打ち据えられ、全身に痣が浮かんでいる。


 認めるしかない。


 この相手に単騎で挑み、俺が勝つことなんざまず不可能。
 おまけに、相手はこちらの癖などもすべて把握している。
 こんな相手に正面から挑んで勝利するなんてことは到底不可能。絶望的と言ってもいい状況だ。


 しかし、俺も諦めたわけじゃない。
 なんの考えもなしに、この相手と打ち合っているわけではないからだ。

 絶対的な力量差を持つ相手と戦う場合、心掛けることはただ一つ。
 簡単な話だ──そう、なにも相手を圧倒する必要はないことを理解すればいい。


 ひたすら相手の行動に集中し、次に取るであろう一手を予測する。
 一方的に押され続けながらも、しかし俺は致命的な一撃を確実に見抜き、捕食者に怯える獲物のごとき臆病さを持って、死に物狂いで回避する。

 一方的な劣勢の状況にありながら、それでも僅かな余裕を感じさせる俺の様子に、師匠が眉を潜める。
 しばらく膠着状態が続いた後、師匠は冷静にこれまでの俺の動きを分析し、その狙いを看破する。


「なるほど。ひたすら攻撃を受け流して時間を稼ぎ、仲間の到着を待つ……か。確かに、彼の高名な死霊使いは、なかなかに厄介な相手だ。さて、どうしたものか」


 ちっ、気付かれたか。……いや、そうなることはわかっていた。
 相手は敵対したとは言っても、俺の師匠であることに変わりは無い。
 俺程度の考えることなんざとっくの昔にお見通しだろう。だが、


「負けまいとする相手は、勝とうとする相手よりも遥かに抗し難いものだ……あんたの言葉だぜ」

 それでも、この手を仕掛ける利点は、相手がそれとわかっていても対処法が見つからない点にある。

「同時にそれを完全に実践することは難しい……とも教えたはずだ」

 僅かに構えを崩し、師匠があからさまな隙を見せる。
 思わず打ち込みたくなる隙だが、これ程までに露骨な誘いに乗るほど俺だってバカじゃない。
 相手の意図がわからず眉をしかめる俺に、師匠が言葉をかける。


「二年前のあの日を──善良なる剣虎が死刑台に送られた日を覚えているか?」
「……っ……!」


 明らかな挑発の言葉とわかっていても、俺は僅かな反応を示すのを止められなかった。

「一つ教えてやろう。彼の者が死刑台に送られた理由を、お前はなんと説明された? おそらくは、私怨に狂った貴族どもの仕業だとでも告げられたのではないか? だが──それは間違いだ」

 冷静さを保て。この言葉は挑発だ。真実を言っているとは限らない。

「真実とは残酷なものだ。彼の者の死は、あらかじめ預言により確定された事象の流れの内にあったのだよ」

 だが俺の理性とは裏腹に、感情は相手の話す真相に耳を傾ける。

「彼の者の死はスコアに詠まれていた。そう、彼は──死ぬべくして死んだのだ」
「っ──デタラメを言うなっ!!」

 俺は放たれた言葉に動揺し、叫び返していた。同時に、僅かに構えが崩れ、相手から意識が逸れる。


「意識を離したな?」


 すぐ目の前で、俺に向けて腕を伸ばす師匠の姿があった。

「なっ──がはっ!」

 喉元を掴み上げられ、俺の身体が宙に浮く。

 だがそんなことよりも、先程の有り得ない現象に俺は混乱する。
 動揺して相手から意識が放れたのは確かだった。それでもあの一瞬で間合いを詰められる程、気を抜いてはいなかった。
 馬鹿らしいことに、先程の動きは、まるで俺には知覚できないものだった。


「少し制御に難はあるが……それは今後に期待と言ったところか」

 師匠の片手に握る杖が、鼓動と共に燐光を放つのが視界の端に映った。

「──ヴァン! 止めろっ!!」

 セフィロトの入り口から駆け込んできた、漆黒の教団服を着込んだ男が叫ぶ。俺と酷似した相貌が、今は焦燥に歪んでいる。

「アッシュか……ここには来るなと言っておいたはずだが?」
「……残念だったな。俺だけじゃない。あんたが助けようとしてた妹も連れてきてやったぜ!」

 アッシュの後に続いて、彼女が姿を見せる。続いて駆けつけてきた仲間達が、この場の状況を見据え、一斉に武器を構える。

「……メシュティアリカ」
「兄さんルークを放してっ! いったい彼になにをさせるつもりなの! バカな真似は止めてっ!」

 ティアの必死の呼び掛けに、しかし師匠は無機質な視線で俺を撫で回す。
 酸素が、足りない。俺の手に握られていた剣が、掌から転げ落ちて、甲高い音を立てる。


「ちっ。劣化野郎に、あんたの相手はさすがに荷が重かったか」
「ふっ……そうでもない。時間を稼ぐことにだけは成功していたようだからな──しかし、このアクゼリュスの地を訪れた時点で、すべては決していたのだ」


 俺は朦朧とする意識の中で、無意識の内に右腰に吊るされたもう一本の剣に手をかける。


「さて。お前の役目を果たして貰おうか……」


 震える手を動かしながら、俺は剣を抜き放つ。


「力を解放しろ──『哀れなレプリカルーク』」


 俺が剣を振り上げると同時──耳元で、その言葉は囁かれた。



 俺の脳裏に、キャッツベルトの船上で、聞いた覚えのない言葉を囁かれる自分の姿が映し出される。


 ───私が解放を指示したら、おまえは全身のフォンスロットを解放し、パッセージリングに向け超振動を放つ。

 ───そう、今使っているその力だ。

 ───合言葉は……『哀れなレプリカルーク』



 ピシリッ──……



 俺の意識の中で、膨大な力に蓋を落としていたクビキが、確かに破壊される音が響いた。

「劣化野郎っ!」
『ルークッ!』


 かつて船上で放ち掛けた力が俺の意志など関係無しに、強制的に引きずり出されるのを感じる。握られた剣の先に灯った光の球体は急激に膨張を始め、周囲に漂う第七音素を爆発的な勢いで喰らい始める。


「ようやく、ここまで辿りついた。これより世界の解放が始まる……──」

 師匠のつぶやきを合図に、暴虐なる光の柱は天に向けて駆け上る。


 忌まわしき超振動の力が、放たれ──


 同時に、俺の手に握られた剣から、

 その瞬間アクゼリュスに引き起こされたすべての事象が、

 俺の、頭の中に、無理やり、流し込まれる。

「が、ぁ、あ。あ、ああ、ああああ、あああああ──……」

 情報の奔流に俺の意識は呑まれ、しかし五感を閉ざすこともできず、俺はただその光景を見据え続けた。




 ──大地を薙ぎ払う光を、その日、人々は目撃した。




             * * *




 セフィロトの中枢にかつて位置したパッセージリングは跡形も無く消し飛んでいた。
 周囲から瓦礫の崩れさるような音が断続的に響き渡り、大地を振動が襲う。続いてセフィロト内部にも地割れが巻き起こった。

 揺れ動く大地に立ちながら、ヴァン・グランツは引き起こされた現象を興味深そうに見据えた。

「予想以上の威力だが……なるほど」

 ヴァン・グランツは悠然と歩み寄り、その場に悄然と膝をつく俺の手から無造作に剣をもぎ取った。

「鍵の存在……か」

 返す返す剣を見つめ返しながら、ヴァン・グランツは俺に視線を戻す。

「私がアッシュにくれてやったものを、なぜお前が持っていたのかは知らぬが……この奏器が第七音素を収束させたようだな」

「ちっ──ヴァンッ!」

 頭上から振り卸されたアッシュの斬撃を、師匠は顔も向けぬまま手にした剣であっさりと弾く。
 舌打ちをしながら虚空に身を踊らせるアッシュに一切の注意を払わぬまま、ヴァン・グランツは片手を口元に近づけると、笛のような音を出す。

 だが風を切る音が聞こえ──上空から現れた魔物が、アッシュを掴み虚空へと持ち上げた。


「くっ……放せ! 俺もここで朽ちる!」
「イオンを救うつもりだったが仕方がない。おまえをレプリカのように使い棄てるわけにはいかないからな」

 同様に現れたもう一匹の魔物の背に乗り込み、ヴァン・グランツはさしたる感情も込めずに告げた。


「兄さん! やっぱり裏切ったのね! この外殻大地を存続させるって言っていたじゃない! これじゃあアクゼリュスの人もタルタロスにいる神託の盾もみんな死んでしまうわ!」
「既に死んでいるだろうな」

 あっさりと返された頷きに、ティアが愕然と目を見開く。

「先程そこの哀れなレプリカが放った力は、鍵からの支援を受け〝完全なる超振動〟に限りなく近いカタチで発動した。パッセージリングのみならず、アクゼリュスの地表までもが薙ぎ払われたのだ。崩落を待つまでもなく、人々は死に絶えたことだろう」

 ヴァン・グランツの言葉が意味するものがすべて理解できずとも、そこに込められた言葉の迫力に気押されてか、その場に居る誰もが息をのむ。

 だが他の誰でも無く俺自身は、改めて言われるまでもなくすべて理解していた。
 俺の放った力が、あの瞬間、なにを引き起こしたのか。剣から流れ込んだ情報が、すべて克明に俺の意識に焼き付いている。


 噴き出す障気に呑まれ絶叫する鉱夫、崩落に巻き込まれ押し潰される子供。
 患者を避難させようと背負いながら走り出た医者が、数歩進んだ先で亀裂に飲み込まれる瞬間。

 そして、全てを飲み込む俺の放った超振動の光──


「ヴァン・グランツ……」

 俺は全身を襲う虚脱感に苛まれながらも、胸の内から沸き上がる一つの衝動に従って身体を動かす。自身を突き動かす感情の昂りに任せるまま、床に転がる剣を拾い上げ、地面に突き立て身体を起こす。


 全てを理解した上で俺にあんな光景を見せた、視界の先に映る男に剣を突き付ける。


「私が憎いか? 哀れなレプリカよ。ならば、この絶望的な状況を乗り越え、私を追って来るがいい」
「ヴァン・グランツ──────ッ!!」

 俺の憎悪に染まった叫びに、しかし彼は満足そうに頷いた。

「そして……メシュティアリカよ」

 激しい揺れに襲われるセフィロトの中で、奴はその視線をティアに向ける。

「お前にもいずれわかる筈だ。この世の仕組みの愚かさと醜さが。それを見届けるためにも……おまえには生きていて欲しい。おまえには譜歌がある。それで……」

 最後まで言い終えぬまま、ヴァン・グランツは上空へと消えた。それと同時に、地響きが一層その激しさを増し、決定的な振動がこの場を襲う。

 頭上から降り注ぐ瓦礫に、大佐が叫ぶ。

「まずい! 坑道が潰れます!」
「私の傍に! ……早く!」

 柔らかい音素の収束する光と共に、ティアを中心に歌声が響く。

 クロァ──リョ──ズェ──トゥエ──リョ──レィ──ネゥ──リョ──ズェ──

 俺はガイに手を引かれるまま彼女の傍で、この地獄のような状況に似つかわしくない、綺麗な歌声に耳を傾ける。

 譜歌の光に包まれながら、俺は崩れ行くこの世界から決して目を逸らさず、その最後を見届けた──


 アクゼリュスの地は、こうして崩落した。





             * * *




 頬を舐める温かい感触と、俺に呼び掛ける誰かの声が聞こえる。

「……人さま。ご主人さま」
「うっ……ミュウ、コライガ……か?」
「ご主人さま、気がついたんですの」

 俺の意識が戻ったことに安堵するミュウと、未だ心配そうに頬を舐めるコライガが目の前に居た。

「いったい……ここは?」
「僕にもわからないですの……」

 俺は身体を起こし、周囲を見渡す。

 障気に覆われた泥の海がどこまでも広がっている。
 自らの倒れ伏していた大地が、わずかなカケラ程度のものとしか思えない。
 見上げれば、空を覆う障気の雲が時折放電のようなものを繰り返す。


 まるで地獄のような光景だった。


 呆然と周囲を見回していると、同じように立ち尽くす数人の仲間の姿が視界に入る。

「皆……無事だったのか」

 俺の上げた声に、ナタリアが心配そうに駆け寄って来る。

「気がつきましたのね、ルーク」
「ここは……どこだ? 俺達はいったい……?」

 全身を襲う虚脱感に耐えながら尋ねる俺に、別の方向から言葉が返される。

「……ここは魔界です。しかし、こんな形で訪れるとは……」

 沈痛そうな面持ちで顔を伏せるイオンに、俺とナタリアのもの問いたげな視線が集中する。

「……いずれご説明します。今は少しでも生き残っている人を捜したい……」

 押し黙る一同の中で、一人わずかに離れた場所に立つティアが押し殺した声を上げる。

「……取り返しのつかないことになってしまったわ。守りきれなかった……」

 しばらくして、周囲を伺っていた大佐とガイが戻って来るのが見えた。

「生き残りは俺達以外に居ないようだ。というよりも、この周辺の大地しか残っていないって言った方が正しいな。後はすべて泥の海に沈んじまったようだ……」
「崩落する際に、既に無数の断片に大地が分断されていたせいでしょうね。ティアがあの譜歌を詠ってくれなければ、私たちも死んでいました。あれが、ユリアの残した譜歌の威力か……」

 二人から告げられたアクゼリュスの末路に、俺は目を見開く。

 アクゼリュスを崩落させ、人々を殺したのは──いったい誰だ? 

 師への憎しみが一瞬で冷めやり、俺は自らの両手を見下ろす。

 血に塗れた手が、一瞬俺の視界に映る。


 そのとき、振動が俺達の立つ浮島を襲った。
 視界の端に映る島の一つが、周囲に障気を吹き上げる泥の海に飲み込まれて消えた。

「……タルタロスに行きましょう。この先に私達と同じように落ちているのを発見しました。どうやら緊急用の浮標が作動したようで、この泥の上でも持ちこたえています」

 大佐の言葉に促されるまま、俺はふらつく足を動かし、タルタロスに乗り込んだ。

 幸い動力機関等に深刻なダメージはなかったらしく、俺達はティアが告げたユリアシティという魔界の中にある唯一の街に向かうことになった。




             * * *




「行けども行けども、何もない。……なあ、ここは地下か?」

 単調な光景に耐えられなくなったガイの上げた疑問に、ティアが硬い口調で答える。

「……ある意味ではね。あなたたちの住む場所は、ここでは外殻大地と呼ばれているの。この魔界から伸びるセフィロトツリーという柱に支えられている空中大地なのよ」
「意味が……わかりませんわ」
「昔、外殻大地はこの魔界──クリフォトにあったの」

 一同に言葉が浸透するのを確かめると、続けて説明を口にする。

「二千年前、オールドラントを原因不明の障気が包んで大地が汚染され始めた。この時ユリアが七つの預言を詠んで滅亡から逃れ、繁栄するための道筋を発見したの」

「ユリアは預言を元に地核をセフィロトで浮上させる計画を発案しました。この話を知っているのはローレライ教団の詠師職以上と魔界出身の者だけです」

 後を引き継ぐ形で、イオンがローレライ教団の導師として説明を締め括った。

「途方も無い話だな……」

 ガイの洩らした言葉に、イオンが視線をティアに向ける。

「……とにかく僕たちは崩落した。助かったのはティアの譜歌のおかげですね」
「何故こんなことになったんです? 話を聞く限り、アクゼリュスは柱に支えられていたのでしょう?」

 ドクンッ──……

 大佐の問い掛けに、俺の胸が騒めく。

「それは……柱が消滅したからです」
「柱……グランツ謡将もなにか言っていたような気がしますが、いったいどうして?」

 頭から冷水を被せられたかのように、俺の全身が強張る。
 どうしてか? そんなのは決まっている。


「……俺のせいだ」


 皆の視線が、俺に集中する。


「俺の超振動が……柱ごとアクゼリュスの地表を薙ぎ払ったからだ」

 向けられる視線から目を逸らさず、俺はもう一度わかり易い言葉で繰り返す。

「俺が……殺した。アクゼリュスに居る連中を皆殺しにしたのは、この俺だ」

「しかし、超振動とは二人以上の第七音素術士が居てはじめて引き起こされる現象のはずですが……」

「他の奴らがどうだか知らないが、俺はできる。なにせキャッツベルトの甲板で師匠……あいつが言っていた言葉だからな」

 自嘲の笑みを浮かべ、俺は吐き捨てた。思えば、あのときから奴はこうなることがわかっていたんだろうな。屋敷に剣を教えに来たのも……すべてはあの瞬間のため……。

 暗い感情を瞳に宿らせる俺から目を逸らし、大佐がイオンに顔を向ける。

「……イオン様、私達が来るまでの間にセフィロトでなにがあったのか、教えて下さい」、

 大佐の問い掛けに、イオンが俺の様子を気にしながら、ポツリポツリと口を開く。

「……まずヴァンは僕に扉の開錠を迫りました。そしてセフィロト内部で、パッセージリングになにかし終えると、ルークに柱の傍へ行くよう命じました。それにルークが抵抗するとヴァンは……後はみなさんも知っての通りです。僕が迂闊でした、ヴァンがこんなことを企んでいたなんて……僕があのときに安易に扉を開かなければ……」

「だが直接手を下したのは俺だっ!」

 顔を伏せ後悔の言葉をつぶやくイオンに、俺はそこだけは誤魔化せないと、気付けば叫んでいた。

「しかし、それもヴァンが……」
「あいつが俺に何かしたんだとしても……結局アクゼリュスを崩壊させたのは俺なんだよ。これだけは、誰がなんと言おうが覆せねぇんだ……」

 未だ俺の頭には、崩落する瞬間の光景が──超振動に殺される奴らの叫び声が焼きついてる。

「……俺が殺したんだ。俺のせいで……アクゼリュスは崩落した!」

 握りしめた拳から血を滴り落とし、俺は叫んだ。

「……大佐?」

 不意に動いた大佐が、甲板に背を向ける。

「……艦橋に戻ります。何が起きたか把握できた以上、もう尋ねることはありませんからね。ただ、一言わせて貰うなら……自虐も程々にしておきなさい。そう何度も自分が悪い悪いと繰り返されると、まるでその裏で自分は悪くないと言ってるように聞こえてしまうものです。
 それに……後悔に、区切りはありませんよ」

 そのまま甲板から立ち去るジェイドの背中を、俺はなにも言えぬまま見据えた。

「ルーク……私はまた、あなたの助けになれませんでした」

 ナタリアが俺の傍に歩み寄ると、俺の頬にそっと手を添える。

「こんな私が何を言うとあなたは思うかもしれません。けれど……信じています。あなたが再び立ち上がる日が来ることを……」

 泣きそうな顔を向けながら、俺の頬を一撫ですると、ナタリアもまた甲板から去った。

 何一つ反応できないまま立ち尽くす俺の前に、表情を強張らせたイオンが立つ。

「僕も……あなたと同じです。だから自分を責める気持ちはわかるつもりです。ですが……僕達がいつまでも立ち止まっているわけにはいきません。ヴァンがアクゼリュスの崩落のみを狙っていたとは、僕にはどうしても思えない。ルーク、僕はヴァンを止めてみせます」
「イオン様!」

 アニスはブリッジに戻っていくイオンの後を慌てて追おうとしたが、突然立ち止まり、俺を振り返る。

「あの……元気だしなよ。私、まだ状況とかよくわかってないけど……落ち込んでるだけじゃ、なにも解決しないのだけはわかってるから。だから、元気だしなよ。……じゃあね」

 いつもの取り繕ったものではない本音の言葉を残し、アニスは改めてイオンの後を追った。

「ルーク……ひどい顔だな」
「ガイ……」

 いつのまにか隣に立っていた親友の言葉に、俺は自らの両手を見下ろす。

「俺はまた、なにもできなかった。また……殺しちまったよ」
「……そうか」
「お前は……否定しないんだな」
「そんなことを言ってる相手に、今更俺がかけるような言葉はないからな。自分を許せないのはいいさ。いくらでも責めろ。ただ、これだけは覚えておいてくれ。お前がなにを仕出かそうと──俺はお前の親友だよ」

 擦れ違いざまに俺の肩を叩き、ガイもまた甲板を後にした。

 どいつもこいつも……情け容赦がないね。
 呆れるぐらいに、甘い言葉なんか口にせず、とっとと自分で立ち上がれとケツを蹴り上げる。
 後悔しているような暇も与えてくれない皆の言葉に──そこに込められた信頼に、俺は目頭を押さえ顔を上げる。

 最後に残ったティアが、俺の目の前に立っていた。

「私が……あなたを巻き込んだ。屋敷で襲撃をかけなければあなたは……あのまま屋敷で平穏に過ごせていたはず。だから、この事態は私の責任よ」
「いや……それは違うぜ。師匠が……あいつが俺の傍に近づいた時点で、こうなることはすべて、決まってたんだろうな。……ティアが責任感じる必要はないんだぜ?」
「いいえ。私がもっと兄に注意していれば、こうはならなかった。兄さんが世界を憎んでいることはわかっていたのに、私は自分の個人的な感情に……兄はもしかしたら憎しみを棄てられたのかもしれないという期待に、流されたのよ」

 強情に自分が悪いと続けるティアに、俺はすこし苛立たしさを感じながら、もう一度告げる。

「だが、アクゼリュスを崩落させたのは俺だ」
「……それでも、すべては私の責任よ」

 なんだか互いの顔を見据える視線がどんどん険悪なもんになっていく。高まる緊張感に耐えられなくなって、とうとう俺は頭をガシガシかき回しながら叫んだ。

「だぁーっ! もう、俺が悪いったら悪いんだよ! ティアが責任感じることなんざ何もねぇだろがっ!!」
「いいえ、私の責任だって何度でも言うわ! だからあなたが自分を責める必要なんて何も無いのよ! 責任を感じるなという言葉は、あなたにそっくりそのままお返しするわ!」

「お、俺はだな───」
「わ、私だって───」

 互いに頭に血を昇らせて言い合うこの状況に、俺は不意に既視感を覚え、突然口を噤む。

「……どうしたの? 急に黙り込んで?」
「ああー……なんつぅーか、前にタルタロスで言い争ったときみたいだって思ってな……」

 かつてタルタロスで争った、どっちがお人好しかなんていう──他愛もない言い合いが思い出された。

 ティアもあのときのことを思い出してか、ほんの僅かに表情を緩めた。

「へへっ……なんで、俺達はいつも気付くと怒鳴り合ってるんだろうな」
「……そうね」

 どこか哀しそうに微笑を浮かべるティアに、俺は笑みを返そうとした。しかし引きつった表情はどうしても俺の意志に従わない。目尻から今にも溢れ出ようとするものの存在が、俺に笑うことを許さない。

 途切れることなく押し寄せる衝動が押さえきれなくなって、俺はティアの肩に顔をうずめた。

「る、ルーク?」
「少しだけ……肩を貸してくれ。少しでいいんだ」

 一瞬戸惑ったように声を揺らしたが、彼女は俺を突き放さなかった。

「……っ……っっ……っぅっ──────っ」

 俺は彼女の肩に顔を隠し、押し殺した声で──嗚咽を洩らした。

 ミュウがそんな俺を心配そうに見据え、コライガは物哀しげに遠吠えを上げた。




             * * *




 障気の泥の上を進み、俺達は大瀑布が流れ落ちる魔界の都市に上陸した。

「ふぇ……! これがユリアシティ?」

 物珍しそうに周囲を伺いながら、アニスが先頭を歩きながら驚いたように声を上げる。

 どこか地上の街とは決定的に異なる様相だった。
 そこかしこに人工的な光がともされ、街を形作るものもすべて見たこともないような材質で出来ている。
 一番近いものを上げれば……セフィロト内部の様相が一番近いだろうな。

「ええ。奥に市長がいるわ。行きましょう」

 さっさと先に行く連中の中で、動かない俺に、一人気付いたティアが振り返る。

 彼女の顔を正面から見た瞬間、さっきの出来事が思い出される。
 唐突に沸き上がる気恥ずかしさに、俺は一瞬硬直しちまう。
 しかし、よかったのか悪かったのか、ティアはなんら気にした素振りも見せず冷静な声音で問いかけてくる。

「どうしたの? 行きましょう」
「……いやぁ、まあ、なんつぅーか。少し気分が落ち着いたら、気が重くなってね」

 なんとか言葉を返しながら、俺は足が止まっちまった理由を考えて、気分が落ち込むのを感じた。

 この街がセフィロトを管理していることは既に伝えられている。これから今後の判断を仰ぐ意味も兼ねて、街の市長に会うことになっているわけだが……パッセージリングをぶっ潰した張本人が顔を出すんだ。いったい何を言われるもんだか……気も重くなるってもんだろう?

 俺の尻込みした様子に、ティアがため息をついて口を開きかけ──俺の背後に視線を向ける。

「──とことん脳味噌が足らねぇようだな! 出来損ない!」

 振り返った先に居たのは、セフィロトで奴に連れ去られたはずのアッシュだった。

「お前、アッシュ!? どうしてお前がここに?」
「はっ! 笑いたければ笑え。無様にもヴァンの野郎に助け出された俺をな」

 自嘲的に吐き捨てられた言葉に、俺はあのときのあいつのアッシュに対する態度を思い出す。

 ……そう言えば、あいつはアッシュがあの場所に来たのに意外そうな顔してたっけな。

「おい、劣化野郎。この剣を握れ」
「──って、いきなりなんだよ!?」

 唐突に放り投げられた剣を危ういところで掴んで、掌に視線を落とす。

「これは……げっ、あの剣かよ」

 俺が超振動を放った瞬間、アクゼリュスに起こったあらゆる事象を俺の頭に流し込みやがった剣だった。あの後、あいつに持って行かれたはずだが、アッシュに返されていたのか。

 いったいこいつを俺に渡してどういうつもりか。睨む俺の視線を無視して、アッシュは口を開く。

「どうだ? なにか変わった感じはしないか? 声が聞こえたりとかはしないのか?」
「……いや、なんも無いぜ」

 あまりに真剣な面持ちで尋ねるアッシュに、俺も嘘偽り無く答えた。

「くそっ! そうかよ!」

 乱暴に俺の手から剣を取り返し、アッシュが目を閉じてなにかをつぶやくが、直ぐに舌打ちを洩らす。

「ちっ! やはり駄目だ! とうとう完全に沈黙しやがったってことか……っ! 唯一の切り札はこれで失われた……いや、こうなることがわかっていたから、奴も大して拘りもせず返したってことか……。くそっ! 俺がもっと早くヴァンの企みに気づいていれば……アクゼリュスもっ!」

 拳を握りしめ、なにやら吐き捨てていたアッシュが俺に顔を向ける。

「やはり貴様なんぞに鍵を預けるべきじゃなかったな! もっと頭使って、立ち回れなかったのか!? 俺の代替品のくせに、つくづく使えねぇ奴だっ!!」

 一方的な物言いに、さすがに気分が悪くなる。確かに俺がもっとしっかりしてれば……アクゼリュスがどうにかなったかもしれないことは認めるよ。それでも、代替品とまでこいつに言われるような筋合いはない。

 なにか言い返そうと口を開いた瞬間──その言葉は、吐き捨てられた。

「レプリカってのは能力だけじゃなくて、脳みそまで劣化してるのかっ?」

 俺の意識が、凍りつく。

「レプリカ……だって?」

 思えば、俺が超振動を放った瞬間、あいつも俺にそう呼び掛けていなかったか?

「哀れなレプリカ……あいつもセフィロトで、俺をそう、呼んで……っ! ……まさ、か……っ」

 あえて考えないようにしていた事柄が、アッシュの一言で、次々と関連づけられて行く。

「なんだ……お前、まだ気づいてなかったのか?」

 心底意外そうに、目の前の男は──俺になにからなにまで酷似した男が、目を見開く。

「はっ、こいつはお笑い種だな! なら俺の口から直接教えてやるよ、『ルーク』」

「アッシュ! やめて!」

 俺達の会話を黙って聞いていたティアが、そこで始めて口を挟む。悲痛な叫び声を上げ、その先を続けるのを制止しようとする。しかしすべてを無視して、アッシュはどこか陰惨な喜びを感じさせる笑みを浮かべると、その先を続ける。

「俺とお前、どうして同じ顔してると思う?」

「……う……うそ……だっ……」

「俺はバチカル生まれの貴族なんだ……七年前に、ヴァンて悪党に誘拐されたんだよ」

「……そんな……ことがっ………」

「いい加減、認めろよっ! お前は俺の劣化複写人間、ただの──レプリカなんだよっ!」

 頭が痛む。俺の望む望まざるとに関わらず、脳裏に、デオ峠でなされた一連の会話が蘇る。

 ───でき損ない風情が口をはさむな

 ───知らなければいいことも……世の中にはあるのです。

 ───今は、私も冷静に話せる自信がありません。

 劣化野郎。でき損ない。禁忌の技術。フォミクリー。代替品。紛い物の──哀れなレプリカ。

「……嘘だ……っ! 嘘だ嘘だ嘘だっ!」

 暴かれた世界の真実に──俺は癇癪を起こした子供のように、ただひたすら頭を振り回して、否定の言葉を放つ。認められるはずがない。そんなことが、認められるはずがなかった。

 だから、俺は目の前に立つ存在を否定すべく、剣を抜き放つ。

「……やるのか? レプリカ」
「嘘を、つくんじゃねぇよっ!!」

 構えも踏み込みもなにもかも無視したただひたすらに力押しの一撃を叩き込む。それを苦もなく受け止めたアッシュが、憎悪に燃え上がる瞳で俺を睨み据える。

「はっ、何度でも言ってやる! お前は俺の劣化複写人間、ただのレプリカなんだよ!」
「レプリカと呼ぶんじゃねぇっ!!」

 右腕を振りかぶる。容赦など一切ない。渾身の力を込め、殺意を解き放つ。

「──烈破掌っ!」
「──烈破掌っ!」

 ぶつかり合う技が、互いの身体を後方にふき飛ばす。空中を一回転して衝撃を殺し、俺達は体勢を整えるや否や、再度向き直って突進する。

「……レプリカがっ!」
「俺は……! お前なんかじゃねぇっ!」

 一足飛びに間合いを詰め、俺は剣を振り上げる。相手の渾身の振り降ろしとぶつかり合い、互いの刀身が火花を散らす。

「ぐ…っ!」
「認めたくねぇのは! こっちも同じだッ!」

 アッシュが吐き捨てると同時に、更に強まった力に俺の剣が弾かれる。

「邪魔なんだよ! レプリカがっ!」
「うるせぇっっっ!」

 剣戟が飛び交う。

 かつて廃工場前で交わした円舞が嘘のように、激昂した俺達は技も構えも取らず、ただ獣のようなぶつかり合いを演じる。

 どこまでも粗雑な、力押し一辺倒の攻撃は、ひたすら俺達の体力を削り取っていく。


 全力で交わされたどこまでも泥臭いぶつかり合いの果てに──俺は辛うじて勝利した。


「ぐっ……この俺が……」

 剣を地面に突きたて、体力を使い切ったアッシュが肩で息をしながら吐き捨てる。

「こんな能無しレプリカに、俺が……! はっ、これじゃあ俺の家族も居場所も全部奪われちまうわけだ……。自分が情けねぇ……っ!」

 吐き捨てるアッシュを見据えながら、俺は戦闘の狂気を引きずったまま錯乱したように喚き散らす。

「認めるかっ! 認められるかよっ! 俺は……っ! 俺が……っ! こいつの……──ぐっ!!」

 頭に激痛が走る。

 いつもの電波が飛んで来るときのような感覚が、俺の頭の中をかき回す。しかし、いつもの電波と決定的に異なる点があった。

 頭の中から伸びる、一本の線が見える。

 激痛に耐えながら線の先を辿ると、それは目の前に膝をつく男──アッシュに繋がっていた。

「くっ……これは……」

 脳裏に閃光が走る。

 なにかが、線を伝って自分の中に流れ込んで来るのがわかる。

 これは、記憶だ。

 十歳以前の──ルーク・フォン・ファブレの記憶。
 
「ぐっ……俺は……レプリカなんかじゃねぇ………俺は……俺は……」

 光の合間に浮び上がる過去の光景。


 俺が失ったと聞かされた、生まれた時から途切れることなく続くルーク・フォン・ファブレの──今や『アッシュ』と名乗る男の記憶が、そこにあった。


「俺は……俺は……」


 本当に──俺の記憶は失われたのか?

 そんなもの──最初から存在しなかったんじゃないか?

 欠けるはずの無いものが抜け落ちている俺という存在は、ならば───


「俺はいったい、誰なんだ?」


 その言葉を最後に、■■■■の意識はブツリと途切れた。






[2045] むかしむかしのおはなし 終幕
Name: スイミン
Date: 2007/01/03 17:01





……触媒たる響奏器をパッセージリンクと同調させることで、セフィロトを介した地核──■■■■へ直接アクセスし、■■■の根源たる記憶粒子を大量に引きずり出すことが可能となる。また、■■■■に直接アクセスすることで、■■■■■の「観測」により「確定」された事象以外の未来が「偏在」することになる。結果、■■■■■の力もまた減少するものと考えられる。さらに私見ではあるが……

 ──「響奏器とセフィロトの同調実験」に関する秘匿資料──











【赤の序曲──red overture──】


 このときの俺は、ただ目の前に展開される光景を呆然と見据えていた。

 まるで質の悪い冗談のようだった。どこかに隠れていた仕掛け人が突然現れて、すべては大がかりな冗談だったと告げるんじゃないか──そんな妄想を、本気で信じたくなる。

 しかし、目の前の現実は決して覆らない。

 王城前の噴水広場に、その醜悪な台座は据え置かれている。

 周囲を取り囲む群衆がヒソヒソと囁きを交わし合う。耳元を飛び回る羽虫のたてるような、どこまでも耳障りな囁き声が、広場に響きわたる。集まった貴族どもの顔には、まるで観劇でも楽しむかの様な喜悦の感情が浮かんでいる。

「あいつら……くそっ……」

 食いしばった歯がギシリと音をたてる。思わず洩らした罵声に、ガイがなにかに耐えるように顔を俯けた。無神経な言葉を放ってしまった自分の考えの足りなさに、俺は自分に嫌悪感が募る。

 ガイには無理を言って、ここまで来させて貰った。本当なら、俺はこの場に来る事はできないはずだった。最初、広場に連れて行ってくれと頼む俺に、ガイはそんな光景を見せる訳にはいかないとひたすら否定を返していた。使用人としては、当然の答えだろうと俺も思う。

 しかし、俺はひたすら無理を承知で頼み込んで、最終的には強引にここまで連れて来させていた。

 周囲を見渡すが、アダンテのおっさんの姿は、どこにも見当たらない。

 あの後、いつのまにかその場に居た師匠は俺達から詳しい状況を聞き出すと、できる限りのことはすると約束して、アダンテのおっさんを伴い議会に向かった。この場に姿が見えないということは……未だに議会への抗議を続けているんだろうか? 

 それとも……おっさんには、耐えられなかったのだろうか? 

 彼の最後を、見届けることが──……

 不意に、群衆の騒めきがその質を変える。視線の先、死刑台の脇に控えた男が、すっと腕を動かす。

 向けられた腕の先に、両手を拘束された状態で、連れて来られるギンナルの姿があった。

 執行人が懐から紙を取り出して、罪状を読み上げる。

 ギンナルの表情は動かない。その顔に脅えは見て取れず、どこまでも静かに彼はそこに佇んでいる。

 一方的な宣告が終わると、ギンナルは死刑台への前に立たされた。


 彼は階段を昇る。

 一段、二段、三段……十段、十一段、十二段。

 十三段目に足をかけたところで、彼が歩みを止める。

 取り囲む群衆の中から、彼を見つめる俺の姿を一瞬で探し出し、最後になにかを告げる。


「ルーク。お前の手にしたものはすべて、代わりはきかない……大事に、しろよ」


 前に向き直って、十三段目を踏み込む。

 ガタンッ──


「ルークッ! 見るな────っ!!」


 視界を、ガイの掌が覆い隠す。

 俺の記憶は、そこで途絶えている。

 彼の最後を見届けることすらままならず──

 俺は、意識を失った。









【金の円舞曲──golden waltz──】


 ルークが屋敷の中に閉じ籠もってから、数日が経ちました。未だ彼が外に出て来る気配はありません。

 彼が閉じこもっている理由は……私にもわかりません。

 少なくない情報は私の下にも自然と集まってきますし、推測がつかないという訳ではありません。

 ただ……私が知っていることは、すべて人伝てに聞いた話にすぎません。その場に居ることができなかった私には、彼がいったいなにを思い、感じたのか──すべて想像することしかできません。

 ただ一つわかっているのは、彼が大切な人を失ったという事実。

 あの日を境に、私は毎日のように彼の下へ押しかけました。屋敷に閉じこもってしまった彼の気を紛らわせるために、他愛もない話題を彼に語り続けました。そんな私の行動を彼は邪険に扱うでもなく、私の話に耳を傾けてくれました。しかしそこに浮かぶ表情には、どこか無理が見て取れました……。

 私の中で、自分に対する無力感が募っていった──……そんなある日のことです。

 私がいつものようにルークの屋敷を訪れると、彼は突然玄関に押しかけたかと思えば、私の肩を掴み叫びました。

「ナタリア、俺、やっとわかったぜ! ちょっとばかし俺の頼みを聞いてくれ!」

どこかいつもの調子を取り戻したように見えるルークの様子に、私は安堵すると同時に、少しだけ悪戯心が浮かぶのを感じました。気付けば、私は彼に冗談めかした言葉を返していました。

「ルークが私に頼み事とは……いったいなんの前触れでしょうか?」
「うっ、そこまで言うこたぁ無いだろうに……」

 屋敷に閉じこもって以来見せていなかった自然な表情を浮かべるルークに、私も笑みを浮かべて答えました。

「勿論冗談ですわ。それで……頼み事とはいったいなんでしょう?」
「あー……お前は確か、公共事業とかいうのを、運営してるんだよな?」
「ええ、まだまだ難しいところもありますが、そうですわ」
「俺も、同じようなことがしたいんだ。やり方とかを教えてくれ! 頼む!」

 頭を下げて必死に頼み込む彼の言葉に、私は一瞬息を飲んでいました。

「あなたのご友人の一件は……私も聞き及んでいます。その事と……関係があるのでしょうか?」

 私の無神経な問い掛けにも、彼は少しの間視線を虚空に彷徨わせてから、あいまいな答えを返します。

「まぁ……あると言えば、あるのかもな。なんせ、頼まれちまったからな」
「……いったい、なんと?」

 みんなを頼む。そう短くつぶやくと、ルークは再び私と視線を合わせました。

「孤児院の皆を頼むってさ。一人で先に逝っちまったくせに、勝手に言ってくれるぜと思ったよ。それでもさ、俺が覚えてる限りじゃ、あいつが残した最後の頼みなんだ。聞いてやるしかないだろ? だから、ずっと何ができるか考えてたんだ。それで思いついたのが……ナタリア、お前のやってることだったってわけだよ」

 ここ数日の間、ずっとなにかを考え込んでいたルークの出した答えが……それなのでしょう。

「俺の目指すものは、ずばり王立孤児院の設立だな」
「随分と……大きくでましたね」
「ああ。最初にこんだけでかい事言っとけば、恥ずかしすぎて、途中でばっくれるなんてこと、できやしないだろ?」

 あくまで冗談めかして言いながらも、私には彼の言葉がすべてが本気であることがわかりました。だから、私の返す答えも決まっています。

「ふふっ……わかりました。私の知る限りの知識を、全てあなたに授けましょう、ルーク」
「ああ、頼んだぜ、ナタリア」

 この日を境に、私はルークに事業の運営の仕方などを教えていきました。彼は苦手な勉強に頭を抱えながらも、着実に前へと進み始めました。

 結局、彼は私の手など借りずとも、自分の力で再び立ち上がることができたのです。

 ルークは過去の約束を忘れています。

 それでも、今このときなされた彼の決意は、なによりも尊いもの──

 私はそう……信じています。









【刀の合奏──sword ensemble──】


 ルークはここ数日の間、すべてにやる気をなくしたように屋敷に閉じこもっていた。

 ナタリア様が訪れても屋敷の外に出ることはなく、ひたすらなにかを考え込んでいる様子だった。

 無理もないと、俺は思う。自分とて、家族を失った直後はなにもする気が起きなかった。再び立ち上がることができた理由も、決して他人に胸を誇れるような類のものではないしな……

 だからルークが立ち直るにしても、それには長い時間がかかるだろうと俺は考えていた。

 しかし、俺の予想は完全に外れることになる。

 あの日から僅か数日後、突然部屋から姿を現したルークは、ナタリアに事業について教えを請いたいと願い出ていた。続いて、ちょうど屋敷に訪れていたヴァン謡将に対しても、以前より厳しい、より実戦的な稽古を迫った。

 ルークは訪れた過酷な現実に絶望し、すべてに耳をふさぐでも無く、再び前へと進み始めたのだ。

 その行動に……俺は思わず尋ねずにはいられなかった。

「お前……どうして、そんな風に振り切れたんだ?」

 不躾な俺の問いに、ナタリア様から渡された勉強の資料を読みふけっていたルークが上の空のまま応える。

「んー……? まあ……俺は一回記憶なくしてるからな。後ろだけ向いて後悔してても、どうしようもねぇーって経験でわかってるだけだよ」

 顔も上げずに返された言葉に、俺は息を飲む。

「……過去が、気にならないっていうのか?」

 返された言葉は、俺にとって気に入らないものだった。

 重ねて尋ねた言葉に、あいつは少し億劫そうに顔を挙げると、初めて俺に視線を合わせた。

「気にならないわけじゃねぇーよ。でもさ、前を向けば、そこにやることがあるんだ。そんな目の前にあるもんに手を出してるだけだぜ? 結局バカな俺にできんのはそれくらいだからな」

 それだけだぜ、と肩を竦めると、直ぐに視線を手元の資料に戻した。

 なんら気負うことの無い言葉だった。それ故に、こいつが本心からそう言っているのが俺にも伝わった。

 なんて愚かしいまでに眩しい、真っ直ぐな在り方だろうな……。

 自分の小ささを思い知らされると同時に、そんなことできるものかと、反発する気持ちが沸き上がる。

 だから、一つの誓いを立てた。

「ルーク。お前が俺の仕えるに足る相手になったと思ったら、そのときはお前に忠誠を誓おう。ファブレ侯爵の息子でなく、ルーク、お前自身にな」
「んー……わかったぜ」

 上の空の返答に、思わず苦笑が漏れたのは、ご愛嬌といったところだろうか。


 憎い仇の息子。そんな存在のはずだった。

 それがこの二年の間に、互いに笑い合う──かけがえのない友になった。

 そして今、俺はこいつに対して心の底から笑顔が向けられるようになるためにも、一つの誓いを立てた。

 憎しみを完全に捨てられるかどうかの──賭けに出た。

 最近、いつも思うことがある。

 もし、ルークが仕えるに足る人間になれなかったとしたら、そのとき俺は、いったいどうするのだろうか?

 この疑問に答えが出る日のないことを──……今はただ、願う。








【蒼の交響曲──blue symphony──】


 崩壊した世界であっても、俺の退屈な日常は続く。

 退屈と言っても、何ら変化が起きなかったわけではない。

 大きく変化したことは二つ。

 一つはナタリアから事業について教えを受けるようになったこと。
 もう一つは剣術の稽古に、以前よりも真剣に取り組むようになったことだ。

 事業について言えば、まだまだ先が長い。俺がまったくのど素人ってこともあるが、それ以上に俺の飲み込みが遅いせいで、ナタリアには迷惑を掛けまくっているのが現状だ。しかし、出来の悪い生徒に対してもナタリアは辛抱強く付き合い、毎日大量の課題を残していく。俺は無い頭を使って課題に取り組み、うんうんと唸る毎日を過ごしている。

 剣術稽古について言えば、俺の自己満足の一貫ってのが正直なところだ。もしもあのとき、俺がもっと強ければ、ギンナルは逃げられたんじゃないか……そう考えちまうのが、どうしても止められなかった。だから俺はひたすら厳しい鍛練を求めた。師匠も俺の求めに応じて、これまで以上に苛烈な鍛練を課してくれている。

 親父も、おふくろも、ガイも、ナタリアも……誰もがなにも言わず、がむしゃらに進み始めた俺を見守ってくれている。

 ナタリアから事業について教えを受け、師匠と剣術の腕を磨き、ガイとたまに外へ赴き、孤児院の連中と戯れる。

 そうして日々は瞬く間に過ぎ行き、ある程度新しい生活サイクルが定着し、ようやく周囲を見渡す余裕が出来た──そんなある日のことだ。

 今、俺はアダンテのおっさんが住む宿舎を前にしている。

 あの日から、あっさんとは会っていない。俺自身が屋敷の外に出られるほど気力が持ち直してなかったこともあるが、一番の理由はそれではない。自分の考えなしの行動がもたらした結果が、おっさんにどう思われているのか……それを知るのが、恐ろしかったからだ。

 それでも、俺はおっさんの下を訪れた。あの場に来れなかったおっさんに、ギンナルの最後を伝えるため、この宿舎を訪れたのだ。

 数カ月ぶりのおっさんとの対面に少し緊張を感じながら、俺は扉を明け放つ。

「おっさ────…………へ?」

 何も無いガランとした空間が広がっている。かつて乱雑に積み重ねられたガラクタは、もはや跡形もない。

 部屋からは、全ての荷物が消え失せていた。

 俺は慌てて、宿舎の管理人の下へ駆け込む。

「か、管理人のおっちゃん! アダンテのおっさん──角の部屋の住人がどこ行ったか知ってるか!?」
「ん? あれ、君知らなかったの? 彼なら移動辞令が降りたとかで、ダアトに転属だってさ。なんでも随分と上の人間に気に入られたらしくてね。一足飛びに昇進らしいって噂だよ。うらやましい限りだよねぇ……」

 管理人の言葉が俺の耳を通りすぎる。どこか現実感を無くした言葉が、俺の鼓膜を震わせる。

 アダンテのおっさんもまた、ダアトから姿を消した。俺はその事実に気付くことも出来ないまま、残された結果だけを突き付けられた。

 また俺は何もできなかったわけだ。

 かつて、俺を救い上げてくれた人たちが次々と居なくなっていく現実に、俺は目尻からこぼれ落ちそうになるものの存在を感じながら、必死に歯を食いしばる。

 負ける、ものか。

 俺は意地だけで顔を上げる。

 確かにあの日々はもう二度と帰らないだろうけど、それでも、悔やんでなんかやるもんか。

 俺は、負けない、

 笑っちまうぐらいにすっきりと晴れ上がった蒼天の下、俺はやせ我慢だけを頼りに、顔を上げて前へと進む。


 確かに俺の世界は崩壊した──

 それでも、俺はまだここに居る。







【黒の聖歌──black magnififcat──】


「──ではアダンテよ。我々は明日ダアトへと発つことになるが……最後にもう一度尋ねる。本当に、ルークにお前がこの街を去ることを伝えずともいいのだな?」

 開け放たれた宿舎の扉の向こうに立つ、鎧姿の男が僕を気づかうように声を掛けた。

「ええ……あいつはああ見えて、強い奴ですからね。そりゃ何日かは塞ぎ込むだろうけど、絶対に立ち直りますよ。そこに僕みたいな……トラウマに深い関わりを持ってる人間が居たら、それこそ邪魔になるだけですしね」

 すべての荷物が消え失せた部屋を見回しながら、僕は答えた。

「そうか……。私としては優秀な部下が、新たに我が麾下に加わるのだ。依存はない」

 どこか凄味の感じさせる笑みを浮かべる総長に、僕は苦笑を浮かべるしかないね。

「優秀って……総長は僕を買いかぶりすぎなんですよ。そもそもですね……なんで僕なんかを、あんな重役に付けやがったんですか? 僕は本気で不思議でしょうがないですよ」

 げんなりと問いかける僕にも、総長は一切の冗談を交えずに、本気の言葉を発する。

「それが必要な措置だからだ。異端とあだ名されるお前に、これからはダアトでさらなる研究に励んで貰うことになるのだ。下手な中傷を受けぬよう、それなりの地位についてもらう必要がある。なに、指揮についての座学なら心配するな。優秀な補佐官をつけよう。まあ、異端として名が通っている以上……部下は各派閥から癖のある人材が送り込まれて来るだろうが、これは我慢して貰う他あるまい」
「我慢って……僕としちゃあ、研究できるなら自分一人でも十分なんですけどね」

 次々と説明され行く僕に用意された地位に伴うシガラミに、本気でため息が出ちまうな。なんだかこれまでとのギャップが激しすぎて、自分のこととは到底思えないね。

 げんなりと顔を引きつらせる僕の様子に、総長がわずかに咳払いをする。

「……ともかく、いろいろと調整すべき点が多いのも確かだが、私はお前を迎え入れよう、アダンテ」
「はいはい。わかってますよ。総長には今回の事でいろいろ迷惑掛けたことですし、そう何度も言わんでも協力しますって」

 あくまで軽い調子で返事する僕に、総長がこいつは大丈夫かと言いたげな視線を向け、何かを考え込むように顎を撫でる。続いてなにか思いついてか、突然どこか人の悪い笑みを浮かべる。

「もののついでだ。ここで、略式の任官を下してしまおう」

 総長が腰から剣を抜き放ち、どこか儀式めいた仕種で、刀身を僕の頭上に掲げる。荘厳な雰囲気をまとい剣を掲げる総長に付き合って、僕もその場に片膝をついて胸の前に手を添える。

「この瞬間から、お前を信託の盾騎士団、第六師団長へと任命する。身命を掛けて、尽力せよ、第六師団長、異端のアダンテ──カンタビレよ」
「──了解です、神託の盾騎士団、主席総長ヴァン・グランツ謡将」

 大昔に叩き込まれた略式の敬礼を返す僕に、総長も満足そうに笑みを浮かべた。

「さて、今後お前に行って貰う研究についてだが……実は、以前お前のレポートを目にして以来、更に内容を深めてもらいたいと思っていた分野が一つあってな」
「期待に応えられるか心配ですがね……それで、どんな分野ですかい?」
「集合意識体の使役に用いられる響奏器、地核から伸びるパッセージリンク、そして第七音素の集合意識体たるローレライ。お前がレポートで述べていた、それらの間に存在する記憶粒子との関連性について、より詳細な──……」

 事務的な話を交わし合いながら、僕と総長は宿舎に背を向け歩き始める。

 こうして、僕──アダンテ・カンタビレは街の連中に別れも告げぬまま、バチカルを去ったわけだ。

 誰にも挨拶しないまま街を去る理由として、総長にはカッコいい事抜かしていたわけだが、あれは本心じゃない。

 僕からあいつを奪い去ったこの街──すべてが憎いと感じてしまう前に、一刻も早く僕はバチカルから出て行かなければならなかった。かつてこの街にも輝かしい日々があったことすら、憎しみに塗りつぶされちまう前に……な。

 誰にも挨拶をしないのではなく──できない。

 そんな情けない理由があるだけだ。


 かくして僕のクソったれな世界は崩壊し──

 僕はすべてに背を向け、逃げ出した。















【過去との幕間──cartain call】














 舞台の上で、劇が演じられている。

 過去と名付けられた、どこまでも滑稽な喜劇が演じられている。

 俺は無人の客席に一人腰掛け、進み行く劇をひたすら観賞している。

 どこか芒洋とした意識の中で、俺はこれが夢であることを悟る。

 目の前で進み行く喜劇は予めわかりきっていた終焉へ向かい──終に幕引きの時を向かえた。

 真紅のカーテンが緩やかに降ろされて行く中、盛大な拍手が鳴り響く。

 いつのまにか客席を埋めつくしていた顔の無い観客達が、一定の間隔で拍手を打ち鳴らす。

 舞台上で、定められた役柄を演じるしかない役者達を、盛んに囃し立てる。

 ……なにかが、おかしい。

 俺は言葉にできない違和感を覚える。

 ただの夢にしては、なにかがおかしい。

 違和感の理由が見出せないまま、舞台の幕が完全に降りる。


 視界が、暗転する。


 いまだ、目覚めの訪れる気配は、無い──……





[2045] 4-0・泡沫の夢 《改訂版》
Name: スイミン
Date: 2006/06/14 22:58
【レプリカ──イレギュラー】

 時計が秒針を刻む。
 周囲を囲む壁の色はどこまでも白い。
 時計が秒針を刻む。
 壁にはおびただしい数の時計が並んでいる。
 時計が秒針を刻む。

「──また、来たのか……」

 背後から声が聞こえる。
 顔を向けると、そこには顔の無い誰かが佇んでいた。

 リンゴをかじる音が響く。

 久しぶりだな、と無貌の誰かは親しみの込もった言葉をかけてきた。

 俺も手を上げてそれに応えながら、自分の行動を訝しむ。

 ……なんで俺はこんな普通に対応してるんだ?

 その理由が理解できないまま、俺はそいつと言葉を交わす。

「ん? 今回はこの場が認識できているのか。ああ、なるほど……もう混線どころの話じゃなさそうだ。やれやれ、面倒臭いことになりそうだな」

 リンゴをかじる音が響く。

「それに……僅かではあるが、また一歩こちら側に近づいたようだな。まあ、折角の機会だ。あいつの掌で踊らされる世界を、本来なら主役であった者の視点で認識して来るといい」

 指を打ち鳴らす音が響くと同時に、顔の無いの誰かの姿が消える。
 常に響いていた秒針の刻まれる音が一瞬で途絶える。
 壁にかかったおびただしい数の時計の針は、全て停止していた。

 不意に、目の前に巨大な絵画が現れる。

 俺はそこに描かれた内容に目を奪われる。
 絵には見覚えのある人物達の姿が描かれていた。

 見つめる内に、絵に描かれた人物達が表情を変える。
 見つめる内に、絵に描かれた人物達が言葉を発する。
 見つめる内に、絵に描かれた人物達が身体を動かす。


 意識が、引きずり込まれる────────…………


【婚約者──幼馴染み】


 ユリアシティの一角に立ち尽くし、ナタリアは自らの思考の内に深く沈んでいた。

 彼が自分のレプリカだと、あの人は告げた。

 明かされた事実の意味するものが、最初は理解できなかった。しかし同時に、ある種の納得するものも感じていた。これまで時々抱いていた彼に対する違和感の数々が、次々と解決されていったからだ。

 彼……ルークは自分が約束を交わしたあの人ではなかったのだ。

 そしてあの人……アッシュは誰からも忘れ去られ、一人この七年間を過ごした。

 街の入り口で二人は激突し、今、ルークはティアの家で寝込んでいる。幸いなことに、彼の怪我は大したことないと聞いている。彼が倒れた理由も……精神的な衝撃が主な原因だろうという話だ。

 すべて人伝てに聞いた話だ。いまだ自分は、ルークと顔を合わせる勇気が無い。あの人に対する想いを彼に押しつけていた自分。彼に抱いた感情はすべて人違いであったという事実。彼と過ごした七年という月日は嘘偽りの無いものだとしても……それでも、感情の整理がつかなかった。

 結局これまでの自分は、彼の中にあの人を見ていただけなのだ。これは二人のルークにとって、とてつもない侮辱ではなかったろうか? そんな自分はあの人の瞳にはどう映っているのだろうか……。

 今、アッシュと大佐達は市長と会っている。セフィロトツリーを一時的に活性化させてタルタロスを打ち上げることで、外郭大地に戻るための打ち合わせをしている。おそらく、それに自分もついていくことになるだろう。

 誰からも顧みられることのなかったあの人から、ここで離れることはできなかった。

 しかし、倒れた彼をこのまま残していくことにも胸が痛む。

 ミュウとコライガ、そして……ティアは、ルークに付き添って、この街に残ると聞いている。

 彼女達のように、素直に彼の下に駆けつけられない自分はとても薄情だと思う。彼が自分の幼馴染みであり──家族のように大切な人であることに変わりは無い。それでも、あの人を優先しようとする自分の気持ちがどうしても抑えられない。

 自分は薄情な人間だ。それでも……今はあの人と共に居たい。

 自らの感情に整理がつけられないまま、彼女は地上に戻る。


【導師守護役──第三者】


 ユリアシティの街並みを、イオン様がどこか物哀しげな表情を浮かべ眺めている。イオン様の掲げるスコアに対する見解と正反対な生き方を選んだ街の人々に、なにか思うところがあるのだろうか? 

 そんなイオン様の傍に控えながら、アニスはこれまで起こったことに考えを巡らしていた。

 アクゼリュスの崩落で、突然魔界という場所の存在を知らされた。
 崩落がルークの超振動によって起こされたと知らされた。
 そのルークがアッシュのレプリカであることを知らされた。

 続けて明かされた衝撃の事実に、正直なところ、自分は戸惑うことしかできなかった。

 だから、ある程度落ち着けた今になって、ようやくすべての事態の中心にあった彼のことを考える余裕ができた。

 ルークは自分にとって、最初さして気にかけるような相手ではなかった。キムラスカの貴族と聞いて、玉の輿に最適な相手とうそぶいていた時期もあったが、それもいつのまにか単なる冗談になっていた。

 お金持ちの貴族様という対象として見続けるには、彼はあまりにも……間抜けなやつだったのだ。

 下町に居るようなチンピラ染みた言葉づかいに、自分をまるで飾らないといえば聞こえはいいが……正直頭の悪そうな態度。そのどれもがあまりに型にはまりすぎていて、本当に貴族? と首を傾げたくなることもしばしばだった。

 そんな彼が本当の意味で自分の関心を引き始めたのは、イオン様のことがあったからだ。

 イオン様はなぜか、その頭悪そうなちんぴらと仲良くし始めてしまったのだ。正直、仰天ものでしたよ。なんでよりにもよって、あの気品があっておおらかなポヤポヤ坊ちゃんのイオン様が、あんな正反対の相手と友達になっちゃってるのよ! と慌てまくりましたよ。

 しかし、たとえどれだけ理解しがたい現象であっても、一旦なってしまった以上は仕方がない。

 護衛対象に従って、自分もしぶしぶ彼と付き合ううちに、なぜイオン様が彼に引かれたのか、理解できてしまった。

 彼はなんというか……熱血バカ?

 自分の考えてることをすぐに口に出して、周囲から突っ込みを喰らう。いろいろと一人で考え込んでいるかと思えば、周囲からは意味不明な突発的な行動に出る。自分にとってはどれも呆れるしかない行動だったけど、そんな彼の態度がイオン様にはどこか眩しく見えていたようだ。

 教団内の様々なシガラミに囚われ、真の意味で自分の考えというものを表に出せない『導師イオン』にとって、どれほど頭悪そうでチンピラ染みた態度であっても、しっかりと自分というものを表に出して他人と接している彼の姿は、憧憬の対象だったのだろう。

 彼の前では導師イオンであっても、一人の少年の顔が表に引き出されているのが他ならない自分にはわかった。

 おそらく、彼はイオン様に初めてできた──友達なのだ。

 教団の導師としてではなく、少年イオンの友達。

 ずるい。

 そんな少なくない嫉妬心が沸き上がるのを感じていた。自分では……決してそんな立ち位置に来れないことがわかりきっていたから。それでもイオン様にとって、彼という存在はとても有り難いことも、十分すぎるほどわかりきっていた。

 正直、複雑な心境だったわけですよ。

 そんなとき、自分の他愛もない嫉妬心など吹き飛ばす、あまりに壮絶な事態が彼に襲いかかった。

 ルークはアクゼリュスを自らの手で崩落させ、それから立ち直る間も置かれずに、自分がレプリカであったという事実を突き付けられた。

 どう受け止めたらいいのか、よくわからなかった。あまり付き合いの深くなかった自分でもそうなのだから、彼の幼馴染みや当の本人にしてみれば、世界が一変するほどの衝撃だったろう。

 今の彼はティアの家で寝込んでいる。彼の幼馴染み二人組は複雑な表情を浮かべ、街をうろついているみたいだ。

 自分とイオン様は、市長に地上へ戻る方法を聞いてくると告げたアッシュと大佐の帰りを待っている。

 あまり深い関わりがなかった自分は、彼の所に顔を見せる気にならなかった。

 しかし、さして深い関わりを持つ前だった自分だからこそ、見えてくるものもある。

 自分がこれまでの旅で接してきた相手はルークであって、レプリカかどうかは関係ない。イオン様の友達で、自分にとっては少し気に入らないチンピラである。そのことがわかっていれば十分だ。

 だから再び彼に会ったなら、自分はこれまでと同じような態度で、少しの本音も交えながら、彼と接していくことになるだろう。

 頭の悪いチンピラのような、少年イオンにできた初めての友達と──……


【世話係──親友】


 悠然とタルタロスの指揮官席に構え、矢継ぎ早に指示を下すアッシュを見据えながら、ガイは少し物思いに更けっていた。

 思えば……あいつとルークはなにもかも違っていたんだな。

 どこか使用人とは一線を引いていたあいつに対して、今のルークはどこまでもあけすけに自分に接してきた。

 かつて俺の知っていたあいつは、自らの地位にのしかかる重みを理解し、それに相応しい行動を取ろうと常に努めていた。キムラスカ王国の貴族として、王国の民のことを真剣に考え、それに相応しい自分であろうとしていた。その年齢にして立派な心掛けだとは思うが、そんなあいつの態度は自分にとって……ひどく冷めた感情を抱かせた。

 所詮、あいつは敵国の人間に過ぎないと。

 そんな認識が変わったのは、やはりあいつがすべての記憶を無くして──結局あいつとは別人だったことになるんだが──屋敷に返された姿を見たときだろう。

 俺と今のルークが初めて顔を合わせたのは、雲一つない昼下り、屋敷の中庭でのことだった。

 花壇の傍に置かれたベンチに腰掛け、ルークは空を見上げていた。

 弛緩しきった筋肉が重力に引かれるまま顔を上向かせ、なにも感情の宿らない瞳を空に向けていた。子供ながらに国の行く末を真剣に考えていた、かつての姿は見る影もない。どこか人間らしさを失ってしまったあいつの姿に、自分の復讐心は満たされることはなく、むしろ激しい動揺が自分を貫いた。

 ……俺がしたかったのは、こんなことだったのか?

 迷いが生じのは、このときからだ。

 その後あいつの世話係として、かつてとはまったく異なる位置に立って、ルークに付き合ってきた。いろいろなことがあったが、それでも前へ進もうとするのを止めないルークの姿を見る内に、いつのまにか憎しみが自分の中心を占めることはなくなっていた。

 しかし、かつてのあいつ──アッシュの姿を再び目にしたことで、かつて自分が抱いていた感情がありありと蘇ってくるのが感じられた。なんとも複雑な気分だ。

 ……憎しみは完全に捨て去ったはずだったんだけどな。

 ままならない感情の動きに、俺は苦笑を浮かべていた。

「……残らなくてもよかったのですか?」

 突然、脇に立つ大佐が俺にだけ聞こえるような声音で問いかけてきた。

 なにやら考え込んでいる俺の様子に気付いて、心配になったってところだろうか?

「俺はアッシュのやつをまだ信用していないからな。なにを考えているのか見極める必要があると思ったまでだよ」

 肩を竦めて答えて見せると、大佐は無言のままその瞳をこちらに向けて来る。それだけじゃないでしょうと、彼の目は無言の内に語っていた。

 俺は頬をかきながら、言葉を付け足す。

「ま、それに……あいつが起きたときに、いつでも動けるようにしとかないとな。そのためには、情報集めとく必要があるだろ? 大佐の方こそ、よく六神将のアッシュについて行く気になったな。大佐も意外とうちのルークのやつを気にかけてると思ってたんだが、残ろうとか考えなかったのか?」

「さて、どうでしょうね。ただ、私は立ち止まってる人間に興味はありませんからね」

 辛辣な台詞を言い切る大佐に、俺は大げさに両腕を上げて見せた。

 わずかに眼鏡を押し上げ、大佐が表情を覆い隠す。

「彼は……立ち上がることができますかね? アクゼリュスの崩落から間を置かずに、自らの存在を揺るがすような事実を告げられたのです。あなたの言うように、彼が意識を取り戻してすぐに動き出せるとは……私には思えません。こういう時こそ、お友達の出番というものなのではないでしょうか?」

 冗談めかした言葉の裏に見え隠れする、大佐の真摯な忠告の言葉に、しかし俺は胸を張って言い返す。

「それに関しては心配するまでもないな。意識を取り戻したなら、すぐにでもルークは動き出そうとするはずさ。なにせあいつは底抜けの──」

 指を一本立てて、俺は重大な秘密を打ち明けるように小さく囁いた。

「バカ、だからな」


【燃え滓──オリジナル】


 一時的に活性化して記憶粒子が、莫大な奔流となってタルタロスを押し上げる。広げられた帆が膨らみ行き、一瞬の衝撃の後、俺達は地上に舞い戻っていた。

「……成功か」

 なんとかタルタロスの打ち上げには成功したようだ。知識としてはうまくいくものだとわかっていたが、それでも実際に実行するとなると僅かな緊張を抱くのを禁じ得ない。

「どうやらうまく上がれたようですね」

 厭味な口調の中にも安堵を感じさせる表情で、メガネがつぶやいた。

「ここが空中にあるだなんて信じられませんわね……」

 ナタリアが洩らした言葉には俺も同感だ。ヴァンに話としては聞いていたが、一度も訪れたことはなかったからな。

 魔界の連中についても、同じように知識としては知っていたが、あれほどまでに預言の絶対性を盲信しているとは予想外だった。あの分じゃ、他の大地が崩落する可能性を警告しても、聞く耳を持たんだろうな。

 ヴァンがなにを思ってアクゼリュスの崩落を考えついたのかはわからんが……預言を、引いてはスコア通りに動く外郭大地の人間を憎んでることは確かだ。

 ……魔界に残った女と能無しが、やつらに危機感を促すのを期待するしかないか。

 そう自然に思ってしまった直後に、俺は盛大に舌打ちを洩らす。

 ちっ……忌ま忌ましい。いまだあいつに俺と同じ働きを期待するのを止められないとはな。

「それで? タルタロスをどこへつけるんだ?」

 ガイの問い掛けに、俺はひとまず頭を切り換えて、顔を上げる。

「ヴァンが頻繁にベルケンドの第一音機関研究所へ行っている。そこで情報を収集する」
「主席総長が?」
「俺はヴァンの目的を誤解していた。奴の本当の目的を知るためには奴の行動を洗う必要がある」
「ん? お前もヴァンの目的がわからないのか?」
「……」

 ガイの意外そうな言葉に、俺は沈黙するしかない。

 そう、俺は奴の目的がわからない。奴の掲げていた目的は、スコアの無い世界へ向けた改革だったはずだ。それがどうして外郭大地の崩落なんて行動に結びつく? アクゼリュスの崩落が、事象が預言通りに進んでいると見せかけるために必要な措置だったとしても、他のセフィロトの扉まで一々導師に解呪させる必要がどこにある? やはりすべての大地を崩落させる前準備だとしか思えないが、その目的はなんだ?

「……ここ一年の間、奴は極力情報を閉ざしていた。おそらく、俺が奴に違和感を抱いたのを悟ったんだろう。シンクの奴が監視についたせいで、情報を探ろうにも俺は碌に身動きがとれなかった」
「なるほどな。……結局目新しい情報は無しか」

 どこか拍子抜けたように肩を竦めるガイに、俺は思わず反発を覚えて頭の中の情報を探る。

「ただ……ここ最近のあいつが、集合意識体の使役に用いられる響奏器を集めさせていたのは確かだ」

 俺は自分の腰に吊るされた、鍵に視線を落とす。奴曰く第七奏器と呼ばれる譜術武器の一つ。かつてはこれを握ると頭に届いていた声も、アクゼリュス崩落以降、まったく聞こえなくなった。

 やつの計画と関連があるのかはわからないが……響奏器についても、いずれより詳しく知る必要があるな。

「まあ、それはともかく。私も知りたいことがあります。ヴァンの情報を探るというのなら、少しの間協力しましょう」
「……俺はタルタロスを動かす人間が欲しいだけだ。お前らは操縦に手を貸せばそれでいい」

 協力するなどと、簡単に言ってくれる。あの能無しと馴れ合っていた連中に、そこまで期待はしていない。

 硬い声で拒絶を返した俺に、ガイが妙に不可解そうに首を傾げる。

「タルタロスを動かすだけなら、自分の部下を使えばいいだろう?」
「それは……できない。俺の行動がヴァンに筒抜けになる」

 俺の応えに、ガイはどこか不審そうな目を向けた。

 確かに、自分の部下の統制も満足にできないなんて言葉が、胡散臭いというのは理解できる。だが、これは事実だ。俺の下に配属される連中はすべて、奴の息がかかった人間しかいない。ある程度懐柔しようと会話を重ねても、数カ月と経たない内に配置換えがなされ、結局徒労に終わるのが常だった。

「騎士団はほぼヴァンの手中にあるものと考えろ。モースの奴が教団で派手に動けるのも、六神将が全て大詠師派に属すと公言し、軍が後ろ楯になっている点が大きい。なんの裏も無く導師派として知られる軍の人間が残っているのは……せいぜい第六師団ぐらいだろうな」

 教団内部でも異質な存在、異端の二つ名を持つ人間に率いられた、派閥としても一枚岩では無い第六師団の連中を思い出す。

「うう~……騎士団が総長の手中にあるって……そうすると教団に帰ったら、真っ先に総長に狙われるってことじゃん! どうしましょう、大佐~」

 涙ぐむガキの肩に手を置き、子供に優しいナタリアが慰めるように肩を撫でる。

「それなら、私達と一緒に行動したらいいじゃありませんか。和平がなれば、両国から正式な抗議を申しつけて、ヴァン謡将の責任を追求できるかもしれませんでしょう?」
「ナタリアの言う通りです。それに、僕もまだダアトに帰る気はありません」
「う~。イオン様がそう言うなら、わかりましたよ……」

 多少不満げながらも了解するガキと導師のやり取りに、思わず苛立ちを感じる。

「ふん。ベルケンドはここから東だ。さっさと手伝え!」

 乱暴に指示を下し、俺はそれ以上の思考を止める。

 導師と護衛という立場にありながら、確かな繋がりを感じさせる……そんな生ぬるい関係を持った二人に、この俺が嫉妬してるなんて考えは、到底認められるはずがなかった。


 * * *


 ベルケンドは音機関の研究所が軒を連ねる異質な街だ。街の各所に音機関の試作機が無造作に置かれていたりする。そして……かつて俺が超振動の実験を受けさせられた地でもある。

 少し顔をしかめながら、ベルケンドの街並みを見据える俺に、ナタリアが声をかけてくる。

「ベルケンドはあなたのお父様の領地でしたわね……覚えていますか? 昔二人でベルケンドを訪れたときのことを。あのとき、あなたは見知らぬ土地に気後れする私の手を引いて……」
「……研究所は奥だ。行くぞ」

 話を遮り歩き出す俺の背後で、小さく俺の名を呼ぶナタリアの声が響いた。

 ナタリアが俺の気を紛らわせようとしてくれたのは……わかっている。だが、ここは俺にとって、ただ懐かしいだけの場所ではない。過去の思い出に浸ることは……痛みを伴う行為でしかない。

 沈黙が続く中、俺達は第一音素研究所に入る。ここは公爵に取り入ったヴァンに全権が任されている。

 ヴァンがあれほど頻繁にここを訪れていた以上、なんらかの情報が残されている可能性は高い。研究員に話を聞き込みながら、さらに奥まった場所まで到達したところで、俺はそいつの存在に気付き、息をのむ。

 見据える俺の視線を察してか、顔を上げたそいつの視線が俺と交差する。

「おまえさんはルーク!? いや……アッシュ……か?」
「はっ。スピノザ、てめぇのようなキムラスカの裏切り者が、まだぬけぬけとこの街に居るとはな。笑わせてくれる」

 嘲笑する俺の言葉に、ナタリアが目を見開く。

「裏切り者とは……いったい、どういうことですの?」
「こいつは、俺の誘拐に一枚噛んでいやがったのさ。研究者って人種は、業が深いもんだ。目の前に格好の研究素材があったら手を出さずにはいられないらしい」

 こいつもヴァンの甘い言葉に乗せられた口だろうが、それでも俺という存在が奪われた理由の一端はこいつにある。自然と漏れ出した殺気に当てられ、スピノザがガタガタと震え出す。

「まさかフォミクリーの禁忌に手を出したのは……!」

 だが、俺の無意識の殺気を上回る鬼気を発しながら、メガネがスピノザを睨めつけた。

「ふん……ジェイド・カーティス。あんたの想像通りだ」

 興を削がれた俺は一歩下がり、メガネに道を譲ってやる。俺の言葉にスピノザが目を見開く。

「ジェイド! 死霊使いジェイドか!?」
「……フォミクリーを生物に転用することは禁じられた筈ですよ」
「フォミクリーの研究者なら一度は試したいと思うはずじゃ! あんただってそうじゃろう、ジェイド・カーティス! いや──ジェイド・バルフォア博士! あんたはフォミクリーの生みの親じゃ! 何十体ものレプリカを作ったじゃろう!」

 見苦しいスピノザの弾劾に、その場に居た連中の視線がメガネに集中する。俺と導師以外はその事実を知らなかったのか、どう反応したらいいかわからないといった表情だ。

 注がれる視線に、メガネは顔を背けるでも無く、静かにかぶりを振って見せた。

「……否定はしませんよ。フォミクリーの原理を考案したのは私ですし」
「ならあんたにわしを責めることはできまい!」

 口角から泡を跳ばし、責任を転化しようとするこいつの姿に……俺は既視感を覚える。いったいなにと似ていると思ったのか、記憶を探る内に──愕然とする。

 こいつの物言いは、なぜか、俺があの能無しに叩きつけた言葉を思い返させたのだ。

「すみませんねぇ。自分が同じ罪を犯したからといって相手をかばってやるような傷の舐めあいは趣味ではないんですよ。私はあの技術を、他の誰でも無い、自分が背負うべき罪として自覚しています。だから、禁忌としたのです……」

 メガネの告げる言葉を耳にしながら、俺は動揺を必死に抑える。

 俺が……いったいあいつになにを期待していたのか、もう一度考えろ……


 ダアトに誘拐され目覚めた俺に、ヴァンは既にお前が帰るべき場所はないと告げた。フォミクリーによる複写人間──レプリカが既にバチカルに帰されていると。

 あの日から、俺の帰るべき場所は無くなった。もはや存在を奪われた俺は名前を棄て、聖なる炎の燃え滓……アッシュと名乗るようになった。

 ヴァンはスコアに支配されぬ世界を目指し、暗躍を始めた。それに付き合わされる内に、俺は次第に奴の考えに共感していった。だが、ここ一年の間、奴の出す指示に不審なものが見られるようになってきた。意味を理解できないセフィロトの解錠、創世歴時代に作られたという響奏器の回収……。奴の真意を探り始めた俺に気付いて、シンクが俺の監視として振り分けられるようになった。

 もはや自由に動けなくなった俺が、自分の代わりとなって動く相手を探していたとき──ヴァンに渡された鍵を通して、俺に語りかける声があった。そいつの存在に関して話すと長くなるため今は省くが、ともあれ剣を介して語りかけてきたその声は──もう一人の俺の存在をほのめかした。

 俺はひとまずレプリカの様子を伺うべく、タルタロス襲撃の際、あいつを監視することにした。だが、そこで目にした相手は……決して俺ではありえなかった。なぜヴァンがレプリカの話をするとき、でき損ないと言うのか理解した。

 カイツールの国境で顔を合わせたときも、気付けば俺はそのでき損ない──劣化野郎に切りかかっていた。しかし不意打ちの斬撃を──そいつは躱してみせた。数度切り結んだ結果、それほど使えない相手でもないことに気付かされた。だが、そんな完全に別人でも無く、しかし決して自分ではありえない、俺という存在を食い潰した紛い物に対する殺意が、抑えようのない域にまで高まっていくのを感じた。

 そのときは反射的に殺しかけたところでヴァンが乱入し、最終的に俺が退く事になったわけだが……俺はその劣化レプリカがそれほど使えないやつでもなさそうだという結論に達した。

 コーラル城でディストに回線を開かせ、いつでも連絡が取れる状態にさせた後、あいつがヴァンの計画を妨害するよう動くのを狙って、折りを見て情報を流すようになった。ダオ遺跡に導師が連れて行かれたときも対応はあいつに任せて、俺はヴァンの狙いを探るべく一人動いていた。そして、俺はようやくアクゼリュスで計画されていた事態に気付いた。

 だが、既にすべては遅かった。辿り着いたセフィロトで、俺の目の前で、劣化野郎の超振動が発動する瞬間を目にした。崩落する大地を成す術もなく見据え、俺はヴァンから離れ、魔界の地に降りたった。

 鍵を介して時折聞こえていた声も、もはや俺の耳には届かなくなっていた。

 ユリアシティの入り口であいつを目にした瞬間──俺の理性は吹き飛んだ。

 俺に代わってアクゼリュスを崩落させたあいつに、殺意を解放した。俺がヴァンを止められなかったことに対する苛立ちも含めて、あいつを罵倒した。そう──俺の後悔までをも、叩きつけたのだ。

 自らの背負うべき責任から……一瞬とは言っても、確かに俺は目を逸らし、あいつになすり付けたのだ。


 俺が──この無様な老人と、同類か……

 自己に対する嫌悪の感情が沸き上がる俺を余所に、メガネに返された言葉に、スピノザが目に見えた狼狽を始める。

「わ、わしはただ……ヴァン様の求めに応じただけじゃ! それに……今やわしの行った事もすべて無意味なものとなった。なぜわしが未だキムラスカの研究所に居るか、その理由がわかるか? わしはすでに、ヴァン様にとって用済みの人間なのじゃよ……研究はすべてディストのやつが引き継ぎ、わしは……捨てられたのじゃ」

 自らを切り捨てられた人材と語るスピノザに対して、俺がかけるべき言葉はない。そんな愚痴を聞くよりも、今は少しでもヴァンに関する情報が欲しい。

「……だが、ヴァンのやつは今もこの施設を頻繁に訪れている。なにか知らないのか? 答えろっ!」
「……知らぬ。本当に知らなんだ。わしは……あの人が恐ろしい。ヴァン様は自らの定めた道を行く事に対して、微塵の躊躇いを覚えぬ。必要なものはすべからく手にし、使い終われば惜しげも無く打ち捨てる。今、ヴァン様がなにを考えているのか……わしなんぞに、わかるものではない。……お主とて、不安を感じて居たのではないか、アッシュよ? いつ切り捨てられるか、わからないと……」
「違うっ! てめぇは、ヴァンに盲目的に従うことを自らの意志で選んだのさ。俺は……奴の掌から抜け出して見せる。切り捨てられることなど恐れん。……てめぇはそこで、一生震えていろ」

 スピノザの呼び掛けを切り捨て、俺は背を向けて歩き出す。

 こいつの姿は、俺の末路の一つだ。ヴァンに利用された人間の行き着く先の一つだろう。だが、俺は奴に利用されたまま終わるつもりはない。俺の人生を、これ以上弄ばれてたまるものか……っ!

「待て……このファイルを持っていくといい」

 背中にかけられた声に、俺は少し意外さを感じながら振り返る。

「ヴァン様が地核の記憶粒子について、この研究所でまとめさせていた資料だ。まだわしが関わっていた時分の不完全なものだが、なにもないよりはましだろう。
 祈っているよ……お主が、ヴァン様に抗えることを……」

 それには応えず。俺は受け取った資料を手に取り、スピノザに背を向けた。

 研究所の外に出たところで、俺はスピノザに渡された資料にざっと目を通す。

「これは……パッセージリンクと記憶粒子についての研究か……なっ!? いったい……どういうことだ? ヴァンはいったいなにを……」

 俺は目にした資料がなにを意図しているのか理解できず、思わず言葉を洩らしていた。

「どうしたのですか?」
「見ろ。パッセージリンクを介して、地核から強制的に記憶粒子を引きずり出す方法がいろいろと考察されている。それだけなら別に不思議なことはないが……その量が尋常じゃない」
「これは……タルタロス級戦艦が数万台は楽に動かせるほどの量ですね。これほど大量のエネルギーを引き出して、いったいなにを……──っ!? これは……!」

「あー……いい加減俺らにもわかるように口に出して説明してくれないか? 大佐さんよ」

「……このファイルによると、すでにパッセージリンクの耐用年数は限界が近いと記されています。そのため、ここで述べられているように、パッセージリンクを介して記憶粒子が強引に引きずり出された場合、セフィロトツリーは暴走状態に達し、機能不全に陥ると……」

 説明の途中で、大地を振動が貫く。

「地震!?」
「きゃ……!」 

 ナタリアが短く悲鳴を上げて、地面に倒れそうになる。危ないっ! 俺が咄嗟に伸ばした腕の中に、ナタリアが倒れ込む。俺とナタリアの視線が至近距離で交わる。少しの沈黙を挟んだ後、頬を染めたナタリアが俺に礼を言う。

「あ、あの……ありがとう……」
「……前にもこんなことがあったな」
「そうでしたわね……。城から抜け出そうとして窓から飛び降りた私を……」

 少し過去の感傷に浸ってしまった俺は、その想いを振り切るように、かぶりを振ってナタリアから身体を離す。続いて、今起きた地震の原因を分析する。

「今の地震……南ルグニカ地方が崩落したのかも知れん」
「そんな! 何で!?」

 関連がわからないと叫ぶガキに、俺は律儀に説明を口にしてやる。

「南ルグニカを支えていたセフィロトツリーをあの脳無しが消滅させたからな。今まで他の地方のセフィロトでかろうじて浮いていたが、そろそろ限界の筈だ。
 それに……このファイルに記されているようなことが他のセフィロトで行われていると考えれば、話はもっと簡単だ。さっきそのメガネが説明したように、暴走状態に達したセフィロトツリーはうまく記憶粒子を噴出できない状態になる。この意味がわかるか?」

 俺が示した可能性に思い至ってか、ガイが表情を強張らせる。

「つまり……他の大地も崩落する危険性があるってことか?」
「そうだ。俺たちが導師をさらってセフィロトの扉を開かせていたのを覚えているか? 今思えば、あれはこのための準備だったということだろうな」

 あのときはなんのための指示だったのかわからなかったが、このファイルに示されているようなことを狙っていたのなら、すべてが繋がる。

「確かに、僕がダアト式封咒を解錠したセフィロトに入ることは可能です。その上、ホドとアクゼリュスのパッセージリンクが失われた現在、アルバート式封咒も無効化されました。
 しかし、それでも未だパッセージリンクの操作はユリア式封咒で封印されています。封咒によって一時的に存在そのものを凍結されたパッセージリンクには、誰も干渉できないはずなのですが……」

 あくまで信じたくないのはわかるが、そう何度も説明を求められると苛立ちが先立つ。

「だから、ヴァンの奴はそいつをどうにかして動かしたんだろうよっ!」

 吐き捨てる俺の苛立ちを抑えるように、メガネがその先の言葉を引き継ぐ。

「つまりヴァンはセフィロトを制御できるということですね。ならば彼が今後取るであろう行動は……この資料に記されているように、各セフィロトで地核から過剰なまでの量の記憶粒子を取り出すことでしょうか? しかし、その目的はいったい……」

 確かに目的に関しては、このファイルからは一切読み取ることができない。その上、そもそもこのファイルで検討されている記憶粒子を取り出す方法からして、どれも最終的には実行不可能と結論づけられている。いったいどうやって、奴はそれを可能にしているんだ? スピノザの研究を引き継いだ奴が、なにか新しい方法を発見したのだろうか? 現時点で手元にある材料で関連づけられそうなものは……

 俺は不意に、腰に吊るされた剣に視線を落とす。これを俺に渡すときに奴が口にした言葉を思い出す。

 ──すでに分析が終わり、しばらくの間、倉庫に死蔵されるはずだったものだ。なかなかの曰くのある品だが、お前にくれてやろう。ふっ……銘は《鍵》とだけ呼ばれている。集合意識体を使役すると言われし、響奏器の一種だ──

「──結局わかったことって、総長がセフィロトでなにかしようとしてるってことだけ?」

 ガキの言葉に、俺は意識を現実に戻す。

「……今はそれで十分だ。ただ俺が聞いた話では、次はセントビナーの周辺が落ちるらしい」

 何気なく告げた俺の言葉に、一同に緊張が走る。

「セントビナーが崩落ですか……一度帝都に帰還する必要がありそうですね」
「僕も一緒について行ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんかまいませんよ。最初の予定でも……アクゼリュスの救助が成功した後で、イオン様とはグランコマに向かう予定だったことですしね」

 導師の問い掛けにメガネが律儀に応えるのを待って、俺は言葉を告げる。

「行くぞ」
「行くって、どちらへ……」
「ヴァンの動向に関しては、俺一人でどうにかなる。お前らを帝都まで送ってやる」

 すぐにでも動こうとした俺の背中に、その声は届いた。

「──俺はここで降りるぜ」

「……どうしてだ、ガイ」

 僅かに動揺を感じながらの問いかけに、ガイは頬をかきながら、照れたような表情で答えた。

「だいたいの情報は集まったんだ。そろそろルークを迎えに行ってやらないといけないからな」

 温かい目をして、あいつを引き合いに出すガイの言葉に、俺の胸に貫かれたような痛みが走る。

 ……理解していたはずだった。ガイにとって、俺がどういう存在か。それでも、こうして目の前で突き付けられた、俺とあいつに対する態度の違いに、動揺を禁じ得ない。

 なにも言葉が返せなくなった俺の横で、ナタリアもまたどこか苦しげな表情を浮かべていた。

「……ガイ、私は……」
「ナタリアにとって、約束を交わした相手がこいつだってのはわかっているさ。だけど……それと同じように、俺が親友になったのはあのバカの方なんだよ」

 優しい瞳で言葉を紡ぐガイの顔が、俺は見ていられなくなって顔を背けていた。

「それに、俺がいないと心配なんだ。なんせあいつ底抜けのバカだからな。立ち直ってるにしても、それで今度はどんなこと仕出かそうとするか、わかったもんじゃない」

 耳に届く言葉に、俺は胸に膨らみ行く考えを否定する。俺は、そんなことは考えない。決して、そんなことは考えない。仮に俺がダアトに誘拐されていなかったとしても、こいつは同じように俺のことを語っただろうかなんてことは……決して、考えない。

「迎えに行くのはいいですが、どうやってユリアシティへ戻るつもりですか?」
「あ……それは考えてなかったな。どうしたもんか」

 腕を組んで考え始めたガイに、俺は気付けばその情報を口にしていた。

「……ダアトの北西にアラミス湧水洞って場所がある。もしもレプリカがこの外殻大地へ戻ってくるなら、そこを通る筈だ」

 俺の言葉に一瞬呆気にとられたように目を見開くと、ガイは僅かに苦笑を浮かべた。

「悪いな、アッシュ」
「……フン。おまえがあいつを選ぶのは……わかっていたさ」

 負け惜しみのような言葉しか出て来なかったが、それにガイはさらに苦笑を深め、もう一度礼を言った。

「ガイ……私達はグランコマに向かいます。もしあなた達も帝都に向かうようなことがあったなら、軍の受け付けでこれを出しなさい。すんなりと中に通して貰えるはずです」

 なにかの認識票のような譜陣が描かれた名刺大の紙片を渡すメガネに、ガイが感心したように口笛を吹き、受け取って懐にしまい込む。

「大佐もすまないな。ありがたく貰っておくよ」
「ガイ……彼を、頼みます。私は……まだ彼とどう向き合ったらいいのか、わかりません……」

 わかってるよとガイは頷くと、すぐに身を翻した。

「それじゃ、またな」

 颯爽と去っていくガイの背中を見送って、俺はわずかに握り込んでいた拳から力を抜き去る。

「ルーク……ガイを、引き止めないのですね」
「……その名前で呼ぶな。それはもう、俺の名前じゃない」

 そう、俺の名はアッシュ。

 聖なる炎の燃え滓に過ぎない俺に、もはや手にできる絆など、存在しない……──


【レプリカ──ルーク】


 気がつくと、俺はまたもその空間に立ち尽くしていた。
 目の前に掛けられていた絵画はその存在を消している。
 動き出した時計が、再び秒針を刻み始める。

 リンゴをかじる音が響く。

「さて、どうだった? 本来主役となるはずだった者の世界に対する認識は、さぞかし複雑な感情に支配されていたことだろう」

 振り返った先に、無貌の誰かが存在していた。無貌の誰かは漆黒のソファーに腰掛け、リンゴを片手に弄んでいる。時折なにもない顔に近づけられたリンゴから、確かにかじられる音が響く。

「完全同位体なんて存在は、そもそもその在り方からして異質なものだ。世界の要請により必然として生み出される存在……なんとも難儀な概念だ。お前もそう思わないか──レプリカルーク?」

 無貌の誰かの呼び掛けに、俺は意識が定まらぬままなにかを答えた。
 俺の答えを耳にした瞬間、そいつは盛大に噴き出した。

「くくっ……なるほど、な。やはりイレギュラーの登場もまた、世界の要請ってやつなのか。なんとも煩わしいことだが、お前も大分こちら側に足を踏み込んできたらしい。さすがは■■■■■■──っと、これはまだ閲覧外の事項か」

 理解できない言葉を一方的に語られているというのに、俺は一切感情を動かさないまま、無貌の誰かの言葉に聞き入る。

「ともあれ、どちらにせよ現実に目覚めたとき、ここで見聞きしたことは全て忘れているだろう。だが」

 わずかに間を開けた後で、無貌の誰かは再び言葉を続ける。

「それでも心に残るものはある」

 俺に言葉が浸透するのを待つように、再び少しの間沈黙が続く。

「お前が実際に味わったように、世界はどこまでも、顔をしかめたくなるような苦み走った残酷さに満ち溢れ──同時に胸が焼けるほどの甘ったるさを含んでいる。さっさと起き上がれ、そして動き出せ。少しでも落ち着いたら、またいつでも来るといい」

 リンゴが放り投げられる。床を転がるリンゴを視線で追うと、俺の足にぶつかって止まった。

「たとえお前の記憶に残らずとも、歓迎しよう──……」

 視線を上げると、目の前から無貌の誰かは姿を消していた。

 同時に、壁に掛けられたおびただしい数の時計が一斉に鐘を打ち鳴らす。

 あまりの騒がしさに、俺は耳をふさぐ。
 あまりの煩わしさに、俺は目を閉じる。
 あまりの耳障りさに、俺は声を上げる。


 ───────────目が、覚める。



[2045] 4-1・〝ルーク〟の誓い
Name: スイミン
Date: 2006/06/14 23:34
「──────っいて!」

 どこか階段を踏み外したとき感じるような浮遊感の後、全身を少なくない衝撃が貫いた。俺は鈍痛を訴える腰をさすりながら、定まらない意識のまま顔を上げて、周囲を見渡す。

 見覚えの無い部屋に自分は居た。あまり飾り気のない簡素な様相だったが、その中にもどこか温かい雰囲気を感じさせる。

 視線を彷徨わせる内に、俺は自分が部屋に唯一置かれたベッドから転げ落ちたことを理解した。

「ご主人さま!」

 意外と派手に音が響いていたのか、ミュウとコライガが俺のところに一目散に駆け寄って来る。かなり近い位置にいるのにその勢いは止まらない……って、危なっ!

「ぐお──っ!?」
「ご主人さまご主人さま。心配したですの~!」

 胸の中にタックルしてきやがった小動物二匹の抱擁に、俺は激しく咳き込みながら辛うじてぶっ倒れるのを防ぐ。

 なんというか、一日中寝てたときみたいに頭がボッとしてうまく思考が回らない。なんで、こいつらはこんなに感動してるのかと記憶をあれこれ探る内に──……思い出す。

 ああ、そうか。
 俺、レプリカだったんだな。

 俺は涙ぐみながら縋り付いてくる二匹に視線を移し、背中をゆっくりと撫でてやる。確かに、あんな衝撃発言聞かされた後でぶっ倒れりゃあ、心配もするわな。

 しばらく撫でていると、二匹もようやく落ち着いたのか、俺から離れた。

「……皆は、どうしてるかわかるか?」

 俺の問い掛けに、ミュウは目に見えた狼狽を浮かべた。

「……別にどうなってようが気にしねぇーよ。いいから、教えてくれないか?」
「みゅうぅぅ……。皆さんは、あのアッシュとかいう人とタルタロスで地上に戻ったですの」
「そっか……」

 まあ、妥当な判断ってところか。イオンが言ってたように、奴がアクゼリュスの崩落だけを狙ってたって保証はどこにもないんだ。こんな忙しいときに、錯乱したあげく寝込んじまったような奴を置いていくのは、当然の措置だろう。

「そんで、ここはどこだ? ユリアシティの宿屋か?」
「ここはティアさんのお家で、ティアさんがご主人さまを診てくれてたんですの」
「へ……あいつは、残ってるのか?」

 かなり呆気にとられた俺の問いかけに、ミュウは頷いてみせた。

「迷惑かけちまったか……ほんと、ティアには世話になりっぱなしだな」

 屋敷から飛ばされたときも、彼女は俺の面倒をみてくれた。王都に帰るまでの間も、俺を気づかっていた。そして俺がアクゼリュスを崩落させた後も……。

 額を押さえて、俺はため息をつく。

 いろいろと割り切って進もうとは思ったが、その大前提が崩れちまった。

 俺って……結局何なんだろうな? 

 レプリカで、模造品で、でき損ないの……人造人間ってやつか?

 自分に似てるだけの別人が、自分に成り代わってるのを見たら、そりゃ誰だって腹も立つだろう。アッシュの奴がいやに俺に敵意を振りまいていやがった理由も……まあ、理解できる。しかもその成り代わってるのが、俺みたいなバカと来たもんだ。家庭教師連中の嘆きよう見る限り、あいつの頭は良さそうだしなぁ。

 それに……ナタリアのこともある。自分の想い人が紛い物と一緒に居るんだ……激昂も、するよな。

 やばいな……かなり参ってるな……俺……。

 どんどん後ろ向きな考えが沸いてくるのに耐えられなくなって、俺は部屋の外に出てみることにする。

 すぐ目の前にある扉を潜って、顔を上げ──その先に広がる光景に、息を飲む。

 淡い光を宿した花が中庭を包み込んでいる。どこか仄暗いクリフォトの大地にあって、花々の放つ淡い光であってさえも、どこまでも優しい光となって、周囲を照らす。

 そんな幻想的な花畑の中心に、彼女は佇んでいた。

「気付いたのね……ルーク」

 俺に気付いて振り返ったティアの呼び掛けに、俺はぎこちなく手を上げて応える。

「あ、ああ……。ここ……花畑か?」

 なんだか自分の調子が狂わされるのを感じながら、俺はなぜか熱くなった顔を逸らして、なにかを誤魔化すように、咄嗟に頭に浮かんだ問い掛けを放っていた。

「ええ。セレニアの花よ。魔界で育つのは夜に咲くこの花ぐらい……ここは外殻大地が天を覆ってるからほとんど日が差し込まないの……」

 どこか遠くを見据えるティアの瞳に、俺も花畑に視線を移す。

 日が射し込まない大地に咲く花か……。

 淡い光を宿したセレニアの花を眺めるうちに、どこかで見た覚えのあることに気付く。どこだったか思い出そうと頭を捻るうちに、初めて俺が海を見た場所の光景が鮮やかに蘇る。

「そうか……あそこで見たのか。見覚えあるのも当然だよな……」
「……なんのこと?」

 首を傾げる彼女に視線を合わせて、俺はあの場所のことを告げる。

「セレニアの花って、タタル渓谷で咲いてた花と一緒だろ?」
「あ……そうね。あそこに咲いていたのも、確かにセレニアの花よ」
「俺が初めて見た外の光景だったからな。今も印象に残ってるぜ」

 俺は僅かに目を閉じて、あの夜見た景色を思い描く。

「……夜に咲く花ぐらいしか育たないって言っても、俺にはセレニアも十分綺麗に見えるけどな」
「私には……この花の有り様が、どこか寂しげに見えてしまうの。夜にしか咲けないセレニアの花は、どこかこの都市で生きる人々に重なるわ。誰にも顧みられることのない存在として……」

 ティアが魔界出身だということはタルタロスで既に聞いている。魔界に唯一の街がここだということも。

「ティアは……この街出身だったのか?」
「正確には違うわ。育ったのはここだけど……私の故郷はホドよ」

 ホドっていうと……確か十六年前のキムラスカとマルクトの戦争で……最終的には消滅したと言われる島だ。

「ホド戦争で……消滅した島か」
「ええ。ホドはアクゼリュスと同じように魔界に崩落したわ。その時、兄さんと私を身ごもった母さんも、魔界に落ちた。多分兄さんも譜歌を詠ったのね。……兄さんはいつも言っていたわ。ホドを見捨てた世界を許さないって……」
「師匠……ヴァンが、そんなことを……」

 戦争によって、自らの生まれ育った故郷を奪われた……。アクゼリュスの崩落も、そうした憎悪の行き着いた先だったんだろうか? 俺の前では常に悠然と微笑んでいたヴァンがそんな嘆きを抱えていたなんて、考えもしなかった。

 俺は七年間も一緒に居ながら、結局奴について、なにも知らなかった。知ろうとしなかったのだ。

「俺って、やっぱりバカだよな……」

 思わず洩らした俺の言葉に、ティアが先を促すように静かな視線を向ける。

「俺はさ、結局自分からいろいろなことを知ろうとしてなかったんだよ。自分がバカだからって言い訳して、ほんの少し頭使えば理解できるようなことまで、無理だって決めつけて知ろうとしなかったんだ。俺は確かにバカだけど、それ以上に……バカでもできることすら、投げ出してたんだな」

 もし、俺が自分のバカさ加減を言い訳にせず、いろいろなものに目を向けて頭を使っていたら、なにかがわかったのかもしれない。

「俺は確かにルーク・フォン・ファブレじゃなかったかもしれないけど、バチカルで七年間を過ごしたのは他の誰でも無い俺自身で、その間いろいろな事を投げ出してきた当然の結果として、アクゼリュスは……崩落しちまったんだな。もし、俺がもっと知ろうとしていれば……なにか変わったのかな」

 かつて助けられなかった彼も、なにも告げずバチカルを去ったあいつも、そして憎しみを抱えていたヴァンも……。もう少しでいいから、俺が自ら知ろうと動いていたなら、なにかが変わったのかもしれない。

「仮定に意味が無いのもわかってる。だからこそ……もう二度と繰り返したくない。俺は前に進みたい。
 俺は──変わりたい」

 自然と外へ溢れ出した俺の願いに、それまで静かに耳を傾けていたティアがその口を開く。

「本気で変わりたいと思うなら……変われるかも知れないわ。でも、あなたが変わったところでアクゼリュスは元に戻らない……何千人という人たちが亡くなった事実も。あなたは超振動を放ち……私は兄を止められなかった。私達の背負った罪は、何一つ変わらない」

 ゆっくりと紡がれた彼女の言葉の重みを受け止め、俺も真剣に頷きを返す。

「ああ。今更取り返しのつかないことだってのは、俺もわかってるつもりだよ。……ティア。確かナイフ持ってたよな?」
「ええ、持ってるけど……」
「ちょっと貸してくれないか?」

 戸惑いながら手渡されたナイフを手に握り、もう片方の手で髪を束ねる。

「背負った罪は変わらない……それでもある種の区切りは必要だ。だから、これは俺なりのケジメだ」

 ナイフを振り降ろし、束ねた長髪を切り裂く。

「ルーク──?」

 風が吹く。断ち切られた赤毛がふわりと舞い上がり、緩やかに虚空に消える。

 俺の行動に目を見開くティアに向き直る。彼女の顔を正面から見据え、いつのまにか俺の中で誰よりも大きな存在になっていた彼女に、誓いの言葉を告げる。

「俺を見ていてくれ、ティア。俺はもう、自分にできることを誤魔化さない。俺はバカだから、すぐには上手くいかねぇと思う。当然、何度も間違えるとも思う。それでも、もう自分の頭の悪さにすべての責任を押しつけるのは止めだ。俺は──変わってみせる」

 見据える俺の瞳から顔を逸らさず、ティアは少し間を置いた後で、深く頷きを返してくれた。

「……ええ。見ているわ。この日変わることを誓った、あなたのことを──……」

 静かに俺を見据えるティアの瞳が光の加減で揺らめく中、彼女は続けてその口を開く。

「あなたは強い。私とは違って……それは見せ掛けの強さじゃない」
「そうか? 俺なんかよりも、ティアの方が強い気がするけどな」

 少し気恥ずかしくなって返した言葉に、彼女は静かに首を振る。

「いいえ。私は……そうあろうとしているだけよ。でも、あなたはそれが自然体になっている。
 兄を止められなかったことは確かに悔やむべきことだけど、ただ嘆いていても取り返しはつかない。立ち止まっていても、なにも変わらない……。それなら──私も前を向かないとね」

 そう言って微笑を浮かべた彼女の表情に、俺は見とれてしまう。

「この過ちを繰り返さないために、私も前を向いて歩くわ、ルーク」

 彼女からの思いがけない宣言に、俺は最初驚きに目を開いたが──すぐに破顔する。

「わかったぜ。これらかもよろしくな、ティア」
「ええ。これらもよろしく、ルーク」

 俺とティアの視線が交錯する。俺達は互いの決意に敬意を表し、最後に微笑を浮かべあった。

「──さて。それじゃさっそく、俺達も動き出すとするか。一人勝ちしてやがるヴァンの横っ面に拳を叩きつけてやろうぜ。とりあえず、外郭大地に戻るのが先か?」

 拳を掲げ大げさな表現を使う俺に、ティアが苦笑を浮かべる。

「そうね。でもその前に市長……お祖父さまにセフィロトについて、少し聞いておきましょう。兄がなにを企んでいるとしても、無駄にはならないと思うわ。今は執務室に居ると思う」
「よっし! 行くか」

 こうして──俺達はいつものように他愛もない言葉を交わしながら、再び動き始める。
 突然すべてを変えることはできないだろうが、それでも俺は変わることを誓い、前へと進む
 この誓いがたとえ言葉だけのものに終わろうとも──俺はこの日、この瞬間のことを、決して忘れることはないだろう。


 * * *


 執務室とやらに続く扉の前に立って、俺は大きく深呼吸をする。

 これから俺は初めて、仲間以外の──俺がアクゼリュスを崩落させたことを知っている人間と会うわけだ。十分な心構えと、なにを言われても向き合えるように準備をしておく必要がある。

 緊張した俺の様子に、少し顔を曇らせながら、ティアが扉を叩く。

 数度のノックの後、中から少ししゃがれた声で、入りなさいと答えが返る。

 踏み込んだ室内には書類が溢れていた。積み重ねられた書類の中に、辛うじて埋もれていない机が部屋の奥に見える。その机に腰掛けた、書類を手にしていた老人が顔を上げる。

「ティアか。そちらは、確か……」

 額を押さえ名前を思い出そうとする相手に、俺は一歩前に出て深く頭を下げる。

「……はじめまして。ルークです」
「ミュウですの」
「ぐるぅぅる」

 一瞬、なんとも言えぬ空気が室内を包み込む。

「……おまえらは黙ってろ。いいな?」

 素早く二匹の背中を掴み上げ、耳元で小さい声で恫喝。続けて俺は二匹を背後に押しやり、改めて市長と向き直る。

「アクゼリュスを崩落させてしまったこと……今更言っても、償いようのないことだって言うのはわかっています……。それでも……これだけは言わせて下さい……すみません、でした……っ!」

 自然と声が震えるのを押さえきれぬまま、俺は頭を下げた。
 顔を上げられない俺の頭に、市長の興味深そうな視線が注がれているのがわかる。

「きみがルークレプリカか。なるほど……よく似ている」
「お祖父様!」

 市長の何気ない言葉に、なぜかティアが鋭く反応し、非難するような言葉を放つ。
 市長は大して気にした様子も見せず、わずかに苦笑して見せた。

「これは失礼。しかし、ルーク。アクゼリュスのことは我らに謝罪していただく必要はありませんよ」

 返された言葉は、俺の理解を超えていた。なにか聞き間違ったのかと思いながら、俺は顔を上げて相手と視線を合わせる。

「……どういうことですか?」
「アクゼリュスの崩落は、ユリアの預言に詠まれていた。起こるべくして起きたのです」

 預言に……詠まれていただと?

 耳にした情報に、俺の意識が殴りつけられたような衝撃が走る。なんだ、それは……それじゃあ、まるで、奴がセフィロトで言ってた言葉のようだ。

 ──彼は死ぬべくして、死んだのだ……──

 絶句する俺の横で、ティアもまた初耳だったのか、表情を強張らせながら市長に食ってかかる。

「どういうこと、お祖父様! 私……そんなこと聞いていません! それじゃあホドと同じだわ!」
「これは秘預言──クローズド・スコア。ローレライ教団の詠師職以上の者しか知らぬ預言だ」

 クローズド・スコアだかなんだか知らないが、こうなることを知っていながら動かなかった……そう言っているのか?

「預言でわかってたなら、どうして止めようとしなかったっ!」

 今にも理性のたがが外れ、相手に掴みかかりそうになるのを必死に押さえる。全身から沸き上がる憤激を叫び声に込める。

 そんな俺の詰問に、しかし市長はわずかに咎めるような視線を向けてきた。

「ルーク。外殻大地の住人とは思えない言葉ですね。預言は遵守されるもの。預言を守り穏やかに生きることがローレライ教団の教えです。それをお忘れになったか?」
「そ、それとこれは別問題……」
「いいえ、違いません。誕生日に何故預言を詠むか? それは今後一年間の未来を知りその可能性を受け止める為だ。定められた未来を変えようとすることではありません」

 ローレライ教団の教えは申し訳程度には理解している。それでも、この相手が言っている言葉を認めるわけには行かなかった。

「なら……どうして、アクゼリュスの消滅を世界に知らせなかったの?」
「そうだ! それを知らせていたら死ななくてすむ人だっていたはずだろ?」

 俺達の言葉に、市長は初めてどこか困ったように眉を寄せた。

「それが問題なのです。死の預言を前にすると人は穏やかではいられなくなる。時には錯乱のあまり、定められた可能性から逸脱しようさえする」

 まるで癇癪を起こした園児を評するような口調で、死に抗おうとする人間の行動を語った。

「そんなの、当たり前だろっ! 誰だって死にたいはずがない……っ!」
「それでは困るのですよ。ユリアは七つの預言でこのオールドラントの繁栄を詠んだ。その通りに歴史を動かさねば、きたるべき繁栄も失われてしまう。我らはユリアの預言を元に外殻大地を繁栄に導く監視者。ローレライ教団はそのための道具なのです」

 まるでそれが普遍の真理のように、揺るぎなき言葉が市長の口から紡がれた。俺は自分でも気付かぬうちに、一歩気押されたように後退っていた。

 この相手の思考方法は、根本的に自分とは異質だ。

「……だから大詠師モースは導師イオンを軟禁して戦争を起こそうとした……?」

 ティアのつぶやきに、俺の頭も動き出す。アクゼリュスに親善大使として送られた理由を思い出せ。俺はなぜ親善大使に選ばれた? 

 ──すべては預言に詠まれていたことだ……──

「ヴァンも預言を知っていて、俺にアクゼリュスを……?」
「その通り」

 ようやく理解の追いついた俺達を、市長は出来の悪い生徒を見守るような優しげな瞳で見据えている。

「……お祖父様は言ったわね。ホド消滅はマルクトもキムラスカも聞く耳を持たなかったって! あれは嘘なの!?」
「……すまない。幼いおまえに真実を告げられなかったのだ。」

 そこではじめて申し訳なさそうに瞳を揺らした市長は、しかし真実を告げなかったことには申し訳なさを抱いていても、ホドを見殺しにしたことに対しては何ら痛痒を感じていないようだ。

「……兄さんは、ホドのことも知っていたの?」
「ヴァンは真実を知っている。あれもホドのことで預言を憎んでいた時期もあったが、今では監視者として立派に働いている。結構なことではないか」

 相手の言葉に、俺はもう我慢できなかった。

「……立派? アクゼリュスを見殺しにしたことが立派かよっ!? おまらおかしいぜっ! イカレちまってるよっ!!」

 もはや敵意を隠そうともせず怒鳴り散らす俺に、しかし市長はすべてを悠然と受け流し、静かに言葉を返す。

「そんなことはない。ユリアは第六譜石の最後でこう預言を詠んでいる。ルグニカの大地は戦乱に包まれマルクトは領土を失うだろう。結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる……と。未曾有の繁栄を外殻大地にもたらすため、我らは監視を続けていたのだ。たとえそこに至るまでの流れに死の預言が含まれていようとも、我等はそれを真摯に受け止めなければならない」

「……じゃあやっぱり兄さんは世界に復讐するつもりなんだわ。兄さんは言ってたもの。預言に縛られた大地など消滅すればいいって!」

「ティア。先程も言ったように、ヴァンが世界を滅亡させようとしているというのは、おまえの誤解だ。それに……仮にそうだったとしてもなんら問題はない。何しろ、預言には何も詠まれていないのだからね」

 何度言い聞かせてもわかってくれない子供をあやすように、市長はそう言葉を締め括った。

 さらになにか言い返そうと口を開いた瞬間、まるで見計らったようなタイミングで外から扉をノックする音が響く。

「……テオドーロ市長。そろそろ閣議の時間です」
「今行く。ふむ……困ったものだ。二人とも、そんなに心配ならユリアロードで外殻大地へ行ってみなさい。預言により確定された事象以外に、起きることなどなにもないとわかるだろう。
 おまえたちの心配は杞憂なのだよ。すべては確定された事象のままに流れ行く」

 それでは失礼すると、市長は取るに足らぬ議論を交わしたといった態度で、この部屋を後にした。

 残された俺達は、明かされた事実に呆然と立ち尽くす。
 俺はかぶりを振って、とりあえず今後の行動を考える。

「……ティア、外殻大地へ戻ろう。あいつらは……駄目だ。ここにいても、埒があかない」
「ええ……そうね。でも、まさか……こんなことが……」

 自らの生まれ育った街の真実に、ティアも少なからぬ衝撃を受けているようだ。表情には動揺が浮かび、いつもの冷静な様子は影をひそめている。

「……大丈夫か?」
「ええ……私は大丈夫。行きましょう」

 先を歩き始めた彼女の背中を見据えながら、俺は思わず発しかけた言葉をぐっと飲み込んだ。

 ……たとえそれが虚勢であっても、大丈夫だと答えた相手にグダグダと慰めの言葉をかけることに意味はない。それよりも今は行動で示すことの方が重要だろう。

 俺は気合を込めるべく、顔を両手で叩き、彼女の後に続いた。


 それから慌ただしく旅立ちの準備をすませ、俺達は地上に続く通路たるユリアロードを前にしている。


 柔らかい光を放つ譜陣を前にして、俺はこれから取るべき行動を考える。

 ……やっぱり、皆と合流するのが先か。

 アクゼリュスが崩落した現在、俺達は死人のようなものだ。一度でも故郷に顔を見せようものなら、アクゼリュスでなにが起きたのか散々情報を搾り取られた挙げ句、もう二度とそんな危険な行動はするなと拘束されるのが関の山だろう。生存情報を伝えておく必要はあるだろうが、直接顔を見せるのは止めておきたいところだ。

 いろんな意味で……重要人物ばっか、揃ってたからなぁ。

 仲間の顔を思い浮かべながら、それぞれの背景を考える。そんな俺達の中で、唯一、直接姿を見せて生き残っていたのを証明した後でも、そのまま前線で動き回れそうなのは……やっぱ、帝国の軍人であるジェイドの奴ぐらいだろうか。となると、向かうとしたらグランコマか……。

「ルーク、少しいいかしら?」

 そんな風に物思いに耽っていた俺に、突然ティアが声をかけてきた。

「ん。なんだ?」

 振り返った俺に、ティアは一冊の本を渡してきた。

「こいつは……?」

 パラパラと中身を捲る俺に対して、ティアが説明を口にする。

「音素学の本よ。あなたに必要だと思ったから。超振動も第七音素で発生するから、この本がきっと役に立つはず。もう繰り返さないためにも……あなたは超振動を制御する術を学ぶべきよ」
「……そうだな。ありがとな、ティア」

 本を掲げて礼を言う俺に、彼女は大したことではないと首を振って見せた。

 ……なんというか、いろいろと良く気がつくというか。俺の方もしっかりしないとなぁ。

 交わした約束のためにも、俺はこいつと対等で居られるようにならなければならない。

 一人気を引き締めることを誓う俺を余所に、譜陣に近づいたティアが俺達に確認する。

「この道を開くとダアト北西のアラミス湧水洞に繋がる。あそこは魔物の巣窟だけど、準備はいい?」
「ああ、いいぜ」
「ボク、ドキドキするですの」
「大丈夫よ、ミュウ。──さあ、道を開くわ」

 譜陣の中心に立ったティアが杖を掲げる。

 光が譜陣を中心に集束し──俺達の姿は、その場から消え去った。



[2045] 4-2・予期せぬ再会
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 22:26

 まず視界に飛び込んだのは、緑の広がる大地。
 一瞬の浮遊感の後、俺の身体は湧き水の中心に出現した。


「──って、いきなり水の中かよっ!!」


 濡れるっ、と悲鳴を上げる俺に、ティアが落ちついた声音で告げる。

「大丈夫。セフィロトが吹き上げる力で水を弾くから、濡れることはないわ」

 言われて見れば、湧き水の中心に突っ立っているというのに、全然水に濡れたような感じはしない。セフィロトの摩訶不思議な効果に感心しながら、俺は湧き水から外に出る。

 湧き水の漏れ出す場所を中心に、周囲は崖のようなものに囲まれている。教団が長い間秘匿していただけあって、一般人がこの道に気付くのは至難の業だろうなぁ。

「なんにしろ、ここが……あらめの湧水洞か?」
「アラミス湧水洞」

 俺がうろ覚えのまま口にした単語を、ティアが冷静に訂正する。

「ぐっ……ちょ、ちょっと言い間違っただけだ」
「もう誤魔化さないんじゃなかったの?」

 さらりとした口調で、正確無比に俺の急所を射抜く。

 これには俺も頭を掻きむしって叫び返すしかない。

「だぁー! 俺が忘れてましたよ! ……これでいいかよ?」
「それはあなたの決めることでしょう?」
「……ホントお前、相変わらずキッツイよな」

 半眼を向ける俺に、彼女は軽く肩を竦めて見せた。

 ……というか、むしろこれまで以上にズケズケものを言われるようになった気がしてならない。これは気のせいじゃないはずだ。やはり、あの誓いのせいなんだろうか?

 ……早まったか、俺?

 少し本気で考え始めた俺を無視して、ティアが先を歩く。
 動かない俺を振り返って、彼女は口の端に微かな笑みを浮かべて問いかける。

「どうしたの? 行きましょう」

 その笑みに一瞬呆気にとられる。だが、すぐに俺も理解する。

 ……そういうことかい。

 がくりと肩を落とし、俺はうなだれる。ようするに、俺は彼女にからかわれていたわけだ。

「ご主人さま、行かないですの?」
「わかってるっつーの!」
「みゅ、みゅ、みゅ~っ!」

 俺はミュウの身体を抱き上げて、乱暴に耳を撫でまくる。すぐ隣にいたコライガびっくりしたように耳を逆立て、おろおろと俺の回りを彷徨う。

「やれやれ……とりあえず、がんばろ」

 いろいろな面で、俺は気持ちも新たに一歩踏み出すのであった。




              * * *




 洞窟内は魔物が出るとは言っても、それほど手こずるような相手はいなかった。そこそこ気楽に進み行き、俺は久しぶりに味わうのんびりした空気を満喫していた。

「……ルーク、少し気を抜きすぎよ」
「ん、そうか?」

 頭の後ろに腕を組んだまま俺は振り返る。視線の先でティアが腰に両手を当てて、俺を睨んでいた。

 そうよ、と短く答える彼女に、俺は少しの気まずさを感じながら、頬をかく。

「ま……言われてみればそうかもな。あのときから考えれば、ようやく落ち着けたようなもんだし」
「……ごめんなさい。私、無神経だったわね」
「あー……いや、そこまで気にする必要はねぇよ。ちょっと、これからのこと考えてただけだって」

 責任感の強い相手の言葉に苦笑しながら、俺は否定を返す。

 ティアは少しいろんなもんを気負いすぎる傾向がある。気が利くのはいいことだが、それでも常に神経を張りつめていたら、身体が持たないだろう。
 ……まあ、アクゼリュスを壊滅させた俺なんかが言えた義理じゃないけどな。

 それよりも、外に出る前に聞いておきたいことがある。

「港に着いたら、とりあえずどうする? ティアはなんか考えあるか?」
「そうね……まず大佐達と合流するのが先決だと思うわ」

 うん。やっぱりティアもそう思うか。

「やっぱそうだよな。ヴァンの動向を探るにしても、アッシュと先行してる大佐達が、なんか情報仕入れてる可能性が高い。できることなら相手の場所を確認とかしときたいが連絡する手段は無いし……現状で一番皆が居る可能性が高いのは、マルクトのグランコクマってところかね?」

 いつもは頭の中で一人グダグダ考え込んでるような事を口に出して、相手の意見を求める。

 そんな俺の問い掛けに、ティアが驚きに目を瞬かせている。

「……驚いたわ。意外と考えていたのね」
「僕も驚いたですの~」

 ミュウまで同意しやがった。もう、なんか、勝手に言ってくれって感じだよな。

「あー……そうかいそうかい。そうですかい」

 引っかかるものが無かったわけじゃないが、今までの自分の様子を考えればこんなもんか。

 コーラル城前でガイに注意されてから気をつけてはいたんだが、それでもほとんどの場合、一人頭の中で考え込むだけ考え込んで、結局は訳のわからん袋小路に陥って思考を放棄するのが常だった。

 誰かに自分の考えを口に出して伝えるようなことは、全くしていなかったもんなぁ……。

「一応言っておくと、これまでも考えるだけは考えてたんだぜ? まあ、それでも大して意味は無かったわけだが……。これからは積極的に、口に出して皆の意見とか聞くようにするよ」
「良いことだと思うわ」

 真剣な表情で頷いてくれるティアに、俺は気恥ずかしくなって顔を背ける。

「──ああ。随分と成長したな、ルーク」

 不意に、俺にとってよく聞き慣れたあいつの声が響く。

 ぎょっとしながら声の届いた方に顔を向けると、そこにそいつは立っていた。

「よっ、待ちくたびれたぜ、ルーク」
「ガイ……」

 気軽に手を上げて応えて見せる親友の登場に、俺はうれしさよりも困惑が先に立つ。大佐達と地上に戻ったと聞いていたのに、どうしてガイがこんなところに居るんだ?

「へー、髪を切ったのか。いいじゃん。さっぱりしててさ。……あん? どうした?」

 黙り込んだままの俺を不可解そうに見据えるガイに、俺もようやく口を開く。

「いや……お前、どうしてここに?」
「やれやれ。ここは普通、感動する場面だろ?」

 おどけた仕種で肩を竦めて見せるガイに、俺は混乱した頭のまま、ともかくその理由を尋ねる。

「いや……そんな冗談はともかく。なんで、お前ここに? アッシュと地上に戻ったって……」
「ヴァン謡将に関してある程度情報が集まったから、大佐達とは別れたんだ。ユリアシティから地上に戻るにはここを通るはずだって、アッシュのやつに聞いてな。お前達が来るのを待ってたってわけだ」
「アッシュが……?」

 あいつがそんな情報を洩らすとは……正直思いもしなかった。

 そんな俺の考えを察してか、ガイが苦笑を浮かべる。

「アッシュも複雑そうな奴だからな。ま、ルークもいろいろ思うところはあるだろうが、今回に関しては素直に感謝しとけ。おかげで俺と行き違いにならずに済んだんだからな」

 ガイと会話を続けるうちに、俺は気付く。再会してから一度も気負った様子も見せず、ガイはごく自然に俺の名前を呼んでいる。

「まだ俺を……ルークって呼んでくれるんだな」

 思わず洩らした言葉に、ガイが俺の頭をはたく。

「って! いきなりなにしやがる、ガイ!」
「あー!! もう、そんな自虐じみた言葉はお前には似合わない! とっとといつものように、アホっぽく、俺は俺だって胸張ってろ! 俺が親友になったのは、そんなお前だよ、ルーク!」

 捲くし立てられた言葉の内容に、俺は一瞬胸をつかれたように息を飲んでしまう。

「ガイ……こいつめっ!」
「ぐわっ! てっ、いきなりなにするよ!? 今、本気で殴ったろ!?」

 振りかぶった俺の拳に殴り飛ばされたガイが、顎を押さえながら声を張り上げる。

「うるせぇっ! この人タラシっ! なんか、思わず感動しちまっただろうがっ! 」

 怒鳴り返した俺の言葉を耳にして、ガイがぽかんと口を開く。

「……ルーク、ひょっとして、お前照れてるのか?」
「う、うるせえ! 確かに、グダグダ言っててもしょうがねぇよな。もうアホっぽく宣言してやるよ。
 俺は、俺だっ! ガイ……お前と親友になった、ルークだよ!」

 顔を真っ赤にして宣言した俺に向かって、なんとガイのやつは腹を押さえて馬鹿笑いを上げやがった。

「わ、笑うんじゃねぇよ!」
「ははっ、す、すまん。くくっ、もう、お前があんまりにもお前らしい反応を返すもんだから、つい」
「こ、こいつは……っ!」

 笑いの衝動が押さえきれないと言った感じのガイに、俺はふつふつと沸き上がる怒りを感じて両腕をわななかせる。

 そんな俺達のやり取りを、ティアは一歩引いた位置で、どこか微笑ましそうに眺めているのであった。




              * * *




「……ってなことがあったわけさ」

 とりあえず今後どう動くか決めるためにも、ひとまずガイの入手した情報を聞くのが先決だろうと全員一致で同意した。落ち着いて話せる場所を探し出し、これまでガイから話を聞いていたというわけだ。

 そして今、大方の情報を聞き終わった訳だが……

「地核から強制的に記憶粒子が引きずり出されちまうことで……」
「……パッセージリングの暴走と、それに伴う大地の崩落が引き起こされている」

 うーん、とガイから聞かされた情報の深刻さに、俺とティアは唸り声をあげる。

「他の地方が崩落する危険があるって、かなりやばくないか?」
「そうだな。アッシュに聞いた話だと、次はセントビナーが危ないらしい。それを聞いたから、大佐達も一旦帝都まで戻って、皇帝に崩落の危険を示唆して、救助隊を出させるとか言ってたな」
「……もう着いてる頃かしら?」
「いや……どうだろうな。途中タルタロスの修理で、ケテルブルクに寄ることになるかもしれないとも言っていたからな……。
 直接グランコクマに向かうなら、俺達がこれから後を追っても十分合流できると思うぞ」
「そう……」

 二人の会話に耳を傾けながら、俺はひとまずの決断を下す。

「……よし。一先ずグランコクマに行こう」

 二人の視線が俺に集中する。理由を尋ねる視線に、自分の考えを述べる。

「一応の理由としては、実際に崩落するにしろ、俺達だけじゃどうしょうもないってことがある」

 皆に言葉が浸透するのを待ってから、その先を続ける。

「次に崩落するかもしれない土地がマルクト領だってこともある。これはかなりデカイと俺は考えた。なんせ、ここに居るのは帝国側にはさして後ろ楯もない人間ばっかりだからな」

 それに……俺には少し気になっていることがある。それが解決しない限り、バチカルになんの備えもないまま戻る気にはなれなかった。

「確か……イオンも大佐に同行してるんだろ?」
「あ、ああ。そうだ」
「なら、やっぱりグランコクマに行くのが一番いいと俺は思うんだけど……って、どうした?」

 突然目尻を拭い始めたガイの奇行に、俺はぎょっとして言葉が止まる。
 ガイが俺の肩をポンポン叩く。

「いや、ルーク。お前、ほんと立派になったな」
「……馬鹿にされてるようにしか感じないのは、俺の気のせいか?」

 一人納得行かない俺と大げさに感動した素振りを見せるガイのやり取りに、ティアが微笑を浮かべる。

「彼、変わるんですって」
「……そうか」

 込められた意味を察してか、ガイが表情を少し引き締める。からかい混じりだった視線にも、今は真剣なものが混じっているのがわかる。……俺としては、むしろ冗談まじりの方がまだマシだったけどな。

 軽く首を回した後、俺は自分がどう変わろうと思ったか、ガイにも言っておくことした。

「償いの意味とかは……やっぱ俺にはまだよくわからねぇ。それでも、思考を放棄するのはもう止める。……コーラル城で折角ガイが忠告してくれてたのに、結局俺はこうなるまでわからなかったけどな」

 以前、突っ走った俺を諫めてくれたガイの言葉を思い出し、俺は少し顔を曇らせる。

「それでもわかったなら、まだ遅くないだろ? とりあえず、今はそれでいいんじゃないか?」

 俺の気を紛らわせようとしてくれるガイに、すまないと俺は小さく呟く。

 なんにせよ、落ち込んでてもなんも変わらんよな。俺は顔を上げて、気を取り直す。

「ともかく、やっぱグランコクマに行くのが一番いいと思うんだが……それで大丈夫そうか?」
「ええ」「異論はないぞ」

 間髪入れずに返って来た二人の答えに、俺も一先ず安堵する。

「それじゃ方針も決まったことだし、そろそろ外に出るか。ここら辺の港ってダアト港だったか?」
「ああ、そうだな。ここを抜けて、すぐにある」
「分かった。行こうぜ」

 こうして、俺達はアラミス湧水洞を抜けて、ダアト港に向かうのであった。




              * * *




「……なんか、空気がおかしいな」

 ダアト港についたところで俺は違和感を覚える。

 周囲を見渡すと、港の所々に人々が寄り集まって、ヒソヒソと言葉を交わしている。

「……崩落を理由に、キムラスカが戦争の準備を始めたとか……」
「……それにマルクトも警戒を強めて、近々港が封鎖されるそうだよ……」
「……おっかない世の中になったもんだねぇ。いったい預言ではどう詠まれているのやら……」

 耳をすませてみると、どうも戦争が起きるらしいとかいう噂が熱心に囁かれているようだ。

「……随分と物騒な噂だな」
「やっぱアクゼリュスの崩落で、社会的な不安が高まってるせいか?」
「……それだけじゃないかもしれない」

 ティアが暗い表情で顔を伏せる。ガイが怪訝そうに首を捻るが、俺にはその理由がわかった。

「そっか……スコアか」

 俺の洩らした言葉に、ティアが無言で頷いた。

「どういうことだ?」
「ガイにはまだ話してなかったけど、アクゼリュスの崩落は……預言に詠まれていたんだとよ」

 胸の内でくすぶる苛立ちが押さえきれなくなって、思わず言葉尻が荒くなる。

「なっ! それは……?」
「キムラスカとマルクトの戦争も預言に詠まれてるらしいわ。ローレライ教団は、預言を遂行するための道具だって、お祖父さま……テオドーロ市長は言っていた。大詠師モースが動いていたのも、戦争という預言を成就するため……」
「ヴァンが俺にアクゼリュスを崩落させたのも、同じ理由だ」

 言葉を無くすガイに、ティアと俺は淡々と告げた。

「……さすがに、俺も言葉が無いな」

「ああ。俺もそうだったよ。でも俺の方はまだいいとして、問題なのは戦争だ。俺達は今死んだことになってるけど……十分、開戦の口実になり得るんだよな、俺らのメンツって」

 重要人物勢ぞろいの仲間達の顔を思い浮かべる。特に、キムラスカ側からすれば、マルクトからの要請で送った王位継承者の親善大使を失ったことになる。宣戦布告するには、十分な理由だろう。

「……グランコクマには大佐が向かってるわ。それなら、私達が王国に向かうというのも一つの手よ」
「今からバチカルに戻って、説得か? うーん。ナタリアは居ないが、ルークの生存を知らせるだけでも、十分意味はあるかな? ファブレ公爵ならそれなりに影響力を持ってるけど……どうだろうな」

 ティアの提案に、ガイが難しい顔で腕を組む。二人の意見はどっちももっともだと思う。しかし、俺にはそれ以前の段階で、どうしても気になっていることがあった。

「……オヤジ達は、どこまで知ってたんだろうな」

 俺の言葉に、二人がはっと息を飲む。

「ずっと考えてたんだ。……俺が親善大使に選ばれた理由は、スコアに詠まれてたからだ。それって、どこまでを指してたんだろうな? アクゼリュスに赴いて……崩落して……戦争が起こって……キムラスカが栄える。一連の預言の流れは、テオドーロ市長の言葉から考えるとそんなもんだ。ひょっとして、オヤジ達は、すべてわかってた上で、俺をアクゼリュスに寄越したんじゃないかって……」

「……否定してあげたいけど、その可能性も否定できないわ」

 どこか痛ましげに瞳を伏せるティアに、俺もそのまま言葉を続ける。

「それに……うちのオヤジは公私を完全に切り換える。仮に、自分の息子の命が、王国全体の利益にとって効果的な切り札になりうるなら、あっさりと使うだろうな。そして、もし今回がそうだったなら、俺の帰還は決して喜ばれない。戦争を起こすための理由そのものが消えちまうことになるんだ。下手したら……」

「お前が生き残ったという事実そのものが……無かったことにされるかもしれないってか?」

 ガイの怒りを滲ませた瞳に、俺は笑みを浮かべて見せる。

「まあ、本当は全然そんなことなくて、心配してるかもしれないけどな」

 自分でも全く信じていない言葉を口にして、ひとまずこの話題は終わりだと意思表示する。

「……もしルークの推測が当たっているなら、やはり大佐達と……イオン様と合流するのが一番かもしれない。導師の言葉は一国の指導者であっても、そう無視できるものではないから……」

 少なくとも話を聞いてくれないということはないと、どこか言いにくそうにティアは締め括った。

 俺の答えを待つ二人に、俺も顔を上げて応える。

「とりあえず王都に戻るのは後回し。先に大佐達と合流して、帝国にはセントビナーの崩落に備えて貰う。戦争阻止に関しては、それから動く。……そんなとこでいいか?」

 俺の確認に、二人も頷いてくれた。

「じゃ、早いところ向かおうぜ、帝都グランコクマにさ」

 なるべく気楽に聞こえるように呼びかけたつもりだったのだが、それでも皆の表情は晴れなかった。




              * * *




 こうして俺達は定期便に乗って旅立ったわけだが、問題が無かったわけではない。俺達の乗った船は、なんとグランコクマに停泊できなかったのだ。なんでも非常時は要塞化されるらしく、現在帝都の出入りは制限されているらしい。俺達は船頭に相談して、ひとまずローテルロー橋付近で降ろさせて貰った。

 陸路で帝都に向かうにはテオルの森と呼ばれる半ば要塞化された森を通って行かにゃならんという話だ。そこでガイが大佐に認識票を貰っているから、これを見せれば通してくれるはずだと主張した。それなら試してみようと森まで進み、森の守備隊に認識票を提示した。

 それが、ついさっきの話だ。

「……それで、こりゃいったい、どういう状況だ?」
「はははっ。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ」

 額の汗を拭うガイに、俺とティアの冷たい視線が突き刺さる。

 現在、俺達は怪しい奴らだと見なされて、砦の一角に拘留されていたりする。

 それでも一応大佐の認識票が効いたのか、装備とかは没収されていないし、牢屋とかに閉じ込められてもいない。連行された部屋もそこそこ快適で、簡易取調室と言ったところだろうか。

「まあ、大佐の名刺がどうにかしてくれることを祈るしかないな」
「って、結局人頼みかよ! これでどうにもならなかったらどうすんだっつーの!」
「お、落ち着けルーク! く、首はやばい~!」

 無責任なことを抜かすガイを吊り上げて、激しく前後に揺すりまくる。

『あ~もう! さっきからそこ、うるさすぎっ!! 今度うるさくしたら……潰すよ?』

 隣の部屋からガンガン壁を殴る音と一緒に、やさぐれた発言内容の割には随分と可愛らしい声が届く。

 ……しかし、なんか聞き覚えのある声のような気がする。

「なあ、ちょっと隣、見て来ないか?」
「え? どうして?」
「いや、なんか妙に気になるというか……」
「喧嘩売るとかは、止めてくれよ」
「そんなことしねぇよっ!」

 ともかく、俺も理由はよくわからんまま、第六感の訴えに従って隣の部屋へと赴く。

 数度のノックの後、扉の内側から苛立たしげな声が返る。少し気まずさを感じながら、扉を開け放つ。

「って、アニス? それにイオンもかよ!? どうしたんだ、こんなところで?」

 扉を開けてみると、そこには見慣れた連中の姿があった。

 一番手前に居たアニスが、口元を押さえながら目を見開く。

「はわぁ。アッシュ? ……って、ルークか。髪切ったの? なんでチンピラがここに?」
「……なんか、アニス。お前変わったというか……むしろ地が出てねぇか?」
「え~? なんのこと? アニスちゃんわかんな~い」
「……」

 ま、まあ、もとからこういう奴だってのはわかってたから、別にいいけどな。

 完全に猫かぶり止めたアニスに顔を引きつらせていると、イオンが一歩前に出る。

「またあなたに会えてうれしいです、ルーク。どうやら……立ち直れたようですね」
「イオン……へへっ。まあ、いつまでも立ち止まっているわけには行かない……そうだったろ?」
「はい。これからもよろしくお願いします」

 言い笑顔を浮かべて、うれしいこと言ってくれるイオンの頭をポンポン撫でる。

「ルーク……ですの」

 部屋の一番奥に、ナタリアが立っていた。

「ナタリア……久しぶりだな」

 ナタリアとの顔合わせに、俺もぎこちなく片手を上げて応える。

 少しの沈黙の後、俺は頭を下げた。

「──ナタリア、すまねぇ!」
「──ルーク、ごめんなさい」

 俺達は同時に頭を下げていた。

『え……?』

 互いの行動の理由がわからず、俺達は顔を見合わせる。

「えーと、俺は……そのだ。自分は約束した相手じゃなかったわけで、それについてはナタリアに一度謝っとかなきゃいけないと思ったまでで……」
「私は……ずっとあなた自身を見ずに、記憶を取り戻させようとしていたことを謝らなければいけないと思って……」

 俺達は相手が思っていたことに、それ以上の言葉を無くす。

「なになに、結局どっちも自分が悪いって思い込でた、直情径行の似た者同士ってやつ?」

 アニスの揶揄に、俺達はむっとしてアニスの顔を睨む。直ぐに両手を上げて降参するアニスに、俺達は馬鹿らしさを覚えて苦笑する。

 少し和んだ空気の中で、今度はナタリアと自然に視線を合わせることができた。

「まあ、俺はレプリカだったわけだけど……これからも、よろしくな」
「そんな……あなたが私の幼馴染みであることに、変わりはありません、ルーク」

 どこかナタリアの表情には無理が見て取れたが、それでも必死に俺のことを考えてくれた上での答えだってことがわかった。
 だから、俺は今も自分をルークと呼んでくれるナタリアに、笑みを返す。

「……ありがとな、ナタリア」

 そんな感動的な再会を演じている俺達を余所に、ガイが気になっていてしょうがないといった感じでイオンに尋ねる。

「再会を喜ぶのもいいんだが、それよりイオン様。大佐は一緒じゃないのか?」
「それが……」
「聞いてよ聞いてよ! ひどいんだから!」

 暗い表情になってなにかを言いかけたイオンの言葉を遮り、アニスが憤慨したと地団太を踏む。

「な、なんだぁ?」
「それが………」

 どうもアニスの話を聞くに、一応大佐もアクゼリュスで死んだことになってたらしく、事の真偽を確かめるために一人先行したらしい。
 そんな待ち時間の間に、マルクト兵が殺されているのを発見。
 慌てて通報したものの、とりあえずお前達も怪しいぞと拘束されてしまって今に至るのだそうな。

「はぁ……なんか、厄介なときに俺達も来ちまったってことか」
「見張りが殺されたねぇ……教団兵か?」
「とりあえず、大佐が戻るのを待つしかなさそうね。幸い、一方的に犯人扱いされてるわけでもなさそうだし、もう少し我慢しましょう」
「う~」

 ティアのもっともな言葉に、アニスが口を尖らせる。


 その後、俺達は折角合流したことだしと、いろいろと互いの目新しい情報を交換しあった。
 しかし、それが終われば後は退屈な待ち時間があるばかりなわけで……。

「それにしても、まだかなー……」
「ただ待つのも結構大変ですわね」
「だよなぁ。マルクトの連中もけち臭いこと言わないで通してくれればいいのによ」
「けち臭いって……」

 俺の言葉にガイが呆れたように額を押さえる。しかしアニスは激しく同意と身を乗りだしてきた。

「だよね~。まったく、こんなに可愛いアニスちゃんのどこが怪しいって言うのよ。マルクト兵士の目は節穴かっちゅーの。ま……どっかの劇のやられ役染みたチンピラ相手ならまだわかるけどね~」

 俺に向けて意味深な視線を送ってくるアニスに、俺は頬が引きつるのを感じる。このケンカ、買った。

「自分で可愛いって言ってりゃ、世話ないな」
「何よ~。アニスちゃんは可愛くないとでも言う訳!?」
「やられ役のチンピラに何言われたって気にすることねーだろ? ミュウ並みに色気なしのくせによ」

 チラリとアニスのまっ平らな胸元に視線を投げ掛け、へっと鼻で笑ってやる。

「んなっ! ミュウ並みとはなによ! あたしだって成長したら、ティアみたいにでっかくなるんだから!」
「ハッ。ばーか。お前があんなメロンになる訳ねーだろっ! ……あ」

 勢いに任せて言ってしまった後で、俺は自分がなにを言ったのか悟る。
 恐る恐る視線を向けると、メロンの持ち主が怒りに肩をプルプル震わせているのが視界に入る。

「メ、メ、メロンって何なのよっ! あなたたち馬鹿!? 少しは静かになさいっ!」

 顔を真っ赤にさせて怒鳴り声をあげるティアに、俺達は小さく縮こまって部屋の隅に移動する。

 ……そんなに怒らなくてもいいのに……

 俺とアニスの視線が交差する。俺達は互いの認識を確認し合い、仲直りをするのであった。
 ティアは怒り冷めやらぬ様子で部屋の中央に仁王立ちして、目尻を涙ぐませながら息を荒らげている。
 そんな彼女の下に歩み寄ると、ナタリアはティアの肩に手を置いて、神妙な声音で訴えかける。

「……ティア。それでも持たざるものの気持ちも、わかって下さいませ」
「……そ、そういう問題かしら……?」

 本気で戸惑いに首を傾げるティアに、ナタリアが真剣な表情でそうですわ、と力強い頷きを返す。

「それにしても、入口のマルクト兵。僕達が森に入ろうとしたら『罠かもしれない』と、随分警戒していましたね。ティア達が拘束されたのも同じ理由ですか?」

 話の収拾がつかなくなったのを感じてか、イオンが唐突に全く関係ない話題を振ってきた。

「え、ええ……。でも、それだけマルクトとキムラスカの関係が悪化しているということね」

 躊躇いながらも話題に応じたティアを見て、俺とアニスもさっきの件を誤魔化すべく一斉に口を開く。

「だよな。やっぱ状況がよっぽど悪ぃんだろうなぁ」
「だよね~。まったく、イオン様も居たのにさ」
「申し訳ありません、僕の力不足で……」

 今度はアニスがイオンの地雷を踏んだようだ。顔を伏せて暗い顔になってしまったイオンに、アニスが両手をわたわたと動かしながら、慌ててフォローする。

「違いますよぅ! そういうことじゃないんですぅ!」
「何にせよ、結構やばいところまで来てるってことだよな。このままじゃ本当に戦争が起きちまう」

 厄介なものだと首をふるガイに、俺達は改めて示された状況の難しさに、ため息をつく。

『──うわぁあああ!!』

 部屋の外から、悲鳴が届く。

「今のは……!?」
「行ってみましょう!」

 外に駆けつけると、そこには見張りの兵士が地面に倒れ伏していた。

「大丈夫──っ!」

 駆け寄ろうとした瞬間、俺の背筋が泡立つ。
 咄嗟に後ろに飛び退くと同時──俺のうなじを掠めて薙ぎ払いの一撃が通りすぎた。
 俺は素早く獲物を握り、抜き払いの一撃を背後に叩きつける。

「むっ──!」

 獲物を弾かれた巨漢の体勢が崩れる。

「そこですわっ!」

 裂声と共に、ナタリアが弓を射る。しかし、その一撃を相手は素手で受け止めた。

「お姫様にしてはいい反応だな」

 ニヤリと笑って、受け止めた矢を二つにへし折る。

「お前は砂漠で会った……ラルゴ!」
「覚えていたか」

 尚も弓を構えるナタリアに対しても、ラルゴはまるで怯む様子も見せず豪快に笑って見せた
 崩落から初めて対峙する六神将相手に、俺は押し殺した声で詰問する。

「ヴァンは……いったい何を考えている」
「無論、預言からの解放だ。あの方ならば、必ずやり遂げるだろう」

 笑みを消し去って応じたラルゴの顔に、どこか面白がるような表情が浮かぶ。

「それよりも、前ばかり気にしていていいのか、小僧?」

 突然構えを崩したラルゴが鎌を肩に載せる。不可解な相手の行動に戸惑い、俺はそれに気付くのが一瞬遅れた。
 視界の端に映ったのは、ラルゴに弓を構えるナタリアに向けて、振り降ろされる剣の切っ先──。

「──アブねぇっ!?」
「きゃ──!」

 ナタリアを突き飛ばして位置を入れ代わる。振り降ろされた斬撃を受け止め、俺は武器を振り降ろした相手の名を叫ぶ。

「ガイ!? どうしたっ!? 止めろ!」

 俺の呼び掛けに、ガイは武器を握る両手を震わせながら、苦しそうにうめき声をあげる。

「ちょっとちょっと、どうしちゃったの!?」
「これは……カースロット!? いったい……いえ、それよりも、おそらくどこかに術者がいるはずです……!」

 アニスの後ろに庇われたイオンが術者を探して下さいと叫ぶ。

 しかし、そんなことを言われても……この体勢だと俺は動きようがない。
 俺が少しでも隙を見せれば、ガイはナタリアに切りかかるだろう。
 純粋な前衛のガイに襲いかかられたら、ナタリアじゃ対処しきれないはずだ。

 膠着状態に陥った俺に向けて、ラルゴが鎌を構える。

「おっと、俺を忘れる──むんっ!」

 言葉の途中で放たれた矢がラルゴの額を掠める。

「させませんわ! ガイをもとに戻しなさい!」
「ふ、ふははははははっ! やってくれるな、姫!」

 怒りを滲ませるナタリアの一喝に、ラルゴは面白そうに破顔した。

 それぞれが動き出せない状況のまま、一人自由に動けるティアが周囲の気配を探っている。
 ガイを引き止めるのも、そろそろ限界に近づいた、そのとき──大地を振動が貫いた。

「きゃっ、また地震!」

 悲鳴をあげるアニスに関わらず、冷静に周囲の気配を探っていたティアが視線を一点に集中する。

「そこっ!」

 右上に生える木に向けてナイフが放たれる。虚空を突き進む白刃が木の葉を切り裂き──木立の中に潜んでいた相手に弾かれる。

 舌打ちとともに木から降り立った男が地面に片膝をつく。同時にガイの肩を中心に、禍々しい譜陣が一瞬虚空に浮かび上がって消えた。

「……地震で気配を消しきれなかったか」

 気絶したガイを見据え、仮面の男──シンクが苦笑を浮かべた、

「やっぱりイオンを狙ってやがるのか! それとも……別の目的か?」
「大詠師モースの命令? それともやっぱ、主席総長?」

 武器を構える俺達に、ラルゴがまったく揺るぎのない声を返す。

「どちらでも同じことよ。俺たちは導師イオンを必要としているのだからな」
「それにしてもアクゼリュスと一緒に消滅したと思っていたが……大した生命力だね」

 嘲笑うシンクに、潔癖なナタリアが我慢ならないと叫ぶ。

「ぬけぬけと……! 街一つを消滅させておいて、よくもそんな……!」
「ふっ。はき違えるな。消滅させたのは、そこのレプリカだ」

 鎌で俺を指し示しながら告げられた言葉に、俺の中で憎悪が燃え上がる。

 ──それをさせたのは、いったい、どこの誰だと思っていやがる……っ!

 じりじりと高まり行く緊張感に、今にも戦端が開かれようとした──そのとき。

「何の騒ぎだ!」
「地震の影響か? だが戦闘音が聞こえたぞ」
「ともかく、急行するぞ」

 遠くからマルクト兵の声が届くと同時に、シンクが大きく背後に飛び退り、間合いを離す。

「ラルゴ、いったん退くよ!」
「……やむを得んか」

 武器を構える俺達を警戒しながら、ラルゴが鎌を地面に突きたてる。
 突然の行動に一瞬眉をしかめるが、すぐに俺はこの攻撃が見覚えるのあるものだと気付く。
 これはダオ遺跡で見た……

「やばい、伏せろっ!」

 俺は咄嗟に地面に倒れ伏すガイを肩に担ぎ上げ、ラルゴから距離をとる。

「ふんっ──地龍吼破っ!」

 鎌が薙ぎ払われると同時、大地に亀裂が走り、鎌の一振りに巻き込まれた無数の岩石が俺達に押し寄せる。
 俺は自分に直撃しそうなものだけに狙いを絞り、片手に握った剣で弾き返す。

 舞い上がった粉塵に視界が覆い隠される中、急速に遠ざかる二人分の気配を感じる。
 ようやく土煙が収まった頃には、六神将の姿は消え失せていた。周囲を見回すと、全員が頷きを返す。

 どうやら全員無事なようだな。

 なんとか収まった状況に、思わず安堵の吐息が漏れちまう。
 しかし、安堵するにはまだ少し早かった。駆けつけてきたマルクト兵達が、この場の惨状に息を飲む。

「な、何だお前たちは! これはいったい?」

 いち早く冷静さを取り戻したティアが、軍人口調で大まかな状況を説明する。

「カーティス大佐をお待ちしていましたが、不審な人影を発見し、ここに駆けつけました」
「不審な人影? ……ああ、先程逃げた連中のことか?」
「神託の盾騎士団の者です。彼らと戦闘になって、仲間が倒れました」

 俺の肩に担がれたガイに視線が集まる。しかし、兵士達の視線が直ぐにイオンやアニスに移る。

「だが、お前たちの中にも神託の盾騎士団がいるな。……怪しい奴らだ。連行するぞ」

 捲くれ上がった地面に、倒れ伏すマルクト兵に、満身創痍の俺達。
 こんな光景見せられたら、そりゃ警戒するなって方が無理な話しだよな。
 俺はガイを肩に担ぎ上げながら、厄介なことになったと空を仰ぐ。


「やっぱ……抵抗しない方がいいよな」
「もう……当たり前でしょう」

 俺の一応の確認に、ティアが心底呆れたように深くため息をついた。
 まあ、一応聞いてみただけだったんだぜ? 嘘じゃない。

 ……いや、本当にな。






[2045] 4-3・闇の胎動
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 22:28

 あの後、俺達は兵士達に周囲を囲まれたまま、帝都まで連行された。
 なんとも窮屈な思いをしながらグランコクマまで着いたところで、街の入り口に大層な人数の兵士が並んでいるのが見えてくる。

 んー……随分と大仰なお出迎えだな。


「フリングス少将!」
「ご苦労だった。彼らはこちらで引き取るが、問題ないかな?」
「はっ!」

 俺達を連行した兵士が緊張した様子で敬礼を返し、少将に道を譲る。
 奇妙な展開に呆気にとられていると、銀髪のフリングス少将とか呼ばれた人物は俺達に歩み寄る。
 少将は先程まで兵士に対して向けていたしかめっ面を不意に崩し、俺たちに爽やかな笑みを浮かべた。

「ルーク殿ですね。ファブレ公爵のご子息の」
「へ……どうして俺のことを……?」

 突然出たオヤジの名前に間抜けな言葉を洩らす俺に、フリングス少将の笑みが苦笑に変わる。

「ジェイド大佐から、あなた方をテオルの森の外へ迎えに行って欲しいと頼まれました。その前に、少し厄介な状況になってしまったようですが……」
「すみません、マルクトの方が殺されていたものですから……」
「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。ただ、騒ぎになってしまいましたので、皇帝陛下に謁見するまで皆さんは捕虜扱いとさせていただきます」

 申し訳なさそうに告げる少将に、俺は気苦労の多そうな人だなぁと思ってしまう。

「わかりましたよ。あと、仲間が倒れちまってるんで、どうにか……」
「──彼はカースロットに侵されています」

 突然進み出たイオンが俺の言葉を遮る。ついで俺の肩に担がれたガイを伺いながら、表情を暗くする。

「……しかも、抵抗できないほど深く侵されたようです。どこか安静に出来る場所を貸して下されば、僕が解呪します」
「イオンが何とか出来るのか?」
「というより、僕にしか解けないでしょう。これは本来、導師にしか伝えられていないダアト式譜術の一つですから」

 ダアト式譜術って……チーグルの森で使ってたようなやつか。
 しかし、なんで導師にしか伝えられん譜術をシンクが使ってたんだろね。
 まあ……森で見たのは大層な威力もってたことだし、使えそうだからって理由で、ヴァン辺りが勝手に盗み出したってところだろうか。

 そんな風に考え込んでいると、俺達の会話を黙って聞いていたフリングス少将が口を開く。

「わかりました。城下に宿を取らせましょう。しかし陛下への謁見が……」
「皇帝陛下には、いずれ別の機会にお目にかかります。今はガイの方が心配です」
「わかりました。では部下を宿に残します」

 少将の指示に、数人のマルクト兵がイオンに従う。
 俺も肩に担いでいたガイを彼らに渡しながら、頼みますと小声でお願いしとく。
 兵士達は本来なら敵国の人間にかけられた言葉に少し戸惑ったようだが、最後には頷きを返してくれた。

「私も行きますっ! イオン様の護衛なんですから」

 慌てて同行を宣言するアニスに、お願いしますね、イオンが苦笑を浮かべ同意した。

「ガイのやつ大丈夫かね……」
「ええ。それにしても、人間を操るなんて、許せませんね」

 まあ、イオンがどうにかできるらしいから、そんなに心配することはないだろうけどな。
 そんな風に楽観的に構えていると、宿屋に向かおうとしていたイオンの足が突然止まる。

「ナタリア……いずれ分かることですから、今、お話しておきます。カースロットというのは、けして意のままに相手を操れる術ではないんです」

 へっ? 意のままに操れる術じゃないだって? 
 ナタリアも同じことを思ってか、イオンに真意を尋ねる。

「どういうことですの?」
「カースロットは、記憶を揺り起こし理性を麻痺させる術。つまり……元々ガイにあなたへの強い殺意がなければ、攻撃するような真似は出来ない。……そういうことです」

 なん、だと。俺はイオンの顔を覗き込む。そこに嘘を言ってるような気配は微塵も感じられない。

 ……本当だって、言うのか。

 イオンから告げられたカースロットの真実に、ナタリアの顔が青ざめる。

「……そんな……」
「解呪が済むまで、ガイに近寄ってはいけません」

 イオン自身も、そうした注意を告げるのが心苦しいのか、沈痛そうな面持ちで顔を伏せる。
 それ以上の言及を避けるように俺たちに背を向け、足早にこの場を去った。

 去っていくイオンの背中を見送り、俺達は無言のままその場に立ち尽くす。

「よろしければ、しばし城下をご覧になってはいかがですか? 街の外には出られませんが、気を落ち着けるにはその方が……」

 少将がナタリアの様子を伺い、そんな提案をしてくる。

 確かにナタリアの状態を見る限り、間を空けないことにはどうしょうもないか。
 相手からのありがたい申し出に、俺も感謝の意を込めて頷きを返す。

「すんません……そうさせて下さい」
「わかりました。それでは我々は城の前に控えていますので、声を掛けて下さい」

 少将はそう言い残し、少し心配そうに俺たちの様子を伺いながら、この場を去った。
 残された俺達の視線は、否応なしにナタリアに向かう。

「……少し、一人にさせて下さい」

 ふらふらと離れていく彼女を咄嗟に追いかけようとして──俺はその一歩を踏み出せない事に気付く。

「ルーク? 追いかけないの?」
「俺は…………」

 ティアが俺の背中を押すような言葉をかけてくれたが、俺はそれに答えようと口を開くも、その先に続く言葉が見つからなかった。

 ──俺は彼女の求めたルークじゃない……──

 一瞬脳裏を過った考えがどうしても打ち消せず、俺はたった一歩が踏み出せない。

「……俺も少し、一人にさせてくれ」

 結局出て来たのは、そんな誤魔化しの言葉でしかなかった。

 自分の情けなさに、正直反吐が出る思いだな……くそっ。

「……ガイ……」

 親友の名を呟くが、当然返事があるはずもない。
 行き場を無くした呼び掛けだけが、帝都の街並みに虚しく響いた。




              * * *




 譜術によって巻き上げられた水が勢いよく流れ落ちる。
 虚空へ飛び散った水滴が微細な霧となって周囲を包む。

 水の都とはよく言ったもので、水上都市であるグランコクマの空気はどこか澄んだものを感じさせた。譜業によって囲まれたバチカルとの違いに、自分も遠いところまで来たもんだと考えさせられるね。

 そんなどうでもいいことが頭に浮かぶのは、俺が動揺を抑えようとしている証拠だろう。

 こんな意味のないこと考えていても、気分が晴れるはずもないってのにな。自嘲の笑みが浮かぶ。

「……」

 俺は一人噴水を眺め、思考に沈む。

 前へ進もうと誓った。
 あの誓いに嘘は無い。

 あの七年間は他の誰でも無い俺の過ごししたものだ。
 この想いに偽りは無い。

 それでも、俺以外の人間がどう思っているかまでは……正直、わからなかった。

 結局俺があいつと入れ代わっていた事実に変わりは無い。ガイはそんな俺を親友だと受け入れてくれた。ナタリアも戸惑いながらも、俺をルークと呼んでくれた。

 だが、俺はそんな二人のことさえ、碌にわかっていなかったんだな……。

 ウジウジした考えを否定しきれないでいると、不意に、俺は自分の後ろに立つ誰かの気配を感じる。振り返るまでもなく、俺にはそいつが誰かわかった。

 俺はため息混じりに顔を上げる。

「……一人にさせてくれって、言ったよな」
「約束したわ。あなたを見ているって」

 俺の遠回しな拒絶にもまるで怯んだ様子も見せず、ティアは応えた。その先に何か小言が続くのかと意識を向け続けるが、彼女はそれ以上なにを言うでも無く、ただ静かに俺の後ろに佇んでいる。

 ……気を遣われちまったな。

 彼女の不器用な気遣いに、胸の内に苦笑が浮かぶ。約束を前に押し出していても、ただそれだけじゃないことぐらい俺にもわかる。
 だから、気付けば口を開いていた。

「……コーラル城で、言ったよな。俺はガイの親ついて、なにも知らなかったってさ」

 両親が既に死んでいたというガイ。コーラル城の譜業機関が設置されていた部屋で、俺は初めてその事実を知った。

「両親を亡くしてたことも知らなかったし、誰かを……殺したい程憎んでたことも知らなかった」

 七年間の付き合いの間に、俺が知るべきものは無数にあった。本当に……俺はどれだけのものを見落としていたんだろうな。もし、これが俺じゃなく、あいつだったなら……

「アッシュなら、わかってやれたのかもしれねぇ……そんなしみったれた考えが、どうしても否定しきれなかった。アホだよな、俺。ナタリアがあんな状態だってのにさ。情けないことに足が踏み出せなかったよ」

 自嘲の笑みが浮かぶのをどうしても止められない。

 俺の言葉を吟味するように少し間を置いた後で、背後からティアの言葉が届く。

「……あなた達三人が、私は少し羨ましい。ユリアシティに暮らす人々は、どこか私とは距離を置いていたから」

 彼女は俺の思いもしなかった言葉を語りかけてきた。

「あなた達三人が過ごした時間に偽りは無い。ナタリアの約束した相手があなたでなかったとしても、あなたはここに居る。他の誰でもない……あなたの言葉を彼女に掛けることは出来る。
 ここで一人考え込んでいても、何も変わらない。あなたなら……それがわかっているはずよ」

 背中越しにかけられた彼女の言葉はどこまでも厳しく、同時にどこか優しさを感じさせる。

「ナタリアを探しましょう、ルーク。……私も、居るから」

 最後の言葉に、俺は気付けば振り返っていた。彼女の瞳に、俺の姿が映る。

 まじまじとティアの顔を見据えていると、彼女の頬が朱に染まる。

「な、なに?」
「やっぱ……ティアは凄いな」

 どうしてこうも……俺のかけて欲しい言葉を言ってくれるんだろうね。

 彼女にはよく意味がわからなかったようで、不可解そうに目を瞬かせている。

「どういうこと?」
「いや……なんでもねぇよ」

 俺は目を伏せて、口元に微かな笑みを浮かべた。

「僕達も居るですの~」
「ぐるぅぅう」

 続けて放たれたコライガ達の能天気な声に、場の空気が一気に軽くなる。
 さっきまであれほどまでに悩んでたのが、馬鹿らしくなってくる。

「ま、確かにそうだよな」

 他の誰でも無い。俺にできることをやる。つまりは、いつも通りの俺でいいってことだよな。

かぶりを振って、陰気な考えをふき飛ばす。

「そんじゃ、ナタリアを探すとするかね」

 未だ納得いかなげなティアを尻目に、俺は気分も新たに勢いよく、その一歩を踏み出した。




              * * *




 マルクトの港に立ち、ナタリアは一人海を見据えていた。

 なんとなく掛ける言葉が思いつかず、俺は無言のまま彼女の隣に並ぶ。

「私は……至りませんわね」

 しばしの沈黙の後、彼女は不意にそう言葉を洩らした。

 至らない……か。自分が気付いてやれなかったことを気に病んでるだろうか。考える方向性まで似ているとは、参ったね。思わず苦笑しそうになるが、ここで笑うのはさすがに場違いだ。

 だから、俺は自分の考えをナタリアに伝えることにした。

「……誰かを殺したいほど憎む気持ち。俺も、わからないわけじゃねぇんだ」

 ナタリアがはっと顔を上げる。

 ───ヴァン・グランツ。

 俺に七年もの間剣を教えた師匠にして、アクゼリュスを俺に崩落させた六神将の長。

「ヴァンに裏切られた瞬間、俺の中に沸き上がった感情は、どう贔屓目に見ても、殺意としか言いようがなかったな。あの感情は……一度抱いたら滅多なことじゃ忘れられねぇとも思ったよ」

 もし奴が目の前に現れたなら、俺は自分でもなにをするのかわからないだろうな……。後半は言葉にはせず、顔を伏せる。ナタリアはなにも言わず、俺の言葉の続きを待ってくれている。

 でもさ、と俺は重苦しい口調を一転、伏せていた顔を上げて言葉を続ける。

「今は、それよりも知りたいって気持ちが強いんだ。どうしてヴァンは俺にあんなことをさせたのか、その理由が知りたい。奴の話しを聞きたい」

 憎しみが消えた訳じゃない。それでも感情の全てが、憎しみに占められている訳でもない。

「だから、まずガイと話そうぜ。あいつがなにを抱えていたのかはわからねぇけど、それでもあいつはこの七年間、俺達と笑って過ごしてたんだ。あの笑顔に嘘は無いって、俺は信じられる。
 ガイが気付いたらあいつと話す。悩むのは、それからにしようぜ。俺も一緒に考えるからさ」

 もっとも、あんまり役に立たないかもしれないけどな、と俺は肩を竦めて見せた。

「ルーク……」

 俺の感情の赴くまま放たれた勝手な言い分に、ナタリアが初めて俺と顔を合わせた。彼女の碧眼が海の蒼を反射する。綺麗だなぁーと俺は素直に思った。

「ええ。そうですわね。まず彼と話す……悩むのは、それからですね」

 顔を上げて自らの思いを口にするナタリアの様子に、ひとまず胸をなで下ろす。なんとか持ち直せたようだ。

 後は、実際にガイと話さないことには解決しないだろうが、その辺のことは心配していない。かつてがとうであろろうと、あいつが今も憎しみに囚われているなんてことはありえない。これだけは断言できる。

 いろいろと気に食わないところもあるが、それでも、俺はガイの親友だからな。

「それじゃ、謁見しに行くとするか」
「わかりましたわ」

 足どりも軽く歩き出す俺の後ろに続いて、ナタリアとティアがなにか言葉を交わしてる。

「……彼は、どこか変わりましたね」
「変わりたい……彼はそう言っていたわ」
「おそらく、ティアの影響を受けているのでしょうね」
「わ、私の影響?」
「少しだけ……悔しいですわね」

 なかなか動き出そうとしない二人に、俺は大声上げて呼び掛ける。

「おーい、早いとこ行こうぜ。結構待たしちまってることだしさ」
「ええ。わかっていますわ──ルーク」

 ナタリアは笑みを浮かべて、自然とその名前を口にしていた。




              * * *




「よう、あんたたちか。俺のジェイドを連れ回して帰しちゃくれなかったのは」
「……は?」

 閉口一番放たれた訳わからん台詞に、俺は口をあんぐり開けて、呆気に取られる。

 言葉を無くした俺達の様子に、脇に控える高官が呆れたように額を押さえるのが目に入る。

「えーと、あんたがピオニー……陛下?」
「ルーク!」

 俺のあんまりにも不作法な呼び掛けに、ティアが諫めるように俺の名を短く叫ぶ。

 しかし、俺の気持ちもわかってほしい。だってそうだろ。マルクト帝国皇帝陛下がこんな気さくな兄ちゃんだなんて、いったい誰が思うよ?

 日に焼けた健康そうな体躯に、簡素ながらも仕立の良い衣装を身に包んでいる。王族としての威厳が無いわけじゃないが、それよりも先に親しみやすさを感じる

「おうよ。俺がピオニーだ。そう言うあんたはルークか。ふむ……」
「な、なんだ?」

 俺の顔をしげしげと見据え始めた兄ちゃんに、なんだか言葉にできない迫力を感じて気押される。

 しばらく俺を見据えていたかと思えば、マルクトの皇帝は唐突にニヤリと笑う。

「なに。あのジェイドに気を遣わせた大物の顔だ。一度じっくり拝ませて貰いたいと思ってたんでな」
「……へ?」

 ついで放たれたのは、まるで訳わからん言葉だった。ジェイドに気を遣わせる? そんな絶対的に不可能に近い偉業を成し遂げたような覚えは、俺の記憶には無いがね。

 なんの冗談だと一人首を傾げていると、ジェイドが苦虫を噛み潰したような表情で額を押さえる。

「……陛下。冗談でもそういうことを仰るのはお止めになって下さい」
「ハハッ、全部が全部冗談ってわけでもないんだがな。ま、アホ話してても始まらんか」

 ひとしきり笑うと、ピオニー陛下の表情が引き締まる。
 どこか重々しい空気が場を見たし、重厚な声音が謁見の間に響く。

「本題に入ろうか。ジェイドから大方の話は聞いている……」

 皇帝がそう切り出したのを皮切りに、俺達は帝国側の動向を説明された。

 なんでも帝国側でもセントビナーの地盤沈下については把握してるらしい。それならさっさと住民を避難させればいいと思うが、事はそう簡単ではないようだ。

「何故ですの、陛下。自国の民が苦しんでおられるのに……」

 ナタリアの疑問に、大佐がメガネを押し上げ表情を隠す。

「キムラスカ軍の圧力があるんですよ」

 そう告げた大佐に続けて、脇に控える将軍がなにかを読み上げる。

『王女ナタリアと第三王位継承者ルークを亡き者にせんと、アクゼリュスごと消滅を謀ったマルクトに対し、遺憾の意を表し、強く抗議する。そしてローレライとユリアの名のもと、直ちに制裁を加えるであろう』

 事実上の宣戦布告の言葉だった。

 予測していなかった訳じゃないが……それでも現実として目の前に突き付けられると、動揺を感じる。

「父は誤解をしているのですわ!」

 ナタリアの抗議の声も、俺にはどこか遠く感じられた。

 ──スコアに詠まれていたことだ──

 俺が親善大使に選ばれたとき、告げられた言葉が俺の耳から離れない。

 ナタリアとは対照的に沈黙する俺に、ジェイドが視線を向けてくる。将軍とナタリアの言い合いを目線で示し、俺は大佐に止めてくれと訴える。

 ジェイドはやれやれと肩を竦めた後で、二人の間に割って入ってくれた。

「ナタリア、落ち着いてください。アクゼリュスの件は皆把握しています。本当にキムラスカが戦争のためアクゼリュスを消滅させたのかは、この際重要ではないのです」

 ジェイドが仲裁に入り、俺たちはひとまず問題点を整理することになった。

 議会が動かないことには動きようがない。そもそも皇帝自身も、ジェイドの報告を聞くまでは、キムラスカが超振動を発生させる譜業兵器を開発したと考えていた。故に、救援を差し向けた途端、セントビナー諸共消滅されられるのではという危惧を止められないという。

 改めて突き付けられた問題に、俺たちは考え込む。

 つまり軍を動かすわけには行かないってことか。だが、セントビナーにはマルクト軍の基地があったはずだ。それなら、最悪セントビナーを放棄しろって皇帝からの命令があれば、住民の避難に協力してもらえるかもしれない。

 そんなことを思いついて口を開こうとした瞬間、ナタリアが俺の前に出る。

「どうしても軍が動かないなら、私達に行かせて下さい。それなら不測の事態にも、マルクト軍は巻き込まれないはずですわ」

 皇帝はナタリアからの訴えに、驚いたように僅かに目を開く。
 しばし考え込むような間を置いた後で、ナタリアを見据えながら皇帝は顎を撫でる。

「……驚いたな。どうして敵国の王族に名を連ねるお前さんが、そんなに必死になる?」
「敵国ではありません! 少なくとも、庶民たちは当たり前のように行き来していますわ。それに、困っている民を救うのが、王族に生まれた者の義務です」

 ……王族たるものとしての責務を果たそうとする、か。

 たとえ王族だろうが、滅多に言い切れない言葉だ。そんな言葉を躊躇うことなく言い切れるナタリアの姿を、俺は少しの眩しさを感じながら見つめた。

「……そちらは? ルーク殿」

 将軍の問い掛けに、皆の視線が俺に集まる。

「俺の理由……か」

 瞼を閉じて、俺は自分の理由を改めて見つめなおす。

 脳裏に過るのは、アクゼリュス崩落の記憶。剣から流れ込んだ大量の死。気が狂いそうになるほど、響きわたる死にたくないという人々の悲鳴。すべてが、俺に訴え掛ける。

 なぜ、自分たちを、殺したのかと。

「アクゼリュスは……俺の手で崩落した」

 どんな要員が絡まっていようが、あれは俺の背負った罪だ。これだけは、誤魔化すことはできない。

「今回の事態も、まったく俺が関係してないわけじゃない。俺は……あんな思いをするのはもう二度と御免だ。セントビナーの崩落を直接的に引き起こしたのが俺じゃなかったとしても、そこに居る連中を助けたいって思う。……敵国とか、そうじゃないとか、正直俺にはよくわからねぇよ。
 ただ、目の前に救えそうな人間が居るなら、手を出したい」

 こんな俺なんかでも、救える命があるなら救いたい。

「……そう思うのは、そんなにおかしいことなのか?」

 マルクト皇帝の顔を見返して、俺は逆に問い返していた。

 皇帝はしばらくの間、面白そうに俺の言葉を吟味していたが、不意に不敵な笑みを浮かべた。

「とことん甘い考えだが……そうだな。当然、おかしくないわな」

 俺の支離滅裂な答えに、皇帝は満足そうに頷いた。ついで脇に控える将軍に、顔を向ける。

「どうだ、ゼーゼマン。お前の愛弟子ジェイドも、セントビナーの一件に関してはこいつらを信じていいと言ってるぜ」
「陛下。『こいつら』とは失礼ですじゃよ」

 二人のどこか惚けたやり取りに、先程までの圧迫感が一瞬で霧散し、場の空気が軽くなる。

 ジェイドが僣越ながら、と二人の話しに口を挟む。

「セントビナーの救出は私の部隊とルークたちで行い、北上してくるキムラスカ軍は、ノルドハイム将軍が牽制なさるのがよろしいかと愚考しますが」
「小生意気を言いおって。まあよかろう。その方向で議会に働きかけておきましょうかな」
「恩に着るぜ、じーさん」

 将軍がジェイドの提案に同意し、皇帝は軽口を叩いている。

 どうやら、なんとかなりそうだな。

 次々と決定されていくエンゲーブの救出計画に、俺たちもようやく安堵する。

 最後に皇帝は俺たちの瞳を真剣な表情で見据える。

「……俺の大事な国民だ。救出に力を貸して欲しい。頼む」
「全力を尽くすぜ」
「私もですわ」
「御意のままに」

 俺たちの返答に深く頷き返すと、マルクトの皇帝は勢いよく玉座から立った。

「──よし、俺はこれから議会を招集しなきゃならん。後は任せたぞ、ジェイド」

 踵を返し、皇帝は機敏な動作で謁見室を去っていた。

 あれが……王族か。

 国民の命を双肩に課せられた人物。ちょっとしか話せなかったけど、なかなかの傑物だったように俺には思えた。預言に頼りきっていないからか、それとも今の俺がキムラスカに思うところがあるせいか。

「やれやれ、大仕事ですよ。一つの街の住民を全員避難させるというのは」

 皇帝が完全に去った後、俺達の下に近づいてきたジェイドが、厄介なことになったと被りをふった。

「弱音を吐くなんて、ジェイドらしくないぜ?」

 俺が笑みを浮かべ揶揄すると、ジェイドは軽く肩を竦めて見せた。

「冷静に事実を述べたまでですよ。それにしても……」

 一旦言葉を切って、ジェイはどこか苦笑染みた表情を浮かべた。

「私の予測を上回るとは……やはり面白い人ですね、あなたは」

 面白いって、そりゃネタとして飽きないってことか? それはそれで、どうにも複雑な気分だ。

「まぁ……ともかく、具体的にはこれからどうするんだ?」
「陛下のお話にもありましたが、アクゼリュス消滅の二の舞を恐れて、軍が街に入るのをためらっています。まずは我々がセントビナーへ入り、マクガヴァン元元帥にお力をお借りしましょう」
「ああ、そっか。さっきの将軍が守備を引き受けてくれるから、セントビナーの軍人も手を貸してくれるのか」
「……よく気づきましたね」

 また、それかい……。

 もはや最近お馴染みとなってきた言葉に、俺はがくりと肩を落とす。

「はいはい。そうでしょうよ。……ったく、そんなに俺は考え無しに見られてたのかよ」

 俺のぶつぶつ洩らした愚痴に、さすがのジェイドも失笑を洩らす。

 ともあれ、ジェイドの具体的な指示で、なにをするのかわかったのだ。気を引き締めていかないとな。

 アクゼリュスの二の舞は……もう御免だ。

 いろいろと細かい打ち合わせをしながら歩き出そうとしたところで、ティアが言い難そうに告げる。

「その前に、ガイやイオン様たちの様子を見ないと……」

 ナタリアの足が止まり、わずかにその身体が強張るのがわかった。

「ナタリア……」
「大丈夫ですわ、ルーク。ガイと、話しましょう」

 そこには俺のよく知ってる、決して諦めないと瞳で語るナタリアの姿があった。

 やれやれ……ガイのやつめ。俺たちにこんな心配かけさせるとは、宿であったら覚えてやがれよ。

 頭の中でガイに語りかけると、想像の中でガイはどこか困ったような表情を浮かべていた。




              * * *




 いろいろと覚悟は決まったわけだが、宿屋の前まで行くと、さすがに俺たちの間を緊張が漂う。

「ご苦労」
「はっ。導師のお許しは出ています。どうぞ」

 兵士が敬礼を返し、中への扉を開く。

 俺たちは宿屋の中に足を踏み入れた。

 宿の奥まった部屋、寝台に腰掛けたガイの姿があった。

「ガイ、もう大丈夫なのか?」
「ああ……迷惑かけちまったな。特にナタリア、すまなかった」

 やはりナタリアの姿はどこか沈んで見えたんだろう。ガイは真っ先にナタリアへ向けて、頭を下げた。

「いえ……私の方こそ……」

 少し躊躇いながら、言葉を選ぶように謝罪の言葉を探すナタリアの台詞を、ガイが手を上げて制する。

「そうじゃない。そうじゃないんだ」

 首を振って、謝ろうとするナタリアの行動を否定した。

 集まった視線の中、ガイはなにか決定的な判断を躊躇うかのように、少しの間、瞼を閉じる。

 再び目が開かれたとき、ガイの瞳には覚悟の光が宿っていた。

「俺は……マルクトの人間なんだ」
「え? ガイってそうなの?」

 アニスの場の空気を無視した軽い合いの手に、ガイは少し苦笑を浮かべたが、そのまま言葉を続ける。

「ああ。俺はホド生まれなんだよ。で、俺が五歳の誕生日にさ、屋敷に親戚が集まったんだ。んで、預言士が俺の預言を詠もうとした時、戦争が始まった」
「ホド戦争……」

 ティアがどこか哀しげに呟く。そう言えば……ティアもヴァンも、ホドが故郷だったか。

「そう。あの戦争でキムラスカの奴らに、公爵が率いる軍に俺の家族は殺された。家族だけじゃねぇ。使用人も親戚も……すべてあの戦争で、無くしちまったんだ」
「あなたが公爵家に入り込んだのは、復讐のためですか? ──ガルディオス伯爵家、ガイラルディア・ガラン」

 ジェイドの斬り込むような鋭い言葉に、ガイが驚いたと両手を上げる。

「うぉっと。ご存知だったって訳か」
「ちょっと気になったので、調べさせてもらいました。あなたの剣術は、ホド独特の盾を持たない剣術、アルバート流でしたからね」
「正確には、俺が使ってるのはアルバート流から派生したシグムント流……いや、シグムント派とでも言うべきものなのかな」

 なにかを懐かしむように、目を細めて見せた。だがすぐに、後悔するように瞳を伏せる。

「大佐のいった通り、俺は最初、公爵に俺と同じ思いを味わわせてやるつもりだったんだ。そのために、屋敷に入り込んだ。そうして屋敷で虎視眈々と機会を狙ってたわけだったんだが……」

 顔を上げたガイの表情には、苦笑が浮かんでいた。

「おかしなもんで、お前ら二人と付き合ううちに、俺は復讐しようなんて気持ちは忘れちまったよ。いつのまにか、ルークとナタリアの二人と、本気で友達になってたんだ。七年間、そうして一緒に過ごしてきた中で、憎しみは消えたはずだったんだがな……心の底では、まだキムラスカに思うところがあったのかもしれない」

 再び真剣な表情になって、ガイはナタリアに頭を下げた。

「本当に……すまなかった、ナタリア」

 頭を上げようとしないガイに、ナタリアがそっと手を伸ばす。

「いいえ……いいのです、ガイ。頭を上げて下さい。私の方こそなにも気付かず、あなたを苦しめていたのですね」

 顔を上げたガイの掌をとって、ナタリアが視線を合わせる。

「だから、私にも言わせて下さい。ごめんなさい……ガイ」
「ナタリア……」

 どうやら、二人は仲直りできたようだ。

 だが、俺はガイの言葉を聞いて、どうしても確かめなければならないことができた。

「ガイ……一つ聞かせてくれ。カースロットは人間の記憶を掘り起こし理性を麻痺させる術だ。ホドを直接攻めた公爵家の人間じゃ無くて、ナタリアに斬りかかったのは……俺がレプリカだったからか?」

 問い掛けながら、ガイに視線を向ける。実際に聞きたいのは、そんなどうでもいいことじゃない。ただ、俺は聞きたかった。俺がレプリカだから友達になれたのか、聞かずにはいられなかった。

 俺の瞳を真っ向から見返し、ガイが俺の考えを見抜いたのか眉間に皺を寄せる。

「今度そんなこと言ったら、本気で殴るぞ」

 どこか怒ったようにガイの瞳が燃える。だがすぐに、なにかを躊躇うように瞳の光が揺らぐ。

「……そりゃ、全く関係ない訳じゃないとも思う。それでも、俺が憎しみに囚われなくなったのは、お前がレプリカだったからなんかじゃない。この二年の間、ずっと前を向くのを止めようとしなかった……ルーク、ナタリア、屋敷の人たちの姿を目にして……俺は過去を振り切ろうって、思い切れたんだ」

 瞳を逸らさず、ガイはかつて過ごした日々を懐かしむように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「決してルークを見捨てようとしなかったナタリア。あんな経験をしながら、最後には自力で立ち上がったルーク。そんなお前たち二人を見ていて、俺は憎しみを捨てようって思えたんだ。
 ──ようするに、敵国がどうとか仇だとか考えるのが、馬鹿らしくなったってことだな」

 軽い口調で、最後にはそう肩を竦めて見せた。俺が皇帝に問いかけた言葉と、どこか似ているな。

「……馬鹿らしいか」
「ああ、馬鹿らしい。そう思うだろ?」

 俺とガイは同時に吹き出して、笑い合う。俺達につられるようにして、ナタリアも笑みを浮かべた。

 復讐を誓ったガイが、当時どれだけの決意で屋敷に乗り込んできたのかはわからない。それでも、ガイはかつて失った過去よりも、俺たちと過ごした日々を取ってくれたんだ。

 軽い言葉の裏に隠された想いの深さに、ここはもう……笑うしかないってもんだろ?

「さて。いい感じに落ち着いたようですし、そろそろセントビナーへ向かいましょうか」

 意味もなく笑い合う俺達三人に向けて、ジェイドが出発を促す。

 確かに崩落が迫ってるんだ。こんなとこでいつまでも馬鹿笑いしてる訳にはいかないか。

「あ、イオン様はカースロットを解いてお疲れだし、危険だから 私とここに残りま~す」

 手を上げて主張したアニスに、イオンが異を唱える。

「アニス。僕なら大丈夫です。それに僕が皆さんと一緒に行けばお役に立てるかもしれません」
「イオン様!?」
「アニス。それに皆さん。僕も連れて行ってください。お願いします」

 一人驚愕するアニスを尻目に、イオンが俺たちに頭を下げた。

「ヴァンがイオンを狙ってるなら、どこだろうが危険だし……俺は連れて行っていいと思うけど?」
「目が届くだけ、身近の方がマシということですか? ま、仕方ないですかね」

 大佐も同意を返し、イオンが同行することが正式に決定した。

「もうっ! イオン様のバカ!」
「大丈夫ですよ、アニス」

 アニスの悲痛な叫びにも、イオンはニコニコ笑いを浮かべたまま、呑気に請け負うのであった。

 まあ、純粋なのはいいけど、もう少し危険に敏感になって欲しいもんだ。

 まるで危機感の無いイオンンの笑顔に、つい、俺もそんなことを考えてしまうのであった。




              * * * 




「ですから父上、カイツールを突破された今、軍がこの街を離れる訳にはいかんのです」
「しかし民間人だけでも逃がさんと、地盤沈下でアクゼリュスの二の舞じゃ!」
「皇帝陛下のご命令がなければ、我々は動けません!」

 マルクト軍のベースキャンプで、親子ほど歳の離れた軍人と老人が激論を交わしていた。部屋に入った俺たちの姿にも、気付く様子が無い。

「あー……ピオニー皇帝の命令なら出たぜ」

 どうしたものかと思いながら発した俺の言葉に、二人の視線がこちらを向く。ついで、軍人の視線がジェイドを映し、驚きに目を見開く。

「カーティス大佐!? 生きておられたか!」
「して、陛下はなんと?」

 軍人の方は大佐の生存情報に固まっていたが、老人の方は落ち着いたもので、冷静に俺たちの言葉の続きを促した。

「民間人をエンゲーブ方面へ避難させるようにとのことです」
「しかし、それではこの街の守りが……」

 大佐の言葉に我に返って抗弁する軍人に、ジェイドがまだ先があると言葉を続ける。

「街道の途中で私の軍が民間人の輸送を引き受けます。駐留軍は民間人移送後、西へ進み、東ルグニカ平野でノルドハイム将軍旗下へ加わって下さい」
「了解した。……セントビナーは放棄するということだな」

 どこか苦々しげながらも、命令なら仕方ないとその軍人は頷いて、部屋を後にした。

「さて、私達も動きますか。エンゲーブ方面へ住民を誘導するのに、人手があって足らないということはないですからね」

 そんな大佐の言葉を皮切りに、俺たちはセントビナー住民の避難に向けて動き始めた。

 もともとアクゼリュスでこういう活動を想定してたからか、思ったよりも順調に誘導は進んだ。

 あとは俺たち同様、住民の避難活動を手伝ってくれていたマクガヴァン老以下、街の人たちを残すばかりってとこまで行き着いた。意外となんとかなるもんだと、張りつめていた気が少しだけ緩むのを感じる。

「それではマクガヴァン元帥。あなた達もそろそろ……」

 避難して下さい、とジェイドが続けようとしたところで、視線も鋭く上空の一角を見据える。

 何事だと思いながら、大佐の視線を追う。視線の先、空の一転に影が生じた。急速に迫り来る巨大な影は一切速度を落とさぬまま進み行き──マクガヴァン老の家に突っ込んだ。

「な、何だ……!?」

 突然の出来事に、誰一人動き出せないまま、事態は進み行く。

 マクガヴァン元帥の家屋の瓦礫を撒き散らし、飛び出したのは──巨大な譜業兵器の存在だった。

 頭の方に迫り出した操縦席のようなものの上に立ち、白髪メガネが高笑いを上げる。

「ハーッハッハッハッ! ようやく手に入れましたよっ!!」

 耳障りな声を上げながら、突き出されたディストの手に握られているのは、一振りの槍。どこか血に濡れたような朱色に彩られた刃が、ギラついた光を放つ。

「あれは我が家の家宝、プラッドペイン!」

 マクガヴァン老の言葉に、ジェイドが視線も鋭くディストを睨む。

「この忙しい時に……。昔からあなたは空気が読めませんでしたよねぇ」

 大佐の厭味な言葉で、ディストはジェイドの存在に初めて気付いたといった様子で目を見開く。

「おや、そこに居るのはジェイドじゃありませんか? これはいい! もののついでです。導師イオンを渡していただきましょうか!!」

 キモイ動作で差し出された掌の上で、薔薇が地上に舞い落ちた。

 大佐がうざそうに薔薇の花びらをたたき落とし、満面の笑顔で顔を横に振る。

「お断りです。……それより、元帥の家から盗み出したそれを、いったいどうするつもりです?」
「ムキー! 私がなにをするかなどあなたにはどうでもいいことなのでしょう!! ネビリム先生のことを……諦めたあなたには……」

 ネビリムという名前を発した瞬間、ディストの表情が一瞬曇る。
 大佐がわずかに動揺したように瞳を揺らし、メガネを押し上げ表情を隠す。

「お前は……まだそんな馬鹿なことを!」
「さっさと音を上げたあなたにそんなことを言う資格はないっ! もう、お話の時間は終わりです!!
 ───さあ、導師を渡して貰いましょうかっ!!」

 叫ぶと同時、譜業兵器の迫り出した部分が沈み込み、槍を手にしたディストの姿が内部に消える。

『───奏器駆動機関、起動シマス』

 機械的な音声が周囲に響き、譜業機関が駆動音を立てながら動き出す。



 闇が、生まれた。



 何処とも知れぬ場所から生じた漆黒の闇は急速に譜業兵器を包み込む。闇の現出は兵器を完全に覆い尽くした後も止まらない。溢れ出した闇の残滓が大地に流れ込む。流出した闇の先端部分は、まるで生き物のように地面の上をビチビチと跳ね回り、醜悪な動作で蠢き回る。

「これは……異常なまでの第一音素の高まりを感じる」

 ジェイドが闇を見据え息を飲む。ついで視線も鋭く俺たちに忠告を発する。

「皆さん、気をつけて下さい。どうやら、いつものディストとは違うらしい」

『ハーッハッハッハッ! 第一奏器を内蔵せしカイザァーッディストッ! CH!! の力の前に平伏しなさい、ジェイド!!』

 地面を跳ね回っていた闇の触手が一斉にその先端をもたげ、譜業兵器の前面に展開される。闇の触手はその先端を鋭く捩じらせながら、放たれるのを待ち望む矢のごとく後方に引き絞られる。

「───ティア、譜歌をお願いします!」

 大佐の指示に疑問を返すでも無く、ティアが即座に譜歌を歌い出す。彼女もまた、目の前の譜業兵器の異様さに気付いているからだろう。

 譜歌の美しい旋律と、闇の触手が地面を這いずり回る音だけが、周囲を満たす。

 譜歌の完成まで残すところ後僅かというところで、解放の時を今か今かと待ち望んでいた闇の触手が、不意にその動きを停めた。

「来ます!」

 醜悪なりし闇の触手は、豪雨のごとき奔流となって降り注ぎ───

 俺たちの視界を、埋め尽くした。







[2045] 4-4 漆黒の闇 ─ソリスト─
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 22:33

 僅か数センチ先の空間を闇の触手が跳ね回る。

 触手が俺たちを貫くかと思われた──正にその瞬間、間一髪で譜歌は完成した。
 展開された障壁に遮られた先で、闇の触手が悔しげにその身を捩らせる。


『む、なかなか鋭い反応ですね。ならば、こちらから攻め込むとしましょうか』


 漆黒の闇に覆われた譜業兵器が、無骨な鋼鉄の足を踏み出す。
 一歩進み出る毎に本体から溢れ出した闇の残滓が周囲を蛇のようにのたうち、地面を這いずり回る。


 ──アレはやばい。


 常にヴァンと行っていた生死を強く意識した訓練で、無意味なまでに高まった俺の危機察知能力が、最大限の警鐘を鳴らしてやがる。
 正直、見ているだけで背筋に怖気が走る光景だ。


「……なんなんだ、アレは?」

 全身に怖気が走るのを感じながらのつぶやきに、大佐が譜業兵器に視線を据える。

「見たところ……動力部から汲み出した第一音素を、半ば物質化するまで集束させ、譜業兵器の装甲にまとわせているようですが……実際の効果の程は未知数ですね。正直、私もこんな術は知りませんし」

 大佐にも見当がつかないのかよ。本気で意味わからんと俺は闇を凝視する。

「しかし……機動性はかなり低いようですね」

 さっきから譜業兵器がこちらに近づこうと動いているのだが、一歩を踏み出すだけでもかなりの時間がかかっている。
 どうも地面をのたうち回ってる触手が譜業兵器の動きを阻害してるようだな。

 ん? あの触手……見た感じだと剣でも弾けそうだな。大佐の分析だと第一音素の塊だって話だが。

「さっき物質化とか言ってたけど、あのキモイ触手、剣とかでも叩き落とせるってことか?」
「そうですね……引きずられた触手が地面に跡を残しているので、剣で触れることも可能でしょう。地面に接触した部分を見る限りでは、特にこれと言った特殊な効果も無さそうですしね」

 今の所はですが、と最後に付け足して大佐は肩を竦めて見せた。
 なるほど。ともあれ、あの量を捌けるなら、前衛が動いても大丈夫ってことか。
 俺は剣を構え、一歩前に進み出る。俺の動きに、皆の視線が集まる。

「とりあえず、俺とガイが突っ込んでみる」
「俺も!?」
「雨みたいに降り注ぐ触手の中で動けんのは、完全な前衛の俺らぐらいなもんだろ。諦めろ、ガイ」
「……まあ、仕方ないかね」

 嫌そうに顔をしかめ、地面をのたうち回る触手を見やりながら、ガイが刀を肩に担ぎ、了承を示す。

「大佐は相手の反応を探ってくれ。ティアとナタリア、それにアニスは適宜援護頼む。かなりマジで」

 あの量を捌くのは俺ら二人でも、さすがにギリギリの線なので、かなり切実に頼んでおく。

 皆もそれはわかっているのか、深く頷いてくれた。

「障壁を解くタイミングはどうするの? 一応、私に伝えてくれれば、その瞬間に解除できるけど」

 ティアの申し出に、俺は一瞬考えた後で、すぐに答えを出す。

「ガイ、頼めるか?」
「ん? 俺でいいのか?」
「俺より、いろいろと良さそうだからな。……特に運とか」
「…………運か」

 これは参ったとガイが額を抑えた。ちなみに冗談とかではなくて、本気だ。

 一瞬でもタイミングを間違えれば、飛び出たところをディストに狙い撃ちにされて、見事な昆虫標本が出来上がることだろう。

 かなり運の要素が高い判断に、ここはやっぱ俺みたいな墓穴堀りまくり野郎よりも、ガイみたいな大吉男に任せたいのが正直な所だ。

「……飛び出す瞬間、私に合図して。そのとき解除するから」
「わかった。しかし、あの中に飛び込むのか……」

 ガイの言葉に、俺も改めて闇に視線を向ける。視線の先で、触手が地面を蠢いている。

 う……こうして改めて見ると、マジでキショすぎる。あれで本当に音素かよ、と疑念が沸き上がるのが止められない。

 そんな風に闇を見据えていると、少し間が空いた後で、ガイが俺に目配せをしているのに気付く。俺はそれに応じ、足に力を込めて、そのときを待つ。

「ティア、頼む!」

 障壁が消える。俺達は突進する。譜業兵器が俺たちに気付く。触手が蠢く。

 ……相手の攻撃の威力がどれほどのものかわからんが、いなす程度のことはできると信じたい。

『ハーッハッハッハッ! 自ら飛び出して来るとは潔いことです。一撃で仕留めて上げましょう!』

 前に出た俺たちに向けて、触手が降り注ぐ。

 俺とガイは隣だって並び立ち、上下左右から押し寄せる闇の触手を弾き、いなし、時にはかわして、しのぎ続ける。

 う……ってか、切りが無くないか……マジ……キツイ……

 考えてた以上に、圧倒的な奔流となって触手は押し寄せ続ける。

 俺は絶え間なく押し寄せる攻撃だけに集中してるのが耐えきれなくなって、防御の合間に思わず触手の発生源を見やる。

 げげっ! こりゃ、切りが無いはずだぁ……。

 なんとも呆れ果てたことに、譜業機関の装甲から地面に溢れ出した闇の先端から、次々と新たな触手が生み出されてやがるのが見えた。

 隣のガイに目配せする。すると同じ事実に気付いたガイの表情が一気に引きつるのがわかる。

 一応、後方から時折思い出したように矢とか譜術が放たれているのだが、触手の攻撃は一向に収まる気配を見せない。
 今のところ持ちこたえているが、弾いた触手と、新たに生み出される奴が合わさって、加速度的にその数を増していく。
 このまま行ったら押し切られるのはわかりきってるわけで……


 だぁーっ! もう、一か八かだ!!


「ガイ、ちょっとの間、頼んだぜっ!」
「な、ちょ、ルーク!? うおぃっ!!」

 悲鳴を上げるガイをその場に残し、俺は数歩後退する。


 こうして下がって見てみると、改めて敵の攻撃の異様さがわかる。

 集中してくり出される触手をガイが死に物狂いでさばいている。
 後衛からくり出された譜術が直撃し、数本の触手が引きちぎられる。
 触手はしばらくの間地面を跳ね回り、悲鳴のような音を残して消えた。

 ぶ、不気味な。マジで、なんなんだよ、アレは……。

 全身に鳥肌が立つのを感じながら、ともかく俺は考えていた行動にさっさと移る。


 刀身に音素をまとわせ、納刀する。
 譜業兵器を見据え、意識を研ぎ澄ませる。


 脳裏に蘇る。ティアから貰った音素学原論に記された内容。
 グランコクマに至るまでの間、船上で教えてもらった基本的な音素を感じる術。
 フォン・スロットへの取り込み方。意識的に操る術。


 腰を落とす。深く深く沈み込ませる。
 意識を集中する。細く細く練り上げる。


 体内にフォン・スロットの存在を感じる。大気に満ちる音素の流れを感じる。
 フォン・スロットを解放する。第六音素を体内に取り込む。


 鞘に納められた刀身に、片手を添える。


 昂った意識の中で、しかし思考は冷静なまま、俺は譜業兵器に向けて──駆ける。


『ハーッハッハッハッ! 正面から突っ込んで来るとは愚かですね!』


 耳には何も聞こえない。
 ただ闇をまとった譜業兵器を見据える。
 それ以外に視界に映るものはなにも無い。


『──死になさいっ!!』

 抜刀、刺突、音素解放。

《──翔破》

 闇に覆われた譜業兵器の装甲に、剣先が触れる。

《────裂光閃っ!!》


 膨大な光をまとった一撃が闇の衣とぶつかり合い──
 第一音素と第六音素の力の押し合いは一瞬の拮抗の後、呆気ない程簡単に崩れさった。


『なんですと~!?』


 光の奔流の前に装甲を覆う闇がごっそりと削り取られた。
 無防備となった譜業兵器の巨大な体躯がふき飛ばされ、轟音をあげながら瓦礫に激突する。

 土煙を舞い上げながら瓦礫の中に倒れ伏す譜業兵器を見据え、俺は独り言ちる。


「……これが、音素の流れを感じるってことか」


 かつていない威力を持った一撃に、自分でもちょっとばかし感慨深いもんを感じる。
 少しの間、両手を見下ろしていると、駆け寄ってきたガイが俺に向けてからかうように笑い掛ける。

「随分と凄い一発だったな、ルーク。俺一人にされたときはどうなることかと思ったぞ?」
「あー……まあ、なんも説明しなかったのは悪かったぜ」

 ばつが悪くなって頭を掻く俺に、ガイは軽く俺の肩を叩いて応じた。だがすぐに真剣な表情に戻る。

「で、やったと思うか?」
「……どうだろうな」

 相手も一撃で倒れるほど脆くはないだろう。
 そう言葉を続けようとした正にその瞬間、瓦礫がふき飛ばされる。

『ムキーッ! よくもやりましたねっ! ですが、このカイザァーッディストッ! CH!! にその程度の攻撃は屁でもありません!! なぜならば──』

 スピーカーから声が響くと同時、譜業兵器の装甲を再び闇の衣が覆い尽くす。

 なっ、再生しただって!?

『ハーッハッハッハッ! たとえ剥がれ落ちようとも、闇はより強固な力となって蘇るのですよ!!』

 高笑いするディストの言葉に、俺はどうしたもんかと大佐に視線を寄越す。
 大佐はディストの言葉に、じっと譜業兵器を観察していた。

 不意に、大佐の視線が譜業兵器の装甲に止まる。
 先程の一撃ではダメージを負っている様子を見せなかったと言うのに、闇に包まれた装甲には無数の亀裂が走っていた。


 闇は掻き消される前よりも、その濃度を増している。


「なるほど。そういうことですか」

 ニヤリと笑うと、大佐が俺たちに指示を飛ばす。

「ルーク、先程のように光属の技を、繰り返し放って下さい。ティアとアニスも、ルークと同じように光属の譜術をお願いします」

 言いながら、大佐も詠唱を始める。

 詳しい理由の抜け落ちた指示だったが、今は悠長に説明してるような余裕は無いってことか。

「ガイ、援護を頼む!」
「任せろ!」

 こうして、俺たちの反撃が始まった。

 譜業兵器そのものの動きは鈍く、本体からの攻撃は注意していれば避けられない程ではない。
 俺とガイは極力間合いを詰め、相手に闇の触手を放つ隙を与えない。
 どうもあの攻撃には少しのためが必要らしく、先程から相手は間合いを詰めた俺たちに対して、うるさそうに手足を振り回している。

 動きが止まった所を、背後から放たれた第六音素の譜術が直撃し、闇の衣を引き剥がす。
 俺も時折後ろに下がって、フォン・スロットに取り込んだ音素を載せた一撃を放つ。

『くっ! 無駄無駄無駄ぁといっているのがわからないのですかぁっ~!!』

 俺は音素を取り込み、技を放つ。間を開けずに譜術が直撃する。
 無意味とも思われる一連の攻撃は果てなく続き……

 ピシリ──

 もう何度繰り返したかもわからなくなった攻防の後、不意に奇妙な音がその場に響き渡る。

『へっ……?』

 ディストが間の抜けた声を上げた。

 一度響いた奇妙な音は、次々と重なり行く。
 譜業兵器の装甲には、無数の亀裂が浮かび上がっていた。

「貴重なヒント、ありがとうございました」

 大佐が慇懃無礼な態度で、礼を取る。
 引き剥がされる度に濃度を増して行った闇は、今やその牙を内に包み込んだ譜業兵器に向けていた。

『こ、こんな馬鹿なぁ~!!』

 とうとう周囲を包み込む闇の圧力に耐えきれなった装甲が、ベキベキと音を立てながら一斉に捲れ上がる。

 機関部に致命的な亀裂が走り、譜業兵器の中心に闇色の光が集い始める。
 集束した闇は一瞬の停滞の後──爆発した。

「覚えてなさい、ジェイドォ────ッ!!」

 そんな捨てぜりふを残し、ディストの姿はいつかのように、空へと消えた。
 さすがというべきなのか、譜業兵器の爆発に巻き込まれながらも、その手にはマクガヴァン邸から奪い取った槍が握られていた。


 なんというか、無駄に頑丈なやつだよな。


 呆れながら空に消えたディストを見送り、俺は大佐に視線を移す。

「……そんでジェイド。結局、どうなったんだ?」
「ディストの言葉通り、私達の攻撃を受け剥がされる毎に、あの闇は力を増しているようでした。ですが、皮肉なことに装甲の方が闇の圧力に耐えきれなかったようです。あの程度のことも見抜けぬまま、設計するとはねぇ。
 ま……今回ばかりはディストの間抜けさに助けられましたね」

 あの大佐が助けられたねぇ。その言葉だけでも、どれだけやばい相手だったかわかるってもんだな。

「……あの闇はいったいなんだったのでしょう?」
「私としても気になる所です。どうも動力に秘密がありそうでしたが……おや?」

 爆発四散した譜業兵器の残骸に目をやっていた大佐が、なにかに目をとめる。

「あれは……」

 残骸の中心、虚空に浮び上がる一本の杖が存在した。

「……杖」

 記憶が刺激される。俺はこれに似た物を、確かに見た覚えがある。

 なにかに操られるように、俺の足が杖に近づく。
 浮び上がった杖は、闇色の燐光を周囲に漂わせながら、時折鼓動を響かせている。
 先端部分が無数の輪に繋がれた、どこか錫杖じみた杖に向かって歩く。

「ルーク?」

 仲間が俺に呼び掛けるが、俺はそれらを無視して杖の前に立つ。

 杖に、手を伸ばす。

 ドクン──

 掌に伝わる鼓動を最後に、周囲を漂っていた燐光は、いつのまにか止んでいた。

 手の中の杖に視線を落とす。見た目はまったく違う。
 だが、似ている。

「……ヴァンがアクゼリュスのパッセージリングに、これと似た杖を突き刺してたんだ」

 アクゼリュス崩落の時、ヴァンの奴がパッセージリングに突き刺していた杖と似ているのだ。
 俺の洩らした言葉に、イオンもまたあのときの光景を思い出したのか、はっと顔を上げた。

「ふむ……どうやら、あの譜業兵器の動力源に使われていたもののようですね。しかし、ヴァン謡将がアクゼリュスのパッセージリングにねぇ……もしや……」

 大佐が言葉を続けようとして、突然なにかを思いなおしたようにかぶりを振る。

「……いえ、今はこの杖に関する話は置いておきましょう。とりあえず、それはルークが持っていて下さい。今は、セントビナーの住民を避難させる方が重要です」

「そだな。わかったぜ。しかし、俺が持ってるのか……」

 うーむ。あんなデロデロの触手を出していた譜業兵器の動力源だ。
 俺はちょっと不気味に想いながら、爪先で杖をつまみ上げ、道具入れの中にしまい込む。

「さて、時間も無いことですし、住民の誘導に戻りましょう」

 ジェイドの促しに、俺たちも頷いて動き出す。
 そのとき、一際強い振動が大地を貫いた。

「うおっ!」
「きゃっ!」

 体勢が崩れる。慌てて両足を踏み込み、すっ転ぶのを辛うじて防ぐ。

 動けぬまま振動に耐えていると、視界の先で大地に亀裂が走る。
 同時に地鳴りのような音が周囲に響き始め、セントビナーはかつてのアクゼリュスのように沈み始めた。

 地面に走った亀裂に別たれた先、マクガヴァン老以下、取り残された住民達の姿があった。
 沈み込み始めた大地の先を見下ろし、俺は避難が間に合わなかった悔しさに歯を噛みしめる。

「くそ! マクガヴァンさんたちが!」
「待って、ルーク! それなら私が飛び降りて譜歌を歌えば……!」

 そうか、譜歌があったか! 俺は顔を上げて、ティアに頷き返す。
 今にも動き出そうとした俺達に、しかし大佐が制止の声を上げる。

「二人とも待ちなさい。まだ相当数の住人が取り残されています。ティアの譜歌で全員を護るのはさすがに難しい。もっと確実な方法を考えましょう」

 確かに……取り残された住民の数は相当なものだ。あの人数を譜歌で護り切るのはさすがに無理か。
 歯痒い思いで立ち尽くし、なにか方策はないかと考え込む俺達に、取り残された住民が呼び掛ける。

「わしらのことは気にするなーっ! それより街のみんなを頼むぞーっ!」

 心配するなと、気丈にも笑いかけて来た。
 ……あんな人たちを見捨てることなんてことが、俺達にできるはずもない。

「くそっ! どうにかできないのか!」

 無力さに俺は苛立ちを吐き捨てた。
 不意に、なにかをずっと考え込んでいたガイが口を開く。

「……そういえば、シェリダンで飛行実験をやってるって話を聞いたことがあるな」
「飛行実験? それって何なんだ?」

 聞き慣れない言葉に顔を向けると、ガイが空を見上げる。

「確か……教団が発掘したっていう大昔の浮力機関らしいぜ。ユリアの頃はそれを乗り物につけて空を飛んでたんだってさ。音機関好きの間でちょっと話題になってた」
「確かキムラスカと技術協力するという話に了承印を押しました。飛行実験は始まっているはずです」

 浮力機関、教団が発掘、そんでキムラスカが技術協力……なるほど。

「イオンかナタリアの名前を出せば、その飛行実験に使ってる奴を借りられるかもしれねぇってことか。なら、シェリダンに行こうぜ。急げばマクガヴァンさんたちを助けられるかもしれねぇ!」
「しかし……間に合いますかね? アクゼリュスとは状況が違うようですが、それでも……」
「兄の話では、ホドの崩落にはかなりの日数がかかったそうです。魔界と外殻大地の間にはディバイディングラインという力場があって、そこを越えた直後、急速に落下速度が上がるとか……」

 ジェイドの疑問に、少し自信が無さげながらも、ティアはまだ猶予があると保証してくれた。
 そういうことなら話は早い。なにより、こうしてグダグダ論じてる時間が惜しい。俺はジェイドに向き直る。

「確かに間に合うかは問題だが、やれるだけやってみようぜ。何もしないよりマシだろ?」
「そうですわ。出来るだけのことは致しましょう」

 俺達の言葉に、大佐もやれやれと肩を竦めた。

「シェリダンはラーデシア大陸のバチカル側にありましたね。キムラスカ軍に捕まらないよう、気をつけていきましょう」
「よし、急ごうぜ」

 こうして俺達はシェリダンに向かうことが決定した。

 移動するのに新たな船を手配してもらう余裕があるはずも無く、俺達はアッシュが残し、大佐達が移動するのに使っていたタルタロスで移動することになった。


「しかし……大丈夫かよ?」

 俺はローテルロー橋付近に停泊されていた戦艦を見上げた。
 一度は魔界に落っこちた船だ。途中でぶっ壊れないもんかと心配になる。
 そんな俺の考えを察してか、大佐が口添えする。

「これでも戦艦ですからね。むしろ魔界にすら耐えきった頑丈な一品という見方もありますよ」
「そういうもんか?」
「そういうものでしょう」

 俺と大佐のどこか抜けた会話に、ガイがふと思いついたといった様子で入って来る。

「そう言えばオラクルの襲撃にも耐えきったしな。ある意味、刻まれた傷は歴戦の勲章ってとこかね」
「歴戦の勲章……なんか激しく使い方を間違ってる気がする」
「まあ、軍では既に廃艦扱いされてるのは確かですけどねぇ」

 最初の頃と比べて、どこかくすんだ印象の戦艦を見上げる俺達に、ティアが呆れたと額を押さえる。

「他に代わりの船がない以上、気にしていても意味は無いわ。……早く出発しましょう」

 確かにその通り。
 俺達三人は不毛な議論に見切りをつけて、促されるままタルタロスに乗り込むのであった。




              * * *




 かくして、気ばかり急く中進み行き、とうとう俺達はシェリダンに到着した。

 譜業の本場、技師の街ってだけあって、音機関好きのガイが妙に浮ついてやがった。
 それでも事が事だけに、ガイも泣く泣く街を突っ切り、シェリダン技師のまとめ役達が集まる場所へ俺達を案内した。

 そして現在、集会場でまとめ役と交渉しているわけだ。
 幸いイオンやナタリアの顔が知られていたこともあって、貸し出しの承認自体はすんなり取り付けられた。


 しかし、予想だにしなかった問題が俺達の前に立ち塞がった。


「はぁ!? 故障してて飛ばせないだって!?」

 ここまで辿り着いて、初めて明かされたあんまりな事実に、叫んでしまう。

「うむ。幸いなことに、動力に使われておった飛行譜石はオラクルの軍人さんが回収してくれたがな」

 イエモンさんの続けた言葉に、俺達を緊張が走る。

「……オラクルがここにいるのか?」
「いや、一号機の飛行実験自体、少し前にやったもんだし、既におらんよ。なんでもメジオラ高原に魔物討伐に派遣されたらしくてな。墜落現場にたまたま居合わせて、パイロットを救出がてら、ここまで届けてくれたんじゃよ」

 のほほんと本気で助かったという様子で続けられた言葉を聞く限り、別に俺達を狙っていたという訳でもなさそうだ。

「しかし……なんとなくオラクルってだけで、胡散臭い話しに聞こえちまうよな」
「魔物討伐ねぇ。確かに今までの経験上、なんか裏があるもんじゃないかと勘繰りたくなるよな」

 俺とガイが顔を見合わせ苦笑すると、ティアとアニスが抗議の声を上げる。

「オラクル全体が、私達を狙っている訳ではないわ」
「そうそう。二人ともひっど~い! 本来ならそういう一般信者じゃ対応できないような事態に当たるのが、オラクルの役目なんだからね! ……そりゃあ、今は六神将や総長に牛耳られちゃってるけど」
「……そうですね。僕の力が至らないばかりに」

 顔をうつむかせてしまったイオンに、アニスが慌ててイオンに顔を戻す。

「そ、そういうことじゃありませんよ。イオン様落ち込まないで下さい!」

 まあ……確かに教団の行動がすべて俺達を狙ってるなんてのは考えすぎだったか。
 イオンを宥めるのはアニスに任せて、とりあえず話を戻すことにする。

「ともかく、結局空を飛べる音機関は用意できないのか?」
「いや、調整中の二号機があることにはあるんじゃが……」

 言葉を濁すイエモンさんに、どういうことかと視線で先を促す。

 すると、困り顔で技師達三人が次々と口を開く。

「それについてはこっちも困っているのよ」
「戦争にあわせて、大半の部品を陸艦製造にまわしてしもうた」
「二号機完成に必要な部品が足らんのよ」

 ……なるほどね。俺もようやくイエモンさんが言葉を濁した理由を理解する。
 戦争準備のせいで部品が全て戦艦に回されちまってる訳か。ったく、こんなとこまで戦争の影響があるとはな。

 どうしたもんかと顔を上げたところで、なにやら考え込んでいる様子の大佐に気付く。

「どうしたんだジェイド?」
「いえ……少し私に考えがあります」

 言って、イエモンさん達に向き直る。

「タルタロスも元は陸艦です。使える素材があるなら使って下さい」
「なんと! 部品さえあれば、わしら、命がけで完成させてやるぞい」

 大佐からの思わぬ申し出に、イエモンさんが大きく請け負って、任せておけと胸を叩く。
 しばらくの間大佐といろいろと話し込んでいたかと思えば、すぐに技師達は慌ただしく動き出す。
 作業に移り出した技師達を見据えながら、俺は少し気になったことをジェイドに確認する。

「……大丈夫なのか?」

 緊急時とは言っても、国が管理してるもんを勝手に処分しちまって大丈夫なのか。そんな意味を込めた問い掛けに、大佐が心配ないと次のように説明する。

「タルタロスは既に廃艦扱いされていますからね。問題ないでしょう。それに今回の事態に当たり、ピオニー陛下から可能な限り便宜を図ると一筆頂いています。もしもの場合も、これで権力を笠に着ればどうとでもなりますしね。今は少しでも有効に活用できるものがあるなら、使ってしまう方が重要です。ま……これもある意味節約の美徳というものですかねぇ」
「うんうん。無駄を省く精神、大佐もわかってますねぇ~」
「さすがにアニスには負けますよ」

 このこの~と肘を突き出すアニスに、大佐が身をかわしながらにこやかに応じていた。

「せ、節約って……そういう問題かぁ?」

 二人のやり取りに、ガイが少し退いた位置で顔をひきつらせた。

 まあ冗談はともかく、大佐が問題ないって言うなら、本当にその通りなんだろうけどな。それにしても、どこまでも抜かりなく手を回しておく辺りは、さすが大佐といった感じだよな。

 権力を笠に着る云々の部分に多少の呆れを感じながら、俺達は大佐の用意周到さに改めて感心するのであった。

 ともあれ、その後突貫で工事は押し進められ、アルビオール二号機は完成した。

「よし、ついに完成じゃ! 二号機の操縦士も準備完了しておるぞ」

 案内された工房の中で、顔に煤を付けたイエモンさんが工具を手に握りながら興奮した様子で語った。続いて、タマラさんが上品に顔をほころばせる。

「おたくらの陸艦から部品をごっそりといただいたよ。製造中止になった奴もあったんで、技師たちも大助かりさ」
「おかげでタルタロスは航行不能ですね」

 肩を竦めて見せる大佐に、アニスが空を飛べるという事実に少し興奮した様子で言葉を返す。

「でも、アルビオールがちゃんと飛ぶなら、タルタロスは必要ないですよねぇ」
「『ちゃんと飛ぶなら』とはなんじゃ!」

 老人三人組の中でも一際職人らしさを漂わせているアストンが憤慨したと身を乗り出した。

「わしらの夢と希望を乗せたアルビオールは けして墜落なぞせんのだ!」

 空を見上げながらの決め台詞に、その場に居た技師一同が『おおおおおおお~!!』と騒めく。しかし興奮した様子の技師達を余所に、俺達全員の心の声は計らずとも一致していた。

 ……一号機は墜落したじゃん。

 それでも口にしても詮ないことだと悟っていたから、誰も言わなかったけどな。

 ともかく、不毛な言い合いよりも、今後の予定に話を移すとしますか。

「そんで、二号機の方は無事に完成してるんだよな?」
「おうとも。ばっちりじゃ!」

 イエモンさんがぐっと親指突き出し請け負ってくれた。なんだかシェリダンの技師達のノリについていけないもんを感じるが、とりあえずどこに行けばいいか聞こうと口を開きかけた、そのとき。

 工房の扉をガンガン叩く音が、外から響く。ついで言い争うような声が外から聞こえて来る。

『ここにマルクト船籍で乗り込んだ連中がいるはずだ! そこを退け!』
『おやっさ~ん! 早いところ客人達を俺らの夢に乗せて飛ばしてやって下さい!! ここは俺らに任せて下さいや!』
『なっ! こら、何をする!? うぉっ!?』
『さぁさぁこっちで休憩して下さい兵隊さん。いつもお勤めご苦労さまです』
『や、止め……うっ──』

 外から聞こえてきたやり取りに、工房内に沈黙が降りる。

「兵隊さんってことは、キムラスカの守備隊かね?」

 タマラさんの切り出しに、大佐が真っ先に反応する。苦笑を浮かべながら、メガネを押し上げる。

「なるほど。私の姿がキムラスカ兵に見られていたのかもしれませんね」
「そうか、あんたマルクトの軍人さんだったねぇ」
「この街じゃ、もともとマルクトの陸艦も扱かってるからのぅ。開戦寸前でなければ咎められることもないんじゃが……」

『お、おやっさ~んっ! 早くして下さいっ!! 扉が壊されそうっす!』

 外から届いた呼び掛けを聞く限り、呑気に反してるような暇はないようだ。

「アルビオールの二号機は?」

 改めて確認を取る大佐の言葉に、イエモンさんが工房の奥へと続く扉を指差す。

「外の兵士はこちらで引き受けるぞい。急げ!」
「ですが、外の兵はかなり気が立っていますわ。私が名を明かして……」

 ナタリアの言いかけた言葉を遮り、老人三人組が任せておけと胸を叩く。

「時間がないんでしょう? 私たちに任せてくださいよ」
「年寄りを舐めたらいかんぞ! さあ、お前さんたちは夢の大空へ飛び立つがいい!」
「わしらの夢を託したぞい!」

 三人からの熱い言葉に、俺達もそれ以上返す言葉はなかった。ただ皆の無事を祈り、力強く頷く。

「後は頼みます!」

 駆け出した俺達は工房の奥に進み、アルビオール二号機の艦橋らしき場所へと辿り着く。

「お待ちしておりました」

 金髪にゴーグルを付けた実直そうな姉ちゃんが操縦席らしき場所から身を起こし、俺達に向き直る。

「あんたは?」
「私は二号機専属操縦士ノエルです。高原で怪我を負った一号機の操縦士、ギンジ兄さんに代わって皆さんをセントビナーへお送りします」

 率直でいて丁寧なノエルの物言いに、俺としてはかなりの好感を抱いた。
 なんにしても、美人さんはいつ見ても癒されます。近頃切迫した状況があんまりにも続いてたせいか、こういう出会いが不足していたと、しみじみ俺は思うわけですよ。

 しかし、今回は状況的にどう見ても悠長に自己紹介してるような余裕はないので、とりあえず無難な挨拶で終えておく。

「そっか。よろしく頼むぜ、ノエルちゃん」
「……い、いえ、こちらこそよろしくお願いします」

 俺の馴れ馴れしい呼び掛けに、ノエルはどん引きしてるようにも見えなくもなかったが、きっと俺の気のせいに違いない。気のせいのはずだ。
 なんとなく彼女を見つめたままでいると、ノエルがあからさまに顔を背ける。

 ……気のせいだったらよかったのにな。

 相手の反応に一人落ち込んでいると、ノエルが操縦席に戻る。

「それでは行きましょう!」

 うおっ!?

 ノエルが操縦桿らしきもんを握ったかと思えば、機体が動き出す。……って、さすがに突っ立ったままじゃ危ない。俺達は慌ててブリッジに用意された席に座り込む。

 操縦席についたノエルの雰囲気が変化する。どこか近づき難い空気を放ちながら、彼女は真剣な表情で前方を見据えている。

 徐々にハッチが開いていき、外から光が射し込む。
 進行方向に向けて伸びた通路が照らし出される中、機体が急激な加速を始める。


 一瞬の衝撃の後──
 周囲から固唾を飲んで見守る技師達の視線が集中する中、


 アルビオールは果て無き空へ──飛び立った。








[2045] 4-5 交わされる砲火
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 22:39


「マクガヴァンさん! みんな! 大丈夫かーっ!」


 セントビナー上空に停止したアルビオールからの呼び掛けに、建物の中に居た人々が続々と外に出る。
 誰もが一様に空を見上げ、今まで見たことも無い音機関の登場に呆然としている。

 上空から見る限り、ヒビ割れた大地は間断なく地響きを上げ続けている。
 それでも沈み込むスピードは緩やかなもので、この分なら完全な崩落までまだまだ時間はありそうだ。

 なんとか間に合った。その事実に俺は安堵する。
 そのままセントビナーを見下ろしていると、アルビオールの異様に騒めく人々をかき分け、マクガヴァン老が姿を現した。


「おお、あんたたちか! しかし、この乗り物は……?」
「元帥。話は後にしましょう。とにかく乗って下さい。みなさんも早く!」

 ジェイドの促しを受け、それもそうだと全員が慌ただしく動き出した。


 一時的に広場の部分にアルビオールを着陸させて、住民を乗り込ませる。
 その間も、いつ完全な崩落が起こるかわからない以上、気を抜くことはできない。
 なんとか残された住民全員をアルビオールに乗り込ませ、再び離陸できた段階になって、俺達もようやく緊張を解くことができた。


「ふぅ。どうにかなったな」
「ああ。だが……問題が無いわけでもないけどな」

 沈み行くセントビナーを見据えながらつぶやかれたガイの言葉が、俺の頭に妙に残った。
 その後、少しの休憩を挟んでから、ブリッジに街の代表者を集めて話をすることになった。

「まずは助けていただいたこと、感謝しますぞ」

 マクガヴァン老が頭を下げると同時に、他の街の有力者達も一斉に感謝の言葉を述べる。

「しかし、セントビナーはどうなってしまうのか……」

 暗い表情になって思わずといった様子でつぶやいたマクガヴァン老に、ティアが言い難そうに答える。

「今はまだ浮いているけれど、このまましばらくするとマントルに沈むでしょうね……」
「なんと! どうにかならんのか!?」
「ここはホドが崩落した時の状況に似ているわ。その時は結局、一月後に大陸全体が沈んだそうよ」
「ホド……」

 その言葉を口にした後、マクガヴァン老はどこか不自然な程表情を無くし、口を閉じた。

「そうか……これはホドの復讐なんじゃな」

 小さくつぶやかれた言葉に、俺は思わず顔を向ける。

 ホドの……復讐? 復讐という言葉で、俺の頭に浮かんだのはヴァンの姿だった。
 他の連中にはマクガヴァン老の言葉は聞こえなかったようで、今後どう行動するかの話を進めている。
 俺は静かにマクガヴァン老の隣に並んで、そっと尋ねる。

「ホドの復讐って……どういうことですか?」
「……君は?」
「俺はルークと言います。キムラスカのファブレ公爵の……」

 息子、と続けようとして、言葉を止める。

 よくよく考えてみれば、それもあんまり正確な表現じゃない。
 そもそも俺に血のつながりがある人間は存在しないわけで、オヤジ達は俺の育ての親ってことになるかもしれないが……俺の真実を知った二人が、それで俺をどう思うかまでは、わからない。

 難しい顔で黙り込んだ俺を不思議そうに見返す相手に、とりあえず現時点で確かな事実を告げておく。

「まあ……関係者です」
「ファブレ公の関係者ということは、キムラスカのお人か。君たちは……ホドについて、どう聞かされているかね?」
「……ファブレ公爵が攻め込んだ後、崩落したと」

 俺の答えに、マクガヴァン老は皺の刻まれた顔に複雑な感情を過らせる。

「……機密に属するため、詳しくは言えん。だから、これは老人の戯言と思ってくれ」

 深い悔恨の思いを浮かべながら、マクガヴァン老はその言葉を告げる。

「ホドの崩落は、わしの背負った罪だ」

 マクガヴァン老の洩らした懺悔に、俺はそれ以上尋ねることができなかった。

 マクガヴァン老はかつてマルクトの元帥だったと言う。
 かつてそれほど軍の上層部に居たなら、教団からなにがしかの情報を受け取っていてもおかしくはない。
 ホドの崩落がスコアに詠まれていたなら、教団はそうなるべく誘導しただろう。
 それを受けて元帥がどう行動したか……改めて考えるまでもない。


 口を噤んでしまったマクガヴァン老と俺の間に重苦しい空気が降りる。
 こういうドンヨリした空気は、なんとも耐え難いもんがあるだけどなぁ……。

 俺は小さくため息をついて、マクガヴァン老から仲間達に視線を戻す。

 今後どうするかについて話し合っていたはずだが、向こうは向こうで難しい顔して首を突き合わせている姿が目に入る。どうやらかなり煮詰まっているようだ。

「本当になんともならないのでしょうか?」
「住む所がなくなるのは可哀想ですの……」
「大体、大地が落っこちるってだけで常識外れなのに、なんにも思いつかないよ~。超無理!」

 お手上げと騒ぎ始めるアニスを宥めるように、ジェイドがまぁまぁと手を掲げる。

「とりあえず、ユリアシティに行きましょう。彼らはセフィロトについて我々より詳しい。ルーク達の話を聞く限り、協力を申し出るのは難しそうでしたが、セントビナーは崩落しないという預言が狂った今なら……」
「そうだわ。今ならお祖父様も力を貸してくれるかもしれない」

 ティアも同意し、ひとまずユリアシティに行くことで意見がまとまったようだ。

 しかし、俺としてはうまくいくかどうか疑問だね。

「ユリアシティに行って相談か……本当に、協力してくれんのかね?」
「お祖父さまも……そこまで話のわからない人だとは思わない。今はスコアから外れた現象が起きているわけだし……」
「……悪い。そうだな。確かに、今なら話を聞いてくれるかもな」

 顔をうつむけるティアの姿に、俺は自分の考えの足りなさを思い知らされる。
 どんな考え持った相手だろうと、テオドーロ市長はティアの肉親だ。信じたいって気持ちは……俺にもわかる。

 俺達の会話を黙って聞いていたノエルが、操縦席から身を乗り出して確認を取る。

「では、ユリアシティに向かうということで、よろしいですか?」
「ええ。お願いします。おそらく旧アクゼリュスの崩落部分から、魔界に降下できると思います」

 大佐の言葉を受けて、ノエルがアルビオールの操縦桿を握る。

「わかりました。──それではアルビオールを発進させます!」

 アルビオールの銀影が雲を切り裂き、蒼天を駆け抜けた。




              * * *




 ユリアシティのドックにアルビオールを停泊させる。
 セントビナーの住民を誘導し、ひとまず市長に挨拶しようと街の入り口付近まで移動したところで、思いがけぬ人物に遭遇する。


「お祖父様!」
「来ると思って待っていたぞ」 

 港から街に続く部分に佇み、テオドーロ市長が深刻な顔で俺達を出迎えた。


「お祖父様、力を貸して! セントビナーを助けたいんです」
「それしかないだろう。よもやこのような事態になるとは。預言から外れし行動……恐ろしいものだ」

 市長が協力すると約束してくれたのを見て、イオンが前に進み出る。

 憔悴したセントビナーの住民の様子を気にしていたイオンは、次のような提案を告げた。

「お話の前に、セントビナーの方たちを休ませてあげたいんですが」
「そうですな。こちらでお預かりしましょう」
「……お世話になります」

 テオドーロ市長の指示を受け、セントビナーの住民が街のある方に案内されていく。

 これで当分の間はなんとかなったってことだが、崩落がどうにかならない限りセントビナーの住民に本当の意味での安息は訪れない。

 残された俺達は改めて市長に向き直り、本題に入る。

「市長、崩落は……本当にどうにもならないんですか?」
「……ひとまず、会議室に移動しましょう」

 疲れ切った表情の市長に促されるまま、俺達は会議室まで移動した。

 やはり、市長としてもセントビナーが崩落するなんて事態に動揺が大きいんだろう。
 たとえそれが……どんな考えから来たもんであろうとも、な。
 少し冷めた思いで市長を見据えていると、俺の考えを読み取ったのか、ジェイドが小さく囁いた。

「アクゼリュスの預言については聞いています。ですが、個人的な感情は抑えて欲しいものです。今は協力を取り付けることが重要ですからね」
「……わかってるさ」

 少しふくれっ面になって応じた俺に、ジェイドは肩を竦めて見せた。

 俺だってそこら辺のことはわかってる。気に入らない相手だろうと、多少の我を押さえることぐらいはできる。
 もっとも今後の話の展開次第じゃ……俺もどう出るかわからねぇけどな。

 内心で不穏なことを考えていると、いつのまにか会議室に到着していた。
 縦長の机が部屋の中心に据えられた部屋で、俺達はさっそく話し合いを始める。

「単刀直入に聞きます。セントビナーを救う方法はありませんか?」
「……難しいですな」

 渋面になって、市長が現在セントビナー周辺を支えるセフィロトに何が起こっているか説明した。

 それによると、現在セントビナー周辺のセフィロトを制御するパッセージリングから、外郭に向けて伸びるはずのセフィロトツリーが確認できなくなっているらしい。
 仮にセフィロトツリーを復活させたとしても、一度勢いを失くしたツリーでは崩落を停めることはできないという話だ。


「崩落すること自体は停められないってことか……」

 専門家から告げられた自体の深刻さに、俺達としても頭が痛い。
 そう言えば、と不意に市長がなにかを思い出したように顔を上げる。

「ユリアが使ったと言われるローレライの鍵があれば或いは……とも思いますが」
「ローレライの鍵? そいつは何ですか? なんか聞いたことがあるような、ないような……」

 おぼろげな記憶を探り、なんだったか思い出そうと頭を捻っていると、ジェイドが説明してくれた。

「ローレライの剣と宝珠のことを指してそう言うんですよ。確か、プラネットストームを発生させる時に使ったものでしたね。ユリアがローレライと契約を交わす際に用いられた触媒のことを指していると聞いたことがありますが」
「そうです。ローレライの鍵はユリアがローレライの力を借り受ける為に作られた第七音素限定で力を発揮する響奏器と言われています」

 二人の話を聞く内に、俺の記憶が刺激される。
 ──脳裏に浮かぶのは一本の剣。
 剣は音叉のような形状をしている。

「ローレライの剣は第七音素を結集させ、ローレライの宝珠は第七音素を拡散する。鍵そのものも第七音素で構成されていると言われているわ。ユリアは鍵にローレライそのものを宿し、ローレライの力を自在に操ったとか……」
「その真偽はともかくセフィロトを自在に操る力は確かにあったそうですな」

 俺がアクゼリュスを崩落させたとき、剣は周囲から第七音素を集束させていた。
 ヴァンやアッシュはあの剣のことをなんて呼んでいた? そう、確か二人はあの剣のことを──

「……鍵だ」

 唐突な俺の発言に会話が止まり、皆の視線が俺に集中する。

「そうだ、鍵だ。バチカルの廃工場を抜けた先で、アッシュが俺に預けた剣を……俺がアクゼリュスを崩落させた時に周囲から第七音素を集束させていた剣を、ヴァンの奴は鍵って呼んでいたぜ」

 あの剣が俺の放った超振動の威力を後押ししたのも、第七音素を結集させるローレライ鍵だったからって理由なら、理解できる。アッシュの奴も、俺に対して鍵を預けるべきじゃなかったとか吐き捨ててたっけな。

「……その剣は今どこに?」
「今はアッシュが持ってるはずだ。セフィロトを自在に操る力があるんなら……そのローレライの鍵があれば、セントビナーの崩落もどうにかなるのか?」

 市長の顔を見つめ返す。市長としても鍵の話はとりあえず話しに出してみるかぐらいに思っていたんだろう。動揺したように眉をしかめながら、必死に事実を整理しようとしている様が見て取れた。

 ティアが俺の出した鍵の話題に、なにかを思い出しながら途切れ途切れ口を開く。

「ローレライの鍵は確か……プラネットストームを発生させた後、地核に沈めてしまったと伝わっていたはずだけど……」

 ティアの出した新たな情報に、市長が辛うじて口を開く。

「確かにそう伝えられている。ルーク殿が仰られた剣がローレライの鍵のことであり、鍵が現存していたというなら、それは驚くべき事実です。事実なのですが……先程述べたように、一度崩落したセントビナーを外殻大地まで再浮上させるのは、どちらにせよ無理だと思います」
「……いったい、どうして?」
「仮に鍵が現存しているにせよ、今も正常に機能しているかどうかはわかりません。セフィロトを自在に操る力があったというのも、ローレライとの契約があった上でのこと。地核に沈められた際にローレライは鍵から解放されたとも聞いています。再び契約を結ぼうにも……契約に必要となる大譜歌も、今では第七譜歌が失われており、再現することは難しい」
「そうですか……」

 ようするに、アッシュの持ってる剣が鍵であったとしても、話しに伝わっている程の力を発揮できる可能性は薄いってことか。確かにアッシュの奴も、なんだか鍵の機能が正常に作動してなさげなのを気にしてたような気がする。俺に剣を握らせて何かを確かめようとしてた節があったっけな。

「それにしても、大譜歌ですか? ……そういえば、譜歌には何個か種類があるんだったけか?」

 市長から視線を移し、俺は譜歌に詳しいティアに問いかけた。

「ええ。ユリアの譜歌は全部で七つあるの。今のところ私の扱える譜歌は第一と第二だけ……。譜歌はたとえ旋律を知っていても、そこに込められた意味と英知──『象徴』を正しく理解しなければただの歌でしかないの」
「譜歌ってのは、随分と厄介なもんなんだな」
「そうね……私も第三と第五の象徴は未だわからない。それと、先程お祖父さまの言った大譜歌とは、七つの譜歌を連続して詠うことで発動する譜歌のことよ。これは象徴を知らなくても機能するの。歌が契約の証そのものだから」

 もっとも七番目の歌詞はわからないけれど、と最後に付け加えた。

 どうやら、ますます鍵があってもどうしようもなさそうだ。
 さっきの話しには出て来なかったが、そもそもローレライが存在するかどうか自体も証明されてないとか、キャッツベルトの船上でジェイドが言ってたもんな。
 そして仮に存在したとしても、契約に必要な七番目の譜歌がわからないと。


「う~ん。結局、どうしようもないのかなぁ」

 アニスがこれまでの話しを踏まえ、なんとも簡潔にまとめてみせた。
 一同を重苦しい空気が包む中、市長が不意につぶやく。

「……いえ、もしかしたら、液状化した大地に飲み込まれない程度なら、或いは……」
「方法があるんですか!?」

 思わず立ち上がって問い詰めた俺に、市長が少し考えをまとめるように瞼を閉じながら提案する。

「セフィロトはパッセージリングという装置で制御されています。パッセージリングを操作してセフィロトツリーを復活させれば泥の海に浮かせるぐらいなら……」

 なんとかなるかもしれません、と少し自信なさげに締め括った。
 俺達は顔を見合せ、さらに詳しい話を聞いてみることに決めた。
 どれほど可能性が低くても、それ以外に対策がないなら、かけてみるしかないだろうな。

「具体的には、どうすれば?」
「セントビナー周辺のセフィロトを制御していたパッセージリングがある場所へ赴き、直接操作する以外にないでしょうな」

 なんでも件のパッセージリングがある場所はシュレーの丘と呼ばれており、イオンによると、自分がタルタロスからさらわれた時に連れ行かれたのも、そこだったって話だ。

「後は問題となるのは、パッセージリングの操作を封じていた封咒に関することでしょうな」
「封咒……っていうと、あのイオンが解除させられてた奴みたいなのですか?」
「ええ。それもあるのですが……問題はセフィロト内部にあるものでして……」

 市長によると、封咒はパッセージリングの防衛機構全体のことを指し、大きく三段階に別れているらしい。
 第一段階がセフィロトへの出入りを不可能にする「ダアト式封咒」。
 もう一つはホドの第八セフィロトとアクゼリュスの第五セフィロトによって、すべてのセフィロトのパッセージリングを操作できないようにした「アルバート式封咒」。
 最後は、パッセージリングの制御そのものを規制する「ユリア式封咒」。

 これらのうちアルバート式封咒に関しては、かつてのホド消滅と、俺の起こしたアクゼリュスの崩落によって完全に無効化されている。
 ダアト式封咒に関しては、イオンが拉致されて解かされた場所が無数存在する。

 そして問題となっているのが、最後のユリア式封咒だ。
 驚くべきことに、これをヴァンの奴がいったいどうやって解除しているのか、市長とイオンどっちにも検討すらつかないらしい。


「本来、ユリア式封咒は約束の時まで解けるはずがなかったのですが……」


 なんというか、どこまで行っても問題ばっかだな。
 新たな問題にますます頭が痛くなってきたところで、ひとまずジェイドがまとめに入る。


「ともかく、今はグランツ謡将がどうやってユリア式封咒を解いたかは後にしましょう。テオドーロ市長、パッセージリングの操作はどうすればいいのですか?」
「第七音素が必要だと聞いています。全ての操作盤が第七音素を使わないと動きません」
「それなら俺たちの仲間には三人も使い手がいるじゃないか」
「私とティアとルークですわね」

 ガイとナタリアの言う通り、操作する人材に関しては心配する必要なさそうだな。

「あとはヴァンがパッセージリングに余計なことをしていなければ……」

 自分の孫が仕出かした事態だ。さすがに焦燥した様子で市長がつぶやく。
 だが、それに関してはここで言っていても始まらない。

「……それは行ってみないとわからないわね」
「シュレーの丘はセントビナーの東辺りか。それならたぶん街と一緒に崩落してるよな」

 とりあえず行ってみるしかないか。俺達は今後の方針を決め、シュレーの丘へ向かうことになった。


 去り際になって、市長が今思い出したといった様子で、ティアを呼び止める。

「ああ、それとティア。レイラが探していたぞ。第三譜歌の象徴に関して、何かわかったらしい」
「レイラ様が? わかったわ」

 そのまま会議室を出たところで、ひとまず準備のために一時解散することになった。
 それぞれ装備を整えに、街へ別れていく。
 そんな中、去り際の市長とティアの会話が気になった俺は彼女に近づく。

「第三譜歌って、さっき言ってたティアがまだ使えない譜歌のことだよな?」

 不躾な俺の問い掛けに、ティアは少し意外そうに瞳を揺らした後で、こくりと頷きを返す。

「ええ。私が外郭に行っている間、レイラ様に頼んで第三譜歌の象徴について調べて貰っていたのだけれど、なにかわかったのかもしれない。……これからレイラ様のところに行くけど、ルークも来る?」
「一緒に行ってもいいのか? なら、お願いするよ。譜歌について、少し気になってたんだ」

 アッシュが持ってた剣が鍵なら、譜歌についてより詳しく知っておくのは無駄にならないはずだ。
 自分の考えに沈んでいると、そうした俺の様子になにかを察してか、ティアが俺の顔を覗き込む。

「アッシュのことが気になる?」
「……まあな。あいつが鍵って呼んでた剣を、俺も少しの間持ってた訳だからな」

 ローレライとの契約が無理だとしても、あの剣に第七音素を集束させる力があるのは確かだ。アクゼリュス崩落の際……身をもって思い知ってるからな。

「しかし、いったいヴァンの奴は何がしたいんだろうな……」

 アクゼリュス崩落直後は、事態の深刻さに頭がよく回らなかった。
 だからこそ単純に世界に復讐しようとしてるのかと考えていられたわけだが、こうして時間が経って、いろいろと情報が集まった中で改めて考えてみると、どうにも復讐だけを狙ってるようには思えなくなってきてしまった。

 ガイから聞いた話からも、大地の崩落が地核から記憶粒子を引き出した結果起きる副産物的なものだとかって話だしな。

 まあ、目的は何にしろ、厄介な事態に違いはないわけだが、それでも気になるものは気になるわけだ。

「今のところわかってる情報すり合わせて考えてみても、やっぱ最終的な目的がなんも見えて来ないんだよなぁ……。ティアはその辺、どう思うよ?」
「そうね……大地を崩落させ、世界に復讐する。それだけが兄の考えだとは、私にも思えない。……リグレット教官が言っていた『スコアから解放された世界』が意味するものが……私は気になるわ」

 確かに、ヴァンの奴もアクゼリュスのセフィロト内でスコアについていろいろと言ってたな。あのときは単なる戯言と聞き流してたが、けっこう重要な事を言っていたのかもしれない。

「このままヴァンの起こした行動に対処するだけじゃ、正直まずいと思うんだけどな……」

 俺達の起こした行動は全て、後手に回っているのが現状だ。
 このまま相手の目的もわからんまま場当たり的な対処を繰り返していては、そのうち目的に気付けたとしても、そのときには既に取り返しのつかない事態になってそうで、俺としては落ち着かない。

「……ディストがセントビナーを襲撃した理由も気になるわね」
「ああ……確かに。なんかマクガヴァン邸から奪って行ったっけな」

 家宝とか呼ばれてた槍が盗み出された光景を思い出す。
 その際、ディストの乗ってた譜業兵器の残骸に、どこか見覚えのある杖が残されてた訳だが。

「この杖も何なんだろうな……」

 道具入れから杖を取り出し、改めて見据える。

 手に入れた直後は奇妙な鼓動を繰り返し、異様な雰囲気を放っていたが、今では大人しい限りだ。普通に店で売っているような杖と変わらない。

「ガイの話を聞く限り……アッシュは兄さんが響奏器を集めさせているとも言っていたそうね」

 響奏器って言うと、鍵と同じように、集合意識体を使役するってやつだよな。
 
 ……ん? 話の流れから考えると、ティアはこの杖を疑ってるってことか?

「この杖が……響奏器だっていうのか?」
「まだわからないわ。でもシュレーの丘から帰ったら、響奏器に関して調べてみる必要がありそうね」

 確かに……今のところわかってる限りでも、かなりの部分で響奏器が関係している。
 アッシュのもってた剣も突き詰めれば奏器の一種だ。
 ディストがマクガヴァン邸を襲撃した際、奪って行った槍も響奏器である可能性は高い。
 そう考えると、響奏器ついて調べてみるのは無駄じゃないだろう。


 そんな風に話してるうちに、目的の場所に到達した。


 巨大な譜石が安置された空間。
 なにやら機械が設置された部分で作業をしていた女性が部屋に入った俺達に気づき、顔を上げる。

「待っていたわ、ティア」
「レイラ様。第三譜歌の象徴について、何かわかったと聞いてますが……?」
「ええ。ヴァンの残した本があったの。本自体はどこにでもある譜術の研究書よ。ただ、一番最後に隠されたページを見つけたの」

 席を立ち、レイラが一冊の本を手渡す。

「これが写しよ。私には意味がわからないんだけど、あなたなら……」
「これは……!」

 開かれたページを見据えていたティアが急に声を上げた。同時に、音素の光が彼女を中心に集束する。

「ヴァ・レイ・ズェ・トゥエ……。母なる者……理解……ルグニカの地に広がる……壮麗たる……天使の歌声……」

 目に見えるまで強まった音素が、光の粒子となってティアの周囲を舞い踊る。

「な、なんだ?」

 突然目の前に広がった光景に思わず間抜けな声を洩らした俺に向けて、レイラが注意を促す。

「静かに。ティアは瞑想に入ったわ。……やっぱり、これは譜歌の象徴だったのね」

 茫洋とした瞳でトランス状態に入っていたティアだったが、しばらくするとその瞳に光が戻る。

「……わかったわ。これが第三譜歌なのね」

 音素の光も既に収まり、ティアもすっかり普段の様子を取り戻している。

「それで、隠されたなんとかってのを理解できたのか?」

 ちょっとオドオドしながら、ティアに肝心の譜歌が習得できたのか尋ねると、彼女は静かに頷き返す。

「ええ……」
「おめでとうティア!」

 うおっ! 俺とティアの間に割って入り、どこか興奮した様子でレイラがティアの手を取る。そんなレイラの様子に、ティアもまた表情をほころばせて応じる。

「ありがとうございます、レイラ様。それと……この象徴の写し、もらっていってもいいですか? ここには他の象徴についても記述されています。ただ……」

 少しいい難そうに、その先の言葉を続ける。

「私の理解力では、まだ使いこなすことができないけれど……」

 しかし、レイラは特に拘るでもなく、ティアの肩に両手を添える。

「もちろんよ。いつか役に立つわ。あなたの力がもっと強くなったときに、ね」

 優しい瞳を向けるレイラに、ティアもまた力強く頷きを返す。

「はい! ありがとうございます」

 こうして、ティアは第三譜歌の力を手に入れた。

 しかし……なんというか、俺って場違い?
 感動した二人から離れた場所にポツンと佇み、俺はひとり疎外感を味わう。
 ま……まあ、別にいいけどな。




              * * *




 シュレーの丘は入り口が譜術によって隠されていたが、それ以外に障害らしい障害はなにもなかった。
 これまで行く先々で六神将に邪魔されてたのを考えれば順調そのものといった感じで、俺達はセフィロト内部のパッセージリングがある箇所まで呆気なく到着した。
 淡い音素の光が立ち上るパッセージリングを見上げ、どう操作したものかと皆で首を捻る。


「ただの音機関じゃないな。どうすりゃいいのかさっぱりだ」

 音機関に詳しいガイもさすがにお手上げのようだ。

「……おかしい。これはユリア式封咒が解除されていません」
「どういうことでしょう。グランツ謡将はこれを操作したのでは……」

 パッセージリングを見上げていたジェイドの思わぬ言葉に、俺達としても途方に暮れてしまう。

 ユリア式封咒が解除されてないなら、俺達にも操作はできない。

「え~ここまで来て無駄足ってことですかぁ?」
「何か方法がある筈ですわ。調べてみましょう」

 パッセージリングの周囲を歩きながら、なにかしらの反応がないもんかと皆で調べて回る。

 俺が見る限り一番怪しいのは、やっぱ入り口から見た正面にある操作盤らしきもんだろうな。どっかそれらしき部分はないものかと、目を凝らしながら制御盤らしきもんに近づく。


 思考に、ノイズが走る。


 ────■■■を据え■■世界■■■し繰り返されし■■地獄■■解放────


「ぐっ……」

 いつも電波が飛んで来るとき感じるような激しい頭痛に襲われ、俺はその場に膝をつく。

 俺の様子に気付いたガイがいち早く駆け寄って来る。

「ルーク、大丈夫か?」
「……大丈夫だ」

 額に浮かぶ脂汗を拭い取って答えながら、俺は脳裏に焼き付けられた一つのイメージについて考える。

 闇色の杖をパッセージリングに向けてかざす男の姿。

 あのイメージが、かつてこの場で起こった事を示しているなら……どうにかなるかもしれない。

 俺は道具袋の中から、ディストの落としていった杖を取り出す。杖は暗い燐光をまといながら、一定間隔で鼓動を繰り返している。ユリアシティで確認したときと異なり、今は確かな力を感じさせる。

「ルーク、なにを?」

 怪訝そうに呼び止める声には答えず、俺はヴァンがアクゼリュスのパッセージリングでしていた行動を思い返しながら、杖を制御盤に近づけてみる。

 劇的な反応があった。

「こいつは……?」

 閉じられた本が開かれるように、制御版らしきものがゆっくりと左右に別たれていく。制御盤に杖を近づければ近づける程、杖が発する鼓動の感覚が早まり、制御盤の動きも活発なものになっていく。動きが活発になるにつれ、制御盤から杖に向けてなにかが流れ込むのがわかった。

 しばらくの間、そうして杖を突き付けていると、制御盤は完全に左右に開かれた。同時にパッセージリング上空に文字が浮び上がる。

 因果関係はわからないが、どうも解除できたようだ。

「……これがユリア式封咒ってやつか? なんか、よくわからん内に解けたっぽいけど」
「そのようですね……しかし、ディストの奴、いったいなにを……」

 ジェイドが杖とパッセージリングを見比べ、しきりに首を捻っている。

「ともかく、もう杖はいいか……って、あれ?」

 もう大丈夫かと思って杖を制御盤から離した途端、左右に別たれていた制御盤がもとに戻り始める。完全にもとに戻ってしまう前に、俺は慌てて再び杖を突き付ける。すると、制御盤が再び左右に開かれていった。

「……どういうことだ?」
「……わかりません。しかし杖を突き付けている間は、確かに解呪されているようですね。とにかく、これで制御できるはずです。ルークはそのままの体勢でお願いします」
「あ、ああ。わかったぜ」

 ま、確かに原因とか詮索するよりも、今は操作するのが先決か。

 大佐としても原因が気にならない訳じゃないだろうが、ひとまず操作に専念することに決まった。

「あ、この文字パッセージリングの説明っぽい」

 アニスの指摘に見上げてみると、パッセージリングの上空に浮かんだ一部の文字が点滅している。

「……グランツ謡将やってくれましたね」

 虚空に浮び上がった文字を確認していたジェイドが、低い声で呻く。

「兄が何かしたのですか?」
「セフィロトがツリーを再生しないように弁を閉じています」
「どういうことですの?」
「つまり暗号によって操作できないようにされていると言うことですね」

 うーむ。深刻な事態だってことはわかるんだが、杖を掲げ続けてるってのも、けっこう腕が疲れるもんだ。少し蚊帳の外に置かれてるのを感じながら、俺はぼけーっと皆が話し合ってる内容を耳にする。

「暗号、解けないですの?」
「私が第七音素を使えるなら解いて見せます。しかし……」

 言葉を濁すジェイドに、俺もその事実を思い出す。

 そういや、さすがのジェイドも第七音素だけは使えなかったよな。

「ならさ、暗号自体はどんな感じなんだ?」
「……なかなか複雑なものですよ」

 どういうこった? よく意味がわからない返事に、さらに詳しい話を聞いてみる。

 なんでもジェイドの話によると、この場にいる第七音素の使い手じゃ、このレベルの暗号を解くのは難しいらしい。まあ、学術書とかまで出してるジェイド以上に、音素の扱いに通じているような奴が居るとも思えないけどな。

 しかし、第七音素で書き込まれた暗号ねぇ……。

 パッセージリングの上に浮かぶ文字列を見上げる。市長からも、基本的にパッセージリングの操作はすべて第七音素をもって制御されてるだろうって話は聞いていた。実際、ジェイドが見た限りでも、間違いはなさそうで、暗号が施されている部分も第七音素が集まって構成されてるそうだ。

 ん? 第七音素で構成ってことは……どうにかなるかもしれないな。俺は一つの解決策を口にする。

「俺が超振動で、暗号とか弁とかを消したらどうだ? 超振動も第七音素だろ?」
「……暗号だけを消せるなら、なんとかなるかも知れません」

 俺のかなり乱暴な提案に、ジェイドが慎重に言葉を選びながらも、同意した。

 しかし、それにティアが真っ先に反応する。

「ルーク!? あなた、まだ制御が……」

 俺が超振動制御の訓練をしている間、いろいろと面倒見てくれていたのは彼女だ。俺の制御の未熟さは、誰よりもわかってるんだろうな。

 だが、それでも俺は……ここで立ち止まるわけにはいかない。

「俺にやらせてくれねぇか、ティア。制御がまだ甘いのは……俺だってわかってる。だけどよ、ここで失敗しても何もしないのと結果は同じだろ? なら、やるだけやらせてくれねぇか?」

 真剣な表情で見据える俺の瞳を受け、ティアが迷いに視線を彷徨わせる。

「……そうね。その通りだわ」

 少しの逡巡を挟んだ後で、ティアも最終的には同意してくれた。

「……ありがとな」

 俺はパッセージリングに向き直る。集中しようと身構えた所で、手にした杖をどうしたものかと考える。杖をかざしたままにしとかないとパッセージリングは操作できないが、集中するには邪魔すぎる。

「あー……ティア、杖を頼むぜ。さすがにこの体勢だと集中出来そうにないからな」
「ええ。わかったわ」

 ティアに杖を渡す。そのとき、彼女と視線が交わる。不安そうに揺らめく瞳に、俺は最大限の信頼を示すために、力強く頷き返す。彼女もそれ以上余計なことは言わず、ただ一言をもって俺を送り出す。

「ルーク……気をつけて」
「任せとけって」

 たいしたことではないと軽い口調で請け負って、俺は改めてパッセージリングに向き直る。

「それでジェイド、どこ消せばいいかわかるか?」
「第三セフィロトを示す図の外側が赤く光っているでしょう。その赤い部分だけを削除して下さい」
「わかった」

 気分を落ち着かせ、大きく息を吸い込み──意識を研ぎ澄ませる。

 体内のフォン・スロットを感じる。周囲を漂う微細な第七音素の存在を意識する。

 第七音素は数ある音素の中でも異質な音素だ。確たる属性を持たず、制御もまた困難を要する。

 だが同時に、俺のようなやつにとっては、なによりも身近な存在だとも言える。

 ジェイドから聞いた話だと、レプリカの身体は第七音素と元素が結びつき構成されるらしい。つまりは、俺たちは第七音素から生まれたとも言えるわけだ。

 そんな第七音素の申し子とも言える俺が、この程度の制御で失敗する道理はない!

「行くぜ!」

 気合一喝、フォン・スロットを解放──超振動を放つ。

 頭上を見上げ、浮かぶ上がる文字列に意識を集中。セフィロトを示す図の一部分にのみを削り取る。細かい作業に、手の甲に汗が滲む。

 周囲が固唾を飲んで見守る中、セフィロトを示す図の一番外側で光っていた紅い部分が、すべて俺の超振動に消し去られた。

「……」

 ジェイドがパッセージリングの様子を検分している。

 しばらくの間、緊張の沈黙が続いた後で、ついにジェイドが俺達を振り返る。

「……起動したようです。これでセフィロトから陸を浮かせるための記憶粒子が発生しましたね」

 ジェイドの言葉で、場の空気が一気に弛緩する。

 緩やかな空気が流れる中、俺は自分の両手を見下ろす。かつて血に塗れた両手を見据え、アクゼリュスに想いを馳せる。

 俺の仕出かしたことは、今更何をしようが……決して取り返しのつかないことだってのは、十分わかってるつもりだ。

 それでも……こんな俺でも、誰かの助けになることができたんだ。

 これが、嬉しくないはずがない。

「い──やった! やったぜ!!」

 俺は急激に沸き上がる歓喜の衝動に流されるまま動く。

「──ティア、ありがとなっ!!」

 一番近くに居たティアに飛びついて、感謝の言葉を告げた。

 彼女は珍しく動揺したように、ぎこちなく答える。

「わ、私、何もしてないわ。パッセージリングを操作したのはあなたよ」
「そんなことねぇって! 俺が制御できたのもティアが制御する方法とか教えてくれたおかげだろ? ほんとありがとな! 他のみんなもありがとな!」

 自分でもテンションが上がってるのを感じながら、感情の赴くまま声を上げた。

「……いつまで、そうして抱き合ってるつもりですの?」

 ナタリアの妙に迫力を感じさせる声で、ふと我に返る。

 俺の腕の中で、硬直するティアの姿があった。

 ……あれれ? 俺、なんで、ティアに抱きついているのでしょうか?

「ルークのやつも、いろんな意味で成長してるんだなぁ」

 しみじみと呟かれたガイの言葉に、俺達は慌てて身体を離して、距離を保つ。

「やれやれ。いいですねぇ、若い人達は。所構わず行動できて」
「大佐も十分若いじゃないですか。でも、さすがに人目のある場所で取る行動じゃないですよねぇ~」
「別に、僕は恥じるような行動ではないと思いますけど……」

 周囲から集まるてんでバラバラの講評に、俺達二人を急激に羞恥心が襲いかかる。

 ぐっ……他人事だと思って、好き勝手言いやがって!

 俺は自分でも顔が赤くなってるのを自覚しながら、せめてもの反抗とばかりに周囲の連中を睨む。

「あーっ!」 

 突然、アニスの甲高い声が場を貫いた。

 な、なんだ? ビクビクしながらかなり挙動不審な動作で音源に視線を向けると、アニスが顔色を変えて、パッセージリングに浮かぶ文字列の一部を指差していた。

「待って下さい。まだ安心しちゃだめですよぅ! あの文章を見て下さい!」

 アニスの指し示した先を見ると、なんだか危なげな警戒色で一部の文字が点滅している。

「……おい。ここのセフィロトはルグニカ平野のほぼ全域を支えてるって書いてあるぞ。ってことはエンゲーブも崩落するんじゃないか!?」

 ガイの読み取った事実に、俺達を緊張が走る。

 ルグニカ平野のほぼ全域って……いったい、どんだけの地域が崩落すると思ってるんだ? パッセージリングを操作したヴァンの思惑を測りかねて、冷や汗が俺の掌を濡らす。

「ですよねーっ!? エンゲーブマジヤバな感じですよね!?」
「大変ですわ! 外殻へ戻ってエンゲーブの皆さんを避難させましょう!」

 確かに、マルクトとキムラスカが緊張状態にある今、アルビオールで移動できる俺達以外に動けるような人手はないか。アニスやナタリアの言葉に俺達も同意し、さっそく動き出す。


 こうして、俺達は成功の余韻に浸る間もなく、慌ただしく外へと駆け戻り、そのまま外に待機していたノエルと合流し、セントビナー崩落部分から外郭大地に帰還を果たす。




 ───そして、俺達は衝撃的な光景を目の当たりにすることになる。




 ルグニカの大地に展開されるキムラスカとマルクト……激突する両軍の姿が、眼下には広がっていた。

 俺達は預言に導かれし事象の流れに、預言に支配された世界の姿に、言葉を失くし───

 ただ交わされる砲火を、呆然と見据え続けた。






[2045] 4-6 紛い物の存在意義
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 22:49

 目の前に飛び込んだ光景は、俺達にとって衝撃的なものだった。


 鬨の声があがる。


 ぶつかり合う人の群れが剣戟を交わし合い、後方から放たれた譜術が大地を穿つ。
 激突する陸艦同士が砲火を交わし合い、機関部に命中された戦艦が爆発四散する。
 マルクトとキムラスカ、オールドラントが誇る大国が繰り広げる潰し合いに、俺達は息を飲むことしかできない。


「これはまずい」

 いち早く我に返ったジェイドが、事態の深刻さに顔を歪める。

「下手をすると両軍が全滅します」
「……あ、そうか。ここってルグニカ平野だ。下にはもうセフィロトツリーがないから……」

 崩落と同時に、両軍が障気に飲まれて消える。
 最悪の展開に、ティアが声を震わせてつぶやく。

「これが……兄さんの狙いだったんだわ……」
「……どういうことだ?」
「兄は外殻の人間を消滅させようとしていた。預言でルグニカ平野での戦争を知っていた兄なら……」
「シュレーの丘のツリーを無くし戦場の両軍を崩落させる……確かに効率のいい殺し方です」

 重苦しい沈黙が続く中、ナタリアが立ち上がる。

「戦場がここなら、キムラスカの本陣はカイツールですわね。私が本陣へ行って、停戦させます!」

 ナタリアの言葉に触発されてか、ティアが戦争に関連した新たな危惧を口にする。

「でも……エンゲーブも気になるわ。あそこは補給の重要拠点と考えられている筈。セントビナーを失った今、あの村はあまりに無防備だわ」
「崩落前に攻め滅ぼされるってこと? こわ……」

 話を黙って聞いていたガイが、一つの提案をする。

「二手に分かれたらどうだ? エンゲーブの様子を見る班と停戦を呼びかける班だ」
「……エンゲーブへは私が行くべきでしょう。マルクト軍属の人間がいないと、話が進まない」

 次々と進められて行く話に、俺はついに来るべきときが来た事を理解する。

 宣戦布告がなされた事は既にグランコクマで聞いていた。
 一応ピオニー陛下には俺達が生き残っているという情報を、王国に伝えてくれるよう頼んではおいたが、どうも欺瞞情報と判断されたようだ。
 同時にその事実は、俺達が王都に直接姿を見せない限り、生存が認められないことを意味する。

 未だ踏ん切りがつかないのが正直な所だが、もはやそんなことを言ってられるような状況ではない。

 なら、俺も覚悟を決めるしかない。

「──ナタリア」

「なんですか、ルーク?」
「停戦を呼び掛けるなら、カイツールに行っても無駄だと俺は思うぜ」
「どういうことですの?」

 首を傾げるナタリアに、俺は自分の考えを口にする。

「たとえ本陣に詰めてる連中に停戦を訴えたとしても、一度ぶつかりあっちまった以上、そう簡単には引き下がれないはずだ。むしろここは遠回りに見えても、一旦バチカルまで戻って俺達の生存を訴えて、インゴルベルト陛下に停戦を呼び掛けてもらう方がいいと思う」

「完全な停戦にはお父様の力が必要なことはわかります。ですが、本陣で私達が生存していることを伝えれば、王都に伝令が走るはず。どちらにしても同じことでは……?」

 確かに、ナタリアが考えることもわかる。
 本陣に俺達が生きてることを伝えれば、当然王都にも同じことが伝わるだろう。
 なら、現在位置から近いカイツールの本陣に向かおうという判断は理屈にあったものだ。


 だが、それも王都の対応次第でどうにでもなる話にすぎない。


「……ルークが気にしているのは、スコアの存在でしょう」

 ジェイドがメガネを押し上げ表情を覆い隠す。

「スコア……ですか?」
「アクゼリュスの崩落が預言に詠まれていたことは知っていますね」

 関連がわからないのか、不思議そうに首を捻るナタリアに、俺は少し躊躇いながら口を開く。

「……俺が親善大使として派遣されたとき、オヤジ達がなんて言ってたか覚えてるか?」
「親善大使として……? ──っ!」

 ナタリアの瞳に、急速に理解の色が浮かぶ。

 そう……俺が親善大使に任命されたとき、オヤジ達は言っていた。
 すべてはスコアに詠まれていたことだと。
 ナタリアがついてきたのは予定外だったろうが、もしあの言葉がアクゼリュスの崩落までを指していたなら……俺の死は城の連中にとって、想定内のものだったことになる。

「仮に本陣で停戦を訴え、それが受け入れられたとしても、王都に戦争を続行する意志がある限り意味はない……つまりは、そういうことですね」

 ジェイドの確認に、俺はため息混じりに頷く。

「あんまり考えたくないけど、そういう事態もあり得るってことだ。……それと、イオン」

 俺の考えが当たっていた場合、バチカルに向かうメンバーとして、どうしても欠かせない人物に俺は呼び掛ける。

「イオンもバチカル組に加わってくれないか? ナタリアが居れば大丈夫だと思うが、最悪、王城に入るのも難しいって状況も考えられる」

 俺達の死が予定通りのものだった場合、最悪ナタリアとは引き離され、そのまま俺の帰還は無かったことにされるおそれがある。

「導師が居れば、そうそう無茶なこともしてこないと俺は思うんだが……頼めるか?」

 静かに俺達の話を聞いていたイオンが顔を上げ、俺と視線を合わせる。

「わかりました。僕はルークに同行しましょう」
「イオン様が行くなら私も一緒に行くっ! 私はともかくイオン様は危険な所に連れてかないでよね」

 イオンが答えると同時に、アニスが身を乗り出して勢いよく訴えた。
 あんまりにも素早いアニスの反応に、俺は多少呆れながら、ため息混じりに応じる。

「……はいはい。その辺のことは俺だって十分わかってますよ」
「ルーク、それ本気で言ってる? ……チーグルの森であれだけ連れ回しといて良く言うっちゅーの」
「うっ」

 半眼で俺を見やるアニスの言葉に、いろいろと具合の悪い記憶が蘇る。そういや、けっこう危ない所まで連れ回してるような気がしないでもない。

「こ……今後は気をつける」

 辛うじて言葉を返す俺に、アニスの疑惑の視線が突き刺さる。少しの間、緊張状態が続いた後、不意にアニスが肩からふっと力を抜く。

「……ま、ルークにそんな配慮期待しても仕方ないか。しょうがないから、アニスちゃんが一肌脱いで上げますよ」
「頼もしいことで……」

 男らしく胸を叩いて応じるアニスに、なんとも年齢に会わない頼もしさを感じる。
 最近ネコ被りをしなくなったアニスはなんとも漢気満載で、そのやさぐれ具合に俺と近しいもんを感じてしょうがない。

 なにかが間違ってるような気がしないでもないがな。

「ともかくだ。俺は頼りないかもしれないが、イオンをよろしくな、アニス」
「イオン様のことは任せなさいって」

 ま、アニスが狙ってやったのかはわからないが、そんな彼女とのやり取りで、俺の気分が少し紛れたのも確かな事実だ。
 ありがとな、アニス。俺は胸の内で、密かに彼女に感謝した。


 その後はさらに話を詰め、これからどう動くのかが具体的に決まった。

「まずバチカル付近でルーク達を降ろしましょう。その後、私たちはアルビオールでエンゲーブへ向かいます。合流は……中立地帯のケセドニアということで、よろしいですか?」
「ああ、それでいいぜ」

 大佐の最終確認に頷いて、俺は一旦瞼を閉じる。
 王都でなにが待ち受けているのか……碌に感情が整理できないまま、帰ることになっちまったな。
 それでも、もはや躊躇っていられるような状況ではない。

「──行こうぜ」


 こうして、俺は二度目の帰還を果たす。
 出迎えなど存在しない、歓迎されるかすらわからない故郷へ向けて、俺達はその足を踏み出した。




               * * *




 あまり王都に近づきすぎると『瞬殺譜業』などといった兵器に狙い撃ちにされるおそれがある。
 そのため俺達は王都から少し離れた場所に降ろされた。
 上空で健闘を祈ると言うかのように、アルビオールが弧を描き、去っていく。


「……行ってしまいましたわね」
「そうだな」
「大佐達大丈夫かなぁ。エンゲーブって、いつ戦場になってもおかしくないんでしょ?」
「エンゲーブはジェイド達に任せるしかありません。僕達は僕達にできることをしましょう」

 自分にできることをする……か。


 アクゼリュスの崩落から、自分にできることは何か、俺は常に考え続けていた。
 がむしゃらに動き続けた結果、セントビナーの住民を助けることはできた。

 それでも、それが俺にしかできないことだったかと言うと、素直に頷くことはできそうもない。

 救援だけならジェイドが居ればできたはずだ。
 純粋に俺が役に立ったことと言えば……シュレーの丘のパッセージリングを操作するときぐらいだろう。
 そう考えると、やはり釈然としない想いが沸き起こる。


 いったい、俺にしかできないことってのは、何なんだろうな?


 頭上から去っていくアルビオールを見送りながら、俺は少しの間、自分の価値について想いを馳せた。



「──ル、ルーク様!? それにナタリア殿下も!? 御二人とも無事だったのですね!」

 街の入り口に立っていた衛兵達が騒めく。彼らは俺達の顔を見て、歓迎の敬礼を返してくれた。

 こうして見る限り、末端の兵士達は純粋に俺達の生存を喜んでくれているようだ。

「今すぐ城へ報告に……」
「あー……すまないが、報告は少し待ってくれ」

 俺の呼び止めに、兵士は意外そうな顔を返す。

 ……正直、これからすることを思うと気分が重い。だが、これが目的を達するために必要な措置である以上、どれ程気分が乗らなかろうが、やらざるを得ないんだけどな。

 俺はナタリアやイオンと一瞬顔を見合わせてから、兵士に予め考えておいた言葉を告げる。

「王都に帰還するまでの間に、俺達は何度か襲撃を受けた。それも……オラクルのな」
「なっ!?」

 驚きに固まっている相手に、矢継ぎ早に言葉を続ける。

「どうやら一部の戦争推進派が、俺達の生存情報を握りつぶそうとしているらしい。俺達が生きてることがわかれば、戦争を続行する大義名分がなくなるからな。そういう訳だから、俺達が帰還したって情報を下手に城内に広めたくない。陛下には俺達が直接会って報告したいんだ」

 全てが嘘ではない。兵士の襲撃はなかったが、戦争推進派がいる事は確実だ。
 事実と異なる点があるとすれば……一部どころではなく、キムラスカと教団が一丸となって、戦争を肯定している可能性があるってことだ。

 内心で考えている危惧は押し殺し、俺は兵士の顔を正面から見据える。

「そういう訳だから、城には内密ってことで頼めるか?」
「はっ! ……どうか、御無事で」

 悲痛な面持ちで敬礼を捧げ、見張りの兵士は俺達が街に入っていくのを見送ってくれた。

 少し罪の意識を感じないでもないが、ナタリアやイオンは別にしても、下手すると俺には捕縛命令とかが下されるおそれもある。可能な限り、生き残れるよう布石は打っておきたい。

 その後もなるべく目立たないように身を潜めながら街中を歩き、足早に天空滑車に乗り込む。
 動き出した天空滑車の中で、今の所うまくいっていることに一息つく。


 ふと、ナタリアが俺の顔をチラチラと伺っている事に気付く。


「……ん? どうしたよ、ナタリア?」
「ルーク。あなたは……」

 言葉を選びながら、少しの間を置いた後で、ナタリアは俺の瞳を正面から見据えた。

「先程言った事を、どこまで信じていますか?」

 重い沈黙が天空滑車の閉塞された空間に続く。

「正直……ファブレ公爵なら、国の為に何やってもおかしくないと思ってる」
「……」

 オヤジをあえてファブレ公爵と呼んだ俺に、ナタリアが悼ましそうに顔を伏せるのがわかった。

「オヤジは頑固なところもあるが、どこにでも居るような普通の親だ。……でもよ、ガイの話を聞いてわかるように、やっぱりどこまで言っても国に使える公爵なんだよな」

 ホドを攻め落としたファブレ公爵の名は王国側では讃えられるものだろうが、帝国に住む人々にとっては憎悪の的だろう。負の感情を受けることになるのを自覚しながら、必要ならそうした行動が取れる。それが屋敷では見せなかったオヤジの姿なんだろうな。

「俺個人としては……やっぱ複雑なもんがあるけどな」

 いろいろな思いを込めて、俺は言葉を止めた。

 ミュウが俺の服の裾掴み、コライガが足に鼻を押しつける。
 二匹とも心配そうに俺の様子を伺っている。少し離れた場所にいるイオンとアニスも、俺達の様子が気がかりなのか、しきりに視線を向けて来る。
 たぶん、俺達の会話が聞こえてたんだろうな。


 それから無言のまま天空滑車を乗り継ぎ、俺達は王城前に辿り着いた。

「イオン、頼む」
「任せて下さい」

 突然城内に乗り込んできた俺達に向けて、見張りの衛兵達が駆けつける。

「待て! ここを何処だと……」
「引きなさい。僕はローレライ教団導師イオン。インゴルベルト陛下との謁見を求めます」
「ど、導師イオン!? それに、ナタリア殿下、ルーク様も!?」

 目を白黒させる見張りの兵士達の様子を見る限り、やはり末端まで情報は行き届いていないようだ。

 乗り込んできたのが死んだはずの俺達だと気付いて、衛兵達は誰もが困惑している。
 その上導師までいるとあっては、下手な対応もできない。
 兵士達はどう対応したらいいのか判断しかねて、ただ遠巻きにこちらの様子を伺っている。

「伯父さん……陛下は今どこにいる」
「へ、陛下は現在謁見の間でオラクルの方と会合中ですが……」
「そうか」

 死んだはずの相手を目の前にして、混乱しているんだろう。
 呆気ない程簡単に伯父さんの居場所を聞き出すことができた。
 もう少し手間取るかと思っていたが、俺達にとっては都合のいい展開だ。


 しかし、オラクルが来ているのか。


「イオンには悪いが、このまま乗り込むことになりそうだ」

 俺はイオンに告げる。これ以上伯父さんに厄介なことを吹き込まれるわけにはいかない。
 視線を向けた俺の意図を読み取り、イオンが即座に動き出す。

「わかりました。三人とも、僕の後についてきて下さい」

 先頭を歩く導師イオンの姿を見て、衛兵達も制止の声を上げられない。
 そのまま謁見の間の前にある扉にまで突き進む。

「ど、導師イオンといえども事前の連絡無しに謁見することは……」
「緊急の用件です。ここは引いて下さい」
「うっ……わ、わかりました」

 謁見の間の扉に控えた衛兵も、イオンの威光に押し切られた。
 そのまま俺達は伯父さん、インゴルベルト陛下が居るという謁見の間に乗り込んだ。

「──誰だ?」

 扉を押し開け、室内に踏み込む。
 そこには伯父さんの他にオヤジを含めた数人の高官と向かい合う形で、六神将ディストのやつが居やがった。
 なぜかやつの隣に、ナタリアの乳母の姿も見える。


「無礼者! ここをどなたの御前と心得る!!」
「突然の来訪、お許しください、インゴルベルト陛下。導師イオンにございます。今回は、至急陛下にお知らせしなければならない事があります」


 玉座の前に片膝をついたイオンの後に続いて俺は前に出る。並び立つ高官達の視線が集中する。
 当然オヤジの視線もまた俺に向けられる。なにか反応があるかもしれないと、俺はチラリと視線を滑らせる。

 オヤジから注ぐ視線はどこまでも無機質なもので、そこに感情の動きはまるで見い出せない。
 自分の感情が掻き乱されるのがわかる。今にも口を開いて事の真意を問いただしそうになるのを必死に押さえ込む。落ち着けと、心の中で繰り返す。

 今は……伯父さんの説得が優先だ。
 気持ちを無理やり落ち着けて、俺は改めて伯父さんに顔を向ける。

「伯父上。俺達は生きています。マルクトへの宣戦布告を即刻取り消して下さい」
「そうですわ、お父様。アクゼリュス崩落にマルクトの関与はありません」

 ナタリアの姿を目にした瞬間、伯父さんがどこか痛みを覚えたように表情を歪め。胸元を押さえた。

「……私は……そちらの帰還を喜ぼう」

 僅かな沈黙の後、陛下はそう呟いた。ナタリアが安堵に息をつく。


 しかし、続けて放たれた言葉に、全てが覆される。


「だが、〝余〟は決して認めることはできん」

 伯父さんの脇に控えた高官が進み出て、俺達に威圧的な視線を向ける。

「ファブレ公爵が嫡男ルーク・フォン・ファブレ並びに、ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア。両名はマルクトの開発した新兵器によるアクゼリュス崩落に巻き込まれ、死亡した。ファブレ公爵の子息の名を騙りしルーク。そしてナタリア──いや、キムラスカ王女の名を騙りしメリルよ」
「メリル……? 何を言っているの?」

 困惑に瞳を揺らすナタリア同様に、俺も事態が掴めず眉をしかめる。
 俺への対応はまだわかるとしても、ナタリアまで王女の名を騙ってるってのはどういうことだ?

「王国は其方達から王位継承権を剥奪する。また、アクゼリュスにて救援隊を惨殺せし罪も重い」
「な、何を言っているのです! 違いますわ! そんなこと、わたくし達は……!」

 反論しようとするナタリアの言葉を遮り、陛下の傍らに控えていたディストが哄笑を上げる。

「往生際の悪いことですねぇ。メリル~。すべてそこに居る乳母が証言してくれましたよ?」

 謁見の間の片隅で顔を俯けていたナタリアの乳母が、ひっと短く悲鳴を上げる。

「殿下の乳母が証言しましたよ。お前は亡き王妃様に仕えていた使用人シルヴィアの娘メリルだと!」

 事態についていけない俺達を余所に、インゴルベルト陛下が乳母に確認を取る。

「……そうだな?」
「……は、はい。本物のナタリア様は死産でございました」

 ナタリアが目を見開く。

「しかし王妃様はお心が弱っておいででした。そこで私は、数日早く誕生しておりました我が娘シルヴィアの子を王妃様に……」
「……そ、それは、本当ですの、ばあや」

 駆け寄ろうとしたナタリアの前に立ち、ディストが嘲笑う。

「今更見苦しいですよぉ、メリル~。お前はアクゼリュスへ向かう途中、自分が本当の王女でないことを知り、実の両親と引き裂かれた恨みからアクゼリュス消滅に荷担したんでしょう?」
「ち、違います! そのようなこと……!」
「余とて信じとうはない! だが……これの言う場所から嬰児の遺骨が発掘されたのもまた事実だ!」

 顔を歪めながら、伯父さんは叫び返した。

 突き付けられた言葉が、現実のものだと、すぐに認識できない。

 本物のナタリアは死産で遺体が見つかった。
 俺達の知るナタリアはナタリアじゃなくて、メリルだったとこの連中は言う。
 否定したいが、教団がこうも派手に動いている以上、単なるデタラメだとも思えない。


 だが、事実がどうだろうが、そんな戯言をすんなりと認められるはずがない。


「なにを……なにを言ってんだよ! そんな、そんな簡単にナタリアを切り捨てちまっていいのかよ、伯父さん!」

 俺の呼びかけにも、伯父さんは堅い表情のまま、応えようとしない。

「他人事のような口振りですね。貴公もここで死ぬのですよ。アクゼリュス消滅の首謀者としてね!」
「……そちらの死を以って、我々はマルクトに再度宣戦布告する。今回の戦争の後、キムラスカ・ランバルディア王国は未曽有の大繁栄を向かえる。それが預言に詠まれし、世界の流れだ」

 感情を押し殺した表情で、伯父さんが脇に控える衛兵達に目配せをする。


 くっ……本気なのか!?


 最悪の展開に、俺は背後にナタリアを庇い、いつでも離脱できるよう準備する。


 兵士達はどこか恐れ多いといった感じで、こわごわと俺達に武器を構える。


 まるで訳がわからない。どうしてこんな事になる。
 ナタリアやイオンには危険がないと判断したから、俺はのこのこと王都までやってきたんだ。
 最悪でも、俺一人が逃げ出せば、どうとでもなると思っていた。
 それが、ナタリアまでもが、本物ではないと、こいつらは言いやがる。


「──本気かよ!」

 ぐちゃぐちゃになった思考の中で、気付けば俺はオヤジに向けて叫んでいた。

「本気で、本気でそんな話を信じてやがるのかよ!? 答えろ、オヤジィッ!!」


 俺達の登場以来、沈黙を保ち続けていたオヤジが、そこで初めてその口を開く。

「スコアとはお前が考える以上に重いものだ」

 一切の感情が覆い隠されたまま、相手は告げる。

「世界の選択に抗えるとでも思っていたか?」

 一切の情を切り捨てられた言葉を吐き捨てる。


「──身の程を弁えろ、逆賊よ」


 俺の、中で、なにかが壊れた。

 頭の中が真っ白に染まる。目の前に立つ相手が誰か認識できない。
 開かれた口が言葉を紡ぐことはできず、強張った身体は一切の制御を拒絶する。


「インゴルベルト陛下。僕はこのような戦争に、大儀を認めない!」
「導師イオン。大詠師モースより、既に宣旨は下されている。貴殿も所詮、スコアに詠み上げられた世界へ向かう為に必要な歯車の一つに過ぎない。キムラスカの王族たる〝余〟と同様に、な」」

 伯父さんが自嘲気味に笑い、イオンの言葉を切って捨てた。

「はーっはっはっはっはっ。僣越ながら、導師イオンは私が教団に連れて帰りましょう。残りの二人は、陛下達のお好きなように処理なさって下さって結構ですよ」

 ディストが狂ったように哄笑し、徐々に衛兵達の包囲が狭まっていく。

 しかし、俺は何一つ反応できぬまま、その場に立ち尽くす。現実味を失くした世界を見据え、ひたすら呆然と立ち尽くす。

 ついに俺達に衛兵達の手が触れようとした──そのとき。

「お待ちください、陛下」

 制止の呼び声を上げたのは、ファブレ公爵だった。
 玉座に向き直って、彼は片膝をつく。

「……殺す価値もないものと思われます」

 ファブレ公爵の進言に、陛下が王族としての顔になって頷く。

「……導師イオンに免じて、この場は見逃そう」

「なっ!? なんですと!? それでは話が……」
「いい加減に、黙れ!!」

 陛下の一喝に、ディストが固まったまま口をぱくぱくと開く。

「王席からは抹消する。……この街を去り、どこへなりとも消えるが良い」

 告げる相手に、表情は無い。

「ですが、二人は……!」
「イオン」

 なにか言葉を返そうとしたイオンを、俺は呼び止める。

「……行こう」

 静かに促す俺に、イオンは少しの間その場で躊躇っていたが、最後には俺の言葉を聞き入れてくれた。


「髪を切ったのか?」


 謁見の間に背を向けようとした瞬間、その声は耳に届いた。
 オヤジがそんなことをするとは思っていなかったので、俺はかなり動揺しながら顔を向ける。

 そこには、やはりなんの感慨も浮かばない、無表情があるだけだった。
 少しの落胆と、やはりそうかという諦めを抱きながら、俺は相手の問い掛けに、言葉も短く応える。

「……ああ」
「そうか……まったく……」

 わずかに目を細め、俺を見据えるオヤジ。

「愚かな奴だよ、お前は──本当に……な」
「……っ!」

 その姿を目にした瞬間、俺の胸の内を、言葉にできない程に、激しい感情の波が荒れ狂う。

 俺はオヤジから顔を背け、拳を握り締めた。
 これ以上、ファブレ公爵と向き合っていることが、俺には、耐えられなかった。

 逸らした視線の先で、ナタリアもまた、伯父さんと視線を合わせていた。しかし、そこに言葉は存在しない。

 明確な拒絶を前にして、ナタリアは肩を震わせながら立ち尽くしている。

 俺はナタリアに近づいて、彼女の手をそっと握る。
 動き出せない彼女の腕を引いてやりながら歩き出す。かつての肉親に、背を向ける。


 背中に、言葉は掛からなかった。


 こうして──俺達は、帰るべき家を失った。




              * * *




 ゴゥン……ゴゥン……

 機械的な駆動音が、無言の閉鎖空間に響く。
 天空滑車から眼下に広がる街並みを見下ろし、俺は考える。


 結局、俺が捨てゴマだったことに、間違いは無かったようだ。


 正直悲しいとか思うよりも先に、ああやっぱりな、と納得してしまっている自分が居た。
 もちろん何にも思わなかった訳じゃない。
 しかし、それでも事前に考えていた以上に、受けた衝撃が少なかったのも確かな事実だ。


 ……ああ、そういうことか。


 ようするに、俺は認めちまったわけだ。周囲から期待された自分の価値ってやつが、既に尽きてしまっていると。
 レプリカとしての自分がどう思われるか以前の段階で、既にルーク・フォン・ファブレに期待されていた価値が無くなってしまっていると……認めちまったわけだ。


 思わず自嘲の笑みが浮かぶ。


 自分がレプリカだったなんてことを知る前は、考えもしなかったような小難しいことが頭を占める。


 自分の価値……か。


 ため息を一つ。かぶりを振って、終わりのない考えを打ち切り、俺はナタリアに視線を移す。

 彼女は顔を俯かせ、力なく眼下に広がる街を見据えていた。

 ナタリアにとって、今回のことはまるで考えもしなかった事態のはずだ。
 俺は自分がレプリカだって知らっていたから、ある程度は相手に拒絶される覚悟もできていた。
 だが、ナタリアはなんの準備もできていなかったんだ。どれほどの衝撃を受けたかは、想像に難くない。

 デマカセだと思いたいのはやまやまだが、あれ程大々的に触れ回っていた以上、ディストのもたらした情報がなんの根拠もないデマだったとは到底思えない。

 いったいナタリアにどんな言葉をかけたらいいのか、俺にはわからなかった。
 ナタリアの気持ちはわかる。気にするな。そんなことを言えばいいんだろうか?

 ……とてもそうは思えない。

 俺がレプリカだってわかったとき、それでも顔を上げて居られたのは、正直な所、やせ我慢に依る部分が大きい。
 俺が本当の意味で立ち上がれたのは、他の誰でもなく、俺自身を認めてくれた人たちが居たからだ。

 だが、ナタリアは常に王族としての自分に誇りをもって、それに相応しくあろうと努力していた。
 それは同時に、ナタリアにとってキムラスカが自分自身から決して切り離せない存在であることを意味している。
 そんなナタリアに、俺みたいなやつが言った言葉が、どれほどの意味を持つだろうか?

 やはり、俺には、わからなかった。


 重苦しい空気が続く。


 イオンの隣で何かを後悔するかのように、唇を引き結んでいたアニスが、突然両手を突き上げる。

「あ──も──っ! みんな、暗すぎっ!」

 呆気に取られる俺達に、アニスがさらに詰め寄って続ける。

「二人とも元気出しなよ! 生まれなんて今更どうでもいいじゃん! そんなことで落ち込んでるよりも、今はなにができるか考えよう? ──っていうか、二人ともそんなキャラじゃないじゃん! もっとこう、なんでも来いって感じで、えーと、その、馬鹿みたいに笑ってドーンと構えて、えと……その………ごめんねぇ………みんなぁ………」

 目尻に涙を浮かべ、最後には顔を俯けた。


 なんというか、アニスさん、目茶苦茶です。


 アニス自身、自分が言いたいことが途中からわからなくなったのか、最後には混乱したまま謝っちゃってるし、その上、言ってる内容自体も支離滅裂過ぎて訳がわからん。

 誰もがポカンと目を見開いてアニスを見つめる中、俺はあきれ返って額に手を当て、ため息をつく。

「アニス、お前なぁ……人がわざわざこう、じっくりと、ナタリアを元気づけられるような言葉がないもんか吟味してたってのに、何でいきなり暴発するよ? なんつぅーか、さすがの俺も呆れ返ったね」
「な、なによ! ルークがそんなんだからナタリアが落ち込んじゃってるんじゃん! この、ヘタレ!」
「だ、誰がヘタレだ! 人が折角フォローしてやろうと思って声をかけたのに、いきなり噛みつくなんて訳わからねぇよ! いくら俺でも我慢の限界ってもんがあるぜ!」

「ふ、二人とも、少し落ち着いて下さい」

 今にも取っ組み合いに移ろうかという俺達の間に挟まれて、イオンがわたわたと両手を動かす。

『イオンは黙って』ろ」

 イオンの制止も虚しく、俺達が互いに向けて手を伸ばし合った、そのとき。

 くすくすと、笑い声が俺達の耳をくすぐった。

「ナタリア……?」

 振り返った先で、ナタリアが口元を押さえながら俺達を見据えていた。

「大丈夫です。ええ、私は大丈夫。こんなに私を心配してくれる人たちが居るのですから──」

 透き通った翠緑玉のような瞳が煌く中、ナタリアはわずかに首を傾け、微笑んだ。




              * * *




 かつて辿ったように、陸路を伝ってアクゼリュスに向かう。
 俺達の心境を現すように、天候は終始曇りがちだった。
 野営の傍ら夜空を見上げ、益体もない思考をつらつらと重ねる。


 血のつながりはなかったが、それでも通じ合っている何かがあるように感じていた。
 それも俺の一方的な思い込みで、勘違いだったってことだろうか。


 躊躇なく俺達の拘束を促したインゴルベルト陛下。
 蔑みの視線を向け俺達を逆賊と断じたファブレ公。


 レプリカだったからとかいう以前の問題で、俺は切り捨てられた。


 ───この世界はスコアに支配されているのだ。


 少し癪な話だが……奴の告げた言葉の意味が、俺にも少しだけわかったような気がする。

「眠れないのですか?」


「ああ。でも見張りも必要なことだし、ちょうどいいさ」

 夜空を見上げていた俺に、イオンが話しかけてきた。それに俺は言葉短く応じる。
 イオンはなにも言わぬまま、俺の隣に腰掛ける。

「……ナタリアの様子はどうですか?」

 躊躇いがちに放たれた問い掛けに、俺は早々と寝込んでしまったナタリアの寝顔に視線を向ける。
 どこか苦悩するようにしかめられた表情から、夢の中でも考え込んでしまってる様子が見て取れる。

「……そうだな。やっぱ、完全にふっきるってわけには行かなそうだ」

 肩からずれてしまった簡易毛布をナタリアにかけ直す。
 寝顔を見る限りでも、彼女の苦悩の深さが伺える。
 ナタリアが寝入るまでの間、ミュウとコライガの二匹も彼女を慰めようとしてか、ナタリアに終始引っついて離れなかった。

「しかし、困ったもんだよな」

 偽物だって今更言われても困っちまうぜ、と俺は自嘲の笑みを浮かべた。

 なにしろ、自分ってもんの拠り所として、誰もが最初に考えるだろう自分の名前ってもんを否定されちまったんだ。これで、混乱しない方がおかしい。

「……知らない方が良い真実というものも、この世界には存在しますからね」

 ナタリアの隣で眠るアニスに視線を落とし、どこか苦しそうに寝返りをうつアニスの頭を撫でながら、イオンがデオ峠で洩らしたものと同じ言葉をつぶやく。

「前も確か、同じような事言ってたよな。俺がレプリカだって、イオンはいつから気付いてたんだ?」

「王都で六神将のアッシュに連れ去られたときに、もしやと思いました。確信したのは、デオ峠でリグレットの投げ掛けた言葉からです。もっとも……大佐はさらに前から気付いていたかもしれません」
「そっか」

 ジェイドはレプリカ技術の考案者だって話だ。なにかしら疑わしい部分が目についたんだろうな。
 少しの沈黙を挟んだ後で、俺は仲間の誰にも聞けなかったことを、イオンに尋ねてみることにした。

「なあ、イオン。これは仮にって話だが……」
「はい? なんでしょうか」
「仮に、俺があくまでルーク・フォン・ファブレの代わりであろうとしたんなら……俺は、アクゼリュスで死んで置くべきだったのかな?」

 俺の口から飛び出した言葉に、イオンが動揺するのがわかる。

「それは──違うと思います!」

 一拍遅れで、イオンが強く否定する。
 そんなイオンの反応に、俺は自分でも少し言いにくいものを感じながら、その先を続ける。

「けどさ。結局俺、ルーク・フォン・ファブレに期待されてた価値ってそこで終わりだろ? その先にはなんも無いわけだ。実際はティア、ガイ、ナタリアにイオンやアニス、おまけで大佐とかが俺のこと気にしてくれたから、今もどうにかなってる」

 だがよ、と俺は言葉を区切る。

「仮に屋敷から飛ばされないまま、皆とも会わずに、ある日突然親善大使に任命されてアクゼリュスに向かってたら、俺ってそのまま死んでたわけだよな」

 かなり高い確立で有り得た一つの終わりを語る俺に、イオンも真剣な表情になって、俺の真意を伺おうと姿勢を正す。

「だから、考えちまうわけだよ。ルーク・フォン・ファブレとしては既に用済みになった俺は、これから先、いったいなにをしたらいいんだろうかってさ」
「周囲から望まれていた価値が無くなったことで……自分というものの在り方が、わからなくなったということでしょうか?」
「そうかもな。自分で言っててよくわからないけど、たぶんそんな感じだ」

 焚き火に薪を継ぎ足しながら、燃え盛る炎を見据える。

「本物なら、こんなことで悩まないのかね」

 俺自身の過ごした年月に偽りは無いってことはわかってる。
 俺って存在を認めてくれる人たちが居ることも、素直にありがたいと思う。
 だが、そうした事柄とは関係無しに、どうしても考えずには居られない一つの問い掛けがあった。

 ───いったい、俺は何の為に作られた?

 生まれたのではなく作られた俺という存在。
 そんな不自然な在り方が、自分はここに居てもいい存在なのかと、世界に叫び続ける。
 こんなことを考えても意味がないのは頭ではわかっちゃいるんだが、それでも考えるのを止められない。

 ……やれやれだな。こんな鬱陶しいことを俺が考えてるなんてことは、恥ずかしすぎて誰にも相談できないはずだったんだが、この場の雰囲気に流されて、思わず口にしちまったよ。


 ため息を一つつき、俺は折角ここまで話したんだから、ついでとばかりにイオンに問いかける。

「イオンはどうだ? やっぱりイオンも自分ってもんの在り方で、悩んだりするのか?」
「僕は……僕には、わかりません……」
「そっか。まあ、イオンも同じようなもんだからな」


「どういう、意味、ですか?」


 思いもしなかった言葉だったのだろうか。イオンから予想外に強い反応が返った。
 少し気押されながら、俺は自分が思ったことをそのまま伝える。

「導師っていう大昔から続いてる型に嵌めて、イオンも周囲から見られてる訳だろ? それって俺と似たようなもんじゃないか?」
「……なるほど。そのような考え方も、確かに存在しますね」
「だろ? だとすると、仮に本物だったとしても、こうあれみたいな押しつけがましい在り方を強制されてんのに変わりはないってことかもな。あーあー。ますますわからんね」

 両手足を投げ出し、夜空を見上げため息をつく。

「……俺ってのは、いったいなんだろな?」
「そうですね。僕とはいったい、なんなのでしょうね」

 焚き火のはぜる音だけが、静まり返った夜空に響く。
 俺はふと思い立ったことを口にする。

「ま、俺は自分ってもんの在り方も碌にわからんレプリカなわけだが、それでも、自分のしたいことに嘘はつきたくないよな」
「自分のしたいこと……ですか?」

 そうだな、と適当に頷いて、だらだらと言葉を続ける。

「するべきことってのは、結局相手の願望が反映されちまってると俺は思うんだ」

 相手に求められる役割、そのままに行動させられる。

「いくら作られた存在だからって、誰かに利用されるだけってのはさすがに……な」

 ───利用されるのは、もう二度と御免だ。

 焚き火に薪を継ぎ足しながら、その先に続く言葉を飲み込む。

 再び沈黙が続く。なにを話していたのかも忘れかけた頃になって、イオンが唐突に口を開く。

「……ですが」

 イオンは俺の瞳を見据え、ゆっくりと語りかけた。

「するべきことが、いつしか自分のしたいことに重なってしまうこともある……僕はそう思います」

 少しびっくりしながら、イオンの言葉を考える。
 いったい、どういう意味だろうか? それはもしかして……ナタリアのような在り方だろうか?

 国民のために、いつも頑張っていたナタリア。
 最初の内は、彼女もただ王女として相応しい行動をとろうとしていただけかもしれない。
 しかし、彼女の行動で救われた人たちが現れるにつれて、次第にナタリアの思いも変わって行った。

 いつだか、どうしてそんなに頑張るのかと尋ねたことある。
 そのとき彼女はいつものように王族としての義務であると答えるのと同時に、なにより目の前で虐げられている人々を見過ごせないからと、付け足していた。


 なにより──ナタリアがなしたことは、たとえ彼女が王女でなくなったとしても、決して消えることのない事実だ。


「そう……だな。そうかもな」

 するべきことが、いつしか自分のしたいことと重なってしまうこともある……か。
 俺はアクゼリュスの件に囚われ過ぎて、少しばかり視野が狭くなっていたのかもしれない。

「ありがとな、イオン。なんか、少し気分が楽になった」
「いえ……僕も、何かが掴めたような気がします」

 イオンが空を見上げ、静かに想いを口にする。

「たとえ教団がスコアを動かす為の道具と見なされようとも、僕は人々を助けるローレライ教団の導師であり……なにより、導師として在りたい」

 そうか、と応じて、俺も夜空を見上げる。

「いつか全ての問題が解決したら……そのときはまた皆さんと一緒に、今度はなんの目的もない旅がしてみたいです」
「そんときは、イオンのおごりで頼むぜ? きっと全てが問題なく解決したときには、教団でイオンに逆らえるやつはいなくなってるはずだからな。そんぐらいの我が儘は聞いてくれるはずさ」
「ええ。そのときは、教団に特別予算を組ませましょう」

 一瞬顔を見合せ、互いの冗談めかした言葉に笑い合い、俺達は空に視線を戻す


 霞がかった空に浮かぶ月。
 朧月夜の優しい光が、俺達に降り注ぐ。
 どこかいつもと異なる、安らかな空気に包まれながら、俺達はその後も他愛もない事を話し続けた。

 好きな食べ物。苦手な食い物。気に入らない教団の同僚の話。王都の知り合い達について。これまで立ち寄った街の中で一番印象に残っている場所……。

 そんなどうでもいい話を、熱心に語り合い、俺達の夜は更けていく。

 ───自分は確かに、此処に居る。

 そんな当たり前の事実を、必死に確かめようとするかのように───

 俺達はいつまでも、言葉を交わし続けた。








[2045] 4-7 猛り狂う焔の宴
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 22:53

 熱気に満ちたケセドニアの街を歩く。

 戦争の影響か、街を行き交う人々の顔もどこか暗いものだ。
 かつて訪れたときと異なり、異様な緊張感が砂漠の街を包み込んでいる。


「……戦争か」


 封鎖された国境線を見据え、俺は低い声で呟く。

「どうしました、ルーク?」
「いや……中立地帯って言っても、やっぱ戦争の影響は大きそうだって思ってな」
「そうですわね。いくら教団の影響力が強いケセドニアといっても、ここ最近の情勢の不安定さには目をみはるものがあります。私が、お父様を止められればよかったのですけど……」
「……ナタリア。公爵を止められなかったのは、俺も同じだぜ」

 あんまり考え込むなよ、とナタリアの肩をぽんぽんと軽く叩く。

「でもでも、ほんとどうしたらいいんだろうね? ルグニカ平野が崩落したら戦争どころじゃないって言うのに……。これだから戦争馬鹿は困るっちゅーねん!」

 戦争を止めようとしない相手に対する憤りを叫ぶアニスに、イオンが顔を向ける。

「確かにルグニカ平野の崩落は大変な事態です。ですが、出陣している軍の人たちも祖国のためと思うからこそ、戦線に出てきているのです。一概に、非難することもできません。むしろ、非難されるべきは教団です。このようなときにこそ、僕らが停戦に向けて動かなければならないというのに……」
「イオンさま……」

 アニスが泣きそうな顔で、忸怩たる思いを洩らすイオンを見る。イオンは心配ないと微笑んで見せた。

 しかし、本当にどうしたものか。

 戦争もそうだが、今はそれよりもルグニカ平野の崩落の方が差し迫った問題だ。伝わってきた情報を聞く限り、戦場で激突している両軍は膠着状態に陥っており、わずかにキムラスカ側が押しているとも聞く。だが、このまま時間が経てばどちらの軍も崩落で全滅する。

「……こうなった以上、ルグニカ平野の崩落自体をどうにかするしかないかもな」
「崩落をどうにかする……ですか?」
「戦争が停まらない以上、そっちをどうにかするしかないだろ? まあ……方法とかはわからないんだけどな」

 ちょっとだけ落ち込みながら発した俺の思いつきに、イオンが感慨深げな顔になる。

「確かにそうですね……もしかしたら、ジェイドなら何か対策を考えついているかもしれません」
「そうだな。ま、今は合流場所に急ぐとするか」

 俺達はひとまず会話を打ち切って、ジェイド達との合流地点に向かった。
 待ち合わせ場所に居たエンゲーブ組が、近づく俺たちに気づいて、こちらに駆け寄って来る。

「ルーク、無事だったのね」
「ああ。ティアも、なんとか大丈夫そうだな」

 こうして見る限り、どこも怪我とかしていないようだ。
 エンゲーブ組はいつ戦場になってもおかしくない場所に出向いたんだ。
 いろいろと心配だったが、それもどうやら杞憂に終わったみたいだな。

 一人ほっと胸をなで下ろしていると、大佐とイオンがお互いの情報を交換しているのが視界に入る。

「そうですか。ノエルがアルビオールで住民を……」
「ええ。残りの人たちは、私達と共にケセドニアまで歩いて貰いました。これからケセドニア商人ギルドのアスターさんに、住民の受入をお願いしようと思っていたのですが……イオン様は彼と親しかったはずですね? イオン様の方からもその旨をよろしくお願いします」
「わかりました。しかし、戦場を通り抜けるとは、随分と無茶をしましたね、ジェイド」
「ええ。民間人を連れたまま戦場を突っ切るのは、さすがの私も肝を冷やしましたよ」

 苦笑を浮かべ合う二人の会話に、さすがの俺も驚く。戦場を突っ切ったのか? まあ、かなりの無茶だとは思うが、それ以外に手が無かったってことかね。

「そっちも随分と無茶をしたみたいだな」
「そうね。でも、必要な措置だったと思うわ。そのまま残っても、結局は崩落に巻き込まれてしまったでしょうから……」

 沈痛そうに瞳を細めるティアに、俺も差し迫ったルグニカ平野の崩落について、改めて考えさせられ、気分が沈む。

「ところでルークよ。そっちは……どうだった?」

 新たに話に加わったガイが、少し躊躇いがちに問い掛けた。
 俺は少し顔を俯け、頭をがりがりとかき上げる。

「やっぱ思った通り、うまくいかなかったぜ。まったく嫌になるよな……ほんとにさ」
「……そうか」

 俺達の様子に失敗を感じとっていたのか、二人とも特に驚いた様子も無く、その答えを受け入れた。
 別れる直前話していた俺の予測について、実際の王都側の反応がどうだったのか、いろいろと気になってはいるのだろう。
 しかし俺の気持ちを慮ってか、二人ともそれ以上尋ねるのを躊躇っている様子だ。

「しかし、ルークよ。なんか、ナタリアのやつも、元気無くないか?」

 ガイが話を逸らそうとしてか、俺の脇を突つきながら、小声で囁き掛けてきた。

「……まあな。ナタリアもいろいろあったんだよ」

 王都で起きたことが思い出されて、俺は更に気分が沈み込むのを感じた。

「なにがあったの? ナタリアにバチカルで手を出せる人がそうそう居るとは思えないけど……?」
「あー……」

 俺から話してもいいものか躊躇っていると、それに気付いたナタリアが静かに息を吸い込み、皆の前に進み出る。

「ルーク。いいのです。私の方から、皆さんに話しますわ」
「ナタリア……」
「私は大丈夫です、ルーク」


 気丈にも、王都で突き付けられた出来事を、自らの口で皆に打ち明けていく彼女の姿に、俺は自分には無い強さを眩しく思うと同時に──言いようの無い、物哀しさを感じていた。


「……まさか、そんなことがあったとはね」
「二人の様子がおかしかったのは……そのせいでだったのね」

 話を聞き終えたエンゲーブ組が、打ち明けられた事態の深刻さに表情を曇らせる。

「……しかし、これでバチカル側から停戦するのは絶望的になりましたね。どうやら本気で、戦場の崩落そのものをどうにかするしかなさそうだ」

 メガネを押し上げ表情を覆い隠すジェイドの言葉に、皆の視線が集中する。

「そんなことできるんですか、大佐?」
「どうでしょうね……確かに難しいとは思いますが、何も考えが無いわけではありません」

 どういうことだ? 疑問符を浮かべる俺達に、大佐はゆっくりと皆の反応を伺いながら、自身の策を語る。

「ルークがシュレーの丘でパッセージリングを操作した際に気付いたことなのですが……」

 なんでもジェイドの推測によると、超振動を用いた操作ならば、セフィロトツリーに対してかなり無茶な部分まで干渉が可能らしい。
 俺が実際にやったのは、暗号消したり、文字を上書きするぐらいだったんだが、そんなに大層なことをしてたんだろうか?

 首を捻っていると、それに気付いたジェイドが苦笑して続ける。

「確かに超振動に関してはまだまだ未知数な部分はあります。しかし、セントビナーを泥の大地に浮かせる操作ができたのです。ルグニカ平野を支えるツリーは再生できなくても、セフィロトが吹き上げる力はまだ生きているはず。それを利用して、戦場をそのまま昇降機のように降ろすことは出来ないかと……そう私は考えています」

 どうでしょうか、と肩を竦めて見せる大佐に、俺たちも感心して口を開く。

「昇降機のように降下させるかぁ……」
「はわぁ……さすが大佐。考えることも一味違いますねぇ」
「確かに凡人の考えつくような発想じゃないよなぁ」
「さすがです、カーティス大佐」
「それが可能なら、他の大地の崩落に関しても対策がとれそうですね、ジェイド」

 次々と称賛や称賛だかは微妙な評価などを口にする俺達に、大佐が苦笑を深める。

「まだ推測にすぎませんよ。あまりこの策に期待されすぎても、実際にやってみて失敗だったなんて事態になったら目も当てられませんからね。まあ、アスターさんとの会合が終わったら、できるだけ急いでシュレーの丘に向かった方がいいでしょう」

「確かに……それ以外にないか。なら、さっさと済ませちまおうぜ」

 なんとか突破口が見出せたことに、気分が昂るのを感じながら皆を促す。

 現金な俺の態度に皆が苦笑するのがわかるが、俺が単純なのは今更の話だ。全然気にならんね。しかしこのままシュレーの丘に行って間に合うだろうか? いろいろと心配だが、最悪崩落が始まってもセントビナーみたいに完全に落ちるまでには時間がかかるだろうし、それまでになんとかするしかないか。

 今後の行動に想いを巡らせ、歩きだそうとした──そのとき。


「──探しましたぞ、導師イオン」


 俺達の背中に向けて、その声は届いた。




               * * *




「お探ししておりましたぞ、イオン様。あまり教団の者に心配を掛けさせないで欲しいものですな」
「大詠師……モース」

 両脇にオラクルを従えた教団の実質上の権力者、大詠師モースがイオンに向けて、その軽挙を諫めるような言葉を発した。表面上は導師を上に立てているように見えるが、その裏で何を考えているのかはわかったもんじゃない。

 皆と目配せし、俺達は何気ない動作で、イオンを庇うように陣形を整える。

「モース。僕は……まだ教団に帰ることはできません。ルグニカ平野の崩落はスコアにも詠まれていない事態。これは教団にとっても見過ごすことのできない事態のはずです」

「なるほど……どうやら、ユリアシティの者達から、戦争に関するスコアについては既に聞いているようですな」

 二人は静かに会話しているだけなのだが、周囲には張りつめた空気が充満して行く。

「崩落に関しては厄介な事態であると、私共も認識しております。まったく、ヴァンのやつめは何を考えているのか。アクゼリュス以外に、崩落させる必要がある場所などないだろうに……」

 アクゼリュスの崩落は当然だ。

 そんな考えが、露骨に浮き出た言葉に、俺は反射的に口を開く。

「あれだけの住民が、死んだってのに……てめぇは、何も思わねぇって言うのか?」

 殺気を滲ませながらの問い掛けに、モースが初めて俺の存在に気付いたといった様子で眉を上げる。

「おや、ルーク様ではないですか。お久しぶりです。どうやら、アクゼリュスで起きた事が、随分と置きに召さなかった様子ですな。御無事だったようで、なによりです。しかし、ナタリア元殿下の方も、おかわり無いようで安心しましたよ。あれだけ王族として頑張っていたのですから──そうで無くなった今、いったいどうなさっているのか、私めも心配でなりませんでしたよ」

 慇懃な態度で俺達に礼を取ると、ついでナタリアに視線を向け──嘲笑った。

 頭に、血が昇る。

「──っ!」
「ルーク、よせ」
「落ちついて、ルーク」
「放せっ! こいつはっ! こいつだけはっ!!」

 暴れ出る俺を押さえつけ、ティアとガイが必死に制止する。

 こいつは……こいつだけは、我慢ならねぇ。俺だけならいざ知らず、ナタリアのやつまで、こいつは馬鹿にしたんだ。あいつがどれだけ頑張っていたのかも知らねぇ癖に、こいつは……っ!!

 暴れる俺の姿を一瞥し、ふんと鼻を鳴らし視線を外すと、モースは再びイオンに向き直る。

「イオン様、あなたも外に出てわかったはずです。人々には道標が必要なのですよ。スコアという絶対の方針があればこそ、人々は日々の営みを安心して過ごせるのです。私はなにか間違ったことを言っているでしょうか?」

「……いいえ。しかし、崩落などという、明らかに人々の命を奪うとわかっているような事態にまで、預言を絶対視するばかりに対策を講じようともせず、はては詠み上げられた惨事を積極的に引き起こそうとするような行為は、間違っていないと言うのですか?」

 毅然と教団の行動を非難するイオンに、モースが瞳を閉じる。

「さて……どうでしょうな。私個人の考えといたしましては、たとえ奔流を外れた流れが起ころうとも、行き着く先は変わらないものと考えております。しかし、この答えでは教団の方針を、導師も納得できないでしょう。なので、逆にひとつお尋ね申しましょう。仮に、教団がそうした事態に対応したとして……イオン様、その先は、いったい、どうされるおつもりなのでしょうか?」

「その先……ですか?」

「ええ。仮に、崩落が阻止され、死ぬべき人達が生き残ったとしましょう。しかし、世界には他にも死の預言を詠まれている人たちは大勢存在します。彼らは当然思うはずです。彼らが助かったのだから、当然自分達の死の預言も回避されてしかるべきだと」

「……それは」

「そうなってしまえば、後はもうどうにもなりません。人々は真摯にスコアを受け止めるものではなく、利用するものだなどという不遜な考えに取りつかれ、自らの思うがままに振る舞うようになるでしょう。そしてその果てに待つものは……考えたくもありませんな。あなたの標榜せし、スコアを人々が幸せになるための道具と見なす世界とは、そんな世界のことなのではないでしょうか?」

 斬り込むようにたたみかけられた言葉に、イオンが一瞬言葉に詰まる。

「僕は……僕はそれでも、死に行く人々をただ座して見過ごしているような行為が正しいとも思えません」

 モースの発する気配に気押されてか、イオンの返した言葉も、どこか力のないものだった。同時に、俺もまたモースの語る世界の可能性について考えさせられ、さっきまで抱いていた怒りが煙に撒かれたように、行き場を無くし、急速に立ち消えていくのを感じる。

 納得はしていないながらも、押し黙るしかなくなった俺達に、モースが息をはく。

「……ともかく、これ以上の議論は無意味ですな。正史とのズレが大きくなってきている今、教団が少なからず世界に介入することもまた、必要な措置なのです。スコアとは……彼の者と同様に……この世界が存続していくために、必要な存在なのですから……」

 後半は口元で囁くように、小さい言葉を洩らすモース。その表情に、俺は少し違和感を得る。

「……いえ、忘れて下さい」

 しかしその原因に思い至るよりも先に、モースが我に返った。なにかを誤魔化すように数度咳払いをすると、ついでイオンに向き直る。

「ともあれ、イオン様。この後に及んでまだ……停戦に向けて動くおつもりですか?」

 どうするつもりかと、本当にイオンの答えを待っているかのように、モースは静かに問いかけた。

 少しの沈黙を挟んだ後、イオンが口を開く。

「わかりました。教団に戻りましょう」

「おい、イオン!?」
「イオン様!?」

 予想外の答えに、動揺する俺達に向けて、イオンは大丈夫ですと笑いかける。

「で、でも、教団に戻ったら総長に誘拐されて、またセフィロトの扉を開かされちゃうかもしれないんですよ!?」

 アニスの上げた危惧に、モースが忌ま忌ましそうな表情になって答える。

「ヴァンに関してはこちらとしても対処しよう。導師イオンは未だそう簡単には代わりの効かぬ存在であるからな」

 モースが気に食わない理由ではあったが、どうにかすると答えた。しかし、アニスはそれでも心配そうにイオンを見据えている。

「アニス、大丈夫ですよ。それに、もしそうなったら、アニスが助けに来てくれますよね?」
「え? イオン様?」
「──唱師アニス・タトリン。ただ今をもって、あなたを導師守護役から解任します」
「ええっ!?」

 突然申し渡された決定が信じられないのか、目を見開いてアニスは硬直した。

「ちょっ、ちょっと待って下さい! そんなの困りますぅ!」

 動揺するアニスに、イオンがこっそりと耳打ちする。

「ルークから片時も離れずお守りし、伝え聞いたことは後日必ず僕に報告して下さい」
「えええっ!?」

「それとジェイド、エンゲーブの民に関しては、僕がアスターに話を通して置きます。皆さんはシュレーの丘に急いで下さい」
「い、イオン様ぁ……」

 ようやく我に返って、言葉を発しようとしたアニスを振り切り、導師イオンは大詠師モースに告げる。

「では行きましょう、モース」
「御意のままに……」

 臣下の礼をとって、先を行くイオンの後にモースが続く。

 去り際、なぜかモースのやつが俺の方をじっと凝視していることに気付いた。いったい、なんだ? 苛立ち混じりに睨み返してやると、すぐにふいっと視線を逸らして、モースはそのまま去って行った。

 いったい、なんだったんだろうな……?

 理解できない展開に立ち尽くす俺達の中で、やはり誰よりも早く立ち直ったのはジェイドだった。

「──さて、このまま立ち止まっていても仕方がありません。早く行動に移るとしましょうか」

「イオンのやつは、いいのか?」

「アニスを残したということは、いずれ戻るつもりがあるということなのでしょうが……今は、イオン様の真意を考えいても仕方がありません。崩落に対処することが先決でしょうね」

 確かにジェイドの行ってることは正論なんだが……そう簡単に割り切れるもんでもないと俺は思うぞ。

 半眼でジェイドを見やるも、まるで微動だにせず大佐はにっこり笑ってやがる。やれやれ、だな。確かにこのまま固まっていてもしゃーないか。俺はため息をついて、ひとまず動きだそうと顔を上げる。

 そこで、アニスの様子に気付く。

「うわぁっ……」

 ボロ雑巾のように地面に転がるピンク色の物体が視界に飛び込んだ。よくよく目を凝らしてみると、それは地面に崩れ落ちたアニスの姿だった。

「……な、なんつぅーか、頭から煙がでるぐらい落ち込んでるな、アニスのやつ」
「そ、そうね。大丈夫かしら……?」

 煤けた顔でうなだれ落ちたアニスに、俺とティアはひそひそと言葉を交わし合った。

 いや、なにを大げさなと思うかもしれないが、実際問題、目の前で本気で燃え尽きたように地面に倒れ伏す人間を目にしたら、誰だって動揺するはずだ。

 しかし、なんだか可哀相なのを通りすぎて、むしろ滑稽な領域にまで片足を突っ込んでいるような気がしてならない。

「まあ……そのうち立ち直るか」

 あっさりと割り切って、歩きだそうとした俺に向けて、ガイが引きつった顔で呻く。

「け、結構アニスに対してキツイな、ルーク」
「ん、そうかぁ?」

 ガイの指摘は本気で意外だった。俺は腕を組んで、少し考えてみることにする。

 確かにちょっと扱いがおざなりだったような気がしないでもないが、立ち直れるかどうかは結局の所本人次第だと俺は考えるわけで、慰めの言葉が必要なようなら幾らでもかけてやるが、俺の回りにはそんなやわな連中居なかった。そんなわけで、他の連中に対しても同じ態度を取ることになるわけだ。

 しかし、やっぱアニスの年齢を考えると、もうちょっと労ってやるべきだったのだろうかね?

 ちょっと反省しながら、さらに考えを深める。しかし、それを言い出すと俺なんてまだ七歳なんだ、が……って、うっ。嫌な事実に気付いたな。もしかして、このパーティで最年少って、俺なのか? 

 なんか、激しくショックだ……。

 巡り巡って行き着いた考えに、アニス同様落ち込み始めた俺の様子に、皆が不可解そうな視線向ける。

 俺は慌てて立ち上がって、ぶんぶん頭を振って気分を切り換える。

「ま、まあ、ともかくさっさと移動し」

 脳髄が、掻き乱される。

 いたい。

「がぁ、あぁ、あっ──……!?」

 いたいいたいいたいいたいっ。

 頭を押さえ転げ回る。地面に指を突きたて掻きむしる。途切れ途切れ漏れ出た叫びがさらに痛みを助長する。尋常でない俺の様子に、皆が慌てて駆け寄り、言葉を掛ける。

「──」
「────っ」

 しかし痛みに意識を取られた俺には、誰の言葉も耳に入らない。ひたすら頭を押さえ、頭痛に耐える。

 くそ、がぁっ! なんっ……なんだっ、今回の、痛みはっ!? 尋……常じゃ、ねぇぞっ!!

 転げ回ると同時に、地面に荷物がばらまかれる。俺は荷物の中に倒れ伏し、両手を掻き乱しながら、痛みに耐える。永遠に止むことなく、この痛みが続くのかと思われた──そのとき。

 ──……いっ……。……える……か。聞こえるか、能無し!

 ノイズ混じりの声が頭の中に響いた。同時に、痛みが嘘のように引いていくのがわかる。

「あ……アッシュ、なの、か?」

 徐々に意識が正常に戻る。頭を振りながら、俺はなんとか呼び掛けに応じることができた。

 ──……。今回は届いたか。どういうことだ……? まあいい。これからオアシスまで来い。

「って、待てよ! おいっ! それだけかよっ!?」

 一方的に言い放つと、アッシュの意識は既に消えているのがわかった。

 な、なんて勝手なっ! 人がどんだけの苦痛に襲われたと思って居やがるよ!? 

 一人憤慨していると、皆が心配そうに俺の様子を伺っていることに気付く。

 ……あ、そうか。あいつの声は俺にしか聞こえないんだったか。

 ちょっとバツが悪いのを感じながら、俺は口を開く。

「あー……あれだ、アッシュから伝言だった」

「アッシュからですって!? アッシュは、アッシュはいったいなんと?」

 焦燥した様子で詰め寄ってくるナタリアの剣幕に、俺は少し複雑な気持ちを抱きながら答える。

「オアシスで待つってさ。用件も言わずに、それだけ言って切りやがった。いったいなんだってんだろな?」

 わけがわからんと、俺は頭を掻こうと腕を上げた所で、自分が腕になにかを握っていることに気付く。どうやら痛みに耐えかねて転げ回っている内に、無意識のまま掴んでいたようだな。

 俺は苦笑しながら、腕の先に視線を向ける。

 杖が、静かに鼓動していた。

「……」

 なにか、言いようの無い不安が俺の胸を過る。なぜ、この杖が俺の手の中にある。確かに、地面にあれだけ荷物が散乱していれば、痛みに耐えかねた俺が偶然この杖を手にとることもあるかもしれない。

 ──本当に、偶然?

 無言のまま顔を強張らせている俺に、ガイのやつがちょいちょいと俺の腕を引っ張って来る。

 うるさいなぁと思いながらガイに視線を合わせると、なぜか青い顔したガイが周囲を示し、ちょっと見てみろと必死に促している。

 なんだなんだ? 怪訝に思いながら顔を上げ──気付く。

 周囲に、幾人ものケセドニアの人たちが集まって、コワゴワと俺の様子を遠巻きに見つめていました。呆気に取られながら周囲に視線を巡らせてみると、俺と視線があった人たちがひっと呻いて一斉に後退る。

 ……さて、俺のした行動を、よくよく思い返してみようか。

 突然、頭を押さえて絶叫。転げ回って、七転八倒。地面を掻きむしって、うめき声を上げる。虚空を見据えて、やばい瞳でぶつぶつと呟く。動きを止めて、手の中の杖を凝視。

 なんか、今の俺って……完全に危ない人?

「し、失礼しました──っ!」

 俺とガイは慌てて地面にばらまかれた荷物をかき集めると、その場から逃げ出すのであった。

 ちなみに、ガイ以外の連中は既に退避ずみだったというオチ付きだったりする。

 ミュウとコライガにまで見捨てられて、なにげにショックがデカかった。ううっ……。




               * * *




 なにはともあれ、その後場所を移して、再度皆で検討し合った結果、アッシュの呼び出しが罠である可能性は低いって結論が出た。そんなわけで、ひとまずオアシスまで向かってみることになった。

 途中アニスは随分と落ち込んでる様子だったが、オアシスが近づくにつれ、普段の表情を取り戻し始めた。傍目にもそれが空元気だってのはわかったが、外的な振る舞いに内面もかなりの部分影響されるもんだ。このまま、なんとか立ち直ってくれるといいだけどな。

 時折アニスの様子を伺いながら、俺はそんなことを考えていた。

 ちなみに、ナタリアはどうしたかというと、終始険しい表情で、アッシュと再会することについて、考え込んでいる様子だ。しかし、そこには隠しようのない、ある種の期待も見て取れた。

 ……なんというか俺としても、いろいろと複雑なもんがあるね。

 やれやれと首を回し、砂漠を歩くことに集中する。

 砂漠を強行軍で突き進み、すぐにオアシスまで到着。俺達はそのままアッシュの指定した譜石の突き立った場所に向かい、あいつの姿を目にする。

 そよ風に揺らぐ水面を見下ろしながら、アッシュは一人、その場に佇んでいた。

「……来たか」

 俺達の気配を察して振り返ると、アッシュはナタリアに視線を合わせる。

「……」
「……」

 沈黙が続く。

 無言のまま見つめ合う二人に、なんだかしらんが……こう、イラっと来るもんがあるな。

 苛立ちに耐えること数分、まだ二人は見つめ合っている。イライライラ。

「だぁ──っ!」

 とうとう俺は堪えきれなくなって、叫んだ。

「いつまで熱く見つめ合ってんだよ、二人とも! なんか用件があるならさっさと言え、アッシュ!」

「だ、誰がいつ、熱く見つめ合った!? 俺が視線を向けてる方向に偶然ナタリアが居ただけだっ!」

 ……なんか、とんでもないこと口走ってやがるよ。

「うわぁ……ほんきで言ってるのかな、アッシュ」
「さすがに、そいつは苦しいだろう……」
「どうにもルークと酷似した反応ですね。ルークのオリジナルとは言え、育った環境が異なれば性格も異なるはずなのですが。なかなか興味深い」

 次々と論評する周囲の言葉に耐えかねてか、アッシュが乱暴に告げる。

「と、ともかくだ。能無し」
「……あんだよ?」

 なんだかアホらしくなりながら顔を上げた俺に、アッシュが真剣な表情になって低い声でつぶやく。

「……王都での一件は、俺も聞いている」

 アッシュの言葉に、ナタリアがびくりと反応するのがわかった。

「……そうか」

 話題が話題なだけに、俺も気を引き締めて相手に臨む。

 身構えた俺に向けて、続けてアッシュが告げる。

「ナタリアに何かあったら、殺すぞ」

 一瞬、場をなんとも言えぬ微妙な空気が席巻する。

 俺は片手で額を押さえながら、もう一方の手で顔を扇ぐ。

「……あーはいはい。言われなくてもわかってますよ。まったくお熱いことで結構だな」
「なっ!? ち、違うっ!」

 狼狽するアッシュ。ぼっと全身を赤く染めるナタリア。そんな二人の様子を見ていると、ナタリアをどうやって慰めたらいいものか、ケセドニアまでの道中ずっと考え込んでいたのが馬鹿らしくなってくるよなぁ……。

 もう、用事があるならあるで、さっさとすましてくれや。

 かなり本気でそんなことを思いながら、アッシュが落ち着くのを待って、投げやりに用件を尋ねる。

「そんで、他には何かあんのか?」
「……声は聞こえるか?」
「いや、やっぱりアクゼリュス以降、なんもないぜ」
「そうか」
「って、おいおい! どこ行くよ?」

 お決まりとなったやり取りの後、即座に身を翻し去っていこうとするアッシュを慌てて呼び止める。

 不愉快そうに立ち止まったアッシュに、ジェイドも少し呆れ顔で肩を竦めてみせる。

「やれやれ。私達もいろいろと忙しいのですがね。本当にそれしか用事は無かったのですか?」

 皮肉げに尋ねた大佐に、アッシュが苛立たしげに表情をしかめ、大佐の顔を睨み付ける。

 火花を散らす二人に、俺はげんなりと視線を向ける。なんだかなぁ……この二人って、けっこう相性悪いのか? 俺はいろいろと疲れるのを感じながら二人の様子を観察する。今にも剣を抜き放ちそうなアッシュに対して、大佐は余裕そのものといった感じだ。

 ん? 剣……あ、忘れてた。俺はアッシュに尋ねようと思っていた質問があったのを思い出す。

「アッシュ、お前が持ってるその剣って、ローレライの鍵じゃないのか?」

 ぴくりと眉を上げ、アッシュが意外そうな面持ちで振り返る。

「……どこで知った?」
「ってことは、やっぱそうだったのか。ユリアシティでテオドーロ市長から鍵について聞いたぜ。セフィロトを自在に操る力があるとかって言ってたけど、実際の所はどうなんだ?」

 後半は真剣な表情で問いかける俺に、アッシュが剣を抜き放ち、虚空に掲げる。

「仮にそうした力を秘めているにしろ、今は無理だろうな。奴の声はもはや一切聞こえない」
「奴の声? それって……前も気にかけてた、あの頭痛をばらまきやがる声のことだよな? いったいあの声って、結局何なんだ? 何か知ってるのか、アッシュ?」

 長い間、俺を悩ませてきた声について、何かわかるかもしれない。期待に思わず矢継ぎ早に質問を重ねてしまう。そんな俺に対して、アッシュは少し沈黙を挟んだ後で、口を開く。

「俺も半信半疑だが……あの声は、自分がローレライだと名乗っていた」

『っ!?』

 驚愕の事実に、皆が言葉を無くす。必死にその意味するところを理解しようとつとめる。そんな周囲の反応を伺い、アッシュがさらに言葉を続ける。

「ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す……この一節を覚えているか?」
「……ああ。確か、俺達について詠まれたスコアだったか?」
「そうだ。あれは俺達がローレライの完全同位体であることを指しているらしい」

 もっとも俺も半信半疑ではあるがな、とアッシュは最後に付け加えた。

「ローレライの声とは驚きましたね……しかし、第七音素の集合意識体の存在は未だ確認されていないはずでしたが……」
「俺にも真偽の程はわからん。あいつに確認しようにも、アクゼリュスの崩落以降、まったく声が届かなくなったからな」

 忌ま忌ましそうに吐き捨てるアッシュの言葉で、俺はアッシュのやつがどうして声の存在をあれ程までに気にしていたのか、ようやく理解できた。ローレライなんていう切り札になり得る存在が、突然なんの反応も返さなくなったんだ。確かに、気にするなって方が無理な話だよな。

「なるほどな。……しかし、やっぱ鍵を使うのは無理そうか。ならジェイドの案を試してみるしかないかね」
「そうですね。鍵の効力をこの目にできないのは残念ですが、致し方ありません」
「なんの話だ?」

 俺達の会話に、アッシュが不可解そうな視線を向けた。俺は皆を見回して、とりあえずアッシュには知らせておいても大丈夫だろうか確認する。皆も特に止める様子はなかったので、俺と大佐は今後俺達がどう動くつもりか、アッシュに伝えておくことにする。

「実は致命的な崩落を防ぐ方策を探しててな。一個はローレライの鍵に行き着いたんだけど、そっちは無理だって話だろ? だから、ジェイドが一つ対策を考えたんだ。セフィロトの吹き上げを利用して、戦場を安全に降下させられないだろうかってな」

「……」

 終始無言のまま話を聞いていたアッシュだったが、俺が説明を終えた後も何の反応も無い。聞き終わった後ぐらいは何か反応を返して欲しいもんだがね。

「ただ、シュレーの丘まで戻るのが間に合うかどうか、少し微妙なところですがね」

 ジェイドがアッシュの反応にやれやれと肩を竦めながら付け加えると同時に、アッシュが口を開く。

「なら、ザオ遺跡に向かえばいい」

 へ? なんで、そこでザオ遺跡が出てくるんだ?

 理解できない話の展開に、俺達は顔を見合せた。大佐が代表になってアッシュに尋ねる。

「どういうことです?」
「そもそもセフィロトは星の内部で繋がっているからな。当然、パッセージリング同士も繋がっている。リングは普段、休眠しているが、起動さえさせれば、遠くのリングから別のリングを操作できる。お前達が既にシュレーの丘のパッセージリングを起動させているなら、ザオ遺跡からも操作可能なはずだ」

 淡々と語るアッシュの言葉に、嘘を言ってるような気配は無い。

「これは……なるほど。確かにパッセージリングの性質上、ありそうな話ですね。思いついてもよさそうだったというのに……いささか私も焦っていたようです」

 ジェイドが迂闊だったと呻いた後で、すぐに怪訝そうな表情になる。

「しかし、いったいどこでそんな知識を……?」
「……ヴァンの奴が言っていたことだ」

 わずかに顔をしかめ吐き捨てると、アッシュは忌ま忌ましそうに舌打ちした。

「ともかく、それならザオ遺跡に向かえ。本来なら俺が向かう予定だったが、貴様らに任せておけば大丈夫だろう」
「向かう予定だったってどういうことだ?」

 俺の問い掛けにアッシュは表情を引き締める。

「……六神将の一人が、ザオ遺跡に向かったという情報を耳にした」
「六神将が……ザオ遺跡に? いったいまたなんで?」
「ふん。俺が知るかよ。ともかく、お前らは降下作業に専念するんだな」

 あくまで俺に対しては硬い態度を返すアッシュに、俺は少し躊躇いがちに尋ねる。

「アッシュ……お前も、一緒に来ないか?」

 ナタリアの傍に居てやってくれないか。言下に示した意味を察してか、アッシュが不愉快そうに顔を歪める。

「……お前らと馴れ合うつもりは無い」

 硬い声音で俺の申し出を切って捨てると、アッシュは俺達に背を向け歩きだす。

「アッシュ! どこへ行くのですか」

「俺はヴァンの動向を探る。奴が次にどこを落とすつもりなのか、知っておく必要があるだろう。……ま、お前たちが大陸を上手く降ろせないようなら、それも意味が無くなるかもしれないがな」

 皮肉げに放たれた言葉にも、ナタリアは真摯な表情で頷き返す。

「約束しますわ。ちゃんと降ろす……そう誓いますわ」
「指切りでもするのか? ……馬鹿馬鹿しいな」

 ナタリアから顔を背けると、アッシュはどこか遠くを見据えた。

「世の中に、絶対なんて無い。だから俺はあのときも……」
「アッシュ……」

 言葉を途中で飲み込み、アッシュはナタリアに視線を止めた。交錯する視線はしばしの逡巡の後、アッシュの方から一方的に断ち切られた。

「……俺は行くぞ。お前らもグズグズするな」

 再び背を向け歩きだしたアッシュの背中を、ナタリアはいつまでも見つめている。

 ……やっぱ、アッシュが好きなんだな。

 俺は密かにため息をついた。ずっと俺の一番近く居た女の子が、真にその気持ちを向ける相手が誰だったのか改めて思い知らされ、気分が自分でも知らぬうちに沈むのを感じる。

 しかし、そんな俺をティアが複雑そうな面持ちで見据えていることには、まったく気付かなかった。

「……なんだか、いろいろと複雑な事になってるなぁ」
「……ですね。いやぁ、若いっていいですね」
「……なんて言うかぁ~、わたし達三人だけ、蚊帳の外って感じ?」

 ひそひそと言葉を交わしながら、三人は俺達に生暖かい視線を送るのだった。




               * * *




「パッセ~ジリング~♪ パッセ~ジリング~♪」

 はな歌を口ずさみながらアニスがスキップしている。

「まったく……緊張感が皆無ですわね」
「はは、いいじゃないか。元気があってさ」
「アニスらしいっちゃらしいけど……ありゃさすがにないよな」

 一度通った道ということで、全体的に緊張感に欠けたままザオ遺跡を進む。

 最初はティアやガイ達が罠の可能性もあるんじゃないかと心配していたが、ナタリアがそれを否定した。最終的には、大佐が渡された情報の信憑性が高いと保証し、罠なら六神将が居る可能性を諭したりはしないだろうと締めくくり、結局ザオ遺跡に向かうことで落ち着いた。

「しかし、六神将か。奴らいったい、何をしてるんだろうな?」
「そうね……考えられそうなのは、やはりケセドニアの崩落かしら」

 ティアの推測に、俺はさらに気分が暗くなる。
 確かに六神将がパッセージリングへ向かったと聞けば、今までの経緯を考える限り、崩落以外に考えられないか。

「ほんと、やっかいな事態になっちゃいましたね~」
「だな。だが考えようによっては、むしろよかったのかもな。アッシュから情報が入らなかったら、そのままケセドニアの崩落を見過ごしてたかもしれない」
「確かにそうですわね。六神将がなにを企んでいるのかわかりませんけど、絶対に阻止しましょう」

 俺達は少し気分が急かされるのを感じながら、幾分早足で遺跡を進む。
 かつてイオンを救出したセフィロト前の空間まで行き着いたところで、俺達は異様な光景を目にする。

「こいつは……?」

 巨大な蠍のような魔物の死骸がそこにあった。

「……一撃で殺されています。音素乖離を起こしていない以上、これをなした相手も、そう離れた位置にはいないでしょうね」

 直ぐ其処に六神将が居る。

 俺達は顔を見合せ、気を引き締める。
 いつでも戦闘に移れる体制のまま、俺達はセフィロト内部に足を踏み入れた。

 当時の最新技術をもって建設されたセフィロトを歩く。
 徐々に口数も少なくなって行く。それぞれが予感していた。この先に待ち受ける闘争を──


 そのままさらに進み、とうとうパッセージリングと上下に交錯した通路にまで行き着いた。
 高架のような不安定な足場から見下ろす先に、緩やかな音素の光を立ち昇らせるパッセージリングが存在する。

 パッセージリングに歩み寄る巨漢の姿があった。

「……六神将、ラルゴ」

 見下ろす俺達の存在には気付いていないのか、ラルゴはそのままパッセージリングに悠然と歩み寄る。
 その腕には血に濡れたような紅い刀身をギラつかせる槍が握られていた。

「あれは……マクガヴァン邸でディストが奪っていった槍か?」
「そのようですね……いったいなにを……?」

 不審そうに俺達が見下ろす先で、ラルゴは手にした槍を掲げ上げると──

 パッセージリングに、突き刺した。

『なっ!?』

 息を飲む仲間達の中で、俺を一際強い動揺が襲う。

 あれは……アクゼリュスで、ヴァンのやつがやっていたのと同じ行動だ。

 そう思い至ると同時──再びあの絶叫が、俺の脳髄を掻き乱す。


 ──ぐぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ……──


 額を押さえ頭痛に耐えながら、俺は地面に倒れ伏しそうになるのを必死で堪える。

 くっ……本気で何なんだ、この声は……っ!

 少しの間耐えていると、やはり以前のように、頭痛はすぐに収まった。視界の端で、ラルゴがパッセージリングから槍を抜き放つのが見える。

 ラルゴの視線が、俺達を射抜く。

 やや驚いたように目を見開くと、次いで口元をわずかに吊り上げ、ラルゴは槍の穂先をパッセージリングに至る直前の部屋に向けた。
 俺達に顎先で促すと、その巨躯を揺らしながら、悠然とその先に消える。

 この先の部屋で待つってことか? 

「どうやら、戦闘は避けられそうにないですね。しかし、あれがイオン様の言っていた……?」
「……ああ。アクゼリュスで、ヴァンがパッセージリングにやってたことと全く同じ行為だ」

 しかし、どういうことだ? 六神将がパッセージリングに干渉してるのか? ヴァン師匠だけじゃなかったのか?

 無数の疑問が沸き立つ。解答を求めるがそれらしいものは見えて来ない
 。唯一浮び上がったのは、こじつけとも取れる強引なものだった。
 ガイ達が以前、ベルケンドの研究所で手に入れた情報。
 地核から過剰なまでの量の記憶粒子を抽出するとか言っていたか……。

 六神将の意図を測りかね、黙り込んでしまった俺に向けて、ティアもまた同じ事に思い至ってか、静かに先を促す。

「……急ぎましょう。パッセージリングに、なにか影響があるかもしれない」
「だな。しかし、相手はラルゴ一人だ。今回も何とかなるだろ。なぁルークよ」
「ん? まあ、確かにな。以前もシンクとラルゴの二人を相手にしても、なんとか勝てたし」
「だよねぇ♪ もしかして、けっこう楽勝?」

 気楽に言葉を交わし合う俺達の様子を横目に、大佐が渋い顔になってつぶやく。

「……はたして、そう上手く行きますかね」
「ん? なにを心配してるんだ、大佐さんよ?」

 ジェイドの危惧がよく理解できないと尋ねるガイに、ジェイドが重々しく口を開く。

「いえ……ただ、ラルゴが一人でありながら、ああも挑発的な態度を取ったのです。今回は相応の自信があるものと見ていいでしょう。私達も、少し気を引き締めて臨んだ方がいい」

 眼鏡を押し上げ、表情を覆い隠しながらジェイドは俺達を諫めた。

 む。確かに、ちょっと軽率だったか。

 大佐の言葉に諭され、俺達は少し気を引き締めて、顔を見合わせる。

「まあ、だからといって尻込みしてても仕方ない。さっさと行こうぜ」

 なるべく気楽な感じを装って、皆に声を掛ける。
 こうして俺達は六神将が一人、黒獅子ラルゴの待ち構える場所へ向けて、その足を踏み出した。




               * * *




 セフィロト特有の仄かな光を放つ壁に囲まれた部屋の中心。そこにラルゴは佇んでいた。
 地面に槍を突きたて、両腕を組んだ体勢のまま、一人瞑目している。

「……よもやこの地で、再びお前達とまみえる事になるとはな」

 戦闘の予感に武人としての本能が刺激されてか、ラルゴの声は低く抑えられながも、確かな喜悦が滲み出てでいた。

「だが、それも今は感謝しよう。ここであれば天井が抜ける心配は無い。この俺も全力でお前達と──死合えるというものだ」

 肌が、泡立つ。

 放たれた闘気が物理的な圧迫感を持って俺達を射抜き、空気が打ち震える。

 ようやく、俺達も大佐の危惧を理解できた。目の前に立つ相手は、これまでと比べ物にならない程、その存在感を増している。あのまま浮ついた気分でこの闘気に晒されたら、気押されていただろう。

「……ラルゴ、お前はここで何をしてたんだ?」

 戦闘に突入する前に、これが最後の機会と思って、俺は一応問いかけてみる。

 昂る気持ちに水を挿されたと思ってか、ラルゴが不快そうに一瞬表情をしかめた。しかし、すぐに神妙な顔になって顎を押さえる。

「ふん。何も知らぬ身でありながら、ここに辿り着いたか。……いや、それもまた世界の定めというやつか……忌ま忌ましい……」
「は? どういう意味だ?」
「……お前らには所詮、理解できぬ理だ。そして、知る必要も無い」

 煩わしそうに俺の問い掛けを拒絶すると、虚空に槍を掲げる。

「──総長、あまりに手応えが無いようなら、そのまま仕留めてしまってもよろしいですな?」

 ……なにを言ってるんだ? 不可解なラルゴの言動に困惑する俺達の脳裏に──その声は届いた。


 ────許可しよう────


 虚空から届いた声は、俺達の脳裏に直接囁かれた。
 同時に俺の背中に吊るされた道具袋の中で、杖が一瞬鼓動を刻むのを感じる。

 理解できない現象にぎょっとする俺達を余所に、ラルゴが壮絶な笑みを浮かべる。

「ふ、ふはははっ! 許しは出た。ならば存分に死合おうぞ。俺は六神将が一角、黒獅子ラルゴ──」

 高らかに名乗り上げると同時に、握られた槍が一閃される。




 焔が、視界を染め上げる。




 無造作に振るわれた槍の軌跡を灼熱の息吹が蹂躙する。
 放たれた熱波が空気を嘗め尽くし、圧倒的な熱量が一瞬で遺跡内部を支配する。
 猛り狂う焔の存在に息を飲む俺達に向けて、ラルゴは口元を吊り上げた。


「第五音素が権能を簒奪せし響奏器──火槍ブラッドペインが力、お前らで試させて貰おうか」


 暴虐なる焔の担い手は壮絶な笑みを浮かべると───

 紅蓮に染まりし槍を、俺達に向け振り下ろした。







[2045] 4-8 紅蓮の焔 ─クインテット─
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 22:59
「燃えろぉぉ──っ!」

 ラルゴの雄叫びとともに、焔を帯びた槍が振り下ろされた。
 渦を巻く熱波が槍の穂先を中心に凝縮され、形成されし灼熱の刃が巨大な切っ先となって視界を染め上げる。

 目を逸らす事すらできず、俺達は熱波に飲み込まれた。


 吹き付ける熱風が全身を焼く。膨大な熱量を伴った一撃に、俺は吹き飛ばされる。
数度地面を転がり衝撃を逃すも、完全に技の威力を消すことはできなかったようだ。

 ぐっ……なんて威力だよ。俺は片膝をついて呻き声を上げる。

「癒しの力よ──ファーストエイド!」

 詠唱と同時に、俺の身体を治癒の譜術特有の柔らかい音素の光が包み込む。
 失われた体力が回復するのを感じながら、俺は立ち上がって言葉短く感謝の言葉を告げる。

「……すまねぇな、ティア」
「大丈夫、ルーク? ……それにしても、なんて威力なの……」

 ラルゴを見据え、ティアが畏怖の呻きを洩らした。

 逆巻く焔を全身にまとわせたラルゴが槍を振り回す。
 それに対して、ガイが刀身に風を纏わせながら、辛うじて熱波の到来を防ぎ、ラルゴの猛攻をしのぎ続けている。

 合間合間でアニスが巨大化させた人形から拳をくり出し、ナタリアの弓が二人の入れ代わる際に出来る隙を上手い事補っている。
 相手に反撃のすきを与えない三人の連係は俺から見ても完璧だった。
 これが普通の相手なら、三人に圧倒され、討ち取られるしか無いだろう。


 しかし、この相手は普通ではなかった。


 ラルゴの全身を覆い尽くす焔が陽炎のように揺らめく。
 三人の攻撃はラルゴの身体に直撃する寸前で、すべて焔に弾き返された。

「……いったい、なんなんだ、ありゃ?」

 あまりにも常軌を逸した光景に、俺は戦闘中だと言うことも忘れ、目の前の光景に見入られたように立ち尽くしちまう。

「第五音素……確か、そう言っていたわね」

 ティアが呟きながら、大佐に視線を移す。
 それにジェイドが頷きを返し、高速で詠唱を始める。

 ぶつかり合う武器が火花を散らす。
 ガイとアニスが絶望的な攻防を繰り広げる中、大佐が二人に短く呼び掛ける。


「アニス、ガイっ!」


 小さく頷き返し、二人が大きく後方に飛び退くと同時に──大佐の詠唱が完成する。

「荒れ狂う流れよ──スプラッシュッ!」

 大地より噴き出した四本の水の柱が、荒れ狂う激流となり、ラルゴを押しつぶそうと迫る。

 ガイ達二人に気を取られていたラルゴは、意識の間隙をつかれた形となった。
 硬直した身体を動かすこともできず、譜術がラルゴに直撃──――

「――小賢しいわっ!」

 ラルゴが槍を片手で回転させ刺突の構えを取る。焔を巻き上げながら、槍は回転の勢いもそのままに、無造作に振り抜かれた。

 槍の穂先と譜術がぶつかり合い──空間が爆砕する。

 ジュウゥ…………────

 視界に蒸気が立ち込め、一瞬で蒸発した水と焔の激突に、発生した衝撃波が俺達を打つ。
 荒れ狂う熱風に一瞬瞳が閉じられ、再び開いた視界の先に映ったのは──――

 何事も無かったかのように、悠然と佇む、黒獅子の姿だった。


「……対となる属性に目をつけたのは、さすがと言っておこう。だが、その程度の水芸でやられてやるつもりは無いぞ?」

 コキコキと首を鳴らし、ラルゴは口元を吊り上げ──笑った。

 ゾッとする。

 あらゆる戦闘の狂気を是としながら、理性的に人を殺す術を磨き上げた〝怪物〟がそこに居た。


「今度はこちらから行かせて貰おうか──本気で行くぞっ!」


 ラルゴが槍を構え、大きく腰を落とす。
 ラルゴの周囲を渦巻く焔が、高まる闘気に引きずられるようにして、凄まじい勢いで燃え上がる。
 あまりにも圧倒的な熱量に耐えかねて、空間が膨張したかのように視界が揺らぐ。


「業火に飲まれろっ!」
「まずい──これはっ! 障壁を──」


 大佐の警告も虚しく、ラルゴの手に握られた槍が真紅の輝きに染まり上がる。


《──紅蓮》


 ラルゴの雄叫びが俺達の耳をうち、槍が、振り抜かれる。


《────旋・衝・嵐っ!!》




 紅蓮の焔が、すべてを喰らい尽くした。






                * * *




 朦朧とする意識の中で、俺はなんとか身体を引き起こす。

 って、ぐぉぉお……せ、背中がヤバイぐらい痛む。
 引きつったような痛みを絶え間なく訴える背中に、俺は両手をわななかせながらプルプルと全身を震わせる。

 こりゃ……ズタズタだな。まったく、しくったぜ。

 首を巡らせて見やった背中は、焔に炙られ見るも無残な状態だった。
 やっぱり、咄嗟に一番近くにいたティアとか、ミュウやコライガを庇っちまったせいだろうな。

 俺は腕の中で気絶している彼女と二匹の小動物達に視線を落とす。
 まあ、咄嗟の判断だっとは言え、ティアがなんとか無事なようだから、まだマシな状況だろう。
 そう楽観的な判断を下す。回復役がいなくなったら、もう本気でどうしょうもなくなるからな。

 腕の中で気絶しているティアと小動物二匹をそっと地面に横たえる。
 俺は現在の状況を判断しようと、周囲に視線を巡らせる。


 くっ……やっぱり、最悪な状況だな。


 咄嗟に障壁を張ったジェイド以外の皆が、それぞれ床に倒れ伏し、気絶しているのがわかった。
 この惨状を作り出したラルゴは、槍を振り抜いた体勢のまま、哄笑を上げている。


「ふはははっ! 凄まじい! 凄まじいぞ、この力はっ!! 残るはお前か、ネクロマンサーッ!!」


 叫びと共に、轟と唸りを上げる焔の渦が、ラルゴを中心に荒れ狂う。


「くっ……仕方ありません。こちらも本気で行きますよ!」


 ジェイドが其の手に握る槍に音素を集束させ、打ち掛かるラルゴの槍を弾き返す。
 打ち合う二人の武器が接触するたびに、衝撃と閃光が視界を染め上げる。
 ジェイドの握られた槍には第三音素が集束されているのか、ラルゴの槍とぶつかり合う度に、周囲に雷鳴が轟く。

 焔と雷の乱舞に、俺は息を飲んで目を奪われる。
 普段前衛は俺達に任せて、後衛に回りがちだったが……ジェイドのやつ、こんなに強かったのかよ。


「面白い! 奏器に抗するかっ! もっとだ! もっと俺を楽しませろっ! ネクロマンサーッ!!」
「あなたを楽しませるなど、御免被ります──ねっ!!」

 哄笑するラルゴに、ジェイドが苦々しげに答える。凄まじい速度で槍がぶつかり合う。


「……いったい、どうする?」

 ジェイドの様子を見る限り、あの状態を維持するのもそう長く続かなそうだ。
 何らかの策を打つ必要があるんだが……俺にできるのか?
 いつもは冷静に戦局を見据え、打開策を打ち出すのはジェイドの役目だった。
 しかし、今の大佐はラルゴの執拗な攻めを受け、それに対処するので手一杯だ。
 策を考えるような余裕はさすがに無いだろう。

 そして、残された俺も先程の喰らった攻撃のおかげで、瀕死の一歩手前の状態だ。
 こんな状況をひっくり返せるような策が、本当にあるっていうのか……?

「うっ……」

 目まぐるしく打開策を考え続けていると、意識を取り戻したティアが微かにうめき声を洩らした。

「ルーク? 戦況は、どうなってるの……?」
「気付いたか、ティア……」

 上体を起こす彼女に、俺はジェイドとラルゴの二人を指し示す。

 ジェイドが凄まじい速度で詠唱を詠み上げながら、槍をさばき続ける。
 紫電をまとった大佐の槍はラルゴの放つ焔になんとか対抗しているようだが、僅かに息を上がらせ始めた大佐に対して、ラルゴは一切疲労した様子も見せず、猛り狂う焔を操り、攻め続けている。

「……なんとかジェイドが対抗してるが、あのままじゃ、やばいだろうな」

 フォン・スロットに音素を取り込み、譜による制御を通して音素を操っているジェイドに対して、ラルゴのやつはなんとも呆れ果てたことに、ただ武器を振るうだけで焔を呼び起こしている。持久戦になったら、圧倒的量の音素を無尽蔵に行使するラルゴに対して、ジェイドに勝ち目は薄い。

 だが加勢しようにも、ガイもアニスもナタリアも、さっきの一撃で気絶しちまってる。まだ俺とティアが居ることには居るが、一撃でも攻撃が掠めればお陀仏しかねない状態だ。

「……ルーク、私に一つ考えがあるわ」

 厳しい顔で黙り込んだ俺に向けて、起き上がったティアが杖を構える。

「今から一つ試してみる。実戦で使うのは初めてだけど、成功すれば……」

 言葉の先を飲み込み、ティアが深く深く息を吸い込む。

 ──ヴァ──レィ──ズェ──トゥエ──ネゥ──

 美しい旋律が、周囲に響く。

 ティアを中心に淡い光を放つ音素が寄り集まり、譜陣が足元に展開される。

 ──トゥエ──リョ──トゥエ──クロァ──

 そして譜歌が完成した。

 ティアの足元に展開された譜陣が、急速に拡大し──戦場を駆け抜ける。

「これは……っ!」
「ぬっ……!?」

 ラルゴと大佐が目の前の光景に息を飲む。

 深緑の音素の光が、譜陣の駆け抜けた後を舞い上がる。幻想的な光景が広がる中、虚空に躍り出た音素が俺達の身体に吸い込まれて行く。

「力が……?」

 瀕死一歩手前にあったはずの身体に力が満ちる。いや、むしろこれは、普段よりも確実に身体能力が向上している……?

「壮麗たる天使の歌声……ホーリーソングと呼ばれる、第三譜歌の力よ」

 杖に寄り掛かったティアが、息を切らせながら小さくつぶやき、身体をよろめかせた。

「って、おいっ!? ……大丈夫か?」
「……少し、動けそうにないわ。ごめんなさい……私、情けないわね」
「いや、これだけでも十分過ぎるぐらいだぜ。後は俺達に任せて、休んでてくれ」

 安心しろと笑いかけると、ティアは小さく頷き、その場に膝を落として気絶した。

 まったく、無理しやがって……本当に、頭が下がるよ。

 だが、この機を絶対に無駄にはしねぇぜ!

 俺はラルゴに向き直り、剣を構える。深く腰を落とし、フォン・スロットに音素を取り込む。集束させた音素を刀身にまとわせ、気合を高める。

 しかし、まだだ。まだ、飛び掛かるな。まだ、俺は見い出せていない。

 視線の先で、焔が燃え盛る。ラルゴを中心に荒れ狂う焔の渦は、障壁としての役割も果たしているのか、大佐の振るう槍の一撃をすべて弾き返している。デタラメが過ぎるまでに凶悪な力だが──それも完璧ではない。

 向上した身体能力のためか、今の俺には視界の端に映る微細な火の粉に至るまで全てが、鮮明に見通せる。だから、今の俺なら〝それ〟を見抜くのことも可能なはずだ。

 ラルゴを覆う焔の渦に目を凝らせ。意識を集中させろ。僅かに、しかし確実に存在する焔の隙を見い出せ。

 ジェイドがラルゴの猛攻を前にして、ついに体勢を崩す。

「先程の譜陣が何を意味していたのかは知らんが──これで、終わりだぁっ!」

 ラルゴの槍が振り上げられる。槍の穂先に焔が集束し──全身を覆う焔が、僅かに勢いを弱める。

 ──今だっ!!

 俺は戦場を駆け抜ける。限界を超えた速度で疾走する俺の姿を、ラルゴは決して捉えられない。背中の傷が凄まじいまでの痛みを訴えるが、今はすべての痛覚を切り捨て、見い出した隙に集中する。

「──砕け散れっ!」

 一瞬でラルゴの背後に回り込む。相手に反応を許す間すら与えず──拳を放つ。

 《──絶破っ!》

 突き出された腕の先から放たれた凍気が、ラルゴの焔に喰らいつく。

 《────烈氷撃ぃっ!》

 撒き散らされる凍気と焔のぶつかり合いに──ラルゴの身体が吹き飛ばされた。戦闘が始まってから初めて受けた一撃に、ラルゴが自分でも信じられないのか、大きく目を見開くのがわかる。

「ジェイド!」

 俺の呼びかけの意味を察してか、ジェイドが小さく頷き返し、大きく後方に退く。厳かな声音が大佐の口から紡ぎ出され、これまで聞いた事も無いような複雑な詠唱が始まる。

 ジェイドの様子を確認するのはそこで打ち切り、俺はラルゴに向き直る。

「はっ、いつまで調子に乗るなよ、黒豚野郎がっ! 今度は、俺が相手になるぜっ!」

 啖呵を切る俺に向けて、呆然と膝をついていたラルゴが憤怒にその表情を歪める。

「貴様こそ調子に乗るなよ──小僧がっ!」

 焔がさらに勢いを増し燃え上がり、炎を帯びた槍が突き出された。
 俺は今にも腰が退けそうになる弱気を必死に捩じ伏せ、相手を静かに見据える。
 迫り来る槍を見据える。半身をずらし一歩を踏み込む。
 身体をラルゴの脇に捩じり込ませ剣を地面に突き立てる。

「凍り尽くせ!」

 耳元を掠める炎槍から、押し寄せる熱波を感じながら、俺は集束させた音素を──解き放つ。

《──守護》

 突きたてた剣を中心に展開された譜陣が、どこまでも澄みきった蒼一色に染まる。

《────氷槍陣!》

 譜陣を中心に荒れ狂う氷槍の乱舞に、ラルゴの全身が飲み込まれた。

「くっ……おのれ……っ!」

 ラルゴの全身を覆う焔に阻まれ、氷槍は後一歩という所で相手の身体に届かなかった。
 だが、俺の攻撃はこれでいい。すべてはこの後の布石にすぎない。

「ルークっ!」

 ジェイドが短く俺に呼び掛けた。

 これを待っていた! 俺は剣をその場に突き刺したままバックステップ、氷に阻まれ動けないラルゴを見据え、あばよと別れを告げるように、口元を吊り上げる。

「慈悲深き氷霊にて、清冽なる棺に眠れ──」

 ラルゴを中心に猛り狂っていた焔は、俺の一撃を受けた事でその勢いを大きく衰えさせている。
 おまけに、地面から突き出した氷槍に阻まれ、ラルゴは譜術を避けようにも避けられない。
 俺が時間を稼いでいた間、絶えず詠唱され続けていたジェイドの譜術が今こそ解き放たれる。

「──ブリジットコフィン!」

 冷気が、世界を支配する。

 ラルゴを中心に前後左右──あらゆる角度から生み出された氷刃がラルゴの身体を貫き通し、刃に射抜かれ動きを止めたラルゴに向けて、凍気を吹き荒れる。地面がビキビキと音を上げ凍り尽き、急激に霜が広がって行く。


「ぐぁあぁぁあっぁあぁ────…………っ!!」


 全てが終わったとき、視線の先には、四肢を貫かれた状態で凍りついたラルゴの氷像が残されていた。
 しばらくの間、俺達は相手がどんな動きを見せようとも対応できるよう身構え、警戒を続ける。

 額を流れ落ちる汗が地面に雫を作り、数分の時が流れる。


 相手に、もはや動きは無かった。


「ふぅ……やれやれ。いささか疲れましたねぇ」

 ジェイドがようやく警戒を解いて、安堵の息をつく。

「な、何とかなったか……はあ、今度はマジで死ぬかと思ったわぁ」

 ティアの譜歌の後押しが無かったら、正直どうなっていたかわからねぇな、こりゃ。
 全身を覆う疲労感に、俺はそのまま倒れ込みたくなる衝動を必死に堪え、周囲に倒れ伏している仲間達の姿を見やる。

「……なんか、ほぼ全滅に近いもんがあるよな」
「そうですねぇ。しかし、あの猛攻を受けて、一人も死んでいないのですから、私達の悪運も相当なものですよ」
「ま、確かに悪運だけは強いんだろーな」

 裏を返せば、そもそも強敵に遭遇しないですむような幸運に関しては、絶望的だって意味だがな。

 残された俺達は顔を見合せ、苦笑し合った。

「さて、そろそろ皆さんを起こしましょうか」

 ジェイドの声に頷き返し、俺達は重くなった身体を動かす。まだパッセージリングの操作があることを思い出しながら、やれやれと一歩踏み出した──そのときだ。


 ピシリッ────…………


 氷が、砕け散る。


「────舐ぁめるなぁっ!!」

 焔が噴き上がる。氷片が一瞬で蒸発する中、全身から淡い闘気の光を漂わせたラルゴが膨大なまでの音素をその手に握った槍から引きずり出すのがわかる。握られた槍が引き上げられ、その身に取り込まれた音素が──解放される。

「烈火ぁ──衝閃っ!!」

 爆発的な勢いで膨張した焔の塊が俺達を包み込む。油断しきって居た俺達に、その一撃を避けることなどできるはずもなく、俺とジェイドは全身を焔に包まれ、焼きつくされた。

「くっ……」

 ブスブスと全身から煙を立ち上らせ膝を着く俺達二人に、ラルゴがギロリと血走った眼を向ける。

「はぁはぁ……なかなか手こずらせてくれたな。だが、これで終わりだ……」

 槍が持ち上げられる。煌々と燃え上がる焔が俺達を焼き尽くさんとこれまで以上に猛り狂う。

「業火に飲まれろっ!!」

 思わず瞼を閉じる。

《──紅蓮!》

 目の前に迫り来る死の予感に拳を握り、俺は息を詰め衝撃に備える。




 衝撃は、来なかった。




 ……なぶるつもりなのか? 一瞬訝しむが、武人であるラルゴの性格を考える限りその可能性は低い。

 不審に思いながら顔を上げると、そこには槍を突き出した体勢で動きを止めたラルゴの姿があった。

 あれほど荒れ狂っていた焔は、すっかり消え失せている。

 状況が理解できない今、迂闊に動くこともできずに固まる俺達の目の前で、ラルゴが突然その場に崩れ落ちる。

「がはっ……っ!」

 ビシャリと、ラルゴの口から大量の血塊が吐き出された。

 同時に、ラルゴの手に握られた槍から大量の焔が生み出され──ラルゴの全身を包む。

「ぐぉおおおおおおおおおお────っ!!」

 焔に包まれたラルゴが絶叫する。先程までラルゴを守る盾の役割を果たしていた焔が、ラルゴに牙を剥いている。いったいなにが、起こっていやがる……?

「未だ……抵抗するか……っ! 意識の断片如きがぁ──ええぇい、静まれぃっ!!」

 槍が地面に突きたてられた。地面が大きく陥没し、叩きつけられた槍から吹き出る焔が消え失せる。

 ふぅふぅ……──

 ラルゴの荒く息をつく音だけが場に響く中、黒獅子が俺達に一瞥をくれる。

「不覚っ……あと少しという所で……」

 悔しげに呻くラルゴの手で、槍が鼓動を発する。

 ──この場は引くがいい、ラルゴ。やはり調律が必要なようだ──

 響いた声に、ラルゴは忌ま忌ましげに俺達を睨む。

「……承知しました、総長。〝道〟の解放を、願います」

 槍を掲げラルゴが虚空に呼び掛ける。紅い燐光を放ちながら槍が鼓動する。

 ──わかった──

 響いた声と同時、ラルゴの足元を中心に、複雑な譜陣が展開される。

「この場で拾った命、いずれ訪れる最後の時まで、せいぜい有効に使うのだな──……」

 一瞬、ラルゴの視線が倒れ伏したナタリアの方を向いたような気がしたが、それを確かめる間もなく、ラルゴの全身は光に飲み込まれ──この場から消え失せた。

「……今のは?」

 どこかで見た覚えのある現象に首を捻る俺に、大佐が眉をしかめながら答える。

「……おそらく、転送陣の一種でしょう。確かユリアシティに似たようなものがあったはずです」

 ああ、なるほど。確かに見覚えがあるはずだ。ユリアロードと似たような陣ってことか。

「しかし……なんつぅーか、なんでもありだな、連中。あれで奇襲されたら防ぎようがないぜ?」
「さて、ダアトやユリアシティにあるものも、原理が未だ解明しきれていないため、譜術として再現することが絶望視されているわけですが……現時点でも、一応転送する際に、最低限必要となるものはわかっていますからね。奇襲に関しては、あまり心配する必要はないでしょう」

「……何でそんな事が言い切れるんだ?」

「まず転送を媒介する道具が二つの地点に必要となります。そして、何よりこれが重要なのですが──転送先・転送元、双方の合意が必要なんですよ」

 あぁ……なるほどね。つまり、転送しようにも目印がなけりゃあ無理で、仮にあったとしてもこっちが合意しなければ無理だってことか。

「そいつは朗報だよな……ホント、唯一に等しいけどよ……」

 ラルゴの振るった力を思い起こし、俺は引きつった笑いを上げた。

「つつつっ、かぁ……全身がイテェ……」
「ええ、ま、私もさすがに、今回ばかりは限界ですね」

 肩を竦めてまだまだ余裕がありそうな大佐に呆れながら、俺はその場にドサリと腰を下ろす。

「しかし、いったい何なんだろうな、六神将の集めてる響奏器とか言ったか? 厄介な武器だぜ」

 集合意識体を使役するとか言ったか? まあ、あれだけの威力を見れば集めたくなるのもわかるがな。

 俺が内心で考えてることを読み取ってか、大佐が口を開く。

「ええ……集合意識体を利用して放たれる譜術はどれも威力の桁が違う。ラルゴの振るった力も、確かに驚異的なものでしたが……どうも少し引っかかるものを感じますね……」
「第五音素は……イフリートとか言ったか? やっぱ、ラルゴはそれを操ってたのかね?」

 第五音素の集合意識体の名前を口にする俺に、しかしジェイドは首を捻る。

「いえ……その可能性は低いでしょうね。イフリートを使役した割には、焔の威力が低過ぎる」

 ……えーと、今、大佐、なんて言いました?

「……俺の耳が腐ってるのかね。今、威力が低いとか言わなかったか?」
「ええ、言いましたとも」

 あっさりと頷く大佐に、俺は目尻から涙を滲ませながら叫ぶ。

「なんじゃそりゃ──!?」

 だって、そうだろ!? あんな一歩的に押されまくったのに、威力が低いってなんじゃそりゃ!?

 涙目になって叫ぶ俺に、ジェイドが苦笑を浮かべる。

「まあ落ち着いて下さい。あなたの気持ちもわかりますよ。ですが、これは事実です。私が覚えている限りでも……そう、集合意識体を使役して放たれた焔が、山一つ消し飛ばしたという話がありましたね」
「や、山一つって……マジかよ?」
「マジです」

 至極真面目に頷くジェイドに、今度こそ俺は言葉を失くす。

「集合意識体を戦争に用いることが、現代では国際協定で禁じられている所以です。まあ、そもそも使役に必要となる触媒事態、現代にはあまり残って居ないはずだったのですがね。まだまだ似たような話は幾らでもありますし、それらと比較して考えれば……やはり威力が低いと言う他ないでしょう」

 ぐっ……あれで、威力が低いのか。しかし、そうなると余計に理解できんことが増える。

「な、ならよ、ラルゴのあの武器の威力はなんだったんだ? マジでこんがらがって訳わからねぇぜ」

 意識体を使役せずにあの威力だってのか? それこそゾッとしねぇぞ。冷や汗を掻きながら頭を抱える俺に、ジェイドは何かを考え深げに沈黙して見せた。

「そうですね……確かに、ただ第五音素を集めたにしては、あの無尽蔵とも言える音素の量、譜も用いずに放たれる焔など一連の効果の説明がつきません。……意識の断片……か」

 小さくつぶやかれた最後の言葉に、俺は顔を上げてジェイドを見やる。しかし大佐はそれ以上続けるでも無く、被りを振って見せた。

「ともあれ、考えるべきことは多そうですが、とりあえず、今やるべきことは……」
「やるべきことは……?」
「ナタリアかティアを起こして、治癒をお願いしましょうか」
「……確かに、そりゃごもっとも」

 俺は周囲を見回す。

 死屍累々と言った感じで、目を回して気絶した仲間達の姿に、俺達はため息をつくのであった。

 ま、全員生き残れただけでも万々歳だけどな。




                * * *




 その後、ティアとナタリアを起こし、全員の治療を終えた俺達はパッセージリングに向かった。

 再生したばかりの皮膚が、時折引きつったような痛みを訴える。

「な、なんか、今の俺達って、全員ボロボロだよなぁ」
「ううっ……ラルゴも、もうちょっとぐらい手加減してくれてもいいのにぃ……」

 ガイとアニスが呻き、ぎくしゃくと身体を動かす。

「みゅうぅ……ラルゴさん、とっても怖かったですの」

 ブルブルと耳を震わせるミュウに、コライガが同意とばかりにうめき声を上げる。ミュウは随分とラルゴにぶるっちまってるようだ。まあ、一番重症だったのがミュウだったりしたから、当然かもしれないがな。

 コンガリといい匂い発していた、ついさっきのミュウの姿を思い浮かべる。

 それにしても……いい匂いだったなぁ。って、いかんいかん!

「ま、まあ、落ち着けって」

 口元に溢れた涎を拭いながら、俺はミュウの背中をポンポンと撫でた。

「しかし、ラルゴの奴が何かしたわりには、パッセージリングから流れる音素は停まっていないよな」

 シュレーの丘のパッセージリングは完全に動作を停止していた。それを思い返しながら、どういうことだと俺は首を捻る。

「確かにそうですわね。いったい、どういうことなのでしょう?」
「……さて。とりあえず、今はユリア式封咒の解除をお願いします。戦場の崩落が心配です。シュレーの丘と同期させて、先に降下を終えてしまいましょう」
「……あ、確かにそうだな。わかったぜ」

 杖を取り出したところで、ちょっと困る。杖を抱えたままパッセージリングに集中するのはやっぱキツイよなぁ……。

 動きを止めた俺の様子を見て、理由に気付いたティアが俺に声を掛ける。

「……杖を貸して、ルーク。私が解除するから、あなたは超振動の制御に集中して」
「今回もすまねぇな、ティア」

 いいのよ、とティアは頷き、杖を制御盤に突き付ける。同時にパッセージリング上に文字が浮かび上がり、パッセージリングの操作画面が起動する。

 制御盤に近づいた大佐が、いろいろと弄り回して確認を終える。

「ふむ、やはり特に暗号は施されていないようですね。いったい何を狙っているのか」

 ややこしいことです、と肩を竦めると、ついで俺に指示を下す。

「ルーク、では手始めに、光の真上に上向きの矢印を彫り込んで下さい」
「了解っと」

 意識を集中させて、空中の文字に干渉する。

 前回よりも俺の制御能力が向上しているのか、思ったよりもこなれてきた超振動制御で、それなりに円滑に作業を終える。

「よし、終わったぜ」
「では続いて降下指示を出して下さい。古代イスパニア語は……」
「へへへっ……俺が、使えると思うか?」
「まあ、でしょうね。それでは、今使っているフォニック言語でお願いします。文法構成もほぼ同じですから、大丈夫でしょう。……たぶん」
「そう言われるといろいろと不安が残るが……まあ、しゃーないか。そんで、なんて書くんだ?」
「ツリー上昇。速度三倍。固定」
「はいよっと」

 再び意識を集中させ、文字を刻み込む。呆気なく指示された作業が終わる。

「……これで、うまくいったのかね?」
「ええ……うまく行ったはずです。しかし……ん?」

 いろいろと確認していた大佐が、なにやら腕を組んで、顔を顰めてしまった。

「ん? どうしたんだ?」
「どうやら……このセフィロトツリーも既に危険な領域にあるようです」

 パッセージリングを見上げ、表示された文字を詠み上げる。

「ツリーの暴走と出ています……これは、今の段階で降下させて置いた方が良さそうだ」

 難しい顔になって呻く大佐に、俺達も仕方がないと大佐の提案を受け入れる。

「やっぱり、ラルゴのやつのせいなんかね……?」
「私達は間に合わなかったということね……」

 シュレーの丘の降下作業成功に沸いていた場が、一気に暗くなる。

「まあ、対処できるだけマシでしょう。どうせですから、シュレーの丘と同調させてしまいましょう。ルーク、まず第三セフィロトから第四セフィロトに線を延ばして下さい」
「そう考えるしかないか……線を延ばすっと」

 意識を集中し、線を刻み込む。

「後は第四セフィロトに先程と同じ命令を書き込んで下さい」
「第四セフィロトってのがここなんだよな? ほいさっと」
 
 線をつなぎ合わせると同時に、ずん、と振動がその場を襲う。ジリジリと何かがずり落ちるような音がそこら中から響きわたる中、大佐が小さくつぶやく。

「……こちらの降下も始まったようですね。念のため降下が終了するまでパッセージリングの傍で待機していましょうか」
「わかった……しかし、うまく行くといいけどなぁ」

 ジェイドの提案に、俺達は固唾を飲んで降下の行く末を見守るのであった。



 振動が響き続ける中、かなり時間が経った後で、ようやく振動が止む。



「……完全に降下したようです」

 短く状況を現した後で、ジェイドは続いてパッセージリングに視線を向ける。

「パッセージリングにも異常はない。どうやら、成功したようですね」

 やれやれと肩を竦めながら保証する大佐の言葉に、俺達の中から歓声が沸き起こる。

「大成功ですのー!」
「やりましたわね、ルーク」
「そうだな! ……しかし、ああ、どっと疲れた」

 やれやれと俺は肩を回す。ご苦労さんと、ガイが苦笑を浮かべ俺を労う。

「これで、泥の海に飲まれることもないはずです。しかし……」

 ほっと息をつく俺達の中で、一人大佐はなにやら考え込んでいる様子だ。

「どうしたんだ、大佐?」
「いえ……ラルゴの行動について考えていました」
「……というと?」
「以前から考えていたことですが、はたして六神将は外郭大地の崩落を狙いっているのか、という疑問です」

 降下を終えたパッセージリングを見上げながら、大佐は続ける。

「今回のセフィロト。これには暗号が仕掛けられていませんでした。ヴァンでなければ複雑な操作は不可能と言うことかもしれませんが……それなら、何故ヴァン自ら動かなかったのか? シュレーの丘には暗号まで施し操作を禁じていたいというのに……非常に気になるところですねぇ」

 肩を竦めるジェイドに、俺もむむっと眉間に皺を寄せて考える。

「ですが、大陸の崩落を兄が狙っていたことも、確かな事実です」

 ティアが苦しげに戦場の崩落を理由に否定する。それにジェイドも瞼を閉じ、静かに頷き返す。

「ええ。ですがそれに関しては、キムラスカとマルクト両国の軍備に打撃を与えることで、自分達が動き易くするためとも考えられます。まあ、実際の真意は彼らにしかわからないでしょうけどねぇ」

 さして自分の意見に拘るでもなく、大佐は肩を竦めて見せた。

「それに……あの資料に記されていた耐用年数……ひょっとすると崩落は……」

 小さくつぶやいた後で、大佐はその先に続く言葉を止めた。

「いえ、ひとまず外に出ましょう。ノエルとはケセドニアで合流することになっています」
「ま、そんじゃ、外に出ますか」

 俺達は大佐に促されるまま、外に向かうのだった。




                * * *




 ケセドニアに戻ったところ、やはりと言うべきか、街は混乱の坩堝にあった。これはさすがにまずいということになり、事実上ケセドニアの顔であるアスターと面会し、魔界に関するアレコレを伝え、住民の動揺を極力押さえてくれるようお願いした。

 まあ、いきなり魔界に落っこちたら、混乱するなって方が無理な話だろうけどさ。

「しかし、エンゲーブの避難がうまくいってよかったよな」

 ケセドニアで合流したノエルに、俺はお疲れさまと声をかけた。

「皆さんも御無事でなによりです」

 にっこり微笑みながら答えるノエルに、皆もエンゲーブの住民が無事避難できたことを喜ぶ。

 そんな俺達の中で、一人浮かない顔をしていたジェイドがノエルに声を掛ける。

「少し確認したいことがあるので、魔界の空を飛んでみたいのですが、よろしいですか?」
「もちろんです。アルビオールはこちらです」

 先導するノエルの後に続きながら、俺はジェイドの言葉の意味を考える。

 確認したいことがあるね……。

 それ以上説明する気は無いのか、ジェイドは沈黙を保っている。

「何かわかったんなら、そのうち俺らにも説明してくれよ、大佐さんよ」
「そうですよ! すっごい気になりますよ~」

 呼び掛けるガイとアニスの二人にも、ジェイドは眼鏡を押し上げ答えない。

「うぅ~大佐のいけず~」
「落ち込まないで下さい、アニス。大佐にも何か考えがあるということでしょう」
「うぅ~」

 不満そうに唸るアニスをナタリアが宥めている。

 ……やれやれ、いったい何を思いついたんだろうな。

 俺達はジェイドの考えに疑問を抱きながら、ひとまずアルビオールに乗り込んだ。


 飛び立ったアルビオールが大佐の指示で魔界の空を駆ける中、ぼけっと突っ立ち、ブリッジから外を見上げていた俺は、不意にその奇妙な現象に気がついた。

「うおっ! あのセフィロトツリーおかしくないか?」
「眩しくなったかと思ったら消えかかったり……。切れかけの音素灯みたい」

 見上げた先で、セフィロトツリーが不可解な動きを見せていた。点滅を繰り返し、今にも消え去りそうだ。

「やはり他のセフィロトも暴走していますか……」
「へ? やはりって、どういうことだ?」

 なにか予想できていたのか? 問いかける俺に、ジェイドは難しい顔になって答える。

「パッセージリングに限界が近づいているということは、ベルケンドで入手した資料にも記されていたことです。おそらくヴァン謡将達の行動で、ただでさえ限界だったパッセージリングの寿命が速まり、ツリーが機能不全に陥っているのでしょう」

 最近地震が多いのも崩落のせいだけではなかったんですね、と大佐が眼鏡を押し上げた。それにティアが目を見開き、告げられた言葉の意味するところを正確に捉える。

「待って下さい、それじゃ外殻大地はまさか……」
「他の大陸も、いずれ崩落する可能性が高いでしょうね」

 あっさりと答えた大佐に、アニスが驚愕の声を上げる。

「えっ!? それじゃあ、総長達の行動を阻止しても結局、崩落を止めることはできないってことですか!?」
「残念ですが……そうなりますねぇ」

 困ったものだと肩を竦める大佐に、俺達も事態の深刻さを悟る。

「げっ、マジかよ!? ……ユリアシティの奴らは、このことを知ってるのか?」
「お祖父様は、これ以上外殻は落ちないって言っていた……知らないんだわ」

 ティアの言葉通り、確かにセントビナー崩落の折も、預言に詠まれていない事象とは恐ろしいとか呟いていたしな。ほんとうに知らないんだろう。こりゃ、とんでもない事態になったな。

 そのとき、一人腕を組んで考え込んでいたガイが、大佐に確認する。

「……なあ。ケセドニアやルグニカ平野もセフィロトの力で液状化した大地の上に浮いてるんだよな? なら、パッセージリングが壊れたら……」
「泥の海に飲み込まれますね」

 最悪の未来図を断言するジェイドの言葉に、今度こそ俺達は押し黙る。

 しかし、本当に情報が無いのか?

「なあ、確かに預言にはセフィロトが暴走するとは詠まれてなかったかもしれないけどよ、暴走するにしろ、それには何か理由かあるはずだろ? なら、当時のパッセージリングを作ったヤツラが、こういう事態を想定して、なんか対処法とか残してるんじゃないか?」
「そうね……でも仮に残されているとしても、お祖父様じゃ閲覧できない機密情報じゃないかしら」

 また機密か。本当に、教団は秘密主義が徹底してるよな。

 頭を抱えてしまった俺達の中で、アニスが声を上げる。

「……イオン様なら」

 ポツリとつぶやかれたアニスの言葉に、皆の視線が集中する。

「イオン様なら……ユリアシティの最高機密を調べることが出来ると思う……」
「イオンが……?」

 確かにイオンなら……いけるか? 考え込む俺に、アニスが力強く頷き返す。

「うん。だって導師だし」
「なら、ダアトへ向かうしかないか。何か対処方法があるかもしれねぇ……それでいいよな?」

 俺の確認に、皆が頷きを返した

 こうして、俺達は慌ただしくダアトに向かうことが決定した。外郭大地へと戻るアルビオールの機体が激しく揺れ動く中、俺は一人自らの考えに沈んでいた。

 とうとう、ダアトに行くことになったか……。

 かつてなにも言わずバチカルを去ったおっさんの姿が、一瞬俺の脳裏を掠めて消えた。

 ……まったく、未練たらしいったら、ありゃしないよな。俺は額を押さえ、目を閉じる。

 今更おっさんに合わせる顔なんか無いって言うのに……俺は何を期待しているんだかね。

 自嘲の笑みを洩らし、俺は魔界に降下した大地を見下ろす。

 暗く沈んだ魔界の光景を視界に納めながら、俺はダアトの何処かに居るだろう相手のことを考える。

 もはや過ぎ去って久しい、かつての日々に、想いを馳せた。





[2045] 5-1 受け止める者、抗う者 《改訂板》
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/26 23:02

 澄み切った蒼い空に、白い雲が風に流され緩やかな跡を残す。
 海に囲まれたダアトの空はすっきりと晴れ渡り、目に眩しい。
 整然と並び立つ街並みさえも基本は白で統一されていて、清廉にして厳粛な空気を都市は漂わせていた。


 まあ、つまり何が言いたいかというと……正直、なんとも居心地が悪くてしょうがないわけですよ。


 というか、ダアトってのはもっとこう、強面で筋肉モリモリの熱っ苦しいおっさん連中が立ち並んでる街のことじゃなかったのか?
 教団の人間と言われて、まず思い浮かぶのがヴァンやおっさんみたいな武闘派だなんて俺が、そもそも偏ってるのかもしれないけどさ。

 それでも自分がこれまで思い描いていたダアト像を否定されて、正直裏切られた気持ちですよ!

 まあ、何に裏切られたのかとか訊かれても答えようがないけどな。


 そんな馬鹿なことつらつら考えながら教団本部の建物を見上げていると、ティアがどこか遠い目をして、安堵の息をつくのが見える。

「でも、キムラスカとマルクトの間で一時的な休戦協定が結ばれたことには安心したわ」

 その言葉で、俺も港での一件を思い出す。港では運行されなくなった定期便に不満を持った人々が集まり、船を出してくれとしきりに訴えていた。そんな人々に対して、教団の詠師までがでわざわざ出場って、船が出ない理由を説明していた。

 すなわち、一時的な休戦協定が結ばれた。詳しい情勢がわかるまで船は出せないと。

「そうだよね。心配事が減ってよかったよ。もう色々起こりすぎて対処しきれないって感じだもんね」
「陛下も崩落が引き起こされる中、戦争を継続する程愚かじゃなかったってことだな」

 うれしそうに声を上げるアニスに、ガイもうんうんと首を頷かせ同意してみせた。しかしナタリアは一人表情を暗くし、顔を俯けている。

「……キムラスカに、これ以上の動きが無いことを願いますわ」

 王都での経緯を思い出しているんだろうか。その声にはどこか切実な想いが込められているように俺は感じられた。

 かく言う俺自身も、オヤジ達の顔が思い出され、戦争に対する危惧が蘇るのを感じる。

「そうだよな……実際の所、いつまた戦争が再会されてもおかしくねぇもんな」

 オヤジ達はスコアに詠み上げられた繁栄をもたらすために、戦争を起こした。しかし、スコアに詠まれていなかった崩落によって、一時的に戦争が中断されているのが現状だ。

 崩落先の状況を知る術が無い以上、ルグニカ平野に集まっていた軍は全滅したと見なされていてもおかしくない。軍の中核を成す部隊が居なくなったような状況で、預言にも詠まれていないような事態が起こった今、何が起きているかも把握できぬまま、戦争を継続するとは俺にも思えない。

 しかし、あくまでオヤジ達がスコアに固執するなら別の見方もあるはずだ。俺達はユリアシティの連中の言葉や、モースから直に聞いて、崩落がユリアのスコアに詠まれていなかった事態だと知っている。

 だが、オヤジ達にそれを知る術はなく、教団としてもわざわざ教えるとは思えない。戦場の崩落に関しては自分達に公開されていなかった秘預言と見なしても何らおかしくないのだ。

 崩落によってマルクト側の領土、軍備は大幅に落ち込んでいる。今こそあの宿敵を打ち倒す好機───

 キムラスカ側がそう判断して、軍の再編が終わった途端、戦争を継続することも十分に考えられる。

 そんな鬱々した考えをだらだら口に出して述べると、皆の顔にも緊張が浮かぶ。

「……なるべく早く、崩落に関する情報を両国に知らせる必要があるということね」
「厄介な事態だな。こっちは崩落にも対処しないといけないってのに、キムラスカが戦争を続ける可能性も捨て切れないってことか」

 ティアとガイのまとめに、事態の複雑さを改めて思い知らされ、思わずため息が場に降りる。

「でもでも、なんでユリア様は戦争のスコアなんて詠んだんだろう?」
「そうですわね……星の記憶を詠み解き、遥か彼方の事象に至るまでを見通していたと言われるユリア。彼女は預言に振り回され生きるしかない未来の人々に、いったい何を感じていたのでしょう……?」

 翻弄されて生きるしかない……か。まさに今の俺達の世界を言い表している言葉だよな。

 なにせ戦争が引き起こされ、最終的にホドは預言通りに崩落した。続いて預言によって予め死が決定づけられていた聖なる焔の光が訪れると同時に、アクゼリュスもまた崩落した。

 そこまでは預言も順調に進んでいたわけだが、他の大陸まで崩落が始まって、ついに預言から外れた事象が起こり始めたことがわかった。

 だが、そんな現状においても、誰もが預言の絶対性を疑おうとしない。

「始祖ユリアか。自分の詠んだ預言が未来でこうも絶対的に崇められちまうなんてことがわかっていながら、それでも詠まざるを得なかったのかね。だとすると、先が見えるってのも、ちょっと考えもんだよなぁ」

 実際問題、当時の障気から離脱しようなんて状況下で、二千年先の事まで一々考えられたとは俺には到底思えない。未来に預言がどう見なされるかわかっていたとしても、結局の所、当時の人々を説得するために預言を絶対的なもんだと思わせるしか道がなかったんじゃなかろうか、とか俺は思っちまうんだけどな。

「ま、始祖ユリアの考えはわかりませんが、戦争が起きるから預言が詠まれたのか、預言に詠まれていたから戦争が起きるのか。ユリアの預言が詠まれてから既に二千年に近い時が流れているのです。今やそうした線引きは難しいでしょうね」

 俺達の洩らした預言に関する感想に、最後にジェイドが静かに口を開いてまとめてみせた。

 もうどっちが先にあったのか、誰にもわからなくなってるってのが正解ってことかね?

「そう簡単に答えは出せない問題ってことだろうな」

 首を傾げる俺に、ガイが俺の肩に手を置いて促す。

「ともあれ、そろそろ行かないか? このまま立っててもしょうがないだろ?」
「まあ、そうだな。そんじゃアニス、案内とか頼むぜ」

 俺は導師に関しては一番詳しいだろうアニスに話を振った。それにアニスが薄い胸を叩いて漢らしく応じる。

「導師守護役たるアニスちゃんに任せておきなさいって~♪」
「……いや、元導師守護役だろ──って、うわぁっ! だ、抱きつくなぁ~っ!!」

 突っ込みを入れたガイにアニスが報復し、情けない叫び声が周囲に響きわたった。

 一応さっきまでは真面目な話をしてたってのに……なんとも締まらないよな、俺達のメンツって。

 引きつった笑みを浮かべ、俺は二人のやり取りを生暖かい視線で見守った。




               * * *




 導師の執務室がある階層へ続く転送陣を起動させ、イオンの下へ急ぐ。

 しかし、ダアトにも転送陣が存在するのはジェイドに聞いて知ってたが、こんな譜陣が今も残って機能してるなんて、実際に目にした後でも信じられないよな。転送の際には合言葉を唱える必要があるとか言って、アニスは慣れた様子で転送陣を使ってたが、教会じゃ結構一般的な技術なんだろうかね。

 俺は一人首を捻りながら、ダアトの技術力の偏りに疑問を抱くのであった。

 ともあれ、そんなこんなで進み行き、導師の執務室前まで来たところで、部屋の中から複数の話し声が届く。

「ん? 誰か居んのか?」
「静かに。見つかったら少し厄介な事態になるわ……」
「うっ……わ、悪ぃ……」

 ティアに注意されるまま口を閉じて、中の様子をそっと伺う。

 導師の部屋で大詠師モースと、なぜか六神将のディストが向き合って会話しているのが見えた。

 ……どういうことだ? なんでこの二人が一緒に居る? わけのわからん状況に、俺達は顔を見合せ、とりあえず会話に耳をすませて様子を伺うことにする。

「……というわけで、戦場では一時的な休戦協定が結ばれたようです」
「そうか……お前はそのまま事態の推移を見据えろ」

 モースの指示に、ディストが慇懃な態度で応じる。それを特に気にした様子も見せず、モースが更に質問を重ねる。

「……ヴァンの奴は何をしている?」
「ええ、導師によって解放されたセフィロトに他の六神将を派遣して、何やらやっているようですよ」

 肩を竦めて肝心の部分はぼかした答えに、しかしモースはそうかと軽く頷いてみせた。

「アクゼリュスの崩落、戦場の崩落、生ける聖なる焔の光……やはり、そうなのか……?」

 ぶつぶつと呟き始めたモースに、ディストが少し苛立ったように腕を組み直す。

「それよりも、ネビリム先生のレプリカ情報の件、ぜひともお願いしますよ?」
「……ああ、任せておけ。情報部を動かして置こう。お前はそのままヴァン達の動向を逐次報告しろ」
「わかりました。それならばこの薔薇のディスト、あなたに協力いたしましょう。……ああ、それと導師イオンが再び連れ去られた場合に関してはどうしましょうか?」

 ディストの問い掛けに、モースが渋面になって顎を撫でる。

「……オラクルの半数以上がヴァンの影響下にある状況で、導師を守りきるのはさすがに難しいだろうな。今導師は……図書館に居たか。お前は導師が他の六神将に連れ去られた場合も動かず、情報を流すだけに留めろ。居場所さえわかれば、行動するのは情報部の者に任せられる。貴重な情報源を潰すのも意味がないからな」
「わかりました。先生の件、くれぐれもよろしくお願いしますよ」
「わかっている」

 会話はそれで終わったのか、二人はそのまま扉に近づいて来る。

 って、ヤバイじゃねぇか! ど、どうする? 

 きょろきょろと隠れ場所を探すが、そう簡単に見つかるもんでもない。

「やばっ、こっち! 早く……!」

 アニスに促されるまま、俺達は近くの部屋に慌てて飛び込んだ。間一髪のところで扉が開き、モースとディストがすぐ其処を歩く音が聞こえて来る。

 しばらくの間、俺達は緊張に身体を強張らせたまま、外を通りすぎる靴音に耳を傾ける。

「……行ったみたいだな。ふぅ」

 二人が完全に遠ざかったのを確認して、俺達はようやく息をつくことができた。

「しかし……ディストはモースのスパイなのかね?」
「それにしては、モースにも忠誠を捧げているような感じはしませんでしたわ」

 外に出てガイの洩らした言葉に、ナタリアが首を傾げた。彼女は部屋で行われていた二人のやり取りに、なにか引っかかるものを感じているようだ。

 確かに二人の会話を思い出してみると、上司と部下というよりは協力者という感じが強かったようにも思える。いったいどういう関係なのかと疑問符を浮かべる俺達の間に、低い声が響きわたる。

「……あのバカは、まだあんなことを」

 ジェイドの口から呟かれた言葉に、俺達はぎょっとして顔を向ける。大佐は眼鏡を押し上げ表情を覆い隠しているが、全身から立ち上る怒気が見て取れた。

「ど、どうしたんだ、ジェイド? なんか、ギスギスした空気振りまいてるけどよ?」
「……失礼。ともかく、ディストがモースに情報を流しているのは確実です。しかし、完全にヴァンの陣営から外れているわけでもないでしょう。おそらく、あのバカのことですから、自分の目的のために両者を利用してやるぐらいに考えているのでしょうね」

「モースと総長の間でコウモリしてるってことですか?」 

 大佐にしては珍しく感情を伺わせる言葉に、アニスが小首を傾げた。

 どっちつかずのまま両方を利用するか。だが、そんなに上手く行くのかね。モースもヴァンもそんな甘い相手じゃ無いような気がするんだが。それに、ディストの目的もよくわからん。先生とか言ってたが……何なんだろうな?

 ディストの行為に呆れながら奴の目的について考えていると、ナタリアがどこか強張った表情で口を開く。

「私……大詠師モースが今後どう動くつもりなのかが気になりますわ。崩落がスコアに詠まれていない以上、ヴァン謡将と対立しているのはわかります。ですが、彼があくまでスコアに詠まれているように戦争を押し進めようと考えているなら、やはり無視できません」

 それに、と小さく呟いた後で、その先を続けることを躊躇うように、ナタリアは視線を伏せる。

「それに……あの二人が協力関係にあるなら、ディストが王都で動いていたのも、モースの差し金だったとも十分に考えられますし……」

 王都で起きたスコアに関する事態を思い起こしてか、ナタリアの表情が曇る。

 確かに、伯父さんもモースによって宣旨が下されたと言っていた。あのときは戦場の崩落に関して十分に把握していなかったからだとも考えられるが……モースとディストが協力関係にあるなら、崩落が引き起こされるような状況においても、両国に戦争を続けさせようとしていたって可能性は十分に考えられる。

「……ティア、お前ってもともとはモースの部下だったよな。どう想う?」
「え、ええ……あの方は敬虔なローレライの信徒だったわ。誰よりもスコアを神聖なものと考え、自身の行動を律し、教団の運営に携わっていた」

 そこで言葉を切って、ティアは表情を暗くする。

「……でも、教団の役割が、そもそも預言から外れた事態が起きないように、外郭大地を監視することだった。それを考えると……あの方の信仰心の高さからも、どう動いてもおかしくないと思うわ」

 躊躇うように、歯切れの悪い言葉をティアは口にした。彼女の様子を見る限り、尊敬していた上司だけあって、教団本来の役割を知った今でも、そうした推測を口にするのに複雑な思いがあるってところか。

 この議論に終わりが見えない雰囲気を感じてか、ジェイドが一端の区切りを入れる。

「ともあれ、本人に確認でもしてみない限り、結論は出ないでしょうね。今は先を急ぐことです。他の六神将が居ないのが確認できたのは僥倖でしたが、それでもオラクルにいつ発見されるとも知れない状況に変わりはありませんからね」
「ま、そうだな。イオンは……図書館とか言ってたか? 図書館がどこにあるかわかるか、アニス?」
「この先ですよ。ちゃんとついて来て下さいね♪」

 イオンと再会できるのが嬉しいのか、ルンルン気分でアニスが先をさっさと歩き出す。

『……』

 何とも微妙な沈黙が場に降りる。

 ……いや、さっきからアニスが話に参加しないのが妙だとは思っていたけど、そういうことかい。

 何とも乾いた笑みが浮かぶのを感じながら、俺達はひとまず話を打ち切り、図書館へと向かうのだった。

 まあ、わかりやすいというか、なんというか……アニスらしいけどな。




               * * *




「皆さん、どうしてここに……? いえ、でも無事だったのですね。安心しました」

 図書館の奥の方に居たイオンが突然の俺達の登場に最初は驚いた様子だったが、それでも直ぐに嬉しそうに出迎えてくれた。おそらくケセドニアが崩落したって知らせを受けてたんだろう。俺達の無事を心底うれしく思ってくれているイオンの様子に、こっちとしても笑みが漏れる。

「崩落に関して厄介な事がわかってさ。イオンが何か知ってるかもしれないと思って、訊きに来てみたってわけだよ」
「僕に訊きたいことですか?」
「ああ。説明はガイ、頼んだぜ」
「お、俺か? ま、まあ、わかった。実はな……」

 ガイからセフィロトが暴走状態になっている事実を伝え、それに伴い他の大地も崩落する危険性が大きいということを簡単に説明して貰う。

「……まさか、外郭大地がそのような状態になっているとは」

 話を訊き終えたイオンも、事態の深刻さに表情を曇らせた。

「しかし、イオンもこんなところで何をしてたんだ? 調べ物か?」

 書棚が立ち並んだ部屋の様子を見渡しながら尋ねると、イオンが気を取り直したように口を開く。

「はい。ここは教団の中でも一部の者しか閲覧できない本が並んでいる書庫です。僕がケセドニアでダアトに帰ることを決めたのも、この書庫に崩落に関する情報があるかもしれないと思い立って、一度探してみようと考えたからです」

「ん? それじゃ、俺達の目的ともちょうど合ってたってことか」
「ええ。ルーク達が訪れた理由を聞いて、僕も少し驚きました」

 少し照れたように笑うイオンに、さすが先の先までちゃんと考えてる奴は違うよなぁと感心する。

「この本を皆さんに」
「こいつは……?」

 渡されたのは古びた一冊の本だった。ペラペラめくって中身を確認して見るも、まるで理解できない、こりゃ俺には無理だな。使われてる文字からしてさっぱりで、俺には到底読み解けそうにも無い。

「ジェイドなら読み解けるはずですよ」

 眉間に皺を寄せて唸る俺の様子に、イオンが苦笑を浮かべながら本の説明を口にする。

「これは創世歴時代に教団が回収し、禁書に指定した歴史書です。地核の流動化を防ぐ方法が考案されていると解説には書かれていました。詳しい内容は僕にもわかりませんでしたが、崩落に関連して起こる問題のいずれかを解決しようとした際、なんらかの助けになると思います」

 イオンの説明を聞いて納得する。やっぱり、創世歴時代にはある程度の対策とかも考え出されてたってことか。だが、同時に一つの疑問が浮かぶ。

「しかしよ、地核の流動化に対する対策があったのに、なんで何もしなかったんだ? その上対策が書かれた本まで禁書にしちまうしよ。なんか、理屈に合わない行動だよな」

 対策がわかってるなら、さっさとやっちまえばいいと俺は思うんだけどな。

 首をひねる俺に、ティアが少し躊躇いながら自分の考えを口にする。

「ただユリアの預言に詠まれていなかったから、禁書になった……?」
「おそらくティアの言う通りでしょう」

 ティアの推測にイオンが小さく頷きながら、少し沈んだ声音で言葉を続ける。

「教団にとって、ユリアのスコアに詠まれていないような状況を生み出しかねない本の存在は、到底認めることができなかったのだと思います」

 預言に詠まれていないような状況か。なんだか俺達からしてみれば、ホント今更って感じだけどな。

「預言か……アクゼリュス崩落まではユリアの預言通りに進んでたんだっけか? 秘預言とかいったか?」

 厄介なもんだと話の流れで確認した俺に、イオンが僅かに顔を俯ける。

「……実は僕、今まで秘預言を確認したことがなかったんです」
「えっ! そうなんですか?」

 アニスにとっても初耳だったのか、驚きの声を洩らす。

「ええ。秘預言を知っていれば、僕はルークに出会った時、すぐに何者か分かったはずです」

 言われて見れば、アクゼリュス崩落が預言に詠まれていたという割には、イオンは何も知らずに俺達に同行してたもんな。導師が知らないってのは意外な事実だったが、イオンはまだ若すぎる。教団の実権がモースに握られていただろうなんて事は容易に想像がつくし、有り得ない話では無いだろうな。

「……僕が内容を把握していれば、アクゼリュスの崩落は防げたかも知れない。教団に戻ったのは、そう言った理由もあったからです」

 俺としては納得できる答えだったが、ティアが預言の確認に戻った聞いて、疑問が浮かんだようだ。

「しかし、預言にはセフィロトの暴走は詠まれていなかったのでは……?」
「ええ。やはり第六譜石には、アクゼリュス崩落に至るまでの経緯と、戦争が勃発するということしか詠まれていませんでした。皆さん、着いてきて下さい」

 念のため皆さんにも確認して貰いましょう、とイオンが俺達を引き連れ移動を始めた。

 階段を回って、譜石の安置された礼拝堂に俺達は案内された。

「この譜石は第一から第六までの譜石を結合して加工したものです。導師は譜石の欠片からその預言を全て詠むことが出来ます」

 ただ量が桁違いなので、ここ数年の崩落に関する預言だけを抜粋しますね、と断りを入れ、イオンが譜石に手をかざす。

 仄かな光を放ちながら、スコアが浪々と詠み上げられる。




 ――ND2000。
 ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。
 其は王族に連なる赤い髪の男児なり。
 名を聖なる焔の光と称す。
 彼はキムラスカ・ランバルディアを新たな繁栄に導くだろう。

 ──ND2002。
 栄光を掴む者、自らの生まれた島を滅ぼす。
 名をホドと称す。
 この後、季節が一巡りするまでキムラスカとマルクトの間に戦乱が続くであろう。

 ──ND2018。
 ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。
 そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街と共に消滅す。
 しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。
 結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の大繁栄の第一歩となる──




 スコアを詠み終えると同時に、イオンが息を荒らげながら身体をよろめかす。

「イオン様っ!」

 慌ててアニスが身体を支え、どうにか倒れ込むのを防いだ。

「大丈夫です、アニス。少し疲れただけですから」

 イオンが身体を起こすのを目にして、さすがの俺達もホッと息をつく。

「しかし、やっぱりアクゼリュス崩落と戦争のことしか詠まれてないか。もしかしたら、セフィロトの暴走は第七譜石に詠まれてるのかもしれないな」
「第七譜石か。それって結局見つかってねぇんだろ? やっぱ預言じゃどうしょうもないってことか」

 預言の内容を耳にしたガイの感想に、俺はスコアもあてにならないもんだとため息をついた。

「……ローレライの力を継ぐ者って、誰のことかしら?」

 譜石を見据えていたティアの疑問に、ナタリアが口を開く。

「それはルークに決まっているではありませんか」
「でもルークが生まれたのは七年前よ」

 確かに、あんまり言いたかないが、俺がフォミクリーで複製されたのは七年前だよな。

「今は新暦2018年です。2000年と限定しているのだから、これはアッシュのことでしょうね」
「でも、アクゼリュスと一緒に消滅するはずのアッシュは生きています」

 大佐の答えにも、やはりおかしいとティアが眉を寄せて反論した。そうして議論をしている内に、アニスもまた預言に詠まれた事象と現実に起こった事態の間で、合致しない部分を見つけ出す。

「それ以前にアクゼリュスへ行ったのはルークでしょ? この預言、やっぱりおかしいよ」
「確かに……アッシュも後から来たことは来たが、奴はあの時点で聖なる焔の光と呼ばれてた訳じゃないからな」

 どういうことだ? 俺達は次々と浮かぶ疑問を持て余す。

 最後に、譜石を見据えたまま一人考え続けていたティアが、決定的な矛盾を指摘する。

「ユリアのスコアにはルークが──レプリカという存在が抜けているのよ」

 その指摘に、俺は突然足元がぐらついたような感覚を覚える。

「……俺が生まれたから、預言が狂ったのか?」

 確かに……本来の預言が外れ始めたのは、俺が存在した時からだ。

 俺の存在が預言を狂わせたのか?

「……ルーク?」

 ティアもそこまで考えた上で、指摘したわけではなかったんだろう。突然深刻な顔になって考え込みはじめた俺の様子に、心配そうに俺の名前を呼ぶ。だがその声に答えることもできず、俺は新たな可能性について考え込む。

 しかし、その思考も突然飛び込んだ詰問に、霧散することになる。


「──何をしているのです、導師イオン」


 厳めしい顔に訝しげな色を浮かべながら男──大詠師モースは、イオンにそう問いかけた。




               * * *




「導師警護の者達から怪しいものがうろついていると報告を受け来てみれば、お前達か……」
「大詠師モース……」

 俺達は咄嗟に身構えたが、相手の出方がわからない以上下手に動くわけにも行かない。そんな俺達を庇うように、イオンが前に出る。

「モース、彼らは崩落を阻止すべく動いています。それは教団の方針にも何ら反しない……」
「導師イオン。わかっております。──それとネクロマンサー、無意味な行動は慎むのだな」

 モースが手を打ち鳴らすと同時に、礼拝堂のそこかしこから突然人間の気配が現れるのがわかる。

「既にこの部屋は包囲されている。それに……今はお前達を拘束するつもりも無い」

 モースの言葉に、大佐が警戒を完全には解かないながらも、肩を竦めながら譜術の詠唱を止めた。それを見届けると、モースは俺に視線を移す。

「崩落の阻止のために動いていると言ったな?」
「……ああ、そうだ」

 モースの無遠慮な視線が俺の全身を這い回る。ケセドニアであったような形だけの敬語も消え去り、完全に見下すような視線が俺を捉える。苛立ちが沸き上がるのを感じながら睨み返す俺に、モースが更に言葉を掛ける。

「来るべき繁栄のときを向かえるべく、世界を監視する。我らの存在する意味とはそれだ」
「……それがどうしたって言うんだ?」

 意味のわからない話の流れに敵意を持って聞き返すが、モースは淡々と問いかける。

「ユリアの預言を知った今なら、理解できたはずだ。世界の混乱には、お前の存在が影響していると」
「なにが……言いたい」

 ギシリと歯を噛みしめ問いかける俺にも構わず、モースはその言葉を告げる。

「──イレギュラーであるお前が死ねば、世界は正常な流れを取り戻すのではないか?」

 どこまでも端的な問いかけは、俺の心臓を正確に抉った。

「……俺は」

「死にたくないとでも言うつもりか? だがそれを真に思っているのは、果たして誰であったのだろうな。お前に殺されたアクゼリュスの人々か? それとも本来なら崩落するはずのなかった大地が崩落することで、その生を終えた者達か?」

 殺した人々の存在を忘れたことなど無い。例え一瞬であっても、決して有り得ないと断言できる。

 いつも意識のどこかで、その声は俺に囁き続けていた。

「……俺は……俺は……」

 なぜ自分達は死んだ? なんで本来生まれるはずのなかったお前が生きている?  

「全ての犠牲の上に立ち、尚も生き続けるお前は、そんな自分の存在をどう思っているのだ? ぜひとも聞かせてほしいものだな、レプリカルークよ」

 どうして、お前、死んでないんだ?

「──狂った預言に、もはや縛られる意味などありませんわ!」

 響いたナタリアの言葉は、俺の意識に巣くっていた囁き声を消し飛ばした。

 俺を庇うように前に立ち、ナタリアはモースを睨み返している。

「……だが、ユリアの預言に詠まれて居ないものが存在したために、この現状があるのもまた事実だ」
「それは、全ての元凶となったヴァン謡将にこそ帰せられるべき言葉でしょうね」
「ああ。それにルーク一人の存在で破綻するようなら、預言もその程度の存在だったって事だろうな」

 続いて放たれたジェイドとガイの返しに、モースは静かに目を閉じる。

「なるほど……お前達はそう考えているわけか。確かに、そういった考え方もあるだろう」

 予想外のことに、あっさりとモースは引き下がった。

「だが、その想いとて世界が存続しなければ何ら意味がない。だからこそ私は……」

 モースが目を開き、どこまでも静かに、粛々と続ける。

「お前達は、スコアをどう考えている?」

 この場に居るもの達全員の顔を見回し、語り掛ける。

「私の考えはただ一つ。スコアとは──受け止めるものだ」

 自らの胸の前に腕を掲げ、ただ一つの考えを奉じる聖人は、自らの信念を告げた。

「それ以上でも以下でも有り得ない。我等のありとあらゆる行動も、全ては最初から預言に定められていた必然の結果にすぎない。例え僅かばかりの誤差が生じようとも……何も変わらないのだよ。
 ……正式な手続きも踏まず導師に接触した事、今回は見逃そう。直ぐに教団から立ち去るのだな」

 俺達から視線を外すと、イオンに向き直り礼を取る。

「導師も今後は不用意に部外者と接触するのはお止めください。……それでは私はこれで失礼します」

 あとは俺達に一瞥もくれずにモースは去っていった。そんな奴の背中を、俺達は言葉も無く見据え続けた。

 しばらく立ち尽くした後で、再び動き出した俺達の間にも、会話は起こらなかった。

 無言のまま進む皆の最後尾に立って、俺はモースの言葉の意味を考える。

 ──お前の存在が世界の混乱を生み出しているのではないか? 

 たとえ誰が相手だろうが、そうした問いを突き付けられたら……俺は何も言い返せない。

 ナタリアは俺を庇って、狂った預言などもはや関係ないと断言してくれた。そんな彼女の言葉は俺の胸に染み渡って、言葉じゃ言い表せないくらいに嬉しいもんだった。

 だが、それでも、世界の渾沌を生み出しているのが俺じゃないって否定するような理屈は、何一つ見出せていないのもまた、確かな事実だ。

 アクゼリュスの崩落に関しても、俺は未だ何一つ償えちゃいない。自分の軽はずみな行動の結果引き起こされた事態に対して、何一つ清算が出来ちゃいないのが現状だ。

 ジェイドに言わせれば、罪が消えることは有り得ない、とか皮肉でもって返されそうだが、それでも自分が犠牲にした人たちに対して何も報いることができていないこの状況に、歯痒さを覚える。

 その上、この世界の混乱が全て、そもそも俺の存在により生じたもんだとしたら……

 正直……きついよなぁ。

 否定しきれない一つの仮説に、俺は顔を上向け、一人ため息を漏らした。

 やれやれと俺は落ち込んだ気分を紛らわせようと、先を行く皆に視線を巡らせる。

 ふと、ティアの様子がおかしいことに気付く。悄然と肩を落としながら歩く彼女の様子が気になって、俺は気付けば彼女に声を掛けていた。

「大丈夫かよ、ティア? なんか、顔が真っ青だぜ?」

 顔を覗き込む俺に、ティアが少しその瞳を潤ませながら俺から視線を逸らす。

「……ごめんなさい、ルーク。私、大詠師モースの言葉に何も言い返せなかったわ」

 ん、そんなこと気にしてたのか? 俺はひらひらと手を振りながら、彼女の言葉を否定する。

「別に気にする必要はねぇだろ? もともとティアは教団の人間だ。あいつのスコアに対する考え方を尤もだって納得しちまうのも、ある程度はしょうがないって……」

「──違う! そうじゃない……そうじゃないの……私は……」

 声を震わせながら、しかしティアは俺の顔を正面から見返す。

「私は……あなたの存在がスコアを狂わせたという言葉に、確かに一理あると一瞬、納得してしまった。だから、皆があなたの存在を肯定したときも、何も言い返せなかったのよ」

 ……そっか。何かを気にしてるとは思っていたが、そこを気にしてたのかよ。

 なんだかんだ言ってもティアは俺みたいな単純な奴と違って、まず理屈から考えるタイプの人間だ。そんなこいつが、モースの整然とした言葉を聞かされて、ある程度の理屈を認めちまうのも仕方のないことだって俺は思う。

 しかし、わざわざ言わなくてもいいような事を打ち明けるのは、なんともティアらしいと感じてしまう。不器用なまでに、どこまでも生真面目なやつだよ、ホントにさ。

 苦笑が浮かぶのを感じながら、返すべき言葉を探している内に、ティアは更に自分の迷いを口にする。

「私……わからなくなってしまった」
「……うん? 何がだ?」
「スコアは人々が守るべきものだと、私はずっと信じてきた。通常の生誕祭で、死の預言が詠まれないのも、当然のように受け入れていた。それが避け難いものだと思っていたから……けれど」

 彼女はこれまでの自分の行動を振り返り、今の自分の考えとの矛盾を口にする。

「それは崩落が起こるのを知りながら、何もせず人々を見殺しにすることと、何ら変わりない行為だったのかもしれない」

 ──崩落を見殺しにすることも、死の預言を伝えないことも結局は同じ次元の話ではないか?

 アクゼリュスでモースが投げ掛けた疑問が蘇る。あのときは何も言葉を返すことができなかったが、しかしティアの口から伝えられたそれは、あいつの言い放った言葉とは何かが違うようにも感じる。

「ならよ、今はどう思ってるんだ?」
「今……?」
「ああ、そうだ。昔じゃなくて、今はスコアをどう思ってるんだ?」

 意外な問い掛けだったのか、ティアが一瞬きょとんと目を見開く。かく言う俺自身も、何でそんな質問をしたのかよくわからなかったが、気付けばそう問いかけていた。

「今は……そうね、イオン様の考え方に近いかもしれない。決して覆せないものではない、生きる上で与えられた選択肢の一つに過ぎない……そう考えているわ」

 ティアの答えを耳にして、俺はようやく自分でも何が言いたかったのか理解した。

「ティア……お前、結構変わったよな」
「……そ、そうかしら?」
「ああ。変わったぜ」

 口元がほころぶのを感じながら、俺はやんわりと言葉を続ける。

「やっぱり、お前は違うぜ。知りながら動かねえ人間と、知った後で動こうとする人間の間には、絶対的な違いがあるって俺は思うんだ」

 モースやユリアシティの連中は知りながら動かなかった。だが、ティアは違う。預言の裏にあるものを知った後で、自分の考えを変えることができたんだ。過去がどうだろうと、今ここに居る彼女が考えてる事が、何より重要だって俺は思う。

「まあ……俺がそう思いたいだけかもしれねぇけどな」

 二年前の事件、アクゼリュスの崩落。もはや取り返しのつかない、無数の罪の記憶が脳裏を掠める。だが、今はぐだぐたと俺の事情で落ち込んでるようなときではない。被りを振って陰鬱とした記憶を振り払い、その先の言葉を続ける。

「それでもさ、ティアは気付いたんだ。それだけは誰だろうが否定できない。俺はそう思うぜ」

 ティアの顔を見据え、俺は嘘偽りのない本心からの言葉を告げた。

 それに彼女は言葉の意味を噛みしめるように、瞳を閉じる。そして少し間を空けた後で、小さく微笑んだ。

「……ありがとう、ルーク」

 少し頬を染めながら呟かれたティアの感謝の言葉に、俺も急激に顔が赤くなるのがわかる。

 うっ。よくよく考えてみれば、こんな風に誰かを慰めるなんて事は初めての経験だったから、俺としても何だか気恥ずかしいもんを感じてしょうがない。

「い、行こうぜ」
「そ、そうね」

 なんだか理由のわからない居心地の悪さを感じながら、俺達は強引に話を打ち切り、少し先を行く皆に追いつくべく、足早に動き出すのであった。




               * * *




 イオンと教団の正面口まで移動したところで、一人の詠師がこちらに駆け寄って来るのが見える。

「導師イオン! お捜ししておりましたぞ!」
「詠師トリトハイム。すみません、礼拝堂で少し確認したいことがあったので……」

 申し訳なさそうに謝るイオンに、トリトハイムは憮然と顔をしかめる。

「導師としてのお勤めは如何なさいます。処理していただきたい案件が多数残っているのですよ。まったく……ん?」
「どうしたのですか?」

 突然俺達の居る方を見据え、顔を強張らせたトリトハイムの行動に、イオンが怪訝そうに問いかけた。

「いえ……実は彼らに異様な音素の高まりを感じとり、少し気になったので」
「なんだそりゃ……?」

 あんまりにも曖昧なトリトハイムの物言いに、俺は思わず突っ込みを入れていた。

 ……ん、待てよ? 異様な音素の高まりって……ひょっとして……それは……

「……こいつのことか?」

 ガサゴソと道具袋を探って取り出した杖を見せた瞬間、トリトハイムが目を見開いて呻く。

「なんと……強力な音素……しかし、こ……これは! この杖をどこで手に入れたのです!」

 激しい勢いで詰め寄って来るトリトハイムに、俺達は少し困惑しながら言葉に詰まる。そんな俺達に代わって、イオンがトリトハイムを宥めるように、静かに言葉を掛ける。

「詠師トリトハイム。この杖が何か……?」
「う……うむぅ。まぁ、今となっては話をしても構わぬか……」

 少しの間腕を組んで考え込んだ後で、トリトハイムはその口を開く。

「その武器は惑星譜術の触媒と言われているものです。惑星譜術とは創世暦時代に考案された大規模譜術であり、このオールドラントの力を解放すると言われています」

 惑星……譜術? なんだか、急に話が随分とデカイもんに移ったな。

「オールドラントの力を解放するとは、どういうことなのでしょう?」
「星の質量をぶつけると言われていますが、正確な効果の程はわかりません。なんでもこれが使われる前に譜術戦争──フォニック・ウォーは終結したと言われているので」

 ……なるほどな。六神将が触媒を集めていたのは、その惑星譜術の復活が目的だったのか? 

 考え込む俺達を余所に、イオンが自分の知らなかった事実に対して、不可解そうにトリトハイムへ問いかける。

「しかし、トリトハイム。どうしてあなたはそこまで詳しいのですか?」
「うむぅ……実は、この惑星譜術に関する資料がユリアシティで発掘され、前導師エベノスの手で密かに復活計画が進められていたのですよ」
「前導師が……?」

 思わぬところで拾った情報に、俺達の関心が更に強まる。

「ええ。なんでも発動には創世歴時代に造られ、集合意識体を使役するために用いられた六つの触媒──レムの力を操るための奏器が三種、シャドウの力を操る奏器が三種必要となる……ということらしいです」

「へ? 六属性の触媒を一種類ずつじゃなくてか?」

 ラルゴの振るった第五音素の力を思い返し、思わず疑問が口をついて出る。

「む、なにか知っている事柄と相違があったようですね。実を言うと、詳しいことは私にもよく分かっていないのですよ。惑星譜術計画の責任者であったオラクルの騎士は、資料を処分して教団を辞めてしまったし、エベノス様も亡くなられたので……」

 責任者は教団を止めちまってるのか。しかも、資料は残っていないと。

 まあ、残された手がかりが少ないのは残念な話だが、それでも惑星譜術の存在と、触媒が六つあるって情報を聞けたのは運がよかったかもしれない。ヴァンの奴らがいろいろと動いているなら、教団に残っていた資料があったとしても、外に出ないよう抱え込まれちまってる可能性も十分に考えられたのだ。

「結構、重要そうな情報が手に入ったよな」
「ええ。兄の目的が何かわかるかもしれない」

 小声で言葉を交わす俺達に、イオンが小さく頷いて更に詳しい話を聞き出そうと質問を続ける。

「トリトハイム、その人がどこに行ったかわかりますか?」
「なにか気になることがありましたかな? ならばケテルブルクへ行ってみるのがいいと思われます。残念ながら、既に責任者は亡くなっているそうですが、ともすれば何か手がかりが残っているかもしれませぬ」
「その責任者だったという方の名前は?」
「ゲルダ・ネビリム響士と言うそうです」

 トリトハイムの口にした名前に、俺は何か既知感を覚える。

「……ん? ネビリム……?」

 どっかで聞いた名前のような……? 一人首を捻って記憶を探るも、俺が何かを思い出す前に、トリトハイムがイオンに向き直る。

「ともかく、導師のお知り合いでしたら安心でしょうが、仮に惑星譜術の復活が成せたとしても、軽はずみな使用はくれぐれも控えて下さい。それでは導師、なるべく早く執務室へお戻り下さい。私はここで失礼します」
「ええ。いろいろとありがとうございました、トリトハイム」

 イオンの礼に構いませんと一礼すると、トリトハイムはこの場を去った。

 彼の背中を見送った後で、イオンが再び俺達に向き直る。

「僕は引き続きダアトで、ヴァン達の集めていたものについて探ってみるつもりです。前導師が研究していた事柄なら、僕にもある程度の情報が集められると思いますから」

 イオンは毅然とした決意を瞳に宿し、俺達に自分がどう動くつもりなのか伝えた。そんなイオンの様子に、こいつが導師として自分にできることを行い、世界の混乱に対処しようという意気込みを感じる。

「まったくよ、モースに言われるままダアトに帰ったのかと思えば、最初からそういうつもりだったのか。イオンがいろいろと考えてたのは知ってたが、誰にも相談しないで一人で突っ走りすぎだぜ」
「……ルーク。すみません」

 申し訳なさそうにしゅんと肩を落とすイオンに、俺は苦笑を浮かべる。俺はあの夜交わした会話を思い起こしながら、イオンの頭をくしゃくしゃと撫で回す。

「ま、イオンは自分にしかできないことを見つけたんだな。なら、俺から言うことは何もねぇよ。資料探し頼んだぜ、イオン」
「はい! 僕は僕なりに崩落に対処してみるつもりです」

 そう笑いかけると、イオンはアニス視線を向ける。

「アニス、皆さんをよろしくお願いしますね」
「任せて下さい! 皆どこか抜けてますから、わたしがしっかり締める所を締めて見せますよ♪ あと……イオン様も、総長達の動きには十分気を付けて下さいね」
「ええ、わかっています。皆さんも、どうか気を付けて」

 最後にそんな言葉を掛け、イオンもまた俺達に背を向けた。

 そんなイオンの背中をアニスがいつまでも名残惜しそうに見送っているのが印象的だった。

 しばらく別れの余韻に浸っていると、現実的なティアと大佐が今後の予定を話し始める。

「六神将が集めていた響奏器は、単に集合意識体の使役に用いられる触媒ではなかったということでしょうか?」
「そうですねぇ……あまり気は進みませんが、一度ケテルブルクへ行ってみる必要がありそうだ」

 ティアの推測に、大佐が眼鏡を押し上げ応じた。

 集合意識体を使役する響奏器ってだけじゃなく、六本集めることで一つの意味がある惑星譜術の触媒か。しかし、そうなってくると、俺達がディストから杖を奪えたのも運がよかったのかもな。

「ともあれ、まずはイオン様に渡された禁書を解読するとしましょう。やれやれ、これは意外と時間がかかりそうですねぇ」
「解読ってダアトでするのか? それって……大丈夫かよ?」

 いつ六神将が戻ってくるともわからない場所で、悠長にそんな作業してて大丈夫なのかと心配になるが、ジェイドは安心しろと言葉を掛ける。

「今のところオラクル騎士団はモースが統制しているようですし、ヴァン謡将と彼の目的が合致でもしない限り、六神将も迂闊にダアトに戻ることはできないでしょう。それに、先ほどのモースの様子を見る限りでも、私達に無駄な襲撃を仕掛けることはしないでしょうしね」

 おそらく大丈夫でしょう、とジェイドは肩を竦めて見せた。

 そんなものだろうか? 大佐の説明に俺は首を捻るが、皆は納得したようだ。まあ、確かにモースの言葉を聞く限り、ヴァンに協力するとは思えない。ひとまずは安心ってことか。

 俺達はジェイドの解読のために、ダアトの宿屋に向かうのであった。


 こうして、俺達はダアトで一日を過ごし、ジェイドの解読が終わるのを待った。


 翌日、解読を終えた大佐は本に記されている音機関の復元に、計算機に精通した技師達の協力が必要不可欠だと述べた。
 それにガイが計算機ならベルケンドの技師達が一番詳しいだろうと提案し、俺達はベルケンドに向かうことになった。


 ダアトの街並みを背にしながら、俺達は旅立ちの準備も終え、ダアトを後にしようとしている。
 最後の見納めとばかりに、俺は教団の本部が存在する建物を見上げる。


 ……結局、おっさんに会うことはできなかったな。


 二年前、何も告げず街を去ったおっさん。
 寮の管理者はダアトに転属になったと言っていたから、ヴァンの奴に聞けば、この二年の間も今どうしているかぐらいのことは簡単に聞き出すことは出来た。
 しかし、俺はこの二年の間、それをしようとは思わなかった。
 どうしても一つの可能性が打ち消せなかったからだ。もしかしたら、俺という存在はおっさんにとって……


「──ルーク?」


 ティアが不思議そうに声を掛けて来た。
 周囲を見回すと、既に皆が動きはじめているのがわかった。
 一人動き出さない俺に気付いて、不審に思ったんだろう。

「どうかしたの?」

 続けて尋ねて来る相手の顔には、少し心配そうな色が浮かんでいた。どうやら傍目にもわかるくらい、様子がおかしくなっていたようだ。

「……いや、別になんでもねぇよ。少し、昔の事を思い出してただけさ」

 心配そうに見据える相手に、俺は言葉短く答えた。
 荘厳な教団の建物を見上げながら、口の中で繰り返す。

「今更どうにもできない、昔の事を……な」

 活気に満ちた都市の中で、俺は一人過去を見据える。
 頭を下げることすら許されなかった、自らが犯した罪の記憶に──
 言葉に仕切れぬ想いを込めて、小さく言葉を洩らした。







[2045]  聖なる哉、聖なる哉 ─白の聖都─《改訂、追加版》
Name: スイミン
Date: 2006/08/18 02:59
 ローレライ教団という組織を一言で表すなら──それは巨大であるという一言に尽きる。

 オールドラントが誇る二大大国たるキムラスカランバルディア王国とマルクト帝国、それに宗教自治区を備えるローレライ教団を加えた三大勢力が、現在世界を分割統治していると言っても過言ではない。

 そんな強大な権威を誇る教団だが、その組織は複雑で、構成員も多岐に渡っている。

 まず一般的に誰もが思い浮かべるであろう教団信者達とは、必ずしも教団に属するものではない。各国に設置された教会を時折訪れる、どこにでも居るような領民が、そうした信者達の大半を占める。

 対して、宗教自治区に暮らす信者達はまさに教団に全てを捧げた人間と言っても過言ではない。自給自足の暮らしを自らに課し、スコアへの祈りを日々の糧としている。

 また、教団という組織を語るに当たって欠かせない存在として、神託の盾──オラクル騎士団の存在があるだろう。彼らは教団に支払われる莫大な寄付金を基に組織運営され、教団の目指す秩序を実現すべく日々訓練を重ねている。

 西に魔物に困る人々が居れば剣を持って駆けつけ、東に災害に苦しむ人々が居れば援助を持って手を伸ばす。

 そんな真摯に預言への祈りを捧げ、教団の為に日々奔走するオラクル騎士団にあっても──忌ま忌ましいことに──当然型に収まり切らない、常軌を逸した人間というものは確実に存在する

 全ては、現在から遡ること二年前、一人の愚か者がダアトに舞い戻った時点から始まった。

 これから語る話には、そんな規格外という形容が相応しいと言うしかない、どこか決定的に〝踏み外してしまった者〟ばかりが登場する。

 誰もが不遜な態度で預言を軽んじ、世界に対して深い絶望を抱き、その内に消えるこの無い憎悪の焔を抱え続け、果ては禁忌に手を伸ばすことさえ厭わないと口にする──咎人だ。

 そんな罪深き咎人達に、私が掛けるべき言葉があるはずもなく、関わり合いを持つ理由もまた、何一つ存在しない──はずだった。

 ただ、聖句を唱え、偉大なる始祖に祈りを捧げ、絶対的なる預言のままに動く世界を眺める。

 それだけで、私は、十分だった。

 満ち足りていたのだ。

 私は、

 決して、

 知りたくなどなかった。


 この世界が■■■ッ──ッ──■■■■■──……………………………………………………………

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                  Tales of the Abyss

                  ~家族ジャングル~



















                ──聖なる哉、聖なる哉──

























 【異端の交わす杯】


「あぁー……ダリィ」

 書類の積み上げられた執務室にあって、その男はひたすらダラケきっていた。左手にはビール瓶が握られ、右手にはグラスが握られている。並々と注がれた液体が音たてながら泡を弾けさせ、冷えきったグラスに霜を降ろす。

 無精髭の生え揃った口元にグラスを近づけ、くいっと傾ける。

「ぷはぁ……くぅ──もうこの一杯のために生きているって感じだわなぁ」

 無精髭の男が腰掛けるソファの対面、書類の積み上げられた長机の方から悲鳴が上がる。

「し、師団長ーっ! たまに顔出したんですから、少しは仕事を手伝って下さーいっ!」

 しかし、無精髭の男は一切の声を無視してグラスを傾け続ける。

 なんとも勤労というものを舐めきった態度だ。これなら机にたまりたまった書類が、ちょっとした山のようになって、こんもりと積み上げられている状況にも、大多数の者達は違和感を覚えることなく、それも当然と納得してしまうかもしれない。

 しかし、如何に無精髭の男が仕事をさぼろうとも、その執務室に積み重ねられた書類の量は異常なものがあった。

 もちろん、こんな状況が出来上がったのにも、当然それなりの理由というものがある。

 それを説明する前に、まず彼らの所属する組織──オラクル騎士団について、少し述べておきたい。

 オラクル騎士団は主に六つの師団を持って構成されている。それぞれ師団長によって統制され、その編成は以下の様なものになっている。

 第一師団の人員は約6000名、師団長には黒獅子の名を冠するラルゴ謡士。
 第二師団の人員は約6000名、師団長には死神の忌み名をいだくディスト響士。
 第三師団の人員は約20名で、師団長には妖獣と畏怖されるアリエッタ響手。
 第四師団の人員は約2000名、師団長には魔弾の異名を誇るリグレット奏手。
 第五師団の人員は約2000名、師団長には烈風と称されるシンク謡士。

 そして最大規模を誇る第六師団──約8000名もの人員を束ねる師団長は、長らく空席であった。

 しかし、今から遡ること数カ月前、この第六師団長に、突如一人の人物が任命された。

 その人物の名は、アダンテ・カンタビレ──

 かつてダアトの学会でその悪名を轟かせた、異端の研究者の名前であった。

 何故このような人事がなされたのか? 教団員は誰もが憶測を交わし合い、到底認められた者では無いと影で囁くものや、公然と批判を口にするもの、果ては上層部に撤回を直訴する者まで現れる始末。事態はいよいよ収拾がつかなくなるかと思われた。

 しかし、ただ一人の人物の一喝を持って、全ての騒動は立ち消える事になる。

 オラクル騎士団を統括する主席総長、ヴァン・グランツ謡将は次のように述べた。

 曰く──彼の者を異端と見なす者達よ、聞け。貴殿らの口にした悪意ある言葉は、全ては自身に帰せられるものである──と。

 大多数の教団員は、この言葉に己の言動を恥じ、それ以上批判を口にすることは無くなった。

 それも表向き、ではあったが。

 やはり、主席総長からの達しがあったとは言っても、教団員達の反感を完全に抑え切れるはずもなく、むしろ批判を表立って口にすることができなくなった分、より陰湿なものとして、この新たな第六師団長への不満は噴き出した。

 各師団に均等に割り振られるはずの任務が、明らかに困難で時間の掛かるものから、取るに足らない雑事に至るまで、ありとあらゆる任務が怒濤のごとく、第六師団に押し寄せた。

 当初、こうした嫌がらせを始めた者達の思惑としては、この第六師団長があまりの任務の多さに、泣きついて来るのを期待していた節がある。

 しかし、新たに着任したばかりの第六師団長に、割り当てられた任務が異常なまでに多いことなど当然わかるはずもなく、彼はあっさりと受け取り──さらにまずいことに、処理しきってしまった。

 こんなもんでしょうかね? 報告書の末尾には、そんな挑発じみた言葉が添えられていたという。実際は言葉通りの意味で、仕事の出来を尋ねて居たのだが、誰もそうは取らなかった。

 これを自分達への挑戦と受け取った教団員達はますます意固地になって、第六師団に任務を割り当てる。第六師団長はそうした悪意に気付くこと無く、さすが教団本部の人間は仕事に熱心だなぁと的外れな感想を抱きながら、任務を処理し続ける。

 かくして、決壊した河川に押し寄せる洪水のごとく、第六師団には日々膨大な量の任務が押し付けられるという、今の様な状況が出来上がったというわけだ。

 ……まあ、実際に苦労しているのが誰かと言えば、それは件の第六師団長では無く、主に彼の部下であったというのが、なんとも涙を誘う話だ。

 そんな現状の元凶にして、今日も今日とてノラリクラリと杯を傾け続ける第六師団長に対して、彼の哀れな部下がもう嫌だと悲鳴を上げる。

「ぼ、僕にだって処理能力に限界はありますっ! て、手伝うぐらいして下さいっ、カンタビレ様!」

 何度も上がる悲鳴をさすがに無視できなくなってか、第六師団長──カンタビレは顔を机に向けた。

「やれやれ、ライナー君。僕ぁ思うんだよ」
「な、何をですか?」

 聞き返す声に、カンタビレはよくぞ尋ねたとばかりに、ぴしりと指を突き付け、最低の言葉を返す。

「仕事とは、サボる為にある。うーむ、これって名言じゃねぇ?」
「ひぃ────んっ!」

 結局、全ての仕事が片付くには、悲鳴の主が徹夜で手を動かし続けなければならなかったのだが、その間、本来その仕事を行わなければならなかった人物が何をしていたかと言えば……

「かぁ──うめぇ……っ!」

 ……まあ、多くは語るまい。


 ともあれ、これが新たに第六師団長となった人物──異端のアダンテ・カンタビレの日常であった。


【獅子の洩らす吐息】


 ───更に遡ること数カ月程前。


 ラルゴは突如招集された各師団長の面々の様子を伺いながら、改めて考える。

 自分達は一般的な信者達とはどこか一線を画してると。

 見た目年端も行かぬような者から、常に仮面を付けた怪しい風体の少年、果ては自分のような素性も知れぬ無頼漢に至るまで、よくぞ集めたと称賛したくなるほど、組織の内には到底収まり切らないような人材ばかり集められ、師団長に据えられているのだ。

 こうした集団は本来であればまとまりを持つのを待つまでも無く、瓦解するのが自然な流れなのだが、それも一人の男のカリスマによって統制されている。見事なものだと、ラルゴは自らが忠誠を捧げる相手に抱く畏怖の念を新たにする。

「ところでさ、特務師団長の姿が見えないけど?」

 シンクの言葉に、ラルゴは我に返り、周囲を見渡す。確かに、この場に集められたメンバーにアッシュの姿は見えない。

「──アッシュにはしばらくの間、外へ出て貰っている」

 騒めく場に、その言葉は投げ込まれた。

「閣下に敬礼っ!」

 副官たるリグレットの掛け声を合図に、それぞれが新たに現れた人物に思い思いの敬礼を捧げる。

「少し待たせたようだな。皆の者、すまない」

 敬礼の先に佇む相手は、自分達師団長を統制する者にして、軍の頂点に位置する存在、オラクル騎士団主席総長、ヴァン・グランツ謡将の姿があった。

「今回お前達を招集したのは他でもない、これよりお前達の同僚となる、新たな師団長を紹介するためだ」

 総長から語られた初めて耳にする情報に、ラルゴは少し驚きを覚える。それは他の面々も同じようで、特に参謀を勤めるシンクなどはどこか胡散臭そうに口元を歪めている。

「新たな師団長って、名目だけの師団長をこれ以上増やされても困るんだよね、ヴァン」

 皮肉を口にしながら、シンクは集められたメンバーの一人、ピンク色の髪をした小柄な少女──アリエッタに顔を向ける。

「し、シンクひどいっ! アリエッタ、名目だけの師団長じゃないもんっ!」
「どうだかねぇ。それに僕はなにもお前がそうだとは一言も言ってないけど。名目だけだって自覚があるってことじゃないの?」
「うっ……うう、シンクの意地悪っ!」

 言い争う二人に、ラルゴは頭痛を感じながら割って入る。

「シンク、さすがにそれは言葉が過ぎるぞ。アリエッタの魔物使いとしての能力は侮れぬものがある」
「そんなことはわかってるよ。……まあ、魔物の力は認めてあげるさ」
「うぅ……」

 あくまで皮肉を止めないシンクに、アリエッタが涙目になってシンクを睨む。

 いつからオラクル騎士団は保育所になった? ラルゴは肩にずしりとのしかかる疲労の重みを感じながら、それでも生来の面倒みの良さから他の者達のように無視もできず、アリエッタに向けて口を開く。

「そう自分を卑下することはないぞ、アリエッタ。お前の力は、この黒獅子ラルゴとて認めるものだ。俺が言うのも何だが、誇っていい能力だ」
「ラルゴ……あ、ありがと……」

 照れたように頬を染め、顔を俯けるアリエッタに、ラルゴは彼女の頭を撫でることで応じる。ふと、もはや顔も思い出せない一人娘の事が脳裏を過るが、すぐにそれも消え失せる。同時に、胸の内で消える事無く燃え続ける世界への憎悪を確認し、自分が未だこの感情を忘れていない事実に安堵する。

「では、これより第六師団長となる者から就任の挨拶をして貰う。──入って来い、カンタビレよ」

 総長の呼び掛けに、扉が音を上げ開かれ、一人の男が部屋に足を踏み入れた。

 どこか虚無的な空気を漂わせる男だった。無精髭の生える口元を面倒臭そうに引き結び、注がれる視線にも臆することなく、むしろ反対にこちら側を観察するような瞳を返す。着ているのは自分達と同様、師団長のみが着ることを許される黒色を基調とした教団服だ。

 男は総長の隣に立つと、頭に手をやりながら、がしがしと髪をかき上げる。

「あー……総長から紹介があったとは思いますが、僕が今日から皆さんの同僚になるアダンテ・カンタビレってもんです。まあ、僕は基本的にクソ弱いんで、あんまり戦闘任務じゃ力になれないと思いますんで、予め了解しといて下さい。あと、僕は教団の人間って基本的に大嫌いなんで、そこんとこもよろしく。以上」

 言いたい事は言い切ったと、あっさり口を閉じるカンタビレの挨拶に、ラルゴ達は呆れ果てた。

 仮にも先任に当たる自分達に、ここまでとんでもない言葉をぶちまける者が居るとは思わなかった。ラルゴは呆れるのを通り越して、むしろどこか感心するものを感じながら新たな同僚に視線を向ける。

「……まあ、このような奴だ。口は悪いが、それほど性根の曲がった奴でもない。くれぐれも宜しく頼む」

 苦笑を浮かべる総長に、カンタビレが肩を竦める。

 ……なるほど、こいつもまさに規格外というしかないな。

 ラルゴは彼が師団長に据えられたことに、ある種納得するものを感じながら、同時に別のことを思う。

 もう少しで良いから、総長も人格面を考量して、師団長の人選をして欲しいものだ。

 そんな叶うはずもない願いを胸に抱き、ラルゴは密かにため息をはくのであった。


【仮面の抱く呆れ】


 シンクは紹介された新たな師団長の就任挨拶に、また馬鹿なやつが来たものだと呆れ果てた。

 参謀も兼任するシンクにとって、あまり使い物にならないような人物に対して、協力の見返りに師団長の座を渡すような行為は、もう止めてほしいというのが正直なところだった。だがヴァンの決定した人事である以上、シンクに異を唱えることはできない。

「また、本人からもあったように、カンタビレは指揮に関して素人だ。故に、副官としてディストの方からライナーを持ってこようと思っているのだが、どう思う?」

「承知いたしました、総長」

 過剰なまでに丁寧な動作でディストは礼を取ると、続いてカンタビレに視線を向ける。

「しかし……カンタビレ、ですか。なるほど……あなたが……あの」

 ディストにしては珍しく、人間に興味を抱いているようだ。シンクはあまりの意外さに問いかける。

「珍しいね、あんたが人間に関心を持つなんて」
「いえ、彼の名前に少し聞き覚えがあったもので……ねぇ」

 ニヤニヤと陰湿な笑みを浮かべるディストの言葉に、カンタビレが顔をしかめるのがわかった。

 ……ふん。こいつも訳ありってことか。

 カンタビレの様子になにかを察して、シンクは鼻を鳴らして唇を吊り上げる。そんなシンクの様子に気付いていながら、ヴァンはあえてそれを無視して、声を掛ける。

「シンクもカンタビレを気にかけてやってくれ」
「まったく……僕の負担も少しは考えてほしいね、ヴァン」

 シンクの遠回しな拒絶にも、ヴァンただその口元に苦笑を浮かべるのみだった。

「まあ、もう就任した以上、今更言っても仕方ないけどさ」

 やれやれと首を振ってヴァンからの申し出を了解した際、シンクはカンタビレが自分をじっと見据えていることに気付く。

「なにさ?」
「……いや、一つ聞いて良いか?」
「それが意味ある質問ならね」

 意味のない質問だったら許さないと暗に示した答えにも、カンタビレは躊躇う様子も無く、間髪入れずに口を開く。

「その仮面はアレか、趣味なのか?」

 場の空気が、凍りつく。

 シンクの身体から殺気が漏れ出し、周囲に叩きつけられる。

 基本的に六神将の過去を詮索することは最大級の禁忌とされている。そんな禁忌をあっさりと踏みにじり、臆面もなく問いかけたカンタビレはと言うと、変質した場の空気に気付いた様子も無く、一人ぶつぶつと口元で呟きながら、しきりに首を捻っている。

「まあ、そうだな。趣味は人それぞれだし、いいけどな」

 カンタビレは勝手にそう結論付けると、話を終えた。

 沈痛そうに額を押さえるヴァンや他の師団の面々に気付いた様子も見せず、カンタビレは尚もちらちらとシンクの仮面に向けて、興味深そうに視線を寄越す。

 ──こいつ、やっぱり馬鹿だな。

 それが、シンクがカンタビレに抱いた第一印象であった。


【妖獣の零す涙】


 新たに着任した師団長に対してアリエッタが抱いた感想とは──怖い人、である。

 ……まあ、初の顔合わせで、いきなりあんなことを言われれば、それも当然かもしれない。

 ともかく、アリエッタはカンタビレに、あまり良い印象を持てなかった。

 そもそも、自分は同僚である他の師団の面々ともあまり仲は良くない。例外的に、よく自分に気をつかってくれるラルゴのことは好きだが、それ以外の者達となると、やはり苦手としか言いようがない。

 もともと魔物と育ったアリエッタにとって、人と接することは極度の緊張を強いる行為であり──ときに恐怖すら伴う行為だった。

 そうした思いがある程度改善されたのは、自分が導師守護役に任命されてからだった。最初は酷い事も言われたりしたが、自分にだけは本音を洩らしてくれるイオンのことが、アリエッタは大好きだった。彼と接する内に、他の人間との接触することもあまり苦痛ではなくなっていった。

 魔物使いとしての能力を買われ、いつしか導師守護役だけでなく、師団を任されるようにもなった。

 もっとイオンの役に立って見せると、アリエッタは慣れない事にも果敢に取り組み、日々を楽しく過ごしていた。

 変化が起きたのは、つい最近のことだ。

 病気で一年ほど寝込んでいたイオンが突然回復し、以前とはうって変わって公の場に顔を出すようになった。自分からどこか遠く離れた位置へと、一人歩き出したイオンに、少し寂しいものを感じながら、同時に彼の病気が治った事を心の底からうれしく思っていた。

 しかし、そんな彼との繋がりも、今は絶えてしまった。自分は突然、導師守護役を解任されたのだ。

 あまりに突然の辞令にびっくりして、アリエッタはイオンの下に駆け込み、その真意を問い詰めた。しかし、彼はどこか哀しげな色を瞳に宿し、以前とは違い、どこかよそよそしい態度で、建前の言葉を口にするのみだった。

 彼の態度にアリエッタはショックを受け、それ以上解任の理由を尋ねることはできなくなっていた。

 それに……ある一つの考えを、どうしても打ち消すことができなかった。

 イオンは唯一、自分が魔物を操ると知っても、恐れを抱かずに接してくれた人だった。だが、もしかしたら、心の底では、イオンも自分に恐怖を感じていたのではないか? 身体が自由に動かせるようになったことで、その恐怖が表面化したのではないか?

 彼は──自分を恐れ、傍から離れていったのではないだろうか?

 以来、アリエッタは以前にも増して、人と接する事が苦手になった。

 それでも、一度絆を結んでしまった経験から、自分の事をまだあまり知らず、恐れる下地の作られていない人間に会う度に、ある種の期待を抱く事が止められなかった。

 もしかしたら、昔のイオンのように、自分と接してくれる人が、再び現れるかもしれないと。

 チラチラと胸に抱いた人形越しに、視線を寄越すアリエッタの存在に気付いて、カンタビレが眉根を寄せる。

「……総長、なんで子供がここにいるんですか?」

 カンタビレの言葉に、アリエッタは顔を真っ赤にして叫ぶ。

「アリエッタ、子供じゃないもん!」
「はははっ──!」
「むん……」

 シンクが傑作だと皮肉げな笑い声を上げ、ラルゴがそう思うのも仕方がないかと苦笑を浮かべる。

「……あー、まあ、そう言い張りたくなる年頃だってことか。まあ、すまんな、嬢ちゃん」
「うぅ…………っ! ち、違うもん!」

 ポンポン頭を撫でて来るカンタビレの腕を無理やり振り払って、アリエッタは目尻に浮かんだ涙を拭いながら、相手の顔を睨み付ける。しかしこの相手はまるで怯んだ様子も見せず、肩を竦めている。

 ──やっぱり、この人、嫌いですっ!

 アリエッタはカンタビレの変わらぬ態度に、ますます意固地になって、抗議の声を上げるのであった。


【異端の見据える闇】


 なんとも個性的な奴らばかりだったな。先程まで顔を突き合わせていた六神将達の様子を思い返しながら、アダンテ・カンタビレは先を行くヴァンの後に続いて、二年ぶりの教団本部を歩く。

 かつてと何ら変わることない、どこまでも閉鎖的な教団内部をアダンテは苦い思いを抱きながら見渡す。見慣れぬ自分が師団長のローブを身に纏っていることに気づいてか、すれ違う者達は一様に、不可解そうな視線を自分に向けて来るのがわかった。

 ……やれやれ、自分の名前が知れる前ですらこれだ。いったい名前が知れたら、どうなることやらね。

 今後の事に想いを巡らし、アダンテはげんなりと顔を引きつらせた。

「ふむ。着いたぞ」

 ヴァンの言葉に、カンタビレは我に返る。

「ここが、今後お前の詰めることになる場所だ」

 指し示されたのはかなり広いオフィスだった。事務仕事用の長机の他に、簡単な応接用のソファーまでもが設置されている。そんな中でも、特にアダンテの目を引いたものがあった。

「へぇ……結構いい機材が揃ってますね」

 フォンディスク解析機や、入力端末などまでもが設置されている。個人に用意される設備としては、かなり破格なものだ。感心しながらさっそく手を伸ばすアダンテにも、ヴァンは大したことではないと鷹揚に頷き返しながら、話を続ける。

「書庫の方にも、いつでも入れるよう手配しておいた。さらに申請すれば、禁書の閲覧も可能だ」
「……いいんですか、禁書なんかを僕が見ちまっても?」

 本来なら教団においても詠師職以上にしか公開されていない書物だ。あまりの待遇に疑念を洩らす自分に、ヴァンは不敵に笑って見せた。

「ふっ……そうでなければ、意味は無いからな。お前に、まずこれを預けておこう」

 差し出されたのは一本の杖だった。錫杖のように列ねられた無数の輪がしゃりんと澄んだ音を立てる。

「この杖は……ん? なんか、異様に第一音素の含有率が高そうな杖ですね」

 受け取った杖を適当に見返しながらも、適格な分析を口にするアダンテに、ヴァンがどこか満足げに重々しい頷きを返す。

「前導師の時代に、教団が発掘した、創世歴時代に造られし響奏器の一種だ」

「なんか……随分と特殊な形式ですね。単に集合意識体を使役するってわけじゃないでしょ?」

「……さすがだな。この杖と共に発掘された資料には、これが特別な目的の為に造り上げられた六本の奏器──惑星譜術の触媒に用いられるものの内の一本だと、書き記されていた」

 ヴァンの告げた言葉に、アダンテは眉を潜める。

「惑星譜術って言うと……確か創世暦時代に考案された大規模譜術でしたっけ。……随分と物騒なもんですね」
「どれほどの力を秘めていようが、所詮道具に過ぎん。物騒かどうかも、結局は扱うもの次第だろう」

 口にした懸念をあっさりと切り捨てるヴァンに、アダンテも特に拘るでもなく、肩を竦めて応じる。

「ま、確かにそうですね。それで、僕はいったいこいつで、何をすればいいんですか?」

 単刀直入に尋ねるアダンテに対して、しかしヴァンは更に前提となる話を続ける。

「お前は論文において、地核より噴き出す記憶粒子──セルパーティクルの流れを制御するパッセージリングと、この惑星を取り巻く音符帯から特定属性の音素を大量に集束し、集合意識体を使役する響奏器……これらの間にはその機能においても、多数の似通った点が存在すると述べていたな?」

「ええ……確かにそうですけど、それと今回の話がどう繋がるんですか?」

 まだ話が掴めないと首を捻るアダンテに、ヴァンは杖に視線を降ろす。

「響奏器の中でも、惑星譜術の触媒はいささか偏った性質を備えているらしくてな。これまでこの杖を分析した研究者達は一様に、地核に対する親和性に優れていると述べていた」

「地核に対する親和性……ってことは、似た点があるどころの話じゃなくて、ほぼパッセージリングと同じような機能が、惑星譜術の触媒にはあるってことですか?」

 少し驚きながら問い掛けたアダンテに、ヴァンは緩やかに首を頷かせた。

「その通り。上手くやれば、パッセージリングそのものと同調させることすら可能な程に……な。
 この分析をお前はどう見る、アダンテよ」

 どこかこちらの反応を試すように投げ掛けられたヴァンの問いに、アダンテは一瞬思案した後で、すぐに自分の結論を口に出す。

「確かに……惑星譜術はオールドラントの力を解放するとか言われてるぐらいですからね……地核にも関わりは深い。実際に分析してみないと断言はできませんが、そう見当外れな分析でもないと、自分も思いますよ」

 おそらく間違っていないだろうとアダンテが保証すると、ヴァンはようやく本題を告げる。

「ならば、私はお前に命じよう。アダンテよ、お前はこの杖を基に、パッセージリングと奏器の同調研究を進め──地核に沈んだと言われしローレライの鍵を、この地上へと引きずり出す方法を考案しろ」

 あまりに突拍子も無い要請に、アダンテは目を見開いて、一瞬絶句する。

「……そりゃ……また、随分と、とんでもないこと、要求しますね」

 辛うじて言葉を絞り出しながら、しかし頭の中では要求された事柄が実現できるかどうか、真剣に検討してみる。

「……そもそも、ローレライの鍵、それ自体が本当に存在しているかどうかすら定かじゃないと思うんですけど……」
「いや、鍵は存在する」

 即座に断言するヴァンの様子に、アダンテは違和感を覚える。

「どうして……そこまで言い切れるんですかい?」
「……それに関しては、今はまだお前が知る必要はない。ある程度研究が形に成り、実験の見通しが立った段階で……そうだな、お前には、話すことになるかもしれんな……この世界の真実を……」

 何かを考え込みはじめてしまったヴァンの姿を見て、アダンテも肩を竦めて見せる。

「まあ、無駄に機密知らされて、面倒なことになるのは僕も御免ですから、別にいいですけどね」

 階級に応じて情報が制限されるのは当然のことなので、アダンテも特に拘るでも無く、それ以上訊くのを止めた。

「しかし、ローレライの鍵のサルベージねぇ……やっぱ、鍵が存在することを現物を持って証明することで、間接的にローレライの存在も証明して、教団の権威を高めるのが目的とかだったりするんですか?」

「ふっ……おそらくは、そういうことになるのだろうな」

 どこか意味深な言葉を返し、ヴァンはなにかを嘲るような笑みを浮かべて見せた。だが、すぐにその笑みも消え、いつもの表情に戻る。

「私がお前に直接要請する事は、それだけだ。他にも教団上層部から各師団に割り当てられる仕事もあるだろうが、お前は研究の方を優先して取り組んで貰いたい」
「──了解です、総長。まあ……まだ断言はできませんが、なんとかしてみせますよ」

 どこか気楽に請け負うアダンテに、しかしヴァンはどこまでも昏い色を宿した瞳を向ける。

「……お前には期待しているぞ、アダンテ」

 アダンテの肩に手を置き、囁くように言い添えると、すぐに身体を離す。

「詳しい引き継ぎに関しては、後日改めて指示を下そう。今日の所は道中の疲れを癒すが良い」

 ではな、と言葉を残し、あっさりとヴァンは部屋から立ち去った。

 一人部屋に残されたアダンテは、椅子に腰掛け、全身から力を抜いて、天井を仰ぐ。

 染み一つない天井を見上げ、呟く。

「とうとう……この街に戻って来ちまったか」

 誰に対するでもなく、ただ自然に口から漏れ出た言葉が──どこまでも虚しく響いた。


【魔弾の捧ぐ憐憫】


「──報告は以上です」

 リグレットは自らが忠誠を捧げる相手に、監視対象の報告を終えた。フォニム灯の薄明かりが室内をぼんやりと照らし出す中、正面に据えられた執務机に腰掛ける壮年の男が、満足そうに首を頷かせる。

「なるほど……カンタビレに命じた研究は、現状では特に問題なく進行しているということか」
「はい、閣下」

 リグレットは答えた後で、少し躊躇ながらヴァンに問いかける。

「しかし、なぜ、あのような男に師団を任せたのです、閣下。単に研究者として抱え上げる事もできたはずでは……?」
「……お前が私にそのように意見するとは珍しいな」
「いえ……」

 意外そうに片眉を上げるヴァンに、リグレットは言葉を濁し、苦い気持ちと共に目を伏せる。

 新たに第六師団の師団長となったアダンテ・カンタビレ。この相手を監視する必要があると訴えたのは、リグレットに他ならない。ヴァン自ら引き抜いて来た人材だけに、改革派の寄越した刺客である可能性は低かったが、それでも零とは言い切れないのが、この世界の常識だ。

 最高で一月の監視。それで不審な点が見られないようなら、即刻監視は取りやめるという条件で、リグレットはカンタビレの監視を任せられた。先程した報告はそれに関するものだったのだが、結局カンタビレは、自分が当初危惧していたような存在ではなかった。

 だが、監視の結果わかったことは、あまりにも不可解なものだった。

 ひたすら書庫に籠もり、狂ったように文献を読みふける。書庫から出てくるのは一週間に一度あればいい方で、いつ寝ているのかすらわからない。師団としての任務よりも、研究を優先するように働きかけたのはヴァンに他ならないので、そうした行動が特に問題になるようなことは無かったが、それでもあまりにも不可解な行動だった。

 また、そうして書庫に籠もったまま、師団長としての任務に全く手を付けないなら、研究者とはそういうものかと、それはそれで納得できた。だが、珍しく書庫から出て来たかと思えば、カンタビレは自室に戻り休憩するでも無く、自分が任された師団の職場へと赴き、仕事を手伝いもせずに、ただひたすら部下と他愛もない話を交わしながら酒を飲み交わしていた。

 リグレットには眉をしかめるしかない行為だったが、それでいて第六師団の者達からは、不思議と悪評を訊かなかった。不平や不満なら耳にするのだが、悪意ある噂となると、それこそ皆無と言っていい。

 リグレットにはあの男が何一つ理解できなかった。

 精神に異常を来しているとしか思えない書庫での生活。
 自分には仕事の邪魔をしているとしか思えない行為をしながら、自らの師団を把握する影響力。

 あの男は──あまりにも、常軌を逸している。

 それが、リグレットの抱いたカンタビレに対する評価だった。

 言葉で発せられずとも、リグレットが抱く嫌悪の情を感じ取ってか、ヴァンが口元に笑みを浮かべる。

「ふっ……お前はバチカルに居た頃の奴を、眼にしたことは無かったな。ならば、お前がカンタビレにそうした感想を抱くのも当然だろう」

 机の上で腕を組み直し、ヴァンは目線をリグレットに合わせる。

「今の奴は、牙が抜け落ちた状態にあるのだよ、リグレット」
「牙……ですか?」
「そうだ。バチカルで──あの男は世界に絶望した。この世界に絶望しながら、しかし憎悪を向ける対象を見出すことを恐れ、すべてのシガラミを切り捨て、あの街から逃げ出した。私は逃げ込む場として、研究という名の逃避先と、師団長の座という名の新たなシガラミを提示してやるだけで良かった」

 結果、奴はあっさりと我が下に降った。

 肩を竦めて見せながら、ヴァン・グランツは淡々と言葉を続ける。

「与えられた研究に没頭し、現実から逃れようとするかのように、他者との接触を絶つ。それでいて完全に繋がりを絶たれる事を恐れ、自らの任せられた師団に顔を出す……牙の抜け落ちた獣ほど、扱いやすいモノは居ない」

 何ら熱の籠もらない言葉には、ただ事実を語っているだけという響きが伺え、リグレットは知らず掌に冷えきった汗が滲むのを感じた。

「カンタビレは、あのままでも十分使える人材だ。研究が滞り無く終わるまで、奴にはあのままの状態で居て貰う。下手に賢しい知恵もって詮索をされるのも、面倒だからな」

「閣下の考えも知らず、差し出がましい口を挟みました」

 自らの浅はかな判断に、顔を俯け謝罪するリグレットに、ヴァンは気にする事は無いと、ゆっくりと首を振る。

「今のカンタビレの状態を見て、お前がそう感じるのも当然のことだろう。だが……いつまでも腑抜けのままで居て貰っては困るのもまた、確かな事実だ」

 額に手を添えながら、ヴァン・グランツはその表情を覆い隠す。

「そうだな……そのときは、カンタビレには憎悪を向けるべき対象が確かに存在する事を、明かすことになるだろうな。そのときこそ、奴は真の意味で、我等の同士となろう。そう……」

 ヴァンが最後に告げた言葉で、リグレットは彼の意図を全て理解した。

 その後は教団の雑事に関する報告を済ませ、リグレットはヴァンに一礼し、そのまま退室した。

 背後で扉の閉じる音を聞きながら、リグレットは両腕で肩を掻き抱き、しばらくの間、廊下に立ち尽くす。廊下に立ち尽くしながら、彼女はヴァンが最後に告げた言葉を思い返す。

 ──スコアに対する復讐者へ、成り果てることだろう。

 バチカルにおいて起こった一連の事件に関する報告書は、リグレットも読んでいる。

 スコアに詠まれるまま、処刑台を上りし哀れな剣虎。あの事件に、教団が絡んでいないはずがない。

 ──まるで、過去の自分を見ているようだな。

 リグレットはあまりの皮肉さに、苦笑が浮かぶのを感じる。自分はかつて、スコアに詠まれるまま死んだ弟の為に、総長を仇と付け狙う存在だった。それが今ではあの人に感化され、その理念に共感し、完全な忠誠を捧げている。

 あの男も、そうなるのだろうか?

 染み一つない天井を見据えながら、リグレットは考える。わずかな哀れみを感じながら、今も書庫に籠もっているだろう相手を思い──その瞳を閉じた。





 こうして、世界に絶望せし愚か者は、自らの古巣へと帰還した。

 自らの行う研究が、真に意味するものを、何一つ理解せぬまま──

 いずれ訪れる選択の時まで、愚者はただ命じられるまま、動き続ける。


 今はただ無為に、どこまでも、流されるまま………───



[2045] 5-2 それぞれの贖罪
Name: スイミン
Date: 2006/08/28 03:41
 音機関の駆動音が、間断なく耳に届く。

 ベルケンドは音機関都市と言われるだけあって、そこかしこに試作機らしい音機関が転がってるのが見えた。

 初めて訪れたベルケンドの景観に物珍しさを覚え、周囲をきょろきょろ見回していると、ティアが苦笑を浮かべながら俺に尋ねて来る。

「そう言えば、ベルケンドはあなたのお父様の領地だったわね」
「あー……そうらしいな。しかし……うーん」

 上の空で応じた俺の言葉を受けて、ティアもまた街に視線を転じる。

「首都バチカルと湿原で隔てられているからこそ、姻戚関係にあるファブレ公に治めさせているのかしら……?」
「そうでしょうね。下手な貴族を置いて、敵対行動を取られてもたまりませんし」
「立地条件だけじゃないだろ? 譜業や音機関の開発は軍事力の向上においても重要だからな。研究所のあるベルケンドを任せるのも信用のおける人間じゃなければならなかったところだろう」

 ジェイドやガイが小難しい話をしてるのを耳にしながら、しかし俺はしきりに首を傾げ続ける。

 うーん。なんだか、妙な感じを受けるというか……

「なんか、初めて来た気がしないんだよなぁ」

 不可解な既視感を覚えながら街を見渡す俺に、ナタリアが別におかしくないのでは、と声を掛ける。

「あなたのお父様の領地ですもの。覚えがあっても当然なのでは……?」
「んー……でも俺自身は七年間王都から出たことが無かったわけだしさ……いったい何だこの感覚?」

 理由の定まらない気持ち悪さに、俺はガシガシと頭を引っかいて首を捻った。

「見た覚えも聞いた覚えも無いのに、なぜか知ってるような気がする……ひょっとしてそれって、デジャブってやつ?」
「デジャブ? なんだそれ?」

 聞き覚えの無い単語に俺が眉を潜めて問い返すと、アニスが半眼を向けて来る。

「あっきれますわぁ……そんなことも知らないの、ルークって? それはさすがにちょっと、ヤバいんじゃないの?」
「ぐっ……」

 言葉に詰まるしか無い俺に、足元から声援が飛ぶ。

「ご主人さま大丈夫ですの! 僕もわからないですの~」
「グルゥゥゥ!」

 ミュウがなんとも有り難い慰めの言葉を投げ掛け、コライガは元気出せと唸りながら、鼻先を俺の足に擦りつける。

 ……さ、さすがにミュウがわからんから大丈夫と言われても、何も安心できんよな。

 顔を引きつらせるしかない俺の様子を見かねてか、ジェイドがやれやれと口を開く。

「簡単に説明しますと、デジャブとは体験したはずの無い事柄に対して既視感を覚える事を指します。いろいろと原因が推測されていますが、実際の所はそれぞれ発生した状況次第で原因も変わって来るため、ただ一つの明瞭な答えというものはありませんねぇ」

 肩をすくめながら解説するジェイドの言葉に、俺も正しくその通りの現象だなぁと納得する。

「しかし、デジャブねぇ……」
「ま、ルークはアッシュと遠距離にいながら会話を行えるようですし、何がしかの情報がアッシュ側から流れ込んできているとも考えられます。そのうちいろいろと調べてみたいものですねぇ」

 ニヤリと笑うジェイドに、俺は背筋を這い上がる悪寒を感じながら距離を離す。

「い、いろいろって何するつもりだよ、ジェイド!? 俺は解剖されるとかは絶対御免だぞ!!」
「それは勿論いろいろですよ。解剖は……まあ、どうでしょうねぇ?」
「って、答えになってねぇーだろが! っていうか解剖は否定してくれ──っ!!」

 にこやかに微笑みながら物騒すぎる言葉を発するジェイドに、俺は怖すぎると叫んだ。

 俺の頭の中に、白衣を来た大佐にメスを突き付けられ、三枚に卸されている自分の姿が浮かぶ。

 有り得ない光景だと、完全に否定しきれないところが恐ろしすぎる……。

「あー……大佐さんよ、あんまりルークをからかってやるなよ。反応が面白いのはわかるけどさ」
「ま、確かにこれ以上は時間の無駄ですね」

 ガイの制止に、ジェイドはあっさりと同意した。俺は疲労感から肩を落とし、釈然としない思いと共に突っ込みを入れる。

「からかってたことは否定しないのかよ……?」

 しかし、俺の呟きを無視して、ジェイドは強引に話を今後の予定に戻す。

「ルークとティアは知らないでしょうが、スピノザという男がこの街で、昔ヴァンと組んでレプリカ研究をしていたそうです」
「兄さんが……?」
「この街でレプリカの研究……だと?」

 初耳の情報に、ティアと俺は顔を見合わせる。

「今は既に袂を分かった……というよりも、スピノザが用済みと一方的に見なされ、協力関係も無くなっているようですがね。彼もベルケンドの技師の一人。しかも専門が物理学ですから、今回の話には最適の人物かもしれません」
「物理学やってると、何で最適の人物になるんだ?」
「この禁書から読み取る限り、大地の液状化の原因は地核にあるようですからね」

 物理学の知識も必要になるんですよ、と大佐は肩を竦めて見せた。それにアニスがよく繋がりがわからないと、両手を頬に当て首を傾げる。

「地核? それって、記憶粒子が発生してるっていう惑星の中心部のことですよね?」
「ええ。本来静止状態にある地核が激しく震動している。これが液状化の原因だと考えられます」

 ふうん……地核の振動か。でも、そう言えば、詳しい原因とかは聞いてなかったよな。

「実際の所、どうやって地核の流動化に対処すんだ?」

 折角だからこの機会に聞いとこうと尋ねる俺に、ジェイドは自分の中で話を整理するべく、少しの間沈黙する。

「そうですね……まず話の前提として、揺れを引き起こしているのがプラネットストームであるという点を押さえておいて下さい」
「プラネットストームって、確か人工的な惑星燃料供給機関だよな?」
「ええ。地核の記憶粒子が第一セフィロトであるラジエイトゲートから溢れ出して、第二セフィロトのアブソーブゲートから、再び地核へ収束する。これが惑星燃料となるプラネットストームです。そして、ここから先が本題になるのですが……」

 ジェイドの話をまとめると、なんでもプラネットストームが作られた当初は地核に震動が生じるとは考えられていなかったらしい。長い時間を掛けてひずみが生じ、地核は震動するようになったんだろうって話だ。この地核の揺れを止めるには、プラネットストームを停止しなきゃいけないらしいが、プラネットストームを停止しては、譜業も譜術も効果が極端に弱まり、音機関も使えなくなる。そして、外殻を支えるパッセージリングも完全停止するって事らしい。

「それって、打つ手がないってことじゃねぇか……」

 思わず呟いた俺の感想に、ジェイドがその判断は少し早計ですね、とさらに説明を続ける。

「そこで登場するのが、プラネットストームを維持したまま地核の震動を停止する方法──つまり、この禁書に記されていた音機関という訳ですね」

 ジェイドの説明に、俺達はようやく何の為に音機関を復活させるのか理解する。

「つまり、セフィロトの暴走を止めるのでは無く、暴走しても影響の無い状態を造り出すということですね」

 確認するティアに、ジェイドが首肯しながら、足りない部分を補足する。

「ええ、セフィロト暴走の原因がよく分からない以上、液状化を改善して外殻大地を降ろすしかないでしょう? ま、もっとも禁書に書かれている音機関の復元には、この街の研究者の協力が必要不可欠ですけどねぇ」
「確かに……スピノザはい組の一人だし、協力してくれればかなり心強いな」

 これで決定とばかりに言葉を交わす二人に対して、しかし俺は待ったを掛ける。

「だがもう違うとは言ってもよ。ヴァンに協力してたようなやつが、俺達に協力するのか?」

 正直、信用できんね。あまり乗り気じゃない俺に対して、ジェイドは言い含める様に付け足す。

「確かにルークの疑問も、当然のことだと思います。ですが、ヴァン謡将達がパッセージリングから記憶粒子を抜き出す研究をしていたという情報を我々に渡したのも、彼ですよ」
「へ……そうなのか?」
「ええ。だから話を聞きにいくだけでも、無駄ではないと思いますよ。ちょっと第一音機関研究所まで行って、スピノザに話を振ってみませんか?」

 既に俺達へ情報を提供しているということは、そこまで警戒することも無いか。

「そうだな……」

 どっちにしろベルケンドの技師達の協力が必要なことに変わりはないのだ。それなら一度協力を受けた相手に頼むのが、一番道理に適ったやり方なのかもしれないな。

「考え込んでてもしょうがないし、行ってみるか」

 こうして、俺達はスピノザの居る第一音機関研究所に向かうのだった。


 * * *


「知事たちに内密で仕事を受けろと言うのか?」

 目の前にはスピノザを含めた三人の老人が立っている。彼らはこの研究所においても、音機関にかけては右に出るものが居ないと言われる研究者らしいが、正直こうして見る限りでは、ただの頑固な老人にしか見えない。

 そんな音機関の専門家たる三人に向けて、さっきの話を振ったわけだが、案の定というか、技師達の返答もあまり芳しいもんじゃなさそうだ。

「お断りだ」
「知事はともかく、ここの責任者はオラクル騎士団のディストよ。ばれたら何をされるか……」

 やっぱりそうなるか。ヘンケンとキャシーの返答に、俺はどうしたもんかと首を捻る。だが即座に断りを入れた二人と違って、一人スピノザだけは、なんの反応も返さぬまま、黙り込んでいる。

 少し気になってスピノザの様子を俺が伺っていると、不意にガイが任せておけと前に出る。

「へぇ、それじゃあこの禁書の復元は、シェリダンのイエモンたちに任せるか」

 どこかわざとらしい口調で、アルビオールを作ったイエモンさん達の名前を出すガイに、ヘンケンとキャシーが目に見えて顔色を変える。

「な、何ぃー!? イエモンだとっ!?」
「冗談じゃないわ! またタマラたちが創世暦時代の音機関を横取りするの!?」

 身を乗り出して、今にも掴みかからんばかりに息を荒らげる二人。きゅ、急にどうしたんだ? 突然の変貌に、俺達は訳もわからぬまま呆気にとられていると、突然ヘンケンが顔を上げる。

「……よ、よし。こうなったらその仕事とやら引き受けてやろうじゃないかっ!」

 何かを吹っ切るように言い切った後で、直ぐに首を捻る。

「いや、だが俺達だけではディストに情報が漏れるかもしれない。知事も抱き込んだ方がいいだろう」

 名案だとばかりに瞳を輝かせるヘンケンに、ナタリアが少し気押されながら口を挟む。

「で、ですが私達に知事を説得する材料はありません。王席からも既に抹消されていますし……」

 しかし、二人は心配する事など何も無いとばかりに、力強く胸を叩く。

「大丈夫。知事の説得は私たちに任せてちょうだい!」
「よし、知事邸に急ぐぞ、キャッシー!」
「ええ、行きましょう!」

 歳に似合わぬ機敏な動作で走り去っていく二人の背中を、俺達は一切反応できぬまま、ポカンと口を開いて見送った。

 しばらくして、ようやく我に返ったナタリアが、どこか呆れた表情でつぶやく。

「……行ってしまいましたわ」
「やれやれ。作戦の説明は知事の前で行うことになりそうですね……それにしても」

 ジェイドが眼鏡を押し上げながら、ただ一人残った老人に視線を向ける。

「スピノザ。あなたはどうするつもりですか?」
「わ、ワシは……」

 ジェイドの呼び掛けに、スピノザがたじろぐ。その視線は何故か、俺に向けられている。

 理解できない反応に眉をしかめるが、ふと思いつく。そう言えば、スピノザはヴァンのレプリカ作成に協力してたんだったな。俺に見覚えがあっても奇怪しくない訳だ。一瞬それで納得しかけるが、それにしては、怯えたような視線を向けられる理由がわからない。

 俺は相手の視線に苛立ちを感じながら、スピノザを睨み返す。

「……あんだよ? 言いたいことがあるならさっさと言えばいいだろ」
「お前なぁ、そんな眼付けながら言われても何も言えないと思うぞ」

 ガイが呆れたと額を押さえるが、俺としては別段スピノザに気を遣ってやるような理由は存在しない。

 眼力を弱めることなく睨み続ける俺に対して、スピノザが震える声を洩らす。

「……ワシが憎くないのか、ルークよ」

 周囲をせわしなく動き回る研究員達のざわめきが聞こえる。駆動する音機関の無機質な音が耳に届く。

 問い掛けは、どこか俺の耳から遠い場所で響いた。

「ワシは……お前がアクゼリュスで捨てゴマとされる事を知りながら──作られたレプリカが超振動をもってアクゼリュスを崩落させると知りながら、ヴァン様やディストに求められるまま、フォミクリーに手を出した」

 伏せられたスピノザの眼が、俺と視線を合わせることを恐れるように、せわしなく動き回る。

「……いや……そうではない。自ら進んで、嬉々として禁忌に手を出したのじゃ」

 胸の前で合わせられた手が、何度も組み直される。伏せられていた目が上向き、初めて俺の顔を捉える。

「教えてくれ、ルーク……ワシは……ワシはどう償えばいい……?」

 自らの罪を全て吐き出そうとするかのように──スピノザは懺悔の言葉を口にした。

 誰も言葉を発さない。

 向き合う俺とスピノザに視線を注ぎ、誰もが待っている。

 フォミクリーによる人体複製という禁忌に手を出したスピノザ。アクゼリュスを崩落させ、自らも死ぬことが定められている存在と知りながら、俺を生み出す研究に協力したのだと、この老人は訴える。

 全てを知りながら、動こうとしなかった自分はどう償えばいいかと、この、俺に、縋り付く。

 ふざ、けるなよ……っ!

 今にも罵りの言葉が、口をついて出そうになる。俺は自身の苛立ちを押さえるために、瞼を閉じて、息を吸い込む。

 落ち着け……こいつは、別に悪意を持って俺に問いかけているわけじゃない。アクゼリュスの崩落にも、これといって関与していたわけではない。ただ、知っていただけだ。手を出さなかっただけだ。

 何度も自分に言い聞かせた後で、俺は自らの表情を消し去り、目の前の老人を見据える。

「……俺がどう思っていようが、あんたには関係ない話だろ?」

 ようやく絞り出した声は、自分でもゾッとするほど冷えきったものだった。

「せいぜい、自分で考えるんだな」

 どう償えばいいか、そんなものがわかっていたら……それこそ、俺が真っ先にやっている。

 謝る相手すら存在しない俺にとって、スピノザの行為はどうしょうもなく苛立ちを──嫉妬を掻き立てるものだった。

 俺の吐き捨てた答えに、スピノザは憔悴しきった様子で、顔を俯ける。

「そうじゃな……今更、何を言っているのじゃろうな、ワシは……。すまなかった、ルーク」

 謝罪を聞いた後も、苛立ちは納まらなかった。

 だが、それでも──うなだれるスピノザの姿が、どうしょうもない程、崩落直後の自分に重なって見え、気付けば俺は口を開いていた。

「……別に恨んじゃいないさ」

 ポツリとつぶやかれた俺の言葉に、スピノザが顔を上げるのがわかる。俺はスピノザから顔を背け、言葉を続ける。

「あんたがフォミクリーに手を出さなきゃ、そもそも俺は存在しなかったわけだしな」
「ルーク……ワシは……」
「どう償ったらいいかなんて……俺にだってわからない。けどな、スピノザ……一つだけ聞かせてくれよ」

 何か言おうとした相手の言葉を遮り、俺は問いかける。

「あんたも、このままで良いとは思っちゃ居ないんだろ? だったら……何をすればいいかも、本当はわかってるんじゃないか?」

 スピノザがはっと目を見開き、自らの両手を見下ろす。

 次第に肩を震わせ始めた相手の姿を最後に、俺はスピノザから再び顔を背ける。

「……俺に言えるのは、それだけだよ」

 俺の返した言葉に、過去の罪に怯える老人は顔を俯けると──低く、低く、嗚咽を洩らした。


 その後しばらくして、ようやく落ち着いたスピノザは俺達に協力を申し出た。

「ヴァン様は恐ろしい……だが、ワシは……ワシは、償いたい」

 身体を震わせながらも、スピノザは力強く宣言した。その瞳には硬い意志の光が宿り、彼が自分の答えを見つけたことを、俺達に教えてくれた。

 スピノザを伴い知事邸に向かう。

 その間、俺は自分自身はどうなのか、考え続けていた。償いの仕方はわからない。だから、目の前にある事に手を出してきた。だが、イオンやスピノザは、自分にしかできないことを見つけ、それに手を伸ばしている。

 俺もそろそろ、自分にとっての償いの術を、見つけないといけない頃合いなのかもしれないな……。

 これまでの旅路で出会った人々と交わした会話を思い返しながら、俺は自身の答えについて、考え始めた。


 * * *


 知事邸に到着すると、既に知事に対する説得はヘンケンとキャシーの二人によってされていたらしく、とんとん拍子で話は進み、すぐに本題に入る事になった。

 魔界と外郭大地、セフィロトとパッセージリングの関係、流動化した大地を本に戻すためにどんな音機関が必要となるのか。全てを説明された後で、最初技師達は驚きに固まっていたが、すぐに我に返って、具体的な計画を立てはじめた。

「まず地核の振動周波数を計測する必要があるな」
「地殻の振動周波数?」
「ああ、そうだ」

 よく意味の掴めない用語に、スピノザがかみ砕いた説明をする。

 それによると、なんでも液状化の原因になっている地殻振動に対して、同じ波形の振動を与えることで地殻の振動そのものを打ち消すのが、禁書に記されていた音機関の機能だという。そして計測には、未だ魔界に沈んでいないセフィロトで、パッセージリングに計測装置を取り付けなければならないらしい。

「しかし、厄介だよな……」
「シュレーの丘もザオ遺跡も魔界ですの」

 ミュウが洩らした言葉の通り、俺達が知っているセフィロトは全て魔界に沈んでいるものばかりだ。

「一度ダアトに戻るのはどうかしら? どちらにせよセフィロトの入り口はダアト式封咒で封印されている以上、導師イオンの協力が必要よ」
「ああ、それにセフィロトの在る場所を俺達は正確に把握してないからな。そっちに関しても、教団で調べ物してるイオンなら、何か知っているかもしれない」

 ティアとガイの提案以外に、特これといった考えは上がらなかった。

「それじゃ、俺達はダアトに向かうってことでいいか?」

「異論はありませんわ」
「ま、仕方ないでしょうね」
「イオン様、大丈夫かなぁ……」

 とりあえず問題は無さそうなので、俺達はさっそくダアトに向かうべく歩きだす。

「いや、待て。とりあえず計測器だけなら明日までに完成できる。今日の所はこの街に泊まっていたらどうだ?」

 ヘンケンの呼びかけで、確かにこのままダアトに言っても、またベルケンドに戻って来るのは二度手間かもしれないと思えてきた。だが同時に、このまま動かないでいるのも落ち着かない。

 自分では判断がつかなくなって、俺は皆に問いかける。

「どうするよ?」
「確かに……計測器が明日にでも受け取れるなら、その方がいいかもしれない」
「今受け取っておけば、そのままダアトからセフィロトにある場所に迎えるしな」
「……そうですね。折角明日までに仕上げると言ってくれている事ですし、今日の所はここで宿を取ることにしましょう」

 ジェイドの言葉で、俺達の中でもベルケンドに泊まる事で決定した。

「それじゃ、計測器の方はよろしくな」

 呼び掛け、俺達は知事邸を後にしようと背を向ける。

「……本当に、すまなかったな、ルーク」

 去り際になって、スピノザが小さく、俺に声を掛けてきた。

 どこか感謝するように、謝罪の言葉を口にするスピノザに対して、俺は少し気後れするものを感じながら頬を掻く。

「まあ、いろいろと偉そうな事言っちまったけどさ。あんたはあんたで、その……頑張れよ」

 スピノザの答えを待たず、俺はさっさと彼に背を向け外に向かう。背後でヘンケンとキャシーがスピノザに対して心配そうに声をかけているのが聞こえた。

 だが、これ以上は自分の関わることではない。俺はそのまま振り返らずに、知事邸を後にした。


 * * *


「スピノザの奴……変わったな」

 知事邸から外に出た所で、ガイが突然洩らした言葉に、以前ベルケンドを訪れたことの在る連中が複雑そうな表情を浮かべる。

「ええ……以前の彼は自らの犯した罪から目を逸らし、何一つ認めようとしていませんでした。それが今では罪を自覚し、建設的に動きだそうとしている。いろいろと気に食わない点はありますが、少なくともその点だけは、評価して上げてもいいでしょうね」

 そこまで言いきった後で、ジェイドは僅かに口元を歪める。

「……もっとも、フォミクリーの技術を生み出した私に言えた義理ではありませんけどね」

 皮肉げに付け足すと、ジェイドは眼鏡を押し上げ、自らの表情を覆い隠した。

 そう言えば、ジェイドはフォミクリーの生みの親だったな。だとすると、スピノザの洩らした言葉は、ある意味大佐にとっても耳の痛い部分もあったってことだろうか。

 黙り込んでしまったジェイドに向き直って、俺は考えがまとまっていないまま、とりあえず口を開く。

「まあ、スピノザにも言ったけどよ。フォミクリーって技術が無ければ俺って存在は生まれなかったんだ。だからフォミクリーって技術を生み出してくれた事に関しては、ジェイドにも感謝してるよ」

 俺の言葉にジェイドは苦笑を浮かべながら、眼鏡から手を離す。

「そういう問題ではないのですけどね……まあ、少し気を使わせてしまったようです。すみませんね」

 どこかヒネクレタ言葉だったが、大佐らしいって言えばらしい言葉かもな。

「とりあえずさ、今後の事について話しとかないか?」
「だな。まずはイオンとどう面会したもんかねぇ……」

 俺達はフォミクリーに関する話題を打ち切って、今後どう動くかについて話し始める。

 互いに言葉を交わしながら、ああでも無い、こうでも無いと言い合いベルケンドの街を歩く。


 ──通りすぎた脇道から伸びる路地の向こう。

 ──腰に剣を吊るした詠師服の男が、オラクルの兵を引き連れ歩いているのが視界に映る。


 俺は今にも通りすぎそうになった路地を振り返り、歩みを止める。

 自分の眼にした光景が信じられなかった。

 鼓動が激しく打ち鳴らされ、胸を締めつけるような息苦しさが俺を襲う。

 まさか……あいつが……この街に居るって言うのか……?

 思い立ったと同時に、俺は脇道に駆け込む。周囲に視線を彷徨わせながら、奴を探し求める。ベルケンドは敷地のほとんどを研究所が占めているせいか、路地を行き交う人々の姿も滅多に見かけない。だから、俺が眼にした相手は、確かに存在するはずだ。この街のどこかに、奴が……

「おいルーク、どうしたよ?」
「どうしたの、ルーク?」

 突然走り出した俺の後を追って、皆が怪訝そうに問いかける。

 だが俺は質問に答えることなく、ひたすら周囲を見回しながら、街の中を駆けずり回る。

 俺の様子に何かを察してか、皆は首を捻りながらも、特に呼び止めるでも無く俺の後に続く。

 そうして数分が経ち、数本の路地を駆け抜け、十字路の一つを曲がった先で──俺はついに、奴を見つけた。

「ヴァ────ァァア──ンッ!」

 限界まで開かれた口から、自身の鼓膜を突き破りかねない程の叫び声が上がった。

 ヴァンの視線が、俺を捉える。

 僅かに驚いたように目を見開くと、ヴァンはこの俺を見据えたまま──嘲けるような笑みを浮かべた。

 意識が、沸騰する。
 思考が、断ち切れる。

 重心を前に倒し走り出す視界の端を流れ行く光景を眼に写しながら通りを駆け抜ける姿勢を低く低く落とし込み捩じらせた上体の反動を利用しながら腰につり下げた刀の柄に手をかけ一気に引き抜いて切り上げ────


「──無様だな」


 声は、俺の背後から囁かれた。

 俺がそれに気づき振り返るよりも先に、背中を衝撃が突き抜ける。

「がぁ──っ……っ!」

 衝撃の余波に俺の身体は吹き飛ばされた。数度地面を転がった後で、ようやく勢いが消える。俺は震える身体を無理やり起こし、地面に片膝をついて剣に身体を預けながら、殺気を込めた視線を向ける。

 ヴァンは剣を鞘に納めると、何事も無かったかのように、自然な動作で口を開く。

「あまりにも、底の浅い攻撃だったな。いったいどうした? お前らしくもない。そのような無様な攻撃を許すような教えを施した覚えはないのだがな」

 かつての屋敷で過ごした日々。ヴァンと明け暮れた訓練の記憶が蘇る。

 当時と何ら変わること無く、冷静に俺の行動を評価するヴァン。そんな奴の態度に、俺は胸の内をかき乱す、どこまでも暗い感情が──憎悪が、燃え上がるのを感じた。

『ルーク!』

 突然の俺の行動に動きを止めていた仲間達が、ようやく動き出す。地面に膝をつく俺を背後に庇うように陣形を取り、ヴァンや他のオラクル達を牽制する。

 ヴァンはそうした俺達の様子を一瞥すると、さして興味も無さそうに視線を外し、俺の傍から離れた。

「兄さん……いったい何を考えてるの? セフィロトツリーを消して外殻大地を崩落させてまで、いったい何がしたいの?」
「そうだよ、総長! ユリアの預言にも、こんなこと詠まれてないのに……」

 同じオラクルであるティアとアニスの問い掛けに、奴は瞼を閉じ、静かに言葉を返す。

「ユリアの預言か。……馬鹿馬鹿しい。あのようなふざけたものに頼っているから、いつまで経ってもこの世界は、滅びの道から抜け出せぬのだ」
「あなたこそ外殻大地を崩落させて、この世界の滅亡を早めているではありませんか!」

 世界そのものを嘲るように吐き捨てられた言葉にナタリアが叫ぶ。だが、ヴァンはさして気にした様子も見せずあっさりと答える。

「それがユリアの預言に支配された世界から解放される唯一の方法だからだ」
「ま、確かに死んでしまえば預言も関係ないですからねぇ」

 皮肉げに応じるジェイドにも、ヴァンは悠然と否定を返す。

「違うな。死ぬのは呪詛の如く世界に絡みついたユリアの預言と、それを支えるローレライだ」

 突然、ローレライという存在が出て来た事で、俺達は少し困惑する。

「ローレライって……第七音素の意識集合体の? まだ未確認なんじゃ……」
「いや、存在する」

 即座に断言すると、ヴァンは両手を広げながら、世界を指し示す。

「あれが預言を詠む力の源となり、この星を狂わせている。ローレライを消滅させねば、この星は預言に縛られ続けるだろう。奴を滅することで始めて、スコアに縛られた世界から人類は解放されるのだ」

 ──オールドラントの力を解放すると言われている

 自らの目的を語るヴァンの言葉に、俺はダアトで耳にした情報が蘇るのを感じる。

「……惑星譜術の触媒を使って、か?」

 斬り付けるように鋭く問いかけた俺の言葉に、ヴァンがほうと感嘆の息を洩らす。

「気付いたか。いや、ダアトで導師、あるいは他の詠師から耳にしたのか……」

 顎先に手を添え、ヴァンが興味深そうに俺を見据える。

「アクゼリュスや、ザオ遺跡でしていた行為も、ローレライの消滅が目的だって言うのか?」
「突き詰めれば、その通りだ」

 頷き返すヴァンに、しかし俺は訳がわからなくなる。

「惑星譜術を復活させることで、ローレライを滅することができるって言うのか?」

「さて……な。そこまで明かす義理もあるまい。いずれにせよ、今やローレライは急速に其の力を衰えさせ始めている。奴の消滅は、もはや時間の問題と言ってもいいだろう」

 肝心の部分は口にせずに、ヴァンは自らの発言をそこで打ち切った。

「それが大地の崩落させてまで、今ある世界を滅ぼしてまで成し遂げるようなことなの!? 答えて兄さん!!」

 ティアの悲痛な訴えにも、ヴァンが感情の浮かばない視線を向ける。

「今更一つ二つ、大陸が新たに崩落しようと、大した問題ではなかろう。かつてホドも崩落した。だが──見よ、スコアのまま動かされる世界は、何一つその罪を自覚すること無く、続いている」

 引き上げられた両の腕が左右に広げられ、呪いの言葉と共に世界を指し示す。

「犠牲を犠牲として受け止めること無く、その咎を自覚することすらせぬまま、世界は無為に続いていく。このような世界が生まれた最大の元凶は何なのか……お前達も知っていよう?」

 確定された事象の流れ──ユリアの残したスコア。

「決して許せるものか。踏みにじられた者達の存在を自覚する事も無く、引き起こされた犠牲からも目を背け、果てはすべてを忘却の淵に追い込ませてまで、生き汚く続いて行こうとする、スコアに支配された停滞世界など──」

 ──滅びてしまえ。

 絶望の深淵を覗かせるヴァンの叫びに、俺達は気押され、言葉を失くす。

 周囲を圧倒する気配はそのままに、ヴァンは俺達の顔を見渡し、ガイに視線を据える。

「それはお前とて同じであろう──ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。ホドが消滅することを預言で知りながら見殺しにした人類は、愚かではないのか?」
「それは……」

 何かを言い返そうとするガイの言葉を遮り、ヴァンは更に言い添える。

「私の気持ちは今でも変わらない。かねてからの約束通り、貴公が私に協力するのならば喜んで迎え入れよう」

「かねてからの約束……?」

 理解できないヴァンの申し出に、俺は混乱したまま、ガイに顔を向ける。

「ガイ、どういうことだ?」
「……俺は」

 言いよどむガイの言葉を制し、ヴァン・グランツは代りに答える。

「ガルディオス伯爵家は、代々我らの主人。ファブレ公爵家で再会した時から、ホド消滅の復讐を誓った同志だ」

 耳にした言葉が、一瞬理解できなかった。

 だが心のどこかでは、そういうこともあるかもしれないと、冷静に受け止めている自分が居た。

 何一つ言葉を返せないガイから視線を外し、ついでヴァンは俺に視線を合わせる。

「そして、哀れなレプリカルークよ。お前とて既に理解しているはずだ。この世界の醜さを、愚かさを。かつて……告げたことがあったな。お前は兵器として管理されている存在だと。だが、真実はより醜悪ものだったはずだ。バチカルに一度帰還した身なら、既に思い知ったことだろう」

 ──身の程を知れ、逆賊が

 ──アクゼリュス崩落の事実をもって、我等はマルクトに宣戦布告する。

「お前は兵器としてすら見なされていなかった──単なる捨てゴマでしかなかったという事実を」

 ヴァンの言葉に混じって、バチカルで投げ掛けられた無数の言葉が脳裏に蘇る。

 顔を歪める俺を見据えながら、そこで僅かにヴァンはその口調を緩める。

「だが……お前は捨てゴマなどでは有り得ない。その経緯はどう在れ、アクゼリュス崩落という絶望的な状況を乗り越え、お前は再び我が前に立った。故に──私はお前にも問い掛けよう」

 差し出された手が、俺達に突き付けられる。

「私が下に来い、レプリカルーク、ガルディオス伯爵よ。お前達二人とて、この私の手を取るに足る理由が、十分過ぎる程に存在するはずだ。お前達が私の下に降るなら、私は喜んで歓迎しよう」

 ヴァンが俺達を見据え、呼び掛ける。周囲を圧倒するヴァンの気迫に、空気が泡立ったかのような錯覚を覚える。ヴァンの顔に浮かんでいるのは、俺達がその手を取って当然という余裕の笑みだった。

 誰一人動き出せない中、どこまでも張りつめた空気がその場を満たす。

「私の下に来い……か」

 俺は剣を鞘に納め、立ち上がる。踏み出した足先は、ヴァンの方へ向いている。

「どうしましたのルーク!?」
「おいルーク!?」
「な、なんで、ルーク!?」

 戸惑ったような声を上げる皆に答えず、俺は進み続ける。声を上げなかった二人の内の一人、ジェイドは顔を引き結び、その赤い瞳を俺に向けている。そしてもう一人──ティアはその顔に動揺を浮かべることもなく、いつものように、ただ静かな瞳を俺に向けている。

「そうだ。それでいい……さぁ、我が手を取るがいい、ルーク」

 目の前に立つヴァンが俺に、腕を突き出す。

 俺は突き出された腕に手を伸ばし──無造作に、跳ね除ける。

「ふざけるなよ……」

 顔を俯けた俺の口から、震えた声が漏れる。

「スコアに支配された世界……崩落すら見過ごした世界。それを恨んでないわけじゃない……」

 スコアなんてものに縛られていなければ、いったいどれだけの人間が助かったのか、一度も考えなかったわけじゃない。

「だがな……っ!」

 ギシリと歯を噛みしめながら顔を上げ、俺は目の前に立つ相手を睨む。

「俺は認めねぇっ! 認められるものかぁっ! 結局は世界の流れに任せるままアクゼリュスを……そこで生きる人々を俺に殺させたあんたをっ! 絶対に……認めるものかよっ!!」 

 息を荒らげながら、腕を振り回し、俺は激情に任せるまま訴える。

「どんな御託を並び立てようが……結局あんたのやっていることはなぁっ! 単なる──人殺しにすぎねぇんだよっ!!」

 かつての師にして、今や憎悪を掻き立てる対象に、拒絶の言葉を叩きつけた。

 ヴァンはそんな俺を哀れむように、どこまでも静かな視線を俺に向け、淡々と問いかける。

「……お前はそれでいいのか? お前を捨てゴマとして利用したバチカルの者達を許せるのか?」

「俺は……自分が捨てゴマと見なされようが構わない。……復讐しようだなんて気も起こさない。……今更誰かに必要とされようとも思わない」

 たとえ過去に俺がどう見なされ、どう扱われていようが、そうした記憶も、全て俺だけのものだ。

「利用されるのだけは……もう二度と、御免だからな」

 この想いまで──利用されてたまるものか。

 炯々とギラついた光を放つ瞳を向けながら、俺は一瞬足りとも視線を逸らすことなくヴァンを睨み付ける。そんな俺からヴァンも顔を背けることなく、言葉を続ける。

「では、アクゼリュスを崩落させたお前が、許されるとでも思うのか? スコアにすら詠まれて居ないお前の存在が認められると思うのか? このスコアに支配された世界に──お前の生きる場所があるとでも思っているのか?」

 ──お前の存在が、世界を狂わせているのではないか?

 ダアトでされた、モースの問いかけが蘇る。

 俺は押し黙って、問い掛けられた言葉の意味を考える。

 それは、俺が未だ答えの見出せていない問い掛け。

 決して無視できない、いつか答えを出さなければいけない問題だった。

 だが、いつか答えを出さなきゃいけない問題ならば──

 ──その〝いつか〟は〝今〟であっても、何らおかしくないはずだ。

 未だ形になっていない答えを探し求め、俺は見出した思いの切片を、言葉として紡いで行く。

「……世界中の誰もが、俺が存在すること自体が、そもそも間違ってるんだって責め立てようが……俺は、生き抜いて見せる」

 ──負けるものか。

 二年前のあの日。見上げた空の下で決断したように──絶対に、逃げ出したりなんかするものか。

「殺したお前が何を言うって返されるかもしれない。俺だって……そう思わない訳じゃない。だけど俺は……そうした罵倒も受け止めた上で、生き抜いてやる。俺は生きて、生きて生きて生き抜いて──」

 ──本気で変わろうと思ったなら、変われるかもしれない

 崩落の後、ユリアシティで目覚めた俺が、セレニアの花に囲まれながら、彼女と交わした言葉が唐突に蘇る。

「そうだ……答えは既に……出てたんだ」

 あれだけ昂っていた感情の波が、嘘のように鎮まり返る。

 俺は胸の前に手を当て、この想いを確かめる。

「俺は……もう誤魔化さない。既に……わかりきってることだったよな」

 一瞬だけ、ヴァンから視線を逸らす。

 視線を向けた先、ヴァンと対峙する俺を静かに見据える彼女の瞳を確認する。

 俺の視線に気づいた彼女は一瞬瞳を揺らめかした後で、強く握り締めていた杖から力を抜く。次いで俺の向ける視線を不甲斐ないと叱咤するように強く見つめ直すと、俺の抱いた想いを肯定するように──深く、頷きを返してくれた。

 崩落から考え続けていた贖罪の意味。自分の頭の悪さに責任を押しつけ誤魔化すのを止めて、ずっと自分にできることは何か、考え続けていた。

 誤魔化さないとは言っても、俺のバカさ加減が変わり無い事に違いは無く、出口の見つから無い答えを、俺はいつまでも探し求めているような錯覚に陥っていた。

 だが……

 ──この過ちを繰り返さないために、私も前を向いて歩くわ、ルーク

 ……答えは、こんな近くにあったんだな。

「もう二度と繰り返さないために、前に進むために、俺はもう自分にできることを誤魔化さない……」

 自分にできることを誤魔化さないのも……自分にしかできないことをするのも……実際はさして違いは無いのかもしれない。仮に違いがあったとしても、それは本人の自覚の有るか無いか……自分にとって出来ることが何か、既に理解しているかどうか……その程度の違いにすぎないんだろうな。

 これまで感じていた激情が──あれだけ燃え上がっていた憎悪の焔が、急速に鎮まり返るのを感じながら、俺は自らの抱いた想いを、言葉に込める。

「……過去に囚われるのでも無く、ただ忘れるのでも無い。すべてを受け止めた上で、俺はバカみたいに懲りずに、それでも前を向いて──」

 目の前の相手に視線を戻し、俺はようやく見出した答えを口にする。

「──償って、見せる。だからヴァン・グランツ、俺はあんたには従えない。それが、俺の答えだよ」

 かつての師に対して、決別を告げた。

 時折吹き抜ける風が、路地を駆け抜け、この場の停滞した空気を押し流す。

 ヴァンは瞼を閉じ、静かに俺の言葉に耳を傾けていた。

 告げられた言葉の意味をゆっくりと噛みしめるように、十分な間を置いた後で、ヴァンは──どこか満足げな笑みを口元に浮かべた。

「ふっ……ふふっ……やはりお前もまた、この私を拒絶するか」

 額を手で覆い隠し、低く言葉を洩らす。

「……可能性は未だ定まらぬということか……」

 どこか異様な気配を撒き散らしながら、ヴァンの双眸が額を覆い隠す掌の隙間から、俺を捉える。

「ならば、いっそのこと……ここで……」

 額から離された腕が俺に伸ばされる。近づく腕が俺の額に近づく。俺の身体は動かない。伸ばされる指先を、俺は身じろぎ一つすることもできぬまま見据え、伸ばされる、指先が、俺の額に……

「──何を惚けてやがる、能無し!!」

 飛び込んだ声と同時、周囲に甲高い音が鳴り響く。

 俺とヴァンの間に割って入ったのは、黒い教団服を着込んだ赤毛の男。

「アッ、シュ、か?」
「さっさと下がれ、邪魔だっ!」

 すぐ目の前で交わされる剣戟に、俺も我に帰って、慌てて後ろに下がる。

「アッシュ。お前もいい加減、我を通すのは止めろ」
「黙れっ! いったいてめぇは何を企んでやがる!」

 交錯する刀身が、鍔迫り合いを演じる。

「ローレライの消滅。スコアに支配された世界からの解放。それだけだ。お前とて、我が理念に共感していたと思ったが?」
「外郭大地を崩落させるだなんて、馬鹿げた行為まで認めた覚えはねぇ!」

 剣戟越しに交わされる言葉が、さっき交わした俺とヴァンの会話に繋がる。

「二人そろって、どちらも強情なものだな。これも完全同位体故か?」
「ちっ……あんなレプリカと一緒にするなっ!」

 苛立ちに、剣を握る手に余計な力が籠もったのか、アッシュが体勢を崩す。当然ヴァンがそれを見過ごすはずも無く、渾身の振り降ろしがアッシュを打ち据える。

「ちっ──!!」

 吹き飛ばされたアッシュが土埃を舞上げながら後退し、剣を地面に突きたて勢いを殺す。

「まあいい。今はまだその時ではないということだろう……」

 剣を鞘に戻し、ヴァンは俺達を見据える。

「それに、今のお前達の状態を知ることができたのは、それなりの収穫だった。崩落に対処するというなら、好きにするがいい。だが、それもすべては無駄な行いに過ぎん。未だ世界は、スコアに打ち込まれた楔から、何一つとして逃れられていないのだからな」

 どこか遠くを見据えながら、囁かれたヴァンの言葉が俺達の耳を打つ。

「パッセージリングの耐用年数は二千年……全ては、未だ確定された事象のまま流れているにすぎない。……世界の崩落とて、所詮定められた流れの一つにすぎないのだよ」

 外郭大地の崩落それ自体が、スコアに定められていた事柄だって言うのか?

 驚愕に目を見開く俺達の中で、ジェイドはある程度予測していたのか、一人苦い顔で黙り込んだ。

「ルーク、アッシュ、どちらでも構わん。このスコアに支配されし世界に見切りがついたならば、いつでも我が下に降るが良い。私はお前達を歓迎しよう」

 ローブを翻し、俺達に背を向けながらヴァンは最後に囁く。

「……最後に我が前に立つのは、はたしてお前か、それともアッシュか……ふっ。どちらにせよ、同じことか」

 オラクルを引き連れ、ヴァンは悠然と去っていった。

 ヴァン達が完全に去ったのを確認し、ようやく俺達を包んでいた緊張が消え失せる。

「……は~。総長がこんな所にいたなんて、もー、びっくり。しかもオラクルの騎士団員を自分の兵士みたいにしてて、なんか感じ悪い!」

「やれやれ……とんだニアミスですね。それにしてもルーク。未だ私達は崩落に対処できていない。あのまま本格的な戦闘に突入するような事があったら、すべてが無駄になるところだった」
「……すまねぇ」

 ジェイドの苦言に、俺も今回ばかりは素直に頭を下げた。我を忘れるような真似は二度としないって誓ったはずだったのだが……今回は碌に心構えもできないままヴァンの姿を眼にしたせいで、自分を抑えきれなかったようだ。

「本当に、すまねぇな……」

 うなだれる俺に、皆もそれ以上責めることなく言葉を止めた。

 一人所在無さげに佇むアッシュに気づき、俺はさっきのやり取りを思い出す。

「そう言えば、アッシュもすまなかったな。なんか助けられちまったみたいだ」

「……ふん。俺はヴァンの動向を探っている内に、偶然この場に行き着いただけにすぎん。てめぇに礼を言われるようなことをした覚えはないな」

 やれやれ、こいつも変わらないよな。あっさりと切って捨てるアッシュに、俺は苦笑を浮かべた。

 憮然とした表情で俺を見据えていたかと思えば、不意にアッシュが真剣な表情になって口を開く。

「……お前達に伝えておくことがある。導師がまた、さらわれたらしい」

『!?』

 アッシュの告げた言葉に、俺達は驚愕する。だが、直ぐにそうなっても何らおかしくないと我に返る。

「そうか……くっ……やっぱりそうなったか」

 モースが対処するとは言っていたが、執務室で聞いたディストとの会話からもわかるように、オラクルのほとんどを手中に納めるヴァンには、今一歩力及ばなかったってところか。

「少しダアトで調べたいことがあったんでな。その際に、導師がさらわれたと教団の連中が騒いでるのを耳にした。俺がベルケンドに来たのも、一連の騒動からヴァンがここに来ているらしいと聞いたからだが……お前らは、ベルケンドに何をしに来たんだ?」

 不審そうに問いかけるアッシュに、ジェイドが当然のようにガイを前に出す。

「それではガイ、説明をお願いしますね」
「また俺かよ……っ!? ま……まあ、いいけどさ」

 驚愕の声を上げた後で、直ぐに肩を落として、ガイが諦め顔になって説明を始める。

 パッセージリングの暴走がどうにもならない以上、地核の液状化に対処するしかないとわかった。そのためにベルケンドの技師の手を借りて、地核の液状化を改善する音機関の復元を依頼しに来た。だがその為には未だ外郭大地に存在するセフィロトで、地核の振動数を計測する必要がある。

 そんなガイの説明を聞いて、アッシュがようやく納得行ったと頷いた。

「なるほど……だがそうなると、導師がさらわれたのは痛いな」
「まあ、確かにそうだよなぁ……」

 セフィロトの入り口を守っているダアト式封咒は、導師にしか解けない。だが、俺達の知っているダアト式封咒を解除されたセフィロトは全て魔界に崩落しているものばかりだ。

「他のセフィロトがどこにあるかも、未だによくわかっていませんしね」
「確か、大陸に一個あったような気もするんだがな……正確な場所となるとさっぱりだな」

 どうしたものかと次々に話しはじめた俺達に向けて、アッシュがボソリとつぶやく。

「……確か、ダアトにもパッセージリングがあったはずだ。それも封咒の解除されたやつがな」

 突然飛び込んだ情報に、俺達は一瞬惚けた後で、顔を見合わせる。

「まじかよ?」
「初耳だわ……」

 顔をしかめる俺達の中で、アニスが突然両手を上げてどこかわざとらしい口調で叫ぶ。

「そ、そうだね~。私も初めて知ったよ!」

 アニスがなんだか挙動不審だったが、それを気にするよりも先にアッシュが言葉を続ける。

「一年程前に、ダアトのセフィロトで一般には非公開のまま行われた実験があったらしい」
「セフィロトで実験……ですか?」

 ジェイドの洩らした言葉に、アッシュが頷きながら先を続ける。

「ああ。なんでも地核に沈んだと言われていた或る物をサルベージするのが目的だったそうだ」
「ある物?」
「お前らも既に眼にしてるはずだ」

 疑問符を浮かべる俺達に、アッシュが腰に差していた剣を抜き放つ。

「地核に沈んだと言われたユリアの作りし響奏器……ローレライの鍵だ」

 なるほど、そうやってローレライの鍵が引き上げられたわけか。

「でも、教団が行った実験なら、なぜお祖父さまはローレライの鍵の存在を知らなかったのかしら?」

 ティアの洩らした言葉に、アッシュがそれも当然の疑問だろうと頷きながら先を続ける。

「どうもユリアシティにも極秘で行われた実験だったらしい。当時の教団上層部も、実験が行われた事は知っていても、その詳細に関しては知らされていなかったそうだ。……ヴァンと協力関係にあった奴ら以外にはな」
「詳しい割には……なんか人から聞いたように言うんだな」

 ガイの言葉に、アッシュが顔を歪める。

「……その頃の俺は、外に出されていた。ちょうどシンクの監視が張りつき始めた時期だったからな」

 忌ま忌ましげに舌打ちを洩らすと、アッシュは俺達に向き直る。

「ともかく、お前らは地殻振動数の計測に向かえ。導師の方は俺が追ってやる」
「そっか。まあ、いろいろとありがとな、アッシュ」
「ふん。導師を追っていれば、そのうちヴァン達の潜伏場所もわかるだろうからな。礼を言われる筋合いはねぇ」

 いつもの調子で憎まれ口を叩くと、アッシュはさっさと身を翻し、俺達に背を向けた。

「アッシュ……」

 思わずといった感じで呼び掛けたナタリアに、アッシュが一瞬その歩みを止める。

「……何だ?」
「あ……その……」

 呼び止めながらも、特に言うべきことが見つからないのか、ナタリアは言葉に詰まった。それにアッシュは顔を背けたまま、一言を洩らす。

「……またな、ナタリア」
「! はい、アッシュ」

 そのままアッシュが完全に去ったのを見送ると、ナタリアは俺達に顔を戻した。

 彼女の瞳に宿る感情に、俺は言いたい事もわからぬまま、思わず口を開いていた。

「ナタリア……」
「大丈夫ですルーク。私は大丈夫……それよりも、これからどう動くのか。それを皆で、考えましょう?」

 気丈に応えるナタリアに、俺は続けるべき言葉を失って、彼女の顔を見据えたまま動きを止める。

 そんな俺達の様子を見て、ジェイドが間に入ってくれた。

「……そうですね。では、ダアトに向かった後どうするかについて、検討しましょう」
「だな。モースの奴が俺達にどうでるかもわからないからな」
「うーん……イオン様、またさらわれちゃうなんてなぁ……」

 ジェイドの言葉を切っ掛けに、皆がそれぞれ口を開いて話し出す。そうした皆の会話を聞く内に、俺もなんとか何時もの調子を取り戻す事ができた。

 苦笑が浮かぶのを感じながら、俺は頭を掻いて考える。

 ……こりゃ、ジェイドにはホント頭が上がらなくなりそうだよなぁ。ベルケンドに入ったとき話してた調査とやらも、もし頼まれたら協力するしかなさそうかねぇ。

 そこまで考えた所で、俺は背筋を流れ落ちる嫌な汗を感じた。

 ……いや、そりゃまた別の話だよな。うん。全く別問題だ。

 それ以上考えるのを止めて、とりあえず皆の話に加わる。

「しかし、イオンはやっぱアッシュに任せるしかないのかねぇ」
「六神将も導師にそう手荒な真似をするはずがないと信じましょう」
「なんか……微妙だな」
「仕方ありません。私達だけでできることには限りがありますからね」

 確かにそれは理解できる。理解はできるんだが……正直、あんまり認めたくない事実だよなぁ。

 まあ、俺達だけで出来ることが限られてるのも十分理解できるから、これも結局はできもしないことにグズってる、子供じみた我が儘にすぎないんだけどな。

 ため息を洩らし、俺はイオンに関してはアッシュに任せるしかないことを改めて確認した。

「それよりも問題は、やはりパッセージリングの耐用年数に関してでしょうね」

 ジェイドの切り出した話題に、俺たちも顔を引き締める。

「ベルケンドでスピノザに渡された資料や、ザオ遺跡などで実際にパッセージリングを眼にした際、私も少し疑念を抱いてはいたのですが……確信には至らなかった。しかし、ヴァン謡将があれだけはっきりと言い切ったのです。何かしらの根拠を見出しているのでしょうね」
「スコアにより定められていた崩落……か」
「どこまで兄が真実を語っていたかはわからないけど……少し調べてみる必要がありそうね」

 俺は改めて事態の複雑さを思い知らされ、少しパッセージリングに関して考えてみる。

 パッセージリングの耐用年数は……外郭大地の崩落を見越した上でのものだったのだろうか? だがダアトでイオンの確認した預言にはそんな事は記されていなかった。だとしたら詠まれているのは、失われた第七譜石だってことになる。だが、失われたと言われる第七譜石の預言を俺達が確認する術はない。

「これもアッシュがイオンを助け出したら、確認してみるしかなさそうだな」
「確かに、導師イオンに聞いてみるのが一番いいかもしれませんわね」

 煮詰まった思考をとりあえず保留し、俺は更にヴァンの残した言葉を思い返す。

 ──ガルディオス伯爵家は、代々我らの主人。

 預言に関してだけじゃない。ヴァンは、もう一つ重大な言葉を俺達に残していった。

「ガイ、さっきのヴァンとお前の話だが……」

 少し言いよどむ俺に、ガイは静かに瞳を閉じる。

「……ヴァンが言ったことは、本当だ。あいつと俺は同志だったんだ」
「同志だった、か」

 過去形で語られた言葉に、俺は少し安堵を感じながら、ガイの顔を見上げる。

「ああ。今は違う。あいつと俺の目的は……もう違ってしまったからな」

 どこか遠くを見据え呟くガイに、ジェイドがどこか面白そうに問いかける。

「それを額面通り信じろと? やれやれ。こちらが疑り深いことはご存知ですよねぇ」
「そうそう! ホントの所……どうなの?」

 冗談じみた問い掛けだったが、そこには否定を許さない、確かな疑念も含まれていた。

 思わず俺が口を開き言い返そうとしたのとほぼ同時──ナタリアの一喝が、場に響きわたる

「おやめなさいっ!」

 ビリビリと場を圧倒する大音声に、誰もが一瞬動きを止めた。

「ガイは違いますわ。彼は敵国の人間である私達を、友と読んでくれたのです。グランコマで彼が私達に語りかけたように、過去はどうであっても、今の彼はヴァン謡将とは違います」

 なんだか、俺の言いたいことを全て言われちまった感があるが、まあ、概ねその通りだよな。

 ちょっと拍子抜けしながら、口も挟めず所在無さげに突っ立っていると、ガイが俺に視線を向ける。

「ルーク……お前はいいのか?」
「まあ、なんかナタリアが俺の言いたいことは全部言ってくれたしな。特に俺から言うことは無いぜ。もうちょっと残しといてくれてもいいのになぁとか思わんでも無いけどさ」
「ははっ……そっか」

 どこかくすぐったそうに苦笑を浮かべるガイに、俺は特に意気込むでも無く言葉を返す。俺にとっては今更検討するまでも無い、取るに足らない問題にすぎなかったからだ。

「私も……ガイを疑ってはいないわ。兄さんがガイを回し者として使うつもりなら、もっと巧妙に隠すはずだもの」

 ティアが俺達二人の意見に同意して、ジェイドとアニスの顔を伺う。

「ええ。それは同感です」

 そんな俺達三人の否定を受けて、ジェイドは両腕を軽く広げて見せた。

「ま、儀礼的に疑ってみました。一応ね」

 冗談ね……本気も三割ぐらい混じってたように俺には見えたけどな。半眼で見据える俺の視線に、ジェイドはふてぶてしい態度で眼鏡を押し上げて見せた。

 ガイが改めて俺達に向き直り、照れくさそうに頭を掻きながら頭を下げる。

「まあ、いろいろと疑わしい部分が残ってるかもしれないが、とりあえず、これからもよろしく頼む」

「今更何を言ってんだかね、こいつはよっ!」
「って、いててっ! おい、痛いっての、ルークっ!!」

 ガイの頭を肘でミシミシと締め上げながら、俺はかつて、こいつにされたように、本心からの言葉を掛ける。

「昔ガイが何をしでかしてようが、改めてよろしく頼むまでもない。お前は、お前──そう言ったのはガイ、お前だろ?」

 腕の中でもがいていたガイがピタリと動きを止め、小さくつぶやく。

「……ありがとな、ルーク」

 うっ……や、やっぱこんな風に正面切って礼を言われるのは耐え難いもんがあるよな。

「れ、礼を言われるような事はなんもしてねぇーよっ!」

 なんとも言いようの無いむず痒さを覚えて、照れくさくなった俺は乱暴に言い返すと、ガイに背中を向けて歩き出す。

 そんな俺の態度にガイが苦笑を浮かべながら、俺の隣に並ぶのだった。

「……そうやって甘くしてると、いつか手痛いシッペ返しを食らうよ」

 少し俺達から離れた位置で、低く呟かれたアニスの言葉が、妙に俺の耳に残った。


 翌日、スピノザ達から計測器を受け取った俺達はベルケンドを離れ、再びダアトに向けて飛び立った。

 しかし昨日まで俺達が居た場所だけに、正直な話、移動がものすごく億劫に感じてしょうがない。

 ……俺も贅沢になったもんだよなぁ。

 俺はアルビオールから地上を見下ろす

 かつてバチカルで暮らしていた時とは比べものにならない程までに、今や拡大した自分の行動範囲を思い、俺は少し呆れ返るものを感じながら、苦笑を洩らした。



[2045]  聖なる哉、聖なる哉 ─緋の御柱─
Name: スイミン
Date: 2006/08/27 16:59
【鮮血、滴リ落チ】


 日の光さえ届かない地の底。軍靴の擦れる音が不気味に洞窟内に反響する。それ程大人数でもない集団にとって、暗がりの中、明らかに誰も居ないとわかっている空間から聞こえる反響音は、怖気を掻き立てるには十分なものがあった。

 天井から滴り落ちた水滴が、一際甲高い音を立てる。

 思わずギクリと身を竦ませ、動きを止めた行軍に、集団の先頭に立つ、漆黒の教団服を着込んだ男が背後を振り返る。真紅の長髪が後ろに流れる中、男は苛立たしげに己の部下を睨み据える。

「……何を怯えている。さっさと測量を済ませろ」
「は、はっ!」

 明らかに上官と分かる男の叱咤に、全身鎧を着込んだ騎士達は慌てて敬礼を返すと、手に手に測量道具を持ち直し、周囲に分散して行った。そんな己の部下を横目にしながら、真紅の長髪の男──アッシュは忌ま忌ましげに舌打ちを洩らす。

 戦闘が本職でないにしろ、あまりに情けない。沸き上がる苛立ちを静めるため、アッシュは部下たちの存在を意識的に無視しながら、周囲を見渡す。

 暗い洞窟には澱んだ空気が沈殿し、自分達が久方ぶりに訪れた来訪者であることを知らしめる。

「……セフィロトか」

 低く呟きながら、アッシュは自分がここに寄越された経緯を思い返した。


 ──お前には各地に点在するセフィロトの正確な場所を確認し、周辺の詳細な地図を作成して貰う

 突然作戦室に呼び寄せられたかと思えば、あの男は何の前置きも無しに、自分にそう告げた。

 あまりに突然の辞令に困惑していると、こちらが反応するのを待つまでもなく、たたみかけるように今回の指令の目的を説明された。

 ──連れて行く部隊には正確な測量と、精密な地図の作成が可能な者を寄越そう

 なぜ俺達の部隊を使う? やや憮然としながら、アッシュはようやく口を開き、相手に問いかけることができた。それに相手は当然の質問だとばかりに頷き、どこか信用の置けない曖昧な答えを返す。

 ──これは公式の任務ではない。故に、他の師団を動かすわけには行かないからな。お前達、特務師団の者に任せる事になった。

 ……期間はどれくらいになる? 芽生えた不信感が決定的なものになるのを感じながら、低く尋ねるアッシュに、男はゆっくりと瞳を閉じると、決定的な言葉を放った。

 ──おそらくは、一年ほどダアトを離れて貰うことになるだろうが──今更、是非もあるまい?

 当然、アッシュに頷く以外のことができるはずも無かった。


「──アッシュ特務師団長! 測量、終了致しましたっ!」

 部下からの報告に、我に返る。直ぐ目の前で、直立不動の体勢のまま敬礼を捧げる相手から、報告書を受け取る。ざっと流し読みし、これと言って問題がないことを確認すると、アッシュは頷き返す。

「……よし。なら、こんな陰気な場所からはさっさっと引き上げるぞ。撤収作業に入れ」
「はっ!」

 機敏な動作で撤収作業に移る部下達の様子を眺めながら、アッシュは報告書の内容を改めて確認する。そこにはセフィロトに続くダアト式封咒が施された扉に至るまでの道筋が、詳細に記されていた。

 現時点で、存在箇所が判明していないセフィロトは存在し無い。だが、それらの正確な位置となると、また話は別だった。時の流れは厄介な物で、当時記された資料の大部分を判別不可能にしてしまっている。さらに解読に成功した文献があっても、大まかな大陸名しか読み取れない物がほとんどだった。

 また、仮に当時の存在箇所が読み取れたとしても、徒労に終わるケースも少なくなかった。セフィロトのある場所によっては、大規模な地殻変動によって、セフィロトに通じる扉が当時の記録から大きく外れた位置にまで移動してしまっている状況もあったからだ。

 故に、現時点におけるセフィロトの場所を把握しておきたいという話は、別段不可思議な話でも無かった。

 教団にとってセフィロトという存在が、それなりの地位にいる者からすれば、重要な存在であることは容易に理解できる話だ。そんなセフィロトに関して、教団が把握していないような部分を無くしておきたいという話も、理解できる。

 ただ、今回ばかりは、それを命じた相手が問題だった。

 ──このスコアに支配されし世界を、変革する。

 そう声高に叫んではばからない者が命じた任務にしては──あまりに教団らし過ぎる理由だった。おそらくは自分にも建前上の理由しか説明されていないのだろうと、アッシュは考えている。

「セフィロトのある場所を把握……か」

 低く呟いた言葉に、部下から怪訝そうな視線が返る。アッシュは何でもないと言葉短く答えると、撤収作業の終了した部下達と共に地上に向かう。

 無言のまま進み行き、日の光が眼に入る。ようやく地上まで戻ってきたことを実感させる光景に息をつく。

「こんな辺境まで御苦労さん、アッシュ」

 突然名を呼ばれた。

 気配のした方向に視線を向けると、そこには仮面に顔を隠し、教団のローブを着込んだ少年が一人壁に背を預け、口元に皮肉げな笑みを浮かべながらこちらの様子を伺っている。

「……シンクか」
「特務師団長も大変だよね。一々地方を回わらないと行けないんだからさ」
「テメェにそれを言われる筋合いは無いな。一々、その地方とダアトを往復してるテメェにはな。
 ……受け取れ。今回分の報告書だ」
「──ま、確かに、それもそうだね」

 荒々しく投げ渡した報告書を受けとったシンクが、その中身を確かめるのを横目にアッシュは考える。

 自分は建前状の理由しか知らされていないが、この相手は違うだろう。その証拠に、自分達の師団が作成した報告書を受け取るのは、いつもシンクだった。

「ヴァンのやつは何を考えてる? 一々こんな過去の異物を回って、地図を作ることになんの意味がある? ……てめぇは何か聞いてないのか?」
「さぁね。総長が伝えていないことを、僕の一存であんたに知らせ訳にもいかないね」
「ちっ……使えねぇやつだ」

 反射的に吐き捨てた言葉に、シンクが一瞬ビクリと肩を震わせ、こちらを睨む。

「アッシュ特務師団長。作戦参謀として命じる。僕に、二度と、その言葉を使うな……っ!」
「……ふんっ」

 相手の反応に多少怪訝なものを感じるが、特に拘るでも無く、アッシュはシンクから視線を逸らした。

 シンクから叩きつけられていた殺気混じりの視線が──不意に止む。

「……ダアトに戻って、やつのことを知ったときの、あんたの反応が楽しみだね」

 どこか含みを感じさせるシンクの言葉に、アッシュは眉を寄せる。

「……どういう意味だ?」
「ダアトに帰還すれば、嫌でもわかるはずさ。そのときが楽しみだよ」

 嘲りの笑みを洩らすシンクに、アッシュは顔をしかめた。

 自分が正確な情報が知らされていないのは、これで決定的になったようだ。相手の言葉から分析を進めながら、同時に引き出した言葉からも、意味あるものが何一つ見出せない事実に苛立ちがつのる。

 やはり、自分は信用されていないということか。アッシュは自嘲の笑みを浮かべ、すぐに思いなおす。いや、信用していないのは、こちらとしても同じことか。

 アッシュは誰一人頼れる者が存在しない事実を諦観と共に受入れ、天を仰ぐ。

 ──何を考えている、ヴァン

 ここ最近、その意図を理解できなくなりつつある己の師にして──全てを奪い去った者の名を呟いた。


【翠玉、薄闇デ輝キ】


 フォニム灯の明かりも落とされた暗い室内。古い紙特有の臭いが周囲を漂う。闇に慣れ始めた視界に映るのは、見上げるような高さにまで積み上げられた古書の群れと、そうした本を取り囲む威圧的な本棚の列だ。

 ダアトにおいても、一定位階以上の者しか立ち入ることが許されない書庫の一画に、深い翠色の髪を二つに束ねた少年が、一人膝を抱え込み、埃の積もった床に座り込んでいた。

「…………」

 床に座り込んだ少年──イオンは周囲を取り囲む本を手に取るでも無く、ただじっと膝を抱え、ひたすら闇を見据えている。

 こうした行為には、特にこれといった理由はない。たまたま暇ができたから、滅多に自分意外の人間が来ることのない、この場所に足を運んでみた。それだけだ。

 イオンは世界各国に対して絶大なる影響力を持つ教団の頂点──導師であることが求められる少年だった。意識が確立した頃には、既に導師としての振る舞いを教え諭され、言われるままに、そうあることが当然のように自分でも行動していた。

 教団の理念である、預言による人々の救済に対して、特に疑問を覚えるでも無く納得し、全てを教団の為に捧げてきた。そんな導師としてあることに不満など無かったし、教団の存在が人々に必要なことも理解していた。

 そして、自分が導師以外の存在に決してなれないことも、十分すぎるほどに、理解していた。

 しかし、教団内のどこに行っても、結局は導師としての立ち振る舞いを自分は求められた。息をつける場所など存在しない。執務室に籠もっていても、導師の決済に必要な仕事から逃れることはできない。

 少し、疲れていたのかもしれない。

 気付けば、一人になれる場所を探し求め、この場所で座り込むことが、日常に組み込まれていた。

「……ふぅ……」

 導師としてある。そこに疑問などなく、抵抗も覚えない。その想いは変わり無く、呪いのように自身に絡みつき、拒絶さえも許さない。それさえも、自分は受け入れていると思う。

 それでも時々──無性に一人になりたくなった。

 そんなとき、イオンはこの忘れられた書庫に籠もり、一人膝を抱え座り込む。本を読むでも無く、ただひたすらに闇を見据え、ため息をつく。

「……ふぅ……」

 すでに何度目かすらわからなくなった、ため息を吐く。

 変化は、突然訪れた。

「だぁー──────っ!! うっとーしぃー──────!!」

「えっ!?」

 埃にまみれた古書の積み重ねられた一画。誰も存在しない無いと思っていた闇の中から、叫び声はイオンの耳に飛び込んだ。

 目を白黒させて固まるイオンを無視して、状況は動く。明かりの消えた闇の中ということもあって、、相手の輪郭しかわからないが、のっそりと暗がりの中から身を起こした男が頭を掻きむしるのがわかる。

「唯でさえ暗い場所だってのによ。さらに暗くなるようなため息ついてんじゃねぇぜ……ったく。お前はあれか、カマドウマか?」
「カマドウマ……ですか?」

 相手の例えに出した存在が何かわからず、イオンは状況もよく理解できないまま、首を傾げた。そんなイオンの様子を見て、顔も見えない相手が意外そうな声を上げる。

「ん? 何だ、知らねぇのか?」
「ええ。僕はそうした知識に疎いので……」

 少し顔を俯けながら答えたイオンの様子に、相手は少し黙り込んだかと思えば、戸惑ったように口を開く。

「ちょ、調子が狂うな……まあ、暗がりを好む習性がある虫だよ。……この説明で、わかったか?」
「はい! すごいですね、こんな暗闇に、進んで適応してしまう虫が居るなんて!」

 興奮を覚えながら声を洩らすイオンに、相手がさらに肩を落とすのがわかる。

「はぁ……なんだか本当に調子が狂うな……今、僕はかなりとんでもないレベルの侮蔑の言葉を吐いた訳だよ。そこら辺のとこ、本気でわかって言ってるのか、少年?」
「そうなのですか?」

 本気でよくわからなかったので、イオンは闇の中で唯一輝く相手の双眸を見据え、小首を傾げた。相手はそんな自分の反応に、何故か胸を押さえ「こ、心が痛む」とうめき声を上げていた。

「純真するぎるのも考えもんだな。……ちょっとぐらいは、他人の悪意に敏感になれ、少年」
「はぁ……」

 やはりよくわからなかったので、自分でも煮え切らない言葉が口から漏れた。相手はそうした自分を見据え、後ろ手に頭を掻くと、突っ張ってるのが馬鹿らしくなって来るな、と小さくつぶやいた。

「しかし、どうしたんだ。こんな所で? 本を読んでるような感じでも無かったがよ」
「それは……」

 相手の尋ねた疑問に、イオンは答えることを躊躇する。なぜなら、自分がここに籠もっていた理由は、かなりの部分が精神的なもので、あまり他人にひけらかしたくない類のものだったからだ。

 口を噤むイオンに対して、相手はあっさりと引き下がった。

「……訳ありか。ま、僕も仕事を部下に放り投げて、こんな所に籠もってる訳だから、人のことは言えねぇんだがな」

 相手は自嘲するように笑い声を洩らすと、突然立ち上がる。周囲に散乱する本をかき分け、歩きだす。呆気にとられたまま動きだした相手を見据えていると、書庫の出口まで辿り着いたところで、男が振り返る。

「ま、何か悩んでるようなら相談に乗るぜ、少年。僕は大抵書庫のどっかに居るから、また顔会わせることもあるだろうよ。気が向いたら、そのうち何か話して見てくれや」

 そんじゃまたな。一方的に言い放つと、相手はこちらに背を向け、書庫から去った。

 イオンは動くこともできず、顔も名前もわからない男の背中を、ただ見送るのだった。


【聖者、闇ヲ覗キ】


「最近書庫に良く足を運んでいるそうですな、導師イオン」

 執務室に、その声は思いのほか大きく響いた。

 部屋に居るのは未だ年若い少年である導師イオンと、彼に決済用の書類を求める中年の男──モースの二人だった。

 事務的に書類を片づけながら、ふと思い立った問い掛けに、しかしイオンは中々答えようとしない。

 モースは少し不審に想いながら相手の顔を見やる。問いかけられた相手は、それでも少しの間沈黙した後で、どこか感情の籠もらない言葉を返す。

「ええ。まだまだ学ぶべきことが多いですから」
「……左様でございますか」

 モースとしては、導師が時折書庫に籠もって、一人で何やら考え込んでいることは把握していた。ここ一年ほどで『導師』に叩き込んだ教育の濃度を思えば、この少年が少しばかり奇異な行動を取っても奇怪しくなかろうとも思っていた。

 それでももう少し、突発的な問い掛けに対しても、それなりの返しをしてもらいたいものだと思ってしまう。完璧を求めるのは酷なことだとはわかっているが、モースは相手のわかりやすい反応に少し落胆を覚えながら、当たり障りのない苦言を呈する。

「あまり根をつめるのもお身体に触りますぞ。くれぐれも、ご自愛下さい」
「ええ。わかっています、モース」

 目線を手元の書類に落としたまま、イオンは応じた。普段の導師であれば、話しかけられた相手と目を合わせないなどという態度は考えられないものだったので、その不自然さが際立つ。

 まだまだ甘い、とモースは内心で苦笑を浮かべながら、導師として振る舞いに評価を下す。

「ところでモース、このセフィロトの使用申請とは何のことでしょうか?」

 話題をずらすようにして問い掛けられた言葉に、しかしモースは自分の顔が歪むのを感じる。提出された報告書を読んだ時に抱いた、釈然としない苛立ちが蘇る。だが、そうした不快感が表面に出すこと無く、モースは淡々と答える。

「何でも、ヴァンが主導して行っている計画だそうです。あやつが言うには、この実験が成功すれば、ローレライの存在を証明することが可能だという話です」

「ローレライの存在を証明……ですか」

 戸惑ったような言葉を返すイオンに、モースも内心では同じ気持ちを抱きながら、とりあえず問いかけられた事柄に対して、事務的に報告を続ける。

「ええ。教団の方針からも、特に反対する理由は思い至らないのですが……個人的に少し気にかかったのは、この実験には、パッセージリングの一つを用いる必要があるという点です」

「パッセージリングを……?」

「ええ。詳細に関しては私もわかりませんが、セフィロトツリーを通じて、地核に何がしかの干渉を行うことで、ローレライの存在を証明するのが実験の主旨であると報告書には記されていました。
 実験の詳細に関しては、ヴァンが実験内容の重要性を考慮して、ユリアシティや一部の詠師には実験を秘匿したまま計画を進めたいと申し出ております。
 今のところ我々詠師一同の意向としては、申し出を許可する方向で一致しています」

 暗に、既に根回しが済み、計画が発動される見込みが高いと告げる。それを察したイオンが、報告書を手に取りながら、どこか複雑な表情を浮かべる。

「そうですか………わかりました、了承の印を押しましょう」

 計画が通るのを確認すると、モースはさらに今後の予定を説明する。

「では期日までに、導師にはダアトに存在するセフィロトであるザレッホ火山へ赴いて貰うことになるでしょう。ダアト式封咒が解除されない限り、我々はセフィロトに足を踏み入れることができませんからな。オラクルから何人か派遣しますので、導師も予定の調整をよろしく願いますぞ」
「わかりました。それにしても……」

 答えた後、イオンはどこか躊躇うように言葉を濁す。

「ローレライの存在を証明する……本当に、そんなことが可能なのでしょうか?」
「……どうでしょうな。それも、あの異端者次第でしょう……」
「異端者……?」
「いえ……何でもありません」

 答える気は無いと応じた自分に、イオンが表情を曇らせる。だが、相手を気にかけることはなく、モースは退室を申し出る。

「それでは、私はこれで失礼します」

 導師のもの問いたげな視線を振り切り、モースは部屋を後にした。

 扉が閉まる音を背後に聞きながら、表情の消え失せた無機質な視線を天井に向ける。

「ローレライの存在を証明する……か」

 もっともらしい理由を報告書には記していたが、それだけであるはずがない。モースは相手の思惑に一瞬想いを巡らし──すぐにそれを止める。奴が何を狙っているかは知らぬが、それもいいだろう。

「全ては、確定された事象のままに流れ行く……些細な歪みなど無視して……世界は廻り続ける」

 モースは通路に設けられた窓から、空を見上げる。日の光の落ちた曇り空に、視界に映るものは存在し無い。ただぼんやりと鈍い光を発する月が、微かに見えるばかりだ。

「お前とて、それは知っていように……ヴァンよ」

 暗い闇の淵を覗かせる瞳を空に向け、モースは低く、囁いた。


【異端、地ニ堕チル】


 淡い光を放ちながら音素が天井に昇っていく。

 ここは十あるセフィロトの内が一つ、ザレッホ火山の内部。長らく教団により秘匿されていたパッセージリングの在る場所だ。

 二千年以上誰も立ち入ることを許されなかった空間に、今、自分達は立っている。

 その事実に、アダンテは感慨深いものを感じながら、ここに至るまでの経緯を思い返し瞼を閉じた。

 ヴァンからパッセージリングと奏器の同調実験の研究を進めるよう指示を受けてから、既に一年近い時が流れている。

 求められた研究は、かなり困難なものだった。パッセージリングと奏器が機能的には似通っているとは言っても、そこに違いが存在することに変わりは無く、そうした差異は研究の過程で、絶対的な断絶となって立ちふさがった。

 師団長としての仕事もほぼ副官に丸投げし、すべての時間を研究に没頭した。それでも目に見えた成果が出ることは無く、アダンテは研究が行き詰まる度に執務室へと顔を出し、息抜きと称して酒ばかり飲んでいた。

 当時の自分の行動を顧みて、さすがにライナーには悪いことしたもんだと、苦笑が浮かぶ。この実験が終わったら、さすがに師団長としての仕事にも手を出さないと、団員の皆に合わせる顔が無い。アダンテはもう少し、真面目に仕事にやることを誓う。そう、この実験が成功したならば……

「──実験は上手く行きそうか、アダンテよ」

 自分を家名ではなく、アダンテと呼ぶ相手は一人しかいない。声のした方向に顔を向けながら、アダンテは肩を竦めて応じる。

「まだわかりませんよ、総長。そもそもこの実験自体が前代未聞のことですし、参照となり得るデーターがあまりに足らないんすよ。まだ一回目ですし、今回は成功したら運がいいぐらいに考えておいた方が無難かもしれませんね」
「そうか」

 振り返った先には、難しい顔で腕を組む壮年の男の姿があった。全身から発せられる覇気が、男がただ者ではないことを周囲に知らしめる。だが、それも当然のことだろう。何せこの相手はオラクル騎士団主席総長──ヴァン・グランツ謡将。アダンテの認識としては、現時点における自分の実質的な雇い主に他ならなかった。

「だが、その割には随分とお前は落ち着かない様子に見えたが?」
「……やっぱ、わかりますか?」

 ああ、とあっさりと頷く相手の洞察力に、アダンテは舌を巻く。尚も向けられる視線に、アダンテはこれ以上誤魔化す事を諦め、やれやれと口を開く。

「さっき言った事は……まあ、公式見解って奴ですね。僕としては、何がなんでも、この一回で成功させたい」

 理論上は正しいはずだ。なら、この一回で成功しなければ何度やっても同じ事だとアダンテは考える。

 地核から記憶粒子を抽出するパッセージリング。
 そんな記憶粒子と音符帯が衝突することで生み出された第七音素。
 そして、パッセージリングとほぼ同機能を備える惑星譜術の触媒。

 これらの内のどれか一つが欠けても、今回の実験は成立しなかっただろう。

 ザレッホ火山のパッセージリングに取り付けられた惑星譜術の触媒を見据え、アダンテは独り言ちる。

「……文献に残されていたケイオスハートが教団にあったのは、幸いでしたね」
「どういう意味だ?」

 思わず洩らした呟きに、ヴァンの怪訝そうな視線が向けられる。

「惑星譜術の触媒も響奏器の一種である事に違いはない。ローレライの鍵とは構成的に異なっていても、それに準じた性能を持った道具を手元で分析できたのは、研究進める上でかなり助けになりましたよ」
「……なるほどな」

 研究の過程を思い出しながら説明すると、ヴァンも納得したように頷いた。

「ま、それでも後は運をスコアに任せて、祈るしかないですけどね」
「最後は運頼みか」

 ヴァンが苦笑を浮かべた後で、すぐに表情を引き締める。

「だが、研究に関する事柄をお前に一任したのは私だ。実験が失敗に終わろうとも、責任は取ってやる。今回も好きにやると良い」
「了解っす、総長」

 冗談めかした態度で応じるアダンテに、ヴァンが苦笑を深め、その場から離れた。

 アダンテは自らの気を引き締めるべく、両頬を張る。

「──よしっ! んじゃ、実験開始するぞ! 計測器の波形から目逸らすんじゃねぇぞ、お前らっ!」

 了解、と周囲から野太い声が返る。同調実験に関する研究をまとめあげたのはアダンテだったが、それ以外にも、細々としたデータ取りなどを任された研究員たちは存在している。彼らはアダンテが参加する前から、別アプローチで研究そのものには取りかかっていたとも聞いている。

 故に、アダンテの立場を正確に表すならば、新たに赴任してきた研究主任というのが正しいだろう。今回の実験の成否次第では、自分の立場も微妙なものになるだろうなぁ、とアダンテは考えている。

 ともあれ、現時点では部下に当たる他の研究員達に指示を出しながら、アダンテもまた持ち場に戻る。

 パッセージリングと接続された奏器には、無数の計測器具が取り付けられ、些細な異常も見逃さないとばかりに、波形を揺れ動かしながら事態の推移を記録している。

 高まり行く緊張感に、場の空気が殺伐として行くの感じながら──アダンテは宣言する。

「第一回、奏器同調実験を開始する」

 ケイオスハートが、鼓動を刻む。

 ドクンッ……ドクンッ……ドクンッ……ドクンッ……

 胸から響く心音のようでいて──何かが決定的に異なる不気味な胎動が、その場を満たす。

 パッセージリングが奏器に同調し、地核に伸びるセフィロトツリーを活性化させる。活性化されたセフィロトから、パッセージリングが大量の音素を地上に汲み上げ、膨大な光がその場を満たす。

 アクゼリュスが要となって存在するアルバート式封咒によって、パッセージリングの操作は封じられている。また、ユリア式封咒によって、直接パッセージリングに干渉する事さえ不可能だった。

 しかし、パッセージリングに同調させた奏器を操作することで、間接的にパッセージリングに対して干渉し、セフィロトツリー全体からすれば取るに足らない程度の影響を与えるぐらいならば、十分に可能だった。

 それは僅かばかりの〝流れ〟を生じさせる程度でしかなかったが、外郭大地を支えるセフィロトツリーに対して、僅かとは言っても干渉ができるのだ。今回の目的には、それで十分だった。

 与えられた方向性が、同調したパッセージリングを基盤に増幅され、地核内部を駆けめぐり、目的のものを探り寄せる。

 どこまでも高らかに、響奏器は鼓動を発し──その音色を奏で、高らかに鳴り響かせる。

 音素は同じ属性同士、惹かれ合う。これは固有振動数の波形が似通ったもの同士が、互いの音域で重ね合わせ、共振することで、より高らかに鳴り響こうとする現象のことだ。

 言うなれば、音素は自らの奏でる音色を、より高らかに鳴り響かせてくれる存在を求めているのだ。

 ローレライの鍵は、そんな音素の一種たる第七音素によって造り上げられた。

 パッセージリングと同調された響奏器は、汲み上げた記憶粒子を利用して、第七音素の備える固有振動数を奏でる事で、自らと同じ音色を響かせる、地核に沈みし鍵を捜し出し、手繰り寄せる。

「──反応がありましたっ!」
「よし、そのまま第二段階に移行しろっ!」

 計測される数値から目を話さずに、アダンテは両手を握り占め、実験の推移を見据える。

 響奏器より奏でられていた鼓動が、その音色を僅かに変化させる。パッセージリングがより鮮烈な光を放ち、活性化された機構が膨大な量の音素を地核から抽出し、同時に見出した鍵を引きずり上げようとする。

 第七音素とて、もとは記憶粒子から生み出された存在だ。ならば、地核から間断なく、膨大な量に上る記憶粒子を抽出するパッセージリングを持ってすれば、存在する場所さえ判明してしまえば、地核に沈んだと言われるローレライの鍵を、この地上へと強制的に引き上げる事もまた、可能なはずだ。

 ふと、アダンテは計器に異常なブレを見出す。それが何を意味するのか考えた瞬間──

 固唾を飲んで一同が見守る先で、響奏器によって奏でられる鼓動が、より一層高らかに響き渡る。

 同調したパッセージリングが目も眩まんばかりの一際強烈な閃光を放ち────…………


 閃光がおさまり、鼓動が止んだ。


 あまりに突然の終焉に、場が騒然となる。

「いったいどうなった……っ!?」
「待って下さい……これは……」
「反応消失……!?」

 慌ただしく怒鳴り声を上げながら、状況を把握しようと動き回る研究員達を尻目に、アダンテは一人パッセージリングを見据えたまま、目を見開く。

「あれは……?」

 呟きは、混乱したその場に、思いのほか大きく響いた。

 最後に膨大な光を発したパッセージリングは、今では何事も無かったかのように、静かに音素を立ち上らせている。そこに接続された響奏器もまた、先程まで奏でていた音色を止めている。

 響奏器の脇、虚空に浮かぶ一本の剣が存在していた。

 誰もが息を飲んで見守る先で、淡い音素の光を放ちながら、剣はリィィンと澄んだ音を立てると、地面にゆっくりと降り立ち、光を放つのを止めた。

「成功か」

 ヴァンの落ち着いた言葉を皮切りに──歓声が上がる。

 自分達の進めてきた研究成果が確かな実績を残した事実に、誰もが歓声を上げる。全てが終わった訳ではなく、今後はこの膨大な量に上る実験データーを分析する作業が残っているのだが、今は誰もが全てを忘れ、この一時の成功に酔いしれる。

 だが、アダンテは一人表情を強張らせたまま、計器に記されたとあるデーターを見据え続けていた。

「どうした、アダンテ? 実験は成功したというのに、浮かない顔だな」
「いえ……」
「何か気になる事が合ったのか? ならば話してみろ。今更口を噤むようなお前でもあるまい」

 度重なるヴァンの問い掛けに、アダンテは自分でも躊躇いながら、口を開く。

「ローレライの鍵が地上に引き上げられる寸前、ケイオスハートが変な動作してるんですよ。どうも鍵とは別のポイントに存在する第七音素の塊を探知して、こっちからの命令も無しに、勝手に干渉してるっぽいです。しかもこれは……かなり、膨大な量に上る第七音素です」
「……膨大な量に上る第七音素、か」

 低く呟かれた言葉に潜む喜悦に気付く事無く、アダンテは自らの思考に没頭するまま推測を口にする。

「ええ。しかも……どうやら地核から鍵を引き上げると同時に、ケイオスハートに大量の音素が流れ込もうとしている……そのせいか、これは? 鍵を引きずり上げる前と後じゃ、微妙にケイオスハートを構成する音素の構成比率が異なってる……さっきまでは第七音素なんて一切含んでなかったのに、今じゃ第一音素と第七音素の比率が半々……? いや、これは……そもそも第七音素か? 属性が偏りすぎている……いったいこりゃ、どういうことだ?」

 不可解な計測結果に、アダンテは後半は独り言のように、ぶつぶつと口元でつぶやく。理解できない計測結果に、ひとしきり頭を掻きむしった後で、これ以上数値だけ見て考えていても埒が明か無いと、アダンテは頭を切り換える。

「まあ、パッセージリングが封咒で枷嵌められてたせいか、結局はこの流れも途中でせき止められて、不発に終わったみたいですけどね。今回の実験にも、なんの悪影響もありませんでしたよ」

 肩を竦めながら、アダンテはふと一つの仮設を思いつく。あまりに馬鹿らしい仮説だったので、冗談めかした言葉に直しながら、ヴァンに伝える。

「ひょっとすると、この第七音素の塊はローレライなのかもしれませんね。自分から鍵を奪うなって、奏器に抵抗し───っ………」

 先に続く言葉を、アダンテは飲み込んだ。

 目にした光景に息を飲み、ただひたすら硬直する。

 ヴァン・グランツが──笑っていた。

 細められた目が、吊り上げられた口元が、欠けた月の如く不気味な弧を描く。

「くっくっ……そうか、やはりそうなのか。これで……すべての駒は揃った。後は時を待ち、全てを集め、奴を引きずり上げるのみ……くっくっくっ」

 背を仰け反らせ、腹を押さえながら、哄笑を上げる。

「はははははははっ───────」

 狂ったように上げられる嘲笑は、いつまでも終えることなく──どこまでも虚ろに、響き渡った。


 アダンテ・カンタビレは、自らが研究する事柄に、一切の疑問を抱いたことが無かった。

 むしろ以前の一人無目的に研究を行っていた時とは違い、上から指示を下され、それを達成すべく目的を持って研究に打ち込む現状に、充実感すら抱いていた。

 今、このとき、この瞬間まで。

 これまでは胸に抱いた虚脱感を振り払うべく、ひたすら研究に打ち込んでいた為、気付かなかった。

 だが冷静になって、改めて考えてみると、明らかに奇怪しい部分が目に突き出す。

 ヴァンから下された指示の内容には、一貫して『目的』に関する部分の説明が抜け落ちていたのだ。

 これを気のせいだと無視することは、ヴァンの狂態を眼にしてしまった今のアダンテには、到底できないことだった。


 かくして、アダンテは自らの進めた研究の隠された意味を探るべく、一人動き出すことになる。


 はたして、この愚者は真実とやらに辿り着くことができるのか?

 今はまだ……それを語るときではない。

 我々はただ地に伏して、祈りを捧げ、彼が真実に辿り着かぬ事を願おう。


 スコアより伸ばされた呪縛は、確実に──この愚か者にも巻きついているのだから───………



[2045] 5-3 朝焼けに染まる海
Name: スイミン
Date: 2006/11/29 02:41
 ダアトに来るのはこれで二度目になる。

 目の前に広がる街並みからして、清廉な印象を漂わせる宗教都市ダアト。

 ぶっちゃけ、どんだけ贔屓目に見ても、この街は到底俺の肌に馴染みそうに無い……。

 できることなら、さっさとやる事済まして、この街からオサラバしたいってのが正直な所だが、どうやら話はそう簡単には行かないようだ。

「……アッシュの奴も、セフィロトがダアトのどこにあるかまで教えといてくれればいいのにな」

 何とも間抜けな話だが、肝心のダアトにあるセフィロトの正確な場所がわからない。

「まあ、アッシュもそこまでは知らなかったということも考えられますしね。それに……昔、聞いた事があります」

 ん? ジェイドが何か知ってるのか? 期待を込めてその先に続く言葉を待っていると、ジェイドは視線をダアト北西に向ける。

「ザレッホ火山に教団が何かを秘匿しているらしい、とね」

 ザレッホ火山って……あそこか?

 今も煙を立ち上らせる活火山を見上げる。

 ……まあ、仮にジェイドの言う通り、あそこにセフィロトがあるとしてだ。それならそれで新たな問題が持ち上がる。

「火山にセフィロトって言われてもなぁ。正直、どうやって行ったら良いかわからねぇぜ」

 アルビオールなら火口に直接降りる事も可能かもしれないが、まだ其処にあると決まった訳じゃないんだ。確証持てるまでは、あんまり試したい方法じゃない。

「もしかしたら……教団本部から続く通路があるかもしれないわね」

 胸の前に腕を組みながら、ティアが少し自信無さげながらも、推測を口にする。

 ふむ。情報部に所属していただけあって、何かしら勘が働くものがあったのだろうか? 

 まあ、確かに有りそうな話だよな。教団の総本山たるダアトにあるセフィロトだ。その情報統制も相当なものがあるだろう。火口以外からセフィロトに向かう道があるとしたら、それが教団内部に作られ、そこで秘匿されていると考えるのが自然かもしれない。

 そこまで考えた所で、ふと思いつく。俺はもう一人のオラクルに話を振る。

「そう言えば、アニスの方は何か知らないのか? 封咒が解除されてるって事は、イオンは其処に行ったことがあるんだろ?」
「な、何かって何かな?」

 目に見えて狼狽しはじめるアニスを、俺達は少し半眼になって見据える。

「……さすがに挙動不審すぎるぞ、アニス」
「アッシュの言ってた実験がセフィロトで行われたってことは、それ以前にダアト式封咒が解除されたってことだろうしな」
「まあ。なら解除を任された導師に、アニスも同行したのではありませんの?」

 次々と投げ掛けられる問い掛けに、アニスが観念したと手を上げる。

「あーもう、わかったよ! 知ってます! 知ってますよ!! 案内するからついてきて!!」

 突然叫んだかと思えば、一人駆け出して行ってしまった。

 取り残された俺達は呆気に取られたまま、思い思いにつぶやく。

「なんだぁ、ありゃ……?」
「さぁて……まあ、今の所は、さして気にする必要も無いでしょうねぇ」
「どういうことでしょうか?」

 もっともな疑問にも、大佐は笑みを浮かべるだけで、答えない。

 うーむ。実際問題どういう事だろうな? アニスの挙動は、あまりにも不審すぎる。

 アニスは導師守護役だったわけで、当時の解除に同行したなら、パッセージリングの在り処を知っていても何らおかしくない。だが、アニスはその情報を俺たちに知らせようとはしなかった。教団が機密とする情報だからとも考えられるが、外郭大地の崩落という事態を考えるに、今更秘匿していても意味がないのは自明の理だろう。

 しかし一方で、アニスは俺たちが突っ込みを入れると同時に直ぐ自分が知っていると認めてもいる。

「……大して黙っとく事に拘らないくせに、できるだけ自分からは言いたくないってことか?」

 どうにも行動が一貫していないと言うか……結局、何も見えて来ないってのが正直な所だよなぁ。

 考え込んでいると、俺の様子に気付いたジェイドがやれやれと額を押さえる。

「まあ、周囲を気に掛けるようになったのは良い事ですが、全ての疑問を口に出せば良いと言うものでもありませんよ? 時には疑問を胸の内に納め、一人考えてみるのも重要ですからねぇ」

「……そう言うって事は、ジェイドは何か思い当たる事があるってことか?」
「さぁて、どうでしょうねぇ?」

 ……ダメだな。こりゃ絶対に口を割りそうにない。

 メガネに手を掛け不敵に笑うジェイドに、俺はそれ以上追求する事を諦めた。

 まあ、ジェイドがある程度確信が持てないと口に出さないのは今に始まった事じゃない。必要になったら、そのときは教えてくれるだろう。それにアニスの様子を見る限り、すんなりと俺たちに話してくれるとも思えないし、そのうち折を見て話を振ってみるしかないだろうな。

 釈然としない思いに一応の区切りをつけて、俺も先を行くアニスの後に続こうと、足を踏み出す。

「──まあ、アニスちゃん!」

 数歩も進まぬ内に、俺たちの更に後方から声が掛かった。

 振り返った先では、穏和な笑みを浮かべた女性が、胸の前に両手を組んで、どこか嬉しそうな面持ちでアニスに呼び掛けている。

「聞いたわよ。イオン様からお仕事を命じられて頑張っているそうね」
「ま、ママ!?」

 仰天と言った様子で固まるアニスに、俺達も一瞬間を空けた後で、この相手が誰か理解する。

 って、アニスのお袋さんか? こりゃ驚いた。

「まあ、アニスのお母様ですか」
「そうか。アニスの両親は教団に住み込んでるんだったな」
「住み込みということは、教団自治区の人なのでしょうか?」
「ええ。教団自治区で暮らしているそうです。確かタトリン夫人の名は……パメラさんでしたね」

 顔突き付け合わせてヒソヒソと言葉を交わす俺達を余所に、アニスがポツリと言葉を洩らす。

「……ごめん。ママ」
「あらあら。まあまあ。どうしたの、アニスちゃん?」

 心配そうに尋ねるパメラに、アニスは何かを誤魔化すように両手を左右に振る。

「う、ううん。ママに聞けば六神将の奴らがどうしてるか、わかるかもなぁ……って」
「あらあら。まあまあ。そんな言い方よくないわよ、アニスちゃん」

 パメラはホンワカしたお人好しの空気を放ちながら、アニスをたしなめた後で答える。

「リグレット様はタタル渓谷に向かったそうよ。シンク様はラジエイトゲートに向かわれたらしいわ。でも、アリエッタ様はアブソーブゲートからこちらに戻られるって連絡があったわね」

 少し驚いた。思った以上に詳細な情報をパメラは教えてくれた。

「となると、丁度もぬけの殻か?」
「そのようですわね」
「……でもやはり、一般信者には兄さんの生存と、六神将の行動は知られていないみたいね」

 確かに……パメラの言葉を考える限りでも、六神将は未だダアトを行き来しているみたいだしな。

「少し気を引き締めて進みましょう」
「だな。そろそろ行かないか?」
「ああ……そうだな。アニス、もういいか?」
「うん。それじゃ、もう行くね、ママ」
「わかったわ。頑張ってね、アニスちゃん」

 アニスが名残惜しそうにパメラと別れを告げている。そんな二人の様子を少し微笑ましく思いながら、俺たちは見守る。

「ありがとね、ママ」
「ええ。またね、アニスちゃん」

 背を向け先に進もうとした所で、パメラが呑気な声でとんでもないことを口にする。

「あらあら、アニスちゃん。どうやらアリエッタ様が戻っていらしたみたいよ」

 ……って、なんだって!?

 振り返った先、街の入口付近から魔物を引き連れ歩いて来るアリエッタの姿が視界に入る。

 自分に向けられる視線を感じてか、アリエッタが顔を上げる。

 アリエッタと俺達の視線が、ものの見事にかち合う。

「うげっ! ま、まず……っ!」

 固まる俺達同様、一瞬動きを止めていたアリエッタが、直ぐさま我に返って、肩を震わせながら叫ぶ。

「──ママの仇っ!」

 ライガが全身に雷をまといながら、大地を踏みしめ、大きく身体を落とす。

「ちょっ、根暗ッタ! こんな所で暴れたら──」
「関係ないアニスは黙っててっ! ママたちの仇、絶対取るんだからっ!」

 ひたと据えられた視線の先には──俺の姿があった。

「行っけ──ぇ!」

 ライガが地を蹴り、前足を振り上げる。未だ陣形も整えられていない俺達は、密集したまま碌に身動きも取れない。俺の前にはアニスが居る。ライガが雷光を轟かせながら突進する。振り上げた前足が振り降ろされ──

「危ない!」

 パメラがアニスの前に飛び出して、自らの娘を背後に庇う。

「きゃぁっ……!?」

 突然標的以外の存在が目の前に飛び出したせいか、ライガが一瞬困惑したように突進の勢いを弱め、脇に飛び退く。だが放電を止めるのは間に合わなかったのか、パメラが地を走る雷の余波に煽られ、悲鳴を上げながら地面に崩れ落ちた。

「ママっ!?」

 アニスは呆然と座り込み、パメラを前に動きを止める。負傷したパメラの容態を一瞬で見てとると、ジェイドがナタリアに鋭く促す。

「ナタリア! パメラさんに治癒を!」
「わかりましたわ!」

 即座に動き出すナタリアを背後に庇い、俺はライガと対峙する。

 脇に佇むコライガに一瞬視線を転じる。コライガはアリエッタに向けて、低く唸り声を上げている。

 俺は僅かな間、瞼を閉じて、自らの負い目に蓋をする。

 ……今は、気に病んでいるようなときじゃない。

 剣の柄に手を掛け、覚悟を決める。腰を深く落とし、目の前の敵に向き直る。

 俺の放つ殺気を感じとってか、ライガが警戒したように大きく間合いを離す。向き合う俺たちの間で、急激に空気が張りつめていく。

 だが、俺たちが動くまでもなく、既に状況は決したようだ。

「……そこまでです。さあ、お友達を退かせなさい、アリエッタ」
「うっ……! だけど……」

 何時の間にかアリエッタの背後に移動していたジェイドが、彼女に槍を突き付けながら低く恫喝する。

 尚も渋るアリエッタに、ジェイドが視線も鋭く槍を引いた、そのときだ。

「──何を騒いでいるかと思えば……またお前たちか」

 オラクルの守備隊を引き連れたモースが、この場を見渡しながら眉を潜める。

「アリエッタ……導師守護役に戻すと約束はしたが、このような無法を許した覚えは無いぞ」
「ご、ごめんさない……モース」

 うなだれながら謝罪すると、アリエッタは慌てて魔物達に退くように命じた。

「少し頭を冷やすのだな──連行しろ。それとパメラを治癒術師の下に運べ」

 アリエッタが警備兵に連行されていく。倒れ伏すパメラが丁重に抱え上げられ、オラクルに運ばれていく。

「ママ、ママ……っ」
「大丈夫よ、アニスちゃん。あなたを護れたなら本望よ……」

 パメラに付き添いながら、アニスが涙を目尻に浮かべながら、この場を離れて行く。

「……アニスのお袋さん、助かるよな?」
「ええ。私にできる限りの治癒は施しましたわ。きっと、助かります」

 パメラの容態を心配しながら、俺たちもアニスの後を追う。


「……思いっ……出したっ……」


 一人立ち尽くし、呟かれたガイの言葉が、俺達の耳に小さく届いた。


               * * *


 襲撃直後にナタリアの治癒術を受けられたのが幸いしたらしく、なんとかパメラの火傷は後も残らず完治したようだ。

「大事に至らなくてよかったですわ」
「そうだよなぁ……。俺も気が動転してて、治癒には気付かなかったぜ」

 パメラの運び込まれた部屋の外で、俺達は彼女の無事に安堵する。

 部屋から出てきたアニスが、俺達に気付いて駆け寄ってくる。手を上げてそれに応えながら、俺は話しかける。

「パメラさん、大丈夫そうだって?」
「うん。なんとかママも助かったみたい。ナタリア、ありがとね」

 いいのですわ、とナタリアも微笑みを浮かべ、パメラの無事を喜んだ。

「ふん……貴様らは来る度毎に、頭の痛い問題を持ち込んで来るな」

 同じく部屋の外に待機していたモースが額を押さえながら沈痛そうにつぶやく。

 モースは場を納めた後も直ぐには立ち去ろうとはしなかった。現場の責任者としては当事者たちから状況を把握して置きたいってのは、まあ、妥当な判断なんだろうが……どうも俺はこの相手が苦手だね。

 露骨に嫌そうな視線をモースに向けていると、アニスがモースの姿に気付く。

「そ、そうだ! ど、どういうことなんです、モース様!? アリエッタが導師守護役って……!!」

 ショックから立ち直ったアニスが詰め寄るが、モースはまるで動じた様子も見せない。

「何も驚くことはなかろう、タトリン唱士。導師守護役が不在のままでは何かと都合が悪い」
「でも、アリエッタは六神将の……」
「オラクルの人事権は、何もヴァンばかりにあるものではなかろう」

 モースの言葉に、俺はどうにも含みを感じてしょうがない。

「ともかく、私はこのような事を話すために残ったのではない」

 強引に話題を打ち切って、モースは改めて俺達に視線を向ける。

「……貴様らは此処に何をしに来た? 導師に会わせる事なら、叶わんといったはずだが?」

 ぬけぬけと言って退けるモースに、俺は鼻を鳴らして応じる。

「イオンを守りきれなかった奴がよく言うぜ」
「……ふん。誰に聞いたかは知らぬが、私とて苦々しく思っている。それに関しては対策を講じている最中だ」

 忌ま忌ましげに吐き捨てるモースに、ジェイドが眼鏡を押し上げる。

「アリエッタを導師守護役へ戻したのは……対策の一貫ですか? しかし、そう上手く行きますかねぇ」

「何の事かわからんな、ネクロマンサー。……だが私としては、アリエッタが私の申し出を受けたという事実があれば、それでいい、とだけ言っておこう」

 モースの曖昧な返しに、ジェイドがニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる。

「なるほど。その事実を持って、六神将側の不和を狙うという事でしょうか? しかし、それだけでは少し弱い……ああ、なるほど。仮にアリエッタが導師守護役就任後、導師がさらわれるような事態が起きた場合、六神将アリエッタの責任を追求できる……と、そう考えているわけですか?」
「……ふん。さてな」

 メガネに手を添え、にこやかに黒い推測を告げるジェイドに、モースは鼻を鳴らすだけで答えない。

「それより、質問に答えていないな。導師の不在を知っていたなら尚更だ。何をしにダアトに来た?」

 一瞬、俺達は顔を見合わせる。

 このまま答えなくてもいいのだが、現状モースは俺たちと敵対しているわけではない。もちろん味方という訳でもないが、崩落が厄介な事態だという考えが一致しているのも確かな事実だ。

「ま……仕方ありませんね。崩落に関しては教団にも知らせておく必要があるでしょう」

 確かに、それが妥当な判断ってやつかね。

「ほう……何か対策が見つかったということか?」

 さして驚いた様子も見せず、どうにも感情を伺わせない表情でモースが尋ね返す。

 とりあえず俺たちはさして当たり障りの無い範囲で、簡単な外郭大地降下の説明を口にする。


「……なるほど。導師が居なくなった今、封咒が解除されているのが確実な場所は、ここしか無いということか……」

 話を聞き終えたモースは少し間を空けた後で、顔を上げる。

「まあ、よかろう。セフィロトへは教団内部から伸びる通路が存在する」
「……随分と呆気なく認めたな?」

 もう少しゴネると思っていただけに、俺は不審さを瞳に込めてモースを見やる。

「ふん……崩落に対処する事は、教団としても必要な措置と認識している。それだけにすぎん」

 モースは何ら感情を伺わせない表情で、俺の挑発をあっさりと受け流す。

「詳しい場所は、タトリン唱士に聞くがいい。これ以上は私の関知せぬ事だ」

 これ以上話すことは無いと、モースはさっさと身を翻し、この場を後にした。

 モースが最後に残した言葉に、俺達の視線も自然とアニスに集まる。

「う……図書館から行けるらしいですよ。と、ところでガイが居ないよ? ど、どうしのかなぁ~?」

 明らかに強引な話題転換だったが、まあ、確かにガイが居ないのは事実だよな。

「そういえば、あいつどうしたんだ? 何か、パメラさんの襲撃時に顔青くしてたがよ……?」
「そうですわね。私もあんなガイを見るのは始めてですわ」

 互いに首を捻る俺とナタリアに、ここで話していても仕方がないとティアが方針を示す。

「確か……ガイなら礼拝堂ね。行きましょう」



               * * *



 荘厳な空気をまといながら、聖堂はどこまでも静謐に其処に在った。

 光の射し込む複雑な造りのステンドグラスを前に、ガイは片膝を尽き、祈りを捧げていた。

 声を掛け難い空気を感じながら、そのままガイを見つめていると、視線に気付いたガイが顔を上げる。

「パメラさんは大丈夫だったのか?」
「あ、ああ。軽い火傷で済んだぜ」
「そうか……よかった。本当に……よかったな」

 遠くを見据え、俺達とは違う何かをその瞳に写しながら、ガイは言葉を洩らす。

「何か……思い出したとか言ってたけど、なにを思い出したんだ?」

 パメラが運び込まれていく直前、ガイの洩らした言葉を思い返しながら、俺は問いかける。

 ガイは再び聖堂に視線を転じると、胸の前に手を添えながら、小さな声で答えた。

「俺の家族が……殺されたときの記憶だ」

 ガイの瞳が過去を映す。

 俺達は語られる過去の記憶を、ただ耳にする。







 ──悲鳴が聞こえる。

 姉上が俺を暖炉の前に連れて行き、ここに隠れていなさいと優しく言い聞かせる。

 ──いいですか、ガイラルディア。お前はガルディオス家の跡取りとして、生き残らねばなりません。

 俺は何一つ状況を理解できないまま、ただ変質していく周囲の空気を感じて、身体を震わせる。

 ──ここに隠れて。物音一つたてては駄目ですよ

 暖炉の中に隠れた俺の耳に、使用人たちの悲鳴と、兵士たちの荒々しい鬨の声が聞こえてくる。

 俺は耳を押さえ、震える身体を両腕で押さえる。

 ──女子供とて容赦はするな! 譜術を使えるなら十分脅威だぞ!

 悪魔のような命令に、遠くから聞こえる使用人たちの悲鳴が、どんどん近づいて来る。

 ──そこを退け!

 ──そなたこそ下がれ、下郎!

 ──ええいっ! 邪魔だっ!

 俺は恐怖に耐えられなくなって、暖炉から外に身を乗り出し、姉上の姿を探す。

 殺気をみなぎらせる兵士が、目の前にいた。

 振り上げられた剣が、鎧の面に覆われた隙間から漏れ出る殺意とともに、振り降ろされる。

 ──ガイ! 危ないっ!

 俺の目の前に、姉上が飛び出す。

 鮮烈な赤が視界に飛び散る。

 ──姉上? 姉上!?

 呼び掛ける俺に反応して、姉上は血の滴り落ちる片手をゆっくりと上げると、俺の頬を撫でる。

 ──ガルディオス家の跡取りを護れたなら、本望だわ……

 だらりと垂れた腕が、床に落ちる。姉上はもう動かない。

 呆然と座り込む俺に、兵士たちが更に剣を突き付ける。

 ──ガイラルディア様、危ないっ!

 何人もの使用人たちが、俺の身体に多い被さり、振り降ろされる剣を、その身を盾にして防いで行く。

 次々と重なり行く、俺を守るために、死んでいく人々の群れ。

 ──う、うわぁああああああ────────…………!!







「……そうして、俺は姉上達の遺体の下で、一人血まみれになって気を失っていた」

 壮絶な過去の記憶を自らの口で語りながら、ガイは顔を俯ける。

「姉上だけじゃない。メイド達もみんな俺を庇おうとして……死んで行った」

 そこまで一息に言い切ると、ガイは顔を上げ、俺達の顔を見返す。

「ペールが助けに来てくれた時には、もう俺の記憶は消えちまってたのさ」

 自嘲するような口調で、すべてを語り終えたガイは肩を竦めて見せた。

「……あなたの女性恐怖症は、そのときの精神的外傷──トラウマだったのですね」

 ジェイドの言葉が、静謐な聖堂に大きく響いた。

「ああ……情けないよな。命を掛けて俺を護ってくれた姉上達の記憶を『怖い』何て思っちまうとは……」

「……そんなことねぇよ。ガイはまだそのころ子供だったんだろ? 目の前で人が死んでいくのを……それも自分を庇って死んでいく様を見て、忘れたいと思っちまうのも仕方ない……俺はそう思う」

「そうですわ。それに……私、謝らないといけませんわね。ガイがそんな過去を抱えていたというのに、私、あなたが女性を怖がるのを、どこか面白がっていましたわ……」

 そこまで一息にいった後で、ナタリアはガイに頭を下げた。

「ごめんなさい……ガイ」

 ナタリアの謝罪に、アニスやティアも次々と頭を下げる。

「……ごめんね、ガイ」
「私も謝らないといけないわ……本当にごめんなさい、ガイ」

「……ははっ。何言ってるんだよ。そんなの俺だって忘れてたんだ。キミ達が謝る事じゃないだろ? 気にしないでくれ」

 笑って気にするなと、ガイは言ってのけた。言葉通り、その顔に暗い影は読み取れない。

 ……内心で、どう考えているかまではわからないけどな。

 最悪と言えるような記憶を取り戻した直後なんだ。それなのに今や動揺を完全に押さえ込んでいるガイの姿に感心すると同時に、俺は少しの危うさを覚えた。

「……ガイ、気分はもう大丈夫ですか?」
「もちろん。全然たいしたことないさ」

 終始ガイの様子を伺っていたジェイドの確認にも、ガイは頷いて見せた。

「そうですか。では行きましょう。また他の六神将と鉢会わせしては具合が悪い」
「だな、みんな行こうぜ?」

 眼鏡を押し上げ促すジェイドに、真っ先にガイが同意して歩きだす。

「確かアニスが場所知ってるんだよな?」
「う、うん。ついてきて、みんな」

 アニスの後に続きながら、俺はそっとガイに声を掛ける。

「……無理はすんなよ、ガイ」
「全然してねぇよ! 似合わないぜ、お前が俺の心配なんてさ」

 じっと相手の顔を見据える。それにガイも視線を逸らすことなく、自然な態度で受け止める。

 ……確かに大丈夫そうだな。俺は口調も軽く、冗談めかした言葉を続ける。

「へへっ。たまには俺がガイを心配するってのも、新鮮味があっていいだろ?」
「はははっ。確かにな。でも、ま……ありがとうな、ルーク」

 くっ……や、やっぱこう言うのは性に合わん。無性に照れくさくてしょうがない。

「べ、別に気にする必要はねぇよ!」

 俺は半ば強引に話題を打ち切って、皆の後を追う。それにガイが苦笑を浮かべながら、俺の後に続くのだった。



               * * *



 図書館の隠し部屋にあった譜陣で、俺たちはザレッホ火山内部に転送された。

 そのままクソ熱い火山の中を黙々と進み行き、ようやくパッセージリングに辿り着く。

「……えーと、そんで、どうやって計測すんだ?」
「パッセージリングの譜石に計測器を取り付けて下さい。それと、降下の準備もしてしまいましょう」

 ジェイドに指示された通り、パッセージリングに超振動で命令を刻み込む。

 作業そのものは、ここのセフィロトと第一セフィロトを連結させた後で、第一セフィロト降下と同時に起動しろと書き込む事で終了した。これでラジエイトゲートのパッセージリング降下と同時に、ここのパッセージリングも起動して降下するようになったらしい。

 なんでもジェイドの話によると、こうして各地にあるパッセージリングに同じ命令を仕込んで行くことで、最後にラジエイトゲートのパッセージリングに降下を命じるだけで、外殻が一斉に降下するようになるのだそうだ。

「他のセフィロトにも同じ作業か……後はアッシュがうまくやってくれるといいんだけどな」
「アッシュなら、きっと導師を取り戻してくれますわ」
「……ま、それに関してはここで話していても始まらないでしょう。計測を終えたら、ベルケンドに戻りましょう」

 確かに、ここで言っててもしょうがないか。にしても、色々と問題が山積みだよなぁ。

 今後の先行きに、俺はため息を洩らす。ぼけっと突っ立ち、計測器が振動数を読み取るのを見つめる。

 頭痛が、俺を襲う。

「ぐっ、がぁ、ぁぁ────っ!」

 俺は額を押さえながら、その場に膝をつく。ひたすら痛みに耐える。

 ぐっ………また、かっ……

 俺の様子に気づき、駆けつける皆が声を掛けてくれるが、俺にはそれに応じるような余裕は無い。

 ──……ジジッ……─…ジッ………

 不意に、以前、頭痛に襲われた時の状況が思い出される。

 脳髄かき乱す尋常ならざる痛み。散乱する荷物。不意に痛みが収まる。我に帰ると同時に気付く。自らの手に握られた杖の存在。

 ──……ジジッ……─…ジッジッ………

 俺はパッセージリングの操作に使った杖を、其の手に握り直す。
 半ば藁にも縋る思いで選択された、何ら意味のない行動。

 ──効果は劇的なものだった。

 杖を手に取った瞬間、まるで霧が一瞬で晴れるようにして、激痛は治まった。

 ───か…………聞こえるかっ!

「……アッシュ、か」

 同時にアッシュから届く声が、より鮮明なものになって俺に届く。

 ──……ようやく届いたようだな。

「今度は何の用だ?」

 ──ディストの奴に、お前らがベルケンドの技師に頼んだことが、ばれたらしい。

「ディストに……? ああ、そう言えばベルケンドはあいつが責任者だったか」  

 ──あの馬鹿が技師達に何をするかわからんからな。技師の連中はシェリダンに逃がした。装置を組み立てるのもそっちになるだろう。お前たちもシェリダンに向かえ。

「わかった。……イオンはどうだ?」

 ──……まだ追ってる最中だ。見つけ次第、シェリダンに連れて行く。動くんじゃねぇぞ。

 憮然と吐き捨てると、やはり一方的にアッシュからの通信は切れた。

 まあ……あいつの俺に対する苛立ちはわかるがよ……それでもどうせ協力するなら、もうちょっと強調的な態度取ってもいいのになぁ……ったくよ。

 内心でぶつぶつ呟きながら通信内容を思い返していると、みんなから注がれる奇異の視線に気付く。

 ん? ああ……そういえば俺以外に聞こえないんだったな。

「実はアッシュから通信があってな……」

 俺はアッシュとの会話の内容をみんなに説明する。


「……なるほど。ディストの奴は結局どっちつかずって事か」

 どうにも行動の読めないディストの反応に、ガイが顔をしかめる。

「まあ、あの馬鹿に知れた以上、ヴァン謡将にも計画が伝わったのは確実ですね。急いでシェリダンに向かった方が良いでしょう」

 確かにジェイドの言う通りだな。ヴァンの奴は俺たちが崩落に対処するのを好きにしろと言ってやがったが、具体的な対処法が見つかった今、相手がどう動くかはわからない。

「本当に厄介な事ばっかしてくれるぜ」
「……行動が読めないのは、厄介ね」
「そうですわね。私、あの者は苦手ですわ」
「……まあ、あいつが苦手じゃない奴はいねぇだろうけどな」
「違いない」

 白髪メガネの姿を思い返し、俺たちは乾いた笑みを洩らした。

「ま、あのバカに関して話していても仕方ありません。どうやら計測も終わったようですね。ルーク、計測器を」
「ん、わかった」

 ジェイドの促しに応じて、俺は装置を取り外して皆に向き直る。

「それじゃ、さっさとシェリダンに行くとするかね」

 かつて俺たちがアルビオールを受け取った街──シェリダンへ、俺たちは向かうのだった。



               * * *



「──そんな風に心が狭いから、あのとき単位を落としたんじゃ!」

 シェリダンに到着した俺達を迎えたのは、技師たちの詰める集会場で飛び交わされる言い争いだった。

「うーるさぁいわいっ! 文句言うなら出て行けっ!」
「そーじゃそーじゃ! ひっひっひっ」

 俺たちの存在にも気付かず言い争いを続ける技師達に、俺たちは呆れ返る。

「……こんなに仲悪いのかよ」
「まあな。『い組』と『め組』は元々、王立学問所時代から続くライバルだって話だから、多少は仕方ない部分もある訳だが……まあ、実際に目にすると、改めて凄いもんだと思うけどな」

 対立の原因を説明しながら、さすがのガイも呆れ口調で目の前の老人達を見据える。

 そのまま口も挟めず見守ること数分、俺たちの存在に老人たちがようやく気付く。

「おや、あんた達かぁっ!」
「おおっ! 音機関の図面なら完成しているぞっ!」
「わーしらの力を借りてなー!」
「道具を借りただけだっ!!」
「そうじゃ! 恩きせがましいにも程があるぞっ!」

 てんやわんやと騒がしい老人達に、こっちは詳細を尋ねる切っ掛けも掴めない。

「ほんと、元気なじーさん達だよなぁ……」

 呆れながら見守ってると、言い争いの焦点も、ようやく件の音機関に及んだようだ。

「しかし、地核の圧力に負けずに、地核と同じだけの震動を生み出す装置を作るとなると大変だな」
「ひーっひーっひーっ!」
「その役目ぇ、わーしらシェリダン『め組』に任せてくれればぁ、丈夫な装置を作ってやるぞーい」

 シェリダン『め組』の技師達が主張すると、それにベルケンド『い組』が猛然と抗議する。

「360度全方位に震動を発生させる精密な演算機は、俺達ベルケンドい組以外には作れないぞっ!」
「そうじゃな。ワシら以外に任せられんと思うがのう」
「なぁに? 100勝目を取ろうって魂胆かぃ?」
「ひーっひーっひーっ!」

 睨み合う両者が、剣呑な空気をあたりに撒き散らす。

「……なんじゃと?」
「……なんだとっ?」

 イエモンさんとヘンケンが今にも互いに掴み掛かろうかという──そのとき。

「睨み合ってる場合ですのっ!?」

 いい加減しびれを切らしたナタリアの一喝が、場に轟き渡る。

「このオールドラントに危険が迫っているというのに、『い組』も『め組』もありませんわ!」

 否定のしようがない正論に、さすがの頑固者たちも口を噤む。

「ナタリアの言う通りです。皆さんが協力して下されば、この計画はより完璧になりますねぇ」
「おじーちゃん達、いい歳なんだからさ。いい加減、仲良くしなよー」

 自分達よりも年下の者に言い諭されて、さすがに彼らも決まりが悪くなったようだ。

「……」
「……」

 しばし無言のまま睨み合ったかと思えば、ぼそりときまり悪そうにイエモンさんがつぶやく。

「わーしらが地核の揺れを抑える装置の外側を造る。お前らは……」
「わかっとる! 演算機は任せろ」

 ヘンケンが応じたことで、とりあえず話は決着したようだ。

「あー……ともかく、頼むぜ。『い組』さんに『め組』さんよ」
「ホントにな……」

 このまま言い争いのせいで、装置が完成しなかったなんて事態だけは勘弁してくれよ。

 かなり不安に思いながら、俺は技師たちの様子を伺う。

 だが実際に作業に移ると、そこはさすが本職。手際よく分担された作業に手をつけ始める

 動き出した技師達に、これ以上自分達が居ても邪魔なだけだろうと考え、俺達はそっと外に抜け出る。

「……地核の振動については、これで何とかなりそうだな」
「ええ。これで音機関復元の目処は立ちました。後は各地のセフィロトに降下指示を下すのみですね。まあ、もっとも、まだ問題がある事に変わりはありませんけどね」

 肩を竦めて見せるジェイドに、ティアがその懸念を口にする。

「……ダアト式封咒と、導師イオンの存在ですね」
「アッシュ、ちゃんとやってくれてるといいけどなぁー……」

 今後の行動に想いを巡らし、それぞれ話始めた仲間達を余所に、俺は一人考える。

 外郭大地の降下準備に関しては、現状でこれ以上俺達に出来ることは無くなった。だが、全ては俺達が一存で押し進めてきた一方的な計画に過ぎない。各国で生活する人々は何も知らないのが現状だ。このまま俺達だけで全てを進めても、いずれ限界が来るだろう。何も知らぬまま結果だけ突き付けられても、その後の生活に適応する事はできないだろうからな。

 それに……俺にはどうしても消せない懸念が一つ存在した。

 マルクトに関しては降下後であっても、ジェイドを通せば簡単に話は済むだろう。だが、キムラスカに関しては、絶対に降下前に話を通して置く必要があった。このまま何も話を通さず降下した場合、キムラスカが──スコアに詠まれるまま其の繁栄を享受するべく、戦争を引き起こした王国がどう動くのか。仮に俺の考える通りだとしたら……そのときは降下した大地において、再び戦乱が──

「──……どうかしましたの、ルーク?」

 ナタリアが心配そうに、俺の顔を覗き込んでいた。

 どうやら、いつのまにか俺は立ち止まって考え込んでいたようだ。

 怪訝そうな視線が皆から俺に注がれている。

 ……これも良い機会かもしれないな。

 俺は向けられる視線に顔を上げ、皆の顔をゆっくりと見渡す。

「──話が、あるんだ」

 怪訝そうに眉を潜める皆を呼び止め、俺は話を切り出す。


 オヤジ達を、キムラスカを説得する必要があると──……



               * * *



 朝の澄んだ空気がシェリダンの街に漂う。

 どうにも目が冴えてちまったようだ。俺は昨日交わした会話を思い返しながら、街中を一人歩く。

 ──やっぱ、両国にきちんと事情を説明して、協力し合うべきだと思うんだよ。

 突然切り出した俺の提案に、皆は最初驚いていたが、直ぐに真剣になって俺の話を聞いてくれた。

 スコアには、戦争後に訪れるキムラスカの繁栄が詠まれている。だが俺たちが知った情報では、既にスコアは狂いはじめている。俺という──レプリカが存在したことで。

 このままそうした情報を知らせずに外郭大地を降下させたとしても、平和条約が結ばれていない状況では、降下した先で戦争が再会される恐れがある。だから、まず降下前に平和条約を結ぶ。それからキムラスカもマルクトもダアトも協力して、外殻を降下させるべきではないか? 

 提案終えた俺に、皆も確かに必要な措置だと納得してくれた。

 だが、戦争勃発時にバチカルに訪れた、アニスやナタリアは表情を曇らせていた。

 ──……少しだけ、考えさせて下さい。それが一番なのはわかっています。

 顔を伏せると、ナタリアは自らの想いを洩らした。

 ──でもまだ怖い。お父様が私を……拒絶なさったこと……。ごめんなさい

 そう言い残すと、彼女は自分に与えられた部屋に籠もってしまった。

 俺は自分にできることをやると決めた。見出した答えを確かなものとするためなら……かつて俺がルーク・フォン・ファブレだった過去も使ってやる。そう、覚悟も決めた。

 だが、それはナタリアの気持ちを一切考えない提案だったんだよな。

「……俺も、まだまだだよな」

 いつまで経っても気が回らない自分の考えの足ら無さに、自嘲の笑みが浮かぶ。

 すっきりしない気持ちを抱えたまま街を歩いている内に、水平線に広がる海を一望できる高台に行き着く。

 そこには一人高台に佇み、目の前の朝焼けを見据えるナタリアの姿があった。

 彼女に声を掛けようと口を開いた瞬間──ナタリアが突然振り返る。

「誰?」

 思わぬ詰問に、俺は気付けば物陰に隠れていた。何となくこのまま出て行くことも出来ずに、固まっていると、予想外の人物が姿を表す。

「……久しぶりだな」
「アッシュ……? どうしてここに……?」

 教団のローブを翻しながら、アッシュはナタリアの横に並ぶ。

「導師を取り返したからな。お前達との約束通りシェリダンに連れてきた。今は集会場に居るはずだ」
「まぁ……なら、導師イオンは助かったのですね」
「各地にあったダアト式封咒は解除されちまった後だったがな……」

 アッシュは苦々しげに付け足した後で、ナタリアに顔を向ける。

「……お前こそ、こんなところで何をしている?」
「私は……」

 顔を俯けたナタリアに、アッシュは彼女から視線を外す。

「……バチカルへ行くんじゃないのか?」
「知っていましたの……?」

 力ない瞳で顔を上げるナタリアに、アッシュが海に視線を据えたまま、ポツリとつぶやきを洩らす。

「……怯えてるなんてお前らしくないな」
「私だって……! 私だって怖いと思うことぐらい……ありますわ」
「そうか? お前には何万というバチカルの市民が味方に付いているのに?」
「……そうでしょうか? 私は……偽りの王女だったというのに………」

 いつになく弱々しい口調つぶやくと、ナタリアは顔を俯けてしまった。

 二人の間に沈黙が降りる。

 いつまでも続くかと思われた沈黙は、しかし続けて放たれたアッシュの言葉によって破られる。

「……――いつか俺たちが大人になったら、この国を変えよう」

 朝焼けを見据えたまま、アッシュはどこまでも静かな口調で、歌い上げるように其の言葉を紡ぐ。

「貴族以外の人間も貧しい思いをしないように。戦争が起こらないように……」
「……死ぬまで一緒にいて、この国を変えよう」

 アッシュの後を引き継いで、ナタリアがそっと先に続く言葉を口にする。

 俺には何一つ理解できない言葉だったが、ナタリアにとっては違ったようだ。

「覚えていましたのね……ルーク」

「……あれは、お前が王女だから言った訳じゃない」

 ナタリアとアッシュ──いや、ルーク・フォン・ファブレは、どこまでも深い想いを込めて、七年越しの誓いを言葉にする。

「生まれなんかどうでもいい。お前が出来ることをすればいい」

 アッシュの言葉を受けて、ナタリアが朝日に視線を戻す。

 それを見届けると、アッシュはもう振り返ること無く、その場から去った。

 ナタリアは朝日を見据えたまま、掛けられた言葉をその胸に刻むように、何時までも佇んでいた。


 ……あれが、とうとう俺が思い出せなかった、二人の約束か。

 俺は壁に背を預けたまま、二人の会話に耳を傾けていた。

 アッシュが去った後も、俺は頭を片手で押さえながら、朝焼けに染まった空をぼんやりと見上げる。

 どこか胸にポッカリと穴が空いたような、同時に何かがすっきりと腑に落ちたような感覚が広がる。

「……覚えていてくれてよかったな、ナタリア」

 長年、俺にとって一番近しい距離に居た幼馴染みの願いが、ついに叶えられたことを──素直に、祝福した。

「ん、誰だ?」

 背後に気配を感じて振り返る。そこには宿に続く階段の上で、気まずそうに佇むティアの姿があった。

「……立ち聞きは、よくないと思うわ」

 少し弱い調子で言って来るティアに、俺も苦笑を浮かべながら相手を見上げる。

「聞こえちまったんだよ。……それにティア、そりゃお前も同じじゃねぇかよ」
「わ、私は……別に……二人の会話を聞いていた訳じゃないわ……」

 ゴニョゴニョと言葉を濁すティアを怪訝に思わなかったわけじゃないが、俺はひとまず自分の言葉を続ける。

「それにさ……声、掛けにくい雰囲気だったしな」
「……そうね」

 一人佇むナタリアに視線を移し、彼女の後ろ姿を見据える。

 いつも俺の頭のどこかを占めていた、決して否定できない一つの仮定が脳裏を過る。

「俺が生まれなかったらよ。ナタリアはアッシュと……」
「あなたが生まれなかったら、アッシュはルークとして……アクゼリュスで死んでいたでしょうね」
「……まあ、そうだろうな」

 仮定に意味が無い事はわかってる。俺自身も、自分の在り方に関して、一応の答えは見出した。

 だが……

「それでも……やっぱり、重いよな」

 自分を卑下して言ってる訳じゃない。

 アッシュには悪いが、俺は生まれた事を感謝してるし、死にたくも無い。生きてやる。生き抜いてやる。心の底から……そう思う。

 けど、世界に向けて一人向き合い、子供のように叫ぶ事に……疲れを覚えない訳じゃない。

「俺って存在を考えるとき、レプリカって前置きはどうしても無視できないわけでさ。バチカルの皆を騙してたってのは、否定しようのない事実なんだよな」

 俺という存在を偽っていた訳じゃない。しかし、事情を知った者が、どう思うかまではわからない。

「それにさ、レプリカって事実を抜きにしても、俺って存在が周りからどう見られてたのか。改めて考えてみると酷いもんだよな。オヤジ達にとって、ルークは開戦の口実になる捨てゴマでしかなかった訳だ。レプリカとしても、ルークとしても……誰も俺って存在を認めてくれない。ならさ……」

 顔を上げ、冗談めかした口調で自らの認識を口にする。

「俺ぐらいは認めてやらないと、可哀相すぎるだろ?」

 肩を竦めて見せる俺に、ティアの瞳が僅かに曇る。その意味に気付かぬまま、俺は尚も軽い口調で、自らの認識を言葉にして行く。

「結局、浅ましい訳だよな。それが当然だってわかってるのに、それでも俺って存在を自分以外の誰かに認めて貰いたいって思うのを……どうしても辞められねぇんだ。少なくとも、アッシュが過ごすはずだった七年間を俺が奪ったのは、事実だってのにさ。やっぱり、俺は……」

「──……奪ったなんて、考えないで」

 小さくつぶやかれた言葉に、俺は彼女に視線を戻す。

「あなたの誓った『誤魔化さない』という言葉……辛い記憶から目を逸らさない事だけが、あの誓いの意味するものだとは思わない。あなたは、あなただけの人生を生きている。あなただけしか知らない体験、あなただけしか知らない感情、あなただけしか知らない絆……そこに負い目を抱かないで」

 彼女の不思議な色合いを宿した瞳が、俺を見据える。

「だって、あなたはここに居るのよ」

 かつてイオンと交わした会話が思い出される。

 誰かに作られた俺という存在。
 そんな自分の存在する意味。
 他者から求められる価値。

 俺一人がいくら世界に向けて、自らの存在を訴えた所で、ただ虚しさばかりが募っていくばかりだった。それでも俺は顔を上げて、やせ我慢を続け、前に進むことを誓った。

 誓った通り、全てを受け止め、ひたすら動き続けて来た。そこには進む事を辞めた瞬間、この世界に自分がいる場所が無くなるような……そんな強迫観念染みた想いが、あったからだ。

 だけど……

「俺は……ここに居るかな?」
「私の前に居るのは、他の誰でも無い……──あなたよ、ルーク」

 世界に向けて泣き叫ぶように、自らの存在を訴え続け無くてもいい。

 俺が歩んできた道は、他の誰かに認められるまでもなく、俺だけのものだから。

 これまで俺が刻んできた軌跡は……誰にも否定できない。

「……そうだな。誰かの代わりなんかじゃない。俺は……──ここに居る」

 他人から奪いとった場所なんかじゃなく──……俺は俺として、この場所に立って居るんだよな。

 俺はアクゼリュス崩落以降、常に張り詰めていた気持ちが、ようやく落ち着くのを感じる。

「色々と俺の下らない愚痴とか聞かせちまって、すまなかったな、ティア」
「……構わないわ。私もちょうど目が覚めてしまった所だったから」

 気にする事は無いと首を振るティアに、俺はこの際だからと思い切って、更に話を続けることにする。

「なら、もうちょっとだけ聞いてくれないか?」
「……なにかしら?」
「これはさ。ここだけの話だけどよ」

 首を傾げるティアに、俺は自分の中に押さえ込んでいた感情を、こっそりと打ち明ける。

「実はオヤジと会うの、俺も少しだけ怖かったりしたんだよな」
「……そう」

 特に驚くでも、意外そうにするでもなく、ティアは静かに頷いてくれた。

「でもさ。びびってて問題を先伸ばしにしていても何も変わらないって思ったから、皆に切り出してみたわけだ」
「ふふ……あなたらしいと思うわ。そういう向こう見ずな所は」
「ひっでぇな」

 クスクスと微笑を洩らすティアに、俺も冗談めかした仕種で肩を落として見せた。

「しかし、俺らしいか。……それって俺が変われて無いって事なのかな?」
「……バカね。あなたの積み重ねてきた、これまでがあるからこそ、今のあなたがあるんでしょ? なら、決して変わらない部分があってもおかしくないと思うわ」

 俺の積み重ねてきた日々……か。確かに、そうだな。過去の俺を全て否定する必要もないもんな。

 しかし、改めて考えると凄いよな。

「全てを受け止め、前に進む。……自分で言っといて何だが、かなり大それた宣言しちまったよな」
「そうね……でもあなたなら、きっと……──」

 朝焼けに染まった空を見上げながら、俺とティアは自然に会話を重ねていく。

 どこまでも穏やかな空気に包まれながら、いつまでも飽きることなく──俺達は言葉を交わし合った。



               * * *



 完全に日が昇った後、俺たちは未だ降りて来ないナタリアを宿に残し、とりあえず集会場に向かった。

「皆さん、お久しぶりです」
「イオン様!? 無事だったんですねぇー!」

 イオンの胸に真っ先に飛び込んでいくアニスの姿に、場の空気が一気に柔らかくなる。

「いったい、いつシェリダンに着いたんですか?」
「実は今日の明け方頃には、アッシュとシェリダンに到着していました」

「どうやら、アッシュはきちんと自らの役目を果たしてくれたようですね」
「しかし、にしてはあいつの姿が見えないけどな?」

 首を捻るガイに、イオンがアニスの頭を撫でながら顔を上げる。

「アッシュは僕をシェリダンに連れて来た後、直ぐに街を離れたようです。引き続き、ヴァンの動向を探ると言っていました」
「なるほどね。相変わらずの単独行動を続けるってことか」
「まあ、予想通りの行動ではありますけどねぇ」

 皆の交わす言葉を聞きながら、俺とティアは顔を見合せ、朝の出来事を思い返し、苦笑しあった。

 ……結局イオンを連れてきた方がついでで、アッシュはナタリアに会いに来たってことなのかもな。

 その後、場所を宿屋の一階にある食堂に移し、イオンから改めて話しを聞く。

 なんでもイオンによると、各地のダアト式封咒は全て解除させられた後だという話だった。だが、ま、今回ばかりはそれも仕方ないだろうと思うし、むしろ今後イオンが狙われる理由が無くなったことを喜んでもいいはずだよな。

 そんな風に互いの情報を交換している内に──ついに、ナタリアが姿を表した。

「……ごめんなさい。私、気弱でしたわね」

「では、バチカルへ行くのですね?」
「ええ。王女として……いいえ、キムラスカの人間として、出来ることをやりますわ」

 皆の前で、ナタリアはバチカルに行くことを決心したと告げた。

 王女として、キムラスカの人間としてできることをする。

 彼女の決意がアッシュとの会話が切っ掛けになったのは確実だ。

 少し前の俺なら、ウジウジと自分が何もできなかったことを思い悩んでいたんだろうが、今の俺はナタリアの決意を素直に喜ぶ事ができた。

 ……ある意味、俺はようやくアッシュと自分が別人だって認める事ができたのかもな。

 力強く自らの決意を語るナタリア。俺にとって、大切な幼馴染みの一人を見据えながら、顔をほころばせた。

「実はそう言ってくれると思って、今までの経過をインゴベルト陛下宛ての書状にしておきました。外殻大地降下の問題点と一緒にね」
「問題点? 何かありましたっけ?」

 頬に両手を当てて首を傾げるアニスを余所に、ティアが表情を引き締め、その答えを告げる。

「……瘴気、ですね」
「そうか。そもそも外殻大地は瘴気から逃れるために作られたものでもあるんだよな」

 ──障気。

 ガイの言う通り、そもそも外殻大地は瘴気から逃れるために作られた場所だ。降下した大地で生きるためには避けて通れない、いつかは解決しなければならない問題だ。

 瘴気に関しては、ベルケンドやシェリダンだけではなくグランコクマの譜術研究、それにユリアシティとも協力しなければ解決策は見つからないだろう。

 そして、そのためには──まずキムラスカとマルクトが手を組まなければならない。

「絶対に、お父様を説得してみせますわ」
「ああ、行こう。俺たちの故郷──バチカルへ」

 こうして、俺たちはバチカルへと三度目の帰還を果たす。

 アッシュの代わりとしてなんかじゃない。

 他の誰でもない、俺自身が七年間を過ごした故郷へ向けて──その足を踏み出した。



[2045]  聖なる哉、聖なる哉 ─銀の追憶─
Name: スイミン
Date: 2006/11/05 19:20
「はぁ……特務師団長が戻って来ると」

 飯を運ぶ手を止めて、アダンテ・カンタビレは自らの同僚が告げた言葉の意味を考える。

 特務師団長と言うと、確か六神将の一人だったはずだ。

 オラクルの中でも、個人で一個師団すら相手取れるとさえ言われる超絶的な戦闘能力を誇る六神将。

 さすがに言い過ぎの部分もあるとは思うが、それでも特務師団長がその一人に数えられるような人物なら、一流の戦闘者であることに間違いはないだろう。

 現状、六神将の全てを師団長が勤めているわけだが、自分がそこに加わる可能性は皆無だろうなとカンタビレは考える。

 なぜなら、自分は身体能力がものすごく凡庸だ。さらに言えば戦闘経験も数えるほどに微少。音素の扱いなら一流と自負するが、アリエッタのような超一流には決して届かない。

 そんな自分とは違って、変態的戦闘能力を誇る六神将の一人である目の前の同僚──黒獅子ラルゴに視線を据えつつ、凡人カンタビレは話の流れが掴めず首を捻る。

 ここはオラクル本部に作られた宿舎の一画、食堂の設置された場所だ。周囲には何人ものオラクルの兵士達がくつろいでいる様子が目に入る。

 カンタビレ達もその例に漏れず、食事を取りながら最近の出来事について話を交わしている内に、出た話題がそれだった訳だが……。

「それで、いきなりまた何でこの話題なんだ?」
「お前はまだアッシュと顔を合わせた事はなかったろう? だから知らせておこうと思ったまでだ」

 特に深い意味は無いと答えるラルゴに、カンタビレは納得して、止めていた手の動きを再会する。

「なるほどね。まあ、律儀な性格してるよな、ラルゴの旦那も。しかし特務師団長か……もう今更って感じがしないでもないがなぁ」

 カンタビレがダアトに着任してから既に一年近い月日が流れている。今更自己紹介などと言われても、あまりピンと来ないというのが正直な所だ。

「確かにな。アッシュは長期任務でダアトを離れていたわけだから、今更とお前が思う気持ちは俺もわからんでもない」

 苦笑を浮かべ、ラルゴはコーヒーを啜る。通り名の通りブラックなのかなぁと思うだろうが、意外と思うこと無かれ、ラルゴは甘党のようだ。砂糖をガバガバと入れながら、熱いコーヒーを一口で飲み干す。

「ん……そう言えば、実験は成功したらしいな」

 ふと思い出したといった感じで、ラルゴが先日行ったパッセージリングにおける実験を話題に出した。

「……まあ、そうだな」

 少し声を落として、カンタビレはそれに応じる。

 確かに実験は成功した。ローレライの鍵は地上にサルベージされ、カンタビレの研究は一応の区切りを見せたことになる。

 鍵そのものは、実験時に自分の率いていたチームが引き続き分析を行っている。カンタビレ自身も、自分が任されていた実験部分が終了したとは言っても、時折顔を見せて分析内容を眼にするぐらいのことはしている。

 なかなか解析が進まないと愚痴を零されたりもしたが、実験が一応の区切りをみせた以上、カンタビレも師団長としての仕事をこれまでのように放って置く事はできなくなった。これまでほったらかしにしていた分仕事を覚えるのが忙しく、以前のように研究にかかりきりという訳には行かなくなっている。

 それでも解析データそのものは蓄積されていき、鍵が本物であると証明するには十分すぎる程のデーターが、既に集まっているのが現状だ。

 だが、一向に教団内部に向けて、ローレライの鍵が発見されたと公表される気配は無い。

 ……教団の権威を高めるべく、鍵を抽出したという自分の推測は間違っていたということだろうか?

 実験直後、胸を過った総長への疑念は消える気配を見せず、むしろますます膨らんで行くばかりだ。

 響奏器。惑星譜術の触媒。パッセージリング。鍵の抽出。

 自らに与えられた権限の下、これまで行ってきた研究の裏に隠された意味を探るべく、カンタビレは資料を改めていった。

 調べれば調べるほど、不可解な点が目につく鍵の抽出という目的。ただ鍵を抽出するだけなら、必要のない研究指示。自分にはまるで用途の掴めない、平行して行われていた無数の研究事項。

 そして、鍵の抽出時に観測された第七音素。

「……どうかしたか、カンタビレ?」

 ラルゴの呼び掛けに、カンタビレは我に返る。

 怪訝そうにこちらを見据える巨漢に向けて、カンタビレは誤魔化すように笑ってみせた。

「いや、ちょっと考え事をな」
「まあ……お前が上の空になる事はいつもの事だが、さすがに食事中ぐらいは思考を止めるのだな」

 やや呆れたように言ってくるラルゴに、ヘラヘラと笑みを浮かべ応じながら、内心では別の事を考える。

 どういった理由があるのかは知らないが、ラルゴが総長に絶対の忠誠を誓っているのは確実だ。気のいい相手だと思うが、それでも自分の疑念を洩らすことはできない。

「いったい何を考えていたのだ?」
「ん……惑星譜術の触媒と、純粋な響奏器との間に存在する違いについてとか」
「存在する違いか」
「ああ。ケイオスハートとローレライの鍵は色々な部分で違いが多いぜ。実際に見比べてみれば一目瞭然なんだが、ありゃ、使用目的からして異なってそうだな」

 受け取った解析データから見ても、それは明らかだった。そもそもローレライの鍵はその構成元素からして、第七音素のみによって形成されている。正に第七音素に特化した集合意識体を使役する触媒なのだ。

 これに対して、惑星譜術の触媒は奇妙の一言に尽きる。

 ローレライの鍵の解析データと比較するとわかるのだが、どうやら惑星譜術の触媒にはもともと定められた明確な属性と言うものが存在しないようなのだ。

「どの属性の集合意識体であっても使役できるように作られているのかもしれない……そこら辺が、第七音素一点特化型のローレライの鍵との一番の相違点だろうな」
「ほぉう? 属性が定まっていないのか。だが、それにしては、あの杖は第一音素を異様なまでに引き寄せていたように感じたがな」

 顎先を撫でながら杖の存在を思い返すラルゴに、カンタビレもそこがわからないと顔をしかめる。

「そう……何故、ケイオスハートは第一音素を引き寄せていたのか? それがわからない……どういうことだ……まるで既に何かが取り込まれて……」

 ぶつぶつと呟きながら、再び思考に沈み始めたカンタビレを眼にして、ラルゴが苦笑を浮かべる。

「まあ、俺としてはそうした小難しい事柄はさっぱりだが、頑張るのだな」
「おいおい、人事だなぁ、ラルゴの旦那よ」
「結局は人事だからな。──さて、俺はもう行くぞ」

 肩をすくめて立ち上がったラルゴに、カンタビレは薄情者めと投げやりに言葉を投げる。

「ともかく、特務師団長が帰還したら、そのうち総長から紹介されるだろう。
 ……心構えだけは、しておくといい」
「はいはい、了解。そんじゃまたな、ラルゴの旦那」
「……ああ、またな」

 投げやりにヒタヒラと手を振るカンタビレに、ラルゴが顔を背けたまま、片手を上げて別れを告げるのだった。


               * * *


 教団のトップは導師イオンだ。
 実質的教団運営の責任者に大詠師モース。
 そして、軍事的指揮を執る者に、主席総長ヴァン・グランツの名前が来る。
 以上が教団内部におけるおおまかな権力分布図の基だ。

 基本的に軍事力をヴァンが完全に掌握し、モースは一般的な事務を司る信者を統制する。導師イオンはそんな二人の上に立つ教団最高権力者と呼ばれている。

 だが、如何せん年齢や能力的なものから言っても、導師イオンは上に挙げた二人には到底届かない。

 また、導師イオンは改革派と呼ばれる者たちの中心人物でもあるそうだ。スコアを人々が生きる上で与えられた、選択肢の一つとして考える……それが改革派と呼ばれる集団だ。

 これに対して、スコアを絶対と考える大詠師モースや主席総長ヴァン・グランツなどと言った、従来の教団の方針に従う者達を保守派と呼ぶらしい。

 では、そうした権力分布を踏まえた上で、肝心の自らが所属する第六師団の人員はどの派閥に属すのか?

 改めて確認を取ってみたところ、カンタビレはその結果に驚いた。

 なんと第六師団は改革派に属する人間が多数を占めているようなのだ。実質的に保守派の幹部に当たるヴァンの子飼いとも言えるような自分が、よくもまあ、師団長になれたものだとカンタビレは呆れ果てた。

 しかし同時に、カンタビレはこうも考える。


 ある意味では、改革派にとっても都合がいい人事だったのかもしれない、と。派閥のトップに、敵対陣営子飼いの人間を据える事を認める代わりに、未だ力の弱い改革派がある程度自由に動くのを黙認させる……そう言った取り決めが裏でなされていたのかもしれない。

「……なんともキナ臭い限りだがな」

 師団長としての仕事を終え、自らの部下から聞き出した話をつらつらと思い返しながら、カンタビレは一人通路を歩く。

 現状、自分は総長の思惑から外れた行動を取りつつある。

 今後もそうした方針の下に動くつもりなら、それなりの覚悟を決める必要があった。

「……停戦条約の立役者、前導師エベノスか」

 派閥の話しが出た際、第六師団の人間から渡された資料を見返す。

 記されている内容は、とくにこれといって珍しいものではない。自分が本部に居ない間、教団内部で行われた活動に関する報告と、ここ十数年の間にオラクル騎士団が動員された際の記録だ。

 資料には国境紛争時において、戦場に送られたオラクルの存在が記されていた。任務内容は戦場の攪乱と、紛争の拡大──明確にそう記されている訳ではないが、下された指示の内容を要約すると、そうとる以外に無いもの──だった。

「戦争勃発時は煽っておいて、ホドが崩落すると同時に掌返したように停戦に向けて動く……か」

 一見理解できない行動だったが、カンタビレには一つ思い当たるものがあった。

 ──世界の流れを詠み上げし、スコアの存在。

 教団にとって絶対的な理。そこに詠まれていた事象ならば、この不可解な行動にも筋が通る。

「……改革派の主張は、そういう事なのか?」

 ──スコアとは、数ある選択肢の内の一つに過ぎない。

 単なる権力闘争上のスローガンではなく本気で言っているのだとしたら、自分が彼らに接触を持つ意味もあるかもしれない。

「……上手いこと改革派の連中に、誘導されてるような気がしないでもねぇんだがな……」

 彼等としても改革派で唯一の軍閥に当たる、第六師団の師団長を勤める人間を、可能な限り自らの派閥に引き入れて置きたいということなのだろう。ああも気前良く、国境紛争時の秘匿資料を渡してきたことからも、それは明らかだ。

「まあ、それもいいさ」

 だがカンタビレとしても、総長に自らの動きを知られぬまま情報を探ろうとした際に、頼れるような相手は対立陣営に当たる彼ら以外に思いつかなかった。

「接触を待つしかねぇか……」

 かつて書庫で、カンタビレは時折言葉を交わす相手がいた。

 本人に確認を取ってはいないが、おそらくあの少年が導師だろう。

 現状、保守派子飼いの人間である所の自分が改革派に接触を求めたところで、周囲に無用な緊張と警戒心を呼び起こすのが落ちだろう。なら、非公式に接触する以外に無い。

 第六師団の人間経由なら、ある程度直接的な付き合いがある分、それなりの渡りを付けてくれるかもしれないが、より上位の人間と接触できるなら、その方がこちらとしても話しが早い。

「どうなることやらな……」

 カンタビレはあまりの先行きの見えなさに、一人ため息を洩らす。

 日が落ちかけた夕焼け色に染まった光が、窓から差し込みオラクル本部の通路を染め上げる。

 士官部屋のある区画に向かうべく、曲がり角を曲がる。

 ──視界に飛び込む鮮烈な赤。

 すぐ目の前、今にもぶつかりそうな距離に、他人の頭があった。

「ぐおっ!?」
「ちっ──!」

 相手が避けようと身を捻る。だが、身体能力的に劣るカンタビレの動きを予測し切れなかったのか、こちらの身を引いた方向に相手も動く。

 結局、避けきれずに両者は衝突した。

「っててて……」

 傷む腰を摩りながら、カンタビレは呻く。

「……曲がり角ぐらい、前を確認して歩くんだな」

 床に激突した自分に向け、僅かに身をよろめかせただけの相手は、呆れたように言葉を掛けた。

「すまねぇな、兄ちゃん」

 所構わず思考に耽る自分の悪癖に、苦笑しながらカンタビレは起き上がる。

 顔を上げた先に存在したのは──かつて見慣れた姿だった。

 目にした相手の顔が、カンタビレは信じられなかった。

「……ルーク、なの、か?」

「!?」

 思わず洩らした言葉に、相手もまた驚愕に目を見開く。

 だが、その表情に言いようの無い違和感を覚える。

 何かが、この相手は違う。

「お前、いったい……誰だ?」
「ちっ……テメェこそ何者だっ!? 俺は貴様なんぞ知らねぇ! 答えろっ!!」

 胸ぐらを掴み上げられながら、カンタビレは告げられた言葉を、ただ呆然と耳にした。


               * * *


 扉を開け放ち、カンタビレはその部屋に足を踏み入れる。

「……騒がしいぞ、アダンテ」

 机に向かったまま静かに問いかけた相手に、カンタビレは怒声を上げる。

「総長、あんた何を考えてやがるっ! フォミクリーに手を出しただとっ!?」
「……なるほど。アッシュに会ったか」

 視線を手元の書類に落としたまま、ヴァン・グランツは未だ顔も上げない。

「答えろっ! 総長っ!!」
「ふむ……仕方ない。言いたい事があるならば、聞くだけは聞いてやろう」

 顔を上げたかと思えば、ヴァン・グランツは何一つ動揺の浮かばぬ瞳でこちらを射抜く。苛立ちが胸を焦がすのを感じながら、カンタビレはそれを押さえ込み、問いかける。

「……生体フォミクリーの使用は禁止されたはずだ。なによりも道義的に問題ありとして、バルフォア博士が絶対の禁忌に指定し封印したはずだ」

 押し殺した声で、自らの知る限りの事を口にするカンタビレに、ヴァン・グランツはただ一言を返す。

「──それがどうした?」
「っ! 本気で言ってやがるのかっ!?」

 机越しに伸ばしかけた拳を、渾身の自制心を込めて必死に抑える。

「総長、あんたはルークの師匠じゃ無かったのかよ!? それがどうしただとっ!?」

 激昂するカンタビレに対して、しかしヴァン・グランツは動じない。

「それで言いたい事は全てか? なら、私は仕事が忙しいのだがな」
「……あんたはっ!」

 肩で息をしながら、カンタビレは今にも飛び掛りそうになるのを必死に押さえ、目の前の相手を睨み据える。

「ふむ。お前の反応はある程度見越していた。それ故に、アッシュと会わせるにも、こうして間を置いた訳だが……これ程の反応があるとは、少し意外だったな」

 やれやれと肩を竦めて見せると、ヴァンは哀れむような視線をカンタビレに向ける。 

「──バチカルから逃げ出したお前が、今更何を気にかける必要がある、《異端》のカンタビレよ」
「……っ……っ」

 切り返された言葉に、カンタビレは拳を握り締め、反射的に叫び返すのを必死に耐える。

「それにしても……最近、何かと動いているそうだな?」

 相手の切り札にひたすら動揺するカンタビレを尻目に、相手は眉一つ動かさぬまま、その先を続ける。

「私の知る限り、お前が動きだしたのは実験を終えた後からの事のように感じるのだが、相違ないか?」
「……」

 黙して応えないカンタビレに、さして気に留めた様子も見せぬまま、ヴァンは推測を続ける。

「どうやら私の目的に関して、疑念を抱いているようだが……確かに頃合いか」

 閉じていた瞼を開き、ヴァンがこちらを正面から見据える。

「スコアというものを、お前はどう考える?」

 突然の問い掛けに、カンタビレは不可解さを覚えながらも、問われるままに答えていた。

「……事象の流れを観測し、詠み取った流れを無数の詩篇に変換して伝える譜術」
「そうだな……一般的にはそう言われている」

 相手のまとう空気が、一変する。

「だが、それはスコアの一面のみを捉え、歪めて伝えられたものに過ぎない」

 気押されるカンタビレに、ヴァン・グランツは淡々と問いかける。

「ホド戦争を覚えているか?」

 脳裏を過ぎるのは、改革派から渡された資料の存在。

「あれもまた、ユリアの詠み上げたプラネットスコアにより確定されし事象の流れ。ローレライ教団は預言の成就をなにより望み、ホドの崩落を見過ごしたのだ。世界の存続を望むあまり、イレギュラーが発生することを何よりも恐れる愚者の群れ……それがローレライ教団の真実の姿だ」

 狂気を宿した瞳が、まっすぐに、正面から、カンタビレを射抜く。

「この世界はスコアに支配されているのだよ、カンタビレ」

 机から身を持ち上げ、ヴァン・グランツは両の腕を掲げ上げる。

「私はユリアの残せしスコアに反乱する。全ての預言の源となりしローレライを討ち滅ぼし、この世界を革新する。アッシュの存在は、来るべき戦乱の時に、重要な切り札となり得る存在。故に、フォミクリーという技術を用い、私は聖なる焔の光を確保した」

 踏み出された足が、一歩こちら側に近づく。

「私はスコアが──憎い」 

 据えられた視線が逸らされる事は無い。

「スコアを信望する哀れな民衆が憎い」

 踏み出された足が、また一歩こちら側に近づく。
 
「スコアを崇める愚かしき信者が憎い」

 澄み切った瞳には澱みなど一切存在せず、苛烈なまでの輝きを放つ。 

「スコアを成り立たせ許容する、この世界そのものが──憎い」

 圧倒的な鬼気が室内を席巻する。

「かつてユリアによって詠まれし預言は、2000年に渡りこの世界を支配し、腐敗させた」

 何一つ、言葉を返せないカンタビレ。

 手を伸ばせばすぐにでも相手に触れられる距離に立ち、ヴァンは言い含めるようにして、決定的な言葉を放つ。

「一ついい事を教えよう。一年前の事件──あれもまた、スコアに詠まれていた事象の流れの内にあった」


「……………え?」


 言葉が理解できない。

 
 ナニヲイッテイルンダ、コイツハ?


「お前とて、少しは疑念を抱いたのではないか? あの日に至るまで、何一つ官警の目を引くことの無かった漆黒の牙が、何故あれ程まで執拗に、国軍の追跡を受けることになったのか」

 名の知られた存在でありながら、まるで手配を受ける様子の無かった漆黒の牙。

「それはあの日を持って、そうなるべく、議会に働きかけた存在があったからだ。
 すべてを預言の流れるまま受け止め、煽動する存在──ローレライ教団の介入がな」

 その終焉が定められていたからこそ、その日に至るまで、誰からも害される事が無かった。

 目の前の相手が告げたのは、そういうことだ。

 カンタビレは目を見開いて、ただ告げられた言葉を耳にする。

「カンタビレ、お前もまた同じはずだ。お前から全てを奪いしスコアを……憎め」

 ヴァン・グランツはカンタビレの耳元に、囁き語る。

「スコアに詠まれるまま世界を動かす教団を憎め……」

 紡がれた言葉が否応も無く甘美な誘惑となって、カンタビレの耳に届く。

「スコアの存在を許容するこの世界を憎め……」

 僅かに身を引いて、代わりに差し出された腕が、あの日のように、目の前に差し出される。

「──さすれば、私はお前を真の意味で同胞として、迎え入れよう」

 ヴァン・グランツはカンタビレに、もはや目を背ける事など許されないと宣告した。

「だが……僕は……」

 告げられた言葉に、カンタビレはただ立ち尽くすことしかできない。そうしたカンタビレの様子を確認すると、ヴァン・グランツはあっさりとこちらに背を向ける。

「……私の手を取るかどうかは、お前が決めろ。いつでも我が部屋を訪ねるがいい」

 ヴァン・グランツはそう言い残し、この場を去った。

 残されたカンタビレは告げられた言葉の衝撃に、ただ立ち尽くす。

 未だ処理しきれない、告げられた教団の真相の中、ただ一つだけ理解できたことがあった。

 つまり、自分は馬鹿のように、ギンナルを殺した相手に対して、これまで仕えていたわけだ。

 そんな愚かしいまでの事実を、今頃になってようやく認識できた。
 
 ただ──それだけのことだった。


               * * *


 自らに与えられた執務室に、カンタビレはいつのまにか帰っていた。

 思考が上手く回らない。

 告げられた言葉だけが、延々と頭の中に木霊する。

 ──一年前の事態は、預言に詠まれていた。

 ──死ぬべきものすら、預言により決定づけられる。

 ──この世界を憎め、カンタビレよ。

「……」

 教団に属しながら、自身の信仰心が薄れていた事は自覚していた。

 それでも、カンタビレはローレライを信仰していたのだ。

 全てが、覆る言葉だった。

 改めて、ヴァン・グランツに告げられた言葉の意味をアダンテ・カンタビレは考える。

 一年前、あまりにも突然告げられた討伐令。スコアに詠み上げられていた死の真相。全ての影で蠢いていたローレライ教団の存在。

 だが、それは同時にもう一つの意味を持つ。

 オラクル騎士団主席総長――ヴァン・グランツ謡将が、それを知らなかったはずがないのだ。

 あそこまで言われて気づかぬ程、自分とて馬鹿ではない。

 つまりは彼もまた、全てを知っていながらギンナルを見殺しにした者達の一人だということになる。なればこそ、ヴァンはあのタインミグで、自分をダアトへと誘い、断られるや否や、さして拘るでも無く──あの日が訪れるのを待った。

 ギシリと、握り締められた拳が音を立てる。食いしばられた歯があまりの力に、軋しんだ音を上げる。

 ……今、考えるべきはそんなことではない。冷静に心を静め、考えろ。

 カンタビレは自らに言い聞かせ、一旦途絶えた思考の先を続けて辿る。

「……何故それを今になって、この僕に告げた?」

 これまでのように利用するつもりなら、真相を知らせずにただ指示を下すこれまでのやり方でもよかったはずだ。自らの立場が不利になるようなことを、何故、総長は自ら告げた?

 そう……何故今になって、それを告げる必要が出た? それがわからない。

 総長とて、あの事態の裏に教団が動いてたことを示せば、当時バチカルに居た教団上位者たるヴァン・グランツが、事態に何も関わっていなかったはずが無い事に、カンタビレが思い至ることぐらいは見越しているはずだ。

 それと知りながら、自分に真実を告げたヴァンの真意は、いったいどこにある?

「何か……理由があるのか?」

 事の起こりは、アッシュの存在をカンタビレが知ったことだ。

 フォミクリーの利用を知られたからか?
 ──いや違う。いずれアッシュの存在が知られる事は、総長も予測していた。

 頃合という言葉の示すものは何だ?
 ──いずれ告げる必要がある事柄であり、総長にとって今回の事態も想定の内だったということだ。

 禁忌とされるフォミクリーを用いて、同位体を作り出してまで、アッシュの存在を求めたのは何故だ?
 ──利用価値があるからだろう。スコアの詠み上げし事象の流れに対抗するなら、重要な転機をもたらし得る存在を事前に確保する意味は存在する。

 スコアに支配された世界を革新するとはどういう意味だ?
 ──……これに関しては、何一つしてわからない。ただ言えるのは、自らの行ってきた研究内容が何か深いかかわりを持つと言うことのみ。

「……結局のところ、そこに話しは行き着く訳か」

 スコアからの解放が、いったい何を意味するのか。
 それが見えてこない。

 解放を目指すとして、いったい何をすると言うのか。
 それがわからない。

 現状で判断できることは、ただ一つ。

 ヴァン・グランツは、未だアダンテ・カンタビレに利用価値を見出している。

 響奏器とパッセージリンクの同調実験。惑星譜術の触媒の分析。地殻から抽出された鍵の分析。

 これまで行われてきた研究など生温いと感じるような、さらに深い暗部へと自分を誘うべく、ヴァンは過去の真相をカンタビレに告げ、自らの抱く志向と同調させるべく、あのような言葉を告げたのだろう。

「……」

 一年前の事件の真相。それはもういい。スコアに詠まれた事象。その裏で動いていた奴らに気づかなかったのは、自分が間抜けだったから。ただそれだけの事だ。それを知ったヴァン・グランツがその動きをどう利用したところで、カンタビレが思うことは何も無い。今はそれでいい。

 ただ言えるのは、今後も総長に従うならば、更に深い闇へ足を踏み込む覚悟が必要であり、見返りとして与えられるのは、馬鹿らしい復讐心を満たすための手段と、対象の一人である相手の懐に入り込む権利を得る事ができるという、ただそれだけの事だ。

 なら、それを知った自分は、どう動くのか?

 このまま相手の示した提案に乗るのか、それとも抗うべく動き出すのか。

「…………」

 時計が針を刻み、鐘が鳴り響く。

 深夜を告げる鐘の音を耳にしながら、カンタビレは無言のまま立ち上がる。 

 部屋の片隅に置かれていたものを持ち上げ、カンタビレは自らに与えられた部屋を後にした。


               * * * 


 時刻は深夜。

 未だ音素灯の明かりを漏らすヴァン・グランツの執務室に、訪れる影があった。

 開け放たれた扉に、部屋の主はさして驚いた様子も無く顔を上げる。

「来たか……――だが、申し出を受けると言った様子でもないな」
「……あんたに少し聞きたい事があってな、総長」

 静かに答えるカンタビレに、ヴァンが壮絶な笑みを浮かべる。

「随分と落ち着いたようだな。かつての覇気が戻っているのがわかるぞ、アダンテ」
「……さてな」

 相手の挑発を交わし、自らのベースを維持する。

 この目の前の相手に飲まれずに、自身を保てとカンタビレは自らに言い聞かせる。

「聞きたい事とは何だ? 折角だ、答えてやろう」
「ありがたい事だな……まあ、だが、ただ一方的に答えを聞かせて貰うだけってのも不公平だとは想わないか?」
「ほう? 不公平か」

 予想外の返しだったのか、ヴァン・グランツが意外そうに片眉を上げる。相手の更なる反応を待つでも無く、カンタビレは自らの片手で持ち込んだものを示す。

「──ゲームをしないか?」

 持ち込んだチェス盤を掲げて見せる。

「勝負が続く間、僕は自分の手番で質問を尋ねる。総長は自分の手番でそれに答えてくれればいい」
「ふっ……面白い趣向だが、私がそれに応じるメリットはあるのか?」

 実際面白そうに問いかける相手に、カンタビレは口の端を吊り上げる。

「試合を受けてくれるなら──バチカルでギンナルを殺すべく指揮を取っただろう、あんたに対する憎悪を一時的に飲み込もうじゃないか。単なるオラクル上位者の命令とわりきって、今後も馬鹿のように利用されてやることを誓おう、主席総長ヴァン・グランツ」

 告げられた言葉に、ヴァンが愉快そうに眉根を上げる。

「ふっ……その誓いをお前が守るという保証は?」
「それに関してはお互いさまだ。総長が質問に正しく答える保証は無いだろ?」
「確かに、その通りだな。事の真偽を判断するのもまた、ゲームの内ということか」
「そうだ。ああ……それと答えられない質問には答えられないと言ってくれて結構だ」

 質問に相手が答えるかどうかは重要でない。発せられた質問に、相手がどう反応するか。それが重要だった。

 ヴァンもまたカンタビレの意図を見抜きながらも、愉快そうに笑みを深める。

「──よかろう。余興もたまには必要だ」
「正直に感謝するよ。その余裕が、ぜひとも僕にも欲しいもんだな」

 執務室の一画に設けられた応接スペースに、二人は移動する。

 チェス盤を据え置き、対面に向かい合う。

「では、始めよう。先手は譲ってやろう、カンタビレ」
「……そりゃまたどうも。ありがたく頂戴しとこうじゃないか」

 あまりにも余裕と言った態度だが、カンタビレはそれも当然と考える。先程からの言葉通り、ヴァンにとって、こんなものは余興と割り切って楽しめる程度の、明らかな茶番に過ぎないのだろう。

 だが、それだけで終わるつもりなど、カンタビレには毛頭無かった。このゲーム中で、必ずこの相手から、決定的な事柄を引きずり出して見せる。

 試合に臨む二人の胸中は対照的ながらも、チェス盤に向ける表情はどちらも真剣なものだ。そこには何一つとして、この勝負に手心加える余地など存在しない。

「――行くぜ」

 盤上に並べられた駒に、カンタビレの手が伸ばされた。



[2045] 5-4 紅の饗宴
Name: スイミン
Date: 2006/09/23 16:10
「――本当に、あれで引き下がってよかったのか?」

 バチカルに無数に存在する宿の一つ。

 ロビーに集まった俺達を前に、ガイが納得いかないと言葉を漏らす。

「1日間を置く事で、兵を伏せられたらどうする?」
「陛下の中でもう答えは出ているでしょう。認めるためには少しの後押しが必要であり、これはそのために作った猶予です。そう悪い結果にはならないでしょう」
「後押しか……そう上手く行くかね」

 どうでしょうねぇ、とあっさり肩を竦めるジェイドに、ガイは渋い顔で腕を組む。

 シェリダンを発った俺達が城を訪れてから、既にかなりの時間が経とうとしている。

 どこか落ち着かなげな皆の様子を見据えながら、俺は城でされた遣り取りを思い出す。


  * * *


 バチカルに戻った俺達を迎えたのは、やはり、到底好意的とは言い難い対応だった。

 伯父さんに面会したいと告げた俺達に向けて兵士達は――どこか躊躇いながらではあったが――武器を突きつけてきた。

 突きつけられる武器を前に、最終的にイオンが導師としての権威を用いて、強引に城の中に乗り込む事になった。

 そのまま伯父さんの居る部屋まで一直線に突き進み、部屋に続く扉を開け放つと、そこには伯父さんの他にも、どこか見覚えるの高官達の姿もあった。おそらく今回の事態にどう対応すべきか、会議を開いていたのだろう。

 どうして戻ってきたと憤る伯父さん達を前に、俺達は怯むこと無く、真っ向から和平の必要性を訴えた。だが戦場が崩落した件で、既にスコアが当てにならなくなりつつあると知りながら、それでも城の誰もが帝国と和平を結ぶことだけは、頑なに認めようとしなかった。

 いつまでも議論は平行線のまま続き、このまま同意は得られないのか思われたとき――状況を動かしたのは、ナタリアの漏らした一言だった。

 ――私を罪人と仰るなら、それもいいでしょう。ですが……

 ―ーどうかこれ以上マルクトと争うのはおやめ下さい、お父様……いえ、陛下。

 ナタリアの決意を前に、伯父さんは言葉を無くし、何かを考え込むように額を押さえた。同時に状況の変化を見て取ったジェイドが間に入り、俺達の立てた計画や世界の状況をまとめた書状を捧げ渡すとともに、明日改めて場を設け、答えを出すことを提案した。

 ――これを読んだ上で明日、謁見の間にて改めて話をする。それでよいな?

 どこか憔悴しきった表情で告げられた伯父さんの言葉によって、全ては明日に持ち越されることが決定したのだった。


  * * *


 こうして城を出た俺達は、そのままバチカルの宿屋に身を落ち着け、明日が来るのを待っているという訳だ。

 明日の謁見がどうなるか言葉を交わす俺達の中で、ガイがしきりに口を開く。

「ジェイドの言ってることはわかってるつもりだ。だが、それでもだ。それでも明日、インゴベルト陛下が強攻策に出てきたら……いったい、どうするつもりだ?」

 あくまで懸念を捨てきれないガイの言葉に、俺達も改めてそうした状況に陥った場合に考えを巡らせる。ガイの過去を考えれば、こうした反応も仕方の無い事だろうし、俺達の置かれた状況から見ても正しい判断だろう。

 だが、諦めるつもりは無い。

 真剣な表情で問いかけるガイの瞳を正面から見返し、俺もまた真剣に答える。

「それでも説得するさ。なんとしても、な」
「……陛下が、そう簡単に納得するかな」

 僅かに視線を逸らすガイに、ナタリアが立ち上がり宣言する。

「その時は私が城に残ってでも、説得します。この命をかけて……──」

 ナタリアの決意を前に、誰もが口を閉じる。

「愚かでしたわ、私。アクゼリュスや戦争の前線へ行き、苦しんでいる人々を助けることが私の仕事だと思っていました。でも……」

 それは違いましたのね、とナタリアはゆっくりと首を振る。

「お父様のお傍で、お父様が誤った道に進むのを諌める──それが、私の為すべき事だったのですわ」

 自らの過ちを認め、尚も前を向き、歩いていこうとするナタリアの決意に、ティアが優しい瞳を向ける。

「ナタリア。やっぱりあなたはこの国の王女なのね」
「そうありたい……と思いますわ。心から。私は、この国が大好きですから」

 深い想いの込められた言葉に、俺もどこか暖かい気持ちが湧き上がるのを感じながら、ナタリアを見据える。きっと伯父さんにも、ナタリアの思いは届いているだろう。

「ま、今は信じてみましょう。ランバルディア王家の器量をね」
「……そうだな。結局それ以外に無い、か」

 未だ完全に納得したとは言い難かったが、それでもガイもまた俺達の決断を尊重してくれた。

 それぞれ異なる想いを胸に抱きながら、それても俺達は全てを明日にかけ、いつになく長い夜を迎える。


 そして、誰もが寝静まった、深夜過ぎ……


 俺は一人宿を抜け出し、ある場所に向かっていた。

 夕食を取った際、食事を運んできた使用人が、俺に人知れず渡した一枚の紙片。

 そこには一人の差出人の名前とともに、メッセージが記されていた。


 ──闘技場で待つ


 差出人の名はファブレ公爵──かつて、俺がオヤジと呼んだ人の名が、其処には記されていた。

「……」

 俺は一人宿を抜け出し、闘技場へと向かう。無人の街路を進み行き、大仰な造りの門を潜り抜け、闘技場に足を踏み入れる。

 音素灯に照らし出される闘技場の中心から、低い声が掛かる。

「……来たか」
「ああ、来たぜ」

 大剣を地面に付きたて、オヤジは一人、そこに佇んでいた。

「真夜中とは言え、よくもまあ、ここを貸し切れたもんだな」
「……昔の伝手があったからな。それなりに腕のあるものに、ここのオーナーは寛大だ」
「なるほどね」

 無人の観客席を見渡しながら、当たり障りの無い言葉を交わす。

 だが、こうして無意味な会話をするために、ここまで来た訳ではない。

「……少し付き合ってもらおうか」
「ああ、こっちこそ望むところだぜ」

 大剣を軽々と片手で持ち上げると、オヤジが構えを取る。

 対峙する俺もまた、腰から剣を抜き放ち構える。

 愚直なまでのバカさ加減においては、俺に通じる所が多いファブレ公爵の考えが、俺には手に取るように理解できた。

 明日、伯父さんがどのような答えを出そうと、オヤジが俺を切り捨てた事実に変わりは無い。

 なら、オヤジは考えるはずだ。

 そう──自分もケジメをつけなければならないと。

 その為には、ファブレ公爵は陛下が答えを出す前に、俺と向き合わなければならない。

 国としての意向など関係無しに、自らの答えを出さなければならないと。

 だが、どう向き合ったら良いのかは、未だわからない。

 だから定まらない答えを見出すべく、どこまでもバカな俺達は──

『はぁぁぁぁぁ―――――――っ!!』

 ただ、ぶつかり合う事を選んだ。


  * * *


 オヤジの振るう剣は、豪快の一言に尽きる。

 途中に地面があろうがお構いなしに突き進み、障害物ごと抉り抜きながら大剣が薙ぎ払われる。振るわれる武器に殺気がこもっていないのはお互い様だが、一瞬でも気を抜けば、それだけで楽に死ねるぐらいの威力は込められていた。

 向けられた視線の先で、オヤジが大剣を振り上げる度に、苛烈な詰問を発する。

「何故だっ! 何故、今更バチカルに戻ったっ!」
「崩落した後まで戦争を続けられたら、堪ったもんじゃねぇからなっ!」

 怒涛のごとく押し寄せる大剣の乱舞を、俺はひたすら正面から受け流す。

「何故だっ! 何故、スコアに抗おうとするっ!」
「戦場は崩落したっ! 狂った予言に従う道理はねぇだろがぁっ!!」

 剣戟の合間を縫うように身を滑り込ませ、一歩一歩、間合いを詰める。

「何故だ! 何故だっ! 何故――お前を切り捨てた国のために、そうも動けるのだっ!」

 放たれた言葉に、俺は一瞬間を置いた後で、一息に答える。

「あんたが真剣にこの国に仕えてた事を、一番近くで見てた俺は知ってるからだよっ!」

 大剣が振り上げられた瞬間、俺は相手の懐に飛び込み、剣を振り上げる。

「そうだろ――――オヤジっ!!」

 俺が吼えると同時、一瞬、オヤジの動きが止まる。

 渾身の力を込めた一撃に、大剣が弾かれ、オヤジの身体が吹き飛ばされる。

「ぐっ……!」

 闘技場の壁面に身体を強かに打ちつけながら、オヤジがゆっくりと身体を起こす。肩で息をしながら、尚も冷め遣らぬ闘志を湛えた瞳が俺を睨み据える。

「……陛下は、お前達の申し出を受ける心算だろう」

 闘技場の壁に背を預けながら、オヤジは低く言葉を漏らす。

 だが、その瞳はどこまでも苛烈な感情が燃え上がり、振り上げられた腕が闘技場の壁を強かに打ちつける。

「この私に息子を切り捨てさせておいて……いざ自らの娘がその対象となったら、スコアを信用するなと諭されるや否や、踏みにじるだとっ!? ならば、私の覚悟はっ! かつて抱いた決意とはっ! いったい何だったと言うのだっ!!」

 オヤジは誰に対するでもなく――この世界その物に向けて、自らの憤りを吐き捨てる。

 初めて耳にする親父の胸の内に、俺は一度瞼を閉じた後で、改めて視線を合わせる。

「……さっきも言ったよな。スコアは狂っちまったんだよ。あんたが息子を切り捨ててまで成し遂げようとした、スコアに詠まれたキムラスカの繁栄はもう訪れねぇ。変わっちまった状況で、ぐだぐだと過ぎた事を抜かそうが何の意味もねぇだろうがっ!!」
「わかっているっ! そんな事は、わかっているのだっ!!」

 伯父さんと同じように、いや、それ以上にスコアから外れることを畏れるオヤジ。そこに込められた思いは、自らの為した決意が、何の意味も無かったと認めることに対する――底知れぬ恐怖だった。

 明日、叔父さんがマルクトとの和平を決めようが、俺がかつて切り捨てられた事実は消えない。それと同じように、切り捨てた側であるオヤジの負い目も、絶対に消えないのだろう。

 頭では理解できるが、感情は納得できない。今のオヤジの状態が、それだった。

 このまま伯父さんの決定で、無し崩し的に家に戻る事を許された所で、俺とオヤジは今までのような関係に戻ることは、決して出来ないだろう。

 オヤジの抱く憤りは、俺の抱く感情と同じものだから。このまま流されるまま、和解することなど許せないし、許すものかと自身を攻める。

 だから、俺はそんなオヤジに告げる。

「――なら、あんたが納得できるまで付き合ってやるよ」

 燃え上がるような深紅の長髪を見据えながら、俺は自らの思いの丈を言葉に込める。

「何を……?」
「俺はレプリカだろうが、切捨てられたルークだろうが、あんたの息子であることに違いはねぇんだ」

 積み重ねた七年という年月は短いものかもしれないが、それでも俺はここに居る。

「だから、俺が受け止めてやるよ。あんたの頑固に凝り固まった考えを、全てここで吐き出しちまえよ」

 剣を突き付け、一息に告げる。

「俺はあんたの息子の一人として、その馬鹿げた考えに凝り固まった頭を矯正してやるって言ってるんだよ――くそオヤジ」

 かつて屋敷で行なわれた喧嘩のように、乱雑な言葉でもって、俺はオヤジに啖呵を叩きつけた。

 オヤジはひたすら呆然と、俺の言葉を聴いていた。まるで耳に入る言葉が信じられないといった様子だ。惚けたように口を開き、剣を突きつける俺を見つめていたかと思えば、次の瞬間、あまりにも突拍子もない行動を取った。

 オヤジは――大声で笑い出したのだ。

 予想外の反応に、俺は大口開けてカカっと笑い声を上げるオヤジの顔を睨み据える。

「……あん? 何がおかしいよ?」
「くくっ……まさか、お前のようなチンピラに諭されるとはな。私としたことが、とんでもない恥を晒したものだと思ってな。思わず笑ってしまったよ」

 何とも癪に障る言葉だったが、しかしオヤジの瞳はどこか優しげな色を宿していた。

 地面に転がる大剣を拾い上げ、オヤジは再び構えを取る。

 そこには先ほどまで漂っていたような、どこまでも張り詰めた鬼気はすっかり抜け落ちている。

 大剣を肩の上に担ぎ上げながら、オヤジは不敵に告げる。

「お前から申し出たのだ。存分に付き合ってもらうぞ」
「へっ、言ってやがれ」

 互いに構えた剣を突きつけながら、俺とオヤジは笑う。

「行くぞ――バカ息子っ!」
「来やがれ――クソおやじっ!」

 吼えると同時、二人の間合いは一瞬で消失し――

 交錯した二つの影は、ほぼ同時に、地面に沈むのだった。


 * * *


 何処からか、鳥の鳴き声が耳に届く。

 チュンチュンとうるさい鳥の声に、俺は寝返りをうって耳を塞ぐ。だが、今度は鳴き声だけではなく、身体がゆすられているような感覚が俺を襲う。更には頬を舐めるざらついた舌の感触や、みゅうみゅうと周囲をぐるぐると回る生き物の鳴き声まで聞こえてくる。

「――い、ルーク! いい加減起きろよ」

 うっすらと開いた視界に映った金髪に、いつ俺は屋敷に帰ったんだっけか、と朦朧とした意識のまま口が勝手に開く。

「……んーガイか? 男に起こされるのは御免だって言ったよな? いつもみたいに他の可愛いメイドを呼んで優しく起こしてくれや。そんじゃ、おやすみー……」

 一方的に言い捨て、俺は再び眠りに落ちるのだった。ぐー。

 どこか遠い場所から、尚も話声は続く。

「ちょっ、ティア、何を!?」
「……お望み通りの起こし方をしてあげるのよ」
「いや、さすがにそれはまずいだろっ!?」
「……いいのよ」
「いや、よくないだろ! る、ルーク、早く起きろ!」
「みゅみゅ! ご、ご主人様、危ないですの!」

 うーん。うるさいなぁ……

 直ぐ耳元で交わされる騒々しいやり取りに、俺は寝ぼけ眼のまま上体を起き上がらせる。

 耳元を掠める轟音が、一瞬遅れで響く。

「…………」

 ギギギ、と錆び付いた歯車のように緩慢な動作で、俺は音源に視線を据える。

 起き上がる直前まで、俺の頭が在った位置に、メイスが振り下ろされていた。陥没した地面が、振り降ろされた一撃の本気具合を訴える。

「……目は覚めたみたいね」

 ダラダラと背中を滴り落ちる嫌な汗を感じながら、俺は訳もわからぬまま口を開く。

「あ、う、おはよう。……ええと、何で俺はこんな地面に寝てるんでしょうか?」

 確か昨日は……と必死に頭を働かせる。

 急激に意識が覚醒する。何よりも忘れてはならない用事を思い出す。

「――伯父さんとの謁見! って太陽は真上!? や、やばっ!?」

 身体を起こし、立ち上がりざま駆け出そうとした俺の背中に、あっさりと声が掛かる。

「謁見なら、もう終わったわ」
「今はナタリアと陛下が今後のことについて、二人で話し合ってるぞ」
「へ……?」

 未だ事態の掴めない俺に、ティアがもう一度わかりやすい言葉で説明する。

「インゴベルト陛下は帝国と和平を結ぶことに合意したのよ」
「同時に、ナタリアと陛下も無事和解したってことだな」

 しばらく硬直したまま、俺は告げられた言葉の意味を考える。

 えーと、ナタリアと伯父さんが二人で今後の事について話してて、謁見は既に終了。和平を結ぶことには同意してて、二人は和解した。

 ……つまり、俺って肝心なときに居なかったってことか?

「……俺って、いったい……」

 ズーンと膝を抱えて落ち込む俺を見据えながら、二人が呆れたように額を押さえる。

「公爵からお前を寝かしておいてくれって言われたんだよ。あんま気にするなって」
「あなたが闘技場に居ると教えて下さったのも、あなたのお父様よ」
「……そういうことかよ」

 二人の言葉に、俺もなんとなく事態がつかめてくる。

 つまり、一夜明けても目を覚まさない俺を見て、オヤジがお節介にも放っておけと、皆に告げたと。そのせいで俺が寝ぼけてる間に、あっさりと和解がなされたと。

「くっ……あのクソおやじめっ! ……ってか、オヤジはどうしてるんだ?」
「公爵は城だ。和平に向けた細々とした草案作りに議会を召集するとか言ってたぞ」

 答えながら、ガイが痛快と言った感じで俺の肩を叩く。

「公爵と正面からぶつかったんだって?」
「あー……まあな。俺もオヤジも頑固だからよ。何となくこういう事になった」

 最後に激突した瞬間を思い出す。

 互いに思いの限りを詰め込んだ、渾身の一撃だった。最終的にどっちも力を使い果たして、ぶっ倒れちまったってことだが、俺よりも先に意識を取り戻すとはね。さすがオヤジって事か? ……くっ、何か認めがたいもんを感じるぜ。

「ったく、服とかもボロボロだな」

 言葉に出来ない悔しさを感じて、八つ当たり気味に吐き捨てた俺の言葉に、ガイが両手をポンと叩く。

「あ、そうだ。公爵がこれをお前に渡してくれってさ」
「オヤジが俺に……?」

 かなり不審に思いながら、ガイから渡されたものを受け取る。

「これって……服か?」

 ガイから渡されたのは、一着のコートだった。目にも鮮やかなに深紅に染められた外套が、俺の腕の中でその存在を訴える。

「何でも昔公爵が闘技場で暴れ回って《ベルセルク》とか言う二つ名で呼ばれてたときに着てた服がそれだって話だ。お前に着て欲しいんだってよ」

 俺はガイの説明を耳にしながら、マジマジとコートを見据える。思い返してみると、そう言えばオヤジから直接ものを譲り受けたのは、これが始めてかもしれない。

「ふ、ふん。まったく、オヤジの奴め。し、仕方ねぇからもらってやるとするか」

 口元が自然ににやけてしまうのを必死に抑えながら、乱暴に外套を扱う俺を見据え、ガイが肩を竦める。

「素直じゃないな」
「……まったくね」

 俺は言葉に詰まって、あうあうと口を開けては閉じるを繰り返す。

「と、ところで、これからどうする予定になってんだ?」

 かなり強引な話題転換だったが、二人とも苦笑を浮かべながら答えてくれた。

「この後はマルクトに向かうことになってるわ」
「キムラスカが了承したんだ。あとはピオニー陛下に報告する番だってことだ」
「そっか。とうとう和平が……」

 現実味を帯び始めた和平成立に、俺も感慨深いものを感じる。

 思えば俺がイオンと合流してから、バチカルに向けて動いていた頃の目的も、和平の成立だったんだ。それが今になってようやく実現しようとしているんだ。多少は感慨に耽っても罰は当たらないよな?

「そろそろナタリアの話も終わる頃だな。行こうぜ、ルーク」
「ああ、わかった」

 闘技場の外に向けて歩き始めたガイの後に続きながら、俺はオヤジから譲り受けた深紅のコートをしばし見据える。

「どうしたの……?」

 不思議そうに問いかけるティアに、俺はどう言ったものかと考えながら口を開く。

「あー……なんだか、オヤジから貰ったって考えると、ちょっと照れくさくてな」
「ルークのお父様が、あなたに着て欲しいと思って渡したものよ。なにも恥ずかしいと思う事は無いわ」

 真摯な表情を向けるティアに、俺も改めて手の中にある外套に視線を落とす。

 少し躊躇った後で、俺はいつでも脱げるように、袖は通さぬまま外套を背中に羽織る事にする。風に煽られふわりと広がったコートが、ゆっくりと俺の背中に落ち着く。

「……似合ってると思うわ」
「へへっ。ありがとな」

 俺はティアの言葉に多少の気恥ずかしさを覚えながら、鼻の頭を掻いた。

 深紅の外套がファブレ家の赤毛と相まって、かなり鮮烈な印象を見る者に与えるだろう。オヤジから譲り受けたコートに、どこか暖かいものを感じながら、俺は闘技場を後にした。


 こうして俺達は故郷を取り戻し、和平を実現すべく、帝都グランコクマに向かう。

 一度は失われたかと思われた絆だったが、それでも俺達は再び手にする事が出来た。

 もちろん再び手に出来たとは言っても、かつてと全く同じものは戻らないだろう。

 だがそれでも、言葉を交わすこともせずに、逃げ出すようなことだけは二度としない。

 そう――信じられた。


  * * *


 グランコクマに着いた俺達は、大佐がピオニー陛下に面会する手続きを取り終えるまでの間、少し時間に猶予が出来た。

 折角帝都まで来たのだからと、そのまま無為に過ごすよりも、一時的に解散して街を観光することになった。

 それぞれが思い思いに街の散策に歩き出して行く中、俺はティアを呼び止める。

「ティア、ちょっと俺に付き合ってくれねぇか?」

 ぶしつけな俺の申し出に、最初ティアはどこか困惑した様子だった。しかし躊躇いがちではあったが、最終的に頷いてくれた。

「別にかまわないけど……」
「そっかそっか。それじゃ、ちょっと着いて来てくれ」

 怪訝そうに向けられるティアの視線を感じながら、彼女を引き連れ歩き出す。当然小動物二匹も一緒だったが、こればっかりは仕方ないと諦める。

 俺は無意味に街をぶらつくでもなく、明確な目的を持って、帝都に立ち並ぶ一軒の店を訪れる。

 カランカラン……

 いらっしゃいませ、と店内から声がかかる。

「いったいどうしたの、ルーク? この店に何があるの?」
「ん、もうちょっと待ってくれ」
「?」

 小首を傾げるティアを脇において、俺は店員の一人に尋ねる。少々お待ちくださいと言葉を残し、店の奥に引っ込んでいく店員を見送る。

 しばらくすると、店の奥の方から目的の人物が出てくるのが見える。

「お呼びでしょうか、お客様」
「少し前に、辻馬車の馭者からペンダントを買いとったそうだな。3カラットくらいのスターサファイアがはめこまれてる、かなりの値打ちもんなんだが……」
「ああ……あれですか。確かに私が以前買い取らせていただきました。大変いい仕事をしていました」
「あれを買い戻させてくれ。元々彼女のものなんでな」

 ルーク、とティアが驚きに目を見開く。

「あちらの品は少々お値段が張りまして、10万ガルドになりますが如何でしょうか?」
「構わない。持ってきてくれ」

 即座に応じる俺に、ティアが我に返って、猛然と声を上げる。

「ルーク、いいわ! 無理に買い戻さなくても……」
「あー……こっちは気にしないで、持ってきてくれ」
「かしこまりました。少々お待ちください」

 さっさと商人は店の奥に引っ込んでいった。商売人としても、せっかく捕まえた上客を逃したくないってところだろうな。

「ルークどういうこと! 10万ガルドなんて大金……」
「そっちはあんま気にするな。バチカルに戻ったときに、昔闘技場で稼いだあぶく銭を回収しといたからな。だから金に関しては全然気にする必要はないぜ」

 本々降って沸いたような金だからな、と俺はおどけて見せた。

「で、でも、あれを渡したのは私だから、やっぱりルークが無理する必要は……」

 なおもティア渋っていたが、そうこうするうちに商人が戻ってきた。

「こちらの品でございますね?」
「ああ、これだ。んじゃ、精算よろしく」
「ご利用ありがとうございました」

 ホクホク顔で会計を済ませる商人の顔を複雑そうに見据えるティアに、俺は買い戻したペンダントを手渡す。

「ほら、大事なものだったんだろ?」
「でも……」
「いいっていって。俺が勝手に買い戻しただけだ。ほら、受け取ってくれよ」

 多少強引だったが、俺は彼女の手にペンダントを握らせる。少しの間躊躇っていたようだが、ティアも最終的に受け取ってくれた。

「……ありがとう、ルーク……本当に……良かった」

 胸にペンダントを抱きしめ、瞳を閉じて思いのこもった言葉を漏らす。

 しばらくティアが落ち着くのを待った後で、俺は少し躊躇いながら問いかける。

「……どういう謂れのあるものなのか、聞いてもいいか?」
「母の……形見なの」

 優しい表情でペンダントを見据えるティアに、俺は何てこったと額を押さえる。

「あーもうティア! お前、人良すぎ! 出会ったばっかのチンピラ送り届けるために、そんな大事なもん手放してどうするよ!!」
「で、でも、私が巻き込んでしまったから……」
「親の形見手放すまで思いつめなくてもいいだろうによ……まったく」

 あまりの生真面目さに呆れる俺に、ティアが不意打ちを放つ。

「でもルーク……本当にありがとう」

 ティアの笑顔を目にした瞬間、とんでもない勢いで頭に血が上るのを感じる。

「べ、別にそんな礼を言われるような事してねぇって。そ、それより俺はもう行くぜ!」

 あまりの笑顔の眩しさに、俺は耐え切れなくなって、ティアに背を向け慌てて退散する。

「ご主人様、照れてるですの! やっぱりご主人様は優しいですの!」
「……ええ、そうね。……ルーク……」

 だから、背後で交わされた二人の言葉が俺の耳に届くことは無く、ティアが最後に漏らした呟きもまた、誰に聞かれる事も無く、虚空に消えるのだった。


  * * *


 面会許可が下りたことを伝えてきた兵士に連れられるまま、俺達はピオニー陛下の私室に案内された。謁見の間じゃなかったのは、これが非公式な訪問だからだろう。

「――そうか。ようやくキムラスカが会談をする気になったか」

 ジェイドやナタリアから状況を改めて聞かされていた陛下が、感慨深げに頷く。

「ここはルグニカ平野戦の終戦会議という名目にしておくとしてだ。どこで会談する?」
「本来ならダアトなのでしょうが……」

 言葉を濁すイオンの後をジェイドが引き継ぎ、懸念を述べる。

「ダアトは六神将にとっても慣れ親しんだ場所。万一の場合を考えると、警備的な側面から、あまりお勧めできないでしょうね」

 確かにな。こうして和平が現実味を帯びてきたのだ。これまで動かなかったヴァンが腰をあげる可能性は打ち消せない。

 しばらくの間どうしたものかと考えているうちに、俺はふと思いつく。

「そうだ。ユリアシティはどうだ、ティア?」
「え、でも魔界よ? それでもいいの?」
「むしろ魔界の状況を知ってもらった方がいいだろ? 外殻降ろす先は魔界なんだしさ」

 俺の提案に、皆の間にも納得したような空気が流れる。

「……悪くないですね。では陛下、魔界の街へご足労いただきますよ」
「ケテルブルクに軟禁されてたことを考えりゃ、どこも天国だぜ。行ってやるよ」

 あっさりと放たれた言葉に、俺はなんとも聞きなれたフレーズを耳にする。

「軟禁?」
「ええ。陛下は皇位継承関係のゴタゴタで、軟禁されていた時期があったのです」
「はぁ……そういうのって、俺だけじゃなかったんだなぁ」

 思わずつぶやいた感想に、ピオニー陛下の瞳がキラリと光る。

「ほほう、お前さんもそうなのか、ルーク」
「ああ。行動範囲が限定されてるのって意外とキツイよなぁ」

 ゲンナリとかつての生活を思い出してぼやく俺に、ピオニーが楽しそうに相槌をうつ。

「お、話がわかるねぇ。最初のうちは本とか読んで退屈紛らわすこともできんだが」
「そのうち全部頭に内容入っちまって、新鮮味がなくなっちまうと」
「それで外に抜け出すことになるわけだな」
「そうそう。ホント……今じゃあれもある意味懐かしいぜ」
「だな……軟禁ライフの思い出は一生もんだからな」

 俺とピオニーは、かつて過ごした日々に思い馳せながら、遠くを見据えるのだった。

 次々と余人にはまるで共感を抱かせない話題を展開する二人を遠巻きに眺め、ジェイドが眼鏡を押し上げる。

「……まさか、これほどまでに陛下と気が合うとは思いませんでしたね」
「結構経歴とかも似てるもんがあるみたいだしなぁ」
「軟禁ライフって、共感を呼ぶものなの……?」
「キムラスカとマルクトの間に新たな架け橋が結ばれた……素晴らしい事ですわ」
「ええ。教団としても歓迎すべき事態ですね」
「……ちょーっと方向性がズレてる気がしますよ、ナタリア、イオン様も」

 何だか色々と言われてるような気がしないでもないが、俺は何も聞こえ無い。聞こえないったら聞こえない。

「それにしても、よくこれだけの武器集めたな」
「ははは。武器マニアだって評判聞きつけて、ご機嫌伺いに謙譲されたのが殆どだけどな」

 そうして意気投合する内に、話がピオニーの部屋に転がった無数の武器に飛ぶ。

「なんか欲しいのがあったら、一本やるぞ」
「お、気前がいいな」
「なぁに、かつて軟禁ライフ送った同志なんだ。気にするな」

 俺とピオニーは、今この瞬間、二人の間に篤い友情が結ばれるのを感じるのだった。

「い、いいのか、あれ?」
「……まあ、陛下が良いとおっしゃるなら、良いのでしょう」

 やれやれと肩を竦めるジェイドを尻目に、俺は壁に掛けられた大量の武器に近づく。どれを手に取ったものかと視線を彷徨わせると同時――奇妙な音が、鳴り響く。

「ん……?」
「……あの、何か音がしませんか?」
「ええ……これは音素の干渉音のようですが……」
「第一音素と第六音素の干渉ですの~」

 そうして話し合ってる間にも、音は止むことなく鳴り響き続ける。

 失礼、とジェイドが俺の前に立って、壁に掛けられた武器を検分する。

「どうやら、これが音源のようですね」

 床に並べられた武器の内、翼のような刀身をした一本の剣を拾い上げる。

「……どうやらルークの持つ闇の杖と反応しているようです。譜術封印で音素の動きを一時的に止めておきましょう」

 剣に向けてかざされた腕を中心に音素の光が放たれる。

 音が収まるのを確認すると、ジェイドがピオニーに視線を向ける。

「……陛下、この剣はいったい?」
「ああ。確かそれはマクガヴァンの爺さんが退役するときに残していったものだ」

 懐かしいなぁーと思い出にふけるピオニーを横目に、俺たちは緊張に身体を強張らせる。

 マクガヴァン元帥の持ってた武器だと……?

 俺たちの緊張を感じ取ってか、ピオニー陛下も少し表情を引き締めながら問いかける。

「様子が変だな。その剣には何かあるのか、ジェイド?」
「……おそらくこれは惑星譜術の触媒と呼ばれるものです。ヴァンの一味が収集しているもので、マクガヴァン邸はディストに襲撃され、家宝とされていた槍を奪われています」

 話の内容がかなり深刻なものだと悟ってか、ピオニーも考え深げに腕を組む。

「そうか……俺も少し軍に探らせておく。何か情報が入ったらお前の執務室に置かせる」
「助かります、陛下。……それとこの剣に関してですが」
「ああ持って行け。ルークに一本やる話の流れになってたからな、ちょうどいいだろう」
「感謝します」

 ジェイドとのやり取りが終わった後で、ピオニーが大きく伸びをしながら首を鳴らす。

「さてと。早速議会を召集して和平に関する事項を確認しておくとするか」

 議会の召集に向かうべく歩き出しながら、ピオニーが最後に俺達を振り返る。

「んじゃ、魔界で会おうぜ」

 またなーと気安く言葉を掛けながら、ピオニーは去っていた。

 何ともマルクトの皇帝も、意外と気さくで良い奴だったよな。

 うんうんと腕を組んで何度も首を頷かせる俺を横目に、ガイやジェイドがヒソヒソと言葉を交わす。

「……王族ってのは皆、ああなのかね?」
「……どうでしょうねぇ。どちらもかなり特殊な例ですから、私の口からは何とも」
「……アニスちゃんも、最近貴族って人たちに、ちょっと幻滅気味~」

 王族に関する性格傾向に疑問を抱く3人だったが、当然、答えが出るはずも無い。

 3人は王族皆変人疑惑に頭を悩ませ、小声で囁き合うのだった。


  * * *


 和平を明日に控え、俺達は一足先に魔界に沈んだ都市――ケセドニアを訪れていた。

 各国の代表をどう輸送するかについて、最初はユリアロードを考えていたが、最終的にはアルビオールを使うという結論に落ち着いた。輸送手段としてもアルビオールはかなりの速さを誇る上に、途中で上空から魔界の状態を確認して貰うこともできるという、一石二鳥の手段だったからだ。

 宿屋のロビーで交わされる話題も、明日の会談に関することが殆どだった。

 部屋の中央で話を交わす皆から少し離れた位置に腰掛け、俺は一人思考に沈んでいた。

 ピオニーから譲り受けた、翼のような形状をした剣――聖剣ロストセレスティを片手に握りながら、俺はもう一方の手にディストの落とした杖――刻まれた銘はケイオスハートというらしい――を握り、二つの武器を見比べていた。

 どちらも惑星譜術の触媒らしいってことだが、どうにも同じものだとは思えない。

 ケイオスハートは禍々しいぐらいの存在感を放ってるのだが、対するロストセレスティはあっさりとしたものだ。確かに音素を引き付けているのはわかるのだが、ケイオスハートと比べれば、あまり大したものだとは思えない。

 思えば、ヴァンの杖やラルゴの槍もそうだったが、俺の目にした惑星譜術の触媒は、どれも圧倒的な存在感を誇っていた。

 パッセージリングに突き刺される惑星譜術の触媒は、周囲から異常なまでの音素を引き寄せ、取り込み、ヴァンの告げた如く――喰らい尽くしていた。

 あれが何を意味しているかはわからないが、この存在感の違いにも、何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。

「……触媒が気になりますか?」

 いつのまにか俺の傍らに佇んでいたジェイドが、触媒を見据えながら静かに問いかける。

「さすがに2本も手に入るとな。意識しない訳にも行かないだろ?」
「ええ……出来ることなら、今すぐにでもケテルブルクに向かい、触媒の研究を行なっていたという……今は亡き教団員の研究内容を確認するべきなのでしょうがね」

 どこか感情の伺わせない表情になって、ジェイドがどこか悔やむような言葉を漏らす。

「そりゃ仕方ないだろ?」

 まず崩落に対処しない事には、どうしようも無い。だが外郭大地を降下させるには、その前に和平を結ぶ必要がある。惑星譜術の触媒が気になるのは確かだが、そうした事柄を放り出してまで行くわけには行かないだろう。

「まあ、私もわかってはいるのですがね。それでも故郷には少し思う所があるので……」
「ふーん……ジェイドが自分の事を話すなんて、珍しいこともあったもんだな」
「……ええ。本当ですねぇ」

 苦笑を浮かべると、ジェイドは仕切りなおすようにメガネを押し上げる。一瞬流れた気まずい空気をごまかすように、俺は話題を変える。

「それにしても、崩落がこんな小さな武器が切欠で起きてるとは誰も思わねぇだろうな」
「六神将がパッセージリングに触媒をもって干渉する事で、結果として外郭大地の崩落が引き起こされているのは確実でしょう。スピノザが私達に渡した資料から考えるに、触媒を用いて地殻から記憶粒子を引き出す過程で、バイパスの役目を果たすパッセージリングに負荷が発生――動作不能に陥り、大地を支えきれなくなるのでしょうね」

 地殻からパッセージリングを介し、大量の記憶粒子を引き出す研究か。

「でもさ、今は既にパッセージリング自体に暴走が起こってるだろ? それなら、もう放っておいても外郭大地は崩落していく訳だ」
「まあ、そうなりますね」
「なら、何で六神将の奴らはイオンをさらって、ダアト式封呪を解かせたんだろうな? それって結局、まだパッセージリングに用があるって言ってるようなもんだろ?」

 六神将の不可解な行動に頭を捻る俺に、ジェイドが静かに頷き返す。

「外郭大地の崩落はスコアに詠まれている……ベルケンドでヴァン謡将の言っていた言葉です。私達の行動を放置したことからも、大地の崩落其の物はさして重要視していないのでしょうね」
「うーん……記憶粒子を引き出すのが目的なのか?」

 それで惑星譜術が復活させるとか? いや……だがダアトでトリトハイムの言っていた事から考えるに、確かに強力そうな譜術だとは思うが、そうまでして復活させる意味があるとは思えない。

「ローレライの消滅させて、スコアから人類を開放するってのが目的だってのはベルケンドで聞いたけどよ。結局どうやってそれをするつもりなのかわからねぇーんだよなぁ。惑星譜術が何か関係してるのか?」

 だが、仮に惑星譜術を使ってローレライを消滅させようとしているとしてもだ。そもそもローレライの存在自体が確認されていないのが現状だ。何処に居るかもわからないやつを、どうやって消滅させるつもりなんだろうな。

「だあ――っ! ……もう全然わからねぇーぜ」

 頭を掻き毟って叫ぶ俺に、ジェイドが意味深な言葉を漏らす。

「さて、どうでしょうね。しかし、仮に地殻への干渉、それ自体が何か意味を持っているとしたら……」
「したら……?」
「――ま、和平がなったら、もう少し情報が入るでしょう。今は明日に備えるのが重要ですねぇ」

 続く言葉を待つ俺からあっさり身体を離し、ジェイドは肩を竦めて見せた。

 って、そこまで言っといて、普通話を終わらせるかっ!?

「なんつぅーか……話が核心に近づくと、いつもそれだよな、ジェイドは」

 半眼になって見据える俺に、ジェイドがメガネを押し上げる。

「不確かな段階でいくら議論を重ねたところで、何の意味もありません。独善的な思い込みの上に立つ行為程、怖いものはありませんからねぇ」

 どこか自嘲するような言葉を残し、ジェイドは宿の部屋に引き上げていった。

「……訳わかんねぇーよ」

 ロビーに残された俺は小さくつぶやきながら、手にした武器に視線を戻す。

 ケイオスハートとロストセレスティ。
 ヴァンの奴らが集めている響奏器の一種。
 オールドラントの力を解放すると言われし惑星譜術の触媒。

「ローレライの消滅……か」

 ベルケンドでヴァンの告げた言葉を思い出しながら、俺は手にした武器を見据えた。


 長きに渡り闘争を繰り広げてきたキムラスカ・ランバルディア王国と、マルクト帝国の間に和平が結ばれる――そんな歴史的瞬間を明日に控えた日の事だった。



[2045]  聖なる哉、聖なる哉 ─黒の禁書庫─
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/20 03:11

 盤上を斜向かいに対峙する二人の男の姿があった。
 さして広くもない室内には冷え切った空気が充満し、向き合う二人を中心に、駒の進められる音だけが定期的に響く。
 緩やかに進められる序盤の流れの合間で、カンタビレは時折口を開き、問いかけを放つ。
 ヴァンがそれに淡々と答え、対局は表面上は穏やかに進行する。
 序盤の応手はさして劇的な変化も見せぬまま流れ行き、対局は中盤に至っていた。


「……などほどな」


 カンタビレは盤上から視線を移す。射抜くような視線を向けながら、自身の把握した情報を言葉に直す。


「つまり当時から、あんたは僕の研究内容に目をつけていたって事か」


 序盤においてカンタビレの発した質問は、そのほとんどが当時に関する確認だった。
 今から一年程前。あまりに突然なされたダアトへの誘いに、かつて自分は王都にとどまる事を選択し、申し出を断った。

 それから数日と間を開けぬ内に──ギンナルは死んだ。

 カンタビレが王都にとどまる事を選択した最大の理由は消え去った。

 その後は促されるままダアトに向かい、世界から目を背けるように、要請されるまま研究に没頭した。
 だが、それすらも全ては目の前の男の思うがまま、踊らされた結果に過ぎなかった。
 この男はスコアの内容を知りながら、何一つ口にせぬまま放置し──ただ待った。
 そして、何一つ直接的に動く事もなしに、最も望ましい結果だけを手に入れたのだ。


「全てを知りながら放置し、訳知り顔で手を差し伸べる……正直、吐き気がするな」
「随分と嫌われたものだな。余程あの事件の顛末が気に入らないか?」
「はっ! これで嫌わなかったら、むしろ異常だね。……まあ、スコアに関しては教団の方針だった。あの段階で知ったところで、どうしょうもなかったってのは僕も理解しているさ」

 何年もの間動かなかった政府が動いたのだ。それ相応の入念な準備がなされていたと思うべきだろう。あの日他の団員が帰省していた所を狙われたのも、偶然ではなかったのだろうと、今のカンタビレは判断していた。


「だが、それでもだ」


 教団の方針がどう在ろうが、そんな事は自分の抱く感情とは何の関係もない。

「僕はあんたが気に食わねぇ。あんたのやり口は、ひたすら虫が好かねぇ・・・・・・・・・・類のもんだ」

 抱く嫌悪を一切隠そうとしない、率直なカンタビレの物言いに、ヴァンは薄く笑みを浮かべる。

「個人的な感情にまで口を挟むつもりはない。お前が有用な人材である事に変わりは無いからな。だが一つ言わせて貰うなら、お前の手がけた研究内容が私の興味を引いたのは確かだが、それ以上に、おまえ自身に興味を抱かされたのもまた確かなことだ」

 相手のあまりにも一方的な言いぐさに、カンタビレは更に顔をしかめる。

「迷惑な話だな。……ディスト一人じゃ足りねぇのか?」
「奴の役割はまた別にあるからな」
「……フォミクリーか」

 かつてケテルブルクに生まれた二人の天才の名は世界的にも有名なものだ。バルフォア博士が生み出したフォミクリーを作成する譜術。それを同郷たるネイス博士が譜業技術として体系化する事で、複製体の安定性を高めた事は、その筋の人間ならば誰もが知っている事実だ。

「あんたにとって、まるで人間は駒のようだな」

 ルークが勢いよく、相手陣地に切り込みを掛ける。正面から受けようとすれば少し対処に困る局面に、しかしヴァン・グランツはさして慌てる事もなく、最も効率的な一手を放つ。

 ボーンが犠牲にされて、カンタビレの放った手は無意味なものとなった。

「効率的に使い潰されるならば、駒としても本望だろう」
「……」

 生体フォミクリーを躊躇いもなく実行できる相手の言葉だ。本気で言っているのだろう。

 背筋を走り抜ける薄ら寒いものを感じながら、そんな自分の感情を叱咤する様に、カンタビレは一度瞼を閉じ、開く。

「そろそろ本題に入らせて貰うぜ」

 言葉と同時──カンタビレの苛烈な一手が放たれる。

「むっ……」

 盤上を見据え、ヴァンが応手を止める。一連の流れから切り離された位置にあった序盤の一手が、ビショップからキングに繋がる道を開き、その動きを効果的に阻害している。

 下手に攻め続ければ、このままの読み筋で行くとヴァンが一手負けに終わる。

 沈黙するヴァンの姿を認識すると、カンタビレは一息に問い掛けを放つ。

「──預言からの解放が意味するものとは、一体何だ?」

 問い掛けに、ヴァンが静かに両眼を閉じる。
 つり上げられた口端が、僅かに笑みを形取る。

「さて……いったいどのような答えが返される事を望んでいるのだ?」
「そのままだ。そのままあんたの考えるところを言ってくれれば、それでいい」

 どこか惚ける様な相手の返答に、カンタビレはふざけた事をと内心で思いながら、表面上は冷静さを保ち、自身の推測を交えた言葉を続ける。

「全ての預言の源であるローレライを滅ぼして、この世界を革新する……そう、あんたは言っていたな。
 確かに預言を詠む際に第七音素は必要になる。そんな第七音素の集合意識体が消滅すれば、世界中の第七音素の総量は大幅な減量を余儀なくされるだろうよ。
 だが、それで人類が預言から解放されると、何故言える? ローレライが居ようが居まいが、第七音素がある限りスコアは消えない。
 あんたの言う預言からの解放が意味するものとは、いったい何だ?」

 わずかな沈黙を挟んだ後、ヴァンがゆっくりと駒に手を伸ばす。

「……星の記憶というものを知っているな」

 攻めに転じていた幾つかの駒が戻されて行く中、カンタビレは相手の言葉の意図が掴めず怪訝に思いながら、とりあえず答えを口にする。

「確か……地殻に沈んだ記憶粒子の大本のことだったか」
「その通り。そして同時に──スコアを構成する事象の流れの根源でもある」

「星の記憶が……?」
「そもそも我々が知る預言とは〝間接的〟なものだ。地殻に存在するローレライが星の記憶より観測せし事象の流れを、第七音素を媒介とする事で覗き見ているに過ぎない」

 緩手を続ける相手を追い立てながら、カンタビレも相手の告げた言葉の意味を考える。

「……媒介となる第七音素が残っていても、星の記憶を直接的に観測するローレライが居なくなる事で、預言自体が詠めなくなるって事か?」
「ああ。観測者たるローレライを消滅させることで、人類はスコアを詠む術を失うだろう」

 あまり動きの無い盤上から視線を外し、カンタビレは告げられた言葉に思考を巡らす。

 確かに、ヴァンの言っていることが事実ならば、ローレライを消滅させることで、人類がスコアを知覚する術は失われるだろう。

 だが、ローレライが消滅しようとも、預言の下となっている記憶粒子の総体──星の記憶は残る。また、そもそもこれまで詠まれたスコアが消える訳でも無い。目の前の相手が告げた言葉に、言いようの無い不審感が募るのをカンタビは感じた。

 ……一つ、試してみるか。

「なら、ユリアの残したプラネットスコアに関してはどうするつもりだ?」
「……プラネットスコアか」

 かつて星の一生を詠んだと言われる膨大な預言。生み出された七つの譜石を巡り、かつて戦争が引き起こされもした。今では現存するかどうかはともあれ、その存在する場所のほとんどは確認されている。

 ただ一つ、星の終焉を詠んだとされる第七譜石のみが未だ発見されていない。

「とりあえず手段は置いとくが、仮にローレライを消滅させる事に成功したとしてもだ。預言の根源である星の記憶自体は消えない事になる。あんたの言ってる言葉から考えるに、プラネットスコアが星の一生を読み上げた記録だって言われてるのも、星の記憶から直接的に引き出された預言だったからなんだろ?」
「そうなるだろうな」
「なら、スコアを詠む術が無くなっても、譜石に刻まれた預言がある限り、プラネットスコアの影響は世界に残り続けるんじゃないか?」

 多少強引な話の展開だったが、それでもヴァンの掲げるスコアからの解放という目的から考えるなら、やはり無視できない要素のはずだ。いったいこの問いにどう答えるのか、カンタビレは視線も鋭く相手の反応を待つ。

 どこか遠くを見据えるように瞳を細めていたヴァンが、ゆっくりと口を開く。

「……私から言えるのは、プラネットスコアと言えども完全ではないということだろうな」
「なに……?」

 思わぬ言葉に眉根を寄せるカンタビレに、ヴァンは続ける。

「預言により定められた事象の流れは絶対と言われているが、それは正確ではない。絶対たり得るのは、流れの行き着く先のみ。終焉に至る過程においては無数の異なる流れが存在し得る。
 たとえプラネットスコアと言えども、それは例外ではない。教団が自らを監視者と称しながら、世界に対して事有るごとに干渉する理由でもある。絶対たり得るのは、流れの行き着く先のみ」

 問われた質問には応えた、とヴァンはそこで言葉を止めた。

「……」

 預言に詠み上げられた終焉に至る過程そのものは絶対では無い。そう、この相手は告げる。

 だが逆を言えば、無数の異なる流れが生じようとも、行き着く先は何も変わらない。そう言っているとも取れる言葉だった。

「……やっぱり、わからねぇな」

 カンタビレは額を抑え、低く呻く。

「いや……更に疑問が沸いたと言うべきか。本来、未来とは不確定なものであり、偏在する事象に決まりきった結果など存在しない。そして、そうした無数に存在する流れを消し去り、一つに確定する術がスコアであると僕は考えていた」

 偏在する事象の流れを観測する事で確定する──これが一般的に言われている預言の発現過程だ。そうした分析があったからこそ、カンタビレはローレライの力の本質が消滅であり、他の可能性を消し去る事で、唯一の流れを発生させているという仮説を打ち立てた。

「だが、あんたは、星の一生を詠み上げたと言われるプラネットスコアにも、幾つもの流れが存在すると言う。それでいて、行き着く先に関しては唯一つしか存在しないと口にする。それは預言が詠まれようが詠まれまいが、結局の所、導かれる最終的な結果は変わらないと言っているようなものだ。
 なら──この世界に預言が存在する意味は、存在するのか?」

 どのような過程を経ようが、行き着く先がただ一つしか存在しないのでは、未来を知ることに何の意味がある? そう問いかけるカンタビレに、ヴァンは僅かに目を閉じる。

 答えを待つ自分から顔を逸らし、ヴァンの口から小さなつぶやきが漏れる。

「……気づいたか」

 思わぬ相手の反応に、向ける視線が自然と強まるのを感じる。気勢を増した視線の圧力に晒されながら、しかしヴァンは一向にその先を続けようとしない。

 痺れを切らしたカンタビレは、語気も荒く相手に問い質す。

「それで、質問に答える気はあるのかよ?」

 それとも何か答えられないような理由が存在するのか? そうカンタビレは裏で問い掛ける。

 更に沈黙が続き、カンタビレが疑惑を確信に高めたとき──ヴァン・グランツが口を開く。

「世界の存続」

 意味の取れない返答に眉根を寄せるカンタビレを余所に、ヴァンの言葉は淡々と続く。

「スコアに存在する意味があるとしたら、そんな下らぬ理由があるだけに過ぎないだろうな」

 どこか嘲るような言葉を最後に、ヴァンが口を閉じる。

「……」

 かつての創世歴時代、ユリアは障気に汚染されたこの星で、人類が生き残る道筋を見いだすべく、プラネットスコアを詠んだ。ヴァンの返した言葉は、そうしたスコアの成立過程を指しているようにも考えられる。

 だが、自分の直感が告げる。

 目の前の男が告げた言葉には、それ以上の意味が込められていると。

 険しい視線を向けるカンタビレに、しかしヴァンは黙したまま盤上に視線を据え続ける。

 ……これ以上の質問に、答える気は無いってことか。

 カンタビレはこれ以上の思考をいったん打ち切り、盤面に意識を戻す。

 対局は既に終盤に至っている。

 質問に気を取られすぎたせいか、それともヴァン自身の腕か。カンタビレが優勢だったはずの盤上の形成は、いつしか互角にまで盛り返していた。

 交わされる言葉が無くなった二人の間で、駒が次々と動かされていく。

 一手、一手と打たれる毎に、不確実な読み筋が消え行き、有効な手は無くなっていく。

 互いの意識は盤上に集中され、両者の頬を汗が滴り落ちる。
 そして数手が打ち合わされた所で……二人は同時にその手を止める。

 盤上を見据え、どちらからともなく、深い息が漏れる。

「引き分け……か」
「そのようだな」

 よほどのミスを犯さない限り、互いのキングを詰めることは不可能な状態だった。そしてこの盤面を造り上げた二人が、そんなミスを犯すことはありえない。

 盤上に視線を落とし、沈黙するカンタビレに向けて、ヴァンが面白そうに問いかける。

「それで、お前が知りたいことはわかったのか?」
「……ああ、十分すぎるほどにな」

 そう、カンタビレは理解した。

 この相手がスコアからの解放を謳い上げ、具体的に何をしようとしているかはわからない。そうした手段に関しては、自分が研究に携わる内に、おのずと知る機会は幾らでも訪れるだろうとカンタビレは判断していた。故に、今回の対局でカンタビレが理解しようとしたのは、そうした事柄には無い。

 対局の傍らで交わされた言葉の端々から、カンタビレはヴァンに探りを掛けた。復讐に狂い出来もしないことをただ口にしているだけなのか、それとも明確な根拠と手段を見いだしているのか、質問に答える相手の反応から、判断する材料を引き出した。

 そして対話を終えた今、カンタビレは理解した。

 この相手は──危険過ぎる。

 世界に対する復讐心を其の原動力にしながら、選択される行動はどこまでも冷徹な計算に基づいている。スコアから人類を解放するという妄言とも取れる目的を掲げながら、この相手はあくまで現実を見据えている。あらゆるものを一切の躊躇いも無しに利用しながら、確実にその実現に向けて動いている。

 あまりにも、危険な相手だった。

「……」

 今後自分がどう動くべきか思考を巡らせながら、カンタビレは立ち上がる。そのまま去ろうとした所で、思い出したようにヴァンに向き直る。

「……対局に付き合ってくれた事に関しては、素直に感謝するよ」
「今は言葉通りの意味で、受け取って置くとしよう」

 どこか愉快そうに自分を見返すヴァンの瞳を正面から受け止めながら、カンタビレは溢れる殺気を誤魔化すように、飄々と言葉を返す。

「それじゃ、僕はこれで失礼するよ、主席総長どの」
「ふっ……退室を許可しよう、第六師団長」

 互いの肩書きを挑発的に呼び合うのを最後に、二人はそれぞれ動き出す。

 カンタビレは無言のまま部屋に背を向け、歩き出す。振り返る事はしない。
 ヴァンもまた何事も無かったかのように執務机に戻り、書類に手を伸ばす。

 執務室の扉が閉ざされる。


 二人はここに、決別した。




               * * *




 改革派の動きが活発になっている。

 ここ最近になって、教団内部でしきりに囁かれている噂だ。

 宿舎の窓から身を乗り出し、アッシュは第六師団の者達がよく利用する演習場を見下ろす。

 視線の先では模擬演習を繰り広げる軍人たちの姿があった。彼らの中心には師団長のみが羽織る事を許された黒の教団服を着込んだ男が居る。

「第六師団長、異端のカンタビレ……か」

 アッシュはつい先日、初めて顔を合わせた相手の姿を思い浮かべる。

 突然自分の本名を呼ばれた事で、あのときは動揺してしまったが、話を聞いてみれば、あまりにも簡単なことだった。つまりあいつは王都に居たことがあり、そこで自分のレプリカと知り合っていた。ただそれだけの事だった。

 そして、ヴァン自らの手で、ダアトに引き戻された相手。

「……ちっ」

 かつて自身がダアトに連れ去られた際の記憶が呼び起こされ、アッシュは軽く舌打ちを漏らす。

 熱くなりかけた思考を冷ますために、アッシュは一度頭を振って冷静さを取り戻す。

 カンタビレとの遭遇後、アッシュは教団内の知り合いに話を聞き込み、新たな第六師団長の素性を探るべく動いた。あまり詳しい話は聞けなかったが、自分がダアトから離れている間、カンタビレはヴァンの指示の下に何らかの研究に従事していたらしい。

 その際、カンタビレがバチカルを離れる切欠となった事件についても耳にした。

 ヴァンからのダアトへの誘いを断ってから数日と経たぬ内に、バチカルにとどまる理由を失ったカンタビレ。当時の状況から考えるなら、そうした事態の裏でヴァンが動いていたことは確実だろう。

 実際、アッシュのそうした考えを証明するように、あの日──自分と初めて顔を合わせ、そのままヴァンの下に走り出して行った日から、第六師団長は、以前と大きく異なる動きを取っている。

 其の最たるものとしては、一つの宣言が挙げられるだろう。

 第六師団そのものが、改革派に属することを宣言したのだ。

 この宣言によって、現在、教団内部は激しく揺れ動いている。

 これまでは導師という求心力のある存在を抱えながら、どこかまとまりを欠いていた改革派。そこに師団において最大人員数を誇る第六師団全体が改革派につく事を宣言したのだ。

 保守派に属すると言われるヴァン・グランツ直々の任命ということもあって、同じ保守派に属すると思われていた第六師団長が、突然反旗を翻す──そんな予想だにしなかった事態だけあって、教団を走り抜けた衝撃も凄まじいものがあった。

 それぞれが各自の利権や立場を守るべく動き回り、今後の動向を固唾を呑んで見守っている。
 アッシュ自身に対しても、改革派と思しき者達から何度と無く接触が図られている。

 だが、アッシュは今回は動かずに、事態の推移を見守ることを決めていた。

 最近その行動理由がわからなくなりつつあるとは言っても、ヴァン・グランツが自らの師であることに変わりは無い。アッシュは未だヴァンと袂を別つ程の気概を自分の中に見出せていなかった。

 また、最終的にヴァンとの決別を選ばざるを得ないとしても、今の段階で動くのは得策ではないとも考えていた。自分はヴァンに対してかなり近い位置に居る。今後何がしかの動きがあった場合も、そうした位置に居れば、状況がどう変わろうとも、何かと対応がしやすいという判断の下だった。

「……」

 それに、アッシュにはどうしても打ち消せない、一つの懸念が存在した。

 改革派はあまりに唐突に誕生した。

 導師が合流する以前の改革派は、単なる教団内の改革を掲げる過激な一派に過ぎなかった。それが今から一年程前に、導師が改革派の筆頭となることで、急速に組織としての体裁を見せるようになり、現在知られているような派閥ができあがったのだ。

 しかも自分の知る限り、かつての導師はヴァンと協力関係にあった。それが病気から回復して以来、まるで別人のように教団の改革に向けて精力的に動き出した今の導師イオン。

「……今回の騒動がどう治まるにしろ、第六師団長とはもう一度接触を取る必要があるだろうな」

 もし自分の推測が確かなら、改革派も所詮──……

 アッシュは瞼を閉じ、それ以上の思考を打ち切った。




               * * *




「――以上が、詠師会の決定だ」

 そこで言葉を切ると、モースは召集された相手に確認の視線を向ける。
 ダアトに常駐する詠師達を前にしながら、目の前の男は露骨に顔を歪める。

「……そういう事か」

 ぼそりと呟かれた言葉に、詠師の一人が眉を潜めながら、言葉をかける。

「何か言ったか、カンタビレ第六師団長」
「……いいえ、何でもありません」

 一切の感情が抜け落ちた表情が返される。立ち上る異様なまでの鬼気に、詠師が怯えからか僅かに腰を動かす。

「な、ならばいいが……」

 そうですか、とカンタビレは言葉に詰まる詠師から、あっさりと視線を外す。代わって向けられた先には、一人無言のまま腕を組み瞑目するヴァン・グランツの姿があった。

 そうした相手の反応に、モースは何か察するものがあった。だが、今考えるべきはそれではないと思い直し、思考を切り換える。

「カンタビレ。ではこの辞令を受けるのか否か、返答を願おう」
「…………拝命します」

 片膝を突き、片手を胸の前に添え頭を垂れる。略式の敬礼を返すカンタビレに、モースは詠師の一人に促し、正式な任命書を渡す。

「これで第六師団の者達は、各地に存在するオラクルの駐屯地に派遣されることが決まった。師団長である貴殿も今後はダアトを離れる事が多くなるだろうが、変わらぬ忠勤を期待する」
「ええ、わかっていますよ。……それじゃ、自分はこれで失礼します」

 何の感情も伺わせない言葉を返し、カンタビレは部屋から去った。

 完全に相手が消えたのを確認すると、室内にざわめきが戻る。

 第六師団の者達には、各地に点在するオラクル駐屯地への派遣が命じられた。名目としては、最近不安定になりつつある世界情勢に対応するために、駐屯地に存在するオラクル兵の増員を図る必要があり、最大人員数を誇る第六師団を切り崩して人を遣ることになった……そういうことになっている。

 しかし、これは改革派に対する分断工作に他ならなかった。

 改革派が存在すること自体は、モースとしては何も思うことはない。

 だが、カンタビレはやりすぎた。

 実際に脅威足り売る存在へと、着実に成長していった改革派に対して、普段は腰の重い保守派幹部たちも危機感を抱いた。その結果として、今回の迅速な対応が実現した。

 しかし……こうも早い対応が可能となった事態の裏には、それ以外の理由も存在する。

「やれやれ。あの者にも困りましたな」
「ええ。元々こうなる事が定められていなければ、もう少し教団内に混乱が続いたでしょう」
「まったくですな。そもそも……」

 口々に囁きあう詠師たちの言葉からわかるように、第六師団に対する対処は、彼らが改革派に合流する前から、既に確定された事項だった。

 ……すべては観測された事象のままに流れ行く。

 観測者の見出せし、流れのままに……───

 モースは一人瞳を閉じると、静かに祈りを捧げた。




               * * *




 カンタビレは師団の者達に今回の決定を伝えた後、自らの執務室に向かっていた。

 これで第六師団は教団内部における影響力を喪失した。
 改革派の成長は止まり、その勢いも大きく衰えることになるだろう。

 ある程度は予測していた事態ではあったが、それでもカンタビレは湧き上がる疑念を抑えることができなかった。

 保守派の対応は、あまりにも早すぎた。

 ヴァン・グランツならば、自分の動きを予測しているだろうとカンタビレも考えてはいた。だが、それでもこうも急激な対処が可能であるかどうかと言えば、疑問だった。

 そもそも改革派には導師イオンが存在する。未だ確固たる基盤を築けていないとはいっても、導師が代表となって存在する改革派に対して、これ程までにあからさまな行動を起こすには、それなりの時間と根回しが必要となる。

 そうした一連の対処によって生まれる僅かな時間に、保守派が手を出せなくなるまでに改革派を成長させる。その結果として、自分が師団長を更迭されたとしても、第六師団全体が合流した改革派に、教団内部において確固たる基盤を築かせる──それが、カンタビレの当初考えていた、ヴァン・グランツに対する対抗策だった。

 だが、それも今回の辞令で打ち砕かれた。

 第六師団の人間は、各地に点在するオラクル駐屯地に向けて、人員の増員という名目の元に分断され、ばらばらに振り分けられた。カンタビレ自身も、師団長から更迭こそされなかったものの、今後は各地に存在する部下に指示を下すため、中央から離れる事が多くなるだろう。

「……気に食わねぇな」

 まるで、最初からこうなる事が決められていたかのような対応だった。

 唐突に、カンタビレの歩みが止まる。

 顔を上げ先に、壁に背を預け佇む男の姿があった。

「……総長」

 ヴァン・グランツが腕を組み、静かにカンタビレを見据えていた。

「あんた、こうなることを知っていたな?」
「……ああ」

 導師を向こうに回しながら、躊躇も無しに、一つの決定に向けて動いた教団上層部。
 あらゆる要素を一考にすら値しないものへと成り下げる絶対の法。

「……僕は今回も、スコアにいいように踊らされていたってことか」
「……」

 吐き捨てるカンタビレに、ヴァンは何も応えない。

 ヴァンが自分に対して、自らの考えを打ち明けたのも、今回の動きを知っていたからだろう。今回の辞令によって、ダアトから離れる事が多くなる自分に対して、事前に協力を取り付けておく必要があったという訳だ。

 だが、それにしても、教団の動きはあまりにも具体的で、なにより其の時期が正確すぎる。

「これは……第六譜石に刻まれた事象の流れなのか?」

 ユリアの残せし預言。譜石に刻まれた未来の記述。現在公式に確認されている譜石は六個。その全てが教団によって厳重に管理され、秘匿されている。そこに記された流れに従い、教団は動いたのか。

 そうした意味を込めた問いかけに、ヴァン・グランツは曖昧な答えを返す。

「……ある意味では正解であり、同時に全くの見当外れでもあるな」
「答える気は無いってことか。……まあ、いいさ」

 せいぜい探らせてもらうとしよう。言葉には出さずに、鋭い視線を向ける。そんなカンタビレに、ヴァン・グランツは悠然と顔を向ける。

「今後の研究に関しては、追って指示を伝える。今更私に協力する事を断る理由もあるまい」
「……ああ、わかってる」

 今回の決定によって、カンタビレはヴァンとの協力関係を断ち切る事はできなくなった。

 改革派そのものが無くなった訳ではないが、改革派にこれ以上の成長が見込めなくなった今、教団内部で動く際も、彼らからの支援はさして期待できない。ヴァンの目的を探るにも、相手の懐に飛び込み、協力者として直接的に動く以外に無くなったからだ。

 沸き上がる苛立ちを言葉に込め、カンタビレは視線も鋭くヴァンを睨む。

今は・・ 利用されてやるよ、ヴァン・グランツ。……せいぜい、寝首をかかれないように気を付けるんだな」
「ふっ……好きにするがいい。存分に利用させて貰うとしよう、アダンテ・カンタビレよ」

 交錯する視線が火花を散らし、周囲の空気が其の温度を急激に下げる。

 少しの間、視線で牽制しあった後で、二人は同時に背を向ける。

 相手に一切の意識を払わぬまま、二人は別々の方向に、立ち去った。





 こうして、第六師団はダアトにおける影響力を著しく衰退させた。

 改革派もまた其の成長を止め、導師の求心力のみが改革派の存在を維持する唯一の力となった。

 保守派は教団内部における影響力を絶大なるものとし、軍事力を握るヴァン・グランツと大詠師モースらに対抗できる存在は無くなったかに見えた。

 これから一年後、導師がマルクトを訪れるその日まで───

 改革派は長い、雌伏の時を迎える事になるのだった。






               * * *





 教団の地下深く。

 刻まれた転送陣によってのみ、人の行き来を可能にする深遠の淵に、その書庫は存在した。

 膨大な数の文献が納められた書棚の一角に、台座に据え置かれた一冊の本があった。ボロボロにすり切れた本が乗る台座には、譜陣によって調整されたおそろしく精密な仕掛けが常に起動し、最高の保存状態を作り出している。

 台座を正面に立つ一人の中年の男が、床に片膝をつき、祈りを捧げている。

 静謐な書庫に、靴音が響く。

「──来ていらしたのですか、大詠師モース」

「……ヴァンか」

 ここは導師、大詠師、主席総長の位に付く三者のみが立ち入る事を許された書庫だった。だが今となっては、この場所を知る人間も二人しか存在しない。

 脇に並んだヴァンに対して、モースは祈りを捧げる姿勢のまま、口を開く。

「……正史より外れし事象の流れは、《観測者》の見出した流れに収斂しつつあるようだ」
「驚くべき事態ですね」

 空々しく答えるヴァンに、モースは祈りの手を止め、顔を上げる。向けられる苛烈なまでの視線の鋭さに、しかしヴァンは一切の動揺も浮かべぬまま正面から見返している。相手の反応を忌ま忌ましく想いながら、モースは問いかける。

「私が何も知らぬものとでも思っているのか?」

 僅かに間を置いた後で、ヴァンが口を開く。

「……失礼ながら、あなたは全てを受け入れることを選ばれたのではありませんか?」

 返された言葉に、モースは一瞬言葉に詰まる。ついでどこか疲れ切った表情で、深く息を吐く。

「そして、お前は抗うことを選択したということか」
「……私は、ここで失礼します」

 モースの言葉には答えず、ヴァンが身を翻す。
 去りゆく男に対して、モースは憐憫の視線を向ける。

「哀れだな、ヴァンデスデルカ」

 ヴァンが完全に立ち去った後、モースは書庫の中心に据えられた本に視線を移す。

「栄光を掴む者は動き出した……ならば、私はどうするべきか」

 つぶやいた後で、モースは自嘲の笑みを浮かべる。
 そんなことは改めて考えるまでもなく、決まっていた。
 ただ事象の流れを見据え、いずれ訪れる終焉の時を待つ。

「……哀れなのは、私の方か」

 自分ごとき道化にできる事など、それ以外に存在しない。

「……」

 最後にもう一度祈りを捧げると、モースもまた書庫を去った。


 無人となった禁書庫に、ただ沈黙のみが、残された。






[2045] 5-5 鼓動、鳴り響き
Name: スイミン
Date: 2006/10/01 03:08
 タルタロスの舳先が波を切り裂き、悠然と海原を突き進む。

 和平の調印式から、既に数日が過ぎた。

 教団で結ばれた条約を機に、俺たちは正式に大地の降下作業を一任された。こうしている今も地殻振動停止のために動いている最中だ。

 今から五日程前、シェリダンに戻った俺たちは地殻振動停止のために改造されたタルタロスを渡され、アクゼリュスの崩落孔に向かう事になった。なんでも振動停止装置を取り付けられたこの戦艦を、崩落孔から地殻に突入させて沈める事で、振動停止が可能になるらしい。

 作業における問題としては、時間制限ができちまった点が挙げられるだろうな。

 作戦中に瘴気や星の圧力を防ぐため、タルタロスの周囲には譜術障壁が発動されるのだが、これには大変な負荷が掛かるので、約130時間程で消滅してしまうらしいのだ。

 地殻からの脱出に関しては、圧力を中和する音機関を取り付けたアルビオールで行われる。タルタロスの甲板には上昇気流を生み出す譜陣が描かれているので、これを補助出力にして飛び立つ訳だ。

 しかし、このアルビオールに搭載される圧力中和装置も、三時間程しか持たないという話だ。

 定められた地殻突入ポイントまで向かい、タルタロスを地殻に沈める。その後甲板に刻まれた譜陣を使いアルビオールで脱出する──これら全てを時間内に行う事が、俺たちには期待されている。なかなか厳しいもんがあるが、まあ、何とかなるだろうと俺は楽観視している。それよりも気になるのはやはり……

「……結局、何の妨害も入らなかったな」

 シェリダンを経った当初は、ヴァン達から何らかの妨害工作が入るかもしれないと、かなり警戒しながら進んでいたのだが、突入ポイントが近づいてきた今になっても、襲撃が行われるような気配は見え無い。

「そうですわね。本来なら歓迎すべき事態なのでしょうけど……」
「なーんか不気味だよね。最近の総長たち、コソコソと動き回ってるだけで、何してるかもよくわかんないし」
「ええ。今回の会談によって、ヴァン達はオラクルから正式に除名されました。しかしモースが言うには、同時にオラクルの半数以上が教団から離脱したそうです」

 暗い表情になって教団の現状を伝えるイオンに、俺たちを重苦しい沈黙が包む。

 ため息を一つ付いて、俺は甲板に視線を転じる。

 視線の先では会話に加わらなかった二人が、それぞれ離れた場所に一人立ち、海を見つめる姿があった。

「……」

 俺は二人に意味ある言葉を掛けられない自分の歯痒さに、拳を握る。


 * * *


 数日前のユリアシティにおいて、和平は型通りの会談の後、両国におけるこれまでの長い対立の歴史が嘘のように、あっさりと結ばれる運びとなった。

 両国の調印がすみ、これで和平が結ばれるという段階になって、突然ガイが声を上げた。

 ──同じような取り決めがホド戦争の直後にもあったよな。今度は守れるのか?

 突然のガイの言葉に、無礼なと高官達が声を荒らげる。それを手で制し伯父さんが口を開く。

 ──ホドの時とは違う。あれは預言による繁栄を我が国にもたらすため……

 ──そんなことの為にホドを消滅させたのかっ! あそこにはキムラスカ人もいたんだ……俺の母親みたいにな

 言葉を絞り出すようにして、ガイがその事実を突きつける。

 ──ユージェニー・セシル、あんたが和平の証としてホドのガルディオス伯爵家に嫁がせた人だ。忘れたとは言わせないぜ。

 言葉を返せなくなるインゴベルト陛下に代わって、オヤジが口を開く。

 ──ガイ、復讐の為に来たのなら、私を刺しなさい。ガルディオス伯爵夫人を手にかけたのは私だ。あの方が……マルクト攻略の手引きをしなかったのでな。

 拳を握りしめながら、ガイが顔を俯ける。

 ──母上はまだいい。何もかもご存知で嫁がれたのだから。だが、ホドを消滅させてまで、他の者を巻き込む必要があったのかっ!?

 突然始まった過去の詰問に、マルクト側の席からピオニーが呼びかける。

 ──仇というなら、こっちのほうかもしれないぞ、ガイラルディア・ガラン。ホドはキムラスカが消滅させた訳ではない。自滅した――いや、我々が消したのだ

 どういうことだと視線を向けるガイに、ピオニーは衝撃の事実を告げる。

 ──前皇帝――俺の父は、ホドごとキムラスカ軍を消滅させる決定をした

 当時、研究所として機能していたホド。そこにキムラスカが攻め込む計画を立てている事実を察したマルクトは、研究情報の引き上げが間に合わないと判断するや──ホドの崩落を決定した。

 これまでキムラスカ側の進攻が切っ掛けとなって崩落したものと思われていたが、それは真実では無かった。自らの属するマルクトに切り捨てられた結果として、ホドは崩落したのだ。

 ──当時、ホドで行われていたのは、フォミクリーを用いた超振動研究。崩落に際しては、当時被験者であった11才の子供を用いて、擬似超振動を発生させることで引き起こされたらしい。被験者の名は……ヴァンデスデルカ・ムスト・フォンデ。

 口にする事自体、罪深いとでも言うかのように、その名前は口に出された。

 そんな、とティアが言葉を無くし、ガイが驚愕に目を見開く。

 其の名が誰を指すのかわからず、二人の反応をいぶかしむ俺に、ピオニーが告げる。

 ───今で言う、ヴァン・グランツ謡将の本名だ。

 明かされた事実に、俺は今度こそ言葉を無くした。


 * * *


「………ホドが、ヴァン自身の手によって、崩落していたとはな」

 伝えられた事実をどう受け止めたらいいのか、俺にはわからなかった。

 自らの手で故郷を崩落させたヴァンが、自身のもたらした結果に何を感じ、世界に対してどのような感情を抱いたのか……俺にはどこか理解できるような気がした。

 アクゼリュスの崩落は、まるでかつてホドで行われた行為の再現だ。

 どちらも預言の後押しを受け、世界そのものが一つの流れに向けて動き導き出された当然の結果だった。手を下す者の意志など何処にも存在しないまま、俺たちは崩落を強制された。

「スコアから人類を解放する……か」

 思わず漏らした俺の言葉に、側に立つ皆が顔を伏せる。

 暗くなった皆の反応を紛らわすように、俺はかぶりを振って気分を切り換える。

「にしてもよ。ヴァンの奴はどうやってスコアから世界を解放しようって言うんだろうな?」
「………和平会談でも、今後のスコアの扱いに関して議題に上がりましたわね」
「ええ。和平を期に、スコアの扱い方に関しても考え直す機会が生まれましたから」

 ナタリアやイオンが言うように、和平会談の席において、スコア自体の扱いに関しても様々な規制が設けられた。今後は徐々に詠まれる機会を減らしていき、最終的にはスコアを放棄することになっている。

「ですが……ヴァン達の求めるものは、そうした事柄には無いのでしょうね」

 かつて自身が経験した崩落すら利用し、暗躍を続けるヴァン。奴のこれまでの行動から考えれば、ただスコアを詠まなくなければそれでいいと思うとは、到底思えなかった。

『──地殻の突入ポイントが見えてきました。皆さん、ブリッジに集まって下さい』

 艦内放送が響き、ジェイドが俺たちに呼びかける。

 俺たちが艦橋に向かうと、全員が揃ったのを確認するやジェイドが口を開く。

「ノエルは既にアルビオールで待機して貰っています。後は地殻に突入し、時間内に脱出するのみです。直ぐに地殻に突入を………」


 ───警報が鳴り響く。


「な、何だっ!?」

 突然の事態に目を白黒させる俺に、事態を把握したティアが視線も鋭く警告を発する。

「侵入者よ!」

 そう言えば、前にタルタロスが襲撃された際もこんな警報が鳴り響いていたっけな。

 随分昔のことのように感じる襲撃事件を思い返す俺の横で、ジェイドがやれやれと首を振る。

「仕方ありません。地核突入後、撃退するしかないでしょうね」
「それでなくても時間が限られていますのに………」

 憤るように頬を紅潮させるナタリアを、まあまあと宥めると、ジェイドが操縦桿を握る。

「───では、地殻に突入します。皆さん、席について下さい」

 俺たちが慌ててシートに身を落ち着けると同時、活性化した障壁がタルタロスの周囲を包む。

 煌々と光を発する譜陣に運ばれるようにして、タルタロスは大瀑布と化したアクゼリュス崩落孔に進む。艦内を間断なく衝撃が襲う。前部モニターに泥の海が大きく映し出され、今にもぶつかるというとき───

 タルタロスは泥の海を突き抜け、地殻に突入した。

 モニターに焼きつくような光が走る。奇妙な石版のようなものが一瞬モニターに浮かび上がったかと思えば、すぐに安定を取り戻した画面に、地殻内部の様子が映し出される。

 奇妙な空間だった。

 周囲を漂うのは溶岩のマグマなどではなく、極小の音素のようなものが蛍のように寄り集まって、淡い光を放っている。

 地殻を進むタルタロスのモニターを呆然と見据えながら、俺達はようやく言葉を絞り出す。

「………着いた、のか?」
「そのようです」

 成功に安堵する俺たちを余所に、一人ガイが顎を抑え、何やら考え込んでいるようだ。

「さっき一瞬見えたあれは………」
「どうかしましたの? 確かに地核に飛び込む直前、何かが光ったみたいでしたけれど」

「………ホドでガキの頃に見た覚えがあるんだ。確かあれは───」
「詮索は後です。こちらは準備が終わりました。急いで脱出しましょう」

 ジェイドの促しに従って、ガイがあいよと返事。俺たちは甲板に向かう。

 突入前に響いた警報から、侵入者を警戒しながら甲板に出る。展開される譜陣に包まれたタルタロス周囲に展開される地殻のの様子に一瞬息を飲むが、直ぐに我に返り、俺たちはアルビオールに向かう。

 だが数歩進んだところで、アニスがある事実に気づく。

「あれ……? イエモンさんたちが言ってた譜陣がなくなってるよ?」
「何だって……!?」

 慌てて甲板の一角に視線を向ける。アニスの言うように、そこに描かれていたはずの譜陣が消えている。僅かに譜陣の名残のようなものが薄い光を発しているが、これでは刻まれた効果が発動することは有り得ない。

 動揺する俺たちに、その声は届いた。

「───ここにあった譜陣なら、僕が消してやったよ」

 艦の上部デッキから甲板に降り立つ影。ゆっくりと振り返る相手の顔は、仮面に覆い隠されている。

「烈風のシンク……!」
「侵入者は、お前だったのか」

 六神将の登場に身構える俺たちに、シンクが嘲るような笑みを浮かべる。

「そんな悠長に構えてていいのかな? 譜陣を書く直すにしても時間はあまり無いんじゃないの?」

 言葉に詰まる俺たちに、シンクはこちらの殺気を宥めるようにゆっくりと言葉を続ける。

「今回は別に戦闘を仕掛けに来た訳じゃないんだ。目的のものを引き渡してくれるなら、直ぐにでも引き上げようじゃないか」
「目的のものだと……?」
「マルクトの皇城から持ち出した剣を、こっちに渡してもらおうか」

 ──惑星譜術の触媒、聖剣ロストセレスティ。

「最後の奏器候補だ。僕らとしても、皇帝の寝室にあるものをどう入手したものか、手を出しあぐねていた所だったからね。それをあんた達がわざわざ外に持ち出してくれたんだ。感謝してもいいぐらいだね」

 考える時間はあまり無いよ、と選択を突きつけるシンク。相手の漏らした言葉に少し引っ掛かりを覚えないでもないが、今はそうした疑問を押しとどめ、俺は相手の突きつけた選択の矛盾を指摘する。

「……いいのかよ、時間が経って、逃げ場が無くなるのはお前も一緒だろ?」
「さぁ、どうだろうね?」

 余裕そうに受け流すシンクに、ザオ遺跡で見せたラルゴが転送される姿が思い出される。

「ちっ……転送か」

 俺の言葉に、ジェイド以外の皆が怪訝そうな顔になる。

「どういうことです……?」
「……以前ザオ遺跡で襲撃しかけてきたラルゴは、退却する際に転送陣と思しきもの用いて離脱しました。おそらくは今回の襲撃も、いつでも退却できると判断した上で行われたものなのでしょうね」

 ジェイドの推測を証明するように、シンクが仮面の下で口端を引き上げる。

「で、どうするんだい?」

 俺は皆に視線を巡らし──その事実を確認する。何も問わずにただ頷き返す皆に従って、俺は一歩前に出る。事態を察したイオンが小動物二匹を引き連れ甲板の入り口まで後退していく。

 俺はシンクに顔を戻し、腰から引き抜いた剣を突きつける。

「時間が問題だって話だが──そもそもお前を即行で倒せば、何の問題も無い話だよな?」
「ふん。そう言うと思ったよ」

 手を覆うグローブを引き締めながら、シンクが身構える。

 応じるように陣形を組む俺たちから視線を外し、シンクが口を開く。

「だから僕は言っただろ? 少し痛めつけてやらないと、こいつらはわからないってさ」

 誰かに呼びかけるように、シンクが首を巡らせる。

「───そのようだな」

 シンクの背後から、その声は響いた。一瞬にして甲板に降り立った人物が、硬い表情を向ける。後ろで括られた金髪が揺れ、意志の強さを伺わせる瞳が俺たちの中の一人を映す。

「リグレット教官!?」
「いつまでそのような連中と行動を共にするというのだ、ティア。和平会談に立ち会ったというなら、お前も知ったはず」

 ホド崩落の真実。預言を政争に利用し、権力を行使する国家の上層部。

「───それでもこの世界に救うに値するような価値が存在すると、本気で思っているのか?」
「………確かに、兄の言っていた通りでした。預言に踊らされ、預言を私利私欲に利用する為政者達………」

 自らの知った事実に顔を俯けるティアに、リグレットが促すように手を突き出す。

「なら、こちらに来なさい。総長はおまえと、もう一人のホドの生き残り……そして、協力するというなら、其処のレプリカすら迎え入れる用意があると言っている」

 露骨に嫌悪の滲み出た視線を俺に向けるリグレットに、俺は苛立ちを覚える。だがまずはティアの応えを待つのが筋だろうと自分を抑える。

「………何度でも言います。私は行けません」

 リグレットを正面から見つめ返し、ティアは毅然と言葉を紡ぐ。

「スコアから人類を解放するというなら、教団にスコアを詠ませなくすればいい。崩落を引き起し、世界を混乱に導いてまで、居るどうかも定かではないローレライに拘る理由が……私には、どうしてもわかりません」

 未だ判明しないヴァン達の行動理由の不可解さを正確に指摘するティアに、リグレットがゆっくりと首を左右に振る。

「……それでは駄目だ。スコアが詠まれなくなった所で、それはスコアの内容が知覚できなくなるだけに過ぎない。スコアから受ける影響は残り、この世界は続いて行くだろう」

 地殻に遮られた空を見上げながら、リグレットがどこか畏怖するように小さな声音で呟く。

「観測者の見い出せし流れのまま、いつまでも……」
「───リグレット、お喋りは其処までだ」

 シンクの制止に、リグレットがはっと我に返ったように、僅かに目を開く。

「そうだな。……ティア、今はまだお前の返答は保留しておこう」

 リグレットが背中に手を伸ばし、何かを取り出す。

 引き抜かれたのは奇妙な形状をした武器だった。いや、俺にも譜銃であることはわかる。わかるのだが、それはあまりに異様だった。

 まず銃身から上下に翼のようなものが伸び、生き物がその身を捩るようにして時折揺れ動く。遠見には一見弓のようにも見える形状をしており、そう見た場合、矢を番える部分に当たるだろう箇所に銃身が組み込まれている。

 そして何よりも、其の武器が放つ存在感に、俺は覚えが在った。

「でも覚えておきなさい、ティア。総長の敵になるというなら、私はそれを殲滅するのみ……」

 リグレットが銃身を片手で持ち上げ、俺たちに突きつける。


 凍気が、世界を染め上げる。


 甲板を異様なまでの冷気が包み込み、リグレットを中心に甲板を霜が走る。手に握られた譜銃は蒼一色に染まり上がる。空間に浮かぶダイヤモンドダストがリグレットの金髪を彩り、豪華絢爛な輝きを放つ。

「第四奏器───《水弓》ケルクアールの力の前に、ひれ伏しなさい」

 冷えきった眼差しに宿る色は、ただ目の前に立ちふさがる敵を見据える無機質なものだ。

 触媒武器かっ!

 リグレットから大きく距離を離し、俺たちは大仰なまでの警戒を露にする。そんな俺たちの様子を冷然と見据え、リグレットが引き金を引き絞る。

「その身に受けろ───アイシクルレイン!」

 銃身を中心にして無数の氷柱が虚空に形成される。鋭利な先端が俺たちの方向を向いたかと思えば───刹那の間も置かず、降り注ぐ。無慈悲な氷の銃弾は着弾と同時に、周囲に無数の氷片をまき散らす。散弾のごとき無数の飛礫が、俺たちの身体を貫かんと迫り来る。

「ちっ……───冗談っ!」

 刀身に音素を収束、解き放つ。

 ───魔王絶炎煌!

 振り抜かれた剣を中心に焔が巻き起こる。集束された第五音素が放つ熱気が微細な飛礫を蒸発させる。更なる銃撃を警戒しながら身構える俺の腕に、何かが触れた。

 天地が逆転する。

 訳もわからぬまま、俺は宙を舞っていた。投げ飛ばされたのか、そう認識した瞬間、視界の端に移ったのは深緑の髪と無機質な仮面。

「僕を忘れてもらっちゃ困るね」
「ルークっ! ───このっ!!」

 ガイがシンクに斬りかかるが、相手は易々と身を翻す。ついでアニスも譜術人形を動かし拳を放つが、相手の速度について行けずに、攻撃は虚しく空を打つ。

 後方に飛ばされながら俺は受け身を取って地面に着地する。戦場を全体が視界に映る。シンクが俺たちの陣形に大きく踏み込み、後衛が術を放つのを妨害し、攪乱しているのが見える。

 ついて後方に立つリグレットに視線を転じ、俺はそれに気づく。

「くっ───っ!」

 後方でリグレットが俺に向けて銃口を構えていた。前後に大きく両足を開き、衝撃を受け流すような態勢を取っている。膨大な量の音素が引きずり出され、銃身に収束される。

「凍り尽くせ……」

 鷹のような眼光が俺の全身を射抜く。

「─────ブリジットソロゥ」

 雹雪の嵐が吹き荒れる。放たれた凍てつく空気の塊が直線上に突き進む。途中に存在するあらゆるものを凍り尽くし粉砕しながら、無形の弾丸は戦場を蹂躙する。

「させませんっ! ブラストエッジっ!」

 燃え上がる軌跡を描きながら、焔の矢が真横から凍気の塊を穿つ。だが……

「そんなっ!?」

 一瞬にして凍り尽いた矢が後方に残される。突き進む凍気の弾丸は、僅かにその勢いを衰えさせたようにも見えるが、それでも俺が回避するような間隔は無い。

 一切の反応を許されぬまま、俺の全身は凍気に貫かれた。

「ぐっぁぁぁぁあぁぁあ────っ…………っ……」

 意図せぬ絶叫が俺の口から上がる。焼け付くような凍気が全身を駆け巡る。俺は全身に音素を張り巡らせ、必死に耐える。障壁とやらを張るような事はできないが、気を巡らせて一時的に耐久力を上げるぐらいの事は俺にもできる。しかし僅かな隙間に染み込むように浸透する冷気が俺の体力を急激に奪っていく。

「………ぐっ」

 永遠にも思える凍結地獄が終わる。俺は消耗しきった身体をふらつかせ、その場に崩れ落ちた。

『ルークっ!』

 皆の意識が俺に向く、回復術を掛けようとティアやナタリアが意識を集中する。だが術を放つ瞬間の隙をリグレットが正確に狙い打ち、術の完成を妨げる。

 シンクが動けない俺の傍らに立ち、腰に吊るした聖剣ロストセレスティを奪い取る。

「奏器は回収したよ、リグレット」
「………呆気ないものだな。所詮、劣化レプリカに過ぎないということか」

 リグレットのつぶやきが、妙に鮮明なものとなって、俺の耳に届く。

「その言葉、取り消して!!」

 ティアがキッとまなじりをつり上げ、リグレットを射抜く。だがそれにも魔弾は動じない。

「ティア、お前もいい加減に目を覚ましなさい。奏器行使者に対抗する術などありはしない。私はまだカケラ程の本気も出していない。今、その証拠を見せよう」

 前髪を後ろに流すような動作の後、リグレットが銃身を天に向ける。

 大気が荒れ狂う。

 圧倒的なまでの量の音素が、リグレットの下に急激な収束を始め、凍気をはらんだ風が生み出される。

「……!?」

 あまりに膨大な音素の量に、ティアが絶句する。そんな彼女の反応を瞳に映しながら、リグレットは銃口を前方に戻す。向けられた先には、倒れ伏す俺の姿があった。

「氷雪の欠片よ、敵を穿て………───」

 凍り付いた空気中の水分子がダイヤモンドダストの輝きを放つ。

 くっ……ここまで、なのか………? 俺の中に絶望が過る。凍傷に覆われた身体はピクリとも反応しない。避けることも抗うことも出来ぬまま、全てに終わりがもたらされようとした、そのとき───

「さぁせるかっ! 気高き紅蓮の炎よっ!!」

 ガイが吠える。刀身に納められた剣が生身においては限界に近いまでの音素を収束する。全身から淡い闘気の光を立ち上らせながら、ガイがリグレットに突進する。

《燃え尽くせ──》

 全身から焔を立ち上らせるガイを一瞥すると、リグレットが銃口をガイに移す。

《終わりだ───》

 どこか幻想的な光の乱舞の中心に立ちながら、魔弾は終焉を告げる。

《────プリズムバレット!》

 ガイが紅蓮の焔をその身にまといながら地を蹴り、刀身を振り上げる。

《──────鳳凰天翔駆っ!》

 紅と蒼の膨大な力の奔流が激突する。視界を凄まじいまでの閃光が貫き、放たれる力の余波に、タルタロスが激しく揺れ動く。このまま行けばガイが押し切ることもできるかもしれない。固唾を飲んで見守る視線の先で───

 あまりにも呆気なく、均衡は崩れさった。

 紅蓮の焔は、無慈悲な蒼の奔流の前に、一瞬にして塗りつぶされる。

 遥か頭上から、焔の残滓が無数の氷の結晶となって降り注ぎ、地面に当たって砕け散る。

 ────ボトリ………

 まるでゴミ屑のようにボロボロに擦り切れた何かが、ひどく軽い音を立てて地面に堕ちる。

「………ガ、イ………?」

 地に堕ちたガイの身体はピクリとも動かない。

 俺はただ呆然とあいつを見据え続ける。

「……自己犠牲の精神か? だが、それも無駄な行いに過ぎなかったようだな」
「やりすぎだよリグレット。ヴァンからこいつらを殺せって指示は特に受けて無いんだろ?」
「……そうだったな。すまない。少し精神を引きずられたようだ」
「まあ、それなりに立場のある連中は残ってるようだし、問題無いとは思うけどね」

 交わされる言葉も、どこか遠くから聞こえる。

「───でも、こいつはもう駄目かな?」

 全身を霜に覆い尽くされ、ピクリとも動かないガイの身体を、シンクが爪先で蹴り飛ばす。


 ドクンッ───


 耳に煩いほど打ち鳴らされる心音に混じって、〝ソレ〟は鼓動を刻み始める。

 今や担い手の志向は一色に染まり、属性の同調は果たされた。

 すべての条件が此処に揃い───


 ───闇は、目覚めの刻を迎えた。



[2045] 5-6 覚醒する闇 《改稿版》
Name: スイミン
Date: 2006/10/29 03:14
 まるでゴミくずのようになった何かが、地面に堕ちる。

──自己犠牲の精神か。だが、それも無駄な行いに過ぎなかったな──
──やりすぎだよリグレット。ヴァンからこいつらを殺せって指示は特に受けて無いだろ──
──……そうだったな。すまない。少し精神を引きずられたようだ──
──まあ、それなりに立場のある連中は残ってるようだし、問題無いとは思うけどね──

 交わされる言葉も、どこか遠くから響く。

 身動き一つも出来ぬまま、地に堕ちたガイの身体を呆然と見据える俺の耳に、その言葉は届いた。

「───でも、こいつはもう駄目かな?」

 全身を霜に覆い尽くされ、ピクリとも動かないガイの身体を、シンクが爪先で蹴り飛ばす。

 遥か頭上からは、焔の残滓が無数の氷の結晶となって降り注ぎ、地面に当たる事で砕け散る。

 ドクン───

 耳に痛いほど打ち鳴らされる心音に混じって、〝ソレ〟は 鼓動を刻み始める。

「………るな」
「ん?」

 痛みなど感じない。無様に倒れ伏しているような事ができはずも無い。俺は爪を突き立て、身体を引きずり起こす。

 鼓動が鳴り響く。

 激しく打ち鳴らされる旋律は、俺の心音に絡みつくように同調を始める。

「……るなと、言ったんだ」

 地面に片膝を立て、崩れ落ちそうになった身体を起こす。引き結んだ唇から血を滴り落ちる。

 鼓動が鳴り響く。

 加速する鼓動が果てることなく響き渡る中、俺はゆっくりと顔を上げる。

「ガイに、触るな………」

 そう、俺は言ったんだ。

 暴走する感情の波が一つの志向性を抱き───此処に属性の同調は果たされた。

 物理的なプレッシャーを伴った視線が周囲を圧倒し、吹き抜ける音素のうねりが風を巻き起こす。

 背中に吊るされた荷物から杖が虚空に浮かび上がる。

 俺は当然のように手を伸ばし、杖を其の手に握る。

 ───闇が世界を浸食する。

 鼓動を繰り返す杖から、漆黒の闇が溢れ出す。全身に力が満ちる。闇が歓喜の声を上げるのがわかる。

 響き渡る賛美歌は俺の全身を包み込み、荒れ狂う闇の奔流は不気味な胎動を奏でながら、俺を中心に収束を始めた。

 あまりにも唐突に顕現した闇を見据え、リグレットとシンクが驚きに目を見開く。

「これは………第一奏器か?」
「驚いた……ディストの奴が闇杖を奪われたとか喚いてたのは知ってたけど、今回は手を出すなって話だったからね。あまり気にかけてなかったけど………これを狙っていたのかな?」

 この場に居ない相手に小さく呼びかけると、シンクが思考を切り換えるように被りを振る。

「ともかくリグレット、撤退だ。奏器同士がぶつかりあうには場所が悪い。やり合うにも相応の準備が必要だ」
「………致し方ないか。〝道〟よ」

 複雑な譜陣が展開され光を放つ。二人の足元を中心に描かれるそれは、かつてザオ遺跡で目にした転送陣だった。圧倒的速度で展開される譜陣を見据えながら、俺は低く呻く。

「───……逃がすかよ」

 闇が、収束する。

 俺の左手に握られた杖を核に、凝縮された闇が巨大な切っ先を形成する。闇刃を抱え上げながら俺は疾走する。全身を満たす力の強大さに、言葉にできない程の爽快感が俺を貫く。

 楽しい。楽しくて、楽シクテ、たのしくて、たまらない……っ!

 ゲラゲラと哄笑を挙げながら俺は地を駆ける。闇刃を敵に向けて振り上げる。

「ちっ……精神汚染が始まってるのか? でも───こっちに付き合う義理は無いね!」

 譜陣の展開で動けないリグレットの前に立ち、シンクが拳を甲板に打ちつける。

 一切の詠唱無しに音素が収束。雷の刃が放たれた。降り下ろされる闇の刃と、突き出される雷の刃が正面から激突する。荒れ狂う力の波が大気を焦がす。

 かなりの量の音素が込められた一撃だったが、しかし俺は少しも慌てることなく、杖を握る手に力を込める。

 鼓動が打ち鳴らされる。闇が濃度を増す。

「なっ!?」

 爆発的な勢いで膨張した闇が、雷撃そのものを飲み込んだ。雷光の轟きは一瞬、放電の余波すら残さずに、雷の刃は闇の前に喰らい尽くされた。

 面白いほど隙だらけになったシンクに向けて、俺はゲラゲラと笑いながら、武器を再度構える。黒々と渦を巻く闇は俺の握る杖を中心に刃を形成──一瞬の遅滞も無しに降り下ろされた。

 カラン、と何か硬質なものが地面を転がる音が響く。弾き飛ばされた仮面が甲板を滑る。

「……化け物め」

 甲板に血が滴り落ちる。シンクが額を抑えながら呻いた。

 相手の反応に俺は少し驚く。脳髄を叩き切ってやるつもりだったんだが、仮面が弾かれる一瞬の間に、闇刃の軌道を逸らしたようだ。さすがは六神将と言った所か。俺は感心する。

 ───それも、さして意味はないんだけどな。

 漆黒の闇が甲板を流れる。誰もが動けない中、俺はシンクの目の前に移動する。身体を打ち据えたのか、シンクは動けない。愕然と目を見開く相手に、俺は抑えきれない愉悦に口元をつり上げながら、闇刃を振り下ろす。未だ起き上がれないシンクに反応などできるはずも無く、そのまま闇の刃が相手を貫───

 首筋に刃を突きつけた所で、手の動きが止まる。

 シンクの素顔が、視界に入った。現れた顔は、端正なものだった。仮面で隠していた理由がわからない程に、目を引く容姿をしている。そして同時に、何処か見覚えのある顔つきだった。

 ……誰かに、似ている?

「嘘………イオン様が、二人………?」

 アニスがシンクの顔を見据え、震える声を絞り出した。

 ……ああ、そうだ。声に促されるように、俺を納得が包む。

 その険しい眼光を僅かでも緩めれば、現れたシンクの素顔は、そのままイオンのものだった。

「やはり………あなたも導師のレプリカだったのですね」
「ちっ………!」

 呼びかけるイオンの言葉に、シンクが舌打ちを漏らす。相手の顔に気を取られたせいか、俺が突きつけていた闇の刃は呆気なく弾かれた。

 大きく後方に下がるシンクと、前に進み出たイオン。同じ顔を持つの二人の姿を、俺はただぼんやりと見比べる。

「………あなた、も?」 

 そこに込められた意味を察してか、アニスが震える声を出す。

「嘘………だってイオン様………」

 どこか畏れを含んだ視線がイオンに向かう。

 イオンは自らを奮い立たせるように一度瞼を閉じると、其の口を開く。

「すみません、アニス。僕は誕生してから、まだ二年程しか経っていません」
「二年って、私がイオン様付きの導師守護役になった頃……──っ!? まさか、アリエッタを解任したのは、イオ……あなたに………過去の記憶が、ないから?」
「ええ。あの時、オリジナルイオンは病で死に直面していた。しかし跡継ぎがいなかったので、モースとヴァンが………フォミクリーを使用したのです」

 導師のレプリカが誕生した経緯を打ち明けるイオンを前に、シンクが自嘲するように笑う。

「………お前は一番オリジナルに近い能力を持っていたからね。僕たち屑と違って」
「そんな、屑なんて………」
「屑さ。能力が劣化していたから、生きながらザレッホ火山の火口へ投げ捨てられたんだ」

 ゴミなんだよ。シンクが虚無的な瞳を空に向ける。

「代用品にすらならないレプリカなんてね。……僕が生きているのも、ヴァンが僕を利用するために過ぎない」

 何も写さない硝子玉のような瞳が、シンクの絶望の深さを俺達に思い知らせる。

「───シンク、退くぞ」
「………わかったよ」

 譜陣を完成させたリグレットの呼びかけに応え、シンクが更に後退する。

 俺は身動ぎ一つできないまま、譜陣の発動を目にする。

 シンクの視線が俺を見据える。

 虚ろな瞳が、俺を捉えている。

「結局……使い道のある奴だけが、お情けで息をしてるってことさ……」

 囁くような言葉はどこまでも虚ろに響きわたり───六神将の姿は光に包まれ、この場から消え失せた。

 後には、譜陣の発する音素の名残が空間に残留するのみだった。

 シンクの残した言葉が、ひどく俺の耳に残った。

 ………代用品にすらならないレプリカが……ゴミ?

 あれほど昂揚していた気分がまるで嘘のようだった。

 俺の精神は急激に淀んだ腐臭を放ち始める。

 集中が途切れたことで、集束された闇の刃が霧散する。

 だが、全身を包む闇の衣は、依然消える様子を見せない。

 もはや力を向ける対象の消えた闇を全身にまとわりつかせたまま、一歩一歩、俺は足を進める。

「…………ガイ」

 倒れ伏すガイに近づき、呼びかける。言葉は返らない。

 応えの返らない呼びかけだけが、どこまでも虚ろに響く。

 まるで、あの悪夢の日のようだ。

 ───階段を登る彼の姿が脳裏に蘇る。

 頭が、どうしょうもなく痛む。

「……………ううっ……!」

 俺はその場に膝を尽いて、額を抑える。だが苦痛が治まる気配は無い。グルグルと渦を巻くようにして、ただ過去の光景が脳裏を過る。

 ────彼は階段を登っていく

 ────俺のせいだっ! 俺が弱かったから!!

 ガイの身体は動かない。

 脳髄がひどく、疼く。

「うぁ………………ぁっぅ………!!」

 ────逃げられたのに、逃げなかったんだっ!!

 ────前に向き直り、十三段目を踏み込む。

 脳裏に無数の過去の光景が、浮かんでは消える。掻き乱される脳髄が痛みを訴え、圧倒的な量の情報の奔流が俺の中を荒れ狂う。意味ある思考は何一つとして組み立てられぬまま、俺は苦悶の声を漏らす。

 理解できる事など何もない。

 ガイの身体は、ピクリとも動かない。

 ただ張り裂けそうなほどに───頭が、痛む。

「ぐぅうっぁ、ぁぁあ、ぁあ、ぁああああああああ────っ!!」


 闇が、暴走する。


 杖から果てることなく溢れ出す闇が周囲に渦を巻く。全身に絡み付く闇が俺の身体を責め立てる。荒れ狂う闇は無差別に周囲を蹂躙し始め、タルタロスの甲板が打ち砕かれる。俺の意志など関係無しに、深淵の闇は世界そのものを浸食する。

「た、大佐ぁ! ルーク、一体全体どうしちゃったんですかっ!?」
「これは……精神汚染による音素暴走? いや……だがそれなら、何故、今になって……?」

「駄目ですわ! この距離では回復術が届きません。このままではガイが……」
「なら私が…………」
「…………!」
「………?」

 皆の声も、もはや俺には届かない。

 意識が闇に飲み込まれようとした、そのとき───其の声は、俺の耳に届いた。


 ────聞こえるか?

 意識が、ぶれる。

 ────聞こえているんだろ?

 視界に、ノイズが走る。

 ────自我を意識しろ。奏器に飲まれるな。聞こえるなら、この声に応えてみせろ───ルーク!


 硝子の割れるような音が意識の内に響き渡り、世界が崩れ堕ちた。







               * * *







 気づけば、俺は其処に一人佇んでいた。

 地平の彼方まで見通せる白い大地と、どこまでも続く蒼い空。

 地面に突きたてられた武器が目の前に在った。一本の鍵のような剣を中心に、弓、剣、杖、槍……多種多様な六本の武器が、円を描くようにして地面に突き立てられている。それぞれの武器の前には簡素な造りの椅子が置かれ、主の訪れを待っている。

 そんな突き立てられた武器の一つ、闇色の杖を前に、俺は椅子に腰掛けることも無く、一人立ち尽くす。

「………闇杖と、同調しちまったようだな」

 杖のすぐ脇から、声が掛かる。視線を向けると、そこには地面に突き立てられた、鋏のような両刃を備えた剣を前に、椅子に腰掛ける〝誰か〟の姿があった。

「お前もつくづく、厄介な事に巻き込まれるよなぁ」

 〝誰か〟としか認識できない相手が、どこか懐かしそうに呟く。

「………何だ、あんた? それに、此処はいったい………?」

 警戒も露わに問い掛ける俺に、〝誰か〟が苦笑を浮かべるような気配が伝わる。

「………さてな。場所が地殻って事もあって、何とかこいつでも接続出来た訳だが、今は時間がない。詰問は勘弁してくれや」

 相手の物言いに、俺の記憶が刺激される。どこか懐かしさを覚える〝誰か〟の気配に、俺の中で何かが騒めく。

「まずは忠告だ」

 突然額を抑え口を閉じた俺の反応にも、〝誰か〟はさして気にした様子も無く口を開く。

「これ以上、闇杖と同調するのは止めておけ。調律も受けない状態で、己の主体属性でもないモノを振り回したとしても、制御するなんてのは夢のまた夢だろうからな」
「………あんた、何を言ってるんだ?」

 頭が疼く。額を抑えながら、視線も鋭く見据える俺を無視して、〝誰か〟は言葉を続ける。

「調律とは本人の適正すら無視し、強引に属性を適合させる術だ。あらゆる思考を吹き飛ばすような感情のうねり──激情を糧とする事で、属性の同調は果たされる。あいつらはそうして、強引に引きずり出した意識分体を使役している訳だが、所詮力業だ。当然、代償も存在する………」
「……ぐっ……だから、何を言ってるんだっ!?」

 頭痛が激しさを増す。声を荒らげ問いかける俺を無視して、〝誰か〟は更に続ける。

「それに、お前が行使すべきモノはそれじゃないだろ? 《使者》たる可能性を秘めたお前が力を行使するのに、こんなものは必要ないはずだ」

 脳髄が軋む。俺の中で何かが叫ぶ。俺は、こいつが誰か、知っている………?

「あんたは、いったい───誰、なんだっ!!」

 喉の奥から絞り出すようにして放たれた問い掛けに、初めて〝誰か〟が其の口を閉じる。

 しばらく沈黙が続いた後で、〝誰か〟が改めて俺に顔を向ける。

「………僕としては、お前にこんな事を言えた義理じゃ無いってのは、十分すぎるほどにわかってるつもりだ。結局、僕はこの二年で、何も意味あることを成し遂げられなかったんだからな。だが……それでも、言わせてくれ」

 世界に潰されるなよ、ルーク。

 どこか懐かしい気配を発する「誰か」が、俺に笑いかけたような気がした。

「………もしかして、あんたは………?」

 相手の気配が遠のく。俺の中で何かが叫ぶ。呼び止めろ。この相手は、こいつは────


 光が闇を塗りつぶす。

 耳に響く優しい歌声が、世界を打ち砕いた。







               * * *








 ──リョ──レィ──クロァ──リョ──


 譜歌の詠唱が耳に優しく響く。


 ──ズェ──レィ──ヴァ──ズェ──レィ──


 譜歌が完成すると同時──展開された譜陣の発する光が俺を優しく包み込み、杖から吹き出す闇がその勢いを急激に衰えさせて行く。

 その場に崩れ落ちるようにして、俺は膝をつく。手から転げ落ちた杖が甲高い音を立てた。

 周囲に溢れ出していた闇は、いつのまにか消え失せている。

「………一体、俺は……?」
「ルーク、気がついたのね!」
「ティア………?」

 駆け寄って来たティアの顔を見上げ、俺は自分の額を抑える。杖が鼓動を発した瞬間から後の記憶は、どこか霞がかったように、ひどく遠いものに感じる。

「……杖から闇が溢れた。シンクに斬りかかった俺は……そのまま杖が暴走して……ぐっ!」

 記憶が定まらない。意識を取り戻す寸前、何処か懐かしい声が耳に届いたような気がしたが、あれは気のせいだったのだろうか? しばらく呆然と惚けていた後で、俺は決して忘れてはならない相手のことを思い出す。

 俺に向けて放たれるはずだったリグレットの攻撃に正面から立ち向かい、崩れ落ちるガイ。

「───そうだっ! ガイっ! ガイはっ!?」
「大丈夫。治癒術が効いて、今は落ち着いているわ。ナタリアが細かい所を見てくれている所よ」

 ティアに促されるまま、俺は視線を移す。アニスの譜業人形に背負われたガイの状態を確認するナタリアの姿が見えた。俺の視線に気づき、大丈夫とナタリアが頷き返す。

「そっか……よかった………」

 本当によかった。衝動に流されるまま後先も考えずに敵に向かって行って、肝心の相手の事を忘れてるなんてな……愚かしいにも程があるぜ。

 苦い後悔を噛み締める俺を余所に、ジェイドが地面に転がった杖を持ち上げる。

「第一奏器………か」

 険しい顔で杖を見据えていたかと思えば、ジェイドは直ぐに被りを振る。

「ともかく、今は時間がありません。色々と確認したい事はあるでしょうが、一先ずアルビオールに向かいましょう」
「……ああ。そうだな」

 時間制限を考えるなら、かなりギリギリのはずだ。ジェイドに促されるまま俺達は動き出す。

 空間に奇妙な声が響く。

 ────ユ……アの血縁………力……借りるっ!

 ノイズ混じりの声が脳裏に響いたと思われた瞬間───ティアが光に包まれた。

「な、何だっ!?」

 動揺する俺たちの間に、その声は響き渡る。

『───私は、お前たちによって、ローレライと呼ばれる存在だ』

 意識に直接届けられるような声が、俺達の頭に鳴り響く。

「第七音素の意識集合体……! 理論的には存在が証明されていましたが……」

 驚きの声を上げるジェイドに、ローレライが応える。

『そうだ。私は第七音素そのもの。そしてルーク、お前は音素振動数が第七音素と同じ。もう一人のお前と共に、私の完全同位体だ。私は、お前だ』
「完全、同位体………?」

 確かに、アッシュの奴もそう言っていた。だが、これまでさして気にしていなかった事実だ。何故、ローレライがそうもその事実を気に掛け、俺に訴え掛けるのかがわからない。

『だから、お前に頼みたい。私を解放してくれ。今、私の力を何かとてつもないものが吸い上げている。それが地核を揺らし、セフィロトを暴走させている。お前たちによって地核は静止し、セフィロトの暴走も止まった。だが、私の力は分断されたままだ。今の私では、もはや抑えきれない。このままでは、この永遠回帰の牢獄から………』

 何かが切り離されるような音が、響く。

『ぐぁぁぁぁぁぁあ────っ!! ルークっ、頼んっ、だ、ぞっ────………』

 断末魔もかくやという絶叫を最後に、ローレライの気配は途絶えた。

 同時に身体をふらつかせ、ティアが倒れ込む。

「危ねぇっ!」

 甲板に頭から倒れそうになったティアの身体を寸でのところで受け止める。

「ティア……大丈夫か?」
「……大丈夫。ただ、目眩が……。私どうしちゃったの……?」

 困惑気味に問いかけるティアに、俺も半信半疑のまま口を開く。

「………俺にもよくわからねぇ。ただローレライって名乗る何かが、ティアに乗り移ってたみたいなんだが……」
「ローレライが………?」

 何が起こったのかわからない不気味さに、俺たちの間に沈黙が降りる。

「………奏器の暴走、イオン様の告げた事実、ローレライの憑依………考えることは多そうですね。ガイの事もあります。地上に戻ったら、一度ベルケンドの医療施設に向かってみてはどうでしょうか?」

 触媒武器との戦闘、闇杖の暴走、ローレライの憑依、俺たち全員の身体の状態を確かめる意味も込めて、ジェイドは一度本格的な検査を受けた方がいいだろうと提案する。

 確かに理解できない状態が続き過ぎた。一度客観的なデータを取って貰うのもそう悪くないだろうな。

「……わかった。地上に戻ったら、ベルケンドに向かおう」

 それでいいよな? 同意を求めると、皆も頷き返してくれた。

「では、急いでアルビオールに向かいましょう」

 確かに残り時間もさすがに限界が近い。俺達はアルビオールに向かうべく歩き出す。

 しかし、何だかあまりにも色々な事が起こりすぎて頭が破裂寸前だよな。俺はため息を一つつき、首を降りながら足を動かす。

 数歩足を踏み出した所で、突然喉の奥から込み上げる熱いものを感じる。

 何だ? 疑問に思った瞬間───それは起きた。

 ゴポリと俺の口から溢れ出した液体が、ビシャリと床にぶちまけられる。

「………え?」

 俺は口元を抑えながら、指の間から滴り落ちるドス黒い液体を見据え、間の抜けた言葉を漏らした。

「……あれ? ……俺、いったい………?」

 突然立ち止まった俺の様子に気づいて、ティアが訝しげに振り返る。

「ルーク、どうしたの? ──っ!? あなた、血が……」

 甲板に広がり行く鮮血が視界に入る。ティアの言葉で、俺はようやく自分に何が起きたのか理解した。

 ああ、吐血したのか……。そう認識すると同時、視界が黒一色に染まり、全身から力が抜け落ちる。

『ルーク!?』

 張り詰めた糸が断ち切れるように、俺の意識は一瞬にして、闇に沈んだ。



[2045] 6-1 闇から始まり
Name: スイミン
Date: 2006/11/05 18:44
 意識の目覚めは唐突に、何の前触れも無く訪れる。

 目覚めた視界に飛び込んだのは、天井の黒。吊るされた音素灯の光が、いやに目に眩しい。片手を額にあてがい、俺は妙にしばしばする目を瞬かせながら、上体を起こす。

「……」

 ぽりぽりと頭を掻き、未だ上手く働かない頭に思考を促す。

 夢を見ていたような気がする。

 それもひどく歪で、どこか滑稽な夢だ。

 詳しい内容は思い出せないが、それでも胸の中に残された違和感が、この感覚を決して忘れるなと俺に訴えかける。何が気になるのか、それさえわからないのが、ひどく気に障る。

 ……そう言えば、以前も、こんな事があったような気がする。

 アクゼリュス崩落後の事だ。ユリアシティで告げられた自分の正体に、俺は感情の赴くままアッシュに向かって行った。あいつとの対決に勝ったはいいが、結局、俺はぶっ倒れちまった。そして、その後意識を取り戻すまでの間、〝何か〟を見ていたような気がする───

 いったい……俺は何を見ていたんだろうな?

 記憶を探るが、霞掛かった頭に浮かぶものは無い。自分の記憶力のポンコツ具合に、意図せずため息が漏れる。

 ……まあ、そのうち思い出すこともあるか。

 とりあえず現状を確認するのが先だろう。まとまらない思考に見切りを付け、俺は周囲に視線を巡らせる。

 小奇麗な部屋のあちこちに、なんだかややこしそうな機材が置かれている。壁には無数の標語らしきものが張られ、部屋の無機質な雰囲気を和らげている。『健康は買えません』『告知されてから取り乱しても遅い』『1万ガルドで一生健康』

 ……内容がかなりアレな標語もあるが、部屋の様子から判断するに、どうもここは医療施設っぽいな。

 ちなみに俺の居る場所はというと、部屋の中心にある診察台の脇に置かれた、簡易寝台の上にある。一応身体に毛布が掛けられていたりもするが、先程起き上がった拍子にめくれ上がって、今は半ば下にずり落ちた状態にある。

 部屋の様子を確認して行く内に、徐々に意識が覚醒するのがわかる。

 そして、俺はそれに気づく。

「……何だ?」

 毛布に不自然な盛り上がりがあった。

 そう言えば、さっきからその辺りにある俺の膝が圧迫感を感じていた。足が痺れて感覚が鈍くなってたせいか、今のいままで気づかなかった。

 俺は訝しく想いながら、軽い気持ちで毛布を払いのける。

 まず椅子が現れた。椅子の上に誰かが居る。誰かは寝台に向けて上体を寝かし付けている。誰かの姿を確認する。

 認識した瞬間、俺の全身は凍り付く。

 すぅすぅと可愛らしい寝息を立てるティアの姿が、そこにあった。

「───っ!?」

 俺は仰天した。のけぞった。口を開いた。

 声に出して叫ぶ寸前、彼女が寝てることに思い至り、俺は慌てて口に手を当て声を押し殺す。

 ななな、何でこんなところに居ますか、ティアさん!?

 声には出さずに心で叫び、俺は必死に思考の糸を手繰り寄せる。だが、寝てる相手に配慮する余裕はある癖に、この状況の対する理解は一向に進まない。

 激しい動揺に思考が掻き乱され、さっきまで推測できてたような事柄まで、地平の彼方にぶっ飛んで行く。いったい何がどうなっているのかまるで理解できない俺を余所に、状況は動く。

 視界の端で扉が開く。隙間から黒い影が二つ、凄まじい速度で俺の方に走り寄る。

 って、うおっ!?

 生暖かいものが顔面に張りつき、視界を緑色と黄色の毛皮が覆い隠す。こ、呼吸が出来ん!

「ご主人様、気がついたのですの! よかったですの!!」
「ぐるぅうぅぅぅぅ!!」

 一瞬の混乱するが、聞き覚えるのある鳴き声に、この毛玉がミュウとコライガの二匹だと気づく。顔面に張りついた二匹の背中をつかみ、引き剥がす。かつてない二匹の興奮度合いに、俺はどっと疲れるものを感じながら口を開く。

「あー……とりあえず、一旦離れてくれ」

 前にも同じような事があったよなぁと想いながら、未だ寝ているティアを起こさないように、二匹をそっと床に下ろす。

 とりあえず状況を確認するのが先だろうと、ミュウに顔を向ける。

「んで、いったい、何がどうなってんだ?」
「ご主人さま、ずっと倒れてましたの! すごく心配しましたの!」
「いや、それはわかってるんだが……」

 さらに詳しいことを問い掛けようとしたところで、再び部屋の扉が開かれる。

「おや、気がついたか」

 白衣を着た線の細い男が、俺に向けて笑いかけた。見知らぬ相手に少し警戒心を抱く。だが、ここが医療施設だとしたら、さして意味ない行動だよなと俺は思い直す。

「あの……ちょっと聞いてもいいですか?」
「なんだい? まだどこか痛むとか?」
「いえ、そうじゃなくて……そもそも、ここってどこなんでしょうか? あと、あなたは?」

 俺のぶしつけな問い掛けに、相手はポンと両手を叩く。

「ああ、そう言えば、君は意識を失っていたんだね」

 そうだったそうだったと軽く頷いた後で、改めて俺に向き直る。

「ここはベルケンドの第一音機関研究所にある医療施設だ。私はここの担当医を勤めるシュウというものだ」

 よろしく、と気さくに笑いかける医者のシュウさん。

 倒れる直前、ジェイドの言ってた言葉が俺の脳裏に蘇る。

 そう言えば倒れる直前、ベルケンドに向かおう、とかいう話が出てたっけな。

 つまり、ぶっ倒れた俺と負傷したガイを背負って、ここまで運び込んだってことか。

 皆に迷惑掛けちまったなぁと申し訳なく思うと同時、もう一人の負傷者の存在が気にかかる。見る限り、この部屋には居ないみたいだが、ガイの奴はいったいどうしてるんだろうな?

「あの、もう一人重傷っぽい奴が居たと思うんですけど?」
「ん? ああ、ガイ君の事か。勿論彼にも検査を受けて貰ったよ。でもついさっき意識が戻ってね。この施設内を出歩く分には問題ないから、今は休憩室に居ると思うよ」
「そうですか……」

 あんな重傷受けて、既に歩けるまでに回復してるのか。大した回復力だなと、俺は多少呆れ混じりの安堵を感じる。

「他の連れがどうしてるかわかりますか?」

 ついでとばかりに、俺は他の皆がどうしてるかシュウさんに尋ねる。少し遠くを見やりながら、シュウさんが記憶を探って頭を捻る。

「彼等は君の検査結果が出るまで、施設内を見学すると言ってたね。誰が何処にいるかまではわからないけど……確か、バルフォア博士はスピノザに何か話しがあると言ってたね」
「そうですか。……しかし、検査結果ですか? 俺の意識が目覚めるまでとかじゃなくて?」
「ああ、それに関してまだ言ってなかったか。君の状態はかなり珍しいものだったからね。意識を失ってる間で悪いけど、一通りの検査をさせてもらった。全部の結果が出るまでには、それなりの時間がかかるんだ」

 ゆったりした口調に誤魔化されそうになるが、この規模の施設であまり見たことないような状態だったってのは、かなりの大事じゃなかろうか? ……俺って、意外と重症だったんだろうかね? 背中に少し嫌な汗が滴るのを感じる。

 あのまま正気に戻れず突っ走ってたら、いったいどうなってたのやら……どう少なく見積もっても、ろくなことになってないのだけは確かだな。

 俺は静かに寝息を立てるティアに視線を落とす

 暴走状態に入ってた俺を正気に戻らせたのは譜歌だ。今まで聞いた覚えの無い旋律だったから、たぶんユリアシティでレイラとかいう人から貰った本から、新しい譜歌の象徴を理解したってことだろう。

 俺がこうしてられるのも、彼女のおかげか。

 俺の向ける視線に気づいてか、シュウさんが表情を和らげる。

「彼女はずっと君の事を看ていたからね。溜まっていた疲れが一気に出たんだろう」

 膝の上で寝息を立てるティア。

 この熟睡具合を見る限り、相当気を張り詰めていたことがわかる。

 ……マジでティアには迷惑掛けてばっかりだよな。

 いったいこれで何度目だ? もう本気で彼女には頭が上がらない。

 参ったもんだ。俺は自分のへたれ具合に、ため息をつく。

「………ん……」

 不意に、ティアが身動ぎする。閉じられていた瞼が開かれた。上体がゆっくりと持ち上がり、ぼんやりと周囲を見回し始める。

 寝起きの潤んだ瞳が、焦点を俺に合わせて停止する。

「ルーク……?」

 何だかとてつもなく気まずい。

 いや、俺の一方的な思い込みに過ぎないかもしれないが、それでもどうにも声をかけにくい。だが、このまま何も反応しない訳にもいかないだろう。俺は片手を上げて、とりあえず挨拶する。

「……お、おはよう、ティア」

 ボーッと俺の顔を見つめていたかと思えば、ティアが目を見開いて、勢い良く立ち上がる。

「ルーク、気がついたのね!」
「お、おう」
「よかった……私、あなたがもう……」

 ティアが安堵に胸を押さえ、顔を俯ける。

 前髪に隠されて、その表情は見えない。

「あーうーあー…………」

 口が開け閉めされるが、一向に意味ある言葉は出てこない。こ、こういうときに何も良い台詞が思い浮かばない自分のヘタレ具合に、本気でへこむ。

 と、ともかく、この沈黙はマズイ。

 何か言うべき言葉を考えないといけない訳だが……

 正直、どう話しかけたら良いのかわからない。

 ティアは倒れた俺を心配して、ずっと付き添ってくれた訳だ。だが、結局の所、俺がぶっ倒れたのも、自分の無茶な行動が原因だ。彼女には何の落ち度も無い。

 次第に頭から熱が冷め行き、思考に冷静さが戻る。

 彼女に返すべき言葉があるとしたら……やっぱ、一つしかないか。

 未だ顔を俯けている彼女に向き直り、俺は覚悟を決める。

「ティア……ごめん。俺の無茶な行動で、心配掛けちまたったよな。本当に、ごめんな」

 自分の真剣な想いを込めて、頭を下げた。

 ティアは俺の言葉に耳を傾けたあとで、ゆっくりと首を左右に振る。

「……バカね。あなたが謝る必要はないわ。顔を上げて、ルーク」

 ティアはあくまで俺を気遣うように、優しく言い諭す。そんな彼女の姿を見るうちに、俺はようやく気づく。

「……そっか。この場合謝るのは、むしろ失礼だよな」
「ルーク?」

 自分の伝えたい言葉はこれじゃない。

 戸惑う相手の顔を正面から見据え、俺は改めて告げる。

「心配してくれて、ありがとな、ティア」

 一瞬、驚いたように目を見開いた後で、彼女は今度こそ微笑んでくれた。

 こうして、どうにか気まずい空気は無くなった訳だ。

 しかし、どうにもそれに代わって、別の何かが周囲を漂い始めたような気がしてならない。嫌なものは感じないんだが……どうにも背中の辺りがムズ痒くて仕方がなくなる。いったい何だ、この空気は……?

「……んっ、んん!」

 わざとらしい咳払いが部屋に響く。

 ああ、そう言えばこの人も居たっけか。俺はシュウさんの存在を思い出す。

「そろそろ説明、再開してもいいかな?」

 相手の言葉で、まだ説明の途中だった事を思い出す。

「す、すまねぇ」
「ご、ごめんなさい」

 俺達は慌てて謝罪する。

「いやいや、なるべく手短に済ませるから安心していいよ、二人とも」

 相手から注がれる視線に、なんだか生暖かいものが含まれているような気がする。

 にやにやという形容が似合う笑みを浮かべながら、シュウさんが続ける。

「先程も言った通り、他の人たちは施設の見学に出てるよ。検査結果が出るにはもう少し時間が掛かるだろうから、体調的には今のところ問題無いようだし、君も施設内を見学したいなら、自由にしていいよ」

 付添人も居るようだしね、と最後にからかうような笑みを浮かべた。

 付け足された言葉に、ティアと俺は思わず顔を見合せる。

「…………」
「…………」

 シュウさんは既に書類に向き直り、もう話は終わりといった様子で仕事に取りかかっている。

 しばらくの間、何とも言えない沈黙が続いた後で、俺は辛うじて言葉を絞り出す。

「こ、ここに居ても仕方ねぇし、ちょっと見て回ろうぜ?」
「そ、そうね。行きましょう」

 何故か互いにどもりながら、俺たちは頷き合い、そそくさと席を立つ。

 い、いったい何なんだろうな、この空気は……?

 俺達は動揺しまくりの状態で、施設内の散策に出かけるのだった。


 * * *


 その後もグダグダの会話が続いたが、しばらく経つと、自然にいつもの調子を取り戻すことができた。

 他愛もない会話を交わしながら通路を進んでいる内に、休憩室とやらに行き当たる。

 部屋の中に、ガイとナタリアの姿が見えた。だが、どうにも二人の様子がおかしい。怪訝に思いながら近づいていくと、ナタリアの言葉が耳に入る。

「まったく信じられませんわ! あのような無茶な行動を取るなんて……あなたがルークの盾となるべく、攻撃の注意を引こうとしたのはわかります。ですが、それであなたが死んでしまっては何も意味はないのですよ。わかっておりますの、ガイ!!」
「す、すまん。ナタリア。で、でもな、それでもあのときは仕方……」
「仕方ないと諦めていては何も変わりません。昔からあなたはそうです。きっと私が使用人としての心構えを説いてた頃から、適当な返事をしてこの場を乗り切ればそれで済むと考えていましたのね!」
「いや、そんなこと考えてないって!」
「いいえ、こうなったら徹底的に言い聞かせるまでですわ!」
「そ、そんな……!?」

 ガイが声無き悲鳴を上げ、ナタリアが両手を腰に当てて、延々と説教を続けている。

「…………」
「…………」

 俺とティアは無言のまま顔を見合せ、二人から直ぐさま距離を取る。

 触らぬ神に祟り無し。厄介事には極力関わらないことに限るのだ。

「おお、お前さん達も来たのか」
「こっちに来て少し話をしていかない?」

 休憩室の隅に陣取るヘンケンとキャシーが俺たちに小さく手招きをしていた。俺たちは招きに応じて、こそこそと二人の側に腰掛けた。

「……あれって、どうなってんだ?」

 小さく問いかける俺に、ヘンケンが遠くを見据える。

「いやな。さっき意識を取り戻したばかりのガイが、研究所内を一人歩いとるのをナタリア殿下が目撃してな。いったい何を考えていると、たいそう御立腹らしい」
「検査した限り、異常は何も見つからなかったんだけどねぇ」

 しみじみと語る二人の言葉に、俺の額を嫌な汗が流れ落ちるのを感じる。……俺もナタリアに見つかってたら、説教の仲間入りしかねないってことかね? 気を付けよう……。

「しかしルーク、お主も随分と無茶したらしいと聞いたが?」
「うっ……そ、それに関しては、俺も反省してるんだ。あんまり突っ込まないでくれ」
「……本当にわかってるのかしら?」

 ティアから向けられる懐疑的な視線に、俺は冷や汗をダラダラかきながら返す言葉を探す。

「で、でもよ……俺もどうしてあんな事になったのか、本当にわからねぇんだよなぁ……」

 これまでもパッセージリングの操作なんかでケイオスハートは使っていたんだ。時折変な鼓動が聞こえることはあったが、それでもぶっ倒れるような事態は一度も起こらなかった。何が原因になって倒れたのか、俺にも良くわからない。

「……ワシらは実際の現場を見てないから何とも言えんのだが、そんなに凄かったのか?」
「ええ。六神将を相手に、完全に押していたわ」
「それほどのもんか……」

 顎先に手を添え、ヘンケンが何とも難しい顔になる。

 皆で一頻り唸った後で、ティアが話題を切り換える。

「そう言えば触媒武器に関して、大佐がこの研究所に分析を依頼したと聞きましたが……?」
「うむ。今はまだデータ取りをしている最中だ。分析結果そのものが出るには、まだまだ時間が掛かるだろうな」
「ええ。私らは詳しく見てないけど、何だか随分と偏った音素の波を感じたねぇ」

 偏った音素の波、か。

「……まあ、何にせよ俺がぶっ倒れたのはあの杖が原因なんだろうなぁ」

 見た目からして呪われた武器っぽかったし、納得といえば納得だけどな。

 デロデロな闇を吹き出していた、ディストが使った時の光景を思い出す。

「現時点で、何かわかった事はあるのでしょうか?」

 ティアのもっともな質問に、技師二人は腕を組み、渋面になる。

「今の段階では何とも言えないが……どうも、集合意識体を使役する響奏器とは異なる性質を備えているようだ」
「まあ、惑星譜術の触媒って言うぐらいだしな」

 俺達も知っている事実だったので、おざなりに応えると、ヘンケンが否定を返す。

「いや、違うぞルーク。それ以前の問題だ。あの触媒武器は、通常の奏器とは全く異質なものだ」

 言葉に込められた強い意味に、俺たちの間に緊張が走る。

「……いったい、どういうことだ?」
「通常の奏器は音素溜まりである音符帯と交信することで、集合意識体の力を外部から引き出し使役する。だが、あの触媒武器は内に取り込んだ莫大な音素を引き出すことで、力を行使している」
「本来なら外から取り込むはずの力を内側から引き出している……そういうことですか?」
「うむ。そう言ってもいいだろうな」

 内側から……か。

 確かに地殻でも、外側から力が流れ込むってよりは、杖自体から何かが流れ込んで来るのを感じた。

「……やつらがパッセージリングに触媒武器を突き刺して、地殻に干渉してるのと何か関係があるのかね?」

 スピノザの渡してくれた資料から、記憶粒子関連の何かを引き出しているんだろうと考えていた訳だが、それもどうやら怪しくなってきたな。

 場が煮詰まってきたのを感じてか、ヘンケンが話題を変える。

「地殻と言えば、お前さんたちが振動中和作戦時に、地殻でローレライと邂逅したと聞いて驚いたぞ。学会の定説がひっくり返るな」
「ん、何だその定説って?」
「ローレライ……つまり第七音素集合意識体とは、もともと自然界に存在していた音素ではない。故に、集合意識体が存在するにしても、明確な自我は存在せず、ひどく希薄なものだろうと考えられていたのだ」
「……ふーん」

 学会の定説ねぇ。まあ、地殻であれだけはっきりした声で呼びかけてきたんだ。自我があるのは確かだろうな。

「……少し話がズレたか。
 ともかく、第一奏器に関しては、分析中としか今は言えんな。気になるなら実験室に行ってみるといい。確か導師イオンも其処にいたと思うぞ」
「そうだな。ちょっと行ってみるか」
「そうね。ヘンケンさん、キャシーさん、ありがとうございました」
「おう、またいつでも来るといい」
「待ってるわぁ」

 二人に別れを告げ、俺たちは席を立つ。

 休憩所の中央では、未だガイがナタリアに説教されていたりするが、俺に声を掛ける勇気はありません。

 俺の分まで頑張ってくれよ、ガイ!

 心の中で親友に無責任な声援を送り、俺達は足早に休憩室を後にするのだった。


 * * *


 実験室はまるで戦場のようだ。

 据えつけられた機材に幾つもの波形が浮かび上がり、何人もの研究員が行ったり来たりを繰り返す。部屋を漂う緊張感に、何とも自分たちの場違い加減を思い知らされる。

 肩身の狭い想いをしながら、行き交う技師たちの邪魔にならないよう、隅っこを進んでいると、部屋の端にぽつんと一人佇むイオンの姿が見えてきた。

「よっ、イオンじゃないか」
「ルーク、気がついたのですね。それにティアも」

 とりあず俺たちはイオンの隣に並ぶ。最初にティアが口を開く。

「触媒武器のデータが、ここで採取されていると聞きましたが……?」
「はい。ですが、データ自体は既に取り終えたので、先程ジェイドが触媒武器を回収して行ってしまいました」
「大佐が……では、今はデータの解析作業中ですね?」
「ええ。皆さんとても忙しそうに動いてます」

 動き回る技師たちを見据え、イオンが微笑む。だが、その笑みもどこか力ないものだった。

 何となく声を掛けにくいものを感じながら、俺は改めて施設に視線を巡らせる。

「……しかし、随分と大仰な施設だよな」
「そうですね。これだけ大規模な施設は、大陸でも稀なものでしょう」

 せわしなく動き回る技師たちが指示を出し合う言葉だけが、室内に響く。

 そう言えば、イオンとこうして顔つき合わせて話するのも、随分と久しぶりな気がする。

 思い出すのは、地殻で対峙したシンクの吐き捨てた言葉。

 ───ゴミなんだよ。代用品にもならないレプリカなんてさ。

「……」

 改めて思い返して見ると、確かにイオンの行動には不審な部分が目についた。これまでは導師という地位に比べて、若すぎるイオンの年齢から、未だ教団を掌握しきれていないせいだろうと単純に考えていた訳だが……実際は、そうじゃなかったんだよな。

 導師イオンのレプリカ……か。

「イオンは……自分のオリジナルついて、どう思う?」

 気づけば、俺はそう問い掛けていた。

 ティアが僅かに緊張を顔に走らせ、イオンが突然の質問に困ったように首を傾ける。

 言った後でやっちまったと思ったが、今更取り消せるはずも無く、俺は慌てて言い繕う。

「いや、俺と同じような奴がどう思ってるのか、ちょっと気になったっていうか……えーと……」

 しどろもどろになって、自分でもよく分からない言葉を重ねる俺に、イオンがゆっくりと天井を仰ぐ。

「そうですね……僕にとってオリジナルは、遠い人、です」

 予想しなかった言葉の響きに、俺は自分の口を閉じて、イオンに視線を戻す。

「遠い人……か」
「ええ。アッシュと違い、オリジナルイオンは既に故人です。僕たちが知り得た彼に関する知識は、すべて人伝てに聞かされた、断片的なものでしかありませんでしたから」

 病死したと言われるオリジナルイオン。彼の代用品として作られたレプリカ達。

「何人も居たレプリカ達の中から、僕が導師の代わりとして選ばれたのは、音素を扱う能力がもっともオリジナルに近かったからです。そして選ばれた僕に期待されたのはオリジナルのように……いえ、オリジナル以上に導師らしくあることでした」

 周囲からの期待に応えるまま、導師としての振る舞いを身につけた。

「オリジナルの代わりに教団をまとめる……求められる価値、か」

 俺の確認に、イオンがわずかに目線を下げる。

「……ええ。でも、僕はそれでもいいと思っています。たとえ自分が幾らでも取り替えの効く存在であったとしても、教団にとって《導師》という存在は絶対に必要です。ならば、僕は導師として在ろうと……」

 静かに胸の前に腕を組み、イオンは目を閉じる。

 イオンの言葉は、どこか俺自身にも通じるものがあった。

 複製品ってことは、オリジナルの情報さえあれば、幾らでも似たような存在が作れるってことを意味しているんじゃないか? 誰か、自分が確かに自分であることを認めてくれ───そう考えることを、決して止められない。

 造られた存在にとって、それは当然の思考の流れだった。

 それでも俺とイオンのそれぞれが出した答えは、若干異なるものだった。

「するべきことが、いつしか自分のしたいことに重なってしまうこともある……か」

 かつて月明かりの下交わした会話が蘇る。

「あんまり教団のことばっか考えてないでさ。少しは自分の事を考えても良いんじゃねぇの? イオンは十分によくやってる……そう、俺なんかは思うんだけどな」

 俺は軽い口調で、イオンの頭をポンポン撫でる。

 実際、イオンはよくやっている。やりすぎている程に。自分がレプリカであるという負い目が、こいつを仕事に駆り立てているんじゃないかと……俺は少し心配になる。

「ありがとうございます、ルーク」

 イオンは嬉しそうに顔をほころばせた後で、しかし静かに否定を返す。

「ですが、僕は導師です。たとえ他に選択肢が無かったのだとしても、導師であること選んだのは、他の誰でもない……僕自身の意志です。教団のことを、そう簡単に投げ出す訳にも行きません。そんなに心配そうな顔をしなくても、僕は大丈夫ですよ、ルーク」

 微笑みながら、力強く言い切るイオンの顔には悲壮感などカケラも見当たらない。本心から言ってることが、俺にも伝わった。

「本当……意外と強情だよな、イオンはさ」
「すみません、ルーク」

 互いの視線を合わせ、俺たちは苦笑を浮かべあった。

 こうして俺達が言葉を交わしている間、ティアは一歩引いた位置で静かに佇み、俺達の会話に耳を傾けていた。

 おそらく、俺達の会話の邪魔にならないように、意図的に黙っていたのだろう。

 ……そこまで気を使う必要はないんだけどな。

 俺は自然と苦笑が深まるのを感じる。とりあえず、彼女も話しに参加させようと口を開いたところで、柱の影に隠れているアニスの存在に気づく。

「そんなところで何してんだ、アニス?」
「はぅぁ!」

 俺の呼びかけに、しまったとアニスが呻く。慌ててこちらに背を向け、走り去ろうとした彼女に、イオンが顔を向ける。

「アニス?」
「あぅ……イオン様」

 さすがにこのまま逃げ去る訳にも行かないと思い直したのか、アニスがおずおずとこちらに歩み寄る。

 気まずそうに顔を背けるアニスに、イオンが正面に立つ。

「アニス、僕はオリジナルイオンではありません。それでも……僕についてきてくれますか?」
「そんな……そんなの、当たり前ですよ、イオン様!」
「ありがとう、アニス」

 二人の遣り取りに、俺たちの間にも自然と笑みが浮かぶ。

 しかし、アニスの表情に落ちる蔭には、誰も気づくことは無かった。


 * * *


 イオン達と別れ、俺たちは更に先へと通路を進む。

 なんでもイオンの話によると、この先でジェイドとスピノザの二人が障気に関して話しているらしい。

 俺たちは二人の居る研究室を目指して、通路を進む

 それほど進まぬ内に、スピノザの姿を発見する。

 向こうも俺たちに気づき、嬉しそうに声を上げる。

「おお、お前さんたちか。タルタロスを沈めるのには成功したそうだな」
「まあ、かなり危うかったけどな」

 肩を落として応える俺にスピノザが苦笑を浮かべた。

 部屋の奥からジェイドが姿を見せ、少し驚いたように眉を上げる。

「おや二人とも、おそろいの様ですね。いったいどうしました?」
「障気に関して二人が話してるって聞いたから、ちょっと気になってさ」

 俺の返した言葉に、ジェイドが顎先を押さえ、押し黙る。

 ……俺、何か変なことを言ったか?

 少し不安になってきたところで、ジェイドがスピノザに顔を向ける。

「ちょうどいい機会ですし、二人にも説明して置きましょうかね」
「うむ。そうじゃな。お前さんたちにも伝えておいた方がいいだろう」

 よく話を掴めない俺たち二人の前に立ち、ジェイドが眼鏡を押し上げる。

「とりあえず、障気中和──いえ、隔離案とでも言うべきものが、出来上がりました」
「え、マジか?」
「……隔離案、ですか?」

 驚く俺たち二人に、スピノザが説明を引き継ぐ。

「うむ。中和では無く、大地の下に障気を押し込める隔離案じゃ。だが、かなり現実実のある話だぞ。わかりやすく説明すると……」

 研究室に置かれたホワイトボードに二つの円が重ねて描かれる。円の中心には地殻、内側の円が描く線をさして魔界、さらに外側の円をさして外郭大地。地殻から円の外側に向けて伸びる無数の線をさして障気と記す。

「この図にある様に、現在大地は魔界と外郭大地の二つに別れておる。地殻から吐き出される障気から逃れる為に、先人たちが大地を引き離した為じゃが、このまま単純に外郭大地の降下がなされたならば、降下後、大地をかつてのように障気が覆い尽くすじゃろうな」

 最初の図の隣に似たような図を描き、単純な降下後の状況と記す。新たな図の円は一つだけで、円の線をさして降下後の大地、円の中心から吹き出る線を障気と記し、円の外側を黒く塗りつぶすことで、障気が蔓延した状態を表す。

「つまり、これでは何の対策にもならんという訳じゃ」

 図の上に大きくバッテンを描く。

「では、どうすればいいか? そう考えた場合に、外郭大地と魔界の間に存在する力場──ディバイディングラインにワシ等は注目した」

 最初の図に戻る。二つの円の隙間を指して、ディバイディングラインと付け加える。

「これはセフィロトツリーによる浮力の発生地帯でな、この浮力が星の引力との均衡を生み、外郭大地は浮いておるんじゃ。現在お主らが進めているように、大地の降下時期をすべての大陸で同期させることで、降下がはじまると同時に、このディバイディングラインから下方向に強力な圧力が生まれる。ワシら考えた案とは、この圧力をもって……」

 外側の円から内に向けて伸びる無数の線を付け足し、圧力と記す。この圧力が、円の中心から伸びる障気の線を包み込むように描かれる。

「このように、一斉降下で発生する圧力を膜として、障気を覆い尽くし、大地の下──つまり地殻に押し戻すことで、障気を隔離させるというものじゃ」

 ホワイトボードをポンと叩き、スピノザが俺たちに向き直る。

 うーむ……まあ、どんな案なのか大まかにイメージで捉えることはできたかね。

 だが、そうすると少し気になる部分が出てくる。

「これって、障気が消えた訳じゃないんだよな?」
「うむ。隔離というぐらいじゃからな」
「確か……プラネットストームとか言うのは、地殻から音素を組み上げて惑星燃料にしてるんだよな? なら、そこから障気がまた出てきたりしないのか?」

 地殻に押し戻すって言うぐらいだから、そういうこともあるんじゃないのか? そうした俺の懸念に、ジェイドが眼鏡を押し上げる。

「このまま何もしなければルークの言う通りになりますね。ですが、それに関しても一応対策は考えています」
「あ、やっぱ考えてたか」
「ええ。そもそも魔界を溢れている障気も、セフィロトから発生したものです。どちらにせよ、何らかの対策を講じる必要がありましたからね。
 私たちは外郭の降下後に、パッセージリングを全停止して、セフィロトそのものを閉じることを考えています」
「地殻の振動は停止しているから、液状化している大地は固まり始めている。だから、セフィロトを停止しても大陸は呑み込まれない……そういうことでしょうか?」
「ええ。おおむねティアの言う通りですね」

 ジェイドが肩を竦め、俺たちに説明が終わったことを示す。

 俺は説明を改めて思い返しながら、頭の中で整理する。しばらく考えた後で、何となく理解できたような気がした。

「ようするに、臭いものにはフタをしろってことか」

 うむうむ。そう考えれば納得だ。俺の漏らした正直な感想に、皆の顔が一斉に引きつる。

「あ、ある意味その通りかもしれないけど……」
「……少し率直に過ぎる物言いじゃのう」
「まあ、ルークらしい理解の仕方ですけどねぇ」

 やれやれと、気を取り直すようにジェイドが眼鏡を押さえる。

「セフィロトを閉じることで、障気が地上に溢れることも無くなります。ただ付け加えておくと、譜術と譜業の力は極端に落ち込んでしまうでしょうね」
「……それって結構大事じゃねぇか?」
「ですが、贅沢は言ってられません。今は生き残ることを優先すべきでしょうね」

 まあ、確かに生きるか死ぬかの瀬戸際で、そんなこと言ってられねぇか。

 現実味をおびてきた障気対策に感心していると、突然、部屋に設置された内線が音を立てる。

 スピノザが受話器を取る。二三言葉を交わしたかと思えば、すぐに受話器を置いて、俺たちに顔を向ける。

「どうやらルークの検査結果が出たらしい。そろそろ戻って来いという話だ」
「ああ、そういえばそんなものあったっけな」

 正直まったく忘れていた話しだった。でもまあ、さすがにこのまま戻らないわけにはいかないだろう。

 眼鏡を押し上げ、ジェイドが俺たちに促す。

「わかりました。では、一旦医務室に戻りましょう」
「そうですね。行きましょう、ルーク」
「了解、んじゃ、またな、スピノザ」
「うむ、またな、ルーク」

 俺たちはスピノザに別れを告げ、再び医務室に戻るのだった。


 * * *


「───あなたの血中音素は不安定化しています」

 医務室に集う六人を前に、シュウさんが暗い面持ちで検査結果を告げた。

「血中音素の不安定化……ですか」

 つぶやきが、無言の室内によく響く。

 どこか重苦しい沈黙の降りた室内で、肝心の俺自身は、告げられた症状がどんなものか、まるで理解できていなかった。

「……それって何かまずいのか?」

 よく状況が掴めずに首をひねる俺に、シュウさんが落ちついて聞いて下さい、と前置きする。

「そもそも音素を扱う譜術や技などは、そうじて体内のフォンスロットに一時的に音素を取り込むことで、何がしかの力を行使します。あなたの場合、そうして取り込まれた音素が汚染されていて、上手く体外に放出できていないようなのです」

 取り込まれた音素が外に出せてない……か。それに関しては、何となくイメージできる。だが、

「音素が汚染されてるってのは、どういうことですか?」
「いま、全世界で噴出している毒素───障気でしたか? とにかく、それと結合しているようです」
「障気に汚染された音素を取り込んでいるということでしょうか?」

 驚きに目を見開くナタリアに、シュウさんが深刻な表情で頷き返す。

「汚染された音素を取り込んでいる……か」

 ……思い当たる節があるとしたら、やっぱ一つしかないだろうな。

「やっぱ、触媒武器を使ったせいかね?」
「……まあ、そう考えるのが一番自然でしょうね」

 あれ以外に、俺のぶっ倒れる要因になりそうなものは、見当たらない。

「しかし、そうすると今後のパッセージリングの操作が厄介だよなぁ」

 パッセージリングの起動にも触媒武器は不可欠だ。

「って、そういえばティアは大丈夫なのか?」

 よくよく思い出して見れば、起動時にかなりの回数ティアに持ってて貰ったような気がする。急激に不安が沸き上がる俺に向けて、ジェイドが静かに否定を返す。

「いえ、おそらくそれに関しては大丈夫でしょう」
「へ……どういうことだ?」
「これまでも私たちはパッセージリングの起動時に、触媒武器を用いてきました。しかし、これまで異変は起きていなかった。地殻での直接的な力の行使が原因だろうと考えられます」

 ああ、なるほど。まあ、確かに地殻で使った力は、ちょっと尋常じゃないもんがあったからな。何が起きても不思議じゃねぇか。

「すみません。いったい、何の話しを……? 何か心辺りがあるのでしょうか?」

 怪訝そうに尋ねるシュウさんに、俺たちは触媒武器を使用してパッセージリングを起動させてきた事、地殻で触媒武器を使用した直後に俺が倒れたってことを説明する。

「なるほど……そんな事が」

 話を聞き終えたシュウさんが、重々しく首を頷かせる。

「おそらく、その触媒武器の使用が原因でしょう。創世歴時代の音機関は大量の第七音素を含んでいますから、パッセージリングの起動時に触媒武器へ汚染された音素が流れ込んだ事が考えられます。地殻で戦闘に触媒武器を使用した直後、あなたが倒れたのも、蓄積された第七音素が一度に、大量にあなたの身体に流入したことで、拒絶反応が出たからでしょうね」

 なるほど、そんな事が起こってたのか。シュウさんの分析に納得しかけたところで、説明の一部に違和感を覚える。

「ん? 第七音素?」
「ええ。そうですが……どうしかしました?」
「いや、何と言ったらいいのか……」

 口ごもる俺に代わって、ジェイドが俺の疑問を口に出す。

「地殻でルークが触媒武器を使用した際、引き出されたのは闇属性の第一音素を用いた力でした。そこが気になっているのでしょうね」
「……確かに妙ですね。実際、ルークさんの身体から検出されたのは、汚染された第七音素でした。ん、いや……だが……確かに属性に偏りがあるようにも……」

 首を傾げる俺たちを余所に、シュウさんがぶつぶつと何やらつぶやき始める。

「触媒武器の分析結果が出れば話は早いのですが……ま、今は待つしかないでしょうね」
「それもそうですね」

 ジェイドの言葉に頷き、シュウさんは俺に改めて顔を向ける。

「ともかく、ルークさん。現時点ではまだ取り込まれた音素は微量なものなので、明確な自覚症状もないでしょう。しかし、このまま使用を続けた場合……命の保証はしかねます。今後の使用は絶対に控えて下さい」

 医師としての矜持を強く前に出し警告するシュウさんに、自然と俺も姿勢を正して首を頷かせるのだった。

 こうして診断結果を受け取った俺たちは、シュウさんに別れを告げ、診察室を後にする。

「それで、とりあえずこの後はどうする?」

 部屋の外に出たところで、俺は閉口一番、今後の行動方針を尋ねる。

「そうですね……この時間を無駄にするのも勿体ない。触媒武器の分析結果が出るまでに、近場のパッセージリングを操作してしまうのが一番効率がいいでしょう。幸いデータの採取段階は終わっているので、触媒武器自体は既に返却されていることですしね」

 確かに、いつパッセージリングの限界が来るとも知れない現状で、このまま時間を無駄にするのも勿体ないか。

「それじゃ、とりあえず次のパッセージリングに向かうんでいいんだな?」
「ええ。一先ずはそうした方針でお願いします」

 俺とジェイドが合意に達した瞬間、皆が次々と声を上げる。

「ルーク、待って。これからのことも重要だけど、あなたの身体は本当に何ともないの?」
「ああ、無理してるとかは無しだぜ?」
「そうですわ。障気による汚染……決して、軽く見てはいけないと思いますわ」

 皆の顔に浮かぶ不安は、おそらくアクゼリュスで目にした人々を思い出してのものだろう。

「いや、全然大丈夫だって。そりゃ心配しすぎだよ」
「……実際の所、どうなのですか?」

 真剣な表情になって、俺の表情を伺うジェイド。俺は正面から見返し、強く頷き返す。

「ああ、嘘じゃない。大丈夫だ」
「そうですか……なら、私から言うことは何もありません」

 どこか冷たく響いたジェイドの返しに、ガイが声を張り上げる。

「ジェイド、お前な! このバカは直ぐに無理するんだ。そんな直ぐに認めて嘘だったら、どうするっ!」
「……ですが、本人が大丈夫と言っているのです。これ以上どうしろと?」

 何だか場に不穏な空気が漂い始めたのを感じて、俺は慌てて口を開く。

「いや、落ち着けって! 取り込まれた汚染音素はまだ微量だって、シュウさんも言ってただろ? それにパッセージリングの起動は関係ないだろうって話しになったんだ。そこまで深刻に考える必要はないだろが」

 実際、ここまでパッセージリングの起動には使ってきたのに何も起こらなかった。それにジェイドだけでなく、医師であるシュウさんの見解も一致したんだからな。

「……あなた自身も、本当に、自分の体調におかしな所は感じていないのね?」
「ああ。体調は万全だ。ピンピンしてるぜ」

 ほれほれと、俺は自分の健康さをアピールすべく、屈伸運動を繰り返す。

 だが、突然の動きについていけなくなった筋肉がビキビキ音を立てる。

 って、イテテテテッ! あ、足、吊ったっ!!

 カカトの腱を押さえながら、地面の上を悶絶する俺に、場の緊張感が一気に霧散する。

「……まあ、確かにこうして見る限り大丈夫そうだな」
「そうですわね」
「むしろいつもより元気そうだよね」
「ここから近い場所にあるパッセージリングというと……イオン様、どの辺りになりますか?」
「確か……メジオラ高原にセフィロトが存在したはずです」
「シェリダンの南西ですね。行きましょう」

 ぞろぞろと、一斉に皆が歩き出す。

 ま、待ってくれ、皆ぁ…………

 侘しい木枯らしが、俺の身体に吹きつける。

 ううっ……これなら心配されてる方が、まだましだったような気が……

 なんだか受けを狙って外した芸人のような気分になって、俺は激しく落ち込んだ。


 * * *


 暗く重苦しい地底の坑道を進む。メジオラ高原のセフィトの道程は、はさして妨害が入ることも無く順調に進み、遂にパッセージリングに行き当たる。意外と今回は呆気ないもんだ。

 俺はいつものように操作をしようとした所で、ジェイドが待ったをかける。

「パッセージリングの起動時にどんな反応があるのか、測定してみましょう」

 確かにその通りだな。納得して、俺はジェイドの渡した計測器を杖に取り付ける。

 パッセージリングが起動すると同時、杖に何かが流れ込むような感覚。

「……これは、障気が杖に流れ込んでいますね」
「やっぱ、そうなのか」

 少しの間様子を伺うと、ジェイドが顔を上げる。

「ですが安心して下さい。人体に流れ込んでいる様子はありません。パッセージリングの起動時には、やはり問題はなさそうですね」

 ジェイドの保証に、今後の行動には影響が無さそうだと俺は安堵する。

「……これまであまり気にしてなかったけど、そもそもどうして、触媒武器でパッセージリングを起動できるのかしら?」
「言われてみればそうだな。第七音素が流れ込んでくるのと何か関係があるのか?」
「そうですわね。六神将達もパッセージリングに干渉しているようですし、何らかの原因があるのでしょうけど……」
「うーん。六神将がパッセージリングに何してるかも、よくわかんないしね」

 これまでの疑問を口にするが、答えは出てこない。

 一人話しに参加しなかったジェイドが、眉間に皺を寄せ難しそうに考え込んでいるのが見える。

「何か気になることがあったのか?」
「……とりあえず、降下準備を終えてしまいましょう」

 詳しいことはベルケンドに戻ったら話します、と一方的に告げると、ジェイドは話を打ち切った。

 また話を逸らされたと思わないでもないが、まあ、そのうち話すとは言ってるんだ。仕方がないか。

 多少の諦めを感じながら、俺はパッセージリングに向けて超振動を放つのだった。


 * * *


 パッセージリングの操作を終えた俺たちは、再びベルケンドに戻った。

 研究所の前まで来たところで、中から走り出てきたスピノザが俺たちに駆け寄ってくる。

「おお、戻ったか。パッセージリングの操作は成功したようだな」

 どこか気もそぞろな様子で言い募るスピノザに、俺は首を傾げる。

「どうしたんだ、そんな慌てて……?」
「うむ……ワシらもまだよくわかっていない事柄なのじゃが、なるべく早くお前さんたちに伝えておいた方がいいと思ってな」
「何があったのです?」 

 視線も鋭く問いかけるジェイドに、スピノザが顔を曇らせる。

「外郭大地における障気の拡大が、当初の予想を遥かに上回る勢いで進んでいるようなのじゃ。このままでは崩落を待つまでもなく、外郭大地全てが障気に覆われるのも、そう遠い先の話しではないじゃろうな」
「外郭大地全てをって……」

 そんなに障気の拡大は速いのかよ? 思った以上に悪い外郭大地の状況に、俺たちの間にも緊張が走る。

「……ですが、予想を上回ると言っても、まだ対策を講じるだけの猶予はあります。あなたの焦りようを見る限り、何か想定すらしていなかったようなイレギュラーが他に発生しているのでは……?」

 眼鏡を押し上げ冷静に分析するジェイドに、スピノザが苦しげに頷く。

「ジェイドの言う通りじゃ。こちらに関しては、全てが不明のままなのじゃが……同時に、世界中における第七音素の総量が急激な減少を始めているようなんじゃよ」
「第七音素の総量が急激な減少ですか……。では、プラネットストームの活発化は……?」
「うむ。その懸念はワシらも最初に考えた。すぐに確認してみたのじゃが、今のところそのような兆候は掴めておらん」

 二人によると、地殻から組み上げられた記憶粒子から第七音素は生み出され、常に一定量の音素が世界に満ちているという。第七音素が一時的に減少した場合も、失われた分を取り戻そうと、プラネットストームの動きが活性化して、通常は不足分が補充されるのだそうだ。

 だが、スピノザ達が観測する限り、そうした動きは見えないらしい。

「障気の拡大とほぼ時を同じくして起きた、第七音素の減少……。二つの間に何か関連があるのではないか……あなた達は、それを疑っているのですね?」
「うむ。偶然同時期に起きたと考えるには、どちらもあまりに特異な現象だったからの。嫌でもそれを考えてしまう。それに障気と第七音素……どちらもヴァン様が気に掛けて居られた事柄じゃ」

 触媒武器によるパッセージリングへの干渉。それに伴う外郭大地の崩落。やつらの語った、第七音素集合意識体、ローレライの消滅……。

 新たな問題の登場に、沈黙がその場を満たす。

「──ま、あまり考え込みすぎても仕方ありません。触媒武器の計測結果はありますか?」

 ジェイドの問い掛けに、スピノザが我に帰り、脇に抱えていたファイルを持ち上げる。

「おお、そうだった。一応、ここに分析結果をまとめていおいたぞ」
「なるほど、かなり細かい分析結果ですね……」

 受け取ったファイルをジェイドが凄まじい速度でめくり、確認を始める。

「ただ……こちらもやはり、不可解な部分が多いのぅ」

 基本的に創世歴時代の遺物はオーバーテクノロジー。既に失われた技術によって作られている。そうしたものを完全に解析することは、やはり難しいのだろう。

「構成音素の分析過程で、とてつもなく莫大な量の音素が、この武器の内部に蓄積されておるところまでは判明した。しかし、どうにもおかしいんじゃよ……」

 眉をしかめながら、スピノザが俺達に確認する。

「お前達がディストからこの杖を奪った際、闇属性の力を用いた攻撃を受けたそうじゃな?」
「ああ、とんでもない威力の攻撃だったから、今でもよく覚えてるぜ。ジェイドが言うには、物質化するまでに高められた第一音素の攻撃とか言ったっけ?」
「ええ。譜歌の障壁で、最初の攻撃を防いだのよね……」
「あのときは参ったよ。通常攻撃がほとんど効いてなかったのが、一番印象に残ってるな」
「だよね~。あれがディストじゃなかったら、本気であぶなかったよね」

 俺たちの脳裏に、セントビナーで対峙した、闇の衣をまとった譜業兵器の姿が蘇る。

「うむ……」

 だが、そんな俺達の会話に、スピノザが難しい顔になり、ついで突拍子もない言葉を告げる。

「第一音素は検出されなかったんじゃ」

 奇妙な間が、場に降りる。

「は?」

 まるで相手の言ってる言葉が理解できない。呆気に取られる俺達に、スピノザが気まずそうに、もう一度繰り返す。

「だから、あの触媒武器から、第一音素は一切検出されなかったのじゃよ」

 数秒遅れで、完全に理解が追いつく。

 なるほど、第一音素は検出されなかったと。

「って、なんだそりゃ!? 地殻で俺が使用した際も、全部闇属性の力引き出してたんだぜ!? それが第一音素が一切ないって、おかしすぎだろ!?」
「うむ。そこなんじゃよ。ワシラとしてもどう考えたものか困ってしまってなぁ」

 悩ましげにため息をつくスピノザに、俺たちは顔を見合わせる。

「どうして、そのような結論に……?」
「うむ。その触媒武器に、闇属性の性質をもった音素が蓄積されていることは確かじゃ。通常なら、これで第一音素であると断言できる。じゃが……どうにも第一音素にしては、検出される反応がおかしい。むしろ、あの反応は……」

「第七音素に近い」

 スピノザに渡された資料を確認していたジェイドが、顔を上げる。

「少しも考えなかった訳ではないですが……それでも驚きの結果ですね。ディストの玩具と対峙した際も、あまりに強い闇属性の反応に、第一音素を収束させていると判断したのですが……どうやら私が間違っていたようだ」

 一人納得したように頷くジェイドに、ガイが困惑を顔に出す。

「……よくわからないな。ディストやルークが放っていた力は闇属性のもんだったが、集束された音素の種類は、第一音素じみた第七音素だった。そこまでは理解した。しかし、そもそも、どうして第七音素が第一音素まがいの反応してるんだ?」

 有り得ないだろ、とガイが肩を竦める。

「ええ。確かに異常な結果です。しかし、決して有り得ないとは言い切れません。そもそも第七音素とは、地殻から吹き出した記憶粒子が、六層からなる音符体を通過する過程で、新たな特性をもった音素。その特質として、確たる属性を持たないというものがあることですしね」
「……限りなく第一音素に近い特性を備えた第七音素があったとしても、おかしくないということですか?」
「ええ。この反応の違いにしても、資料から読み取る限り、測定器を用いた精密な計測作業によって、初めてわかるような程度の差異でしかありませんから」

 ティアの確認に肯定を返した後で、ジェイドが眼鏡を押し上げる。

「もっとも、音素の種類を特定する際、この違いは決して無視できませんがね」
「ここまで偏った属性を備えた第七音素というものは、ワシらも初めて目にしたからのう」

 スピノザの言葉に、休憩室でヘンケンとキャシーが言っていた言葉が思い出される。

 あまりに偏った音素の波形、か。

「ともあれ、色々と助かりました、スピノザ。引き続き、状況の監視をお願いします」
「うむ、任せておけ。お主らも、十分、気を付けるのじゃぞ」
「ああ、またな、スピノザ」

 スピノザと別れ、ベルケンドの街を歩きながら、今後の予定に話を移す。

「ところで、残りのセフィロトって、どこにあるんだ?」
「アブソーブゲートとラジエートゲートを抜かせば、イスパニア半島のタタル渓谷か、ケテルブルク近郊にあるロニール雪山のどちらかです」

 なるほど……そろそろ最後が見えてきたな。

「次はどちらに行きましょうか?」
「ロニール雪山はかつて六神将が任務で赴いた際、魔物に襲われて怪我をしたと聞いたことがあります。できれば最後に回した方がいいと思うのですが……」
「……そうですね。地元の住民でも、あの山には滅多に近づきません」
「そんじゃ、まずはタタル渓谷に向かおうぜ」

 特に反対意見が出るでもなく、次の目的地はタタル渓谷に決まった。


 皆が言葉を交わすのを横目に、俺は新たに知った事柄に思考を飛ばす。

 今回ベルケンドを訪れた事で、かなりの情報が集まった。

 障気の急激な拡大。第七音素総量の減少。触媒武器を使用する事で、身体を蝕む汚染された音素の存在。そして、触媒武器の内に存在する……あまりに偏った性質を備えた、莫大な量に登る第七音素。

 こうした情報を踏まえた上で、改めてヴァンの目的を考えたとき、六神将側が触媒武器を使ってパッセージリングで何をしているのか……突拍子もない一つの推測が浮かび上がる。

 ジェイドは未だ何も言って来ないが、俺程度が考えついた事だ。あいつが気づいていないなんて事は有り得ない。皆に説明しないのは、単に俺の考えが間違ってるだけか、もしくは、この推測が確信に至るまでには、まだ欠けたものが存在するか……このどちらかだろう。

「ローレライの消滅……か」

 触媒武器に関する俺の推測が当たっているとしたら、確かにそれも可能かもしれない。

 同時に、まだ俺達にも、打つべき手があるとも言えるだろう。

 だが、俺の中で、乾いた声が囁く。

 お前は何かを見落としていると。

 拭い去れぬ不安に、俺はため息をつき、気分を紛らせるべく、ベルケンドの空を見上げる。

 澄みきった蒼空の向こう、崩落の発生した地平から、紫色の何か──障気が立ち上る光景が目に入る。

 ここまで障気の拡大は酷いのか。そう顔をしかめた瞬間──無数のイメージが脳裏を過る。


 真っ白な部屋。
 時計が秒針を刻む。
 顔のない誰かが、俺に視線を向ける。
 時計が秒針を刻む。
 俺はそれに反応して口を開き───…………


「────ご主人様、大丈夫ですの?」
「……ん?」

 心配そうにミュウが俺の顔を見上げていた。

 何故か寝起き後のように、ぼっとした頭を押さえる。しばらく立ち尽くした後で、俺は苦笑を浮かべながら、ミュウの頭をなでる。

「なんでもねぇよ。大丈夫だ」
「どうしたの、ルーク?」

 立ち止まった俺たちに気づいてか、ティアが訝しげに振り返る。

「いや、何かちょっと立ちくらみがしたみたいなんだが、そんだけだよ」
「本当に大丈夫なの? あなたの身体には微量とは言っても、障気が浸透してるのよ。少しでも異常を感じたら無理は……」
「いや、だから本当に一瞬くらっと来ただけだって。全然問題ない。大丈夫」
「……なら、いいけど」
「心配ですの……」

 尚も心配そうに見やるティアと小動物に、俺は遠ざかりつつある皆の背中を示す。

「大丈夫だって。皆が行っちまうから、俺達も早く動こうぜ」
「そうね。でも……無理はしないでね」
「ああ、わかってるよ」

 俺はティアに苦笑混じりの笑みを返し、皆の後を追いかけるのだった。





 カチリ、時計が秒針を刻むと同時。

 壁にかけられたおびただしい数の時計が、一斉に鐘を打ち鳴らす。

 すべての時計の長針と短針は、十の数字を指し示した位置で互いに重なりあっている。

 時計を見据える部屋の主は声を上げて笑う。


 ───解放の刻は近い。


 ひどく楽しげな声が、どこまでも虚ろに響く。



[2045] 6-2 地を伝い、風に揺らぐ
Name: スイミン
Date: 2007/01/03 16:57
 谷間を吹き抜ける風に草原がさざめく。

 日の光に照らされた渓谷は、かつて訪れた夜の景観とまったく異なる顔を見せていた。

「……ここで、全てが始まったんだよな」

 谷の向こうに広がる海が蒼く澄んだ色を見せる。寄せては返す波が、蒼に白い線を走らせる。

「そう言えば、あのとき不審な第七音素による超振動が検出されたのは、この辺りでしたか」
「確か、僕たちが親書が届くのを待っていた頃の事ですね」
「あのときはイオン様を見失って大変でしたわ~」

 三人の言葉につられるようにして、ミュウがぴょんぴょん草原を跳ね回る。

「ボクの故郷もこの近くですの~」
「なるほどな。ここらがルークの飛ばされた先だったってことか」
「まあ。話しには聞いていましたけど、かなり遠くまで飛ばされましたのね」

 皆が思い思いの言葉を交わす中で、俺は少し離れた位置に一人立つ。

 渓谷を見やりながら、何ともせわしなく過ぎ去ったここ数カ月に思いを馳せていると、脇に立ったティアが声を掛けてくる。

「……懐かしい?」
「ん……どっちかって言うと、感慨深い、の方が近いかね」

 セレニアの花が風に揺らぐ。

 俺は渓谷から空に視線を転じ、ぼそぼそと口元で言葉を作る。

「あのときはバチカルに戻れば、全て終わりだと思ってたからな。それが、全く違う状況の中で、こうしてまた俺はここに立ってる訳だ……そう思うと、どうしても考えさせられるものがあってな」
「私の事情に巻き込んでしまった形だった……あのときは、本当に申し訳ないと思ったわ」

 未だ申し訳なさそうに告げるティアに向けて、俺はからかうように笑いかける。

「あのときのティアはどうにも義務感でガチガチに固まってたからな。正直、あんまりにも堅物過ぎて、苦手意識とか抱いてたんだぜ?」
「そうなの? でも、思い出してみれば、私があなたに最初抱いた印象も、あまり良いとは言えないものだったわね」
「ん、そうなのか?」
「だって、あなたの言動は貴族とは思えない程、乱暴だったから」
「うっ……そりゃ、そうかもな」

 ティアの思わぬ返しに、さすがの俺も一瞬言葉につまる。

「まあ……お互いさまだったってところかね」
「ええ、それもそうね」

 互いが抱いた相手に対するあんまり良いとは言えない第一印象に、俺たちは顔を見合わせ、クスクスと笑い合うのだった。

「しかし、随分と昔の事みたいに感じるよな……」

 俺は再び空に視線を戻して、これまでの旅路に思いを馳せる。

 過ぎ去った日々。

 これから迎えようとする日々。

 当時は、変わらない明日が訪れるのが、当然だって考えていた。

「結局……俺は、変われたのかな?」

 思わず漏れ出た問い掛けに、彼女は即答することを避ける。

「他人の評価が意味するものが、全てではないわ」

 一旦言葉を切った後で、ティアが少し視線を外す。

「けれど、あなたの覚悟は本気だった。……少なくとも、私はそう思うわ」

 どこか素っ気なく放たれた言葉だったが、そこに込められた思いは彼女の正直な感想だろう。俺は自然と苦笑が浮かぶのを感じながら、口を開く。

「まだまだ、だけどな」
「そうね……まだまだ、だけどね」

 渓谷を吹きすさぶ風に身をゆだね、瞼を閉じる。

 しばらくそうして何をするでもなく佇んでいると、渓谷の探索に出かけていた、ガイの言葉が届く。

「おーい、向こうに流れる小川の方に、セフィロトがあるって話だ」

 ガイの呼び声に従い、思い思いに周囲を探索していた皆が動き始める。

「……行きましょう」
「ああ、そうだな」

 最後にもう一度だけこの景色を目に焼き付け、俺たちはすべての始まりの地に、背を向けた。


 * * *


 タタル渓谷のセフィロトには、妙な仕掛けが至る所に仕掛けられていた。これは進むのに苦労するかと、ある程度気を引き締めて望んだ俺たちだったが、直ぐに肩すかしを食らうことになる。

 セフィロト内部に施された仕掛けは、そのほとんどが、既に解除されていた。

 俺たちはさして先へと進むのに苦労することなく、あっさりとパッセージリングに続く部屋の前まで辿り着く。

「……仕掛けが解除されてるってことは、また六神将の連中か?」
「またぁ? はっきり言って、六神将の持ってる武器、反則だよねぇ」
「そうですわね。今のところ向こう側が退いたのを除いて、負け続きですし……」

 戦闘の予感に、俺たちの間で否応なしに緊張感が高まる。

 実際問題、俺たちは負け続きだ。

 こうして生き残っているのも、悔しい話だが、相手が偶然引いてくれた結果に過ぎない。

 地殻での戦闘は少し毛色が違ってくるが、完全に制御もできないような力に安易に頼ろうなんて気にもなれない。それに使う度毎に、身体が障気に蝕まれるだなんて最悪のオマケまで付いてやがるしな。

 まあ、それでもよっぽど追い詰められた場合は、其の限りじゃないだろうけどな……

「──とりあえず六神将と対峙した際に気を付けるべき点を、整理しておきましょう」

 ジェイドの発言に、皆の視線が集まる。

「……大佐さんよ、それは何か策があるってことか?」
「策、と言う程のものではありません。本当に、簡単なものですからね。これまでの六神将との戦闘と、地殻においてルークが触媒武器を使用した際の行動から、わかったことがあります」
「六神将だけじゃなくて、俺の行動からもなのか?」
「ええ。地殻での触媒武器を使用した際、あなたは情緒面においてかなり不安定になっていました。さらにガイが突撃を仕掛けた際に、リグレットとシンクの交わした会話。ザオ遺跡の戦闘で、あまりに戦闘に固執するラルゴ……」

 メガネを押し上げ、ジェイドは勿体ぶった言葉を告げる。

「そうした事柄から判断するに、触媒武器の使用者は多かれ少なかれ、感情面において不安定化する兆候が見えると言えるでしょうね。そして、それは注意力が緩慢になる事に繋がる。
 ……おそらく、そこに何がしかの付け入る隙が生じるでしょうね」

 感情が不安定になる……か。まあ、確かにその通りかもしれない。俺が地殻で使った際も、無意味なまでの昂揚する気分と、溢れ出す力の波に飲まれて、状況判断とかがかなり甘くなってたような気がする。

「故に、正面から挑むのは極力避けることが重要です。特に前衛に対して言える事ですが、決して一カ所に止まらず、常に多方面から攻撃を仕掛けるように心がけて下さい」
「わかったぜ。しかし、多方面って言われてもなぁ……」
「お前は苦手そうだよな。まあ、俺がルークに合わせて動くから、お前は好きに動いてくれ」
「そうか? 助かるぜ」

 互いの特性から考えても、動きの素早いガイが俺に合わせてくれるのはありがたい話だったので、俺も素直に頷いておく。

「後衛組に関しては、攻性譜術に拘らず、基本は前衛組を援護するような行動を取って下さい。特に、ティア。あなたの譜歌がおそらく、今後の戦闘においては要になるでしょう。発動のタイミングには十分に気を付けて下さい」
「わかりました、大佐」
「私も基本は治癒術の発動に専念しますわ」
「ん~。トクナガは細かい動きが苦手だし、私は後ろに回って攻性譜術で、ちまちま前衛を援護するって感じかなぁ」

 こうして、俺たちは一通りの作戦を確認し合った。

「しかし、よくよく考えてみると、どれも凄く当たり前の事だって気がしてきたんだが……本気で大丈夫かよ?」

 ジェイドの披露した策は、俺たちにとってさして意外性のあるものではなかった。そのため、思ったよりも気分が盛り上がらない。むしろ、そんな単純なもので大丈夫なのかと心配になってくる程だ。

「ま、それは実際に対峙してみないことにはわかりません。とりあえず今は……」
「今は……?」
「気を付けて先に進むしかないでしょうねぇ」

 ジェイドがばっさりと俺の不安を切り捨て、さっさと前に歩き出す。

 ……確かに、言ってることは正しいんだが、作戦を提案した当の本人の口から聞かされると、むしろ不安が増すのを感じるよなぁ。

 何とも言いようの無い空気に包まれながら、俺たちは歩みを再開する。

 巨大な送風機のようなものが設置された部屋に行き着いたところで、さして離れていない場所から、何者かか言い争うような声に混じって、剣劇の交わされる音が響く。

 俺たちは一瞬顔を見合わせた後で、陣形を整える。

 慎重に気配を押し殺しながら、先に続く通路に足を踏み入れる。

「───ヴァンはどこに居る! 答えろっ!!」

 真紅の長髪が流れる。

 踏み込みと同時、突き出された切っ先が空を切る。

 黒の教団服をまとった男──アッシュは舌打ちを漏らし、視線を部屋の中央に飛ばす。

「質問に答えろ、シンク!」

「───まったく、うるさいね」

 セフィロトから立ち上る音素の光を背後に立ち、仮面を付けた男───シンクが鬱陶しそうに吐き捨てる。

「いずれわかることだって言ってるだろ? 僕は忙しいんだ。あんたの相手をしてるような暇はない……ん?」

 言葉の途中で、シンクの視線が俺達を捉える。

「……あんた達か」

 シンクの言葉に、アッシュが獲物を構えたまま、一瞬だけ俺たちの方に視線を向ける。

「ちっ……能無しか」

 こんなときまで憎まれ口を叩かなくてもいいだろうに……まったくよ。

 俺は多少呆れ混じりに、アッシュに呼びかける。

「手を貸そうか、アッシュ?」
「……お前たちは退がってろ。俺はこいつに聞くことがある」

 きっと睨み付けるアッシュに、シンクが僅かに考え込むように顎先を押さえる。

「ふん……まあ、どっちも揃ってるならいいか」

 話が掴めない俺たちを余所に、シンクが口を開く。

「ヴァンから伝言だ。一度しか言わないから良く聞きな」

 ヴァンからの伝言だって……?

 何の事かと俺達が問い質すよりも先に、シンクが一方的に告げる。

「『我が下に降るか、それとも敵対するか。いずれにせよ彼の地で、お前達の答えを聞き届けよう。───アブソーブゲートで待つ』……伝言は、そこまでだよ」

 シンクは肩を竦めて、そこで話は終わりだと示して見せた。

「……アブソーブゲートって、確かプラネットストームの一つか?」
「ああ、セフィロトの収束孔だな」

 なぜ、そんなところを指定したのかわからないが、これでヴァンの居場所は把握できた。

 だが、求めていた答えを得たというのに、アッシュが尚も不審そうにシンクに問いかける。

「どういうつもりだ? ……なぜ、今になって奴の居場所を明かす?」
「あんたもかなり耄碌してるんじゃないの? ヴァンの計画に超振動が必要不可欠だってのは、前から知ってたはずだ。必要な駒を誘導するために、わざわざ教えてやったに決まってるじゃないか」

 俺たちの存在を駒と言い切る相手に、アッシュが眉間に皺を寄せる。

「ともかく、伝言はそこまでだ。僕は帰らせて貰うよ」
「待てっ!」
「……何だい?」

 面倒そうに振り返った相手に、アッシュが剣を突き付ける。

「貴様をここで見逃す道理は何もない。───ここで、討ち取らせて貰おうか」

 腰を落とし宣言するアッシュに対して、返されたのは嘲笑だった。

「はははっ! 結局、ヴァンの良いように動かされるしかなかったあんたが、僕を倒す?」

 笑い声が途絶えると同時、異様な空気がシンクを中心に渦巻き始める。

「随分と笑わせる話しだけど……少し、不愉快だね」

 シンクの腰に吊るされた長剣が、不気味な鼓動を刻んでいた。刀身に当たる部分が羽のような形状をした、どこか神聖な雰囲気を感じさせる長剣だ。

 そして、俺たちはあの剣に見覚えが合った。

 あれは地殻でシンクに奪われた触媒武器の一つ───聖剣、ロストセレスティ。

 俺たちの視線に気づいてか、シンクが不敵に口端をつり上げる。

「この前は第一奏器に遅れを取ったけど、今度はそうはいかないよ」

 セフィロトから立ち上る音素の光が明滅し、巨大な力の顕現を前に大気が鳴動する。

「ちょうどいい肩慣らしだ。ここで───死んでいきな」

 片手で抜き放たれた長剣が、俺たちに突きつけられる。


 暴風が、大気を掻き乱す。


 収束する膨大な音素の流れに空間が歪み、シンクの手に握られた剣から生じた旋風は、一瞬にしてセフィロトの天井に届かんばかりの嵐へと成長する。

「第三奏器───《風刃》ロストセレスティの力……その身に刻むんだね」

 轟と音を立て逆巻く深緑の風の中心に立ち、六神将───烈風のシンクは告げた。

 くっ……また触媒武器が相手か。

 とっさに陣形を整え、相手の出方を伺いながら俺は小声で囁く。

「アッシュ、もうこうなったら一蓮托生だ。グダグダ言ってねぇで、俺たちに協力しろよ」
「ちっ……仕方ないか」

 尚も嫌そうに頷くアッシュに、俺は呆れ混じりの言葉を返す。

「ったく、お前はとことん単独行動に拘るよな」
「ふん……言ってろ、能無し」

 俺と罵り合った後で、アッシュがジェイドに視線を飛ばす。

「メガネ、聞け。奴らは触媒武器を使って、特定属性の音素を無尽蔵に行使する。だが、一度に放出できる音素の量は、使い手の状態に見合ったものでしかない。この意味がわかるな?」
「……なるほど、そういうことでしたか。納得です」

 他の皆もアッシュの解説に対してしきりに頷いてる。が、どうも俺にはよくわからんままだった。

「あー結局、どういう意味だ?」

 正直に問いかけた俺に、アッシュがバカにしたような視線を向ける。

「な、何だよ」
「ふん……結論から言えば、奴らも負傷を与えて行けば、身体の方が引き出した力に耐えられなくなるって話しだよ。だが、テメェには言うだけ無駄か」

 最後に鼻を鳴らすと、アッシュがシンクに向けて切り込んで行った。

 って、いきなりかよ! 俺がアレな質問したのは確かだけどさ、それでもちょっとくらいはこっちとの連携とか考えてもいいだろうによぉ…………。

 俺は頭が痛くなるのを感じながら、先を行くアッシュの背中を見据えた。そんな俺に、ジェイドが苦笑を漏らす。

「まあ、とりあえずアッシュに合わせる形で、ガイとルークも動いて下さい。基本は先程話した通りの方針で、お願いします」
「ま、それが妥当な所だろうな」
「アッシュが主体かよ……まあ、あいつとの連携は始めてだから、ある意味、仕方ねぇか」

 俺とガイも覚悟を決め、それぞれ別方向から、荒れ狂う暴風に立ち向かう。


 ───ここに三度目となる、響奏行使者との戦闘の幕が上がった。


  * * *


 風は其処にある。

 大気を満ちる流れ、偏差より生じる揺らぎ。

 世界に存在するありとあらゆるものが、風の中で生きている。

 風は乱れない。

 風は掴めない。

 風は穿てない。

 故に、風は四属性において───最強足り得る。

 第三奏器───《風刃》ロストセレスティ。


 烈風のシンクが駆る武器の名が、それだった。


 * * *


 速い。

 思考を占める単語は、ただ一言に埋めつくされる。

 自らの認識を超えた速度で、深緑が視界の端を揺らぐ。

 揺らぎを認識した瞬間──俺は本能に突き動かされるまま剣を突き出す。しかし、絡み付く風が俺の身体の動きを阻害する。頭の命じた行動から、一泊遅れで突き出された剣先は虚空を射抜く。

 外した。そう理解するよりも先に、本能が俺に告げる。

 ──来るっ!

 吹きつける風が勢いを増す中、絡み付く風を強引に振り切って、俺は身体の位置をずらす。

 視界の端に映る仮面。唯一さらけ出された口元が笑みに歪み、逆手に握られた刀身が降り下ろされた。

 大気を切り裂く烈風。

 生じた真空の刃が地面を穿つ。俺の身体が一瞬前まであった場所に、あまりにも鋭利な切り口が刻まれる。生じた余波によって、俺の身体にも無数の裂傷が刻まれたが、この程度の傷に意識を割いているような余裕は存在しない。

 傾けた身体の勢いもそのままに、俺はその場から全力で横に飛ぶ。

「遅いね」

 吹きつける風が勢いを増し、俺の動きを阻害するように足元に絡み付く。だが、ここに居るのは俺だけじゃねぇっ!

「くたばれっ!」

 動きの止まったシンクに向けて、アッシュが剣を薙ぎ払う。

 って、その技は、ヤバ……っ!? 俺は激しく動揺しながら、慌ててさらに間合いを離す。

 俺が地面を蹴るのとほぼ同時に、アッシュの技が完成する。

《──烈震!》

 突き出された剣先が大地を穿ち、放たれた衝撃波が虚空を駆ける。

《────天衝!!》

 刀身に収束された音素が広範囲に衝撃波をまき散らし、シンクに突き進む。

「ふん……この程度!」

 シンクが《風刃》を握った片手を前方に突き上げる。刀身から発生した真空波が、地を這う衝撃波とぶつかり合って、一瞬で相殺される。

「まだまだ遅いね」
「───テメェがなっ!」

 衝撃波によって巻き上げられた粉塵に紛れ、アッシュが渾身の刺突を放つ。迫る剣先が相手に触れたかと思われた瞬間───再びシンクの姿が掻き消える。

「ほら、やっぱり遅い」

 アッシュの背後で、烈風が囁く。

「っ!? ────ちっ!!」

 振り返りざまに切り上げられた斬撃は、やはり何者も捉えることはできなかった。

「やれやれ、手応えが無さ過ぎだよ」

 相手の姿を見失った俺たちに向けて、嘲りの声が届く。

 いつのまにか、最初の立ち位置に戻っていたシンクが、馬鹿にしたように肩を竦めて見せた。

 明らかな挑発を前に、しかし俺たちの口から反論がなされることはなかった。

 なぜなら、これが戦闘が始まって以来、初めて、俺たちが敵の姿をまともに視界に捉えた瞬間だったからだ。

 ラルゴの操る焔は全てを燃やし尽くす───圧倒的なまで火力だった。

 リグレットの操る氷は一点に研ぎ澄まされた───正確無比な氷弾だった。

 しかし、シンクの操る風は、そのどちらとも異なる性質を備えていた。

 腕の振り上げ、足の踏み出し、地を蹴る重心の乱れ───あらゆる動作に、シンクの全身を覆う風が僅かな後押しを加える。これまで他の六神将が振るっていた力と比べると、あまりに些細な力に思えるかもしれないが、結果として、シンクは絶対的な《速さ》を手に入れた。

 言葉にすると地味に聞こえるかもしれないが、これは単純な攻撃能力よりも厄介だった。攻撃が届くなら、まだやりようがある。だが、誰も追いつけない速さを前には、いかなる攻撃も意味を無さない。

 その上、吹き荒れる風は敵対者にも絡みつき、細かい動作を阻害する。それは力を込めればたやすく振り払える程度の拘束だったが、それでも相手の速さに対応するには、致命的な動作の遅れを生んだ。

 何人も追いつくことさえ許されない───人間の限界を超えた速さ。

 それこそが、第三奏器がシンクに与えた力だった。

「いや、僕が強くなり過ぎたのかな? どっちにせよ無様な事だね。はははっ!」

 逆手に握った深緑に染まるロストセレスティの刀身を掲げ上げ、シンクが口元をつり上げ笑う。その様子に、ジェイドが言っていた触媒武器の使用者は、精神が不安定になるという推測が思い出された。

 そして、昂揚する精神が、確かに無視できない類の隙を生じさせた。

「一人で笑ってるんだな」

 シンクの背後で声は響く。気配を殺し移動を続けていたガイの姿が、そこにはあった。

「───秋沙雨っ!」

 突き出された刀身が霞むと同時──収束された音素によって、視認不可能な領域にまで引き上げられた無数の突きが放たれる。

 だが、その切っ先も、虚空を射抜く。

「残念だったね」

 一瞬にしてガイの背後に回り込んだ烈風が拳を放つ。無防備な背中に突き当てられた拳を起点に、暴力的なまでに高まった突風が、ガイの身体を空へと吹き飛ばす。盛大に空中を舞ったガイの身体が、地面に落ち───

「まだだ───裂空斬っ!」

 地面に叩きつけられる寸前で、ガイが身体をひねり足先から着地、そのまま地面を蹴って、一足飛びにシンクとの間合いを詰め、回転の勢いもそのままに刀を振り下ろす。

 この行動は予想外だったのか、初めてシンクが回避ではなく、刀身で受けることを選択する。

 金属同士が擦り合う、耳障りな高音が周囲に響く。

「へぇ……なかなか速いじゃないか」
「そいつは光栄だな。だが、俺はまだまだ本気じゃないぞ?」

 交錯する刀身越しに放たれた明らかなガイの挑発に、シンクが興味深そうに口元をつり上げる。

「面白い。──なら、どこまで着いて来れるか見て上げるよ」

 押し合う刀身から力を抜くと同時、シンクの姿が掻き消える。

 逆巻く風がガイを中心に荒れ狂う。視認不可能な速度で、ガイの四方から無数の斬撃が放たれる。弧を描くようにして放たれ行く神速の連撃を前に、ガイが吼える。

「まだまだ遅いなっ!」

 挑発混じりの宣言と同時に、凄まじい速度でガイの剣先が翻り、放たれる斬撃を次々と弾き返す。加速度的な勢いで、ガイの全身に無数の裂傷が刻まれていくが、それでも急所への一撃は確実に防いでいるのがわかる。

 だが、防戦一方に回っていることに変わりはない。このままでは、限界もそう遠くないはずだ。

 援護に向かおうと駆け出した俺を、しかしガイは呼び止める。

「俺に構うな! 任せたぞっ!」 

 俺が時間を稼ぐ間に、策を練れ。力強く語る瞳に押されて、俺も自らの足を止める。

 冷静になれ。ガイの言葉は正しい。ただ闇雲に向かったところで、このままでは勝機を見出せない。ならこの場で最善の行動とは──勝機を作り出すことだ。

 俺はこの場で誰よりも冷静に戦況を把握しているだろう相手に向けて、歩み寄る。

「……どうする、ジェイド?」

 厳しい表情でガイとシンクの高速戦闘を見据えるジェイドに、俺は硬い声で問いかける。それにジェイドが自分の考えを喋りながらまとめるように、ゆっくりと口を開く。

「……これまでの相手のように、圧倒的なまでの量の音素に頼った、純粋な力押しの攻撃なら、まだ付け入る隙がありました。しかし、ただ速いということが、これ程までに厄介とはね……」

 ジェイドの発言を受けて、他の皆が次々と自身の状態を申し出る。

「譜術で狙いつけても、放った後で、かわされちゃうなんて、ちょっと反則すぎるよ!」
「矢は風に阻まれ、そもそも攻撃を放つ事さえ不可能ですわ」
「……後衛の攻撃力が、完全に無力化されているわね」

 そう、後衛からの攻撃はシンクに届かない。何ともデタラメな話だが、攻撃が放たれたのを目で見て確認した後で、シンクは軽々と攻撃の軌道から身を引き、悠然と回避する。

 しかし解せないことに、もはや無力化された後衛に向けて、シンクの方から攻撃を仕掛けてくるような気配は無い。

「……私たちに狙いを付けないのは、相手にまだ慢心がある証拠ね」

 つまり、いつでも潰せる相手よりも、今は自分の動きに着いて行けるガイとの戦闘に御執心ってことか。

「最悪だな……完全に嘗められてるってことか」
「ええ、でもそこに付け入る隙があるかもしれない」

 確かにな。その余裕があるからこそ、俺たちはこうして策を練る事ができているんだ。なら、今はありがたく受け取って、その過信を覆す方策を考えさせてもらうまでだ。

「とりあえず相手の足を止めない事には、後衛はどうしようもないって俺は思うんだが……何か策はあるか、ジェイド?」

 ずっと無言のまま皆の言葉を聞いていたジェイドが、初めて顔を上げる。引き結んだ口を開き、顔の前で指を一本立てて告げる。

「一瞬です。一瞬でいいので、相手の動きを止めて下さい。その後なら、私が何とかして見せます」
「わかった。任せろ」

 即答した俺に、ジェイドが僅かに表情を崩して、お願いします、ともう一度繰り返した。ジェイドにしては珍しい行動だったが、それだけ要求された事柄の困難さが伺える。

 視線の先では、逆巻く風と同化するように凄まじい速度で戦場を駆け巡る烈風の姿があった。今はガイに合わせて動いているため、辛うじて目で追う事も可能だったが、本気を出したとき、俺は相手の動きを視認することすら出来なくなる。

 そんな相手の動きを止める。

 あまりにも、困難な要求だった。

 だが、絶対に達成不可能な事を、ジェイドは要求しない。その難しさを知った上で、ジェイドが俺に求めた指示だ。

 なら、俺は覚悟を決めて、要求に答えるまでだ。

「……話は、まとまったのか?」

 静かに佇んでいたアッシュが、俺に声を掛ける。

「ああ。とりあえず、相手の動きを止めるのを目指すことになった」
「ふん……策とも言えんような方針だが、無いよりマシか」

 アッシュが吐き捨てると同時、今にも突進せんばかりの勢いで構えを取る。

「って、だから、一人で突っ込むなって! まだ説明の途中だ、アッシュ」
「ちっ……何だ?」

 忌ま忌ましげに俺を睨み付け、アッシュが不承不承ながらも動きを止める。

「ただバラバラに向かって行くだけだと、さっきみたいに個別に潰されて終わりだと思うんだよ」

 おそらく今のシンクの反応速度をもってすれば、如何に多数で襲いかかろうとも、連携がなってない個の集まりでは、幾ら人数が居ても、常に一対一で戦っているのとさして変わらないはずだ。

「……確かにな。続けろ」

 偉そうに促す相手にムカツキを覚えるが、今はこいつの協力も必要だ。

「だから、俺なりに考えてみた。俺もガイの隙を補う形で前に出て、相手の意識を分散させる。二人係で何とか相手に隙を作るから、アッシュ。お前は相手に隙が出来る──その瞬間を見計らって、相手の動きを拘束するような地属の大業を放ってくれ」

 アッシュがピクリと片眉を上げ、俺の本気を伺うように目を覗き込む。

「能無し……テメェ、本気か?」

 アッシュの瞳には明らかな疑念が浮かんでいた。

 だが、それも当然だろう。

 ラルゴと違い、シンクの操る風は一撃一撃の攻撃の威力はそう高くはないようだが、その分身体能力の向上が凄まじい。一歩一歩の移動にも身にまとう風が後押しを放ち、神掛かった起動を可能にしている。

 そんな相手の動きを止めるには、かなり綱渡り的な行動を取る必要が合った。

 まずそれなりに連携の出来る何人かで前に出て、相手の意識を引きつけその動きを限定する。続いて、中距離に控え攻撃の推移を見据えていた者が、隙が出来るであろう瞬間を見計らって───予測による攻撃を、事前に放つ。

 予測が失敗すれば、シンクの気を引いていた者達にも、攻撃は命中する。

 よほど信頼できるような相手にしか任せたくないのが正直な所だ。アッシュ自身、そんな重要な役を普段から目茶苦茶言ってる相手に任せる俺の言葉が信じられないのだろう。

 しかし、今は好き嫌いを言ってられるような状況じゃない。

「後衛があの高速戦闘に合わせのは無理な話しだろ? なら、俺たちのどっちかが音素収束させて、大業を放つしかない。そして俺とお前じゃ、ガイとの連携に慣れてるのは俺の方だ。消去法で、後はお前しか残ってない。なら、任せるしかないだろ?」

 淡々と事実のみを告げる答えに、一瞬黙り込んだ後で、アッシュが俺に視線を合わせる。

「てめぇの指図は受けん……と言いたい所だが、そうも言ってられないか。
 能無し、シンクの動きを止めたと確信した瞬間、心の中でいい。俺に向けて叫べ」

 不可解な要求に、俺は首を捻る。確かに単純な合図があるだけで、成功率が上がるのは確かだが、声を掛け合うような暇はないはずだ。それに、心の中だって?

「声に出さなくてもいいのか?」
「ああ。それで十分だ。あとは、できる限りシンクに視線を据え続けろ。俺がテメェに要求するのは、それだけだ」
「まあ、よくわからん指示だが、努力するよ」

 奇妙な指示に困惑しながら、とりあえず同意を返す。俺が頷いたのを見やると、アッシュがいつもの調子で憎まれ口を叩き始める。

「俺の足だけは引っ張るなよ、能無し」
「はっ! そっちこそしくじるなよ、このデコッパゲ」
「で、デコ……!? ちっ……くたばれ、クズがっ!」

 動揺するアッシュに多少満足感を覚えながら、俺はガイの下に駆ける。

 視線の先で、ガイとシンクの二人は互いに剣戟を交わしている。生来の素早さをもって次々と放たれるガイの連撃を、しかしシンクは軽々と捌く。

「遅い、遅い、遅すぎるね。そんなんじゃ、一生僕を捉えることすらできないよ?」

 口元をつり上げ、シンクが余裕そのものと言った感じで嘲り笑う。

 はっ、その慢心が、どこまで続くか見せてもらおうかっ!

「──こいつはどうだっ!」

 剣を打ち合わせる二人の間に正面から突進する。意表をつかれたように僅かに身体を退く相手を追って、剣先を下方に逸らしながら、刀身に収束させた音素を広範囲に解き放つ。

 ───魔王絶炎煌

 刀身から放射状に放たれた焔が、周囲の空間を焼き尽くす。

 猛り狂う焔が相手を飲み込んだ──そう思った瞬間、相手の姿が掻き消える。

 ついで響いた声は、俺の背後から響いた。

「受けてみな」

 足元に、展開された譜陣が視界の端に移る。これは、マズっ、避け───

「───昴龍礫破!」

 引き出された音素が、爆発的な勢いで荒れ狂う。解き放たれた力は暴風となり、背後から突き出された拳を伝って、俺の脇腹を穿つ。

「くっ!!」

 辛うじて引き寄せた刀身を中心に、衝撃が突き抜ける。生じた突風に切り刻まれながら、俺は苦悶の声を漏らし、少しでも技の威力を殺そうと後方に飛ぶ。

 しかし、俺の一撃も無駄にはならなかったようだ。

 技を放つ際、空中に僅かに飛び上がったシンクの背後。剣を振り上げるガイの姿があった。

「───虎牙破斬っ!!」

 切り上げが相手の刀身に防がれる。だが同時にたたき込まれた蹴りに体勢が崩され、切り下ろしが命中する。

 その一撃はシンクの周囲を渦巻く風の障壁に弾かれ届かなかった。だが、とりあえず今は効くかどうかは関係ない。僅かに硬直したように身体をのけぞらせた相手を見すえ、俺は覚悟を決める。

 この相手の動きを───今こそ止める!

「行くぜっ!!」

 地面に接触するまでに低く腰を落とす。剣を握った腕を限界ギリギリまで背中に引き絞り、地を駆ける。視線の先には未だ空中に浮かぶシンクの無防備な姿。

 ───飛燕!

 全身のバネを利用しながら、引き絞った刀身を虚空に浮かぶ相手に向けて放つ。甲高い音を立て刀身が弾かれるが、その勢いすら利用して独楽のように回転、続けざまに怒濤の連撃を叩きつける。

 ───瞬連斬!!

 一撃、ニ撃、三撃、四撃───

 流れるようにして放たれた無数の斬撃が、シンクの全身を虚空に縫い付けたまま切り刻む。相手にダメージは与えられていないようだが、それでも間断なく放たれる連撃を前に、シンクは停滞を余儀なくされる。

 最後に渾身の切り降ろしを叩き込みながら、俺は心の中で叫ぶ。

 ───隙を作ったぞっ、アッシュ!!

 最後の一撃の反動を利用して俺が間合いを離すと同時、後方からアッシュの裂声が轟く。

「上等だ、能無し! ──来やがれっ! 地の顎!」

 地面に突き刺された剣先を中心に、溢れ出す第二音素が地を駆ける。

《──魔王っ!》

 隆起した地面が牙となって、シンクの身体を捉える。

《────地顎陣!!》

 虚空より降り下ろされた斬撃が牙にとらわれたシンクに命中──仮面が音を立て爆ぜ割れた。

「がぁっ!?」

 短い苦悶の声が上がる中、地面から伸びるアギトは尚もシンクを拘束したまま離さない。

 シンクの動きはこの瞬間、完全に停止した。

「これを待っていた! 行きますよ、アニス!」
「了解、大佐!」

 ジェイドとアニスを中心に、爆発的な勢いで音素が収束する。複雑な詠唱を唱え始めるジェイドに先んじて、まずアニスの譜術が完成する。

「なんでもかんでも降りそそげ───ロックマウンテン!」

 虚空に収束した第二音素が巨大な岩石の鉄槌となって、シンクに降り注ぐ。次々と降り注ぐ落石の衝撃を前に、風の勢いがごっそりと削り取られ、一気に衰えて行く。

 そして、絶妙のタイミングで、ジェイドの譜術が完成する。

「この重力の中で悶え苦しむがいい───グラビティ!」

 空間が、歪む。

 超重力の軛が地を穿ち、降り注いだ落石の上に広がる領域は全てを押し潰す。円球状に広がる領域は、その内に存在するありとあらゆるものを捻じり、引き裂き、押しつぶして行く。

「ぐぁぁあぁぁぁぁぁっ────…………っ」

 蹂躙される空間の中心で、一際高い絶叫が上り──


 雷の閃光が、全てを覆す。


 超重力の楔が完全に崩壊し、現れたシンクを中心に、突風と放電が周囲を荒れ狂う。

「──いい加減、うざったいんだよっ!!」

 額から鮮血を滴り落としながら、素顔を露わにしたシンクが嵐の中心で叫ぶ。

「連撃、行くよ!!」

 逆手に握られた刀身は深緑に染め上げられ、荒ぶる乱流の息吹がシンクの両腕に収束する。

《──疾風!》

 収束する風に混じり放電する両腕が、わずかに後方に引き絞られる。

《────雷閃舞!!》

 両腕を起点に発生した雷と暴風の鉄槌が、無防備になった後衛に向けて、解き放たれた。




 * * *




 結論から言うと、シンクの攻撃は命中した。

 だが───それだけだった。

 暴風は絶妙のタイミングで出現した障壁に遮られ、届かなかった。

「なっ……!?」

 シンクが驚愕に目を見開く中、障壁の向こうから声が届く。

「………崩落の衝撃にすら耐えぬいたユリアの譜歌。
 さすがの触媒武器による一撃も、破る事はできなかったようですね」

 メガネを押し上げ、ジェイドがしてやったりと笑う。

「過信が過ぎましたね。たとえ触媒武器を用いた一撃だろうと、譜歌の障壁は敗れない。これは既にセントビナーにおける攻防でも、証明されていることですよ?」
「!? ディストの奴か!」

 ティアの奏でた譜歌による障壁が、触媒武器を用いた秘奥義級の一撃にも有効なことは、ディストの操る譜業兵器との戦闘において既に証明されていた事柄だ。展開のタイミングさえ掴めれば、防ぐことは可能だった。

「いや……でも、前衛まで障壁は届かなかったみたいだね」

 ジェイドの解説を聞くうちに、多少は冷静さを取り戻したのか、シンクが周囲を見やる。

 言葉通り、障壁の及ぶ範囲に居なかった前衛たる俺たちの間には、決して少なくない負傷が見える。

 俺やガイは放電の余波をモロに喰らってしまった。今は地面に剣を突き刺して、何とか身体を支えているような状態だ。アッシュなどはさらに酷い。ちょうど立ち位置が後衛の延長上に居たもんだから、脇腹を嵐に多少もっていかれている。

 そんな満身創痍の俺たちに向き直り、シンクが自身も負傷に呼吸を荒らげながら、ゆっくりと拳を構え直す。

「こいつらの息の根を止めるぐらいなら、それこそ一瞬で……」
「やれやれ。これまで何が起きたのか、わざわざあなたに説明していた理由が、わかりませんかね?」
「なんだって……?」

 肩を竦めて見せるジェイドの意味深な言葉に、シンクが思わず拳の動きを止めて聞き返す。

 そして、詠唱は此処に完成する。

「優しき癒しの風よ───ヒールウインド!」

 どこか温かい治癒の風が俺たちの間を吹き抜ける。ナタリアの放った治癒術によって、俺たちの負傷は急速に癒されていく。

「詠唱の時間を稼ぐ為に、決まっているじゃありませんか?」

 ニヤリと口端をつり上げ、ジェイドがこれまでの行動の真意を告げる。

 シンクが呆然と回復する俺たちを見据えた後で、我に帰って、大きく首を振りながら叫ぶ。

「でも、まだだ! 確かにこっちも負傷はしたけど、もう同じ手は喰わないよ。あんたらが僕の動きについて行けない事に変わりはないんだ。一撃離脱を繰り返して、確実に止めを……」

 言いながら一歩足を踏み出した所で、シンクが不可解そうに眉根を寄せる。全身を覆う風の流れが、先程までと比べて、明らかに停滞しているのが傍目にもわかった。

「風の動きが……鈍い? ───っ!? さっきの譜術か!」
「ええ、先程私の放った譜術の追加効果に、対象の移動速度を削るというものがあります。
 ───つまり、あなたの特性は既に死んだも同然と言うことですね」
「くっ……」

 ジェイドの畳みかけるような宣告に、ギリギリとシンクが歯を食いしばる。

「では皆さん、一気に行きますよ!」

 ジェイドが詠唱を始める。

 額から血を滴り落とすシンクに、俺たちも剣を構えて向き直る。

「くっ……嘗めるなっ!」

 シンクが逆手に握った剣を構えると同時、剣を中心に音素が収束する。荒れ狂う風が再び周囲に放たれる寸前、攻撃の気配を事前に感じ取ったガイが飛び出す。

「させるか──弧月閃っ!」

 一瞬で間合いが消失。抜き打ちを放たれると同時に、返しの刃が降り下ろされ、シンクの肩を穿つ。

 斬撃自体は身にまとう風に弾かれ届かなかったようだが、それでもシンクは攻撃が自らに命中した事実に対して、屈辱に打ち震える。

「ぐっ……! この程度の攻撃が、避けられないなんてね……」

 ガイの攻撃自体は認識していたようだが、身体がまるで反応に追いついていないようだ。

「異常なまでの速さが無くなったと言っても、風の障壁とか、馬鹿げた量の音素はまだまだ残ってるんだ。二人とも、油断するなよ!」

 ガイが忠告を飛ばしながら、シンクに張りつく形で、次々と攻撃を仕掛けて行く。だが未だ残る風の障壁が、斬撃をそう簡単には通さない。

「……さすがに硬いか」

 呟きながら構えを取るアッシュに、俺は思い付いた言葉を掛ける。

「アッシュ。とりあえず、俺も前に出るからさ。お前もさっきやったみたいに、機を見て地属の技で援護してくれよ」

 見た限り、かなり効いてるみたいだったしな、と言葉を続けようとした所で、アッシュが黙り込んで、俺を睨んでいることに気付く。

「あん? なんだよ?」
「……ふん。何も考えてないだけか。バカは気楽で結構だな」

 何やら俺の真意を確かめるように目を覗き込んだ後で、口元で小さく吐き捨てる。

 よくわからんが、バカにされたことだけは確かなようだ。ムッとする俺に向けて、アッシュが同意を返す。

「いいだろう。だが、テメェに手を貸すのは、これが最後だ。それを忘れるなよ」

 あくまで反発するアッシュに、俺は今度こそ苛立ちを通り越して呆れ果てた。

「お前さ、いつまで意地はってるつもりだよ。いい加減、俺に当たり散らすの止めてくれ。正直、お前の態度は俺には到底理解できねぇぜ」
「……テメェみたいな、お気楽野郎に、わかってたまるか」

 吐き捨てるアッシュに、俺は言葉を返そうとするが、それを遮って相手は一方的に告げる。

「援護はしてやる……行ってこい」

 いまだ釈然としないものが残ったが、その言葉を最後に会話を打ち切り、俺もガイに混じってシンクの追撃に加わる。

 俺とガイがシンクに張りつく形で動きを拘束し、機を見てアッシュが中距離から音素を載せた一撃を放つ。さらに移動速度が落ちたことで、後衛から放たれる譜術もシンクに命中するようになった。

 先程までと違って、俺たちの攻撃は確実に相手に届き、ダメージを蓄積させて行く。

 次々と繰り出される攻撃を前に、シンクは一方的に押され続け───遂に限界が訪れた。

「ば、バカな……この僕が、負ける?」

 積み重なった負傷と疲労感に、シンクがその場に膝を着く。

「ここまでだな」

 シンクの前に立ち、俺は剣を構える。

 顔を歪め、シンクが憎悪に燃える瞳で俺を睨み返す。

 ……未だに慣れない行為だが、それでも俺は覚悟を決める。

「これで……終わりだっ!」

 振り上げた剣がシンクの首を斬り飛ばそうとした、そのときだ。

 意外なところから、制止の声が届く。

「待ってください、ルーク!」

 進み出たイオンの言葉に、俺は困惑する。

 だが、相手の瞳に浮かぶ真剣な思いに、気付けば剣を引いていた。

「どういう、つもりだ……?」

 シンクが苦痛に顔を歪めながら、イオンに問いかける。

「シンク、僕らは同じ存在です。なら、あなたも僕たちと一緒に……」

 懸命に呼びかけるイオンに、シンクが顔を憎悪に歪める。

「───ありえないね」

 明確な拒絶が返された。

「それだけは、絶対に……無いよ」

 顔を俯け、拳を握りしめるシンクに、俺は思わず問いかけていた。

「……どうして、そこまでして、お前はヴァンに仕えるんだよ?」
「違うね。僕の望みとヴァンの目的が、たまたま同じ方向にあった。それだけだ」

 僕らは互いに利用しあっているに過ぎない。そう答えた後で、シンクが俺を見据え、悪意に満ちた笑みを浮かべる。

「レプリカルーク、僕は預言してやるよ。
 あんたはきっと、この世界に絶望する。
 この世界には端から救いなんか存在しないんだ。崩落を治める? 障気に対処する?
 全て、無駄だよ。笑っちゃうね。そんな小さい事に幾ら対処しようが、何も変わらない。
 だって、この世界はどうしょうもない程に──終わりきっているんだ。
 ヴァンなら、きっとやってくれるはずだ。この無意味な世界から、全てを解放してくれる」

 くくと声を漏らして、シンクが虚ろに笑う。

「どうせ……最後には、みんな消えるのさ」

 絶対的な断絶の言葉を前に、イオンが苦悩に顔を伏せる。

 このまま剣を降り下ろすことに躊躇いを感じていると、俺の肩に手が載せられる。

「……できないなら、退いてろ」

 乱暴に俺の身体を脇に押し退け、アッシュが前に進み出る。

「ここで、くたばれっ!」

 アッシュの突き出した剣がシンクに突き出される。

 刀身がシンクを射抜くかと思われた瞬間───シンクの足元を中心に一瞬で譜陣が展開され、閃光が視界を染め上げる。

『っ!?』

 降り下ろされた剣先が地面を弾く音が、セフィロトに虚しく響き渡る。

 視界が戻ったときには、シンクの姿はこの場から、消え失せていた。

「ちっ……逃がしたか」

 忌ま忌ましげに吐き捨てるアッシュに、俺はイオンを気にしながら口を開く。

「……まあ、殺すまでは行かなくても、あの傷だ。当分戦闘は無理だろうし、今はそれで良しとしようぜ?」

 俺の言葉に、アニスが場の空気を変えようと同意を返す。

「うんうん。アブソーブゲートで総長と対決する頃には、絶対間に合わないだろうしね」
「そうだな。向こうの戦力を削れただけでも、十分な結果だろう」

「ふん……つくづくテメェらは甘いな」

 苦々しそうに俺達を見据えた後で、アッシュは直ぐに遠くを見据える。

「しかし、アブソーブゲートか……残るセフィロトはロニール雪山と二つのゲートだったか?」
「ええ、そうですわ」

 頷く俺たちに、アッシュが何事か考えるように口を閉ざす。

「気付くのが遅すぎたな……こうなったら、奴の誘いに乗る以外にないか。忌ま忌ましい……」
「どういう意味です、アッシュ?」

 訝しげに問いかけるジェイドに、アッシュが俺たちに視線を戻す。

「シンクが風刃を手にしていたのはテメェらも目にしたな? これで遂に六属性の奏器が完成した。第一はお前らが押さえているが、それもさして意味があるとは思えない。地殻に干渉した時点で、おそらく触媒武器の使用目的は果たされているはずだからな」
「では、やはり地殻から触媒武器が吸い上げているのは……」
「ああ、バルフォア博士。あんたの考える通りだろうな。連中が基本的に、パッセージリングに干渉した後で、触媒武器を保持する事にさして拘らないのも、そうした理由からだろう。ただわからないのは、俺たちをどう利用するつもりかって部分だ」

 ……何だか、少し話しに付いて行けないのを感じて、思わず俺の口から言葉が漏れる。

「……さっきから、何の話しをしてんだ?」
「バカは黙ってろ」
「……」

 ったく、こいつはよぉ……! 俺は両腕をワナナカせ、怒りを堪える。

 そんな俺を無視して、アッシュは淡々と続ける。

「そしてアブソーブゲートには、かつてユリアがローレライと契約を交わす際に用いたと言われる譜陣が残されているらしい。奴があの場所を指定したのにも、何がしかの理由が存在するはずだ。安易に奴の誘いに乗るのは危険だが、もはやそうも言ってられなくなった。俺はお前らが残るパッセージリングを操作している間、そっち方面のことを、もう少し探って見るつもりだ」

 珍しい事に、今後自分がどう動くつもりなのか、アッシュが俺たちに教えて来た。

 だが直ぐに言うべきことは言い切ったと、アッシュはそのまま俺たちから離れる。

「待てよ、アッシュ」
「……何だ、能無し」

 苛立たしげに振り返った相手に、俺はアッシュの脇腹の傷を示す。

「その傷、かなりの重症だろ?」
「……」

 最初の秘奥義級の一撃が脇腹を抉ったのは確認している。戦闘中に放たれたナタリアの治癒術である程度は回復しているだろうが、それも一時的に傷口がふさがっているにすぎない。

「無理するな。治療ぐらい受けていけよ」
「いらん! ……俺に、構うな」
「どっちにしろ、外に出たらまた別行動になるんだ。なら、パッセージリングの操作してる間ぐらい、我慢しろ。……あんまり、心配掛けるもんじゃねぇぞ?」

 すぐさま否定しようとする相手に、俺はナタリアの方を示して、小声で引き止める。

 尚も抵抗しようとしたアッシュに、絶対に逃れられない一撃が放たれる。

「アッシュ……」

 ナタリアが不安そうに揺らめく瞳をアッシュに向け、小さくその名を呼んだ。

「くっ……わかった。付き合ってやるよ! だが、さっさと操作を済ませろよ、能無しっ!」

 乱暴に言い捨てるアッシュに、俺はざまぁ見ろと意地の悪い笑みを返す。

 ま、普段馬鹿にされまくってんだ。これぐらいの仕返ししてもバチは当たらんだろ。

 アッシュに効果的な一撃を加えたことに、俺は多少気分が軽くなるのを感じながら、鼻唄まじりにパッセージリングの操作を開始するのだった。


 * * *


 外に出ると同時、遥か遠くに小さな点が見えた。

 土煙を舞上げ、近づく存在はどうやら馬車のようだ。

 その姿を認識した瞬間、既に俺たちの目の前に、馬車は到着していた。

 凄まじい音を立てて、馬車が急停車する。舞い上がる粉塵が視界を覆い隠し、馬車がかなりの速度から一気に止まったことを俺たちに理解させる。

 あまりに唐突な馬車の登場に、目を点にして見据える俺たちの前で、馬車の幌から顔が外に出る。飛び出した顔を目にした瞬間、俺は声を出して叫んでいた。

「って、お前ら漆黒の翼かよ!?」

 露出の高い服を着込んだ、確かノワールとかいう女頭目が、しなを作りながら首を傾げる。

「あらん。坊やたちじゃないの。でも今日は、あなたたちはお呼びじゃないわん。アッシュの坊やは居るかしらん?」

 ノワールの口からアッシュの名前が出た瞬間、ナタリアのまなじりがつり上がる。

 背中から冷たく突き刺さる視線を感じとってか、アッシュがどこか狼狽したように、早口になってノワールに応じる。

「な、何の用だ? 今回は、お前らを呼んだ覚えは無いが……?」

 いったいどんな関係だと、周囲から怪訝な視線が注がれる中、二人は会話を続ける。

「当然ねん。だって、呼ばれてないもの」
「なら、どういうことだ?」

 御者台から身を乗り出して、ウルシーが肝心の用件を告げる。

「アッシュの旦那、どうも各地にあるオラクル支部に動きがあったようでげす。あの人の予測だと、オラクルから離脱せずに潜伏してた過激派の連中だろうって話でして、万一の場合を考えると、やっぱり旦那の手も借りたいそうでげす」
「何……過激派が? わかった。案内しろ」

 即座に同意を返すアッシュに、ウルシーがへいと頷く。

 そんな三人の会話を聞いてるうちに、両者の関係を何となくだが理解した。

「アッシュ、お前、こんな奴らを仲間にしてんのか?」
「ふん。仲間じゃねぇ。こいつらは金さえ払っている内は、信用できる相手だからな。それに……」

 一瞬だけ言葉を切って、俺に視線を向ける。

「何だよ?」
「……何でもねぇよ」

 どこか釈然としないものを感じたが、確認を取る暇も無く、アッシュは続ける。

「パッセージリングの操作はテメェらに任せた。だが、気を付けろ。今回、お前らは正面から触媒武器を持った相手を倒したんだ。今度は連中も本気でかかってくるだろう」

 アッシュの忠告に、俺たちも気を引き締める。

 確かに、これまでは六神将の連中は俺たちを軽視していたように思えるが、触媒武器を持った相手を倒したんだ。これまでのようには行かないだろう。

「セフィロトを回ってる以上、次の目的地は連中にも知れていると考えるのが自然だ。
 ロニール雪山……決して、油断だけはするなよ」

 最後にそう忠告すると、アッシュはさっさと馬車に乗り込んだ。

 そのまま別れの言葉を掛ける間もなく馬車が走り出し、アッシュはこの場を去った。

「……行っちまったか」

 見る見るうちに小さくなっていく辻馬車を、少しの間見送った後で、俺は気を取り直すように声を上げる。

「次は、いよいよロニール雪山か」

 次なる目的地に話題を移し、俺たちは今後の行動方針を確認し合う。

「近くにあるケテルブルクには、確か触媒武器を研究してた奴が住んでたんだよな?」

 地殻に突入する前、ダアトで詠師の一人が言っていた言葉を思い出す。

「……そうですね。ケテルブルク知事に聞けば、何かわかるかもしれません」

 どこか反応の鈍いジェイドの様子に違和感を覚えるが、それを確認する前に、ガイが口を開く。

「ケテルブルクはカジノでも有名な街だ。俺としてはそっちも楽しみだね」
「ガイ、不謹慎ですわよ!」
「でもでも、カジノだよ! 一攫千金だよ! ぐふふふふ……」

 ちょっと怪しい目で遠くを見据え始めたアニスの様子に、正直、俺たちはかなり引きました。

「あんなに嬉しそうに笑うアニスの顔を見るのは、久しぶりです」
「……どっちかって言うと、欲望にまみれた顔だと思うぞ」

 このままではいつまで経っても収集が着かない事を悟ってか、やれやれとジェイドが口を開く。

「ま、息抜きも重要ですからね。雪山に行くにも色々と準備が必要になります。少しぐらいなら自由行動する時間もあるでしょうね」

 ジェイドの保証に、ガイとアニスが目を輝かせる。

「やったね!」
「ああ……腕が鳴るな」

 意気揚々と言葉を交わし合う二人を見据えながら、俺は首を捻る。

 カジノってのが何する場所かよくわからんのだが、そんなに楽しい場所なのかね?

「僕もカジノに興味あるですの!」
「まあ、あれだけ騒がれりゃあ、俺もさすがに気になってくるけどな」

 何となしに応じた俺の言葉に、ティアが胡乱な視線を向けてくる。

「……ルークがカジノをするのは、かなり不安ね」
「へ? そりゃまた、どういう意味だ?」
「あなた、絶対にのめり込みそうなタイプだから」
「のめり込むって……俺もよくは知らんが、所詮遊びだろ?」

 さすがに不安がられる程はまるとは思えんよなぁと楽観的な言葉を返す俺に、ティアが尚も問い掛ける。

「なら、一つ聞くけど……ルーク、あなた勝負は勝つまで止めないでしょ?」
「そりゃ当たり前だ。負けっぱなしのままで居られるかってんだ!」

 漢には、決して引けない時があるってもんだぜ!

「……やっぱりね」

 力強く宣言する俺に向けて、ティアは処置無しといった表情を浮かべると、肩を竦めて離れて行った。

 はて、結局どういうことだったんだろうな? 耳をピクピク動かす小動物二匹と顔を見合わせ、俺は一人首を傾げるのだった。





 後日、ケテルブルクのカジノにて、伝説のカモが誕生したとか、しなかったとか。


「あと一回! あと一回で、絶対勝てるんだっ! だからもう一勝負させてくれっ!」
「……ばか」


 ……流れる噂の真偽は定かではない。



[2045] 6-3 水に浸かり、火と踊る
Name: スイミン
Date: 2006/12/14 01:48
 鉛色に染まった曇天から、果てることなく雪は降り注ぐ。

 白一色に染まった大地の上に立ち、俺はおもむろに顔を上げ、

「ぶっえぇっ───っくしょっんっ!!」

 盛大にクシャミをかますのだった。

「あーっ…………さ、寒すぎる…………」

 ってか、ぶっちゃけこの寒さは有り得ねぇーっ! 寒すぎるにも程があるだろがっ! バナナで釘が打てるからどうしたぁーっ! どんな大自然の脅威だっつーのっ!!

 って、ううっ……寒さのあまり、思考が空転してやがる。愚痴でさえも意味わからんものしか出て来ない。その上を考える気力までもが無くなってくるぜ……

「やれやれ、皆さん軟弱ですねぇ」

 一人ピンピンしているジェイドが困ったものだと、肩を竦めて言い放ちやがった。

 いや、雪国育ちのジェイドは寒さに耐性あるんだろうが、俺はこんな雪国来るのは初めてなんだ。無理言うなと怒鳴り返したくなるよな。…………まあ、口を開くだけで寒くなるからしねぇがな。

「とりあえず、知事邸に向かうとしますか」
「もう何でもいいから、とっとと室内に入りてぇぜ……」

 ひっきりなしに上下する歯を噛み鳴らし、俺はぶるぶる震える身体を両腕で抱え込む。

「まったくもう……そんな格好をしていれば当たり前でしょ?」
「うぅっ……面目ねぇ……」

 いつもいつもすまねぇな、ティアさんよ。俺は目尻を押さえ、漢泣きをするのだった。

 俺の反応にティアは呆れたようにため息をつくと、何かを思い出すように視線を上向かせた。

「……確か、あなたがお父様にもらったコートがあったわね。上から羽織ってみたら?」
「おおっ! ナイスだティア、そんなもんが確かにあったよな」

 うう、サブサブとつぶやきながら、俺は荷物から取り出した真紅のコートを身にまとった。このコートを初めてマトモに着たのがこんな理由だってのが、何とも浮かばれない話だがな。

「……まあ、腹筋だしてるいつもの服装がおかしいんだけどな」
「何度注意しても、ルークはあの服装を止めようとはしませんでしたものね」
「ぶっちゃけルークの服装センスって有り得ないよね~」

 着替える俺の脇で交わされた三人のボヤキは聞こえない。俺の革新的な感性を理解しない愚民共の言葉など、聞こえない。聞こえないったら聞こえないのだ。

「そうでしょうか? 僕はカッコいいと思いますけど……」


『え?』


 とりあえず、俺とイオン以外の全員が声を上げた、とだけ言っておく。


               * * *


 知事邸への訪問は思ったよりもスムーズに進んだ。何でも前回訪れたナタリア達が言うには、ジェイドの知り合いが知事の代行をしているらしい。

 だが単なる知り合いという訳でもないらしい。その証拠に、屋敷に仕える使用人たちはジェイドの姿を目にすると、すぐに目礼を返し、それが当然のように通りすぎていく。

 疑問に思った俺が詳しい話を聞き出す前に、執務室に辿り着く。

 軽いノックの後、扉が開かれた。

 部屋のほとんどの面積を占める執務机に腰掛け、金髪の女性が手にした書類から顔を上げた。メガネ越しに見える瞳が大きく見開かれ、開かれた口が言葉を紡ぐ。

「……お兄さん?」
「久しぶりです、ネフリー」

 どこかとぼけるように、ジェイドがメガネを押し上げた。そんな相手の態度に、彼女は僅かにまなじりを下げ、苦笑を浮かべる。

「来るなら事前に連絡してくれれば、港まで迎えに行ったのに」
「すみません。なにぶん、今は非常事態ですからねぇ」

 親しげな空気の中で、会話が重ねられて行く。そんな二人の様子を見据えながら、俺も彼女がジェイドとどんな関係なのか理解した。

「はぁ……あのジェイドに妹なんて居たのか……」

 心底感心して唸る俺の反応に、ジェイドが人を食ったような笑みを浮かべる。

「心外ですねぇ。一応私も人の子ですよ? 血縁者の一人ぐらい居ますよ」
「いや、一応って……」

 やれやれと肩を竦めるジェイドに、ガイが顔を引きつらせた。

 まあ、叫んでおいてアレだが、確かにジェイドの言う通りか。

 一人納得する俺を余所に、ジェイドが肝心の用件を切り出す。

「ここに来たのは他でもない。ロニール雪山の状況を聞いておきたいと思ったからです。何かわかる事はありますか?」
「セフィロトの件ね。それなら陛下から聞いているわ。確か気象観測班の報告があったはず……あった。地震の影響で、雪崩が頻発しているみたい。でもここ一週間程天候は比較的安定しているわ。山に向かうなら、今が一番ちょうど良い時期かもしれないわね」
「なるほど。さすが仕事が早いですね」

 感心したようにジェイドが頷き、口を閉じる。

 しばし沈黙が続くが、一向にもう一つの件を切り出そうとしない。

 珍しい事だが、何ともジェイドの様子に煮え切れないものを感じて、とりあえず俺はネフリーさんに向き直る。

「あーと、ネフリ─さん。実はもう一つ尋ねたい事があるんですが」
「はい、なんでしょうか?」
「昔、オラクル騎士団の団員だった人がこの街に住んでたと思うんですけど、その人の事についてちょっと尋ねたいんですよ」
「オラクル騎士団の団員について……ですか?」

 意外な質問だったのか、一度こちらの質問を繰り返した後で、ネフリーさんは書類の山の一つに手を伸ばす。

「住民台帳を見ればわかると思いますけど……その人の名前は?」
「ゲルダ・ネビリムって人なんですけど……」

 その名前を聞いた瞬間、ネフリーさんの表情が劇的に変化する。目が見開かれ、僅かに開かれた唇は動揺に震える。

「ネビリム先生の……ことですか」
「まあ、ご存じですの?」

 相手の反応に驚くナタリアに、ネフリーさんは自身を落ち着けようとするかのように、胸の前に手を置いて、数度深呼吸繰り返す。

「……ネビリム先生は教団から還俗された後、この街で私塾を開いていたんです」

 やや躊躇った後で、ネフリーさんは先に続く言葉を告げた。

「私も……兄も先生の教え子です」
「ええー! 大佐知ってたんじゃないですか!?」

 どうして教えてくれなかったのかと訴えるアニスに、ジェイドは軽く肩を竦めて見せた。

「すみません……ピオニー陛下はともかく、ディストと机を並べたことは私の人生の汚点ですからねぇ」

 身も蓋もない返しに、誰もが呆れたように口を閉ざす。

「しかしディストはともかく、皇帝陛下も教え子だったのか? こりゃ驚いた」
「陛下は軟禁されていたお屋敷を抜け出して、勝手に授業に参加されていたのです」
「屋敷を抜け出してねぇ……どっかで聞いたような話だな」

 ガイから向けられる視線に、俺はあさっての方向を向いて顔を逸らした。どこで聞いた話しかは、言うまでもないだろう。

 そのとき顔を逸らした先で、ネフリーさんが僅かに表情を曇らせ、ジェイドを見据えていることに気づく。どこか相手を心配するような色合いと、それ以外の感情が絡み合った複雑な視線が、ジェイドに向けられる。

 浮かんだ感情の意味を俺が理解する前に、話しがズレてきたのを感じ取ったティアが、再度ネフリーさんに問いかける。

「それで、あの、ネベリムさんの遺品などは……?」

 感情は一瞬で消え去り、ネフリーさんは冷静に答える。

「ネビリム先生に関する資料は、随分昔にマルクト軍の情報部が引き上げて行ったと聞いています」
「マルクト軍が……!? ……なぜ、先生の資料を……?」

 ジェイドが動揺を瞳に浮かべ、小さく叫ぶ。

 軍部が直接動くなんて言うのは、どう少なく見積もっても真っ当な話ではないだろう。しかも相手は触媒武器の研究者でもあるのだ。……マルクト軍が研究対象として、目を付けたってことだろうか?

「私にわかることはそれくらいです。詳しい話は、陛下に聞く以外にないでしょう」

 考え込む俺たちの気を取りなすように、ネフリーさんが話をまとめた。それを受けて、ジェイドも動揺を振り払うかのように、首を左右に降る。

「先帝時代の研究には、未だ正確に把握できていないような暗部が多数残っています。そうした現状を考えると……確かに、陛下に頼る以外になさそうですね。やれやれ、厄介なことだ」

「暗部ねぇ……いったい、どんなことやらせてたんだ?」
「戦時下というのは、どのような狂気も容認されてしまう場所ですからね」

 知らない方が良いでしょう、とジェイドはガイに否定を返した。

 その後も幾つか雪山に関する注意事項を受け、そろそろ退室する流れになった。

「不慣れな雪山に向かうのです。出発にも準備が必要でしょう。ホテルの部屋をお取りしておきますので、いつでもお立ち寄り下さい」
「助かります」
「それではまた後で、ネフリー」

 ジェイドを先頭に、俺たちは順番に部屋から外に出る。

 最後尾の俺が部屋を出ようとしたところで、ネフリ─さんが小声で囁きかける。

「……すみませんが、お話がありますので、後ほどお一人でいらして下さい」

 へっ、一人で? ……正直、よくわからない誘いだった。

 どういう意味か尋ね返そうとしたところで、相手の顔に浮かぶ真剣な表情に気づく。

 ……何か理由があるってことだろうか?

 結局、俺は声に出さず、ネフリーさんに静かに頷き返していた。

 ネフリーさんとの遣り取りで、少し皆に続くのが遅れたが、特に誰からも不審に思われることもないまま、俺たちは知事邸から外に出る。

 押し寄せる冷気が肌を撫でる中、ジェイドが真っ先に予定を決める。

「では、早速準備に取りかかりましょう。とりあえず、このリストにあるものを、手分けして揃えて下さい」

 差し出された紙切れには、雪山で必要そうな物資が書き出されていた。

「さすがに抜かりがありませんわね」
「何と言うか、こういう点は用意周到だよな」
「さすがですね、大佐♪」
「いえいえ、そんなに褒めないで下さい」

 どこか惚けた遣り取りをした後で、俺たちは広場でそれぞれ割り振られたものを揃えに、別れて行った。

 皆が去ったのを確認すると、俺はひとり知事邸に戻る。

 お待ちしておりました、と知事邸の扉が内側から開かれた。

 執事らしき人に案内されながら、いったい何の話しだろうかと考えながら、俺は執務室に再び足を踏み入れた。

「このような手間をおかけして、すみません。どうぞ、おかけになって下さい」

 ネフリーさんは俺の姿を認めると、執務机の脇に設置されたソファーを促し、自身も対面に腰を掛ける。

 俺は肝心の用件が何かわからなことに困惑を感じながらも、とりあえず腰を落ち着ける。

「それで、話しって……?」
「……あなたがレプリカだと聞いてから、どうしても兄のことを話して置かなければ、と思っていたんです」
「レプリカだと聞いて……ですか?」

 俺がレプリカだって事と、ジェイドの話しがどう繋がるんだろな?

「よく話しの筋が掴めませんが、いったいどんな話しを俺に……?」
「兄が何故、フォミクリーの技術を生み出したのか、です」

 ───フォミクリーの開発者、ジェイド・バルフォア博士。

 僅かに身を硬くする俺の前で、ネフリーさんは天井を仰ぎ、遠くを見据える。

「今でも覚えています。私が大切にしていた人形が壊れたとき、兄はそれを複製してくれたんです」
「人形……」

 あのジェイドにしては随分と似合わないことをする。最初に浮かんだのは、そんな感想だった。同時に、告げられた事実に僅かな引っ掛かりを覚える。

「……人形一つ複製する為に、フォミクリーなんて技術をわざわざ開発したんですか?」

 割に合わないような気がする。そんなことをするくらいなら、同じ人形を買い直した方が早いだろう。

 だが、事実は俺の予想を超えていた。

 いいえ、とネフリーさんはその顔に僅かに畏怖を浮かべながら、言葉を続ける。

「兄は壊れた人形を確認すると、その場で、壊れる前の人形のデータを抜き出して、同じものを《復元》したのです。兄はそのとき、九歳でした」
「し、信じられねぇ……」

 ジェイドの頭が良いのはこれまでの旅路でも思い知っていたが、あいつそこまでの天才だったのか。純粋な驚きを感じる俺の反応に、しかしネフリーさんは違うものを見たようだ。

「そうですよね。技術もですけど、普通なら同じ人形を買う。兄は複製を作った……その発想が普通じゃないと思いました」

 僅かに俯けられた顔に蔭が落ちる。俺は少し間を置いた後で、相手の言葉を繰り返す。

「普通じゃない……か」
「……今でこそ優しげにしていますが、子供の頃の兄は悪魔でしたわ。大人でも難しい譜術を使いこなし、害のない魔物たちまでも、残虐に殺して楽しんでいた……兄には生き物の死が理解できなかったんです」

 相手の顔に浮かぶのは……畏怖の感情だった。確かに肉親としての情を感じる一方で、彼女がジェイドにどんな感情を抱いているのか、他人である俺にも理解できた。

「そして、そんな兄を変えたのはネビリム先生です。先生は、第七音素を使える治癒士でした。兄は第七音素が使えないので、先生を尊敬していました。そして……悲劇は起こった」
「悲劇?」
「兄は第七音素を使おうとして、誤って制御不能の譜術を発動させたんです。兄の術はネビリム様を害し、家を焼いてしまいました」

 彼女の瞳に、焔に揺らぐ家が映し出される。

 白銀の世界。燃え盛る一軒の家屋。倒れ伏す女性にすがり付く子供と、冷静に観察する子供。

「……そして、事故の直後、今にも息絶えそうな先生を見て、兄は考えたのです」

 フォミクリーという技術の開発。天才的な頭脳。死を理解できない兄。

 導き出される推測は、一つしかなかった。

「まさか……」
「ええ。今ならまだ間に合う。レプリカが作れる。そうすればネビリム様は助かる。そう考え、兄はネビリム様の情報を抜き、レプリカを作製したのです。でも……誕生したレプリカは、ただの化け物でした」

 告げられた事実の重さに、俺は僅かに躊躇いながら問いかける。

「本物のネビリムさんは?」
「亡くなりました。その後、兄は才能を買われ、軍の名家であるカーティス家へ養子に迎えられました。たぶん、兄はより整った環境で、先生を生き返させるための勉強がしたかったんだと思います」

 思い出すのはセントビナーの城門前で、ディストの吐き捨てた言葉。

 ───私が何をしようが、あなたには関係がないでしょう。

 ───ネビリム先生を諦めた……あなたには。

 生体フォミクリーの使用は、現在では禁忌とされている。第一音機関研究所でそう耳にした事がある。他の誰でもなく、開発者にあたるバルフォア博士がそれを定めたと。

「でも今は……生体レプリカを作るのをジェイドは止めた」
「ええ。ピオニー様のおかげです。恐れ多いことですが、ピオニー様はあんな兄を、親友だと言ってくださっています」

 僅かに表情を緩めた後で、どこか躊躇うようにネフリーさんは続ける。

「でも、本当のところ……兄は今でも、ネビリム先生を復活させたいと思っているような気がするんです」

「……そんな事は無いって、俺は思いますよ」

「そう……ですね。私の杞憂かもしれない。それでも私は……あなたが兄の抑止力になってくれたら、と思っているんです」

 俺がジェイドの抑止力になる? 俺程度にそんな事ができるとは到底思えないんだがな。少し考え込んでいるうちに、彼女は時計に視線を送る。

「……少し長くなってしまいましたね」

 彼女は何かを振り切るように、小さく首を振る。

「話を聞いて下さって───ありがとうございました」

 俺の顔を正面から見据え、彼女は感謝の言葉を最後に告げるのだった。


               * * *


 知事邸から外に出た所で、まるで待ち構えていたかのように佇むジェイドの姿があった。

 向こうも俺の姿に気づき、その顔に自嘲混じりの苦笑が浮かぶ。

「ネフリ─から話しを聞きましたね」
「……ワリィ、何か、俺だけに話したいみたいだったからな」

 俺は話を持ちかけられたことを言い出せなかった事実に後ろめたさ感じる。だがジェイドはそんな俺を特に咎めるでもなく、僅かに顔を逸らす。

「一応言っておきますが、私はもう先生の復活は望んでいませんよ。私は……先生に許しを請いたいんです。自分が楽になるために」

 ジェイドの言葉からは、普段はまるで感じられない感情の波が、確かに露わになっていた。

「そのために、随分と酷い事もしてきました。しかし、レプリカに過去の記憶は無い。結局どうしたところで、私の害した先生は、許してくれようがない。
 私は一生過去の罪に苛まれて生きるんですよ」

 どこか冗談めかした仕種で、ジェイドは肩を竦めて見せた。

 だがどう言ったところで、語られた言葉に込められた本気だけは、誤魔化しようがなかった。

「罪か……それってジェイドがネビリムさんを……殺しちまったことか?」

「そうですね……それもあります。ですが、すべての大本にあるのは、人が死ぬ事なんて大した事ではないと思っていた過去の自分、なのかもしれません」

 ジェイドが、かつて俺に告げた言葉が胸に蘇る。

「後悔に区切りはない……か」

「そうですね。あなたが一番よくわかっているでしょうが、過ちを隠すための言い訳などに力を入れてしまうと、人はどんどんそちらに流されてしまう。言葉にすれば単純な事ですが、結局の所、受け入れなければならない事は、きちんと受け入れなければならないのでしょうね」

 何度も言い聞かせたことをそらんじるかのように口にすると、ジェイドは顔を上向かせ、空を見上げる。向けられた瞳に映るものは、過ぎ去った日々の記憶だろうか。

 俺もジェイドにならって、降り止まぬ雪空に視線を移す。

「……すげぇ、難しい事だけどな」
「……ええ。一番簡単でありながら、同時に一番難しいことですね」

 深々と降り注ぐ粉雪が、風に吹かれ、ゆっくりと虚空を舞った。


               * * *


 シャリシャリと踏みしめた先が音を立て、雪の上に軌跡を残す。

 時折吹き抜ける冷たい風が、女の泣き叫ぶ声のように聞こえる。

 ロニール雪山は一年中絶えることなく雪が降り注ぐ場所だ。降り積もった雪も相当なものがあるんだろう。下手な街道以上に凝り固まった雪の大地の上を、俺たちは進む。

 ケテルブルクでの準備はかなり早い段階で整った。その後は皆が揃うまでの間、街を見学していたりしたのだが、暇を持て余した俺たちはとりあえずカジノとやらに向かった。そこで何があったかは……まあ、押して知るべし。

 ともあれ、俺たちは街を発ち、パッセージリングのあるロニール雪山を進む。

 セフィロトへ続く扉の位置もわかっている。これはイオンが六神将にさらわれて、各地にあるダアト式封呪を解除させられていた際、扉のある場所を記憶していたからだ。

 俺たちはイオンの案内の下、最短距離で雪山を突き進み、セフィロトの扉を潜った。

 円を描くような通路をひたすら進み、設置されたリフトを降りたところで、パッセージリングに到達する。

「さて、ルーク。早速すべてのセフィロトを、アブソーブとラジエイトの二つのゲートに連結させて下さい」
「ああ、わかったぜ」

 いつものように超振動を発生させて、俺は残るセフィロトをゲートに連結させる。

 これまでひたすら続けてきた作業だ。もはや自分の超振動の制御にも、特に不安は抱かない。だが、これがゲートを除けば最後ということもあって、俺は慎重に作業に挑む。

 パッセージリングに浮かぶ円に超振動が干渉し、すべてのセフィロトがゲートに連結された。

「……ふぅ。終わったぜ」

 額に浮かぶ汗を拭って、俺は皆を振り返る。

 ───激しい振動が、セフィロトを襲う。

『なっ!?』

 俺たちは訳もわからぬまま、その場に足を踏みしめ、振動に耐える。

 振動そのものは直ぐに収まったが、操作直後に起きた事態だけに、激しい動揺が俺を貫く。

「……まさか、俺がしくじったのか?」

 俺の疑問には答えず、ジェイドが制御盤を慎重に確認する。

「これは……やってくれますね、ヴァン謡将」

 厳しい表情で面を上げるジェイドに、皆が不安に揺らぐ瞳を向ける。

「……どういうことだ?」
「アブソーブゲートのセフィロトから、記憶粒子が逆流しています。連結した全セフィロトの力を利用して、地殻を活性化させているのです」
「兄さんが……。でも、どうして……? 記憶粒子を逆転させたら、兄さんのいるアブソーブゲートのセフィロトツリーも逆転して、ゲートのあるツフト諸島ごと崩落するわ」
「いえ、今は私たちによって、各地のセフィロトの力がアブソーブゲートに流入しています。その余剰を使って、セフィロトを逆流させているのでしょう」

 一旦言葉を切った後で、ジェイドは最悪の事態を告げる。

「落ちるなら───アブソーブゲート以外の大陸だ」

 言葉を失う俺たちの中で、アニスが何かに気づいてか、蒼白になった顔で声を上げる。

「ねぇ! 地殻はタルタロスで振動を中和しているでしょ? 活性化なんてしたら……」
「……タルタロスが壊れますね」
「冗談じゃねぇぜっ……!」

 タルタロスが壊れたら、地殻の振動が復活する。そうなったら、俺たちがこれまでしてきた事は全て無駄に終わる。降下した先で、大地は地殻に飲まれ消えるだろう。

 ここに来て、こんな思い切った手を打って来るとはな……。或いは、端からこうするつもりだったからこそ、奴は俺たちの行動にさして注意を払わなかったって事なのかもしれない。

 アッシュの言葉じゃないが、これでヴァンの誘いに乗る以外になくなった。

「……アブソーブゲートで待つ、か」

 セフィロトから立ち上る音素の光が天上に行き着き、瞬き消えた。


               * * *


 もはや一瞬と言えども時間が惜しい。俺たちはセフィロトを駆け戻り、外に飛び出す。

 頬に吹きつける冷気に一瞬息を止めた後で、雪原に足を一歩踏み出す。

 ───殺気が、背中を駆け抜ける。

 本能に任せるまま、その場を飛び退くと同時、飛来した銃弾が雪を弾く。

 弾丸の放たれた方向に視線を向ける。そこにはこちらの動きを牽制するように、硬い表情のまま譜銃を構えるリグレットの姿があった。そして彼女以外にも、六神将が二人存在する。銃を構えるリグレットの前方に槍を構えたラルゴが、そのさらに後方に不気味な人形を抱える少女──アリエッタの姿もあった。今回は魔物を連れてきては居ないようだ。

 雪原に布陣する六神将を前に、俺たちも陣形を整えながら、それぞれ武器を構える。

「……教官」
「ティア、最後の機会だ。私達の下に来なさい」

 手を差し出すリグレットに、ティアは僅かな迷いも見せず、毅然と否定を返す。

「兄の理念は、やはり私には理解できません。兄を止める事ができない自分も歯痒いけど……兄を止めようともしないあなたも……軽蔑します」
「……ならば、もはや私も容赦はすまい。シンクを退けた今、お前達は閣下の敵となり得る唯一の存在だ。見逃すことはできない」

 翼の如き形状をした譜銃が蒼く染まり上がる中、リグレットが冷徹な光を瞳に宿す。

「……そういうことだ。お姫さまはお城で大人しくしいればよかったものを、な」

 ラルゴの挑発に、ナタリアが視線を吊り上げる。

「私を侮辱しないで! 私には父の代りに、全てを見届ける義務があるのです!」
「……父、か。……相容れぬのであれば、力で粉砕するまでだな」

 ラルゴが真紅の槍を肩に担ぎ上げ、闘気を全身から吹き上げる。

「イオンさま……邪魔、しないで……」

 人形越しに、アリエッタが泣きそうな顔で訴える。

「どうして……どうして、イオン様が総長の邪魔をするの? 以前のイオンさまはそうじゃなかったのに……」

 たとえ真実を知らない故の言葉と言っても、あまりに残酷な言葉だった。イオンが苦しげに顔を上げ、アリエッタと視線を合わせる。

「アリエッタ、僕は……」
「イオンさま!」

 先に続く言葉を、アニスが強引に押し止める。

「アリエッタなんかにお話しする必要なんてないですよ!」

 一方的に捲くし立てながら、小声で囁く。知らなくてもいいこともある。そうアニスの口は小さく動いた。

 身を寄せ合い密かに言葉を交わす二人を前に、アリエッタがもう我慢ならないと声を張り上げる。

「アニスは黙ってて! 今はもう、導師守護役でもないのにっ! どうして、アニスなの!! どうして、アリエッタじゃないの!!」

 アリエッタの叫びに、アニスは唇を引き結んで答えない。以前なら罵り返して当然の遣り取りもなりを潜め、今は叩きつけられる言葉に顔を俯け、ひたすら耐える。

「……どちらにせよ同じことだろう。導師以外の者たちに、ここで死ぬ以外の道はないのだからな」

 ラルゴが僅かに顔を逸らし、首に掛けたペンダントを手に握る。

「その通りだ。閣下に仇なす者は───ここで殲滅する!」

 リグレットが宣告すると言葉に、六神将が動く。

「塵も残さぬ程、焼き尽くしてやろう!」

 ラルゴが突貫する。逆巻く火焔が槍の先端に収束、巨大な切っ先が形成され、俺に向けて降り下ろされる。

「冗談っ──!」

 こんな馬鹿力を正面から受けてたまるかよ!

 降り下ろされる切っ先をかいくぐり、俺は前方に踏み込む。前髪を掠め通り、地面を焔が穿つ。放たれる熱波を側に感じながら、俺は最小限の動きで回避する。攻撃がかわされた事実にラルゴが舌打ちを漏らし──ふと、僅かに視線を後方に流す。

「ルーク!」

 警告に身体が無意識のまま反応、ラルゴの見据える方向とは反対側に身体を動かす。

 飛来した無数の氷の弾丸が大地を穿つ。吹きつける凍気に、ラルゴの放った火焔の名残は一瞬で凍り付き、結晶となって砕け散った。

「雹雨に射抜かれ、散りなさいっ!」

 後方のリグレットが圧倒的な速度をもって次々と銃撃を放つ。氷雨の如く圧倒的な量の散弾が降り注ぐ中、俺はとっさに引き寄せた刀身に音素を収束。火焔をまとわせた斬撃をもって、降り注ぐ弾丸に対処する。

 ……って……こりゃ……切り、ねぇぞっ!

 氷の銃弾一発一発の威力はそれ程でも無く、俺でも防ぐことが可能だったが、一度に放たれる弾丸の量が尋常ではない。おそらく一発毎の威力を犠牲にする代わりに、氷の弾丸を形成する速度を上げているのだろう。

 荒れ狂う暴雪風ブリザードのごとき氷の銃弾は、怒濤の勢いで次々と押し寄せる。

 今は辛うじて防ぐ事に成功しているが、このままでは捌ききれなくなるのも時間の問題だった。なら避ければいいと思うかもしれないが、一度足を止めて受けに回ってしまった以上、そう簡単には行かない。機を見てこの場から動こうにも、俺を狙い打つ氷弾の勢いは一向に衰える様子を見せない。

「なら俺が……──っ!?」

 視界の端で、リグレットに斬りかかろうとしたガイが突然動きを止める。金属同士が噛み合わされる高音に混じって、ラルゴの声が届く。

「この先は通さん。この凍てついた地では、俺も全力を出すという訳には行かないからな。その分、壁としての役目は果たさせて貰おうか」
「くっ……邪魔をするなっ!」
「無理な相談だな」

 目まぐるしい勢いで刀身が翻り、ガイの斬撃が放たれる。だがラルゴは攻めに回ること止め、ただひたすら相手を拘束する事に意識を傾け、攻撃を受け流す。時折ガイの斬撃が相手の身体を掠めるが、それも相手の全身を覆う陽炎の如き焔に弾き返され、届かない。

 そして、敵の追撃は止まらない。一人詠唱を続けていたアリエッタが、俺を睨み据える。

「行きます! 魔狼の咆哮よ───ブラッディ・ハウリング!」

 死に物狂いで銃弾を弾く俺の足下に、譜陣が展開される。具現化された闇の牙が、俺を噛み砕かんと口を開く。って、これを受けるのはさすがにまずいっ! ちっ……ここはある程度の負傷を受けるのは仕方ないと割り切るしかねぇか。

 俺は一撃を受ける覚悟を決めて、その場から飛び退く。

 背後で闇の牙が虚空を噛み砕く音が響き、回避に成功したことを伝える。しかし譜術の回避を代償に、体勢を崩した俺に向けて、リグレットの放った銃弾が無慈悲にも降り注ぐ。

 くっ……耐えられるのか? 迫り来る銃弾が俺を射抜くかと思われた───そのときだ。

「させません! 怯まぬ魂への賛美──」

 ナタリアの両腕から生み出された白き焔が矢弦を伝って、鏃の先端に収束する。引き絞られた弦が限界を向かえ、ここに焔をまといし矢は放たれる。

《──ファランクス!》

 烈火の閃光が戦場を駆け抜ける。一撃が空間を駆け抜けた後、一瞬遅れで、リグレットの放った氷の散弾は悉く燃やし尽くされ、露となって虚空に消えた。

 ナタリアの援護によって作り出された隙を見逃さず、俺も一息に敵から間合いを離す。

 不発に終わった譜術にアリエッタが悔しそうに顔を歪め、リグレットが獲物を逃したことに僅かに眉を上げた。

 全ては一瞬の攻防だった。

 ラルゴが前衛で壁となって、獲物を分断。分断された相手に、リグレットが後方から銃弾を狙い撃つ事で動きを拘束し、致命的な隙が出来た所でアリエッタが譜術を放つ。

 まさに嵌まれば必中の布陣。あのまま抜け出せなければ、確実に殺られていた。

 背中を伝う汗が、いやに冷たく感じられる。

 その後も六神将の厄介な戦術を警戒するあまり、俺達前衛は積極的な行動に出られないまま戦局は進んだ。結果として、純粋な力に勝るラルゴの猛攻を前に、俺たちは防戦一方に回るしかなかった。

 どうもこれまでの相手の動きを見る限り、雪山ということもあってか、ラルゴは触媒武器から引き出す焔の力をセーブしているようだ。また、リグレットもタメの時間を必要とするような強力無比な一撃は、未だ放って来ていない。

 何ともお寒い話だが、相手にまだまだ余裕があるって言うのに、俺たちは押される一方だ。それでも今の所は、俺たちも辛うじて相手の攻勢をしのぐことができている。

 だが、それも全ては今の所は、という脆い前提の上に立っているに過ぎない。いつ相手が全力を出してもおかしくないのだ。このまま行けば、確実に押し切られるだろう。

───ルーク、聞こえますか───

 幾度目かの攻防の後、耳元で囁かれるようにして、ジェイドの声がいやにはっきりと耳に届いた。一瞬幻聴かと疑いを持つが、確かめるようにジェイドに視線を向けると、静かに頷き返してきた。

───マーキングの応用で、鼓膜に直接振動を送り届け、声として認識させています。声は出さず、聞いて下さい───

 頷き返すと同時に、ジェイドの説明が始まる。

───こののままでは、押し切られるのも時間の問題です。そこで私は直接戦闘に参加するよりも、戦況を見据え、皆に指示を出すことに専念します。不可解に思えるものもあるでしょうが、これからは極力、私の出す指示に従って、動いてください───

 この行き詰まった状況を打開できるって言うんだ。なら、俺たちに否もない。

 ジェイドに指示された通り、俺たちは一旦後退して、陣形を整える。

 中心にジェイド、左右にナタリアとティア、前には俺、ガイ、アニスが並び立ち、柔軟な対処が可能な体勢に移行する。

「……陣形を変えたか」

 一斉に動いた俺たちを前に、リグレットが僅かに眉根を寄せた。

「ふん……幾ら小細工を弄しようが、無駄だっ!!」

 立ち上る闘気が光を放つ。ラルゴが自らに定めていた枷を僅かに緩め、槍から引きずり出した豪炎を全身にまとわせる。

───ルーク、右後方に移動、その後に反転して下さい───

 何をと思う間もなく、俺はジェイドの指示に従い動く。

「───火竜槍っ!!」

 迫り来る熱波が俺たちの肌を焼く。炎槍は轟音と共に突き出された。

 だが──

「何っ!?」

 槍の穂先は俺の身体を掠めもせずに、見当違いの方向を射抜く。攻撃が放たれるよりも先に身体を動かし、安全圏に逃れていた俺を見据え、ラルゴが驚愕に声を漏らす。

 相手は攻撃を繰り出した直後の硬直を見せ、まさに格好の的となった。しかし、俺はそんな相手に反撃するでもなく──ジェイドに指示に従い、そのまま相手に背を向け走り出す。

「なっ!? ぐっ……馬鹿にするなっ!!」

 挑発的な行動に、ラルゴが頭に血を登らせて吼える。引き上げられた槍が真紅に染まり上がり、膨大な量の焔が穂先の一点に収束する。

 そして、俺に攻撃を放つことに意識を取られ、全身にまとう焔の勢いを衰えさせたラルゴの背中で、拳が唸りを上げる。

───今です、アニス───

 ラルゴの背後に回り込んでいたアニスの譜業人形から、音素を集束された拳が放たれた。紫雷の閃光が荒れ狂い、ものの見事にラルゴの身体は吹き飛んだ。

「……ぐっ! ……おのれ、小癪なマネを……っ!!」

 リグレットの立ち位置まで飛ばされたラルゴが、槍を地面に突き立て怒りの声を上げた。意識的に触媒武器の力を押さえ込んでいた影響か、譜業人形による拳の一撃は確実にラルゴに届いたようだ。

 ……まあ、それでもまるでダメージを受けてる様子が見えないんだから、泣けてくる。本当に化け物が過ぎる相手だぜ。

───ガイは後衛、アリエッタに気配を殺して接近。ルーク達は彼の援護をお願いします───

 了解と声には出さず応じて、俺は正面のラルゴ、後方のリグレット、アリエッタ、全員の位置関係を把握。全員の動きを止め、ガイが接近する隙を作り出すべく行動に移る。

 雪原を駆ける。フォン・スロットを解放する。取り込んだ音素を刀身に音素を収束させる。

「貫け──閃光っ!!」

 刀身に収束された音素が膨大な光を放ち、一本の槍を形成、目標に降り下ろされる。

《──翔破!》

 振り降ろした一撃は戦場の中心、無人の雪原地帯・・・・・・・ を穿つ。

《────裂光閃!!》

 荒れ狂う衝撃波に大量の雪が舞い上がり、視界を覆い隠した。

 ラルゴとリグレットが舌打ちを漏らし、背中合わせに周囲を警戒する。

「え……?」

 突然、視界を奪われたアリエッタが一人、戸惑うような声を上げると同時。

 彼女の背後に降り立つ影は、優しく終わりを告げた。

「───すまないな」
「きゃっ!」

 アリエッタの背後に回り込んだガイの柄頭の一打が、アリエッタの意識を刈り取った。

「……やるな。だが、まだ甘い!」

 肩幅に両足を開き、リグレットが銃身に膨大な量の音素を収束させる。周囲を包む凍気がより一層激しさを増し、凍結した空気中の水分がダイアモンドダストの輝きを放つ。

「させない! 堅固たる守り手の調べ──」

 ──クロァ──リョ──ズェ──トゥエ──リョ──

 歌い上げられる譜歌に混じって、リグレットは無慈悲に宣告する。

「凍り尽くせ───ブリジット・ソロゥ」

 凍気の弾丸が放たれた。掠め通る地面に氷柱が軌跡となって残り、通りすぎた後の大気が凍り尽く。何人にも防ぐことができない無形の弾丸は一直線に後衛に向けて突き進み───

 ──レィ──ネゥ──リョ──ズェ──

 間一髪でティアの譜歌が完成する。

 障壁にぶち当たった無形の弾丸は、内に秘めた凍気を周囲にまき散らす。絶対零度の空間が世界を白に染め上げ、障壁の輪郭を沿うようにして、無数の氷の柱が生み出された。刃の如き氷柱の先端はビキビキと音を立てながら成長し、障壁を破ろうと牙を伸ばす。

 だが、それでも譜歌による障壁は破れない。

───ルーク、ガイ、アニス。一旦後方に下がって下さい───

 ジェイドの指示に従い、俺たちも深追いは避けて、突出しすぎた分の間合いを戻す。

「ええいっ! ならば全力で打ち倒すのみだっ!!」

 もはや埒が開かぬと、ラルゴが力を抑えることを放棄した。冗談じみた量の音素が槍から引きずり出される。渦を巻く火焔がラルゴの全身を包み、より一層激しく燃え盛る。

「焔よっ唸れぃっ!」

 逆巻く火焔を全身にまとわせながら、紅蓮の焔に染まり上がりし槍を構え、ラルゴが突進する。一歩足を踏み出す度に、周囲を熱波が荒れ狂い、大気が悲鳴を上げる。

「待て、ラルゴ! この地形で、それ以上の力は───」

 燃え盛る焔の渦に阻まれ、リグレットの制止は届かない。圧倒的な熱量に空間は軋み、視界を水蒸気が立ち込める中、一撃は放たれた。

「烈火ぁ──衝閃っ!!」

 槍の先端に形成された灼熱の刃が、轟音を響かせながら大地を射抜く。

 手加減無しの一撃に、雪原が比喩など無しに震え上がった。

 だが、この一撃は俺たちに届かなかった。忌ま忌ましげに顔をしかめるラルゴの様子を見る限り、どうやら引き出した力を制御仕切れずに、狙いを外したようだ。その事実に安堵を覚えるよりも先に、状況は動く。

 不気味な地響き音が俺たちの耳を打つ。

───これは……まずい!───

「皆さん、セフィロトに退きますよっ!!」

 珍しいことに、焦燥を顔に浮かべたジェイドが肉声で叫ぶ。相手の有無を言わせぬ剣幕に、俺たちも大急ぎでセフィロトに踵を返す。

「行かせるかっ!!」

 俺たちに追撃をかけるべく、六神将は数歩足を踏み出したところで──その動きが止まる。

 大佐の指示の下、最初にセフィロトへと辿り着いたティアとナタリアが、六神将に向けてそれぞれナイフと矢を投げ放っていた。

「くっ……!!」「ちぃっ……!」

 直撃したところで奏器を操る六神将にとっては、まるで問題にならない程度の威力しかない攻撃だったが、リグレットとラルゴはその場に足を止め、反射的に飛来した一撃を弾く。

 この動作で、二人の追撃は一瞬の停滞を余儀なくされる。

 そして──この一瞬が命運を分けた。

 最後尾の俺がセフィロトに駆け込むと同時───


 押し寄せる雪崩が、全てを飲み込んだ。





               * * * 





「……間一髪だったな」

 かつての戦場を見下ろし、俺たちは目の前の光景に息を飲む。

 既にセフィロトへ続く扉は完全に雪の下に埋もれ、垣間見ることさえできそうにない。雪崩の行き着く先には、底の見えない断崖が暗い穴を覗かせている。

 あの後、辛くも雪崩から逃れた俺たちは、セフィロト内部から地上へ続く通路を探すはめになった。本来なら封呪で閉ざされた入り口以外に、外に通じる場所はないはずだったが、今回は少々事情が異なっていた。

 ロニール雪山のセフィロトは長年の地殻変動に掻き乱され、地上まで突き出した通路も、それなりの数存在したのだ。故に、俺達はセフィロト内部を歩き回り、何とかセフィロトから外に続く通路を見つけ出すことができた。

 わざわざこの場所まで確認に戻ったのは、相手の奇襲を警戒しての事だったが、この分なら確かめるまでもなかったかもしれない。

「みんな……死んじゃったのかな」
「あれだけの質量に飲まれたのです。さすがの六神将も、脱出は絶望的でしょうね」

 敵対していたとはいっても、俺たちの中には深い関わりをもった人間が何人も居る。

 特にイオンの落ち込みようは傍目にも酷いものがあった。結局、アリエッタに真実を打ち明けられなかったという事実が、相当応えているのだろう。

 降り積もる雪が、残酷な優しさもって、全てを覆い隠す。

 雪原を見据えていると、谷間に僅かに差し込んだ光が、落下物に反射して視界に届く。

 ん? 何か落っこちてるのか?

 怪訝に思いながら落下物に近づき、手を伸ばす。拾い上げた手に載るのは、平凡な造りをしたロケットタイプのペンダントだった。雪崩の衝撃でフレームが歪んだのか、中を見ることはできそうにない。

 ……いったい誰の持ち物だったんだろうな。

 ペンダントを眺めていると、不意にそんな疑問が頭を過る。だが、わかったところで、持ち主は今頃雪崩の下だ。

「ルーク、そろそろ行くぞ」
「……ああ、わかった」

 とりあえずペンダントをポケットに突っ込み、そのまま皆の後を追う。

 吹きつける風が悲鳴のような音を立てる。俺は足を動かしながら、僅かに顔を上向かせる。

 視線の先には、間断なく音素を吹き上げる最大セフィロトの一つ、決戦の地───アブソーブゲートがあった。

 かつての師との対決を前に、俺は胸元を押さえ、拳を僅かに握る。

 胸に沸き上がる複雑な感情を抑えるように、俺は一旦瞼を閉じて、空に視線を移す。

 天上から降り注ぐ雪は、一向に止む気配を見せない。

 尾を引く雲の隙間から僅かに覗く光が、弱々しく、地上を照らし出していた。



[2045] 6-4 果てに降る光 ─前編─
Name: スイミン
Date: 2006/12/03 22:54
 すべては終わっていた。


 倒れ伏す赤毛の脇腹から流れ出た赤いものが、地面に広がる。血に濡れた長剣を片手に、詠師服の男は笑う。僅かに離れた位置に、呆然と立ち尽くす男女が五人。燕尾服の刀は腰に繋がれたまま動かず、弓矢を番えるべき王女の手は動揺に震える。人形を抱く教団の少女は目を見開き、長髪の軍人はただ唇を噛む。

 そして、彼女は手を伸ばす。

 倒れ伏す彼の名を呼びかけようと、口を開く。

 詠師服の男が、杖を掲げ上げた。


 ───光の柱が天から降り注ぐ。


 呼びかけは届かなかった。

 誰もが光の柱に射抜かれ、地に伏せる。


 このとき確かに、すべては終わっていた。


 例外は、一つだけ。







             ─────決戦前夜─────







 ────出撃には、もうしばらくの時間が必要です。

 ロニール雪山から戻った俺たちに、ノエルが申し訳なさそうに告げた。

 何でもアルビオールの浮力機関が凍りついて 復旧にはどう少なく見積もっても一晩かかるらしい。ノエルが機体の調整をしている間、俺たちは明日の準備をすることになった。

 だが解散する途中で、イオンの体力に限界が来た。疲労で今にも倒れそうになっているイオンを連れて、俺とアニスは知事邸に向かう。しかし玄関前まで来たところで、イオンが何事か囁くと、アニスが憮然とした顔になって、私はここで待機すると一方的に告げてきた。

 俺は困惑しつつ、とりあえず執事さんに案内されるまま邸宅に足を踏み入れ、客室の一つにエッチラオッチラとイオンを運び込む。持ち上げた身体を寝台の上に寝かしつけ、あんまりにも軽い体重の手応えに、ため息混じりに寝台の主を見やる。

「やっぱり、無理してたんだな」
「すみません……能力はオリジナルと変わらないのですが、体力が劣化していて……」
「……すまん。答えなくてもいいから、今は無理しないで寝てろよ」
「いいえ、言わせてください。おそらく、僕は明日の決戦について行くことはできないでしょうから」

 苦しげな顔を上げ、イオンが上体を起こす。

「僕は導師という地位にありました。しかし、知らされていないことが、あまりにも多すぎる。おそらく、今回のヴァンの行動にも、教団に秘匿されてきた〝何か〟が影響しているはずです」
「何か……」
「そうです。そしておそらく、ヴァンと協力して〝僕達〟を生み出したモースもまた、その何かを知っているはず。だから僕は、全てが終わったそのときには、教団に戻り、すべてを明らかにしたい。……こんなことをあなたに頼むのは、筋違いだということもわかっています。ですが、お願いします」

 俺を見上げるイオンの瞳に、強い意志の光が宿る。

「僕に協力してください、ルーク」
「わかった。俺に任せろ」

 あまりに早い返答に、イオンの瞳が困惑したように揺れる。

「頼みはそれだけか? なら、早く身体休めとけよ。ここで倒れたら意味ないだろ?」
「そ、そのルーク、そんなに早く決めてしまってもいいのですか? 僕の申し出を受けると言うことは……」
「俺にもわかってるって。話がそんなに単純じゃないことぐらいはさ」

 俺は苦笑を浮かべた。イオンが何を危惧しているかぐらいは、俺にもわかる。

 長年教団が秘匿してきたものを明らかにしたいとイオンは言っているのだ。それは確実に、現行教団勢力の反感を買うだろう。一歩間違えば、教団との決定的な対立を生みかねない。

「だけどな。それぐらい、大したことじゃねぇよ」
「しかし……」
「だぁかぁら、仲間だろ? そんなこと気にするなって」

 カラカラと笑い返す俺の顔を見据え、イオンは静かに目を閉じる。

「ありがとう……ルーク」

 最後に小さくつぶやくと、ようやくイオンは寝台に身体を横たえた。そして、少しも間を空けない内に、深い眠りに落ちる。

 あまりに小さい身体だった。

 この小さい身体に、教団の導師として、導師のレプリカとして、いったいどれほどの重責を背負い、苦悩をため込んでいたんだろうな。ここ最近になるまで、自分の在り方なんてものについて、大して悩んだこともなかったような俺には、まるで想像がつかなかった。

「……約束するよ。明日、すべての決着を付ける。だから、イオンは安心して待っててくれよ」

 眠りに落ちた相手に誓いを交わし、俺はイオンに背を向けた。


               * * *


 知事邸を出たところで、所在無さげに佇むアニスの姿があった。路地の隅で不気味な人形を胸に抱いて、何も映らない瞳で空を見上げている。俺とイオンが話すのに、わざわざ席を空けてくれたってことだろうか?

「話は終わったぜ、アニス」
「……なんだ、ルークか」

 こちらを確認すると、直ぐにアニスはつまらなそうに視線を外し、再び空を見上げた。普段ならカチンと来る反応だが、どうにもアニスの様子がおかしいように見える。

「俺で悪かったな。しかし……何してんだ? 空なんか見上げてよ」
「ん、ちょっとね」
「ちょっと……ね」

 どこか気のない返事をする相手から僅かに視線を外し、俺は小さくつぶやく。

「……俺には、落ち込んでるようにしか見えないけどな」

 一瞬驚いたように目を見開くと、アニスはどこか乾いた声で笑う。

「あはは……ばれちゃいましたか」
「普段が元気すぎるぐらいにはっちゃけてるからな」
「こんなに可憐なアニスちゃんに向かって、どうしてそんな事言うかな? でも、ルークも、随分鋭くなったもんだよね~。出会った当初の間抜けっぷりが、アニスちゃん的には懐かしいですわ」
「……ほっとけ」

 しばらく当たり障りのない言葉を交わした後で、アニスがおもむろにつぶやく。

「アリエッタ、結局イオン様のこと、何も知らずに死んじゃったんだなって思ったらさ」

 少し落ち込んじゃいましたよ。アニスは笑って言った。泣きそうな顔で笑ってみせた。

 考えてみれば、イオンとアリエッタの関係は俺とナタリアの関係に似ている。唯一違う点があるとすれば、それは一つだ。

 アッシュは生きているが、オリジナルイオンは死んでいる。

 もしアッシュが死んでいる状態で、自分がレプリカである事実に気づいていたとしたら、俺はナタリアに、自分の正体を告げることができただろうか? それも、自分自身の口で。

 考えたのは一瞬だったが、どれだけ考えたところで、結論は一つしか出そうになかった。

 言える訳がない。少なくとも………俺は言えそうにない。

「……イオンのこと考えて止めたんだろ? なら、そんなに落ち込む必要はねぇと俺は思うけどな」
「そんなんじゃないよ。私はただ、真実を知った後に、アリエッタがイオン様に何を言うか知るのが、怖かった。……それだけ。私は自分が怖かったから、アリエッタの気持ちも、イオン様の決断もぜんぶ無視して、止めたんだよ」

 自嘲するように笑い、アニスは人形を抱く腕に力をこめた。小さな腕に抱かれた人形が、軋んだ音を立てた。

「……結局、俺もイオンの側だからな。アリエッタに負い目はあるけど……仕方ないとしか言えねぇよ。どう言ったところで……結局アリエッタはこっち側には居ないんだからな」

 アリエッタとアニスを明確に区別した発言に、アニスがマジマジと俺の顔を伺う。

「随分はっきりと割り切るね。……結構ルークって、悪人?」
「ま、所詮、チンピラだからな」

 おどけるように手をヒラヒラ振った後で、続ける言葉を言うべきか、言わざるべきか迷う。少し間を空けた後で、結局俺は言っておくことにする。

「まあアニスがどう思ってるにしろ……俺は感謝してんだ。
 イオンが自分自身を否定するようなこと言い出すの止めてくれて、ありがとな、アニス」

 柄にもない言葉をかけた気恥ずかしさに、俺はアニスから視線を逸らす。

 アニスはそんな俺を黙ったまま見据えていたかと思えば、突然顔をくしゃりと歪める。こちら側に走り寄ると、俺の胸を弱々しく叩く。

「……バカだよね、ルークって……ホント、バカだよ……」
「へいへい。俺はバカですよ。だから、まあ……バカの前でぐらい、お前も肩から力抜いとけよ。まだまだ、子供なんだからさ」

 力ない拳を振るいながら、アニスは小さく声を漏らす。

 俺は低い位置にある頭をポンポン撫でて、耳に届く嗚咽は聞こえないふりをした。


               * * *


 アニスと別れて街を歩いていると、ジェイドの姿が視界に入る。腕を組み、どこか懐かしそうに目を細め、雪に彩られた街並みを見据えている。

 無言のまま隣に並び、ジェイドと同じ視点に立つ。雪国であろうとも、そこで生きる人々は変わらない。誰もが日々の生活を精力的に送っている。

「ジェイドでも……故郷って懐かしいとか思うのか?」
「……まあ、懐かしいことは否定しませんよ」

 それだけではありませんけどね、と肩を竦めて見せた。

 そっか、と言葉も短く応じた後で、しばらくの間、俺たちは無言のまま街に視線を据える。

 ロニール雪山に行く前、ネフリーさんから教えられたジェイドの過去。フォミクリーを開発した経緯。そして、初の生体フォミクリー被験者……ネビリムの最後。

 ジェイドにとって、故郷は複雑な場所なんだろうな。

「……出会った当初は、あまり好感が抱けそうにないと思ったのですがね」

 おもむろに口を開いたジェイドが、そんなことを言ってきた。

「どうにもあなたは、私の知人に似ているようだ」
「ジェイドの知り合いに……?」
「ええ。ただの考えなしなのかと思えば、ときに私では及びもつかないような行動に出る。
 理詰めだけでは人は動かない。そんな当たり前の事実を、嫌と言うほど私に認識させてくれる点が、ひどく似ています」

 どこか困った相手を語るように、ジェイドは苦笑を浮かべながら、知人を評してみせた。誰のことを言っているのかは、俺にはわからなかった。だが、それでもその相手がジェイドにとって、単なる知り合いではないことは、俺にも伝わった。

「その影響でしょうか。こうして旅を続けているうちに、あなたのこともそう悪くない……そう思えてきてしまいましたよ」
「へへっ。悪くない、か。ジェイドにそんなこと言われるなんて、光栄だぜ」
「おや? いったい私はどう思われていたのやら、少し複雑な心境ですねぇ」

 少し笑いあった後で、ジェイドが突然真面目な顔になって、メガネを押し上げる。

「……知っていますよ。あなたが、今でも夜中にうなされて目を覚ますこと。あなたにとって、アクゼリュスの崩落は、まだ過去のものではないのですね」

 表情を伺わせないジェイドは、そのまま言葉を続ける。

「それに、盗賊やオラクルを切った夜は、眠れずに震えている」
「……情けねぇ、話しだけどな」

 力なく答える俺に、ジェイドはゆっくりと首を振る。

「いいえ。あなたのそういうところは、私にはない資質です。私は……どうもいまだに人の死を実感できない」

 人の死を実感できない。

 ジェイドにとっての負い目。

「あなたと旅するうちに、私も学んでいました。いろいろなことを、ね」

 微かに口元に笑みを浮かべ、ジェイドは俺に自身の思いを告げた。

「……ジェイドには、俺も感謝してるんだ」

 自然と俺の口は動き出す。普段の自分なら、絶対言えないような言葉が紡ぎ出されて行く。

「ジェイドが居なかったら、俺、いろんな事を見過ごしてただろうからな」

 ジェイドは俺が判断に迷ったとき、いつも何らかの道を示してくれた。簡単に答えだけを提示するようなことはしなかったが、それでも俺にとっては随分助けになった。

「むしろ俺の方が、教わったことは大きいぜ。ある意味……ジェイドも俺の師匠だな」
「おやおや、私は弟子を取らないんですよ? 人に教えるのは嫌いなので」

 おどけて見せる相手に、俺も笑って肩を竦めて応じる。

「いいんだよ、勝手に盗むんだからな」
「そうですか? ふふ……まあ、好きにしてください」

 どこかとぼけた遣り取りを交わし合い、俺とジェイドは笑いあった。


               * * *


 別れ際にガイの奴はカジノに顔を出すとか言っていた。何となく話がしたいと思ってカジノまで赴いてみたはいいが、どこにもガイの姿は見えない。いったいどこにいったんだと首を傾げながら外に出ると、建物の壁際に背を押し当て、何事か考えこんでいるガイの姿があった。

 向こうも俺に気づき、視線に力が戻る。

「あー……ルークか」
「どうしたんだこんな所で? カジノやるんじゃなかったのかよ?」
「どうも、そんな気分じゃなくなってね」

 カジノの喧騒が、壁越しに微かに届く。

「ヴァンと俺さ、幼なじみだったんだよ」
「……そういや、そんな事を言ってたっけな」
「ガキの頃の俺は怖がりでな。よく姉上に、男らしくないって叱られたよ。そんなとき、いつも庇ってくれたのはヴァンだった」

 ガキの頃……つまりホドで過ごした時代の事か。

 思えばホドが、すべての始まりの地なのかもしれない。フォミクリーの実験施設があった地。超振動研究が行われていた地。そして超振動実験の被験者として……あいつが滅ぼした故郷。

 少し暗くなった思考を切り換えるべく、俺は冗談めかした口調で相槌を打つ。

「ヴァンに子供時代があったってのが、そもそも俺には想像つかねぇな」
「馬鹿言えよ。誰だって子供の頃は……お前にだってあるよ。七歳なんて、まだ子供だぜ?」
「はぁ? 何言ってんだ?」

 訳がわからんと眉を寄せる俺に、ガイは笑って告げる。

「だってお前、いま七歳だろ?」
「うっ……そういうことか」
「成人まであと十三年ある。子供時代、満喫しとけ」

 ポンポン肩を叩くガイに、俺は苦笑を浮かべるしかない。だが、このまま言われっぱなしってのも芸がない。

「なら、もうしばらくの間だけ、ガキのお守りをお願いしとくよ」

 だから子供扱いされたお返しに、ならお前も子守よろしくな、と俺はふざえた指摘を返す。

 しかし、そんな俺の言葉に、ガイは人指し指を一本立てて、気障ったらしく左右に振りつつ否定する。

「それは違うだろ。俺はファブレ公爵の使用人としてじゃなく、お前自身についてきてるんだ。いったいどうして、俺がそんな割りに合わない事してるのか、お前ならわかるだろ?」
「うっ……それ、答えなきゃ駄目か?」
「そりゃ、答えてくれたら嬉しいねぇ」

 何とも意地の悪い話だが、どうしても、俺の方から言わせたいらしい。

 まあ、仕方ないか。俺は観念したと手を上げて、ガイに呼びかける。

「明日も頼んだぜ、親友」
「当然だろ、親友」

 俺とガイは手を伸ばし合い、ぱぁん、と互いの掌を叩き合わせた。


               * * *


 白い大地に、金髪が風にそよぐ。

 雪に包まれた広場に一人立ち、ナタリアは遠くセフィロトを見据えていた。

 彼女の横に並んで、俺もセフィロトを見やる。

「……いろいろな事がありましたわね」

 しばらく眺めていると、不意にナタリアが口を開いた。

「私もあたなも、この旅に出る前と後では、何もかも違いますわね」
「そうだな……」

 旅に出る前と旅に出た後。

 本当に……いろんなことがあったよな。

 城に居た頃もそうだったが、結局、旅に出た後も俺は助けられてばかりだった。

 不意に、シェリダンでの一件が脳裏に蘇り、罪悪感が沸き起こる。

「……ごめんな。ナタリア」
「まあ、どうしましたの?」

 優しく問いかけるナタリアに、俺は少し躊躇いながら、言葉を探す。

「一度、謝ったときたかったんだ。ナタリアには随分と迷惑掛けたからな。それこそ旅出る前も、旅に出た後もさ」

 そう言葉にしながらも、俺が本当に謝りたいのは、そこではなかった。

「それに……俺のせいで、色々と悩ませちまったしな」

 結果的に盗み聞くことになってしまったアッシュとの約束。

 結果的に、あいつと彼女を引き離したのは、俺の存在が大きく影響している。俺があいつの居場所を奪ったなんて事は、もう考えない。俺が俺であることは誰にも否定させないと胸を張って宣言できる。

 だがそれでも、完全に負い目が消えた訳でもなかった。

「だから、ごめんな」

 自分でも何を謝りたいのか、直接的に言葉にして伝えられないもどかしさに歯痒さを覚えながら、俺はナタリアに頭を下げた。

「ルーク……面を上げてください」

 謝罪を終えた俺が顔を上げると、そこには俺の顔を下から覗き込むように見上げるナタリアの姿があった。

「うっ……な、何だ?」

 動揺する俺を見据え、彼女はどこか悪戯めいた微笑を浮かべると、一つの推測を告げる。

「シェリダンで、アッシュとの会話……聞いていましたでしょう?」
「げっ……ば、ばれてたのか?」
「まあ、やっぱりそうでしたのね」

 思わず漏らした呻き声に、ナタリアがクスクスとおかしそうに笑う。

 どうやら実際は気づいていたのではなく、単にカマをかけてみただけのようだ。

「ひでぇな……引っかけかよ」
「あなたは後ろめたいことがあると、直ぐに動揺が顔に出ますものね」

 しばらく笑い声を漏らした後で、彼女は真剣な顔になって俺に尋ねる。

「……言ってみて、下さいません?」

 何を言うのか。それは今更問いかけるまでもなかった。話の流れからすれば、当然プロポーズの言葉だろう。

 だが、ここで俺に言わせる理由がわからなかった。俺は困惑気味に、彼女の顔を見返す。

「どうして、俺に……?」
「それで……私、いろいろなことから決別できるような気がしますの」

 静かに瞳を閉じるナタリア。それ以上何かを言う様子はない。まあ……それほど深く考える必要もないか。彼女が俺に出来ることを頼んでくれたんだ。なら、俺もそれに答えるまでだ。

 ナアリアの碧眼を正面から見返し、俺は口を開く

「……いつか俺たちが大人になったら、この国を変えよう」

 交わした記憶も無い、けれど彼女にとって何よりも神聖な言葉を口にする。

「貴族以外の人間も、貧しい思いをしないように。戦争が起こらないように。死ぬまで一緒に居て、この国を変えよう」

 雪が舞い降りる広場に、僅かな間、沈黙が降りる。

「……ありがとう」

 胸を押さえていた彼女が瞳を開き、俺の顔を見据える。

「私、あなたが誰なのかなどと、もう迷いませんわ。王家の血を引かない事実を受け入れたように、あるがまま、あなたを受け入れます」

 心の底から、彼女は自然な笑顔を見せる。強い意志に燃える瞳が、俺を映す。

「あなたも私の幼なじみですわ。一緒に生き残って、キムラスカをよい国に致しましょう」
「そうだな。俺とナタリア、それともう一人でな」

 不思議そうに無防備な顔を返す彼女に、俺は笑って先を続ける。

「当然アッシュも一緒だろ? あんなやつでも、俺の兄弟なんだ。あいつは嫌がるかもしれないけどさ。全てが終わったら、引きずってでも、俺たちの家に連れ戻してやろうぜ?」

 言い切った後で、俺は急に照れくさくなってきて、彼女に背を向けた。

「ルーク………あなたの幼なじみであること。私、誇りに思いますわ」

 背中にかかる呼び声に、片手を上げて応えた。


               * * *


 アルビオールの機体が置かれた場所まで足を運ぶと、機体に取りついて整備を続けるノエルに混じって、小動物二匹がせわしなく雪原を飛び回っているのが見えた。何とも和まされる光景だが、ノエルの邪魔になってるようなら、さすがに考えないといけないよな。

「ノエル。こいつらが邪魔になってるようなら、一緒に引き上げるが……」
「いえ、大丈夫です。重要な部分には近づかないように、気を付けてくれていますから」

 機体から律儀に顔を出して、ノエルがこちらに視線を合わせて答えてくれた。

「そっか。しかし、修理ってやっぱり大変そうだな」
「ええ。ですが、明日には絶対、間に合わせてみせます!」

 力強く応えると、ノエルは再び修理に没頭し始めた。

 しばらく見学していると、何処かで見たような頭が街中から近づいてくる。鮮烈な印象を与える赤毛に黒の教団服を羽織った男。そんな目立つ格好をした人物は、俺の知る限り一人しか居ない。

「アッシュか?」
「……能無しか」

 一瞥だけすると、そのまま俺の横を通りすぎて、修理を続けるノエルに話しかける。

「アルビオールが故障したと聞いたが、大丈夫なのか?」
「アッシュさんですか? はい。ネフリーさんにもご協力頂いたので、明日までには絶対に仕上げてみせます」

 そうか、とアッシュは頷いた後で、俺に視線を向ける。

「修理が済み次第、直ぐにアブソーブゲートに向かうんだな?」
「そうだぜ」
「………」

 何事か考え込むように、アッシュが虚空を見上げた。こいつが独自に動いているのは知っているから、今更不審に思ったりはしないが、相変わらず唐突な奴だよな。

 とりあえず、俺も気になったことを相手に尋ねて置く。

「お前、シンクにやられた腹の傷はもう大丈夫なのかよ?」
「ちっ……テメェに心配されるいわれはないな」

 あからさまに苛立たしげに舌打ちを打つ相手に、俺はため息をつく。そんな俺の反応が気に入らないのか、アッシュは忌ま忌ましそうに俺を睨む。

「なんだ、言いたい事があるならはっきり言え」
「なら、言わせて貰うけどよ。明日、お前も一緒に行かないか?」
「断る」
「……少しは考える素振りぐらい見せろよ」

 呆れ顔でつぶやく俺に、アッシュは馬鹿にしたように鼻を鳴らして見せた。

「少しは考えろ、馬鹿が。この状況でヴァンの待ち受けるアブソーブゲートに向かったら、ラジエイトゲートに向かうには絶対的に時間が足らねぇはずだ。誰かがラジエイトゲートに向かって、何らかの仕掛けを施す必要があるだろう」
「……あっ! それもそっか。そういう所は、やっぱさすがだな」

 素直に感心する俺の反応に、アッシュも満更でもなさそうに鼻を鳴らす。

「メガネに伝えておけ。二つのゲートのパッセージリングを連動させて、起動させろとな。操作が複雑になるぶん必要となる力も増すだろうが……そこは俺が何とかする」
「わかった。伝えとくぜ」

 しかし、何だかんだ言ってアッシュも、最初の頃と比べれば、随分と当たりが柔らかくなったかもしれない。

 それでも口の悪さは変わらないが、俺とアッシュの関係を考えれば仕方ないと割り切れる部分が大きかったので、さしてムカツキもしない。

 まあ……それでも当然、いい気分もしないがな。

 一人ため息をついていると、ふとアッシュの顔色が普段よりも悪いことに気づく。大丈夫か尋ねようとした瞬間、アッシュが激しく咳き込みながら体勢を崩す。脇腹を押さえる掌からは、紅いものが滲み出ていた。

「お前、腹から血が……」
「くそっ! こんな身体でなければ、俺がアブソーブゲートに向かっているものを……」

 口惜しげに言い捨てた後で、アッシュが俺を睨み据える。

「お前がヴァンを討ち損じたときは、俺が這ってでも奴を殺す! 必ず……仕留めろよ」
「……わかってるさ」

 僅かに顔を逸らして応じる俺の様子に、アッシュは一度鼻を鳴らして後で、背中を向けた。


               * * *


 そして、彼女は其処にいた。

 他の場所よりも僅かに高い位置に作られた広場。街の外に繋がる門の近くに佇み、彼女は遠くゲートのある方向を見据えている。

 雪国の中で、流れるような長髪が銀に輝く。後ろから近づく気配に気づいてか、彼女が振り返る。

「ルーク……?」
「まだ宿に戻ってなかったんだな」

 俺の姿に気づき、ティアが僅かに表情を緩めた。

「少し、風に当たっていたかったから」

 冷たい風が頬を撫でる。

 確かに、火照った頭を冷やすにはちょうどいいかもしれない。

 彼女の隣に並んで、俺も彼女と同じ方向を見据える。

「……明日、なんだよな」
「ええ。あとは……兄さんだけね」

 硬い表情に戻って、ティアは唇を引き結ぶ。そんな彼女の顔を見据え、俺は以前から気になっていたことを問いかける。

「ティア、お前さ。本当に……兄貴と戦えるのか?」

 何だかんだ行ったところで、彼女とヴァンは血の繋がった肉親だ。

 今は袂をわかってしまったが、これまで過ごした日々が、それで無かったことになる訳では無い。

 それに……ヴァンの奴も、ティアの事だけは気に掛けていた様子だったしな。

 真剣な表情で問いかける俺の視線から、僅かに顔を逸らして、彼女は小さくつぶやく。

「……本当は……」

 僅かに言いよどんだ後で、言葉を紡ぐ。

「本当は……戦いたくない。兄さんはずっと、私の親代わりだったの。外郭大地に行ってしまってからも、私のところに顔を見せてくれたわ」
「……そっか」
「兄さんが大好きだった。だから、あんな馬鹿げたこと、絶対やめさせたかったのに……」

 ティアの兄貴で、俺にとっては剣の師匠。

 かつてあんなにも近い場所に居た相手が、今はひどく遠い場所に居る。

 俯けていた面を上げて、彼女は続ける。強い意志の宿った瞳が、俺を見返す。

「でも、私の言葉は届かなかった。なら、間違った兄を討つのは妹である私の役目」

 だから、私は戦える──……そう、彼女は決意の言葉を告げた。

「……強いな。ティアは、本当に強いぜ」
「そんなことないわ……私は……」
「前に、自分は強く在ろうとしているだけだって、ティアは言ってたよな。でもさ、自分の感情の手綱をキチンと握ることの難しさは、俺も少しはわかってるつもりだよ」

 これでも感情に振り回されないように、自分では気を付けてるつもりなんだが、なかなか上手く行かない。昔から比べれば多少は成長しているかもしれないが、それでも目指すべき場所は未だ遠く、遥か彼方に在った。

「だから、ティアも少しくらいは自分を誇って良い……そう、俺なんかは思うんだけどな」
「ルーク……」

 ティアは瞳を閉じて、俺の言葉を静かに聞き届けてくれた。

「……でも、私が強く在れたとしたら、それは私だけの力じゃないわ」

 俺の顔を正面から見返し、彼女は小さく微笑んだ。

「あなたとの約束が、私を強くしたのよ」

 そ、そう来るか。思わぬ返しに、俺は急激に顔が熱を持つのを感じる。辛うじて開いた口からは、動揺まみれの言葉が出るばかりだ。

「そ、そっか。それはまた、えーと、どういたしましてというか……そのだな……」
「どうしたの急に……? ……あっ!」

 口にした後で、ティアもようやく自分の発言内容に気づいてか、みるみると頬が朱に染まり上がる。

「………」
「………」

 何とも居心地が良いんだか悪いんだかよくわからん類の沈黙が続く中で、俺は必死に彼女へ返すべき言葉を探す。

 不意に、シェリダンの崩落後、ユリアシティで交わした誓いが思い出される。

 思えば、ティアはあの日の約束を果たしたのかもれない。

 今もこうして、前を向いて歩いているように。

 ……なら、俺も約束に恥じない行動しないとな。

 動揺が自然と収まるのを感じながら、俺はいつもの如く、ヘラヘラと調子の良い笑みを浮かべる。

「ヴァンが何を目指しているのかイマイチよくわからねぇままだけどさ。明日、ヴァンの奴に会ったら、あいつの目的聞き出した上で、ぶん殴ってでも止めてやろうぜ? それで全部が終わったら、笑い話にしてやるんだ」
「相変わらず……現実を見ていない意見ね」

 いつものごとくキツイ台詞がティアから返るが、その声音はどこか優しい。

「でも……そうなったら、いいでしょうね」

 小さく微笑む彼女と視線を合わせ、俺は言葉を掛ける。

「絶対、生きて帰ろうな」
「ええ、絶対、生きて帰りましょう」

 言いながら、何故か、彼女は指を突き出す。

「……って、なんだ?」
「え……? だって、約束するのよね?」

 小首を傾げるティアの反応と、突き出された小指に、俺は何となく事態を察する。

 つまり、彼女は指切りをしようと言ってるわけだ。

 差し出された指をじっと見据え、俺は口を開く。

「……ティア、お前さ。実はナタリアとアッシュの約束とか……羨ましかったりするのか?」
「そ、そんなことないわ!」
「いや、だがよ。ここで指切りを言い出すのはさすがに……」
「だ、だから違うわ! だって違うもの!」
「……」
「ほ、本当よ! べ、別に素敵だなぁなんて、全然思ってないんだから!」

 狼狽のあまり墓穴を掘るティアに、何だかなぁと俺は頭を掻く。

 ティアは怒ったように顔を真っ赤にさせると、強引に俺の腕を取る。

「もう! 別にいいでしょ! ほら、指を伸ばして」
「あ、ああ。わかった」

 何を怒ってるのかはよくわからなかったが、俺は彼女に言われるまま指を差し出した。

 こうして、俺とティアは指を伸ばし、約束を交わす。

 絶対に生きて帰ろうと──……子供染みた、指切りに誓うのだった。



[2045] 6-4 果てに降る光 ─後編─
Name: スイミン
Date: 2006/12/16 06:19
 荒れ狂う音素の流れの収束点。すべての音素が地殻に帰る地───アブソーブゲート。

「私はここで、皆さんのご無事を祈っています」

 セフィロトから吹き上げる音素に掻き乱される大気の中、神業的操舵技術をもって着地を成し遂げたノエルが、俺たちにそう告げた。

 この先はゲート内部ということもあって魔物が配置されていたりする。無理についていったとしても、自分は足手まといになり兼ねない。そうした判断からの申し出だろう。

 確かに、ノエルにはここでアルビオールと待機してて貰うのが一番いいだろうな。

「わかった。アルビオールは頼んだぜ、ノエル」
「はい! お任せ下さい」

 早速機体の整備に乗り出す彼女に感謝しながら、俺たちも歩き出す。

 数歩進んだところで、俺はある事実に気づく。

「──って、ちょっと待て!」

 当然の如く、俺たちの後に続こうした小動物二匹に向けて、俺は盛大に待ったを掛けた。

「どうしたんですの、ご主人様?」
「……いや、どうしたもこうしたもねぇだろ」

 まるでわかってないのな、こいつらは。何だか頭が痛むのを感じながら、俺は額を押さえた。

「ともかく、お前らは今回留守番な。……ノエル、こいつらのこと頼めるか?」
「はい。でも……宜しいのですか?」

 頷いた後で、視線を俺の足元に移す。そこには憤慨する小動物が二匹。もの凄く憤慨してる。

「ご、ご主人様。僕達も一緒に行くですの!」
「ぐるぅぅぅっ!!」
「だぁ! 今回は駄目だ! 絶対ついてくんなよっ!」

 待機してろと言われた二匹が抗議の声を上げるが、それを一喝して俺は強引に納得させる。

「すまねぇが、こいつらのこと頼んだぜ、ノエル」
「わかりました。さあ、こっちに来て」
「みゅうぅぅ……ご主人様、頑張って下さいですの」
「ぅるぅぅぅ…………」

 心配そうにこちらを見上げる四対の瞳に、俺は苦笑が浮かべながら、安心しろと視線を返す。ついで二匹を抱き上げたノエルを見やり、一つ言い添えておくことにする。

「ノエルもヤバそうな空気になったら、離脱してくれて構わないからな」
「そうですね。そういうこともあるかもしれませんね」

 ノエルは微笑を浮かべると、どこか曖昧な言葉を返した。

「どうか、御武運を……」

 ノエルの祈るような言葉を背に受け、俺たちは彼女たちと別れるのだった。


 こうして、俺たちはアブソーブゲートを進む。


 最大セフィロトってこともあって、それなりに複雑な内部構造をしていたが、俺たちは特に迷うことも無く、一直線に突き進む。

 最下層に近い部分まで行き着いたところで、突然、ジェイドが俺たちに向き直る。

「おそらく、この先にパッセージリングがあるはずです。簡単な今後の流れを、皆に説明しておきましょう」

 心して聞いてください、と皆が話しに集中しているのを確かめ、ジェイドは続ける。

「アッシュも指摘していたことですが、ここからラジエイトゲートまで向かっている間に、おそらく、外郭大地は崩落する。そのため緊急的な措置ですが、二つのゲートへの命令を、アブソーブゲートで一括して済ませてしまいましょう」
「でも、どうやってラジエイトゲートを起動させずに外郭を降ろすのです?」

 ナタリアの疑問に、ジェイドが答える。それによると何でもラジエイトゲートへの命令をアブソーブゲートに変更すると書き込むことで操作が可能になるらしい。

「出力の不足に関しては、アッシュが何やら考えがあるようなことを言っていたそうですしね」
「そうなのか、ルーク?」
「ああ。そんなようなことを言ってたぜ」

 どこか頼りない俺の言葉に、本当に大丈夫かよと皆の視線が注がれる。

 うっ、何か言葉を返したいところだが、アッシュの考えとやらを聞いてない俺には何も言葉を返せない。

「まあ、どちらにせよ、これがかなり強引な方法であることに変わりはありません。不確定な部分があるのも、ここは仕方ないと割り切るしかないでしょうねぇ」

 ばっさり話題を打ち切ると、ついでジェイドは具体的な操作手順に関して言及を始める。

「その後は、アブソーブゲートのセフィロトに向けて、ルークの第七音素を照射して下さい。これが合図となって、降下が始まります」

 よろしくお願いしますね、とジェイドは何とも余裕を感じさせる仕種で言ってのけた。

「……何つぅーか、ホント余裕だよな、ジェイドはよ」
「今更緊張しても仕方がないですからね。結局、何時も通りの事を、何時も通りにするだけですよ」

 肩を竦めてみせながら、ジェイドはしごく気楽な言葉をもって、説明を締め括るのだった。

 まあ……何時も通りの事をやるだけか。確かに、それもその通りか。

「無駄に気を張ってたら、上手く行くもんも行かなくなるもんな」

 それぐらいの気構えで、むしろちょうどいいってことかね。

「そうですわね。この先に誰が待ち受けていようと、私たちは成すべき事をするだけですわ」
「だな。何時も通り、気楽に構えて行くとしますかね」

 ナタリアが至言といった感じで頷き、それに応えるようにガイが笑みを浮かべる。

「うんうん。総長なんかに負けてられないもんね」
「ええ、そうね。私たちの世界を守るために……行きましょう」

 腕を上げてえいやーと同意するアニスに、ティアが微笑ましげに顔をほころばせ、皆を促す。

「そうだな。いっちょ、あの石頭をぶん殴って、馬鹿げた考えを叩き潰してやろうぜ?」

 乱暴に言い放つ俺に、皆が苦笑を浮かべるのがわかる。しかし、何時も通りってことなら、やっぱりこれぐらいのノリで行くのが俺たちには丁度いい。

 こうして、俺たちは何とも緊張感とは無縁のまま、セフィロトに続く通路──ヴァンの待ち受けているであろう場所に向けて、その足を踏み出すのだった。


               * * *


 譜業のパイプオルガンが荘厳な音を奏でる。

 天上に突き出した無数のパイプが連動して動き、奏でられる音は高らかに鳴り響く。

「………来たか」

 弾き手は腕を止めると、僅かに顔を上げる。

「ベルケンド以来の顔合わせとなるな───レプリカ・ルークよ」
「ああ……本当に、久しぶりだな───ヴァン・グランツ」

 言葉を交わす俺たち二人の間で、空気が急激な勢いで張り詰めていく。

 このまま、飲まれてたまるか。

 俺は自らの気勢を奮い立たせ、最初に口を開く。

「……プラネットストームを逆流させてまでして、俺達をここに来させた理由は何だ?」
「全ては世界の解放のためだ。聖なる焔の光の協力をもって、ローレライは消滅し、この世界は解放されるのだよ」

 既定のことを語りかけるような相手の反応に、俺は沸き上がる苛立ちを押し殺して、相手を睨む。

「なら残念だったな。アッシュはここに来ないぜ。俺の超振動を使う能力は劣化してるんだろ? 俺たちをどう利用するつもりなのかは知らねぇが、現状では、どうやったところで、ローレライの消滅は果たされないってことだな」

 挑発的に告げた言葉にも、相手はさして動揺も見せず、淡々と答える。

「ささいな問題だな。レプリカの能力が劣化すると言っても、今の衰えたローレライを消滅させるには、十分すぎる程の力が超振動にはある。……また、超振動のみが、お前たちの特性でも無い……」

 最後に小さくつぶやいた後で、ヴァンは俺の顔を見据える。

「私はお前の来訪を歓迎しよう、レプリカ・ルークよ」

 こちらを見据える相手の瞳に嘘は見えない。本気でアッシュではなく、俺が来たことを歓迎しているようだ。正直、訳がわからなかった。

 不可解な相手の反応に不信感が募るを感じながら、俺は相手の狙いについて考える。

 そもそもヴァンの狙いは預言から人類を解放することのはずだ。それとどう繋がるのかは未だによくわからないが、奴はそのためにローレライを消滅させるとこれまで訴えていた。今もまた、衰えたローレライを消滅させるには、俺でも可能だと言ってきた。

 そうした言葉から考えるに、やはりローレライの消滅を狙ってるって言葉に嘘はないのだろう。

 しかし、衰えたローレライ、か。そう言えばスピノザも言っていたな。世界中の第七音素の総量が減少しているとか……

───何者かが私の力を吸い上げているのだ───

 不意に、地殻で交わしたローレライとの言葉が蘇る。 

 嫌な予感が、俺の胸を掻き乱す。

「ヴァン………あんた、触媒武器を使って、地殻に何をした・・・・?」

「答える前に、一つ尋ねようではないか。お前たちは触媒武器が地殻から抽出せし力を、いったい何と認識している?」

 こちらの反応を試すような質問が返された。俺は自分でも、もはや信じてない答えを返す。

「………記憶粒子か?」
「ふっ……それは正確ではないな。確かに記憶粒子だが、同時に全くの別物といえる力だ。奏器をパッセージリングに干渉させる毎に、お前は聞いていたはずだ」

 脳裏に過るのはアクゼリュス崩落の直前、パッセージリングに突き刺される響奏器。

「───奴の上げる悲鳴をな」

 光を放ち音素が吸い上げられると同時に、俺の脳髄に響く絶叫。

「……じゃあ、あの声は……やっぱり……っ!」

 予感が確信に変わる。顔を歪める俺を見据え、ヴァン・グランツは答える。

「そう。我等が地殻から抽出せしものとは、第七音素集合意識体──ローレライの意識そのものに他ならない」

『なっ!?』

 あまりの宣言に、仲間が動揺の声を上げる。

「……ベルケンドにおける触媒武器の分析結果から、私もその可能性は考えていました」

 ただ一人、ジェイドだけが苦い表情で、ヴァンを見据えていた。

 触媒武器の分析結果。内に秘められたあまりに偏った性質を備えた、莫大な量に上る第七音素。そして、地殻で邂逅したローレライの存在。

 そうした事実から、可能性としては考えていたとジェイドは告げる。

「ですが、何故です? どうして第七音素の集合意識体であるローレライを抽出することで、あれ程までに多様な属性の力を振るうことができたのです?」

 ジェイドが投げかけた当然の疑問に、ヴァン・グランツは口端をつり上げる。

「第七音素とは一説には、プラネットストームによって巻き上げられた記憶粒子が、六層からなる音符帯を通過する過程で突然変異を起こしたものだと言われている。それ故に、確たる属性を持たない音素であると。
 だが、それは同時に音応帯を通過する過程で、第一から第六までの音素と記憶粒子が結合した結果、生み出された音素とも言えるのではないか? そう──すべての属性に通じる音素であると」

「記憶粒子が各音素と結合……──っ!? そういうことか!」
「どういうことだ、ジェイド……?」
「ヴァン謡将の推測が事実なら、第七音素の集合意識体もまた、第一から第六までの各音素を含んでいる可能性が高いという事です。そして、それは事実だった」

 視線も鋭く言葉を放つジェイドに、ヴァンは悠然と肯定を返す。

「その通りだ、バルフォア博士。第七音素は六属の音素を全て兼ね備えし音素。そして、それは集合意識体たるローレライを構成する音素にも言える事。
 この事実を理解した我等は、一つの考えに思い至った。ローレライが七属の音素から構成されているならば、奴を構成する意識を属性ごとに分断することで、其の力を削ぐこともまた、可能ではないかと……」
「意識を分断する……」
「そうだ。だが、意識の断片とは言えども、一つの属性を統括する意識体を吸い上げ、保持し続けるためには、莫大な量の音素を蓄積し得る器が必要だった。そして度重なる実験の末、我等はそれが可能な触媒を見出したのだ」

 創生歴時代に開発された、惑星の力を解放すると言われし、六本の触媒武器。

「ローレライの意識分体を吸い上げた結果として、触媒武器は各属性の音素を無尽蔵に使役することが可能となったが……それは取るに足らぬ要素に過ぎない」

 ラルゴの炎槍。リグレットの氷銃。シンクの風刃。ディストの闇杖。あの出鱈目な威力の武器も、全ては副次的な産物だと目の前の男は語る。

「全ては奴に消滅を導く為の布石。自らの意識を分断された結果、奴の力は急激な衰えを見せている。もはや奴の存在は、自らの主属性たる記憶粒子から構成される意識によって、辛うじて保たれているに過ぎない。後はここに残る意識体を引き上げ、超振動をもって消滅させることで、世界は新たな地平を歩み出す」

 熱の籠った言葉を続けるヴァンに、ティアが声を飛ばす。

「どうして……!? どうしてそこまでローレライの消滅に拘るの、兄さん!? そんなことの為に兄さんはパッセージリングを壊して回ったの? セントビナーやエンゲーブを崩落させたと言うのっ!?」
「ベルケンドで既に応えたはずだ、メシュティアリカ。大地が幾ら崩落しようが、世界は何も変わらないと。パッセージリングの寿命はいずれ尽きた。私の干渉は、その限界を多少早めたに過ぎない。外郭大地はいずれにせよ、崩落したのだよ」

 ナタリアがヴァンの言葉に、顔をしかめる。

「……それを気づかせたあなたに、感謝しろとでも言うつもりですの?」
「ふっ……さすがに、そこまで言うつもりはない。ただ、この世界の無意味さを訴えているだけに過ぎない」

 ───ホドが消滅した。しかし見ろ、世界は何も変わらない。

 かつてベルケンドで聞いたヴァンの叫びが、脳裏に蘇る。

 暗い感情を瞳に宿らせ語るヴァンに、ガイが少しの躊躇いを挟んだ後で、問いかけを放つ。

「……復讐なのか、ヴァン?」
「復讐……か」

 意外な言葉を聞いたとでも言うかのように、ヴァンは目を細めた。

「ただ復讐に狂うことができれば、まだ私は救われただろうな。この世界には、憎しみすら呑み込むほどの絶望が存在している……お前も世界の真実の姿を知れば、私と同じ行動を取っただろう……」

 ぶつぶつと、まるで自身に言い聞かせるかのように、ヴァンは言葉をつぶやく。しばらく呟いた後で

「いや……もとより理解など求めいない。私が求めるのは世界の解放。それ以外の言葉は不要か」

 ヴァンは首を左右に振って、俺たちに向き直る。

「もう一度、お前に問いかけよう。複製体である事実など、私にはどうでも良いことだ。新たな世界の創生に、私はお前を必要としている」

 伸ばされた手が、俺に突き伸ばされる。

「私に協力しろ──聖なる焔の光ルーク よ」

 呼び声は強烈なカリスマをもって、俺を引き寄せようと耳に届く。

 だが、俺の返す答えは決まっていた。

「絶対に、御免だな」

 一片の迷いも、刹那の躊躇も無しに、俺は自らの答えを告げる。

「世界の解放なんざに興味はねぇよ。預言が気に入らないって言うなら、ちまちま影で動いてねぇで、面に立ってそう訴えやがれ。あんたが何に絶望してるか知らねぇが、俺から言えることは一つだけだ」

 引き抜いた剣の切っ先を突き付け、俺は目の前に立つ、自らの師を見据える。

「甘ったれてんじゃねぇ───バカ師匠がっ!!」

 叩きつけた啖呵に、空気がビリビリと震え上がる。ひたすら真っ直ぐに、何一つ誤魔化すことなく、俺は自らの答えを告げた。

 ヴァンはそんな俺の言葉に怒りを覚えるでもなく、面白いものを見たと言うかのように静かに目を細め、口元をほころばせている。

「ふふっ……本当に、お前らしい答えだな」

 かつて共に屋敷で過ごしていた時のように、ヴァンは笑った。

 だが其の笑みも直ぐに消え去り、ヴァンは壇上からこちらを見下ろしながら、剣を引き抜く。

「ならば私はお前の戦意を叩き潰し、その器を利用させて貰うまでだ」

 右手に握る剣を眼前に捧げ持ち、左手が腰に吊るした杖を一撫でする。

「アクゼリュスの崩落から、いったいどれほど腕を上げたのか見てやろう」

 ヴァンの周囲に生み出された燐光を虚空を舞い踊る。

「お前が自身を正しいと思うならば、この私を超えることで証明してみせよ、ルーク!」

 杖から溢れ出た聖光がヴァンの全身を包み──

 ───此処に、決戦の幕が上がる。


               * * *


 渾身の力を込めて、俺は剣を一息に降り降ろす。一瞬にして間合いを詰めた俺の動作に、相手は僅かに片眉上げると、流れるような動作で刀身を掲げ上げる。

 剣戟がぶつかり合う毎に、互いの刀身に込められた音素が衝撃と閃光をまき散らす。擦り合わされた金属がギリギリと耳障りな音を上げ、せめぎ合う音素が火花を散らす。

 俺とヴァンの視線が交錯する。

「ふっ……かなり実力を上げてたようだな。見違えたぞ?」
「へっ……そいつは──ありがとよっ!」

 強引に刀身を翻し、俺は下方から剣先をはね上げる。相手は冷静に俺の攻撃を受け流す。更に数合打ち合った後で、俺たちは互いの剣先を叩き合わせ、一旦間合いを離す。

 相手は息を荒らげた様子も見せず、無理な追撃に移ろうともしない。まだまだ余裕ってところか? 

 再び切り込みを駆けようとしたところで、ジェイドが何やらナタリアに指示を与えている事に気づく。

 だが何をいってるのか聞き取るよりも前に会話は終わり、ジェイドが何やら複雑な詠唱を紡ぎ始める。

「……天光満つる処……我は在り……」

 それに意識を取られた俺の脇を、一陣の風が駆け抜けた。

 前に飛び出したガイとアニスが、俺と入れ代わる形でヴァンに向かう。先を行くガイが裂声を上げ斬撃を放つ。疾風の如き連撃を受け流すヴァンの脇から、アニスの譜業人形が絶妙なタイミングで追い打ちを放つ。

「連携も中々によく練られているようだ」

 相手は冷静に一連の攻撃に対処しながら、戦闘中だというのに、こちらを評するような言葉をわざわざ口にしてみせる。未だ腰に吊るす第六奏器を本格的に使う様子も見せない。

「ガイ、アニス!」

 短く名前を叫ぶナタリアに、意図を読み取ったガイとアニスが、ヴァンから間合いを離す。

「砕けましてよ───」

 上空に飛び立ち矢を番えたナタリアが、ヴァンの立つ地面を狙い打つ。引き絞られた弦を伝い限界まで収束されし音素が解放される。

《───ストローク・クエイカー!》

 着弾した矢が衝撃を周囲にまき散らし、揺れる地面に足を取られたヴァンが僅かに体勢を崩す。絶好の隙を見せた相手に、しかし俺たちは動かない。

 いや、動く必要すらなかった。

「黄泉の門開く処に汝在り……──」

 永遠と紡がれ続けていたジェイドの詠唱が──ここに完成する。

「出でよ、神の雷っ!」

 かっと見開かれた紅眼が天上を居抜き、巨大な譜陣が頭上に展開された。構築された陣は三次元的な広がりを見せ行き、空が無いはずのセフィロトの天が割れ、雷雲が沸き起こる。編み出された光の粒子が譜陣の中央に収束し、帯電した空気が音を鳴らす。

《これで終わりです───》

 回転する塔の如き譜陣が動きを止め、中心に束ねられし圧倒的なまでの力を解き放つ。

《───インディグネイション!!》

 視界を貫く閃光に、世界が白に染まる。轟く豪雷に、鼓膜が破れんばかりの衝撃が走る。神の逆鱗は此処に下され、其の鉄槌をヴァンに振り降ろした。

 周囲にまき散らされる放電の余波だけで、全身が衝撃に打ち震える。

 あまりに強大な譜術の終焉に、耳鳴りが続く。

「……素晴らしい威力だ」

 その声は、立ち込める粉塵の向こうから響いた。

「さすがはネクロマンサーと言った所か」

 粉塵が、揺れ動く大気の流れに取り払われる。

「だが、相手が悪かったな」

 目の前に、全くの無傷で佇むヴァン・グランツの姿があった。手にした剣は天に向け突き出され、踏みしめた両足で悠然と大地に立つ。ヴァンの周囲は雷撃に蹂躙され尽くしたのか、炭化を通りすぎて塵となり、カサカサと掠れた音を立てる。

 放電の名残に震える大気の中、全身から燐光を立ち上らせたヴァン・グランツは厳かに告げる。

「第六奏器が司る力は六属の至高たる光。本質的には風に分類される雷撃であろうとも、光を放つ事に変わりは無い」

 絶句する俺たちを前に、ヴァンはゆっくりと腰を落とし、切っ先をこちらに向ける。

 白い。白い光が切っ先に灯る。

 朧げな光点が幻想的な光を放つ中、ヴァンは俺に視線を向ける。

「耐えてみせよ……」

 ゾクリと背中を直接撫で上げられたかのような怖気が走る。俺が反応するよりも前に、腰だめに構えた剣先が突き出される。

「───光龍槍」

 切っ先に宿る光点が一瞬にして膨れ上がり、膨大な光の奔流が俺に押し寄せた。

「──ァッ──ァ───ッ──!?」

 絶叫を噛み締め、俺は光の槍に貫かれた。視界の端で、ガイとアニスが攻撃を中断させようと、ヴァンとの間合いを詰める。技を放つヴァンは動けない。

 だが───

「きゃっ!?」

 相手は生み出した光槍を、そのまま真横に薙ぎ払うことで対処した。

 右手から接近していたアニスが光槍に弾かれ、短く悲鳴を残す。

「くっ……刃よ、乱れ飛べ!」

 ヴァンの間近にまで踏み込んだガイが、鞘から刀身を抜き放つ。

 吹き荒れる風が刀身に収束し、旋風が巻き起こる。

《龍爪──》

 神速の居合に真空の刃が付加され、大気を切り裂く。

 ヴァンが、僅かに立ち位置をずらす。

《──旋空破ッ!》

 振り抜かれた刀身の前方で旋風は荒れ狂い、切り裂かれた大地に深い切り込み刻む。

 だが、そこにヴァンの姿はない。

 数歩の踏み込み。たったそれだけの動作で、ヴァンはガイの攻撃をかわして見せた。

 無防備な姿を見せるガイに、ヴァンは剣を向ける。

「くっ……っ!?」

 振り降ろされるヴァンの剣が、辛うじて構えたガイの刀身と激突する。火花を散らす衝撃は一瞬で過ぎ去る。跳ね上がったヴァンの剣先は翻り、下方から流れるような斬撃が放たれた。

「───がっ!?」

 虚空に投げ出されたガイの全身を、斬撃とともに押し寄せる圧倒的な量の光が貫く。

「喰らうがいい──」

 虚空に投げ出されたガイを冷徹な視線で射抜きながら、ヴァンは深く腰を落とす。

《襲爪──》

 全身のバネを用いた渾身の切り上げがガイを切り裂く。斬撃を振り上げた反動で、大きく飛び上がったヴァンはそのまま剣を頭上に持ち上げ、雷光まといし白刃を振り降ろす。

《───雷斬》

 閃光が、悲鳴すら飲み込んで、ガイの全身を貫いた。

 声も漏らさず崩れ落ちるガイを冷然と見下ろし、ヴァンが剣を振り上げる。

 だが、不意に剣の軌道を変え、斜め前方を切り払う。

 二つに切り裂かれた矢が、地面に落ちた。

「小賢しい真似をするな……キムラスカの姫よ」
「お黙りなさい!」

 そのまま次々と打ち込まれる牽制の矢を、ヴァンは無造作に振った剣でたやすく斬り払いながら、ガイから間合いを離す。

「女神の慈悲たる癒しの旋律───」

 奏でられていたティアの譜歌が完成し、床に突き付けられた杖を中心に、譜陣が展開される。

「リザレクション!」

 広範囲に展開された譜陣から治癒の光が放たれ、倒れ伏す俺たちの全身を包み込む。回復した身体を起き上がらせる俺の耳に、ジェイドの詠唱が届く。

「煮え湯を飲むがいい───レイジングミスト!」

 膨れ上がる蒸気が大気を掻き乱し、爆発が世界を貫いた。

「皆さん、一度引いて下さい!」
 
 ジェイドの指示にしたがって、俺たちは立ち込める蒸気に紛れ、ヴァンとの間合いを離す。

 陣形を建て直す俺たちに向けて、蒸気の向こうからヴァンの声が届く。

「第四譜歌の力か……どうやら、大半の象徴を理解したようだな」

 ヴァン・グランツは冷静に剣を振って、僅かに思案するような間を開けた後でつぶやく。

「第二譜歌の障壁もあることを考えれば、小手先の技では意味がない。それにネクロマンサーがそちら側についていることも考えれば、遊びを挟み込む余地があるのもここまで……か。
 そろそろ───全力で行かせて貰おう」

 ゾクリと、全身を怖気が襲う。

 膨大な量の音素が収束し、空間が光の中に歪む。中心に立つヴァン・グランツが剣先を僅かに下げる。音素が収束するのを見て取り、ティアが譜歌を唱え始める。

──クロァ──リョ──ズェ──トゥエ──

 ヴァンの腰に吊るした杖から膨大な量の音素が引きずり出され、手にした剣に収束して行く。

──リョ──レィ──ネゥ──リョ──ズェ──!

 先んじてティアの詠唱が完成する。譜歌による障壁が俺たちを包む。

 だが展開される障壁など意に介した様子も見せず、ヴァンは剣を地面に突き刺す。

「目障りだ……」

 地面に突き刺された切っ先を中心に、巨大な譜陣が一瞬にして展開される。戦場全てを覆い尽くす、おそろしく精密な譜陣の中心に立ち、ヴァンは小さく終わりを告げた。

《消えよ───ホーリーランス》

 鮮烈な白の輝きが視界を埋めつくす。床に広がる譜陣から生み出されたおびただしい数の光槍が世界を貫いた。

 そして、それは障壁の内側も例外ではない。

『───っ!?』

 障壁の下から生み出された光の槍は、密閉された空間に逃げ場をなくした俺たちをたやすく蹂躙する。放たれる光の槍が身体を貫く毎に、肉体のみでなく、より根源的な何かが削り取られるような感覚が俺たちを襲う。

 荒れ狂う光槍の乱舞の前に、ついに障壁が内側から自壊する。

「第二譜歌の過信が過ぎたな」

 倒れ伏す俺たちを見据え、ヴァンは無感動につぶやく。

「……お前はこの程度なのか、ルーク?」

 ヴァンが俺の名前を呼ぶ。だが、身体は動かない。

 光槍に貫かれた身体は激痛に打ち震え、霧に包まれるように意識が薄れ行く

 反応を見せない俺を見下ろし、ヴァンが失望の声を漏らす。

「私の見込み違いだったか……ならば、せめてもの手向けか。我が手で冥府に送ってやろう。
 まずはメシュティアリカ、お前から………」

───目を開く。

 今、俺は何を考えた?

 このまま無様に倒れ伏しているようなことが、俺のやることだっていうのか? 

 くそったれっ! それは絶対に違うだろうがっ!!

 自らの根性の無さを一喝。俺は歯を食いしばり、顔を引き上げる。

 このまま何もせずに終われるはずがなかった。

 地面を掻きむしるように爪を立て、手元に落ちた剣を引き寄せ、この手に握る。

 辛うじて握られた剣の切っ先を地面に突き刺し、強引に身体を引き擦り上げる。

 全身が引きつけを起こしたように痛みを訴えるが、今はまるで気にならない。

「待てよ…………勝手に、終わらせるんじゃ、ねぇよ……」

 構えた先に立つ相手を見据え、俺は辛うじて絞り出した声で呼び止める。

 立ち上がった俺を振り返り、ヴァンがどこか満足げな笑みを浮かべた。

「ふっ……確かに立ち上がりはしたようだな。だが、その状態で私と戦り合うつもりか?」
「………この程度、さしてハンデにもなりゃしねぇさ」

 この後に及んで減らず口を返す俺を愉快そうに見据えながら、ヴァンは首を横に降る。

「いいや、全ての抵抗は無意味だ。お前がこの地に足を踏み入れた時点で、全ては決していたのだよ」

 ヴァンはうっすらと笑みを浮かべ、告げる。

「もはや無意味となった、アクゼリュスの崩落を引き起こせし其の器。今度こそ、有効に使わせて貰うとしよう」

 そう言って、奴は笑ってみせた。

 アクゼリュスの崩落を、嘲りの笑みをもって、語りやがった。

「ヴァン・グランツ────っ!!」

 咆哮を上げ、斬撃を放つ。

 軽々と身を引いた相手に一撃をかわされはしたが、俺はそのまま相手に間合いを離すことを許さない。地面を穿った剣先を直ぐさま翻し、怒濤の勢いで連撃を叩き込む。

「ふっ……そうだ、憎悪を燃え上がらせろ。その感情こそが、唯一信ずるべきもの……」

 俺の猛攻をしのぎながら、ヴァンが何やら戯言をほざくが、今の俺に挑発の言葉は聞こえない。熱く煮えたぎる激情の波に突き動かされながらも、一方で思考はどこまでも冷徹に状況を見据え、俺は目の前の相手をただ───殺す術を手繰り寄せる。

「ぶっ潰れちまいなっ!」

 フォンスロットを全力で解放する。取り込んだ音素を限界を踏み越え刀身に収束する。

 集束された音素を踏み込んだ間合いの内に佇む相手に向けて───解き放つ。

《───烈震っ!》

 突き出された刺突の切っ先が、振動に打ち震えながら相手を捉える。

《────天象っ!!》

 ゼロ距離から解き放たれた一撃はものの見事にヴァン・グランツに叩き込まれた。放たれた衝撃の余波は俺の全身をも襲い、身体が軋みを上げるが、この程度は気にならねぇな。

 僅かに身体をよろめかせる相手に向けて、俺は獲物を引き寄せる反動を利用し、右手に音素を収束させる。

「そしてぇっ──砕け散れぇっ!」

 列声と共に、掌低を叩き込む。

《───絶破っ!》

 掌から広がる凍気は一瞬にして巨大な氷塊に成長する。

《────烈氷撃っ!!》

 砕け散った氷塊のカケラが掌低に押し出されるようにして相手の脇腹を穿ち、吹き飛ばした。

 身を切るような凍気が漂う中、俺は息を荒らげながら構えを取る。吹き飛んだ相手を見据え、俺は油断無く剣を引き寄せる。

 まだだ。

 俺の中で本能が告げている。激しく警鐘が打ち鳴らされる。

 ここまでやっても、まだ、この相手には───


「───さすがだな」


 そして、其の声は届く。

「ここまでアルバート流を使いこなすとは、私も思っていなかったぞ?
 だが、悲しいかな。絶対的に───地力が足らん」

 全くの無傷で、ヴァン・グランツは其処に立つ。

「くっ……」

 俺は苦い思いと共に、呻き声を漏らす。

 全身を微かに包む聖光が障壁となって、俺の攻撃は届かなかった。

 相手が、こちらの一撃のことごとくを躱わしていたため、思わず忘れそうになったが、これまで対峙した六神将がそうであったように、この敵は奏器を行使する者だ。

 今の俺では、届かない。

 頭の何処かで、乾いた声が端的に事実を告げた。

「…………」


 打開策を探すとは名ばかりの思考は空転し、頭の中を無数の問い掛けが駆け巡る。

 このまま座して終わるつもりか? このまま何一つ返すことなく膝をつくのか?

 このまま気絶した仲間が───なぶり殺しにされる様を見据えるつもりなのか?

「そんなことっ………認め、られるかっ……!」

 絶対的な力量の違いを目にしながら、俺は構えを取る。尚も敵対の意志を示す。

 一時の激情が去ったことで全身に痛みが戻るが、もはや関係ない。無意味な抵抗と言われようが、絶対に諦めるつもりはなかった。

 今の俺では届かない? ああ、確かにそれは認めよう。だが、それがどうしたと答えてやるよ。そんなものは諦める理由になりはしない。届かないと言うなら、届かせるまでだ。

 そのために、必要なら俺は───

 ───鼓動が、耳に届く。

 腰に吊るされた杖が、ほの暗い燐光を放っていた。

 まるで早く手に取れと急かしたてるかのように、杖から放たれる鼓動の感覚は早まって行く。

「………第一奏器か」

 音素の高まりを感じ取ってか、ヴァン・グランツが闇杖に視線を転じる。

「確かにそれを用いれば、私に抗することも可能となろう。無論、調律を受けぬ身で制御が可能か、意識を飲まれぬまま行使することが可能か……様々な問題が存在するが、全ては些細なことだ」

 ヴァンは俺の顔を見据え、一つの問い掛けを放つ。

「───お前に、覚悟はあるのか・・・・・・・ ?」
「…………」

 障気による汚染。

 奏器を手に取るならば、文字通り命を削る覚悟が必要だった。

「………俺に覚悟があるとは、言わねぇよ。俺はきっと……後悔するだろうからな」

 この選択を悔やむ日が来る事は、既に確定している。

 脳裏に蘇るのは、障気に汚染され、苦悶の声を上げるアクゼリュスの人々。身動きを取る事すら満足にままならぬまま、ただ床に伏せ、障気が全身に浸透していく中、命尽きる時を待つ。

 ………そんな事、絶対に御免のはずだったんだけどな。

 僅かに目を閉じた後で、俺は静かに吐息を漏らす。

「だがそれでも、絶対に退けないようなときがあるとしたら、それは───」

 目を開き、一瞬の躊躇いも無く、腰に吊るした杖を抜き放つ。

「───今が・・そのとき・・・・ だ」


 闇が、世界を犯す。


 歓喜に打ち震える闇杖から、溢れ出す闇が俺の全身を包む。流れ込む怨嗟の声が、俺の理性を溶かし、崩し、消し去ろうする。

 だが、俺は意に介さない。誰が耳を貸してやるものか。

 俺は杖を睨み付け、ただ一言を告げる。

「黙れ」

 放たれた身も蓋もない命令に、杖から溢れ出る闇が、ピタリと、その動きを止めた。

 ほうとヴァンが感嘆の声を上げる。

「……俺は、二度と自分を見失わねぇ。絶対に我を忘れるような真似はしねぇ。だから、お前は少し、黙ってろ」

 戸惑うように闇を揺らす闇杖を目の前に掴み上げ、その中に存在するだろう意識に叫ぶ。

「それに少しは情けねぇとは思わねぇのか? 本体から切り離されたとは言っても、お前も元は第七音素の意識体だろうが。自分を無理やり切り離した奴らに良いように使われるままで、お前は本当に満足かよっ!?」

 どこか迷うように、闇杖が鼓動を繰り返す。けっ、優柔不断なやつめ。忌ま忌ましさに舌打ちを漏らした後で、俺は更に言葉を続ける。

「……なら、約束してやるよ。全てが終わったら、お前を本体に戻す。そう約束してやるよ。だから、お前も俺の邪魔をするなっ!」

 掴み上げた杖を睨み付け、俺は叫ぶ。

「俺に力を貸しやがれっ、ケイオスハートッ!!」

 刻まれる鼓動の音色が───此処に決定的な変化を遂げる。

 どこまでも力強い鼓動が打ち鳴らされ、杖から鳴り響く音色は高らかに奏でられて行く。

 圧倒的なまでの量の音素が引き出され、俺の全身を包むが、もう意識が掻き乱されるような事は無い。澄みきった意識の中で、俺はヴァンに視線を送る。

「───見事だ。此処にお前は、ようやく私と同じ舞台に立ったという訳か」

 闇杖の先端に収束する音素が刃を形成し、闇の衣が俺の全身を包む。だが、それでも杖から引き出される音素は止まらない。絶えることなく闇はその濃度を高め続ける。

「どうせ、これが最後の機会になるんだ。最後ぐらいは、派手に付き合って貰うぜ、ヴァン」

「ふっ……よかろう。私も全力でお前を迎え撃つとしよう、ルーク」

 剣を鞘に納めると、ヴァンは腰に吊るした杖を初めて其の手に握った。高まり行く闇杖の放つ闇に呼応するかのように、ヴァンの握る光杖から放たれる光もまたその力を増していく。

 踏み出した互いの足が、同時に地面を蹴る。

 光と闇、対立する音素の担い手が───ここに激突する。

「───────ッォッ!!」
「───────ッォッ!!」

 振り上げた闇の刃が絶望の声を上げながら世界を喰らう。
 迎え撃つ光の刀身が威光をもって世界を塗り潰す。
 剣戟が交される度、膨大な力が放たれる。
 荒れ狂う力の余波で、空間が軋みを上げる。

 しかし、人智を超えた超常のぶつかり合いの果てにも──勝者は一人。


 交錯した影が、二つに別れた。


 袈裟掛けに切り裂かれた身体から、鮮血が吹き上がり──俺はその場に膝をつく。

「……成長したな」

 光をまとう杖を地面に突き立て、ヴァンがどこか優しい声音で告げる。

「やはり、この力……お前こそが、前史に記されし、ローレライの力を継ぐ者……」

 言葉を続けるヴァンの全身から、仄かな光が、絶えること無く立ち上る。

 光は───音素の乖離する光だった。

 ヴァンは俺を見据え、言葉を続ける。

「だが、所詮この流れすらも……預言の内にある……それ故に、私は……」

 手にした杖をその場に突き刺し、倒れそうな身体を支え、ヴァンは顔を上げる。

「ふははははははっ!!」

 最後に哄笑を上げると──ヴァン・グランツの身体は、音素の光・・・・ となって、虚空に消えた。

 地面に突き刺された光杖が、鼓動の名残を残し、仄かな光を放つ。

 だが、その光も直ぐに失われた。

 俺は刀身を地面に突き立て、今にも崩れ落ちそうな身体を支える。

「……バカ師匠がっ……」

 最後の最後まで、相手の考えがわからなかった事実に、俺は歯を噛み締め、苦い呻きを漏らした。


               * * * 


「本当に大丈夫なの……ルーク?」
「ああ……何とか、な」

 込み上げる吐き気を堪えながら、俺はやせ我慢の限りを尽くした言葉を返す。

 戦闘が終了した後、気絶している皆を俺はぶっ倒れそうになりながら、起こして回った。

 直ぐに気づいたティアとナアリアが、二人係で慌てて俺の治癒を施してくれたため、ヴァンと切り合って出来た傷などは何とか癒えている。

 だが、闇杖を使ったことによる吐き気が凄まじい。もうとんでもないです。

 あの宣言のおかげで、杖の制御自体はできていたようだったが、障気による汚染を停めるのは無理だったようだ。使えばこうなることはわかっていたはずなんだが、それでもやっぱ辛いもんがある。

「ルークには大変申し訳ないのですが、今は時間が無い。パッセージリングの操作をしてしまいましょう」
「うっ……そうだな……わかったぜ」

 うぷっ、と込み上げる吐き気を押さえ、俺はパッセージリングに向き直る。いつものように起動したセフィロトに向けて音素を照射し、指示を書き込む。

 だが、俺の力が足りないのか、降下は一向に始まろうとしない。

 額から汗が滴り落ちる。俺の放つ力が限界を向かえようとしたそのとき。闇杖が鼓動を刻むと同時、脳裏に一つの映像が浮かび上がる。そこには俺と同じようにパッセージリングに向けて、音素を照射する男の姿があった。

「アッシュ……?」

 カチリと、何かが噛み合ったような音が響き、力が限界を超えて放たれる。ついでラジエイトゲートで第七音素を照射するアッシュの像が消え去り──激しい振動がセフィロトを襲う。

 げげっ……勘弁してくれ……

 突然の振動に、左右に揺れ動く身体を、俺は手にした杖で必死に支える。

 うえぇっ……マジで、吐きそう……は、早く降下しきってくれ。

 振動はしばらくの間続き、ようやく収まった。俺が吐き気に顔を蒼くしている横で、パッセージリングの表示を確認していたジェイドが顔を上げる。

「どうやら無事、降下は成功したようです。想定通り、障気もディバイディングラインに吸着し、地殻に押し戻されました」

 ジェイドの保証を皮切りに、皆が一斉に口を開く。

「はぁーやっと終わった! 早くイオン様に御報告しないとね~」
「そうですわね。これで全て終わりましたのね」
「まだ降下した大地が、これからどうなるかまでは、わかりませんけどねぇ」

 口々と言葉を交わす三人とは対照的に、ガイとティアはどこか複雑な表情を浮かべていた。

「……ルークの身体が心配だわ。ベルケンドに向かって、一度医療施設で診て貰いましょう」
「ああ。それが一番だろうな。ったく、こいつは一人で無理しやがって……」

 二人の言葉に、俺も返す言葉が無い。

 確かに、こうも顔色が変わってちゃ、心配するなって方が無理な話か。

 実際、少し動いただけでリバースしそうだ。しかし、このまま突っ立っていても仕方がない。

 気分を切り換えるべく、俺は大きく深呼吸をした後で、皆に向き直る。

「そうだな。ともかく、帰ろうぜ」

 言葉を紡ぐ俺の視界の端、地面に突き刺された杖が、消え失せる。

「俺たちの………」


───脇腹を貫く衝撃が、俺の言葉を止めた。


 一滴、一滴と、鮮血が滴り落ちる。

 滴り落ちる鮮血に混じって、脇腹からは、白刃がその切っ先を除かせていた。

 全身から燐光を立ち上らせ、無造作に剣を突き出す男───ヴァン・グランツの姿が、其処には在った。




 世界の終焉が、此処に導かれる──────







               * * *







 血に濡れた長剣を片手に、詠師服の男は口を開く。

「………前史において、栄光を掴む者はこの地で、ローレライの使者に敗れたという」

 苦痛に喘ぐ赤毛を見据えながら、詠師服の男は淡々と続ける。

「観測されし事象の流れを覆すためには、既存の流れを沿いながらも、僅かな違いを生み出してやる必要があった。故に、私は決戦の地として、ここ──アブソーブゲートを指定した」

 言葉が終わると同時、刃が引き抜かれた。

 脇腹から血潮を吹き上げながら、赤毛の男は血の海に沈む。

 流れ出た鮮血が地面に広がり、詠師服の男の足を濡らす。

「そして、お前は見事に私を敗り、世界を救ってみせた。私は認めよう。ルーク、お前こそが現世における観測者となりうる者。そう───」

 血に濡れた長剣を片手に、詠師服の男は笑う。

「───ローレライの使者だ」

 僅かに離れた位置に、呆然と立ち尽くす男女が五人。燕尾服の刀は腰に繋がれたまま動かず、弓矢を番えるべき王女の手は動揺に震える。人形を抱く教団の少女は目を見開き、長髪の軍人はただ唇を噛む。

 そして、彼女は手を伸ばす。倒れ伏す彼の名を呼びかけようと、口を開く。

「だが、此処に前史の流れは覆され、停滞世界は終焉を迎える……」

 宣告は無慈悲に、響き渡る。

「滅びよ──」

 詠師服の男が、杖を掲げ上げた。

《───ジャッジメント!!》


 光の柱が天から降り注ぐ。


 呼びかけは届かなかった。

 誰もが地に伏せ、苦悶の声を上げる。

 このとき確かに、すべては終わっていた。


 例外は、一つだけ。


「───ルーク………!」


 小さく、けれど確かに、彼女は彼の名前を呼んだ。

 赤毛の男の指が、微かに動きを見せた。



[2045] 6-5 音色は途絶え、そして刻は動き出す
Name: スイミン◆8b7cb1e2
Date: 2009/09/20 03:03

 すべては終わっていた。


 血の海に沈む赤毛を前に、詠師服の男は告げる。

「………前史において、栄光を掴む者はこの地で、ローレライの使者に敗れたという」

 血に濡れた長剣が振られ、血糊が飛び散った。

「観測されし事象の流れを覆すためには、既存の流れを沿いながらも、僅かな違いを生み出してやる必要があった。故に、私は決戦の地として、ここ──アブソーブゲートを指定した」

 赤毛の脇腹から流れ出たものが地面に広がり、詠師服の男の足を濡らす。

「そして、お前は見事に私を敗り、世界を救ってみせた。私は認めよう。ルーク、お前こそが現世における観測者となりうる者。そう───」

 血に濡れた長剣を片手に、詠師服の男は笑う。

「───ローレライの使者だ」

 僅かに離れた位置に、呆然と立ち尽くす男女が五人。燕尾服の刀は腰に繋がれたまま動かず、弓矢を番えるべき王女の手は動揺に震える。人形を抱く教団の少女は目を見開き、長髪の軍人はただ唇を噛む。

 そして、彼女は手を伸ばす。倒れ伏す彼の名を呼びかけようと、口を開く。

「だが、此処に前史の流れは覆され、停滞世界は終焉を迎える……」

 宣告は無慈悲に、響き渡る。

「滅びよ──」

 詠師服の男が、杖を掲げ上げた。

《───ジャッジメント!!》

 光の柱が天から降り注ぐ。

 呼びかけは届かなかった。


「どう……して……っ!?」

 苦痛に喘ぎながら、辛うじて言葉を漏らす彼女に、詠師服の男は感情の宿らない視線を落とす。

「……本質的な意味において、奏器を使いこなすとは、自らの身体を音素化させて行く事に他ならない」

 言って、杖に添えた片手の指を打ち鳴らす。
 光の粒子が詠師服の男の身体を包み───その姿が消え失せる。

 一瞬の停滞も無く、僅かに離れた位置に光の粒子が集結し、詠師服の男の身体が現れ出る。

「故に、さして時間も経たぬ状態からなら、一時的に音素化した身体を再構築する程度、造作もない事だ」

 呆然と見据える彼女から視線を逸らし、詠師服の男は血に濡れた長剣を無造作に振るう。

「全ては忌まわしき呪縛を断ち切るため……これより世界は新たな地平を歩み出す」


 一人、詠師服の男は哄笑を上げる。

 誰もが光の柱に射抜かれ、動けない。

 このとき確かに、すべては終わっていた。

 例外は、一つだけ。

「───ルーク……!」

 小さく、けれど確かに、彼女は彼の名前を呼んだ。

 赤毛の男の指が、僅かに、動きを見せた。

 詠師服の男の上げる哄笑が止まる。

 流される視線が、背後に移り、僅かな驚嘆を込めた吐息を漏らす。

「ほぅ……まだ、意識が在ったのか」

 血の海の中、抜き身の刀にその身を預け、立ち上がった赤毛の男の姿が、そこにはあった。




               * * *




 血の臭いが鼻に突く。

 喉から込み上げる熱いものが唇を濡らす。脇腹から溢れ出ようとする液体を手で押さえることで無理やり停める。くそったれなことに、闇杖は床に倒れた拍子に、何処かに転がっていってしまった。手元に残った唯一の獲物である抜き身の刀に身体を預け、俺は強引に身体を支える。

 俺は立ち上がった。

 だが、それだけだった。

「無様な真似をさらすな。その傷でお前に何ができる。それとも……死ぬつもりか?」

 ヴァンが反論の余地も無い言葉を返す。だが、そんなこと知ったことか。
 混濁した意識の中で、俺は血を吐く思いで、言葉を絞り出す。

「はっ………俺は、死なねぇよ………まだっ、死ねない………っ!」

 今にも崩れ落ちそうな身体を意地だけで引き上げて、俺はうわ言のような言葉を繰り返す。

「───……約束……したんだっ………」

 朦朧とした意識の中で、辛うじて握られた剣を構え、俺は腰を落とす。

「………俺は、まだ、あいつに何も返せていねぇ………っ!!」

 顔を引き上げ、血の滴り落ちる脇腹を押さえ、俺は剣の切っ先をヴァン・グランツに向けた。

 このまま終われねぇ──そんな意地だけが、俺を支える全てのものだった。

 ヴァンはそんな俺を見据え、僅かに表情を引き締める。

「……無様とは、もはや言わん。お前の気概は認めよう」

 掲げられた杖に光が灯る。収束する光は刻まれる鼓動の中、視界を染め上げ、世界を白に染め上げる。

「──ぁぁああぁぁっ──っ!!」

 もはや霞んだ視界の先、唯一鋭く突き刺さる光源に向けて俺は駆ける。

 強引に地を蹴る。もつれる足を無理やり踏み出す。ぶっ倒れそうになりながら、その勢いさえ利用し剣を引き上げ───全力で叩きつける。

「………だが、その上で告げる」

 振り降ろした切っ先は、硬い地面を叩いた。

 光源の先に在ったはずの気配が、刹那の間も置かず、俺の背後に再び現れ出る。

「───約束は果たされないと」

 背後から突き出された剣は、呆気なく、俺の身体を貫いた。

 痛みは感じない。そんなものは、当の昔に麻痺し切っていた。

 ああ……こりゃマジでやばいな。

 どこか他人事のような感想が思い浮かぶ。

 グラグラと視界が揺ぐ。その上、足先の感覚まで薄れて来た。

「……最後に、もう一度だけ問おう」

 握力が限界を迎え、手からこぼれ落ちた剣が、地面に落ちて甲高い音を立てる。

「私に協力する気はあるか?」

 視界は急激に狭まり行き、血の気が抜け落ちた身体がどんどん冷えきっていくのがわかる。

 自らの状態が、どうにもならない所まで来ていることが理解できた。

 もはや、俺に対抗する術などあるはずも無かった。

 だがそれでも、俺が返す言葉は決まっていた。

 焦点を失いつつある視覚の先、身体を貫く剣の握り手に顔を向け、決まりきった言葉を返す。

「───バーカ。絶対に、ゴメン、だな」

 口元から血を滴り落としながら、俺は不敵に笑ってみせた。

 ヴァンは一瞬だけ瞼を閉じると、そうか、と小さく声を漏らす。

「───残念だ」

 剣が一息に引き抜かれ、吹き出す鮮血が虚空を飛び散った。

 俺の身体は床に投げ出され、鮮血の海に沈む。

 朦朧とした意識の中で、誰かが俺の名前を呼んでいる。

 泣き顔が見える。彼女が泣いている。

 ああ、俺が泣かせているのか。まったく、俺はどうしようもないバカだよな。

 結局、俺は届かなかった。それはもう認めるしかないだろう。

 だが、彼女たちの終わりまで見過ごすことは、どうしてもできそうになかった。

 不意に、うつ伏せに倒れた俺の指先に、転がり落ちた杖の先端が触れる。

 まだ、俺にもできることがあるってことか。

 弱々しい鼓動を刻む杖から、微弱な意識とも呼べないような何かが流れ込む。杖を手に握り、俺は最後の力を振り絞ることを決めた。

 かつて地殻で触れた意識の波形。あいつと繋がるラインを強引に手繰り寄せて接続。全ての作業を闇杖に任せ、俺は文字通り血反吐を吐きながら、大きく杖を振りかぶり──そのまま投げ放つ。

 杖は自ら意志を備えているかのように目標地点に飛び立ち、其の先端が床に触れると同時───巨大な譜陣が周囲に展開される。

「む……これは……───」

 ヴァンが事態の進行にようやく気づくが、もう遅い。

 ほの暗い闇色の光は倒れ伏す皆を一瞬にして包み込む。広がる譜陣が一際強い闇色に染まると同時───皆の姿は、この場から消え失せた。

 後には血の海に沈む俺と、一人無傷で佇むヴァンだけが、その場に残された。

 へっ、ざまぁ見ろ。

 最後に悪態を突き、少しだけ溜飲を下げる。

 急激に薄れ行く意識の中で、俺は皆のことを考える。

 どこか気障な親友、気の良い幼馴染み、ひどく嫌味な先達に、小さな悪友、前へ進み始めた弟分。

 そして最後に脳裏に浮かぶのは、去り際に彼女が初めて見せた、泣き顔だった。

 ああ、勘弁してくれ。泣くのは反則だ。

 約束破ったことないの、密かな自慢だったりしたんだけどなぁ。

 でも、それもここまでか。

 どうやら、俺……約束、果たせそうにない。

 ごめんな………────ィ………ァ────




 ───意識は闇に沈み、言葉は何処にも届かない。





               * * *




「転送陣か……味な真似をする」

 血の海に沈むルークを見据え、ヴァンは顎先を撫でる。

 本気で最後の力を振り絞った行動だったのか、もはや立ち上がる気配はない。微かに上下する胸だけが、未だルークが死んでいないことを訴える。

「だが、些細な事か」

 もはや障害とはなり得ぬと判断し、ヴァン・グランツはゲートの中心に移動する。

 地面に突き立つ闇杖の向かい側に立ち、ヴァンは自らの手にした光杖を───そのまま床に突き立てる。

 畏ろしく精密な譜陣が展開された。地面を埋めつくしてもなお止まらぬ譜陣の構築は、壁面へと格子を伸ばし、立体的な陣となって、ありとあらゆる空間に術理を刻み続ける。

 譜陣の起点に位置する二本の杖からは、両極に位置する音素───光と闇の音素が引き出され、放たれる力の巨大さに唸りを上げながら、世界を侵し始めていた。

 ヴァン・グランツは譜陣の展開を確認すると、そのまま血の海に沈んだルークの下に歩み寄る。そして倒れ伏す身体を抱え上げ、ゲートの端に向けて歩く。

「ローレライの力を継ぐものよ。超振動を用いぬと言うなら、それもいいだろう。
 世界の記憶に刻まれるまま、その身を地殻に沈め、完全同位体たる役目を果たせ」

 ゲートから覗く気穴──セフィロトまで移動し終えると、ヴァンは抱え上げていたルークの身体を、そのまま地殻に向けて───投げ落とす。

「……さらばだ、ルーク」

 セフィロトに投げ出されたルークの身体は、地殻から吹き上がる音素の光に飲まれて、直ぐに見えなくなった。完全に地殻へ飲まれたことを見届けると、ヴァンは何事もなかったかのように、悠然とセフィロトの中心に向かう。

 突き立てられた二本の杖から引き出される音素は、今や膨大な量に達し、光と闇の入り交じった不気味な色彩に世界が染まり上がる。

 全ての中心に位置するゲートに歩み寄ると、ヴァンは制御盤に手を伸ばす。

「世界の降下はなされ、確かに障気は地殻に押し戻された。
 だが、栄光を掴むものは地上に残り、ローレライの使者は地殻に沈む」

 最大セフィロトの一つであるアブソーブゲートが、禍々しい紫紺の輝きに染まる。

 轟々と唸りを上げ、光と闇の音素が渦を巻く。煌々と光を放つ譜陣が、力の解放に打ち震える。

「ここに因果の封禍を穿ち、永劫回帰の牢獄から、停滞世界は解き放たれる……」

 ヴァン・グランツはゲートを見上げ、世界の崩壊を告げる。

「穢れし澱、狂えし帰結。終焉の刻守。

 蘇るがいい、第八音素・・・・ ───

 ───因果のオブリガード・・・・・・・・ よ」

 プラネットストームから吹き出した紫紺の塊はうねりを上げながら天上まで駆け昇り───


 ────世界崩壊の序曲が、此処に鳴り響く。






               ──アブソーブゲート・入口──





「どうやら、無事降下は済んだようですね」

 大地の振動は既に収まり、大陸は安定を取り戻していた。

 ノエルは安堵に胸を押さえ、空を見上げた。

 実感は未だわかないが、これまであの空の上に、自分たちの立つ大地はあった。そうした事実に少し感慨深いものを感じる。

 ふと、ミュウさんとコライガさんの様子が随分とおかしいことに気づく。

 コライガさんは全身の毛を逆立てながら、低い唸り声を上げ、ゲートを睨む。

 ミュウさんは目に涙を滲ませながら、しきりに左右に耳を動かす。

「どうしたの?」
「みゅぅぅう……とっても怖いものが居るですの……地面の下を動いてるですの」

 あまりの怯えように、どう言葉を掛けたらいいかわからない。それでもこのまま見過ごす訳にも行かず、言葉を探しながら、ノエルが口を開いた───そのとき。

 不気味な胎動が、地面の下から響く。

「これは………っ───!?」

 操縦士としての本能が警告する。騒めく大気から肌に突き刺さるような圧迫感が押し寄せる。

 ゲートから吹き出す紫紺の渦が───天を貫いた。

 うねりを上げて駆け上るソレは、プラネットストームの流れに乗って、蒼空を圧倒的な勢いで浸食していく。

 呆然と空を見上げるノエルは、不意に気づく。

「待って、行っちゃダメ!」
「話してくださいですの! ご主人様が! ご主人様の気配が、消えちゃうですの!!」

 大きな目から涙を流し、ミュウさんは泣き声を上げる。とっさに伸ばしたノエルの腕から逃れようと身体を揺するミュウさんに、さすがに動きを押さえきれなくなって、ついに手が離れる。

 バチリッと雷光が閃き、ミュウさんの身体が崩れ落ちる。

「……ぐるぅ……」

 低く唸りを上げて、雷撃を放ったコライガさんが、アルビオールの存在する方向を首で促す。

 おそらく、今のうちに、運び込めということだろう。

「……わかりました」

 申し訳なく思いながら、ノエルはミュウさんの身体を抱え上げ、アルビオールに運ぶ。

 機体に乗り込んだ所で、設置された通信端末が、しきりに音を鳴らしていることに気づく。

 困惑しながら、ノエルは端末に手を伸ばす。

 紫紺に染まった空を見上げ、コライガさんが、低く、遠吠えを上げた。






               ──ラジエイトゲート・深部──





 振動が収まったのを確認し、アッシュは大地の降下が無事成し遂げられた安堵に、僅かに気を緩めた。

「……まったく、世話の灼けるレプリカだ」

 能無しのバカ面を思い返し、少しは認めてやってもいいかもしれない。そんな思いすら沸き起こる。

 セフィロトに背を向け、数歩進んだところで、不意に歩みが止まる。

 ピシリッと、手にした剣から奇妙な音が響く。不審に思いながら視線を向け、アッシュは目にしたものに我が目を疑う。

「なっ……これは、どういうことだ?」

 手にした剣───ローレライの鍵には、無数のヒビが走っていた。

 理解できない現象に、アッシュは言葉を無くす。

 そして、更に事態は動く。

「────ぐっ…………」

 何かが身体に流れ込む。

 それは長い間掛けていた何かが、自分の身体に定着するような感覚。苦痛も快感も無く、ただどこまでも不気味な充足感が俺を満たす。

 何故か、脳裏にあいつの姿が浮かぶ。

 膨れ上がる厭な予感に、俺は我知らずつぶやきを漏らしていた。

「能無し……?」

 答えは返らない。

 背後では、セフィロトから立ち上る音素の光が、不気味な紫紺の輝きに染まっていた。





               ──宗教都市ダアト──





 空が紫紺に染まる。

 セフィロトから吹き出したおぞましき奔流は、プラネットストームの流れに乗って、瞬く間に空を覆い隠し、不気味な胎動を響かせる。

 紫紺に染まり上がった空から、蒼色は完全に消え去った。

 世界の終わりのような光景を前に、その場に集う教団の誰もが狼狽を露わにし、スコアと偉大なる始祖に祈りを捧げている。

 ただ一人祈る事もせず空を見上げ、大詠師モースは来るべき時が来たことを理解する。

「因果は廻り……終幕の刻は確実に迫り来る、か」

 諦観とともに空を見上げ、モースは渦を巻く障気を見据える。

 だが、まだ世界は終わらない。あの程度では、まだ世界は終われない。

「世界の存続のために、私は道化たる役目を果たそう、ヴァンデスデルカ」

 聖人は自らの誓いに従い、動き出す。

 全ては、この歪みきった世界が、続いていく為に………






               ──ラーデシア大陸・オラクル駐屯地──





 身を削られるような緊張感に、肌が泡立つ。

 戦場に設置された塹壕の向こうを見据え、兵士たちは一言も漏らさない。彼らの顔に浮かぶ表情は、屈辱と焦燥、そして色濃い恐怖が入り混じったものだった。

「敵襲──敵襲──っ!!」

 見張りの上げた呼び声に、塹壕に身を伏せていた兵士たちが一斉に刀剣を抜き放つ。僅か一日足らずで、彼らの拠点を攻め落とした敵の襲撃に備える。

 塹壕の向こうから、降り立つ影。

 いかなる力をもってか、塹壕を飛び越えた男が彼らの中心に音もなく着地する。風に煽られた黒の教団服が翻り、手にした奇怪な形状をした長剣が地面に突き立てられる。

 同時、展開される譜陣が塹壕内を埋めつくす。

「──っ───退避────!!」

 隊長格の男が叫ぶが、既に全ては遅い。

 譜陣の上に立つあらゆる者たちが、突然、膝から地に伏せる。まるで巨大な腕に頭上から押さえつけられたかのように、身動き一つできぬまま、為す術もなく地面に身体を倒す。

 戦場を貫く重圧の軛の中、全ての元凶たる男は悠々と塹壕を歩く。どこか裁ち鋏にも似た奇怪な形状をした長剣を肩に担ぎ上げ、重力の軛に囚われ動けない兵士たちの中を歩く。男の後に続いて、何人もの兵士たちが塹壕内に突入を始め、倒れ伏す兵士達を次々と拘束していく。

「くっ──導師の犬がっ!」
「……まあ、あんたらヴァンの捨て石こそ、反乱なんて面倒くさい活動、わざわざご苦労なこったな」

 連行されゆく兵士の叫びに、黒服の男は億劫そうに肩を竦めて応えた。

「──っ──おのれっ──異端のカンタビレめ──っ!!」

 上がる怨嗟の声など、いささかも気にした様子も見せず、オラクル騎士団第六師団長───アダンテ・カンタビレは部下に指示を与えると、さっさとその場を離れるのだった。

 戦場の残滓が色濃く残る場所に佇み、カンタビレは本気でため息を漏らした。

「……やれやれだな。事前に過激派の一斉蜂起を察知できてなかったら、とんでもねぇ事態になる所だったぜ」
「そうですね。そう考えると、地方に我々の師団のメンバーが大量に飛ばされていた意味もあったのかもしれませんね」

 脇に控える副官の言葉に、カンタビレは半眼を向ける。

「……お前さん、そりゃ厭味か、ライナー? 最初に会った頃と比べて、お前も随分と変わっちまったもんだよなぁ」
「あなたの下に配属されたのが運の尽きでしたからね。このぐらいは当然の変化ですよ、師団長」
「………」

 しれっと答える副官の言葉に、カンタビレは憮然と言葉を無くす。

 周囲をせわしなく動き回る彼の部下達は、また何時もの漫才が始まったと、気にした様子も見せず、ひたすら割り振られた仕事に従事し続ける。

 ここは地方でも有数の規模を誇る、ラーデシア大陸に位置するオラクルの駐屯地だ。何故、自分たちが同じ教団相手に戦争じみたことをしているかと言えば、反乱を防ぐためだとしか答えようがない。

 今から一週間前のことだ。ヴァンの離脱後も教団に潜伏していた過激派が、大地の降下に合わせ、各地に点在する駐屯地において、一斉蜂起を企てているという情報が入った。それなりに信用の置ける筋から入った情報ということもあって、カンタビレ達は師団の者たちを引き連れ、各地にある駐屯地を順に巡り、反乱を躍起になって叩き潰して廻ることになった。

 だが、それもこのラーデシア大陸が最後。何とも危ういところだったが、これで無事反乱を治めることができたという訳だ。

「……本来なら、自分もあの場所に向かうはずだったんだがな」

 遥か遠く、ゲートの存在する方向を見据え、カンタビレはため息を漏らした。

「まあ、あいつらなら上手くやるか。……しかし、何だって有能な奴は皆、あの顎髭につくかね。おかげでこっちは人手が足らねぇにも程が過ぎる状況だ」
「そうですね。せめてアッシュ特務師団長が残ってくれたら少しは楽になったとも思いますが、彼もラジエイトゲートに向かってしまいましたからね……」

 ライナーが応じた後で、はっとあからさまに失言したという表情になる。

 おそらく結局動けなかったこちらを気づかってのことだろうが、カンタビレにとってそういう気遣いは、正直ケツが痒くなって仕方がなかった。

「まあ、ともかく……」

 できることをやるだけだ。そう言葉を続けようとした───そのときだ。

 カンタビレの腰に吊るされた奇怪な形状をした長剣が、山吹色の光を放つ。放たれる光は周囲を染め上げ、地面に一瞬にして巨大な譜陣が展開される。

「これは───まさか、六神将の襲撃──っ!?」

 叫びながら、ライナーがとっさに身構え、自らの上司を背後に庇う。

 しかし、緊張するライナーとは対照的に、カンタビレはどこか困惑したように瞳を揺らしながら、小さく首を振って否定を返す。

「いや、どうも違うみたいだな……この感じは……」

 理解が追い付く前に、譜陣が完成する。闇色の光が視界を貫き、展開された譜陣が消える。同時に虚空から現れた五人の男女が、大地に投げ落とされた。倒れ伏す誰もがボロボロの状態で、意識を失っているのがわかる。

「…………い、いったい彼等は?」

 動揺するライナーの言葉には応えず、カンタビレは現れた男女の顔を一人一人、確認して行く。いくつか見覚えのある顔が混じっているのを確認した後で、カンタビレは肝心の相手が抜け落ちている事実に気づく。

 そして、この事実が指すものを理解する。

「……そうか」

 視界の端で、慌てて駆けつけた部下が、気絶する彼等を目にして仰天するのがわかる。衛生兵を呼ぶ声が基地内に響き、戦場の残滓が未だ色濃く残る基地を慌ただしく染め上げていく。

 全ての空気から外れた場所に独り立ち、カンタビレはどこか複雑な表情で、倒れ伏す彼等を見据えている。

 答えを求めるように視線を寄越すライナーに、カンタビレは黙って空を見上げた。

 つられて顔を上向かせたライナーが、自らの目にしたものに驚愕の呻きを漏らす。

「なっ!?」

 遠くセフィロトから吹き上がる紫紺の塊が、一瞬にして空を染め上げた。

 セフィロトから天に向けて駆け上る障気・・ の奔流は止まるところを知らず、プラネットストームの流れに乗って、かつてホドの在った地点に集結する。

 動揺する副官とは対照的に、カンタビレは静かな瞳で、障気に覆われた空を見上げ続ける。

「……負けちまったのか、ルーク」

 呟きはどこか祈りにも似て、ひどく苦渋に満ちた言葉になった。
















『───……世界が続いていく為に、我等は安易な選択をしたのかもしれない。

 いつかこの咎に気づき、動き出す者が現れることを願い、ここに全てを記す。

 深淵の縁を覗き込みし役者は、定められた役柄を超えようと足掻くだろう。

 あたかも密林の如く生い茂る因果の果てに、終わらぬ世界は一つの選択を告げるはず。

 停滞か終焉か。

 与えられる選択肢は二つ。

 これに従うことを良しとせず、なおも世界の選択に抗うことを選ぶなら、導き出される答えは一つ。

 汝、ただ一つ確かなものとして、家族きずなを求めよ。

 真なる意味おける停滞世界の終焉は、その先にこそあるのだから────………』


 ───ローレライ教団禁書目録・秘匿史料第0項『深淵の書』より抜粋───



[2045]  ──ある怪物の話し──
Name: スイミン
Date: 2006/12/14 03:20






            ──ある怪物の話し──











『むかしむかし、あるところに一人の風変わりな少年が居ました。

 風変わりな少年は音素に宿る意識に、なみなみならぬ関心を抱いていました。

 どうして? どうして音素は一定以上集まると自我を持つんだろう?

 不思議だなぁ。不思議だなぁ。本当に、不思議だなぁ。

 風変わりな少年は疑問の答えを求め、自らの知識を深めていきます。

 大人になった少年は、いつしか研究者としての道を歩みはじめていました。

 様々な書物に記された学説を読み上げ、理解を深めながら、どこまでも貪欲に、自らの抱いた疑問の答えを追い求めて行きます。

 不思議だなぁ。不思議だなぁ。本当に、不思議だなぁ。

 彼の抱いた疑問は解決されることなく、時は流れます。

 気づけば、男は当時栄華の極みを誇っていた六王国の一つで、軍の研究者として働いていました。その胸に解ける事のない疑問を抱いたまま、ただ上司に命じられた研究を続けるだけの日々が過ぎていきます。

 どうしてだろぅ? わからない。わからない。わからない。

 当時、世界は新たに発生した第七音素に含まれるという未来の記憶に関心を寄せていました。そうした動きが、セフィロトの存在する地域を巡る奪い合いに発展するまで、それほど時間はかかりませんでした。

 かつて少年だった男もまた、第七音素に関心を抱きました。

 しかし、第七音素が含むと言われる未来の記憶に、彼は関心などありませんでした。

 音符体を通過する際、六つの属性が記憶粒子と混じり合うことで、当然変異的に発生した第七音素。

 そうなのかぁ。そうだったのかぁ。わかったぞぉ。やっとわかったぞぉ。

 風変わりな男は即座に行動に移ります。軍の上層部に向けて、既存の概念を塗り替える新兵器の開発と証し、莫大な資金を投入させます。その際、男は上層部に対して、惑星規模の破壊力を持った兵器を開発して見せると、そんな夢物語のような言葉を語って見せたそうです。

 しかし、戦争の始まりを感じ取っていた上層部は、男の言葉を全ては信じずとも、それなりに威力のある兵器を開発することは可能だろうと判断し、男に研究を実行するよう指示を下しました。

 こうして、長い研究が始まりました。

 いくつもの失敗作が生み出されては、次々と破棄されていきます。それでも風変わりな男は諦めることなく、自らの疑問を解決し得る存在を追い求め、ひたすら研究を続けていきました。

 長い長い研究の果てに、出来上がったのは六本の譜術武器。

 風変わりな男は未だ何の属性にも染まっていない触媒を示し、音符体から膨大な量の音素を引き寄せ、セフィロトから抜き出した大量の記憶粒子と掛け合わせることで、はじめてこの兵器は完成するのですと訴えかけました。

 かくして、男の要請に基づき、一つの実験が開始されることになりました。実験が成功した場合、予測されるあまりに強大な威力に、全てが極秘のまま計画が押し進められていきます。実験の地としては、ホドと呼ばれる孤島が選定されたといいます。

 そうして、男の待ち望んだ〝其の日〟がついにやってきました。

 風変わりな男は集まった政府高官達を前にして、高らかにうたい上げます。

 行いましょう。造り上げましょう。
 これより我々は新たな領域に足を踏み入れます。
 世界の根源に最も近しいと言われし第一音素。
 世界の限界に最も近しいといわれし第六音素。
 対立する両音素を音符体から引き寄せて、
 地核から引きずり出した記憶粒子と掛け合わせ、有無を言わせず融合しましょう。
 実験により生み出されますは、この世界に未だ存在し得ぬ力──
 ───第八音素・創世実験を、これより開始します。

 地核に繋がる気穴──セフィロトに繋がれた六本の譜術武器が、膨大な光と闇の音素を音符体から引き寄せ、地殻から汲み上げた記憶粒子と強引に融合させていきます。

 徐々に形作られていく存在に、集まった政府高官、軍上層部、男の実験に協力した研究者達、誰もが息を飲んで実験を見据えます。

 風変わりな男もまた歓喜に打ち震え、生み出され行く存在を前に、最初に言葉を掛けたと言われています。

 しかし、男が何と言ったかは、記憶に残されていません。


 ───その日、六王国の中でも一大勢力を誇っていた一つの国が、地図上からその姿を消しました。


 そして同時期に、これから長い間、世界を蹂躙することになる正体不明の怪物が、其の姿を現しました。

 当時セフィロトのある地点を奪い合い、争いを繰り広げていた残りの五王国は、怪物の登場に戦慄します。

 怪物の通った後には草一本残らず、ただ世界を呪う紫紺の澱みだけが残されました。怪物がただ移動するだけで、世界は徐々に、しかし確実に侵されていったのです。

 圧倒的な力を誇る怪物を前に、彼等もようやく争いを止め、死に物狂いで怪物に対抗していきました。

 これまで、どうしても争いを止めようとしなかった国々が、何故、突然団結をなし得たのかといえば、それは一つの簡単な理由からです。

 もはやそれ以外に、人類が生き残る道は、存在しなかったからです。

 こうして、人類と正体不明の怪物の間で、生き残りを掛けた壮絶な死闘の幕は上がりました。

 しかし、人類の抵抗も虚しく、一国、一国と、国々は確実に討ち滅ぼされていきます。

 世界は怪物の放つ澱みに覆い尽くされ、いつしか人類は、散り散りに逃げ回ることしかできなくなっていました。

 かくして世界は闇に包まれ、人類は緩やかな衰退の道を歩みはじめたのです。

 世界が希望を取り戻すには、後の世に誕生することになる、希代の天才音素術士、ユリア・ジュエの登場と、今では知る者も少なくなった、光の柱の中から現れ出たという一人の男──ローレライの使者の登場を待つしかないのですが……それはまた、別のお話。

 一人の男の妄執が怪物を作り出した。

 これは、ただそれだけのお話。

 めでたくなし、めでたくなし』





 ──ローレライ教団禁書目録、秘匿史料第8項「オールドラントに残る童謡」より抜粋──





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