「……ふぁぁぁぁ」
眠い目をこすりながら通学路を歩く。
昨日はあいつに借りた漫画を読んでいた為、俺的にかなり夜更かしをしてしまった。
朝に濃いコーヒーも飲んだが、どうにもスッキリしない。
あくびをしながら歩いていると、いつもの街路樹が見えた。
そして街路樹の下で鞄を片手、ブックカバーのかかった本を片手に持つ少女が一人。
今日もいつもの様に、20分前には着いていたのだろうか。
「……おい」
我ながら酷い声だ。
努めて明るい声を出そうとしない限り、俺の声は非常に重い。
友人からも「何でいつもそんなに声が怒ってるのん?」と言われる。
別に怒っているわけではない。
これが素の声だ。
そんな俺の重々しい朝の挨拶に、少女――あいつはパッと顔を明るくして、こちらに駆け寄ってくる。
何がそんなに楽しいのか。
……全く分からん。
これが俺とあいつの繰り返された朝の光景だ。
■■■
「わわわ! 先輩! 今日は昨日よりも3分も早いですよ!? 何かあったんですか!?」
「別に何でも無い」
「あ。もしかして私に少しでも早く会いたい的な――」
「それはない」
「ですよねー」
朝から非常にテンションが高いこの少女は……まあ俺の後輩だ。
特にそれ以上もそれ以下でもない。
何だかんだあって朝と放課後、共に登下校している。
名前は春香。
名前の通りいつも春の如く騒がしい女だ。
「ではでは! 今日も元気に通学しましょー」
春香が隣に並び、学校へ向けて歩き出す。
「おっと先輩。鞄をお持ちしますよ」
「いらん」
「まーまーまー。後輩の顔を立てると思って、是非! 別に匂いとか嗅ぎませんから」
「お前の様な未熟者に持たせる鞄は無い」
執拗に鞄を奪い取ろうとしてくるので、頭上に掲げる。
春香は非常にミニマムなので、この様にリフトアップすれば木によじ登ってそこからダイブでもしなければ取れない。
「……ぐぬぬ。こうなればこの街路樹に登ってそこからダイブするしか……!」
と思ってたらまさに実行寸前だった。
「やめろ」
「し、しかしっ。 そうでもしなければ先輩の鞄をキャプチャーできません!」
「お前は何ゆえ俺の鞄を持ちたがる?」
「そりゃ勿論匂いを嗅いで夜中に思い出しオ――おっと危ない危ない。思わず変態的な発言をしてしまうところでした。……げほん。そりゃ勿論だいしゅきな人の鞄を持ってあげたいという乙女心がそうさせるんですよ」
「乙女だろうが何だろうが俺の鞄は渡さん」
「ちぇー」
口を尖らせつつ、街路樹から俺の隣へと戻って来る。
そして再び通学路を歩く。
■■■
――ぐ~
「……」
「……」
歩いていると、どこからか重低音が聞こえてきた。
なんだろうか? 近くで工事でもしているのだろうか?
――ぐぐぐぐ~~~
「……」
「……」
「……」
「……先輩」
「何だ?」
「今朝の朝食は?」
「コーヒー」
寝坊をして時間が無かったのだ。
一人暮らしだと、朝起きたら食事が出来上がっているなんてことは無いのだ。
つまり実家の母親には感謝をしているという事だ。
「まあまあまあ! それはイケません! 朝食は一日の活力と偉い人が言ってました!」
「誰だよ」
「私のおばあちゃん(昌代・88歳・趣味はパチンコ・最近エヴァに嵌っている・ツンデレ)が言ってました」
「……そうか」
こいつはかなりのおばあちゃん子で、時折り話の中にその祖母が話題に出てくる。
まあどうでもいい話だが。
「そんな先輩の為に、ドン!」
効果音付きで鞄の中から何やら包みを取り出す。
「テレテテッテテレー。さんどうぃっちぃー」
びっくりする程似ていなかった。
「こんな事もあろうかと、早起きして作ってたんですよー。食べますよねー?」
「……もらおう」
「どぞどぞー」
別段断る理由も無いので、受け取る。
包みを開くと、小奇麗なサンドウィッチが4切れ入っていた。
卵サンド、カツサンド、トマトサンド、フルーツサンド。
あざやかな色が空腹を刺激する。
「……じゅるり」
「おや先輩、涎が」
「出てない」
「いや出てるんですけど。今にもサンドウィッチに垂れそうなくらいにドピュドピュ……写メっときましょう」
何やらパシャパシャという音と共に光がチカチカと眩しいが、特に気にせず食べることにした。
まずは卵サンドを一口。
……旨い。
空腹だったこともあり、このうえなく格別な味だった。
■■■
「ごちそうさま」
「お粗末様ですー」
「……ありがとう、おいしかった」
ニコニコと包みを鞄の中に仕舞う春香。
「いやいやお礼を言いたいのはこちらですよー。その先輩の言葉を聞けただけで、今日のかったるいも授業を元気でこにゃこにゃしちゃいますよー」
「こにゃこにゃ?」
「こなす、の乙女的表現です」
次いで鞄の中から取り出された、水筒の紅茶を受け取る。
「……む」
と、水筒を握る春香の指に絆創膏が貼られているのに気付いた。
「……おい、その指」
「え、ええ? あ、いえちょっと切っただけですよ? べ、別にザンドウィッチに血とかは付きませんでしたよ?」
「そういう事を言ってるんじゃない」
……こいつは。
俺は自分の顔が少し険しくなるのを感じながら、「たははー、まだまだ修行不足ですねー」と頭をかく、春香に向かって言った。
「――その絆創膏外せ」
「……え? な、なんと?」
「絆創膏を外せと言ったんだ」
「……やべぇ」
俺の言葉に後じさりし分かりやすく動揺しだした春香。
額にはこれまた分かりやすく汗が浮いている。
「ま、まあまあー、そんな乙女の絆創膏を外せなんて先輩ったらいやらしいっ。いずれ私の大切なところに貼っている絆創膏も外せなんて言い出すに違いありませんねっ! そんなところも素敵!」
「外せ」
「……うぐぅ」
声を強めると、観念したのか目を瞑り指の絆創膏を外していく。
「み、見られてる……! 私、今先輩に絆創膏脱ぎ脱ぎしてるの見られちゃってますぅっ……!」
まあ当然というか、絆創膏が剥がされた指は綺麗なままだった。
無論傷などついていない。
傷一つ無い、細く綺麗な指のままだった。
「……」
ジト目で春香を見る。
「い、いやー、スゴイですよねー最近の絆創膏って貼ってすぐ治るんですよー。マジ最近の科学の進歩パネェって感じですよねー」
「……」
「……ええ、まあね。ちょっと健気な乙女をアピールってことですよ。汚いと思いますか? ハハッ、最高のホメ言葉ですよ! 恋愛に綺麗も汚いもないんですよー! ゲイリー!」
開き直った春香の雄叫びに、近くで交尾をしていた猫が繋がったまま走り去っていった。
俺は溜息をつき、春香の顔の前に右拳を突き出した。
「……っ!」
俺の正面で半ば反射的に目を瞑り、腕を後ろに組んで仁王立ちになる春香。
そのまま左手で春香の額にかかった髪を上げ、シミ一つ無い額を露出させる。
「……うぅ」
いつ来るか分からない衝撃の未知に対する不安が春香の口からこぼれる。
俺はそれを無視して、右手の中指を親指で引き絞る様に力を貯めて――放った。
俗に言うデコピンである。
「ぺぅっ!」
ビシリとそこそこ重い音を立てて、中指は額に直撃した。
「あ、ありがとぅございましたぁ!」
額を擦りながら、半ば涙目でこちらを恨みがましい目で見てくる。
「何だ?」
「い、いえいえ! この度はわたくしの不徳の至ることで、先輩の指にご足労をかけて頂きなんやかんやですぅ……」
「……はぁ。そういう小細工すんなって言ってるだろ。そういうの嫌いなんだよ」
全く……。
思わず溜息をついてしまう。
「で、でも先輩。確かに私も卑怯だったは思いますけどね、逆に考えてみてくださいよ。逆にね、やろうと思えばさっきのサンドウィッチにBIYAKUを混入したりする事も出来たんですよ? それに比べればさっきの小細工なんて可愛らしいとは思いませんか?」
「……」
「はい思いませんね。私も思いません、無論ですよ、だからその今にも次弾を装填しつつある右腕を治めてくれませんかいやマジで頼みますよほんと次喰らったらアベシとか言って私の頭が弾け飛ぶのは確定的に明らかですからっ」
■■■
「それにしても良く分かりましたね、私の乙女的小細工が」
小細工の前にに乙女を付けようが小細工は小細工だ。
「……まぁ、お前との付き合いも結構長いからな。何となく分かる」
「それプロポーズ的な意味で取っていいですか?」
「駄目だ」
「ちぇー」
口を尖らせながら頬を膨らませる春香をぼんやりと見る。
こいつとの付き合いも……半年になるか。
半年、か。
こいつが俺に付きまとい始めて半年。
あっという間の半年だった。
最初はうっとうしいだけだったが……まあ、今でもうっとうしい。
でも、うっとうしいだけでなく、こいつが隣にいる事が心地よくなってきている様な……気がしないでもない。
……いや気のせいか。
ああ、きっと気のせいだろう。
そうに違いない。
隣を歩く少女を見る。
「どうかしましたか?」
可愛らしく首を傾げ、こちらを眩いくらいの笑顔で見つめてくる。
明日も明後日もその次の日もこいつは俺の隣を歩いているんだろうか?
それともいつかはいなくなるのだろうか?
――それを考えると胸の奥がジクリと痛んだ。
その胸の痛みを自覚して……もう少しこいつに優しくしようか、と思った。
「あ、あの先輩……そんなに見つめられると私……ちょっとそこのホテルで一休みしたくなっちゃいます……」
やっぱりやめた。