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[17719] (ネタ/転生) 劉宏伝 (真・恋姫†無双)
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:4302e8ed
Date: 2011/03/23 05:43
-注意書き-
真・恋姫のキャラクターが表に出てくるのは凄く遅くなると思います。設定上。
劉宏って誰?って人もいると思う。それが普通だ。自分も調べるまで知らなかった!
転生だけどチートとか無いです。


-定期連絡-
3/30 初投稿



[17719] プロローグ
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:4302e8ed
Date: 2011/03/23 05:44
空を見上げる。空は眩しい。天とは眩い物であり、そして暗くもなり、荒れ、静まり、泣き、怒る。感情の全てが天にある。
人に掴める物でなく、人に操れる物ではない。
それでも人は天と一体となりたかったのかもしれない。神話の時代。天には絶対の人が住んでいたと信じていたのだから。

「まぁ、天意を纏って生まれたとか思っててもそうじゃなかったと言う事かな」

言葉が風に乗る。寝台から空を仰ぎ見、頭ではいろいろと考えつつ。
―――とりあえず第一声は「おめでとう」かな。なんて、思ってみるんだ。

■■

三国志で有名な霊帝の名を知っている者は、恐らくそう多くはない。実際、俺もすぐに自らがそうだと気付いたわけじゃない。
何となく、頭に残っていた情報を繋ぎ合わせただけ。繋ぎ合わせて、暇な時に推理したりして、グルグルと日々を過ごしていた時に何となく理解出来ただけだ。
あぁ、俺は将来、霊帝と呼ばれる存在になるのだ。暗愚で、酒色に溺れ、後漢の終幕を早めた男。霊帝……名を劉宏と言う。
そしてこの俺が誰あろう劉宏である。そして俺は将来、馬鹿をやりまくって、幸せに馬鹿やって、国を省みないで……そのまま幸せなまま死ぬはずだったのだ。

「それが転生て……運悪いなぁ、遊べないぜ」

ポリポリと頬をかく。そこから首をかく。ついでに頭をかく。色々と書いたが、なんとも全身が粟立つようだ。
人の命を顧みないとは、恐ろしい事なのだと理解してしまう。否応なしに。王たる者は礼節を知らなきゃいけないとか、まぁ、色々と考えてしまうのだ。
例えば人の将来がレールで決まっており、その行為の全てが後世に語り継がれ、人々の笑いの種になるとしたら……貴方はそのレール通りに走れるだろうかと言う話だ。
もしくは、笑いではなく嘆き、怨嗟、憤怒の対象であったら、果たして人はレール通りに走れるのだろうか。
少なくとも俺には無理だったのだ。だからと言って勉強を凄く頑張ったわけではない。そもそも、ぶっちゃけて言えば政治は俺が取る必要はあんまり無いのだ。
世界は変に改革するのではなく、上手に保てば良いのだ。変革は動乱にのみ許される。それ以外は健やかに過ごさせれば良い。漢は民の国であり、民の目線で行えば事足りる。民をいかに食わすか、いかに民を治めるか。率直に言えば求められるのはそれだけである。
何も自らを凄い人物にしようとか、そういう出世欲とは俺は無縁だ。一度死んだ身なのでわかるが、死んで全て失うとそういうのは馬鹿らしく思える。名も、身も、全て前とは違う。俺と言う人は借り物なのだと奥底から実感させられる。
人は借りを作ってを生き、借り物を引き継ぎ、時に戻し、何かを返して生きていく生物なのだと理解した。それは決して馬鹿らしくは無い事だ。欲は死んだが人を生かしたいと言う気持ちは生まれた。
これは、もしかしたら天意なのかも知れぬなどと、馬鹿な事を考えていたのだ。この頃は。
現皇帝に子が出来るまでは。

■■

そもそも劉宏が帝位につけたのは、なんて事は無い。桓帝劉志に子供がいなかったからだ。では、子供が出来たらどうなるか?決まっている、その子供が時代の天子だ。そして―――再び外戚と宦官の戦い。
この時に思ったのだ。あぁ、俺に天意など無い。恐らく、ここはまったく違う世界で、俺はたまたまこうして生まれただけなのだ。天子となって生きる決意など、意味は無い。後漢はどうしても終わるのだ。
どうやっても、どうしても、きっと終わるのだ。時代の流れとして、終わる命。消える蝋燭。そして……俺は光武帝のようにはなれない。曹操、劉備、孫家三代。この全てを相手に、勝とうなど、とてもとても。
あぁ、だから俺は頑張るのはやめた。自由に生き、自由に人を推し、時代を進めよう。
俺の天意とは、それだろう。だから。
生まれてくる命と、宿命と言う自らが作った鎖から解き放たれた俺。

「おめでとう」




[17719] 第一話
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:4302e8ed
Date: 2011/03/23 05:43
そうだ、将来の偉人に会おう。
そう思い立ち、洛陽を出る事にした。ちなみに6歳なので、もちろんそんな勝手が許されるはずもなかった。
仕方ないので自らの身を守れる程度に武術を習おうとしたが王族なのでダメと言われた。あと、王族としての自覚が足りないと凄く怒られた。
全て正論なので何も言えないのだが、どうにも王族の規則やらなにやらは苦手だ。元々が小市民なのに王族として生きると言うのは色々難しいと感じる。
周りの人間の扱いも慣れないし、娯楽は毎日やる勉強だけ。勉強が娯楽と言うのは非常に不健全だ。出来れば外に出て遊びたい。
遊びたいが、そもそも後宮から出してもらえる事が稀だ。相手は皇后か宦官だけ。そりゃあ皇帝も宦官びいきになりますがな。これ体制が悪いんだって。他に頼れる人いないじゃん。
宮殿内でも実際に働いている人には中々会えないし。強いて会いたいなと感じる人物となると……。

「やぁ、曹騰。勉強が終わったから、また市中の事でも聞かせてくれないかな?」

「これは、これは……えぇ、喜んで話させていただきますよ」

曹騰かな。まともだし。それに曹操のお爺さんだし。ちなみに曹操は既に生まれているらしい。可愛くて仕方ないそうだ。
ちなみに、曹操に兄はいるのかと聞いたらいないと言っていたので本格的に別世界のようである。ここは後漢っぽい何かだな。俺、天子になれそうもないし。

「勉強はしてもしても頭から抜け出る。教える方も教えがいが無いだろうな」

「いえいえ、出来の悪い生徒ほど可愛がりたくなる物です」

「はは、これ以上可愛がられてもどう対応して良いかわからないよ。俺は充分に甘やかされているからな。本当は市中に出て色々と学んでみたいのだがなぁ、どうにも頭の固い者達ばかりで困る」

「劉宏様は自由であられますな」

「自由。そうだな、心はそうかもな。最近になって色々な事が吹っ切れたんだ」

「吹っ切られた、ですか。吹っ切れて道が見えたのですかな?」

「逆。あると思っていた道がふと消えたよ。だから嬉しくてね。俺が生きる道は天に決められていると思ったが、どうやら天はそう思っていなかったようだ。そして、それを理解した俺の心は自由だ。他人は縛ろうとするが、今後はもっと色々やるぞ」

「これ以上、劉宏様が自由に振舞われたら教育係りは大変でしょうなあ」

笑みを浮かべている。気持ちの良い笑顔だ。老いて皺のある顔がどうしてこうも美しく見えるのか。
人柄の良さを顔で判断できるほど俺は慧眼では無い。この男とて心の奥底がどうなっているかなんて俺にはわからない。黒い思考で俺を眺めている事だってあるだろう。
しかし、例えそうだとしても見られて嬉しい笑顔と言うのはある。憎めない笑顔は歳を重ねた形だろうか。それとも自然体でこうなのか。好漢とはこういう男を言うのかもしれない。

「なぁに、問題ないさ。もう少しすれば俺は俗世に出る予定だ。あ、これは他の者には内緒だぞ?こんな事を言っているなどと言われたら怒られるからな」

「まったく、この後宮にいて俗世に出たいと思うその心は何処から出てくるのですかな?」

「不思議か?」

「不思議ですな」

今度は俺がニコリと笑う番だ。俺の笑顔はどうだろうか。良い笑顔だろうか。客観的に自らの笑顔を論じられるような人間ではないが、しかし、俺の笑顔は無垢であると信じてはいる。

「簡単だ。勉強すればするほどな、民が大事だと語るのに王族だからと言って外に出さないあいつらが矛盾してて嫌いなだけさ」

純粋に、覚悟を一度決めて反故にされたから居辛いと言うのもあるけどね。

■■

劉志はいまだ健在だが、名士と宦官の戦いは激化している。まぁ、名士と言うのは豪族で豪族に力があるのは確かに王朝としてはマズいのだが、だからと言って宦官に力が行き過ぎるのもマズいのだ。
政治とはバランスが重要なのであって、どれかに突出した政治形態や権力集中は大抵衰退の一途を辿る物だ。
これをどうにかしようにも、そもそも俺には名士の知り合いなどいないのだ。後宮から出て名士の中に入るのは別に悪くは無い。
悪くは無いが……誰に会えば良いのかはわからない。結局、知り合いは宦官だけ。何度も言うが体制が悪すぎる。
とは言っても宦官が全て悪いわけではない。人間なのだから当然有能なのも居れば凄く公務員気質なのもいる。宦官の全てが悪いわけではない。
前世では宦官=悪と言う見方が主流ではあったが、そもそも名士に力をつけさせてどうするの?と言う話もあるのだ。
名士の多くは豪族であり、豪族が力をつければその代わり衰退するのが王朝なのである。力をつけた豪族は、そもそも従わない。誰が自らより力の低い者に頭を下げるというのか。
もちろん、後漢の制度によってソレらはかなり緩和はされているが、皇帝に成り代わりたい者なんて腐るほどいるだろう。

「ふー……大変だぁ」

結局のところ、世が乱れれば割を食うのは民なのである。俺は小市民の出……のような何かなので出来ればそういうのは食い止めたい。俺が皇帝になればそういう事も出来ると息巻いていたが既にその機会は失われた。
世の中を正そう等と大きな事を考えるのは馬鹿の考える事である。そんなの、わかるはずがない。そう切って捨ててしまえば今日から俺は馬鹿で良い。だが、それはどうしても嫌なのだ。
俺が転生した事に意味があると思いたい。そもそも、二度目の生など本来人にはいらない物である。人生は一度で良い。余分な物だ。余分な物なのだから宵越しの銭を持たぬと言い放ち使うのが本来の使い方なのかもしれない。
しかし、人生は……重たい。何度も失敗をして、成功して、成功に溺れたり失敗に嘆いたり……そこには俺の全てがあって、それを背負って俺は生きてしまっているのだ。
どうして適当に生きる事が出来ようか。どうして人を苦しめて楽に生きる事が出来ようか。俺には出来そうもない。
死んで三欲はかなり減ったが、今はどうにも高潔な生き方をしたいと願うようになってしまっている。
もちろん、この高潔は前世に照らし合わせてなので、この時代背景には合わない。だから、きっと思った通りにやったら色々と文句を言われる事だろう。
だが、それが良い。誰も理解出来ない行動をとる俺を見て人がどう対処するのか知りたい。そして、それが国のため民のためと言う視点で行っていると気付く人間が出てくるのかどうかも見てみたい。

「大変だけど……やりがいはあるよな」

一日が楽しみになる。味気ない日々が鮮やかになるような気がした。
それでも今はこの灰色の宮殿に留まるしかないのだけれど。

■■

宮殿から見える世界はひどく狭苦しい。一日を家の中で過ごし続ける事に等しい。それでもパソコンがあれば、色々な方向で人と交わる事も出来るのだろうが……そんなものがこの時代にあるはずがない。
狭い世界でわかる事は、深いかもしれないが応用は出来ない。治世においては問題ないかもしれないが、世が乱れ始めている今にはふさわしくない。深化が悪いのではない。狭い事が悪いのだ。
狭い価値観は狭量な人間しか生まない。己の限界を決めてしまえばそれ以上に広がれない。人の選択肢は多くて然るべきなのだ。多すぎる選択肢は無いに等しいかもしれないが、それでも選択出来る事は幸せな事なのだと思い知る。

「宮殿は全てが集まるが何も無いな、曹騰」

「劉宏様は時々よくわからない事を仰られますな」

「そうだろうか。曹騰ほどの人物なら意味がわかると思うが」

文字の練習をしながら答える。最近は暇なので写本ばかりしている。写本しても書いてある中身の半分も理解が出来ないが、ただ文字を追うだけと言うのも、それなりに楽しい物だ。
写本した内容は、曹騰に渡して好きに使ってくれと言ってある。清流派の人物に渡すのか、それとも曹操が読む事になるのか。何にせよ、賢人は本を読む。いずれ俺の行為が間接的に役立つ事もあるだろう。

「さて、私のような者が憶測で物を言う物ではありませんからな」

「憶測でと言うが曹騰が考え付いた答えは多分正しいぞ。ただ、それを言ってしまうのはマズいがな」

「そうですな」

「認めたな?ふっ、やっぱりわかってたんじゃないか

「ほほ、そうですな」

硯にて使い切った墨汁を作るために水を入れる。と、既に墨汁を用意していたのか曹騰が既に作られた墨汁を俺に渡してきた。心配りが絶妙。

「……曹騰の教育を受けた人間がどんな人物に育つか見てみたい気がするな。あぁ、もちろん才ある者という意味でな」

「ふむ…………それは私の子供を見たいと言う意味ですかな」

「はは、わかるか。いや、実際に教えているのは君の義息なのだろうが……君はきっと孫に影響を受けさせずにはいられないのでは無いか?」

「はて……?私に義息はおりませんが」

「……は?」

あ、あれ?息子いるのではないのか?じゃあ生まれた孫って何者?

「私が養子にしたのは夏侯の娘ですが」

「……聞くが、孫は男だったかな。女だったかな」

「女ですが」

「名は曹操で良かったな?」

「えぇ、そうですが。何ですか、今まで男だと思っていたのですか」

「うむ、その通りだ。凄く勘違いをしていたようだ……」

……この世界は後漢じゃない。やはり、ここは後漢っぽい何かだな。間違いない。曹操が女だったり劉志に子供が出来たりと意味がわからない……。
意味がわからないが二度目の人生だ。これくらいの意味分からなさがちょっとだけリアルだ。人生万事上手くいくと思うなよ?と言われているようで何処か心地良い。

「まぁ、男だろうと女だろうとどちらでも良いわ。優秀なのだろう?」

「それはもう。将来、私を越える器と思います」

「ふふ、君を超える器か。現皇帝でも扱いに困りそうだな。それが中央に来たら宦官が好きに振舞う術は無くなるかもな」

「またその様な……」

「良いでは無いか、言わせてくれ。今現在、宦官に力が行き過ぎているのは確かなのだ。それを直す劇薬として君の孫が出てくるのだとしたら、中々運命的ではないか」

「運命的……ですかな?」

「皮肉と言っても良い。宦官の権力が増えて養子を取れるようになったから、宦官が横暴を振るう事が出来なくなる。面白いとは思わないか?」

「そもそも宦官が権力を持つ事が間違っております。自然体に還るだけでしょう」

「宦官の君がそれを言うか。さすがは清流派に好かれる宦官だ。今政を行おうとしている者とは違うな」

カラカラと竹簡を回して横におく。長々と文章を書いていたせいか腕が痺れている。筆は中々どうして重たいし、斜めにして書くと字が竹から溢れてしまう。
だから背筋を伸ばし、筆を出来るだけ真っ直ぐにして書く必要がある。これが慣れないと中々大変な作業なのだ。

「今、中枢にいる宦官の多くは権力に憑かれている。まぁ、権力に憑かれない存在なんていないのかもしれないが……」

「それは、私を含めてでしょうか」

「馬鹿な……全人類を含めてだよ。漢だけの話じゃない。五胡も、この前来た西の果ての国の者も……人類の全てが権力を手にすればいつかかかる病だ。それはどれだけ諌めても諌めても、どうしても膨れ上がる欲求だ」

新しい竹簡を手に取る。再び写本。横にある文字が美しいとするならば俺の書く文字は下劣だな。読めなくも無いが面白くもない。
字の美しさと言うのは案外重要なことだ。まぁ、そのために練習をしているわけだが。

「そして……欲の無い人間は権力を手に出来ない。そうだろう?」

「……その通りかと」

「さて、二度の党錮の禁を経て、どちらも勝ったのは宦官だ。どれほど深い病気になるかな……」

そこからはお互い静かになった。ただ、時折硯で墨を擦る音だけが響くだけだった。





[17719] 第二話
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:4302e8ed
Date: 2011/03/23 05:45
党錮の禁を経て、力が強くなった宦官。はっきり言えば、もう戦う相手はほとんどいないに等しい。
そもそも宦官は既に外戚との権力争いを勝ち抜き、皇帝の信頼を得ている。そこから清流派を排除した。さて、次の相手は?
……強いて言えば俺ぐらいな物である。中央に近く、清流派と繋がる王族。さらに宦官びいきでは無い。外戚に関してはどうかな。俺は未だに小帝だから、出てくる場合はあるだろう。
ただ、俺がいらんと言えば外戚が無理に執政する事は出来ない。俺はもう7を過ぎ、転生しているからか、それなりに頭が良い。もちろん、それなりだ。残念だが、この肉体の頭脳はそこまで良くない。
そして幼少期が俺から記憶の多くを削り取った。心の土台があるかもしれないが、俺もう前世の全てを克明に思い出す術を持たない。脳みそにしっかりと刻まれているわけではないのだ。
そして、俺と言う人間の頭脳のあり方は清流派の人間にとって都合が良いだろう。俺ほど都合の良い王族はいないわけだ。適度に有能で、適度に知能があり、傀儡として踊らせるのにちょうど良い人形。言ってて空しいが事実である。
俺を利用しようとする名士は、恐らく後を絶たない。その人物が有能で民を考える人物ならば、生涯かけて踊ってやっても良いとは思うのだが、残念な事に帝位に就ける可能性はほぼ皆無か。
いや、名士達が俺を担げばあるいは大丈夫だろうか。

「さて名士が勝負をしかけるか。問題はそこだな」

そもそも現皇帝には子供がいるのだ。順当に行けば、当然その子供が皇帝になるのが自然である。現皇帝が跡継ぎをコレと決めれば自然とそうなる。
それを曲げてどうにかしようとすれば儒教の教えに反してしまう。だが、宦官の影響をたぶんに受け、さらに現皇帝の外戚がそのまま幅を利かせるような事態になれば、名士の立場はさらに厳しくなる。
宦官とて、今の優遇された地位を失いたくない。だから権謀術数を張り巡らせて朝廷内で権力を思うがままにしようと画策する。
外戚はせっかく生まれた幸運を手放したくない。それが庶民の出であればあるほど執着が強くなる。卑しい身分と言われ、厳しい世界を呻きと怨嗟の果て、掴み取った天下。
まぁ、良い所の出だった場合は名士の味方になる場合もある。外戚は親が問題なのだ。皇帝の親が名士の出ならば自動的に名士が強くなるだろう。
外戚と宦官の戦い。宦官と名士の戦い。どれが勝っても、天下は乱れる。それら全ては皇帝を異のままに操ろうとする者達……。

「さて……歴史はどう動くのかな」

王朝末期。その中央。ここに綺麗な物は無い。
政治は毒と血と、人の汚さで出来ている。


■■


「なぁ、曹騰。俺はいつ頃になったら外に出られるようになるのかな」

「そうですな……わかりかねます」


寝台から庭を観る。中々どうして、窓から見る風景も趣があって良い。宮殿の庭は数多くの木々や花々が咲き乱れている。季節によって常に変わり、変化する風景を趣の一言で終わらせるのは少し淡白か。
しかし、どれだけ変化する風景だろうと、見る人物が病んでいるのでは台無しだ。音楽も心に染みない。
音楽や風景が心を動かすのは、観る人物の心が感受を思うからである。それが無い俺には淡白な反応しか示す事が出来ない。


「市中の事も聞き飽きたな。実際に見てみたい気持ちでいっぱいだ」

「話では満足できませぬか」

「百聞は一見に勝らん。どれだけ言葉を重ねても、実態を見なければ得る物は少ない。それでも聞くのは恋慕の様な物だな」


そもそも皇帝を覚悟していたのだ。民を愛すのに理屈が必要なのだろうか。こんな覚悟をフイにされるなんて、本気で好きな女が俺に気付かずに通り過ぎたかのような気分だ。
まぁ、片思いだったのだろう。天下への一方的な片思いは成就されず……俺は日々を惰性に生きるしか道が無い。
心の自由を得たと思ったらまた束縛。人生とは何かに縛られる宿命だが、これほど厳しい締め付けは前世でも体験しなかった。


「……曹騰、君の孫娘の話が聞きたいな」

「はっ……ですが、孫娘はまだ2歳程度で話せる事はありませんが」

「ん?この前、自らを超える器と称していなかったか?」

「それは間違いありません。孫ながら物覚えは良いですからな。既に歩き出し、簡単ながら言葉を交わしております」

「…………2歳なんだよな?」

「2歳です」

「俺より凄いじゃねぇか……」


転生した俺でも3歳くらいまでは舌が上手に回らず喋るのに難儀していたと言うのに、2歳でですか。前世補正を飛び越える逸材。曹操とはそういう人物か。
そもそも、英雄に対して幾ら前世がある人間が出てきた所で凡人なのである。比べる方が間違っていると言う事か。
……どうでも良いが俺の知る曹操は女好きだったが、この世界の曹操は男好きになるんだろうか。
男の為に戦争起こしたりするんだろうか。そして男版の後宮が出来上がったりするのだろうか。そこの運営は正式に夫を決めた者が担当するのか。何処のエカテリーナだ。


「劉宏様も話されるのが早かったそうですな。私は劉宏様の担当では無かったので伝え聞いただけですが」

「間違いなく君の孫娘の方が早いし凄い。それだけで大器と論じるのはどうかと思うがな」

「いえ、この歳になって自らの能力が衰えて来たのを感じ悩んでおりましたが、孫娘を見て自らの眼力だけは衰えておらぬと確信しました。あの娘が道を誤らなければ三公とて夢ではありますまい」

「宦官の力がこれ以上強くならない事が条件だがな。だが、君が大器と言うのだからそうなのだろう」

「えぇ、まず間違いなく……」

「大器。素晴らしい事ではあるが、曹騰、君は孫の器に何を入れたい」

「『何を』と言いいますと……学ばせる内容の話ですかな」

「少し、違う」


寝台から立ち上がり窓際へ。春の香りがする。季節は五感に訴えかけるものだ。
訴えられて、気持ちが高ぶったか。俺が器の話とは。大器でない物が大器を語ると、きっと碌な事が無いのだろうな。
推し量れない物を扱える者……それは天才なのだから。


「学は扱うだけだ。そこには叡智があるが意思は無い。曹騰、孫娘の器、どんな意思が入る」


机の上にある竹簡を広げる。中には俺の小汚い文字。添削もされている。俺がただ話している間に曹騰が行ってくれた物だ。


「前に言ったな、曹騰。欲の無い人間には権力が手に入らないと」

「はっ、仰られてました」

「欲は意志の一つの形。欲から意志が出る事もあれば、意志から欲が出る事もある。俺の場合は後者だ。俺の欲は意志から出た」


書き直された部分をもう一度書き直す。王族だからか勉強機材に困らない。これだけは、ここに生まれて良かった事の一つだな。


「君は、孫にどちらになって欲しい。大器。それからあふれ出す意志により上を目指すのと、あふれ出る欲により上を目指すのは、似ているようで違うぞ」

「……劉宏様、我が孫娘に意志を注げと仰りたいのですか」

「それもある」

カタリと書き終えた竹簡を横に置く。曹騰の表情を見る。一見穏やかな中にある不安。その不安は己が解雇されるかもしれない等という低俗な話ではない。純粋に俺を心配している……と見て良いだろう。
表情だけで人の心なんてわからない。わからないが、俺が信じて相手を見ればそういう風に見える。俺は見たい物しか見ていないと非難されるだろう。
だが、それが出来ない者に心の潤いは望めない。信じるとは、裏切られても良いとさえ思って初めて意味があるものだ。もちろん、裏切られたらただの馬鹿だが。


「曹騰、その娘に意志を注いだら俺と会わせろ」


「は……?」


「政治なんだよ、曹騰。これは政治だ」


頭が熱くなるのを感じる。体全体が熱に包まれ始める。
強い意志は、俺の中にある。焼け焦げ、冷め、再び燃える。地球の息吹のように、壮大な意志。それは何処か嘘のようでもある。
本当に強い意志なのかどうかは、俺には未だわからないのだ。俺はまだ試されていない。天下は俺を見据えていない。王族であるだけだ。それはただの人である。
俺は俺が本当に強固か、それとも危うい砂上の楼閣か判断がつかない。もしかしたら、まだレールの上にいる気分なのかもしれない。
生きた役割をこなそうと言う段階に留まっている可能性もある。もう、レールなんて消えたと言うのに。
果たして成長出来ているのだろうか。前世の俺と今の俺は繋がっている。繋がっているが故に伸び悩む。前世と今生の狭間、見えない鎖でもあるかの如く。


「ここからは俺が推測が出来た部分を話す。心して聞いてくれ」


パキリと竹簡の結び目を折る。そこに文字を書き連ねながら口を開いた。


「俺が外に出れないのは、俺という人間が宦官にとって不都合だからだ。俺は宦官に育てられ、宦官の手の中にある。それなのに俺を自由に操る事が出来ない。
その状態で外に出られたら、宮廷内で低い地位に甘んじてる宦官と名士が結託する可能性がある」


ザラリとした筆の感触。強く書けば、それだけ太い文字になり、それは最早文字の体を成さない。強すぎる意志は伝わらない。


「宦官の最も恐れる所は、宦官同士が潰しあい、名士がその権力闘争に割り込んで来る事だ。朝廷内部での権謀術数に長けていると言っても、結局動かせるのは天子のみ。天子を動かせても、中央からは出られない。
逆に名士はそうではない。彼らには自らの生まれ故郷があり、何より名声がある。それは朝廷外部に働きかける物だ。外部から強硬手段の術を持ってくる事が出来る」


弱い筆は意志を伝える事は出来ない。文字に意志が乗らないからだ。それは文字としては劣る。文言とは強さがあって初めて意味を成す。弱すぎる意志は無いに等しい。


「故に、宦官は俺が名士を集め、一部の仁義溢れる宦官を用いて今の宦官排除に動こうとする事が最も怖い。君と付き合っているのだから、そう考えても不思議ではない。
そして……この不安は、君と俺が結び付けばつくほど現実味を帯びる。だが、これを解決する安易な方法がある」


過ぎたるは及ばざるが如し。俺の言葉はどちらだろうか。


「暗殺だ」


強いのか。弱いのか。話している俺には理解出来ない。俺はどういう言葉を操っているのだろうか。


「もちろん、そんな事をすれば荒れるだろう。そして、そんな事をして証拠を掴まれては名士の思う通りになってしまう。では次善の策とは何か。それは俺を外に出さない事だ。名士に出会わせない事だ。
会えない者を信じる者は何処にいるだろうか。会ってない者に頼まれて喜んで引き受ける者はどれだけいるのだろうか。そして、宦官以外頼れる存在がいない者に何が出来るだろうか」


……会ってもいない者に頼まれて喜ぶ人種もいる。その者に利用価値があるならば。
だが、その様な者と出会えば俺は殺されてもおかしくない。この宦官の住む世界で、俺は何と儚いのか。俺はまず土台を作らなければならないのだ。生きる事が先決。今は生きなければ意味が無い。


「曹騰、俺が味方だと言い切れるのは君だけだ。そして、今権力の中心にある宦官の多くは君が邪魔だ。故に遠くない未来、君は俺の元を離れる事になるだろう
だから先手を打て。自ら俺を見限ったように動け。そうすれば朝廷内で俺の味方は最早いない。そうなれば宦官は次善で満足する。その間に、君が大器を育て上げろ。
俺の策謀は……味方を廃し、敵を満足させ、全てに忘れた頃に小さき名士の芽と出会う。これにより、世を大きく動かす事だ」


文字の形をしていない竹簡を丸める。これは俺の意志だ。だが、今は封印しよう。時を味方にしない限り、俺の浮上は在り得ない。


「曹騰。曹操に意志を注げ。
俺の道は、そこからしか始まれない」


全ては―――漢王朝が腐敗しきる前に正すため。






[17719] 第三話
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:4302e8ed
Date: 2011/03/23 05:44
□□

瞬く間に年月は過ぎ去った。曹騰が劉宏の目の前からいなくなり、劉宏に会おうとする名士がいなくなった頃。
劉宏は自室に篭り、今日も日々を静かに過ごしていた。
齢15歳。既に女も酒も知っていておかしくない年頃ではあるが、劉宏はそう言った事には眼もくれず日々を部屋の中で過ごしていた。
外に出る事はほとんどなく、体の調子も崩しがちであった。若い頃に時折覗かせていた峻烈さは、なりを潜めて、柔和で穏やかな人間に変貌していた。


「劉宏様、お食事はいかがしましょうか」

「……食べるけど、量はいらない」

「かしこまりました」


宦官が退室する。その宦官には一瞥もくれずに劉宏はただ宙を眺めていた。
これがもしも昔の彼ならば、何処か剣呑な目をしながら睨み付けてしまっていたかもしれない。昔の劉宏は感情をあまり隠すような人間では無かった。
それは若さもあったのだろうが、自らの正義感に依った生き方をすると決めていた頑なさもあったのだろう。だが、今はそんな事はしない。

彼は果たして良い方向に向かったのだろうか。それとも待つのに耐え切れなくなって全てを捨てるように生きる事にしたのか。
もしかしたら自問自答を繰り返しているのかもしれない。例えば先ほど出て行ったのは良い宦官なのだろうか、悪い宦官なのだろうか。権力に近しい宦官であるのか、そうでは無いのか。
そもそも良い悪いなど誰が決めるのか。どの目線で話すのか。世界は変動し、価値観を変えて生きている。生きるとは変化する事であり、国が変化すると言うのは価値観が変化する事だ。
劉宏と言う目線で話すのか。それとも国と言う目線で話すのか。変革がもたらされるべき時期に変革を起こさないのは悪なのでは無いか。そんな自問自答。
答えは出ない。出ないが、問いかける事には意味がある。ただ、ふとした瞬間に彼の表情から伺い知れるのは少なくとも激しさではない事だけは確かだった。それは過去の劉宏とは別の何かである。


「お食事をお持ちしました。毒見も済んでおります。どうぞお食べ下さい」


幾人かの宦官が運んできたのは豪勢な食事だった。とてもでは無いが少量ではない。
劉宏はこれを目の前にしてほんの少し食べ、そして残した。彼の少量と宦官の言う少量の価値観の違いが引き起こした事であろうか。


「もう下げて良いよ」

「ですが、その様な食事量では体に障ります。医食同源と申しますように、食べる事と体を保つ事は切って切り離せぬ関係です。どうかお食べ下さい」

「いや、無理。正直これ以上食べられる気がしない。大丈夫だよ、水飲んでるだけって訳じゃないんだからさ。心配せずにさ」

「……わかりました。そこまで言うのならばお下げします」


カチャカチャとかなり残された食事を宦官を引き上げさせて、一礼してから退出した。劉宏はそれに一瞥する事なく、机に座って竹簡を読み込んでいた。内容は兵法書である。
宦官達は劉宏が兵法書を読むのに関して思うところがあった。普通、王族たるもの四書を読むものであるのだが、昔から何処か変り種であった劉宏は四書に関しては一読しただけでやめてしまったのである。
皇帝候補としては失格な態度なので多くの宦官は安心はした。一部の宦官はあまり良く思わなかった。

このいずれもが劉宏と言う人物を見誤った。前者は暗愚であるとして、後者も暗愚であるとして。宦官の中で劉宏は暗愚であると言う一定の見識を得るに至った。
前者の理由は簡単である。暗愚であれば組み易し。皇帝になる事は無いだろうが、これで劉宏を反乱分子としては格が低く、誰と結託してもすぐにわかるだろうと判断されたからだ。
要するに現在、政治の中心にいて、自らが脅かされないかどうかだけを心配している人間である。
後者の理由は複雑である。仕事に真面目であり、王族としての自覚や気品を持って欲しいと願う人間にとって劉宏と言う人間ははっきり言って面倒なのだ。
特に教えてもいないのに自らの価値観を持ち、それに従って生きている。それは決して儒教的な考え方や行動では無い。
宦官の仕事は身の回りの世話であり、そんな事は仕事に入っていないのだが真面目であるが故にそういう方向から見てしまう。
故に宦官全員の共通認識として劉宏は暗愚なのである。


「劉宏様、今日のお散歩はいかがいたしましょうか」

「あぁ、行くよ。たまに城下に下りないと民の事がわからないからね」


最近になり、ようやく劉宏は外に出られるようになった。実に13年間近くを後宮の中だけで過ごして居た事になる。
劉宏の父と母が同時に他界して、その時の葬儀の折、墓所へと出たのを皮切りにお供をつけて外に出る事が許されるようになった。
そもそも皇族が外に出るのに許されるも何も無いのだが、一時期は次代の天子候補として見られていたほどの人物だったので、その扱いは過保護で自由の利かない状態であった。
それは今は亡き桓帝の子供、劉法が小帝として君臨してからも同じような扱いを受けていた。
劉宏は外に出ると、まずは庭をじっくりと眺め、存分に愛でてから宮殿から出る。
とは言っても、劉宏が通る事が許されるのは南の皇族や王族の血縁者、洛陽で大きな官位を持つ一部の人間の居住区だけであり、その他のいわゆる市を営んだり、技術者などの一般市民が住むような場所には行けない。

理由はもちろん安全の確保が難しいからというのが大きな理由である。特に西方面の貧民街に関しては絶対に行かせないように近衛兵は注意している。
劉宏もわざわざ、自ら貧民街の方へ行きたいなどと我が儘を言う事は少なく、少し外に出るとすぐ宮殿内部に入ってしまう。
そして側近も含めて全ての人間を立ち入り禁止にして自らの部屋の中に篭り、翌日の朝まで出てくる事は無い。
宦官や彼を守る近衛の多くは劉宏の生活態度をわざわざ叱り付けるような真似はしない。近衛兵に関しては宦官とその親族に癒着している者も多く、今の天子に不都合があった時の代替としての劉宏に特に不満を持たないからだ。
当然、宦官にしても生活態度に難があろうが無かろうが政治的に価値の無い皇族に一々構っている暇は無い。名士と結託する素振りも見せないし、保険として彼に近づいて来て決起を企みそうな外戚は既に排除済みである。


「趙忠様、劉宏様に関する報告をお持ちしましたが」

「いりません。どうせ、今日も兵法書を読んで少し外に出ただけなのでしょう?」

「はっ、その通りです」

「まったく、どうしたら一年中似たような行動が取れるのでしょうか。理解しかねます。劉宏様に関しては良いです。それよりも、最近また一部の名士が怪しい動きをしているそうです。情報を集めなさい」

「はっ」

「……ふぅ、外戚をこちらに取り込んだけでこの慌てよう、やはり名士とは言っても朝廷の政治がわからぬ者の集まりですね。
まぁ、良いでしょう。天子の勅という天。洛陽と言う地の利。宦官の親族を使っての各地域への官位による人の和。全てが揃っています。何をしようが、もうどうにもならないでしょう」


そう言って趙忠は立ち上がる。静寂に満ちる朝廷。この盤面を引っ繰り返すのは、果たして。


■■

ガタリと竹簡の山が崩れた。横目に見るとどうだろうか。立てば俺の腰にも達しそうなほどだった。それだけの数を書き写したはずなのに、俺の頭は白く濁っていて何を書き写したのかあまり覚えていない。
あまり寝ていないせいだろう。チカチカと目の前で弾ける赤色の花火。目の中心に向かって放たれる数々の火花が、世界を埋め尽くしていくかのよう。ただ、時折窓から覗ける風景が季節の移り変わりを示すだけ。
心は乾いた。それでも手だけは動いている。心の機微と体の行動を切り離されている。ただ待つと言う行為の中で俺が唯一見出した娯楽はひたすら学ぶ事だけだった。それも、そろそろ限界に近い。

……味方がいない朝廷。腐りかける思考を推しとどめる。俺に与えられた試練。それは……。
軟禁だ。いや、最近ようやく外に出れるようにはなった。ほんの少しの気分転換。たった一つの気分転換は、しかし耽溺すれば毒となる。俺に見せられる場所は限られている。狭い世界で、綺麗な人たちが暮らしていて、幸せそうに笑っている。
これは、宦官から俺への洗脳だ。世は乱れていない。世は安定している。あなた方の近くの人たちは笑顔で満ちている。政治は我々に任せて欲しい。あなたの存在のおかげで私達は笑顔でいられるのだと主張する。
俺の祖先を讃える言葉。誇りある歴史。それによって築かれた治世。喜ばしく思う民。高貴なる者。連なる連鎖。その次代を担うのが、俺……?
褒められる。敬われる。尊ばれる。持ち上げられて、大抵の物が手に入る。望めば女も、酒も、俺が今手にしている、この添削の入った勉強機材だって。何だって手に入る。それはきっと、宦官の利益を脅かさない限り全てが許される甘い甘い蜜。
あぁ、そうだ。だからこそ……ここには何もない。

怒られる事がない。俺のする事にミスが無い。堕落の許容された地。正解しかない場所。桃源郷。耽溺は罪ではない。曹騰がいなくなってから、俺は多くの罠に浸された。
季節が幾度か移り変わる。季節ごとに数々の花々が彩る見事な庭園がある。その度に王朝を讃える楽奏者と、それに合わせて見事な詩を読む文人がいる。だけど……ここに俺はいない。
虚無だ。ここは夢幻の世界。全てが許容される地。全ての堕落が許される地。全ての蒙昧が許される地。ここは、俺が明日死んでも一切の狂い無く堕ちる世界。理想郷。
衰退とはこれだ。これが衰退だ。何物も矛盾なく、全てが許された地で、一体どうして清廉な人物が生まれるのか。一体どうして、これが繁栄に繋がるのか。
この世界が素晴らしければ素晴らしいほど、完成された箱庭であればあるほど虚しい。ここには、天子と言われた人形とそれに群がる亡者しかいない。

俺を激情が焦がす。もしも俺に武があれば今すぐにでも飛び出して現在政治の中心にある宦官を殺して回りたいくらいの怒り。
しかし、激情が俺を冷ます。この数年で、俺という人間は本当に政治的な価値を失った。名士は俺に会えない。いや、俺が会わない。多くの名士が俺を頼ったが、その全てを跳ね除けた。
理由は常に宦官に見張られながらの会見になるからだ。そんな事は分かりきっていた。もしもいなくても、影で耳を済ませているだろう。故に、俺は名士を犠牲にしないように全てを退けた。
宦官は俺の態度に安心したのか。既に警戒は解いた。そして俺を制御化に置き、どうにかしようとする人物は宦官からも名士からも消え去った。制御出来ないが、とにかく毒にも薬にもならない存在。俺を評価するならば、それだろう。
激情は俺を焦がし、冷ます。冷めた激情は跳ね返って熱く燃え滾る事もある。一体、幾度この様な事を繰り返したか。それでも諦めないのは信じる物が二つあるからだ。
一つは俺の意志。一つは曹騰と言う唯一の援軍。朝廷というの闇より深く、俺の策はある。合図は簡単。きっと同じ事を考えていただろう。
凶報が吉報となり、不義が大義と化す。お互いに確認したわけではない。確認したわけではないが、その策はそういう方向でしか成り立たないのだ。全ての毒の向こうに、俺の策はある。
その毒を飲み干せるか否かは、曹騰が注いだ意志による。
この決意から1年後。作戦開始の合図が鳴り響く。曹騰の死によって。

■■

曹騰の死が俺に与えた物は果たして何なのだろうか。曹騰と俺が交わした盟約。その中身を俺たちは確認せずに信頼だけで承認し合っていた。
長い年月を共にしたわけでは無かった。ただポッカリと穴の開いた場所に何かを入れたくて、その時に近くで最もまともそうな人間を探した。
その当時、多くの人間は俺を劉宏ではなく天子になり損ねた子供としか見ていなかった。
当時、俺にとって周りは全て政敵であった。全てが信用ならざる物。裏切りに満ちた世界。そんな状況で夥しい泥の中から一粒の砂金を見つけたかのような喜び。それが曹騰であった。
一緒にいた時間は一年ちょっと。その間の時間は濃密ではあったが、果たして本当に信頼に足りる人物だったのか、今の俺にはもうわからない。
その時、確かな感触を抱いたとしても、人と言うのは後々変わったりするものだ。曹騰がそうならないと言い切れるだろうか。そして俺が変わり、彼の信頼を裏切る事にはならないだろうか。


「……いや、未練だな、それは」


未練。そうだ。未練だ。あの時、俺が王朝を救うなんて大きな事を考えないで曹騰とずっと一緒に居たらという未練だ。曹騰という逸材を誤魔化すのは恥ずべき事だった。
信頼は、あったのだ。曹操という大器もあったのだ。そして曹騰も俺も答える努力をし続けてきたのだ。ここで曹操を大器と論ずるのは、未来の知識として曹操が稀代の傑物だから言うのではない。
曹騰の眼力を評価して言うのだ。会った事も無い者を信用するのは本来愚かな事だ。しかも、ここは俺の知る後漢王朝ではないのだから、曹操が本当に大器かどうかなんて分かるわけが無い。
それでも、曹騰の言う事なら信じられると思うから言う。曹操という名士の芽。必ずや大きいと信じよう。利益によって繋らない、最後の人間なのかもしれないのだから。


「劉宏様、到着しました」

「わかった」


騎車から降りる。洛陽から少し離れたところにある墓所。既に葬儀は終わっている。まばらに見える人影がポツポツと帰り支度を始めているようだった。


「あぁ、少々遅かったようですな……失礼になるといけません。また後日改めて」

「良い。遅参を詫びて来る。待っていろ」


最後まで声を聞かずに歩いていく。兵士には下がるよう伝えて、墓所に入る。中に居た一人に遅れた詫びをしてから廟へと案内された。
中では壮大な葬儀が行われた形跡が残っていた。親を盛大に送る事は考であると考えられている。だから、官職に付く者は、身分はほとんど関係なしに葬儀は盛大に行われる。
ましてや、それが四代の皇帝に仕えた存在ならば、なお更だろう。その魂はこの時代の人間の手で、その全身全霊を持って送られるべきなのだろう。
辺りを見渡す。静寂がこそばゆい。俺も一度死んだ身なので、何となく己を振り返ってしまう。いずれ、こんな風に再び送られる日が来るのだろうか。
それは寂しくもあり、もしも目標を達成していたのならば誇らしくもあるのだろう。少なくとも、彼は目標を達成して逝った……はずである。


「逝ったか……盟友」


廟の前で感慨に耽った。廟はよく曹騰を模れている。よほど腕利きの者に頼んだのだろうか。一朝一夕で出来た物ではない。
俺は元は死者なのに、死者の残り香を感じる事は出来ない。俺が死者から生きる者になったからだろうか、それともやはり俺だけが特別で死んだ者は消えてしまう運命なのか。


「貴方が、劉宏殿?」


物思いに耽っていると後ろから声をかけられた。振り返る。白い装束を身に纏い、一人の少女が立っていた。髪は金色。鋭い視線には強い意志が宿っているように思える。
そして目の前に立っているだけなのに、この俺を飲み込もうとするが如き覇気。もしもこの少女が曹操ならば、確かまだ11歳の少女である。その11歳の少女が俺を圧倒するほどの何かを持っているのだとしたら……。


「あぁ、そうだ。俺が劉宏だ。君が曹操殿かな? 初めまして、曹操殿」


一言で表現するのならば、彼女の周囲は熱い。彼女自身から出る凄い熱気が、こちらに押し寄せてくるかのようだ。
それは、曹騰からも、数多の近衛兵からも、ましてや腐った宦官からは一切感じ取れなかった物である。
曹騰は曹操を大器と表現した。そして俺は意志を注げと言った。その結果がこれならば、最高の出来。これ以上ない化け物。俺の人を見る目は節穴も良い所だが、それでもなお俺に傑物と表現させる。


「えぇ、初めまして。それにしても、よく私が曹操とわかりましたね」

「曹騰が大器と呼び、曹騰に意志を注がれた少女。そう言う意味では、君は曹騰に似ても似つかない。その激烈さは曹騰には無い凄みだ。
だが、曹騰は頭が良く、漢に必要な物がわかる男だった。君のそれは、漢にとって最も必要な物だった。俺も曹騰もやはり同じ事を思っていたようだ」

「……お爺様を盟友と仰られていましたが、その意味は」

「おや、聞いていたのか?」

「えぇ、しっかりと。それを聞いたから貴方が劉宏殿であると思い声をかけました」

「そうか。それなら久しぶりに心の思いを吐露して良かった」


曹騰。君がこの少女に俺を会わせた。君の死は呼び水であったが、俺が持っていた君への思いもまた彼女に対しての呼び水だったようだ。
……凄いクサい台詞だ。口に出しては言えそうも無い。人の死で感情が高ぶっているのか? こんな思いはここ5,6年無かったな。


「曹騰と俺の間には、ある約束があった。今の王朝を蝕む宦官達を一掃するため、苦しみもがく民を救うため、そして、死んでいった数多くの名士に報いるため。
それら全てを成し遂げる英雄を、育て上げて俺と会わせるように盟約を交わした。そして、その約束は君と出会い、確かに果たされた。だから、曹騰を盟友と表現した」

「……貴方は、私と出会ってどうしようと言うのですか」

「簡単だ。曹騰により意志を注がれた英雄、曹操。お前はこの俺を使え。余すことなくだ。
俺の才、立場、出自、その他一切に至るまで、俺を使いきってくれ。俺は、君に使われるためにここまで来たのだ」

「随分勝手な言い様ですね」

「あぁ、勝手だ。そもそも曹騰に君を任せた所から勝手だし、それに期待して待っていたのも勝手。
さらに俺の考えを君に押し付ける俺はものすごく自分勝手であくが強い。君からしたら良い迷惑だっただろう」

「えぇ、本当に」

「……だが、君はとても嬉しそうな顔をしている」


その笑顔は、花が咲いたように艶やかで、子供らしさを残す笑顔なのに、何処か曹騰を思い出させるのだ。


「お爺様から聞かされていた変り種。どうやら本当だったようね。どう育っているか楽しみだとお爺様は常々言われてたわ」

「水と土が悪くて枯れる心配はしていなかったかい?」

「枯れていたら私がこの手で殺している所だわ。お爺様は常々、貴方に仕えて見たかったと言っているのだから」

「曹騰は大げさだな。だが、君を大器と論じた事は見事だ。君は、本当に大きい」


齢11。一体何をすればここまでになるのか。しかも、恐らくはまだ成長途中。若い頃の熱気に包まれ、果たしてどの辺りまで上り詰める事が出来るのか。


「曹操、俺の真名を受け取ってくれないか」

「それは、盟約の証としてかしら?」

「命を預ける証としてだ。俺の全身全霊、全てを使い切り、この腐った世を砕くと誓ってくれ。俺だけでは……恐らく届かない」

「……心して受け取ります、劉宏殿」

「ありがとう。俺の名は劉宏、字を子卿。真名を『鴆元』と言う、どうかよろしく頼む」

「私は曹操、成人してないので字はありません。真名を『華琳』。我が覇道にて、貴方の全てを使い切りこの世界を引っ繰り返して見せます」

「あぁ、君の覇道。俺に見せてくれ」

堅い握手。ここに、再び契約は成った。
ほんの少し前。俺と曹騰の間に盟約は交わされた。俺は、名士の芽に出会うと言った。彼は、俺の予想を超えて大きな結果を渡してくれた。
少女は、芽と言うには大きく、既に確固たる自らを持っていた。強い意志が、そこにはある。ならば、俺はそれに応えなければいけない。
盟約は交わされる。祖父から孫へと、覇道を行く道は確かに繋げられたのだ。
全ては、絆がため。





[17719] 第四話
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:4302e8ed
Date: 2011/03/23 05:45
筆を動かして字が出来上がっても、前世の影響で文字はどうにも丸みを帯びてしまう。漢字の多くも崩すと言う事が苦手で文化的に見れば悪癖の部類になるだろうか。
後世の人にとって読みやすいかもしれない俺の字は、この時代に完全に溶け込む事はしない。
文字一つ取ってみても俺にとってこの世界は生まれ故郷と言うわけではない現実が常に付き纏って来る。一概の寂しさを感じる事は、別におかしい事では無いだろう。


「……っと。この内容でなら、名士を束ねる事も出来るだろうな」


内容に関しては長すぎるので要約するが、要するに連盟確約状みたいな物だ。清流派名士の多くを動かせる力はあるだろう。
……その時に、漢の力が残されている事が条件になるのだが。
しかし、もしその時に既に力を失っていても漢は漢。名分だけは立つ。そうなれば多くの人物が、この曹操の下に募る。
人材好きの曹操としてはどうしても欲しい一筆だろうと思ったので先に渡しておく事にした。


「もしも漢に忠誠を尽くそうとしている有能の士に出会った時に使えば良い。きっと君によく尽くすようになるだろう。まぁ、余程の人物でない限りは使わない方が良いかもしれないがな」

「ありがとう、これがあれば確かに人を動かす事も出来るわ。本当は勅が一番望ましいのだけれど」

「勅は天子が出す物であって俺が出す物じゃない。もちろん一番望ましい形はそれだが、偽勅を作るにしても宦官の目が光っているから正直難しいだろうな」


そもそも俺の立場は江戸時代の部屋住みに近い。いわゆる公認ニートだが、その生活の多くは悲惨である。江戸時代の部屋住みの多くは家から出られず、家中では穀潰しと罵られたりする。それが仕事だ。
全くニートも楽じゃないぜ、と呟く資格があるという希少な存在だ。そもそも好きで部屋に住んでいるわけでは無いのにそう言う扱いだ。部屋住みも当たり前だが結婚したり子供も出来たりするのだが、その後悲惨な目にあう事が多くて正直、世の無常を感じたりもする。

俺の立場はまさにこれで、いわゆる公認ニート……のような物だ。似たような立場の人間で有名なのは韓非子がいる。この時代だと、まだ韓子と呼ばれていた気もするが、この世界であんまり細かく考えても意味は無い。
この世界は変な所は律儀に同じなのに、何処か平然と意味のわからない事が同居している世界でもあるのだ。
例えば今さっき普通に紙を使って物を書いたりしている所とかね。ちなみに部屋には鏡が備え付けられていたりもした。俺の王宮生活とは一体何だったのか。問わずにはいられないが……今はやめておこう。

話を戻す。韓非子は、韓という国の諸公子であり、諸公子と言うのは、まぁ、身分の低い家で生まれた人間や外戚の支援が無いため一生を不遇に過ごさなければいけないような人々の事を言う。
俺に関しては少し特殊で外戚が既におらず俺に対して資金援助をする人間がいない。さらに俺の系譜を辿れば何代か皇帝を出している家柄なので家柄に関しても決して悪くないはずなのだが、俺以外の人員は既に全員お亡くなりになっている。そして俺に昔から仕えてくれている存在なども別にいない。
要するに今現在経済的に自立しようにも商人や農民に身を落とすしかない。それでは話にならない。ダメだしで自由に外に出れない制限付きだ。どうやって権力を持てと言うのか。この状態まで持って行かれた時点で俺の負けはほぼ確定である。宦官は朝廷政治をよくわかっていると言わざるを得ない。

韓非子に関しては俺ほど酷くは無いが同属なので悲惨な事に変わりは無い。しかもその当時韓の国は貧しく財貨、糧食に乏しい状態であり待遇は悪かったと伝えられている。
そこで韓の国で大活躍!となればまた話は変わってくるのだが韓非子は生来口下手で、何度忠言しても聞き入れられる事が無かった。
なので出世に恵まれず、学友に誘われて秦に赴いて色々忠言したらそこの王に気に入られて、これから日の目を見るかと思えばあっさり謀略にかかって投獄、自殺と言う偏析を辿る人物だ。
俺も形は違ったとしても、謀略に関しては似たような事が起きてもおかしくなかったのだと思うと非常に胸が痛い。口下手じゃなくて良かった。人を説得出来る実力があって良かった。俺はまだ恵まれている。
まぁ、その様に色々と恵まれない上に悲しみの人生を送るのが我々部屋住みである。そんな部屋住みだが、一応俺は天子候補なので本当に、本当に名前だけは十分使うに値する。
今の政治状況は宦官が取り仕切っており、天子の入る余地が無い。皇帝の徳が民に届かない。立ちあがって今中枢に住まう宦官を排除してくれ!と言う発言がもしあったら立ち上がる大義名分には充分足りるのである。だから俺がこうして、こんな謀をしているのだが。

……余談だが、桓帝には奥さんが3000人近くおり、もう貴賎だの何だのが入り乱れているが、そのせいで俺が今、こんな資金的に苦しい可能性がある。しかも生まれた子供は一人だ。しかも俺の世界では子供すら生まれなかった。
そう言う意味では劉宏が俺の世界で天子になれたのは奇跡だと思う。普通だったらなれないよなぁ……何か色々思う所もあるけどきっと天運とかあったんだと思うよ。使い方を間違い続けていたけど。


「それで華琳、俺の名前を使うのは良いんだが、一つ提案があるんだ」

「何かしら」

「……俺としては、それを名士に対して使うのは少々待って欲しいんだ。理由は……まぁ、わかるか」

「えぇ、例えコレを私が持っていても盟主になる事も無ければ政治的優位に立つ事も無いわね。これで得するのは今力ある名士だけで、私に得がないと言いたいのでしょう?」

「その通りだ。もちろん、それを上手に使えば政治的優位に立つ事も出来ないわけじゃないが、基盤が無いから危ういだろう。
そもそもソレは名に意味があるのであって君自身に意味がある物でも無いから奪うために君が危険に晒される可能性もある。だから、名士を先に集めてしまうのはマズい
俺は君こそがこの時代で最も強く輝くと思っている。なのに、他の人間に足を引っ張られては悲願を果たせない」

もしも俺が名士だったら、基盤の薄いこの少女なんてすぐに殺して自らがコレを持って盟主になろうと考えるだろう。もしくは圧倒的な物力や権力に物を言わせて合法的に奪っても良い。
今、これを使うにはまだ基盤が足りていない。華琳の基盤が、だ。土台が無ければ強く立ち続ける事も覇道を貫く事も出来ない。
親の権力をそのままそっくり引き継ぐ事は出来なくも無いが、いきなりそんな事をしても家臣は納得しないだろう。今からその作業にかかるとしても、少々時間がかかる事は否めない。


「だから、それを使うとしたら在野の人間にした方が良い。特に今の漢のあり方に疑問を呈しながらもどうにも出来ない歯痒さを感じている人間とかな」


この世界で起こったかは調べて無いからわからないが、俺の世界では少し前の時代に国を省みろと言った一人の人間がいる。その人間は身分が低かった。
地方の役人で、はっきり言えばそんな事をいえる立場の人間ではないが、自らの官職に努めるのではなく、国に仕えると言う気概がある。この時代は、下の人間が上に対して不満を持っている時代だ。
書生の多くは自らが仕えるに値する人材を求めて放浪し、義侠の人間もまた同様に世を憂えていない者はいない。そう言う時に俺の名前は役に立つだろう。同じ志を皇族も持っているとなれば、自らの願いは大義でもある。義見て動かざるは勇無き也。
それは勇ある者に動いて欲しいと言う俺の願いでもある。だから華琳なら、きっと上手く使ってくれる。


「まずは人材を集めて地固めをしろと言いたいのね。私はそれで構わないけれど……良いのかしら?」

「……そんな時間が残されているのか?と言う話か」


時間には俺も思う所がある。もしも漢を救おうと思うのならばそろそろ時間が足りなくなって来ている。救いの手を差し伸べる事が果たして出来るのだろうか。例え存続したとしても……天意なしと見做されれば皇帝の座は挿げ替えられてしまう。
天子と言うのは実に曖昧な物だ。人であり天である存在を、どう認識すれば良いのか。天運、天意、神懸り……仁義礼智信の全てを兼ね備える存在?
一体天子とは何なのか。だが、一つだけ決まっている事がある。それを選ぶのはいつでも人間であるという事だ。
天下は庶民の物、天下は全ての者。故に人が選んだ天が天子であるのか。天意は人を動かすのか。それとも、人は人の中に天を見出したのか。あるいは全てか。
だが、一つの天が終わろうとしている事は確かだ。俺は……選択し終わっているのだから、気兼ねなく実行すれば良い。


「時間は多分もうあまり無いが、それで良いよ。地盤固めを進めてくれ」

「……本当に良いの?」

「あぁ、良い。少し未練があっただけだから」


漢王朝の腐敗は、正せない場面まで来てしまっている。俺は……残せるのならば漢王朝を残したいと思いながら過ごしてきた。
だが、それは民の為であって間違っても漢王朝に名を残して欲しいという願いからでは無い。もしも漢王朝を残す事が世の為にならない段階まで来てしまったのならば、最後は俺の手で引導を渡そうとすら考えている。
もちろん、まだ救いはあるかもしれない。まだ間に合うかもしれない。そう信じないわけじゃない。でも自浄作用は恐らくもう無い。
ならば、どうするのか。名士に頼るしか無いのだ。外部の力でどうにかしなければいけない段階まで行ってしまったら、王朝の力は徹底的に弱まっている証拠だ。
一応王朝を保つ方法は幾つか考えていないわけでは無いが……全てを行うのは俺が朝廷から出ない限り無理だろう。


「未練ね……。未練と言うのは心残りとも言うと思うのだけれど、何か考えている事があったりするのかしら?」

「よくわかるな。もちろん考えたりもしているさ。実行に移せるとは思わないけどな」

「聞かせてちょうだい。今は貴方の思惑が凄く知りたいの。話を聞いたら面白そうだわ」


どうするか。話して良いものか。信用も信頼もすると決めたが、今話すのはちょっと心情的にな……。


「……触り程度なら、話すよ」

「えぇ、お願い」

「何をどう話すべきか……俺の考えではだけど、多分な、もうちょっとで大乱が起こる。そんな予兆を感じるんだ」


後に言う黄巾の乱の事だ。これは起こる事は恐らく確定しているのだろう。宦官勢力が幅を利かして庶人の暮らしは悪くなる一方。悪政が蔓延り、いよいよ民の生活は苦しくなって来ている。
これは、誰もが感じる事だ。そしてこれが三国志の世界と同一ならば、黄巾の乱は何かしらの理由で必ず起こるだろう。
それがどういう理由なのかはわからないが、しかし、ここを舞台として見ると起こると感じる事は多分間違っていないだろう。


「それは、例えば赤眉の様な大きな形となって王朝を破壊しつくそうと動く気がする。これは、大きな流れとしてほぼ確定事項なんじゃないかと感じるんだ。王朝に対する民の我慢は、かなり限界まで来ていると思うから」

「えぇ、そこまでは良いわ。続けてちょうだい」

「だけど、民主導で大きな流れと言うのは絶対に作れないと俺は思っている。反乱を起こすのはいつも頭の良い奴だ。赤眉に関しては反乱と定義されたのは後年で当時はただの大規模な賊集団だ。反乱ではなく、ただ荒らして奪うだけの存在……それが、民主導の戦だ」


一瞬、言うのを戸惑う。大それた考えだから。俺は大きな事を考えるのは好きだし、それを実行に移そうとする事は多々あるが、ふとした瞬間、そんな大きな事が出来るのかと自問自答してしまう。
本当に俺が考えている事が出来るのか。俺の手に余るのでは無いか、そもそも、今考えている事は人々にとって害悪になりえるのでは無いか……そんな風に考えてしまった。
それでも、口からは出ていた。それはきっと、自らの心の内側を誰かに見せたかったからかもしれない。


「俺はその賊に、意志を与えたい。俺が動かす、軍隊にしてしまいたいんだ」


告白してしまえば、俺は黄巾党の全て奪ってしまいたい。起こる事がわかっている大乱。大きな時代の変動。人災と言う形でのゴング。その人災を己の物にしたい。
欲しい、あの軍事力が。熱狂が。苛烈さが。現体制に対する怨みに燃えたあの力が、俺は欲しい。不満の全て。吐かれる感情の波。
俺、俺は……この手で人災を起こしたいのだろう。人心と言う大義名分を得て、現体制を引っ繰り返したい。その第一歩として、怒りに燃える民を利用したいと考えている。


「その為には、俺は宮廷から出ないといけない。けど、宦官に見張られていて出られない。もしも機会があるとしたら今しかない。近衛兵を殺して、俺は、自由になりたい」


眼に意志が宿ってきた。あの日、置いてきた物が心の中に舞い戻るようだった。苛烈さは俺と共に、まだあった。
捨てて来たのでは無いのだから、あるに決まっている。今まで心の奥底にしまっていただけだ。それは風化なんてしていなくて、何処までも大きな狂気。
大きさを測って一切物怖じしない度量。劇物を扱って一切躊躇わない冷徹。人の感情を食って成長する意志。俺の中に、禁忌はあるのか。


「怨嗟を力にしたい。他人の恨みや怒りを統べたいという欲求が俺にはある。それは大きな力だから。時代の唸り声だからだ。変革を求める声に、俺は応えてやりたいんだ」


小市民の声はどうしても小さい。今のような体制ならば、尚更だ。それを無理すればどういう事になるのか、知っているから俺が彼らを統べる者になりたい。
徳では無い。この感情は、美しい何かじゃない。恐ろしく汚らしい何かだ。俺は、大事な何かを前世に置いて来たのかもしれない。それでも、人を助けたいと言う想いには真摯だ。
それは……………俺の小さな矜持。その為なら、命を投げ出してやったって良いと感じているほどに。


「なぁ、華琳」


息が熱い。体全体が熱に支配されている。


「俺を、自由にしてくれないか」

「……えぇ、喜んで」


覇王は、優しく微笑んでくれた。
俺は、どんな顔をしていたのだろうか。


■■



近衛兵の始末に時間はかからなかった。人を殺したことに関して色々と思う事もあるが、俺がやろうとしている事はこれよりも多くの命を奪う事だ。既に覚悟は終わっていると言っても良い。
俺は自分が着ていた服だけを脱いで、適当に切り裂いた後に近衛兵の血で濡らしてた。こうする事で、俺の生存を疑われないためだ。捜索隊が来て発見するのは、血まみれで貴重品が取り外された服と近衛兵だけである。
賊の仕業にするに違いない。これが華琳の領地内にあるとマズいので、全く関係ない方向への道に捨てておく。ついでに一筆書いておいた。
曰く、俺を匿ってくれると言ってくれてありがとうと言う手紙である。誰が、とは一切書いていない。しかも華琳の領内とは全く別方向だ。疑われる事もあるまい
。華琳の方も知らぬ存ぜぬで通すだろうし、何より俺は遅れて来たので清流派名士で俺を確認した人物はいない。
そもそも宮廷内で名士と会っていないので俺が俺だと気付く事が出来る人間は数少ない。俺を皇族だとする証は持って来ていた宝剣だけ。
ちなみに実用性は皆無だ。鞘には宝石がゴテゴテつけられていて、刃も使い物にならない鈍らだ。
ちなみに名前を書いた紙に関しては信用出来る人物には本当の事を話して、信用できない場合に関しては遺志を継ぐとでも言えば良い。大義名分がある事が大事なのである。


「華琳……ありがとう。ようやっと宮廷から開放された。長かったけど、今は清々しい気分だ」

「元々無かった政治的価値が更に減ったわね。使えと言っておいて自ら価値を手放すなんてどういうつもりなのかしら?」

「耳が痛いなぁ……。まぁ、あの文書があるって事で少しの間我慢してくれないか?」

「……少しの間だけよ?私はあまり気が長い方じゃないのだから」


そう言って微笑む。俺もほうも微笑み返した。良い関係を築けそうだ。きっと……世界は良い方向に向かうと思わせてくれる。
空を見上げた。明るい太陽。眼を細める。広い大地は俺を待つ。この世界に大乱を起こすなんて……きっと愚かな事なのだろう。それでも、やらなければいけないという使命感だけは確かに持っている。
俺の意志は、この世で最も大きくならなければいけない。全てを包み込む度量が無ければならない。俺の意志は―――大きく、大きく。大局に向かって歩まなければいけない。
せっかく、華琳が俺の為に機会を造ってくれたのだから。


「……じゃあ、行って来る。手紙は定期的に出すよ」

「えぇ、頑張ってらっしゃい。私も、速やかに基盤を固めて見せるわ」


固い握手。前は盟約の証として。今回は期待に応える事を約束して。
あぁ―――今日は良い天気だ。





[17719] 第五話
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:00b068e4
Date: 2011/03/23 05:45
息を吸い込んだ。むせ返る大地の香り。激しい風。遮る物などないから、飛び散る砂が少し痛い。
それでも幸せを感じるのは、恐らくこの世界に来て初めて広大な大地を感じているからだろう。
前世でも、ここまで広大な平野を見た事は無かったように思う。
否応なしにテンションが上がる。何の意味もなく駆け出したくなった。これが自由か。
近代以降の人々が自由を求めた理由がよくわかる。これは良い物だ。


「これで馬に乗れたらきっと一番良かったんだけどなぁ」


中国大陸の地を徒歩で行くのは中々無謀な気がするが、残念ながら俺は乗馬経験が無かった。そして何より馬を買う金も無かった。
路銀は少々持たせてもらったが、馬を買うほどは無い。何にせよ、馬に乗る機会は巡ってこない。そして馬に乗る修練をする時間も無い。なので徒歩だ。
長い木の棒を支えにしつつ、日傘を被って歩く。ちなみに宝剣は持っていると寝てる間に盗まれたり、もしくは道を歩いているだけで強奪されるであろう事は確実だったので華琳に預けてしまった。

そもそも体力の無い俺には剣が重荷だった。それを持って歩くだけで、もう動く気力がどんどん萎えていく。少しして帰ってきた俺の現状に凄く呆れた顔をした華琳。思い出すと少し笑えた。
従者をつけろと言う話も出たのだがそれも断ってしまった。邪魔だったからだ。それに従者つきの旅なんてしていたら確実に怪しまれるだろう。

宦官だって素直に俺が死んだとは思わないだろう。俺だったらまず逃げ出した線を探す。人相描きも出るんじゃないだろうか。
その時に従者つきのそっくりさんが歩いていたら確実に怪しまれるだろう。
そして宦官たちは世間知らずの俺が逃げ出したと仮定するならば我が儘に従者や華美な事を好むと思い込むに違いない。実際、宮廷ではそれなりに我が儘は言っていたしな。
そんな我が儘な俺がまさか一人旅をしているとは思うまい。日傘を深く被り、しかもたった一人で歩いているただの旅人と言うのならば、そこまでは警戒されない。
万が一にも逃げ出した皇族だと疑われる事は無いだろう。このご時世に諸国を歩き回る事は別段不思議なことでは無いのだから。

清流派と呼ばれる名士の多くはかなり前から有能な主を探して歩き回っている。これは、中央を宦官が牛耳り、その支配が地方にまで及び始めたからだ。
清流派や自らの能力に自信のある人物の多くは宦官の下で働くことを良しとしなかった。
それにより、有能な主を捜し求めて人々が歩き回っている現在、俺もその中の一人と称し動いたとしても不思議には思われない。
まぁ、何処かで路銀を稼いだりしなければいけないが、それもやれなくも無い。

文字書きが出来て算学も出来るので、代筆や倉庫整理などが出来る。その土地を治める人物に言って少しの間だけ雇い入れてもらえば旅費に関しては充分なのだ。
かの老子だって図書館の司書やってたんだぜ。ちゃんと雇われてたらしいけど。隠れているのだから長居は出来ないだろうが、三日四日程度ならば問題ないだろう。
それが宦官の影響が少ない地域ならば、もっと長くいても大丈夫かもしれない。

現実的な線で言えば俺が問題なく長期滞在出来るのは涼州、幽州、益州、楊州のいずれかだろう。この辺りは宦官の影響がとてつもなく小さい。
一番小さいのは恐らくは交州だが、あそこには行って無事である自信も無ければ帰ってこれる自信も無い。なので結局は先の四州が恐らく現実的だろう。

まず、涼州と幽州。この二つへ行く宦官は少ないだろう。この二つは異民族との戦いの第一線であり、しかも作物の収穫高はそこまで多くない。
しかも幽州は公孫家が、いわゆる下級官僚を家族で固めて来ているため、迂闊な行動をする事は幾ら金で官位を買ったとしても出来ない。
涼州もほぼ同様である。最も、公孫家のように代々の名士と言う存在はいないのだが、その代わり羌族との結び付きがかなり強い。あそこは漢という枠組みからは何処か外れているような気がしないでもない。
そんなわけで、この二つの州に好んで行く宦官はいない。
何故なら、そこで取れる税も少なければ、下手すると反乱が起きたり異民族に侵略されて責任取らされるかもしれない地へと赴き、政治を乱すほど宦官とその親族は愚かでは無い。
まぁ、度胸が無いだけという意見もあるのかもしれない。
もしも本気でカリスマの有る人物で、俺と同じようにこの後に世が乱れると知っているとするならば、あの中に入り込んで一旗あげようと考えるだろう。俺の場合は無理そうだけれど。
何故なら、今の俺では兵を率いて戦うと言うことが出来ないからだ。なのでこの案件は即却下された。

次に宦官勢力との結び付きが小さいのは、益州だろうか。あそこは深い山々に包まれていて交通の便が悪い上に大きな関によって移動がかなり制限されている地域である。
あそこは、なんかもうほぼ独立領域みたいな感じだ。変に孤立している場所だからなのか独特な文化が育まれており、中央との断絶も激しく一度入ると出るのに苦労する場所。
幽州や涼州に関しても中央から遠いと言えば遠いが、益州はもう全然別の意味で遠い。同じ国の人なのか、ちょっと疑いたくなるレベルだ。
独立機構すぎる。そう言う意味では、あそこにいるのは俺にとって悪い事ではない。だが、そうなると華琳とのコミュニケーションが途切れ途切れになってしまうだろう。
より良い人付き合いの基本は一定期間、常に報告連絡相談を行い続ける事だ。篭もるだけなら益州で問題ないが、打って出る事を考えるとあそこは、あまりよろしくない。
きちんとした通信網があれば話が別なのだが、華琳も俺もそんな上等な物は持っていない。


「ふーむ……となると楊州が一番現実的なのかな……?」


楊州の特徴は交易が盛んな事と水軍が強い事だ。適度に中央にも近い。近いが、そこも当然異民族との軋轢があり、異民族との戦いがある。異民族で思い出した。
異民族討伐を通して大きな勢力になっていたはずの孫堅が何故か俺が朝廷を出る寸前にお亡くなりになった。最早意味がわからない事この上ない。
今孫パパ死んだらダメだろ。反董卓連合どうするんだ。いや、ここではパパじゃなかった。ママだ。それも意味がわからない。調べたら何故か孫堅は女性だったのだ。
曹操が女性だった時も結構驚いたが今度は孫堅まで女性。後漢っぽい何かと言い続けたが後漢を機軸にした別世界と考えた方が良いのかもしれない。

一度その話は置くとして、今現在揚州は非常に混乱している。理由としては異民族に対抗する主柱とすべき存在が居なくなったからだ。
それなり頑張ってはいるが、それでも政治的にも軍事的にもぽっかりと穴が出来てしまい、楊州は混乱している。
中央と地理的に近く、政治的に混乱している今ならば俺が紛れ込むのはちょうど良いだろう。だが問題もある。
ここにいては黄巾党を盗むと言う発想が上手に機能しない可能性がある。そう言う意味では先ほど考えていた益州は論外だ。

あそこにいては黄巾党どころか、政治的異変が起きた事すら気付かずに終わる可能性すら出てくる。もしも俺が黄巾党に関して何かを望むのならば、むしろ宦官勢力の近くにいるべきなのだ。
民が暴動を起こそうとしている気配や、いわゆる侠と呼ばれる人々と何かしらの縁を結ぼうと考えるならば、中央付近の政治的腐敗の中に飛び込まなければいけない。
しかし、政治的腐敗の近くと言うことは宦官とその親族などと通じている人間が多くいると言う事だ。それを掻い潜る事が俺に出来るだろうか?


「……難しいと言うのは楽観的だな」


はっきり言えば無理だろう。それこそ、俺自らに何かしらの援護、もしくは協力体制が無い限りは絶対に無理なのだ。援護ならば密約を結んでいる華琳と考えるが、華琳に動いてもらうのは無理だ。
華琳の動きは一年は見張られるだろう。それに華琳自身が何かしらの権限を持つに至るのに、どれだけの才覚があろうと2年はかかると俺は踏んでいる。2年間の間、俺はどうにか世間に潜り込まなければ行けない。
黄巾党の動きが活発化する詳しい時期はわからないが、今は楊州で身を隠すのが現実的だろうか。だからと言って中央への動向を無視する事は出来ない。
俺に必要なのは隠れつつ、中央への情報が手に入り、お金も稼げるという事か……。いや、正直全部は無理だな。最優先は隠れる事、次点で中央の情報が手に入る事、最後がお金だな。
お金に関しては最低限食べられる程度を稼げれば良い。粗食に体を慣らしてきたつもりだ。一日二日食べなくても生きていけるように体を作り変えてきた。おかげで体力とは無縁の体になってしまったが。
もう少し現実的に詰めて行くならば、最優先は隠れる事とあまり表に出なくても怪しまれない職に就いてしまう事、次点で楊州の豪族から中央に関する情報を集める事と中央から少し外れた清流派の人との間に独自のコネを作って情報を集める事、最後はお金、だな。
次点での中央から少し外れた清流派に関しては華琳を通して紹介してもらうのも有りかな。それ以外にもここの豪族を通して紹介してもらうという手もある。実際行うならば両方か。


「うん、これで良いな」


さて、それじゃあ、楊州へ向けて進むとするか。

■■

突然だが俺が元々住んでいた都である洛陽の近くにも大きな河がある。黄河と呼ばれるものである。正直、見たのなんて数回程度だが、それでも大きな河の流れを最初見た時には、自らの中に壮大な何かを見出したりしたものだ。錯覚だとは思うが。
今、目の前にそれ以上に大きい長江が広がっている。ほとんど海だろうと突っ込みをいれたいが、これも一応は河。ここまで大きいと俺も何と言えば良いのか、よくわからない。
例えば音一つ描写するのでも、河と言うよりも海に近い。光景も向こう岸がギリギリ見えるか見えないかで、下手すると見えないので海を見た時の感想と同じになる。ただただ広さに圧倒されるのだ。

俺はそんな長大な河を草むらに腰を下ろしながら眺めていた。辺りにあまり人影は無い。何でこんな所で一人黄昏ているのかと言えば、向こう岸に渡ろうとしているが、踏ん切りがつかないと言った所だろうか。
向こう岸に渡ってしまうと、かなり行動が制限されてしまうからだ。今現在、隠れる事と情報収集の妥協点を考えているのだ。
正直、長江がここまで大きいと思っていなかったのだ。これだと下手な所に行ってしまうと、確実に情報交換などで不便な思いをする事だろう。
全てが全て上手くいくなどと考えていないが、それでも上手くいったら大きい収穫があるのならば一縷の望みに賭けてみたいと言う欲求は俺の中では強い。そもそも俺の行動の多くはそう言う行動に類する。
自らを死んだ事にしたのも、華琳の元から去ったのも、全部賭けみたいなものだ。どちらも成功したとも失敗したとも言えない粗末な結果だが、それでも言える事がある。


「どうやら、別に運が壊滅的に悪いわけじゃないらしいよな」


結果を考えるに、そこまで壊滅的では無さそうだ。そもそも転生なんてしたり、皇帝に成り損ねているのだが、それでもそのせいで死ぬような事は無かった。
もう一度、賭けをしてみるのも良いかもしれない。この豫州で賭けをする相手は幾つかあるが、一番倍率が高いのは孫家だろう。


「ふむ……確か、今は孫ママが亡くなって周辺地域を別の勢力が統治する事になったんだったかな」


賭けをする相手の情報を何となく思い出す。俺が今回、ちょっと人生張ってみる候補の一つは呉だ。それも落ちぶれている状態の。
何故か歴史よりもずっと早い段階で孫堅が亡くなった。まだ若すぎる孫策は、権力を持ち続ける事がどうやら出来なかったようだ。
だが、全てが早まっている今、孫策が歴史通りに勢力を回復するのはまず間違いなく、しかもそれが早まる可能性は充分にあり得る。
歴史通りに関しては俺と言う最大の例外があるのだが、曹操が生まれているし、政治が乱れているので大局に変化は無いだろう。
それに、結局誰が漢の皇帝になっても今はただ操られるだけだ。そうなれば反乱は俺じゃなくても起こる。その時の皇帝が俺であろうが無かろうが多分変わりない。
もしも今の段階で孫家に恩を何かしらの手で売ったり出来れば、配当は凄く高くなるだろう。なるだろうが……。


「売れるもんが無いんだよなぁ……」


残念な事に売れるものが無い。俺が持っている物は既に華琳に売却済みである。しかも、最も価値のある名前だ。
漢帝国の血筋という大義名分。あの時、俺にあったのはソレだけだ。それ以上の物は無かった。だから売りつけた。
だから、今の俺は完全に空っぽだ。本名の劉宏とは一時的にお別れになる。だから、俺に売れる物は完全にないわけだ。出自不明者で、知識はそれなりしかない。そんな人間が売れる物は何だろうか。
もしくは売るのではなく、彼らが何かを成そうとしているのに手を貸すと言う方向性もある。これなら、俺にも出来るだろうが出自は疑われるだろう。嘘を突き通すのは、中々に難しい事だ。
だが、今現在孫家は落ち目である。残念な事に孫堅が亡くなり、元々持っていた領地の維持が不可能となった事で多くの人間が散って行った。この隙に、俺が呉の中にもぐりこむ事自体は、そんなに難しくは無いだろう。
難しくはないだろうが、深く入りすぎれば今度はそれが邪魔になる。自由に動けないのは困るのだ。
俺は黄巾と言うまだ見ぬ賊を吸収し、自らに"軍事力"という新たな価値を生み出さなければならない。そのためには、ある程度自由で無くてはならない。


「妥協点だらけだな……どの辺りで折り合いをつけるか」


声は河の音に切り刻まれて、やがて虚空に消えた。




[17719] 第六話
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:1cfa5910
Date: 2011/03/23 05:45
後漢のいわゆる霊帝と呼ばれる人間が生きている時代。この時代は、名士にとっては苦難の時代である。
それは立場的な事もある。中央を宦官に乗っ取られ、多くの官吏を金で買われてしまい、その親族たちが政治を司るようになってしまった。
その為に多くの名士が立ち上がり、しかし事前に計画が露見して命を散らせて行った。
だが、名士達にはそれに関連して、もう一つの重大な問題が発生していた。

ズバリ、就職難である。先ほども言ったが官吏の役職。しかも中央の美味しい所は大体宦官の親族により席を取られている。
そうなると、就職先は田舎くらいになるが、田舎は田舎でその土地に代々住んでいる人々が下級官僚を勤めている上に、多くの場合はそこの中で最も傑出した人物が中央に入りコネを使ってそこの後釜に座ってしまう。
若く有能で血気溢れる若者達も、お金と人脈の前に膝をつき、官吏の道を絶たれてしまう事が存在してしまうのだ。悲しい事だ。
そして俺は就職に失敗した浪人の一人であった。今さっき、募集していた仕事が他の奴に奪われた所だった。


「………」


少し門の前で呆然としたが、とりあえずダメだったものはダメだったと受け入れて俺はゆっくりとそこから立ち去る。正直、ちょっとだけショックだ。
ちなみに、恐らくは純粋に能力負けと思われる。子供の頃から本気出して家庭教師をつけてもらったり、私塾に通っている人間と宮廷に篭もっていて我流で勉強した人間では大きく差が出て当然だった。
同じ内容を覚えていても主流の読み解き方や一般的な解釈と言うものがある。それを一切やっていなかったのだ。幾ら内容を暗記していようが理解が乏しければ弾かれるのも当たり前だった。

しかも俺の場合は勉強していた内容の多くは兵法が中心でおまけで個人的に行政の仕組みや軍権についての思いがポツポツとあるだけであった。
だが今現場で必要とされているのは実践的な帳合とかであった。そもそも、ここ廬江は戦争に関しては河賊が時々暴れる程度だ。
よくよく考えれば黄巾の乱が発生するまでは中央や異民族と面した地域では戦闘が発生しているが、それ以外の地域は重税などで苦しんだりしているとは言え政治的な混乱はあまり無いのだから戦力なんて必要ない。必要なのは普通の文官だ。武官じゃない。
特に素性も知らない人とか雇わない。一応雇用制度とか確立していて、清廉な人物が選出されているのだ。内実はどうかはともかくとして、やはり他人の評価と言うのは馬鹿に出来ないのだった。


「ふぅ……どうするかな」


まぁ、別に何をしても良いのだが、出来れば隠れ蓑的な物を探しているのだ。それは、出来れば有力な名士がいる所……だったら嬉しいなぁと考えている。
先ほども言ったが、やはりこの時代は人脈が命だ。それがあるのと無いのじゃ大違い。まぁ、どの時代でもそうだったけどな。結局行動するのは人間なんだから。
最終的に必要なのは人であり、そして人と人は繋がらなきゃ意味が無い。そう考えると俺の人生は人との繋がりが異様に薄い人生だな。ある一点では逆に濃すぎる気もするが。
仕方無いので今日も馴染みの本屋へと立ち寄る。


「どうもー、今日もお世話になりに来ました」

「あぁ、帰ってきたのか。その顔を見る限りはダメだったみたいだな。まぁ、ちょうど今在庫が切れた本があるから失敗を忘れて仕事でもすると良い。
写本するならいつもの所だよ。何時も通りの値段で買い取るから、頑張ってくれ」

「はい」


特に怪しまれる事もなく、そのまま奥の部屋に行く。そこには大量の墨と筆記用具が置いてある。そう、ここは写本場なのだ。
この時代は活版印刷なんて発明されていないので、書物は全部手書きだ。しかも、製紙技術はあってもあまり長持ちはしない。
なので竹簡も書物も、どちらも時々買いなおさなければいけない。さらに新刊なども頻繁に出ているようで、こう言った作業は結構需要があるようだ。
一般庶民は本を読んだりはしないが、それでも知識者層はそこまで少なくないからだろうか。
それに驚いた事に案外値段が安い。もちろん一般市民が買うには高すぎるが、それでも普通の宮使いの文官なら月に一冊は買えるであろう値段設定なので、案外売れたりする。
安定した需要があるので、こちらとしても収入源が確保出来て、とても助かっている。


「捗ってるかい?」

「まぁ、それなりに」

「いや、実際助かってるんだよ。少し前になるが、孫文台様がお亡くなりになってね。それから治安が悪化してしまって、あまりこの周辺に人が集まらなくなってね。
今まで写本をやってくれていた人間も地元に帰るとかでどんどんいなくなって困っていたんだ」

「……やっぱり、この辺りは少し前に比べて治安は悪くなったんですか?」

「あぁ、そうさ。文台様がいらっしゃった頃はそうでもなかったんだけどねえ。それに、中央からは未だに誰も派遣されて来ないから警邏の人達もどう動いて良いかわからないって困っていたよ」


中央から人が来ないのか……。動きが鈍っているな。中央で誰が行くかで権力争いか何か起こってるんだろうか。
もしも宦官の手の人間がいたらマズいな。来るかどうかはわからないが、いつでも逃げ出せるように準備だけは怠らないようにしておかないと。


「だからお城の方で人材募集があったんですね。まぁ、俺は今さっき落とされたんですけど……」

「人材募集って言っても昔から決まっていた事らしいからねえ。それに募集していたのは文官だから、あんまり関係無いんじゃないかねえ」

「かかっていた募集は文官でも兵糧や資材の確認が主な役割だったから、やっぱり夜盗に対処するための人材だと思いますよ」


試験内容はそれとは関係ない内容だったけどな。と言うか実際の作業に必要な能力よりも政府にとっての教養や気品、一般常識がある人物を採用する制度はいかがな物か……。


「そうなのかい?いやぁ、本屋を経営しといて何だけどおじさんはあんまり頭良くなくてね。字は読めるんだけどねー」


へへへと薄い頭をかきながら照れ臭そうに笑う。こちらも一応微笑を返しておいた。ちなみに会話している間、手は止めてない。買取式なので終わらないとお給金が出ないからだ。
それにしても、既に中央がきな臭いのか。黄巾の乱が起きるのはいつ頃になるかはわからないが、あまり時間の猶予は無さそうだ。
潜伏と言う目的は今の所は達せられているが、それでも次の目標である中央の情報は未だに噂程度しか耳に入ってこない。
逆にお金はそれなりに稼げている。達成目標が逆になってしまったが、どれが欠けても本来はマズい。
しかし中央の情報に触れられそうな自治組織への潜り込みは能力不足で無理になってしまったし……。代替案は何か無いものか。


「んー……………思いつかないな。はい、一本目終わり」

「相変わらず早いねえ。長年本屋をやってるけど、そんなに写本が早い人は珍しいよ? 字体が独特だとか色々と言われたけど」

「字体が独特なのは認めるけど、ココに来てそこまで立ってないはずだけど? もう俺の写本を買って行った人間がいるのか?」

「この街の太守にご縁のあるお人で、とにかく本が好きな方がいらっしゃる。お得意様だけど……注文が多いのが困りものでね」

「注文が多い……。まぁ、字体が独特だと集中できないと言う意見もあると言えばあるだろうから、わかるけど……それってどんな人?」

「廬江の太守様の分家筋のお方で名前が確か……陸伯言様だったはず。本屋に直接来るわけじゃないんで詳しい事は知らないけど、本に関する小言が結構多くて……」


陸、伯言。


「どんな人?」

「いやぁ、噂ぐらいしか知らないからねえ、おじさん。直接来ないし、何よりあんまり家から出てこないらしいからねえ。ただ噂ではかなり有能なお人だとは聞いてるけどよ」

「具体的な人物像が欠片も出てこない……。そんな事言ったら俺もそろそろ有能だって噂立ってたりする頃だったりしないか?」

「ははは、ないない。噂になっても精々が書記に適してる奴くらいだろう」

「まぁ、そうだよな」


クスリと笑った。親父さんも笑っている。


「俺の噂が出てないのはわかったよ。それで、その伯言様の噂は他にないのか?」

「やけに興味を持つなあ、お前さん。さては何かいけない事でも考えてるのかあ?やめとけー、あの人は美人でも有名だが武術もなさるからな、変な事をすると返り討ちにあうぞ?」

「変な事なんて考えてないさ。俺の写本の読者、しかも色々と言いたい事がある相手ってだけで気になるもんだろ」

「そんなもんかね、おじさんは実際に書いた事は無いからわからないなあ」

「まぁ、本屋自身がそんな事する必要ないしな。それよりも売れ筋の本とかを探したりする方が大事だろうさ。売れてる本と言えば、そろそろ阿蘇阿蘇を入荷したりしないのか?都の本屋ではかなり売れてたらしいぞ?」


実際に都にいた時は本屋なんて行った事が無いから詳しくは知らないけど。


「あの本はなー、都では人気なんだがこっちに入荷する頃には古くなって売れ行きがな……」

「都会の最先端を知りたいと思うのは乙女として当たり前の事だと思うけどなぁ……」

「知ってもお金の関係でこの辺りの人間には無理だろうさ。服は凝ったのはべらぼうに高いし、若い身分でそんな事出来るのは、それこそ陸伯言様ぐらいだろうさ」

「なるほどねえ……。でも、この辺りで服が大量に買われてるって話は聞かないから結局は阿蘇阿蘇は売れないってわけだな」

「そう言うことだ。それに伯言様は服よりも本の方を欲しがるお方なんでな、今のままで充分って事よ」

「そうか。それじゃあ、俺もそれに便乗して稼がせてもらいますか。ほい、二つ目」


そう言って俺は竹簡を置く。これで、もう二つ目だ。そこから先は親父さんの店に客が来たので、俺は作業に没頭する事になった。

■■

外が暗くなる前に本屋を出て、俺は街の宿舎に帰ってきた。荷物の類はほとんど無い殺風景な部屋でである。飼い殺しの頃は部屋の中は雑多な物で埋め尽くされていたのを覚えている。
発散されない何かを物で埋めようとしていたのかもしれない。大体は手に入ったが、思い入れのあるものはほとんど無かった。結局の所、苦労して手に入れなければ思い入れは無いと言う事だろうか。
あぁ、でも長年使っていた筆を置いて来たのは少し未練かもしれない。でも、アレだけ俺の部屋から無くなっていたら怪しまれる事だろう。痕跡や疑問を持たせる余地を残してはいけない。


「まぁ、食えて住めて着れてるんだから満足としておくか」


衣食住がそれなりならば感謝すべきだ。特に逃亡中の身としては。さらに幾つか重要な情報も手に入ったのだから喜ぶべきだろう。
それは少なくとも俺こと"卯金"の情報は一切流れていないと言う事だ。何処から情報が発覚するかわからないのだから、今の俺の情報については気を払うべきだろう。
名声も悪名も轟かせるような事は全く行っていないので今の所噂が出てくる余地は欠片も無いが、それでも注意すべきだろう。

今日、このことが確認出来たのは良かった。この街には宦官の息がかかった人物が来ない限り、俺はこの街を根城にしても問題は無さそうだ。
そもそも外見からも性格的にもそこまで目立つ人間でもないから、大きな問題は無いだろう。特異な容姿をしてたら逃げてもすぐに見つかっただろうな。

二つ目には、この街から出ていなければいけない可能性が出て来た事だ。個人的にはこの街は気に入っているがさっきも考えていたように宦官の息のかかった人物が州牧についた場合には、恐らくはこの街を現在支配している人間は切られるだろう。
それが名士側ならば恐らくは問題無いだろうが、宦官勢ならば領地の下部や上部に自らの息のかかった人物を捻じ込むくらいはやってのける。ここが長い間同じ人達が支配していた場合はそうでも無いのだが、ここは少し違う。
ただ宦官がこの州を欲しがるかどうかはちょっと疑問も残ると言えば残るけど……用心しておいて損はない。

第三に、既に陸遜がもう何故かいると言う事だ。詳しくは知らないが陸遜はかなり後半の武将だったように思えるが、何故かもういるらしい。活動はしていないようだが、それでもいると言う事実は大きい。
将来の呉の重鎮候補なので動向は出来るだけ探っておこう。今のところ、有能であると言う噂と本が好きと言う噂くらいか。後、俺の写本に文句をつけてきたとか何とか。あぁ、それと一応武芸するって感じか。
……よく考えるとかなり優秀だな。武芸が出来て頭脳明晰。さらに若い。若いと言ってもどのくらい若いかわからないので、俺としては何とも言えないが比較的低い年齢でも普通に政治の表舞台に出てくるのがこの世界である。
もしかしたら俺がいる間に太守の交代があるかもしれない、くらいには思っておこうかな。優秀なら今の太守が陸遜に政権を委ねる場合もあるだろう。一応親族同士らしいし、

四番目は中央の動きが極端に鈍っていると言うことだ。恐らくはこの地を巡っての内部抗争だろう。何と言ったって就職難なので名士側としても、この地を取って何人か親族を国家公務員にしたいと考えている事だろう。
宦官勢はこの地を取るかな。取る可能性が無いとは言わないが、川を越えて少し行けば異民族と接触する地だから、あまり欲しい場所では無さそうだ。結局は名士で落ち着くと思っているが、どうだろうか。
それに結局の所、宦官が動かせるのは皇帝の力が及ぶ所までだ。残念な事にこの時代の皇帝には力があまりない。中央集権化が進んでいないのが原因だ。
それでも反乱を起こしたりしないのは基本的な人脈作り、コネを作る上での中心地として首都があるのと、純粋に洛陽の都市としての能力が突出しているからだろうか。それとも漢という国を信じているからだろうか。


「どちらにせよ、選択肢は二つ。動くか動かないかだけだな」


人脈が無いとやれる事が限られて来る。今は時が立つのを待つだけ、か。
結局のところ、権力が無ければ政治が乱れないと動けないのだ。皮肉なことだ。世直しをしようと考えている人間が乱世の到来を誰よりも願っているのだから。
ドサリと横たわった。ゆっくりと息を吸う。目を閉じる。
今の俺は正しいのかな、なんて訳のわからない事を考えながら俺は眠ろうと努力を始めた。




[17719] 第七話
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:1cfa5910
Date: 2011/03/23 05:46
太陽が空高く見下ろしてくる。時刻はちょうどお昼頃だろうか。仕事が無い一日は、時間の進みが少し早く感じる。俺は本を床に置いて、外に出た。
先ほどまでは窓から漏れた日の光を眩しいと感じていたが、外に出ると直接当たるのでさらに眩しく感じる。
日中、お昼時。屋台や飯所がさぞや繁盛しているかと思って行って見る。

街の中は別に屋台や飯屋があるだけで、そこまで賑わっているわけでも無かった。だからと言って沈み込んでいるわけでもない。
変に活気付いてしまうと犯罪も酷くなるからだろうか、この街ではあまり積極的な商工業の奨励は行われていないようだ。
ここ、廬江の人口がそこまで多くないので、そもそもの需要が無いと言うのもあるかもしれない。
ただ、所々から漂う食事の匂いは、俺の鼻腔をくすぐって食欲を掻き立てるのは事実だった。

俺は、その商店通りでお酒を一つ購入しておく。それと簡単に食べられる物。食べる方は俺のためだけど、酒の方は違う。俺は酒は嗜まない。
チャポチャポと音を立てつつ買ったばかりの肉まんを頬張る。蒸してからあまり時間が立っていないはずなのに、あまり熱くない。少し熱が残ってるか否かと言う感じだ。少しションボリとしてしまう。
もぐもぐと食べる。別にそこまで美味しくは無いが食べれないほどじゃない。熱々が食べたかったが、時間が合わなかったんだから仕方ない。
饅頭系の店は他にもあるが、さらに食事を買う金は無い。はっきり言うが熱いのが食べたくてお金を使うとか言う馬鹿なことは出来ない。節制は重要なことなのだ。

俺は商店街を抜けて、住宅街をさらに越えた所にある門まで来た。
四つの門の北。そこの近くにある階段を上まで行けば、広大な野原が一望出来る。
そして、そう言う所には大抵兵士が見張っているものだ。
今回は、見た顔。


「やぁ、どうも」


挨拶をする。相手は一応顔見知りなので、そこまで礼儀正しくする必要は無い。これがそうでないと、色々と敬語を使ったりして気をつかう。
この人に関しても初めのうちは、中々に気を使いながら会話したものだ。今ではそれなりに仲の良い相手となった。


「ん?あぁ、卯金殿か、また何か話を聞かせて欲しいのかな?」

「えぇ、前回の話も面白かったし、為になる話ばかりだったのでまた来ました。あぁ、これは差し入れです」


そう言ってお酒を差し出す。話を聞かせてもらう代わりに、こうして色々と物を渡して俺は警邏達と仲良くなっている。
とは言っても、別に中の良い警邏兵がそこまで多いわけでは無いし、何より街中を巡回している人とは全く接点が無いので知り合いにすらなっていない。
と言うか街中を巡回する人物は、それこそ巡回が仕事なので話を聞くのに最適とは言えない。だから、門の上で暇を持て余している警邏兵に的を絞っている。


「おぉ、酒か。最近飲んでなかったな、そう言えば。いや、いつも悪いな。こっちはただ話をしてるだけなのに」

「一応官吏を目指してるもので。人の話は聞いておかないと。書物だけじゃわからない事もありますからね」

「そうだろうとも、そうだろうとも。まぁ、そこに座って。今回はそうだなぁ、アレだな……。あー、どんな話をしたら良いんだ? 何が聞きたい?」

「前回は夜盗討伐の話でしたね。今回は……そうですね、太守様についての話を聞かせてもらえませんか」

「太守様? 太守様か。私はそんなに位が上じゃないから直接あった事は無いし、噂とかが中心になると思うけどかまわないか?」

「大丈夫です。お願いします」

「太守様はなー。そうだなー。何かあんまり噂が流れて来ない人でな。昔は兵を率いて自ら戦闘に参加していたと聞くんだが、実際に見た事は無いな」

「俺はこの街に来て日が浅いんでまだよくわからないから聞くんですけど、統治とかはどう思います?」

「統治な。うん、上手だと思うよ。住人同士のいざこざに対してもちゃんと耳を傾けてくれるし、何よりちゃんと法律を守らせるし賄賂も横行してないしな」


俺がやってる事は賄賂スレスレな気もするけどな。兵士に勝手にお酒を振舞ってるんだし。
まぁ、でも、それで俺が利を貪ってるわけでも無いし、そこまで問題無いだろう。これで推挙とかさせたら最低だけど、この人にはそんな権限ないしな。


「基本的には当たり前の事を当たり前のようにして下さるお方だな。趣味とかもあまり聞かないし、私腹を肥やすと言う事もあまりなさらないな。
街に住んでいる私としては悪くないと思ってるよ。それに仕事もやりがいがある」

「なるほど……」


この時代で賄賂をしてないと言うのは大きいな。もちろん、全てを摘み取れているわけじゃないだろうけど、本人がやるのとやらないのとでは全然違ってくるだろうしな。
それに私腹を肥やしはしない、と言うのも好印象だ。もちろん、有る程度は必要だとは思うが、行き過ぎるとマズい。ここではそう言うことも無いのか。


「良い人そうだなぁ。試験の時には会わなかったからなぁ……」

「あぁ、そう言えば試験受けたと聞きましたぞ。残念な事に落ちたとも聞いたが」

「落ちました、まぁ、次の機会まで待ちますよ」

「卯金殿はまだ若いし、機会はあると思うから気を落とさないようにな。それに、こうして色々と話を聞いてるんだから大物になるって」

「大物かぁ……。でも、まずは下っ端役人でも良いから雇ってもらいたいもんですけどね、こっちは」

「気持ちはわかる。俺は本屋とか行かないから全然わからないけど、やっぱり仕事はきついのか?」

「仕事ですから楽では無いですよ。ただ生活出来る分はきちんともらえるから問題は無いと言えばないですけどね。
それに知識が深まるから一石二鳥ですかね。本も最近はよく売れてるようだし」

「そりゃあ、あれか。陸家名義で大量に買われてるって奴だろ? 太守様の親戚筋のお方が本好きとかで」

「そう聞いてますよ。やっぱり、太守様の親戚筋ともなるとお金の使い方が違いますね。かなりバンバン買ってってますよ」

「はー……ま、いずれこの地を引き継ぐであろうお人ですし、当然と言えば当然か。今のうちに勉強しておくって感じなのかなー」

「…………? アレ、太守の任命は都が決定してませんでしたっけ? 世襲は確か認められてないはずじゃ……」

「……ここだけの話だぞ?形式的には認めていないが、多くの場合はそうなるんだ。何故なら、この辺りの土地を切り開いたのは陸家と他の三つの家が中心だからな。
川を越えた先の土地は最近は孫堅様が治めてらっしゃったけれども、その基礎を築いたのは陸家とその他の豪族の人達だ。
その功績で形式上は都で選ばれた人がと言う話になってるし、州牧に就く人は多くの場合は都で権力のあるお人だが、ここら一帯の太守となると話は変わって来るんだ。
江東の地も、陸家が治める権利を持っていると言っても過言じゃないくらいだ」

「元々は陸家が治めても良いほどに貢献していた土地だったと。けれど、今は亡き孫堅様が江東を治めていたんでしょう?反対意見は出なかったんですか?」

「まぁ、実際に一時期、江東の有る一帯を陸家が治めていたらしいんだ。と言っても本当に治めていただけで異民族との衝突が頻繁に繰り返されていてな。何度も征伐に出てる。
最近みたいに江東が落ち着いたのは孫堅様の代になってからだからな。そう言う意味では認めてはいたらしいし、何より周家が孫家が仲が非常に良かったからな。陸家は文句は言えないよ。
それに預ける事でこの地域一帯が安定するなら、それが一番良いと判断されたのさ。今の太守様は民をきちんと見てくれる人物だしな」

「なるほどー、だからいっぱい本を読んでるわけですね。確かお名前は陸伯言様とか」

「そうそう、伯言様。ただ、本を読んでるって言われるけどそれにしては外でよく見かけるんだよな。体が弱いのか、いつもちょっと熱っぽい感じでさ。本当に大丈夫なのか心配だけど、頭はそうとう良いらしいからな。問題は無いだろう」

「噂では伯言様は武も嗜まれるらしいから、訓練の後なんじゃないかな」

「あぁ、なるほど。確かに、そうかもしれない。訓練の帰りなのか。武にも勤しんで文も行うお人か。実際に太守にならないとわからないが、ここ廬江は安泰かもしれないな」

「廬江の未来が明るいと思うと、来て日が浅い俺でも安心して暮らせると言うもの。今日は色々と有意義な話をしてくれてありがとう」

「いやいや、こう言うのは兵士とか下っ端の文官ならすぐに聞こえてくる話だから、こんなんで良かったらいつでも聞かせてやるから、また何か用があったら言うんだぞ。出来る範囲なら協力するからさ」

「ありがとう。それじゃあ、俺はこれで」

「おう、気をつけてな」


■■


「元気にしてましたか?」


声をかける。厩舎で馬を洗っている音が止み、その中から一人の老人が出てきた。薄汚れた服を身に纏った老人だ。


「おぉ、卯金さんかね。どうなされた。また話を聞きに来てくれたのか?」

「あなたの話は聞いていて面白いですから。従軍経験なんて、文官志望の俺には新鮮で新鮮で」

「いやぁ、もう歳とってあんまり鮮明には思い出せねぇんだけどな? ほら、座って座って」


そう言って切った切り株の上に俺を促す。もう何度か座っている定位置なので、俺も遠慮なく座る。
目の前にもう一つ大きな切り株があり、そこにお酒と持っていた毛繕い用の道具を置いて座った。


「よいしょっと。ふー、ちょっと歩き詰めで疲れてたんで生き返りました。これお土産のお酒です。あ、この前みたいに話してる最中で飲み始めないで下さいよ? 大変だったんですからね、あの後」

「あー、すまんねぇ。じゃあ、これは後でな。それで、今日はどんなことが聞きたいの?」

「お爺さんは、この街に暮らして長いんですよね?」


俺がそう言うと、少し言葉を反芻してから大きく首を立てに振る。
うん、うんと何度も思い返すように首を振る様は、自らの生きた年月と人生を誇りに感じているようにも見える。


「長い、長ーいよ。生まれも育ちもココだからね」

「太守様について聞かせてもらいたいんですよ。何でも昔は軍を率いていたと聞いたものですから」

「今の太守様が? あぁ、そうねえ。今の太守様がこの町の太守になったのはね、最近と言えば最近なの。
10年立つか立たないかくらいなのよ。だからね、軍に入れてもらった経験は無いね。ただ、噂は聞こえてたよ」

「噂?」

「そう、あの、でっかい川。あれ、海だと思ってたけど川なんだってね? まぁ、あの川を越えた先にある街で頻繁に戦争が起きてて、皆疲れて逃げてくるのよ。川を渡って。それでー……」


言葉に詰まる。時々、思い出すのに苦労するのか、言葉じりがつっかえてしまうのだ。


「あぁ、そうそう。それで、こっちに来た人が皆言うの。数が違うって。まだ今みたいに安定してない頃だから、わしらと同じのじゃなくて、他の人達がね、多いのよ。
だから、治安も悪かったって聞くよ。その頃のあの辺りの太守様が今の太守様なの。
あの太守様がこっちに来たのは、孫堅様が活躍し出した頃だねえ。だから、今の太守様が軍を率いたって言うのは、多分そのことだね。
努力はされてたと思うんだけど、太守様は優しいからあんまり戦争には向かないと思うよ」

「会った事あるんですか?」

「ある。今の太守様は、今はあんまり表に出てこなくなっちゃったけど、昔はよく街に出て色々と話しを聞いてたのよ。
多分、不安だったんだろうね。あっちで上手くやれなかったから。それで、凄く小さな事でも自分で進んで出てきて、皆すぐにこの人は良い人だーって思った。
それで、太守様に従うようになったの。そうすると治安とかも安定するし、何より孫堅様が頑張ってくれたおかげで川向こうからの流民も減ったから、太守様は安心して執政出来たんだろうね」

「なるほど……」

「それと、太守様は本当は川向こうでもう一度やり直したいって思ってるんじゃないかなって思う。
元々、あそこの土地を切り開く努力をなさってて、今ようやく実を結び始めたからね。もしかしたら、孫堅様の死が切欠であっちに行っちゃうかもね……」

「思い出深い地だと」

「だろうねえ。やっぱり、一番頑張ってたのはあそこ何だろうね。戦争の才能があれば違ったのかもしれないけど、やっぱり従軍した身から言うとね、優しすぎる将軍は勝てないのよ。
兵を死なせないから。わしもそう言う将軍に連れられた事あるけど、あの時は酷かったなぁ……。優しくしたいのはわかるんだけど、優しくしすぎると全員死んじゃうからね。
卯金さんは多分、軍なんて関係無いと思うけど、もし良い地位にいったら気をつけるように新米の将軍に教えてあげてね?」

「えぇ、そうします」

「もう太守様については話す内容なくなったし、仕事まだ残ってるから、今日はもう帰りなさい。また来た時に、暇ならお話するから。お酒ありがとね」

「いえ貴重な話をしてもらって嬉しかったですよ。それじゃあ、ありがとうございました」


■■


遠くに日が落ちるのが見える。城壁の上。確固たる太陽の円が揺らぎ、世界は赤く染まる。赤く染まるのが、光の波長の関係だと証明されるのはずっと先の未来の事だ。
よく通る風に砂が混じってうねる。乾いた空気が肌に心地良い。住宅地を見れば、ポツポツと明かりが灯るのが見える。それは、どの時代でも変化しないものだ。

買ったお酒はもう無い。全て配り終えた。今日一日、多くの話を聞くために買ったものだ。その意義は果たせただろう。
城壁に体を預けつつ、色々と思い返す。例えば、それは人々の営み。例えば政治の動き。例えば警邏の仕方。それら全ては、本来は知っていて当然の物なのだろう。生活と密着している物なのだろう。
もし仮に皇帝たるものが、これを見たことが無いのならば、語る言葉の多くが空虚に満ちている事だろう。人の話や書物だけでは理解出来ない境地が確かにそこにある。

書物には書いた人間の息遣いが満ちていても、実際に人の動きは時代と共に大きく変化していってしまう。それを捕らえる事は時が止まった書物には出来ない事だ。
人に聞いた話だけでは物事は図れない。その人間の気持ちが大きく入ってしまった眼では、全体の動きは見えない。巨視的に見れば小さいものが見えず、小さい物からは大きさがわからない。
結局のところ、書物を読み解いても人の話を聞いても、最終的に必要になってくるのは経験だ。俺には圧倒的にそれが不足している。


「経験。知識。知恵」


三つ揃っても人は大事をなせるかは才覚による。俺は何処まで物事の根本を引き出せるだろうか。
感傷的になるのは世界が綺麗だからだろうか。それとも、遅々として進まない己の道程故か。物事が思い通りに進むなどと思ったことは無いが、それでも漠然として捕らえ難い何かを追いかけている気がする。
目標が見えている方が、歩くのも楽だと言うものだ。ただ何も考えずに歩き続ける事は精神的に辛いものがある。休もうかと言う誘惑もある。やめてしまおうかとも思う。

逃げ道が常に目の前にあると言うのは、個人として考えればとても恐ろしい事だ。人がいつ何事をやめて良いのは恐ろしい。奮起するよりも逃避することの方が容易だからだ。強い感情や精神性が、必要になって来る。
それは、まだ懐に仕舞い込んだままだ。それを出すのは早いと俺は思っているが、もしかしたら胸の中で既に腐りきって残骸すら残っていないかもしれない。
必要なのは剛直さよりも流動性だ。強い力を持たない者が意固地になった所で何の意味も持たない。強い土台の無い強さは強さとして認められない。当たり前の事しか言っていない。


「強くなる。その為には、まだ俺が足りてない」


強さとは、将を率いる事か。兵を率いる事か。民を率いる事か。
今は自らの弱さを率いて旅の途中。




[17719] 第八話
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:37b2342f
Date: 2011/03/23 05:46
そうだ、陸孫の姿を確認しよう。
日が既に真南を越えて、西へ傾きかけた時間帯。
食事を終え、本を読んでいたわけだが、そう言えばまだ陸伯言の姿を確認していない事を思い出し、立ち上がる。
姿を確認しようと思った理由は簡単だ。困っていたら何か手を差し伸べておこうと言う、単純な下心だ。
俺の知る歴史とどこまで重なり合うかは知らないが、今の所孫策が陸伯言を攻めようとしているという噂は聞かない。
と言うかほぼ落ちぶれ気味の彼女に軍を動かす力があるようには見えない。
なので、呉に入るので一時的に敵になるであろう陸伯言と直接会う、見てみるという選択肢に関しては及び腰になっていたのだが、もう心配ないなら顔くらい見ておいた方が良いと言う判断である。

それに、もしかしたら困る状況はすぐに訪れるかもしれないと踏んでいる。袁術が楊州全体の統治を任されたという噂が流れているからだ。
袁術が本当に俺の知っている歴史通りに馬鹿かは知らないし何よりもまだ噂の域を出ていない情報なのでそれを元に行動すると痛い目をみそうだ。が、本当ならばあんまり良い統治はしなさそうだよな、と感じている。
噂を聞いても好意的な話は聞かない。更に統治に当たって何かしらの人事をする可能性も否定できない。
恐らく、現在楊州全域の太守の方々は自らの利権が守られるかどうかの確認で忙しかったりするのでは無いだろうか。
あの名門袁家がやってきて広い楊州を統治する事になったのだ。
袁家は基本的に独自の人材をかなり保有しているので末端官吏はともかく中間層、もしくは上部は強制的に移動させるかもしれないと考えるのは普通の事だろう。どこまでやるかは未知数であるが。

平和時において地方の領主は中央に力を持っている人間に対しては無力である。それは、周りから攻められる大義名分を得られる上に、それが功となるので各地の領主が躍起になって襲い掛かって来るからだ。
さらに中央に逆らったという事で人心も離れる上に、離反や裏切りが相次ぐだろう。どれだけ上手にやったところで、結局のところは中央に対しての影響力如何は重要な事である。特に人治国家の場合は。
なので袁家がこの楊州の地を得ることが出来たのも恐らくは中央に対する働きかけがあったのだろう。それに付随として発生したお金はどう回収するのか?
それは当然楊州全域から発生する税で取り戻すのである。それと同じように当然ながら今回の就任騒ぎで各地の地位を約束したりしているだろうから、中間層や上部はかなり人事異動させられると予想される。

それがどの様な約束であるにしろ、約束の対価は地位やお金、場合によっては物などである。
今回の場合、名門袁家の台頭を本来阻止したいはずの宦官や外戚などを押し切るほどの行いをしたのだから、この結果で楊州全域の人事異動が起こるのはとても自然な事である。
それをどの程度の規模で行うのかは謎であるが、それでも大きい動乱の火種を蒔くことには変わりない。
孫策が動かない事で、結果的な陸家の一時的な没落はもしかしたら袁家の手によって行われるかもしれない。そうなると、ここで手助けするという考えはそこまで間違っていないと思われる。

この世界は面白いことに所々歴史が大きく変化するのだが、大勢はあまり変わらない。
この前も、売官が行われた。本来は俺の手で行われる政策の一つだった気がするが、そうはならない。
小帝の後ろ盾をしている外戚と宦官が手を取り合って売官を行い、そのほとんどを懐に収めてまた売官をすると言う悪循環が発生しているのだ。
正直な話、ここまで露骨な事をやられるといい加減我慢出来なくなりそうなのだが、まだ手は出せない。
胸糞悪いが今は静観するしかない。華琳に迷惑をかけるわけにも行かないのが一つと、何の後ろ盾もない人間が何やったって基本的に効果が薄いのが一つだ。
もしも俺に超人的な力でもあれば話は別なのだが、無い物は無い。

話を戻すが、袁家の袁術が人事異動を決行するとすれば、前英雄の孫堅と仲が良い、または親交のある人間を対象にするのは自然な事だ。孫策に地盤をもたれたら厄介だからだ。
また、政策実行能力にも影響するので、ここで手を抜くという選択肢は袁家にはないだろう。実際、今現在多くの諸侯が孫策下ろしに必死である。
それが袁家の意図として行われたのか、そうでは無いのかは知らないが事実としてそういう運動があり、孫策が地方の豪族を纏めきれていないのは事実である。
こちらとしては、これから就職するのだからあんまり梯子外しばかりされても困るのだが、諸侯の対応は保身と言う意味ではまともなので仕方が無いとも言えた。
ただ、後に孫策に権力が戻った時にどうなるかまでは知らないが。ちなみに、ここ廬江郡全体を統括している陸家の方針は未だに孫家寄りである。
なので、袁家から疎まれる存在であるのは確実だ。その際に色々と貸し付けるために、今こうして行動しているのだ。

また、彼女には姉妹がいるそうだが多くは他方に飛ばされるだろう。
一箇所に留めておかない事で人質としての役割も発揮するし、護衛として孫家の家臣も向かわせなければいけなくなる。
これでまた力が削がれるのだ。こうして考えると人質と言うのはとても効果的な策だなぁ、と思う。
……どうでも良いが孫家の末女はここでも末女だった。てっきり男だと思って人に話して恥をかいた記憶がある。何でそこだけ歴史通りなんだろうか。

テクテクと城壁の上を歩く。巡回している羅卒がいるが適当に手を振るだけで全然怪しまれない。
常日頃、こうして城壁の上を散策していると今日もやってるのか程度にしか認識されないのだ。日頃の行いはとても大事である。


「まぁ、やってる事は賄賂渡してるだけだけどね……」


俺も宦官笑えないよなぁ、と思いつつ望遠鏡を取り出す。なぜかこの世界は普通に眼鏡があるので、それを買って適当に組み合わせて望遠鏡を作った。
ここが本当に後漢なのか疑わしいと感じ続けて来たがこれでわかった。ここ絶対後漢じゃない。出来るものだなぁ、と現実逃避しつつも心の中ではそんな馬鹿なと思ったりもしたが、今はもうあんまり真剣に考えないようにしてます。
ちなみにコレは軍事機密になると思ったので誰にも見せてない。家に帰って適当に組み合わせて作った。出来は正直悪い。かなりぼやけるし、何よりあまりよく見えない。見えないが、地形を適当に見る分には問題ない。
それと、顔の簡単な輪郭とか髪型を調べる程度には使える。適当に太守の裏庭を望遠鏡で覗く。未来においては犯罪だが、今この時点で法律なんか無いので問題ない。
麻薬なんかで脱法とか言われる仕組みと同じである。今法律で決まっていないのだから許されるよね? と言う精神だ。当たり前だが後の領民には真似して欲しくない考えである。


「あれか? 本当に武術やってるんだな」


庭では女性が一人で武術の練習をしている様子が見て取れた。腕前のほどはよくわからないが、とりあえず俺なら一撃で負けそうな強さである。
それくらい動きに淀みが無い。根使いのようだが、時々根が変な曲がり方をしているので三節根か七節根辺りのようだ。
あの動きについていけるかどうか聞かれたら無理だと答えざるを得ない程度には洗練されている。
一流どころを見た事が無いので彼女が一流なのか、そうでないのかは判断出来ないが、その辺りにいる一般兵よりも強い事はわかる。わかるから何だという話ではあるのだが。


「もう充分か、顔は見えなかったけど出口は確認出来たし」


それ以外にも武術をやってるのが本当と言う事も確認出来た。後は髪型がわかったくらいか。あと服装。
何か知らないがあんまり野暮ったい服を着ないよね、この辺りの人達。暑いのはわかるけれど正直どうかと思う。
布は良さそうなのを着ているのだから面積広げれば良い。こちらとしては目のやり場に困る。

「まぁ、服は良いか。……それにしても、やっぱり何をするにしても俺は邪魔になりそう何だよなぁ」

体力がない事と武術を行っていないと言うのは科学技術が発達していないココではかなり不利だ。
もちろん軍を持てたりすれば話は別なのだろうが、誰が持たせるのだという話である。それに行軍にだって体力はいるんですよ、現実問題。徒歩はかなりの距離歩けるようになったけれど。
さらに自分の身を守る事すらままならないようでは何も出来ない。仕方が無い。やりたくは無いが一応保険として計画していたアレをやるしかない。


「あー……薄汚れていく気がする」


主に心がね。

■■


「それじゃあ、また」


「おう!またな!」


相手が意気揚々と引き上げていく。それを手を振って見送った。相手が遠くへ行くのを確認してから、ふーっと息を吐いた。ちょっと後ろめたい取引だったためだ。


「いやぁ、本当に買える物なんだなー……」


渡された木箱。中身は上の方は書物の山が入っている。おかげで持つと中々に重たい。重たいが、本命はそこじゃなかった。さすがにココで開けるわけにはいかないので、一度家に戻るとしよう。
家の近くで受け取ったので、少し歩いけば自分の家へと戻れる。重たい木箱を持ち上げる。力の無い俺としては、かなりきつい。きついが、一刻も早く中身や使い方を確認したいので頑張って歩く。
帰る途中に何度か話しかけられるも、適当に話を合わせるつつ早々と去る。重たい木箱を持ちながら楽々と放せるほどに俺に体力は無い。
ゼェゼェと息絶え絶えになりながら部屋の前で一息つく。相変わらず体力は無かった。ちょっと歩いただけなのに、もう息が上がっている。ちょっと情けない気持ちになる。
扉を開ける。中は朝出た時とまったく変わらず書物やら竹簡やらが大量に床に溢れている。直接的に言うと汚い。何とも悪い意味で生活感が出ている部屋だった。


「よいしょっと……」


木箱を下ろして中身を空ける。上にある本を退ける。そうすると小さな板が箱の中間に敷き詰めてある。それをどければ、本命の物が出てくる。
弩である。本来は政府が厳格に管理している物で、しかも私有は犯罪なので手に取る事なんて出来ないはずなのだが、残念な事に中央の力が減ると、こういう風に賄賂とか色々やると手に入るようになってしまうのが現実。
一応皇族である俺としては、あまり良い気持ちにはならない。だが、この武器は俺に必要なものだ。正直、弓も剣も扱えない俺が武力をそれなりに持つには簡単に扱えてそれなりの威力を発揮する武器が必要なのだ。それが弩である。
木箱からゆっくりと持ち上げる。故障して使えないと認定された事になっている弩。だが、どう見ても新品同様だ。と言うか、新品のはずだ。そう言ってたし。
箱から専用の矢も取り出す。全部で20本くらいしかない。実は弩の矢は弓とは違って専用の物になる。矢羽が極端に少なく、また普通の弓のそれよりも少し短めだ。
だから、俺は弩を二十回しか使う事が出来ない。持ってるだけで犯罪な上に二十回しか使えない武器。それが弩。割りに合わない気もして来るというものだ。


「しかも、かなり高かったんだよなぁ……」


おかげでかなりの間、本屋で写本作業をするはめになってしまった。それでどうにかなるのは本がそもそも高価な物だからだろう。
一応覚えている内容の本とかもあったので本屋に無い本を増やしてあげたりもしたので金払いはかなり良い。
関係も良好だ。だから買えたというのもある。これが単純な労働などになると急激に給料は下がる。
もちろん生きていくだけならば余裕だろうがこういう事は出来なかっただろう。頭が良くて良かった。ありがとう、俺の頭脳。

カチャカチャと弩をいじってみる。当然、矢を番えるのにだって力は必要だ。
試しにちょっと矢を番えてみようかな? そう思ったが下手にやって壁に穴を開けでもしたら弩を持っている事がバレてしまうかもしれないので、やめておく事にした。
買ったのは良いのだが練習が出来ないので本番でどこまでやれるか不安だ。外で持っているのを見たら即逮捕なので見つからない所に隠すしかない上に外で練習出来ない。
しかも俺の部屋には物を隠す場所などない。ではどうするか? 持ってきた箱に入れるしか無い。俺は弩を箱の中に戻して、板を並べて本を上においた。
俺が読書家である事は周知の事なので、これで誤魔化せるだろう。ちなみに上にある本の多くは古くなった本ばかりだ。
お金に苦労しながら官吏を目指しているという設定の俺ならば、安い本を手に入れて勉強しているとか言えばたぶん騙し通せるのではないだろうか。中を確かめられたらその限りでは無いが。


「まぁ、何にせよ、これで俺にも武力が手に入ったわけだ」


仮初で、しかも弾数制限があるとは言っても弩は強力な武器だ。俺のような弱い人間にはあるのと無いのとでは安心感が違う。最終的に目的を達成出来れば良いのだから、その為に少し手を汚すくらい良いさ。
清廉潔白など望むべくもないのだから。手を汚すのなんて今更ためらう事でもないだろう。
俺は少し伸びをしてから横になって本を読むことにした。結局、力が無い俺は相手が動くまで待つくらいしかない。だったら、精々もっと頭を良くしておくだけだ。力を持つまで……ね。




[17719] 第九話
Name: 心海2000+◆22d0e021 ID:37b2342f
Date: 2011/03/23 05:46
突然だが袁家は中央に対して強い影響力を持つが、それは皇帝に対して強い発言権を持っているというわけではない。
皇帝を実質的に動かしているのは外戚と宦官であり、皇帝が信を置くのは宦官だけだ。外戚は皇帝にとっていずれ邪魔になる存在である。
故に結局のところ宦官が一番皇帝に対する発言権を持っていると言っても差し支えない。では、袁家が持っている中央に対する強い影響力。これは一体、誰に対して持っているのか?
それは地方領主と中央官吏に対して持っているのである。

その意味を考えれば実に単純で、要するに中央に対して"あんまり粗雑に扱うと反乱起こすぞ。こっちは中央政治の頂点に立った事もあるんだし、俺の人脈なめんな"と言う事によって袁家に不都合なことを握りつぶしているのである。
そして、袁家に便宜を図るために中央の官吏が動き、また中央が袁家に対して文句を言う場合には地方領主の多くが袁家を弁護する事で中央の発言を封殺する。
このどちらにもお金や地位が発生することは言うまでもないが、当然最初に無理を言って捻じ込んでもらった時点で地位も金も手に入っている。そうして地位や金をばらまくことで袁家は力を増し続けている。
名門といえば聞こえは良いが、実態は中々器用なようで中央に対してこれだけ好き勝手にやっているのに、意見を押し通す力がある。何故、このような横暴な行為をしているのに大きな問題は発生していないのか。
それは中央の皇帝周辺が宦官に牛耳られているからだ。地方領主にとって宦官は悪以外の何者ではなく、彼らを抑えている袁家は善である。
故に宦官に対抗するために力を増しておかなければいけないと言う大義名分の下に力を集結させている。大義名分の恐ろしい側面の一つだ。
その大義名分の裏の側面を目的に多くの人材が袁家に集い、袁家はソレに対して地位とお金で応える必要がある。コレをなんと言うか知っているだろうか?

御恩と奉公というのである。

■■

恐らく、この国の最も決定的な凋落はこの時点で起きたと言っても過言ではない。
もっとも、直接的な原因は間違いなく宦官と皇帝と外戚による売官などの諸々の政策のせいだが、この世界において乱世の兆しを作り上げたのは他でもない、袁家だ。
元々の歴史ではどうだったか覚えていないが、少なくともこの後漢っぽい何かではそうとしか言えない。

そもそも国内の人間から土地や地位を奪い取ると言う行為は本来なら反乱である。で、あるのだが凄いことにほぼ合法的に行ってしまった。
既に町中で陸家の頭首が裁かれる事はほぼ知られている事である。詳しい罪状は伝わってこないが、聞いた噂を纏めた限りではいちゃもんも良い所である。
目的がわかりやすくて大変助かるが、当の陸家はたまったものではないだろう。
しかし、この様な横暴に対しても中央からの圧力でるからには無視する事は決して出来ない。だから頭首は既に色々腹をくくったようで袁家の兵士が政庁に来てすぐに外に出る準備を始めている。
そして今まで頭首に付き従って来た人達も我が家は陸家とは関係ないと言う態度を示すようになった。官吏の多くも罪状は事実だとする方針を決めたようである。
末端官吏の買収も済んでいるとは、中々に根回しが上手なご様子。もちろん積極的な寝返りによる地位確保の意図もあろうが。

袁家が為したのは表から見れば任務を真っ当しなかった上にそれに対する弁明も無かった陸家の排除を皇帝に代わって行い、新たな清廉の士を楊州全域に根付かせて皇帝のご威光を示すという大変有り難い行いであるが、裏から見るとぶっちゃけ地位と税目当ての侵略である。
しかも最終的な敵候補は面白いことに中央である。あくまで敵としているのは宦官であり皇帝ではないと言う事にしているが皇帝を蔑ろにしている事に変わりはないので似たようなものだ。
ここまで皇帝の権威と力をそぎ落としておいて敵は皇帝ではありませんではさすがに済まないだろうと思うのだが、皇帝は宦官にどっぷり、しかも政治は外戚。打つ手なしとはこの事だ。
さらに名士の多くも袁家を支持している事実がある。何故なら、この宦官と外戚が売官を行う世界で、普通に出世して行くにはどうするかと言えば、力のある袁家に頼る他ないのである。

宦官に対抗するために本来集まった力が何故か袁家を中心とする地方連合へと姿を変えて、地方統治を目的とする政権へと変貌してしまったのだ。
知る限り実際の歴史でも起こった貴族化の流れだ。そして基本的な実権は領主が握り中央の力は弱まる。流れとしてはとても自然と言える。
これを意図としてやったのならば強かであり、遠謀に長けた人物で好敵手にふさわしいなどと言って対抗心を燃やすのも良いのかもしれない。が、残念ながらどうにも本当に気づかずにやっているご様子。


「凄いんだけど馬鹿なんだなぁ……」


今のところ俺が袁家に対して下せる評価はこれである。凄い、けど馬鹿。何故気づかずに行っているとわかるかと言うと、袁家が何処に向かいたいのか謎だからだ。
地方で力を持ちたいと言うのなら、むしろもう持ち過ぎと言っても過言ではなく、これ以上大きくなれば中央が本気で潰しにかかるだろう。それなに楊州に手を出す。
場合によっては中央が袁家とは縁も所縁も無い地方領主と手を組んで実権を握ってしまう可能性だって出てくる。そうなった時に一番困るのは当然袁家のはずである。
今までの行為のお咎めが一気に来るのは決定事項であろうし、何よりそれに逆らうにはその地方領主を悪者にして討伐しなければならないが、そんな事をすれば当然乱世突入だ。
袁家は乱世に突入してしまった場合は困る立場の人間だ。わざわざそんな不利なほうに計画的に自分を持っていく人間がいるだろうか。故にこれは違うと思われる。

逆に自らが時代の覇者になろうとしているのかと言えば、別にそうでもなさそうだ。もしも国家の中心になりたいのならば楊州に対する今回の行いは失敗である。
今まで築きあげて来た袁家の信用をだいぶ削る行為だからだ。袁家はあくまで地方領主と中央官吏に対して影響力を持っているのであって皇帝のように絶対的な発言権を持っているわけではない。
その場合に重要なのは利権保障をきっちり行うことである。あくまで連合であるならば双方の利益が守られなければいけない。もちろん力の多寡はあるにせよ、立場としては建前上は対等で無ければいけないのである。
それはまだ盟を結んでいない相手に対しても同様である。そもそも、まだ国は袁家のものなどではないからだ。
今回の行動は今まで袁家に付き従っていた諸侯に対して"領地没収・地位剥奪"を合法的に行えるのだと示してしまった。
力が無ければ宦官に立ち向かう事は出来ないが、しかしその力が自らに向くのはどの諸侯だって嫌である。残念だが可能性は見せる事だけでも悪なのだ。
もしも、自分たちにこの力が向けられたら? と言う疑問こそが袁家に対する疑惑や猜疑心を育てるだろう。
そういう意味で袁家が国の血筋になるという目的からすれば、今回の行動は完全に的外れである。
では、これはどういう意図で行われているのか?

別に難しくは無い。要するに私益を増やしたかっただけなのだろう。ほぼ、間違いなく。でないとちょっと計算が合わない。
ここまで見事な政治的運営をやっておいて使うのが私的な行動と言うのは果たしてどうなのかと頭を抱えたくなるが、行動を鑑みるにどうも本当に私的に領地やお金や地位が欲しかったから行っているようなのである。
凄いけど馬鹿という言葉がここまで似合う存在もそうそうおるまい。適当にやってここまで行える事は驚愕すべきことだが、それ以上に凄いのは最後の詰めはキッチリ大失敗していることである。


「こういうのは前世でも見たことないな……」


パラパラとメモに使っていた竹簡を開きながら呟く。話を纏めて結論が「土地とか凄い欲しい、あ、お金も地位も!」と言う即物的なものだった場合に俺はどんな顔をすれば正解なんだろうか。
あんまり言いたくないが天下の器ではないなと感じる。やる事がせこすぎる。俺が言えた義理ではないが。


「んー……そろそろ、陸家の皆様はそろそろ荷物纏め終わった頃だろうし……」


竹簡をクルクルと巻いて馬車に放り込む。屋根もない粗雑なもので、見た目は出来の悪いリアカーのような作り。
後ろには最低限の荷物しかない。溜めていた竹簡や本、服の類はほぼ全部売った。旅には邪魔だからだ。
そして、色々売ったお金でこの馬車を買ったのである。お金は残念なことにあまり余らなかった。馬を買えば当然そうなる。
これで計画通りに行かなかったら俺は大馬鹿野郎だ。だが、それはそれで良い。まともな人間だったらもっと良い道歩いてるだろうしな。
ちなみに馬車は中古であり、馬に至っては厩舎で現役を退きつつある馬を爺さんに無理言って売ってもらったほどだ。
旅に出るだけなら別に馬なんて必要なかったわけだが、ハッタリのためにどうしても必要だったのだ。
そのためだけの行動。意地っ張りで見栄っ張りは男の勲章だと思い込んでおく。こんなに博打な気分は曹騰に"お願い"をした時以来だな


「さーて、奇貨買いに行くか!」


■■

表門からガヤガヤと大きな声がする。恐らくは陸家の頭首が町の人に対して色々と喋っているのであろう。
横に袁家の兵がいるはずのに勇気のある事だと関心するが、恐らく自分が中央政界にも地方でも復帰することは無い事を察して色々と言っているのだろう。
地位も名誉も剥奪されたが、矜持だけは崩さないと言う信念だろうか。横暴に対する物としては逆にそれしか出来ないと言うのもあるかもしれない。
そんな表門と比べて裏門はずいぶんと静かであった。袁家の兵士もいない。その目の前で馬車を止める。
止めると言っても颯爽と手綱を使って御しているのではなく歩いて御しているのである。要するに歩いて馬車を連れて来ただけで別に馬車に乗れているわけではない。我ながら阿呆である。


「どうして俺は馬に乗れないのかねー……」


鐙あるのにね、この世界。なのに乗れません。はは、笑える。いや、深刻な問題だけどね。いつか絶対乗れるまで努力する。今は時間が無いからしないけど。
大きなざわめきの後に、袁家の兵士が声を出して頭首を連れて行く声が微かに聞こえる。あくまで微かにであり、詳しい内容までは聞こえなかった。
中には、惜しむ声もあるだろうか。それとも、不憫に思いながらも誰が来ても政治なんてそうは変わらないと感じているものだろうか。
人々のざわめきはしかし、距離のせいもあり全ては聞こえない。ただ聞き取れないざわめきだけが裏門には満ちている。
もし……このざわめきを聞きながら裏門から出てくる人間がいたらどんな気持ちで来るんだろうか。悲しみだろうか。怒りだろうか。それとも諦念だろうか。
どれにせよ、俺はとても利己的な気持ちで接することになる。そのことに少し苦みを感じるのは、間違っていないだろう。

ガタッと音が聞こえる。ギギギとあまり動かしていない門特有の滑りの悪さ。それを無理やりに押している。開ききった。


「……?」


「どうも初めまして、陸伯言様ですか?」


初対面の相手。気さくに声をかける。挨拶は人間同士の基本だよね。
だから出来るだけ明るい声。あと、敬語のつもりで話しかける。
悪いけど敬語あんまりキッチリ勉強してないから気持ちだけで本当に礼儀作法として成立してるか凄い謎なんだよね。


「はい、そうですけど~……あなたは? 何の用でここにいるんですか?」


凄く睨まれた。当たり前ではある。家を追い出されて表門から多くの親族が連れて行かれたのを見送って裏門から出てみればわけのわからない人間が一人。
もし俺だったら最初に刺客を疑うね。まぁ、警戒はされてもらわないと困るのだが。警戒されると言うのは注目されていると言う事で、なんと話し合いには持ち込めるのだ。
もちろん喋った内容も警戒されるが、それでもキッチリ考えて反応するか、もしくは頭ごなしに否定するかだ。どちらになるかは話術によるけれどね。


「いえ、孫策様のところに行くのなら紹介してもらおうかなと思いましてね。実は官吏志望者なんですよ。
知らないと思いますが、ここの官吏試験も受けたんですよ。どうも信用ならないと落とされましたが」


「……私は孫策さんの所には行きませんよ~?」


「行かないんですか」


「行きません」


「しかし、呉、ひいては楊州の奪還を本気で目指すであろう人達は他にはいないんですけどねえ。もし楊州がどうでも良いのなら、何故他の人達と一緒に首都へ赴かなかったんですか?」


「私が今回の騒動に関係ないからですよ~。私はただおじさんの家に居候していただけですから、元々いた場所へ戻るんです」


「元々いた場所って……呉じゃないですか」


「……何で知っているんですか?」


あ、雰囲気が剣呑になった。武術やってるだけあって圧力凄いなー。今にも背中に背負ってる根で襲い掛かってきそう。
そうなったら弩を構える時間なんて全く無いから負けるよなぁ。上手に話を運ばないと卒倒させられるかも。


「官吏志望者だったので、この町で働いている羅卒の人達に暇があれば話を聞いてたんですよ。
元々は江東付近を治めていた一族だと言う話をね。孫堅様が活躍しだしてからこっちに移ってきたのでしょう?
町の人は皆さん嬉しそうに話してくれましたよ。おかげ様で色々知れました。納得出来ましたか?」


少し逡巡して。


「…………一応」


どうやら警戒度は下がったようだ。それにしても怖い、怖い。やっぱり自分より強かったり頭が良い人間に対する交渉ってのは難しいな。
知識的優位性も頭の回転もは圧倒的に彼女側だからな。前情報なしと半分混乱、奇襲のような会話、さらに少し心が弱ってなかったら食い下がれなかったな。
女性が弱ってて喜ぶような人間にはなりたくないけど今回は助かったとしか言えない。こんな事を心配しなくて良い程度には頭良くなりたいねぇ。


「それで、孫策様の所に行く陸伯言様。どうでしょうか。私を孫策様に紹介して頂けませんか?」


「私はあなたが有能なのかそうでないのか判断出来る材料がありませんからね~」


「情報収集はお手の物って事はわかってもらえたんじゃないですか? まぁ、その判断材料だけで有能と思うかどうかは別問題ですが」


「そうですね、別問題です」


「それでは今後の予想でもして見ましょうか。実は官吏と言ってもどちらかと言えば軍師狙いなんですよ。もちろん、なれるなら下っ端官吏でも何でも良いんですけどね」


「それを聞いて私は何か良い事があるんですか? そろそろ出発したいんですけど~」


「ここは一つ、袁家の凋落予想でも」


スッと目線が狭まった。食いつきが良くて嬉しいね。喋る側からしたら注目されるのが一番嬉しいよ。


「まず、今回のことで袁家は今までのように地方領主達から支持を得るのは難しくなるでしょう。
今までの袁家は地方領主達の支持で中央に対する影響力を持っていました。ですが、今回楊州全域を手にいれるために相当な無茶を行いました。それは、恐らく袁家が思っている以上のものです。
袁家を頼ってきている人間には二種類います。袁家の内部に入って出世したい人間と、袁家と対等の盟を結ぶことで利権を安全に確保し続けたい人間の二つです。この二つを同時に集めることで今まで袁家は成り立っていました。
ですが、今回の事件で後者は下手に袁家に楯突けば家が滅ぶと言う現実を見てしまいました。そして、それによって袁家内部で出世し、新しく領地や地位を手にした成り上がりも増えました。
国内が平和な場合は、出世は血筋や能力もそうですが、どちらかと言えば過去の実績も含めた一族全体の功績により与えられていました。ですが、そういったことが通用しない出世の例が起きてしまった。
しかも、同じ過去の実績で地域を統治している人間の領土や地位を奪って、です。そうなると起こるのは当然袁家への不信です。
成り上がりを作り上げた事もそうですが、そう言った者でも出世出来るという事を見せてしまう事は乱世の遠因となるでしょう。
袁家がどう思おうが勝手ですが、少なくとも一部の敏感な諸侯はそう思う事でしょう。そうなると、袁家の中央への発言力を支えていた屋台骨の一つを失ってしまった事になります。
当然、中央への影響力は大きく削がれました。そうなると今まで地位やお金を得ていた人間は不満に思います。出世が上手くいかないのですから。そうして、袁家は内部にも不安を持つに至ります。
今はまだ良いでしょう。ですが、少し立てばすぐに地位の席はいっぱいになってしまい、お金も無尽蔵にあるわけではありませんからいずれ無くなります。
渡す物がなくなった袁家は中央への力を大幅に失い、そうして地方の一領主へと緩やかに、しかし確実に戻っていきます。その時に起こるのは、恐らくは宦官か外戚による大規模諸侯への中央召集。
そうする事で宦官は軍事力を得るに至ります。この時に袁家が有効な手を打てなければ、まず間違いなく今までの行いを咎められる事でしょう。そして、今度は袁家が草刈場になります」


捲くし立てるように喋る。こういう時に一々詰まらせるのは損だ。何度か噛みそうになったが誤魔化して言い切る。
実際、未来としてはかなり近い物が予想される。さらにどうも州牧になった袁術は袁招とはあまりそりが合わないらしい。
もちろん噂なのでどうにも怪しいと感じているし、むしろ仲良くやっていると言う話も聞こえるのでどれが本当かはわからない。
わからないが、実際楊州全域を手に入れるとなれば北部の大部分を手に入れている袁招よりも領土的には大きくなる。
そこで大きないざこざが起きないとは言い切れないし、土地が変われば政策や外交も変わる。密接な連携は望めないだろう。
袁家は領土を得たと同時に内部崩壊への階段を登り始めたと言う事も出来るのだ。今回のことが無ければ袁家が天下に最も近かったのは間違いないだろう。
だが、時勢はそうはならなかった。天下は定まらず、しかし未だ乱れずと言った所だろうか。


「ま、聞いて損だったなと思ったのなら別にそれでも良いのですよ。どうせ貴方が行こうが行くまいが私は孫策様のところにこの馬車で行く予定でしたから。
さっきの話を孫策様に話して、もしもダメだったら……」


少し溜めて。


「それこそ袁家にでも行きますよ」


我ながら最高の嘘じゃないだろうか。本当はいく気なんて欠片もない癖に俺もよく言う。
そもそも袁家に言って上のことを言っても後の祭りなのだから、気づかせないに越したことは無い。どうして上手くいかないのか歯がゆそうにする所を眺めて楽しむ分には良い娯楽なのだから。


「……その馬車に乗せて下さい」


「紹介して下さるんですね?」


「判断するのは孫策さんですからねー。今は口車に乗せられておく事にします。よく考えたら別に私に損は無いですしね~」


「そうでしょうとも、ところで一つお願いが」


「何ですか?」


「私、馬車使えないんですよ。良かったら手綱握ってもらえませんか?」


「………………」


その呆れ顔は、何とも素敵な顔だった。それはもう忘れられないくらいに。



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