じいさんがよく言う言葉は、正義の味方のあり方だった。
この多感な時期に、じいさんによって刷り込まれた正義の味方像は強烈で、子供心に大きな影響を及ぼした。
更に、最後の言葉が、正義の味方を継いでくれ、といううまの発言だ。
当時、小学生の俺としては、これは正義の味方にならんとあかん、とがんばらざるをえなかったのだった。
正義の味方。
正義とは何だろう。
中学二年生のとき、俺はずっとそんなことばかり考えていた。
そのとき、既に出しゃばり君と虐げられていた俺は、それでも正義を貫こうと不良相手に喧嘩を繰り返していたのだが、
しかしとうとう被害者にまで、うざいと言われてしまっていた。
頑張っていた自分としては、それはすごくショックなことで。
一体どうすればいいのか、分からなくなってしまっていたのだ。
退屈な人間。
退屈な風景。
ニュースでは、凶悪犯罪者の名前ばかりが聞こえてくる。
テロの話のせいで、好きだった戦隊もののアニメがつぶされた。
世の中は混沌としているが、日本は平和だった。
俺は、生まれてくる場所を間違えたのかもしれない。
被災地とかに生まれていれば、俺は迷わずに正義の味方としてふるまえたのかもしれない。
中学二年生なりの、妄想だった。
俺は、どうやったら正義の味方になれるのだろう。
誰を救えばいいのだろうか。
俺を、求めているものはいないのか。
……。
ふと、庭を見た。
黒いノートが落ちていた。
すべてはそこから始まる。
◆
エミノート
◆
「であと、のて?
なんだこれ、英語か?
読めない」
拾ったノートは、表紙に文字が書かれていたが、中学二年生―――しかも若干成績の悪い俺には、英語力が欠けていて、読み解くことができなかった。
パラパラとめくってみても、きれいな白紙がのぞくだけで、何も書かれていない。
タイトルはあるくせに。
意味不明だ。
しかし、よく見てみると、表紙をめくった1ページ目には、何やら表紙と同じ筆記で文章が書かれていた。
「ほう、と、うせ?
だめだ、おれには読めない」
過去動詞の段階で英語を投げ出した俺にとって、その文章は難解すぎた。
俺は基本、ローマ字読みしかできない。
そうだ、藤ねえに読んでもらうか。
藤ねえは確か、じいさんにそそのかされたおかげで、英語が得意だったはずだ。
◆
「デスノート、死のノートね。
使い方、このノートに名前を書かれたものは、死ぬ。
うわー、物騒ね。なに、士郎。今はこういう遊びが流行ってるの?
だめよー。縁起でもない。
しかもこういうの、いじめの発端になりやすいのよねー」
このノートに名前を書かれたものは、死ぬ?
藤ねえから教えてもらった内容は、中学二年生の俺には衝撃だった。
本気で信じてはいなかったけど、好奇心はそそられた。
早速、名前を書いてみよう。
部屋に戻る。
誰がいいだろうか。
本当に死ぬわけでもなし、誰でもいいんだけど、どうせなら悪いやつがいい。
どうしよう。藤村のじいさんの名前でも書こうかな。
いや……ここは、こないだ強姦罪で捕まった、俺の中学の教師、渋井丸拓男の名前を書こう。
俺、あの先生には冤罪を何回もかけられている。
さすがの俺も、少しいらっときている。
書くしかないな、少しは憂さを晴らせるだろう。
大丈夫、本当に死ぬはずがない。
『渋井丸拓男 死ね 死ね! 死ね!! 死ね!!! レイプされて死ね!!!』
我ながら、自身の暗黒面がにじみ出た文章だったが、しかし誰が見ているわけでもない、日記のようなものだ。
これくらいはいいだろう。
その日は、よく眠れた。
◆
翌日、新聞を読んだ。
『渋井丸拓男、自身が性的暴行を受け、死亡』
「……」
……。
…………!?
◆
やばい……。
デスノート……本物なのか……?
いや……偶然ということも……。
だが……こんな偶然……あるのか……?
タイミングが……よすぎるぞ……。
「うっ」
吐き気がする。
もし本物なら―――俺は、人一人を殺したことに。
確かに渋井丸拓男は犯罪者だが、殺すほどだったか?
……。
俺は……人殺し……に……。
いや……やはり偶然では……。
そう……偶然……偶然だ。
そんな……名前を書いただけで死ぬなんて……ありえるはずが……。
『ノートを使ったようだな』
バサッという、鳥が羽を動かすような音がして、僕は振り返った。
そこには。
「うわああああああああああああああああああああああ!!!!」
化け物が、いた。
◆
『俺の名前はリューク、死神だ』
「し、しにがみ」
しにがみ、だと。
しかしその容貌、醜い容貌、とてもこの世のものとは思えない人型の容貌。
否定はできなかった。
「し、死神があらわれたということは……このノート、本物なのか?」
心臓は尋常なく脈動しているが、頭は冷静だった。
冷静に、ここに死神が現れた理由を推察する。
『おお、本物だ。
そしてお前の考えている通り、俺はこのノートの元所有者でもある』
あ、ああ、本物……。
ということはやはり、渋井丸卓男を殺したのは……俺……。
しかもこの死神は、俺がノートを使ってから現れた。
ということは……俺は……。
「くっ、あ、あ……俺を、殺すのか?」
『いや? 何か勘違いしているようだが、俺はお前を殺さない。殺す理由がない。
さっきも言ったが、俺は元所有者、今の所有者は、お前だ』
◆
死神リュークから教わった真実。
デスノートの効力。
死神の存在。
この世も死神の世界も、腐っているということ。
退屈さ。
『どうするんだ、エミヤシロウ?
今なら、デスノートの所有権を放棄させてやってもいいぜ』
「……」
……。
……。
俺は……。
「駄目だ……俺には……これは、こんなものは使えない。こんなものは間違ってる」
『そうか? もう一人殺っちまったんだから、何人殺っちまっても同じだと思うんだがなあ』
「! ……」
……ああ……。
確かに俺は既に、一人殺してしまっている。
ここでこれを捨てるなんて……逃げるのと同じでは……。
いや……でも……。
『このノートは使いようによっちゃ……正義の味方にだって、なれるんだぜ』
……!
そんな……こんなものを使って、正義の味方と呼べるはずが……。
俺は、すべての人間をすくいたいのに……こんな、絶対に人が死ぬものを……。
でも……。
……。
じいさん……。
…………。
◆
そして舞台は2004年、冬。
個人情報保護法が、異常なまでに発達しきった社会。
その背景には、『キラ』という存在があった。