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[16543] 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー 【XXX改定版】
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:9a343a1e
Date: 2010/05/09 02:30
 ・宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー



 ティラノサウルス……。
俺の目前に立っているのは、まさにソレとしか言いようの無い存在だった。
 暴君竜、T・レックス……。太古の地球に棲息していたと言われる、覇王……。
俺を約20メートルほどの高みから、冷たい瞳で悠然と見下ろしている。

 ゴクっ……。俺の喉がゆっくりと動き、唾を飲み込む。
周囲を取り囲む緑色のジャングルの中で、大型の動物の咆える声が響き渡っている。

 目の前に立つ暴君竜の鼻がヒクヒクと動く。
まるで、俺が喰える存在なのかどうかを、嗅ぎわけようとするように。
 巨大すぎる口から、真っ白な牙が覗いて見える。
その一本一本が、分厚いナイフよりも遥かに鋭く感じられる。

 そして唐突にT・レックスが動きを止める。その冷たすぎる瞳に、ジッと俺を見据えたまま。
いつの間にか周囲の雑音が静まり返っている。ムッとする植物の青臭い香りが充満しているジャングルの中。
だが今、この瞬間だけは……、まるで、俺と暴君竜だけの世界。緊張……。俺は唾を飲む事さえ出来ず、ただ目の前にいる暴君竜を見つめ続ける。

 突如、ドンッ!! と大地が揺れる。
ティラノサウルスが巨大な後ろ足で大地を蹴り、想像をはるかに超える速度で、瞬時にソレが俺に迫りくる。
大きく開かれた口。恐ろしくビッシリと生え揃った白い牙。真っ赤な口腔内にはグロテスクな紫色の舌。

「うわああああああっっ!!!」

 俺の喉が勝手に動き、咆哮を上げる。迫りくるその牙に一瞬逃げ出したい欲望に駆られる。
いや……。大丈夫っ!! 大丈夫のハズだっ!! 自分自身へと必死に言い聞かせるが、恐怖に負け思わず目を固くつぶってしまう。
閉じた瞼の裏。T・レックスの巨大なアギトが迫り来るのをハッキリと感じる。
 そして…………、

「ガアァァァアアアッッッッ!!!!」

 ポニョンっと、俺の体へまるで子供が抱きついてくるような、弱い衝撃。
そして、T・レックスの苦痛の声だろうか? とにかく半端ないほどの大きな叫び声。
 それが周囲のジャングルへと響き渡る。ガサガサと回りで音がする。何かが逃げていくような、そんな響き。
ギャアギャアと、遠くで大型の猿が咆えるようなウルサイ声。先ほどまでの静寂が嘘のような、生き物に満ち溢れた喧騒。

「ふひっ、ふふふふふ……。やったっ、やったぜ。今夜は肉だっ!! こいつは腹いっぱい喰えるぜっ!!」

 まだフニフニと俺の体に噛み付いているT・レックス。その鋭い歯を素手で優しく掴む。
ここが肝心だ……。あまり強く握ると、砕けちまう。そのまま、撫でるような感じで両手を広げ、巨大な頭部を優しく抱く。
 もしも、T・レックスに現状を理解できる知能があったなら、まさに悪夢のような状況だと思うだろう。
噛み付いたハズの獲物……。なのに全く牙が刺さらず、それどころか自分の数倍の力で頭部を固定されているのだ。

 異常を感じたのだろうか、振りほどこうと、T・レックスがブルブルと頭部を動かしだす。
逃がさない……。両腕、両足に徐々に力を込めていく。とにかく、力加減が難しい。優しく、優しくしないと、グズグズに潰してしまう。
どろぐちゃになったT・レックスの脳ミソまみれなんかにはなりたくない。

「おりゃ、っと」

 巨体を頭上へと優しく持ち上げて、そのまま軽くジャンプ。周囲の緑色をした樹海を一瞬で越える高さまで跳躍する。
目印を探す。俺が墜落初日に、腹立ち紛れにぶっ壊してしまった『元』山を……。

「おっ、あった……。アッチか」

 相変わらずブンブンと暴れるT・レックス。時折、短い前足や尻尾が俺に当たるが、まるで子猫にじゃれ付かれているような感じだ。
スッ……っと、優しく着地をし、目標に向かってT・レックスをズリズリと地面に引き摺りながら歩く。
本当は走りたい……、だが下手に走ってしまうと暴君竜が死んでしまうかもしれない。

 この星の生命体は、すぐに死んでしまう。そして、腐食が異常に早い。
船のマザーコンプがイカレている為、はっきりした事は何一つ解らないが、この星の重力が地球の十分の一以下であることや、物質の構成密度が低い事が関係しているのかもしれない。
 実際には、仮に腐った肉を食ってしまっても、俺の細胞の中で蠢き回る『L-陽子PW型ナノマシン』 がどうにかしてくれるだろうと思う。
だが、味だ。いくら喰っても平気だとは言え、やはり腐った肉は不味いのだ。歯触りもニチャニチャと酷い上に、舌がビリビリとしびれるように苦い。

「新鮮なお肉……。ああ、これでコショウでもあれば……。いやぁ、船が故障して、コショウがありません……」

 泣きたくなる……。いや、堪えきれず涙がこぼれてくる。絶望的だ。
まだ生命年齢で言えば17歳なのに……。こんな星で独りきり。童貞なのに……。夢に満ち溢れていたはずなのに……

 ため息しか出ない。やっぱり、一攫千金を求め、トリッパーに応募したのが間違いだった。
環境適応用のナノマシンを植え込まれ、個人用の船に乗り、宇宙の彼方に送り出されるトリッパー。
 通常であれば、ポジション通信の届く範囲に送り込まれ、資源を豊富に含む星を発見する仕事。
勿論、リスクが高いことは解っていた。しかしいくらなんでも……これは……。俺が目が覚ませば見知らぬ惑星。ポジション通信も使用不可。
さらにマザーコンピューターまで壊れているなんて、悪夢以外のナニモノでも無い。

「誰か、捜索隊……。いや、無理だよなあ」

 ズルズルとT・レックスを引き摺りながら歩く。
そもそも、俺から救助信号を出せない以上、広大な星の海の中、俺を見つけられるワケが無い。
 こうやって酸素があり、生命体がいる星へとシップが不時着しただけでも奇跡なんだろう。
トリップ途中で、ブラックホールに突っ込み死んでしまうヤツラだって相当いるという話なのだ。

 考えるほど気が滅入る。気がつくと、ジャングルを抜ける所だ。なにげなく、歩いてきた後ろを見る。

「あ……」

 ブツブツと呟きながら歩いていた所為だろう。俺の体が触れた木々がへし折れている。
足元の植物や、でかいツタがバキバキに踏み潰ぶされ、まるで資源星削岩用の大型機械が通ったような惨状になっている。

「うわっ。しまった……」

 悪いことをしたと思う。いや、仕方が無いとは解ってる。
俺がこの星で生き足掻くと決めた以上、こういう環境破壊は避けて通れない。
T・レックスも、俺が来なければ今も元気に狩りをしていただろうし、それがこの星の自然な姿だろう。
 
 でも、俺は自殺出来なかった。船が全く動かない事を知った時、死のうかな……、とも考えたが怖くて出来なかった。
だから、生きる。この星の生命にとっては、とんだ迷惑だろうけど、天災だと思ってもらうしかない。
しかし、それと無駄な環境破壊はまた別なような気もする。

 が、それも結局のトコ、無駄な考えだ。あと何十年か後には俺は独りで死んでいくんだろう。
それでもこんな無駄な事を、グダグダ考えられるようになったってことは、随分落ち着いたって事か。
 
 不時着直後に目を覚ました時は、本当に酷かった。現状を受け入れられないまま、周囲のモノに八つ当たりをした。
最初、おかしいと気付いたのは唾だった。俺の吐き出した唾で、岩が砕けちるのだ。
 握った石は砂のように粉々になる。大木を蹴れば、まるで飲料缶を蹴ったような勢いではるか彼方へと吹っ飛んでいく。
大地を全力で殴りつけると、隕石が落下したような小さなクレーターができた。
 まるで、コミックデータの中のスーパーヒーローそのもの。誰も人類のいない星で、孤独な超人。
溢れてくる怒り、狂気スレスレの笑い。そして、絶望と慟哭。
 鼻水を垂らしながら、狂気に駆られ、山を壊していった。何の役にも立たない行為。
でも気がつけば、木々だらけだった山が、まるで隕石が降り注いだ後の様に、ボロボロになっていた。

「はぁ……」

 まだピクピクと痙攣し、なんとか生きているT・レックスを引き摺りながら、破壊した山に置いてある船に近づいていく。
アソコが俺の住処だ。まだこの星に来て三日目だが、すでに愛着が沸き始めているような気がする。
とりあえず、船に着いたらメシにしよう。
 
 そして、明日は探検でもしよう。殆ど可能性は無いだろうが、もしかしたらこの星にも文明をもっている生命がいるかもしれない。
宇宙法では、現地知的生命体との接触は、基本的に探査資格保持者にしか許されていなかったはずだが、もうどうだっていいだろう。
 そもそも、存在しているかどうかも解らない。もし存在していたとしても、俺に解るような形態をしていないのかもしれない。意思の疎通が困難な珪素タイプやゲル状の知的生命体なら完全にお手上げだ。俺のようなサバイバル訓練しか受けていない素人に判別できるハズもない。

「ま、メシだメシ……」

 遠くに鈍い銀色に光る船が見えてくる。エンジンはかかるが、マザーが壊れているため寝るくらいにしか役にたたない我が船。
俺はため息を吐きながら、ズリズリと暴君竜を引き摺りつつ、そこまでゆっくりと足を進めていった。



[16543] 第2話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:9a343a1e
Date: 2010/05/09 02:37
 ギャアギャアと大声で喚いている声が聞こえる。
大勢で騒いでいるようで、非常にうるさい。せっかく惰眠を貪っていたというのに……。

「ああもう、うるさくて眠れやしねぇ」

 諦めて体を起こし、髪の毛に付いている草を落としながら呟く。役に立たないとは言え、船の燃料を無駄に消費したくなかったため、昨日は船外で寝た。
そういう無茶が出来るのも、俺の着ている服のおかげだ。
 一見、只の白いシャツとズボンに見えるだろう。だが、重力調整装置、体温保持調整機能付きの優れものなのだ。
地球では非常にありふれたモノなので、有り難味など解らなかったが、こういう状況になると凄まじく役に立つ。
 学者、技術者というヤツラは本当にすごいと今更ながら思う。俺も勉強しておくべきだった……と悔やむ。まさに手遅れ……。

 寝起きのハッキリしない頭で、そんな無駄な事を考えながら、目前の惨状をぼんやり眺める。
そこにあるのは、昨日俺が採ってきたT・レックスの死骸。
 だが、それはドロドロに腐りきって、ここまで漂ってくる吐き気を催す腐臭を放っていた。
その巨大な死骸に、大きさ3メートルくらいの真っ黒な鳥のようなヤツラが何羽もたかっている。

 セール品を買いあさる主婦のようにギャアギャアと喚きながら、黄色のクチバシで必死に腐肉をついばむ。
俺は今のところ腹は減っていない為、T・レックスの肉など、もはやどうだっていいのだが、とにかくウルサイ。
 頭を掻きながら立ち上がり、焦げ茶色に変色した腐肉のところへ少しだけ近づく。
鳥どもは、俺が近づいても一向に変化が無い。俺を馬鹿にしているのか、それだけの知能が無いのか。それとも目の前の腐肉がそれほど美味なのだろうか。
相変わらず、中年のオバハン並みにギャアギャアと喚き散らし、腐肉を必死に喰っている。
 俺はそれを見ながら、後一歩だけ近寄って右腕を肩の後ろまで引き絞る。サイドスローで野球のボールを投げる直前のように腰を捻り、掌を風を集めやすいカタチへと軽く曲げる。
 そして……、かるく息を吸い、手で風を起こすように、一気に振りぬくッ!!!!

 ――― 突風 ―――

 ドヒュンッッッ!!! と、俺の手によって巻き起こされる風圧で、巨鳥どもが紙細工のように吹っ飛んでいく。
想像以上の突風……。真っ黒な三メートル位の巨鳥達が皆まとめて、山へと凄まじい勢いでぶっ飛ぶ。冗談みたいな光景……。
 マズいッ!! これは殺しちまったか? 一瞬後悔する。
だが、真っ黒なソイツらは山肌に激突する寸前で体勢を立て直し、次々と大空に舞い上がり慌てふためいたように何処かへと飛び去っていく。

「はぁ……」

 やっと静かになった。ため息をつきT・レックスの死体を見る。巨鳥どもに喰い散らかされ、腐臭の漂う焦げ茶色へと変色した肉の塊。
 昨夜の食事……。それは期待に反して非常に残念な結果だった。味はまずまずだったが、肉に歯応えが無いのだ。最も固そうなスジの部分ですら、マシュマロのようなムニュムニュした食感。自棄になって、試しに骨を齧ってみたが、それですらスナック菓子のようにサクサクと噛めてしまった。だが骨は味が酷いためすぐに吐き出したのだが……。
 地球にいた時は固い肉は嫌だと思っていた。が、今となっては噛みごたえのある固い肉が喰いたくて仕方ない。
口の中でトロケルように柔い肉なんて、たまに喰うから旨いのであって、全てがマシュマロのように柔らかな肉だと飽き飽きしてくる。というより、肉を食っている気がしない。もう贅沢は言わない。もし地球に還れたら、今度からはどんな固い肉でも喜んで食べるだろう。

「ちっ、仕方ねえなぁ……。うん……。まずは、海だな……。海に向かおう」

 今日は起きたら此処を旅立つと決めていた。探検だ……。不本意な起こされ方だったが、目覚めたことは間違いない。
出発するしかない。ここでやれる事なんて何も無い。
 
 船に戻り、護身用の『陽子加速式ハンドガン』を取り出し腰のホルダーに装着。素早く抜いて構える動作を何度か繰り返したあと、残量エネルギーをチェック。大丈夫……。軍用ではない為、レーザーのように連続照射は出来ないタイプだが、単発射出で1000回以上は可能だろう。
 
 その後、『超高密度結晶ナイフ』を2本とも取り出し、右手と左手の手首内側にセットする。動作を確かめる。
俺の意思に反応し、両腕にセットされたナイフが瞬時に手の中に現れる。音一つ無く、俺の両手にブレードが現れる様子はまるで手品のようだ。
ブレード部分の結晶がこの星の陽光を反射し、ギラギラと青く凄まじいほどの輝きをみせる。その青いブレードを足元の岩へと突き刺す。
 スッ……と何の手ごたえも感じない。空中でナイフを動かすのとなんら変わりなく青い刃が岩へと突き刺さる。理屈など俺には何一つ解らないが、超高重圧の元、原子配列から組み替えた結晶で作成されたこの青い刃は、ダイアモンドさえもバターのように切り裂く。トリッパーに必須の武器だが、これが通信販売で買えるところが地球の科学力の恐ろしさだ。

 はっきり言って、これが必要になるとは思っていない。
唯一つ、俺が自殺したくなった時を除いては……。
 ここの環境で俺が死ねるかどうかは、実に微妙なラインだと思う。
まあ、餓死や溺死なら死ねるだろう。他だと、毒は体内のナノマシンが分解するし、体温調整服のおかげで凍死なども有り得ない。
 だからこそ、死ぬとするならば餓死や溺死なのだが、そんな状況に置かれジワジワ苦しい死に方をするより、あっさりと自殺したい。
この武器はひょっとすると、この惑星で俺を殺せる…… いや下手をすると、傷つけられる唯一のモノかもしれないのだ。

「さ、行きますか」

 最後に、この数日を過ごした船へと触る。
マザーコンピューターが復旧する見通しは立っていない。緊急モードにすら切り替わらずに、沈黙したままなのだ。
エンジンだけは動くが、制御装置が作動しない船など、只のハンドガン充電器に過ぎない。
 
 ため息を一つ吐き、俺はここからジャンプして見えた一番近い川へと向かって歩き出す。
その川を下っていけば、必ず海があるだろう。これだけ生態系が豊かな星だ。きっと海沿い、川沿いにはもっと多様な生き物がいる。
その中には、噛み応えのある旨い生き物がいるかもしれない。

 そんな、かすかな希望を抱きながら、足を進めていく。
背後で、またもやバサバサと鳥の羽音。そしてギャアギャアと喚く声が聞こえてくる。
 俺がいなくなった為、さっそくT・レックスを食いに戻ってきたのだろう。
実に寂しい別れの言葉……。その喚き声を聞きながら、俺は寂しい気持ちを抑えきれず、川の方角にむかって駆け出した。





 ◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第2話





「ですからっ!! 護衛にこれ以上の兵を回す余裕など無いと、何度もお伝えしております。長老様達がこの国の要だと、私も理解しております。ですが、今は、この国が滅びるか否かの瀬戸際なのです。どうか、どうかっ!! 」

 そう叫んだのち、目の前のテーブルへとぶつけそうな勢いで頭を下げる。結い上げた髪についた髪飾りがチャラチャラと耳障りな音を立てる。
ギリギリと噛み締めそうになる己のアゴを必死で抑え、冷静になれと何度も己へ口の中で呟く。
 忌々しい……。こんな時間など、もはや残っていないと言うのに。
事態を全く理解しようともしない、目前に座る5人の老人が憎らしく、殺したいほどの怒りが沸きあがる。

「ううむ……。しかしな『蟻』どもが、本当にそう大量に移動しているのかね、セラ将軍。翼竜隊の報告ミスではないのか? 『蟻』どもの移動時期では無いのだぞ」

 目の前に座っている老人の一人。最長老のガフ賢人がモゴモゴと口を開く。でっぷりと太った体にシワだらけの顔。多くの勲章がついた灰色のローブを見に纏った老人。その垂れ下がった目蓋の奥から、ギラギラした視線が覗く。

「その点についても、もはや疑問の余地はありませぬ!! 3日前に北東の山へと星らしきものが大量に降り注ぎ、その為『蟻』どもが暴君竜の森より、こちらに向かっていると、何度も、何度もご説明したではありませぬかっ。『羽蟻』どもの飛来も確認しております。もはや一刻の猶予もありません。あと数刻のちには、『蟻』の大群、約1万が到来するのです。ここにっ!! この場所にですっ!!」

 テーブルの上の地図を指差す。我等の国、エウード。現国王エウード三世の祖父が打ち立てた、竜と農業、海洋貿易で栄えた国。
それが、もう数刻のちには滅びてしまうかもしれないのだ。
 いや、まず持ちこたえられないだろう。せいぜい出来ることは時間稼ぎのみ。
総軍4000人と地竜、翼竜合わせて196匹。この命を使い、何人一般市民を助けられるだろうか……。
 
 エウード国の総人口6万。蟻や竜との闘いが無かったこの20年、その長い平和が仇となったのだ。その間の軍隊利用は政治的な対外国への派遣、対人用の戦闘のみ。こんな緊急事態にスムーズに命令出来ずして、何の為の王より授かった軍隊か。
 感情を抑えられぬまま、テーブルをもう一度激しく叩き、出口へと向かう。もはや、口論は無用。
この老人たちの護衛の為だけに、兵を500人も割ける余裕など元からあるはずもなかったのだ。人民こそが宝であり、守るモノ。我等軍人はこの老人どもの政治のオモチャでは断じて無い。

「待てっ、まだ話は終わってはおらぬぞ、セラ将軍っ!! 貴様、元々下賎の身の分際で! 王に色目を使い取り入り増長したか。貴様……、失敗したら、どうなるか解っておるのだろうなっ!!」 
 
 背後からの老人の必死の叫び。
思わず笑ってしまう。この期に及んでも、この老人どもは全く理解していない。
 ドアを押し開けながら、首だけを後ろに向け、私は笑顔で言葉を返す。

「ご心配なく。私が失敗すれば、皆、仲良く『蟻』の餌でございます。まあですが、運が良ければヤツラの幼虫用の生餌として、巣穴で再会できるかも知れませぬ。その時は、せいぜい謝らせて頂きますわ。それでは、ごきげんよう」

 言い切って、思い切りドアを閉める。外で待っていたガレン千人長に頷きを送る。
無言で頷きを返してくるガレン。幼い頃から姉妹同然に育ってきた、私の最も信頼する部下。青い瞳……、金色の髪を背中へと流し、美しい緑色の甲冑へとその身を包んでいる。ほっそりしたそのカラダ、美しく華奢な顔立ちに似合わぬ、厳しい視線。

「さあガレン。行きましょう。竜どもに蟻を腹いっぱい食わせる時間だわ」

「はい、お姉さま。最後まで、お供させて頂きます。すでに門の外へ兵は集合しております。皆、お姉さまのお言葉を待ってます」

 ガレンの濃いブルーの瞳が陽光を反射している。美しい……。華奢な肩、整った顔立ち。
私の後を追って軍などに入らなければ、この子はもっと長生き出来ただろうと思う。まだ19歳……。もっとこの子へ生きる喜びを感じて欲しかった……。
 思わず口から漏れそうになる謝罪の言葉。それを飲み込みながら、長い廊下を二人で早足で進んでいく。

 ギシリ……と音を立て歯を噛み締める。謝ってどうにかなるものではない。それならば……、せめて、せめて進んだ道が正しかったと、最後まで思っていて欲しい。
 我等の命を使い、救えるだけの命を救うのだ。一人でも多くの国民を、我等の全てを投げうって。
決意を胸に、長老達の館の扉を開ける。外の陽光に一瞬、目がくらむ。

 とそこへ、一人の兵士が恐ろしい形相で走り寄ってくる。目は血走り、その顔はまるで笑顔のような狂気に満ちて……。
素早くガレンが私の前に立ち、腰の剣を抜き放つ。陽光にハガネが輝きを放つ。

「その兵士っ!! 止まれっ!! 将軍に一体何用かっ、止まらぬ場合は問答無用で斬り捨てるっ!」

 ガレンの切迫した声が響く。彼女も感じているのだ、この兵士の様子がただ事ではないと……。

「ほ、報告しますっ!! 自分は翼竜偵察隊10人長ヤシダでありますっ!! 先刻、『羽蟻』の飛来が一気に無くなり、自分は不思議に思い、処罰覚悟の上、偵察に参りました。そ、そこで、そこで、確認いたしましたっ!! あ、蟻どもの死骸、約4千っ。残った蟻どもも全て北東の山へと移動している様子ですっ!!」

 狂喜に満ちた声……。あまりに荒唐無稽な報告に私は呆然とする。
嘘だ、と断定する……。この兵士は絶望のあまり気が触れてしまったに違いない。
ありえない。『蟻』の死骸が4千? そんな、そんな夢のような事……。

「しょ、証拠として、こちらです。これが、た、た、大量に……、自分も、し、信じられません……」

 その兵士、ヤシダが腰に結びつけた袋を渡してくる。その中身を見て、手が震え、思わず足元へとその袋を落とす。
直径2センチほどの、純白に輝く珠。その間違えようの無い、不思議な白……。
それが袋からこぼれ出て、陽光を反射し、館の入り口が虹色に輝きに包まれる。その反射光、間違いなく本物の証。
 
 驚愕……。呆然としている私の隣で、ガレンの虚ろな叫び声。

「こ、これってっ!! 『蟻』の、単眼核ですっ、か……。こ、こんなに大量に……、うそ……、ほ、本当に?」

 『蟻』の額に一個だけある『単眼』。そこは蟻の急所なのだが、ハガネより遥かに硬い外皮で覆われている為、傷つけることは非常に難しい。
その単眼を、何年も強い酸に漬け込んで外皮を溶かし、中央に残った核が『単眼核』。
 この世で確認されている最も硬い物質であり、そして恐ろしいほどに高価だ。
海洋貿易に於いて、もっとも重宝される。それ一個だけで、三年は何もせずに暮らせるだろう。

 その『単眼』を獲る為の、最大の問題は『蟻』の戦闘能力の高さ。体長3メートルほどの大きさの『蟻』。
ヤツラの凄まじいアゴの力は、一撃で竜の首すら飛ばし、人間など鎧ごと噛み砕く。
尻からは毒液を絶えず噴射し、竜と人間を容易に盲目へと変える。
 そして、最も恐るべきは、その数の多さと、一糸乱れぬ統率された動き。
獲物と定めたら、一気に襲い掛かってくる。記録に残っているだけでも、いくつの街や国がヤツラに滅ぼされてきただろうか。

「りゅ、竜を。私の騎竜スカーラをもてっ!! 確認に向かうっ!!!」

 震える声で命令を下す。ブルブルと握り締めたコブシが震える。
ガタガタと体が痙攣し、眩暈が収まらない。一体何が…………?
唾を飲み込み、私とガレンは、愛竜の元へと駆け出した。





「う、うめぇ……。口の中で、なんつーかこの、うんっ!! 凝縮された旨み溢れるグミ? ちょっと違うか……。でもこの種みたいなのが余分だよな……」

 口の中で最後に残った白い珠を、向かってくる巨大な蟻に向かい吹き付ける。
瞬時に6匹ほど貫通したのか、巨大な蟻どもが遠くへと吹っ飛んでいく。
 ん……? 頭がくすぐったい。上を見てみれば巨大なアゴ。それで俺の頭を噛んでいるつもりなのだろうが、かすかにチクッっとするだけ。
モグモグと口を動かしながら、優しくその顎を払う。しかし、非常に手加減が難しく、グシャリとその顔を潰してしまった。

 ――― 約10分ほど前、ジャンプを繰り返し、崖や谷、森を抜けながら、ようやく平地が見えた。
朝から移動しっぱなしだった為、休憩しようと腰をおろした途端、いきなり襲い掛かられたのだ。
 体長3メートルほどの蟻達に……。どこから現われたのか、大量の黒い蟻どもが一気に寝転んだ俺へとウジャウジャと迫り来た。

「ちょ……、あんま殺したくないんだけどなぁ」

 そいつらの行動では全く被害を受けない為、優しく追い払うのだが、何度追い払ってもしつこく俺を狙ってくる。
しかも俺の視界いっぱいに溢れかえる、全ての蟻どもが一斉に……。
 黒い足がウジャウジャ、ウジャウジャと溢れかえり、仕方なく空中にジャンプすれば、羽の生えた蟻に襲い掛かられる。
流石に少しイライラしてしまった上に、朝からなにも食っていなかった為、喰える場所を探しながら何匹か殺した。
 
 そして、見つけたのだ……。コイツラの額、その中央にある丸い突起。手で掴むと簡単にポロッと取れるのだが、試しに口に入れてみると最高だった。
気になるのは、ソレが急所なんだろう、外した瞬間に蟻が動かなくなってしまう所。だが、そんな事がささいな事に思えるほど、ソレは美味だった。
コリコリとしっかり歯応えがあって、尚且つ濃厚でクリーミー。例えるなら、チーズハンバーグのような味わい。
 欠点と言えば、中央に残る白い珠。驚いた事にかなり固い。梅干の種位の固さがある。最初、期待をして噛んだのだが、何の味もせずにパサパサと口の中の水分が取られていく。それだけが欠点だが、それを差し引いたとしてもこの星で一番旨かった。 

 また、こいつらは我先にと俺に向かってくる。他の食材のみたく、採取するのに全く苦労しない。そもそも向こうからやってくるのだ。まるで、『ワタシを食べて!!』と言っているかのよう。
 この星に来て、初めての満足できる食事……。夢中で食べ、味のしない中身の種を吹き出して何匹もぶっ飛ばす。
脳のどこかで流石に殺しすぎじゃね? と声がするのだが、ふわふわとした気分で止められない。
 旨すぎる。そして、止まらない。もしかして中毒性があるのか? 
いや、関係ないだろう。あったとしてもナノマシンが解毒してしまうハズだ。

「うーん……。そろそろ、あきらめてくれんかな……」

 流石に満腹になり、徐々に冷静な思考が戻ってくる。いい加減蟻どもに向かって来るのを止めて欲しい。
ひょっとして、群のリーダーとかいるのだろうか? 手当たり次第にぶっ飛ばしながら、それらしいヤツラを探す。
視界を遮る蟻を何匹もまとめて手で払う。軽いつもりでも、ぐしゃりと柔らかすぎる皮が破け、粉々になりながら吹き飛んでいく。

「あれか?」

 口内に残った白い粒を手に吐き出し、慎重に狙いをつけ、振りかぶる。カラダへと何匹もの蟻どもが噛み付いてくるのだが、ほとんど何も感じない。
完全に無視しながら大きく息を吸い、そのまま――――。

「オラッ!!!」

 キュンッッ!! と俺の右手から、まるでレーザーのように小さな珠が飛翔。
遮る蟻どもを何十匹も貫通しながら、列の外、一際大きな赤い蟻を砕く。粉々に砕け散った赤い蟻の頭部。思わず右手を挙げてガッツポーズ。
 と、空中から羽のついた蟻が急降下し、俺の頭部へと噛み付いてきた。その頭を手で払い飛ばし、頭上を見れば、空中へ何匹もの羽蟻がまるで蜂のように飛翔している。編隊を組み、ブンブンと羽音を立てながら、数十体もの蟻が急降下してくる。
 だが、甘い……。一瞬で軽くジャンプして、その上をとり何も持っていない右腕を振りかぶる。そのまま風を掌へと集めるように振りぬき、その集団を地上へ風圧で弾き飛ばす。
 着地した後、手ごろな蟻の額の珠を抜き取り、食べたあとの白い珠で列の端にいる赤蟻を狙撃する。
 
 そんな作業をどれくらい繰り返し続けただろうか……。

「うおおおおお、やったっっ」

 突然、潮が引いていくように、蟻どもが山へと戻っていく。大きくガッツポーズ。
やった……。何が良かったのかは解らないが、とにかく終わったんだ……。
 達成感とさすがの疲労を感じながら、何気なく周囲を見渡す。唖然…………。蟻の死骸、死骸、死骸、死骸の山が視界いっぱいに広がっていた。
ため息を一つ吐き、その死骸の山へと倒れこむ。
 疲れた、そして流石に殺しすぎた……。自分がこの星へと与える生態系への影響を色々と考えてしまう。
が……、まあアッチから襲ってきた訳だしなぁ……。
 そんなことを思いながら、俺はウトウトと両目を閉じ、眠りの中へと落ちて行った。



[16543] 第3話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:9a343a1e
Date: 2010/05/09 02:43

「ねえ……、ガレン。一体、アレは何だったのかしら? そして、あの男は何者? 解らない事だらけだわ……」

 ため息を吐きながら、右手に持ったティーカップをテーブルに置き、私とお揃いのナイトガウンを羽織ったガレンへと愚痴をこぼす。
私の大きな屋敷の一室で二人きり、テーブルを彼女と挟んで座る。
 季節は春とはいえ、夜ともなると若干肌寒い。
 目の前に座ったガレンからの返事は無い。どこか虚ろな表情でティーカップを眺めている。彼女も疲れているのだろう。
大きくため息を吐き、少し開いたガウンの胸元を閉じながら、私はぼんやりと数刻前の事を思い出す。





 ◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第3話




 ―― ヤシダ10人長の報告の後、地竜隊180騎、翼竜隊18騎と共に警戒しつつ平原へと向かった。
私の興奮が愛竜スカーラへも伝染したのか、いつもは大人しいスカーラが時折大きく身をよじる。
何とかソレを宥めながら、私達は『その場所』へと到着する。

 絶句…………。

 約200名の猛者どもが、誰も何も言わない。いや、言えない……。
竜達でさえ咆え声一つ上げず、皆、まるで死人のごとく押し黙っている。
 その風景……。
穏やかな草地が広がっていたはずのその場所。その空間全て埋め尽くすほどの『蟻』の死骸、死骸、死骸の山……。

『必ず兵士5人以上で蟻一匹にあたる事』

 これは、どんな戦術書にも書かれている基本であり、鉄則だ。
それほどまでに『蟻』の戦闘能力は凄まじい。ベテランの地竜騎士ですら、一対一以上は厳しいのだ。
 なのに……、それなのに……。この見渡す限りの死骸、一体ナニが…………。

 私の握り締めていた手綱が手から離れ、力なく下へと垂れ落ちる。
すぐ隣でガレンがガタガタと体を震わせ、悲鳴を抑えるようにその手で口を塞いでいた。彼女の美しい華奢な顔は青ざめて、今にも失神しそうなほどだ。

 死と破壊の嵐……。神話的な、そういうモノが吹き荒れたのだろうとしか思えない光景。
蟻どもの固い皮膚が、まるで紙細工のごとくグシャグシャにつぶれ、何匹も折り重なるように死んでいる。
また、ハガネよりも硬い頭部の『単眼』の周りが、綺麗にくり抜かれたように無くなっている死骸も多い。

「お姉さま……。これって、これってッ!!」

 まるで悲鳴のような声で叫ぶガレン。普段はピンク色でふっくらとしているハズの唇が真っ青になっている。
きっと、私の顔色も負けないほどに真っ青だろう。喜ばしい出来事のはずだが、眩暈しかしない。何も解らない。
 だけど、このまま呆然としている訳にもいかない。私は指揮官だ。王より、直々に賜った『将軍』
皆を導かねばならない。覚悟を決め、唾を飲み込みつつ、右手を大きく空へとむかって挙げる。
大きく息を吸い込む。腹の底から大声を出す。皆に聞こえるように。皆を導く為に……。
 
 私は将軍。先頭に立ち道を切り開く者。

「皆っ、よく聞け!! 理由は如何にせよ、まぎれも無くこれは大勝利である。何を恐れる事があろうっ!! 繰り返す、これは大勝利である。何であれ、今っ!! 此処に、我等がこうやって生きて立っている事っ!! それこそが何よりの証だッ!! さあっ!! 急ぎ死骸をどけ、作業場を確保せよ。この死骸、全ての『単眼』を頂くぞ。グズグズするなっ。じきに歩兵部隊もやってくるッ!!! 竜を動かせッ!!」

 内心の不安を押し隠せただろうか? いや、迷うな……。
率先して竜を動かす。足で愛竜スカーラのわき腹を軽く蹴り、前方へと進ませる。
 暴君竜などの肉食竜とは異なり、騎竜に使われるのは草食性の小型竜。
だが、それでも我等よりも遥かに大きく、力も強い。硬い鱗で覆われた尾で、何体もの『蟻』の死骸を除けて行く。

「オラッ!! 野郎どもっ!! セラ将軍の言われた通りだ。さっさと片付けるぞっ!! おしッ!! そこの百人長5人ッ!! お前等は翼竜隊と連携して見張り。残りは―――― 」

 野太い声が草原に響き渡る。千人長キシンが太い腕を上げ、配下へ指示を出し始める。
私などよりも遥かにベテラン。何度も死線を潜り抜けてきた、歴戦の初老の男。
 普段は酒ばかり飲んでいる人物だが、決断も早く、的確、じつに頼れる千人長。
そのがっしりした体格は50歳を半ば過ぎようとする年齢ながら、岩のような筋肉に覆われており、剣の腕もエウード国最強『剣聖』として名高い。

「――――ッ!! ガレン隊も続けッ!! 腐食が始まる前に、全て終わらせるッ!!」

 我が妹、と言うべき存在であるガレン。彼女も若干青ざめた顔色ながら、声を張り上げて部下へと指示を出していく。
『最も竜に愛されている騎士』 と言われるほど竜使いに才のあるガレン。巧みに騎竜を操り、見る見るうちに作業場を確保していく。

 そして数十分後、歩兵部隊約3800が到着。
目前に広がる光景に歓声をあげるモノ、地に頭を垂れ何かに祈りを捧げるモノ、泣き出すモノ、無表情なまま立ち尽くすモノ、反応は様々だが、十人長、百人長の号令に従い、皆がそれぞれの作業へと移っていく。

「やれやれ、セラ将軍。これはいったい……」

 私に近づき、そう呟く男。歩兵部隊を率いてきたハガギリ千人長。兵站の天才と言われる、貴族の名門出の男。
30歳程度の年齢ながら、訓練、補給、兵器、衛生管理など、その知識は多岐に及ぶ。
 貴族出身ながら、平民出の兵士にも認められている明るい男だ。欠点としては、名うてのプレイボーイである事。
通称『後家殺し』のハガギリ。

「わからぬ。ところでアハメイル殿はどうした? 一緒に歩兵を率いてきたのでは?」

 隣に竜を寄せてきたハガギリへと尋ねる。
『女帝』アハメイル。卓越した頭脳、超人的な冷酷さを持つ、若干16歳の少女。
 元老院最長老のガフ賢人のひ孫であり、戦術の天才と言われている。
近寄りがたい美しさを持つ少女でありながら、年上の男だらけの軍隊で全く物怖じしない度胸を持つ。

「ああ、彼女なら老人達へと呼び出されたようです。代りに僕が全員を引率ですよ。疲れたのなんのって……」

 鎧に包まれた手でアゴを触りながら話すハガギリ。

(老人達が……? さっそくこの状況を把握し、何かに利用するつもりか……、忌々しい……)

 密かにため息を吐く。
王が病に倒れて後、元老院の権力がますます増大している。
もちろん、一介の軍人である私に政治の事などわかる筈もないが、どうもあの老人達の動きはきな臭い。
 あくまで噂だが、海洋貿易で、王がかつて禁止した奴隷の売買を密かに行っているとも聞いた。
闇にまぎれ、身寄りの無い子供、人物をさらい、何かと交換していると……。

「お姉さッ……、セ、セラ将軍ッ!! ほ、報告がございます!!」

 物思いに沈む私へ、ガレンの必死な声が届く。伝令を寄越す考えも浮かばぬほど、動転している様子だ。
腰まで届く金髪を振り乱し、器用に足だけで竜を操り、私の元へと駆けて来る。
 ガレンのただ事では無い様子を見て、ハガギリ千人長が離れ己の部隊へと向かっていく。
 その空いたスペースに竜を押し込み、髪を揺らしながら、ガレンが私の耳に唇を寄せる。

「ひ、人です。蟻の死骸の中に、い、生きている人がっ!!」

 私にだけ聞こえるような囁き声……。そのあまりにも有りえない報告に、一瞬、ソレは見間違いだと断定しそうになる。
だが、相手はガレンだ。わざわざ私に直接報告に来る事態……。まさか、本当に?

「ガレン、すぐ向かう。案内を頼む」

 強く手綱を引き、スカーラをそちらへと向ける。一体、どういう事なのか?
混乱した頭のまま私は竜を操り、その場所へと到着する。
 ガレン直属の兵が、まるで周囲の目を隠すように取り囲んでる。竜を降り、その人の壁を通り抜ける。

「――――ッ!!!」

 白い服を着たなんの変哲も無い平民が蟻の死骸に腰掛けている。
大量の蟻の死骸に囲まれたまま、ニコニコとした笑顔で微笑む姿。
 外傷なども全く見当たらない。鎧すら装着せず、いったいどうやって蟻の中を生き延びたのか?

 かなり珍しい真っ黒な髪。平均より低そうな身長。年齢は若そうだ。多く見ても25歳以下、下手をすると10代かも知れない。
ガレンの配下である100人長の男が、大声で名前などを尋ねている。だが、どんな問いかけにも肩をすくめ、ニコニコと笑っているだけ……。
 狂人……、だろうか? それにしても、何故大量の『蟻』に囲まれ生き延びられたのか……。
幼虫用の生餌として巣穴に運ばれる途中で落とされたのか、捨てられたか。

 いや、それよりも重要な事は、この男は此処で何があったのか知っている可能性が高いという事。
『蟻』の大群をここまで虐殺したモノの正体をこの男は知っているのかもしれない。
きっと、その際の衝撃で鼓膜が破れたとか、気がふれてしまったのか? いや、単純にショック状態なだけかもしれない。
 
 だがなんにせよ、この男は貴重な情報源だ。万が一にも元老院にのみ独占させる訳にはいかない。
『蟻』を襲った破壊の正体。それを知り、利用できれば、世界はあっというまに塗り換わるだろう……。
 王の為、いや、この国の為にのみそれは利用されるべきだ。決して元老院へ独占させる訳にはいかない。

「ガレンっ!! この事を知っている者は?」

「はいっ。私の隊が発見後、すぐに周辺を封鎖。信頼の置ける部隊です。すぐには漏れないと思われます。幸運でした」

 ガレンの濃いブルーの瞳を見つめながら、大きく頷く。

「よし、あの男に甲冑を着させ一般兵に偽装、屋敷へと移送。知る者は出来るだけ少ないほうがいい。直ちに行うっ!!」

 ◆◆◆

 それからの物事は、スムーズに進んだ。指揮をベテランである『剣聖』キシンへと任せ、その男を屋敷へ運ぶ。
平凡な外見の男。筋肉なども特についておらず、旅人の体つきでは無い。大人しく、キョロキョロと屋敷の中を見渡していた。
出した水を飲み干す姿も、黒髪の色を除けば一般的な少年となんら変わりは無い。

 だが、こちらの言葉が全く理解できないようだった。耳に障害があるとか、鼓膜が破れているなどでは無い事はすぐに解った。
音には反応する。しかし、言葉の意味が全く解っていない様子。海の向こうからの訪問者? 
それも考えにくい。海の向こう、南海の民にしては耳が短すぎる。また、南海の民はもっと華奢な外見だ。

「本当に困ったわね……」

 ぬるくなったティーカップの中身を飲み干し、大きく手を上に挙げ背筋を伸ばす。
少年は、地下の部屋へと閉じ込めてある。入り口には信頼できる部下が常時4名で見張りに立つ。
 あの少年を逃がさぬ為というよりも、まず無いとは思うが元老院側の襲撃を恐れての処置……。

 ガレンを見れば、テーブルに肘をつき、こっくりこっくりとうたた寝を始めている。
彼女の細い金色の髪が月光に照らされ、まるで黄金の絹糸のように輝いている。南海の民の血が混じった細い顎のライン。
そこに一筋のヨダレ……。だらしなく口を開けている。
 思わず微笑む。この子はこんなに美しいのに、いつまでたっても幼い所がある。

「さ、ガレン。もう休みましょう。明日はきっと忙しいわ。ほら、ベッドへ行きましょう」

 ゆっくりと肩を揺する。切れ長の整った瞳をぼんやりと開く彼女。
ウトウトと眠そうに目をこする彼女を、部屋の巨大なベッドへと誘導。

 私もナイトガウンを床へ落とし、同じベッドへと潜り込む。
明日は、早朝から男への質問を開始。それから、お父様……、いや王への見舞いを……。
そう思いながら、急激な睡魔に意識が刈り取られていく。一直線に睡眠の中へ、と…………。

 私が目覚めたのは、それから約3時間後……。
屋敷を多くの兵に取り囲まれ、大きな声で私への罪状を読み上げる『女帝』アハメイル。
 使用人の悲鳴、護衛兵士の怒声。それが目覚めた私が聞いた、最初の音だった……。



[16543] 第4話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:9a343a1e
Date: 2010/05/09 03:55
「お姉さま……、いえ。セラ将軍。私が時間を稼ぎます。将軍はあの男を連れ地下通路から脱出を」

 毅然としたガレンの声。ベッドから飛び起きた私を見つめる彼女。
私の白い軍服と赤のマントを羽織り、顔を隠すように対『蟻』用の白い布マスクで口元を覆っている。
 ガレンの濃いブルーの瞳が部屋のランプ、その灯りに照らされて宝石のように輝く。固い決意を告げるように。 

「ばっ、馬鹿な事を言うなガレンッ!! 私がそなたを置いておめおめと逃げるなどと。所詮でっち上げの罪状だ。かならず切り抜けられるっ!!」

 私よりも早く目覚めていたのだろう彼女。部屋の姿見の前に立っているガレンは、金色の髪を私のように結い上げ、小さな頭部に纏めている。
眩暈がする。子供の頃から、ずっと私を支えてくれたガレン。妹のような彼女を身代わりにするなど耐えられない。
 お父様、いや王がこのことを知れば、きっとすぐに元に戻る。いや、必ず元老院の暴走を咎められるだろう。
ここで私が逃げる必要などない。あの男の存在さえ隠せばいい……。

「セラ将軍っ!! そんな甘い事態では無いと、お分かりになりませぬかっ? お姉さまは『将軍』なのですよ。かつての私達のような只の平民ではありません。王より、直々に賜った『将軍』に公然と罪をかぶせる事態。きっと王の身に何か恐ろしい事が……。ここは、いったんお逃げになり他千人長と協力すべきですっ!!」

 ガレンの必死の叫び。相変わらず、窓の外からは『女帝』アハメイルの冷たい声が響いている。
その声に、溢れてくる唾を飲み込み、必死にガレンの言った事を考える。

 確かに、私は『将軍』……。エウード国の軍事トップ。十歳で王国軍養成所へ入り、優秀な試験成績。他国への戦闘支援での功績を積み重ね、齢24にしてこの地位を掴んだ。
 勿論、王が平民に密かに生ませた子が私だという事も影響しているだろう。だが、決してそれだけでないと自信がある。
この14年間、私は誰よりも努力を重ね、王の血筋である事を隠しながら、皆へ認められたのだ。
 噂では、私が王を色仕掛けで陥落したと言われている事も知っている。だが、圧倒的大多数の平民兵から支持されている事は事実だ。
その私に公然と牙を剥く。もしも、王に何事かが起こり、そしていくら元老院の後ろ盾があろうとも、あまりに短絡的すぎる……。

「そうか……、単眼核か。莫大な財力を使い、南海の民と何か密約があるのか……」

 王を害し、私を罪に陥れることによって沸き起こる人心の乱れによるリスクよりも、南海の民との取引のほうが価値があると踏んだか……。
あの男に意識をとられ、大量の『単眼核』についてまでは考えがまわっていなかった。ギリギリと奥歯を噛み締める。
 本当に王に何かがあったのだろうか……。絶望感が募る。この状況、もしかすると、もはや手遅れ…………。

「将軍ッ!! しっかりなさって下さいっ!! 私が必ず時間を稼ぎますからっ!! 将軍は生きて、必ず生き延びて下さい。幼少の頃、お姉さまから受けたご恩、ここで僅かですがお返しできる事……、ガレンは誇りに思います。さあ、この平凡な服なら目立ちません。こちらをお召しの上、すぐにお逃げください」

 ぎゅっと強く頭を抱きしめられる。トクトクとガレンの心臓の音が耳へと響き、私の頬をボロボロと涙が伝い落ちていく。
ガレンの温かな心臓の音。もしかすると、もう会えない……。嫌だ。嫌だ。ずっと、ずっと一緒に過ごして、私を助けてくれたのに……。
 
「お姉さま……、こうして僅かでもご恩を返せる日を待っていました。私を想い、涙を流して頂けるだけで、ガレンは本当に幸せ者でございます。いえ……、私が5歳の頃、お姉さまに助けていただいてから、ずっと……、ずっと幸せで御座いました。大丈夫です。中庭には我が愛竜バロイがいます。きっと切り抜けて見せますわ。さあ、もう私の為に泣かないで下さいまし。私、参ります。どうかご武運をっ、将軍ッ!!!!」

 軍靴の足音高く、ガレンが部屋の出口へ向かう。扉を開ける直前、彼女が振り返り、美しすぎる微笑を見せる。
そして、敬礼…………。一部の隙も無いほど、まるでソレは一個の芸術品のようで……。
 私は何も言えない。溢れそうな涙を堪えながら、震える手で返礼を返す。

 そう、私は『将軍』。必死で息を整え、ガレンの用意してくれた平凡な服に着替える。
きっと大丈夫だ。ガレンは『最も竜に愛されている騎士』。中庭には、ガレンの竜バロイ、そして我が愛竜スカーラもいる。
必ず彼女は切り抜けて、あの美しく整った顔を、時折幼い表情を、照れたようなはにかんだ微笑を、私へと見せてくれる。

 必ず二人でまた笑い合える。私はそう信じながら剣を腰に結びつけ、地下へと足早に進み始めた。





 ◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第4話




「す、すっげー美人だったなぁ……、あの二人……」

 地下でありながら、広く豪華なベッドに横たわった俺はポツリと呟いた。
あんな、まるで女優のような美しい知的生物がいるなんて……。
 もはや、一生女性になど縁が無いと諦めていた矢先、あれほど美しい人類タイプの生き物に出会えるとは。

「言語が全く解らんのが辛い。マザーはぶっ壊れてるからなぁ……」

 ブツブツと呟きながら、昼間に出会った二人の女性の姿を思い出す。
甲冑に身を包み、小型の竜にまたがった二人の姿。一人は俺より年上だろう。
 金色の髪をクルクルと綺麗にまとめて、赤いマントを羽織った姿。白銀の甲冑越しでもわかる、大きな胸……。
透き通るような白い肌。気が強そうでいながら、どこか優しさを感じさせる雰囲気。

 もう一人は、金髪を腰まで伸ばした、多分俺と同年代の女性。折れそうなほど細い体のライン。
ガラス細工のように繊細にみえる細い顎。胸は残念ながら控えめだったが、すらりと伸びた足や、細く美しい指が実に素晴らしかった。
 文句無く、どちらも地球で言えば、一流女優になれるほどの美しさ。

「ふふふふふふ……。これは、俺ってラッキー過ぎるんじゃね? 仲良くなって、そして……」

 正直、一生童貞のまま死んで行くと絶望していた。あの時、自殺せずに本当に良かった。
まあ、言葉がわからないのが厳しいが、何年間か過ごせば、きっと大丈夫だろう。
 なにより、この星では俺は超人だ。ヒーローなのだ。どんな土木作業だって出来る。
ニヤニヤと頬が緩む。昨日まで、孤独死を覚悟していたのに……。何とかこの星へと不時着してくれた船とマザーコンプへ深く感謝する。

「んっ? 何だ……? 金属のぶつかる音……か?」

 突如、ドアの外で、何か言い争うような怒声と、金属が打ち合わされるような甲高い音が響く。
確か、部屋の外には何人か兵士が立っていたと思うが……。なんだ?

 一瞬、この部屋を出ようかと迷う。しかし、なんといっても俺は客みたいなモンだ。訳が解らないままに彼女達へとついて来たが、待遇は良かった。
なにより、美しすぎる二人に交互に話しかけられるのは、意味が全く解らないとは言え、最高に楽しい。
 ここで状況もつかめないまま下手に暴れて、牢屋なんぞに送られるのは勘弁してほしい。大人しくしたほうがいいのか?
そう悩んでいると……、

「XXッッ!!! XXXXX―――ッ!!!」

 ガンッ!! と勢いよくドアが蹴り飛ばされ、額から血を流している彼女が現れた。格好は平凡な服装だが、昼間あった年上の美女だ。
そう、この美しさ、間違えるハズもない。ぜぇぜぇと肩で息を吐きながら、血まみれの剣を右手に構え、ずんずんと俺に近寄ってくる。

「ちょ、ちょっと、どうしたの? 何が?」

 ふにゅっと、まるで羽毛が触れたような柔らかい感触。手をみると、俺の左腕を彼女が掴んでいる。
厳しい視線で油断無く部屋の出口を見つめ、ついて来いと言う様に、美しい顔で俺に頷きかけてくる。
 意味が解らないが、どうもトラブルのようだ。
昼間、大量の軍人に指示を出しているような雰囲気だったから、きっと偉い立場の軍人だと思っていたが、何だ?
何か敵でも攻めて来たのだろうか。蟻や暴君竜のような、そんな存在が。

 焦れたように腕を引かれる。額から血が流れ、彼女の美しい顔が青ざめている。
とても逆らえる雰囲気ではない。意味不明ながら、彼女の後を追い部屋をでた。

「うおっ!!」

 思わず悲鳴のような声を漏らしてしまう。部屋の外には7、8人位の死体が転がっていた。狭い通路に真っ赤な血が溢れている。
それにわき目もふらずに彼女が走り出す。迷いの全く感じられないその足運び。
 正直、外見の美しさで彼女を侮っていた。違う……、この美女は相当に鍛えられた軍人なのだ。
死体に動揺しまくっている俺とは大違い。彼女の琥珀色をした瞳が、固い意思を感じさせるように輝いていた。


◆◆◆

「なんてこと……。地下通路にまで待ち伏せされているなんて……。この様子じゃ、出口も封鎖されてるわね……」

 私の背後を、ドスドスと大きな足音を立ててついてくる、白い服を着た男を見ながら小さく呟く。

 『女帝』アハメイル……。戦術の天才。ヤツを甘く見すぎていたという事か……。
舌打ちを必死に堪えながら、足早に一階へと向かって狭い通路を走る。時折、額から垂れてくる血を拭う。
 地下通路に降りて『男』の部屋の前で見たもの。それは斬り合っている我が護衛兵士4名と、アハメイル配下兵である6名の姿。
背後から忍び寄り、不意を突いてなんとか敵を打ち倒したものの、怪我により戦闘継続できる護衛兵士は無く、生き残った兵士は先に1階へと向かわせた。

 屋敷玄関では、ガレンが時間稼ぎをしてくれている。と、言う事は、地下に来ていたアハメイルの兵は、地下通路を抜けてきたという事。
玄関での騒ぎは囮で、本命は地下通路からの侵入作戦だったのかも知れない。地下から電撃的に侵入させ、一気に私を確保する予定だったのか……。
 『男』護衛の為、地下に兵士を配置していたおかげで、早く気付けた。
けれども、このまま地下通路出口を進むのは自殺行為だろう。きっと出口はもう固められているに違いない。

 一階への階段を駆け上がる。そして目の前の扉を開ける寸前、階段に設置されている隠しレバーを掴む。
ためらわず、そのレバーを押し込む。大きな歯車が回る音とともに、地下通路へドンドンと水が溜まっていく。
 これで……、背後から襲われる心配は消えた。安堵のため息をつく。
問題は、ここからどうやって逃げるか……だ。通路が水没した為、不意打ちの可能性は消えたが、出口が無くなった事も事実。
 
 考えながら、驚いた表情で地下通路を眺めている『男』を見る。
やはり、狂人なのだろうか……? まったく焦った様子が無い。言葉が通じずとも、今が切迫した状況だと解りそうなものだが……。
この男……。まるで安全地帯にでもいるように、落ち着いた表情をしている。

 いや……、今はどうでも良い事だ。焦った頭脳でプランを纏める。
このまま中庭へ向かい、スカーラへと飛び乗る。そして、食料などの搬入口を強行突破する。
 きっと搬入口も兵士どもに固められているだろうが、もしかすると流石の『女帝』も地下通路侵入作戦への過信があるかもしれない。
それに、私が搬入口で兵士相手に暴れれば、ガレンも逃げやすくなるだろう。それしかない……。

 覚悟を決め、唾を飲み込んで、一気に扉を押し上げる。
だが直後、耳に聞こえてきた音……。それは、泣き叫ぶガレンの悲鳴……。
 共に長い時を過ごした彼女。そのガレンが心の底から絶望し、悲嘆の声を上げている。そんな悲鳴……。
それが、扉を開いた私の耳へと飛び込んできた。

◆◆◆

「あら……、ようやくお出ましですかオバサン。いえ、反逆者……、セラ=フリードガルデ『元』将軍どの」

 ニコニコと屋敷入り口で微笑んでいる『女帝』アハメイル。
お姉さまに対する、あまりに不遜な物言いに、怒鳴りかかりたい思いを必死に押さえつける。
 暗がりに顔を潜める。お姉さまの瞳は琥珀色。私の南海の民の血が混じった青では無い。
あまり明るい場所にいると一瞬で見破られてしまう。アハメイル相手に油断は出来ない。唾を飲み、私は布マスク越しにくぐもった声を上げる。

「これほど月の美しい夜に、無粋の極みだな『女帝』どの。どうせ、老人達にそそのかされたのであろう。滑稽な操り人形風情が、礼儀をわきまえろ」

 パチパチと兵士の持つ松明が音を立てて燃える。春の冷たい夜風が、屋敷入り口に吹き込む。
私の挑発に些かも動じずに、冷たい美貌の少女が口を開く。

「セラ殿。あなたこそ口を慎みなさい。貴女には王殺しの容疑がかかっていますのよ。ふふふ……、自白するまで、じっくり、じっくり、拷問して差し上げますから。そうねぇ、まず、気持ちよくなるお薬を何本も打って調教してあげるわ。貴女が豚のようにブヒブヒ泣き喚きながら男を求める姿、じっくり観察してさしあげますわ」

 喜悦に歪んだ少女の声……。そのあまりの狂気に背筋が冷たくなる。私よりも3歳くらい年下のはずだが、その顔は欲情に溢れ、瞳は狂気に濡れている。
噂では、アハメイルは何人もの性奴隷を飼い、毎晩文字通り女帝として狂気の宴を開いているらしい。
 お姉さま……、もう逃げ延びられただろうか? 必ずご無事で……。そう案じながら、密かに懐に忍ばせた竜笛を取り出す。
『女帝』の言葉。「王殺しの容疑」やはり……。王は殺害されたのだ。私は眩暈を抑えながら、ゆっくりと言葉を吐き出す。

「この私が王殺しだと……? キサマ……、王を害したのだな。他の千人長が黙ってはおらぬぞ。人形風情が、世の中を舐めるのもいい加減にせよ。この近くには『剣聖』キシン殿の屋敷もある。ここで殺し合いの騒ぎなど、正気の沙汰では無いぞ」

 声を張り上げる。王……。セラお姉さまは、本当に王を敬愛しておられていた。きっと、嘆き悲しむ事だろう。
王の事よりも、お姉さまの心情を想い、怒りか込み上げてくる。
 もう我慢出来ない。中庭に『竜』がいる事を後悔するがいい。愛竜バロイの一撃で吹き飛ばす。
そっと兵士の影に隠れ、笛を咥える。優しく、風にのせるように柔らかく空気を吹き込む。
 人間には聞こえない音……。だが、必ずバロイは来てくれる。私の信頼する、半身とも言える存在……。

「ああ、そうそう……。セラ『元』将軍。貴女への罪状はまだまだありますのよ。その中には、キシン千人長の毒殺容疑も御座います。まったく天をも恐れぬ所業ですコト。本当にうんざりしますわ。きゃははっ」

 驚愕……、その狂気に塗れた声に、思わず咥えていた笛を落としてしまう。
しまったっ!! 慌てるがもう遅い。笛は足元を転がって、アハメイルの視界まで届いてしまった。

「あら……? これは……、そう。いつまで経っても、館の中から合図が無いと思ったら。貴女、トカゲ女のガレンだったのね。あーあ、騙されちゃった……。ま、いいけどね。うふふ、ガレンさん。貴女の大切なトカゲさんはね、運悪く毒を食べちゃってたみたいよ。あははははっ!!」

 毒……? 一体、この少女は何を…………。バロイが毒なんて食べるハズが無い。一体……。

「うふふ、残念でしたー。ガレンさんは要らないんだ。とっとと死んでよね。竜と一緒に死ねて寂しくなんか無いでしょ? あははっ!!」

 変だ……。体に力が入らない……。がくがくと崩れ落ちそうになる膝。周囲でお姉さまの護衛兵士がどよめいている。指示を、指示を出さないといけないと思うのに、喉が動かない。
 おかしい……。涙がボロボロと溢れる。周囲の兵たちの咳き込む声。
皆、立っていられない様に、咳き込みながら崩れ落ちていく。何という事だ。ここまで、ここまでするとは……。これは……、蟻の毒!!!

「じゃあ、弓隊っ!! よーく狙ってね。そうねぇ、あのムカつく顔に命中させた人はご褒美あげます。じゃあ、撃てっ!!!」

 駄目だ……。こんな所で……。いや……、きっとお姉さまは逃げ延びてくれただろう。所詮、お姉さまに貰った命。
ここで失っても惜しくない。覚悟を決め、瞳を閉じる。
 バロイ……、悔やむのは愛竜の事だけ。出来るなら彼にも生き延びて欲しかった。毒に犯された目から涙をこぼし、最後の時を待つ。
だが、その時……、

「りゅ、竜!! そんな馬鹿なッ!! アレだけ毒の吹き矢を体に当てたのにッ!! きゃあっ!!!」

 アハメイルの狼狽した叫び声。そして兵士の悲鳴。バキバキと何かが崩れ落ち、重い物が吹き飛ばされるような大きな音。
私の涙で滲む視界……。そしてフゥフゥと聞きなれた呼吸音が耳に届く。固い皮膚、ざらざらした舌が、優しく私の頬を舐めてくれる。

「バ、バロイ……、あなた……、あなた……、そんな体でっ!!」

 頬をボロボロと涙がこぼれる。滲む視界だが、バロイの体に点々と紫の斑点があるのが解る。吹き矢の痕。
蟻の猛毒が、彼の体を蝕んでいるのだ。きっと、きっと……、立ち上がることすら激痛を伴うだろうに……。
 それなのに、バロイは雄雄しく、まるで私を庇うように兵の前に立ってくれていた。私の頬をペロペロとその舌で舐めながら……。

「もういい……、私はもういいの。ごめんね。ごめんねバロイ……」

 彼のゴツゴツした体、その首を抱きしめる。子供の頃、一晩中同じベッドで過ごした事。
バロイが病気になった時、何日も寝ずに看病した事。戦場で何度も、何度も、未熟な私を助けてくれた事。
 ボロボロと涙が流れる。

「弓兵っ!! 撃てっ、早く、早くあの竜を殺しなさいっっ!!」

 アハメイルの怒鳴り声と共に、何本もの矢が飛翔する。毒でフラフラになったバロイ。それでも大きく咆えながら、矢を一身に受けつつ、兵たちを尾の一撃で吹き飛ばしていく。あくまでも私を庇い、矢を己に受け、毒でボロボロになった体を動かして。
 女帝と兵士達の恐怖の悲鳴。バロイの咆哮と共に、何人もの兵が弾かれ、建物がバキバキと壊れていく。獅子奮迅。たった独り、私を守護しながらバロンが大きく尾を振り、首を使い、体全体で突進を繰り返す。
 しかし、みるみるうちにその動きが鈍ってくる。毒が激痛が、彼を蝕んでいく。いや、元々限界だったのだ。こんな体でここまで動けるはずなど無いのに。それなのに……、彼はあくまで私を守ろうとするかのように……。
 最後の時……。動きの鈍ったバロイ目掛け、何人もの槍兵が毒を塗った穂先で、彼の腹部にソレを……ッ!!

「いやあああああああああああああああああああああああああああッッッ!!! バロイッ!! バロイッ!! もういいのっ!! もう止めてっっっ!!」

 私の喉から、絶望の叫び。バロイの腹部から何本もの槍が生えている。ドクドクと真っ赤な血が彼の腹部を濡らし、足元へ大量の血が零れ落ちる。
だけど全身に矢が突き刺さり、急所の腹部を貫かれながらも、彼はあくまでも守るように私の前に立ち動かない……。

「もう、面倒臭い。いいわ。火をかけなさい。どうせ、全部セラに押し付けるからっ!!」

 アハメイルの声と共に、火矢が一斉に引き絞られる。
どんどん冷たくなっていくバロイの体。私は子供の様に、その背中へ縋り付く。涙が零れ落ちる。

 その向こう、何人もの兵士が、まるで水中のようにゆっくりと弦から手を離すのが解る。
その手に持った火矢が輝きながら、一直線に、私とバロイへと…………。

 ―――― 突風 ――――

 突然、背後から恐ろしい勢いで、突風が吹き荒れる。
私がすがりついたバロンの体すら、数センチ動かすほどのその強風……。

 飛翔する火矢どころか、兵士さえも風になぎ倒される麦のように地に倒され悲鳴が響き渡る。
バキバキという音と共に、壁に飾られた装飾品が出口へと勢いよく吹き飛んでいく。まるで竜巻のようなその暴力……。
 一体、何が……? 蟻の毒、バロイの悲劇により途切れそうな私の意識。そのぼんやりした頭脳で必死に考えようとする。
しかし、その時、スッと優しく持ち上げられる。私と、バロンの力尽き横に倒れそうな遺体ごと。まるで、重さなど無いモノのように。

 霞む視界の中で見る。黒い髪をした、私と同い年くらいのその『男』の顔を。
彼は歯を喰いしばりながら、ただ、真っ直ぐに前方を見つめていた。その瞳は何か、悲しみを堪えているように見えた。
 そして、私は彼の腕に抱かれたまま、ゆっくりと意識を失った……。



[16543] 第5話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/05/09 03:21
「いやあああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 美女の後ろを追い、地下通路から出た俺。その直後、俺達に届いた慟哭の叫び……。
意味なんて、何一つ解らない。でも、その声が絶望と嘆きに塗りつぶされている事だけは、はっきりと理解できた。
 それはまるで、愛する我が子を、恋人を、肉親を、永遠に喪ってしまった人々の叫びのようで……。
言語など解らなくても、その響きが、絶望が、心の底からあふれ出る悲しみが、俺の体を突き動かした。

「きゃっ!!」

 思い切り床を蹴る。ドンッ!! と足元の石畳にヒビ。その勢いを利用し、俺は全力でその叫びの元へと駆け抜ける。
一瞬、俺の体から巻き起こる風圧で、彼女を軽く突き飛ばしてしまったような気がするが、気にしていられなかった。

「おおおッ!!!」

 豪華な調度品が並ぶ通路。その床を、壁をバキバキと砕きながら空間を飛翔し、粉塵を舞わせながら疾走する。
時折、壁、天井を蹴り砕き、圧倒的な力に身を任せ、全身を一個の弾丸のようにして、凄まじい速度でその叫び声の元へと辿り着く。
その俺の目に飛び込んできたモノ。
 竜……。全身に隙間無く矢が刺さり、腹部に何本もの槍が刺さった一匹の竜が、それでも雄雄しく一人の女性を守っている姿。
見ただけで解った。その竜の命は、もう無いと……。
 全身から赤い血を流し、毒だろうか? 紫色の斑点に犯され、床に恐ろしいほど血だまりを作って、それでもなお、その竜はしっかりと立っていた。
後ろで泣き叫ぶ女性を、まるで我が子のように庇いながら、自らの苦痛、自らの命すら全く顧みずに……。
 
 それはまるで、かつて童話の中で見たヒーローの姿……。
この世界の価値観なんて解らない。そもそも俺には言葉すら解らない。それでも、その竜が求めている事は解った。

『この人を守りたい』

 その圧倒的な願い……。竜。種族も違う。人間のような知能もあるかどうか解らない。
だが、その祈りにも似た願いだけは、言葉など無くとも、ハッキリと俺に届いた。

「がああああっっっっ!!!!!!」

 竜と彼女の目の前に、多くの兵士が立っている。彼らの手に弓と、そして火矢が見えた。
それが、ギリギリと引き絞られ、一直線に彼女達へと放たれようとしている。
 床を蹴り、空中で右手を振りかぶる。掌を限界まで開き、大気を、風を作り出す為に、全力で振り抜くッ!!!

 ビュオッ!! という大気を切り裂く音と共に、恐ろしい勢いで突風が吹き荒れる。
壁に掛けられていた調度品が吹き飛び、目前の兵士が暴風に耐えられず、地に倒されて行く。
俺の身に纏った白い服。その重力調整装置が発動し、キュンという甲高い音を立てる。空中での俺のバランスを保ち、まるで猫のように床へと着地。

 兵士がなぎ倒された事を再度確認し、彼女と竜の元へ辿り着く。涙を流しながら、竜にしがみ付いている彼女。
纏め上げられた金髪は、所々がほつれ、細い顎、整った顔立ちも埃と涙で汚れている。
 彼女は、恥も外聞も無く、ただ子供のように竜にすがり付き、そして竜はそんな彼女を最後のその時まで守ろうと足掻いた。
心が震える。種族を超え、こんなにも深い結びつきは、奇跡だったと。だが、その奇跡は俺の目の前で急激に失われていく。

 彼女と竜を、優しく抱き上げる。掌から伝わる竜の体温がみるみるうちに無くなっていくのが解った。
抱き上げたその時、一瞬、彼女が俺の方を見る。その深い青の輝き。悲しみに濡れたその瞳が、ゆっくりと閉じられていく。
 一瞬、手遅れだったのかと焦るが、安定した呼吸音が聞こえ安堵する。精神的に限界だったのだろう。ただ、気を失っただけのようだ。

「XXXっ!!! XXXXX―!!!」

 何かの叫び声。前方を見れば、豪華な鎧に身を固めた少女が声を張り上げている。その声に反応し、甲冑に身を固めた兵士達が一斉に弓を構える。
兜の隙間越しに覗く両目から、驚愕と恐怖の色が見える。軽々と竜を持ち上げた俺に対する恐怖か、それとも命令を出した少女に対する恐怖だろうか?
 俺の両手は塞がっているが、あちらも俺に戸惑っているのだろう。ジリジリとした睨み合いが始まる。

 どうする? にらみ合ったまま、俺は考える。両腕は塞がっている。そして、こちらの周囲にはうずまったままの兵士が何人もいた。
なにより、彼女だ。俺の手の中で気を失っている穏やかな姿。もしも、この状態で俺が全力で動けば、彼女の体に深刻なダメージを与えるかも知れない。
 失神した状態では、俺の本気の移動で生じる加速圧力に耐えられないだろう。限界だったのか、抱いた腕の中、ゆっくりと呼吸音を立てている。

「ガアアアアアアアアッッ!!!」

 その一瞬の膠着状態を打ち破るように、突然、竜が割り込んでくる。巨大な咆哮を上げながら、弓を構えた兵士達に向かい、恐ろしい勢いで突撃していく。
尾を振るい、パニックに陥った兵を払い飛ばす。その竜の長い首には、赤と白の布が巻き付いている。
 それに見覚えがあった。地下へ俺を迎えに来た彼女が騎乗していた竜。
怒号と悲鳴がこだまする中、兵を打ち払い、一瞬の空隙をついて、その竜が勢いを落とさずに屋敷の中へと突入する。
 体重でミシミシと床が軋み、天井からボロボロと木片が落ちて、周囲に埃が舞う。
あの彼女を探しているのだと直感的に解った。この竜も、俺の腕の中で息絶えた竜と同じく、自らの主を守ろうとしているのだと……。

「XXXっ!!!」

 その動きを見て、兵を従えた少女が叫ぶ。その声に従い、弓をもった兵たちが怯えながらもバラバラと編隊を組み、弓を引き絞っていく。
マズイ……、背中に汗が流れる。とりあえず、俺の腕の中で眠る彼女をどうにかしなければ……。
 目前の兵士に背を向け、屋敷に侵入した竜の背中。優しくその竜の尾を掴む。腕の中で意識を失っている彼女を乗せて貰わなければならない。
背後から、風を切る音。凄まじい数の矢が俺の背に当たる。が、なんの痛痒も無い。おもちゃの矢のようにパラパラと背後の床へと散らばっていく。
 
 突然、俺に尾を握られ、驚いたのか暴れる竜。だが離さない。握りつぶさないように細心の注意をしながらも、その真っ黒な瞳を見つめる。
見詰め合う竜と俺……。そのまま数秒の時間が流れる。
 背後からは、相変わらず矢が飛翔してくる。時折、怯えたような悲鳴や少女の甲高い怒号が聞こえてくる。
と、ふっと諦めたように竜が背中を向け、身をかがめた。助かった……。どうにか意思が通じたのか……。その背に彼女を座らせ、両手に赤い布を結びつける。

 これでいい。きっとこの竜は、彼女を振り落とすような無茶な動きはしないだろう。なぜだかそう確信を持てる。
安堵のため息をつきながら、俺の足元へと冷たくなってしまった腕の中竜を置く。
 この竜と彼女達が逃げるまで足止めをしなければ……。最後にもう一度、足元の竜を見つめ、背後の兵たちに向き直った。

 驚愕と恐れに引きつった兵たちの顔が見える。背後から何度も攻撃しているのに、傷一つ負わない俺に対する恐怖だろう。
周囲を見る。床に這っている多くの屋敷側兵士らしい人々。矢を除け、端に退避していた為だろう、見たところ死んでいる人はいない。
 だが、その人々の目にも、俺に対する恐怖の色が見える。まさに化け物をみるような……。

「ま、仕方ないか……」

 足元に散らばった大量の矢を蹴散らして、ため息を吐きながら、ゆっくりと足を進める。怯えた叫び声と共に、多くの兵が後ずさりしていく。
好都合だ……。
 俺は、人を殺した経験なんて無い。殺したいとも思わない。ただ、守りたいだけ。そう、ただあの竜の最後の想いを無駄にしたくなかっただけだ。

「右腕部分、リミット解除……」

 音声指示に反応し、キュンッ!! という音と共に、俺の右腕がまるで羽毛のような軽さに変わる。
重力制御……。自動でその星の重力に合わせ、体に負荷、もしくは補助をし、高重力、低重力の星でも地球とさほど変わらないように動作できるようにする技術。
 マザーが壊れている為、弱い制御しか働いていない。データ分析などが出来ないからだ。だが、それでも随分と違う。
その重力制御装置の支配下でも、地面に小さなクレーターを作るほどの威力だった俺の一撃。

「ふぅ……」

 息を吸った後、ダンッ!! と床を蹴りあげる。粉々に砕け散る床。そして、即座に迫る天井、ソレを左手で弾き、勢いをつけて弾丸のように地面へと跳ぶッ!!!

 兵達の前、指揮をしている少女、その約5メートル先の地面へと!!!!

「おおおおおおっっっ!!!!!!」

 喉の奥から、意識せずに声がこぼれる。ギリギリと奥歯を噛み締める。
体各所の制御装置がキュンと甲高い音を立て、俺の姿勢を最適なカタチへと整える。
 みるみるうちに迫る大地。弓を引き絞るように、右手を真っ直ぐに溜める。一撃……。死んでしまった竜への敬意を込め、右手を突き刺すッ!!!

 ズンッ!!!!!

 地面へと俺の拳が突き刺さる。大地そのものが一瞬、跳ねるように振動し、地震のように地面が波打つ。
そして…………、俺の右拳を中心に、放射状に恐ろしい勢いで大地が崩壊していく。
ミシミシという音と共に、巨大なクレーター状へと大地が穿たれ、すり鉢状に地面が消し飛ぶ。

「きゃあああああっっっっっ!!!!!!!」

 少女の恐怖の叫び。兵達のおののき声が聞こえる。
大地が何度も大きくバウンドするように揺れ、まるで地震が襲ったかのようにボロボロと建物にヒビが入っていく。
グラグラと屋敷の門が揺れ、石造りの壁が倒れる。屋敷入り口が崩壊し、上部の建築物がまるで蓋をするように入り口を塞ぐ。

 ゆっくりと立ち上がる。右手の制御装置が作動し、どんよりとした重さが纏わりつく。
周りを見る。俺を中心とし、半径5メートルほどのクレーターが穿たれていた。
 跳躍。両足に軽く力を込めて、一瞬で飛び上がり、地面に立つ。

 着地点、その丁度目の前には少女が座っていた。雪のように白い髪を振り乱し、涙を流し、口を大きく開いたまま、俺を見上げている。
腰を抜かしたのか、地面に座ったまま、ガクガクと体を震わせ、喉の奥からナニかを呟いている様子。
 少女の着ている赤い甲冑。その足元に液体とアンモニア臭。恐怖のあまり失禁したのだろう。それにも気付かぬほど、呆けた顔で俺を見ている。

 周囲の兵は皆大地へと伏し、何かに祈るようにブツブツと呟いている。まったく戦意が無い。これで、きっと大丈夫だろう。
安堵のため息を吐き、屋敷の方へ向かう。
 
 その時、木が壊れるような音が響き渡る。屋敷の壁、それが砕け飛んで中から竜が姿を表す。その背には、二人の女性が見えた。
月明かりに照らされ、二人の金髪が輝きを発している。だが、まずい……。どちらの女性も、気絶したようにぐったりとしている。
 最後の力を振り絞り騎乗したのか……。放っておけない。急いで屋敷の入り口へ戻り、冷たくなった竜の死体を抱え、その後を追って走る。
中庭らしき場所を駆け抜ける。目の前を塞ぐ門。大地を蹴り、そこへ跳び蹴りを当て、強引に押し開く。
 その外に大勢の兵がいた。だが、正門でのパニックが伝染していたのか、それともあの大地の様子を目撃していたのか、俺と竜の姿を見て慌てて逃げていく。
 その様子を見て、安堵のため息を漏らす。出来れば、あまり戦いたくない。なにしろ、理由が全く解らないのだ。
やれやれとため息を吐く俺を、どこか優しげな瞳で見つめてくる、背中に女性を乗せた竜。
それになんとなく微笑みを返しながら、月明かりに照らされた夜道の中を、二人の美女を背負った竜の後を追い、俺は走り出した。





 ◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第5話





 ああ……、コレは夢だ…………。

 私がまだ、お姉さまに助けられた頃の夢。病気で死にそうだったバロイ。
 竜小屋の中、一緒にチクチクする藁で体を覆い、ずっと彼に抱きついていた。
看病をする知識などない幼い私。ただ、元気になって欲しくて、解らないまま水を飲ませ、餌を食べさせた。
私の口がしびれるほど苦い草を、何度も噛み締め、柔らかくして、バロイの力なく開かれた口元まで運ぶ。

 大きく真っ黒な瞳を見つめながら、色々な事を話しかけた。12歳のお姉さまに助けられた、元奴隷……。それが私、ガレン=アウリシュナ。
両親を流行り病で無くし身寄りなど無く、南海の民の血が混ざった物珍しさから、エウード3世王が禁じた奴隷として密かに売られる所だった。
 多くの男性に当時5歳だった体をベタベタと触られ、その意味も解らぬまま絶望だけを感じていた。

 そこへ踏み込んできた、お姉さまと多くの兵士達。兵士訓練学校の幹部候補生実戦試験として、索敵、諜報、分析を行い、治安を守る事。
その試験に偶々私は助けられた。そしてその後、お姉さまは少ない給金で私をお手伝いとして雇ってくれた。
 なんの役にも立たない5歳の少女を。でも、嬉しかった。その出会いが無かったら、今の私は無い。

 その時の思い。生きていける喜び、自由に外を走れる感動。それを横たわる竜にも伝えたくって、大人が見放したバロイにずっとしがみ付いていた。
隣の竜舎から時々、バロイの伴侶であるスカーラの咆え声が聞こえる。
 それが、まるで私に感謝しているように聞こえて、勇気を貰い、また看病を続ける。
バロイが震える体で立ち上がったのはそれから半年後の事。藁の中で眠っていた私の頬を、ザラザラとした舌で優しく舐めてくれた。
 それから一年後、一緒に草原を駆け、笑い合い、時にお姉さまとスカーラと一緒に遠乗りをした。
楽しかった。川で一緒に水浴びをして、同じ果実を食べ、笑い合った日々。彼の圧倒的な力と脚力に支えられた輝ける日々…………。
 でも、もうその日々は還ってこない。彼は死んでしまった。私なんかを庇って、最後まで、苦痛に苛まれながら……。

「ガレンッ!! ガレンッ!! 大丈夫? ガレンッ!!」

 ハッっと目を覚ます。私の目の前にお姉さまの顔。真剣な表情で、心配そうに私を見つめている。

「お姉さまッ!! こ、ここは……、一体……? 私どうなって……」

 身を起こし周囲を見渡す。所々が外光が漏れてくる薄暗い小屋の中。お姉さまの深紅のマントで包まれた私がいた。

「良かった……、酷く魘されていたので心配したわ。どうやら、国境沿いの元監視小屋のようね。立てる?」

 金色の髪を垂らしたままのお姉さまが、私に肩を差し出す。
申し訳なく思いながら、その細い肩にすがり、眩暈を感じながらゆっくりと立ち上がる。

「詳しい話は後。外に行きましょう。バロイとスカーラを……、送ってあげなくちゃ……。さあ……」

 バロイ、スカーラ、その名前に心臓がドクンっと跳ね、呼吸が速くなる。送る……?
周囲の小屋を見渡す。この状況。ああ……、やっぱり……、夢じゃなかったんだ……。

「私も気付いたら、この小屋で寝ていた。状況が解らず、外を見たのだけど……」

 ゆっくりと扉を開ける。森深い山の中。背の高い木々が広がっている。
小屋入り口に男が立っていた。黒い髪、そしてまるでバロイのような黒い瞳をしたその男が、無言で腕を向ける。
 その方向に目を向ける。

「バロイッ!!!! スカーラッ!!!」

 二頭の竜が、まるで折り重なるように地に倒れていた。二頭の全身に紫の斑点が広がり、もう、命は宿っていないとひと目で解った。
気絶する前の光景がはっきりと蘇る。私を庇った、最後まで助けてくれた姿……。

「はっきりとは解らないの。たぶんバロイがスカーラを庇って多くの毒針を受けたみたい。それで、スカーラが残った力を振り絞り、私達を此処まで運んでくれたんだと思う。情けないけど、私も地下通路を出てからの記憶が殆ど無いの。必死でスカーラにしがみ付いた記憶だけがかすかに……。バロイもここで力尽き……。ごめんなさいガレン……。私の所為で……。こんなにも、気高い、竜を……」

 何も言えない。只、私達二人の頬を涙が滝のように流れていく。抱き合って涙を流し続ける私達。
黒髪の男がゆっくりと近づき、そんな私達の背中を慰めるようにさする。何かを必死で話しかけるのだが、全く意味が解らない。
 それでも、その黒い瞳、まるでバロイのような瞳が、私達を慰めてくれていると解った。

「ごめんね、ガレン。本当は火葬してあげたいけど……、煙で追手に位置を……、ごめんなさい……」

 ボロボロと涙声で、お姉さまが謝る。息を吸い、私は首を振る。

「いえ、お姉さまの所為ではありませんわ。彼らの思に恥じぬように……、ただそれだけを……」

 何を言えばいいのか解らない。お姉さまは自責の念が強い所がある。全てが出来る人間などいる筈もないのに。
慰めて、力にならなければならないと思うのだが、混乱した頭では何も思い浮かばない。

「XXXっ!! XXXXXXX」

 と、男に優しく肩を叩かれる。その男は何か手振りで伝えたいようだが、はっきりとは解らない。
必死な表情、大きな動きで何かを、いやスカーラの方を指差している。

「いったい……? 何かしら?」

 その男と共に、お姉さまと指差した場所を見る。スカーラの腹部。
男の指差した場所。何か…… ある……。ぽっこりした……っ!!!!
 背中に電撃が走ったような衝撃。震える足でその部分に駆け寄る。
タマゴ……。そこに確かに、タマゴがあった……。
 今の季節は春。そう、確かに出産の季節だ。王が体調を崩されたことや、元老院に動き、『蟻』に気をとられ気付かなかった。
もう冷たくなってしまっているスカーラの腹部。その産道に触れ、ゆっくりと手を伸ばす。

「バロイとスカーラの……、子供が……」

 背後でお姉さまの泣き崩れる声。私も涙を流しながら、ゆっくりとソレを取り出す。
純白に輝く、命の珠。固い殻に守られた竜のタマゴ。しっかりとソレを抱きしめる。
 隣に座った男の瞳からも涙が流れている。

 深い森の中、その大地へ三人の男女の涙が落ちる。
状況は絶望的……。これからどうすべきかも解らない。
それでも、私は生きると、この子と草原を駆ける日がくる事を強く、願った。



[16543] 第6話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/05/10 16:30
ドスッ!! と巨大蜘蛛の柔らかい腹部へ、ガレンの剣が突き刺さる音が響く。
古代遺跡の地下4階。松明の灯りが広い部屋を照らす。その光が通路に立つ俺達5人の影を壁に映し出す。
 その影がユラユラと揺れ、どことなく不気味に見える。

「おおっ、ガレン殿、お見事っ!! いやはや、お美しいだけでなく、剣の腕も一流とは……」

 動きにくそうな飾りが沢山ついた、真っ白な宗教服。ブクブクと太った体をその服に押し込んだ50歳ほどの禿頭の男。
ズミルズルとかいうおかしな名前の司教。その脂ぎった中年男性の声へ、二コリと微笑みながら、ガレンが腰に剣を戻す。

「大丈夫か? ガレン」

 従者らしく大きな荷物を背負ったまま、俺は背後から声をかける。
古代遺跡に生息する巨大蜘蛛。蟻などに比べると、遥かに弱い生物だが、その牙には毒がある。
ガレンの腕前からして、怪我はしていないだろうが、念のためだ。
この3年、ガレン、そしてセラと生活してきたが、彼女は少し頑固な所がある。なかなか弱音を吐かない為、なんとも心配だ。

「うん、大丈夫って、私がこの程度で怪我をする訳ないでしょう? ヒロって心配症よね。最近お姉さまに似てきたわよ、ふふっ」
 
 バッサリとショートカットに切りそろえた金髪。兜を脱ぎ、俺の渡した布で汗を拭き取りながらガレンが微笑む。
俺の持つ松明に照らされ、その瞳が青く輝く。戦闘の余韻か、白い頬がうっすらとピンク色に染まっている。

「ふむ……。しかし地下4階層にも蜘蛛ですか。となると、蜘蛛が捕食する生物もいる事になりますね。想定していた以上に遺跡は荒れているようです。皆さん、先を急ぎましょう」

 動きやすそうな白服に身を包んだ30歳前後の痩せた男。カーチルとかいう名前だったと思う……、が、蜘蛛の死体を見たのち声をあげる。
銀色の眼鏡をかけた学者のような神経質な外見。その見た目通りの冷たい声で俺達に指示を下す。
 
「おいっ、ちょっと待ちやがれ。ここまで怪物どもと連戦続きだ。いったん休憩をくれ。武器の手入れをさせろ」

 野太い声でそう反論する男。でかい。身長2メートルくらいの大男。腕はがっしりと太く、鎧にも無数の傷と修理の痕がある。
いかつい顔には頬に大きな傷があり、その男がくぐってきた修羅場を想像させる。『蟻殺しのドガロ』という二つ名を持つ腕利きの傭兵。

「すみませんが、私もドガロさんの意見に賛成です。カーチル司教、いったん休憩を頂きたいですわ。疲労が溜まると判断も鈍ります。ここで休息し、万全を期すべきだと……」

 柔らかな口調で大男に賛成するガレン。俺は周囲を見渡しながら、探索隊のリーダーである学者風の男、カーチルの決定を待つ。
護衛役の二人の提案にあからさまに嫌そうな表情を見せるその眼鏡の男。だが、太った男と目配せをし、しぶしぶといった感じで頷く。

「わかりました。それではいったん休息をとりましょう。従者、私とズミルズル司教へ水を」

 俺にそう冷たく言い放ち、カーチルが冷たい石造りの床へと座り込む。ガレンは筋肉男と何かを話している。
おそらく、どちらが先に見張りに立つかを話し合っているんだろう。
 俺は、その様子を視界の端で見ながら、背中に担いだ大きな背嚢から水筒を取り出して眼鏡を触っているカーチルに差し出す。
その後、疲れた様子で息を吐いている太った男、ズミルズルへも水筒を手渡した。

「あっ! ヒロ、私にもお水ちょうだい。それにさ、ヒロも一緒に休まない? まだ先は長いって話でしょ」

 どうやらガレンが先に休憩する事になったようだ。鎧をカチャカチャと鳴らしながらガレンが近寄ってきて、俺にそう話しかける。
白い指先で俺の腕を遠慮がちにつつく。プニプにとした感触。

「いや、俺は平気だよ。ガレンはしっかり休んでな。俺の我儘でついて来てもらったんだし。ガレンに何かあったらセラに殺されちまうよ」

 逗留先の屋敷で今も一人、俺達を待っているはずのセラを思う。今回の遺跡調査に俺を潜り込ませるのに、相当苦労をかけた。
その上、ガレンがついて来ることにまでなった。もし、ガレンに何かあったら正直、償いきれない。

「そんな事言わないで。私達にずっとついて来てくれて……。それに、ヒロと一緒にこの遺跡に潜るってお姉さまに言い張ったのは、私なんだから。ね、一緒に、ほらっ!!」

 カチャリと鎧の音をたて、ガレンが壁に寄りかかる。言い出したら聞かない。ガレンのそんな優しさを嬉しく思いながら、巨大な背嚢を床に置き、隣の壁に寄りかかる。ガレンの髪から、ふんわりとした甘い香りが漂う。ほうっ、と大きく息を吐くガレン。その後、そっと俺の肩にその小さな頭を乗せてくる。
 その重さに、ドクンッと心臓が高鳴り唾を飲み込む。すぐ側にあるガレンの顔。少し艶かしいような呼吸音さえ聞こえてくる。

「もうアレから三年なんだね……。屋敷に戻ったら、バローラにご飯をあげなくっちゃ。ふふ、最近大きくなって、ご飯もいっぱい食べるようになったもんね」

 ガレンが言葉を漏らす度、肩にほんの僅かの振動を感じる。彼女のふんわりした甘い香り。紅潮した頬。
俺の肩にガレンの頭が乗っている為、数センチの距離しかない。彼女のきめ細かい肌までしっかりと見える。
 ドキドキする鼓動を抑えつつ、俺は唾を飲みこみながら、スッとガレンの頭を避けるように少し強引に壁から体を離す。
本当はもっとこうしていたかった。だが、それは無理だ……。俺の欲望のままガレンを抱きしめたら、彼女は死んでしまうから。
俺が触れば、彼女の繊細な肌にダメージを与えてしまうから……。

「あっ……、ヒロ……。なっ、なんか、最近ヒロって……。ううん、なんでもない。見張り、ドガロさんと交代してくるね。お水、ありがとう」

 どことなく寂しそうに聞こえるガレンの声。それは俺の願望なのだろうか……。この三年間、共に過ごしてきたガレン。
根気よく、俺に言葉を教えてくれた彼女。一緒に竜用の餌を探して、深い森の中を歩いた事。セラと三人で護衛の仕事を請けた事。
この三年の思い出が、一瞬で脳裏に蘇る。

「そうか、もう三年……。俺がこの星に不時着してから……」

 ガレンから返してもらった水筒のフタを開け、一口分の水で喉を湿らす。
もう一人の護衛役、ドガロに代わり剣を抜き放ち警戒に立つ彼女。
 その美しい姿を見ながら、俺はこの三年間の事をぼんやりと思い出していた。何故、こんな遺跡へと潜ることになったのか? その理由を……。




 ◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第6話



 宗教国家『ガルズガレロ』 人口20万とも言われる中央大陸で最も巨大な国。その成り立ちは古く、神話の時代より始まる。その国家の中心にあるのは、教皇ガルズガレロ八世と側近枢機卿十二名。先代教皇が死去すると、枢機卿の協議により教皇が選出される。治安はきっちりとした宗教戒律により保たれており、また大陸中に信仰者が多いため、安定した自治が行われている。
 肥沃な大地を背景においた農業、知識階級である若き宗教家達による産業開発。他新興国家とは違い、宗教という力がある為に軍隊は対怪物用にのみ備えられ、平時には農業を行う。その為、十分な食料の備蓄があり、また才能のある者を身分の関係無く受け入れる宗教学校などの教育施設もある。
 大陸の中で最も裕福で、安定していると言われる国家。

 だがそんな宗教国家ガルズガレロにも闇はあった。『人には適材適所がある』とする戒律。その為、『劣っている』と判断された者や、一度犯罪を犯した者達は容赦なく奴隷階級へと落とされる。裕福な者は裕福に、不幸な者はより不幸に。それはどの国もが持つ、仕方の無い一面ではある。だが、どこかやりきれない。
 
 この都市の貧民街へ二人の美女『セラ』『ガレン』と共に潜入し、はや二ヵ月。異星人である俺……。圧倒的なチカラを持つ俺は、毎日ガレンから文字と言葉を習いつつ、この貧民街で荷物運びなどの仕事を行っていた。
 セラはこの都市に知り合いがいるらしく、毎日会談を行い、生まれ故郷の情報を集めガレンと検討を行っている。何とか名前や生活必需品名などは理解できたものの、まだ殆ど言葉がわかっていない為、どういう状況なのかさっぱり理解できない。
 だが、それでもなんとなく穏やかに時は流れ、俺は日々の生活を続けていた。

 そう、自分の異常な力を必死に隠しながら……。あの時、ガレンを助け出した時の皆の瞳。俺を化け物のように見つめる怯えた視線。仕方ないとは思う。
でも、ガレンやセラにそんな目では見られたくなかった。気付いていないのか、俺を普通人として接してくれる二人。その好意にすがるように俺は生活を続けてしまっている。

「お疲れ様、でした。明日も、よろしく、です」

 夕方、カタコトで挨拶を済ませ、酒場で紹介された荷物運びの仕事を終えた俺。上機嫌でゴミや魚の頭部が散らばる貧民街の路地を進む。
はっきり言って荷物運搬なんか俺にしてみたら散歩と変わらない。荷物の重さなんて殆ど感じないのだ。他の人の二倍近くの量を淡々とこなす俺は、地味に給金が良かった。本気を出せばどれくらいの量の荷物が持てるのか俺にもよく解らない。だが、目立つギリギリのラインで二倍くらいが限界だった。
ポケットの中にある銅貨を触りながら、俺はニヤニヤと呟く。

「よし、これでガレンに何か買っていくかね」

 最近、ガレンに言葉を習っている為、共に過ごす時間が多いのだが、最初の印象と比べて実は彼女は子供っぽいトコロがあると気付いた。
何よりも甘いお菓子類に目が無いのだ。クッキー風のお菓子を買って帰ると、俺に言葉を教えてくれながらも何度もソワソワとクッキーを眺めている。
 たまにピンクの唇から涎をたらしそうな勢いでお菓子を見つめている事もある。
なんというか、先生役として俺にしっかりしているような所をみせようとしている彼女の、そういった幼い姿を見るのは楽しい。勉強が終わり、クッキーをニコニコと嬉しそうに食べるガレンの姿はとても可愛いかった。
 それに、もうすぐタマゴが孵化しそうな様子らしい。毎晩、ベッドでタマゴを抱くようにして眠っているガレン。中途半端な意思疎通だけれど、彼女の話ではタマゴの内部からコツコツと音が聞こえてくるようだ。俺も聞かせて貰ったのだが、そんな音は聞き取れなかった。よほど、注意深くないと聞こえないのか、俺が鈍いだけなのか……。が、それでも楽しみだ。
 俺はニヤニヤと笑いながら、隠れ住んでいるアパート近くのパン屋目指して、細い路地を進んでいく。
夕日はすでに落ち、周囲へは暗闇が漂い始める。

「きゃああああああああっっ!! 誰かっ!! 誰か、たすけっ!!」

 と、その時、周囲の闇を切り裂くような若い女性の声。それと共にバキバキという木箱が割れるような騒音。
俺の歩いている街路。その脇、さらに細いその路地の奥で何か争うような物音が聞こえてきた。

「ちっ」

 咄嗟に服の襟元を引き上げる。俺の着ている服がその動作に反応し、素早く鼻を口を覆い包む。対粉塵用マスク形状へと変化した服。
それで顔を隠しながら、俺は急いでその声の元へと駆けつける。足元を逃げ去るピンク色のネズミを蹴散らし、駆けつけた俺が見たモノ。

「なっ、なんだこりゃ……」

 それは昔、地球のコミックデータなどで見たような半漁人数名の姿と、それに長い黒髪を掴まれたまま、必死でもがくシスター風の少女の姿だった。



[16543] 第7話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/05/12 01:57
 ◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第7話


 宗教国家ガルズガレロの周辺には古代からの遺跡が数多く存在しており、それは何時の時代に建造されたのか解らないものが殆どであった。
それらの遺跡は神話の時代より存在しているにも関わらず、現教皇ガルズガレロ八世の科学よりも遥かに進んだ技術力で建造されていた。
 継ぎ目がわからないほど精巧に組み合わされた石組み。自動で開閉する扉。永遠に灯ったまま熱を持たない光。
多数の怪物が生息する迷宮と化してなお、その遺跡に眠る秘宝は冒険者の好奇心と野望を刺激して止まない。

 そんな遺跡の一つ。海に面した洞窟が入り口となっている遺跡の中、その大きな広場で多数の人影が蠢いていた。
継ぎ目のない滑らかな岩で建造された床、壁全体が光を発しており、その大きな部屋全体を明るく照らし出す。灯りに照らされた者達の姿は異形のモノが殆どだった。
 身長2メートル弱のがっしりした人間の体躯。だが、その顔は人間ではなく魚だった。分厚い筋肉に覆われた人間の肉体の上に巨大な魚の頭部。
口には鋭い歯がびっしりと生え揃い、丸く大きな目がギョロギョロと動き回る。
ヌメヌメと光る粘液で体中を湿らせたその半漁人の右手は、身長と変わらないほど長い銛を持っていた。

「貴様っ! 枢機卿として教皇様に親任されながら……、くっ、これは、いったい。このマーマンどもを使役し、何を企んでいる!」

 異形の半漁人が蠢く部屋の中央には巨大な檻があった。野生の竜などを閉じ込め、運搬する為に使用されるハガネ製の檻。
だが今、その檻の中に入っているのは竜ではなく鎧を身に纏った騎士。
 
 神聖騎士ハル・オンブズガレルド。

 彼女こそは宗教国家ガルズガレロの治安維持、犯罪摘発、護衛の任を帯びた聖なる剣士。
日に焼けた褐色の肌、ポニーテールに纏めた紫色の髪、気の強そうな整った顔立ち。鎧越しでさえ大きな乳房がわかる女性らしいカラダのライン。引き締まった太もも。
 だが今、その強気な顔には僅かながら怯えた色が見えた。
鉄格子を両手で掴み、ガシャガシャと音を立てて揺すりながら、不安そうにぽってりとした唇を噛んでいる。

「やれやれ、いくら騎士とは言え、もう少し女性らしくされてはどうかね? うるさくてかないません」

 檻に閉じ込められた神聖騎士ハルの姿へと言葉を投げながら、ゆっくりとマーマン達をかき分けて男が姿を現す。
装飾の多く着いた白いローブを着た40歳ほどの白髪の男。鼻が鷲のように高く、髪と同じく真っ白なヒゲを生やしている。その灰色の瞳が、じっと檻の中のハルの姿を見つめていた。
 まるで、実験動物を見つめる学者のように……。口元が嬉しそうに歪み、その右手がゆっくりと空中へと動く。

「アナタの手癖の悪さで、折角捕らえた聖なる巫女を逃がしてしまいました。その罪、精々償って頂きましょうか」

 男が言葉を言い終えると同時、何匹もの半漁人が一斉に檻へと動く。牙の覗く口からギジギジという不気味な唸り声を上げ、虚ろな瞳でハルの姿を見つめている。
 手に持った巨大銛を構えたまま、ゆっくりと一匹の半漁人檻が鍵の閂を外す。檻の出口へは複数の半漁人が固まり、とても逃げ出す隙などない。
神聖騎士は顔に不安の色を浮かべながら、ジリジリと檻の反対側へと後ずさり、憎憎しげに白髪の男を睨みつける。

「くっ、貴様……。俺をどうするつもりだ。解っているのか? もう巫女がここから逃げてずいぶん経つ。すぐに他の神聖騎士がやってくるぞ……」

 彼女は胸の内に広がる恐怖を押し込め、あくまでも強気で男を睨みつける。そうしながらも、黒髪の巫女エリンを逃がした時間を考える。あの時から、およそ三十分。既に他の神聖騎士がこちらに向かっている頃だろう。
 思い返すのは自分の間抜けさ。昨日、目の前の白髪の男から伝言を受けたとエリンが言い、たった二人でノコノコと指定の場所まで出向いた。
この男の悪い噂は聞いていたにも関わらず……。なんとか隙を突き、巫女エリンを逃したものの自分は囚われてしまい、この様……。
 力なく座り込みながら、歯軋りしたくなる思いを堪え、檻の向こうで不気味な唸り声をあげるマーマンどもを睨みつける。

「なに、ご心配には及びません。ここから女性の足で都市へと逃げられるルートは二つしかありませんのでね。どちらのルートにも大量のマーマンを配置しております。すぐに巫女もここへと連れ戻されるでしょう。さあ、それでは、出来れば同時に行いたかったのですが……、先にアナタだけ孕みの儀を執り行いましょうか」

 男の言葉……。それを合図として一斉にマーマンが檻の中へと入ってきた。意思の感じられない不気味なその視線。ヌメヌメとした粘液に覆われた人間部分の体。ムッっとするほど魚臭い体臭。ギジギジと音を立てて噛み合わされる真っ白な牙。
 吐き気と嫌悪感を抑えながら、そのなだれ込んだ一瞬を狙い、神聖騎士ハルは電光のように動く。

「シッ!!」

 先ほど恐怖によって後ずさりをしていたと見せかけ、彼女は密かにナイフを取り出していた。怯えから座り込んだ風に見せつつ、ブーツに仕込んでいた折り畳み式のナイフを取り出していたのだ。
 それを瞬時に右手に構え、座り込んだポーズから素早く前転を行う。巨体ゆえに小回りの利きにくい半漁人の動きを見切り、空気を切り裂くように右手を振るう。
 ヒュンッ!! と風切り音を立てながら、むき出しになったマーマンの足首へと銀色に輝くナイフが一閃する。

「なにっ!!」

 白髪の男の驚愕の叫び。竜用の檻とは言え、その中は暴れられるほど広くはない。だが、ハルはその狭い空間を逆に利用し、前転、這うような動作を繰り返し、半漁人の足へと斬撃を与えていく。
 まるで大型の猫のような素早い動きで、一瞬の迷いも無く何体ものマーマンの足首を切り裂く姿、まさに電光石火……。
宗教国家ガリズガレロでは専門の軍人は殆ど存在しない。ほぼ全ての軍人は緊急時以外は農民として過ごす。だが、その中で特に技量と判断に優れ、宗教心の厚い者だけが神聖騎士として任命される。
 彼女、ハル・オンブズガレルドもその一人。ガリズガレロを守護する神聖騎士としてその名に恥じぬ、凄まじい体術……。

「ギギギッッッ!!」

 不気味な声を上げながら、数体の半漁人がバランスを崩して転倒。その勢いさえも利用し、ハルは一気に出口へと駆け出す。体を猫のように伏せながら、すれ違い様に二体のマーマンの足首を切り落とす。
 紫の髪を美しくなびかせ、大きなバスト、引き締まった足を猛獣のように躍動させて一気に包囲を破る……、かに見えた。

「きゃっ!!」

 ハルが凄まじいスピードで檻から半身を出した、その瞬間!! 部屋の天井から毒々しい色をした赤黒い触手が一閃。グネグネと蠢くその細長い触手が一瞬でハルの首、褐色の腕、細いウエストを鎧ごと締め上げる。ミシミシという音を立てながら、ハルは空中へと吊られてしまう。

「ぐっ、あああああっっ!! き、貴様っっ!! 離せっ!!」

 鍛え上げられた足で周囲に群がるマーマンを蹴り上げる。だが、体中に巻き付いた赤黒い触手がその体を凄まじい力で締め上げ、声にならない悲鳴をあげてしまう。
 胴体を強く締められすぎた為、唇から胃液があふれ出す。それを思い切り吐き出しながらも、ハルは右手に持ったナイフを、躊躇せずに首元へ絡みつく触手へと突き刺す。

「なっ!!」

 驚愕の顔を浮かべる神聖騎士。特注のハガネで鍛え上げられたナイフ。その刃がヌルヌルとした触手表面に弾かれ、ナイフが刺さらない。それどころか、一際強い力で首元、腰周りを締め上げられる。ハガネで出来た鎧がミシミシと音を立て、留め金が弾け飛ぶ。首への圧力が強すぎ、彼女の意識が消え去りそうになる。いや、このままでは首の骨が容易に砕けてしまう。

「おお……、このままでは死んでしまうな。まあ……、死んだとしても一向に構わないが。ふむ……、まあ死姦はいつでも出来る……か」

 白髪の男がつまらなそうに腕を振る。それが合図だったのか、ハルの体に絡みついた触手が一斉に解かれ、彼女の体は石造りの床へと落とされた。
ドスンッっと受身も取れず、固い床へと投げ出されるハル。ゴホゴホと必死に呼吸を求めて喘ぐその体へ、多数の半漁人が襲い掛かる。

「うがっ!! がっ、や、止めろっ!! くそっ!」

 ナイフを奪われ、石造りの床へと大の字に両手、両足を抑えつけられた神聖騎士。そこへ男が笑みを浮かべながらゆっくりと近寄る。右手が動き、ローブの内側からゆっくりと小さなビンを取り出す。その中には透明な液体が縁ギリギリまで入っており、蓋で閉じられていた。

「やっと大人しくなりましたな。一時はどうなることかと思いましたよ。さあ、それでは行儀の悪い騎士どのに孕みの儀を行いましょう。これはご存知ですね? そう、夢の水です。アナタのその強気な表情が、怪物どもに犯され、快楽でグシャグシャに蕩けるトコロをじっくり見物させて貰います。ふふ、いきますよ」

 笑いながら迫り来る白髪の男の言葉に、ハルは絶望で挫けそうになる。『夢の水』 最悪の媚薬……。どんな刺激でさえも快楽へと変化させ、何より凄まじい中毒性があるという。神聖騎士の再三にわたる取締りでも根絶できない悪魔の薬。
 噂では、それを体中に塗られて犯された女は、その快楽から一生抜け出す事が出来ず、ただ男の言いなりになってどんな事でもしてしまうという。
まさか枢機卿たるこの男が、こんなモノを所持していたとは……。気丈に男を睨みつけるハルの鎧が、半漁人の手によって剥がされていく。
 誰にも見せた事の無い自慢のバスト、引き締まったヒップが半漁人達の虚ろな視線に晒される。

「くっ!! ヤメロっっ!!!」

 このまま、あさましい姿を晒すくらいなら自害したい……と思う。だが、戒律によって自殺は固く禁じられている。微かに絶望を感じながらもハルは必死に暴れるが、マーマンから抑えつけられた手足はピクリとも動かせない。
 鎧を剥がされ、白い布一枚になってしまった己の姿。恥ずかしさのあまり涙がこぼれそうになる。宗教戒律で、女性の肌は両親と結婚相手にしか見せてはいけないと決まっているのに……。この20年間守り抜いてきたその戒律が、こんな半漁人どもにあっさりと破られていくその屈辱……。

「うあああああっっ!! うううっ!」

 ビリビリと最後の布があっさりと破かれてしまう。そして、むき出しになってしまった乳房へと、トロリとした瓶の中の透明な液体が零れ落ちた。ハルの口から絶望の叫びが上がる。『夢の水』は皮膚からも容易く吸収され、女を雌へと変貌させる。
 現に、ヌルヌルした液体が触れた場所……。そこが燃えるように熱い。
必死にもがく……。だが無常にもその液体は、ハルの鋭く整った顔から、ウエスト、股間、太ももから足の先まで、容赦なく濡らしていく。

(うあああっっ!! やばいっっ、やばいよコレ……)

 その効果はハルの想像以上だった。まず嗅覚から変えられていく。吐き気しか覚えなかった半漁人の体臭……。その悪臭でさえもハルの脳を溶かすような快楽を伝えてくる。あらゆる刺激を快楽に変える薬……。強く握られた腕、足首へ伝わる圧力でさえ、くすぐったいような何とも言えない感覚をハルへと伝えてきた。

 必死に漏れそうになる声を抑える。こんな……こんな事で屈しない……。唇を血がにじむほど噛み締める。が、皮肉にも己で噛み締める唇でさえ、ジンジンとした快楽へと変わっていく。逃げられない……。どこにも逃げ場のない快楽地獄。絶望に泣き叫びたくなる。
 だがその時、

「ああああああっっっ!!」

 ハルの喉から艶のある喘ぎ声が漏れる。ニュル……とした感触。彼女の全身へと凄まじい快楽が電流のように流れる。
触手……。さっきハルの全身を拘束した赤黒いソレが、ウネウネと蠢きながら騎士の全身へと纏わりつく。
大きなバスト、乳首の先へと触手が絡みつき、クネクネとした動作を繰り返す。太ももへと絡みついた触手はヌメヌメとした体液を馴染ませるように何度もハルの褐色の肌を往復する。

「あっ、あっ、あっ、あん、あっ、あ……」

 今まで経験したことの無い快楽。脳がドロドロに蕩けていくような愉悦……。必死に足掻きながらも、ハルの体はピンク色に染まり、口から途切れなく喘ぎ声が漏れる。
 このままじゃ、堕ちてしまう……。ハルの脳裏へ、凄まじい恐怖と快楽への期待があふれ出す。ガチガチと歯を噛み締めながら、必死に途切れそうになる意識を保とうと足掻く。しかし……、

「ひゃあああんんんっっっ!!」

 クチュ……と触手に秘唇が撫でられる。ただ表面を撫でただけ……。なのにソレはハルの心を砕くほどの快楽を伴っていた。クチュクチュと焦らすように、秘唇表面を撫で続ける触手。床へと固定されたまま、ハルは我慢できずに大声を上げながら、自分で腰をカクカクと動かす。
 訳が解らぬまま、ハルの体の奥が何かを求めてヒクヒクと痙攣を続ける。絶え間なく蜜が秘唇から零れ落ち、眩暈すら起こる。
堕ちる……、もう……堕ちてもいい……。蕩けきった脳で、ハルがそう思いかけた。

 ――― 瞬間ッ!!

「ギャギャッッッ!!」

 ハルの体を抑えつけていた半漁人達。それら5、6体が冗談みたいな勢いで壁へと向かい吹き飛んでいく。遠くで白髪の男の慌てふためく悲鳴。
天井から蠢く、ハルのナイフでも切れなかった触手が、いとも容易くブチブチと引き千切られていく。

「ああ……、えっ? いったい……何が……?」

 ハルは火照りきった体を自由になった手で押さえながら、上半身を床へと起こす。その間も、何体もの半漁人が紙人形のごとく数体まとめて吹き飛んでいく。マーマンは巨体と怪力を誇り、陸上でも相当の剣士でないと苦戦すると言うのに……。まさにオモチャのようにマーマン達が集団で倒されていく。
 呆然としながらも、なんとか意識を取り戻したハルが見たもの……。
それは……、顔に白いマスクを着け、何故か中腰で股間を押えながらも、冗談のようなスピードで半漁人を次々と蹴り飛ばしていく、平凡な男の姿だった。



[16543] 第8話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/05/14 16:58
 半漁人みたいなヤツラに髪を掴まれ、助けを求めている少女……。それを確認した瞬間、俺は一気に地面を蹴った。
ダンッ! と足元の石畳が砕け、耳元で風が轟々と唸りを立てる。
 ゴミの散らばった狭い路地の中、5メートルほどの距離を瞬時にゼロに詰め、下から上方向へと逆袈裟に右手を振るう直前……、

「……ライトブレード・オン」

 低く呟く。その呟きに反応し、一瞬で右掌へと青い刃が現われる。『超高密度結晶ナイフ』 青い刃を持つ、地球の科学で鍛えた結晶。
薄暗い路地の中、俺の腕の動きに合わせ、それは下から上へと円状に青く輝く軌跡を描いた。狙ったのは半漁人に掴まれた少女の髪。
 長い黒髪の先端を掴む手、その指ギリギリを瞬時に断ち切る。その瞬間、引っ張られていた反動で少女のカラダが倒れこむ。

「ブレード・オフ」

 慌ててナイフを収納し、その小さな体を受け止める。あまりの急展開に、まだ状況が理解出来ていないのだろう、腕の中で呆然とした表情を見せている少女。

「平気? 俺、助ける、きたよ」

 カタコトで少女へと優しく囁く。まだ12、3歳ほどに見えるシスターのような宗教服を着た姿。銀色の眼鏡をかけており、その奥、大きな黒い瞳が驚いたように俺を見つめていた。―――ッ!? 俺もその少女を見て驚く。少女の髪……。それは俺と同じく真っ黒だった。
 ガレンとセラに聞いた話では、この大陸では黒髪は相当に珍しいという。特に、ここ宗教国家ガリズガレロでは黒髪は神聖視されるらしい。
その為目立ちすぎるという理由で、貧民街に潜伏する前、俺は酸を利用して髪の色を脱色していた。なかなか髪の毛に酸が浸透せず、非常に苦労したのだが、その甲斐あって不審がられる事なく生活を送っている。
 だが、この少女の髪は真っ黒だった。サラサラの直毛。濡れたような黒髪とはこの少女の髪の事を言うのだろう。地球への懐かしさを覚え、腕の中の少女を見つめてしまう。

「あっ、あぶないっ!!」

 腕の中、少女の叫び声。反射的に足元の石畳を蹴り、横へと飛ぶ。驚きと懐かしさで、非常事態にぼんやり考え事をしていた自分に舌打ちをする。
俺のいた場所へ何体もの半漁人どもが手に持った三又の銛を勢い良く突き出していた。
 ガギンッと金属の打ち合わされる音が響く。目視で何体いるのかを確認する。ギヨギヨと不気味な声を上げながら迫り来る怪物達。
ボディービルダーのような鍛え上げられた肉体に、緑色っぽい魚の頭部……。なんというか、とてつもなくグロテスクだ。それが6体も……。
 
 しかし……コイツラは何だ? 武器を持っている事から考えると知能を持った生物だ。なら、出来るなら殺したり怪我をさせたくない。
俺はこの星では異物であり、俺こそが異能だ。この星で生まれ進化を遂げた生き物を無意味に傷つけたりしたくない。それが知的生物ならばなおさら。
文化を築けるほどの知能を持つ生き物。それがどれほど貴重なことか……。地球の歴史で散々習ってきた価値観が蘇る。

「うわああっ、マ、マーマンだっ!!」

 その時、少年の叫び声。横の路地裏から出てきた少年がバッタリとここへ出くわし、恐怖の叫び声を上げたのだ。驚き、恐怖に立ち竦んでいる少年。
だが、マーマンと呼ばれた半漁人どもは、なんの躊躇いもなく少年へと三又の銛を突き出した。

「なっ!!」

 慌てて足元の石を蹴る。ドンッという強烈な轟音と共に、足元の野球ボール並みのサイズの石が凄まじい勢いで飛翔する。蹴った反動を感じたのだろう……、腕の中の少女が小さく悲鳴を上げ、俺の首へとしがみ付く。
 ――ッ、何とか間に合った。半漁人から突き出された銛が少年の胸に届く寸前、俺の蹴った石がその魚臭い巨体へとヒットする。
ドゴンッと音を立て、筋肉で覆われた胸へぽっかりと大きな穴が開き、青い血を噴き出しながら巨体が力なく倒れていく。

「ギギギ」

 仲間の様子を見ても、何の反応も見せない半漁人達。ただ虚ろな瞳で腰を抜かした少年へと新たに銛を突き出そうと構えだす。
少女を捕獲しようとしていたのとは全く違う。まるで……、『この少女以外を全て殺せ』と命令されたロボットのようだ。
 舌打ちをしながら、必死に首へとしがみ付く少女を抱き、そのまま少年の方向へと移動する。本当は少女に離れて欲しいのだが、パニックになっているようで、とても無理だろう。加速移動で首を痛めないように、キャアキャアと悲鳴を上げている少女の頭へと手を置きながら、銛を構える半漁人を蹴る。

 ブチュ……という何ともいえない感触……、それを足へと伝えながら、半漁人が海の方まで勢い良く吹っ飛んでいく。「あわわわわ……」と延々繰り返している少年の悲鳴を聞きながらも、時に軽くジャンプ、壁へと駆け上がりつつ、様々な角度からその魚臭い怪物を蹴り飛ばす。
 はっきり言って『蟻』の機敏な動作とは比べ物にならないほどコイツラは鈍い。多分、その鍛えられた肉体を駆使したタフさが売りなのだろうが、俺の攻撃力を防げるはずもない。俺は淡々と一撃で海へと蹴り飛ばしていった。

「ふう……、おい、終わったよ。ねえっ、終わったってば」

 いつの間にか、少年は逃げ去っていた。だが、少女は俺の首に必死でしがみ付いたまま離れようとしない。怪我などさせないように、かなり手加減して動いたつもりだが……。よほど怖かったのかブルブルと震えたまま、少女は俺の首へとより一層しがみ付く。
 まいった……。このまま、ガレン達の待つ隠れ家へと連れて行ってもいいだろうか? そう悩んでいると……。

「助けてっ! お願いっ! ハルを、ハルを助けてっ!」

 突然、少女が俺の顔を正面から見つめ、真剣な眼差しで言葉をこぼした。眼鏡の奥の真っ黒な瞳。少女なのに深い知性を感じさせるそれは、今にも泣き出しそうに潤んでいる。小さな唇を震わせ、すがるような表情で俺を見つめ続ける少女。それは、まるで、あの誇り高き竜の瞳のようで……。
 
「どこだ?」

 マスク越し、くぐもった声で返答を返す。震える指で方角を指し示す少女。
その体を優しく、だが落ちない様に抱きしめながら、俺は両足に力を込め石畳を蹴った。






◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第8話





 神聖騎士ハル・オンブズガレルドは目の前で起こっている出来事が、どうしても信じられなかった。発狂したように次々とマーマンどもに指示を飛ばす、枢機卿セッタル。その白髪の中年の気持ちがよく解る。

「うわっ、すごい……やれっ、そこだっー!」

 ハルの背後に隠れ、嬉しそうな声を上げているのは黒髪の巫女エリン。次世代の天才と言われ冷静沈着、冷たすぎると普段言われている少女。その少女と同一人物には思えないほど……。嬉しそうに腕を振り、13歳という年齢相応の幼さで白い男を応援している。

「エリン様……、でも、応援の必要ありますかね? いや、むしろ、マーマンの方に応援が必要でしょ……」

 少女に聞こえないように小さく呟いてしまう……。目の前に広がっているのは一方的……、あまりに一方的な戦い。
迷宮の奥から何体ものマーマンどもが途切れなく現われる。だが、姿を見せたその瞬間、男の蹴りによって迷宮の奥へと集団を巻き込みながら吹っ飛んでいく。
 つい先ほどは、上級半漁人であるサハギンが現われた。赤く固いウロコで全身が覆われた、滅多に姿を見せないクラスの怪物。体長は3メートルを越え、口から毒液を吐き、その怪力、タフさもマーマンとは比較にならない……はずだった……のに、それも一撃。
 男が青く輝く何かを一閃……、その瞬間に、サハギンは縦へと二つに割れた。

「これくらい、怪物、の方が、やりやすい」

 カタコトでそう言いながら、サハギンをあっさり倒した男に、もはや言葉をかける気力さえ湧かず、ハルはエリンと二人その様子を眺めていた。
口から泡を吹きそうな勢いで叫び声を上げている枢機卿セッタル。勲章が沢山ついた白いローブは半漁人どもの青い血に汚れ、その顔には威厳の欠片もない。

(そろそろ頃合か……)

 ハルの鎧は完全にひしゃげ曲がっており、仕方なくビリビリに破かれた白い布を胸と腰へと巻きつける。その恥ずかしすぎる姿のまま、ハルはゆっくりと立ち上がり枢機卿確保のタイミングを計る。
 男の出現、エリンの嬉しそうな笑顔で随分精神的に楽になった、とはいえ『夢の水』はいまだハルの体を責め続けている。腰の奥がジュクジュクと不思議に熱っぽく、立ち上がるだけでも変な声が漏れそうになる。白い男の暴れまわる姿を、熱っぽい視線でいつまでも眺めていたい……、そんな思いが溢れてくる。
 しかし、それら誘惑を振り払いながらハルはジッと猛獣のようにタイミングを伺う。この体調ではマーマンどもと戦えない。そもそも、あの男の足手まといになるだけ……。ならば、己に出来ることを……。枢機卿の隙を突き一撃で確保する。じっとそのチャンスを待つ。

「ひぃいいいいいいいいいいいっっ!!」

 だが、事態はハルの予想外の方向へと動いた。完全に錯乱状態に陥っている様子の枢機卿。すでに彼が腕を振り合図を何度繰り返そうとも、マーマンどもは現われない。白い男に怯えて逃げたのか、それとも全滅したのか……。
 その事態で、ますます狂ったように叫ぶ枢機卿セッタル。恐怖に怯えた彼が、白い男から必死に逃げ、一つの扉の前へと移動した。嫌な予感が様子を見つめていたハルの背筋を凍らせた。何か……不味い……。むき出しの背中へと冷たい汗が零れ落ちる。
 それは他の扉とは全く雰囲気が違っていた。銀色の扉一面へと彫られたレリーフ。巨大な一つ目の魚がその中央へと彫りこまれ、その魚の周囲には多数の髑髏や死体といった不気味なモノが描かれている。

「ちっ!!」

 白い男は動かない。確かに、このメチャクチャな白い男は、怪物は攻撃しても人間である枢機卿へは全く攻撃するそぶりさえ見せなかった。
俺が動くしかないっ!! 震える両足に力を込め、ハルは枢機卿へと一気に駆け出そうとした……。

『下r氷魚がfpjふぇいhhんふぇおえおいんfwkl』

 その瞬間、その扉が開く。一瞬、まさにその一瞬、ハルの目の前で枢機卿セッタルが、何か触手のようなモノで全身を包まれ……、ドロドロに溶解した。
扉の奥から聞こえてくるナニモノかの声……。いや、それは声と言っていいのだろうか……。意味が解らない。意味が解らないのに、脳がその叫びの意味を理解しようとする。一つだけはっきりと解った……。
 それは狂気。空間全てを包み込むような狂気……。扉の奥に蠢く存在。それは巨大な一つ目の魚の頭部を持ち、胴体部分は紫色の触手、グネグネと蠢いているナニか。絶対死……。このまま、孤独にココで死ぬという絶対の予感が心を蝕もうとしてくる。

「神よっ!! 我に守護を与えたまえっっ!!」

 神聖騎士ハルは精神力を振り絞り、心の内、父なる神へと祈りを捧げる。己がこの世に生を受け、様々な苦楽を過ごした事、そして、自分は神聖騎士。我は人を守り、導き、守護するモノ。たとえ力尽き、この身が朽ち果てようとも、我が意思は誰かに受け継がれ残る。決して孤独ではないっ!!

「はぁああああ!!」

 迫り来る紫色の触手、それを後ろへと跳躍して回避。そのまま、後方へと転がるように移動しながら横目でエリン、白い男を見る。
巫女エリン、流石は神童とうたわれし少女。彼女はガクガクと震えながらも、這うようにして戸口へと移動を始めていた。己に出来る事は無く、足手まといになるくらいなら逃げる。その咄嗟の判断に内心で賞賛を送る。

「ちっ!!」

 だが、白い男……。立っていた位置も不味かったのだろう。まともに『アレ』を見た所為なのか……。それとも精神力は見た目通りの少年なのか……。
ガクガクと膝を震わせ、真っ青な顔で棒立ちのまま立ち竦んでいた。

『這うイへ日宇場法へhくくぃkmqp0いあh』

 再び『アレ』の叫び声が部屋へと響き渡る。その恐怖……。訳の解らない狂気が心を貫き、凄まじい嘔吐感が湧き上がる。とても耐えられない。ハルは二つに身を折りながら、込み上げてくる胃液を思い切り足元へと吐き捨てた。
 その瞬間……、『夢の水』の作用がカラダを貫く。あらゆる刺激を快感へと変える薬。
ドクン……とハルのカラダを貫く快感……、肉の悦び……。性欲。それは人の醜い部分でもある。だが、原初の人間が生まれ、その性欲、肉の悦びで、連綿と人そのものを紡ぎ、繁殖させた事も事実。それは狂気、死、とは背反するモノ、性であり生、そして聖。
 
 ハルの顔へと笑みが浮かぶ。――なんという皮肉、『夢の水』が、あの薬が正気を保つ手助けをするとは……。神聖騎士の両足、瞳へと力が戻る。背後から迫る触手をなんなく回避。そのまま、彼女は一気に白い男へと駆け寄った。


 ◆◆◆


 扉の奥の『ソレ』を見た瞬間……、俺の体は凍りついた。右手に持っていた青いブレードを床へと落としてしまう。キンという澄んだ音が響く……、が俺の耳には届かない。恐怖……。絶対に死ぬという絶望。いや、このまま、コイツに生きながら溶かされるという、絶対の確信を抱いてしまう。
 俺の人生になど、何の意味も無い。このまま名も知らぬ星で、何も為せぬまま死に、そして死んだ事さえ忘れられていく。絶対の孤独であり、存在そのものは無意味。
『ソレ』から伝わってくる事実。折れる、一瞬で心が砕け散ってしまった……。ガクガクと体が震え、情けない事に小便を漏らす。涙、鼻水までもが溢れてくる。
 だが、恥ずかしいとも思わない。所詮人間など孤独な存在……。目の前に迫る圧倒的な死そのものの前では、取り繕う必要など欠片も無い。

「バカっ!! さっさと逃げるよっ!!」

 その瞬間、とても柔らかいモノで顔を蓋われる。布越しに伝わるムニムニとした二つの膨らみ。足に力が入らず、跪いていた俺の顔を塞ぐソレ……。ぼんやりとした視線で上を見上げる。褐色の肌。鋭い眼差し。ぽってりとした肉感的な唇。整った顔立ち……。
 ガレンやセラの人形のような美しさとは少し違う、肉感的な美しさ。その色気漂うカラダはビリビリに破けた布で覆われているだけ……。剥きだしの肩、ほっそりと引き締まったウエスト、その中心にある小さなおへそ。ムチムチの太もも。

(うわ……、俺、恥ずかしい……)

 一気に羞恥心が蘇る。そういえば……、最初この部屋へと入った時、この美女の痴態を見て強烈に勃起してしまい、そのまま前かがみで戦った事を思い出す。胸に、ちっぽけなプライドが燃え上がる。こんな美女に情けない所……見せられねえ……。

『んれういqghprへくぉ;いhj@あ:』

 再び『ソレ』の絶叫が響く。だが、もはや俺の心へは届かない。見栄でもいい。やせ我慢だって、何だっていい。ガクガクと震える足を踏ん張り、美女の体を柔らかく腕に抱き、後方へと跳躍ッ!!

「きゃっ!」

 彼女の声を聞きながら、天井を蹴り、空中で回転する。キュンッ! と音を立てる重力制御服。彼女の柔らかいカラダ。ほんのりと香る汗の匂い。俺の胸へと押し付けられる彼女の胸の柔らかい膨らみ。まだ、死ねない……。童貞のまま、こんな所で死ねないっ!!

「てめえが死ねっっ!!」

 喉から迸る叫び。それは生きる事への執着。生き足掻く……、ただ、死にたくないと強く願う。

 空中、半裸の美女を左手で抱きしめながら、俺は『陽子加速式ハンドガン』を抜き、その引き金を、ゆっくりと引き絞った……。




[16543] 第9話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/05/15 19:42
 「きゃっ!!」

 神聖騎士ハル・オンブズガレルドは思わず悲鳴を上げた。泣いていたハズの男が、空中へと冗談みたいな勢いで飛翔したからだ。ハルを腕に抱きかかえたまま……。
 つい先ほど地上で、ハルが胸へと男を抱きしめた時、鼻水、涙をこぼしながらガクガクと恐怖に震えていたというのに。
ぐんぐんと迫る天井を蹴り、後方へと回転しながらも見事なバランスを見せる白き男。直前の恐怖、怯えなど微塵も感じられない……。

『恐怖を知り、人生は無意味だと理解してもなお、それを乗り越えようと足掻くモノ。それこそが人である』

 聖書の一節が脳裏へと浮かぶ。思わず男の首へとまわした腕に力がこもる。胸……、『夢の水』の作用でぷっくりと乳首が立ってしまっている胸を、無意識にハルは男の胸へと押し付けてしまう。こんな状況だというのに、神聖騎士の唇から甘い吐息がこぼれ落ちていく。
 その時……。

「XXXXXX!!!」

 聞いたことの無い不思議な叫びを男があげた。それは、荒々しく、怒りと生命に満ち溢れた咆哮。そして……。

 ――――ッ!!!!!!!!

 鼓膜が破れそうなほど凄まじく高い音。それと共に、目がつぶれそうな閃光が部屋中を覆い尽くす。熱……。まるで聖なる太陽が突然、間近に出現したかのように思えるほど、それは眩しく、熱く、神々しい。

「きゃあああああああっっ!!」

 ハルの喉から絶叫が溢れる。ストンッと床へと着地したような感覚が体へと伝わるが、そんな事はどうだってよかった。
怖い……。何が起こったのか全く解らない。解らないが、これはもはや個人で対処できるレベルではない。畏怖……。人知を超えたモノに対する畏れが、ハルの胸へと湧き上がる。

「大丈夫……、守る……。俺、あなた、守る。大丈夫」

 フワ……と包まれる感触……。怯えた視線で見れば、ハルの体は白い男に抱きしめられており、目の前にはその男の顔があった。マスクで鼻と口が覆われてはいたが、その黒い瞳が優しくハルを見つめ続けていた。
 熱と閃光からハルのカラダを守るように、壁に押し付けた形で白い男が彼女を抱く。彼女の褐色の肌、むき出しの肩や太ももへピッタリと男の体が密着……。

「んっ、あっ……、あ……」

 ハルの胸へと安心感が満ちる。守られている……、包まれているという幸福。今まで、こんな気持ちになった経験などハルには無かった。
『蟻殺しのドガロ』という大陸中に名を轟かす傭兵を兄に持っている彼女。両親ともに優れた剣士である家庭で育ったハルにとって、他人は弱き者、守る対象だった。己よりも剣士として遥か高みに立っている兄へ、追いつかねばならないプレッシャーの中、ひたすら腕を磨き続ける日々。
 だが今、彼女は守られていた。この白き男の腕の中、一人の女として胸に抱かれ、まるで……恋人のように包まれて。不思議な気持ち……、圧倒的な幸福感。いつまでも、こうやって抱いていて欲しい。
 それは、『夢の水』の作用なのか、それとも己の心からの本心なのか。ハルにも解らぬまま、ただ、彼女は白い男と抱擁を続ける。
 が、しかし……、

「終わった。もう、大丈夫、です。ええ」

 突然そうカタコトで言い放ち、何故か股間を隠しながら、慌てて彼女から遠ざかる白き男。確かに部屋の中には、熱も、狂気の気配も全てなくなっており、ただぼんやりと光っている壁だけが彼女たちの姿を照らしていた。

「えっ……あ……」

 唐突に夢から覚めたような気持ちのまま、もっと……抱きしめて欲しい……、ハルはそう願った。体中が熱っぽく、唇から吐息があふれ出す。無意識に太ももをモジモジと擦り合わせてしまう。
 純潔たる処女、神聖騎士。神と剣だけに人生の全てを費やしてきたハルは、男女の性の知識など全く知らなかった。
だから、目の前の白き男が半裸のハルの姿から真っ赤になって目をそらし、股間を隠すように中腰になっている理由など、何一つわからない。
 そして、己の胸を覆っていたボロボロの白い布が完全に破れており、ボリュームのある見事な胸、硬く尖ったピンク色の乳首がむき出しになっている事にも気付けていなかった。ただ、自分の気持ちに突き動かされるまま、フラフラと顔を赤く染めている男へと近づき、そして……、両腕を男の首へと……、

「ああーーーーっ!! ハルッたら!! ダメーーーーッ!!」

 甲高い少女の声が部屋中へと響き渡る。その声にハッと己を取り戻すハル。自分は、一体……何を……!?

「キャッ!! う、うわわわわッッ!! 見、見るなっ!! お、俺を見ちゃダメだっ!!」

 褐色の体を真っ赤に染め、ハルは慌てて男から飛び退き、胸を抑えながら背中を向けて座り込む。だが、剥き出しの肩、女性らしく丸みを帯びたヒップ、引き締まった太ももは隠せない。それでも背中を男へ見せたまま、首を後ろへと捻り、ハルは声をかけた。

「そ、その……。あ、ありがとなっ! お、俺は神聖騎士、ハル・オンブズガレルド。その、よければ……お前の名前を……ってっ!! うわッ!! バカっ!! お前、なんてことっ!!」

 肩越しに白い男を見ていたハルは驚愕の言葉を漏らす。なぜならば、白い男が上半身の服を脱ぎ、真っ赤になりながらソレをハルへと渡そうとしたから……。
神聖騎士の目に、男の上半身裸が目に入る。ごく普通の体つき。とてもあんな怪力があるとは思えない肉体……。
 でも……、さっきまであの中に抱かれていたんだ……、と考えてしまう。またもや、ムラムラとした不思議な気持ちが湧き上がる。

 (いや……、問題はソコじゃなくて……! その、こいつ……、は、裸の肌を男女が見せ合う意味が、わ、解ってるのか……。えと、つまり……教義では……その……求愛っていうか……プロポーズ!? お、俺……、プ、プ、プロポーズ、さ、されちゃったの……? え、でも、でも、こういうのは二人っきりで、し、寝室で行うって母様から聞いた……。え、でも、でも……)

 互いに何も隠すことは無くありのままを見せ合い、愛を捧げ、思いを受け入れる。それは聖なる誓。婚姻の儀式……。
神聖騎士は冷静になろうと必死に足掻く。足掻くのだが、マスクを外し、真っ赤な顔でハルへと服を渡そうとする男の裸に脳が沸騰してしまう。

「きゃあああっ!! もう、ダ、ダメだったらっ!! ハルにはエリンがローブを貸すからっ!! 貴方はそれをちゃんと着てなさいっ!!」

 再び少女の絶叫が部屋へと響く。

「ハルっ! いい、これは事故よっ!! いい? ヘンなコトを考えちゃダメだからね? ほらっ、これを着て!」

 バサっ! と何故か幸せそうな神聖騎士の顔へ、巫女エリンの羽織っていたローブがぶつけられる。不思議と凄まじく機嫌が悪そうな巫女エリン。
慌てて白い服を着なおす男。
 広い部屋の中。そこは先ほどまで死闘が繰り広げられていたとは思えない、どこか弛緩した空気が流れていた。





◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第9話



 
 俺は頭を掻きながら、部屋の隅へと落ちていた青いブレードを拾い上げて、右手へとセットした。部屋の中央では、エリンと名乗った眼鏡、黒髪の少女と、ハルと名乗った素晴らしすぎる褐色の美女がナニか激しく言い争っている。が、あまりにも早口であることや、聞いたことのない単語が飛び出すためにとても理解出来ない。
 ゆえに、俺はそそくさとブレードの回収、そして先ほどの怪物の確認へと移った。

「うお……。すげえな……」

 『陽子加速式ハンドガン』。その名のとおり、陽子を加速し、亜光速で撃ち出す武器。その破壊力は凄まじく、そして、レーザーよりも霧や水蒸気の影響が少ない為、非常に重宝されている武器だ。地球を立つ直前、全ての財産を処分して用意した俺のパーソナルウェポン。俺の指紋、俺の血流、精神にのみ同調、反応する武器。本当はもっと高価な軍用が欲しかったのだが、これでも十分すぎる破壊力を持っていた。

 そう、『アレ』がいた部屋は完全に破壊されていた。未だに正体がわからない『アレ』。精神に干渉を行うタイプの生き物は非常に珍しいとされるが、『アレ』は容易に俺の心へ侵入し、精神を砕いた。きっと、地球の学者が知れば大喜びだろう。
 が、もう無駄だ。『アレ』の痕跡は、もはや影も形も無い。壁と床はドロドロに溶けており、部屋の中にはどんな生き物もいない。

 しかし……と、アゴへ手をあてながら考えに沈む。この部屋……というか、この遺跡はおかしい。明らかに、俺の見聞きしてきたこの星の科学よりも、進んだ技術で建築されている。
 俺はドロドロに融解しそのままの形で冷えて固まった床を、思い切り蹴り上げ、空中で回転し、着地をする。やはり……、割れない……。俺が思い切り蹴ったにも関わらず、この床には小さなヒビ一つ入らなかった。
 それに、ライトがついたままの壁……。こんな科学力はこの星には無い、と断言できる。そもそも電力すらない科学レベルの星なのだ。こんないつまでも壁自体が発光する施設など作れるハズがない。と、いうことは……。
 
「ねえっ!! 貴方っ、お礼が遅くなって御免なさい。私、エリンと申します。この国の巫女なの。本当にありがとうっ!」

 ドロドロに融解した壁の部屋の中、ぼんやりと考えにふけっていた俺の腕を少女がプニプニと突く。それに反応し振り向けば、何時の間に近づいてきていたのか、真っ赤に顔を染めたハルと名乗った美女と、サラサラとした黒髪の眼鏡をかけた少女が立っていた。

「あっ! いや、その、別に……」

 なんとなく気まずくて二人と目を合わせられない。特に、ハルとはなおさらだ。彼女が触手のようなモノで喘いでいた姿、俺を抱きしめてくれた時の胸の膨らみの感触……、さっき見たツンと見事に上を向いた大きなバストとピンク色の乳首。それが一気に脳裏へと蘇り、また股間が元気になってきそうな感じ……。
 視線を逸らし、なんとなくうつむいたままボソボソと返事を返す。

「ところで……、貴方、もしかして『ヒロ』ってお名前? セラ=フリードガルデとガレン=アウリシュナと共に暮らしている。ね、そうでしょう?」

 少女エリンの言葉……。それに俺は衝撃を受け、驚きのあまり咄嗟に声も出せない。確かに、俺はセラとガレンから『ヒロ』と呼ばれている。俺の地球での本名はこの星では発音し辛く、最も近いのが『ヒロ』だったからだ。だから、そう呼ばれているのだが……、どうして、この少女が!? いや、問題は……。

「えっ、あっ、うっ! その……何で!?」

「うふふ……。やっぱりそうなのね。セラ=フリードガルデは私の友人なの。3年前位からかな……、彼女がエウードにいた時からずっと文通で意見交流を行ってたのよ。それに最近、セラは毎日、私の屋敷へと来てるんだから。それで、貴方のコトも色々聞かされてたわ。黒い瞳、全身白い服、低めの身長で、優しそうな顔。そして、良く見れば生え際が黒くなっている髪……。何よりも……、人間を越えた能力。ううん、違うわよ? セラは貴方を疑っているだけ。そうとでも考えないと辻褄が合わないって。貴方が人間そっくりの別の種族じゃないかってね」

 どこか自慢げに眼鏡を触りながら微笑んでいる少女。そのまま眼鏡の奥の黒い瞳を輝かせ、エリンは言葉を続ける。

「それで、セラから密かに依頼を受けてるの。過去の文献で、はるか人間以上の力を持ち、黒髪、黒い瞳を持つ者の記録はなかったか? って。私、こう見えても宗教学校始まって以来の天才って言われてるんだからっ。ふふ、でも吃驚。私はありえないって言い張ってたんだけど、結局、セラの勘は当たってたってコトか。ふーん……」

 その少女の話した内容……。まさか、セラが俺のコトを調べていた!? 俺が自分たちとは異なる種族だと疑っていたのか……。
確かに……、この三ヶ月、ガレンとは親しく行動をともにする事が多かったが、セラは一歩引いているような雰囲気もあった。それに、あの屋敷からの脱出騒ぎの時、セラの使用人には俺の正体を知られている。もし、セラが手紙などでやり取りしていたとすれば……。
 恐怖……、胸の中、ジワリと恐怖が湧き出す。三ヶ月前にガレンを助けた時の皆の視線……。ガレン……、セラ……、彼女達に、あんな目で見られてしまう……。

「ちょ、ちょっと待って。その……、す、すまない……。セ、セラには秘密にして……。た、頼む。頼むっ!」

 少女に頭を下げ、カタコトながら必死で言葉を紡ぐ。こんなところで独りきりになりたくない。もしかすると俺の正体を知っても、セラ、ガレンは気にせずに接してくれるかもしれない。しかし、それはあくまで表面上のコトだろう。この星の人間に比べたら俺は怪物以外のナニモノでもない。できるなら今のままの関係でいたい。

「ま、待てっ! お、俺は絶対に言わないよっ! 神に誓ってもいい。命の恩人で……そ、その……俺の将来の、え、えっと…………に、ヒ、ヒロっ! 頭を上げてくれよ。なっ? もし、ナニかあったら俺の家に、ふ、二人で住めばいいしよ。そ、そんな泣きそうな顔をすんなってっ」

 ローブを纏った姿で紫の髪を揺らしながら、ハルはそう言いきり、優しく俺の手を握る。その温かい感触。イマイチ単語の意味が解らないが、彼女の優しさに救われた気持ちになった。ハルは俺の能力を知りつつも、怯える事無くこうやって接してくれている……。

「あーーっ! ハルっ! だからっ、アレは事故だって言ってるでしょ! もう、手を離しなさい。今は巫女たる私が話をしているのっ! もう……。そう……、えっと、ヒロ? 内緒にしておくって件だけどね。エリンのお願いを聞いてくれたら、秘密にしてあげるよ? わかった?」

 手をつないだままの俺達に少女が強引に割り込み、ニヤリとした微笑みを見せる。なんというか、幼い外見に似合わぬ大人びた……というより底意地の悪そうな表情だ。だが……、俺に他に打つ手など無い。
 ナニか……、悪い予感を感じながらも……、俺はコクコクと眼鏡の少女へと頷いた。


 ◆◆◆


 宗教国家ガルズガレロ。その広大な街外れにある貧民街。その日、ゴミと汚物に塗れた貧民街で、一つの伝説が生まれていた。
最初に伝説をばら撒いたのは一人の孤児の少年。彼が、夕方に港へと魚釣りに出かけた時、大量のマーマンへと出くわした。
 古代遺跡より時折あらわれて、人間をさらって行く怪物であるマーマン。少年がそのマーマンに殺されそうになった時、白い覆面の男が現われ、一瞬のうちに怪物どもを退治したのだ。
 その信憑性を疑う者達も、少年の案内した路地で、胸に大穴を開けられて腐食しているマーマンの死体を見ては、納得するしかなかった。
そして更に、白い男の伝説はその日だけに留まらなかったのだ。

 ある日の事……、貧民街の人々が隠れ農地で作物を耕していた時、大量の半獣人へと襲いかかられた。
 宗教国家ガルズガレロでは身分制度がはっきりと戒律によって定められ、それを覆すのは容易ではない。上の者が下の階級を半ば奴隷のように扱い、富を公然と搾取する。その為、貧民たちは上位階級の者に見つからない場所で農業を行う事が多かった。だが、農地にされていない場所というのは、必然的に危険の多い土地でもある。
 その農地も近くの遺跡に半獣人が住み着いており、危険ではあったのだが、貧民たちが生きるために仕方が無かった。勿論、隠れ農地ゆえに軍隊へと安全確保を依頼する事はできない。恐怖に怯えながらも多くの貧民は日々、田畑を耕し、必死に生きていた。
 が、ある日……、唐突にその日が訪れた。身長1.5メートルほどの屈強なイノシシと人間のハーフのような半獣人達。手に槍を持ち、男は殺し、女性は慰み者へと迷宮へと連れて行くものども。人間をはるかに凌駕する筋力と残忍さ。
 貧民たちに抵抗する手段は無く、悲鳴と嘆きが田畑へと響こうとした、その瞬間……。

「待てっ!!」

 そこへ忽然と姿を見せたのは、白い服、白いマスクを着けた男。紫の髪をポニーテールに結んだ、男とおそろいの白い甲冑を着た剣士。そして、その背後へと腕組みをして立っている白い服とマスク、眼鏡をかけた少女。童話の登場人物のような三人組の姿だったが、その強さは本物だった。
 瞬時に獣人を追い払い、そして、眼鏡の少女は残った貧民へと作物の状態のチェック、育成方法への的確な助言を告げる。そして、最後に……、

「こんな事しか……、出来なくって御免なさい。でも、私、私っ! 絶対に早く偉くなるから……。だから、だから、頑張って下さい」

 涙をこぼしながら眼鏡の少女はそう言って、残る二人と共に立ち去っていった。
彼ら、貧民たちは何も知らない。その少女がかつて同じ貧民であり、今、天才として宗教学校で必死に頑張っている少女だとは。
 9年前、その少女がわずか4歳で才能の片鱗を見せた時、入学金を払うため、多くの貧民たちが、貧しい蓄えの中から金を出し合い入学させた少女だとは。
だが、何も知らずとも貧民達の胸には希望が灯った。いつか、きっと……今よりもまともに生きることが出来ると。
 その希望は白い男の伝説となり、ひそかに、だが凄まじい勢いで人々の噂へとなっていった。

 宗教国家ガルズガレロ。その国に今、ヒーローの伝説が生まれた。それは新しい希望。将来、きっと今よりも良くなるという夢。それはゆっくりと、だが確実に、人々へと勇気を与え始めていた。
 



[16543] 挿話①
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/05/18 23:06
 ガフ=スライガルデ王国、旧エウード国の宮殿では、今、まさに任命式が行われていた。豪華な刺繍の施された赤い絨毯の上を、同じく深紅の鎧を身にまとったアハメイル=スライガルデがゆっくりと足を進めていく。
 若干、18歳にしてこの国の将軍として立つ少女。その長く白い髪を見事な金細工で飾り、頭部へと纏めている。切れ長の赤い瞳、陶磁器のような白い肌。堂々と歩みを進めるその姿は、戦いを勝利へと導く女神のように神々しく、美しい。
 
 その少女の前、玉座に座っているのは一人の老人。賢人王ガフ=スライガルデ。でっぷりと太った肉体を純白に輝く絹のローブへ押し込め、きらびやかな彫刻が彫られた玉座にて、ひ孫たるアハメイルが目前で片膝をつき臣下の礼をとる様子をじっと見つめている。
 年齢は90歳を越えると噂され、関係する女性は正妻、妾を合わせ20人を越える。最も若い妾はまだ14歳。賢人王ガフ……、その年齢に似合わぬほど精力に満ち溢れ、頭脳も明晰、まさに怪物じみた老人であった。
 
 
 ――今から、二年前、当時将軍であった『逆賊』セラ=フリードガルデの手によって王が害されたあと、混乱する国をまとめたのがガフを頂点に置く元老院であった。
 急遽任命された暫定将軍アハメイルの下、民への税を5年間ゼロとする法を打ち立て、軍備の強化、南海の民との貿易強化を行い、混乱する民を見事に治めたのだ。
エウード国から大きく制度が変化したのは一点のみ。『奴隷制度の復活』。罪を犯した者、貧困にあえぐ者は奴隷として国の管理下へ置かれ、南海の国へと奉仕作業へと向かう事になった。

 伝聞でしか知らない南海の国で労働させられる事について、平民の間で若干の不安が広がったが、奴隷とは思えぬほど良い待遇だという噂がまことしやかに囁かれ、いつの間にか不安も消えていった。
 何よりも、平民にとっては、やはり税の取り立てが無くなった事が最も大きかった。その無限とも言える財源について、疑問を呈する者も僅かながら存在してはいたのだが、現実の幸福の前にはそんな声はかき消されていく。
 エウード三世王の時代よりも遥かに豊かな生活に、様々な娯楽が花開き、更に南海よりの訪問者が優れた技術を伝える。今まで食べたことの無いような南海の美味が普通に食卓を飾るようになり、ますます平民たちの生活は豊かになっていった。

 王が凶刃により倒れてから二年、民衆による圧倒的多数の賛成において、元老院長老ガフ=スライガルデは王へと就任。ここにエウード国は完全に消滅し、ガフ=スライガルデ王国が建国された。そして今、アハメイル初代将軍としての任命式が華々しく行われている。
 それを見守るのは多くの貴族達と南海よりの使者数名。全員が豪華な衣装を身に纏い、王の前で片膝をつき、頭を垂れている美しい少女の姿を見守っている、かに見えた……。

「ああ、やってられませんよ……。なんという茶番劇ですかね……」

 『後家殺し』ハガギリ=レレラルラ千人長がぽつりと小さな声で呟く。その隣、補佐役ミュカが上司たるハガギリのその声を聞き、慌てて諌め始める。

「せ、千人長っ!! あ、アンタ、そんな事聞こえたらタイヘンでしょうが!? た、頼みますから大人しくしていて下さいよっ!」

 小さい声で必死の哀願を行い、彼女は心底つまらないといった顔をしているハガギリの腕を握った。『後家殺し』というおかしな二つ名を持つミュカの上司。だが、その才覚と人気は本物。
 そもそも、『後家殺し』という名前は戦死した兵士の家族を見捨てず、残された妻と子供へ手厚い保障を施し続けるハガギリへの信頼を表した名前なのだ。それ故に兵士からの人気は高く、また、彼の隊の戦死率は最も低い。

 ハガギリの補佐として数年を共に過ごしてきたミュカは胸の内で思う。この貴族出身で兵站の天才と言われている上司は、只一点を除いて、全てアハメイル将軍よりも優れていると。いや、不可解な裏切りを起こしたセラ元将軍にも劣らない。そう……、優しすぎる、という一点を除けば。
 全体の勝利の為に、僅かな犠牲を払う。それは戦争に限らず、全てのことに通じている事だ。だが、ハガギリはその僅かな犠牲に心を痛める。
きっとその優しさは人の上へと立つには邪魔だろう。けれど……、その優しさを持つ男であるがゆえに、ミュカはハガギリを信頼し、補佐を続けているのだ。

「ミュカ……。今夜は一緒にいて欲しい……。こんな……、こんな馬鹿馬鹿しい夜に、僕は一人で眠れません」

 どこか乾いた笑い顔を見せるハガギリ。彼のグレーの瞳がどこか自嘲気味に見え、ミュカは息を飲む。プレイボーイとして名高く、いつも明るく隊を指揮してきた彼。だが、その顔はこの二年間で、すっかりやつれ果てていた。
 エウード三世王の死、『将軍』セラ=フリードガルデの逃亡、『剣聖』キシン=ムーラスタンの不可解な毒死、『竜乙女』ガレン=アウリシュナの逃亡。
軍隊の統括者として残ったのは、『女帝』アハメイルと『後家殺し』ハガギリの二名のみ。アハメイルがすぐに暫定将軍として軍最高責任者となったものの、混乱し、バラバラになった兵を一つに纏め上げ、士気を維持してきたのはハガギリの手腕だった。

 突然の王の死と、平民兵から人気の高かったセラ将軍の逃亡は、兵達の中で様々な噂が立てられる事になった。その中には、王を害したのは元老院だという噂も根強くあったのだ。そんな不信感が渦巻く兵たちを苦心して纏め上げたハガギリの努力を、近くで見てきたミュカは一番良く知っていた。
 
「ミュカ……。ボクもね、セラが王を害したとはどうしても思えないのさ。でも……、ここで軍がバラバラになったら、もし、外敵が襲ってきたらこの国は終ってしまう。だから、ボクは兵を纏めるよ。ふふ……とんだ臆病者だよ、ボクは……。くそ……セラ……どうして、どうして、ボクを頼らなかった……」

 ある夜……、彼は酒を飲みながら何度も壁に拳を打ち付け、苦しそうにそう呟いていた。セラ将軍……、整った顔に金色の髪。母性を感じさせる豊かな胸の膨らみ。同性であるミュカから見ても、ため息がでるほど美しかった彼女。
 正直に言えば、ミュカはセラが王を害したのか、それとも嵌められただけなのか、どうでも良かった。それは補佐たる己の領分を超えた出来事であり、ミュカがどう騒いだとて何も変わらない。ただ己に出来ることはハガギリ千人長の力になる事だけ。
 ただ、うすうす感じてはいたが、ハガギリがセラへ好意を抱いていた事……。それに嫉妬した。尊敬できる男であり、貴族であり、上司ハガギリ。元々、平民たるミュカとは身分が違う。それでも、自分が慰めてあげたくて、その夜……、ミュカは彼に抱かれた。

「もう……。将軍就任式をバカバカしいだなんて……。ふぅ……、いいですよ。今夜、屋敷に行きますから。だから……、もっと元気を出してください。貴方が明るくないと皆が悲しみますから。ね?」

 精一杯の微笑みを浮かべながら、ミュカはハガギリの耳へと囁いた。『後家殺し』という名前の割に、ベッドでは臆病なほど繊細で気を使う彼。ミュカは胸の高鳴りを感じながらも、何食わぬ顔でアハメイルの就任式へと目を向けた。右手に、ハガギリの腕の温かさを感じながら……。

 
 
 ――― それからおよそ10時間後、日が落ちた街路を、ミュカは動きやすい服へと着替えていた。腰に剣を一本差してはいるが、普段の彼女とは異なり、女性らしい華やかな気遣いをした姿。ピンクがかった色の髪をさっぱりと肩辺りでショートカットに切りそろえているミュカ。
 今年で22歳になる彼女。バランスのとれた体に幼い顔つき。だが、今夜はその顔に少しだけ化粧を施していた。ピンクの口紅とチークをうっすらとつけたミュカの姿は、どこにでもいる年頃の女性に見える。その表情は、これから会うであろうハガギリの事を考えているのか、時折嬉しそうに微笑みを浮かべていた。

「コンバンハ。ハガギリ千人長補佐役、ミュカだな?」

 突然、ミュカの背後から男の声がかかる。事務方として軍務に携わることの多い彼女だが、けしてその剣の腕前は悪くない。だが、背後の男は一切の気配を感じさせず、容易にミュカの背後へと立っていた。

「――ッ!!」

 咄嗟に振り向き、腰の剣を抜き放とうとするミュカ。だが、その腰の剣はあっさりと背後の男から取られてしまう。その動作の恐ろしいほどの速度。ミュカの腰にささっていたハズの武器を、その持ち主よりも早く奪った男。それは、一見、子供のように見えたほど身長が低かった。
 約130センチほどの身長……、だが、その体はみっしりとした筋肉に覆われていた。何よりも、その顔は中年の男性のモノ。ニヤニヤと不気味な笑い顔を浮かべながら、下からミュカの顔を見上げている。

「俺はアハメイル将軍様のシモベ、ザグザダだ。抵抗をしても構わんが、大人しく着いて来てもいい。選べ……」

 その濁った低い男の声に嫌悪感を覚え、ミュカは咄嗟に逃げ出そうと駆け出す。上司ハガギリの屋敷まで、あと300メートル足らず。アハメイルの使者が何用か解らないが、とにかくザグザダと名乗る不気味な男の言いなりにはなりたくなかった。だが……。

「きゃっ!」

 振り向いて駆け出した瞬間、彼女の背中へとドンッと重い衝撃が走る。ミュカの足が縺れて一気にバランスを崩してしまい、大地へと倒れこむ。

「おおっ!!」

 ザグザダの驚愕の叫びが上がる。ミュカが倒れこむ直前、前方へと両手をついて反動を利用し前転、そのまま空中へと跳ね上がり、ザグザダへと蹴りを加えようとしたのだ。背後からザグザダの跳び蹴りをくらったにも関わらず……。その精神力と鍛え上げられた動き。それはハガギリ配下の兵が優秀だという証拠にほかならない。

「きゃああっ!!」

 だが、ザグザダの能力はミュカの予想を超えていた。彼女の渾身の蹴りをまともに頭部へと喰らいながら、彼女の足首をその筋肉に覆われた太い腕で掴み、そのまま勢いよく地面へと叩き付けたのだ。
 ズンッと鈍い音と共に、ミュカの口から抑え切れない嘔吐が漏れる。凄まじい衝撃で身動きが取れないミュカ。大地に横たわるそのカラダへ、ザグザダの容赦ない追撃が襲う。華奢なラインを見せるミュカの体を、手加減をせずに蹴り上げる男。
 その蹴りを回避できず、声無き悲鳴を上げながら転げまわるミュカ。男の蹴りは、慎重に行われているのかミュカの骨を折ることは無かったが、ただ延々と繰り返され、彼女へ苦痛を与え続ける。

「ぐあっ! ああっ!! がっ!」

 ―― どれ位その行為が続けられたのか……、地面の上にはピクピクと痙攣を繰り返すミュカの姿があった。ニヤニヤと見下ろしているザグザダ。その太い腕をミュカへと伸ばし、彼女のピンク色の髪を無造作に掴む。
 そのまま、ザグザダは胸元から笛を取り出し、その醜い唇をつけ息を吹き込む。人間には聞こえない音が道へと響き渡り、やがて一匹の竜が現われた。
その竜の姿もまた異形……。普通、竜に利用されるのは草食性の小型のタイプである。脚力が強く、長時間の移動に耐えるスタミナと人と信頼を結ぶ優しさをもっている。
 だが、ザグザダの呼び寄せたモノは小型の肉食竜。全長2メートルほどの体躯を持ち、口からは真っ白な歯が鋭く並んで覗く。ダラダラとその裂けた口から唾液をこぼしつつ、その小型肉食竜はザグザダへと背を向けた。

「おお、アデバ……お前は本当に可愛いヤツだ。フヒヒ、帰ったら、生きたままの女の太ももを喰わせてやるからな。さぁ、この暴れ猫を連れて行くぞ」

 まるで物のように、ドスンとアデバと呼ばれた竜の背にミュカを乗せる男。そのまま、筋肉の盛り上がった腕で抱えるようにして、竜に騎乗する。
そして、コンっ、と竜のわき腹を足で蹴る。それを合図にして一気に駆け出す竜。あっという間に暗闇へと消えていくその姿。
 
 何事も起こらなかったかのように、街路に沈黙が満ちる。そこで争いがあった証拠も何一つなく、ただ街路には暗闇だけが広がっていた。



 ◆◆◆

 千人長ハガギリ=レレラルラは、テーブルの上に置いた二つのワイングラスを眺めながら、ゆっくりとポケットから小さな箱を取り出した。
それはハガギリ隊の色と同じ、爽やかなオレンジ色に染めた布で包まれている。
 その箱の中に入っているのは、二つの指輪。ミュカの篭手を作成した鍛冶屋に聞きだした、彼の補佐役の指にピッタリのサイズで作られたソレ。

「やれやれ……。今年でボクも30になろうかと言うのに……。こんなに緊張してるなんてな、ははっ」

 自嘲気味に軽口をこぼしても、己の胸は静まらなかった。この激動の二年間、公私とも身を粉にして尽くしてくれたミュカ……。
目を瞑り、彼女のピンク色の髪、落ち込んだ自分を励ます彼女の声、ベッドの中優しく抱きしめてくれた彼女の顔を思い出すだけで胸が高鳴る。

 身分が違う……。それはハガギリにも十分すぎるほどに解っていた。だが、もはや後悔はしたくない。かつてセラへ思いを告げられなかった弱い自分……。
その所為でセラを失ってしまった。
 例え、どんな反対が起ころうとも、絶対にミュカは離さない。只の部下であったミュカはいつの間にか、ハガギリの胸の中で成長していった。
この思いは受け入れられないかも知れない。でも、それでも構わない……、ハガギリは今夜、彼女へ結婚の申し込みをするつもりだった。

「ご主人様っ!! ら、来客でございます」

 物思いにふけっていたハガギリの元へ、慌てた勢いで駆けて来た老人。すっと彼の執事をして世話をやいてくれた男だ。
とうとう、この時が来た……。ハガギリは唾を飲み込みながら椅子から立ち上がろうと……。

「フフ……、座ったままでいいわよ。ハガギリ千人長、こんばんは、月の無いこんな夜に、突然お邪魔してごめんなさいね」

「なっ!! ア、アハメイル将軍っ……? い、いったい、突然に何用ですか?」

 執事の老人を押し退けて部屋へと入ってきたのは、将軍アハメイル。深紅のドレスを身にまとい、長く真っ白な髪をサラサラと背後になびかせていた。
その白い肌、真っ赤な瞳が嬉しそうにハガギリの顔を射抜くように見つめている。
 今年で18歳になるはずだが、そのカラダは少女のようにほっそりとしていた。まるで風に折れそうな花のよう……。
だが、ハガギリはその花には強烈な毒がある事を知っていた。

「うふふ……。将軍と千人長が二人揃えば、話す事は一つしかないでしょう? ……戦争よ」

 細く白い指先を、己の真っ赤な唇へとあてながら、アハメイルは世間話をするように、何気なくその一言を言い放った。

「バ、馬鹿なっ!! せ、戦争ですってっ!? い、一体ドコと……。いや、そもそも、何故っ!? 今、戦争をする理由などどこにも無いハズだ。農地開発、灌漑、新たな水源の確保。それに南海貿易。全てが順調です。戦争を起こす理由など無い」

 椅子から立ち上がり、猛然とアハメイルへと向かおうとするハガギリ。だが、その腕が彼女の肩へと掴みかかる直前、青い刃がハガギリの目前へと音を立てて振るわれた。
 ヒュンッ!! という凄まじい風切り音と共に、その青く輝く剣の刃がハガギリの顔ギリギリで停止する。その不思議な青……。紙のように薄く、キラキラと部屋のランプを反射して宝石のように煌く。
 その剣の使い手が、ゆっくりとアハメイルの背後から姿をあらわす。まだ若い……。ギラギラとした眼光を目に宿した、左目に眼帯をつけた男。20歳くらいだろうか……。だが、その肉体は剣士として凄まじいレベルにあることは一目で解った。不思議な青い剣を油断なく構えたまま、ハガギリを睨みつける。

「大丈夫よ、アシュラ……。あら、ハガギリとは初対面だったわよね? 剣聖キシン殿の息子、新たな千人長、アシュラよ。仲良くなさい」

 嬉しそうに言葉を続けるアハメイル。ハガギリは動けない……。目前の青き刃で完全に動きを封じられていた。

「要件を言います。今日から一年後、宗教国家ガリズガレロへと宣戦布告。我がガフ=スライガルデ王国の威信を賭け、ガリズガレロを占領するわ。いい、ハガギリ? 貴方はこれからの一年間、千人長アシュラと協力し、兵士への訓練と兵站の準備を進めなさい。それから……」

 アハメイルは悠然と背後を振り返り、背後に立つ誰かから何かを受け取る。それは一見すると棍棒のように見える、木製とハガネで出来た物体だった。

「これは新兵器『銃』。南海の民より、この銃を2万借りることが出来ました。貴方は一年をかけ、この武器の扱い方、手入れ方法、訓練を兵へ行いなさい。これは将軍としての命令よ」

 ゆっくりとハガギリは唾を飲み込みながら、その『銃』とやらを見る。胸の奥に絶望が込み上げる。宗教国家ガリズガレロ……。莫大な国力、宗教心による団結力を持つ、この大陸で最も大きな国家。
 新興国であるエウード、いや現スライガルデ王国では熱心な教徒は少ないものの、他の国では信者も多い。その聖地たるガリズガレロを攻めたりなどすれば、他の国から襲われるだろう。
 いや、そもそもガリズガレロを落とすことなど出来まい。この『銃』がどれほどの兵器かは、解らない。だが、あの国を守る神聖騎士はその信仰心と相まって非常に士気が高く、強力だ。
 我が軍にどれだけの被害がでるか想像もつかない。戦争をするメリットなど、何一つない。ハガギリは兵の無駄死にを最も嫌う。青き刃を突きつけられたまま、それでも反対意見を述べようと口を開こうとする。

「ああ……ハガギリ? 将軍の権限により、あなたの補佐役を解任してあげたわ。代りに私の部下を一人、貸してあげますから。ミュカ? といったわよね、あの女。他国のスパイ容疑で拘束よ。ふふ……、事故で死なない事を祈りなさい」

 ハガギリが口を開くよりも早く、アハメイルが話した。その内容……、ハガギリを一気に脳天から冷や水を浴びせかけられたような寒気が襲う。
嬉しそうにニコニコと微笑むアハメイルの真っ赤な瞳。微動だにせず片目でハガギリを睨み続ける『剣聖』の息子アシュラ。
 それを見ながら、ハガギリはゆっくりと諦めのため息をついた。

「約束してください将軍。ミュカには指一本触れないと……。いいですね? それならば、私も全力を尽くしましょう。ただ、この『銃』とやらの性能いかんでは、我が命をかけてでも戦争を止めさせていただきます。無駄な死は少ないほうがいい……」

 ガクリ……と力なく椅子へと座り込むハガギリ。嬉しそうに笑うアハメイルと、あい変らず厳しい表情のままのアシュラ。
テーブルの上、オレンジ色の小箱が、ぽつりとランプの光に照らされていた。




[16543] 第10話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/05/21 19:23
 黒髪の巫女エリンには、ファミリーネームが無い。他人から呼ばれる時、それは常に『エリン様』または『巫女エリン』だ。
彼女の屋敷に滞在している者だけは『エリン』と彼女のファーストネームを気安く呼ぶ。
 しかし、ここ宗教学校の中では『エリン』と彼女に親しく話しかける者はいない。そう、同級生、上級生、教授でさえも……。

「巫女エリンっ! さ、流石ですっ! 数列の収束に関する証明……。この発想の転換……。なんという芸術的なっ! これはまた……、一つの歴史を刻みましたな。素晴らしいっ、やはり貴女は天才だっ!! まぎれもなく、神の与えもうた奇跡です!」

 宗教学校の教室の中、黒髪、銀色の眼鏡をかけた少女は、興奮して話している中年の男性を冷ややかな目で見つめていた。
しかし、教壇に立つその教授はエリンの冷たい視線に気付かない。ただ、新しい数学証明に興奮し、手に持った紙のレポートへと何度も目を通していた。
その様子とは対称的に、無表情のまま机に座ったままのエリン。

「……貧民のくせに……」

 その背後からボソリと小さな囁き声……。その声は小さくはあるが、教室前方へと座っているエリンへ届くだけの音量はあった。
 この場所、『宗教学校特別教室』には、常時20名の学生が在籍している。
ただしかし、便宜上、学生と呼ばれているが、この特別教室の生徒は勉強を学ぶ事はしない。求められるのは研究とその成果の発表だけ。
その為、クラスの生徒は年齢がバラバラであるが、まぎれも無く全員が宗教国家ガリズガレロの未来を背負って立つ才気溢れる若者であった。

「……また、主席は巫女エリンかよ……。伝統ある宗教学校も地に落ちたな……。あんな親さえいない貧民のガキに……」

 背後でまた声が囁かれる。それは、エリンにわざと聞こえるように言われていると、机に座ったままの彼女にも解っていた。
だが、エリンは微動だにしない。ただ、傲慢なほどふてぶてしく前を向き、一切がつまらないと言った顔で教授を見つめている。

 特別教室に在籍している、という事はそれだけでガリズガレロの宝であり、未来への可能性である。その為、特別教室に在籍している生徒へは、寝起きする為の屋敷の手配、十分すぎる食費、ふんだんな研究費、助手を雇う為の経費、そして神聖騎士による護衛、その他諸々の手当てが施されていた。

 だが、特別教室は年に一度行われるテストと共に、半年に一度の研究発表で結果を出さねばならない。成績の劣った者は容赦なく、普通の教室へと落第する事になる。
 エリンがこの、特別教室に在籍する事になったのは、八年前……、僅か七歳の時であった。宗教学校長であるカーチル司教の推薦があったとは言え、それは歴代最年少であり、またその年よりずっとエリンが特別教室から落第する事は無かった。いや、落第どころか、ほぼ全ての研究発表で主席の成果を残している。

『カーチルの後継者』『次世代の天才』『黒き髪の神聖巫女』

 エリンの現在の年齢は、15歳……。あまりにも凄まじいその才能に対する嫉妬と、貧民出身というエリンの生い立ちは、彼女から年齢相応の明るさを奪った。

『冷血』『悪魔』『売女』 表立ってエリンを中傷する声はないのだが、陰口や嫌がらせは絶える事は無かった。
だが、エリンは悠然と胸を張って前を向く。しかし長い生活の中で、彼女の心は冷たく固い殻に覆われつつあり、確実に少女の心はひび割れていく。

「―― カンッ、カンッ、カンッ!!」

 教室の中、授業の終わりを告げる鐘の音が響き渡る。まだエリンのレポートを握り締めたままの教授を置いて、生徒達が一斉に部屋の出口へと移動していく。
一人、ポツンと机に座ったままのエリンの背後を、何人もの生徒が憎憎しげに睨み付けながら足を進めていた。
 その時……、

「巫女エリン……。通達がある。私の部屋まで来なさい」

 前方の扉が開き、低めの男性の声が教室中に響いた。その扉を開いたのは、眼鏡をかけた30前後の男……、カーチル司教。
痩せ気味で、若干神経質そうな外見を持つ宗教学校長であり、ガリズガレロの歴史上で最も若き司教。『天才カーチル』と呼ばれる男。
 噂では、もうじき枢機卿へと就任し、ゆくゆくは教皇としてガリズガレロを導く事になると言われていた。

「はい。マスターカーチル……」

 顔を伏せたまま、つまらなさそうにカーチルへと応じるエリン。その不遜な態度に、また後方の生徒数人がボソボソと陰口を呟く。
その有象無象の声を置き去りにして、机から立ち上がった彼女は、あくまでも冷静に足を進める。
 巫女エリン、若干15歳の少女……。その冷たい無表情な少女の顔を、カーチルはただ、興味深そうな視線で見つめていた。





◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第10話





「巫女エリン……、この研究を発表するのはあと一年待ちなさい、いいね?」

 豪華な部屋、そこには壁には数え切れないほど多くの本が並び、机には様々な実験器具が並べられていた。
その部屋で、巫女エリンと司教カーチルは机を挟み、椅子に向かい合って座っている。

「……何故ですか? それを大々的に発表し、改良を重ねれば、人口肥料が得られます。そうすれば、安定した食料の供給が可能です。そうしたら、もっと、もっと多くの人々がっ……」

 鋭い眼光でカーチルを睨みながらエリンはそう反論した。だが、言葉を続けようとする彼女を遮るようにカーチルは右手を挙げる。その眼鏡の奥、青い瞳が冷たく輝いていた。

「その通りだ、巫女エリン。これが発表されれば、今までの農業の歴史が塗り変わる。安定した供給……、莫大な食料の保管……、ひいては生活水準の向上、人口増加。これは歴史を揺るがすほどの見事な発見だよ。八年前……、君を推薦した価値があったというものだ」

 あくまでも冷たいカーチルの声。それは山の頂にある永遠に溶けない氷を思わせるほど、ずっしりと重く、冷たい。

「巫女エリン……、君は今年、15歳だったな。だからだよ……、だからこそ、一年待てと言っている。この意味が解るだろう?」

 カーチルの低い声。その声にあきらめたようにエリンはため息をつく。
理解したからだ……、カーチルの話す言葉の意味が……。忘れていたかった。そんな日が来るとは思いたくなかったのに……。
 震えを声に出さぬように、精一杯の努力をしながら、エリンは口を開く。

「私が……16歳になり、貴方と……、マスターカーチルと結婚してから、この成果を発表をする……と、言う事ですね」

「そうだ……。私と君が頂点へと立つ為には、一年後、婚姻を発表し、その後、共同署名でこの研究を発表すべきだ。これは、それだけの価値がある。いいね?」

 それはかねてよりの約束……。エリンが16歳になった暁には、教皇へとその婚姻を宣言する事。
天才と天才が結ばれ、子供を成す。それは神に祝福されるに値する出来事であり、また、カーチルとエリンの望みには欠かせない事でもあった。
 カーチルの野望、それは教皇となる事。エリンの希望、それは身分制度の解放、貧民救済。

「巫女エリン……。ところで、一つ気がかりな噂を聞いたよ。使用人に信仰心のない平凡な男を雇ったとか? 本当かね? いや、君ほどの巫女が間違いなど犯すとは思っていない。だが……。未来の妻の事だけにね。少々、心配なのだよ……」

 冷ややかなカーチルの声とその視線。それは暗に使用人の男を解雇せよ、と通告しているに等しかった。

「お、お言葉ですがっ、マスターカーチル! か、彼は、その……、その……、二年前のセッタル枢機卿事件の際の恩人なのです。そのお礼を兼ねて寝食を世話しているだけですっ。う、受けた恩に恩で報いる、その恩義の連鎖は神の御心にも沿うはず。けして間違いなどはありませんっ!」

 普段、冷静なエリンに似合わぬほど大きな声で反論をする彼女。その様子を冷たい瞳でじっと見つめるカーチル。
エリンの様子にどこか不服気に両手の指を組み合わせ、アゴをその上へと乗せる。

「まあ落ち着きたまえ。普段冷静な君とは思えぬ態度だな。ふむ……、良かろう巫女エリン。その男については不問としよう。だが……、一年後の婚約。そしてこの研究とは別にあらたな発見レポートを期待しよう。わかったな? そうだな……、私がかつて取り組んでいた火薬に関する研究が図書室へと納められている。それでいいだろう。今から図書室へと向かい、それを受け取ってきたまえ。では、期待しているよ」

「……はい。マスターカーチル……失礼しました」

 力なく言葉を発し、深く一礼をしたのち校長室を出て行くエリン。その姿は弱々しく、無力な一人の少女にしか見えないものであった。
その小さな背中を冷ややかに見つめるカーチルの青い瞳。その瞳は何か不気味なモノを押し隠していた。
 
 エリンが退出して、即、カーチルは椅子から立ち上がり、部屋の横にある小さな扉をノックした。即座にその扉は開き、ローブを身にまとった数人の男女が姿を見せた。カーチルの助手であり、使用人であり、奴隷でもある彼ら。その彼らに向かい、カーチルはぼそりと呟いた。

「事故が起こる。今日、これからすぐだ。事故の起こる場所は特別教室生徒の護衛待機室。そこで、巫女エリンの使用人の男の転落死だ。窃盗容疑が使用人にかかり取調べの為、保安室へと連行時、暴れた男が窓から転落して死亡。その男の懐からはこの金貨が発見される。理解したか?」

 ただそれだけを言い切り、金貨を机に置いて興味を無くしたように再び椅子へと座るカーチル。主のその姿へ数人の男女は深く礼を行い、机の上のコインを受け取り、影のようにそそくさとその場から立ち去っていく。その様子を見もしない椅子に座ったままのカーチル。
 胸の中、彼はどうやって、使用人を亡くした巫女エリンを慰めてあげようか? と考えながら、独り唇を歪めていた。



◆◆◆



 ――― 宗教学校の護衛待機室。その中で俺は絵本を読んでいる。挿絵のたくさん載っている子供向けの宗教的な絵本だ。
なんというか、非常に牧歌的な内容であり、勧善懲悪でわかりやすい内容だ。挿絵もカラフルで種類も多く実に面白い。
 そろそろエリンが下校する時間の為、彼女を待ちながらこうやって時間を潰しているのだが……。

「ふふ……、見てよアレ……。さすが貧民の付き人は違うわね。絵本だってさ、ふふ……お似合いよね」

「ははっ、それよりもあの服を見ろよ。護衛だってのに紋章も入ってないただの服だぜ。もしかして、平民なのか? いや、ひょっとして奴隷だったりして」

 さっきから俺の背後から聞こえる笑い声。無駄に広い待機室の中には、特別教室護衛役の神聖騎士や使用人、実験助手が何人もたむろしている。
ハルと同じように、きっちりと鎧を着込んだ多くの神聖騎士達は、無言で神に祈りを捧げたり、無言で立っているのだが、それ以外のヤツラ……。
豪華なローブに身を包んだ助手風の男や、メイド服を着飾った女の陰口がうるさ過ぎる。

 エリンの執事兼、荷物持ちをしての生活が始まってはや一年足らず。エリンの豪華な屋敷には、主であるエリン、客としてセラ、メイドとしてのガレン、護衛役のハル、そして執事兼荷物持ちとして俺が暮らしている。その生活には何の不満もない。
 皆で仲良く食事をしたり、偶にピクニックに出かけたり、ハルをからかったり、ガレンと二人で子竜バローラの世話をする毎日。とても穏やかで幸せな日々。
だが、この学校の雰囲気だけは馴染めない。相手をするのも馬鹿らしく、完全に無視を続けているのだが、こいつらの陰口、というか嫌味は日々エスカレートする一方だった。

「―― いい、ヒロ? どんな事を言われても絶対に怒ったらダメよっ。学校の待合室の内装が、ある日真っ赤な血と肉片のオブジェに塗り替えられてましたー、みたいなニュースは聞きたくないからね! 絶対よ。エリンとの約束だからねっ?」

 この学校へエリンと共に登校した時、何度も口を酸っぱくして彼女に言われた言葉。内心、俺はエリンの事をすごいと思う。
たかが15歳くらいのガキンチョの癖に、俺よりも頭が良く、精神もタフだ。一度、セラと話し合いをしている場面を見たが、あのセラに負けず立派に対話をしていた。
 俺から見れば、ちょっと生意気な幼い美少女に過ぎないエリンだが、この学校には彼女を妬んでいるヤツラが多い。長年護衛役を務めているハルが言うには、旧い国家の為に名門出身の学生が多い為、貧民出身のエリンが憎らしくて仕方ないらしい。

 俺のほうは、悪口を言われても何も感じていなかった。もし、何事かがあったとしても、俺のほうが何倍も強い。
いや、強い……という次元ではなく勝負にもならないだろう。不時着してから二年ほど経過したが、この星の住民はあの『蟻』などよりも遥かに弱いらしいのだ。 『蟻』の大群でも全く傷一つ負わない俺と比べられるわけも無いし、そんなのを相手するのに本気になる筈も無い。そもそも俺はこの星の人間では無いのだ。前提からして違う。

 しかし、エリンはこの星で生まれ、この国で育った少女だ。いくら天才と呼ばれているとは言え、たかが15歳の女の子に過ぎない。それなのに、中傷や悪意に全く動じないエリンの態度は実に見事だ。やっぱり、天才ってのはどこか違うんだなぁと思う。
 俺もそのうち『エリン様』と呼んだ方がいいのかもしれない。今は何も考えずにエリンと気安く呼びかけているが、流石に問題があるかも……。
絵本を眺めながら、俺はそんなことを考えていた……、その時、

「巫女エリンの使用人だな? 貴様が金貨を盗んだと通報があった。大人しく保安室へとこい」

 俺の机の周辺を4人の男女が囲む。なんというか、豪華な刺繍の施された洋服を羽織った奴等。驚きながら教室の中を見渡せば、同じ刺繍を縫い付けたローブを羽織った数人の男女が、部屋の中から他の人々を追い出し始めていた。

「えっ? 俺? いや、俺は今日、ココとトイレと図書館しか移動してないよ。ほ、ほんとだって」

 立派な身なりの男女に囲まれ、いきなりそんな事を言われた俺は、思わずシドロモドロな弁明をしてしまった。全く心当たりが無い……。
にも関わらず、この男女には確信があるように俺を睨みつけてくる。
 こ、ここは何とか切り抜けないと……、早くエリンが来てくれないかなぁ……、と座ったままの俺は考えていたが……。

「嘘をつくな、人には適材適所がある。貴様のような教育レベルの低い貧民如きが……この学校に存在している事自体、冒涜と知れっ!」

 突然に突き出される男の拳。不味いッ!! 俺は咄嗟に机の下へともぐりこむように這い蹲り、そのまま右の男の横を抜けて転がる。
この星の生物の体組織など、俺の体に比べればゼリーみたいなモノに過ぎない。密度が全く違うのだ。
 もし、ゼリーを鉄の壁へとぶつけたら、グズグズに砕け散るのはゼリーのほうだ。間違っても俺の体へとこんな勢いで触れさせる訳にはいかない。

「やれっ!」

 俺の内心の苦労など知らず、部屋にいる男女が一斉に襲い掛かってきた。ガタガタと音をたてて机や椅子が倒れる。砕け散る窓の木板。
音を立てて振るわれる、いくつもの足や拳を必死の思いで回避し続ける。ギリギリで俺の体をかすめる拳や蹴り。
 背中を冷や汗が流れ落ちていく。不味い……、いつまでも回避し続けられない。目の前の男女が、明らかに集団での戦闘に訓練されていた。
必死に回避するのだが、巧みにスペースを圧迫され、避ける空間がドンドンと削られていく。

 飛翔するか? 唾を飲み込みながら俺は考える。床を蹴り、空中で天井を蹴れば逃げ出せるだろう。しかし、それはあまりに人間離れした行動だ。
エリンへと迷惑がかかる。かといって……、このままでは……。
 トンッと背後へ壁の感触。ヤバすぎる……。完全に追い詰められた……。追撃の手は収まらない。このままでは、コイツラの体がグチャグチャにつぶれるのも時間の問題だ。仕方ない……。飛ぶしかっ、ないっ!!
 
 覚悟を決めようとした、その時……。

「おい、ハルっ!! ここにいるんだろう? 愛しのお兄ちゃんが来てやったぞっ! がははっ、男の一人くらい出来たか?」

 ガラッと勢い良く扉が開き、そこには見上げるほどの巨漢が立っていた。頬には大きな傷をつけ、ボロボロだが良く手入れされた鎧を着込んだ大男。
丸太のように太い腕。イノシシのようにがっしりとした首。

「なッ!! 蟻殺しのドガロだとッッ!!」

「ん? ハルはいねえのか? 何だ? 何か面白そうな事やってるな、おおっ!?」

 ここしかない……。その男の乱入に皆が注意をそらした瞬間、俺は床を蹴り、横へとジャンプ。そのまま男女の脇を抜け、大きく開いたままの窓から飛び出す。
この星の人間では視認出来ないほどの速度。そのまま、窓枠を掴み、体を振り子のようにしならせ、バネを使って上方へとジャンプ。
 キュインと甲高い音を立てる重力装置。そのバランサーに任せつつ、空中で体勢を整え、まるで体操選手のように屋根の上へと降り立った。
そのまま、這うような動作で屋根の上を移動。

「うう……、やばかった……。多分、何が起こったか誰も解らないと思うけど……」

 一応、この学校の内部は把握している。このまま、一気に図書館へと向かおう。エリンの帰りが遅い時は、たいてい図書館で勉強している。
一応、彼女の使用人である為、俺が入室しても大丈夫のはずだ。ただ、窓から入室するのは不味いだろうが……。
 何と言ってエリンに言い訳をしようと考えていると……。

「おいっ、待てよっ。うはっ、手前すげえ運動神経だな。アソコが4階だから、窓からたかだが2メートル足らずの距離とはいえ……、俺でも勇気がいったぜ。まあ、面白かったけどよ」

 背後から野太い男の声がかけられる。ギクリ……として俺が振り返ると、さきほど教室に入ってきた大男。頬についている傷跡を太い指でなぞりながら、嬉しそうに笑っていた。
 だが、笑顔で話しているにも関わらず、その右手は棒を持っていた。片手でその棒を俺に向けながら、ニヤリと頬を歪める大男……。
足場が不安定な屋根の上だが、その男の腰はがっしりと安定し見事なバランスを見せる。油断なく俺を見つめる眼光。
 そもそも……、この大男はどうやってここへ登ってきた? さっきのセリフからすると、俺と同じように? まさか……、信じられない。

 時折強い風が吹き抜ける屋根の上、俺とその男はジリジリと睨み合う。太陽は傾き始めており、赤い夕日が俺達二人の姿を照らし出していた。



[16543] 第11話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/05/29 00:14
 ドガロ・オンブズガレルドはかつて、宗教国家ガリズガレロで将来を渇望された神聖騎士見習いであった。
齢15の時、すでに身長は180センチを越えてなお、成長を続けており、その身に纏うのはバランスのとれた素晴らしい筋肉。
 優れた剣士である両親の元、幼少の頃から研ぎ澄まされた剣の腕は、その当時で既に両親を抜きさり、家族の誇りでもあった。
常に明るく素直な性格は、周囲の誰もから好かれており、ドガロは将来素晴らしい神聖騎士になると噂され、その将来は輝かしい希望に満ち溢れていた。
 その日が来るまでは……。

 『蟻』は山に巣を作り、海岸沿いまで進出してくることは殆ど無い。それが、この大陸の国が海沿いに存在している理由でもあった。
だが、農作には真水が欠かせない。その為、山近くの平原部にある国営農業地帯には、常に見張りが置かれ、厳重な監視の元で運営されている。
 軍隊の歴史とは、その多くが『蟻』との戦いの歴史であり、『蟻』からの虐殺への抵抗であり、それはつまり『蟻』こそが人類の天敵である、という証明でもあった。

 ―― その日、若き日のドガロは騎士見習いの同僚4人と農業地帯へと自主訓練に出かけていた。
ガリズガレロ軍の最小単位は5人の班で構成されており、ドガロはその班長として騎士養成学校で任命を受けている。
 16歳で成人として見なされるガリズガレロ。卒業を間近に控えたドガロを含んだ彼ら5人、自主訓練として農業地帯への出向。
彼ら班全員は、優秀な成績を養成学校で納めており、その将来は大きく開かれていた。
 ……だがその時、彼らを悲劇が襲う。

『羽蟻』

 その時の季節は冬。通常では『蟻』が活動することのない時期。だが極まれにだが、こういった事が起こる。
『蟻』について、はっきりとした習性は分かっていない。巣穴に潜り、調べられる人間など存在しないからだ。
 かつて宗教学校での研究により、女王と呼ばれる『蟻』が何らかの要因で死亡した際に、新たな巣穴を作成する為にこういった事が起こるのでは? と推測されていた。

 が、それは人間に予測できる事態では無く、地震や津波を同じく天災と言えた。そう、最悪の天災と……。
ガリズガレロには飛竜、地竜は気温上の問題から、数えられるほどしか存在しない。それ故、狼煙などの遠距離信号こそが命綱である。
『蟻』襲来時、緊急の狼煙を上げ、一刻もはやく軍隊を派遣し、水際で殲滅する事。

 『蟻』で人間が把握している数少ない習性として、餌(この場合は人間)を捕食した『蟻』を巣へ戻らせると、多くの蟻を引き連れて再び襲ってくる、というモノがある。これは、いくつもの国や街が滅ぼされた人間が学習した事の一つであり、絶対に忘れてはならない事。

 ―― その日、編隊を組んで飛来してきた羽蟻は15匹。通常、多くても2、3匹である羽蟻にしては異常に多い数であり、それは即ち、この羽蟻が属している巣が巨大なモノだという証拠だった。

『必ず兵士5人以上で蟻一匹にあたる事』

 その鉄則通り、農業地帯に住む者達は素早く班編成を行い、小隊として『羽蟻』へと対処を始めた。平時は農民だが、緊急時は軍人として戦うガリズガレロの者達。兼業とは言え、その錬度はけっして低くなく、信仰心から士気も高い。
 が、ここでも季節が冬であった事が災いした。当たり前ではあるが、冬では作物が取れない。その日、農業地域へといた農民、兼軍人は僅か30人。
見張り役の神聖騎士を含めても、総勢35人。
 只でさえ自由に空中を飛翔する『羽蟻』は厄介な存在であるのに、絶対的な人数が足りない……。ドガロを班長とする彼ら5名が『蟻』との戦いに駆り出されるのは当然の成り行きであった……。



 ―― 狼煙での緊急連絡を受け、凄まじい進軍速度で駆けつけた神聖騎士100名。彼らがそこで見たものは、人間の肉片が散らばる田畑、根元から崩壊した見張り櫓。羽蟻の死骸15体。そして、呆然と畑の中央でたたずむ全身血だらけのドガロの姿……。
 死者、行方不明者含め39名。生き残ったのは見習い騎士であったドガロただ独り。事情を聞きだそうにも放心状態のため何も喋らないドガロ。
 
 翌日、死者、行方不明者39名全員の神聖騎士任命式が行われ、その直後、国葬が行われた。
生き残ったドガロに対しても、回復しだい即、神聖騎士としての任命が決定され、一旦、家族の元へと帰される事になった。

 ……だがその日、ドガロは家へと帰る事は無かった。精神状態を心配され、護衛として配属されていた神聖騎士を一撃で気絶させたドガロは、不可解な失踪を遂げたのだ。必死に探す両親、友人、神聖騎士の面々。だが、彼らの捜索にも関わらず行方は一向に解らない。

 ―― それから数年が過ぎ、ドガロの妹であるハル・オンブズガレルドが16歳で神聖騎士へと任命される頃、一人の傭兵の名前が大陸中へと響き渡っていた。

『蟻殺しのドガロ』

 彼が受ける依頼は、対怪物、対蟻のみ。人間相手の戦いにはどんな大金を積まれても応じない。逆に、蟻への依頼には無償で応じる事さえもあった。
その技量は人間の域をはるかに超え、軍事国家エウードの『剣聖』キシンさえも敵わないと認めたほど。
 戦い方に剣士のような美しさは無く、醜く、乱暴で、荒々しく、恐ろしい。
誇りも、こだわりも無く、どんな武器でも使い、どんな状況でも諦めず、どんな怪物でも殺す……。地位を求めず、名誉を求めず、報酬を求めず、ただ怪物の死を求める男。

 ―― それが『蟻殺しのドガロ』であった。




◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第11話





 俺の目の前に立つ大男を見つめながら、俺はどうやってココを切り抜けようかと必死に考える。何というか、不思議な男だ。
その丸太のような腕や、実用性一点張りの鎧からして、相当に腕の立つ剣士なのだろうが……。足場の悪い屋根の上、しかも強風が吹きつける中を、面白そうにニヤニヤと微笑んでいるその顔、頬にある大きな傷が目に入る。

「なあ……、手前、人間か? そのあまりに余裕タップリの態度……、ひょっとして新種の獣人か?」

 その外見通り野太い声が屋根の上へと響き渡る。

「手前は集団に囲まれてたってのに、全く怯えの色が無かった。かと言って、剣士として鍛えられた体つきじゃねえ。なら、ただの自信過剰な馬鹿かと思いきや……、さっきの恐ろしいほどのスピードと体術。てめえ、新種の怪物じゃねえのか?」

 ジリジリと大男が俺に近づいてくる。油断なく俺を見つめる眼光。右手に持った棒の先端が、俺の体へと真っ直ぐに向けられており、時折威嚇するようにユラユラと揺れる。
 勘……だが、コイツは厄介だと感じる。大男の茶色をした瞳、その奥に何か固い信念のようなモノを感じる。しいて言うなら、ハル達のような神聖騎士の瞳に似ている。神を身近に感じ、それを完全に信じている彼らの瞳だ。巨大な一枚岩のように、揺るがない決意を抱いている者。

「お、俺は人間だ……。ア、アンタだって俺と同じようにココに昇ってきたんだろ?! いきなり、人を化け物あつかいしやがって、失礼じゃねーかっ!」

「はんっ! ガキのクセに言いやがる。が、確かに正論だな。ホントに手前が人間なら、まあ、興味はねえが……」

 そう言いながら、後頭部をボリボリと掻き始める男。右手に持っている長い棒もダランと垂れている。

「もういいや。ガキ、とっととどっかに消えろ」

 つまらなさそうに欠伸をしながら話す大男。完全に俺への興味を無くしたように、ぼんやりとあらぬ方向を眺めている。
なんという自分勝手な男だ……、少し腹を立てながらも俺は、エリンがいるであろう図書館へ向かおうと……ッ!!

「なッ!!」

 俺が後ずさりをしようと、後ろに注意を向け体重を移動させたその瞬間っ!! ビュン!! と風を切り裂きながら突き出される棒。
その凄まじい速度、ギリギリで首をそむけて回避、だが足元がグラリと揺れる。不安定すぎる屋根の上、しかも強風が!

「ハハッ! 良くかわしたな!!」

 一気に間合いを詰めてくる大男。間髪入れず、男の持つ棒が回転し頭上から俺を襲い来る。横からの強風、夕日が目に入り目がくらむ。
かわせない!! 反射的に両手を上へとクロスさせブロック。
 バキンッと乾いた音を立てて砕け散る棒。俺の腕は、何の痛みも感じない。そのままバックステップで間合いを取ろうと……。

「甘めえッ! 逃すかッ!!」

 両腕を上へと挙げ、がら空きになっていた俺の腹部。そこへ大男の巨大な左手が乗せられていた。野太い叫び声と共に、その足元の屋上のブロックがバキバキと音を立てひび割れていく。その凄まじい踏み込みと、腰の回転。男のつま先、太もも、腰、背中、肩、腕、掌へと何かが波動のように伝わっていく気配っ!
 ダメージなど受けるはずが無い……と思うのだが、俺の全身に悪寒が稲妻のように走る。何だッ!? 何か、ヤバイッ!!

「がはッッ!!」

 ドブッ!! と掌が乗せられた俺の腹部へ重い衝撃が生じる。体の外からではなく、まるで俺の体内へいきなりマグマが噴出したような重さと痛み。
腹が焼けるような衝撃……。
 我慢できずに本能のまま、後方へと飛翔。空中で制御服がガリガリと狂ったような音を立てる。が、何とか男から離れた場所へと着地。

「ぐぅッ! な、手前ッ! 何をしやがったッ!?」

 大男の野太い怒鳴り声。ソイツは自分の左肩を抑えながら、ギラギラした視線で俺を睨む。
さっきの瞬間、俺は咄嗟に唾を男の体目掛けて吐き出したのだ。が、目の前に男はそれを肩で受け、衝撃を逸らしたようだ。
石をも砕く俺の唾……。まともにヒットしていれば決着が着いたはずだろうが……。

「く……」

 俺も腹部を手で押さえる。まるで食中毒にかかり、凄まじい下痢になっちまったような連続的な灼熱感が腹部を襲っている。
信じられない……。この星の人間に比べれば、俺の筋肉密度はダイアモンド以上の防御力になるはずなのに……。
初めてとも言えるダメージに冷や汗が流れる。コイツ……、何者だ……。

「手前……、蟻の外骨格さえ無効化する俺様の掌波をくらって立ってるだと……? 殺すつもりじゃなかったから、練りが足りなかったか……」

 ポツリと呟いた男が背後へと手をまわし、何かを右手へと取り出す。それは鎖のような物だった……。
ジャラジャラと音を発しながら、まるで生きている蛇のようにグネグネと動き、男の右手の先へとぶら下がっている。

 俺は唾を飲み込みながら、その姿を見つめ続ける。何をされたのか解らないが、ダメージを受けたのは事実。
コイツはやはり、とてつもなく厄介だ。この距離で手を振り、風圧で吹き飛ばすか? しかし、この高さから墜落させたら死んでしまうだろう。
 かといって、逃げられるか? 男の持つ鎖がヒュンヒュンと風を切る音を立て回転を始めている。
その不気味な音……、そして俺を睨んでくる眼光に油断はない。唇を舐めながら、獲物を狙う獣のように俺を見つめるその不気味な瞳。

「いたぞっ!! あそこだっ!!」

 睨み合う俺の背後、学校の窓側から複数の男女の叫び声。やばい……。背中を冷や汗が伝う。
はっきり言って、目の前の男以外のヤツなど敵じゃない。だが、他の奴等に一瞬でも気を取られた瞬間、さっきの技を頭にでもくらったら……。
きっと死にはしないだろうが……、脳にこんなダメージをくらったら、どうなるか予想も出来ない。

「―――きゃああっ!! ヒロッ!!」

 その時、エリンの叫び声が聞こえた。咄嗟に反応して振りむきその方向を見る。下方向、二階あたりの窓。そこから顔を真っ青に染め、エリンが俺を見つめている。泣きそうなその真っ黒な瞳。夕日に照らされた漆黒の髪。小さな両手を口にあて、ガクガクと体を震わせている様子……。

「おらっ!」

 ジャッッ!! と迫る鎖の先端。余所見をした俺の隙を逃さず、男が右手を振るう。蛇のようにくねりながら、その鎖が俺の首元へと凄まじいスピードで飛来。

「なっ!! てめえッッ!!」

 大男の驚愕の叫び。俺は、首元まで迫ってきていた鎖の先端へ自分から額をぶつけ、そのままの勢いで屋根の上から身を躍らせた。
何も無い庭へと向かって……ッ!!

「いやあああああっ!! ヒロッ!!」

「バ、馬鹿ヤロウッ!! つかまれッ!!」

 響き渡る様々な声、俺の手元へと鎖が飛来してくる。
が、それら全てを無視し、俺は体を捻り、右手のひらを思い切り広げ、背後、何もない大空へギリギリと力を溜める。

「リミット全解除」

 呟きと同時、キーンと甲高い音を発し、俺の服が全ての重力制御を解放。軽い……、地球の十分の一以下の重力しかないこの星。
その弱い重力全てを振り切るような勢いで思い切り背後へと腕を振りぬくッッ!!
 ビュオッ!! という大気を切り裂く音、そして竜巻のような烈風が吹き荒れる。屋根や建物のもろい部分がその突風に煽られ、次々と上空へと舞い上がっていく。

「おおおおおッッッ!!」

 悲鳴や怒声が響き渡る瞬間、俺は自ら巻き起こした突風でギリギリ体の方向をずらし、三階の窓枠へと指をかける。
ミシミシという不吉な音を立て、俺が指をかけた部分へとひび割れが走る。
 が、なんとか崩壊せずに持ちこたえてくれた……。そのまま体を回転させ、窓枠の中へと飛び込む。

「リミット始動」

 さっき彼女がいた場所。ガクガクと年齢相当の少女のように体を震わせていた彼女。その場所へと向かい、俺は一気に駆け出した。



◆◆◆



 ――― それより数分前の事、巫女エリンは二階にある図書室で、何冊もの本を山のように積み重ねていた。右手に持っているのはマスターカーチルより指示された火薬に関する研究レポート。
 軍事研究……。『蟻』『竜』『獣人』など人間の外敵が多すぎるこの大陸にとって、新たな武器、新たな兵器は必須のモノである。が、どちらかと言えばエリンの興味は兵器には薄く、その才能は農業や数学、物理などに向かっていた。
 もちろん、エリンの発見が新たな兵器の先駆けになる事もあるのだが、ただ独りで時代を先取りしたような彼女の発見は、他技術者の理解を超えており、その天分は兵器へはあまり発揮されていなかった。

「一度、屋敷に持って帰らなきゃ」

 ぽつり……と眼鏡を触りながらエリンは呟く。取りあえず数冊の本を抜き出したものの、この10倍近くの量の資料は必要になるだろう。
『天才カーチル』の二つ名は伊達ではなく、そのレポート内容にざっと目を通しただけでも、相当に難しい課題と言えた。
 ふぅ……と疲れたようにため息を吐くエリン。ずっと、ずっと走り続けてきた……。そして、彼女はこれからも走り続けねばならない。その天分ゆえに。

(ヒロに運んでもらおう……)

 今から約2年前……。あのセッタル枢機卿事件で出会って後、巫女エリンは、セラ、ガレン、ヒロの三人を屋敷へと迎え入れた。
表向きの理由としては、亡命者であり他国の元将軍であるセラを暗殺より守る為。
 そして、セラとガレンに秘密の理由として、貧民層の人々の危機を救いたかったから……。エリン、ハル、ヒロの三人でおそろいの白いコスチュームを着て、貧民街の危険な箇所を守り、外敵を防ぐ。
 
 それは、根本的な解決にはならない、ただの子供じみた偽善活動に過ぎないと。自分でもよく解っていた。だけど、じっとしていられなかった。
あの日、エリンがマーマンへと連れ去られそうになった時の恐怖。それを粉々に打ち砕いてくれたヒロの姿……。多数の怪物をおもちゃのようになぎ倒すヒロ。
恐怖に失禁しながらも、そこから立ち直り、理解不能の輝きを発した姿。

 それは、まるで絵本の中にでてくる英雄の姿……。エリンは神を信じていない。宗教学校に在籍している為、表面上は完璧に演じているが、本心では全く信じていない。
 だがそれでも、あの日、あの瞬間……、自分と同じ髪の色を持ち、同じ真っ黒な瞳を持つ男が、何の見返りも求めずに助けてくれた奇跡。その喜び、あの瞬間の感動。人生に絶望し、あきらめた瞬間、目の前に表れた奇跡を、貧民街の皆にも持って欲しいと願ったのだ。

『――― エリン……、三人そろってこの格好ってよ、馬鹿みたいじゃねーか? ははっ、でもまあ……、仲間って感じだな。よし、パトロールに行こうぜ』

 本当は、私の願いなんてヒロは聞く必要なんてなかった。彼の戦闘力に比べたら、きっとハルだって子供以下だろう。あの時、彼がセラ達に知られたくなければ、あっさりと私を殺せば良かったのだ。
 そもそも、あの時に助けて貰って、借りがあったのは私の方。なのに……、ヒロはコクコクと頷き、軽口を聞きながら私の手伝いをしてくれた……。

(私と同じ髪……、同じ瞳……、ふふっ……)

 エリンの15年という生涯の中で、同じ髪と瞳を持つ人間にあった事は無かった。自分と同じほど孤独な人間にも会った事はなかった。
孤独……。親も友人も無く、側にいるのは護衛役の騎士ハルだけ。それだけではなかった、誰とも共有できないほど突出した自分の能力……。
『天才』『化け物』『奇跡の巫女エリン』『異常子』
 エリンに何度も浴びせられる賞賛の声と怨みの言葉。それは同じ意味にしか聞こえなかった。あまりに突出した知力ゆえ、誰とも孤独を分かち合うことが出来ない日々。

(でも……、ヒロなら……。もしかしたら……、ヒロなら解ってくれる?)

 不思議な思い。ずっと独りだった。辛くても、悲しくても、誰も理解などしてくれない。望みなどとうに絶えていたエリンの目の前に現れ、英雄のように救ってくれた彼。自分と同じ、異能を持つ存在……。
 そんな物思いにふけりながら、エリンは図書室を一旦出ようとした。

「巫女エリンッ!! あなたの従者が大変だっ!! 早く、護衛待機室へっ!」

 その時、勢い良く図書室へと駆けつけてきた神聖騎士がエリンへとそう叫ぶ。赤い髪の色をした、ハルと同期の女性騎士。

「えっ!?」

 神聖騎士は普通、学校内での揉め事には関係しない。護衛として配属されてはいるが、神聖騎士と学校では命令系統が異なるからだ。
あくまでも軍隊として存在している神聖騎士団は、神と国民、国への奉仕が第一目的である。
 学内での揉め事は、教授と学生が主体となる保安委員が対処することになっていた。それなのに、神聖騎士が忠告にくる事態……。
それはきっと、どうしようもなく不味い事態だという事……。

「ハルには借りがある、急いでッ! 巫女エリン!」

 赤髪の騎士に促されるまま、駆け出そうとしたエリンは、ふと隣の棟四階にある護衛待機室を見て悲鳴を上げた。

「―――きゃああっ!! ヒロッ!!」

 高い屋根の上、誰か大男とヒロがにらみ合っていた。エリンの声が聞こえたのか、こちらを振り向く彼。その真っ黒な瞳と視線が交差する。
ヒロが死ぬなんて思わない。思っていないのに、それでもエリンの胸は恐怖に竦み上がってしまう。ガクガクと体の震えが止まらない。
 何故、自分がこれほどヒロを心配してしまうのか? その理由も解らぬまま、ただエリンの足はすくみ、そこから一歩も踏み出せない。

「いやあああああっ!! ヒロッ!!」

 自分の喉から凄まじい叫び声が湧き上がる。ヒロが、エリンの見ている前で自殺するように空中へと身を投げたから……。
つま先から脳天まで、凍るような寒さが走り抜ける。感情が先走り、少女の体に鳥肌が立つ。
 論理的な思考を常に続けてきたエリンにとって始めての経験。胸の奥から訳の解らない思いが込み上げてきて、吐き気を覚える。

(また……、また……、一人ぼっち…………? やだ……やだやだやだやだ……)

 ゆっくりと暗くなっていく自分の視界。フラフラと定まらない足元。まとまらない思考。
崩れ落ちるように、エリンは気を失った……。



[16543] 第12話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/06/09 03:20
 俺は、様々な宗教的絵画や装飾が飾られた長い廊下を、脱兎の如く駆け抜けていく。
ここ、三階東棟からエリンがいた二階西棟を目指して……。様々な人々の悲鳴や非難じみた声が聞こえるが、それらを無視し、一気に階段を駆け下りる。

「貧民ッ!! 待てッ!!」

 飛ぶような勢いで階段を抜け、二階へと降り立った時、俺の前方から複数の男女の声が響き渡る。更に背後からは、バラバラと勢い良く駆け下りてくる足音。
 ――俺の目の前には廊下を塞ぐように豪華なローブを着た助手と、メイド服の女たちが10人近く立っていた。

「貧民の分際で保安委員から逃亡するとは、正義の鉄槌を僕らが下してあげようっ!!」

 芝居じみた動作で、目の前、助手の男どもが腰から剣を抜いて構える。その背後からメイドの甲高い応援の叫び声。
背後から複数の足音がドンドンと迫り来る。

(不味い……)

 背筋を汗が流れる。きっと上階から駆け下りてくる足音の中にはさっきの大男も混じっているだろう。
ヤツだけは油断できない……。さらに、乱戦になると俺も手加減が難しい。思わず当たった腕で、コイツ等の頭を熟したトマトみたいに潰したくは無い。
 それに……エリンだ。さっきチラッとしか見えなかったが、明らかに様子がおかしかった。普段冷静なエリンらしくない、混乱した雰囲気。
学内で彼女に危険があるとは思えない……が、それでも心配だ。
――今、速攻でやるしかないッ!!

「きゃー! 頑張ってー! 平民なんかやっちゃえッ!」

 メイドの声に押されるように、剣を構えたままジリジリを迫り来る目の前の男達。明らかに剣を握りなれていないぎこちない様子。
だが、その顔は全員がギラギラとした興奮に満ちている。
 俺は焦る気持ちに押されるまま、無造作にそいつらの方へと足を進めた。

「くらえっ」

 俺の体目掛け、同時に振るわれる五本の剣。その軌道も頼りなく、鋭さ、スピードも足りない。普段ハルやガレンの剣を見慣れている俺にとって、失笑するレベルの技量。
 十分に余裕をもって視認し、そのヌルい剣筋に両手の指を広げタイミングを合わせ……、
 
 ――ピタッっと、右手で三本、左手で二本、振るわれた剣を全て指の間に挟みこむ。

「なっ!!」

 驚愕の表情、悲鳴じみた声、男どもが動かそうとしても俺の指の間に挟まれた剣はピクリとも動かない。そのまま、俺は目の前の全員に向かい低く言い放つ。

「どいてくれ……」

 ガランッ……と重い音を立てながら床へと転がり落ちる剣。呆然とした表情で棒立ちの男達、喉の奥で悲鳴を上げ、怯えた表情であわてて道を空けるメイド達。
俺は、そいつらを一瞥もせず、その横を通り抜ける。

「待てッ!!」

 背後から鋭い声と複数の足音。それを無視し足に力を込める。焦燥感が募る……、俺が本気で走れば瞬く間にエリンの元へと辿り着けるだろう。
だが……それは、俺の異常性を証明し、逆に彼女へと迷惑をかける事にならないか? 
 そして、俺の中に潜む臆病な心。ずっと皆とこのままの生活がしたい、という保身への欲望が身を焦がす。あの大男の言うとおり、俺はこの星の人々と比べれば、怪物と変わらない。
 ギリギリと唇を噛む。決断が出来ない、ズルズルと皆の優しさにすがり付いている自分の弱さが情けない……。
そんな思いを抱きながら、何度も聞こえてくる背後からの声を無視し、人々よりも早く、しかし本気を出すことも出来ぬまま……、俺はエリンのいた図書館の前まで辿り着く。

「エリンッ!!」

 俺の目に飛び込んできた光景……。エリンが廊下に倒れ、一人の女性騎士から膝枕をされていた。
彼女の黒い髪が、はらはらと廊下の冷たい床へと広がり、青ざめた顔で瞳を閉じている。
 ……ドクンッと俺の鼓動が高鳴る。何が!? 一秒でも早く、俺は彼女の元へ駆け寄ろうと……、

「――ッ!?」

 その瞬間、俺の首へと巻きつかれる鎖。背後を振り返れば、ニヤリと微笑んでいる鎖を持った大男が立っていた。その右手には鎖が光っている。
そして、必死の形相で俺を睨みつける立派な身なりの男女の姿まで。
 大男がギリギリと鎖を握り締めたまま、俺に向かい野太い声で怒鳴る。

「その身体能力……、手前は怪しすぎる。殺しはしねえが、ちょっと調べさせて貰うぜ……」

 その声は俺に届かない。俺の胸の中には、ジワジワと後悔の念が広がっていく。
 エリン……。頑張っている彼女の姿をいつも俺は見ていた。朝、誰よりも早く起き、散歩をしながら考え事をしていた少女。
昼、皆で飯を食っている間も本を読んでいた姿。夜、俺がトイレに目覚めた時もエリンは一人書斎で勉強をしていた。
 そして、わずかな自由時間をつくっては貧民街を警護する日々……。あんなに小さな体でなにもかもを背負ったかのように頑張る少女。
そう、異邦人である俺に出来ることは、ただエリンを守る事、それだけなのに……。

「邪魔するな……」

 ポツリと呟く……。俺の胸に湧き上がる後悔と自己嫌悪。もっと早く、そう、屋根の上で二階に居たエリンを見た瞬間、彼女の場所へ飛翔してもよかったはずなのに。
 ジャラリと音を立て、首に絡みつく鎖に力が篭り、俺の体が引っ張られる感覚。次々に棒を構え、俺へと撃ちかかって来る男女の姿。
胸の奥に湧き上がる焦燥感、苛立ち、そんなモノに突き動かされるまま、俺は腕を……ッ!?

「ヒロッ!! だめーーーーーーッ!!」

 衝動に突き動かされるまま、攻撃をしようとした俺の背後からエリンの絶叫。その血を吐くような悲鳴に、俺の体がビクッ! と痙攣。
が、俺の胸に凄まじい安堵感があふれ出す。良かった……。何事も無かった……。俺の唇から安堵のため息が漏れる。

「くらえッ!!」

 男女の叫び声……。ビュオッ! と空気を切り裂き迫り来る棒。そのタイミング、角度、連携ともにさっきのヤツラとは比べ物にならない。
さらに、その男女の背後、死角から潜り込むように見えるのは、大男の姿……。
地を這うような体勢ながら、凄まじい速度。その左手が開かれた竜の顎のように俺へと迫りくるッ!!

「きゃあああッ、ヒロッ!!」

 エリンの叫び声を聞きながら、俺は落ち着いた気持ちでスッ……、と足を一歩踏み出した。


◆◆◆


 赤髪の神聖騎士サユリ・ライラックは、その後、同僚に何があったのかしつこいほど尋ねられた。
が、結局の所……、サユリにとっても何が起こったのか何一つ解らず、その為に同僚の問いに答えることは出来なかった。
 ――覚えているのは、自分の膝で昏倒していた巫女エリンが、白い男の叫び声で目を覚ました事。そして、普段冷静な巫女エリンの大声で、逆に自分が驚いた事。
 そして……、

「きゃあああッ、ヒロッ!!」

 巫女エリンの叫び声。彼女はサユリの膝から体を起こし、白い男の背中をじっと見つめていた。巫女エリンの眼鏡の奥の瞳いっぱいに涙が溜まっている。
その必死な眼差しにつられ、サユリも視線を白い男の方へと向けた。
 首を鎖でつながれ、数人の男女に襲いかかられている白い男の後ろ姿。

(詰んでる……)

 サユリは瞬時にそう判断した。そもそも、多数対一という前提条件がおかしい。勝ち目など全く無い。せめて巫女エリンの視線を手で防ぐべきか……?
と、咄嗟に考えた瞬間ッ!!

「な、なにっ!?」

 無意識の内に、サユリの喉から驚愕の叫びが上がった。何が……!? 全く訳が解らない。呆然としたまま、目前に広がる光景を見詰めるサユリ。
棒を持ち、四人の男女が襲い掛かった所は見ていた。そのタイミング、スピードともにかなりの修練を積んだレベル。自分でも回避は難しいだろう。
 が、次の瞬間……、その四人は糸の切れた人形のごとく床へと転がっていた。さらに、サユリを驚愕させた事実があった、それは……。

「蟻殺しの、ド、ドガロ……!?」

 神聖騎士の間で、半ば尊敬され、半ば憎まれている存在……、『蟻殺しのドガロ』。サユリの同期であり、友人でもあるハル・オンブズガレルドの実兄。
二年ほど前、ドガロがフラリとガリズガレロへと姿を現した時の騒動をサユリは今もはっきりと覚えている。
 
 ―― 妹、ハルの神聖騎士任命祝いだと、素晴らしく高価で実用的な折りたたみ式のナイフを、神聖騎士団へと持ってきたドガロ・オンブズガレルド。
大騒ぎになる騎士団本部の中で、数年前、謎の失踪を遂げたまま傭兵として名を馳せたドガロに対し、しかし神聖騎士団長マサムネは寛大な処置を下した。
 
 『過去の事、一切を不問とする。ドガロ・オンブズガレルドは神聖騎士として神と己の良心に従うべし』

 本当であれば、逃亡者として奴隷落ちさえありえた状況であった。が、その寛大すぎる処置をドガロが一笑の元に断った。
齢50になる良き団長マサムネはそんなドガロに苦笑したのち、何事か耳打ちを行い、そのまま不問、放免とした。
 
 だが、その不遜な態度に激昂した数人の神聖騎士が襲いかかったのだ。その中には実の妹であるハル・オンブズガレルドの姿も混じっていた。
友人としての贔屓目を抜いても、サユリはハルの実力を高く評価している。そのハルを含め、同等かそれ以上のレベルを持つ神聖騎士数人による斬撃……。
 が……、一瞬後、無傷で立っていたのはドガロだった。そのまま、ハルへと気づかう言葉を残し立ち去ったドガロ。
その怪物じみた強さと、団長にたいするあまりにも不遜な態度は、神聖騎士団において半ば伝説となった。

 ――そのドガロが、今、サユリの目の前で肩膝をついていた。目に爛々と闘志をみなぎらせながらも、左手で腹部を押さえつつ、肩膝を床へとついた姿勢で白い男を睨んでいる。
 訳が解らない……。サユリは目の前で起こっていることが、何一つ理解できない。あの伝説の傭兵が、膝をついている?

「全く……、本気で手前は何者だ?」

 そう低い声でドガロが言い放った直後、その巨体が後方へと下がる。――下がりつつ、ドガロの左手からハガネ製の投げナイフが数本飛翔……したように、サユリには見えた……が早すぎてはっきり解らない。
 後方へと下がったドガロが立ち上がる。白い男も、飛んできた何かを全く気にせずに叩き落し、油断なくドガロを見つめていた。
その二人の間にビリビリとした空気が流れる。
 そして……。

「くっ、これを、使うのは久しぶりだぜ」

 低く言いながらドガロが背後から抜き出し、その両手に構えたモノ……。それは、炎のように真っ赤な刀身を持つ巨大なナイフ……。

「こ、古代遺跡武具……なのか……?」

 サユリは愕然とその赤き刃を見つめる。古代遺跡には数々の秘宝が納められている、が、そのほとんどは使用方法のわからぬものばかりである。
が、極々まれにシンプルな武器が発掘される事があると言う。その形状は様々だが、ほとんど共通しているのは、それが美しく輝く刀身を持つ、という事。
 ――その全ては国が買えるほどに高価であり、そもそも普通は目にする事などない。サユリのように古代遺跡マニアでもなければ、興味も無く、ほとんど存在を信じられてもいないほど、レアリティの高い武器。

「――それはッ!?」

 白い男の驚いたような叫び声。その声と共に、明らかに白い男の態度が豹変した。先ほどまでの脱力したような自然体から、軽く腰を落とし両腕を上げたスタイルへ。
 両腕に赤き刃を構え、大鷲のように大きく両手を広げたドガロと、油断なく素手の両腕を構えている白い男。
見守るサユリの目の前で、その両者の間にギリギリした緊張感が高まっていく。周囲でうずくまっている保安委員の男女が這うようにしてその二人から遠ざかる。
 音を立て、空間が弾け跳びそうなほどの、凄まじい睨み合い……。
と、そこへ……。

「ヒロッ! 止めなさいッ!! ドガロさんも止めてっ! ヒロはハルと私の恩人なのっ!!」

 黒髪の巫女エリン、その少女が大声を上げながら白い男の体へと飛びつく。

「うわっ、エ、エリンッ」

「ああ!? 巫女エリンの関係者? で、ハルの恩人だと!?」

 睨み合う両者からの驚いた声。その声と共に、引き絞られた空気が一気に弛緩する。
白い男の首へと全力でしがみ付き、サラサラと黒髪をなびかせている巫女エリンの姿。
 それはサユリの知っていた巫女の姿とは、あまりにかけ離れており、その様子がまた彼女を心底驚かせた。

 ――以上が、神聖騎士サユリ・ライラックの見聞きした出来事だった。






◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第12話





 コンコンッと俺の部屋の扉が控えめにノックされた。時刻はもうすぐ真夜中になる頃……。
その時の俺は、学校でさんざんな初対面をはたしたドガロという大男が、その後、別れ際で言った事を考えこんでいた。
 …… 一体、誰だ? と一瞬考える。今夜はハルとセラは神聖騎士団へとドガロと共に向かっており、この屋敷にいるのはガレンとエリンだけのはず……。
まさか、ガレン? 隣の部屋で寝ているはずの彼女かと思い、俺の胸がドキンッと高鳴る。

「ど、どうぞ……」

「あ……、ヒロ……、ね、寝てた?」

 予想に反し、俺の部屋へと入ってきたのはエリンだった。ピンク色の寝巻きを着て、長い黒髪のストレートを無造作に腰まで垂らし、おずおずと俺の部屋へと入り込んでくる。
 ほっそりとした肩と体のライン。部屋のランプに照らされ、少女の眼鏡がうっすらとそのオレンジ色の灯りを反射していた。

「ん? いや、寝てなかった。どうした、エリン?」

 なんとなく様子がおかしい。普段、エリンは強気で体に芯が入っている様子なのだが、何となく今夜の彼女は弱々しく見えた。
ピンク色の寝巻きから、彼女の細く白い腕がのぞいている。俺の部屋をキョロキョロと見渡しながら、ゆっくりと歩く少女。
 俺はぼんやりと、エリンは胸がペタンコで子供だけど、意外に手足のバランス長くていいんだ……、なんて事を考えている。

「と、隣……、す、座るわよっ」

 弱々しい……なんてのは、俺の勘違いだった……。何か不機嫌なのか、俺の座っているベッドの横へ、ポスンッという勢いで腰を下ろすエリン。
彼女の黒髪が、その動作に従いフワリと一瞬だけ舞い上がる。甘い香り……。かすかに、その髪から花のような甘く、いい香りが漂う。
 その香りに、俺の胸がドクンッと鼓動を打つ。香水か……? エリンは化粧や、アクセサリー、そんなモノに興味が無かったはずだけど……。

「ゆ、夕方の学校の件で、ちょ、ちょっとね。ヒ、ヒロに言っておきたい事がいくつかあって」

 そう言いながら、真っ黒な瞳で俺を真正面から睨みつけるエリン。……距離が近い。見詰め合うカタチになってしまっている俺達。
その間の空間は30センチ足らずしかない。エリンの瑞々しい小さな唇と、少女らしいキメの細かい肌までしっかりと見える。
 ん……? 唇が……ほんのり赤い? もしかして……口紅を、エリンが? 何故?

「そ、そんなにこっち見ないでっ!! んっんん……こほんっ。でっ、ヒロが窃盗したって件は、保安委員会の勘違いって事で決着が着いたわ。まあ、私は裏があるかも? って推測してるけど……、はっきり解らない。あとは、ドガロさんだけど、正式に謝罪がきました。これも勘違いだって。まあ、明日ドガロさんと神聖騎士団長のマサムネ氏が来るらしいから、詳しい話はソコでってコトね。わかった?」

 右手の人さし指を天井へとピンッと一本だけ立てながら、一気にまくし立てるエリン。意外にピンク色の寝巻きが似合うその姿。
細い腰へ左手を当てながら、どこか怒ったような赤い顔で口を開いている。眼鏡の奥の黒い瞳が、キョロキョロと部屋の中を彷徨っていた。

「あ、ああ……、わかった。……しっかしさ、夕方は、ほんと心配した。エリン……、ごめんな……」

 細心の注意を込め、俺はエリンの小さな頭をゆっくりと撫でる。サラサラの黒髪が俺の指の間を零れ落ちていく。
俺と同じ髪の色……、俺と同じ黒い瞳。もし、俺に妹がいたなら、こんな感じだったろうか? いや、残念ながらエリンほど可愛い顔じゃないだろう……。
 普段、すごくピリピリしている表情のエリンだが、俺達と屋敷にいる時は実に幼く可愛い表情を見せる。きっと、学校でもこんな風だったら、すごくモテルだろうに……。

「心配した!? な、何言っているのよ! ヒ、ヒロがイケナイんでしょう! 貴方があんな馬鹿なコトをしたからっ!? ワタシがっ! いい? このワタシが心配してあげたのっ! 聞いてる……ムッ、ムグググ……」

「ちょ、ちょっと、声が大きいって……」

 エリンの大声に驚き、俺は思わず手元にあった枕でその小さな唇を塞ぐ。隣の部屋ではガレンが寝ているハズだ。朝食の用意でいつも早起きのガレン。彼女の睡眠を妨げるのは悪い。
 というか、本当にエリンの様子がおかしい。普段、こういう風に大声を出す子じゃない。明らかにテンションが高い……一体?

「ぷはっ! く、苦しいじゃない…… 解ったっ、わかりました……。ふんっ、ガレンさんに気を使っちゃってさ……。ふん……」

 俺を真っ赤な顔で見つめるエリン。その瞳が何となく潤んで見える。いや、そうじゃなくて……、この匂い……。
エリンのピンク色の小さな唇、そしてその中の赤い舌が動く度、ほんのりとした……アルコール!?

「さ、酒飲んでるのか、エリン!?」

 驚いた俺、その首筋へと、いきなりエリンが飛びついてくる。その小さな体全体、柔らかく温かなそのカラダが俺へとしなだれかかる。
そして……、カプッ! と俺の右耳へと何かが噛み付くような……!?

「ちょっ!?」

「ウルサイッ!! 静かにしないと、隣のガレンさんに聞こえちゃうよ? ふふ」

 エリンの囁き声と共に、俺の耳全体が湿ったモノに包み込まれる。グチュグチュという唾液をすする音……。そして、舌が耳の中を這い回る感触……。
首筋に全力でしがみ付いてくるエリンの腕、そして、彼女の薄い胸が俺の胸へと押し当てられる。
 ピンクの布越しに感じる彼女の鼓動……、そしてなにか固い感触……!? 俺の胸へエリンの固く尖った乳首の感触が……。

「ワタシ……、すっごく心配したんだからねっ。だから、オシオキしてあげる。もう、あんなコト、ヒロが絶対しないように……」

 小さなささやき声の後、俺の髪がエリンの後ろへと回された手によって掴まれる。弱々しい彼女の力……、でも俺はそれに逆らうことなどできず、導かれるまま上へと顔を見上げる。
 そこにあるのはエリンの顔……。首から手を離し、ベッドへと膝立ちになったエリンが、腰掛けたまま上を向いている俺の顔を覗き込むようにしていた。

「し、舌、出しなさいよっ……お、大人、のキ、キスをし、してあげるからっ! ち、違うわよっ。こ、これは、し、躾なんだからねっ!」

 真っ赤な顔……、どんどんと近づいてくるピンク色の唇。それに誘われるまま、俺はゆっくりと…………。



[16543] 第13話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/06/09 03:23

「ああ……ヒロ……」

 私の唇から、すごく小さな呟きが漏れる。ベッドに腰掛け、私の手で髪を掴まれ、無理矢理に上を向かされているヒロ。
その口へ私は我慢出来ず、生まれて初めての唇を捧げた。
 固い……。まるで、ゴムみたいな感触。クラスメイトや本で読んだ知識だと、もっと柔らかいって……。

(あっ、そうか……。ヒロが言ってた……。私たちとは、構成密度が違うんだ……)

 小さな胸の中の心臓は、ドキドキと張裂けそうなほど高鳴っているのに、脳の何処かは思考を止めない。
お酒を飲んだっていうのに、私の考察は止まってくれない。
 ちゅううううって、思い切りヒロの唇を吸う。冷静な私と、泣きたくなるほど恥ずかしく、興奮してる私が混じりあってグチャグチャ。
固いけど、でも温かい。驚いたように私の為すがままのヒロの唇。そこへ何度も舌を這わせる。
 私、すごく……興奮してる……。

 ――やばい、本当にダメ……。冷静な脳の何処かが、ワタシに警告を行う。
口づけは夫婦のみに許された神聖な行為。……そんな事、解ってる。婚姻前に、しかも、相手は信仰心の無い平民。
 これがもしバレたら、下手をすれば死刑。普通で奴隷落ち、運が良くても退学……。

「うあ……、エ、エリン……どうして……!?」

 その時、ヒロの唇から熱い吐息とともにそんな言葉が聞こえた。
『どうして?』 カチンッ! と怒りが沸きあがる。コッチは死ぬ事だって覚悟してるって言うのに……。
 なんてっ! なんて鈍感な、――ッ!! ううん違う……。

(やっぱり……私の事なんてどうでもいいんだ……。ヒロって、ガレンさんが好き? なの……かな)

 胸の奥がすごく痛くなって、ジワ……と涙が溢れそうになる。それを振り払うように、私はヒロの唇から離れ、再び彼の耳へと軽く噛み付いた。
泣きそうな顔を、ヒロに見られたくなかったから……。

「だ、だからっ、これは罰なの! し、躾だって言ったでしょう? ヒロの故郷じゃ、し、知らないでしょうけど……こ、これは古文書にも載ってる由緒正しい罰なんだからね。もう、だから、だからっ!! ……今はっ、今だけは、私の事だけ考えなさいっ!」

 ぎゅうううう……っと、腕に全身の力を込め、ヒロの首筋へと抱きつく。普段つけない香水をつけ、ハルにも内緒で毎晩練習していた口紅をつけて……。

(でも、きっと、気付いて……ない……よね。いい! それでも……それでもっ!!)

 ヒロの髪を再び両手で掴み、思い切りその唇を奪う。冷静な部分の私が、もし今ヒロが思いきり息を吸ったりはいたりしたら死ぬ……、って告げる。
でも、そんなのどうでもいい。胸の奥から自分でも知らない、燃えるような甘い痛みが私の全身を焦がす。
 新品のピンクの寝巻き姿のまま、私はヒロに思い切り甘えるように抱きついて、何度も、何度もキスを繰り返した。

「ああ……エリン……、うあ……」

 ヒロの唇が震え、なんだかかすれたような甘い声が漏れる。
やばい……、その声だけで私の全身へゾクゾクするような愉悦が走っていく。もっと、もっと……、私を感じて欲しい。

「あっ、ダメだよ、ヒロったら。そんな甘えた声なんか出しちゃって。ふふ……、静かにしないと……ん……んん……」

 気持ちとはウラハラに、意地悪な言葉がポンポンと飛び出していく。そして、我慢できないほどヒロに甘えたい気持ちが膨れ上がっていく。
抑え切れない、ううん……抑えたくない気持ちのまま、私はヒロの喉へと舌を這わす。
 そして……、弾け跳びそうな鼓動の高鳴りを感じながら、ゆっくりと、ヒロの股間へと手を伸ばしていった。

 私の喉はカラカラ。飲んだお酒の酔いが今頃になってまわってきたのか、心臓が壊れそうなほどドキドキと脈打っている。
指先に触れるヒロのモノ……。ソレは本や年上の同級生たちの噂話で盗み聞きして、ひそかに想像していたよりも吃驚するほど熱かった。

(私で……興奮してくれてるの? 私の事……想ってる?)

 ジワ……と涙が出てきそうなほどの悦びが水のように全身を浸す。その顔を見られたくなくって、恥ずかしすぎて、ヒロの首筋へとまたしがみ付く。
ドキドキする思いを隠しながら、何度も何度もヒロ自身を指先で引っ掻く。
 その度、ピクピクと痙攣するヒロが可愛くて、何度も指先で虐めてしまう。

「ふふ……。やだ……、ヒロったら大きくなってるよ?」

 恥ずかしすぎて、意地悪な言葉を言ってしまう自分が情けない。本当はもっと甘えたい。今夜だけは……、私だけを感じて欲しい。
天邪鬼な自分の行動……、それでも解って欲しくて……、私は、ヒロの唇へと再びキスをした……。






◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第13話






 エリンの黒髪がサラサラと俺の頬を流れていく。彼女の甘い吐息、温かく濡れた舌が伸ばしたままの俺の舌へ絡みつき、ゾクゾクするようなくすぐったい感触が湧き上がる。
 たまらなく気持ちいいのに、俺はすごく怖い。もしも、俺が下手に力を込めたりしたら、エリンの小さなカラダはバラバラになってしまうから。

「熱いよ……ヒロのココ……。嬉しい……」

 ゾクッ……とするほど色っぽいエリンの囁き声。その声と共に、俺の白い布に覆われた股間へ、彼女の細い指が絡みつく。
エリンの綺麗に整えられた爪先。それが、ズボンの上からカリカリと引っ掻くように俺の上で動きまわる。
 彼女の濡れたようなピンク色の唇。それが音を立て、何度も俺の首筋へと吸い付く。
真っ赤に染まっているエリンの頬と首筋。黒髪から立ち上る甘い匂いが俺の心を蕩けさせる。

「もっと……、私だけを感じて……。私のコトだけ……、今だけは……私の事だけ想って……お願い……」

 股間の上でエリンの爪が引っ掻くように動く。それがたまらなく気持ちいい……。エリンの真っ赤な頬と囁き声が俺の脳に麻薬のように染み入る。
プツッ……とかすかな音を立て、彼女が身にまとったピンク色の寝巻きのボタンが外されていく。
 真っ白な肌、折れそうなほど華奢な肩、首筋から鎖骨にかけてのラインが部屋のランプに照らされる。

「綺麗だ……、エリン……」

 思わずそう呟く。ランプに照らされている、上半身が生まれたままの姿になった彼女。
小さな二つの胸の膨らみ、中央にある桜色の乳首が、俺を誘うように固く尖っていた。
 真っ赤な顔で、どこか意地悪そうに微笑んでいる彼女。その乳首が大胆にも、俺の唇ギリギリへと近寄ってくる。

「優しく……、優しく舐めて……。ヒロに本気で舐められたら、きっと千切れちゃうから。ふふ……、でも、そうなったら……、一生、責任とってもらうから。そうしたら……んっ」

 エリンの熱い囁きと、甘い香りに俺の脳は沸騰しそうなほど脈打ち、上手くモノが考えられない。
何故……? エリンは罰だって言ってたけど、本当にこんな罰なんてあるのか……? でも、静かにしないと隣の部屋にはガレンが……。
 次々と脳に浮かぶ取り止めの無い思考と、雄の欲求、エリンの手でカリカリと弄られている股間の気持ちよさに耐え切れず、おずおずと舌を伸ばす。
とにかく優しく……、力を入れないように……。舌を桜色に色づいた小さな乳首へと優しく這わせる。

「ああ、んんっ、あ……」

 エリンのピンク色の唇から、普段の彼女からは想像もつかないような、いやらしい声がこぼれていく。
普段、冷静で完璧で、ツンと澄ましているエリンが……。欲望のまま、思いっきり吸い付きたい気持ちを必死で抑える。

「んんんっ、ヒロッ! あっ、あああ。んんっ」

 俺の頭部に全力でしがみつき、胸を唇へと押し当ててくるエリン。
黒髪から立ち昇る甘い香りを吸い込みながら、折れそうなほど細いウエスト、小さなお尻を柔らかく抱きしめる。

「んん……、ヒロも……ヒロも……、私を感じて……」

 立ったまま、俺の頭へとしがみ付いたエリンの足が、俺の股間へとあたる。俺にその乳首を舐められながら、彼女の足が俺の股間を擦るように動く。
ピンク色の寝巻きのズボンに包まれたエリンの細い足。その小さな足が、違う生き物のように俺の股間を刺激する。
 何度も何度も、エリンの小さな胸へと優しく舌を這わせる。その度、エリンの唇から小さな喘ぎ声がこぼれ、部屋の中へと甘い響きを残す。

「あ……んんんっ、あ、あ、ヒロ……、お願い……横に、横になって……」

 ――どれくらい絡み合っていたのか、エリンが耐え切れないというように、熱い吐息をこぼしながら、耳へとそう囁く。

「えっ……、でも……」

 夢のような快楽で溶けそうだった俺の脳が、一気に現実へと引き戻される。このまま……、エリンを抱いてしまったら、きっと彼女の体は耐え切れない……。
胸の内に込み上げてくる絶望と寂寥感。俺はこの星では独り。たった独りの違う生き物だと、そう自覚してしまう。
 
「そんな……、そんな泣きそうな顔しないで……。見て……」

 囁きながら、俯いた俺の唇にキスをして、エリンが真っ赤な顔でベッドへと立つ。そのまま、彼女はサラサラと下半身を覆うズボンを脱いでいく。
ランプに照らし出されるその真っ白な太もも、白い布に包まれたお尻。
眼鏡の奥の黒い瞳で俺へと微笑みかけながら、エリンはその最後の白い布すらも、あっさりと下ろしていく。

「エ、エリン……」

「見て……。私を覚えていて……。貴方は独りだけど……、私もずっと独りだった。だから、だから、私は貴方を忘れない。だから、だから、ヒロも……。覚えててね。眼鏡をかけた貴方と同じ髪、同じ瞳の女の子が存在したって事を……忘れないで……」

 まるで別れの言葉のように不吉なセリフ。だが、その裸体のあまりの美しさに俺は声も出せず、ただ見つめ続ける。
黒い髪が、彼女の華奢な体を飾るように流れ、その両手が呆けたように座っている俺の肩を押す。
 弱い力なのに、俺は全く抵抗出来ず、エリンの為すがままベッドの上へと仰向けに倒れこむ。

「ふふ……、ヒロのココの熱さ……、私の大事な場所にビクビクって届いてるよ。ん、んんっ、すごい……、わたし、凄く濡れちゃってるの……」

 俺の股間の上に足を跨いだポーズで座り込んだエリン。艶かしい吐息をこぼしながら、そのまま彼女はゆっくりと腰を前後へと動かし始めた。
股間を覆う制御服の布一枚を隔て、彼女の無毛の性器がヌルヌルと擦れて行く。エリンの熱さがはっきりと俺自身に伝わってくる。

「ああ……、エリンっ」

「はっ、あ、ああっ……。凄い……私、私、凄く感じてるの。ヒロも、ヒロも私で感じて。あ、ん、あっ……」

 俺の胸へ両手をつき、エリンが前後へと細い腰を動かす度、サラサラと黒髪が流れる。甘い香りと彼女の喘ぎ声が、俺の欲望をどんどん押し上げていく。
眼鏡の奥、エリンの黒い瞳が、涙で濡れたように輝きながら俺を見つめ続けていた。
 俺の男性自身の上で、エリンの細い腰がこするような動作で押し付けられ、彼女の秘所の熱さが俺に伝わる。

「気持ちイイ? ねぇ、ヒロ……。あ、ああっ、私、私っ、すごく、すごく、んんっ……ああ」

 細く白い体が、俺の上で何度も細かく痙攣を繰り返す。部屋中にエリンの髪、カラダから立ち昇る甘い香りが充満していく。
股間の制御服越しに触れる彼女の柔らかな感触と、俺の上で腰をくねらせているエリンのいやらしい動作に、欲望がどんどんと膨れ上がる。

「キ、キス……。キスしながら……、あ、んんっ。一緒に、一緒に。ほらヒロ……、し、舌、出しなさいよ。ああ、は、はやく、も、もう、私……」

 熱い吐息と同時に、エリンが真っ赤に染まった顔を、俺の唇へと近づける。その言葉に命じらるまま、俺は大きく口を開き、限界まで舌を伸ばす。
それにエリンが飢えた猫のように、思い切りむしゃぶりつく。エリンの欲情に歪んだ、泣きそうな表情と、その唇の柔らかさ……。
 部屋の中に、俺達の舌が絡み合う、ピチャピチャという水音が響く。

「あん……んっ。覚えていてね……ヒロ。あ、あ……、私のカラダ……。私の事……、ずっと、ずっと……んっ、ああああっ」

 腰を動かしつつ、俺にキスを繰り返しながら、エリンがそう囁く。時折、ブルブルと全身を痙攣させ、俺の耳へと噛み付き、甘えるように首筋へと抱きついてくる。
 彼女の秘所から、驚くほど大量の粘液があふれ出し、股間の制御服へと熱い染みを作っていく。
エリンの小さな胸、固く尖った桜色の乳首が、俺の胸へと押し付けられ、彼女の唇から甘い吐息か零れ落ちる。

「あ、あ、あっ、ヒロっ、ヒロっ! ずっと……、ずっと……、ああ……、あああっ」

「うう……エリンっ……、もうっ……」

 フルフルとカラダを痙攣させ、俺に腕でしがみ付く彼女。体重の柔らかい重さ、そして股間に押し当てられる秘所の熱さで、俺は限界を迎えそうになる。
何度も、何度も、甘えるように俺の唇へとむしゃぶりついてくるエリン。
 眼鏡の奥の瞳から、大粒の涙がこぼれ、サラサラと黒髪が細く白いカラダへと纏わりついている。

「イく? わ、私もっ、私も、さっきから、な、何度も、イッてるのっ! ああああっ! 今度は、一緒に、一緒に、ヒロ、ヒロッ!! ああああああああああっ」

「ううっ……、エリンっ……」

 感極まったように、エリンが大きくカラダをビクンッと跳ねさせ、裸の太ももで俺の胴体を締め付ける。
全力で俺の首に抱きつき、甘い声を漏らし、ビクビクと細い体を痙攣させていく。その全身から昇る香りと、濡れきった秘所の温かさで俺も限界を迎えた。
 制御服越しに感じるエリンの大切な場所……、そこへ布越しに大量の白濁液を吐き出す。
つま先から、脳天まで電流が走りぬけるような快楽。俺の唇に噛み付くように、何度もキスを繰り返すエリンの体重を感じながら、全身を震わせる。

「ああああっ!! 布越しにっ! ヒロの、ヒロの、感じるっ、あっ、あああ……、ああ、――ッんんんんッッッ」

 細い体で必死に抱きついてくる彼女。柔らかくて細い、そのカラダ。優しく抱きとめながら、俺達は何度も舌を絡めあう。
部屋に互いの汗と、淫らな匂い、そして甘い彼女の香りが混ざり合い、どこか気だるげな空気が漂う。
 その空気の中、甘えるように俺のカラダへとしな垂れかかってくるエリン。長い黒髪が、俺の全身へサラサラと流れていく。

「ああ……。フフ……、ヒロったら、私でイッちゃったんだね……。うふふ……、嬉しい……。もう……バカな事、しちゃダメだよ……」

 俺の胸に小さな頭を載せて、エリンがゆっくりと言葉を紡いでいく。濡れたような瞳……。その真剣な輝きが、真っ直ぐに俺を見つめる。

「ヒロ……。きっと、貴方は世界を変えられる。多くの人を救うことができる。私……、そう信じてる。……私も、私も、頑張るからっ。だから、今夜だけ、もう少し……このままで……いさせて」

 呟くように、言い切ったエリンが、俺の胸に耳を押し当ててそのまま瞳を閉じる。まるで、俺の心臓の音を聞いているかのように……。
なんだか、それが酷く照れくさい。
 が、穏やかな顔で目をつぶっている彼女を押し退ける事も出来ず、俺はゆっくりとシーツをエリンの裸身へとかぶせた。
俺の全身に彼女の温かさが、じんわりと染み込んで行く。

「エリン……、ありがとう……」

 ポツ……と、自分でも意図していなかった言葉が独りでに転がり出て、部屋の中に漂う。
無言のまま、ギュ……っとしがみ付くエリン。
 そのカラダを優しく抱きながら、俺は、ゆっくりと瞳を閉じた。



 ◆



 ――― 穏やかなヒロの寝息を確認し、私はゆっくりとシーツから重い体を這い出す。
まだ……、私のカラダに甘い悦びの余韻が残っていて、それがとても嬉しくて、恥ずかしい。

「んっ……」

 ヒロを起こさないように、床に散らばったパジャマと下着を身につけていく。

(ガレンさんに……気付かれちゃったかな……)

 一瞬だけ考える。いや、きっと大丈夫……。夕食後、ガレンさんの紅茶に、ほんの少量だけど眠り薬を入れた。きっと、気付かれていないはず。
それに……、

「最後だから……、許してね……」

 そっと小さく呟き、身支度を整える。髪を大きく掻いて、背後へサラサラと流す。
ベッドの上で寝息を立てているヒロ。その穏やかな顔を見て、先ほどの自分の乱れる様を思い出し、頬が熱くなる。

 ブンブンと頭を振り、その思いを振り払う。大きく何度も深呼吸を行い、息を整える。
泣きたくなる思い……、このまま、ずっとここに居たい気持ちを、無理矢理に押し潰す。

「――そろそろ行くね。…… 私、ヒロの事、初恋だった。ずっと、ずっとっ!! 大好き……です。さ、さようなら……」

 小さく、本当に小さく囁いて、最後にキスをした。
こぼれそうな涙を堪え、振り返らずにドアへと向かう。

 ――昨日の夕方、マスターカーチルの言葉が胸へと蘇る。

『巫女エリン。どんな理由があろうとも、下人に過ぎない平民ごときが、保安要員4名に怪我を負わせたことは、重大な問題だ。信仰心を得た、と判断されるまで、――奴隷堕ち、そして強制労働が適当でしょう。わかりましたか?』

 あまりに強引なその裁き。
 傭兵ドガロの抗議、神聖騎士サユリの異議申し立てもあったのだが、しかし、その判決を覆すことは出来なかった。
天才と呼ばれているとは言え、一介の学生であるエリンの異議も通るはずが無い。

 ……ただ一つの条件を除いては。

「明日、私、エリンはマスターカーチルの婚約者として、貴方の屋敷へと住み込みます。それで、それで、どうか……、寛大な処罰を」

 数年前から、エリンはカーチルの誘いを何度も断ってきた。16歳になるまでは、普通に生活をさせて欲しい……と、断固として譲らなかったのだ。
その最後のカードを、エリンは切った。

 どうしてなのか? それは自分でもよく解らない。
ただ……、ヒロに、穏やかな生活を送って欲しかった。皆と一緒に笑い、子竜と散歩に出かけ、ピクニックを全員で楽しむ生活。
 きっと、きっと、ヒロも将来、あの異常な能力ゆえに動乱に巻き込まれ、穏やかな生活など送れなくなるだろうから……。
だからせめて、自分の力のおよぶ限り、彼に普通の生活を過ごして欲しい。

 ―― たとえ、ソコに自分がいないとしても……。

「行ってきます、ヒロ。皆と、仲良くね」

 最後に呟いて、涙を振り切るように、書斎へと足早に向かう。この屋敷を一年間、客人セラへと貸し出す書類に目を通し、身だしなみを整えねばならない。
そして、明日、太陽が昇ったら、私はここに二度と戻る事はないだろう……。
 
 崩れ落ちそうになる膝を堪え、私は、また一歩、足を踏み出した。
全身から漂うヒロの残り香……。それを胸いっぱいに吸い込みながら……。




※※お詫び※※

更新、遅れました……。ゴメンなさい。風邪をひきましてタイヘンでした。
うーん、全然エロくないです。すいません。
本気でオリジナル板への移転も考えています。
どうしようかなぁ……。
次回、更新は早めに行いたい……です。

 感想頂けたら、嬉しいです。それでは。



[16543] 第14話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/08/27 13:19
「ドガロよ、ようやく呼び出しに応じてくれたと思ったら、全く……。ワシに頼み事だと? しかも、妹とこんな美女を連れて……。フフ……、困ったヤツだ」

 神聖騎士団団長室。豪華な内装と、様々な甲冑、武具、本の飾られたその広い部屋の中で、騎士団長マサムネは見事な顎の白髭を触りつつ、笑いながら言った。
時刻は深夜……。窓から見える夜空には、銀色に月が輝いている。

「初めてお目にかかります、『良き団長』マサムネ・ミコシバ殿。私は、セラ=フリードガルデと申します。巫女エリン殿の屋敷にて、客分として逗留中の身でございます」

 苦虫を噛み潰したような顔をしている巨漢ドガロの背後から、セラが団長マサムネへと優雅に礼を送る。
金色に輝く髪を見事に頭部へとまとめ、純白のシャツと赤いチェックのスカート。胸元には、赤いスカーフをつけている。平凡な装いであったが、それが逆にセラの高貴な雰囲気を引き立たせ、息を飲むほどの美しさを漂わせていた。

「こちらこそ、宜しくお願い申す。セラ……殿。色々と聞いてはいるが……、お国の件は今は関係ないのだろう。まぁ、楽に……、その辺りの椅子にでも、ご自由に座って下さい」

 ニコニコとした笑顔でセラへと応じるマサムネ。その相貌は目じりが垂れ、口元は嬉しそうに微笑んでいる。『良き団長』という二つ名の通り、それは人の良い初老の男性にしか見えなかった。
 が、そのマサムネに対し、ガチガチに緊張した面持ちで、ハル・オンブズガレルドが声を挙げる。

「マ、マサムネ団長殿っ!! 此度は、俺……、じゃなくて、ワタシの愚兄ドガロの我儘の為にっ! こんな夜分、た、大変失礼致しますっ!! し、しかし、コトが我が守護対象、巫女エリンに関するもので、さ、さらに火急の用件で御座いまして……、その……えと……」

「ガハハッ、ハル、そう緊張するんじゃねーよっ。相変わらず、脳ミソまで筋肉なのか? こんなクソジジイなんか、お兄ちゃんに任せて可愛いハルは、――ががッ!?」

 団長への挨拶に割り込んできたドガロの足を、思いっきり踏んづけるハル。兄とは似ても似つかぬ整った美しく女性らしい顔を、怒りで真っ赤に染め、憎憎しげにドガロの顔を睨みつける。

「あ、兄らしい事などっ、今まで一度足りともした事の無い癖にっ!! 今更馴れ馴れしくするなっ!! ど、どうせ貴様がっ、騒ぎを大きくしたに決まってるっ!! 仮にもあ、兄とは言え、エリン様とヒロに、な、何かあったら絶対に許さないからっ!!」

 ベージュのシャツに包まれた大きな胸を震わせ、なおも言葉を続けようとするハル。紫色のポニーテールが勢いよく左右へと揺れる。
しかし、その言葉を遮るように、良き団長マサムネが、スッ……と右手を挙げた。

「神聖騎士ハル・オンブズガレルド……。ドガロを此度、ガリズガレロへと召喚したのはワシだ。それにな、ドガロにも我等と同じく……、譲れぬ信念があるのだ。どんな確執があろうとも、たった一人の実の兄であろう? そう無碍に家族をあつかうでない……、良いな? わかったら、そなたも椅子に座るのだ、ハル」

 マサムネの前半の厳しい声と、後半の優しい諭すような声色に反応したように、深く頭を下げ、ゆっくりと椅子に座るハル。
その様子を、マサムネは温かな視線で見つめ、あごひげを嬉しそうに右手で触る。
 そして、一人頭を掻きながら立っている巨漢ドガロに対し、口を開いた。

「ふむ……ドガロ。今夜はこんなにも良い月夜だ。色々と話すには、いい夜であろう? さて……、ワシへの頼みとやらを言ってみろ」

「くっ、ジジイ……。アンタのおせっかい焼きのトコ、ちっとも変わってねえな。まあ、いい。それで……、頼みというのは、今日の夕方の事だ。宗教学校でよ………………」

 ―― 豪華な団長室の中に、ドガロの低い声が流れていく。瞳を閉じ、ゆっくりと髭を触りながら説明を聞いているマサムネ。
聞き終わった彼が、いくつかの質問を投げかけ、それにドガロが答える。更に、時折、セラとハルの質問や、検討する声が加わる。
 部屋にいる全員の顔が真剣に張り詰めており、それは、議題の内容が容易ならざるモノだという事を証明していた。
いつ終わるともなく続く検討……。一旦、短く休憩を取り、その後、再度四人で話し合う。いくつもの案が出され、それに対するリスクを検討していく。
議論は白熱し、容易に決着はつかなかった。


 
 ―― 深夜に始まったその会議。結局、結論らしいものが出たのは、もうすぐ、夜が明けようとする時間帯であった。

「ふむ……。結局はヒロ……という使用人が、この条件を受け入れるかどうか? 更に、この試練を抜けれるだけの能力があるか? の二点が問題になる。ドガロの話では、相当に腕が立つらしいが……。そして……何よりも、巫女エリンの意思だ。彼女がそれを望むか? それが一番問題であろう」

 濃い紅茶へと口をつけながら、騎士団長マサムネが言葉を吐き出す。
両目は真っ赤に充血し、何度もまばたきを繰り返していた。しかし、初老の年齢にも関わらず、その眼光は衰えていない。

「ああ。巫女エリンの意思は、俺達じゃどうしようもねえから……賭けになるな……。そして、ヒロってヤツの腕は、実力の点では何の心配もねえ……と思うがな。まあ、俺の妹もついて行くんだ。問題ねえだろうっていうか……、たぶん、それしか無い。二人とも……それでいいんだな?」

 ドガロの眼差しに、軽く頷きを帰すセラ。徹夜だというのに、その凛とした美貌には、一切のかげりも見えない。

「私は、正直に言って、ヒロの実力を知りません。推測だけなら、馬鹿馬鹿しいレベルでいくつか行った事がありますが……。今回の件では、それも試される事になるでしょうし、なにより……、僅かとは言え、我が祖国エウードの現状を知る事ができるチャンスは逃したくない。異議はありません」

 はっきりと言葉を言い切るセラ。その姿……、ピンク色の唇から漏れる言葉にさえ、気品が感じられる。
気力が充実しているように、セラの琥珀色の瞳が、団長室のランプを反射して黄金のように煌く。

「お、俺はっ!! 俺は……、正直、貴様にエリン様の日々の護衛を任せるのは心配だ。でも……、貴様が俺よりずっと強いのも解ってる……。いいか? 誰にも! 絶対に誰にも! エリン様の自由を奪わせないでくれ! あの子は……、エリン様は、もっと、もっと平凡な……、そう、普通の幸せを味わうべきなんだ。あんな、あんな……、何もかもを背負ったような顔で……。エリン様は、ずっと幼い頃からそういう風に生きてきたんだ。頼む、兄貴……、俺達が戻るまでの間、エリン様を……守ってやってくれ。頼むよ、兄貴……」

 肩を落とし、兄へと頭を下げるハル。その紫色の頭部にドガロは大きな掌を乗せ、優しく撫でる。

「ああ……。あのお嬢ちゃんには、誰も、指一本たりとも触れさせねえよ。ハル……。俺は今まで、兄貴らしい事、何一つしてやれてねえ、ダメな男だが……。お前が戻ってくるまでの間、きっちりと守るぜ。安心しろ……」

 優しく右手で妹を撫でながら、ドガロがそう言いきる。無骨な顔、がっしりとしたアゴを微妙に照れくさそうに赤く染め、頬の傷跡を左手で痒そうに引っ掻く。
その兄妹の姿を、良き団長マサムネが嬉しそうに見つめていた。

「よし、それではこれで検討は終了だ。皆、騎士団控え室で仮眠を取るがいい。数刻のち夜明けを迎えたら、ワシは教皇庁へと伺う。正午までに各自、準備を済ませ宗教学校へと向かうのだ。良いな?」

 部屋に響くマサムネの力強い言葉。それに全員が頷きで応じ、めいめいが立ち上がり、一礼をして退室していく。

「ああ、ドガロ……。貴様は少し待て」

「ん? 何だジジイ、俺も少し休みたいんだがよ」

 セラとハルが退去し、騎士団長室の中に二人の男が残っている。面倒臭そうに頭を掻きながら、わざとらしく欠伸をするドガロ。
その様子を、良き団長マサムネは優しげな瞳で見つめている。

「ドガロ……まだ、ここに戻ってこれぬか? 未だ己を許すことが出来ぬのか? 我が娘、シズカも……きっと、神の御許で貴様の人並みの幸せを願っておると思う。貴様の妹、ハルも一人前の神聖騎士へとなりつつある。そろそろ……、騎士団へ帰って来い」

 低く、囁くようなマサムネの声。その優しげな声色に、しかしドガロは首を横へと振った。

「団長……。自分が許せないとかじゃねーんだ。俺は、ただ、アイツを……、シズカを忘れたくないだけなんだ。あの日……、俺の力が、判断が、足りなかったばっかりに」

 ドガロの声。それは先ほどのマサムネの声よりも更に低く、まるで地の底から響いてくるかのよう。そのドガロの声が再び、団長室へと響く。

「正直言って、シズカの……顔も、もうあんまり思い出せねえんだ。思い出せるのは、アイツの匂いや、一緒に訓練した辛く楽しかった日々や、シズカの笑い声。それに……、蟻に喰われちまった……あの日の……、姿だけ……。神なんて、俺は信じられねえ! 俺に、俺に、出来る事はっ!! 一匹でも多く怪物どもを殺し、そして、そして……」

 大きな拳をギチギチと強く、強く握り締めながら言葉を紡ぐドガロ。その姿を、マサムネは優しく見つめ続ける。

「ドガロよ……。所詮、我等は人なのだ。全てを背負い、全てを救うコトなど、どれだけの力を持とうと無理だ。だからこそ、だからこそっ!! 我等は次の世代を守り、夢を託し、連綿と命を、想いを、織りあわされる糸のように紡ぐのだ。ドガロ……、ワシは、何時でもそなたを本当の息子のように思っている。娘、シズカの為、ワシの為、それに妹の為に、自分を大切にせよ。……言いたい事はそれだけだ、仮眠室へと行け」 

 胸の底から搾り出すようなマサムネの声。全てを聞き終え、俯いたままのドガロは深く一礼し、団長室の扉を開き退室していく。
その姿を最後まで見送り、独りになった団長室の中……。マサムネの深いため息だけが、部屋へと響く。
 窓の外、明るかった月は重く雲に閉ざされ、先の見えない闇が、どこまでも広がっていた……。






◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第14話





 ガリズガレロ宗教学校、学校長室。朝日が差し込むその豪華な部屋の中、カーチルの視線を浴びながらエリンは深く頭を下げる。
腰までの長さがあるストレートの黒髪を背中へサラサラと流し、学校指定の白と青を基調とした制服に身を包んでいるエリンの姿。
 普段の可愛らしさは無く、眼鏡の奥の瞳は充血し、唇は青ざめ、顔は苦痛に耐えるようにこわばっていた。

「ふむ……巫女エリン。緊張してるようだな? 昨夜は眠れなかったようだ……。だがいい、今日は休日だ。さあ、座りたまえ」

 唇を冷たい笑みの形へと歪めながら、カーチルが少女へと傲慢に言い放つ。その顔はまるで、捕らえた獲物を嬲る猫のように冷たい。

「はい……、マスターカーチル……。失礼します」

 対称的に、どこか弱々しげなエリンの言葉。ゆっくりと上質な椅子へと腰掛ける姿も、普段の少女とは異なり、折れそうな花のように頼りなかった。

「フフ……。いや、すまない。巫女……とはもはや呼ぶ必要は無いな。エリン……と呼んで上げよう。さあ、エリン。顔を上げたまえ。そして、私の事は『あなた』と気安く呼んでくれて構わない。解ったかい、エリン?」

 カーチルかけた眼鏡の奥、冷たいグレーの瞳がいやらしそうに輝く。
『エリン』と言う呼びかけに、ビクッっと細い体を震わせる少女。その唇は小さな歯で噛み締められ、可愛らしい顔は涙を堪えているかのようだった。

「はい、マスターカーチル」

 必死に抵抗するように『あなた』とは呼ばず、あくまでも他人行儀に接しようとするエリン。その様子を堪らなく嬉しそうに見つめているカーチルの顔。
舌なめずりをしそうなほど、上機嫌な笑顔で微笑む。

「はははっ、さすがの天才少女も照れくさいのかね? それとも……、誰か他に想い人でもいる、いや……『いた』のかね? ふふふ……、まあいい。君は今日から、私のモノだ。そして……、それはエリン! 君の願い、目標への一歩でもあるはずだろう? 今、こうしている今も! 飢えで苦しむ奴隷、貧民を救いたいのだろう? ならば……、共に生きようではないか……、なあ、我が妻エリン」 

 柔らかな声色で少女へと語りかけながら、カーチルは豪華な椅子から立ち上がり、そのまま部屋の奥の扉へと向かった。右手に持っているのは銀色に輝く鍵。
その鍵を使い、カチャリ……と扉の鍵を開け、俯いたままのエリンへと向き直る。

「さあ、エリン……。この部屋には私の仮眠室がある。こちらへ来なさい。あの使用人の事もある……。約束だったはず……。聡明な君の事だ。解るだろう、エリン?」
 
 その声に、ビクンッと細いカラダを震わせる少女。眼鏡の奥、黒い大きな瞳から一筋の涙が、ゆっくりと白い頬を伝い落ちていく。
制服の青いスカートを小さな手で、ぎゅっと握り締め、ガクガクと膝を震わせながら、エリンが椅子から立ち上がる。
 ゆっくりと、一歩、また一歩と、崩れそうになりながらカーチルへと進む少女。その壊れそうな姿を、ただじっと見つめ続けるカーチル。

「なに……心配する事はない。時間はたっぷりとある。これから、夜になるまで……、いや明日の朝まで、ずっと一緒なのだから。ふふ……エリン、楽しみだよ」

「きゃっ」

 ゆっくりと近寄ったエリンの手を強引に掴み、そのまま扉の中へと引きずり込むカーチル。その顔には普段の紳士然とした余裕は無く、ギラギラと欲望に濡れた獣のような表情だけがあった。

「マ、マスターカーチル!! 未だ婚姻の許可は教皇猊下より頂いてはいませんっ、ですから、ですからっ。お許しを! 神の裁きが下りますっ!!」

 朝日が差し込まず、ランプの明りだけの薄暗い仮眠室の中に、エリンの必死の叫びが響く。細い左手首をカーチルにがっちりと握られ、ガクガクと恐怖に身を震わせながらも、大きな声を上げる。
 それは、囚われた美しい小鳥が、カゴの中で泣き叫んでいるようにも見えた。

「ふふふ……、これは面白いっ! 君が神の裁きだと!? ははっ!! 解っているよ、エリン。君は神など全く信じてはいないだろう? ……そう、私と同じく!! ふふ……、怖いかね? 安心しなさい、我が妻よ。痛みなど感じさせず、この世のモノとは思えぬ快楽で、すぐにその心を溶かしてあげるから。さあ……」

 悠然と笑いながらカーチルが懐より香水入れのようなビンを取り出す。細やかな細工をされたその小瓶には、スプレー式の噴射装置がついており、エリンの顔へと向け手元のレバーが操作された。
 プシュっという音と共に、細かい霧状の液体が少女へと降りかかる。必死に顔を背け、抵抗を見せるエリンだが、左手首を握られている為に避ける事が出来ない。

「くっ、こほっ、うう……。マ、マスターカーチル! い、一体何をっ!! きゃっ」

 抗議の声を上げるエリンの顔へ、何度もスプレーを噴きかけるカーチル。その顔は狂気のような笑顔で飾られ、瞳は欲情に濡れている。
苦しそうに咳き込み、力なくひざまずくエリン。たが、そんな状態の少女へと更に何回もスプレーはかけられていく。

「すまないな、エリン。だが、苦しいのはほんの一瞬だけだ。……ふふ、どうだい? 我が妻よ。そろそろ……」

「こほっ!! な、何を言って!! こ、こんな妖しげな……、許さないっ。マスター、カ、カーチル。すぐにでも神聖騎士にっ!! ん……、そ、そんなっ……。ああっっ! こ、これって……。ああ……んんんっっっ!!」

 自由な右手で己の体を抱くようにしながら、唇を噛み締めるエリン。その幼いカラダをどのような効果が責めているのか? 
幼くも整った顔立ちは真っ赤に染まり、眼鏡の奥の黒い瞳が、まるで熱に浮かされたかのように、とろん……と空中を彷徨い始める。

「夢の水……の改良版だよ。まあ、劣化版とでも言うべきか。麻酔利用、そして精神の病に対して、非常に薬効が高くてね。安心しなさい。中毒性はそれなりに抑えられているし、別に違法ではない。まぁ、簡単には手に入らないし、中毒性もゼロではないのだがね。ふふ……、特に、コレを使用した後、愛し合ったりすると……ふふ、はまってしまうよ。冷静な君を、これから快楽でよがり狂わせられると思うと……堪らないな。はは、呼吸でさえカラダを焦がすようだろう?」

「あああっ、んんっ!!」

 ドンッっと仮眠室のベッドへとエリンを強く押すカーチル。エリンの身にまとった制服の白いブラウスは、噴き掛けられた薬で濡れて白い肌に張り付き、青いスカートは、ベッドへと倒れた拍子に太ももまで捲りあがる。
 全身を震わせながら、必死に呼吸を整えようと足掻くエリン。だが、その顔は情欲に濡れたように赤く、唇も艶かしくピンク色に濡れている。

「げ、下劣なっ!! こんな薬を使うとは……。ア、アナタには、誇りというモノは……んんんっ、ああ……、な、無いのですか? ああ……、嘘……こんな……ヤダ……、ヤダよぉ。助けて……ああ……、ヒロ……怖い……怖いよ」

 力の入らないカラダで、這うようにベッドから逃げようと足掻くエリン。しかし……、布が皮膚に擦れる感触でさえ、全身に凄まじい快楽を生じさせていく。
目の前が真っ暗になりそうな恐怖……。エリンの背後からシュルシュルと布を脱ぐような音が聞こえる。
 犯される……、こんな、こんな最悪のカタチで……。胸に広がる絶望……。
 力が入らない腕で、どこにも逃げ場など無いと解っているのに、それでも何かを求めるように、エリンの手が空中を彷徨う。
 
「ははっ、やはり想い人がいたのだね? 面白いよエリン。これから、毎日愛し合おう。そして、君が快楽に溺れきったら、その男を呼び出し、目の前で抱いてやるとしようか……。くくく……、嫌がりながら、それでも快楽に溺れていく君の姿が目に浮かぶよ。さあ……愛し合う時が来た。エリン……」

「ああ……ヤダぁ……やめて……んんっ、こんなっ、助けてっ、助けて……ヒロ……ああ……」

 涙を流しながら、壁際でガタガタと幼い体を震わせているエリン。その青いスカートから伸びる細く整った足へと、カーチルの指が触れようとした時……。
 
 ――ドンッ!! と凄まじい轟音と共に、仮眠室と学長室を隔てていた扉が吹き飛んだ。

「な、何だっ!?」

 驚愕の表情を貼り付け、開け放たれた入り口を振り返るカーチル。
そして……、僅かな希望にすがるような視線で、その朝日が差し込む空間を見つめるエリン。
 
 その二人の視線の先に……、背後から朝日を浴びて、全身に扉の残骸の粉塵を霧のように漂わせた、白きマスクを着けた男が立っていた。

「平気? 俺、助ける、きたよ……。エリン……」

 白き男の口から放たれた言葉……。
ソレは、二年前、エリンがマーマンに捕らわれ、絶望の中、白き男と出合った時と同じ言葉……。

「ヒロッ、ヒロ、ヒロッ!! ああ……嘘……ヒロ……。あ、あきらめてた。私……もう、二度と会っちゃダメだって……あ、あきらめてたのに……。ああ……ヒロ……ヒロ……嬉しい……嬉しいよぉ……」

 まるで祈るように、泣き崩れる子供のように、エリンがその名を何度も呟く。
 ボロボロと少女の頬を大粒の涙がこぼれ、白いブラウスへ真珠のように落ちる。
 ヒロとエリンの視線……。
 薄闇を切り裂いた神々しいほどの朝の光の中、二人の真っ黒な眼差しが、互いを求め合うかのように、じっと絡み合っていた。




[16543] 第15話
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/09/15 12:38
 
 ◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第15話


 人口約20万、大陸最大の宗教国家ガリズガレロ。その頭脳の中枢とも言える宗教学校の学長であるカーチルは、粉々に吹き飛んだ扉と、全身に粉塵を漂わせた白い男の姿を呆然と見つめていた。
 粉々に砕け散っている扉はハガネを仕込んだ特別製である。奴隷の反乱、獣人の襲撃、テロなどの緊急時に、簡易のシェルター代わりにもなるように設計されている仮眠室。それを守る要であった扉が、まるでお菓子のクッキーのように割れ、室内へ落ちていた。

「ほ、保安要員っ!! 」

 カーチルの喉から悲鳴のような叫びがあふれ出す。仮眠室の反対側にある扉には、常時6名ほどのカーチルの奴隷、兼助手である保安要員が待機している。彼らは全員戦闘訓練を積んだ優秀な警備員でもあった為、すぐにでも物音を聞き駆けつけてくる筈……カーチルは素早く思考を回転させていく。
 あの扉は人間一人の手で、ここまで壊れるような弱い作りではない……とするならば、この白い闖入者は火薬を用いたとしか考えられず、ならばタイミングから見ても計画的。他に武器を持っている事も十分に考えられる。どうにかして時間を稼がねば……と思った瞬間。

「ひっ」

 喉から悲鳴があふれだす。パニックを必死に抑えつつ、考えをまとめようとしていたカーチルへと向かい、白い男が一気に床を蹴り、みるみるうちに距離をつめてきたからだ。
 恐怖にかられ思わず背後に後ずさりをし、ベッドへ足をとられて倒れこむ。その拍子に、バランスを取ろうとしたカーチルの腕が、ベッドに横たわっていたエリンのほっそりした足へと触れた。

「きゃっ、さわらないでッ! ヒロっ、ヒロっ!」

 カーチルの背後、感情むき出しの声で、まるで恋人へすがるような声をあげている巫女の姿をカーチルは見た。眼鏡の奥、黒い瞳からポロポロと涙をこぼし、普段の冷静沈着な様子が信じられないほど、純粋な眼差しで白い男を見つめているエリンの姿。
 それは『夢の水』の作用で感情が抑えられなくなっている……としても、あまりにもカーチルに普段接してきた態度とは違っていた。

(ふざけるな……、この女の才能、カラダは私のモノだ。私が教皇になる為に、絶対に欠かせぬモノなのだ)

 普段見たことのない恋する少女の顔に対する嫉妬、将来への燃え上がるような野望。ソレが、恐怖に打ち震えていたカーチルの肉体へと活を入れる。猛然と迫る白き男の姿を視界の端で捉えつつ、カーチルは右手を伸ばし、巫女の美しい黒髪を掴もうと……。

「エリンッ!」

 濡れたような黒髪へ伸ばしたカーチルの右掌。その指先がサラサラした絹のような手触りの黒髪へと触れ、カーチルは力任せにソレを掴んだ……瞬間、ドスッと重い音を立て、何かが手首へとぶちあたった。

「うがっ……」

 激痛のあまり反射的に手を引っ込めてしまう。ズキズキとした激しい痛みが、何かが当たった部分から腕全体へと広がり、痺れたような感覚が腕全体を襲う。
 その一瞬の隙をついたように、ベッドから巫女がウサギのように飛び出し、苦痛と憤怒に耐えるカーチルの目の前で、白い男に抱きついた。

「ヒロッ、ヒロッ、私……、私ね……」

 そこにいるのは『冷血』などと噂される少女ではなかった。白い男の首筋へ、乱れたままの制服にも構わず、細い腕で必死にしがみ付くエリン。カーチルの睨みつけるその前で、涙をこぼしながら言葉にならぬ嗚咽を繰り返し、必死にすがり付いている。その幼い少女のカラダを優しく抱きとめている白い男。
 
「馬鹿、エリン……なんで昨日、相談してくれなかったんだ。馬鹿……」

「ひっく……、だってっ、ヒロッ、だって……、ご、ゴメンなさい、ヒロ……」

 カーチルの存在などないもののように、抱擁し、囁き声を交している二人の姿……それが、カーチルの胸に黒々とした感情を呼び覚ましていく。
 上流貴族の子として生まれ育ち、九歳で宗教学校特別教室へと在籍。多数の使用人、奴隷、資産を湯水のように使いながらも、それを上回る実績をあげて来た自分に対する強烈なプライド。
 ――猛烈な怒り、虚仮にされた事に対する屈辱、エリンの才能への嫉妬、少女の肉体への固執、白い男への憎しみ、教皇になるという野望。カーチルの中でドロドロした感情が混じりあい、人生初とも言える逆風で、しかし、彼の脳は冷静さを取り戻した……。

「それで……、こんな騒ぎを起こして、どうしようと言うのだね? そこの白い男……どうやら、エリンとただならぬ関係にあり、しかもその様子からすると……、ふむ、昨日、問題を起こした平民の使用人だな」

 未だにズキズキと痛む右手……、それを平然と腰の後ろへと回し、堂々とベッドの横へ立ち上がるカーチル。悠然と胸を張り、眼鏡の奥から冷ややかな視線で、抱き合う二人を見つめつつ口を開く。

「巫女エリンッ!! いい加減に信仰心のない平民ごときと抱き合うのは止めたまえ。……全く、何がしたいと言うのだ? ここで私を襲撃し、巫女をさらうつもりかね? 解っているのか、白い男よ。巫女エリンは希望なのだ。その頭脳は何千、何万の凡人のはるか高みにあり、更になお、その天与の才は伸びていく……そう、私の手で鍛えられることによってのみ! そして、いつの日にか必ず、エリンの天分は多くの虐げられし人々を救うだろう。それでも……エリンをさらうと言うのかね? その才能、天与の才を恋愛ゴッコ如きで奪い、多数の弱き人々の未来、希望を奪うのか? そして、エリン! 君はそれでいいのかね……君の希望、願いは何だ? 言いたまえっ!」

 微塵も怯えた様子を見せず、堂々とカーチルは言葉を紡いでいく。眼鏡の奥……冷たい瞳に睨まれた巫女エリンの顔が、一気に青ざめる。白き男の首へまわした細い両腕……それが、ゆっくりと、だが、確実に離れていく。
 巫女エリンに対し、何かを言おうとする白い男。しかし、カーチルは何も言わせないように、スッと右手を高くあげ、大きく声をあげた。
 ――彼には絶対の自信があった……エリンが僅か5歳で入学試験を突破した時から、カーチルはずっとエリンに囁き続けたから。

『――君の才能はとても素晴らしい。が、君の入学費を出す為に、何人の貧民が食に困っただろうか? 今年の冬は越せるかもしれない……だが、来年、再来年、必ず重い負担になるだろう。赤子がその為に飢えて死ぬかもしれない……君と同じ、親のいない貧民の子供は、君が勉強している今も、飢えと寒さで死んでいるだろう。いいかね……借りは返さねばならないよ、エリン。君の才能、天才は貧民の死と苦しみによって磨かれているのだ。君は必死に勉強し、将来、その全てを投げ打ってでも、人々を救わねばならない……、そう、同じ天才である私と結ばれる事によって』

 親の顔を見たことがない黒髪の巫女……同じ天才であるカーチルはその才能、寂しさを誰よりも早く見抜き、それがゆえに誰よりも早く、その心を自分に依存させようと企んだ。自分の野望の為、最も利用価値が高い道具として……。
 彼女がガリズガレロを離れられる筈がない。貧民を救う……という目的の為、遊びも友人も、何もかも投げ捨てて勉強を続けた日々。ガリズガレロから離れられる筈がない。
 
「カーチル司教っ! 私の、私の願いは……、ひ、人々を、す、救うこと……です」

「そうだ……。こうしている今も苦しんでいる貧民、奴隷……その人々を救う。それは君に課せられた絶対の責務だ」
 
 完全に白い男から離れ、涙を堪えるように小さく呟くエリン。その答えにカーチルは満足して頷きつつ、じっと巫女の様子を見つめる。
そして、巫女エリンをずっと観察し、クラスメイトから孤立させ、その才能を磨かせ続けたカーチルは気付く。白い男に対するエリンのあまりにもストレートすぎる態度……それは、ずっと欲しかった肉親に対する愛情と、初めて頼る相手が出来た喜びが混ざったモノだと。
 まさに憧れ……初恋と呼ぶべきモノで、とても強い愛情……それが為に、新たにエリンを縛る切り札に成り得ると、カーチルは冷静に分析し口を開いた。

「巫女エリン、君がその男に依存しつつあるのは理解できた。が、この惨状を見たまえ……。学長室に乱入し更に扉さえも破壊した。司教であり学長でもある私を狙った恐るべきテロ行為だ……もはや、その使用人には死刑しかありえん!」

 語気荒く言い切ったカーチルの言葉に、ビクンッと怯えたように幼いカラダを痙攣させるエリン。黒い瞳には涙が溜まり、美しく整った顔は青ざめている。サディスティックな悦びを感じつつ、カーチルはその顔を見つめながら優しく言葉を繋いだ。

「だがしかし、しかしだ……私直属の奴隷となるのであれば、特別に白き男の死刑を赦し、残りの生涯をすごさせてやろうではないか。当然、エリン! 君が私の妻になると言うのであれば……だがね。――さあ、どうするのかね? このまま白い男と逃亡し、恩義ある多数の貧民を見殺しにするのか? または、私との婚姻を拒否し、使用人を死刑台へと送るか? それとも……素直に私を夫とし、生涯を共にすごすかね? ならば、たまにはその使用人にも会わせてやろう……私の奴隷として、だが」

 幼い体……折れそうに細い肩を落とし、白い男の隣で立ったまま俯いている少女の姿。制服に付着した『夢の水』は既に乾ききっている様子だが、その薬効はいまだに少女のカラダを蝕んでいるだろう……。カーチルは思わず込み上げてくる笑いを必死で押し殺しつつ、傲慢な顔つきで二人の姿を見つめ続ける。
 巫女エリンに残された選択……それは私と婚姻する以外ありえない。と、カーチルの胸に勝利の確信が沸き起こる。背筋を昇るゾクゾクした愉悦、そうだ、今、この間抜けな白い男の目の前で、はっきりとエリンに誓わせよう……「私はマスターカーチルと結婚します」と、大きな声で宣言させるのだ。

「ん?」

 勝利の余韻に浸っていたカーチルの視界に、一瞬、何かが映りこむ。仮眠室へ差し込む朝日を浴び、キラリと反射した『何か』。それは、先ほどエリンの髪を掴もうと伸ばしたカーチルの腕に当たった物。新たな物的証拠になる……と思い、口元に僅かなニヤリという微笑みを浮かべつつ、カーチルは腰をかがめ『何か』を拾い上げた。

「なっ!? コレはっ! 貴様っ、これはどういう……」

 カーチルの背中に冷たい汗が流れ落ちていく。拾った物を握り締めた右手がブルブルと震え、再び脳裏にパニックが起こりそうになる。驚愕の眼差しでカーチルは手の中の物を見つめ、必死で論理を構築していく。意味が、解らない……、つまり、これは……。
 ごくり……と唾を飲み、カーチルは偽物ではないか? との疑いを込めて、ソレをゆっくりと朝日に照らす。その時、巫女エリンの瞳にもソレが映ったのか、少女の口から悲鳴のような叫びが上がった。

「えっ……、あれって……神聖騎士団が使用する……拘束用のっ。え? ヒロっ、ど、どういう事?」

 カーチルの手の中で朝日に照らされているモノ。それは神聖騎士団が罪人を拘束する為に使用する親指用の拘束具。神聖騎士団の紋章が入ったハガネと革で作られたその拘束具は、中央から二つにちぎられていた。
 エリンもカーチルもあまりに意外なモノに、理解が出来ない……。が、一瞬のち、少女とカーチルは大きな声で叫び声をあげた。

「そ、そんなっ、ヒロっ! 無茶よっ!」

「き、貴様ッ!!」

 驚愕の視線で白い男を見つめる二人。その視線の先で、白い男はマスク越しにニヤリ……とした笑みを見せた。

「そう、俺は神聖騎士団から今朝、逃亡してきた罪人って事だ。ガリズガレロの法……、宗教学校は一種の聖域であり、校内で起こった事ならば宗教学校で裁かれる。――だけど、罪人がガリズガレロ全体に関わる治安維持に関する罪人であるならば、それは宗教学校を超えて神聖騎士団によって裁かれる。つまり、俺の処罰はアンタじゃ決められない……。俺は、エリンとの取引材料にはなりえないって事だ」

 眼光鋭くカーチルを睨みつけながら話す白き男。巫女エリンを守るように背中へと庇い、堂々とカーチルの目前へと立っている。
 
(――こんな、こんな馬鹿な事が、たかが下民如きに……)

 驚愕と憤怒のあまり、カーチルの手から拘束具が転げ落ちる。猛烈に脳が回転し、必死に現状を理解しようと足掻く。折角手に入れたと思っていた新しくエリンを縛る切り札……この白い男は宗教学校の法では裁けない、自分が自由に裁きを下せる立場ではなくなるという事。
学校の枠内を超え、ガリズガレロ全体に関わる罪人であるならば、カーチルの裁量の下、身分を奴隷に決定する事や死刑を下す事は出来なくなる。
いや……それよりも悪いことに……もしかしたら。

「そこの罪人っ!! 動くなっ!!」

 一瞬考え込んでいたカーチルの耳に、鋭い女性の声が響く。ハッとして視線を上げると、そこには紫髪、褐色の肌を持った美しい神聖騎士が立っていた。甲冑越しでもわかる豊かな胸を張りながら、悠々と仮眠室の中へ歩みを進め、白い男の手に拘束具を取り付けていく。

「ハ、ハル!?」

 巫女エリンの驚愕した叫び声。その声にハルと呼ばれた神聖騎士は軽く頷きを返しつつ、整った美しい顔をカーチルへ向けながら、ゆっくりと口を開いた。

「宗教学校長カーチル司教ですね。私は神聖騎士ハル・オンブズガレルド。先日まで巫女エリンの警護担当でしたが、昨夜付けで護衛任務を解任、治安維持に着任しております。今朝、昨日の事件の際、我が神聖騎士団長の客人であるドガロ氏が怪我を肩に負った件で、実況見分を行っていたのですが……私の不覚により、容疑者を逃がしてしまいました。が、こうやって再び捕えましたので……誠に、お騒がせ致しました」

 優雅に腰を曲げつつ、カーチルへと挨拶を送る神聖騎士。朝日に照らされた褐色の肌、その肉体は鍛え上げられながらも、女性の美しさを感じさせる。そのまま、ハルはゆっくりとエリンを振り向き、そして、こう言った。

「巫女エリン殿、貴女には容疑者ヒロの雇用主として、そして、神聖騎士の客人に怪我を負わせる指示を出していたのではないか? という容疑において逮捕命令が出ています。今より、ただちに貴女は宗教学校の保護を外され、神聖騎士団より拘束、連行される事になります。いいですね」

「あ……」

 驚いているエリンの両手の親指へ、ハルの手によって優しく拘束具が巻かれていく。呆然としたまま、護衛役として長年連れ添ってきた神聖騎士の顔を見上げているエリン。その美しい少女の顔に向かい、ハルは一瞬だけ、ウィンクを行いながら小さく囁いた。

「エリン様、ううん、エリン……。はっきり言って、あなたは何もかもを背負い過ぎです。ワタシもヒロも、貴女の事が大好きで、幸せになって欲しいって思っているんですよ。貴女はこれから、神聖騎士団農兵学科で研究に携わることになります。……こんな孤独な場所に、エリン、貴女を縛り付けたりなんかさせません」

「ハル……」

 エリンの顔にゆっくりと喜びの色が広がっていく。全部、お膳立てされていたコトだと理解できたから……。エリンが8歳の頃からずっと護衛として側にいてくれたハル。彼女がヒロと協力し、そして、こうやって強引に救い出してくれたのだと……理解した。
 エリンの胸に希望が広がっていく……もう、教室で孤独に学ばなくてもいい。これからは、神聖騎士団の中で農業に自分の才能を傾け、そして人々の生活を豊かにしていけばいいのだと。

「ま、待てっ、ふ、ふざけるなっ、こんな三文芝居に……。エリンの才能をみすみす騎士団ごときが……」

 声に隠し切れない憤怒を表しつつ、カーチルがハルへと声をかける。眼鏡の奥の瞳は血走り、その歯は悔しそうに噛み締められている。カーチルも理解できたのだ。このカラクリが……。
――エリンの凄まじすぎる才能を欲しているのは宗教学校だけではない。普段、多数の兵が農作業に従事しているガリズガレロでは、農業研究は神聖騎士団農兵学科の管轄であり、そこも当然ながら常に新しい才能、頭脳を欲している。
今まで数度、農業学に優れた適正を見せてきたエリンに対し、神聖騎士団農兵学科からのアプローチがあった……が、十六歳未満という未成年である事や、身元引受人である事を盾に、全てカーチルが断ってきたのだ。己の野望の最も優れた道具たるエリンを、他人に渡すわけにはいかない……こんな事、許せるはずがない。

「騎士団ごときが!! エリンの才能を伸ばせるのはこのカーチルのみ。人には適材適所がある、エリンにとって、その場所は私の隣以外にありえぬ」 
 冷静な仮面を剥ぎ取り、腕を大きく振って叫び声を上げるカーチル。握り締めた拳は怒りのあまり。ブルブルと細かく痙攣していた。
だが、カーチルの怒りを露にした顔に向かい、あくまでも優雅に女性騎士、ハル・オンブズガレルロは言葉を返した。

「この事は、我等が騎士団長マサムネ氏の許可も得ております。それに……これを……」

 ス……と、懐から何かの書状を取り出す神聖騎士。朝日に照らし出されたソレを見つめたカーチルの瞳が、驚愕に大きく開かれていく

「ガ、ガリズガレロ八世猊下の……委任状……だと」

「ええ、今回の件につきましては教皇猊下より神聖騎士団へ一任されております。つまり、カーチル司教……、貴方の意向は申し訳ありませんが通らない、という事です。よろしいですか?」

 ニコリと美しい微笑みを見せるハル。それとは対称的に、ギリ……と音を立てカーチルは奥歯を噛み締めた。
 ――常に周囲の誰よりも頭が良く、名門貴族出身であったカーチル。彼にとって最大の恥辱は、他人からの命令であった。己よりも年長、階級が上だという下らない理由で、彼の能力以下の愚物の指示を受けねばならない理不尽さ。カーチルの胸に黒々とした感情がドロのように積み重なっていく。

「くっ、保安委員っ!! 何をグズグズしている!」

 大声で怒鳴るカーチル。追い詰められた彼の脳へ浮かんだ最後のプラン……それは、現在室内にいるエリン以外の二人を殺す事。全ての罪を死体となった白い男へと擦り付け、エリンを薬で堕落させる……穴だらけでリスクが高いプランだが、彼のズタズタになったプライドは目の前の神聖騎士と白い男の死を代償として求め蠢き暴走を始めていた。
 しかし……カーチルの叫びに応じ、壊れた戸口から姿を現したのは保安委員ではなく、背が高く、がっしりとした筋肉をまとった傭兵の姿だった。

「あん? アンタの召使達、全員気絶してるみたいだぜ。何か困ってるのか? 全財産出すってんなら、アンタの依頼、受けてやってもいいぜ」

 ニヤリと凄みのある笑みを浮かべ、低い声で話す大男……蟻殺しのドガロだった。

「くっ……、キサマら如きが……」

 最後のプランさえも砕かれ、カーチルはとうとう力つきたようにベッドへと腰掛けた。優秀すぎる彼の脳が、勝手に次々とこれからの展開を推測していく。
 取り調べ……という名目の下、エリンは最低でも一年は開放されないだろう。一年後、そう……、エリンが成人と見なされ、自分で進退を決められる年齢になるまでは。
 ギリギリと奥歯を噛み締めつつ、火が出るような眼光で侵入者どもを見つめるカーチル。その眼光を一切取り合わず、連行の準備を始める神聖騎士の姿。その集団の中にいる少女……、自分が欲した肉体、カーチルの教育によって鍛え上げられた頭脳。
 黒髪の少女エリンを睨みながら、カーチルは冷たい言葉をゆっくりと吐き出した。

「巫女エリン……、天才の条件を覚えているかね? 言い給え」

 ポツリ……というその呟きは、低く冷たい響きをもったまま巫女の耳へと届いた。その言葉に反応し、幼いながら美しい顔を上げるエリン。少女の唇がゆっくりと開く。

「はい、マスターカーチル。天才とは、どんな結果が出ようとも決して諦めず努力を続ける人の事です」

 小さな少女の声。怯えているのか、かすかに震えているその肩に、そっと白い男とハルの手が支えるように乗せられた。
寄り添うようなその姿を睨みつつ、カーチルは満足げに深く頷きつつ最後の言葉を発する。

「その通りだ、巫女エリン。自らの望む結果が出るまで、血が出るほどの努力を惜しまぬ者……それが天才だ。エリン、私も天才だ、決して諦めぬ。……さあ、騎士団に行くがいい。だが、君の戻る場所は私の隣だ。私は努力を惜しまない」

 やつれた頬、ギラギラと輝く視線、カーチルの顔を壮絶な笑みが飾る。狂気にも似たその微笑に、言葉を無くす少女。他の人も、壮絶な鬼気に打たれたかのように何も言葉を発さず、無言のまま扉から出て行く。その様子を見ようともしない、ベッドに座り俯いたままのカーチル。

 ――そして数分後、誰もいなくなった部屋の中に、狂気のこもった彼の低い笑い声が、響き始めていた。



※ 次回からようやく南海編です



[16543] 作業用未完成品 スルーしていただけると嬉しいです
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:9a343a1e
Date: 2010/10/25 16:57

 無限に広がる水平線……そして俺の目の前には、あきれるほど大きな船がユラユラと揺れながら浮かんでいた。多くの人々が小型の竜に荷物を載せたまま、船と地上をつなぐタラップを歩いていく。ガヤガヤと騒がしい港……宗教国家ガリズガレロとは異なり、どことなく雑然とした活気にあふれる雰囲気。
 ここは、宗教国家ガリズガレロと軍事国家エウードの丁度中間地点にあたる、港国シギーダ。一応、国王を擁立している独立国家ではあるのだが、人口は約一万人弱という小さな国らしい。農地に適した土地が少なく、その為住民のほとんどは漁業と貿易に従事している国。
 しかし小さい国ではあるのだが、漁師兼船大工の技術が高く、多くの船がメンテナンスに定期的に訪れ、その為に独立国家として確固たる地位を守っている国家だという。

「ヒロっ、手続き済んだわ。コッチよ」

「ああ、わかったっ」

 呆然と活気溢れる人々を眺めていた俺に、人ごみの向こうからガレンの甲高い声が響き、俺は人波を優しくかき分けながら進んでいく。子供の甲高い笑い声、おばさんの騒がしい話し声の間を抜ける。船のそばで俺にむかい手を振っているガレンとハルの姿を見つけて、俺はようやくソコまで辿り着いた。

「ふふっ、ヒロもハルも全然落ち着きが無いんだね。あっ、もしかして……二人とも船に乗るのは初めてなの?」

 港に降り注ぐ柔らかな初夏の光。潮の匂いに満ちた海風が、ばっさりと肩で短くカットされたガレンの金髪をサラサラと揺らす。隣に立つ青ざめた表情のハルと、落ち着かない俺に柔らかな微笑みを向け、ガレンは言葉を紡ぐ。顔を隠すように口元に巻かれた白いベールが言葉を話すたびに揺れ、ショートカットから、ちょこんと覗く尖った長い耳がとても可愛らしい。

「いや、まあ……そうだな。海に浮かんでいる船に乗るのは初めてだよ。こんな……大きな船に」

「お、俺も初めてなんだ。くそ……、ヒロっ、俺を見てニヤニヤすんなっ。だって、こんな大きなモノが水に浮かぶなんて、ちょっと信じられねーじゃんかっ。しかもこれから一ヶ月は船の上なんてよっ……。わ、笑うなよっ、こらっ」

 ポンッ……とハルの拳が優しく俺の腹部へあたる。怯えつつも気丈に頑張ろうとしているハルの顔を見ると、なんだか俺の顔に笑みが浮かんでくる。俺達の様子を見ながら、口元の布を白い手で抑えクスクスと微笑んでいるガレン。

「ふふっ、実を言うとね、私も久しぶりなの。だから、すごくドキドキしてる。ああ……お姉さまも一緒だったら良かったのに……」

 大きな船をブルーの瞳で見上げながら話すガレン。口元を覆っている白い布……それがガレンのほっそりとした顎を美しく飾り、まるで絵本に出てくる不思議な姫のようにも見えた。

「まあ、仕方ないさ。騎士団でセラとエリン……それにドガロの三人で仲良く過ごしてるだろ。さっ、俺達も頑張らなきゃな」

 俺もガレン、ハルと同じようにこれから乗り込む船を見上げつつ、自分に言い聞かせるように大きく声を出す。脳裏に浮かぶのは、これから俺がしなければいけない『試練』。そう……ガリズガレロに再び戻り、皆と一緒に過ごす為に必要な『試練』の事。

「ヒロッ、そんな心配すんなよ。俺達三人がいれば楽勝だよ。ふふっ、あっさり終わらせて堂々と帰っちゃおうぜ」

 ポンっ、とハルの掌が俺の肩に乗せられる。褐色に日焼けした美しく鋭い美貌。ハルの紫色の髪がサラサラと潮風に揺れた。

「ふふっ、そうよ。さっ、そろそろ乗り込みましょう。後がつかえちゃうわ」

 ガレンの声に頷き、俺達三人は荷物を肩に背負ってゆっくりとタラップを昇る。グラグラと揺れる足元のタラップ、その遥か下方に太陽をキラキラと反射している水面が見えた。
 かつて俺が住んでいた地球の海とは比べ物にならないほど青い水。その美しい水面を見つめながら、俺は船の上へと降り立った。






◆ 宇宙の片隅で『童貞のまま死にたくない』と叫んだヒーロー

 ○ 第16話





 腹が減った……。順調な航海を続けている船の上、ギラギラと輝く太陽に照らされながら、俺は空きっ腹を抱えていた。港国シギーダを出航してから、もうすぐ一ヶ月。第一の目的地である南海の民の国まではもうすぐ……だと判っている。そこに辿り着けば、腹いっぱい飯を食えるという事も。
 しかし、

「はぁ……、考えてみりゃそうだよ。狭い船の上だもんな……プライバシーなんかある筈ないよな」

 狭い船室で、ガレン、ハルの二人の美女と、この一ヶ月ずっと一緒の船旅。暑い海の上、俺達の船室中では肌の露出が多いラフな格好に着替えた二人の美女は、とても目の毒だった。また、ガレンもハルもそれを自覚していないのか、退屈なのか、やたらと船室で動き回っていた。
 日々のトレーニング中は言うに及ばず、三人で地球のトランプによく似たカードゲームを行い、勝つ度にはしゃぐ二人の美女。彼女たちが笑う度に、細い首元、ギリギリ見えそうな胸の膨らみが柔らかく揺れる。……まあ、ガレンはあまり揺れなかったけれども。
 いやいや、そんな事よりも俺に直面している危機は、食料問題だった。船から渡される食料は、極一般的なパンのような物とメチャクチャに塩辛いチーズもどき、ハム、といった保存食。もちろん、パンなんかも通常のモノに比べれば、保存食らしく水分が抜けカチカチの固さなんだろうが……俺にはゼリーと変わらない。3日で飽きた。

(まいった……。こんな事なら、蟻を探して狩っておくべきだったぜ)

 舌打ちをしながら考える。ガリズガレロで暮らしている間……俺の食事の楽しみは深夜や休日に一人、海に出かけそこで捕獲する生物だった。一時、港での荷物運びのアルバイトをしていた頃、漁師達が舌打ちをしながら網から投げ捨てていた、地球の蟹に似た生物。
 蟹のように立派な鋏は持っていないが、それを補うかのように、ガッシリとした分厚い甲羅を持っていて、しかもこの星の住民には食える部分が無いらしく無造作に捨てられていた。固い甲羅を持つ蟹モドキは、漁師にとって単なる邪魔でしかない存在なのだろうが、これが俺にとってはかなり良い食べ物だった。
 『蟻』に比べれば、かなり物足りない。それでも甲羅の分厚い部分はサクサクとした歯応えがあり、焼くとかなり香ばしい匂いが漂う。その蟹モドキを週に何回か腹いっぱいに食べるのが、俺にとっては楽しみだった。
 しかし、ここは船の上であり、勿論、漁の際に蟹モドキも網へとひっかかるのだが、すぐに捨てられる上、運よくそれを拾っても大勢の目の前でサクサクと食べちまうわけにもいかない。船室で隠れて食べようとしても、南海の民そのものの外見を持つ為に、人目にあまりつきたくないガレンが、常に船室にはいたので無理。
 結果、俺は常に物足りない食事を行い、空きっ腹を抱えている事になった。

「やっ、ヒロ。どうしたの? 何そんなに落ち込んでんだよ」

 明るい声と共に、ポンッと背後から肩を叩かれる。肩越しに後ろを見れば、ニコニコと微笑んでいるハルの顔があった。
 太陽の光を浴びた褐色の肌、アーモンドのようにキリッと整った鋭い眼差し。なのに、どこか妖艶な雰囲気があるふっくらした唇……。神聖騎士の鎧姿ではなく、全身を覆うような白いローブ姿だが、ほっそりしたウエストのライン、柔らかそうで豊かな胸の膨らみ、大きく露出した肩の肌、ローブの裾から見える肉付きの良い太ももと足。
 他の乗客の羨望に満ちた視線が俺に突き刺さるが、それを無視して会話する。この一ヶ月、ハルとガレンに対する羨望と欲望の眼差し……俺に対する妬みの視線を、うんざりするほど浴びており、もう慣れてしまった。

「ん、いや、ちょっと腹減っちゃってさ」
「え、ホントに? 何だよ、早く俺に言ってくれりゃ良かったのに。ちょっと待ってよ」

 驚いた顔で言ったハルは手に持っていたバッグに手を差し込み、ゴソゴソと音を立て、何かを探し始めた。一体……何を? 不思議に思いながら、俺は一心にバッグの中を探っているハルを見つめ続ける。
 改めて思えば、ハルは今回の『試練』の中で、俺よりもずっと大変な筈だ。初めて訪問する南海の国で、行方不明になった司教を発見、保護するという『試練』。本当はハルの兄、ドガロが行うはずだった『試練』を、俺の所為もあり、彼女の責任において行うことになった。

「ほら、これ。すっかり忘れてたよ。……エリンにさ『ヒロがお腹がすいてるって言った時は渡して頂戴』って、頼まれてたんだった」

「エリンから? え? これって……」

 バッグからハルが取り出したモノ。それは真っ黒な光沢を持つ『蟻』の単眼の外皮。何らかの道具で中の単眼核をくり抜いた後だろう、薄く剥いた林檎の皮のようになって何枚か纏められていた。この星のハガネよりも固いはずの外皮を、これほど綺麗に剥ける道具……たぶんドガロの持っていたナイフだと思う。

「ああ……、兄貴がさ。アイツ、基本的に報酬は受け取らないらしいんだけど、代りに倒した蟻の単眼を持ってきたりして、武器とかのメンテをしてるらしいんだ。……ヒロってエリンには色々話をしてたんだろ? それで、エリンがさ、兄貴に頼んで外皮だけ貰ったんだってさ。ま、どうせ酸で溶かす部分だから。それにしてもヒロって……いや、まあ、普通じゃないって知ってるけどさ、ホントにこんなモンを食うのかよ?」

「ん……ああ。まあハルとエリンだけは知ってる通り、俺はちょっと普通じゃないからな。……でもすげー嬉しいよ、ありがとう」

 エリンの周到さに舌を巻きながら、俺はハルから外皮を受け取る。それは量で言えば、大した事のない数。きっと10匹分にも満たない分量だろう……しかし、俺の事を想いコレを確保してくれたエリンの優しさに頭が下がる。固い手触りの外皮を、俺は大切に足元い置いてあったバッグへ詰め込む。
 エリンと共に過ごしていた頃、彼女にせがまれてこの星に不時着してからの事や、地球の事なんかを色々話した事があった。きっと、それでエリンは気を利かせてくれたんだ……。今、ガリズガレロの神聖騎士団で、あい変らず研究の日々を続けているであろう黒髪、眼鏡の勝気な美少女の姿を強く想う。
 ――早く、皆で平凡に過ごしたい……船の上、波に揺られながら、俺はその決意を強くする。

「なあ、ハル。はやく、皆で楽しく過ごしたいな」

「ああ、そうだね。ヒロ、サポート……しっかり頼むよ」

 潮風にハルの髪がハラリとなびく。白い布で覆われた豊かな胸と優しい微笑み。彼女の瞳を見つめながら、俺は何度も思いだしていた『試練』の事を考える。
 ――あの夜、俺とエリンが重力制御服越しに肌を重ねていた頃、ドガロ、ハル、セラそして神聖騎士団長のマサムネ氏は会談をしていた。
 その会談の内容は『南海の国に軟禁されている司教ズミルズルの救出』そして『巫女エリンを学長カーチルから逃がす』……この二点。
 俺は何も知らなかったけれど、長い間エリンの護衛をしていたハルは、カーチルの野望に気付いていたらしい。どうやって、カーチルとの望んでいない婚姻からエリンを解放するか? とずっと考えていたハルは、今回、俺が起こした騒ぎを逆手にとった。
 宗教学校という枠に囚われているエリンを逃すため、俺の罪をあえて大きくし雇い主である巫女の責任を問う。取り調べで、エリンが成人と見なされる16歳になるまで騎士団農業兵科で拘束(という名の保護)を行う。そして俺に対しては、ガリズガレロの永久追放……という処置が行われた。
 
 だが永久追放……としても、抜け穴がある。それが『南海の国で軟禁されているズミルズル司教を救出』し、その手柄によって恩赦を貰う……という事。元々、ドガロが騎士団団長マサムネから請け負うはずだった任務。
 だが、ドガロがいかに凄腕とは言っても、南海の国へ訪問するにはある問題があった。それが……、

「ヒロッ、ハル、もう、二人で何してるの?」
「おっ、ガレン」

 考え事をしていた俺に、遠くから明るい呼びかけがあった。振り向いて見れば、そこには華奢な手を振りながら、俺達の居る船の舳先へ近づいてくるガレンの姿。
 口元から鼻まで覆っている絹布、ほっそりした体に纏わりついているオレンジ色の布。そして金色の髪に飾られたいくつものアクセサリーと、ぴょっこりと尖った耳。それら全てが、絵の中のように美しく……どこかミステリアスで妖艶な雰囲気を持っていた。



















※※ どうでもいい愚痴
遅れて申し訳ありません。ちょっと入院してました。今夜か明日には完全にアップする予定。
入院ついでに禁煙したんですが、これがめっちゃ辛い。辛い、辛すぎる。ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、吸いたいよーーーーーーー
どうでもいい愚痴でした、すいません。
書かないと心の平静が保てなかった><
今まで書きながら、スパスパ吸っていたもので、めちゃ苦しいです。うう、苦しい。
では頑張ります。



[16543] ネタバレ年表です。本編を読まれた方のみ興味があればどうぞ。
Name: メメクラゲ◆94ad61bb ID:583704fc
Date: 2010/05/21 23:49

               ◆ 物語開始から時間ごとの流れ。

 ● ・主人公不時着して泣く

 ↓ ・主人公、蟻と遭遇

 ● ・エウード国クーデター  ※ここを起点とし、主人公不時着暦0年と便宜上決定します。

 ↓ ・セラ、ガレン、主人公逃亡しガリズガレロへ

 ↓ ・暦0年二ヵ月 主人公、エリン、ハル、古代遺跡で出会う 

 ↓ ・暦0年三ヶ月 セラ、ガレン、主人公、エリンの屋敷へと寄宿開始

 ↓ ・暦0年六ヶ月 バロイ、スカーラの遺児、バローラ孵化

 ↓ 

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 ↓ ・暦一年六ヶ月 主人公、ガレンと餌を取りに行くが………………。

 ↓ ・暦二年0ヶ月 エウード国消滅。ガフ=スライガルデ王国建国。ハガギリ、一年後の戦争へ向け準備を始める

 ↓ ・暦二年0ヶ月 エリン、カーチルから一年後結婚する宣告。主人公、ドガロと出会う ←← ※今ココ!!

 ↓

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 ● ・暦三年0ヶ月 主人公、ガレン、ドガロ、カーチル、ズミルズル古代遺跡に何かの目的で潜っているところ

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 ↓

 ● ・物語の終わり


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