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[1480] 孤剣異聞
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/01/26 04:12
序章


―――光が流れる


呆れるほどに美しい軌跡を描き刃が疾る。


「悪足掻きもええ加減にしときや…」


自身に目掛けて放たれた無数の攻撃、それに僅か一太刀で応じて少年が呟く。
それと同時に極々自然な動作から、敵対する異形の眉間に棒手裏剣を打ち込む。
その一瞬の攻防の中で、無造作に伸ばされた黒髪が風になびき
いつも通りの半目がちの黒い眼は満身創痍で崩れ落ちる『敵』の姿をただ見届ける。
そして少年の言葉通り、ただの悪足掻きだった『敵』は腐った木材のように崩壊した。
終わりまで見届けてから、刀は静かに鞘に納まった。

戦いは終わった。


「さて、この場合、俺は一体どうするべきなんやろなぁ」


どこか途方に暮れたような調子で少年は空を見上げてみるが空は鬱葱とした森の木々に阻まれて僅かしか見通す事はできない。ただ、降り注ぐ木漏れ日に関しては素直にありがたく思えた。


ふと思い出したように少年が口を開く。


「しっかし、この状況…赤瀬の奴は無事なんやろな……?」


頭をガシガシと掻きながら周囲を見渡すが友人の姿は無い。
思い返せば、この世界に来る際、途中に潜んでいた異形の妨害は自分が退けた。
だから、多少のずれはあるかもしれないちゃんと目的地に着けただろうと思う。


どちらにせよ、その際に明らかに変な方向に流された自分に比べればマシだろう。
何しろ自分はここに来る予定ですらなかったのだから。


まぁしかし、少年はそんな事は気にしない事にした。
なぜなら今のところ彼の関心事はひとつ
たった一人の女の為に無謀も無茶も厭わない。
そんな風に不器用で、おまけに職業までマイナーな友人の恋愛成就である。

まぁ兎に角そう言う訳で……


「助太刀は無理っぽいな、けど、物語の主役はお前や、頑張れよ赤瀬夕凪あかせゆうなぎ


苦笑いで隙間から見える空にぼやいてみた。
余談だが、こんな見知らぬ場所で独り言を呟く以外できない彼の名前は刀儀 楔とぎくさび

古流の剣術家で17歳、微妙に甘党

異世界に帰った幼馴染の少女を探しに行こうとする友人の、更にそれを見送りにきたという物語の本筋から随分離れたであろう微妙な立場で首を突っ込んだ主人公である。



[1480] 孤剣異聞 第一話 剣客、異世界との出会う
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/02/02 23:40








「そのまま行けっ!」








『門』の内側から伸びた異形の手。
それに刃を突き立てながら叫ぶ。

「――刀儀!?」

横に弾かれた友人――赤瀬夕凪――が駆け寄ろうとする。
だが、それよりも早く刀儀は次の行動に移る。

突き立てた刃を寝かせ
踏み込んだ足を軸に旋回
左手で引き斬りながら刀の峰に右掌を叩き付け…――

(―――斬、鉄!)

―――異形の腕を横一文字に引き裂く。

「ド阿呆、躊躇うな、前だけ見とけ! さっさと行けっ!!」

結界が歪む、『門』が揺らぐ、時間は、無い。

「走れ! 飛び込め!! 行って来い!!!」

痛みに暴れ狂う『異形』を捌き、道を開く。
揺らぐ『門』に赤瀬が飛び込む。
阻む『異形』を更に斬り付ける。

「行き道は開いてやる! 帰り道は守ってやる!」

―――跳躍

「だから」

追う様にして飛び込み、体を捻る。

「行ってこい赤瀬夕凪!」

振り向きながら振られた刃が、追いすがる『異形』を断ち切った――――――










孤剣異聞 第一話 剣客、異世界と出会う










異世界(?)到着から3時間ほど経過。
森の中では刀はあまり役に立たない事を知った。
代わりと言ってはなんだが、脇差や棒手裏剣は意外と使える。

「とりあえず、食事の確保だけはできたか……」

火を起こし、先程捕らえた兎(と思う)を捌いて焼く。
降り注いでくる光の角度や強さから見て、今は大体昼頃になるのではと考察する、ここに来る前は深夜だったので気分的には朝食になる。

「赤瀬は…あいつは無事に着いたんかな? それやったらちゃんとした飯も食えてるんやろな」

だとすると、なんだか納得いかない気もする。
何となくそんな事を考えていると…

「うっ、焦げた」

どこか斜に構えた半目がちの目が、焦げた匂いにしかめられる。
只でさえ微妙な朝食に発癌性物質という要素が加わっていた。

「…今のとこの課題は、ホンマにここが異世界か確かめる事……ぐらいやな」

焦げによる発癌性物質は唾液で中和されるから大丈夫だ。
などと考えながら今後の身の振り方について考える。

………恐らく現実逃避だ。

「しっかし、まさかこんな事になるとはなぁ…」
「俺にもやるべき事はあった筈なのにな」

などと、やけに多い独り言が、静かな森に反響する。
そして、それも虚しく森に呑まれていく。
代わりに聞こえてくるのは鳥の囀りや遠くの水の音。
川があるのかもしれない。

「独りが寂しい訳でもないねんけどな」

ぼそりと呟く。
ただ、その呟きだけは独り言と言うよりも話しかけるような声色になっていた。
無論、目の前には焚き火がパチパチと燃えているだけで他者の存在などどこにも無い。

そして、目の前の火に見入るような表情のまま、頭を掻くような動作でもって手を頭の後ろにやる。

同時に、風を切るような音がどこかで鳴った―――――――














―――――――――刹那、手の中に矢が出現した。


「だから、こういう展開は歓迎せえへん」

雰囲気も表情も一切変えずに言い捨てる。

もちろん矢は突然現れた訳ではない。
背後から射られた矢を掴み取ったのだ。

(気配が乱れた……いや、もう一度来る)

次の瞬間、再び矢が誰もいない地面・・・・・・・に突き刺さった。






金の髪が陽光に煌く中、長く尖った耳に精霊の囁きが伝わってくる。
本来なら例え暗闇の中でも精霊の声が多くの事を教えてくれる。
だと言うのに彼女は、一瞬前まで視界の先に居た筈の人間を見失った。
故に矢を射った女性――ラエリ――は焦っていた。

(消えた…!? いや、居なかった?)

まるで、たちの悪い悪夢を見ているようだった。
放った矢は無造作に止められ、確かに居た筈なのに居ない。
いつ居なくなったかといえば、最初から居なかったようにも思える。
精霊たちでさえ困惑している。
現実感が――無い。

「で、何者なんや? 多分悪いんは俺と思うけど」

なのに、そこに居るのが当然だとでも言うように背後の空間から男の声が聞こえてきた。







「で、何者なんや? 多分悪いんは俺と思うけど」

どこか投やりにすら聞こえる声で問い掛ける。
実際、刀儀には成るように成れと言う気持ちがあった。

(しかしなぁ、この女って……)

女性は困惑しているせいか、振り向きもせず固まっている。
ちなみに傍目には分からないかもしれないが、刀儀自身も真顔で困惑していた。

(金髪は分かる)

(武装してるのも無理すればいける)

(けどな、その耳はなんやねん!)

なにせ彼女の姿は、漫画や小説などで見かける『エルフ』と言う存在そのものなのだ。

刀儀は一応、友人との付き合いで非常識の世界にも踏み入れた経験がある。
異常者や変質した人間、祟りや魔の類と立ち回った事すらある。
だが、それはすべて、人から派生したものだ。
人間以外の知的種族と言う訳ではない。
似通ったものは在っても種族として確立された訳ではないのだ。
だが…

「アンタ…何者や?」

もしここが本当に異世界なら、彼女のような種族が他にも居るのかもしれない。

「そ、それはこっちの台詞だ! 人族との協定でこの森は我等の領域になっている筈だ!」

振り向かないから顔は分からないが綺麗な声だった。
ついでに有益な情報も手に入ってきた。

(んん? なんや違和感が…)

「人族? それはなん…いや、それよりも……」

何故か言葉が分かる。
日本語ではないのだが、意味が理解できる。
普通に話していれば違和感すら感じないほどだ。

「すまん、状況が全然掴めん、とりあえず、こっちから答えさせてもうらうけどいいか?」

その行為がどう転ぶかは分からない、が、膠着状態を続けてもいい事は恐らくない。

「まず、名前は刀儀楔(とぎ くさび)名字の方はトギでもトオギ言い易いほうで呼んでくれ、そんで、年齢は十七で高校ニ年、剣は古流……

「ちょっと待て! そんな事私は聞いてない!」

思わず振り向いた顔は、滅多にいない程の綺麗どころだと言えた。

「ああ、なんで十七なのにニ年生かって事やろ? 実は一年ほど休学しててな……

「言ってる意味がわからん! 私はお前がなぜここに居るかを聞いているんだ!!」

「迷子や」
「だからっ!」
「だから迷子や」
「まッ…はっ、え? はあ?」

目が点になった。
ちなみにそれを見た刀儀は…

(美人さんがこう言う表情すると面白いな)

などと考えていた。











[1480] 孤剣異聞 第ニ話 剣客、異世界と雑談(情報収集)
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/02/10 01:14
世の中には裏側がある。

更に、そこには闇に近い場所もある。

だから、そいつは、そこで闇を見張った。

それが育ちすぎないように

それが世界を蝕まないように

それが彼女を傷つけないように

ずっとずっと

割に合わない仕事をして……………。








孤剣異聞 第ニ話 剣客、異世界と雑談(情報収集)








焚き火の場所に戻る道すがら、この世界に来た理由を話す。
もちろん肝心な場所は誤魔化すつもりでいる。

「で、その話がなぜ迷子につながるんだ?」

離しの冒頭にエルフ(暫定)の女が疑問を投げかける。
確かにこの話だけでは刀儀の迷子がどうつながるか理解しがたいだろう。

「まあ、つながれへんな、けど説明するには必要な事や。それより…」
「なんだ?」
「アンタみたいな種族、他にもいるんか?」
「はぁ?」

刀儀の言葉にエルフ(暫定)が頭のおかしくなった奴でも見ているような顔をする。

「ああ、いやいや、俺の居た国は、死ぬほど小さい島国でな、外の情報が全然入ってこないんや。しかも、アンタ等の言う人族だけで凝り固まっててなぁ、他の種族を受け入れへんねん。だから他の事知っとんのは、一部の上の方の人間だけなんや、下の方は全然知らん」

黒船が来航するまでは……などと心の中で舌を出す。

「ふむ、確かに人族は器量が狭い所があるしな」

「そうそう、それで、知らんのや、ちゅー訳で教えてくれんか?」

「ああ、私達はイェるフぇ×××」

「は? すまん聞き取れんかった」

「だからイェるフぇ×××」

「……」

「……」

なぜか聞き取れない。

(固有名詞は理解できへんのか?)

「ああ、すまんな、エルフ語は分からないか」

「え? エルフ専用の言葉があるんか?(って言うかエルフでええんか!?)」

「他種族を見たことが無いなら、人族以外の種族言語を知らなくても無理はないな」

「種族言語?」

「ああ、それはな……」




原初の時代、言葉は一つの声であり、世界はその声のみで定義できていた。
やがて世界には命が生まれ、それが物語を紡ぎ始め、そして声は一つの言葉になった。
その言葉はとても強い力を持ち、命はそれを持って更に物語を紡ぎはじめた。

「ほうほう」
「まだ続くぞ」

命は物語を紡ぐ為に言葉を増やし
やがて言葉は言語となった。
そして世界は生と死を紡ぎ、その物語を繰り返す。
これが円環の時代の始まり


しかし、命はやがて、生と死ではなく、その狭間で物語を紡ぐ様になった。
この時代には、多くの種類の命が生まれ、幾多もの物語が紡がれた。
これが今に続く過去の時代。

しかし、その不完全さはやがて世界に綻びを生んだ。

「綻び?」
「そうだ、それが一度世界を滅ぼした」

綻びとは、すなわち『滅び』
世界に生まれたその隙を『滅び』は見逃さなかった。
世界と命はそれと戦った。
その最期、我らが祖、アトラの民は世界を分かちそれを封じた。
そして神話の時代が終わり今に至る……。

「あの~なんや知らんが、その話はどうつながるんや?」

「つまり、その頃の言語は現在で言う魔法だ。そしてそれを統べていたのがアトラの民」

「アトラの民?」

「そう、我らの祖にあたる存在だ。彼等が世界を別ち、滅びを封印した。その結果として不完全さを増した世界は魔法を保てず、アトラの民は世界を保つ礎として消えた。………別たれたもう一つの世界はどうなったかは分からないが、おかげで、少なくともこの世界は存続している。」


随分と遠回りな説明が終わり、エルフは結論を述べようとする。

だが…………

「礎に祖か…つまり、この世界に生きる者たちはアトラの民の欠片というわけか? 考察するに、世界の構成部品となったアトラの民とその他の命との結合によって現在の種族が生まれた。そして、欠片であるが故に言語が種族ごとに違うようになった。実際はもっと細かいんやろうけど、そんなとこで合っとるんとちゃうか?」

(つまり、世界との距離が近いから、言語の分化が必要最低限ですんだっちゅう訳か……)

先に刀儀が自分の考えを述べた。
そして、恐らく正解だったのだろう。
エルフの表情が驚きに変わる。

「よく、わかったな…驚いた、ほぼ合ってる。すごいんだなお前は」

キョトン、とした表情から一転し、刀儀の考察を素直に褒め称えてくる。
それに対して刀儀は軽く笑い

――――なあ、刀儀、言霊って知ってるか?

「なに、友達との与太話の延長や」

などと答えた。






意味がわからず困惑するエルフを眺めながら、ふと考える。
現在持っているいくつかの情報の断片、不必要なので考えなかった事。

(赤瀬の奴がこの世界に行くとか言い出した原因……)
(確か、紫苑(シオン)とか言うたなアイツの幼馴染)
(ここに『帰る』って言ったんやったっけ? 何者や?)
(別たれたもう一方、それが俺達の世界と仮定する)
(なら『滅び』とやらはどこへ行った?)
(まさか、全て繋がっているとしたら…)

なにか途方もない話に首を突っ込んだ気がしてきた。
例えるなら、渦を巻いて存在している周囲を呑みこむ運命に関わったような……。

だが―――



「あ―…まあ、ええか」

彼にとっては瑣末事だ。

彼の友人には重要な事かもしれないが、それは向こうが考える事だ。
なにせこの物語の主役は自分ではないのだから。
だから自分は自分ができる役割を果たそう。

(まずは赤瀬と合流するんが先決か、ならまずは情報集めやな。とりあえず…)

目の前で呆けているエルフに人里までの道を聞こうと尋ねる。

「なあ、美人さん」

「なんだ、と言うか、私の名はラエリだ、妙な言い方をするな……美人?

呆けていた反動だろうか? テンションが妙だ。って言うか雰囲気が妙な方向に変わってきた。

(美人に反応?)

彼女の呟きに、刀儀の無意識下で厄介事警報が鳴り出す。
しかし、本人は気付いていないのだが、刀儀は他人の弱みを突つき回すのが大好きだ
と、言う訳で。

「………ところで、ああ…その、トーギと言ったな、その…わ、わたしは、人族から見て美人か…?」

その彼女の発言に刀儀の右脳がスパークした!

「人族から見てっちゅう事は、人族の中に意中の男でもおるんか? しかも、片思いの、ついでに発言から考えるに相手とはまだ面識がない。会いたいけれど必要以上に意識しすぎて気後れ、自身の些細な事も気になって仕方がない。そんなとこか? 美人さん」

論理的思考を飛び越え右脳が結論を導き出す。そしてそれを左脳が組み上げる。その間2秒!
まったく無駄な洞察力が冴え渡る。
ひたすら清々しい笑顔が憎たらしい事この上ない

「わ、わたしはラエリだ!! って、なんでお前がそんな事知ってる!? あ、いや違うんだ、そうじゃないんだけどそうなんで―――」

「はははははは、楽しいなあ、美人さん」

「私はビジンダー…じゃないっ! ラエリだーー!!」

「はははは、ビジンダーって誰やねん。マジンガーの親戚か?」

「そんな妙な親戚はいない!!!」

「あはははは―――

     チリッ

「―――は………おい」

一瞬の違和感。
刀儀の肌に焼けるような感覚が走る。

「わ、私はラエリだ!」
「いや、それはもういい」

自分はラエリだと主張する彼女をバッサリ切って捨てる。

「聞きたいんやが、ラエリさん」
「そ、そうだラエリだ!」
「(からかいすぎたか)ああ、でラエリさん。―――この気配、気付いたか?」

刀儀の言葉に我に返ったラエリが、周囲の気配を探る。

「? なんだ、精霊が騒いでる」
「精霊?」
「ああ、元々それを調べる為に私は来たんだ」
「見事に主旨から外れたけどな」

外させた張本人がツッコミをいれる。
なんだか、ラエリが騒いでいるが刀儀は自分の思考に埋没した。

(まさか、あの異形、生きてたんか? しかし、この気配はなんや?)

刀儀には心当たりがある。
それは、彼がこの世界にくる事になった原因。
だが、感じるのは、彼の知る気配とはあまりにも掛け離れた禍禍しさだ。
刀儀は静かにラエリの方を向く。

「……この辺りで逃げ込める場所はあるか?」
「え? ああ、森との境界を監視する砦があるが」
「じゃ、そこ、行こか」
「え、あ、ええ、い、行くのか? と、とりで」
「? ああ、迂闊に挑むのは危険やからな」

なんだか、動揺するラエリをよそに、その場から離れる用意をする。
気配はゆっくりと歪さを増してくる。

(まずい事になったかもしれへんな)

そそくさと自分の荷物を纏める。
と、言ってもほとんど武器だが……。

「ま、しゃあないか」
「うわー離せーー!」
「……」

(……むしろこっちの方が厄介やったりして)

なぜだか暴れるラエリの手を引きながら、砦へと向かった。








[1480] 孤剣異聞 第三話 エルフ娘と槍男
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/02/14 15:49
エルフの森との境界にある小さな砦。

エルフ達の住む森は、木々の精霊力が強く、実りに溢れている。
それを巡って、一昔ほど前に、人間とエルフの間でちょっとした騒動が起きた事がある。
その時、王国とエルフ達との間で協定が結ばれ、この砦が設置された。

しかし、今でもまだ無断で狩りをしようとする人間が入り込む事がある。
この砦の役目はそう言う人間の監視をする為に作られたものだ。

そう言う目的なので、砦も大きくもないし、概ね平和だった。

なので、今日この日が、砦建設以来初めての大事件となるのだった……。








孤剣異聞 第三話 エルフ娘と槍男








若者がいる。年齢は24か5といった所だろう。
髪はざっと後ろに流した長髪。目は笑った猫のように細い糸目。
この砦の警備隊長であるゲイル・ランティスは、変わらず平和な風景に満足していた。

(いい風だ……、相変わらずここから見る景色は絶景だな)

彼が現在いる場所は、見張り塔の更に上、つまり屋根の上だ。
そこは、彼のお気に入りの場所で、暇さえあればそこから景色を見ている。

もっとも、仕事も滅多になく、たまに無断で入り込もうとする狩人などを注意して追い返す事ぐらいなので、ほぼ毎日そこに居る事になる。
なのに、それでも彼が部下達から不満を言われた事はない。

なぜなら彼が屋根の上で小鳥や風と戯れている姿はあまりにも自然に過ぎて
そこに、彼自身の素朴な人柄までも加わっていると誰も文句をいえなくなるのだ。






「隊長は、またいつもの所か」
「もったいないよな~、あれだけの槍の腕があるのに」
「仕方ないさ、貴族と揉めたんだから」

下では休憩中の部下たちがゲイルを見上げながら雑談に興じている。

彼らの話題は自分達の呑気な隊長についてのようだ。
そして、話の中でも出たように、ゲイルの槍は凄まじく、槍に関しては王都一とまで言われていた。
その実力は王直属の近衛兵たちと比べても遜色がなく、噂では隊長格の誰かと模擬試合で引き分けたと言うものまである。

そんな彼がなぜ、こんな所に飛ばされる羽目になったのか?
その理由は、どこかの有力貴族の馬鹿息子が、行き付けの酒場の看板娘を無理やり手篭めにしようとしているのを叩きのめしたのが原因だったらしい。

ちなみに、普段温厚な人間ほど怒ると恐いと言う見本のようだったらしく、その馬鹿息子はその近辺には近づかなくなったと言う話だ。まあ、瑣末事である。



「? おーい、誰か、下に居るなら門を開けてくれ。誰か来ているみたいだ」

ゲイルが下の部下に声をかける。

ここらは平和なので門を開けるのも特に警戒する事はない。が、それでも簡単に開けてしまうのは、ゲイルの目の確かさを信頼しているからだろう。

だが、いくらゲイルでもこれからやって来る厄介事の中身までは考慮していなかった事だろう……。








その僅か前の時間。
森を駆ける二つの人影がある。

―――刀儀楔は焦っていた。

(まずった……、ここがエルフの住んでる森なら、あんなもん残してきたらえらい事になる)

随分離れた筈なのに感じる気配、少し胸が痛い。

「なあ、砦ってまだか?」
「も、もうすぐだ! しかし……本当に行くのか?」
「あー……もしかして、ラエリさんの好きな人、そこに居るんか?」
「うわーーーーーーー!」
「やっぱりか、勘弁してや、余裕ないのに」

そうこうしている間に砦が見えてきた。

「あれか、もうそこやな」
「うぅ、そうだ」
「じゃ、後頼むで」

それだけ言うと即座に立ち止まる。
纏めていた荷物から大刀と脇差を抜き出し腰に差す。

「え? 頼むって?」

「言葉通りや、できるだけ早く救援を連れてきてくれ。でないと死人が出る」

「!? ちょっとま……

ざぁっ、という音と共に森中の鳥たちが逃げ出した。
禍禍しい気配がいきなり膨れ上がったのだ。

「…………」
「……できるだけ…早く、な」
「ああ」

荷物を――と、言っても竹刀袋に入った木刀一振りだが――手渡すとそのまま駆け出す。
ラエリも、森へ消えていく刀儀の姿を背中に砦へ向かい駆け出した。











森の奥。
刀儀が落ちてきたその場所。
そこに一つの死体がある。

体躯は異様なほど巨大でいびつ
この世界の住人ならその姿をオーガーと呼ぶだろう。

ただ、姿形以外でそれを観るならば誰もがこう言うだろう。

『化物』と

そしてその証拠に――――その死体は怒っていた。

その死体には無数に刀傷が存在し、右腕は横一文字に裂けている。
それどころか眉間には、細長い棒のような物が根元まで刺さっている。

―――でも、怒っている。

確かに死んだ筈なのに、死体はなぜか今また、怒っている。

なぜか? それは簡単

もう違うモノ……。

故にそれはもはや“それ”ではない。

―――それは、とうの昔に喰われたから

だから怒りは“それ”のものではない。

―――それには理由が存在しないから

だから、“それ”の残っていた部分はふと思う。

―――ああ、世界が壊れかかっている―――

やがて、その思考も消えた。











刀儀と別れてから十数分、ラエリが砦に辿りつく。
声をかけてから扉を開くのを待つ。
その時間が異様に長く感じる。

精霊の声を聞ける彼女には、森で今も膨れ上がる気配が伝わってくる。
里が心配だが、これほどの気配ならエルフの里の仲間達も気付いているだろう。
おそらく皆、武装して向かっている筈だ。

だが、その事実すら彼女には恐ろしいのだ。
なぜなら、しきりに刀儀の言葉が頭の中をよぎる。

(早くしなければ死人が出る)

ラエリも、単に人死にを恐れている訳ではない。

今までも妖魔との争いで命を落とした仲間もいる。

だが違う、今回は違うのだ。

――――全滅――――

そんな単語すら頭に浮かぶ。

恐らくこの気配は、世界に在ってはならないものだ。
精霊の声を聞く種族である自分達には理解できる。
それ故に……
世界に寄り添うものとして自分達は……。



そうこうしていると扉の向こうから声が帰ってきた。






「ちょっと待って下さいね」

よっと。などと声を出し、警備隊の隊員が扉を開く。
そこには、まだ息を切らしたラエリがいた。

「っ……はぁ、すまないが、警備の責任者はいるか?」

息を整え、責任者を呼ぶ。
隊員も、只ならぬ雰囲気を感じたのか、即座にゲイルを呼ぶ。

「あ、はい、隊長~~!」

ゲイルも何かを感じたのか槍を持って駆けつけて来る。
俯いて呼吸を整えているラエリを見て事態の緊迫を予感し、彼女の前まで来ると、真剣な顔で状況を聞く。

「何かあったんですね?」

その声にラエリは顔を上げると……

「え? あ、わわわわ、あぅぅ」

なぜかパニクった。








[1480] 孤剣異聞 第四話 剣客と集合した皆さん
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/03/10 23:08
―――はじめて彼を見たのは森の中。
風に揺られて眠る姿があまりにも穏やかでしばらくその場を離れなかった。

―――次に見たのは密猟者を捕まえに行った時。
私よりも早く気づいて駆けつけた。
槍を振るって抵抗する密猟者を簡単に制した姿は見惚れるほどに格好良く

―――そして3度目は今
今までの様に影からではなく、彼の真正面
危機的状況だというのに私は混乱していた。








孤剣異聞 第四話 剣客と集合した皆さん








滑るように森を駆ける影が一つ
いかなる技法か、音の無い疾走
流れに身を任せるような自然さで、刀儀楔が駆け抜ける。

(あかん…気配が歪過ぎて位置が特定できへん)
(……なんやったかな、こう言う時は…………)

「ああ、そうや、迷子の時の対処法」

ふと、頭によぎる過去の情景

――――迷子になったら最初の所に戻るんよ――――

幼い頃の記憶。
初めてお祭りに行った時に母親が言った言葉。
生まれて初めての人込みに、心配性な母はそう言った。

「いや、微妙に関係無いし」

ズビシッ! といった風に手が動く
とりあえず独りでつっこんだらしい。

まぁ世間では標準的な考えかたの一つになるが
ただ、現在の状況と照らし合わせて役に立つとは…………

「あ、待てよ……」

最初の所=迷子になった最初の場所。
相手が自分の知っている存在なら、迷い込んだ場所も一緒。
刀儀の中に出来上がる簡単な式。

「状況が普通なら簡単に思いつく事やのにな~」

そう言うと気配を探るのをやめて、目的地を目指す。
無駄な作業を捨てた分その疾走は速い。

「おおきに、母さん」

人影は一言残して、ひょいっと奥へと姿を消した。






* * *






刀儀が落ちてきた場所から少し離れた地点。
異様な気配を探りに武装したエルフ達が来ていた。

「精霊が脅えているな……」
「ああ、嫌な感じだ」
「なんなんでしょうね?」

男性二人に女性一人、ここにラエリも加えてこの森の衛視隊となる。
彼らは皆、精霊魔術の使い手であり、戦闘訓練もしている。
ただ、惜しむらくは実戦経験の少なさ、周囲を満たし始めている重圧に既に気負っている。

「……暗いな」

滲み出る不安に皆、会話を止めない。
その上、辺りも瘴気のせいか光が射し込まない。

「薄暗いです……」

見通せない景色の向こうから、不気味なうめき声が響いてくる。

「なにかいる。気をつけろ」
「ああ」

おぼろげに見えてくるのは蠢く影。
どこか不自然な挙動がさらに不安を掻きたてる。
そして、その中で断続的に響く痙攣するような声―――――――

「なん…だ? あれ」
「なんか、動いてますよ。……オーガー?」

―――  …………あ ―――

「……ちょっと待て、こっちを、見ている……!?」

なにかを求めるかのように伸ばされた手が虚空をさ迷う。
やがて地に落ちた手は、そのまま大地を掴み――――――立ち上がる。
























るああぁああぁぁアァアアアアあ――――――
























断末魔を思わせる叫びと共に立ち上る。

その声に彼らは理解する。

この場所は今、世界の綻びの中に在るのだと。






* * *







「な、なんだ! 今の声!? なにが」

突如、森の方から響いた絶叫。
それは、あわあわと要領を得ないラエリと如何したものかと悩んでいたゲイルにも届いた。

「あ、い、今のは……」

ラエリの真っ赤だった顔が今度は真っ青になる。

『できるだけ早く、でないと死人が出る』

脳裏に刀儀の言葉がよぎる。

「た、隊長今のは!?」
「ヤバイんじゃないっすか!」
「装備整えてきます!」

ゲイルの部下たちが慌しく武装しだす。

「……君は――」

「ラ、ラエリです」

「ラエリさんか、早速ですまないがここに駆け込んだ理由はこれかい?」

「……はい、森で精霊たちが騒いでいたのですが、原因を確かめる前にこちらに向かったので………」

ラエリがここまでの経緯を簡単に説明する。

「迷子を名乗る少年、異様な気配……、どうなってるんだ一体」

ゲイルがうめく。
現状を完全に把握している者などどこにもいないのだ。

「とりあえず、森へ急ごう。ラエリさん案内を頼む」

「はい!」

ゲイルがラエリを促す。

「みんなは後から追いついてきてくれ。俺たちは先行する」

仲間に先行する旨を伝えると。
ゲイルが呪文を詠唱する。

『力を宿す 軽やかなる体躯は大地を駆ける』

二人の体に魔力が宿る。
運動速度をあげる拡大魔術の一種だ。

「これは……!」

ゲイルが魔法を使える事にラエリは驚く。

「魔術師だったんですか?」

「いや、俺の裏技だ。使える魔法も今の所コレだけ」

わずかに苦笑するが、すぐに真剣な顔に戻る。
ラエリもそれに応えて、意識を走る事に集中する。

「間に合えよ…………」

半ば祈るような気持ちで二人は駆け出す。
魔法に後押しされた速度は刀儀のそれよりも速いだろう、が果たして追いつくだろうか?
しかし、今は思考ではなく行動の時。
疾走は風を巻き、景色を背後へと流していく。
森の奥からは今も叫びが聞こえてくる………………。






* * *






ゴォッ! 壮絶な程の空振り。
空間ごと抉り取るような豪腕。
当たらなかった一撃はそのまま巨木を薙ぎ倒す。

「なんだ!? いくらオーガーでもここまで狂暴じゃないぞ!」

エルフの一人があまりの威力にに叫ぶ。

「矢が刺さらない!?」

放たれた矢も奇妙に硬い体に刺さらず弾かれる。

「下がれ! 向かってくる!!」

無秩序に荒れ狂う暴力の嵐から必死に逃れる。
しかし、破壊は際限無く周囲を呑み込んで彼らに迫る。

―――二つに裂かれた右腕が叩きつけられる。

―――振るわれる左腕が周囲を根こそぎ薙ぎ払う。

―――巨大な体躯が木々にぶつかりへし折る。

圧倒的だ。
だが――――

「……なんだ、こいつ?」

暴れ回る怪物はなぜか襲いかかろうとはしない。
単に暴走しているだけだ。

「暴れている……だけなのか?」

エルフの一人が呟く。
だが、どちらにしろ危険な事に変わりは無い。
怪物は森を破壊し、なにかを求めるように暴れ狂う。

「うわっ!」

突如、崩れ落ちるように怪物が体制を崩す。
更にその勢いのままエルフたちに向かって突っ込んでくる。

「――――っ」

一撃

倒れこむままに地面に打ちつける一撃。
それだけで――それだけの、無造作な威力で…………

三人全てが行動不能に陥った。

「かはっ……!」

衝撃と爆ぜる地面。
それが三人の体を叩く。

「――……あ」

そして追い打ち…………
倒れこんだエルフの女性に向かって暴れ回る腕が向かってくる。

「――――!」
「ま――――」

同じく弾き飛ばされた二人が叫んでいるが、彼女の耳には届かない。
ただ目の前に迫ってくる死を、引き伸ばされた感覚で見つづける。

(――……私、死ぬ?)
(え? なんで? だれも助けてくれないの?)
(うそ……そんな…………)

そして見た―――――

大気を唸らせ、自分に向けて真っ直ぐに迫る腕
それが、なぜか地面へと打ちこまれるのを・・・・・・・・・・・・






* * *






駆けつけたゲイルとラエリ、そして動けないエルフ達、その視界に飛びこんできた絶望の光景。
その場に居る者全てが諦めざるを得ない瞬間。
有り得ないような時の刹那に影は飛びこんだ。

「―――――」

真横に薙ぎ払われた腕を鞘ぐるみで受ける。
斜めに構えて受け流し、下方へ落とす。
反動で自身は宙に舞う。

――――抜刀

中空にて抜き放ち、勢いのままに斬りつける。
太刀筋は斬鉄、鉄斬りの秘奥。

―――旋回する動きを用いた引き斬りの技法。
―――自身の体重の全てを斬撃に乗せる技法。
―――そして、それらを一つに纏める集中力。

放たれた一刀は、肉を裂き骨を断ち腕を落とす。
先程まであれほどの猛威を誇っていた腕が地に落ちる。

そして相変わらず音の無い、静かな着地。
ふわりと降り立ち、そして無言。
僅かに見える半目がちな眼は、その実、虚無めいた黒色。
何処を見ているのか、或いは全て観ているのか。
静かな視線が虚ろに映える。

「………性は刀儀、名は楔」

呟きひとつ。
俯き加減の顔が上がる。

「遣うは古流、流派は無し」

構えは無形、自然体。

「刀儀楔―――推して参る」

静かに佇む少年は、静謐なままに踏み出した。



[1480] 孤剣異聞 第五話 剣客と不定形な物体
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/03/24 22:53
左腕が地面に落ちる。
血は――流れない。

(今の感触……死後硬直やな)

最初に腕を裂いた時とは別の感触。
筋肉がガチガチに固まった類の固さ。

(あちゃーこの感じは、知ってるなあ……)

目前の異形から感じる気配に、虚無めいた表情が僅かに揺れる。

(死の間際まで奪う、それは流石にあかんやろ)

彼方から見下ろすような視点の中で感情の水面が揺れる。
それは異形への憐憫と、世界を蝕むある世界に向けての憤り。

(武士(?)の情けや、待っとれ、すぐ……終わらせたる)

踏み出す。

感情を肯定する心
ならば、体は当然のように剣を振るう。

(そいではひとつ)

「刀儀楔―――推して参る」








孤剣異聞 第五話 剣客と不定形な物体








「――ぐえっ!?」

動き出すと同時、突き抜ける激痛。

それを無視、体を捌きつつ、地を這うような踏み込み。
一拍子の動きにて振るう一刀
狙うは――――足首!

「っ…あ…あばらと…内臓、か」

足首を断ち斬りながら背後に抜ける。
バランスを崩し倒れる巨体を視界に納めつつ残心。
同時に自身の状態を確認する。

――あばら骨、ニ・三本。
――内臓、いくつか損傷。

「……あかんがな(泣)」

……結構、痛いらしい。





* * *





ラエリが倒れている仲間達に駆け寄り手当てをする。
軽い擦り傷や打撲が主で、幸い大きな怪我は無いらしい。

「それにしても――」

手当てを手伝っていたゲイルが呟く。

「あの少年の剣技………。
 初めて見るが、恐ろしい程に速く、鋭い。
 ………一体、何者なんだ?」

ゲイルの視線の先で、怪物が倒れる。
足首を切り飛ばされたらしい。

「ん?」

(あの少年、怪我を負ったのか?)



* * *



怪物から距離をとり、刀儀は口内に溢れた血を吐き捨てる。

「内臓がないぞうーって、そんな事態は笑えんなぁ」

冗句を言いながら、再度歩み寄る。

(吐血は肺へのダメージか、べつにどっかが破裂したわけでもないな…………ほな、いけるか)

独特の呼吸法で体内操作。
内力を持って内臓を保護。

(よし、応急処置完了)

そのまま無造作に間合いに入ると、瞬時に怪物の首を斬り落とす。
その呆気無さに周囲に動揺が走る。

「さて、と」

くるり、と向きを変えるとラエリ達の方に近づいていく。

「…………え? お、終わった、のか?」

事態の変化について行けない様子でラエリが質問する。

「いや、むしろ今からが本番。
 実は今回と似たような事件に巻き込まれた………いや、首を突っ込んだ事があってな
 その時は犬やったけど、切り殺して暫らくしたら暴走した」

対する刀儀は、何でもないような口調で最悪の事態を語る。

「横合いから失礼するが、暴走する……と言うのは具体的にどんな事態なんだ」

「ん? あんたは?」

「オレはゲイル・ランティス。森の境界にある砦で隊長を務めている」

「……………………ああ、あんたが」

割り込んできたゲイルを暫らく眺め、刀儀はラエリの方に顔を向ける。

「おお、ラエリさん救援を呼んでくれたんか(良かったやん、お近づきになれて)」

「え? あ、ああ、そうだ(黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!)」

「ほーか、しかしアンタ、かなりの腕やな」

表情で交わされる会話で、青から赤へとラエリの顔色が変わりゆく中、すぱっと無視してくるりとゲイルの方に話を振る刀儀。

「ん、まあ槍には多少自信がある。君の剣ほどじゃないけどな」

「なに、勢いに乗れただけや。……そいで暴走についてやけどな、いいか?」

「ああ、話してくれ」

「ラエリさんもいいか?(ほうれ、会話チャンス!)」

「あ、ああ(くそぅ~~泣)」

ようやく、話が始まろうとしたその時

「あの、ありがとうございます」

先程倒れていたエルフの女性が刀儀に礼を言ってきた。
他にも、男のエルフが二人、彼女の後にいる。
だが

「…………すまん、礼を言われる……資格は無いんや」

むしろ素っ気無くみえる口調で返す刀儀。
どこか思いつめた風にも見える。

「それより、早く離れた方がええよ」

反論より先に刀儀が言葉を続ける。
真剣な表情にエルフの女性も押し黙る。

「……暴走した個体は、その死骸を元に増殖・変化を繰り返す。
 そんで最期は、さんざん暴れまわった挙句、自壊する」

「! なら今のうちに死体を―――」

「前は犬やったけど、真っ二つにした両側から触手みたいなんがわさわさ出てきた。
 下手にバラバラにしたら収拾つかんかもしれん」

ゲイルの提案をバッサリと切り捨てる刀儀。
こんな感じと、わさわさ感を体で表現する。

「木っ端微塵にしたり焼き尽したりできるんやったら別やけど……無理やろ?」

周囲を見渡し、手段が無い事を確認する。
今から焼いたところで間に合う筈も無い。

……しかし、刀儀に落胆した様子はまるで無い。

所詮それはあったら嬉しい程度のものだったのだろう。
なにせやるべき事は既に分かっている。

―――言葉で語れる絶望は、その実ただの諦観に過ぎない―――

(だから希望の断絶には繋がらない、か……)

かつて、刀儀の友人が語った言葉。
無理で道理を押しのける考え方。
実際はもっと砕けた言い方だったが…大体こんなものだろう。
こんなもので―――事足りる。

「まあ、ようは持久戦や、最悪ほっといたら自滅する。
 てなわけで、基本的には俺がやるからあんたらは避難してくれ。
 ……っと、ゲイルさんは残っといてくれ。
 俺が殺られたら……後のこと、頼まれて欲しい」

そう言って笑う刀儀。
目的も状況も理解しながらも死地へ踏み込む救い様の無い意志、それは――――。

(剣持つ者の、宿業……ってか)

「ちょ、ちょっと待て!」

刀儀が少しばかり苦笑を浮かべている中、ラエリの声が割り込む。
それに対して、相変わらず刀儀は軽口を返す。

「あ~、すまんな、楽しげなトークチャンスを潰してもうた」

「それはもういい! それよりお前! なにを考えている!
 一人でやるなら何故私に救援など呼びに行かせた!!」

だが、ラエリが返したのは、真摯な言葉。

「オレも同感だ、だから一緒に戦わせてもらう」

ゲイルも続き―――――――。

「私達も戦います!」

「そうだ! アミィも言ってやれ! クードもヨギも!!」

名前を呼ばれたエルフ達も応える。

「私達の森だ、私達が護る」

「その為の衛視隊だからな」

そういって刀儀見やるが…………

―――ィィンッ と甲高い音。

彼らの前に居た筈の刀儀の姿は消え去り、その姿は彼らの背後。

「あっかんな……逃げる暇は無いようや」

弾けるように突き出された触手を切り払った態勢で刀儀が笑う。

(いやはやまったく……どこの世界でもこういう連中ってのはいるもんやな)

―――しっかしこれホンマ、命をかけるのにうってつけの場面やなぁ。

などと思った刀儀の顔が困ったような嬉しいような奇妙な微笑を浮かべる。
いや、実際嬉しいのだろう。
なぜならこんな場面なら、価値なき剣にも価値が宿る。

(…………と、いう訳で)

「……ほんじゃ、俺が斬りこむんで、ゲイルさんは牽制よろしく、エルフの皆さんは(できたら)援護頼んます」

消える刀儀に驚いて、しばし硬直した全員に矢継ぎ早に指示を出す。

「あ、待て! 君は―――」

「心配ありがとさん。けどな生憎と古流、名乗っとんよ、『殺さない』はあっても『殺せない』では話にならへん。例え体調最悪でもなー」

刀儀の負傷を心配しているのだろう。
なにか言おうとするゲイルに、どこ吹く風で応える。

「では、行ってみますか」

そう言うと、振り向きもせず、背後に向かいひらひらと手を振ってみせる。
そしてそのまま静かな歩みで間合いを詰めていく。
向かう先には歪に蠢き出す屍、適当な距離を置いて止まる。

「アミィさん、やったな、なるべく俺の後ろに陣取っとき。
 ラエリさんと他二人もな、うん……それでいい。後は俺が―――――」

僅かに腰を落とし、左手を脇差の柄に軽く乗せる。
大刀を握る右腕はだらりと垂らしたまま。
悠然とした自然体の構え。

――――――――ここより後ろで死なせはせんよ。

その姿は、大地に根付いた大樹の如くすら見えたかもしれない。






* * *






―――私ことラエリは、不覚にもその姿に見とれてしまった。
ただ、立っているだけなのに、悠久の刻を経てきた大樹の風格を備えているその男。
初めて見た時はただの不審者だった。
矢を射掛けたときには、恐怖を味あわされた。
それで話してみると、今度はさんざんからかわれた。
………それでも、悪い奴ではない、そう思った。

「……それだけに、死なれるのは癪だな」

呟く。
ここでただ護られるのは気分が悪い。
なぜだか、あの男におちょくられている気がするから。

「あ……」

ゲイル殿が構えるのが見える。
精霊達も得体の知れない恐怖におびえ出した。
オーガーの死体が形を失っていく。

「トーギ! 自壊するまで動きを止めれば良いんだな!」

私は叫ぶ。
振り向きもせずに、頷く姿をみると即座に仲間に指示を出す。

「アミィは樹霊の力を借りて動きを封じろ! ヨギは矢で援護、クードはアミィを護れ!」

そして私も弓を構える。

「護られてなどやるものか!」






* * *






爆ぜる様に伸びる触手。
周囲を侵食しようとする意志は際限無くその手を伸ばす。

『樹霊よ、あなたの力で封じこめて』

先手、アミィと呼ばれた女性が精霊魔法を行使する。

――ゴオッ!

樹霊。ドライアードが呼び掛けに応え、現象を巻き起こす。
凄まじい勢いで周囲の樹木から根や枝が伸び、怪物の慣れの果てを拘束する。
しかし、その隙間から、或いは拘束をひきちぎって触手が放たれる。

「勢ぇっ!」

即座に反応、刀儀の左手が脇差を抜刀、槍の如き触手を縦に両断する。
逆手による脇差居合、護りの秘剣。……名前はまだ無い。

「ふっ!」

続いて右の大刀が両断した触手を横薙ぎに切り飛ばす。
その勢いのまま一歩踏み込み、背を向けるように回転。
そのまま手の中で回し順手にした脇差で、右を貫こうとする触手を斬り捨てる。
その代償に刀儀は完全に背を向ける形になる。

「危ないっ!」

誰かが叫ぶが、刀儀は気にもかけない。
重心を横に傾け、その一瞬で身体ごと横に移動する。
もちろん攻撃を切り払うのも忘れていない。

「―――って、え?」

後衛いるもの全員が唖然とする。
傍から見ると、とんでもない距離を一歩で移動したように見える。
それは、いわゆる『縮地』の一種。

「秘剣――――」

更に刀儀は二刀を構え、低い位置から薙ぎ払う斬撃。
長距離を制する歩法と切っ先で描く無数の円弧。
柄の端を持ち、遠心力と攻撃範囲を増大。
辺りを切り刻みながら蓄えられた剄力を持って上方へと伸び上がる。

驚くべきは乱撃に近い剣技で、刃筋を通すその技術。
そして、一太刀すら無駄にしない集中力。
本来ならば血飛沫を舞い上げ、血華を撒き散らすその技の名は――――

「――――黄泉桜」

呟きが響く中、ズタズタに刻まれた破片が宙に舞い散る。
さらにその流れのまま、更なる一撃放つ為に脇差は宙へと放られる。
そして残る大刀は、天を衝く大上段。
薩摩示現流の蜻蛉の構えにも通ずるその構え。

「ぃぃぃっァアアぁああ―――

距離にして5メートル。
重心制御が可能にする縮地の踏み込みにて一歩で踏破。
一瞬にして敵の本丸に刃の威力が押し寄せる。

(生まれて初めてのいくさ……あれから二年!)

―――下方に加速され、蓄積された重圧全てが斬撃に乗る。

(あの時斬る事すら敵わなかった、刃の権威が届かぬ存在……)

―――途方も無い剣圧がドライアードの拘束を軋ませる。

(今度こそ―――)

―――踏み込みに堪えられなかった地面が粉砕されて噴き上がる。

(斬る!)

交錯は一瞬、拘束もろとも全重圧を刃に換えた斬撃が本体を直撃する。しかし―――

「これでも―――っ、あかんか!!」

斬撃は、本体の、その更に後方までに至る地面を断ち割る。
だが、斬り割られた断面はボコボコと蠢きながら更に触手を吐き出そうとする。

「(………まだか、まだ足らんもんがあるんか)」

その光景に失敗を悟り、刀儀が次の行動に移る。

まずは、背後に引っ張られるような跳躍。
膝を胸まで折り曲げ、地面と平行に飛ぶ。
触手はそれを追いかけるように突き出される。

――着地

狙ったように落ちてきた脇差を受け止め、背を丸めるような態勢で両腕を交差させる。
そして、それが生み出す硬直の瞬間に無数の触手が突き込まれる。

しかし、それは予測の範疇。

「―――ゲイルさん、お手並み拝見」

俯いたまま告げる刀儀の前方、死を決定付ける筈の刹那にゲイルが割り込む。

「おぉおおおお!」

咆哮一声、槍の両端を使い、迫る触手を弾き飛ばす。
更に槍を引き戻し、僅かに遅れる触手を突きの連続にて相殺する。

「お見事」

後方、交差していた両腕を解き放ち、左右に弾かれた触手を切り捨てる刀儀。
見事な腕前を披露したゲイルに賛辞を贈る。

「お粗末様とでも言うべきかな?」

「いやいや、謙遜しすぎると嫌みに聞こえるのも世の真理やで」

軽口を叩きながら、二人が位置を入れ替える。
ゲイルの横を瞬時にすり抜け、触手の群を切り捨てる。
そのまま刀儀はサイドステップ。
空いた空間に、ゲイルが踏み込み槍特有の遠心力を上乗せした大斬撃―――。
迫っていた触手の残り全部が一気に吹き飛ぶ。
それを見た刀儀が言う。

「はは……これでお粗末なら普通の奴の立つ瀬なんぞあらへんって(汗)」

単純明快な速度と威力に冷や汗を掻く。

(見たとこ鍛え方では劣ってないつもりなんやけどな……)

単純な運動速度を取れば、刀儀のそれはゲイルよりも劣る。
最もそれは、ゲイルが魔法で加速された状態にあるからであるが刀儀にそれは解からない。
そして同様に、加速されている訳でもない刀儀の速さをゲイルも理解はしていないだろう。
余談だが、後衛のエルフ達は一連の戦闘に……。

「え~と、なんだよ、あれ」
「すいません、よく見えませんでした……」

「二人とも凄いな、さすがだ」
「……ラエリは見えていたのか」
「微妙」

あんまりついて行けなかったらしい。






* * *






「って、攻撃やんどるやん?」

なんで? などと言いながら刀儀が敵を見やる。
確かに、攻撃の様子はない。
というより、攻撃という言い方は不適切だ。
さっきまでの行動は“それ”の意図したものではなく、単なる肉の暴走だったのだから。

『―――――』

気付いたのは二人。
刀儀とラエリ。 
そして最初に気づいたのは間違い無く刀儀。
なぜなら彼は“それ”と目が合った。

(? 目なんぞ無い筈――まさか!?)

次はラエリ、4人のエルフ達の中でも最も精霊の声を聞けるが故に。

(これは……ドライアードが悲鳴を上げてる!?)

そして、彼らは叫んだ。

「伏せろ!」
「危ない!」

次の瞬間、樹霊の拘束が弾け飛んだ。
拘束されていた本体がその醜い姿を世界に晒す。
吐き気のする、膨張し変質した肉の塊。
もはや邪悪としか思えない。

そして、膨張堪えきれず砕け散った木片が刀儀たちに殺到する。

「くそったれがーー!」

叫ぶと同時に刀儀が突進する。
間合を詰め、射線を絞り、拡散する前に叩き落すためだ。

「シルフ!」

後ろで強い意思を伴った声。
ラエリの呼び掛けに風が巻き起こる。
風霊の起こす現象は、飛び散る木片を押し流す。

そして、ゲイルは走った。

―――――ラエリに向かって。





* * *





「があっ!」

誰かの悲鳴。
鈍い音。
紅い色。
長く伸びた触手は、今度は明らかに殺意を伴って・・・・・・放たれた。
そして射線上にいたのはラエリ、精霊魔法に集中していた彼女では回避は不可能。死は必然。
そう、そこに、ゲイル・ランティスさえ割り込まなかったら。

「ゲイル殿ぉ!?」

叫びながらラエリが駆け寄る。
同時に風の防壁も制御を失い静まる。
触手はゲイルの革鎧を削り血飛沫を巻き上げながら、ラエリの横へ抜けていった。

「……無事……か…………よかった」

自分を抱きかかえるラエリに途切れがちな声でゲイルが言う。

「あ……ああ……あ……」
「だ……いじょう……ぶだ、直撃……は……して……ない」

蒼白な顔のラエリにゲイルが無事を告げる。
実際傷は深くはなく、衝撃によるダメージの方が重かったらしい。

「あの……少年は?」
「――あ、あいつは……」

ゲイルの問いに顔を上げると、仲間達が蒼褪めている姿が目に入った。
なぜだろう? と思い視線の先を辿ると……。
長く伸びた触手に刀を突き立て脇に抱え込むような形で立ち尽くす刀儀が目に入った。

「え? あれ? ! まて……まさか、受け止めた………のか?」

刃を突き立てながら咄嗟に抱え込んで横へ逸らしたのだろう。
抱え込んだ左脇は大きく抉れ、ぼたぼたと出血している。
さらに彼の武器である細い長剣も半ばから折れている。
……なのに、そんな姿のままでも彼はいつもどおり言ってのけた。

「っっ…………よ、無事か? 御両人」

そう、相変わらずからかい混じりの飄々とした態度。
振りかえりもしないその姿。
いつもどおり
いつもどおり?

違うだろ?―――

「それでは、あっちは置いといて、と」

だって彼は―――

「初めまして、おはよーさん、お久しぶりで初対面。会えて嬉しい―――」













「だから死ね」













―――あんなに、愉しそうだから。







[1480] 孤剣異聞 第六話 剣客と騒動の結末
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/04/07 19:35
 場が変った。
 
 たった一人、少年が笑っている。
 それだけで…………。

 そしてまた、少年が笑う。
 どこか愉しそうに
 幸せそうに、嬉しそうに、――――悲しそうに。

 体の左脇を抉られ、夥しい血を撒き散らしながら
 およそ人間が浮かべてはいけない類の透明な気配で。

 「……トーギ?」

 恐る恐る掛けられたラエリの声は耳に入っているのだろうか?
 ……いや、入っていても関係はないだろう。
 そう思わせる雰囲気が今の刀儀にはあった。

 「……初めは、あの時の犬とかと同じモンやと思った」

 そして奇妙な独白が始まる。
 それと同時に、ゆらり、と億劫そうに体を動かす。
 折れた大刀を捨て、脇差に持ち替える。

 「けど、ちゃうかったな、いや、同じなんか……」

 熱に浮かされたような声色だが、体は精密機械の――それ以上の精度で構えを取る。

 「つまり、ああいう暴走体を拠り所にして現出するわけやな? ああ、やっとあいつの言う『門』の 概念が解かってきたわ。……そうやとすると俺が通ってきたのは『門』やのうて『通路』か……」

 ―――ポツ

 「……雨?」

 誰かが言った。

 しかし、瘴気に阻まれてはいるが雨の気配などどこにもない。
 ただ、“なにか”降っているような気がするのだ。
 透明な“なにか”が……。

 「これで……本日最後の一斬や、―――とくと御覧じろ」

 言葉の後、更に雨が強くなったような気がする。

 …………そう、つまりこれは殺意だ。

 空から殺意が降ってくる。
 身の内から放つのではなく、彼方の空から雨のように降り注ぐ。
 だからだろうか…………。

 ―――――なぜかその雨は血の様に紅く見えた。

 「彼岸の彼方に…消えて、去れ」

 集中を更に深める。
 それは自己と刀の境界を消していく作業。
 手の中に在る重みは消え、自己は切っ先の様に薄くなる。
 例えばそれは限りなく軽く、 その在り方はひどく薄っぺらで
 まるで切り裂いてしまうような――――。
 純粋の刃。

 ―――――――ィン

 そして、刃の疾る姿を誰も目に映せはしなかった。









孤剣異聞  第六話 剣客と騒動の結末











 ―――目が覚めるとベッドの上だった。











 「……なんや、夢オチかい」

 最悪の展開だった。
 全ては夢だった。
 禁じ手だった。

 「なんちゅうアホらしさや」

 そう言ってベッドを畳もうとする。
 だが、木で出来た質素なベッドは以外に堅く、重く、重傷と呼んで差し支えのない体に鞭打ちながらの作業では…………。

 「………………」

 「いや……ベッドは畳めんやろ」

 と言うか、現実だった。

 刀儀楔の家には布団しかないし、買うなら低反発マットを一緒に購入すると決めている。
 大体夢なら、体の左側を抉られている訳がない。

 ――ガチャリ

 扉が開く音。

 「ああ、目が……覚めたの…………かい」

 「…………あ、どうも」

 「「………………」」

 入ってきたのはゲイル・ランティスだった。
 そして彼が見たのは何故かベッドを持ち上げている刀儀楔だった。

 「え~~と、何をしているのかな?(汗)」

 ゲイルの問いに刀儀は笑う。
 ……でも足は…プルプルしていた






 ベッドを抱えてにっちもさっちも行かなくなった刀儀をゲイルが助け、とりあえず一段落した。

 「――で、夢と間違えてあの状況になったのか……」
 「申し訳ない」

 現在、刀儀がいる場所はゲイルの居る例の砦だ。
 あの後、気を失った刀儀を皆で運び込んだらしい。
 
 「それより、あんた……いや、ゲイルさん。怪我しとったんとちゃうんか?」

 「ゲイルでいいよ。オレのは掠り傷さ、それほど深手じゃない、むしろ無事じゃないのは君だろ? 昨日の今日で動いている事さえ信じらないよ」

 「いや、ごっつ痛いけどな」

 しばらくはそんな話が続いた。
 たわいもない話。辺り障りのない話。核心を迂回するような会話。
 最初に切り出したのは刀儀の方だった。

 「……ぶっちゃけ、あの後どうなりました?」

 真っ直ぐ目を見て言った。
 黒い、黒い黒い瞳だった。
 だからかもしれない。
 闇の深さを覗いた気になったのは…………。

 「―――どないしました?」

 「え……あ、ああ、なんの話だったかな」

 「いや、あの後の事……」

 「ああ、そうだっ「失礼します」っと入ってくれ」

 「? 誰?」

 入って来たのはエルフの青年だった。
 
 「え~と、あんたは……」

 刀儀の脳内に回想シーンが現れる。
 …………
 ……
 …
 (誰だ!?)

 「君も知ってるだろ、衛視隊の……」

 (いや、知らんし! いや、昨日いた人なんやろうけど、覚える気ナッシングやったし!)

 「クードだ……昨日はアミィが世話になった」

 そう言って手を出してくる。
 どうやら握手しようとしているらしい。
 刀儀も手を差し出す。

 「刀儀楔や、家名の方はトウギでもトギでもどっちでもええ」
 (自己紹介から始まって助かった!)

 内心の動揺を一切顔に浮かべず受け答えする刀儀。
 表情から思考を読まれないようにする技法と言えば聞こえは良いが、実際は単なる見栄張りだったりする。

 「? 家名が上に来るのか?」
 
 「ああ、せや、俺の国ではな」

 また、話が逸れるか。などと考える刀儀だが、クードは少しだけ考えた後すぐに話をはじめた。

 「…………それで、結論だが、あの怪物はあの後逃亡した」

 「…………そっか、効かんかったか…結構、自信のある一刀やったんやけどな……」

 「いや、確かにお前の攻撃は効いた。そうだろうゲイル」
 「ああ、……見えなかったが、確かに斬っていた。あの怪物は体を崩壊させながら逃げたんだ」

 クードの言葉にゲイルが続く。
 
 「君が気絶した後の話だ………………」






* * *






 叫びだった。
 それは理解できない音で構成されていたが、それは確かに断末魔の声だった。
 思わずゲイル達は耳をふさぐがそれでもなお途切れずに聞こえる。

 「――――、――。」

 次の瞬間、動かない刀儀を飛び越え、怪物が走り出す。
 ぼろぼろと崩壊する体から更に脆い触手を突き出し地面に突き立て疾走する。
 その姿は……見ているだけで吐き気がする。

 「ひっ!?」

 エルフの少女――アミィが引き攣った悲鳴を上げる。

 「クード!!」

 ラエリの声に我に返ったエルフの青年は庇うようにアミィの前に立つ。
 もう一人のエルフ青年、ヨギも矢を射掛けて牽制するが、まるで意味を成さない。
 怪物は更に速度を増し、矢の様に走る。
 全員を置き去りにして―――。

 「は?」

 圧倒的な速度で森の中に消えていく怪物。
 やがて姿は見えなくなった。

 「ふぃ~……助かったのか?」
 「バカ! 逃げられたんだ! さっさと追え!」

 安堵するヨギにラエリが怒る。
 
 「さっさと追いかけろ! クードも行け! アミィ……は腰が抜けてるな…「うぅ、すみません~」 ……まぁ、いい、あの様子なら遠くへは行けない筈だ、アレの最期を確認して来るんだ」

 「隊長は?」

 「ゲイル殿とトーギの手当てだ。アミィはこっちを手伝ってくれ」

 「「「了解(です)」」」

 そう言うとあっという間にヨギとクードは森の奥へと消えていく。
 その身のこなしは身軽なエルフならではのものだった。

 「ふぅ、何とかなったな、皆無事でよかった」

 ぐったりしていた筈のゲイルがしゃべりだす。

 「あ、ゲイル殿、傷は……」

 「掠り傷だよ、ショックで体が麻痺していただけだ、意識はあったよ」

 「よかった……」

 幸いゲイルは深手ではなかったらしく、体を起こす。

 「彼は?」

 「アミィが診ています」

 そう言うと刀儀が立っている方へ目を向ける。
 
 「…………」(ラエリ)
 「…………」(ゲイル)
 「…………まずいです」(アミィ)

 死に掛けていた。

 「「「うわぁーーー!」」」

 ―――早く治療しろーーー!―――
 ―――や、薬草じゃ間に合わないですよね……―――
 ―――俺が治癒の魔法薬を持ってる! 使ってくれ―――
 ―――は、はいぃ……―――

 ……………………………
 ……………………
 ………………
 …………
 ………
 ……
 …

 「ってな事になってたんだ」

 「俺の扱い悪っ!」

 …………その通りだった。





* * *





 「まあまあ、無事だったようだし……」
 「せやな、まあええか」
 「っていいのかい!?」
 「ああ、瑣末事やろ、結局生きてるんやから(つっこみどころは多いけど)」
 「それはそうだが……」

 「……すまんがゲイル、本題に戻していいか?」

 横からクードが声をかける。
 また話が逸れていた。

 「ああ、すまないなクード」
 「いや、いい」

 気軽に呼び合う二人、知り合いなのだろうか。

 「えーと、そんで、あいつ、どうなったんや?」
 「ああ、それだが…………お前、もう動けるのか?」
 「ん? 俺? ああ、痛いけどまぁ、行動に支障はないな」
 「そうか、なら少し付き合ってくれ」
 「ええよ、ほな行こか」

 刀儀は負傷しているとは思えない程無造作に立ち上がる
 その気軽さはあまりにもゲイル達の理解の範疇から外れていた……。





* * *





 「……これは……なんや?」

 静かに問う刀儀。
 凍りついた表情は驚愕にも見えるが、それだけでは無い気もする。
 そして、それを窺い知る事はこの場にいる者では出来ないだろう。

 「我々にも分からない……お前なら分かるかもしれないと思ったんだがな」

 どうやらあの怪物を知ってるようだったからな、と付け加えるクード。

 案内された場所は、砦からもエルフの集落からも離れた森の外れ。
 そこには、ラエリ達もいた。

 「トーギ……大丈夫か? 危なくないか?」

 心配そうに話かけてくるラエリに大丈夫だと返し地面を見る。
 そして、そこに在るのは、地面に刻まれた長く深い一本の筋。

 (俺の示現流もどきでも衝撃で地面を割ったりは出来る……)
 (でも、これは桁がちゃう……いや次元が違うわ)
 (これは…………)
 
 「斬撃の……痕、やな」
 
 そう告げる。
 これは途方も無い斬撃の痕だと刀儀は言う。

 「袈裟斬り……恐らく右肩に刀を担いだ状態から振り下ろしたんやろ…太刀筋は随分無造作に見えるけど、力技でできる芸当やないな…………ところで、聞くが、アレはここで果てたんやな?」

 「ああ、俺達がしっかり、崩れていくのを確認したぜ」
 
 答えたのはヨギだ。
 もちろん刀儀は誰だか知らない。

 「(また知らん奴が出た……)そうか、ならその時、衝撃音だとか振動だとかなんか無かったか?」

 「いや、なにも」

 「……だとすると凄まじい使い手やな、周りに一切影響を与えない切り口、使ったのは相当な長刀か…………見たところ刀身およそ八尺程度のアホみたいな――!?」

 刀儀の表情が強張る。
 どこか達観した立ち位置を変えなかった男の動揺に全員が緊張する。

 「とーさん?」

 ぼそっと、小さく呟く。
 しかし誰も刀儀の声を聞き取れなかった。

 「何か言ったか?」

 「……いや、気のせいやろ」

 答えず、一人で納得する。

 「俺にも分からん。けど、アレは死んだって事や、つまり一件落着っちゅうことや」

 そう言うと刀儀は、パンッと手を合わせてから立ちあがる。

 「むぅ……、なんだか分からんが終わったと言う事か」

 続けてラエリが締めくくる。 
 この後もラエリたちには、まだ衛視としてやる事も残っているし、ゲイルもまだ忙しいだろう。
 しかし、これでこの事件は一応の終わりを迎えた。

 「とりあえず……いったん戻ろうか」

 ゲイルの言葉に皆が頷く。が

 「……俺は少し残らしてもらうわ」

 刀儀だけは残ると言い出した。

 「……なぜだい?」

 訝しげにゲイルが聞く。
 それに応えた刀儀は一人楽しそうに笑って。

 「……剣がな、振りたなった」

 純真な子供の様に呟いた。





* * *





 ――深夜――

 「なあ、トーギ」
 
 先程までと同じ場所。
 断ち切られた地面から離れた所に女性が座っている。
 風に揺れるのは太陽を梳ったような金色の髪。
 降り注ぐ月光の中でそれはむしろ蒼銀色に見える。
 
 「おい、トーギ」

 彼女――ラエリの声が鈴のように空気を振るわせる。 
 応えたのは、ひゅうん、と一つ風斬り音。
 周囲の事などまるで気にせず剣を振るっているのは刀儀楔。
 手に持っているのは脇差、長さはニ尺程で小太刀と呼んだ方がいいかもしれない。

 「おーい」

 「ん?」

 いま気付いたといわんばかり振り返る刀儀。
 ……実際、いま気付いたのだろう。
 きょとん、とした顔でラエリの方を見ている。

 「さっきから呼んでいるぞ! 熱中しすぎだ! ……怪我は完全には直ってないんだぞ」
 
 ラエリが声を荒げる。
 無視されている事に怒っている様子だが、最後の方は純粋に刀儀を気遣っている。






 あの後、残りたいと言い張った刀儀に放って置けないとラエリが付き添いを申し出たのである。
 確かにラエリ達の方も刀儀に聞かなくてはならない事があるのだが、彼女の場合どちらかと言えば心配の方強い。
 恐らく本質的に『お人好し』なのだろう。
 だからかもしれない。

 (……似てるな、赤瀬と)

 刀儀の脳裏に友人の姿が浮かんだのは。

 「おっと、すまんなラエリさん」

 しかし、その考えをまるで顔に出さず、ラエリに頭を下げる。

 「いや……頭を下げるほどの事でもないだろうに」

 「あははは、アンタには色々助けられたしな」

 「うむむ、どちらかと言えば助けられたのは私達だと思うんだが……」

 そう言って首を傾げている彼女を見て刀儀は笑う。

 「……しかし、お前には、そういう笑い方のほうがいいな」

 「はい?」

 予想外の言葉に刀儀が変な声を出した。
 だがラエリは気にせず話し続ける。
 どうやら真剣な話らしい。

 「あの時……笑っていただろう、あの雨が降り出した時だ」

 「雨?」

 「気付いてないのか? ……そうか、まあ、それならいい…………それよりもお前が何者なのか聞かせてくれないか?」

 雨、と言う言葉に首を傾げる。
 そう言えば赤瀬も似たような事を言っていたな、と刀儀は考える。
 本人に自覚はないのだろう、そして刀儀には気にするほどの事でもない。
 だから

 「お、ようやく本題に入ったなラエリさん」

 会話を打ち切り、質問へと変えるラエリに、刀儀はおどけたように返す。
 しかしながら、目には真剣な色合いも在り真面目に応える気はあるらしい。
 それを見たラエリは少しだけ表情を緩め柔らかく微笑む。

 「ラエリでいいぞ。歳はそう変らんからな」

 「え? 何歳?」

 「18だ。お前よりも一つ年上だな」

 「何百年も生きてたりするんかと思とったんやけどな……って言うか俺の年齢覚えてたんは驚きやな」
 
 「本当に何も知らないんだな……エルフが長い長い寿命を持っていたのは過去の話だ。今ではせいぜい百年前後といったところだ」

 「そーか、やっぱり実際は色々と違うもんやな」

 「そうだ、で、結局お前は一体何者で、一体何をしに来たんだ?」

 「ああ、今から話すわ……せやな、あれ覚えてるか? あの不器用な男の話」

 「……割に合わない仕事を続けている。という男の話か?」

 「そうや」

 「ふむ、それで?」

 「あー、うん」

 一拍置いて、刀儀は語りだす。

 「……そいつな、俺の友達やねん……赤瀬って言うんやけどな、ごっつアホな奴でなあ、子供の頃の 初恋引きずって生きてるような奴や。……そんでまあ、おれも詳しい事情は知らんやけどな? どう やらそいつの初恋の相手の幼馴染の娘がこの世界に関係あるらしいねん」

 「……? この世界?」

 「ああ、アンタの話の中に出てきた別たれた世界。多分、恐らく……もしかすると、俺の住んでたの はそこかもしれへん……自信ないけど」

 「なっ!?」

 とんでもない発言に、ラエリが驚きの声を上げる。
 
 「いやまあ、その事に関しては横に置いとこ。まずは俺の目的や」

 「あ、ああ」

 そのまま行くと話が脱線すると読んだか、刀儀はすかさず話を元に戻した。
 そして―――

 「……話す前に聞くけど、…………俺の剣どうやった」

 「え? 素晴らしかったぞ、今まで見た事が無いぐらい速く鋭い……そして綺麗だった。少なくとも 私はそう見えた」

 突然意図のわからない質問をする刀儀。
 それに戸惑いながらもラエリは真面目に答える。
 だが……。

 「そっか、美人さんに誉められると結構気分がいいなあ」
 
 ニヤリと笑い、刀儀は出会った当初の呼び方でラエリを呼ぶ。
 その行動に嫌な予感を感じたラエリが止めようとするが、そこはマーフィーの法則、悪い予感当たり、もはやかっぱえびせんの如く止められない
 あれ? ビジンダーやったっけ? などと思い出したくも無い記憶を抉る刀儀にラエリが両手をグルグル回しながら怒る。

 (や、やっぱりコイツは~!!)
 「―――剣は」

 「え?」

 「命や」

 混乱するラエリの思考に透明な声が滑り込んでくる。
 あらためて刀儀を見ると、そこには赤い雨の時のように透明な気配の男がいた。
 そして男は夜よりも静かな声色で語り出す。

 「俺は“それ”で生きる。そして―――死ぬ」

 「…………」

 「結果、死ぬ事になっても、俺の屍は道に成り、また誰かが超えてく。
 俺がそないした様に、そうやって、『命』を『運ぶ』運命を続ける、生きていく」

 ―――この道より我を生かす道なし、この道を行く。
 
 「武者小路 実篤って人の言葉やったと思うんやけどな、詰まりそういう事や」

 ―――そう言う『命』の在り方やねん、不器用でもな。

 そこまで言い切ると、刀儀はまるで諦めと覚悟が混じり合ったような顔で苦笑した。

 「だから思たんや、この生き方で関れる人間は精一杯大事にしようって。
 例えば、一人守るのも精一杯のくせに、その一人が生きてる世界丸ごと護ろうとしとる様な難儀なお人好しに、……俺のたった一人の友達に手ぇ貸そうってな」

 ―――そう、詰まるところ

 「……俺の目的はその程度の事や、剣にしか生きられへん人種が“人間”で在る為の選択の一つ、まあそんなところや」

 そこまで言い終わると、刀儀はまた笑った。
 
 「つまり、俺にはたいそうな目的も無いし、事の真相も分かってないんや。すまんな」

 「…………お前、色々考えてそうなくせに考えてないんだな」


 「あっははは、ご明察、ちゅう訳で追求しても無駄やで?」

 「みたいだな、……ふぅ、なら、質問を変えるぞ。お前はどうするんだ?」

 「う~ん、せやな、とりあえず情報集めやな、興信所みたいなんが無いかゲイルさんに聞いてみるつ もりや」

 「コウシンジョ?」

 「人捜しの機関や、俺の世界での」

 「『盗賊ギルド』の情報屋のようなものか、なら王都まで行く必要があるな」

 「(うわぁ~ごっつファンタジーやな)ほんじゃ、王都とやらまで行けばいいんやな」

 「だが、盗賊どもの情報網はツテが無ければ使えないそうだぞ」

 「じゃあ、どないしたらええねん」

 「地道に冒険者ギルドなどで情報を集めるか、あるいは冒険者に依頼するかだな、彼らの中には盗賊もいるそうだしな」

 「ふむふむ、んじゃ、王都への行き方とか教えてくれへんか?」

 と、そこで一瞬会話が途切れる。

 「…………すまん、私は行った事が無いんだ」

 一拍置いて、心底すまなさそうに、言うラエリ。
 思わず刀儀は狼狽する。

 「い、いやいや謝られる事でもないよって、な、な?」
 「うぅ、すまん…………」
 「あー…………そうや! ゲイルさんに頼もう、な、な、な」
 「え!? い、いや、しかし」
 「俺も助かる、アンタもゲイルさんと話せる、一挙両得やん、な?」
 「だが……うん、そう、かもな……」

 (よし、なんとかなった!)

 ラエリの打てば響く性格から来る意外な反撃になんとか堪えきった刀儀、話を終わりに持っていこうとする。

 「ほんじゃ、ラエリさんも、もう休んだ方がいいで? 俺はもう少し剣振ってから休むし」

 そういって再び小太刀を手に取る。
 それに対してラエリは…………
 
 「……もう少し、お前が剣を振るのを見せてはくれないか………?」

 ――それと、ラエリでいいぞ。

 そう伝えると、真っ直ぐに刀儀を見た。
 真っ直ぐに、刀儀の目を
 闇のような黒色を
 刀儀楔と言う“人間”を

 (……ほんま、この人は…………)

 刀儀は答えずに、それよりもただ構えをとる事で答えを示す。
 一瞬だけ目を閉じて、開いた時には全てを映す虚無の眼。
 そして、ゆっくりと動き出す。

 ―――ひゅん ひゅうん ひゅっ

 風を切る太刀筋をラエリは追いきれない。
 動きの始まりは、終わりを持ってしか目に映らない。

 「―――――」

 更に動作が加速する。
 僅かな狂いも許さない『型』の動作は、その軌跡を精確に刻み続ける。
 そして、最後の一刀。
 小太刀の切っ先は天へと向けられた。

 「すごい……」

 ラエリが感嘆の声を漏らす。
 その剣技は、昨日刀儀が怪物を斬ったのと同様にラエリの認識を置き去りにして振るわれていた。
 故に彼女の目に映ったのは、月明かりが浮き彫りにした鋭く無駄の無い剣の軌跡。

 剣の―――――奇跡

 「一つ術を得て、理を一つ識って―――」

 ―――また一つ『早く』なった。

 刀儀が呟く。

 古流術派が現代に伝える幾つもの『型』と『理合』
 それを根底に組み入れながらも疾る剣閃は自在。
 目指すものは、より『速く』、より『早く』

 ――――チン

 刀身が鞘に収まる音を聞き、ラエリは現実に引き戻される。

 「ふぅ…………………………ぐえ!?

 息をついたと同時に刀儀はうずくまる。

 「!? トーギ?」
 「………………痛い」
 「え」
 「い、いた、いたい? あた、あた、あたたたたっ!」

 左脇を押さえる刀儀にラエリが駆け寄る。

 「あーもう! 完全に直ったわけじゃないと言ったろうが!」
 「す、すんません(泣)」
 「もういい、さっさと寝ろ。…………しばらく傍に居てやるから」
 「!? って、それはまずいやろ!」
 「なにがだ?」
 「検閲入るって!」
 「ケンエツ??」
 「だから……うぅ、う!?(ガク)」←(激痛で気絶)
 「ん、気絶した? ……まあ、いいか。寝た事に変わりない……よな(汗)」

 こうして一連の騒動は、刀儀の気絶と言う形で幕を閉じる事になった。
 随分と間の抜けた結末だが、次への起点と言うならこの程度で充分なのだろう。
 夜の森にはラエリの言い訳が響いて消えていった…………。 

 



[1480] 孤剣異聞 第七話 剣客と厄介な旅の始まり
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/04/14 00:43
 某月某日 刀儀楔と赤瀬夕凪の会話。 

 「なあ赤瀬、人生に必要なもんって言うたらなにが思い浮かぶ?」
 「人生に? ……え~と、覚悟とか信念とかじゃねえの、お前は?」
 「俺? そやなぁ、厄介事ってのはどうや? 色恋なんぞまさにそれやろ」
 「って、俺の厄介事かよ!? 自分にしろ自分に!!」
 「アホ! お前のやから笑い話にできるんやないか!」
 「するな! って言うか笑うな!! っと言うより話にするな!!」
 「ええやん、俺とお前の仲やし」
 「良くねぇぇぇぇえええええぇえええ」









孤剣異聞  第七話 剣客と厄介な旅の始まり









 森を出てから二日。
 ちょうど川があったので水の補給を兼ねての休憩中。
 王都までは大体、後一日程で着けるらしい。
 食料も分けてもらったし、ゲイルさんに知り合いへの紹介状も書いてもらった。
 自分の荷物も回収しきれたし言う事は無い―――筈なのだが。

 「おーい! トーギーー!!」

 「なんで、こうなったんかなあ?」

 何故だかラエリが付いて来た。

 「安請け合いしてもうたかなあ」

 刀儀は、ぼやきながら回想する。
 ラエリが付いてくるのを良しとしたのは実は刀儀である。
 それもしっかり見守るなんていう約束の上でだ。
 ちなみにラエリはその事を知らない。
 それはある男と刀儀が交わした約束だからだ。





* * *





 ―――二日前。

 「――と言うわけで人を捜したいんやけど」
 
 とりあえず王都にいた事のあるゲイルに刀儀は相談をしてみた。

 ちなみにこの世界には三つの王国があるらしい。
 一つは、現在居る『草原の王国 フィルド』
 そして、最も深い歴史と深い森林を抱える『魔法王国 ラシェント』
 最後は、竜骸の砂漠にある『熱砂の王国 ラト」

 正直な話、聞いた所でまるで分からない。
 全部話すのは面倒なので、ゲイルには、「転移魔法っぽいのでここに飛ばされた」と言った。
 すると

 「なら、ラシェントに行くといいんじゃないか?」

 と言う意見を貰った。

 「ほな、どう行けばいいんです?」

 「ああ、そうだな……一番良いのは冒険者ギルドで登録する事なんだが、試験が難しい」

 「試験?」

 「そうだ、冒険者って言うのは、各地に残されたアトラの民の歴史の断片を探し出し収集する者で、三王国共通の機関だ、だから冒険者になるには資格が必要になるんだ」

 「ほうほう、で、試験内容は?」

 「伝承に関する知識と実技だ」

 「うん、無理

 と言うわけで別の方法は無いかと聞いてみた。

 「ああ、そこで方法が一つある。―――冒険者の仲間になれば良い」

 ゲイルの話によると冒険者が他に技能のある人間を雇うのは勝手らしい。
 冒険者は代わりに監督責任みたいなものを負うと言う事だ。
 なので、取り合えず刀儀はゲイルに知り合いの冒険者を紹介してもらうと言う事になった。
 
 「俺が行けたら良いんだが、今回の事件の事後処理が必要みたいなんでね」

 本音を言うと同行して欲しかったがそうも行かないだろう。
 刀儀は紹介状の件をヨロシク頼んで、荷物を纏めに行った。
 しかし……気にかかる事がある。

 「…………ラエリさんはなんで来えへんかったんやろ?」

 せっかくゲイルと話せるチャンスを用意したと言うのにラエリは姿を見せなかった。

 「色々世話になったから、礼のつもりやったんやけどな~」

 などと言いながら、借りていた部屋のドアを空ける。

 「あ、トーギ、荷物を纏めておいたぞ、いつでも出発できる」

 「あ、ども」

 「そう言えば知っているか? ゲイル殿に聞いたのだがフィルドではもうしばらくすると、武術大会が開催されるらしいぞ。三年に一度の大規模な大会でな…………」

 「さいですか」

 「ああ、それとクードが話があると言っていたぞ。私の方はまだ荷造りが出来てないから、その間に行ってこい」

 「はぁ」

 「それでは、後でな」

 「…………」

 ガチャリ、と言う音と共に戸が閉まる。
 クードの居る場所は分かっているので問題は無い。
 というわけで

 「なんでやねんっ」

 ビシッ!! とつっこんでみた。

 「…………」

 予想以上に空しかった。
 
 「……いくか」

 もう行くことにした。





* * *





 コンコン―――

 「入ってくれ」
 
 入室の許可が出たのでドアを開ける。

 「刀儀ですけど、話があるって聞いたんで」

 「ああ、呼びつけて悪かったな」

 「いや、ええですけど……何の用ですか?」

 「……ラエリの事なんだが」

 「それは、俺の部屋で勝手に荷造りを済ましてやる気満々な事が関係あるんでしょうか?」

 「…………まあ、半分はな」

 「あるんかいっ! って半分も!?」

 「驚いている割には真顔だな」

 「俺のデフォルトの表情、これやから」

 「そうか」

 後半が奇妙な会話になった。

 「……まあ、ええですわ、ほんで、残り半分は?」

 「彼女の、運命についてだ…………」





* * *





 「彼女の髪の色を見たか?」
 
 クードがまず聞いたのはそれだった。

 「ん、ああ、不思議な色合いやな、お日様の下だと陽光そのまんまの金色で、月の下なら夜の光を全て集めたような蒼銀色、正直な話、普通の奴なら息を呑むほどに美しいと思うやろな」

 「お前は違うのか?」

 「う~ん、正直、剣振ってる時以外やったら見惚れてたかもな……、って言うか、エルフって皆あんな感じとちゃうんか?」

 アンタも金髪やろ? と刀儀が聞く。

 「精霊の加護を強く受けている者は別として、基本的にエルフは金の髪で、銀の髪はダークエルフのものだ。……一応聞くがダークエルフは知っているな?」

 「正直言うと分からへんやけど、闇に属するエルフって感じか?」

 「そうだな、そんな感じだ。そして彼女は両方の色を持っている。……と同時にどちらでもない」

 「ほんで……それが一体なんなんや」

 「分からない……と言うのが正直な話だな、だがしかし、彼女が特別な力を持っているのは確かだ」

 「? どのへんが?」

 「簡単だ、彼女は精霊魔法を使わない。使う必要が無い」

 「は?」

 「彼女は呼び掛けるだけで良い。精霊の方が彼女の意思を汲んでくれる。彼女は……護られているんだ」

 「…………んー、つまりラエリさんは特別な存在って事か? ……なら聞かせてもらうけど、それは俺にとってどんな意味を持つんや? そないな事話して……アンタは一体俺に何を望んでるんや?」

 そう言うとクードの目を見る。
 そこに何かを読み取ろうと言う意思は無い。
 ただ、黒い闇色は全てを在るがままにしか映しださないような気にさせる。

 「話そう……」

 だが、クードは動じない。
 ラエリも含めて彼の他に三人いるエルフの衛視だが、恐らく彼だけが違う意図をもってあそこにいたのだろう。
 彼にはある種の覚悟が出来ている。
 たとえば一人だけで真実を抱えているような。
 少なくとも刀儀にはそう感じられた。
 だから静かに彼の言葉に耳を傾ける。
 
 「彼女の母親は旅エルフだった。外の世界でも冒険者として名を馳せていたようだ」

 そして、そこから先の話を要約するとこうだ。

 当時、冒険者として名を馳せていたラエリの母、リーゼ
 彼女が最後の冒険の後、連れ帰ったのがラエリだと言う。
 
 「彼女が抱えて帰ったのが、不思議な色合いの髪を持った幼子――ラエリ――だった」
 
 そして、彼女はその子を連れて長老の所へ行った。
 そこで何が話されたかはクードも知らないらしい。
 ただ、彼が言われたのは……

 「彼女を――ラエリを旅立ちの時まで見守れ、そう長老は仰っられた」

 その言葉を言った時、彼の目に宿ったのは寂寥か……

 「切っ掛けになるとしたら、それはゲイルだと思っていた。ラエリはゲイルに惹かれている節があったからな……まあ、結局は違ったのだがな」

 「アンタは……それでええんか?」

 だから刀儀は聞いた。
 自身と関係の無い所で構築されていく物語への違和感と
 そこに組み込まれようとしている事実。
 そして何よりも、それがもたらす別れを平然と受け入れる彼に対する不信感。

 「仲間と……ちゃうんか?」

 しかし、クードは言った。

 「違うな……彼女は―――」

 そこで、彼は言葉を切った。
 いや、言葉にならなかったと言うべきか
 まるで、今更になって初めて……なにかに気づいてしまったように
 しかし、戸惑った表情は次第に薄れ、優しい微笑みに変わり、彼は言葉の続きを紡いだ。


 ―――妹、さ……私の大事な、な…………


 そして、ラエリをずっと見守ってきた男は口を閉ざした。
 語る事はもはや無いとでも言うように。
 そして恐らくそうなのだろう。
 それを定めとして受け入れたなら、彼の役目はここで終わりなのだ。
 彼が刀儀に語って聞かせようとしたのは、彼の苦肉の策なのだろう。
 身の上話を聞かせる事で感情移入させ、刀儀にラエリを護らせる為の…………。

 「委細承知いさいしょうち―――アンタの大事な妹さん、見守る役目は引き継ごう」

 そして、その目論見を刀儀は受け入れた。

 その理由は……………………

 ……………………

 …………





* * *




 
 「なぁ……クードさん。アンタがもし、あそこで微笑まへんかったら……微笑む程の覚悟を見せへんかったら、はは、俺の厄介事はひとつ減ってたかもしれへんのやで」

 頭を掻きながらの苦笑い。
 全く、この世界に来てから厄介事は増えるばかりである。
 
 「おいっ! トーギ!!」

 ほら、また厄介の元が来た。
 今度は一体なんなのやら……。

 「大変だ! 野盗が人を襲ってる!」

 ……って

 「喧嘩売っとんのかこの世界はーーー!!」

 冗談抜きの厄介事が持ちこまれました。









(おまけ)

 「そういや、なんで俺が旅立ちの切っ掛けに?」

 「くくく」

 「なんやねん……」

 「放って置けないそうだぞ、まるで世話の掛かる弟だとさ」

 「見守られるん俺かいっ!」



[1480] 孤剣異聞 第八話 剣客と王都一歩手前
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/04/24 00:29
 
 ―――油断していた。

 今の状況を招いた原因はまさにそれだった。

 (もうダメかもしれません……)

 冒険者ギルドで紹介してもらった仕事は商人の護衛。
 野盗が出ると言う事だったが、集まったメンバーからすれば大した事でもない筈だった。
 実際、リーダーの戦士は正式に冒険者認定を受けていて『刻印』を持っていたし、自分の実力にもある程度は自信を持っていた。

 …しかし、その予想は裏切られた。

 発端は仲間の中に裏切り者が居た事だ。
 裏切り者は、リーダーの戦士を背後から刺し殺し、車輪を壊し馬車を動けない様にした。
 そして、そこに襲撃をかけられたのだ。
 突然の出来事に混乱した仲間たちは野盗に対処しきれず殺されてしまった。
 不幸中の幸いは商人とその家族が上手く馬車の中に逃げ込めた事だが、それも自分が倒れれば終わるだろう。
 多少は戦いの心得があっても基本的に僧侶である自分には野盗を倒しきる術は無い。

 「あ……」

 気が付くと剣が目の前に迫っていた。
 もはや回避は叶わないだろう。
 なのに感覚はもどかしいほどゆっくりとその動きを捉える。

 ―――ヒュン

 その最中、遠くで風を斬る音がした。









孤剣異聞  第八話 剣客と王都一歩手前









 「あっちだ! 馬車が襲われている!」

 ラエリが遠くを見ながら叫ぶ。
 しかし、刀儀の目には映らない。

 「遠いわ! 全然見えへんやないか!」

 「あそこだ!」

 「ちっちゃ! って言うか目良すぎ! 言われへんかったら殺気しか分からへんわ!」

 ラエリが示す方向を見るとなんだか争っている影が見える気がする。
 最も、一般的な人間の視力しか持たない刀儀では判別の仕様が無い。
 ぶつかり合う殺気を感じて認識するのが精一杯だ。

 「……そのほうが凄くないか?」

 「生憎やけどな、今どき剣で戦おうと思ったら気配を頼りにするしかないねんなーこれが」

 単なる古い流派ではなく、いにしえから現代までその流れを保ち続ける殺戮の系譜。
 しかし、いかに磨こうとも銃が主体になる現代戦の不利を覆すのは容易ではない。
 結果、必要としたのは異常なまでの気配察知。
 ………最も、それを工夫したのは刀儀楔ではなく、その祖父や父親であるが…………。

 「今どき?」

 「俺の所では遠・中距離での戦いが殆どなんや……、まあ剣より優れた武器が存在してるって考えたらええ。実際の戦場では剣より槍とか弓の方が役立つやろ? それを突き詰めたようなもんや」

 「そうなのか? 私も実際の戦場は知らないからな」

 「俺も同じや、単に知識として知ってるだけや、経験は無い」

 「そうか……だが!」

 ラエリが背中に背負った弓を手に取り、矢をつがえる。
 ザザッと音を立てながら停止、弓を構える。

 「少なくとも弓は役に立つんだろう!」

 「え? って、ちょっとまだ遠…………」

 距離は大体50メートルといったところだろう。
 一応、射程範囲だが、動き回る敵を狙うと言うなら話は別だ。

 だが…………

 ―――ヒュン

 風を斬る音
 直後に悲鳴
 誰かが倒れる。

 (って……助ける方に当たっとらへんよな)

 一瞬、嫌な考えがよぎるが、ラエリが小さくガッツポーズを取ったので少し安心する。

 「良し! 野盗の注意が逸れたぞ、これで敵を分断できる!」

 「…………」

 「ん? どうした」

 「いや、意外と物考えて動いてるんやな~って」

 「……………ふむ、そうか」

 「って、矢をこっち向けんな!」

 「ならさっさと逝ってこい!」

 「分かったよ!(くっ、そこはかとなく悪意を込められた気がするわ)

 こちらに向かって数人の野盗が走り寄ってくるのが見える。
 迎撃するために刀儀も走り出す。
 
 (さて……足はそれなりに速いようやが、そんな走り方で即座に戦闘に移行できるつもりか……)

 野盗たちは剣をブンブンと振り回しながら走ってくる。
 素人相手なら威嚇の効果があるだろうが、ある位階より上に居る者からすれば無様な事この上ない。
 そして、なによりその姿は刀儀にある想像を促した。

 (もしも現在いる世界がふぁんたじーな世界ではなく核戦争の後の世界なら……)

 (こいつらきっとモヒカンで刺々しい格好しとるんやろな……)

 ひたすらどうでもいい想像だった。





 
 (まずは一人)

 先頭を走る野盗に接近する。
 なんだかこの世界に来てから走ってばかりな気がする。

 「死ねぇぇええ!」

 叫びながら剣を振り下ろす野盗。
 ただし刀儀はその脇をすり抜けて走っていった。

 「ああ!?」

 思わず振り向くが、腕の自由が利かない。
 そこでようやく腕の腱を切られた事に気づいたが、もはや後の祭だった。

 (アホやな、まとめて来たらええものを、バラバラに来るからや)

 そして、刀儀は止まらない。
 続いて二人目は回り込んで足の腱を切る。
 三人目は振り返るついでに親指切り。
 少し距離が開いた四人目には跳躍しながらの唐竹割り。
 剣を握る指を全て切り落とした。

 (無力化完了っと、こっち来たんはこれで全部か)

 一瞬の早業だった。
 
 一連の流れを一切止めずに四人の野盗を刀儀は無力化した。
 おかげで馬車の方に居る野盗たちはまだ仲間がやられた事にも気付いていない。

 ―――ヒュン
 ――ヒュン
 ―――――ヒュン

 「お……」

 そして、ラエリの弓も凄まじい。
 次々に、野盗に矢が刺さる。

 「……って言うか」

 良く見てみると矢の軌道が変だ。

 「風が……修正しとるんか?」

 刀儀はクードが言っていた事を思い出す。
 契約によらず、生まれながらに精霊の祝福と加護を得た存在―――。

 (つまり、弓の腕は大した事ないんやな、修正されとるんやし)

 ……ただ、刀儀の関心は別の方向に向かっていたようだ。
 そしてまもなく野盗たちは撤退を始めた。
 すると背後で…………。

 「お、おお、覚えてやがれっ」

 刀儀が無力化した者たちが逃げ出していた。

 (覚えてやがれ……か、いかにもな捨て台詞やなぁ)

 全くその通りだ。
 だが……

 (安心しぃや、あんたらの事は忘れるやろうけど斬った感触は忘れへんよ)

 「それが精一杯やからな……」

 自分の手を見る。

 今も残る生々しい感触。
 今も残す生々しい感触。

 そして刀儀は呟く。

 「一年か……もうそんなに経つんやな」

 何気ない言葉は、何気ないまま虚空へ消えた。





* * *





 「おいっ、アンタ! 無事か?」

 こっちへ向かってくるラエリを確認し馬車の方へ向かう刀儀。
 ラエリを待つより、馬車の方の安否を確かめる事を優先した。

 「あ、はい、無事です」

 驚く事に馬車の前に立ち必死で応戦していたのは同年代ぐらいと思われる少女だった。

 (いや、この世界では普通なんかもせえへんな……しかし)

 フワフワした茶髪と、同色の綺麗な瞳、整った顔立ち。

 (ホンマにこの世界、美人さん多いな……しかも今回は可愛い系、バリエーションも豊富や……)

 相変わらず、どうでいい事しか考えられん頭やなー、と思う刀儀。
『偶然であった女性が美人ばかり』という幸運に感謝もへったくれも感じていない様子。
 
 (ま、それよりも…………)
 「後ろの三人は無事なんか?」

 まあ、確かに優先する事項があるのでしょうがないとも言える。
 だが

 「はい無事……ッ! アナタは!?」

 馬車の中の人数を言い当てた刀儀に対して少女が持っていたメイスを構える。
 恐らく、野盗の仲間ではないかと疑ったのだろう。

 「ああ、ちゃうで、気配でわかっただけや」

 「気配で? ……もしかして精霊使いですか?」

 「セイレイツカイ? ああ、精霊ね、ちゃうちゃう、せやな……時代遅れの、剣客…ってとこか」

 苦笑気味の顔で笑う少年は何処か孤独だ。
 なぜか少女はそう思った。
 先程の言葉も、少女ではなく自分自身に語り掛けている部分が感じられた。

 「んで、無事?」

 「え……、あ、はい」

 現実に引き戻され、狼狽しながらも商人家族の無事を確かめに馬車の中を見る。
 刀儀に背を向けている辺りもう警戒は薄れたのだろうか?

 「大丈夫ですか?」

 「は、はい、妻も娘も無事です」
 「恐かったよぉ」
 「大丈夫、もう大丈夫よ」

 話し声が聞こえる。
 無事だったと判断した刀儀が視線を後方のラエリに向ける。

 「トーギ! ―――無事だったか!?」

 声の調子からして刀儀ではなく馬車の方の事だろう。

 「ああ、無事やで」

 「そうか! 良かった……」

 心底安心した顔をするラエリ。
 そこに先程の少女が馬車から出てくる。

 「あ………」

 少女が息を呑んだ。
 彼女の目に映っているのはラエリだ。
 ……まあ、確かにそうだろう。

 ―――降り注ぐ光の様に流れる髪
 ―――エルフ特有の美しい顔立ち
 ―――凛とした意志を宿す瞳。

 これだけ揃えば普通は目を奪われる。
 それを流してしまう刀儀の方が異常なのである。

 「ん? どうかしたのか?」

 「……ッ、すみません。つい、見入ってしまいました」

 そう言ってペコペコと頭を下げる少女、根が真面目なのだろう。

 「い、いや、そこまで謝られるとこっちが心苦しい。それよりなにがあったか聞かせてくれないか」

 「いや、まずは自己紹介やろ」

 「む……確かにそうだな、じゃあまずは私から……ラエリ、初心者だが旅エルフだ」

 「あ、わたしは、アリーシャ・リゼリオ、冒険者志願の僧侶です。アリーと呼んで下さい」

 「刀儀楔、トギーと呼んでくれ」

 「……って、ちょっと待て! そんなの私は聞いてないぞ!」

 「思いついたん今やからな、ちなみに昔トギトンってのもあったな」

 「ま、またからかったな「で、なにがあったん?」こら! 話を逸らすな!」

 ラエリが何か言いたそうだが、無視して刀儀が話を進める。
 アリーもラエリを気にしながらも今回の事を語り始めた。





* * *





 「仲間内に裏切り者を潜ませるか、えげつないな」

 「……そうだな、冒険者と言うのも難しそうだ」

 「……はい、『刻印』を持っていた戦士の方も不意打ちで倒されてしまいましたし、やはり簡単な道のりではない事を心底思い知りました」

 「ん?」

 刀儀が気になる単語に反応する。

 「『刻印』って?」

 「冒険者の証明のような物です。他国間や遺跡の通行許可証にもなりますし、また、ある位階より上にいくと刻印自体が力を持って使用者の能力を飛躍的に高めるそうです。だから上位の騎士の人達も持っているそうです」

 「……ふ~ん」

 刀儀はなにか考え込んだ様子で俯く。
 なので続きはラエリが引き継いだ。

 「そういえば、アリーは『刻印』を持っているのか?」

 「い、いえ、わたしは、その、……試験に落ちてしまったので」
 
 「ん、そう言えば試験があるんだったな」

 正規の冒険者資格を得るためには試験に合格する必要がある。
 試験内容は、知識と実技。
 それは、かつてこの世界を統べる存在だったというアトラの民、その遺産を手にする為に最低限必要な能力の有無を確かめる為の試験内容だ。
 この試験に受からないようならば、アトラの英知に触れる資格が無いと言う事になる。

 「わたしは実技の方で落ちたんです。やはり神聖魔法が使えるだけでは無理でした……」

 「そうなのか?」

 「はい、多くの危険に立ち向かうには一人でもある程度戦える必要がありますから」

 「ふむぅ、私も冒険者に……などと思っていたが、簡単ではないんだな」

 ラエリがうんうんと頷く。
 
 「あの、よろしいですかな」

 「「え?」」

 突然声が掛かる。
 どうやらアリーの護衛対象の商人が出てきたようだ。

 「あ、キールさん」

 商人の名前はキールと言うようだ。
 腰がひくく、見たまんま人の良さそうな雰囲気纏っている。
 娘がいるようだが、この様子なら良い父親をしている事だろう。

 「お話し中すみません。よろしかったら少し話を聞いてほしいのですが」

 「ん? 私たちか?」

 ラエリが自分を指差す。

 「はい、野盗を退けてくれたのはあなたたちですよね?」

 キールの問いに頷くラエリ。
 
 「ん、横合いから不意打ちしたおかげだがな」

 「そうですか……ありがとうございました。おかげで命拾いしました」

 「そうか……、それは良かった」

 フッ と微笑を浮かべるラエリ。
 その表情に思わずキールが息を呑む。

 「だ、だめですよ! キールさん!」

 「あ、ああ、すみません」

 目を奪われたキールをアリーがたしなめる。

 「……ふぅ、それで、どうしたんですか、キールさん?」

 「はい、できれば彼らにも護衛についてもらえないかと、ね」

 「え? 私たちがか」

 そう言って刀儀を見るラエリ。

 「うん なんや?」

 「うん、この人が私たちに護衛をしてほしいらしい」

 「ええんやないか、旅は道連れ世は情け、野盗の危険も去ったとは言えんしな」

 顔を上げた刀儀は気軽に引き受ける事を了承する。

 「ほんじゃ、まず馬車の修理せなあかんな」

 そう言うと馬車に向かって歩き出す刀儀。
 軽く肩を回すとキールに声をかける。

 「壊れてるんは車輪だけか……なあ、アンタ、換えの車輪はあるんか?」

 「え、はい、ありますよ」

 そうか、と呟くと、壊れた車輪の方へ回って手をかける。
 そして、刀儀はいつもと同じ調子でとんでもない事を言い出した。

 「んじゃ、持ち上げとくから換えてくれや」

 「「「はあ!?」」」

 あまりな言葉に三人の声がハモったりもした。





* * *





 ―――結論からすると持ち上がった。

 「お前……ほんとにデタラメだな…………」
 「拡大魔法の類も使ってませんでしたしね」

 ラエリとアリーシャが声を揃えて言う。

 「いやいや、上手いこと“氣”を練って巡らせれば結構な力出せるんやで」

 「キ?」

 「肉体操作の概念の一種や、呼吸とか色々で身体の中を制御する技術」

 「魔法とは違うんですね。初めて聞きました」

 「極め尽くせば同じなんかもしれんけどな」

 あの後、宣言どおりに刀儀が馬車を持ち上げたおかげで車輪の交換はスムーズに出来た。
 その甲斐あってあれからすぐ移動を始めて今は夜。
 現代人である刀儀の感覚ではまだまだ明るい暗く時刻の筈だが、月明かりと星明りしかないこの世界ではもう暗くなっていた。

 「そう言えば、アリーさんから聞きましたが、野盗4人をすれ違い様に倒したそうですね」

 食事も終わり火を囲みながらの会話にキールも参加してくる。
 聞いたところ、彼は魔法薬を扱う商人らしい。
 魔法薬は高価な物も多いので野盗の狙いはそれだったのだろう。
 ちなみに、彼の妻子は色々あったせいで疲れたのか早々と就寝している。

 「ん、遠くから頑張って走ってきたからな、あれやったら楽勝やろ」

 「遠くから走ってきたのがどう関係するんですか?」

 キールに答えると今度は横から声が掛かる。
 今度はアリーのようだ。
 首を傾げる姿は思わず抱き締めたくなる愛らしさがある。

 「簡単やろ。走ったら息が切れるし、足の速さが違うから連携をとろうにもバラバラにしか辿り着かへん。……それに、走ると戦うを一緒に出来へん様子やったしな」

 例によって刀儀はその愛らしさを気にも止めない。
 戦闘談義に華を咲かせている。

 「しかし、トギーさんと言いましたか。詳しいですね」

 「ほんとです。もしかして傭兵の経験があるとか?」

 「うんにゃ、全然ない」

 「その割には実際の戦場がとか言ってなかったか?」

 ラエリも話に加わってくる。

 「ほとんど知識だけや、実際に戦場へ出た事なんぞない」

 「……ますますお前が分からなくなった」

 「あっはは、出会って一週間も経ってないんや当然やろ」

 「え? お二人は一緒に旅をしているんじゃないんですか?」

 「と言うか旅立つ時期が一緒になったちゅうんが正しいけどな……―――ん?」

 「? どうかしたのか」

 一瞬、刀儀の表情が強張った気がした。
 
 「すまん、ちと出かけてくる。……つまらん野暮用や」

 「お、おいトーギ」

 スクッと立ち上がりヒラヒラ手を振りながら馬車から離れていく。

 「あー、ラエリさん。なんかあったら風の精霊にでも頼んですぐ呼びやー」

 一度だけ振りかえってそう言うとそのまま闇へ溶ける様に消えてしまった。

 「不思議な感じの人ですね」
 「そうですね。わたしもそう思います」
 「……トーギの奴、ラエリで良いと言ったのにな……」

 残された三人は刀儀の行動に首を傾げる。
 ……まあ、若干1名は違う事を考えた様だったが。





* * *





 遠くの方で揺らめく殺気を感じる。
 恐らく先の野盗たちだろう。
 悪党としても三流なら引き際を知らなくてもおかしくない。
 小細工は上手いようだが、所詮はそこまでだ。
 
 (無様な殺気や……)

 心底そう思う。
 納める事も出来ず、研がれる事も無く、錆びて朽ちた刃物
 そんな物で鍛えた刃を相手に出来るつもりなのだろうか?

 (いや、そんなことより……)

 しかし、それよりも刀儀を動かすものがある。

 (一殺多生の理……か)

 一人の悪を断ち、一人を殺しても多くの衆生を生かすその理。

 (しかし、それは善ではなく剣士の業……悪を背負う覚悟を持て……やったな)

 かつて祖父が言った言葉を思い出す。
 そして同時に実感する。
 その祖父と二度と語り合う事が無い事実を――――――

 「おったな」

 小さく呟く。
 街道から少し外れた森の中、木々の間に揺らめく炎が見える。
 
 「悪いけど、潰させてもらう。……この世界にはこの世界のルールがあるんやろうけど、お前さんらはあんな小さい子まで殺すんやろ」

 先程、少しだけ話す機会のあったキールの娘。
 恐かったのだろう。母親から離れなかったのを思い出す。

 「それは……あかんやろ」

 呟く。
 そこにあるのは諦めと覚悟―――人を殺す、意志。
 同時に懐かしい声を思い出す。
 それは今は遠いある問い

 ―――――お前も、人を斬って生きるのか?―――――

 少年がもつ答えは一つ
 故に告げる。

 「……もう、斬った」

 と

 だから答えは過去形。
 失ったものは戻らない。
 もう、とっくに戻れない道にいる。
 戻らない決意がある。

 ―――疾走

 その間も景色は猛然と背後へ流れ去っていく。
 足音は無く、気配は殺す。
 無理の無い動きはそのまま人を斬れる状態。

 (斬る…斬って……殺す…人を殺す。人を―――)

 己の中心に剣を据えた少年は気付けない。
 自分の心には迷う余地すら既に無い事を。





* * *





 ―――猛撃

 鞘ぐるみのまま小太刀を振り上げる。
 突然の襲撃に野盗たちは動揺を隠せない。
 瞬く間に数人が叩きのめされる。

 「黄泉桜―――」

 謡うような呟き。
 円舞の如く疾った剣閃が天へ突き立つと同時に更に数人が倒れ伏す。
 倒れている者は全員、骨を砕かれたり関節を破壊されたりで無力化されている。
 中には下顎がごっそり抉れているような者までいるが、死人はまだいない。
 
 「――……お前さんがここの頭か」

 その言葉が響く頃にはもはや誰も刀儀に近寄らない。

 「一応言っとく、はじめまして」

 立っている者はいつのまにか僅かになった。
 周囲の戦意が消えかけているのを確認し、刀儀はリーダー格と思われる野盗に向かって言い放つ。
 
 「て、てめぇ、な、なんなんだ」

 「剣客…いや今の役割ロールは……人斬り、か」

 低く押さえた声は不気味な重さを放ち、虚無のような眼光からは何を映しているのかすら窺い知れない。

 「ほんで今から、あんたを殺す」

 その言葉は、ひたすらに重い現実。

 「……諦めろとは言わんし、恨むなとも言わへん」

 人を斬る。
 そのためにここに居る。
 例えそれが自分の知る平和な世界では明らかな禁忌だとしても。
 
 「でもな、覚悟はするべきや―――おっと」

 横合いからナイフを構えて向かってきた者が勢い良く吹き飛ぶ。
 傍から見れば軽く手で払った様にしか見えない。
 それは、更に少年を得たいの知れないものに見せる。

 「……しかし、あかんわ……、そこまで錆びついたらもう――鞘には納まれへん」
 
 鯉口を切り、静かに抜く。
 振り上げられた刃は他人どころか己までも斬滅せしめんとする殺意を宿す。

 だからだろう――――――

 その姿の向こうは、血の雨の降る世界に見えた。

 「……さよならや――――」

 ――――ヒュン、と風斬り音

 風が奇妙に渦巻いて矢を導く。

 「あがっ!?」

 矢は吸い込まれる様に首領の眉間に突き刺さる。
 今まさに振り下ろさんとする刀儀の刃は行き先を見失う。

 「―――なっ!?」

 予想外の出来事に驚く刀儀の後方。
 弓を構えたラエリと同じくメイスを構えたアリーシャがいる。

 「トーギ無事か!?」
 「大丈夫ですか!?」

 「あ……」

 走り寄ってくるラエリ達。
 刀儀はあまりの事に動く気配が無い。

 「怪我したのか!? 一人で突っ走るからだこの馬鹿!」

 「あー……いや、怪我はしてへんよ…って言うかなんでここに?」

 「ラエリさんが精霊の様子がおかしいって、調べたんです。それで……」

 「あーはいはい、分かった。俺のミスや、油断してたわ…………ほんじゃ」

 一拍置いて、周りでうめいている野盗を見やる。
 世界を圧殺せんとした殺意は冗談の様に消えうせている。
 冷静になった視点で現状を見渡し刀儀は告げた。
 それは…………

 「これ……どうする?」

 …………阿鼻叫喚の地獄絵図……例えるならこの言葉しかない。
 
 そんな状況だった。





* * *





 翌日、王都までの道程はとても快適で安全だった。

 「まさか、傷一つ負ってないとはな」
 
 「ほんと、すごいですね」

 「う~ん、まあ、対人なら圧倒できるだけの蓄積があるからなあ」

 あの後結局、野盗たちは放っておいた。
 実際問題、壊滅状態だったし、ほぼ全員の心が折れていた。
 今後しばらくも怯えた夜を過ごすことになるだろう。
 
 「……しかし、まあ、感謝しとくわ…………助けられたしな」

 「え?」

 「……いんや、なーんでもないっ」

 ぐっ、と背伸びをする刀儀。

 (人を殺さんですんだ……なんて言われへんよなぁ。そんなん代わりに殺させたみたいやし)

 「けど、ま」

 王都が見えてくる。
 
 「赤瀬の行方は未だに不明。武術大会とやらも興味はあるし、ラエリさんの事も頼まれとる」

 ―――――そして、あの斬痕…………

 「やるべき事は色々ある……」

 背後では馬車の揺れる音。

 「さあて、それでは孤剣携こけんたずさえ剣客一人……冒険譚のはじまりやな」

 「おい、トーギなに言ってるんだ?」

 「――――く、はは、独り言、独り言やでラエリさん」

 「? 変な奴だな」

 「ラエリさ―ん、トギーさーん、もう着きますよー」

 「おー、了解や、アリーさん」

 空は青い。


 「―――ほな、いこか」




[1480] 孤剣異聞 第九話 王都その1
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/04/30 23:08
「それでは、皆さんありがとうございました」

 そう言ったキールと別れたのが1時間前。
 現在いる場所はフィルド王国の王都フィラートにある酒場。
 そこで刀儀楔は後悔に苛まれていた。

 「ぅぅ~あかん、だ、誰か、この頭をもぎ取ってくれぇ~」
 「情けないぞ、たかだか麦酒一杯で」
 「無理に一気飲みするからですよ」
 「……進めたん、お前等や…………」








孤剣異聞  第九話 剣客と王都その1








 護衛の仕事が終了した後、アリーシャが酒場に行こうと言い出した。
 どう見ても自分と同年代、未成年なのだがこの世界では普通なのだろう。
 そう納得して刀儀は酒場に向かった。

 辿りついた酒場は食事も出来るため昼間でも人が多い。
 アリーシャの話だと居るのは殆ど冒険者やその仲間らしい。

 「お、おい」
 「あ、ああ、すげぇ」

 入った瞬間、いくつかの声が上がる。
 刀儀が視線を辿ると、それがラエリに注ぎ込まれているのものだと解かった。
 
 (うーん、一般の人間の反応はこんな感じなんか)

 単なるエルフに対する物珍しさではなくラエリの圧倒的な美貌によって皆目を奪われていた。

 (確かに……あらためて見ると途方も無い美貌やな)
 
 そんな事を考えながら席につく。
 すると、視線の一部が刀儀に向けられる。
 
 (……うっ、なんか視線が痛い。…確かに、ラエリさんだけや無くアリーさんも別嬪やしな)

 嫉妬だ
 嫉妬の視線だ。
 この野郎、なに綺麗どころ囲ってやがる! 死ね!! みたいな………。

 ((汗)………まあええか、とりあえず何か飲も)

 そして、刀儀は地雷を踏む事になる。
 ……ここが酒場で自分が飲めないのを知っているくせに。
 そして、その結果は……

 「すいません、麦酒を三つ……でいいですよね?」
 「ん、いいぞ、ちょうど喉も乾いたし」
 「……あ~俺は水かなんかで……」

 刀儀は後に語る。

 弱みを見せたのがいけなかったのかもしれない。 と

 「ん、んん~♪ どうしたトーギ…むぅ、もしや飲めないのかぁ~♪」

 散々からかった仕返しのチャンスをラエリに与えてしまった。

 「……飲めんよ、悪いか」

 「あ、大丈夫ですよ。ここの麦酒は質が良いですから」

 更に追い討ちをかけるのはアリーシャ
 親切心からきているのでなお、タチが悪い。
 ついでに、ラエリも追撃をかけようとしている。

 「そうだぞ♪ アリーもそう言っている…………飲め」

 一瞬目が据わった。
 不覚にも、刀儀は怯えた。
 異形の理を抱く化物を斬殺し、二十人近い野盗をほぼ単独で壊滅させた男は神々しいほど美しいエルフの微笑みに―――それが抱く恐怖に心を折られた。

 「ら、らじゃー」

 「よし♪」

 (よし♪ とちゃうわ! そんなに仕返しの機会狙っとたんか!?)

 心の中で叫んでみるが、恐いので口には出さない。

 「あ、来ましたよー」

 麦酒が運ばれてくる。

 「よーし乾杯だ」
 「はーい」
 「おー……」

 乾杯後……

 「……苦い」
 「どうした、そんなチビチビとしか飲めないのか?」
 「……悪いか」
 「悪い」
 「…………」

 「ラ、ラエリさん」

 アリーシャが止めるが時は既に遅し……。

 「―――ええやろ、俺の生き様を見せたる!!」

 がっ! とジョッキを掴む刀儀。
 そのまま一気に麦酒を飲み干―――――

 「げぶはぁっ!!」

 ………気管に入った。





* * *





 「あかん…あかん…あかん…」

 「……寝言ですかね?」
 「そうみたいだな」

 その後、酔いがまわりきったので、刀儀早めの就寝。
 寝言を呟いているが、二人はそっとしておく算段のようだ。

 「……でも、不思議な人ですね」

 ふと、アリーシャが会話を切り出す。

 「む?」

 「トギさんです」

 ちなみに、『トギー』の愛称は修正された。

 「……不思議…と言うか不可思議のほうが合いそうな気がするな」

 「……微妙ですね」

 ひどい言われようだ。

 「……と言っても、私も付き合いが長い訳でもないから解からないんだ」

 「え、そうなんですか」

 「ああ、それに、本当のところはあまり見せないような気がする……」

 す――、とラエリの表情に陰が差す。
 
 「どこか、一線を敷いてると言うか、薄皮一枚隔てているというか、そんな感じだ」

 寂しげな表情で思う。
 野盗を相手にしたとき彼は一人で終わらせようとした。
 重要な事ははぐらかし、本当のところはなかなか見せない。
 ――ああ、そういえば……

 彼女もそうだった/彼女?

 「なにかを抑えながら生きているような……迷う事も出来ない癖に迷っている。そんな――」

 哀しげな表情で言う/誰の事を?

 ただ、彼女は迷えなかった/知らない、私は『彼女』なんて知らない……筈。

 「うん、不器用…だな。これが一番合ってると思う」

 納得した表情。

 ああ、確かに言い得て妙だ/うん、確かに両方に言えるな。

 「……やっぱり、解からないな………………あれ?」

 そして苦笑い。
 だが、ふと思う。
 
 (今……なにか妙な事を考えていたような…………)

 「アリー……私は今、妙な事を考えていなかったか…?」
 「え~と、心の中のことは外からじゃ解からないかと……」

 ……正論である。

 「え~……あっ」

 ふと、思いつきアリーシャは目だけで周囲を見る。

 ―――ざわざわ

 ラエリのくるくると変化する表情は酒場に居る者全てを魅了してやまないらしい。

 「ん? なんだか様子が…………」
 「ラエリさん! 出ましょう!」
 「え? え、え?」
 「ほら! トギさん持って!」
 「あ、ああ」

 ラエリは周囲の雰囲気に気付いていない。
 ここが普通の場所ならともかく、昼間とは言えここは酒場だ。
 美人が居て酔っ払いが集まれば碌でも無い事起こるのはむしろ必然。

 「ごちそうさまでしたーーー」

 ―――バタン
 扉が閉まる音。

 騒動の勃発はアリーシャの機転によりなんとか防がれたのであった。





* * *





 「ふぅ~危なかったですね」

 「いや、なにがなんだか……」

 全く自覚無しのラエリ。
 刀儀が世間とずれていると言うならラエリは世間知らずだ。

 「もう、ラエリさんは綺麗なんだからああ言う場所では気をつけないといけませんよ!」

 「……綺麗? え、わ、私がか!?」

 (……もしかして気付いてないの?)
 「綺麗ですよ! じゃなかったらわたし達はどうしたらいいんですか!」

 「ほら! トギさんも言ってあげ…………」

 刀儀にも意見を求めようと見ると……
 
 「…………」
 「…………白目むいてますね」
 「ああ」

 ぐったりとした刀儀。
 いつもは圧倒的な黒色も白目をむいていたらそりゃ白い。

 「と、とりあえずトーギを休ませよう」
 「そ、そうですね。あっちに広場があるんでそこに行きましょう。あ、こっち、近道です」

 そう言って裏路地へ入っていくアリーシャ
 ラエリも刀儀を引き摺りながら後を追う。

 そして―――――





 「……なにか…おかしくないか?」

 裏路地に入ってから少し、奇妙な感覚が周囲を満たす。

 「そう……ですね。なにか……」

 そこでラエリが気づいた。
 精霊の声がうまく聞こえない。
 なにか、世界が歪んで、邪魔されている様に……。

 「まさか……」

 この感覚。
 ラエリには覚えがあった。
 それは旅の始まりでもある故郷の森、そこで起きたあの事件。

 「気をつけろ……これは」
 「はい、わかってます」

 アリーシャも『神聖魔法』の呪文を紡ぐ用意をする。

 「…………ッ! あれは、なんだ」

 薄暗い、瘴気が満ちて居るような空間。
 その奥になにかが居る。
 人間のような形のナニカが居る。

 「アリー、トーギを頼む」

 刀儀をアリーシャに預け護身用の短剣を抜く。

 ―――ガサガサ
 ―――がさがさ
 ―――ガサガサ

 「アリー、……逃げろ」

 二人を庇う様に前へ出るラエリ。
 もはやここはさっきまでの日常ではない。
 ここは戦場――いや異界だ。

 覚悟を決める。

 いつでも動ける様に踵を浮かせ短剣の切っ先を闇に向ける。

 闇が揺らぐ

 ナニカがこちらを見る。

 そして―――

 「―――右に回避」
 「! は!?」

 背後の呟きにつられた様に右に避ける。
 瞬間―――

 ―――――ギィィン

 勢いよくラエリの短剣が弾き飛ばされた。

 「ぐッ!」

 右に避けていたラエリが横の壁まで弾かれる。
 そして、その後の一瞬にアリーシャが見たものは

 ―――流れる動作
 ―――鞘内から疾る剣閃
 ―――左逆手の抜刀術

 「――――」

 異形の腕が宙を舞う。
 一瞬に鞘から剣を抜いた刀儀が突き出された腕を切り飛ばしたのだ。

 だが――

 「……ッ、速すぎや」

 血が吹き出す。
 異形は右腕の付け根から
 刀儀は右肩から…………
 
 攻撃はニ撃だった。
 先の交差はラエリを弾き飛ばした左手に対応しきれず、なんとかニ撃目の右腕を切り飛ばしただけだったのだ。
 そして状況は

 ―――ギィン――キン―――ぃいん

 跳ね回りながらに四方八方から襲い来る攻撃。
 全てを迎撃しきる刀儀だが、アリーシャを庇うために太刀筋が不完全だ。
 体には小さな傷が無数に出来ている。

 「トギさ……きゃっ!」

 アリーシャの足元。
 跳ね上がる攻撃を刀儀が中空へ流す。

 (……ッ、刀が追いつかん)

 刀儀にしてもここまでの速さとの戦いは殆ど無い。
 最も多く剣を交えた祖父もこの速さはなかった。
 そして同時に刀儀には祖父にあったほどの『早さ』もない。
 故に取りうる戦法は

 ―――肉を斬らせて骨を断つ―――

 「く―――――ッ秘剣」

 場合によっては一撃喰らう。
 その覚悟を決める。

 そして放つ秘剣は、『黄泉桜』にあらず。

 それは未完成の技
 彼自身のオリジナル
 今はまだ名も無い流派の剣技
 
 小さくうねった剣が腕に絡みつく。

 「骨喰ほねばみ――――」

 ほねむ。
  その名の通り刃を絡めて関節を極め、振り下ろして腕を折る剣技。
 だが

 ―――ぎしり

 折れなかった……。





* * *






 痛、い…このまま……眠って、しまいたい……

 ああ…ダメだ……立ちあがらなくては

 トーギを…助ける……助け

 ―――助けたいと思った。

 え?

 ―――皆を…護りたかった。

 ああ、そうだった。

 ―――私は/儂は
 ―――今も/あの時も

 ただ

 ―――失いたくなかった

 ―――彼等を/彼女等を



 大切な、者を――――――




 だから




 『従え』




 全てに、告げた。





* * *





 「―――は?」

 化物は刀儀の首を目掛けて牙を剥いた……筈だった。
 なのに痛みは無い。
 傷も無い。
 化物がこない。

 ―――なぜなら

 足元の石畳を突き破り木の根が絡みついている。
 砕けた石が全身に突き刺さっている。
 周囲の風が少しずつ少しづつ体を切り刻む。
 
 ―――歪んだ世界が無理やり戻される。
 ―――異端を排除する為に幾重にも幾重にも声が重なる。
 ―――世界が――『彼女』の怒りを代弁する。
 
 絡めた刃を抜き取り一歩下がる。
 そしてまずアリーシャを見た。
 ……ちがう、彼女も困惑しながら首を横に振った。
 ならば、誰だ?
 そう思う。
 なのに何故かこの現象を起こしている存在を確信している。
 そしてゆっくりラエリの方を見やる。

 「ラエリ…さんか?」

 そこには、蒼銀の気配を纏うラエリが居た。
 そして、荘厳で神聖な気配が周囲を支配する。
 それは、まるで―――――

 「ガ、グゲギャ」

 「――! 動けるんか!? この状況で!!」

 刀儀が叫んだ。

 まだ化物は動きを止めない。
 今度はラエリに向かっていく。

 異形の怪力で根を引き千切り
 突き刺さる石片も気にかけず。
 風に削り取られながらの破滅的な前進。

 だが―――

 「滅べ」

 強い、ひたすらに力強い声。
 圧倒的な意志力を秘める声。
 その声に従い風が力を増す。
 
 「滅べ」

 さらに命じる。
 彼女と世界は眼前に存在する者を許さない。
 砂漠で岩石が風に削られる様に少しづつ、だが確実に―――だが

 「滅…べ…………」

 弱くなる。
 急速に全てが力を失っていく。
 そして力尽きた様にラエリが膝をつく。

 「ラエリさん!」

 アリーシャが駆け寄った。
 すぐさま崩れ落ちるラエリを支え事無きを得る。
 しかし、危機は…去っていない。
 まだ―――敵は存在する。

 「アリー!」

 さんを付けるのも忘れた刀儀の声。
 それに反応してアリーシャが用意していた呪文の最後を唱える。

 「『大いなる意志よわれらを「『地を走る雷鳴、天へと帰れ』」―――え?」

 アリーシャの詠唱を遮る様に別の呪文が詠唱された。
 そして次の瞬間、地面を稲妻が走る。
 それはさながら地を這う蛇。
 しかしそれは触れるだけで身を焼く魔の雷。
 それが化物の足元に辿りついた瞬間、天へ向かって轟音と共に雷鳴が昇る。
 
 「今だよ、やりたまえ」

 いつのまにか刀儀の傍には老人が居た。
 しかし、刀儀は気にも留めず走った。

 手に在る刃には渾身の殺意が篭ったまま
 なのに―――――

 「ラエリさん!」

 向かった先はラエリ
 
 「ふむ」

 老人は首を傾げるが、取り合えずと言った雰囲気で奇妙な手振りをする。
 
 「『紅蓮の炎に包まれよ』」

 高速詠唱、化物は炎に包まれ今度こそ終わった。





* * *





 「大丈夫なんか!?」

 すぐさま走り寄る刀儀。

 「ラエリさんッ! くそっ、ラエリさん!」

 「トギさん、落ち着いて下さい!」

 「ラエリさん! くっ………ラエリッ!!

 本気で叫ぶ。
 剥き出しの感情がそれを示している。
 この男がここまで余裕を無くすのを誰が予期しただろうか。

 「……ん」
 「無事か!?」

 「ん……ああ、しかし、ようやく呼び捨てにしおったな……」

 「? あ、ああ(なんか……言葉遣い変やぞ)」

 「ふむ、それより酔いは醒めたのか?」

 「ああ……って、そんな場合とちゃうやろ!」

 「うん、そうじゃな、少し眠らせてもらうぞ」

 寝た。
 これ以上無いほどに寝た。
 おやすみなさい。

 「……あ~」
 「……な、なんだったんでしょう?」
 「わからん」
 「ですよね……ところで」
 「ん?」
 
 「剣、離さないんですか?」

 「あ」

 刀を握りっぱなしだった。
 ただし、握り締めているわけではない
 軽く、そう――例えばいつでも誰でも咄嗟に斬れる様に軽く―――

 ―――ひゅん

 「おっと」

 無意識に背後の人影に刃を向けてしまった。

 「一応、命の恩人のつもりなのだがね」

 人影は先の老人だった。
 
 「あ……す、すんません」

 剣を退き、すぐに謝る。
 納刀した状態に戻るが、その姿を見てなぜか老人は眉を顰める。

 「……不可解だな、キミのような人間がなぜ彼女の方に向かった?」
 「は?」

 なんの事か解からない。
 そんな顔で呆ける刀儀に老人は続けた。

 「まあいいだろう。立ち話もなんだわたしの家に来ないかね」

 「はぁ、……っと良いか? アリーさ……って、なに、その驚愕の表情」

 なぜだかアリーシャは驚愕を顔に貼り付けぷるぷるしている。

 「あ、ああ、そ、その人……」

 「その人? ってこの人?」

 誰だろう?
 そんな事を刀儀が考えている間もぷるぷるしながら言葉を紡ごうとするアリーシャ

 「この人がどしたん?」

 きょとんとした顔で聞く刀儀。
 アリーシャの挙動が理解できない。
 とてもとても有名な人物かも知れないが、刀儀楔が知るわけ無い。

 「あ、ああ、だ、大魔導シン・ラドクリフ!」

 なんて言われても解かる筈も無い『異世界 日本』の出身者。

 だからとにかく言ってみた。

 「誰? それ」



[1480] 孤剣異聞 第九話 王都その2
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/05/05 03:08
 ―――二年前

 知り合いの刀鍛冶を尋ねる途中
 いつも通り抜けるだけの小さな村で巻き込まれたある事件。
 それがこの俺、『剣客』刀儀楔と『祓い師』赤瀬夕凪の出会いやった。

 ―――原初の唄
 ―――異界の理

 ―――唄を識る少女
 ―――山の守り神

 ―――剣士と術士

 ―――世界と異界

 この事件は俺に友人と、人外の者相手に剣を振るう機会をくれた。

 けど、それだけや無かった。

 ……それを、俺は後々知っていく事になる。








孤剣異聞  第十話 剣客と王都その2








 『大魔導』シン・ラドクリフ

 フィルド冒険者ギルドの議長にして魔術ギルドの長
 遺失した過去の術法をいくつも扱う伝説的な魔術師

 「―――と言う人物なんです」
 「ほへぇ」

 そないな大人物なんか。
 と、アリーシャの説明に頷く刀儀。
 
 今居る場所は『大魔導』の自宅。
 ここに来るまでに刀儀が『大魔王』などと言い間違えアリーシャに突っ込まれる事が数回
 ……わざとかもしれない。

 「ふむ、話は終わったかね?」

 ラドクリフ老を待っている間の雑談だったが、帰ってきたので終わりとする。

 「ふむ、君は…僧侶職のアリーシャ・リゼリオ……だったかな」

 「え、ええ!? は、はい」

 大人物に名前を呼ばれたので仰天しているアリーシャ
 ……そりゃあ驚きだろう。
 なにせ相手は生きた伝説だ。

 「君の事は大司祭から聞いている。歳若く経験は浅いが冒険者を目指すならばそれもいい……とね、実際試験の際も見せてもらったが守護や癒しに関しては君は天才的だろう…もっとも戦いに関してはそれ程のものではなかったがね」

 「は、はい!」

 「ふむ、頑張りたまえ」

 そこまで言うと今度は刀儀を見る。
 その時ようやく刀儀は老人の無機質じみた目に光を見た。

 「さて、で、君は一体なんだね?」

 告げた目は、刀儀に良く似た昏い色合いをを帯びていた。





* * *





 ―――ああ、この男は……

 ある種の感動と恐怖、憎悪にも似た共感
 刀儀は目の前に居る老人にそれを抱いた。

 ………………いや

 それは……或いは憐憫だったのかもしれない。

 自分と同じ、持たざる者への……。

 「あ、あのトギさんは……」
 「いや」

 アリーシャがなにか言おうとするが、刀儀が遮る。

 「分かるわ……俺と貴方は同じ類の人種や、同じベクトル、立ち位置がずれてるだけで、そう」

 ―――――

 とは口にしなかった。
 その概念がこの世界にあるか判断が付きかねたし、まだ刀儀はそこに至っていない。
 そしてなにより目の前の老人も恐らく“其処”へ至ってはいない。
 至ってしまっては……いない。

 「ふむ、君の言うとおりかもしれない…が、ひとつ違う」
 「?」

 「君はわたしより異端だ」

 そこまで言うとラドクリフ老はアリーシャに目を向け

 「アリーシャ君、あのエルフの少女の様子を見てきてくれないかね、目を覚ました時混乱してはいけないからね」

 暗に席を離れていろと言っているのは分かったがアリーシャは素直に従った。
 彼女が部屋を出ていくのを待って大魔導と謳われた男は口を開いた。

 「―――さて、君は正気のふりをしているのかね?」





* * *





 見た事のあるような無いような――夢を見た。

 『なぜお前たちだけが命を賭さなければならん』
 『皆が命を賭けているよ、誰も彼も』
 
 ―――終末の夢

 『ねぇ、知っているかな、この世界の外を、あの星々の世界の事を』

 ―――彼女の夢

 『儂は…護るぞ、誰もが無力でも、誰もお前たちの犠牲を望んではおらん』

 ―――…誰の夢?

 世界が在って、彼らが在って、彼女が在った。
 世界が喰らい、彼らが絶えて、彼女が……消えた。

 夢の意味は解からなかった/解かる必要が無かった

 ただ

 ただ―――――

 そこで夢が醒めた。





* * *





 「ん。ここはどこだ?」

 目覚めてみれば豪奢なベッド。
 
 「……? え~とどうなったんだ」

 ―――ガチャ

 「お……」

 「あ、目が覚めましたか」

 入って来たのはアリーシャ。
 取り合えず安心したのかラエリは安堵のため息をこぼす。

 「……ふぅ、なにがなんだか良く解からないが…説明ヨロシク」
 「はい」

 あの後起こった出来事。
 ラエリの力の事
 大魔導に助けられた事
 今、刀儀が話している事
 ラエリの体調の事も在り、全てを話し終えるのには小1時間ほどかかった。
 
 「むぅ、トーギはまだか……」
 「話し込んでるみたいですね」

 「いや、さっき終わった」

 「「! うわっ! 出た(ました)!?」」
 「結構失礼やなアンタ等」

 絶妙のタイミングで現われた刀儀……少しだけ傷ついたらしい。

 「まぁええ、呼んでるで、ああ、それと……」
 「ん?」
 「ゲイルさんが書いてくれた紹介状の人…あの人やったわ」
 「え?」

 「ここまでの経緯話したら、自分の事だって言うんで紹介状見せたんや。……俺は字ぃ読めんから書いてる名前にも気付かんかったねん。まぁ、ラエリさんは事情知ってるから分かるやろ?」

 街についてからラエリさんに読んでもらおうと思ってたねん。と言って刀儀は笑った。

 「お、お前……(汗)」

 「あ、ははは、まぁ人生成るようにしか成らんし……」

 「あ、あの~」

 「ん? なんやアリさん、引越しの準備か?」

 「こ、呼称が変ってる!? って言うかなぜに引越しの準備!?」

 「軽いジャブジャブ、……ああ、ちなみにラエリさんの『ビジンダー』はカエル飛びアッパー?」

 「そんな疑問系に答えられるか! ってそれより嫌な事を思い出させるなぁ!! っていうか仕返しに走るのが早すぎるーーー!」

 「溜めて爆発させる方が好き?」

 「違う! おま「あ、アリーさんさっきはなに話そうとしたーん?」流すな!!

 「ラエリさん…目覚めからテンション高すぎるで……」

 やれやれといった感じがとても憎たらしい。
 全てのツッコミをスルーして刀儀は話しを続ける。

 「もしやアリーさんの聞きたいのは『烈風』の事かなぁ~?」

 が、話し方にツッコミどころが多すぎた……。
 まぁしかし、今更誰も気にしないだろう。
 話しを続けよう。

 「あ、はい、そうです」
 「『烈風』?」
 「ゲイルさんの事や………はい! アリーさん説明!」
 「は、はい」
 


 『烈風』
 『不世出の天才』

 ゲイル・ランティスに付けられた呼び名。
 烈風はその槍捌きから、不世出の天才は力を誇示せずその欲の無さから『刻印』を得ようとしなかった事から付いたらしい。
 そして、その実力は『刻印』ナシでなら上級…いや近衛騎士にも匹敵する。

 「ちょっと待て、『刻印』は冒険者か騎士だけでは……」
 「レベルが一定以上なら普通の職業でも手に入るらしいで」
 「はい、ただし、冒険者や騎士のような特権は行使できません。力だけです」
 「ほいほい、続き続き」

 彼の一番有名なエピソードは酒場で好き放題していた貴族の馬鹿息子を叩きのめした話だ。
 この時彼は護衛の高位の騎士三人を一薙ぎで地に伏せさせた。
 いつもは細い目がその時ばかりは見開かれてとても恐かったらしい。

 「ほお~、さすがゲイル殿、弱きを助け強きを挫く」
 「あの大斬撃や、その時は手加減してたんやろ、せやなかったら屍三つ転がっとったやろな」

 「えっとやっぱりお二人は知り合いなんですか?」

 「ああ、ゲイル殿はエルフの森の砦でにいる」
 「俺もゲイルさんの王都行きを勧められたんや」

 「『大魔導』に『烈風』すごい縁ですね……」

 「せやな、他にも『守護と癒しの天才』とか、な」

 そこでニヤリと刀儀は笑った。

 「もしも俺等にそういう縁があるならアリーさんもすごいかもしれんで」

 「え、そうですか?」

 「『大魔導』も言うとったんや、期待できるんとちゃうか……っとそろそろ行こか」
 「あ、そうですね」
 「……忘れるところだったな、主にトーギのせい「ほな行こ~」で、ってだから流すな!」





* * *





 「ふむ、揃ったようだな」

 「ういっす」

 「それでは、そうだな、まずはあの化物について話そう」

 「!? 知っているのか?」

 「あれは君の森だけで起こっていた訳ではないよ」

 そう言うとラドクリフ老はラエリ達を見る。

 「あれこそは『滅び』伝承にある世界の綻びより来る者だ」

 「「!?」」

 衝撃が走る。
 平然としているのは異世界の事情に疎い刀儀だけだ。

 「まぁ、これはわたしの私見で確証はない、が備えは必要だろう」

 「王国には既に話は通っている。……ラシェントではもう何かの対策を行ったらしい」

 「そこで我が国で此度行われる武術大会を隠れ蓑に三国の秘密会談行われる」

 「ちょっとタンマ!」

 刀儀が止める。
 
 「なんだね」

 「いや、そんな重要事項をさらっと言われても……」

 その通りなのだが、ラドクリフ老は続ける。

 「ふむ、君には関りがある可能性があると思ったのだがね」
 「うっ」

 先ほどの密談の際、刀儀は自分が異世界…或いは分かたれし地から来たと説明している。
 それを前提にすれば多少は辻褄が合う、だがそれでも話し過ぎだ。

 「……ラドクリフ様はわたし達になにをさせたいんですか?」

 アリーが質問する。
 
 「ふむ、そうだな、これはわたしからの依頼だ。武術大会に出てほしい」

 「えと、わたし達がですか?」

 「なに、勝て、と言うわけではない。異変を察知する為に動いてほしいだけだ」
 「それなら……」
 「あまり主だった者を動かすと警戒される恐れがある」

 「つまり無名の私達ならば悟られずに動けると言う訳か」

 ラエリが結論をいう。

 「そうだ、出場するのは彼がいるだろう。彼は内から君達は外から見張ってほしい。当日には私の弟子も向かわせよう」

 「まだ、引き受けるとは言って無いぞ」
 「どんとこい!」
 「ってこら! トーギ!」

 「それならば当日までの拠点はここを使えば良い」
 
 「ああ、話がどんどん進んでいく」
 「…仕方ないですよ、頑張りましょうラエリさん」
 「ほんじゃ引き受けると決まった所で……」
 
 「……前金とかは?」

 「こらっ! トーギ」
 「払おう」
 「「「早ッ!」」」

 即断即決だった…………。





* * *





 深夜、刀儀があてがわれた部屋にノックの音が飛び込んで来る。

 「ラエリさんか」
 「よく分かるな」
 「気配には敏感なもんで」

 入ってきたのはラエリだった。

 「少し、話をしないか……」

 「だが断る

 「断るな!」

 「ういよ、で?」

 「……ああ、外に出ないか、夜風が気持ちいい」






 外に出る。
 あてがわれた部屋は2階だったがラエリは当然の様に飛び降りる。
 エルフの身軽さな音すら立てずに出来る事だ。

 「ってか反則やろ、その身軽さ」

 対して刀儀も音は立てない。
 ただこちらは全身で衝撃を吸収する技量によるものだ。

 「お前も身軽じゃないか」
 「悪いけど体重まで消したような着地は無理や(現状では)」

 そう言ってラエリを見上げる。

 (……ああ、これは確かに)

 蒼銀を宿す金の髪、遠く世界の彼方を見据えるような双眸はラピス・ラズリ。
 そして鮮やかな月光が彼女の姿を浮き彫りにする。
 その姿を見る者は、どうしようも無い程に美しさを感じるだろう。

 「ん? なんだ」

 「ん……綺麗やなって思った、それだけや」

 思わず正直に言ってしまった。
 いや……それも良い。
 そう思える雰囲気が今は在った。

 「……そうか…なら、感謝を」

 彼女が応える。
 どこかいつもと違う雰囲気。

 「ん? なんか変やぞ」

 「え、ああ、すまん……、妙な夢を見たせいだ」

 雰囲気が少しもどる。
 ただ美しさは一向に色褪せない。

 「夢?」

 刀儀が問う。
 そして彼女が答える。

 「ああ……古い世界の…終焉の夢だ」

 そう言うと、刀儀の隣まで来て座った。
 そして、静かに語り始める。






 「あの頃…平穏は永く続く筈だった」

 世界の綻び―――世界を喰い尽くす“世界”
 
 それが世界を蝕んだ時、全てが無力だった。

 それでも、アトラの民は違った。

 彼女等は戦った。

 そして消えた……。

 「私が見たのは、誰かの記憶なのかもしれない」

 ある二人の少女。

 アトラの長として戦場に向かった少女と彼女の親友。

 多くの人がアトラの民と共に戦おうとして……しかし無力だった。

 しかし、彼女の親友は最も大きな力の担い手。

 「それでも結果は同じ、彼女等は消え世界は残る……」

 アトラの民は世界を分かち、その狭間に“世界”を封じ込めた。

 全ては終わり、皆が残され、悲しみながらも世界は生きた。

 「伝承の夢だ……だが、あまりにも具体的過ぎてな…不安になった……すまんな」

 ラエリは笑いながら言った。
 ただし、その笑顔は弱々しさを隠しきれてはいなかった。
 だが……

 「くだらぬ世迷い事に手間を取らせてしまったな……ん? トーギどうした?」

 刀儀の表情はそれ以上に強張っていた。
 笑い返そうとして表情が動かず引き攣ったのをラエリは見逃さなかった。

 「お、おい…一体どうしたんだ」

 「いや……なんでも…ない……筈、や」

 ラエリが話した夢の内容。
 それに似た話を刀儀は知っていた。

 (赤瀬と会ったあの事件……それの過去話)
 (似過ぎてる。事件での人物の役割も……)

 ―――無力な村人
 ―――犠牲になった巫女
 ―――その親友だった山の神

 (……なら、俺達はなんやったんや?)

 焼き直しのような内容。
 そして自分たち関わった方の結末。

 (……あかん、概念事象に関しては俺の守備範囲外や、赤瀬を見つけたら聞いてみるか……)
 「おーけーおーけー、刀儀楔、再起動完了、今後トモヨロシク」

 茶化す様にして話を終わらせる。
 なにかがあるとしても、自分は出来る事しか出来ない。

 「本当に大丈夫か?」

 「おう、大丈夫や、そっちこそ大丈夫か? 今日は(も)色々あり過ぎたみたいやしな」

 心配顔のラエリに、今度こそはきちんと笑い、逆に聞き返した刀儀。
 ラエリは少しだけ俯き、息を吸いながら顔を上げ

 「…………うん、大丈夫だ」

 こちらもきちんと笑い返した。

 「……はっ、ほな心配はせえへん、だから、して欲しい時はきっちり言いや」

 これ以上の心配はしない。
 ……ただ、必要ならいつでも手を差し伸べる。
 それを言葉に込める。

 「ありがとう…ああ、そう言えばお前はなにを話していたんだ?」

 一応、不安は薄れたが、今度は好奇心が顔を出したらしい。
 エルフ特有の長い耳が、ピコピコと動いている。

 「ん、大魔導の爺さんとか?(あの耳、癖か……習性…いや、癖やろなラエリさんやし)」

 刀儀が失礼な事を考えている間もピコピコ…………
 …………おそらく彼女は賭け事には向いていないだろう。

 「うん、そうだ」

 耳を動かしたままラエリが頷く。
 刀儀はしばし視線を宙にさ迷わせながら話し始める。

 「う~んとなぁ」

 ―――正気のままで狂気を振り回しているのか?―――

 「あん時、なんで敵を倒さずラエリさんの方へ向かったか…とか」

 ―――君なら全てよりも殺す事を優先するだろう―――

 「……なんて…答えた?」
 「え~と、いやぁ何と言うか、えらい啖呵きったと言うか」

 ―――君の根底は殺意で完成されていると思ったのだがね―――

 「むぅ……どんな?」
 「って、いやにこだわるなぁ」
 「なんでもない」

 ラドクリフ老と刀儀の会話。
 それはラエリに聞かせるのはどうかと言う内容だった。
 しかし、ラドクリフ老は勘違いをしている。
 刀儀楔がこだわるのは、“殺”ではなく“生死”
 すなわち――――『剣』という概念。
 故に……
 
 『ラエリさんの兄貴代わりの人に頼まれた』
 『建て前だな』
 『そうや、けど、そんなもんに命を賭ける酔狂がある』
 『なぜ?』
 『狂ったまんまでも正気を振り回せる。その程度も出来ねば――この身はいかにして天まで至れる』

 ――――全てより優先する唯一が、そんな無力で良い訳ないやろ―――

 『俺は――そうして生きてくわ』
 『……そうかね、なら頑張りたまえ』
 『どーも』








 「なぁ、ラエリさん、俺には剣しかない。命は刀一つに注ぐんが精一杯や」

 「けどな、刀が描く軌跡が無限なら開く未来も無限の筈なんや」

 「だからな、俺がアンタを護る未来も在って可笑しくないやろ」

 闇色の黒色。
 ひたすらに強く、ひたすらに弱い色。
 
 「なら、護って…くれるか」

 ラエリの言葉は 淡い微笑みと共に澄んだ夜に溶けこんだ。
 そこには彼女自身がまだ自覚していない感情が在ったかもしれないし、無かったかもしれない。
 ただ、彼女は、それに気付かなかったそれだけの話。

 「剣で出来る限りなら……ってか」

 対して刀儀。
 少し気取ってみたいらしい。





* * *





 「そう言えば、人を捜す予定はどうなったんだ?」

 ひとしきり話し終えたところでラエリが思い出した様に言った。

 「ああ、それやったら、武術大会に出れば嫌でも目立つやろ。捜すんやなくて見付けてもらう事にするわ」

 「そうか、そう言う考え方もあったか」

 「そう言うこと」

 「……しかし勝たなければ意味がなかろう」
 「言葉遣いかわってるで」
 「う……またか、本当になんだろうな、あの夢は」

 ところどころラエリの言葉遣いが微妙になる。
 まあ、いいか

 「……で、勝算はあるのか」

 「……正直、『刻印』持ってる奴の強さってのは予想以上やな」

 「そうか、で?」

 「ああ、ところで『黄泉桜』って技覚えてるか?」

 「『ヨミザクラ』?あの回るやつか」

 「……とまぁ、それやけど(回るやつて……)」
 
 「で、それがどうした?」

 「これな、俺のオリジナルとちゃうねん。正確には『刀儀流円舞ノ太刀“黄泉桜”』って言うて俺の祖父さんの継いでる流派やねん」

 ―――――刀儀流円舞ノ太刀“黄泉桜”

 それは刀儀楔の祖父、刀儀仁斎の納めた流派、その根底にして奥義。
 特徴は長尺の刀を用いる事で、遠心力に動きを重ね、運体に利用する事で常に立ち位置を変え、縦横無尽に長刀を振るう。
 その利点は、斬撃と回避行動を同時に取りつつ、次手へと繋ぎ、そして重量武器特有の隙を消す事にあり、恐らくは一対多数を想定したものと推察される。
 だが―――― 

 「? どういうことだ」

 楔はそれを継がなかった。
 彼は自身の剣を見出すため、いくつもの古流術派を回り、その剣理を学んだ。

 「え~とな、俺の剣は今は単なる技や、それを業とするには俺の剣である必要がある」

 理(ことわり)は得た。
 だが、極めるには程遠く、流派としての完成はまだだ。

 「よくわからない」

 もっとも、流派と言う概念が薄いこの世界では理解は難しいだろう。

 「つまりなぁ、刀儀の家に伝わる剣技ではのうて、この俺『楔』の剣が必要なわけや、言い換えるなら新しい流派とも言えるな」

 「! トーギが名前じゃないのか!?」
 「注目するところが違う!?…って、そういや言ってなかったけ、刀儀は家名で楔が名前って……」
 「き、聞いてない!」
 「……冷静な状況で言った事は無かったな」
 「うぅ、暗に言ってると示しているな」
 
 「ま、これは横に置こうや、で、簡単に言うと俺は自分の流派を創る。これは……決意の証で在り、同時に希望が見えた証拠でもある」

 「希望?」

 「そう、辿りつける可能性や、全てを置き去りにしてでも求める場所、そこに行く為に必要な絶望と希望、諦めと覚悟と決意と意志と……」

 「…………」

 「それが俺の勝算や、人の道ではなく死山血河を踏み越えて行く剣の道。其処へ踏み出した事実が……」

 「そんな精神論で…強くなれるのか?」

 「なれんよ、でも在れる。それに全てを集めれば、迷いのない力に出来る」

 ―――刃の鋭さで生きて逝ける。

 「そや、大会は2週間後やから、今から色々やる事があるんやけど、よかったら付き合ってくれへんか?」

 突如ぐりんと首を回してラエリに話しかける。
 どこか漫画チックな動作が凄くシュールだ。

 「うおっ……ぶ、不気味だぞ、その動き」

 「仕様やから

 「お前用語で喋るな!」

 「あっはは、…で、どうなん?」

 「むぅ、まぁいいだろう。付き合ってやる」

 「ほいよー、おおきに、ありがとさん」

 「むぅぅ、もう寝る!」

 そう言うとラエリは立ち上がりどすどすと館の方へ向かって帰って行く。

 「あ、そうだ、お前…やっと私の事を呼び捨てにしたな」
 「ん、あ、ああ」

 くるり、と舞うようにふり返ってラエリが言った。

 「…これからはラエリで呼んでくれ、私はクサビと呼ぶ」
 「な「じゃあ、おやすみ…よい夢を……クサビ」…ってお~い…流されたか」

 最後の最後はラエリの勝ちだった。
 楽しげに去って行くラエリが見えなくなるまで見届けて刀儀はひとつ呟いた。








 「楔流……いや、草に灯りで、草灯流(くさひりゅう)、うん、ええかもな」






[1480] 孤剣異聞 第十話 剣客と―――――
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/06/06 00:00
 ―――――――くさび

 その呼び方は、少しだけ懐かしかった。

 そう呼んでくれた人達は、気がつけば皆いなくなっていて、手には剣だけが残っていた。

 だから、俺の“本当”はきっと、そこに刻んで在るんだろう。

 そう思っても、寂しくなった縁側は、独りでは少し広かった。

 …………よく、母親が言った言葉がある。

 『――――人やから……“人間”として生きやぁ。
     人は“鬼”やけど……“人間”でもええんやで――――』

 だからもう少し、もう少しだけ許してくれ
 俺は“鬼”でも、もう少しだけ“人と人の間”で―――――

 ………或いはそう願って、俺は荷物の中から木刀を引き抜いた。

 『葬火斜陽“落日”』

 その木刀には…そんな銘が刻まれていた………。








孤剣異聞  第十話 剣客と―――――








 「よーーしッ! クサビ、特訓だ!!」

 今朝はそんな風にして始まった。

 「朝から!?」

 「そうだ!」

 そう言うとラエリは手に持っている細い剣、レイピアを掲げて見せた。

 「と言うかその剣は?」

 「わたしが貸したのだよ」

 「うおっ!?」

 にゅっと出たラドクリフ老、気配が無い。

 「あ、わたしも居ます」

 後ろからアリー、こっちは判る。
 というか全員集まる理由は不明だ。

 「……揃いも揃って朝から一体」

 「ふむ、君が武術大会に向けて特訓をすると聞いてね、興味があったのだよ」
 「あの、わたし、弱いからトギさんの訓練を参考にしたいな~って」
 
 「と、言う訳だ、やるぞ」

 「え~と、いや、俺は用意すると言ったわけで特訓とは………はい、やります」

 ラエリの目が怖かった刀儀であった。





 
 「それよりラエリさん、レイピアなんか使えるんか?」

 ラエリが携えているのはレイピア。
 軽く、刺突に優れた剣。
 その太刀行きは素早く、精度も高い。

 「まかせろ、弓よりも得意だ」

 構えを見る。
 刀儀のように“観”る者ならそれだけで太刀筋までも看破できる……ある程度。

 (あらま、こりゃ結構遣うみたいやな~)

 刀儀はラエリに、いつもどこかがぬけてる感じを持っていた為少し驚いた。

 「いくぞっ!」

 タンッ! と地を蹴る音。
 ラエリが踏み込む。
 同時に素早い突き。
 だが……

 (届かない? くっ……!)

 流れる様に剣を振るう。
 その動きは優雅なダンスの様だが、刀儀は紙一重で回避する。
 ……いや、届かぬ間合を保ち続ける。
 
 「ラエリさん凄い……」

 アリーシャが見惚れる様に見詰めている。
 対してラドクリフ老は冷めた目で観察している。
 どうやら老人は気付いているらしい。

 (くそっ! 当たらない……ッいや、届かない)

 本人であるラエリには痛いほど解かるだろう。
 ……間合を完全に見切られているのだ。
 こうなるとどうやっても当たらない、軽いレイピアとはいえ体力を消耗するだけだ。
 ふっ、と刀儀の姿が霞み、ラエリの手首に手が添えられた。

 (え……?)

 次の瞬間ラエリの視点が勢いよく空に向けられる。

 「……あれ、あれ? なんで」

 自分の置かれた状況に合点がいかず、目を白黒させている。

 「いやー、俺としては単に買い物に付き合って欲しかったんやけどな……」

 ラエリが声の方向を見ると、刀儀がこめかみの辺りをぽりぽりと掻きながら苦笑していた。

 「一体……なにが」

 自分が投げられた。
 それはなんとか理解できた。
 しかし、間合を詰めたのがいつかも、どんな風に投げられたかも理解できない。
 ラエリは困惑して、刀儀を見た。

 「それは秘密」

 呆けた様な状態で質問したラエリに刀儀は笑って答えた。

 「すまんな、一応大会までは聞かんといてくれ」

 そう言って、手を差し伸べる。
 掴んだラエリは、異様なほど軽く立ち上がれた事に驚く。
 刀儀は相変わらず笑っている。
 達人と言うのは動く事そのものが既に技であると言うが、それに近いぐらいの場所に刀儀は居るのかもしれない。

 「ふむ、どうやらこの場所には君の特訓相手を出来るような者はいない様だね」

 ラドクリフ老が締め括る。
 この場で間違い無く最強の筈の老人の言葉にアリーシャが首を傾げる。

 「せやな、ラドクリフさんやったら……」

 知ってか知らずか、刀儀が言う。

 「君を殺してしまうだろうね」

 「やな、火力と規模が違いすぎるわ」

 経験が下回る以上、高速展開される魔法の圧倒的な火力を潰すのは難しい。
 至近距離など状況を限定すれば可能だが、正面から向かうのは得策ではない。
 どうやら刀儀も理解している様で、当然の事の様に言い合う二人にラエリもアリーシャも言葉を言い出せない様子。
 
 ちょうどいいので刀儀は二人に言った。

 「ってな訳で、用意を調えたいから買い物付き合ってくれへん?」





* * *





 武術大会が近いせいか街中には、戦士風の人間が大勢見受けられる。

 「強そうな人達ばかりですね……」
 (でも…………)

 かつて『刻印』持ちの冒険者と共に仕事した経験のあるアリーシャ
 前衛職で『刻印』を持っている人間の強さはよく知っている。
 しかし、アリーシャは思った。
 
 (トギさん…なら勝てるような気がするんですよね……『刻印』ナシでも)

 事実『刻印』はある程度実力が無いと得る事は出来ない。
 しかし、持つ者にもピンからキリまである。
 『刻印』が超常的な力を発揮するのはある位階より上からだ。
 アリーシャの見立てでは刀儀は並の『刻印』持ち程度には倒せない……ように思える。

 (でも、わたし武術はよく解からないしなぁ)

 はぁ、と溜息をつくアリーシャ、実際彼女が冒険者試験を落ちたのは戦闘能力の低さからだ。
 
 (ううん、トギさんだって、『刻印』もなしで優勝するつもりなんだ、わたしだって……)

 アリーシャの脳内では、刀儀が優勝宣言した事になっている様だ。

 「……って! そうだ、トギさん!」

 「うおっ、なんや?」

 「トギさん達ってランクはいくつぐらいなんですか?」

 「? ランクって……そんなん知らんけど」
 「ん~聞いたことがあるな、人間社会は能力に段階をつけて判断基準にすると」

 「あ、ラエリさんはエルフだからあんまり知らないんですね。……トギさんは―――」

 「あ~、すまんね、死ぬほど田舎、国交も断ってる(この世界とは)小さな島国から来たんで」

 「あ、そうなんですか、珍しいですね」

 「(クサビめ、顔色さえ変えずによく言えるな)」

 新たな知識と同時に訪れたピンチを涼しい顔で受け流しす刀儀。
 ついでにレベルの概念についてもう少し詳しく聞くことにする。

 「ランクってどうやって測るん?」

 「はい、ランクは冒険者ギルドで決定します。それで、冒険者の人達はそれを基準にして仕事を受けたりするんです」

 アリーシャの話によるとランクというのは、こなした仕事や、その評価。
 他に戦闘力や保有している技術・魔法、魔力の質・量などを基準にして測るようだ。

 ちなみに『刻印』に関してだが、解放される条件は不明で、ランクが高くても解放されない者も居る。
 これはその者の潜在能力に関係しているからと言われている。

 「トギさんならきっと上位のランクが貰えますよ!」

 「いや……」

 少し興奮気味にアリーシャが言うが、刀儀は否定した。

 「俺は未熟者やで」

 どこか寂しげに刀儀は告げる。
 そして、取り繕うように笑って言った。

 「体かて、まだ出来てないしな」
 「嘘をつけ、馬車を持ち上げる馬鹿力で、なにが体が出来てないだ」

 ラエリが刀儀の言葉に反応するが即座に切替した
 
 「それは単に技術があったからや、筋力自体は君等よりは(結構)あるってぐらいや」

 そう、刀儀の肉体能力は高いわけではない。
 ただ、使い方が常軌を逸しているだけなのである。

 (この世界…氣の概念とか無いみたいやしな、しかし……)

 「ん? どうした? クサビ」

 手を握ったり開いたりしているのをラエリが目ざとく見つけた。

 「いや、まだ鍛える余地があるな……って」

 かつて、刀儀は自分の身体を苛め抜いた事があった。
 その結果、脂肪は燃やし尽くされ、筋肉すらも喰らい尽くされた。
 そして、得たものは大きかったが、代償に身体は痩せ細り、筋力の大半を失った。

 「ま、それよりも俺は服屋を捜してるんやけど……」

 と言う訳で、刀儀は筋力うんぬんにさほどの興味は持たなかった。
 彼の求める場所は稚拙な腕力で測って決められるものではないのだ。
 故に、現状で力を求めるなら…………精神の領域。

 「服?」
 「なにをするんですか?」

 「そら―――、服作るねん。形から入るんも一つの手やからな」

 随分と無茶苦茶な手段だった。





* * *





 アリーシャが案内した服屋。
 そこでは刀儀がなにか妙ちくりな注文をしていた。

 ―――せやから…………
 ―――え~と、こうですか?
 ―――……そうそう、そう言うんや! それ!

 「……なにを頼んでるんだろうな、クサビの奴……」
 「あの、ラエリさん」
 「ん、なんだ?」

 「『クサビ』って言うのは、トギさんの事ですか?」

 「ん、ああ、そうだ。クサビの国では家名が先に来るらしい」
 「そうなんですか」
 「わたしも……呼び方変えた方がいいですか?」
 「ん、いいんじゃないのか、トギで、あいつはそれで良いと言っていたし」

 そう言うラエリを少し不思議そうにアリーシャが見る。

 「じゃあ、なんでラエリさんは…………」

 「ういよー、おまたせー」

 ちょうど刀儀が店から出てきたせいで、会話は途切れる形になった。

 「あ、トギさん、終わったんですか?」
 「なにを頼んだんだ?」

 二人から異なる質問が発せられる。

 「ん、ああ、終わった。あと頼んだのは試合用の衣装や」

 「衣装?」

 「俺の目的には目立つ必要があるし、なにより気合入れるんにはちょうどいいからな、……それに服装も“術”の内や」

 そう言うと肩をすくめる刀儀。

 「あ、終わったなら一度冒険者ギルドに行ってみませんか? ランクも測れるし、試合に出る人も来ているかもしれませんよ。偵察がてらにどうですか?」

 「うん、いいな、私もランクとやらを測ってみたい」

 二人の意見に刀儀も頷く。
 他にもやる事はあるのだろうが、特に優先すべき事は無い。

 「ほな、行ってみよか」





* * *





 冒険者ギルド。
 アトラの民が現在に残した遺産・知識などの管理
 他に冒険者や志願者への仕事の斡旋、ランクの判定などを主にする組織。
 三王国共通機関であり、ここで資格を得れば色々な特権を得る事が出来る。

 「と、こんなもんやったっけ?」

 「はい、そうです。ランクが高ければ特権なしですが『刻印』を貰うことも可能です」

 「特権なしの『刻印』が貰える特権とはこれいかに……」

 前に聞いた知識の確認をする刀儀にアリーシャが補足説明をする。
 つっこみを入れたのは刀儀だが言われてみると確かに妙な気になる。

 「具体的にはどれぐらいのランクがいるん?」

 「A以上……ですね」

 「ふぅん、で、アリーさんは今いくつ?」

 「わたしですか? いまはBです」

 「それって、高い方なん?」

 「一応……平均は同年代でD~C程度ですから、……戦闘力は低いですけど『神聖魔法』は得意なんですよ、それで……」

 「ああ、差し引きでそこに落ち着いた訳やね」

 「はい」

 そうこう言っている間にギルドが見えてきた。

 「あ、もうすぐつきますよ」






 ギルド内部は大会の影響なのか、妙に混雑していた。
 とりあえず、まずはランクの判定と意気込んで受付に行く刀儀たち。
 しばらく待たされた後、部屋に通された。

 「楽しみじゃな…………だな」

 「混ざってる、混ざってる」
 
 ラエリが言葉を途中で止めて言い直す。
 まだ、夢の名残があるらしい。

 「あ、それと一応登録いりますけど……どうしますか?」

 アリーシャが提案を出す。

 「そうだな、私は登録する、クサビはどうする?」

 「俺? う~ん、せやな、しとくわ、減るもんやないし…ランク測るのにいるみたいやしな」

 まあ一応、と言った感じで刀儀が答える。

 「じゃあ、行きましょうか」

 そのままアリーシャに先導されて刀儀たちは冒険者登録をしにいった。

 「あ、職業は戦士でいいですか? 内容は模擬戦になります。専用の魔法生物が相手をしますよ」





* * *





 所変わって訓練場。
 
 (……家の道場は板張やったな……)

 地面が剥き出し……とは言わないが、学校のグラウンドと変らない訓練場への刀儀の感想だ。
 もっとも、野外での修行なら死ぬほど(事実、瀬戸際までいった)やっているので不利などはまるで感じない。

 「ここで訓練とかも出来るんです。……わたしも、鍛えなおさなくちゃ」

 説明していたアリーシャだが、熱心に打ち込みをしたりしている者達を見て自分も頑張ろうと決心する。
 対して刀儀はひどく冷静に観察を続けていた。

 (……全員、身体能力が高いな)
 (根本的に肉体が持つ力が高い……なんでや?)
 (まぁしかし、技術体系が別物やな)

 刀儀は木剣で打ち合っている者に目を向ける。
 片手に盾を持ち、もう片方に剣。
 あまり馴染みの無い剣術。

 「盾…か、やり辛そうやな」

 大剣を素振りしている者。

 「……斬馬刀? いやグレートソードか」

 反対側を見ると何人か集まって指導を受けている。
 武術指南、と言ったところだろう。

 「あ、わたしも訓練に参加してきていいですか?」

 「ん、いいで、……ところで模擬戦は?」

 「はい、用意に30分ぐらいかかるそうなんで、待つようにって」

 「ういうい、ほな俺は見学してるわ」

 そう言ってアリーシャが指導されている者達の輪に入っていくのを見送る。

 「……そういや、ラエリさんは?」
 「ラ・エ・リ、だ!」
 「いたたたたっ!」

 後ろにいた。
 ついでに、さん付けしたのが気に入らないのか思い切り耳を引っ張られる刀儀。

 「こらっ、そこ! 訓練場で遊ぶな!」

 ……怒られた。

 「うう、怒られたやんか……」
 「お前のせいだ……」
 
 二人でぶつぶつ言ってるとアリーシャが恥ずかしそうにしているのが見えた。
 申し訳無い気持ちになった。

 「わ、私も準備運動でもしている!」

 とりあえずラエリは逃げた。

 「あ…俺は」
 「君もこちらで訓練をしたらどうかね。そんな細い体では冒険者はやっていけんよ」

 そう言って指導員らしき人が手招きする。
 先に強さを見たアリーシャやラエリはともかく、ぱっと見では刀儀の身体は細い。
 不完全と言う事もあるが、それ以上に刀儀が必要としなかったのだ。
 しかし、それを分かれと言うのは酷だろう。

 「……遠慮しときます。一応、基本は一通り習ってるんで」

 「しかし」

 「あの、トギさ……いえ、彼は既に相当な腕前ですよ。野盗4人をすれ違い様に一瞬で倒すのをわたし見てましたから……」

 「む、彼がかね? う~ん、そうは見えんが……」

 そんな問答が行われたが結局、刀儀は見学の立場に納まった。 






 (……打ち合いか)
 (刀なら使い物にならへんやろな)

 そう思いながら、打ち合う冒険者たちを観る。

 自身ならどうするか?

 それを考える刀儀。

 日本刀は一般に思われているほど強くは無い。
 打ち合えば刃が毀れるし、二、三人斬れば脂が巻く。
 数打ちの粗悪品なら五、六人斬る頃にはただの棒切れ……どころか折れるだろう。
 それを防ぎ、斬り続ける為には、使いこなす技量が要り、消耗を防ぐ術が要る。
 
 (……あらためて考えると日本刀弱いなぁ)

 自分が鉄ですら断ち切れるのを棚に上げてそんな事を思う刀儀。
 どこから見てもさぼりにしか見えないが、刀儀は実は真剣だ。
 しかし傍目には分からないので、ラエリが声をかけた。

 「クサビ、もう一度立ち合え! 体も温まったからさっきの様にはいかない……ぞ?」

 「いや、隙だらけ」

 「うう、なぜだ……」

 が、気がつくと天井が見えている。
 また投げられたのだ。
 周囲も驚きの表情を浮かべている。

 「あ、あの、トギさん……。いったいどうしてるんですか?」

 「いや、切り札教えるのはあかんやろ」

 アリーシャが刀儀の技について聞きたそうだが、刀儀はそう答えてはぐらかした。
 
 「……いや、出血大サービスや教えたるから打ちこんできてみ?」

 が、思い直したのか、アリーシャを手招きする。
 周囲も気になる様子で見守っている。

 「……いきますよ」

 と、告げ、勢い良くメイスを振りかざしてアリーシャが突進する。
 その時、刀儀は僅かに動いた。

 (まずは間合をずらす……)

 気付かぬほどの小さな動きで間合を目測より狂わせる。
 これで歩幅が狂い、体の安定が少し崩れる。

 (次いで意識を逸らす……)

 身体各部、目の動きなど、動き出しの際に人が無意識に読み取る部分を使ったフェイント。
 更に安定が崩れ、重心を上手く保てなくなる。

 (そんで、手を添え操作する)

 そして最後にアリーシャの攻撃に手を添え重心を操作し一回転させる。
 ちなみに、ラエリと違い腰を抱いてきっちり受け止めている。

 「?? え、あ!?」

 (なにを慌ててるんや?)
 「ま、こんな感じや……細かい解説は後でな」

 なぜだか顔を赤くするアリーシャに刀儀は笑いかける。
 先程のは投げ技というより単に転ばせたと言う方が合っているかもしれない。
 小さな崩しを重ねて、動作を狂わせる。
 そして、重心を操作し、相手の運動エネルギーのベクトルを変化させる。
 常日頃から相手の動きを読むことを癖にしている刀儀の得意技だ。
 実は切り札でも何でも無く、日常動作の延長なのである。
 故に、真に切り札とはこれが出来ると言う事実に他ならない。

 「後で?」

 「そろそろ30分や、模擬戦、やらなな」

 「「「(必要あるのか!?)」」」

 ちなみにアリーシャは皆の心の声が聞こえたと後に語った。






 そして模擬戦だが。
 さっきの印象があるのか見学者がいやに多い。

 「じゃあ、私からだな」

 ちなみにラエリは職業を魔法剣士としたらしい。
 弓矢よりもレイピアを主武器に選んだ様だ。

 「がんばりや~」
 「頑張ってください」

 『それでは開始します』

 開始の言葉が響くと、ラエリの正面に魔法生物が出現する。
 形は人形で両手が剣のようになっている。
 大きさはゴブリンよりも一回り大きい。

 「いくぞ」

 指差す様にレイピアを構え、間合を詰める。
 すかさず反応した魔法生物が斬りかかるが、軽がると避け、逆にレイピアを突き立てる。
 エルフ特有の敏捷な動きに敵は反応できていない。

 「早いな……これで終わり?」
 「いえ、今のはDランク、次がCランクです」

 アリーシャの言葉どおりもう一体出てくる。
 ラエリは先程と同じ様にレイピアで突く。
 しかし、こんどはかわされる。

 「む、侮ったか」

 そう言うと腕を回すラエリ
 魔法生物も両手の剣を交差させる様に振り下ろす。
 三本の剣が交わり、レイピアが弾かれる。

 不利を悟ったかラエリはすかさず間合をとり、連続して突き込む。
 半身に構えて突き出すレイピアの突きは槍にも似ている。

 「せっ! はっ! せっ!」

 そのまま一気に攻め込み勝負をつける。

 「やっぱりラエリさん強いですね」

 「せやな、鎧とかがあっても、あの素早さならある程度は圧倒できるやろな」

 「あ、次が最後です。模擬戦ではBまでしか測れないんで」

 「あとは他の評価が必要っちゅう訳か?」

 「はい、そうです」

 「お、始まるな」

 最後の相手は三体、鎧を着け、先程よりも力強い印象を受ける。

 「……あれ倒したらB? って言うかアリーさん……あれ、倒したん?」

 「いえ、元々倒すのが目的ではなく実力を測るのが目的なんで……」

 「ああ、道理で……」

 「……何故か、暗に倒せる筈が無いと言われたような」

 「いや、難しいぐらい……ほれ」

 促されて下を見るとラエリも苦戦している。
 レイピアでは鎧を突き通すことが出来ないのだ。
 更に動きも先程より早い。

 「さて、どないするつもりかな」





* * *





 (くっ……マズイ、剣が通じない)

 ―――ィン――キン――カキィン―――

 三方向から攻めこんでくる敵に対し防戦一方のラエリ。
 攻めに転じても堅い鎧がそれを阻む。
 素早く動いても、連携で勝機を潰される。

 (関節を…狙えば……くっ、無理か)

 キィン

 〈どうする? どうすれば……)

 次第に焦りが生まれる。
 アリーシャが話した様に、実はこの三体を相手にするのは倒すのではなくどう戦うかが審査の主眼に置かれている。
 つまり、実力が上の相手に対した場合が想定なのだ。
 しかし、ラエリは性格上真っ直ぐ過ぎるので、勝とうと言う意識に縛られている。
 それでは、駄目だ。

 「うぉ~い、別に剣で戦う必要は無いやろーー」

 「え?」

 故に、上から刀儀が声をかけた。
 
 「足りないなら他で補え! アンタの持ち味は剣だけやないやろ」

 全て尽くせ、と刀儀は言う。

 「全てが全ての力になる! いつもアンタの傍には居てるんやろ!」

 「あ……」

 思い出したよな呟き、その瞬間、砂塵が渦巻く。

 (そうだ…………)
 (忘れていた、ずっと傍に居てくれてたのに……)

 進行方向に発生した砂塵の渦に魔法生物はたじろいだ。
 
 ラエリが必要とした為、精霊が反応したのだ。

 更に……

 ―――実戦では直線の動きだけでは駄目よ―――

 その間に回り込む様に動き側面から攻撃を仕掛ける。
 刹那の間に思い出したのは母親――リーゼの言葉。
 ラエリにレイピアを教えたのは彼女だ。

 「シャ――――」
 「甘い!」

 残されたニ体が攻撃を仕掛けようとするが、一体は足を動く砂に取られて転倒。
 もう一体は急な突風に押し流される。

 「よし! いくぞ!!」

 掛け声と共に走る。
 素早い剣捌きで一体を翻弄し関節部を上手く斬りつけ、怯ませ、止めを刺す。

 「くっ!」

 しかし予想以上にてこずる。
 その間にニ体目が接近
 同時に迫るそれを横殴りに風が襲う。

 揺らめいた隙を逃さずラエリが攻撃を仕掛ける。
 敵も、応戦するが、風や砂が不利に働くので捌ききれない。

 本来、精霊魔法を使うなら、集中と契約した精霊への呼び掛けが要る。
 精霊に物理的な影響を及ぼさせるのには、それだけの手順がいるが、精霊の方から彼女に接触し加護を与えるラエリには必要無い。
 そして、それ故に出来る戦術だ。
 
 ただし、惜しむべきは一つ…………。

 それを示すかのように、集中していたラエリは最後の一体が近づくのを察知できない。
 そして、それはニ体目を撃破したところで現実になる。

 「―――あ」

 勝負は、呆気無いほど簡単についた………………。





* * *





 「いや、残念、あと一体やったのにな」
 「惜しかったですね」
 「うぅ」

 結果、ニ体倒した所で背後からの一撃、ラエリ敗北。
 だが、これは実の所相当な成績なのである。
 大抵、冒険者は単独では戦わない。
 互いに欠点を補い合って戦うのが普通なのである。
 だから一人でここまで戦えれば上等なのだ。
 しかし、納得いかないのはラエリの性分……。

 「何が悪かったんだ……」

 「実力不足やろ」

 歯に衣を着せない刀儀の意見。

 「多対一の戦いの経験が不足してたせいやな、戦場の把握がいまいちや」

 「常に自身と相手の位置を計算に入れて動くか、または、対処できる状況を最初に作るか、やりようはいくらでもある」

 これがラエリの決定的な敗因である。
 ラエリはその力の性質上、単独でありながら死角を埋める事が出来る。
 ただ、それは、精霊の自発的な行為に頼りきっているので、完全な防御にはならない、その上、全体の動きはそれも含めて補足しなければならなくなる。
 単独で戦う意識では能力を発揮しきれないのである。 

 「じゃあお前ならどうする?」

 それなら、と口を尖らせながらラエリが問う。

 「それを今から見せるんやろ?」

 それにそう応えて今度は刀儀が場へ向かう。
 
 「最初から三体でお願いしますわ」

 なんの気負いもなく言うと小太刀を鞘ごと腰から抜き取りラエリに向かって投げる。

 「預かっといてー」

 「な!? 馬鹿! なにを「見てのお楽しみ」むむ」

 「さて、行こかー」

 そう言うと、そのまま丸腰の少年は三体の魔法生物に向かっていった。
 足音は軽快に、相変わらずの表情のままで……。

 周囲も先程の印象があるせいで興味津々と言った様子だ。

 1歩

 かなりの緊張感が訓練場を包んでいる。
 刀儀だけが飄々としている。
 
 2歩
 
 刀儀は三角形の布陣の真中を通り正面の一体に向かって歩いていく。
 あまりの無造作な態度が逆に周囲を沈黙させる。
 
 3歩

 ふと立ち止まる。

 4歩

 当然敵は刀儀に向かう。

 5歩

 ―――回転

 そして誰もがその状況に目を疑った。





* * *





 ―――踏む込んで、正面の敵が斬りかかって来たところで入身。

    懐に入り右の剣を逸らし、右後方から迫ってきた敵に矛先を向け首を落とす。

    そのまま、腕を取り、背負う。腰を跳ね上げて投げる。

    投げ飛ばす方向は左後方の敵へ。

    ちょうど振り上げていた剣に突き刺し絶命させる。

    巻き込んだ最後の敵も間合を詰め頚部を踏み抜き、これも絶命―――

 一連の動作は止まる事無く行なわれた。
 流れる様に、自然な動作で……。

 「ほらな、自身と敵、状況、全て掌握すれば敵を倒すのは造作ない。簡単やないけど出来へんことでは無いんや」

 笑っているのに笑っていない。
 どこか虚ろな闇色の瞳がそこに在った。
 それは、どこか自嘲しているような色を……―――

 「―――っと」

 ぶんぶんと頭を振るい、表情を真面目に戻す。
 
 「まぁ、武術指南は成績発表の後にしよか」

 唖然とする周囲を置き去りにして軽快な足取りでラエリたちの元に帰る。
 一拍置いて大歓声が上がっていた。
 しかし……

 「……クサビ…………お前」
 「ん? なんや」
 「いや……なんでもない」

 帰ってきた刀儀を迎えるラエリはどこか不安そうな顔をしていた。

 「ほな結果が出るまでどうしようか? ちっと稽古でもつけよか?」

 軽い気持ちでラエリたちにそう言った刀儀。
 しかし、それが拙かった。

 『お願いします! 稽古つけてください』『いや、俺が先だ!』
 『どうすればあんな風に出来るんすか!?』
 『わたしと一戦交えてみないか?』

 ドドドドドドドドドドドド

 「うおおおぉぉおっ!?」

 結構大変な事になった。





* * *





 「……いや、あんな事になるとはな」

 あの後は散々だった。

 稽古をつけてくれだの、どうやっただのと訓練していた人間が押し寄せた。
 ……まぁ、それ程の異常事態だったのだ。
 実力のあるもの三体を倒す事は難しいものではない。
 そう……

 敵を圧倒する力
 ずば抜けた敏捷さ
 凄まじい速度
 
 そう言ったものがあれば十分敵を倒せる。

 しかし、刀儀はそう言ったものを一切見せなかった。

 ゆっくりと歩き
 気だるげに回避し
 ひょい、と投げた。

 強者が持つ圧倒的なものを何一つ持たず、しかし見せつけた圧倒的な結果。
 興味を持たれても仕方ない。

 「それで、結局なにをしたんですか?」

 質問者はアリーシャ
 ずっと聞きたかったのだろう。
 目がキラキラしている。

 「状況を正しく把握して、必要な事をしたまでや。あんなんは技やない」

 「え、でも」

 「柔も拳法も俺の専門やない。……一応剣客、なんでな」

 刀儀が使えるのは根本原理に共通する部分があるからである。
 言い換えれば一を聞いて十を知ると言う事だ。
 しかし、十を積んで十を得た柔や拳法遣いには及ばない。
 同様に彼等は剣では刀儀に及ばない。

 「そういうもんなんや……」
 「そんなものなんですか……」

 分かったような分かってないような感じでアリーシャが頷く。
 
 「じゃあ、私は何が必要だったんだ?」

 今度はラエリ。
 
 「あ~……ラエ…リは、せやな、悪いところは特にないむしろ上出来や」
 
 刀儀は呼び捨てすることにまだ躊躇があるのかどもりながら言う。

 「ただ、剣技そのものが、どちらかと言えば競技用、一対一が前提の動きや、精霊魔法で補っても基本になる戦闘方法が多数を相手どるのに向いてない。せっかく素早く動けるんやからもっと一撃離脱を繰り返すとか、魔法を主体にして牽制に剣を使うとか、そう言う発想ができんとな」

 「む、そうか……」

 ちなみにラエリはランクB+
 ほぼA判定と考えても良いらしい、後は冒険者として経験を積むだけだ。

 「しかし、私はお前に、お前に追いつきたい……できる、か?」
 
 「はは、簡単やないで? 俺は特に流派をもってない訳けど、言うなれば皆伝に相当する人間や。ちょっとやそっとで負ける様なら切腹もんや。…………ま、達人、では無いけどな」

 「カイデン? セップク?」

 「……あ、え~と後半は気にせんといて、…んでまぁ皆伝ってのは俺の所では凄い実力者って考えてくれたらええわ。そやな、一種の称号みたいなもんやから」

 「つまり、わたし達僧侶で言うところの大司祭、みたいなものですか?」

 「うん、せや! ナイス! アリーさん」

 アリーシャが解かりやすくしてくれたのを感謝する刀儀。
 彼の国では剣術は無数の流派に分かれ体系付けられ、それぞれに誇りを抱いてきた。が、この世界で“術”は技術や武器のひとつでしかなく、そのものに対してはそれ程の執着は無いらしい。
 ……最も、たかが刃物と呼ばれて可笑しくない刀に、そこまで思い入れを抱くのは、かつての日本の侍たちぐらいかもしれないが…………。

 「そうか、なら、仕方が無い…か」

 どうやらラエリも納得したらしい。
 うんうんと頷いている。

 「で、お前は?」
 「そうですね、トギさんは?」

 やっぱり刀儀のランクに話が及んだ。

 「えーと、イヤー、タイシタモノデハナイデスヨ」

 刀儀の目が泳いだ。
 が、二人がそれを許す筈がない。

 「無論、私よりも高かっただろう?」
 「ちゃんと言ってください」

 どうやら好意的(?)に誤解されている様だ。
 まぁ刀儀の実力を見れば仕方が無いとも言えるが……。

 「ランクC」

 「「え?」」

 「俺の評価」

 低い。
 圧倒的な結果を出した筈なのに。

 「な、なんで?」

 「いや~、俺、魔力が全然無いらしいねん、そのせいやろ、ついでに筋力もそれ程でもないしなぁ」

 あっけらかんとした態度は予想していたからだろう。
 ギルドで告げられたのは成長の可能性の少なさ。
 伸びしろが尽きている。
 そう言う事。
 
 「ま、しゃーないって、みたやろ? 俺の実力は能力やなくて技術や、それに身体能力だけやったらこの中では一番やで」

 刀儀はそう言うが、魔力が低いと言うのはある意味致命的だ。
 実力が低い間は良い、器が強く成長するにつれ魔力も上がる。
 例え魔法を使わない戦士でも、魔力は自然と肉体を強固な物とする為、必要不可欠だ。
 
 「そ、それは魔力量が低いって事ですよね?」

 「いんや、質・量ともに低い(と言うか無いけどな)」

 口には出さなかったが、実質、刀儀の魔力は零に等しい。
 これは魔力と言う概念を持たない世界から来たのだから仕方が無いとも言える。
 そしてついでの話になるが、魔力量とは言わば魔力の持久力だ。
 魔力の高さとは比例しない。
 これが必要されるのはアリーシャのような魔法使い達だ。

 (赤瀬ならどうやろな……? 霊力はどちらかと言うと氣の概念に近いしな)

 この世界に来ているであろう友人を思い浮かべる刀儀。
 しかし彼の使う霊力は幽世かくりよことわりにおける氣と言う方がしっくりくる。

 「そんな……」

 刀儀が物思いにふけっているのを勘違いしたのかアリーシャが哀しそうに呟く。
 
 (やばっ、フォローせな……)

 「あはは、別に大した事とちゃう。一刀極まるその境地には余分なものはむしろ害悪に等しいで、多分」
 
 とりあえず、刀儀は笑う。
 本当にどうでもいいかのように。
 事実そうだろう、元より西洋人よりも体格において劣る東洋人
 肉体の限界は百も承知、そしてそれを超える術も。
 なにより自分は闘えている。

 しかし、それ故に。
 それ故に彼は自分自身の力の真実を自覚しないまま……。

 そしてアリーシャは見てしまった。いや……
 アリーシャも、と言うべきか。

 「―――あ」

 表情は笑っている。
 しかし黒い黒い瞳の奥に笑いなど何処にも無い。
 ただ闇のように理解しがたい虚空が在るだけ……。
 かつてラエリが見たように、今、彼女もようやく気付いた。
 目の前の少年はずっとこんな眼をしていたのだ、と。

 「ま、ランクはともかく、俺には魔力より武装の方がよっぽど必要なんや、武器屋知ってたら案内してくれへんか?」

 いつもどおりのある意味愛想の良い声で言うが、もはやアリーシャには刀儀を信用しきれなかった。

 ―――なぜなら彼は、勇者でも英雄でもない。むしろ狂人の眼をしていたから。

 「どうした、アリー?」
 「……あ、大丈夫です」
 
 心配そうなラエリの声になんとか答える。

 「ん、どした?」

 「ああ、アリーの気分が悪そうなんだ……」

 「………………そっか、ほな他の人にでも聞いて行って来るわ」

 異様なほどあっさりと言い、刀儀は去った。

 「あ…………」
 「? どうしたんだ?」

 僅かな罪悪感が首をもたげるが、結局アリーシャは何も言い出せなかった。





* * *





 ―――しゃーない事や

 ―――当然の事や

 ―――どうしようも、ない

 それは諦めの感情だった。
 けして相容れては成らない自分と社会。
 埋められない溝の存在……。
 親しい人間から化物を見るように見られると心が痛む。

 「こればっかりは……どうもできへん」

 誰もが少年を恐れた。
 少年の周りに居たのはいつも同じ異端の人間……。
 例えば剣を極め過ぎた鬼
 例えば刀に人生を注いだ刀匠
 例えば死を恐れる癖に離れられる訳にはいかない祓い師
 人間の社会からギリギリで外れている者ばかり。
 
 「慣れてる……ちゅうんが悲しいな~」

 人が人間で在るための社会。
 人が鬼に成る世界。

 「本当は、どこに居たいんやろな……ん?」

 ラエリたちと別れてから武器屋を捜しながらさ迷っている。
 刀儀の思考は今、どうしよもうなく諦観に満ちていた。
 しかし、それでも刀儀の異常な感覚は変らない精度で情報を伝えた。
 
 「……あれは、あの時逃げ出しとった奴ちゃうか?」

 直感、と言えばそこまでだが、刀儀の直感は無意識領域を鍛え上げた結果の代物だ。
 それがもたらす感覚は、到底無視できるものではない。
 きょろきょろと辺りを見回した刀儀が見つけたのは先日壊滅させた野党の残党。
 刀儀に襤褸切れの様にされる前に逃げ出した連中だ。

 「……なんか、嫌~な予感するな」

 そう呟いて、一応、そいつが消えた方向へ向かう刀儀。
 しかし、見失う。

 「……まぁ、ええか」

 もはや自分には関係の無い事、そう断じて刀儀は街へ消える。
 
 その事が、いつか来るかもしれなかった現実を今に運んでくるとも知らずに……。



[1480] 孤剣異聞  第十一話 未熟
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/07/07 21:04
 
 昔、ある刀鍛冶が言った言葉がある。 

 「なぁ、楔よぅ、俺は人斬り包丁が打ちてぇんじゃねぇ。

  日本刀……なんてモンも打ちたくねぇ。

  俺はよぅ、“刀”が打ちてぇんだ、“刀”がよぅ」
 
 その人は、今の日本では異端だった。
 そのせいか、俺も含めた、こちら側の人間にはよく知られていた。

 ただ、理解したのは少数だろう。

 同じような職人なら、半分は理解できるだろう。
 刀に魅入られた職人なら、残りの半分が理解できるだろう。
 
 しかし、一番正解に近かったのは、俺たち剣客だったと思う。

 ただ殺すのか? それとも飾るのか? 或いは――――
 
 ――――――てめぇはどうする?

 彼はよく問いかけた…………。








孤剣異聞  第十一話 未熟








 「さて、武器屋での注文も終わり……」

 ――え!? 棒手裏剣ないの?
 ――手裏剣? 投擲用のナイフじゃだめか?
 ――いや、使い慣れたのが良いんやけど……
 ――なら、しばらく掛かるが良いか?
 ――大会に間に合うなら
 ――全然大丈夫だ。一週間ぐらいしたら来い。
 ――ういよ、頼むでおっちゃん!

 「腹ごしらえもした……」

 ――ん、美味そうな匂い。
 ――おいしーよー
 ――おばちゃん、ひとつ!
 ――おねーさんだよッ!

 「おやつも食べた……」

 ――いや~、甘い物は良いわぁ~。幸せの実在を信じられるわ~

 ――おか~さん、あれ食べたい!
 ――そうね、なんだか凄く美味しそうに見えるわ。
 ――すいません。ひとつください。

 ――そこのにいちゃん! 商売繁盛のお礼だ! もう1個どうだい!
 ――え? じゃあ遠慮無く!

 「しかし……」

 指を折りながら片付けた用事を数える。

 「結構、早よ終わってもうたな……まだあっちも落ち着いてないやろな~……も一度冒険者ギルドでも行ってみるか」

 そう言うと立ち上がり、埃を払って裏路地へと歩き出す。
 一応、この街の地理を把握するつもりで歩いていたので、多少は短縮ルートが解かる。

 「……なんか、裏路地を行くとまた化物に遭いそうやな……。
 まぁ、今回は“これ”もあるし大丈夫やろ」

 刀儀は小太刀と財布(がまぐち)以外の今日持ち出した唯一の荷物を手に取る。
 荷物―――竹刀袋の紐を解き、そこから一本の木刀を取り出す。

 「“落日”―――か、傾いた陽光はいつしか夜に沈み、葬送の火はとうに消え、残るはただ日の落ちた暗闇のみ……」

 呟いて……そして更に呟く。

 「うち祖父さんも、真兼さんも、なんで俺に遺したんやろな…………」

 刀匠、真兼鉄心。
 美術ではなく実戦を前提として刀を打ち続けた異端の刀鍛冶。
 武術の世界では結構な有名人である。

 「まったく…………」

 ―――真兼に……預けてある。

 ―――よう、楔ぃ、こいつは刀だ、俺がてめぇに贈る最高の一振り。さぁ、どうする?

 「遺すなら父さんやろ……最高の刀なら、あの剣の鬼神にこそふさわしい……と言ってもニ尺七寸の刀身はあの人には短すぎるか……」

 現在、行方不明の刀儀の父親、刀儀(旧姓:七紙)無明は刀身が八尺はある馬鹿みたいな野太刀を使う。
 昔、刀儀は「槍にしろ」と言ったことがあるが泣かれたので諦めた。

 「ホンマ、なんやろな……赤瀬に聞いても解からんかったし、よるさんは聞こうにも奥さんと旅行中やったし」

 呟く刀儀の脳裏にとある青年の姿が浮ぶ。

 ―――時雨坂 夜一(しぐれさか よるいち) 

 刀儀楔の剣術の基礎を築き、赤瀬夕凪には体術を教えた男の名前だ。
 刀儀が出会ったのは九つの頃、彼は母親の勤める高校の三年生だった。
 ちょうどその頃、町であった色々な事件に関っていたらしいが詳細は知らない。
 知っているのは彼が最強と呼ばれた父親と互角に戦い、最高という称号にふさわしい技量を持っていることだけだ。

 「っと、ここから右に行くんやったっけ……?」

 考えているうちに多少広い道に出る。
 人通りは少ないが正規のルートなので建物の隙間から、にゅっ、と出てきた刀儀は不自然だ。
 そして、その刀儀を見ていた人物が居る……。





* * *





 (あ、あれはさっきギルドで……!)

 それほど人通りの無い道だったのが彼女に幸いした。
 先程、冒険者ギルドで見た男が建物の隙間から出てきたのだ。

 実を言うと彼女はその男を捜していた。
 魔力も持たず、そのせいで凄まじい程の実力を持ちながらCランクに甘んじた男。
 そして、その時見せた奇妙な強さ。彼女はそれに興味を持ったのだ。

 「て、手合わせ……! ううん、せめて、話だけでもしなくちゃっ!」

 一人で呟き、一人で納得して、気合を入れる。
 そして次の瞬間、彼女は刀儀に向かって走り出した。

 「す、すいませーん! ちょ、ちょっとお話をーーー!」

 わたわたとした走り方は傍から見るととても危なっかしい。
 少女の視線の先で振り返った刀儀はぎょっとした表情で彼女を見る。

 「―――きゃん!?」

 そして、彼女は刀儀の一歩手前で転んだ……。
 非常に残念だ、後一歩先へ進めていれば刀儀の胸へ飛びこんで意味の全く解からないフラグが立ったりしたかもしれないのに…………。
 とりあえず刀儀に助け起こされ彼女は立ちあがる。

 「えーと、まず聞くけど……なんか用?」

 「え、あ、はい! えっと……ボク、ミリアと言います。あの、さっきギルドのランク判定を見てたんです。それで……」

 ミリアと名乗った少女は刀儀の目を見た。
 そして、意を決した様に言う。

 「ボクと手合わせしてください!」

 鼻の頭が赤くなっているのがマヌケだった。





* * *





 「アリー……大丈夫か?」
 「はい……大丈夫です。でも……」

 大通りから外れた路地の寂れた酒場、話の内容からあまり人気の多い場所は避けるべき、とラエリは考え、この場所を選んだ。

 「ラエリさん、トギさんって……、何者なんですか?」

 刀儀の立場は異世界からの来訪者だ。
 しかし、アリーシャが問いたいのはそう言う事では無いだろう。

 「あー……、クサビは、その、悪い奴ではないぞ……ま、まぁ意地が悪い所はあるけど……でも」

 対して、ラエリの返答は要領を得ない。
 アリーシャが垣間見た刀儀の狂気は、ラエリも始まりとなったあの森で目にしているのだ。
 なにより、刀儀の不安定さは、このメンバーでは一番付き合いの長いラエリに解からない筈が無い。

 「はい……解かってます。……でも、あの一瞬、わたし、怖くて……」

 アリーシャの言葉はもっともだろう。
 刀儀は例えるなら、永遠に存在し続ける夕焼けの中をふらふらとさ迷い歩いているようなものだ。
 ふとした弾みで、暗がりへ入れば見失っても不思議ではない。

 「うん……解かる。私も怖かった。…………でも信じたんだ」

 それでも、ラエリはそう言った。
 アリーシャも落ち着いたらしく、同意する。

 「……わたし、『勇者』に仕えたりする事に憧れたいたんです……」

 そして、彼女は静かに語り出した。

 「勇者?」

 「はい、吟遊詩人が謡うような英雄たちの従者に……」

 アリーシャは胸の前で手を握り、夢見る様に、陶酔した表情で言った。
 
 「…………神殿にいた頃はよく、友達と色んな冒険者の話をしました。
 例えばあの、アトラの地の奥深くを探索した『剣王ログウェル』なら『大魔導シン・ラドクリフ』や『深緑 リーゼ』がいたし、ラシェントの『魔剣士 ジルジス』には『月光の癒し手 ルルファン』が付き従っていたし……そんな風に……『勇者』と呼ばれるような人の従者として仕えれたら……とか」

 「? なぜだ、普通は自分が勇者になりたいと思わないか?」

 「え!? ……えーと、その、わたし、女の子…じゃないですか」

 「それは、そうだろ……どう見ても」
 
 「…………」

 「…………」

 どことなく噛み合わずに沈黙が場を支配してしまった。
 ちなみにラエリは「とりあえず自分の責任ではないか」などと考えていた。

 (う~ん、アリーの言いたい事が判らない。これは私の乙女度が足りないからなのか……。
 って、ん? ちょっと待て、今、話の中に知った名前があったぞ!?)

 ぴこぴこと動く耳。
 どうやらこの耳は考え事でも動くらしい。

 「あ、アリー! いま、リーゼと言わなかったか!?」

 そして突然、叫んだラエリにアリーシャが驚く。

 「えっ!? あ、はいっ、『深緑』ですよね。……ラエリさんはあんまりそう言うのしらないと思ってましたけど、やっぱり同じエルフなら知ってるんですね。あ、確か『深緑』もラエリさんの森の出身ですよね」

 「っと、言うより母親だ!」

 「え、そうなんですか……って、ええーーー!?」

 なんだか場が混乱してきた。
 刀儀の狂気も棚上げされてしまったのは良い事かもしれないが、三人寄らずとも姦しいのはいかがな事か……。

 だが――――

 それを見ている男がいた。

 昏い眼光を湛える歪に揺らぐ気配を持つ男が二人を見ていたのだ。

 そして、ラエリ達はついに、その視線に気づく事は無かった…………。





* * *





 刀儀と少女――ミリアは、闘技場近くにある広場で向かい合っていた。
 ちなみに刀儀は腰に小太刀を差し、手にはさっきの木刀を握って自然体。
 対してミリアはバスタードソードを両手持ちで正眼に構えている。

 「ほな……いくで」
 (まずいな、西洋剣での剣術はよう知らんしな……まずは見てみるか)

 「―――はい! いきます!!」

 刀儀が攻めあぐねているとミリアが勢い良く斬りかかった。

 「はぁっ!」

 大きく振りかぶり、強く踏みこみ、真っ直ぐに振り下ろす。
 単に基本に忠実な剣ではなく、真っ直ぐな剣を自分の剣として昇華した打ちこみだ。

 (―――ッ!?)

 それでも刀儀ならば当然の如く回避できた筈だった。

 しかし、伸びた―――

 斬撃は予想以上の伸びを持って刀儀に襲いかかった。

 有り得ない一撃だった。
 まるで別の力の流れに乗る様にしてミリアは刀儀の間合を踏み越えたのだ。
 
 「…………なんや、その動き?」

 しかし、刀儀の木刀はミリアの首元にあった。

 太刀筋を見るのを諦めて、入身で交差法気味に踏み込んで寸止めしたのだ。
 いかに速度で上回ろうと、一拍子で行動が完成する刀儀に容易には追いつけない。

 「す、すごいです。いま、見えなかった……」
 「いや、聞いてるん俺やけど……」
 「も、もう一度お願いします!」
 「…………」

 聞いちゃいねェ、などと思いながらも再び間合を取り構える。

 (さっきの動き……動きそのものを強化補正するみたいな力の流れが在った……)
 (見極めるべきやな、今後の為にも)

 刀儀は構えを変える。
 今度はミリアの構えと同じく正眼。中段の構え。
 もっとも基本の構えでもあり、間合を測るに適した構えだ。

 そして今度は気軽に踏み込ませず、ジリジリと間合を詰める。

 初撃はミリア、少し遠間とも言える位置から一気に飛びこみ、薙ぐ。
 が、刀儀が少し木刀と体を動かすと外れる。
 そのまま反動でニ撃、三撃、しかし、刀儀が上手く間合を外すので届かない。

 (なるほど、な……この子の動きに合わせる様にある種の力が動いとる。……もしかして、これが解放状態の『刻印』っちゅうやつか? やとすると『刻印』ってのは戦闘の経験を蓄積してサポートする物かもしれん……後で聞いてみよ)

 僅かな動きで、攻防を制し続ける刀儀。
 どこか肉体と切り離された思考でそんな事を考えたりしているが剣の冴えは変らない。

 「さて、と……」

 刀儀が終わらせる為の行動に移る。

 そして刃同士が噛み合った瞬間、巻き込む様に木刀が動いた。
 同時に刀儀の体が沈み、ミリアは力を掛ける場所を見失った。
 そしてそのまま、引かれた木刀に引っ張られる様に両膝をついてしまった。

 「え? あれ?」

 秘剣『骨喰』の応用。
 切っ先の攻防で使える特殊な技法。
 実戦ならそのまま相手の刀の峰に刃を滑らせ首を刎ねる。

 「ふひぃ……、いったん、終わろか~」

 そのまま、下段に構えたような体勢で刀儀は一息ついた。





* * *




 
 ――――すごいと思った。

     この人は『刻印』もないのにボクの全力の打ち込みを捌いて見せた。

     あまりにも、アッサリと……。

 

 先程の試合の後も数度ほど剣を交え、休憩がてら二人は近くに腰掛けて話しこんでいた。

 「あの、あの、それで、打ち込む時はどんな風に踏みこむと良いんですか!」

 「踏み込みはな、もっと重心の移動を意識するとええで、後な、移動するっちゅう言う意識よりも、運体……体を目的の座標まで“運ぶ”っちゅう風に意識するとええわ」

 「“運ぶ”ですか?」

 「せや、でないと斬撃を避けられへんやろ?」

 「? 受ければいいんじゃないですか?」

 「……あー、ちと見てみ」

 そう言うと刀儀はおもむろに小太刀を引き抜いた。

 「細いやろ」

 「レイピア……じゃないですよね? でも曲刀にしては……」

 「俺の国の剣なんやけど、名称で言うなら刀やな」

 「カタナ……ですか」

 「そや、詳しく言えば打刀やけどな……いやまぁ、それで言いたいのは……打ち合ったら折れるやろ?」

 「あっ」

 「まぁ、文化の違いやなー」

 などと、二人は剣術談義を楽しんでいたが、ふと刀儀は我に返った。

 「って、随分親しげに会話してもうたけど、君、何者?」

 「え! えーと……冒険者です。普通の、き、極めて普通の冒険者ですよ?」

 「いや……、そのセリフがなければ、間違いなく信用したやろうけど、もう無理になったわ」

 「あうう(汗)」

 「まぁ、単なる剣術好きの冒険者、で良いやろ」

 「え? ボクの事、訊かないんですか?」

 「どうせ一期一会、今後会うかどうかも解からんなら気にする必要もないやろ」

 「…………あの、その件についてなんですけど……御願いが……ッ!?」

 「んん? どしたん?」

 「え、や、あの、……そうだ! 1時間ぐらいしてからまたここで会ってくれませんか?」

 「ん? ええけど」

 「じゃ、じゃあお願いします! ありがとうござます! えと……」

 「刀儀、別にトギでもトウギでもどっちでもええ」

 「はい! トウギさんでは、また後で!」

 そう言うと少女はあっというまに走り去った。
 そして残された刀儀が呆然としていると、向こうから何人かの走る足音が聞こえてきた。

 (……俺も身を隠した方が良いかも(汗))

 まずい事に巻き込まれているんじゃないか、と言う考えから刀儀は気配を消すことにした。

 まずは周囲の気配を探る。
 次に呼吸と共に自身の氣を周囲の気配に同調させ変化させていく

 刀儀が考える『氣』の概念とはつまり気配だ。

 例えば、ただ動くにしても、身体の中で起こる数々の動きを把握しなければならない。
 その為には、視覚だけに頼らず、あらゆる感覚を持って動きの気配を感じる必要がある。
 そして、それが成った時、人の動きは常識を超える。

 ……だが、しかし、今は動きは必要ない。
 刀儀は静かに自己を消し去り、風景の一部になる。

 「お、おい、本当に姫さまはこっちに居たんだろうな!?」
 「ちらっとですが、誰かと話しこんでいたような……」
 「く、このままでは大失態だ……早く捜さねば」

 ――――ドドドドドドド

 ………………。

 (あかん、マズイ事態に巻きこまれた)

 刀儀は逃げられない事を悟った。





* * *





 場所は変って、裏路地、酒場を出たラエリたちは刀儀を捜してうろついていた。

 「う~ん、遅くなったな、クサビも待ってるだろうな」

 「ですね。……わたし、謝らなくちゃ」

 話し込んでいた為、結構時間が経ってしまったようだ。
 なので二人とも多少早足で歩いている。
 
 …………いや

 早足なのは他に原因がある。

 「(まずいな、アリー、数が増えてきてる)」
 「(みたいですね……しかも誘導されてます)」

 小声で話すラエリたち。
 異変に気づいたのは酒場を出た時だ。

 自分たちが出ると同時に、男が一人店を出た。
 異様に昏い眼の男。
 それが自分たちの後を付けて来ていた。

 なるべく気づかれない様に速度を上げて振り切ったのだが、今度は精霊たちがラエリに多数の悪意ある気配を知らせてきたのだ。

 その後は、路地の要所要所にガラの悪そうな連中が配置されていて、逃げ場を封じられる形になっている。

 そして、そのまま今に至ると言う具合だ。

 (シルフ……クサビを捜してきてくれ)

 自分たちの状況を刀儀に知らせるべく精霊を放つ。
 たかがチンピラ如き倒せない訳ではないが、数が多ければ話は別だ。

 ラエリの意思に応じて風が動く。

 周囲の気配たちに気づかれないように気をつけた。

 「(どうしましょう……)」

 アリーシャの小声にラエリは思案を巡らせる。
 今の状況では、そのうち袋小路に追い詰められるだろう。

 「(いちかばちか、精霊魔法でふっ飛ばしてやろう)」
 「(はい)」

 せっかく、気づいていないフリをしていたのだ。
 不意打ちにはちょうど良い。

 静かに会話を交し、そっと自分たちの武器に手を伸ばす。

 逃走の準備は完了した。
 
 ラエリはより強く精霊の力を顕現させる為に呼びかけを行う。

 そして――――――

 「ノーム、頼む!」

 背後に向かって勢い良く振り返る。

 同時に大地が振動と共に破裂し土煙が周囲の視界を塞いだ。

 「こっちだ!」

 アリーシャの手を取りラエリが駆け出す。
 精霊の加護を得る彼女は視界が利かなくてもある程度の事が解かるのだ。
 
 そのまま周囲の気配が突然の事態に混乱している隙をつき、ついでに出てきた数人を殴り倒して脱出するラエリたち。

 相手もまさかこれほどの抵抗を受けるとは思っていなかっただろう。
 なにより、ラエリの力は通常の精霊魔法とは違い、ただ、呼び掛けるだけで済む。
 元々、効果の高い精霊魔法を奇襲で使われれば普通は対処しきれないのが当然だ。

 そう、普通は…………。

 「……まて」

 故に、立ち塞がったのは普通の向こう側の住人。

 
 
 ―――――昏く窪んだ眼光が、ラエリたちを見据えていた―――――





* * *





 ―――うろうろ
 ―――うろうろ

 ミリアを追って行った一団が通りすぎた後、刀儀はラエリたちを捜してうろついていた。

 「……って言うか、明らかに装備が騎士って感じやな、ついでに姫とか言ってたし……
 どうも面倒くさい事情に巻きこまれた感があるなー」

 刀儀はさっき出会い、剣を交えた少女について考えていた。
 
 「しかし……真っ直ぐな太刀筋やったな、邪剣使いの俺とはまるで別モンや
 あんな剣を振るえるんは、きっとお天道さまに向けて真っ直ぐ立ってる証拠や
 …………しかし、ちーとだけ迷いがあったな、思春期か?」

 思い返すたびに我知らず口元がほころぶ。
 多少の迷いなど、気にならないぐらいに気持ちの良い太刀筋だった。

 ――――ー祖父さん、刀儀流は俺には継げんよ……―――
 
 刹那、美しい弧を描く太刀筋を思い浮かべる。
 懐かしい、かつて諦めた太刀筋。
 才能の限界を理由に継がなかった流派。

 「あかんなー、俺は…………」

 背中の刀を脳裏に描く。
 どうする? そう、かつて問われた。
 その時にも答えは在った。でも答えられなかった。

 「刀を手放さずに逃げ出すような阿呆が、一体なにをしとんのか……」

 心の何処かが弱っているのだろう。

 独りでいると、目を逸らしそうになる記憶がある。
 一年も前から離れない手応えと感触がある。 

 「俺は…………」




 ――――風が吹いた。

 「ッ!?」

 瞬間、刀儀の顔が驚愕に染まる。

 「……? なんや、これは…なんか…………ッ!?」

 叫ぶと同時、刀儀は駆け出した。

 思考に埋没しようとしていた意識が急激に引き戻される。
 理解できない不安と予感が刀儀を蝕んだ。
 それは、直感としか言えないものだが、それを安易に否定する刀儀ではない。
 
 そしてなにより、その風はラエリの放った風の精霊。

 弱々しい力しかないが、それでも刀儀には十分感知可能だ。

 …………そう、実際、その風には精霊魔法としての力は残されていなかった。
 おそらくはラエリの意識の断絶が原因なのだろう。
 しかし、風はそれでも刀儀に届いた。

 (直感を疑うな……ッ! その理由を考えろ! いま不安があるんやったら……)

 直感を逆算する為に刀儀は考える。
 自分が不安に思う事はなんだろう? と

 不安など自分には山の様にある。
 だが、それは全て自分の事。どうとでもなる。
 だとすれば、この取り返しのつかないような不安は自分以外の誰か――― 

 (赤瀬……はどうでもいい!)

 おそらく自分に親しい人間と断定し、思い浮かべる。

 行方不明の友人……は、放っておいても大丈夫。
 心配はあるが、一人でもどうにでもなる男だ。

 (って、ここじゃ、ラエリさんとアリーさん以外居てないわ!)

 つまり後はラエリたちだけだ。
 交友関係など、この世界では彼女等だけ。

 (そう考えると寂しいな…………って瑣末事や!)

 一気に重心を前に倒し、加速する。
 稼動する全身と物理法則を感覚で捕らえ、非常識な速度で疾走する。

 氣を感じ、呼吸を練り、理の中に己を投げ込む。

 次第に意識は動きに対して先鋭化され――――

 (阿呆、委ねるな!)

 理に酔う感覚。
 かつて、犯した罪。
 思い出す。思い出す。思い出す―――――

 (違う、そんな事やない! 為すべき事を為せ)

 感覚を拒絶する。

 自分は達人ではないのだ。

 理に到達したのではなく、ただ呑み込まれかけている。

 そんな様で誰を救って、誰を殺せる?

 (いや、それはいい、それより集中せなあかん)

 ともすれば目的すら遠ざかりそうな感覚。
 だが、それに頼らねば、この弱々しい風を捕らえる事はできない。
 
 (くそっ! 厄介事ばかりや……さっきまで、日常、やった、のに!)

 
 
 ――――――…未熟者……とはもう言えんな、楔、見事…………


 
 ふと、一年前に聞いた、祖父の最期の言葉を思い出す。

 もしも、それが本当なら刀儀がアリーシャを怯えさせる事もなかったかもしれない。
 そして―――刀儀はまだ知らないが―――生き残った野盗の残党がラエリとアリーシャに目を付ける事も出来なかっただろう。
 結局は全て刀儀の未熟が招いた事だ。
 血に塗れるなら相応の覚悟が必要だった。

 「ラエリさんも、アリーさんも、無事でいてくれ……ッ」

 奥歯を噛み砕かんとする程にくいしばり刀儀は風を辿って行った……。



[1480] 孤剣異聞  第十ニ話 開戦
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/07/10 19:48
 ゆっくりと日が傾き、辺りは次第に朱に染まっていく。
 しかし、入り組んだ裏路地は影に覆われ、昏い翳りを帯びて沈黙している。

 そして、その場所の中でも一際昏く、秘された裏道がある。
 この場所はまさしく人が闇と呼ぶ場所への入り口なのだろう。

 だが、その場所をゆらゆらと歩く人影が在る。

 「ん?」
 「おい、ガキが入っていい所じゃねぇぞ」

 ……見張り、なのだろう。
 
 2人、柄の悪い、いかにもと言った男達が道を塞いでいる。

 対して、少年、どこ吹く風と言った様子で呟く。

 「……暗いな」

 「ああ?」

 前に立った少年の言葉の意味が解からず疑問符を浮かべる2人組
 その背後の道の奥へと風が弱々しく吹きこむ。
 恐らく少年の探し人はそこに居るのだろう。

 奇妙に凪いだ目をした少年は、ぼそり、と呟く。

 「落日やな……もう、日は沈んだで」

 言葉とは裏腹に、その背には紅く赤い夕焼けが確かに存在している。

 「おいっ! ガキ、てめぇさっきから…………」

 ――――ドス

 意味がわからず詰め寄った男が、自分の腹辺りから聞こえた音と同時に言葉を失う。

 胸倉を掴もうと近寄った筈がそのまま崩れ落ちる。

 なんの事は無い。
 特に派手な動きもないただの柄当てだ。

 ……だが少年が踏みしめた足元と男の水月に当たる部分は陥没していた……。

 「な!? ……て―――――」

 咄嗟にナイフを構えた二人目も言葉を発し切れなかった。
 少年の姿が男の横に移動したかと思うと同時、ひゅっ、と奇妙な呼吸音を発して一回転し、そのまま頭から地面に落ちた。
 男の喉は窪んでおり、少年は親指を握りこんだ形で拳を握っていた。
 使ったのは拳ではなく、親指ごと軽く握りこんだ人差し指の第二関節だろう。

 「あそこか……」

 背後から照らす最後の陽光が、少年の影を、長く、長く伸ばす。
 
 「二人になにかあってみぃ……」

 少年は抑えるような声色で呟き―――

 「5分刻みで……ッ、解体したる!!」

 ――――苛烈に言い放った。








孤剣異聞  第十ニ話 開戦







 
 時間は遡って10分前。
 実は刀儀を見ていた人物がいる。

 (あれは……トウギさん、だよね?)

 ミリアが、自分を追いかけてきた騎士を撒こうとして裏路地を走っていると見知った人影が見えた。
 少し開けた場所、そこで何かを見ている姿だった。

 (ちょうどいいや、頼み事の件もあるし、話してみよう……)

 そう思い、彼女は刀儀に話しかけようとした。
 が、刀儀の様子がおかしい。
 まるで何かを感じ取っている様に、その瞳は虚空に向けられ、小刻みに震えていた。
 
 ……っちや? ……こ…向か……た

 (? なんだろう、なんて言ってるんだろう?)

 ……そっち……か

 尋常ではない様子に近づけずに居た為、聞き取り辛かったが、最後は聞こえた。
 どうやら、どこかへ向かう様だ。
 そのまま、走り去って行く。

 よせばいいのに…………彼女は後を追った。





* * *





 ―――息を呑んだ。
 まさに、それだ。
 そう、刀儀は思った。

 ここで戦闘があったのだろう。地面が破裂したかのように崩れており、血の跡がある。
 足跡や、折れて打ち捨てられたレイピアから、ラエリが戦った跡だろう。
 
 だが、刀儀が目を止めたのは一つの斬線だった。

 「……壁に食い込んで、そのまま壁ごと一気に引き裂いた? なんや?この太刀筋……」

 似たようなことが出来る人間は自分も含めて知っている。

 が、こんな奇妙な斬撃を刀儀は知らない。

 「まるで、壁に食い込んでから、もう一度爆発的に加速を得たような……」

 ……未知の太刀筋…と言うのは、それそのものが既に脅威である。
 刀儀がこの世界で圧倒的な戦果を得ている理由がまさしくそれだ。

 この世界に存在する剣術と別系統の剣術、その差異。

 剣とは畢竟、力と速度に依存すると言うのもまた真理。
 故にそのアドバンテージが消え失せ、奇襲的要素が無くなれば、魔力と言う“力”を持たない刀儀は相応の不利を背負い込む事になる。
 だが、その時こそ、刀儀の真価が問われる時となる。

 しかし、今はそんな場合ではない。
 恐らくあの奇妙な斬撃を受けたのはラエリ。
 だとすれば…………

 「……どっちや? ここからどこに向かったんや?」

 刀儀がうめく様に言う。

 術者の存在がなければ精霊も大した事は出来ない。
 いかにラエリが優れていても万能足り得る事はない。
 そう、たとえば大きな負傷を負った場合などは……。

 「ひゅうぉ――」

 息吹ひとつ

 刀儀は全身を大氣に委ね、風の導く先を感じ取ろうとする。
 虚空を見詰める様に上を向き、流れを目に映す。

 沈黙と、いくらかの間の後、刀儀は入り組んだ路地の中から道を選び、睨む。

 「そっち……か」

 そして刀儀は再び駆け出す。
 それを見ていたミリアに気づかずに……。





* * *




 
 ―――そして、時間は再び現在。



 細く、暗く、奥まった道を進んでいく。

 すえた匂いが鼻につく。

 一歩、また一歩と歩くたびに感情の底の方から溢れ出ようとするものがある。

 …………どうやら向こうも、こちらの存在に気づいたらしい。

 不審そうな顔で出てくるのが見える。

 「ようっ!」

 刀儀は右手を上げ、朗らかな笑顔で彼等に応えた。
 無論、眼の奥に笑みなど欠片も無い。

 「?」

 困惑する男達。
 まさに自分の思惑どうりの反応をした彼等に刀儀は―――

 ―――右手握った棒手裏剣を打った。

 「な!?」
 「てめ……グブッ」

 連続打ち

 「ひぃいぃ、逃げ……」

 ――――斬

 混乱が立ち直る前に刀儀は踏みこむ。
 常識では囲まれるのは不利だが、元々、刀儀が最初に学んだ流派は敵陣真っ只中で振るう剣。

 円転し、舞い、狂い、小太刀が踊る。

 鮮血が剣風に踊り、花弁のように散った。

 一息にて5人、最初の奇襲で3人、計8人

 死んではいないが戦列に加わる事は無理だろう。
 なぜなら普通、人間は身体の一部分を失えば、痛みとショックで戦意が失せる。
 ようは、無理に斬り殺すより、指の一本切り落とすだけの方が効率良く勝利を得られるのだ。
 つまり、刀儀の戦法は多人数を相手にするのに理に適っている。
 だが………… 

 …………。

 まだ動ける者が走り去った事から援軍を呼びに言ったのだろうと刀儀は考えた。

 「小太刀が、持たへんな」

 そう言って、背中の木刀を腰に差し直す。
 第一、遠心力を利用する刀儀流に小太刀は向かない。

 痛みにうめく声を背に、刀儀は、ふと呆けた表情を浮べた。

 「…………………」

 ―――――――剣とは何をする物ぞ―――――――

 「…………人を切る為殺す為……この後に及んで、まだ覚悟が足らんのか……」

 頭を振り、意識を状況に戻す。

 そのまま、微かに震えた手を否定する様に握り締め、刀儀は奥へと向かって歩を進めた。





* * *





 ―――人影がひとつ。

 ミリアは物陰から刀儀の戦いを観ていた。

 無論、その戦いぶりは彼女の刀儀に対する尊敬の念を深めるものだった。
 が、ひとつだけ、彼女がどうしても疑問に思う事があった。

 「すごい……すごいすごい、やっぱりボクの目に狂いは無かった……でも」

 ――――なぜ殺さないのだろう?

 彼女の疑問は正しい。
 刀儀の戦い方は理には適っているが、明らかに人死にを避けている。
 相手が悪党だと言うのに何故?
 それが彼女の疑問だった……。

 「なんだろ? なにか意味があるのかな……?」
 
 ……『刻印』が解放される条件は曖昧だが、解放されている者は須らく実力と経験を持っている。
 そう、つまりそれは、彼女が実戦と言う経験を積んできた事の証明だ。

 そして、力を手に入れる過程とは、それ程に重い。
 それを超えた者だけが、確かな力を得られる。

 それゆえに彼女は勘違いしていた。
 
 刀儀楔は、自分を凌駕する歴戦の戦士であり、当然に自分以上の経験を積んでいる。と

 「…………う~ん、わからない……なんで……?」

 ある意味、異常な……そして、確実に正常な疑問に頭を抱える。

 そして、そんな事を考えているから、彼女は背後の気配に気づかなかった…………。

 「……なにをしている」

 「っ!?」

 振り向き様、剛の一閃。

 甲高い、鋼と鋼が交わる音が響き、そして消えた…………。





* * *





 ―――そして最後に、この話に関る最後の一人。

    ラエリを倒し、今し方ミリアと遭遇した男の話をしよう。

 男の名はスカー(傷)、名前を忘れてしまったので、半生とも言える戦場の日々、そこで刻まれてきた傷にあやかり、そう名乗っている。
 
 彼が初めて剣を握ったのはまだ僅か十二。
 人を殺したのも、ちょうどその日だ。

 別段、彼は不幸な境遇に生まれたわけではない。
 彼の育った村は貧乏と言えば貧乏だが、贅沢をしなければ十分暮らしていける場所だった。
 穏やかで、緩やかで、退屈で……幸せな場所だったとも言える。

 彼がもう少し幼かった頃、村に冒険者が来ていたことがある。
 別に遺跡がある訳でもなく、戦も遠かった。
 ただ、少しばかり強い妖魔が出たので依頼を出したのだ。

 …………まぁ、これも大した事ではなかった。
 依頼は片付き、冒険者は去った。
 それだけの事だ。

 しかし、彼にとっては道を分けた時とも言える。

 彼は冒険者と妖魔の戦いを見ていた。
 本当に、それだけの事でしかなった……。
 しかし、彼には少しばかり剣の才能があった。
 彼はその日から棒切れを振りまわし始めた。
 
 悲劇の原因は、彼が彼であった事……としか言えないだろう。

 始まりは、ある盗賊団の残党一人が村に迷い込んだ事だった。
 
 だが、逃げている最中で派手な事はするつもりが無かったのだろう。
 最終的に盗賊の事は、村人の一人を除いて誰も知る事が無かった。

 そして、その一人が彼だった。

 彼はまず盗賊の剣を奪った。

 盗賊も予想していなかっただろう。
 こんな場所で、こんな子供に、こんな…なんの意味もなく殺される。などと……。
 
 彼は盗賊を斬った。

 それは単なる確認事項のように。

 そして、誰もその事件を知る事無く、三年が過ぎたある日
 彼はこう言って村を出た。

 「確かめたい事がある」と

 それがなんなのか、彼の家族は知らなかったし、村人も知らなかった。

 なにより、彼自身も解かってはいなかったのだろう。

 これより後の話は、彼に刻まれた傷が全て物語っている。

 それだけの話だ。



 だが、彼はもうすぐ確かめる事が出来る。



 今日、この日を持ってようやく『その時』が訪れたのだから――――。



[1480] 孤剣異聞  第十三話 戦闘
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/07/14 17:41
 裏路地の奥の更に奥、そこにあるアジトにラエリたちは囚われていた。
 いや、ラエリたちだけではない、他にも多数、女性が囚われている。

 「ラエリさん……大丈夫…ですか?」

 「っ、く……ああ、なんとか」

 ラエリは腹部を抑えながらうめいた。
 先刻、土煙に紛れて包囲網を突破しようと時に立ち塞がった男にやられたのだ。

 (くっ……あの男)

 ラエリは思い出す。
 数度、剣を交えただけだったが、その恐ろしさは理解できる。
 一瞬にしてレイピアを折られ、更にその勢いのまま腹部を断ち割られた。
 ……深い、そう、致命傷に近かった。
 助かったのはひとえにアリーシャの神聖魔法がずば抜けていたからだ。

 「おいっ、治療は済んだか? グヘヘ、じゃあ、お楽しみといこうか」

 下品な声がラエリの長い耳に届く。
 命はなんとか助かったが現状が最悪な事に変り無い。

 いかにも悪党、と言った感じの男達が好色そうな顔でラエリたちを見下ろしている。

 深手だったラエリの治療を優先していたおかげで、彼女等は最悪の事態を免れていた。
 そして、アリーシャが治療を終えた以上はもはや猶予が与えられる事は無い。

 「……ッ、くそ!」

 ラエリが睨みつけるが男達は下品な笑いを深めるだけだ。
 アリーシャも絶望感を滲ませている。

 しかし…………

 「き、来てくれ、ヤバイ奴が乗り込んできた!」


 ――――救いは、やって来た。

 
 「は、はやく…………」

 ―――

 「え?」

 ―――――ン!!

 轟音と共に……。









孤剣異聞  第十三話 戦闘







 
 奥の方に居た盗賊たちが出てきた時、全ては終わっていた。

 爆砕した地面と土砂。

 元々、ぼろぼろだった石畳は砕け、その破片は倒れている男達にめり込んでいる。
 
 痛みにうめき倒れ伏した無数の人間の中、少年は独り立っていた。

 少年の足元。
 踏み込まれ、陥没した足跡がある。
 だとすると、この惨事は…その踏み込みが成したのだろうか?
 
 ――――盗賊たちは知らない。

 その踏み込みが、古流の歴史の中で、最高と呼ばれた男が刀儀に伝えた秘奥のひとつだと……。

 それを、使ったのが目の前の少年だと……。

 「ぜぇ、ぜ、はぁ、ぐ…………なぁ、あんたら、訊くけど…エルフと僧侶の二人組……知らんか?」

 荒い呼吸のままで、少年―――刀儀は言った。

 疲労を隠せぬ息遣いとは裏腹に、静謐のまま、どこを見ているかも判らない虚無の目つきは、他者の理解を拒み、否応無しに不安を煽る。

 「もう、一度…訊くで…………」

 荒い呼吸音はいつの間にか止み。

 「二人は、何処や……」

 刹那にて、刀儀は踏み込んでいった…………。





* * *





 「…………最近、王都で人身売買を行う組織があると聞きました」

 刀儀が走り去った後、ミリアは昏い目をした男と向かい合っていた。

 「…………」

 「…………あなたも、一味ですか?」

 「そうなるな……」

 刃を交えた状態でミリアが男に尋ねたのは、ここ最近、王都を騒がせている人攫いのグループについてだ。
 武術大会を前にして、騒がしくなった王都の警備だが、警戒とは逆に、目が届かない部分が増えている。
 その結果、そこに付け入ろうとする悪党共が蔓延る事態になっているのだ。

 「……名前は?」

 ミリアは男の名を問うた。

 「スカー、そう、名乗ってる」

 返答は素早かった。
 問われたら返すのが当然だとでも言うように…………。

 奇妙な男だ。
 ミリアはそう思った。

 男には悪意が無い、敵意が無い、殺意が無い。
 ただ、昏い瞳の色だけがその男を物語っているかのように。

 「お前は……見たことがある」

 おもむろに男がしゃべり始めた。

 「前大会の出場者……だったな……『神剣』と当たって負けた」

 ぼそぼそと聞き取りづらい喋り方だが、語った内容はミリアに衝撃を与えた。

 「……確か、お前と『神剣』は「ミリアだっ! ボクは、ただのミリアだ!」」

 言い切る前に、ミリアの声がスカーの言葉を打ち消した。

 「ボクは……、そんな器じゃないんだ。ボクは違う……あいつが……あいつの方が」
 
 なにかを否定する様に、しかし、どこか縋り付く様にミリアがうめく。

 しかし……

 「いや……どうでも…いいか」

 男は面倒くさそうに会話を切り捨てた。
 
 「!?……え?」

 話の腰を折られ、困惑するミリアをよそに、男は独りしゃべり続ける。

 「そうだ…確かめたいのは……確かめれるのは…………おそらく」

 スカーは静かに、刀儀が歩み去った方角を見る。
 もはや興味を失ったのか、ミリアの方を見る事は無い。
 ……否、最初からこの男、彼女を見てはいなかった。

 突如、悲鳴と怒号、そして次の瞬間、地震のような振動と共に轟音が響く。

 それを確認して、彼は歩き出した。

 「ま、まて」

 ミリアの制止を気にも止めず男は進んでいく。

 その歩みは、ある意味殉教者の様にすら見えた……。





* * *





 (……ッ、やっぱ、反動がでかいな)

 敵が武器をとろうとした瞬間に刀儀は踏みこんだ。
 そのまま、木刀で短剣を握りかけた男の腕を砕く。

 「ぎゃあ!」

 叫びを上げて倒れる男、それを更に踏みつける。
 同時に右膝に鈍痛が走った。

 (石畳を飛ばすんは、ちとやりすぎやった、よるさんにも言われとったのに……、少し、頭に血が上ってたか……)

 『あー、この技について一言……無理すると足の方がイカレルぞ? 使うなら足元が緩い所がベストだな。……ま、俺なら範囲攻撃の遠当て、みたいな使い方も出来るけどな、ひっひっひ』

 技を伝授された時の事が、ふと頭に過ぎった。
 そう言った本人はコンクリを踏み砕いていたのだが、修練の度合いが違うのだろう。
 なにせ、そっちは衝撃を伝わらせて、遠当てとしても使えるのだから。

 (けど、痛みだけならなんとかなる!)

 意を決すると刀儀は、周囲を牽制しながら右手一本で木刀を持った。
 同時に左手には小太刀を握っている。

 つまり二刀流だ。

 かの宮本武蔵は、「一命を捨てるときには、道具を残さず役に立てたいものである。道具を役に立てず、腰におさめたままで死ぬのは不本意である」と言っている。
 
 それに習って刀儀は小太刀と木刀、余さず使い、最大効率で敵を倒す術を模索する。

 余談だが、武蔵の二刀流、その本質は片手一刀。
 二刀を振るうのではなく、片手で太刀を操る剣法。

 それが示すのは、千変万化する状況に自由を持って応ずる術であり理念である。

 「秘剣――――」

 直立の体勢から敵の足元へ、沈むように間合を詰める。
 その際、重心が落下する勢いを使い身体を回転。
 同時に踏みしめた反動を蓄剄し、旋風の如く刃を振るう。

 「――――黄泉桜」

 バッ……と血飛沫が舞い散る。
 まるで、桜吹雪のように美しく。

 ―――ミシ

 鈍痛が更に刀儀を蝕む。
 しかし、刀儀は痛覚を無視、振り抜いた勢いで立ち位置を変え、敵を斬る。

 一度は諦め、逃げた技。

 しかし、柳生新陰流の『八重垣』や大東流の『八方分身』にも学んだ工夫は、一対多数において限りなく有用な戦闘手段。

 囲まれた状況を、体の捌きと足運びで制御する。
 敵の一角を切り崩し、崩した後の敵の位置を把握し制御する。
 
 そうして常に戦いの主導権を刀儀は握る。

 だが……

 (しかし……正面切って乗りこんでみたものの、肝心の二人をどうやって助けるか……)

 転身し、避けると同時に更に右膝の痛みが増す。

 (ちぃ……ッ! どないする!?)

 焦りが、徐々に刀儀を覆っていく…………。





* * *





 「ちょっと! どこに行くんだ!」

 ミリアの声にもスカーは反応しない。
 ただ黙々と歩いていく。
 ……と、思いきや

 「避難用の隠し通路がある。そこから入れば不意を付けて、捕まっている女達を逃がしやすい。場合によっては逃げ出しているだろう頭を潰せる。俺とお前の力量ならむしろ簡単な仕事だ。大体の理由は言った、さぁ戦闘に備えろ。時間が無い」

 「…………」

 反応した……。
 ものの見事に反応した。
 以外にも長台詞が聞けました……。

 「……時間が無い……って言うのは?」

 一瞬、妙な間をもってミリアはスカーに尋ねた。
 そして、やはり答えた。

 「攫った女が風の精霊を飛ばしていた。おそらくあの男の連れだろう。それを持っていかれてはあの男と闘えない。それは困る」

 本当に困った顔でスカーは言った。

 どうもミリアはこの男を理解できない。
 もっとも、男の家族でさえ理解できなかったのだから仕方が無いとも言えるだろう。

 「急げ」

 そう言うと、スタスタと歩いていくスカー

 「くっ……、言われなくても」

 それをミリアも追う。

 ……しかし、なんだかんだ言って、男の言葉は何故か信頼に足りるとミリアは感じていた。

 途方も無く不器用で、どうしようもなく真剣なのがこの男だと、だが……

 (……なんだかなぁ、本当によく判らないや)

 理解できないのは変らなかった…………。





* * *





 ――――ひゅ――っぉん……ごきっ!

 風斬り音と鈍い音。
 とりあえず目に映る敵を片っ端から刀儀は薙ぎ倒した。

 「……ニ十…三人、……これで、打ち止め、か……」

 周りを見渡し敵がいない事を確認し、呼吸を整え……

 ―――ズキン

 「ぎっ?!」

 思わず膝をつく。

 ずきん、ずきん

 膝が熱い。
 どうやら本当に無茶をやらかしたらしい。

 平時なら苦笑の一つでもするのだろうが、今の刀儀のそんな余裕は無い。
 そもそも、余裕があるならこんなヘマはしない。

 ――――土壇場……ってな、『上』に行く程、とんでもミスをしちまう、気をつけろよ―――

 「ホンマやな……よるさん。言われた通りや」

 恩師の言葉が耳に痛い。
 ついでに膝もひどく痛い。

 「ああ、くそっ!……行かな、なあっ!」

 だんっ!

 あえて右足で地面を踏みつける。

 「ぐぅああぁあっ…………! つぅう……逝ける…やなくて行ける」

 涙目なのが情けないが、我慢はまだまだ出来る様子だ。

 刀儀は徐々に遠ざかって行こうとする気配を追いかけようと、扉の向こうへ進む。





* * *





 「……やはり逃げた、か…分が悪い事に命は賭けん、当然の判断、だ。……出てくるぞ」

 スカーはそう言って剣を抜いた。
 
 「え? なぜ判るんだ」

 ミリアはそう言って隠し通路を見る。
 まだ、誰も出てくる様子も無く、出ていった形跡も無い。

 「聞こえていた喧騒が消えた。あの男が勝ったのだろう。そして複数、気配が来ている。恐らく、無事だった盗賊と捕まえて売り捌こうとしていた女達だ。……戦場では、より広範囲の状況を把握しなければ対処できない事が多かった。その繰り返しでいつのまにか判るようになった」

 「…あー……うん、解かった」

 「そうか」

 何とも言えない奇妙な説得力が男の台詞には宿っているらしい。
 つっこみ所の多さとは別に納得してしまうのが不思議だ。

 「…………」
 
 「…………」

 ついでに、話している時と話していない時とのギャップは激しい。
 凄まじくマイペースを貫いている。

 (ま、間がもたない……(汗))

 ミリアの頬を冷や汗が流れる、が、元々は敵と言ってもおかしくないのだ。
 間をもたせる必要など、どこにも無いと言う事をミリアは忘れていた。

 「…………聞きたいんだけど? いいかい?」

 「なんだ」

 「あなたは、ボクの事知ってるんですよね……」

 「ああ、裏側には色々と情報が飛び交っている。嘘も真実もいっしょくたにな」

 「なら、どう思いますか?」

 「…………」

 ミリアの質問にスカーが沈黙する。
 この男の場合、沈黙はただ考え込んでいるだけなのだろうとミリアは思う。
 やがて、スカーは口を開いた。

 「劣等感か、『神剣』にお前が感じているものは? 同じ血を持ちながら存在する圧倒的な差。だとしたら恐らく筋違いだろう。あれは既に父親を凌駕している。別モノだ」

 「でも……ッ!」

 「お前は強い。一合しか剣を合わせてはいないが確実だ。それは俺が確かめた」
 
 「…………」

 「『刻印』を解放しているのも証拠だ。お前の歳でその実力は正直凄まじい。お前はある意味、正確に血を受け継いでいる。フィルドの王の―――『剣王』ログウェルの血筋を……」

 「…………ボク、は「来るぞ」って、え?」

 ミリアが二の句を継ぐ前に、スカーが次の会話に移行した。
 しばらくすると困惑していたミリアにも扉の向こうから足音と声が聞こえてきた。

 ―――――おいっ! とっとと歩け!
 ―――――くそっ! なんでこんな事に……ッ

 「ホントだ……」
 「お前は人質を頼む。念の為にそこら辺に潜んで待機していろ」

 どうやらスカーは完全にこちらの味方に回ったらしい。
 元々、悪人ではないのだろう。
 …………いや、悪人ですら、ないのだろう。



 ――――ガチャ………………ギィー



 「お? スカー! テメ、なんでこんな…………ぐげ!?」

 詰め寄った男の首が宙を舞った。

 「なっ!?」
 「て、裏切りやが……ッ」

 ――――切断

 静止状態から、見えないほどの速度まで、弾ける様に剣が加速する。

 一太刀一太刀が、とてつもなく鋭角で、鋭く、硬く―――

 ――――断、断、断断断断

 肉も骨も、革鎧すらもたやすく切断していく。

 尋常の太刀筋では無い。

 物陰から惨劇を見たミリアはそう思った。 
 いま、ミリアの目の前で人間1人が多数の肉の塊に切り分けられたのだ。

 そして、それでも剣は止まらず悲鳴すらも断ち切って唸る。
 だが…………

 ガツッ!

 長剣の間合の広さと、多少開けているとはいえ裏路地の狭さは噛み合わない。
 
 「む」

 ぐいぐい、と壁に埋まった剣を動かそうとするスカー。

 隙と見た敵が、ここぞとばかりに襲い掛かる。その数3人…………

 「ふんっ」

 …………が、中身をぶちまけながら吹っ飛んだ。

 もはや唖然とするしかない。

 (つ、強い……。こんな、こんな『刻印』の使い方もあるんだ……)

 同じく解放された『刻印』を持つミリアにはその太刀筋の理由がわかる。
 思いきり簡単に解説するとでこピンの要領だ。力を溜めて、解放する。

 (普通じゃないとは理解してたけど……剣術まで普通じゃないなんて)

 使い手の経験を糧にして力を解き放つ『刻印』
 それはつまり、その人間の経験からしか力を導き出せないと言う事だ。
 しかし、スカーの剣技はまるで、『刻印』を使う事を前提としたような剣技だ。

 (…………いや、違う)

 恐らく工夫したのだろう。
 剣技そのものは偶発的に得たのかもしれないが、その後に、解放された『刻印』の力すらも工夫することで今の剣技まで仕立て上げたのだろう。

 ミリアはそう理解した。



 「あと少しだな」

 スカーが呟く。

 ひたすら平坦な声が、敵の恐怖心を煽る様子が見て取れる。

 「む……」

 その瞬間、スカーが少しだけ顔を顰めた。
 同時に、聞きなれない言葉が通路の奥から響く。

 『紅蓮の炎、呑み込む顎、形を成して敵を討て!』
 
 ―――タン

 サイドステップ。
 スカーが身を躱した場所を火の玉が駆け抜けた。
 その際、数人の盗賊が巻き込まれた。

 「そういえば、魔術師がいたか…………」

 スカーの表情の変化は一瞬だった。
 炎が裏路地を焦がしても、その一瞬以降、表情の変化はない。

 「面倒だな、この通路に踏み込めば魔法を喰らう。……だが、時間の問題だな」

 そう言うとスカーは通路の脇に移動し射線に入らない所で休憩を始めた。
 生きていた盗賊達は我先にと逃げ出していく。
 女を連れていこうとした者もいたが、それは物陰から出てきたミリアによって切り伏せられた。

 「もういいぞ」

 スカーがミリアに告げる。
 ついでに無事だった女達にも、逃げる様に言った。
 安全な場所まで連れて行く。などと言う考えは元から彼には無い。
 代わりにミリアが比較的安全なルートを告げて、そこから逃げる様に指示した。



 「……もうすぐか……はたして」

 呟くとスカーは上空を見上げる。

 夕日が沈み、赤色と闇色の境が其処には在る。
 それを静かに見詰めながらスカーは壁にもたれかかった……。


 
 ……しばらく後、通路の奥から悲鳴が響き、そして消えた。


 
 それを確認し、スカーは静かに目を瞑った……。



[1480] 孤剣異聞  第十四話 決着
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/07/21 22:41
 よく赤瀬が言っとった話がある。

 護る事、戦う事、傍にいる事。
 すべてに“力”が必要だと。
 しかし、それを分かつのは結局“心”だと。

 力が在るだけでは戦えない。護れない。傍にいれない。
 そこに意志が在るから戦うし、護るし、傍にいれる。

 「ほな、お前はどんな意志を抱いてるんや」

 聞いたところであいつの答えはいつも同じ。

 「やるべき事は変わらない」

 真っ直ぐに、俺の知れないナニカを見据えて

 「いつもいつでもいつかでも、オレは」

 震えて怯えて、それでも揺らがず

 「あいつの世界を―――護りたい」

 言い切った。

 それは、俺の手に無い、ココロノチカラ―――――――








孤剣異聞  第十四話 決着







 
 「くそがぁっ! スカーのヤロウ裏切りやがってぇぇぇえ!」

 がすっ! と大柄の男が通路の壁を叩く。
 反対の手にはロープが握られていて、それにはラエリとアリーシャが繋がれている。
 特にラエリは体に鎖を巻かれ、精霊が寄り付かない様にされていた。

 「おい! 魔術師! 倒したのか!」
 「だ、だめです。出口に構えられていて……」
 「くそっ!」

 悪態をつく。
 目を血走らせて叫び散らす。
 完全に我を失っていた。
 そして、それに追い討ちをかける様に冷たい声音が響いた。

 「―――無様、そして愚かじゃな」

 それは何故かラエリから

 「な?!」

 あまりに雰囲気の違う声にその場の全員が凍りついた。
 次の瞬間、誰もがラエリを見る。
 そして―――見た。 

 「世界とは全てひとつのもの。原因と結果は等しく表裏。お前達の愚かさが今を事態を招いた」

 深い、深い、深い色の瞳。
 得体の知れない存在感を漂わせて、この世の者とは思えない金色と蒼銀が存在した。

 「ラエリ、さん?」

 得体の知れない、だが、一度だけ見た雰囲気に、アリーが躊躇いながら声をかける。

 「見よ。あれがお前達の招いた者だ」

 だが、それよりも早く、通路の闇が人の形を取った―――いや、単に人が現われただけだ。
 
 そう、刀儀楔が追いついた、それだけの事なのだが、刀儀からは異様なほど気配が感じられない。
 気配を操る刀儀の気殺は尋常ではないのだ。
 しかし、だと言うのにラエリはそれに気づいたと云うのだろうか?

 「ト、トギさん!」

 ―――シュッ

 「え?」

 風を切る音にアリーシャが首を傾げた。

 そして、ある予感と共に後ろを振り向くと…………。
 
 魔術師の喉に棒が生えていた。

 「な!?」
 「…………見た、顔や…あの時逃げ出した中に確かにいた……さっきも街をうろついとったし」

 ヒュー、ヒュー

 空気が抜ける音が魔術師の首元から聞こえる。
 
 「つまるところ、俺のせいか……、一殺多生の理なんぞほざいときながら、悪を背負う覚悟もない俺の……未練たらしく常識にしがみついた俺の」

 よく見ると右足は引き摺っている。
 ダメージは予想以上に深いのだろう。
 だが、止まる気配は感じられない……。

 「く、来るな!」

 大柄な男は、恐怖に駆られてラエリ達を盾にする。
 しかし、そんな事に意味は無い……。

 ――――ドス

 「あ?」

 急に腕がだらりと下がる。
 上げる事が出来ない。
 なぜなら、刀儀が打った棒手裏剣が腕の腱を断っている。

 「遅い……」

 それは当然の事だった。
 行動速度の桁が違う。
 刀儀はこの場の誰よりも『早く』動ける。
 
 「もう、躊躇は無いで……。今度こそ俺は「クサビ」え?」

 「剣を貸せ」

 「え、ちょ」

 突然、横合いから小太刀をラエリに奪われた。

 ひゅん

 「あ」

 あっけなく、ラエリは男の首を断ちきった。

 そして言った。

 「クサビよ―――、お前が剣を振るうべき相手はこれでは無い。往くがいい、お前を待ち望む意志の下へ」

 ……それは異常な事だった。

 仮にも剣客を名乗る刀儀から刀を奪ったのだ。
 それも、あまりにもたやすく当然のように。

 「ラエリさん……?」

 刀儀が困惑と疑問を口に出す間も、ラエリはアリーシャの縄を解きに行動している。
 そのためにまず、己に巻かれた鎖を解いていく。
 ちなみにラエリを縛っていた縄はボロボロに劣化し、既に崩れている。

 「ちょ、ちょい待ちや! なんなんや!? この気配、雰囲気、ついでに途方も無い存在感! ホンマに……、ラエリさん…なんか……?」

 「……ラエリ…だ。いつまで“さん”を付けて呼ぶ気だ……」

 ……睨まれた。

 「……一体全体、なんやねん、それ…。そもそも、俺が助けに来た意味あんのか……」

 「アリー、クサビの右足を診てやってくれ」

 「聞いてないし!?」

 「それよりいいのか―――――」



 「右足が倍ぐらいに膨れ上がっているぞ」


 「?…………!! のぉおおおおおおおおお!?



 びっくりだ。





* * *





 「ッ……!」

 「あ……ごめんなさい」

 一通り取り乱した後すぐ、アリーシャが刀儀の治療を始めた。
 ラエリは、と言うと……沈黙したまま座っている。
 雰囲気が違うので刀儀もアリーシャも話し掛けづらい様子でいる。
 なので会話はラエリを除いた二人がメインだ。

 「つつ……ッ、と、すまん、アリーさん」

 「いえ、元はと言えばわたしのせいですから……あ、すぐ直しますから」

 「いやいや、それ言うなら元凶は俺になる。……と、ちょい待ってな、骨やら筋やら整えるから」

 そう言うと、てきぱきと応急処置を施していく刀儀。
 活殺自在が武術の理念。
 整体やらの技術も多少は学んでいる。

 「よし……と。さあ、どんと来い」

 「…………」

 「あれ、どしたん?」

 「あ、いえ、見事な処置だと思って……」

 ……治癒魔法は万能ではない。

 そう、傷を直すにしても、その種類によって使い分ける必要がある。
 例えば、骨には骨、肉には肉、と言った風に。

 他にも、失血状態をどうにかする事は出来ないし、骨折を直したのは良いが、歪に繋がってしまったりと、治癒魔法と言うのはかなり難しい魔法なのだ。

 そして、その複雑な魔法と、医療に関する知識を学んだ者と言うのが僧侶職の人間達だ。

 「本当に、これなら複雑な部分が省略できるんで、怪我もすぐに治せます」
 
 そう言うと、アリーシャは刀儀の右足に手をかざし、治癒魔法を開始する。

 「…………そういや、なんであの魔術師助けたん?」

 暖かな光が染み込んでいく。
 それを見ながら、刀儀は先程のアリーシャの行為について尋ねた。

 「……なんで、でしょうね……。解かりません。でも、きっとラエリさんと同じ理由です」

 先程、棒手裏剣を喉に受けた魔術師は、アリーシャの治癒魔法によって一命を取りとめている。
 単純に考えれば、一連の事件の生き証人だから……と考えられるが、どうやら違うらしい。
 刀儀は首を傾げる。

 「? いや、まず……それが理解できへん」
 
 一瞬考えるが、結局解からない。
 ただ、アリーシャが先に答えてくれた。

 「ですね……でも、でも、あなたが軽々しく人を殺す。って言うのが……とても不自然な事に思えたんです。なぜか突然……………お節介でしたか?」


 「……………………」


 答えられず。刀儀は静かに押し黙る。
 誰も喋らなくなったので、ただ静かに沈黙が過ぎる。

 「……俺は、違う世界から来た人間や」

 沈黙を破ったのは刀儀。……爆弾発言で。

 「はい…………ええっ!?」

 アリーシャ慌てる。

 「ちなみに冗談でもなんでもないねん。…………せやからアリーさん……俺の話、黙って聞いてくれへんか?」
 
 「え、ええ? あの、その」

 刀儀の発言とそれを裏付ける真剣な態度に更に混乱するアリーシャ。
 あわあわと頭を振り、視線を泳がせる。

 「ら、ラエリさんは知ってるんですか?」

 「当然、なぁ、ラエリさ……」

 ―――ふら~

 「って、危なっ!!」

 ずざざざざっ……がしっ!

 「ふぅ、ナイスキャッチ俺」

 危なく、頭を打つところだった。
 
 「う……うう、? クサビ?」

 「クサビ? とちゃうわ……どないしてん、おかしすぎるで……」

 「な、に? どこが……だ」

 「全部、全部おかしいで……。さっきも気配殺した筈やのに気づいてたみたいやし、言葉遣いやら雰囲気やら……それに」


 ――――あの、太刀筋――――


 眼に焼き付いて離れない。
 ラエリが男の首を刎ねたあの一閃
 小太刀を奪った動作も異常だったが、あの太刀筋はそれを上回っていた。

 (あれは……理に沿った動きやった…。祖父さんや、他の多くの達人みたいに……)

 ギリッ

 「クサビ?」

 無意識に歯噛みしていた。
 ……そう、これは嫉妬だ。
 自分が至らない領域に、当たり前の様に踏み込んだラエリへの……。

 (あかんあかん、なに考えてるんや……)

 思考を切換え、質問しようとした内容を思い出す。
 
 「いや、さっきまでの、覚えてるか?」

 「ん? ああ、……そうだ、お前が殺そうとしたから、私が代わりに殺した……、そうだ……お前には殺戮は合わぬ。だから殺すな。せめて、お前の心が『決まる』までは……」

 「………………ッ!! な……んで」

 なんで知っている? そう続けようとして声が出なかった。
 心の揺るがない部分と揺らいでいる部分とで軋みが発生している。

 「解からぬ……しかし、色んな事が解かるんだ。お前の事、アリーの事、他にも……」

 ラエリの口調が安定しない。
 その揺れすらも刀儀の心の脆さは受け取り、震えている。

 「…………」

 「おかしい…か?」

 じっ、とこちらを見るラエリに刀儀はなんとか冷静さを取り戻す。

 「……いやいや、それって凄いで、俺でも、多分、よるさんでも出来へん事や」

 「よるさん?」

 「ん、こっちの話や、それより、体は大丈夫なんか? なんならアリーさんに……あ」

 「忘れてましたよね、わたしの事」

 …………。

 アリーシャがじと目でこっちを見ていた。





* * *





 「じゃあ、トギさんは友達を助けに来たんですか?」

 「いやぁー、どっちかと言うと手助けやな。単純に戦力として見ても赤瀬は強力やから……」

 落ち着いた後、刀儀はアリーシャに、自分の正体を明かした。
 と言っても、自分が違う世界から来た事とその理由ぐらいしか話す事は無いのだが。

 「……まぁ、後はホント、家のことやら流派の話やら俺個人の話しかないわ」

 「そう言えばクサビの世界はどんな所なんだ? 詳しく聞いた事はなかったな」

 「あ、わたしも聞きたいです」

 「あー、退屈な世界やで、呆れるほど平和な頭の国の、穏やかな町に生まれ育ったから……」

 そう言ったあと、刀儀はふと、視線を宙に向ける。

 「世界はいつもどこかで戦争が起きとって、信じるモノの違いで殺し合って、そんで……それから遠い場所にいるつもりの国、それが俺の国や……。理想ばかりで現実を見ぃへんで、甘さと優しさ履き違えて、殺すもんも殺せんで、気づいてるくせに目を逸らす。まるで今の俺や……」

 剣の世界に居ながら、常の世界で過ごす。
 刀を抜き放つ事を躊躇うさまは、まさにあの国のお国柄と言った所か。
 そこまでで、いったん黙る。

 「でも」

 俺はそれでも嫌いではなかった。
 なんでもかんでも受け入れて、綺麗事を言うあの場所が。

 だから……あの穏やかな日々の中で朽ちることを憎んではいなかった。

 その中で、刃の存在を忘れない事、そして心に刃を納める事、それを誇っていた。
 母が言っていた様に、道としての在る剣と言う考え方も受け入れていた……。

 例えば、夜一と言う青年が居る。
 彼はいわゆるお人好しで、だがそのお人好しの社会を護るために己の内に刃を納めていた。
 
 そんな風に在ることにも憧れた。

 なのに
 
 ――――――いつ血迷った。

 「……ああ、そやったな」

 ――――――この化物め。

 「クサビ? なんだ一人で納得したりして?」

 「ああ、なんか解かった…………ラエリさん、アリーさん」

 「ん?」
 「え?」

 「聞いてくれるか? 俺個人の話」

 答えは、是
 二人とも静かに頷く。
 そして、静かに刀儀は語った。

 「……俺は自分の祖父を斬り殺した」

 一殺多生の理も、剣の道も、すべては剣を握り続ける為。
 剣を通じて精神を鍛えるのではなく、剣を握る為にこそ強い精神が要る。
 道の為ではなく、剣の為に道が在る。―――その思想。

 そう、すべては剣の為。

 それは人が重ねた殺意歴史の証明。

 悲しく優しく狂いに狂う、剣に生きる業の深さ。
 



[1480] 孤剣異聞  第十五話 剣客と生き方の問題
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/07/27 01:16
 ―――板張りの道場。
 ―――撒き散らされた血と臓物
 ―――微笑んだ死体
 ―――傍に座り込む少年
 
 涙すら流さずに真っ直ぐ死体を見据え、少年は思いの丈を一言に込めた。

 ただ、一言――――――――








 「ありがとう、ございました」








孤剣異聞  第十五話 剣客と生き方の問題







 
 ――――祖父を殺した。

 その言葉にラエリ達は息を呑んだ。
 しかし、刀儀は続ける。

 「季節で言うなら、春の終わりか夏の初めか……そのぐらい。
 その日、俺と祖父さんは道場へ向かい、対峙しとった。
 理由もなんもない……、強いて言うなら間が良かった。とでも言うべきなんか……。

 ……そしてその日、俺と祖父さんは立合って、そんで祖父さんは死んだ」

 ――――俺が、殺した。

 「無様やろ……。初めての人を殺して、狼狽して、それをもう一年も引き摺ってる」

 独白は続く。
 自分を卑下するような物言いとは別で、その瞳は真っ直ぐここではない何処かを見つめている。

 「圧倒的な実力差やった。……もちろん俺が下や、勝率はざっと7:3で、3が俺や」

 「けど、俺が生き残った」

 …………

 …………





* * *





 『よるさん……。どうもありがとうございました』

 葬儀が終わった。
 刀儀家は母親も死に、父親が行方不明だったので、複雑な手続きは師でもある時雨坂夜一が行った。
 遺体の処理や機関への手回し……それに関しては…葬儀にも来ているある集団がやってくれた。
 
 『なぁー……、刀儀君。ちっとばかし聞くけど、仁斎さん、笑ってたかな……」

 『……多分。あの一瞬だけ、確かに俺は祖父さんに匹敵してましたから』

 『そっか、そうだよなー』

 刀儀は泣かなかった。
 そして、それを責める者も居なかった。

 密やかに行なわれたこの葬儀で、泣く者は一人もいなかった。
 恐らく誰もが納得し、受け入れた出来事だったのだろう。

 ……それとも、泣ける機会をずっと昔に失ったのか……
 
 ……だから、誰も泣いていないのに、ひたすらに哀しい風が吹いていた……。

 ただ静かに、吹いていた……

 それだけの、おはなし―――――。

 …………

 …………





* * *





 「きっと、あの場に集まった人達は皆、あの日が来る事を知ってたんやと思う。或いは同じ経験を積んできたんか……。そう言う人達――武術家の集まりやったから、いつか来る日の事は、覚悟してたんやろうと思う」

 そう言うと刀儀は目を閉じた。

 「俺は肉親を殺した人でなし。それでも剣を捨てなかった鬼。あの後……俺はそのまま剣の修行に出たよ………………どうや?」

 「…………」
 「…………」

 「まぁ、なんも言い様がないやろな。……けど、後ろめたい隠し事はしたなかったんや」

 そう言ったのを最後に緊張した空気が少しやわらぐ。
 ぽりぽりと頭を掻いてばつが悪そうにする刀儀。

 「トギさんは、悲しくなかったんですか?」

 しばらくの沈黙をもって切り出したのはアリーシャ。
 ラエリは静かに聞き役に徹しているらしい。

 「いや、どっちか言うと寂しい、やな。もう祖父さんと剣を交える事が出来へん事が」

 「……本当に剣が全てなんですね」

 アリーシャはラエリが言っていた刀儀の印象を思い出していた。

 『あいつは……あいつにとって剣は全てに等しいんだと思う。生きて死ぬ事に等しいんだと思う』

 (そんな生き方があるなんて思いもしなかった。
 地位も名誉も、その命も……全て剣に。そんな不器用な生き方が)

 アリーシャには理解しきれないだろう。
 価値観の違いだ。
 人である前に剣客である存在との―――。

 「そういう風に生きてきたんでな………………さて」

 刀儀は立ち上がる。
 右足には少し痛みがあるが支障は無い、あっても自業自得なので文句は言えない。

 「クサビ? どこに行く?」

 「言うたんラエリさんやで? ―――――俺を待ってる奴が居るんやろ」

 「! ちょっと待ってください! トギさんの右足はまだ……」

 「動く。だから大丈夫。―――感謝させてもらう、アリーさん」

 そう言って、にやり、と笑う。
 アリーシャの静止も何処吹く風で、沈んだ雰囲気など最初から無かったように。

 「あ……」

 アリーシャは刀儀の横顔を見た。
 どこか、心がしびれるような……、そんな笑みを浮かべていた。

 「んじゃ、お二人さん。縁が在ったらまたいつか」

 背を向け、ひらひらと手を振りながら遠ざかる。
 ラエリもアリーシャも止められない。
 ひょこひょこと、右足を引き摺って刀儀は戦場へ向かう。

 (痛みは、闘いが始まったら消える……。そういや、すまんなクードさん。ここまでで、俺もお役目御免になってもうた)

 始まりの森での約束を思い出す。

 破る事になってしまった……ラエリの兄に徹したある青年との約束。

 ……おそらく刀儀は感じたのだろう。
 外から流れてくる鋭い気配が、自分を上回っている事に。

 (二度目やな……自分以上の人達に学んできたけど、自分以上の人と死合うのは……)

 思い出す
 思い出す
 思い出す

 祖父の太刀筋を
 祖父を斬った、太刀筋を、
 本物の―――闘いを

 「きっしし、嬉しいやないか、斬られて死ねるなんて、あっちじゃなかなか出来へん」

 ひとつ技を刻むたびに、ひとつ殺意を重ねていった。
 今日までずっと、そうして来た。

 剣が廃れて、振るう場を無くして―――それでも今日まで続いてきた剣。古流。

 時代に淘汰されて、それでも最強と信じたこの一刀。

 元々、自分はあの世界では生きるべきではなかったのかもしれない。
 綺麗事としての剣を考えず。ひたすらに人を斬る術として学んできた。

 でも、寂しかった。

 例えば、赤瀬夕凪もそうだろう。
 同じ様に、独りきりの世界で生きている。
 人との繋がりを――絆みたいなものを心の何処かで欲している。

 ――――けど、まあ、もう良いだろう。十二分に楽しんだし、救われた。

 ラエリと出会って、アリーシャと出会って、

 ならば結構、ここで散るのもまた一興。

 ―――――いざや往かん。白刃の下の極楽へ。

 そう思った直後だった。

 「トギさん!!」

 背後から、呼びとめる声が響いたのは…………。





* * *




 
 勇者に憧れていた。

 別に、白馬に乗っているとか、光の剣を持っているとかじゃない。

 勇気ある者、勇気を与えられる者。

 そんな人達と共に英雄譚にあるような冒険が出来たら……。

 そんな風に思っていた。

 でも

 わたしの前に現われたのは、ただの剣士

 剣に全てを注いだ、それだけの、それだけしかない、ただの剣士だった。

 
 ――――――――

 
 「はぁ、はぁ……トギさん……」

 息が切れる。
 でも、このまま彼を行かせるわけにはいかない。

 「な、アリーさん?」

 少しの驚きとそれより多い困惑が伝わってくる。
 ……言うなら、今しかない。

 「……わたしは、謝らないといけません。わたしがあなたを恐れたから、ラエリさんを危険な目に合わせて、あなたにも怪我をさせてしまいました」

 今日の事態はわたしが招いた。
 彼の内側に在るものを恐れて、狂気を彼の本質と見誤った。

 「いや、それはちゃうで、あかんかったのは俺……」

 ……違う、と言っても聞きはしないですよね。
 だから少し強引に―――

 「いえ、聞いてください。……これはわたしの覚悟です。これは……わたしの願いです」

 わたしは、この覚悟と決意を彼に告げようと思う。

 「…………」

 「あなたを……見届けさせてください。信念と狂気を支えに前進をやめないその意志を、見届ける資格をわたしにください」

 ――――わたしは知った。勇気を示すでもなく、与えるでもなく

 「あなたを見詰める勇気を試させてください」

 ――――勇気を問う存在を





* * *





 アリーシャの言葉に刀儀は一瞬戸惑ったが、すぐさま言葉を返す。

 「なら―――俺が死んだら灰にして、この地の土に葬ってくれ」

 「はい」

 刀儀の返答に真顔で応じるアリーシャ。
 
 「…………ちっとは動揺せぇへん? 縁起悪いとかなんとか」

 「いえ、今更揺らいだりしません」

 アリーシャは微笑んで言った。
 もう刀儀に対する不信感は拭い去れたようだ。
 実に爽やかな微笑である。

 「……はぁ、さいですか。……ところで、つかぬ事を窺いますがラエリさんは?」

 ふと、刀儀は具合の悪そうだったラエリのことを思い出す。

 「ちゃんと居るぞ」

 声はアリーシャの後方から聞こえた。
 どうやらちゃんとラエリも追ってきていたらしい。
 しかし、なんだか……憮然とした表情だ。

 「あ、居た……ってふらついてるで」

 「ふん……、お前がいちゃいちゃするのに夢中で支えないからだ。むぅ、なにしてる、肩を貸せ」

 「…………あ、ラエリさん、わたしが支えます。トギさんは戦いに向かってください」

 ひょい、と横からアリーシャが割りこんだ。

 ……爽やかな笑顔で

 「アリー……」

 「はい、なんですか?」

 ……笑顔

 「…………」
 「…………」

 …………。

 空気が、痛い。

 異様な空気の硬直を感じ刀儀は――――

 (この圧力、予感……?! まさかこの通路……崩壊する!? さすがの組織、自爆装置か!!)

 ――――途方も無い勘違いをした。

 「二人とも、急げ! 通路が崩壊するぞ!」

 「「ええ!?」」

 「早よう!」

 そう言うと二人の手を取って走り出す刀儀。
 
 ここで勘違いしないで欲しいのは彼が馬鹿ではない事だ。

 実は刀儀は自爆する悪の組織の実例を知っている。
 まだ幼い頃、謎のヒーロー(時雨坂夜一)と一緒に近所の高校に巣食った悪の組織(科学部)を追い詰めたところ、見事に自爆したのである。
 怪我人は自爆した科学部だけでなく刀儀も含まれ、無傷だったのは夜一ひとりと言う嫌な思い出のベスト10に入る事件だった。

 「くっ……! 逃げ切れるか!?」

 …………いや、やっぱ馬鹿だ。





* * *





 ――――ドドドドドドドドドド

 「? なんだ? 誰か走ってくる」

 「来た」

 「え? って、まさかトウギさん!?」

 「うおーーーー! セーーーーフ」
 「わ、わわ、な、なにがセーフだ愚か者!」
 「トギさん、大丈夫ですか右足……ってあれ?」

 ―――――ずざざざざざざざーー

 「…………」
 「…………」

 「…………」
 「…………」
 「…………あ、ミリア」

 ずいぶんと間抜けな再会だった。





* * *





 「!? 貴様!」

 呆けていたラエリだが、目の前に自分を切った男が居るのを見て正気を取りもどす。

 「? あ……待っ「クサビ! 剣を貸してくれ。私が……」

 ミリアが説明しようとするが、ラエリの声にかき消される。

 「ん、いや、……たぶんこの人が俺の敵や………なんか、引き寄せられとる。そっちは違うか?」

 「む……そう、だろう。俺も、お前に引き寄せられている感じだ」

 ……刀儀とスカー、双方ともにお互い以外を目に入れていない。
 ある種の共感と予感が彼等の内側を満たしているのだろう。

 「ちょ、ちょっと。スカー待って、トウギさんも!」

 「……と言うか、もしかして前回の武術大会に出てたミリアさんでは?」

 止めようとしたミリアを見ていたアリーシャが呟く。

 「トギさんを知ってるみたいですし、なぜこんなところに……?」

 「そういや、そうやな。なぜにここに?」

 「えーとそれは――――」

 かくかくしかじか。

 ミリアは刀儀を尾行してきた事、スカーとなりゆきで共闘した事、スカーが刀儀を待っていた事などを、かいつまんで話した。
 ラエリは納得していなかったが、ミリアを知る刀儀とアリーシャは納得した様子だ。

 「ま、瑣末事やな」
 「そのようだ……」

 ついでに、殺し合おうとしている二人には、あまり重要な問題ではないらしい。
 
 当然の様に間合を取り、闘いを始めようとする。

 「お――――おいっクサビ!」

 ラエリが呼び止めるが、刀儀はなにか思い付いたと言った風に振り返る。

 そして

 「ああ、ラエリさん……。この小太刀、貰ってくれ」
 「はッ!?」

 ある意味、縁起の悪そうな発言をした。

 「ほい」

 驚くラエリをよそに刀儀は腰から小太刀をとると、ラエリに渡す。

 「ま、まて、そっちの長剣ひとつでなんとかなる相手では――――」

 「あ、やっぱ中身、刀なんに気づいてた?」

 「え、あ、そう言えば……って、そんな事じゃ」

 刀儀は腰に差した木刀―――否、白鞘の刀に目をやり、なぜ解かったのか不思議そうな顔をする。
 しかし、すぐに思い直し、小太刀の話に戻る。

 「―――この小太刀、俺が鍛えた代物や」

 有無を言わせぬよう、あえて強い口調で刀儀はラエリの反論を封じる。

 「名刀・業物とは言わん、が実用に耐える出来や……無銘やけど貰ってくれ」

 「ふざけるな!! そんな形見分けみたいなものは認めんぞ!」

 「まあ、けど万が一、あいつと闘えば折られる可能性がある。それに……その小太刀、俺よりラエリさんの方が認められてるらしいわ」

 「…………」

 あえて刀儀はラエリの言葉を無視する。
 視線を合わせず、ただただ笑って

 「これ、終わった後に生きてる事があったら、一緒に剣の稽古でもしようや―――」

 本当に、本当に楽しそうに笑って、刀儀はそう言った。

 それゆえに、ラエリは自分が刀儀を止められないのを悟った。
 


 「トウギさん!!」
 「……止めてはダメです。あの人は……この生き方でしか生きられない人です」

 叫んだのはミリア。

 なにも言えなくなったラエリの代わりに止めようとする。が、アリーシャに遮られる。
 アリーシャは既に、見届ける覚悟を決めている様だ。
 彼女は刀儀に告げる。

 「トギさん……御武運を」

 「おおきに、アリーさん」

 そして刀儀はアリーシャにも笑いかけた。
 それが、アリーシャには、さよならと言った様に聞こえた…………。





 「……そんな」

 一連のやり取りを見ていたミリアが呆然と呟く。

 彼女は剣士だが、それでも理解できない。
 この闘いにどんな意味があるのか……それが理解できない。

 「…………理解しろ、無理にでも。俺も……奴も、確かめなければ生きてはいけない」

 しかし、スカーはそう言った。

 「なにを確かめるって言うんだ!」
 
 「……お前が『神剣』を超えようと望むのと同じだ」

 ――――存在証明

 「ボクは……」

 「……見届けろ。或いは……お前の糧になる」

 それを言うとスカーは刀儀を振りかえり




 「やろう…か」




 静かに闘いの始まりを告げた。



[1480] 孤剣異聞  第十六話 剣客とその斬撃は反則だろ
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/07/27 21:31
 白鞘は別名、休め鞘と言われ、刀を保管する為の物であり、実用には向かない。
 しかし、これは、木刀としても使える様にした特注品だ、実用に耐えるだろう。

 あの名刀工が、なんでこんな風にしたか……それは多分、迷いだろう。
 この刀が抜かれる事が無い様に、しかし闘える様に……そんな、祈りだか迷いだか解からないような想いがこの刀を封じていた。

 しかしそれも今日で終わり、刀は刀の本分に戻り人を斬る。

 ―――否、それは本分にあらず。

 真に名刀とは、遣い手と共に在ってこそ
 美しいと言われる日本刀とも、その物が殺気を纏ったような人斬り包丁とも違う。
 例え曲がっても、折れるとも、遣い手にとって信頼できる刀、それこそが真の刀と言える。

 葬火斜陽、落日。

 刀匠は言った。
 これは俺の墓碑銘だと、この刀の本当の銘はお前が付けろ、と

 …………結局、銘を付ける事は出来なかったが、生き残ったら付ける事にしよう。

 腰に差し、鯉口を切り、居合腰に構える。

 「ほな、いこか……――――」








孤剣異聞  第十六話 剣客とその斬撃は反則だろ







 
 「それが……構え…か」

 暗い裏路地の一部で二人の剣士は対峙する。
 日は落ちて、残光が僅かに空の果てを照らしているが、この場所には届かないだろう。
 暗闇に近い、その場所を照らすのは、僅かな魔法の光のみ。

 「居合、抜刀術、俺のとこでは、そう名付けられた技法や」

 答えながら、刀儀は舌打ちした。

 居合は日本独特のもので、世界でも類を見ないものだ。
 それが、一目で構えであると見抜かれた。

 (不意をつけたら、と思ったんやけどな…………けど居合の術理は知らんやろ)

 刀儀は動かない。

 居合の基本は後の先、故に踏み入る間合は剣の結界。
 その領域に在る万物を断つ。

 それに対してスカーは体を捻る様に構える。

 力を溜めているのだろう
 刀儀の背筋を怖気が這いまわる。

 「はは……機会があったら色々話したい気もするな」

 そう言った刀儀にスカーはかなり不器用な笑顔で応える。
 笑い顔に慣れていないのだろう。
 それでも、お互いの事は伝わって来る。

 「――――『草灯流』、刀儀楔」

 初めて名乗る、己の流派。
 
 「スカーだ」

 対してスカーは自分の呼び名だけを簡潔に伝え――――力を解放した。





* * *




 
 オ――――――――ォオン!


 
 絶望の速度。
 引き絞られた矢の様に放たれたスカーが、刀儀に迫る。
 ただし、スカーはまだ気付いていない。

 一歩分、自分が間合を読み違えている事に…………。



 ―――――草灯流 無影独歩



 刀儀は居合の体勢を保ったまま、一歩だけ間合を詰める。
 その奇妙な足運びは動いたと悟らせない。
 結果、相対する敵は、予測を外され対応が遅れる。

 刀儀は左足から斜めに踏みこみ、刃を鞘走らせる。
 右手は斬を成し、左手は抜を成す。
 体の開きと運足はそれに力を乗せ、同時に敵の刃を潜り――――

 シュバ!

 刀儀の腹部が裂け、スカーの右上腕部に血が滲む。

 と、同時に刀儀は振り抜いた手首を返す。
 左に重心軸を重ね、右足を引き、腰を落として二ノ太刀を放つ。

 それをスカーが異常とも言える反射で前方に転がり回避。

 両者の間合が再び開く。

 互いの視線に動揺はなく、異様なほど静かな眼光が交わっていた…………。





* * *




 
 「…………見えたか? アリー」
 「い、いえ」

 刀儀とスカーの攻防、時間にして3秒ほどの刹那に行なわれていた。

 (くそ……さっきの感覚があれば理解できるだろうに)

 ラエリは先ほど、隠し通路で自分の奥から湧きあがった感覚を思い出す。
 記憶はそのままに、人格だけがシフトするような違和感。
 しかし、それでも今はあの力が欲しかった。
 刀儀の闘いを見届ける為に……。
 
 「……トウギさんは、あの妙な構えから左斜めに踏みこんで、スカーの攻撃の外側に位置取ったんだ。そして、それと同時に……いつ放ったかは、ボクにも見えなかったけど、攻撃を放った……。その後、止まらずに切り返しを放ったけど、スカーが跳び込み前転で躱して距離が開いた」

 「え? ……お前は…………」
 「ミリア。トウギさんとはさっき知り合ったばかり」

 解説したのはミリア。

 剣士として相当な実力を持ち、『刻印』の解放すら成し遂げている彼女には二人の剣士の闘いが理解できていた。

 「トウギさんの剣技は……ちょっと解からないものも多いけど……スカーの剣は単純明快な力と速度の剣技だ。でも、だからこそ、対処しづらい、『刻印』の解放がもたらす身体能力の補正は下手をすれば致命的になる……」

 「クサビは――強い」

 ミリアの冷静な観察にラエリが反論する。

 「しかし、スカーも強い。“それ”しかなかったのはきっとトウギさんだけじゃない。
 ……ボクにも、この闘いの先はもう解からないよ」

 ミリアが消えいる様に呟き―――

 「それでも、クサビが勝つ」

 ラエリは刀儀を信じた。
 
 「……見届けるしかないですよ…………。どんな結果になっても」

 そして、アリーシャは静かに戦場に視線を向けた。

 その先では…、今もスカーの放つ斬撃の轟音が響いていた………………。





* * *




 
 「く―――――」

 刀儀は思う。
 
 強い――――

 強い
 強い
 強い

 ―――――ギリギリギリギリギリ

 また来る。
 圧倒的で鋭く硬く、途方もない速度と力が―――

 ―――――ゴオッ!!

 出鱈目だ。
 こんな馬鹿げた斬撃があるものか!?
 
 先の居合にしてもそうだ。
 居合の本質は咄嗟の対応にある。
 それゆえに居合は鞘内の加速よりも、抜き放たれると同時に攻撃行動が終結する『早さ』が武器だ。

 スカーの行動は溜めて、放つ。
 その二動作。

 対して刀儀の居合は回避、斬撃、双方こなしながらその実、一動作。

 その差を、単なる速度で追いついてくる。

 ―――――!

 空気を引き裂く音が幾筋も木霊する。

 間合を保ち、滑るような体捌きで刀儀は躱す。
 刃の交わる金属音は時折刀儀が攻撃を流すぐらいしかない。
 まともに受ければ下手をすれば刀が折れる。

 「―――――は」

 だと言うのに

 「はは、はははは、ははははははははは―――――」

 笑いが込み上げる。

 積み上げた研鑚が、修練が、殺意が
 この強大な力を前に昇華されていく。

 「ふ……はは」

 見ればスカーも笑っている。

 恐怖が、歓喜が、互いの心を埋め尽くしていく。
 
 「絶ッ―――」

 今度は刀儀が攻勢に移る。

 圧倒的に早く、圧倒的に遅い。

 「っははは」

 笑う

 スカーが笑う。

 見ることが出来ない『早さ』に

 そして嘆く

 届く事のない遅さに

 ――――ぎりぎりぎり

 ――――ドンッ!!

 溜めて、放つ、反動を蓄積し、解き放つ。

 太刀行きが刀儀を上回り、怖気立つような速度が命を絶たんと大気を引き裂く。

 ……しかし、斬撃と同時に行なわれる僅かな移動が、ぎりぎりで刀儀の命を保ち続けている。
 それは刀儀流の運足運体技法。
 いまや草灯流を名付けられた刀儀楔の流派にそれは生きている。

 ――――オォン

 引き裂かれる空気の嘆き
 圧倒的な剣閃は留まるところを知らない……。

 そして刀儀は笑いながら悟る。
 
 勝てない、と
 このままでは勝てない、と――――

 「―――秘伝」

 それでも尚、刀儀楔は止まれない。

 「足踏み」

 瞬間、独特の拍子を込めて地面を踏む。
 時雨坂夜一から伝えられた秘伝―――足踏み。
 
 成功する自信はそれほど無かったが、今だけなら出来る気がした。

 ――――びし

 「!?」

 地面を伝わった衝撃が、スカーの足を僅かに打つ。
 地を走り下から突き上げる衝撃に驚きが見え隠れする。

 ……しかし、出来たことは出来たが、夜一に比べ威力は桁違いに低い。
 とても人間を打倒しうる威力はない。

 だが、それでも、それがスカーのリズムを崩した。
 その一瞬に刀儀は間合を詰める。

 ――――縮地

 恐らくは最大の勝機。
 そこに繰り出すは捨て身の刺突、渾身の一撃。

 遅れた斬撃は、喰っても根元、威力はほとんど殺せる。
 その判断で踏みこむ。

 「―――――――ぉぉおォッ」

 「ぬ……ぅっ!」

 無理やり体を引き、首を捻ったスカーが、ぎりぎりで刺突を躱す。
 だが、止まらない。
 古流独特の身体運用、姿勢制御、重心移動で刺突を横薙ぎに変化―――――――





 
 ドン










 ――――――――なぜか、刀儀は地面を見上げる場所にいた。



 



[1480] 孤剣異聞  第十七話 剣客と傷男
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/07/29 13:56
 (なにが起こった?…………まさか、あんな鍔元に当たって飛ばされた? この高さまで? アホな…………)

 空中で回転し、視界の隅に魔法で光るランプやら、ラエリ達やらを映しながら刀儀は壁に突っ込んだ。
 不完全ながら受身をとったため、戦闘は続行可能。

 (…………立てる。立たなあかん。―――立て)

 立ちあがり、スカーを見る。

 (なんで……追撃が、けぇへん?)

 距離が離れた為、薄暗さでスカーの様子がわからない。
 が、彼が近づいた事により理解した。

 「あの瞬間、まさか反撃に移るとは、な」

 棒手裏剣だ。

 それがスカーの脇腹に突き立っている。
 鎧を貫通した為、威力はほとんど死んでいるが、追撃を止める役目を果たしたなら十分だ。

 (あの威力―――飛ばされた勢い利用してたんか)

 自分を自分で誉めてやりたいです。
 どこかで聞いたような台詞に笑いそうになる。
 随分、自然な笑いが出た。

 「あー……、はは、きついわぁ、これ」

 どうやら自分は仰向けに倒れているらしい。

 よっこらせ、と体を起こす。

 「まだ、いけるで……」

 「みたい、だな」

 そう言うと、二人して笑った。

 そして、二人して……剣を構えた――――。








孤剣異聞  第十七話 剣客と傷男








 なにかを確かめたかった。

 しかし、なにを確かめたかったのか、今でもよく解からない。

 しかし、今まで生きてきて、多くの出会いがあった。

 最初に殺した盗賊
 傭兵時代の仲間
 冒険者の頃の知り合い
 ……多くの、人々。

 それは例えば―――

 暗黒の魔剣の担い手だったり

 激しく吹きつける風のように槍を使う男だったり

 失われた神の剣技の使い手だったり
 
 途方も無く長い剣を振るう奇妙で最強な男だったり

 今日、出会った少女だったりする。

 ……そして今、あの少年、あの…剣士、トウギ、クサビ

 よく見ると、使ってる武器やら顔立ちやらが、いつかに出会ったあの長い剣の男に似ている気がする。が、それはどうでもいいだろう。

 ただ、予感がした。

 もしかしたら、確かめようとしていたナニカが解かるんじゃないかと……。

 もしかしたら、そのナニカを確かめられるんじゃないかと――――。

 …………少年の目に再び力が戻った。

 なにやら雰囲気が変わってきた。

 す――――、と立っているのだが、よく見るとゆらゆらと揺れている。
 が、さらによく見ると、やはり、す―――と立っている。
 
 ―――掴み所がない。

 まるで、底が抜けたように、突然底知れなくなった。

 ふと、気付いて、脇腹辺りに刺さっていた棒状の投げナイフを抜く。
 多少刺さったが、貫かれたわけでは無いので大丈夫だ。

 「まだ、いけるで……」

 ……そうか、まだ闘えるか

 「みたい、だな」

 嬉しくて、笑いが込み上げてくる。
 むこうも楽しそうに笑っているのであいこだ。

 剣を構える。

 ―――続け…ようか

 剣が、―――疾る。





* * *





 (……ッ来る!)

 時間の流れが加速度的に遅くなる。

 …………どうやらリミッターが外れたらしい。
 感覚が先行し、情報が制限され、認識が集中する。

 色彩が色褪せ、音が遠くなる。

 それと比例する様に時間が遅くなる。
 
 ……この状態なら、あの剣閃を見切れる。

 「―――走り」

 下段から地を走る斬撃。
 
 極限まで低く、地面と平行に跳ぶ。
 傍から見れば地を這う様に滑った、とでも言うのだろうか?

 ―――足切り

 スカーの斬撃を紙一重で掻い潜り、放った一撃。
 しかし、とてつもない反射で躱される。
 剣ひとつを頼りに生きてきた蓄積が成せる動きだ。

 (……あかん……か、技術の高さでは上回れるけど、経験・能力で下回っとる……なら)

 背後から迫るのを、腰の鞘を勢い良く後ろに突き出して牽制。
 その体勢から体を捻る。
 さらに呼吸を持って体内を制御し、筋肉を引き絞り血流を操る。
 氣法による身体操作。

 (勝機は技法・技術、その差!)

 ――――ぎり、ぎり

 (……溜めて、放つ……蓄剄)

 ――――ぎり……ギチぎちキチちギチ

 (細く、絞り込む。力の流れ―――――!)

 ―――――――

 ――――――ッィィィ!!

 「な!?」

 スカーが驚愕する。
 
 放たれたのは自身と同一の一閃。
 鋭さに至っては刀儀の方が上。
 大気の悲鳴が甲高く響く!

 「―――――ぬッおお!!」

 溜めこんだ力を解き放ち、刀儀の刀を払う。
 あわよくば折れろとも思ったが、触れ合った瞬間、最小の接触で弾かれた。
 
 同時に、力の勢いに乗り刀儀が跳ぶ。

 「ぜっあああああ!!!」

 スカーの斜め後ろに跳んだ刀儀はそのまま返す刀を頚部目掛けて振りぬく。

 迅く美しい弧を描き、吸い込まれる様に疾る刃。
 
 それは僅かにスカーの首を掠めながら、僅かに届かない。
 勢いがあり過ぎたのだ。

 しかし、刀儀には悔しがる様子はない。
 着地までの滞空の時間、楽しくて堪らないと、抑えきれなかった笑みが溢れている。

 「―――ック、ハハ!! やはり、お前が、俺の答えか!!」

 首筋に血を滲ませたスカーが吼える。
 その声に、どこか投やりな、あの倦怠感はない。
 歓喜に満ち溢れている。

 ダンッ!

 スカーの踏み止まる足音

 ―――と

 刀儀の着地音

 ―――――――ぎりぎりぎりぎり
 ―――――――ギチギチギチギチ

 同時に体を捻り、力をその内に蓄える。

 ―――――――ギギギギギ

 スカーは『刻印』に刻んだ力で

 ―――――――ギチギチチ

 刀儀は『歴史』が刻んだ業で

 「ぬうううううッ!」
 「雄々ォォオおお!」

 圧縮されたチカラを/引き絞られた力を
 
 ―――――――ォン!
 ―――――――ッ!!



 解き放った。





* * *





 その瞬間、爆発が起きたような衝撃にラエリたちは目を瞑った。
 目を開けても、土煙と闇に阻まれて結果は見えない。

 ―――――しかし、寒気が消えない。
 
 スカーの殺気と刀儀の鬼氣の残り香が漂っている。

 ……しばらくして、土煙が鎮まると、街灯の光りがぼんやりと人影を照らす。

 スカーだ……。

 ただし、腹部から血が毀れている。

 「……クサ、ビ?」

 ラエリが呟く。
 刀儀の姿が見当たらないのだ。

 ―――がらっ

 「……あ」

 誰かが呟く。

 次の瞬間、どさっ! と言う音と共に刀儀が地面に落ちる。

 ……建物の壁にめり込んでいたらしい。
 壁が崩れて落下したのだ。

 ゆら――――――

 そして、瓦礫の中

 刀儀楔が、立ち上がった。





* * *





 …………。

 ……交錯の刹那、剣は刀儀の方が迅かった。
 力を溜めこみながら、体重移動だけで踏み込んだ。
 その分、スカーより『早く』動けた。
 そこからの太刀筋は迅速だった。
 
 …………それでも、圧倒的な力の奔流は、暴風という形で刀儀を蹂躙した。

 (あれは、反則や……)

 刀儀は思う。

 力任せに速度で大気を掻き乱す。そんな馬鹿な話があるか、と

 「―――あ」

 集中が解け、引き伸ばされていた時間間隔が通常に戻される。同時に色彩と音が帰ってくる。

 ………………だが、もう必要ない。

 無意識下における情報処理の方法そのものが変化していくのを感じる。

 認識を上回る感覚が世界を克明に映しだす。

 光りも闇も認識しない……、ただただ世界を俯瞰する視点。

 かつて、祖父を斬った時にも見えていた光景。

 刀儀はゆるゆると刀を振り上げる。
 さながら天空の月を穿つかのように。





 ――――それを見ながらスカーは思った。

 (斬られる……か)

 刀儀のその構えを、彼は他で一度見た事があった。

 長い、長い、長い、途方も無いような長剣を、冗談の様に出鱈目に振り回す男。

 その男と剣を交えた時、最初に男が取った構えがそれだった。

 それは、確かめたいモノでは無かったが、今後一生涯、眼に焼き付いて離れない奇跡だった。

 目の前のものはそれでは無かったが、だからこそ―――――――――

 「あれが……答えか?」

 確かめる価値がある。

 血が溢れる腹部から手を離し、スカーは剣を握った。
 
 その時……

 ――――ハ

 「なに?」

 笑った声が、聞こえた。



 
 なぜか、刀儀が笑った。
 まるで、失敗を誤魔化すような笑い方で。

 さらに刀儀はそのまま、振り上げていた刀を素早く鞘に納める。

 一刀必殺、居合の構え。

 「あれは、俺の剣やないな……父さんだけの剣や……」

 そう、あれは七紙無明にしか成せないわざ

 それに…………
 
 「…………それにな、俺の背負うごうの名は――――――“草灯くさひ流”」

 時雨坂夜一に習い、刀儀仁斎の屍の上に積み上げた、刀儀楔の受け継ぐ歴史。
 
 剣の―――――歴史。

 「これには在るは……。祖父さんの……刀儀のわざ、よるさんの、あの既に名もなくした古武術のわざ

 それは刀儀楔がこれから生きていく理由と成るものの名。

 「剣の歴史……、『ななし』が伝えた幾つもの秘伝・技法」

 『ごう』―――すなわち、生きる程に重なり、生きる理由にさえなる責任。

 「父さんの、斬術……その片鱗」

 望んで祈り、願って餓えた。

 「―――もう、俺には生きてられる道はこれしかないんや」

 たった一つの生きる道。

 「終奥ついおう無葬むそう

 構える。

 「……日本武術の最秘奥、究極形の一つの形」

 左手は軽く鞘を握り、体の中心線に
 右手は触れているのか判らないほど軽く、柄に添え

 「………………俺な、居合が一番得意やねん。……込められるもん全部込めれるとしたら、多分、これしかない」

 体は僅かに右の自然体。
 姿勢は多少……俯き加減の前傾気味。

 「せやから、これで――――」

 自然と微笑み。






 ―――――――命……、まるごと全部、ぶつけさせてくれ――――――――








 全てを―――無へ。
 






[1480] 孤剣異聞  第十八話 雪月花、一つの終わり
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/08/04 23:00
 埃が舞い、降って来る月の光を反射する。

 それは深々と降り積もる雪のような情景

 身じろぎすらなく対峙する二人の男の足元には、ぽたり、ぽたり、血溜まりの華

 ―――『雪月花』

 連想させるのは、そんな言葉。

 そのあまりに、静かで美しい光景を見ることが出来たのは

 この世でたった三人。

 精霊に護られたエルフ、癒しの力持つ僧侶、偉大な剣士の血を継ぐ少女。

 その全てが、この完成された世界の姿に魅入られている。

 ……しかし、彼女等が幸福なのかは判らない。

 眼前の光景は、全てから遠ざかり、終わりの姿を幻視させていた…………。









孤剣異聞  第十八話 雪月花、一つの終わり







 

 ―――――――ふと気付くと、自分の背後で少年が剣を振り抜いていた。

 「……………………」

 「……………………」

 血が吹き出す。

 お互いに、言葉は無かった。

 とても信じられないほど穏やかで……、寂しい光景だった。

 ―――――チャッ

 もう一度だけ、剣を構える。

 鎧ごと、体を斜めに切り裂かれた痕から、際限無く血が吹き出す。

 が、もう構わないだろう。

 少年も、どうやら応じてくれる様だ。

 感謝したいが余力が無い。

 …………なにせ、いま思い付いた技がある。

 なら、残りはこれに込めるべきだ。

 そうだろう?

 だから、最期はこれに付き合ってもらう事にしよう。





* * *





 力の入らない体は、もう捻ることも出来ないらしい。

 故にただ、その身の内だけで、力を溜め込んでいる。

 静かな姿は、先ほどまでの自分に、どこか通じるものが在る。

 …………終の秘奥、『無葬』

 時の潮流に埋もれ、時雨坂夜一の手により再び世界に戻り、完成された技法。

 『無意』『無拍子』の果ての果て

 刀儀は居合にそれを込めたが、理想は全ての行動とそれに伴うものを無へと葬り去る事。

 それを体現したのは夜一のみだが、ただ一刀のみなら刀儀にも体現できる。

 そして、今のスカーの立ち姿は、『無葬』の精神面とも言える『無意』に近いものが在る。

 「…………最期、まで、やらんと、な」

 構える。

 最後の力。

 もはや言葉も無く、微笑むだけの男の意志に応えるために。

 薄暗闇の先では、男がただ笑う。

 死域の果てにありて、苦痛も焦燥も無くただただ純粋に……。

 ならば応えん

 この身、満身創痍なれど、その所作に一切の淀みはなく

 ゆらり、軌跡を虚空に刻む。

 呆れるほどに美しく、そのくせ、軌跡以外の一切を残さない

 変幻自在にして無、無にして殺、総じて一切、全て無也

 我が道ここに定まらん、後はただ歩むのみ――――――





* * *





 スカーが動く。

 ひゅっ、と

 右から左へ、小さく小さく風を裂く音。

 すっ、と

 刀儀が刀を振るう。

 もはや威力など感じさせない、脆弱な剣閃、ふたつ。

 交錯する。

 刃が触れ合い……―――――――――

 ――――――――――刀儀の手から、刀が弾け飛んだ!

 (ッ!?)

 『刻印』を持って溜め込んだチカラ。

 その全てが、加速ではなく、刀儀の刀を弾く事に使われた。

 ここに来て……! この間際でスカーの剣技が進化する!

 (うぉ……ッ!)

 同時に、スカーの剣閃が、反対側からもう一つ出現する――!

 (! おぉ―――――!?)

 反動を使った斬り返し! 超高速の――――!!

 (―――――――――――――)

 刀儀の姿が微かにゆれて―――――

 ―――――――――その胸元を、皮一枚だけ切り裂いて、スカーの剣が疾り抜ける。

 この後に及んで、スカーが間合を外す事は有り得ない。

 刀儀は……躱したッ!

 認識すら超える反応!

 その速度は鈍速、だがそれこそは―――『無』!

 ―――――キリキリ

 振りぬいた反動!

 解放されたチカラが、スカーの剣を一瞬で上段に振り上げさせる―――

 ―――――チィィッ

 そこから疾る剣閃! 再び……ッ! 超高速の斬り返し!!

 真っ向から唐竹、ただ、ただ真っ直ぐに――――

 刀儀は応える。

 覚醒した意識と、認識する世界。

 いつの間にか振りかぶった両手は開かれ、されど刀が在るかのように振り下ろされる。

 そうして二つの姿が交錯し

 一つの姿が血に沈んだ。

 ―――――

 ―――――

 倒れたのは、スカーであった………………。





* * *





 「………………」

 『無刀捕り』その変化にして進化形。

 それが、技法の名。

 ………最後の一刀、その交錯の刹那

 スカーの剣に合わせて両手を振り下ろしながら柄を捕り、奪った剣で刀儀が勢いそのままに、交差法でスカーを斬った。

 どれほどの技量が必要なのか推測すらも許さない、無刀の神技。

 ………スカーは、自分の左肩から胸まで引き裂いた自分の剣を見る。

 そして……、逝った。

 最期にどんな事を思ったのか? 確かめると言っていた事は確かめられたのか?

 それは彼だけ知っていれば良いし、確かめたかったものも、言葉にすればひどく陳腐だったかもしれない。




 ………………でも、その死に顔は、わりと満足していたような気はした――――――。






* * *





 それは随分と、アッサリした幕切れだった……。
 その場にいた誰も……、刀儀ですらも、交錯した一瞬を捉えきる事は出来なかった。
 だから、剣客は呟いた…………。

 「終わって……もうたなぁ」

 刀儀の声。

 声に……、祭りが終わった後のような寂しさが滲んでいるのは気のせいではないだろう。

 穏やかでありながら、臓腑を抉るように……哀しい。

 「…………なあ、なんか言うてや、寂しいやん」

 スカーは応えない。
 応える事など有り得ない。
 彼はもう……、満足そうに眠っている。

 だから―――――――

 その静寂は、千年も凪いだまま在った湖面のようで

 叫びたくなるほどに、穏やかで優しくて

 雪のように舞う埃も

 今も荘厳な月の光も

 流れて描く紅い血花も

 その、息を呑むような美しささえも――――――――

 『雪月花』、それさえも――――
 
 …………軽く風に流してしまう。

 ただ、静かな……………………。






* * *





 立ち尽くす剣客の後姿。

 それは、闘いの余韻と言うには寂しすぎて………。

 「鎮魂の、祈りを捧げましょうか……?」
 
 近づいてきた人影、アリーシャがそんな風に言った。
 
 しかし、刀儀は静かに首を振る。

 「いんやー、……鎮める必要は無いやろ……。こんな風に逝けたなら」

 屍拾う者無し、とは言ったものだ。
 こんな風に逝かれたら、魂鎮めなど無粋に他ならない。
 風流など気取るつもりも無いが、死に様を穢すのは趣味ではない。

 「…………なあ、ミリア」

 ふと、思いついて、刀儀は後ろに来ていたミリアに声をかける。

 「………………あ、えっと、なんですか?」

 「ミリアはこいつと話したんやったよな?」

 「は、はい」

 「…………こいつ、スカーってのは、本名とちゃうやろ? ホンマの名前、聞いてないか?」

 そう言えば、自分はこの男についてなにも知らない。
 その事に刀儀は気付く。
 なぜだか、自分とスカーが随分と親しい間柄のように思えていた―――――

 「いえ……、ボクも聞いてません。でも、きっと必要ないんじゃないですか? 少なくとも、トウギさんとの間には」

 ミリアの答え……、それはおそらく正しかったのだろう。
 だからこそ、刀儀も名すら置き去りにした男の名を、殊更知ろうとは思わなかった。

 「そやったら……、ええな………………………………あら」

 その瞬間、ストン、と膝から力が抜けた。
 無論、体捌きとしての“抜き”ではなく、単純に疲労と出血多量のツケが来たのだ。
 刀儀は横倒しに倒れていく。

 「「あっ……!」」

 アリーシャとミリアが声を上げる。

 しかし、声を上げた理由は、刀儀が倒れたのと別の理由だ。

 「……って、あら、ラエリさん」

 ぽすっ、と
 ラエリが刀儀を抱きとめていた。





* * *





 「泣いていいぞ」

 まず、ラエリはそう言った。
 そのまま、膝枕の体勢に移行する。

 「……なんで?」

 一呼吸おいて、刀儀は聞いてみた。

 「泣きたいんだろう? ……寂しくて」

 そう言ったラエリは…………なんとも言えない表情で

 哀しいような、辛いような、刀儀には出来ない表情で

 見つめていた。

 「…………ラエリさん」

 喋ろうとするが、言葉を紡ぐのが億劫だ。

 血と一緒に生命が流れる。

 それがもたらす寂々とした空虚と

 また独りになってしまったという実感が

 心の中のどこかで、滲むように湧いて出ている。

 「ラエリだ」

 そうして、いつもの訂正が入る。
 今日ばかりは素直に従おうと、刀儀は思う。
 
 「―――ラエリ」
 「ん……」

 ラエリは、小さく小さく頷いた。

 それを確認してから、刀儀は気付いた事を口にした。

 「俺の心……見てるんか?」

 そう、囁き掛けるように問う。

 ―――それは歪んだ鏡。

 なぜなら、彼女の瞳に映っている自分は、自分の知らない顔をしていた気がしたから……。

 「……なぁ?」

 刀儀は思う。

 きっと、ラエリが映しているのは刀儀が気付けない刀儀の心の一部なのだろう。

 彼女の“心”に映りこんだ、彼女だけが知っている刀儀の真実、その断片。
 
 「ああ……だから泣け、泣けなくても」

 そして言う。
 ラエリは言う。
 寂しいのならそう言えばいいと、泣きたいなら泣けばいいと

 しかし

 「…………」

 「…………すまん」

 刀儀は泣かなかった。
 泣く筈が、無かった……。

 それは、いつか剣を握らない日が来た時にすればいいと

 その日までは、ずっと、ずっと……。だから――――――

 ………………。

 「いまは……、技を……、剣を極める以外の事は考えられへん……」
 
 後戻りできない覚悟、それも――『業』

 それを告げる。

 ラエリは無言で、刀儀の頭を頭を包み込むように、ぎゅっ、と抱き締めた。

 そうして一滴、見えないけれど確かに、静かな涙が降って来た。

 それは刀儀にとって、本当に、それこそ……本当に、泣きたくなるような気分だっただろう。





* * *





 「よっ……と」

 「あっ」

 刀儀は体を起こす。

 本日最後の仕事をするために。

 「アリーさん……魔法で血だけでも止めてくれんか、こいつ、運ばなあかん」

 「あ、はい、でも……なんで」

 そう言いつつも、治癒魔法は発動させている。

 「……もう、死者はいてない。ここには死体だけしか無いかもせぇへん。そんでも、一人の剣士としてのこいつの人生を否定されたくないんや……」

 刀儀は、そう答えてスカーを抱え上げる。

 「うっ……重」

 体格と鎧を着込んでいる事が災いし、重さに負けて刀儀がよろめく。

 ―――がしっ

 と、それをミリアが支えた。
 彼女も、スカーと言う男に関った一人だから

 「ボクも、手伝わせてください。…………だってこいつ、きっと悪い奴じゃなかった」

 不器用だった。
 それを知っている。

 それで許される事では無いかもしれないが、それでも

 「もっと……ちゃんと話してみたかった気がする」

 そして刀儀も

 「俺も…………そう思ってた」

 静かに同意した。

 そして









* * *









 いま居るのはラドクリフ老の屋敷。
 刀儀ににあてがわれた一室。

 あのあと、スカーの埋葬が終わり、ミリアとも別れた。
 どうやらあっちはあっちで色々大変な事情があるらしい。
 忙しなく駆けていった。

 ………………。

 ………想像しようとすれば、以外と想像できそうな安易な事情な気がするけど、やめといた方が無難だろうと思う。
 まあ、明日また会う約束をしたので、嫌でも関わる事になるし…………。

 結論。とりあえず、今は置いとこう。

 「まずはこっちや」

 兎に角、やるべき事が他にある以上そっちを優先。
 刀の外装を変える為、白鞘を割って刀身を取り出す。
 拵えは以前の刀のを流用する。
 元々、あれはこの刀を使うまでのつなぎ用なので、拵えもこれ用として使えるようにしてあった。

 「ん……?」

 なにかある?

 手紙だ、それも二枚。

 柄の部分に折りたたんで、仕込まれてる。

 「?」

 好奇心に駆られ、手紙を開いた。

 そこには―――

 『よぉ! 楔ぃ、元気か? こいつが見つかったって事ぁ、お前も憑かれちまった口だなぁ。
 ああ、それはそうと、お前の刀、俺の落日に銘はつけたか? つけてないならさっさとつけろよ?
 こいつはテメェの振るう刀だからな!! っと、最後にこいつについて、安心しろ、きちんとコーティング済み、イオンコートだ、すごいだろ! 伝統技法から現代科学、そんで俺のありったけ、全部つぎ込んでやったぜ! へっ…………きっちり最期まで、お前に付き合ってやれるようにな……。

                                真兼鉄心 』

 「………………」

 いなくなった人からの手紙……気分的に、結構堪える。

 思い出が溢れ返りそうになる。

 ……もう一枚の方も開く。

 なかには―――

 「………………一万円札?」

 なぜか一万円札。
 なぜに一万円札?

 「……あ、なんか書いてる」

 どれどれ…………。

 『 こづかい
           仁斎 』

 簡潔明瞭。

 「………………」

 どうやら、最後のこづかい……らしい

 ………………らしい

 使えねぇ

 「………………はっ」

 ちょっ、やばっ

 「ははっ…………くっ、はは……ははは」

 あかんて

 「ははははははははははははははははははははははははははははははは」

 あかん

 「――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 泣きそうになるやろ――――――

 ―――――――――――――――――――――――
 
 ―――――――――――――――――――――――

 ―――――――――――――――
 
 その日の真夜中、なぜか屋敷に大笑いする声が響いた。
 驚いてラエリたちが見に来たが、刀儀は笑うのを止められなかった。
 
 そして、笑いすぎて、疲労で倒れた。

 どうやら、この世界に来てから、気絶で一日を終える癖がついたようだ―――。
 

 


 ぱたん、きゅー

 

 



[1480] 孤剣異聞  第十九話 ところであの人は…………
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/09/18 17:52
 
  スカーとの闘いから一夜開けて

 「あー……、ミリアとの約束あるけど……、かなりキツイわー」

 軋む様に痛む体を無理やり起こす。
 ……正直、ベッドから起き上がりたくない。
 表面の傷も痛いが中身が弱っててしんどい。
 ついでに、編み出した新しい肉体操作のせいで筋肉痛。

 「うぅ、けど、行かな……」

 ぎしぎしぎしぎしぎし

 「………………へるぷみー(泣き)」









孤剣異聞  第十九話 ところであの人は………… 








 「で、やって来ました運動公園、頑張れ俺、ど根性」

 「台車に乗せて運んできたのは私たちだがな」
 「ドアを開けたところで力尽きている姿は圧巻でした」

 「パトラッシュ・・・ぼく、もう疲れたよ・・・」

 最近……と言うかアリーシャが来てから刀儀の立場は弱くなった。
 悲しいかな、集団の中では少数の意見は却下されがちだ。

 「しかし、あのミリアとか言う女剣士……いないぞ」

 「ああ……ぶっちゃけ動ける自信が無かったから早めに出たんや」

 「移動手段が出来た時点で修正しろ」

 などと話しながら10分弱…………。

 「あれ? ボク、もしかして遅れました……?」

 ミリアが来た。

 「あ、違いますよ。わたしたちが早かったんです」

 アリーシャが応える。
 刀儀とラエリは…………。

 「ちゃうちゃう、斬法の骨(こつ)は足腰や、腕は相手に刃を当てる為であって、斬る力は足腰から生まれるんや」

 「む……、こうか?」

 「う~……ん、まぁ、そんなもんか」

 稽古などをしていた。
 ちなみにラエリが使っているのは刀儀が渡した無銘の小太刀(刀儀楔、作)。
 
 ラエリの使うレイピアどころか、この世界で一般的に使われているソードの類とも違う武器。
 使い方一つとっても、文化的背景に依存するので扱いは実に難しい。

 「お、こんちわ、ミリア」

 「あ、こんにちわ、トウギさん」

 とりあえずは挨拶、まずは挨拶。
 人間関係を円滑にする為にもぜひ進めたい行動だ。

 「それは……トウギさんの剣術の稽古ですか?」
 「そうや、俺は動けんけどな」

 刀儀の動きはぎこちなかった……。

 「そんで、なんか言いたい事とかあるんやろ? なんや」

 「あ……、あの」

 「うむ」

 「ボクに……、剣を教えてください!」

 そう言って頭を下げるミリア。
 薄々刀儀も気付いていたので用意していた言葉を告げる。

 「ええけど……、俺の技法は刀が前提な上に、精密細緻、複雑怪奇(?)な身体動作を必要とするから一朝一夕では身につかへんよ?」

 「それでも、…………トウギさんの剣術はボクの知っているどの剣術よりも高次元に纏まっています。ボクが『神剣』を超える為には、普通のやり方じゃ無理なんです……」

 「それがなんなのかは知らんけど、件の武術大会に間に合わせるのは無理やで? 出るんやったら現在の剣技を俺の技法で磨き上げるのが近道や」

 「あ、ボクは今回はでません。実力不足は……身に沁みてますから」

 そう言って俯くミリア
 しかし、実のところ、刀儀は彼女の剣技を評価している。

 太刀筋そのものは基本に忠実ともいえる正統の太刀筋だが、いわゆる素人臭さが抜けている。
 経験積んだ証なのだろう。
 彼女の、解放された『刻印』もそれを物語っている。
 ……おそらく、変則的な攻撃に対する対処も致命的にならないぐらいのレベルで出来るのだろう。
 なにより、その剣からは確かな血の匂いがしている。

 「……んじゃ、一応、俺の使う流派、『草灯流』の説明から行こうか」





* * *





 『変幻自在』『一刀必殺』――――そして『無』

 「これが『草灯流』の基本構造。ラエリさん達は幾つか知ってるやろ? 俺の秘剣シリーズ」

 とりあえず刀儀はラエリに聞く。
 一応、このメンバーでは一番、刀儀の闘いを見ているからだ

 「ああ、『ヨミザクラ』とか『ホネバミ』とか言うのか」
 「そう。基本的にこれらは虚をついた必殺を前提にしとる」

 刀儀の使う秘剣。
 一瞬で足元に沈みこんで発動する『黄泉桜』、剣が絡み合った瞬間に発動する『骨喰』
 どれも相手の予想を外して、その一瞬を捉える秘剣である。

 「状況に合わせてあらゆる変化をし、その一瞬で敵を斃す。そんで、その極限が『無』。昨日使った終の秘奥『無葬』がそれや」

 「『ムソウ』って、あの見えない斬撃? ボクもあれは見えなかった……」

 「いや、見えない訳やない。単に目で追えなかっただけや」

 「全身ごと移動したのをですか?」

 「そういう技法なんや。納得しといて、で――――」

 本題に入る。

 「君の剣、想定しとる仮想敵はナニ?」

 「え?」

 「この世――いや、ここでは妖魔……とかそんなんとも戦ってるんやろ? 俺の技術は基本的には人間を相手にした場合のみの技術体系や、妖魔やら魔法やらに対してはおそらく極端に脆い場合があると思う……」

 表では―――とは付け加えなかった。
 
 「最強の戦士になる! とか言うんやったら今の俺の剣よりプロの傭兵とか聞いたほうが良いと思う。あっちの方がより実戦の戦い方を心得てるやろ。俺の場合は副産物としてそれを得ているだけや」

 砂を投げつける。そこらにある物を蹴飛ばして足をすくう。
 刀儀も出来るが、それは状況に対する反応で、判断ではない。
 状況に合わせてその判断をするには、刀儀は強すぎた。
 剣という究極を持つが故に、小細工を弄する『弱さ』と言う武器を得られなかったのだ。

 「実際の場ではより単純な力の方が、不確定要素が無くて使い勝手が良い。……まぁ、それ言うと俺たち武術家の立つ瀬が無いけどな……」

 剣技だけでどうにかなるなら佐々木小次郎は宮本武蔵に敗れなかった。

 そう言う事だ。

 つまり刀儀が言いたいのは……。

 「俺の剣を学ぶより、俺の剣から学ぶ、の方が良えよ。工夫は人間の持つ武器の中でも最強の部類にはいる代物や……、言ったな『神剣』とやらを超えたいと、なら考えろ、そのナニを超えたいのかを、その為になにをすれば良いのかを、そして工夫しろ。良いか、必要なのは『無限の思考』と『極みの判断』その両立が武術・武道における…………俺の知る、心法の極致に達する手段や」

 ミリアは既に基本が出来ている。
 それを無理に変えるよりは、そこから工夫した方が良い。
 特に、刀儀の剣術は古武術。基本的な日常動作そのものすらも変える必要がある。
 それではミリアの『刻印』に刻まれた経験を否定してしまう事になりかねない。

 (……と、考えると『刻印』ってのも考えものやなぁ)

 「……でも、ボクは」

 ミリアが答え窮する。
 それもそうだろう。
 工夫なら彼女自身もかなりやった筈だ。
 それが届かなかったから刀儀に頼んでいるのだから……。

 「……しゃーない、稽古に付き合うぐらいならOKや。……ラエリさんが」

 「!? なに、なぜ私が!」

 「俺、動かれへんしー」

 「アリー!」

 「あの、トギさんが必要以上に魔法に頼るのはイヤだ、と……」

 「く、クサビっ! 怠けたいだけじゃないだろうな!」

 「あっはは、スカーにボロ負けしたラエリさんに汚名返上の機会をあげてるだけですやん」

 「くーーーーーーっ!」

 耳をぱたぱたさせながら怒るラエリ。
 感情が耳に出るというのは判り易くて良いと刀儀は思った。

 そして――――

 「さぁてと、あれ?……そういや、赤瀬の奴はなにしてるんやろ? あいつ、不幸属性もってるしな」

 刀儀は友人の安否を、ふと心配してみた…………。
 武術大会に出る目的の一つは赤瀬夕凪に、自分の健在を知らせる為でもあるのだから。





* * *





 場所は変わって、王都より離れたある草原。
 そこに人影が二つある…………。

 ――――――――

 青い空、白い雲―――そして、目の前に……着ぐるみ……。

 「悪い、刀儀、俺、駄目かもしんない」

 「まぁ、そう言わずに、あちきが摘んだ雑草でもどうです? まずいですよ~♪」

 赤瀬夕凪は、目の前で喋る着ぐるみを見る。
 ……一応、猫をモチーフにしているらしいが、その姿は野球の球団のマスコットを髣髴させる。
 そして、そこから流れて来る声は随分と愛らしいが、内容が悪意でいっぱいだ。

 「木氣を生ず。風氣、渦巻きては刃と成るべし」

  しゅぴー

 とりあえず、むかっ腹が立ったらしく、赤瀬は鎌鼬を放つ。

 「ていっ♪」

 ―――――――ぱしゅううぅぅ

 「にゃっふふ~♪ あちきはいつも抗魔法障壁を張っているので、そ~んな、やる気も殺る気も犯る気もない魔法は通じないのです♪」

 どうやら事前に準備をしていたらしい。
 赤瀬の術式を通じて生み出された概念現象たる鎌鼬は障壁によって霧散した。
 ちなみに不穏なセリフが入っていたがそれは無視する方向だ。

 (ああ、なんで俺はこんないついてないんだ…………)

 胃がキリキリ痛む。
 ストレス性胃炎なのかもしれない。

 (うう、なんでこんな奴と縁ができたんだろう……)





* * *




 
 にゃっふー、それは、あちきがフィールド・ワークの一環として受けた魔物退治の依頼での出来事でした。

 内容は、とある村の周辺に正体不明の魔物が出没するのでその調査と退治。
 
 実際、あちきは師匠に言われて調査だけだったのですが、同時期に村から退治依頼を受けた冒険者の人達と一緒になったので、協力する事になったのです。

 でも…………

 …………

 ……

 …
 
 「ぐわあぁっ!!」

 前衛の戦士が倒れる。

 このパーティーの前衛は彼が一手に引き受けているので、彼の不在は致命的だ。
 加えて、今回の敵は、異様なほどに死に難く、自身の崩壊を気にせず振るわれる力は圧倒的だ。

 「――――!、――――!?」

 仲間が駆け寄り、戦士を後方に下げようとする。

 しかし、このままでは敵の攻撃で彼ら全員が壊滅する事になる。

 「『炎よ、その紅き牙で敵を砕け』」

 だが、敵の追撃を、飛翔する火の玉が打ち砕く。

 「はひ~、炎で燃やすのは多少有効みたいですよ~」

 そこには怪しい着ぐるみ……中身は魔術師がいた。

 「にゅっふ~♪ なんとかあちきが村から遠ざけるので、後をヨロシク! あと、魔物に関する報告は、『大魔導』シン・ラドクリフにお願いしますよ~。…………お願いしますよ~…」

 着ぐるみの声は、ひどく軽い口調で発せられたが、最後だけは不安が伝わってきた。
 しかし、冒険者たちには、もはや戦える力は残されておらず、撤退以外に道は無い。
 
 無論、戦って死ぬという選択肢を除けば……だ。

 「『火よ、火よ、火の粉よ、降り注いで炎となれ』」

 着ぐるみの魔法が炸裂し、魔物は頭の隅に僅かに残った怒りの方向を変える。
 それを見届け、着ぐるみは、てけてけと森の方に逃げていった。
 そして、魔物は着ぐるみを追いかけ、冒険者たちだけが残された…………。





* * *





 (いや~、死んじゃいますか~、…………って死にたくないですよぅ)

 実際は半泣きだった。
 死にたくないのは人として当然だし、それは

 (ハーフでダークなエルフだって死ぬのは御免ですよぅ…………)

 ダークハーフエルフ、ダークエルフの父親と人間の母親を彼女は持っている。
 生まれから判るだろうが、上等な人生はおくれず、彼女は独りでさ迷っていた。
 その時、偶然、彼女はその魔法の才能を見出され、生きる術を得た。

 生きる術を授けた者の名は、『大魔導』シン・ラドクリフ

 この、草原の国と言われるフィルド最高の魔術師にして、冒険者ギルドの議長。
 かつて、この国の王でもある『剣王』ログウェルと、エルフの『深緑』リーゼと共に、アトラの地へ踏み込んだ伝説的冒険者である。

 ――――――ごっ!

 「―――あ」

 瞬間、衝撃が彼女を襲う。

 彼女の着ている着ぐるみは、肌の色を隠す為だけではなく、れっきとした鎧の役目を果たしている。
 そのおかげで、頭が爆砕する。と言う最悪の事態だけは避けられた。
 しかし…………

 (駄目……です、か)

 もう立ちあがる気力は無い。
 踏み潰されるのを待つだけだ。

 (あはは~、あちきみたいなのには助けてくれる英雄なんて来ないですよね~)

 人生は諦めが肝心だ。
 それが彼女の処世術。

 色々な事を諦めて、それでも大事な事はやった筈だと彼女は思う。
 あの知り合った冒険者達は生き残れるし、報告だって代わりにしてくれる。
 そうすれば、もっと強い人達に依頼が行って、村だって救われる。
 自分は誇れる事をやったのだと、―――そう思う事で恐怖を耐える。

 ―――――ざくっ!

 「おいっ! 逃げろ!!」

 大声と共に、先程倒れていた戦士が石を拾って投げつけた。
 ちなみに剣は今し方投げたので、その手には無い。

 そう、助けが来たのだ。
 しかし、それは、先程逃がした筈の冒険者達。
 倒れていた筈の戦士が、仲間に肩を支えられて立っている。

 「早く逃げろ! 報告とやらはお前がしろ!」
 
 戦士の仲間も口々に叫ぶ。
 
 ……彼等は、戦って死ぬ選択肢を選んだ。
 戦って、護って、そして死ぬ事を―――選んだのだ。

 「……ちょ、ダメ、です」

 魔物の目は彼女をそれ、冒険者達に向かう。
 彼女は必死で自分に注意を向けようと呪文を唱える。

 どちらにしても、どちらかの死は避けられない。
 状況は絶望的。

 彼女は思う。
 彼らのような人達が死んではダメだと。

 彼等は思う。
 彼女のような人が死ぬことは許さないと。

 しかし、どちらの願いをも踏み躙らんと、魔物は最も近かった着ぐるみの魔術師に矛先を向ける。

 そして――――――――

 「だああああああああっ!!!」

 横合いの空間から少年が一人飛び出した。





* * *





 ごすん

 ぎゃー

 どさっ

 間抜けな描写で出現した少年―――赤瀬夕凪。

 彼が激突と落下で頭を抱える中、魔物はその豪腕を少年に振り降ろ―――

 「!――――ッ汝、動くこと“禁”ず」

 赤瀬が言葉を告げた瞬間、腕が一瞬だけ停止した。
 危険に対する彼の反応は超人的を超えて超常的ですらある。

 ……しかし、それはやはり一瞬、そのまま赤瀬の頭目掛けて振り下ろされる。
 だが、腕が叩きつけたのは地面。
 赤瀬は僅かに横移動し、死を免れる。

 ――――火の韻律

 拍手一つ、力の循環を体内で行い、赤瀬の掌が赤い光を纏う。

 否、実際には光は無い。
 意識的な領域でそれは赤と認識させている。

 「赤式―――――」

 それは、炎の『燃え広がる』という性質を概念事象として宿した一撃!
 
 「徹火!」

 懐に入り込み、掌に乗せた『火氣』をぶちまける。
 その威力は一気に体内で広がり、炎の如く蹂躙し侵略する。

 「―――――――ッ!!!!」

 声にならない叫び!
 全身に広がっていく痛みに魔物は膝をつく。

 ……『赤式・徹火』、透徹力を持った打撃の威力に、燃え広がる『火』の性質を持たせ、体内に浸透させる赤瀬夕凪の編み出した術式体術。
 それが魔物に炸裂したのだ。

 「くそっ! なんだ!? あの異形と同質か!?」

 赤瀬は素早く、魔物から距離を取る。

 経験から来る判断。

 世界の理の外側から食い込んだ存在との戦いは、来る時に出てきた異形も含めれば3回。
 有効な手は幾つか用意してある。

 着地する…………しかし
 
 「あの~」
 「ぎょっ!?」

 そこには着ぐるみ。
 果てしなく緊張感を削ぐ造形だ。

 「そ、その反応は酷いですよ~」
 「あ、すいません」

 混乱していたので謝ってしまった。

 「謝るぐらいならあれを倒してください」
 「え、あ、はい……って、はいぃっ!?」

 恐らくこれが、赤瀬夕凪が彼女に目をつけられた瞬間だったのだろうと思われる。

 「じゃあ、頑張ってください~♪」

 ………………
 
 …………

 ……

 …






* * *





 「本当に、あの時は助かりましたよ~♪ おかげさまで、あちき生きてます♪」

 「なら、なら俺の食料を返してくれ」

 刀儀と違い、この世界に来る覚悟を決めていた為、赤瀬は食料を持ちこんだ……。
 が、結構食べられてしまった…………着ぐるみに。

 「授業料ですよー。この世界のこと色々教えてあげたでしょう♪」

 魔物との戦い、赤瀬は、足踏みと歩法で構築した結界内に木氣を集め、そこに着ぐるみの火の魔法を打ち込ませた。
 五行相生の効果を得た炎は、結界の内側で木氣を喰らい、劫火となって魔物を焼き尽くした。
 結果、奇跡とでも言うべきか死人が出る事は無かった。
 これが、その魔物事件の顛末。

 その後、色々と(着ぐるみに)事情を聞かれ今に至る。

 そして

 「それに、王都までの道案内の代金ですよぅ♪ ゆうさん、知らない世界で一人で大丈夫なんですか~? あ、あの『かっぷらーめん』とか言うのもう無いですか? 食べたいんですけど」

 「無い!(実はあります。でもこれ以上は無理)」

 「……本当に?」

 「本当に(嘘です)」

 「…………」

 「…………」

 いま、彼等は王都を目指している。

 赤瀬は情報を集めるために。
 着ぐるみは、師に事の顛末を報告する為に

 「(始音……、無事でいてくれ……。ああ、そういや刀儀も捜さないと……)」

 「あ~、あるじゃ無いですか~」

 「って、人の荷物を探るなぁああああ!」

 赤瀬夕凪。

 刀儀楔の友人で、陰氣を祓い、霊障が起こる前の予防措置を行う『祓い師』、その専門。

 事が始まる前に終わらせるので、ひとつ上位の『除霊師』からは疎まれ、陰氣を祓う事しか出来ない脆弱さから、最上位の『退魔師』からは見下される。

 認知度も報酬も少ない、損な職業。

 力も技術も『退魔師』並にありながら、それを専門にした変わり者。

 彼もまた、王都に向かって歩いていた………………。

 …………刀儀と、この世界まで来た理由である、大切な幼馴染の少女を捜すために……。





* * *





 一方、その頃。

 「ふー、はー、あ、トウギさん。どうです?」

 「…………あ、ああ、すまん見てなかった」

 「えーーっ! か、かなり頑張ってたんですけど」

 「うん、みたいやな、けど、もう一刹那、早く動く必要がある。後でコツを教えるわ」

 「って、やっぱり見てたんですか……」

 「いや、音

 そんなやり取りをしながら、刀儀は空に思いを馳せる。

 (そういや、赤瀬の奴に味噌を渡しとったな……。合流したら、久々に日本の味が楽しめる……)
 
 刀儀は……日本の味に餓えていた………………。
 
 



[1480] 孤剣異聞  第二十話 『烈風』と『神剣』
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/09/03 09:10
 静かな木漏れ日の中、刀儀は立ち尽くす。
 手に持っているのは小柄こづか
 真っ直ぐに構え、体中の力を抜いて流れに委ねる。
 
 …………スカーとの戦い。
 それを経た結果、感覚は異様なほど研ぎ澄まされている。

 不意に、一枚の木の葉が舞う。

 小さく、葉の幅だけ小柄を横に動かす。

 刃はまるでそこに何も無いかのように葉を通りぬけ――

 ―――――葉を二つに割った。

 「う~ん、まずまず」

 呟くと刀儀は大刀を手に取り、型の稽古を始める。
 
 大きく、ゆっくりとした、速い動き。
 矛盾している様に聞こえるが、矛盾していない。
 動きの質そのものが『速い』のだ。
 だからこそ、遅くも速くも出来る。無理なく、それこそ自由自在に。
 
 「これならふぁんたじーな大会でも……………………げ!?」

 そこで刀儀は思いついた。
 武術大会のエントリーをするのを忘れていた事に……。
 さらに、この世界の文字を自分が書けない事に……。

 「ラ…………、アリーさーーーん!!」

 そう言って刀儀は走っていった。
 ……ラエリではなく、アリーシャの名を呼んだのは……まぁ、世間的な信頼性の差だろう。








孤剣異聞  第二十話 『烈風』と『神剣』








 「せいっ! はっ!」

 気合の入った掛け声と風を切る音が運動公園にこだまする。
 剣を振っているのはミリアだ。
 
 あの日から刀儀は、連日彼女の訓練に付き合っている。
 もちろん、ラエリたちも一緒だ。
 特にアリーシャとは和解が出来たせいか、積極的に刀儀に武術の手ほどきを頼んでくる。

 「膂力に頼ったらあかん。人間一人の力なんぞたかが知れてる。理に適った動きで振るんや」

 刀儀がミリアの剣の動き出しに手を添える。
 すると、非常に軽く剣が振るえるのだ。
 その感触にミリアは感動を覚える。

 (速い、ボクの剣はこんなにも速く振るえるのか……)

 「柔らかく、力の流れを阻害せんように、力は必要な分だけ使う」

 言いながら、刀儀がまた少しテコを入れる。
 軽く膝を抜かせて、重心移動での動きを再現したのだ。
 すると……

 ―――ィィンッ!

 速く――いや、迅く、そして鋭く、大気を裂く音が響く。

 「…………わぁ」

 「まぁ、これもひとつのやり方や、別体系の技術から学ぶんも悪くないで…………」

 感嘆するミリアに説明をし、そして、刀儀は少し考えこんだ。

 「なぁ――」

 そして問う。

 「『武』って……なんやと思う?」





* * *





 所変わって、武術大会受付。
 刀儀に頼まれたアリーシャとついて行ったラエリがそこに居た。

 「すごいな……こんな人が密集した状況は初めてだ」
 
 周囲をキョロキョロ見まわすラエリ、その、人間では有り得ない美貌に振り向く男性多数。
 それどころか女性すらも振り向いている。

 しかし、それ以上の異質な雰囲気を醸し出す存在が同空間に存在した。

 「ら、ラエリさん……あれ」
 「ん?」

 受付に

 「にゃっふー♪ ゆうさんの分出場申し込みしときましたよー」
 「ああああ、また俺の知らないところで要らない事をーー!」

 猫のマスコット(?)が居る。

 ざっと見て3頭身の立ち姿
 神経を逆撫でしてもおかしくない肩を竦めるその動作
 そのくせ、素材はふんわりとして気持ち良さそうな………………って

 「あ、あれも出場するのか!?」
 「わ、わたしが知りたいですよ!?」

 圧倒的な存在感を示す着ぐるみと長髪を後ろに括った少年。
 言っちゃあ悪いが、少年のツッコミで頭部分がくるくる回転している着ぐるみは形容しがたいどころか名伏し難い。

 「にゃーふふー♪ あちきの防御はその程度では揺らぎませんぜ旦那ー!」
 「くぅぅ、徹火を撃ち込んでやりてぇ」
 「むふー♪ あちきはこれでも女の子ですぜぃ♪」
 「――――――!!(もう言葉にならない)」

 そしてラエリたちの感想は

 「なんだか、あの男の人、可哀想ですね」
 「ああ、でも、関っちゃダメだと思う」
 「賛成です」

 二人はそう言ってその場を去って行った。

 にゃふー♪





* * *





 「う~ん、奇妙なものを見たな~」

 「あれって、ナマモノ(いきもの)……ですよね?」

 先程の二人(?)組の事を思い出しながら歩く。
 世界にはまだまだ謎が多い。
 そんな気にさせてくれる出会いだった……。

 「いや、違う

 「? どうしたんですか」

 「ああ……いや、人に酔ったのかもしれない。……一休みしよう」

 一瞬、現実から目を逸らしてしまった気がして、ラエリは目元を押さえる。
 そこへ、ひとり、青年が歩いてくる。

 「あれ? もしかしてラエリさんじゃないか?」

 「え? ………………ゲ、ゲイル殿!!」

 振り向くと、そこには『烈風』ゲイル・ランティスの姿があった……。





* * *




 
 「結局、『武』は何の為に在ると思う?」

 それが刀儀の問いだった。

 ミリアはひとしきり考え、首を傾げる。
 そして、自信なさ気に答えようとする。

 ……もっとも、刀儀の言葉の全てが理解できる筈は無い。

 この世界とは違い、刀儀の世界は言語概念があまりに多種多様に広がり、幾つもの形態を持っている。
 その中でも、特に日本語はその曖昧さから理解が困難だ。
 文化背景の違いから来るそれを、この世界の言語概念で無理やり翻訳しているだけなので伝わりきることは恐らく無い。
 なにより意味において未完成である言葉という概念は、やはり曖昧な形でしか伝わらないのだ。

 「戦う……ためですよね?」

 とりあえず、ミリアは無難な言葉を選ぶ。

 彼女の答えは、この世界なら間違い無く正解だろう。
 ここでは『武』は、『武器』の『武』であり、『武道・武術』の『武』ではない。
 もっとも、その間に存在するものに違いがあるのかは判らない……。
 
 「そやなぁ、そうなんやろなぁ…………」

 「?」

 「……いや、忘れてくれ、ちぃっ、と気の迷いがでたらしい」

 刀儀はそこで話題を切り替えた。

 「そうや、なんか剣について訊きたい事あったら、答えるで? 出血大サービスで」
 
 そう言った刀儀に、先程までのどこか頼りない気配は消えていた。





* * *





 「それでクサビと一緒に野盗を退けて、アリーと出会って…………」

 「へぇ~色々あったんだな」

 闘技場から離れ、近くの酒場に入ったラエリたちとゲイル。
 ラエリは今まであったことを楽しそうに話している。

 ちなみに……

 『わたしは、ちょっと神殿に用事があるので、後で合流しましょう』

 アリーシャは気を利かせたのかさっさと立ち去った。
 
 「しかし……スカーと戦ったのか……」
 「ゲイル殿はあの男を知っているのですか?」
 「ああ、昔挑まれて、引き分けた……」

 少し、遠い瞳をしてゲイルは言った。

 「剣と同じで……、真っ直ぐしか行けない男だったよ」

 なにがあったのか、それは語られる事がなかったが、傷と名乗った男はラエリたちが知るより多くの人間に関っていた事だけはおぼろげながら理解できた。

 「―――ああ、そういえば、武術大会に関係ありそうな話しなんだが…………」

 ゲイルは、話題を切り替え、真剣な口調で話し始めた……。





* * *




 
 どこか様子がおかしかった刀儀だが、ミリアは抱えていた好奇心に負けた。

 「あ、じゃあ、あの時、最後に使った技を教えてください!!」

 あの時、と言えばスカーとの一戦しかないのだろう。
 それの最後と言えば……

 「無刀……か、あれは技と言うより業……経験から来る咄嗟の機転みたいなもんやで?」

 「ええ!? そうなんですか」

 実際はもっと根の深いものだが、そこまで深く関るつもりも無いので語らない。

 「まあ、自分がなにやったかは理解してる。それなら話すで?」

 「お願いします!」

 とりあえず、動きの内容だけでも伝える事にする。
 
 ちなみに戦いの直後は自身ですら何をしたのか理解していなかった。
 が、無論、今では自分が何をしたのか刀儀はハッキリ掴んでいる。
 あの技は、『両刃の西洋剣』だからこそ出来た技で、日本刀だとあれほどの効果は出ない。

 「まずはな……そう、打ちこむ時、筋肉は弛緩して、インパクトの瞬間緊張する。そして、その間隙に滑りこむ事があれの秘訣や。そんで、技の内容になるけど……まずは柄中を相手に合わせて振り下ろした左手で掴む…………」

 刀儀はミリアに打ちこませ、左手で柄の真中を掴む。

 「そんで――左手を内側に捻る」

 ぐいっ、と捻られ、ミリアの剣が横を向く。
 次の瞬間、右手が開く形になり、握力が緩む。
 その隙に追いついた刀儀の右手が剣の平を押す。

 「――で、左手首を返す」

 同時に、手首の返しによってミリアの手から剣がもぎ取られ、そのまま彼女に向かっていく。

 右手は鍔元、切れ味の鈍い刃の根元に添えて押し切る。
 日本刀のように刃が鋭くないからこそ、躊躇い無く出来る芸当だ。

 「―――ッ!!」

 ピタ

 「と、まあ、こんなもんや……必要なのは『早く』動いて『先』をとる事、これが出来んと無理な芸当やな……ん? あ、怖かったか?」

 「は、はい、ちょっと…………でも、すごいです」

 白刃が眼前に迫ってきたせいか、顔が蒼褪めているが、同時に感動も見うけられる。

 「ああ、でも、俺の国では刀が一般的やから使われへんな、峰打ちになるし、刃が鋭い」
 
 西洋剣は――どちらかと言うと重さによる破断が主で、日本刀のように鋭さと引きによる切断ではない。

 用途と刃の鋭さが違うのだ。

 「まぁ刀でも元ならそれ程鋭くは無いけど……やる気はせぇへんなー」

ぽりぽりと頭を掻きながら刀儀は言う。

 「え~……と、じゃあ、どうやればそんな風に『速く』動けるんですか?」

 「多分勘違いしてるから言うで、別に『速く』は動いてない。俺は、相手が動くより『早く』・・・・・・・・・・・動いてるんや」

 「え……?」

 ミリアはどうやら、刀儀の答えが解からなかったようだ。
 なので、言葉を変えて刀儀は言い直す。

 「つまり、『せん』をとってるんや。相手の動きの先をとって動く、それなら絶対的には遅くても、相対的には速くなる」

 「え、え~と…………」

 「……実践……して欲しい?」

 「……欲しいです」

 「だが断る
 
 「…………」

 ちょっと、沈黙が生まれた。





* * *





「ラシェントで大規模な事故が起こったらしい。召喚による・・・・・事故らしいが……」

 ゲイルが語ったのは衝撃的な事実だった。

 「?…………ッ!? まさか」

 「……ラドクリフさんから彼の事も聞いている。彼の世界のことも」

 ゲイルが語ったのは、刀儀たち異世界の住人に関することなのだろう。
 だが、それだけではない様だ。

 「……召喚事故だが…………、森で戦ったあの異常な化け物、あれにやられたらしい。魔導院も半壊し、召喚の成果も失われ、鎮圧した魔法騎士団にも死傷者がかなり出たと聞いているよ」

 「!…………」

 召喚の成果が失われた。
 その言葉にラエリは息を呑んだ。
 
 なぜならそれは、刀儀の探し人である赤瀬夕凪、或いはその幼馴染が失われた事を言っているに等しいからだ。

 そうなれば……

 「クサビに……私は伝えるべきなんでしょうか…………」

 ラエリは言いよどむ。
 無理も無い。
 それを伝える事は、刀儀がこの世界に来た意味を無くす事になる。
 対して、ゲイルは言う。

 「今は……伝えない方が良い。武術大会にも不穏な動きがある」

 「? 不穏な動き?」

 「召喚事故の失敗、裏で手を引いていた存在があるらしい。或いは召喚対象もそいつらの手に落ちたのかも……「本当か!」……あ、ああ」

 ラエリが俯いた顔を上げる。
 死んでいないなら希望はある。

 …………しかし、なぜだろう。

 ラエリは思った。

 なぜ私はそこまで『その存在』の無事を望んでいるのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、と――――――





* * *





 「あかんて、その動きやったらいくら速くしても意味無いで」

 動き自体が遅いから、わざわざ加速する必要がある。
 そんな事を刀儀は言った。

 「じゃあ、どうすれば?」

 「動きそのものが速ければ良いんや、それやったら加速する必要は無いやろ? これができんと到底『早く』動く事なんか無理や……まあ、工夫してみ。ここから先は草灯流の領域やから、俺も気軽には教えられへん」

 「え? ……そんな」

 ミリアの抗議に、刀儀は首を振る。

 「元々武術は秘されるモンや。それに、なにより剣の術を負う者はその重さに責任を持たなあかん。特に、俺ら『ななし』のようなんはな」

 武道ではなく武術。
 武を持って人道を歩む事が武道なら、武術とは単なるすべとも言える。
 それならば、それを伝える者は慎重を期さなくてはいけない。

 「みちなくてはすべは成らず。すべなくてはみちは成らず。
 陰と陽、生と死、或いは光と闇……別つ事の出来ない矛盾をそのままにする為には、矛盾を見据える心の在り様が問われる。
 剣が殺人術である以上俺は、物の見方や価値観の違う人間に気軽に伝える訳にはいかんと思ってる」

 武術の矛盾。
 必殺の技術と不殺の理念―――

 文化が違えばそれだけで価値観は激変する。
 例えば、日本の八百万やおよろずなどと言う世界観は世界的に見て異端と言えるだろう。
 そして、それを背景とした文化で創られた剣術というのはあくまで、その価値観の中で振るわれる事を前提としている。
 例を上げるなら武士道と騎士道の違いと言った所だろう。
 
 「俺らの国では、刀ってのは魂を映す鏡……或いは魂そのものや、武術にしても、剣以外の技が剣術の動きを前提に練られている様に、ある種の価値観の中心的存在として存在しとった」

 刀儀の言葉が続く。
 真っ直ぐに遠くを見据える真剣な表情にミリアは惹きこまれていった。

 「せやからこそ、刀がどう在るべきか? 剣は何の為に振るわれるべきか? それに皆、悩み苦しんだ。斬って斬って斬りまくった挙句、人を斬る道具で人を活かそうとする酔狂な考えに行き着くぐらいに、な」

 ミリアは気付いた。
 偶然かもしれないが、刀儀が見据えている方角が、スカーを葬った場所を向いている事に。
 しかし、それを問わずに刀儀の話に耳を傾ける。

 「この世界の価値観を知らずに、無責任なことはできへん」

 刀儀は言う。
 見定めさせて欲しいと
 
 そして、ミリアもそれに頷いた。

 「すまんとは思う、けど、剣は俺らの『命』なんや、ずっとずっと託されて受け継いできた、生きた証そのものなんや…………単なる殺戮だけの手段には……なって欲しくない」

 そうなれば、それはもはや武術とは言えまい。

 「ボクは……信用できませんか?」

 「ああ……」

 それは嘘だった。
 だが真実でもあった。

 (例え表芸でも、この世界の光と影を知らん身で、無闇に伝えられへんわ……戦争なんぞに用いられたら最悪や……なにより)

 無論、武術はあくまで個人芸。

 戦争を勝ち抜く為のものではなく、生き残る為の技術。
 誰にも殺されない為の業。

 しかし、その為にはやはり誰かを殺すのだ。

 もしも、その安易さに彼女が呑まれれば…………

 ――――そうなったら俺は、俺が…この手で…この子を………

 「トウギさん?」

 「まぁ、納得できへんかったら盗めばいい。俺の動きを見るなとは言わへんから」

 「…………はい」

 納得はしていないだろう。
 刀儀もそれは理解していたが、彼女の物語の主な登場人物にまでなる気はなかった。
 そしてそれは、他の人間に対してもだ。
 ラエリにも、アリーシャにも…………。
 ただ一人の友人である赤瀬夕凪に対してさえも―――――

 (一期一会やな……俺の物語の登場人物は皆……)

 白刃が降る中に己を晒すならば、一人でいるべきだ。
 それが嫌なら剣など捨てれば良い。
 捨てられないなら、ただ剣だけを見据えて生きるべきだ。
 己が身ひとつで…………。

 すっ――と目を閉じ、思考を閉じる。
 このところ、考える事が多くなった気がする。
 なにかが自分を不安定にしているのだろうか?

 まあいい……

 代わりにミリアに言う事がある。

 「あ~、それとミリア、迎えが来てるで」
 「え? だれか来て……ッ!?」

 刀儀は先ほどから感じていた気配の事を告げた。
 ミリアを見守るようにして気配が辺り一体を包んでいたのだ。
 ミリアが気付かなかったのは、それがあまりに大きすぎたからだ。

 「姉さま、迎えにきました」
 「リリシア…………」

 リリシアと呼ばれた少女は静かに刀儀を見た。
 流れるような光沢を帯びる白金の髪、深い金と銀の双瞳。
 さらに瞳の奥の静けさは、虚空を見詰める時の刀儀よりも静謐だ。
 我知らず息を呑む刀儀。

 (また綺麗どころか……それもラエリさん級)

 そんな思考とは裏腹に、対峙していると手に汗が滲む。
 威圧感ではなく、存在感に……。

 「貴方が、トウギ・クサビですか」
 「ああ」

 存在の圧力を受け流しながら、何食わぬ顔で答える刀儀。
 それを聞き、目の前の少女は静かに挨拶し、その名を告げた――
 
 「『神剣』リリシア・フィルド――― 姉がお世話になっています」

 静かな目線は、刀儀をたやすく貫いた…………。
 



[1480] 孤剣異聞  第二十一話 剣と剣
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/09/14 00:11
 リリシア・フィルド

 彼女が生まれたとき、ミリアは、自分がとても喜んだ事を覚えている。
 初めて出来た妹、護られる立場の自分が護れる存在。
 
 しかし――――彼女は優秀すぎた。

 無論、ミリア自身も優秀だった。
 剣の才は凄まじく、『剣王』と謳われた父を超える片鱗を見せたのは五つの頃。
 3匹ほどのゴブリンを事も無げに切り伏せた。
 剣を持ったのはそれが初めて、扱いは父や他の騎士の動きを見て覚えた。

 だが、リリシア・フィルドはそれを上回っていた。
 いまから三年前の、前武術大会。
 当時、10歳の彼女が、それを制覇したのだ。

 神威の剣を振るう彼女に、同じく出場していたミリアは手も無く敗北した。

 圧倒的な存在、力。

 それ故に孤高の存在。
 それはつまり孤独の別名。

 強すぎる彼女から誰もが距離を置くようになった。

 ――――だが、それでも一人だけ、ミリアだけは挑み続けた。

 敗北の悔しさからなのか?
 それとも劣等感からなのか?

 絶望的な力の差

 それでも挑み続ける理由は―――――――








孤剣異聞  第二十一話 剣と剣







 
 「どうや? なかなかの男ぶりやろ?」

 そう言った刀儀は、袴姿で帯刀した、いわゆる剣客姿。

 黒染め衣装は、もともと真っ黒な髪と、凝縮した闇色の瞳を持つ刀儀とあいまって、黄泉路を満たす無明の暗闇を連想させる。
 
 余談だが、黒は陰陽五行に置ける水氣、その方角は北。

 こじつけになるが、自在の代名詞とも言える“水”は変幻自在の太刀筋を謳う草灯流の理を顕し
 冥府の方角たる“北”も草灯流の『殺』と『無』を象徴していると言えなくも無い。

 「まぁーいわゆる特注ってやつ、実際ここまでキッチリシッカリできるとは思っとらへんかったわ」

 言いながら肩を回したり、膝を折ったりして動きを妨げないか確かめる。

 幾度か洗ったおかげで、多少は固さは取れているが、まだ馴染みきってはいない。
 実戦では命とりになるので、今から着込んで馴染ませる必要があるだろう。

 「妙な衣装だな……動き辛くないか?」
 
 ラエリが疑問を発する。
 恐らく袴の事を言っているのだろう。
 しかし――

 「それが文化の違いやな、見よ! この身のこなし!!」

 言った瞬間、刀儀の姿が拡大する。
 
 と、言うか……縮地で間合を詰めただけのことだ。
 しかし、突然どアップした刀儀をラエリは反射で殴り飛ばしてしまった。

 「ぐわっぱ!?」
 「あ――、すまん、許せ。あと変な悲鳴禁止
 「ひどっ!? 殴っといてそれ!?」

 無論、刀儀の意見は無視され、衣装の話題が継続される。
 
 「カラスみたいですね。黒くて素敵ですよ」

 アリーシャの意見だ。
 誉めているのか貶しているのか微妙だが、にっこりと笑った表情から読み取るに、誉めているのだろう。
 しかし刀儀は複雑な気分だった。

 「今日も運動公園ですか?」

 アリーシャが尋ねたのは稽古のことだ。
 武術大会が近づくにつれ、今まで闘技場周辺や、ギルドの訓練場がいっぱいになったのか、運動公園にも、腕自慢の猛者が溢れ出した。
 おかげで刀儀はミリアやラエリ、アリーシャの稽古を見ることはしても、自分の稽古が出来ないという状況に陥ってしまった。

 「いやー……俺も稽古したいんやけどなぁ……」

 「そういや、なんで一緒にやらないんだ?」

 ラエリが不思議そうに訊いて来る。
 それに刀儀は一瞬考え……

 「そら……戦う相手に技みせたら最悪やろ、技は俺が出来ても相手が出来ないと言った感じで一方的に相手をボコる為のものなんやから]

 …………すごい事を言い切った。

 「…………」
 「…………」
 「実際、ミリアにも具体的な技法は教えてないし、皆の前で見せたような型は重要な動作は抜いてるし、ついでに余計な動作を付け足したりして見栄えだけ良くしたりしてるんやで」

 …………暴露話だった。





* * *




 
 結局、場所を変える事になった。
 場所は神殿。
 神官戦士たちの中にも出場者がいるので無人という訳にはいかないが、他の場所よりはマシらしい。
 広場を使うラエリたちとは離れ、刀儀は樹木などに遮られた隅の方に陣取っている。

 ――――ン

 剣を振る。
 一瞬の停滞もなく、足を踏み変え、身体を入れ替える。

 刃が幾つも軌跡を描く。

 それは単なる『型』の動作。
 決して速くはないが、遅くもない。
 描く軌跡に重なった木の葉は、揺らぎもせずに二つに分かれる。

 (行動から……動作を削る)

 速度も動きも変えずに動作を減らす。
 見た目は何一つ変わらないのに“それ”は異様な速さを得る。

 (動きは変えるな、動作を減らせ、無に…到るまで―――)

 よっつの動作をふたつに重ね
 ふたつの動作をひとつに紡ぐ
 
 今までの、他の流派から借りてきた『型』ではない。
 草灯流の『型』を編み出そうとしているのだ。
 しかし……

 ――――『武』は何の為にあると思う?――――

 ウォンッ!

 (くっ……!)

 太刀筋が乱れた。

 思考が刀儀の動きに僅かな乱れを生む。
 我知らず頭から離れない、昨日発した問いが、刀儀自身を揺らす。 
 精神と肉体のズレが動作を乱しているのだ……。

 「あかんなぁ、要らんこと考えてるわ…………、しっかし、『武』か……」

 矛を止めると書いて武と読む。
 これもひとつだろう。
 しかし、結局のところ、それは思想の問題。

 ―――祖父、刀儀仁斎は武は戦いの歴史だと答えた。

 ―――父、七紙無明は命懸けの趣味と言った。

 ―――師、時雨坂夜一は強くなりたいとこぼした。

 ならば自分は?
 その問いに……。

 「…………」

 ――――好きにしたらええよ? 信じてるから――――

 自分の選択を信じると、それだけ言った、人が居た……。

 「……あかんなぁ、なぁ母さん、俺、なぁんも成せてへんわ。こんなとこまで来て、やったのは、たかが斬り合い、殺し合いや…けど……」

 一拍置いて――

 「せやからこそ、答えだけは、必ず出して見せんとな―――」

 静かに、決意の言葉を漏らす。
 成すべき事、それだけは確かにあるのだから。





* * *




 
 「あーくそ……刀儀もいねーし、始音の手がかりもねぇ」

 変な着ぐるみなら居るのに……、と呟いたのは赤瀬夕凪。
 ちなみに、刀儀は彼の捜し人を紫苑だと勘違いしていたが、本来は始音。
 始まりの音と書く。

 「ん?」

 ふと人の中に目に止まる存在があった。
 ……二人組、顔の造形、体付き、そこから見るに姉妹だろうか?
 容姿が良いので嫌でも目につく。
 ……だが、赤瀬が目に止めたのはその一方。

 それは金と銀の双瞳。
 白金の髪。
 桁外れの存在感。

 「……おい、なんだ、あれ?」

 思わず呟く。
 幼い容姿とは裏腹に、内在する力は桁が違う。
 その霊威……否、最早あれは神威の領域だ。

 知らず、後ずさる赤瀬。

 その強大な力は自分など軽々と屠れるだろう。
 関ってはならない。
 なぜなら『死』は恐ろしいもの、消えてしまうこと、つまり――恐怖。
 逃げろ、ニゲロ、さもなくば―――――

 静かに、指先を意識する。
 世界を認識し、理法を理解し、概念を書き換える式を描く――そのための準備。
 意識を切換える、変性意識に移行――― 

 どん!

 「ん……?」

 「にゃふー、どうかしやしたかー旦那ー♪」

 「出たーーーーー!!」

 猫(?)が出た。





* * *





 「……リリシア、あれはなんだろう?」

 当然と言うべきか、赤瀬と着ぐるみを、ミリアたちも見ていた。
 と、言うか、着ぐるみのインパクトが凄すぎて、嫌でも目に入る。
 問答無用で。

 「着ぐるみですね」

 一方、リリシアはあまり関心が無いらしい。
 ミリアは彼女の表情に乏しい顔からも感情を読み取れるが、今は特になにも読み取れない。
 が、問題はそういうことでは無い。
 つっこみどころが多すぎて、逆につっこみ辛いが、一応ミリアは言っておく。

 「いや、そうじゃなくて…………」

 ちなみに、刀儀から場所の変更を聞いたミリアは神殿に向かっていた。
 見ての通り、なぜかリリシアも付いて来ていたが……。

 「それよりも姉さま、警戒するべきは猫の着ぐるみではなく、一緒に居る男性です。……力はそれほど感じませんが、倒すのが難しい類です。それに―――」

 「あー……いや、そうじゃなくて……って、猫なんだアレ」

 見当ちがいの答えを受け流し、着ぐるみを見やるミリア。
 言われれば猫に見えなくも――――

 「うん……猫じゃないや、アレ。ボクは認めないよ……うん」

 ミリアは、着ぐるみ・猫論を否定する事した。

 にゃふふー♪





Interlude





 ――――『武』は何の為にあると思う?――――

 その問いの意味はなんだったのだろう?

 ミリア・フィルドは思う。
 それは、何の為に生きるのかと問われたのではないか? と。

 ならば、と、1日掛けて考えてみた。
 自分が欲しているものや望んでいる事を、昔の事やこれからの事を。
 
 どちらかと言えば、戯れの問い。
 真面目に考える事では無いのかもしれないが、なぜか自分には必要だと思えたのだ……。

 …………そうして、なんだか、自分の心に気付いてしまった。

 もうすぐ、神殿に着く。
 そうしたら、あの人に頼んでみよう。
 
 それは、自分ではできなかった事だから

 それでも、あの人には出来るかもしれないから―――





Interlude out





 「お、こんちわミリア、……っと、『神剣』さんも一緒かい?」

 刀儀が驚いた顔をする。
 対抗している相手と連れ立って来たミリアに驚いたのだ。

 「あ……、もしかして駄目でしたか?」
 
 「いやいや、別にええけど……ミリアのほうは良いのんか?」

 「ボクは特になにも」

 「……そか、じゃあええやん」

 ミリアが良いのなら特に言う事は無い。
 刀儀が言うような事は特に見当たらない。

 「んじゃ、改めて……こんちわ、え~と、リリシア……さん?」

 「呼び捨てで構いません。貴方は姉さまの師でしょう? なら、敬意を払うのは私のほうです」

 リリシアはそう言って、ぺこり、と頭を下げた。

 「……と言っても、常識で行けば確実に君が勝つやろね」

 一目見れば解かる。
 
 そう、刀儀は思った。

 今は意図的に押さえているのだろうが、内在する力の圧力を刀儀が見抜けぬはずが無い。
 そして、その力は刀儀が見てきた何者よりも凄まじい。

 (『ななし』の誰見てもこんな桁外れは居てなかったな……)

 ――『ななし』

 それは、滅びを歩む武術が辿り着いた最後の聖域。
 あらゆる流派を問わず、ただ名も無く集う事を許された場。

 己の流派を磨くも良し、他の技を学ぶも良し。
 秘伝を伝えるも良し、秘したままにするも良し。
 教えるも良し、学ぶも良し、闘うも良し。

 ようは、ただ、武術家が制約抜きで集まっただけの集団だ。

 しかしそれは―――――

 (寂しかっただけなんかもな……)

 刀儀はふと、そんな考えに到った。
 
 寂しい。

 それは、ものすごく重要な言葉なのかもしれない……と。

 「……君は、武術大会に出るん?」

 「はい」

 「そうか……なら、強敵やな」

 刀儀は静かに微笑んだ。
 
 それに……一瞬だが、リリシアは寒気を感じた。
 そして理解する。
 眼前の男は、自分を絶対だと見ていない、と。

 「ありがとうございます」

 だからこそ、真っ直ぐに、彼女は刀儀を見据えて、礼を言った。
 それはまるで、宣戦布告の様に……。

 「あ、トギさーん」
 「クサビ、昼食の支度ができたぞ」

 「っと、そうや、今から飯やった。二人とも食べるやろ? 行こうや」

 ラエリとアリーシャの声で、今から食事をしようとしていたのを思い出した刀儀が、二人に声を掛ける。

 「あ、じゃあ一緒に―――ほら、リリィも来い」
 「はい、姉さま」

 「ほな、飯でも食いながら話しようや」

 そう言うと、さっさとラエリたちの方に向かって刀儀は歩いていった。





* * *





 「そーいや……武術大会ってどんな形式でやるんや?」

 食事も終わり、談笑などをしている時に、ふと刀儀が漏らした。

 「あれ? トウギさんは知らなかったんですか?」
 
 「そら、そうや、俺はこの国に来たのは初めてやで」

 ちなみに、来ていたら色々とマズイ。
 何せ彼は日本人だ。

 「ん、クサビ、お前の世界では無かったのか? そう言うの」

 「え……世界?」

 何気ない、ラエリの発言にミリアが首を傾げた。
 一瞬、空気が緊張し、硬直する刀儀とアリーシャ。
 ついで、ラエリも事態を理解し、硬直する。
 そこへ―――

 「武術大会……」

 リリシア・フィルドが口を開いた。

 「武術大会。

 予選は闘技場周辺の1区画を四つに分けて使った乱戦方式。
 それぞれの場所で勝ちが決まった時点で一時終了、翌日、舞台を闘技場変えて決着をつける事になります。

 武装は各々の自由、しかし魔法により殺傷力を制限され、よほどの事がなければ致命傷は負わせられません。
 ちなみに、基本的に魔法のかかっていない武器は使用禁止です。

 魔法の使用もできますが、これも結界により威力を軽減されます。
 補助魔法などの、直接相手に効果を及ぼさないものは例外として扱えます。

 あと、ある程度名の知れた強者は基本的に分散されますので、一箇所で潰し合う事は余りありませんが、市街地戦では色々と工夫や小細工の余地があるので、下手をすれば弱者に足を掬われる強者も少なくはありません」

 すらすらと、武術大会の説明をしていくリリシア。
 しかし、タイミングが良すぎる。
 その事に刀儀だけは違和感を抱いた。

 (……まさか、な)

 しかし、知る筈も無いと思い直し、刀儀は話に乗る。

 「そら、おもしろそうやな。―――何人ぐらい出場しとるんや?」

 「名のある者はともかく、数だけなら80から100ぐらいは出場します。
 だからこその乱戦方式です。
 大会は一種のお祭り騒ぎでもありますから、腕に覚えがあれば誰でも出ることができます」

 「む、そうなのか?」

 反応したのはラエリ。
 まさか出る気だろうか?

 「ら、ラエリさんはやめておいた方がいんじゃ……」
 「むむ、アリー、私だって腕に覚えが……」
 「トギさんに勝てます?」
 「…………」

 沈黙した。
 アリーシャの勝利。

 「う~ん、アリーシャはそう言うけど、ラエリさんも相当強いですよ。ボクの私見ですが、並の冒険者相手なら、十分勝てます」

 「でも、あのスカーみたいな相手なら無理ですよね」

 「う……まぁ、それはそうかも」

 ちなみにアリーシャやラエリもミリア達の正体―――王族の姫―――の事は既に知っている。
 明かされた当初、アリーシャはあたふたしたりしていたのだが、刀儀とラエリが全然普通にしていたのでなし崩し的に友人関係に納まったのだ。
 余談だが、ラエリだけ“さん”付けなのは一番年上だからだ。(18歳。その次が17歳の刀儀である)

 「あっと、もうひとつ聞いてええか? え~……と、リリシア…………ちゃん?」

 ピシッ

 「…………」

 一瞬、空気が凍った。
 そして、なんとも言えない沈黙が場を満たす。

 そんな中、リリシアがゆっくりと刀儀を振りかえる。

 「うっ………………ん?」

 詰まる刀儀。
 しかし、相変わらず乏しい表情の中で、目だけが僅かに開かれ、驚きを示している。

 「……そう言う呼ばれ方は……初めてです」

 そう口に出した頃には、驚きは既に消失していたが、確かに感情の動きが見て取れた。

 (……まぁ、こんな歳でこんな力量誇っとれば、普通人は引くわな……最強やら最高に囲まれとった俺でも、気圧されるぐらいやし……やけど)
 
 純粋な能力においてはその二人ですら彼女は上回るだろう。
 しかし、顕現する力においては及ぶことは一切ない……絶対に。
 その事を、刀儀は知っている。

 「あ、あのトウギさん……」

 「ん? なんや、ミリア」
 
 ミリアが寄って来て、何故か刀儀の袖を引っ張っている。
 
 「…………すみません、少し、いいですか?」
 「あ、ああ、ええけど……」
 「ちょっと来てください」

 そう言うとミリアは刀儀を引っ張って物陰に消えていった……。





* * *





 10分程で二人が帰ってくる。
 ミリアはどこか縋るような雰囲気があり、刀儀は刀儀で考え込んだ風だ。

 「……なんだったんだ?」

 ラエリが尋ねる。

 「ん、いや、ちょっと依頼や、守秘義務あるから話されへん」

 「む」

 「いや……そんな顔しても言わへんで」

 「ちっ」

 「ラエリさん……腹黒く見えますよ」

 「う……」

 アリーシャ再び勝利。

 「…………トウギ様」
 
 「すまん、様はやめてくれ」

 「トウギさん」
 
 「なんや?」

 醒めた眼差しが刀儀を貫く。

 「貴方は、私を斬れますか――――」

 抑揚の無い声と、乏しい表情が穏やかなほど静かに見詰めてくる。
 しかし、同時に溢れ出すように神威の圧力が場を満たす。

 それに刀儀は―――

 「俺に、斬れん者は無いよ」

 揺らがず、見据えて言いきった。

 その、互いに射貫くような視線の応酬に、アリーシャは気圧され、ラエリも怯む。
 ミリアは、自分の願いを見抜かれている可能性に、思わず目を逸らす。
 しかし、向かい合う二人は決して視線を逸らさない。

 「今日は……ここまでやな、剣で語るのは次にしようや」

 「そうですね」
 
 今日と言う、穏やかな時間の終焉を告げる言葉。
 それに刀儀は更に付け加える。

 「リリシア・フィルド」

 「はい」

 「お前さんが『神剣』なら、俺は『孤剣』」

 それは、神さえ斬れると信じた人の業。
 斬れないものなど何も無いと、誰かが信じた積み重ね、誰もが信じたその歴史―――。

 「孤独と孤高を積み重ね、全てを斬れると信じた人の剣、その身命全てを賭して――――」


 ――――――――俺は“お前”を斬って見せる――――――――


 澄んだ黒い奈落の瞳は、“神の剣”を映していた。





* * *





 「なぁ、クサビ」

 帰り道、ラエリが刀儀に呼びかけた。

 「んー、なにー」

 気合を入れた反動でぼーっとしている刀儀にラエリは尋ねる。

 「ミリアと……何を話したんだ?」

 「守秘義務あんやけど……」

 「それでも、聞かせろ」

 ラエリの言葉に一拍ほど考えて、言う事にしたのか口を開く。

 「『神剣』を倒してくれ」

 「え?」

 「そう頼まれた」

 それだけ言って、刀儀はそのまま歩み去った。
 
 後には、ラエリだけが残された……。

 



[1480] 孤剣異聞  第二十二話 開戦日
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/09/18 19:21
 武術大会。

 三年ごとに開かれるこの大規模な“祭り”には、大勢の強者が己の腕を頼みに出場する。
 
 出場者のほとんどは『刻印』を持つ腕前で、『刻印』に刻まれた力を解き放った者も多い。
 上位の者は例外無く『刻印』を解放しており、それ以外の者が彼等に勝とうとするならば正攻法ではまず無理だ。
 しかし、大会の形式である市街地での乱戦は、地の利を生かすなどの戦術によって、力量の差を上回ることができる。
 それがこの大会の醍醐味のひとつでもある。
 同時に、そのような些事に足を掬われず、勝利をもぎとる存在こそが真の強者であるとも言える。

 前回、この大会を制したのは僅か十歳の少女。

 それこそは『神剣』――リリシア・フィルド。
 草原の王国、フィルドの守護者。

 何者も彼女を傷つけることさえ適わず。
 まさしく神威の如き剣を持って少女は頂点に君臨した。

 あれから三年。
 
 彼女を知る騎士達はその勝利を信じて疑わない。
 観客達の予想も大方彼女の勝利を支持している。

 ――――だが

 此度集まった猛者には、あるいは? と思わせる者達も居る。
 例えば―――

 『烈風』――ゲイル・ランティス

 風の如く速い槍捌き。
 天才の名を欲しいままにした男。
 大会には初出場。
 かつて無欲故に手にしなかった『刻印』を手に入れた。

 『漆黒』――ギーズィ

 魔法王国ラシェント出身。
 その代名詞である暗黒剣は『神剣』の振るう神聖剣技と対を成す魔剣技。
 前回、『神剣』と優勝を争ったのは彼。

 『三つの刃』

 二つ名がそのまま名前の情報屋。
 本名は名乗っていない。
 業界では名の通った存在だが、公式の戦に出たのは初めて。
 
 『風斬り』――シーリア・シルス

 近衛騎士団の女副団長。
 かつて、ゲイル・ランティスと戦ったと言う話がある。
 武器は曲刀、凄まじい速度と舞いの如き剣技を誇る。

 大会出場者の中でも、今の世代の第一線を張る彼等なら、かの『神剣』に対抗できるのでは? と考える人間も、確かに居る。

 しかし、誰も信じないだろう。

 リリシア・フィルドが、『神剣』が見据えたその敵が、『刻印』どころか魔力すらその身に宿さぬただの脆弱なひとりの剣士であることを―――。








孤剣異聞  第二十二話 開戦日






 「うっわ……ほんま、えらい数の参加者やな」

 思わず刀儀が呟いた。
 もうすぐ、大会が始まる為、参加者が集められている。
 ちなみに刀儀は他の参加者に埋もれて目立たない事この上ない。
 って、言うか、体格良すぎやろ西洋人ども! とは刀儀の発言であるが、生憎と彼等は異世界人だ。

 「ん?」

 ふと、一部でざわめきが起こる。
 刀儀は少し考え、――ふわり――っと軽く跳躍する。
 そのまま傍にいた参加者の頭を踏んで近くの家の屋根へ飛び上がる。
 なにが起こったのか把握していない男を尻目にざわめきの方角を見ると……。

 「お、おい、『神剣』だぜ……」
 「隣にいるのは『風斬り』か、やっぱ雰囲気が違うな」
 「おい! あっち見ろって、ゲイル・ランティスだ! 『烈風』が出るって噂、本当だったんだ」

 「ゲイルさん……か、あの異常な勘の冴え、生半可な太刀筋はたやすく捉えられるな」

 刀儀が脳裏に描いたのは、始まりとなったあの森での戦いだ。
 化け物の触手がラエリを襲った刹那、彼は身を挺して彼女を庇った。
 ゲイルは刀儀が予測すら出来ていなかった攻撃に反応して行動を始めていたのだ。
 
 「あれは……『早い』なぁ、まさか俺より『早い』とは……、その上、速いしなぁ……」

 刀儀は相手の行動よりも先に動く事で相対的な速度を得ている。
 絶対的な速度に自信が無いわけではないが、生まれながらに魔力とやらの恩恵を受け、そのうえ『刻印』という、経験を蓄積して魔力で再現・補助するものまで持っている存在に肉体能力で劣っているのは確かだろう。

 「いやぁ、確かに大変そうっすねぇ」

 「ほんと、あんたみたいのも居てるしな」

 刀儀の隣に男が腰を下ろす。
 ひどく気配が希薄で、捉えにくい男だ。
 気配に関して敏感に反応する武芸者には厄介な相手だ。
 心の中で、内なる剣の鯉口を切る。

 「いやぁ、本命以外はそれ程ではないと思ってたんスけどねー」

 しかしなにやら、やけにフレンドリーな声色。
 恐らくは大会で本命とされている者の一人なのだろうが、危険を感じない。
 ある意味、1番恐ろしい相手だ。

 「あんた名前は?」

 「三つの刃」

 そして振り返った時、既に男は消えていた……。





* * *




 
 「うーん、トギさん、いませんねぇ」
 「それはそうだろ、服装は目立っても、こんな人込みに紛れたら判らない」

 ラエリとアリーシャは刀儀の姿を捜していた。
 と言っても、上空に映し出されている映像は、全域を映すわけでもないので見つけるのは難しいだろう。
 できるとしたら、大会が始まって、その戦闘が注目された時だ。

 「ミリアさんは、やっぱり王族の特等席で見てるんですよね」
 「だろうな」
 
 そう言うとラエリは、ミリアに顔を寄せる。
 ちなみにラドクリフの依頼とは、大会の裏側で行なわれる三王国の秘密会談の警備。
 と言っても、それは遊撃隊的な立場で、見張って欲しいとの事だ。
 本命は他にいくらでもいるのだろう。

 「……それより、ラドクリフ老からの依頼、私たちだけで大丈夫か?」

 こそこそと喋るラエリ、それにミリアもぼそぼそと返す。

 「多分、大丈夫ですよ、他にも雇われたひとは居るみたいですし、それにどちらかと言うと……」

 ――――アリーシャ君、彼女をよろしく頼む――――

 まるで、ラエリの方が重要だとでも言いたそうだった。
 アリーシャはそう思ったが、それを呑み込む。
 大体、冒険者としての実力もそれ程でもない彼女等が、この様な依頼を受ける方がおかしいのだが――――。

 『護りは『神剣』が在れば大丈夫だろう。君は彼女についていたまえ、そうすれば自ずと運命が導くだろう』

 (“運命”ってなんだろう? ラエリさんが時折変貌するのに関係があるのかな?)

 アリーシャは考えるがしかし、ラドクリフの言葉を信じることにした。

 (そうね、いざとなったらトギさんだっているし……)

 「アリー?」
 「あ、いえ、なんでもないです」

 そう言うと、アリーシャは映し出される映像に目を向けた。





* * *




 
 「これより、武術大会が開催されます。
 今回の参加者は156名、一区画につき44名となります」

 大会の説明も終わった。

 参加人数が知らされ、区域ごとに振り分けられる。

 ちなみに大会説明の内容は……

 1 大会の形式。まぁ、いわゆるバトルロイヤル。

 2 制限。魔法により武器はいわゆる刃を落とした状態になる。
      魔法は補助魔法を除いて威力をかなり落とされるらしい。
 
 3 勝利条件。四つの区域で最後まで残った者が翌日に闘技場で決着をつける。

 4 戦闘は幻像石で中継される。卑劣な手段は禁止。

 ……まぁ、後は、負けた者が戦線から離脱する時のことやらなんやらだが、刀儀は気にしなかった。

 「そろそろ、行くか、少々無茶な事やらなあかんし」

 言うと、刀儀は人の流れにしたがって、自分の戦う区域に移動を始めた。

 戦闘開始まで、あともう少し…………。





* * *




 
 一方、時間は遡る。

 大会開催当日の早朝、ほとんどが出かけてスカスカの魔術師ギルドの宿舎。
 赤瀬夕凪と着ぐるみがまだ残っていた。
 
 「にゃっふー♪ あちきは武術大会に出た際ちょっとした手伝いがあるんですよー、ゆうさんが良かったら手伝ってくれませんかー?」

 着ぐるみの言葉に赤瀬は僅かに考え込んで

 「…………悪い、俺、無理」

 断った。

 「ぎゃふー!! なぜにですか!? ……って、ずいぶん真剣な顔ですね?」

 相変わらずのオーバーリアクションで着ぐるみが応えるが、赤瀬の顔を見て真面目な声になる。

 「……ちょいと占ってみたんだが……、どうも良くない予感がする。当たるんだよ、こと悪い方向に関しては俺の勘と占いはな、悪いな、俺も目的がある」

 この世界に魔法はあるが、占いなどは当たるも八卦当たらぬも八卦である事に変わりない。

 しかし、赤瀬のような術者が使うそれは、かなり重要な情報源になる。
 それは、彼等の占いが、陰陽の理が描く因果の二重螺旋を理解し、読み解く手段であるからだ。

 赤瀬たち術者がつかう『術式』は、単純に魔力から現象を作り出す技術であるこの世界の『魔法』と違い、事象や現象の向こうにある抽象的概念を認識する事からはじめて、それを理解、操作し、世界式を誤作動させる事によって目的を達成する。

 その過程、世界式に触れる事で、運命の糸――否、運命の意図というべきか――をある程度認識できるようになる。
 それを技術体系化したものが、一般にも溢れる多くの占いになる……が、使いこなそうとするなら、それはやはり事象の裏側を覗ける必要があるだろう。 

 そして、究極の領域には『龍眼』と呼ばれる力が存在するが、生憎と現存すると言う確認はとれていない。
 恐らくはそれも、時の潮流に呑まれて消えていった神秘のひとつなのだろう…………。

 「にゃふー……」

 着ぐるみが溜息を漏らす。

 シリアスな赤瀬の雰囲気から、今回は勢いとノリで押し流せない事を悟ったのだろう。

 (普段なら簡単なんですけどねー。むぅぅ、しかしこの人、真剣な顔のときはかっこいいですね)

 外見は猫(?)の着ぐるみだが、中は一応女の子らしい。
 なので初対面でヒーローよろしく登場した赤瀬に対して、多少の好意はある。
 ついでに、ダークエルフの血が混じっているせいで、迫害され、孤独に生きてきた彼女にとっては、傍に居てくれる存在と言うのは貴重だ。
 師であるシン・ラドクリフは彼女に庇護を与えたが、彼女の隣を歩んでくれる存在ではなかった。

 (う~ん、ゆうさんはあちきをどう思ってるんでしょう? 利用できそうな相手……じゃないですよねー、むむう)

 彼女はあまり他人に期待を抱かない。
 基本的に、困っている人がいたら助けるし、他人の言葉も信じる。
 しかし、それは最終的な場面で裏切られる事をも前提にした一種の諦めである。

 「……お前も気をつけろよ、なんかあったらなんとか逃げろ、逃げてれば俺がすぐ行くから」

 「へ?」

 それ故に、まさか自分に向けてそんな言葉を言う人間が居るとは思っていなかった彼女は、おもわず間抜けな声を上げてしまった。

 「一応、あー、なんだ…えーと、友達(?)なのか? 俺たち?」
 「ぎ、疑問形で訊く事ですか!?」
 「い、良いんだよ! 言いたいのは、ヤバくなったら俺に任せろって事なんだから!!」」

 …………沈黙、そして

 「マジで言ってます?」

 「当たり前だ、付き合いは短いけど、お前は(嫌だけど)もう俺の“日常”だ。
 これって、人が命懸けになれる理由のひとつだぜ? つまり――――」

 そう言うと、いったん切って……
 
 「―――俺はもう、お前“も”大切なんだよ」

 肩を落として、溜息をつくように赤瀬は言った。
 まるで、当然の事を何度も訊かれて呆れ果てたように……。

 そして、その言葉の意味に彼女の理解が追いついて―――

 「にゃ!? にゃうぅ……///」

 真っ赤になった。
 いや、無論、中身の話だが……。

 「ん? どしたよ?」

 「な、なんでもないですよー(汗)それではあちき、手伝いがあるんでー」

 そう言うと意外なほどの敏捷性で着ぐるみが景色の向こうに消えていった。

 「んだ? あいつ、変な物でも食ったかな? っと、俺も用意しなきゃな……」

 そして、赤瀬もその場を去った。

 その手に、無数の呪具を携えて…………。





* * *





 (リリィ…………)

 ミリアは心の中で、妹の愛称を呼んだ。

 ……その愛称で、少女を呼ぶのはミリアだけ。
 神の剣として生まれた少女を、誰もが『神剣』と呼んだ。
 そして、少女もそう在る事を選んでいた。

 心も体も精神も、少女はあまりにも強かった。
 それゆえにただ独り、孤高に在り続けてしまう一人の少女。
 
 少女は、この国を、その民を、護る為の存在。すなわち――――剣
 そう誰もが信じて疑わなかった……。
 
 「ミリア様」

 傍にいた壮年の騎士がミリアに声をかけた。
 
 「……騎士団長」

 壮年の騎士は、近衛騎士団の団長。
 実力もあり、統率力、人望も厚い王族の守護者。

 「ねぇ、貴方は誰が勝つと思う?」

 「? 優勝は決まっていますよ。『神の剣』を前に、何者も抗う事はできませんでしょう。
 予想をするなら、準決勝の予想をしたほうが有意義というものです」

 「そう……」

 そして、その守護者でさえも、一人の少女を絶対としか見なかった。

 「特に、ゲイル・ランティスとシーリアは因縁の対決となりますからな、見物でしょう」

 「…………」

 だから、だからこそミリアは思う。

 (あの人は……、リリィに勝てると思っているのだろうか?)

 誰も勝てなかった絶対すら、斬れると信じたひとりの剣客を…………





* * *





 神の剣を砕き、あの子の絶対を否定する。

 それで、あの子を救えるとは限らない。
 もとより、あの子は救いなど求めてもいない。

 それでも伝えたかった。

 もっと色んな事を、絆の存在を、幸せを、望める事を―――

 でも、ボクには出来ない。

 ボクでは……届かない。

 だから――― 

 『リリィを……いえ、『神剣』を……倒してくださいッ』

 不思議な剣技、それを振るう、あの人に望みを託した。

 ……………………。

 でも、それが、無理な事を言っているのだとは気付いていた。

 あの子の強さは、自分が、いや、誰もが知っていた。

 でも――――それでも、一縷の希望に縋りたかった。 

 それだけ、だった……。

 なのに――――
 
 『あいよ、一発ガツンといわせれば良えんやな?』

 彼は平然と答えてくれた。

 正直、それは無知から来るものだと思った。
 あの、暗黒剣を極めたと言われた『漆黒』ですら敗北したのだ。
 
 『……無理やと思っとるやろ』

 彼はそう言うと、やれやれと肩を竦めた。

 『まぁ、俺も無理な気がする』

 あまりにも、あっけらかんと言い放った姿に、眩暈を覚えた。

 でも――

 『命に代えても……って言うのではアカンわな、払う対価が俺の命ぐらいやと、全然割りには合わへんし。
 たはは……、これやったら、ホンマに立つ瀬がないわ、すまんなぁ』

 でも彼は――

 『……けど、ま、ここはひとつ信じてくれや…。
 こんな俺では不足やろけど、どうせ引き換えでは無理なんや
 だから、賭けにしてみぃへんか?
 
 外れれば一文無し。
 当たれば億万長者。

 掛け金はお前さんの信頼と俺の命。

 ――――これなら、まだ、なんとかなりそうな気がするやろ?』

 彼は、笑って、ボクに命を貸してくれた。
 ボクの……、この無謀な賭け事の、足りない分の掛け金に、と―――

 『俺の国には、一生懸命って言葉があってな』

 そして彼は言った。

 『これをな、一笑懸命って言った人が居る』

 彼は

 『“一つ笑って命を懸ける”。良い言葉やと思わんか? まぁそれは兎も角―――』

 トウギ・クサビは―――

 『―――神さんに、ガツン!! と一発かましたろうや、二人で』

 『二人……で?』

 『せや、俺は刀を振るう役、そっちは刀に想いを乗せる役――二人でやろうや

 役割分担、『孤剣』は『神剣』を砕き、ミリア・フィルドはリリシア・フィルドの前に立つ』

 ボクの……望み、本当の……

 『自分でやりたかった事やろ、ホンマは』

 それすらも、彼は叶えるのだと言ってくれたのだ―――――。





* * *





 (信じよう……)

 ミリアはそう思った。

 確かに、剣客はただのお人好しに過ぎないかもしれない。
 たかだか人の剣技が、神威の聖剣に届くとは思えない。
 
 それでも、唯一人

 時代に遅れた剣客だけは、それが届くと信じている。

 だからと言って、それを信じたわけではない。

 どこから見ても、彼はただの人間に過ぎない

 しかし――――
 
 『ああ、それと…………言うたやろ?』

 少女は…既に垣間見ていた。


 ――――――俺にはもう、斬れない者はない。何者でも……―――――


 抜き放たれた、男が秘める内なる剣の――その、魔性を…………。





* * *





 戦闘開始の合図が響き渡った。
 一斉に全員が動き出す中、刀儀は晴れた蒼穹を見上げる。

 もちろん、その行為に意味はない。
 ただ、あまりにも強い日差しに見上げてしまっただけの事だ。

 「たはは……、ちぃっと、死ぬには場違いな雰囲気やな」

 場違いな笑いを浮かべる。
 ひどく、楽しそうに―――

 「――明日は…、良い天気になりますように」

 出る言葉も場違いだが、それはささやかな願い。
 なにせ、これは新たな出発点なのだ。
 最高の気分で迎えたい。
 その為にも、まずは今日を勝ち残ろう。

 鯉口を切る―――。

 囁く様に、祈る様に、嘆くような笑い顔で

 楽しそうに、剣を抜く。

 心の中の剣を抜く。

 さあ、行こう。

 敵が居るのは幸せな事だ。

 手放してしまいそうな剣を、握っていられる。

 ようやく先に進めるのだ。

 …………『神剣』は強いだろう。

 でも、自分は死ぬまで闘える。

 大会だろうが関係は無い。

 きっと、誰にも止めさせない。

 そして生き残れば、剣の地獄が待っているのだろう。

 死に絶えれば、それはそれで地獄に落ちるだけ。

 もう、二人も殺した。

 背負った業は、きっと全てを失っても残る唯一だろうから―――

 「行こっ……かぁ、ひっひっひ」

 さて、それではひとつ、”笑って命を賭け・・ましょう”か―――

 言うと刀儀は足を踏み出した。

 一歩

 二歩

 三歩

 ―――そして

 そして……刀儀は―――歩いて行った。



[1480] 孤剣異聞  第二十三話 予選開始、刀儀 その1
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/09/24 00:19
 右を見る。

 左を見る。

 正面を見る――――

 そこそこの腕前の参加者達が既に戦闘を始めている。
 この間戦う事になった盗賊とは、個々の技量の桁が違う。

 見渡せば、そのやり方も様々だ。
 一対一で戦っている者もいるし、あるいは複数で組んで一人に当たっているのもいる。
 短剣を使う者もいれば、オーソドックスに剣と盾を構えた者もいる。

 「…………」

 そして―――刀儀の背後にも人の気配。

 倒せる者から倒しておこうと言うつもりだろう。
 なにせ傍から見れば刀儀はかなり弱そうに見える。

 肩はなで肩で、二の腕も太くはない。
 俗に言う、逞しい逆三角形の体からは程遠い。

 ―――ジリッ

 背後で間合を詰める気配がする。
 
 (阿呆、音立てたら丸解りやろ……)

 呆れながらも、軽く腰を落とし、両掌を胸の前に出す。

 振り返って見る必要は無い。
 心眼で見ると言うのは詰まる所、己に映りこんだ世界を“観る”事。
 視覚に頼らず、五感が取得する情報を客観視する技能の最上位。

 「―――――――よっ…と」

 間の空気を押しつぶす様に両掌を叩きつける。
 次の瞬間、大気が破裂するような轟音をたてて鳴動する。
 そのあまりの轟音に、あっという間に周囲が静かになる。

 「………………」
 「………………」
 「………………」

 剣戟の音も、迸る怒号も消え失せた。
 その静寂に、刀儀の声が滑りこむ。

 「―――姓は刀儀、名は楔。

  遣うは流派……草灯流。草に灯りと書き候。
 
  古流が一派、刀儀に生まれ、名も無く集う武に学び
  目指すは極み、剣の彼方のその向こう。

  今は未熟な身なれども、剣にて生きては死ぬ宿命―――」
     
 ギンッ! と眼光を迸らせる。
 
 これは宣告

 お前たちの敵がここに居ると告げる意思。

 「ってな訳で…………」

 そして、もうひとつ

 鎮まりかえった静寂に、闘争の種火を投げ込もう―――

 「お前ら全員! かかって来いやぁぁッ!!」

 咆哮、一喝。

 拳を固めて、殴り込む!!








孤剣異聞  第二十三話 予選開始、刀儀 その1






 開いた口が塞がらない。

 アリーシャが隣を見ると、ラエリもそんな顔をしていた。

 『どらぁー――――ッ! かかって来んか、その他大勢ッ!!』

 空中に映し出された映像を見る。
 するとそこには、剣も抜かずに拳を振りまわし、手当たり次第に大暴れする剣客の姿が映っている。

 「………………」
 「………………」

 『全員で来いやぁぁ! ブルってるんかごるぁぁあ!!』

 インパクトだけは十分だ。
 おかげで、幻像石で映される戦闘の中でも、思い切りアップで映されている。
 無論、見ている観客からは失笑をかっている。
 よく居る、勢いだけで突っ走って、早々に消えていく道化者としかみなしていないだろう。

 「あいつ、何をやってるんだ?」
 「さぁ? ……喧嘩、じゃないですか?」

 ついでに、仲間の筈の二人も反応が冷たい。
 
 まさに孤独。
 これぞ孤剣。

 「いや、でもまぁ。考えとかあるんですよ……きっと…多分」
 「うん、そうだといいな……そうだといいな…………」」
 
 『ギャラクティカ・マ●ナムーーーー!』

 そして……仲間二人の希望をへし折る叫びが迸った…………。





* * *





 (やりすぎた………)

 少し調子の乗りすぎた。
 テンションを上げ過ぎて、こめかみ辺りから血が吹き出しそうだ。
 無論、そんなマンガみたいな事態は起こらないだろうが、精神的な疲労が予想以上に大きかった。

 (っと、そろそろ来るか)

 取り合えず、手当たり次第に殴り倒した。
 前から後ろから左から右まで――満遍なく。
 
 突然の轟音と見栄きり、そして逆ギレ気味の不意打ちは思いの他効果があり、集まっていた十数人を全員殴れた。

 あとは――― 

 「このくそガキがぁあ!!」

 長剣を振りかざして襲い掛かる男を、体を捌いて躱す。
  
 周囲を見ると殴り倒された全員が怒りを燃やしながら立ち上がってくる。

 「ガキが、調子に乗るな!」
 「不意打ちでいい気になってんじゃねぇぞ」
 「ぶっ殺してやるッ」

 口々に怒りを顕わにする参加者たちに、刀儀の口が笑みを形作る。

 (上手くいったわ……作戦通り)

 笑みを隠す為に俯いていた顔を上げる。
 同時に、着物の袖から腕を抜き、懐から割る様にして上半身をはだける。

 今からが本当の戦い。
 僅かな勝機を得る為の試練。
 
 腰を落とす。
 ベタ足に構える。

 傍から見れば棒立ち
 見るものが見れば自然体――無形の位。

 (ひとつ上に行く為に……踏み台になってもらうで、失敗したら命はくれたる……)

 「刀儀楔―――参る」


 そして―――人々は奇跡の始まりを見る。





* * *




 
 「あ――――」

 誰かが呟いた。

 「嘘だろ……?」

 誰かが息を呑んだ。

 「なんだ……あれ?」

 誰もがその目を疑った――。

 ―――――ひゅおん

 風を斬る刃が……

 ―――ゴォッ

 豪速の斧槍が……

 ――ヒュ、ヒュヒュッ

 突き出される短剣が……

 「くそがぁあああ!」

 十数人分の無数の武器が―――――――――

 木の葉のように舞う少年の……皮一枚分だけを裂いて通り過ぎる。



 ………それは、異常な光景だった。



 ―――怒号も
 ―――叫びも
 ―――轟音も

 ただ一人、少年だけに届かない。

 殺意が一丸となって襲って来ると言うのに

 少年は、まるで独り、全てと関係の無い世界にいるかのように、剣群の中に在り続ける。

 ひゅん――ひゅうん!

 幾つかの刃が同時に迫る。
 
 なのに少年はただ歩むだけ。

 そして、刃が皮膚に食い込んだ瞬間、ふらふらと別の場所を歩いている。

 歩き続ける最中にも、刃が幾つも少年を掠めていくが、全て皮一枚しか切り裂けない。

 少年は……、ただ独り、剣風の中で揺れ続ける。

 風に舞う木の葉のように

 そして、誰も理解は出来ないが――――――

 ――――――命を……、懸けて





* * *




 
 一見優雅に見える白鳥だが、水面下では必死で足をバタつかせている。

 多くの観衆と、この場にいる者達の目の前で起きている奇跡はそれと同じだ。

 悠々と一人、春の日の陽光の中をそぞろ歩くような体捌きも、その実、肉体と精神の極限の合一に在るが故に、その消耗は凄まじい。
 前後左右から襲い来る全ての攻撃を捉えながら、接触の瞬間、皮一枚だけを切らせて身を躱す。
 見切りそこなえば、皮鎧ひとつ着けてない身は容易く戦闘不能に陥るというこの状況。
 プレッシャーを感じないと言うならそれは単なる気の狂った馬鹿だ。

 ゴッ!

 身を躱す。

 耳元で風が唸りを上げている。

 (早すぎた……ッ、もっとギリギリで躱さなあかん)

 肉体的な負荷は“術”である以上最小に抑えられるが、それを成す為の精神は鉋で削る様に削られていく。

 だが、やめる訳にはいかない。

 この異常な領域を、常態としなければ、リリシア・フィルドには届かない。

 (無葬――全てを無に葬る、究極の体術)

 時雨坂夜一が振るうそれは、文字通り全てを無に葬った。
 己自身の動きも、振るわれる全ての力も、――――相対する命さえも……。
 
 ……しかし、それは別の話だ。
 刀儀楔にはその“業”は無い。
 彼に在るのは、それを見てきたという事実のみ―――

 さらけ出した肌に、四方から降る刃を食い込ませる。
 
 (ぎりぎりまで―――今ッ!)

 刹那、全ての刃が刀儀を見失う。

 未熟なれどこの身は無葬使い。
 初動動作を無に葬り、起点と結点をゼロで結ぶ。
 故にその動きは無へと――――

 ――――ズッ

 (拙ッ―ー!!)

 居付いた。
 中心軸が崩れ、次動作が遅れる。
 
 拙い拙い拙い拙い拙い拙い拙い拙い拙い拙い――――――

 「ぜっ……ッ、りゃぁあああ!!!」

 居付いた瞬間、前方から三人が壁となって襲いかかる。
 更にその後方にも遅れて一人。

 (横に抜くのは無理…………なら!)

 強引に体を立て直す。
 そのまま一気に―――――前方へ!

 地を這うような低さで前方に倒れ込む。
 前方から襲い来る相手の足元を潜る様にして転身、左足を大きく引き、右膝を立てる。
 
 「うおっ!?」

 遅れていた一人が、予想外の刀儀の動きに反射的に剣を振り下ろす。

 剣の間合とは言えない接近状態。
 刀儀が掲げた両の掌が、振り下ろす腕そのものを捕らえる。

 両手を振り下ろすと同時、右膝を引いて座位へ移行。
 重心を崩され、力の流れを誘導された相手は、状況を理解するより早く宙を舞う。

 人間はただ立っているだけですらバランスに崩れが生じる。
 ましてや動きの中で安定を保ち続けるのは不可能に近い。
 人の呼吸や反射、意識の流れすら利用する武術家が、それを見逃す筈が無い。
 絶妙の投げ技であった。

 だが…………

 (だぁーーー! あかん! 倒してどうするんや俺ぇっ!)

 先程すり抜けた三人すら巻き込み倒れる倒れるのを見ながら刀儀が心の中で絶叫する。

 この無謀な試みは、全てこの『無葬』と、それに伴う『見切り』を完成させる為にあるのだ。
 
 追いついてきた敵の刃が降る中、刀儀は心を静め意識を目的に集中させる。

 ―――――――無葬

 座った体勢の刀儀に食い込んだ筈の刃が、またしても目標を見失う。
 座した状態での滑るような動き――――膝行法。
 全ての攻撃を紙一重で躱しきり、再び刀儀は立ち上がる。

 「…まだやで……まだまだやで。そうや……ありったけ、付き合ってもらう。
 あんた等の刃が俺の命まで届くか……それとも力尽きるまで俺の挑戦に付き合うか……」

 立ち上がりながら言葉を紡ぐ。
 
 確実に冴えを増し、消えていく動きを、周囲の人間は理解してはいない。
 が、その纏う雰囲気の変化には皆が気付いている。

 それ故に――――

 「――おい、アンチャンよ」

 声を掛ける者が、現われた……。





* * *





 「――おい、アンチャンよ」

 集まっている相手の中から、一際大柄で、斧を担いだ男が刀儀に声を掛ける。
 男は、顎に手を当て、訝しげな顔で刀儀に尋ねる。

 「アンチャン、こんな妙ちくりんな真似して…………何が目的だ?」

 疑問に思った者は多かったのだろう。
 男の質問に、周囲も聞き耳を立て、静まり返っている。

 「……それは」

 息詰まる雰囲気の中、刀儀が口を開く。

 「それは?」

 男が訊き返す。

 それに刀儀は、言葉に力を込める様に一拍置き

 「―――神さまの剣を、木っ端微塵に打ち砕く」

 強い口調で言いきった。

 「――――――――」

 息を呑む音が聞こえる。

 「おいおい……、そいつぁ…無理だぜ? 見たとこ、『刻印』も無いだろアンタ」

 「そんなモンは要らんし、無理を通せば道理が引っ込む。……いや、ちゃうな、可能を不可能にしたくない」

 「……可能だってのか、あの『神剣』に勝つ事が」

 神妙な顔付きで男が言う。
 当然だ、前回の大会、誰も彼女に触れることすら叶わなかった。
 格が違いすぎる。
 
 しかしそれでも、刀儀は絶対を信じない。

 「ハナっから不可能なら、こんなアホな事までして挑まんわ。傍から見てる分にはフラフラ歩いてるみたいに見えるけどな、やってる方は際の際なんやで? 『無葬』が不完全な俺にはこの『眼』に頼るしかないんやからな」

 「眼?」

 「俺にとっての到達技能――心眼や……。
 …………俺は、『神剣』どころや無い達人を、ずっとずっと見てきたんやで? 最高の技、最強の剣、円転する舞いの剣、振り下ろされる、薩摩剛剣。これは話に聞くだけやけど……舞いに全てを注いだ鬼神の魔性……他にも大勢」

 そして、その背後に広がる武の歴史。
 受け継がれてきた、人の歴史。
 この『眼』はそれだけを見てきた。
 
 生れ落ちるより前から剣戟の音を聞いていた少年は、極みに到った者だけを見て育ってきた。
 
 在る意味、彼こそが『ななし』の集大成と言える存在なのかもしれない。
 もっとも、それは、彼が極みに到った場合の話だが…………。

 「せやから……、この『心眼』こそが我が真髄。観えるからこそ『無葬』が使えるし、こんな馬鹿げた『見切り』もできる。あとは……それに肉体と精神が追いつけば」

 ―――――この剣は、草灯流は、神の剣にすら届く―――――

 「誰も信じんでも良い、―――それでもやると決めた」

 「…………」

 斧を担いだ男が黙りこむ。

 「…………」

 「…………くっ」

 そして、噛み締めたような笑いを溢す。

 「?」

 「くくくっ、おい! アンチャン!! 協力してやるよ。ハハ――最高だ! あの『神剣』に……あんなのに、本当に勝てると信じてやがる! アンタ、とんでもない馬鹿だぜ、大馬鹿だ!!」

 言うと、男は振り返る。
 そして、大声で、その場の全員に言った。

 「おいっ! お前等!! 聞いただろ? こいつの馬鹿げた挑戦に俺達も付き合ってやろうぜ!
 馬鹿げた奇跡が叶ったら、こいつに賞金で酒でも奢ってもらおうや!」

 その言葉が周囲の人間に浸透していく。 
 もとより、こんな大会に出るような人間、お祭り騒ぎは大好きなのだろう。
 皆が笑って武器を構えだす。
 
 「よーしアンチャン! いくぜぇ……」

 斧使いの男も構えをとる。

 それを見ながら刀儀は思う。

 (ええな……俺の言葉には、宿らん類の力や)

 羨ましいと、少しだけ思う。
 自分には、人を巻き込む力は無い。
 
 「なぁ、オッチャン、あんたの名前、教えてくれへんか?」

 斧使いに名前を尋ねる。
 憧憬と嫉妬と―――感謝を込めて

 「そいつは……アンタが優勝したら、酒の席で教えてやるよ」

 「はは……俺、酒は弱いんやけどな~」

 「じゃあ、なおさらだな」

 「堪忍してや…………」

 緊張が高まる。
 
 囲む全員が、今度は協調して攻撃してくるだろう。

 ――――じり

 間合が詰まる。

 ――じり

 あと半歩

 ―じ…り!

 「さぁ、いくぜ!!」
 
 ………………………………



 …………………



 …………

 ……

 …

 「ちっ、ありゃあ……人間じゃねぇや」

 着物を直し、その場を去っていく刀儀を見ながら男が呟く。

 「ったく……当たってんのに、血のひとつも滲ませないってか……『神剣』の嬢ちゃんとタメ張れるぜ……」

 捉えた筈の刃が目標を見失うこと数十回。
 そればかりか、総勢十八名全てが、疲労で動けなくなるまで武器を振るってなお、刀儀は薄皮一枚の見切りを崩さなかった。

 「しかし……すげぇなぁ」

 男が思い出すのは刀儀の動き。

 「確かに当たってんだよなぁ……だってのに届かねぇ」

 疲労が溜まり、ガタガタの体で男は立ちあがる。
 そして、おもむろに、刀儀のマネをし始める。

 「……よっ…と、と、と……まぁ、簡単に出来るもんでもねぇか」

 ふらり―――ドスン
 
 そのまま、座り込む。
 もう立てはしないだろう。
 明日は筋肉痛だ。

 男は言う―――

 「疲れたぜぇ、おい、酒、期待してるぜ、え~と…………」



 …………



 「名前聞くの、忘れてたなぁ」



 ……きっちり、オチまでついたとさ。



[1480] 孤剣異聞  第二十四話 第2区画・あの人は今
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/10/03 00:22
 ―――研ぎ澄ます

 肉体を、意識を

 ―――研ぎ澄ます

 精神を、魂を

 ―――研ぎ澄ます

 心を、剣を

 「全てを……無へ―――葬るほどに」

 神剣を倒す。

 それは、到るべきは境地へ到る為。
 それは、自分だけの望みと願いの為。
 それは、託されて、受け取った想いの為。

 刀儀は、独り、歩いて行く。

 「…………?」

 ふと、その先に、戦いの気配。
 強い気配のイメージは……黒っぽい?

 「はて?」

 奇妙な感触に首を傾げ、刀儀は気配の方向に向かっていった…………。








孤剣異聞  第二十四話 第2区画・あの人は今








 刀儀楔が戦っているのは、第1区画。
 予選の戦場はあと3区画ある。

 その中の、第2区画、そこに、なぜか幻像石が映し出さない戦域が在る。

 ……映せない訳ではないのだ。
 ただ、操作する者が、誰も注意を払わない、意識の死角になっている。

 おかげで、そこは、第2区画にありながら孤立した空白の場として存在している。

 結ばれ、閉じられた世界。
 故にそれは結界と呼ばれる。
 
 異界を形成するほどのものでもなく、物理的な干渉もしない。
 単なる人払いの結界だが、それに対する知識がないこの世界ではかなりの効力を示す。

 なぜ、そんなものが張られているのか?

 その術者、赤瀬夕凪は、その領域で、“敵”を待っていた。





* * *





 「木火土金水(きひづかみ)の浄化術式……。
 五行の流れを生み、その循環をもって“異”なる世界の法則を押し流す。
 理が違う世界でどこまで通じるかと思ったけどよ……」

 そこには、三人ほどの人間が倒れている。
 
 意識はないが、呼吸はある。
 命に別状があるようには見えない。

 「なんとか浄化……できたよな? 化け物になったりしないよな?」

 赤瀬がやったのは浄化だ。
 倒れている彼等は全て、異界の理に侵されていた。
 経験上、恐らく彼等は、切欠さえあれば、あの異形の化け物に変化するだろう……。

 「引金は、浸食を受けた存在が死に瀕したりして存在が薄れること……か
 概念防壁を壊すどころか、肉体をあそこまで物理的に変質させるってのは……」

 「……っスよね、人間まであんな風に変化するなんて」

 考察に耽っていると、相槌が赤瀬の耳に入ってきて――――

 「ああ―――ッ!? て、誰!? アンタ!」

 「あ、オレっすか? 『三つの刃』って呼ばれてます。以後ヨロシク~」

 ―――男が居た。

 誰もいなかった筈の空間に、男はいつのまにか現われた。
 警戒を顕わにし、勢い良くその場を飛び退いて、赤瀬は身構える。
 
 「あ、身構えなくてイイっすよ? オレも、どちらかというと倒れてる方に用事があったんで」

 しかし、やけにフレンドリーな感じで男は話しかけてくる。
 その態度に、赤瀬は身構えたままだが、会話を試みる。

 「……? でも、アンタこの大会の参加者じゃ」

 「あ~、いやいや、オレは世界の平和を護るエージェント。
……この人らを始末しなきゃな~って思ってたんスけど、必要なかったみたいっスね」

 返ってきたのは軽い口調。
 しかし、内容には見過ごせない言葉があった。

 「始末って……」

 「そりゃあ、もちろん……」

 そう言うと、『三つの刃』は手のひらをを見せ―――

 「ボンってね」

 ―――小さな爆発を起こして見せた。

 次の瞬間、赤瀬の目が据わり、構えが変わる。
 刀儀と酷似した、自然体の立ち姿。
 あらゆる状況に合わせて変化する自在の構え。
 それをもって、赤瀬は倒れている人達を庇う様に立つ。

 「いっ!? ちょ、ちょちょい待ちましょう! 誤解があるっスよ? ねぇ」

 下手に出るような態度だが、赤瀬は警戒を解かない。
 なぜなら、赤瀬夕凪には護っているものがある。

 それは『日常』
 
 家族をなくし、片方の肺を失い、消え去ってしまった日々。

 断じてそれは、人が簡単に殺されるような場所ではない。

 でも、自分はそこには居ない、他の誰かの『日常』を護ろうとしているから……

 それはきっと、後ろ向きな祈りの形。

 巡り巡って、幼馴染の少女の周りに、穏やかな日々が溢れて欲しいと言う願い。

 たとえ、その場所から、自分が遠く離れるとしても―――

 ……だからこそ、それを壊すものを許さない。

 そして壊されそうになるまで待つつもりもない。
 だからこそ、『祓い師』になった。
 全てが始まる前に、全てを未然に防ごうと―――。

 眼は半眼。
 現世と幽世を同時に見通すように。
 口には息吹。
 森羅万象の氣をとりこむために。

 意識を解放。
 変性意識へと移行していく…………。

 「……いやぁ、話し合いの余地はないみたいっスねぇ」

 男は変わらず軽い口調と表情で、手に持ったナイフを掲げた。
 その刃は淡く輝き、それを持って、男は複雑な軌跡を描き始める。

 (魔法の発動体……、この世界の術。効果は不明)

 頭の中から情報を引き出す。
 理法が異なっているので、術式に対して逆算をかけるのは難しい。
 ならば――――

 「ふッ―――!」

 ―――縮地

 彼我の距離を一気に縮め、打撃の間合に――――――

 「――って、わぁ!?」
 「げぇ!?」

 声は二つ。
 どちらにも、驚きの感情が含まれている。

 「くっ……」
 「ちぃ」

 両者の頬に一筋の傷。
 赤瀬が殴りかかった瞬間、男も同時にナイフを投げてきた。

 つまりは、あの魔法の発動は囮だったのだ。

 (まずい……スタイルが噛み合ってる)

 赤瀬はそう考えた。
 これ見よがしに魔法を使うふりをし、実際はナイフを投げてくる。
 自分と同じく、変則的な戦いを得意とするタイプ。

 「よっとぉ!」

 いきなり、男が倒れ込む。

 「なぁッ!?」

 その背後、死角になっていた場所から先程投げたナイフが回転しながら向かってくる。

 「……ッ!! 操作できるのか? っと、やべっ!」

 更に数が増える。
 囲む様に刃が迫る中―――

 赤瀬は足を止めた。
 刃が体に突き立っていく。

 「は?」

 刃を放った張本人が呆気に取られた。
 なぜなら、男に赤瀬を倒す意思はなかった。
 男にとっては、ほんの力試しのつもりだったのだ。

 (いや、待て)

 男――『三つの刃』は現状を再度思考する。

 (おかしいだろ? なんで魔法で刃引きされたナイフが突き立つんだ!?)

 「ああ、それは――――」

 背後から声――――

 「幻術だからな」

 現実が、崩壊した。





* * *





 「…………!? な、まさか幻影?」

 幻影(イリュージョン)の魔法は制御が難しい。
 使うだけなら、ある程度の魔法使いなら誰でも出来る。
 しかし、使いこなすのは難しい。

 だが……

 今のが幻だと言うなら、実体とすりかわった瞬間すらわからなかった。
 大体、刃が突き立った姿が幻影なのか、それとも一連の事態そのものが幻覚だったのか……それすらも判別できないのだ。

 驚愕を内に秘め、男は振りかえる。

 「ぜー、ああ、ぜはー、その……ヒュウ…まさか、だよ」

 息切れしまくっていた。

 「…………」
 
 「…………」

 男は、痛々しい沈黙。
 赤瀬は、喋れない。
 そんな静寂。

 「……なんで、そんなに疲れてるんスか?」

 「……仕様」

 おもむろに口を開いた男と頑張って返した赤瀬夕凪。

 「…………」

 で、やっぱり沈黙。

 ……まぁしかし、それは置いておこう。

 赤瀬は呼吸法を使って、とりあえずだが気息を整える。
 
 「……はぁ、で、何が目的だ? アンタ」

 「おっと、話し合う気になってくれたんっスか?」

 「信頼は出来なそうだけど、一応、信用はできそうだからな」

 幻術を使った際の反応から、敵意がないと判断する。
 だが、警戒を解いたわけではない。

 「じゃあ、とりあえず情報提供しますよ、そのあと話しを聞いてほしいっス」
 
 その言葉に赤瀬は頷く。
 情報が正しいとは限らないが、断片でもあれば、そこから全体を形作れる。
 だが、その前に、赤瀬はひとつ気になっていたことを訊いてみる。
 
 「ああ――――その前に」

 「ん? なんスか?」
 
 「俺の事、もしかして知ってた?」

 「……なんでっスか?」

 「いや、なんか、明らかに目をつけられてたような気が……」

 「…………にゃふー」

 「 Σ( ̄□ ̄||) 」

 赤瀬の人生は、今まさに着ぐるみに狂わされようとしているのかもしれない…………。





* * *




 
 「……つまり、この大会にさっきの人達みたいに存在概念を“狂わせ”られたの結構が居る訳か……だとするとマズイな、他の区域にいたら手出しできない」

 「そこで、オレの出番っスよ」

 大会参加者の中に、『化け物』になりそうなのが居る。
 それが、『三つの刃』が語った話の内容だった。
 そして、本来なら、彼等を焼き滅ぼすしか方法は見つかっていなかったところに、赤瀬が穏やかな解決法を持ち込んだと言う訳だ。

 「……そういやアンタ、どうやって俺の結界を抜けたんだ?」

 「そう、それがオレの特殊なところ…………、オレは空間移動系の魔法が得意なんスよ」

 「ああ、なるほど、空間の絆を感じ取る事で存在のゆらぎを感知するわけか」

 「……よく解りますね」

 「色々、複雑で雑多な知識がいるんだよ、俺とこの術式は……それより」

 使う術の差異などの話を打ち切り、赤瀬は今後の対策を話し出す。

 「つまり、アンタが空間転移で、俺か相手を連れ出して、俺が存在概念の矛盾を矯正する。……けど、この結界は“場”に張るもんだから使えないし、相手次第じゃ呑気に浄化してられない」

 「そこはオレがなんとかしますよ」

 「まー……そこそこは信用しとくよ。
 ……ところで、『三つの刃』さん」

 「はい? なんスか」

 とりあえず、この問題だけは解決しておかなければ……、と赤瀬

 

 「アンタ、なんか呼びやすい名前、無いか?」

 



[1480] 孤剣異聞  第二十五話 『漆黒』、第一区画・刀儀 その2
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/10/05 18:22
  黒い閃光が疾る。

 刃の様に細く、曲線を描きながら地を走り、周囲の人間を弾き飛ばしていく。

 その黒い光刃を放った男が、刀儀のほうを見る。

 なぜか、不満と怒りをあらわにして…………。

 「貴様、なぜ黒い」

 「はぁ?」

 そんな事を言い出した。








孤剣異聞  第二十五話 『漆黒』、第一区画・刀儀 その2








 「いや、黒いって……、服装のこと?」

 疑問符を浮べながら刀儀は目の前の男を見る。
 
 黒い鎧、黒い盾、黒い剣。

 全身黒尽くめだ。
 しかし、様になっている。
 黒い騎士、と言ったところか……。

 「そうだ、黒はこの俺の色だぞ、なぜ貴様はそんな格好をしている?」

 男が口を開く。
 どう反応するべきなのか判らず、刀儀は無理に作った愛想笑いでお茶を濁す。
 日本人とは総じて、困った時には笑う民族なのかもしれない。

 「いや、その、なんというか…………」

 「さっさと言え! 答えによっては容赦はせんぞ!!」

 物凄い物言いだ。

 (どうせぇっちゅうねん、この人、理不尽やわ)

 頭がクラクラする。
 刀儀はそう思った。

 「大体、あんたこそ誰やねん……」

 「なにぃ……ッ、貴様! 俺を知らんのか!!」

 「知らんわ!! 難癖つけて逆ギレかい!! って」

 ―――ゴッ

 「……………………貴様」

 「当たったら御陀仏やろ?」

 いきなり斬りつけた男と、宮本武蔵もかくやと言う一寸の見切りで躱した刀儀。
 武術を極めた者は、相手の攻撃行動を瞬時に察知し避ける。
 その差は一寸を切り、ぎりぎりでの攻撃の回避は、反撃を容易にさせる。

 「御託はええやろ? 後の事は剣で語れや」

 圧倒的な見切りとは裏腹に、刀儀は冷たい汗を掻いていた。
 それ程までに……鋭い太刀筋だった。

 「……いいだろう、どちらにせよ貴様は俺とキャラが被っている。放っておく訳にはいかん」

 男も刀儀の実力を悟ったのか、全身を戦闘体勢に移行する。

 男の言葉に、―――どんな理由やねん―――。
 そうつっこみたかった刀儀だが、押し殺して、ただ心を研ぎ澄ます。
 
 鯉口を切る。
 腰を落とす。
 
 「貴様、名は?」

 「刀儀楔」

 「俺の名はギーズィ、二つ名は『漆黒』」

 視線が交わる。
 それだけで殺そうとするかのように……。

 「いいだろう! トウギクサビ―――消し飛べ!!」

 「やってみぃ! 黒いのぉッ!!」

 黒光が迸り、刃が無を疾る。

 二つの意志が激突する――――――――。





* * *





 第4区画、自身の使う神聖剣の対である暗黒剣の気配を感じ、リリシア・フィルドが空を見上げる。

 無論、見えるわけではない。そんな事が解らない彼女ではない。
 しかし、見上げる空はどこもでも同じなのだから……
 
 そこまで考えて彼女は頭を横に振る。

 詰まらない考えをしたとでも思ったのだろうか?
 
 彼女は他の参加者が争う中、一人だけ孤立している。
 誰も彼女を相手しない。
 誰もがその絶対を疑わない故に、誰も彼女に挑まない。
 それは、人としても、剣士としても孤独な事だ…………。

 だから、やはり彼女は空を見上げる。

 この空の下では、自分を斬るかもしれない剣士が居るのだから。





* * *





 (あかん……! タチ悪いわぁ)

 刀儀は先程の交錯の瞬間、攻撃より離脱を優先した。
 そして、現在地は近くの家の影。

 「くぅぅぅ! どこに隠れたーーー!」

 ずごぅ! と言う轟音と共に、黒い漆黒の闇刃が石畳を裂く。

 (器物損壊……もうちょっと公共物に慈悲の手を)

 脳の思考容量の5%でいらない事を考え、残りで、対策を練る。

 (攻撃速度はスカーよりも下、けど、溜めがないから、スカーの完全な二拍子みたく捌きやすいわけやない。それにスカーよりも初速が遅いだけで、終速はほぼ同じ)

 (加えて、あの曲線軌道の黒刃。弧を描いて死角から入ってくるし、持続性もあるから下手したら挟み撃ちに遭う可能性もある)

 (……ようは、二、三人相手取るつもりでやればなんとかなるか? 一対一の戦いは多勢が争う戦争 の最小単位、大体、果し合いで立合い人が切り掛かって来るなんてのはよくある事や……)

 そこまで考えると、刀儀は先程の交錯を思い出す。

 (問題は……あの盾)

 先程の交錯、刀儀はギーズィの左脇を斬りつけながら抜けようとしたが、それは盾で阻まれた。
 
 そして、その時それは起こった―――

 (展開された力場……どでかい掌底くらったみたいやった)

 盾から展開された障壁のようなものが、刀儀を弾こうとしたのだ。
 そして問題は、それが固定された壁ではなく、迫ってくる衝撃であった事だ。

 そう、固定された存在は確かに強い。
 しかし、それは固定されているが故に、脅威はない。

 対して動くものには必ず隙が存在する。
 しかし、動くがゆえに、生まれる弱点は流動し、なによりもこちら向かってくる。
 
 (あかんな……、ぎりぎりの勝負になればなるほど未熟が浮き彫りになるわ……)

 刀儀の性能は、はっきり言って常人だ。
 扱う技術が凄まじいが故に、刀儀は一見、超人的に見える。
 しかし、刀儀の戦闘論理を支えているのは、全て積み重ねられた技術であり、特別な力ではない。

 もしも、神に与えられたような強大な力があるならば、流動する隙を捉える必要すらない。
 力を持って障壁を切り裂けるだろう。

 しかし、刀儀の縋るそれは、経験と読み。
 圧倒的な反射の正体は、情報の蓄積から来る優れた予測。
 際限なく積み重ねられるが、それは、それ以上の効果をもたらさない。
 外れた時点で全てが終わる。

 …………そして、残念だが、刀儀にはまだ、その経験値すらも足りない。

 (ならば…………)

 それ以上を求めるなら、そこに工夫とひらめきがいる。
 歴史に名を残した数多の剣豪たちは、必ずと言っていい程持っていたそれ―――

 (やったる、己の看板打ち立てた以上、避けられんことや!)

 己と言う限界を超える。

 眼前の強者はその為にある―――――――――

 刀を握る。

 今はまだ名もなき刀、己の終わりを落日と例えた刀鍛冶の墓碑。

 それは、ただひたすらに魂を込めて鍛えられた玉鋼。
 特別な力などなくとも、この刀は意のままに動く。

 真に名刀と呼ばれる刀が求められるのは、切れ味でも美しさでもなく、信頼。
 ならばこれこそは名刀と呼ぶに相応しい。

 「いざ、参らん―――草灯流“斬鉄”三日月」

 今より生み出すは、新たなる秘剣――――――三日月。





* * *





 (あの男……、あの剣筋…………)

 ギーズィの脳裏に、交錯の瞬間が甦る。

 (まるで、俺の動き出すタイミングを完全に把握していたようだ……)

 足を踏み出す一瞬
 まさに、その瞬間、視界から刀儀が消えた。

 実際には消えたわけではない。
 刀儀は前方に向かって倒れこんだ。
 
 (見えなかった……、暗黒剣の習得の為に、視界以外の感覚を研ぎ澄ませていなければ……)

 視界から消えるまで、剣は鞘に納まっていた。
 更に、その筈の刃が無を疾ったかの如く唐突に、彼の顎先を掠めて通りすぎた。

 刃は、真下から放たれたのだ。

 それは、極限まで体を倒した状態での居合。
 膝を抜いて相手の足元まで倒れ込むように踏み込み、下から逆風に斬りつける。

 本来なら鎧の弱点である股間を狙っても良かったのだが、刀儀の勘が深く踏みこむ事を躊躇わせた。
 結果、刀儀は彼の持つ盾の魔力を回避できたのだが…………。

 (ニ撃目……この盾がなければ左腕は潰されていたか……)

 元々、この盾は『神剣』リリシア・フィルドとの戦いに備えて調達した物だ。
 威力において、暗黒剣を上回る神聖剣を防ぐ為に用意した。
 更に、盾の魔力で展開された力場障壁は相手を弾き飛ばす……筈だった。しかし……

 (あの男……ッ! それすらも躱しただと!!)

 腹立たしい事だった。

 彼の努力は全て『神剣』に挑む為にあった。
 ただ一人に勝利する為に磨き上げ、装備を集めたのだ。

 それを、目の前の男に使う事になった。
 魔力を感じない。『刻印』の気配も感じない。
 そんな男に使った挙句、それも躱された・・・・・

 刀儀は、逆風の一撃を放った直後、鞘から左手を離し、翻った刀の柄を掴むとそのまま左脇の人体急所を狙い、地を這うような低さのまま駆け抜けた。
 そして次の瞬間、異様な気配を感じた刀儀は刀を握る手から力を抜いた。
 柔らかく、沈む様に力の流れを受け流し、転がる様に建物の影へと逃げこんだのだ。

 (……油断はできん、認めろ、あの男はこの俺の“敵”として在る)

 覚悟を決める。

 ギーズィ―――『漆黒』の名を持つ剣士は、刀儀を敵として認めた。

 「出て来い! 決着をつけてくれる!!」

 咆哮、一喝。

 闘志が空間を満たしていった…………。



[1480] 孤剣異聞  闇と三日月、刀儀 決着
Name: 鞘鳴り
Date: 2006/11/13 20:23
厄介やなぁ、あの遠距離攻撃……)

 建物の影から様子を窺っているが、黒い刃が荒れ狂う戦場は無闇に近寄る存在をを頑なに拒む。

 もしもこれが、単なる剣での勝負なら、確実に勝利できる自信が刀儀にはあった。
 なにせ、剣の間合において、“術”を遣う者とそうでない者には圧倒的な差が存在する。

 相手は、剣を振り上げてから振り下ろす。
 しかし遣い手は、振り上げながら振り下ろす。
 つまり行動速度が違うのだ。 

 だが―――――

 (ぎりぎりまで近づいて、思いっきり跳ぶしかないかぁ……)

 剣の間合を無視したギーズィの遠距離攻撃は既に剣術の範疇を越えている。

 (対人から対モンスターまで想定したトンデモ剣術か……これやからふぁんたじーは……)

 愚痴りながらも刀儀は家屋の影を伝ってギーズィに接近していく。
 ……正直、ファンタジーが嫌いになりそうだ。必殺仕〇人とかの方が良い。
 
 ぎりぎりまで接近、彼我の距離が5メートルほどになった所で遮蔽物がなくなった。
 
 (さってと……ほいたら、いこうか、真っ黒くろすけ!)

 ……ならば身を晒す。
 
 「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、踏み込み行かば 後は極楽――――いざっ!!」








孤剣異聞  第二十六話 闇と三日月、刀儀 決着








 暗黒剣を使う為には闇を知る必要がある。
 闇を知り、闇に触れ、闇を扱うその過程。
 その中で、感覚は磨かれ、やがて死角を減らしていく。

 ギーズィの『刻印』に刻まれた力は、魔力を闇のように濃密に周囲を満たし、五感のように情報を伝えてくる。
 その感覚に、禍々しい気配が引っ掛かる。


 
 ―――――ぉ



 「……ッ!?」

 明らかに気配を抑えているのだが、その本人の気配とは別に、殺意だけが途方もない厚みを持って存在している。
 
 「――――いざっ!!」

 動揺を悟ったのか、抑えられていた気配が動いた。

 無論、それは刀儀。
 ぶれの少ない無駄のない疾走で間を詰めてくる。
 
 「―――ちぃ! 臆すかぁっ!!」

 動揺を振りきり、黒刃を放つ。
 弧を描きながら地を走る斬撃が刀儀を襲う。
 それに――

 「いぃ――やぁっ!!」

 ドン!

 体を旋回させながら、先に移動した重心を追うように地を蹴る。

 一瞬にして刀儀の体は斜め前方に跳び、黒刃の脅威を回避する。
 そのまま、刀を大きく振るい、遠心力と重力に任せて独楽の如く疾走する。
 
 右に
 左に
 前後左右に―――

 荒れ狂う黒刃を縫う様にして刀儀はギーズィに迫っていく。

 「小賢しいぞ! ちょこまかとぉぉぉお!!」

 ギーズィの咆哮に、黒い刃達が応える。
 幾重にも渦を巻き、刀儀に追い縋る。
 
 ―――きりきりきり

 体の中で、刀儀はそんな音を聞く。
 弓を引き絞るイメージ。
 実際にはそこまで単純では無い。
 筋肉を操り、血流を制御し、肉体に大活性を起こす。

 瞬間、まさしく矢の如く弾ける。
 体ごとぶつかり、闇色の渦の間を突き抜け、ただ前へ―――

 「ぜッ……りゃぁあああ!!」

 跳ぶ。
 
 刀を振り上げ、伸び上がる様に重心を上へ、それに追いつくように――跳ぶ。

 「な――――」

 ギーズィが驚きに強張る。
 
 刀儀の跳躍。
 胸に当たるほどに膝を折り曲げ、滞空するそのさま。

 刀儀は、ギーズィの頭より高い位置を飛んでいた。

 「―――秘剣“三日月”」

 呟きと共に刀儀の体が縦に廻り、ギーズィが盾を構えた。 

 ―――――ゴッ!

 盾が防御と同時に魔力を放出し始める。
 だが、剣閃は揺らがない。
 渾身の刃を境に、放たれた衝撃が二つに分かれる。

 「い―――――」

 刃が盾に触れると同時、峰に全身を乗せ、自重の全てを刃に乗せる。
 そのまま旋回する勢いで引き斬れば、刀儀流の斬鉄――『兜割り』

 だが、更に引き斬るまでの一瞬、力が威力に変わるよりもなお『早く』
 刀儀は呼吸も含めて全身をロックし、細く、細く威力を絞る。

 「―――――ぁああッ!」

 細く、細く―――――なお、細く

 二つに分かたれた衝撃波が身を削る。
 その最中、刃が薄く鋭く研ぎ澄まされるような錯覚すら覚えながら

 「ぬぅっ!?」

 全体重を乗せた斬撃の重さに、ギーズィが揺らぐ。
 しかし、それよりも早く、刃が盾に食い込―――。

 ―――まない。

 (しもた! 刃引きの魔法かかってんの忘れてた)

 刃が無ければ引き斬りの威力は発揮できない。

 この技は、作り出した僅かな亀裂を刃を持って押し広げるような技だ。
 さながら、僅かな亀裂からダムが決壊するように
 故に、三日月は不発に終わる。

 「ぐぅ……ッ」

 しかし、それでもなお、僅かだが刀身が食い込みその剣圧にギーズィは咄嗟に盾を手放す。

 「…………」

 カラン、と音を立てて盾が地面に落ちる。
 刀儀は音も無く地に降り立ち、後退したギーズィを見た。

 「……?」

 様子がおかしい。
 
 呆然としているわけでもない。
 ただ、静けさを宿したように立っている。
 あのどこか馬鹿っぽい感じがしない。

 「……魔法がかかっていなければ、両断されていたか」

 「…………」

 落ちた盾を一瞥し、静かな声音でギーズィは口を開く。
 刀儀は応えず、呼吸を深くする事に専念する。
 ……これから先に予測される展開を本能で理解するが故に。
 
 「俺は……まだ慢心していたらしい。
 武具を揃え、力を高め、『神剣』を倒すのだと。
 その為に、まずはこの敵を倒すのだと。
 ……なるほど、今は目の前の敵が全てだ、故に――
 
 ―――――見せてやろう、真の暗黒剣を」

 呟きながら、今度は剣を両手で握った。
 おそらく、それが本来の型なのだろう。
 構えがどうに入っている。

 「―――ええやろ、俺も見せたるわ、草灯の真髄を」

 それに、刀儀も構える。
 いや、構えは無い。
 必殺の為だけのそれは果たして構えと言えるのか?

 ―――じりっ

 間合が詰まる。
 彼我の距離はおよそ3メートル。
 どちらにも有利とは言えない微妙な距離。
 
 ――――――

 音も無く刀儀が踏みこみ―――

 ――――応えるように闇が弾けた。





* * *





 「すごい……」
 
 呟いたのは誰だっただろう。

 「なんて戦いだ……」

 映し出される戦場。
 観衆が釘付けになるのは第一区画。
 刀儀楔と『漆黒』ギーズィの戦闘。

 ―――ゴッ!

 響くのは轟音

 ギーズィの暗黒剣が薙ぎ払い、その間隙を刀儀の刀が自在に踊る。
 
 その圧倒的な黒の奔流を前に、刀儀はまるで波に呑まれる木の葉の如く頼りない。
 だと言うのに、頼りなげな人影は一歩足りとも後退せず。
 例え前に進めなくとも後ろにだけは下がらない。
 それはまるで運命に抗い続けるようで、否応無しに人を惹き付ける。

 ―――ザッ

 刀儀楔は歩を進める。

 背丈を越えるほどに巨大な黒い刃。
 尾を引きながら地を走り、渦巻く。

 ―――ザザッ

 半身に入り身、足の踏み換え、体の捌き。
 時には身を翻し、隙あらば前に踏み出す。
 ……そう、決して下がらない。

 ―――……ザッ

 一足一刀の間合へ辿り着くと同時、黒刃の嵐が収まり、刀儀の歩みも止まる。
 視線が交錯し、獰猛な笑みが両者の口元に浮ぶ。

 「判っとると思うけど……ここからが俺の本領発揮―――早いで?」

 確認する。
 覚悟はあるか? と

 「はッ! 望むところ!」

 答える。
 能書きは充分だ、と

 そう、刀儀が己に辿り着いた今こそ、本当の戦いの始まり。
 そう告げるかの如くギーズィが大きく剣を上段に構える。

 「いぃぃいいぇえあああああ!!」

 咆哮! ギーズィの剣が真っ向から振り下ろされ

 「―――――――ふっ!」

 合わせる様に刀儀も刀を振り下ろす。

 粘り強い太刀筋、中心を奪い、鎬を持って対手の剣を弾く。

 すなわち、一刀流の極意―――『切り落とし』

 「ぬぅ!?」

 中心を刀儀に奪われ、ギーズィの剣は斜めに逸れる。
 だが、間合が遠く刀儀の刀も届かない。
 しかし、真っ直ぐな振り下ろしが突きに変化し、ギーズィを襲う。

 それは、柳生新陰流の技法―――『斬釘截鉄』

 左に体を倒して辛うじて躱すが、その一瞬で刀儀は突き出した刀と平行するような位置に移動した。
 そのまま旋回し、左へ倒れ込むギーズィの首目掛けて、掬い上げるような左切上。

 ―――ぎぃん!

 咄嗟に上げた篭手で受け止めるギーズィ。
 だが、まだ刀儀の攻勢は終わらない。
 次に瞬間、足元の地面が爆発した様に噴き上がる。
 そして―――
 
 「草灯流を支えるのは数多の執念、数多の狂気人が重ねた殺意の歴史

 土煙の向こうから、ギーズィの耳に声が響く。

 「現代と言う時代やからこそ、その全てに触れる事が叶った」

 それは揺らめく影

 「……使いこなせる訳や無い。なぞるだけで精一杯や……けど」

 揺らめく殺気

 「なぞり続けたその向こう、万刀は一刀に帰し――――」

 土煙のその向こう、迫り来るのは殺気と言う名の影。
 人の歴史に支えられた殺意が生み出す禍々しき殺の気配。
 時を越えて重ねられた剣の境地。

 暗黒剣の使い手が持つ超感覚はそれを捉え反応する。

 ―――――

 宙を舞う砂塵はゆっくりと肌を削り、そこに音は無い。

 ―――まだ……

 殺気を捉えながら、渾身の一撃のために意識を高める。
 時間が圧縮されるかのように、集中力が生む世界は遅く、もどかしい。

 ―――まだだ……

 その中でギーズィの剣が暗黒を纏う。
 刀儀の剣を粉砕し、その身を打ち砕かんと力を込めて。

 ―――あと……一刹那

 渦巻く黒が待ち受ける……迫り来る殺意。

 ―――いま!!

 急激に時間が解き放たれる。
 ギーズィ自身、信じ難いほどの速度で剣が振るわれ―――

 「―――我が一刀はここに到る」
 
 その全てを越えて、意識の外から刀儀の剣が現われた。





* * *





 コッ―――――――ォォン………


 
 独特の反響音。

 刃引きされている事など関係無く、斬鉄の理を宿さぬ刀に金属鎧を切り裂く性能は無い。
 だが、横薙ぎに振るわれた刀が、ギーズィに直撃した瞬間、その威力は鎧を貫き内部に透徹した。

 「がはっ――ッ」

 予想外のタイミングに威力。
 体内の酸素を一気に吐き出したような気分がギーズィを襲う。
 おもわず膝が折れそうになるが、視界の端に激痛を耐えるような刀儀の姿が映る。

 (……折れる? ふざけるな!)

 ギーズィが踏み止まる。
 体の内側からじわじわと湧き上がる疲労に耐えて

 それを見て、なぜか刀儀が笑う。
 意識したものではなく、溢れ出たような狂った笑い。
 地面を踏みぬいた反動で悲鳴を上げる右足から、痛みが消えた錯覚すら覚える。

 (あちゃ、あ……、やばい、楽し、なって、きたわ…ひひ)

 引き裂くような笑みを浮かべて刀儀が刀を振り下ろす。
 それを受け止めギーズィが叫ぶ。

 「貴様はなんの為に強い!」

 問いと共に、上段から体重を乗せている筈の刀儀を押し返す。

 「唐突に……ッ、なんやぁ!!」

 逆に訊き返しながら更に力を込める。
 しかし、膂力の差は無視できない、弾き飛ばされる。

 「俺は『神剣』が最強なのが気に入らん! ……うおっ!?」

 弾き飛ばした筈なのに、下方から刀儀の刀が襲いかかる。

 「ドアホっ! 将来は美人確実なリリィちゃんが最強で何が悪い!!」

 ギーズィは剣で受けない。
 前に出て鎧で受ける。

 「貴様の、頭が、悪いわあーー!!」

 斬撃を受け流しながら渾身の闇を叩きつける。
 炸裂するそれを、刀儀はさらに前に出る事で回避。
 間合は既に密着状態。

 「だらぁっ!」

 刀儀がギーズィの顎を肘で跳ね上げる。

 「ぬおりゃぁ!!」

 跳ね上げられた頭を、勢い良く振り降ろしてギーズィが刀儀に頭突きを決める。

 僅かに出来た空間を使い、互いに拳を握り締める。

 「このロリコンが! いや!? 将来性に期待なら違うのか!?」
 「ロリちゃうわボケ! って言うかこの世界で、その言葉を聞くとは思わんかったわ!!」

 ちなみに、実際は刀儀の脳内変換によってそう聞こえているだけである。
 そして、言葉の応酬が終わると同時、拳の応酬の準備が整う。

 ごすん。

 鈍い音、二人は握り締めた拳で同時に殴りかかった。

 ごすん

 退かない。
 目を血走らせた二人が、渾身の力で殴り合う。

 ごすん………………ぐらっ

 そして三撃目、両者ともにグラつき、思わずたたらを踏む。

 「…………ぐ、おお」
 「…………あったた」

 一端、戦闘が途切れた。

 生まれ始めていた妙な連帯感がそうさせたのか
 あるいは拳の応酬で、握り締めているものが伝わったのかもしれない。
 妙に互いに言葉を交したい気分になった。

 「トウギクサビ……貴様は強い」

 唐突にギーズィが刀儀に告げる。
 しかし、内容はともかく会話になりそうな事は予想していたのだろう。
 刀儀はすぐに答える。

 「……そりゃどうも、でもあんたのほうが強い」

 「当然だ、だが、俺は貴様に負けるかもしれん」

 ギーズィが妙な事を言った。
 だが、理解しているのか刀儀は訊き返すことは無い。

 「ひひ、剣の勝負やからな……」

 そう言って、刀儀は腰を落とす。
 構えは脇構え、自然に選んだ。

 ……再び戦いの気配が場に満ちる。

 だが、それでも戦いを始めずに刀儀が尋ねる。

 「なぁ『漆黒』さん、強いってなんや? 強い人間ってどんなんや?」
 
 「知らん、だが簡単だ」

 それは幾人かの達人に尋ね、しかし返ってこなかった答え。
 答えを持つ者は内に秘め、しかし、外に表しきれない概念。
 だというのに、ギーズィは即答する。

 「いついかなる時であれ、正々堂々、真っ向から、大胆不敵に笑える奴だ」

 「………………はは」

 刀儀は思う。
 それは確かに強い。
 そんな奴は間違う事無く強いだろう。
 そして、それは―――

 (あんたはきっと、そういう奴になれるんやろな、勘違いとかは愛嬌で――)
 「おおきに、ごっつ尊敬するわあんたのこと」
 
 「当然だ―――まだ聞きたい事があるなら聞いておけ、次は『神剣』に使う予定だった技だ」

 そう言ってギーズィが笑う。
 真っ向から大胆不敵に………まぁ、疲労で膝がガクガク震えているのはまぁ愛嬌だ。

 「ひっひひ、ほな最後にひとつ。
 ―――なんであんた、黒が好きなん?」

 「決まってる。暗黒剣を、使うからだ―――――」

 簡潔明瞭な答えと共に、刀儀目掛けて無数の黒刃が渦巻く。
 
 それは幾重にも、幾重にも、幾重にも―――――――――

 「凝縮し、全てを打ち砕く暗黒の力場だ! 越えて見せろ!!」

 暗黒の刃が渦巻き、まるで、天を貫こうとするかのような闇の柱を形作る。

 刀儀が居るのはその中心。
 あと数瞬後には力場に呑まれて潰されるだろう。
 ここまでの攻撃には魔法による威力の制限などもはや焼け石に水。
 下手をすれば刀儀はここで命を落とす。
 だが!
 
 「草灯くさあかり虚空うつろの闇を引き裂くは、細く鋭き、月明かり」

 一般に,夕方西の空に見える半月よりも細い月が、三日月と呼ばれる。
 しかし、「三日月」とは、正式には陰暦で3日目に出る月のことだ。
 陰暦では月と太陽が同じ方向にある新月の日を毎月1日と定める。
 これは月齢では0にあたり、三日月は月齢で2にあたる。

 ……そう、実際には、三日月の姿とは、とてもとても――――細い。

 別称として、月の剣と例えられるそれは、夜と闇を裂いて存在する刃の軌跡のようで――――――

 収束し、噴き上がり、全てを呑みこもうとする暗黒の渦に亀裂が走る。
 黒渦を貫く銀色が、闇夜を引き裂いて月を描く。

 「斬鉄―――“三日月”」

 それはいかなる現象か?

 刃が細く美しい弧を描いた刹那、暴威を振るっていた暗黒の渦が霧散する。
 その残滓に体を引き裂かれながら刀儀が闇を突き抜ける。

 強力な斬撃と言うだけでは説明のつかない現象にギーズィの思考が一瞬凍る。
 そしてそれが、迎撃を遅らせた。

 「あぁあああぁああ―――――――!!」

 際限の無い殺意を従えて、刀儀楔が来る。
 斬撃に集中するあまり、着地制御の余裕すら無くしたのだろう
 そのまま頭から地面に激突した。

 ―――しかし、止まらない。
 
 顔面を朱に染めながら、ぶつけた反動そのままに立ち上がろうとする。

 「せぇえぇー――――!」

 そこに襲い来るギーズィの一撃。
 恐らくこれが最後の攻防。

 刀儀は体の中心線を軸に、斜めに直線移動。
 円の動作に支えられた直線動作は、鋭く疾い。

 同時に両手が振り上げられる。
 その動きはあまりに無駄なく、振り上げると言う言葉すら似つかわしくない。

 そして、刀。
 手の中で廻り、切先は背後へ
 腕の動きに沿い、廻りながら頭上に掲げられようとするその刀身、それが―――

 「な!?」

 ギーズィの一撃を流す。
 
 感触は無い。
 まるで自ら方向を変えたかのように
 
 無論、それには刀儀の技術もあるが、それだけではない。
 それは、『刀匠』真兼鉄心が刀に施した細工のひとつ。
 最新技術による刀身側面の低摩擦加工。
 
 より人を斬れるように、斬り続けて止まらぬように
 一歩間違えば、刀を人斬り包丁に堕としかねないその工夫。



 ――――――さぁ、てめぇはどうする?――――――



 いつかも聞いた言葉を脳裏に浮べながら刀儀は刀を振り下ろす。

 振り上げから、受け流し、そして斬撃までの流れに停滞は無い。
 足は踏みかえられ、斬撃に体重が乗る。
 刀身は首筋に吸い込まれその威力を解き放ち――刹那、手の内を絞り込む。

 運動エネルギーを伝達され尽くし、ギーズィは頭から地面に叩きつけられた。

 「…………―――――――――」

 場に静寂が戻ってくる。
 ギーズィはもはや立ち上がらない。
 それを確認し、刀儀は絞り出す様に長く、息を吐き出す。

 内に篭った闘争の熱、あるいは人を斬った時特有の暗い情念を出し尽くそうとするかのように……
 だが、構えが崩れない、刀も、人を斬り殺しそうな緊張感が抜けきっていない。

 ことわざに『勝って兜の緒を締めよ』と言うものがある。

 その場の勝利は、常に次の瞬間の敗北を孕んでいる。
 故に、勝利の時こそ油断せずに、用心深く事に当たれと言う事だ。

 そして、その心構えを剣の道では『残心』と呼ぶ。
 恐らくこれは、今後の人生の全てについて回ることだろう。
 なぜなら、彼はついに戻れぬ場所までに踏み入れた……。

 「……………………」

 長い長い呼気が、本人以外知り得ぬ“間”をもって吸気に変わった頃、ようやく刀儀は刀を納めた。

 言葉は無い。

 ただ、無言で刀儀は歩み去る。

 残っている者を片付け、『神剣』との戦いの切符を得る為に…………。

 …………

 …………

 …………

 第一区画の勝利者は程なく刀儀に決定した。



[1480] 孤剣異聞  第二十七話 裏舞台
Name: 鞘鳴り
Date: 2007/01/14 23:17
 「ぜー、はー……、ちょっと、まってくれ……息がもたない」

 「……って、体力無いッスね~」

 「仕方、ない、だろ、肺が片っぽ、無いんだから」

 刀儀とギーズィが戦闘を繰り広げている丁度その頃
 三つの刃と赤瀬夕凪は四つの区画全てを股に掛けて暗躍していた。

 「……ところで、ミツルギさん」

 ちなみに、『三つの刃』の事を赤瀬は『ミツルギ』と呼ぶことにしたらしい。
 三つの刃→三つの剣→三剣→御剣→ミツルギ、という思考法だ。
 と言うか……ぶっちゃけ本名は教えてくれなかったらしい。

 「ん~? なんッスか、あーさん」

 そしてついでだが、ミツルギの方は赤瀬を『あーさん』で固定した。

 「あのニャフー(ヤフーにあらず)」

 「? ミーシアがなにか?」

 「み……!! な、なまえが存在するのか!?」

 まぁ、当たり前の事なのだが、赤瀬には驚きだった。
 なにせ赤瀬からすればアレは一種の不条理生命体。
 年月を蓄積した着ぐるみの九十九神と言われてもあっさりと信じるであろう存在なのだから

 「あ、ああ悪い、ちょこっと(大分)驚いただけ。
 ……で、話を戻すけど、あいつも、いや、あいつは、どこまでこの件に関ってるんだ?」

 それを聞くとミツルギは少し顔を顰め……

 「人助けぐらいの段階ですよ。
 ――――あの娘は血で汚れた世界に関らせない」

 ―――願わくば、あの娘の世界が穏やかであり続けますように―――

 かつて、そして今でさえ赤瀬夕凪が願う想い。
 それと似たものをミツルギは抱いているらしい。

 ただ、その重さと暗さは赤瀬では及ばない。
 赤瀬は人の暗闇とも対峙してきたが、暗闇になったことは一度も無い。

 「―――あんた、人を殺したのか?」

 だから、あえて赤瀬は訊いた。

 「そう……ッスよ、かなり殺しましたよ……放っておけば化け物になる。
 妖魔はもちろん、人間もね……。」

 「………………」

 赤瀬はなにも言えない。
 言えるわけが無い。
 
 「あ―――、ッ!?」

 それでも沈黙に耐えきれず、なにかを言おうとしたその時……―――









 ずごん









 「ぐはぁ―――――――――――!!」
 
 「うわぁ―――――! あーさんが飛んだ!?」

 衝撃事件!
 赤瀬 飛ぶ!!

 「……って、これ、『漆黒』の暗黒剣ッスよ!? ってマズっ! いっぱい来る!!」

 ミツルギの言う通り、地を走る黒い刃が無数に向かってくる。
 感じからすると狙ったものではなく流れ弾だと赤瀬は判断したが、まったくその通り。
 ただしその攻撃で狙われているのが自身の捜し人の一人である剣客な友人とは知る由も無い。

 「て、転移! 早く転移ぷりぃぃぃぃず!!」

 赤瀬が叫ぶ。
 切羽詰る様子は表情を見るまでも無く声に現れている。

 「う、うわ、場が乱れてて転移しにくい……」

 慌てた様子で転移魔法を詠唱しだすミツルギだが、黒刃に空間を掻き乱されて上手く座標が固定できない。
 その間にも黒い刃が荒れ狂う。

 「いいからぷりぃぃぃぃず」
 「ぬ、この……よし、いくッスよ!!」

 なんて言うか……、二人とも必死だ。

 ずどどどどどど

 「ま、間に合わない」

 赤瀬がうめいたが、その直後に転移魔法が発動する。
 空間がうねり、捻れ、あるいは歪むような感覚。
 視界が消え、そして見知らぬ景色が現れる。
 ……転移、成功。

 「ま、間に合ったッスね……」

 空間転移が成功し、ほっとした様子でミツルギが呟く。
 そして次に、転移場所周辺を探ろうとして…………

 「にゃっふーーー♪ 火の粉です! 火の粉火の粉 フャイヤーー!」

 降り注ぐ火の粉に気付く。

 「「………………」」

 赤瀬とミツルギは顔を合わせ。

 「大発火~~~♪」

 しゅぽ!

 「熱ちい!」
 「ミ…ミーシア!?」

 彼等が声の方角を見上げると、民家の屋根の上に怪しい猫の着ぐるみが一体。

 「にゃっふー♪」

 火の魔法を踊りながら唱えまくっている。
 周辺を見ると、参加者達が逃げ回っているのが見て取れる。

 ぎゃー誰かなんとかしろー
 た、助けてー
 あちちちちちち

 「……あーさん」
 「……なに?」
 「あの火の粉、着弾すると燃え上がるんで気をつけてください」
 「……うん、知ってる」
 「…………スイマセン」

 とても微妙な空気が流れ……そして、消えていった。

 にゃっふー♪ 








孤剣異聞  第二十七話 裏舞台








 「で、対象者は?」

 とりあえずあの場を去ることにした。
 忘れたい思い出はきっと心に残り続けるだろう(トラウマとも言う)

 やですねー、虎でも馬でもなくて猫ですよー♪

 …………不条理な幻聴が聞こえた気がするがスルーする。
 あれ? いま、するって何回言ったかな? え、3回?

 「え~と、何回だ?」
 
 「あ、あれッス。あそこでフラフラ歩いてるのがそうで……! って、あーさんしっかり!!」

 「………ん? あ、ああ、悪い、精神汚染、され、てた…………よし復活、んじゃ足止めよろしく」

 走り出す赤瀬の背後、まだ遠くでは逃げ惑う声が響いている。
 あれはニャフーじゃなくて、実はニャルラトホテップじゃないかと思い悩む赤瀬。
 まぁ、確かにコスチュームチェンジすれば千の貌を持つ事も不可能じゃない。(着ぐるみだから)

 嫌な思考を振りきり、仕事に専念する赤瀬とミツルギ。
 ミツルギが足止めをして赤瀬が捕縛・浄化をこなす役割分担。
 異界の理に蝕まれ、変質する可能性のある者を片っ端から浄化していく。

 「しっかし、さっきの黒いのは凄かったな」

 段々とルーチンワーク化してきたため、息継ぎにと何気なく先程の事を話題に出した。
 無論、ニャフー(本名 ミーシア?)の事ではなく、転移前にくらった黒い刃の事だ。

 「暗黒剣ッスか? ……あれは、本来ならあの程度の力じゃありませんよ」

 しかし、返ってきたのは、冷えた声だった。

 「え? あの」

 「『漆黒』は甘いッスからね……暗黒剣も、まともな使い手ならもっと有効な技を使いますよ」

 ミツルギは吐き捨てるように言葉を続ける。
 
 「―――あれはね、本来は他者の生命力を抉りとって自身の力にするんですよ。
 他にも、精神を斬ったり、突き詰めれば生命そのものに傷をつける事だって可能ですよ。
 それができれば対象を一気に衰弱させることだって出来る。
 だって言うのに……奴は、あの黒刃しか使わない。
 しかも、削るのは自分自身の生命―――知ってます? その為に『漆黒』は日夜体力作りに余念が無いそうッスよ」

 「…………」

 「確かに連発したりは凄い、あのやり方じゃ馬鹿みたいに体力が無ければ出来やしない。
 ああ……普通のやり方なら笑えるほど犠牲者が要りますよ? あれだけ撃てば」

 じくじくと涌き出るような感情は、憎悪のようでいて羨望のような気もする。
 なぜだか赤瀬はそう感じた。
 そして、とにかく何か言うべきかと思い、顔を上げてそして……

 「!―――おい」

 「……なんで、奴は――――――ん? なんスか」

 奇妙な、なんとも言えないような声色で呼びかける赤瀬
 それに、ミツルギが反応する。

 「……見ろ」

 言われて、ミツルギがその方向を見ると―――――

 「いやー、そんな所に居たんですかー、しかも先輩と一緒、奇遇と言うやつですね♪」

 ――――着ぐるみが……居た。

 「あ、ミーシア」

 咄嗟に出たのは、あまりにも平凡な言葉だった。





* * *





 刀儀たちが戦う戦場の外、大勢の観客が宙に映し出される戦いに熱狂している。
 しかし、その中でなぜか、ラエリは首を傾げていた。

 「なぁ、アリー……」

 なにか不安を抱えた表情でラエリはアリーシャに声を掛ける。

 「え? どうしたんですか」

 「いや……、なにか変な感じがしないか? こう……なにか……なんだろう?」

 よく判らないが、不吉な……強いて言うなら嫌な感じとしか言えないなにか
 説明できない感覚にラエリは言葉を詰まらせる。

 「なんだろう? って、トギさん頑張ってるんですからちゃんと見ましょうよ」

 「そう…………いや! 駄目だ。
 この感じは放って置けない! きっとなにかある」

 「あ……、ラエリさん!」

 「私は様子を見てくる。
 ……もしかしたら、またあの化物が関係しているかもしれない」

 「って、それなら尚更一人じゃ駄目ですよ! 大体わたしたちだけじゃ……、って一人で行かないでください! わたしも行きます!」

 制止を完全に無視してどこかへ向かうラエリを、アリーシャが追いかける。
 
 (ラエリさん……どうしたんだろ? まさか本当に、なにか特別な運命が導いて……?)

 ラドクリフ老が言った運命と言う言葉を思い出しながら、アリーシャは少しだけ大会の映像を振りかえる。
 
 (トギさん……)

 今まで、全ての敵と対峙してきた少年はここに居ない。
 それをもう一度確認し、アリーシャはラエリを追った……。





* * *





 「にゃふふー♪ ゆうさんと先輩が一緒に行動しているとは吃驚仰天です。
 あ、ちなみにあちきは先輩の指示で出来るだけ目立って衆目を引き付けていたんです。
 あちきのキュートさに皆メロメロですよー」

 その言葉に赤瀬はミツルギの方を向き――――

 (どんな教育がこの怪物を生んだんだ?)
 (いや、マジでスイマセン(汗))

 瞬時にアイコンタクトが交された。

 「むー、二人だけで分かり合ってるのはずるいですよー」

 着ぐるみが、プンプンっと効果音が出そうな動きを見せる。
 無論、それを可愛いなどと赤瀬は思わない。
 …………むしろ、後退りした。

 「あー……、そういやアンタ、ミーシアって名前だったんだ」
 
 とりあえず、先ほど得た情報で当たり障りのなさそうな会話をスタート。
 しかし、今まで名前も知らずに不条理物体と旅をしていた事に気付きショック

 「うに? ……ああ、先輩から聞いたんですかー
 残念、自己紹介は自分でやりたかったんですけどね」

 「うぅ、ああ、そうですか…………。
 あ、そういや、この人の本名なんて言うんだ?」

 とりあえず動揺を押し殺し、ミーシアが先輩と呼ぶ男――『三つの刃』――の事を訊いてみた。
 ……実は本名が気になっていたのだ。

 「え、あちき知りませんよー。
 って言うか、お師匠様も知りません。
 ですよねー先輩、なんでですか?」

 「ん……ああ」

 一瞬だけ、ミツルギは虚ろな目を見せる。
 だが、悟らせるよりも早く雰囲気を戻し、ミツルギが話を変えた。

 「それより……ミーシアがこっちに居ると陽動の意味が無いんじゃないですか?」

 「にゃっ? うー……、ま、まあ、せっかく合流できたんですしイイじゃないですかー(汗)」

 しかし、その会話の内容に―――

 「おい……」

 ―――赤瀬がつっこみをいれた。

 「ん? なんスか、あーさん」

 「『なんスか、あーさん』じゃねぇ……陽動ってことは…………さっきの地獄絵図はアンタのせいか!?」

 「あ……」

 そして、ようやく自分の罪科に気付くミツルギ。

 「うわー、自覚無しですかー」

 「「お前が言うな!!」」

 ……二人がハモった。





* * *





 「で、つまりアンタが動きやすい様に、こいつに注目を集めさせてたわけか……」

 じとー、とした目でミツルギを見る赤瀬。
 対するミツルギも「すいません」と申し訳なさそうに謝る。
 しかし……

 「そうなんですよー、あ、ところでゆうさんは、先輩に協力してくれてたんですか?」

 当の本人は全然気にしていない。
 それどころか自分の疑問の解消に話を差し替えようとしている。

 (にゃっふー♪ これぞ一石二鳥! 話を逸らせた上に疑問の解決! ストレスは溜めませんよー、健康の為に♪)

 しかも計算尽くだ……。

 「あー……まぁ、そんな感じか」

 しかも赤瀬はそんな策にあっさりハマり、経緯を話し出す。
 ミツルギが見せた暗い部分は除き、異界概念に干渉された参加者を浄化した事だけを簡潔に伝える。

 (しかし、ミーシアか……名前まで判明したし、俺、だんだんこいつと縁が深まってきた気がする)

 底無しの沼に足を踏み入れた気分が赤瀬を襲う。
 しかし、ぶっちゃけどうでもいい部類の話
 なので無視して―――渾身の力で目を背けて―――まじめな会話をはじめる。

 「しかし……実際問題、“敵”は誰なんだ? 俺は何と戦ってるんだ?」

 「うーん、あちきには判らないです。
 師匠は『世界の綻びから来る滅び』なんて言ってますけど……あちきにはサッパリです」

 「なら……ミツルギさんは判るか?」

 「無理っスね。
 オレたちの師である『大魔導』シン・ラドクリフが言うには……“それ”自体を定義する事は不可能、ただ、この世界にとって絶対的に有害、そうとしか定義しようがないものだ……と」
 
 「うーん、ゆうさんは何か無いんですか?」

 「そうだな……感じとしてはクトゥルフ神話、ホラー小説の大家、ハワード・フィリップ・ラヴクラフトの創造した神話体系……確かあれも、旧支配者に仕える人間が報酬だか影響だかで変質していった
 異界概念に影響されて変質するってところが似てるよな……って知らないか」

 ラヴクラフトがクトゥルフ神話を書く際、夢から多くのヒントを得たと言う話がある。
 それが異界概念からのなんらかの働きかけだとすれば…………。

 (始音は……この世界に『帰る』と言った。
 さらに、追いかけてきた先ではこの事態。
 それに…………)

 赤瀬は思い出す。
 謎の怪物関連の事件は、自分たちの世界でも起こっていた。
 むしろ、それこそが、この一連の事件の始まりだったのだから。

 (いや……)

 さらに記憶は遡る。
 
 (刀儀と出会った事件……あれも異界概念の干渉が絡んでた。
 一体、いつから始まってるんだ? ……いや、漸く始まった、が正しいのか?)

 二年前の事件
 依頼を受けたある村での一件
 そこで赤瀬は異界概念を滅ぼした。
 実際は退魔師やその地の神、巫女の血筋の少女などの手を借り、さらに刀儀の援護、村人の協力を得て、地脈に蓄えられた霊気を解放すると言う無茶な手段に訴えた。
 二度は出来ない手段だった。

 (ああ、くそ! 俺はどこに向かってる!? あいつらを見つけるだけじゃもう絶対に収まらないぞ)

 すでに事態が『祓い師』風情の手に負えるものでは無くなっている事を痛感する。
 それどころか『退魔師』ですら持て余すことも理解する。
 困惑と焦燥が赤瀬の内面を塗りつぶしていくその最中、直感が、異常な領域にある危機回避能力が警戒を促す。

 「? なんだ」
 「どうしたんです、ゆうさん」

 赤瀬は直感に従い、意識を変性意識に移行する。
 ミツルギもなにかを思案し、その手に短剣を出現させる。
 
 「あーさん……、敵ですか?」

 「いや、判断しかねる、でも、殺気が強い」
 (と言うより刀儀に近い感じだよな? 個人単位ではなくもっと積み重なった類いの殺意)

 「あ、誰かきますよー」

 ミーシアの声に二人が構える。
 そして―――

 「ほう、手応えの無い相手ばかりだったが……なるほどこちらは面白そうだ
 その実力も、お前たちの話の内容も興味深い……」

 現れたのは全身を布で覆った剣士。
 声は美しく、恐らく女。
 だが、なにより赤瀬の視線を釘付けにするのは――――――

 「それ、は」

 ――――五尺の、大太刀……日本刀

 知りすぎているその刀。
 友人が継がなかった、流派の武器。

 「刀儀流円舞長刀術―――参る」

 そして、赤瀬がよく知る名と共に、異様な踏み込みをもって迫ってきた―――――。





* * *





 「ラエリさん……どこに向かっているんですか?」

 「多分……危険なところだ」

 「……ですよね」

 いつかの裏路地を抜け、人々の喧騒も届かない場所へと進んでいく二人。

 「なにが、あるんでしょうか……?」

 「『私』には判らない……でも、今何が起こっているかの真相があるんだと思う。
 もしくは、真相に繋がるような何かが」

 アリーも、既にラエリが鍵を握る人物であることは何となく理解している。
 だが、事態の把握ができない現状に対する不安は別の話だ。
 心に逃げ出したい恐怖が在ることは否定できない。

 「あ、人が通った跡がありますね…………、何人か、こっちに進んだみたいです」

 数人の足跡を見つける。
 だが、人がいるからと言って安心できるものでもない。

 「うん、足跡からして、騎士、か?」

 ラエリが、足跡から通った人間の種類を推察する。
 森で暮らしていた経験から、足跡などを見る技能は身に付いている。
 無論、森に騎士などいないが、ミリアの関係で何度も見た。

 「風の精霊で、トギさんに連絡をとって置いた方が良くないですか?」

 「でも、試合中じゃ魔法は届かないぞ」

 「はい、だから、終わった後に合流する予定だった場所に待機させて置けば良いです。
 並の精霊使いなら難しいですけどラエリさんなら可能ですよね?」

 「なるほど、さすがアリーだ、やってみる…………ん?」

 ラエリが首を傾げる。
 違和感に戸惑うような仕草だ。

 「ラエリさん?」

 アリーシャが心配そうに声を掛ける。
 状況からして、良い事ではない事は確かだろう。

 「精霊に言葉が届きづらい……と言うより、狂っている」

 「! 狂った精霊ですか!?」

 狂った精霊は実体化し、人を襲う事もある。
 さらにそれは、物理攻撃が通じないという特性もあり、難敵だ。

 「いや、そこまでじゃない、なにか、言葉が届きづらい、私に集まってくれてはいるんだが、上手く意思が伝わらない……いやな感じだ」

 しかし、それについてはラエリが否定する。
 だが、同時に別の不安をラエリは抱いた。

 「なら、進みますか? それとも、一旦退きますか?」

 アリーシャが進退を問う。
 恐らく、ここから先にあるナニカは今まで彼女らが戦ったものを確実に凌駕する。
 下手をすれば……いや、下手をしなくとも、死に到る可能性がある。

 「……行く」

 ラエリは、そう答えた。
 その眼差しは、どこか悲壮な決意すら宿っている。
 そして、そこに違和感を感じとり、アリーシャはすかさず言葉を訂正した。

 「『行こう』じゃないんですか?」と

 その言葉と共に向けられたアリーシャの目は真剣で、思わず怯むほど真っ直ぐ、ラエリを射貫いた。
 ……耐えきれず、ラエリは内心を漏らす。

 「しかし! アリーは……いい…のか?」

 正直なところ、ラエリはこれ以上アリーシャを巻き込む事に抵抗を感じていた。

 恐らく、自分はこの件に因縁があり、運命のようなものの中にいる。
 しかし、アリーシャには、自分ほどの因縁などは無い……なら
 そう言う風に考えていた。

 「つき合います、だって仲間ですよ? ……それに、ここで引いたら女が廃ります」

 だが、それでもアリーシャは共に行くと言った。

 「……すまん」

 申し訳無さから謝罪の言葉がついて出る。
 しかし、それすらもアリーシャは訂正した。

 「いいえ、その場合は、『ありがとう』です」

 そう言ってアリーシャは微笑む。
 と言っても、結構引き攣っていたり、無理やりなところが目立つ。
 いっぱいいっぱいなのが目に見えているのは愛嬌だとしよう。

 「………………は、はは」

 少し呆気にとられ、それから声が出る。

 「うん、うんうん、ありがとう! アリー!」

 アリーシャの言葉を聞いて、ラエリの視界が少し滲む。
 それはいわゆる嬉し涙と言うものだろう。

 それがこぼれる前にラエリはそっと拭った。

 よくよく考えてみれば、彼女はラエリが森を出て初めて出来た友達なのだ。
 森の仲間はラエリにとって言わば家族。
 そして家族と友達はやはり違うものだ。
 共通するところは、そのどちらもが大切で掛け替えの無いものだと言う事。
 なら―――――
 
 (私は幸せ者だ、初めての友達が、アリーで良かった)

 ラエリは心から思った。
 しかし、次の瞬間ぼそりと

 「…………恋敵には負けられません」

 「……え?」

 なんだか妙な言葉が聞こえた気がした。

 「フフ、なんでもありませんよ」

 花咲く様に微笑み、アリーシャが言う。
 
 「なんでもないです。さっ、進みましょう、トギさんだって頑張ってますよ」

 そう言うとあっさりと振り返り、恐ろしく感じていた筈の道を歩いて行ってしまった。

 「? ??」

 そして、困惑するままラエリも後を追いかけ、走っていった……。



[1480] 孤剣異聞  第二十八話 予選終了
Name: 鞘鳴り
Date: 2007/02/27 01:44
 本気になったことが無い。
 そんな風によく言われていた……。
 勿論、自分ではそんなつもりは無かった。

 槍にしてもそうだ。
 より軽く、鋭く扱おうとするならば、むしろ力を入れない方が迅いと感じ、その直感にしたがって技を磨いてきた。

 皆、必死な顔で力一杯に武器を振る。

 だが、軽々と槍を扱うオレに追いつかない。

 天才ともてはやされた事もある。
 恐らく、武勇を尊ぶこの国ならば出世も望めただろう。

 そして、このやり方を突き詰めていけばオレは、『神剣』の域にすら手が届いたかもしれない。

 ……それでも、そんなものは望みすらしなかった。

 ただ、日々の平穏があの頃の望みだった。
 それぐらいが、ちょうどよかった。
 
 きっと、そんなオレの態度が、彼女は気に入らなかったのだろう…………。








孤剣異聞  第二十八話 予選終了








 「ゲイル・ランティス!」

 第3区画、ゲイル・ランティスの目前に立った騎士が、彼の名を呼ぶ。
 その手には二振りの曲刀、そして動きやすい様に最低限の守りに絞った鎧。

 騎士の名はシーリア・シルス。
 草原の王国、フィルドの近衛騎士団副隊長。
 通り名は『風斬り』、由来は『烈風』の名を持つゲイルとの模擬試合から来たといわれる。

 その試合は引き分けに終わったと言われている。が、彼女はそれを認めてはいない。
 全霊を叩きつけた彼女と、ただ天然自然の理のままに槍を振るった男。
 荒々しい太刀筋は風を引き裂いたが、風は裂かれる事など気にも留めていなかった……。

 「今度はあの時とは違う。
 お互い『刻印』に経験を刻み、力を得た。
 そしてなにより、民の目に触れる場だ」

 シーリアは真剣な目でゲイルを見る。
 既にこの区画に残っているのは既に彼と彼女だけ
 戦いを邪魔する者は、いない。

 「あの時の様に曖昧な決着などは無い。
 私は……今度こそお前を倒す!!」

 吼えるようなシーリアの宣言。
 その強い言葉に、ゲイルは槍を構える事で応える。
 その槍は今までの物より若干短く、小回りが効く仕様になっている……。

 すぅ、とゲイルが目を開く。

 猫の様に細いと呼ばれた目は今、鋭く開かれ、真っ直ぐシーリアを見据えている。
 
 「ああ……オレも、もう一度キミと戦うつもりでこの大会に出た。
 ラドクリフさんからの依頼が無くとも……、オレの望みのために……、だから

 ――――キミを越えて、進ませてもらう」

 そして彼もまた宣言する。
 初めて、掛け値無しの本気で告げるその台詞。
 生まれて初めて、彼は“本当の”本気になった。
 進むべき道を、見定めたが故に……。





* * *





 「ッ………!」

 ゲイルの台詞。
 それにシーリアは逆に気圧された。

 (なんだ? 私の知るゲイル・ランティスとは違いすぎる!
 …………奴になにがあった? あんな、渇望するような目をする男ではなかった筈だ……
 そうだ、あの目は……)

 シーリアの知るゲイルと言う男は、実力はあるのに昼行灯を気取り、物事に執着を抱かない人間だった。
 出世を望むでもなく、物欲もあまり無い。
 争い事はなるべく避けるが、避けてはいけない事は決して避けない。
 
 それがゲイル・ランティスだった。

 (『大魔導』……ラドクリフ殿が時折見せる目だ……)

 だと言うのにいま、その目には寒気のするような狂気が見え隠れする。
 それは、とても純粋で、どこか切ない真摯な欲望…………否、渇望と呼ぶべきか?

 「……とある少年とな、出会ったんだよ」

 まるでシーリアの疑問を読んだように語り出す。

 「肩を並べて戦った状況で……、オレ以外の命だって危機に晒されているのに、心のどこかでオレは彼の振るう剣の軌跡を追っていた……そんな気が、する」

 独白は続く。
 異様な輝きと静けさを宿した瞳がシーリアの動きを封じている。

 「あの日から、気付くと槍を握っている事が多くなった。
 あの日の……少年の影に、重ねる様に槍を振るっていた」 

 ザッ―――

 ゲイルが踏み出す。
 シーリアも即座に二刀を構え相対する。

 「くっ……、ゲイル!! お前が何を言っているかは理解するつもりは無い! だが決着はつけさせてもらう!!」

 気圧されながらも、シーリアは声を張り上げる事で体の強張りを取り除く。

 そして次瞬、前髪を揺らす風がゲイルの槍の風圧だと知った――――――。





* * *





 「騎士団長…………」

 映し出される映像を見て、ミリア・フィルドが呟く。
 
 「ゲイル・ランティスは……あれ程までに、強かったのか……?」

 ミリアの後ろに控える壮年の騎士は答えを返せない。
 その視線の先では、ゲイル・ランティスがシーリア・シルスを圧倒している。

 斬撃
 刺突
 薙ぎ払い――――――

 全てがシーリアの行動の“先”をとっている。
 そのせいでシーリアは攻勢に移れず、防戦一方になっている。
 稀に攻撃を出せても、懐の深さの違いと、棍を扱うような打撃によって勢いを殺される。
 
 (シーリアの『風斬り』の由来。
 荒々しい舞踏のような動きの中から繰り出される鋭い斬撃での連撃……
 それをもって天才と言われたゲイル・ランティス互角に競った事からついた筈だ。
 あの戦いはボクも見ていた……。
 確かにボクの見立てなら僅かにシーリアが劣っていた。
 でも、ここまで圧倒的じゃなかった筈だ…………)

 ミリアは、かつて見たシーリアとゲイルの試合を思い返す。

 風の如く早いゲイルの槍とそれを引き裂くシーリアの剣舞。
 高速の戦いを得意とする二人の戦いは、速度ではゲイルが勝り、鋭さでシーリアが勝っていた。 

 「シーリアは、あの日からずっと、『刻印』に経験を刻んできた。
 そして、解放された『刻印』は彼女の圧倒的な鋭さを更に加速させている。
 ……なのに、ゲイル・ランティスはそれを上回るのか?」

 ミリアには、この戦いが自分と妹の姿に重なって見えた。
 与えられた才をもって全てを凌駕する天才と、それに及ばぬ自分たち凡人。
 埋められぬ、溝。

 「トウギさん……」

 知らず、ミリアは刀儀の名前を漏らした。
 刀儀の使うような高度な技術は、決して生まれ付くものではない。
 ひたすらな重ねた年月のみがそれを可能にする。
 しかし…………

 「…………」

 彼女の望み――――『神剣』の打倒。
 もしかするとそれは、刀儀よりもゲイルの方が適任だったかもしれない。

 そう思いながらもミリアは刀儀を信頼している自分に気付いていた。

 「トウギ―――さん」

 もう一度刀儀の名を呟き、そしてミリアは再び戦場に目を移した……――――。





* * *





 (だめだ……ッ、下手に踏み込もうとすれば出足を払われる。
 それを躱しても、逆側での攻撃が待っている。なにより……)

 フォ―――――

 「くっ!」

 どうしても、どうしてもゲイルが攻撃してくる瞬間を察知できないのだ。
 それがシーリアを焦らせる。

 ―――やはり……、及ばないのか?―――

 心の内に秘めていた劣等感が彼女を蝕む。
 それは彼女の原動力でありながら彼女の弱さ……。

 まず、ひとつは女である事。
 その事で軽んじられる事もあったし、なによりも脆弱な肉体が悔しかった。
 
 もうひとつは才能。
 力を手にする為に彼女は努力し、努力し、そして努力した。
 そして、近衛騎士の任を得た。

 (だが……)

 そんな時、あの男は現れた……。
 ふらりと、何気なく、本当に何気なく私の努力を打ち砕いた。

 自在に槍を振るい、私が工夫した剣技を捌ききった。
 血が滲むような努力は、ただ、才能と言う不平等なものに打ち砕かれたのだ。

 「ゲイル……ランティス!!」

 叫ばずに入られない。
 この理不尽を、この憤りを――――――

 「シーリア……」

 だが、彼女の叫びが風をいくら引き裂こうとも、風はそれすら受け入れて吹き抜けるだけだ。

 ゲイルの槍の両端が疾駆し、連撃をもって二刀を弾き飛ばす。

 そして、風は静かに収まった…………。

 「シーリア……、剣を拾ってくれ」

 まるで彫像の様に微動だにせず槍を構えるゲイル。
 剣を失い呆然とするシーリアに剣を拾う様に促す。

 「き、きさま……ッ! 私を、私を愚弄するのか!!
 ゲイル・ランティス、お前まで、私を女と侮るかッ!!」

 「オレは……いや、他の誰もがキミを認めている。
 でなければキミ以外がこの場にいた筈だ」

 ゲイルの言葉は真実だ。
 彼女が辛酸を舐めたのは事実。
 だが、それを乗り越えたからこそ彼女は今ここに立つ資格がある。

 「なら――――なぜ!?」

 「闘いたい、キミの全力と――――」

 ゲイルの言葉は簡潔だった。
 そして同時に、彼に対する評価と正逆の言葉だった。





* * *





 (そう…………)
 
 闘いたい、闘いたい、闘いたい。
 戦いたい、戦いたい、戦いたい。
 
 それはゲイルの意識の底に横たわる、今の今まで自覚しなかった欲望。
 
 今、眼前の彼女は強い。

 それだけの事実がゲイルを突き動かす。

 「く――――おぉおっ!!」

 シーリアが剣を拾い、斬りつける。
 
 滑走し跳ねあがる太刀筋。
 
 足元から始まり加速し続ける力の螺旋。

 ―――斬、斬、斬

 荒れて狂う、高速無比の連斬撃。
 故に捌くゲイルは心底思う。
 まだもっと、

 「闘いたい」

 呟く

 それが、それこそが彼の望み
 ゆえに―――
 
 「ゲイル……、お前は…………」

 闘いの中、攻め続けている筈の彼女から、愕然とした声が届く。
 彼女のこんな声を聞いたのは初めてだ。と、ゲイルは思い。
 しかし、もういい。と斬り捨てて

 ――――ふらり

 踏みこむ。
 全てを置き去りに槍を振るう。

 そして一閃
 体移動による斬撃、それは最短距離を進む直線の太刀筋。

 シーリアが咄嗟に反応する。

 「くっ!」
 (体が動かない……、いや、いつもより動けている筈……!)

 高速の回避運動、超人的な反射。
 だと言うのに、シーリアは思うように動かない体に苛立ちをぶつける。
 なぜならゲイルの槍が、常に彼女の機先を制す。

 (なぜ追いつかない!?)
 
 高速で動いている筈のシーリア、しかしゲイルの動きに追いつかない。

 自在に引かれ、突き出される槍

 運動速度では確かにシーリアが勝っている。
 しかし、行動速度でシーリアは劣るのだ。
 その証拠に、彼女が攻撃に移る間に、ゲイルの行動は終了してしまう。
 その早さは、まるで刀儀楔のように…………。

 「―――ふっ」

 鋭い呼吸音、同時に下から槍の石突が跳ね上がり、シーリアの腹部にめり込む。
 
 「がっ! げほ―――――くそ!」

 むしろ、打たれた勢いを利用し、ダメージすら最小に留め、シーリアは背後に飛ぶ。
 距離をとれば槍に有利な間合になるが、このままでは押し切られると判断して。
 
 ――着地

 同時に槍の追撃ではなく、ゲイルの言葉が届く。





* * *





 「さぁ……来い、『風斬り』シーリア・シルス!!」

 ゲイルは、二つ名を含めて彼女の名を呼んだ。
 それは彼女の誇り、強者としての名だ。
 それを呼んだ。
 今の、ただ強さを見据えているゲイル・ランティスがそれを呼んだ。
 
 ……そこには他意はないのかもしれない。

 だが、狂気の如き純粋さは見方を変えれば真摯とも言えた。
 それ故に、それはひとつの真実。
 すなわち、

 ―――――シーリア・シルスはゲイル・ランティスの敵足りうる―――――

 (オレは…………)

 闘いに染まる思考の中、切り離された意識が記憶の底に沈んでいく。

 走馬灯の回想にも似るその感覚。

 (シーリア………)

 過去が、現在に関連する記憶が、脳裏に鮮明に映し出されていく。

 例えば、そう―――――

 『貴様がゲイル・ランティスか』

 『え? ああ、そうだ』

 『天才……、こんな優男が?』

 (……。そう言えば、出会いはこんな形だったか)

 顔が苦笑を形作ろうとするが、それよりも速くシーリアの剣が到達する。
 硬い衝撃をしなる槍の柄で受け止め、その反動で太刀を返す。
 その一撃を、片方の剣で止め、シーリアが斬り返す。
 ゲイルは、シーリアの剣に防がれた反動を使い槍の逆側で迎撃―――――
 
 交錯する。

 攻撃に攻撃が噛み合い、恐ろしい密度で交錯する。
 槍の間合など無視した接近戦、だがゲイルは受けて立つ。

 ――――風の如く疾い槍

   ――――風を裂く速さで走る双剣

 加速する意識
 その片隅で浮き上がるのは記憶。

 『私と戦え!』

 『……………えっ? オレ…か?』

 ――――ィイッ―――ギィン!

 ぶつかり合う衝撃
 再び現実が引き戻される。

 「ふっ! …はぁっ!」

 ゲイルは、槍を棍のように扱い、双剣を受ける。
 しかしシーリアの動きは一撃ごとに加速する。

 間合が、詰まる。

 僅かずつ、じりじりと、コンマ1ミリの前進。

 踏み締めた足から膝へ、そこから腰へ、肩へ、腕へ、剣へ――――
 無駄のない連動を『刻印』がトレースし、魔力の流れがシーリアの動きを加速させる。
 全身をバネに変え、反動で加速し続ける。
 ゲイルをして、対応が遅れるほどの速度まで――――ただ速く!

 それは荒々しい舞踏の剣

 そしてこれは、かつて交え、とうとう決着がつかなかったあの日の続き

 ならば――――

 「ぃぃあっああああぁああ!!」

 シーリアが全身を捻る。
 限界速度の一撃、その為の予備動作。

 対するゲイルは槍の立てて構え――――――

 『私は―――くっ、負けるものか!!』

 『――――ッ!!』

 (……なぁ、シーリア)

 言葉を発する時間など無い。
 ゲイルはただ、心でだけ語りかける。

 『――貴様! 本気ではなかったな!! 私は――――』

 (……本気も出さずにキミと互角に競える筈がないだろ?)

 ゲイルが『早い』動きで行動を始め―――――

 ――――刹那、シーリアが踏み込む。

 ギッ……ッ!!

 シーリアの足を起点に石畳に罅が入る。
 
 ―――極限の前進

 最大の加速

 ―――集約される一歩

 直線は円に

 ―――加速する双剣

 一閃

 ゲイルの目が見開かれる。

 「ゲイルゥゥゥッ!!」

 シーリアの剣が消える。
 最大の加速を得た剣は、もはや本人の知覚すら振りきり駆け抜ける!

 だが―――……

 空を切る。

 僅かにゲイルの胸を切り裂き、刃は手応えもなく振り抜かれる……。

 「――――ッ」

 重心を後方に移し、膝を抜く。
 突然、背後に引っ張られたような後退。
 かつて刀儀が見せた動きそのもの―――。

 バッ!

 体を捌き、足を踏み変える。
 見事なまでの重心移動
 それに伴う全身一致の一拍子の動き。
 下方から迸った槍の穂先がシーリアの喉もとでピタリと止まる。

 そして…………

 「…………決着だ。
 シーリア、オレも、独りで進む」

 その一言で、子の区画の勝者は決まった。
 




* * *




 
 「ゲイル……私は………まだ弱いのか?」

 ぼそりと、シーリアが呟く。
 うなだれた姿は、先ほどまでの面影は無い。

 「それは……、キミが、決めればいい」

 ゲイルの声からは険が取れ、本来の質に戻っていた。
 シーリア・シルスもよく知る、お人好しの声に

 「なぁ、シーリア」

 ゲイルはシーリアを見ずに、ただ、遠くを見て呟いた。
 その表情には、少しの寂しさと満足さがある。

 「オレはキミと闘えた、それで全部なんだ……。
 後はもう、勝手に進むだけ、……自分勝手な言い分だけどな――――」

 だからなのかゲイルは……

 「ありがとう」

 万感の思いを言葉に代えた。
 
 「! ま、まて!!」

 そのまま去ろうとしたゲイルを咄嗟にシーリアが制止する。

 「……何処へ、何処へ行くつもりだ?」

 「取り合えず宿へ戻るつもりだ」

 「そうじゃない!」

 見当違いの発言をするゲイルにシーリアが問う。
 口をついて出る言葉は、彼女自身が自覚していなかったもので――

 「また、居なくなるのか?」

 ―――私の前から

 しかし、後半は言葉には出来なかった。
 それがまだ、よく解からないものだったから……。

 「ああ……この国を出る」

 ゲイルは、シーリアの言葉の裏側にまるで気付かずに言葉を返す。

 「そうか……」

 しばらく俯いて、シーリアは顔を上げながら思う。
 
 (私はゲイルに認められたかったのかもな……)

 とりあえず彼女は自身の内に在るものをそう定義する。
 そして、そうなると今度はゲイルの独白が気になった。
 ゲイルを駆り立てた少年というのが……。

 「お前、少年とやらと出会ったと言ったな……」

 ……少しの好奇心と、忠告も込めてシーリアが口を開いた。
 ゲイルも話に乗ってくる。

 「ああ」

 「この大会に……出ているのか?」

 「出ている。そしてきっと勝ち上がるよ。……彼とは闘える気がする」

 「……だとしても、お前と当たる前に『神剣』と当たるかもしれない。
 そうなればもう、お前とは戦えないぞ?
 リリシア様の力は絶対、……例えお前でも決して届かない」

 シーリアが言うそれは、この国の常識だ。
 本選に最終的に残るのは4人。
 先に刀儀とリリシアが当たれば、ゲイルが戦える可能性は潰える。
 
 そう、この国では『神剣』リリシア・フィルドは絶対の力の象徴なのだ。
 それは、シーリア・シルスのような実力者も例外ではない。
 
 「……だろうな、しかし――――」

 そこでゲイルは言葉を止める。

 「―――まぁ、なるようになるさ」

 ふ、と息を抜いて言った。

 なるようにしかならないだろう。
 ゲイルはそう結論付けた。
 そして、

 「……とりあえず、戻らないか?」





* * *





 「おんや、ゲイルさん。……その様子やと勝ったみたいやな」

 区画を出ると、刀儀が居た。

 「ああ、君か、どうやらそっちも勝ったみたいだな。相手は?」

 頭に巻いた包帯が痛々しいが、落胆の様子が無いのでゲイルは勝ったと判断したのだ。
 同時に刀儀もゲイルの言葉で勝利を確信し笑みを深くする。
 そして、そのままゲイルの問いに答えた。

 「『漆黒』とか呼ばれてる奴で、ギーズィって名前や」
 「なっ! 『漆黒』だと!?」

 驚きの声を上げたのはシーリアだ。
 暗黒剣の使い手、『漆黒』の名はそれだけの大物なのだ。

 「……ところで」

 しかし、驚かれた本人としては首を傾げるしかない。
 その理由を、一拍置いて口に出す。

 「ええ~と、この人、誰です?」

 まぁ、当然の疑問。

 「あ、彼女はシーリア、シーリア・シルス。『風斬り』の名をもつ近衛騎士団の副団長だ」

 すかさずゲイルが答える。
 ついでにシーリアに、「彼が件の……」などと簡単に刀儀の紹介もしている。
 それに対し、刀儀は

 「はぁ……それはそれは、あ、俺は刀儀楔です、家名が刀儀で名前が楔、トギでもトウギでもどっちでも好きな方で呼んでください」

 と、決り文句になってきた自己紹介をする。
 しかし内心では、まだ忘れてなかったラエリの恋愛話のために脳がフル回転していた。

 (まずっ! まずいでラエリさん! ゲイルさんになんか親しげな知人登場や、これはまずい展開―――――…………れ? なんか…俺いま……れれ?)

 一瞬生じた内心の微妙な変化。
 それに違和感を覚えながらも、刀儀はラエリに念を送ってみる。
 無論、そんなものを受信できる機能をラエリは備えてはいないので届かない事は確定している。
 ちなみに、別に圏外だから届かないという訳でなく土台無理というだけの話だ。

 「―――送信デキマセンデシタ」

 「…………?」
 「貴様、おかしいのか?」

 「…………」

 とても痛い沈黙。

 こんな時、赤瀬がいればツッコミを入れてくれた筈やのに……などと思う刀儀。
 だが、会話を切り出さねば永遠に、決して来ないツッコミ待ちという嫌な状況が続く事に気付く。

 …………意を決し、刀儀は逆転の一言を試みた!

 「あ、あはは……、単なるアメリカンジョークですやん!」

 アメリカ人に怒られそうだ。
 しかし、誤魔化せた。
 最低でもゲイルは……。

 「と、とりあえず、酒場かなんか行きません? え~と、ほら、色々話とかも聞きたいし」

 「そうだな、オレも一度じっくり君と話したかった」

 そしてゲイルが提案に賛成した直後――――



 「――――ほう、なら俺も混ぜてもらおう。俺を倒した男の話、ぜひとも聞きたい」



 会話に新たな声が混じってきた。

 「え~と、あなたは確か、『漆黒』ギーズィ?」

 ゲイルが声の主を見る。
 そこに居たのは

 「その通りだ。こちらも『烈風』の噂は聞いているぞ?」

 暗黒剣の使い手、『漆黒』の異名を持つ男――ギーズィ。
 その男が薄暗闇に立っていた。

 「『漆黒』が、何故ここに? いや、それよりも……本当に、こんな子供が倒したというのか……あの『漆黒』を…………」

 ギーズィの登場と発言に、シーリアがその顔を驚愕に染めた。
 それを見て、刀儀がふと思い付いた事を尋ねる。

 「なぁ、ちょい訊くけど……あんた、俺が何歳やと思っとる?」

 「え?」

 シーリアが言葉に詰まる。
 恐らく、質問の意図をよく呑みこめていない。
 なので刀儀は言葉を続ける。

 「俺、十七やで? もしかしてあんた、二つ三つほど下に見てへんか?」

 東洋人は実年齢より幼く見えるという話がある。
 刀儀は自分が幼く見られている可能性に思い至ったのだ。
 ちなみにシーリアは「なに!? 十七だと? 馬鹿な……」などと呟いている。

 (や、やっぱそうか……、いや、まて、まさか、ミリアやリリィちゃんまで……いやいや、あいつ等よりは流石に年上や、だてに成長期は経験してない!! 俺、身長170と少し!!)

 内心で葛藤してはいるが、刀儀はとりあえずいつものペースに戻すための軽口を叩こうとする。

 「いや~、これでも後一年経てば合法的にアルコールの摂取も可能ですよ、俺」

 ちなみに、お酒は二十歳なってからだ。
 刀儀は素で間違っている。

 「どちらにせよ、貴様が一番年下だ。侮られても仕方あるまい。
 ……もっとも、『風斬り』と言われる程の者ならば実力を見抜けると思うがな?」

 ギースィが挑発的な言葉をシーリアに放つ。
 そして刀儀の発言は一部、完全に無視されている。

 「まぁまぁ、それより酒場に行こう。話はそこでしても良いだろう?」

 ゲイルが間にはいり、場を収める。
 
 そして、四人といつのまにか大所帯になったが、とりあえず刀儀たちは酒場に向かった。
 




* * *





 「しかし、話を聞けば『漆黒』殿、あなたは何故この少年に遠距離攻撃しか仕掛けなかったのだ?」

 酒も入り、多少雰囲気も和んだところでシーリアが話を切り出した。

 「ふん……、この小僧と近接などしてみろ、手に負えんわ」

 渋々と言った感があるが、ギースィが答えを返す。
 
 「むぅ、それほどのものなのか……、ゲイルはどう見る?」

 「今回のオレの動きは彼から学んだものだよ。
 漠然と捉えていたイメージを彼の動きを見て完成させた」

 ゲイルが答える。
 シーリアは納得しきれない様子で首を傾げるが、意を決して本人に訊いてみることにした。

 「あの二人にそこまで言わせる……。
 本当にそんな事が可能なのか?」

 「…………え? あ、俺? ……う~ん、まぁ、遣う武術の性質がありますんで、相性、かな」

 「むぅ~」

 頭をゆらゆらしながら考え込むシーリア、どうやら酔いが回り始めているようだ。

 ……ちなみに、それを見た刀儀がアルコールに弱い仲間を見つけた、などと言う意味不明な喜びを覚えたりもした。
 ちなみに、彼女が刀儀のように一杯で潰れたわけではない事は記しておこう。

 「しかし、トウギ君」

 「ん、なんですか?」

 「明日は、君とやれるといいな」

 「―――、なっはは、そうですな」

 ゆらゆらしはじめたシーリアをよそ目にゲイルが刀儀に言う。
 刀儀もそれに、笑いで応える。
 ……そんな中、ふとギーズィがなにかに気付き席を立つ。

 「ん? どしたんギの字」
 「誰がギの字だ、それよりも最後の結果が出たみたいだぞ」

 「え?」

 刀儀がギーズィの方を向くと、何人かが試合の結果を話していた。

 「え~と、俺らが第1区画、ゲイルさんらが第3区画、第4区画はリリィちゃん。
 第2区画の本命は確か……」

 「『三つの刃』、魔法と体技、それに加えて暗黒剣も含めたいくつかの魔法剣が使える」

 「……あいつかぁ」

 刀儀は、試合が始まる前に接触してきた男が名乗った名前を思い出す。

 「しかし、有名なんか? そいつ」

 「表向きには名前が先行する形だ。
 俺は、……多少縁があってな…………」

 「ふぅん、まぁ、訊かんけど」

 「すまんな」

 そこで、試合の話が第2区画に移った。

 「しかし、誰も残らなかったとはな~」
 「珍しいよな、片っ端から戦闘不能っての」
 「うあー! 明日ってどうなるんだ!?」

 「あり?」

 その会話に刀儀の目が点になる。
 振り向くと、

 「「「…………」」」

 他の三人も同じだった。
 そして、

 「ギの字ぃ~~」
 「眼力がどうとか言っていたな」
 「いや、予想外ってのはあるさ」

 色々と含みのある発言をしておきながら予想を外したギーズィに追及が飛ぶ。
 ゲイルだけは弁護側に回ったが、実際は傷口を抉るだけという不思議現象。

 「お、俺のせいじゃないだろう! 結果だ、結果!!」

 ギーズィが言い訳を始めるが、さきほど挑発を受けた事もあり、ここぞとばかりにシーリアが反撃に移ろうとしていた……。






 ……喧騒の中、ふとゲイルが刀儀の方を向く。
 どことなく嬉しそうな雰囲気に戸惑う刀儀、それにゲイルがにやりと笑う。

 「どうやら、これで君とやれそうだ」

 そこでようやく刀儀はゲイルの意図に気付く。
 しかし、一人忘れていると思い訊き返す。

 「んぇ? リリィちゃんは?」

 「流石に前回の優勝者は別扱いだろう。挑戦者二人のうち強い方が挑むのが筋だよ」

 「せやな、そっちの方が理に適っとる」

 それもそうかと頷くと、刀儀は言い訳を続けるギーズィを見る。
 ギーズィも刀儀の気配に気付き、言い訳をやめてそちらを向く。
 刀儀は何事か思案し、口を開く。

 「なぁ、ギの字、『神剣』って……実際どんなもんなんや?」
 
 そして、刀儀が訊いたのは『神剣』の事だった。

 「なるほど、実際に『神剣』と優勝争いをしたのは彼だからな」

 「シーリアさんでも良えんやけど……近衛騎士なんやろ?」

 刀儀がシーリアを見るが、

 「……んー、私より『漆黒』殿の方が良いだろう。
 私達はリリシア様と戦うと言う状況を想定していないから」

 との意見。
 そういうわけで刀儀はギーズィを見て訊く。

 「―――んじゃ、ギの字、どうなん?」

 刀儀の問いにギーズィは少し視線をさ迷わせる。
 そして、

 「奴を倒すのなら……、お前達よりも俺の方がまだ向いていたかもしれん」

 と言った。

 「なんで?」

 「技術……、技の多彩さではお前が勝るだろう。
 いくら強かろうが十三の娘、経験ではこの国の団長クラスに及ぶまい……。
 だが、あの強さは根本的に違う。
 そうだな、抽象的に言えば存在の密度が違うと言ったところか」

 「密度……?」

 「うむ、『漆黒』殿の言う通り。
 ミリア様もリリシア様も剣術は基本の延長、外連味の無い正統の剣。
 真っ向から相手を凌駕する剣技だ」

 ギーズィの言葉をシーリアが補強する。

 「オレは詳しいわけじゃないが、確かラドクリフさんも言ってたよ、『あの娘の剣は正義や運命のようなものだ』とかね」

 さらにゲイルも付け加える。

 「密度が凄い正統派の正義の如き剣? なんやそれ」

 いよいよ混乱してきた刀儀が頭を抱え出す。
 しかし、その時―――――――

 ―――ひゅおぅ

 「ん、風?」

 建物の内部だと言うのに、それにそぐわない風が……

 「?」

 他の三人も奇妙な風に周囲を見渡す。
 すると、シーリアが窓の外に騎士の姿を見受ける。

 「あれは、私の部下だ……。あんなに慌てて一体」

 言うとすぐ席を立ち、走っていく。
 刀儀とゲイルは知り得ている裏の事情から即座に武器を取って後に続く。
 そしてギーズィは――――

 「…………おい」

 ギーズィは勘定を持たされていた。



[1480] 孤剣異聞  第二十九話 第2区画の真相
Name: 鞘鳴り
Date: 2007/02/27 19:17
 刀儀流円舞長刀術

 戦国の時代、長大な野太刀を自在に振るう為に編み出された剣術

 時代が下り、大規模な合戦が消え、素肌剣法が主流になるに連れて一端は姿を消す。が、舞うが如き独特の歩法を工夫し、再び剣の世界に帰ってきた。

 その恐るべきは槍に匹敵する長大な間合、そして絶えず位置を変え留まらない動きをもって繰り出される変幻の太刀筋。
 さらに、野太刀の威力に遠心力が加えられた一撃は生半可な刀など一撃で折り飛ばし、勢いのままに人を斬断する。そこに加えて、間合を詰められた場合にも刃渡り全てを使った凄まじい引き斬りの技法が待ち受けているその周到さ……。

 回転すると言う動きの性質上、刃が最短距離を走る事は出来ない上、遣い手の見切りに依存する面も多く一子相伝に近い流派になってしまった。
だが、その恐ろしさ、洗練された動作に潜む本質的な荒々しさは刀槍煌くが如き戦国の戦を想起させてやまない…………。

 それが……―――――

 「なんで、この世界で会うんだよ!!」

 叫ぶより早く、赤瀬は横薙ぎの斬撃をしゃがんで躱す。
 
 ゴォッ!

 その一撃に頭髪を少し持っていかれるが、なんとか初撃を回避する。
 しかし、刀儀流ならこれでは終わらない。
 すかさず振りぬいた勢いを変化させ、野太刀を上段に構えると女は袈裟懸けに赤瀬を斬りつける。

 「ぃい――っ!!」

 赤瀬は膝を抜き、背後に転がって躱す。
 だが、それでも終わらない。
 女の手の中で柄が廻ると、即座に逆袈裟の斬撃が完成する。
 間合も何時の間にか滑るようにして詰められている。

 ―――生死の見切り

 赤瀬は腕一本を犠牲にしての回避を試みる。
 覚悟の上の行動ではない。
 赤瀬夕凪の持つ、死に対する圧倒的な恐怖が生き残れる確率の高い行動を選択したのだ。
 しかし、降り注ぐ斬撃に対し、赤瀬の後ろから弧を描き飛んできた短剣がそれを受け止める。

 「――って、ええ!?」

 短剣は空中に鋏のように交差して固定され、女の剣を受け止める。
 しかし、それでも女は止まらない。

 「―――斬鉄」

 呟く

 同時、美しい肢体が宙を舞い、全体重が交差する一点に掛けられる。

 (あれは―――!!)

 僅かな突破点を押し広げる引き斬りの技法。
 刀儀流円舞長刀術“斬鉄”兜割――――!!

 空間に固定された短剣が一瞬軋み、そして切断される。

 「ゆうさん!!」

 ミーシアが叫ぶ。
 しかし、同時に赤瀬も現状打破の手段を確立した―――。





 ふわり





 一枚の紙切れが女と赤瀬の中間辺りに舞っている。

 紙切れ、それは―――――『霊符』
 悪霊払いの一種でしかないそれは、真にその『式』を理解しうる者が使う事で真価を発揮する。
 すなわち―――――
 
 「―――霊撃符」

 瞬間、揺さぶられたものは大氣。

 「むっ!?」

 女が異変を察知する。
 だが―――遅い。

 鳴動する大氣は、霊的・物理的、双方に干渉する衝撃波を生み出す。

 ガォン!!

 発動。その威力に赤瀬と女の両方が吹っ飛ぶ。

 「ぐ、げほっ、い、威力が、あっちと違いすぎる……」

 赤瀬にとっても予想外の威力だったのか、衝撃を受けた体の前面を庇うように蹲っている。
 しかし、土煙の向こうで女が立ち上がるのが見え、再び緊張が走る。

 「ミツルギさん、…………ミーシア、逃げるぞ」
 「にゃふー、あちきの名前を呼ぶ前の間が気になりますねー」
 「いや、ミーシア、そんな事言ってる場合じゃないぞ、物理戦闘だと三人掛かりでも勝ち目は無さそうだ…………っス」
 「ミツルギさんの言う通り、霊撃符の衝撃も受け流された。……ところで無理にキャラ作らなくてもいいんじゃ……」
 「にゃ、にゃふ~~、二人こそ緊張感ないですよーー!」
 「と、とにかく逃げるぞ!!」

 そして、三人は全力で逃走を開始した。









孤剣異聞  第二十九話 第2区画の真相









 「ふむ、魔法ではないのか……」

 女は立ち上がり、逃げ去っていく赤瀬たちを見る。
 スッ、と纏った布をはだけ、霊撃符で受けたダメージを確かめる。
 
 「咄嗟に流せたが、もし指向性をもっていれば拙かっただろうな」

 ひとつひとつ確かめるように呟くと、三人が逃げ去った方向を見定める。

 「あの男、私の剣を知っていた……。
 まさか、あの人と同じ世界から…………いや」

 女が音も無く走り出す。
 走ると言うにはあまりにも滑らかな疾走。

 「確かめれば済む事だ」

 人間ではありえない身軽さで、女は赤瀬たちの後を追った。





* * *





 「ぜぇ、は、ぜぇぜぇ」

 「ゆ、ゆうさん! 止まってたら追いつかれますよー!」

 「息、が、持たね……、先、行け」

 「行けるわけ無いじゃないですか! とっととずらかりますよー! って言うか、逃げないならあちきも残りますよ!!」

 肺が片方無い赤瀬が真っ先にバテた。

 「いや、マジでやばいっスよ、こっちは全員が魔法使い、大会中は魔法の威力は軽減される。
 しかも、あの女の武器には刃引きの魔法が掛かってないっス」

 「マジか? ……威力の軽減だけど、術式なら影響無い。俺、迎え撃つからサポートしてくれ」

 「正気ですか? 相手は明らかに上位で争える戦士っスよ、正面から行けば勝ち目は……」

 「足手まといの俺らが居なきゃ、あんた勝てるか?」

 「……この状況なら、3割ってとこですね、あーさんは?」

 「万全なら似たようなもん、でも、俺はあの流派の性質をよく知ってる。……策がある」





* * *





 「ほう、観念したか」
 「いやー、本選出場の有力候補の一人なんでね、多少はイイトコ見せたいんスよ」

 女の前に立ち塞がったのは、―――『三つの刃』
 最初の頃のように、何処か胡散臭いフレンドリーな雰囲気。
 にやにやとした笑いを顔に貼りつけ、いかにも何かを隠しています。と言った風に両手を背中に隠している。

 「じゃ、いきますよ、気をつけてくださいね~」

 軽い口調。
 台詞が終わった瞬間、組んでいた両手を解放し短剣を投擲する。

 「ちぃっ」

 短剣の軌道はちょうど女の手前で交差する。
 女はそれを見切り、間合を詰めるのを躊躇う。

 刹那、

 「『紅蓮の焔、牙となりて……』」

 その硬直時間を利用し、高速で魔術動作と詠唱をおこなう『三つの刃』

 タイミング、そして女の居る座標。

 右に避ければ右の短剣、左に避ければ左の短剣。
 掻い潜って正面突破をしたとしても魔法の餌食。
 絶妙の時間差攻撃。
 逃げるには退がるしかない――――だが!

 「甘い!」

 前方に踏み込むや否や、女は大きく太刀を振りぬき左右の短剣を払い落とした。
 迫る火の玉に対し、がら空きの隙を見せる形になるが、女は止まらない。

 「ふんっ」

 振りぬいた勢いで生まれた遠心力を、野太刀を体に引き付ける事で高速の回転力に変換する。
 そして次瞬、竜巻の如く火の玉にぶち当たり、一気呵成に焔を蹴散らす!

 無論、通常ならば出来ない。
 大会中の魔法に対する制限、そして、女のある特性が魔法の出力そのものを減衰させたのだ。

 「いや、これはなかなか」

 だが、『三つの刃』に焦りは無い。
 あるのかもしれないが顔には出ない。
 三つの刃のひとつは、感情を斬り捨てる鋭い剣。

 ―――ヒュッ

 鋭い風斬り音。
 
 今度は一直線に短剣を投げつける。
 が、容易く弾かれる。
 しかし、それもただの伏線。
 その真の狙いに女が目を見開く。

 「―――うぉっ!?」

 前方に弾かれ、そのまま地に落ちる筈の短剣が、切先を女に向けてそこに留まる!
 そう――――

 「空間系統の、魔法使いか!?」

 間合を詰めようとする女に対し、ちょうど真正面に弾かれるタイミングで短剣を投げつける。
 さらに弾かれた短剣を空間に固定する。
 出足を片っ端から潰す戦術だ。
 そして、

 「これで、トドメっスかね?」

 あらかじめ固定されていた短剣の群が、女に向かって降り注いだ。

 しかし女は、

 女は―――――

 女は……………………むしろ踏み込んだ。





* * *





 (冗談じゃない、化け物だ、この女)

 ミツルギは目の前の光景に心底震えが止まらなかった。

 なぜなら女はなんの躊躇いもなく、刃の雨に身を投げ出した。
 さらに、それが体に突き刺さる瞬間を捉えて旋回し、体移動と合わせた勢いで刃筋を変えて深手を防ぎ、いなし、そのまま短剣を弾き飛ばして向かってくる。

 ……今、女に降り注ぐ刃には、女同様、大会規約の刃引きの魔法は掛かっていない。
 その事も、女は理解している。
 だが、女はそれに何の恐怖も抱かず、ただ最適の行動だけを迷わず実行しているのだ。

 …………そう、ミツルギが恐ろしかったのは、捨て身の覚悟ではない。

 「ふっ!」

 女が突然、自分に刺さらない位置に落ちようとしていた短剣を弾き飛ばす。

 (……! あれまで気付くか!?)

 弾かれた瞬間、短剣が燃え上がり炎が広がる――魔法剣―――!
 ……だが、本来なら地面を舐めるようにして広がる筈の炎は空中で拡散し、望まれた効果は発揮しないで終わった……。

 「これで……、終わり、か?」

 女が言う。
 ミツルギが恐れたのは剣の技量ではなく、それがもたらす結果を微塵も疑わず実行する精神。
 死の恐怖などなく、冷静に状況を見定める圧倒的な視点。

 「……いや~、オレの方はあと一個だけっスね、あとはもう……本命のほうに賭けるしかない」

 しかし、ミツルギは内心を呑み込んで軽く言う。

 もはや距離にすれば5メートル程。
 縮地で踏み込めば一足飛びに肉薄される距離、さらに女には野太刀の驚異的な間合もある。

 ミツルギは右手をだらりと下げ、その手に剣を出現させる。

 自分がダメならばあとは赤瀬の策に頼るしかない。
 
 ゆえにこれは、その為の最後の布石―――。

 「本命……、さっきの男か?」
 「こっちも具体的になにやるかは知らされてないんスよね、でも、ミーシアが信じたわけですしね」
 「……何の話だ?」
 「独り言っスよ、オレがやるのは後一手…………」

 ずずずずっ
 
 音にするなら、まさにそんな感じだろう。
 そう、ミツルギは思う。

 感覚としては心臓から始まり右腕へ、そして右腕から剣へ
 魂が引きずり出されるような嫌な感覚。それと共に、生命力が剣に流れこんでいく。
 
 「オレはね、主役をやるには力不足みたいですよ」

 「―――っ!!」

 突然、ミツルギの右腕が跳ね上がるように振るわれる。放たれるは暗黒剣!
 刃の切先を追うように顕れた黒い刃がカーテンの様にミツルギを覆い――――――

 「ぐぅ!」

 ガガガガガ、と黒刃が地面を削る。衝撃が、風圧が、小石を巻き上げて女の足を止める。

 威力は数秒の間顕現し続け、やがて嘘の様に消え去った。

 「ちっ、居ないか」

 そう、ミツルギ――『三つの刃』と同じ様に。





* * *





 (ミツルギさん、上手くやってくれたか……)

 足止めの地点より離れた曲がり角。
 座り込んだ赤瀬の影に、存在しない筈の魚の影が辿り付き、潜り込んでいく。
 
 (刀儀流、一見してみれば、あの出鱈目に圧倒的な剣技に目が奪われる)
 (しかし、実際にあの流派の強さを支えている極意は“眼”)
 (死角を補うための先読みと、殺気を捉える感性……そして―――――)

 刀儀流の奥義、『円月』。
 だが、女の剣はそこまでは到っていないと赤瀬には思えた。
 それゆえに考えたのは、奇策。

 「種は、蒔いた。あとは上手く引っ掛かるか、……ミスれば俺は単なる馬鹿だ」

 呟くと、赤瀬の体が震え出す。

 「怖い……」

 震えを押さえようとしたのか、赤瀬は膝を強く抱き締める。

 「俺は、俺はなにをしてるんだ?」

 自分がこの世界に来た目的を思い返す。
 そう―――

 大切なのは彼女だ…………違う。
 なにが違う? ……解かりきっている。そんなものは簡単だ。
 目的は護ること、そして守ること。
 俺が生きようとしている世界、彼女に繋がる平穏。
 彼女を守り、世界を護る。

 見失いかけた信念が、再構築されていく。
 それに従って、萎みかけた勇気に多少なりとも力が注がれる。

 だが、それでも震えは収まらないのだ。

 恐怖は、信念と対極の位置にある。
 どれほど強い精神を持とうが、それすらも無限に拡散していくと言う『死』の恐怖。
 
 「―――ゆうさん」

 「……なに?」

 後ろから、心配そうに声をかける着ぐるみがいる。
 無論、こんな珍妙な物体は一人しか居ない。ミーシアだ。

 「無理な作戦ならやめましょうよ……。なんならあちきが代わります。
 あちき、装甲だけは無駄に厚いですから、あちきが受け止めて……、先輩とゆうさんで袋叩きにしちゃえばいいですよ……」

 本当に、心の底から赤瀬を気遣うミーシア。
 口に出した台詞も、そのための気休めだ。
 着ぐるみ何を仕込んでいるか知らないが、首を狙われればそれで終わる。 
 
 「…………」

 「…………」

 赤瀬は俯いたまま手を失った肺の辺りに添える。
 そこには大きな傷跡と共に死の恐怖が埋まっている。
 しかし、それでも―――

 「やるならやるっきゃねー……、あんなのは刀儀に任せたいけど、いないから行くのは二番手の俺。
 まかり間違っても、変な着ぐるみが突撃するなんて変な構図、認められるかよ」

 「……?」

 認めてはいけない事がある。
 けして認めてはいけない事がある。

 「こんな場面でこいつに守られるなんて願い下げだ! 他で守られる事があっても、ここは俺が征く場面だろ!! そうだろ、俺! 赤瀬夕凪!!」

 添えていた手を拳に変え思い切り自分の頬を殴る。
 ごすんごすんと、あまりに景気良く殴るので、ミーシアが止めに入る。 

 「ちょ、ちょちょ、ゆうさん!?」
 「ええい! 離せ! 俺はこの馬鹿に気合を入れるんだ!!」
 「この馬鹿って……自分じゃないですか! そんなに殴ると違う意味で馬鹿になりますー!!」
 「馬鹿で上等! 男が馬鹿じゃなきゃ誰が馬鹿になればいい!」

 じたばた
 じたばたばたばた
 ばたじたじた

 ゴスン

 「……よかった、ゆうさんが落ちついた」
 「いや、殴ったよねキミ? しかも打ち下ろしの右チョッピングライト
 「愛です」
 「…………いや、後頭部」
 「ラヴです」
 「…………」

 顔面を地面に埋めた赤瀬がよろよろと立ち上がると、再び影の魚が泳いでくる。

 「ああ、もう! そろそろ来るぞ。そこの着ぐるみ、とっとと避難」

 「って、ゆうさん!」

 「だいじょぶ、死ぬほど気合が入った、足が竦んで死ぬ間抜けはしない。怖いから」

 言うと、赤瀬はミツルギに頼んだ仕掛けを見る。

 「ちょいと、おっかない事するから、お前は見んな。………………ああ、もう、任せろ」

 赤瀬が言う。
 足が震えているので格好はつかないが、そのくせ随分と格好良く見えるのが不思議だ。
 位置の関係で、ミーシアには背中側しか見えないが、今の赤瀬の背中は呆れるほどに頼りなく、信じてしまいそうに強そうに……そんな風に見える。
 
 「あ、あの……ッ!」
 「な、なんだよ! まだ……」

 「御武運を………」

 「へ?」

 赤瀬は間抜けな声を上げ……

 「あ……」

 何か言う前に、ミーシアはたったかと走って行った。
 彼女が角を曲がった一瞬の光景を切り取り、赤瀬は呟いた。

 「……非常口のマーク?」

 なぜかそっくりだった。





* * *





 式神を回収するたびに、敵が近づいてくる事を実感する。

 自分で考えてなんだが、この策は正気の沙汰ではないと赤瀬は思う。

 ――――すっ

 最後の式神が影に潜る。

 勝負は女が角を曲がった瞬間。

 単純な物理戦闘に限れば、自分と女の間には絶対の壁がある。

 超える事も砕く事も叶わぬ壁ならば、いっそ迂回すれば良い。

 回り込み、横合いからの騙し討ち。

 卑怯とは言わせない。

 
 赤瀬は背後の仕掛けを確かめる。

 正気では考えない、死ぬのが嫌だからこそ死に近づく矛盾な作戦。

 ――ザッ、ザッ、

 足音で距離を悟る。

 仕掛けるタイミングはちょうど五歩目。

 式神からの情報で、歩幅は既に測ってある。


 ザッ

 一歩目。

 脳裏に描くのはミツルギと女との攻防。
 
 物量で攻める?

 無駄だ、ミツルギほどの手数は揃えられない。

 ザッ

 奇襲?

 ミツルギは倒しきれなかった。

 ……が、それは伏線。

 真に当てるは奇襲に奇策の重ね当て、初手で殺して次手で砕く。

 ザッ

 変性意識――ある種のトランス状態に入り込む。

 しかし、確固たる視点は現世を見据えて揺らがない。

 すなわち半眼。

 ザッ

 ついに、四歩目。

 覚悟は決めた。

 ならば――――――――



 「吹き飛べッ!!」



 女が五歩目を踏み出し、姿を見せた瞬間。
 赤瀬が声と共に、体を捻る。

 「―――――」

 女が反応する。
 さらに言えば、動作そのものは意識の反応よりも早く反応している。
 修練の成果だろう。

 「鬼砕“”震符!!」

 叫びながら右手を巻きつけるように振りかぶる。
 ピンと立てた中指と人差し指の間には、赤い符。
 左手は真っ直ぐに突き出され、拒絶の意思をそこに示す。

 ――――――

 女の仮想重心軸が倒れる。
 縮地の前動作。身体の動きには反映されぬゆえ、武術的な意識感覚で捉える。

 (戦国以降の刀儀流の本質は“後の先”)

 (相対する敵を呑み込む円の舞い)

 (先を狙って踏み込んで来る以上、それを理解はしていない筈――――!)

 左手を

 突き出した左手を、女の足元に向ける。

 ――――ッ

 次の瞬間、女の動作に僅かな詰まりが生まれた。
 これこそが伏線。ひたすら出鼻を挫くミツルギの攻撃が、女に残像を植付けたのだ。
 無論、時間にすれば無いに等しい動作の停滞。
 しかし、赤瀬はその停滞に合わせる様に身を沈め、重心を背後に移し、バックステップ!
 同時に上体捻り、符を叩きつける予備動作!

 「ちぃ!」

 女が踏み込む。
 
 ここに到って女も気づく。

 減衰しない、魔法に似た力。
 己の使う剣術への理解。
 ミツルギの行動。

 全てがこの為の伏線だった――――!!

 ギリッ

 女が歯噛みする。

 流派を知るがゆえに、あの男は自分の行動の起点を先読みできる。
 それゆえに、執拗な出鼻挫きで、無理やり隙を植付けた。

 あとは簡単だ。

 大会中の制限に左右されない、あの奇妙な魔法を叩きつけるだけで良い。
 自分の持つ、魔法への耐性すらも無視する。別系統の――魔法。

 だが―――――!

 「間に合う!!」

 剣を振っていては間に合わない。ならばこの身を剣に代えて叩き付けるまで!
 
 重心―――移動

  距離――――踏破

   間合―――――零!

 敵は目前、肘の当身であの珍妙な魔法を潰し、刃を押し付けて引き斬りへ―――――――――


 
 「――――え?」



 おかしな、 物を、 見た。





* * *





 生えてきた。

 生えてきた、生えてきた、生えてきた。

 これ以外に表現しようが無い怪現象。

 場所は腹部。

 赤瀬夕凪の腹部。

 剣が、

 細身の刀身の剣が、

 ずりゅ

 切先が背中の皮膚を破り、筋繊維を掻き分け、内臓の隙間を通り

 ずず、ず、りゅりゅりゅりゅ

 血管を傷つけ、神経を掻き乱しながら、

 ず―――、ぷ

 生えた。





* * *





 「あ――?」

 自分を貫いた剣をみる。

 さらに、視線を目の前の男に向ける。

 ……明らかに、その腹から生えた刀身が、

 長い刀身が、自分を貫いている。

 「赤式―――」

 「!?」

 だが、いきなり赤瀬の身体が揺らいで消える。

 (幻像――――――)

 同時に、背後から声、拍手の、音――――。

 貫かれてなお、剣を振り抜こうとしていた女の意識が背後へ移る。

 そして、赤瀬の手が、



 赤瀬の手が、

 

 正面から・・・・、女の胸に添えられた。


 
 「―――徹火」


 痛みが、燃え広がった。





* * *





 「―――…………? 私は……、一撃食らって、そして」

 「吹っ飛んで気絶した。って言っても数分だけ」

 女のすぐ傍、手当てをしている赤瀬が声をかけた。
 その間も、テキパキと手当てを済ませていく。
 女は、赤瀬の後ろを見やる。

 「あの魔法使いか……」
 
 「策を考えたのは俺だけどな」

 赤瀬の後ろには、細身のレイピアが浮いていた。
 いや、空間自体に固定されていた。

 「自分ごと貫くとはな……いや、幻だったのか?」

 「……いや、消えたように見えたのが幻術。それと、背後でなった音も」

 最後のダメ押しにな、と赤瀬が呟く。

 「なら、お前の傷は」

 「急所はなるべく外した。多分、大丈夫……って、敵のあんたが心配してどうする」

 「……それも、そうか」

 全ては、己ごと相手を貫く一撃の為の伏線だった。
 殺気や殺意の無い、存在するだけレイピアは先読みを逃れる為。
 囮にした術式は、相手の先の踏み込みを誘う為。

 そう、

 もともと、戦国以降の、流派として確立された後の刀儀流は、『引き込み』の技法を用いた後の先を攻撃の始点にしている。
 何故なら、長大な五尺の野太刀は遣い手同士の闘いにおいて、先をとるにはあまりにも使い勝手が悪かった。
 そこで辿りついた答えが『後の先』だ。

 ……龍尾返しとも言われる相手に背を向ける秘剣がある。
 それに、刀儀流は光明を見出していた。

 舞踊がもつ独特の間の取り方、呼吸、拍子、それらを加え、相手を引き込む技法を確立。
 そして、その次は引き込んだ相手に対応する、瞬時の体捌き、歩法。
 それを発揮するための独特の間合と見切り―――心眼『円月』を完成させたのだ。

 「……あんたの刀儀流は、戦国の頃の、そう、何百と言う兵を相手にしていた頃の刀儀流だ。

 …………。

 全霊で踏み込んで来る。そんな太刀筋だったから、俺はあんたが『円月』や『後の先』を会得していないと睨んだ……。

 もしも、後の先が在ったなら、俺は全ての力で逃走を選択した」


 
 女の敗因は、奇しくも刀儀流の歴史そのものだったと言えた…………。





* * *





 「……ところで、とどめは、刺さないのか?」

 思い出した様に女が言う。
 なんとなくだが、予想していたらしく、赤瀬は用意していた言葉を口に出す。

 「俺は『祓い師』だ……。そう言うのは……専門外だ」

 「甘いな」

 その言葉も予想済み。しかし、

 「お前らの観点から見ればな――――こっちはな、殺さないのが当たり前だ」

 最後の部分は、湧き上がったように力が入るのを止められなかった。

 「分からないな、お前……、なにも思わないのか?」

 しかし、心底不思議そうな顔で女が問う。

 「なにが?」

 「私の肌だ」

 赤瀬が口を噤む。

 そう、女の肌の色は……黒。
 蒼さすら感じさせる、冷たい夜の黒色。

 その肌が意味するものは、

 「…………ダークエルフ、とかか? ……もしかして」

 「そうだ、お前たちはそれを――闇を、憎み嫌悪するものだろう?」

 当然の疑問を、当然のように訊いた。
 まさにそんな感じで女が言う。

 「―――くそ……、知るかよ。現代日本の人間が、肌が黒いぐらいで驚くか」

 その態度に、赤瀬は目を背ける。
 そんな事が当然だと言う世界を、赤瀬は見ていない。
 見て、いない。

 「……やはり、あの人と同じか」

 「――? あの人?」

 「私の養父だ。私に剣を教え、名を与え、七年間も育ててくれた」

 「まさか――――」

 刀儀流を遣えるのは、現在では三人だと赤瀬は聞いていた。

 一人目は、刀儀仁斎。
 二人目は、刀儀楔。
 
 そして、三人目――――――

 「――――七紙、無明」

 おもわずその名が口をついて出る。

 「やはり……、知り合いか。ならば、原田洋平を知っているか?」

 「? 原田……? いや」

 「そうか……痛っ!」

 「! すまん、悪い」

 「気にするな、それより、お前の仲間は?」

 「……たぶん、もうそろそろ来る。行くならさっさと行った方が良い」

 「見逃すつもりか……いや、私が事態の中心に居ないと判断したか。
 ……なら対価だ、情報をやる。良く聞け」

 言うと女は体を起こした。

 「なにか、得体の知れない連中の話だ。

 言葉は通じるが意味は通じない。
 そんな感じの奴らで、人間を大量に集めていた。
 暗黒信仰の連中がそれに荷担している。

 お前の目的に関係あるかは知らないが、裏路地のある建物に巧妙に隠された地下への入り口がある。
 もしも、行くつもりなら―――これを持っていけ」

 「これは、コンパス……?」

 「マジックアイテムだ。目印として置いた魔石の方向を常に指す。
 事と次第によれば、あとで私が襲撃をかける予定だったが……どうやら私の役ではないらしい」

 説明を終えると、女は立ち上がる。

 「手当て、感謝する。お前、名は?」

 「赤瀬だ、赤瀬夕凪」

 「分かった。私の名は……、灯火(ともしび)、だ」

 「灯火……。わかった、覚えとく」

 「ああ、では、縁が在ればまたいつか…………」

 ……女は、灯火は去った。
 そして、赤瀬は、

 「…………痛え」

 そう言うと、

 「無茶、やったな、ああ、でも収穫だ。
 合流して、その、よく分からない連中とやらともう一戦、しないと、な」

 腹を抑えて蹲った。

 「…………」

 向かってくる、足音が聞こえる。
 女が気絶した後、式神を飛ばしておいた。
 だから、その足音がミーシア達だと知っている。

 「っても、痛みは消せないよなぁ……」

 命の心配はいらないが、興奮が去ったせいで痛みが戻ってきている。

 「ま、がんばったよ俺」

 そう言った直後、赤瀬を見つけたミーシア達の声が聞こえてきた…………。





* * *





 第2区画。勝利者無し。

 なお、有力候補のひとり『三つの刃』だが、纏っていた着ぐるみが・・・・・・・・・・仇になり、屋根から転落。
 最後まで残っていた参加者の上に落ちて、ダブルKO――――。

 と、言うのがミツルギの立てたシナリオだった。

 ちなみに本人達は既に示された場所に向かって移動中。

 これが、第2区画の予選の顛末。

 真相だった。



[1480] 孤剣異聞  第三十話 未知との遭遇
Name: 鞘鳴り
Date: 2007/04/11 23:08
 暗い裏路地の中でも暗い場所。そこから地下の下水路に続く裏道がある。

 さらには下水路よりも地下深く、旧い遺跡が在る。

 それは魔術師ギルドにより調査されていたが、その本質には誰も気付かなかった。

 ……もし、それに関わりある人間が調べていれば別だっただろう。

 しかし、残念ながらその頃にはまだ誰もいなかった。

 これは運命の悪戯と言うべきだろうか?

 それとも、運命の綻びとでも言うのだろうか?








孤剣異聞  第三十話 未知との遭遇








 「暗い、ですね」
 「……そうだな」

 ちなみにラエリの手にはランタンがある。つまり明りはあるのだが、雰囲気自体が暗いのだ。

 ……圧倒的な密度の闇。重すぎる空気。

 「アリー、こっちだ」

 ラエリがアリーを誘導する。より暗い方向へ…………。

 「……ラエリさん、判るんですか?」

 「行ってはならない、そう思える方向へ向かってる。……正直、怖い」

 「…………」

 それきり沈黙が続き、やがて地下へ続く階段に辿りつく。

 「聞いたことがあります。昔、下水を縄張りにしている盗賊団が裏路地のあちらこちらに下水へ潜る通路を建設したって」

 「下水……そこに、なにかあるのか?」

 「え~と……はい、、一昔前に調べ尽くされて放置された遺跡があります。規模も小さい上、なんの為の物かも解からずじまい。アトラの遺産も発掘はされなかったので、それ以降は特に見向きもされなかったんですが……」

 一拍置いてアリーシャが尋ねる。

 「関係……ありますか?」

 ラエリは少し考えるそぶりを見せ、そして答えた。

 「そんな気がする。……なぜかは解からないけど、そんな気がする」

 言うと、ラエリは階段を降りていった。





* * *





 「うあー、やっぱ臭いっスねぇ」

 「下水はこっちでも臭いのか」

 ところ変わって同じ頃、赤瀬たちも下水路に入っていた。

 「そう言えば、下水関連で思い出したんだけど、俺がやった仕事にトイレの話があってな」

 「しゅこー、しゅこー。え、トイレ?」

 「まぁ、怪談話だ。俺、祓い師だし」

 「しゅこー、しゅこー。そうなんですかー、で、どんな話なんですかー?」

 「いや、トイレに座ってると紙がなくてな、そこで訊かれるんだよ赤い紙がいいか? 青い紙がいいかって、そんで赤と答えたら血塗れになって殺されて、青と答えたら全身の血を抜かれて真っ青になって殺されるって言う話でな」

 「しゅこー、しゅこー。へー、それで、その極悪猟奇殺人犯をゆうさんがやっつけたんですか?」

 「いや、殺人犯ってわけじゃないけどな、概念事象だし、それにあの時は相棒が囮役をやったしな」

 「しゅこー、しゅこー。へー」

 「……………………」

 そして、長い時間を掛け、ようやく赤瀬は決意を固めた。

 「なぁ、ミーシア。その、着ぐるみから聞こえている音なんだけど……」

 「ああ、これですか。匂いを遮断するんですよー♪」

 「ガスマスクか!!」

 全力でつっこんだ。

 「どうなってんだ、その着ぐるみ!! どんな多機能型着ぐるみだ! おまえは何処の猫型だ!! 22世紀からでも来てんのか!!!」

 「まぁまぁ、良いじゃないですか、あーさん。それよりどうなったんですか? その話」

 そろそろ赤瀬の精神が限界突破しそうなのでミツルギが抑えに回った。赤瀬も戻らないと戻れなくなる事を自覚しているので、無理にでも会話に意識を持っていく。
 ……色々と大変な男だ。

 「はぁはぁ、……ああ、俺の相棒が囮でトイレに入ってな、怪異が実在化するのを狙って俺が潰す予定だったんだけど……、あいつウケを狙って答えちまったんだ」

 「どんな風に?」

 「…………『サンドペーパー ぷりーず』って。咄嗟に考えたらしい」

 「うわぁ」
 「痛い人ですねー(多角的な意味で))」

 「言ってやるなよ、哀しいから。まぁ……、その後『…………赤い紙だな』って無理やり断定されて大変な事になりかけたりして…………」

 当時の状況を思い出し、生暖かく腐った魚のような眼をする赤瀬。
 ろくでもない事態に発展した事は言うまでも無いのだろう。

 「それでな―――!!」

 話を続けようとした瞬間、赤瀬が警戒色を現す。
 ほぼ同時にミツルギも口を開く。

 「! あーさん……。誰か来ますよ」

 「分かってるッ」

 三人の内、戦闘慣れしている二人が気配を感じ取る。
 あまり経験の無いミーシアの方もその様子で状況を悟った。

 「…………」
 「…………」
 「……にゃふぅー」

 ミツルギが重心をつま先――拇指球に移行する。即座に行動に移れる状態を作ったのだ。

 だが、赤瀬は逆に腰を落とし、ベタ足に構える。

 体重移動を主とする古流の足。一見動きづらそうに見えるが、動きの質が転換すればむしろこの方が早く動ける。

 そして、ミーシアは―――――

 ドルゥン ドルルン ド、ド、ドドドドド

 なんか、足からタイヤが出た。……排気音っぽいのも。



 「だから、その着ぐるみなんだーーーーー!!!」



 ……もう赤瀬には、つっこみしか無かった。





* * *





 「な、なんか騒がしいんですけど……」

 「うぅ、関わっちゃいけない類いだぞ、アリー」

 赤瀬たちが……と言うより赤瀬だが、彼が渾身のつっこみを入れている間にも随分とラエリたちは近づいていた。
 ちなみに、警戒しながら近づいているので手には武器が握られている。

 「にゃふーーー!? イツノマニヤラコンナチカクニーー!!」

 ミーシア、仰天。
 
 「にゃ、にゃ、にゃっ!! さてはさては、その手に持ったトゲ付き鈍器と鋭利な刃物であちき達を殺したり殺さなかったりするつもりですか! にゅふっふっ、しかし、甘~~~い!!」

 そう言うとミーシアは赤瀬の後ろに引っ込む。
 どうやら他力本願を全力行使するつもりらしい。
 仕方なく赤瀬は腰を落とす。

 「あー、いやあ、もしかしてラエリさんとアリーシャ・リゼリオさん? ラドクリフ師から依頼を受けた?」

 しかし、先にミツルギが口を開いた。




 「オレは『三つの刃』。名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう? け~っこう有名なつもりなんスけどねぇ~~」

 場違いなくらいフレンドリーな雰囲気で会話を振るのはミツルギ。

 しかし赤瀬はその態度に寒気を覚えていた。

 ……殺気も悪意も警戒心もない。そんな雰囲気は、簡単に付け入る為の隙を作り出す。

 実際、ラエリ達の身体が僅かに弛緩したのが、一応とはいえ武術を嗜んだ赤瀬には見て取れる。

 もし、いまナイフを投げられればラエリ達は反応すらできないだろう。

 考えて赤瀬は戦慄する。

 (刀儀に頼んで会わせて貰ったどんな達人よりも……手馴れてる。人を、殺す事に……!)

 ――職業的暗殺者。

 背筋が粟立つ感覚に動かされ、赤瀬は思わずミツルギを見やる。
 それを察してミツルギは赤瀬の方に顔を向ける。

 「大丈夫っスよ。彼女らは味方です」

 (……だから手出しはしない。ってか)

 言外に込められた意味を察し、赤瀬は一応の安心を得る。

 勿論、気は抜かないが……。

 「ああっと、俺は赤、せ……!?」

 とりあえずミツルギに合わせて自己紹介でもして置こうと視線をラエリに向け、赤瀬はその手に握られている武器に目を奪われた。

 ラエリの手には、かつて刀儀が渡したニ尺の小太刀。

 「その小太刀、まさか!!」

 「え、え、ちょっと待て! なんだ!?」

 詰め寄って、赤瀬が小太刀を掴む。突然の事態にラエリは困惑する。

 「この刃紋、拵え、やっぱり刀儀の…………どこで手に入れた? 拾ったのか? 奪ったのか? ……いや、あいつから奪うなんて生半可な事じゃない。金に困っても売り払う代物じゃない。……そうだ、あんた、刀儀を、刀儀楔を知ってるか?」

 「と言うか、お前こそいま、アカセと名乗ろうとしなかったか!?」

 ラエリも段々と事態を理解し始めていた。
 名乗りかけた名前、刀儀の名前、小太刀の事を知っている。
 そうなれば答えはひとつ。

 「俺を知ってる。やっぱり刀儀を知ってるのかあんた……」

 「そうか、お前がアカセ・ユウナギか」

 双方共に、ようやく納得する答えに辿りついたのだった。





* * *





 「つまり、追ってる敵は同じ訳か」

 ラエリ達から聞いた話の内容から、同じ目的で動いている事を赤瀬は知った。

 「そういや、ミツルギさんは知ってたんだよな?」
 「そうっスよ。冒険者の人も動いてるって言いましたよね」
 「だっけか……なら、俺の捜してた奴が、この人たちと一緒に行動してたのは?」
 「……たはは、実は薄々そうじゃないかな~ぐらいには知ってました。半端な事は伝えない方がいいかと思ったんスよ」

 誤魔化された気がするが、身元の保証が無い以上、全ての情報を無償でくれるわけも無いと赤瀬は思い直す。

 「まぁ、いいや。……それで、そっちの人達はどうする? 一応、俺としては、一緒に行動したいんだけど…………」

 ラエリたちに振る。

 「ラエリさん、どうします?」
 「いいんじゃないか。クサビの友達なんだろ?」
 「そうですね、有名な『三つの刃』さんもいるし……、トギさんがいない以上、一緒させてもらった方が安全かも」

 ラエリたちの方も同行した方が安全と思ったらしく、赤瀬の提案を受け入れた。

 「でも、すっごく頼りない面子ですよねー。前衛職がこれまた皆無。こりゃあ一本とられたねー!」

 なんだか楽しそうな感じでミーシアが言うが、言われて見れば心許ないメンバー構成と言える。

 「う~ん、確かにそうですね」
 「そうなのか? なら、そっちも前衛は居ないのか?」

 ラエリが赤瀬たちに尋ねるが

 「俺、後衛」
 「あちきは魔術師なんで後ですよー」
 「あー、オレもガチンコは得意じゃないっス」

 非常に頼りない答えが返ってきた。
 赤瀬もミツルギも戦えないわけじゃないが、盾としての役割を期待するのは酷だろう。

 「にゃふー。と言う訳で、そこらへんを考えた上で隊列組みましょうよリーダー」

 「だれがリーダーだ」

 「あれ? あーさんがリーダーでしょ」

 「いやいやいやいや」

 しかし、結局赤瀬がリーダーになった。本人も諦めていたのか、すぐ切換えて隊列を考える。

 「じゃあ、最前列は俺とミーシア、真ん中にラエリさんとアリーシャさん。最後列はミツルギさん、頼みます」

 「いいんスか? オレが後ろで」

 どこか試すような色を滲ませて赤瀬を見るミツルギ。

 「……その程度には信頼してますんで」

 二人の間の緊張に、残された三人が首を傾げる。
 ミツルギの危険性に気付くには、彼女らはあまりに世間を知らない。

 ただ、その種族性で迫害を受けてきた経験を持つミーシアの行動だけは別の意味がある。

 彼女が首を傾げたのは、純粋に赤瀬の態度についてだけなのだ。

 他人の悪意に晒されてきたミーシアは、それゆえに悪意に直感的に反応してしまう。
 死の領域を垣間見た赤瀬が、死に対する事象を直感的に感知するのと同じだ。

 (……ゆうさんは、先輩を信頼しきれてないんですねー……)

 彼女はミツルギを信頼している。
 そう、例えその行動に不審が在ったとしても、その目的は間違っていないのだ、と。

 「にゃふー、二人とも奇妙な雰囲気を醸し出さないでとっとと行きましょうよー」

 ミーシアが割って入った事で緊張は霧散する。
 その隙に乗じて、ミーシアは出発の音頭をとった。

 「にゃふー! 出発でーす!!」





* * *





 「でもー、なんであちきを前衛にしたんですか?」
 「装甲厚いだろ? 超合金Z」

 「クサビは勝ってるかな」
 「トギさんなら大丈夫です!」

 「いやー、ひとりだけ後ろだと寂しいっスよ」

 などと会話をしながらだが、各自警戒は怠っていない。
 むしろ会話は、だんだんと深みを増すような暗闇に呑まれない為の手段とも言える。

 「……! なにか前方に見えますよー」

 「ああ、変な気配が在るな」

 「気配……ですか?(とっとと、危なかったです。普通の人は暗闇じゃ見えないですね)」

 「なんだ、なんかもやもやして……」

 「あ、ギズモくんじゃないですかー」

 ガス状の魔法生物ですよー。と朗らかにミーシアが呟く。

 「―――――ちなみに敵です」

 「敵かよ!? 友好的な表現するなよ!?」

 赤瀬のツッコミをしれっと無視し、ミーシアは詠唱動作に入る。

 「あれは、魔法じゃないと倒せませんよー。任せて下さい、あちきがどかん! と…………」

 「どかん! とやれる、のか? なんか……いっぱい湧いてきたけど」

 「ナゼニーーー!?」

 「いやー、ダンジョンRPG風になってきたな……」

 そう言いながら赤瀬は疲れた表情で指示を出す。

 「ガス状の魔法生物らしい、ミツルギさん、数が多いからミーシアといっしょに頼む」

 「いや、ミーシアに任せましょう。高速詠唱の訓練になる」

 「にゃふーー! なんだか余裕ありすぎですよー!」

 たいして警戒するほどではないとミツルギは判断、ミーシアに任せることにした。

 「私も手伝おう」

 ラエリが手伝いを申し出る。

 手には松明。

 炎の精霊を使役するつもりだろう。

 「古代語魔法が通じるなら精霊魔法も同じだろ?」

 そう言って松明を一薙ぎすると、炎で紡がれた無数の矢がギズモを蹴散らしていく。

 「うん? あのエルフさん、呼び掛けの言葉も詠唱も使ってないっスね」

 詠唱を必要としないのはラエリの特権だ。
 とくに呼び掛ける必要も無く、精霊たちはなぜか彼女の意を汲んで動く。

 「にゃふー!! あちきの頑張りも評価してくださいー!」

 その隣でしゃかしゃかと蠢く猫の着ぐるみ。
 魔法を紡ぐ動作と詠唱も、超高速でやると滑稽極まりない。……と言うかシュールだ。

 「……ミツルギさん。高速詠唱ってのは、あんな不気味な技術体系なのか」
 「……ちゃんと『刻印』が解放されれば動作と詠唱の一端を『刻印』に任せて省略できるんですよ」
 「ふ~ん、で、『刻印』って?」
 「正式に認定を受けた冒険者の証っス。経験を積んでいくと、『刻印』は刻み付けられてきた経験を元に補助として働くんスよ。戦士なら動きを、魔術師なら魔法をって感じで」
 「つまり、ミーシアは高速詠唱と言う技術は使いこなせない、と?」
 「そうっスね。いまは経験を積む段階、あれは擬似高速詠唱って名付けましょうか?」
 「いや、『ミーシアは不気味なおどりを踊った』って感じだろ」

 評価はさんざんだった。





* * *





 一行は遺跡に辿りつく。

 「……思ってたより、スケールが小さいな」

 「あんたも思うか……」

 呟いたのは、王国在住ではない二人、赤瀬とラエリ。
 刀儀がここに居れば感想は同じだったであろう。
 なぜならその遺跡は、入り口から歩いて十分程で最奥まで到達してしまうのだ。

 ……しかも一本道。

 「あはは、やっぱり思いますよね。わたしも知識では知ってても落胆しましたし」

 アリーシャが苦笑いで答える。
 彼女も、この遺跡で肩透かしをくらった経験があるのだろう。

 「にゃふー、だれか来た跡がありますねー。むむ? これは…………」

 遺跡の最奥は少し広くなっており、中心に奇妙な石碑がある。
 ミーシアは近寄ると、石碑の周りを観察しおかしな物を発見する。

 「え? ええ、これって、人間の、指? なんで地面から生えてるんですか……」

 ―――ずぶり

 そして次の瞬間、その指は地面に呑みこまれ―――――

 「!?」

 ―――ゴトン

 「下に……落ちた?」

 「この下に、空間があるのか?」

 「い、いや、そんな筈は……」

 駆け寄ってきた赤瀬とミツルギ。
 
 「何度も調査していた筈だ……。こんな仕掛けは、無かった」

 ミツルギが焦りを表情に浮べる。
 その様子に皆が押し黙った。

 「ラエリさん!?」

 アリーが叫ぶ。
 振りかえると

 「声が……声が聞こえる。苦しみが伝わってくる……ッ」

 自らの肩を抱き、ラエリが震えていた。
 地の底から伝わってくる感情に、想念に……。

 そして、赤瀬が気付く。

 「これは――『術式』だ。負の想念を蓄積し、それに式をあてがって術と成す」

 「あーさんの世界の魔法……ですか」

 「こっちの世界の魔法は魔力と言う力を加工する技術だ。対して『術式』は、現実の積み重なりの中に幻想を混ぜる技術、世界に個々人の内的世界を持ち込む技術。

 ……世界の力では世界を打ち破れない。 

 敵とやらの目的が異界を呼び込む事なら、この世界を打ち破る必要がある。
 ならば使うのは世界とは無関係に存在する心の力……。
 突き詰めた挙句、『術式』に類似する技術に辿りついたって所か……」

 全く別の技術体系故に、事前の調査では解からなかった。
 そう赤瀬は締め括り、地面を見た。

 「この下に、恐らく地獄が在る。――――俺は…! 見過ごせるかよ……」

 そう言うと赤瀬は、地面に呪具の杭を打ち込んでいく。

 「下がってくれ。穴を開ける」

 「! あーさん、ストップ!」

 「え?」

 だが、ミツルギが止める。

 「確かにここで起こってる事はあーさんの言う『術式』によるものかもしれない。でも、この下に行くには空間魔法が必要っス。恐らくこの下は一種の亜空間になってる筈っスよ」

 『亜空間』

 通常空間と連続しながらも独自の法則性を持つ特殊領域。
 つまり―――

 「……特異な結界。俺じゃあこんな規模は出来ない。ってか……人間には無理だな。術式干渉も、下手にしたらこっちが呑まれる可能性もある……かも」

 「ここは協力しましょう。空間はオレの専門。あーさんは術式とやらの解析頼みます」

 「仕方ない、頼むぜミツルギさん」





* * *





 「にゃふー。なんか、もんのすごく手持ち無沙汰です。ここはひとつ、親睦を深める為に皆さんの未知との遭遇について話しませんかー」

 「未知との……遭遇?」

 「多分、トギさんやアカセさんとの出会いを語り合いたいって事だと思いますよ」

 「にゃふぅ!! 正解です! じゃあ、まずはあちきから……」

 赤瀬とミツルギが遺跡を調べている間、やることの無い三人は今までの経緯を話す事にしたらしい。

 ミーシアは化け物調査で赤瀬に助けられた事を
 アリーシャは刀儀とラエリに野盗から救われた事を
 ラエリは仲間と刀儀の協力で化け物を倒した事を
 それぞれ話していく。

 「にゃふー、色々あったんですねー」
 「大変だったぞ。街に着いてからも化け物に襲われたり、野盗の残党に攫われたり……」
 「うわー、ピンチの連続でしたねー」
 「にゃふーさんは、助けられた後の話とかは無いんですか?」
 「にゃふーさんって……、あちきはミーシアですよぅ。……まぁ、それは兎も角、実はあったんですよ、フラグが立ちそうな程のらぶらぶイベントが!! ……でも、詳細は違う機会に話しましょう」
 「「な、なんでだ(ですか)!?」」
 「にゅふふふふふ(番外編を作りたいからですよー)」

 多少、危なげな要素を含みながらも和やかに会話は続いた。
 その間に赤瀬たちも解析を済ませていた。
 
 「――解析した、ミツルギさん! ぶち抜くぞ!!」

 「いきますよ!」

 赤瀬は杭を打ち、縄で界を区切る。
 結界を形成し、亜空間との接点を作り、ミツルギが道を繋げる。
 魔法と術式の連携による、まったく新しい術の概念。
 それが、亜空間への穴を穿つ。

 ――ゴゥン!

 「! 開いたっスよ」

 「ちょっと待って、いま、安定させる!」

 結界を幾重にも展開し、空間の穴を固定する。
 穴の向こうには、通路が存在し、どうやらその天上に穴は繋がっているようだった。

 「さあ、行くぞ!」

 赤瀬の声に、待機していた三人も立ち上がり集まってくる。

 「にゃっふー! 悪党どもをぶっちめましょー!」

 「未発掘アトラの遺跡……。こんな本格的な冒険になるなんて……」

 「…………」

 各々が感想をもらすなか、ラエリが奇妙な沈黙を表情に出した。
 それにアリーシャが気付き声を掛ける。

 「? ラエリさん」

 「……いや、なんでもない。―――行こう」

 アリーシャの心配を振りきるように、ラエリは穴に向かう。
 すでに赤瀬とミツルギは入ったらしく、安全を告げる声が聞こえてくる。

 「大丈夫だ! 一応安全だ」
 「にゃふー、ミーシア、いっきまーーす!」
 「ぐはあ!? 俺たちの上に飛び降りるな!!」

 猫まっしぐら。

 「…………安全そうだな」
 「…………安全そうですね。じゃあ、わたし、行きます」
 
 そう言うとアリーシャも飛び込んだ。

 「…………私も、行くか」

 そして、ラエリも穴に向かう。

 (知ってる……のか私はこれを? また、あの既視感が……)

 疑問を抱いたまま、ラエリは穴に飛び込んで行った……。
 



[1480] 孤剣異聞 第三十一話 知り合い?
Name: 鞘鳴り◆c49a8c01 ID:e7eaf52b
Date: 2007/05/29 23:39
 さあさ、そこの旦那方!

 ひとつ遊んで行かないかい?

 袖振り合うも多生の縁、奇妙極まる男女の縁

 刃と刃の交わりは、流血沙汰の腐れ縁。

 とかくこの世は天国地獄

 斬っては斬られる斬られ損

 言わばこの世は戯言よ

 ならば遊んで行かないか?

 刀一振り地獄逝き

 斬って斬られて斬り斬り舞い――――








孤剣異聞  第三十一話 知り合い?








 「お前たち! 何があった!!」

 慌てて駆けていた騎士を捕まえシーリアが問いただす。

 「ふ、副団長」
 「裏路地側を探索していた班が消息を絶ったのです」

 「……例の狂信者たちか」

 「はい……、恐らく」

 シーリアが話しているのは異界信仰の教団の事だ。
 大会中の警備のほかに、すでにラドクリフの指示により騎士団は探索に動いていた。

 大会開催よりも少し前、同盟国でもある魔法王国ラシェントにおいて“異なるモノ”によってある実験施設が守備に当たっていた魔法騎士団ごと壊滅すると言う事件が発生した。

 元々、この施設はある世界に逃がされていた人間を呼び戻す事を目的としていたのだが、召喚の際の次元の歪みから“異界”が侵食してきたと言うのが事件の真相だ。

 だが、これは単なる事故では済まされない事情があった。

 その事情とは、世界の綻び。

 すでに、召喚時の小さな歪みからでさえ、神代に封じられた“異界”が侵食するほど、世界は綻び始めていたのだ……。

 「場所は……、その班はどの辺りに向かっていたのだ?」

 「地下、下水道です」

 「分かった……お前たちはこのまま団長に報告に行け」

 「副団長は……?」

 「私たちはこのまま下水道に向かう。幸いここには実力者が揃っている」

 そう言うとシーリアは追いついてきた刀儀たちを見る。

 「すまない、緊急事態らしい。手を貸してくれないか」

 「緊急事態……。シーリア、詳しく説明してくれ」

 ゲイルが問いかける。

 「こちらも詳しい事は分かっていないんだ……。だが、探索に当たっていた班が消息を絶った。確か下水道からはアトラの遺跡に繋がっていた筈だ」

 「あの遺跡か、だけど、あれは―――」

 「そこまでだ、ゲイル・ランティス。いまは議論などしている場合ではない。『大魔導』――ラドクリフ老と通じている貴様なら知っているだろう、ラシェントでの事件を」

 「む…………」

 割りこんできたギーズィの言葉にゲイルが押し黙る。
 個人的にラドクリフと繋がりのあるゲイルは、異界関連の情報も受け取っているのだ。

 「……よう分からんけど、あの異形の化け物関連なら俺も縁があんねん。協力させてもらうで」

 そう言うと刀儀が歩き出す。

 「む? 貴様、場所を知っているのか?」

 「下水やろ? ギの字。どっか適当なマンホールから降りれば………………、ってマンホール見た事無いな、少なくともこの国では……」

 「なにが言いたかったか知らんが、つまり分からんと言う事か」

 「…………、すまん、ゴメン、面目無い」

 案内をシーリアに任せ、刀儀たちは下水の入り口に向かい行動を開始した。





* * *





 暗闇を勢い良く走る集団がある。
 もちろんそれは、刀儀たちに他ならない。

 「シーリア・シルス! こっちは裏路地街では無いのか?」
 「消息を絶った班は裏路地を探索していた、裏路地には下水へ繋がると言う裏通路がある!」
 「場所は分かっているのか?」
 「大丈夫だ、そこはオレが知ってる。砦勤めになる前に、締め上げた盗賊から聞いた事がある」
 「どーでもええけど、ゲイルさん結構過激派?」

 入り組んだ裏路地、ある種の無法地帯であるそこはいつもはガラの悪い連中の溜まり場にもなっているのだが、大会の影響で人影は見えない。無論、居た所でこの面子を見れば逃げ出すだろう。
 だが、それ以上に人の気配が無い。

 「………………、人の気配、ないな。前に来た時は姿が見えんでも気配ぐらいはあった筈やのに」

 刀儀は足を止め、周囲を見渡しながら人影を捜してみる。普段は身を潜めるようにしている裏路地の住人だが、それでも注意して見ればすぐに見つかる。だと言うのに、音も気配も無い。

 「まさか、生贄にされたとか……あらへんよな? はは……」

 「…………」
 「…………」
 「…………」

 「い、いや、なんか言うてや、俺的には小粋なジョークやで、いまの……」

 「…………」
 「…………」
 「…………」

 「う、い……すんません」

 普段なら軽く流せるかもしれないが、今の雰囲気では無理らしい。
 そもそも、刀儀の発言自体、そう言う不安が表に現れたものなのだから救い様が無い。

 「急ごう、部下が心配だ」

 シーリアが、先を促した……。





* * *





 「……ひとつ訊かせろ。トウギクサビ、貴様は一体何だ?」

 走っている最中、ギーズィが唐突に囁いてきた。
 言葉自体は全然足りていないが、ある種の確信を込めた雰囲気があるので、ただの雑談と言う訳では無さそうだ。

 「? なんやいきなり」

 刀儀も雰囲気を悟り、質問の意図を訊き返す。

 「確かにいきなりだな、だが、貴様の存在もいきなり過ぎると俺は思う」

 声量を抑えているので、二人の会話は先導しているシーリアとゲイルには届かない。
 ギーズィは言葉を続ける。

 「『刻印』すらも持たず、俺を倒すほどの腕前。多少調べたが、冒険者ギルドに登録したのは最近で、ランクはC。……こんなデタラメな奴が噂に上らない筈が無い。さらには今回の事件にも関係している口ぶり、貴様は一体何処の誰だ?」

 「あいたた、俺ってば信用性なし?」

 「茶化すな、実力は信頼している。だが、貴様には信じきれんところがある。」

 「なんや?」

 一端視線を刀儀に向け、ギーズィが口を開く。




 「俺には、貴様が何故戦っているのか皆目見当がつかん。そんな貴様は最後まで戦えるのか?」




 その言葉は、意外なほど深く刀儀の心を貫いた。





* * *





 (なんでって……、あれ? なんでやろ?)

 心の水面に落ちたのは、疑念と言う名の一滴。
 波紋を広げ、静寂の水面を掻き乱していく。

 (まてまて、そう―――、ミリアに頼まれたんや! あ、いや、それ以前に俺は赤瀬の付き合いで……って、最初はここまでついて来るつもりはなかったし、大体、あの化け物が出てけぇへんかったら単なる見送りで終わってた筈やしな……)

 『戦う理由』

 行動の根源的な部分の欠落。

 事実、刀儀には、大切な人を取り戻しに来た赤瀬のような、あるいは『神剣』の打倒を頼んできたミリアのような、切羽詰った事情が存在していない。

 (なら、剣術は……)

 剣術はそう言った意味では理由にならない。
 なぜならそれは、人生における命題。
 何をどうしようと一生ついて回る概念だから。

 そう……例えばラエリやアリーシャを例にとってみよう。
 彼女らにも、今の時点ではそれほどの事情は存在してしない。

 因縁を持ちそうなラエリは運命を知らず、アリーシャの方は単なる冒険者のひとり……。
 ……しかし、彼女らには確かな理由がある。この世界で生きていると言う明確な理由が。

 (……俺は、別にこっちの世界に対して縁も所縁も義理もない身や)

 対して、この世界において、刀儀楔という存在はひどく薄っぺらい。
 彼が生きてきた背景、人と人との繋がり、文化。
 目指してきたもの、道、価値観。

 それら全てと断絶された遠い場所。―――――故にここは異世界なのだ。

 「やば……俺って、なにがしたくて戦ってるんやろか?」

 そして生まれたのは疑問。
 もし答えられなければ迷いとなり、心を鈍らせる一滴の毒。
 それは剣士として、あまりに致命的なものだった。




 「なにしているっ!」




 いつのまにか足を止めかけていた刀儀に、先頭を走るシーリアが声を飛ばす。

 「……あ、すまん」

 短時間だが、自失していた刀儀。声に反応して再び走り出す。

 「…………」

 その隣で、ギーズィはなにも言わなかった。
 その居心地の悪さに刀儀は思わず言い訳の言葉を紡ぐ。

 「……いまは、ええやろ? 後でキッチリ考えるか…ら……!?」

 だが、言葉はそこで止まった。

 怪鳥の如く頭上から迫り来る、異質な剣気と人影に―――――。





* * *





 ――――目が合った。

 喜びに満ちた黒瞳。
 引き裂くような笑みの口元。
 攻撃的で好意的な――異様な剣気。

 「―――シッ!」

 刹那。
 
 人影が中空から抜き打ちに放った一撃を、鞘ぐるみ引き抜いた刀で受け止める。そのまま刀を腰まで戻し、人影が降りるより早く今度は刀儀の刀が鞘走る。

 そこから先の攻防を、理解しきれたのは何人か?

 ―――――ィ!
  ―ン―――チィ―――

 ―――ンィ――


 ―――――――――ギィン!!

 最後に凄絶な火花を散らして、人影と刀儀が離れる。その間、僅か一呼吸。

 あの刹那、抜き放たれたは刀儀の居合。
 応じた人影は中空にて受け流す――――

 ―――――どころか、それに留まらず、刀の峰を滑走路にした居合の如き太刀を返す。

 刀儀も負けじと秘剣を披露。
 飛び立つ刃はただ迅く、そしてそれよりなお早く、秘剣『骨喰』が牙を剥く!

 しかし敵もさるもの、『骨喰』の骨子である巻き技の妙、それを変化と絶妙な引きで見事相殺!!

 影が笑い、刀儀が目を見開き―――――

 ――――――交錯、そして連撃の応酬。

 一瞬の剣閃が幾重にも交わり、静寂を経て今へと到る。

 「……化け物め、足場も定まらん空中で、どこまで自在に動く気や。しかも、その動きに使った力は全部、本来その刀に掛かる筈やった負担。羽毛にでもなったつもりか……」

 一足一刀の間合を外し、ようやく口を開いた刀儀。
 本人さえ気付かないが、瞳に僅かに焦燥の色。

 「っておい、おれの連撃、そんだけ見事に捌いた奴が言う事かよー!」

 同じく離れた人影、刀を納め自然体。
 ……闘気は一切納めずに。

 「…………日本刀、やな、その手にあるの」
 
 刀儀は疑問を口に出す。
 なぜなら人影が握るのは日本刀、島国の独自の文化が生んだ剣。
 それが何故……?

 「おーい、日本刀なんて言うなよ。こいつは刀だろ? 人斬り包丁でも美術品でもなくてな」

 対して人影が返したのは答えではない答え。
 しかし、刀儀はその言葉を聞き慣れていた。

 「あれ? わっからねぇか。そんなんじゃ油が巻いた刀みたいになるぜ?」

 笑う人影は男。

 ひたすら楽しそうな雰囲気は意図したものではなく本質から涌き出た風に見える。

 「そういやさ、実はさっきそこの黒い人と刀儀くんの会話聞いてたんだけどさ、おれが思うに闘うのに難しい理由はいらないって。実際はとことんシンプルに考えりゃいいんだ。そう―――――」

 男は言葉を一拍溜め

 「―――――必要、不可欠!!」

 言うが早いか無駄の無い疾走。
 刀儀もよく知る古流の歩法。
 だが、その端々に見え隠れする実力はあるいは刀儀よりも――――。

 踏み締める足が大地を噛む、毒蛇の如く手が撓る、



 「さあッ! 闘ろうぜ!! そいつがおれたちの、存在意義だ!!!」



 
 そして――――――――――








 「ぎにゃああぁああ!!?!」








 「飛んだーーーーーーっ!?」




 横合いから迫った黒刃が、謎の男をふっ飛ばした。





* * *





 「ぎ、ぎぎ、ギの字……。今のはちょっとあんまりとちゃうんか……?」
 「今は非常事態だ」
 「ひ、一言で……」

 正々堂々な感じを持っていた人物の暴挙に刀儀は開いた口が塞がらない。
 ちなみに男は飛んでいった。

 「仕方ないよ。非常事態だし」
 「非常事態だからな」

 さらにゲイルとシーリアも口を揃える。
 ただし、視線は向けてくれない。
 思わず刀儀は口を開く。

 「…………い…いや、あの刀に、あの台詞。つ、ついでに俺の名前まで言っとったやん! もう少し考えて行動しようや!!」

 「考えるのは貴様だ、物事には優先順位をつけろ」

 しかし、元凶に遮られた。

 「現状を見失うな」

 強い言葉だった。

 「せ、せやな、確かに今はそれどころとちゃうな……」

 刀儀も洗脳された。
 これでさっきの男が二度と登場しなかったら、正直笑える。

 (けど、絶対もう一度会うやろな……。って言うか俺自身、訊きたい事が山ほどある)

 男が吹っ飛んだ方向をちらりと見て、刀儀は先に走り出した三人を追った。





* * *





 「あいててて、ったく、こっちの技は相変わらずデタラメだぜ、あれも魔法剣とかの一種かぁ?」

 瓦礫の中、先程の男が立ち上がる。
 多少の傷があるが、どれも深くはなくせいぜい擦過傷がいいところだ。

 「とと、おれも行かなくっちゃな。話の内容からして、あっちも遺跡を目指してるみたいだし、どうせまたすぐ会うだろ……。しかし」

 首をコキコキと言わせて呟く。

 「意外とフツーだな、仁斎さんの孫。
 なんか他の連中に聞いた話よりも随分と浮ついた感じだしよー。
 ま、いいか。
 追いついてもっかい喧嘩売ればハッキリするし、ヒヒッ」

 悪戯を思いついた子供のように楽しそうに男は笑う。
 
 「さーて行きますか、しかし、他の三人も強そうだったなぁ、いっひひ、浮気しちまいそうだぜ。たーまんねーなぁ……」

 男が刀儀たちが向かった方角とは別方向に走り出す。
 下水へ向かうルートはなにもひとつではない、先回りできるルートも存在している。
 どうやら男はそれを知っているらしい。

 男と刀儀。
 
 もしも刀儀が余裕のある状況で遭遇したなら確実に気付いただろう。
 男の言葉に所持する刀。
 そこから見えてくるのはとある人物。
 ひたすら刀に拘った異端の鍛冶師。

 その名は―――――

 『刀匠・真兼鉄心』

 裏路地の闇に消えていった男との次の邂逅。
 それは、刀儀に一体何をもたらすのだろうか……?





* * *





 「こっちだ」

 シーリアが無人の建物へ入り、床を勢い良く踏み抜く。

 「これ……地下道なんか?」

 現れたのは、人一人がなんとか通れる程度の通路。
 それを見て刀儀は顔を顰める。

 「まさか、これは地下道へ逃げ込む為の隠し通路だ。我々が把握している以上、ほとんど使われていないがな」

 そう言うと、先頭を切って入っていく。

 「度胸一番やな、かっこええわ……」

 素早い行動に刀儀が思わず呟く。






 下水道内部は暗い。
 シーリアがランタンに火を灯し、辺りがぼんやりと照らされる。

 「暗いな……、視界が限定された中で戦うのは結構難しいで……」 

 「ほう、トウギ・クサビ。貴様は暗闇は苦手か?」

 「苦手やないけど、地形の把握がしにくなるからな。襲って来られる分には気配で察知すればええけど」

 山に篭って修行していた経験のある刀儀だが、暗闇と言う状況下では暗黒剣の習得の為に闇に身を置いてたギーズィに劣る。

 「陣形をとろう。オレがランタンを持つよ」 

 「ゲイルさんがか?」

 「ああ、ランタンが壊れると拙いだろ? 昔から躱すのは得意なんだ」

 ゲイルにしては珍しく、少し得意げに言った。
 それを見て何を思ったのか、シーリアが口を開く。

 「そうだな、私がどんなに剣を振ろうとゲイルは軽々と避けてしまった……。同じ様に高速の戦闘を得意としているのにな、才能の差か……」

 シーリアの言葉には、どこか諦観めいた空気を孕んでいた。
 それに何かを思ったのか、刀儀が口を開く。

 「速さの質とちゃいますか? 普段の動きと筋肉の付き具合から見てシーリアさんの動きは多分反動を使った……それも連撃。でも、動きそのものが速いゲイルさんなら反動を溜める瞬間に動けば間合を外せる」

 慰めなど含まない、剣術家としての考察。

 「……ッ! 私を見ただけでそこまで分かるのか?」

 シーリアの投げやりな言葉に対して、刀儀は冷静な言葉を返していた。
 さらにそのまま独り言のように呟く。

 「剣に捧げた人生なんで……。ま、見切りに関してはそれなりの自信がありますわ」

 剣に捧げた人生。

 自分で言っておきながら、実に的確に自分の心を突いていた。

 (ギの字も言ってたけど…戦う為の理由かぁ、所詮俺は巻き込まれ型のキャラやしな)

 大体からして刀儀は赤瀬の事情に巻き込まれてこの世界に来ている。
 さらに赤瀬と出会う切欠になった事件でも主役は赤瀬だった。
 彼が主役の話は確かに皆無。
 そう、彼には剣が在っただけで…………

 「おい、貴様等。さっさと進むぞ、陣形はどうする」

 「ん、―――ほな、暗闇に慣れてる俺とギの字が先行しよか?」

 思考から立ち戻った刀儀が提案する。

 「いや、トギ殿は後に、漆黒殿は前に分かれてくれ。ゲイルはランタンを持っているから前に行ってくれ……あと、下水にはギズモが棲みついている。それは漆黒殿に任せてもいいだろうか?」

 「なるほど、それで俺が前衛か」

 シーリアが役割を振り分ける。
 奇しくも赤瀬たちとは真逆の前衛職のみの構成。
 ひたすらバランスが悪い。足して2で割りたい。

 「じゃあ、行こう。あんまり長居はしたくない場所だ」

 ゲイルが先頭に立ち歩き出した。
 ギーズィも続き、シーリアと刀儀も歩き出す。





 
 時折出現するギズモも、ギーズィの一閃で消え去り、一行は着実に赤瀬たちに迫っていく。
 暗い下水道だが、実力者4人のパーティにはそれほど苦にもならないらしい。

 「…………おかしいな」

 「ん? どしたん、シーリアさん」

 「いや、部下の痕跡が見当たらないと思って。殺されていても死体がある筈なんだが……」

 刀儀はシーリアからするりと出た言葉に価値観の違いを実感する。
 ……と言うか怖い発言だった。

 「貴様等は夜目が効かん。だが、俺の目には一応見えている。……途中、戦いの痕跡があったがギズモを魔法で退けたのだろう」

 「魔法……。私の部下には魔法使いはいない。魔法石なら携帯していたが……」

 「魔力の残滓がかなり強い。魔法石の威力ではないな」

 「そうか……」
 
 シーリアの声に落胆が窺える。
 状況が不透明なほうが精神的には辛いのかもしれない。
 
 「こうなると遺跡の中まで入らないといけないな……」

 「どんな所なん?」

 「いや……、何もない遺跡だった筈なんだけどね」

 ゲイルの答えに刀儀は言う。

 「なんもないなら、後はそこの奥まで行くしかないか」










 「そいつぁいい。でもよ、その前に――――――そこの旦那方、ちょいと遊んで行かないかい?」










 『!?』




 闇の向こうから声が来た。

 それは先程聞いたばかりの声。
 それがゆっくりと近づいてくる。

 「…………」

 誰も声を出さない。
 なぜか、出そうとしても逆に呑みこんでしまうのだ。

 やがてランタンの明りが届くほどに近づいた男が朗らかに笑う。

 「ようよう刀儀くんにお仲間の皆さん、遊んでいきなよ、たのしいぜー」

 なんの気負いも無い、悪戯が成功した時の子供のような笑い。
 ……だが、四人とも気付いていないが、この場はすでに目前の男の闘気で満ちている。

 ひどく攻撃的なのに威圧的でなく、周囲を昂揚させる熱のような闘気。
 それが、個々人の闘争本能をさりげなく刺激している。
 しかし、それすら気に留めず男は言った。

 「おれの名前、もう分かったかい?」

 その言葉は刀儀に向けられていた。


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