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[14013] 封じられた鞘(ネギま!×FATE、TSあり)  喪失懐古/八改訂
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2010/09/08 09:15
 始めまして、又はお久しぶりです。
 今までチラシの裏で投稿させて頂いていました大和守です。

 チラシの裏にてご好評を頂いた上、ありがたくも板変更の推薦を受けましたのでこちらへ引っ越させて頂きました。
 今後とも宜しくお願い致します。


 本文を読むにあたって。(注意事項)

 本作は衛宮士郎を主人公とし、性転換させ、ネギま!世界へ送るクロスオーバー作品です。
 作品傾向としてシリアス分を多く、原作準拠を目指しています。
 また、クロスオーバーする両作品の摺り合わせや話の展開等で、独自の設定や解釈を含みます。

 初挑戦でクロスオーバー、という事で設定矛盾や誤字・脱字、描写の拙さ等様々至らない点が出てくると思いますが、どうか温かい目で、ご意見、ご指摘、指導宜しくお願いします。



 あ、それと。
 本作のタイトルは「ふうじられたさや」と読みます。
 決して蛸(たこ)では無いのであしからず。



[14013] prologue
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2009/12/18 13:29

Prologue――

 それは、ユメの結末。
 それは、幻想の交差。



 ――――繰り返す。
 ただ、繰り返す。
 ひたすらに繰り返す。
 見失わない様に。落としてしまわない様に。
 繰り返し繰り返し、『在る』事を確認する為に。

 保存された“記録”を“再生”し、“再認”する。

 どれだけ繰り返しても止めない。
 どれだけ繰り返しても止まらない。
 どれだけ繰り返しても止められない。

 時の概念は消失し、
 “記録”は繰り返す毎に磨耗し、
 “再生”する度に次第に欠落し、
 “再認”も儘為らなくなった情報だけが増加する。

 情報へと成り下がった“記録”は朽ち果て、古いモノから損壊していく。

 思考は既に停止した。
 思念は疾うに消失した。
 思わず、感じず、新たな刺激も与えられず、
 内に在る記録のみを、ただくるくると繰り返す。

 次第に磨耗し、欠落してゆくなか、それでもなお鮮明に焼き付いた“記憶”のみを――――。



 ――がちゃり、と空気が震えた。
 閉塞した漆黒を切り裂く光条を伴い、ヒトガタが二つ、するりと室内へ滑り込む。
 ソレは興味も示さない。もとより、外界の情報を取得する手段を全て剥奪されてしまっているのだから当然だ。
 侵入者はそのまま扉を閉め、背負ったモノを担ぎ直し、手近な所から探り始める。
 一つ一つ、見間違いの無い様に、一刻も早く目的を遂げる為に。

 ――程なくソレは発見(みつ)かった。

 透明な容器に収められたソレを目的たる存在と認めた少女はその瞬間に凝固した。
 その様子にすぐに姉が駆け寄り、やはりソレを目にして、骨も砕けよと拳を握る。
 二人、そのまま直立していたのはどれ程か。
 先に動いたのは、やはり姉の方だった。

 瞬間――少女の右手を光源に、容器に収められたモノが照らされる。


「―――■」
 それは、呟きとも取れる、ポツリと空気を震わせる声。
 呼び掛けにびくりと肩を震わせた妹も、数瞬後には姉を手伝い始めた。
 持ち込んだ道具類から必要な物を順番に取り出し、描き、配置し、築き上げる。
 互いに言葉を発しない。
 ただ、黙々と作業に没頭する。
 ――何かから逃避する様に。
 ――何かを忌避する様に。
 ――ナニカを、務めて考えない様に。

 時間は無い。
 かの大師父と姉の好敵手、二人の協力の下に作られた制限時間内に全てを済まさなければならない。
 既に卓越した技量を備えるに至った姉妹をもってしても未だ理解出来無いモノだらけな室内、手狭な空間に可能な限りの規模・速度で築き上げていく。

 それは、神殿。

 大師父直々の構築である。
 自身が残した“宿題”をやり遂げた弟子の願い。それに応えて曰く、
 ――面白い。
 ただ、それだけの理由で弟子に協力する事を決めた彼は、翌日にはこの神殿の設計図を姉妹に放り投げて寄越したのだ。
 今もこの“時計塔”の最上層部にふらりと現れ、騒ぎを起こして衆目を集めている。
 そして、神殿構築において必要な物の半分以上は姉の好敵手の協力によるものだ。
 ――御世話になりましたからね。
 誰の、とは言わなかった。言わずとも彼女らには通じるから。
 この部屋に侵入する際の時間稼ぎをしてくれた彼女は無事だろうか。
 ―――…………。

 ――否。今は無駄な思考を挟むな。

 もう二度と戻らない、旧懐と感傷に耽るのは、全てを済ませた後にしろ。



 詠う。
 朗々と、粛々と、設定された機能を起動させる命令を送り出す。
 神殿が発光を始める。
 端から中央へと、描かれたラインを伝わり、薄ぼんやりと、次第に強く。
 室内の闇を犯し、命令を実行する為の力を充填していく。
 姉妹の唱が佳境に入る。
 呼応し、さらに光が強まる。光が舞う。
 中央にすげられたソレの容器が、鈍く光を反射させた。



 疲弊を極める姉妹が共に座り込み、両側からソレの容器に半身を預けた。
 儀式は既に二人の手を離れた。
 もう二人が手を出さずとも、じきに定められたシステムは動き出す。
 時が近い。
 床から舞い踊る光に照らされながら、二人はただ、それぞれに過去を振り返る。



 ――脳裏に浮かぶ一人の青年。
 特徴的な赤銅の髪。何処か達観していながらナニカを見据え続ける強い双瞳。
 20代も半ばに至った彼は、“あの時”からその姿を変えず、過去と幻想の世界の住人になってしまった。

 ―――――こんなにも、近くに居るのに。

 思えば、随分と迷惑を被ったっけ――その内容は一つ一つ、あまりにも鮮明すぎて苦笑しか浮かばない。
 苦労、心労、掛けられっぱなしだった。
 何しろ、自分から騒動に首を突っ込んでいくのだ。彼が割って入っても事態の収拾が付くかどうかなど、考えもしない。理非善悪そっちのけで、しかし善意あってこその行動であるが故にタチが悪い。
 ――挙句、こんな事になった。
 あの時は本当に本気で怒り、本気で怨んだ。
 何故自分達が彼の後始末をしなくてはならないのかと。
 気付いたのは何時だろう。
 自分達で背負いに行った事だっていう、一番初めのコトを。

 だから、コレが最後の決着。
 この儀式の完了が、自分達と彼の繋がりの終着なのだ。



 直視出来なくなるほど光が強まる。
 終わりが近い。
 神殿に与えた命題が果たされる。
 今はただ、容器に収められているソレを見つめる。
 神殿の中央に在る容器。側には丸まった子供が入れる位の黒い箱。箱には、真紅に染め上げられた外套が被さっていた。
 それらが光に包まれ始め、二人は最後の時を悟った。
 ゆっくりと立ち上がる。
 神殿の外に出て、眩い光をそれでも最後まで見据え続ける。
 奇蹟が、カタチを顕にする―――――。



 事後の形跡は完全に抹消した。
 容器におさめられていたソレのみを除いて、全ての物は二人が侵入する前と寸分たりとも違わない。
 外に気配が無い事を確認し、ガチャリと扉を押し開く。
 侵入した時とは真逆、名残惜しげにゆっくりと部屋を出る。
「先輩―――――」
 呟いた妹の目尻に浮かぶモノをあえて無視して、ただ背中に触れて促した。
 けれど、最後には姉も振りかえり、押し殺した涙声をポツリと洩らした。

「―――よなら、士ろ―――――」


 閉じられる扉によって狭まる光条が、カラとなった容器のプレートを映し出す。
 記されていたのは内容物の名称だろう。他には何も書かれていない。

――BLADE MAKER――

 ばたん、と閉じられた暗室は、再び静寂に包まれた。


◇  ◆  ◇


 第一に、突然正体不明の強大な魔力が発生した事。
 第二に、発生地点が“神木・蟠桃”近辺である事。
 第三に、発生した魔力に呼応する様に“神木・蟠桃”が発光した事。
 その異常、どれか一つだけでも付近の魔法使いが駆けつけるに足る異常である。
 それが三つ一度にとなれば、学園都市・麻帆良中の魔法使いが集結しても何らおかしい事では無い。
 “神木・蟠桃”は『聖地』としての側面も持つ麻帆良の中核とも云える。
 その間近に突発的な魔力の発生。それを察知した魔法使い達は、外部への警戒要員を残し、主力人員を中心として半数以上の戦力が集結した。

「認識阻害の魔法結界、安定しました。私達は結界周辺の警戒に当たります」
「了解。気をつけて」
 裾丈が異様に長いローブを纏う数名の魔法使い達を、スーツ姿の壮年の男が見送った。
 その男にごくシンプルなゴシックドレスを纏う少女が歩み寄る。
「――想定出来るのは、世界樹の魔力を利用した転移魔法か?」
 目前の光源を見据え忌々しそうに吐き捨てた小柄な少女に、壮年の男がポケットに両手を突っ込んだままに同意した。
「と言うか、それしか考えられないね。世界樹の魔力が呼応するという事は、他の『聖地』からの転移行使という可能性もあるけど………事前通告も無しの、しかもコレだけ大規模な魔法行使による来訪となると、警戒も厳重にするに越した事は無い」
 発生後既に一時間も経ち、なお増大し続ける魔力量を正確に把握して、故に互いに表情は厳しい。尤も、壮年の男がこれから来るナニカに対する警戒によるものであるのに対し、少女の方は『ワケの分からない厄介事に巻き込まれた』コトによる不機嫌のそれであるのだが。
「フン。…………度派手かつ迷惑極まりない侵入者もいたもんだ」
「同感だ」
 これほどの魔力を行使出来る魔法使いなど、古今の全世界を見渡しても十指では確実に余り、五指にすら満ちるかどうか。
 少女は、その中の一人に数えられるかもしれない程の卓越した魔法使いではあるが、今はとある理由によって行使可能な魔力を極端に制限され、全盛期の一割の能力も発揮出来無い。彼女がこの場にいるのは、その豊富な魔法術式に関する知識によってこの事象を正確に把握する事を期待されていたからだ。
 逆に戦闘要員の中核として居るのが壮年の男の方だ。彼はこの麻帆良では最上位に位置する実力者である。しかし彼に魔法使いとしてのスキルは無い。限られた一握りの技能のみを鍛え上げた末に得たその実力も、この魔力量、その行使技術の前には霞んでしまう。
「さてタカミチ、この国ではこんな状況はなんと言ったか――確か、鬼が出るか蛇が出るか、だったか」
「あまり笑えないな、エヴァ。ソレは災厄の象徴であって実物を指している訳ではないんだよ?」
 軽口の応酬は互いの緊張を飼いならす為のものに過ぎない。互いに顔を見合わせなくとも、それぞれに緊張と戦慄が張り付いて剥がし切れていない事は明白だ。
 それでも。彼らはそれぞれの理由から逃避する訳には行かないのだ。
 ならば立ち向かうのみ。如何なる脅威を前にしようとも、その先にしか未来が開かれないというのならば。どのような手段をもってしても、どんな過程を経たとしても、生きてその先へと進むのみ。

 魔力の動きが変化する。
 ただ集約され、凝縮し、その密度を高めるばかりだった魔力が、その周囲に展開される魔方陣に流れ出す。
 高みより低きへと流れる水の様に。
 魔方陣自体もなおその展開規模を拡大させてゆく。
 ただの転移魔方陣ではない。
 その全容を顕にしながら、その性質を全く理解させない魔法術式。六百と云う年月を生きた『不死の魔法使い』たる吸血鬼、その魔法知識が通用しない、全く異質とも云える“魔法理論”。
 術式を紐解く事が出来ず、故に対消滅(キャンセル)する事も出来ず、こうして手をこまねいて術式の完成、魔法の発現を観察している。
 緊張は既に最高潮。
 戦慄は全身を縛り付ける鎖の様。
 不可思議は恐怖を招き、恐怖は身体を侵し、身体は生命保存の為に悲鳴をあげてその場からの離脱を訴える。
 それでも、その場に集まった魔法使い達は、誰一人として一歩も引かず、その瞬間を待ち受ける。
 魔法陣の拡大が止まる。浸透した魔力がそれに追いついた。魔力が完全に通りきった魔法陣が淡く燐光を放ち始める。
 奇蹟が、そのカタチを顕にする――――。

 世界が震えた。
 それは、現代において英雄の道を駆け抜け、しかし英霊へと昇り詰め損ねた存在を迎える、■■■の戦慄(歓喜)。




――Prologue・end 






[14013] 封鞘墜臨 / 一
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2009/12/18 13:30

 ――捻れた理想(ツルギ)は戻らない。



 始まりは、波打つ紅蓮と漆黒の太陽。
 助けられなかった人がいて、助けられた自分がいた。
 救ってくれた養父は、魔法使いで正義の味方。
 彼の理想はとても綺麗で、憧れたから受け継いだ。

 転機は、肌寒い真夜中、月明かりの下。
 一秒すらなかっただろう、その光景。
 魔術師と従者、七組十四人だけで行われる聖杯戦争。
 そして、その身を剣と誓う騎士王。
 互いを想い、その道程を誇り、故にこそ迎えた必然の別離。

 修羅の世界へと身を置いたのは一年の後。
 駆け抜けた戦場は数知れず、
 潜り抜けた危地も数知れず、
 重ね見捨てた殺戮も数知れず、
 救った民衆はその数倍をも悠に超え、
 遭った裏切りすら数知れない。

 それでも求めるモノには届かない。
 その手をいくら伸ばそうとも、
 その身をいくら鍛えようとも、
 その術をいくら磨こうとも、
 ――その想いを、幾度叫ぼうとも。

 行程は既に千日手。
 目指す理想は尊過ぎ、
 理解する者など一人もいない。

 その身は剣で出来ている。
 血潮は鉄で、心は硝子。
 己が身を以って全てのショウガイを斬り伏せて、
 万人のココロを恐怖(ふる)わせる。

 想いの骨子は捻れゆく。
 何処までも純真で真摯な願いは裏切りを以って朱に染まり、
 行き過ぎた業の行使はその身を蝕む。
 突き進む方法は一つしかなく、
 ソレでは多くの人を傷つける。

 結末は呆気ないものだった。
 古い御伽噺にもある話だ。
 彼は鋼鉄で、古典では蝋で翼を造る。
 構成材質は違えども、その結末は変わらない。
 結局彼は、憧れた理想にすら、養父同様に裏切られたのだ。

 それでも、彼は――――



 ――――カレは鋼鉄の魔術使い。
     最強を謳われた、幻想をカタチ造る英雄の鞘。


 封鞘墜臨 / 一


 目が醒めた。
 半ばまで持ち上げた瞼の向こうに、ぼやけた色彩を認識する。
 ―――、“目が醒めた”?
 覚醒直後の胡乱な思考が、第一の疑問を浮かばせる。
 意識の覚醒。それは外界を認識する為の器――肉体――を有する精神(観測者)だけが許される、その個体を取り巻く周囲(セカイ)との情報交換を開始する為の一つ目のプロセス。
 その始めの情報交換が視覚によるものだ。光を媒介とした色彩、形状などの情報を受信する専用の器官、すなわち眼球を持ってそれらの情報を認識する。
「――ぅぁ………?」
 ついで、鼓膜の振動を音として受信、認識。
 同時に喉の振動も。吐き出した呼気が、意図せず無意味な音を発したのか。
 鼻腔からは微かにツン、と刺激される――これは匂い、だろう。
 後頭部から首、背中、臀部、脹脛まで感じる感触から、自分は仰向けに横たわっているのがわかった。胸から腹、その下までにも何かがある感触を認識したが、正面を向いている視界が開けている事を鑑みれば、柔らかいものを掛けられているのだと解釈するべきだろう。
 ――――視覚、聴覚、嗅覚、触覚による、周囲情報の認識・把握が可能。
「は…………?」
 あくまで、発する音に意図は無い。
 何故、という疑問だけが思考を支配する。
 自分が自分として正常な思考が出来る、というこの状況が既に異常。
 何故ならあの時、自分は、彼■らの目前で、■印■■て――――!
「―――痛ッ!!」
 ズキリ、と突然脳髄に釘を刺し込まれた。
 違う、それは錯覚だ。脳髄そのものが動作不良を起こし、それが痛覚となって認識されたに過ぎない。
 唐突に走った激痛に、身体が拒否反応を起こして跳ね上がる。
 ばふっ、と上に掛けられていた何かを足が蹴飛ばし、腕が突き上げ、瞬間的に浮き上がって、ふわりと再び包まれる。
「……ぅ――――」
 その体勢のまま、けれど思考は止まらない。
「―――痛んでいる」
 それは、生命活動の代償。
 自分は、確かに、一己の人格をもって、個体を有し、――――いきている。
「…………」
 そして、やはり最後には一つの問に集束する。

「  何故 ―――― 」

 呼気じみたその呟きに応えは返らず。
 ただ大気を震わせ、消えるのみ―――。



 ――同調、完了。
 身体機能に異常は無い。だが、全神経との総適合率は六割強、といったところか。反射行動はともかく、意識的運動命令から反応、実作動までの誤差が生まれる為、各行動に支障をきたしそうだ。
 魔術回路にも不備が出ている。おそらくは、長期間保管されていた脳髄と神経をこの器(身体)へ移植した際に多少問題が生じたのだろう。どの問題も永く植物状態に在った患者が蘇生した直後に似ている類だ。稼動停止していた機能そのものは回復しても、その性能を全十に発揮する為には確立されたメンテナンスが不可欠である。実運用と調整を複数回行う事で、時間はかかるが回復出来る。
 だが。何故自分に再び、しかも元の身体(オリジナル)ではない器を与えられたのかがわからない。
 ―――否。判断材料が少なすぎるこの状況下で不毛な詮索は後回しだ。今はまず現状の正確な把握と、今後の行動指針の決定を優先するべきだろう。



 そこはとある教育機関の一室、有り体に言うなら「保健室」だった。
 魔法関係者と思しき者を連れ込むのに適した場所ではない。――本来ならば。
 学園都市。種々多様な教育機関が集中し、それを核として形成されたこの都市は、同時に極東の『聖地』を管理する魔法使い達が所属する『関東魔法協会』の本部でもあり、その構成員である魔法使いの大多数は、表向き何らかのカタチで各教育機関に身を置いている。
 カレが居た保健室も、所謂『魔法教師』や『魔法生徒』らが複数在籍する学校の一つである。魔法によって転移してきたと思われる人物にはしかし、一般人以上の魔力は検知出来ず、その結果彼らはその人物を『魔法使いの従者』もしくは文字通りの一般人、そのどちらかであると推定。一般人ならば無論の事、『従者』であってもそれを示す魔道具を所持していなかったカレを無害と判断し、無理な覚醒を促さず、意識の回復を待つ意味で世界樹――“神木・蟠桃”から最寄りの施設であったこの場所に休ませたのだ。
 彼らは、件の人物が意識を回復してから詳しい事情を聴取し、得られる情報を元に今回の騒動の原因究明を行うつもりだった。
 保健室に仕掛けられた魔法はたった一種類。
 カレの覚醒を、術者に知らせる。その為だけに構築された結界は、
 その、組まれた機能ゆえに。術者に、カレの困惑も、焦燥も、カレが素早くそこから離脱した事実さえ、伝える事は無かったのだ。



 放課後。
 彼女がその少女を見つけたのは、単に、彼女が所属する部活動――水泳部の活動する屋内プール施設に向かう道中だっただけの事だ。
 後姿だったが、一目、視線を奪われる特徴を持つ少女である。
 まず目に付くのは髪。赤い。微かに銀も入っている点、プラチナレッド、と評する事も出来るかもしれない。すとん、とクセなく真っ直ぐ肩辺りまで伸びて、先端は揃えずにシャギーにしている。
 で、着ている物も赤い。っつーか紅い。成人サイズとしても大きめな、真紅に染め上げられたまことに目立つ事この上ないぶっかぶかの外套を強引に羽織っていた。
 相対的に少女の背格好は小さく見えてしまうが、恐らく彼女の親友でもある新体操部所属のクラスメイトよりは高めだろう。
 そして、なにより。体調が悪いのか、そんな歩きにくそうな格好である事を差し引いても不安に思ってしまうほど、よたよた、ふらふら、と危なっかしく左右に揺れながらゆっくり歩いている。
 そんな少女の姿を無視して行ける訳が無い。
 彼女は何の躊躇いも無く少女に近づいて、驚いてしまわないようにそっと声を掛けた。
「あの……、大丈夫ですか?」
「―――ん?」
 少女が振り返る。ツリ目がちな瞳が彼女を射抜いた。
 全体的にバランスの整った、可愛い、と分類出来る顔立ちが、今は極度の疲労で青くなっている。
 見詰め返された事で心の奥底に言い様の無い疼きを覚えたが、それよりも少女の具合の方が気になった。
「何か、すごく辛そうですけど」
「……ああ、うん。すまない。少し、ワケありでね。最近まで寝たきりだったんだ。リハビリがてら散歩など試みたんだが………モノの見事に、無謀な挑戦だったらしい」
「な。駄目じゃないですか、キチンと身体を治さないと! 無断で出てきちゃったんですか? 病院――なのかは知りませんけど――の方も心配してますよ、きっと」
「う―――ん。……そう、だな。けど、俺は、速く――この身体に慣れないと」
「……え?」
「や、なんでもない……うん、そうだな。今日は、コレ位にして、少し休んだら戻るよ。心配してくれて、ありがとう」
「大丈夫ですか? 私、送っていきますけど―――」
「ああいや、それは流石に悪すぎる。君にも、君の予定があるだろう?」
「でも、このまま放ってもおけないです」
「む。――――そう、か。じゃあ、そこのベンチまで、付き合ってくれないか」
「はい」
 ゆっくりした口調。何故か年上のような印象。会話はたどたどしく、けれどしっかりとした意志を感じさせた。
 呼吸もさほど乱れている訳では無い。
 心なし、会話の最中から徐々に顔色が戻ったように見える。
 何処から、どうやって此処まで来たのかは分からないが、確かにきちんと休憩をとりながらならば歩く事が出来るだろう。
 それなら、と、
「っ、―――よ」
「!? ……ぅわ!」
 ひょい、と。
 彼女は少女を抱き上げた。――オヒメサマダッコ、で。
「! ? !? !!?」
「――――(あ、軽い。可愛い♪)」
 まさかこんな方法をとられるとは思わなかったらしい少女はただ困惑するしかなく。
 彼女は、軽々と少女をベンチまで運んでいった。



 それが11月中旬、早朝から日暮れまでに起こり、密かに学園都市全体を警戒態勢に移行させた出来事である。
 以降、都市に所属する魔法使い達の捜査網を掻い潜り、転移魔法の詳細を知ると思われる重要参考人は姿を隠し続ける。
 その現実に、焦燥感を感じずには居られない者が一人いた。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。600を超える年月を生き、しかし現在はこの麻帆良に縛り付けられている吸血鬼である。



 11月20日、水曜日。
 今宵は満月。吸血鬼が闊歩するに相応しい、真円を描く光芒を主と冠する、星影たちとの狂騒夜。とある魔法式により自身の特有能力を悉く封じ込められた「不死の魔法使い」も、この夜ばかりは例外である。天上を飾る月より一時の寵愛を受けた彼女は、限定的ではあるが、その異能を発揮する事が許される。
 だが、そんな事実は彼女の現状に対して何の意味も無い。許された限りの異能ではその身を縛る拘束を破る事など出来はしない。学園都市に括られ、積み重ねさせられた時はじきに15の年を数えるだろう。現状に対する不満は鬱積する一方で、何より、その呪いを解呪すると約束していたあの男が死んだという現実がエヴァンジェリンには許せない。
 だがそれももうすぐ終わる。少なくとも、現状を打破する為の布石は着々と整いつつある。もう三月。いや、すぐに動いては流石に学園都市の魔法使い達も警戒する。ある程度の期間を挟むとして、それでも五ヶ月中には今此処に縛り付けられる全てに決着をつけてやる――――。
 しかし、その布石もあと一歩で足止めを食らう事になってしまった。『聖地』の魔力を使い、既存の如何なる神秘基盤にも属さぬ魔法術式を用いた、大胆不敵も極まりない転移魔法の発現。直後の被転移者の失踪。その為に敷かれた、学園都市全域に亘る警戒網。
 布石は未だ十全ではない。いや、残った時間の全てを可能な限り有効に使おうとも万全には程遠いというのに、それが判るからこそ常に心中に燻り続ける焦りの火種を煽るかのように突如として計画の前に立ち塞がった障害。
 ―――ギリ、と。我知らず爪を噛む。
 煩わしい。
 何処の何者かは分からないが、よりにもよってこの時期に、これほどの厄介事をこの地に持ち込むとは。
 そんないらつきが、あり得ない筈の可能性を閃かせては焦燥感を煽ってくる。
 まさか。
 まさかとは思うが、これら一連の事件が全て、自分の計画を阻害する為に図られたのであれば?
「――――馬鹿な考えだ」
 浮かぶ思考を声に出して切り捨てる。落ち着かない。この数日間、募るばかりの苛立ちはとうとう表層にまで現れ始めた。よりにもよって高畑に指摘されるとは………。
「マスター」
 呼び掛けに振り向く。傍には、自身と契約を成した自動人形(オートマタ)。
 絡操茶々丸。現代工学技術を遥か凌駕した超科学と、エヴァンジェリンの魔力によるハイブリット。
「いいか」
「はい。準備は全て完了しました」
「……行くぞ」
「了解」
 短い数度のやり取りの後、吸血鬼は決意する。
 出来れば取りたくない賭けではあるが、現状がいつまで続くかもわからない。
 警戒網の把握は出来る。網の目を掻い潜るのは一苦労だろうが、燻り続ける焦燥はこれ以上押さえ込めそうもなかった。

 練達の吸血鬼が空を駆ける。
 闇夜に解ける漆黒の装束を身に纏い、行く先は魔術師の潜む学園都市。
 時刻はじき夜の9時。
 人口の大半が学園関係者である為にじき闇に沈もうとするかの街の向こうに、
 見据えるモノはただ1つ―――――。






[14013] 封鞘墜臨 / 二
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2009/12/18 13:30



 自身が追跡されている事など百も千も承知の上だ。

 それでも魔術師は街を歩く。


 封鞘墜臨 / 二


 身に着けているのは病院着の上に外套のみ。関東地方ならばまだ雪がちらつく程ではないものの、十分に冬と呼べる季節である。軽装も甚だしい格好で、さらに冷え込み厳しい深夜となれば、その姿は異様、と言うより異常だろう。
 一般人に目撃される危険性が低い、と言う事は、捜索網が一気に強化され、より危うい綱渡りを強いられるのと同義である。

 それでも魔術師は街を歩く。

 日中に行動する訳にはいかない。身なりもそうだが、今のカレはふとすれば挙動もまた怪しいものとなってしまう。一週間前、背後から声を掛けられた事を思い出す。可能な限り警戒していた心算(つもり)だったのに、あんな何も知らない少女が近付いていた事にも気づけなかった。そう、と気取られる挙措は抑えた―――それ以前に身体が咄嗟の反応を返せなかっただけだが―――が、内心は驚愕と動揺で混乱を極め、実の処どんな対応をしたのかうろ覚えである。直後に、オヒメサマダッコをされた、という(本人にとって)不本意極まりない体験をしてしまった事も拍車を掛けているのだろうが。
 あのような失態、次に犯せば命に関わる。カレの、ではない。魔術師を狙う輩が強硬手段も辞さない連中ならば、周囲の無関係な一般人に被害が及びかねない。
 それは、魔術師にとって最も忌避すべき事態である。

 それでも魔術師は街を歩く。

 今求められるのは身体機能の回復。その為に必要なのは、安全な工房の設立と隠匿。
 大げさな話ではない。極論、どこぞの人の寄り付かない、今は使われない倉庫とか物置とか、そんなレベルで構わない。とにかく身体を休められ、また数日間潜伏しても一向に怪しまれない、そんな場所が欲しかった。

 だから魔術師は深夜の闇に紛れて街を歩く。

 だが、そうそう都合良く目当ての条件が調った場所など、活気溢れる過密都市内ではそうそう見つかる物ではない。結果、魔術師は人目を避け、自分でも信用出来ない警戒を続けながら学園都市を彷徨って一週間を迎えた。
 幸か不幸か、この都市特有の事情から深夜から明け方まで不夜城めいた喧騒に包まれる区域は存在しない。それはつまり、その時間帯には一般人が出歩く可能性が低いという事だ。無論通常の“健全な学生生活”からあえて逸脱するアウトローな者達も居るだろうが、そういう手合いは得てして群れるものだし、そういった連中が屯する場所は大体決まっているもので、魔術師は始めからその手の場所を避けて動いていた。
 結果的に。休まる事の無い精神とは逆に、常に動き続けてきた身体機能は回復の兆しを見せていた。意識運動における反応誤差も大分修正され、残留誤差分も計算出来る。
 魔術回路側も同様。警戒態勢の維持に充て、常に複数本起動状態に置き続けた成果と言える。肝心の魔力回復は想定以上に滞ってしまったが、それでも今なら撤退戦程度ならばこなせるだろう。

 問題は。これからの行動指針だ。
 ここ一週間、隠伏行動と平行しこの地の情報をある程度収集してはみたが、どれもが自身の持つ知識と合致しないのだ。
 例えば地名。―――麻帆良。通称、学園都市。
 そんな場所は知らない。
 例えば年号。―――平成十四年。
 それは十数年と昔の年だ。
 例えば―――“こちら側”の在り方。

 丘の上に在る“世界樹”―――通称だけが通っているらしく正式名称は分からなかった―――の存在。間違いなく世界規模の巨大さでありながら「それが当然」と認識されているという事実。かの“樹”が内に宿す魔力量。
 一地方都市とはいえ、半径数キロはある広域を丸ごと結界で括りあげてしまっている非常識。構成は境界における進入探知、境界内における一定レベル以上の神秘の抑制、一般人に対する軽度の認識疎外、その他、結界内に存在するナニカの封印術等々。
 その上、複数の魔術師が徒党を組みこの地に在るという事実。

 本来。魔術師とは異端者達の称号だ。
 一般社会という枠組みから外れ、自己の目的の為に自己を捨て去るモノタチ。
 故に、よほどの事が無い限り魔術師は個別に活動する。
 そして、その本質は神秘の研究と発展(という名の衰退)なのだ。
 例外としては英国に存在する“時計搭”、アフリカ北東部に在る“巨人の穴倉”、北欧の複合協会“彷徨海”等に代表される魔術協会。かの地であれば魔術の研究の為に互いに提携・協力する者もいるだろう。
 だが、それも上辺だけ。実際には如何に己の手の内を見せず、相手の秘奥を探り出すか―――そんな騙し合いでしかない事が大半だ。聞いた話でしかないが、“巨人の穴倉”アトラス院では「研究成果は自己にのみ開示する」という法まで敷かれているのだ。

 だから、この地の魔術師達は「異端」の上に行く「異端」と言える。
 極端な話、通常魔術師は近隣に殺人鬼が出没しようがテロが起きようが自身に―――と言うより、自身の研究に―――害が及ばない限り見向きもしないものだ。
 己の研究成果を他に渡さぬ為に自衛の手は打つ。が――――その自衛手段すら秘匿の対象。すなわち、確実に対象を仕留める術式を持って自衛を成す。
 故に、魔術師にとっての結界とは、「いかに外敵に悟られず、かつ確実に対象を殲滅出来る手段を、外界に察知“されないように”展開するか」が必要となってくる。
 例え同じ魔術師相手にであっても、容易に「その場に展開されている事が分かる」結界の構築など三流の仕事だ。
 そこから見ればこの地が如何に異常かが分かる。
 都市一つを丸ごと囲う結界。構築すべき範囲が拡大すれば自ずと構築式も大規模化する。
 それだけで他の魔術師に「此処に何か在る」「此処で何かをやっている」事を周囲に喧伝していると言って過言ではない。
 しかもこれだけ大規模な展開であるにも関わらず、構成内容が探知や抑制レベルに留まっている。
 ―――――不可解だ。

 ―――以上の事柄を含め考えれば。
 この地は、自分の為に用意された実験場ではないか、と魔術師―――否、魔術“使い”は疑っている。
 一度封印施術を行った研究対象(魔術使い)に元の身体(オリジナル)とは別個の器を与え、その行動を監視・研究する為に構築した一都市丸ごとの実験場。
 有り得ない話ではない。
 魔術は基本的に一般社会から秘匿されるべきモノではある。
 魔術協会はその為の戒律を作り上げ、またそれに反した者を「死を持って」罰する組織でもあるのだが、「 」に至る為の研究・実験ならば黙認する風潮が在るのも事実。
 魔術使いが保有する神秘の希少価値は高い―――故にこそ封印された―――が、だからこそ、その先に辿り着く為の足掛りとしては十分な素材と考えられてしまう可能性も高い。

 すなわち――――用意されたこの地、そして魔術使い自身、
 全てが「 」に至る為の供物。

 ――――その思考に至った瞬間、魔術使いは背筋を走る悪寒を堪えられなかった。

 それは――――あまりにも。
 あまりにも、自身の原点を想起させる――――

 可能性があるのなら、全力で阻止しなくてはならない、と魔術使いは著しく衰えた己を鼓舞する。
 行動指針などこの時点で明確だ。
 目的は読めずとも、この地に魔術師が根を張っていようとも、此処に息づく一般社会はまごうことなき本物だ。
 ならば―――最悪でも、彼らへの被害は無くすべきなのだ。

 魔術使いは闇に紛れる。
 真紅の外套を引き摺りながら、彷徨うそこは吸血鬼が降り立つ学園都市。
 時間を計る術は無いが、次第に堕ちてゆく灯りの数が目印になってくれる。
 人口の大半が学園関係者である為にじき闇に沈もうとするかの街の向こうに、
 不可視の陰を捉える為に――――





 そして舞台は整えられる。


 魔術使いが迷い出た先は、ようやく噂として物好き達に囁かれ始めた「桜通り」。
 噂の内容は、実にありきたりなものだ。
 ―――満月の輝く夜、この通りには、漆黒のボロ布を纏った吸血鬼が現れる。
 だがそれは事実だ。麻帆良に縛られた吸血鬼の狩場。来るべき時の為の布石。吸血による魔力の搾取。
 この夜もまた、不用意にこの場に踏み込んだどこぞの女生徒がその姿を目撃する。
 街灯の上に立つ小柄な人影。
 視認した瞬間に射竦められる。
 三日月のように嗤う口元から覗く歯は、まるで―――
 ―――そこで女生徒の意識が刈り取られる。
 気配を殺し、背後に忍び寄った従者による首筋への一撃。
 がくり、と倒れ掛かる身体を掴み支える自動人形(オートマタ)。
 街灯からゆるりと降り立った吸血鬼が、従者より捧げられた女生徒(エモノ)の首筋にその牙を突き立てるべく近寄って――――眼前を奔った銀光に驚愕した。
 思わぬ妨害に、主従が振り向き様に身構える。
 そのさきに、右腕による投擲から姿勢を戻しながら、隠すべき理由も無い怒気を孕んで主従を睨む襲撃者。

 かつては最強を謳われた吸血鬼の眼前に。
 不退にして不敗を謳われた、魔術使いがあらわれた。






[14013] 封鞘墜臨 / 三
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2009/12/18 13:32



 ――――死徒、と呼ばれる怪異が在る。
 吸血行為を行う吸血種において大多数を占める“吸血鬼”である。
 ヒトという種として死に、新生した彼らの肉体は常に崩壊に向かっており、その崩壊を抑制し、自らを保持する為に彼らは人間から吸血する。自己能力の強化。自己意思の強化。吸血行為を止めない限り、仮初の不老不死を得られる人外。ソレが、俗に言う吸血鬼である。
 その過程において己の血を人間(エモノ)に送り込むと、その相手は死にきれずに“残って”しまう事がある。常人ならばそれでもやがて朽ち果てるが、肉体的なポテンシャルと魂のキャパシティに優れた者は稀に現世に留まる事がある。
 後、その“優れた者”は食屍鬼(グール)となり、死体を喰い漁り肉体を再生させてゾンビとなり、“親”の意の元に“親”に代わって吸血しながら自己を少しずつ取り戻し、やがては己のみの下僕を作り上げて“親”の支配を脱し死徒(吸血鬼)となる。
 放置すれば鼠算式に増殖する、ヒトを餌とする怪異。

 だがその正体は―――極論、単なる「動く死体(リビングデッド)」でしかない。



 故に。魔術使いは躊躇わない。


 封鞘墜臨 / 三


 吸血鬼が女生徒(エモノ)に牙を突き立てようとした瞬間に放った一撃は、相手の意識をこちらへ振り向かせる為のものだ。
 まずは人質を救出する。
 犠牲者を増やさずに確実に滅ぼす。
 絶殺の意を固めて人外の前に姿を晒す。
 ―――そう。姿形が如何に幼い少女のモノであろうと、敵は「人非ざるリビングデッド」。
 魔力は未だ万全に程遠いが、窮地に晒される救うべき人を見捨てる選択肢など魔術使いには存在しない。

 意識の撃鉄が打ち落とされる。
 始動する魔術回路。呼び起こされる戦闘思考。
 ここに。
 最強の魔術使いが覚醒する――――



「――――貴様、件の侵入者――――」
 吸血鬼――エヴァンジェリンには、自分に通告無く挑む“無謀な真似”をしてきた相手に見覚えがあった。この数日、学園都市を警戒態勢に移行させ、自身にも余計な仕事を回し、あまつさえ自身の計画に支障をきたさせる元凶。すなわち、世界樹の魔力を用いた転移魔法による侵入者だ。
 一方、魔術使いにそんな記憶は無い。加えて、エヴァンジェリンの言葉は呼び掛けではなく呟きに近いものだった。だから魔術使いは眼前の光景――「吸血鬼が一般人を襲っている」事実にのみ意識を向けて口を開く。

「………そこまでだ。その娘を放して失せろ。今ならまだ後は追わない」

 完全な命令口調だった。無論そんな命令を大人しく聞く吸血鬼ではない。

「ハッ、この真祖の吸血鬼に対してよくもそんな口が聞けたものだな、人間風情が。
 貴様こそ引き下がるなら今のうちだぞ? 私の手が塞がっている内は見逃してやる」

 投げ返された侮蔑に、魔術使いの眼が鋭く細められる。
 魔術使いの思考など、エヴァンジェリンには分からない。
 たった今、自身が吐いた台詞が自身をどれ程“追い詰めるか”など。


 この時点で両者の差を問うならば、まず互いへの認識の差異が挙げられる。

 エヴァンジェリンは魔術使いを「何処ぞの魔法使いの従者くずれ」程度としか認識していなかった。
 当然である。こうして相対している今、この瞬間にすら、眼前の「命知らず」からは微塵も魔力が“感じられない”のだから。
 先程の攻撃もアーティファクトによる物だろう、と単純な結論を出している。エヴァンジェリンは視認する事が出来なかったが、より精巧な視認解析能力を持つ自身の従者より念話を介して「先の攻撃は物質―――直剣の投擲である」と回答を得ている。自然干渉からなる攻性魔法であるのならより多少は警戒を持ったかも知れないが、主もおらずその恩恵に預かれない「従者崩れ」に出来る事など高が知れている。

 通常ならば、その思考に間違いはないだろう。だがエヴァンジェリンが対しているのは、その思考が間違いとなる「天敵」だった事を、彼女は決着がついた後に痛感する事になる。


 魔術使いは無手に無形、エヴァンジェリンは纏うボロ布の陰で魔法薬を構え、従者の茶々丸は女生徒をゆっくりと横たえる。その手が女生徒から離れたと同時、魔術使いが動いた。
 両手を握り、両腕を広げて胸を反らす。
 一瞬の予備動作の直後に、大きく前方に一歩。
 鋭く、力強い踏み込み。
 同時に、上半身を前傾させながら鳥の羽ばたきの様に両手を振るい、胸の前まで交差させて―――左右に三つ、合計六の銀光を射出する。
 狙いは直線、言うまでも無く吸血鬼。飛来するのは先と同じ直剣。鋭く長い刀身、片手持ち用の細く短い柄。外見、驚異的な武装ではない。だが、外見で判断できないのがアーティファクトである。立ち塞がる自動人形。―――右の腕で二。左で二。さらに右足を振るい一本を弾き飛ばす。残る一本は茶々丸の軸足に阻まれ、従者を飾るゴスロリのメイド服に破れ目を作り弾かれた。
「―――いい度胸だ、人間如きが――――!!」
 吼えた幼体の吸血鬼が魔法薬を投げ飛ばす。互いに衝突し、割れるフラスコと試験管。空中で中の魔法薬が混ざり、反応するのと同時に魔法詠唱を完成させる。
「――氷の精霊7頭(ウンデキム・スピリトゥス・グラキアーレス)、集い来たりて敵を切り裂け(コエウンテース・イニミクム・コンキダント)――魔法の射手(サギタ・マギカ)・連弾(セリエス)・氷の7矢(グラキアーリス)!!」
 魔法薬が爆ぜる。生み出された七つの弾丸は、曲線を描きながら魔術使いに殺到する。
 無論、甘んじて受ける魔術使いではない。極端な前傾―――投擲姿勢を直すより先に、全身を鋭く右に回転させる。再度前を向く、その直前に急静止。身体を開きながら、右腕だけを慣性に任せて振り抜き―――三本の直剣を射出。さらにぐるりと左に半回転、反った背に任せて振り上げた左腕を袈裟懸けに振り抜きさらに三本。秒間、僅かな時間差で撃ち出して敵を留め、そのまま回転を殺さず、独楽の様に回り、さらに剣弾を撃ちつつ右へ動く。
 驚愕すべきは、その回転速度。誰が予測しよう、エヴァンジェリンの放った魔弾、その七つを相殺しながら茶々丸をもその場に釘付けるとは―――!
「ち――――!!」
 数の制限が無い武器系アーティファクトか、と臍を噛む吸血鬼。
 相手は距離を置き、こちらを中心として円を描くように動きながら、飽きる事無く同じ剣を立て続けに投げ込んでくる。その威力が軽視できないレベルである事は、茶々丸が防戦一方になっている事からも明白だ。ただ単に武器を投げるだけで茶々丸に損傷を与えられはしない。ならば―――全力で防御しなければ破壊されるのは自分の方だ、と茶々丸が判断したのだ。それでも辛うじて立ち位置をずらし、エヴァンジェリンを庇い続けられるのは従者としての面目躍如、と言えるだろう。
 ならば、とエヴァンジェリンは次の魔法薬を投げつける。
 警戒したのか、互いに衝突する前に相手の投剣が試験管を破壊した。
 飛び散る魔法薬。触媒として機能させるタイミングがズレてしまえば、上手く魔法が発動しても威力・効果の減衰は否めない。それを狙った破砕である。
 賞賛に値する。その破壊はエヴァンジェリンが試験管を投げた、まさしく直後のものだった。余程の観察眼と反射神経が無ければ成し得まい。
 だがエヴァンジェリンは、そのタイミングに合わせて詠唱を完遂させる!
「――氷結(フリーゲランス)・武装解除(エクサルマティオー)!!」
「―――ッ!!」
 瞬間。魔術使いを襲う寒波が、その身に装う病院着を凍らせ、粉々に砕いた。
 だがその上に羽織った真紅の外套は別である。最高位の対魔法防御能力を持つ外套は、その袖口や裾、襟元など所々に少々の氷塊を作る程度でエヴァンジェリンの魔法を弾いた。
 だがそれで充分、とエヴァンジェリンは口端を吊り上げる。外套の中が氷結し砕けた瞬間を確かに確認した。つまり、武装解除の魔法は外套の内側まで及んだのだ。それは、相手のアーティファクトを供給しているであろう、“契約の証”もその手元から離れた事を示唆する現象だ。事実、その手元に握り込まれていた直剣が三本、ヤツの後方へ吹き飛んでいる―――!!
 ザマを見ろ、行くぞ茶々丸――――そう、獰猛な笑みと共に一気に攻勢に転じようと口を開き、
「―――――!!!!」
 ―――眼前に迫った必死の剣弾を、恒常障壁と首を反らす回避によって辛うじて凌いだ。
 眼を剥くエヴァンジェリンの視界に、さらに飛来する投剣を慌てて自分の前に陣取り防御する従者の姿。
「バカな!? 武装解除は成功した、ヤツのアーティファクトは吹っ飛んだハズだ! 何故まだ―――!?」
「危ない、マスター! 下がって―――!!」
 茶々丸には全て言い終える余裕もない。一秒毎、いや一投毎に投擲の威力が増している。
 茶々丸の防御は飛来する刀身の腹を打ち弾き飛ばすものだ。そうでなければ自分(こちら)が持たない。刃に触れては切られるだけだ。一撃目の様な、身体を張った防御など愚の骨頂。今やれば確実に“蜂の巣”にされてしまう。
 最初の認識とは真逆、今やエヴァンジェリン主従にとって魔術使いは明確な“脅威”となっていた。



(――――真祖を謳う以上、それなりの異能を持つ可能性もあるが)

 やはり虚勢なのか、と魔術使いは冷静に“死徒の主従を”観察する。
 真祖とは、極端に言えば“受肉した精霊”だ。
 死徒が生み出された原因であり、その死徒を狩る抑止力。
 受肉し、そのカタチはヒトに近しいとはいえ、その本質は“星の代弁者”であり、同時に人間を管理する、超越種の頂点に立つ存在。
 今は「白い姫君」しか有り得ない種――――その名を騙る死徒。

(そちらを知り、自動人形(オートマタ)を操る以上、「魔術師上がり」か、とも思ったが)

 死徒となれば、仮初にでも不老不死を得られる。
 その不老不死を求めて死徒と成る事を目論む魔術師も在る―――自らの目指す魔術の極みへ至る為に、目的の為に自己を捨て去るモノタチならば、あるいは。
 だがその可能性は低そうだ、と魔術使いは観た。瞬間契約に近い複数小節の口頭詠唱、触媒を用いた秘術の行使。その威力が、直剣の投擲だけで相殺できるレベルなのだから。
 魔術を極め、その結果として不老不死へと成り上(さ)がろうとする魔術師はまず例外無く最高位だと断言できる。そして、相手はその足元にも及ばぬレベルだ。

(だが油断も出来ない―――この状況では)

 魔術使いが最も警戒しているのが、死徒特有の身体能力の高さである。
 人間の身体は、そのスペックを十全に発揮できる造りにはなっていない。
 常人ではそのフルスペックのせいぜい三割程度―――だが、その性能は死徒に成った途端に跳ね上がる。
 繰り返すが、死徒とは「動く死体」である。
 生きている身体がその性能を制限するのは、脳がそれ以上の運動能力を許さない為である。脳に組まれたリミッターは、余程の窮地に陥らない限り外れない―――火事場の馬鹿力というのがそれだ。それは、それ以上の運動の反動によって身体を壊しかねない為である。
 だが、そのリミッターは死徒には機能する意味がない。
 何故なら、崩壊したところで吸血すれば復元出来るからだ。その上、元々死徒の肉体は常に崩壊し続けている。そんな機能(もの)を働かせ続けても邪魔にしかならないのだ。

(近接では敗北する―――確実に)

 つまり、死徒と接近戦を演じる為には、最低でも人間の三倍以上ある基本能力差を埋める手段が求められる。ソレは例えば武術であり、例えば魔術であり、例えば戦術である。
 そして今。魔術使いに、その性能差を埋められるだけの手段は無い、と魔術使い自身は判断している。

(だが、ならば―――)

 だから魔術使いは接近せず、中距離から機関砲の如く直剣の投擲を続けている。
 しかし、現状も芳しくは無い。ただでさえなけなしの魔力を、まるで湯水の如く投げ放っているだけである。つまり膠着状態。魔術使いにとって、最も好ましくない状況である。

(ともかく、どちらかだけでも)

 分かっていた事だが、切れる手札は少ない。その中で最良の手を探る。一手でも打ち間違えば勝機は無い。だが―――そんな苦境は数多とあった。そして、その度に潜り抜けてきた。

(今までと大差は無い―――そう、この体は――――)

 鉄の意志を鋼のソレへと昇華する。
 睨む先に、更なる一手を打って来る吸血鬼。



 不可解すぎる。
 魔力を感じられない敵。武装解除しても続く攻撃。防御に手一杯の従者。自らが陥っているこの窮地。
 現状の全てが不可解だ。
 それでも、今はこの窮地を切り抜けなければならない。状況の正確な把握よりも優先すべきはこの死地より活路を見出す事―――頭の中、胸の内をぐちゃぐちゃに引っ掻き回される全てにフタをし、全神経を数メートル先から剣を投げつけまくってくれる正体不明の難敵に向ける。
「茶々丸―――不本意だが後退するぞ。ヤツ相手にこうも開けた場所では不利は否めん」
「――――ッ、……! っ~~~、――――了解(イエス)、マスター―――」
 いつもであれば間髪入れずに返る独特の声が聞こえるまで数瞬を要した事に、エヴァンジェリンは苦々しい思いを禁じえなかった。これが、もし近接戦であれば選択肢はまだあった。エヴァンジェリンの百年来という膨大な研鑽を下地とする合気柔術と、茶々丸の自動人形(オートマタ)故に可能な格闘術。両者による波状攻撃ならば、あるいはヤツを制圧する事も可能かもしれない。が、その為にはヤツに接近しなくてはならず、その為にはヤツの連続投擲を止めなくては不可能に近い。
 くそ、魔力さえ回復していれば―――そんな不毛な思考まで頭を掠める。先程の“魔法の射手(サギタ・マギカ)”、“武装解除(エクサルマティオー)”は共に今のエヴァンジェリンに許された精一杯の遠距離攻撃手段である。他の魔法も、使えない事は無い。が、その為に必要な魔力量、詠唱時間が多く長すぎる上、あれ程の速度と正確さで“魔法の射手(サギタ・マギカ)”を撃ち落とした相手にそんな膨大な隙を晒した上で魔法を当てられると考えるほどエヴァンジェリンは楽観的ではない。第一、ああも素早く触媒の魔法薬を撃ち落とされては打つ手が無い。
 魔法には頼れない。相手に接近出来ない以上、近接戦も望めない。その上でエヴァンジェリンが打てる手など、そう残ってはいなかった。
 だが打つ手が全く無くなった訳でもない。後退する、隠れる。そんな事、かつては「闇の福音(ダーク・エヴァンジル)」と恐れられた吸血鬼の矜持を著しく傷つけるが、その代償はヤツの命で贖ってもらおう。
 じりじりと後退していく主従の背後には、人一人ならば隠れられそうな桜の大樹。素早くその裏へ滑り込んだエヴァンジェリンは、そこから「糸」を伸ばす。―――エヴァンジェリンの二つ名はいくつかあるが、その呼称はそのままエヴァンジェリンが持つ側面や技能を象徴する。「闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)」は吸血鬼。「不死の魔法使い(マガ・ノスフェラトゥ)」は魔法使いとしての彼女を。そしてもう一つ―――曰く、「人形遣い」。
 エヴァンジェリンが放った「糸」は、その技能を用いたモノ。余程至近に迫らなければ見えない極細の糸を相手の身体に絡ませ、その動きを拘束、ないし制限する。直接的なダメージこそ与えられないが、戦況を優位に進める効果は言うまでも無い。
 ヤツの投擲攻撃は確かに脅威。だが、これ程の威力投擲を成す為のアクションが大きいのはヤツを見ていれば一目瞭然。故に、その動作を制する事が出来れば形勢は一気に引き寄せられるはずだ。
 ヤツの動きが止まった瞬間が勝負だ。茶々丸が接近戦に持ち込み一気に押し潰す―――!



 だが。相手はエヴァンジェリンの計算を簡単に上回って見せた。
 夜闇に紛れ四肢に絡みついた「糸」が一斉に引き絞られその獲物を縛り付ける―――事は出来ず。純白と漆黒、対の鶴翼、その閃戟が「糸」をバラバラに切り裂いていた。
 鶴翼は魔術使いの両腕に。その正体は陰陽一対の中華剣。
 右に純白―――陰剣、莫耶。
 左に漆黒―――陽剣、干将。
「――――な、」
 その様を目撃した茶々丸、大樹の陰で「糸」ごしの手応えから把握したエヴァンジェリン、双方の驚愕など、魔術使いには瑣末なコト。
 その瞬間こそが好機、一気呵成の決着は魔術使いとて望む所。今まで切らずにいたカードを切って勝負を着ける――――!!

 両手の干将・莫耶を前方へ投擲。二振りはその形状の特性から、まるでブーメランのように大きく弧を描き空を切り、魔術使いはさらに先の直剣を振るい撃つ。
 直線と円の動き。時間差による波状攻撃―――そう読んだ茶々丸はしかし、大樹の前から動けない。下手な回避によって体制を崩しては相手にとって単なる隙にしかならない為に。
 そうして、先程までと全く同じように直剣の弾丸を弾き飛ばそうと腕を振るい―――接触した瞬間、逆に腕を“上半身ごと”弾かれ、さらに次弾で身体ごと吹き飛ばされ、桜の大樹に叩き付けられた。
「――――!!」
 驚愕する間すら与えられない。何故なら、その奥から―――魔術使いが両手に直剣を握り込みながら突進してくる―――!!

 一方。弧を描き旋回する鶴翼が大樹の陰を襲う。
「くっ――――」
 陰にいた為に敵の挙措を把握できず、結果的に間一髪で二刀を回避し大樹の陰から転がり出たエヴァンジェリンが見たのは、六本の直剣を使い己の従者を大樹に縫い付ける敵の姿――――
「―――茶々丸ッ!!!」
(――――申し訳、ありません――マスター―――)
 無論、自動人形(オートマタ)である茶々丸はその程度で壊れない。
 だが。蝶をピンで留めるように打ち留められた茶々丸を蹴りつけ、すかさず離れた魔術使いは、その一瞬に一言だけの詠唱を完成させていた。

「――――発動」

 起動するのは、茶々丸を桜大樹に縫い付けた六本の直剣―――その正式名称を「摂理の鍵」、通称“黒鍵”の刀身に呪刻された魔術基盤。
 その名を――――「火葬式典」。

 瞬間。桜の大樹が、茶々丸もろとも巨大な松明と化した。






[14013] 封鞘墜臨 / 四
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2009/12/18 13:35



 轟々、と。音を立てて桜が燃える。
 はらはらと。静かに、しずかに火の粉が踊る。

 ―――その様は。例えようも無い程、美しかった。

 大樹を一つ。丸ごと使い作り上げた巨大な松明。急に温められた空気が風を呼び、周囲を明るく照らし出す。

 ―――その中に。ヒトガタが一つ、燃え盛っていた。

 呆然と。眼前の光景が信じられずに、ただ呆然とその様を見つめる少女が一人。

 ―――その少女を。冷たく睥睨する死神が――――


 封鞘墜臨 / 四


「――――キ、ッ、………サマァァ――――――――――!!!!」
 吼えた。
 何も考えられずにただ吼えた。
 思考など、いや、そもそも理性から吹き飛んでいた。
 手当たり次第に魔法薬を掴み取る。
 その目は魔術使いだけを睨み据える。
 咆哮と同時に魔術使いへと飛び出して、

 大きく弧を描き、なお肉薄する中華剣に阻まれた。

「―――ッ!!」
 咄嗟のバックステップ。耳元を掠める風切り音。その間に、魔術使いはただ右腕だけを振るって追撃を放つ。
 撃ち出される黒鍵。エヴァンジェリンは意識を対物理の恒常障壁へと向ける。
 魔力の集中。強化される防御性能。
 だが、既に魔術使いの投擲はその性能を凌駕していた。
 障壁を突破した黒鍵が吸血鬼に襲い掛かる――――
「あぐッ!!?」
 ドン、と。まるで乗用車同士の正面衝突事故でも起きたような衝撃音だった。
 黒鍵は吸血鬼に突き刺さる事無く地に突き立つ。
 直撃を受けたエヴァンジェリンは十数メートルと吹き飛ばされる。
「があッ………かっ――――はぁ…………!?」
 不理解と不可解と激痛がエヴァンジェリンを苦しめる。
 地に這い蹲って苦痛に呻くその姿は、とても数分前まで驕っていた吸血鬼とは思えない。

 それを冷徹に観察して、これまでか、と魔術使いは判断する。
 戦力の剥奪は成された。
 戦闘能力の無い弱者を弄ぶ気など欠片も無い。
 後はこの怪異(現象)を浄化し、あるべき秩序を戻すだけ――――。

 ――――その背後に。
 正真正銘、“主従の”最後の一手が襲い掛かる。
 未だ松明は健在。そも、そう簡単に効果が薄れる術式ではない。
 だが、その燃焼の術で沈黙するほど、絡繰茶々丸は脆弱な自動人形でもない。
 自身を、縫い付ける剣ごと燃え盛る松明より引き剥がし、なお起動し続ける燃焼に苛まれながらもその一本を引き抜いて、己の主に迫る脅威を排除する為に踊りかかる!!



「――――■れた■■」



「………これまでだ。その身が在るのはこの地の脅威。
 故に――――此処で朽ちろ、生きた死体(リビングデッド)」

 沈黙する吸血鬼。その網膜には、まだ直前の光景が焼き付いて離れない。
 ―――背後より魔術使いに襲い掛かる自身の従者。
 それを。この死神は、振り返りもせずに、たった一言だけを呟いて退けた。
 爆発する六本の直剣。
 突き刺さったままの剣が凶悪な爆弾と化した。
 体内からの爆発に、抗いようも無く吹き飛ばされる茶々丸の「上半身」。
 予想外の推進力と軽量化から、その体が魔術使いを、次いでエヴァンジェリンを飛び越し地に落ちる。
 魔術使いは、それが当たり前の事の様に。見向きもせず、ただ標的(エヴァンジェリン)のみを睨み据え続けている―――。

「――――キ、サマ、………化け物、か」
 喘ぎながら、胸に手を添えるしか出来ないエヴァンジェリン。その胸からの出血が止まらない。
 わずかなりとはいえ、今宵は吸血鬼としての不死性も得ているはずだ。投擲剣の直撃は確かにダメージが大きかった。だが、それが何かの術式によるものなのか。直剣は「突き刺さる」事無くエヴァンジェリンを「吹き飛ばして」いた。故にエヴァンジェリンには、表面上は「直剣を喰らった瞬間の切り傷」しか残っていない。
 だが、その傷が一向に塞がらないのだ。既に、より大きかった「吹き飛ばされた衝撃によるダメージ」からは回復しているにも関わらず。

 ―――浄化。ヒトである事を亡くした吸血鬼の肉体に、ヒトであった頃の自然法則を叩き込み、肉体を洗礼し直し塵と返す簡易儀式。
 その為に用いられたのが黒鍵―――“摂理の鍵”である。物理的な衝撃ではなく概念、つまり魂魄、意味合いの重みによって対象に打撃を与える奥の手の一。
 肉体的な復元、再生能力など無意味だ。
 肉体のカタチは戻ろうとも、損壊した魂魄と精神がその損壊を肉体に映し出す。
 そのダメージを癒すなら、まずは魂魄、精神の治癒・復元が求められる。
 吸血鬼としての不死性に頼りきり、そちら側の回復法など修めていないエヴァンジェリンにその傷を癒す方法は無い。

 そして、その傷が何よりもエヴァンジェリンに“死”を感じさせていた。
 この地に縛られて15年。いや、確固たる実力を身につけて数十余。此処まで命の危険に晒された事は久しくない。
 コチラへゆっくりと歩を進め始める死神。その右腕には、先程エヴァンジェリンに復元不能の傷を与えた黒鍵が二本。
 睨み据える鷹の如き眼光が、絶殺の意思を持ってエヴァンジェリンを縛り付ける。
 止まらぬ出血、一層荒くなる呼吸、いつの間にか響く空耳、視界が必要以上に白け始める。
 死神がその右腕を持ち上げる。
 死の気配に撃たれたエヴァンジェリンに打つ手は無い。
 その眼前、黒鍵が真上に振り上げられて――――横合いから放たれた衝撃波に吹き飛ばされた。



 その直前。
 魔術使いは、異様な“音”を確かに聞きつけて、咄嗟に真逆へと跳躍した。
 同時に右手の黒鍵を盾に構え―――着地の瞬間、盾の黒鍵ごと脇腹を叩き付けられてバランスを崩す。側転から体制を整え襲撃者を睨みつける。
 未だ燃え盛る松明によって、その姿は探すまでも無く見つけられる。

 短いオールバックの髪。眼鏡の向こうに、油断無く魔術使いを観察する眼。
 整ったスーツ姿。そのポケットに両手を突っ込み、泰然と佇み、
 口元でタバコを燻らせるその姿。

 エヴァンジェリンを死地に追い詰める魔術使いの前に、
 学園都市最強の戦力―――高畑・T・タカミチが現れた。



「――――、手酷くやられたね、エヴァ。大丈夫かい?」
 眼を向けないまま高畑が問う。弱体化していたとはいえ、エヴァンジェリンの戦闘能力を熟知する高畑にとって、彼女を打倒しかけた眼前の敵は間違いなく危険因子である。
 エヴァンジェリンのそばに、つい半日前からは見るのも憚られる姿へと変わり果てたその従者がいたとあっては尚更だ。高畑にとってエヴァンジェリンはかつての級友、そして今は茶々丸を含めて生徒であり、それ以上に(エヴァは決して認めないだろうが)友人である。それをこうも追い詰めた。常は公私混同を己に禁ずる高畑であろうと、平静を保つには些か以上に苦心している。
「――――、――――、――――」
 一方、エヴァンジェリンもすぐに応える事は出来なかった。数十年ぶりに首元まで迫った“死”への恐怖と、それからわずかなりとも遠ざけられた安堵。呼吸は未だ不自然で、声を出すことも出来ずに呆然と高畑を見やるだけ。
 声は、高畑の正面から届いた。
「…………成程。此処はやはり、魔都だったか」
 心底から憎々しげに、魔術使いは吐き捨てる。最早自分の予測を覆す要素は存在しない、と。
 その意味を理解し得ない高畑は、己の内から沸き上がるモノを辛うじて押さえつけながら通告する。
「君はもう包囲されている―――そこの松明が目印になっていてね。これだけの事が出来てしまう君は危険とみなすしかない。おとなしく従ってくれないかな、そうすれば手荒な事はしないと誓おう」
 ――――当然、魔術使いの答は一つ。

 直後、周囲一帯が爆風に包まれた――――!!



 爆心は、先の戦闘で魔術使いが投擲し続け、茶々丸が弾き飛ばして周囲に散らばっていた黒鍵の剣群である。
 全く予期せぬ不意打ち。魔法使いとしての才が無い高畑は、だからこそ全くの油断無く魔術使いを警戒していた。だからこそ言える。この不意打ちの為の予備動作は全く無かった。
「――――エヴァ!!!」
 その一言が、高畑という人物を象徴している、といって良いだろう。咄嗟にとった行動は魔術使いの動向の把握ではなく、エヴァンジェリンの安否の確認だった。
 そこに。
『―――大丈夫です、高畑先生! エヴァンジェリンさんは此方で確保しました!』
 脳裏に響くのは念話。つられて顔を振り仰げば、爆風に煽られながら夜空に跳ぶ漆黒のヒトガタ達―――ソレに抱え込まれたエヴァンジェリンと茶々丸―――の姿が確認できた。
「――――クソッ!」
 同時に、魔術使いの声も。
「そこかっ!!」
 刹那の後に、声の方向に“居合い拳”を放つ。――――それは魔法が使えないハンデを背負った高畑が全霊を傾注し獲得した戦闘技能。ポケットを刀の鞘と見立て、あたかも抜刀術の如き神速の拳打を衝撃と放つ、察知も防御も困難な不可避の一撃。
 手応えは―――あった。
「ぐぅ――――!!」
 返る呻きは魔術使い。
 同時に、飛来する投擲剣。
「!!!」
 居合い拳で相殺を狙い、失敗。その軌道こそ僅かに逸れたが、狙い正確に高畑の正中目掛けて来た剣弾の着弾が左腕という程度。そして、直撃した左腕も唯ではすまない。エヴァンジェリンを吹き飛ばしたのと同じ攻撃である。上半身ごと左腕を弾かれてしまい、大きく体制を崩される。
 その間に魔術使いは離脱を図る。―――まさか詠唱も無く拳打による衝撃波を放つ敵が居るなどとは、魔術使いですら予測の外。探ってみれば確かに、周囲に複数の魔力反応を感知した魔術使いは、最悪の結果となった戦場から最も囲みの薄い一点を狙い逃走する。
 その上から、魔術使いを襲う捕縛術。察知と同時に黒鍵で相殺し、あるいは外套を翻して防御する―――次の瞬間。
「――――左手に魔力―――右手に気」
 不穏な声が響き、咄嗟に干将・莫耶を構えて、

 ――――豪殺・居合い拳!!!

 正面から。圧倒的な暴力の塊に打ちのめされる―――!!
「―――ごっ………は…………!!?」
 衝撃を受け止めきれずに吹き飛ばされる魔術使い。鶴翼を持つ事も許されない。着地を取る事も出来ず、無様にゴロゴロと転がって、うつ伏せにようやく止まる。立ち上がろうとした時には既に、その周囲にこの地の魔法使い達に固められ、さらに上から高畑が体重をかけて全ての動きを封じていた。
「―――魔法の射手(サギタ・マギカ)・戒めの風矢(アエール・カプトゥーラエ)」
 至近にて放たれる拘束魔法。如何に強力な対魔力防御であれど、ここに至ってなおこの拘束を破る事は出来なかった。



「ここまでだ。君が何を思ってこんな騒動を起こしたかは………後でゆっくり聞かせてもらうよ」
 高畑の言葉は魔術使いにとっては死刑宣告に等しい。
 それも――――一度陥った地獄に再び落とすと。
 繰り返そう。ならば魔術使いの回答など一つしか有り得ない。

「は。――――ゴメンだな。
 オレは。もう二度と――――貴様らの実験材料にはならない――――!!!」

 次の瞬間―――魔術使いの全身から、無数の剣が“内側から”撃ち出される――――!!!






[14013] 封鞘墜臨 / 五
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2010/02/12 14:11


 ――――ノイズ。

 ―――色彩が反転したセカイ(地獄)だった。

 ――――ノイズ。

 周囲は瓦礫の荒野しかなく、助けを求め中から突き出される手は犠牲者達の墓標となり、求められる救助は無く、呻きと嘆きは怨嗟と呪詛へと変わっていく。

 ――――ノイズ。

 疲弊する手足。
 荒くなる呼吸。
 磨耗する精神。
 失われるオト。
 止まるシコウ。
 響くオンネン。
 コワレタ硝子。

 ――――ノイズ。

 瞳に映るのは、真円を描く漆黒の太陽と、
 泣き出しそうな微笑でジブンを見下ろす――――

 ――――――場面が切り替わる。


 封鞘墜臨 / 五


「―――遅れました」
「申し訳ありません……」
 がちゃり、と静謐な空気を震わし、最後の二人が入室する。
 麻帆良学園、関東魔法協会施設の一角。協会内においてその意思決定を行う上層部の集合が掛けられて三時間後。
 集合理由は特に告げられなかったが、それは暗黙の了解に近い。
 学園都市への侵入者がエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルを殲滅寸前まで追い詰め、高畑・T・タカミチ以下数名によって拿捕されてから三日後の事である。
 身元不明の危険因子は現在治療中。拿捕の瞬間に謎の術を持って自決を図り、辛うじて一命は取り留めたものの未だ完治出来ずにいる。諸々の要因から覚醒されても困る為、催眠系の魔法も恒常的に施され続けているので、今、彼の因子は完全に彼らの手の上にあると言って過言ではない。

 遅れて、最後に入室した弐集院がまず疑問に思ったのは部屋の雰囲気だった。
 一言で言えば、重すぎる。
 その雰囲気を率先して――と言えば語弊があるかも知れないが――放っているのが麻帆良学園長・関東魔法協会長、近衛近右衛門と高畑・T・タカミチである事が不思議だった。
 確かに、今回の懸案は由々しき問題を多々孕んでいる。
 今現在をもって詳細を解析出来ていない(恐らくは、という注釈のついてしまう)転移魔法術式、ソレによって現れた侵入者、襲われた(被害者であるエヴァが多くを語らない為そう判断された)エヴァンジェリン・茶々丸の状態から判断されるその戦闘能力の高さ、不可解な行動原理。ざっと考えを巡らせただけでこれほどの問題がある。
 だが、現状、麻帆良を危険に晒す問題は無い。当の侵入者は確保し、世界樹も転移魔法の発現後は沈黙している。エヴァンジェリンへの対処は元々学園長と高畑、ツートップの方針を軸に、他の魔法使いは求められれば協力、以上の関係を持たず静観の構えだった。
 今回の件もエヴァンジェリンへの対処はあの二人が決めるだろうし、世界樹が完全に沈静化した、という報告は五日も前に出されている。となると今回の集合は今後、侵入者をどう扱うか、という一点に絞られ、かつ、当の侵入者を完全に制圧している以上、高畑や普段はともかく、有事の際でも不敵な言動を崩さない学園長がそこまで深刻になる理由が――いや、待て。
「………なんか、学園長も高畑君も妙にやつれてないかい?」
「……弐集院さんもそう思いましたか」
 弐集院の疑問に応えたのは偶然傍らに並び立った葛葉刀子。さらに、
「……なんか妙なんですよ。いつもなら待ち時間に世間話ぐらいするのに、二人してずーっと、たまに視線を合わせては外して、を繰り返して。此方には目もくれずに」
 これはひとつ向こうのガンドルフィーニ。どうやらこの疑問はここに集まった者共通の思いらしい。
 ………というよりも。
「―――学園長、全員集まりましたが?」
 明石の声でようやく気がついたように、こちらを見る。目に光が無い―――とまではいかないが、やはり、常よりは暗く、疲弊の後が見て取れる。
 普段周囲にそういった雰囲気を微塵も感じさせないだけにそれは一種の衝撃であったし、何か良くない事があったのかと不安を抱かせるモノだった。

「さて―――今回の集合、その理由は皆も判っていると思うが。件の侵入者の件じゃ」
 学園長の一言で、こちら側を窺って訝しげだった皆の表情が一気に引き締まる。
「まず―――今の彼女の容態は?」
「何とか日常生活に支障ないレベルまでは。体内で暴走状態だった魔力を一時限界まで搾取した事で、あの“体内から剣が生える”現象も沈静化しました。魔力の回復と共に発現する条件発動型の魔法かと考えましたが、それと思われる魔法陣等の術式を身体内外に施している様子も無い為、原因は不明です。引き続き現在も魔力回復の抑制と治癒・催眠を継続しています」
「――――、ふむ」
 一拍。
「転移魔法陣の詳細解析は」
「そちらは謎、としか。正直に言って、お手上げですよ。何も分かっていません。何処が如何、ではなくて何処も彼処も。座標設定、発動条件、術式を解き明かす以前に翻訳が必要ですね。後は本国に検索を掛ける以外には」
「―――。そう、か」
 さらに、一拍。
「……あの」
「なにかの」
「いい加減、教えてくれませんか。お二方とも。―――学園長も高畑さんも、昨日まで丸二日も件の侵入者の病室に篭っていたでしょう。何かしらの情報を引き出したと思っていたのですが?」
 煮え切らない学園長と高畑の態度に業を煮やしたらしい。
 そう発言して来たのは葛葉刀子。侵入者拿捕の瞬間、現場にいた一人だった。
「まあ、そうじゃの。今、彼女を起こすのは危険と見て―――記憶を探ったのじゃが」
 言葉が、途切れる。
「…………?」
 どう切り出すべきか―――考えあぐねているらしい学園長に代わり、今度は高畑が口を開く。
「彼女が何故件の行動を起こしたかはおおよそ掴めた。前後して、彼女の境遇も。………結論を先に言ってしまえば、このまま学園都市で彼女を保護しよう、というのが僕と学園長の結論だ」
 途端、ざわり、と室内に動揺が走った。
「納得できません」
 間髪入れずに反論を差し込んできたのはガンドルフィーニ。
「彼女は危険すぎる―――魔力の隠匿性。弱体化していたとはいえ、『闇の福音』主従を打破する戦闘能力。我々に向かって示したと言う敵意。正体不明の転移魔法。危険因子として大きすぎる。保護する理由がありません。むしろ本国に強制送還こそ妥当と考えます」
 ―――それも、考え方の一つではある。
「それは学園長と高畑君が、保護すべきと考える理由を聞いてから決めるべきではないですか? なんの考えもなく保護すると決めたわけではないでしょう」
 そう、やんわりと意見の対立を和らげる発言は弐集院だった。
 しかし、そう水を向けられた二人は、
「―――まあ、ね」
「………そうじゃのう」
 此処にきて、なお言いよどむ。この二人にしては珍しい、と思ったのは弐集院だけではあるまい。
「甘いですよ。半端な考えで、わざわざ危険だと明確に分かるモノを、好んで引き込もうっていうんですか?」
「いや、保護と呼ぶ以上、危険視するべきではないと考えるに足る理由があるのでしょう?」
「――――」
 すう、と大きく一息ついて、

「――――実験材料だったようだ」

 そう、出来れば口にもしたくないコトを語りだしたのは、高畑の方だった。



 実験材料。
 穏やかではない、以前に。ヒトに対して使われるべきでない単語を、喘ぐように口にする。
「彼女が―――僕に対して、最後に投げつけた言葉がある。『もう二度と貴様らの実験材料にはならない』ってね。その直後に彼女の全身から剣が生えてきたから、アレは多分彼女が自分でそう仕向けたんだろう。正直、そんな事があったから頭から抜けてしまっていたけれど……確かにそう、言われたんだ」
 そこまで言って、途切れた続きを学園長が引き継いだ。
「彼女の身体は………正確には、器、肉体と呼ぶべきか。……彼女の、“生来のモノではない”。一度剥奪され、後に再び与えられた別物であるようじゃ。―――記憶を探った最初に出てくる人物が全くの別人での」
「……別人?」
「…………本来であれば、ガンドルフィーニ君や弐集院君位の年齢だよ」
「―――それが……あんな、その、子供に? 実験材料って、何の」
「彼女の記憶は、かなり混濁、と言うか、曖昧だ。記憶と認識“出来なくなってしまった”記録とか、知識、それらが混ざり合っている……というより、一部の記憶を“記憶とし続ける為に”他の情報管理を放棄した様な状態なんだよ。そこから汲み上げた情報を繋げていくと、多少の予測は立つけれど」
 高畑にしろ学園長にしろ、先程から随分と言葉を切る。話す内容を吟味しているようで―――話す事を躊躇っている様でもある。
「……実験内容は、彼女の使う魔法のようだ。彼女を拿捕する現場に居た者は少ないし、気づいたのはもっといないと思うけど―――彼女はね。魔力の運用方法が我々と少し違うんだ。その上、彼女にしか出来ない、彼女しか使えない魔法があった。アーティファクトも用いず出現する剣だよ。多分、それらの研究に利用されたのではないかというのが、僕と学園長の見解だ」
「…………、見解?」
「――――、身体を一度、剥奪されているんだよ? 視覚も。聴覚も。嗅覚、味覚、――――触覚。五感全てを剥奪された瞬間から、記憶というシステムの“入力”がされなくなった。その後の事は―――彼女の記憶だけでは、絶対に分からない」
「―――――――」
 絶句。それは、全身―――「からだ」を奪われた者だけにしか分からない、奪われたモノですら分かるかも不明な、『理解できない事』である。
 そんな、想像するだにおぞましい行為の犠牲。
「……では、彼女の身元を明らかにする術は無いと」
「―――それ以前の問題だろう!? 今の話を聞いていたのか、何故、」
「――――記憶の磨耗、損耗、劣化具合を鑑みるに」
 場を沈める為に放った言葉を一度切り、深呼吸を一回。
「恐らく――――少なく見積もって、十数年。さもなければ……三十年近く、『脳髄と神経だけで“生かされて”いた』と、思われる」
 少なくとも十数年。長ければ三十年―――その年数の意味する所は。

 なによりそれは―――言語に絶する、否、言葉では表し得ない。“陵辱”と呼ぶにもあまりに重過ぎる―――

「………転移魔法は彼女の意思とは一切関係の無い事だ。五感―――身体を剥奪されたと思われる記憶から、次の覚醒の記憶は―――既に転移した後の、彼女を最初に休ませた保健室のものだったよ。凄まじい混乱ぶりで………真っ先に疑ったのが、自分を利用した魔法実験らしい。『保存』され続けていたのなら、世情にも疎くて当然だ。彼女から見れば―――僕達も、自分を捕らえた何者かも、同じ“敵”としか映らなかっただろう」
「だが、ならば彼女には、彼女を狙い利用しようとする何者かがいる事になる。――――同じく、彼女を守ろうとする者もおるのだろうが、その者はこの地には来なかった。――――儂らが保護を提案したのはそういう事じゃよ。もう二度と、あの様な―――非人道的で凄惨な目にはあって欲しくない」



 ―――目が醒めた。
 半ばまで持ち上げた目蓋の向こうに、ぼやけた色彩を認識する。
 そのまま、まばたきを数度繰り返しながら首を巡らせる。短いオールバックの髪の男は、右に座っていた。

「――――アンタか」
「ああ」
「――――なかを、みたな?」
「………ああ」

 見た。
 学園長と共に。
 ソレは、記憶を垣間見続けた最後に、忽然と二人の前に現れた。
 無限に続く赤茶けた荒野の只中、墓標の如く無秩序に突き立つ剣の群れ。身を切る様な砂交じりの暴風の中、鷹の如く鋭く、絶望に染まった瞳で、侵入者(自分達)を見据える孤高の英雄。

 学園都市の意思は統一され固まった。
 『封印』されていた魔術使いの保護。偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)を目指す彼らにとって、魔術使いの境遇、『封印』というシステムを知れば全力で阻止に動くのは当然だった。
 だが、近右衛門も高畑も。故意にいくつかの事実を明かさなかった。
 それも二人で決めたこと。明かすべきではない、明かした時どんな事になるか分からない。身内を疑っているようだが―――それでもこの事実は重過ぎる。
 その結果として、今回の件は本国へも報告しない。一切の事実を「なかったこと」にする。

 後は、この意思決定の元、魔術使いにその旨を伝え、関東魔法協会に留まるよう説得を行うだけなのだが。

「――――なぜ」
「――――そうだね。君に伝わるかは分からないけれど。
 僕達も――――――目指しているからさ。正義の味方を、ね」

 それだけを聞いて、魔術使いは再び―――今度は催眠魔法に拠らず―――眠りについた。





[14013] 封鞘墜臨 / 六
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2009/12/18 13:38



「―――こちら側のコトはこんな物かな。何か質問はあるかい?」
「…………正直、問い詰めたいコトばかりだ」
「……それは僕の方が強いと思う。―――じゃあ、この件はわからない時毎に聞く事にするかい?」
「…………そうだな。貰った情報を元に聞きたい事を纏めておく。もう少ししないと動けそうも無いから丁度良いだろう」
「あれ、報告では日常生活に支障ないレベルまでは回復したハズだけど」
「…………ああ、オレを診てくれていたのは魔術回路について何も知らないだろうからな」
「ああ……そっちに原因があるのか。そうだ、その魔術回路って言うのは具体的にどんな働きをするのか聞かせてくれないかな」
「? オレの記憶を観ただろう?」
「確かに観たよ。でも記憶と記録、知識が混在してしまっていたからね。ある程度理解したつもりでもいる。でも、君の記憶そのものが断片的になってしまっていて正確に把握したとは思えないな」
「…………そうか、じゃあ『封印指定』の事も」
「まあ、似たようなものだね」
「…………参ったな、正直億劫だ」
「―――魔術は等価交換が基本だっただろう?」
「…………こっちの過去からそれを持ち出してくる辺り、アンタも大概、ヒトが悪いな」


 封鞘墜臨 / 六


 そんなやり取りをした、四日後。



「―――じゃあ、今日はこれまで。ああそうだ、龍宮君と桜咲君はちょっとお願いがあるから、放課後でいいから職員室まで来てくれないかな」

 と、高畑先生に呼び出された12月2日月曜日。天候曇り。“私達”を呼び出す以上、そちら側の用事だろう。“仕事”であるのなら雨が降る様子は無いが、万が一の場合は雨具を用意しておいた方が良いだろうな、と考えていた。

「君達は直接関わっていなかったけど、一週間以上前の、侵入者騒ぎは覚えているだろう? 実は、その侵入者扱いされていた人が実は“裏”の事情から此処に逃げてきた所だったって事がわかってね。上層部会議の結果、此処で保護する事になったんだ。
 そこまでは良いんだけど、“外見が丁度君達と同じ位”だからウチのクラスに編入させよう、という話になった。―――ちょっと重い事を言ってしまうと、彼女は世間から隔離されていたから、その前に“今現在”と“この街”に慣れなくちゃいけない。その案内、というか、世話、というか。そういうのをお願いしたいな、と思ったんだけど、引き受けてくれないかな」

 実はそう差し迫った事情じゃないんだけどね、と前置きされた話は、つまり当分の間、新参者の世話をしろ、という事らしい。私達にしろ差し迫った事情こそ無いが、それぞれに部活動には所属、活動している。別に断る理由も無い為、それぞれの顧問に便宜を図ってもらえるよう取り計らってもらい引き受けた。―――龍宮はしっかりとこの件の報酬も契約していたが。高畑先生は苦笑しながら交渉に応じていた。

「じゃあ、これから施設に行こう。丁度今日が出所―――と言うより、退院か。そろそろ時間だ」

 これからすぐに顔合わせをするという。これから街を案内するとなると、やはり傘位は用意しておいた方がいいかもしれない。



 ―――その、7時間ほど前。



「―――中学校への編入?」
「うむ」
 にっこり笑顔でしっかり首肯してくれる目の前の頭長老人。どうやらオレの聞き間違いではないらしい。
「何でまた」
「だってその外見じゃ何処をどー見てもその位の年齢じゃぞ。安心せい、編入するクラスを受け持つ教師はタカミチじゃ。ここ数日でかなり仲良くなったそうじゃな?」
「―――たまさか、以前のオレとあいつで似通った境遇で互いにシンパシーは感じてる。けどそれだけだ、別に仲良くなった訳じゃない」
「ほっほ。似た様なものじゃろ」
 ホッホッホ。バルタン笑いが病室に木霊する。“記録に”引っかかる、こちらを煙に巻こうという顔だ。参照する記録を元に再考察、いくら抗おうと逃げられまい。
「―――ふぅ。まあ、オレに拒否権はないか。でもあいつが教師か。やっぱり信じられな―――くも、ない、か……?」
 教師。魔法。魔術。こちら側。ズキズキと響く頭痛の向こうに、断片的な“記憶”が顔を出す。痛みは激しいものではないが、無視出来るほど軽くも無い。自然と顰められるオレの顔を見る“学園長”の表情は、寸前までと違いとても真摯なものだった。
「……やはり、未だ痛むか」
「…………、“記憶”と認める事も出来ないのに、覚えている以上は知らない訳でもない。あやふやだな、いっそ切り捨ててしまえれば楽なのに」
「聞き捨てならんな。お主にとって単なる“記録”になってしまっても、それはかつて、お主の糧となり、また肥やしとなったもの。過去のお主がいるからこそ今のお主が在る。例え断片だろうと、それを蔑ろにはすべきではない」
「―――理想論だな」
「嘗てはお主も追いかけたろう?」
 ホッホッホ。いい加減その笑いをやめろ、かち割るぞ。
「今日の放課後にはタカミチがお主のクラスメートになる生徒を連れてくる予定じゃ。―――ああ、言うとくが彼女らもこちら側の関係者じゃからな。お主の素性、能力をどの程度明かすかはお主に任せる。いい関係を築くんじゃぞ」
「……あのな、本来なら一回り以上歳の違う相手とどんな関係を築けば“いい関係”になるんだ」
 そもそもオレは男だ、と呟いて、今は女じゃろ? と返される。くそ。

 オリジナルの身体とは異なる器を与えられた今のオレは、外見十代半ばの女性の姿をしている。
 解析してみると、元々女性用の人形を使用された上、人形の「魂に記録された肉体情報を読み込む」機能が阻害され上手く働いていないらしい。コレはオレの脳髄、神経を移植する際“故意にそうした”形跡もある。
 何が目的かさっぱり分からない。追求したくとも相手はいない。少なくとも、「この世界」には。

「……しもうた」
「?」
「まだお主の名前を聞いていなかったの」
「…………」
 ――――なまえ?



「苗字だけ?」
「――――――エミヤ」
「………………、ふむ。字は、なんと書くのかの?」
「衛兵に、宮。―――そうだ。衛宮。じいさんから貰った、俺の―――」
「……下の名前は」
「――――? 呼ばれた―――ハズだ…………そうだ、アイツと―――あの時も。いつも。あの当時は……ずっと傍に――――」
「のう?」
「―――――」
「その『アイツ』とは、セイバー、とやらのコトかの? それとも、アルトリア、かの」
「…………その、」
「何、たまにお主が寝言で呟くだけじゃ。――そうさの。名前を思い出したところで、これから使うには憚られるかもしれんし――その『アイツ』から借りては」



 ――――膠着状態が続いていた。
 麻帆良学園女子中等部・屋上。冬空の元、座り込み睨み付けるのはエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。見下ろす格好、涼しい笑顔で(その実冷や汗をかきながら)受け流すのは高畑・T・タカミチ。
 昔のクラスメイト、今の教師と生徒はかれこれ三十分は言葉も交わさず不動を貫き続けている。
 その発端は高畑の一言だった。
 曰く、「件の侵入者を保護し、自分のクラスに編入させる事となった」と。
 因みに決定事項の通達である為、ここでエヴァンジェリンがいくら不服を唱えようと変更は無い。
「―――――正気か、貴様ら?」
 エヴァンジェリンの一言も最もだった。
 件の侵入者とエヴァンジェリンはつい二週間近く前に殺し合ったばかりなのである。
 危険因子を一所に集めて監視しようというのはわかる。だが、監視対象同士が互いに爆発する要因だというのにそれをあえて接近させようとは。
「貴様も爺も脳が煮えたか?」
 内側に走る悪寒を押さえつける。アレが。あの“死”の体現が自分のすぐ傍らに居続ける。……冗談ではない。あんなモノがまだこの地に在るだけで吐き気がする程の嫌悪感が常に付き纏っているのに、それが常に視界に収まっているなど!
 だが―――暖簾に腕押し。高畑の笑顔は変わらない。やはり承知の上での決定なのだろう。エヴァンジェリンにはそれを決めたのであろう二人の考えが分からない。
 第一、初回の接触で問答無用に殺し合いを仕掛けてきたのはあちらだ。自分も確かに煽る様な台詞は吐いたが、ヤツがこちらを見つけた途端に再び殺しに来る可能性もある筈なのに。高畑は自分で抑える気なのか。
「――――チッ」
 話にならない。舌打ちをして立ち上がる。そのまま、高畑の方を見向きもせずに立ち去ろうとして、
「あまり危険な真似さえしなければ大丈夫さ。彼女にも、エヴァの事は伝えておくから」
 そんな言葉を背中で聞いた。



「さてそれでは晴れて名前も決まった事じゃし」
「おいちょっと待てオレは承服していない」
「なら自分で相応しい名前が浮かぶかの?」
「………………」
 ニヤ、と笑って見せやがった。もういい。いつか磨り潰す。
「お主が編入するのは、さっきも言ったがタカミチの受け持つクラスじゃ。麻帆良学園本校女子中等部、2年A組。タカミチとの世間話で出たかも知れんが、儂の孫や魔法生徒もいる、楽しいクラスじゃ。―――ああそうだ、エヴァンジェリンもおるぞ」
「エヴァンジェリン? ――――件の吸血鬼か」
「うむ。詳細はタカミチに聞いておるか?」
「―――滅ぼす必要は無い、という話だったが」
 む、などと口篭る。オレが未だ敵視している事に警戒を抱いたか。
「短絡的な行動は控えとくれい。お主の境遇、一部を明かす事でお主を保護する方針を固めたのじゃ―――お主が考えなしに暴発してしまえば、組織のトップたる儂といえど過激派を抑えるのは難しいぞい。ただでさえ危険視されているんじゃからな」
「……やはり監視目的か」
「対外的な理由じゃよ。此の地でタカミチ以上の使い手はいない。故にお主の抑えとして選ばれた、と。反対意見は出されてから反駁するよりも出させない方が都合が良い。お主にとっては、多少なりとも気心が知れた者がいた方がいいじゃろう?」
「吸血鬼の方がオレを警戒してくると思うが」
「かといってエヴァは馬鹿な真似はせん。アレでも六百の年を生きてきた。前回の戦闘経験も踏まえる以上、彼我の戦力差は歴然。態々虎口に飛び込む無謀とは無縁じゃ」
「だがヤツは――――吸血行為を繰り返す」
「―――知った上で放置しとる儂らの事も、本当は許せんのじゃろうな」
 沈黙を持って応える。誰しも譲れないモノがあり、オレは。
「じゃが。コレだけは儂も譲れん」
 そのまま睨み合う事になった。



 ―――そして時は戻る。



 関東魔法協会の施設は麻帆良各地に点在している。
 私と龍宮が高畑先生に連れられて来たのは北部にある拠点の一つだった。
 “相応の手段”で地下層に降り、窓が無い事だけを除けば通常の病院と何ら遜色ない廊下を歩く。始めて来た施設だが、ここは魔法に関連した医療関係の施設らしい。
「正直、驚いたね。当時の侵入者はかなりの興奮状態で、接触した『闇の福音』主従を返り討ちにしたって話だから、厳重な監視下にあると思ったんだが。治療中だったのかい?」
「何? そんな話は初耳だぞ、龍宮」
「既に終わった事件だから私もあまり気にしていなかったんだよ。だが、十一月末に超や葉加瀬、茶々丸らが揃って休んだだろう。あの時に疑問に思ってね、少し探った時に小耳に挟んだ」
「…………ソースは高音君かい?」
「ああ。彼女が影の使い魔で『闇の福音』を助けたそうじゃないか」
「……まあ、事実だよ。けど…………あまり他言されると困るな、後で口止めしておかないと」
「何か事情が?」
「――――そこ等辺も全て、話すかどうかは彼女に一任する事になっている。直接聞いてみるといいよ」
「えらく信用されているね。―――ふむ。少し興味が出てきたな」
「でも、深追いは厳禁だよ。本当の事を言うと、僕と学園長が深入りしてね。今では後悔している」
「へぇ?」
 カツ、と、ある一室の前で止まった高畑先生は、扉に手を伸ばしながらこう締めくくった。
「正直、恐ろしいよ。彼女自身ではなく――――アレほどの地獄を見て、なお自分を保っている彼女という存在が」
 がちゃり。未知と遭遇する瞬間への、最後の扉が開かれた。



 ――――出来すぎたコントか、と全力でツッ込みたかった。
「あ」
「あ」
「ほ?」
 ―――状況を、確認するべきだ。
 そうだ。まず位置関係を確認しよう。
 私と龍宮は高畑先生の後ろに並んでいる。高畑先生の右手に私、左手に龍宮という構図だ。高畑先生は扉を開けた状態で硬直。恐らく口は半開きで、言っては何だが、その、とても間抜けな顔をしているのかもしれない。……いや、高畑先生の表情はどうでもいい。
 私達三人の視線の先、やはり窓の無い病室には二人の人間がいた。一人は学園長らしいので、もう一人が件の侵入者、兼、要保護観察対象者なのだろう。
 学園長らしき人物はベッド脇の丸椅子に座り、件の人物はベッドの反対側で、私達に向かって斜め右辺り――位置的に学園長らしき人物を監視する格好だ――に身体ごと向けて若干前屈み気味に立っていた。
 よし。位置関係OK。
 次、室内の状況を確認しよう。
 先程から『らしき』と注釈のついてしまう人物は、座っている丸椅子の足に自分の足を縛り付けられ、ベッドの落下防止用の柵に後ろ手を縛り付けられ、さらに厳重に、厳重に、顔の上半分――つまり鼻から上である。決して頭の半分からではない――を包帯か何か白いモノで、『とても厳重に』覆い尽くされて視界を完全に封じられていた。視界を封じるだけなら目隠しだけで充分すぎると私的には思うのだが、まあそれもどうでもいい。
 そして、件の人物は呆然とこちらを見ている。その前、ベッドの上には女性モノの衣服が数点、乱雑で無い程度に拡げられている。枕元に近い辺りには病院着がきちんと畳まれて置かれている。
 肝心なのは、拡げられている女性モノの衣服の中にはばっちり下着も含まれており、件の――ああ面倒くさい、もう彼女でいいや――彼女はその一つを手に取ろうとして、その身を前屈みにしていたっぽい。

 何故分かるかって、そりゃあ彼女の身体を他人の視界から守るモノが皆無だからに決まってる。
 つまり、

「――――――たかはた?」
「――――――ごッ、ごごゴメン!!!」
 ばたああん! 開けた時とは真逆、力一杯閉められた扉。
 惜しむらくは、この扉が奥に押して開ける、つまり引っ張って閉める類の扉だったってコトで。いつもならもう少し冷静な判断が出来そうな高畑先生がらしくもなく動揺して力一杯閉めちゃったら、それは。

 ――――バギン!!

「あ」
「あ」
 ―――コレは私と龍宮が思わず零した呟きで、

「うわぁ!?」
 思わず両サイドに、つまり観音開きのように身を避けた私達には当然衝突する事無く、足を縺れさせた高畑先生はそれでも数歩バランスを取ろうとして、結果的にそれがアダとなり、

 ――――ゴン!!
 と、反対側の壁に後頭部をぶつける形で転んでしまった。
 追い討ちの様に律儀にドアノブを掴んだままだった扉が、支えていた腕が力を失う為にその上に――――バン!!

「うわ……痛いな、コレは」
 龍宮……冷静に呟いてないで、この状況を収める手を考えてくれ。

 思わず戻した視界の先に、一糸纏わず裸体を晒し呆然と一連のアクシデントを見ていた彼女。

「な、何があったのじゃ? タカミチじゃな? タカミチじゃろう? ちょ、衛宮君、早く着替えて儂を解放してくれい、この格好はただでさえそっちの気も無い老骨には……ん?」
 学園長の言葉の羅列が途絶えて、微妙な沈黙が私達を包み込む。

 ・・・。たすけて、このちゃん。






[14013] 封鞘墜臨 / 七
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2009/12/18 13:38



「どうだ、超鈴音」
「おや、エヴァンジェリン? 態々ココまでゴ足労賜れるとハ。茶々丸のコトかナ?」
「それ以外に私が此処に来る理由があるか」
「フム―――まあソレはアチラに聞いて見ると良いヨ。ハカセ、茶々丸ハ?」
「はーい。最終チェック完了しました。今日一日の活動記録にも不備が出ていませんし、もう大丈夫ですねー」
「ありがとうございます、ハカセ、超鈴音。ご心配お掛けして申し訳ありませんでした、マスター」
「ホントーに酷くやられちゃってましたからねー。三日三晩貫徹の不眠不休、さらに今日まで授業終わってとんぼ返りの缶詰め状態…………。もーかんべんですよー」
「ム。今回ばかりは流石の私も参ったヨ……。重要なプログラム保護用の対魔法最終防壁も破られる寸前だたし。アレをやられてたらもうお手上げネ」
「……………………」
「……あの、マスター、二人とも悪気は無いのですから」
「黙れ」
「ハハハ。八つ当たりはみっともないヨ、エヴァンジェリン? ―――それよりも。茶々丸をこうまで破壊せしめた相手のコトを聞きたいのだガ?」
「――――ふん。タカミチに直接聞け。連中、クラスにヤツを編入させる心算らしいからな」
「なんと!? フム…………」


 封鞘墜臨 / 七


 ―――こほん。
 生徒達に情けない姿を晒した高畑先生と学園長は揃って咳払いでお茶を濁し、件の少女は気まずそうに明後日の方を向いている。
「さて、と。それじゃあ、自己紹介からやってみようか」
「…………」
 ちらり。少女が高畑先生を見る。高畑先生は黙したまま首肯する。
 ちらり。今度は学園長を見る。フォッフォッフォ、と笑いを返され、見なければよかった、とでも言いたげに視線を切る。
 最後に、諦観のこもった溜息を吐き、
「――――衛宮、アルト」
 とだけ、ポツリと呟いた。
「――――衛宮――――?」
 龍宮は記憶を探るように口の中で言葉を転がし、
「――――アルト…………そうか」
 高畑先生は何やら納得顔。
 その顔をじろりと睨む新参者。
 改めて観察する。
 真っ先に目に付くのはやはり頭髪だろう。
 この東洋圏では珍しい、赤い髪。真っ赤ではなく、2、3近い割合で銀色も見えるのが、一層物珍しさに拍車をかける。そんな、普通ではまずありえないだろう色の髪を被った感じ。前髪は眉あたり、耳を隠す側面や後ろは肩まで伸ばし、全体的にシャギーをかけている。手入れをしていないのか、ボサボサになっているけど。
 その下の顔立ちは逆に東洋系に見える。ただ、肌の色は黄色よりも白色に近い。そして童顔。なのに眼つきばかりが鷹か何かのように鋭いものだから妙な感じだ。
 その更に下に視線を落としていく。なんとも素っ気無い黒無地のトレーナーにジーンズ。ついさっき、偶然見れてしまった体型は全く鍛えられておらず、とても『闇の福音』を打破した戦闘者だとは思えなかった。
 ふと、少女がこちらを振り向いた。琥珀色の瞳。鷹の眼。
 ――――ぞわり、と。薄ら寒いモノが背筋をはしる。瞬間、
「二人とも」
 高畑先生の声に、跳ねる様に振り向いていた。一瞬だけ、多分、私達に釣られて振り向くであろう衛宮アルトにはギリギリ見られないタイミングで、表情が変わる。
「今日は取り合えず、校舎と学生寮、後は……その周辺辺りを廻ってみるといい。後で僕が衛宮君を迎えに行く。場所は……学生寮にしようか」
「…………引き受けた。―――行けるかい?」
「む。よろしく頼む」
 龍宮と衛宮アルトのやり取りを背に、私はそちらへ振り向けない。
 ―――これは、恐怖? 何に対して?
 そんな私に、やはり高畑先生は一瞬だけ先程と同じ顔を見せる。
 …………真摯さの向こうに、気遣いと心配、そして力付けようとする様な。



 ――――弾痕の眼だ。
 龍宮真名がソレに気付いたのは顔合わせを済ませ、簡単に街を案内しよう、という話になり、件の少女を連れて散策、一頻り歩いて後はまた今度、と別れた後の事だった。
 高畑先生も学園長も、もう既に彼女を危険人物とは見ていないらしく、散策には同行しなかった。監視役は私達で十分と見たのか、とも思ったが、仮にも『闇の福音』を破った相手だ。油断は厳禁―――そう見ていたのだが。
 彼女は終始控えめな態度だった。巡ったのは編入する校舎、入る事になるであろう学生寮、麻帆良内にある店舗を一通り。それも生活用品店やスーパーとか、妙に所帯染みたリクエストだった。……うん。スーパーでは買わないくせに野菜の品定めもしていたし。
 だが。その眼は終始“熱”がなかった。覇気、あるいは生気と言っても良い。
 足取り、手捌き、間の取り方。どれもが戦闘者のソレであり。
 纏う空気は明らかに第一線の戦場に立つ者のソレだ。
 幾つかの言葉のやり取りでは、年上と話している印象さえ受ける。
 だと言うのに、幼い身体つきは鍛えられた跡が微塵も無く、その上『持ち得なくては絶対に生きてはいられないモノ』が無いのだ。
 その矛盾が、龍宮真名の感性を狂わせた。そんな、仔細に観察しなくては判らない矛盾の大きさに惑わされて、一目見た瞬間に悟れる筈の事実に辿り着くのが夕食、入浴まで済ませた後。
 ――――私も戦場から遠ざかって久しい、と言う事か。
 一人、失笑を漏らす。技能が衰えたとは思っていない。身体能力は成長している。研鑽も積んでいる。今なら、当時より効果的に、最大の結果をこの手に出来ると確信している。
 それでも、この体たらく。―――心中に湧き上がる想いを封じ込める。慣れた作業だ。だが、ここしばらくは意識する事も無かったその想いは―――。
 ベッドに倒れ込む。そのまま全身を弛緩させ、訪れる微睡に意識を委ねる。
 間際、言葉が毀れた。
「――――穿たれたのか」

 アレは、現実(弾丸)に理想(ココロ)を穿たれた弾痕の眼だ。



 学園都市の規模はやはり大きい。
 約一週間の深夜徘徊で凡その地形は把握していたが、存在する施設等はやはり分からず、案内を受けられたのは衛宮アルトにとっては幸いだった。
「どうだったかな」
「取り敢えずチラチラと感じた監視さえなければ概ね好感触、かな」
 あれ? と毀す高畑。
「“件の侵入者”はさぞや警戒されているらしい……な。例の吸血鬼がこの地の警備役だったと言う話からすると、アレを追い詰めたのは余程大事と見える」
「そりゃあそうさ。エヴァンジェリンは六百年を生きた『不死の魔法使い』だからね。彼女の魔力だけは封じれても、その戦闘経験は間違っても軽視できない。だからこそ、それを万全でなくとも撃退できた君は凄いんだよ」
「…………潜って来た死線の質の違いだろう」
「――――かもね」
 その視点は概ね正しい。
 これは両者の“戦闘”に対するスタンスの違いだ。

 エヴァンジェリンは自衛の為にその異能に磨き上げ、
 衛宮■■は理想を目指す為にその魔術を鍛え上げた。

 エヴァンジェリンは逃れる為に戦い、
 衛宮■■は理想へ向かう為に戦った。

 エヴァンジェリンが吸血鬼として幾多の窮地を潜り抜けてきた“歴戦の猛者”ならば。
 衛宮■■は、その窮地をも遥か凌駕する地獄を数多と踏破し尽くした“英雄”である。

 逃れる者と立ち向かう者。
 その違いがエヴァンジェリンと衛宮■■の差だ。
 無論。これはエヴァンジェリンの在り方を格下と卑下するモノではない。
 むしろ、そこまで自身を突き詰め、鍛え上げ、磨き上げてきた衛宮■■の異常性を示すモノと云える。
 常人ならば、其処まで自分を突き詰める事など出来ない。
 しない、のでは無く、『出来ない』のだ。
 挑む先が絶死の地獄であるのなら、その結果は遍く死であらねばならない。
 その地獄へ、一度ならず挑み続けなお、カタチを変えどこうして存在している事。
 その事実そのものが衛宮■■の異常性の証。
 同時に、彼の英雄の強さの根源なのだ。

 案内役の二人もその異常性を感じ取っている。
 一人は己の秘する特別性から。
 一人はその優れた観察眼から。

 そして、感じられた事を衛宮アルト自身も気付いていた。



 街の案内は三日目に及んでいた。
 今日は来週に決まった編入の為に必要な物資を調達しよう、と言う話になり、校舎で支給される教科書の類を受け取りに出向き、次に筆記用具や制服を買い付ける為に商店が集まる一角に行って、ついでだからちょっと休もう、と提案されて喫茶店に入店し今に至る。
 目前には何か釈然としない表情をしながらショートケーキを食べる衛宮アルト。もとい、衛宮さん。
 最初、一口目を頬張った瞬間に思わずといった感じで崩れた表情がやけに新鮮に感じ、龍宮と二人彼女を観察している最中だったりする。
「どうしたんだ、衛宮さん。最初の一口目は美味しそうだったのに。甘いのは苦手かい?」
 そう尋ねる龍宮の前にはあんみつがある。
「……いや、体感的に味覚が変化しているのかな。正直、ただのショートケーキをここまで美味しいと思えたコトがなかったから」
「味覚が変化?」
「……まあ、そういう事情があるってだけだ」
 ちらり、と周囲を気遣う素振りを見せる。深くは聞くな、と言う事だろう。
「成程、じゃあ味の好みも変わったんじゃないかな?」
「……そうかな、甘い物限定な気も」
「甘い物、苦手だったんですか」
「…………好物として挙げる対象では無かったな。そもそもあまり好き嫌いが激しい訳でもなかったと思う」
「……意外だ。てっきり余程の拘りがあるんだと思ったが」
「む、なんでさ?」
「いや、食材までこれだけ買い込んでいるからね」

 そう。
 この喫茶店で休憩を入れる事になった最大の要因。それは衛宮さんが、筆記用具を購入した後、ごく自然な流れの様にスーパーに入って、約一週間分の食品を買った事。
 おかげで荷物がどっさり。私達は貴女の荷物持ちではないのですよ、衛宮さん。

「食材は自炊の為だぞ。この先、金銭面はともかく生活は自立しなければならないだろう」
「…………料理、出来たんですか」
「――――もの凄く引っかかる言葉だぞ桜咲。わかった、其処まで云うなら……うん、案内の礼も兼ねて振舞ってやる」
「ほう?」
「え、あれ? そ、そういう意味で言ったのではなくてですね」
 言うが早いが、席を立ち荷物を纏め始める衛宮さん。隣を見ると、龍宮は面白そうに口元を綻ばせていたりする。―――楽しんでいる。

 こうやって会話をしている分には、衛宮さんには異常性は何処にも無かった。
 不自然な点も無く、ごく当たり前の様に私達の問いに答え、疑問を返してくる。
 ならば、初めて顔を合わせた時のあの悪寒は何だったのだろうか。
 龍宮は龍宮で何か引っかかるものがあるらしく、時折静謐に衛宮さんを観察している。
 けれど。私にしろ龍宮にしろ、彼女に『そちら』の問いはかけられなかった。
 大抵が街中の案内で、そういった『裏』の事について話し辛かったのもある。
 だが、それよりも。彼女の纏う空気が、それを許さなかったのかもしれない。
 ……ああ、認めよう。私は、『彼女が闇の福音を破った事』等に関係なく――――
 ――――彼女に、恐れを抱いているのだ。



 衛宮アルトは、未だ関東魔法協会支部施設に半軟禁状態として拘束される立場にある。
 『半軟禁』と銘打つとおり、桜咲刹那と龍宮真名の両名が案内と言う名目で連れ出さない限り、つまり彼女らの授業が終わるまでは支部施設内に拘束されているのだ。
 この状態は来週、つまり12月9日付けに行われる衛宮アルトの2年A組編入に際し解除、学生寮へ入寮し、以後、関東魔法協会一協会員とされるまで続く事になっている。
 この期間は衛宮アルトを協会員と認められるかを判断する為の『試験段階』とも言うべき期間であり、この期間中にいわゆる『問題行動』を行わないかを審査されている。
 そして同時に、衛宮アルト自身にとってはクラス編入・入寮により始まる新たな生活への準備期間とも成る時間なのだ。
 その衛宮アルトは、現在。頭から煙を吹かんばかりに加熱させて唸っていた。



「………………全く覚えていない………………」
 仕方ない事ではある。
 今、衛宮アルトの目前には中学2年生が一年間お世話になっている、まあ、いわゆる『教科書』の“軍”が在り、
「……………………まずい、な。コレ、絶対まずい、よな……………………?」
 衛宮アルトは、その“軍”の前に成す術無く敗北の証を挙げざるを得なかった。

 つまり、『あたまがまっしろ』ってコトである。

「――――――――――後で、高畑にでも頼もう」

 あ、逃げた。   ――――これぞ正しく『ペンは剣に勝る』と言えよう(違



「……美味い」
「……美味しいです」
「そうか、それは良かった」
 約束どおり、衛宮さんは私達に料理を振舞ってくれた。
 メニューはオーソドックスな和風だった。
 ご飯にお味噌汁、焼き鮭に肉じゃが、揚げ出し豆腐ほか漬物等数点。漬物数点がスーパーの出来合い物である点に不満が残っているらしい衛宮さんはつまり、以前は漬物も自前で作っていたのだろうか。
 ご飯はふっくらやわらか、まあコレは良い。最近の電子ジャーの性能は驚異的に向上しているのだから、その性能を十分に理解し最大限引き出せれば私でも出来るだろう。
 お味噌汁の具はシンプルに若布とお豆腐、しいたけ。鮭の焼き加減、肉じゃがの煮込み具合も完璧。揚げ出し豆腐の衣も丁寧につけられていて、普通の一般家庭ではまずお目にかかれない出来。ちょっと尊敬の眼差しを送ってしまった。
「…………これは、素直に脱帽だ。衛宮さん、何処かで料理人の修行でもしていたのかい?」
「いや、必要に迫られて仕方なく覚えたんだ……少なくとも、最初は」
「その後は違う、と?」
「……いや、不思議に思ってな。そんなに身を入れて覚えた訳でもないはずなんだが、そんなに驚くレベルか?」
「…………成程」
「?」
「いや。『無自覚とは罪』っていうのは、こういう場合にも言えるコトだな」
「…………そうか。成程」
「いやまて納得するな桜咲」

 穏やかな時間。こうしていれば、彼女が『闇の福音を破った侵入者』とは思えない。
 だから、

「ところで衛宮さん」
「ん、どうした龍宮」
「貴女が此処に来た理由はなんだい?」

 龍宮が放ったその一言の意味を把握するのに、数瞬を要した。

「――――ッんな、龍宮っ!?」
「……落ち着け、桜咲。―――それと、何でそんなコトが聞きたいんだ、龍宮」
「興味を持つなと言う方が無理だろう。貴女が此処に転移してきた手法、転移して来てから起こした騒動。その上で学園長や高畑先生には信を置かれているらしい事。私でなくとも、仔細を把握したい魔法使いは多いはずだ」
「…………興味本位の問いに易々と答えられるほど、俺の事情は軽くない」

「―――そうだ。その眼だ―――」

「……龍宮?」
「その眼だ。私は以前にもその眼を見た。何度もだ。親を失った子、子を失った親。慕うべき者、敬うべき者、信仰。それらを失った者。それが正しい道と信じて身を投じ、いつの間にか戻り様の無いほど間違っていたと思い知らされた者。そして、」

 ―――――鏡越しの自分自身。

「…………龍宮、真名」
 突然、捲し立てる様に発せられ続けた言葉は唐突に、つっかえる様に止まった。
 声を出せない。ここは、私が出る幕は恐らく無い。
「俺は、一度死んだ身だ。俺を殺した誰かがいて、俺を生かした誰かがいて、俺を生かした誰かが俺を此処に送り込み、俺はその事実を知らず、この地の魔法使い達を俺を殺した連中と同列と考え、件の騒動を起こしてしまった。今俺が判っていて言える事実はこれだけだ」
「………………、すまない」
「気にするな。自分の過去に関わる物なら、誰でも過敏になる。それが、良くないものならなおさらだ」

 ―――その日は、そのまま一言も交わさず、衛宮さんの仮室を辞去した。



「分からない?」
「そうだ。率直に言う。助けてくれ」
「…………もうあと四日しかないよ?」
「だからこそだ。頼む。助けてくれ」
「…………そうだね。取り敢えず、一度習ってはいるはずだしね」
「恩に着る」
「…………うーん(どうしようかと真剣に悩む)」






[14013] 封鞘墜臨 / 八
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2009/12/18 13:39



 それは、衛宮アルト編入を明日に控えた日曜の夜。
 麗しき乙女達の社交場の一つ―――大入浴場でのひとコマ。

「ちょっとちょっと、ニュース、ニュース!」
「なによ朝倉、またガセネタ掴まされたの?」
「ほぇ? 騙されたん?」
「誰が!? そうじゃなくって、この時期に転校生が来るらしいよ! ウチのクラスに!」
「ほほう、この時期に? それは……」
「「「怪しいな」」」
 ギュッピィィィン、と光る数多の目、眼、瞳。人間かお前ら。
「情報の信憑性がね」
「ちょ、アスナ! あんた私の情報網舐めてるといつか痛い目見るよ?」
「じゃあその情報の根拠って何よ?」
「良くぞ聞いてくれました!! その一! 最近、高畑先生が学校の仕事終わらせた後に足しげく通ってる場所があるんだけどね。そこには、私達と同年代の美少女が最近仮入居してるんだってさー!!」
「「「ほほう!!?」
 喰い付く野次馬の数、推して知るべし。
 もはや野次“馬”でなく、野次“ピラニア”とでも呼ぶべきか。
「それってつまり、高畑先生のロ■■ン疑惑ってコトじゃないのー!!?」
「「「ええーーーッ!!?」」」
「何ですってぇ!? 今高畑先生を侮辱したの誰!! 出て来なさーいッ!!!」
「どうどう、アスナ、どうどうどうどう……!!」
 キシャー!! と文字通り牙を剥く同室の級友を慌てて押し留める黒髪少女。
「ところがそういう訳じゃないみたいなんだよねー(残念だけどー)『朝倉ァアアッ!!!』とと、そうじゃなくって、それは無いみたいよ? 高畑先生だけじゃなくって年齢性別問わず何人か出入りしているみたいだし」
「ちっ」「なーんだ」「ほっ……」「ふしゅううぅぅぅ…………!!」
「つ、続けてその二! どうやらその娘、この街に不慣れらしくてさ。ここ一週間近くウチのクラスの龍宮や桜咲に案内されてる姿の目撃証言が多数得られてるんだよ。その二人に案内役を頼んだのが高畑先生だって話もあるね」

「――――せっちゃんが…………?」

「フゥゥゥ、フゥゥ―――? このか?」
「あ、うんん、なんでもあらへんよ?」
「そ、そう?」

「更にその三! その問題の娘が、つい先日、ウチの学校の制服を購入したって話もあるんだよ! 勿論裏も取れてる確実なネタ!」
「「「ほほほう!!」」」
「この三つの情報から推察される事実―――最近この街に来て、仮入室ってコトはすぐ別の場所に引っ越すってコトだし、高畑先生、龍宮、桜咲とウチのクラスの関係者が絡み、ウチの制服も買った、私達と同年代の娘―――ってのを総合すると!」
「「「すると!!??」」」
「やっぱウチのクラスに編入するだろッて話になんのよ!!」
「ちょ、ちょっと乱暴すぎる気もー…………」
「そうですね。確かに推論自体に無理はなさそうですが確実性に欠けます」
「何言ってんの二人とも!! この時期に急な転校なんて、怪しい事情があるに決まってるじゃない!!」
「いえ、そこは今の論点ではありません」
「いいやここからの論点だよ!!」
「……そうですか」
 そこで引き下がるな。話題暴走のブレーキ役がいなくなるから。
「怪しい事情って何何何何何!!?」
「例えば会社が倒産して一家離散した薄幸元資産家令嬢とか!」
「ほう!?」
「例えば一族の古い習慣から放逐された薄幸元資産家令嬢とか!!」
「「ほほう!!?」」
「例えば一度瀕死の重症を負ってしまった為に勘当された薄幸元資産家令嬢とかッ!!!」
「「「ほほほうッ!!?」」」

「……あまり代わり映えないです」
「何で『薄幸元資産家令嬢』縛りなんだろう……」
 んなもん本人に聞いてくれ。

 まあ取り敢えず、結論を一つ。
 風呂場はこんなはっちゃける場所じゃねえ。


 封鞘墜臨 / 八


 その日の朝。
 件の“美少女”を最初に目撃したのは神楽坂明日菜だった。
 彼女は早朝、新聞配達のアルバイトをしていて、その最中に偶然目に留まっただけである。
 “件の美少女”こと衛宮アルトは、この日を持って軟禁状態を解除された為、早速、早朝ランニングなど考え付き、そのまま外へと繰り出したのだった。
 神楽坂明日菜は、昨夜の騒動で“件の美少女”の外見特徴をある程度聞いていた。
 曰く、髪が赤い。
 麻帆良パパラッチ娘は他に色々特長をぺらぺら並べ立てていたと思うが、神楽坂明日菜が覚えているのはソレだけである。
 そして新聞配達をする早朝、街は未だ微睡の中にある。
 その街中で出会う相手に興味を持たずにいるほど、神楽坂明日菜は世界を嫌っていない。
「―――あれ」
 だが、彼女が発見けたのは十字の交差点。しかも、相手は自分の曲がる方とは真逆の方向に遠ざかっていくところだった。故に、
「……赤い髪はホントみたいね…………」
 とだけ呟いてバイトに戻り、そのままその事をスッパリ忘れ去ってしまった。



 その約二時間後。
 衛宮アルトは麻帆良学園本校女子中等部職員室で高畑と顔を突き合わせていた。
「軟禁解除早々のランニングだけでえらい騒ぎだったようだな」
「察してくれるならもうちょっと自重してくれないかな…………」
 朝早くから草臥れた風情を見せる高畑。その原因は当然アルトである。
「こっちは少しでも身体能力を鍛えたいんだがな」
「エヴァを打倒する程の戦闘能力を持っていて何を言うんだ……」
 結論を言ってしまえば、衛宮アルトの早朝ランニングを知った魔法使いの疑心派が早々に何か企んだのではないかと深読み、その対応に駆り出されたのが事実上、衛宮アルトの責任者となっている高畑だったという話。
「アレは全身に強化魔術を施していただけだ。今のままではいくら強化しても能力的に以前の技量に追いつけないからな」
「? 以前って、前の身体の事だよね。そんなに違うものなのか」
「……武道に、心・技・体って格言みたいなモノがあっただろ。アレのようなものだよ。精神、技量に身体能力がついて来ない。あらゆる行動が想定したモノよりも浅い。身体は軽いし、力は無いし、動きは鈍い。リーチも縮まり、さらにすぐに息が切れる」
「……そうか。未成熟な身体の軽さやリーチは仕方ないとして、腕力も敏捷性も瞬発力がものを言う。それ以上に、持久力が無いのは痛いだろう」
「ああ。事実、件の吸血鬼と戦った時も実はギリギリだった。もう少し粘られれば体力的にも魔力的にもジリ貧だったな」
「そう聞くと良いとこ無しに思えてくる。向上した所は本当に何も無いのかい?」
「……敢えて挙げるとすれば、加速と小回りか」
「……スタミナが無ければ活かせない利点だね」
「遺憾ながらな」
「―――おっと。そろそろ時間だ。僕は職員会議があるから、ちょっと此処で待っていてくれないかな」
「む。了解した」

「後、エヴァの事をきちんと名前で呼んでくれ。これからクラスメイトになるんだから」

 返答は、眉間に僅かな皺を寄せた首肯だった。



 先に教室へ入る高畑が、逐一仕掛けられているトラップを解除していく姿が印象的だった。そのまま何事も無かったかのように朝礼など始めている。
「―――今日からこのクラスに編入される転校生がいるんだけど」
「先生! その娘って髪の赤い、最近龍宮さんや桜咲さんと一緒に街を歩いてた娘!?」
「――――!」
「情報が早いな、朝倉君。その通りだよ。この街に不慣れだから僕が案内を頼んだんだよ」
 我が意を得たり、と笑うパパラッチ娘。
 おおー、と沸くギャラリー。
 まあ始めから隠し通そうともしていなかったしなあ、と軽く考える高畑。
 成程。高畑が予め解除していたトラップはその“転入生”に向けたものだったのか。
 脇から見てるとこのノリが常態らしいのが不安を煽る。
「でもインタビューは控える事。彼女がこの環境に慣れるまではね。―――じゃあ衛宮君、入って良いよ」
 それでも生徒の暴走に一応釘を刺し、廊下で控えていた俺を呼んだ。
 呼び掛けに答える形で入室する。黒板の前、高畑に並んで一言。
「衛宮アルトです」
 ざわざわざわざわ――――。そうか。動物園の柵ごしに観察される動物の気分ってこんなものなのか。知りたくなかった。
 俺から見て左、廊下側の二列目には桜咲が、今自分には関わってくれるな、とあらかさまに無視を決め込んでいる。今まで接してきたのとは明らかに違う態度なので少々意外だ。
 その後ろ奥、いつか対峙した自動人形がこちらを観察していた。高畑によると超科学と魔法のハイブリットとかで、修理に一週間近くかけたらしいが、……そうか、直ったのか。
話ではその更に後ろが吸血鬼の席だそうだが、誰も座っていなかった。俺が来るというので回避し(サボッ)たのか。となると、こちらを観察している自動人形は敵情視察か。
 同じく右、窓側奥からは龍宮が目礼を寄越してきた。取り敢えず目礼で返す。と、
「あれ?」
「? ……あ。あの時の」
 その龍宮の前の席から、覚醒直後に出会ったあの時の娘が、きょとん、とこっちを見ていた。
「もう良いんですか?」
「まあ、おかげさまでな」
「何だ、大河内君と会った事があるのかい?」
「あ、ああ。俺が眼を覚ました直後に脱走騒ぎを起こした時に、ちょっとな」

 そんな会話に眼を光らせる生徒数名。

「衛宮君は一番後ろの席になるけど、いいかな」
 衛宮、君? ……そうか、一般生徒の手前だからか。
「ああ、構わない」
「じゃあ、ザジ君の後ろ……一番窓際の席だ」
「りょ、じゃない、分かった」
「それじゃあ授業を始めよう。まずは教科書――――」
 ……さて、始まってしまったぞ。
 ちらり、と気遣わしげに送られてくる高畑の視線に同じく視線だけで応えながら、昨夜までに嫌気が差すほど戦った“教科書(テキ)”を取り出す。
「…………当ててくれるなよ高畑…………」
 頼みの綱は、俺自身が転校生扱いである為に、比較的“当てる”対象として選ばれにくいというコトだけだ。



「じゃ、今日はここまで」
「起立、礼!」

 …………ぐったりだ。国語や英語は比較的キズの浅い教科の筈なのに。話す事は出来るのに単語の綴りに自信が無いのは、地味に蓄積ダメージが大きくなっていく。
 この分だと他の教科はこれ以上のダメージに……?
「そ、想像したくない…………」
 そのまま机に手をついて呻く。
「―――何を呻いているんだ、衛宮さん」
「……龍宮」
 終礼からあげられずにいた顔を上げると、黒肌の少女二人がこちらを見ていた。龍宮は何か珍妙なモノを見る目。もう片一方は全くの無表情である。
「……ハハ」
「なんか色々枯れているよ、大丈夫かい」
「……ああ、大丈夫。大丈夫だよ、龍宮」
 そのままどっかりと腰を下ろす。
「あの」
「ん、どうした? 大河内」
「―――久しぶりだな。大河内、さん? でいいのか」
「あ、はい。大河内アキラです。衛宮さんは、その、あの後、身体は大丈夫なんですか?」
 龍宮にどういう事だ、と視線を寄越される。さて、どう言ったものか。
「ああ。あの後大人しく帰ったよ。あれから三週間もたったし、日常生活に支障無い位まで回復した。だからこそこうして学校に編入もしたんだからな」
「……そうですか」
「衛宮さんは大河内と面識があるのか?」
 焦れたらしい龍宮が話を振ってきた。いや龍宮、たった今事実を捏造してしまった直後だから控えてもらえたら嬉しかったのだが。
「まあ、そうだな。眼が覚めた直後に施設を抜け出した時に、少し世話になってしまった」
「いえ、私は何もしていません」
「いいや。休める所まで俺を、あー、その、―――運んでくれただろう」
「……あ、あれは―――」
「運んで…………?」
 言いよどむ大河内、訝しげな龍宮。そして、
「―――ねえねえねえ、何の話してるの? 良かったら私にも聞かせてくれない?」
 突如俺の眼前にボイスレコーダーを構え現れるパイナップル頭の少女が一人。
「―――誰だ君は」
「出席番号三番朝倉和美! 報道部所属、『まほら新聞』記者にしてこの2-Aのデータベース!!」
「――――通称・麻帆良パパラッチ、だ」
 グッ! と親指を突きたてながらウインクする朝倉和美の台詞を補足する龍宮の眼に憐憫が混じる。なんでさ。
「……はあ。それで、そのパパラッチが俺に何の用だ?」
「決まってんじゃん! 巷で噂の美少女転校生なんてスクープ、取り逃すワケにいかないっての! てな事で、いっちょインタビューでも!」
 ―――ああ。そういうことか龍宮。思わず周囲を見渡すと、処置なしと眼を瞑る龍宮、苦笑する大河内、未だ無表情でこちらを観察している黒肌少女。そして周囲を固め興味と期待で顔を輝かせるギャラリー達。何なんだ一体。
「インタビュー?」
「そう! 衛宮さんの前いた学校とかプライベートとか恋愛経験とか、そこら辺をこう、転校の勢いでドバーッと曝け出して頂戴なッ!!」
 なお迫るパパラッチとボイスレコーダー。顔が近い、近すぎる。仰け反って回避しようとする分だけ乗り出してくるので色々と危ない。ついでに顔の引きつりも制御不能。
「……俺の事なんてつまんないだけだぞ。絶対」
「そーんなコト無いって! ついでに面白いかつまんないかを判断するのはインタビューされる側でもする側でも無く、それを見聞きする視聴者の皆さんなんだよ?」
「――――あー、どうしたものかな」
 拙い。色々と拙い。此処で下手な回答を出すと、後々まで追及の手は収まるまい。
 …………仕方が無い。この場の雰囲気は一気に悪化するだろうが、コレは捏造するまでも無い事実。一言で逃げの一手が打て、さらに後の追及にも歯止めがかけられる。
「…………話せる事は、無い」
「―――は? いやそれズルイよ? ここまで皆を期待させといて逃げるのはナシだってば」
 盛り上げたのは君だと思うが。
「そうでなくて、俺はちょっと、最近まで昏睡に近い状態だったから」

 ――――――ぴしり、と空気が凍った。

「―――そういえば、寝たきりだったって…………」
 大河内の、呼気と間違えそうなか細い声が良く通ってしまうほどの静寂が周囲を包む。教室の外、隣のクラスの喧騒が一気に遠くなった。
「……まあ、そうだな。その影響からか、記憶も混濁気味なんだ。正直に言えば、名前も仮のものだよ。思い出せたのは、姓のほうだけだった」
「―――事実かい? そうならそうで保護者は」
 龍宮の発言には裏がある。――事実を言うのは間違いではないが、表の世界での辻褄、整合性を考えろと。
「……それも分からない。今俺が判っているのは、現在の俺の後見が麻帆良学園長だというコトと、学園長と高畑が、じゃない、高畑さんが俺を此処に編入させた現実だけだ」
 だが俺はそのまま逃げてしまう。そこはいくら追求した所で答えが出ない点でもある。俺自身が状況把握出来ていないのは事実なのだし、今日の放課後でも学園長に俺を保護した経緯を捏造させてしまえば闇の中。なのだが。

 重苦しい。誰一人として言葉を発さず、先程までの興味本位を後悔してバツの悪そうな表情を見せる。その筆頭がインタビューを敢行してきた朝倉で、ボイスレコーダーを彷徨わせたまま顔を蒼白にしていた。…………やはり重過ぎたか。
「まあ。俺自身としてはあまり実感がないんだが」
「―――そんな。強がりにしか、聞こえません」
 この空気を変えようと発した言葉に反応したのは、大河内だった。
「……そうかな。でも実際そんな感じなんだ。俺自身の足場、というか、俺を“俺”にしてくれるものが曖昧なのは事実だが、記憶も完全に消えたという訳でもない。泣いて叫んで求めれば過去が戻ってくる、なんてコトも無い。なら、前を見て歩くしかないだろう」
 大河内の、真っ直ぐな瞳を正しく受け止めながら言葉を返す。
「…………辛いです」
「ん?」

「そんな、それしか無いなんて、――――辛いです」

「――――、ありがとう」
「え?」
「……いや、何でもない。それより次の授業があるだろう。俺はいつまで動物園の見世物になってればいい?」
 冗談めかして声を上げる。丁度良い具合に、休み時間の終了を告げる鐘の音が聞こえてきた。それを聞いて立ち上がった朝倉が口を開く。
「…………あのさ。ごめんね」
「謝る事は無い。何時かは皆に言っておかないといけないな、とは思っていたんだ」
「―――なんで?」
「名前が仮名だって言っただろ。まだ慣れてなくってな。アルトの方だと、呼ばれても気付かないかもしれない。だから、しばらくは姓のほうで呼んで欲しい、とな」
 下手な言い訳だ。だが、朝倉はそれを汲んでくれた。
「……分かった。じゃあ、これからよろしくね、衛宮さん」



「さて、初日はどうだった?」
「どうだっただろうな……」
 正直、授業内容について行くので精一杯だった。
 午前中は件のインタビューの直後でもあり、担当教師の内一人は「普段の賑やかさは何処行ったー?」と不思議そうに聞く位に雰囲気が重かったし。
 それでも昼休みからは徐々に好転に兆しも見えた。龍宮が気を利かせてくれたのか、一週間前に俺が振舞った料理の話を暴露し、クラス内で料理が上手いと評判の女子数人と料理談義を咲かせた結果、近い内に機会を作って一緒にやろう、と言われ、それなら試食役をやる、と立候補する生徒が続出。五時限目のチャイムが鳴るまで収拾のつかない騒ぎに発展してしまった。
 放課後には、一度学園長室へ行って朝の事件について報告し、万一の時に辻褄を合わせてくれる様頼んだ後に同行していた龍宮に引っ張られ、そのままクラス歓迎会(という名のどんちゃん騒ぎ)に巻き込まれた。いつの間にやら高畑も同席していて、哀れみと励ましの笑みを向けてきた瞬間には、軽く絶望を覚えたものだ。
「楽しいクラスだろう?」
「……否定はしないけどな」
 あのテンションについて行くには、相応のバイタリティが求められる。
 そして、今の俺にそこまでのバイタリティは無いのだった。

「「衛宮さーん!!」」

 唐突に呼ばれて立ち止まる。振り向けば、歓迎会の後始末に残ったはずの新しいクラスメイト数人がこちらに走ってくる。……大河内に、確か学園長の孫って言ってた娘と、そのルームメイトだっただろうか。そして後三人ほど。失礼かもしれないが、一度に全員の名前を覚える事は出来なかったのだ。
「どうしたんだ。後始末が終わったにしては早いし」
 後始末なら一緒にやろう、と言う俺に対し、主賓はそういう事を気にしなくて良いのだと追い出すように帰途につかせたのは彼女らだ。
「はっ、はっ……えっとね、衛宮さんって、今日からウチの女子寮に入るんでしょ?」
「……ああ、そういう予定になっている」
 意識的には未だ男性である俺が女子校や女子寮に入るコトは問題ではないか、と最後まで渋ったのだが、結局押し切られたのだ。せめてと譲らず確保した一人部屋が最大の譲歩である。
「それじゃあさ、今まで居たトコから女子寮に引っ越さないといけないじゃん?」
「ああ。これから高畑、さん、と取り掛かろうと話していた」
 なあ、と隣を見上げると、うん、と首肯が返ってくる。高畑も彼女らが俺達を追って来た目的は思い当たらないらしい。
「ほなら、こっちにも人手が要るんやないかなて。どうしてもダメ、言うならウチらも戻るけど……、多くて困る事も無いやろ?」
「…………」
 思わずもう一度高畑を見上げてしまう。
 高畑は、君が判断したら、と言うように笑うだけ。
「…………心遣いは嬉しいが、高畑さんの車にはそんなに多く乗れないぞ」
「それなら大丈夫。この中から一緒に行くのは一人にして、後は先に女子寮に向かってればいいのよ。入る部屋教えてくれたら、先に着いた時には掃除もしておくし」
「―――、なら俺に断る理由は無いよ。むしろ俺から頼むことだしな」
「いいんです。衛宮さんはこれから色々大変なんだし」
 大河内の言葉に、うんうん、と頷く増援部隊(クラスメイト)。
「……じゃあ大河内、一緒に来てくれるか?」
 はっきり名前(というか名字)が分かるのは大河内と近衛くらいで、ものを頼むとすれば多少なりとも付き合いのある――といって言いのかは分からないが――大河内の方が頼み易いのは事実で。
「分かりました」
「じゃあ私達は先に女子寮行ってるわ。―――高畑先生、衛宮さんの部屋って何番―――」
「ゆーな、亜子、まき絵、後でね」
「うん!」
「後でねー!」

「……悪い。君には迷惑をかけっ放しだな」
「そんな事ありません。これから一緒のクラスになるんですから。それに」
 一度言葉を切って、俺の方を向く。
「迷惑じゃなくって、頼られてるんです」
「はは、一本取られたな。衛宮君」
「…………ああ。俺の負けだよ。―――ありがとう、大河内」
「はい」


――――封鞘墜臨 ・ 了 




[14013] 喪失懐古 / 一
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2010/01/18 15:48
 ――――ノイズ。黒白の濃淡、ピントが合わない。

「■■■――

 ――――ノイズ。霞掛かった視界がもどかしい。

      ――貴方を、

 ――――ノイズ。鮮明になる視界、色鮮やかに染め上げられる瞬間。それでも『彼女』の顔が、

            愛している」

 ――――ブラックアウト。


 喪失懐古 / 一


 その話を聞かされたのは、一週間前。



「新任の教師?」
「そう。僕の代わりに二年A組の受け持ちになるよ」
「……大丈夫なのか、色々な意味で。俺自身が要因の一つである以上、本当は言えたものではないが……もう一度言ってくれ。何だって?」
「去年欧州の魔法学校を卒業した、十歳の魔法使いが、一週間後にこの麻帆良に新任の教師として来日するんだよ。ちなみに決定したのは卒業した今年七月。受け入れ態勢は整っている、決定事項なんだよ」
 …………あきれてものが言えない、とはこの事だ。
 思わず意識を飛ばしかけて、制御を離れた行使魔力の過多から目前の電子基盤をオシャカにするところだった。
「……いいのかそれで。それはつまり、事実上俺の監視が無くなるってコトだぞ? 過激派連中が黙っていないんじゃないのか」
 気を取り直して基盤の解析を再開する。
 構成を解読、埃を掃除しながら不具合原因を特定、しつつ高畑の答えを聞く。
「元からそこまで深刻な問題じゃないよ。『封印されていた』って言うのはそれだけで僕達が保護に動くに足る問題だったし、当の衛宮も今まで平穏無事に過ごしている事だし、今現在沈静化している問題をわざわざ掘り起こしてまで騒ぐ者は始めからいない。それに、僕も広域指導専属に名義が変わるだけで籍は此処に置き続けるしね」
「それでも、事実上身体が空くのだから『出張』も増えるだろう。いやそれ以前に、あのクラスを経験の無い者に任せようという決定に疑問だが」
「んー、なんとかなるさ」
 ――――信じられない。本気で言っているのなら、何て楽観的な思考だ。
「……高畑」
「ん、なんだい?」
「本気で言っている訳じゃないだろう?」
「―――まあね。裏が在るのは認めるよ」
 だろうとは思う。そうでなければ理屈に合わな過ぎる。労働基準法うんぬん以前に世間の認識(つまり常識)がそんな非常識を許さない。その非常識への認識を、学園結界によって緩めて受け入れさせる心算なのだろうが。
「……何と言い繕っても事実は変わらない。けれど、未だ不透明な部分もあるから端的に言うけど。
 その子――ネギ君って言うんだけど――は、君の始まりに似た体験をしている」

「――――――――、それで?」

「その事件から生還したのは二人。ネギ君と、ネギ君の従姉でね。二人の証言によって、ネギ君が暮らしていた村を襲ったのは下級悪魔(レッサーデーモン)と爵位級悪魔の混成からなる、“軍勢”とも呼ぶべきモノだった。だが、それらの召喚者は不明のまま……。つまり、」
「その少年は未だ狙われている可能性が高い、と? 襲撃の理由は分かっているのか」
「……ネギ君はね、過去魔法界で勃発した大戦を終結させた英雄の子供なんだよ。君なら分かるだろう。“英雄”と呼ばれる存在が背負うモノを。それが理由と考えられる」
「…………英雄が意図せず継承させてしまった負の遺産、か」
「ああ。本来、ネギ君を守ってくれる筈のナギ――あ、さっき言った英雄で、ネギ君の父親だよ――はネギ君が生まれた年に失踪、現在では死亡扱いだ。だからこそ、僕達はネギ君を守る。今回の措置もその一環だよ。ネギ君には才能がある。彼を守護し、その成長を見守るためにね」
「……そうか。そこまでの事情は理解した」
 要はこの学園をその子供の揺り篭にしようと言う訳だ。
 確かに、保護と成長の助成が目的だというならそちら側の筋は通る。表世界に対する認識操作など苦にもしない理由になるだけ、その“英雄の息子”の価値は高いのだろう。
 だが。
「だとしても、“あの”クラスに放り込む理由にはならないだろう」
「……言ってはなんだけど、こっちはついでと言うか、どうせなら、って感じで(学園長が)決めちゃった事なんだけど。―――特異な能力、突出した才能は、互いに引かれあう。
 衛宮だって気付いてるだろ? あのクラスには、そういった子達が集まっている。そうなって欲しくは無いけれど、万が一の場合には、これから築く関係がきっと役に立つ」
「…………」
 ――――ならこれ以上は、部外者である俺が口を出すべきではないコトだ。
「俺は基本的に不干渉だ。求められれば応じても、俺からは関わらないぞ」
「ん……まあ、それでもいいよ」



 そんな話をしたんだよな、と。思い返すのはその子供先生が赴任する朝7時半、始業前のコトである。
「いや、助かったよブラウニー。またなんかあったらヨロシクね♪」
「何かないように気をつける、とは言わないんだな。あとブラウニー違うから」
「だってアンタが頼りになりすぎんのよぅ! じゃ、今日はコレで。明日にゃお礼のスィーツタダ券用意しとくよん」
 しゅたっ、と手を上げた後、後輩の朝練習を監督しにいく上級生。
 見送るでもなく見やった後に、自分のクラスに歩く。始業ベルまでは余裕があるが、手が空いてしまったものは仕方がない。クラスに戻って予習や復習をやっておこう。



『―――学園生徒の皆さん、こちらは生活指導委員会です。
 今週は遅刻者ゼロ週間、始業ベルまで10分を切りました。急ぎましょう――――
 今週遅刻した人には当委員会よりイエローカードが進呈されます。
 くれぐれも余裕を持った登校を……』

 その放送に。
 ふと、単語帳から顔を上げた。
「……1つ、素朴な疑問があるんだが」
「?」
「イエローカードを進呈されて、どうしろと言うんだ……?」
「あー…………さあ?」
 斜め後ろに座る俺の疑問に、律儀に返答を返して再び机にかじりつく早乙女。
「―――なんだ。また修羅場なのか」
「……あー? 何時も通りのペースよ? ホントは。けどホラ、今日は新任の先生が来るって話じゃない。ならこのクラスでは―――分かるでしょ?」
 今度は顔をこっちに向ける事無く、手を休めずに返事が来る。
「……成程。ではそれは」
「そ。今日は騒ぐからねー。今の内に騒げるようにしとかないとさ」
 ……。そこまでして騒がなくてはいけないのか。いや、早乙女の場合、自分の関わらない所で皆がどんちゃん騒いで楽しんでいるのが悔しいのかも。
「新任一人に大わらわだな……春日や鳴滝姉妹は珍しく早く来てはトラップ設置に余念が無いし―――どうでもいいが。鳴滝姉は、もっと慎みというものを覚えたほうが良さそうだな」
 スカートを穿いているのに股を開くな。女子校だからと言って油断しすぎだ。君のようなタイプは此処でそんなだと他の場所でも同じ格好をするぞ。ああほら、隠すべき絶対領域がガラ空きじゃないか。

「「「――――アンタが言うか、衛宮アルト(ぼそっと)」」」

「ん、なんか言ったか?」
「いや何も」
「…………苦しくなったら言えよ? 流石に毎度毎度、綾瀬や宮崎を手伝わせている訳にも行かないだろう。二人にだって予定ややりたい事はあるだろうし」
「あはは。気持ちは受け取っとくわー。でも私にだって先週付き合わせたばっかりの相手に今週も泣き付く程の厚顔無恥さは無いの。アンタホントは今日もどっかから頼まれゴトしてて、今日はどうやって抜け出そうかなーとか考えてるんじゃないの?」
 む。確かに今日の放課後も一件、運動部からちょっと来てくれ、と声を掛けられている。
「確かに声は掛けられているけど。それほど切羽詰っている様子でもなかったし、今日一日ぐらいは空けられるぞ、俺だって」
「―――衛宮さんの言葉には説得力がありませんね。そう言って実際には、クラスの用事が終わった直後に間に合うかどうか先方まで確認し、懸案次第では寮まで持ち帰り、ともすればハルナの手伝いと平行してコトを済ませようとするのは、過去の事実が証明します」
「そうそう。そして目の下にクマまで作るクセに、早朝のランニングは絶対欠かさず、授業中に居眠りしてせっかく持ち直しかけてる成績を落とすのよ。いいからさ、もうちょっと自分の身体のコト考えたら? 頼ってる私達が言うのも何だけどさ」
「……むう」
「ハハハ。見事に論破されたみたいネ、エミヤン?」
 と。
 途中から加わった綾瀬の前に、超が袋包みを差し出しながら入ってきた。
「どうかナ? 一個百円ネ」
「……その呼称を止めてくれるのなら一つ貰おう」
 今や毎朝恒例となってしまった交換条件を提示する。こんな台詞を吐きながら、胸ポケットから百円玉を取り出している辺り、俺も相当、このクラスに馴染んでしまっているのだろう。
「ほら」
「ウム」
 差し出した掌に超包子特製と銘打たれた肉まんが置かれ、換わりに指先に挟んでいた百円玉を超の手に落とす。じんわりと熱を放つ肉まんは折角なので早々に食べる。冷めてしまうともったいない。もきゅもきゅと頬張りながら再び単語帳に向かおうとして、
「衛宮さーん」
 朝倉の声で断念する。
「最近さぁ、職員室に呼ばれたりはしてない?」
「……一週間前、高畑さんに呼ばれたのが最後だな」
 給湯ポットの故障で。
「その時にさ、新任の先生に関してなんか話聞いてない?」
「――――、それらしい話題は耳にしていないな。今じゃ俺が職員室にいても然程注目はされなくなったけど、やはりそういう話を生徒がいる時には話さないんじゃないか」
 実際には高畑からばっちり詳細を聞いているが。
「そっかぁ。エミヤン情報も無理か……んー、このままだとちょっと弱いのよねー。美形だったらそれだけで記事のネタが増えるんだけど」
 ……安心しろ朝倉。新任は年端も行かない少年なのだから、お前ならそれだけで強い記事に仕上げられる。
「…………衛宮さん、貴女は何時から朝倉さんの諜報員になったのですか」
「そんなものになった覚えは欠片も無い。……けど、あちこちに顔を出していればそれなりに小ネタが耳に入って来るんだよ。俺自身は詳細まで突っ込まないけど、朝倉は俺から聞いた小ネタを頼りに先方に取材してるらしい」
「それは既に諜報員です」
「……やっぱりそう思うか」
 けど、朝倉に明かすネタは俺自身で捨取選択しているし、朝倉も悪どい記事は書かないので大丈夫だろう。この地自体に他者をあげつらう風潮が無いコトも大きい。なので、今までは全部笑い話で終わっているし、これからもそうだろう。
「だからそう気にする事でもないと思うぞ」
「?」
 結論だけを言って不思議な顔をされた。
「取り合えずさ、これから新任の先生関係で面白そうな話題があったら教えてよ」
「……ああ。小耳に挟んだ程度で良いならそうしよう」
「サンキュ」
 ウィンクを残して自席へ戻る朝倉を見送る。超もクラス内の商売の為に離れて行く。
 そして、
「……はあ。おはよー」
 と、最後に登校する形になった神楽坂と近衛が視界に入った。
「……珍しいな。神楽坂が浮かない顔で、こんな遅く登校とは。何かあったのか?」
 普段ならギリギリではあっても遅刻せずに登校してきたし、あんなあらかさまに疲労と不機嫌を表に出した神楽坂は始めて見る。
「……んー? あったわよ。最悪なコトがもう、立て続けに。なんだって私がこんな……」
「……?」
 どういう事だ、と近衛に視線で尋ねる。
「―――ウチは可愛えと思うけどなー。ちょっと出会い方が悪かったみたいなんや。今来ると思うし、直接見ればええんちゃう?」
「は?」
 ――――うん。近衛はどこかピントが外れている時があると思う。

 結論から言えば。
 神楽坂が、登校中に新任の教師――つまり、件の子供先生に侮辱的な発言を受けたものらしい。
 さらに子供先生にはその意識が微塵も無く、親友である近衛や学園長には軽やかにスルーされ(学園長側は意図的だろう。絶対に)、その上同室に泊まらせろと要請され、あまつさえ高畑は担任から外れる事が発覚し(まあ、教育実習扱いならば通常は担任の補佐役となるし)―――と、神楽坂主観で散々な目にあったのが不機嫌の原因のようだった。
「だからといって授業を台無しにするのはやり過ぎだと思うぞ?」
「ふん!」
「……」
 取り付く島が無い、とはこの事だ。
 高畑、どうやらお前たちの思惑は初日から完全にすれ違ってしまっているらしいぞ。
「衛宮さん、ちょっとよろしいでしょうか?」
「ん、なんだ委員長。ネギ先生の歓迎会準備か」
「ええ。皆さんで協力して、この教室でやろうと思っていますの。衛宮さんには教室の飾り付けを先導して欲しいのですが」
「? 俺が先導か」
「ええ。この手の作業工程で、衛宮さんは正確、かつ効率的な装飾が出来ると聞きましたので」
 にっこりと微笑む雪広あやか。その向こうに、にひ、と嗤う影が三つ。
 ……成程。厄介事を俺に押し付けてとんずらをかまそうというハラか。―――そうそう都合の良い結果には問屋が降ろさん。
「よし了解した。ついては従える戦力を指名したいが、許可願えるだろうか委員長?」
「ええ。こちらからお願いするのですし、衛宮さんが直接選ぶ方々ならきっと私が選ぶよりも捗ると思いますわ」
 ゲ、と顔を引きつらせてももう遅い。
「では早速―――大河内、絡操、龍宮。悪いが、そこから逃げようとしている明石と春日、鳴滝姉を連行してきてくれ。あとは鳴滝妹と長瀬、朝倉を借りようか。クラスの三分の一だが、いいか?」
 ええ、と首肯を受けてメンバーは固まった。弱冠数名、策謀が裏目に出たショックと有無を言わせず連行されたコトで涙目だが問題無い。
「では始めようか。主賓を待たせるわけにも行かないしな」
 ―――この背中に、ついて来い。



 かくて再び、歓迎会の名を借りたお祭り騒ぎが再演される。
 即席の用意といえど侮れない。このクラスの本領は、こういった非日常的なイベントでこそ発揮される。教室に施した装飾こそ色紙を使用したオーソドックスなものだが、そこに並べられる食べ物は近場で調達されたお菓子、甘味に加え、お料理研究会・超包子提供の料理まで。はっきり言って贅沢だ。
 …………だと言うのに、肝心の主賓が中座するとは何事だろう。高畑と神楽坂の間を往復して、直後に神楽坂が退室し、それを追っていたようだが。
「……高畑さん、ネギ、――君、と何を?」
 先生、とも呼びにくいし、かといって他の生徒の手前、呼び捨てもし辛い。ハンパな立場だな。
「ん? いや、アスナ君の事をどう思っているのか聞かれただけだけど」
「……額に手を当ててか?」
「そうなんだよね。なんだったんだろうね?」
 思い当たる節があるような無い様な、微妙な顔の返答だった。
「…………委員長達も追っていたが、あまり長くやって帰りが遅くなるのもいただけない。頃合を見て中締めないとな」
「うん。皆が戻ってきたら声を掛けるよ。衛宮君はどうするんだい? 今日は何処かに頼まれ事は無いのかい」
「あったが、明日に伸ばしてもらった。朝に綾瀬と早乙女に窘められたからな。大人しくしてるさ」



 そうして子供先生の赴任初日は過ぎていく。
 魔術使いは宣言通りに干渉せず。
 故に、彼と彼女が深く関わりあうのは、もう少し先の話である。




[14013] 喪失懐古 / ニ
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2010/01/19 17:10
 ――――ノイズ。

     その■高い■■を、誰が■ろう。

 ―――悔しい。

     ■うと、■めた。

 ―――あれほど大切に思って、

     ■が■■うと、たとえ、その■に、

 ―――あれほど美しいと感じた、

     ――――それでも、戦うと■めたのだ。

 ―――あの、尊い想いさえ、

     避けえない、孤■な■滅が待っていても。

 ―――今の自分には、こんなカタチでしか残っていない。


 喪失懐古 / ニ


 衛宮アルトの朝は早い。
 起床は朝六時前、目覚ましも使わずほぼ毎日同じ時間に起床する。
 それから軽く準備運動を行うと、学生寮の周りを軽くランニング。その後に竹刀の素振り、腕立て伏せから腹筋など、日課となるトレーニングをこなし、軽くシャワーで汗を流し朝食をとり登校する。朝のアルトには大抵どこかしらのクラブから物品修理などの頼み事が舞い込む為、先に懸案の確認、朝の短い時間にこなせそうなモノなら朝の内に済ませてしまう。頻度は低いが用事にかこつけたクラブ勧誘もある為、先に確認しておいたほうが対処しやすいのだ。
 衛宮アルトは、その朝のスケジュールをほぼ毎日滞りなくこなしている。
 アルト自身はそう意識していないが、まるで分刻みのスケジュールに従うように。

 だが、その日はいつもより一時間早く起こされるハメになった。



 ―――キャーーーーーッ!!

「…………、何だ?」
 突然、寮内に響いた悲鳴。
 声質、音程から鑑みるまでもなく女のものだ。
「……侵入者でも出たか」
 今までそういった事件があったという話は聞かないが、可能性はゼロではないだろう。
「……確認する必要があるか」
 手早く畳んでいたジーンズとジャケットを身につけ、外に出る。と、
「――――って来るねこのか―――!」
 どたばた、バターン。私今慌ててます話かけないで下さい、と言わんばかりの勢いで神楽坂が部屋から出てきた。
「……なあ、神楽坂。ひとつ聞きたいんだがいいか?」
 取り合えず、引き止めるのも何なので併走して階段を駆け降りながら声をかける。
「……何? あの馬鹿のせいで私忙しいんだから早く!」
 うん。忙しいというか急いでいるのは見れば判る。
 でも切羽詰ってはいるけど身の危険が迫っている感じではないんだよな。
「今さっきの悲鳴は、神楽坂か?」
「う。―――起こしちゃう位うるさかった?」
「……どうだろう。俺は耳が良いからかもしれないけど、取り合えず寮内には良く響いてたと思う」
 ……あっちゃあー、と頭を抱える神楽坂。なのに階段を駆け降りる速度は遅くなるどころかさらに加速しているのが恐ろしい。最初はきちんと併走していたのに、三階分駆け降りて既に彼我の差三人身。
「……だって朝起きてみたらあのガキが私のベットに潜り込んでたのよ!? あーもうこのままじゃバイト遅刻しちゃうー!!」
「…………」
 ああ。知らない間に他人が自分のベットに潜り込んでいたら、そりゃあ驚くってもんだろう。ましてや神楽坂は丁度思春期なのだ。いかに十歳の子供といえど、いや、そもそも男が潜り込んでいたってだけでアウトかも。
「取り合えず、ご愁傷様……? あと慌てるのも判るが気をつけて行けよー」
「ん、アリガト。じゃ!」
 この時点で階段エリアを突破し、寮のロビーから玄関までを駆け抜けているが、既に手でメガホンを作って呼びかけるレベルまで離されている。神楽坂はしゅたっ、と片手を挙げ、身体ごと突進するように玄関扉を突破した後本格的に加速体制に入った。―――驚愕に値する。神楽坂は、アレで俺の話を聞く為にその速度を緩めていたのだから。
「…………既にオリンピックで活躍できる。何故俺でなくあいつに勧誘が行かないんだ」
 目に見えて遠ざかって行く半幽霊美術部員の背中を見送りながら、俺的には三指に入る麻帆良の不思議に思いをはせた。



 事件は、その日の授業、一時間目にも起きた。
 神楽坂曰くの“あのバカ”“あのガキ”に当たるのであろう少年が受け持つ英語の授業である。
 英文の和訳を何の脈絡もなく神楽坂に指名し(いや、それ自体にはそれほど酷い要素は無いと思うが)、神楽坂が上手く和訳できない事から神楽坂の成績不振の話となり、怒り心頭の神楽坂が子供先生に掴みかかり、その拍子にネギ君がくしゃみをして、すると何故か神楽坂の制服が吹っ飛んだ。なんでさ。



 で。
「――――アレってぶっちゃけると魔力の暴走だろ?」
「ハイ。ぶっちゃけてしまうとそういう事になります」
 絡操と二人、教会脇でしゃがみこみ猫に餌を与えつつまったり過ごす日暮れ間近の放課後。珍しく依頼が途絶えた為様子を見がてら今朝の事件について聞いてみた。
「……くしゃみだけで暴走起こすのかあの子は」
 ニャー、にゃー、と平和な空間の中ひとり愕然とする。魔術の失敗は死と同意語というのは魔術回路を用いるが故、つまり特有のデメリットではあるが、
「こちらの魔法はそんなに暴走しやすいのか」
「それは違うと思われます。恐らく、あの現象はネギ先生特有のものではないかと」
「ん、その根拠は?」
「ネギ先生が内包する魔力量。その総量は一般的な魔法使いの比ではなく、ともすれば全盛期のマスターと同等、いえ、それ以上かもしれないとマスター自身が分析しています。ですが、その制御能力は精神力に比例するとされます。恐らくネギ先生はその魔力制御能力が魔力総量に見合っていません。その、通常でも不完全な魔力制御が意識から外れてしまう一瞬に、暴走が起きているのではないでしょうか」
「で、その“魔力制御の意識が外れる一瞬”の一つが、くしゃみ、と」
「あくまで私の見解ですが」
 そうか。そうするとアレは、魔力の暴走、というより突発的に“行ってしまう”魔力放出、とも言えるかも知れない。
「……はた迷惑な。その結果として神楽坂の制服が吹っ飛んだのは」
「暴走した魔力が、擬似的に武装解除魔法として作用していると考えられます」
「武装解除?」
「ハイ。遠回りになりますが、魔法使いは、それぞれ得意とする属性の精霊を用いた魔法を運用しますが、基本的な魔法の幾つかは、共通の魔術式に得意とする属性を当てはめ発動させます。私達と衛宮さんが交戦した際にマスターが唱えた魔法は覚えていますか?」
「ああ、あの“氷の矢”と“人の服を氷付けにしてくれたヤツ”」
 そうだ。あの寒波は人の服を氷付けにして丸裸にしてくれた挙句、投影黒鍵を数本弾き飛ばしてくれやがった。
「ハイ。あれはそれぞれ“魔法の射手(サギタ・マギカ)”と“武装解除(エクサルマティオー)”の魔法です。そして、マスターの属性は氷。なので、魔弾は氷を持って形成され、衛宮さんの武装は氷結ののち破砕しました。行使する属性によって詠唱を持って呼びかける精霊が替わりますが、それ以外の部分は同一なのです」
「ふむ。それで?」
「上位の使い手となれば、先の二種の魔法程度ならば詠唱を破棄し行使する事も出来ます。呼びかけの鍵となる思念、あるいは行動でもって一瞬の内に魔法を発動させられる。
 そして、ネギ先生の属性は風。風属性の武装解除呪文は、氷属性のように氷結させず、対象の武装を強力な風によって吹き飛ばし、あるいは花びらへと変えてしまう性質を持っているのです」
「くしゃみによって制御から外れた魔力が、結果として武装解除の魔法になってしまっているのか」
 これはまた、性質の悪い。
「そうですね。衛宮さんもネギ先生の前では気をつけたほうがいいかもしれません」
「ん、そういう絡操も気をつけないとな」
「……、ハイ」



 などと話している同時刻に本校では更なる騒動が起こっていたりこの後学生寮にて起こったりするのだが、さしあたり衛宮アルトに関係するのは翌日図書室の蝶番ごと吹っ飛ばされた扉を直してくれと依頼された事位なものである。



 明くる朝の図書室前。
「……。こんな真似、一体誰がやったんだ。蝶番を固定していたトコは螺子ごと毟り取ったようにボロボロだし、蝶番自体もひん曲がって使い物にならないし、誰か鍵かかってたのを強引に蹴り飛ばしたようなモノじゃないか」
 こんな物、所詮素人レベルの域を出ない俺が直せる損壊ではない。
 ……、駄目だな。蝶番は当然使い物にならないし、鍵も壊れてる。これは買い直さないといけないだろう。それに、
「…………、ちょっとだけ」
 周りを見渡し、無人であることを確認。確認の為に解析魔術を行使する。
「―――同調(トレース)、開始(オン)。…………やっぱりな。扉自体も歪んじまってる。これはもう、専門業者の仕事だな」
 見切りをつける。魔術を使って修繕する事は出来るが、俺はそういう事が出来ると知っている者はまだこの麻帆良にはいない。波風が立たないように、今まで解析以外の魔術は全く使ってこなかったのだ。自室での魔術鍛錬こそ例外だが。
 それに、扉が損壊部位である為に人目を避けられないこの場、この時間では、魔術による修繕など論外と言える。
「お生憎様、だ。新田教諭。イタいだろうが出費を覚悟してくれ」
 南無、と心中で手を合わせ、早々に職員室へと向かう事にする。……それにしても何で図書室の扉が壊れていたんだ?



 そんな訳で図書室の扉修理を見限ったアルトを待っていたのは、その日の英語の授業で何を思ったのか、
「今日は、タカミチがやっていたっていう小テストと放課後の居残りをやりたいと思います!」
 ……とのたまう子供先生の洗礼だった。―――いや、及第点はギリギリ確保したけれどもさ。



「―――という訳で、2-Aのバカ五人衆(レンジャー)プラスアルファがそろったわけですが……」
「誰がバカ五人衆(レンジャー)よっ!!」
「プラスアルファって何だ……?」
 俺は小テストはパスしてるんだぞ、ホントは。
「そうです、衛宮さんは小テスト合格してましたよね。何で残ってるんですか?」
 分からない、と他意無く尋ねてくる子供の視線。
「……ん、単なる自主参加だ。迷惑なら外すが」
「衛宮さんは今までも小テストの結果によらず一緒に居残っていましたよ、ネギ先生」
「そ、そうなんですか」
 うん。一度喪失した知識を再習得する為には努力を惜しんではいられないのだ。
 が。
「いーのよ別に、勉強なんかできなくても。この学校エスカレーター式だから高校までは行けるのよ」
 などと暴言を吐くバカレッド。だが数日一緒に過ごしてその性格を徐々に把握しつつある子供先生も黙ってはいなかった。
「―――でもアスナさんの英語の成績が悪いとタカミチも悲しむだろうなー」
「うっ……。わ、わかったわよ。やればいいんでしょ、やれば」
 おお。男児三日過ぎれば刮目して見よ。―――この短期間で、もう神楽坂の御し方を覚えつつあるのか、この子は。

「えーと、じゃあまずこれから10点満点の小テストをしますので、6点以上取れるまで帰っちゃダメです。―――じゃあ、始めてください」
 らくしょうアルね、はいなー、なんて声が聞こえてくるがホントに楽勝なのか。
 そんな思考をカットして目前のプリントに集中。設問はオーソドックスに英単語の和訳、逆に和単語の英訳、その後に英文読解問題の三つによって作られている。

 日中の授業でもそうだが、ネギ君はコレでわりと要点を押さえた教え方をしている。この小テストも同様。子供ゆえの問題が散見される為問題が無いとは言えないが、少なくとも生徒に学習させる能力、という点ではネギ・スプリングフィールドは優れていた。

 ……そんなこんなで。
「できましたです……」
「こんなものでどうだろうか」
「えっ、もうですか? ちょっと待って下さい……、…………、―――うん! 4番綾瀬夕映さん9点! 32番衛宮アルトさん8点! 合格です!」
 キャー、と声を上げるのは綾瀬に付き合って残っていた早乙女と宮崎。対する俺は、
「ふう」
 と安堵の一息。まあ何だ。取り合えず昼の小テストより得点高かったし。
「全然出来るじゃないですかー」
「……勉強、キライなんです」
「ちょっと事情があって成績が不安なんだよ」
 適当にお茶を濁す。回りも分かっているもので、「ちゃんと勉強しなよゆえー」「やーだ」「ま、いーや。本屋寄って帰ろーか」とすんなり流してくれる。一応、目標は達成したので図書館探検部三人組と一緒に教室を辞去することにした。
 帰りしな、「できたアルよー!」「できましたー、ネギ君」と言う声が聞こえてきた。



[14013] 喪失懐古 / 三
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2010/02/02 12:51
 2-A教室を出た後、綾瀬や早乙女らと別れて特別教室棟へと移動する。
 目的地は総計160以上ある文科系クラブのうち一つ、占い研究部。近衛が部長をつとめる慎ましやかな部活である。
 が、今回のは普段の物品修理・管理に関するものではない。依頼、という点では他と変わらぬ事ではあるが、近衛の依頼はそうではなく、人間関係に関する相談という側面を持つ。
 目的の部室。扉の前に立ち止まり、軽く二度ノックする。
「衛宮だが」
「あ、入ってええよー」


 喪失懐古 / 三


 近衛木乃香と桜咲刹那は幼馴染であるらしい。
 近衛の話では、近衛はこの麻帆良学園の初等部に入るまで京都で暮らしており、その遊び役として近しくなったのが桜咲なのだそうだ。
 だがその関係は今は断絶したも当然の状況だという。近衛が麻帆良へ編入されるより前に桜咲とは剣術の稽古によって徐々に疎遠となり、近衛の麻帆良編入を期に交流は途絶えた。後に桜咲も近衛の後を追うように麻帆良へと越して来たが、以来桜咲は近衛に対し素っ気無い態度を貫いているという。

「最近の様子はどうだ」
 部室にお邪魔して、まず先に聞いてみる。近衛はこの事に関してあまり他には知られたくないらしく、長年の親友とも言える神楽坂にすら明かしていない。故にこの事を持ち出すのは大抵こうやって二人きりになった時だけだ。
「…………」
 沈黙したまま小さく首を横に振る。近衛は機会を見ては桜咲と話をしようと近づくのだが、いつもさり気なく避けられる、と言う。
 近衛が俺に桜咲について相談を持ちかけたのは、桜咲が高畑の指示で麻帆良の案内役をやっていた事を聞き、何か知っていないかと考えたかららしい。
「……ウチ、なんか悪いことしたんかなぁ」
 落ち込む近衛の姿は痛々しい。ましてや普段おっとりと笑顔を絶やさない娘なので、目尻に涙を浮かべる姿は見ていて辛い。
「……それは俺にはわからない。だがあの桜咲の頑なさは異常だっていうのは俺でも判る。
 無視やシカトってのは、常にそうする相手を意識していないと出来ない事なんだ。ましてや桜咲はその態度をあらかさまにするんじゃなく、あくまでクラスの皆には分からないように、さり気なく、近衛を避けて、クラスの中心からも避けて、いつも輪の外側にいたがる。……俺にはむしろ、避ける原因は桜咲自身にあるように見える」
 クラスの輪から外れる人間は意外と多い。俺は精神が男であったり本来の年齢が上だったりして、クラスの輪に馴染めず浮き沈みを繰り返しているような状態だ。これが完全に輪の外側へと流れてしまわないのは、一重にあのクラスが俺に苦痛を感じさせないように引き込んでくれるからだ。
 俺の他には、龍宮や茶々丸は外れがちだ。両者とも基本的に流れにまかせる傾向にはあるが、これもさり気なく意識されにくい場所に陣取っていたりする。まあ茶々丸の方は主を気にしてもいるのだろうが。
 不器用ながら距離を取ろうとしている長谷川もいる。
 後はザジ。未だ彼女の事は何も分からないが、彼女も積極的に輪に関わっていく訳でも無し、無表情にクラスを観察している。
「なんでせっちゃんが自分の事でウチを避けるん?」
「いや、俺がそうじゃないかと思っただけで大した根拠は無いんだが」
「…………そうやね。ゴメンなアルト、色々……」
「近衛が謝るコトじゃない。俺もあの頑なさはおかしいと思うしな」
 確かに言えるのは、二ヶ月前、俺が2-Aに編入される前と後での桜咲の態度が豹変といっても良い位に“切り替わった”コトだ。
 ……おそらく。桜咲は、近衛がこの事で俺に相談を持ちかけると考えて、その前に俺との関わりをも断ち切ったのだ。
 ―――とか話しているうちに。
 ――――って下さいアス―――――
 ――――い高畑先生にバ―――――
 ……なんてなどっか聞き覚えのある声がドップラー効果を伴って断片的に響いてきた。
「…………今の、ネギ君と神楽坂じゃないか…………?」
「? んー、そう言われると二人の声やったけど。なにしてるんやろ?」
「……確か、英語の居残り小プリントをやっていた筈だが、いい時間だしな。でも終わって帰るトコにしては大きな声で」
 …………なにをやっているんだ、ホント。
「……、でもそうすると二人ともそろそろ帰るんやろな。ウチも帰るわ。アルトはどうするん?」
「ん? 俺も差し当たって予定は無い。携帯も鳴らないし、もう買い物をして帰ろうかと思っている」
「あ、ならウチも一緒に行ってええ? アルトは良い食材探すの上手いから便乗させて」
「ああ、いいぞ。そうと決まったらちょっと急ごうか。神楽坂を待たせる訳にいかないだろ?」



 衛宮アルトが物品の修繕・管理を行っているのは運動・文化系クラブとは限らない。
 麻帆良学園に帰属する備品の修繕依頼が来る事も多い。その場合、依頼するのは大抵生徒会か教師である。
 その日も日中から依頼が舞い込んだ為、取り合えず品物の患部を検めようと考え、昼休みに職員室へと足を向けた。



「失礼します」
 一礼して入室する。
「あれ? 衛宮さん」
「……ネギ先生、何か」
「あ、いえ、職員室に用があるんですか?」
「ああ。ちょっと瀬流彦先生に呼ばれて」
「え!? そ、それって何か問題を起こして……!?」
「―――、ほほう。そうか、ネギ先生は私の事をそういう風に見ていたのですか」
「あ、いや、そんなつもりは……!」
 俺の一言二言で面白いように表情を変える。この百面相は確かに見ていて飽きないが、それを楽しんでイジメる趣味は無いのでとっとと話題を変えて開放しよう。
「別に私が何かしたのではなく、依頼。頼まれゴト。ほら」
 指し示す先に、何時も変わらぬ柔和な顔でおーい、と手を振る瀬流彦教諭。
「……なんの依頼なんですか?」
「それを今から聞きにいく。じゃ、失礼します」
「は、はい……」
 一礼して脇を通り過ぎる。内心の疑問が晴れていないせいか追従してくるネギ君の視線を感じるが、あまり喧伝する気も無いので無視してしまう。まあ、機会があればクラスメイトから聞く事もあるだろう。
「―――さて瀬流彦先生、今日の依頼はなんだろうか」
「うん、コレなんだけど」
 おもむろに指し示された机の上のカセットデッキ。一昔前の型で、再生機とスピーカーが一体化した代物だった。
「……またこんな骨董といってもいいモノを」
「そう言わないで。今時カセットデッキそのものが希少だったりするじゃないか」
「そうか? そこらのリサイクルショップで普通に売っていると思うが」
「…………」
「…………」
「…………ダメ?」
「――――ふう。了解した。で、具体的にどう悪いんだ?」

 ―――などと話していると。
「うわああ~ん、センセ――!!」
「ネギ先生~~っ」
「……はい?」
 ガラ―――ッ! と突然扉を開けて、佐々木と和泉がネギ君の机まで駆け寄っていく。
「こ……校内で暴行が……」
「見てくださいこのキズッ!! 助けてネギ先生っ」
 えーん、と10歳の子供になきつく14歳。傍目、かなりシュールといおうか、何か間違っていないかと疑問が頭に浮かぶのだが、
「え……ええ!? そんなひどいことを誰が……!?」
 今一迫力に欠ける緊迫感を持って一緒に出て行くネギ君。……まあ、
「……どうだろう。困った時に教師を頼るのは間違ってはいないが、その頼る先をネギ君に設定するのは、こう。人選としては間違っているとしか思えないんだが」
 勉強――学術以外で教師を頼る、というのは、単純に生徒よりもより豊富に蓄積された人生経験を頼る、という意味だ。生徒よりも人生経験の足りないネギ君では解決出来るものも解決出来ないと思うのだが、
「…………まあ、これも教師としての仕事か」

「……じゃあ、今日一日預からせてもらう。持ち帰って具体的に調べて答えを出す。直らない場合の事は考えておいてくれ。俺だって直せない物はあるからな」
「ありがと~。明日食券何か用意しとくからよろしく頼むよ」
「返礼は無事にコレを修理できたらの話だ。じゃ、これで失礼する。次は体育だからな。早めに準備をしないと危険だ」
 主に俺の精神が。



 瀬流彦教諭に話したとおり、次の時間は体育だった。
 中学に限らず、体育という教科では制服ではなく体育着に着替えて授業を受ける。
 つまり、クラス全員で一所に集まって着替えをしなくてはいけない。
 そして、俺が所属するクラスは、麻帆良学園本校は女子中等部。クラスメイト全員が女性。その全員が揃って一緒に着替えする。
 何が言いたいのかといえば、俺の精神面は男性なのだというコトだ。例え今の俺の肉体は女性のカタチをしていて、俺と高畑、学園長以外はその事実を知らないとしても、まごうことなく俺の精神は男性である。

 気まずいったらありゃしねえのだ。とてつもなく。

 なので着替えの時間は大抵、一番に取り掛かって終了即教室から退場、なんてちょっと間違えれば奇行とも取られかねない行為でやり過ごすのが俺の常だった。彼女らの準備を極力意識の外に追いやりながらやり過ごさなければならない為、精神的な疲労が半端ではない時間といえる。こんな時物事を深く考える事をある意味阻害するこの地の結界の効果は有難かった。……余談ではあるが。最初にこの事実に突き当たった時、本当にあの似非仙人を縊り殺そうかと思考を暴走させた事はとても良く覚えている。
 だが週数回ある体育の授業も、今日の様に昼休み直後に行われるのが週一である。この時ばかりは若干なりとも余裕があるので大変助かっていた。
 今日は本校とは別棟の屋上にあるコートでバレーをする事になっている。なので着替えと移動にかかる時間を加味して、早めに昼休みを切り上げて用意をしてしまわなければならない。
 だが女子集団の着替えとは、大抵仲良くお喋りをしながら行われるものらしい。
 そして、今日の着替え時間の話題はつい先程のものと思われる、昼休みにおける“暴行事件”に関してだった。

「ねえねえ、やっぱ高畑先生ってすごくない?」
「……うん」
「確かに頼りにはなるかにゃー」
 和泉の発言に同調する大河内と明石。……昼休みにあった事件の事だろうが、何故に高畑が出てくるのか。いやまあ、大体の推測は立ってしまうのだが。
「何があったん?」
「高等部と場所の取り合い」
「え―――、またですかー」
「みんなやられてるよ」
「そんなに酷いのか?」
「ひどいなんてもんじゃないよー。アルトは見たことないの?」
「高畑先生が来なかったら大ゲンカだったよ」
 ―――成程。年長である事を嵩にかけた大人気ないパワーハラスメント、といったところか。ありがちであるからこそ性質の悪い難題だ。確かにネギ君の独力では納められまい。
 その手の輩に最も効果的なのは、より強い立場にある者の言葉なのだ。教師ではあれ年長ではないネギ君の手に余るのは必定といえる。
「そうか、だから高畑さんが出張ったのか。……ちなみに、ネギ君は」
「…………高等部の玩具」
「――――、あー」
 それはまた、予想通りといおうか。
「ネギ君はちょっと情けなかったかな――」
「でも10歳なんだからしょーがないじゃーん」
「―――何ですか皆さん、あんなにネギ先生のことかわいがってたくせに!」
 ネギ君びいき筆頭の佐々木が擁護し、委員長が不満を漏らすも、
「え~、でもやっぱさ――」
「10歳だしね――」
 場の雰囲気を変えるまでには至らない。
 ……まあ、明石や和泉の言う事も分かる。
 最初こそモノ珍しさや見た目可愛さでワイワイと盛り上がっていても、慣れてしまえば徐々に欠点が見えてくる。特に今回はそれが浮き彫りになった形だ。現場に居合わせればこそ、思うところもあるのだろう。
「もーすぐ期末もあるし、いろいろと相談できる先生のほうが……ねぇ?」
「うーん。かわいさを取るか、頼りがいを取るか……」
 …………期末。期末考査。つまりテストか。うわ、拙いな。人の事を言えなくなって来た。
「はいはい。今日は屋上でバレーでしょ。早く行かなきゃ」
「む。そうだったな。ネットは良いとしてボールは持っていかなければ。先に行っててくれ、俺はボールを取ってこよう」
「あ、衛宮さん。私も行く」
 うん。期末考査は重大な問題だが、今気にやんでも仕方ない。それよりも授業だ。授業。



 前述のとおり、今日の体育はバレーの予定だった。
 が、今目前にはドッジボールが行われようとしている。しかも、片側にはクラスの三分の二に上る人数、かたやその向かいには半数しかいないチーム。
 だが侮る無かれ。数的劣勢に立っているチームは、実際には我々中等部の上級生、聖ウルスラ女子高等部の生徒であり、同時にドッジボール部「黒百合」の部員でもあるのだ。
「…………だからどうしたというワケでもないんだが」
 そもそも何故体育の授業で上級生とドッジボール対決なぞする事になったのか。
 2-Aが授業を受ける別棟屋上につくと、そこには自習となったのでレクリエーションでバレーをしにきた高等部女子が先に来ており、かつ間の悪いコトに体育科の教師に代わりネギ君が来ていて彼女らの玩具と成り果てていた。あまつさえ彼女らは自分達の担任にネギ君を寄越せとのたまい、2-Aの面々は完全に激怒。あわや乱闘、となる直前にネギ君がくしゃみ暴走をかまし、その突風に一同が驚いた虚をついてスポーツによる対戦を提案し、ならばより公平となるようにとドッジボールを行う事になり今に至る、らしい。
 ちなみに上級生らの交換条件として、2-Aが勝てば以降場所の横取りは一切せず、この場からも即刻退出。ただし彼女らが勝てば教生としてネギ君を貰っていく、という。―――何と言うか。わざわざ2-Aの教員となるように(強引に)取り計られている現状、そんな話は学園長が許可しないと思うのだが。いやそもそも、一教員の処遇を生徒が握れるものなのか、この学園は。
「……まあ、それでも実行されそうな気もするのが恐ろしいな」
「? 何か言った、衛宮さん」
「いや何も」

 だが。
「手伝わんのか」
「くだらん」
 という短いやり取り。――――そうか。龍宮はともかく、桜咲が参加しないのか。
 なら。
「じゃあ、頑張れ」
「え!? 衛宮さん入らないの?」
「健闘を祈る」
 近くにいた明石に声を掛けて、うらぎりものー、なんて声を背中で受けながらコートから出る。……桜咲が参加しないというのは好都合だ。このドッジボールに参加しないクラスメイトはそれぞれに距離を保ちながらも、広い屋上から見れば一所に集まっている。それなら俺が桜咲の近くに寄っても不審ではないし、逆に桜咲が俺を避けて場所を移動すると目立つ事になる。可能な限り目立たぬよう、人目を避けて行動したがる桜咲にとってはそんな事態こそ避けるべきである筈だ。
 ……まあ、細心の注意を払って接触しなければ俺を振り切って動いてしまう可能性もあるのだが。

 桜咲は壁に背をつけて腰を下ろしている。その向かって右隣には龍宮が立ったまま壁に寄りかかり、左側には長瀬が座り、その壁の上にザジが腰を下ろしている。その四人から右側にはチアリーディングの三人組が応援していて、さらに向こう……ちょっと待て絡操。今打ち上げたのはひょっとして花火なのか。アレって特別な免許が必要じゃなかったか。―――いや、この麻帆良ではツッコむだけ無駄か。ガイノイドだしな。
「……!」
 俺が接近した事で、桜咲が緊張する。常時持ち歩いている野太刀を握り、いつでも動けるように体勢を整える。かすかな変化で余人には分かり辛く、しかし目の良い俺や傍らにいる龍宮、長瀬にはそれと判る。
「待て。最近ちょっと過敏すぎだぞ桜咲。俺の編入を期に一度も話せてないだろう。人に恩を押し付けたまま逃げ回るのは良い趣味とは言えないな」
「…………貴女に恩を売り付けようと思った思った訳でなく、単に高畑先生から指示されただけです。それに、恩返しとして食事を頂きました。それ以上の関係は不要でしょう」
「高畑の指示? それを受けたのは桜咲自身の意思なんだからやっぱり礼は桜咲にするべきだろ。それに、まる一週間世話になったってのにあんな即席料理だけでお返しになるもんか。折角クラスも一緒になったってのに、何だってしきりに遠ざかりたがるんだ」
「……」
「沈黙、か。まあ、それも答えか」
 まずはここまで。桜咲らへ近付く足を一度止める。もう三歩も歩けば桜咲に手が届くが、その前に桜咲は腰を上げるだろう。この距離が最初の壁。生半可な手ではこの壁は突破できまい。
 一息つく代わりにコートを見やる。きゃいきゃいと黄色い声をあげながら逃げ惑う2-Aの面々、その残り15人。どうやら逃げ固まって一網打尽にされたらしく、今度はコートに散らばって逃げようとしているようだ。
「んー、アレで逃げ切れるでござるかなぁ、衛宮殿?」
「まず無理だろうな。一度に複数アウトになる可能性は低くなるだろうが、パス回しをされるとその度に逃げるだろうから、あ」
 とか言ってる間にも後ろを向いていた鳴滝妹の頭にボールが当たる。
「……その度に逃げ遅れが出てくる訳だ」
「フフ。これはネギ先生がお持ち帰りされてしまうのも時間の問題かな?」
「それで終わらないのがこのクラスだろう、龍宮?」
「違いない。衛宮さんも判って来たじゃないか」
 目的意識が高まれば過程はどうあれ(半ば以上強引に)結果に結び付けてしまうのが2-A最大の長所であり恐ろしさでもある。彼女らの手にかかれば世界の修正すら押しのけてまかり通れる気がするのは、きっと俺だけじゃないはずだ。
 なので、俺の当面の問題も。
「そんな所で立っているのもなんでござろう。衛宮殿もこちらに来てくつろいではいかがでござるか?」
「む、悪い」
「なんのなんの」
 こんな風にあっさり解消したりする。横に滑って場所を提供してくれる長瀬に礼を言ってお邪魔する。向かって長瀬の右には桜咲がいて、長瀬は桜咲との間に距離を取る形で場所を空けたので、必然的に俺は桜咲の隣に立って壁に背中を預ける事になる。ちなみに、長瀬の真上に座る格好になってしまったザジもさり気に横に動いていたりする。
 長瀬の好意に甘える格好なので、桜咲も何も言えずに身体を一層硬くするだけだった。
「―――」
「…………」
 そのまま並んでドッジボールの観戦モード突入。パス回しに翻弄された委員長や春日に長谷川、太陽を背に目晦ましを喰らった神楽坂がそれぞれ退場、怯む2-Aにネギ君が発破をかけている。
「――まあ、古・超の中武研コンビも、大河内や明石もいるし。まだ何とかなるな」
「外野に回った連中も参戦できない訳じゃないしな。外野の神楽坂と春日、内野の運動部連中でどうにかなるだろう」
 身体を緊張させ、常時持ち歩く野太刀を握り締め、ぴくりとも動かない桜咲を挟みドッジボールを肴に会話する我々。シカトしているのではない。誘えるものなら誘うが今の桜咲には全く逆効果、話を振っても無視を決め込む事は空気で分かるし、直接触れようものなら即座にこの場を離れるだろう。

 ――――自身の不器用さがもどかしい。こんな時、衛宮アルトはどうすればいいのか分からない。

 近衛は言った。桜咲と元のように仲良くなりたい、と。
 衛宮アルトにとっても桜咲は無視できる相手ではない。さっき言ったように案内の恩がある、だけではない。今の桜咲刹那の在り方を見ていると“記憶”に引っかかるのだ。

 想い(ねがい)を理性(しめい)で封じ込める自己の律し方。

 それなりに心得のある者ならばすぐに判る。桜咲刹那は、近衛木乃香を自分から遠ざけるくせに常に彼女の近くにいる。
 近衛には絶対に悟られないように完全に気配を殺し、しかし一瞬で彼女を守れるように。

 その方法は違えど、その方向性は、酷く『彼女』と酷似する。

 …………しかし、だからといってどうすればいいのか―――。

 益体も無い思考をカラカラと回していても時間は過ぎる。ドッジボールは何時の間にやら2-Aが逆転に成功し、気付けば10対3の圧倒的優勢で決着していた。
 ネギ君を胴上げしてはしゃぎ回るクラスメイト達と、がっくりと膝をつく上級生。
 と。その一人がやおらボールを掴み起き上がる。穏やかではない空気を発しながら怖い笑顔で掴んだボールを宙へと放り上げ……まったく、見てられないほどみっともない。
「―――そこまでだ。下手な足掻きは余計惨めになるだけだぞ、“先輩”」
 仕方無しに、放られたボールにもう一つ別のボールを投げ当てて邪魔をする。今にも飛び上がってバレースパイクを仕掛けようとしていた上級生がたたらを踏んで睨んできた。
「うるさいわね。あんな小スズメ達に舐められっぱなしでいられる訳がないでしょう!」
「その小雀達に最初に手を出して来たのはそっちだろう? 以前から頻繁にちょっかいを出されれば、そりゃあ力も入ろうものを。昼間にも高畑さんから諫められたらしいのに舌の根も乾かないうちにコレでは、2-A(あいつら)だって本気になるさ。―――こちらが勝てば大人しくこの場から去る、というのはアンタ達が出してきた条件だろう。自分で言い出した約束すら守らないんだったら処置なしだ。相応の手を持ち出さなくちゃあならなくなるが――――」
 ちらり、と屋上入り口のドアを盗み見る。……思ったとおりだ。何処から聞きつけたかは判らないが、高畑と源教諭が屋上の様子を伺っている。2-Aの大半は未だお祭りムードで気付く素振りもないが、俺の視線を追った上級生は気付いたらしい。
「勝つ為には何でもやる。その方針は大いに結構。だが決着はとうについただろう。……ここは引き下がる事をお勧めしよう」
「~~~ッ!!」
 フン! と精一杯の虚勢を張り、大股で足早に立ち去る上級生。……やれやれだ。
「……上手くいかないな」
 目の前に悩んでいるひとがいる。それなのに力になる事が出来ない。……何度繰り返したジレンマだろう。その苛立ちを関係の無い彼女らにぶつけてしまった様で、とても後味が悪くなる。



 近衛と桜咲の関係は、あくまで当事者達だけの問題だ。
 両者に対して関わりの浅い自分では、せいぜい近衛の不安のはけ口にしかなれやしない。
 下手に手を出して桜咲を一層強硬な態度にしてしまっては目も当てられない。
 ――恐らくは。桜咲は、近衛に対して一線を引くべき理由を抱えている。
 丁度、“彼女”が俺の従者であるとしていたように。
 あの時は、自分が当事者だった。では今、傍観者になってしまったらどうすればいい?

「――――出来る事は、何も無い」

 そうだ。俺に出来る事は何も無い。
 けれど、
「……でも。力になりたいと思う事も、間違いじゃないだろう」




[14013] 喪失懐古 / 四
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2010/02/12 16:53

 ――――ノイズ。

 いつものユメではない。

 ――――ノイズ。

 彼女の姿が見当たらない。

 ――――ノイズ。

 目前には、

 ――――ノイズ。

      泣き出しそうな笑顔で、サヨナラをウタう、■白の■■。

 ――――ノイズ。







……イ■ヤ―――――


 喪失懐古 / 四


「え―――と、みなさん聞いてください!
 今日のHRは大・勉強会にしたいと思います! 次の期末テストはもうすぐそこまで迫ってきています!
 あのっそのっ……実はうちのクラスが最下位脱出できないと大変なことになるので~、みなさんがんばって猛勉強していきましょ~!」
 ―――などと突拍子も無く言い出すネギ君を凝視せざるを得ない午後の一時。
 委員長などは「すばらしいご提案ですわ」と是非も何故もない賞賛を送るが、クラスの半数はきっと「突然何を言い出すんだ」と考えているに違いない。
「は――――い提案提案」
「はい! 桜子さん」
「では!! お題は『英単語野球拳』がいーと思いまーすっ!!」

 ―――――― なんですと ?

 おお~、と耳を疑う俺を置いてけぼりにして湧き上がり拍手喝采するクラスメイト。
 そして何を思ったか、
「じゃあそれで行きましょう」

 ―――――― な ん で す と ! ?

「え!?」
 と席を立って驚愕を露にするのは神楽坂ただ一人。―――認識が甘かった。このクラスの大半は、「またとても面白いコトが起こる」と考えていたのだ。俺もまだ2-Aの気風が理解出来ていないのか。
「ちょっとネギ、あんた野球拳って何か知ってんの!?」
 知っていたらこんなにあっさり許可しないだろう神楽坂……。
 気分は断崖の端に追い詰められたたった一人の敗残兵。追っ手は精鋭、その数不明。崖は高層ビルもかくやたる高さ、直下は戦塵の谷底である。
 ――――敗北すなわち致死の羞恥。ありえない。何故に中学生の授業でこれ程の戦慄を覚えなくてはいけないのか…………!!
 しかも俺達を窮地に追い込んだ指揮官(ネギ)は既にそっぽを向いて知らん顔。…………ふざけるな。具材にして料理するぞ野菜名少年ッ。
 みるみるうちにエジキにされていくバカレンジャー。解答を強いられた者が答えれない、と判明した瞬間に周囲のモブが着衣を強奪していくこの理不尽。全身の血が一斉に引いていく感覚。あ、目眩がしてきた。
「さっ、次はエミヤンの番だよー!!」
「ち、ちょっと待て。まだ心の準備が……!」
「モンドームヨー!! 第一問、コレの読みと意味を答えよー!!」

 …………一応、被害はブレザーとチョッキ、ネクタイ、上履きですんだ。日夜単語帳で行ってきた反復復習が功を奏したと喜んでおくコトにする。桃色の称号を与えられたオンナノコの悲鳴が聞こえたり赤い称号を持つどっかのオンナノコがえみやさんのうらぎりものーとか泣いて訴えていても気にしてはいけない。極力視界に納めないように努力している真っ最中なのだから。



「…………酷い目にあった」
「ぶー。いいじゃん衛宮さんは。私なんて下着になるまで剥かれたんだよー?」
 いや佐々木、そういう発言は俺の精神がヤバいから控えてくれ。わりとマジで。
「それは佐々木の自己責任だ。同情はするけど同調はしない。アレでも一応、難易度は抑えられてたぞ? 俺が剥かれたのも後半の難問だったし、少なくとも俺が答えられなかった問題は佐々木達には向けられなかった筈だし」
 つまり、本格的な勉強不足。補う機会を与えられて、なお。
「う゛」
 あからさまに詰まる佐々木だが、居残り学習も一緒にしている俺が言うのだ。間違いない。
「まあまあ……。それより衛宮さん、今日は頼まれてないんですか?」
「ああ、数日前から運動系の部活動も試験休みに入ったからな」
 だからこそ今この状況が出来上がる。
 一日の授業が終わった放課後。俺は明石、和泉、大河内に佐々木の運動系部活動仲良し四人組と一緒に、寮への下校路である駅へと向かいながら他愛ない話を交わしている。
「それに。中途転入の俺にとっては始めての試験が『学年末』考査だぞ? このままでは範囲が広すぎて敵わない。せめてこれからは、試験勉強に専念しようと思ってな」
 割と地味に効いてくる事実なのだ。イメージとしてはこう、リングに上がる前から問答無用でボディブローを五・六発くらい喰らわせられた上に、強引に蹴り出される感じ。
「じゃあ、今日はこれから」
「ああ、部屋でカンヅメ」
 寮でもなんのかんのあれやこれやと動き回っているのがこのニヶ月における俺の基本パターンだったりする。依頼主は同級に留まらず、上級生から下級生、既におよそ俺の事を知らない寮生は存在しないという無節操ぶり。
 だが無償ではない。あ、いや、流石に下級生から金をふんだくる様な真似はしないが、懸案のやっかいさに応じて食券を貰ったり上級生からは勉強で判らなかった部分を聞くとか。まあ食券のやりとりが基本なのだが、比率が下級生は低く上級生は高い按配。
 ちなみに最も多く呼びつけて来るのはDのミドルネームを持つ同業の先輩株。何か目をつけられる事でもしてたのか、俺?
「じゃあ、一緒にしない?」
「ん?」
 主語のない明石の言葉は意味不明。いや、会話の流れから想定するならば、
「勉強会。私たち一緒にしようって昼に話してたんだけどさ、どう?」
 ふむ。確かに一人でやるよりも効率が良いだろう。
「了解した。時間は? 夕食後か」
「えーとね…………」
「…………?」
 何故そこで一斉に期待に満ちた目を向けてくる。
「……」
『…………』
「…………」
『………………』
「………………」
『……………………』
 ―――ふう。
「判った、俺の負けだ。作るよ。調理時間の関係があるから……5時でいいか?」
「やったー!」
「えみやんのお料理ー!」
「い、いいんですか……!!」
「…………ありがとうございます」
 爆発する歓声、反応は図ったように四者四様。諸手を挙げる提案者、便乗する佐々木、予期せぬ幸運に歓喜する和泉、只一人苦笑混じりに謝辞をくれる大河内。……和泉はマネージャーだからそうでもないが、他の三人は運動部所属なだけあり良く食べる。その上、あのプライバシー皆無とすらいえる寮内では乱入者が出ないとも限らない。―――これは。食材の補充が必要かもしれないな。



 ところが気合を入れて大河内の部屋に突入してみると、人数は増えるどころか減っていたりするのだった。
「? 佐々木はどうした」
「さあ。さっきまで大浴場に行ってたんだけど、戻ってくるなりネギ君のところに言ってくるって、何か荷物まとめて出ていっちゃった」
「?? 荷物まとめて? 泊まり込んで神楽坂共々徹夜を張ろうっていうのか、ネギ君を巻き込んで」
 ―――いかに教師といえどネギ君は10歳の少年に過ぎない。その少年に徹夜を強要するのは頂けないな。
「……それが、行ってみたら神楽坂さんたちもいないんです」
「いない? 留守、か」
 こっくり頷く水泳部のホープ。……不可解だ。
「佐々木と神楽坂がネギ君を頼るのは、まあ、判る。けどなんで近衛もいないんだ」
「……?」
「このかといえば、さっき図書館探検組が階段下りていったの見たなあ」
 図書館探検組。近衛だけでなく、綾瀬や早乙女、宮崎もか?
「…………俺は先程、長瀬と古菲が階段を下りていったのを見たぞ」
 ……これでバカレンジャーが揃ったコトになるが。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 部屋に下りる微妙な沈黙。俺が感じている不吉な予感は、誰でも感知出来るほどわかり易いようだ。
「―――ま。彼女らが全員一緒に何かしようとしているんだって確証も無いしな。料理は佐々木の分をより分けて置くとして、先に始めていようか」

 この時判らず終いだった出奔組の目的が何であるかを知るのは、その14時間後のコトである。



「え……」
「ええ~~~~~っ」
 翌日、朝の校舎に響く悲鳴。音源は我が2-Aの教室である。
「何ですって!? 2-Aが最下位脱出しないとネギ先生がクビに~~~!? ど、どーしてそんな大事なこと言わなかったんですの桜子さん!!」
「あぶぶっ! だって先生に口止めされてたから―――」
 最下位脱出しないとクビ。口止め。そして椎名桜子は昨日のHRで英単語野球拳を提案した張本人。……椎名。アンタはそれを承知したうえであの提案をしたというのか。
 クビだって、ネギ坊主が? それはかわいそやなー。必然的にクラスメイトの話題もネギ君の人事問題へと集中する。降って湧いた自分達の担任の進退問題。僅か一月近くしかない関わりでも、当たり前のように親身になれるのがこのクラスの良い所だと思う。俺自身がそれに助けられて来た事も大きいが。
「とにかくみなさん! テストまでちゃんと勉強して最下位脱出ですわよ。そのへんの普段マジメにやってない方々も!!」
「げ……」
「仕方ないなあ……」
「――――」
 流石は自他共に認めるネギ君贔屓筆頭の委員長。早速クラスメイトに発破をかけてまわる姿は必死である。
 尤も反応は微妙である。上から引き気味の長谷川、苦笑する釘宮、無反応の桜咲。委員長のカラ回りで終わらなければいいのだが。
「問題はアスナさん達五人組(バカレンジャー)ですわね。とりあえずテストに出ていただいて、0点さえ取らなければ…………」
 なおぶつぶつと最下位脱出作戦を立てる委員長を見るともなしに眺めていると、地響きというか、地鳴りというか、通常とても女子校では聞かない、というかそぐわない足音が聞こえてくる。……近づいているのか。
「みんなー大変だよ――!! ネギ先生とバカレンジャーが行方不明に…………!!」
 バンッ! と引き戸らしからぬ音を立てて教室に駆け込むや聞き捨てならない事実を喚く早乙女、傍らには錯乱気味の宮崎しかいない。……いつも一緒にいる綾瀬(バカブラック)がいない。
 ……そういえば、今日は朝錬もないのに佐々木や古菲も神楽坂達も見当たらないな。
「え……」
 ど~ん、と走る衝撃、静まり返るクラスメイト、その心は統一される。

 ――――やっぱり、ダメかも……!?

 ……大丈夫なのだろうか。とりあえず今日の朝礼から。



 差し当たって事情、詳細を知るらしい早乙女と宮崎を落ち着かせてコトの次第を整理する。
 切っ掛けは俺が佐々木、大河内らと勉強会の約束をした5時前、佐々木は大浴場「涼風」に入っていたという話だったが、佐々木だけでなく神楽坂らバカレンジャーや図書館探検組も入っていたという。他に鳴滝姉他数名も入浴していたらしいがこの話には関係ないので割合。
 その場での話題は近衛が仕入れてきた噂話。曰く、次の期末考査で最下位を取ったクラスは解散される。特に成績の悪い生徒は留年、あるいは小学生へ降格(?)する―――。
 流れから考えるに、学園長からネギ君に下った人事条件である“最下位脱出指示”が歪曲されて伝わったらしい。詳細を知る椎名や明石はネギ君の口止めを受けていたのだから仕方ない事だろう。
 噂話として聞かされた話ではあれど、日中、ネギ君が「最下位脱出できなければ大変な事になる」と発言していた事、そして2-Aが万年最下位に甘んじていた現状を省みると単純な噂と一笑に付せない現実味を帯びた。
 ましてやその場に集まるバカレンジャー達がクラスを万年最下位に甘んじさせる最大の要因であると知っていた彼女らにとっては死活問題と呼んでも良い。
 その時、綾瀬が一つの都市伝説を持ち出した。
 曰く。麻帆良学園図書館島の地下深部には、読めば頭が良くなる“魔法の本”がある。
 それこそ本当なのか分からない眉唾な話。その手の話を好む早乙女すら早々に笑って話をおさめようとした。が、その中で普段ならば真っ先に呆れて見限る神楽坂だけが何故かやおらその気になって吼えた。挑むは唯一の希望、都市伝説の眠る図書館島。

「―――行こう!! 図書館島へ!!」



「……かくて勇者達は図書館島へと挑み、そのまま帰ってくる事はなかった、と」
「ちょ、縁起でもないコト言わないでよ!?」
「あ、悪い」
 でもニュアンスとしては間違ってない気がするんだよなぁ。
 具体的に、行方不明となったのはバカレンジャーの五人にネギ君、そして地下連絡員として同行した近衛の計七名。
 早乙女と宮崎は地上からサポートを行っていて事態を把握していたらしい。
「…………じゃあ、連絡がつかなくなったのはいつなんだ」
「―――9時頃だと思いますー。目的地には着いたよーな声が聞こえましたしー」
「目的地って、“魔法の本”がある場所ってコトか」
「うん。なんかその後ツイスターゲームがうんぬんとか、アスナのおサルーとか、よく分かんない声が聞こえて、そのままぶっつり」
「は?」
 なんだそれは。ツイスターゲーム? おサル?
「……他になんかないのか。こう、居場所の手掛かりっぽいのは」
 二人、顔を見合せて。
「……なんか、ネギ君でもアスナ達でもない声が『この本が欲しければわしの質問に答えるのじゃー』とか、石像が動いたーって悲鳴とか、最後には何か凄いモノが割れる音とか」
「――――?」
 謎は深まるばかりである。取り敢えず今すぐ解決出来そうな疑問は、
「何で俺が君らの話を聞いているんだろうな」
「……さあ?」
「そういうのが合いそうだからじゃない?」
「…………そう見えるか」
「……見た目より、雰囲気だよね。なんとなく」



 ともかく、コトが教師を巻き込んだものである以上、何も対処しないのはいただけない。
 把握した事実だけでも伝えて、今後の対応を図る必要があるだろう。無論図るのは俺ではなく学園上層部だ。
 そう提案すると、俺が職員室に差し向けられた。

「一番職員室によく行く生徒は衛宮さんだよね」

 なんて単純で安直な理由だ。シンプルすぎて反論も出来ずにこうやって足を向ける羽目になった。
「……で、アンタがここにいるってコトは、事態は既に把握していると考えていいのかな」
「フォフォフォ」
 そして待ち受けていたバルタン笑い。視線だけで俺だけかと問いかけて来て、首肯を返すや別室に連れ込まれたのだ。訴えるぞ。
「神楽坂達はどうした」
「うむ。あの子らの能力が予想以上に高くてのう。何とか本を手にするのは阻止したんじゃが、少々出すのに手間のかかる場所に落としてしもうた。―――まあ、テストには間に合うように脱出させる心算じゃから安心せい」
「できない。そんな事情を聞いたところで何が変わる訳でもない。成程、ネギ君達はそれでいいだろう。だが、クラス側のフォローも無くては片手落ちだろう」
「…………うーむ。とりあえず朝礼はしずな君に出てもらうが。ネギ君達が何故行方不明なのか判明してしまっておるのは厄介じゃのう……。――――衛宮君」
「協力しない。そっちの不手際だろう。俺はネギ君に関して関わらないと言ったはずだ」
「むう……」

「それと。サポート班が通信が切れる前にツイスターゲームとか石像が動いたとか、やけに意味不明な単語を聞いたようなんだが、何をしたんだ」
「…………何と言おうか、その、――――ノリ?」
「――――――――魔法の隠匿は何処に行った?」
「…………~♪」
 頭を抱えた。



 ……まあ、なんだ。結局は良くも悪くも、あまり深刻に受け止められないこの麻帆良の気質に助けられたと言っておこう。
 しずなさんから「ネギ君達の捜索が行われる」と聞いたクラスメイトは一応落ち着きを取り戻し、改めて週明けに待ち受ける学年末考査への勉強をしよう、と意見の一致を見た。
 そんなワケで。その日の放課後は特別教室を一室借り切って、下校時間までクラスメイト全員強制参加のカンヅメ勉強と相成った。学年TOPの成績を誇る超と葉加瀬、委員長の三人は全体の指導役。点心と飲料まで完備された、脱出不可能の学習拷問が開かれたのだ。
 地獄はそれだけに留まらず、終了間際になって指導役三名による各自の要点プリントが配られ、夜の復習に努めるように厳命が下った。翌日曜は午前二時間、午後三時間の休日返上学習会まで開催される始末である。
 ――――気合入ってるな、委員長。
 ――――当然ですわッ!! 来年もネギ先生と一緒に居られるかどうか、このテストにかかっているんですのよ!!



 その日の夜。
 なんでか目も当てられない格好で、神楽坂達が帰ってきた。
「……随分と遅いお帰りだな、御揃いで」
「ゲ。衛宮さん…………」
 何て格好してんのさ、と続けられない。と言うか。彼女らはこの格好で図書館島から此処まで来たのだろうか。
「…………切実なお願いなんだけど、いいかな、衛宮さん」
「―――ああ。着替えだな。とりあえず俺の部屋から適当に見繕ってくる。この近くに居る事」
「うん。ありがとう」

 …………明らかにどっかから拾ってきたぼろ布(元はシーツか何か)に三人ずつ包まるその姿、不自然さ怪しさ不可解さLVMAX。例外はネギ君一人。突っ込むのは野暮か、いや、関わると碌な目にあわなそうだし、彼女らも触れて欲しくはあるまい。



 色々と頭痛のタネが撒き散らされた学年末考査も紆余曲折の末に無事終了し、
 結果、2-Aの平均点は81.0点として学年トップ。見事万年最下位の汚名を返上し、ネギ君を正式に来期A組の担当教員として採用へと導いたのだった。

 俺の個人成績? ……まあ、それなりに。



[14013] 喪失懐古 / 五
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2010/03/05 12:12


 どれだけ壊れても、この原風景だけは消えないらしい。

 ―――ノイズ。

 朦朧とした意識で、意味もなく手を伸ばした。
 助けを求めて手を伸ばしたのではない。

 ただ、空が遠いなあ、と。

 最後に、そんな事を思っただけ。

 ―――ノイズ。

 その自分の手を、ぼんやりと見つめながら。

 救ってくれる、ナツカシイヒトの面影を、待っている。


 喪失懐古 / 五


「フォフォフォ。皆にも一応紹介しておこう―――。
 新年度から正式に本校の英語科教員となる、ネギ・スプリングフィールド先生じゃ。
 ネギ先生には4月から『3-A』を担任してもらう予定じゃ」
 おお~、というどよめきと拍手。
 三学期、学年終了式。この場で初めてネギ君は公式に麻帆良学園生に認知され、同時に彼が目指すユメへの第一歩を踏み出した事になる。

「というわけで2-Aの皆さん、3年になってからもよろしくお願いしまーす!!」
「よろしくネギ先生――っ」
「先生こっち向いてこっち――っ」
「ほら見てみて~~っ。学年トップのトロフィー!」
「おお~~~っ、みんなネギ先生のおかげだね―――っ」
「ネギ先生がいれば中間テストもトップ確実だ――っ」
 ノリにノってみんな騒ぐさわぐ。ネギ君の写真撮影に余念の無い朝倉、学年総合クラス平均成績トップの証明トロフィーを掲げる佐々木。それは良いけど、何故そんな結論に走れるんだ明石、そして鳴滝姉。君らの発言には根拠が無いぞ。
「―――そのとおりですわ先生そして皆さん、万年ビリの2-Aがネギ先生を中心に固い団結でまとまったのが期末の勝因! クラス委員長としても鼻が高いですわ。
 今後とも私たちクラス一同よろしくお願いします、ネギ先生」
 ……まあ、実質の功労者である委員長がああ言うのならば異論を挟むのも無粋ではあるけれども。
 何といっても、期末前二日間にかけてクラスの成績を上げるべくカリキュラムを組んだのは委員長と超・葉加瀬の三人、クラスの中心となって纏め上げたのは事実上、委員長一人なのだ。
 図書館島深部に落とされ、そこでネギ君と勉強したというバカレンジャー達の成績向上は驚異的ではあっても、それだけで元万年ビリのクラスが学年総合のクラス平均成績トップは奪えない。ならば、クラス“全員の”成績向上が理由となり、バカレンジャー以外の成績が良くなった最大の功績は間違いなく委員長にあるのである。
 故に。
「は、はい、こちらこそ」
 と答えるネギ君に微妙な視線を投げざるを得ないというか、投げずにはいられないといおうか。……やめよう。不毛な考えだ。
「ハイッ。先生ちょっと意見が!」
「はい、鳴滝さん」
「先生は10歳なのに先生だなんてやっぱり普通じゃないと思います!」
 クラスの空気がざわめく。非常に今さらな意見だが確かにその通りなので誰も否定は出来ない。が、何故今それを持ち出すのか。
「えーと……」
「それで文伽と考えたんですけど―――……今日これから全員で『学年トップおめでとうパーティー』やりませんか!?」
 関係ない。それはネギ君が十歳である事と何も関係ないぞ鳴滝姉妹。この脈絡の無い話の展開はちょっとついて行くのが難しいので出来れば控えて欲しいのだが、
「おーそりゃいいねえ!」
「やろーやろー!!」
「じゃ、ヒマな人寮の芝生に集合ー」
 ごく自然に流れていくのが2-A、いやさ麻帆良クオリティなのか。誰か俺にこの展開についていける技能を授けてくれないものか。
 ほら、長谷川なんて何でか頭を机にぶつけてるし。あれ、俺と同じに展開についていけないからだよな。
「―――ん? どーしたんですか長谷川さん、寒気でも……?」
「…………。いえ、別に……」
 ―――体をプルプル震わせて取り繕っても説得力は皆無だよ、長谷川。素直に鬱憤を晴らしてしまえばいいのに。……いや、やらないよな、やったらそれこそこのクラスの餌食にしか成り得ないから。
「――ちょっとおなかが痛いので帰宅します」
「え……あ、ちょっ……」
 ネギ君の制止を振り切り一人引き上げる長谷川。……珍しい。いかにこのクラスと積極的に関わろうとしない長谷川でも、ここまで明確な離脱行為は初めてではなかろうか。
「ああ、千雨さんですか。いつもああですから放っといていいです、ネギ先生」
「それより寮行ってパーティー始めよネギ君!」
 綾瀬や椎名が声をかけるが、長谷川の去った教室の扉を見続けるネギ君は心此処にあらず。……ここで下手に追いかけると長谷川も余計強硬になってしまうだろうから、綾瀬の言う事は間違ってない、んだが……分からないだろうな。ネギ君には。
「……さて、となると準備が必要だよな」
 振り向くと、丁度委員長と超が俺を手招きしている。
「準備はそのまま調理役、か。具体的にどうする?」
「せっかく寮の近場でやるのですから、そういった事はそちらで済ませてしまえばいいのでは?」
「俺はそれでもいいが、超は?」
「ン、私もそれでOKネ」
「じゃあ、みんな一度寮に帰って、パーティーの準備役と場所を見繕う役で分かれよう」
「あの」
「ん?」
「あら。どうかしましたか、ネギ先生?」
「僕、ちょっと先に行っていいですか?」
「……俺達は構わない。ネギ君の教師としての仕事に融通が効くなら良いんじゃないか」



「……で、そのままどこ行っちゃったんだろうねー」
「私たちより早く来たハズなんだけどなー」
「その内来るだろう。彼は簡単に約束を反故にする子じゃないのだし」
 明石達の疑問を打ち消すが、気になるのは俺も同じだった。
 何をやっているのか、先に寮に来たはずのネギ君は準備が整ってパーティーが始まってしまっても一向に姿を見せないのである。
「ん。大河内、ジュース要るか」
「あ、はい。ありがとうございます」
「……思うんだけどな。大河内、何で俺にはですます調なんだ」
「そう言えばそうだねー。アキラ始めっからずっとアルトにていねい語使うけど。なんで?」
「え、え?」
「委員長や綾瀬はまだ分かる。誰に対してもそうだからな。あれは二人の教育が良いからなんだろう。でも大河内は他の連中には砕けてるだろう? まあ、それを言うと和泉もだが」
「ふぇ!? そ、それは、えっと……ねぇ、アキラ?」
「……うん」
 いや、そこで二人だけ納得されても判らない。

「何ていうか…………年上って言うか、大人? な雰囲気があるから、かな」

「…………それは、俺が老けている、と言う事か」
 軽くショックだ。確か精神とは肉体の影響を受けるのだから、今現在外見的に和泉や佐々木と大差ない俺の精神も少なからず引き摺られている筈なのだが。
「ち、違うよ!? ええとホラ、衛宮さんの口調って男性的って言うかそんな感じだし何か困った事があると大抵助けになってくれるしお料理も上手で羨ましいなーっていうかそうじゃなくって、こう、並べてみると年上っぽいトコが多いから!!」
「そうそう!! 敢えて言うなら老けてるんじゃないからお母さんじゃなくってお兄……じゃない!!! 違う、そう、お姉ちゃんっていうカンジ!?」
「うんうん。でもそうじゃないから自然と、尊敬というかそういう意味で敬語って言うかそんなコトになっちゃうんです! ……ね!」
 周囲に同意を求める二人。話を振られたクラスメイトは、うーん、まあそう言われると確かに、と概ね理解を示しているようだ。
 ……と、いう事は。今の二人の評価は、そのままクラスメイト達の評価でもあるという事か。
「……………………、そうか。納得する」
「納得する、ってコトは今は納得していないんだな、衛宮さん」
「あう…………」
「ん? いや、そういう意味じゃないよ」
 うん。まあ、精神年齢は確かに上なのだし。

 ネギ君が姿を見せたのはその後のコトだった。
 何故かバニーガール姿の長谷川を強引に引っ張ってくるあたり、何を考えているのかちょっと良く分からない。長谷川の抵抗が羞恥心から来る物だと想像すらしないのか。
 後の展開はお決まりである。今までとの違いは、犠牲者が神楽坂ではなく長谷川であるという事だけか。哀れバニーガールはネギ君の毒牙(魔力暴走)にかかり、その衣装(かわ)を剥かれてしまうのであった。いい加減学ばないのかな、彼は…………。



 紆余曲折は経たものの、課せられた試練も無事に乗り越えた子供先生とその生徒達は、終了式の後に束の間の安息、すなわち春休みを迎える。
 その過ごし方は人によって違うが、概ね一時の休息を存分に謳歌する事に終始する。無論例外はいるが。
 その例外の最右翼が衛宮アルトであり。
 今日も今日とて彼女は舞い込む依頼をこなす為に麻帆良学園都市を駆け回っているのだった。
 そんな短い春休みの初め、早朝のコトである。



「ああーっ!! いっけない、寝過ごしたー!!」
 焦燥感満ち溢れる台詞と共に慌しく身支度を整えるのは神楽坂明日菜である。周知の通り彼女は早朝に新聞配達のアルバイトをしており、それは例え春休み中でも休みになる事はない。
「……んー、アスナ朝ごはんは―――」
「ゴメンこのか、帰ってから食べるから! 行ってきまーす!!」
「あ、気をつけてくださいねアスナさーん!!」
 目覚め直後の胡乱な頭でもしっかりと相手を気遣う言葉が出るのは少年の美徳といえるだろう。どたばたと部屋を出て行く同居人の姿を寝ぼけ眼で見送って、欠伸を一つ。
「おかしいなあ。目覚ましの音は聞かんかったと思うんやけど…………」
 もう一人の同居人の声に振り返れば、目覚ましを片手に首を傾げるはんなり少女。手に持つ時計を見ると、秒針が動いていないようだ。
「電池が切れちゃったんでしょうか」
「ほうか。試してみよか」
 いそいそと常備してある電池を取りに行く近衛木乃香を視界の端に着替えを済ませる。最近ようやく抜け出さずに朝を迎えられるようになってきた布団をたたんでロフトから降りる。その先には、件の目覚まし時計を持って困り顔の木乃香。
「違うみたいや。電池変えても動かんから」
「じゃあ、壊れちゃったんでしょうか」
「んー、かもなぁ。コレ、アスナのお気に入りみたいで今まで大切に使ってたのに」
「ええっ!? じゃあ、壊れちゃったら大変じゃないですか!! 何とか直さないと……」
「? ネギ君、コレ直せるん?」
「え、……いえあの、僕はちょっと出来ません」
「ほうかー。じゃあ、アスナ帰って来たら後でアルトん所に行ってみよか」
「え……、衛宮さんですか?」
 なぜ担任の少女の一人、彼女の名が出てくるのか。首をかしげる少年に何も言わず、ほんわか微笑む少女は朝食の準備に取り掛かった。



「別にお気に入りってワケじゃないわよ。単に、長く使ってきたから思い入れはあるってだけで」
「まあええやん。目覚ましは携帯で代用できても、だからいらないってワケでもないんやし」
「それはそうだけどね」
 そんなやり取りをしながら寮の廊下を行く二人について行くネギにある疑問はいまだ解決されず、「ま、行ってみれば分かるわよ」とだけ言われてそのままである。朝の八時。明日菜が新聞配達から帰宅してからすぐでは未だ朝早すぎて、この時間まで待ってから出てきたのだ。
 ―――ピンポーン、と呼び鈴を鳴らして待つ事一分。
「はい、衛宮だが」
 そんな、電話にでも出るような言葉で出迎える部屋の主。パリッとノリの効いたワイシャツにジーンズ。奇妙な取り合わせである。
「オハヨ、衛宮さん」
「アルト、早よ~」
「おはようございます、衛宮さん」
 対する訪問団は三者三様のあいさつを返す。
「……珍しいな。近衛と神楽坂に、ネギ君か」
 実際、珍しい事だ。既に桜咲刹那との関係について相談を持ち込んでいる近衛木乃香はともかく、既に寮内でもブラウニーと名高い衛宮アルトの所に神楽坂明日菜が来る事は今までなかった。
 ネギの方はなおさら、そもそも衛宮アルトが寮内、ひいては麻帆良内でそんな評価を受けていると知らなかったのだから。
「アルト、この目覚ましなんだけどな~」
「ああもう、良いわよこのか。あたしの物なんだからあたしからお願いするのがホントでしょ」
「……素直に驚きだ。神楽坂は物持ちが良いと思ってたんだが」
「実際ええよ? 今回のはまあ、年季が入ってるからやないかな」
「ほう。思い出のある品なのか神楽坂」
「そ、そんなんじゃないってば!! 単に、長く使ってたから何となく愛着が湧いちゃっただけで!」
「それをお気に入りって言うと思うんやけど」
「……同意」
「あ、あの~……?」
 そしてポンポンと交わされる話に置いてきぼりを食らう少年一人。



 取り敢えず玄関(?)で立ち話もなんだ、中に入れ、と促されて入室した三人を待っていたのは、部屋の三分の一を占めるヨクワカラナイモノの山である。
「こ、コレって一体何なんですか衛宮さん?」
「ああ、それは半導体。そっちのは工具入れ。その隣は……不具合のでたミシンだな。下に転がっているのは自転車のライト。奥にあるのは葉加瀬から譲ってもらったセグウェイの電子部品だ。ま、それはいいとして。三人はコーヒーと紅茶、どっちがいい? いや、緑茶も用意はしてあるが」
 あ、どうもおかまいなく。咄嗟にそう返しながらも呆然と不理解の山を見つめる。
 なんだろう、この混沌。部屋の一角、壁際にくの字を書くように集めて整理してあるから“散らかっている”という印象はないのだが、それが逆に意味不明さと違和感に拍車をかけていた。
「あたしコーヒー。でもいいの、すぐ終わる用件よ?」
「ネギ君は紅茶派、うちはお茶がええけど。バラバラやから手伝おか?」
「いいよ、客人を手伝わせるほどの手間じゃない。それに滅多に人が上がらない部屋だから、たまに引っ張り出して使わないとな。腐らせるのはもったいない」
 じゃ、遠慮なく。座り込む二人はあの山は気にならないのだろうか。
「お待たせした。それではモノを見てみよう」
「ハイこれ」
「ほう。かなり古いな……シンプルだが味がある。動かないんだな?」
「うん。昨日は鳴ったんだけど、今朝はもう止まってて、電池入れ替えたりしたんだけど」
「ふむ。無いと朝キツイか?」
「携帯のアラームが使えるから平気、だと思う。多分」
「でもコレ、高畑先生と一緒にいた時から使っててん」
「ちょっと止めてよこのか!!」
「―――ほう。そうか成程。それは大事だ、急いでキチンと直さないとな」
「衛宮さん!! 二人してあたしおちょくって楽しい!?」
「アスナの反応がなー」
「楽しいからおちょくるんじゃないか」
 くそう、覚えてなさいよあんた達!! と拳を握る明日菜と笑う二人。一人疎外感に襲われて黄昏る少年一人。手持ち無沙汰なので小さく「いただきます」と呟き紅茶を啜る。
「! おいしい……」
「む、そうか。ありがとう」
「ネギ君は自分で淹れて飲むくらい紅茶好きなんよ」
「ほう。本場イギリス出身のネギ君に気に入られるなら、俺の腕もまんざらじゃなさそうだ」
「僕なんかよりもずっと上手です。凄いなあ、どこでこんなおいしい淹れ方を覚えたんですか?」
 ――――その問いで、空気が凍った。
 否、正確には明日菜と木乃香の二人が凝固した。
 それも当然。
 それは、いままで三ヶ月、いや、もうすぐ四ヶ月になるか。それだけの付き合いのある二人―――引いてはクラスメイト全員―――が努めて触れないようにして来た話題だ。

 転入初日。皆が興味本位で抉った、衛宮アルトの傷口そのもの。

 それを、
「……ぬ。あまり思い出したくない過去だから黙秘する。アレは俺の精神衛生上非常に良くない」
 真説、苦虫を噛み潰した表情でさらりと流す衛宮アルト。
「はい? えっと、教えられた時厳しかったとか……?」
「ああ。今ちょっと思い出してもぞっとする。いや、厳しかった、って言うレベルじゃないな。アレは指導などではなく、調教だった」
「ちょ、調教…………!?」
「気をつけろネギ君。行き過ぎた拘りは押し付けられた他人を不幸のドン底に突き落とすぞ」
 その台詞があまりにも真に迫っているものだから、ネギも真に受けてコクコクと頷いていた。……ていうか、何で泣いてる。
「さて、それではこの目覚ましは預かろう。別の懸案もあるし、バイトも入っているからな。今日の夜までには結果が出るから、……そうだな。七時頃にそちらにお邪魔しよう」
「うん、ありがとう。じゃあ、お礼は……」
「いや、今回は不要だ。なにしろもう貰っているからな。本質から壊れているのでなければ、必ず直すと約束しよう」
「む。ヤな予感するけど、もうもらったお礼って、なに」
「それはもちろん、神楽坂が未だ高畑との思い出をだな」
「ギャ―――!! それ以上言うなバカブラウニー!!」
「ははははは」



「あの~、さっきのアスナさんのバカブラウニーって」
「ん? ああ、アレな。アルトは学生寮のブラウニーって有名なんよ」
「私は今回が初めてだけどね。パソコンとか携帯とかそういう精密機械が壊れたっていうのは無理だけど、単に埃が溜まったとか、ちょっとした故障ならパパパッて直しちゃうのよ衛宮さんって。それに料理も上手でお裁縫も出来て、っていうか家事に関しちゃ何でも出来る。その上頼まれ事は大抵引き受けてくれるから。で、ついたアダ名が麻帆良ブラウニー。
 結構有名よ? 放課後は大抵部活動の備品修理してたりするし。何気に職員室の給湯器とかコーヒーメーカーも直した事あるハズだし」
「へえー。凄い人なんですねー」
 となると、あのヨクワカラナイモノの山はそういった修理修繕を頼まれた物とか必要な工具とか、そういう物の集まりなんだろう。
 ブラウニー、とは西洋の家事お手伝いを家主に隠れて行う妖精の一種だ。隠れてではなく、依頼されて、という差異こそあるが、衛宮アルトがそう呼ばれるのは確かな理由があるからなのだ。
「アルトは何でも出来るからなー。ウチは手品も見せてもらったえ」
「手品ですか?」
「うん。占い研の部室にあるストーブのボタンの接触が悪くなった時な。こう、両手振るだけで制服の袖口からポンポンドライバーやらスパナやら色々出てくるんよ」
 …………。明日菜と二人、顔を見合わせる。なんともコメントに困る“手品”だった。

 その夜、約束通りに明日菜と木乃香の部屋を訪れた衛宮アルトの手には、
 やはり、約束通りに直された目覚まし時計があったとさ。



 その数日後。
 麻帆良学園本校付属の各部活動用施設を回る三人組の姿があった。
 一人は子供先生、ネギ・スプリングフィールド。
 あとの二人はその生徒、鳴滝風香と鳴滝史伽の双子姉妹である。
「もうー。なんでああいう案内しかしてくれないんですかー」
「しょーがないだろ、女子校なんだからー」
「次は多分大丈夫ですよ、先生」
 ネギは鳴滝姉妹による案内で、2-A生徒が所属している運動系の部活動を回って歩いている最中だった。
 赴任して二月が経とうとしているネギだが、それきりの時間で全体像を把握出来るほど麻帆良は狭くない。なので、改めて本校周りを見よう、と繰り出してきたのだが、その案内役であるはずの明日菜と木乃香は学園長に呼び出されてしまい、その役を通りがかりの“さんぽ部”に所属する鳴滝姉妹が請け負ったのだ。
 が、この二人、案内する先のチョイスが少々問題だった。
 最初の中等部専用総合体育館はまだいい。が、そこで女子更衣室に誘うのは十歳のネギをしてどうかと思う案内だし、その後は室内プールで水着姿の女の子に囲まれ、さらに次のチアリーディング部の練習場所に行けばクラスメイトの柿崎、釘宮、椎名にからかわれる。ネギが怒るのも無理はなかった。
 ……なので、今度はそれほど“刺激”の少ない場所を案内しようと提案されたのである。
「……ホントに大丈夫ですかー?」
 ここまでさんざんからかわれたネギは警戒心丸出しである。
「ホントに大丈夫だってば! まあ、会えるかどうかは分からないけど」
「ちょくちょく顔は出すけど絶対じゃないらしいですからー」
「はあ……?」
 何を言っているのかネギにはさっぱり分からない。
 最近、こんな場面がなかったか、と記憶をひっくり返すネギが連れて来られたのは、高校や大学と一括されて活動する弓道部の活動場所、弓道場だった。

「お。ナルタキ姉妹じゃないか。今日は衛宮、一緒じゃないのか」
 弓道場に近付く三人を目ざとく発見したのは、成熟した女性の体躯を持つ部の纏め役だった。白木綿着に胸当て、袴を履いた姿は確かに今まで回ったクラブとは異なっている。
「こんにちは、主将さん」
「あれ、じゃあやっぱりエミヤン来てないの?」
「ああ。春休みになってからこっち、さっぱり顔を出さないよ」
「……あれ? 衛宮って、衛宮アルトさんのコトですか?」
「? そっちの子は」
「私たちの担任のネギ先生ですー」
「子供先生って、聞いた事ない?」
「あー、そうかこの子が例の! あんた達と衛宮の担任ってこの子かあ!!」
「???」
 ……事情を飲み込めない子供先生の為に、取り敢えず自己紹介から始まった。
 弓道部主将は高階という大学の3年生と名乗った。
「衛宮さん、弓道部なんですか?」
 しずな先生からもらった名簿にはそうは書いてなかった筈だけど、と思い出しながら訊いてみると、
「うんにゃ。アイツは確か部活には所属してなかったと思うけど」
「してないよね」
「ねー」
 と三人から否定された。
「でも、さっきは衛宮さんが来てないかって……」
「うん。アイツくらい射の上手いヤツはウチの連中にもいないからさ。たまーにふらっと来ては思い出すように射って行くから、来ないのかなーって待ってるんだよ」
「上手いんだよー。エミヤンの部活巡りは皆で行ったり来たりしたんだけどさ、ここでは伝説を作ったんだからー!!」
「ホントに凄いんです。射る矢射る矢ぜーんぶ的の中心から外れないんですから!」
 今度は手放しの賞賛である。アイツくらい射の上手いヤツはいない。伝説を作った。的から外れない。
「そんなに凄いのに、弓道部には入ってないんですか」
「……、そうだね。アイツにはアイツなりの考えがあるんだろうからな」



 その後、160もある文化部の紹介は控えておやつにする事になった。
 学園校舎近くの食堂棟に入った三人を出迎えたのは、
「……これはまた、珍しい取り合わせだな」
 丁度アルバイトの最中だった、ついさっき弓道場で話題に上った衛宮アルトだった。ウェイトレスとしてフロアに立っていたアルトは、店の制服なのであろうメイド服を着ている。
「あれ、アルトだ。バイト中ー?」
「こんにちはですー」
「こ、こんにちは」
「――いらっしゃいませ。三名様ですね?」
 顔見知り、ましてクラスメイトである為に自然と普段通りの接し方になる鳴滝姉妹。
 対するアルトは、型通りの接客対応をしながらも小さく頷く事で鳴滝風香の問いに答えた。
「そ、三人。ねーアルト、今日のオススメなにー?」
「お、お姉ちゃん。そういうの、席についてから訊く事だよー」
「席にご案内しますので、少々お待ちください」
 台詞だけでは突き放すような印象を受けるが、苦笑しつつも片手を伏せて“落ち着け”とジェスチャーし、かつさり気なく、素早く店内を見渡し空席を探し出す。
「では、こちらにどうぞ。――今月はマンゴープリンココパルフェが新作で出ていまして……」
 笑顔を保って席に誘導していく衛宮アルト。その姿が、ネギには新鮮に映る。
 今まで、彼女の笑顔というものを見た事がないからだ。
「……えっと。全くない訳じゃないと思うけど」
 確か、数回くらいは見たはずだ。でもそれは、もっとナナメに構えたというか、違う感じの―――
「ネギ先生、何してるのー?」
「置いてかれちゃいますよー」
 鳴滝姉妹の声で我に帰る。客やウェイトレスが忙しく行きかう店内で、自分を待つ三人の姿。
「あ、す、すみません――!」
 慌てて走り出そうとして、
「―――お客様、他の皆様のご迷惑になりますので、駆け足はご遠慮ください」
「――あ、ハイ、ごめんなさい……」
 アルトの注意によって、大きく踏み出した足の速さをセーブする事になった。



「んぇ? アルトが弓道部に入らないワケ?」
 浮かんだ疑問は積極的に訊く事が出来るのがネギの美点、長所と言える所だ。
 この時も彼は、その疑問をすぐに目前の鳴滝姉妹に向けた。
「う~ん。アルトが入ろうと思わないからじゃないの? 放課後あちこちに動いてるけど」
「聞いた事あります。衛宮さんは部活の備品とか、直して回ってるって。でも衛宮さんもやりたい事があるハズなのに」
「それは違うよー。アルト、やりたくなかったり無理だったりしたらはっきり断るもん。それを引き受けてるのはアルトがやってもいいと思うから、やりたいって思うからじゃないのー?」
「ですよ。最初は部活よりアルバイトがしたいって言ってた位だし、善意っていうより趣味の一環だって言ってましたよー」
「何でですか? あの弓道部の主将さん、えっと、タカシナ? さんなんて、衛宮さん以上に上手い人はいないって言ってましたし」
「さあ? アルトに直接訊いてみたら?」
「だ、ダメですよう。衛宮さん今働いてるんですからー」
「別に今じゃなくてもいいじゃん。結局夜は寮に帰ってるんだからさー」
「――お待たせしました。デラックスデコレートバナナパフェお二つです」
「わ! アリガトアルトー!!」
「うわー! すごーい!」
「ご注文は以上でよろしいですか」
「あ、そーだアルト、アルトの新作はないのー?」
「――――……これ以上食べるというのか、鳴滝姉」
 既に四種のスイーツを平らげて、今運んできたパフェで五種類目である。アルトも少々呆れ顔。声こそ潜めたが、訊かずにはいられなかったのだろう。
「だってアルトの考えるメニューもおいしいしー」
「しー」
 同調して対抗する姉妹。……小さく首を振った衛宮アルトは、黙って広げられたままにされていたメニューの一角を指し示した。
「……ブルーベリーのティラミス。じゃ、コレ一つ!」
「二つ!」
「……畏まりました。少々お待ちください」
 呆れ顔を引っ込めて粛々と注文を取り去っていくウェイトレスの鏡。
「……お店の新しいメニューまで作るんだ…………」
 何気に垣間見える衛宮アルトの多才っぷりに驚く少年がここに一人。



「俺の射が見たい?」
 と、ネギ君がアルトに突撃したのはその日の夜。
 何の作業をしていたのか。今度はツナギ姿で顔を出したアルトに向かって開口一番に自分の要求を突きつけたのだ。
「何故にまた唐突な」
「えっと、今日風香さんと史伽さんに運動部を案内してもらったんですけど、弓道部で衛宮さんの射がとても上手だって聞いたので……」
「ああ成程。だから食堂棟にも鳴滝姉妹と一緒に来たのか」
「はい。……えっと、いいでしょうか」
「見るだけなら別に構わないけど。確かに最近近寄ってないしな。明後日は大丈夫?」
「あ、はい。僕も明日はいいんちょさんのおうちに行かないといけないので……」
「……ツッコミ所だけど別にいいか。じゃあ、明後日の昼一時。高階部長には俺から話を通しておこう。それでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
「ん。じゃあ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」



「ところでネギ君。君は弓道のルールって知ってるのか?」
「えっと、分かりません……」
 そうだった。射を見せてくれと頼んだのは自分なのだから、せめてそれなりの予習はしておくべきだった、と早々に後悔する子供先生。
 翌々日の昼、約束の時間まであと三十分。それだけの余裕がありながら二人は既に弓道場に来ていた。
 折角来るのだからついでに備品の方も見てよ、と高階主将に依頼され、その為に早く来たのが衛宮アルト。
 一方、約束の時間まで待ちきれずに勇んで飛んできたのがネギ・スプリングフィールドである。
「では、まずはそっちから説明しようか。
 ―――弓道っていうのは、日本発祥の武道の中で……いや、恐らく世界中から見ても、唯一“相手のいない”武道だ。ここでは近的競技として、この射場から二十八メートル先にある、直径三十六センチメートルの的を狙って矢を放つ。
 和弓を用いて矢を射て、的に中てる。その一連の所作を通して心身の鍛錬をするのが目的だ。
 矢の射ち方には決まりがある。射法八節、と呼ばれる、動作を八つに分けたアクション、弓矢を持って射を行う場合の“射術の法則”を忠実に守って射る事が求められる。
 一に下半身の構え、足踏み。
 二に上半身の構え、胴造り。
 三に弓矢の持ち方、弓構え。
 四に弓を持ち上げ、打起し。
 五に弦を引き絞る、引分け。
 六、構えの完成形、会。
 七に矢を放ち射る、離れ。
 最後に八、射の姿勢を元に戻す、残心。
 正射必中、という言葉があるが、コレが弓道において求められる境地の一つだ。
 的に当てる事を求めるのではなく、誠心誠意を尽くして発せられる矢が結果として的に中たる事を求める。その競技精神から、自然と的に当てる事よりも射る時の八節の型の方が重視されるようになったんだ。実際、大会の採点方法次第では的の的中率よりも型の正確性の方が重要視される。
 以上。ここまで何か質問は?」
「えっと、アーチェリーとどう違うんですか?」
「む。そう大した違いは、はっきり言ってない。一番の違いは道具だな。アーチェリーは基本、スタビライザーや照準器を使えるが、弓道はそれらを一切使わない事くらいか。技術面やルールで細かな違いはあるが、道具以外は似たような物だと思って良い」
 へえぇ、と感心しているらしい声をあげるネギ。
 対するアルトは既に弓道の稽古着に着替えており、胸当て、弓懸け(弦を引く右手に着用するグローブ)も付けて準備万端である。ちなみに道具は全て借り物。稽古着は部室に仕舞われていたお古(但し時折アルトが使用するので高階主将が空きロッカーに置いている)だし、弓懸けも主将お古。しかし鹿の皮を使った本格使用の一品。弓なんぞは竹と木を張り合わせる一級の竹弓である。何気にアルトが信用されている事が伺える。もっとも、アルト自身は恐縮しきりなのだが。
「じゃあ一度説明しながら射とう」
「はい。お願いします」



 ――――射法八節。

 足踏み、

    的に向かい、両足を踏み開く。

       的中への軌道を鑑定し、

 胴造り、

    上体を安静に置く。

       必中の意思を昇華する。

 弓構え、

    矢を番え、弓の握りを確かに。

       正射の工程を複製し、

 打起し、

    弓矢を上に持ち上げ。

       修練の精神に共感し、

 引分け、

    弓を押し弦を引き、左右に開きつつ引き下ろす。

       至誠の想念を再現し、

 会。

    全動作の静止、我が専心は必中の事象にのみ向けられる。

       あらゆる幻想を自身で複製。

 離れ、

    解放。定められた目的(原因)は定められた過程を経て、

       全ての工程が想定を凌駕するならば、

 ――――残心。

    結果は見る間でもなく、当然の帰結へ至る。

       この射は、必中の事象を現す――――



 そう、結果など見る間でもない。衛宮アルトの射とはそういうモノだ。
 己の自意識のみならず、周囲の者達にすら伝播する精神統一。
 本来は聞こえるであろう、大気を切り裂く鋭い擦過音すら意識できず。
 彼らの意識を覚ますのは、的中を告げる衝突音。

「…………」

 呑まれてしまった者は動けない。
 それが、初見の者であればなおさらである。
 射場の支配者はそんな周囲など気にも留めない。今この瞬間、衛宮アルトにとって有象無象は瑣末であり、意識するまでも無い雑事に過ぎない。
 この場に立ったのなら、彼の射手の存在意義は只一つ。
 故に。その存在を証明する為に、射手は次の矢を握る。



「……ん、――――君、―――ギ君、おーい、ネギ君?」
「……はい? え、あ。あれ?」
 気がつけば、目前にいる衛宮アルトに左肩を揺さぶられていた。
「あれ、えっと、僕……」
「射ち終えてみれば呆然として。ちゃんと見てたか?」
 見ていた? 慌てて弓道場の奥、衛宮アルトの狙っていた的を見やる。―――間違いない。二重に描かれた黒い丸の中に、合計八本の矢が寄り添うように突き立っている。記憶を探れば、確かにアルトが射を行う様子が思い出せる。の、だが―――どうにも現実感がない。まるで夢うつつに漂っていたような感覚である。
「あっと、見てました。見てましたけど、ちょっと現実感が無くて」
「分かる。分かるよネギ君。安心しなさい。初めて衛宮の射を見るヤツぁ大抵そうなるから」
「……ちょっと待て高階主将。それは、俺の射が何かアブナイモノみたいじゃないか」
「そうは言わないけどね。何かこう、引き込まれるって言うか引き摺られるって言うか。アンタ本気で異世界作り上げるからねー」
「…………」
 幸か不幸か。ネギはその与えられた衝撃を理解できてはいなかった。
 ただ。
 ただ何となく、“凄い”コトだけは痛感出来た。
「―――凄いです。もうホント凄いんですね衛宮さん!! なんて言っていいのか分かりませんけどとにかくとっても凄かったです!!」
「!? ええー、あーっと。…………ありが、とう?」
 いきなり猛然と褒めちぎってくるネギに驚愕するアルト。クツクツと肩を震わせる高階主将。
 そして、

「こんなに凄いのに、何で弓道部に入らないんですか!?」

 その二人を凍結させる言葉を、吐いてしまうネギ。

「――――俺の弓道は邪弓だからな。見据えているモノ、踏む工程が別モノではそれは弓道とは呼ばない。だから入らない。それだけだよ」
 身を離して、道具の片付けに取り掛かる。ネギに背を向けた姿は明確に拒絶の空気を放つが、その理由が少年には判らない。
 あちゃあ、と手で顔を覆う女子大生。
「ジャキュウ、ですか? そんな、あんなにキレイな射じゃないですか!!」
 そう。キレイなのだ。彼女の射は。その直前と寸分違わず同じ動き、同じ流れ、同じ時間経過。精密機械ともいえるその所作は、しかし驚嘆すら通り越して畏怖を与えるレベルといえる。

 ―――キレイなモノには魔が宿る。ならば、その射は―――

「だからこそ、だよ。俺の射には、真っ当な弓道を名乗れる要素は存在しない」
 アルトの言葉は、ネギには理解不能な単語の羅列だ。……いや、あるいは。
「? ……勿体無いですよ。こんなに上手なら、それこそ大きな大会に出ても絶対勝てる位なんでしょう?」
 子供特有の思い込みの強さが、彼の思うカタチにする為に―――
「―――ん~……。まあ、確かに大会に出れば敵無しだろうけど」
 煮え切らない態度で、それでも肯定はしてみせる高階主将。その言葉に力を得て、「なら!」とさらに言い募って、

「――――煩いぞ餓鬼が。お前は、何様の心算で俺に口を出すんだ」

 ……混じり気のない敵意と憎悪で、否応なく蓋をさせられた。
「――――あ……」
 ぞくん、と全身が竦む。
 喉奥から吐き気がこみ上げる。
 何か、
 トテモヨクナイモノが、きちきちと音を立てて―――

「ストーップ衛宮。相手はまだ子供だよ?」

 第三者に遮られた。
 気がつけば、自分が痛くなるほどの力で杖を握り締めている。
 いつも着ているスーツの内側、ワイシャツがじっとりと汗で濡れて不快だ。
 さして運動をしていないはずなのに、呼吸が浅くて苦しい。
 それでも。
「……こ、子供じゃありません。僕は衛宮さんの担任の先生です!」
 そうだ。この一点は譲れない。
 先生として頑張る。
 これは、立派な魔法使いになる為に、必ず通らなくてはいけない場所なのだから。
 ―――だが、それは。

「……黙れ。たかが十年も生きていない未熟者が、俺の価値観(みち)に口を出すな」

 衛宮アルトに比べれば、あまりに浅く薄い虚飾に過ぎない。



 そうして。衛宮アルトは立ち去った。
 更衣室に入る前から稽古着を引き千切るような乱暴さで脱ぎ散らかさんばかりの勢いは、つまり、それだけ腹に据えかねるモノがあったのだろう。
 前述のとおり、この弓道場でアルトが使用する道具、着衣は全て借り物。だからこそ、今まであんなに乱暴な取り扱いをした事は一度もない。
 溜息をついて振り返る。
 精一杯の虚勢すら加減なく打ち砕かれた少年は、呆然と俯いたまま動かない。
 ―――あれ、私ってば今思いっきり損な役?
 ……まあ、これくらいの愚痴は許されてもいいはずだ。
 もう一度だけ溜息をついて、この場で(外見的には)一番成熟した大人として、取り残された少年に語りかける。
「……何で衛宮にあんなコト言っちゃったの? いくら先生相手でもさ、誰だって譲れないものはあるんだよ」
「…………でも……だって……衛宮さん、凄く上手だって…………だから……もったいない……って」
 ああもう。とんだ貧乏くじだよ覚えてろ馬鹿衛宮。
 コレは少年も重症だ。涙こそ流れていないが、初めて真正面から自分を全否定されたのだ。そりゃあ何かがポッキリ折れちゃっても仕方ないってモノである。
 …………まあ。そこに自分から突貫かました辺り、もう少し年齢が上ならフォローの余地なく自業自得で済ませるのだが。
「それはキミの価値観。衛宮は衛宮の価値観を持っていて、その価値観で弓道部には入らないって決めたんだ。それを覆せって言うなら、それは衛宮の価値観、衛宮自身を否定する事なんだから、そりゃあ怒るってもんだよ」
「…………。わかりません。おかしいですよ。なんでみんなが凄いって認めるものを、衛宮さんは認めないんですか」
「それは、アレだ。弓道のコトを知らない人と知ってる人の差かも知れないな」
 少年が顔を上げる。
「衛宮の射はさ、異常なんだよ。多分、スタート地点が私達と違うんだ。
 私達は雑多な雑念をはらって唯一つに集中する境地を目指す。今この瞬間の、あれやこれやと色んな横道に逸れ易い思考を、たった一つの、矢を射る、ってコトだけに集中させる。でもそれが成功したかどうかは、的への的中と型の正確性でしか判らない。
 衛宮は違う。多分、アイツは始めっからその場所に立っている。私達が一生懸命這い上がる先に最初からいて、その場所に立っている事を再確認する為だけに弓を握る。
 ……でも、だからこそアイツの射は“弓道”じゃないんだよ。その到達点へ至る為の道こそが“弓道”なら、アイツはとっくにその道を踏破してる。いや、実際にそこを歩んだかどうかも判らない。
 ―――ここまで言えば分かるでしょ、私達と衛宮の違い。憶測の積み重ねだけどさ、だから衛宮は弓道部に入らないんだよ。“弓道”をやっていない、って意味で邪弓って呼ぶんだろうしね。……衛宮にとって弓道っていうのは特別だから」

 特別だから、そうではない自分が入るべきではないと考えたのだ。

「――――――――」
 故に、少年が口を出せる類の話ではない。
 それは、少年の原初に類似する事柄だ。

 少年が魔法界の英雄に憧れるように。
 少女は、弓道に一種の信仰を懐いているのだ。



 一方その頃。
「――――自己嫌悪だ。
     子供相手に何を熱くなっている、未熟者め」
 呟きながら、自分の額を拳で殴りつけるネガティブスパイラルが発生していた。



 その日。
 少年は、自らの迂愚と矮小さを思い知る。



[14013] 喪失懐古 / 六
Name: 大和守◆4fd55422 ID:fb470a4e
Date: 2010/03/26 11:14

 ――――その結末が、悲しかった。
       その痛みが、悲しかった。
       その頑なさが、哀しかった。

       その強さが、いとおしかった。


 喪失懐古 / 六


『はいなー、珍しいなアルト。何か用なん?』
「……ああ。ちょっと頼みたい事が出来た」
『…………びっくりや。アルトが頼られてるのはいつも見てるけど、アルトが頼るのなんて初めてやないの?』
「―――。そうだな。麻帆良では初めてになると思う」
『んふふ。コレは名誉なコトなんかな~』
「名誉、とは違うと思うぞ。……それに、正直心苦しいんだ。桜咲との事では何も力になれてないのに頼ろうとしているんだから」
『そんなの関係あらへん。アルトは十分ウチの助けになってくれてるし、アルトに頼られるのは嬉しいってのはウチの正直な気持ちなんやから』
「…………。ありがとう、近衛」
『ん。で、ウチにどうして欲しいん?』
「―――ネギ君を頼む。ちょっと衝突してしまってな、言った事を撤回する気はないが、言い方が自分でもどうかと思うくらいキツかった。多分落ち込んで帰るだろうから、何とかフォローを頼む」
『―――? ネギ君、アルトに何かしたん?』
「……ちょっと触れて欲しくない所に踏み込まれた。言い訳だが、感情的になって自制が効かなかったんだ」
『ふうん。じゃ、ウチらはあまり踏み込まずに元気付ければいいんかな』
「ああ。神楽坂にも言っておいてくれるとありがたい。――悪いな、迷惑かけて」
『それはもうええよ、アルト』



 その翌々日。
 新年度、新学期。
 その初日を、こんな憂鬱な気分で迎える事になるとは思わなかった。
「いや、まあ。自業自得なんだけどな」
 原因は春休み中の弓道場での一件である。
 アレ以来、ネギ君と顔を合わせていないのだ。

 ……顔を合わせ辛い、と言うのもあるのだが、新学期前日であった昨日は何やら寮内が騒がしかった。例によって騒動の中心はネギ君達であったらしい。
 らしい、というのは、自室に籠もって持ち込まれたミシンや蛍光灯の修繕に躍起になっていた俺は寮(騒動)から逃走したネギ君と関わる事はなく、その顛末を知らないからだ。

「……おーい、アルト、大丈夫? 顔色悪いよー」
「―――む。ちょっとだるいだけだ。熱もないし咳きもないから、風邪ではないと思うんだが……」
 早乙女の心遣いに返事をするが、目線をそちらに移すだけで体勢はあまり変えない。
 それが俺が無理をしている事になるのか、ザジも早乙女も綾瀬も、ついでに一つ向こうの龍宮まで振り向いてこちらを観察してくる。
「…………、なんでさ」
 そこまで信用無いのか俺は。
「無いね。少なくとも自分を大切にしないって点ではクラスの共通見解よ、あんた」
「む…………」
 断言されると立つ瀬が無い。ついでに反論の余地もなさそうなので視線を逸らすにとどめる。ついでに敗北感に打ちのめされる。

 新年度となり、学年が上がってもこの教室は以前と変わらぬ喧騒に包まれていた。
 理由は簡単。
 クラス替えも無ければ、席替えも無い。そもそも教室の位置すら変わらず、廊下に下げられている表札が「二年A組」から「三年A組」に変えられただけなのだから。
 当然、クラスメイトは以前と変わらぬ顔ぶれであり、気心の知れた連中に遠慮呵責もあったもんじゃねえのである。
 ソレを象徴するのが、朝礼前に行われた以下のやり取り。

『三年!』
『A組!!』
『『『ネギ先生―――っ!!!』』』

 …………いや、テンション極まったこのクラスならやるだろうとは思ったけどさ。

 溜息が自然と洩れて、視線は逸らしたままに窓の外を捉えた。
 快晴である。
 清々しいほどに快晴である。
 いっそ天晴れな程に快晴なのである。
「――――ふう」
 そしてこのクラス内で場違いにテンションの低い俺一人。うう、なんなんだこの倦怠感……。
「ほら衛宮、君がそんなだとネギ先生も不安そうだぞ。せめてあちらを向いて手ぐらいは振ってやったらどうだい」
 不意の言葉は龍宮か。ぼんやりと視線を教壇に移すと、確かにこちらを見るネギ君の姿。どこと無し不安そうなのは、彼も数日前の事が引っかかっているのだろう。
 取りあえず笑顔を取り繕ってひらひらと手を振ってやる。とたんにぱあっ、と表情を明るくして見せる子供先生。うん、純真なのは良い事だ。
 が。
 真に残念なのだが、こちらにはそれに追随していける余裕は無い。
「……真剣にどうしたの? いままでこっち、そんなに体調悪そうなあんたって見た事無いんだけど」
「―――そう聞かれても、俺自身本当に心当たりが無いんだ。理由の判らない体調不良がここまで応えるとは流石に思わなかった」
 いかにネギ君の背が低いとは言え、あちらは直立、しかも段差の上に立って。対して、こっちは着席している状態。自然、ネギ君はただ見渡すだけでこちらの様子を窺う事が出来る。なので取り繕った笑顔を早々に引っ込める事も出来ずに、しかし体のだるさはいかんともし難いのでそのまま頬杖をついて体勢維持。
 ……まあネギ君自身は俺と反対側の席に気を取られてそれ以上こっちを向かなかったが。
「ふうん……」
 不思議そうな顔で、それでも早乙女の追求も止んでくれた。
 しかし、
「ネギ先生。今日は身体測定ですよ、3-Aのみんなもすぐ準備して下さいね」
 ―――億劫な時間は平穏に過ぎ去ってはくれないらしい。
「あ、そうでした。ここでですか!? わかりました、しずな先生―――で、では皆さん身体測定ですので……えと、あのっ、今すぐ脱いで準備して下さい」
 ――――――――一瞬の静寂。教室内の喧騒が一気に消失する様は魔法のようだ。
 だがその実態は悪質だ。笑っている、絶対に笑っているぞこの連中。
「「「ネギ先生のエッチ~~~っ!!」」」
「うわ――――ん」
 まちがえましたー、と教室を飛び出していく子供先生。
 …………その様子をぼんやりと見送りながら、のっそりと腰を上げた。



 さて、身体測定である。
 通常の学校ならばクラス別、さらに男女に分かれて、身長は何処、体重はそこ、座高はあちら、視力はどちらと盥回しにされるものだと思うのだが、この麻帆良はいささか異なる。何しろ中等部ニ年に限定しても生徒数738名。女子高である為男女別途に動く必要こそ無いが、一箇所の測定場に下着の女生徒が長蛇の列を作る光景は想像するだにシュールすぎる。
 ……なので、教室ごとに測定器を持ち込み、クラス別でそれぞれに測定する方法を取っている。一学年二十数クラス、それが三学年分。一種類合計七十台近くの測定器が必要な計算になり、何でそんな話をするのかと問われればその測定器の不具合点検を頼まれた時の俺の眩暈を誰か想像してくれ。
「ふんふん、エミヤン157てん~……2!」
「む」
 頭に当てられた測定棒が離れるのを待って台から降り、手元の記録用紙に今言われた数値を書き入れる。
「でさあエミヤン」
「うん?」

「ついでにもっと詳しい測定もやっておかない?」

 問答無用に拳骨をくれておいた。
「ったー!! ちょっとしたジョークじゃない、冗談通じないなあエミヤン!!」
「却下だエロパパラッチ。少しでも違う反応見せてたら問答無用で襲ってきただろう、お前は」
「む。私は襲わないよー? 私は……」
 ―――う。何気なしに笑顔が暗い。ついでにドロドロとした負のオーラが立ち上ってそうで……って何気に他の連中に伝播していないか!?
「――――――――」
「……………………」
「――――――――えっと、拒否権なし?」
「…………とっつげきー!!」
「ヤメロォォ―――――!!!!」

「……どうだたアルか?」
「んー。残念だね古菲、ヤツぁあんたをとっくに凌駕していたようだ……」
「!!! な、なんと…………」
「ぐ、具体的には!?」
「ふむ。例えばくぎみーにはちょっと敵わないかも」
「くぎみー言うな! ってか具体的過ぎ!! 全然例えてないよ!? や、それより何で私のサイズ分かるのアンター!?」
「それでいてウエストやヒップは引き締まっていて無駄が無い……。きゃつめ、この数ヶ月で大分身体に磨きをかけたな」
「ぐぬぬぅ。身長では敵わぬながらもくぎみーに近い体型か……このクラスで中堅を保てるとはかなり出来ると視た」
「…………上位陣が上位陣だからね」
「――――好き勝手言ってくれるな貴様ら」
 この沸々と湧き上がる怒りの衝動をどうしてくれようどうしてくれよう。さっきまでは思考の方向が変にならないように視界に入れないようにしていた彼女らの姿を見ても全く動揺しない位にはいい感じにテンパっているがソレこそ気にもならないぞ。人の身体を散々触って撫で回して揉みしだいておきながら漏らす感想が不平不満とはどういう事だその手をいい加減止めろと言うのだこの、
「明石ぃぃ―――ッ!!」
「うひゃあぁ、アルトー!??」
「うわ!? エミヤンがキレたー!!」
「逃がすか鳴滝姉、椎名も柿崎もそこで止まれ! よくもまあ人を思う存分玩具にしていたぶってくれたなこの餓鬼共―――!!」
「ちょ、タンマ、これ以上は洒落にならないよエミヤンってか、うひゃ、許してー!!」

「……誰か止めてあげないの、カオスすぎるわよアレ」
「諦めろ神楽坂。普段大人しいからといって御しやすい相手とは限らない、典型的な見本だ。もう関わればいらぬ誤解を生むぞ、自業自得なのだし放っておけ」
「流石は衛宮アルト。彼女らを相手にあの状況からこうまで逆転させるカ。いや、負い目があれどああまでされるがままになる古も珍しいネ」
 そして以前から仲の良い級友と最近になってよくお世話になる友達を何とか止められないかと右往左往する良い子が数名。



「…………散々な目にあった」
 只でさえ体調不良な上にあのクラスメイト達相手に大立ち回りを演じたツケが回った。
 ぐったりと身体を預ける女子トイレの中。女子校なのだから男性用のソレは基本来客・職員用なのだから当然だが。
 何か大事なモノを犠牲にして余計な事を目一杯かました気がするが良く覚えていない。身体測定の最中から記憶が曖昧で、ついでに明確にしてはいけないような予感が背筋を這い登って来て吐き気に変わる。うう、俺が一体何をしたっていうんだ…………。
「うぷ…………」
 ……おかしい。ここまで体調が悪いのははっきり言って初めてだ。
 思わず口元を押さえて下を向く。目前には便器。ああ、初めて用を足した時も、何か捨ててはいけないものを捨てた気になったっけな――――
「――――ん?」
 見慣れないものが視界に入る。
 ソレは、自分の足に付いていた。いや、正確には伝っていた。
 太ももから中膝を経由してふくらはぎへ。ああ、このままだとソックスまで伝って付着してしまう。ソックスの色は白だから大層目立ってしまうだろう。いけないいけない、この赤は服に付着すると落ちない。経験者は知っている、生半可な洗濯では中々落ちてくれない。なので付着させない事が大前提、カラカラとトイレットペーパーを引き千切って拭い取る。
 ――――そう。赤。出所は太ももから更に上、つまり足の付け根――――

 その、意味するところは。

 ・
 ・
 ・

「………………………………なんでさ」



 唐突だが、衛宮アルトは感情の自己制御能力が優れている。
 そう言うにはいささか問題のある行動が最近目立っていたが、それは制御しようという意識があまり無かったからであって、衛宮アルトがその気になればいつでも感情を沈めて冷静な行動が取れる。
 それは、衛宮アルトの側面――魔術使いである事に起因する。
 魔術行使の際、魔術使いは自身を「神秘を実行する者」ではなく『神秘を実行する機構』と認識する。
 魔術という現象を現す為のシステム。そのシステムに感情は不要だ。
 加えて、魔術というのは自己暗示である。
 自分自身を律するキーワードを一声呟くだけで、衛宮アルトは万難を排する魔術使いへと“切り替わる”事が出来る。

 ……なので、つまり、何が言いたいのかと問われれば、

「……? もしもし、衛宮?」
『高畑、あー、すまない、本来ならば頼るべきではないと分かってはいるんだがお前しか頼れない。この場合、どうしたらいいんだろうな』
「ちょっと待って衛宮、話が全く見えてこないんだけど何があったんだい」
『あ? いや、切羽詰った話じゃないんだ。いや個人的には目一杯切羽詰ってるんだがあくまでそれは個人的な事であって誰かに迷惑がかかるとか危険が迫ってるとかそういう話じゃなくてだな、いやこの電話をかけている時点でお前には迷惑をかけている事になってしまう訳なんだがつまり、ああいやそういう話じゃなくて』
「待て待て、衛宮、訳が分からない。……OK、ちょっと落ち着こうか衛宮。取りあえず深呼吸をしてみよう。―――やった? 落ち着いたかい? 良し。じゃあ僕が一つずつ質問をするから、それに正確に答えるんだ。いいね?
 まず第一に、君は今何処にいるんだ。―――女子トイレ? ……、まあいい。それは判った。じゃあ次に、今君に命に関わる危険は無いんだね? ―――うん、そうか。それならいいんだ。じゃあ純粋に困った事があって僕を頼りたいだけなんだね? いやいいよ、一応僕は君の担当だからね。大抵の事は一人でこなしてしまう君に頼られるというのも貴重な経験だと思えるんだし。ははは、いやいやそんなコトは無いさ。
 ――――じゃあ、その困った事ってなんなのかな?」

 こんな風に、動揺を晒す衛宮アルトというのは、

『高畑――――――――

               生理って、どうすればいいんだ』

 とっても珍しいコトなんだぞ、っていう――――

「……………………それ、僕に何とかしてくれって?」



 結果。
 しずな先生にオンナノコとしての基本をレクチャーしてもらい、相応の対処法を教授賜り、有り難くも大事を取って保健室で静養するように指示された。
 経過? 訊くな。今日一日で俺がどれだけ磨耗したと思っている。
「今日の晩御飯は御赤飯じゃのう?」
 そして誰か俺の傍らでバルタン笑いをする枯れ木を撤去してくれ。焼却処分でも一向に構わないから。
「学園長、あまりからかうのは止めた方が……。衛宮は、ホラ。―――なあ?」
「―――ああ、ありがとう高畑。この場で俺の味方はお前だけだ」
 三人しかいないけど。
「ふむ。まあそれはそれとして――――しかし、驚いたのう。まさか月のモノとは。少々厄介なコトになるのではないかの?」
「学園長―――」
 老人の言葉に疲れた顔を見せる高畑。だが、しかし―――
「いやタカミチ、これはいたって真剣な話じゃ。詳しい話は割合するとして、衛宮の人体は確かに女性のものでも、ソレを統括する脳、命令を伝達する神経はオリジナル―――男性のもの。故に本来、男性としての身体機能しか統括されない。にも関わらず女性としての機能が働く事など在り得ない」
「そうだな。そしてそうなると確かに厄介な事になる。俺の持つ“記録”、魔術回路、そして各自の状態。それらを統括するのは自身を『衛宮』と認識しているだけの別人なのか、それとも―――俺の脳に、何らかの“手が加えられている”のか、可能性としては」
「…………、な」
 俺の発言に息をのむ高畑。まあ、只でさえ俺の扱われ方が酷かった上にそういう作為までされていたと考えればスプラッタも此処に極まった感じだが、

「まあ、それはこの『器』が“れっきとした人体である場合”なのだが」

「「は?」」
 おお、息が合っているな麻帆良ツートップ。

「そんなに不思議な顔をするな。確かに確証は無いが、そういった手が加えられた可能性は恐らく低い。理由は幾つかあるが、まず俺は間違い無く『衛宮』だ。これは俺自身の魔術と関係があるからお前達にも明言は出来ないが、確かに言えるのはこの魔術回路は常人の手には負えないモノだ。そしてソレを過不足無く統括出来ているのだからな。
 それにこの『器』は“人形師の作品”だ。それもおそらく、封印指定のな。
 確か人形師の封印指定は、“自分と寸分違わぬ己自身”を作り上げたが故にその命令を受け魔術協会から出奔した。つまり本物と見紛う程完成された人体を造る事は可能なんだ。
 この『器』はその類だ。俺が封印されてから同格の人形師が現れたのか、俺をこの地に飛ばした何者かが件の人形師から手に入れたのかは不明だが。
 ……後の話は簡単だ。この『器』に、“脳からの指令が無くとも機能する”器官を予め組み込んでおけばいい。学園長の危惧とは別ベクトルで悪趣味極まるが機能している以上は仕方が無い。そういうモノだと受け止めるしかないんだろう」

 長い話になったが、結論は簡単だ。
 俺が組み込まれた『器』は人造のモノで、ついでに余計な機能が付随していたという事。
「―――そういうモノなのかの?」
「……まあ、解析した俺自身専門外だからそれが可能なのかと聞かれると困るが」
「……はあ。それじゃあ、当たり前な女性としての悩み以上に困る事は無いってコトかい?」
「その“当たり前な女性としての悩み”が俺にとって最大の頭痛になると判っての発言か、高畑」
「ははは……」
 乾いた笑いを漏らされた。学園長は学園長で自分の危惧が杞憂に終わったと一息ついているし、どうにも納得がいかないのだが。
「―――失礼しまーす」
「ん?」
「む」
「お」
 保健室内に誰か入ってきた。こちら側の話が一区切りついた事もあり、学園長が素早く認識阻害の魔法結界を解除する。
「じゃ、僕達はもう行くけど」
「ああ、破綻した電話をかけて悪かった」
「あはは」
 念の為に引いていたカーテンを開いて出て行く二人。と、
「あれ? 学園長先生と高畑先生」
「……こんにちは」
「やあ、みんな」
 聞き覚えのある、というか毎日聞いている声が。
「―――大河内と明石か?」
「あれ、衛宮さん?」
「うわ、めずらしい! あのアルトが保健室のベッドで横になってる!」
 どうしたのー!?
「……あー、その、―――二人、いや和泉もいるのか、三人はどうしたんだ」
「あれ、アルト身体測定のとき聞いてなかったの? 昨日まき絵が桜通りで倒れてて此処で寝てるんだよ」
「――――む?」

 …………記憶を探る。身体測定。佐々木が倒れていて? 教室に報せが入ったのか、何時? あの時は確か、

人の■■を■々■■■■■回■■■■■だい■おきながら漏らす■想が不平不満とはどういう事だその■をいい加減■■ろと言うのだこの、

 ――――ぞくっ。

「……そうか、あまり覚えていないがそういう事があったと理解する。するから思い出させないでくれ頼むから」
「? う、うん……」



 その後、佐々木が起きるのを待って五人で寮へと帰った。
 帰り道、見上げる空には真円を描く光芒が一つ。
 遠く反響する世界干渉が、一つの始まりを告げていた。




[14013] 喪失懐古 / 七
Name: 大和守◆71ea8fac ID:73348823
Date: 2010/08/04 06:49
 遠い記憶を垣間見る。

 剣を持つ姿と、草原に踊る姿。

 そのどちらを、己は懐かしいと思ったのか――――


 喪失懐古 / 七


「本当に体調は問題ないのか」
「うん。何であんなトコに寝てたのかも覚えてないんだけどねー」
 てへ、と小さく舌先を出しながら照れ笑いする佐々木。
 そして彼女をからかう影一つ。
「寝ぼけて深夜徘徊なんて止めてよー? 私この歳で痴呆の友人なんていらないからねー」
「ひ、ひどっ!! 痴呆だなんて、もっと他に言い方あるでしょー!?」
 あまりにもあまりな明石の言葉にショックを受け、そのまま鬼ごっこ開始。どたばたと走り回りぎゃいぎゃいと騒ぐ姿に無理を隠す素振りはない。
 ……この分ならば、さしあたっての心配は不要だろう。相も変らぬ登校風景、周囲皆が駆け足とはいえ、その中で奇声を張り上げながら全力疾走する姿はやはり目立つ。
「和泉が見ている限りもおかしな所はなかったんだろう?」
「? うん」
 何の確認なのか分からない、という和泉の顔にも嘘はない。
「そうか、うん。なら良いんだ」
「なにがよ」
「いやなに、言われてみるとちょっと明石の指摘が俺も気になってしまっただけで」
「あッ…………! アルトまで言う訳!? 何でこんな扱いなの!? 私何かやったー!?」
 だってなぁ。そもそも、普段が普段だし。もしかしてそういうのも有り得そうだと思えてしまうのは俺も恐ろしいと思っているんだぞ?
 妙なテンションに巻き込まれ、俺も追いかけられる側に仲間入り。明石と二人、周囲の登校生徒をひょいひょい避けて追跡者の振り切りを試みる。だが3-A運動部員の身体能力侮りがたし、アトランダムに動く障害物を物ともせず最短の突破口を開いてくる鬼さんこちら。そしてそれを追いかけてくる和泉と大河内。
 ―――佐々木は完全にいつもの『佐々木まき絵』だ。
 ……うん。それなら良いんだ。


 ところで。
 途中で追い抜いた、神楽坂に担がれた子供先生の映像は、幻覚じゃないんだよな?



「なんかネギ君ヘンじゃない……?」
「私たちを見渡してはため息を吐いてるです」
「……………………」
「―――いや、何故そこで一斉に俺を見る。今朝は職員室に行った訳でもなし、俺は何も知らないぞ。神楽坂の方が何か知ってるんじゃないのか」
 すっかり情報屋朝倉の出先機関か何かと思われているな、これは。少し対応を考えないと。

 こんな会話が交わされる理由は、何か目の焦点が微妙に怪しいのがちょっぴり不安を煽る子供先生。授業進行もそっちのけである。実によろしくない光景なのだった。
 朝のHR前には教室の廊下側後方を見やって安堵の息を吐き、絡操に話しかけられては飛び上がり、一言二言の問いかけにオーバーアクションで受け答え、さらにはそのまま頭を抱えて悶絶してみせていた。突然見せる奇行の数々、かと思えばらしくもなく教壇の上に上半身を投げ出していかにもやる気ありません、てな態度である。ネギ君、キミは教師ではないのか。プライベート(私事)とビジネス(仕事)は別モノだぞ。授業を進めたまえ授業を。
 放心中のネギ君をいいことに、ざわざわと教室内に充満するひそひそ話。
 ちょっと、これってもしかしてこないだの…
 あ! あのパートナー探してるってゆー
 ネギ先生王子説事件!?
「……王子説事件?」
「あ、その時アルトいなかったっけ。何かネギ君パートナーを探しに日本に来たって話が出てさ」
 じゃあまだ探してるの!?
 え―――うそ!
 春は恋の季節やしー
「………………出所は?」
「あの双子。でもそもそもはこのかがネギ君とアスナの話を聞いたトコからだってさ」
「……………………」

 ―――ああ、なんか展開が読めてきたぞ。
 つまりあの二人が何かの拍子にパートナー云々の会話をしている所に近衛が出くわしたのか。
 で、それをさらに聞きつけた双子が面白半分にふくらし粉をかけまくって方々に放言しまくったのだろう。ひょっとすると目の前にいるこの全自動噂拡大少女も一枚――いや、五、六枚位は噛んでいるかも。
 だがあの二人、そんな際どい会話を所構わず交わしているのだろうか。いやそれよりパートナーって、魔法使いであるネギ君に関連しているのなら“あの”パートナーの事だろうか。何故それを神楽坂が……?
 ――――いや、
「関わりの無い事か」
 神楽坂が既に関わっていると言うのならそれは神楽坂自身とネギ君の責任だ。仮に、神楽坂以外の生徒が関わったとしても同じ。そこに介在する感情、踏み込む覚悟、背を押す意思、全てはその個々人が持ち、それぞれだけが背負うモノだ。他人には分かり得ない葛藤、躊躇、感傷、恐怖、万難、総てを排してその領域に踏み込む決意があるのならば、俺が干渉すべきことではない。

 …………それに。
 当面最大の問題は、
「恋人が欲しいんなら20人以上の優しいお姉さんからよりどりみどりだね!」
「えう!? いえ、別に僕、そーゆーつもりでは……!!」
 じゃあどんな心算だったのだ、と突込みを入れたくなるあの子供先生である。
 ちょうど終業のチャイムが鳴り、そそくさとかつそこはかとなしに暗い雰囲気を醸し退出する少年。
 そして彼を追いかける神楽坂がこれまた爆弾発言を残していった。
 雪広の「ネギ君落ち込み状態」について問われて曰く、
「何かパートナーを見つけられなくて困ってるみたいよ。見つけられないとなんかやばいことになるみたいで……」
 じゃあね、と駆け去る神楽坂は既にアウトオブ眼中。やっぱり噂は本当だったんだー、王子の悩みだー、と沸き立つ我が3-A。ちょっと待て君たち、今の問答にネギ君の出自についての言及があったか?
「…………また騒ぎになるな」
「常時もの事さ。いいじゃないか、“当たり前の学生生活”からはかけ離れているかも知れないけど、当人達にとっては愛すべき日常の一コマではあるだろう。なら何も言う事はないだろう」
「…………そう、だな。当人たちにとっての“当たり前”なら、問題はないか」



「―――アルト、ネギ見なかった!?」

 その日の放課後。神楽坂が出会い頭に息せき切って聞いてくる春の夕暮れ。そろそろ茜色に染まり始める空は、今日も変わる事がない。
「…………いや、俺は見ていないが」
「あー……あのバカ、ホントどこ行っちゃったのよ…………!!」
 暑くもなく寒くもなく、過ごし易い季節に相応しい爽やかな風が微かに流れる。依頼が途絶え手持ち無沙汰な一時、寮の廊下から外の景色が覗ける数少ないスポットに手製のウッドチェアで寛ぐ時間はこうして砕け散った。
「何か急ぎの用事でもあるのか?」
「ううん。ここまで一緒に帰ってきたのに気がついたらいなくなってて……」
「…………。3-Aの連中じゃないのか?」
「は? 何で皆がネギさらって行くのよ」
「今日の休み時間にな、神楽坂がネギ君を追って出て行っただろう。その時に『パートナーが見つからないで困っている』発言が『ネギ君王子説』を再燃させて、――――それがどうまかり間違ったか、ネギ君を元気づける会をやろうという話になっていたはずだ」
 過程を端折る。口頭でどう表現したらいいのか、俺の辞書では変換できそうに無かったからだ。
「??? ……どこで?」
「さあ」
「何でアルト知らないのよ」
「適当に依頼をでっち上げてフけた」

「……………………」
「……………………」

「賢明っちゃあ賢明かもね」
「言葉を選ばなくていい。要するに、俺は逃げたんだからな」
 ぽん、と神楽坂の手が俺の肩に乗せられる。疲れきった目と引きつった口元。きっと俺の表情も同じになっているのだろう。

「…………でもまあ、それならそれで良いのかもね。少なくても皆ならエヴァちゃんみたくネギを狙ってるってワケじゃないし…………」

 ――――。
「神楽坂」
「え、ナニ?」
「探さないのか、ネギ君」
「あ、そ、そーね。皆がそんな話をしてたからって、だからネギは絶対皆に捕まってるっていうワケじゃないもんね。……ん? アルト、一緒に探してくれるの?」
「まあ、暇だしな」
 ウッドチェアから腰を上げる。神楽坂がここいらを探していたという事は、失踪したのは寮内だろう。ならばやはり3-Aの仕業である可能性が高い。
 だが、



 結局3-Aの仕業だったらしい。
 なんだか損した気分になるのは何故だろう。



 だが、そんな出来事も件の予兆には違いない。
 胸に残るモヤモヤをどうにも持て余しながら、翌日の放課後は宮崎と並んで歩く。
 いや、今日もコレといって用事は無かったのだが、帰りがけに危なっかしく本の山を抱えて千鳥足な少女が一人廊下を歩いていれば誰だって不安になると思うのだ。
「ごめんなさい衛宮さん、わざわざ手伝って頂いて―――……」
「俺は苦にもならないし構わないけどな宮崎、ネギ君の赴任初日もこうしていて危ない目にあったんだろうキミは。俺が言うのも可笑しいがもう少し他人を頼れ。友人の頼みを無碍に断る人間はここにはいないだろう?」
「うん、でもー…………」
「…………そこが宮崎らしいといえばらしいかもしれないけどな」
 まあ、今日は俺が一緒にいるし大丈夫だと思うが。
「うう、図書館島が遠くて困りますー……」
「……それはそうだ、こういう書籍の運送なんて業者に頼むべき距離だと思うぞ、俺は」
 一冊でも人の腕にずっしりと重みを伝える専門書籍レベルの厚さの本が十冊以上、それを一抱え分である。別段急ぎという訳でも無し、各校舎所蔵書籍と図書館島管理書籍の入れ替えというならそちらのほうが遥かに効率的だろうに。
「でも、これが図書委員のお仕事ですし……」
 自分の前言をあっさり撤回して今の管理体制を弁護する宮崎。……まあそう頻繁に繰り返す業務でもないという意味なんだろうが、でもなあ。
 中身の無い言葉の応酬。その間に生徒玄関に辿り着く。二人して両手に抱え込んだ本の山を一旦下ろして内履きからローファーへと履き替えようと靴棚を空け、
「(あれ……?)」
「お」
 宮崎の靴箱から、何かがはらりと舞い落ちた。
「…………、なんだ?」
 宮崎宛の手紙、だろうか。靴箱に手紙、とは随分と意味深だがここは女子校。そういうコトはあまり想像できないし。いや女性同士のアレやコレやもひょっとするとあるのかも分からないが宮崎はそーゆーコトはされる側ってよりかする側に回る方だと個人的な感想なのだがああいやそういう話ではなくてだな。
 ……おちつけおちつけ。最近どうも思考がおかしな方向に暴走しがちだな。自制しなくては。
 と、俺が一人彼岸でイイ感じにトリップしている間に、宮崎は宮崎で手紙の宛名と内容を確認したらしい。覗きはしないよ、プライバシーは遵守しなければならないマナーなのだから。
「―――何の手紙だ?」
「ひゃえっ!? え、あ、えええ衛宮しゃん!!? ここここココココレレコレコレひゃひゅッッ…………!??」
「落ち着け」
「ふみ」
 両手で頬を押さえてみる。ぷにぷにと柔らかいしお肌もすべすべです、日々の手入れは大事だよね、ってそうじゃない。……なかなか拝む機会の無いヘン顔になってしまったが宮崎の混乱も霧散してくれたようなので解放する。
「で、どうするんだ?」
「な、何がですか?」
「その手紙だよ。用事でも書かれてるんじゃないのか」
「あ、あの、えーと……どうしよー?」
 いやそこで赤くなられても困るのだけれど。ついでに何故俺に聞く。
「手紙の内容を知らない俺は答えられないだろう。そうではなくて、別の用事が出来てしまったのなら図書委員の仕事はどうするのかって話だ」
「あ! そ、そうでしたー。衛宮さんが手伝ってくれてるんだから今行くわけにも……」
「いや。それだけ急ぎの用事なら俺が全部運んでおいてもいいんだぞ」
「ええっ! それは流石に悪いですー」
「何、俺なら一人でも大丈夫だよ。少なくとも宮崎よりは鍛えてるしこの手伝いも初めてじゃなし、いつもの場所でいいんだろう?」
「で、でもー」
「……言伝の類か、それとも待ち人がいるのか?」
 手紙を指差して聞く。…………だから、なんで赤くなるんだ宮崎のどか。
「―――YESかNO。どっち」
「………………いえす、ですぅ……」
「よしではいってらっしゃい。後は全て引き受けた」
 ぽんぽん、と両肩を叩いて行動を促す。手紙の待ち人がいる方向は図書館島とは違うのか、宮崎はぽてぽてと寮の方向へ駆けて行った。
「――――さて」
 腰に手を当てて振り返る。すのこの上に積まれた書籍の山。出発点である図書館にも、他に運ぶべき書籍が積まれていたはずだ。
「……三往復、いや四回かな。行き戻り走ればトレーニング代わりになるか」



 そして全部運び終わって戻ってくれば、何故か宮崎が靴棚に寄りかかって眠っていたりするのだった。
「…………なんでさ」



 それはネギと、つい昨日彼の使い魔となったオコジョ、カモミール・アルベールの仕業である。
 正確には、カモミールの確信犯とネギの動揺の間に神楽坂明日奈が介入した結果成り行きでそうなってしまったのだが、不可抗力と呼ぶにはいささか疑問を持たざるを得ない経過であった事は当人たち以外に知り得ない事実である。
 で。そのネギとカモミールは今、物陰に隠れて宮崎のどかに近づく衛宮アルトを見ていた。
「兄貴アニキ。あのネェさんは一体誰で?」
「あの人も僕の受け持ちの生徒で、衛宮さんって言うんだけど……」
「何で放課後夕暮れ時に兄貴の生徒がココに戻ってくるんで?」
「うーん、忘れ物を取りに来たとか、……そういえば放課後はいろんなクラブの備品整備とかよくやってるって話だから、それが終わって帰ってきたとかじゃ?」
 備品整備ではなく委員会の手伝いなのだが、大差はあるまい。その点でネギは正鵠を得ていた。
 ぼそぼそとひそみ話す二人の向こうで、アルトは疑問の表情でのどかに近づいていく。
 だが、その歩みはあと二、三歩でのどかに触れられる位置にくる、という瞬間に停止した。ぴたりと、まるでストップ・モーションをかけた魔法の手紙のように。
「「?」」
 そのまま静止する事、一分近く。再び動き出した衛宮アルトの表情は、ネギが今まで見た誰のどんな顔よりも厳しく、その眼は鋭く細められていた。
 衛宮アルトは物音一つ立てる事無く、のどかの左隣に片膝を立ててしゃがみこむ。右手が、ゆっくりとのどかの首筋に差し込まれて彼女のうなじをあらわにする。細められた眼はその肌を医者のように観察し、右手は止まらず、繊細にのどかの首から鎖骨までを撫でていく。
 それは、のどかの身体を確かめていく行為だった。衛宮アルトの両手と両目は素早く、正確に『宮崎のどか』を調べていく。
 左の首筋から左腕。投げ出された両足、向こう側の右の首筋から右腕まで。
「…………ちょっと兄貴。あのネェさん、こんな場所でナニやってんでしょうかね」
「僕に聞かないでよ…………」

 一人と一匹が気付かないのには理由がある。
 まず一匹の方はそもそも事情を知らない。この小動物がこの麻帆良に来たのは昨日の事。ネギが陥っている苦境、その仔細など考える、以前にそんな事があるとも思わず、つい先程まで己の理由だけで動いていたのだ。
 そしてネギの方は、宮崎のどかとの接触の多さが衛宮アルトの行動とその可能性への関連付けを阻害した。何故ならネギは、今宮崎のどかが気絶している理由を知っている。そして先日、衛宮アルトが危惧している可能性を否とした本人である。宮崎のどかが『“そうされた”のではない』事を理解している。そして衛宮アルトが『こちら側の人間である』事は知らない。だから気付かない。思考の端にも上らない。

 カモの独断で成立しかけた魔法の契約。残した魔力の残滓。ソレを嗅ぎ取った衛宮アルト。彼女の危惧は、

 一人と一匹が首をかしげている間に、衛宮アルトの『触診』は終わった。大きく安堵のため息をつくと、やおらのどかの両肩を掴んで揺り起こし始めた。
「起きろ宮崎、こんな所で寝ていると風邪を引くぞ!?」
「ふぁ?」
 眠りそのものはさほど深くなかったらしいのどかは、あっさりと目を覚ます。始めに自分を起こしたアルトを眺め、きょときょとと周りを見回し、
「…………~~~~~~~~~っっ―――――」
 わたわた。
「……一体何やってたんだ、君は」

(ご、ごめんなさい宮崎さん……)

 それは誰にも届かない。
 ネギの謝罪も、
 アルトが抱いた胸のしこりも。



 …………そして、その状況が出来上がる。

 常時もの場所。常時もの時間。常時も、ではないけれど、たまに姿を見せる一人の少女。
 けれど、その彼女の纏う空気だけが、この空間には異質すぎる。
 まるで時間の逆行。ここは夕暮れの協会裏だというのに、あたかも、深夜の桜並木に一人だけで立ち戻ってしまったかのような錯覚に陥る。
 ―――軽率だったかもしれない。
 頭に載せた一匹の拾い猫をいつでも支えられるように左腕を持ち上げながら、絡操茶々丸はそう思う。
 そこにいるのは、約二ヶ月を共にすごしたクラスメイトではなく。
 何時かの夜に殺し合い、自身を完膚なきまでに破壊せしめた魔術使いだった。

「………………何て格好をしているんだ、絡操。ドブ川にでも入ったように汚れて。―――いや、実際に入ったな? 理由は頭の猫か。全く、お前も大概向こう見ずだな……後でまた葉加瀬に何か言われるぞ」

 魔術使いは、そんな事を呟いてクラスメイトへと戻ってくれた。
 腰に片手を当ててそっぽを向く。その全身に緊張の跡は無い。
 理由は分からないが、彼女はこの場を引いてくれたのだと理解した。



 そんな考えは甘かった。

「絡操。お前ら、宮崎に手を出したか」

 …………不覚にも、答えに窮した。
 隣にしゃがみ込み子猫の喉を擽ってやる少女はクラスメイトのソレだが、その言葉は確かに魔術使いのモノだった。
 ―――返答に窮したのは、シンプルに答えては傍らの魔術使いが明確に敵対すると悟ったからだ。
 未だ吸血行為にその魔力回復を依存する己のマスターと異なり、彼女は魔術面ではほぼ回復している事だろう。当時の戦闘を焼き直す心算はないが、そもそも前回とは全く異なる戦闘魔術を保有しているのなら主は圧倒的な窮地に立たされる事になる。

「…………別に、お前達とネギ君との中に介入する心算はない。
 ネギ君も十に満たないとはいえ『こちら側』の人間だ。相手がお前たちでなくてもそういう事になる可能性は十分あっただろうし、イレギュラーである俺が割り込む理由も無い。
 だが、それ以外は話が別だ。俺の目が届かなかったのならそれもまた別の問題だが、」

 ――――それは魔術使いの宣戦布告。

「――――――『俺の身内』に手を出そうものなら、今度こそお前達を叩き潰す」



 …………彼女は、気が付いているのだろうか。
 彼女の“以前”を知らぬ茶々丸では気付けぬその差。

「滅ぼす」と言えずに終わる、どうしようもない己の甘さに。



[14013] 喪失懐古 / 八
Name: 大和守◆71ea8fac ID:73348823
Date: 2010/09/08 07:49
 俺は彼女に頼ろうともしていなかった。
 それでも彼女は、そんな俺を共に戦う者だと受け入れていた。
 ……俺が、バカだった。
 こんな純粋な信頼に気付かず、
 彼女に戦わせるという単純な信頼さえ、おけなかったのだから。

 ―――――ノイズ。

 今まで目を合わせる事も照れくさかった相手を、本当に自然に、真っ正面から見つめられた。

「すまない。俺がバカだった。
 パートナーとして、
 ■■■ーが居る限り、俺は二度と一人では戦わない。

 ―――――ノイズ。

 俺一人じゃ他のマスターに勝てない。俺には、お前の助けが必要だ」

 でも、傷付く姿は見たくない。
 その為に彼女に戦う事を禁じて来た。
 ……間違えていたのはそこだ。
 彼女と共に戦うと決めたのなら、俺は全力で、彼女の力になればよかったんだから。

 ―――――ノイズ。

「……はあ。その頑なさは、実に貴方らしい」

 ―――――ノイズ。

 左手を握り返す。
 出会ってから数日経ってようやく――本当の契約というヤツを、俺たちは交わしていた。


 喪失懐古 / 八


 『その』時は唐突だった。
 予感があった訳ではないし、吸血鬼がソレと気取られる振る舞いをした訳でもない。

 何故魔術使いが“ソレ”を察知する事が出来たのか。
 その謎はこの後、数ヶ月に渡る吸血鬼の疑問となる。

 間違いないのは、この日。
 それぞれに関わった三者のうち二角は、全く同時に互いを排除すべく行動を開始したと言う事だけである。



 吸血鬼の従者へと宣戦布告を告げた日より、休みを挟んだ火曜日。
 衛宮アルトは、放課後に寄せられた依頼で『停電SALE』の売り子に駆り出されていた。

 学園都市・麻帆良全域に渡る魔法結界(通称、学園結界)はその力の源を魔力ではなく電力に頼っている。
 その為、その術式――システムのメンテナンスを行う場合は一度麻帆良の電力を“全て”落として行う必要がある。
 時間は凡そ、20時から24時。
 関東魔法協会本部は年に二度、定期的な都市全域の停電を以て、少しずつ強固に、より高度に、より堅牢な学園結界を築き上げているのだ。

 ―――と、いうのがこの“都市停電”を聞いた衛宮アルトの見解だった。
 いつぞやに解析した学園結界に新旧の構築式が入り混じり、かつそれらが一切の不具合を出さずに機能しているのを確認していた魔術使いの疑問が一つ氷解したのだが、まあ、ここではどうでもいい話である。



「アンタ、ホントになんでもやるわねー」
 自分の準備は済んでるわけ?
「……懐中電灯550円、二つで1100円」
「今更ですよハルナ。まあ衛宮さんは普段科学部にも顔を出していますから自室に自家発電機器があって問題なし、という話でも私はいっかな疑いませんが」
 まあそんな話は超さんあたりこそ相応しい仮説ですけど。
「…………カンパン一缶88円、三つで計264円」
「二人とも、あれこれ詮索するのは迷惑じゃない~……?」
 衛宮さんはただアルバイトしてるだけなのに。
「―――宮崎、ちょっと待った」
「?」
「蝋燭10本セット、もう一つ持ってけ」
「へ? あ、ありがとう……?」

「「贔屓か」」
 私達には料金一割増なのに!

「何が問題かって、このアルトの贔屓商売を咎める人がいないってコトなんだよね……」
 ちら、と柿崎が半眼で見やる先には他のバイト売子数名。そろって此方に目もくれないあたりが逆に不自然すぎる。
「アルトが信頼されとる証やね」
「違う。絶対違う。逆に弱みを握られて逆らえないって方がよっぽど説得力があるよこのか」
「2割値上げされたいかくぎみー」
「ごめんやめてわたしがわるかった」
 そしてアンタまでくぎみー言うな。
「むしろ私たちの遣り取りに口を出してはならない、という不文律があると考えるのが妥当でしょう。そういう意味では確かに、衛宮さんが信頼されているともとれますが」
 料金割り増し疑惑はお客(私たち)とのコミュニケーションの内である、と。
「……うれしくない」
「そうですか? 私はまんざらでもないですよ。衛宮さんもこのクラスのイロに染まってきたのだな、と」
「…………、いままで人が悪いと言われた事はないか、綾瀬」
「いいえ?」

「あれ……、どーしたんですか?」

「む」
「お」
「あ……、ネギ先生ー……」
 そこに通り掛かる子供教師とその保護者。最近頻繁に二人で行動しているのだが、やはり神楽坂はコチラに関与し始めたという事だろうか。
「知らないの先生。今日の夜8時から一斉に停電だよ、深夜12時まで―――」
「学園都市全体の年2回のメンテです」
「あーそっか、職員会議で言ってたかも。……でも、衛宮さんは」
「売子だ」
「バイトね」
「はあ」
「…………どうなの?」
「あくまで臨時の手伝いだからな、そんなに良くは無い。俺がそんなに欲しがっていない事も理由だろうが」
「……えっと」
「そっかー。良いんなら私もって思ったんだけど」
「神楽坂は明日の為に早めに休め」
「…………(何の話をしてるんだろうねカモ君)」
 (あー、兄貴は判らなくていいコトだぜ、きっと)
「そーするわ。アルトはいつまでやんの?」
「一応6時までだ。夕食の時間もあるしな、そうそういつまでも人を拘束できないんだろう」
「(判らなくていい事って何?)」
 (だから、兄貴まで汚れる必要はないってコトさ…………)
「じゃね、ほどほどにしときなさいよ。――――ホラネギ、ぼさっとしてないで帰るわよ」

 神楽坂に呼ばれ、釈然としない顔のままこっちに頭を下げて駆け去る少年。…………気付いてないのか。君の肩に乗っているオコジョ妖精、どーみてもタバコふかしてるんだがな。不自然極まりないから止めさせろ。



『―――こちらは放送部です……これより学園内は停電となります。
 学園生徒の皆さんは極力外出を控えるようにしてくださ……』

 ノイズが混じり、放送が途絶える。
 時計塔が8時を示し――――学園都市が闇に沈む。

 闇に紛れるように動く影は三つ。

 学園都市有数の高層建築物に登り不敵に嗤う、封印より解き放たれた吸血鬼。
 本校女子中等部寮大浴場“涼風”にて『主』に命じられる眷族化した少女。

 そして――――



 キャー、いやーん、と何とも緊張感の無い黄色い悲鳴。それが大浴場に虚しく木霊する様は不気味だと大河内アキラは思う。
 一緒に入っていた明石裕奈や和泉亜子が早々に引き上げようと湯船の中を進むのを横目に、呆然と立ち尽くす佐々木まき絵に不審な物を感じたのは、ひょっとするとその雰囲気が理由なのかもしれない。
「あちゃー、消えちゃったよ――」
「まだおフロ入っとるのに――」
 あ~ん、と泣く亜子たち。二人はまき絵の“おかしさ”がわからないのだろうか。
「まき絵が無理矢理おフロ入ろ、なんて言うからだよ―――」

「ぁ……、    ぅ…     ……」

 ……やっぱりおかしい。普段のまき絵なら、こんな時にただ立ち尽くすなんてありえない。むしろ裕奈や亜子よりもオーバーなアクションを起こしてしかるべきなのだ。……えっと、決してまき絵を貶めるわけではなくて。
「どうした、まき絵?」
 ずっと向こうを向いたままのまき絵。お風呂の最中に停電になってしまい、裕奈や亜子に自分のせいだと言われて、それでも振り向きもしない友達。でもこれは、無視しているのではなくて、もっと―――
「まき絵、大丈夫……」
 トモダチの肩に手をかける。アキラの手に“惹かれる”様に、コチラを振り向いた少女の口元には、普通ではありえない犬歯が覗いて――――



 ―――ガラスの割れる、大音量が大浴場に響き渡る。

 意図的な破砕。それも大人の身長に比べ2倍近いガラスが2、3枚。圧倒的な“強い力”によって外側から打ち破られたガラスが舞い散り、浴場出口の非常灯や外の明かりを反射する。
 その中に。
 一際強く光を反射する三本の棒を手にした人影が、反対の手に掴んでいた鎖を離して宙に踊る。
 大浴場に居た4―――否、「3人と1体」は湯船の中、突然の闖入者に驚愕以外の反応が出来ない。

 本校女子中等部寮大浴場“涼風”の壁には、一面ガラス張りになっている面がある。通常ならば所謂「覗き」や「盗撮」といった犯罪行為に繋がりかねない構造だが、その大浴場が存在するのは3F(2Fは2フロア分を吹き抜けのように広く使用したりしているので実質4F)、そして周囲の建築物にも相応の対処として高層建築物が無い為そういった事態は今まで起きた事がない。
 そのガラス面を、全く無造作に破砕してソレは現れた。
 恐らく、大浴場上の屋根に鎖の一端を打ち付けでもしたのだろう。鎖のもう一端を掴み、バンジージャンプか何かのように跳躍したソイツは、掴んでいた鎖に引かれて直下の壁面―――大浴場のガラス面に叩きつけられる直前、容赦無くガラスを打ち破り押し入ったのだ。

 一瞬の滞空時間。
 ソレは三本の棒を掴む右腕を大きく真横に振りかぶる。
 狙いは極一、躊躇は無い。湯船に着水する前に振り抜かれた腕、放たれる銀光の凶器。

 その着弾までの刹那に相手は状況を把握する。

 ―――盛大な水柱が、瀑布となって状況を掴めない3人を飲み込んだ。



「……逃がしたか。―――いや、結局俺ではそれ以外に手が無かったのも痛いが」
 鉄甲作用を乗せた黒鍵投擲による“水攻め”は一手届かず『佐々木まき絵』を捕捉する事は出来なかった。
 ……『佐々木まき絵』に近かった3人を巻き添えにしてしまったが、お陰で上手い具合に気絶してくれた様なのでこれはこれでよしとする。
 大浴場内から『佐々木まき絵』の気配が消えている事を確認して、ざっぱりと湯船から身体を上げる。右手には明石、左手には和泉。共に裸体。いやまあ、入浴中だったから当然なのだが。
「――――何でこんな時に風呂になんて入るかな」
 周囲への警戒と魔力探査に向けていた意識を二人に傾ける。……痕跡は何も無い、どうやら間に合ったらしい。
 取り敢えず床に落ち着けて、大河内を引っ張り出そうと再び湯船に向けて踵を返し、
 …………自分の行動成果を訂正する。
 俺の目の前、未だ飛び込んだ俺と何処ぞへ消えた『佐々木まき絵』、そして相当量の硝子が落ちて揺れている湯船の中から、荒い息を整えながら、大河内アキラが俺を見詰めていた。

「――――――――」
「……………………」

 絡み合う視線。暗闇の中、大河内の眸には驚愕と疑問の色。
 静謐な空間には、ただ大河内の息遣いだけが繰り返し響いて消える。

 ただ、安堵が無かったといったら嘘になる。
 大河内も間に合った。
 突入の瞬間、『佐々木まき絵』に最も近かったのが彼女だったから。
 ひょっとしたら、と。一瞬でも、頭をよぎってしまったのだ。

 ただ、俺にこの間を続ける余裕は無い。

「…………湯船の中は危ないぞ。硝子が大量に混じっているからな、取り敢えずあがったらどうだ」
「……」

 機械的に水飛沫を上げながら大河内が歩き出す。過度の驚きが他の思考能力を奪っているのだろうか。
 歩いてくる最中に硝子で足を切らないか不安だったが、そんな事も無く大河内は無事に湯船から上がった。

「―――そろそろいいだろう」
「…………え、」

 声を上げようとした大河内の身体がそのまま崩れ落ちる。
 力を失ったその身体は、しかし床に投げ出される事無く抱きとめられる。

「――――貸し一だな、衛宮」
「ああ――――素直に借りておくよ、龍宮」

 これでまずは一区切り。
 突入直前の唐突な連絡にも律儀に答えてくれる監視者(ゆうじん)を見て、溜息を一つつく。



「――――何だ、一体」
「? マスター、何か異常でも」
「ああ。行動させる前に先手を打たれた。折角、ぼーやに当てる為に意識の先導まで労したというのに。……まあ、駒が足りないのは不愉快だが不足というワケでもない。計画は予定通りだ。撒き餌を使うぞ」
「…………了解」
「どうした」
「……あの、衛宮さんには」
「フン。言われるまでもない、あくまで足止め程度に留める。
 ―――ヤツは一度必要と認めれば躊躇わないタイプだ。今後の為にも、余計な轍を踏む気はない」



 ――――さそわれるように回顧する。

 数ヶ月前の事だが、初めて見た時の衝撃は未だ鮮明に思い出せる。
 常人では届かない極致。天才と称される技巧者でも生涯をかけて追い求め、なお辿り着けるのは一握りであろう到達点に、
 あたかも、それが当たり前であるかのように“在る”少女。

 規格外。
 超常。
 奇跡。

 およそ神様でなければ到達出来ない境地を識る下級生。


 ――――しりたくないか、と さそうこえ。


 嫉妬が無い訳がない。
 悔しくない筈がない。
 だがそれよりも、


 ――――みたくはないか、と いざなうこえ。


                         ――――――ただ、うらやましかった。


 出来る事なら、自分も。
 それは偽る事のない、いまのじぶんがいだくねがい。


 ――――おしえてやろうか?


 だから、


 ――――みせてやろうか?


 綾女は、その誘いに抗う術を知らなかった。



 ……最早躊躇う理由はない。
 それでも魔術使いが即座に動かなかったのは、巻き込んでしまった大河内アキラや和泉亜子、明石裕奈に施すべき後処理を自分では施せないからだった。
 衛宮アルトの目前で、記憶操作の施術が終わる。
 ―――アルトが自分で破砕した硝子を魔術で以て復元してより5分。
 若干の経過時間は、操作を単純な“消去”ではなく複雑な“改竄”で行った事、
 そして施術者があまり経験の無い桜咲刹那であった事が理由だろう。
「――――終了です」
「すまなかったな、我侭を言って」
「いえ。私の方こそ、未熟な為に時間をかけてしまいました」
 理由こそ異なるものの、互いの表情は硬い。
「で、これからどうするんだ衛宮」
「……まずはヤツを探し出してからだ。対応は状況による」
 既にネギ君とコトを構えているのならギリギリまで介入は控えるべきだろうが、そうでなければ考えるまでも無い。
「「―――――」」
 沈黙を守る二者。……己らに科された役割を考えれば無理も無い。

 処置の終わった3人をそれぞれの部屋に運び込むのに10数分。…………魔術使いにとっては焦れる様な時が終わる。
 といっても、まだ彼女は建築物から建築物へと跳躍して移動できる程優れた身体能力を持ってはいないので学生寮から出るには普通に表玄関を抜けねばならない。先導するように先立って階段を駆け下りる衛宮アルトを律儀に追う龍宮真名と桜咲刹那。
 だがその足はすぐに止まる。―――階段を下りた先。表玄関へと抜けるロビーの只中に、9つもの人影が見えたのだ。
「……何?」
 おかしい、と上がる声は桜咲刹那のものだ。
 そう、確かにおかしい。
 既に停電から30分以上経過している。停電中は一般・魔法使い問わず教師や宿直、警備員が主要施設内を警邏するのが常であり、その為に一般の不良生徒でさえ停電中は大人しいのに。

「―――――…………、まさか」

 魔術使いの表情が引き攣る。
 同時に、
 人影が一斉に、爛、と輝く瞳を向けた。

「散れ!」

 その声は、龍宮のものか、衛宮のものか。

 暗闇に紛れる計12の影は、全く同時に、全く異なる目的の為に行動を開始する。



 ―――それからさらに45分。
 独りで麻帆良市街を逃走する。
 強化した身体能力で許される全速力。今なら俺が知る限り麻帆良最速である神楽坂明日菜も追い抜ける。
 だが。
 その後ろを追走する少女達を引き離す事は出来なかった。
「逃げちゃダメだよ便利屋さーん!?」
「きゃははははは!!」
「待てやエミヤ、今日こそおまえから一本とーる!! というか中坊のクセして高校三年の私より強いとはナマイキなのだなぐらせろー!!」
 明るい、と言うよりも躁状態なのかと疑いたくなる程調子っぱずれな黄色い声が、背後2、3、11時方向。
 だが騙されるな。響く足音は合計6。
 ひとつは自分だとして2つ、計算が合わない事になる。
 目前、曲がり角まであと2秒。僅かに歩調を変えて機を謀る。

 一際強い踏み込み。

 だん、と音高く響かせた一歩でそれまでの推進力を全殺、反転と同時に右の裏拳を振り抜く!
「、ぎ!!?」
 狙い通りのカウンター。側頭部に強打を受けた高笑い少女が意識を落とす。
 同時に。
「ぉおおりゃあああああぁぁぃ!!」
「チェイストォォォォォァァァ!!」
「―――――――(喜色満面)!!」
 左からは、便利屋呼ばわり常連客Gの飛び膝蹴り。
 右からは、剣道一筋悔しがり少女Tの唐竹割。
 そして正面から、不気味寡黙少女Aのトペ・スイシーダ……!
「ちょッ……!!?」
 予想外と言えば予想外な奇襲。対応を躊躇する暇も無い、ってか目、瞳が輝きすぎだ何かトリップしてないかー!?
「うおおおお!?」
 釣られて意味も無く吼える俺。完全一致のタイミングではない、咄嗟に空いた左腕を伸ばして掴む乙女の太腿。相手も自分も勢いを殺さず微調整するだけでいい、自分の身体回転を止めずに後ろへ逃げつつ、力任せに引き寄せる!
「ぃああ!?」
「っげ!?」
「―――?」
 いっそ見事な自爆である。
 Gの膝蹴りをAの推進直上に引き寄せるだけでAはGに特攻し、Tの唐竹割りはGの顔面を捉えた。
「…………」
「…………」
「…………えーと」
 此処まで来ると笑えばいいのだろうか。
 結果、Tの唐竹割をまともに喰らったGとその脚に突撃したAは意識を喪失。TとAを投げたのだろう投擲少女Bが呆然と気絶した2人を見ている。
 ……いやいや、思考停止していてはいけない。これでも身体能力だけは常人を凌駕しているのだ。驚異である事には違いない。
 …………取り敢えず彼女らの直上に金ダライでも投影しておこう。


 ……意識の剥奪を確認して彼女らを物陰へと隠蔽する。
 さて困った。周りを改めて確認すると、まるで見覚えの無いエリアである事に気が付いた。
「立て続けの襲撃だったしな。龍宮か桜咲がいたらどの辺なのか判っただろうが」
 恐らく、いや確実にあの吸血鬼、今まで血を啜った犠牲者達を操って俺の足止めとしたのだろう。
 単に血を吸われただけならば、適切な治療を施せば後遺症も無いらしいが……
「……ホントだろうな、高畑」
 ちらり、と隠匿した辺りに視線が向かう。どー見ても眷属化していたんだが、彼女ら。

 ともあれ、ここで停電都市を彷徨っている暇も無い。判らなければ“調べれば”良いだけだ。軽くかがんで右手をアスファルトに押し当てる。
「――――同調、開始」
 瞑目して魔術を発動。脳裏にはいつも通り“設計図”が構築され、

「!!!」

 同時に。殆ど直感だけで身を翻す。
 一瞬前の俺の心臓の位置目掛けて放たれた矢が髪を掠める。
「…………っ」
 遥か遠くを眇め観る。
 彼我の距離、およそ1キロ。
 満月には程遠く、だが常より明るい月明かりを時折雲が掠めて薄くする。
 その明かりから隠れるように、



 高階綾女が、弓を構えて立っていた―――――。



[14013] 閑話 / 小話集・1
Name: 大和守◆71ea8fac ID:73348823
Date: 2010/09/06 18:19

「衛宮サンの得意料理は何かナ?」
「―――……んー、和食だと思うぞ。ぱっと思いつくレパートリーが一番多いし」
「ほんま? はえー、てっきり洋食派や思ってた」
「私達がご馳走になったのも和食だったよ。あの時は漬物が出来合いしか用意出来なかった不満があったみたいだけど」
「今なら簡単な浅漬けくらいなら大丈夫だぞ。作ってこようか?」
「いや、私はそこまでして貰わなくてもいい。が」
「ウチは興味あるなー。浅漬けだけや無くて、レシピとかも」
「私も食べてみたいネ。五月はどうカ?」
 話を振られて、こくこくと頷く傍らのふくよかな少女。なんでも二人してお料理研究会なる同好会に所属しているらしい。
「うふふ。それなら一度皆集まって一緒にお料理してみたらどうかしら」
「フム。なら場所はコチラが提供しようカ。衛宮サンの実力を間近で見るチャンスネ」
「? 俺は構わないけど。あの寮にこんな大人数で一緒に料理できる場所ってあるのか?」
「寮では無理だろうガ、代わりになる良い場所があるネ」
「それってひょっとして、『超包子』?」
「ウム」
 こっくり。
「……ちゃおぱおず?」
「百聞ハ一見ニ如カズ、ネ。とりあえず各自都合がつく日をピックアップして、重なる日に使える様に手配しておくヨ」
「―――横から失礼するけどさ、それって料理出来るメンバー限定の集まりにするつもり?」
「……、何が聞きたいのかナ、朝倉サン?」
「いや、味見役が必要じゃないかなー、とか」
 起爆剤、投下。
「それなら立候補ー!!」
「コウホー!!」
「面白そー! 私も混ぜてー!!」
「くぎみーも行くよね!」
「ええっ!? 決定事項!?」
「野暮ですよ皆さん、いきなり大勢で押しかけたら慣れていない衛宮さんにとっては負担にしかならないでしょう」
「何言ってんの! これから否応無くこのクラスの仲間入りするんだから慣れる為にもここは大勢で参加した方が良いんだよ!」
「はう、それも一理あるようなー……」

「……なんだろうこの感じ。規模は違えど、いつかまでは、いつも身近にこんな感じのヒトが一人居たような……」


 閑話 / 小話集・1。 ―子供先生が入るまでのあれこれ そのいち―


「衛宮さんってさ、部活はどうするの?」
「……部活よりも、許可さえ下りればアルバイトをしたいな」
「―――ん、それはアスナが許可されてるから衛宮さんも大丈夫だと思うけど。でも一度回ってみようよ。学園内の案内も兼ねて」
「そうだよ! 減るもんじゃないんだしさ、もしかしたら入りたい部活が見つかるかもよ!?」
「個人的にハ。お料理研究会に来てくれると嬉しいネ」
「じゃあ僕達も一緒に回るー!」
「回るー!」
「では拙者も」
「中国武術研究会に来るといいアル。衛宮さんも何か心得が在ると見たし、身体も鍛えられるアルヨ?」
「身体動かすんなら新体操とかどうー!?」
「ラクロスとかチアリーディングも良いよー!」
「水泳……とか」
「え、えと、よかったら図書館探検部、とかー……」
「一通り回ったら占い研究部もよろしくな~」

「……で、流されるままに皆で各部を見て回ることになったんだが(途中から発言権を喪失していた事に注目)。何でお前までいるんだ、龍宮」
「ん、仕事だよ。報酬を貰って引き受けた以上はきっちりとこなすさ」
「……桜咲は来ていないが」
「―――、いろいろと込み入っているんだ。私も詳しくは知らないが」



「――――――。アレは、」
「ああ、射場だけれど。弓道に興味が? ……それとも懐かしい、とか」
「……、そうだな。射法は知識にあるけれど」
「じゃあ行ってみよう! 今まで入ったコト無いから覗いてみたかったんだー!」
「え、おいちょっと待て。こんな大人数で行けないだろ。弓道ってのは精神修養の競技だ。全員で行ったら迷惑になる」
「か、どうかは聞いて来たらいいじゃん」
「じゃあ、まず私が聞いてこよう。皆はここでまっていてくれ」

「―――へえ、この時期に転校生? それで部活廻り。学校案内も兼ねて? にしては人数多いねえ。まあいいけど。せっかく来てくれたのに追い返すのもなんでしょう。みんなで入れば?」

「……やけにあっさり」
「この学園に関係のあるモノは大抵こんなノリさ。早めに慣れておく事をお勧めするよ」
「…………。了解した」



「ふうん。貴女がその転校生?」
「はい。本校女子中等部の衛宮ですが。何か?」
「いや。入る時にちゃんと一礼するから。前になんかやってたの?」
「……、かも知れません。ここを懐かしいとは思ってますから」
「んー、なんか難しそうな事情があるのか。ま、そんなコトは私にとってはどうでも良い。射法は分かる?」
「え? まあ、一通り」
「じゃあやってみようか。あっちが更衣室。予備の弓衣がある筈だから、サイズ合いそうなの適当に引っ張り出してちゃっちゃと準備!」
「え、あれ? そんな簡単に部外者を射場に立たせてしまっていいのか?」
「これから関係者になっちゃうから無問題ッ!!」
「頑張れエミヤーン!!」
「「「わー!!」」」
「ほらほらギャラリーも応援してるし!!」
「――――。了解した」



 ――――構えを解く。
 認識は確かに。見やる的には必中を命ぜられた矢が八本、正確に突き立てられている。
 弓道場は、射の直前まで爆発していた中学生達の喧騒を奪い去り、耳が痛いほどの静寂をもってその異業を称えていた。
 が、

「えみやんすっごーい!!!」
「ステキー、かっこいー!!!」
「は、初めて見たけどとても感動しました衛宮さん!」
「何コレ、一本一本の隙間がここからじゃ全く見えないんだけど!! アンタ何処出身の伝説超人!?」

 それでも麻帆良生は正しく麻帆良生なのでした、まる。

「それよりも射法にブレが全く無いのが恐ろしいでござるよ。……映像の焼き直しにも見える程完全に“同じ動作”を、計八度。……真名、お主なら」
「無茶を言うな楓、私は“撃つ”者であって“射る”モノじゃない。……そもそも前提が違うがね、私は完全に『実戦主義』の技術だが、彼女のアレは『逸脱した精神』の果てに在る規格外なんだろうさ。あんな真似、私には奇跡が降りても不可能だよ」
「それハ、今後技術を磨いても、なのカナ?」
「言っただろう、前提が違うと。アレは技術の先に在るモノじゃないんだ。再現できるのなんぞ、本人以外は――――同等に逸脱した異常者しかいまい」



「―――どうも、とんでもなくお騒がせして申し訳ありませんでした……」
「やー、いいよいいよ。それに見合うモノは見させてもらったからさ。気にする必要なんて一つもないさー♪
 ……で、次はいつ来る?」
「え? いや、今はただ各部を見て回ってるだけなので、そもそも部活に入るかどうかも、」
「やー、いいよいいよ。それに見合うモノは見させてもらったからさ。気にする必要なんて一つもないさー♪
 ……で、次はいつ来るのかな?」
「いや、ですから」
「ヤー、イイヨイイヨ。ソレニ見合ウモノハ見サセテモラッタカラサ。気ニスル必要ナンテ一ツモナイサー♪
 ……デ、次ハイツ来ルノカナ?」
「…………都合がついたら連絡を入れたいとオモウノデ、一つ教えてイタダケマスカ、サー」
「ハイコレ。じゃ、待ってるからなー♪」

 ―――タイムラグ無しで渡される番号メモが作為的過ぎる。せめてそこは、その場で適当な紙に書き付ける位でいて欲しかった。
 あと振り向いた瞬間に『……勝った』みたいにコブシ握るの止めてくれないかな、高階さん。




 本編執筆の合間にちょこちょこ書き足してきた小話です。
 出来た話から順次上げていきますが、基本的に本編に関わりの薄い話ばかり。
 たまにさらりと嘘予告も混じる、かも。


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