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[13852] 【習作】背中合わせのクロニクル【オリジナル】
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/02/01 16:32
 前書き。

 この作品の傾向は、バトル+ラブ+変態+異世界?モノです。

 プロットはありますが、まだ煮詰まっていない箇所もあり、拙い部分も多量にあるかと思いますので、誤字脱字や設定の矛盾など気になった際は、ご指摘下さると嬉しいです。

 ※練習の為ということで、この作品では川上稔氏の文体をモチーフにさせて頂いています。設定などオマージュな要素を含んでおりますが、話の終着点などは違う物を想定していますので、ご理解頂ければ幸いです。

 更新ペースは今の所不定期ですが、週一位で続けて行ける様に頑張ります。
 12/28追記:諸処の事情により、更新不定期になります。


2009/11/11 プロローグ投稿

2009/11/16 第一話投稿&プロローグを若干修正

2009/11/23 第二話投稿

2009/11/29 第三話投稿

2009/12/06 第四話投稿

2009/12/19 第五話投稿

2009/12/28 第六話投稿

2010/01/03 第七話投稿&プロローグ~第六話までの誤字修正

2010/01/18 第八話投稿&第七話誤字脱字修正

2010/02/01 第九話投稿&六話・八話誤字修正



[13852] プロローグ
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/01/03 04:29





 街がある。白と黒と灰、倒壊したビルと荒れた道路で成り立つそれは、正確には廃墟とも言える死んだ都市群だ。そんな街中に、響くものがあった。
 音だ。それも単一のものではなく、連続した一繋ぎのスタッカート。モノトーンで構成された世界のそこかしこに炸裂する爆音は、機関銃の激しさでコンクリートを穿っている。そして、削られた建材の破片が飛び散る戦場の只中に一人の少年が立っていた。特徴の無い黒の詰め襟に身を包む少年は、癖知らずの黒の直毛を揺らしている。彼は瞼を下ろしたままうんうんと頷き、


「並大抵のことでは動じぬ自信があったが……一体、俺の身に何が起こったのだろうか。はっ、ま、まさか俺に嫉妬した神による新手の放置プレイ系嫌がらせなのかね!?」


 それにしては凝り過ぎている。ふふふ豪勢だな、と呟きを零す少年は、自身の左右を削っていく破壊の力に頓着する様子を見せない。彼は鉄筋入りの骨太コンクリートを容易く穿っていくハーモニーに合わせて右袖を振り、勢い良く前髪を掻き上げた。動きはそこで止まらず、荒々しい動きで(おとがい)を天へと突き出す。そうすると自然、閉じられた視線は空に向き、


「さて……まずは現状の確認だ。それには疑問を呈する必要があるな。……そう、古典的に行くならば、ここはどこ今はいつ俺は誰?」


 開かれた銀灰色の視線が分厚い曇天を映した。体を仰け反らせたポージングを数秒キープした少年は、自身の周囲に何の反応も無いことを確認して姿勢を戻す。はて、これは記憶喪失の時の定番だったな、と呟き、指を鳴らす。
 いつの間にか、少年の周囲を無音が包んでいた。断裂した破壊の音、静けさのカーテンは今やその演奏を終え、舞い上がった埃が靄の様に漂っている。少年はぐるりと周囲を見回して、それから大きく左右に腕を振った。動きによって白の靄は押され、一瞬の後には少しだけ視界が開く。その先にある物を見るとも無しに見詰めながら、ゆったりと少年は唇を開いた。
 その手は詰め襟のポケットへと伸ばされており、


「順番に答えて行こう。まず一つ、この場所に見覚えは無い」


 ポケットから引き抜かれた手には、二つの物が握られていた。


「携帯の電波は絶賛死亡状態であり、PDAも同様だ。つまりはこの近くに基地局に類する施設は無いということであり、故に結論として」


 ──俺の居た場所には、そんな場所は存在しなかったと言うことである。
 間違いは無い。何故なら、つい先日学友らと一緒に『チキチキ・リアル電波受信ゲーム』と称したサバト系イベントを開催したばかりだからである。


「あの時は、モロに怪電波を受信して全裸でベリーダンスを始める変態を退治するのに夢中であったが……」


 それでも、市内にある主要なアンテナや電波塔の位置を全て調べ、次々にそこに赴いて独創的な落書きを残すという新規開拓系競争ゲームは記憶に新しい。同級生から、先輩や後輩まで巻き込んだ宴会系的催しは、翌朝の新聞の一面を飾った伝説の行いになっている。
 どうやら、今までとは違う位置に居るのは確定したようだ、と少年は内心に呟きを落とす。息が詰まる様な感覚を、疑問符を続けることで押さえ込む様に軽減した。それでも零れるものを堪えきれず、一つ息を吐き、


「二つ、今がいつかは分からないが、いつであろうと変わらない事実が一つあるということだ。それは、俺が学舎から帰宅した後、自宅玄関のドアを開いた一瞬後にここに立っているということだ。気絶、失神と言った意識の断絶は無い。現に私は、ドアノブを掴み開く動作のまま、この場に立ち尽くしていたのだから」


 分かっていることと分からないことを、彼は一つ一つ順に確認していく。吹き抜けた風が黒髪を乱し、白い肌を撫でていくのを感じながら、少年は緩く身を抱き締める様に腕を組んだ。
 そうしてから片手の指先を顎に当てる。彼はくい、と腰を捻り眉を立て、


「そして三つめ、俺が一体誰なのか、という問いだが。……ふむ、酷く哲学的であるね? 常人には理解し得ない精神的飛び石跳躍により、現存理論をガン無視して神を超越したこの俺が、一体何者なのかとは──いかん! これでは哲学界にまた一つ解けぬ問いを与えてしまうぞ俺……!」


 意味不明な夢物語を口から吐き出した。ツッコミ不在の代わりに、間を置かず再開された破壊の音は先程の物よりもやや激しい。とても良い笑顔で、少年は更に二度腰を左右に振りポーズをキメ、


「さぁ俺を称えることを許そう世界よ! さぁさぁさぁ──!」


 一頻り叫んで周囲を確認する。そうして何の反応も得られないことに少しだけ肩を落とし、盛り上がったテンションを静める為に詰め襟のボタンを一つ二つ外してみせた。浅くはだけられた布地の裏側には、三丈(みたけ)と刺繍がされていた。少年──三丈は、先程から目にしていた光景を睨み、


「そうして生まれるのは、最後の問いだ見知らぬ世界よ。……何故、俺はここに居る?」


 強い動きで指差した。応ずる様に飛び込んでくるのは、正面の(もや)を吹き散らす純白だ。白色の光は指向性を持っており、一塊になって真っ直ぐ突き進んで来ている。そこに込められた意志は判然としないが、ただ分かることはあった。白の光、それは、


「当たれば只では済まぬと言うこと……!」


 そして、それを放った者が正面に居るということだ。ぎこちない動きで、咄嗟に半歩だけ動いた三丈の脇腹を掠める様に光弾は抜ける。苛烈の一言を以て成る破壊の力は、三丈の背面、そこにあった文房具店の軒先を(たわ)ませ、


「────!」


 限界まで軋んだ建物は、僅かに反発力を伴って全壊した。緩くない爆風を背に受けながら、三丈は息を詰め、ぐっと体に力を入れる。新たに立ちこめる土煙の向こうから、一つの音が近づいてきているからだ。それは硬質の足音であり、


「おやおや、なんだ、不愉快な叫びが聞こえたから適当に撃ち込んでみたが、まだ生きているのか……ち、これだから試作品は」


 煩わしげな声に、三丈は眉根を寄せることで反応した。煙に揺らめく影は、確かに人間の物に違いない。落ち着いているその声音から、しかし獰猛なものを感じ取った三丈は意識して息を吸い、吐いた。言葉は、意識する前に疑問符となって唇から滑り出ている。


「──貴様は一体何者なのだ?」


「おやおやおや、他人に名を尋ねる時は、己の名から名乗るものだと教わらなかったのかい? 礼節に(もと)る人間よ」


「ふふふ、初対面の相手に攻撃ぶっ放す様な男が礼儀などと──随分原始的な礼儀だね野蛮人?」


「はっはっは。おやすまない、まさかあんな一撃で死ぬ様な生命体が人間だとは思わなくてね? 実は私の生まれ故郷では、人影を見たら取り敢えず砲撃ぶち込むのが挨拶代わりなんだなこれが」


「ふむ、そうかね。生き残っているからこそ、俺が人間だと判断した訳か。言いたい所が無くはないが、兎も角、先程の攻撃は貴様のもので間違い無い、と」


「──おや、これはしてやられた。人間にしては面白いね、君」


「ふふふ、三丈王国内での傷害罪の罪状は、夢の国での過激労働であるぞ? ──高さ二十七メートル、素晴らしいポーズを取る俺の巨大立像を作る係その一に認定してやろう。ただし、過激すぎて睡眠時間はゼロだが」


「おやおや、ユーモアのセンスが随分となっていないな人間よ。折角だ、ここは一つ、私が拳で叩き込んでやろうか」


「ふはは。ユーモアのセンスはいつの時代から暴力の代名詞になったのですか貴様? 肉体言語を駆使する前に脳みそ働かせたまえよ」


「……拳はやめだ、砲撃ブチ込んでやろう」


 軽口を返しながら、三丈は頬に風を感じていた。先程吹き抜けたものよりも幾分か強いソレは、周囲に舞う埃を等しく(さら)っていく。開けた視界に映るのは、半ば崩壊しつつある高層建築と、一人の男だ。彼我の距離は約七メートル、相手の顔をはっきりと視認出来る位置に、その男は立っている。


「おやおや、どうした人間。私の顔に何かついているのかい?」


「いや、ただ──」


 男は、全身に純白を纏っていた。装飾の無いローブも、そこから突き出た肌も、瞳も、髪の毛までも全てが白い。しかし最も目を引くのは、その装いではない。
 肩に担ぐ純白の太い筒だ。全長で一メートルを優に超えており、質素な装いの男とは対照的に、金色の装飾をゴテゴテと飾られた筒の片側、その先端には黒い穴が穿たれている。ゆっくりと持ち上げられ、三丈をポイントしつつあるその穴からは、細く煙が吐き出されていた。それは攻撃の熱を吐き出す為の余波であり、筒が兵器であることを暗に示している。
 砲だ。先程の白撃は、そこから放たれたのだろう。三丈は、男がん? と先を促す様に首を傾げるのを見て、


「少々愉快な眉と目と鼻と口がついているね? ふふ、どうやら鼻毛も出ているようだ。──平たく言えば目が腐る」


「おやそうか、三十点だ人間よ。じゃあ死ね」


 しっかりとポイントされた砲口の奥に白が満ちる。





「十点満点で三十点とは、俺も罪な人間だな……!」


 噛み殺した気合いは、刹那の苦鳴となって大気に響く。突然の動きに着いていけず、不自由に体が軋むのを感じながら三丈は大地を蹴りつけた。僅かな跳躍と共に体ごと地面へと飛び込む動きは、回避という。肩に担いだ砲、その照準器越しに見える三丈の姿に頬を緩めた男は、


「おやおや回避出来るとでも? 無駄無駄無駄ァ!」


 全力でトリガーを押し込んだ。応じて押し出される白の激光は、先程のものと比して優に数倍以上の大きさであり、

 ……避け、切れないか……。

 ぞわり、背筋を冷たいものが駆け抜けていくのを三丈は感じていた。つい先程まで、否、今も尚感じている非現実感を突き抜けて、明確な破壊の意志が迫るのをただ見ていることしか出来ない。地面を削りながら来る白色の砲撃がこちらの身に届くまでの時間は、刹那だ。三丈は自身の持ち物を瞬時に検索し、先程までに確認していた周囲の状態を頭に置きながら、しかし打つ手が浮かばないことに歯噛みした。既に宙に浮いている体は慣性の力で進んでいる状態だ。自由にならぬ体は、動きには上手く直結せず、だから代わりに唯一自由になる脳と口とを直結させて、


「ふはは例え俺が倒されても第二第三の俺が」


「どこの魔王だお前──!」


 覚えの無い声と力が、割って入った。
 声は、鋭く響く女の物であり、しかし裂帛の気合いを伴っている。三丈に迫る白撃を、横合いから飛び出し様に叩き伏せるスイングは大きく、力強いものだ。声と動き、その両方の力を持って振るわれる腕先にあるのは一振りの剣だった。黒く分厚く、薄紫のラインが刻まれた幅広の大剣はとても女性が扱える様なサイズでは無いが、その苛烈さは波濤の勢いを以て白の激流へとぶつかり行く。


「──!」


 行った。横合いからの黒の大斬撃は、僅かな拮抗の後に白の束を飛沫(しぶ)かせ、押し合い、押し込み、


「……っ、行け……!」


 白の飛沫を大瀑布に変えて、押しやった。大剣は勢い余って地面を穿ち、砕かれ逸らされた白の力の余波は爆風となって辺りを煽る。
 結果。少女の剣撃で逸らされた砲撃は、それ故僅かに三丈の身には届かない。
 動きは追いつかず、しかし理解だけが追いつく世界の中にあって、三丈はそのことに明確な安堵を感じていた。同時に何故か、少女から目を離せない自身を自覚する。視界に彼女が飛び込んで来たその瞬間から、言葉に出来ない情動が蠢いているのだ。
 一言で言えば、美しい少女であった。抜ける様な肌の白さはきめ細かく、淡雪の様で、砲を放った男の持つソレよりずっと艶やかだ。動きに翻る濡れ羽色のポニーテールは長く、背中にまで達していて、大きく澄んだ黒の瞳は峻烈な光を点している。力みのせいか血色が透けた頬はすっきりとしていて、薄い桜色の唇と尖った鼻先が品良くその小さな顔に収まっていた。
 気迫を込める為か、浅く眉を立て、険しい表情をしても尚分かる顔立ちの良さは、可愛さよりも綺麗さにはっきりと傾いている。それも、ただの美しさでは無い。凛とした意志を感じさせる、見る者の背筋を正すが如き気高い容姿。大和撫子、と言うに値する美貌の華を、既に咲かせつつあるのだろう。僅か、顔立ちに残る幼さは、数年も経れば昇華され、隙の無い完成を見るだろうと容易に想像出来た。そして、体全体の動きで大剣を叩き付けた故か、白の光を背負う延びきった体、その全体的なフォルムが隙無く整っていることもまた、三丈は目で捉えていた。
 細く、均整は取れているが華奢な体だ。ほっそりとした頤、滑らかな首筋、くっきりと浮き出た鎖骨。窮屈そうに胸元を押し上げている双丘はつんと上を向いていて、柳の様に括れた腰元から充実した尻、引き締まった太股と(ふく)(はぎ)で構成される脚までバランスが良いのが見て取れる。
 彼女は、強く抱き締めれば折れてしまいそうな体で、しかし振るうのに剛力を要するであろう大剣をしっかと握りしめており、

 ……何故、こんなにも。

 爆風に押され、その身を無防備に吹き飛ばされながら、三丈はその問いを心に落として行く。地面に叩き付けられる直前に腕を振って大地を叩き、身を丸めることで衝撃を受け流しながら受け身を取った。彼の瞳は回転する視界の中で、少女が素早く体勢を立て直すのを追い続ける。体にフィットした素材、きつく抱き締める様なコスチュームを白撃の残滓で記憶しながら、


「っ、そこのお前、立てるか……!?」


 体勢を整えきるより、振り向くよりも早く響く、凛とした声。遠くない場所で起こった爆発の間を縫って大気を震わすその美声に、三丈は瞬時に反応出来ていた。それは、彼が少女に意識を集中していたということの現れであり、


「……あっ、ああ、立てるとも」


 絞り出した声音は震え、掠れていた。僅かに痛みを伝えてくる体の信号を無視し、右膝に力を入れて立ち上がる。重心を定められず、左右によろめきながらも、三丈は何とか体を落ち着けた。鈍い灰色の視線の先、その身を翻して走り寄る少女の瞳に、吸い寄せられるように焦点を結ぶ。


「──走れるか!?」


 印象的な瞳だった。地を蹴る動きに合わせて揺れる前髪、涼やかに澄んだ黒曜石の瞳は大きく、そして今し方の斬撃に似つかわしくない程の煌めきを称えている。そこに意識せずとも読み取れる程の熱意がうねっているのを見て、三丈はゆるりと視線を飛ばした。その先には、純白の男が居る。


「おやおや……剣で砲撃曲げますか普通。逃すつもりは、ありませんが──、!?」


 不自然な場所で言葉を句切った男は、白の視線を手元に落とす。余程強力な一撃だったのだろう。三丈を狙い終えた白の砲は、その推力を生み出す筈の後部が半ば融解し、黒煙を上げていた。そこから全体へ走る様に亀裂が伸び、澄んだ音を立てて砲が割れる。武器として使い物にならぬことは、構造に詳しくない三丈でも簡単に判断できた。だから彼は、男から視線を外して少女の瞳をひたと見詰め、力強く、


「ふふふ、無論走れないことは無いが──遅いぞ! 分かり易く言えば百メートル十六秒台!」


「じゃあ自信ありげに言うなぁ!」


 吼え、踵を大地に突き立てることで、急ブレーキをかけた少女の体が停止する。


「ならば、時間を稼ぐしかないか……」


 彼女は遠心力を使ってぶん回した大剣を頭上に掲げ、細く短く息を吸い、

 ……ここは一つ、乾坤一擲全力で。


「観念しろ真っ白け──!」


 大上段から斬撃が繰り出される。通常なら空を割るだけに留まっている筈の一撃は、しかし薄紫のラインが妖しく灯ることで燐光に包まれ、光は長大な刃となって飛んで行く。天から地へ、弧を描く斬撃は大気を割り、靄を立ちきって大地を削る強力無比の一撃だ。大破した武器に気を取られて初動の遅れた白の男は、飛び退こうと地を蹴った瞬間に、光の奔流を身に受けた。


「ちぃっ、……!」


 目に見える力ががせめぎ合う様に圧力を生み出す光景を一瞥して、少女は勢い良くこちらへと振り向く。流れる黒髪から漂う微かな香り、激しく上下する肩、険しい表情のまま自身を見詰める頬を流れる汗、そういった物に何故か郷愁をかられ、三丈は内心でのみ首を傾げた。先程から、何故、と問う思いが心に積もっているのを感じる。それは、普段の彼ならばあり得ない程の疑問の嵐であり、


「……俺が、興味を惹かれているということだろうか」


「何だ?」


「いや、……何でもないさ、何でもね。ところで、早く逃げなくても良いのか?」


「っ! そ、そうだった! あの一撃で仕留められたとは思えん、逃げるぞ!」


 少女は片手で大剣を引き摺り、もう片方の手に三丈の手を引っ掴む。つんのめる様に手を引かれながらの動きは、白の男から離れる為の逃避運動だ。三丈は覚束なげな足取りで、少女は大剣の重さに歯噛みしながら、二人は走るとまで言えない速度でその場を後にする。
 濛々(もうもう)と立ちこめる白煙、その向こうで男が斬撃を凌ぎきったかどうかを確認する暇も無く二人は進む。簡単には振り解けぬ程の力、想像以上に強く掌を掴む感触に、三丈は小さく痛みを感じながらも口を開いた。


「質問をしても良いかね?」


「ちょっと待ってくれ……っしょと」


 先行する少女、彼女は引き摺っていた大剣を気合い一発背中に負い、視線だけで先を促す。さり気なく頭頂を掠めた剣先を、首を振ることで避けきった三丈は、極力不要な思考を排除し、考えを纏めながら大きく息を吸った。それは、次の一歩を踏み出す為に必要な酸素の取り込みであり、


「何故、君は俺を助けたのだ?」


 疑問を呈する為の心の準備に他ならない。声を聞き、姿を見るだけで強く郷愁の念に駆られる故か、三丈の感情はこの少女が危険な存在では無いと声を発していた。同時に、何か怪しげな挙動があれば少しでも早く反応出来る様、半ば染みついた理性の動きが腰を落とさせ、注意深く少女を探る。

 ……何せ、殆ど何も分かって居ない状況だからね。

 彼女が危険なのかそうでないのか、この荒廃した都市はどこで、何が原因なのか、そして白の男と少女が携えている武具は、何なのか。何一つ理解の及ばない状況にあって、浮かぶ思いには全て何故の言葉が着いて来る。
 今日は随分と何故の言葉が多い、と内心に溜息を吐いた三丈は、努めて無表情で言葉を継いだ。


「出来れば、俺の疑問に答えてくれれば幸いなのだが。──どうやら、現在進行系で巻き込まれ型主人公路線まっしぐらの様だからね」


「巻き込まれ……?」


「フフフ、ちょっとしたジョークだよ。気にせずとも問題は無い」


「そ、そうか。じゃあええと、うん、その前に一つ聞いて良いか?」


 何故か表情に疑問を浮かべる少女を見やりながら、三丈は頷きを以て先を促す。今は少しでも多くの情報を欲する時だ。そして交渉術の基本は、自分は喋らず、相手に喋らせることを良しとする。んしょ、と小さなかけ声と共に大剣を背負い直した少女は、徒歩より早くジョギングに近しいペースを維持しつつ、


「こんな戦場の最前線に、どうしてお前は戦闘服も着ずに居たんだ? その学生服──属性防御や体物理防護が掛かっている訳でもないし──見た所武器も持っておらず、マナを纏って居るようでも無い。一般人があんな所に居たから、思わず助けに入ったが……」


 耳に届いた幾つかの単語を、脳内の『まだ俺によって解明されていない単語リスト』に書き加えながら、三丈は表情を崩さずに少女を注視する。周囲、ジグザグに何度も折れ曲がりながら行く廃れた街並みは、依然変わり無く流れている。耳を澄ませば、微かに聞こえる爆音に紛れて剣撃の音や単発の銃声が幾度も響いており、二人が行く足下は、時折鈍く震えることもある。鼻をくすぐる匂いは殆どが埃のもので、しかし何度か嗅いだ覚えのある硝煙や、血の香りも混ざっている。

 ……戦場、か。

 それも自分の知らない、紛れも無い本物の、と。分厚い灰色の雲の下、三丈はそれだけをはっきりと認識した。いくつかの言葉の候補を脳裏に並べ、少女の口調にこちらを探る気配がないか、それに注意しながら唇を割る。


「残念だが──自分でも良く分からなくてね」


「そうか……ん、じゃあ、ここがどこで、今はいつで、お前は誰だかは分かっているか?」


 不明瞭に答えた言葉に返って来たのは、そんな真っ直ぐな問いだった。足下に転がって居たゴミ箱を避け、振り返りながらこちらを見る少女の顔には、疑いや詮索する様な色は無い。あるのは純粋な疑問と心配の気配だった。その余りに純粋な黒の瞳に、裏を掻かれぬようにと気を張っている自分が、酷く滑稽な存在であるかの様な気分を三丈は得た。
 そしてつい先程、自分が浮かべたものと同じ疑問を以て会話を作る少女に対して、不意に胸に込み上げるものを感じ、


「──ふ、ふふふふ愉快愉快」


「な、何だお前いきなり奇声上げて……頭打ったのか!?」


 心配げと言うより、不審者を見る胡乱な眼差しを向ける少女に対し、三丈はいや、と首を振ることで答える。重ねて言葉を用いることで返答を確かな物にした。


「いや、至って正常であるとも。ただ、君の言葉が少しおかしくてな。気を悪くしたのならすまない、謝ろう」


「あ、いや、こちらこそ済まなかった」


「気にすることは無いとも。何故なら俺は、君が得た疑問と同じものを、先程自分で浮かべたばかりなのだから」


 告げた言葉が、少女の頭の中に浸透するまで、数秒の猶予があった。少女は眉を寄せ、軽く空を見上げつつん? と無意識の声を上げ、


「つまりそれは──」


「危ないよ」


「……うわ、っと」


 不確かな地面に足を取られそうになる。繋いだ腕を軽く引かれることで我に返った少女は、転ばぬ様に軽快なステップで体勢を整えると足を止める。更に二秒考え、下を向き、


「──お前、記憶喪失なにょか!?」


 噛んだ。彼女は自分の失態と、自分を見るニヤニヤ笑いに気付くとさっと頬を赤らめ、こほん、と一つ咳払いをする。そうしてからぶんぶんと頭を振り頬の熱を冷まして、


「──お前、記憶喪失なのか!?」


「まだ、頬が赤いよ?」


「くっ……!」


 心底不満そうに眉を立て、きっとこちらを睨み付けてくる少女の姿に、三丈はやはり不思議な感覚を胸の内に得る。それらを今度は表に出さぬ様コントロールしつつ、彼は一歩大きく地を蹴って少女の隣に並んだ。そうすると、少女の頭が自分の顎下の部分までしか無いことに気付く。繋いだままだった手をそれとなく解き、三丈は改めて少女の姿を見下ろした。
 輪郭を縁取る様に、顔横に落ちる髪の毛は浮いた汗で頬に張り付いている。黒曜石の煌めきを覗き込む様に視線を落とし──そして目が合った。
 じっとこちらを見詰める瞳は、間近で見れば遠い過去を刺激する。


『みつる──!』


「……」


 三丈は一度目を閉じて、左足に走る電撃の様な痺れと痛み、それと共に溢れ出る思い出の一つを振り払う様に首を振った。


「俺の名前は三丈(みたけ)(みつる)。──君の名前を、聞いても良いだろうか」


「ん、ああ。……私の名は、って三丈!? 今、お前三丈・満と言っ!?」


 影が差す。台詞の途中で切れ長の目を見開き、体を緊張させて、目の前の少女は一歩を踏み出していた。黒髪を風に(なび)かせ、差し出された両掌が三丈の胸を突き、地面を蹴った足は推力を以て二人の体を宙に飛ばす。抗うことも出来ない一瞬で、二人はその場から飛び退いていた。勢い余って体全体でぶつかるようにしてきた少女の体は、今は三丈の胸の所にある。そんな、半ば抱き合う様にして引っこ抜かれた景色に映るものがあった。
 影だ。それは重量と速度故に暴風を纏う一撃であり、


「────!」


 頭上から叩き込まれた不意打ちの一発だ。超重量は空間を押し潰すように打ち下ろされ、アスファルトの地面に着弾する。発生した破壊の力はアスファルトを易々と砕き、有り余ったエネルギーは円形に爆散した。煙を纏った白の風に押されるよう、二人の体は飛ぶ。無意識の動きで、腕の中に少女を抱え込んでいた三丈は、すぐに来るであろう衝撃に背を丸め、力を込めた。


「……くっ!」


 着地する。身を打つ衝撃で肺から空気が漏れ、響く痛みに体は軋む。一瞬の白濁を挟んで回復する視界はまばらに白く、だがその目的は果たせていた。


「あれは……」


 見たことのないモノがそこにあった。全体的なフォルムはゴツく、まるで岩を繋ぎ合わせて作った人形の様だ。見上げる巨躯は二メートルを軽々と越えており、薄汚れた白の肌は砂の色。長く延びた太い腕、短い足、せり出すように突き出た頭の中央に、ただ一つの丸い瞳が蠢いている。人間に似た形状で、明らかに人間では無いその異形は、右腕を叩き付けた体勢そのままで体を屈めていた。岩の巨人は手応えを感じないことに疑問を得たのか、ゆっくりと拳を引き、単眼で周囲を見回す。


「う……」


 胸元から上がる掠れた声。見下ろせば、そこには浅く瞼を下ろした少女が居る。衝撃の余韻で意識がはっきりしていないのか、彼女の瞳は開かない。打ち付けた体からはまだ痺れが抜けず、呼吸もまだ完全とは言えない。徐々に開けつつある視界の隅で、三丈は岩の巨人がこちらを見ているのを目に留めた。飛び退いた分の距離は些細なものだ。巨躯の怪物からすれば、ほんの一歩半の距離に過ぎない。
 巨人はゆっくりと一歩を踏み、確実に狙いを定めるかのように頑強な拳を振り上げた。だが、三丈の視線はその拳ではなく、胸元の少女に向けられている。彼は浅く歪められた眉を見て、

 ……寝顔は、意外と幼いのだろうか。

 という考えを不意に浮かべた。その顔には何故か、恐怖は無い。
 横たわる二人に向けて、砂色の拳が迫る。






[13852] 第一話
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/01/03 04:29


 良く知る顔に面影はない。見えている世界は夢か現か。





 そこは教室だった。雑然と並べられた机、微かに文字の名残が見える黒板、塗布されたワックスも剥がれかけている床の上には、薄暗い闇がある。天井に吊された蛍光灯の電源を落とし、窓にかけた黒の遮光カーテンが作り出すのは人工的な夜に近い。ぴったりと閉じられた前後の扉は、少しでも外からの光を入れぬ様にと渡された壁だ。四方に八メートル程の距離を置くその空間には、複数の影があった。影は、体を丸めながら鼻息荒く語り合っている。その内、熱心に作業していた影の一人は(おもむろ)に手を頭上に掲げ、


「なぁおい見ろよこの造形美、完璧なストレートライン……もう、どうよこれ!?」


「おお……おお……!」


「神だ……神が降臨なさっておられる……!」


 部屋の中央に座すのは三人の少年達だ。彼らが熱心に凝視しているのは、成長期の少年らが囲むには些か小さすぎる一つの机だった。その内で最も大柄な影が、僅かな光に透かすように写真を掲げ持っている。何故か床に直接膝をついた二人は、亡者の如きうなり声を上げながらその写真を見詰めていた。大柄の少年は、一つ咳払いをして拳を見せつける様に握りしめる。


「あぁ、俺たちの心は今一つに違いねぇよ。……行くぜ? 一,二,三で思いの丈を叫ぶんだ」


「……必ず」


「やり遂げて見せるッ!」


 静かに唾を飲み、床に座り込んだ二人は熱く瞳を光らせた。一人が大きく頷き、そっと人差し指で宙を指す。その指を軽く振ってから、


「……一」


「んにぃのぉ──!」


 興奮の余り舌が回りすぎているもう一人の少年は、勢い良く二本の指で宙を押す。二人の視線を受けた大柄な少年は、ゆっくりと舌なめずりをし、


「いくぞ! ──三ッッ!」


 声が揃う。三人が見詰めるのは一枚の写真。そこに写る一人の少女は──、


「貧乳最高!!」


「うるせぇぞ! 教室で何騒いでんだテメェら──!」


 不機嫌な音に、少年達がびくりと肩を震わせた。叩き付けるような大音は、全力全開、気合い超過で教室の扉をブチ開けた音に他ならない。廊下に据えられた蛍光灯の明かり、それが映し出すシルエットは小柄である。
 少女だ。学校指定の制服に袖を通し、腕には「風紀委員」と印刷された腕章をピンで留めている。勝ち気そうな(まなじり)をきっと吊り上げた彼女は、肩までの髪を揺らしながらじろりと教室内の面々を見回し、吐き捨てる様に眉をしかめた。彼女は、音を立てて一際大柄な少年を指で指し、


「おうおう何だ、大の男が雁首揃えて何くっちゃべってやがる。ったく、人が風紀委員として放課後の八つ当たりターゲット探しに……、おい、何逃げようとしてんだ大岸(おおぎし)


 びくりと震えた大きな背中、こっそりと席を立ち、教室後部の扉へと向かおうとしていた少年が動きを止める。振り返った大岸は掌で後頭部を掻き、にへりと笑い崩れながら、


「あ!? い、いや逃げようなんてしてねぇよ? ──俺はただ花を摘みに……うぉ! 出会い頭にナックルは、二人の出会いとして斬新過ぎねぇか!? ジャンルとしては何系だ!?」


「うるせぇ殴るぞ! 静かにしやがれ」


 お、何だ打撃系ラブコメか、イケるな、と呟く大岸の言葉に一睨みを与え、少女は大股で教室を横切った。視線の向かう先は、先程少年らが囲っていた一つの机だ。その上に並べられた写真を見て、彼女は眉をしかめ、更に写真を手に取って検分する。


「……水着ぃ?」


 手の中にあるのは、いわゆるスクール水着に身を包んだ女学生の姿だ。キャップを直している所、周囲の学生と談笑している光景を写した平和な物から、飛び込み直前の尻を背後から撮った物、果ては水着の尻裾を指で直す際どい姿まである。そして十数枚の写真の中には、ざっと見た所見覚えのある顔の持ち主も居た。少女が何故か床に正座体勢で座している少年二人に視線を飛ばすと、彼らは慌てた動きで首と手を左右に振り、


「……し、してない! 俺たちはやましいことはしてないよ!」


「ふぅん」


 どう見ても盗撮写真だろコレ、と呟くと、少年達は手と手を取り合って震え始めた。


「やばい、怪力星人の制裁だぁ……! 本人の機嫌が悪ければ問答無用で天から降って来る八つ当たり的制裁……! でも今回は証拠が……!」


「この間コンクリートブロック拳で割ったらしいぞ……! ひぃぃ拳ダコ……!」


 少女を見る目には既に泣きが入っている。マジ泣きさせたろかオラ、と思う少女の米噛みに青筋が浮かび、少年達は青ざめ、正座からお姉さん座りに移行した。少女は眉をしかめた不機嫌顔で、一つ溜息を吐く。


「そう言う訳で、じゃ、俺はこれで! おぶっ!」


 さり気なさを装って、ゆっくりと後ずさろうとした大岸にノールックで裏拳を叩き込み、少女はゆっくりと次の写真を手にした。背後、回転しつつ吹き飛んだ大岸が机を巻き込んで壁に激突する音をBGMとしながら見るそれは、少年達が崇める様に捧げ持っていた写真そのものであり、


「……何で私の水着写真があるんだよ。しかもお徳用大判サイズで」


「ひぃぃ申し訳ない!」


 吐き出される声は、やけに凪いでいる。眉をフラットに、微笑みまで浮かべてみせる彼女に戦いた少年達の内、片方はそれを見て咄嗟に、


「だ、だがちゃんと理由はあるんだ! 聞いてくれ!」


「へぇ、なんなんだよ? オラ言ってみろ男の子。──つまらなかったら鉄拳な」


「有り難い……!」


「まぁ」


 いぇいと肩を叩き合う少年二人を仁王立ちで見下ろし、少女はぼそりと囁いてみせる。


「──面白かったらそれはそれでムカつくから、鉄拳制裁だけどな」


「理不尽だぁ──!」


「そうだぞ! 俺もついでに殴る」


 笑顔から一転泣き顔に転身するクラスメイトを無視して、少女は視線を左斜め下に飛ばす。そこには、裏拳のダメージを感じさせぬ男が呑気な顔を浮かべていた。


「おいおいどうしたよ小山(こやま)。──そんな顰めっ面だと、可愛い顔が台無しだぜ?」


「……おいテメェ、覗き魔って言葉を知ってるか?」


「あ? 何だ藪からボブに。知ってるに決まってんだろそんなの。ええと、あれだ、盗撮だろ?」


 問いに、大岸はうんうんと頷いた。彼は顎に手を当て、真面目な顔を浮かべている。少女──小山はどこからツッコムべきか三秒悩み、すぐに考えを放棄した。馬鹿の相手をすると精神が異次元に連れ去られてしまうのだ。倫理的に。


「藪から棒だ馬鹿。ボブが飛び出して来たら危ねぇだろうが。……で、じゃあ今、テメェ、何か言うことはねーのか?」


「覗きにか? うーむ、そうだな……っておい、卑劣な変態行為じゃねぇか! 興奮するぜ!」


「死ねぇ──!」


「おあ、ちょ、足が! あ、ひ、捻り込む様に──!?」


 少女は、床に仰向け五体投地してこちらのスカートの中を下アングルから覗こうとしている変態の顔を足で踏みつけつつ、踏みなじった。そうしてから、こちらを恐怖の眼差しで見詰めている少年二人に視線を戻し──、


「さっさと言えよ変態ども。十秒カウントな。はいじゅーう、きゅ──う、……飽きた、いーち、ぜ」


「ストップ! ストーップ! はいはい答えます今答えますファイナルアンサー!」


「……仕方ねぇなぁ」


 慌てた二人に押し留められる。心底嫌そうな表情を浮かべた小山は、胸の下で浅く腕を組み、顎の動きだけで先を促した。二人の少年は、踏み詰られている大岸を見てから一度視線を合わせ、強い頷きを交わしあう。正座状態に戻った二人を見下ろす小山は、

 ……何か説教かましてるみたいだなコレ。……ククク悪くねぇ。

 無表情の下でそんなことを考えつつ耳を傾けた。


「俺たちが水着の写真を──それもややエロい写真を撮っ、否、否否この口めっ! ……持っていたのはですね!?」


「気になる単語があったけどよ……いたのは?」


「偏に、偏に小山の体が美しかったからであります!」


「──う」


 聞こえた言葉に耳が熱くなるのを感じて、小山は少しだけ仰け反り体勢になる。体を守る様に僅かに身を捩り、片腕を盾にした。


「はいです! 素晴らしいなぁと我々は常日頃からもう熱く議論を交わしている程でして!」


「今回は、何故そんなに美しいのか、検証してみようと言うことになってですねはい!」


「あ、勿論そこで悶えてる大岸さんもイチオシ大絶賛で!」


「こ、この変態がかよ?」


「はい!」


「……あ、ちょっと見えた。白のレースか、意外と可愛いの……あ──目が新感覚──!」


 代わる代わる、生き延びる為必死になって声を上げる二人の言葉の内容に、僅かにではあるが小山の頬に朱が散った。彼女は、身の内に得た恥ずかしさを誤魔化す様に咳払いをし、ニヤけそうになる頬肉をぴしゃりと叩くことで自分を戒める。

 ……そう、これは制裁だからな。手心はあっちゃならねーし。


「で……そ、その、マジで?」


 だから出来るだけ詳しく聞いた方が良いよなうん! という思いを得た彼女は視線を少し緩ませる。組んでいた腕を組み直し、もじもじと小さく動いたりしつつある彼女を見て、行ける! と感じた少年達は、


「マジですともええはい! 小山の──小山の体は最高だと! レベルマックスだと!」


「ぐ、具体的にはどの辺がこう、マックスなんだよ!? やっぱスタイルか、結構細さには自身があるんだけど!」


 ずい、と身を乗り出して来た小山に、あと一押しで生存イェー! と笑顔を浮かべた少年の片割れが、高らかに叫んだ。


「ええもう──小山の断崖絶壁っぷり、貧相を越えて憐憫の情に達する位のナイチチ度合いが! 浮き出た鎖骨の辺りから、なだらかなお臍まで何の障害も無く突破できるおっぱいはもう正に小山、ナイチチ、いや貧乳を越えた──」


 一息。


「──憐乳!!」


 その瞬間、教室内の雰囲気が音を立てて緊張した。うぐっ、などでは無く、ふ、と空気を重く吐く音と共に、小山の足下で身を捩っていた大岸の体が痙攣して動きを止める。異変に気付かず、尚も身振りを加えつつ言いつのろうとする少年を、片割れが必死に押し留めた。「どうどうどうステイステイ! 頼むから! し、死ぬからアレ……!」と食って掛かる友人を不思議そうに見詰めた少年は、は、と我に返る。視線の先に居る少女は、


「ふ」


 浅く呼気を漏らす様に笑みを零し、


「という具、あ、い、で……あの小山、様?」


「……ふふふ、血の華ってどうやって咲かせるんだろうな?」


「ひぃ──!」


 肩を落とし、前髪で顔を隠すように俯いた小山の唇から漏れた言葉は、平たい。平べったいのに美しさを感じないとは! と半ば現実逃避で(おのの)いた少年の前で、小山はゆっくりと面を上げる。彼女は努めて丁寧な口調で、


「お、おおお、おおおお……!」


「ふふ、どうしたのそんな怪物に出会った様な顔をして。──怪物? 怪物ってテメェ私のことか!? 哀れ乳はモンスターか! そんなにナイチチが好きなら、自分の胸板でセルフ欲望発散出来る様に修正してやる──! そこ並べ!」


「うわジャイアニズム準拠の自問自答──!」


 小山は勢い良く拳を振り上げた。しかし彼女は、その拳をそのまま叩き付けるのではなく、引き下げて顎の横に置き、脇を締め、


「さ、参考までに、どういう風に修正されるか聞いても良いか……?」


 冷や汗で顔中を濡らし、喉を鳴らす少年に対して左半身で構える。


「ああ、良いぜ。──トマトってどう潰れるか知ってるか?」


「うわあ真っ赤に爆散だぁ──!」


 逃げようとする少年二人に右ストレートをブチ込んだ。





 三丈は、廊下を歩いている最中に、横手の壁を錐もみ回転しつつ突き破って来た人影に遭遇した。クラスメイトの少年らだ。一人目が人間にあるまじき縦回転でIの字型に壁を抜き、タイムラグ無しに二人目が同じ場所を通って飛んでくる。軌道は真っ直ぐ窓の方へと向いており、何もしなければ直撃間違いなしのコースでこちらへ向かってくる。
 だから三丈は、瞬時の判断で身を反らし、左腕を伸ばして廊下の窓を開け放った。


「ぬわばばば! 人類初の生身重力下飛行──!」


「これが噂の横バンジー、って、あらぁ!」


 二つの人影はそのまま綺麗に窓ガラスの無い空間に飛び込み、グラウンド側の大空へとダイビングして消える。

 ……幸いここは二階、下は砂故に軽傷で済むであろう。

 校舎とグラウンドとの間には、幅にして約十数メートルのコンクリート地面があるが、それは計算に入れない。そこに落ちた時は、運が無かった時である。うむ、と満足げに頷いた三丈は、体重を支える為にかけていた左腕を振るって窓を閉め直した。視線を右に向ければ、そこには破壊された教室の壁がある。


「オイオイ一発でステージアウトしてんじゃねぇよヘタレどもが! 私の怒りはどこにぶつけりゃ良いんだっつの。……あ、これがあるか」


「……お? 気のせいか、俺様なんだか、小山に悶絶失神させられる夢を見てたんだが……後、今何かに強く踏まれているような」


 放課後を過ぎた時間帯、窓の外は夕焼けだ。紅に似た緩い暁の色が廊下の窓を透過し、破壊された壁を通過して室内の様子を照らし出している。教室中央に大岸と小山の姿を見つけた三丈は、一歩二歩歩み寄って壁から室内に顔を出した。


「ふふふ貴様ら。放課後の教室を破壊する遊びに目覚めるとは、随分ファジーな思考回路をしているね?」


「あぁ!? 何だ会長かよ。一括りにすんな一括りに、馬鹿が移るだろ。──具体的には、真夜中に全裸で『服無しライダー!』とかやっちまう病気にかかる」


 それと請求書はコイツ宛てな。大岸の抗議を無視して足をどけた小山は、辺りに散らばっている写真をかき集めながらそう呟く。更に足を進め、彼女の隣に立った三丈は、その手元を覗き込んだ。ふむ、と顎に手を当てて暫し思案し、


「請求者は折半だ馬鹿め。──で、これが今回の迷惑騒動の発端かね癇癪風紀委員長?」


「そうだけどよ……、って、何やってんだテメェ写真広げて。紙幣じゃねぇんだから透けねーぞ。あと癇癪じゃねぇ、正当な理由に基づいた怒りのパワーボムだ。罪状は貧乳侮辱罪……ぬああ今自分で貧乳って言った! ガッデム!」


「だから踏むなってノーモアストンピング! あ、いや待てよ? 少し気持ち良くないこともあ──そこはダメ──!」


「中々愉快な芝居をしている所悪いが……ふむ、貧乳か」


 全ての写真を等分に検分し終えた三丈は、振り返って蓑虫の如く床に転がっている大岸を見て、告げた。冷静な無表情から一変、彼は眉を浅く立てて大きく息を吸い、


「何故巨乳が無い! けしからんぞ貴様ぁ!」


「うるせぇ馬鹿野郎、巨乳は無駄脂肪だぁ──!」


 小山と大岸のツッコミが、期せずしてハモった。は、と顔を見合わせた二人は一瞬だけ見つめ合って目を逸らし、慌てた様に身振りで抗議する。先に声を取り戻したのは大岸で、彼は床から飛び上がる様に立ち上がり、


「きょ、巨乳だとぅ!? 貧しいが故に慎ましい貧乳の魅力が分かんねーのかお前! 確かに、男の浪漫が詰まった二つの夢袋に憧れる気持ちは分からないでも……うん、非常に良いものがあるがよ! 良いか、胸の──否おっぱいの魅力はなぁ、控えめな自己しゅちょ、って──! 何で殴るんだよ!?」


 眉を顰めて大岸を睨み付ける小山は、親指でくいと外を指し、歯を剥き出しながら低く唸る。


「……お前後で体育館裏来い。折角だ、奢ってやるよ交通費。地獄までの片道切符だけどな」


「おいおいセメントだな美沙(みさ)──奢ってくれんの!? マジか!」


「気安く名前で呼ぶんじゃねぇ──!」


 ……愉快な連中だ。

 三丈は横回転で吹き飛んでいく学友を眺めながら、冷静に写真を懐に入れる。何気ない顔で辺りを見回し、肩で息をしている小山などをスルーして一つ手を打った。あ、と声を上げ、片手を上げて挨拶とする。


「そうそう、俺には重要な用事があったのだった。──では失敬」


「オオイこら。さっき懐に入れたモン出してけや! つぅか、わ、私の写真混じってんだろ──!」


 ヒートアップして小刻みにステップなどを踏む小山から一歩退きつつ、三丈は内心で首を捻った。写真を渡す訳にはいかない。何故なら、

 ……これは高く売れる。そして俺は貧乳から巨乳まで何でもイケるスペシャリストだからね……!

 だから安全に逃げなければならない。そう思う三丈の視線の先では、小山が爛々と目を光らせている。逃げる為に三丈は二秒考え、徐に窓の外を見やり、


「……フフフ良いのか。大岸は貧乳が好みな様だが……今あれが飛んで行った方角は、貧乳自慢の集う女子水泳部のパーティー会場だよ?」


「なっ」


「『速さの秘訣は抵抗値が低いことです! ──なんだ哀れみの視線で見るな君らぁ!』というインタビュー記事が生徒会新聞に記載されていた覚えがあるのだがね……。今頃、水着姿で乳製品など暴食している筈だよ?」


「うぐ……」


 ぼそりと呟いた。聞こえた言葉に肩を震わせ、頬に朱を散らせた小山は一度窓の外を見、視線をさまよわせ、もじもじと足先で床をこじってから身を翻す。駆け抜け様に震われた左の豪腕を、しゃがみ込むことで回避した三丈は、床に落ちていた写真も纏めて懐に入れた。僅かに掠ったラリアートの威力で立ちくらみがするが、それを堪え、彼はゆっくりと視線を前に向ける。


「…………」


 その先にあるのは、一つの机だ。取り立てて見るべき特徴は無い。だが、三丈は歩を進めて机の前に立った。木材の表面を一度、指先で撫でる様にしてから屈み込む。天板の下にあるのは、金属で出来たフレームだ。フレームは一つの空洞を作り、そこは教科書等を収める為のスペースに他ならない。
 パイプのひんやりとした感触を掌に受けながら、三丈は無言でその空洞に視線を当てた。


「……く」


 音にならな声を唇で作り、そして苦鳴を噛み殺す。その表情に滲むのは、後悔と困惑だ。震える手指を伸ばし、なぞる様にする金属部分には、一言の単語が拙く綴られている。指先で擦れば消えてしまうその言葉は、黒鉛の粉で出来ている、鉛筆で書かれた過去の残滓だ。


「……何してるの?」


(みお)君か……どうしたのかね?」


「フフフ澪だけじゃないわよバ会長。二人で過ごしたあの熱い夜を忘れたのかしら。ああ、燃え上がる! 燃え上がるわ私!」


「残念ながら貴様と熱い夜を過ごしたことは無いぞ(みそぎ)──今日も寝言に余念が無いね?」


 背後、開け放たれた教室の扉の位置に、二人の少女が居た。一人は背までの長髪を揺らす長身だ。眠たげな瞼は重く、制服のスカートからすらりと伸びた足は眩しい。もう一つの影は扉にもたれ掛かる様にして浅く腕を組んでいる。禊と呼ばれたその少女は、癖のある髪を指先で弄りながら、つまらなさそうに言葉を零した。


「禊は名字で、名前は瑠璃よ。──名前で呼びなさいと、何度言えば分かるのかしらねこの抜け作は」


 溜息一つ。同じ制服を纏った二人の少女は、異なる表情でこちらを見ている。途切れた言葉の代わりに、教室内に踏み入ることで動きを作った澪と瑠璃は、机の前に跪いている三丈の姿に目を細めた。二人の対応はそれぞれ、


「その机……」


「バ会長、あんたついに机相手にも欲情出来る様になったのかしら? あんたって時たま想像を超えてくるから侮れないわね!」


「ふふふ、貴様には机の魅力が分かるまいよ。鉄パイプのラインは腰のくびれに匹敵する魅力があることは……はっ、その間に頭を突っ込んでいる俺は、つまり机の股を割っている状態かね!?」





 素晴らしい、と息を吐く三丈に白い目を向けた瑠璃は、澪にくいと袖を引かれ、彼が相対する机が誰のものであったのかに思い至る。だから彼女は、何か揶揄う様な言葉を投げようかと考えて、


「────」


 止めた。その代わりと言うようにそっと身を三丈に寄せ、唇を噛んだ。放ちかけた言葉は三人の間に空白を生み、しかし躊躇する彼女に構わず、澪は一歩を近しくする。腰を曲げ、膝に手をついて机を覗き込む彼女は三丈と視線の高さを同じくして、


「……もう、三ヶ月も前のことだよ」


「何のことかね?」


「惚けなくても良い、のに。……知ってるから」


 それきり黙り、澪は三丈の横顔をじっと見詰める。瞳を閉ざして僅かに眉根を寄せる三丈の顔を見、今度は机の方へと視線を向けた。動きによって滑り落ちた髪が頬横を流れて行くことに頓着せず、彼女はそっと手を伸ばす。


「夢が突然姿を消したのは、三丈と関係無いって皆知ってる」


 儚く刻まれた文字に触れるか触れないかという所で手を止め、澪は過去に思いを馳せた。クラスメイトの一人が、突然失踪してから既に三ヶ月が経っている。現在までも、その事件の全てが不明だ。誰かが連れ去ったのか、自分の足で姿を消したのか、どうして目撃情報が無いのか、どこへと行ったのか。そして、

 ……何が原因だったんだろう。

 それらしい素振りや事件も何も無い中での捜索はすぐに打ち切られ、事件は未解決のまま皆の中で流され、一時の悲しみを以て既に過去のこととされつつある。今では、クラスメイトを除けば、校内で彼女のことを語る者も居ない。その位内気で、人前に立つことを不得手とする少女だったのだ。
 一介の高校生には事件に関与出来る部分がほとんど存在せず、しかし彼らは重要なことを一つ知っていた。それは、普段は気弱な少女が勇気を振り絞った一大イベントで、


「姿が見えなくなる前の日に……夢は、三丈に告白したもんね」


 そして、


「だから……責任を感じているの?」


 告げた言葉に反応したのは、三丈ではなく瑠璃だった。彼女は、小さく視線を俯け過去を悼む。クラスメイトの誰もが、そのイベントを知っているのだ。勇気の無い少女が誰よりも勇気を振り絞って自分達に相談し、そして告白の場所をセッティングして貰ったことを、だ。そして、直ぐには返事を返せない、とだけ言葉を返した三丈の気持ちを、瑠璃や澪は何となく感じ取ることが出来ていた。それはきっと、戸惑いであり、恐怖であり、そして少しの歓喜だった筈だ。しかし、少女の想いに結果が出る前に、失踪事件でイベントは有耶無耶になり──、

 ……責任を、感じてしまっているのね。随分、警察にも絡まれたみたいだし。

 思う心の内には、憤りがある。だって、自分達は影からこっそり見ていたのだ。胸の前で小さく拳を握りしめ、体を震わせながら告白する少女の姿を。そして、逃げとも言える一言を受けた後の、安堵したような、幸せな微笑を。


「しゃきっとしなさいよ……しゃきっと!」


 放つ言葉には、思うよりもずっと力が無い。瑠璃と澪は顔を見合わせ、揃って小さく溜息を吐いた。どうにも雰囲気が湿っぽい。だから、瑠璃は頬を叩いて気合いを入れると徐に息を整え、


「ほら……おっぱい大きいよ?」


「ふむ……何と、またワンカップ成長を……!」


「色々待ちなさい──!」


 自分よりも早く自分がしようと思っていたことを実行されて、瑠璃は焦った。焦りすぎて逆に落ち着き、そこで三丈が言った『ワンカップ成長』という言葉の意味を理解し、反射的に、


「揉ーまーせーなーさーいー!」


「う……つ、強いよ、瑠璃」


 いつの間にか自分よりも僅かに大きくなった級友の胸を、悔しさのスパイスで揉み込んだ。





 辺りには夜の帳が落ち、世界はすっかり薄い黒に包まれている。舗装されたアスファルトの道路、その先々には点々と、街灯がぶら下げられていた。白の光はライトに近しい所では闇を払い、そこから離れるにつれて黒と混じり、薄い灰色を作っている。道の中央、その灰色の明かりの下を三丈が一人で歩いていた。彼は、片手に黒の学生鞄を提げて徒歩で移動している。他に人影は無い。視線が入らぬ様、コンクリートで築かれたブロック塀の向こうでは、茶の間で断罪系ヒーローの活躍を追うテレビ番組が垂れ流されている。平均視聴率三〇%を越える長寿番組だ。内容は、

『ククク出たな悪党め! 給食費を払わないとは卑怯千万! 行くぞ必殺ぅ──揚げパンボンバー!』

『ぐ、ぐぁっ、卑怯だぞ個人主義戦隊独身ジャー! 中途半端にブルーの癖に、エプロンのまま攻撃してくんなぁ──!』

『黙れ皆出会い見つけちまったんだよ! 喰らえ正義とボーナスのぉー、必殺! 自分へのご褒美──!』


 などと言ったもので、『三十を過ぎた大人達の悲愴感がリアル』と中々の人気を博している。社会に悪影響を与えるとすれば、純真な小学生達に独身ジャーごっこをせがまれる大人達の末路だけだろう。結婚四度目の独身ジャーレッド、そろそろ色褪せてきた独身ジャーピンクなど、中々ストレス社会に厳しい仕上がり具合になっている。


「うおおお! 合コン俺だけハブなのは何でだぁ──!」


「…………」


 横合いの住宅から響いてきた大声などを無視して、三丈は黙々と歩いている。見上げた空は黒く、都市部に当たるこの街では、天球を埋め尽くす様な星など望めよう筈も無い。それでも、欠けた月といくつかの星がまだ存在を主張していることに心地よさを感じつつ、三丈は腕を動かした。
 鞄を提げていない方の左腕を上げ、その手に握っているビニール袋を落とさぬ様気を付けながら携帯を探る。白に近い光が手元の闇を払った。手首のスナップだけで開いた携帯の画面には、新着メールの文字がある。クラスメイトに設定を弄られ、いつの間にかメールが来る度踊り狂いながら奇声を上げるのは待ち受け用のキャラクターだ。何でも随分と寂しがりやだということで、彼が現れてから十秒以上放置すると携帯内部のメモリーが全破壊される素敵特典付きの限定キャラだ。

 ……そう言えば、これを開発した会社の社長が今朝、記者会見でダブルアクセル土下座を決めていたな。

 幾つかの大企業の社長の携帯データが飛び、業務にかなりの支障を来したらしい。三丈は歩くペースは落とさずに、ボタンを幾度か押し込んでメールを閲覧する。発信者は自らの母であり、


「……『Dear息子。我、ちょっとカレー粉買いに、隣町まで行ってくるぞ。三十分程で帰ると思うから、腹を空かせて待っておれ!』……」


 同じ町内にも大きなスーパーはあるのだが、わざわざ隣町まで行く辺りが母らしい。老いを一向に感じさせない母の姿を脳裏に描いた三丈は、すぐにどうでも良いことかと携帯を閉じた。
 ポケットに携帯を仕舞い、視線を上げると、目と鼻の先に自宅がある。薄闇に佇む一軒家は、母一人子一人の住まいとしては上等の部類に入るだろう。少なくとも三丈は、家での生活に不自由を感じたことはない。自宅の離れとして存在する道場は、殆ど使わない今でも良い精神修養の場所である。不意に足を止め、三丈はビニール袋の中身を探った。

 ……突然甘いものを欲するとは、脳が疲れているのだろうか。

 そう言えば今日も、怪力系扁平胸や無学習系突っ込まれ男などとの遣り取りが多かった。全校女生徒のスカートを膝上五十センチにする校則に断固反対する輩を言いくるめたり無視して採決取ったりと、多忙であったこともあるかもしれない。

 ……ふふふ変態の相手は疲れるからね。

 自分のことは棚に上げ、三丈は袋の中からいくつかの包み紙を取り出した。どれがどの種類か敢えて確かめぬ様にしつつ一つだけ残し、残りはポケットにねじ込んでおく。掌の中、掴んだ感触はビニールの物。飴玉を飲む包装だ。


「さて、今俺の手の中にある飴玉は、無作為抽出された一品だ……そして、袋に入っている飴の種類は全四十二種! ……最もお気に入りとしているエターナルフォースブリザード味が出れば、それはつまり低確率を物ともしない俺が、神の上に立っているという現在進行系の厳然な証拠……!」

 真面目な顔でそこまで言い切り、勢い良く腕を振って飴玉の包みを確認した。目論見通り、『ランダム飴ちゃんランダバー』の袋から掴み取ったのは、エターナルフォースブリザード味のそれだ。他の者には『美味しくない、それどころか何か寒い! そしてイタイよ精神的な意味で!』と目下不評の味だが、そのシュールさが良いと三丈は思っている。舐めている最中、無性に髪を銀髪に染めたくなる衝動と戦うのも良い戯れになるとも。
 飴玉を包んでいたショッキングピンクと茶色のストライプ柄包み紙をビニール袋に放り込み、三丈は再び足を動かし始めた。何かを危惧したのか、エターナルフォースブリザード味の飴玉は他の物よりも小さいので、無くなるのが早い。ここから歩けば、玄関に辿り着く頃には消えて無くなっている。目測と経験則、それらからゆったりと進むペースを決定しながら、三丈は真っ直ぐ自宅へ足を向けた。





「……?」


 玄関のドアノブに手をかけ、回して引こうと掌に力を入れた瞬間に覚えたのは、違和感だった。僅かに掌から受けた感覚に、何とも言えない感想を三丈は得ていた。それは、今まで一度も味わったことの無い感覚であり、しかし不快感は感じない。


「空き巣の類が入れば、問答無用で傭兵が駆けつける様な家とはいえ……油断は禁物か」


 呟き、音を立てるビニール袋と、動きを阻害する学校鞄をそっと地面に置く。心の中に警戒の念を置きながらノブを捻った。手持ちの鍵で戒めを外した扉は軽く開き、そのことに三丈は軽く安堵を得る。音を立てぬ様に扉を引き開け、中から気配を感じないことを探ってから静かに一歩を踏み出す。出された右足は外と内、玄関によって隔たりを設けられている位置を踏み越え、地面を踏みしめる。
 その一瞬、遠い昔に聞いた歌を耳にした気がした。それは、聞き覚えのある幼い少女の声であり、同時に聞いたことのない少女の声にも聞こえ──、


「────」


 反射的に視線を巡らせた次の瞬間、三丈は見知らぬ世界に立っていた。






[13852] 第二話
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/01/03 04:31




 風が唸る。暴威で以って叩き付けられるのは、拳に押された大気の壁だ。一足先に過ぎた風が髪を揺らし、刻一刻と迫ってくるのに対して、三丈は腕を掻き抱くことで反応した。腕の中、窄められる空間に居る少女は瞳を閉ざしている。襲い来る拳は真っ直ぐこちらをむいており、何かが起こらなければ間違い無く直撃するコースだ。思わず、三丈は堪えきれずに目を瞑った。閉ざされた視界の中、奇妙な非現実感は未だ抜けきらず──、


「────!」


 音が響いた。重く、そして長い音だ。鼓膜を震わせる低音は、地震を思わせるかのように大きく強い。転がった体、その身に激しい衝撃を感じながら、三丈は自分が無事であることに疑問を得る。自身の身に痛みは無く、意識もはっきりとしたままだ。内心で得た疑問を解消する為、三丈が薄く目を開いた先にあるのは、一つの壁だった。


「おいおい、出会い頭にナックルなんざ、これ一体どんなエロゲ? ……俺好みのピチピチギャルはどこよ!?」


 壁が喋る。
 否、それは人の背中だ。暗色の装甲に身を包んだ大柄な背。胴部を守る装甲の下には、黒のアンダーシャツが覗いている。膝と肘、動きやすいように取り付けられた鈍色の金属は、防具だろうか。両腕を交差させて、砂色の拳をがっちりと受け止めているのは、見知った顔だった。肩越しにちらりと振り向いたその顔は、しかし記憶にあるものより精悍だ。


「……大岸?」


 零した呟きは、風に乗って少年に届く。色黒の肌、軽口を叩きながら視線を合わせた大岸は、三丈を認めて首を傾げ、視線を上にずらして二秒考えてから、


「あん? 見ねぇ顔だなおいてめぇ……! 姫さんと路上で発情とは何事だ!? 路チュー露出系か、危ない場面で釣り堀効果かよ!? ──俺も混ぜろ!」


「3Pプレイは未推奨だボケが──!」


 視界の外からぶち込まれた一撃に、回転しつつ吹き飛ばされて行った。少年と拮抗を保っていた巨人が姿勢を崩し、尻餅をつくように座り込むのを無視するように飛び込んで来た少女は、力強い動きで眉を立て、大体、と前置きをして息を吸い、


「吊り橋効果だドアホ! 釣り堀で魚以外釣れる訳ねぇだろうが! 現実見ろ現実──!」


 叫んだ。砂埃を物ともせずに仁王立ちしているのは、大岸と同じく、闇色の戦闘服を纏った小山だった。体のラインに沿う黒のコスチュームの上に様々なパーツを取り付け、肩には一本の薙刀を担いでいる。面倒臭そうに頬を掻く仕草は、やはり見覚えがあるものだ。

 ……だが、違和感がある。

 思う三丈の視界の端、人型に壁を抜いた大岸が半身を起こした。彼はやれやれとでも言いたげな顔で左右の掌を大きな動きで天に向けて、


「おい美沙」


「あん? 何だ辞世の句でも詠みてぇのか歩く破廉恥が。──後、さりげなく名前で呼ぶな馬鹿」


「熊キラーの一撃貰って、コンクリの壁ぶち破ってる俺の心配は無しですかよ!? 現実! 俺現実! つまり……だから、ええと、何だこういう時は、あー! ──乳揉ませろ!」


「……何でそう思考がエキセントリックなんだテメェは。どう考えても乳の話題に行かねぇだろうが」


「ええと、それはだな──」


 急にトーンの落ちた声で毒づかれた大岸は、一度眉根を寄せ、腕を組んで虚空を眺めてから寄り目を作り、


「……な、何だよ! 『どうせまた分かんねぇんだろ馬鹿』みたいな目で見るなよ! ああわかんねぇ! 俺様ちょっとわかんねぇよ貧乳神様!」


「誰が憐れ胸だぁ──!」


 小山は分厚く、鋭利に煌めく切っ先を勢い良く振り回す動きで大岸を指す。応じて動いたのは、瓦礫に埋もれつつヨガのポーズで体をくねらせている大岸ではなく、砂色の巨人だった。彼は、体を起こした反動で小山に掌を叩き付け、


「おせぇよデクの棒。──どこ見てやがる?」


 一飛びで中空へ飛び上がった小山に身を躱される。それは通常の人間では考えられない高さの跳躍だ。ムーンサルト気味に伸び上がった小山の体は、その高さを二メートルの位置まで飛ばしてゆっくりと降下を始める。体を丸め、回転を速めながらつくるのは、薙刀を下から上へ振り上げる動きだ。それは、手首のスナップと身の高速回転で勢いづけられ、巨人の手首を刈り取る軌道で行く。
 行った。


「────!」


 狙い過たず、正確に腕を寸断した小山は、音も無く着地して一歩飛び退る。遅れて響く巨人の咆哮は身を揺るがす物だが、しかし脅威には足り得ない。何故なら三丈は、こちらのすぐ隣まで来た彼女に腕を掴まれ、


「ぬ、……!」


 腕の中に居る少女と共に、数メートルの背後へと移動していたからだ。自分の身では味わえない高速移動を、しかし現実として感覚で得た三丈は、まるでジェットコースターだな、と胸の中で呟きを漏らした。寝ている者を起こす揺さぶりには、丁度良いとも。
 下げた視線の先、腕の中では、少女の体が微かに反応している。それは、深い眠りに落ちていた人間が見せる様な、気絶から回復する直前の動作だ。だから、三丈は努めて笑みを作り、


「フフフ目覚めの定番は、王子様のキスだったね……!」


 唇を落として行く。しかし、弧を描くそれが触れる直前、制動をかけられた。見れば、小山がこちらの襟首を掴んで止めている。彼女は明らかに不機嫌そうに眉をしかめ、


「──おいおいテメェもあの馬鹿と同類か。無許可で眠ってる女の唇奪うなんざ、やるのは彼氏か変態だけだ。……見ねぇ顔だが、股裂きと車挽き、どっちの極刑が好みか言ってみるか? ──今なら強制オプションで、素敵変身宦官マンセットも付いてくるぜ。史実とは違って、薙刀でチョンパだが」


 いつの間にか、首元に刃が突きつけられている。金属特有の冷たさが三丈の喉に薄い赤のラインを刻むのを感じながら、彼は意識の大半を思考に割り振っていた。

 ……見ない顔、か。

 考えるのは、大岸と小山、両名が放った言葉についてだ。それは、明らかに初対面の人物に向ける言葉であり、彼らの態度もまた、それに準じている。視界の向こうにある大岸の体は、彼が覚えているものよりも明らかに鍛えられており、それは小山も同様だ。纏う雰囲気も、僅かに違う。ドッキリにしては手が込みすぎており、また仮に驚かせ企画であるにしても、彼らがこの程度で済ませるとは思えない。何事も控えめさの足らない彼らが仕掛けるなら、『一瞬でも気を抜いたらハイ地獄! 二十四時間耐久ドッキリ・貴方の油断をぶっ刺しちゃうぞゲーム』位はやる筈だ。処刑人と名乗る、上半身裸にスエットのズボン、目の所だけ穴を開けた紙袋を頭に被った者たちが、『ぐへへ尻の穴を緊張させときな……!』と叫びながら、無差別にカンチョーしてまわっていたのは良い思い出である。処刑人たちがすぐに女生徒の尻を狙い出したので、小山などに千切っては投げられていたが、

 ……マジメに嫌われ系の教師を主にターゲットにしていたので、『リアルな社会の荒波が見える』と好評だったね。

 何せ、オーソドックスに廊下を歩いている最中から、こっそりと円形の穴を開けていた椅子越しに狙い撃ったりとフリーダムだった企画だ。


「失敬な、怪しい者などでは無いとも。……危機的状況につき、少しばかり人工呼吸を試みようとしていただけでね!」


「どう考えてもアウトだろーが! ったく、碌に武装もしてねぇ所を見ると、一般人か? ……めんどくせぇな」


 そう言って薙刀を引き、頬を掻く小山に三丈は、一つ肩を竦めることで応じた。


「俺のことは、彼女が起きてから聞くと良いだろう。今はそれよりも……」


 言って視線を投げる。その先にあるのは、手首を断たれたせいで、少しの間動きを止めていた砂の巨人の姿だ。肩に薙刀を担ぎなおした小山は、それを見て小さく鼻を鳴らす。顎をしゃくって、


「心配すんな……あれでも、大岸の野郎は優秀な前衛だ。……常に変態ゲージ限界突破気味な、救いようのない馬鹿でもあるが」


 視界の中央では、走る動きで巨人に迫る大岸の姿がある。彼は膝を撓めて腰を屈め、大きく両腕を引いていた。バネで作った力と推力は、足首から膝、膝から股関節、股関節から腰、そして背中から腕へと正確に伝えられ、


「気合一発、喰らっとけ──!」


 大振りの一撃となって撃ち込まれる。まっすぐに突き出した両腕の先で、巨人の体がくの字に軋み、衝撃に堪え切れずに破砕する。同時に叩き込まれた両の拳は砂の巨人の中心を捉えており、結果として、


「────!」


 オ、という音を伸ばす苦鳴を上げて、水平に吹き飛んで行った。既に倒壊したビルの一つを派手に巻き込むことで動きは止まるが、打撃を受けた箇所を中心にぼろぼろと崩れ去っていく。
 こちらに笑顔で振り向いた大岸は、


「おいおい見たかよ俺様の雄姿! 惚れたか!?」


「はいはい惚れた惚れた──これで満足か?」


 大岸の言葉に、投げやりに対応した小山はそう言って薙刀を地面に突き刺す。彼女が未だ気絶している少女を優しく揺り動かしていると、


「ふへへ素直じゃねぇなぁ美沙は! セメントか!?」


「…………」


「お? どうした、薙刀振りかぶって……」


「誰が固チチだテメェ──!」


 ふご、という豚の鳴き声の様な音を伸ばした悲鳴で、大岸は視界の隅から隅へと縦回転で飛んで行った。どうやら、基本的な性格は変わらないらしい、と内心に頷きを落としていた三丈の腕の中で、音と衝撃によって覚めた少女の瞼が上がる。それに気がついた三丈は、少女を離さぬ自分を不思議に思いつつ、


「目覚めの気分はどうかね?」


「うー……」


 まだ、完全に覚醒するには至らないのだろう。眠りが深く、一度睡眠を取れば目覚めないタイプか、と思う三丈の視線の先で、少女はぐしぐしと目を擦っている。ゆっくりとした動きにも関わらず、その胸部が大きく弾むことを見て取った彼は、目を擦る動きを止めさせようとして視線を一点集中させ、


「──ふむ」


 素晴らしい乳であるな、と満足の溜息を内心に満ちさせた。だから彼は、上げかけていた手をそれとなく動かし、


「見て触れて確かめる……調査の際の王道だね? あぁ、テンションが上がって来たね来たね!?」


「……おい何してるんだ」


 半目の少女に腕を掴まれる。だから三丈は、真面目な顔でうむ、と頷きをひとつ落して、


「けしからん胸が揺れていたので、三丈式の心臓マッサージなど、ぐおっ! な、何故に膝をぶち込むのかね!?」


「起きて早々破廉恥か貴様──!」


 正確に叩き込まれた膝は中々の威力である。そっと鼻の下に触れると、ぬめりを帯びた感触があるのが分かる。視線を戻すと、気味の悪い物を見る目で少女がこちらを見ていた。三丈はやれやれと首を振り、


「寝起きの悪い子だね……」


「……自分で膝ブチ込んでおいて何だが、お前大丈夫なのか? 鼻血まみれでフフフ笑いを零されると、非常に不気味というか……」


「ふははははははは」


「笑い方の問題じゃない!」


 さて、と呟き一つを零して懐からハンカチを取り出した三丈は鼻血を拭う。改めて見下ろせば、まだ少女は腕の中におり、


「……あー熱い熱い。何だこりゃあ、ハルマゲドンかぁ?」


「ちっ、なんだよ、イチャツキ万歳空間かよ!? 俺様無視してギャルゲの主人公みたいな真似しやがって……あー何だこりゃ、局所的に真夏到来ですかよ?」


 手で顔を仰ぎながらの二人の言葉に、慌てて飛び起き様とする少女の体を、三丈は両腕で再拘束した。


「なあ……っ! ななな何をっ」


「特に意味は無いのだが……ふむ、そうだね。敢えて言うならば、羞恥プレイを快感に変換する実験中、という所だろうか」


「……取り敢えず、お前が変態であることは良く分かった」


 いつの間にかこちらの直ぐ傍まで寄って来ていた大岸と小山は、胡散臭そうに少女を見、嫌らしい笑顔で顔を見合わせると、


「おいおい大岸、見たかよ? そういう系の話題にとんと疎いと思ってたら、こんな場所でまさかの公開羞恥プレイだぜ?」


「なんだよ只の変態じゃねぇか……と、それで美沙! 野外露出に興味あるか!?」


「ノリが良いのか悪ぃのか分かりづらい奴だなテメェは! エクストリーム過ぎるだろ馬鹿が──!」


「いや、いつも思うが……愛情表現にしては激しすぎないかお前ら」


 ……やはり、愉快な漫才だ。見慣れた体罰シーンよりやや激しい打撃を喰らった大岸が地面を転がっていくのを眺めながら、三丈はそう思う。
 だが、頭を振って見回す周囲、その景色はやはり見慣れぬ物だ。しかし、ふと見覚えのあるものが過った気がして視線を止める。そこにあるのは、


「学校の近くにあった、企画系パン屋の看板か?」


 軒先は見事に潰れているし、看板に塗布されたショッキングピンクの店名も消えかかっている。マッチョな店員が汗塗れのバニーコスプレで『ハハハ! 良い体をしているね君! パンを二つサーヴィスするから、ちょっと裏にお出でよ!』『あぁ、ちょっとだとも──すぐ新世界に旅立ってしまうから、体感時間的にはね! 天国天国!』と笑顔で出迎えするのが玉にキズだが、

 ……味は素晴らしい物だったね。特に、『搾りたてフレッシュ・男汁パン』などは練乳の甘味が生地にマッチしていたものだ……。

 突撃取材を敢行した勇気ある新聞部の部員によると、名前に他意はないとの回答が得られたと言うことだが、どうだろうか。
 しかし、今日の帰宅途中、企画系パン屋は潰れていなかったのをはっきりと三丈は記憶している。だとすると視線の先にあるものは一体何なのか。思考のループに嵌り込みそうになる三丈の意識を、少女の動きが引き止める。大岸らと暫し騒いでいた少女はようやく自分の体勢に羞恥を得たのか、やや慌てた動きで、


「というか、いつまでお前は私を抱きかかえて──ええい離せ!」


 跳ね起き運動で飛び上がった少女の体、ヘッドバッド気味の一撃を回避しながら、三丈はゆっくり立ち上がった。少女は、急な起き上がりによろめきかけたものの、何とか足元を確かにして、


「そうだ! お前の名前──」


「それよりも」


 意識して出した強い声に息を詰める。驚きがあるのか、少し仰け反り体勢になった彼女のポニーテールが背中ではなく、肩を回って胸側に下がっているのを見た三丈は、そっと濡れ羽色の黒絹を指先で払い、


「ここは、安全でないのではないかね? 俺は状況を把握しきっておらず、そちらは俺のことが分らない──ならば、落ち着いて言葉を交わすことが出来る場所に移動する方が先決ではないかと思うのだが」


「そ、そうか。ああ、それもそうだな。──取り敢えず本部へ連れて行こう。それで良いか? 大岸、小山」


「りょーかい、私は構わねぇよ」


「あぁ……ただ問題が一つあるぜ姫さん」


「どうした、真面目な顔して……天変地異の前触れか?」


 問われた大岸はゆるりと首を振り、極々真剣な表情をキープしたまま、


「俺、ちょっとシリアスしてたから、突発性『姫さんのバストサイズ知るまで動けない病』に」


「あぁ何だ、世迷いごとか。よし安心しろー、私がしっかり道案内してやるから──地獄までなぁ!」


「あ──そこはダメぇ──!」


「……あの二人のことは気にするな。案内する、私の後に着いてくると良い」


 言って、凛とした立ち居振る舞いで戦闘服姿を反転させた少女に、うむと頷いた三丈は、


「剣を忘れている様だが、どうするのかね?」


「あっ、……!」


「……本気で忘れていたのかね、君は」


 慌てた動作で、転がっていた大剣を拾いに向かう少女の後姿を眺めながら、三丈はもう一度、周囲に視線を飛ばした。記憶にあるパン屋の位置、そこから地図を思い浮かべ、目の前の光景に当て嵌めて行く。すると、

 ……町並み自体は、同じ物かもしれぬ。


 見上げた空は、厚い曇天のままだ。彼女らに着いて行けば、この謎は解けるのだろうか。そんな疑問を抱きつつ、三丈は三人に着いて行くことにする。どの疑問をさておいても、まず訊くべきことは決めている。


「……彼女の名前は、何と言うのだろうか」


「ん? なにか言ったか」


「いや……何でもないよ」


 何でもね、と呟く三丈の視線は、先を行く三人の背に固定されている。状況に振り回されるだけの今よりも、少しでも状況を振り回すことの出来る先を望んで、彼はゆっくりと右足を踏み出した。





 街。廃墟然とした街並みを抜けた先にあるのは、少々傷んで見えるものの、意外にも正しく機能する街だった。ただし、普通の、という形容詞からはやや遠い。灰色の空気の中で、わき上がる様な活気に燃え立つ区画のそこかしこに、見慣れぬ店が建ち並んでいる。
 それは、例えば軒先に剣や斧や槍などを吊した武器専門店であったり、金属板を継ぎ接ぎしたかの様な戦闘服であったり、果ては何に使うか見当も付かぬ機械的なアクセサリーを雑多に並べる露天であったりするものだ。少し視線を傾ければ、肉汁滴る肉の丸焼きをたたき売っている店から、マッチョな店員が道行く男性に男汁パンを押し売っている姿も目に入る。どことなく見覚えのある人と景色、それらを興味と関心で等分に眺めながら三丈達は足を止めることなく歩んでいた。向かう先には、


「……元・学校といった所だろうか」


「何当たり前のこと……って、記憶喪失だったっけか、テメェは」


 三丈から視線を逸らし、何かやりづれぇなー、と頭を掻いているのは、小山だ。その隣に並ぶ大岸の視線は、こちらではなく、さりとて小山の方に向かうでもなく、


「うっほあの姉ちゃん水着かよ……! 後ろ姿だけで無双ゲージ三本は溜まるな……!」


 尻を振りながらジュースを歩き売る、売り子の後ろ姿に向かっている。またツッコミか、飽きぬのだろうか。と思う三丈の数歩先で、しかし小山は一瞥を投げるのみで、その代わり、


「盛り上がってる所に水差してやろうか? ありゃ女装した細っこい男だ馬鹿め。隠しポイントでホモ尻型夢想ゲージ溜めんのも程々にしとけよ、仕舞いにゃ殴るからな──刃の部分で」


「……おいおい美沙さん、俺様の首があらぬ方向に曲がっちまったまま動かねぇのは、気のせいですかよ!?」


「大の男が細けぇことに拘ってんじゃねぇよ──良かったなぁ天罰下って!」


「あわや鋭い切っ先部分──!」


 肩に薙刀を担いだまま、上半身を回す様にやや大げさにそっぽを向く動きが作るのは、大岸の首に入る一撃だ。片方は強制的に、もう片方は意識的に顔を外側に向けているので、後ろから見る二人の姿は存外シュールな物がある。周囲の皆は、薙刀が届く範囲に近寄らぬ様にそれとなく遠退いている。


「いやいや美沙、こりゃあ誰がどう見ても人罰……」


「仕方ねぇなぁテメェは。よぅしここは一丁民主主義に則って、多数決で決めてみるか。……はい今の、天罰だと思う奴挙手──」


「は、はぁ──い!」


 大きく薙刀を振り上げながらの小山の言葉に、周囲数十名の手が一斉に上がった。中には両手万歳で一人二票を得点する猛者も居るが、それらも等しく加算しつつ計算した小山は、


「──ほら見ろ、皆ニコニコ超民主主義!」


「……いくら俺様でも、それは絶対王政という奴じゃねぇかと思うんだがどうよ!?」


「あぁ?」


 大岸は、ゴキリと音を立てながら首を元の向きに戻すと、改めて周囲に目を配る。視線の合う先、脂汗を浮かべつつアイコンタクトで送られてくるテレパシーは、

 ……余計なことすんな馬鹿岸……!

 受信に失敗し、おおそうか、俺様民衆に慕われてんなぁ、と見当違いの呟きを漏らした大岸に周囲から殺意の波動が集中するが、彼は気にした風もなく、


「まぁ、そんなことはどうでも良いんだよ。──で、何の話だったっけか? 尻か? それとも意表をついて(ふく)(はぎ)かよ!?」


「意表ついてんのはテメェの脳だボケェ──!」


「ひぃぃ人間カタパルト射出──! 総員退避──!」


 などとやっている。吹き飛んだ大岸を鬼の形相で追いかける小山を諦めの表情で見詰めながら、隣の少女は一つ溜息を落とした。背の大剣を揺らす動きに合わせて髪が揺らめき、僅かに好ましい香りが漂ってくる。その薫りにも覚えがある様な気すらして、三丈も思わず溜息を吐く。少女は三丈を横目で見てから、周囲の皆に一度頭を下げ、


「……気にしないでくれ。皆慣れているし、いつものことだから。……で、ええと、私達が本部と呼んでいるあの建物なんだが──」


「学校、と言っていたね」


 あぁ、と頷く少女の周りでは、気にするなとでも言う様に人々が笑顔で手を振っている。そこに暖かな物を感じて、慕われているのだな、と悟る三丈の相槌に答える少女の言葉は、聞き取りやすい。だから、三丈は思考を一旦留め、少女の話に耳を傾ける態勢を整えた。


七杖並(しちじょうなみ)学園、聞いたことはあるか?」


「……無いことも無いこともあるね」


 何だ変な奴だなぁ、と言って笑む少女の隣、勿論、と言いかけて言葉を濁した三丈は小さく息を吐く。道中、こちらから名前を尋ねた時には名を伝えてはくれなかった彼女は、

 ……落ち着いて話すことが出来る場所で、改めて自己紹介をするとのことだったが。

 何か、自分と関わりのある女性なのだろうか。少なくとも、あちらはこちらを知っている。何故なら、名乗った時の様子はただ事ではなかったからだ。そう思う自分の左手で、彼女は淀みなく言の葉を紡いでいる。


「学園と言っても、完全に学舎として機能していたのは二年前までだ。何故かは分からないが、奴らの侵攻がこの国、この都市に集中しだした頃から、この建物は──」


 言葉と同時に、三丈と少女は揃って校門であった場所を潜る。見上げた先にあるのは、やはり違和感のある建造物だ。話をそのまま信じるとするならば、建物は使い回しているのだろう。横に長い白亜の校舎、広大なグラウンド、堅牢な体育館はそのまま判別出来るものだ。ただ、窓に渡された格子や、校舎の最上階に据えられていた時計の錆び付いたさま、至る所に備えられたバリケードなどが異質な空間を作っている。視線を向ければ、敷地を囲む塀はうず高く、只のコンクリートとは違う建材で構築されていることも見て取れる。
 僅かに息を呑んだ三丈に気付かず、淡々と言葉を繋ぐ少女は、


「日本における対異世界対策基地として、戦闘・情報収集・技術開発・その等あらゆる力の結集する場所になっている。殆どの戦闘員や研究員は半ばここに泊まり込みだよ。私や小山、大岸なんかの学生が駆り出されたのも、同じ頃でな。入学早々戦闘の毎日だ。……今は分からないことだらけだろうが、何はともあれ客人(まれびと)よ──」


 数歩先んじて反転し、両腕を広げ勇ましく口元を吊り上げた笑みで、


「――世界の最前線へようこそ。今の気分は、どんなものだ?」


 告げた。湛えた表情は挑戦的で、凜とした風情すら感じるものだ。少女の問い掛けにどこか試す様な色を感じ取った三丈は、新たに湧いた数種の疑問を脳内にストックしつつ、緩い笑みを作ってみせる。


「全く、つくづく俺の想像を越えて来る場所だね。だが確かに、ここが全ての集う最前線であるならば」


 しかし、彼はそこで一度息を止め、


「────」


 詰まる呼吸を飲み下す様にして、無理矢理息を吸う。それは彼が驚愕を感じたことの証左であり、それは、


「……夢君」


 胸の奥から込み上げる身が震える程の、押さえ堪えて来た感情の瀑布だ。見開かれた瞳の先、腕を広げて立つ少女の先には、近くて遠い記憶の中に居続けた人が一人立っている。制服を纏い、赤茶けた黒の瞳を上目遣いで覗かせる少女だ。肩までの髪を揺らす彼女は、両手に提げた花籠を取り落とし、


「み、みたけ……くん?」


「夢か! ──ん、知り合いなのか?」 


 背後とこちらを見やった少女は、二人の表情を見て横に退く。「今は何も聞かん」と呟いて門扉傍の樹に背を凭せ掛けた彼女に、三丈は心の中で礼を述べた。


「彼女が俺を知っているならば、そう言って差し支えはない、ね」


 零すように落とした言葉に返るのは、言葉ではなかった。夢と呼ばれた少女は、花籠のことを意識の外に追いやって、ただ二本の足でこちらへと駆けてくる。裾が翻るのは恥ずかしいと、走るのは苦手だからと、いつも皆よりゆったりとしたペースで歩いていた彼女は、蹴立てる様にする足下の砂利も、乱れる前髪もその全てを無視して、


「あぁ、……!」


 軽く、華奢な体が三丈の胸に飛び込んで来た。余り運動の出来ぬ三丈ですら受け止めることの出来る、そんな飛びつきの抱擁だ。咄嗟に抱き留めた腕に伝わるのは女性特有の柔らかさで、胸に当たるのは小さな衝撃でしかない。両腕を回せば、楽に腕の中に収まってしまう体躯、しがみつく体は、熱い。


「三丈くんだ……みたけ、み、あ、……っ」


 身が軋む程強く、夢の手指が制服の布地を掴む。伏せられた視線、胸元に押しつける様にしていた顔が仰向き目線が合った。濡れ霞んで見える薄茶の瞳は、(うつつ)から遠い物にも見え、だがその中心には紛れも無い自身の顔が写っている。彼女はぎゅっと丸めるようにして身を屈め、その反動で仰け反る様に、


「────!」


 叫声が周囲に木霊する。堪えていたものを解き放つ様な、そんな声だ。動きに合わせて流れて言った涙の雫は煌めいていて、酷く幻想的ですらあった。天に向かう様に、三丈に向かう様に、夢の矮躯から迸った感情のうねりは、音となって響いていく。
 三丈は思う。あ、という音を長く伸ばしたかの様な泣き声は、まるで、

 ……自らを偽ることを知らぬ、子供の様だよ。

 ならば彼女は、

 ……それだけ、疲弊していたということだろうか。

 気付けば周囲、様々な人が足を止め、目元を緩めてこちらを見ていた。ある者は落ちた花籠を丁寧に拾い、またある者達は小さな花々をごついバニーコスプレのまま綺麗に収め直している。哀しみを(はじ)くが如き純白のタオルと、疲れを飲み込む様な漆黒の毛布を揃えて、こちらの傍に置いていく者もいた。次々に持ち寄られる品々は、ペットボトル入りの飲料水や木刀から始まり、一キロパックの小麦粉と山盛りのラー油を通過して、最後にそっとダンスなど踊る全身西洋甲冑姿の集団へと終着する。彼らは物を持たぬ代わりに、金属で出来た鎧で音を立てない様、阿波踊りで夢を励ましながら、


「ヘイヘイ俺たち、夢さん親衛隊! YO!」


 小声のラップでリズムを口ずさんでいる。『美少女とお近づきになり隊』と書かれた鉢巻きとたすきをかけた輩などは、遠くから夢の泣き顔を写真で激写しつつ、


「はいそこー! き、来たコレですよベストショット! 夢ちゃん愛してる!」


「くああ見ちゃダメだ! 我らのアイドル夢ちゃんの泣き顔なんて……な、あ──指が一人でにシャッター切っちゃう! 切っちゃう止まらない!」


 小型のデジカメから一眼レフまで器具は様々だが、誰もが距離を取っているということは、ある種の気遣いの一つなのだろう。しかし興奮してデジカメの設定を連射モードに切り替えた辺りで、「う……るせぇぞこのボンクラどもがぁ──!」「あぁっ、カメラ、カメラだけはお慈悲ふご──!」と額に青筋立てた小山になぎ払われていた。三丈が宙を飛ぶ男達を無視して視線を戻すと、夢はもどかしげに息を継ぎながら泣き声を上げており、


「……今は、気の済むまで泣くと良い」


 三丈はその身を優しく包むことを選んだ。震える背をあやすように撫でつつ、押しつけられる体の小ささ、その感触に心が震えるのを感じていた。どこまでも内気だった少女は、見知らぬ場所で皆に受け入れられている。それでも、慟哭を上げる程の寂しさを感じていたのか。
 三ヶ月前、突然姿を消した彼女はどうやってここに来て、何故ここで生活し、そして何故、

 ……同様に、俺もここに居るのだろうか。

 疑問は尽きず、ただ胸の内には溢れそうな安堵の念がある。腕の中で泣きじゃくる彼女は、一回りも痩せてしまったような印象さえあるが、五体満足で居る。


「────」


 寂しさを訴える様に、安心する様に、顔を歪め、目の端を真っ赤に腫らしながら叫びを上げる少女の声が、いつまでも学園の敷地に響いていた。
 いつまでも。




[13852] 第三話
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/01/03 04:31



 部屋がある。中には人一人が通れるだけの扉があり、対面には外の景色が大きく広がる窓がある。片側の壁には書棚が立てられており、そこには様々な物が並んでいた。それらは束になったファイルや、分厚い辞書らしきもの、小さなアンティークなどで、雑多な内容であるにも関わらず、整然としてどこか品を感じさせるものだ。足下には紅のカーペットが敷かれ、隅には大輪の華も生けてある、そんな部屋だった。
 窓の前には重厚な樹木の机が据えられており、そこに三人の男女が居た。どっしりとした高級感のある机の前には、詰め襟の少年と長い髪を結った戦闘服姿の少女が並び、机の窓側、クッションの利いた椅子に深く腰掛ける女性は、


「初めまして、貴方が噂の──白昼堂々、校門前でイチャコラしていた少年ですのね?」


 胸に手を当てた姿勢で、立ち上がってから小首を傾げ微笑んだ。美しい女性だ。年の頃を感じさせない美貌は、まるで光り輝いているかの様にその場に君臨している。眉ははっきりと、しかし柔らかく、小鼻はつんと上を向いていて高く。唇は妖艶な程赤く、頬のラインはすっきりと細い。恐ろしい程に顔が小さく、そしてパーツの全てが絶妙なバランスで収まっていた。胸元を押さえる手指は細く長く、肌は磨き上げたかの様に白くてきめ細かいのが、机を挟んでも見て取れる。
 癖の無い濡れ羽色の長髪は流すまま、派手な化粧や装飾品が無いにも関わらず、その女性は極めつけに(たお)やかだった。身につけているものこそ仕立ての良いただの無難なスーツだが、その体の細さ、しなやかさは全く隠し切れていない。白のシャツから覗く鎖骨も、胸元から腰のくびれにかけてのラインも完璧なソレだ。凡百の女性では到底太刀打ち出来ぬ美貌を緩ませた笑顔は、柔らかく魅力的で、そして何よりも目を引くのは彼女の瞳だった。黒曜石に似た瞳は星屑を散らした様で色深く、しかしどこまでも澄んでいる。深い、強固な意志を感じさせるそれは揺るぎない。
 十人に聞けば文句なしに全員が美人だと答えるだろう目の前の女性に対し、しかし詰め襟の少年──三丈は、


「ふむ……初めまして、と返しておこうか。前田・撫子」


 あくまでも素っ気なく相手の名を呼ぶ、という行為で言葉を交わした。その表情は常のもので、夢と対面した時の様な驚きも、隣に立つ少女を見詰める時の様な不思議な郷愁も無い。ただ平坦に、美女を見詰めている。そのことに疑問を得たのか、女性は更に首を傾げ、何でもないことを聞くように、


「うーん、珍しいですわね? 撫子を見て、驚かない・見惚れもしないだなんて」


 放たれた傲慢とも言えるこの言葉が、絶対の自信に裏打ちされているのを三丈は知っていた。そもそも彼女は顔も、体も、仕草も、雰囲気ですら見惚れるに足る女性だが、三丈は目の前の女性の顔を見慣れる程見たことがあったし、尚かつ、


「貴様のことを知らぬ者の方が少ないのではないかね? ──世界きっての大女優だった筈だが」


 笑みつつ告げるのは、これまで見掛けた人々と、自分の記憶にある人々の特徴などから推測して、ひとまず「知っている人物に関しては、性格・能力などが大きく変わることはない」として立てた仮説に基づく発言だ。どうやらそれは正しかった様で、目の前の女性は嫣然と微笑んで見せる。
 三丈にとって撫子は、直接の知り合いでもある女性だが、同時にやはり、小山や大岸らと同様、こちらを初対面として扱う人物でもある。だからこそ、なるべくこちらから情報を出し過ぎない様にと告げた言葉だ。だが、敢えて試す様な、傲岸とも言える三丈の態度に撫子は怒るでもなく、


「うふふ、それでも、自己紹介はしておきましょう。今ここに立っている前田・撫子は──女優ではなく、ここ、対異世界対策基地の最高責任者を拝命している、まぁ皆のお母さんみたいなものですの」


「フフフ、先程も聞いたよ。対異世界対策……略称イタイ基地か」


「オイちょっと待て」


 三丈の発言に、それまで黙していた少女が勢い良く振り向き様に突っ込んだ。その眉が浅く立てられているのを見た彼は、


「何だね?」


 変化を見せぬ顔で、ごく普通のことであるかのように向き直る三丈に、少女は米噛みを指で押さえることで反応する。彼女は一度首を振って変な頭痛を追い払い、髪を掻き上げている少年に対して一、二で拍を取り、


「ふざけてるのか貴様ぁ──!」


 思い切り膝をブチ込んだ。くの字に折れた三丈の体を見下ろす様にしながら、彼女は息も荒く三丈を叱りつける。視線の先、地面に片膝をついたままの彼を強い動きで何度も指差しつつ、


「全く……! 先程から貴様という男は、何かに付け真顔でふざけおって! 泣き疲れた夢を医務室に運ぶ時、尻をさも当然の様に捏ねていたりとか、見てたんだからな! ……こら何を俯いて痙攣しているんだ!? 『フフフ妖精達がベリー踊っているよ』何て言っても騙されないぞ、どうせまた新型の白昼夢でも見ているんだろうお前!」


「あらあら、仲が良いですのねぇ。……こちらからだと、脂汗掻いて無表情で悶絶している彼の顔が良く見えるのだけど……優妃?」


「いや、だから私は演技はやめろと……ん、あれ、え、演技……だよな?」


 はっ、と全力全開だった少女の勢いがそこで止まる。撫子の零した呟きが空気に溶けて消え、気まずげな雰囲気が室内に満ちた。
 沈黙だ。それは、俯き震える三丈の動きが演技などではなく、正真正銘少女──優妃によってもたらされたマジ一撃による物であることを示している。だから優妃は対応に迷い、三丈を見、撫子を見、もう一度三丈に振り直ると、


「だ、大丈夫か……?」


 言って、覗き込む動きを作る。膝に手をつき、上体を撓める様にするその動きは、戦闘服によって締め付けられた窮屈な胸元を軽く弾ませ、


「だ、大丈夫だとも……! 肉体派ツッコミとは、君も中々個性的だね?」


「……なぁ、参考までに、今お前がどこに向かって喋りかけているのか聞いても良いか?」


 優妃は、満面の笑顔で聞いた。やや蒼白な顔でこちらを振り仰ぐ三丈は、無理をした笑顔でうむと一度頷き、友好の為に手を伸ばしながら、


「ああ、良いとも……俺は今、君が屈むと丁度目の前に来る、このけしからん胸に向かって自己紹介をだね……!」


「乳を揉みほぐしながら言うことかぁ──!」


 反省の念があるのか、胸を掴む五指を優しく引きはがしながら、優妃は溜息を吐く。どこまでが本気で、どこまでがふざけているのか分からない男だと、そう思いつつ軽いデコピンなど放ち、更に嘆息した。現に、こちらの胸を触る手指は簡単に離している。


「というか、撫子の存在無視でどういう見せ物ですの。仲が良いのは分かりましたけれど……娘の乳は安くありませんわよ?」


「なっ!」


 挟み込まれた撫子の言葉に、二人は同時に声を上げた。しかし、僅かに頬を染めて抗議しようとする優妃よりも、いち早く反応したのは三丈の方だ。彼は、折っていた身を無理矢理起こすようにして目を見開き、机に一歩を詰め寄ることで室内の風を動かす。それは顔色を変じ、抑えきれない焦燥に駆られた動きだ。だからこそ、


「今……!」


 木製の表面に激しく叩き付ける掌は激しく音を立て、その音に目を丸くする優妃に目もくれず、


「今……何と言ったのだね!?」


 短い叫びは、剥き出しの感情だ。痛みも、駆け引きも、その全てを置き去りにして、三丈は撫子に詰め寄っていた。その声には気付かずにいた事実を突きつけられた様でいて、しかし気付いて居たことを眼前で暴かれた様な響きがある。僅かに色を失った白の肌と、鋭い銀灰色の視線が撫子に向かう。しかし肝が太いのか、応ずる撫子は僅かに眉を顰めただけで小首を傾げ、


「どこか、おかしなところがありまして? そこの娘は──この私、前田・撫子と伴侶の柔との間に生まれた、自慢の娘なのですけれど」


「そんな……馬鹿な」


 馬鹿な、と呟いた三丈は、よろよろと数歩後退し、青ざめた顔で胸元を掴んだ。それは、高速で打ち乱される鼓動を止めようとするかの様な動きだ。
 彼は馬鹿な、ともう一度呟く。奥歯を噛み締めるように、息と力を詰まらせた彼を見て、二人の女性は何事かと首を捻った。二人は、互いに顔を見合わせて疑問を共有する。思うことはただ一つだ。何故、三丈がこれ程にまでも取り乱すのか、ということ。
 浮かべた問いは同時に、しかし先に動いたのは優妃だった。彼女は一歩を踏み出すことで距離を近しくし、俯いた三丈に気遣いを向ける様に、そっと、


「……どうか、したのか」


 控えめな問いかけは、どちらかと言えば呼びかけに近い物だ。だが三丈は、大きく首を振って視線を落とし、その先にある絨毯を注視する。否、良く見ればその瞳が霞んでいることが分かっただろう。
 視線の向く先は、過去だ。過ぎ去った日々、在りし日の思い出が三丈の目の前に蘇り、鮮明にその時の軋みを見せつけている。激しく痺れる様な幻痛が奔るのを感じながら、三丈は肺から息を吐き出し、苦しげに大気を吸うことで抗いの念を体に篭める。


『みつる──!』


 撫子の存在を見て、まさか、と思っていた。彼が彼女を知っていたのは、両親との繋がりもあるが、彼女が──撫子が、優妃の母親だったからに他ならない。取り繕う様に誤魔化す心は依然、そんな筈は無い、と弱々しく叫んでいる。だが、忘れ得ぬ記憶の打撃が、三丈の身を打ち据えていた。視野が急激に狭くなり、感じる世界が曖昧なものになって行く。両の足先から感じる床の感触は異なる物だが、それすらも霞んでいた。ただ、過去を抜ける記憶と、今を思う思考だけがはっきりと先鋭化していく。
 足りぬ酸素は心臓の脈動を乱し、乱れた鼓動は体を下す。無意識によろめいて片膝をつき、三丈は思考が沸騰している感覚を得た。焦燥と驚愕でひりついた舌は上手く動かず、だからぐるぐると推理と論理と現実だけが頭を巡る。雨の夜。幼き頃のあの日。水の音。悲鳴。甲高い叫び。強い声。味わった過去はひたすらに、そんなことはあり得ないと体を軋ませる。だが目の前の撫子は、確かに少女のことを娘と──優妃と呼び、それは、


「……っ、おい! 大丈夫か、三丈! 答えろ、──満!」


「────」


 は、と大きく息を吐くことで、三丈は我に返った。くずおれる様についた膝、力ない体を支えるのは、自身の手と、

 ……彼女の、手か。

 視線を上げずとも、彼女が隣に居ることは感じることが出来た。気付けば瞼を下ろし、闇に染まった視界の中には身体の冷たさがある。全身に浮いた冷や汗は満遍なく三丈の身体を濡らし、冷え切った体は固く、ぎこちない。肩を上下させ、無理矢理に酸素を取り込む動きの中で、三丈は休息ではなく、その瞳を開くことを選んだ。開いた視界は十全とは言い難いが、それでも思考の補助に足る物だ。彼は、自身の隣にしゃがみ込み、こちらに手を貸して眉を下げた表情を見せる少女を見やり、


「……すまないね」


 零した言葉に力は無く、浮かべた笑みに気力は無い。だが、それでもと三丈は自身を奮い、総身に力を込めることでゆっくりと身を起こした。隣、心配げな表情でこちらを窺う優妃や、正面、机から離れてこちらへと手を伸ばす撫子にかぶりを振り、その助力を固辞する。詰め襟の袖で顔に浮いた汗を拭えば、力ないものの、それは半ばいつもの彼だ。喜でも怒でも哀でも楽でもなく、平坦に無表情足ろうとする少年の顔だ。彼はおぼつかぬ足下に内心で苦笑を落としながら、左に立つ優妃の肩を掴む。
 その動きに、嫌悪や警戒でなく、純粋な疑問と心配を感じた三丈は、胸の内に微笑を満たす。動きに重ねて、続ける言葉は、


「改めて、君は……君の名を、聞いても良いだろうか」


 唐突な問いに、優妃は戸惑いを隠せぬ様に一瞬視線を逸らせ、一度疑問を置いてから、うんと頷いた。こちらを見詰め返す視線は強く、黒曜石の瞳は覗き込める距離で見ると、吸い込まれそうな程に果てが無い。不意に抱いた感想を悟られぬ様、意識して体の動きと表情を締めながら、三丈は優妃の言葉を待った。必死な思いが伝わったのか、彼女は疑問を前に挟むことなく、


「自己紹介が遅れた上、何か不意打ちで母様に暴露されたのは納得いかんが……私の名は前田・優妃。柄では無いが、優しい妃と書いてゆうひと読む。母はここの長だが、私は一介の戦闘員に過ぎない。だから好きに呼ぶと良い。──三丈・満、私はその名前に覚えがあるが、お前は私の名に……覚えはあるか?」


「優妃……いや、……どうやら、勘違いだったようだね」


「……そうか」


 努めて静かに息を吐き出すことで表すのは、見せかけの落胆の念だ。それを訝しげに見る優妃と撫子から目を逸らす様に顔を伏せ、一歩後退して目を瞑る。考えるのは、やはり目の前の少女のことだった。有り得ぬ筈の存在が目の前に居ることを思い、しかし足から響く慣れた痛みは、それが夢幻などでは無いことを痛烈に指摘する。それでも、三丈はこれが現実だとはどうしても信じることが出来なかった。だからこそ吐いた嘘は飲まず、しかし蒼白い顔のまま、彼は普段通りの声を意識して作り、


「では──巨乳君、と」


「おい」


 半眼の優妃が平坦な声でツッコミを入れた。三丈は呼吸を整え、両の手を左右に広げながら、真面目な顔で先を続ける。


「何かね? 好きに呼ぶように、と言われた故、君を巨乳君と──はっ、ま、まさかこれは失礼をした!」


 焦った顔で胸に手を当てた三丈は、眉をフラットにした無表情の優妃に視線を合わせ、


「もう何だ、私は何て言ったら良いか分からないが──何だ馬鹿」


「乳神様に、只の巨乳などと──、いけない口は俺の口かね!? ええい、乳神様、この口めに神罰を! 神罰を! 具体的には、圧死する勢いで挟み込みなどを!」


 一歩詰め寄りながらの叫びに、優妃は身を捻り、片腕で胸を隠す様にしながら肩を震わせる。声は、染まった頬故か微かに震えた物で、だから彼女は、


「だ、」


「ダイナマイトボディ──正解かね?」


「誰が、っ乳神様だ神格化するなぁ──!」


 応接用のテーブル上に置いてあった、剥き出しのクッキーを神罰として叩き込んだ。





「おお……シナモンの粉がカーテンの様に……」


 頼りなげに、トリップした視線を僅かに上向けた三丈を無視して、優妃は大きく肩で息を吐いた。右の指先、そこに付着したクッキーの粉を舐め取りながら振り向けば、呆れた様な、楽しむ様な視線と目が合う。だから、


「あらあら……右手の指を舐めてるそれ、間接キスですの? ふふ、大胆な娘ですこと」


「ブブー! ち、が、い、ま、す……!」


 優妃は両腕で罰印を作り、全力で否定してやった。というか、娘が目の前で不審人物にセクハラかまされているというのに、この人は何も思わないのだろうか。疑問は視線に乗り、機微に聡い母親は、頬を緩めて首を傾げるのみだ。それは、事実無言の肯定であり、

 ……自分で何とかしろ、と?

 思う心には、諾と否が同量存在する。何故か嫌悪は無い。彼が戯れに触れてくる動きが、どこか、迷い子の寂しさを感じさせるからだろうか。
 三丈・満。目の前の男は否定したが、この名前には、彼女に取っては深い意味があった。それは、過去を刺激するとっておきのスパイスだ。刺激は思い出を呼び、思い出は同量の後悔を起こす。胸の内を占める感情は易いものではなく、

 ……どこに持って行けば良いと言うのだ。

 その先に、答えは無い。年の頃も、記憶に染みついた口調も、その全てが懐かしい物を感じさせるのは、意味の無い郷愁か、それとも、彼が嘘を吐いているだけなのか。そんな風に得た疑問は、行き着くところを見つけられずに、再び胸の奥の深い所に沈んで行く。彼から感じる何かは自身の中の直感を刺激し、彼がまさしくその人物である、というあり得ない確証を抱かせる。
 夢とのこともあった。ここでは周知の事実となって久しいが、彼女は本来、


「……三丈。そう言えばお前、どうして夢と知り合いだったんだ?」


 水を向ける様に問うた言葉は、ややキツさの残る厳しい物だ。しかし問われた彼は、ふらふらと身を揺らす動きを止めてこちらに視線を投げる。そこに含まれているのは、純粋にも見える疑問だった。だから、


「お前と夢が知り合いなのは、先程の遣り取りからして間違い無い。……彼女がここに来たのは三ヶ月程前のことだ。そして彼女は──」


 そこで言葉を句切り、意識して息を吸う。


「──異世界の人間だという」


 突きつけた事実は、期待していたよりも効果を上げなかったらしい。視線の先、一人佇む詰め襟の姿は揺らいでいない様に見える。そのことに疑念を感じて横を見れば、浅く腕を組んだ母の姿があった。彼女は、密かに優妃も羨む黒髪を繊手で掻き上げると、


「それについては……ここを預かる者として、私も気になる所ですの。貴方は否定したけれど、貴方の名前も、ね。三丈と言う名は……私の大切な人達と同じ字ですもの」


 それは言外に、怪しいだけの者は、責任者としてここに据え置くことは出来ないという意味も含んでいる、情報を求める迂遠な強制だ。撫子の声は、優しい様でいて高圧的であり、誘う様な柔らかさも持っている。自身の魅力を正しく認識し、振るう彼女に取って、男女問わず人の心を絡め取る声色を使うことなど朝飯前だ。口角を上げた笑みは、優妃には無いものを持っている。人を惹き付ける手管、そして天性の魅力──カリスマという種類の才能だ。
 舞台の第一線から退いたとは言え、年齢を重ねたとは言え、撫子はそういう点で、紛れも無く世界最高の女優だった。敵わない、と思う反面、胸を張りたく成るような気分も込み上げる。そのことに優妃は、こそばゆさにも似た感情を得る。

 ……あのエイジング無視のピチピチ肌だけは不可解で仕方無いがな……!

 思う視線の先、恐らくは混乱しているであろうに、自若として見える三丈を見た。銀灰色の瞳孔を細める彼の姿には、撫子の言葉に動かされた印象は無い。むしろ、何でも無いと言いたげに髪を掻き上げる仕草がどうにも作り物めいていて、そのことに小さく不安という感想を得る。
 問い掛けに返る言葉が無く、僅かに動きの止まった室内の雰囲気を揺らすのは、不意に飛び込んで来た音だ。それは声で、更に焦った様な響きも併せ持っている。叫びだ。ノックの音ももどかしく、扉を開け放った男は『撫子命!』と書かれたハッピをはためかせながら、


「撫子様ァ──! た、大変です! 中規模程度の敵影接近中! 詳しいことは今観測班が解析中ですが、取り急ぎこちらに報告に参りました! 褒美にハイヒールで踏んで下さい!」


 汗を浮かべた男臭い笑みで言い放った。





「ありがとう。でも私は既婚者だから、願いは却下ですの。……エメス、聞こえる?」


「はい、クイーン」


 そんなぁ、と声を上げる変態を無視しつつ、撫子は虚空に声を投げた。時をおかずして返ってくるのは、僅かにノイズの走る電子的な音だ。それは無機質ながらも冷静な女性の声で、放送でも、電話でも無い不思議な手段で響いて来る。無論、三丈に取っては今まで一度たりとも経験したことのない伝達手段だ。疑問を疑問のまま捉え、しかしこれまでに得た事実と知識を使って推測を成す三丈は、未知の事象を冷めた思考で考えていた。何とか立て直した心は、未だに隣の少女の存在へとその比重を割り振っている。感情の殆どがそちらに気を取られているせいで、逆に落ち着いた分析を行うことの出来る自分を知覚して、僅かに苦笑を漏らす。

 ……優妃君が言っていた、マナとやらが関わっているのだろうか。

 どちらにせよ、満足な知識も無い自分には、理解し得ぬことだろう、そう判断した三丈の思考を追う様に、撫子は表情を引き締め、苦い顔で先を促す。声は淡々と、


「……敵勢力は総勢で五十四体。内ゴーレム型三十体、ドール型十五体、ビースト型九体で構成。距離南東・四百メートル地点に現出しており、集団としてこちらへ真っ直ぐ向かって来ています。血気盛んな輩が数名、既に戦場を求めて飛び出していますが、正直、猶予は余りないかと──ご指示を、クイーン」


 提示された言葉は、その全てを理解出来るものではなかったが、それでも分かることはあった。危険が迫っている、ということだ。手を伸ばせば届く距離、しかし確かに空間を隔てた先にいる優妃が、背に負ったままの大剣を担ぎ直す仕草を見て、三丈は肌がひり付く様な感覚を得る。果たしてそれは、表情を引き締めた少女が醸す、闘気とでも言うべき気迫のせいなのかもしれない。そう思う三丈の胸の奥には、やはり先程の少女の言葉が反芻されていた。
 異世界。こちらの知り合いである夢は、異世界から来たのだと。それは同時に、ここに立つ自分もまた、その『異世界』からやって来た客人だと言うことを暗に示している。今まで生きて来た現実ではあり得ないことだが、しかし今、五感で知覚する世界は現実の物だ。普通でないことに、少なからず耐性があった三丈は、否定ではなく、肯定でこの世界と今の自分を思った。ここが異世界であるならば。『彼女』が居ることも、居なくなった彼女の謎も、そして、

 ……知っている筈の人物から、まるで初対面として扱われる理由も。

 今まで抱いた疑問の大半に、説明が付いてしまう。

 ……冗談で告げた言葉が、まさか的を射ているとは思うまいよ。

 確かめることすら満足に出来ない、自己欺瞞にも似た説明考察は納得にまでは及ばぬが、それでも乱れた思考をクリアにする程度の効果は発揮する。三丈が堪えきれずに浮かぶ苦笑をそのままにしていると、無心にこちらを見る優妃の視線に気付いた。彼は彼女に、訳もなく頷きを返すと、改めて撫子の方へと体を振ってみせる。


「……エメス、校舎全域に指令を。拠点防衛に必要最低限の人員を残して、戦闘要員は出撃なさい。校庭前、並びに学園前に敷設してある簡易販売店は全店一時閉鎖、非戦闘員は体育館へ避難。防衛員は警護を怠らない様気をつけて」


「了解しました。──他に何か?」


 目を伏せて、見えない相手と言葉を交わす撫子の姿は不思議に映るが、しかし滑稽さとはほど遠い物だ。


「この規模の襲撃は……どれくらいぶりですの?」


「記録では、エメスがここに配属される直前、二年と四十五日ぶりかと」


「そう」


 そうですの、と紅唇を噛む撫子の姿には、見ていて痛々しい物すら感じる。迷いを振り切る様に、一度瞳を閉じてから大きな動作で振り向いた彼女は、強い視線でこちらを見る。開いた唇は、請願と命令の狭間にあり、


「優妃、貴女も──」


「うん。……行って来ます」


「…………」


 苦しげな撫子の言葉を、遮るように優妃は頷いてみせた。軋む様な金属質な音を響かせて、大剣をしっかりと握りしめる動作は、力強い。張り詰めた雰囲気、二人の間にあるものは、信頼とも、後悔とも取れる類の物だ。そこに、三丈は今回の襲撃というものが、易しい物では無いのだという認識を得る。勢い良く身を翻す優妃の横顔を見た三丈は、だから、


「三丈君。貴方はまだ何も分かって居ないですの。……こちらへお出でなさい」


「いや、良い機会だ。──俺も行こう」


 撫子の提案に首を振り、駆ける様にして行く優妃の背に視線を当て、踵を返す。


「待ちなさい!」


 制止の声は、必死さを帯びている。そこに篭められた感情は、三丈に推し量ることが出来る程浅いものでは無かった。だが、三丈は振り返ることなく、開け放たれた扉の枠に手を掛け──、


「いいや、待てないとも。……何故なら俺は、まだ何も、知らないのだからね」


 何も、と呟く三丈の言葉は恐らく、事情を知る者からすれば酷く滑稽な宣言だったに違いない。しかし、三丈は苛烈なまでの視線を覗かせて、避難を命じる撫子の声を振り払っていた。
 敵も、味方も、踏みしめる大地の確かささえマトモに実感出来て居ない自身の身は定まらず、連続して訪れる事実に意識すら霞みそうになっている。それでも、自身納得出来る真実を求める心は、熱に浮かされたかのように沸き立っていた。それは、抗い様の無い目の前の現実に抗する為に、三丈が思い着く一つの手段だ。次から次へと湧いてくる疑問を新たな事実で相殺し、胸の奥に杭の如く穿たれた軋みを、戦場に身を浸すことで誤魔化していく、そういう術だ。そして、彼の中に核としてあるのは、優妃という名の、黒髪の少女の姿だった。
 いつまでもそうやって行ける訳ではない。しかし、それでも、と思う心が、不自由な三丈の体を突き動かしている。だから、


「────」


 大剣を担いでひた走る少女の後ろ姿を、三丈は無言のままに追いかける。例え走るのが遅くとも、役に立たぬ身であろうとも、ただ、見失わないことだけを思って。
 長い廊下を、駆ける。







[13852] 第四話
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/01/03 04:31



 そこは戦場だった。空間を構成するのは、音と、熱と、痛みだ。鋭い気迫の声と、重く、叩き付ける様な激音、地を蹴りつける音。それらは等しく痛みを生み、熱を孕んだ高速の動作達だ。全高数メートルに達する砂色の巨人や、純白の毛並みを持つ大型の狼、のっぺりとした質感の無い白の人型などが、それを受け、そして反撃を繰り出している。戦場は横に長く、学園への行く手を塞ぐように展開されている。だが、戦闘服に身を纏った者達の動きは散発的で、統率されているものとは言い難い。それ故に、遙か上空から戦線を見たならば、暗色と白色の軍勢が入り乱れていることが、良く分かっただろう。
 そんな戦場の只中に、足を引きずる様にしながら駆ける一人の少年の姿がある。三丈だ。彼は、詰め襟の裾を風にはためかせながら唇を引き締め、走っている。時折左右に振れる彼の視線の先には、地響きを立てながら迫る怪異達の異形があった。


「これが現実とは……フフフどうやら、ようやく世界が、俺の妄想に追いついて来たらしいね……!」


 呟く三丈の身は、既に学舎前から約六百メートル程の位置にある。背後、やや遠くに見える白の学園は、まだどの敵も辿り着いておらず、無事なままだ。しかし、視線を前に振れば、その先には戦いを叫びとするせめぎ合いが行われている。
 そこは、マトモに戦闘など行ったことが無い彼にとって、正しく未知の領域だ。砂色のゴーレムが瓦礫を拾い、砲弾の様に投げたものが、流れ弾として周囲を掠めていく。着弾の音と背後に流れて行く破壊の跡は夢でも嘘でもない、ただ一つの現実に他ならない。これ程に走ったのは、どれくらいぶりだろうか。息を弾ませ、思う心は何故か、熱く焦がれる様に脈打っている。胸から生まれた熱は血液に乗って全身を巡り、そのことに自分らしくなさを覚え、三丈は戸惑いを言葉にして確認することにする。


「フフフハハハハハハ。高揚、素晴らしい。無駄昂ぶっているのか俺は。この状態を分かりやすく言い表すとすれば、そうだね──目指せ全裸!」


 した。僅かに息を乱し、叫んだ三丈はそこで言葉を切り、いや、と頭を振った。
 全裸はやはりなしだ。彼は、ボタンを外していた詰め襟の胸元に手を当て、更に二つ三つとボタンを外し、詰め襟の前を全開にしつつ、


「いやいや、慎み深い俺に、全裸などと言うエクストリームな真似は許されんな。──ここは一つ、パンツ一丁で今良いことを思い着いたぞパンイチ徒競走はどうかね!?」


 頭の悪いことを言いながら、刃と銃弾飛び交う戦場へ、飛び込んだ。
 そこに展開されているのは、黒色の竜巻だ。良く見れば竜巻は、風を巻き込む速度で振り抜かれる大剣の刃で構成されている。黒の剣筋が振り抜かれる度に砂色の巨人が削れ、狼に似た白の獣が弾かれる。中心にあるのは、黒の髪をたなびかせ、汗を散らす少女の姿だ。周囲、他にも敵の姿はあるがそれは全てではなく、ただ、二対一という状況で、優妃は貪欲なまでに剣を振るい、振るっている。


「…………」


 思わず足を止め、一息。盛り上がっていたテンションが、理性で制御出来る所にまで落ち着いて来るのを、三丈は感じていた。少なくとも、この剣劇乱舞に介入する術を彼は持たない。そしてそれ以上に、


「……美しいね」


 呟く様にして零した言葉は、不意に吹き抜けた一陣の風に浚われて消えて行く。風で乱れた前髪を掻き上げる動作で、彼はその剣劇から視線を剥がした。見るのは、周囲の状況だ。学園から距離を置いたこの場所は、既に崩れかかったり亀裂の入った建物がひしめき合う廃墟群だ。先程、何も分からぬままに駆け抜けたその場所に、今、三丈は自分の意志で立っている。思考の中には満足な知識もなく、手に武器は無く、身に纏うのは只の詰め襟だ。それでも、彼はこの戦場に何か惹かれる物があることを感じていた。
 やはり、彼女の存在だろうか。周囲、見える範囲には、他にもはっきりとした戦いの影がある。正面の優妃のソレを除けば、左右に展開されているものだ。三丈の元へ届く多くは声だが、中には姿の見えるものもあり、


「オラオラオラオラオラオラ! どうよ俺様、今スタンドばりのぐお──! あっれ、スタンドじゃないゴーレムに殴られあいてぇ──!?」


「くっちゃべってねぇで真面目にやれ馬鹿! 私がこっちに集中できねぇだろうが──!」


 右手では大岸がゴーレム相手に奮戦しており、その隣では小山が人型相手に薙刀を奮った高速戦闘を行っている。彼らは声を響かせながら打撃を入れているが、時折相手の攻撃に吹き飛ばされることもあり、今はお互いを背にして、敵から距離を離している。


「くあ──いてぇ! なぁ美沙、俺、覚醒して秘められたる力とか解放しても良いかよ!?」


「ああはいはい好きにしろこの能な──何っで私を脱がせようとしてんだテメェは! このクソ忙しい時に何しくさってやがる!?」


 問われた大岸は、戦闘服のスカートを捲ろうとする手を止め、微笑で顔を上げる。そうすると、大柄な大岸の顔は精悍とも言える物になり、その顔を間近にした小山は頬に熱を昇らせた。しかし大岸は、ぐいぐいと頬を突っぱねる小山の手をそのままにしながら首を傾げ、純真さ全開で笑み崩れると、


「ん、あぁ……脱がせると多分、俺のゲージがぐいぐい溜まるんじゃね? そしたら、ええと、必殺技の一つや二つ使える様にだな……うん、取り敢えず脱がせてからその辺は考えるぜ!?」


「そうか……なら、たった今ゲージが溜まったから私が使ってやるよ、必殺技」


「おおマジか! すげぇな美沙! ……お? どうした、後ろから俺様の首に手を回して……そうかハグだな!? ハハハおいおい美沙ちゃん、可愛いトコも」


「怒りゲージリミットブレイク──! 喰らえ必ず殺す技ぁ──!」


「首が──!」


 小山の目がマジになっている様に見えるが、おそらく気のせいだろう。三丈は無視することにして、頭を振った。その先、左側でも戦闘が行われている。ただしそれは大岸達の様な近接系の物ではなく、距離を取って攻撃を加える遠距離戦だ。見れば、黒の衣を纏った(みお)(みそぎ)の姿がある。彼女達は吹き抜ける風に身を晒しながら、


「……(あた)ると嬉しい、遠距離ズドン」


 長身の影、視覚的エロに訴えかける凹凸のはっきりした身を包む、ぴっちりとしたインナースーツは黒地に幾筋かの朱のラインが流れている。背までの髪を風に遊ばせている澪は、無表情で金属の光沢を持つ弓を引き絞り、狙いを定めては射る動作を繰り返しており、


「フフフ雑魚ねアンタ達! ──鞭でしばかれたいなんて救いようの無いドMから掛かって来なさい。大丈夫よ私優しいから! ええ具体的には、マックスパワー全力で鞭打ってあげる位に優しいわ! 半端は駄目だって言うものね!?」


 眉を立てた強気の笑みで、癖のある髪を揺らす禊は、手にした鞭で地面を叩いている。彼女は澪と同様の黒の衣装、しかし対照的な、ドレスにも似たデザインの物を身につけている。身に沿うラインは変わらないが、緩く広がるようなスカートの裾が翻る度、白い足首が覗くのが印象的だ。二人とも女性的な姿で、敵を寄せ付けぬ様に戦っている。はっきりとは見えないが、他にもぽつぽつと戦いの影が目に入る。
 視線を前に向ければ、依然、優妃はゴーレムと剣を打ち交わしていた。周囲を一度見回した今も、やはり三丈の目を惹くのは彼女の姿だ。確かに、自分のことを知らない友人達の様子や、寂れた街路の遙か先、地面を蹴立てる様な砂埃が上がっているのことも気になっている。遠く見える煙、それらはきっと、敵であり、そして先駆けて飛び出したという味方なのだろう。時折宙を掠める様に飛ぶ黒影や、銃弾をばら撒く音も届いている。目には見えずとも、音はある。だが、それらは目の前の優妃の姿に、動きに敵う程ではない。
 熱に浮かされた様な体は動かさず、三丈は優妃が獣の隙を突き、カウンターで斬撃を叩き込もうとする動作を見詰めていた。


「いつでも本気──!」


 涼やかな裂帛の声。剣よりも先に大気を切り裂くのは、身に沁み入る様な透明の声だ。筋肉を締め、身の捻りを利用して放った一撃は、両手持ちの柄を通して刀身に伝播し、抜き身は大気毎裂く勢いで狼の胴に迫る。
 ゴーレムの膝に横殴りの一撃を入れよろめかせた所に、背後から突っ込んで来た狼を、横に一歩スライドすることで迎え撃つ形だ。大上段からの斬撃は、狙い違わず狼の背側から入り、殆ど抵抗もなく、


「────!」


 抜ける。絞り切れなかったのか、勢いを弱めつつも地面に食い込んだ刃は直線の疵痕を大地に刻み、次いで叩き付ける様にクレーターを作る。衝撃で砕かれた破片が舞い、耳を打つ破砕音を奏でた。
 空中に残るのは、断末魔にも等しい狼の深い呻きだ。三丈から見て、両断された狼の断面は尋常の物ではあり得ない。見える範囲で、狼の内部に内臓の様な物は無く、血の飛沫も無い。代わりに、体色と同様の断面からは、光の飛沫の如き白の粒子が飛んでいる。粒子は空気に融ける様に天に昇り、


「……興味深いことだ」


 淡い燐光を残して消え去っていく。
 彼の向かい側で、空中で断たれた半身は切り口から零れる様に崩れていく。狼の前肢が地面を噛むのと、体の全面が崩れるのではどちらが早かったのか、それは三丈には理解仕切れなかった。何故なら戦闘は終わっておらず、


「この──!」


 暗色の刃を、振りかぶって叩き付ける動きで発生するのは腹の底に響く着弾音だ。一拍遅れて衝撃波が周囲を伝い、放射状に空気と埃を巻き上げる。咄嗟に腰を落とし、吹き付ける衝撃に備えた三丈の視線の先では、太い両腕を掲げ、刃の一撃を受けきったゴーレムの単眼がしっかりと優妃を見定めていた。ゴーレムはその太い腕を振ることで優妃を振り払い、距離を開ける。刃を弾かれ、衝撃で横滑りに宙を舞う優妃は体を丸め、着地に備えながらもその手から剣を離す様子は見せない。彼女が飛ばされる先は、こちらだ。三丈が立つその方向へとやってくる。


「く……硬いな……!」


 足を振り、姿勢を整えながら着地する動作は身を丸め、衝撃を吸収する柔軟なものだ。だが、流石に慣性の力までは消しきれないのか、彼女はアスファルトをブーツで削りながら、三メートル程後退して何とか足を止めた。そこは、意識すると丁度三丈の隣であり、


「って、お前! 何でここに居る!? 非戦闘員は、避難を──ええい何故脱ごうとしてるんだお前は!」


 踏み込みをしようと振り上げた片足を無理矢理止めて、彼女は勢い良く振り直る。その顔に浮いているのは、戦闘の緊張と激しさを示す汗と、驚愕の二文字だ。肩で息を吐く彼女に視線を投げた三丈は、詰め襟の下に纏った白シャツの胸元をはだけようとする手を止める。しかしすぐにその顔をゴーレムの方へ向け、小さく唇を震わせた。


「俺がここに居る理由が知りたいのかね? フフフ無論それは新たなる快感を求めて戦場を半裸で駆け抜ける新境地系の、……切っ先が食い込むと首が冷たいよ? そんなことよりも──君が今成すべきことは、目の前の敵を倒すことだ」


「…………」


「違うのかね?」


 戦場に、一瞬の沈黙が生まれた。開いた距離を警戒する様に、腰を屈めて拳を振りかぶるゴーレムは動きを見せない。優妃の挙措を探っているのだろう。だから三丈は、ふむと頷き、視線をゴーレムから逸らさぬ様注意しながら、更に口を開く。


「そして、少なくとも目の前のアレを倒すまで、俺のことなど気にしなくて良いとも。身を隠す場所はいくらでもあるし、見た所──」


「何だ」


「君は、あの程度の相手に負ける様には見えないよ」


「────」


 投げかけた、不敵とも取れる挑発の言葉が戦場に落ちる。会話の空白は、しかし優妃の笑みで遮られた。彼女は、眉を跳ね上げ、歯を見せる好戦的な笑みで、


「ふ……人を乗せるのが、案外上手いな。あぁ、少しだけ待っていると良い。──三分で敵を倒すヒーローと同じだ、すぐに終わる」


 体を沈め、全力で地を蹴る動作で、彼女は飛び出した。それは風を巻く様な一直線の動きだ。一瞬遅れて舞った彼女の髪から零れた香りを感じながら、三丈はゆっくりと髪を掻き上げ、汗を拭って戦場を見詰める。ゴーレム相手ならば、少女が負けないだろうという確信に近い思いが、三丈の中にあった。
 だから、

「お前という個体に恨みは無い。が、私の仲間を守る為、ここで消えてくれ」


「────!」


 金属の刃と、岩石の腕。大振りな一撃を乱雑な連打で放ちながら、優妃はそう零した。そうしながら、右から来る拳を払い、カウンターで迫る左の掌を身を沈めることで回避する。くぐり抜けた先にあるのは、戦の空白地帯、ゴーレムの隙だ。だから優妃は、ここで決めてやる、という思いを持って、かけ声を探す。
 そう言えば、と優妃は思う。先頃見たテレビドラマ、『実録戦隊・捨てられる女達』の決め台詞は非常に評判良好な物だった。自分には今一つ理解出来なかったが、遊び人風の男共を次々に白ハンカチ越しのメリケンサックで闇討ちしていく女達の姿にはある種の潔さも感じたものだ。
 だから、迷い無く一刀両断にするのに丁度良い言葉を喉の奥に溜め、胴部へ向かって剣を握り込んだ腕を奔らせ、叫んだ。


「断ち斬れ未練──!」


 食い込ませ、抵抗を抑えながら一気に断ち斬る。一拍遅れで響く重音は、両断されたゴーレムが身を倒す着地音だ。埃を舞い上げながら沈む巨躯を意識から外し、ゆるりと振り返った優妃の顔には、どうだと言わんばかりの笑みがある。だから、歩みを踏み出すことで三丈は手を伸ばし、


「──おおよしよしよしよし、良くやった」


「こ、こらっ、子供扱いするな──!」


 頭頂部を撫でつけるように動く掌の感触を、頬に朱をそそいだ優妃がはね除ける。

 ……はて、何か間違えただろうか。

 思う三丈は、歯を剥き出してこちらを威嚇している少女の姿を見やり、腕を組んで顎に手を当て、うんうんと頷くと、


「……パターン読めて来たぞ。──おっぱいタッチとかやったら一刀両断だから覚悟しておけよ」


「──ふ」


「む、むぅ……」


 身を捩り、半身に構える優妃の顔を微笑で見る。笑みは、胸の奥から来るもので、自制の利かない自然な物だ。じっと見詰められた優妃は、大仰に構えた自分に羞恥を覚え、浅く身を抱き直した。それも一瞬のこと、表情を引き締めた三丈は、小首を傾げて少女の注意を引くと、喉を震わせる。


「美少女からおっぱい単語が出ると、興奮するね? 考え無しに出て来たは良いが、状況が何も分かっていなくてね……ここは戦場だ。だから、前へと進みながらで構わない。説明をしてもらえないかね?」





「……敢えて前半部分無視で行くが、大人しく避難しろこの馬鹿と、言っても無駄なのだろうな」


 溜息を一つ落とし、優妃は頭を振った。目の前、悠然と見える詰め襟の少年は真っ直ぐにこちらを見ている。周囲では変わらず散発的な戦闘音が響いているにも関わらず、彼に動揺した素振りは無い。訳も分からず、とは本人の談だが、それもどこまでが本当なのか。
 ふと思う。先程から軽口を叩いたりしているが、まだこちらは彼のことを良く知らず、恐らくあちらも自分のことを知らない筈だ、と。夢と同じ世界──どうしようもなく日常で、戦の匂いから遠い安穏としているという世界からやって来た、文字通りの客人(まれびと)は、身に覚えの無い、何一つ理解の及ばない理不尽な戦場に、自らの意志で踏み込んで来ている。考えの有無に依らず、その意志は如何ほどのものか。無言のままにこちらの疑問を肯定する三丈の姿に、優妃は改めて溜息を吐いた。
 接した時間は長くは無いが、言葉で言って素直に戻る様な人物とは思えず、かと言って気絶させて抱えて戻るのは、自分という戦力の減少という意味で少なく無い傷手になる。戦闘服も纏っていない、寸鉄帯びぬ一般人をその辺に放っておけば、何かの拍子に──死なないとも限らない。

 ……それは、看過出来ないことだ。絶対に。

 しかし、ではなく、だから、と優妃は思考を巡らせる。それは数瞬のことで、実際には四、五秒程度の空白だ。だから、


「……私は、客観的に見て、味方の中でも上位に位置する戦闘能力を持っている。主観的には、救える者なら誰一人余すことなく救いたいと、そう思っている。味方を守る為に、お前に付き合って先へ進む足を止める気は無いぞ。この戦場で何かを知りたいのなら──着いて来い」


 一息。


「私が、戦場に蔓延る万難全て、ありとあらゆる苦境を排してお前を守ってやる」


 宣言に返って来るのは、視線を伏せるようにする会釈であり、


「頼りにしているよ──優妃君」


 震える様な情感の籠もった短い言葉だ。耳から入り、背筋を駆け抜けて口から抜ける、身に来る震えは、時折撫子が見せる姿に感じる物と同じもので、つまりそれは、

 ……相対する私の感情を、揺らす程に心の籠もった言葉で……。

 は、と堪えきれぬ吐息を押し出し、何故か湧いてくる笑みを噛み殺すことで震えを抑える。思えば、彼がこちらの名を呼んだのはこれが初めてではないだろうか。どこか郷愁を呼ぶそのイントネーションは、こちらの心を揺する一助になったのかもしれない。
 呼気を溜めて腕を振り、大剣を担ぐ。大ぶりの刃は今も静かに澄んでいて、手に馴染む柄の感触は、重量に見合った安心感を与えてくれる。マナを使い、肉体強化をしなければ満足に持ち上げることも敵わない相棒に苦心しつつ、優妃は視線を背後へ向けた。その先にあるのは、揺らめく白色の敵の姿であり、


「──参る」


 呟きを気合いに変えて、優妃は駆ける為に足を踏み出した。敵と、そして味方の待っているであろう、最前線へ。





「何から説明すれば良いんだ?」


 廃墟然とした都市群。見慣れた筈の、しかし見慣れぬ街路に疑問の声が落ちる。それは、見知らぬ異世界に訪れてから、初めて三丈が耳にする情報収集を叶える言葉だ。腕を振り、熱を持った足を軽く引き摺る様にしながら、足下に転がって居た瓦礫を迂回した三丈は苦笑を零す。


「そうだね、俺はここのことを何一つ分かっていない状態だから、大岸に数学を教える様に、差し詰め真性の変態に倫理を説く様に……と言っても、そんな時間も無いだろう。今は、こちらからの質問に答えてくれるだけで有り難いよ」


「……気のせいか? 例えがもの凄く不適切な気がするんだが……」


 気のせいだよ、と首を振れば、小首を傾げた当惑顔が返ってくる。これ以上速度を落とさぬ様にと、無表情の内心で体に叱咤を入れながら、三丈は、


「では、早速質問に移ろう。まず一つ、敵の正体は、分かっているのかね?」


 敵を知り、己を知れば百戦危うからず。故事にもある有名な言葉を思い返しながら、まず求めるのは敵の、自らが何も知らずに相対する、相手の情報だ。撫子とエメスと言う女性の声が言っていた、ゴーレム型、ビースト型、ドール型、という区別は付くが、しかし三丈は彼らのことを何も知らないのだ。そもそも、何故ここが戦場になっているのか、そのことも。
 問うた声に返答が来るまでは、少しの猶予があった。時折掠める流れ弾や、崩れて来た瓦礫を大剣で弾きながら、優妃は空を見上げて幾ばくか数え、


「敵の……、奴らの名前は、正確には良く分かっていないんだ。ただ、我々は奴らをこう呼んでいるよ。──天使(エンジェル)と」


 涼やかな声は、笑いの影を含まない真剣な物だ。白の影、光の粒子を残して消えて行った獣の姿を思い出しながら、三丈はそれを心に留めた。天使と言えば、

 ……学園近くにあったお触りNG系エンジェル喫茶などはどうなっているだろうか。

 白の衣に身を包み、やけに質感に拘った羽根と天使の輪を付けた金髪美女がもてなしてくれるのが好評だったが、出来心でついお触りをする輩が出ると、

 ……途端に厨房から全身タイツの悪魔コスプレをした店長が飛び出して来ていたものだ。

 元軍隊所属だと専ら噂の店長は、フライ返しを手にした筋骨隆々の体で邪悪に微笑み、


『ククク(ワル)な手はこの手か!? この手か!? ──良いだろう触るが良い、この俺の尻を存分になぁ──!』


 などと叫びつつ、顔面蒼白で気味悪がる男共の手を無理矢理取って、自分の尻を揉ませていたのが印象的だ。時折、揉まれることに飽いたのか節くれ立った手を伸ばしてお触り男の尻を揉むこともあり、

 ……半泣き状態の男どもは、『アハハ二度と痴漢をする気が起こらなくなりましあ──そこらめぇ──!』などと叫んでいたね。

 周辺住民や店員などは、『痴漢が激減! 感謝感激デーモニッシュ店長!』と喜んでいたが、治安維持に貢献する彼の存在は素晴らしいと三丈は思う。男に興味は微塵も無いが。


「そんな風に呼んでいるのは、只の皮肉みたいなものでな。『奴ら』が自らを、神足る主の遣いだと名乗ったからだが──今は置いておこう。とにかく、相手は基本的に、『白色した何だかよく分からない生命体』だ。ゴーレム型は重量を得意とする強力な一撃を放つが、動きは比較的遅い。ビースト型は、姿にもよるが、すばしっこい。ドール型は……厄介だな。武器を使うこともあるし、動きも速く、器用でそこそこに知恵も回る様だ。……他には?」


 先を行く優妃の背を追いながら、三丈は用意していた疑問を提供していく。それは風に乗って先へ行き、少女の身に届き、


「では次の質問、二つ目だ。この規模の襲撃は、危険度で言えば、SからEまでのランク付けだと、どの位かね?」


 地を蹴り、風を割って踊るように駆ける少女の体は、力感に溢れている。近づけば、頼りなくすら見える華奢な体躯のどこにそれだけの力があるのか、その疑問を取っておきながら、三丈は大きく息を継いだ。前へ前へと進む周囲、微かに視界を掠める戦闘の影は、数こそ少ないものの色濃いものだ。
 浮き出た肩胛骨を眺めている三丈に、優妃は一拍を置いて、


「私個人の見解で言うなら……Aはある。マナを利用した戦闘技法は、まだ完全には馴染んでいないんだ。日本は技術研究に傾倒していたから、直接戦闘の経験が浅くてな。それに天使どもが現れるのも、これまでは散発的な物で、実戦経験事態がそれ程皆豊富じゃない。だから、一部の者を除けば、ここに居るのは弱兵ばかりで……正直、状況としては拙い。今戦場に立っている者、特に学生達はまだ訓練中の者も多い」


 一息。


「……母、いや、長には絶大なカリスマがあるが、残念ながら戦闘指揮については殆ど素人だ。元々、こういう事態に対応出来ない政府に業を煮やして、半ば押しつけられる様に得た地位だからな。だから戦線の統一は図られているとは言い難いし、……だが」


更に息を継ぎ、


「だが、私は諦めない。──私の目に見える者を全て、耳に聞こえる物の全て、手の届く範囲の全て。そして……この思いの至る全てを、守り、救いたい」


「…………」


 届くのは、激し、感情的になったものではなく、静かな声だ。小さく頷いて、三丈は少女の言葉を飲み込んだ。前田・優妃という少女、彼女の思想が昔から変わっていないことを感じ、その傲慢なまでの思いに内心に満足を得る。何故、満足を得たのか、それを気にしない様に振り払ってから視線を戻し、


「……では、三つ目と四つ目は纏めて行こう。概算で構わない。こちらの人数と主な武装、そして……勝利条件は何かね?」 


「何故そんなことを? いや、詮無きことか……」


 長い黒絹を風に靡かせ、優妃は止まらずに進んで行く。前方、遠く聞こえていた剣戟の喧噪は、幾分も近くなっている。命の危険も及ぶそれに、何故か危機感が湧いてこないことを不思議としながら、三丈達は強くアスファルトを蹴りつけ、方向転換した。健在するビルを曲がり、大きめのパチンコ店を過ぎながら、吐き出した疑問と得た答えを自分の中で混ぜ合わせていく。背後、流れる景色は灰色の物で、皮膚の表面から浮いていく熱と肺腑から漏れ出る呼気は、宙に溶けて消えて行く。


「おそらくではあるが……こちらの人数は、僅かに百名に届かない程だろう。ただし、練度は低いと思って良い。訓練の時の様子を見ると、剣とか、直接ぶったたく系の装備をしている物が好まれていて、半数以上はそれらだと思う。残りは銃や弓などの遠距離ズドン系だな。そして奴ら──天使どもは、大部分を叩き潰さぬ限り撤退はしない筈だ。だから、この状況下で求められる勝利条件は最低限で……相手の壊滅だ。同時に数体でも戦線を抜かれると我々の負けになる。基地を防衛する人員は残っている筈だが、前線抜けてハシャイでる奴らを単体で撃破出来る程の戦闘力を持つ者は居ない。せめて、今遠方に出ていて基地に居ないあの人達が、戻って来てくれれば事態は動くが──」


 知れば知る程、絶望的な状況だ。


「…………」


 前を行く優妃に気付かれぬ様に吐息を落としながら、唐突に、三丈達の前方、行く手にあるデパートのガラスがみしりと歪んだ。三丈はつんのめる様にして身に制動をかける。片足踏ん張ってのブレーキングは少なく無い負担を体に掛けるが、そこにはそうしなければならない理由があった。見れば、三丈よりも遙かに巧みな身体操作で、優妃は既に足を止め、腰を落として身構えている。


「────」


 視線の先には影がある。罅割れたガラスは、内側から受けた衝撃を受け止めて撓み、しかし耐えきれずに亀裂を奔らせる。一拍の静寂を挟んで訪れるのは、掻き毟るような破壊音だ。波打つ様に散っていく細かな破片、行く手、数メートル先のデパート入り口をぶち破るのは、白に似た砂色の巨大な拳だ。光を受けて反射光を返すガラスの破片は、飛沫を上げながら吹き荒れ、


「……そんな」


 その中に、赤の色が散っているのを見た優妃の顔が、見る間に強張った。呆然とした優妃の唇が、音を残さず名前をなぞる。突き出た拳の射線上には、高速で空を吹き飛んでいく影が一つある。黒の戦闘服を纏った男は、衝撃で錐もみするように回転しながら血液をばら撒き、デパートの向かい側、頑丈なコンクリートに背中から叩き付けられ、四肢を開く様にして着弾した。壁が陥没する程の衝撃は易しいものではなく、雪の如く舞うガラス片を添え物に、朱の華を咲かせた男の体は力なくずり落ちていき、


「あ」


 お、ともあ、ともつかぬ叫声を上げながら、優妃が地を蹴っていた。余りの勢いに、風が砕け、蹴った地面が罅割れ、僅かにクレーターを作っている。先程三丈が見た物よりも速い踏み込みは、のそりと巨躯を乗り出して来たゴーレムにとっても予期せぬ物だったようで、振り向く動作がやや遅れている。肩に担った大剣を両の手で掴み、地を這う様な高速の踏み込みで迫る優妃の姿は、速度を殺さぬままに距離を埋め、


「────!」


 甲高い音が響く。それは岩石状のゴーレムを断つ音ではなく、金属と金属が高速で噛み合う澄んだ音だ。見れば、ゴーレムと優妃の間に新たな影が一つある。浮き出る影は、双の直剣を構えたそれはのっぺりとした白の人型で、


「っ! ドールか……!?」


 噛み締めた唇の間から呼気を漏らし、優妃は大きくバックステップで距離を取る。彼女の動きを追随するように岩石の拳が振り下ろされ、重量に見合った激音が響いた。宙に逃れた優妃は、大剣を翳すことで飛び散ったアスファルトの欠片を防ぐと、間髪入れずに、


「許さんぞ、貴様ら──!」


 二対一の状況も忘れ、瞳に灼熱を灯した優妃は、剣を振り上げ、叩き付け、引き上げ、叩き付ける。一撃一撃、動作そのものは高速ではないが、長距離を走る斬撃は重い。怒りを声に、哀しみを剣に篭めた優妃は、眦から数滴の雫を零しながらも剣を振り続け、連続した剣戟の音が空高く響いて消えていく。
 咄嗟に何も出来なかった三丈は、今の状況を拙いと思いながら何も出来ぬまま、


「……馬鹿な」


 ふらふらとした足取りで、男の方へと歩み寄って居た。大剣と双剣、異なる刃物が奏でる剣戟の余波で、巻き上がっていた透明なガラスの花弁は既に地に落ちている。靴底の感触にそれらを感じながらも、三丈は更に右足を踏み出し、左足を踏み出し、


「おい……貴様」


 辿り着く。視線は、男がぶつかった壁へと向いている。放射状に陥没したコンクリート製の壁には、丁度後頭部の高さにべったりと赤色が刷かれている。


「────」


 視線を下ろせば、そこには壁を背にして崩れ落ち、足を投げ出して座り込むようにしている男の体がある。俯いた視線は、垂れた前髪に隠されてはっきりしない。だから三丈は、膝を折って高さを下げることで男に身を寄せ、


「おい、……おい!」


 絞り出すようにする声は、揺れる感情そのものだ。しかし、声を向けられた男は反応を返さなかった。焦燥を感じ、頭を揺らさぬ様に肩に触れた三丈の手に、ぬるりとした感触がある。灰色の空、モノトーンの世界の中で鮮烈なそれは、命の色に他ならず、


「──ッ!」


 無情にも、三丈の脳内にある知識は、男が既に引き返せない所まで放り投げられていることを告げていた。理性がもう無駄だと静かに零す中、感情は声高にそれを否定し、三丈に手を伸ばさせる。触れた体は熱く、しかし急速にその熱を失って行く。
 自らの掌の中で、命が零れていく感覚。それは生まれて初めて見る、鮮明な死の光景だ。
 死。曖昧な、戦場に立っていながら危機感を持てなかった三丈の背筋に、それを意識した瞬間、様々な感情が奔り抜けた。自身理解しきれぬそれらは恐怖であり、後悔であり、自嘲で、そして現実感だ。電流の如く迸った激しい感情が背を通り、腹の底でうねりを上げるのを感じ、三丈は無意識のままに大きく息を吸っていた。吐き出す言葉は、空白だった心に不意に浮かんできた物だ。


「──無為にやられるだけで、貴様は諦めるのか!」


 一喝。街路に響いた大声は、地面と建物にぶつかりながら拡散し、散っていく。しかし、効果はあった。大喝を浴びた男は、伏せていた眼差しをゆるりと上げると、血濡れの笑みを見せ、


「────ッ」


 ごぼ、と赤の血を吐き出しながら、腕を持ち上げる。その視線が、自らを穿ったゴーレムと、そして優妃に向いていることを悟った時には、腕は真っ直ぐになっており、


「……礼を言うぜ。アンタのお陰で目が覚めた。何も出来ず、何も残せず、……かっこ悪いまま、死ねねーよなぁ……」


 震える声。告げる手の先には、一丁の銃がある。彼は、その引き金を引こうとして、力が足りず、


「ち、狙いが、定ま、」


 言葉を止め、ごぶり、と。今までの物より大きな朱の塊を吐き出した男は、遂に震える銃身を支えきれずに取り落とした。


「……手伝おう」


「あ? へへ、すまねえなあ」


 そして、自らの腕を支える三丈の顔を、初めて見た。覗き込む瞳は遠く、焦点はとうに結ばれていない。呼吸は激しく、血の気は引き、蝋の如く白くなっていく男の顔色にやるせなさを覚えた三丈は、奥歯を強く噛み締めた。だが、男はニヤリと唇を引き上げると、既に前の見えていない瞳を三丈にしっかりと当て、


「なあ、……アンタ、代わりに引き金、引いてくれよ」


 更に細く息を漏らし、


「──俺の無様のせいで、優妃ちゃん、怪我して欲しく、ねぇから」


 力ない彼の手の中で銃把が回転し、滑り止め加工されたグリップが差し出される。一瞬俯き、そして顔を上げた三丈は、


「……出来ることをする。そう、約束しよう」


 そっと握り込んだ銃を額に当て、自らの心に誓いを立てる。再び目を開いた時には、男は全身から力を抜いており、その手は地面の上に落ちている。その顔に浮かんで居るのは、どこか悔しげで、しかし満足そうな物にも見える微かな笑みの残滓だ。虚ろに開かれた瞼に掌を当て、熱を失ってしまった男の目を閉じさせた三丈は、ゆっくりと立ち上がり、


「────」


 小さく、男の名前を呟いた。口の端から血を垂らし、自分と言う物語の幕を下ろしてしまった友人の──、友人に似た男に黙祷を捧げる。気付けば、何をしたいのか、何をすべきなのかを決めぬままに戦場に立っていた胸の奥に、小さな灯火がある。
 死。抗い様の無い喪失を突きつけるそれを目にした三丈の心は、凪いでいた。音を立てて血の気が引いていく様な感覚が身の内を占め、しかしそれらは感情の底で燻っていた動揺や哀しみ、非現実感とリンクする。突然開けた様に感じる視界は、漣を引く様に遠退いていく感覚のせいか。掻き混ぜられた感情は、不思議と三丈の思考をクリアにし、心を先鋭にしていた。
 持ち上げた銃を見る。スライド機構を持つ自動拳銃だ。知識にあるものとは違って、グリップ部分には紅色の細いゲージと、その横に付随する摘みがある。良く見れば、その機械には細かな傷が幾つも付いて居た。数度、母に連れられて赴いた外国の射撃場で得た経験を元に、三丈は拳銃の機構を確かめていく。安全装置に見える物は既に外されており、マガジンの中には数発以上の実弾が篭められている。謎のゲージは、そのままに。
 背後、意識を向けずとも聞こえるのは、乱れた剣戟の音と押し殺した哀しみの怒声だ。断続的に続く音は、火花散る激しさで奏でられている。
 だから、


「──は」


 三丈は、肺腑の中に溜めた空気を新しくした。ともすれば(くずお)れ、叫声を上げようとする軋みを抑えて、静かな動きで振り返る。連動した動きで、胸前に受け継いだ遺志を構える様にすれば、掌に掴む漆黒の小さな金属塊は、


「……何と、重いのだろうか」


 振り返った先には、戦場がある。






[13852] 第五話
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/01/03 04:31



 分厚い曇天を掻き消さんとでも言うように、風が渦巻いている。晴れる気配の無い空の下、白の軍勢と黒の軍勢がせめぎ合う戦場の中に、一際高い音を奏でる舞台があった。
 大通りだ。都市を縦横に貫く車線は、薄汚れた白亜の校舎から先、長い距離に渡って敷かれている。その中にあって目立つ建物──、屋上に身長六メートル超の小便小僧を無駄に二体据えたデパートの旧館と新館の間で、戦闘が行われている。


「あ──!」


 叩き付け、叩き付け、叩き付ける。獣の様に、激しく声を荒げながら剣を振るう少女の姿が、そこにあった。動きやすさを考慮した戦闘服の肩や胸、膝などの要所に防御用のパーツを取り付けた姿だ。スカートの布を廃し、代わりに一歩の踏みやすさを取った彼女の脚は黒のタイツに包まれている。
 優妃だ。フェイントも無く、ただ愚直なまでに真っ直ぐに往く体の動きに追随して、長い黒髪が尻尾の様にしなやかにたなびいている。重たい大剣を振り上げる度に風が巻き、振り下ろす動きで大気が割れる。彼女は既に両の手に剣持つ白のドールと、数十合以上の剣戟を交わしているが、有効打は一撃とて入れることが出来ていなかった。
 兜割りに落とした斬撃は、交叉させた直剣で耐えきられ、横合いから凪ぐ様にする一撃は、二本の剣で巧みにいなされる。ゴーレムの一撃を警戒しながら行う剣の舞踏は終わりの気配を見せず、しかし一方が徐々に圧されていく。重く長い金属音が主体だった音の質が、軽く、連続した物へと変わっていくものだ。
 それは、取り回しに難のある大剣持つ優妃が、抗えない手数の差によって攻撃の手を出せていないということで、


「くそう、どけ──! のっぺらぼう顔で胸尻だけ女性化してる様な貴様らには天誅だぁ──!」


 焦りを含んだ恥ずかしい叫びが胸をつくように出て、優妃は不意に我を取り戻した。ヨゴレの芸人の様な真似をしてしまった自分に気付けば、頬の辺りに熱が来る。その熱を隠す様に頭を振れば、周囲の状況が目に入った。認識するのは、瓦礫、不確かな足場、散ったガラス片などだ。それらは、味方を傷つけられたことで、頭に血を上らせたそれまでの優妃では気づけなかった事柄だ。
 そして、もう一つ気づくことがあった。ふと前を見れば、右腕を前に、左腕を引いて構えるドールの姿がそこにある。強く大地を踏みしめる姿勢は、全力で飛び出して来る為の溜めの動作だ。
 イノシシ武者の如く突っ込んでいれば、為す術も無くドールの間合いに踏み込み、二刀で断たれていたに違いない二人の距離は、優妃が我に返り、足を止めたこと分だけ開いている。そして、身についた剣術は腰を落とさせ、柄を短くコンパクトに持つ体勢を取らせている。
 それは連続して来る攻撃を凌ぐ為の物だ。
 だから、相手の攻撃に対応することが出来る。


「────!」


 した。右から来た刃を身を引くことで躱し、続けざまに震われた左剣を、大剣を盾にすることで防ぎきる。速度に乗った六連撃は一瞬のことで、身に裂傷は無いが、叩き込まれた衝撃までは耐えられずに落とした腰が更に落ち、脚に負荷がかかり、


「────」


 駆け抜け、背後へと回ったドールがブレーキを掛ける音が耳に届く。反転しようと回す体は、しかし膝が必要以上に落ちた分だけ上手く動かない。身の落下を防ぐ為に踵で地面をこじり、何とか上半身だけ捻った優妃の目に、剣を構えたドールの姿が映り込んだ。腰溜めに構えた双剣の切っ先は、真っ直ぐこちらの胸元を指している。
 まずい、と思うのと、ドールが身を沈めるのは同時だった。一度膝を落とし、股関節を撓めるその姿勢は、突撃する為の必要動作だ。バネの様に沈んだ体は、ある位置で止まると再度ゆっくりと起き上がってくる。地を蹴る動きを、止める術を優妃は持たない。冷静さを失ったことを一瞬の後悔として思考の海に沈め、彼女は最善となる行動を取ろうと動き始める。
 だが、伸び上がる様に迫って来るドールの方が、半瞬だけ早く、


「諦めるものか……!」


 直後、音が奔った。





 止めを刺そうと飛び出したドールは、咄嗟に脚をスライドさせてブレーキングをかけていた。無理のある動きは体勢を崩すが、腰を落とし、双剣を握った両手を地面に叩き付ける様にしてバランスを取る。そうして出来るのは、無防備に背中側を少女に晒す格好の隙だ。
 しかし、先程から打ち合っている目の前の少女はまだ体勢を整えきっておらず、こちらに剣を届かせるには距離が足りない。ゴーレムも撃破されておらず、こちらの有利は変わらない。だからドールは、不意に感じた危機レベルグリーン超過の攻撃を確かめる為に視線を振った。
 見れば、行く手の地面に弾痕が一つ穿たれている。それは先程まで無かった物で、そして更に、弾痕の周囲に弾道を示す様にゆらめく光の残滓を見つけて、そのラインをドールは辿る。
 宙を走るのは、炎の様に揺らめく薄ぼやけた白のラインだ。銃弾の音、僅かに漂う火薬の匂いが届き、ドールはその光を放つものが何であるかについて思案した。
 今回戦場に出ているドールは、人間の様に口や喉など発声の為の生体パーツが存在しない為、音として声を出すことは出来ない。表情というものを構成するパーツも持っていない為、仮に何かを感じても、体の動作以外でそれを表に変化として表示させることは出来ないのだ。不意に撃ち込まれた銃弾に対し、思考に走ったノイズ、それは人間で言えば、驚きと焦りという反応なのかもしれない。
 ドールは、戦闘用に高速化された単純思考の片隅で該当データを検索し、ヒットした情報を展開する。
 あった。以前襲撃をかけたドールが持ち帰ったデータで見たことがある、マナを補助に使った特別銃だ。相手側の近接狙撃手が好んで用いるもので、火薬機構によって弾丸を撃ち出すのと同時に、拳銃本体の内部に収められたマナを消費することで、弾道補正と加速補正による貫通力の上昇をもたらす物だった筈だ。平均の威力としてはゴーレム型に効果は殆ど見られないが、ドール型のボディになら十分致命のダメージを与えることが出来る。ともあれ、自身を破壊し得る新たな敵性因子の姿は捕捉しておかねばならない。ドールは、反射的な動きで頭を振る。
 そこに、更に二発の銃弾が叩き込まれた。





「中々、中らぬ物だね」


 足を広げて体を固定し、やや右足に重心を傾けた立ち姿を見せながら、三丈は小さく呟いた。拳銃をホールドしている両手はたった二発の射撃で僅かに痺れ、鼻に嗅ぎ慣れない硝煙の香りが届く。
 三丈は視線の先、優妃が無事であることを目の端で確認しながら、飛び退ってこちらを向いているドールの方に視線を合わせる。のっぺりとした顔からは何も感じない。だが、皮膚をちりつかせるような感覚が確かにあった。それは、

 ……敵意だな。

 敵として相対するに足る、と判断されたのだろう。残りの弾数を頭の中で確認しながら、三丈はゆっくりと銃の狙いをポイントしなおした。僅か、相手が緊張する様に体を動かすのが目に入る。銃を向けられて緊張し、中らぬ様に大きく距離を取って避ける、それらの情報から分かるのは、

 ……この銃は、相手に取ってそれなりの脅威であるということか。

 彼我にある距離は十と数メートルだ。射撃の腕に関しては、殆ど素人の自覚がある三丈が、易々と狙った場所に銃弾を撃ち込むことが出来る距離ではない。だから彼は、集中を切らさぬ様にグリップを絞り直し、体の動きを調整した。そんな肉体の動作とは別に、思考を巡らせるのは現状のことだ。それは、明らかに威力過多な銃弾と、視界にちらつくように残る白炎の様な光の揺らぎもあるが、


「優妃君! ──まだ、戦えるかね?」


 きちんと腰を落として体勢を整え、正眼に剣を構えていた優妃が、大きく頷くのを確認して、三丈は更に言葉を続けた。


「背後にゴーレム──!」


 直後、地面を揺らす振動が入る。等しく起こる揺れは、ゴーレムが両の手で作ったハンマーを振り下ろした動きで作られた物だ。幸いにもこちらだけでなく、ドールの方も地面の揺れに気を取られた様で、相対する戦場に動きは無い。最小限の動きで身を躱し、大剣を振るうことなくこちらとドールの方に気をやっている優妃の表情に激した所は見られない。
 彼女は、大気ごと刈り取る様に振られた右フックを跳んで躱し、その腕を蹴ることで一息にこちらの方へと飛んで来る。体をしならせ、捻り、柔らかく隣に着地した彼女に視線を向けずに、内心で安堵の吐息を零した三丈はじりじりと足裏で動きながら音を作る。
 こうして戦場に立ち敵と対峙することは消耗することだと、三丈はふと感じた。気付かれぬ様に装ってはいるが、詰め襟の下には汗を刷いているし、同様に、隣の優妃からも熱と、そして呼気の乱れが流れて来ている。優秀な戦力であると自身を評価していた彼女が言葉を吐けない程に息を乱すのは、つまり疲労の証に他ならない。しかしこちらに跳んで来る途中、一瞬見えた黒曜石の輝きはまだ曇っていなかった。
 だから、三丈は戻ってきた彼女に慰労や叱咤の声をかけることをせず、


「早速だが、まずはこの状況を脱しようか。君が、ゴーレムをあしらえると判断して言うのだが……まずは、ドールの方を相手して欲しい。私は補助を試みるが、何分素人だ。──下手な援護射撃で味方を背後ズドンしたら目も当てられないからね」


 それに、動きの素早いドール型に距離を詰められた場合、それだけで自身の身はジ・エンドだ。手にしているのはやや大ぶりの拳銃だが、それで近接戦闘者とまともに打ち合える双剣を防ぐことが出来る訳ではない。自由の利かぬ身では、仮に他の武器があっても互角に打ち合うことも不可能だ。同時に、これ以上距離を離せば、銃弾を万に一つ位の確率でしか当てることが叶わないだろう。手に残る反動や相手が動くことを考慮に入れれば、もう少し距離は詰めていた方が良いとも考えられる。
 三丈は、ちらりと優妃に目をやった。その先、肩で息をしている優妃は、


「……頭の中がぐちゃぐちゃだ。細かいことを考えている余裕が無い。……何か策があるのなら、お前が指示をくれ」


 前を見詰めた表情で呟き、


「流石に、無理をし過ぎた。……私一人でドールを仕留めるのは少しキツい」


「そうかね」


 頷いた三丈は、そっと隣の少女に向けて囁く。小さく頷くことで同意を示した彼女に頷きを返し、三丈は小さく視線を揺らした。見るのは、握り込んだ銃とその記憶だ。過去、母親に連れられて外国の射撃場に行ったことがある。本格的な物ではないにしろ、その経験が今の自分を支えている。
 それらは身体的には、グリップの握り方や照準の付け方、銃ごとの大まかな有効射程範囲、ブローバックの逃がし方などで、精神的には轟音への心構えや、コーチングを担当した全裸中年が、サングラスを光らせながらこう言った言葉だ。


『さぁボーイ、ハンドガンって奴ぁ逞しいナイスガイみたいなもんだ。扱うのに優し過ぎてもいけない、激しすぎてもいけない、OK? おう何故かって? 優し過ぎる、そんなナヨナヨした男におじさん興味は無いのさ。逆に、激し過ぎると確かに個人的には燃えるが、暴発しちまわないとも限らない。疲れるしな。つ・ま・りだ。そうそうグリップは掴む様に握るんじゃあない。いいか? 言うなれば、』


 そこで言葉を切った全裸は、鍛え上げられた肌黒の肉体を反らし、腰に手を当てて身をくねらせ、腰前の空間を両手で撫でる様にしつつ、


『HAHAHA相手の竿を絶妙のパワー加減で包み込むように──!』


 直後に戻って来た母に股間蹴りを喰らって悶えていたがどうして世界にはホモネタが多いのだろうね。
 詮の無いことだ、と三丈は思う。同時に、ホモはホモ同士ホモランドでモホモホやっていれば良い、とも。とにかく、三丈の射撃経験に取って重要だったのは、泡吹き白目で搬送されていったホモ中年の言葉ではなく、その後にやって来た全裸青年の言葉だ。彼は、爽やかに白い歯を光らせながら親子の前でターンをキメると、アンドゥトロワのリズムで名刺を取り出し、


『あ、どうもどうも全裸です! ──あ間違えた、ピートデス! ピートデスじゃないですよピートが名前、よろしく全裸! ──あ失敬! どうもテンプーラ!』


 出てくる職員見掛ける職員全員全裸なのが不思議だったが、幼い三丈は気にしなかった。何故なら、目の前の青年全裸は少し常識を勘違いしている節があるが、ホモではなかったからだ。全裸にも、良い全裸と悪い全裸がある。小学生の三丈は、幼いながらに世界の真理を知ったものだ。
 全裸の彼は、おぼつかない手つきで拳銃を握る三丈にこう教授していた。
 過去を思い返すのは一瞬、三丈はグリップを握り直し、姿勢を固定してから渇いた唇を舐める。そう、彼曰く、


「確かこうだったね……『引き金は、引くのではなくデス。──標的に対して絞り込む様にあぁ叩かれたハンマーが腰、腰に響いて溜まらなく快感──!』」


「ま、真面目にやれ──!」


 青年は想像力豊かなマゾだったが、三丈は銃弾をぶち込んだ。





 風を感じる。
 飛び来る弾丸は危険な物だ。だから、ドールは大きく左に身を躱すことでそれを回避した。追撃は来ない。そのことに疑問を感じながら見れば、先まで打ち合っていた少女が、ゴーレムの方へと真っ直ぐに駆けているのがちらと見えた。味方であるゴーレムと自分との距離は、撃ち込まれた弾丸を数度避けた分だけ、離れている。

 ……分断し、各個撃破を狙うつもり。

 一瞬で判断をなしたドールは一時的に、少女に対する優先度を下げた。彼らがゴーレムを先んじて撃破し、それから協力してこちらに向かうつもりならば、その狙いを外すのが勝利への方程式になる。少女の戦闘能力は先程の戦闘である程度把握しているが、少年のソレはまだ未知数だ。拳銃以上の武器を用意された場合、こちらが不利になる可能性がある。
 だから、と内心に一つ前置きをして、ドールは最優先殲滅対象を少年に切り替えた。
 牽制するように銃口を向けてくる少年に向き直ると、勢い良く地を蹴る。狙いを付けにくい様左右に身を揺らしながらの疾走は、僅かに速度を鈍らせるが、それでも高速の移動に他ならない。右斜め後方、ゴーレムと少女が発する激音を聴覚に捉えると、ドールは更に足を速めた。
 直線と、ジグザグ移動の速度の違いだろう、ゴーレムが撃破されるまでは、これで少年に集中していれば良い。
 念の為双剣を盾の様にかざしながら、風を纏って行く先に居る少年の身は、決まった地点から動きを見せない。一発一発、何かを確かめる様に撃ち込まれる弾丸を身を振って避けながら、ドールは更に距離を詰めた。近接戦闘を行う自分に対し、拳銃を扱うだけで距離を取ろうとしない相手に疑問を感じ、懐疑の心は疑念となってドールの思考を支配する。
 思考に浮かぶのは、


「──ふふ。さぁのっぺり君よ。かかってくるが良い──!」


 つまり、眉を立てた灰色の視線を向けてくる少年が、逃げを打つことを厭わない程度には何らかの思惑があるということだ。前を全開にした黒の衣服はたっぷりと風を孕んでおり、そこには武器を隠すだけの余裕が生まれている。油断しない様にしなければならない、その一心で、全ての集中を少年の挙動に注いだ。
 左脇を過ぎていった弾丸を顧みず、一度左に行くフェイントを入れてから逆側へ飛ぶ。大きめの一歩から、直進の二歩目を踏み、切り返しで三歩目を踏めば、後一歩で殺傷圏内に入る距離まで詰めることが出来る。少年はこちらの速度について来られないのか、銃口を上手くポイント出来て居ない。それを好機と見て、ドールは両手に力を込めた。相手の左から、駆け抜け様の一太刀目で銃を斜め下に弾けば、上体のバランスが崩れ、結果として隠し球も取り出せまい。続く一太刀で斬り捨てることで少年は終わる。だから、行く。力を込めて、風を裂く。
 直後、灼熱感が胴を通って抜けて行った。





 目の前、後一歩で手が届くという位置で両断されたドールの姿を確認して、三丈は内心で微かに息を漏らした。後一歩、一息で詰めることの出来る距離が、彼の命運を分けたのだ。もしもドールに飛び掛かった優妃が──彼女の挙動が数秒遅ければ、両断されていたのは三丈の方であった。
 光の粒子を散らしながら頽れるドールから視線を剥がし、三丈は優妃に目を向けた。大剣を振り終わった姿勢で残心を取る彼女の姿は、背筋に一本筋が通っているかのように凛としている。面を上げ、上目遣いにこちらを見上げる優妃の視線に気付いた三丈は、小さく頷くことで反応を返した。こちらへとゆっくり迫って来るゴーレムへ向けて一発銃弾を撃ち込み、出来た僅かな隙を優妃に投げ渡す。


「……こんな方法が通じるとはな」


 踵を返し様の言葉に苦笑を覚え、しかし三丈は呟きを空気に乗せ、


「こんな方法だから、通じたのだよ」


 きっとね。地を蹴り、最早鈍重なだけの存在と化したゴーレムへ突貫する優妃を見送った三丈は、空になったマガジンを排出しつつ、他愛ない、作戦とも言えない仕掛けを振り返る。それは言葉にすれば簡単なことだ。ゴーレムとドール、厄介なのはドールの方で、しかしドールは優妃の剣戟をある程度防ぐ実力を持っている。二対二の状況を作れば、決定力と体力で劣るこちらが不利になるのは明らかなことだった。
 だから、三丈は二対二にみせかけて、その実一対二の状況を作る様に戦場を操作したのである。優妃は一度、攻撃を繰り出してくるゴーレムの腕を蹴って、十数メートルの距離を詰めるという動作をやってのけている。ドールを確実且つ安全に仕留める為に、三丈は彼女に二つの指示を出した。一つ目は、『まず、脇目も振らずゴーレムの方へ向かう』こと、そして二つ目は、『ゴーレムの初撃を躱し、相手の攻撃を利用して跳ぶことで、こちらまでの距離を一瞬で詰める』ことだ。
 重要なのは、ドールを仕留めることで、それを一撃・短時間で為すには、不意打ちが最も効果的だった。ドールの攻撃目標を三丈に固定し、優妃から注意を逸らしておく必要があったのである。既に、三丈の銃撃に過敏なまでに反応していることから、厄介な優妃がゴーレムの方へと向かった場合、ドールがどちらを対象にするのかという推測は容易に立てることが出来た。初撃を派手に交わし合い、ゴーレム対優妃、ドール対三丈という構図をドールの中に作ることが出来れば、後は簡単だ。
 三丈は、自分からドールの注意が逸れない様、頃合いを測りつつ銃撃を加え、優妃のことを思考から排除したドールの隙を突く様に、ゴーレムの腕を蹴って舞い戻った彼女が一撃を見舞うだけで事足りる。運の要素を等分で含んだ賭けだが、ともあれ、三丈の策はなった。現状の最大戦力である優妃を抑えられるドールを屠れば、残るは動きの遅いゴーレムだけだ。体力を消耗した優妃でも、十分に応対出来る。局地的な戦場の終局は、近い。


「あの様子なら、心配はむしろ失礼に値するのだろうね」


 苦笑を一つ零す。先程よりも落ち着いた剣閃を見せ、着実にゴーレムの隙を作り出して行く優妃の姿を確認すると、空になったマガジンを地に放り、踵を返して三丈は倒れ伏す男の元まで舞い戻る。一度瞑目して衣服を漁り、二つのマガジンを拝借すると、彼は拳銃にそれを叩き込んだ。
 この場、この状況の戦況は脱することが出来た。男の遺言である、優妃を傷つけたくないという願いも叶えることが出来た。しかし、それで彼女が満足するのかと考えれば、そうではないだろうな、というのが三丈の考えだった。
 彼女は貪欲だ。未だ見えざる味方を助ける為になら、彼女は迷い無く死地へ飛び込み、力任せにそれらを突破しようとするタイプでもある。だから、と三丈は思考を繋げた。ここで、この局地的な戦闘で傷を受けぬことだけを、倒れ伏した男は望んだのか。そんなことは無い、と三丈は思う。出来うる限り、現状が追い詰められた物であっても、彼はきっと、優妃が傷つくことを望まないだろう。例えそれが無理だと分かっていても、そう望んだ筈だ。
 彼と優妃の関係は分からないが、ともかく、三丈は彼から思いを託されたのだ。手の中の銃を一度見下ろし、自分に出来ることを実行する為に、三丈はもう一度体を翻した。今や終息しつつある戦場に顔を向ける。
 気付けば戦闘の音は遠く、今は空白の様な激戦の余韻が空気中に漂っているのみだ。視線の先では、膝を突いて動かないゴーレムと、その前に立つ優妃の姿がある。


「──終わったのかね?」


 掛けた言葉に、動きが返った。彼女は、上半身を捻って首だけでこちらを見やり、伏せた視線を見せ、


「ああ……いや、守ると言った筈のお前に助けられてしまったな。それに」


 助けられなかった、そう呟いた黒曜石の瞳は、三丈の背後、倒れ伏した男の姿を映している。翳った視線を見て、三丈は一つ首を振ると二歩三歩と足を進めた。足場の悪い砕けたアスファルトを越え、手の届く距離まで行けば、そこには俯いた黒髪の頭頂部がある。
 どう声を掛けようか迷った三丈は、戦闘服姿の肩を叩こうと手を伸ばして、しかし、


「──おや?」


「な、お前何をっ」


 足を取られ、背後から彼女を抱き締める様に倒れ込んだ。優妃が反射的に体に力を入れ、バランスを取ったが故に転倒は避けられたものの、


「ああ助かった。……ぬぬ、何と言うことだ! 柔らかい! こんな所に素晴らしいクッションがあるね!? ──よし、ここは一つ倒れない様にしっかりと掴んでおこうか!」


「あ、こら、揉・む・な……!」


「揉んでいるのではないよ? これは指圧……そう揉みング──!」


「自分で揉みって言ってるだろうがぁ──! 良いから離せ、この破廉恥ワンタッチ男め……!」


 緩く、回す様にした腕の中にある体は、やはり華奢な物だ。気遣いの為か大剣を手放し、その体が捩られる度に痛みが走ることを知覚して、三丈は掴んだ胸クッションならぬおっぱいを揉む込む動きを中断する。
 無表情の上に刷かれた色。短く息を詰め、眉根を寄せた表情は、痛みを堪える独特の物だ。息の乱れと体の硬直は、そのまま抱き締める様にしている彼女に疑問を与える。訝しげに、首を捻って顔を上向けた優妃は、そこに痛みの色を見ると目を瞠り、


「な、何だ? ──遂に脳の病気が手遅れな所まで進行したのか!?」


「……徐々に扱いが酷くなっていくね? ――ともあれ、足がもつれてしまったようだ。すまないね」


「そう思うのならまず胸から手を離せというかオープン痴漢か貴様」


 フラット半眼が三丈を貫くが、彼はやれやれと首を振ってそれを否定した。腕の中、芳しいとも言える香りを感じながら紡ぐ言葉が、密やかに風に流れて行く。三丈は僅かに小首を傾げ、


「ハハハ何を言っているのだろうねこの子は。痴漢などととんでもない。これは――」


「武士の情けだ。一応聞いておいてやろう……」


 何だ、と先を促してくる少女に向けて、真面目な顔で言い切った。


「──崇高なる乳神様へと奉じる為の供物系神事だよ?」


「……は?」


 疑問符を浮かべて眉根を寄せる優妃を見下ろしながら、三丈はうんと一つ頷いた。良いかね、と更に一つ頷き、


「そも、痴漢という物は、陰からこそこそ覗くからいやらしいのだよ。完膚無きまでに禊ぎ祓い清められた俺の手にかかればこの手つきは嫌らしいなどと言う物ではなくむしろ──ほぅら、ほぅーらいやらしくないいやらしくない……! 嗚呼、余りにも清廉な神事に、説明の途中であるのに気持ちが盛り上がって来たね来たね!?」


 背後から掴んでいたたわわな果実を、更に激しくこねくり回した。右の胸を右手、左の胸を左手で揉むだけで飽きたらず、更に強く身を寄せ、腕をクロスさせて抱き込む様にして掌を伸ばす。五指が掴むのは、伸縮性に富んだ布の感触だ。だがそれは、右手で左胸を、左手で右胸を掴む故に先程までの物と感触が異なるものだ。身に触れる感触がくすぐったいのか、優妃は一瞬体を硬直させてから顔を伏せ、


「どう考えてもいやらしいわ馬鹿者――!」


 顔を赤く染めた優妃の後頭部が、勢い良く三丈の顎をかち上げた。





「お、の、脳がゆゆゆ揺れてシェイキンだね……?」


 がくがくと膝を揺らす痴漢の腕を振り解いて、優妃は大きく鼻を鳴らした。身に浅く腕を巻き付け、緩く空気を割って二歩の距離を取る。頬の辺りに来ている熱は、羞恥や怒りや、他何だか良く分からない感情で構成されたものだ。滑らかな肌が空気でゆっくり冷えていくのに任せながら思うのは、つい先程までの自分のことだった。守りたかった者を守れず、守ると言った者に守られ、戦士として、どうしようもなく情けない姿を自身は晒していた。それらが生むのは主に後ろ向きの感情群で、一番大きなものは後悔だ。
 しかし、優妃は今の遣り取りで自分が無防備になっていることも感じていた。会ってから数時間、未だ正体も分からぬ馬鹿を相手にしていると、いつの間にか馬鹿な遣り取りをしてしまっている。客観的に見て、やや変態臭というか変人色というか兎に角尋常ならざる者達が跋扈する基地であるが、それでも、今まで彼の様な男は居なかった様に思う。

 ……ほぼ初対面だという女の胸を、真顔で堂々と揉む男が何人も居たら、間違い無く私が粛正しているからな。

 大岸などは似たことを良くやっているが、主に専属で小山にボコられている為、比較的被害は少ない。偶に思い出したように、『なぁなぁ、姫さんの胸って何が入ってんだよソレ? 俺様、将来大学とか言ったらおっぱい分ってどこから来るのか研究してみっかなぁ──あれ、ケンキューとか言ってる俺って今哲学的じゃねえかよ!?』などと言ってくるが、大抵は無視か、白い目で見ることで対応しているので問題無い。


「他には……」


 無表情系エロ女とか、アッパー女王など変人の取りそろえにはことかかないことこの上無い。偶に、どうなっているんだこの世界、と投げ出したくなることもあるが、大体の奇行に目を瞑れば、彼らは等しく善良な人々だ。


「フゥハハハハハ──! 死ね死ね死ね死ねぇ──!」


 ……善良な人達だ。多分。きっと。どこかから聞こえて来た邪悪な声に対し自身を肯定する為の言葉を二つ程並べて、優妃は息を吸い、


「……はぁ。何なんだよもうー」


 ともあれ、今、自分の心に満ちているのは負の情動では無い。一時的な誤魔化しかもしれないが、それは確かなものだった。身の内の動揺を抑える為に胸に手を当て、一つ二つと息を入れ替えてから、優妃は右を軸に振り返った。


「……?」


 その先にある筈の顔が見えず、首を傾げてから少し迷い、視線を下げる。そこには、こちらに背を向けてうずくまる三丈の姿があった。不審に思う心は不意に声を上げ、


「どうかしたのか?」


「……いや、何でも、ないよ」


 声が返る。押し殺した響きを持つそれに眉根を寄せるが、こちらから見て、三丈の体に外傷は見受けられない。何故そんな声を出すのか。何故そんな体勢で居るのか、小さく唸りながら三秒考え込んだ優妃は、不意に視線を上げた。
 無意識の動きの先にあるのは、僅かに霞む空の先、目の前にあるデパートの屋上に差す影だ。アッラー式土下座を建物方向にキメている彼の頭上には、一対の片割れ、巨大な小便小僧の像がある。手を頭の後ろ手組み、口の端を上げたニヒルな笑みで腰を大きく前に突き出した独自の像だ。ぶっちゃけると、あの像のせいでデパートの売り上げは七割減くらい行っている筈だが、優妃はひとまずその考えを横に置く。
 腕を組んで小首を傾げると、優妃は改めて土下座衛門している痴漢を眺め、ついズドンしたくなる像を見て唸り、再度三丈に視線を向ける。そうしてからふと声を上げ、彼女はうんうんと頷き、

 ……何だ、この男、小便小僧を信仰する独自の宗教に礼賛万歳か。

 胸につかえる様な些細な疑問を解消して、満足げに息を吐く。きっとこの男、世界に遍く存在する多種多様な神に信仰拒否されたに違いない。拒否理由はセクハラ行為に依るエロ神罰。完全に自業自得でどうしようもないが、遂に大型小便小僧に土下る所まで精神が病んだのかと思うと、憐れに思う心が無いでも無いが乳揉みの罪状は消えないので後で人罰だ。
 そこまで考えて、優妃はほんの小さく溜息を吐いた。柄にもなく思考が錯乱しているな、と思うが、それは自分では如何ともしがたいことだ。見れば、土下った男は小さく身動きしている。左の足を抱える様に手を添える動きだ。無防備に晒されている首筋に、痛みに息を詰める時の、独特の緊張を感じて眉をひそめた。


「おい、お前──」


 優妃が一歩近しくするタイミングで、一つの変化が訪れた。マナの光だ。彼女の目の前、淡い燐光を発する正方形の光枠が浮いている。数度ブレた半透明のヴィジョンは、映像を結ぶことなく安定し、ぶるりと一つ身震いした。そこから漏れて来るのは、


『──あーテステステス。優妃さん聞こえてますかぁー聞こえてたらこう、腕で谷間強調した雌豹のポーズでうお危な──! 掠った! 掠ったぞ今頭皮ギリギリ! ぬああクソ、エロゲ貯金崩して買った俺のヅラがズレ……、ヅラが──!!』


 ヅラは良いから用件は何だ用件は。発しようとしていた言葉を途中で遮られて、やや不機嫌な顔で優妃は口を閉ざした。目の前に展開されているのは、マナを利用した広域通信手段、情報共有装置『と、届いちゃう!』の視覚用ヴィジョンだ。空気中に漂う外力因子(マナ)技術転用に集中していた日本ではやや古い技術だが、それでも基地の各員に機器が行き渡ったのはつい最近のことで、使用に慣れていない者も多い。
 とは言っても個人差はあるようで、既に自分好みに光枠(ヴィジョン)をカスタマイズしているものも居れば、戸惑い、少し考えてからでないと操作出来ないものも居る。優妃は後者だ。撫子は独自設定でヴィジョンを展開しない設定にしており、先程の様に時たま虚空に向かって話し掛けていることがある。ふと見ると危ない人そのものだが、母はあくまで真面目な人間なので問題は無い。不用意に『長って何と会話してるんですか? 妖精!? 妖精!?』などとやった人間に二時間のマジ説教をかます位には真面目だ。


「──それは何だね?」


 声に顔を上げれば、立ち上がってこちらに近づく影が目に入る。痛みの残滓の無いその表情に、投げかけようとした質問を胸中で掻き消した優妃は、たどたどしい手つきで宙を叩く。体の向きを変えて三丈の隣に並び、光枠をいくつか叩いて新たなそれを生み出しつつ、


「ヴィジョンという……まぁ、携帯みたいな物だと思えば良い。マナと電波は相性が悪いらしくてな、マナが色濃く充満している場所では、携帯や無線が使えないんだ。あー……、そうかお前、マナのことも良く分からないのか。ええと……奴ら天使(エンジェル)がこの世界に現れる様になってから観測された、外力因子のことだ。発明家連中の力を借りることが出来るようになってからは、マナが色んな技術に転用可能だということが分かってな、こんな風に利用されている──操作案内(ヘルプ)見るか?」


「うん、見せてくれるとありがたいね」


 素直だな、と思いつつも優妃はヴィジョンを操作して三丈の方へ向けた。そこに映るものを見た彼は、無表情にうんと頷き、


「……十月二十一日(水)。天気は雨(絵文字)。しとしとしていてちょっと不快なキ・ブ・ン。今日は基地内部で猫さんを見掛けたので、何とかかつおぶし(重量五キロ)掲げて釣ろうとしてみたケド、何故かフゥワフゥワ威嚇された。もうマジで魚偏に鯖でブルー憂鬱って感じ……なので、ヴィジョンで撮っておいた猫画像で気持ちを癒した。可愛いなぁ~……」


「ぬわああ読むな読むな読むなぁ──!」


 向けていたヴィジョンを抱き締めるようにして視界を遮った。ちらりと覗けば、そこには色々早まってつい恥ずかし口調で書き込んでしまった日記がある。基地内部の女衆と会話している時、『優妃って色気あるのに女っけ……女っけで良いんだっけ? 無いよねぇ』という話題が何故かムーブメントになって、様々な人から貰ったアドバイスを基準に書いた有様がこれだ。
 『もっと可愛らしく、鰤っ娘で鰤っ娘で!』『カタカナとか使うと良いよヵワイィとか!』『いやここはうっふーん系で常に上乳晒す格好で練り歩くとかどうよ!?』『うおら大岸、何女衆に混ざってんだテメェは──!』などと言われたが良く考えたらどれ一つとしてマトモな意見ないなコレ。そもそも鰤っ娘って何だ。照り焼きか。
 腹の底から上がって来た熱は頬の辺りで一度止まり、ちらりと三丈の方を見たことで更に耳の所まで浸食した。三丈は、こちらの肩を叩いて宥める様に掌を見せると、


「可愛いよ?」


「う、うるさい黙れ」


 頬を染めたままヴィジョンを操作しなおし、今度こそヘルプ画面を表示させて三丈に押しつける。視線を動かし、興味深そうにヴィジョンを弄っていた彼は、顎に手を当ててふむふむと頷くと、顔を上げ、


『誰か聞こえてるか!? 助けてくれぇ──!』


 新規でポップしたヴィジョンから、声が響いた。思わず顔を見合わせた優妃と三丈は目を瞠るが、最初の通信に触発されたのか、次々と広域送受信(コネクト)用を示す光枠が浮かんでくる。一つは二つに、二つは三つに増え、それは止まらず、


『こっちももう限界だ! ビーストの奴ら、犬っぽい姿してるくせに『待て』とか躾けられてねぇし!』


『こっちも……クソッ、出来心でドール型の胸揉もうとしたら、容赦無くひっぱたかれたぜ!』


『アホか。誰だ広範囲で情けない生き恥晒しングなのは。漢だったらもっと気合いと根性でだなぁ──キャアアア助けてぇ──!』


『裏声ってんじゃねぇ──!』 


 混沌としているが、状況はやはり芳しくない様だ。光枠の向こうからは、荒い息づかいや衝突音なども響いており、彼らが必死に現状を打破しようとしているのが分かる。反射的に地面に突き立てていた大剣を掴み取るが、彼らに何と言えば良いのか、優妃は咄嗟に言葉が出てこなかった。
 もどかしさに唇を噛み締めると、僅かに血の味が滲む。手元に表示した戦闘域図(バトルフィールド)には、味方の位置を示す青点と、無数の敵を示す赤点がひしめている。指先でなぞる青の軍勢は、見ている間にも次々と押し込まれつつあり、


「──そう言えば、最後の質問をしていなかったね」


 不意に、涼やかな男の声が割り込んだ。上げた視線は険しいものだろうが、そんなことは関係無いと言わんばかりに疑問を向ける。この非常時に、という気持ちと焦りが、優妃から僅かに言葉を奪っていた。隣の彼は、やや上からの視線をこちらの顔に向けたまま手を伸ばし、


「──ん」


 少し破れた唇の傷跡に指先で触れる。触れるようで触れない感触に肌がざわめくが、


「君の──君達の命を。俺に預けて貰えるかね?」


 身を捩ろうとした動きは、彼の言葉で縫い止められた。何を、と思う視線の先、無表情にこちらを見詰める彼の瞳に虚言の色は無い。凪いだ雲海の如き銀灰色の視線の意図が読み取れず、優妃は咄嗟に否と叫ぼうとした。疑惑の表情で喉の奥に声を溜め、開き掛けた唇が微かに動き、


「彼と、約束をしたのだよ」


 唇に触れたままの一差し指に動きを遮られる。ふと視線を動かした彼に釣られて、目線を移せばそこには、


「────」


 守れなかった仲間の、動かない姿がある。僅かに逡巡してから視線を戻し、優妃は三丈の瞳を正面から覗き込んだ。じっと見詰める数秒の間に考えることは、彼の質問にどう答えるかということだ。目の前の男は、戦場で信頼するに足るかどうか分からない。そんな後ろ向きの考えはしかし、直後に訪れた思いで否定された。何故なら彼は、


「……お前には、一度命を助けられているな。恩義を忘れるつもりは無い。更に現状は最悪で、私には何も思いつかない。折角だ。一度拾ったこの命──お前の好きに使うが良い」


「……ふむ、本当に良いのかね?」


 優妃は表情から力を抜くと、大きく肩を竦めてみせた。それに、


「お前はまだ、彼の銃を持っているだろう? 私は、女としてはつまらないと自負しているが──死に際の男の遺志も汲めない、そんな女になったつもりも無い」


 眉を立てた笑みに答えるのは、微かに息を吐く微笑で、


「では──彼の思いに恥じぬ様、この俺が抗いの道を示して見せよう」


 口の端を吊り上げた男は、こちらのヴィジョンを器用な動きで数度叩くと、範囲最大で広域送受信(コネクト)のヴィジョンを表示させる。他にも幾つかの光枠を出しながら、一度瞑目して息を吸い、


「──俺の声が、聞こえているかね? この世界の、見知らぬ抵抗者達よ」


 彼は、戦場に向かって産声を上げる。





[13852] 第六話
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/02/01 16:33



『諸君へ向けては、そうだね、一応初めましてとでも言っておくべきだろうか』


 戦場には、遠く声が響いていた。それは成熟の域に達していない年若い少年の声だ。震えもなく、淀みなく紡がれる言葉は地を這い、空を抜ける様に反響して散らばり、通っていく。


『良いかね諸君? 良く聞きたまえ。今から俺は非常に大事な話をする。何しろ……』


 廃墟然とした街並の中、その声は風に乗り、地を這う様に広がっていくものだ。人の集まる場所では大きく、人気の無い所では小さくさざめいている。曇天の下にある灰色の都市群は、時折起こる衝撃や爆発に身を揺らしながらその声をただ聞いていた。声の発信源は、身を横たえる街の中心部、そこからやや南寄りにあるデパート直下だ。


『今。刹那の戦闘に身を浸す者も、遠距離ズキュンや近距離ズバンが飛び交う中、ヒロイズムやナルシズムに浸るぶっちゃけやや気持ち悪いそこの君、ああ、それとそこの──ハハハ指さし確認から逃れられると思っているのかね! 君も、俺の声を聞き慣れぬ、俺のことを知らないと言うのは非常に可哀想な話だ。貴様ら、耳の穴は掃除しているかね? ──溢れ出る威光を見せつける為に、フフフ言葉で少し補足しておこうか。何を隠そうこの俺は──』


 ほの白く浮かんだ光枠の前、笑みを浮かべた影がある。肩幅に足を広げ、両腕を外側に開いて語る姿は三丈のものだ。彼は、汗を浮かせた笑みでポーズをつけつつ、前髪を揺らして腰を捻り、角度が気に入らないのか十五度増しで逆側に返し、


『フフフ圧倒的に生ける神話! 神の上に立つ、神を越えし男。神越えマン……つまりカマだね──!?』


『……おい。変な空気吸ってハイテンションになってるそこの馬鹿』


『何だね優妃君! 俺が見るからに溢れ出るカマだったことがそんなに意外──あぁ、カマと言っても、カマボコ方面のカマだよ? おカマのカマではないのだよカマでは! 俺は心身共に歴とした男だとも! 何なら証拠を見てみるかね!?』


『……どこから突っ込めば──、変なもの見せようとするなこのカマがぁ──!』


 金属音。


『ぬおお股間に──!』


 長く続く打撃音がしてカマは黙る。地面をのたうつような音が暫し響いた後、掠れた声が通信に乗った。それを聞くのは、男であり、女であり、そして敵でもある。戦場の中、各所で思わず股間を押さえて前屈みになった男衆は、近くに居る者達同士で額を寄せ合うと、


「……コイツ馬鹿だな」


「ああ、股間にジャストミート確実の音だよな」


「……ってか、今の優妃さんの声じゃないか?」


「あの野郎俺たちのアイドルに股間を──! 羨ましい!」


「ちょっとアンタ達! 悶えてないで戦いなさいよ──!」


 おう、と男達が答えたタイミングで、少年の声が走る。


『──さて。俺のカマさが良く分かった所で、そろそろ本題に入ろうか』





『今現在、戦場の状況を把握している者は居るかね?』


 大岸は、襲い来るビースト型ドールを牽制しながら、頬を流れる血を拭った。顔横に展開した光枠は、戦闘の邪魔にならないように縮小してある。地を掻き、伸び上がる様に飛び掛かってきた一体を右の拳で殴りつけながら視線を巡らせる。
 その先にはオープンテラスのセットをそのままにしてある喫茶店や、明かりの無いコンビニ、そして周囲には散発的に人の姿もある。ぐるりと一周見回して、大岸は足を止め一息を吐き、


「クッソ俺の美沙たんとはぐれちまったじゃねぇかガッデム! ……あれ? ガッデムって何の略だぁ? ガッ……が、ええと、ガルルッデロデロなムホホ? ……お、多分これじゃねぇか!? 何か野獣っぽいしな! ──ああクソガルルッデロデロなムホホ──! 俺の美沙が、ガルルッデロデロなムホホだぜ──!! イタリア語って難しいな!」


 叫ぶと、新たな表示枠が浮いてくる。個人向け送受信(コネクト)用のソレから漏れるのは力の籠もった女の声で、


『ダ・レ・がお前のモンだボケがぁ──! そもそも、意味わかんねぇしイタリア語でもねぇよ! つぅかテメェ、『美沙がガッデム』って喧嘩売ってんだなそうか分かった後で無残にぶち殺してやるから覚えてろよ!?』


「う、うお美沙かよ!? おーい見えてんのかぁ──」


音声専用(サウンドオンリー)だから見えねぇし見てる暇もねぇ!』


 思わず光枠に手を振ってから、それが通じないと知って肩を落とす。上がっていた呼吸が落ち着いて来ているのを確認して、軽くステップを踏んだ。今、ヴィジョンを通して彼女と繋がっているが、彼女が無事かどうかを問うつもりは無い。彼女は強い。テンションマックスで薙刀を振るうならどうせ無事だ。何せ、

 ……刃物持ってると、当社比二倍でバイオレンスだかんなぁ。

 ちょっかいを出そうとするとすぐに薙刀が飛んで来るのが偶に傷だ。そこも可愛いがよ、と思いつつ、大岸は前へ視線を向ける。もう一つの通信先から響くのは最近聞いた声。具体的にはつい先程、


「なぁ……コイツ、さっき姫さんが拾ってきてた、チワワみたいな灰色目だよな? 姫さんの乳尻に熱い視線注いでやがったから良く覚えてんだがよ」


『テメェは後で折檻な。……多分な。愛玩動物に喩えるには妙な男だったけど、私もそう思う。この声には聞き覚えあるが聞き慣れてはねぇし、コイツは呑気に『初めまして』とか言ってるしな……あ――こっちは忙しいっつうのに何かムカついて来たぁ――!』


 何故一般人にしか見えなかった彼が、まだ自分達にも馴染んでいない光枠通信を操作しているのか。触れ合った時間は極短いものだったが、それでも二人の共通見解として分かることもある。着ているものは普通の衣服で、武器を携帯している風も無く、戦いに身を晒したことのある、独特の雰囲気も感じない。そこそこ体を鍛えてはいるようだが、毒にも薬にもならない少年だというのが、二人の持つ彼のイメージだ。
 大岸は上げた手で頭を掻き、


「ま、どうでも良いやな? どうやら姫さんの光枠借りてるらしいけどよ、今ん所姫さんに止められてる様子もねぇしなー」


『ハ、それもそうだな。――ったく鬱陶しいな天使共! オラオラ股裂き――! ……内股飛び退きで避けんなキショイだろーが!?』


「……思うに、お気に入りの攻撃が股間系って結構すげぇ女だよな美沙……っとあぶね」


 飛んで来たコンクリート片を拳で砕いて、ぐるりと首を回す。戦場の状況戦場の状況と呟きながら見るのは周りの様子で、それは、


『ぶっちゃけ、最悪の筈だね? 敵は多くこちらは弱兵混じり。指揮系統も定まっておらず、味方がどこに居るのかも把握していない──ハハハそんな体たらくで戦いなど、馬鹿かね貴様ら』


「ははは馬鹿だってよー。一体誰に向かって言ってんだろうな? 晴れて広範囲馬鹿認定された奴には、俺様が直々にあ、あわ、あわわれみをくれて──」


 言っていると、


『そう、どうせ自分のことを言われていると分からない大岸辺りが一番馬鹿だね。ほら、同意する者は返事を』


『同意』『情景が目に浮かぶわー』『キングオブ馬鹿だからな』『ばーかばーか』『かーばかーば』『かばって意外と凶暴なんだぜ』『ゼロ戦の戦闘力舐めてんのか』『おいおいしりとりで遊んでんじゃねーよ俺も混ぜろ』『尻……! そ、それホモネタで3P!? 3P!?』『黙れ腐女子……!』


 など、それまで黙っていた各所の仲間から一斉に声が上がる。脱線気味の会話を耳にした大岸は数秒考え込んでから、眉を立てて拳を振り上げると、


「あクソ、何かすげぇ腹立つ気がするぜコイツ──!? 良いかぁてめぇら、俺様のことを馬鹿って言って良いのは、ベッドの上の貧乳微少女だけだぁ! 覚えとけ──!」


『……今お前、まさに現在進行系でナンバーワン馬鹿だぞ大岸。あと、文句叫ぶんなら広域送受信(コネクト)ちゃんと承認しとけ。向こうの馬鹿に聞こえてねぇぞ』


 大岸はおお、そうか、と頷くと左の拳を振り抜き、ビーストの鼻先に一撃入れる動きで送受信(コネクト)承認のボタンを押し込むと、


『という訳で、貴様らの指揮権は一時的に俺が貰う。──異存はあるかね?』


 叫ぶ。


「異議あ──り!」





 物陰に身を潜めて、負傷者の手当をしていた少年はふと顔を上げた。大気中のマナを集中させ、当てた場所の細胞を活性化させる治療用の包帯を巻きながら声を聞く。
 まだ誰も、大岸以外の者が声を上げていないのは戦闘の疲労や激しさ故か、それとも、

 ……皆、期待しているのかな。

 少なく無い数の人間が、『誰か何とかしてくれ』と願っている筈だ。少なくとも、彼はそうだった。


『言ってみたまえ』


 視線の先に居るのは、数人の仲間だ。ただ、性別や、年齢が少年とは違う者も居る。皆は体勢こそ違えど、真剣な表情で光枠を覗き込んでいる。まだ操作に慣れぬ者は、既に光枠を展開した者の所に近寄り、顔を寄せて囁き合っている。


「……異議ありって、大岸にマトモなことが言えるのか?」


「一応期待してやろうぜ。期待しちゃ負けだって言葉もあるけど」


「それもそうか。──ハハッ、まぁ無理だろうけどなー」


 何でそんな身内に厳しいんだというか元気に喋れるんなら治療手伝えよ。思わず半眼でそんなことを考えるが、すぐにどうでも良いことかと思い直した。身内に厳し目なのはお家芸だ。気にしていたら日が暮れるどころか世界が終わる。
 だが、肩を預け合ってニヒルな戦友ごっこなどをやっていた彼らの一方に、


『ハロハロー初コネクト。声聞こえてる?』


「おま、何で女から個人用の連絡が来てイテェ──! 傷口叩くな鬼かお前!」


「……これは俺の進退を決める一大事なんだ。ククク、邪魔する奴に容赦は『あ、わりー。聞こえてる聞こえてる。マナ越しでも可愛い声だなぁフフフ』 ……悪・即・斬……」


「意味分かんないがその勢いだけは買ってやろうというより傷口抓る手を止めろこのコケシ野郎……!」


 がっぷりと四つに組み合って睨みを交わしている馬鹿二人から目を離し、手元の負傷者に集中する。後一人、今伏している者の応急処置が終われば、この場から動くことが出来るのである。無理に動いたせいで倒れ伏した二人の馬鹿は知らない。


『ぶっちゃけ、お前何者だよ? 確かに俺ら、ちょっと考え無しに出て来たかもしんねーけど、どこのドイツだか分かんねぇ様な奴に上から指示出されて、気持ち良く頷ける程マゾじゃねぇぜ?』


 おお、案外マトモなこと言った、と皆がざわめく中、問答は続いて行く。光枠の向こうから肩を竦める様な衣擦れの音が響き、


『この際、俺の正体などどうでも良いことだとも。重要なのは、俺がこれから言うことが状況に即したことなのか、それは貴様らに出来ることなのか、そして』


 そして、


『俺の言葉を利用してまで、貴様らに抗う意志があるのか。──そういうことではないかね? それでも不安な者は、優妃君に尋ねてみると良い。現に今、俺は彼女の光枠を借りてこうして貴様らに呼びかけている訳だからね』


 少年の言葉の後に、数拍の間が続く。息を入れ替えた大岸はそうか、と呟くと、


『じゃあお前、何でそんなことしようと思った訳よ。それもいきなり。──何故だ?』


 止血の為に使っていたガーゼを捨て、新しい物と取り替えてから包帯を当てる。すぐ様マナが集束し、淡い燐光と共に傷が癒えていくことを確認した少年は顔を上げた。


『簡潔に言っておこう。俺自身まだ、良く理解出来ていないことであるが──俺は、夢君と同じ所から来た人間だよ』


 言葉に、俄に光枠の内がざわめいた。夢、と呼ばれている人間は、基地内には一人しかいない。戦闘服の隠しに入れた『夢たん可愛いよハァハァ親衛隊』と書かれた鉢巻きを握りしめ、少年はぐっと背に力を入れる。聞いたことがある、というより、基地内の人間なら皆が知っている。それは彼女が異世界の住人らしいと言うことで。
 ならば、光枠の向こうに居る彼は、


『お前も……異世界から来たってのかよ!?』


『その通りだね。更に加えて言うなら、俺がここに来たのは、つい先程と言っても良い時間だ。限り無く傍観者に近い立場の俺から見れば、この戦場は酷く稚拙で、纏まりも無く、行き当たりばったりな物ばかりに見える。そうだね、決して上手い物では無い』


 だが、と声は続き、


『老いも若きも男も女も。誰も彼もが、必死で懸命だ。だからこそ……この身を投げ込んでみるのも一興と、そう思ったのだよ』


 笑みの気配を残す声には、しかし重要な物がかけている。人づてに聞いた話ではあるが、夢が居た場所というのは、こんな正体不明の敵との戦争など埒外な、平和な所であるらしい。何故、そんな場所に居た者が、命の危険を顧みずに協力しようと言う気になったのか、その部分に疑問を抱く。
 今でも、少年は自分の初陣を覚えている。何度も訓練を重ね、仲間達と励まし合いながら立った初めての戦場は、少年に取って忘れがたいものだった。敵の威圧に手は震え、戦場の気迫に身が震える。冷静な思考など何をしても浮かばず、半ば夢心地の中で武器を振るっていた思い出がある。少年は、自分が決して意気地のある方では無いと自覚していた。他人よりも、その怯えは激しかったのではないかと、数度の戦闘を経た今でもそう思う。
 しかし届いてくる声には、震えが感じられない。それは、それは何故だという思いを、少年は得ていた。寄る辺のない場所なら震えと怯えは不可避の物で、それらがあるが故に優秀な兵士となれるのだ、と年かさの仲間は言っていた。ならば、光枠の向こう、戦場のどこかで声を発している彼の声にそれが見えないのは、何故なのか。確認する様に視線を飛ばせば、同様の疑問を浮かべた仲間達の姿がそこにあり、


『────』


 沈黙が流れ、微かな金属音が響き渡る。硬質なソレは、訓練の中で何度も聞いたことのある音だ。カスタマイズされた拳銃を持ち直す時の動きと音は、短く余韻を残す様に過ぎ、


『補足を、しておこうか。──ある男の死に際に。遺志を託され、約束をした。……それだけだよ』


 それは、一人の男の遺志を受けて彼が動くことを決めたという表明だ。戦闘の混乱に悶える皆は、その言葉をそれぞれで租借して飲み込み、次の言葉を待った。仲間の死を口にした以上、こちらは彼の言動と行動を本気の証左として判断して行くことになる。それは、虚偽を許さない暗黙の戒律だ。
 墓は、いくつ必要になるのだろうか。そんな益体も無いことを考えた自分の頭を二度三度振って、少年は目を伏せた。仲間の死。それは、戦場では安い賭け金の一つだ。同時に日常では、最も高い過去の苦みになる。ならば、日常からいきなり戦場へと叩き込まれたであろう彼が『死』に感じたのは、重いものだった筈だ。もしかしたら、

 ……その重さが、彼から怯えを奪っているのかな。

 託される、その重い遺志は、男を戦場に駆り立てるのに何ら不足無い起爆薬だと言う思いを得る。ならば、彼がここに居るのは、


『男が戦場に立つのに、それ以上の理由が、必要かね?』


 押し殺した声音の一言が、戦場に沁みていく。見回せば、思い思いに腰を落ち着けている仲間達が仕方無いとでも言いたげに肩を竦めていた。仄白く、宙に浮いているままの光枠から響く声は大岸の物で、あーと声上げている大岸は、分かった分かったと呟くと、


『……オーケイ分かった。俺様はこの場で、お前についてはもう何も聞かねぇ。だがよ』


『テメェは、この状況を何とか出来る自信があんのか? あぁん?』


 小山の声が割り込んだ。





『理由はともかく、テメェがこの戦場からケツまくって逃げ出すつもりがねぇのは分かった。だが、それとお前の言うことがマトモなことなのかは、話が別だ。テメェが言ってた様に、それは重要なことだ。……そうだろ灰色目?』


 優妃は、隣で目を閉じている三丈を見た。顔を伏せ、両手で拳銃を握りしめているその姿からは、ひどく頼もしい様な、頼りがたい様なそんな印象を受けてしまう。一体何度目になるのか、良く分からない奴だ、という思いを得るが、言葉は心の内に飲み込んでおいて視線だけを彼に向けた。
 周囲の警戒は怠って居ない。そよいだ風が髪を緩やかに乱し、駆けていくのに身を任せていると、三丈は言う。顔をやや伏せたままで口を開き、


「ハハハ何を言っているのかね貴様。下らぬぞ?」


 言葉に、目を見開くことで優妃は反応した。それは光枠の向こう、戦場のどこかで舞を踊っている小山も同じ様で、


『あぁ!? 何だテメェ意味わかんねぇぞ!』


 ……言葉がいつも直截だなぁ。

 変態相手には常に一定水準以上で有効な手だが、交渉事の時は大変なのではなかろうか。目を瞑ったまま、口の端に笑みを浮かべた三丈は両手を外に広げ、


「ここで俺が正しいと言えば、俺の言動は須く貴様らにとって正しいのかね? ──馬鹿かね諸君。貴様らの頭は何の為についているのだ。俺の言動が善い物であるのかどうか、従うのかどうか、全て判断するのは俺では無い。貴様らだ。考えることを放棄して、生き抜ける程甘い場所なのかね、戦場という位置は。──随分とヌルイ最前線だね?」


 はっきりと揶揄する口調に、ぬ、という呻きが返って来る。悔しくて馬鹿を殴りたいのだろうか。小山を余り不機嫌にさせると、宙を飛んだ大岸型崩壊跡の始末が色々大変なので、ここらでもう挑発するなとアイコンタクトを送って見る。こちらに気付いた三丈は、


「フフフ! 見惚れているのかね!?」


 気障なポーズとウインクを返されたが馬鹿なので無視した。優妃は溜息を吐き、


「……自分で決めろと、不用意に頼るなと、そういうことか?」


「うんうん。良く分かっているね」


『……ならそう言えっつぅの』


 面倒くせぇな男の癖に、と声が来るが、三丈は口を噤んで笑みを深めた。光枠の向こう、そこに数多居る筈の者達を見る様にのぞき込み、


「例え俺がどんなに優れた案を練り策を提示しようが、それを貴様らが為せないのならそれは愚策に成り下がる。馬車馬の如く人を扱いたい時は、常にその限界を見極めるべし。……我ながら至言だね! メモを取っておこう。む、紙が無い! おやこんな所に上質のキャンバスがあるね! さぁ早速書き心地を──」


「ぶつぞ?」


 人の胸に指文字でメモ取ろうとしてきたので、笑顔で大剣を振り上げると大人しくなった。


「何はともあれ、だ。諸君に送る指示がいくつかある。良く聞きたまえよ」


「……せめてもうちょっと普通に頼まないか?」


「ふむ──送る指示がいくつかあるので、良く聞いて頂けますか貴様ら? ──これでどうかね?」


「……何と言うか」


 次々に光枠を操作しながら言葉を作る三丈は、そこで良いかね、と前置きをしていくつかの案を提示していく。戸惑いを含みつつも、傍らに表示させたマップの点が移動するのを確認した三丈は一つ頷くと、


「では、我々も行こうか」


 こちらに振り返り、短く言う。返答を決めあぐねていると、三丈はそのままいくつかの光枠を覗き込むと頷きを落とし、こちらに構わず歩き出す。ペースは遅い。状況としては駆けた方がより良い筈だが、走らないのは何故なのか。
 だが、口をついて出た言葉はそれとは別の疑問であり、


「お前……良いのか?」


 上手く形に出来ない投げ掛けが通りに反響して行く。三丈は、後ろ姿に片手の拳銃をひらりと振って見せ、


「行こう」


 短く呟いて進んで行く。余り離れると、一時的に貸与している光枠が消えてしまう。何かを言おうとして、しかし何も言えず。拳銃を手放さない三丈の姿に溜息を吐いた優妃は、唇を引き結んで足を踏み出した。二人の間に距離が開いたとは言え、それはほんの数メートルだ。地に突き立てたままの大剣を肩に担い、少し足を速めれば、すぐに三丈の隣に並ぶことが出来る。
 だから、そうした。胸の内にあるもやもやが、一体何なのか。それを振り払う様に風を切る。





 戦場は、刻々と変化していた。曇天に包まれた灰色の空が薄く茜色に染まり、僅かに抜けた斜陽の光が街に陰影を付けている。そんな街の中に動くものがあった。漣の様に蠢いている黒の軍勢と、それを追う白の軍勢だ。黒の軍勢は、入り組んだ路地や大通り、時には建物の屋上を蹴ってひたすらに駆けている。中には、一人で駆ける者も居れば、仲間に肩を貸して引き摺る様に動く者、数人でチームを作って走る者も居た。急速な動きに依って変化していく戦場の中で、たった一組だけ、周囲とは違うペースで進んでいる影がある。
 影は二つ。大通りの中央を、肩を並べて進んでいるものだ。一つは、白の肌に黒の髪、銀灰色の瞳を揺らす詰め襟の少年。もう一つは、結った黒の長髪を靡かせて進む、凜とした顔立ちをした戦闘服姿の少女だ。
 三丈は、光枠の光を顔に受けながら手元で細々とタイプをしている。何かを悩む様に手を止めることもあるが、その動きは一定のリズムで淀みない。黒光りする鋼の機構はベルトの後ろに挟み、時折吹き抜けていく風が、はだけた詰め襟の裾とくすんだ前髪を乱して去って行く。隣に並ぶ優妃は、片目を閉じた無表情に凛々しさを刻みながら沈黙を保って三丈に付き従っている。背に担いだ大剣が鈍く光を反射し、剣光よりも鋭い切れ長の視線が周囲を警戒して揺らめく。二人はゆっくりとした速度で、しかし堂々と、足を止めることなく歩んでいた。
 不意に、二人の周囲に数個の光枠が浮く。含まれた外力因子(マナ)が構成式に呼応して、蒼とも白とも言える発光で枠を形取るのが見て取れた。そこから来るのは、様々な音だ。息づかいや足音、破壊音などもあるが、多くは人の声で、


『聞こえてる!? こっちもうすぐ目標地点(ポイント)到着!』


『こっちはもうちょい掛かる! 後ろから追撃かけられてんだ!』


目標地点(ポイント)到──着! 準備は何も足りてねぇが、覚悟だけは十分だ!』


 聞こえて来る声に応えるのは、三丈だ。彼は届く報告を確認しつつ時に声を返し、時にマナを利用したデータ送信で適切と思われるルートを書き込んだマップなどを送っている。


「ああ、聞こえているとも。その先に敵性反応は無い。真っ直ぐ進んで指定場所で待機しておくように」


 地図を見ながら指示を出し、


「了解。そちらから見て一本右の通りに、まだ負傷の少ない遠距離攻撃連中が居る。次の角を右折して合流、その後協力して敵を振り切れ」


 新しく他の人員に通信文(メール)を打ち、


「射撃武器を持つ者を前面に押し出して、敵が現れ次第攻撃を。周囲、既に待機が完了している者達と連絡を取り、戦況の確認をしておいてくれたまえ」


 状況を少しでも固定して行く。
 眇めた視線は絶えず表示させた戦闘域図(バトルフィールド)に向けられており、他の作業と平行してそれらの処理を行っている。時は刻一刻と過ぎていき、白と黒の追いかけっこは次第に終息の気配を見せて来る。三丈は更にいくつかの報告を受け、指示を返しながら息を入れ替え、顔を上げた。
 その視線の向く先には、黒の壁がある。


「気ぃ抜くな! 応急処置が終わってねぇ奴はこっちに連れて来い! まだ包帯余ってんぞ!」


「急げ──! おいお前ら、奴らに先を越させるなよ!」


「戦闘不能の奴はとっとと基地へ連れて帰れ! 荒れる前に何とかするんだ!」


 怒濤の声。壁は、戦闘服に身を包んだ見覚えのある見知らぬ人々で構成されているものだ。近づく毎に感じるのは、傷ついた者が纏う血や、濃密な汗の匂い、熱気、火花散る金属の匂いや火薬の残り香だ。彼らは一様に必死の表情で、時たま苦しげな顔や笑顔を交わしながらも着々と戦線を構築して行く。
 拡大表示にした戦闘域図(バトルフィールド)を一瞥して、三丈は緩く胸を上下させた。味方を示す点は余すことなく、都市を縦横に貫く大通りを埋める様に展開している。緩くカーブを描く一本のソレは、彼らの背後にある基地、そこへ敵を入れない為の一本の鉄柵に等しいものだ。基地内の撫子と連絡を取り、エメス経由で専用にダウンロードした戦闘域図(バトルフィールド)と諸々のソフトは、三丈が望む戦場の形を描いている。それは、練度や強さで劣るこちらが出来うる足掻きの図であり、


「……絶対防衛戦の構築は、完了したね」


 後方、学校を改築した基地に詰めていた者達経由で届いた銃弾や回復薬を散りばめたそのラインは、ひしめき合う様に詰めた黒の軍勢の砦になっている。廃材を適当に積んだり、そこにある車を動かしてバリケードにしたりと、短い時間でも出来ることは全て手配している。
 時間は無い。だから、三丈は身の内に燻るものを吐き出す為に息を吸った。


「──諸君!!」


 目の前、居並ぶ軍勢に肩を並べながらの叫びが戦場を切り裂く。左右を見れば、なだらかにカーブを描くその先まで、黒の人影がひしめいているのが目に入る。彼らは自分達の準備を確かなものにしながら、直接、あるいは送受信を通じて間接的に三丈の声に耳を傾けている。
 目だけでなく耳で、そして意識で以て彼らの注意を引いていることを確認した三丈は、大きく息を吐いて肺の中を涼しくすると、熱い吐息と共に再び声を上げる。


「──諸君。調子はどうかね?」


 声は、大気を通り、大地を奔り、群衆を抜けて響いていく。叫びは不敵にも思えるもので、それぞれの面持ちで声を聞く者達は、ほんの一瞬手を止め、そしてすぐに強い視線を前へと、敵の来る方向へと向けることで態度を示す。
 三丈の叫びもまた止まらずに、廃墟然とした都市の中にただ、震える様に続いていく。


「傷を受け、最悪な者は居るかね? 傷を恐れ、震える者はどうだろうか? 傷を見て、心を痛める者は? ──だが、良いか諸君。良く覚えておきたまえ。今、貴様らが立っているその場所が、此度の戦場、その終わりの場所に他ならない! ここから後など一切無い。貴様らが退いた歩数の分だけ、戦場と戦場とは無関係などこかで誰かが傷を受けると思え!」


 幹線道路を貫く声に、首を鳴らしていた大岸がニヤリと口の端を歪めた。滑らかに続く次の声で、軽く屈伸運動をしていた小山が顔を上げる。


「日は(かげ)り、夜の帳も下りつつある。我々に有利な条件などどこにもない。貴様らがどのような理由で戦場に立つのかも俺は知らぬ。だが、貴様らが自らの意志で戦場に出て来た者なら……その意志を以て、一歩たりとも退くことは許さん!」


 並んで立つ澪と(みそぎ)が、顔横から響いてくる少年の声に頷きを返す。


「聞け諸君! 思想信条理由背景その他諸々全てを置いて考えろ。貴様らの背後に、大事なものはあるかどうかだ。──あるなら守り通す誓いを立てろ。未熟な我らに策など無い。死にたくなければ、そして死なせたくない者が居るならば、理不尽に立ち上がり、脅威に抗う様を見せつけるのがこの一戦でのやり方だ。疲弊した体に覚悟と戦意を、磨り減った心に反抗の意志を込めて牙を剥け!」


 おぼつかない手つきで武器を構える少年も、慣れた仕草で得物の状態を確認する年かさの者も、その全てがゆっくりと力を込めて立ち上がる。


「……ここから先は潰し合いだ。情緒も介さぬ白の軍勢に、意志から来る一撃を見舞ってみせろ! 理不尽に晒され、暴虐に怯えるか弱きもの達を守る背中に誇りを宿せ! 死なず、打倒し、この戦場を笑顔で乗り越える様を世界に見せつけてみせろ。その先に待つのは、安息と自信に満ちた勝利の味だ。──良いか諸君、この戦の指揮を預かった者として……三丈満という一人の男として、最後に命ずることが一つある。良く聞け諸君」


 遠く、しかし容易に視認出来る距離に、次々と白の軍勢が姿を現してくる。高速で迫る白色の波濤を目の前にして、三丈は戦線から一歩を踏みだし、ぎこちないながらも踊る様に拳銃を振り上げ、


「──守れ! 足掻き、抗い、立ち向かい、諦めぬことで守りたいものを守って見せよ。──先程伝えた返事の仕方は覚えているかね?」


 僅かな逡巡は、肯定の意味を持つ呼気の連続だ。だから三丈は、眉を立てて殊更に声に力を込め、


「応えて見せろ!」


 言葉に、数瞬の沈黙が返る。だが、その沈黙を破って声を上げるものが一人いた。


「──resist.(レジスト)!」


 影は、緩い笑みで大剣を構える優妃の唇から漏れたものだ。彼女は鋭く、肺腑を絞る様に出した声に押される様に笑みを深め、


「……resist.(レジスト)


「……resist.(レジスト)……!」


resist.(レジスト)!!」


 軍勢のそこかしこから、次々に応える声が空へと上がって行く。resist.(レジスト)resist.(レジスト)resistant.(レジスタント)我らは抗うもの達なり、だ。
 声が絶頂まで高まり、次の瞬間、焔の如く気炎を上げながら総身に力を込めた黒の軍勢と、獰猛な動きで飛び掛かる白の軍勢が激突する。


「行け……貴様らの持つ抗いの意志で、この暴虐をはね除けてみせろ!」


 振り下ろした拳銃の先から、マナによって強化された弾丸が飛ぶ。
 戦場の火蓋が、切って落とされた。









[13852] 第七話
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/01/18 03:15



 さぁ行けよ、と誰かが笑う。あぁ行くさ、と誰もが叫ぶ。






 都市から少し離れた森の中を、疾駆する影がいくつかある。梢の陰りが日差しを遮り、殆ど暗闇に近い程の闇の中を駆けているというのに、彼らの速度は平地を行くかの様に軽やかだ。見れば、闇の中にはいくつもの燐光が浮かんでいる。それぞれに疾走する姿の顔部分、目の辺りに光が散っているのだ。中の一人がその光を指先で弄りつつ、先頭を行く影に声を掛ける。


「ボス、急にペース落としてどうしたんですかい? 肝心要の俺らがへばっちまったら意味がないとは言え、今あっち襲われてんでしょ」


 声には、反応が返らない。そのことに疑問を感じた男は、ペースを上げて先頭に並ぶと、顔横の燐光──視覚を強化して、暗闇の中を見通す為の構成式“そ、そんな所まで見ちゃらめぇぇ”を弄る手を止める。見れば、


resist.(レジスト)か。……ふふ。うむうむ、悪くないぞ」


 小さく展開した光枠(ヴィジョン)に向かって、満足げに何度も頷く影。蒼白い燐光を受けて煌めく金色の長髪を揺らすのは、女性の姿だ。年齢などは既に四十前後で有る筈だが、下手しなくても女学生と間違えられる顔立ちを保っている。甘やかな唇に、いつでも潤んで見える大きな瞳は澄んだ紺碧。老化など何程のものと言わんばかりに輝く白の肌はきめ細かく、陽光の下で見てもしわ一つ見当たらない程だ。間違い無く、文句なく顔立ちなら長の撫子と並ぶ程の美貌だと常々噂になるくらいだから、彼女が美人なのは間違いが無い。
 無いのだが、


「……ボスー、何してんですかい」


 やれやれと首を振って、男は彼女の首の下に目を向けた。既に見慣れて久しい姿だが、インパクトのある姿なのには違いがない。男は思わず、光枠(ヴィジョン)へと視線を固定させている上司の顔に目を向けた。顔を見ている限り、心は安泰だ。ようやくこちらに気付いたのか、ぐり、と首を曲げて横を向いた彼女は、輝く様な満面の笑みを零し、


「む、お主も聞いていたか!? 今、あちらは面白いことになっておるようだぞ! 変な奴も居て、それが我は面白くてなぁ」


 がっくりと首を落とす。現在、自分達一隊は基地へと向けて帰還している途中なのだ。先に言い渡されていた任務を果たし、さぁ帰ろうという所に入った緊急通信を受けて、ペース配分を無視した全力で疾駆していた。敵は多く、基地に残っているのは殆どがまだ新米ばかり。戦場に出ている彼らを救う為に、彼らは無言で駆けている、そう、今はとてもシリアスな場面である筈なのに。


「──何ラジオのノリで光枠(ヴィジョン)開いてんですかアンタ! もうちょっとこう……ああもうシリアスに行きましょうやシリアスに!」


 半眼で睨むと、びくりと彼女は首を竦める。だが、表示した光枠(ヴィジョン)から漏れて来る声はそのままにしており、


resist.(レジスト)ですかい。確か語源は、ラテン語の『逆らう』と『立つ』ですな。ハハ、こいつら、いつの間にか一丁前にかけ声なんぞ上げて──って何ポテチの袋開けようとしてんだアンタ全く!? 隙あらば説教中にお菓子タイム挟もうとすんなよ!」


 があっと吼えると、女性はしぶしぶといった(てい)で袋を仕舞う。リーダーがコイツで本当に大丈夫かという思いが脳裏を過ぎったが、態度や行動はともかく彼女の実力は確かなものだ。男は、これまでに何度も経験した頭痛を米噛みを揉むことで軽減しながら溜息を零す。視線を向ければ、隣の女性はまた笑顔で光枠(ヴィジョン)を覗き込んでおり、


「──?」


 ふと背後に振り返ると、そこに居る全員が慌てて光枠(ヴィジョン)を閉じる動作をした。闇の中に仄白い光が散り、風に流されて消えていく。それぞれ顔を逸らし、下手な口笛吹いて誤魔化し行動に従事している仲間を数秒間ジト目で睨んだ彼は、もう一度深く溜息を吐いた。
 緊張感ねぇなぁもう、などと思いつつも、彼は自身の手を動かして光枠(ヴィジョン)を表示させる。何となく視線を感じて周囲を見ると、変なものを見る様な目で皆がこちらを見ていた。彼はそっぽを向くと、


「……俺も、あいつらひよっこが頑張ってる声位聞きてぇんだっての」


 仲間達が声も無く笑み零れる気配に気恥ずかしさを感じつつ、彼らは無理をし過ぎないペースで足を速めて行く。目指すのは、森を抜けた先。荒れた都市を目指して、一直線に。





 光が炸裂する。飛び上がった空から踊る様に落ちてきたビースト達に応対したのは、色も形も様々なマナの燐光だ。拳銃、長銃、機関銃、ショットガン、弓矢、果ては投剣までもが宙を裂き、口腔を見せつける様に大口を開いた白の獣にぶち当たる。正確さよりも、数の暴力で押すその攻撃は、言うなれば熱と弾丸で作られた敵意の壁だ。その穿ちは、いの一番に飛び掛かってきた相手をたたき落とすことに成功するが、その後ろ、こちらを窺う様に足を止めた敵までは届かない。ドール型に至っては、手にした武器で銃弾を弾いて飛び退く始末だ。ぎこちなくも整えた布陣、その前線に並ぶ射撃手達の初撃で減らすことの出来た敵の数は、決して多くはない。
 しかし、銃器に籠もった熱を排出する時間すら惜しいと引き金を引く黒の戦士達は、自分達が倒してのけた戦果を確認して互いに顔を見合わせた。バリケードに身を隠す様に居並んだ部隊の中、長銃のストックを肩に当てた少年が隣の男に得意げな視線を流し、血色をのぼらせた自慢げな顔で、


「見たか! 俺の放った弾で、お前らが打ち損じた一体撃墜してやったぜ! ──開発部に頼んで、銃弾を“曲がる魔球・きゅ、九十度なんて凄いひぃ!”仕様にしてもらった甲斐があるってもんよ!」


 それに応えるのは、頭にバンダナを巻いた色黒の男だ。彼は額から血を流した姿で拳銃を両手でホールドしたまま、肘を使って少年の脇腹を突つく。だが顔は笑顔で、


「馬ぁ鹿、お前その代わり、どんだけ弾ばらまいても真っ直ぐ正面の的にも当てられた例しがねぇだろうが。でもまぁ俺も、撃破はねぇが、前肢がっつり頂いたぜ。──全弾ばらまいて何とかな」


「ちなみにそいつは俺が仕留めた。──はは、俺達皆、訓練じゃ全く以てさっぱりで、こりゃもしかすると役立たずかと思ってたんだが、こいつぁ──」


「言うなよ。自惚れたって良いこたねえ。……でも今、自分の成果に浸ってる奴挙手──」


 声に、会話に参加していなかった者達も少し迷って小さく手を上げた。それを見た年かさの男は、照れくさそうに鼻を鳴らすと、いや何だ、と掠れた声を落として小銃を構え直し、


「──俺らも結構、やれるじゃねえか、なぁ?」


 続いて飛び込んで来た相手に、スタッカートで銃弾を叩き込んだ。





「仲間を撃たなきゃそれで良い! とにかく適当に弾ばらまけ──! 一体でも多く相手を減らすんだ!」


 距離を埋める武器持つ者達は、誰かの声に従い、手当たり次第に銃撃を入れていく。だが、照準を覗き込んでいた彼らはふと距離を感じて手を止めた。見れば、銃弾に脅威を覚えるビーストとドールの進撃が随所で止まり、代わりにのそりと動き出す姿がある。その威容に、思わず誰かが息を飲む音が鳴る。
 こちらに進み出て両腕を盾の様に掲げ、大地を踏みしめる姿、それは無音の叫びを轟かせる、


「────!」


 白にも見える砂色の巨人。ゴーレムだ。銃弾を数十発当てても倒れない屈強な巨人達は、地響きを立てながら真っ直ぐに戦線へと向かってくる。残ったドールやビーストがその後ろに身を隠すのを見て、手に遠距離攻撃用の武器を持つ者達は、慌てて照準を合わせ直した。挙動の遅いゴーレムは、疾駆と言うには遅すぎる速度で、しかし銃撃に身を震わせ、止まらずに迫って来る。
 銃弾と言うのは、常に安定した威力を発揮するが、同時にある一定以上の効果も発揮出来ないものだ。数を束ねても止めることが出来ない以上、射撃能力に不安のある彼らでは、銃撃の一点集中で相手を破壊するなど埒も無い。手にした銃器や弓は対人用に作られたものを基礎としており、大型動物や、対物、対戦車ライフルに匹敵する威力と行動制止力を持つに至る力は無い。それはつまり、彼らに砂色の巨像を止める手立ては無いということだ。それでも、退かぬと決めた彼らは、背筋を走る恐怖を踵で踏みつけて、一心不乱に攻撃を集中させた。
 前方。放たれ、掠った銃弾が岩の如き体表を弾き、速度のある穿ちが掲げた腕に食い込むが、ゴーレムの突撃は遅滞を見せない。だが、このまま戦線を突破されれば、自分達の立つ防衛戦を抜けた分だけ、少なく無い数の敵が後方の基地へ向かうことが出来る様になる。それではこちらの負けになる。
 足らぬ力に、感じる悔しさに奥歯を噛み締めた彼らの半数ほどが、攻撃を諦めて低く体勢を整えた。彼らは、せめてと武器持つ手と肩を押しつけてバリケードを押さえ、激突の瞬間を思って身を固め、


「馬ぁ──鹿め! ところがどっこい……行き止まりでぇ──す!」


 黒の影が勢いを以て前に出る。重装備を纏った近接格闘主体の連中が、激音を響かせて波濤の突進を受け止めたのだ。





 ぶつかりあった両者は、衝撃と反発が生じる刹那だけ噛み合う様に動きを止める。次いで生じるのは音だ。耐久と破壊の意味を持つ金属音と重低音の混じった、腹の底に響く大音が戦場を()ぎる。
 激突は、一瞬で様々な結果を生んだ。衝撃に堪えきれず、力負けした数人が体勢を支えきれずに身を崩す。足先が大地から離れた者を下からかち上げる様に、膝を落として踏鞴(たたら)を踏んだ者を跳ね飛ばす様に来た衝撃の余波が戦場に奔り、そして幾人かを吹き飛ばす。身体能力の強化を示す燐光を纏った彼らは、戦闘服に補強パーツを付け、重りを増した装備に身を固めている。重武装の戦士達が跳ね飛ばされる音は鈍く、重い。
 残った者達は歯を食い縛って全身に力を入れ、筋肉を張り詰めさせながらも、圧倒的な圧力の突進を受け止める為にアスファルトを踏み削った。加圧のせいで陥没した足場を幸いと、更にしっかりと地を噛んだ足裏からゴーレムを押す彼らの力は強いが、


「ううう、ごめんなさいっ! 貴方の思いはちょっと私には重すぎるの──!」


「このタイミングで告白断る練習してんじゃぬおお押される──! 腰痛再発するかも──!?」


「カツ丼天丼親子丼! ピザはおやつでコーラはローカロリー……! 体重三桁舐めちゃいかんですぞ──!」


 それでも突進の勢いに押される。だが、押し切られれば重量級の一撃に耐えきれぬ者達が傷つくことになる。だから彼らは、腰元に光枠を浮かせると、追加補強パーツに内臓された強化用の構成式を安全性無視で一気に全開にし、


「消費カロリー倍増──! これ終わったら絶対焼き肉食い放題行ってやる……!」


「強制ダイエット開始──! 弛んだお腹が悲鳴を上げる! もうだめ止めてと糖分求める──!」


 結果として、巨人の突撃を受けきった。だが、強引な肉体強化のせいで体から湯気を吐く彼らを狙って、ゴーレムがゆっくりと拳を振り上げる。間髪入れずに、ゴーレムの後ろに身を隠していたドールとビーストが低い姿勢で飛び出して来た。強大な運動エネルギーを消費した直後の彼らに、その全てに対応する力は無い。
 だが、彼らは瞳に浮かべた意志の光をそのままに、鋭く叫んだ。


「──頼む!」


 声には、応ずる声と動きが来る。返る声は重装備の者達の背後から響く、動きやすい軽装に身を包んだ者達のものだ。疲労を滲ませながら、しかし力強いそれは、


「応!」


 動きは、地を蹴って身軽に飛び出す迎撃だ。彼らは、仲間を目指して襲い来るビーストやドールに狙いを付け、それぞれの得物を握る手に力を込める。僅かな夕日を照り返すのは、様々な金属の煌めきだ。それらは直剣や曲刀、短剣、槍、手斧などの比較的取り回しの自由な武器であり、


「腹の底に気合い詰めとけ! 狩猟の任を担ってる俺達ぁ、戦場一番の花形だ! 誰よりも多く、──食い千切るぜ!」


 誰かが上げた声に、誰もが気合いを込めて唱和する。お、から始まる雄叫びが、無言の白色と激突した。戦線のあちこちで、澄んだ破砕の音が鳴り響く。





 銃弾と、剣撃。射撃と打撃。短く連続した高い音と、重量感のある離ればなれの低い音。波の揺り返しにも似たそれらが戦場を駆け巡る中、雑然とした一直線の防衛戦に、猛然と白の軍勢が噛みついてきている。
 音の種類は様々だ。揺れ重なる様に響く咆哮は戦場の直上で高まり、飽和して都市中に伝播していく。そして戦線の中には、特にその震えが大きく起こる場所が幾つかあった。それらは、優妃から実力などを聞いた三丈が指示・配置した、数少ない実力者達が力を奮う戦場だ。単独の戦闘力で相対する敵を打倒出来る彼らを中心に、付近の戦士達が徒党を組み、一人では敵わずとも、力を合わせることで白の軍勢に立ち向かっている。それは、緩くカーブを描くライン上、ある程度の距離を置いた地点毎に実力者を置くことで、少しでも戦線の綻びを抑えようとする苦肉の策だ。楔を打ち込む様に戦場を穿つ彼らは、文字通り、任せられた期待に違わない成果を発揮して“見せて”いる。弱兵が倒せない敵に足掻いてみせるのは至難の技だ。しかし、現実に倒せる相手なのだと認識させることが出来れば、怯えも減るし意欲も湧く。
 その中でも、一際音高く戦果を上げる場所があった。そこは戦線の中央、最も敵側に突出した地点だ。そこには白の集団を蹴散らす様に、刃を振り回す小柄な影がある。密着性の高い戦闘服に身を包んだポニーテール姿は、優妃のものだ。彼女は、光を飲み込む闇色の大剣を両手で保持したままひたすらに動き、動いている。


「皆、私に続け──!」


 周囲から味方を排することで突出し、自由自在に力を奮う少女の体が跳ね踊っているのだ。ぴったりと身に沿う戦闘服にしわを刻む程深い踏み込みと共に大上段から大剣を落とし、踵を支点に、大きく腰に捻りを入れることで地に食い込んだ大剣を横薙ぎに振るう。上気した頬に張り付いた黒髪が、動きが作る風によってほどけ、追随する様にたなびく濡れ羽色の尻尾に混じっていく。
 風を煽る様な高速の動作は、優妃の手足や捻った腰、きつく押し込められた胸元に風を纏わせる烈風となる。大ぶりな斬撃は敵に避けられることも多いが、その分威力の高いものだ。勿論本人も敵の撃破を狙っているが、ゴーレムですら断ち割れる刃を警戒して足を止めた敵を叩くのは、別の者。まだ武器の扱いに習熟していない軽装の戦士達だ。彼らは、雄叫びと優妃の姿に後押しされるように武器を振るっている。その顔は一様に必死なもので、


「うおおおお! 俺、これが終わったらあの子に告白するんだぁ!」


「死亡フラグおったててんじゃねえ! ──おおっと、そんな攻撃でこの俺がやられるか──!」


 叫びながら横薙ぎの剣閃をくぐった男達を見て、頑丈なヘルメットを被った華奢な少年が肩を竦めた。彼は突撃銃の引き金を適当に引きながら、


「お前ら駄目だなぁ。……うわもうこんな時間だよ!? 早く終わらせないと『煩悩戦隊ロリペドジャー』が始まっちゃう!!」


「──お前が一番駄目だよ!」


 皆が一瞬手を止めてツッコミを入れる。え、僕? と自分の顔を指差した少年に一斉に頷きが返り、彼はがくりとうなだれた。足を止めた彼の眼前には、鋭い直剣が突き刺されている。振り返って自分の顔を指差していなければ、確実に頭に穴が空いている速度と角度だ。ひやひやものの一瞬だが、周りの者達は敢えてそれを少年に教えずに動きを再開した。どの道、少年も戦場に慣れていない。教えたら教えたで面倒だ。だが、緊張感を削がれたそれらはやけに固い。彼らは、つい先程まで向き合っていた相手に向き直ると、お互いに、


「あ、危ないぞ──」


「ガ、ガウウー」


「わあ、く、喰らえ──」


 かぎ爪でひっかきを繰り出そうとするビーストの動きもぎくしゃくしている。妙な間が生まれたせいで、どことなくドールの動きなども戸惑いを含んだものだが、どうせ数秒もすればまた激しく戦いを交わすのだ。苦境にあって、ある意味どこまでもいつも通りに緊張感の無い仲間に、叱咤を入れておくべきか迷った優妃は、まぁ良いかと首を振った。
 馬鹿は死んでも治らないと言うが、あの格言は多分事実だ。何故なら、どうして死なないのか不思議になる位シバかれている者が身近に居るが、彼の馬鹿は少しも治っていないからだ。

 ……いや、もしかすると馬鹿はデフォルトで不死身なのかもしれないな。だとしたらあのおかしな耐久力にも説明が付く気がする。

 ふと顔を上げ、軽く地を蹴ってバックステップを入れる。振り下ろされたゴーレムの拳がアスファルトを易々と破壊するのを見ながら思うのは、戦場とは全く関係の無いことだ。
 何せ、馬鹿の耐久力、というキーワードで思い出す事柄は山程ある。女子更衣室を覗きに入って、火炎放射器で追いかけ回されている元写真部連中などの姿や、身長百八十センチ超の元ボディービル部が、明らかにサイズの合わないスカートと金髪ツインテールのウィッグを付けて堂々と女子便所に入って来た時は思わず殺そうかと思うのを通り越して独断で私刑に処した。
 思わず文法が乱れてしまう位には嫌な思い出だ。洗った手を拭っていた優妃が彼を見上げて、『……男だろう?』と問うたら、彼は大きな体でしなを作り、何故か高速で瞼をパチパチさせながら言ったものだ。


『い、いや俺、否アテクシ心は女なの! 神様の手違いでちょっとゴツく生まれて来ちゃっただけで、……体は男、心は女! だ、だから女子便所に入るのがこれからのアテクシ流ゆるふわライフスタイルってゆーかぁ』


 ……何がアテクシだ。意味分からん。

 余りにも意味不明だったので、台詞の途中でトイレの窓から投げ捨てたのを覚えている。直前に食堂で、『グハハやっぱり体の資本は肉だぜ肉肉! 牛に豚に鳥に蛙! 有り余るミートが俺を呼んでいるぅぅ!』等と大股開きで肉かっくらっていた奴の心が女など笑止。あとさり気なく蛙肉を三大食肉に混ぜようとするな。
 思わず遠くを見詰めてしまった優妃は小さく溜息を吐いた。大きめのスイングを右に叩き込む勢いで一歩半を移動し、囲まれてしまわないように周囲に目を配る。そうしながら思うのは、やはり未熟な者達の戦いぶりだ。視界の中には、攻撃をされることに、もしくは攻撃をすることに慣れていない者なども居て、彼らは必死に武器を振り回すことしか出来ないでいる。対する相手側の練度は一定だ。勢いで押せている今はまだ、良い。だが、もし彼らの士気が崩れたりすれば。そのことに不安を覚えるのを知覚して、優妃は軽く眉根を寄せた。

 ……いつまで持つか。

 膝をたわめてバネを作り、下半身の力で伸び上がる様に前へ出る。選ぶ動きは、両手を使って担いだ大剣を、低い姿勢からすれ違い様に叩き落とすものだ。優妃は、そうしてゴーレムの体に削りを入れながら思考を重ねていく。身を振り、フェイントを入れながら逆側に跳べば、そこには安全地帯がある。だから優妃は、敵陣の真っ直中に身を放り込む様に剣舞を続け、続けて行く。
 剣の一振り毎に大気を割り、途中に挟まる敵の体を両断する。全身の力で武器を振り切る時は、死に体となる自身の姿勢に意識を置き、少しでも隙を小さくする為に歩幅を小さく、踏み込みは次を意識したものへ。そうすることによって生まれるのは、大ぶりな剣風によって作られる、止まる動作を省いた一連の流れ。遠巻きには歪な竜巻にも見える拙い連動の動きだ。規則性の無い剣の暴風は、それ故に相手に読まれることなく吹き荒れていく。それを見た仲間達が機の到来と発奮して相手に迫り、長大な線として横たわる戦場の中、最も激しい戦闘区域へとそこを発展させていく。
 大剣を振り回す自身の姿に勇気づけられ、勢いで以て相手を押していく味方の姿に一抹の安堵を覚えた優妃は視線を振る。鋭い黒曜石の煌めきが見詰めるのは、自身から見て右手。
 東の方角だ。三丈が常に更新している戦闘域図(バトルフィールド)で見た中で、最も被害状況の激しいそこに配置されたはずの戦士は、薙刀を自在に繰る小柄な影だ。暴力系ツッコミ担当な小山の姿を思いながら彼女は手を止めず、上がった息を天に昇らせていく。熱に浮かされた胸の内に来る考えは、

 ……あちらは、大丈夫なのか。

 戦場は、停滞を望まず加速していく。





「おらおらおらおら──! 私の前に立つ奴は、子孫を残せると思うなよ!? ──全員去勢で宦官マンだ! 逃げるんじゃねぇぞ──!」


 小山は、額に流れる汗を振り払う様に前へ出る。その寸前、ちらりと目にした光景は余り良く無いもの、味方が負傷者を引き摺って下がって行くものだ。それはつまり、戦うことの出来る人数が減り、更にその人間を癒す為に後方支援担当の者が一人減るということであり、

 ……余り良い状況じゃねぇな。

 ふと浮かんだ弱気な思いは、手にした薙刀を思い切りよく振り回すことで振り払う。苦い表情を浮かべながら、それでも尚、虫食いの如く人が減っていく戦線を埋める為に奮闘する彼女は、更に一段階速度を上げた。人数が減った分危機に陥るなら、誰かが人数分以上の働きをすれば良い。小山はそういう考えの持ち主だ。だから、今までよりも広い範囲をカバーしようと、前方に迫るドールの足を薙刀で払い、上半身を捻り、返す刃で後ろを抜けようとしたビーストを打ち据える。


「──っち!」


 そして小さく舌打ちを漏らした。薙刀にかかる重たい手応えは確かに攻撃が当たったことを示すものだが、同時にそれは、薙刀の刃部分でなく、柄の部分にヒットしたことを伝える感触だ。勢いのままに振り抜くことでビーストを跳ね飛ばし、身を回す向きの力に乗せて薙刀の切っ先を振り上げる。更に深く腕を曲げれば、薙刀の柄は背中に回り、背面をガードする為の動きになる。反対側の手も使って薙刀を掴み、小さく息を詰めた所で、


「────!」


「くッ、ふ……!」


 金属を受け止めた感触と衝撃が体に走り、堪えきれずに吹き飛ばされる。無理な体勢で攻撃を受け止めた故か、手指の先まで痺れが走った。衝撃は重い。背と腰を中心に仰け反った体は痛みに固まり、僅かに滲んだ涙が視界を揺らした。高速で後方へと流れて行く景色を見失わない様に意識を張り、小山は地面に打ち据えられる直前に受け身を取る。ごろごろと二、三回転してから身を起こせば、痛みに詰まっていた呼吸がようやくマシなものになった。乱れたボブカットの下にある(まなじり)をつり上げ、微かに濡れた視線で睨む先には、残心を取るドールの姿がある。小山は膝をついて身を起こそうとして、


「や……ッ」


 不意に走った痛みに身を折り、咄嗟に掌で肋骨の後ろ側を押さえる。


「──は、クソ……」


 薙刀を杖に、ふらつく足を地面にこじりつけることで何とか身を起こしきった小山は、ヒビ位はイってんな、と憎々しげに呟き零した。は、と息を吐き、


「舐めた態度でこっち見てやがんなぁ」


 痺れの抜けない手を軽く振り、口元を拭う動きで気合いを入れる。うん、と頷いた彼女の前で、歩み寄って来るドールが長槍を肩に担いで腰に手を当てた。胸と尻がふっくらと、腰元にくびれのある女性型のドールは足を止めると、ゆっくりと顔を傾けて小山の胸を見詰め、自身の胸元を見下ろす仕草を繰り返し、


「……あん? どこ見てやが、……」


 大げさに肩を竦め、鼻で笑う仕草をして天を仰いだ。それを見た小山は、つい今し方突き刺さったドールの目線を追って自分の胸を見下ろす。視線は、真っ直ぐ胸前を通過して引き締まった戦闘服姿の腹に下り、そしてそのまま荒れたアスファルトに行き当たる。念の為に見直そうとする気にならないほど、それはもう綺麗に地面が見えてしまっている。


「……ぬうっ」


 冷酷な現実に凶悪な胸部を誇る同輩の姿を思い浮かべて、小山はひくりと頬を引き攣らせた。彼女らならこうはいかないだろう。そう、

 ……主に優妃とか瑠璃とか澪とかあの辺りのおっぱいモンスターどもなら、背筋しゃんとして立って下見た時、地面なんて見えねぇんだろうなぁ。胸部にぶら下げた二つのブツのせいで……ぬあクソ、何でこんなダメージ受けてんだ私……!

 兎も角、地面など見えない筈。それだけは間違いない。小山はいや、それでもと緩く首を振る。一応形は綺麗な筈、と薙刀を地面に突き立て、大分控えめな両の胸を掌で覆う。すっぽりと隠れんぼして余りあるサイズに人知れず心で涙した小山は、ぬう、と唸って仰け反った。その米噛みを汗が一筋伝って落ちる。ちらと視線をやると、ドールが態とらしく腰をくねらせ、組んだ腕で胸を押し上げる格好を取っているのが目に入った。それを見て思うのは、

 ……どう客観的に見ても質量的に負けてんなつぅかアイツ表情も良く分からん白のっぺりの癖に何でおっぱいだけ充実してるとはどういう了見だ!?

 現に、大部分のドール達は性別すら良く分からないスレンダーボディだ。しかし、この負けは如何ともしがたい種類の負けだ、と小山は思う。刃を交わす戦場で、まさか女性のプライドと形態的な意味で負けるとは。戦場とは何と恐ろしい所なのか。
 視界の端で谷間を作り、自信満々なセクシーポーズをキメているドールを見ると腹の底から込み上げてくるものがある。小山はがくりと肩を落とし、無表情且つ無言、そのままの姿勢で拳を握ると、暫し黙ってぷるぷる震え、


「こ、こ、この私の胸が貧しいとでも言いてぇのか。──良ーいだろその無駄な脂肪積んでそうな体に直接教え込んでやる……! 女の魅力って奴ぁなぁ、デカイ乳とデカイ尻だけに詰まってじゃねぇんだってな……!」


「──?」


 挑発的に投げキッスなど飛ばし、ポーズをキメて小山のそれよりも大分豊かなボディラインを強調しているドールの姿がそれに応える。痛みを含んだ吐息を怒りの意識で染め上げて、遂に小山は思いきり薙刀を掴み、突き上げた。


「テメェ──! デカけりゃ良いってモンじゃねぇぞ──!!」


 躊躇なく身を前に倒し、地面に額を擦り付けんと言わんばかりの低姿勢からスタートをきる。歯を強く噛み締めた顔に浮かんで居るのは、迸る様な怒の感情だ。彼女は、連続で大地を踏み蹴って前へ出る勢いを増し、下から睨め付ける視線でドールを貫く。両手で軽く握った薙刀は、更に低く下段に構えている。そうしながらも、小山の頭はまだ冷静だった。狙いは脚や胴ではなく、顔。間合いに入った瞬間、前方空中へ思い切り飛び上がる勢いを利用して、薙刀を振り払う様に叩き付ける心算だ。低い姿勢と低い構えは、速度を得る為のもので、同時に盛大なフェイントでもある。更に、風巻く様に駆ける自身に対して、相手が下段目掛けて長槍を振り下ろしてくるならば、


「一発行っとけ……!」


 来た。狙いはこちらの顔に一直線。猛然と振るわれた一撃は、真っ直ぐに槍を突き出すものだ。眉間に迫る槍の穂先は、こちらの恐怖を煽ってくる。だが、小山は奥歯を噛み締めて怯えを噛み殺すと腿の筋肉を張り、足先で思い切り地面を蹴って身を起こした。大地を離れ、味わうのは一瞬の浮遊感だ。真っ直ぐドールにぶつかるのではなく、やや斜めに、その横を抜ける角度で飛び出した小山の体の下を、槍の一閃が削る様に穿っていく。胸につく位に折りたたんだ太股を伸ばして、自身のすぐ下を貫いていく長槍の柄に、僅かだけ足裏をぶつけて穂先を地面に押しつける。そうしながら、小山は構えていた薙刀の柄をを強く握り込んだ。胸に邪魔なものが無いからこそスムーズに出来る、コンパクトな身の捻りで右から左に空間を削り、


「──機能美舐めんな!? 時代は垂れない美乳派なんだよオラぁ──!」


 速度と怒りが乗った一撃をぶち込んだ。





 三丈は、前線と言える場所の中に立っていた。周囲には乱戦が展開されており、既に敵味方の区別しか出来ぬ者も大勢いるだろう、そんな戦場だ。だがここには、重量級の一撃を繰るゴーレムと、器用に武器を操るドールの姿は数少ない。優妃を筆頭に、各地に配した実力者連中には、ゴーレムとドールを優先的に叩く様指示してあるからだ。だからこそ、周囲で繰り広げられる戦いはその殆どが白色の獣、ビーストとのものに他ならない。ここまでの流れが、自身が組み立てたままに進んでいることに頷きを落とした三丈は、ゆっくりと足をずらして横に動く。空いた空間を、大口開けたビーストが飛び抜けて行き、その先に居たものに迎撃されている。横目でそれを確認してから、三丈は人知れず息を吐く。無表情の下には、大量の汗を掻いていた。
 小刻みに汗を拭うことで何とか誤魔化しているが、それでも場の緊張感と行動に、体力は奪われ息が上がる。一度、深く息を吸うことで呼吸の乱れを正した三丈は、重たい右腕を動かして拳銃の引き金を引いた。
 轟音。堪えきれずに二、三歩と踏鞴(たたら)を踏み、左の足が耐えきれずに膝が落ちる。俯く様に落ちた身体で、ふと視線を右に振る。丁度敵を倒した少年がこちらを見ているのに気付いて、三丈は手振りと表情で心配無用だと返答した。膝を落とした姿勢のまま、荒い息を吐いて震える右腕を見下ろす。


「……いかんな」


 握った拳銃の威力は想定以上のものだ。それなりに体を鍛えている自覚はあったが、慣れぬ反動に、三丈の右腕は痺れて感覚が薄くなっていた。左手で引きはがす様に拳銃を手から落とし、落ちた拳銃を左手で掴む。数度確かめる様にグリップの握りを調整して、痺れた右手で髪の毛を掻き上げた。汗を含んだ前髪は重く、動きに合わせて雫が散っていく。
 地に触れる左足も、酷く痛む。全く戦場とは、痛みばかりが残るものかね、と呟きを零した三丈の目は、しかし笑っている。疲労は溜まり、右腕は痺れて動かし難い。息も上がり、満足に走ることすら、最早叶わぬだろう。それでも、三丈はこの場所を楽しむべき所だと、そう思っていた。
 この場にもう優妃の姿はない。最も攻勢の厚くなるであろう場所へ行くようにと、自らが指示を下した為だ。故に、身を守る手段は自身の力しか存在しない。周りと協力してことに当たるには、三丈は射撃の腕が未熟で、更に満足に動けない身だ。だから、死地と言っても良い場所に、一人身を投げ込んでいる。彼は、ゆっくりと大きく息を吐き、震える膝を叱咤して身を起こした。ここでへばっている訳にはいかない。何故なら、

 ……何故なら、まだ俺にはするべきことがあるのだからね。

 敵と味方の情勢を簡易的に表示する構成式は、優妃の持つペンダント型のツールにしかインストールされていない。三丈は彼女に頼んで、それを一時的に借り受けている。遠距離の通信手段を断たれた優妃は、


『ん、気にするな。機能は最低限のものだが、私には一応、予備のツールがあるからな』


 と言って、戦線の中央へと飛び込んで行った。一人で戦線の中に残ることを告げた時は一悶着あったが、適当に説き伏せていると諦めた様に溜息を吐いていたが何故だろうか。ふむ、女性心理とは難しい、と呟いて待機状態にしていた戦闘域図(バトルフィールド)を再展開、三丈は現状の把握に集中する。見れば、敵味方を示す光点は動いており、

 ……押されてはいるが、しかし、皆頑張っている様だね。

 良いことだ、と三丈は思う。今はまだ、未熟なもの同士で協力し、何とか敵の攻撃を凌げている。だが同時に、それを続けられるのも時間の問題だろう、と当たりをつけていた。いくら単騎で敵を撃破出来る者が居るとは言え、数は少ない。彼らにしても、多数の敵を相手取りながら、敵の殲滅をこなせるほどの体力は無いだろう。一度見た小山の運動能力などは人間離れしたものだったが、それは相手も同じことなのだから。
 どうするべきか、と考えて、三丈はいや、と頭を振った。どうするべきか、ではなく、どうすれば良いのか、でもなく、今考えるべきは『どうするのか』、ということだ。
 打てる手は既に全てを打っている。初撃で敵の少数は削れたし、それに勢い付いたこちらの攻勢で、かなりの数を減らせても居る。目測になるが、数にすればおよそ半数程は既に倒せているだろう。だが、残りの半数をどうするのかが問題だった。三丈は、白色の軍勢についての知識が無い。戦う姿を観察して、ドールやビーストについては大体の急所の位置は普通の生物と変わり無いと見当を付けている。一方で、見た所彼らが疲れた様子を見せないのが気がかりでもある。長期戦になれば、疲れを感じる人間側が不利になるのは当然のことだ。人間の集中力も、いつまでも持続していられる訳では無い。何より、これ以上、味方を激励するに十分な言葉と武威を三丈は持っていない。
 歯がゆさを覚えるが、それでも、勝利に向かって足掻く為に、三丈は光枠(ヴィジョン)を展開した。戦闘域図(バトルフィールド)を確認しながら、


「今は貴様の居る地点が最も敵の数が少ない。そちらの防衛は一旦止め、貴様から見て左手方面の援護に回れ」


 指示を飛ばし、


「──怪我人を戦線の後ろへ下げ次第、至急で前線へ戻れ! 致命の傷を負っていない者には、応急処置だけで構わん。今は少しでも、敵を減らすことを考えたまえ」


 冷酷にも聞こえる命令を下し、


「持ち堪えろ! もうすぐ貴様らの所に援護が入る。それまで気合いでも妄想でも使って食らい付け!」


 殴り飛ばす様に発破をかける。そこまでしてから、それぞれに配置した実力者達に現在の戦況を知らせていく。全てはふらふらと頼りなく歩みながらの行動だが、周囲、死角から襲われることだけは無い様に気を張り、警戒することも忘れない。


「……中々、難しい場所だね、戦場というのは」


 物陰に逃げ込み、数分間身体を休めたい思いが身体を支配しているが、そう出来ない理由が三丈にはあった。偉そうに指揮を取り、指示を下す人間が目の届くどの場所にも居なかったら、それだけで指示の力が下がるのを知っているからだ。三丈はまだ、『この世界』の誰とも親しくなっていない。つまり、誰からの信用も信頼も無い。勢いで以て黒の軍勢を後押ししているだけに過ぎないのだ。そんな人間が前線から逃げ出せば、当然、心理として従わない者も出てくるだろう。従わないにしても、良い思いはしない筈だ。戦場というある種極限の状況で、その思いが蔓延すればそれだけで連携が崩れる心配がある。考え過ぎかもしれないが、各員が光枠で連絡を取り合える以上、三丈はいつでも前線で戦っている姿を見せなければならない。だからこそ彼は、鉛の様に重くなった身体に鞭を打って戦場の只中、最前線に立っている。
 ふらつく足下を確かめて、不意に左に身体を捻る。その先で、一人の少年が足を取られてひっくり返っていた。頬に汚れを付けた少年は、起き上がることをせずに荒く息を吐いている。その顔に浮かんで居るのは、諦めに近い疲れだ。
 彼の前、こちらから見て正面にはビーストの姿がある。身を低く落としたその体勢は、地を蹴って飛び上がる為の予備動作だ。だから、三丈は左の腕を上げていた。慣れない左手で照準をつけ、引き金を二度引き、


「──気を付けたまえ!」


 出来るだけの無表情で、そう叫んだ。宙を奔った銃弾は、こちらに注意を払っていなかったビーストの胴体に食い込み、細かく連続した破砕音が辺りに響く。


「抵抗を諦め、気を付けない者から消えていく……ここは、そういう場所だろう?」


 喉の奥に声を溜め、肺に取り込んだ呼気を吐き出して言った。すると、音に驚いて身を起こした少年に真っ直ぐ視線を当て、身の向きを正してゆっくりと一歩ずつ歩む三丈の背中に、数瞬の間を置いてから甲高い声が返る。それは、謝罪でも感謝でも無いもので、


「──resist.(レジスト)!」


 強さを取り戻した同意の言葉に、知らず三丈は微笑みを零していた。咄嗟に考えた言葉だが、どうやら、思ったよりも受け入れられているらしい。純真そうな少年は、挫けかけた心を取り戻してresist.と叫んだのだから、きっとそうなのだろう。更に前へ、少しでも戦線の薄い場所を目指して三丈は歩む。そしてふと顔を上げた。疑問を乗せた表情には、訝しげな色がある。聞き間違いだろうか、と三丈は首を捻った。今しがた、耳に届いた微かな声は、


「……resist.(レジスト)


 光枠を通さない必死の声。抵抗を誓う、反逆の意志を示す言葉達だ。熱気で占められた都市内の空気を震わせる様に響くその声は、徐々に高まり、大きくなり。


「随分と──強情な者達だね」


 今度は意識して、三丈は顔を引き締めた。感じた愉快さは、今はまだ心の内に閉じ込めておいて良いものだと判断する。百名近く、それだけの人間達が今や、苦しい状況に抗う為の言葉をかけ声にしていた。一人の声が他の一人の声を呼び、風に乗ったその声がまた別の誰かの声を呼ぶ。見回せば、周囲で戦う者達も、怪我を負って瓦礫に寄りかかっている者達も、その全てが力を込めた言葉を空に上げている。それはまるで、
 
 ……まるで、賛美歌のようだよ。

 という思いを得て、ほんの一瞬だけ瞼を下ろした。瞼の裏に映すのは、心に残る過去の残滓。大教会の聖堂、お揃いの衣服に身を包んだ聖歌隊の賛美歌を思い出す。彼らは、それぞれの表情と声で、しかし力と思いを合わせて声を昇らせていたものだ。その声は、ステンドガラスに透ける陽光をはね除ける様に空へ、空へと反響して行った。思わず天を見上げた時の身の震えは、感動だったのか、幼い頃の感覚は既に遠い。しかし、自身の背を震わせたその思いは、まだ三丈の身体に残っている。そして今、この身が震えている。
 唱和と言うには、余りにも不揃いな抗いの声。その間隙を突く様に、一つの声が滑り込んでくる。この場に居る全員に向けて放たれたそれは、若々しさを内に秘めた明るい声で、


『──ふはははははははははははははは!! お主らの意気や良し、我の心に、しかと届いたぞ! 後十……否、五分だけ持ち堪えるのだ! そうすれば、後は我々が──』


 一息、


『我ら先達が、お主ら未熟者を後押ししてやろうぞ!』


 響いてくる声は、聞き覚えのあるものだ。もしかするのか、と自分の中で問い掛けて、もしかしなくても恐らく『そう』だろうな、と頭を振った。届いた声に聞き覚えがあるのは自分だけでは無いらしく、無差別に展開された広域送受信(コネクト)からは戸惑いと歓喜の声が来る。この分なら、どうやら何とか出来そうだ。
 ふ、と息を吐いて、三丈は勢いを付けて汗を拭った。震える足、痛むそこに敢えて力を込め、二本の足で速度を上げていく。遅々とした亀の如き歩みはしっかりしたものになり、早歩きになり、そして不器用ながらに地を蹴る走りになる。戦闘域図(バトルフィールド)に一瞥をくれると、じわじわと押し込まれていた戦線が何とか拮抗状態に戻りつつある。視線を前へと振り向け、自らの思うままに思うことを出来る戦場に、彼は再度の声を上げる。


「──諸君!」


 届いている。自分の声は、確かに光枠の向こう、熾烈な戦闘に没頭する者達に届いている。


「今の声を、聞いたかね。ならばここで敢えて聞こう、諸君! ──この場で最も痛快な勝利とは何だ? このまま持ち堪え、来る味方に助けられることか? それとも、助けが来ることに安堵して、戦線の最前線から半歩退いてみせることか?」


 一息を入れ、


「──否だ。暫し現状を維持してみせれば、先達が助けてくれると言う。そんな物に縋る気持ちを持った者は、今すぐ腑抜けた考えを捨てたまえ。良いかね? 先端を開いたのは貴様らだ。敵を半数以下にまで減じたのも、犠牲という賭け金を支払うことで足掻きつづけたのも、これから来る援軍ではない。貴様らだ! ──良いか貴様ら、貴様らが少しでも根性入っている輩ならば、この戦場劇、最後の閉幕まで、その全てを自らの手でやり遂げてみせろ! 助けてくれると言うのならば、助けなど無用と言える程度に圧勝してしまえ!」


 眉を立てた笑みで、通りを疾走していく。身は熱く、叫ぶ言葉は全てが茹だった熱湯の様だ。徐々に、小さく返って来る声音の束に、三丈は口元を僅かに引き上げた。ここで鼓舞したからと言って、未熟に過ぎる自分達が完勝出来るとは思って居ない。だが、死にものぐるいで拮抗を得た戦場から、勝利への貪欲な意志を奪えばどうなるのか。例え味方の援軍でも、ここで心折れてやるつもりは三丈には無い。何よりも必要なのは、負けないという弱腰の思いでは無い。食らい付いてでも勝って見せるという、その意志だ。だから三丈は、更に声を張り上げた。


「──それが一番、痛快な勝利だと思わないかね?」


『…………』


 問い掛けに、resist.と苦しげに、しかし笑みを含んだ声が届いて来る。頷きを路面に落とした三丈は、更にその動作で身を前へと進めていく。ペースは遅い。しかし灰色の視線が見るのは最も激しい戦場のど真ん中。優妃が居る筈のその位置だ。激戦地点故に負傷者が多い、今最も敵の数が多い地点であるなどといった合理的な理由を排してみると、何故そこを目指すべきだと思うのかは分からない。だが、初めて身を投じた戦場の終演、その時に自身が居るべき場所は優妃の隣だと、思う心の赴く場所がそこだった。だから、三丈は前を全開にした詰め襟を風にはためかせて精一杯に駆けていく。
 拳銃の残弾は後一発。
 三丈は、痺れたままの右拳を握りしめた。







[13852] 第八話
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/02/01 16:33




 いつかの選択。いまの選択。これからの選択。






 分厚い雲を透かし、差していた夕陽が地平線の向こうへと消えていく。橙にも、紫にも見える斜陽の光は弱まり、空には白の雲と、密度の薄い黒の闇が立ちこめ始めていた。
 未だ晴れぬ曇天の下には、喧噪がある。光と音だ。光は、壊れかけた都市の中からぽつぽつと沁み出るもの。まだ電気系統が生きている建物から漏れ出る、蛍光灯や看板、ネオンなどの明かりだ。数も少なく、弱々しい光が照らすのは都市を揺らすのは音の発信源──戦場だ。熱気と叫声、反抗の意志と無言の敵意で編まれた戦場は、今やその終盤に差し掛かっていた。
 その中に、無心で弓を引く少女の姿がある。身体のラインを浮き立たせる戦闘服に身を包むのは、澪だ。背まで届く髪を揺らす彼女は、眠たげな瞳を少し細めて息を吸う。そして紅色の舌で唇を軽く舐め、真剣に見えなくも無い表情で、


「……お腹すいた」


「フフフ澪、もうちょっと真面目にしなさいね? ──ほら、私みたいに」


 (たしな)める様な声音が返って来る。見れば、すぐ隣の瑠璃が笑みを向けて来ていた。ドレスにも似た戦闘服を着込んだ瑠璃は、緩やかな癖毛を掻き上げ、不意に右手を振ってみせる。手指で柔らかく包む様に持たれたグリップの先には、極小の黒鎖で編まれた鞭が続いている。腕の動きに合わせて鞭の先がしなり、


「──あいたぁ!?」


 ドールと、それと鍔迫り合いしていた少年の背とを同時に打つ。思わず仰け反り、半泣きでこちらに振り返った少年は直剣を振り上げ、


「い、いきなり何すんだよ!?」


「あらごめんなさい。ちょっと手が滑っちゃったの。──ええ、本当よ! 私正直な女だから! そう、いつだって自分に正直! あんたキモイわね!」


「正直過ぎるだろ!」


 満面の笑顔を浮かべた声に、少年は余程痛かったのか、涙目だけでなく頬を紅潮させて息を荒げ、つま先で地面をこじりながら自分を抱き締めると、


「くそ、ハァ、ハァ……む、鞭で打つなら、時と場所を考えろよ! ──余韻って奴を楽しめないだろ!? お前そんなんで女王様かよ! いえ、女王様ですか!? よろしければこの下賤な豚を鞭打って下さい!」


「豚の言語で女は誘えないわよ? どうせだから、やり直してきなさいあの世から」


 予想外に変態だったせいだろうか、瑠璃は笑顔のまま、再度鞭を振るって少年を吹き飛ばしている。こちらも笑顔で飛ばされていった少年は、痛いのの何が嬉しいんだろう。ともかく、無意味に相手を喜ばせただけの気もするが、気にしても意味が無さそうなので澪は忘れることにした。
 風に流れる髪を押さえ、誘い方がなってないわねぇ、と呟く瑠璃の袖を軽く引く。こちらを向いた顔は、女の自分が言うのもなんだが、

 ……大きなお花みたいで綺麗。

 誰かが言っていたが、そういう女性のことは華やかだと言うそうだ。なぁに、と問うてくる瞳の色に苛立ちが無いことを確認して、澪は小首を傾げた。ふと思ったことを言葉にすると、


「まじめ?」


「……お互い、次からは気を付けましょうねぇ」


 まぁ多分無理なんだろうけどね、と困った様な顔をして言う瑠璃に頷きを返して、澪は再び前を向く。手にした弓の弦を引こうとして、展開していた“矢”が尽きたことに気付いた。ん、と唇を噛んだ澪は太股に括り付けた小さな金属の板を掴み、引き抜く。指先で挟むようにした金属片は、厚みの無い三角形、ギターの弦を弾くピック状のものだ。


「……System “Arrows” start up」


 呟き、澪は手にした金属片の数を確認することなくソレを宙にばら撒いた。準展開状態で放り上げられた金属片は、澪の持つ弓、その右側に整然と並んでいく。澪は、最も弓に近い板を一本手に取ると中に込められた構成式を本格的に起動した。すると、蒼白い光が金属片を核として集まり、一つの形を作っていく。
 仄白い燐光が輝いた一瞬の後、澪の手に握られているのは、金属片に付与されたマナを元に、大気中のマナを吸着圧縮して作られる特性の矢だ。大量生産で使い捨てタイプの特殊機構矢(ギミックアロー)だが、持ち運びに便利なのと威力がそれなりにあるので好んで使っている。五色セットで、気分によって違う色の金属片を選べるのも良い。

 ……たまに、パッケージが『誤色セット』になってることがあるけど。

 ドドメ色や、朱と緑と黄色の斑だったりする辺りが誤色なのだろう。そういう時は仕方が無いので、練習でのみ使うことにしている。金属片の色によって生成される矢の色も変わるので、『名状しがたい色シリーズ~二日酔いの朝編~』など、どうしても使いたくない色がある時はこっそり寄付することにしている。それらは主に、痴漢や馬鹿や変態の皆を撃退する時に使われているようだが、

 ……矢が刺さった人は、何で死なないのかな?

 結構な威力がある矢なので、それだけがどうしても気になる所だ。もしかしたら、変な人には効果が薄くなるとか、変な色の矢は効果が薄くなるとか、そういう変な効果が付いて居るのかもしれない。ただ、そういう変な人に近づこうとするといつも瑠璃が止めるので、今の所確かめる術は無い。何でも、

『アンタは近づいちゃ駄目よ。普通に乳揉まれても無抵抗っぽい感じするから。──あぁ、それとね? 変な人が向こうから近づいてきたら、目を逸らすか白い目で見てやれば大抵何とかなるから。弓でズドンしても良いし』

 ということらしい。なので、それ以来時折ズドンしている。主な被害者は同級生だ。何故かカメラを向けられることが多いので、現在、カメラ撃墜数がトップクラスなのは密かな自慢でもあったりする。レンズを通して本体が貫通したりすると大変なので、微妙な力加減と精密な射撃能力の訓練にもなっている。一石二鳥だ。
 ちなみに、カメラを向けると容赦なくマジ折檻してくる暴力娘や、凜とした佇まいに隙がなさ過ぎて、カメラを向けるのに物怖じしてしまう黒髪娘、カメラを向けると意識的にポーズ取ってくれるが、どんな方向に予想を裏切られるか分からないピーキーな鞭娘、カメラを向けたら泣きそうな顔になるので、即周囲の男共からリンチ→張り付けのコンボを喰らってしまうオドオド娘などの中で、最も隙があるのが、いつも眠たげな瞳でふらついている澪であるだけなのだが、本人はそんなことには気付いて居ない。


「──頑張らないと、だね」


 金属にも似た、どこかひんやりとした感触を手の中で遊ばせて、澪は手にした矢を弓に(つが)える。澄んだ色の視線を上げた先、尖った金属片は丁度(やじり)の部分に収まっている。実体の核になる金属片が先端にあるので、矢そのものの重心も前側に傾いているのだ。それに、マナを集束させるのが楽だという理由もあるらしいが、真相は分からない。今度、お客様相談室に電話してみようと思う。
 長身なぶん強めの弓を使っている為、弦を引くには力が要る。だから澪は、半身で軽く足を開いて重心を安定させると、しっかりと両の手で弓を構え、


「──ん」


 軽く息を詰め、ぎりぎりまで絞った弦から矢を放つ。空気を振るわせて駆けた矢は、


「────!」


 拳を振り下ろそうとしていたゴーレムの手首にヒットし、その巨体のバランスを崩してみせた。澪は続けて、邪魔にならない様に準展開状態で待機させている金属片を手に取り、矢を作り出す。
 瞬きの間に行われた工程は、しかし今度はやや高速なものだ。流れる様な動きで矢を(つが)え、弦を弾くことで敵の影を穿っていく。


「……当たった」


 ゴーレムの膝関節と手首、そして眉間に金属矢を叩き込んだ澪は、やや自慢げな表情を隣、瑠璃の方へと向ける。轟音と共に倒れ込んだゴーレムには、重量級の武器を持った戦士達が襲い掛かっていった。いの一番に飛びかかったのは、


「百八ある我が関節技を受けてみよ──! ぐあ、くっそコイツ腕太ぇ──!」


 何故か長剣を捨て、柔道着に身を包んだ男だ。 脳内麻薬が限界突破したのか、明らかに自分の腰回りよりも太いゴーレムの腕に関節技を極めようとしている。レフェリー役でカウントを取る者も居るが、エイトカウントで腕ひしぎを破ったゴーレムは座ったまま腕を動かしてノーダメージアピールをしてみせていた。男はめげずに歯を剥いてアキレス腱固めに挑戦するものの、しかしこれもあっさり破られた。
 今度は大げさに肩を竦めてやれやれとアピールしているゴーレムに周囲、手を止めて簡易プロレスごっこを眺めているもの達がどっと沸いた。指笛なども鳴っている。関節技に余程執着があるのか、柔道着姿の男は更にゴーレムに飛び間接などを仕掛け、


「ぬああ、届かねぇぞこんチクショーめが──!」」


 太く、長い腕で頭を押さえられて為す術無く地面に落ちていく。ゴーレムも関節技に興味を持ったのか、転がった男の腕を極めようとしてみるが、如何せん自身の身体が大きすぎることに困惑して手を止めた。ゆっくりとした動作で上を見て、指で後頭部の辺りを掻いていると、痺れを切らした簡易観 客(ギャラリー)の一人が乱入してくる。パイプ椅子を構えたモヒカンの男は、汗くさい邪悪な笑みで、


「ヒィ──ハァ──!」


 悪役(ヒール)丸出しの凶悪面でゴーレムの背後から椅子連打。慌てて振り返ったゴーレムの背後で、直前まで押さえつけられていた男が立ち上がり、腰後ろの収納空間(ポケット)から大ぶりの栓抜きを取り出して凶器攻撃を始めた。天使(エンジェル)に血は流れていないようで、代わりに飛び散るのは細かな白の粒子、マナの残光だ。ルール無用の乱入から凶器アタックに繋げる極悪コンボに、さしものゴーレムも(おのの)いた。
 気を取り直したゴーレムも、誰かが差し出したパイプ椅子で応戦しようとするが、ちょこまかと動き回る男二人に的を絞れないでいる。わらわらと、徐々に乱入していく人数が増えて行くがあれはルール的に良いのだろうか。不思議な空間だと思う。余り長い時間見ていると脳に変態が感染するらしいのだが、今の所澪に突然プロレスごっこを始める趣味は無い。なので、多分大丈夫だと判断した。
 視線を向けられた瑠璃は、鞭を振るいながら笑みを作ると腕を伸ばし、柔らかな手触りの髪を掻き混ぜると、


「フフフ澪、デクを一匹シバいた位で満足してちゃ駄目よ? 何たって女はいつだって超余裕! 涼しい笑顔で男を侍らせるのが悪女のプライドなの! ──こんな風にね!」


「あひぉ!? せ、背中から鞭飛ばしてくんじゃねぇよ!?」


「働け馬車馬の如く──! 突撃──!」


「ぬ、ぬおっ、お前ら気を付けろ!? アイツ、立ち止まってる奴から容赦なくあイテェ──!」


 高笑い上げながら味方を鞭打つ姿は、とても楽しそうなものだ。背後から鞭打たれない様に、決死の顔で突撃を繰り返す男達の背中に憐れを感じた澪は、援護の為に二、三射ほど矢を放り込んでおく。
 そこでふと、疑問が脳裏に閃いた。送受信(コネクト)に乗っかって声を飛ばして来た女性の声が告げていた時間まで、後何分あるのか、という疑問だ。だから澪は、撫でられているままの頭を動かして腕時計に目をやり、視線をずらすと、


「澪? あんた、どうして私の胸を揉んでるの? 突然ママのおっぱいに甘えたくなったとかかしら? ほーらほら、悪女なクッション」


 問われた澪は、瑠璃の胸元に突っ込んだ手を止めると上を見て、首を傾げ、


「……腕時計が壊れてたから。確か、時計がこの辺に」


 何かを探す表情で、更にごそごそと胸の辺り触っている。谷間、特に何も無し。下乳周辺、何も無し。念の為横乳の付近も手で探ってみるが、特に何も見つからなかった。やや頬を上気させている瑠璃が気になるが、今はそれよりも時計だ。否、時間の方を知りたいのだった。
 思考に修正を加えて、澪は不思議そうな視線を瑠璃の谷間に当てる。時たま、彼女は雑誌やお菓子などを谷間から取り出しているが、一体どうなっているのだろう。最新情報によると、胸の大きさではややこちらが勝っているらしいが、何とも不思議なものだ。


「い、いいこと澪。あんたは結構普通にやるけど、あんまり他人の胸に手突っ込んじゃ駄目よ。──大抵あんたの方が大きいんだし、かなり地味な精神的攻撃になるものね。美沙辺りだと致命的(クリティカル)。……で、時計が欲しいのね?」


 瑠璃は言うと鞭を振るう手を止め、腰に手を当てて背筋を反らす。強調されたドレスの胸元、白い谷間に指を突っ込むと、


「良い女はミステリアスなものだって相場が決まってるのよ。だから、どうやってオッパイの谷間から物取り出すかなんて、そんな原因究明したそうな目で見ても教えてあげない。……でも私教えちゃう! だって佳い女だから!」


「どうなってるの?」


「フフフ、人類の夢、四次元ポケットならぬ四次元オパーイ! ……そんな目で見ちゃ駄目よ。まぁ、谷間に簡易倉庫型構成式突っ込んでるだけなんだけどね。便利よ、お菓子とか化粧品とか雑誌とか、何でも入れておけるし。ええ、技術畑の人間に誠心誠意鞭打ってお願いしたら喜んで作ってくれたわ! 泣きながら徹夜で作ってたけど、美しいって罪よね!」


 言いながら、引き抜いた指先に摘んでいた懐中時計を澪に渡す。銀製で、蓋付きの意匠(デザイン)入りのものだ。両者同じタイミングで、一旦その場から飛び退いて距離を取った二人の体を砕かれたアスファルトの欠片が掠めていく。
 重たい衝撃音を響かせるのは、栓抜きを振りかぶったゴーレムの一撃だ。遂に、乱入していないギャラリーも攻撃対象に入れたのだろう。二人は、弓と鞭をそれぞれぶち込んでから再び跳び、背中を合わせる様に着地した。周囲を警戒しながら、澪は手首に巻き付けていた懐中時計のチェーンを手繰る。両手指を使って蓋を開け、時間を確認するとぽつりと呟きを零した。


「……後、二分三十秒」





 そうね、とだけ口にして、瑠璃は不意にふらついた澪の身体をそっと支えた。触れた体は熱を持っている。ぶっ続けで強弓を引いていた澪の体力は、もう限界に近い。後方支援担当だった二人でも、頬の汚れや細かな傷まで避けることは出来ていない。瑠璃は、殆ど握力の無くなった利き腕に視線を落とした。後二分と少しと言う時間は、短いようでとてつもなく長く感じる。出来ることなら、そう、

 ……すぐ私室に帰って熱いシャワーを浴びて、埃と汚れを洗い流してからベッドに沈み込みたい気分ね。

 シーツなどは干したてなので、今日はとても良い快眠をむさぼることが出来る。ただ、

 ……前線で敵を食い止めている連中なら、尚更よね。

 先程、ふざけ半分に止血と疲労軽減の効果のある治療の構成式を鞭で叩き込んだが、それも気休めに過ぎないだろう。構成式を起動する為に最低限必要な、防具に内臓してあるマナも殆ど残っていない筈だ。身体能力強化と、物理的な衝撃を僅かに軽減する単純な防楯の構成式は効果が低い代わりに比較的燃費の良いものだが、それでも連続使用と性能の限界使用に耐えられる程の防護は無い。目に見えて彼らの動きが鈍っているのは、こちらの疲れか、それとも彼らの疲れか。
 弱気なんて珍しいわね、と自嘲した瑠璃は、澪から受け取った懐中時計を胸の谷間に押し込んでよし、気合いを入れた。手の中で一度鞭を張り、眉を立てた強気の笑みを浮かべると、ふらつきそうになる一歩を強く踏み出し、


「さぁ男衆! ここが格好の付け所よ!? 何せ、ここには二人も良い女が居るのだから。──あんた達も男なら、少しは良い所見せてみなさい!」


「──お」


 声に、押し切られかけていた男達の背が応えた。最早僅かな傷になど目もくれず、筋肉を膨張させ、つんのめる様な気合い一発でゴーレムに突貫をかけ、押し戻していく。


「お──!」


 持ち堪え、持ち直し、そして体ごとぶちかましていく。響く大声は、滴る様な熱気の籠もった強いものだ。男達はそれぞれの武器を手に振りかぶり、


「気張れよ俺達! ──まさか、女が見てる前で負ける腰抜けはいねぇよな!?」


「──resist.(レジスト)!!」





 決して速いと言えない、そんな速度で三丈が駆けつけた戦場はぎりぎりの状態にあった。見る限り、初期に配置した人数の半数は既に戦闘不能になっている。残っているのも、後方支援担当の近接攻撃力が無い連中ばかりだ。視界の中で白い光の粒が風に舞って過ぎていくが、残る敵の数はまだ半数近くが残っている。勢いに任せて焚き付けてみたは良いものの、やはり劣勢を覆すのは難しいだろう。見れば、数の少なさを補う必死の一語で、白の異形に喰らいつくものたちの姿がある。
 片膝立ちの姿勢で銃弾をばらまく年かさの男が不意に鋭い視線を上げ、


「ここ耐えきったらお前ら、今日の夜から何するんだ?」


「考えてねぇな。……独り身集めて、朝まで盛大に大富豪とかどうよ!?」


 その援護を受けていた短剣使いが提案を返す。だが、それを聞いた別の男がやれやれと首を振り、


「はい却下で──す! お前朝まで一人ばば抜きの刑な。他には!?」


「ちょ」


「私、絶っ対、ケーキをホールで食べる……!」


「胸焼けに気を付け、ぬおお、すばしっこいなクソ!」


 受け答えは人から人へと渡り、数人の間で共通して交わされるものへとシフトしていく。話題は主に、日常の一コマ、戦場としてはどうでも良いものばかりだ。思い切りの良い剣の振り抜きでドールの持つ直剣を弾いたものが、内蔵マナの切れた補助パーツを地面に落として身軽さを選ぶ。大きく息を入れ替え、剣の柄を握り直した男は視線を眇めると、しかし笑みで、


「じゃあ俺プレイ中のエロゲのクリアしま──す。とにかくメインヒロインが斬新なんだよ。フラグ立てると『あ、あなたのことが隙だらけですっ!』とか言って釘バット振り回してなぁ。咄嗟に右に避けるか左に避けるか、意表を突いてパイタッチか時間制限選択肢が出て来るんで、迷わず乳揉んだんだが。まぁ、直後に釘バット喰らってこの世からリタイヤエンドだった。ツンデレだな」


「お前ケッコー嗜好が弾けてんのな。ていうかツンデレじゃないだろソレ。……かく言う俺が今攻略中の子は『ど、どうして二の腕ばっかり舐める様に見るんですか!? や、や、やめいぇくらはひ……!』とか言う噛み噛みっ娘でよ──」


「おう、そのエロゲ知ってるぞー。『怒気ッ! ヒロインだらけのリア充生活!?』だろ? バレンタインデーに徹夜でCGフルコンプしてやった覚えがあるんだこれが。俺のお気に入りは、むしろ主人公だったなぁ。フラグ立てて女の部屋に見事潜入イングして、『す……、好きにすれば良いじゃないっ! アンタになら触られてもその、い、いやじゃないし……』とか言って来るツンデレに、『……って何してんの。ねぇ、ちょっと少しはこっち見なさ、……こらぁ──! 何で今までに見たことない位満面の笑みで他人の下着漁ってんのよ!? かっ、被るな──!』とか平然とやっちゃう所とかな」


「っテメ、まだ攻略してない俺の第二婦人ルートをネタバレしやがったな──!? 初回版予約購入した親父にもバラされたことないのに!」


 叫んだ少年の肩を叩き、年かさの男が宥める様に首を振った。彼は少年に顔を寄せてまた別の攻略キャラクターのネタバレを囁くと、少年が『お前ら皆、エロゲの恨みを甘く見るなよ! 今度から攻略サイトに嘘ばっかり書き込む情報テロ起こしてやる……!』と半泣きで息巻いているのを無視して視線を逸らした。
 逸らした先には敵の姿がある。痛みで動きの悪い手を使い、ゆっくりと突撃銃のマガジンを交換し終えた男は腕先の動きで皆の視線を統一する。


「じゃあお前ら、強制縛りで決定な。今日の夜は──」


 頷く。数少ない武器で身を固め、不要な装備を外し、身軽になった男達が唱和する。重心を前に、叫ぶ言葉は、


「徹夜でエロゲ──!」





 叫びを前方で聞く三丈は、馬鹿だね、と小さく呟きを落とした。命の危険すらある戦場で、嬉々としてとしてエロゲ談義に花を咲かせるとは。だが、そういう馬鹿は、

 ……嫌いではない。

 何故なら彼らは前向きだからだ。そして、『怒気ッ! ヒロインだらけのリア充生活!?』はイベントCGフルコンプしてやった覚えのあるゲームなので嗜好的にも彼らはお気に入りだ。どのヒロインに対しても下着被りでフラグブレイクしてのける主人公というのが興味深いものだった。主人公によると下着の被り方にも様々な作法があるらしく、基本の前被りや後ろ被り、横被りや斜め被りを通して、応用編の顔面カバーやウルトラスピントルネードに移行するらしい。初プレイ時にはつい感服して、『ほうほう変態道とは深遠なものだね! ──そこの貴様、ちょっと下着を脱いで渡してくれないかね?』とやったら鬼の形相の女子一同から袋だたきにされかけた。フラグなど立てていなかったのに何故だろうね、と悩んだ当時は、結局自身で女性用下着を購入し、帰りに前衛的な被り方で街を闊歩したものだ。何故かテレビカメラが詰め寄って来たが、あれは被り方が真実斬新だったからだろう。
 その日の内に下着の被り形を丁寧に解説したWebサイトを立ち上げたのも、今では良い思い出だ。更新もしていないにも関わらず、未だにアクセスカウンタが一日数千単位で回っているので日本はもう駄目かもしれないが。そういえば貧乳キャラが多かったので、小山のコンプレックス解消になるかとリボン包装でゲームを与えたことがあるが、ゴリラにも勝る鉄の拳で殴られたのも今では良い思い出だとでも思っているのかねフフフ今度嫌がらせに巨乳パーティーでも開いてやろうか。


「……疲れているのかもしれないね」


 そこまで考えて、思考が乱れているな、と三丈は緩く頭を振った。今、戦線の中央部に位置するこの場所は紛れも無い激戦区だ。天使達も分散して突撃してくるのではなく、この箇所に固まって一点で戦線を突破しようとしている。故に、目に見える全てが忙しい。だが、援軍が来るまで持てば上出来だ。判断して、三丈は軽く息を吐いてから周囲を見渡した。探すのは、ここに居る筈の姿だ。視界の端に掠めた影を追って視線を動かすと、そこには軽やかにステップを踏む優妃の姿がある。しかし、その表情に余裕は無い。きっと、と三丈は考える。きっと彼女は、

 ……真面目なのだろうな。

 真面目だからこそ、適当なことを言い、馬鹿なことを叫ぶことで、現実を正面から直視しないことを良しとしないのだろう、と。男達でさえ緊張で固まった顔を無理矢理緩め、虚勢を張ることで精神を保っているのに、だ。
 上がった息を押さえながら、熱を持った足を動かして彼女へと近づいていく。徐々に、しかし確実に大きくはっきりと見えてくる彼女の姿には、先程別れた時よりも傷が多い。傷があるのは、腕や肩、太股などといった体の外側部分だ。足を止めることなく動き続けている所を見ると、別段疲れで攻撃を避けきれないという訳ではないのだろう。ならば傷を持っているということ、それはつまり、

 ……仲間を庇う為に、大剣をかざして、避けるのではなく敵の攻撃を受けているということか。

 現に、今この瞬間も足を取られて尻餅をついた少女を守る為、敢えて攻撃に身を晒している。表情に苦痛を浮かべながらの行動だが、その動きに遅滞は見られない。仲間を見捨てるという考えを端から持たない人だ、と三丈は感嘆の息を小さく落とした。危機的状況下にあって、傷を受けながら他人を守るというのは並々ならぬことだろう。その程度なら、戦場の一端に触れた三丈でも理解することが出来る。
 それを見て、行かなければ、という思いが強く三丈の胸を灼いた。局地的な直接戦闘に関わる術は殆ど無い。何かを出来るとは思わない。だが、何かしたいという一念で以て渦巻く風に逆らい、前へ出る。そうしながら、三丈は勢い良く髪を掻き上げた。動きに合わせて服の裾が揺れ、汗を散らして呼吸をおさめる。
 優妃と三丈の間に横たわる距離は、約十五メートル程。戦線の最も突出した所に立つ彼女の所に辿り着く為には、銃弾と叫声が飛び交う危険地帯をくぐり抜けなければならない。


「……ぬ、ん」


 不意に目眩を感じて、三丈は足下をふらつかせた。意識して瞼を開き、頭を振ることで思考をアジャスト。乱れた髪の毛を撫でつけながら思うのは、胸の内側を高速で連打する心臓の鼓動だ。知らず再び上がっていた息を知覚し、大きく深呼吸してすぼまった視界を取り戻す。急速に元に戻っていく視界を捉えて、三丈はは、と息を吐いた。視線を下ろせば、自身の膝が震えている。混濁しつつある意識の中で、その震えが何からくるものなのか、それをはっきりと掴めないまま、三丈は勢い良く顔を上げた。流れ落ちる汗に煩わしさを感じながら銃把を握り直し、いつでも引き金を引ける様にそっとトリガーに指を添える。十五メートルの距離、それを埋める為の第一歩を踏み出して、


「ぬっはははははははははははぁ──!!」


 透き通る様な甲高い声が戦場を抜けた。





 身を揺らす声の後に来るのは、重たい着弾音と、打撃されたドールの体が飛沫く音だ。
 衝撃で煙が舞い上がる中には、影がある。俯いた女性の姿だ。アスファルトにクレーターを刻み、片膝をついた姿勢で白い歯を光らせた女性は、ゆるりと顔を上げて周囲を睥睨する。峻烈な紺碧の瞳が炯々と光り、大きな動きでポーズをきめた。


「皆の期待を一身に背負いて──我、参・上!!」


 片手に巨大な鉄槌を握った女性はにかりと笑う。風に靡く金髪、薔薇色の頬。見る者にあどけなささえ感じさせる甘い容貌に身につけた漆黒の戦闘服姿は、


「うわあ──! 悪夢だ!!」


 屈強な筋肉を幾重にも纏った男性版ボディービルダー。戦闘による恐慌で一時的に錯乱した者達が、頭を抱えてむせび泣く。地に伏し、おんおんと漢泣きに暮れている姿を見た女性は、鉄槌の重さを感じさせない動きで次のポージング。


「どうしたお主ら。──ほぅら、我の筋肉による肉体美だぞぅ」


「れ、レティシアさん! よ、寄らないで下さい……!」


「ぐふふ、そうかそうか我の後光が眩しくて耐えきれぬのだな!? 苦しゅうない。もそっと近う寄れい──」


「や、やめてくれトラウマが! 筋肉だめぇ──!」


 レティシアと呼ばれた女性がわざわざむせび泣いている男達ににじり寄りながら取るのは、圧搾機の様な肉体を誇示するサイドチェスト。しっかりと組み合わせられた両腕の筋肉群がみちみちと盛り上がり、丸太の如きその威容は戦闘服のインナーを内側からみっちりと張り詰めさせている。厚く、分厚く盛り上がった大胸筋は並大抵の打撃なら受け付けぬ程強靱であり、しかし本来女性にある筈の胸はどこにも見あたらない。肉体美と言っても過言では無い腹筋群は、見事なまでに八つに割れ、絞り込まれている。軽く捻った腰、タイヤの様な太股や細く筋肉の盛り上がりを浮かび上がらせる脹ら脛の筋肉も、実に見事なものであった。
 全身、余すことなく男性そのものなボディービル体型の女性は、優に百八十センチはあるだろう巨躯を反らして笑みを浮かべている。なまじ、顔が幼げな美少女顔であるだけに、首から下のマッスル威容が際立っていた。
 一頻り男達を無駄に怯えさせたレティシアは、頭を振って周囲の状況を確認すると片手を振り上げる。一息置き、鋭く腕を振り下ろしながら、


「総員! 大掃除始めぇ──!」


 声に、返って来る音がある。戦線の横手側、今まで誰も注視していなかった方向からやってくるのは、手慣れた仕草で武器を構える集団だ。二十名余りの黒の軍勢は、頬に笑みを浮かべながら突貫してくる。足を止めず、ハンドシグナルだけで散開した集団は、それぞれの目で戦況を確認し、


「野暮な奴らはすっこんでな! ──救世主様のお通りだぜ!」


 戦線を押し込んでいる天使達を思い切り打撃した。破砕、斬撃、射撃、打撃、あらゆる攻撃で文字通り敵を蹴散らしながら、彼らは、


「何ぼさっとしてやがるひよっこ共! あんまり寝ぼけてると──俺達が全部、かっさらっちまうぞ!?」


 救援が届いたことに安堵し、連続した状況の展開に着いて行けていない若者達を叱咤する。慌てた様に武器を構え直した黒の軍勢は、疲れの見える動きで、しかし瞳に強い力を宿し、


resistant(レジスタント)──!」


 抵抗の雄叫びを空に上げた。





「ふむ……馬鹿らしくなる程元気だね」


 一気に勢いを取り戻した周囲に苦笑を零す三丈は、やれやれと首を振ってみせた。視線の先、空中に表示した戦闘域図(バトルフィールド)は見る間にその色を変じていく。顔を上げれば、駆けつけた連中がそこらで、


「おいちょっとビースト野球やろうぜ! ピッチャー俺、第一犬、ひっぱたき投げた──!」


「がう──!?」


「おおっと甘い甘い! 喰らえ必殺! 世界の一本足打法──!」


「がう──!!」


 などとやっている。偶にあるデッドボールは必死なビーストの噛みつき特典付属だが、ダメージがデカイので得点プラス一だ。ピッチャーとバッターしか居ない打ちっ放し方式の球技は最早野球とは言い難いが、手の空いた者は隅の方でルールブックなど作成している。サボリは大罪なので、すぐに説教から戦線復帰を繰り返しているが、彼らが何を考えているかは分からない。何故なら、

 ……フフフ。俺は彼らと違い、ごく真っ当な一般人だからね。

 戦場の只中で野球をやる精神が理解出来ない。そもそもやるなら野球よりもバレーだ。レシーブ、トス、アタックとワンターンで三回もビーストに打撃入れられるのだから、これ程実利的なスポーツも無いだろう。素晴らしい。
 戦闘域図(バトルフィールド)を見る。残る敵は多くない。だが、未だに残っている相手は、今回攻めて来た戦士の中でもこなれた者達であるらしい。抵抗は否応なく激しくなっている。三丈は、優妃に向かって歩みを進めながら十五メートルを詰めていく。一歩を出し、二歩目を続けた所で、ふと、


「……?」


 予兆の様な物を感じて足を止めた。注意して辺りに視線を振る。右を見れば、


「美沙た──ん! 俺様から離れてて寂しかったですかよ!?」


「あぁ、私、馬鹿大岸が居なくて結構寂しかった……、ンだよ、こ、こっち来るならさっさと来いよ!」


「うおおん俺様感動だ……! み、美沙たんが俺に優しいなんて扁平地異の前触れかよ!? ど、どっきりかコレ!?」


 涙を流しながらの笑みを浮かべて小山に抱きつこうとする大岸の姿がある。地を蹴り、両手を広げて飛び込んだ所を、


「なぁ──んて言うとでも思ったかこのボケが! テメェ私のことを例え間違いでもガッデムなんぞ言っといて、ただで済むとでも思ってんのかあ!?」


「ツンデレだな美沙たん──! チクショー罠かイテェ──!」


 引き攣った笑顔から一転、米噛みに青筋浮かべた小山が全力の右ストレートをぶち込んだ。バウンドして大地を転がっていく大岸を踏みつけ、更に追撃を入れながらにっこり笑った小山は、


「だ・い・た・い、テメェは誰にことわって美沙たん美沙たん言ってんだ! テメェは、大男に茶色い声で美沙たん美沙たん連呼される気色悪さ考えたことあんのか!? ──おいそこのお前! ちょっと馬鹿大岸の名前たん付け連呼してみろ!」


 指さしで呼ばれた男はもの凄く嫌そうな顔をしたが、顔を真っ赤にして猛っている小山の薙刀が怖いのか、案外素直に従う。剣を小脇に挟んで両手を挙げ、包み込む様にメガホンを作ると、


「大岸の下の名前って何よ?」


「あぁ!? そんなことも知らねぇのかよ。克明(かつあき)だよ克明(かつあき)。克己の克に明るいで。良い名前だろ?」


 おいおい下の名前も即答かよ。しかも意外に高評価かよ。周囲の皆が思わず呟くが、肩で息をしている小山はそれに気付かない。射る様な視線で促された男は、心底嫌そうに仰け反りながらも再度息を吸い、


「か、克明たぁ──ん」


「うおお気色悪ぃ──! 何だ今の、トドの求愛!」


「…………」


 小山に踏まれたまま鳥肌立てて身悶えしている大岸にカチンと来たのだろう。男は更に深く息を吸い、


「きゃあー、克明たん克明たん克明た──ん! 素敵ぃ──! 抱いてぇ──!」


「……ああここが地獄か……」


 ならば身悶えし過ぎて死んでしまえと言わんばかりに、下手な裏声で大岸の名前を連呼した。より雰囲気を出そうとしたのか、腰を捻って無駄にしなまで作っている。余りのおぞましさに、石やら矢やら拳やらが飛んで来て、すぐに男は集団に飲み込まれた。流石の小山もこれには耐えきれなかったのか、やや蒼くなった顔色のままげんなりと肩を落としている。最早身動きすら無くなった大岸は、諦めきった表情で虚空を見詰めている。小山はゆっくりと首を振り、


「……どんだけ気持ち悪ぃか分かったろ。次たん付けなんぞしくさりやがったら、そうだな……あー、死刑で良いや」


 聞こえた言葉に大岸は飛び上がり、慌てた動きで小山の足を掴んだ。ついでに戦闘服のスカートの中を覗き込む体勢で頭を動かし、


「あ、あれ!? ちょっと聞き捨てならん言葉が無かったですかよ!?」


「そういうテメェは今何してんだ!? わ、ばっ、馬鹿止めろ! インナー付けてるっても、恥ずかしいのは恥ずか……良いから離せぇ──!」


 再燃した怒りのままに、体重をのせた膝を大岸の顔面に入れる。息を荒げながらマウントを取った小山は、ぴくぴくと痙攣している大岸の上着を掴んで揺さぶりをかける。高速でシェイクされる感覚を、大岸が『新しい攻撃だなこれ。おー、肩こり取れるんじゃねぇか?』などと考えていると、


「おいおいなに口の端から泡吹いてやがんだテメェは! それについさっきの扁平地異ってなぁ何だ、私のむ、胸が扁平な大地みたいでわぁ異常ねお山はどこ、とでも言いてぇのか!? それを言うなら天変地異だボケがぁ!! テメェも地面に同化させて欲しいのかオラ!」


「おおおおお俺っ、おれれれれれっ!」


「日本語喋れぇ──!」


 無茶言うなよ、とまたしても誰かが呟くが、これも小山の耳には届かなかった。代わりにシェイクの速度を一段階上げ、


「っと」


「……お?」


 大岸の体に抱きつく様に頭を下げる。丁度小山の頭があった空間をゴーレムの拳が穿って行き、僅かに巻き込まれた髪の毛が数本宙に舞う。続く動きは、両腕を使って突き放す様に身を起こし、放ってあった薙刀を背後に叩き付けながらの大跳躍だ。深くゴーレムの脇腹を削った一撃をそのままに、小山は未だにふらついている大岸を蹴飛ばして距離を取る。


「おう美沙、助かったぜ?」


 視線だけで振り向いた小山は、確かめる様に首を振って体を起こしている大岸を見て鼻を鳴らす。


「気にすんじゃねぇよ。──でも大岸、これ終わったらキッチリ焼き入れてやっからな、逃げるなよ……夜部屋に居なかったら承知しねぇぞ?」


「おてやらかわに頼むぜ美沙ちゃん!」


「お手柔らかだ、噛むな馬鹿。……後ちょっと頑張ったら、久々に整体で骨鳴らしてやる。いーから気張れよ」


 遣り取りに、周囲の皆は何とも言えない表情を浮かべた。ぶつぶつと呟きながら額を寄せ、それぞれ嫌そうな顔で、


「夫婦かよあれ……無自覚なの?」


「しぃー! 馬鹿言うな。本人は完全否定だが、聞かれたら漏れなく私刑だぞ? にしても──あぁ熱い熱い」


「あっれ何だここ。気温高くねぇ──」


 などとやりながら顔を扇いでいる。小声での出来事なので、小山も大岸もどちらも気付いて居ない。結局、肩を並べてゴーレム攻略に取りかかっている二人の姿を見て、三丈は口の端だけを僅かに吊り上げた。やはり、彼らは自分の知る人物と限り無く『同一の』人物だ。彼らは、生きる意志も、力も、状況も違うにも関わらず、


「一言で言うなら……うん、馬鹿だね」


 だが、それが良い。ともあれ、右手には何もおかしなものは見あたらない。いつの間にか顎先まで滴っていた汗を払い、視線を戻す。感じた緊張はまだ拭えて居ない。それが何かを確かめようと、三丈は無意識に銃持つ左腕を持ち上げた。
 左側を確認しないのは、そちら側が最も援軍が充実している側だからだ。同時に、先程からボール役のビーストやドールが飛んで来る方角でもある。ひきずる様にしながら足を持ち上げ、前へ一歩を踏む。視線だけで油断なく周囲を見渡していた三丈は、不意に前方の景色に違和感を感じた。


「……優妃君?」


 零れた呟きは無意識のものだ。しかし、三丈は自身の驚きを表現することを優先した。


「ど……どうして芳しい汁まみれで息を弾ませているのかね!? ──ううむエロい! 実にエロい! けしからんね全く!」


「我の親友の子に何を言っておるのだ! そういう告白は、夜になってから誰も居ない廊下で薔薇でもくわえて格好つけつつ二人きりでやるものだぞ! 我はそういう男はどうかと思うが!」


 反応したのは、大剣を杖に頽れかけている優妃ではなく、レティシアだ。視界の先、姿だけははっきりと確認出来る距離から巨躯が叫びを上げ、唸りを上げて空を押し潰すハンマーが手近に居たゴーレムの膝と肩を砕く。痛打を受けたゴーレムは、白の飛沫を傷口から上げ、豪快な動きで倒れ込んだ。それを見たレティシアは動きを止めず、すぐに地を蹴って数メートル以上の距離を一息で移動する。そうしながら彼女は、漲る筋肉を張り詰めさせて敵と味方の意志を砕きながら僅かに遠ざかって行く。無造作に振るわれるハンマーの一撃は強力だが、しかし美少女顔の下にくっついている有り得ざるボディービル体型が男衆の精神も打ち抜いていくのである。彼女が高笑いで過ぎ去る跡には、『何だよ女って……性別って何だよ……』と夢を壊され、膝をついてすすり泣く男達が増えていく。
 三丈は、意識的にレティシアのことを無視して更に優妃へと近寄った。援軍の到着で気が緩んだのだろう。涙さえ浮かべながら、激しい呼吸を繰り返している彼女の姿は酷く頼りない。精神力で無理矢理繋ぎ止めていた動きを、維持出来なくなったのか。

 ……いかんな。

 と三丈は思う。彼女の状態は好ましくない。放っておけば、過呼吸になって倒れかねないのが見て取れる。戦場には急速に決着がつきつつあるとは言え、この場はまだ最前線だ。一刻も早く彼女を確保し、安全な場所まで動かさねばならない。
 そう、その為にはまず、

 ……まずは乳を揉み、意識がはっきりしているか確認しなければ。

 出来れば、下から支える様に持ち上げ揉みングが良いだろう。フフフ、これはまた乳神様信仰に拍車がかかるね、と無表情に意気込んだ三丈が拙い足取りで近づけば、二人の距離は残り七メートル程しか残ってない。右から揉むか左から揉むか、否否ここは贅沢に両方同時に──などと考えていた三丈は、足下の瓦礫に気付かずに軽く足を取られた。咄嗟につんのめって転倒することこそ避けたが、それでも前進が止まることは避けられない。膝に手を着き、一息を吐いて顔を上げれば、


「────!」


「ぬっはあ! 気を付けよ、そちらに──満!?」


 視界の左端に、こちらへと飛んで来るゴーレムの影があることに気付いた。その左肩から先には、腕が無い。総身に打撃で受けた亀裂を刻んだ砂色の巨体は、しかし全力と言っても良いスピードで突っ込んで来る。熱と痛みを持ち、既に満足に動かせない三丈の足では避けることの出来ない距離と速度だ。自暴自棄にも思えるゴーレムの背後には、レティシアの姿がある。敵わないと知り、せめてとこちらに矛先を向けたのか。その傷口からは仄白い燐光が零れている。後、ほんの少しの攻撃で全身が崩壊を始める程のダメージだ。ほんの少し──三丈の持つ銃弾の一撃でも、十分なダメージ。自身の危機を逃れるには、冷静に左腕を持ち上げて銃弾を叩き込めば良い。鈍く光る単眼が自身を灼く様に睨んでいるのを感じた三丈は、だが、


「────!」


 反射の速度で、上げるべき左腕を真っ正面に向けていた。自動機構の拳銃、戦場をくぐり抜けて煤けた銃口が指すのは、優妃。その後ろに迫った、下半身の無いドールの姿だ。積み重なった瓦礫に手を掛け、上半身の力だけで起き上がった白のドールは、切っ先の鋭い直剣を逆手に握っている。ぎちぎちと弓を引き絞る様にその身が反り返り、撓めた膂力で無防備な優妃の背を刺し貫かんと振りかぶる動きを見て、三丈は無意識の内に選択した。残る残弾は一つ。取れる手段も一つ。不意に、過去の情景が三丈を叩いた。思い出すのは、遠い雨の日。咄嗟に手を伸ばすことを選択出来なかった過去の日。鼓膜を打つのは、心に焼き付いた過去の呼び声だ。


『みつる──!』


 幻聴を振り払い、ぬめるような空気の中で手を伸ばす。今は過去ではない。だが、過去に縛られていることも否定出来ない。差し出した手は届くのか、届かないのか。ほんの一瞬だけ浮かんだ思考を、三丈はすぐに消し去った。代わりに胸をついて出るのは、危険を知らせる自身の震えだ。眉を立て、鋭い声で放つのは、


「優妃君──!」





 過呼吸を起こして苦しげに藻掻く優妃は、三丈の叫びで顔を上げた。切羽詰まった声に、反射的に反応して背後に振り向こうと身を翻しかけ、そこで三丈に迫るゴーレムの姿に気付く。足下をよろめかせている三丈の姿は、お世辞にも機敏な動作を取れる様には見えない。危険を知らせる為、咄嗟に声を上げようとして、


「……か、ひゅ」


 唇と指先に感じる痺れが、優妃から言葉と身の自由を奪う。息苦しさに涙が滲み、肺腑の震えが胸を打った。霞む視界の中では、誰よりも戦場に遠かった少年が、戦場の只中に、死の危険という負の坩堝に足を踏み落としつつある。三丈の命で彼の傍から離れたとは言え、一度は彼を守ると言った。だが、体は鉛を詰め込んだ様に動かず、酸素不足で掻き混ぜられた思考もおぼつかない。立てた膝に力を込めても、立ち上がることすら出来なかった。それでも、諦める訳にはいかない。
 だからせめて、と指先を伸ばした先で、


「──大丈夫だとも!」


 言って聞かせる様な声音。雷管を叩く撃鉄の音が届き、すぐ頭上をマナによって強化された弾丸の軌跡が抜けて行く。背後、何か硬いものを打ち抜く音が落ちてくるが、優妃の意識はそこになかった。見るのはただ、引き金を引いた瞬間に低い姿勢からゴーレムにかち上げられた少年の姿。優妃の瞳は、その一部始終を克明に捉えていた。重量感のある砂色の体は粉末の如き飛沫を零し、死力の籠もった一歩で、膝に入った亀裂が致命的なものになる。砕けた膝から下が落ち、不格好にスライディングするかの如く飛び込んでいったゴーレムの巨躯は、三丈の左足にぶち当たり、


「────!」


 音にならない叫声を、優妃は知らずに上げていた。この距離でも分かる。最も大きな衝撃を受けた三丈の左足が、至極呆気なく軋み、砕けたのをだ。ふらついていた為と、ゴーレムが激突の直前に体勢を崩したことで、幸いにも三丈の体は勢い良く吹き飛ばされただけだ。宙を舞い、糸の切れたマリオネットの様にきりもみした体は、しかし地面に激突する前に屈強な腕に受け止められた。肩で息をし、鉄槌を放り出して滑り込んだのは、基地内で最も強い人間。レティシアだ。腕の中の少年を見下ろす表情には、深刻なものは無い。

 ……死んで、いない?

 そのまま、へたりと腰を落とす。いつの間にか詰めていた呼吸のせいか、先程よりも息を吸うのが楽になっている。優妃は這いずる様に身を起こし、大剣を杖によろよろと三丈の方へとにじり寄った。たった数メートル。それだけの距離をこれまでになく苦心して詰めると、蒼白な顔色もそのままに三丈を見下ろした。努めて息を吐き、意識を取り繕うだけの息を整える。


「……お、おい」


「ぬ……」


 苦しげに眉を歪めた表情は、痛みを堪える独特のものだ。手当を、と口に出そうとして、優妃は三丈の左足に目を留めた。思わず顔を上げ、同じ場所を見詰めていたレティシアと視線を合わせる。先に視線を逸らしたのはレティシアだ。彼女は、手早く脈と呼吸、そして全身の怪我の具合などを検分しながら目を細めている。


「……三丈」


 三丈の傍に表示されたままの戦闘域図(バトルフィールド)には、味方を示す光点だけが載っている。敵の姿はどこにも無い。それが意味するのは、勝利だ。そこかしこから轟いてくる歓喜の声をBGMに、優妃はじっと三丈の顔を見詰めた。早く起きろと、急かす様に。
 三丈の左手には、銃弾の尽きた漆黒の拳銃がまだ、握られている。










[13852] 第九話
Name: 三角◆06d868d0 ID:dfaa2b35
Date: 2010/02/01 16:36





 失っていたもの。手に入れたもの。その手応えは胸に響き。





 薄暗い空の下に、通りを往く影がある。学園の敷地を改造した基地の中をゆっくりと歩む姿は、一つに結った黒髪を風に靡かせるもの。黒曜石の輝きで前を見詰める優妃だ。戦闘服の上に付けていた装甲を外した彼女は、体にフィットするデザインのインナーと、肌の露出を嫌う為の簡素なジャケットを羽織っている状態だ。姿勢を真っ直ぐに保って薄闇の中を歩く彼女は、不意に右横へ視線を向ける。その先に居るのは、


「……そういえば、レティシアさん」


「ん? 何だ、どうかしたのか、優妃。し、しりあすな声を出して。そういう時は我のキレてる筋肉を見ると良いぞ。──ほぅら上腕二頭筋並びに三角筋・僧帽筋が絶妙なバランスで奏でるこ、こら、コラボレーション!」


 返って来る言葉は不自然に途切れている。どちらも、横文字を使った箇所だ。真面目という単語が人生的に駄目なのか、金髪のくせして横文字に弱いのか、二秒程考え込んだ優妃は、緩く頭を振ることで疑問を払った。レティシアは金髪美女の外見通り、英語などペラペラ状態で使いこなせる人だが、同時に街中で道に迷った外国人に話し掛けられたとき、咄嗟にこう返す人でもあるのだ。

『あ、えぇ、ええっと、めい、めいあいへるぷみー……?』

 自分を助けてどうする。一分程会話していると、その内勘を取り戻した様で普通に会話出来ていたが、あの抜け具合はどこからやってくるのだろう。筋肉からか。幼い頃から想像を尽く越えて来る女傑だったので、深く考える無意味さを優妃は良く知っている。なので、道の先、煌々と明かりの灯っている広場を目指しながら言葉を継いだ。


「先程──、三丈という少年のことを、名前で呼んでいましたよね?」


「──うむ、それかぁ」


 問いに、苦笑の気配が返って来る。再び視線を向ければ、こちらを優しく見下ろす視線とかち合った。どうして、という意味を込めて首を傾げると、レティシアは了解したのか大きく頷き、


「首が凝っておるのか? 若いのに大変だな、優妃は! ぬははは、気にすることは無い。若いときのネックブリッジは睡眠時間削ってでもせよと、昔の偉いマッチョも言っておるぞ! ──筋トレは程々にな?」


「…………」


 努めて無言で見詰めると、唇を尖らせたレティシアがぶーぶーと小声で文句を零す。ノリが悪い、という言葉が僅かに聞こえ、優妃はにっこりと微笑んだ。何故か冷や汗を掻いたレティシアが明後日の方を向き、わざとらしい動きでハンマー使ったゴルフスイング始めるのを眺めていると、


「三丈・満だったな、うむ」


 耳を震わす声は小さく、呟きと言っても差し支えのないものだ。優妃は飲み物などの詰まったビニール袋を持ち直し、身を揺すって背に負った大剣の位置を軽く調節する。
 レティシアは薄闇の中でも鮮やかな金糸の髪を一度掻き混ぜると溜息を零し、目を伏せ、


「──もう、息子が死んでから十年が経つのだな」


「…………」


送受信(コネクト)を通して名前を聞いた時はまさかと思ったぞ。実際に見てみたら……、灰色の瞳の若者なぞ、そうそう居るとは思えぬしなぁ。まぁ──」


 本人に確認しないと、確かなことにはならないのだ、と。言う割りに、レティシアの口元には緩い笑みがある。まるで、三丈こそが自分の息子だと確信しているかの様に。自身の記憶の中にある幼い少年の面影と、今この世界に居る少年の顔を思い浮かべて、優妃は軽く息を吐いた。

 ……はっきりとは思い出せないな。

 特徴としては、覚えている。当時の少年を見れば確実に分かる自信がある。だが、今の少年の外見と、思い出の中を淫蕩う幼子の面影が一致するかと問われれば、確実にそうだと言い切れない。そこに面影を見るのは、普段の彼女からは想像がつかないが、

 ……母親だからかな。


「面影がなぁ。あの子が生意気にタケノコ伸びしたら、あんな感じになるだろうなというのがあるのだ。仕草とか。……それだけではないが。うん、あの時は咄嗟に名前を呼んでしまったのだが、どうなのだろうなぁ」


 僅かにしか星の見えない夜空を見上げ、レティシアは呟く。うん、ともう一つ頷いた彼女は足を速め、


「──さ、早く行こう。皆が我らの到着を待っている。夕飯を食いっぱぐれるのも嬉しくないことだしな! うむうむ飯めし!」


 先を行く。分厚い筋肉に包まれた背中を追いながら、優妃は小さく笑みを零した。飲み物を抱えた二人の行く先には、お祭り騒ぎの会場がある。誰からともなく始まった、勝利を謳う戦勝会だ。傷を受けた者も、非戦闘員も、それぞれが皆、笑顔で騒ぎに騒いでいる。飲み物と料理と、そして小さな武勇伝を片手に語らう彼らの顔は一様に輝かしい。自然と頬が緩むのを感じながら、優妃もまた少し足を速めた。
 受けた傷は応急処置を施しただけで、未だ傷みも抜けきっていない。それでも、この祭りに参加しないというのは野暮だと胸の奥が騒いでいる。酒などの買い出しを買って出た故に経過は分からないが、おそらく三丈もどこかに居るだろう。異世界からの来訪者、夢の同輩、一つの戦場を共に駆けた仲間、だが、彼には聞いておかねばならないことがある。聞けるかどうかは別として、聞きたいことも幾つかある。重い楔の如く記憶に穿たれた過去の残滓に一瞬だけ思いを馳せ、優妃はすぐにそれを振り払った。既に酒瓶抱えて転がっているものを踏まない様に避け、煌々と辺りを照らすかがり火を目印に歩む。


「ウフフ優妃。アンタ何しけた顔してんの? ──生理?」


 癖毛を揺らした熱い体がしなだれかかってくる。頬を指でくすぐられ、優妃は僅かに表情を動かした。眉をひそめ、


「……セクハラワードを往来で堂々言い放つな。ていうかお前酒臭いぞ? ──あ、こら、耳に息を吹きかけるなっ!」


「ククク可愛いビッグボイン。──でもアンタには負けないわ! だって私は可愛いお酒のアテがたらこ饅頭だから!」


 ……単純且つ複雑怪奇に意味不明だな。

 顔を見れば分かる。酔っぱらいだ。頬を赤くしている瑠璃を振り払おうとして、優妃の手はするりと躱された。ゆらゆらと足下の覚束ない彼女の姿を俯瞰すれば、纏っているドレス型の戦闘服には大小様々に傷がある。赤みを増した肌に紛れているが、所々には傷と、傷の手当てをした跡がある。前衛職の自分や小山とは違い、彼女には体力や痛みへの耐性はない筈だ。笑みでこちらに手を伸ばしてくる同輩の姿に、優妃は心を痛める。


「お胸とお胸を合わせて~、男共の劣情~。オパーイの聖域完成ね? ……脱がしにくい服着てるわねぇ」


「…………」


 前言撤回だ。こちらの胸を両手で持ち上げ、押しつける様にして谷間を作っている女には倫理規定が無い。一応、周囲を見渡して前屈みになっている男衆に冷たい視線を向けてから、瑠璃の頭に軽く拳を当て、


「──いっ!?」


 硬い打撃音。手首のスナップで頭頂を打つ。びくりと肩を跳ねさせ、涙目で頭を押さえている瑠璃を半眼で睨み、


「酒は飲んでも呑まれるなと言うだろう。──セクハラは程々にな」


「──フフ。善処しなくもないわよ?」


「あ、こら酒を持って行くな! ……全くもう」


 朗らかな笑い声と共に、踊る様なステップで酒を抜き取っていった瑠璃を視線で送って、優妃ははぁ、と息を吐いた。見れば、彼女が戻った先には澪の姿もある。一人、女の子座りで座り込んだ体を緩く揺らし、ゆっくりとコップを傾ける姿には、常以上の色気が感じられるものだ。瞳を潤ませ目元を桜色に、酒に口付けた唇から漏らす息は微かに上気している様で、


「……おいしぃ」


 彼女の隣に山と積まれた酒瓶と、酔いつぶれた男共が気になる。ごろごろと青い顔で転がって居る男共に喝を入れる必要があるのか優妃が考え込んでいると、焼酎の瓶を抱えた男が飛び込み前転で澪の隣に座り込んだ。


「おい──す! 澪ちゃん調子はどうふげへっ!」


「──酔ってる女の隣に座って良いのは、心を許した男だけよ。強引なナンパで何とかなる女が、ここに居るとでも思ってんの? フフ、愚図ね!」


「お、おい──す……イテテ」


 戻って来た瑠璃に蹴り倒された彼は、慌てた動きで澪の正面に座り直し、


「いざ尋常に、勝──負を申し込みまするー!」


 呂律の回っていない状態で高らかに瓶を掲げる。『迷酒・穀潰し』とラベルにプリントされた瓶の中で液体が跳ね、周囲で騒いでいる連中がここぞとばかりにはやし立てた。素早い動きで男と澪の間に机とコップが持ち込まれ、一人がギャラリーから飛び出して腕を振り上げ、


「え、皆様ご注目下さい-。え、ただ今より、第二四回『チキチキ・酒豪ゲーム! ~敗者はGEROの海でGEROGERO~』を、え、開催致します──。両者用意はオッケーですか!?」


 頭にネクタイ代わりの弾帯巻いたものが、ソーダの瓶を片手に審判を始める。瞬く間に飲み比べ会場と化した周囲に、当の本人である澪はふと顔を上げ、辺りを見回した。戦闘服の胸元をくつろげると、普段より三割増しに艶っぽい視線で小首を傾げ、


「……へべれけ?」


「ええそうねぇ。どいつもこいつもお祭り騒ぎで愉快だわ。……で、澪? 潰しちゃうのそれとも吐かせちゃうのどっちか決めなさい」


「んー……」


 言って、酒がなみなみと満たされたコップを片手に取る。レフェリーの合図で同時にコップに口付けた二人のペースは、一杯目は互角。二杯目はやや澪が優勢で、


「……ふう」


 ゆっくりと四杯を飲み干した所で決着した。挑戦者の男はコップを握ったまま、机に俯せてうめいている。周囲のギャラリーが男を引き摺り、折り重なって倒れている所に放り投げた。額に肉、閉じた瞼にわざとらしい瞳、頬にたぬきひげを書かれた上で放置された男を尻目に、澪は黙々と酒を口に運んでいる。『負け犬』と書かれた木のボードが突き立てられた男共の墓所と、澪の姿を見比べた優妃は、ひとまず見なかったことにして視線を逸らした。
 倒れているのは二,三人ではきかなかったが、あれ全部澪が無自覚酔い潰しを敢行したからなのか。先程から勝負を申し込んでくる男衆に何の興味も示さない所を見ると、おそらくただ目の前にある酒を飲んでいるだけなのだろう。視線を合わせると多分巻き込まれるので、そっとその場を後にする。


「アクロバティック──!」


 視線を振ると、見覚えのある顔が右から左へと吹き飛んで行くのが目に入った。馬鹿騒ぎの喧噪を突き破って地面に数度バウンドしているのは、筋肉質な大柄な男の影。大岸だ。彼は、吹き飛ばされた勢いのまま瓦礫に突っ込み、良い感じに突き出ていた鉄柱にぶち当たると、


「──あ」


 鈍い音を響かせて地面に転がった。

 ……というか、大丈夫なのかアレ。こう、人体の耐久性的に。

 冷や汗掻いて思う優妃を尻目に、大岸は五体投地の状態から身を起こすと、数度首を振る。困った様な顔で頭を掻き、


「おいおいどうしたんですかよ美沙? ──ちょっとしたスキンスリップじゃねぇかよ!」


 もう一度視線を右から左へ。大岸の声に返るのは、吶喊の勢いで入る膝の追撃だ。飛び膝を叩き込む鈍い音に続いて、小山の怒声が辺りに響く。熱を持ったそれはいつも通りにヒートアップしたもので、


「肌が滑ってだからどうしたぁ──! どこをどう考えたら衆人環視の中で人のスカート剥こうとするのがスキンシップになんだよ馬鹿岸!! 一遍テメェの生皮剥いてやろうか!?」


 がくがくと首を揺さぶるオプション付きだ。堪えた様子も無い大岸は、揺すられるままに顎に手を当て、何かを考える表情を見せると、


「剥く……お、つまりエロワード解禁ですかよ!? さぁ好きなだけ俺の──アイタタタ剥がれねぇ、頭皮は剥がれねぇって!」


「剥製にして珍獣博物館にでも寄贈してやる……!」


 大小コンビは、酒が入ってもいつも通りらしい。巻き込まれると肉体的に大変なので、優妃はこちらに気付いた小山にひらひらと手を振って先へ行く。目的地は皆の中心、適当にスナック菓子や食料や飲み物などを積んでいるかがり火の傍らだ。喧噪の大人しいそこには、酒の飲めない者や飲まないものが固まっていて、つまり外側の馬鹿共より比較的マトモなもの達がたむろしている。


「──でさぁ、俺がそこで言ってやった訳よ! おっぱいに貴賤なしってな!」


「ハハ、バッカお前、そこはおっぱいじゃなくてオーバーニーとミニスカの間にある絶対領域に貴賤なしだろ。──何がおっぱいだぶち殺すぞ!?」


「うわあ──! こっちくんじゃねぇよ変態! どこでヒートアップして、……何で巨漢のお前がミニスカニーソ装備してやがる!?」


 こちらもやはり駄目だ。主に脳が。
 重傷者は救護室に叩き込んであるが、それもこの場所からならすぐ傍だ。軽傷のものや、動いては傷に障るものなどは、静かな場所ででジュース片手に談笑している。直接的に参加出来ないものにも配慮しようとする騒ぎの設置は、良いことだと優妃は思う。酔っぱらった連中が時折救護室に飛び込み、中から『う、うおえっ、あっれおかしいなぁ。ちょっと窓飛び越えただけなのに世界が揺れ、揺れ……』『うわちょ、おま、俺の寝てるベッドの上でぎゃあ──!』などといった声が聞こえてくるがきっと気のせいだ。掃除は飛び込んだ連中にやらせよう。


「っと……もうレティシアさんは荷物置いた後か」


 見覚えのあるビニール袋の山に目を止めて、その隣に荷物を下ろす。軽い疲労を感じて一つ息を落とすと、静かに杯を傾けている連中が会釈を寄越してきた。それに笑みを返し、周囲に散らばったゴミを軽く片付ける。そして軽く首を回して近辺を眺めた。まだまだ宴は絶好調だ。援軍に駆けつけてくれた先輩格も、今回の戦闘で初陣となった弱輩も、その隔たりなく笑顔で騒ぎ合っている。垣根がなくなりすぎて小突き合いからマウントを奪い合う激しい殴り合いに発展している所もあるが奴らは後で正座決定だ。優妃はうん、と頷き、


「……気になるなぁ」


 言って、腰を屈めていくつか食料と飲み物を手に取った。皆好き勝手するのは良いが、どうにも散らかっているし、明らかに中身の入っていないコップを連続イッキしている馬鹿も居る。手元が寂しくなっているものの所に酒やジュースなどを運んでやり、つまみを一人で占領馬鹿喰いしている大岸に説教入れて、ついでにスナック菓子を軽く口にする。皆の間を抜ける途中、見知った顔ぶれは細々とこちらに声を掛けてきた。それらの多くはこちらの武勲を湛えるもので、そして戦闘を抜けた身を心配してくれる気遣いの声音だ。気恥ずかしくあるが、傷持つ者も、疲労を滲ませる者も皆快い。胸の内にある熱気を吐き出すように、ほうと息を空に上げると、


「あれ優妃、何やってるの? ……あーそんな、戦場指揮の司令官様がつまみとドリンクのサーブなんてしちゃ駄目だよー?」


 聞こえた声に視線を返す。救護箱を片手にぶらさげた影は、かがり火の明かりを顔に受ける少女の姿だ。彼女は目を弓に、笑顔を見せると、


「大変だったでしょー? 優妃、今回八面六臂の大活躍! だったもんね。……跡が残る様な傷は無い?」


「大丈夫だ。大きな傷は無いし、まぁ、前衛職だからな。傷を避けることは出来ないさ」


「んもう。女の子なんだから、その辺は気を付けてね?」


 分かっているさ、と呟くが、どうしても口元に浮かぶものを抑えきれない。湧き出るのは、苦い笑みだ。優妃は自分のことを余り女らしいとは思って居ない。口調も、戦闘力もしかりだ。男に声を掛けられることもそうはない。しかし、隙あらば人を着せ替え人形にしようとする友人の前で、そんな言葉を零す訳にもいかなかった。言ったが最後、おそらく更衣室に引っ張り込まれて着せ替えショー兼傷チェックの始まりだ。それは非常によろしくない。適当に言葉を濁して対応していると、優妃の脳裏にふと思い付くことがあった。少女に断りを入れて場を辞すると、踵を返して校舎の方へと歩んで行く。緩く風を押し割る様に進む体は普段より重いが、その分いつもより印象強く体の感触を感じることが出来る。それらは普段は気に留めぬ、頭を後ろへ引っ張られる様な髪の毛の重みや、きつく押し込められた胸元の窮屈さや、手足の力感だ。踏みしめた足裏には大地の感触があり、頬を撫でる風の流れもある。地面に跳ね返り、こちらを照らす月光もだ。優妃はふと視線を上げて、


「うわ、……」


 不意に風が吹き、前髪を揺らす。優妃は慌てて手で髪を押さえ、肩を竦める様に身を抱き締めた。抜けて行った風は冷たく、秋口の今にあって冬の匂いを含んだものだ。一度大きく身を震わせ、ジャケットの前を指先で留めながら見る先には、


「……掴めそうなくらい、大きいな」


 夜を照らす揺り返しの光がある。薄い雲の切れ間から姿を見せるのは、真円状に輝く銀色の星。満月だ。喧噪の中、一人で歩きながら思い浮かべるのはここに居ない少年のこと。より正確に言えば、彼がどこに居るか、ということだ。買い出しに行くまでは救護室で寝ていた筈だが、買い出しには思って居たより時間が掛かった。ひょっとするともう既に、祭りの中に溶け込んでいるのかもしれない。そして、少年が運ばれたベッド傍らには、彼を心配する夢が侍っていた筈だ。
 夢。儚げな人だと、優妃はそういう心証を持っている。ここに現れた時は何も分からず、そして何の力も持たない無防備な姿で震えていた。保護するのなら女性の方が良いだろうと、それに万が一のことも考えて女性の戦闘員を何人か連れて夢を出迎えたのは他でもない、優妃だ。初めて見た彼女は見覚えのある制服に身を包み、細い肢体で不安そうに瞳を歪め、白くなる程握りしめた両の拳を胸前に引きつけていた。彼女が敵では無いことはすぐに判明したが、彼女がこちらに馴染むまでは中々に時間が掛かった。その時は彼女の不安を溶かすので頭が一杯だったものだが、今ではそれが必要なことだったと分かる。


「ふふ」


 最初の一月は、知り合いの筈なのに自分のことを知らないと言う周囲に怯える彼女を宥めることに専念し。次の半月は色々なことを夢から聞き、推測を交えながら彼女のことを理解しようと努めた。ファンクラブにカメラで狙われて泣きそうになっているのを助けたり、一緒に料理を作ったり、菓子を片手に談笑したりだ。優妃は思う。そういうことを積み重ねて行く内に自分と彼女は友人になったのだと。夢は信頼に足る人物だ。控えめ過ぎるきらいはあるが、優しく、時折浮かべる笑みは女の自分でもはっとするほど透き通っている。意外に頑固な面もあるらしいことも分かった。いつの間にか互いに名前で呼び合う様になり、そして今に至っている。良いことだ。
 気付けば、まだ積極的に会話を交わす程では無いが、夢はこの世界の皆を受け入れている。そしてそうした姿勢も含めて、皆に受け入れられている。寮も同室だし、言うことは無い。しかし、彼女の言葉をそのまま信じれば、それまで考えていなかったことに辿り着く。

 ……異世界か。

 それも、今優妃が立っている世界と限り無く似通った世界だ。パラレルワールドと言った方が良いのだろうか、と優妃は考える。
 異世界の存在自体は、この世界に居るものにとってそう非現実的な話ではない。天使などもそうだが、この世界の他に、いくつかの別の世界が存在することは、既に事実として認識されている。ゲートは常に開いている訳ではないが、過去、数度以上に渡って他世界とこちらを繋ぐ門が現出したことがあるのだ。しかし、

 ……自らの同一存在が居る世界のことなどは、皆考えたことも無かっただろうしな。

 他世界の存在は、今の科学力でなら認識することが出来る。だが、どれだけ探索(サーチ)してもそんな世界の存在を発見することは出来なかった。似通った世界というものは、これまで一つたりとも発見されていない。それどころか、中には人間ではない者達で構成されている世界だってある。
 そういえば、と優妃は考えを継ぐ。彼女の話を聞けば聞く程に、こちらとあちらにある差異が際立つ。最も大きいのは、やはり他世界との繋がりだろうか。夢の居た世界では天使などは存在せず、マナなども全く発見されていないという。おおむね、平和な世界だと。歴史を聞いてみれば、こちらとあちらに違いが出たのはここ数十年のことであるらしい。知っている限り情報を突き合わせてみると、それは顕著になった。抜け落ちた歴史は、こちらの世界では密かに、そして大々的に行われた天使達の侵攻についてだ。数十年前から徐々に始まっており、そして混乱を避ける為に秘匿されていた攻勢は、数年前に世界中に顕現した。そう、世界を隔てる次元壁を破って彼らが現れてから、世界は一気に様変わりした。


「────」


 詳しいことは分からない。だが、彼女が本当に異世界から来ていることだけは飲み込むことが出来る。
 見上げた夜空。視界に映る月輪の大きさに、気付けば掌を差し出すように伸ばしている。足を止め、虚空に煌めく天満月(あまみつき)を見詰めていると、ふと唇に震えが来た。


「か──」


 ご、よ、と声が続いた。高音域の音節が響くのに合わせて、喉が伸び、更に背筋が伸びて、


「か──」


 ごよ、と音が続く。姿勢と喉の調子を整えながらの発声は、次第に、伸びやかで張りのあるものになり、


「──篭にとられし ひなつめは──」


 澄んだ音で安定して響いて行く。周囲、こちらに視線を向けるものがちらほらと目に入るが、優妃は、

 ……今は、良い。

 興味の視線を向けられることは、どうでも良いことだと瞳を閉じた。胸の奥に感じる漠然とした思いは、呼気に混ざって緩やかに歌に融け、遙かな月輪へと昇っていく。


「──訪うもの無くば 放たれぬ──」


 思いを声に出し、胸がすく様な感覚に身を委ねながら、優妃はゆっくりと体を揺らし始めた。歌詞は、思いが覚えている。リズムは体が覚えている。歌は心が覚えている。過去へと飛びそうになる自身を思って、優妃は閉じた目を弓に、音を上げる口の端を微かに緩ませた。淫蕩う様な音程は、掠れることなく空に奉じられていく。


「──()(たれ)時の 黄昏に──」


 思う。それはこの世界のことや、夢の居たという世界のことや、終わりの見えないこの争いのことであり、

 ……この世界に逃れてきた、他の世界達のことも。

 幸い敵対こそしていないが、彼らの全てと協力関係にある訳では無い。マナを使った構成式は、自分の居る世界ではまだ新しく未熟なものだが、他の六世界ではメジャーなものだ。戦闘技法に大きな隔たりがある故に、暫定的に、日本各地に扉を設け、狭いながらもしつらえられた居留地に滞在しているという彼らと、仮に戦闘になれば、こちらが勝てるという確実な保証など無い。こちらは未熟で、敵は強く、そして味方も判然としない。母などはより詳しいことを知っているのかもしれないが、それは聞かされなければ分からない事柄だ。未知と不知に囲まれている、ここは今、そんな世界だと優妃は思う。まるで行く道を知らぬ迷い子の様だと。
 どうにも出来ない現状を思い、溜息を零す様に言葉を続け、


「──(そら)と大地と すべりませ──」


 息を吸う。肺の中を涼しくしながら浮かべるのは、この歌のことだ。過去の思い出の中に、このわらべ歌を共に唄った少年が居る。十年という時が経っても、それが幼い時分のことであっても、未だに彼のことを覚えているのは感傷なのだろうか、と優妃は考えた。今、彼を思わせる少年がこの世界におり、それが心のどこか奥の方を掻き混ぜている。世界のことも、少年のことも、依然分からない今にあって、優妃はこれから先という時を掛けてそれらを理解出来たら良いな、と思っている。理解したい、と。


「──背中の向かいは 誰ならん──」


 歌詞の末尾を震わせ、溶け消えるように歌の響きを収める。肺の中に溜めた息を吐ききり、僅かに上がった呼吸で、は、と息を継いだ優妃は、耳に届く音に気付いた。それは、足下の砂を踏みしめる歩みの音だ。歪なリズムで近づいて来るそれは、優妃の背後、距離を取った所で止まり、そして次の音が届いて来る。一定のリズムで鳴らされる渇いた音。手と手を打ち合わせて鳴らす、小さな拍手の音だ。優妃は予感を感じて、ゆっくりと身を翻した。結った黒髪の流れを飾りとして、閉じていた瞼をそっと開く。開けた視界の中心には、


「──良い夜で、良い歌だ。俺はそう思うのだが、……君にとっては、どうなのだろうね? 優妃君」


 落ち着いた視線と、落ち着いた表情。しかし、かがり火に照らされて陰影を作る顔に、どこか泣き出しそうな色を浮かべている一人の少年が居る。


「もう、起き上がって平気なのか──三丈?」





 黒髪が闇の中を翻る様を目で追いながら、三丈は努めて小さく笑みを零した。辺りを見る。校庭の中央付近では、巨大なかがり火が焚かれており、そこを囲む様に延々と、今日、どこかで見た顔ぶれがそれぞれに騒ぎ歌っている。人々の集まりはまばらで統率が無く、しかしどれも陽気な雰囲気を含んだものだ。快い空気を敢えて肺に取り込むことで一拍を置いた三丈は、僅かに身じろぎをする。


「……ふむ」


 右足の裏をこじりつける様に重心の位置を調整する。左足を使う代わりに、左手に握った鈍器で鈍く砂の大地を押し込んだ。一度視線を落とし、抵抗することなく風に揺れている左ズボンの裾を見る。そこにあるべきものの姿は、無い。ただ、遠い過去に失った喪失の事実が横たわっているだけだ。だから三丈は、痛みや疲労ではなく無表情を選択し、


「……三丈、くん。だ、大丈夫……?」


 か細い声を上げて、こちらが持つ杖代わりに手を添えてきた少女に頷きを返した。平気だ、という意志を込めて振った視線は隣に立つ少女に正確に伝わった様で、僅かに安堵した気配を感じる。それでも鈍器から離されない少女の手に気遣いの念を思って、三丈は内心でもう一つ頷きを落とした。今、肩までの髪と赤茶けた黒の瞳を揺らす知り合いの少女は、自分の隣に立っている。三ヶ月前に、その消息を断った人物だ。そして、

 ……そして、俺が返答を返せなかった相手でもある。

 隣に居る少女に気付かれぬ様に、ほんの小さく溜息を零す。救護室で目覚めた時、こちらの顔を上から覗き込んでいたのは他ならぬ夢だ。枕元に置かれた洗面器と、そこに満たされた水、浸されたタオルを見れば、彼女がこちらの介抱をしていたのは間違いが無い。一言礼を言い、手をついてベッドから身を起こそうとした時に気付いたのは、左足の膝から下、そこにある筈の義足が外されていることだった。見回すと、ベッドサイドに破損した義足が立てかけられている。薄闇の中で見ても、明らかに使用に難がある程の損壊を受けているのが分かる程だ。もう、使い物にならないだろう。歩くには車椅子か松葉杖の様なものが居る。自分らしくもなく、随分無理をしたものだ、と苦笑を零してから身を起こし、体中にある痛みの度合いを確かめた。
 義足から手で接合部の感触を探り、戦闘を通して激しい運動をしてしまった為に熱を持ったそこを軽く撫でていると、夢は無言で冷やしたタオルを差し出してくれた。彼女はそのまま、こちらには何も聞かず、

 ……ただ無言で、こちらの世話を。

 幸い、直前の状況を思い出し、今の状況を確認するのには時間は掛からなかった。ただあのとき、自分は自分の身よりも優妃を守ろうとすることを選び、

 ……結果として、義足の破壊と打撲などの軽傷で済んだのは幸運だな。

 気絶という形であっても、短時間の休息を取った体はやや軽い。痛みを押して夢に向き直った三丈は、何か言うべき言葉を探し、


「……夢君」


「はい……」


 見つけることが出来ず、口を噤む。意志が足らなかったのか、それともまだ寝ぼけていたのか、それは分からない。ただ、三ヶ月ぶりに向き合った彼女に何を言うのが適切なのか、三丈には判断がつかなかった。だから、


「互いに、色々と話したいことはあるだろう。だが、今少し待って貰えるかね? ──実はまだ、現状を把握出来ているとは言い難くてね」


 言った言葉に、夢は初めて緊張に固めていた表情を緩めると、目元に滲んだ涙を拭い、俯き、


「それは……い、良いの。大丈夫、わたし、大丈夫だから……」


 その動作に合わせて息を吐く。肩を震わせ、おどおどとこちらを見上げた夢の視線に目を合わせた三丈は、小さく頷くと、


「もう三ヶ月も待たせていると言うのに、更に待ってくれなどとと言うとは……全く、女性の扱いがなっているとは言えない男だね、俺は。ただ──」


「な、何……?」


「──久しぶりだね。月並みな言葉だが、君にまた会えて、嬉しく思う」


「────っ」


 返答は無かった。代わりに、瞳に涙を浮かべた夢が、勢い良く顔を俯けることで頷きを作る。そんな遣り取りをした後に、外で馬鹿騒ぎが起こっていることに気付き、夢の肩を借りることで救護室の外へと出た。シャツの上に、詰め襟の上を羽織っただけの姿では、僅かに肌寒い空気が肌を撫でる。懸命な仕草でこちらに肩を貸している夢が、きちんと防寒様に薄手のジャケットを羽織っていることを確認した三丈は、寄りかかりそうになる体を抑えて、さりげなく右足に重心を移した。救護室の中には杖代わりになるものが無かったので、目についた鉄槌を杖代わりにすることで何とか一人で歩けるようにし、後は歌声に惹かれるままこの場所へとやって来たという訳だ。
 薄暗闇の中、一人満月に歌を奉じる優妃の姿は、三丈の目にはまるで、

 ……泣く様に歌う人だ。

 響いているのは、三丈にとって懐かしい歌。そして、二度と聞くことは無いだろうと思っていた歌だ。十年の昔、毎日の様に聞いていた音律と音程は、大人びた声色を伴って今に響いてきている。痛みか、後悔か。判別出来ない感情が渦巻くのを感じて、三丈は小さく眉を歪めた。隣に居る夢が戸惑うのを気配で感じて、無理矢理に感傷を飲み下し、無表情を貼り付ける。
 所詮は短いわらべ歌だ。過去を思う程の時もなく歌は終わり、優妃の背中を見詰める三丈は、拍手と言葉をもって彼女に賛辞を送った。
 そこまでを思い返して、三丈はゆっくりと片手を外に広げた。立っている為に杖を掴んでいるので左手は動かせないが、右手と胸を張る動きで視線を引き、


「ハハハ、勿論だとも。俺があの様な傷で倒れるとでも思うかね?」


「……いや、思うも何も倒れてただろうが。──鼻血吹いて白目剥いてたぞ?」


 どこか得意そうに言ってくる優妃に、三丈は首を傾げることで返答した。


「ハハハ何を言っているのかね。寝る寸前まで天井にしつらえた鏡にポーズを見せつける努力を怠らない俺が、まさか気絶する際に鼻血ブーで白目剥きなどと嘘はいけないね優妃君。良いかね? 人は訓練次第で、就寝後一定のサイクルでポーズを変えることが出来るのだよ。ここから、こう──こんな風に」


 おもむろにポーズをキメると、優妃は僅かに体を引いて、継いで身を折り、


「……うくっ!」


「更にこんな風に」


「……っ!」


「おやおやどうしたのかねそんなに肩を震わせて。気分でも悪いのかね? ──ハハハ、安心したまえ。俺直々に新式の心臓マッサージなど施せば大丈夫だとも」


「ぶ、ぶつぞ……っ、ふ、ふくくっ、……三丈っ?」


「それは歯を潰していない実戦仕様の大剣なのだが……」


 ぶたれると多分死ぬので三丈は黙った。見れば、優妃は非常に微妙な顔をしている。具体的には、何か無理矢理笑いを堪える様な顔だ。ふむ、この美しさが分からないのだろうか。念の為隣の夢にも視線を振るが、何故か彼女は顔を逸らして肩を震わせている。微かに笑い声の様なものも聞こえるが、きっと気のせいだろう。何にせよ、笑いという感情の発露は悪いことでは無い。そっぽ向いて数度深呼吸した優妃は、呆れた表情でこちらに向き直ると頭を掻き、


「何と言えば良いんだろうか……あぁ馬鹿か。お前馬鹿なんだな。うん馬鹿だ」


「ふむ……」


 指さされた三丈は、真っ直ぐに伸びる優妃の一差し指を見て、その延長線上を視線で辿ると、おもむろに身を横に引き、さらに視線を飛ばす。するとそこには半裸姿に赤い鬼面を被った大岸の姿があり、


「ぐあははは! 悪い子はいねがー! ……どうよ俺様の新物真似! 月曜八時の時間帯から大絶賛放映中の『渡る世間はなまはげばかり』だ! ──お、美沙。丁度良いとこ来たなぁ、よし、お前もちっとこのなまはげマスク被ってみねぇですかよ。良いか? 俺が赤なまはげで美沙がピンクなまはげだ。OK?」


 大岸に歩み寄った小山は、ニッコリ笑顔で拳を振り上げ、


「よし良いか、逃げるなよーすぐ終わるから。……どこをどう考えてもOKになんねぇだろうが。酒入ってっからってなまはげコスプレの要望とはどういう了見だテメェは!? ていうか馬鹿やる程飲むなって言ったよな!?」


「ぐお、な、何で殴るんだ美沙たん!? ちゃんと、女の子意識してピンクなまはげにだなぁ──」


「っ、……ぉ、んなの子扱いは、……テメェらニヤニヤすんな! 唐竹割んぞ!? っていうか問題は色じゃねぇしたん付けは地雷ワードだボケ岸がぁ──!」


 ふむ、と一つ頷いた三丈は体の向きを戻すと首を傾げ、


「奴らが馬鹿なのは今に始まったことでは無いと思うが……改めて言う程のことかね?」


「お前という奴は……」


 何故か項垂れた優妃に、歩み寄った三丈は肩を叩くことで慰めとする。何故か睨まれるが、きっと背後の大岸夫妻がやかましいのだろう。顔を傾け、横顔が映えるポーズで見詰め返すと、やはり何故か溜息を落とされる。と、優妃の視線が杖にしている鈍器にとまり、


「……お前それ、どこから持って来たんだ?」


「救護室の表に落ちていたので、拝借して来たのだが。まずかったかね?」


「いや、まぁ、問題ないと思う。……どうせ酔っぱらってその辺に放り出したんだろうしな、あの人……。というか、重くないのか? いや、何故持つことが出来てるんだ?」


「さて……どうしても何もあるものかね」


「いや……うーん」


 言い、改めて手の中にあるハンマーを見る。大分大ぶりなものだが、その分頑丈でそれほど重くも無い。現に、三丈は利き腕では無い方の片手で保持することが出来ている。感じる重みはそれなりのものだが、優妃が訝しげに尋ねる程の重量とは思えない。だから三丈は、軽くハンマーの握りを調整すると、横でこちらの会話を見上げていた夢にゆっくり預け、


「どうかね夢君。……見た目に反して大剣振り回している優妃君が言う程、この鉄槌は重いかね?」


「……? う、ううん。両手でなら、何とか……」


 対する夢の、不思議そうな声音に眉間の皺を深くした優妃は、半眼で三丈の方に手を突き出し、


「お前が私のことをどう思っているかはよぅく分かった。しかし今は、こっちの方が優先だ。……ちょっと貸して貰えるか? 夢」


「うん。ど、どぞー……」


「む……」


 両手で身長に鉄槌を掴んだ優妃は、一端腰を落としてから勢いを付ける。全身の力を使って一気にハンマーを持ち上げる動きだ。だが、


「……優妃ちゃん?」


「何を一人コントやっているのかね君は。あぁ、皆まで言わずとも良い。──良い尻だ。続けたまえ」


 地面に膝を落とした状態で尻を眺めている三丈に後ろ蹴りを叩き込んだ優妃は、持ち上げることの出来なかった鉄槌から手を離すと顔を上げた。


「貴様と言う奴は……! これは、ただ、単純に重いんだ……っ!」


 返って来る言葉には、嘘は感じられない。どころか、何とか鉄槌を持ち上げようとしていた優妃の額には薄く汗が浮いている。動作時に、微かにだが蒼白い燐光が舞ったのを捉えていた三丈は、彼女がマナを使った身体能力の強化まで行っていたことを再認識した。平素の優妃の腕力は分からないが、身体能力を強化した際の膂力は、今日一日で何度も見ている。その腕力が三丈のそれを上回っているのは確実だ。ならば、優妃が鉄槌を持ち上げることが出来ないのは何故か。
 考えに沈む前に、答えの方がやって来た。それは声で、鉄槌を自分の手に戻してくる優妃の動きだ。手の甲で汗を払った彼女は、


「それ……レティシアさん愛用のハンマーなんだ。元々は死蔵されてた一品でな。理由は単純で、重すぎて誰も持ち上げられないからで。レティシアさんだけは何故か持ち上げることが出来たから、それ以来『まぁレティシアさんだからな……良いやあの人専用武器で』といった具合で済まされてたものなんだが……」


 筋骨逞しい成人女性のことを思い出しているのだろう。形の良い顎に手を当て、考え込む仕草で鉄槌とこちらを見比べている優妃に、立ち上がった三丈は声を響かせる。右手で髪を掻き上げ、つまり、と言葉を置き、


「非力な俺と、更に非力な筈の夢君が、何故あの筋肉鎧にしか持ち上げることの出来なかったものを持ち上げることが出来たか、それが不思議だった訳だね? ──すわ、夢君が撲殺魔神怪力ャーのV2にでもなったのか、と」


「そ、そこまでは言わんが……まぁ、概ねそんな感じだな」


「しかし──何故だろうね」


 夢と優妃と顔を見合わせ、首を捻った三丈の肩に力強い掌が乗る。叩き方と力の強さに覚えがあったので無視していると、赤ら顔と酒臭い息を伴った大柄男の顔が現れた。ぎょっとした表情でたじろいでいる夢に気付かない大岸は、笑顔でこちらの肩を連打し、


「おいおいどうしたモヤシっ子。お前、ええ、ええと、何だっけか! 良いからヅラ被ろうぜ!?」


「ちわー大岸宅配便で──す。はい、地獄まで直輸送なー。……泣き真似すんな気持ち悪ぃだろ!」 


 笑顔の小山に連行されていく。背後で人体を殴打する様な音が響いて来たが、大したことでは無いので改めて無視した。薄目でちらりとそちらを見た夢は、涙目で、


「あ、あの、ね……何だか、ぐしゃっ、とか、ばきっ、とか……」


「夢君、無理して擬音語に直さなくとも良い。日本語表現的に可愛らしくなっても、ダメージは変わらないから安心したまえ」


「そ、そういうものなのかな……」


 そういうものだとも、と頷くと、夢は目を瞑って両手で耳を塞いだ。殴打音が収まるまでそうしておくつもりなのだろうか。ついでにしゃがみ込んでふるふる震えだしたのを見て、優妃は困ったような笑顔で冷や汗を流し、夢の正面に座り込む。優しい手つきで夢の背中を撫で、


「だ、大丈夫だぞあいつらなら。──ほらあれだ、やや人類としては過剰なスキンシップというか──」


「おいおい姫さん! 俺様の惨状が見えてねぐあっ、ぬおお、これが愛か!? ラブ・ローマズか!? よし来た美沙! 好きなだけ殴れ──!」


「……なんっか、そういうのはまた別のベクトルなんじゃねぇかと私は思うんだが……殴られるのが趣味みたいな言い方止めとけ。フォローのしようがねぇ。あぁそれと一応な、ラブロマンスだからな。ローマズってどこ読み間違えてんだお前。愛のローマは殴打系ってどういうバイオレンスロマンスだよ。──おい、どうした大岸痙攣してんぞー」


「──適宜無視して大部分省略するが、つまりはまぁ、ええと、……おい三丈! 何とかしろ!」


 必死の視線を受けた三丈は、掌を突き出して落ち着けというジェスチャーを送ると、詰め襟の懐にその手を差し込んだ。膝を折って屈み込み、


「良いかね夢君、今からおまじないの言葉を教えよう」


「おまじない……?」


「そうだとも。──見ざる言わざる聞かざる。日本語は素晴らしい言語だね?」


 胡乱(うろん)な優妃の視線が三丈を貫くが、夢が目を瞑って『見ざる言わざる聞かざる……』と繰り返し呟いているのを見て、視線を緩む。きちんと目を閉じていることを確認した三丈は、夢の耳と頭の辺りで素早く腕を動かすと、満足気にうむと呟いた。


「……何故懐から、アイマスクと耳栓が出て来るんだ?」


「ハハハ、安眠の為だとも。他に何があるのかね?」


「そういうことではなくて……」


「さて、疲れている所を申し訳ないが……少し、聞きたいことがあるのだが、良いだろうか」


 互いに、しゃがみ込んだ姿勢で顔を突き合わせる。今は何の色も浮かべていない三丈の顔を見た優妃は、眉を跳ね上げ、何かを言おうとして止め、


「……言ってみろ」


 言った。どこか憮然とした物言いに内心笑みが漏れるのを感じながら、三丈は近くに居たものに夢のことを頼む。一言二言交わして、夢が耳栓とアイマスクを外した時寂しくないよう、快く引き受けてくれた連中に会釈を送ると顔の向きを戻す。だが、立ち上がることで視線を落とした三丈は、陰影に表情を隠して小さく言う。


「今日、亡くなったもの達の居る所へ。──俺を案内してくれたまえ」


「何故だ」


 掠れた声だ。小さなそれは、周囲の喧噪に掻き消されてすぐに散って消えていく。三丈の視線の先、そこかしこで馬鹿騒ぎをしている連中の姿に陰は無い。なぜと返って来た疑問の声には応えずに、だが、と心の中でのみ三丈は言葉を繋げた。優妃の零した何故の言葉が、そういう意味を指す何故なのかは正確には分からない。何故墓所があると思ったのか、何故そこに行きたいと思うのか、色々な意味が込められているのだろう。そこには、三丈の知らない彼女の思いがあるのだろう。だが、三丈は敢えてその全てに答えようとは思わない。
 確証は無い。しかし、漠然とした予感はある。墓所とでも言うべき場所が、必ずこの基地のどこかにある筈だと。そして、

 ……この騒ぎには、亡きもの達を弔う意志も、含まれているのだろう……。

 巨大なかがり火も、陽気な騒ぎも。送るなら、せめて笑みで。そういうことなのだろうか。人の体は、天使達とは違って消えてなくなるものではない。挑み、しかし打ち破れたもの達を弔わず、そのままにしておく。自分の知る──少なくとも、自分の知って『いた』優妃や撫子、レティシアといった人物達が、それを許容するとは到底思えなかった。そして冷めた観点から言えば、死体を放置しておくのは余りにも不衛生だ。そうやって言葉と思考を心の中で並べていけば、漠然とした思いは形のある確信へと変わる。それは、言葉にすれば信頼とでも呼べる種類のものだが、声に出すのは気恥ずかしく、だから三丈は、


「今日一番の立役者達に、一言労いの言葉を掛けることを──まさか無粋だと言うまいね?」


 僅かに、口の端を吊り上げる笑みで言う。対する優妃は、暫くの間無言で三丈の横顔を見詰めると、吐きかけた溜息を飲み、


「今日だけの浅い付き合いだが……、今、お前の嫌な所と良い所が一つずつ分かった。──そうやって人を乗せるのが上手い所なんかは、実に嫌な所だな」


 だが、と眉を下げ、歯を見せない笑みが先に来る。続く言葉は、


「良い所はな? ──そんな風に、人を乗せるのが上手い所だよ。……着いて来い、どうしてもと言うのなら案内してやろう。この基地で、最も勇敢な眠り子達の寝所へ」


 三丈は大きく頷いた。勢いをつけて立ち上がった優妃が、しかし先へ進まずこちらの隣に来るのを見て、彼女に分からない位小さく目を伏せる。存在しない左足のせいで迷惑をかけていることもだが、彼女がごく自然な動作で、こちらを手助けしようと動いたことに懐かしさを刺激されたのだ。何故かそれを表に出したいと思わず、だから三丈は優妃の肩を二度ほど叩き、真剣な顔で、


「優妃君。今──君が酷くポエミーなことを言っていることに自覚はあるかね?」


「こ、こういう所で茶化すんじゃないっ!」


 赤く染まった頬と、体の芯に響く拳骨の痛み。喧噪の中に響いた撃音が、優妃の全力を物語っていた。










後書き
告知ー。ゆっくりペースで書いてきたこの作品ですが、第十話の投稿と同時にオリジナル板へと移ろうと思います。
ですので、チラ裏でこの作品が見つからなかった場合は、オリ板にて探して頂けると幸いです。




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