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[13777] パラダイムシフト、パラダイスロスト (異世界ファンタジー R-15)
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/11/30 07:47
前書き。

それほど強くないものの性的描写があります。
グロテスクな描写もあります。
コメディチックな要素はあまり無く、または無いに等しく、基本的に暗い話です。

以上を許容できる方のみご覧ください。




初稿2009年11月9日



[13777] 月と太陽
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2011/04/09 23:46
「人の栄光を纏いし"覇者"よ…………お前は何故、魔王なんていうものがいるんだと思う?」
「死の間際に、戯言か。意味などないだろう? 貴様らは我々をただ欲望のままにもてあそんでいるだけ。だからこそ、私は今ここにいる」
サウゼラが答えると、女は愉快気に頬を吊り上げ、哄笑する。
「そう、そうさ、私はお前達を虐げる。その理由を考えたことはあるか? そう聞いているんだ」

胴を薙いだというのに、その死は緩やかだった。
これが、魔王か。
殺戮者の首魁の死だというのにこの安らかな表情が不快だった。
美麗にすぎる顔の作り、濃密な存在感と魔力。
その全てが、彼女が魔王たらしめている。

「……欲望のままに力を振るい、我らの故郷を、友を、蹂躙した。その貴様が、それには理由があるのだと? 笑わせるな、頭の血が抜けたか魔王」
「理由があるのさ、本当はね。けど、どうしようか。あえて知らないままの方がいいかもしれないね」

くつくつと掠れた、しかし聞くものを惑わせる声で笑う。
それはただの美ではなく、魔性の美だった。
気を抜けば取り込まれてしまいそうな、そんな美しさ。
最後の悪足掻きで誘惑の魔術でもかけているのかと勘ぐるが、そうした魔力の乱れは無い。

「時間の無駄だ。私は、貴様とこれ以上話すことなど何も無い。まだ外では戦いが続いている。貴様の首を持てば、それも収まることだろう」
「ふふ、せっかちだねぇ。それじゃあ、一つだけ、死ぬ前に教えておいてあげる」

そういって私を嘲笑うようにしながら、言葉を紡ぐ。

「魔王は魔王になるべくして生まれるものではないんだ。みんなみんな後天的さ。もちろん、私も元人間。そして――――」

愉快そうに紡ぐ彼女の言葉を、ぼんやりと聞く。
彼女の胴を薙いだハルバードを担ぎ、続きを促した。
覇者の証たる覇者の剣は、既に形を失い塵となり、そのあるべき場所に戻った。
それは、魔王の死か、覇者の死を意味している。
どちらかがいなければ、誰にも持ち得ない、あれはそんな剣なのだ。
サウゼラは健在。
そして地に伏しているのは魔王。
一目で分かる状況を、それは裏付けしているようなものだった。

だから、世界最高の殺戮者の、最後の言葉くらいは聞いてやろうと、そんなことを思ってしまったのだろう。
気紛れか、それともただの興味だったのか。
それは、サウゼラ自身、未だにわからないことではあるが。














魔王を倒し、残党狩りを行い、平和になった。
そう、平和になったはず"だった"。

街の広場に入ると、聞こえたのは醜い悲鳴。
もはや、耳に慣れすぎた音で、それを聞くたびに、胸が軋む。

広場の中央ではトロールや蜥蜴人、つまり魔王に加担していた亜人達が魔術付与された枷を嵌められ、石をぶつけられていた。
時には木の棒で打たれていることもあったし、スコップで身体を抉られていることもあった。
恐らくはその内に過激化して、一時間もしないうちにそうした行為に移行するだろうことはわかりきっている。

亜人の中でも見目が人に近く、美しいものは性奴として売られ、後の亜人はこうした"遊び"や強制労働、又は研究材料や見世物に使われる。

彼らは既に商品、つまるところは物でしかなかった。
この光景を見て、いつも魔王のあの言葉を思い出す。

『人の栄光を纏いし"覇者"よ…………お前は何故、魔王なんていうものがいるんだと思う?』





平和が訪れた次に訪れたのは、権力争いだった。
一致団結していたはずの国々は、元魔王領のどこを取り、どういう権益を得るか。
誰が盟主となるのか。

そうした軋轢が、今度は人の間での戦を生んだ。

国はそうした不満を解消させるべく、こうした見世物を定期的に行い、解消する。
それを見て、行い楽しむものたちを見ると、酷く吐き気がした。
それを是とする施政者達にも嫌気が差した。

だから、サウゼラは早々と、そうした下らない争いから身を引き、野に下った。
元々は、覇者の剣を引き抜いただけの一般人のサウゼラに、居場所など無い。
戦乱の後の英雄など、ただの邪魔者なだけだ。

生まれは集落。
権力とは程遠い場所に生まれ、育ったのなら尚のこと。
そこに、未練も無かった。

魔王に生まれた場所のその全てを奪われ、そうして討伐者ギルドに入り、そうしてモンスターの討伐をしているうちに、覇者の剣の噂を聞いて聖剣の街に向かった。
たったそれだけの、今の時代では実にありふれた過程で偶々力を得て、そうして魔王退治に名乗りを上げただけの話だ。

土民の出の自分には、そんな王者の世界は似合わない。


そう思って、元の場所に戻ったサウゼラが見たのは、荒廃だった。
眼に映るものは、そう、荒廃だ。サウゼラはこれらの光景に、酷く幻滅していた。
結局のところ、立場が入れ替わっただけなのだ。玩具と幼児が摩り替わった、そうした光景が、これだ。

魔王を倒して、平和になったと、本当にいえるのか。
あれから五年、毎日のようにサウゼラはそれだけを考えていた。

世界から争いが消えたわけではない。
あちこちで不穏な空気が漂い、もう開戦の火蓋を切っている国もある。
表の奴隷市場の亜人達の中に、人の奴隷が混ざるのも、そう遠くはないだろう。

「…………何故、お前はいたんだ? 魔王よ」

思い浮かぶのは、嘲笑うような彼女の顔。
きっと、彼女は知っていたのだろう、こうなることを。
そして、サウゼラ自身が絶望することも。


物思いに耽っていると、ボロ布を纏った少女が必死な形相で駆けて、目の前で転ぶ。
それを複数の若者が囲んだ。
風体から見て奴隷商だろう。
だとすれば、今の少女は、奴隷か。
若者のうちの一人が、倒れた少女の腹を思いっきり踏みつけるのが見えた。
少女が声にならない声をあげて、うずくまろうとするのを、さらに力を込めて押さえつける

「ガキが。手間取らせやがって。見ろ、汗かいちまったじゃねぇか」
「ぐ…………ぇ…………」
「おい、なんとか言え!」

足を離すと、今度は顔面に蹴りを入れる。
今度は多少の加減はしていた。人に近い少女だから、きっと性奴なのだろう。
褐色の肌に銀の髪。
よくよく見ると、額に二本、小さな角が生えていた。
亜人の種類は多いが、基本的に性奴として使われるのは獣人、翼有人、森人、鬼人。
その分類から考えるまでも無いが、彼女は鬼人の類なのだろう。

「兄貴、顔は拙いんじゃないですか?」
「加減はしてるさ。後で治しゃいい。それよりもこいつ、この俺を噛みやがったんだ、ゆるさねぇ」

今度は鼻を押さえた少女の髪を掴みあげて、無理矢理に顔を上に向かせる。
鼻からはダラダラと鼻血を流していて、酷く痛々しい。
涙を流して怯えながら男を見ていた少女の目が、サウゼラを見る。
恐怖に怯えて、涙を流す少女。

―――そんなものを見るために、私は命を賭けたわけじゃない。

魔王を倒せば、そんなものを見ることもなくなると、そう思ったから、立ち上がったのだ。
パズルのようにバラバラになった死体や、怪物に強姦されて果てた年端もいかない幼子。
皆、苦痛と恐怖にその表情を歪めて死んでいた。

それを見るのが嫌で、そんな世界から抜け出そうと…………そう、そしてその結果が、これなのだろうか。
地獄から抜けた先には、楽園があると、そうサウゼラは思っていたのだ。
だから身を削って必死に戦って、しかし、そうまでして夢見た楽園は、今までとなんら変わらない地獄でしかない。

これならば、被害者であれた以前の方が―――

頭を振る。
そんなことを、思ってはならない。
それは、全てを壊す言葉だ。
拙い方向に向かった考えを振り切って、サウゼラは男達に近づく。

「おい、あんた奴隷商だろう?」
「ん?ああ、見ての通りそうだが。なんだ兄ちゃん?」
「"それ"、商品なのか?」

そう言った瞬間に、少女の顔に絶望が生まれた。
それを見て、サウゼラの胸が軋む。
しかし、顔には出さずに、努めて平静を装う。

「"これ"か? ああ、さっき逃げ出しちまってな、見てくれよこれ。噛まれたんだぜ?」

そういって歯形が残り、血が滲む手を見せてくる。
男の行動や仕草、その全てがサウゼラには不愉快でしかない。

「それは大変だな。丁度私も玩具が欲しかった所でな、それ、いくらだ?」
「へへ、兄ちゃんも好きだね。けど、これでいいのか?もっとマシなのはいくらでもいるぜ?」
「ああ、それでいい。帰り道に偶々見かけたから気紛れなんだが。あんたんところまで少しあるだろう?現品そのままでいい」

金は腐るほどある。
しかし、だからといって奴隷商人に渡すくらいならば、ドブに捨てた方がマシだとも思う。
その不愉快な行為を行わなければならないというだけで、酷く袋の中の貨幣が惜しく感じる。

「ブルム金貨で一つ、レオリエなら十ってとこだが」
「おいおい、そんだけ痛めつけてるんだ。八つでいいだろう?」
「ケッ、それが目的で見てたんじゃねぇだろうな、九」
「八つとブルムの銀貨で一、これ以上ならいらんぞ」
「しゃーねぇ、けど、本当に現品だからな。後で文句たれるなよ兄ちゃん」

肉体労働者の賃金で考えても、三月か四月。その程度の額だった。
それほど、ありふれた"商品"なのだろう。
両手の枷に付いた鎖を取ると、下衆が、と内心で呟きながら、絶望した少女の鎖を引いた。
こんな場所からは、すぐにでも去ってしまいたかった。











宿の親父が不快気な目線を少女に送りサウゼラを見る。
亜人なんかを連れてくるなということだろう。
しかしそれも、追加の代金を少し多めに渡してやれば、すぐに顔を和らげる。
誰も彼もが、卑しく醜悪で、全てが不愉快に見えた。
部屋を汚さないでくださいよ、という言葉が聞こえて、それもまた酷く不愉快だった。


お世辞にも綺麗とはいえない部屋に入ると扉を閉める。
その音に少女が肩を竦ませる。
成り行きで買ってしまったはいいが、酷く偽善じみたことをしているのは分かっている。
だが、見捨てては置けなかった。
私はきっと、意志が強くは無いのだろう。

「怯えるな。お前に欲情することも無ければ、危害を加える気も無い」
「っ…………」

身体を強張らせてこのボロイが広い、部屋の角へ逃げる。
少しでも離れたいのだろう。そういう世界に彼女が生きてきたという証でもある。
未だに鼻からは血が流れていて、ボロ布のような服に垂れていた。
匂いも酷い。その中に精液特有の匂いがあって、サウゼラは顔を顰める。
こんな幼い子に、することではない。
なるべく怯えさせないようにゆっくりと近づく。

少女は左手で鼻を押さえたまま、右手で身を守るようにその小さな身体を抱いていた。
彼女にはきっと、サウゼラも奴隷商の男も、同類のようにしか映っていないのだろう。
もちろんそういう会話をしたし、そういう名目で買い取ったのだが、そういう目で見られるのは心外だった。

手の内に術式を展開すると、治癒光を現出させる。
簡単な治癒魔術だったが、これを見てさらに少女は身体を強張らせる。
サウゼラはその様子に溜息を吐いて、もがき暴れようとする彼女の両手を一纏めにして押さえつけると、彼女の鼻の辺りから治療を始める。
それを目尻に涙まで浮かべていた少女は、眼を白黒とさせて呆ける。

サウゼラは覇者の剣を得る以前から、高名な討伐者だった。
その才は誰よりも高く、近接戦闘から攻勢魔術から治癒魔術に到るまで、その造詣は広く、深い。
巨人殺しや竜殺しとして名を馳せた、ギルド外にまでその名を轟かせた討伐者。
今代の魔王を倒せたのは、覇者の剣を引き抜いた者だからではなく、彼だからこその偉業だった。

覇者の剣は持ち手を失うたびに砂漠の都、デプウォルタに現れる。
今代の魔王が現れて、魔王に挑んだ覇者はサウゼラを含め八人に昇ったが、その内魔王殺しを成したのは、サウゼラだけだ。

多くのものは魔王討伐を果たした後に力を失ったが、元々が世界に名を残しうる英雄としての力と才能を持っていたサウゼラは、その覇者の力を失って尚、雲ってはいない。
打撲の治癒程度であれば、詠唱や魔道具による補助が無くてもその構成を練りあげ、現出させることができる。

単なる魔術放出によって、自身を痛めつける気だと思っていた少女は、それに困惑する。
痛みが引いていき、傷がいえる感覚。
気持ちの良い感覚とはいえないが、酷くそれは暖かく、落ち着く気がした。

そのまま服の上から見てわかる程度の外傷を治すと、今度はその内の治癒。
少女は自分の手や足といった場所の外傷が治癒されてはいるが、服に隠れた部分、腹部と内股の奥の痛みが和らいでいないことに気付き、怯える。
この男も、自分を"そういう"風に扱うのだろうか。
そのために、気分がよくなるよう、見栄えをよくするために、癒しているのか。

「すまないが、服を脱いでくれ。絶対神教徒じゃないが、さっきも言ったとおり、神に誓ってお前に酷いことはしない」

その様子を見たサウゼラは下らない冗談を、しかし悲しい顔をしながら言う。
酷く不愉快な気分だった。
こんな幼い子供に暴行を加え、無理矢理に交わる。
人はきっと、下を作らねば気がすまない生き物なのだろう。
サウゼラ自身とて、そうした感情がないわけでもない。
他の討伐者を見下したりもしたし、卑しい人間を薄汚いものとしてみている。

以前から、奴隷は勿論いたし、人や亜人が売り買いされるようになったのは遥か昔からずっと続いている。
しかし、最近は少なくとも、奴隷なんてものは大抵の国で禁止されてきていた。
人を物と見る、それは一体どうなのか、と。

あちこちの哲学者や宗教者が言ったのだろう。
少し前までは、そうした風潮もあり、奴隷制度なんていうものを取っている国は野蛮な未開人の国だと言われてきていたのだ。
今時、奴隷商売なんていうのは一部の帝国主義国家と、アンダーグラウンドだけ。
暗い者達だけが、恥を恥とも思わず、それを行う。
もちろん奴隷が奴隷という名前でなくなった、という程度の国もあるが、それでも奴隷は恥ずべきこととされた。
それこそに意味があるのだとサウゼラは思う。

だというのに今は、逆行しているのだ。
魔王を倒したあの日から。
亜人の自由を奪い殺すのも、甚振るのも、恥ずべきことではない。
そうした風潮が、今の世界にはある。

そんな世界こそが、恥ずべきことなのだ。
偽善だろうが、他人を傷つければ―――道理にもとる行為をすれば、皆が裁き、排斥する。
それが文明のあるべき姿なのではあるまいか。
理由に例外をつけて、免罪符を作って、欲望のままに振舞う。
それでは五年前まで世界を蹂躙していた魔王や、未だに世に蔓延る怪物たちと、なんら変わりはしないではないか。

『人の栄光を纏いし"覇者"よ…………お前は何故、魔王なんていうものがいるんだと思う?』

違う、と呟いた言葉に力は無く、音にもならずに口中で霧散した。

それを見た少女が訝しんだが、首を振って、服を脱ぐよう促す。
少し身を強張らせながらも少女は、諦めたように服を脱いだ。
脱ぐと、そこに現れたのはあちこちに残る暴行の痕。
打撲やミミズ腫れが目立って、陰鬱になる。

それを少し撫でると、彼女は身体をビクリとはさせたが、悲鳴をもらすことさえも無かった。
よほど酷いことをされてきたのだろう。

先ほどと同じ要領で傷を治していき、足を開かせて秘部を見る。
もはや完全に諦めているのか、顔を赤くしながらも彼女は何も言わなかった。
そこにも暴行の痕があったが、こちらは行為のたびに治癒はしているのか、それほど酷くはない。
ただ、治癒術者が手を抜いたのか、下手なのか、その傷全てが癒えているわけではない。

幾度この少女は無理矢理に身体を開かされたのだろう。
そんなことが、国、いや世界ぐるみで行われている。
絶望に、底はなかった。














身体を清めさせて、恐らくは縮んでいるだろう胃によさそうな野菜スープを食べさせると、ベッドを使わせる。
治癒は比較的高位な術式で、疲労は溜まる。
夜になったばかりだというのに、軽い疲労感を感じて、毛布を敷いて横になる。
そうして眠りにつこうとした時に、初めて少女の、悲鳴以外の声を聞いた。

「ねぇ、抱くんでしょう? それとも甚振るの? 折角綺麗にしたんだから、使えばいいじゃない。寝てから起こされるの嫌だから、できれば起きてる内がいいんだけど」
「…………私は私の腰ほどしかないガキに欲情するほど堕ちてはいないし、ガキを嬲って喜ぶ趣味もない」
「嘘よ、男色なの? だったら、じゃあなんでわたしを買ったのよ」
「さぁ、気まぐれじゃないか? 私にとってはお前を買うのもパンを買うのも、大した違いはないからな」
「パン扱い、よっぽどお金持ちなのね。ああ、もしかして男色ですらなくて、勃たないとか?」
「品がないやつだなお前は。私は大人の女しか相手にしないだけだ。嫌なら出て行けばいいだろう、鎖は外したんだ」

少女が黙る。
本当に、気まぐれなのかすら、分からなかった。
この少女を助けたところで、同じようなものはそれこそ星の数ほどいる。
だからといって、見てみぬそぶりが出来なかった。

要するに偽善なのだろう。
全てを救うつもりなどないのに、その場の気分でそれを決めた。
無駄なことだというのは分かっているのに、だ。
自分の行動にも苛立って、眼を瞑る。

「……行く場所なんて、あるわけないでしょ? 街に出れば石を投げられて、輪姦されたあとに殺されるのがオチだもの。ねぇ、そんな分かりきったこと聞いて、楽しい?」
「………………」
「ああ、もしかして、そういうのに興奮するの? いいよ、慣れてるし、痛いよりもいいもの。それでご飯が食べれるなら、いくらでも」

嘲るように、少女が言う。
狂ってる、と、そう思って、狂わせたのはこの世界なのだと、内心で反吐を吐く。

「飽きたら殺せばいいでしょう? 幸い親もあなたたちに殺されたし操も既になし。失うものなんてないから、別に怖くないわ。それにお兄さん、凄く強そうだもの、わたしなんかあっという間に―――」
「五月蝿いやつだ。一つ聞くが、そこまで言うならなんで、お前は逃げたんだ? 外に出ても死ぬのは分かっている。希望もない。ならなんでそんな無駄なことをした?」
「…………そ……れは」
「お前が私を縋ったから、気まぐれを起こしただけだ。お前にそこまで覚悟があるなら、潔く囚われていればよかったろう?」
「………………」
「半端に斜に構えたお子様はこれだから嫌いなんだ。誰だって痛いものは嫌だし、貶されて喜びやしない。稀にそうじゃないやつもいるが、それは置いといてな。お前はそれが嫌だから逃げて、縋って、ここにいるんだろう? わざわざ私を試さなくても、飯は食わせてやるし世話もしてやる。出て行きたいならいつでも好きな時に出て行けばいい。言えば路銀くらいは持たせてやるさ」
「…………なんで?」
「だから言っただろう、気まぐれだ。お前は今日のあの時間に逃げ出して、たまたま私という幸運を手にした、それだけのことだ。行きたい場所があるなら連れて行ってやるし、したいことがあれば程度によってはさせてやる。子供は子供らしく自堕落に生きろ。お前は、誰かに助けて欲しくて、だから逃げ出したんだろうが」

そういうと部屋が静かになって、暫くすると啜り泣く声が聞こえてくる。
こんな子供が世界中のいたるところで栽培されているのだ。
自然に生えるのではなく、栽培されて、生まれているのだ。

世界は、醜い、美しい。
欲望という色が世界に満ちていて、汚れた万華鏡のようにその姿を変える。
見ようによっては美しく、見ようによっては醜く映る。

魔王を殺して、配色を変えてしまいたかったのだ。
世界が醜く見えていた。それを変えようと思ったのに、だというのに世界はもっと醜くなった。
自分だけにそう見えているのだろうか。
他の人間が見れば、違ったように見えるのだろうか。




いつでも幸福の椅子は限られている。
いつでも、そこに座れないものはいる。
それを少しでも少なくしたいと、そう思った。
魔王を輪から外してしまえば、椅子が空くと思ったのだ。
その分多くの者が椅子に座ることが出来るだろう。
そう思って、次の回が始まれば、今度は何故か椅子に座る者に偏りが出た。

前回までは人も亜人も、皆が満遍なく椅子に座れていたのに、今、ここに座っているのは人だけだった。
椅子は確かに空いたのに、これでは酷く不公平だ。

次は、何をどうすればいいのだろう。
何をすれば、満遍なく皆が椅子に座れるのだろう。
座れぬものは、仕方がない。
しかしこれでは、これでは、これでは。

皆が椅子に座れる世界なんて、ありはしない。
だからこそ、皆が正々堂々と、ルールを守って――――


いつの間にか、すすり泣きは寝息に変わっていて、外の喧騒も止んでいた。
そうしてそこで、いつもの女を見ることとなった。



[13777] 箱庭の楽園
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2009/11/29 23:13







幻想的な姿だった。
艶やかな、月の光が透けて、青く見える黒髪に、整った、少し幼めの顔立ち。
赤い鮮烈な衣をだらしなく羽織った和装の女。
人ではない、化生の類。精霊であるのかもしれない。
いずれにしても、酷く高位の存在であることだけは確かだった。
強大な力を持ち高位にあるものほど、幻想的で見るものを魅了する、そんな妖気を纏う。
歴戦の、覇者とまで成ったサウゼラすら、惑ってしまうほど蟲惑的な、妖気。

しかし、そんな妖気を纏い、そんな姿をしているというのに、恐ろしいほどに魔力が"虚ろ"だった。
それだけのものを、危険すら感じるほどに感じ取らせるのに、魔力の一切を彼女からは感じない。
どういう原理か完全に、術式もなく隠蔽された魔力、そして気付かれずにここまで忍び込む、その実力。
深淵を覗き込んでいるようだった。

そして、そんな女が"いつも"のような笑みを浮かべて言う。

「こんばんは、お久しぶりです。今日は一人じゃないんですね」
「失せろ、私は眠る。帰るがいい」
「酷いですね、純度百パーセントの善意なのに…………サウゼラさんは今、お悩みでしょう?」

見透かしたように女は言う。
姿も声も全てが美麗で、手を伸ばすことも憚られるような、"触れ得ざるもの"の気配。
この気配は、そう、魔王のそれに近かった。

「悩んでなどいない……悩むことなど、ない」
「あはは、嘘ですね。わたしは悩める子羊のところにしか行きませんから。悩んでいるそれはずばり、魔王を倒したのにどうして世界はこんななのか、でしょう?」

見透かしている。
そうとしか思えなかった。
その目は、こちらの深奥を覗くようで、眼を逸らす。

「平和になったじゃないですか、少なくとも"人間"は。好き勝手に暴れる小競り合いなんてまぁ、大根についてくる葉っぱみたいなものですよ」
「………………」
「まぁ、亜人は亜人で、その内蜂起して、どこかで国でも建てるでしょう? ――――それを、あなたが手助けしてやればいいじゃないですか。丁度、"連れ合い"が出来たことですし」
「…………お前は、私に何をさせたい。お前の目的はなんなんだ? 何故私に付き纏う?」
「ふふ、そうですね。わたしは今、凄く庭師が欲しいんです。折角のおうちを見つけたのに、お庭が枯れちゃったら不衛生でしょう?前の庭師は亡くなっちゃいましたから――――五年前に」

心臓が、掴まれた気がした。
愛用の竜牙のハルバードをゲートを開いて取り出すと、構える。

『理由があるのさ、本当はね。けど、どうしようか。あえて知らないままの方がいいかもしれないね』

こいつが、その元凶なのか。
魔力を展開し、術式描写の準備を行う。

「答えろ。お前は何を知っている? 先代魔王、やつはお前が仕立て上げたのか?」
「うん、そうだよ!っていったらどうします?」

カラカラと笑いながら女は言う。
その動作の一々が癇に障る。
さらには、彼女のその布の隙間から覗く肌に目が奪われて焦点が定まらない。
誘惑の魔術を掛けられている様で、抵抗するだけで酷く頭が痛くなる。

「決まっているだろう。全て喋れ、殺すか否か、それを聞いたあとに決めてやる」
「まぁ怖い。これだから男は嫌いです、狼さんですねみんな、まぁ女でも稀にいますけど」

疲れます、という風におどけた調子で言う女。
埒が明かない。すぐさま捕縛の術式を起動し現出させると、ノータイムで獲物を振るう。
胴が分かれたところで、すぐには死にはしないだろう。

そうサウゼラは考えて、行動に移したその刹那で、動きを止めた。
凡そ三メートルの距離が、間にはあったはずだった。

筋肉を動かした瞬間には既に、喉元に刀を突きつけられた。
結果的に見て、そうとしか思えなかった。動きが速い、などという次元の話ではない。
踏み込み、刀を抜き、喉元に突きつける、その過程の一切が見えなかったのだ。
捕縛の術式が女の後方で発動し、対象を見失ったそれが掻き消える。

「せっかちさん。高々数十年で、わたしに勝てる道理があるわけもなく。数百年後にまたどうぞ」
「…………っクソ!」

刀を紅布で巻かれた鞘に納めると、背中を向けてふらふらと離れていく。
じとりと背中に汗を掻く。
手も足も出ない、なんていう事態は、初めてだった。
魔王ですら、ここまでではない。

世界をあれほどまでに脅かした魔王すら、足元に及ばない存在。
これは、一体何の冗談なのか。

「まぁそういきり立たないでくださいよ。害意はありませんから。わたしはあなたと立場が違います、思想も信念も、やりたいことも。ですけど、わたしのそれと、あなたに依頼しようとしている"お仕事"は、あなたの思想にも信念に反することでもないと思いますよ、きっと」
「………………」
「人は欲深い、いや、知性体が群を成せば、それが必然なのかもしれません。欲望のために進歩を目指し、いつしか進歩を欲するようになり、そうしていつしか、身を滅ぼす。わたしはそれを止めたいだけなんです、ってまぁ、根底はもっと俗っぽい理由なんですけどね」
「それはいい。だが、それと、私に何の関係がある?」
「あはは、分かってるくせに。そんなこといいます?最小の損失で最大の効果を、基本ですよね」

身に纏った雲柄の紅をバタバタと振りながら、笑顔で続ける。

「調和と安定、偏りすぎず、そして揺れを定期的に起こして小さくする。生憎わたし達は"移住"してきた組なので、この世界の理には入れないんです。わたし達が魔王になれれば話は早いんですけれど、生憎、魔王って言うのはこの世界にあるそういう"システム"ですから…………獣全てを統べる、ね」
「…………調和と、安定」
「悩んでいるのは、そこでしょう?」

深淵のような黒い瞳に、鮮やかな朱が重なって映る。それは、その存在が魔性の者である証だ。
聞くな、すぐにでも、追い返すべきだ。そう、すぐにでも。
女の目は、笑顔を浮かべながらもしっかりとサウゼラを射抜いていた。
胸が鷲掴みにされるようで、息が苦しくなる。
そう、調和と、安定、それが、今の世界には欠けている。
彼女は、本当のことを言っている。

「"彼女"はまぁ、今代の覇者である貴方が強すぎたのも理由の一つですけど、真面目すぎて、このお仕事に疲れてたようでしたから。最後の揺れを"強くした"のはわざとなのかもしれませんね。最後、どんな顔してました?」

殺戮者の首魁の表情は、酷く安らかだった。
今から死ぬというのに、笑顔を浮かべて、満足そうな表情をしていた。

『魔王は魔王になるべくして生まれるものではないんだ。みんなみんな、後天的さ。もちろん、私も元人間。そして―――』

それを告げた時の彼女の表情は、酷く愉快気だった。

「無理強いはしませんよ。別に急いでるわけでもないですから。ただ、わたしは貴方が適任だと、そう思ったから来てるだけです。答えが決まったら、いつでもどうぞ。詳しい話は次の機会にでもしましょうか」

女が中空に円を描くと、瞬時に黒いゲートが開かれる。
欠伸をしながら手を振ると、そこに足を踏み入れて、ゲートと共に消えていった。

物質を収納し、取り出す空間魔術とはレベルが違う。
知性体の空間転移なんていう馬鹿げた魔術を詠唱もなく行うなんていう芸当は、高名なクライストの大魔導でも、アーティファクトでもなければ不可能だ。
彼女はサウゼラの知る全てを凌駕している。
その能力も、そしてその話の内容も。

「適任であるはずがない…………私は、その魔王を殺した男だぞ」

魔王の最後の言葉が浮かんで消えた。
聞き流したその現実感のなかったはずのその言葉が、肉を得て、熱を持ち始めていた。
そんなわけがない。
そう思えども、サウゼラは彼女の言わんとするところを、確かに、理解していた。

そのまま毛布に倒れこむ。
変な時間に起こされたせいで、そのせいでこんな妙なことを考えてしまっているのだ。
幸い彼女の"おかげ"で頭は酩酊したように胡乱で、そのままゆっくり眼を閉じる。

考えるべきではない。
そうその言葉達を箱の中に閉じ込めて、眠りについた。











朝、目が覚めると既に少女は起きていた。
ただ、彼女も彼女で眼を擦っているところを見ると、先ほど起きたところであるらしい。
目は泣いたせいか、少し充血して、瞼が腫れていた。

「おはよう」
「…………おはよう」

欠伸をして頭を掻くと、伸びをする。
この娘を買ってしまったのだ。
ならば最後までは、面倒を見る責任がある。
サウゼラはそう、旅の行き先について思案をする。

凡そ殆どの国に、彼女らの居場所はなかった。
奴隷制度を忌むべきもの、とするこの国のその国家思想は、すでに形骸と化している。
昨晩彼女がぼやいたように、ここで離せば一日と持たず、死ぬだろう。
とはいえ、そんな国に、心当たりもない。

大きな円の北西と北東に、少し小さめの、突起付きの円をくっつけたような、二首の瓢箪のような形を世界はしていた。
魔王は北西より現れて、大陸の中心円、その半分以上を一時制圧していた魔群。
ここは中心より北西よりで、だからこそ、こうした差別が酷いのかもしれない。
東の端のあたりであれば、もしかすれば―――

「…………どうするの?」
「とりあえずここを離れる。お前を買ったんだ、責任は取る。東に行けば、恐らく差別が比較的少ない国もあるだろう」
「嘘。だって魔王は―――」
「嘘じゃないさ、魔群の最盛期でも精々世界の半分。残り半分のその端まで行けば、共存してる場所だって、きっとあるだろう」

魔王に蹂躙されておらず、蹂躙された国から数国挟んだ場所であれば、亜人を憎むものもそういないだろう。
姿形で排斥されるのは、人の性、それの無い国なんていうのはありえなくても、その程度であればまだいい。

『まぁ、亜人は亜人で、その内蜂起して、どこかで国でも建てるでしょう?――――それを、あなたが手助けしてやればいいじゃないですか。丁度、"連れ合い"が出来たことですし』

あの女の言葉を反芻して、首を振る。
世界にはまだ、彼らの居場所があるはずだ。
この世界に彼らにとっての楽園はなくても、生きることが許される場所はきっとある。
きっと、そうきっとだ。
サウゼラは、そう考えて、思いたくて、あの女――朱音と言ったか――の言葉から耳を塞いだ。

「出るぞ、まずは服を買おう。そのボロは目立つし、角も隠さないといけない」
「………………うん」

悲しそうに自分の角を見て、少女が答える。
人も亜人も、精霊以外のすべては親から生まれ、育ち、ここに在るのに、どうしてここまで違うのだろうか。
見掛けは違う、気性も確かに、種族特有の差異がある。
しかしそんなものは個人個人でもままあることであるし、悪性の人間がいれば、善性の人間もある。
だというのに、その小さな差異や欠点を声高に指摘して、なじり排斥する。
気にしなければ、それで済む話ではないのか。

国は、自身の失策から眼を逸らすために、亜人を用意し、貶めた。
そして人も、自らの欠点から眼を逸らすために、他者の欠点を指摘し、排斥し、貶める。

それが人の総体なのか、とサウゼラは溜息を吐いた。








彼女が引き摺ってしまうくらいの自分のローブを被せて必要なものを買っていく。
怪訝そうな顔で店主は少女を一瞥するが、金払いがいいことが分かると、営業用の笑顔を浮かべて次々に商品を出した。
皆、生きることに必死なのだ。
それは、分かっているつもりだった。

隣で少女が、始めてみる笑顔を浮かべながら自分の服を摘んだり撫でたりしている。
角はそれほど大きくなかったので、深めの帽子を被ればすぐに目立たなくなり、その姿はただの褐色の少女となった。

「すごいふかふか。ねぇ、いいの? 凄く高かったよ?」
「お前とパンが変わらないんだ。それもパンと変わらん」
「………………本当に、凄いお金持ちなんだね」

そういって自分の服を撫でる作業に戻る。
魔王殺しでサウゼラに入ってきた金は、その気になれば小さな国一つ、即金で買い取れる。
何をしようとも思わなければ使いきることすらできないだろう。

覇者の剣を魔王の死と共に失ってから、ようやく止まっていたサウゼラの時が動き出した。
もう五十を過ぎるというのに、体は未だに二十の半ば。もう三十年は軽く生きることができるだろう。
しかしこれからの人生をどれだけ贅沢に生きたところで、その金を使いきる自信はなかった。
パンと少女が同じ、というのはあながち嘘なわけではないのだ。

「…………何で行くの?」
「行商人の馬車を乗り継ぐ。馬は疲れるしな」
「…………そう」

急に押し黙って、俯く。
何か悪いことを言っただろうか、と思ったが、どう考えても可笑しなことは言ってない。
門の傍では幾つかのキャラバンが止まっていて、その中でも手ごろな馬車を見つける。
キャラバンは荷物を運ぶ以外にも人の運搬も担っているのだ。

幌を張ってあるものであれば、快適だろう、そう思って声をかけようとすると、サウゼラは後ろから引っ張られた。
なんだと思って振り返ると、少女が顔を青ざめさせて、体を震えさせていた。
汗までかいていて、尋常な様子ではない。

「どうした?」

そう聞くが、少女はただ首を振る。
誰か、奴隷時代の知り合いでもいるのかと思ったが、ここにはそういう手合いもいない。
もう一度聞こうとすると、少女がようやく口を開く。

「馬車は、嫌なの…………」
「…………早く言え馬鹿」

サウゼラは頭を抱えて溜息を吐いた。








徒歩より速く、走るより少し遅い程度。
ゆったりとした速度で馬を歩かせる。
少女は当然馬に乗る、なんていう機会があるわけも無く、サウゼラの前に乗せられていた。

「…………何も聞かないの?」
「理由は大体わかるからな」

奴隷の輸送はもっぱら馬車だ。
丈夫な木製馬車に詰められて、運ばれる。
その時の記憶が傷になっているだろうことは、容易に想像できた。
もう少し気を使うべきだったかと、サウゼラは頭の回っていなかった自分を責めた。

「…………十人くらいで乗っててね、一人吐いたの」
「………………」
「そしたら、その子、凄く殴られて、暫く呻いて、蹲ってたんだけど…………その内凄い苦しみだして」

淡々と少女が語る。

「どうしたの、って隣の子が聞いても、お腹を押さえて、いたい、助けて、って言ってて。わたし、ドアの横だったんだけど、見てみぬふりしてたんだ、わたし、怖くて、呼んだらわたしがぶたれるような気がして」
「もういい」
「次に止まった時、男がそれを見て、わたしに捨てろって言ったの。凄い苦しんでるその子を見て、わたし、ぶたれるの、嫌だったから―――」
「もういい、分かったから黙れ」

肩を震わせて、眼を擦りながら泣いていた。
なんともいえない気分になって、頭を抱える。
何でこんな子供が、そんな目に遭うのだろう。
そんなことが世界中で堂々と、何の恥じらいもなく行われているのだ。

「………………その子、わたしを呻きながら見てて、未だに、その子が見てるような気がして、わたし……っ」

後ろから手を廻して抱き寄せて、頭を帽子の上から撫でてやる。
溜息を吐いて言葉を紡ぐ。

「忘れろ。お前はもう奴隷じゃない。いい服を着て愉快に暮らせ。死人はお前を見れないし、恨めない。お前は全部忘れて、幸せになればいい。そのために手くらいは貸してやる」
「っ…………ひっ…………ぅ……」

少女がこっちにもたれかかってくる。
それを強く抱きしめて、頭を撫で続けた。

空は青く、一面には草原が広がり、一本の道が続く。
すれ違う旅人が怪訝な顔をしていくが、それを無視して先を進む。

暫くすると泣き止んで、そのまま腕の中で眠りについた。
まさか、起きるまでこのままなのかと少し辟易しながらも、体勢を少しずらして、手綱を握る。

こんな娘のような者が少しでも、少なくなればいいのに。
そうぼんやりと、考えた。



[13777] 小さな反抗
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2009/11/20 11:33







「…………おいしい」
「だろう。まぁ鍋の中に放り込んだだけなんだがな」

塩漬け肉から出汁をを利用した鍋を食って、少女が言う。
少し濃すぎる肉がマイルドになり、丁度いいくらいに鍋に味がつく。
食い続ければ飽きるが、香辛料が必要にならないこの料理はサウゼラにとっての旅路の友でもある。

隣の都市まで小さな村が四つ。
およそ三日の旅路だが、まぁその程度で飽きない程度にバリエーションを変えればいいだろう。
そんなことを考えていると、少女が喋りかけてきた。

「ねぇ、あなたの名前、なんていうの?」

失策だ、と思った。
既に二日共にいるというのに、サウゼラはこの少女の名前すら聞いていない。
つくづく気の利かない男だと自嘲すると、サウゼラだ、と告げる。

「サウゼラ…………サウゼラ。うん、格好いい名前ね。ファミリーネームとか、あるの? 凄く長い感じの」
「無い。生まれは多分お前とそう変わらない、土民だからな」
「へぇ、なのにそんなにお金持ちなの? 凄いね」
「…………偶々運が良かっただけさ、誇れるほどでもない。お前の名前はなんと言う?」

何故、ここまで裕福なのか、という理由を、なんとなく話すのは憚られた。
亜人への差別は、魔王が死んだ後、激化した。
もちろん以前から、魔王に組するものとして十分過ぎる差別を受けていたのではあるが、今いる奴隷の多くは、魔王の領土に住んでいた、というだけの被征服民だ。
戦中は亜人狩りを行う余裕も無かったのだ。

この少女の人生を台無しにしたのは、自分であるのかもしれない。
そう思うととても話す気になれなかった。

「ディアって呼ばれてたよ。本当の名前は…………もっと長かったんだけど、忘れちゃった」
「そう…………か。宜しく、ディア」

少し寂しそうな顔をした少女に手を伸ばす。
おずおずと少女が手を握り返した。
冷たいサウゼラの手とは違い、少女の手は酷く暖かい。

「手、凄く冷たいね」
「言うな、気にしているところだ。飯はもういいか?」
「うん、お腹一杯」

そういう割りに、ディアは殆ど手をつけていなかった。
スープ一杯と、パンを一切れ。
きっと胃が縮んでしまっているのだろう。
鍋に蓋をすると凍らせ、食器を浮かせて水で洗い、片付けていく。

「そんなこともできるんだ、サウゼラ」
「一通り魔術は嗜んでる。特に水や熱量操作なんていうのは、頻繁に使うからな、嫌でも慣れるさ」
「ふぅん、まだそんなにおじいさんでもないのに、すごいね」

見かけだけで言うならばまだ二十半ばなのだ、そう思うのも無理はない。
が、五十年も生きて、魔術を嗜むものであれば、旅をしていればこのくらいのことは嫌でもできるようになる。
その絶対数は少ないが、使えるものにはその程度のことなのだ。

土を盛り上げ固め窪みを作り、川から水を持ってきて、温度を上げる。
旅をしていた時に温泉というものを見てからは、川を見つければいつもこうして擬似温泉を作っていた。
それを興味深そうにディアが見つめる。

「何それ?」
「温泉って知ってるか?」
「ん、知らない。何するの?」
「これに浸かる。これは擬似温泉で川からもってきた水を暖めた代物だが、普通に水浴びをするよりも遥かに気持ちいい」

少し辺りは肌寒かったので、少し温度を上げ、調節する。
湯を触って具合を確かめると声をかける。

「入れ、この時期に水浴びは寒いだろう?」
「え…………と、わたしを茹でるの? いいよ、水浴びで。慣れてるし」
「誰が茹でるか。いいから入ってみろ、水浴びが嫌になるくらい気持ち良い。心配しなくてもお前の裸なんざ見ない」
「…………そんな心配してるんじゃないんだけど」

渋々と帽子を取ったのを見て、サウゼラは後ろを向いて、草の上に横になる。
思えば、誰かと旅をしたのは何年振りのことだろうか。
戦争が終わってから、ずっと一人で旅をしてきた。

最初はこんな後ろ向きな考えで旅をしていたわけではないのだ。
自分が成したこと、その結果を見たくて始めたのだ。
だというのに世界はよくなるどころか、悪化の一途を辿っている。
その現実を、この五年、嫌というほど見て、しかしこんな世界にも救いがあるということを、信じたかった。

少しなのだ、少し、皆が思いやりを持てば、欲望を抑制できれば、こんなことにはならないはずなのに、どうしてそれ

ができないのだろうか。

ばしゃりと背後から水音がして、ディアが小さな悲鳴をあげる。

「本当だ、これ、凄い気持ちいいよ」
「だろう?馬なんか慣れてないだろう、疲れを取っておけ」
「…………うん」

世界が進歩すれば、こんな争いもなくなるのだろうか。
いつか、人々が分かり合える時が来るのだろうか。
それとも、未来永劫、世界はこのままなのだろうか。

少し笑って、空を見上げる。
月が煌々と辺りを照らし、大気がマナで満ちていく。

「…………私がしたことは、間違っていたのだろうか」

そう呟いて、眼を閉じた。









目が覚めたときには既に空は白んでいて、毛布を上から被せられていた。
すぐ目の前には少女が同じ毛布の中で蹲って眠っていて、少し頭を撫でてやる。
眠ってしまった後に少女が掛けてくれたのだろう。
起こさないようにゆっくりと立ち上がって見渡す。今日も昨日に引き続いて快晴だった。

消えていた焚き火に火を付け直して、昨日の鍋を上に置く。
魔術でお湯を温めるのと、スープを温めるのは同じように見えて違う。
暖めることが出来ても少し狂うと肉がボロボロになってしまったりするのだ。
だから保存の際には魔術を使っても、食物の再加熱の際には魔術は使えない。
とはいえ、火打石で火を付けなければならない事を考えれば、魔術の利便性は高いのだ。
高望みしすぎかと欠伸をして、鍋をかき混ぜ、パンを切る。

「ん…………なにしてるの?」
「昨日の鍋を暖めている」
「なんで?まだ朝だよ?」
「私は日に三食、食べるんだ」
「…………貴族みたいだね」

煮立ってきたところで皿を用意し、よそっていく。
それをなにやらキラキラとした目で少女が見る。

「んふふ」
「どうした? 気持ち悪い声を出して」
「いや、朝食なんて初めてだから。贅沢だなぁって」
「国によっては農民でも三食が当たり前のところもある、別に贅沢というわけでもないさ」
「そうなの?」
「ああ、まぁ最も、そういう国は西には少ないがな。まぁ国の豊かさと、風習の問題だ」
「へぇ…………食べていい?」

頷くとスープから食べ始める。
小食だが、食い気がたっぷりあるところを見ると、昔は大喰らいだったのかもしれないと、少し笑う。

「東、ってどんなところ?」
「一概には言えないが、とりあえずまぁ、この辺りより温かい。過ごしやすくはあるだろうな」
「ふぅん、けど、凄い遠いんじゃないの?何年とか」
「次の都市にいけば転移門がある。そこからなら結構な距離を稼げるから、まぁ精々ニ、三ヶ月って所さ。」
「転移門?」
「空間転移の魔術式が刻まれた、巨大な門だ。馬でも半年はかかりそうな距離を一瞬で飛ぶ」
「そんなのがあるんだ?知らなかった」
「結構有名ではあるんだけどな。ガングフォートの転移門、って聞いたこと無いか?」
「ううん、知らない」

まぁ土地によってはそういうところもあるか、とそう考えた。
まして奴隷として過ごしていたのなら、そうした知識は無くても別におかしくは無い。
それよりもすぐ近くにこれがあったのは幸いだった。

古代のアーティファクトであるこれは、現在世界でガングフォートのものと、それに対となるフェリアラのものしか存在しない。
どこに行ってもあるようなものではないのだ。
魔術師の空間転移は、自分一人しか運べないのに対し、転移門は、魔術の素養の無い一般人を運ぶことを可能とする。
重宝される理由はそこだった。

「とりあえずまぁ、ガングフォートまで後いくらかある。昼まで休憩は取らないから、なるべく腹に詰め込んでおけ」
「うん、わかった」







鍋の中身を平らげ、片付けると、すぐに馬に乗って歩き始めた。
暫くは何事も無く終わったが、途中で憂鬱そうな行商人の馬車とすれ違う。
何かよさそうなものがないかと商品を見ていると、ディアを見た行商人が小さな声で話しかける。

「おいあんた、その娘、妹か何かか?」
「そんなところだ。それがどうかしたのか?」
「すぐそこ行ったところに村があるの、わかるか?」
「ああ」
「そこは悪いことはいわねぇから迂回しときな。そんな小せぇ娘連れて通るにゃよくない」

不快気に眉を寄せて男が言う。
その様子にサウゼラも眉を顰めて問い詰める。
すると男が嫌なもんをみたとばかりに溜息を吐いて答えた。

「隠れ住んでたらしい亜人の親子が広場でリンチにあってるところだ。全く、どいつもこいつも、亜人だからってあんな小せぇ娘に良くあそこまで出来るもんだ」
「…………そう、か」
「見せたかねぇだろ、そんなの。最近は何処もこんなで気が滅入る、頭がどうかしてるとしか思えねぇぜ」
「本当に…………な」

そんな光景をディアに見せたくはない。
今までこの世界の汚いところばかり見てきたのだ。
せめて、これからは、もっと綺麗なものを見ていって欲しいと思う。

「迂回路はあるのか?」
「少し行けば昔使ってた旧道が横から延びてる。足場は悪いが、馬なら大丈夫だろう」
「そうか、ありがとう、助かる」

幾つかパンを買って、少し大目に金を渡すと、向こうも礼を言って去っていく。
手を振って見送ると、馬に戻り、進みだす。
こんな光景が当たり前、そう、当たり前なのだ。
しかし、あの男のようにそれを不愉快に思うものもいる。
それが少しだけ救いだった。
ディアが前に座りながらいつもよりワントーン低い声で口を開く。

「何を話してたの?」
「近道があるらしくてな。それを使う」
「…………そう」

少し沈んだ声で彼女はそうぽつりと言う。
その様子を見て、理解して、溜息を吐く。
一つ、思い出す。この娘は人ではなく、亜人で、中でも鬼人だ。
鬼人は普通の人間よりも、身体能力が極めて高い。
筋力もそう、視力もそう、そして、聴覚も、だ。

「……聞いてたのか」
「ごめん、聞こえてたの」
「…………それじゃあ、聞いたとおりだ。迂回する。私はそんな光景を見たくないし、お前にも、見せたくない」
「わたしに、気を使わなくていいんだよ?」
「だから言っただろう、私はそんな光景を見たくない。気分が悪いからな」

そういうと彼女は押し黙る。
亜人へのリンチは凄惨を極める。
特にこの辺りは、魔群の被害が大きかった故に、尚酷い。
サウゼラが転移門を使って移動しようと考える理由の一つはそれだった。
この辺りではこうした光景が稀、という言葉で表現できないほどにある。

「ディア、悪いが、そうした光景はこの辺りでは日常茶飯事だ。国はこれを認めていて、仮に助ければ私が追われることになる。そして一つ助けたところで、焼け石に水なんだ。見て見ぬ振り以上のことを、求めないでくれ」
「うん…………わかってる。ごめんなさい」

後先考えずにいけるほど、子供ではなかった。
大人になるにつれ、現実を知り、道理を知るようになる。

本音のところで言えば、見てみぬ振りなど、あるまじきことだと思う。
そのまま止めようと思えば止めることは出来るのだ。
それをするだけの力もある。
それをするだけの道理もある。

しかし、それを行うということは、"世界の道理"に立ち向かうということなのだ。
サウゼラはそれを、是としなかった。
なにせ、その世界の道理に真っ向から歯向かっていたもの、魔王を殺したのはそのサウゼラなのだ。

それはその行為全てを否定することであり、その戦で死んだ全てのものを否定することだった。
精々、娘を一人助ける程度。
それが、サウゼラのできる、世界への、小さな反抗だったのだ。

「…………魔王が死んでから、ずっとこんなだ。わたしも友達もお母さんもお父さんも、全く関係なかったのに。亜人だって言うだけで、わたしの村は滅ぼされたの」
『魔王が現れてから、だ。あいつが現れてから、俺たちの村は化け物に遊び半分で滅ぼされた。サウゼラ、教えてくれよ?俺たちが一体何をしたっていうんだ?』

「覇者なんて、現れなきゃ良かったのに」
『魔王なんて、現れなきゃ良かったのに』

本当に、小さな、反抗だったのだ。
彼女を抱こうとした手が、慰めようとした手が、止まる。
自分に彼女を慰める資格が、あるのだろうか。

酷い吐き気がして、馬を止め、降り立つ。
それに気付いたディアが、振り返ってこちらを見る。

「ねぇ、どうしたの?顔が真っ青―――」
「ディア、言わなくてはいけないことがある」

びくりとして、ディアがゆっくりと馬から降りた。
それを見て、サウゼラは呼吸を整え、彼女に向いて告げる。

言わなくては、いけないことだと、そう思った。

避けてはならない。
確かに、サウゼラ自身にも理由があり、その時その世界の大義と道理がそこにあった。
しかし、その行動の結果がこの少女なのだ。
彼女の村を崩壊させたのは、兵士でも王でもなく、サウゼラ自身なのだ。
だからこそ、避けるわけにはいかないのだ、この言葉を。


「私が、魔王を殺した、今代の覇者なのだ」


少女が眼を見開いて、凍りついたようにこちらを見る。
ドラゴンにも真っ向から立ち向かったというのに、その彼女の目が怖くなった。
許されるのなら、逃げ出してしまいたい。
それを堪えて、逸らさずに彼女だけを見る。

「………………嘘」
「嘘ではない。今代の魔王を倒すべく、兵を率い、そして滅ぼしたのは…………他でもない、私なんだ」
「…………嘘よ」
「嘘では…………ない」

少女が膝から崩れ落ちて、その瞳から涙が零れる。
そんな顔を見たくない。
泣いてる姿も悲しい姿も見たくは無い。
だというのに、それを作り上げたのは自分自身なのだ。
掛ける言葉すら、見当たらなかった。


今日は快晴だった。
空気は少し肌寒いぐらいだ。
だというのに日光がじりじりとサウゼラを焦がすようで、嗚咽の音は、胸の内を矢となって貫いた。

…………私は、こんなものを見たかったわけでは、ないのに。

そんな言葉もまた、音にすらなることもなく、消えていった。



[13777] ラッキーストライク
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2009/11/20 11:34





彼女は泣いた後、後ろを向いた。
それを、サウゼラは無言で眺める。
暫く無言の時間が続き、ようやく彼女がサウゼラに問うた。

「……ねぇ、どうして、魔王を殺したの?」
「私の故郷の村は魔群に襲われ、滅んだ。言うなれば復讐だ。私は故郷を滅ぼした化け物共が憎かったし、魔王を恨んでいた。討伐ギルドに入って、その内に覇者の剣の噂を聞き覇者になった……それだけの話だ」

あの頃は、ただ、魔王が憎かった。
その手下の化け物を殺すことに明け暮れ、そうして覇者の剣を得た時には、魔王を殺せる、という事実だけを喜んでいた。
周りからの期待もあった。世界を救うという高揚感もあったし、優越感もあった。
誰にもなしえないことを、自分自身だけが、できるのだ、と。

まさか、その結果にこんな世界になるだなんていうことは、考えもせず。

「世界をこれで救えるのだと、そう思っていた。増長していたといえばそうだろうし、自己陶酔に陥っていたといえばそうだろう。人々を残虐に弄ぶ残虐な化け物どもの長を殺し、皆が平穏に暮らせる世界を取り戻す。結果的に見れば、以前と何も変わらないというのに、な」
「………………」
「魔王を打ち倒し、凱旋したものの、居心地の悪さに下野して諸国を回ってみれば、今度は人が世界を蹂躙している。"残虐な化け物"が行っていた行為を、今度は人が、亜人に対し行っていた。五年間、歩き回って分かったことは、我々が単に被害者から加害者に替わっただけだということ。お前の"故郷を滅ぼした化け物共"は、私が創り上げたといっても過言ではないだろうな」

彼女は後ろを向いて俯いたまま、サウゼラの独白を聞いていた。
知らなかった、などという言葉で済むはずが無い。
この娘の経歴はそれほどまでに過酷であるし、同じような子供達も、それこそ亜人の数だけいることだろう。

「…………あなたは、後悔しているの?」
「……わからない。私は、人だ。同族である"人間"は確かに、平穏に暮らしているのだ。魔王から開放されて、な。世界は良くなった、これからは平穏に暮らしていこう、皆がそう思えれば、私もそんな曖昧な答えを返さずに済んだのに、今度は人が自ら魔群へならんとしているのだ、それでいいはずがない。今までは、魔群以外の全てのものが等しく被害者であったのに、人は自分たちが加害者に回ることで、亜人にそれを全て押し付けようとしているだけなのだ。魔群がいない今、この世界の支配者は、紛れもなく人間なのだから」

人は、集団は、貪欲だ。
力を持てば、それに伴うように欲望も大きくなっていく。
幸福の椅子を他者に譲ることなく、その力を躊躇なく振るい、独占したのが今の世界だ。
こうならない道は無かったのか、魔王を殺す、それ以外に、選択は無かったのだろうか。
サウゼラは、自身が憎悪で盲になっていたのかもしれない、と考えた。

後悔しているのか、といわれれば確かにサウゼラは魔王を殺したことを後悔していると言えるだろう。
しかし、ならば魔王を殺さなければ良かったかと言われれば、その道を選んだとしても、それでもきっと後悔していたのだ。
どうすれば後悔しなかったのか、それが、わからない。

「…………わたしは、あなたのことが救世主に見えたわ」
「ディア…………」
「暗い水の底から引っ張り上げてくれて、わたしを助けてくれた。凄く嬉しかったのよ、本当に」

少し間を空けて、ディアが続ける。
酷く震えた声だった。

「だけど…………わたしが水底に沈んだ理由も、元を正せば、あなたにあった。凄く苦しかったの、本当に、命を絶ってしまいたいくらいに。わたしは、凄くあなたが憎いわ、殺したいくらい憎いの、でも、あなたに悪気が無かった、だなんて言われたら、わたしは一体誰を恨んだらいいの?」
「………………」
「高々二日だけど、あなたが凄く誠実だってことくらい、わかるもの。皆を殺して捕らえて売った兵士達、指示した議会や国王、片やその要因を作ってしまっただけのあなた。誰が悪いだなんて赤子でも分かるわ、けど、それでも、わたしは…………っ」
「……すまない」
「謝らないで! やっと助けがきたと思ったのに、救われたと思ったのに、手放しで喜べないの…………あなたが悪いわけじゃない、そんなことは分かってる、分かってるのよ……だけど…………っ」

今度こそ後ろから身体を抱き寄せる。
酷く細い、小さな体だった。

どうすれば、上手く行ったのだろうかと、サウゼラは思う。
殺さずに、平和協定でも結べばよかったのか。
放置していればよかったのか。
被害だけを減らすべく、奔走すればよかったのか。

とはいえ、覇者の剣を引き抜いた時点で、殺す以外の選択肢など、自分が命を絶つくらいしかない。
軍を率い、敵に立ち向かう時、感じるのだ。
背後からの凄まじい憎悪の念を。
そして、期待という名の、脅迫を。

背けば、人から殺される。
手を抜けば、化け物に殺される。
生き残る道は、殺しつくす以外に無かった、そう、言ってしまえば、そうなのだろう。

だが、それによってどれほどの者が苦しむことになったか。
どれほどの平穏が崩れたか。
そして、それはきっと、サウゼラ自身が背負うべき罪なのだ。

もしも、は世界に存在しない。
どうすればよかったか、その名案を思いついたところで、実行に移すには遅すぎた。

だからただ、ありのままこの罪を認め、背負う。
その生の、全てを賭けて。











手綱を引いて、村を避けて旧道へ入る。
ここに来るまで一時間と少し、もはや親子は生きてはいまい。
もしくは、二目と見られない顔をしているか、腹が張るまで陵辱されているかどちらかだった。

いずれにしてもサウゼラの治癒は死者の蘇生や、欠損部位の再生なんていう真似は出来ない。
いったところで、何も出来ることはない。
仮に力で彼らを抑えて助けたとしても、親子にしてやれることは何一つ無い。
これが、元覇者の姿か、とサウゼラは自嘲する。


旧道は使われなくなって結構経つらしい。草がうっすらと生え、地面が少し荒れていた。
馬車ならば少し厳しいかもしれないが、馬ならば大した問題になることも無い。
空は依然快晴で、まだまだ日も高い。
この分ならばこの道を使ったとしても、予定通りの時間で次の村に着くだろう。

そうして暫く歩くと、廃墟群に差し掛かる。
燃えて、崩れた村の跡、おそらくは魔群に襲われたものだろう。
だとすれば、これが新道にある村の原型か。

溜息を吐く。
魔群に襲われたからといって、その復讐に亜人を殺す。
確かに亜人の多くは魔王に組した。
しかしだからといって、村の付近に隠れ住んでいただけの親子に何の罪がある。
そして、その行為が、自ら魔群を練り上げる行為なのだと、何故気付かないのか。
人は亜人を虐げ、亜人はその復讐に、魔王に組する。
少し冷静になれば、考えれば分かることだ。

「……旧道、ってなんだか悲しいね。この廃墟みたいで、死んでるみたいだわ」
「死んでいるのさ。誰も通らなくなった道も、村も。使われなくなったものは皆、そうして死んでいく」
「まだ、わたしたちが歩いているわ」
「…………今だけ命を吹き返しているのかも知れん」
「ふふ、なにそれ」

少女が少し肩を震わせて、笑う。
人も亜人も、大して変わることがあるわけでもない。
こうして笑う彼女を見ると、そう思う。

善人と悪人の比率も、きっとそうだ。
ただ、総数が増えるごとに比例して、悪人の数が増えると、声高に叫ぶ悪人が、善人を少しずつ黒に染める。
仮にそれが亜人であったとしても、そうなるだろう。

人が悪性の生物なのか、それとも状況がそうさせるのか。
そんなことは分かりきっている。

大きな町で、石を投げているのも甚振っているのも、暫くすれば一定数しか残らない。
そしてその一定数は変動もしないし、その顔ぶれが変わることも無い。
一部だけ、他者を甚振る快感に、骨の髄まで染まるような人間が、他を巻き込んで駄目にしていく。

多くの人間は、今を楽しく生きることさえ出来れば、その後のことはどうでもいいと、本心から思っている。
民衆然り、王然り。
そしてそれが、数十年、数百年後の魔王を生む。
下らない連鎖だ、とサウゼラは心底思った。

「ねぇ、サウゼラ」
「なんだ?」
「わたしは…………あなたを恨んでる」
「そうか」

自分はその歯車を廻しただけ。
英雄でも、救世主でもなんでもない。
ただ、それだけの人間なのだ。

「だけど、一緒にいて。わたしが、あなたを恨む要素がなくなるくらいに、わたしの今までが嘘になるくらいに」

しかし、それでも、一人の少女を救うくらい、彼女にとっての小さな救世主になるくらいは、きっと可能なはずなのだ。
何せ一時は、世界を救おうなどと、馬鹿げたことを思っていたのだから。

「……こう見えても、英雄と呼ばれているんだ。亜人のお子様、一人くらい、すぐさま飽きるくらいに幸せにしてやる」
「…………わたし、金貨を御伽噺に出てくるような大ホールに満たして泳ぐと過去のことを忘れるくらい幸せなの」
「すまん、無理だ」
「すぐさまって言ったのに即答じゃない。嘘つき」
「訂正する。そのうち飽きるくらいに幸せにしてやる」

くすくすと少女が笑って、サウゼラも少し笑う。
せめてこの少女の笑顔を絶やさぬように。
そのくらいなら、きっと可能だと思うのだ。

「うん、幸せにして。わたしは偶々、あなたという幸運を手にしたらしいから」

この小さな少女の、小さな笑顔を守るくらいは、きっと。



[13777] 外道の理
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2009/11/20 11:37





「痛ぇな、何しやがるんだ!?」

ディアに掴みかかろうとしていた男の腕を捻る。
酒を呑み過ぎたせいか、酷く息は臭い。
すこし顔を顰めてディアを見る。

「で、何があった?」
「いきなりそのおじさんがぶつかって来て、イチャモンつけて来たの」
「んだとこのガキ!? 俺が悪いって……ぐぇ……」

少し力を強めて黙らせる。
腕を捻っているとはいえ、立っているだけにしては酷く足元が危うい。
ディアの様子を見ても嘘を吐いている様子もない。

タダの酔っ払いか、と腕を放して転がす。

「おい、その娘は私のツレだ。こいつが何かしでかしたというなら話は別だが、状況を見て、どう考えてもお前の悪酔いだ。歯で物が噛めなくなる前に失せろ、呑んだくれ」
「あ?てめ…………ちっ、くそが」

サウゼラは男を軽く睨むと、男が少し怯えて少し足早に酒場を出て行った。
宿付き酒場では毎日見る光景、それを見てディアが少し不快気な顔をする。
それを見たサウゼラは溜息を付いて近くのテーブルに座った。

「どこの酒場もこんなものだ、慣れろ。これから飽きるほど見ることになるんだからな」
「…………飽きれるほど見たくない光景ね。いくらわたしが子供だからって、情けない」
「酔っ払いなんぞ皆そんなもんだ。それにお前が大人になったところで今度は尻でも触られるようになるだけ、まぁ何にせよ、一々腹を立てても仕方がないだろう」
「あなたもあなたよ。なんで置いてくのよ」
「まさか注文を頼む十数秒で絡まれるとは思わなかったからだ」
「…………わたしが悪いって言いたいの?」
「悪くは無いが…………まぁ、今後は気をつける」

とんだトラブルメーカーだ、と小さな声で呟いて、見渡す。
先ほどの騒ぎにも誰一人反応しない。
それくらいにこんな出来事が日常茶飯事に起きているのだ。
そこらへんも少しずつ覚えていってくれたらな、などと思っていると、突然横から手が伸びてきた。

「どうぞ、スープとパンです」

ふいに出されたそれに少し驚きながら、釣りを受け取って少女に食べるよう促す。
あまり汁気の無いスープの中にトロトロになった野菜と肉に、パサパサのパン。
どこの宿に行ってもあるような、日ごろからよく慣れ親しんだメニューだ。
まだ肉が入っているだけマシだろう。

スープを少し啜り、味を確かめると、パンを着けて食べていく。

「…………おいしい」
「どこの宿にも置いてあるようなものだがな。まぁ、塩漬け肉だけでダシを取ったスープよりかは美味いだろう」
「んー、あれはあれで好きなんだけど」

さっきまでの不機嫌さが嘘のように消えて、笑顔でパンを頬張る。
多分空腹で苛立っていたんだろう、と考えて、また溜息を吐く。

一つ目の村を迂回し、二つ目の村に付いた頃には日が落ちようとしていた。
こんな予定ではなかったのだが、やはり少し遠回りになってしまったらしい。

適当に人に聞いて、宿を聞くと、ここを紹介された。
一回は酒場で二回が宿、というオーソドックスなタイプの宿、周りにいるのはその半分が商人とその護衛。
泊まれるかどうか危うい所であったが、辛うじて物置小屋のような小さい部屋だったが借りることが出来たのは幸いだった。

やはり外で寝るより室内で寝る方が居心地が言いに決まっている。
昼に太陽な光を浴びながら眠るのと、夜に焚き火の近くで横になるのとでは全く違うのだ。
最近はこの辺りも冬に近づいて冷えてきていた。
なるべく野宿は避けておきたいところだった。

チラリ、と幸せそうな少女を見る。
ガングフォートまで行けば、大幅に距離は短縮できる。
だが、そこからどれほど進めば、楽園に辿りつけるのだろう?
もしも、そこにも彼女にとっての楽園が無かったならば、次はどうするのか。
見つかるまで、永遠に探し続けるのか、それとも―――

「サウゼラ?」
「ん、どうした?」
「いや、いつも難しい顔をしてるから、どうしたのかなって。何考えてるの?」
「ああ。転移門を抜けたあとのことを考えていた。どこから東に向かおうか、とな」
「そんなに沢山あるの?道」
「ああ。なるべく旅は楽に済ませたいだろう?この辺りのようにずっと平地であれば問題はないが、そういうわけには行かないからな、山があれば川もある」
「それはそうだけど…………山、山かぁ」

少し遠い眼をして彼女が言う。
鬼人の多くは山に住む。恐らくは彼女の村もそうだったのだろう。

それを見て、サウゼラも故郷のことを思い出す。
森の近くの狩猟と農作物で自給自足をしていた、どこにでもあるような平凡な村。
村はそれだけで完結していたため、外との交流はほとんど無く、たまに来る行商人の存在だけが唯一その小さな世界と外とを繋ぐ、生命線だった。
そんな、何処にでもそれこそ星の数ほどあるようなそんな村。
退屈はしたし、刺激も足りない。
しかしサウゼラはそういう生活が嫌いではなかったし、苦痛だとも思わなかった。

魔群が来ることが無ければ、あの村で未だに獣を狩っていただろう。

そう思って、少し郷愁の念が首をもたげるが、すぐに落ちる。
酷い昔の話だ。
取り返しが付かないくらい、昔の話。
すでに村が無ければ、生きているものもいない。
あの行商人ですら、寿命で死んでいてもおかしくない。
あの頃の自分を知っているものなどどこにもいない。
友は戦場で死に、戦いに明け暮れた三十年という月日が、緩やかに全てを奪っていった。

残ったスープを飲み終わって食事を終える。そこそこの満腹感を感じて、水を飲む。
丁度彼女も食べ終えたらしく、スプーンを置いたのを見て、声をかけると席を立つ。

…………思えばわたしも、根無し草というわけか。

そう呟いて、少し笑った。
居場所を求めているのは、もしかするとこの娘だけではないのかもしれないな、と。










「またお前か」
「毎度のことですけど、酷い挨拶ですね。それよりここ、どこです? いつもより、というか凄く狭いですけど」
「ここしか空いてなかったんだ。仕方ないだろう」

来て早々文句を言う輩に言われたくない、と思いつつもサウゼラが言葉を返す。
少女のベッドに腰掛けて、欠伸をしているこの女は何やら全てが不愉快だった。

「おい、それよりもだ。この前来てからまだ二日だぞ。まさかこれからずっとこんなペースで続くんじゃないんだろうな?」
「そんなわたしを暇人みたいに。来ませんよ。それにあなたが一言言ってくれれば万事解決だというのに、中々頷いてくれないから態々来てるんじゃないですか」
「言うだけならいってやるさ。しかし、そんなものになる気は無い。仮に、お前の言うように亜人の国を建てたとて、そこに魔王の力など必要ではない」

その言葉を言うと同時に、深淵のような、魔性の赤を宿す瞳がこちらを射抜く。
唐突に朱音の視線が険を帯びて、突き刺さり、心がざわつく。

「…………必要か否か、それは、あなたが決められることですか?」
「何を……」
「道理なき力が無能なように、力無き道理もまた然り。あなたがどれだけ高い理想を持ったとて、成し得る力が無ければただの画餅です。宗教者のようなことを言うんですね」
「私が、無力だと?」
「いいえ。もちろん才能、資質、どれをとっても現在この世界にあなたほどの力を持った人間は稀ですよ。あなた一人ならば国一つ相手取ったところで最悪逃げることくらいなら容易いでしょうね」

眠る少女を軽く撫でて、微笑みながら言う。
その姿は慈愛に満ちていて、今何も知らずにこの光景を見て、彼女が聖母だといわれたならば信じるだろう。
赤い女はそれほどまでに幻想をその身に取り入れていた。

「わたしは自分がこの世界の何を相手にしたとて、負けることはありえない、そう思ってます。仮にあなたが百人同時にかかって来たとて同じこと。しかし、それでもどうにもならないという事が、残念ながらこの世にはいくつも存在する。あなたは、そうは思いませんか?」
「…………」
「草むしりがどれだけ容易かろうが、一人では四方千里の草むしりなど終えることができるはずもなく。個体の力なんてそんなもの、仮に上に立ち、下々を率いる立場になるのであればなおのこと、だからこそ、得られる力は求めるべきではないのですか?」
「その力を得る代償に、失うものは多くある。それを容易くお前は言うが、お前にはお前の考えがあるように、私には私の考えがある。外道に手を染めてまで得るものではない」

魔王になるということは、殺戮者になるということだ。
是か否か、答えは決まっている。
その結論をあざ笑うように朱音が言う。

「外道、それは外道と……ふふ、一体それの何処が外道なんでしょう? 個人が、己の道理に基づいて力を振るい、行動する。それが世界の道理と違えたところでなんだというんです。"大多数の意思だけ"が尊重されれば、それが道理、それ以外は外道だとでも?」
「…………それは」
「世界にはありとあらゆる生物が存在しますが、その中の大多数にして最も力を持ったものは人間、そしてその大多数が望む世界の道理に基づいた世界が今のこの世界。ああ、なるほど、つまるところサウゼラ様はそう思ってらっしゃるのですね」
「違う、そんなことを言っているのではない。わたしは―――」
「わたしは、なんです?」

サウゼラの口が止まる。
朱音の視線は、射抜くように、溶け込むようにサウゼラの心の内に入り込む。
彼女と相対すると、酷く心が不安定になり、思うように言葉が紡げない。
紡げないのか、紡がないのか、それすらが、わからないほどに。

「あなたがどれほど強かろうが、この娘は容易く死ぬでしょう。呆気なく、無残に、幸福すら知れぬまま。何故なら彼女の存在は、あなたがいう世界の道理に反しているのですから」

何も言えなかった。
彼女はサウゼラの惑うところを寸分違わず暴きたて、顕在させる。

「それでも彼女一人ならどうにかなるかもしれません。その程度の無理を通す力が、あなたにはありますから。ですけど、それで限界。亜人の国を建てるということは、数百、数千、数万の亜人をその肩に背負うということです。そんな無茶が可能だとでも?」
「…………それが世界の道理だとは、限らない」
「いいえ、それが世界の道理です。自分すら騙せない嘘を吐き続けるのはオススメしませんね。それに…………本当は分かっているんでしょう?」

そういう朱音の顔は少し悲しげだった。
それを見て、サウゼラは眼を背けて、言う。

「…………私は、この世界にも彼女らが無事幸福に暮らせる世界があると、そう信じている。ここは魔群が蹂躙した地域だ。東に行けば、緩和される」
「エデンの東、というわけですか」

ぼんやりとそんなことを呟いて、言葉を切る。
ベッドから立ち上がると、埃を払い、辺りを見渡して彼女が続ける。

「…………さっきはふざけて言いましたけど、別に結論は急ぎません。その結果に、本心からあなたが魔王にならないというのであれば、わたしも二度は来ませんよ。ただ、惑いながら眼を逸らして結論を出すのは、今後は控えるべきですね。あなたの為にも、その子の為にもなりませんし」

指先で宙に円を描くと、転移術式を展開する。
帰るのだろう。この女との話は、酷く疲れる。
ようやく彼女から開放されることに安堵の溜息をつき、サウゼラも横になろうとしたところで、ふと彼女が動きが止めて、静かに告げる。

「……もしも、魔王にならないというのなら、その分その子を大切に。世界と少女だからといって、天秤にかけない理由も無いですから」
「待て、お前は何を―――」
「世界は変わりませんし、終わらせません。それがわたしの目的、わたしの道理です。ただ、庭の木はより多く花開いて欲しいですから、なるべくよい庭師を雇いたい、そんな簡単な話ですよ…………前に言った通りに、ね」

それではまた今度、そう言い残して彼女は消えた。
部屋の中にあった、強大な存在感が消失し、部屋に静寂が戻る。
彼女の消えた虚空を見て、サウゼラは一人呟いた。

「……私が惑っている、か」



[13777] 存在証明
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2009/11/22 17:44




『まさか、お前が覇者の剣を引き抜くとはな。ただでさえ強ぇのに、天は二物を与えると来た』
『馬鹿だな、私のように才に溢れたものだからこそ引き抜けたんだ。既に覇者は七度敗退している。剣も本気なのさ』
『カッ、気に食わねぇ。同じように育って、同じ村から出て、同じ時期に討伐者になったってのに、ったく、神がいるなら贔屓のしすぎだぜ。ちったぁそれを俺に廻しゃぁ、もっと世界をよくしてやれるってのに』

拗ねたように男が言う。
ガルド、サウゼラの親友だった男。
初めは故郷の村への魔群の襲来から。それからこの男と幾度もの死線を越えて、そうしてサウゼラはここまで来た。
身体強化以外の魔術を使わず、近接戦闘のみで競うならば、確実にこの男の方が勝つだろう。
しかし、覇者の剣は彼を選ばず、サウゼラを選んだ。

総合的な能力で言うならば、魔術とハルバードによる近接戦闘を両立できるサウゼラの方が確かに高い。
しかし、覇者の剣は仮にも剣だ。
この男の持つ卓越した剣技と、身に纏う覇気、それを考えればきっと彼の方が覇者に向いているとサウゼラは思う。
サウゼラは事実、この男が覇者の剣を引き抜くんじゃないだろうか、とそう思っていた。

覇者の剣とは、膨大な魔力を持ち手に与え、凄まじい切れ味を持つ長剣の名だ。
錆もせず、刃こぼれもせず、血糊も付かず、力を少し込めるだけで、厚い重盾をバターのように両断する。
しかしその真価はそこではない。
この剣には率いる者の無意識に干渉し、彼らの恐怖感を麻痺させ高揚状態にする力があるのだ。
狂気にも近いカリスマを持ち手に与え、巨人を前に、死をも恐れぬ軍勢を作り出す。
それの前にはいかな軍勢であろうと恐怖を覚え、敗退する。
その在り方は、呪物に近いとサウゼラは思う。

…………ああいや、だからこそか。
思えば、所有者の覇気など、それの前には紙切れも同然なのだろう。
だから、英雄としての適正を誰よりも持つ彼ではなく、純粋な力のみでサウゼラを選んだ。
そういうことなのかもしれない。

『しかし、覇者、覇者か。けどまぁ、英雄街道まっしぐらのお前が行き着くところとしては、妥当かもな』
『そうは言うが、お前もお前で東に行けば英雄だろう。お前が国を持ちたいと思えば、すぐにでも一国の王だ』
『まぁな。だが、俺にはそんな煌びやかなところより、こうした泥沼を這い回ってる方が性に合ってる。面従腹背の輩を相手にしてちゃ、命がいくらあっても足りねぇさ。俺は飯を食うのに毒が入ってるかどうかを気にしなきゃなんねぇ暮らしなんて真っ平だからな。食う頃には冷めちまう。しみったれた酒場で塩っ辛い腸詰をたらふく食って、酒を飲む。俺は、その程度で十分だ』

そう豪快に笑って、遠くを見つめる。
同感だ、とサウゼラも続いて、草の上に仰向けに転がる。
温かい日にこうして寝転がるのは酷く気持ちがいい。北西に行くに従って寒くなるはずだから、こうして寝ることが出来るのは今だけかもしれない。
そう思うと少し勿体無くなって、草の匂いを嗅ぐ。

『だけど、それすら許されねぇ時代が来てる。今回の魔群の侵攻は大きい。北の大帝国、ギルビアの首都ですら今は廃墟さ。だから、誰かが止めねぇとな』
『……そうだな』
『なぁサウゼラ、俺達ゃ、何のために生まれてきたんだろうな?』

ふいに真面目な口調になった友を後ろから見る。
生まれてから二十年の時を、この男と共に過ごしてきた。
だから、この男が唐突にそんなことを言い出す理由もなんとなく分かった。
きっと、この巌のような男でも、怖いのだろう、魔王が。
少し震える自分の手を見て少し笑う。
誰もが恐れた、大帝国ギルビアを僅か一月で壊滅させた、魔群。
そんな相手と、自分たちは戦わなければならないのだ。

『知るものか。まぁ、分かりそうな気はするが、あやふやだ。客観視すれば草が生える、獣が増える、そんな程度のことだろう、意味はなく、ただ、生まれる』
『カッ、面白みのねぇ答えだこと。そんな面白みのねぇお前に俺の考えを教えてやる。哲学者ガルド様はな、こう考えるんだ』

いつからお前は哲学者になったんだと溜息を吐いて、耳を澄ませる。
しかし、脳まで筋肉、食うものは女と肉と酒、と呼ばれたそんな獣のような男が、どんな言葉を吐くのか、少し興味がわいて無言で続きを促す。
それを正しく理解したガルドが、大仰な手振りを添えて言う。

『俺達はな、死ぬために生まれてきたんだ』
『…………阿呆、そのまんま言ってどうする』
『相変わらず失礼なことを言うやつだ。人の話は最後まで聞け…………つまりはだ、いかに幸福な生を送り、楽しみ、笑い、そして満足に死ねるか。それを求めるが故に俺達は生きているのだ』
『……ほぅ、珍しくまともなセリフをお前から聞いた気がするぞ。仕方ないから聞いてやる、続きを言わせてやるから、手短にな』
『へ、偉そうに言いやがって。何に快楽、悦楽を求めるか、それは人それぞれ。だが、根っこのとこは皆同じだ。幸福を求め、追求する。そしてそのために、生を続ける』

久しく見なかった真面目なこの男の話は、久々に聞いてみれば中々面白い、そうサウゼラは思う。
友とは言え、在り方も、信念も、思考も思想も何もかもが違う。
だからこそ、こうした哲学的な話は面白いのかもしれない。
人の数だけ、哲学はあるのだ。

『俺はなサウゼラ。英雄に憧れてた。お前もそうだったろう?』
『ああ、確かに。酷く昔の話だが』
『って、過去形は正しくねぇか。俺は今でも、だからな。学もなく武に生きる俺にとっては、その英雄としての有り方こそが追求すべき幸福の形なのさ。竜を倒すことでも巨人を倒すことでもねぇ、俺はそれでも、満たされちゃいねぇからな。だから、今も、それを探している』
『見つけれそうか?』
『……分からんな。だが、世界を魔王の魔の手から救った救世主、覇者の剣を持たぬ覇者ガルド、そんなところに落ち着くんじゃねぇか? …………いや、しかし案外、もっと小せぇものなのかも知れねぇな』

クツクツと笑ってそういったガルドは、少し眩しく見えた。
もしかすれば太陽の光が目に当たったのかもしれないし、何かが反射したからかもしれない。
ただ、少しだけ羨ましくなった。

『お前、お前はそういうの、無いのか?』
『…………どうだろうな、わからん。私は私達の故郷を襲ったあいつらの首魁が許せない、不幸な人間を見たくも無い、だから力がある私が起てば、何とかなるかもしれない。そう考えて行動してたら、今では私が覇者だという。益々魔王を倒さずにおれなくなって、こうして剣を取り、戦っている。お前のように深く考えはしなかったからな、そんな答え、すぐには出てこないさ』
『はん、偉そうに言ってたところで、てめぇも俺と同じ、いや、俺以下じゃねぇか。あいつらが聞いたら泣くぜ』

あいつらとは率いてきた部下達のことだろう。
覇者の剣を抜いたからといって、いきなり魔群を滅ぼせるわけも無い。
力が必要なのだ、今は。

『いやまぁ、けど、案外その全てがお前の在り方なのかも知れねぇな。許せない、見たくない、だからあれからこれを救ってやろう、傲慢だが、それも有りといえば有りか』
『有りなのか?』
『ああ、有りさ。別段大層なことでなくても、それに生きがいを見出して、満足できれば人は本望、そうだろ? 例えば一番小せぇので言えば女を幸せにしてやりてぇ、だから頑張るぜ、みたいなのも、馬鹿に見えても馬鹿にはできねぇだろ。本人が、真面目にそう思ってるんなら、俺はそれを、馬鹿にしねぇで応援するぜ、茶化しはするがな』
『くく、同じことだろう』
『まぁ何にせよ、今のお前は流されてるだけだからな。何かに生きがいを見つけねぇと早く老けるぜ。その点俺はいつまでも心に羽の生えた天使のような少年だ、永遠を生きる』
『…………お前みたいな天使が天国にいたら、私は地獄に自ら落ちるだろうな』
『んだとてめぇ―――』

いつものように、そこから殴りあいの喧嘩。
思う存分に殴り合って、横になって―――



そこで、眼を覚ました。
外はもう日が昇っていて、窓からこの薄暗い部屋に光が差し込む。
いささか寝すぎてしまったらしい。
軽い倦怠感があったが、頭は明瞭で、気分は悪くなかった。

『……分からんな。だが、世界を魔王の魔の手から救った救世主、覇者の剣を持たぬ覇者ガルド、そんなところに落ち着くんじゃねぇか? …………いや、しかし案外、もっと小せぇものなのかも知れねぇな』

そう言った男は、戦場に迷い込んだ孤児を守って、死んだ。
本当に、呆気ない最後だった。
千の、万の敵を切り裂いた英雄ガルドの最後にしては、本当に小さな、そんな死に方。
死体は酷く損壊していて、元の姿すら分からなかったが、愛用の剣を握ったままの手が、確かに彼であると証明していた。
孤児は何とか、逃げ延びたと聞いていた。

世界に名を残す英雄、それを目指していたあの男は志半ばで死んだのだろうか。
あるいは、それがあの男の、英雄としての在り方だったのか。
少なくとも、事実として、確かにあの少女にとっては、彼こそが命を救った英雄だったのだ。
なんとなく、あの男は、あの男の言う幸福を、達成できたのではないか、とそう思った。



いつまでも眠るディアを起こして、支度をさせて、外に出る。
何故か今は何よりも、太陽をその目に見たくなった。
きっとこんな夢を見たからだろう。
そしてだからこそか、不思議と今日の太陽は久々に気持ちが良かった。

太陽は昇り、道を照らしていた。
道は真っ直ぐと、地平線の彼方にまで延びている。
そこで、小さく呟いた。

「……私は、惑っていた」

―――ああ、確かにそうだ。口にすれば、簡単だった。確かに、確かに私はきっと、自分が何をしたくて、どうすればよかったのか、そしてこれからどうしたいのか。それすらも分からないで、生きてきたのだ。

彼女の言ってる事は確かだ、とそう納得する。
今まで、提示された目標に突き進み、至り、次へ向かい、それを繰り返す日々だった。
分かり易い敵がいて、分かり易い動機が有って、だからこそ惑うことなくただ、何かを求めれたのだとサウゼラは思う。

「…………転換期に、来たのかも知れんな」
「…………? 何か言った?」

独り言だと返して、頭を撫でる。
何かを目標と定め、行動する。あの男が、貫き通した信念のように。
そんなことも忘れて、自分は一体五年間も何をしていたのだと自嘲する。
五年の月日があれば、無名の討伐者が一流の討伐者になれる。
それを、自分はただ嘆いて暮らしていただけ、そう思うと酷く自分が滑稽に思えた。

何を目指すか。
決まっている、約束したこの少女に幸福を、だ。
楽園が、もしも東に無かったならば、国がいるなら興せばいい。
惑うことなどありはしないのだ。
偽善であろうがなんであろうが、己が信ずるもののために。

彼女の幸福が、彼女を満たすだけでは満ち足りないのであれば、その他全てを、強欲なまでに求めればいい。
それを成せる力はある、金もある。
サウゼラは彼女を救った。
そして今までのことを全て忘れてしまえるくらいに幸せにしてやると、豪語した。
道は一つ、横道はそこに存在しない。
ならば、迷うことも無い。

「なぁディア」
「ん、なぁに?」

約束した。
だからこそ、宣言する。

「私はお前を幸せにすると誓った。違える気は無い、だから、目一杯享受しろ。私が、お前にとっての楽園を、きっと見つける。無ければ創り上げてやる。お前は何を憂うことも無く、私を信頼するがいい」
「………………うん」

ディアが、少し呆けて、そうして笑う。
こんな娘一人の笑顔を守る。
魔王を打ち倒した覇者が、そんなことのために全力を尽くす。
馬鹿らしい、そう思ったが、不思議と清清しかった。
くすくすといつまでもディアが笑っていて、妙に気恥ずかしかったが、押し殺し、サウゼラは黙って手綱を握る。

「ふふ…………凄い唐突、それに偉そうだし」
「何せ、偉いからな。それに金持ちで、顔もよく、力もある。自賛する要素もたんまりあるから、偉そうにしても問題は無い」
「あはは、事実なのがちょっと腹が立つくらいだけど、許してあげる。それに、ふふ、わたしは、そんなあなたという幸運を手にしたんだもの、うん、きっと幸せになるね」

くすくすといつまでも彼女は笑っていて、後ろから頭をはたいてやろうかとも思ったが、なんとなくやめる。
復讐心もあった。功名心もあった。
しかしその中には確かに、こんな笑顔を守るために、という語るのが恥ずかしくなるような、そんな気持ちも確かにあったのだ。

関わってしまった。
助けてしまった。
だから、彼女を幸せにする。
自分は所詮、目の前に提示されたものにしか、力を発揮できない男なのだとサウゼラは思う。
その目標が大きいか小さいか、それは、問題ではない。
どこに何を見つけ、そしてそれを見据えるか、見据えまいか。
見据えたのなら、遣り通す、それだけだ。

世界なんて、そんなあやふやなものは捨ててしまえばいい。
今は確かなことだけを、見据えて進む。

そう思うだけで、身体に力が溢れ、太陽の光が行く道を照らす。
初めての感覚、しかし初めて見たわけではない。
それはきっと、いつもガルドが目にしていた光景。

そして同時に、いつかのサウゼラが羨んだもの。

「ああ、本当に、簡単な話だったわけだ」
「…………?」

そう思うと自分が妙に馬鹿らしくなって、意味もなくサウゼラが大笑いをする。
初めて見る光景に、ディアは少しどころか大分首を傾げたが、それを見ているうちに段々と可笑しくなってきて、釣られて笑う。

太陽は昇り、道を照らしていた。
道は真っ直ぐと、地平線の彼方にまで延びている。



[13777] 認識転化、楽園喪失
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/04/22 23:37





途中多少の回り道はしたものの、それほど予定と誤差はなく、ガングフォートに到着した。
目の前に聳え立つ、視界全てを覆うような城壁と、門。
吟遊詩人にすら詠われる、城塞都市ガングフォートの天壁がそこにあった。

「…………すごい」
「元は古代遺跡だ。ガングフォートは四方の門と、それを囲む高い城壁の中に作られている。中にも幾つか見慣れぬ、遺跡の名残が多い」
「そうなんだ…………すごい高い」

天にまで届く壁、勿論そこまで高いわけでもないが、それは下手な城よりかは遥かに高い。
近づけば、本当に天まで届くのではないかというその絶壁は、その厚さに加え、特殊な組み方により魔術の加護も得ている。
攻城兵器ですら刃が立たない、それほどまでにこの壁は強固に出来ている。

ここにある門と対になるフェリアラにもこれの名残はあるが、そちらはすでに原型を留めてはいない。
強大な魔力による攻撃によって破壊されたような痕が有り、専門家の間でも意見は分かれる。
曰く、神が滅ぼした、天災と呼ばれる精霊竜の仕業、伝説の九尾が気まぐれに滅ぼした、などなど。
どれが正しいのか分からない程度には古く、他の遺跡群と変わらない程度には新しい。
世界は一度、崩壊しているのだという説もある。

永くを生きるあの女に問えば、知っているかもしれないなどと、少し考えて笑う。
知っているどころか、もしかするならば、その張本人や、その関係者の可能性は十分にありえる。
半分冗談に、しかし半分本気でそう思っている事を考えると、酷く笑いが込み上げる。
それではまるで、あの女は神話か何かの存在だ。
神か悪魔か、そのどちらかと、サウゼラは会話しているのかもしれない。


馬から降りると、列に並び、徒歩で歩く。
それほど人もおらず、その大半は商人と討伐者で構成されていた。
転移門があるガングフォートとフェリアラは、魔獣討伐者に人気が高い。
転移門は、手形さえ取っておけば年間幾らで自由に使える。
もちろん潜れば他国、という関係上検閲は受けるが、それはどの国でも同じこと。
フェリアラに住居を持ち、討伐対象の多いガングフォートで仕事を請ける。
それも中々珍しくない光景だ。
さすがにここの西側に位置する、世界の交易のほぼ全てを牛耳ると言われる交易都市、ゼンギアには負けるものの、討伐者の比率だけでいえば間違いなくこの都市はトップクラスに入る。

ここで注意しなくてはならないことは、その治安の偏り具合。
ガングリアラの首都であるここは、その性質上表側での治安の維持が行き届いてはいるが、完全ではない。
表での治安が行き届いているほどに、街は暗い影を何処かしらに生み出す。
特に低所得層が住まう地域はある意味無法地帯に近く、表通りと裏通りでこれほどまで治安の差が激しい国もそう無い。
表通り"だけ"を歩けば天国、この街はそういった部類の街だった。

「目的は?」
「転移門を使い東に渡りたい。討伐者だ」
「子供連れでか? 荷物は」
「手持ちのこれらと馬くらいだ。確認してもらって構わない」

ディアの方に訝しげな目線を向けて荷物を検閲していく。
特に大したものも入っていない。
何事もなく通過することは出来るだろう、とそう思ったところで、荷物を調べ終わった衛兵がディアに声を掛ける。

「おい、そこの娘、帽子を脱げ。改めさせてもらう」
「え?」

ディアの帽子に手を掛けようとした男の手を掴んで、止める。
こんなところで枷もついていない亜人が見つかれば、大事になるのは間違いない。
西側の大半の国では、枷のついていない亜人を連れ歩くことは禁止されているのだ。

「その娘は額に大傷がある。帽子を取るのはやめてやってはくれないか?」
「ふん、下らん。討伐者風情が、我らは誉れ高きガングリアラが首都、ガングフォートの衛兵であるのだ。帽子の中に物を隠すものはこれまでも多くいた。これは当然の措置だろう。そんなことすら分からないのか」
「ならば、後ろを向かせて少し覗けば済む。禁制の薬の類を持ってきているか否かであれば、それで確認は十分だ。不用意に辱める必要はないとは思えないか?」
「何故我らが貴様らの事情を気にせねばならんのだ。邪魔だ、手を離せ。牢にぶち込まれたいか」

頭の固いやつだと溜息を吐きたくなる。
別段、サウゼラとしてはここで揉め事になったところでそう問題はない。
ディアが亜人だと知られることと、ここで揉め事を起こすこと。
どちらを取るかといわれれば後者を取る。

「…………仕方無いな」

ゲートから亜空間に通じる道を開くと、ハルバードを取り出して、担ぐ。
それを見て眼を見開き、剣に手を掛けようとするが、それを目線で止める。
自身が剣を引き抜くまでに、両断されることを、瞬時に男は悟った。

絶対的な強者の目線には、対象を石化させる力がある。
ドラゴンの一瞥と咆哮が、そうであるように。

「私はサウゼラ、だ。顔までは知らずとも、まさか今代覇者の名を聞いたことが無いということもあるまい」
「ひっ…………」

怯えて衛兵が腰を抜かす。
多少横暴なところはあれど、この男は真面目に仕事をしようとしていただけで、こうして権力を振りかざして怯えさせるのはあまり宜しくない。
少し悪い気もしたが、こちらにも事情がある。
仕方ないかと思っているとようやく他の衛兵達が気付いた。

「おい、何事だ!? 貴様、どういうつもりで刃を向けている!」

屯所に待機していた衛兵達が剣を抜き、駆けてくる。
先頭は中年で、小太りであるが、全体的に筋肉の付いたそこそこの手練。
髭を顎から生やしており、何度か見たことのある顔であった。

「どういうつもりか…………と…………」

お互いの顔がよく見える位置にまで来て、もう一度何事かを問おうとしたが、尻すぼみになり、途切れる。
血色のよさそうな顔が瞬時に青ざめて、腰を抜かした男を見て、驚くような早さで膝をついて頭を下げた。

「お許しください! このものはまだ配属されて日が浅く、知らぬとはいえとんでもない無礼を……」

何をしている、と未だに腰を抜かす男にも頭を下げさせ、震える。
サウゼラが何かの気まぐれ、稚気でも起こせば、彼らの首は容易く飛ぶ。
最初からこの男が出てきていれば何も問題は無かったろうにと溜息を吐いて、ハルバードを収納する。

「構わん。その男とて職務を全うしようとしたまでのこと。罰は与えんでやれ。通るぞ」
「ハッ! 寛大なそのお心に感謝いたします。今すぐに王宮へ連絡を――――――」
「いらん。王に用があって来たわけではないからな。それに、騒がしいのは好きではない。どちらにせよ一日休めば次の日に出て行くつもりでいる。転移門の衛兵のほうに話を通しておいてくれさえすれば、それでいい」

一人ならばまだしも、ディア込みで賓客待遇など笑える話ではない。
世話付きの女が湯浴みにでも供すればどれだけの大事になるかわかったものではなかった。
この国でも亜人差別は根強い。

「ハッ! それでしたらせめて、この国でも最高級の宿を。貴方様に無礼を働き、そこらの安宿に泊めたとなどと知られれば、我ら一同の首が飛びます。どうか、なにとぞ」
「…………仕方あるまい。こちらに非がないとは言えぬ。案内するがいい」

サウゼラは至れり尽くせりの状況が余り好きではない。
とはいえ体面というものはどこにでもある。
覇者に無礼を働いて、尚且つ素通りさせたともなれば国の沽券にも関わる。
いつもは素通りさせてくれるこの男であるが、流石にこれだけ大事になるとそうにもいかないらしい。
後ろにいたディアはぽかんと間抜けな顔をしていて、少し眉を顰める。

「うわ…………本当に、偉い人なんだね」
「だから言っただろう。それよりも宿が変わることになったがいいか? 居心地は悪くなるかもしれないが」
「うん、いいよ。サウゼラが決めたんならわたしはどこでも」

そういって帽子を少し深く被り直した。
脱いでしまえば一瞬で分かってしまう。
今はまだ、角も小さく、これで隠れる程度であるが、もう四、五年もすればこうもいかないだろう。
なるべく急がなければならないな、と少し思った。










「…………すごいおいしそう。初めて見たよ、こんなの」
「そうか。まぁそこらへんの宿のものよりかは美味いだろう。香辛料もふんだんに使っているしな」
「うん、なんかすごい匂いがするね。なんか、見てたらお腹へってきたよ」

香辛料の殆どは大陸の南西にある内海に浮かぶ島々から取れる。
陸路を使うにしろ空路を使うにしろ魔術による転移を使うにしろ、一度に運べる量はそれほど多くも無く、北や東に進めば進むほどその価値は金貨の如く高くなっている。
だから一般人がそうそう使える代物ではなく、もっぱら貴族や富豪の使うもの、とされている。
おそらく、彼女が食べるのも初めてだろう。

慣れない手つきで肉を切ろうとする少女にナイフの持ち方と使い方を軽く教えて、サウゼラも食事を始める。
基本的に旅から旅で、それほど高級宿にも泊まろうとしないサウゼラも、これだけふんだんに香辛料の使われた肉を食うのは久しぶりだった。
塩漬け肉と燻製肉だけで日々を過ごしていたため、この香辛料の香りと、舌への刺激は中々食欲をそそる。
添えられたスープも、芋を使った冷製ポタージュで、中々いい。

「これ、凄い美味しいね。本当初めて」
「だろうな。これだけ香辛料を使ったものは金持ちくらいしか食えん。今の内に詰め込んでおけ」
「うん、そうする」

そういって幸せそうに肉を頬張る姿はお世辞にもおしとやかなには見えないが、これはこれでいいか、と少し笑った。
子供は、こうあるべきなのだ。
多く笑い、多く泣き、多く楽しむ。
大人になれば失われるそれらを、最も大切にしなければならない時期なのだ。
それを奪うことが公然と許される世界になっている、それが酷く悲しかった。



暫くして食事が終わると、次は湯浴みの時間だった。
広い浴場は、サウゼラたちのために貸切になるそうだ。
都合がいい、と思って、ディアに入ってくるよう告げると、首を横に振って、

「わがまま、言っていい?」

などと言い出した。
初めての言葉に少し驚くが、笑って頷く。
我侭などといったが、続いた言葉は別にそう、我侭といえるほどのことでもなかった。









石鹸にハーブを加えた洗髪料。
流石に高級宿は違うと思いつつ、泡立てていく。
ディアの髪はそれほど長くもない。
サウゼラより少し長い程度のショートで、手間はそう変わらなかった。

「気持ちいいか?」
「うん、なんだか変な感じだけど。髪の毛洗ってもらうのなんて、凄い久しぶりだ。なんか泡立ってるし」
「ハーブが混ざった石鹸だ。洗ったあとはいい匂いがする」
「本当、いい匂いがする」

湯を被せて泡を落としてやると、仕事は終わったと湯に浸かる。
すぐにディアも同じように浸かると、足の間に入り、もたれかかった。
軽く頭をなでてやると嬉しそうに頬を緩ませて眼を閉じる。

「ね、サウゼラはどうして旅をしているの?」
「一所に留まり辛かったからだ。魔王を殺した覇者ともなれば、あらゆるところから誘いが来るからな。その気はなくても定住などしてしまえば、そこの国に加担する、と見られてもおかしくはないだろう?だから、旅をしている」
「そうなんだ…………サウゼラも、わたしといっしょだね」
「ん?」
「この世界に帰るところも、居場所もないんだ」

そういって少し湯に沈む。
覇者となった以上、もはや、安らかに一箇所に留まる、というのは難しいのかもしれない。
世捨て人になり、辺境に暮らすかでもしない限り、覇者という称号は付いてまわる。
そうなるまでにどれだけかかるか、分かりはしないが、最後にはそれを選ぶのだろうと、なんとなくサウゼラは思っていた。

「…………サウゼラは、もしわたしが、安心して住めるようなところ見つけたら、どうするの?」
「さぁ…………な。次はどうしようか、とは考えてもいない。また、旅をするだろう」
「ふふ、サウゼラもそこで、一緒に暮らそうよ。わたしが住めるようなところは、きっと辺境でしょう? サウゼラだって、ずっと旅をしてたいからしてるわけじゃない。だったら、それがいいよ。わたしたちは、いっしょだもの」

ディアがもたれかかったまま、手を伸ばしてサウゼラの髪をなでる。
小さく細い手。告げられる言葉は酷く魅力的に感じた。
サウゼラの居場所は、この世界の何処にもない。
畏怖され、讃えられ、そして遠ざけられる。
それは、ある種の拒絶だ。

「……それも、いいかもしれんな」
「でしょう? ふふ、うん、早速、しあわせになったかも」
「そうか?」
「うん、すごいしあわせ。二人とも、居場所がないんだもの。だから、サウゼラはわたしの居場所になって、わたしはサウゼラの居場所になるの。それってすごく、素敵じゃない」

クスクスと本当に幸せそうに笑う少女がこの手の中にいる。
世界は、そこにあった。

『……もしも、魔王にならないというのなら、その分その子を大切に。世界と少女だからといって、天秤にかけない理由も無いですから』

少女は、もう一つの世界。
サウゼラには居場所が無く、彼女にも居場所が無い。
本当は、だから、彼女を手にしてしまったのかもしれない。

彼女の助けを求めるその目が、
居場所を求めるその目が、
酷く、自分に似ていたから。
楽園から逃げ出そうとしていた、サウゼラに

誰かの楽園は、他の誰かにとっての楽園ではない。
目線を変えれば、容易く世界は反転してしまうのだ。

認識の転化、楽園の喪失。

サウゼラにとってのそれは五年前に訪れた。
そうして五年の旅をして、到った今もまた、そういう時期に来ているのかもしれない。
後ろから軽く少女を抱きしめて、サウゼラはそんなことを考えていた。



[13777] 獣のオブラート
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/01/13 01:18






「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」

慇懃に男が頭を下げて、サウゼラ達を促す。
この巨大な城塞都市の四方に位置する大門よりも遥かに大きい石細工の囲い。
五十人は横並びで入ることが出来るだろう。それほどまでに幅がある。
揺らぐその水面のような境の向こうに映るは、ここではなく、遥か彼方の町の風景。

ガングフォートの転移門がそこにあった。

「ありがとう。では、な」
「ハッ! また機会がありますれば、お立ち寄りくださいませ」
「……ああ」

兵士に告げて、少し進めば、もはやそこはガングリアラではなくフェリアラだ。
いつ潜っても余り気持ちの良いものではないなと思いつつ、辺りを見渡す。
門を潜ったサウゼラの姿を確認した"フェリアラの"衛兵が姿勢を正す。

「なんか、気持ち悪い感触。水に手をつけたら、空洞だったみたいな……」
「転移門というのはこういうものだ。通常の術式を用いても感触は変わらん。まぁ滅多に味わうものでもないから、記念に覚えておけ」
「見た目は凄い綺麗なんだけどね、液化した水晶みたいで」

少し興奮したように言う少女の頭を帽子の上から撫でて、歩き出す。
すでに通達は行っているようで、検閲も無かった。
周りの景色はガングフォートと似通ってはいるが、向こうとは違い、こちらには周囲を取り囲む天壁の姿を窺うことは出来ない。
街を造るにあたり、天壁の石を使って家や城を建てた、というのだから、当時の荒廃は相当に凄まじかったのだろう。
その分、ガングフォートほどの閉塞感を感じることは無い。

「壁が無いだけで全然違うね。こっちの方がちょっと活気ある感じ」
「どうしても向こうは閉塞感があるからな。こっちに住んで、向こうで働く、なんていう奴も多い」
「…………確かに。どうせ住むならこっちのほうがいいね」

その分治安が少し悪いのではあるが、誤差範囲。
一応四辺は天壁ほどではないにしろ、堅牢な城壁で覆われた城砦都市でもある。
交易、流通での要所であるこの二つの都市を有する両国は国土も広く、東の大半を掌握しているといっても過言ではない。

かつての古巣。

しかしいつもフェリアラのようで、今日は何か調子が違う。
突き刺さるような空気。
喧騒の調子。
匂い。

討伐者の片手間、傭兵をすることもあった。
覇者として軍を率いたこともある。
だから、分かる。
これは、戦争状態の緊張だ。

「…………おい、リアラなんざ三日で滅ぼせるなんざ抜かしたのはどこのどいつだよ?」
「馬鹿、あんな裏切り者の小国がフェリアラにこんだけ持つだなんて思うわけがないだろうが。どんな魔法を使いやがったんだ」
「征伐軍は一瞬にして崩壊したと聞いた。やつら、俺たちが魔王と戦う間、ずっと俺たちを滅ぼす研究を続けてたに違いねぇ」
「とんでもねぇ奴らだな、クソ」

聞こえてくる言葉はそんな調子のもの。
リアラという国はフェリアラから離反した、主に魔術研究を行われていた土地だ。
王は元フェリアラ公爵。丁度魔王が現れたくらいに離反した土地だから、百二十年は前。
今は、三代目だったろうか。
魔王が死んで、目の上のたんこぶが気になったのか、戦争を始めたのだろう。
フェリアラはリアラにそのアーティファクトの多くを持っていかれたと聞く。

魔王が倒れれば、次は人間同士の争いか。

結局のところ、そういうもの。

人は理性で平和を求める。
しかしその内包する欲望はそれを是としない。
より高く、尊く、強大に。
それは性なのだ。

理性は本能を抑えることが出来ても駆逐できるわけではない。
それは薄布で覆い返すが如く、しかし欲望の粘液は静かに染み込む。
個人の領域で納まる夢があれば、他者のそれすらをも使わなければ納まらぬ夢もある。
侵略し、拡大し、そうした果ての夢を望むものもいる。
現実という薄布で隠しながらも、しかし少しずつ滲み出るのだ。

人が悪いわけではないと、サウゼラは思う。
自分たちは、薄皮を被った獣に過ぎないのだ。
観念と倫理の布を纏っただけの。

恥部を隠す術を知り、賢しくなっただけの獣。
それらが生まれ、世界を席巻するのも、自然の道理。
善も悪も、薄皮を被った獣が勝手に決めた、"獣の道理"だ。
世界の理として善悪があったわけではない。

賢しい獣の"認識"がそれを決め、そして中でも強大な獣の長が、"楽園"を定める。
それを白いと定められた獣が貴び、黒いと定められた獣が嘆く。
しかし生まれた獣の中でも、自分はきっと異端者なのだ。
白の獣であるのに、"獣の道理"に道理を見れぬ。
楽園を楽園と認識できず、一人黒の獣と同じような追放者の気分を味わう。

既に、サウゼラは一人だけ、楽園を喪失していた。
自分は皆と同じ薄皮を被りながら、きっと違う本性を持つのだろう。

でなければ、これほどまでに惑うことは無かった。
きっと、自分は白の薄皮を纏った、黒の獣なのではないか。

「……サウゼラ?」
「いや、なんでもない。ここは今戦争中のようだからな、早いところ離れよう」
「みたいだね。北東の方だって。リアラ、って国? ここの名前がフェリアラだっけ」
「ああ、元々はここの公爵領だ。魔術が盛んなところでな、魔王が現れたあたりで独立した。理由は知らんがな」
「ふぅん……元々は一緒の国だったんでしょ? 馬鹿みたい」
「馬鹿みたい……か。いやまぁその通りさ。平和だ正義だと口だけはどの国も大層なことをいうのに、結局のところやってることはいつでも飽きることなく戦争さ。…………折角の平和も、享受せずに」

絶対悪の敵である魔王を殺せば、平和な世を取り戻せる。
お前達は、そういって私についてきたのではなかったのか。
知らずサウゼラは奥歯を噛んで、拳を握る。

何も変わらない。
絶対悪が、相対悪に変わっただけ。
求めた平和の代償に、数百万の犠牲を払ったというのに、彼らの死は一体―――

「……辛いね」

腰にしがみついてディアが言う。
辛いのか、どうなのか。
白い獣を率いたサウゼラこそが、盲目な彼らの中でも、特に盲であったのか。
魔王を殺せば、平和になると、そう本当に思っていたのか。

違う、流れに委ね、場に委ね、考えずに旗を振るっていただけではないか。
その自分が、彼らの何を責めることが出来る?

己もまた、そんな衆愚と、何一つ変わりはしないのに。

「辛いとは言えないさ。旗を振ったのは私なのだから。私のことだ、どちらにせよ後悔したに違いない。ならば、今考えることは悔やみ方ではなく、これからのことだろう」
「…………意地っ張りだね」
「世界で最も責任を背負った男だからな。私が張らねば誰が意地を張れるというのだ」
「うーん、そういうことでもないような、ん、まぁいいけど」

納得したようなしてないような顔でディアがそういって、話を切る。
丁度北東に行こうとしていたのに、戦争中とあらば仕方がない。
東に行くのが最も適当だろう。

そう考えて、向きを変え、そこでふと、考えた。
果たして、黒の獣の楽園があったとしても、白の獣が混ざれるだろうか、と。











城壁を抜け、外に出た。
抜ける前よりも空気が僅かに暖かく、草の匂いが気持ちよい。
後で昼寝でもしようと考えるが、そう穏やかでもない。

商人ではない馬車が多く通り、早馬が横を通り過ぎる。
幾ら気持ちがよさそうだとは言え暫くは、周囲を警戒して進む必要はあるだろう。
サウゼラはともかく、ディアは鬼人とはいえまだ子供だ。
戦場にいたわけでもないし、力も見かけ道理とまでは行かないが、人間で言っても大人の女程度なもので、そう変わらない。

東に伸びる広い街道といえば今いるここくらいしかない。
基本的に小道は危険であるし、北への道は山越えになる。
一人ならば苦にしないそれも、今のこの状況を考え見れば不適当だった。

空気は穏やかで、風は微風。
太陽は暖かく世界を照らす。
こんなに陽気な気分になったのは久しぶりかもしれないとサウゼラは思う。
行く道が決まったからか、どうなのか。
なんにせよ、この一週間は非常に大きな転換期のような気がしていた。
一人で嘆いて、悩み、腐る。
そんな在り方を是としたくはない。
彼女を拾ったのは、そういう意味では酷く意味のあることのように思えた。

最初の頃は始めての土地で街道の広さと暖かな空気と景色にあれこれはしゃいでいたディアは、はしゃぎ疲れたか既にこちらにもたれかかって眠っていた。

東に行けば、違う世界がある。
異人が混ざり、同じように笑う。
そんなことは容易に出来るはずなのだ。
サウゼラとディアのように、気にしなければ、気にもならない。

しかし、それが混ざり合えないのは何故なのか。
肉体か、文化か、宗教か、理念か、それとも、外見なのか。
美人は持て囃され、不細工は邪険にされる。
人間という種族全体を見ても、その差は大きなものなのだ。
しかし、それだけを理由にここまで排斥されているわけではない。

例えば人間の友好種族である半精霊、森人は美しい姿を持つ。
精霊とは人々の"観念"でそう形作られるもの。
だからそれぞれ個性はあれど総じて美しいものに近づく。
不細工な人形が理由なしに作られないように、神が美麗であるように。
ある種の理想の姿なのだ。

生命の源である地の精は強かで、
清き水の精は美しく、
荒らぶる火の精は覇気を持ち、
気ままな風の精は自由だ。
そして地と水の性質を持つ、木の精はその二つを丁度併せたような形でこの世に生まれる。
技巧に長け、見目麗しい森人は、短命で個人差の大きい人間種と比べれば明らかに格上の種族といえる。
なぜならば、人々が望む理想を、肉の身体に詰め込んだ種族であるのだから。

美麗で、生まれながらに人より秀でた才を持つ。
その姿から人里にも混じることは多い。
当然のことと言える。
何せ彼らは人々の願望によって編まれている。

だというのに、彼らでさえも排斥される土地はある。

その理由は何処にあるのか。
要するに、潜在的な劣等感が、顕在してしまうか否か、なのだろう。
集団になればなるほど、人々の無意識が滲み出て、その結果に起こるのが"それ"なのだ。
匿名性が人々の理性の薄布を透けさせる。
そして、それの対象が、欠点を持つ種族ならば、それはより容易く布を通り越える。

その、自らを容易く超えうる能力を持つ、自らの超越者としての彼らへの劣等感を拭い去るように。

その結果が、今のこの世界なのだろう。
そう考えるならば、魔王の影響が在ったか無かったか。
それが、共生の国の条件になりえるものなのか。
魔王に侵略されていなければ、被害を受けていなければ、そんなことがある前からサウゼラたちと彼らは、種族が違うのだ。
果たしてそれ以前の世界に種族差別はなかったか。
そんなことは、ありえない。

であれば、東方に行けば被害が無かった国に行けば、そういう国があるかもしれない。
そう思って発った、前提から間違っていたのではないか。

白の獣の楽園に、黒の獣が入れぬように、
黒の獣の楽園に、白の獣は、きっと入れない。
灰色の楽園なんてものは、ない。
黒と白がその色を保ったまま、色粉ではなく石のように、混ざり合うことなく併せた世界が、きっと今なのだ。
拒絶し、嫌悪し、混ざることなど誰も考えもしなかったから、今の世界があるのではないか。

首を振る。
一人で考えこむと、どうしても思考が陰鬱になる。
悪い癖だと、眼を閉じ、開く。

見もしない先の世界を、断じてしまうのは早計に過ぎる。
自分とて、世界の全てを目にしたわけではない。
ふと、あの女の顔が浮かんだ。

『……もしも、魔王にならないというのなら、その分その子を大切に。世界と少女だからといって、天秤にかけない理由も無いですから』

世界とその子"達"ではない。彼女の言い方は、まるでそれ以外が存在しないような言い方だった。
人や亜人に混ざり生きるのではなく、隠棲するかのように。

彼女は古く、永き者。

だからこそか、そんな、何気ない彼女の言葉は酷く、気にかかった。



[13777] 椿
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/06/23 08:47






ハルバードを左に薙ぎ、束縛の術式を展開。
目の前で男の胴が両断され、ディアの方に向かった男が倒れる。
糞尿の混じった血を浴びないように距離を取って、倒れた男の頭にハルバードを叩きつける。
トマトが潰れたように赤が飛散し、顔を顰める。

盗賊の数は十二いたが、二人殺されただけで怖気づいた。
数的に劣勢な対集団戦闘でもっとも重要なのは、相手の士気を下げること。
誰だって死ぬのは怖いものだ。
十人が死ぬ気で同時にかかれば九人死んでも、相手を殺せるかもしれない。
しかし、だれだってその九人の内に入りたいとは思わない。

初手で威圧し、牽制する。
相手の力を出させず、退かせる。

最も効率的に進めるならば、どうやって相手を怖気づかせるかを考える。
十二人を皆殺しにする必要など、最初から無い。

「実力は分かったろう。去れ、皆殺しにされたいか」
「ひっ……」

背を向け男達は走り去る。
子供連れと侮ったのだろう。
溜息を吐いて死体の服で刃を拭うと、ゲートを開いてハルバードを仕舞う。

「本当に強いよねサウゼラ」
「身体強化も出来ないような盗賊に勝ったところで嬉しくも無いがな」

フェリアラを発ってまだ一週間。
だというのにすでに盗賊には二度襲われている。
戦争で兵力を割いている分、治安が低下しているのであろう。
これだけの大通りですら野盗が蔓延るような様子では、相当戦は難航している。
魔道国家としてはそこそこの知名度を誇るリアラ。
戦略級魔術師―――魔人の類でも雇ったか。
でなければ、あんな小国に手こずる理由も分からない。

なんにせよ、関係の無い話かと隣を見る。
最初は目の前で殺すのは拙かったかとも思ったが、人死にになれているのか。
ディアはこの光景を見てもそれほど驚かない。
それが良いことといえるのかどうかはともかく、気分的には楽であるのは間違い無い。
軽く頭を撫でて、馬に乗せ、進む。

「戦が起きれば治安は低下する。恐らくフェリアラを抜けるまではこんな感じだろうから、我慢してくれ」
「ん、平気。サウゼラが守ってくれるでしょ?」
「ああ、命に代えても守ってやるとも」
「命は賭けないでよ。わたしだけ生き残ったって野垂れ死ぬんだから、そうなったらどうぞお見捨てください、恨むけど」
「益々捨て置けん」

クスクスと少女が笑い、その場を過ぎる。
一人でいるとこういうときは決まって暗い事を考えてしまう
こうしてくだらないことをほざく彼女が有難かった。

次の大きな街へは凡そ四日。
人と亜人が混ざり合う、聖域のような国を目指すのであれば、それは酷く間違っているような気もする。
そんな場所が存在するのであれば、耳に入ってもおかしくは無い。

いやむしろ、耳に入らなければおかしい。
だから、聖域があるとするならば、それは隠匿された場所にある。


ならば、道なき道を行く、それがもっとも正しい行動ではないのかと、自問自答する。
しかし―――

腕の間に納まる少女を見て首を振る。
彼女を連れて廻るには危険が大きすぎる。

盗賊程度ならば、まだいい。
しかしマナの溢れる霊地を過ぎれば、比例して強大な魔獣が姿を現す。
高位の魔獣は、人の手には余る。
場合によれば、逃げることさえ叶わぬほどに。

大きな街を廻り一通り話を聞き、それを仮にするとすれば、最後の最後。
そう考えて、東に向かう。
聖域を求めて。

しかし、存在すら疑ったそれが見つかるのは、予想以上に呆気なかった。












「いいこと、教えてあげましょうか?」

彼女が現れたのはそれから一月ほど経った頃だったろう。
いつものように音も気配も感じさせずに滲み出て、開口一番にそんなことを告げてきた。

「いいこと?」
「わたしの方でも調べてみたんですよ。ああ、なんて優しい朱音ちゃん。天下一の聖人ですよね」
「調べた、だと?」
「あなたも、"探し物"をしてるじゃないですか。ああ、物じゃなくて場所、ですよね」
「…………まさか」

くすくすと笑いながら嬉しそうに少女が言葉を紡ぐ。
見惚れてしまいそうなその仕草を、気を纏って打ち払い、問う。

「人と亜人が共存できる場所、それが、見つかったのか?」
「ええ、ええ。いやー、あるわけ無いと思ってたんですけど、案外見つかるものですね。人に聞くのもいいことです」
「どこだ? それはどこにある?」
「そんな鼻息荒くしなくても。綺麗なお顔が大変です」

もったいぶってベッドに腰掛け、ディアを眺める。
酷く嬉しそうで、しかし月明かりの加減か、少し悲しそうにも見えた。

「ただ、それを教えてあげる前に、忠告を」

笑顔のままで少女は告げる。
悲しげな顔が目に映る。

「分岐点、というやつです。貴方は、ここで選ぶことになる」
「………………」
「世界か、少女か。いや、まぁ両方とも"世界"と言えるかもしれませんね。散々問うてきた質問の答えを、あなたがついに出すべきときがきました」
「それは―――」

どういうことか、と尋ねようとして、やめる。
魔王になるか、ならないか。
その答えを―――今。

「私は―――」
「ふふ、早とちりです。それは今ではありません。交換条件になんてしませんよ、そんなこと」
「では、どういうことだ」
「分岐点は、これから数週間か数ヶ月か、数年の間に。あなたは目的地が見つからなければ消極的に"彼女だけ"をきっと選んだ。惰性で生きるあなたならば、きっとそうでしょう? 元々が、"覇者"という名の飾りですもの」

魔王討伐の旗の担い手。
覇者である自分。
それを選んだのは、サウゼラの意志ではなく、覇者に"なってしまったサウゼラ"が、惰性で選んだだけのこと。
自らが選び、行動したわけではない。
クジに、当たっただけの御輿という飾り。
ああ、彼女のいい方は、酷く正しい。

「そうは、いかせません。椿のように潔く、貴方には選択をさせなければなりません。どんな理由があれど魔王という花の"居場所を奪った"貴方には義務があり、責務があります。彼女という安寧に縋りつき、枯れ萎み果てるか、それとも美しいまま地に堕つ椿となりて、新たなる花としての矜持を全うするか」
「…………」
「貴方が貴方の意思を持って決め定める。なればこそ魔王としての価値があるのです。そしてそれ故、わたしは貴方に問う」

美しいという観念で編まれた精霊のように美しい顔は、先ほどの花のような笑みから一転、人形のように無表情だった。
深淵のような、黒い瞳が、サウゼラを射抜く。
鮮やかで禍々しい紅がその瞳をぼんやりと揺らして、それが美しくも、おぞましくも見えた。

「ここから南の街道を、国境を抜け四日か五日。そこにいけば、ミラナという大きな街があります。そこで聞けば、場所はきっと、すぐにでも」
「ミラナ……」

知らぬ街の名だった。
このまま東に行けば、きっと見落としていただろう。
しかしそれが有難いことなのか、どうなのか、それを今のサウゼラには判断がつかなかった。

身に纏う、水や炎のように揺らめく紅布を少し摘んで、小さな赤い珠を作り出す。
賢者の石、という言葉が浮かぶ。
幾千幾万という生命を殺し、奪い、その挙句に創り上げることが出来る、血と魔力で出来た、何か。
それは凝固し、揺らめき、霧散する。
それは全にして、一のもの。

それをサウゼラの手に差し出して、告げる。

「劣化品ですよ。込められた魔力は、わたしを呼ぶための一回分。ただし、使い方は問いません」
「…………問わない?」
「それをもって逃げるも、何かを殺すも、全ては自由。貴方の"裁量"で決めてください。そして―――」

それが、貴方の選択です、と告げた。

赤い珠からは、ゲートを開くための一回分どころではない魔力が内包されていた。
目線で彼女を問うと、少し微笑むだけで何も答えない。
文字通り、これが選択。
そして、向かう場所には、これを使わざるを得ない状況が待っている。

それは何か。
心当たることは、一つしかない。


「戦争もまた、人の営み。斬って斬られて殺し合い、そんなものは、"認識"同士のおはじきに過ぎず、それ故わたしはそれでいいと思ってます」
「戦を、肯定すると?」
「それが"あろうがなかろうが"人は幸福を享受できるし、それでしか幸福を享受できぬものもいる。人の営みなんですもの、それは人が幸福を求める生き物である以上、当然のこと。悪と断じることなど、誰にも出来はしません」
「なかろうが、か。知っているような口ぶりだな」
「戦がある国もない国も、結局のところ同じですよ。力あるものは幸福で、力ないものは不幸。勝ち取れぬものには、どんな場所であろうと不幸な場所でしかありません。ただ、わたしはどちらの世界にも居場所が無い、なんていう状況は余りには"かわいそうだ"ということで、わたしの自己満足で魔王を立てる。そして、それがわたしの幸福の一つ」

傲慢にそう言い切って、くすりと笑う、哂う。
彼女とはきっと、分かりあうことは出来ない。
そう思いながらも、彼女の言い分は、可笑しいとも感じない。

『……つまりはだ、いかに幸福な生を送り、楽しみ、笑い、そして満足に死ねるか。それを求めるが故に俺達は生きているのだ』

あいつのせいかとサウゼラも少し笑って、"赤い珠"を袋に入れた。
それを見た女が一層微笑んで、花のような笑顔を向けて、くるりと廻る。

「花がいつまでも花であるために。なれば、世界に変革は必要なく、時の経過もまた然り」

それではまた、といってどこかに消えていった。

残り香からは、花の香りがした。



[13777] 朝の寝床、夕焼けの原っぱ
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/03/15 18:53







彼女は、世界を留めることに幸福を感じるもの。
彼女の見据えるその幸福は、なんとなく分かる。
いつまでも夕焼けなんてこないで、夜にもならず、永遠に遊び続けていたかった時期もあった。
最も、そんな時間も当の昔に失われてしまったのだけれども。

サウゼラよりも数十年数百年、数千年長く生きているというのに、彼女が恐れているものは、きっとそんなことなのだろう。
幼稚な、本当に子供のような夢。
そしてそんなものに彼女は囚われている。


いつまでも変わらぬ日常を。
同じように起きて同じように喰らい同じように遊び同じように寝る。
それをいつまでも、ただ繰り返す。
そしてそれを成就せんがために、世界中全てを掻き乱すのだ。

人より長いとはいえ定命のサウゼラには、彼女の幸福は理解できても、動機までは知りえない。
どのような経緯でその幸福に至り、信仰したのか。
知りたいとも特に思わなかった。
彼女の心情を察しようが察しまいが、結果的に何も変わらない。
善悪もそう。
彼女を悪と断じるか否かなど、愚かな些事に過ぎない。

戦は勝者が善悪を定める。
ならば、圧倒的勝者である彼女に対して、サウゼラが善悪を問うたところで、何一つ意味は無い。
彼我の差は少なくとも今現在、絶対なのだ。
ならば、今考えることは、彼女のことではなく、自分のことだけ。
ああまた逃避してしまったと、嘆息を吐く。

己がどうするか、それを決めるはずだったのに、また思考は別に行く。
悪い癖だと分かっていても、治せもしない。
元来優柔不断、目標に向かうのには誰より優れていても、その目標を定めるには、誰よりも不向きだ。
選択は、後にしか悔やめない。
どうにもならないのが、ただ嫌なのだ。


いずれにしても、決めなければならないこと。
まだどうなるのかも分からない。
ならば、今悩むだけ無駄だろう。
取り越し苦労ということもある。


パチパチと弾ける小枝を見ながらサウゼラはぼんやりと考え込む。
ミラナで話を聞いた。
戦争になれば、まず間違いなく、亜人の楽園は落ちるだろう。
なにせ、ミラナはフェリアラが属国。
負ける要素が見当たらないといっていい。
いま東部にフェリアラに勝てる国など何処にも無い。
守り抜けるのも精々が極東の離れにある倭国くらいなものだろう。
それも、立地に恵まれている、という程度の差でしかないが。

それを守りきる?
一度や二度ではなく、己が命が果てるまで。
出来ない、ことは無いか。
戦略的価値のある土地では無いように思う。
悪感情から来る侵攻であれば、フェリアラが手を貸すとも思えない。あちらはあちらで小国に手こずっている。
まさかミラナも、そんな理由で援軍を頼むことも出来ないだろう。

落とすのは難しい、そう思わせることさえ出来れば、上手くいくかもしれない。
ミラナはあの程度の国ならば確実に落とせると踏んでいるからこそ、これだけ強気に出れるのだ。
サウゼラがそこに介入することさえ出来れば、そのバランスは崩れる。


そうすれば、なんとかはなるか。
ある種の賭けにはなるが、多少のリスクは仕方が無い。
それだけのことをしようとしているのだ。
月は輝き、道を照らす。

「……私は、ただ見据えて進むだけ、か」

そう呟く。
それが不器用な己にできる、最善で、最良の選択。
そう思えば、怖いとも思わない。

「……まだ起きてるの?」
「ああ、お前のようなお子様ならともかく、私のような立派な大人は睡眠時間が短くなるものなのだ」
「…………単に寝つきが悪いっていうだけなんじゃない? 不健康なだけだよきっと」

寝ぼけ眼を擦りながら身を起こす。
風呂を毎夜作っているが故か、以前より身奇麗になったような気はする。

「ガキは寝ておけ。馬から落ちても助けてやらんぞ」
「落とさせたら、怒るよ。後ろに乗ってるんだから支えてやる、くらいのこといっても罰は当たらないと思うんだけど」
「面倒だ」
「………………」

こちらを流し目で睨みつけると頬を膨らませる。
随分と多彩な表情を見せるようになったと、少し笑う。
それを見た彼女がより険を帯びた目つきで睨んできたので、さらに笑う。
そして、なんとなく問いかける。

「……お前は今、幸せか?」
「ええとっても! こんな風にあなたにからかわれてるのが嬉しくて嬉しくて仕方ありません!」
「はは、そうか…………それでいい」

嫌味ったらしくそう告げた彼女は寝る旨を怒声で告げると、毛布に包まる。
その様子を見てさらに笑う。
こんな日々がずっと続けば、ああ、それは確かに朝の寝床のように離れがたい夢想だと、なんとなく彼女が理解できた気がした。
結果として、それも幸せの一つとなるだろう。
選択の一つとしては、悪くない。

「知る知らぬで変わらぬということも無し、か」

そう思ってまた少し、笑った。













カードは全て配り終えて、あとはそれを捲るだけ。
イカサマ以外で、カードの図柄は動かない。
配り手にその気がなければ、要するにこれで結果は既に決まっているということ。

紅茶を傾けて庭を見る。
赤い椿が、鮮やかに眼に映る。
自画自賛ともいえるかもしれないが、この花の散り方は酷く好きだった。

元は朱音も一介の精霊として椿の木から生まれ、いつの間にか自我を持ち魔を帯びた。
その村では毎年終わりになると、村の中から一人、椿の木下で斬首する。
罪人の場合が多かったが、稀に無実のものもいた。
ただ、誰の首が落ちても、死体を埋めると、次の年には鮮やかな花を椿は毎年咲かせた。

土が肥えたことによる自然の現象も、あの頃の世界にとっては幻想で、ゆえに自分のようなものが生まれ出でる余裕があったのだ。
それは酷く、素晴らしいことで、懐かしいことのように思えた。

「……鞘からしゃらんと白銀を出して、朱の舞い散るその音を、あなたの耳に届けましょう。さすればきっとより濃き花を、あなたはここに咲かせます故」

まるで愛を囁くように行われた血の神楽。
その営みがおぞましいものとも思わない。

彼らは椿に幸福を願い、椿もまた出来うる限りの幸福を、彼らに与えようと努力した。
わたし達は皆、幸福を求めていただけなのだ、とそう思った。
過ぎたことだ、村を守るには力もなく、平穏を維持するには犠牲が大きすぎた。
結束は崩れ、そして村は焼かれた。

同じ失敗は繰り返したくない、そう思う。

誰からも、奪わせない。
奪わせないためには力が必要だ。
誰にも、平穏を崩させない。
崩させないためには、知恵が必要だ。
そうして一体何年だろう。

もはや、忘れた。

ただただ、いつまでも平穏が維持される。
それは酷く幸福で、少し退屈なもの。
失ってしまえば取り返しが付かなくなるもの。
いつもきっと後になって気付く。
だから、自分は同じことを繰り返さないために、ここでこうして過ごしている。

反する道理は切り捨てればいい。
外れた願いは消してしまえばいい。

そしてそのためにはどうしても魔王という札が必要で、そしてあの男がそうなってくれればこの上が無いとも思う。
実力も性格、性質も全てがこのためだけに生まれてきたかのような男だ。
人にありながら、亜人を想う。
そこにいつかの己と似たものを感じたのもあるだろう。

花が花のまま、咲き誇る。
落ちて散る際も確かに美しい。
しかし落ちもせず、枯れもしなければ、それは一体どれだけ素晴らしいことだろうか。

桜の精ならば、また違った思いを抱いただろう。
散る際こそが美しい、と。
だが、己は椿の精。
美しいままを善しとする、誇り高き花の化身だ。

そしてそうあるだけの力を得て、行えるだけの知恵も手に入れた。
これは我侭で、しかしだからきっと自分の力で守らねばならぬ幸福だ。

すでに極まりきったこの身はもはや不死に近い。
だから、全てのものにも付き合ってもらう。

―――わたしの首が落ちるまで。

「……本当、童のような勝手な夢ですよね」

椿の精はそう思って、童女のように微笑んだ。
答えるように花が揺れ、落ちることなく佇む。

永遠に、ただ、永遠に。



[13777] 疑心と約定
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2011/04/11 20:20
十一





「……今代覇者、サウゼラといったな。何故ここに来た、今ここがどういう状況か知らぬわけではあるまい」
「ああ。それでも来ないわけにはいかなかったからな。見ての通り亜人の娘を連れている。この娘と私をここに置いて頂きたい」
「唐突に現れて何かと思えば、中々ふざけたことを言う。我らをこの窮地に追い込んだのは、己のせいでもある、とは思わないのかね?」
「いずれ誰かがしたことを、私が成しただけのこと。建設的な話をしようか。少しでも戦力が欲しいのだろう、その点私はお買い得だと思わないか?」

突き刺されるような視線は苛烈。王にはサウゼラの真意がつかめなかった。
故、視線は嘘と真とを違えぬよう、自然と厳しいものになる。
そしてこの場にいる全てもまた、同じようにサウゼラを見ていた。
平身低頭で行けば空気に呑まれる。下手に出るのは逆効果だろう、そう思えばこそ挑発するような言葉を取る。

「貴様……っ!!」
「よい」
足を踏み出しかけた鬼族の男が王の一言で制止する。

対峙する狼混ざりの獣人は、その隻眼でサウゼラを見据える。
サウゼラですら何も感じずにはいられぬ覇気。
それこそが、この国と呼ぶことも憚られる小国が、未だに存在する理由なのだろう。
粗末な玉座と不釣合いな屈強な兵士。
錬度で言えばかなりのものだ。フェリアラの王宮騎士にも伍するだろう。

なるほど、これでは並の軍では勝ち得まい。
そう思い、少し安堵する。
国の規模に比べれば、十分すぎる精強揃い。
これが、亜人の国、グランメルドか。
これならばミラナだろうとそう易々と落とせはしまい。

門の術式を展開すると、愛用のハルバードを取り出し担ぐ。
ずしりとした重さは、慣れ親しんだそれ。

「兵は屈強、王は勇壮。されど、それで貴方は満足されてしまわれた訳ではありますまい」
「…………」
「堅牢な砦もなくば人も無し、万全とはいえぬ。そのような過去の遺恨に囚われてこの機会を棒に振られるか? 百を斬れと言われれば百を斬ろう。千を斬れと言われれば千を斬ろう。貴方がこれを受け取りさえすれば、今この時より私はこの国の爪牙となる―――決断召されよ」

膝を着き、愛用の武器を捧げる。
ある種の賭け、ここで負ければ話は終わりだ。
とはいえサウゼラは武器という、ある種の命をここに捧げている。
王が武人であるのならば、これを否とすることは決して出来ぬだろう。
打算と直感の狭間での選択。

狡猾さなくば、魔王を滅ぼせるはずも無い。
王がゆらりと立ち上がり、歩み出た。
それを感じたサウゼラは僅かに口角を上げた。

謙譲することなど、久方ぶり。
世界に覇を成したあの頃と比べて、この得も言われぬ緊張感と達成感。
ああ、懐かしい。
サウゼラが覇者でも英雄でもなく、ただの討伐者で在った頃を、少しだけ思い出した。







「…………あんな啖呵切って大丈夫なの? 戦から帰ってこない、なんていうのはやだよ?」
「下手に出るのも怪しかろう。それに、私が斬れば斬るほど、平穏が近づく。となれば、やってやらぬ手はあるまい」」
「それは……そうだろうけど。万が一ってこと、考えないの? サウゼラが死んだらわたしはどうすればいいのよ」
「死なずに帰ってくると私が言っているのだ。万が一、億が一にもありえはせん。だから、心配するな」

少し不安になっている少女の頭を撫でる。
ここであれば帽子もいらぬだろうと言ったのであるが、後生大事に未だにつけているせいか、直接撫でることは叶わなかった。
帽子の少し滑らかでごわごわとした感触が手に伝わる。
手入れを行い始めてから、少女の髪は撫でるとさらさらとした感触を与えるようになっていた。
それがサウゼラは好きなのであるが、残念ながら帽子という壁を間に挟んでしまっていては、その感触は味わえない。
少し強めにぐりぐりと撫でることで満足させると、ディアがサウゼラを睨む。

「もっと優しく! 心なしか最近遠慮ないよね」
「間が縮まったと考えるべきだ。素晴らしいことだろう」
「…………ほんっと、素晴らしいね」

目的の部屋に付いたのか前を歩いていたメイドが立ち止まる。
後ろに垂らし束ねた髪。すらりと通った鼻筋と、控えめな口。そして切れ長の、怜悧な瞳。
美人ではあるが、その目があるからか、冷たい印象を与える。

感じるのは独特の獣の匂い、半獣人のライカンスロープの類だろう。
所作の端々から感じられる鍛えられた身のこなし、そこらの軍であれば、すぐさま百兵長だ。
私付きに別のものが宛がわれているのだろうが、それでも中々のもの。
元は侍従かその類だろう、そう一人ごちる。



通された部屋は一応は客室であるようだ。
魔術式の類は見受けられない。
一応は、歓迎されていない客であろうから、最低限の警戒はしておくべきだ。
サウゼラはそう思い、隅々まで見ようとしたところで、女中が声を上げる。

「サウゼラ様、王は仮にも客分として受け入れた方に、下らぬ策を弄する方ではありません。あれだけの啖呵を切られたのです、そのような心配は戦場に行かれる時にでもされるが良いでしょう」
「ああ、すまない。一応は癖でな。私は王の人となりも凡そでしか知らぬ。まずは疑心を持って当たり、そうしたあとにこそ信頼が生まれるものと私は思っている。別段王を疑ってのことではないのだ、許せ」
「それは、申し訳ありません。失言を」
「いや、良い心がけだ。お前は王を貶められた事に怒りを感じたのだろう? "侍従"にそこまで愛されるのも王の器というものだ。それだけ愛されるここの王はそれだけ良君なのだろう」
「ええ、なればこそ、下らぬ裏切りなどはしてくださるな。"私や他の女中"も、侍従も兵も民衆も、王がいなければ奴隷に落ちていた身。それを救って頂いた大恩があります」

軽く試しに侍従と呼んで見るが、直ぐに女は否定する。
恐らくは当たりか、それに近いなと見当をつける。

睨みつけるように女中の女は言葉を切った。
侍従であろうが女中であろうが、ここまで嫌われているといっそ清清しいものもある。
まぁ、これからか、とサウゼラは少し笑い続ける。

「……分かっている。そうだな、お前にも私の名と誇りに賭けて誓おう。私はお前の王から裏切られぬ限り裏切らぬ。私は一度約束したことは、決して違えぬと決めている。どうだ?」
「っ……!?」

女中の格は低い。
サウゼラの性分から、彼女の言を咎めてはいないが、本来ならば手打ちになっても可笑しくない場面だ。
両者にはそれだけの差があるというのに、さらにサウゼラは女中に対してまで、自らの名と誇りを賭けた誓いを立てた。
女中は下女とも言うように、その位階は下から数えて一つや二つ。

この宣言は一般的な常識で言えば凡そありえないことで、女中が驚くのも無理は無い。
下位の者に腰の低いものは、侮られる。人の上に立てぬ器だと。

この男はよほどの愚者か、それとも―――。
判断を一時保留して、女は"女中"としての体面を取り繕う。

「サウゼラ様、それは女中の私に対しては余りに過ぎるお言葉です」
「いや、お前は私付きの女中となるのだろう? 故、誰よりも私を信頼してもらわねばならん。私が戦に出るとき、この娘の世話をお前に頼まねばならんのだ。そのための関係改善ならば、努力は惜しまん。名はなんと言う」
「レステリア、でございます」
「レステリアか、いい名だ。私のいない間、この娘を頼む。数ヶ月、数年か、いつ戦が始まるかは知らぬが、それまでにもう少しお前達との間を縮められたらと、そう思う。私は人間故、お前達との間には、大きな溝があるからな」
「…………そこまで言われて頷けぬ女中は女中にございません。承りました、サウゼラ様。あなたとの約定、他の主に仕えるが故、絶対とはいえませんが、可能な限り遵守いたします」
「……ああ、それで十分だ。有難うレステリア」
「勿体無いお言葉です。…………それでは、他の用事があります故暇させていただきますが、何かありましたら、いつでも鈴を鳴らしてくださいませ。近くにはおります故、それで分かります」
「ああ、分かった」
「それでは、失礼いたします」

丁寧な一礼をして、部屋を出て行く。
よく出来た娘だ、恐らくは監視の役目もあるのだろう。

ふと視線を感じて、ディアを見る。
睨みつけるようにこちらを見ていて、首を傾げる。

「……どうした?」
「わたしに名前聞いてくれたの、いつだったっけ? 美人な女中さんにはすぐだったね、会ってすぐ」
「二日目だな。ああ、お前の愛らしさに赤面して聞けなかったんだ」
「…………これ、笑いどころなのかな?」
「場を和ませるために言ったのだから、笑ってくれないと厳しいところがあるな」
「あはははは、これでいい?」
「…………」

ようやく安堵できるかと思えば、今度は針のむしろか。
サウゼラは過去の自分を恨みながら今日一番の溜息を吐いた。
















「王よ、何故許可したのです!? あの者は覇者、人の長だったものです。信用してはなりませぬ、今すぐにでも―――」
「よせガラルド。俺には俺なりの理由があってのこと、口を挟むか?」
「しかし……! その、理由とは」
「奴は覚えておらぬだろうがな、俺は覚えている。あの人を食った無礼な態度、俺がただの傭兵で、奴が討伐者だった頃であるが…………今日の奴は、少なくとも覇者ではなかった、そう見えたのよ」

クク、と王が哂う。
獰猛な顔をして。

「伏せた頭の下で、さぞ哂っていたろうよ。断られることは無いと、踏んでいる」

そうして拳を握り締めた。
頭蓋を握力だけで圧壊させるその手には、血液と共に憎悪が巡る。

「―――何せ覇者の力を失ったとはいえ、元が人間と言うのも憚られるほどの屠竜の"化け物"だ。戦力と数えるに申し分ない。今にも滅ぼされんとするこの都が、手放せるわけも無いだろう」

そうしてギリ、と噛み締めて、憎憎しげに壁を叩く。
土を固めた壁に蜘蛛の巣状にひびが入り、パラパラと砂が零れる。

「しかし、言質は取った。奴が何をしてきて何を考えているかは知らぬがな、交わした約定を違えることは無い。信用していいだろう。駒として存分に使え。何を思ってここに来たかは知らぬが、我らをコケに出来る程度の活躍は、見せてもらわねば割に合うまい」

その言葉を聞いて鬼族の男が、頭を下げる。

「……相も変わらず、不愉快な男よ」

そう思えども、否といえぬ。
その自分がなお、腹立たしかった。



[13777] 立身見道
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/04/21 17:51
十二




肩口を狙った斬り下ろし。
柄で横方向に弾き、その回転を利用した後ろ回し蹴りで蹴り飛ばす。
打点は左胸。
大層派手に蜥蜴人は吹き飛ぶがへそから上にプレートを着込んだ彼にダメージはなし。
堅牢な鱗と、筋力。
蜥蜴人は肉体的な総合能力だけで言うならば鬼人級。
これで、魔術を扱うだけの素養さえあれば完璧だろう。
それが蜥蜴人という種族であった。

今回のこれは魔術の使用が可能であるならば、この時点で、この男は敗北。
とはいえ、攻勢魔術使用禁止というルールのあるこの戦いである今、これは敗北ではない。

喉元だろうが腹であろうが、一定以上の速度と重量の乗った攻撃を与えなければ彼らの鱗も表皮も致命的打撃を与えることは出来ない。
遠心力を用いた刃による斬撃か、両先端の槍部分での突き。
魔術無しで立ち向かうとなれば、このいずれかを当てる必要がある。

戦場で出くわした際は、蹴り飛ばしておけば仲間の誰かが殺してくれる。
大抵この種族を相手取る時はそうしてきた。
立っているか、寝ているか、それは技術と肉体の差を覆すことのできる圧倒的な優位性を得ることを可能とするからだ。
囲まれた場合も、タクティカルバレット――詠唱を中途停止した状態で維持した状態――からの術式開放で対処。
思えば、この種族とまともに肉体のみで対峙した場面は驚くほど少ない。

これもいい経験になるなと、そう笑い、サウゼラは半身に構えハルバードの頭を寝かせる。
フルスイングの一撃、これが蜥蜴人とまともにカチあった時、最もベターか。
斧のような厚みのある、反りの入ったファルシオン。
蜥蜴人の筋力をもってすれば、易々と鎧を分断させうるだろうその剣も、このハルバードの前には威力も間合いも落ちる。
緩やかに間合いを詰める。相手の踏み込みよりも速く、両断する自身はある。
一歩進めば一歩下がり、繰り返すうちに、蜥蜴人は背後に壁。
そうしてそこでようやく声が掛かる。

「そこまでだ。ゲイブ、敗因は?」
「速攻で落としきれず、距離が開いてしまったからです。今回は想定されていませんでしたが、魔術使用が可能であればその時点で敗北しておりました」
「そう、こいつは魔術も扱う。距離が離された時点で本来ならば貴様の負けだ。良し、走って来い」
「ハッ!!」

剣を腰に差し、走り出す。
走れ、というのはもちろん、ただ走るだけではない。
全力ダッシュで凡そ二十メートルの距離の反復を五十セット。
これで十人目、フル装備での全力ダッシュは、かなりきついだろう。
これは鍛えられるわけだとサウゼラは腰を下ろす。

「流石に英雄様でも疲れた、というところか」
「生憎と武術は半端でな。まぁ魔術も半端だが、片方ずつでは聊か体力的に厳しいものがある」
「小器用なことだ。とはいえ小手先だけとは笑えんな。その腕ならば、魔術無しであろうが近衛にも勝てるものは稀だろう」
「まぁ、経験の差があるからな。これでも五十を過ぎている」

そういうと狼顔の獣人、グレンは驚いたような表情をして、気が付いたような表情を直ぐに浮かべる。
王がそうだからか、比率としては亜人の中でも狼系統の獣人がここには多い。

「そういえば、覇者が剣を引き抜いてから三十数年か。二十過ぎの若造にしか見えなんだが、いやはや、俺より年上とはな、驚いた」
「よく言われる。それにしても、規模の割りにこの国は兵数が多い」

騎兵六十に、突撃隊五十に歩兵隊五百、弓兵が二百。
錬度を考えれば二千程度が相手ならば何とかはなる。
ミラナを見る限り、出せて千五百、増援がなければ負ける事はあるまい。
もっと絶望的な状況を想像したが、そこまでではなかったようだ。

「ふん、歩兵隊は当てにするな。あれらは農作業の合間に訓練を行っているに過ぎん。弓兵もそれより訓練の比率は高いが、そう変わらないな。日々訓練のみに費やすことが出来るのは我らと騎兵と、近衛くらいなものだ」
「なるほど、人口三千のこの小国に、そこまでの常備兵力を持つ余力はやはり無いか」
「一時、農作業や鍛冶建築に回っている魔術齧りを束ね魔術士隊を作ろうという話も持ち上がったが、それでは日々の糧も捻出できん。正直なところ俺はあんたが来てくれたのは非常にありがたいと思っているよ」
「それは、光栄極まる。しかしまぁ、倍の兵数くらいならば何とかなるだろう」
「まぁな、人は軟弱よ。どうせ来た所で、向こうも向こうで鍬を持ってるのがお似合いなやつが大半だろうからな。条件は同じだ」
「ミラナの兵力を考えれば、恐らくは勝てるだろうな。…………援軍でも無い限り」

サウゼラのその言葉にグレンが少し嫌な顔をする。
そう、援軍がなければの話なのだ。
サウゼラが仮に千人斬ったところで、万が来れば終わり。
ミラナの後ろにはフェリアラがある。

リアラに手を焼いているとはいえ、あれはヒュドラだ。
その首はありとあらゆる方向に伸びる。
何らかの気まぐれが起きないとは、言い切れない。
百に一つ、どころでもない。それよりも大きい確率を持って、その不安は確かに存在している。

「その時は、その時さ。女や子供が逃げ切れるよう、善戦を尽くす。タダ飯を食らう俺たち兵士の義務だからな」
「…………そうか」
「魔王が死んで以来、俺たちは害虫扱いさ。以前からもあったが今ほどじゃない。…………ああ、あんたのやったことが悪ぃって言ってるんじゃねぇって事は理解しておいてくれ。俺の親父も、一兵士としてあんたと共に戦い死んだんだ」

そういうグレンの顔は何処となく懐かしさを感じている風だった。
人のサウゼラからは彼らの表情の機微は分かりにくい。
それでも、なんとなく、そう感じているのだということは理解できた。

「魔王は平等に俺たちを殺した。親父は世界のためにと言って死に、ようやく魔王を殺せば、この様さ。掌返したように、亜人は日陰に落とされた。上手くいかねぇよなぁ、世の中って奴は。あんただって、今みたいな世の中を望んだわけでもないだろう」
「……ああ」
「だろうな。じゃなきゃ、こんな今にも死にそうなこの国に肩入れする意味もわからねぇ。あの娘、拾い子か何かか?」
「元奴隷さ。五年彷徨い、世界を見て、絶望して、その挙句に気まぐれで助けた。私はあの娘にとっての世界を与えてやると言い、そうして辿りついたのがここだ。まぁ、偽善ってやつだろう」
「カッ、自虐はやめときな。少なくともあんたが助けたことで、あの娘は今を生きている。それでいいんじゃねぇか? 偽善だろうが気まぐれだろうが、あんたがあの子を救ったのは事実だろう。お祈り捧げるだけの聖職者よりゃ遥かに役に立ってるじゃねぇか」
「すまんな、悪い癖だ。いつも後悔ばかりする」
「魔王殺しの英雄様が内罰癖か! ハハ、こいつはたまらねぇ!!」

そういってグレンも腹を抱えて笑う。
種族も歳も違うが、なんだかその様にガルドを思い出して、サウゼラも少し笑う。

「後ろ向き、か。それもよく言われる。つくづく成長してないものだ」
「言われるだろうさ。普通に立ってりゃ前を向くんだ、生き物ならな。そういうもんだろう?」
「ああ確かに。改めよう」
「そうそう。俺達は、これからはあんたも突撃隊の一員なんだ。後ろを向いてちゃ速くは走れねぇ。その調子のままいくなら戦の時に置いてくぜ」

あんたは悪くない。
そんな一言が、サウゼラにとって酷く有り難かった。
情けないことだと自覚はしている。
しかし、それでもそう思う。

「善処しよう。…………全く、若造に諭されるとはまだまだ至らないもんだ」
「へっ、それならこれから気をつけな。俺たちに、あんたの力を見せてくれりゃあ尊敬してやるよ」
「クク、そうか。それではまず一手、指南しようか」

そういってサウゼラがハルバードを取って立ち上がる。
それを見て獰猛な笑みを浮かべたグレンも、獰猛な笑みを浮かべて立ち上がる。

武人なれば、後ろを見るのは戦後か死の際。
当たり前のことだなと、サウゼラもまた、獰猛な笑みをその顔に浮かべた。










「嬉しそうだな、やけに」
「うん、サウゼラもね。いい事あったの?」
「良い事、そうだな、良い事かも知れん。下らないことだが。お前は?」
「ん、リア、あ、レステリアのことね。リアといっぱい話したよ。冷たい人かなって思ったけど、見かけによらないね」
「美人だしな」
「………………」

半目でじっとりとした目線を送るとディアはそっぽを向く。
その様が面白かったが、あんまりいうと酷く怒ってしまうので、話題の転換を図る。

「リアというのが渾名か?」
「うん。後ろ二文字とってリアだって、昔呼ばれてたみたい」
「昔?」
「なんか他のメイドさんと仲良くないっていうか…………偉いのかな。通路で他のメイドさんと会った時レステリア様とか呼ばれてたし。嫌がってたみたいだけど」

メイド長では様付けはなかろう。
やはり、侍従か、近衛か、密偵か。
いやまぁ、密偵はないだろう。そうならば、そう易々と悟らせまい。

「元は偉い家系なのかもしれんな。まぁ仲良くしておくに越したことはない。私がここを空ける時は、自然お前の世話はレステリアがすることになるからな」
「…………世話って、犬や猫みたいに」
「そのくらい可愛いということだ」
「なんだか、喜んでいいのか良くないのか分からない言い方だね……」

そういって机に座ると本を開く。
本を買い与えた記憶も所持していた記憶もない。
勉強道具かと当たりをつけて尋ねる。

「勉強か?」
「うん、教養あるに越したことはないって、リアが」
「至極最もな意見だ。分からないことがあれば私に聞け」
「…………サウゼラに?」

心底嫌そうな顔でディアがサウゼラを見る。

「馬鹿にするな、私とて一般常識程度の教養は弁えているつもりだ。書も算学も、多少は出来ねば、指揮など取れるはずもないと無理矢理教え込まれたからな」
「ふぅん……まぁ期待しないでおくよ」
「………………」
「さっきの仕返し」

そういってくすりと笑うと、机に向かう。
彼女の生の大半は奴隷としての生、こうした機会はなかったのだろう。
まぁ、そうでなくても商人くらいしか、縁のないことではあるのだが。
少しやってみる分には、こういうものも楽しめるのかもしれないなと、寝転がる。
一時期嫌になるほど見すぎたせいで、今更見ても私は楽しめはしないだろうが、と少し笑う。

色々なものを見て、学び、彼女もそうした時期なのだろう。
サウゼラ自身、まだまだ至らぬ点が多い。
彼女に負けずに精進していかねばならないだろう。
そう考えたところで、思考を切り替え、これからのことについて考える。

突撃隊の錬度は把握した。
彼らだけで言うならば、戦力比1:3をも可能とできるだろう。
問題は大半を占める歩兵と弓兵。
多くを生産に向けなければならない彼らの実力次第で、今回の戦は大きく揺れる。
亜人は基本的に人に比べて優れた肉体的素養を持つ種族だ。
とはいえ、それを生かすも殺すも訓練と心構え次第。

慢心していては十全の力を発揮できよう筈もないし、訓練不足ならば言わずもがな。
彼らの錬度を見れるのは三日後。
一週間に二度の訓練、昨日見れなかったのが悔やまれる。


あとは、砦か。
幾ら錬度があるとはいえ、数字上の劣勢は否めない。
ミラナとの間には二つ。それをなるべく早めに見ておくべきだろう。
この国のレベルでは、程度が低い確率はかなり高い。
少しでも補修強化をしておかなければならない。

いつ開戦するかが分からぬ現状、時間的に余裕があるとふんぞり返るわけにもいかない。
なるべく急がねばなるまいな、とそう考えて眼を閉じた。
久しぶりに良く動いたせいか疲労がたまり、直ぐに眠りにつけそうだった。
狼もおらず、野盗も出ない。
こういうときに安心できる寝床は良いものだ、とそう思いながら、ゆっくり意識を落としていった。



[13777] 花市場
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/06/20 00:22
十三




所詮は、一兵士に過ぎない。
そして、まだ信用も薄い。
だからあんたが砦へ向かうまでにはもう暫くかかるだろう。
受け入れられはしたものの、上の意見はそんなところだと、グレンはサウゼラに告げた。

「そうか。まぁ、仕方のないところではあるな。グレン、お前から見てここの砦はどう思う? お前の立場もあるからな、具体的でなくても構わない」
「…………まぁ、この国の砦は、国と同じく。恐らくあんたの想像通りだろう。立地だけはいいが、まぁあんたの期待は裏切らんな、残念なことに」
「…………確かに、残念なことだ。連絡手段は?」
「狼煙。余裕がない分、手間と工夫はしてある。敵の凡その数、騎馬か歩兵か、方向はどちらか、まぁその程度だが」

最近では魔術師による情報伝達が主流。
狼煙では伝達できる情報の内容が知れているし、雨の日には使いがたい。
見落とす可能性も無いとは言えず、目前にまで来てようやく気付くということも有り得なくはない。
事実、覇者として戦場に立っていた時には、雨天を狙った奇襲により甚大な被害を受けた、などということは多々ある。
設備の整った砦であるから、失敗する可能性も野戦に比べて低くなるとはいえ、それでもその可能性は考えておくべきだろう。
サウゼラはそう考え、グレンにその旨を伝える。

「雨天用の連絡手段を強化しておいたほうがいいだろう。手の空いた時間に作っておく。それを届けてもらうくらいなら、流石に許されるだろう?」
「作れるのか?」
「色つきの閃光弾程度のものだが、まぁ、役には立つだろう。少なくとも、私はそう記憶している」
「英雄様はそんな細々としたことまでやらされてたのか」
「魔術を扱えるものはいつでも貴重だったからな。それに、孤立した際には重宝した」

それを記憶していたが故に助かった場面も多い。
情報は戦場における鍵となる。
敵という扉を破るのに、毎度大槌を使えるものではない。

「…………まぁ、三十年も戦ってりゃぁ、色々あんだろうがな。まぁ訓練も終わったことだ。飲みに行こうぜ」
「……それもいいな。生憎この町の酒場は一切知らん。案内は頼むぞ」
「ああ、分かってる」

この男は特殊なのだろう。
サウゼラはそう思う。
サウゼラは人であり、覇者であった。ともすれば仇と思われてしまってもおかしくはないのだ。
それでも彼は偏見を持たず、種族を見ず、サウゼラを見ている。
こんな者ばかりならば、どれだけ良い世界になるか。
それも、詮無いことかと自分の考えを笑い、立ち上がる。

日没時の空が赤く染まる。
昼と夜の刹那、求めるものは、きっとそこにある。









「見ない顔だね、いい男じゃない」
「最近ここに来てな。あいつらと同じ突撃隊だ」
「んふふ、知ってる。隊長さんのご指名なのだよ」

サウゼラはそうか、というとくつろぎ始める。
席は中々贅沢なソファ。横には辛うじて隠している、という気持ち程度の布を纏った綺麗な娘。
歳は二十はいかないだろう。若い娘だが、確かに女を感じさせる雰囲気がある。
中々のものだ、と思いつつも、連れて来られた場所に少々溜息を吐く。

宿のついた酒場。
ただし、ここでは花売りや踊り子が酒の相手を努める。
つまりは、売春宿の一種だ。
気に入った娘がいれば、店主にその旨を伝えて部屋を借り、女にいくらかの金を払って、夢を見る。
ちょっと非難めいた眼でグレンの方に眼を向けようとすると、両手で顔を押さえられる。

「ちょっと、あたしみたいないい女がすぐ傍に入るって言うのに、溜息ってどういうこと?」
「いや、そういう意味じゃない。予想してた酒場とは少々、外れたところだったんでな」
「ふぅん、そういう気分じゃないって事?」
「まぁ端的に言えばそうなるな」

僅かに感じる独特の気配。頭の上に揃った一対の獣耳。
大き目の、少し吊り眼がかった勝気そうなその眼から猫を連想する。
褐色の肌と、白い布のギャップは、さぞかし男の眼を惹くことだろう。
大き目の乳房と、キュッと引き締まった腰。
踊ってみればさぞかし見応えがあるに違いない。
そう思ったところで、彼女が獲物を前にした猫のような顔をしているのに気付く。

「どーうかな? これでも自信はあるんだけど」
「見事としか言えないな。君は踊り子か?」
「あったり。見たい?」
「踊ってもらっても?」

そういうと嬉しそうな顔をして、耳に口を寄せてくる。
吐息が少し、こそばゆい。

「…………注文で踊る時はお金取るんだけどね。気に入ったしサービスしてあげるっ」

そういうとパタパタとステージに上がって行った。
彼女がステージに立つと客―――とはいっても殆どが突撃隊ではあるが―――が一斉に声を上げる。
よほど人気があるのだろう。
彼女が楽師に目線を送り、音楽が流れ始めたところで、並々とエールの入ったコップを手に持ち、グレンが隣にやってくる。

「よお、どうだアセリアちゃんは。宜しくやりやがって、クソ、お前の方にやるんじゃなかった。やっぱり顔なのか」
「すまんが獣人の顔の美醜はよくわからん。それにしても凄い人気だな、彼女は」
「なんたってナンバーワンだからな。あの娘っ子は花売りってより踊り子だ。連れ込めた奴は見たこと無ぇな」
「この宿でか?」
「ああ。店主もそれを認めてる。あの子見たさにここに来てる客は多いからな」
「凄い娘もいたもんだ」

サウゼラが新しく頼んだエールを魔術で冷却すると、グレンがずい、とその木で出来たコップを差し出す。
少し溜息を吐いて冷やしてやると嬉しそうにそれに口を付けた。

エールに口を付けながら、彼女を見る。
確かに見てみれば彼女のそれは中々のものである。
流麗で、蟲惑的。
魅了するようなその舞いは、ポピュラーなものではあるが、所々アレンジされていて、それが眼に新しい。
この場この時においては、彼女以上の踊りを見せれるものはいないだろう。
見慣れたサウゼラにすらそう思わせるくらいに、彼女の踊りは魅力的だった。
一瞬だけ眼が合うと彼女は、少し笑ってウインクをしてみせる。

「おい、今の俺にだな。ウインク」
「…………そうかもしれんな」

呆れてグレンを見る。
完全に獣化しているはずの獣人の顔というのは、これほどだらしなくなるものなのだろうか、とついさっきまでの真剣な顔を思い浮かべる。
こいつも彼女に熱をあげている内の一人なのだろう。
先ほどまで真面目な話を、この男としていたのだ。

こうはなりたくないものだ、と思いつつ、冷えたエールを流し込んだ。








「どう? どうだった?」
「いいものを見せてもらった。面白いアレンジをする」

そういうと眼を丸くして、こちらを見る。
おかしなことを言っただろうか、と思いながら待っていると、彼女が口を開く。

「踊り、結構詳しいんだね。前何やってたの?」
「……討伐者だ。踊り子を見る機会は多かったからな」
「へぇ、そんな所に気付いてくれた人、初めて。みんなあたしが考えたんだ」
「宮廷の踊り子にも負けはせんだろう。いい踊りだった」
「うふふ、口説かれちゃってる?」

上目遣いにこちらを見上げる。
丁度、顔から身体全体が入るアングル。
流石に少しだけ、ドキリとするが、平静を保つ。

「……それはお前の捉え方次第だな。口説いて欲しいか?」

そういってサウゼラは彼女を見つめたまま、顎を指で少し持ち上げ、顔を近づけた。
ビクリと彼女が身体を震わす。
そして少し顔を赤らめて、眼を泳がしたのを見て、指を離して笑う。

「まだまだだな"お嬢さん"。攻めは良くても受けがそれじゃあ、レディになるのはまだまだ先か」
「く…………あたしとしたことが、不覚を取るなんて」
「酒を注いで貰っていいかな、お嬢さん。それくらいならミスも無い」
「…………そのうち絶対吠え面かかしてあげるからね」

恨めしそうにこちらを見ながら、酒を注ぐ。
その様子が酷く歳相応に見えた。

「名前、なんていうの?」
「サウゼラ。お前はアリシアでいいのか?」
「そうよ。サウゼラサウゼラ、なんかどっかで聞いたことある名前だね。もしかして有名人だったり?」
「……まぁ、そこそこにはな。この国はどうだ? お前から見て」
「話題転換あーやしぃ。まぁいいけど。どうって、何が?」
「居心地はいいか?」
「そらまぁね。あたしたち、ここ以外じゃ生きれないもの。サウゼラみたいに人間ならともかく、獣人にとっては他と比べれば楽園さ」
「それは、いいことだ」

そう、ここは楽園なのだ。
亜人にとって、この場所は。
ディアのためだけでなく、彼女らのような亜人の楽園を守るために戦う。
独りよがりの自己満足であるならば、それは善行であるべきだと、そう思う。

「……変なの。それにしても人間なのに突撃隊とかすごいね。置いてかれない?」
「私は魔術の心得があるからな。その気になれば、彼らよりは速い」
「ああ、なるほど。そういえば冷やしてたね」

そういってサウゼラのコップを奪うと口を付ける。
試し飲みというには聊か豪快に過ぎる飲み方で、半分以上残っていたはずのエールが一気に空になる。

「…………何これ。めちゃくちゃ美味いじゃん」
「客の酒を飲み干すとは中々、素晴らしい踊り子のいる店だ」
「でしょ? 惚れた?」
「惚れてしまったらどうしてくれるんだ?」
「こうしてあげる」

そういって、唇を重ねる。
熱っぽいキスではなく、触れ合うだけのキスではあったが、グレンから話を聞いていたサウゼラを驚かすには十分なものだった。
酒か照れか、頬を少し赤らめたまま、彼女が笑う。

「この店に来てからしたことないのよ。どう? この店でのファーストキッス」
「光栄だな。後でグレンが怖いが」
「うれし。お酒、あたしのも冷やしてよ」

そういって勝手に注いだ酒を嬉しそうに差し出して、促す。
ただより高いものは無いなと、そんな言葉を思い出して一つ溜息を吐くと、酒を冷やした。
既に注がれていた自分の酒も凍る寸前まで一気に冷やすと、そのままぐい、と流し込む。

「こんなかわいくて美人で色気たっぷりアリシアちゃんのキスをあげたんだから、お酒ぐらい貰っていいよね?」
「……好きにしろ」

そういって遠慮なく豪快に飲むアリシアを見ながら、サウゼラはまた少し、溜息を吐いた。







「また来てね。待ってるから」

少し背伸びして、頬にキスをして店に戻っていく。
非常に視線が痛い。
宿に泊まるとのことで十数人抜けているのだが、それ以外の全員に今、睨まれている。

「弁解してもいいだろうか」
「駄目だ。事実は変わらん。おい、先に言っとくぞ」
「…………なんだ」
「ちゅーまではだ、俺達も鬼じゃない。もうしてしまったもんだし、仕方ないって所もある。許さざるを得ないだろう。しかしだ、万が一、オレ達の花を部屋に連れ込むことなんてことがあってみろ……」
「…………あまり聞きたくないところではあるが」
「俺達突撃隊全員を敵に廻すと思え。戦場で孤立する恐ろしさは知っているだろう?」

うんうんと周りの男達が頷く。
冗談には見えぬ顔つき。というより、彼らの感情の機微までは、本当に顔仕草を見ただけでは分からないのだ。
からかったのはサウゼラだといえ、この状況は望ましくない。

「…………肝に命じておく。これでいいのか?」
「ああ、もちろんだ。俺達は家族であり、友人でもある。わだかまりが発生することが無いとあんたが宣言してくれるのなら、俺達も信用するさ。なぁ兄弟!」

周りから肯定を示す声が上がる。
仮に彼女に、その気になったとしても、落としてはいけない。
厄介なことになった、と本日何度目になるか分からない溜息を吐いた。



[13777] 異物
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/06/28 01:17
十四




最初に来てから、約三ヶ月。
訓練が終わっては毎日のように、この酒場にはグレン達と共に訪れていた。
サウゼラが元覇者だった、ということを知った娘のなかには、露骨に嫌悪を示す者もいて、少し居辛い。
それでもサウゼラの横に付くのは大抵アリシアだったから、少しは気が紛れていた。

「―――なんでサウゼラは、この国に来たの? 聞いたけど覇者なんでしょう? こんなところ来なけりゃ英雄なのに」

ワインを揺らしながら、酔っ払った顔でアリシアがそう訊ねる。
今日はいつもより彼女は酔っていて止めたのであるが、何かいやなことでもあったのか、制止を遮ってグラスを傾け続ける。
サウゼラはその様子に少し呆れながら、返答する。

「…………旅をしているうちに、亜人の少女を見つけて、な」
「…………性奴?」

顔を顰めて訊ねる彼女の言葉を笑って濁す。
そうであったことは、グレンにしか告げていない。あまり広めたいことではなかった。
アリシアの顔が、少しだけ嫌悪に歪む。
それでも多分、彼女は気付いたのだろう。
そういう顔をしたのは初めてだった。

「だからここに来たって訳? そのこを助けて? 単純だよね、元覇者なのに」
「……ここしか、見つからなくてな」
「…………そりゃそうじゃん、あなたがこういう世界にしたんでしょ?」

なんでもないような声でそういって、ハッ、と自分の言葉に気付いたように俯く。
酔っているのは分かっていて、しかし、だからこそ出た言葉には真実がある。

この国では、自分は完全なる異物で、そして恨みを買う人間なのだ。
それを思い出して苦笑する。
彼女との会話は中々楽しめた。
ただ、相手に無理をさせても楽しめるほど、サウゼラは無頓着ではない。

「ごめん、酷いこと言った」
「……事実だ。謝られる理由が無いだろう?」
「それでも…………最低だ。八つ当たりみたいなもん。ごめん、今日は、帰ってもらっていいかな? 最低な悪酔いだ」
「ああ、頃合だろう。グレンたちも酔いつぶれてるからな」
「本当に、ごめん」
「気にしなくていい。それだけのことをやったのだから。お前が悪いわけではない」

そういってサウゼラが立ち上がる。
流石にこれでは、ここには来れないな。そう考えたところで腕が掴まれる。
振り返ると俯いたままのアリシアがいる。

「その、さ。また来て……」
「…………無理することは無い。すまなかったな」
「違うの!!」

叫ぶようにアリシアが言って、騒がしかった店内が静まり返る。
宿の女主人や他の娘達が睨むようにこちらを見ていた。
針のムシロだと思いながら、サウゼラは溜息を吐いて腰を落とす。

「…………嫌いに、なったかな?」
「………………違う。私が恨まれることをしたのだから、その事で―――」
「―――だから、違うの」

そういって、首を振る。
だだを捏ねる子供のようで、サウゼラも反応に困る。
大人の女であればともかく、子供の扱いは苦手なのだ。
更には、目線が痛い。

「……ちょっと嫉妬した」
「…………嫉妬?」

頷いて、彼女が力を込める。
何に嫉妬したのか、言っている意味が分からず、途方に暮れる。

「また、来て。今日はちょっと、駄目だけど、間抜けな顔、見せれないし」
「………………ああ」
「約束、だから。ごめん、気分悪くしたでしょ?」
「気分よりも、視線が痛いな」
「はは……ごめんね」

軽く頭を撫でると、何度も謝ってくる。
悪いのは、この娘ではない。
そう考えて、少しだけ自分が嫌になった。








「おい、アリシアちゃん泣かせやがって。何言ったんだ?」
「……あの娘にも、思うところがあったんだろうな。私のせいで不利益を被った者は多い」

そういうと、酔っ払いの絡み程度でニヤついていたグレンの顔が、真面目な顔になる。

「…………そういうことか。すまねぇな、もしかして重荷だったか?」
「いや、馴染めるように気を使ってくれたんだろう? ありがたいと思っているさ」
「あんたは、仲間だ。だから"ここ"にも慣れてもらいてぇ。そうは思ったんだが、上手くいかねぇもんだ」

そういってサウゼラの肩を借りながら、空を見上げる。
最初は突撃隊の中でも、サウゼラに敵意を向けるものも多かった。
それが今ではそういうこともなくなっていて、それがどうしてかといわれたならば、グレンの根回しがあったからだ。

仲良くなる機会を多く設けてくれて、話し合う場を与えてくれた。
それに、感謝しないわけが無い。

「上手く行ってる方さ、お前には感謝してる」
「…………河岸、変えたほうがいいか?」
「いや、どこに行っても同じさ。それに、よく分からんがまた来いと約束させられた」
「……そーか、色男め。それならちっとは安心さ」

そういって、笑う。

「本気で惚れられやがったなテメェ」
「本当の所は分からんがな。まぁ、約束した以上は行かねばなるまい」
「分からねぇも何も好き好きオーラが出てるじゃねぇか。あの子の眼にハートマークが見えてるぜ俺は」

そういって首を絞めてくる。
体毛が少しこそばゆい。

「ま、時間が何とかしてくれるって所かね」
「……そうだと、いいがな」
「かといって連れ込んだらお前特別メニューという名のリンチだからな。五十対一の訓練だ」
「…………そこはそのままなんだな。応援してるのか違うのかどっちなんだ」
「応援してるわきゃねーだろうが! こっぴどくフラれやがれこの野郎、独り占めにしやがって」
「…………そうか」

魔王を殺した。
そのときに私は、その庇護下にあったもの達の人生も殺してしまったのだ。
もしも逆の立場だったなら。
そう考えれば、彼女達に怒りを向けれる訳も無い。









「ね、これ何かな?」
「オルゴールだ。ネジを巻くと曲が流れる」
「んじゃこれは?」
「それは―――」

初めてみる品物なのだろう。嬉しそうに腕に抱きつきながら、ディアが問いかける。
酒場の一件の次の日、サウゼラはディアと市に来ていた。
彼女と共に街に出るのは初めてだ。
許可が中々下りなかったのだ。

一応、人質ということであったのだろう。
ようやくある程度の信用を得たか、と少し笑う。

「どうかした?」
「…………いや、なんでもない」

亜人の姿が大半で、人間は一割。
チラチラと視線を感じて、やはりまだまだ溶け込めるものではないか、と少しだけ感じる。
その多くは商人が大半で、サウゼラのように客として、市をまわっているものは殆どいなかった。

そこそこ市は賑わっていて、近々戦争が起こる、という悲壮感は感じられない。
覚悟しているのかどうなのか、それは定かではないが。

「…………サウゼラじゃない」

声をかけられて振り返る。
聞き覚えのある声。アリシアだった。
バツが悪いのか、少し照れたように頭を掻いた。

「……アリシア、か。今日は薄着じゃないんだな」
「あ、薄着が見たかった? 流石にあの格好で街中歩いたら連れ去られちゃうよ。何見に来たの?」
「特に決めては無い。ようやく許可が下りたから、この子に市でも見せてやろうと思ってな」
「ああなるほど、言ってた子だね。はじめまして、あたしはアリシア。お名前は?」

そういって笑顔でアリシアがディアに言う。
ディアは不機嫌そうに眉を顰めて、サウゼラの腰に抱きつき、そっぽを向いた。

「あれー…………嫌われちゃったかな。人見知り、ってわけじゃあ」
「無いとは思うが。おい、ディア、せめて挨拶はし返せ」
「………………」

それでも頑なに見ようとしないディアに溜息を吐く。
同じくうーん、アリシアが考え込む。
何かを思いついたような顔になって、ディアに近づき、視線を下げて話しかける。

「ディアちゃんは甘いものとか好き?」
「………………」

無反応のディアに、頭の上の耳をうなだれさせながら、助けを求めるようにこちらを見る。
サウゼラも少し扱いに困って、とりあえず機嫌を直そうと頭を撫でる。
ちょっとだけ目元が緩むが、それでも不満そうな顔をする。

「……サウゼラ、行こ」
「…………あの、ディアちゃん、あたし嫌い?」

コクリとディアが頷いて、アリシアが涙目になる。
わたし、何かした?
そう眼が訴えかけてきていた。

「あたし、子供には好かれる自信があったはずなんだけど……」
「残念ながら外れたようだな。しかしディア、こいつも唐突に嫌いと言われては立つ瀬が無い」
「……サウゼラ、この人の事好きなの?」
「どうしてそうなる……」
「最近いっつも、この人の香水の匂いするもん」

そこでようやくサウゼラも理解して、アリシアは驚いたような顔をして、同じように納得する。
大きく溜息を吐いて、しゃがんでディアを見る。

「こいつはグレン達と良く行く酒場の娘だ。良く喋るから香水の匂いがついてる、いいか?」
「へっへー、ディアちゃん嫉妬か。かわいーねー」

からかうように言うアリシアを少し批難するように睨むが、それをさらりと受け流す。
サウゼラに抱きつくディアに上から無理矢理抱きつくと、頭を撫でる。

「大丈夫大丈夫、そんな心配しないで仲良くしようよ」
「サウゼラ、取らない?」
「もちろん」

そういって笑うと、ようやくディアが腰から離れる。
一息吐いて、彼女の方を見る。

「お前の方は何を買って来たんだ?」

彼女が手に持った袋に視線を向けると、少し照れながら笑う。

「…………ヒミツ。お昼は食べた?」
「いや、まだだな。露天で何か見ようかと思ってたんだが」
「お、それは丁度いいね。ウチ来る? これからご飯作ろうと思ってたんだけど」
「…………あそこに住んでいるんじゃないのか?」
「違うよ。あそこに住んでる子は多いけど。ディアちゃんはどうかな? あまーいお菓子とかあるよ」

甘いお菓子と聞いて、ディアがピクリとする。
そしてアリシアとサウゼラを見て、少し考える素振りをしながら、渋々という感じに頷く。

「いいのか? 客に家を教えて」
「夜這いしに来る?」
「しないな」
「即答されるとなんだか微妙な気分だけど、あなたなら別に大丈夫だと思うし。それに…………」
「……分かった。行こう」

何を言おうとしたかを察して、そう告げる。
昨日のお詫び、そういいたいのだろう。

「そ、良かった」

そう笑うと、彼女は歩き出した。



[13777] 根の在処
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/06/28 19:51
十五





「どーぞ。適当に寛いで」

そういって通された家は、少し予想と外れていた。
少なくとも花売りの家とは思えない、そこそこの広さの一軒家。
少し疑問に思いながら見渡していると、彼女が答える。

「ママが貸してくれてるの。一人じゃちょっと広いくらいなんだけどねって、あ、他の子には秘密だよ」
「ああ」

あの酒場に初めていったときの、グレンとの会話を思い出す。

『なんたってナンバーワンだからな。あの娘っ子は花売りってより踊り子だ。連れ込めた奴は見たこと無ぇ』
『この宿でか?』
『ああ。店主もそれを認めてる。あの子見たさにここに来てる客は多いからな』

訳有りか、と納得する。
少なくとも、オーナーとただの踊り子ではありえない。

棚に入っていた袋の中からクッキーを皿の上に適当に盛り付けると、椅子の前のテーブルの上に置く。
食べていいよとアリシアが告げると、嬉しそうにディアが頬張る。
つくづく甘味が好きな娘だ、と思い、頬を緩めると、その様子をアリシアが嬉しそうに見ていた。
少しバツが悪くなる。

「いつもムッツリ顔なのに、こういう時は笑うんだ?」
「気のせいだ」
「ふふ、親子みたい」

そういって笑うと、キッチンに向かう。
足取りは軽やかで、尻尾は楽しそうに揺れる。
もう昨日の事のことが嘘のように見えるその様子に、少しだけ安堵する。

グレンにはああ言ったものの、正直彼女がいなければ、あの酒場の空気は少し辛い。

クッキーを一つ、試しに口の中に入れてみる。
甘すぎず、ちょっとした塩気がある。
少し湿気てはいたが、あまり甘味が好きではないサウゼラにも食べ易い。

ディアはどうだろう、と少し見ると、聞くまでも無い様子で、少し笑う。

「あまりがっつくと見っとも無いぞ。取る奴はいない」
「む…………分かってるよ」

ちょっと拗ねたように口を尖らせると、僅かにペースを遅らせる。
その様子がどうにも子供らしい。
最初に見たときには想像もつかなかったような表情で、泣いて、怒り、笑うようになった。
それがどうにも嬉しくて、甘やかしてしまいたくなるが、甘やかしすぎも良くないと思う。
難しい塩梅だな、と苦笑して、吊っていた皮水筒の水を口に含む。

「あの人、どんな人?」
「どんな人、と聞かれてもな。良く行く酒場の踊り子で、よく気が利くいい娘だ。まぁ、悪い娘ではない」
「ふぅん…………」
「嫌いか?」
「ううん、そうじゃないけど……」
「それならいい。色んな人と付き合って、仲良くしていけ。世界を広く持つのは、大事なことだ」
「わたしは、サウゼラだけいればいいよ」

そういう彼女の頭を撫でて、少し考えてから言葉を紡ぐ。

「そうも行かない。私達は、この国で生きると決めただろう? ディア、国はどうしてあるか、知っているか?」

無言で彼女は首を横に振った。
サウゼラは笑って、彼女の頭を優しく撫でる。

「世界は、一人で生きるには少し厳しく出来ている。寒さや飢えに耐え、外敵から身を守り、そうして孤独に生きていくのは大変なことだ」
「……うん」
「だから皆で、補い合う。何人も集まれば、寒さは癒え、協力すれば多くの実りを手に出来る。命を脅かすものたちへは協力して戦い、一人ではどうにもならないことを可能にできる。協力することによって、より豊かな生活を送るために、だから国というのは出来たんだ。今は、この国の皆がお前を助けてくれている、守ってくれている。お前はまだ子供で、一人では生きられないからだ。そうだろう?」

コクリ、と頷いた。
賢い子だ、と心の中で微笑む。

「しかし、大きくなって、色々なことができるようになった時、お前も同じように、みんなのために何かをしなければいけない。何故だかは、わかるだろう?」
「今のわたしみたいな、力の無い子供のため?」
「そう。皆で協力して、強い者が弱い者を助け、そうしていつか、弱かった者が、強くなった時に、皆を助けるんだ。それが国のあるべき姿で、理想の姿。もちろん本当にこの通りになんかは出来ないし、私利私欲でないがしろにする者だっている。悲しいことではあるが、それが現実だ。けれど私はディアが大きくなった時、こうした理想を目指すことの出来る強い者になって欲しいと思っている。こういう期待は、重いか?」
「ううん…………大丈夫」

眼を瞑って、しっかりとそう答える。
辛い半生を送ってきたのに、これだけ歪むことなく来れたのは、本当にすごいと、サウゼラは素直に思う。
相手が小さな娘であっても、尊敬に値すると、サウゼラは思う。

「……いい子だ。だから私は、お前に色んな人と出会って、色んなことを学んで欲しい。本だけではなく、世界に生きる人たちを実際に見て、会話し、友を作り、お前の可能性を広げて欲しい。だから出会う人とは可能な限り仲良くして欲しいのだ。お前が私を慕ってくれるのは嬉しいが、私とて、完璧でもない。失敗もするし、気をつけていても間違ったことをしてしまうかもしれない。そうなった時に、それを指摘できるような、そういう立派ものになってくれると、私も大いに助かる。もしも、そんな場面になった時、お前は私を正してくれるか?」
「…………うん、約束する。その時はわたしが引っ叩いてあげるから」
「そうか、それは怖い。私も気をつけなければなるまいな」

頭を撫でて、笑う。
失敗続きの人生だった。
だからこそ、そうならないよう子供たちには正しい道を進ませてやりたい。
老いたものだ、と少し笑う。
先に逝ったガルドが見たら、きっと大笑いすることだろう。

「……出来たよ。ご飯にしようか」

そういって出てきたアリシアは愉快気で、少し寂しげに映った。
聞いていたのだろう。
彼女は少し首を振ると、席に着いた。









食事を終えるとすぐにディアはうとうとし始め、アリシアのベッドの上で眠りにつく。
それを彼女は愛おしげに見つめて頭を撫でると、ワインを手に取りテーブルに置く。

「いい子だね」
「…………それを再確認していたところだ」

それを聞くと彼女は微笑み、グラスにワインを注ぎこちらに出す。
昼から酒かと呆れながら受け取り手に持つと、彼女のグラスと重ねる。

「あたしはさ、元は本職の芸人一座の踊り子だったんだけどね。魔王が死んだ後の狩りで、あの子と同じように捕まえられて売られたの」
「………………」
「貴族に買われて、三年程度。信用を得て、ある程度自由になれたくらいで逃げ出したんだ」

遠い眼をしながら、彼女が言う。
あの酒場の中に、彼女のような者は何人いるだろう。

「まぁ、逃げ出したはいいものの、行くあても無い。見つかったら追われる。だけど町の外には怖くて出れない、かといって戻れるわけも無い。そういう頃に、ママに拾われたの。ママはライカンスロープで、見た目自体は完全に人に化けれるから、街中でも普通に歩けたのね。どうしてわたしを拾ったのかって聞いたら、あたしが死んだ娘と似てたんだってさ」
「娘、か」
「そ。昨日、嫉妬したって言ってたじゃない?」
「ああ、意味は分からなかったが」
「あの子に、だよ。なんか馬鹿な話だけど、あなたに拾われたのが、ちょっと羨ましかったの」

そういってクスリと寂しげに笑う。
何かを言おうとして、言葉に悩む。

「あたしは踊り子だって言い張っても、今は所詮花売りだからさ。あの子みたいに、道が無いもの。ママには本当に感謝してるけど、本当のところは、どうなのかちょっと、分からない。踊ることが出来なかったら、人気が出なかったら、あたしはきっと、そうなってたから」
「…………」
「ごめんね、本当八つ当たり。あなたは気にしていない、なんて言ったけど、あたしは最低のことをしたの。だから、何も言わず謝らせて」

そういって立ち上がると、頭を下げる。
何も言わずに、それを見つめる。
そして、顔を上げると、不安げに告げる。

「……許してくれる、かな」
「許すも何も、気にしていない、と言った通りだ。それに、お前がいなくなれば、私はあの店に行けなくなる」
「ありがと……」

ホッとした顔で、彼女が眼を閉じて胸を撫で下ろす。
少しだけその様子が、こそばゆい。

ワインを口に含み、それからゆっくりと舌で味わいながらゆっくり喉の奥に流し込む。
開けてからそう時間は経っていないのか、風味はまだ飛んでおらず、そこそこには飲める。

「……私は、自分が正しいことをしたかどうか、未だに分からない」
「分から……ない?」
「少なくとも悪意を持って、事を成したのではないことは、確かだ。言い訳に聞こえるかもしれないが、あの頃の私は世界を救おうとしていて、そしてその分かり易い目標が、魔王を殺すことだった。それが間違っていたとは、思わない…………思いたくないのかもしれないが」
「…………」
「ただ、それが正しかったのかと言われれば、即答することも出来ない。少なくともそのせいで、別の多くの者が犠牲になったのだ。お前達から見れば私は、そのあらゆる可能性を摘み取った、悪魔のようにも映るだろう。お前が、八つ当たりだと言った言葉は紛れも無く真実で、正当なものだ。しかしそれでも、そう言ってくれたことは本当に、嬉しく思う。ただ、これは私が"背負うべき"罪であって、断じて許されていいものではない」
「そんなの…………」

何かを言おうとする彼女を抑えて、言葉を続ける。

「正しいことか、間違ったことなのか、それを決めることなんて出来やしない。ただ、一つだけ確かなことは、私がこれから眼を逸らしてはならないということだ。自分のやった事の、責任を取る。それが少なくとも、私に付き従い死んでいってものたちへの、一つのケジメであるつもりだ。彼らは私がやろうとしたことを信じ、命を賭けて戦った。私は私一人の命ではなく、死んでいった多くの者を背負って、ここにいる。だから私にはそれを見届け、間違ったことがあれば是正し、批難も真摯に受け止めなければならない、そういう義務と責務があるのだ。そしてそれが、確かな道理であると私は、思っている」
「…………辛いと思わないの? あの店にだって、あなたを恨んでる子は多いよ。そんなのを相手にしてたら、キリがないと、思わない?」
「まぁ、それで喜ぶ奴もいないさ。それでもそう決めた。私はあの娘に誓ったのだよ、必ず幸せにする、とな」

それを蔑ろにして、彼女を幸せに出来るとは思わない、そう続けて、笑う。
そしてそんなサウゼラを見て、彼女は少し呆れた顔をして微笑み、ベッドの上のディアに流し目を送る。

「へへ……」
「…………どうした?」
「あの子はもう十分幸せだと思うけどね。こんないい男に大事にされてさ」

ちょっと拗ねた風になって、いつの間にか空になったグラスに、ワインを注ぐ。
少しクサかったかと、サウゼラも笑うと、彼女は首を横に振る。

「もし…………本当に疲れたらさ」
「ん……?」
「あたしに言ってくれれば、"夢"くらい見せてあげるよ……」

顔を赤らめてそういう彼女は、酷くかわいらしく思えた。
そして、そう思ってしまう自分に苦笑する。

「……その時は、グレン達に殺されるだろうな」
「いい女のために、命賭けて見たくない?」
「…………そうだな」

椅子を立ち上がり、彼女の傍まで行くと、頭の後ろに手を置く。
茶色く長い髪が、さらさらと手に辺り、少しこそばゆかった。
そうしてそのまま、顔を真っ赤にしたままの彼女に口付けをする。

「まだまだ、命は惜しい。今日はこれくらいで止めておくとしよう」
「そのうちこれが頭の中から離れなくなって、今度は命を賭けてしまうかもね」
「それくらい、いい女になってくれれば考えよう」
「あたしがまだまだ見たいな言い方ね」
「こう見ても、年季があるんだ私には」

そう言って席に戻ると、ワインを喉に、流し込む。
アリシアは眼を丸くさせて、気が付いたように納得する。

「よくよく考えれば、おじ様な訳だ」
「だから子供二人程度、面倒見るのは難しいことも無い」
「えっ…………?」

さっき以上に驚いた顔の彼女を笑って、ワインをグラスに注いでいく。
こうして大切なものを作っていくことで、私はようやく、根を張れる。
この"世界"が、自分の居場所に変わっていく。

「……お前が望むのならば、な。二度は言わん、気長に考えろ」
「…………へへ」

そう告げると俯いて、嬉しそうに少し泣き声で笑う。
歳のせいか、酷く情に脆くなったかと、そう自嘲する。
しかしそれも悪くないと、少しだけ思った。

「……あたしがあの店から離れたら、サウゼラ凄い行き辛いでしょ? だから、ちょっとだけ待ってあげる」
「そうか」
「そのうち、そのうちあなたが、逆に身請けさせて下さいって言って来たりね」
「…………そうなることを期待したいな」

泣き声で、俯きながらそういう彼女は、殊更魅力的に映った。
惚れたのか、父性愛なのか、そんなことすら自分で分からず、苦笑して、グラスに口を付ける。
つくづくお前は優柔不断だ。
昔ガルドに言われた言葉を思い出して、今更になってようやく、その言葉に納得した。



[13777] 供物
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/06/30 20:03

十六



「それじゃ、また酒場で」
「ああ」

踵を返して手を上げると、軽く振って別れを告げる。
あの後も暫く彼女と他愛も無い話をして、日が落ちたくらいでようやくディアが眼を覚ましたのでお開きという形になった。
いい休日だったと、少し笑う。

「……嬉しそうだね、お話、楽しかった?」
「そう怒るな。お前がぐーすか寝るから悪い」
「む…………」

そういうと黙り込んでそっぽを向く。
頭を撫でると不機嫌な顔のまま、腰に抱きつく。

少しずつ、少しずつ。
居場所、友、戦友、家族。
そうして失ってしまったものを取り戻していけばいつかは。

そうすればきっと、"世界"と自身は近づいていく。
それさえを求めていけば、惑うことなどありはしない。
少しずつ変えていけばいいのだ、ここから、この世界を。

言葉がある。
知性がある。
だからいつかは分かり合える、そう思うのは、滑稽なことなのだろうか。

この国を、一つの国として認めさせる。
世界の道理を、少しずつ変えていけばいい。
あの紅い衣の娘のように、最初から諦めたりせずに。

「なぁ、ディア。いつか人と亜人は、共存できるようになるだろうか?」
「いつか?」
「ああ、いつかだ」
「わたしは、人のあなたと一緒に生きてるよ。この国だって、亜人だけじゃなくて、人間がいるじゃない」
「…………ああ、そうだな。戯言だ、気にしなくていい」

空を見上げて、息をつく。
先は長い。それでも、少しずつ進んでいけば、いずれは。
少しだけ、展望が開けた気になった。











「サウゼラ、話がある」

そうグレンが訊ねてきたのはそれから大体一週間ほど経った夜のことだった。
いつに無く真面目な顔で、グレンは部屋を出るようこちらに告げた。

「ディア、勉強もいいが早めに寝ろよ。子供は特にな」
「む……また子ども扱いして」
「成長しないぞ、きちんと睡眠はとらないとな。私はグレンと少し出てくる。多分―――」

目線で訊ねると、グレンが頷く。

「―――遅くなる。いい子にしておけ」
「悪いな嬢ちゃん、少しこいつを借りてくぜ」
「…………お酒飲みに行くんじゃないですよね?」
「ガハハ、違う違う、真面目な話さ。いつもいつも酒場じゃねぇ」
「まぁ、そういうわけだ。帰って来るまでは寝ていろ」
「…………はーい」

渋々という感じでディアが頷いて、サウゼラはグレンが部屋を出る。
レステリアが待ち構えたように目の前にいた。
サウゼラを見て、そしてグレンを見て僅かに眉を顰めたような気がした。

「出かける。根を詰めていたら、それとなく寝かしつけてやってくれ。私が焚きつけてしまったようでな」
「勉学に励まれるのは素晴らしいことです。承りました。戻られるのはいつごろで?」
「朝までには帰す。今日は話をするだけだ」

グレンが答え、レステリアが一礼をする。
いつも通りの慇懃な口調で、無表情。
鉄面皮というのはこういうのを言うのだろう。

「左様でございますか。起きておりますので、何かあればお申し付けを」
「いらん、ディアを寝かしつけたらそのまま休め。お前に体調を崩されても困る」
「……お気遣いは無用にございます。体調管―――」
「私が気を使うから、そう言ってるだけだ。命令しなければならないか?」
「いえ、了解いたしました。お心遣いありがとうございます。それでは」

そう告げると彼女はサウゼラとディアの部屋の中へ入っていく。
その様子を見てグレンが呆れて、笑った。
少し、含みのある笑い方で。

「…………えらく愛想の悪いメイドもいたもんだ」
「良く働くので助かってはいる。ああ見えて、ディアの受けは悪くない」
「とすると、あんたが嫌われているのか?」
「…………かもしれんな。まぁ、それよりも、だ。話とはなんだ?」
「俺の家に行ってから話そう。水漏れは困る案件だからな」
「なるほど」









「で、話とは?」
「…………ミラナ国内の好戦主流派リーダー格、セルバ伯の殺害だ」
「……正気か? 下手を打てば、この国に奴らが一気に雪崩れ込むぞ。成功したとて―――」
「王からの直接の命令だ、否とはいえん。それに、後者の心配は必要ない」
「どういうことだ?」
「向こうの穏健派と、取引が成立している。これが成功すれば、向こう数年は何とかなるだろう」

黙り込む。
グレンは真剣な眼で、サウゼラを見つめる。

「何もしなければ、どちらにせよ半年内には来るだろう。向こうはそう言っている、抑えきれない、とな」
「…………何故、たった三ヶ月の私なのだ? ミスは許されない、これはそういう仕事だ」
「お前が人間であること、能力が優秀であること、だの、色々理由はあるが―――」
「そういう意味ではない、聞きたいことは、分かるだろう?」

見当は付いている。だからこれは確認だ。
サウゼラがそういうと、グレンは少し考えた素振りを見せて、両手を上げる。
そうして溜息を吐いて、こちらを見据えた。

「―――話は変わるが俺には年の離れた妹がいてな」
「…………」
「無愛想が玉に瑕なんだが、兄馬鹿抜きに、昔から何をやらしても人並み以上に出来る奴なんだよこれが。数年前に、王に気に入られて、色々やってたようだが、最近仕事場が変わったらしくてな。優秀で、言われたことは忠実にこなす奴だから、兄としては心配でたまらん。どっかで無理してんじゃねぇかなってな」
「…………どこにでもいるものだな。そういう者には心当たりがある」

つまりは、ディアが人質。
この三ヶ月は、自分にとって、彼女が人質になりえるか、それを判断する期間だったというわけだ。
そうサウゼラは理解して、少し眼を瞑る。

「ああ、話の腰折って悪かったな、何の話をしてる途中だった?」
「……同行する人員についてだ。私の他には?」
「俺とあんた…………それとベルドだ」
「…………ベルドはともかく、お前が?」

ベルドはライカンスロープ、つまり完全人化を行える。
基本的に獣人は三種に分かれる。
完全に二足歩行の獣の姿をした人化の出来ない獣人。
耳や尾など、限定的な部分を除き、人化を行える半獣人。アリシアなどがこれにあたる。
そして完全なる人化を行える、ライカンスロープ。ベルドは、これだ。

良く観察すれば、慣れたものならばライカンスロープと人間の独特の雰囲気の差を嗅ぎ分けることが出来る。
が、普通に見た程度では区別はそう付かない。
見た目では一切差異が無いのだ。しかしやはり獣人には独特の雰囲気がある。
恐らくは、固有の魔力によるものだろう。

「馬鹿、俺は基本的にはこの姿だが……」

そういうとグレンは眼を閉じた。
光と共に突き出た口と鼻が縮み、骨格が変形し、ギシギシと音を立てて体が人のそれに変わる。
その様子に少し驚いた。

「完全な獣人だと思い込んでいたよ」
「獣の姿の方が、俺は楽なんだ。こっちは窮屈な感じがする。やはりあの姿の方が動き易いからな」
「そういうものか」
「少なくとも俺はな。まぁ、人化した姿の方が好きって奴もいるから、これはもう好みの問題だな」

顔立ちは、言われて見ればレステリアと似て無くはない。
グレンの人化した顔は、悪くない程度には整っていた。

「卑下するほど悪くはないように思えるがな」
「お前に言われると何かムカつくが、褒め言葉として受け取っておこう」

憮然とそういうとさっきの逆回しで獣の姿に戻った。
とはいえグレンはこちらの方がしっくり来る。

「…………で、ルートは?」
「山を抜けて、フェリアラからの討伐者を装う。ミラナ東の方の村で大蛇が出てるそうだ」
「規模は?」
「"村三つ"。まぁ知れたのが極最近で、フェリアラに依頼が行くまでの期間を考えるに、俺達が最速くらいじゃねぇか? それにそうそうそんな大蛇を討てる奴がいるとは思えない。噂に聞いたこともねぇ。ま、出発は明後日だ、それまでに髪を染めておけ。もうお前がここに来て三ヶ月は過ぎてるんだ、お前がここにいることが、噂程度になっていてもおかしくはねぇ」

村三つ。これは被害の程度であると同時に、その個体の強さを示す。
つまりその存在が、村三つ呑みこんで尚生存できているということだ。
どこの国にでも討伐者は少なからずいるもの。
そうであるにも関わらずそれらが返り討ちにあっている。

相当な大物である証左だ。

「仕方あるまい、自慢の金髪なんだがな」
「鬱病の癖に髪だけは一丁前と来たもんだ。黒染めしてる方が似合うと思うぜ」
「そういうお前は、お似合いな毛だな。ボサボサでだらしなさが滲み出ている」
「うるせぇ」

そういって笑うと、グレンは不機嫌な顔になった。
それを見て尚愉快な気持ちになる。

「クク、まぁそれは置いて置いてだ。中々大変な役目を引き受けてくれたものだ」
「そういうな、俺はあんたに巻き込まれたようなもんだからな。王とてあんたがいなきゃ、こんなことやろうとも思わなかっただろうさ」
「…………嬉しくはない話だな。荷物の方はどうなっている?」
「信頼できる商人に用意させている。あんたは髪だけ染めてくりゃあいい」
「そう言われると少々、手持ち無沙汰になってくるな」
「嬢ちゃんと遊んでりゃいいだろう、何しろ今生の別れかも知れん」
「不吉なことを言うな、お前が死んでもそれはない」
「その時は恨むぜ、俺はまだまだ楽しみたい」
「私もだ、相棒」

そういって右手を顔の前に上げる。
グレンはそれを見てニヤリと笑い、サウゼラの右手をしっかりと取り、握り締めた。

「汝、今を足掻け、知っているか?」
「死は訪れを覚悟するもの、されど生は掴み取るもの、だろ?」

グレンが得意げに返答する。
サウゼラはその様子に、少し感心した。

「聖書の言葉なんぞをよく知っていたな」
「神は信じてなんぞいねぇが、その言葉は好きだったんだ」
「気が合う、私もだ」

少し笑って手を叩き合う。

「三人欠けることなく、完遂しよう」
「もちろんだ、俺は仲間の戦死が死ぬほど嫌いだからな」
「クク、なら大丈夫か。私もお前の戦死は嫌いだからな、その時は焼いて土に埋めてやる」
「そいつぁひでぇ、気をつけなきゃな。俺は土葬が好きなんだ」

そう言って笑った。
避けえぬのであれば、足掻くしか道はない。

それが、どんな手段であったとしても。



[13777] 本質と妥協、善悪の倫理
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/07/05 23:31
十七





「今日は、何をしに来た?」
「用があってきたのはあなたでしょう? 知らぬ振りをすれば、それで終わった話です」
「何かあるとしか思えまい。夜中とはいえお前を往来で見るなど、正常の神経ならばこうなってしかるべきだ」
「観光に来ただけですよ、この国を」

くすりとあざとい笑みをこぼして、こちらを窺う。
上目遣いのその黒い瞳には、いつもの魔性の紅が僅かに浮かぶ。
見落とせぬ存在感があるにも拘らず、見落としてしまうほど存在感が気薄だった。
ともすれば、幽霊だと思うだろう。

「いい国ですね、人も亜人も混ざり合う。人が少ないのは、少し残念ですけれど」
「…………両者の間には、大きな壁がある。それでも、ここで亜人は、人を受け入れる努力をしている」
「人も然り。されど、世界はそれを許さない」
「少しずつ変えていけばいい。ほんの少しのズレなのだ。人は亜人と共存できる、ここがそのいい例だろう」

そういうと少し眼を見開いて、だらしなく羽織った紅い着物の袖で、口元を隠す。
幼子が夢を語るときに、親が向けるようなそんな眼で、朱音はサウゼラを見る。
サウゼラは少し眉を顰めた。

「イデア論、という考え方がありましてね」
「イデア論?」
「例えば三角形は誰しもが、理解すれば思い描くことが出来る。しかし、現実に出力する時には、完全なそれを生み出すことは出来ない。線で描けば、どれだけ突き詰めても極々小さな誤差が出ますし、厳密に言えばそれは線ではなく、太さを持った別の図形です。完全な正三角など誰にも描くことは出来ません」
「…………」
「善悪の概念にも、これを適用することは出来るのだ、とある方はいいましてね。皆が善を行おうとしても、言葉に出してみれば、行動にしてみれば、誤差が出てしまう。皆、同じ"善の本質"を持っているはずなのに――――――ああ悲しきかなこの世界、というお話ですね。わりとわたしは好きなんですが」

笑いながら、彼女はくるりと廻る。
紅い着物が、花のように広がる。

「それが…………なんだという?」
「人は不完全であるが故に、完全には到れない、ということですよ。世界の全てが善人だとて、世界平和には到らない。全てのものが同一の感性と感情を持ち、同一手段による出力をできる世界でなければ、群体として完全でなければ世界に真の平穏なんて訪れるわけもありません。そうでしょう? 別々の思想を持つ個体が二体存在する時点で既に、それは平穏ではないのです」
「……極論だ」
「ええ。とはいえそれを嘆いても完全に到ることなどありえはしません。完全なる平和の実現が不可能であれば、次は少しでもそれに近づける。わたし達が生きるは本質の世界ではなく、この物理世界なのですから。一人殺せば十人が幸福を得られるのであれば、その一人を殺す。そうした"妥協"に到るのは至極当然のことですよ、ねぇ魔王を殺した英雄様?」

聞いていたのか、と女を睨みつける。
彼女はそれを笑ってさらりと受け流す。

そうして気が付いた時には、サウゼラの目の前にいた。
まるで最初からそこにいたかのように、彼女は存在している。
眼を離してもいない。
それでも、サウゼラは気付くことなく、間合いに踏み込まれた。
空間跳躍か座標転移、その辺りだと判断する。

「……見失う認識などない。楽園など元より存在しない。"認識など常に変化するもの"、"楽園など生まれた時より喪失しているもの"。我々は生まれた時から本質より離れ、曖昧であやふやな世界で生きているのです。確固たる善も悪も幸福も、元より存在しはしない。倫理常識善行悪行、そんなものは全て、強者の戯言ですよ」
「……黙れ」
「人など、賢しくなっただけの獣畜生と変わりはしません。いつの時代も力が支配する。権力宗教暴力、言い方は違えど同じこと。わたしが、そんな遠回りをしないで済む、手っ取り早い方法を教えてあげますよ」

そういって耳に顔を近づける。
素肌の見える部分など殆どないのに、女の姿は淫らに映る。
彼女の姿は、言葉は、人を惑わす。
顔の横で、彼女の瞳がサウゼラを捉えた。
彼女の囁きが耳朶を震わす。

「―――力を持って人を統べよ」

囁き程度の声量であるのに、その声には力強さを伴っていた。
頭の中にまで響き渡る、声。

「己の倫理で法を敷き、感性を育み、たまに悪いものを刈り取ってやればいい。そうすれば少なくとも皆、今より平等に幸福を得られるだろうよ。お前とわたしの考えは、近似しているのだ。感性が似ているとも言える。わたしがお前を選んだ理由はそこにあるんだ、サウゼラよ」
「…………私は、貴様の思い通りになどならない」

吐き捨てるように、しかし明確に告げて、サウゼラは見据える。

女は美麗な顔に悪魔のような愉悦を浮かべ、離れていく。
そうして一転、童女のような笑顔を浮かべ、告げる。

「えっへっへー、そういうと思ってました。参考ですよ、考え方の。選択肢は広い方がいいでしょう?」
「…………」
「あなたの望みが大団円で終わればいいですけど、はずれちゃったら大問題ですもんね」

どうでも良いことのように、そう告げる。
彼女にとっては、サウゼラの意思も願いも、"その程度"のことに過ぎない。

言い切る彼女には、暗いものは少しも見えなかった。
子供のように残酷で、冷酷。
この女はきっと、この世の誰よりも獣に近い。
己のために、生きているのだ。

「まぁ、残念な結果にならないよう、決断は早めに行うべきです。大切なものが多いうちに、ね」
「私は……もう決めている」
「ふふ、それでもあなたは、その"可能性を手放せない"」

ポケットの中の血色の石が、震えた気がした。
何かを言い返そうとして、止める。
それを見て、彼女は嬉しそうに笑うと、踵を返して歩き出した。

サウゼラは、その立ち去る後姿を見送った。

「私は……その、ために、手にしているわけでは、ない」

呟いた言葉が真実なのか。
自分の言葉が、夢の中で吐いたかのように、曖昧に聞こえた。











夜更けになってようやく、部屋に戻る。
未だ起きているレステリアを見て睨みつけるが、少し疲れたように、扉の向こうに眼をやったのを見て、溜息を吐く。
まだ、寝てないのか。

ドアを開けると、枕を抱え込んだまま、うつらうつらとしている少女が眼に入る。
その娘は、サウゼラの姿が眼に入ると同時に、枕を手放して、眼を大きくする。
そして、サウゼラが叱り付ける前に、問いかけて来た。
真剣な眼で、叱る気力が萎えてしまい、また溜息を吐いた。

「…………任務?」
「ああ、簡単な任務だが、時間が掛かる。早ければ一週間、長ければ一月二月は掛かるかも知れん」

不安げにディアが見つめる。
それを笑って流し、頭を撫でる。

「大丈夫だ、よもや私が心配だなどと言い出さないだろうな。古竜ですら打ち倒した私に、怖いものがあるとでも?」
「…………頭使うお仕事だったら、不安だよね」
「……おい、失礼なことを言う奴だなお前は。私は強くて賢くて決断力に優れる大英雄サウゼラだぞ」
「ふふ……そうだ、ね……」

下らない冗談を言ったにも関わらず、ディアは笑いもしない。
どうしたものか、と考えて、目線を合わせる。

「……グレンさん、凄く真面目な顔だった」
「仕事の時はいつもそうだ」
「……サウゼラも、それ見て、真面目な顔になった」
「私はいつも無駄に深刻そうな顔をしているだろう。真面目なのだ」
「いつもと、違うよ……」

泣きそうな顔になって、俯く。
聡い子だった。人の顔を、よく見ている。
奴隷時代の名残か、天性のものかはわからないが、ただ、こんなところで発揮して欲しいとは思わない。
彼女には心配なんてせずに、笑っていてほしかった。

「本当のこと、言ってよ。難しい仕事なの……?」
「…………はぁ」

彼女の背中に手を回して、抱きしめる。
頭を優しく撫でながら、告げる。

「簡単な任務では、ないな。嘘を付いた」
「…………やっぱり」
「ただ、常人には難しくても、私には朝飯前だ。信じられないか?」
「嘘、ついたもん……」
「私はお前を幸せにしてやると言ったんだ。私が約束を違えるような、そんな男に見えるか?」
「…………見え、ない」
「だろう? だから、大丈夫だ」
「うん……」

彼女を抱え上げると、ベッドの上に寝かせる。
そうして頭を撫でると、少し嬉しそうに眼を細める。
とろんとしていて、今にも寝てしまいそうな様子だった。

「明日は休日になった。余り夜更かしすると、遊ぶ時間が狭まるぞ」
「また、こども、あつかい、して……」
「……子供だ。私の可愛い、な」

そういって額にキスをすると、幸せそうに眼を閉じた。
ようやく少し安堵をする。子供が泣くところは、余り見たくない。
頭を二三度撫でると、立ち上がる。
ドアの前には、きっとレステリアがまだ立っているだろう。

ドアを開けると案の定、レステリアが憮然として立っていた。
サウゼラに気が付くと、気持ちの入っていない、形だけは綺麗な礼をする。

「聞いていたかもしれんが、明後日から暫くここを空ける。ディアの世話は頼んだぞ」

レステリアは少し眉を顰める。
しかし、他に表情らしい表情を出さずに、返答する。

「承りました。しかし、一つ、よろしいですか?」
「なんだ?」
「隊長より聞いておられるのでしょう? どうしてそこまで平静なのです」
「私が仕事を全うするからだ。お前は何も考えず世話だけしていればいい」
「その自信が、過ぎたものでないことを祈ります」
「……本当に面白い奴だなお前は。しかし相手をするには少し、今日の私は機嫌が悪い。明日にして、寝ろ」
「……出過ぎたことを申しました」

そういって頭を下げるレステリアを見ずに踵を返す。
ドアを閉じる前に、一言だけ告げる。

「お前は彼女をどう喜ばすかだけを考えていろ。それが、"今の"お前の仕事だろう」

僅かに眼を丸くして、伏せる。
はい、と小さく言ったのを聞いて、扉を閉じる。

彼女はそれなりに、ディアを好いてくれているのだ。
だから、嫌味をサウゼラにぶつける。
いい友達を持ったものだと少し笑うと、サウゼラもまた、ベッドの上に寝転がる。



一人殺せば、十人が幸せになる。
それは善に到れぬ我らの"妥協"。

完璧なものなど、どこにもない。
だから勝者が、それを決める。

それが世界の理なのだ、と彼女は言った。

そして自分は、否定する言葉を持ち合わせていなかった。

知らず唇を噛んで、眼を閉じる。

結局、今回の暗殺とて、本質はそこから抜け出せていないのだ。
彼女が言う、理から。

サウゼラは、静かに拳を握り締めた。



[13777] 遭難
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/07/05 23:38
十八



「ここ、どうなるの?」
「これは―――」

問いかけるディアに、知らず微笑んで、レステリアが答える。
元々賢いのだろう。ディアはものを覚えるのは早い。
知らないこともすぐに訊ねるし、間違いを正せば素直に納得する。
不思議な気分だった。

汚れ仕事は幾らでもしてきた。
幼子を手に掛ける事もあったし、一家を丸々惨殺したこともある。
それでも心は平静を保てていた。
仕事であるからだ。

そしてそれを上手にこなせる、レステリアを、王は重用した。
人に誇れるものではないが、誰よりも、国のために働いている。
重用されるのは、その証。
それは語れぬにしろ、内に秘め、誇れる名誉である。

だからいつも、心を凍らせ、国のために刃を振るった。
そして今回、与えられたのも大役で、元覇者であるサウゼラの監視。
いつも通りこなせるだろう。
そうは思っていたのだけれど、少しだけ心が揺れる。

気付いたのは、三ヶ月彼らの様子を見て、彼女を人質になり得るものだと判断した、その日。
場合によれば、彼女を殺す。
いつものことで、別段、難しいことでもない。
一息の間に、殺せるだろう。
しかし、確かに戸惑いがあった。


情が移った。
一言で言えば、そういうことなのだろう。
思えばこれほど長く、殺害対象と触れ合ったことなど、ない。

世を斜に見た娘であればよかったのだ。
だが、彼女は聡明で、素直な娘だった。

様々なことに驚き、泣き、笑う。
精一杯世界を感じて、彼女は楽しそうに生きている。

こうした命を、自分は国のために奪ってきたのだ、と実感した。
無限の可能性の開ける、子供達の命を、より大きなもののために。
少しだけ、レステリアは自分の仕事を疑問に思う。

この娘は、覇者サウゼラへの人質。
愛すべき子供である彼女は、国から見れば人ではなく、ただの物なのだ。

『ディアは、勉強が好きなんですね』
『んー……好きって言うのも、あるけど』
『他に何か理由でも?』
『こうして勉強しておけば、将来、わたしもサウゼラや、わたしみたいな子供の役に立てるかなって思って』

彼女は、善良な少女だった。
それすら、大きな事情が重なれば、他人の手で死を迎える。
疑問に思ってしまえば、頭から離れない。

正しいのだろうか。
国の観点から見れば、それは正しいことだ。
しかし、人の観念から見て、それは正しいといえるのか。

間違っているのではないか。
そう思ってしまって、首を振る。
それは自分の人生を否定する言葉で、今まで積み上げてきたものが崩れる言葉だ。

「どうしたの? 難しい顔をしてるよ?」
「ああ、いえ。この勉強が終わったら、次は何を教えようかと思いまして」

そんな思考を、胸の奥にしまっていく。

『お前は彼女をどう喜ばすかだけを考えていろ。それが、"今の"お前の仕事だろう』

そう、そんなことを考えることはない。
今の仕事は、ただ、それだけ。
殺せといわれたわけでもない。
ただただ今は、そんなことを考えることなんて、しなくていい。

逃げであることは分かっていた。
だけれども、自分の不思議なその感情が、すべてを壊してしまいそうで、怖かった。

言われたことを淡々と行う人形でなければいけないのだ。
だから、余計な事を考える必要は、ない。

そう納得して、ただただ彼女の姿を見つめた。
心の底に、確かな軋みを残しながら。









「―――ここから一先ず、北西の森に入る。地図に渡したとおり、フェリアラ、ミラナ間の街道に出て、そこからミラナへ向かう」
「対象の居場所は分かっているのか?」
「一応は自分の屋敷にいるそうだ。ミラナの中では一番グランメルドに近いが、だからといって流石に南から直接向かって、というのは流石に拙いしな。遠回りになるが、まぁ、仕方ないだろう」
「……隊長、目標以外の殺害に規定は?」

ベルドが問いかけて、グレンが少し眉を顰める。
腕は立つのだが、ベルドは突撃隊の亜人の中でも特に人嫌いなのだ。
未だにサウゼラと仲はあまり上手く行っていない。

「条件付で可。ただし、不用意な殺傷は禁止。意味は分かるな?」
「障害になる人物、または今後に影響をもたらす人物であれば、遠慮なくやらせてもらってよろしいということですね」
「そういうことだ。だが、分かっているとは思うが―――」
「いくらなんでも、流石に屋敷丸ごと血風呂にする気はありませんよ。障害になる相手であれば容赦はしませんが」

笑いながら、しかし憎悪を込めた言い方で、そう切る。
ベルドは両親と妹を、無残に処刑されたそうだ。
彼の恨みは、人一倍大きい。
それを分かっているから、グレンも彼に余り強く言えはしない。
魔王の死から続く、この処刑という名の祭りがどれだけ非道なものか、知らない者はいない。
亜人の尊厳を踏みにじる、腐った催事。
それを恨まずにいれるものなどいはしないだろう。

「分かっているならいい。走れば向こうまでは三日で着く。ミラナで宿を取り、一晩休んだ後、伯爵領へ向かう。詳細な案は現地についてから決めるが、まぁ、外で殺すか中で殺すかの違いだ。サウゼラ、あんた、隠蔽の魔術は?」
「可能だ。腕の立つ術者がいない限りは気付かれはしまい。無意識干渉と物理干渉、両方使えるが、知人に言わせればまだまだ構成が甘いそうだから、使わないに越したことはないんだがな」

無意識干渉、物理干渉について語るには、まず、魔術の根本から語る必要がある。

存在は皆、物質的、霊的に世界に存在しているとされている。
そして世界は物質的、霊的な"緩やかな重ね合わせ"の上で初めて形作られているという原初法則の上に成り立っているものらしい。

物質的な運動は、物理的な現象として物質世界に働き、霊的世界に緩やかに干渉する。
霊的な運動は、霊的な現象として、霊的世界に働き、物質世界に緩やかに干渉する。
この二つの世界を、霊的世界からの擦り合わせを行うことにより、物質世界に具象化させる。
それが魔術であるのだと、学び始めた時にサウゼラがまず覚えたことだ。

隠蔽魔術も当然のことながら、この大きな法則の内に成り立つものである。

隠蔽の魔術は大きく二つに分かれ、一つは無意識干渉、そしてもう一つが物理干渉。
結果は両者とも、隠蔽を目的とするが、これらはアプローチの仕方が異なる。

無意識干渉は、霊的世界からの働きかけにより、隠蔽したい事柄を意識させないようにして、注意を逸らす方法。
物理干渉は、もっと物理的世界にある、隠蔽したい事柄に対しそれを行う。
分かりやすくすれば音を消し、隠蔽物を透明化させる。
どちらも一長一短で、無意識干渉は霊的な歪みを起こしてしまうため、自分を上回る技量の魔術師であれば、場所や術式を特定できずとも、違和感に気付く可能性がある。
物理干渉は、注意深く魔力視によって探査されれば、すぐに音はともかく、物の隠蔽は容易く露見する。

元々魔術というのは霊的干渉を用いるものであるが故に、使えば勘のいい人間なら違和感に気付くのだ。
だからなるべく使わないに越したことはない、とサウゼラは告げた。
亜人特有の匂いというのも、つまりは物理世界と霊的世界での齟齬による違和感によって生まれるもの。
あらゆる生物は無意識に、霊的なものを感じることの出来る素養がある。
魔術は恐ろしいほどの力を持つが、だからといって万能ではないのだ。

サウゼラの言葉に、多少の知識はあったのかグレンはすぐに理解を示す。
ベルドのほうは少し首を捻っていたが、グレンが分かりやすく噛み砕いて説明すると、簡単にだが一応の理解を示してくれた。

「ま、いざって時にはあったほうが心強い。お前のことだから、術の構成に何十秒も掛かるとは思えねえしな」
「長くても十秒はかからん。まぁ、タクティカルバレットとして保持しておくから、使うときに時間を気にする必要はない」

タクティカルバレット、というのは詠唱を中途停止した状態で保持すること。
この状態で保持しておけば、必要な時に瞬時に術式を発動できるのだ。
そういくつも出来るわけではないが、簡単な魔術に留めれば、二つ三つ、保持するのは難しくない。
隠蔽は動かないものを対象にして使うのであれば、どちらかと言えば簡単な魔術に属する。

「流石屠竜の討伐者様は出来が違うな。俺は魔術なんて三日で諦めたぞ」
「完全変化を行えるライカンスロープは比較的素養があるはずだがな。お前にやる気がないだけだろう。ある程度根気がいる」
「け、まぁ俺にはこの肉体があれば十分さ。なぁベルド」
「まぁ、有りゃ便利そうですがね。少なくとも、今回は役に立つでしょうし」
「本当だぜ。こいつの束縛の魔術なんざ、されてるこっちからすりゃ殺してやりたいくらいむかつくが、敵に使うならこれ以上のもんはねぇだろう。ひでぇ働きすんじゃねぇぞ、いつも蓑虫にされてる割りにあわねえからな」
「酷い言われようだ。毎度馬鹿みたいに捕まるお前が悪いんだろうに」
「馬鹿野郎! あんなの避けれる奴がどこにいるんだよ!」

そういって怒鳴るグレンを笑って流す。
容易く避けて剣を喉元に突きつけた、あの女を思い出す。
それでもまだまだ、完全ではないのだと、言おうかと迷い、止める。
あんなものがそうそういてもらっては困る。

「まぁ易々と避けられても困るがな。なんにせよその時になってからだ。特に事前に打ち合わせしておくこともないだろう」
「ケッ、まぁいいさ。ベルド、準備は」
「大丈夫です、いつでも」
「よし。分かっているとは思うが、今回のこの任務は、グランメルドの存亡に関わる大仕事だ。間違っても失敗は許されない。しかしだからといって、己の命を安く扱うな。決死の覚悟と未来の展望、二つをもって事にあたり、三人でここに戻ってくる。いいな?」
「矛盾しているような気がするが、了解だ"隊長殿"。必ず三人で」
「帰ってきたら気前のいい隊長が豪華な馳走を奢ってくれると信じてますんで、死ぬわけにはいきませんね」
「ああ奢ってやるとも。まさか俺にそんなことまで言わせて、すっぽかす様な事があったら墓に小便掛けてやるからな」
「……それは勘弁ですね」

そういってベルドが笑う。
必ず、三人で戻る。
サウゼラは、死ぬことが出来ない。
そして彼ら二人も絶対に死なせてはならない。
この国にとって、掛け替えのない人材なのだ。

グレンが拳を上げる。
それに合わせ、サウゼラとベルドが同時に拳を上げて、三人の拳を打ち鳴らす。

どんな障害があったとしても、全て薙ぎ倒し、踏みつけ進む。
そういった軍人の覚悟を、心に決める。

個のために、群を想い、そして群を想えば、個を蔑ろにする。
因果なもの。
正道は一体、どこにあるのか。

考える時間もない。
それすら分からなくても、進まなければ、全てが終わる。

少しだけ、自分の不甲斐無さを呪った。



[13777] 積み木遊び
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/11/28 01:25
十九




『魔王は魔王になるべくして生まれるものではないんだ。みんなみんな後天的さ。もちろん、私も元人間。そして――――』

女は笑みを濃くして、言った。

『―――その殆どは、元覇者なのさ、サウゼラよ。魔王を殺した後に広がる世界を見て、覇者は絶望し、そして堕ちるのさ、私のように。落ち着いたら旅をするがいい。お前もきっと私と同じ光景が見えるだろうさ』
『……戯言だな』
『戯言か、上手く言う。まぁしかし、言われて見れば世界なんてものは、喜劇のようなものだよ。知らぬ間に…………そう、私も私で、道化の衣装で踊っていたのだ。道化から出る言葉なんてものは、戯言以外にありはしないだろう?』

愉快気に哂って、眼を閉じる。
その様が酷く清清しく、そして美しく見えた。

『―――いやあるいは、この世には道化しかいないのかもしれんな』

全てを言い切った、という表情、仕草。
その言葉を吐くと同時、魔王は静かに眼を伏せた。






『こんばんは』
『誰だ、お前は』
『通りすがりの神様天使様、はたまた大悪魔なのでしょうか。人にしか見えぬのに、人でないこの出で立ち、ああ、おそろしや』

真っ赤な衣を着た女だった。
この世のものとは思えぬほどに幻想的で、現実ではないような気がしている。
しかしそうであるとするならば、余りにも気配と魔力が感じられない。
ああ、ともすれば夢なのかもしれぬ。
今日は歌い騒ぎ、酒を煽った。
ならば夢を見ても可笑しくはあるまい。

『……枕元に立つのは淫魔の類だ、そのどれにも劣るな』
『お告げをする神様だって枕元に立つらしいですよ、時々は。雷と共にどどんというのも流行らしいですけれど』
『くだらん、目が覚めれば忘れるような夢の類だろう。自称賢者のお前は何を告げる? 預言託宣か。それとも死か?』
『いいえ何も。貴方と少し話したかっただけですよ、真実は聞いたものの中にしかないのが預言託宣の類でしょう? これは預言ですと伝えるなんてうさんくさい』
『案ずるな、貴様に既に信はない』

あらそうですかと袖で口元を覆って笑う。
確かになる視界に徐々に女の輪郭がはっきりしてくる。
美しい、とただ、感じた。
顔とて人それぞれに好みがある。
しかし"これはそれとは関係なく"、ただ美しい。
女は、何かを超越した美を持っていた。
自身の女性偶像が出た結果であるのか、と少し笑い、ただ美しいという、理想の姿の女に見惚れる。

女がそのまま、口を開く。
鮮明になってきた言の葉も、酷く良く聞こえた。
鈴の音色のように透き通った声。
女は全てが、最高の素材で作られている。

『いいこと、一つ。何かを崩すという事は、その上に誰かが積み重ねてきたものを崩すこと。果たして貴方が目指す理想は、どこにあったのでしょう? 巻き添えを喰っていないといいですよね』
『何を、言っている?』
『貴方が崩した積み木はどこで、貴方が目指した形はどこか。ふふ、まだきっと、分からないでしょうけど、いずれいずれ』
『…………何者だ、貴様は』

朧気に感じていた幻影が、ようやく鮮明になる。
それと同時、呪縛が解けたかのように、体が動いた。
女は視界に映る。
耳にも聞こえる。
ただ、ここには存在していない。

体が震えた。

世界がようやく現実に移行する。
悪寒がようやく、戻ってきた。

『わたしは大いなる積み木遊び職人なんです。積んだり崩したりして、整えようとするんですけどね、中々これが難しい』
『ふざけるな。貴様は、何を知っている?』
『まずは崩した積み木達を探さなきゃいけませんね、これから、何年も掛けて』

女が円を描く。
鮮やかな動きでゆっくりと、そう眼には映るのに、体は自身の思考についてこなかった。
知覚速度に、体がついていっていないのだ、そう理解する。

そして私はただ、あざとい笑みを浮かべて女が消えるのを、黙ってみていることしかできなかった。



それから数年を掛け、世界を旅をする。
世界は一見美しかった。

崩れた積み木の上に立つ、綺麗な綺麗な、積み木の城。
世界はよく見れば醜かった。





『大多数の意思だけが尊重されれば、それが道理、それ以外は外道だとでも?』

そんな事があるわけがない。
人それぞれに信じる真実があり、そして信じる道理がある。
どれが正しく、どれが間違っているかなど、誰にだって決める権利などない。

皆、最終的に目指すものは一つ。
全てのものは皆、意識無意識はあれど、自身の幸福という過程であり、終点に向かっている。
違う道をとったとて、それが責難を受ける理由になろうか。

太い道と細い道、ただそれだけの違いなのだ。
それが大きな道だからと、細い道を踏み潰す理由になどなってたまるものか。

『それに…………本当は分かっているんでしょう?』

本当は、分かっているのだ、あの女の言う通り。
自分の考えが、彼女の考え方に近いということは。
犠牲を払って、より良き結果を得る。
己が望む世界の在り様に近づける。
そうしてずっと、自分は生きてきたのだから。

全ての道理を貴べといいながら、全ての道理を踏みにじって。

世界の全てが善人だとて、世界平和には到らない。
ならば私が。
この世界は、御伽噺ではない。
全ての道が一つに交わればいいなどと、そんなのは、夢物語なのだ。

分かっている。
そんな夢は遥か昔に捨て去った。
しかしそれでも、それでもここに私は立っている。
私がまだ、何かできると信じて。

『―――力を持って人を統べよ』

しかし結局、本能に任せれば、行き着く先はそこになる。
力があれば、己の思うがままに、法を敷き、定め、教えれば、いつかは私の望む世界になるだろう。
どれだけ理性の皮を被ろうと、本性は獣。
そしてあの女は、それを知っているのだ、そしてそれを嘲り哂う。

「クソッたれ……」

天に唾棄した唾は自身の体に降り注いだ。
しかしそれでも、汚物に塗れて、尚、呪う。

チャンスはある。
手を伸ばせば、すぐにでも届く。
国一つ守ったところで何になる。

目指すものは、そんなところじゃないだろう。
御伽噺ではない。
だから、強大な力が要る。
色んなものを踏みにじって、理想のものを作るために。
私が魔王にならなければ、きっと新たな魔王をあの女は選ぶだろう。

そいつを、果たして信頼できるのか。
できるわけがない。
それを、私は分かっている。
なのにこの道を選ぼうとする私は、ただ責任や憎悪から逃げるための逃亡先としてあの子を選んだだけではないのか。

『ふふ、それでもあなたは、その"可能性を手放せない"』

今の選択が正しいと思うならば、惑うのは一体何故か。
私はディアをダシに使って、楽な方向を選ぼうとしているに過ぎないのではないか。

加害者にも被害者にもなるのを恐れて、ただの傍観者として。





目が覚める。
小汚い宿の一部屋。
びっしょりと汗を掻いた額を拭って、息を吐く。

眠りから醒めれば、そこには積み木も道もなく、ただの現実だけが広がっていた。



[13777] 獣の舌と、人の味
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:ecabe810
Date: 2010/11/28 01:36
二十



――――――嫌な夢を見た。
そう呟くと、上体を起こして、魔力を体中に軽く通す。
血の巡りを強制的に回復させる事で、不快感はある程度拭い去ることができた。
ベッドの上で、昨日までの事を考える。

幸い、例の大蛇のおかげで、同業者―――今現在は討伐者に扮している―――の姿も多く、サウゼラ達の姿に違和感もなかった。
夜営を行い、時間を遅らせたおかげで、同一方向からの旅人の不信も拭うことも出来た。
前の町で全く見たことのない連中が、同じ街道から来るということに違和感を覚えるものが稀にいるのだ。
特に行商人たちであれば、街道の繋がるフェランという街の門前で商売をして、こちらに向かうという形であるため、商売柄討伐者の姿を覚えていることが多い。
なるべく少しでも多くの人間に故意の情報付けを行うためになるべくゆっくりと歩くことになったが、まぁ、しないよりはよかったろう。
その程度の気休めではあるが、少しでも疑われる要素は少なくすることに越したことはない。
特に地域的な状況は不安定。
聖教の魔女狩りのように、あらぬ疑いで吊し上げになるのは御免被りたいところである。

門番をしていたのは意識の低い、見るからにやる気の無さそうな、衛兵だった。
荷の点検はおざなりで、ミラナの程度が窺える。
門兵の教育度合いによって、その軍隊の力を透かし見ることが出来ると言われる。
門兵は全ての旅人が眼にするその国の兵士、つまり顔だ。
それが"あれ"では、どう思われるかなど言うまでもなく、だからこそあらゆる国は門兵にはある程度優秀な者を置く。

あとで訓練場も見るつもりではあるが、この分では大したことはないだろう。
国と国での戦いであれば、勝てる。
国同士、という前提であれば、確実にだ。

「起きたか?」
「……ああ。どうやら私が一番遅かったようだな」
「魘されてたぜ。悪夢でも見たか?」
「…………悪夢を見たときの夢を見た。昔のことさ」
「そうか」

投げてきた果実を受け取ると、そのまま皮ごと齧る。
甘みはそこそこ。初めて食う果実であるが、悪くない。

「ツリドロ食うのは初めてか?」
「ああ。林檎に似てるな」
「同じようなもんだ。それより、今日はどうする?」
「ベルドは?」
「ギルドで仕事を請けに行ってる。例の大蛇だ、保険にな」
「なるほど。それじゃあ俺は町でも見てくる。お前は?」
「情報屋のツテがある。信用できる筋だ」
「わかった。また晩にでもこの宿で」
「ああ」

サウゼラはツリドロをもう一つ手に取ると、袋に仕舞って扉を開ける。
グレンもまた、それに倣った。







街の活気はそこそこ。
いつ戦争が起きるか分からない不安定な状況故か、全体的に住人は浮き足立っている。
中央広場には群集。
真ん中では獣人が磔にされていた。
溜息を一つ吐く。
そしてサウゼラは少し顔を歪めると、そこを横切ろうとした。

「大将じゃないですか」

サウゼラの左後方から、低く、しかしはっきりとした声。
サウゼラを大将などと呼ぶ人間に心当たりは多くない。
振り返るとそこには数年来の顔があった。

「ゲルティアか」
「…………久しぶりです大将。よもやこんな東で貴方と出会うとは」

一般的に見れば長身とされるサウゼラと比べても、男は頭一つでかい。
筋肉の鎧を纏った、巌のような男。
黒い髪と短い髪、武人の覇気を纏ったその男は昔、ガルドの右腕だった男だ。

「竜はどうした?」
「あいつは屋敷に。さすがに飛竜を街中でつれて歩くわけにもいけませんからね。今はミラナの食客です」
「…………食客、か」
「ええ。大将はどうしてここに?」
「大蛇が出たろう? 身分を隠して討伐者をやってる。未だ治安は良くないからな」
「魔王を倒して討伐者って、少しくらい落ち着いたらどうです? ハーレムでも作って一生遊んで暮らしてたって、罰があたりませんよ。大将はそれだけのことをしたんです」
「ガルドならそれもありえそうだがな」

違いねえ、とゲルティアが笑い、サウゼラも笑う。
食客、という言葉が頭で響く。
竜騎兵として、大戦初期から付き従ってきたゲルティアは一騎当千の猛者だ。
できることならば、戦力的にも精神的にも戦いたくはない。

「立ち話ってのもよろしくない。良ければどうです、屋敷にでも」
「屋敷? そういえば住んでいるのは城ではないのか?」
「城だと色々面倒でしょう。俺もガルドの兄貴と一緒で堅苦しいのは苦手ですから、空きの小さい屋敷一つ借りさせてもらってるんです」
「なるほど。それじゃあ、厄介するとしよう。近いのか?」
「ええ、すぐそこです」







案内された屋敷は小さいという言葉の通り、それほど大きい物ではなかった。
簡素な作りであるが、最低限の設備は有り、専属の料理人まで付いている。
小さいながら悪くはない。
通された客間もまたソファと小さなテーブルが置いてあるくらいで、これもまた簡素だった。
調度品もそれほど多くない。

「面白みのない部屋でしょう?」
「いや、シンプルでいい。派手なものは好きではない」

召使がカップを並べ紅茶を注ぐと、恭しく礼をしてすぐに立ち去った。
声の届く範囲には、少なくとも人の気配はない。

「…………大将は、グランメルズに?」
「知っていたのか」
「実は獣人二人と街に入ったところを見てたんですよ。たまたま、ですが」
「報告はしたのか?」
「いえ、誰にも。安心してください、獣人の気配を探れるような人間はここにはいません。獣人を毛嫌いしている弊害ってやつでしょう」

そういって紅茶に口をつけた。
巨漢に紅茶は似合わないものだと思いながら、サウゼラも紅茶に口を付ける。

「…………色んな国を旅した。そして、行き着いたのがグランメルズだった、という話だ」
「……気持ちは分からないでもないですがね。戦いもせず助けを求めて怯えてただけの連中が、溜まりに溜まった鬱屈をようやく晴らせる相手ができてどこもかしこもお祭り騒ぎだ。大将や兄貴が目指したものに、クソ擦り付けるようなことをしやがって」
「……お前は変わってないな。少し安心した」
「そう、ですかね」
「立場は変わったかもしれないが、本質は変わっちゃいないだろう」
「…………俺はお二人と違って、弱い人間です。こうして今を嘆いたところで、俺の立場はミラナの食客。中央広場じゃ今もお祭りだってのに、不愉快に思えど、見てみぬ振りです。俺も、歳をとりました」

そういって、寂しげに笑う。
四十を少しまわった所だったかと、ふとゲルティアの歳を思い出す。

「これからのことだとか、家族のことだとか、そんなしがらみに囚われて、若いときにあった気持ちってやつを、忘れちまったのかもしれません」
「嫁を……貰ったのか?」
「俺には勿体無いくらいの器量よしです。今は二人目のガキが腹の中に」
「……そうか。しかし守るものがあれば、安定を求めるのは必然だろう。お前が悪いわけじゃあない」
「その安定も大将がグランメルズだって聞いて、消えちまいましたがね」
「…………戦争を起こしたいわけじゃないさ。私は少なくとも、な」
「俺もです。大将が"あれ"を殺るなら、間違いはない」
「詳しいな、ただの食客じゃなかったのか?」
「微妙な立場ですからね。嫁はミラナ王の末娘、俺に不向きな政治の話も否応なくです。一応は有望株扱いですから」

くだらない、といいながら目線を落とす。
サウゼラの記憶の中のゲルティアは、もっと荒々しい男だった。
ガルドと二人で敵陣に切り込む気概と、罠と分かって食い破る獰猛さ。
思えばガルドもこいつも、沸点が低いところが頭痛の種だった。

「…………お前はこの世界をどう思う?」
「……さっき言った通りです。くだらねぇ、腐った世界ですよ」
「いずれ、変わると思うか? 時間が解決するだろうか」
「…………どうでしょうね。色が違う程度であれば、時間と共に何とかなったかも知れません。けど、俺達と亜人は、余りにも違いすぎるとは思いませんか?」
「違う、か」
「俺たちゃ戦で相手を殺す。戦場に出るんだから殺されずに殺せるよう鍛えてはいるし、人種の違いを言い訳にする気もねぇ。機会がないですからね。生まれ持ってのものも、平均値もやつらと俺達とじゃ全く違うが、戦場での真実は一つだけ。そりゃ強さです。人間のなかにだって大将や兄貴、不肖ながら俺みたいなのもいるし、向こうもそうでしょう?」
「……そうだな」
「勝ったものが正義なんてなぁ、単純明快で分かり易い。だけれど、戦士はいつだって、少数派だ。国を動かすのは結局、狡知な野郎と怯えてばかりで努力もしねぇ愚図の群だけ。だから世界はこんななんです。いつの時代も貧乏人が金持ちを僻む様に、持たざるものが持てるものを妬む。そしてそれが悲劇極まりないのは、そんなやつが大多数だってことです。いつまで経っても何だかんだと自分に言い訳つけて愚図は努力しねぇから、最初から持ってるやつらに勝てやしねぇ、そして勝てやしねぇからいつまでも妬む、僻む。これはもう、摂理ですよ」
「摂理…………」
「魔王みてぇに、亜人寄りのやつが力で世界を支配するか、それとも妬み僻まれ慎ましく過ごすか。二つに一つなんじゃねぇのかと、俺は思います。世の中平等じゃないんです、そして不平等だからこそ妬みや僻みで差を縮め、迫害する。俺も大将も兄貴も、殺し殺されの世界にいる獣だから、そういった感情が薄いんですよ。俺たちゃ"人皮の獣"です」
「なるほど、分かり易い例えだな。私達は人皮を被った獣というわけか」

長口上で少し疲れたか、一息を付いてまた紅茶に口をつけた。

「獣ゆえに妬まず僻まず、だけどそれじゃあ人の群にははいれない」
「だから煩わしくも、人の皮を剥いで着る、と」
「愚図の群にゃ、愚図しか入れねぇのが道理です。やつらは妬む代わりに妬まれるのも怖いから横並びを好むんだ。ただ…………俺は、人の皮を被ってるうちに、人の皮が獣皮に張り付いちまったみてぇです。笑ってください」
「…………笑えるものか」

サウゼラはそういって、無表情に紅茶を啜った。
人間の味は、こうも甘い。



[13777] 悪魔の論理
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:5c97c84b
Date: 2011/04/11 18:03
二十一





「……来たな」

目線でグレンとベルドに合図を送る。
二人は頷き、目立たぬよう黒塗りにした剣を鞘から引き抜いた。
林道、その丁度真ん中でサウゼラたちは待機していた。
古典的な戦術であるが、戦力差が安定している状態でこれ以上の策はない。
警戒していようがしていまいが、取りこぼし難いこのやり方は状況としては最適だった。

護衛は二十、騎兵が十六と、馬車の上に四。
魔術師はいない、と直感的に理解する。
あまり盛んではないのだろう、または嫌われているのか、ともかく好都合ではある。

安心して、大規模な魔術を行使できるからだ。

サウゼラは彼らを囲うように、霊的な円を描く。
円は内と外を分ける結界。その領域内に自分の望む式を描き、具象させる。
オーソドックスな魔術行使である。が、しかしこれがもっとも安定していて、気づけぬ常人を相手取るにはこれで十分。

『命ず、天に落ちろ』

サウゼラは結句を告げて、右足で大地を鳴らす。
瞬間、辺りは燐光を放ち、騎兵たちが空に舞い上がる。


重力反転。
指定領域内での天地を入れ替える。
身体強化を行える人間や魔術師であれば、何のこともない術であるが、唯人を相手にするならばこれ以上のものはない。
100mも飛ばせば、まず死ぬだろう。

「…………話で聞くのと見るのとは大違いだな」
「顔の判別ができる程度にしなければならないという条件付だ。炎は使えんし、他もあまり得意ではないからな」
「まぁ間違いはないだろうが。やつらも仮に襲撃を予想はしてても、よもや自分が空を飛ぶとは思っていまい」

それはそうだろう、とサウゼラはもう一度右足を鳴らす。
周囲を支配していた魔力が霧散して、天地は常の状態に戻る。
自然落下に対処できなければ、もはやどうしようもない。

「ベルド、外の息のあるやつは全員楽にしてやれ」
「はい、予定通りに」

数秒の後、轟音が響く。
金属と体のひしゃげる音、悲鳴。
苦痛に蠢くだけで、動けるものはいない。
ベルドが一人一人に止めを刺していくのを横目に見ながら、サウゼラとグレンは馬車の残骸に向かう。
表にいたベルド伯は、憤怒の形相でこちらを見ていた。
何事かを告げようとするが、代わりに血を吐き、咳き込む。
サウゼラはハルバードをゲートから取り出すと、躊躇なく振り下ろして頭を割る。

「……馬車の中も一応確認しておこう」

グレンが頷き、残骸に近づこうとするのを手で止める。
サウゼラは簡単な衝撃の魔術を構築すると、それで残骸を弾き飛ばした。
中から残骸とともに、女の遺体が転がった。
わずかにサウゼラは、眉を顰めて、近づく。
よくよく見れば、彼女は何かを抱いていた。

「子供か」
「まだ、息があるみてぇだが、どうする?」

殺すのか、と言外に訊ねられて、サウゼラは僅かに少女のことを思い出す。
そして、あの女の言葉も。

「…………不安材料は残さない。生かしたところで、このまま助かる見込みもないだろう」

サウゼラはそう言うと、鋭利な先端で、少女の胸を刺した。
ピクンと体が跳ねて女の腕から離れ、目線が合う。
理不尽な自分の死に、何が起きたかも理解できていないのだろう。
呆然とわたしを見て、そのまま血を吐き、顔を歪めて、目の光が失われる。
だらんと弛緩した体から、先端を引き抜き、血を祓い、沸きあがる吐き気を殺して、ハルバードを仕舞う。

「…………一を殺して十を救う、か」
「……世の習いだ。平和を維持するのにも、何だって、犠牲はある。あんたができなけりゃ、俺がやってた。それだけのことさ」
「分かってはいる。だが――」

受け入れたくはないな、と小さく続けた。










「…………良かった。お疲れ様」

アセリアが嬉しそうに言って、サウゼラは軽く頷く。
ディアの顔を、今見たくなかった。
この手で触れたくもない。
幼稚な感情論だとは分かっていても、その感情をどうにもできない。

酒をあおって酩酊すれば、少しは落ち着くだろう。
事実、サウゼラは今までもそうしてきた。

「何か、あった?」
「……人を殺すのが仕事なのだ、と今になって思い出してな」

自重するように笑って、度の強い酒を流し込む。
熱く焼けるような感触を喉に感じて、その感触に安堵した。
痛みを感じるくらいのほうが、今の気分にはあっている。

アセリアは僅かに主人と目配せをして、サウゼラの手を引く。
僅かにサウゼラは顔を上げて、彼女を見た。

「……上いこ。あんまり騒がしいとこ気分じゃないでしょ?」

見ればグレン達は仕事のことを忘れるように馬鹿騒ぎをしていて、自分にはできそうもないと、小さく笑う。

「そう、だな」



簡素なテーブルと椅子にベッド。
他は酒と花瓶くらいなもので、どこに行っても宿というものはこういうものだった。
いくつか酒を下から持ってきたようで、陶器のコップに注いでサウゼラに渡す。
間が少し空いて、言葉を選ぶようにアセリアが言う。

「……仕方ないんじゃないかな、って思うけど」
「仕方ない?」
「生きていくのは、誰だって辛いもの。みんな幸せになりたいから、その代わりに誰かに不幸を押し付けてる」

何もない空間を見つめながら、僅かにコップに口付けて。

「あたしが生きていられるのは、この国があったおかげ。ひいてはこの国を守ってくれてる兵士さんだとか、そういう人たちのおかげ。わたしは幸せに生きていきたいと思ってこの国にいるわけだけど、この国のせいとか、この国のために誰かが死ぬのなら、あたしたちの責任でもあるわけじゃない? あなた個人が、罪を背負う必要なんて、ないんだよ」
「……それは」
「あなたが殺したいと思って殺したんじゃないんでしょ? あたしだってこの店で働いてたら嫌なことあるし、まぁ同列にしていいものなのかわからないけどさ。それでも、生きていくためにはお金稼がないといけないし、ね」

そう笑って、視線を落とす。

「みんな誰でも幸せになりたいとか死にたくないとか思うけど、やっぱり誰かは不幸で、誰かは死ぬんだよ。たまたま、あなたの目の前に、そういう人がいただけでさ」
「……納得はしたくない論理だ」
「けど代わりに、グレンさんやベルドさんはあなたがいたおかげで傷一つなく帰ってこれたよ。奥さんや子供さんや友達とか、きっとあなたに感謝する。ディアちゃんだってあなたが生きて帰ってきてくれたら喜ぶし、あたしだって、そうだし」

照れくさそうに顔を赤らめながらアセリアが言う。
頭の上の耳がピクピクと動いて、それがどうにも愛らしかった。

「あなたは、絶対自分のこと、卑下しすぎてると思うんだ、あたしは」
「よく言われる。そういうつもりは、ないんだが」
「いーや、絶対卑下してる。サウゼラはいい人過ぎるもの。自分が死んだら誰が悲しむだろう、とか考えたことない?」
「……今思えば、ないな」

答えに唖然として、アセリアは大げさにため息を吐く。

「無責任、好かれた女の責任くらい取ってよね」
「それは、悪いことをした」
「本当に」

自然な動作で立ち上がって、後ろに回る。
背中から抱くように、サウゼラに巻きつき、肩に頭を乗せた。
背中越しに独特の柔らかい感触と、甘い匂いが、脳を刺激する

「みんな、悪いことして生きてるんだよ。あたしだってさ、ディアちゃんの前にここに来てくれたの、嬉しいし。優越感、みたいなさ。子供相手に子供みたいでしょ? 本当。まぁ、サウゼラはお酒に溺れたいって理由できたのかもしれないけど」

どことなく甘ったるい響きの声。
僅かに回した手に力をこめる。

「サウゼラが思ってるのはすごくいいことだと思うよ。けど、一緒にそのおかげであたしたちが幸せになれるんだ、ってことも忘れてほしくない。罪があるとしたら、あなたが助けたみんなに罪があるんだよ、絶対、あなただけじゃない」

手を伸ばして、頭をなでる。
耳が嬉しそうにピクリと動いて、目を細めるのが分かった。

「……五十を過ぎて、こんな子供に説教か」
「ふふ、今のサウゼラは子供みたいだもん」
「確かに、最近は説教されることが多いな」

サウゼラはそう言って、小さく笑った。




[13777] 正義を敷く者
Name: ぐりてぃ◆53e276ac ID:5c97c84b
Date: 2011/04/13 01:21


二十二




「お帰りっ、サウゼラ!」
「ああ、ただいま。すまなかったな、夜泣きはしなかったか?」
「…………いきなりそういうこと言うんだ」

唇を尖らせて、パタパタとレステリアに抱きついた。
僅かに困惑したように、しかし冷静に、レステリアは告げる。

「流石に、それは。ディア様は、サウゼラ様がおらず酷く寂しがられておいででしたのに」
「…………リア、それ、なんかフォローになってないよ……」
「……そうでしょうか?」

僅かに眉尻を下げたレステリアを見て、小さく噴き出す。
あまりにもらしからぬ光景で、思わず。それを見たレステリアは、すぐに不快気に眉を顰める。

「私の居ぬ間に、仲良くなったものだな」
「主と良好な関係を築くのは、従者の務めにございます」
「お勤めで、優しくしてくれてるの?」
「いえ、そういう意味では……」
「良かったな、ディア。レステリアはお前に真摯な愛情を注いでくれているそうだ、なぁ、レステリア」

僅かに此方をにらみつけながら、左様でございます、と不服そうに告げるのがまた、可笑しい。

「くく、まぁなんにせよ、言ったとおり、傷一つなく帰ってきただろう?」
「…………うん」
「私は約束を違えぬ。生まれてから今まで、そしてこれからも、だ。仕事でここを空けるときもあるだろうが、お前が心配することは何一つ無い」

そう笑って、いまだレステリアにしがみ付く、ディアの頭を軽く撫でようとして、僅かに躊躇した。
しかし、僅かに首を振って、頭に手を押し付ける。
ディアが、肩を震わせて、小さく嗚咽を漏らす。

「……本当に、心配してたんだから」
「わかっている、ありがとうディア」

子供を殺した手で、同じ子供を撫でる。
矛盾している、と思って、これでいい、とも思う。
どちらも本心なのだろうことは、ようやく理解できるようになったつもりだった。

「ディア、先んじて来たからな、王に報告せねばならん。少し待っていろ」
「……泣いてるわたし、置いてくんだ?」
「鼻水垂らした娘を連れては、恥ずかしくて外にはいけないからな」
「垂らしてないもん!」

そう言って涙目のまま怒った顔をあげると、数瞬の後に聞こえた言葉に首をかしげる。

「……外?」
「久しく構ってやれなかっただろう? 子供のご機嫌取りもたまにはしておかぬとな」
「…………素直に外に遊びにいこう、とは言えないのですか、貴方は」

眉をひそめて、レステリアが言った。
ディアは少し呆然とした後、そっぽを向いて怒ったそぶりを続ける。

「……そんな程度でご機嫌取れるような子供じゃないもの」
「そうか。じゃあやめておこう」

言った瞬間、ディアが目を見開く。
僅かに動揺して、レステリアを見上げる。
レステリアはレステリアで困ったようにしていて、それがやはり面白い。
彼女がサウゼラのほうにまた向き直り、何事かを言おうとしたところで、嘘だと笑って頭を撫でる。

「あまりにもディアが愛らしすぎて、意地悪をしてみたくなってしまったのだ、許せ」
「……そんなおべっか、騙されないもの」

そういいながらもまんざらでもなさそうな様子が、やはりどうにも愛らしい。
小さく笑い、抱き上げる。

「そうへそを曲げるな、余計に意地悪をしてしまいたくなる」
「これ以上したら、本当に怒るからね」

そういって、首元に抱きついて、サウゼラも彼女を抱きしめる。

この光景を守れるのならば、私は――

そう考えて、目を閉じた。








一応は、労いの言葉はかけねばなるまい。礼を言う、サウゼラ」
「ハッ、勿体無きお言葉」
「下らぬ真似をするな。見掛けだけの礼儀など痒いだけだ」

その言葉に、口角を上げる。
試すような声と視線に、僅かに高揚する。

「それは、また。そんなつもりは滅相も」
「俺をからかうか?」
「く、そんなつもりも、無いのだが」

小さく笑いがこぼれる。
愛らしい娘と暑苦しい男では、こうもやはり、印象が違う。
からかう相手は考えものだと苦笑する。

「今の私はお前の犬だ、グランメルド。古竜を討ち取ったときとは違って」
「……覚えていたのか」
「ああいや、思い出したのは極最近だが。どこかしら、面影があったのだろう。あの時はそう、いいとこ取りをしてしまったようで悪かった。まさか一国の長となってるとは思わなんだよ。そこで少し、手間取った」
「お前はどこも、変わりなく見える。子供一人にえらくご執心のようだが」
「いや、そうでもない。少し、老いたな」

そう言って、膝を起こして立ち上がる。
そうして壁にもたれかかると、腕を組み、サウゼラは僅かに自嘲するように笑った。

「何人殺したか、数え切れぬ。しかし、心がいくらか、弱くなったようだ」
「…………女子供でも殺したか?」
「……そんなところだ。お前を恨みたいが、お前が悪いわけでもない。強いて言うなら――」

世界、か。
言葉は続けず、首を振った。
魔王と自分の何が違う、そう問われれば、答える言葉もありはしない。

「……いや、栓無い事だ。お前はお前で、この国の民のことを考えているのだろう。あの時もそうだった」

グランメルドは昔に、仲間を庇って、負傷した。
だから、サウゼラとガルド。
竜殺しの名声を得たのはその二人だけで、グランメルドの名前は入っていない。

「昔の話だ。それに、俺はいつでも、俺のために生きている」
「くく、そういうことにしておこう。別段お前とさらに険悪になりたくてきたわけでもない」

そういって、サウゼラはグランメルドを見据える。

「ふと、聞きたくなってな。お前の望みは、何なのだろう、とな」
「望み、だと?」
「そう、望みだ。後にも先にも、聞きたいことはそれ一つ、それさえ聞くことさえできれば、私は文字通り、お前の手足になってやる」

グランメルドは僅かに隻眼を開く。
狼面でなく、人面として言うならば、片眉を上げるという表現が正しいだろうか。
怪訝を顔に浮かべたグランメルドはしかし、僅かに目を閉じ、告げる。

「……この国を作ったのは、気まぐれだ。元々はお前も知る傭兵団。ここは、それが肥大した結果よ。ただ――」
「………………」
「我らが我らのままでいるためには、こうあるしかないとも思う。お前たち人とは所詮、違う生き物よ。我らへの蔑視はなくならぬ、なら、抵抗するしかないだろう? 奴隷としての生か、苦しくも自由に生きるか、どちらを選ぶかは、そいつ次第だがな」

なるほど、と小さく頷く。

「今後とも、忠誠を。精々扱き使うがいい、約束どおり千の働きをしてやろう」

そう言って、踵を返す。
それだけ聞ければ、もはや聞くことも無かった。

「……待て」

呼び止められて、ドアを開いたところで歩みを止める。

「同じ事を問おう。お前の目的は、一体何だ?」

少しだけ考えて、僅かに笑みをこぼして答える。

「……大したことではないさ。私は、きっと――」

そこで言葉を切って、苦笑する。

「今の、目の前の光景を守りたい、それだけなのだよ。ある意味では、似たもの同士だとも言えるな」
「…………お前と同じにされては不愉快だ」
「同意見だ、しかし、目指す先が同じであるならば、悪くはない」

そう、悪くはない。
過去の全てを泡沫とすることに比べれば、遥かに。

「ふん、忌々しいが、少なくとも腕は買っている。誓ったからには守ってもらうぞ」
「ご自由に。それこそ、汚れ仕事だろうが、なんでもやってやるさ」
「元覇者が、堕ちたものよな」
「根っこは恐らく変わっていないと思うのだがな。そもそも、私は私以外になった覚えもない」
「抜かせ」

少なくとも、尊敬されるような偉大な人物であるとは、いまだ一度も思ったことはない。
好きに生き、好きに事を成した、それだけのこと。
自分以上に称えるべきものは、それこそ、星の数ほどいるだろう。

「……お前は、魔王をどう思う」
「愚問だな。それに俺からすれば自分以外の全ての王が、現代を生きる魔王よ」

そう笑って、サウゼラもまた、苦笑した。

己の正義を押し付ける。
それが王の本質なれば、あとは力の大小のみ。
言いえて妙だと頷く。

そしてなればこそ、そうなるべきではないのだと、心に強く、戒めた。


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