≪Sight――Emiya≫ ―――エヴァンジェリンの家を出発し、
彼女と茶々丸の二人に私が連れてこられたのは、外観が趣のある建物だった。
それはいわゆる煉瓦造りの建物だった。下から見上げれば、窓の数から三階建てだという予想はつくが、この西欧風の街並みに違和感無く馴染んでいては、何の施設なのか判断がつかない。美術館や博物館だと言われても、まず疑う事は出来ないだろう。現に今の私がそうだ。
私は彼女らにこの学園を統べる魔法教会の長の所へ案内する――と、ここまで連れてこられたが、
「ここは……」
「―――麻帆良学園、本校女子中等部校舎ですエミヤさん」
「そして私が嫌々ながら毎日通っている場所であり、関東魔法協会の長「近衛近右衛門」がもっぱら一日の時間を潰している場所だ。覚えておけ」
「………」
……二人とも。私の心を読んだかのように自然に疑問に答えるのは止めてほしい。……助かるが。
私は小さく息を漏らし、ついて来いという声を残しさっさと建物の中――いや、校舎か――に入っていったエヴァンジェリンを茶々丸と共に追う。
しかし、恐らくは二人とも私の呟きが聞こえて答えてくれたのだろうが、茶々丸はいいとして何故君はそれほど嫌そうに言うのかねエヴァンジェリン…。桜咲から聞いて(……耳を疑って)はいたが、六百年を生きる吸血鬼がわざわざ中学校に通う必要など無いはずだ。嫌なら学校など来なければいいだろうに……何か事情があるのか…?
私は先行く彼女の背を見ながら、思考するのだった。
校舎の中も、外観と違わず瀟洒な様相だった。
恐らくは街の雰囲気に合わせて建てただろう校舎は、廊下の造りも西欧風。
華美ではなく、装飾も少ないが落ち着いた空気を漂わせている。今が早朝で、まだ生徒が皆無だという事も相乗しているのだろうが――成る程、この雰囲気は悪くない。中にいる者を威圧せず、包み込むような緩やかな空気が流れるこの場所は、道理、学校という施設に向いているのだろう。
なればこそ、学園長とやらがこの場所を好み、一日の大半を過ごすというのも頷けた。
――と、そこまで思考し、私は件の『学園長』についてほとんど知らない自分に気がついた。
「時に、エヴァンジェリン」
「なんだ?」
「これから私が会う学園長というのは――どういう人物なのかね?」
歩きながら、私は前を行くエヴァンジェリンに問いかけた。
どうにも抽象的な問いかけだったが、彼女はそうだな――と、足を止めて私に振り返―――ろうとして目に太陽が入ったらしい。あぅ…と小さく声をあげてふらついた体を、私は右手で受け止めた。
まあ、その、
「………色々と、大丈夫かね?」
「うう、うるさいわ貴様っ!茶々丸、目薬ッ!」
「―――はいマスター」
ババッ…!と、私から顔を赤くして離れ、廊下の端で茶々丸から目薬を
点されているエヴァンジェリンの姿を見ると、君は本当に吸血鬼なのかね――と、小一時間問い詰めたくなるが、そこは自重する。
―――人にはあえて触れてやらない優しさというモノがあるのだ。………私に残っているのか微妙だが。
ゴホン…と、咳払いを一つ。
私は目を閉じてこめかみを押さえ、少し待って再び目を開けた。と、そこにいたのは毅然な態度を取り戻したエヴァンジェリンとその背後に控える茶々丸だ。……まあ、若干取り繕った感を感じないでもないが、
「――――もう、いいのかね?」
「な、何の話だ?私はいつも通りだぞ!」
「……そうか」
……どうやら今のはなかったことにするらしい。
あらぬ方向へわずかに朱に染めた顔を向けて仁王立ちし、ハッハッハ――と笑って誤魔化す彼女の姿に、私はそう判断する。
まあ、その姿をからかってもいいのだが、わざわざ藪を突付いて蛇を出す必要もあるまい。
私は軽く肩を竦め、こちらに背を向けて足早に歩き出したエヴァンジェリンをゆっくりと追う。
すると、しばらくして、
「―――と、話の途中だったな。
学園長()がどういう奴か……だったか?」
思い出したように彼女が振り向き立ち止まった。
ちなみに今度は太陽を直視しないよう、窓と反対側を向いて振り向いていた。どうやら学習したらしい。
「―――ク」
「……おーいコラ貴様、それは何の笑いだ…?」
おや、思わず含み笑いが漏れていたか…?
柳眉を立てて引きつった笑みを浮かべるエヴァンジェリンに、私は苦笑を返し誤魔化す。
「いやなに、律儀に答えてくれるものだ、と…そう思ってな。
君の通り名を思うと――ふむ、苦笑が漏れるのも致し方ない事ではないかね?」
取ってつけたような言い訳だな、いやいや私の本心だが、フン……――と、私と彼女は軽口を叩きあう。
「……まあ、そういう事にしておいてやるさ。
どうせ、じじぃの所に連れて行くまでの暇つぶしみたいなモノだしな」
そう言って、彼女はゆっくりと歩き出した。進みながら話すつもりのようだった。
「茶々丸」
「はい、マスター」
エヴァンジェリンの呼ぶ声に、並んで歩いていた茶々丸が一歩前に出る。
このあたりは主従の関係だからだろう、名前を呼ぶだけで何をすべきかは伝わっているようだった。
茶々丸は私に小さく頭を下げ、歩きながら話し出した。
「学園長の名前は―――近衛 近右衛門。
性別は男性、生年不明で年齢不詳。
立場としては麻帆良学園都市の総合管理責任者であり、
また関東魔法協会の長を兼任し国内外の諸機関に知人が多いため、様々な分野で顔がきく人物です」
「ふむ」
「外見は――」
「いや、外見に関してはいい。自分の目で確かめた方が理解が早いだろう」
「―――そうですか」
私は茶々丸の言葉を遮り、説明を止めさせた。止められた茶々丸が何故か残念そうな顔をしていたような気がしないでもないが、今は一先ずおいておこう。私は与えられた情報に思考する。
近衛 近右衛門――。
それは、夜明けまでエヴァンジェリンと話していた際にも何度か出た名前だった。
この街の総合管理責任者兼関東魔法協会の長、そして横の世界に顔が広いという事は、よほど優れた魔法使いなのだろうと予測がつく。生年不明で年齢不詳というあたりが少々気になるが、エヴァンジェリンが「ジジイ」と呼んでいるあたりから恐らくは老人なのだろう。私の脳裏には典型的な「ローブに杖を持った魔法使い」のイメージが投影されていた。
「それで、その近衛老の所に私は今案内されている――と」
「そうなります。
学園長は基本的にこの校舎の学園長室にいつもいますので」
「―――成る程」
私は頷き、ありがとう――と茶々丸に礼をする。
そしてそのまま隣を行くエヴァンジェリンに視線を向けた。見れば彼女はふぁあ…と、大きな欠伸をかみ殺しており、
「で、君は
従者()に説明を任せて、自分は睡魔と闘っている――と、そう言いたいのかね?」
私の言葉に彼女はうっ…!顔を赤くし、言い詰まっていた。
「う、うるさいな!
今の私は夜でもなければ外見年齢と殆ど同じ体力なんだ、一時間程度の仮眠では眠くてしょうがないんだよ!」
「ほう、流石は夜に眠る健康な
吸血鬼()は言う事が違うな。
喜べエヴァンジェリン―――寝る子は育つと言うぞ。安心して眠るといい」
「やかましいわっ!!」
叫びと共に彼女の蹴りが私の
脛()を狙って振りぬかれる。
軸足の運び、蹴り足の振り切り、共に申し分ない鮮やかな蹴撃だ。
……が、そこは所詮少女――いや、むしろ幼女の蹴りだ。圧は無く、私はあえて避けずに突っ立っていたが…、
ゴンッ…!――という音の後に崩れ落ちたのはエヴァンジェリンだった。
「―――~~~~~ッ!貴様の体は鉄か何かか!?
私に膝を折らせるとは本当にいい度胸をしているな貴様っ…!!」
「いや、君の自業自得だろう…。私に言われても困る。
第一、そんな可愛らしい顔で睨まれても威圧感ゼロだぞエヴァンジェリン」
「なっ、可愛ら…!くっ、貴様からかっているな!?またからかっているだろう!!
………って何故そこで真顔のままなんだ貴様はぁあ!!あの薄ら寒い笑みはどうしたぁあ!?」
―――いや、わりと本心なのだがな――と呟き、性懲りもなく飛び掛かって来た幼女を私は再び襟首を掴んで吊り上げた。
ジタバタとエヴァンジェリンが暴れるが、君の手では私に届かない事は既に証明済みだ。
「やれやれ……君は学習能力がないのかね?」
私は彼女を吊り上げたまま片目を瞑って肩を竦めた。
何の策もなく飛び掛かったところで、私に捕まることは判っているだろうに……。
そう思い彼女に目を向けると、
「おいエミヤ……学習能力がないのはお前のほうだろう?」
ニッ…と彼女は不敵な笑みを浮かべて、明らかに私を嘲笑していた。
「―――む、どういう意味かね?」
「そのままの意味さ。
この技は既に私に敗れているだろう、一度敗れた技で私を捕まえられると思っているのか?」
「…………いや、私は一度も技などと言った覚えは無いのだが…。
というか君、少年漫画の読みすぎではないかね?」
王道過ぎる悪役の台詞だった。
―――が、エヴァンジェリンがその程度で止まるはずも無く。
彼女は吊り上げられたまま、ゆっくりと足を後ろに引き絞り、
「フン…!お前に心配される覚えは無い!
この技の弱点は既に見切っているんだ、さっさと私を離せこの――オオボケがッ…!!」
サマーソルトキック――唯一届く足による下からアゴをカチ上げるように放たれた彼女の蹴撃は、
しかし、逆を言えばそれ以外届かない以上、私にも読まれている事をエヴァンジェリンは気づいていないのか…。
アゴに迫る右足を前に私は、
「やれやれ……ならば私も君に倣って言おう。―――エヴァンジェリン敗れたり」
―――彼女の襟首を掴んだまま真上に投げた。
●
「――――なっ!?」
エミヤさんの突然の動きにマスターが驚愕の声を上げます。
が、既にマスターの足は振り切られ、サマーソルトキック――宙返りの意味を持つその通りに体は掴まれていた襟首を起点に回転しようとしていました。そこをエミヤさんがマスターをそのまま上方に投げたのです。
当然、起点を上にずらされたマスターの蹴りはエミヤさんの頭上で空を切り、マスターの体も宙に投げ出されて回転し、
「――――ぐぇっ…!」
落下する前にエミヤさんによって捕獲されていました。
しかも今度は左肩に担ぐ形で。
見ようによってはマスターがエミヤさんに抱きついているように見えない事もありませんね…。
マスターは一瞬何が起こったのかと驚愕していましたが、すぐに自分の状態を理解したのか、
「な、ちょっ…待て貴様!なんだこれは!?
私は米袋か何かか!?止め……降ろさんかぁあ!!」
「フッ…人を足蹴にしようとして反省しない君にはこれ位がちょうどよかろう。
人がいないのが残念だが……なに、このまま学園長室とやらにいけば問題あるまい」
「残念って……待て、お前本気か?―――いや、正気か貴様!?」
「―――無論。私はいつだって最初からクライマックスだ!」
「意味が分からんわ!!」
「……すまん。私も意味が分からない……」
アヴェンジャーの知識が…!――と、エミヤさんがなにやらよく分からない事を呟いていますが、
どうやらこのままの姿で学園長室に行く事は決定のようでした。
ですので私は、
「エミヤさん」
「―――む、何かね茶々丸」
呼びかけに振り向いたエミヤさんに向かって、私は
努めて()笑顔を作り、
「学園長室は、この廊下を真っ直ぐ行った突き当たりを右に曲がった先にあります」
エミヤさんに学園長室への道のりを教えて差し上げました。
「うぉおおい!茶々丸貴様ぁあ!!」
マスターが
茶々丸()お前もかぁあ!!と叫んでいますが、
今の私の第一目的は学園の不法侵入者であるエミヤさんを学園長の前に連れて行くこと。
ですから、エミヤさんに学園長室の場所をお教えしたのは理にかなっています。
―――人工知能の自己偽装は完璧です、抜かりありません!
「―――ク、感謝するぞ。ありがとう茶々丸」
「いえ、どういたしまして」
ニィ…ッ!と、エミヤさんが黒い笑みを浮かべて礼を言い、
マスターを担いだまま歩き出しますが、私はその後姿を見つめます。
すると、私と目のあったマスターが、
「まいてやる……絶対に後で泣くほどまいてやるぞ……」
――と、なにやら剣呑な台詞を残して、ドナドナの仔牛よろしくエミヤさんに連れられていきましたが、
私はそんなマスターの姿を見て―――表情を緩めて思います。
「―――楽しそうですねマスター」
………とりあえず、一連の流れは記憶ドライブに
動画()として保存しておくこと決定です。
●
―――そうして、
私は「学園長室」というプレートのかかった部屋にたどり着いた。
茶々丸に教えられたとおりに進んだ先、私の目前には学園長室と書かれた部屋があった。
扉には木製の両開きがはめ込まれており、校舎と同じく華美ではないが品のある風格を漂わせている。
―――校舎と言うよりは、やはり美術館や博物館のようだと思う。その方がしっくり来る。
「ふむ……ここに学園長――近衛老がいるのか」
私は扉を見据え、気配を探る。――と、部屋の中から感じられる気配は二つだ。
一つは部屋の奥。恐らくは椅子に座っているのだろう、じっとして動かない気配が感じられる。
もう一つはその隣。先の人物と間を空けて壁にもたれかかっているようだが――ふむ、後者の気配は明らかに戦士のソレだ。
……学園長の護衛か何かか。
成る程、私が訪れる事はこの肩に担いだエヴァンジェリンが先に伝えているはずであるから、立会人とでも捉えておけばいいか。
「―――よし」
状況は把握した。後はどう立ち回るか…だな――と、私は覚悟を決め、肩の上で、ええいっ!降ろせと言っているだろうがエミヤッ!私を無視するなっ!――と、体中をジタバタさせ、仕舞いには私の髪を引っ張って暴れる幼女をサラリとスルーし、
―――静かに扉を、私はノックした。
「――――うむ、開いておるよ」
扉をノックし、間をあけて返ってきたのは老人の声だった。
恐らくはこの声の主が近衛老――この学園都市を統べる街の長だ。当然、向こうも魔法使いであることから扉越しでも私の気配には気づいているはずだが、しかし、かけられた声に敵意は感じられ無かった。
それは、先に連絡したエヴァンジェリンが余程信頼されているのか、それとも、このいまだ見ぬ老人の常態なのか。
私はかけられた一言から自身のおかれたおよその状況を推察し、一つ頷く。
―――どちらにせよ、交渉のテーブルにつく余地はある、それが判っただけで今は十分だ。
「失礼する」
故に私は、躊躇わず扉を開ける。
キィッ…と、私を招くように部屋の内側へ開かれた扉をくぐれば、広がるのは絨毯敷きの洋間。
部屋の中央には応接にも使うのだろう、テーブルとソファーが備えられ、左右の壁にはあまたの書物が収められた本棚が並んでいる。右手には二階があるのか、上へと上がる階段が付いていた。
私はわずかに逆光となった視界にそれらを収め、目的である学園長は――と、その姿を探し求めて、
「なっ!?」
―――絶句した。
いや、この言葉だけでは私の驚愕は決して伝わるまい!
私はあまりに信じられない光景に瞠目し、あまりに知識と符合しすぎる姿に言葉を失ったのだ!
私の眼前、豪奢な黒檀の執務机の先にいる学園長と思わしき魔法使いの老人は、
しかし、和装を着込み、明らかに人間離れした長大な頭と耳を持つ姿だった!
それは―――アヴェンジャーの知識に頼らずとも、私ですら知っている有名な
幻想種()の特徴!
ならばここから推察できる事実は一つ――!
「ぬらりひょんが学園長だと!?
ここは幻想種が社会的地位を持つ世界なのかエヴァンジェリン!」
――叫び、私は担ぐエヴァンジェリンに問いかけて―――もう一度絶句した。そして噴出す冷や汗!
見れば、彼女は担ぐ私の拘束からいつの間に抜け出したのか、
私の肩に両手を付いて上体を持ち上げた姿で不遜な――いや、引きつった笑みを浮かべて私を見据えていた。
そして、ビキッ!という何かが切れる音と同時、彼女は全身を使って私の肩を支点に膝を回転させて――
「妖怪はどうでもいいから……私を降ろさんかこのオオボケッ!―――フンッ!!」
「しまっ―――今度は膝ガぱッ…!」
―――振り抜いた。
鮮やかな弧を描き、一切の躊躇無く振り抜かれた膝によって放たれた蹴撃はおよそ少女のものとは思えないほどの衝撃を私のアゴに伝え、ぐらり…と体が揺れる。と同時に聞こえた「おお…肩からの変則シャイニング・ウィザード…!腕を上げたなぁエヴァ……」という呟きに、私は声の方へと顔を向けて、
「―――あ、待てエミヤ、耐えろ!あれくらいで倒れるな、耐えるんだっ!
無理ならせめて私を離して――――うぎゅっ…!!」
なにやら理不尽な台詞を耳に入れつつ――私は顔から床に崩れ落ちた。
「貴様という奴はぁあ!!」
「あー……すまん、私が全面的に悪かった…」
「ぅアホか貴様はぁあ!お前はどれだけ重い体をしてるんだ!
大体、私を手放すくらいの余裕はあっただろうがっ!!何故私ごと倒れるっ!?」
……言い訳をさせて欲しい。
正直なところ、私もまさか少女の蹴り如きで倒されるとは思っていなかった。
だが事実として倒れた以上、その弁明の機会が欲しい。何故倒れたのか、それは、
「いや、軽い脳震盪がだな…」
――
脳震盪()である。どうしても人体の構造的弱点という奴は越えられないようだ。
……というか、いくらなんでも気を抜きすぎではないか私よ?
全く警戒していなかったからと言って、一夜のうちに二度もアゴを蹴られるというのは――戦場に立つ者として緩みすぎだろう…。
「聞いているのかエミヤ!」
「……………ああ、聞いているさ。聞いているとも!」
そして話を聞いていなかった事を見咎められている。
……これはいかんな。少々
趣味()に走りすぎたか。
この少女をからかうのはそれなりに楽しいのだが、しばらくは自重するべきか――と、私は、私の腹筋を足場に外套の襟を掴み、ガクガク揺らしながら憤慨するエヴァンジェリンに苦笑を向け―――前言撤回。
やはりこの少女は面白い――と、私は彼女の襟首を掴んで引き剥がした。
「なっ、またか貴様!離せっ!私を誰だと…!」
「まあ、落ち着けエヴァンジェリン。君は、一体ここに何をしに来たのだね?」
「ぬぐっ…!」
フゥ…と溜息を一つつき、やれやれと私は肩を竦めた。
これを俗に「開き直り」とも言うが……私が正論を述べている以上、反論出来まい。
私はエヴァンジェリンをその手に吊り上げたまま彼女が落ち着くのをしばし待ち、
静かになった所で私たちを見つめる視線に振り返った。
まあ…、その生暖かい視線そのものには随分前から気がついていたのだが……、
「やれやれ……ようやく終わったようじゃな。
エヴァンジェリンが
戯()れついておる姿は見ておって退屈せぬが、時と場合を選んで欲しいのう」
まったく、困ったもんじゃわい――と、机に片肘を突いてこちらを半眼で見据える老人に、私は口に手を当てて苦笑した。
「んなっ、じじぃ!貴様、誰に口を利いて――」
「―――ク、すまない。それについては私から謝罪しよう。
麻帆良学園学園長の近衛近右衛門殿とお見受けするが、よろしいか?」
「待てエミヤ!私を置いて何を勝手に――」
「ほ、いかにも。相違ござらん。
して、そちらは不法侵入者として聞いておるエミヤ殿で間違いないかのう?」
「ああ、その通りだ。が、侵入者である私に組織の長が『殿』などとつける必要はない。
私の事は、そちらが呼びやすいように呼んでくれて構わん、近衛老」
「………フ、フフ…」
「フォフォフォ、心遣い痛み入る。
ではワシはエミヤ君と呼ばせてもらおう。よろしいかの?」
無論――と、私は小さく首肯し、口元に薄く笑みを浮かべる。
流石は妖怪・ぬらりひょん。組織の上に立つだけあって、それなり以上に言葉は通じるようだ。
「ククククク…」
「フォッフォッフォ…」
―――老獪、と言うのだろうな。駆け引きにおけるジャブにも満たない社交辞令の交換だが、
私のような得体の知れない相手に対しても、全く心を騒がせる事無く言葉が出せるというのは中々だ。
踏んできた場数の質が見て取れる――と、私は薄く口元を歪ませる。
成る程、これならばまともな相対が出来る。私は悪くない相対の場に、頬を歪めたまま口を開き、
「―――貴様らは……私の話を聞かんかぁーっ!!」
―――咆哮、
怒れる幼女の叫びが、朝の学園長室に響き渡った……
●
≪Sight――Takamichi≫ ―――なんて言うか、予想外ってこういう事なのかなぁ…。
エヴァに連れられ―――いや、エヴァを連れて学園長室に現れた件の不法侵入者は、予想通り桁外れの魔力をまとった無茶苦茶な存在だった。
何が一番無茶苦茶かって考えると、多分その存在の密度だろうと僕は思う。
今この部屋―――本校女子中等部校舎の学園長室には僕と学園長、エヴァに茶々丸君とそして件の彼、合わせて五人しかいない。にも拘らず僕が今感じている感覚は、満員電車の中に詰め込まれた時のソレに近かった。単純な圧迫感、息苦しさと言ってもいいかもしれない。恐らく学園長もこの感覚を味わっていると思うんだけど、顔色一つ変えないあたりは流石だと思う。
(……やっぱり、密度が違う…。いや、もしかすると魔力の質が違うのかな…?)
僕は左目を閉じてタバコを燻らせながら、煙越しにずっと件の彼を見つめていた。
無論、それは彼我の戦力差を見極めるためで、同時に彼が善悪どちら側なのか判断するためだったんだけど……、
正直に言えば、今の僕は完全にその気概を
殺()がれていた。
(うーん……流石に、これは予想外って奴かな……)
僕はスーツのポケットから取り出した携帯灰皿にフィルタ近くまで灰になった吸殻をねじ込み、顔に苦笑いを浮かべながら銜えた次のタバコに火をつける。と、立ち上るのは紫煙だ。これを見るたび、僕は師匠やナギたちと共に過ごしていた頃を煙の先に投影して、少なからず昔の事を思い出すんだけど、……まあ、今僕が昔の事を思い出してる理由はきっとタバコのせいだけじゃないと思う。
(……なんて言うか)
僕は見る。視線の先には件の彼、褐色の肌に白髪という日本人離れした風貌を持ちながらエミヤと名乗ったその彼は、不遜な態度で学園長と相対している。ただし、一つだけ補足すると……
「ええい、離せエミヤ!お前は私をどこまでコケにすれば気が済むんだっ!
と言うかお前、私を小動物かなにかだと思ってるんじゃないだろうな!?」
「―――――違うのかね?」
「違うに決まってるだろうがぁあ!!」
何を真顔で心底意外だという表情をしてるんだ貴様は!!――と、叫ぶエヴァを右手に吊り上げたまま、彼は学園長に向き合っている。その不遜で飄々とした彼の態度と、からかわれて真っ赤になるエヴァの姿に僕は、
「………なんて言うか、アルを思い出すなぁ……」
かつての仲間の姿を思い出し、タバコを燻らせ苦笑した。
「――――そろそろ良いかのう、ご両人。
時間がそうある訳でもなし、わざわざここに出向いてもらった目的をワシは果たしたいんじゃがのう」
「む」
「ぬぐっ…!」
しばらくして、僕と同じような苦笑を浮かべて学園長が言った言葉に、二人は動きを止めてこちらに向き直った。と、同じくしてエミヤと名乗った彼が手を離したのだろう、エヴァが床に降り立ち、憮然とした表情のまま中央のソファーに座り込んだ。その後ろに茶々丸君が静かに立つ。
「掛けても?」
「構わんよ」
言って、彼もまたソファー――当然、学園長と対面の位置だ――に腰掛けた。
部屋に満ちる沈黙、そして緊張感。
―――どうやら、場は整ったらしい。
僕はもたれていた壁から身を起こし、銜えたタバコを灰皿にねじ込ん―――……しまった、吸殻が一杯だ。
慌てて僕は学園長に視線で訴えるけれど、灰皿ならないぞぃ――と即座に返された。
………仕方ない。僕はタバコを掌に押し付け消火し、吸殻をハンカチに包んでポケットに入れた。
後で洗濯しないとなぁ……。わずかに煤けた表情を浮かべ、僕は静かに学園長の後ろに控えた。
「―――さて。
まずは……知っておるようじゃが、ワシがこの学園の学園長をしておる近衛近右衛門じゃ。
不法侵入者の尋問――という形じゃが、わざわざ来てくれた事に礼を言おう。よろしくのう、エミヤ君」
「こちらこそ。私の名はエミヤシロウだ、よろしく近衛老。
―――私のような得体の知れない相手に、言葉を交わす機会を与えてくれた事を感謝する」
「ほ、ワシは何もしとらんよ。この場を設けたのはそこのエヴァンジェリンじゃ、
礼なら彼女に言ってやってくれんかの」
「そうかね。では改めて礼を言おう、エヴァンジェリン」
「フン――」
―――相対が、始まった。
交わされるのは自己紹介、社交辞令のようなものだ。
学園長は尋問と言ったけれど、場の印象はどちらかと言えば「対等の交渉」のようだと思う。
問い詰められる側が彼だというのは変わらない。しかし、彼がそれを気負っているようには見えない。
(……場慣れしている、か。やれやれ……これは手強そうだな)
僕は少し警戒を強めて彼を見る。
ただ困った事に、どうにも僕は彼に敵意を持てないでいた。
多分、エヴァをからかう姿にアルを重ねて見てしまったのが原因だと思うんだけど、正直これはやりにくい。
「……ふむ、続けるぞぃ。
それと、こちらはここで先生をしてもらっておる高畑先生じゃ」
と、僕が内心で苦悩しているところに、学園長から矛先を振られた。
場にいる以上は、素性を知らせておけ――という事かな。
僕は咳払いを一つ、
「―――僕はタカミチ.T.高畑。
この場では立会人だとでも思ってもらえばいいかな。よろしくエミヤ君」
当たり障りのない言葉を並べた僕に、ああ、よろしく――と、薄く笑みを浮かべて返され、やはり戸惑う。
……やりにくい。普通ならここは最大限に警戒し、ある程度の敵意を見せて牽制しておくべき所なんだろうけど、その肝心の敵意を僕は持てないでいる。これが彼の演技だったらと思うとぞっとするけど、そう疑う気概すらエヴァをからかっていた姿を思うと消沈する。
まいったな――と僕は苦笑を浮かべ、その視線を彼から逸らしたところで、
「フン――くだらん腹の探り合いはそこまでにして、じじぃ、さっさと本題に入ったらどうだ。
コイツを連れてきたのは、何も自己紹介を交わすためではないだろう?」
―――凛としたエヴァの声が、学園長室に響き渡った。
「………ふむ、そうじゃのうー」
エヴァの豪気な物言いに学園長は髭を梳きながら思案し、僕は苦笑した。
……流石はエヴァ、物怖じしない彼女の言葉は常に事の本質を突いてるな――と、彼女に苦笑いを浮かべた顔で視線を向ければ、何が可笑しい――と目で怒られた。
「私は別にそれでも構わん。というより、もとよりそのつもりでここに臨んでいる。
私に答えられる事ならば、この場で答える用意がある。どうかね?」
「……そうじゃのう。
時間も無い事じゃし、エミヤ君も痛くも無い腹を探られるのは嫌じゃろう。本題に入らせてもらうが、構わんか?」
―――無論、まあ痛い腹しかない訳だが……と苦笑を浮かべる彼に僕は構えた。
正直、こうも手早く話が進むとは思っていなかっただけに、ある程度の戦闘は辞さないと思っていただけに、彼がすんなりと相対を進める事に驚きを感じつつ、僕は学園長の言葉を待つ。
学園長は、髭を梳いていた右手をゆっくりと下ろし、
ゴホン…と咳払いを一つついて、では――と前置きして、言った。
「―――――エミヤ君、君は一体何者じゃ?」
「………ふむ、私が何者か…か」
目前、彼は学園長の言葉に二・三度頷き、目を瞑って言葉をためた。
腕を組んで考え込む彼の姿からは、何を考えているのかは読み取れないが、
彼が何者なのかはエヴァも聞いていないのか、わずかにソファーから腰を浮かして彼の言葉を待っている。
そしてそれは、僕も同じ。
これほど膨大な魔力をまとい、なおかつ人と同じ姿をしている彼は一体何者なのか――この場でそれを疑問に思っていない者はいないのだ。
故に、
「………ふむ、私の本質は非常に複雑な要因が多重に絡んでいるため、
一言で言おうとすると、多少迂遠で遠まわしな言い方になるが―――それでも構わんかね?」
―――目を開き、そう言葉を漏らした彼に皆が静かに頷いた。
それを見届けて、彼は口を開き、
「何者か、答えるならば私は――」
一息、
学園長が身構え、エヴァがソファーから身を乗り出し、僕は唾を嚥下し、茶々丸君が無表情で、
皆が一様に息を呑み、
――――彼は言った。
「――――私は、別世界から来た未来人だ」
――瞬間、エヴァが顔から床に転げ落ちた。
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あとがき
こんにちは。
拙作を書かせていただいています、作者の観月です。
毎度、魔王になった正義の味方を読んで下さってありがとうございます!
いかがでしょうか? 楽しんでいただけていれば幸いですが…。
またですね、……自覚はしていますが、内容を詰めて書いているため話が進みません。
相変わらず、冗長な文章になってしまっていると思います(汗)
せめて次話くらいでプロローグにあたる学園長らとの対話までは終わらせたいと思っています。
……精進します(汗)
さて、そんな観月ですが、大学が夏季休校の間は精力的に物語をアップしていこうと思っています。
ですから、誤字・脱字、違和感・設定間違いございましたら、メールか感想板のほうにコメント頂けると助かります。また、感想・コメント・アドバイスを頂けると観月は非常に喜びます!
少々あつかましいですが、応援してくださる皆さんが、観月の活力となっています!
……まあ、そんな色々アレな本作ですが、見捨てず、長い目で見ていただければ幸いです!
それでは
―――何もないけど蝉がやかましい日の昼時に(2009/08/08)