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[10538] 『人』と『世界』と黒『異』の俺と in リリカル
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/05 19:12
 0.

 もう、あの頃のことは随分と思い出せなくなってしまったけれど――。
 “アレ”だけは今でも夢に見ることがある。

 バカみたいにでかいマネキンのような何かと、その周りを飛び回る赤黒い何か。

 ただ単に、運が悪かっただけなのだと思う。
 ただただ、運が悪かっただけなのだと思う。


 ――とにかく俺はその日、初めて死んだ。


 1.4月17日

side Nanoha.T




 
「あがぁッッッ!!!!」





 平凡な小学3年生だったはずのわたし、高町なのはに訪れた小さな事件。
 受け取ったのは勇気の心、手にしたのは魔法の力。
 そして、出会ったのは悲しい瞳をした女の子。

 わたしと同じでジュエルシードを集めているというその子は、どうやらユーノくんと同じ魔法の世界の人らしい。
 ジュエルシードの影響で大きくなっちゃったネコさんを突然攻撃してきた女の子は、それを防いだわたしにも襲い掛かってきました。


 ほんの少し戦っただけだったけど、すぐにわかった。
 この子はわたしより、ずっと強い。


 にも関わらず、わたしは苦しそうな声を上げるネコさんに気をとられ振り向いてしまい、その間に発射態勢を整えた女の子は、わたしに向けて必殺の一撃を放とうと――


 する、まさにその瞬間でした。


 わたしとその子との間に悲鳴(断末魔?)と共にドカーンという漫画みたいな爆音を立てながら何かが落ちてきたのは。

 相手の女の子も驚いたようで、集中していた魔力が霧散してしまっているみたい。




 ……というか、悲鳴?


「えええぇぇぇっ!? ちょっ……大丈夫ですか!?」

 余程の高さから落ちない限り、あんな盛大な音をともなった着地になんかならないことぐらい小学生のわたしにだってわかる。とてもじゃないけれど、無事でいられるとは思えなかった。
 なのに、わたしも女の子もパラパラと舞い散る破片に目を細めながらいまだもくもくと土煙を上げる爆心地を呆然と見ていると、その中で影が動くのがわかった。
 続いて、声も聞こえる。

「ゲホっ、げほっ……いってぇ……くはないけど痛い……主に心が」

 体は痛くないとおっしゃるか。
 魔法とか、悲しい瞳の女の子とか、そういうわたしの中で今大事な何かが吹き飛んでしまいそうな、そんな衝撃だった。
 
 影はやおら立ち上がり一度首を左右に振ってばきばきと音を鳴らした後、わたしの方に向かってゆっくりと土煙の中から出てきた。


 男の人だった。
 ちょうどわたしのお兄ちゃんと同じくらいの。
 黒い髪に、黒い瞳。そして、フードつきの黒いコート……っていうか。
 
「ⅩⅢ機○の服なの……」

 空から落ちてきた男の人は、コスプレ野郎だった。体は痛くないらしいけれど、全体的に痛い人だった。
 魔法とか、悲しい瞳の女の子とか、そういうわたしの中で今大事な何かが吹き飛んでしまった、そんな衝撃だった。

「おぉ、わかるのか少女。って魔法少女じゃん!」

 話しかけられてしまったの。
 
 こういう時どんなリアクションをとればいいのか、わたしの10年に満たない人生の経験値では知りようもなかった。目の前の変人(仮)はどうりでマナが濃いとかどうとか、よくわからないことをぶつぶつ呟いている。

「なのは!」

 はっ、とユーノくんの声で現実に帰ってきたと同時、わたしの後ろの方で大きな音と魔力の発動を感じた。
 あの女の子が、動き始めたネコさんに向かって強烈な魔力を叩き込んだのだ。
 位置がよかったせいか、わたしより先に現実に帰ってきていたみたいだ。うらやましい限りである。
 この目の前の……。

「……あれ?」

 視界いっぱいまで広がっているのは、いたって平和な森の緑。
 今さっきまでそこにいたはずの黒いコートの男の人は、忽然と姿を消していた。


 
 2.同日

side Fate.T

 第97管理外世界・地球。
 ここに母さんの探し物がある。
 着いて早々発動を感知した私は、拠点の整理を使い魔のアルフに任せて単身確保に臨んだ。
 大きな家の広い庭が今回のポイントのようだけれど、そこに降り立ってすぐ結界が張られたことに、私は内心恐怖した。
 
 私以外の探索者がいる。
 それはジュエルシードをめぐって誰かと争わなければならないことを意味する。
 誰かと、傷つけあわなければならない。
 
 それでも、母さんの願いは私の願いだ。母さんからこんな風に頼みごとをされたのは初めてなのだ。
 私がジュエルシードを集めて帰ったら、母さんはまた昔のように優しい笑顔で私を見てくれるはずなのだ。
 
 だから、探索者が私と同じくらいの女の子でも容赦なく攻撃した。
 隙を見せた瞬間狙い撃とうとした私を止めたのは、突然落下してきた何かだった。

 空と大地を裂くように落ちてきたそれは、人。
 本当にびっくりしたけれど、そこから現れた男の人が無事なのを確認した私は、彼女たちを無視してジュエルシードの確保に向かった。
 別に、彼女と戦うのが目的ではないのだから。

 痺れが取れて動き出した媒体を、強力な魔力攻撃でそれと分離させる。ジュエルシードの表出を確認。

「ロストロギア、ジュエルシード・シリアルⅩⅣ、封印」

≪Yes sir.≫

 撃ち出した金色の雨が媒体に降り注ぎ、最後に封印式をともなった魔力が浴びせられる。
 激しい閃光の後、残ったのは封印が完了したジュエルシードと、媒体になった子猫だった。
 私は心の中で子猫に謝りながら、確保するべくジュエルシードに向けて歩を進める。

 
 他の探索者がいる以上、決して油断なんかしていなかった。
 けれど、目を離すまいとしていたはずだった青い宝石は、突然目の前から、



 『消えて』しまった。



「へぇ、これがさっきまでの妙な魔力の原因か」

 目標が消失した驚愕に畳み掛けるように、頭の上から降るようにして声が届いた。

「なっ……!?」

 少し距離をとった樹の上に座っている黒い服の男の人。ほんのついさっき、突然空から落ちてきたあの人だ。
 その手には、ジュエルシード……ついでにもう片方には媒体となっていた子猫。
 いったいどうやって……。

「で、魔法少女さんたちはこいつをめぐって争ってるって認識でいいのかな?」

「……それを、渡してください」

「いいよん」

「え?」

 あまりにもあっさりとしたその返答に拍子抜けしたのもつかの間、私に向かって放り投げられたのは、あろうことか子猫の方。
 気を失っているからか、全く身動きしない。
 このまま落ちたら――。

「わ、わわっ!! ……!?」

 思わず子猫を受け取る姿勢をとろうとした私の目の前で、今度は子猫の姿が空中から掻き消える。
 先ほどジュエルシードが消えたのを見ていたけれど、再び目の前で起こる異常な事態に目を剥いてしまう。

「いやいや、さすがの俺もそんな鬼畜な真似はしないって。俺ネコ派だし」

「…………」

 魔法が発動した気配は一切ないのに、どういうわけか投げられたはずの子猫は再度彼の手元に戻っていた。
 そのにやにやした顔からなんとなく遊ばれたことだけはわかって、どろっとした嫌な気持ちが心の中に溜まっていく。

「そんな怖い顔しちゃダメだってば。可愛い顔が台無しだって」

「……バルディッシュ」

≪Yes sir. Scythe form Set up.≫

 何をどうやっているのかわからないけれど、彼が何かをしたことは確からしい。
 とにかく、ジュエルシードは取り返さないと。
 一度大きく後ろに距離をとって、刃が左上を向くようにバルディッシュを下段に構えた私は、一直線に黒い彼に向かって突進した。
 周囲の木々が、勢いよく視界の後方に流れていく。

「元気がいい、っていうよりは血気盛んって感じかな。何にせよ、女の子が振り回すべきものじゃあないよな」

「……ッ」

 そんな、明らかに威の乗った疾駆を見てなお一切避けるそぶりを見せずに、余裕を見せ付けるように立つその姿に一瞬面食らったが、私ももう止まれない。


 申し訳ないけれど、気絶してもらいます。


 そのつもりで入った、私の間合い。
 けれど、再び私を襲う異常な現象。今度は突然彼が『消えた』のだ。
 否、一瞬の逡巡の後理解したのは『周囲の景色が突然変化した』こと。決して、私は空から地面に向かって飛んでいたわけではないのだから。
 いきなり迫る地面を前に速度を落としきることができず、魔力強化した左手で地面に手をつき転がりながらスピードを殺し、跳ね上がるように飛び起きて樹の上を睨む。

 やはり黒い男の人の姿は変わらずそこにあり、魔法が発動したような気配は存在しなかった。
 理解できない現象の連続に、背中に少しだけ冷たいものが走る。

「何を……したんですか?」

「さぁ? なんのことやら。おっと……」

 彼が何かに気づいたように私の後ろを見やる。魔導師の白い子とその使い魔らしき動物がやってきたようだ。
 
「あ! あなた……ってうわ出た!!」

 彼女は私を見つけると声をかけようとしたが、私を挟んで向こう側の樹の上にいる彼を見て途端に声を上げた。知り合いか何かなのかもしれない。

「なのは! あの人、ジュエルシードを持ってる!」

「ほんとだ……」

 白い子が少し引き気味に私をちらりと見やってからそう呟いた。
 使い魔の子が続ける。

「それは危険なものなんです! どうか、こちらに渡していただけないでしょうか!」

「危険なものと聞いて君たちみたいな子供に渡せるわけないでしょうが」

「(格好のわりに)言ってることは正論なの……」

「そっちの黒い子とはお友達なのかな?」

「彼女は僕たちと同じその宝石の探求者ですが、会ったのは今日が初めてです」

「ふむ、じゃあ取り合いであってたのか。そっちの子、教えてくれなくてさ」

 話に耳を傾けながらも、取り返す隙を見つけるべく彼を注意深く観察する。けれどその姿はあまりに自然体が過ぎて、切り込むイメージが持てないでいた。

「危険物を子供が取り合うなんてそれこそ危険だな、うん。よってこれはお兄さんが預かります」

「させない!」

 言って、腰掛けていた枝の上に跳ねるようにして立ち上がったその人に向かって再び飛びかかる。
 持って逃げようというならすぐさま方針変更だ。力ずくで奪い返す!

 そう駆け出そうとした瞬間、あまりにも唐突に子猫が眼前に現れた。
 それは、さっきまでと逆。

 何もない空間から、けれど最初からそこにいたかのように空中に四肢を大きく大の字に広げた子猫は、私の顔を覆うように張り付いてしまった。

「むぎゅ」

 思わず、自分でも情けないと思うような声が出る。

「えっ? ふえっ!! 大丈夫!?」

「待ってなのは! あの人の反応がない! 結界から逃げられた!!」

 彼女の使い魔の声を聞いた途端、顔から子猫を引き剥がして――爪がちょっと痛い――周りを見渡すが、彼の姿がない。

 ……逃げられた。

「あ……あのぅ」

 白い子が声をかけてくる。ほんの少し戦闘で時間を費やしたとはいえ、彼女に何か非があるわけでも、もちろん何か恨みがあるわけでもないのだけれど、とにかく今はなんだか煩わしく思う。

「……できればもう、ジュエルシードを探すのはやめて」

「え?」

「誰かを撃ちたくなんて、ないから」

 次にあったら、墜とす。
 努めるまでもなく、感情の一切を乗せずにそう、意味を込めて告げた。
 そして彼女が何ごとか言おうとしたのを意図的に振り払って、その場を後にした。


 私は、母さんの頼みの最初の任務に、失敗したのだった。



3.同日、夕方

「ふーむ、やっぱり日本っぽいな。やりやすいっちゃやりやすいんだけど、海鳴? って地名は知らないしなぁ。こういうときはここがべストなんだけど……」

 あの場を後にしてしばらく、あの白い子の反応からあの格好でぶらつくのは危険と判断したため、今は全体的に黒っぽい以外は普通の服を着ている。
 あのコート、お気に入りなんだけどなぁ。
 
 今はぶらつきながら情報収集。大気中のマナが妙に多いから、魔法的魔術的世界なのかと思ったが、最初に出会ったあの二人以外ろくに魔力なんか感じないわけで。
 その場のノリで逃げてきてしまったけど、もうちょっとあの子達から話を聞くべきだったかな。

「なんて考えながら、今日はもう閉館してしまった図書館の前に立っているのである」

 周囲に誰もいないので独りごと言い放題である。まぁいたらいたで変な目で見られるのは慣れてるので特に問題はない。
 エクストリーム・独り言でもあればかなりの自信があるわけだが、それはイコールでさびしいやつどころか狂人と紙一重なんじゃないかと結論が出そうなあたりでその考えを放棄する。

 この世は気づかないほうがいいことばっかりだ。

「しっかし、今日は野宿かねー」

 言わなきゃいいのに、どうしてか口をついたその言葉に現状を再確認し、思わずうな垂れそうになる。
 正論とは何時でも人を傷つけるものだが、独り言もまた真実であるがゆえに誰かを傷つけるのだ。


 今は主に、自分を。



[10538] 第二話 4月18日 図書館にて
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/05 19:33
 1.4月18日

 ダンボール最強論はどこの世界でも変わらぬことを再確認し、日の光のウザさに目覚めれば午後。
 どうして誰も起こしてくれなかったんだと寝ぼけた頭で悪態ついたが、よくよく考えれば誰かが起こせるはずもなかった。

 昨日、図書館ギリギリ閉館という憂き目にあったその後、野宿の場所にその図書館の屋上を選んだわけだが、どうやら屋上というよりは屋根といった造りになっており、しばらく誰も足を踏み入れてなさそうだったので好都合だったのだ。

 二度寝して繰り返し、なんてことになるのは御免なのですぐに調べ物を開始する。

 一通り調べてわかったことは、やっぱりここは地球で、日本であるということ。歴史は大筋では変わりないが、細かいところに差異が見られること。
 そして、魔力関連の技術は存在しないこと。
 とはいえ最後に関しては隠すことが前提の場合もあるので断言には至らないが。
 やっぱり昨日逃げるんじゃなかったなぁ……。

 そんなこんなで気付けば夕刻。
 そして全国的に見て平日であると思われる今日、俺が知っている日本の常識と『この世界』のそれとを重ねあわせることができるのなら、この時間、学生は学校に通っているものである。
 で、あるなら、たとえ車椅子に乗っていようと、学校に行っているはずではないのだろうか。

 図書館の中に設置してあるベンチ。そこに座る俺から見て二つ先の書棚で奮闘している車椅子の少女を、ぼんやりと見ながらそんな益体の無いことを考えていた。
 あの子は俺が図書館に入ってすぐに見かけ(車椅子は目立つのである)、それから今の今までいるということは、いわゆる創立記念日とやらであろうか。

 少女の目的の本は少々高い位置にあるようで、車椅子の片方に体重をかけながらもう片方の手を大きく伸ばしては、届かず諦めてを繰り返している。
 今は平日の夕刻、もう少しすれば人も増えるだろうが、今はまだ図書館に人は少ない。すると、彼女を助けようなどという人はさらに少なくなってしまう。
 もう一度彼女に目をやると、どうやらまたチャレンジするようだ。意を決したように気合を入れたところを見るに、体重の割り振りをさらに偏らせるつもりなのだろう。


 そんなことをすれば案の定、彼女は横向きにバランスを崩した。


「その思い切りは認めるけどさ、親御さんなり、司書さんなりに声かけたほうがよかったんじゃないかな?」

 さすがにそのまま転倒というのはなけなしの良心が痛んだため、崩れたその瞬間に車椅子を支えて元に戻した。結構重い。
 車椅子の女の子はびっくりしたような顔をして、

「あれ? おにーさん、あの椅子に座ってへんかったっけ?」

 そっちに驚いたのかよ。

「見てたのか」

「こない美少女が難儀しとんのに、何ぼけーっとみてんねんて内心悪態ついとったからな」

「それは内心だけに留めとこうぜ」

 車椅子の美少女はどうやら関西の出で、かなり愉快な性格をしているようであった。
 初対面の男(若干目つき悪)にまったく臆さず対応するとは……関西人すげー。

「まぁ、でもありがとうな。さすがに車椅子ごと床に倒れるといろいろ面倒やから」

 音とかうるさいしな、とその子は笑った。

「……で、どれなんだ?」

「何が?」

「取ろうとした本だよ。ぼけーっと見てたお詫びもかねておにーさんがとってやろうと言ってるのさ」

「ほな、その棚の上から三段目の一番左から全部、と言いたいところやけど10冊でええわ、お願いします」

「りょうか……それでも多いな」

「せやから人に声かけづらかったのもある」

「確かに……ふむ、ラノベか」

「それも理由の一つやな」

「そういうもんか?」

「美少女やから」

「十年早いな」

 この女の子がいくつかは知らないが、十年後も十分少女で通じるであろう。それも美少女である。

「一人で来たのか?」

「ん、まぁなー」

 さっきはスルーされたので、本を下ろしつつ一応確認はしておく。数が多いとはいえ、それぐらい親にとってもらえばいいはずである。
 関係ないけどこの作品すごいな……ラノベでシリーズ100冊超って……頭がトラなのかヒョウなのか。

「ところで、どうやって一瞬であっこの椅子からここまでこれたん?」

「ん?」

 うまいこと流したと思ったのに、なかなかどうして厄介な美少女でもあった。

「ワープした」

「嘘はあかん、嘘は」

「じゃあ、あれだ。車椅子の美少女の危機に肉体が限界を超えたとか、そんなん」

「ああ、それならしゃあないな」

 その場を濁すようにテキトーにあしらうと、思いのほかすんなりと引いてくれた。本当のところはそれほど興味がなかったのかもしれない。
 
「お前さん、学校は?」

「はやて、八神はやてや」

「は?」

「は? やのーて、はやて。名前」

「ああ、何かと思った。はやてな、うん。で、学校は?」

「普通名乗られたら名乗り返すもんやろ……」

「俺のことは好きに呼びたまえ。“おにーさん”はなかなかいいぞ」

「……」

 別に名前を言ってはいけないなんてことはない。なんとなくいつも誤魔化しているだけである。

「ほな、おにーさんでええわ。私、学校は行ってないねん。足こんなやし」

 ぽんぽん、と自分の膝を叩きながら言う。

「ありゃ、怪我とかじゃないのか」

 顔こそ笑っているが、纏う空気の変化からそう理解した。
 少しばかり思慮が足らなかったかもしれない。

「まぁなー。行けへんことないのやろけど、あんま色んな人に迷惑とかかけたないしなー」

 だというのに、目の前の少女は小さな体に見合わぬ成熟した精神をお持ちのようだ。
 思い出せるはずもないが、自分がこの子くらいの時は頭など飾り以外の何物でもなかったような気がする。
 今も大して変わらない、などとは思いたくない。本当に……。

「ふぅ、久しぶりにこない人と喋ったから疲れてもーた」

「ん? 家ではあまり話さないのか?」

 それはなんだか意外な話である。
 出会って10分と経ってないが、家で静かにしているというのはこの子のイメージにそぐわない。家族とかと仲よさそうなものなのに、家庭の事情というやつだろうか……それなら少々大人びているのもうなずける。

「んー……話す人とかおらんし……うち、両親はように亡くしたから」

「…………」

 思慮が足らないどころの騒ぎではなかった。これまでの会話だけでもよく考えたらわかりそうなものである。どうやらいつまで経っても肩の上に乗っているのは飾りのままでしかないようだ。

 自身の浅慮をこんな小さな子相手に再確認することになるとは……。

「あはは……初めて会ったおにーさんに話すようなことやなかったな。堪忍なー」

 俺が自身のアホさ加減にショックを受けているのを見て、はやてはそう言ってまた笑った。
 それに対し何と声をかけたらいいのかわからない自身の甲斐性なさを呪っていると、

「やっぱちょう疲れたかも、今日はもう帰るわ。またどこかで会ったら声かけてな、おにーさん」

「お、おう」

 また笑って、まくし立てるようにそう言ってからはやては手を振りカウンターの方へ向かっていった。
 (おそらく)小学生の女の子に気を使われてしまった。

 自身の甲斐性なさをこんな小さな子相手に再確認することになるとは……。



 2.4月18日 夕刻

 とはいえ、調べ物が終わった今、俺も図書館に留まる意味など無く、目下家無し金無しの自分のすべき事といえば、拠点づくりと食料の確保である。
 あの魔法少女たちと接触しないことには俺の知りたいこともわからないだろうし、とりあえず『倉庫』に置いてある例の青い石についても詳しいことはわからないだろう。
 あの石も簡単にしか調査してないが、莫大な魔力を凝縮して作ったもの、それも純粋な魔力だけを固めたものであることがわかった。
 昨日、『転移』したてでぼやけた頭のままいきなり会ったのが魔法少女というインパクトのせいであんまりよく見ていなかったが、猫が大きくなっていた気がする。
 断言はできないが、あれもあの石の作用だろうか。
 
 正直言って、作り方の想像がつかない。
 俺が知らないものである。

 それは同時に――――『希望』でも、ある。

 図書館を出て、そんなことをつらつら考えていた。
 だから、俺が歩く下り坂のはるか下の方、T字路の横断歩道にいるのがあの車椅子の女の子、はやてであることにようやく気づいた。

 ――またどこかで会ったら声かけてな――

 とはいえ、ついさっきのことだ。
 おまけに先ほどは気を使わせてしまった手前、呼び止めるのは抵抗がある。
(たぶん)小学生相手にこんなことで悩む自身の矮小さが少し笑える。

 図書館の中でそうしていたように、また彼女を眺めながらぼーっとしていた。
 



 だからこそ、というわけでもない。なんとなくそんな気がしただけ、というのが本当のところだ。
 今まで幾度となく直面した結果からくる予感。
 そんな、虫の知らせとも言えないような何か。




 ――今すぐここで、一つ死体が出来上がる。




 そう、唐突に頭の中が赤いイメージを放ちながら警鐘を鳴らしているのだ。

 見渡す限り、ここにいるのは俺とはやてだけである。
 それはつまり。



 彼女が待っていた信号が青になる。




 彼女はゆっくりと横断歩道を進む。




 俺の視界のT字路の右側。民家で隠れているそこから、ぬっと、トラックが現れる。





 
 たった一瞬で。
 たった一瞬で、そこに残ったのはひしゃげた車椅子だけになった。






 もちろん、八神はやては生きている。
 そこから大きく離れた坂の上、俺に首根っこ掴まれる形で。



[10538] 第三話 18-19日 八神はやて
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/05 19:55
 1.4月19日 正午

「ほな行こかー、兄ちゃん」

 家の鍵を掛ける俺を、自転車の後ろの荷物席に横向きに座りながら少女が声をかけてくる。
 少女――八神はやてこそがこの家の主であるのだが、昨日会ったばかりの人間にこうも簡単に鍵を預けてしまうのはいかがなものであろうか。
 
「車椅子専門の店ねぇ……そりゃあるとは思ってたけど、行ったことも見たこともないな」

「海鳴にあるんは結構おおきいとこなんよー」

 昨日盛大に大破した車椅子を買い換えるため、専門店に行って注文し、出来上がるまでの間のレンタルを申請しに行くらしい。

「出来合いのじゃダメなんか?」

「足回りだけはこだわりたいんよ」

「そっか」

 普通に動く足を持っている人には、わからない話なのだと思う。
 足の不自由な、それもこんな幼い女の子が一人で生きるには、それこそ死活問題なのだろう。

「めちゃめちゃ改造したるでー!」

 ……多分。





 2.4月18日 夕刻

side Hayate.Y
 
 私に向かって突っ込んでくるトラックが見える。

 なんでやろ、青になったの見た気したんやけどな。

 時間がゆっくり流れてる気がするのに、そんなことさえもう一度確認する術がない。
 自分は間違ってないことを、確認する術がない。


 運命なんてこんなものだ。
 そう、最後に確認するための術が。


 私が何もしてなくても両親は死んだし、足は動かへんようになった。
 そして今度は、死ぬ。

 こういうとき、自分の一生を駆け巡るように思い起こすことがあるらしい。本で読んだそれは、走馬灯というそうだ。


 ほれみぃ、なーんも思い出されへん。


 私にあるのは思い出などではなく、ただただ日々の繰り返しの記憶である。それだけが、なんだか少しさびしい。

 何も思い起こすものもないというのに最期に随分と時間をもらったものだが、それも終わりらしい。もうすぐ傍まで迫るトラックを前に、私は眼を閉じた。



 最初は、吹っ飛んだのだと思った。
 確かに結構な衝撃だった。にも関わらず、まったくそれらしい痛みがない。
 即死かー……、なんて暢気なことを眼をつぶったまま考えたが、どうやらそれは違うらしい。足の感覚はほぼないが、自分がどこかに座っているのはわかる。

 自分が思っていたよりずっと固く閉じられた眼をおそるおそる開けてみると、いまだ夕刻であることを示す西日がまぶしいくらいに入ってくる。



 生きている、ようだ。



「っふぅぅ……、間に合ったぁぁ……」

 自分の真後ろから聞こえてくる、最近どこかで聞いた声。
 どさっ、とその場に崩れるようにして座ったその人は、

「おにー……さん?」

 ほんのついさっき図書館で出会った変な男の人だった。

「えーっと……はやて、だったよな? 怪我とかない? ちょっと引きずっちゃったっぽいしさ」

「いえっ……大丈夫、です……けど……」

 もしかしたら擦りむいてるぐらいはしてるかもしれない。でも、今はそんなことより。

「助けて、くれはったんですよね? ありがとう……ございます」

 座ったままお辞儀をして、ようやく自分の服のフードを彼が掴みっぱなしであることに気づいた。

「ああ、悪い悪い」

 それとなく彼の腕に視線をやると、彼もそれでようやく思い出したように手を離した。やはり後ろから引っ張ってくれたようだ。
 
 そない近くにおったんやったら、声かけてくれはったらよかったのに。
 
 そう心の中で思った瞬間、ようやく違和感に気付いた。
 まさかと思って周囲を見渡し、有り得ないはずの違和感が、けれど確信になったところで身を乗り出して、おにーさんで隠れてる向こう側を覗き見る。

「どういう……ことなん?」

 自分が今いる、そのはるか道の先。下り坂になっている突き当たりのT字路。
 ここからどんなに手を伸ばしたって届かない、そんな場所に。
 原型を留めぬほどにグチャグチャになった、車椅子だったものが転がっていた。
 



 3.4月19日 午後

 はやての言ったとおり、海鳴の車椅子専門店とやらはやたら大きく、レンタルからオーダーメイドまでなんでもござれといった風であった。
 はやてはここの常連であるようで(本来、車椅子専門店常連などあるはずもないが)、先代の車椅子はここで相当な魔改造を施されていたらしい。
 店主らしき爺さんと数十分に渡り熱く討論した末、ガッチリと握手を交わしてこちらに戻ってきた。
 車椅子のレンタルの際、これまでのような電動アシストではなく手動の自走タイプを選んだはやてに、それでいいのか尋ねたところ、

「まー、これからしばらくは押してくれる人おるしなー。お使いくらいは頼めるやろうし、あんまり要らんお金つこてしまうわけにはいかんしなー…………チューン代もかかるし」

 とのことだった。どこまでも面白い少女である。

 今ははやてを押しながら買い物を終え、帰宅の途についているわけだが。

「ゴムゴムのピストル説」

「さすがに悪魔の実を食った覚えはないな」

「えー、じゃあほんまになんなんやろ、最初のワープ説が一番信憑性あるわー」

「その場合、ワープしたのお前だからな」

 事故について、俺が『何か』やったのはわかっているが、それが何かわからないままであるので、あれからようやく24時間過ぎようという段階でもう何度目かわからない問答をまた繰り返す。

「むー……教えてくれたってええやんかー」

「また今度なー」

「むー……ん!? 待って! もしかしたら私、霊界探偵なれるチャンスやったんちゃう!?」

「仙水は絶対人間じゃないよな」

「私やったらSSくらいはいくんちゃう? SS級美少女霊界探偵」

「何その自信。二重の意味で」

「この場合、SS級は美少女にかかるんやけどな」

「自信過剰にもほどがあるな」

 一昨日会った金髪の魔法少女なら、それぐらいかもしれないな、なんて思ったのは内緒だ。

 そんなたわいもない(かどうかはわからないが)雑談に興じながら、ふと、違和感を覚えた。

「あ、ここ。この辺では有名な喫茶店なんよ」

 この道に通じていても、わかるかわからないかぐらいの違い。
 ほんの僅かだけ、大気に満ちる無色の魔力、マナが薄い。

「シュークリームが絶品らしくてなー。一度食べてみたいって思ってたんやけど……ってわわっ、どしたん急に?」

 はやてが何か喋っていた気がするが、ちょっと集中しなければわからないのでスルー。
 濃度の関係から起点はここじゃない気がするので、より薄いほうに移動する。

「ちょっと遠回りして帰ろうか、この辺の地理とか覚えたいし」

「へ? ええけど……しゅーくりーむ……」

「明日でもまた買ってくるからさ」

「お金もってへんのに?」

「ぐっ……」

 話しながらも神経を研ぎ澄ませていたが、その一言で大きく精神(こころ)がぐらつく。
 成人していてもおかしくない外見の男が、よもや8歳児のヒモと化すとは……。いやしかし、ヒモとは ひも【紐】女を働かせて金銭を貢がせている情夫 であり決してはやてが働いているわけでは、あ、でも俺料理とかそんな得意じゃないからはやて任せになるっぽいしな、あれ? やっぱりヒモなのか!?

「高町さん、か? このお家がどうかしたん?」

「え? いや、別に働いたら負けなんて思ってないから!?」

「さっきのまだ気にしとったんか……」

 どうやら虚空を見ながら俺にしか見えない邪悪と戦っていたのを、この家を凝視していたのだと勘違いしたらしい。表札を読んだはやてが問いかけてくる。

「おっきなお家やねー、よー見えへんけどあっこにあるん池ちゃう?」

「お前んちだって大したサイズだよ……って」

 ここだよ。起点。
 ボケっとしてたからわかんなかったよ。

「帰ろっか」

「もうええの?」

「うむ」

 白い方と黒い方、どっちかはわからないけど拠点の目処はついた。後はどうやって接触するかだけど、今はそれより。

 じろじろ見てたのは悪かったけどさ、そんな本気の殺気を飛ばすことないじゃないか……。

 あの家から発せられる、未だ刺さるように感じるプレッシャーを背にその場を後にした。




 4.4月18日 夜

side Hayate.Y

 あれからのことを、簡単に話そうと思う。

 警察に届け出ようか否か私は迷っていた。
 車のナンバーなんて見る余裕はなかったし、車椅子は大破したとはいえ私は無傷だ。
 それをどうやって伝えようか、私自身どうして生きてるのかわからないのだ。

 なにより、そんなことをしたら、私の『運命』を捻じ曲げてくれたこの人はいなくなってしまうんじゃないか。

 そんなことばかり考えていた私は、結局事を公にはしなかった。
 目撃者は私とおにーさんとトラックの運転手だけ。運転手は信号無視して、無人の電動車椅子をノーブレーキで撥ね飛ばして逃げた。それだけだ。
 
 ごめんなさい、グレアムおじさん。
 ごめんな、おやすみな……ブラックハヤテ号ZZ(車椅子)。

 魔改造でアホ程軽なっとるとはいえ、電動車椅子の重量は馬鹿にならんやろうからトラックも大変なことになっとるのは想像に難くないな……。



 自分がワープした(っぽい)衝撃冷めやらぬままおにーさんに抱きかかえられて、さきほど出てきた(というには色んな事があり過ぎて随分昔に感じる)図書館入り口ロビーの長椅子に座らされた。

「すぐ戻ってくるからちょっと待ってて」

 と言われ、大人しく待ってること5分。
 戻ってきた彼は一人で帰ることができるかどうか尋ねてきた。帰りに食材を買いに行くつもりだったから懐には余裕があったが、私は否と答えてしまう。

「了解。んじゃあ、おぶるか担ぐかになるけどいいか? ほんとはタクシー使えたらいいんだけどな」

 俺も金ないし、一銭も。と言って一瞬遠くを見る目のまま笑ったのは気になったけれど。

 そのまま自宅までおんぶで連れて行ってもらって、都合よくおにーさんのお腹が鳴った。聞けば昨日から何も食べていないらしい。
 どうやったのかはわからないが、助けてくれたのは確かなようなので是非ともお礼がしたいと申し出て、夕飯を振舞うことになった。
 しかし、いつもは車椅子で移動しながら作ることを失念していたため、結局おにーさんに手伝わせてしまったのだけれど。

 ずっと自分の分だけしか作ってなかったため、実はそれほど自信がなかった料理を、美味しい、美味しいと言って食べてくれた後、少しだけ自分のことについて話してくれた。
 といっても、聞かれたことの、答えられることだけ答えたといった感じだったけれども。

「何しとる人なん?」

「旅人」

「今いくつ?」

「永遠の19歳」

「どうやって助けてくれたん?」

「気合」

「図書館の時と同じで?」

「根性」

「お金あるん?」

「ない」

「泊まるとこは?」

「ダンボール」

「旅人やのに?」

「旅人ゆえに」

 大概答えられないらしい。
 納得いかないことは多々あるけれど、そろそろ本題のほうに入ろう。

「私な、車椅子が壊れてもうたから、新しいの買うてこなあかんのよ」

「まぁそうだろうな」

「注文して届くまでに1ヶ月以上とかかかるんよ」

「そりゃあ大変だな」

「明日一日家の中だけで生活するにしても、車椅子なしでは大変なんよ」

「かもしれないな」

「それまでの間レンタルの車椅子で過ごさなあかんのやけど、慣れない足回りで怪我するかもしれへん」

「…………」

「そこでや! νブラックハヤテ号が届くまでの間だけ三食住み込み昼寝つきのヘルパーを雇おうと思うんやけど……どう思う?」

 だんだんおにーさんの目が胡散臭いものを見る目になってる気がするが、それは気にしない方向でいくことにする。
 私自身、遠慮がちな自分がまだこんな気持ちを持っていたことに戸惑いを覚えていた。

「いいんじゃないか……そのネーミング以外は」

「νは勇み足やったか」

「……」

 この際、はっきり言おう。

「もし、おにーさんがよければ、なんやけどな……」

 おにーさんは目を閉じて、腕を組みながら、

「正直めちゃくちゃありがたい。ん、だけれども、やっぱり会って一日の正体不明の男にそういうのを頼むのはよくないんじゃない?」

「せやかて、普通に業者雇ってもそれは同じようなもんやと思う。せやったら私はおにーさんがいい」

 言って、もういっそ睨み付けるぐらいの気持ちでおにーさんを見ると少しの間静寂が訪れる。
 聞こえるのは時計の針の音と蛇口から垂れる水の音だけ。

 どれだけの間そうしていただろうか、ようやく眼を開いたおにーさんは、

「どちらにせよ同じ、か」

 と呟いて何故か家を見回してから、ため息混じりに、しかし笑顔で言った。

「わかった、俺なんかで本当にいいなら是非雇ってくれ」

「ほ、ほんまにか!?」


 ここ数年、何かを望んだことなんて一度もなかった。きっと、自分には手に入らないものだとわかっていたから。
 けれど今、振り返って透明だった私の記憶に再び色がつき始めた。
 もし走馬灯というものが本当にあるのなら、きっとこの瞬間だけを廻り続けるに違いない。




 それに。

 『運命』がどうこう言ったけれど、本当はそれだけじゃない。


「ニューってnewだよな?」

「いや、νよ。伊達じゃないほうやで、兄ちゃん」




 それは、わずかに思い出せる昔の記憶。




 『お兄ちゃん』がいたらいいなって、ずっと思ってたんだ。



[10538] 第四話 20日 追いかけっこ
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/05 20:21
 1.4月20日 午後

 ヘルパー云々と言っても、はやては自分の身の回りのことを全て一人でこなしてしまうので、特別すべきことなどなかった。これまでそうやって生きてきたのだから当然といえば当然だが。
 彼女は家事をちゃっちゃと終わらせると、とにかく遊ぼうと誘ってくる。八神家にはやたらと豊富なゲーム機が揃っている為、エンジョイするのもやぶさかではない。
 
 が、暫定ヒモとはいえ、やらねばならないことがある。
 昨日見つけた魔力関連の技術を所持しているモノの拠点。その周辺の調査および、対象との接触、そして情報収集。

 俺がここに居候している件とおそらく無関係ではないと思う。当然はやてには伝えていないが、はやての家を中心に、非常に、尋常じゃないくらいに薄い、まるで漂う空気のような結界らしきものが張られているのだ。
 この家に入って、夕飯を食べてリラックスしている時、偶然にも気付くことができた。
 俺はこういうちょっとした異常に敏感であるほうだと思っているが、これほど薄いと少しでも耐性のある人間には何の効果も得られないと思われる。
 効果が得られないから、気付かない。

 この世界の魔力技術はまったくわからないから詳しいことは言えないが、俺の知っている言葉で置き換えれば、おそらく認識阻害のタイプである、気がする。

 最初ははやてが無意識のうちに張っているものではないかと考えたが、はやてにそちら方面の資質はないように思われる。
 では誰がこんなものを用意したのか……はやてから聞いた話ですでにアタリをつけてはいるが。

「にしても、だなー」

 たまたま助けた少女にまで、コレである。おそらく偶然なんかじゃない。『俺がいなきゃ』事故に遭いはしなかったって事だ。

「嫌な話だこと……」

 口をつくように出た独り言が、空の青に溶けるようにして消える。
 現在はやてを一人家に残し、調査ついでに昨日あの子が言っていたシュークリームを買いに行こうとお使い中なのである。




 2.同日 正午

「洗い物終わった! 続きやつづき!」

 エプロンをフックに引っ掛けて、こっちに近づいてきたはやてが両手を前に出して、降ろしてとアピールしてくる。

「洗い物ぐらい俺がやるって言ってんのに」

 前から抱えて車椅子からソファに移す。

「ええて、私のほうが早いから」

「ごめんなさい……」

「それはええから。ほら、配線頼むわ」

「了解」

 はやての家は各種ゲーム機が揃っていた。『この世界』のゲーム機は特に変化は見られない、俺が知っているものである。
 そういえば、白い魔法少女もこっちに詳しい印象だったな。

 現在コントローラーが二つ以上あるのがキューブだけだったため、必然的にセットするのはこのハードになる。

「他のもコントローラー揃えんとあかんなー」

「いや、大丈夫。俺持ってるから」

「は?」

「まぁ今はこれでいいだろ、スマブラだよな?」

「数年間一人で学校も行かんと修行に励み続けた成果見せたるわ」

 そんな悲しいことをさらっと言わないでほしい。

 結果として、八神はやては自身の修行不足を知った。残念ながら、一人で修行に励み続けた年季が違うのだった。



「さて、もうそろそろ3時のおやつという頃合だし、昨日のシュークリーム屋さんに行ってこようか?」

 立ち上がって伸びをし、はやてにたずねる。

「そんなんいい、いいから座り。まだ負けてへんから、なぁ」

 口をアヒルのように尖らせて子供らしく不満を表すはやて。
 小学生相手に本気で勝負したのはさすがに大人気なかったかもしれない。でも手を抜いたらそれはそれで怒りそうだしなぁ……。

「まぁまぁ。帰ってきたらまた相手してあげるからさ」

「むー……」

 しぶしぶお金を渡してくれたはやてだが、やっぱりご機嫌ななめである。
 仕方あるまい。

 ちょっとそこで待っててと言い、リビングを抜けはやての視界から出ると『倉庫』からファミコン一式とソフトを取り出す。
 詳しい説明は今は省くが、この『倉庫』に例の青い宝石も置いてある。そこからゲームを取り出すというのは、何かが間違っている気がしなくもなくもない。

「戻ってくるまでこれでもやってなさいな」

「うわ……またレトロな……これあれやろ? ディスク差したりできるやつ」

「詳しいな……8歳児」

「っていうか旅人ちゃうんかったんか? どこにこんなん持ってたん?」

「企業秘密です」

「どこもかしこも不透明な会社やね」

 おっしゃるとおりで。
 とはいえ、インドア生活が基本の彼女の気を引くには十分だったようで、若干機嫌もよくなったようだ。

「で、ソフトは?」

「一部ではすごい有名なやつ」

「ほうほう」

「星をみるひとってやつなんだけど――」




 3.同日 3時前

 今頃はやてはどうしているだろうか。帰ったら出る前より不機嫌になっていそうである。

 正直少し迷って、ようやくたどり着いた喫茶『翠屋』さん。
 どうやら当たりのようだ。今までさっぱり感じなかった魔力を感じる。ここで初めて違和感に気が付いたから、もしかしたらと思ったけど。
 いきなり本拠地に攻め込むのはできれば御免したいところだったので都合がいい。
 ただ、反応がやたら微弱なのが気になる。黒い子も白い子も凄い、というか酷い魔力だったのに。
 多分どっちかが『高町さん』なんだろうけど、それとは別に、あの家から感じた妙な威圧感はいったいなんだったのだろうか。

「んー……?」

 時に、こっちの魔力は遮断できている、はず。相手の探知の方法がわからないから絶対とは言えないけど。
 確認したくなったのには理由がある。

 先ほどからすでにビンビンに殺気を飛ばしてくる輩が中にいるのだ。
 まだ何もやってないのに、いったい何だというのだろう。5分ほど入り口の前で突っ立って中の様子を窺っていたのがそんなに悪いのだろうか。


 ……やってしまったかもしれない。
 さっさと中に入ればよかったのに、端から見たら不審者もいいところだ。
 実際は端から見るまでもなく不審者だが。ストレンジャー。

「いらっしゃいませー」

 中に入って声をかけてくれた店員さんを一目見たらすぐにわかった。あの白い子の家族かなにかだろう。
 マナが薄い場所が『高町』さん宅とこの喫茶店に集中していたから、かなりの常連か家族経営だと踏んでいたけれど、どうやら後者のようだ。

「あー、シュークリームまだあります?」

「はい、あと6個ほどございますが」

 多分、少し歳が離れたお姉さんかな? 雰囲気があの白い子にとてもよく似ている。

「じゃあ二つ、持ち帰りで」

「かしこまりました」

 笑顔が素敵ないい女性だ。あの白い子もゆくゆくはああなるのかもしれん……SS級……。
 
 そんな目の保養にして余りある女性を見ながらほわほわしたい気持ちにかられる中、先程……っていうか入ってからずっと厨房の奥からうっとうしい殺気を感じるわけなのだが。

「お待たせしました」

 代金を支払って紙箱を受け取りながら考える。
 本人は確認できなかったけど白い子のほうの情報は掴んだから、もういいかな。
 それに、はやてがそろそろふて寝してるんじゃないか心配だから今日のところは引き上げましょうか。


 けど、それとは別に。
 いい加減、いつまでたってもガキっぽいと言われても仕方ないのかもしれないなーなんて考えながら。
 それでも、やられっぱなしは嫌だから。


「――――――――ッッ!!」


 ドアを閉める帰り際、厨房に向かって、自分の知っているありとあらゆる方法でありっったけの殺気をお返ししてやった。
 今頃自分が殺されるような不気味なイメージが頭の中を駆け巡ってるはず。
 くはは、いい気味である。



「あ、やべ」



 今ので魔力も漏れちゃった……。




 4.同日 同時刻

side Yuuno.S

 僕がこの世界にやってきてから、十数日が過ぎた。
 これまでに僕となのはが集めたジュエルシードの数は6個。
 
 いいペースだと思っていた。
 このままいけばそれほど時間もかからず全て集めることもできると、そう思っていた。

 順調に行き過ぎていて、ひとつの可能性を忘れていた。

 輸送船は事故ではなく攻撃された。
 つまりは、僕以外のジュエルシードを求める人間の存在。

 本当のことを言えば忘れていたわけじゃない。いなければいい、事故であってほしいという希望的観測だった。

 そして、希望は叶わなかった。
 もしあの黒いコートの男の人が現れなかったら、なのはは墜とされていたかもしれない。

 そういえば、彼は何者なんだろう。魔導師というわけではなさそうだったし、断定はできないけど、特別ジュエルシードを求めている風でもなかった。

 わからないことは多いけど、とにかくはっきりしていることは、もうなのはを危ない目に遭わせるわけにはいかないということだ。
 これからは、自分一人の力でジュエルシードを何とかしてみせる。


 美由紀さんに連れてこられた翠屋の二階でそう決心したのと同時、階下で突然顕現したほとばしるような魔力が全身を貫いたのだ。

 まるで背骨に直接氷の柱を刺し込まれたかのように身が震え上がり、ぜっ、ぜっとまともな呼吸ができなくなってしまう。



   魔導師がきた
  ダメだ
     それもとんでもないのが
   まずい
いったい何の目的で
  逃げなきゃ



 ハッとなって自身の体を見る。
 肉体的にも魔力的にもダメージは見当たらないが、ならば今のはいったいなんだというのか。
 荒い呼吸を繰り返しつつも思考が冷静さを取り戻す頃には、魔導師はいなくなったようだ。

 けれど、魔導師がここにきて、すぐに出て行く理由――――。



 ――――なのはだ



 気がついた時には恐怖を忘れて飛び出していた。と、ほぼ同時に、もう一人翠屋から外に飛び出してくるのが見えた。

 なのはのお兄さんの恭也さんだ。

 とても人のものとは思えないスピードで屋根伝いに走る恭也さんに、内心言葉が出ないほど驚いていたが、今はそれ所じゃない。なけなしの魔力で強化した体で、必死に追いすがる。
 追っているものが同じだという確証はない。けれども確信がある。彼を追っていけばきっと……。

 やがて、前方に同じくらいありえないスピードで走っている男の人が見えた。
 あの人は……あの時の黒いコートの人! 今は普通の服だけど、多分あのコートが彼のバリアジャケットなんだ。
 コートだけじゃない、彼も恭也さんと同じように魔力で身体能力を強化しているような気配がない……じゃあ、このスピードで本気じゃないっていうのか……?

 しばらく続いた追いかけっこは、あの男の人が急に立ち止まったことで終わりを告げた。
 ここは、なのはがシリアルⅩⅥのジュエルシードを回収した場所……あの神社だ。
 恭也さんはすでに到着して、付近に身を潜めているようだった。

 今ならわかる。
 あの男の人は多分、魔導師だ。あの場所に彼が来たのは、きっと僕が原因だ。僕がなのはを頼ったせいだ。
 恭也さんが何故彼を追うのかわからないけど……彼を、あんな恐ろしい魔力を放つ人を、なのはやなのはの家族に関わらせるわけにはいかない!



「封時、結界」



 この世界から、僕と彼だけを切り取る。恭也さんの目には突然彼が消えたように見えるはずだが、仕方がない。
 僕が蒔いた種は、僕がなんとかしなきゃいけないんだ。


 神社の境内。
 階段と夕陽を背にして立つ彼の前に、震えを押し隠して出て行く。

「この結界を張ったのは君ってことでいいのかな? イタチくん」

 翠屋で感じた魔力が、彼を前にしたことで思い出される。
 怖い。

「そういや君、最初に見た気がするな。あの白い子と一緒にいたんだっけ、確か。どうにもあん時は『転移』の衝撃でぼやけてんだよな」

 転移……結界内に直接現れたように感じたのは正しかったのか。それに、やっぱり魔導師……か。
 戦闘になったとして、今の僕に勝機があるとは思えないレベルなのは間違いない。
 けれど。

「それで、魔法少女モノに欠かせない使い魔、もしくはマスコットキャラの君が、わざわざ結界張ってまで俺に用があるんだろ? そんな心身ともにボロボロになって、さ」

 彼の言うとおり、体力も魔力も回復しきっていない状態で恭也さんに離されないようについていくには、無理な体で無理をするしかなかった。
 それでも、これだけは確認しないと……。荒い呼吸を整えながら言う。

「狙いは……なのはの持ってる、ジュエルシードか……? あれは……危険なもの、なんだ……っ」

 彼は考えるように少し首をかしげた後、

「は?」

 と聞き返してきた。
 ……僕の方こそ、は? である。

「なのはってのはあの白い子の名前か? ジュエルシードってのはあの青い宝石のことか?」

 なのはの名前はともかく、ジュエルシードのことを知らない……? いや、信用はできない、けど……。
 
「んー、君らに用があったのは確かだけどさ、別に今すぐやりあおうとかって気はさらさらないよ」

 ひらひらと手を振りながらなんでもないという表情をしている彼を見ていると、あんな禍々しい魔力を放った人とはとても思えない……のだ。

「なんかめちゃくちゃ警戒されてるみたいだけど……あぁ、そりゃ当たり前なのかな。とにかく、なんか勘違いしてると思うぞ」
「じゃあ、恭也さんはどうしてあなたを追ってたんですか……?」
「恭也ってのは俺を追っかけてたあのヤバいのか? あれは……まぁ俺が悪いっちゃ悪いんだけどね」

 彼はばつが悪そうに後頭部を空いている手でかきながら言った。

「でも最初に喧嘩ふっかけてきたのはあいつだから。ちょっこーっとおどかした。ほんとにそれだけ。つか、普通追って来れないんだけどな」

 嘘を言ってるような印象はない、と思う。

「そんとき漏れた魔力で追ってきたんだよな? ってことはあそこの微弱な魔力反応は君だったわけだ」

 なんだろう、急に体の力が抜けてきてしまった。

「いやしかし、あの殺気だけでもただもんじゃないとは思ってたけど、あそこまで人間じゃないとは思わなかったわ。結界張ってくれて助かったよ、ほんとに」
「魔導師、なんですよね? ……だったらなんで」
「違う」

 え? 魔導師じゃ……ない?

「それは……どういう……?」
「うーん、ぜひゆっくり情報交換したいんだけど。ちょっと時間がないんだよなー」

 彼は今までずっと持っていた箱を掲げて、

「せっかく買ったシュークリーム、ぐちゃぐちゃになったから買いなおさなきゃいけないのさ」

 俺には豆腐を崩さず走るのは無理だな、なんてよくわからないことを言いながら彼は笑った。
 その顔を見た途端、とうとう自分を支えていた糸がすべて切れてしまった。
 もともと低い視界が横倒しになる中、彼の驚いた顔が印象的だった。



 その後、僕は高町家の門の前で寝ているのをなのはに発見されたらしい。
 不思議なことに、彼を追う前より体の調子がいいことに気付いた。魔力は変わらずすっからかんだったけれど。



 ひとつ気になったことがあったので、なのはを介して桃子さんに尋ねてみた。
 今日二度目の来店になる男の人が、最後の一個を買うことができたそうだ。

 ちなみに、恭也さんは何食わぬ顔で夕食の席に座っていた。
 あの人もこの人も、いったい何者なんだろうか。



[10538] 第五話 22日① 温泉旅館
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/05 20:31
 1.4月22日

 イタチくんに会ってから二日経った。
 あの後どうにかはやての分のシュークリームの確保に成功したが、帰って本人に渡すと、自分ひとりで食べるだけならもっと前に買ってるわ、などと若干の落胆の色を見せていた。
 しゃーないなー、と半分に割って渡してくれるはやては、とても小学生とは思えなかった。

 二人して美味しい美味しい言いながら食べた後、また今度買うてきてな、ちゃんと二人分、と言われたが、もう一度あの変なのに追っかけられるのは御免なので、何か対策を打たねばならない今日この頃……。


 前回イタチくんが倒れた後すぐに結界が解除されて、またあの変なのに見つかることを危惧した俺は彼を掴んだまま移動し、安全だと思われる場所にて彼の様子を見ると、どうやらかなりの肉体的かつ精神的及び魔力的疲労だった。
 このまま放っておくのは俺のなんちゃって動物愛護精神が許さないため、『倉庫』から引っ張り出してきた怪しげな薬をテキトーに使用(口に直接注ぎ込んだ)。ちょっと咳き込んだっぽいけれど、これで体力のほうは問題ないはずである。
 多分。

 その後、シュークリームの残り数を心配していた俺は大急ぎで彼を『高町』さんの家の前に寝かせて(人通りの多い飲食店の前に置いとくのは躊躇われた)翠屋さんに向かったのである。

 実はその時、ちょこ~っとイタチくんの方に細工をしておいたのだ。
 簡単に言えば、魔力準拠の発信機。
 範囲や正確性よりも隠匿性を重視した上に、念には念を入れて隠蔽術式まで重ねたそれは、短時間でやったにしては中々の出来だった。
 ホントの所を言えばあまり得意なタイプの技術じゃない。見る人が見れば最後の隠蔽式なんか逆に目立つくらいのシロモノである。
 しかし、俺が知っている術式と今まで見た『ここ』のそれはまったく違うものだと思われるから、ならばあるいはと試したものだったが、今もまだその存在を感知できるところを見るに、思いのほか上手くいったようだ。

 そんなあれこれがあって、今日の朝食をはやてと食べ終わったころに、彼が探知外に出たことに気付き(出るまで気付かなかったあたり、やはり才能がない)、はやてにちょっと出かけてくると声をかけ、緩衝材として『倉庫』から出した“かの有名なオフラインでオンラインゲームをやるRPG”を全種渡してから家を飛び出してきたのだった。

 休日の朝から遠出ということは、例の青い石、ジュエルシードとかイタチくんが言っていたアレが見つかったのかもしれない。
 前述の通り俺は遠距離の探知が下手なので魔力のまの字も感じなかったわけだが、これまた前述の通り術式が違うのはあちらも同じことなので、俺にはわからないものが向こうにはわかっても不思議はない。

 探知外に出た魔力はすぐに見つかったが、移動スピードが割りと速い。車並みの速さで蛇行しながら移動しているようだ。イタチくんがあの白い魔法少女……なのはちゃん、だっけ? と一緒にいるなら、例の青い宝石を探しながら飛行しているのだと考えればつじつまが合う。
 さて、どうやって接触したものか。

 そして反応とつかず離れずの距離を保ちつつ、飛んだり走ったりしながら追いかけていった先にあったのがこの温泉旅館である。

 どうやら当てが外れたらしい。
 『旅館山の宿』、今回の移動は家族旅行か何かだったのだろう。文字通り山道を車で蛇行していただけだったのである。



 アホか俺は。


 とにかく、温泉である。
 折角こんなところまで来たのだ、ちょっとぐらい入っていっても罰はあたるまい。ここまでくるのも結構疲れたし、温泉入るだけならはやてに持たされたお金でも十分だろう。




 2.同日

side Nanoha.T

 さて、日本国内は全国的に連休です。喫茶翠屋は年中無休ですが、連休の時などはお店を店員さんたちにお任せして、ちょっとした家族旅行に出かけたりもします。
 今回はなのはのお友達一同と、お兄ちゃんとその彼女さんの月村忍さん。そして、月村さん家のメイドさん達も一緒です。
 近場で二泊、のんびり温泉につかって日頃の疲れを癒そうという、高町家の家族旅行としてはいつものプランです。


『なのは』


 アリサちゃんとすずかちゃんの話し声をBGMに車窓から緑を眺めていたら、ひとつ前の席に座るお姉ちゃんの肩に乗ったユーノくんが念話で話しかけてきました。

『なのは、旅行中くらいはゆっくりしなきゃダメなんだからね』

『わかってるよ、大丈夫』

 なんて、それこそよく考えもしないで反射的に答えてしまったけれど、それでも考えなきゃいけないことはいっぱいあるわけで。
 先週出会った、黒い魔法使いの女の子のこと。あれから一つも見つかってない、ジュエルシードのこと。
 そして、翠屋にも現れたっていう……コス、いや、黒いコートを着た男の人のこと。
 一昨日家の前で倒れてたユーノくんを見つけた後、しばらくして目を覚ました彼からお話を聞いたとき、ただでさえ現状でいっぱいいっぱいだったわたしは、さらに混乱してしまった。
 あの時あの男の人はジュエルシードを持っていっちゃったみたいだけど、ユーノくんの話ではそれほど欲しいわけじゃないみたい。
 でもあの黒い子は違う。ほんの僅かな時間だったけど、その瞳には悲しみが見えた。あんな、綺麗な眼をしてるのに……。
 きっと、わたしがジュエルシードを探していれば、またぶつかり合う。

 また、出会う。

『なのは、今はゆっくり休んだ方がいいよ。あんまり深く思いつめないで』

 多分、考え事に没頭してちょっと変な顔になっていたからかもしれない。ユーノくんが声をかけてくれた。

『ありがとう。ユーノくんの方は体とか、大丈夫?』

 もともと体の調子が悪かったのに、あの男の人が来たときにまた無理をしたのだと思う。ユーノくんは話してくれないけど、なんとなくそんな気がしてならない。
 わたしなんかより、よっぽどユーノくんにゆっくりしてもらいたいなぁ、なんて思っていた……んだけど。

『魔力はあまり回復してないけど、体のほうなら平気。この世界に来る前よりも調子がいいくらいだよ』

 何故だかわからないけど、眼が覚めたユーノくんはどういうわけかとても元気になっていた。それどころか、まだ少し残っていた怪我や傷がほとんど完治していたのだった。

『多分だけど、あの人が回復魔法をかけてくれたんだと思う。それに僕をあそこまで運んでくれたのもきっと彼だ』

 確かに、そうかもしれない。もちろん怪我が治った事自体はとってもいいことだと思うし、もしかしたらいい人なんじゃないか、とさえ思う。

 けれどどうしてだろう? あの男の人を見たときから、胸の奥でざわざわとした不快感を覚えるようになった。

 まるで彼の存在そのものを容認できないような、そんな焦燥を感じる。

 こんなことを考えるなんて、なのはは悪い子になっちゃったのでしょうか。

 
 そうこうしている内に車は目的地の旅館にたどり着き、部屋に荷物を置いたわたし達は、早速温泉に入ることにしました。

『いや! いや! 僕は後で士郎さん達と入るから!』

 という段階で何故かユーノくんが慌てはじめ、わたし達とは一緒に入らないと念話でわめき立てているのです。

『僕も一応生物学上では男であってだね、それはつまり体はフェレットでも心はオオカミである可能性が現段階ではなきにしもあらずでですね……』

 ユーノくんは男の子だけど、フェレットさんだから別に気にしなくてもいいのに。
 それに、本当に嫌なら肩から降りて逃げればいいと思うんだけどな……。
 ユーノくんはしばらくぶつぶつ呟いた後、勢いよく頭の上に立ち上がって、

『まぁでもなのはがどうしてもというなら決してやぶさかではな――』

 かくん、とそれまで首にかかっていた重みが突然消失したのと、ユーノくんの声が途切れたのは同時でした。

「あれ? ユーノ……くん……?」

 婦人の湯の暖簾の下、わたしは何が起こったのか理解できずに、そこに首を傾げたまま立ち尽くしていた。




 3.同日

 結論から言えば、温泉には入ることが出来そうだ。
 はやてにもらったお金のほとんどを失ってしまったが……。
 1泊もせずに温泉はいるだけで800円もかかるなんて……それ以前に千円しか持ってないっていうのもどうなんだろう。
 温泉なんざ金払わずとも入る手段なんぞいくらでもあるが、『この世界』ではまだ法という法は犯してない(はずな)ので、今のところは清く正しく生きたいのである。

 若干ブルーな気持ちになりはしたが、温泉を前にテンションは上昇の兆しを見せている。
 ともすれば走り出したい気持ちを抑えつつ、優雅な足取りで男湯を目指していると、前方に女性客一団が見えた。
 おそらく方角的に温泉に向かうのであろう彼女たち4人は、女性から女の子まで、驚愕すべき美貌を全員が備えた恐ろしい集団だった。
 その容姿を数値化する装置でもあれば、新型でも故障は確実だろうと思われる。

 余談だが、昔見た『何故同じレベルの容姿の人間がグループを作るのか』という問いへの『同じレベルで集まったほうが経験値を稼ぎやすいだろ』という答えはなかなかどうして説得力があった。
 余談だが。

 本当にくだらないことを考えながら歩いていると、後ろから走ってきた女の子が俺の横を通り過ぎて、件の一団、その同い年くらいの子達と合流する。
 どこかで見たことあるなぁ……なんていい加減な思考をしていたら、後から来たその女の子の肩にさらに見覚えあるものを発見した。

 イタチくんじゃん。
 っていうか俺、あの子達追っかけてきたんじゃんか。

 びっくりした。
 何にびっくりしたって、完全に目的を忘れていた自分にびっくりだよ。
 まだ情報がなさ過ぎてこれからの方針も立てられないからって何で余裕のつもりなんだろうか、俺。

 切り替えればあの子のアホみたいな魔力を肌で感じる。イタチくんにつけた発信機も。
 ……どうにも他の、妙な魔力も感じるような気がするけど、ほとんどあのなのはちゃんの魔力でわからなくなっている。
 気のせいかもしれないけど。

 さすがに俺が現在保有するどんな力を使っても女湯に吶喊することは不可能であるので、今すぐの接触は避けようとしていたら、例の女の子とイタチくんだけが暖簾の前で立ち往生しているのが見えた。

 会話している様子は見られないが、先ほどから二人それぞれを中心にマナが振動しているのがわかる。
 モールスのようなものかと思ったが、どうやらもっと具体的な意思の疎通をはかっている……気がする。

 んー?

 思いつきで、マナの振動を増幅させて自身まで延長させてみた。

『いや! いや! 僕は後で士郎さん達と入るから!』

 急に頭、というよりは胸に声が響いて思わず肩が跳ねる。
 声を上げなかった自分を褒めてあげたい。

『えー、いいじゃんかー、一緒に入ろうよー』

 ……凄いな、これ。
 特にパスもラインも通じてないのに魔力を介した思念通信ができるのか。その分こんな風に盗聴されやすいのかもしれないけど。

 ふむ……話の内容を鑑みるに、一緒にお風呂に入ろうとなのはちゃんは言っているが、男の子のイタチくんはそれは無理だと。
 子供だし、イタチだし、気にすることないと思うけどなぁ。

『僕も一応生物学上では男であってだね、それはつまり体はフェレットでも心はオオカミである可能性が現段階ではなきにしもあらずでですね……』

 ん?

『もちろんこれは礼儀として一応言っておくけど決して君達のあられもない姿を見たくないってわけじゃないんだよ? ただ僕の中に流れる紳士の血がね? こういうのはよくないんじゃないかってそう囁きかけるんだ。まぁまぁそうは言っても女性の誘いの手を無理に払いのけるなんてことは一小市民、いや小フェレットたる今の僕にはできないんだ、うん。なんせリーチが違うしね』

 んん?

『まぁ、でもなのはがどうしてもというなら、決してやぶさかではな――』

 ぷち、という非常に可愛らしい音が俺の頭から聞こえるのと、俺が右手でイタチもどきを握り潰す勢いで締め上げながら男湯の暖簾をくぐるのは、ほぼ同時だった。



[10538] 第六話 22日② ジュエルシード
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/10 14:34
 1.4月22日 午後

「出来心ですらなかったんです……」

「ほぉ……」

 時間は昼すぎというところだろうか。
 石造りの床に檜の浴槽。露天でこそないが、実に温泉らしい温泉であると言えるだろう。
 その風呂の、外が見える窓側の浴槽に片腕をかけて背をもたれ、目の前にぷかぷかと浮かんでいる風呂桶の中の小フェレットとやらにプレッシャーをかけている真っ最中である。

「なんだか体……いえ、口が勝手に動いたといいますか……」

「ほぉ……」

「それでも、もう少し自制心がある方だと自分では思ってたんですが……」

 他に誰もいないからいいものの何度見てもこのテの、動物が言葉を話すというのは違和感がある。
 これが猫ならもう少し態度の軟化も考えようというものだが。

「ここ二日間くらいなんだか元気が有り余ってるみたいで……ちょっと興奮するとなんだか自制が利かなくなっちゃうっていうか……」

「……ほ、ほぅ」

 脳裏に前回の邂逅が蘇る。
 やっべー……副作用かな。やはりイタチに使うのはまずかったかもしれん。

「そういえば、一昨日はすみませんでした」

「何がー?」

 少し大きな声を出すと程よく反響して楽しい、なんてどうでもいいことを思いながら聞き返してみた。

「勘違いした上に倒れた僕に回復魔法までかけてくれて」

「勘違いのほうは仕方ないと言えば仕方ないし、俺はそのテの技術はからきしダメなんだ」

「え? じゃあどうやって……?」

 あー……回復魔法ってことにしとけばよかった……。
 ま、いっか。わざわざ答えなきゃいけない理由もないし。

「企業秘密だなー」

「はぁ……そうですか……」

 教えてもらえなかったのが残念なのか、落ち込むようにうな垂れるイタチくん。


 と思ったら段々顔が青ざめて小刻みに震えだした。
 あまりに急なその変化に怪訝な表情でそれを眺めていると顔をばっ、と上げて驚愕した表情で、





「なっ、なんであなたがここにいるんですかぁぁぁあああ!!??」





 かぁぁああ、かぁぁあ、かぁぁ、と風呂の中に叫び声がエコーする。
 しかし、表情豊かなイタチっていうのはどうなんだろう。イタチの表情って、判別できるんだなぁ。

「はっはっはっ、イタチくんは中々にボケ気質だなぁ」

「笑い事じゃなくて! やっぱり僕たちを狙って!?」

「そういえばあの子にはこっちにいるって言ったのか?」

「あ、はい。あなたが体を洗ってる間に念話で……じゃなくて!!」

 うーん、このイタチくんは面白いイタチくんだったんだな。じゃなくて!! の表情なんか素晴らしいとしか言いようがない。



 ――ま、それはさておき。どうにか話の取っ掛かりは出てきたな。



「念話ってのは、さっきやってたマナを介した思念通信のこと?」

「マナ……ですか?」

 さっきまでのわたわたした顔から急に凛々しい顔になった。聞きなれない単語だったのだろうか。
 魔力技術のある世界では比較的よく用いられる表現なんだけどな。

「あー……なんていうか、個人の持ってる魔力じゃなくて、その『世界』が保有してる魔力のこと」

「えと……多分、魔力素のことですか?」

「ふーん、ここでは魔力素っていうのか」

「ここではって……そういえば、魔導師じゃないって言ってましたよね?」

「おう、多分違う」

「でも僕の念話が聞こえたんじゃないんですか? 魔力を持ってる以上リンカーコアも持ってるみたいですし」

「リンカーコア?」

「リンカーコアを知らない……? あ、いや、リンカーコアっていうのは魔導師が必ず持ってるもので、さっき言った魔力素を吸収して自身の魔力に加工して蓄える器官、なんですけど……」

「それが俺にも?」

「はい。たぶん通常通り、胸の辺りに。……でも、魔法使ってましたよね?」
 
 言われて、胸元を見る。
 イタチくんの言ってることが本当なら、たぶんそのリンカーコアとやらは俺が『この世界』に来たときに出来たモノだろうな。言われるまで気付かなかったけど。



 ……ん? そんなこと、俺に有り得んのか?



「魔法、ね。『ここ』では魔法なのか」

「……?」

「多分、イタチくんが言うようなことはしてないと思うけど」

「でも転移とか……翠屋に来たときだって……」

「俺はただ跳ばされた方だ。あと、あん時は隠してた魔力がちょろっと洩れちゃっただけだよ」

 そう言うとイタチくんは何故だか首をかしげる様にして黙ってしまった。
 おいおい、まだまだ聞かなきゃならないことはいっぱいあるんだけど。

「あの、なのはちゃん? ともう一人の黒い魔法少女がいたけどさ、二人ともすごい魔力量だったよね。魔導師ってのはみんなあんななの?」

「いえ、二人とも僕の世界でも滅多にいない資質の持ち主です。多分黒い子の方は僕と同じ管理世界出身者だと思うんですが、なのははこの管理外世界の、突然変異的な魔力資質の持ち主ですよ」

 皆がみんなあんな馬鹿みたいな魔力じゃあないってことか……ちょっと安心した。

 それよりも。

「僕の世界? それに管理がどうのこうのって……?」

「あっ……」

 それまで興奮したようにパートナーのことを話していたイタチくんだったが、俺の質問に自身の失敗に気付いたように小さく声を上げた。
 副作用はこれを見越した完璧な計画だったのだよ! ……偶然だけどね。


「ふーん、つまりイタチくんはこの世界のイタチじゃあないんだな」

「イタチでもありません……」

 風呂桶の中で膝(?)をついてうな垂れながら、彼はそう返した。

「じゃあ、フェレットだっけ? さっき自分で言ってた」

「そうじゃなくて、僕は人間です! この世界に来たときにちょっと怪我したり魔力枯れちゃったりで仕方なく変身してたんです!!」

 突然立ち上がってそう叫ぶと、はぁはぁと息切れしはじめる。使い魔とかじゃなかったのか。

「ん? ……じゃあ人間なのに女湯に入ろうとしてたの?」

「………………」

 個人的には、なのはちゃんはまだガキで(今思えば一緒に入っていった女性が2人いたが)、イタチくんが正常なイタチだったから、まぁいいかと思ったのだが(異常なイタチだったからとっ捕まえた)……。

「ちなみに、今いくつ?」

「……9歳です」

「ってことは小3か……うーーーーーーーん…………俺的には意識さえしてなければセーフだな」

「そうですか!?」

「意識してたらアウト。っていうか文字通り退場」

「そうですか……」

 まぁ念話とやらで聞いた限りでは意識ってレベルじゃなかったので、俺の判断は間違ってなかったようだ。

「こっちが意識してなくても向こう次第では退場だしな。なのはちゃんはイタチくん……じゃなかったんだな、えーと……」

「ユーノです」

「ふむ、ユーノが人間だって知ってるのか?」

「はい、知ってると思います」

「それであの対応か……ああいうのを意識してないって言うんだぜ?」

「おっしゃるとおりで……」



「で、だ。ユーノがこの世界にきて、そんな姿にならなきゃならない何某かがあって、今突然変異的な魔法とやらの才があるなのはちゃんと一緒にいる理由が、あの青い宝石か?」



 そう突然放り込むように言うと、今までとは違う、キッとした目つきで俺を見上げた。
 9歳にしてこの切り替えは、イタチにしておくには惜しい。

「そうだ……あなたはどうして、ジュエルシードを持っていったんですか?」

「……そうだな、一番の理由は『よくわからなかった』からだ」

「……?」

 その答えにこそよくわからないという顔をするユーノ。

「結局今もよくわかっていない。逆に聞くが、あれはなんなんだ?」

 ユーノは目を瞑り、しばらくして開いてから、

「答えることは、できません」

「……ふむ」

 つまりその答えが、俺があの石を集め始める理由になるかもしれないということか。

「じゃあ、なんでユーノは集めてるんだ?」

「僕が、見つけたから……」

「俺が見つけたから俺のモノってこと? それは――」

「違いますっ!! あれは危険なものなんです! しかるべき処置をして、しかるべき場所に置いておかなければならないような、そんなものなんです!!」

「…………」

「輸送中の事故でこの世界にばら撒かれてしまった。だから、僕が集めないと。僕の、責任だから……」

「お前になんの責任があるのさ」

「僕が発掘チームのリーダーでした……」



 内心、9歳でそんな危険物の発掘リーダーぁ!? と突っ込みまくっていたが、場の雰囲気にそぐわないのでそのまま心に留めておいた。



「……俺があの石についてわかったことは、莫大な量の純粋な魔力を凝縮して造られてるってことだけだ」

 ユーノは突然話を変えた俺を訝しげに見ている。

「マナ……魔力素だっけか? これも純粋な魔力ではあるが、それとは意味が違う。加工された、どんなベクトルにも使うことのできる魔力だけで固められているんだ」

 特にリアクションはないが、俺も気にせず話す。

「魔力ってのはどうしても使用する前段階で、ある程度作用が決まってしまうものなのに、あれにはそれがない。そんな状態の魔力をあの大きさの結晶にする量も方法も、俺には考えつかない。ただ、それに関して言える事が一つ」

 ふぅ、と一息だけついた。

「あれは、外部からの干渉で発動する仕組みだ。なぜなら、内部にあるのは指向性をもたない純粋な魔力しかないからだ。そして、純粋な魔力は自身のベクトルを決定する何かに強く惹かれる。例えば…………人の意思や、願い」

 ユーノの体が露骨に反応した。動揺を隠せないのが見て取れる。
 それをはっきりと確認してから、それまで纏っていた真面目な雰囲気を解い、口調に軽さを乗せて続けた。

「まぁ、結局は推論でしかないんだけどな。似たようなモノを何種類か見たことがあってさ。ただ、ああいうのってどこかで正負のバランスを取るもんだから注意しなきゃなって話」

 ユーノは何も返さない。これはほとんど当たりとみていいだろう。

「ん、有意義な時間だった。当てがはずれたなんてとんでもなかったな」

 ざぱっと、湯船の中から立ち上がる。
 できた波紋で風呂桶がぐらぐらと揺れ、その中でユーノがよろよろとバランスを崩していた。

「あ、そうだ」

 湯船の中に手を突っ込む振りをして『倉庫』を開ける。

「あったあった」

 指に掴んだそれを、ユーノのいる風呂桶に置いてやる。

「今日の情報料ってとこかな」

「え……って、ジュエルシード!?」

 風呂桶のなかでユーノがわたわたと慌てだす。なかなかに愉快。
 ざばざばと浴槽から出て頭に乗せていたタオルを腰に巻き、シャワーで水を浴びる。

「なっ、なんで!?」

 出られないのか、いまだ風呂桶の中にいるユーノが要領を得ない質問をしてくる。

「言ったろ、情報料だって。……あぁそうそう、一応伝えておくけど、俺も自分の目的があるんだ」

「え?」

「その目的のためにジュエルシードが必要になる……かもしれない。だから、俺は俺の目的で集めさせてもらうわ」

 ぺたぺたと足音を立てながら出口に向かって床を歩く。

「かもしれない、だからそんな切羽つまってるわけじゃないんだけど、なるべく現地で会っても手荒なことにならないように努力するよ。んじゃあ、なのはちゃんによろしく」

「待っ、熱ぅ!! え!? これ超熱いって!!」

 叫び、湯船に入ろうとしているユーノを振り返らずに、一言だけ答えた。


「俺も、いい加減のぼせそうなんだ……」

 ぴしゃり、と風呂の扉を閉める。脱衣所のひんやりした空気が心地いい。
 いったいどれだけ入っていたのだろう、鏡でみた体は真っ赤だった。



[10538] 第七話 22日③ 再会
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/10 14:44
 1.4月22日 午後


 温泉から上がって直ちに服を着て脱衣所から飛び出た。
 ああいう別れ方をした後に、またすぐ出会うというのはあまりにも格好がつかない。
 なので、一刻も早くこの温泉付近から立ち去りたいのだが、温泉から続く廊下を早足で歩いていた時に、前からやってきた温泉客らしき赤い髪の女性に絡まれて、それが叶わない。

「あんたが、フェイトが言ってた妙な男って奴か」

 どうやら酩酊状態にあるのか、正直さっきから何を言っているのかわからない。
 可愛い顔した女の子がまだ日も高いのに酔っ払っているというのは実によろしくないことだが、俺には如何ともしがたいので、いい加減その脇を通り抜けようとさっと壁側にずれたところ、



「まだ話は終わってないよ。どこに行こうっていうんだい?」



 バン! と俺の顔面スレスレを拳が通り、木造の壁を少々凹ませて俺の行く手を塞いだのだった。

「人違いか何かじゃないですか……?」

 まだ『ここ』にきてから人に恨まれるようなことをした覚えがない、はずである。こうまで威圧的に絡まれる理由がとんとわからないのだ。
 とはいえ、酔っ払いを刺激して人目を集めるのは避けたいので、下手に出て話しかけてみる。
 決して、左手の甲でコンコンと確かめた木の壁の硬さを確認して、それを凹ませた腕力に恐怖したからではない。

『いーや、あんただよ。フェイトやあのガキには遠く及ばないにしろ、魔力を感じる男はあんたしかいない』

 唐突に、胸で声が響いた。
 腹話術でも使ってない限り、目の前の女性が発声した様子はない。
 と、いうことは。

『それに、あんたもあのガキもこんなとこにいるってことは、ジュエルシードの大まかな場所を特定したってことなんだろ? ん、おい……もしかして、聞こえてないのかい?』

 念話、フェイト、あのガキ、そして……ジュエルシード。
 ということは、おそらくあの黒い方の魔法少女の関係者か。それに、フェイトっていうのか、あの子。
 目の前の女性は訝しがるように下から俺を覗き込んでいる。視覚的にとても胸がヤバイです。

 さて、もちろん聞こえていないわけではないのだが、普通に口頭で返事をするのは何だか面白みに欠ける気がするので、ここらで俺も念話とやらを試してみようと思う。

「あんた、魔導師じゃないのかい?」

 きちんと鼓膜を震わせる肉声に反応せず、ほんの数回すら見ていない見よう見まねだけの構築を試みる。
 えーと……さっきのユーノの念話を見る限り、リンカーコア……だっけ? から発した思念を周りのマナ、じゃなくて魔力素を介して相手のリンカーコアに響かせる感じか。
 でもこれだと俺を中心に、聞こえる人にはみんな聞こえちゃうんじゃないかな? 思念の強弱の加減もわからないし。



 だったら、彼女以外に声を届かなくすればいい。



 俺は『周囲に漂う魔力素』を俺のリンカーコアから彼女のリンカーコアをつなぐように、まるでトンネルを通すように『操作』した。
 これで俺と彼女に触れている魔力素は、俺たちをつなぐこのラインだけだ。

「ッ!? あんた、何を!?」

 違和を感じ取ったのか、もう手を伸ばせば届く場所にいたところから少し距離をとって拳を構えるその女性。
 俺は落ち着いて念話をしようとしているだけで、特別なことは何もしていないんだけどな……。

 さて、問題は強さだな。よくわからないし、ちょっと強めでいいか。




『聞こえてるよ』




 本当に、それだけ。
 ただ普通に返事をしただけである。


「はひッ――――――」


 だというのに、彼女はまるで耳元で爆音が響いたかのように竦みあがり、どさっとその場に崩れ落ちたのである。

 後で知った話だが、念話で対象を指定する方法はまったく別のやり方であり、そもそも魔力素そのものを操作する等という技術は“まだ”『この世界』の魔法体系には存在しないため、この方法は完全に間違っていたわけである。
 このとき、周辺の魔力素を圧縮して作った擬似ラインに、加減を知らない俺が割りと強烈な思念を飛ばしてしまったわけで。
 絞られたホースを想像してもらったら分かりやすいだろう、その強烈な思念は圧縮されたラインを通って彼女のリンカーコアに直接届いたのだ。

 リンカーコアにかけられた強烈な負荷によるショック状態。
 とはいえ、少し安静にしておいたら意識を取り戻すためそれほど問題はないのだが。

 のだが、そんなことは一切知らない俺は大いに慌てた。
 なんせ白目を剥いて倒れるものだからびっくりもする。おまけに念話(?)した際に犬耳らしき物が飛び出てきて二重にびっくりである。
 すぐに容態をみたところ、とりあえず脈はあるし、呼吸もしている。どうやら気絶しているだけで大事はないようだ。

「……」

 しかしこのまま廊下に寝かせておくわけにもいかない。
 今までこそ奇跡のように人通りがなかったが、本来この廊下は温泉に続く道であり、ある意味メインストリートである。
 もしかしてあまり客がいないんじゃなかろうか。表に停まってた車も二台しかなかったし。
 今日出会ったばかりの温泉旅館の経営状態に胸を痛めつつ、婦人の湯を出たところにあるマッサージ椅子に彼女を寝かせて、ポケットから取り出したなけなしのお金の全額の半分を投下して起動させる。
 これならここで寝ていても問題あるまい……っとと、白目剥きっぱなしだった。すっと、まぶたを戻してやる。



 あと、ついでに犬耳…………犬耳である。

 そうか、あの黒い方の子の関係者だったっけ。
 マッサージ器に背中を圧され、揺れる乳を見ながら考える。
 この犬耳があの黒い子の何かはわからないけど、とりあえずユーノにやったように発信機でもつけとこう。
 彼女の額に指をあてて、彼女の魔力に隠蔽術式を施した俺の魔力を潜り込ませる。
 これで、この魔力を何かに使用されるまではユーノの居場所と同様にわかる。

 ……それは俺の場合、同様にテキトーにしかわからないという意味でもあるが。

 ことのついでにユーノの現在位置を照会する。
 何故か未だ風呂の中にいるようだ。死んでなきゃいいが……。
 助けに行こうか悩んでいると、例の廊下をとろとろと走ってきて、男湯の方に向かう女の子が見えた(ちなみに廊下の突き当たりがT字路になっており、左が女湯、右が男湯)。

 なのはちゃんである。
 彼女はまったく一切躊躇せずに男湯の脱衣所を開け放ち、中に駆け込んでいった。

 豪気だ。

 それを遠目で見送りつつ、ユーノの無事を祈りながら俺もその場を後にした。




 2.同日 夜

side Fate.T

 数日前に確認したジュエルシードの発動以来、まだ一つも見つけられてない。
 そのジュエルシードも、遭遇した二人の魔導師の内、男の人の方に奪われてしまった。
 白い魔導師の方は魔力が大きいだけの素人だった。彼女が相手なら、きっと……いや、間違いなく勝てる。

 問題は黒い男の人の方。
 感じた魔力量からいって、戦えばまず負けることはないと思う。でも前回はその戦いにすらならなかった。
 よくわからないままにジュエルシードを奪われて、よくわからないままに逃げられてしまった。
 いまだに彼が何をしたのかはわからない。できれば、出遭う前に封印して確保したい。
 それが叶わないなら、今度こそ……戦って、勝つ。

 そうして毎日のように探査を続けて、ようやく一つのジュエルシードの大まかな場所が特定できた。
 この前の場所からはだいぶ離れた、自然の多く残る土地。
 より精査を続けると、例の白い魔導師も近くにいることがわかった。おそらく彼女もジュエルシードを求めてやってきたのだろう。
 前は別れ際にああ言ったけど、できることなら戦いたくはない。彼女に関してもより早く封印して、より早く離脱するのが望ましい。
 それを使い魔のアルフに伝えたら、偵察してくると言って飛び出していってしまった。
 念話で、するのは警告だけと伝えて後はあの子に任せた。
 あの子はとても優秀だから。


 だから、精神リンクが突如切れた時の驚きは、とても言葉に表すことができないほどだった。
 たとえ単独であの白い魔導師と戦闘になったのだとしても、あの子が一方的に負けるだなんて思えないし、かといって他に状況が思いつかない。

 いてもたってもいられなくなった私は、持ち場を離れてアルフとの精紳リンクが切れた場所に大急ぎで向かった。
 白い魔導師の気配に注意しつつ、この世界の宿泊施設と思われる建物の、公衆浴場施設の前の椅子に座って寝ているのを、10分もしない内に見つけることができた。
 本当に寝ているだけのようで、取り越し苦労だったことに心の底から安堵した。

 その時アルフの足元に落ちているのを見つけた、この世界の硬貨で試したマッサージ椅子という素晴らしい機械についての感想はまた今度でいいと思う。身長がもう少しあったらなおよかっただろうに。

 目が覚めたアルフから聞いた話で、これ以上驚くことはないだろうと思っていた私の想像は裏切られた。
 あの黒い男の人がここに来ている。そして、アルフを昏倒させたのは彼だというのだ。
 彼を見つけて警告ついでにいろいろ訊こうとしていたら、なんだかよくわからない内に気絶させられていたらしい。
 アルフが強いのは私が一番よく知っている。そのアルフが抵抗もできないまま無力化されたという事実は、私にかつてない衝撃を与えた。

 あの人のよくわからないことに、毎回驚きの最高点が更新されていることになんだか腹が立つ。
 こんな気持ちは今まで感じたことがない。
 何をしたかはよくわからないけれど、アルフに何かしたことに腹が立つ。


 それは確かだけれど、それ以前に。
 何故だかはわからないけれど、初めて会ってからずっと彼にえもいわれぬ不快感を覚えている。
 私の中の何かが、あの存在を許すな、そう言ってるように感じる。
 それがまたさらに不快で、腹が立つ。

「得体の知れない変なヤツだったけど、フェイトなら楽勝だよ!」

 アルフはそう言っていたけど、私は嫌な予感がする。
 この世界にきてから、よくわからないことだらけだ。

 そんなことを考えながら、日が落ちたこの山の中、アルフと一緒に木の上で反応を探している時だった。


 キィン、と体の芯まで響くような魔力の波動。
 ジュエルシードの発動を感じた。


「フェイト!!」

 真っ白な魔力の光が立ち上ってるのが肉眼でも確認できた。
 けれどここからだとまだ少し距離があるので、すぐにバリアジャケットを構築して飛びあがる。

「他の探索者が来る。急ごう」






 そう言って加速をつけようとした、まさにその時だった。



 ぞくり、と生まれてから今まで感じたこともないような悪寒とともに、今までも十分強烈だったはずのジュエルシードの魔力が、何でもないように思えるほどの魔力波が前方から押し寄せてきた。
 降りかかる魔力量そのものは大したことが無い、というのがさらに負のイメージを掻き立てる。


「ぁぐっ…………きッ……ぁ」


 ここにいることが痛い。目を開けていられない。これ以上、恐怖で前に進めない。
 まるで、生きていることそのものを否定されるような、先の見えない真っ黒な圧力が全身に降りかかる。


 それでも、ジュエルシードを……母さんに……。
 必死のその想いで、眼を見開いて、前を見る。
 そして、飛び込んできたその光景にまた恐怖と、驚愕することになった。


 立ち上っていたジュエルシードの真っ白な魔力光。
 その下方からだんだんとどす黒い色が見え始める。

 侵すように、喰らうように、黒が白を塗り潰していく。

 体の芯に響いていたジュエルシードの波動、それがまるで悲鳴のようで。


 やがてその黒い魔力光……否、光と呼ぶのもおこがましいその漆黒は、見える範囲全ての白を塗り潰し尽くし、中心から細くなって消えていってしまった。

「……ィト、フェイト……フェイト!! 大丈夫かい!?」

 アルフの声であまりの衝撃的な光景に呆然としていた自分を取り戻し、そうしてようやくさっきまでのプレッシャーも無くなっていることに気がつく。
 はっきりと、生きていることに安堵をおぼえている自分を自覚していた。

「私は、大丈夫……アルフは?」

 まだがくがくと震えてる両手を、まるで存在を確かめるように、けれど悟られまいと互いを握り締めるように隠してアルフに聞く。冷や汗が止まらない。

「あたしはなんとか……なんだったんだい、今のは……」

「……とにかく行ってみよう」


 私はある一つの確信がある。
 そして、その確信が裏切られることはなかった。


「先に来たのは君たちか……。君もそっちの犬耳さんも、会うのは二度目だな」

 片手には前に見たとき着ていたコート、もう片方の手にはジュエルシード。
 川にかかる木造の橋の中心に、やはり、あの男の人が立っていた。




 3.同日 夜

 犬耳さんを残して逃げてから、だいぶ経った。
 本来ならユーノから聞いた情報だけで今日の収穫は十分として、はやての家に帰ろうと思っていたのだが、犬耳さんが興味深いことを言っていた。


 ――それに、あんたもあのガキもこんなとこにいるってことは、ジュエルシードの大まかな場所を特定したってことなんだろ?


 ということは、だ。
 ここにきた最初の目的もどうやら果たせるかもしれないってことだ。
 ユーノの様子から見てここいらにジュエルシードがあるとは思ってないようだったから、おそらく俺の大嫌いな『運命』ってやつだろう。
 たぶん、なのはちゃんが持っている『運命』か、それとも両方だろうか。

 残念なのは、俺は『この世界』の『運命』をまったく知らないということだ。
 これのあるなしで方針の立て方はまるっきり違うのだが。

 とにかく、この付近にジュエルシードがあるらしい、と踏んで行動することは間違いではないはずだ。
 もしかしたら遅くなるかもしれない旨をはやてに伝えようと、宿に備え付けの公衆電話を見つけたのだが、何故か金がない。
 千円-入浴料800円-マッサージ椅子代100円=100円がない。

 ない。
 ない。
 ありえない。

 いったいどこで……と電話の前で右往左往していたところに、後ろから声がかかった。

「どうかしたんですか?」

 凛、と響く男の声。

 それはいい、それはいいが。
 まだ何もしてないのに後ろから浴びせられるプレッシャー。とにかく人を警戒しすぎだろ! と突っ込まざるをえないその男は、今この旅館にいるだろう人間から推測するにおそらく翠屋で俺を追っかけてきたヤバイのだった。
 まだ振り返ってないので100%確実とは言えないが、まず間違いない。
 さぁ、どうする……?

「お金がないならお貸ししますが?」

 ちぃ! いい人過ぎるだろ! ほっとけってんだ!
 っていうか後姿だけでお金がないとか判断すんなよ……泣きたくなるだろうが。

「ん? ……前にどこかで……?」

 もう何も考え付かん。
 『倉庫』からテキトーに引っ張り出したお面を着けて振り返る。

「いえ、問題ないです。気にかけてくださってありがとうございます」

 見かけ同い年くらいの男に全力で好青年をアピール。

「あっ……ああ、大事無いならよかった、うん」

 左に3つ、右に4つの眼が縦にならんだ模様があしらわれたその面は、いわゆるリリスの面だった。
 アピール虚しくその男は全力で引いていた。

 ちなみにその面には特別な力などなく、昔うろ覚えで作ったただのガラクタである。
 『倉庫』にテキトーに転がっていたのをテキトーに引っ張り出しただけ。
 ちなみにその隣に転がっていたのは“眼が描かれている手の甲をこちらに向けたまま人差し指を立てている手が、さらに眼の中に描かれているイラストがあしらわれた布状のマスク”である。こちらはうろ覚えすぎて右手になっている。

「あの……差し出がましい質問かもしれないが、なぜそんな面を?」

「昔負った火傷がちょっと……」

 口から出任せ、なるようになれである。

「そうか……」

 だというのに信じてしまった。
 さっきまでの警戒心はどこへいったんだ……。
 そうだとしてもこの面はないだろ。

「あなたもここの宿泊客ですか?」

「いえ、ちょっとした散歩です。ここに立ち寄ったのはついでですよ」

「そうなんですか。自分は家族旅行でここに来ているんですが、さっきここの遊戯施設を思い出しましてね」

 そういうと、男は視線を横にやった。
 電話にしか気がいってなくて視界に入ってこなかったが、振り返ると遊戯施設っていうか、卓球台が一台置いてあるだけである。

「いざやろうっていう時に限って誰も相手がいなくて……ここにくれば誰かいるんじゃないかと足を運んだ次第です」

 言葉遣いこそ丁寧だが、なぜだか妙なプレッシャーが再度俺を襲う。

「今日は存外運がいい。…………やらないか?」

 そんな気は一切ない俺だが、その妙なプレッシャーに圧されて思わずほいほい頷いてしまった。
 ……こいつ、仮面とか火傷とか関係なく卓球相手が欲しかっただけかよ。

「俺はペンで」

「ほう、やはり一目見たときから只者ではないと踏んでいたが、どうやら認識を改めなければならないな」

 貸し出しラケットを選んで、台を挟んで対峙した段階で急に目の前の男がそんなことを言い始めた。
 意味がわからんし、さっきまでの丁寧さはどうした。




 ここからは真面目に語っても仕方がないからダイジェストで。

「そのサーブ、消えるよ」
「御神ゾーン」
「な……一人でダブルスだとッ!?」
「――ゼロバウンド」
「三人目!?」
「ラケットに穴が……」
「俺の波動球は百八式まであるが、五式以降はボールが持たない」
「42球だ……」
「二刀流……だと……?」

「このままでは埒があかん、次の一球を決めた方が勝者だ」
「その話、乗った」
「いくぞ……星皇、十字剣ッ!!」
「――喪神無想――」



 そうして打ち返したボールは真っ二つに割れ、片方は相手のコートに突き刺さり、片方は威力を殺しきれず弾け飛び、俺の仮面の額の部分に直撃した。
 勝負は引き分け。
 互いの健闘を祝おうと近づいていったときにボールの半分が当たった仮面が縦にひび割れ始め、握手したとこで左右に飛び散った。

 俺の顔を見て固まる男。
 男が再起動するよりはやく、俺は旅館を出て逃げ出したのだった。



 心底どうでもいい回想終了。

 というわけで俺は夜の山の中でジュエルシードが出てくるのを待っているのである。
 はやて、怒ってるだろうなぁ。
 足で帰れないことないんだけど、俺の場合帰ったそばから発動なんてことになりそうだし。

 散歩がてら見つけたこの橋の上でぼーっとしていたら突然真下から強烈な魔力の波動を感じた。
 以前も感じたこの波動、ジュエルシードだ。

 さっきの男じゃないが、今日は存外運がいい。

 封印の仕方がよくわからないので我流でやったらこれもうまくいった。もしかしたらと思って『倉庫』から取り出した『服』もいらなかったし。むしろやりすぎなくらいだった。
 塗り潰すのは、一番得意。

 そうしてまもなく、あの黒い少女と犬耳さんがやってきた。関係者っていうか、つるんでたのか。


「先に来たのは君たちか……。君もそっちの犬耳さんも、会うのは二度目だな」

 発信機によるとユーノもこちらに向かっているらしい。
 さて、どうしたものか。



[10538] 第八話 22日④ 黒い魔法少女、白い魔法少女
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/10 14:55
 1.4月22日 夜

side Fate.T

「あんた! さっきはよくもやってくれたね!!」

 アルフが、眼下にいる黒い魔導師に向かって叫ぶ。
 彼はこちらを見上げたかと思うと、ため息を吐いて視線を横にずらした。

「昼間のことは悪かったよ……まさかいきなりぶっ倒れるとは思わなかったんだ。……あと、降りてきて貰えると非常にありがたい」

 そして顔をこちらに向けぬまま、申し訳なさそうにそう言った。
 どうやってアルフを気絶させたかはすごく気になるけど、今はそれよりも。

「ジュエルシード……」

 彼の左の掌に浮いているその結晶を、今度こそ手に入れなくては。

「そういえば君もコレが欲しかったんだっけか。……時に、降りてきて貰えると非常にありがたい」

「……?」

 何が狙いかはわからないが、前回のこともある。
 うかつに近づいて彼のペースに飲まれて逃げられることは避けたい。

「あー……一応君にも言っとこうかな。実は俺もコレが必要になるかもしれなくてさ、前に会ったときは成り行きで頂いてったけど、これからは目的を持って集めるつもりだからさ」

 言いながら、右手に掴むようにして持っている黒いコートを肩にかける。

「だから……なんですか?」

 初めて、男の人の威圧感が増すのを肌で感じる。

「君には悪いが、諦めてもらえるとありがたい」

「フザケんなッ!!」

 アルフの周囲にオレンジ色の光球が複数発生し、形成したそれらは橋の上に立つ男の人に向けて全て放たれた。
 それに対して、彼はまったく動きを見せない。前回同様、避けるそぶりも魔法の発動の兆候すらみせない。



 なのに。



「なっ……」

 声にこそ出さなかったが、私もその光景に驚愕していた。
 彼に向かって飛んでいたフォトンランサーが、彼に当たる直前に『消えて』しまったのだ。
 それはまるで、空間に溶けてしまうかのように。

 驚愕は終わらない。

≪Defenser.≫

「え? きゃっ!!」

 バルディッシュに組み込まれたオートガード。
 その発動に疑問を抱くより前に、まったく警戒していなかった背後からの衝撃に体を揺さぶられた。

「フェイト!! ……な、何だってんだい、今のは!?」

 アルフが私の後ろを睨みつけながら叫ぶ。その驚きは当然ともいえる。
 私を背後から襲ったのは魔力弾。その残滓の色は、オレンジ。
 彼に『当たるはずだった』フォトンランサーだった。

「む、ミスったな。撃ったほうに返そうと思ったんだけどビビって照準が狂ったな」

 いきなり飛んでくるんだもんなー、なんて言いながら彼はいまだ最初の位置から一歩も動いていない。
 緊張からか、生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。

「おそらく転送魔法の類だと思う。やりづらいね……」

「でもアイツ、魔法なんか使ってないよ! 魔方陣だって発生しなかったし……」

 確かに、そうなのだ。
 前回も今回も、彼が魔法を使ってるような素振りは一切見せていない。
 にも関わらず、前回は私が、今回はアルフが放った魔法がそれぞれ別の位置に転送された。

 それでも。

「あれが魔法かどうかなんて関係ないよ。ああいう力があるってことだけは確かなんだ。今大事なのは、あの人からどうやってジュエルシードを奪うかってことだよ」

 とはいえ、それもなかなか一筋縄ではいかなそうだ。
 彼はまだ、一度も私たちを攻撃してさえいないのだから。

「アルフ、サポートお願い」

「了解!」

「バルディッシュ」

≪Scythe form Set up.≫

 鎌状にしたバルディッシュを構え、彼を見下ろす上空から、アルフと同時にそれぞれ別の方向に飛び出す。

「おら、喰らいな!」

 アルフが彼を中心に弧を描く様に飛びながらフォトンランサーをばら撒いた。
 彼は、狙いの甘いそれらの中から自身に当たるものだけを今まで同様どこかに転送したようだが、アルフにしろ私にしろ同じ手を食うまいと警戒している。
 進行方向から突然現れたフォトンランサーを、アルフは落ち着いた動作で叩き落とす。

 撃つ前から極力威力を絞っていれば、何の問題もない。
 そして、もともと高くないアルフのフォトンランサーの威力と精度をさらに落としてばら撒いた意味。



 彼女のそれは着弾時に炸裂する効果が付加されている。



 彼の周囲で魔力の華が咲く。
 橋がその衝撃に耐えられず、軋み、崩れ始める。

「うお……っと」

 たまらず彼は上空に逃げ出した。
 そこを――



「はああああぁぁぁぁ!!!!」



 上段に振りかぶったバルディッシュの魔力刃を叩きつける――

 瞬間、周囲の景色が変わる。また転送!


 ――でも、これさえも。




「うおりゃああああああああ!!!!」




 下から猛烈な勢いで飛び上がってきたアルフの拳が、こんどこそ彼を捉えた。




 2.同日 夜

side Nanoha.T

 温泉に入る直前にいなくなっちゃったユーノくんから念話で無事を伝えられてしばらく、今度はSOS信号をキャッチ。
 わたしの能力では全力疾走にあたる速度で男湯に向かって、茹でフェレットになってるユーノくんを発見したの。
 驚いたことに、そのときユーノくんがドザえもんしてた横に浮いてた桶の中に、なんとジュエルシードが転がっていたのでした。

 とりあえずまずはユーノくんを助けようとしたのですが、お湯の温度が何故か有り得ないことになっていたので断念。
 レイジングハートと相談した結果、ジュエルシードはすでに封印処理が行われているものらしいので、至近での魔法の行使も平気とのこと。
 練習中の誘導弾でゆっくり救助してみましょう。一石二鳥、いや一石二イタチですね、とかなんとか。
 ユーノくんの念話が途切れてからちょっと経つけどゆっくりで大丈夫なのかな……。

 で、無事救助成功したユーノくんが眼を覚ましたのがちょうど晩御飯を食べ終わったころ。
 随分長い間寝てたからアリサちゃん達がとても心配していたの。
 誘導弾の制御に失敗してユーノくんを天井に叩きつけたせいもあって、わたしもとてもすごく心配していたのだけど、とにかく眼を覚ましてよかったの、うん。

 子供組の早い就寝時間の最中、わたしも眠いのを何とか堪えながら昼間会ったお姉さんのことを伝えたり、ユーノくんに何があったのかを聞いていたのだけど、その話を聞いてびっくりして眼が覚めてしまいました。

 曰く、あの○Ⅲ機関コスプレさんは魔法使いっぽい力を持ってるけど魔導師じゃないとか。
 前会ったときは成り行きだったけど、これからはジュエルシード争奪戦に参加しちゃうとか。
 参加表明しておきながら持っていたジュエルシードを一つユーノくんに渡しちゃったとか。


 特に最後ので。


 それらを踏まえて、ユーノくんが全部一人で背負おうとするのを押しとどめて、これからも一緒にやっていくことを約束しました。
 ユーノくんの優しさはうれしいけれど、これはもうユーノくんだけの問題じゃなくなってしまったから。

 家族や友達、大事な人たちを守るために。

 そして、あの黒い女の子。
 あの子に聞かなくちゃならないから。
 その悲しい瞳の理由を。


 ……例の男の人のことはよくわからないけど。


 二人で決意を新たにしたその時、今では少し慣れつつあるその感覚が体を通り抜けました。
 ジュエルシードの、発動。
 ユーノくんと頷きあって、その場所に向かう。

 旅館を出て、暗い山道を欠けた月の明かりを頼りに走る。
 反応点とはまだ少し距離があるけど、それでも感じる強力な魔力。

 それは、これまでとなんら変わることのない波動。
 それが強力なものだと知っていて、けれど今では慣れきってしまっていて。




 だからこそ、次の瞬間に始まったその恐ろしい変化の前に為すすべもなく飲み込まれてしまった。




 
 最初は何か壁のようなものに勢いよくぶつかったのだと思った。


 感情が追いつかないまま、それが正確には魔力を込めて姿勢を制御しないと後ろに吹っ飛ばされそうなほどの魔力波だと、身体が理解した。

 さらに一段遅れてそれが形をともなったかのような、底冷えするほどの真っ黒な恐怖そのものだと、心が理解した。
 それは、今までとはまるで違う魔力の波動。ジュエルシードのように、ただ強烈なだけではない、まるで周囲を圧し潰して砕くかのようなプレッシャー。


 これ以上前に進めないと、身体が告げる。これ以上前に進むべきじゃないと、心が告げる。


 根源的な恐怖。


「…………ぁ…………っぁ」


 声を出すことができない。息をすることができない。


「ぐっ……ぁ……この、魔力は……ッ」


 最後はその解放に引っ張られるように、魔力が強力な風のように、後ろへと吹き抜けていった。

 時間にして数秒。
 だというのに、その圧力から解かれた刹那、わたしはどさっと膝をつき、荒い呼吸を抑えられず、汗が後から後から吹き出してくるのを拭うことすらできなくなっていた。
 
「あの人だ……あの、黒い男の人の魔力……」

 両手両膝をついて何とか呼吸を整えているわたしにユーノくんが言う。

 そんなの、あり得ない。

 わたしは魔法を知ってまだ日が浅いけれど、あれは、あんなものは人間が放っていいものじゃないことぐらいわかる。

 まるで押しつぶされて、存在ごと自分が無くなってしまいそうな、そんな恐怖。

「なのは、大丈夫……?」

「うん、なんとか……。反応、なくなっちゃったね……」

「うん……」

 まだ何も話していないのに、話が通じる相手とは思えなくなってしまった。
 もし戦いになったとしても、勝てるとは思えなくなってしまった。
 今の、恐怖だけで。

 わたしが次にどうすべきか決められない内に、状況が変わってしまったらしい。
 ジュエルシードの反応地点にて、魔力の発動を感知したとレイジングハートが伝えてくれた。

≪Apparently, the combat seems to have occurred then.≫

「え?」

 レイジングハートの報告に思わず聞き返してしまう。
 ユーノくんのお話から考えると、ジュエルシードを封印したのは例の男の人だ。その後、その場で戦闘……?
 それはつまり……!!

「なのは!?」

 わたしはさっきの恐怖も忘れて駆け出していた。この時ばかりはまるで前しか見えない自分の性格が幸いした。

 だって。

「レイジングハート、お願い!」

≪Stand by ready. Set up.≫

 バリアジャケットを着装。続いてフライアーフィンを展開。

「飛ぶよ! ユーノくんつかまって!!」


 きっと、あの子が危ない。



[10538] 第九話 22日⑤ 黒い魔法少女、白い魔法少女②
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/10 15:11
 1.4月22日 夜

side Alf

 暗い夜空に響いたのは、重い衝突音。

 それは、魔法や人をノータイムで転送する魔法モドキを使ういけ好かない男をようやく捉えた、その拳から。

 フェイトとの連携で作った隙に、強烈な一撃を確実に叩き込んだ。

 その、はずなのに。

「あれ……?」

 瞬間、何よりも先ず、疑問。

 とっさにジュエルシードを持ってない方、右手でガードしたのだろう。あの一瞬でその反応はたいしたものだと思うけれど、問題はそこじゃない。
 今のあたしの一撃は、陽動用に手を抜いたフォトンランサーの分の魔力も回して練り上げた、非殺傷もクソもない強化された拳だ。
 フェイトに血を見せるようなマネはしたくないが、ジュエルシードを持ち逃げされないためには、一度でも作ったチャンスで勝負を決めるべきなのだ。バリアジャケットを着てないこの男なら、当たれば間違いなく終わり。運良くガードが間に合ったって、その部分が吹っ飛ぶってオチだ。





 ――だからこそ、この状況は異常なのだ。

「あっぶねええぇぇぇぇ……」

 吐き出されるように出たその言葉と反応には、『何か』が間に合ったのだろう安堵が容易く見て取れた。
 視線を移せば、あたしの拳と奴の腕の間に、さっき奴が肩にかけたコートが挟まっている。
 


 これの、こんなモノのせいだっていうのかい……?



 確かに当たった。音もした。感触もあった。


 なのに、『一切の手応えがなかった』のだ。


 あたしの拳も強化していたとはいえ、殴れば同じ衝撃を腕に受ける。その際に生じるあたしへの反動すらなかったのだ。

『アルフ! どうしたの!?』

『確かに決まったのに効いてないみたいなんだ……きっと、これにも種があるよ!』

 念話……そうだ、フェイトは!?
 ばっ、と男を突き飛ばすようにしながら後ろに飛んで奴から大きく距離をとる。
 フェイトはあたしのさらに後方、暗い夜空をこちらに向かって飛んできているのがわかった。
 あの一瞬で、あんな遠くに飛ばしたっていうのかい……。

 数秒後、フェイトがあたしの隣の中空で静止するまで、黒い男は自分の掌を開いては閉じを繰り返すだけで、あたしに対して何もしようとはしてこなかった。
 その姿はとても戦闘状態にあるとは思えない。また、あたしの中の野生も、アイツが『敵意』をこちらに一切向けていないのを感じ取っていた。
 ただ、その対極にある理性だけがアイツをひたすら警戒していた。

「うーーーーむ……完全に見縊ってたよ、魔力大きいだけのガキんちょだとばかり。そっちの犬耳さんもそうだけだどさ」

 並の魔導師ならフェイト程の魔力量を目の当たりにすれば、それだけで戦意を失ってもおかしくない。それほど、彼我の魔力量には差がある。
 だというのにアイツにはまだ余裕さえ見られる。それがまた不気味なイメージを助長していた。

「あー……でも女性に攻撃とか……況やあんな小さな子相手になんて……」

 アイツは右手に掴んだコートをこちらにかざしながら、左手の人差し指を眉間に当ててなにやら唸っている。
 隙だらけなのに、迂闊に飛び込んだら瞬く間に返り討ちされるイメージがあたしを支配して、それを無理やり見ぬ振りをするようにフェイトへ念話を飛ばした。

『フェイト、あのコートだよ。多分あれのせいで攻撃が通らなかったんだ』

『そう、なのかな。なんの魔力も感じられない、ただの服に見えるんだけど……だけど、アルフがそう言うってことは、そうなんだろうね』



 ん……? 左手?



「あんた! ジュエルシードはどこにやったのさ!?」

「ん? ああ。……さぁ?」

 肩を竦める様にしてあまりにも憎たらしく笑う、その男。間違いなくアイツがまた何かやらかしやがった……。

「このっ――」




「よっしゃ。どうにも逃がしちゃくれなそうだし、どうにか怪我させないように無力化しますか」
 




 言葉と共に、眼前にいる男から真っ黒な魔力が噴き出す。
 咄嗟にあの嫌な感じを思い出し、フェイトの前に出て腕を交差して前からの圧力に備える。
 案の定、アイツがジュエルシードを封印したであろう際に感じた嫌な魔力と同じ……いや、さっきよりもアイツに近い分、心と身体を無理やり切り離してしまいそうなその黒い圧力が、魔力の形を取って猛烈に襲い掛かってきた。
 
「う、ガぁァァッ……ぅァぁぁァッ!!!!」

「アルフッ!?」

 あたし達の知るそれとは量そのものはそれ程大したものじゃないと思えるが、質があまりに違いすぎる。
 ただの魔力からこんな圧し潰されそうなプレッシャーを感じたことは今までにない。フェイトの母親にだって、こんな……。


 そして、さらに有り得ないものを見ることになる。
 アイツが半身になってかざした左手の掌。
 そこに、周囲から渦を巻くようにして黒い、ドス黒い魔力が集まっていく。
 一切の光も通さないその漆黒は球体となってその大きさを徐々に増している。

「アルフ……あれ、何か変だよ……!?」

 わかってる。すでにあの漆黒に内包され込められている魔力は、奴が出せるであろう魔力量を軽く超えている。それをあの大きさに圧縮している事もふざけきっているとしか言いようがないが、それよりも信じがたい事が目の前で起こっているのだ。



 そもそもアイツが集めているあれは――――魔力素だ。



「周囲の魔力素を……!? そんな、いったいどうやって……」

「ユーノもそんなこと言ってたけど、こんなに潤沢な魔力を一度体内に取り込まないと使えないってのはデメリットだよな。……溜めこめる量は異常だけど」

 自分が今やってることこそがどれだけ異常なのか、まったくわかってないような口ぶりで奴が言う。

「『ここ』でもやっぱり俺自身の魔力は異質みたいだな。いや、俺だってそうあって欲しいんだけど……。ま、それはともかく、犬耳さん、まともに動けないんじゃない?」

 前に立ってフェイトの負担を軽減したつもりだったけど、フェイトの様子を盗み見るにあまり状態がいいとは言えなさそうだ。
 アイツの言うとおりあたしもロクに動けそうもない。



 ……仕方ない!!



「フェイト!!」

 後ろにいるフェイトの服を掴み上に投げ飛ばす。

「アルッ――」

 そして、アイツとの距離を一気に詰めればフェイトは逃げられるはず――

「じゃあ、なるべく怪我させないようにするから」

 聞こえたのは耳元。
 悪寒とともに振り返った瞬間、まるで目の前が炸裂したような衝撃を受ける。

 ガードの為に交差した腕の上から蹴りを食らった。
 バリアジャケットのおかげで大したダメージはないが、威力を殺せず、上に吹き飛ぶ。

「きゃっ!!」

 どしん、と背中に何かが当たる感触。
 それが上に逃がしたフェイトだと気付いたときには、全てが手遅れだった。

「しまっ――」

 視界に広がる黒球。
 完全に終わったと思った。
 それでもフェイトだけは守ろうと、間に合うかもわからない渾身の防御魔法を張ろうとした、その時だった。



≪Divine buster.≫


 
 突然現れた桜色の暖かな魔力が、迫る漆黒ごと絶望を吹き飛ばしたのは。




 2.同日

 「ありゃ」

 あの子たちの目の前ギリギリで炸裂させて逸らそうと思っていた魔力弾が、横合いから飛んできたピンク色のかめはめ波みたいなのに吹き飛ばされてしまった。
 普通だったらあの程度の威力でどうこうなる構成じゃないんだが、炸裂一歩手前だったせいで結合が弱くなってたからなー……。
 そりゃあんなエグい魔力弾があのまま直撃していたら怪我じゃすまないので、「ホ、ホントは今ので死んでたんだからぁっ!」とか脅しをかけて見逃してもらおうと思っていたのだが……。

 さてどーしたものかと考えながら、かめはめ波が飛んできた先をみると、なんだかとても怖い顔をしたなのはちゃんがいらっしゃいました。
 そこから下のほうに、魔方陣を張ってその上に立って宙に浮いているユーノも見える。
 ……大方さっきのかめはめ波の衝撃でなのはちゃんから吹っ飛ばされたってトコだろう。
 問題はユーノを吹っ飛ばしておいて、それに気付かないほど俺を睨み付けている理由だけれども。

 うお、突っ込んできた。

「…………」

「なのはちゃん、って名前だよね? ユーノとは何度か話してるけど、君と会うのは二度目だね」

 微妙にボキャブラリーが貧困な俺である。



「…………」



 この歳でこんなプレッシャーを放つようじゃ、ろくな大人にならないと思う。
 経験上、間違いない。

「今のが当たったら、あの子たち大変なことになってました」

 ようやく喋った。怒り心頭が見て取れる。

「あー、うん。それはそうだね」

「もしかしたら死んじゃってたかもしれません!」

「そうならないようには努力して――」

「どうしてっ、殺傷設定の魔法を人に向けて使うんですか!?」

「はい……?」

 設定? まぁとにもかくにも、殺傷するつもりなんてなかったんだがなぁ。
 まったく波風立たない俺の心境と裏腹に、なのはちゃんの方は相当ヒートアップしてきたみたいだ。

「これ以上あの子たちを傷つけるつもりならわたしが――!!」

「待った待った、ストップ」

 ビシッっと杖らしきものを突きつけられてちょっと焦る。
 手が出るともう面倒なので、その前に口先でどうこうしようと試み始めた。

「ユーノから何を聞いたかは知らないけれど、俺は魔導師とやらじゃないぞ。その殺傷がどうのこうのも知らん」

「へ? あ、そういえば……。でも、あの子達が危なかったことに違いはないです! 死んじゃったらどうするつもりだったんですか!?」

「死なないようにしてたって」

「あんなおっきな魔力弾が当たったらバリアジャケットがもつはずないです!」

「膨大な魔力はフェイクで、実はあの黒い弾は捕獲用なんだ。触れると球の中に隔離する」

「そうなんですか!?」

「嘘だ」

 と、思っていたら最後にノリだけで(俺が)楽しい方向に持っていってしまった。

 ま、いっか。
 案の定、中々からかい甲斐のある子だ。
 おお、青筋立てたまま笑ってるぞ……。
 ろくな大人にはならないが、大物にはなるかもしれないと思う。

「ごめんね、ユーノくん」

 いつの間にか横に来ていたユーノに、唐突に話しかけだした。

「ジュエルシードからみんなを守るためにユーノくんがくれたこの力を、自分勝手な感情で使うことになりそうだよ」

 怖い笑顔のままユーノを見るもんだから、顔真っ青になってるじゃん。イタチなのに。
 しかし、どうにも戦闘フェイズに突入せざるを得ない空気になってきた。

「ん、ちょっとタイム」

 言って、右手にずっと持っていたコート(○Ⅲ機関仕様)を着ながら話を続ける。

「じゃあさ、持ってるジュエルシードを賭けよう。それなら、その感情とやらのままに戦ってもいいんじゃない?」

 最後にジッパーを下げて前を止めた瞬間、殺気を感じて右腕を後頭部に掲げると、中々に重い衝撃とともに金属音が。
 ガキィン、というその音に驚いたのか、目の前のなのはちゃんが一瞬身をすくめた後、その正体を見て目を見開く。

「あ……」

「アルフの言った通りだ……。全然手応えを感じない」

 もう一人の黒い子、たしかフェイトちゃんって言ったかな。
 その子が魔力刃がついた鎌だったりついてない斧だったりするよくわからない材質の杖を真上から突っ込んできて振り下ろしてきたのだ。
 今は鎌じゃないようだ。斧でよかった。

「っていうかいきなり後頭部を狙わないでよ……当たったら死ぬって」

 さっきので心が折れてたらいーなーとか考えていたけど、さすがに考えが甘かったか。

「私も死にかけました」

 ヒラリ、と夜に舞うように俺を挟んでなのはちゃんと対角線上に離れる。
 うーん、やっぱりさっきのはやりすぎたかなぁ。脅しはやりすぎなくらいが効果あると思ったんだけど。

「バリアジャケットじゃないのに、その防御力……」

 ユーノが何事かつぶやく。

「バリアジャケットって何?」

 ほとんどオウム返しにそう聞くとユーノはポカンと顔をした後に、

「えっと、魔力によって作られた強化服で、魔法攻撃や衝撃、温度変化などから――」

「もういい、さんきゅな。ようは君らが今着てる服ってことね」

「…………」

「ちなみにこれはそのバリアジャケットじゃないよ。俺が作ったものでもないけど」

 喋っている内にフェイトちゃんのそばに犬耳さんが降りてくる。
 夜空に俺を中心にして1対2対2だけど、多分1対4だよなぁ。
 ユーノはどうとも思わないけど、さすがに小さな女の子二人を大の男がフルボッコにする絵面はいくらなんでもまずい気がする。犬耳さんにだって攻撃を当てるのはちょっと躊躇う。

「やっぱりあの女の人、あの子の協力者だったんだね……」

 なのはちゃんが犬耳さんを見て呟く。
 対して犬耳さんはなのはちゃんを警戒してはいるようだけど、いきなり襲い掛かったりってことはなさそうである。
 ……やっぱり1対4かなぁ。
 さっきまでの犬耳さんを見る限り、フェイトちゃんを守るためには全力を尽くすって感じだったから、もしかしたらと思ったんだけど。

「なぁ、そっちの犬耳さんはあのイタチと違って黒い魔法少女さんと明確なラインで繋がってるみたいだけど、いったい全体どういう関係なんだ?」

「答える義理はないね!」

 言うやいなや、その体が形を変え、姿を変える。
 赤い髪の毛が伸びるように量を増し、もともと鋭利だった爪がさらにその長さを増す。
 一連の変化が終わったあと、そこに残ったのは大きな赤い狼だった。超……かっこいいです。

「うおぅ……変身した」

 スライドエヴォリューション!! なんて心の中で叫んだのは内緒だ……どっちかというとビーストモード! かな。

「やっぱり……あいつ、あの子の使い魔だ!」

「使い魔?」

 大きく反応したのは白いコンビ。

「そうさ、あたしはこの子に造ってもらった魔法生命。製作者の魔力で生きる代わり、命と力のすべてを賭けて守ってあげるのさ」

 俺が聞いたときは答えてくれなかったのに……。
 犬耳さんは犬耳さんじゃなくて犬さんだったのか。なんかさらに殴りにくくなったなー、精神的に。


 しかし使い魔……使い魔か。ふむ、なるほど。
 いいこと思いついた。


 ……戦うのが俺じゃなきゃいいんだ。


「おーけーおーけー、こうしよう。今ここにいるのは3組。それでもまぁ雰囲気的には俺対君ら全員だ。それはいい、問題ないんだ」

 全員が、突然喋りだした俺を訝しげに見る。
 機能性以前に、こういう状況でこのコートを着てるとボスっぽく見えて気分がいい。

「もし君たちが俺に勝ったら、君たち一組に一つずつジュエルシードをプレゼントしよう。せいぜい協力して事に当たるといい」

 どちらも驚いたような表情を見せたが、黒い方の女の子……フェイトちゃんの反応が一際大きい。

「もちろん、1対4なんだ。俺が勝ったら君たち二組から一つずつジュエルシードを頂こう。さっきなのはちゃんに提案したときより条件はいいだろう? それに、くれてやったジュエルシードをさらに君たちで取り合う分には、俺は一切手を出さない」


「やります」

「フェイト!?」

 思ったとおり、フェイトちゃんが一も二もなく食い付いてきた。
 つい最近力を手に入れたのであろうなのはちゃんより確実に実力があるはずの彼女が、一度に二つ手に入るかもしれないこのチャンスを逃すとは思えない。
 かけられた脅しよりも望みのほうが強いってことだな。あんな小さな子が、自分の命の危機を感じても止まる素振りさえ見せないなんて、いったい何を望んでるのやら。

「で、なのはちゃんはどうする?」

 彼女は不安そうにフェイトちゃんを眺めたかと思うと、一度瞳を閉じて、それからもう一度開いたときには、いわゆる“いい眼”になっていた。
 そのオンオフの落差に、なのはちゃんが持っている魔法の才とは別の何かを感じて、少し目を見張ってしまった。

「やります!」

「いいの? なのは……。もし勝てても……」

 ユーノの懸念は当然である。それでもなのはちゃんの眼の輝きは失われない。
 ……。

「ぶつかり合うよりも、一緒に戦ったほうが分かり合えると思うんだ」

 よくわからないけど、なんかかっこいい台詞を口にするなのはちゃん。
 どんな力があったのかは定かではないが、その言葉を受けてユーノもまた腹をくくったようだ。


 まぁ言うまでもなく、俺はジュエルシードを一個しか持ってないので、二人に配ることなどできないのだが。
 なに、負けなければいいのだ。(←よく破滅する思考)

「話は纏まったな。だけど1対4とはいえ、俺が戦うのはちょっと反則だと思うんだ。そこでだ、俺の代わりにこいつに戦ってもらおう」

 四者四様、え? とか、は? と言った顔になる。

 さっきと同じ要領で、伸ばした右腕の先に周囲から魔力をかき集め、そこに俺自身の魔力をさっきより多めに混ぜ合わせる。
 無色だった魔力素が黒く塗り潰されていく。
 俺自身の魔力を練り合わせた辺りから他の四人の様子が慌ただしくなり、動物チームがそれぞれの魔法少女の前に立って魔力障壁らしきものを張っている。
 俺には攻撃の意思なんてないのだが、この行為は『この世界』ではよっぽど異常らしい。いくらちょっと魔力がアレだからって、そんな怯えんでもいいのに……。

 そうして大きさを増していく黒い球体は、成人男性平均身長くらいの俺と同じサイズになった。
 俺自身の魔力を扱う作業も終わったので、ちょっとしたプレッシャーから解放された四人も、障壁を解いてその魔力塊を警戒しながら見ている。

「んで、こいつをさらにっと……」

 もう片方の手をかざすと、黒い球体の表面が波打ち始める。緩やかだたのが次第に激しくなり、まるで水風船が中から弾けそうになっているのを無理やり留めているような状態へと変わった。


 イメージするのは、朝方はやてに渡したゲーム。ちょうど思いついたのがそれだった。


 少しずつ、それは人の形を取るように蠢く。

「そんな……魔力をまるで粘土みたいに……有り得ない……」

 ユーノのつぶやく声が聞こえる。
 他の三人は言葉も出ない様子だ。なのはちゃんだけちょっと違う感じだが。

 そして、変化が止まる。

 人の形をしていながら、それを人と呼べる要素は皆無。
 そのヒトガタは、硬質な黒い外殻で全て覆われていた。眼に相当する位置には、紅い光点が三つ、三角形の頂点のように並んでいる。
 頭からは左右それぞれ角、というより頭部の延長のように後ろに反り返った突起が存在している。
 腰と独立して浮いている幾何学模様をあしらった黒いスカーフのようなものが、風もないのに揺らめいている。
 ヒトガタが、持っていた杖らしきものを一振りすると、杖の先の突起の一部が消失し、そこから片刃の黒い魔力刃が形成される。
 その形状は、鎌。
 黒いヒトガタ。黒いモンスター。黒い死神。

「よっしゃ、完成」
「っていうかスケィスなの……」

 知っているのか魔法少女……。

「もしかしてと思うんだけど、その歳でちょっとゲームやりすぎじゃないの、君」
「余計なお世話です」

 っていうか思いつきでスケィスにしたけど、これって俺が戦うよか絵面悪くねー?
 そんなことを、俺のはるか二倍ぐらいの高さになった黒いモンスターを見て思った。



[10538] 第十話 22日⑥ 分かち合うこと
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/10 15:30
 1.4月22日 夜

side Nanoha.T

 前略、どうやらスケィスと戦うことになったようです。

「なのは、知ってるの……? あの、化け物のこと」

 見た目だけでビシビシと伝わってくる危機感に、肩に乗ってるユーノくんがはっきりと不安そうに尋ねてくる。

「わたしたちの世界で普通に売ってる、超名作ゲームに出てくるちょっと特別なモンスターだよ。……わたしも生で見ることになるとは思ってなかったけど」

「この世界の……。ということはやはり彼は……いや、でも……」

 生“死の恐怖”に心の中でちょっと感激していたわけなのですが、それだけに不満もあったりする。

「形的にG.U.用にデザインし直されたやつだと思うんだけど、ディティールが甘いと言わざるを得ないの。まずサイズが若干小さいし、腰巻と大鎌の刃や突起の色は淡い赤のはずだし、膝と脇から金色の角が生えてないの。体中所々にある赤い模様が皆無だし、詳しく言えば頭部に左右5対、肩から胸にかけて――」

 横でぶつぶつ呟いてたユーノくんが心なしか距離をとった気がするけど、気のせいなの、うん。

「こちとらうろ覚えなんですぅ。ここまで形にしただけでも大したもんだと思ってくださいマジで。大体よく考えてみたら同化してる時期がクソ長かっただけでそんとき自分の姿なんて見ちゃいねーって言うか……」

 例の男の人の要領を得ない言い訳を聞き流しながら、今度はもう一度、戦う相手としてその黒い威容を捉える。
 ああは言ったけれども、彼の横で音もなく宙に浮いているスケィスを見ちゃうと、その大きさ、迫力に圧倒されてしまう。

 とてもじゃないけど、まともに戦って勝てる相手じゃないよ……。

「もう始めていいんですか?」

 そんな、目に見えて怖がっているわたしとはうって変わって、ちょっと遠いけど、あの子が力強くそう言ったのが聞こえた。

「なぁフェイト。何もあんな化物と戦わなくたって、絶対あの男を狙った方が早いよ」

「どこかに隠したジュエルシードを出してもらうには、ルールに従ったほうがいい」

「アイツが約束を守るって保障がどこにあるんだい」

「大丈夫だよ、アルフ。あのモンスターがあの人より強くても、私は勝つ。勝って、あの人にも勝つ。そうすれば、何も心配なんていらない」

「フェイト……」

「一緒に戦ってくれるよね? アルフ」

「……ああ、もちろんだよ!!」

 かっこいい……。
 なんだか見ているわたしまで元気になれそうな、そんな綺麗な一幕だった。わたしとユーノくんも、あんな風になれたらなぁ。

 それに、お名前……フェイトちゃんって言うんだ。あと、アルフさん。

「カウント5!!」
「へ?」

 声のする方を向けばいつの間にか遥か下方、川岸に足をかけて座っている黒コートの男の人。

 叫んだ言葉の意味を頭が理解しきるまで、それだけで一秒近くかかってしまった。 

 って、ていうかいきなり5秒スタートですかっ!?
 こ、心の準備がーーっ!!

「4……0!!」

 3から1は!?

 そんな、本当にどうしようもない程くだらない手でわたしが動揺しきっている間に、フェイトちゃん達が動いた。

 真っ直ぐ突っ込んでいったフェイトちゃんを、スケィスは何も持っていない左手で水平に払うように迎撃する。

 空気を切り裂く音がここにいるわたしにも聞こえた、完全に当たったかのように見えたその攻撃は、眩い金色の閃光のみを残した空間を虚しく薙いだ。

「上だ!!」

 ユーノくんが鋭く叫ぶ。
 スケィスの上空にはいつの間にかデバイス――確か、バルディッシュって言ってた――を鎌モードにしたフェイトちゃんが、重力をスピードに乗せて急降下していた。
 と言っても、わたしには夜闇に輝くフェイトちゃんの魔力光しかみえないけれど。

 おそらくユーノくんのせいでスケィスもまた上空のフェイトちゃんに気がついたらしく、その対応を挙動に移そうとする。

 けれど。

「チェーンバインド!!」

 これもいつの間にか人型形態になっていたアルフさんの腕から、幾本ものオレンジ色の鎖が飛び出し、動き出す前のスケィスの四肢と首に巻きつく。
 まったく警戒していなかったのか、そちらには一切の対応をする前に身動きを封じられてしまった。

 あまりに大きな隙。

「――っ」

 完璧なタイミング。
 直上から猛スピードで降りてきたフェイトちゃんが、交差するたったの刹那で、鎖で縛られたスケィスの片方の角と胴体を切り裂いた。切断面と傷口から黒い粒子が飛び散る。
 そのまま慣性を無視した機動でアルフさんの方に飛び上がり、

≪Arc saber.≫

 空中で体ごとバルディッシュを振り上げるように一回転しながら、展開していた魔力刃を独立させて回転刃として放つ。
 その刃は吸い込まれるように未だアルフさんに縛られるスケィスに向かい、フェイトちゃんの斬撃痕とちょうど交差する形で命中し、スケィスの体から甲高い金属音と火花のような魔力が弾けた。

≪Saber blast.≫

 セイバーがスケィスの身体に食い込んだところでバルディッシュが追加コマンドを入れると、回転していた刃が大きな爆発を起こした。
 衝撃で思わず顔をかばってしまうほどの破壊力。至近でこれをまともに喰らったスケィスが、無事であるとは思えない。

「すごい……勝っちゃったの」

 ……わたし何にもしてないけど。

 何事か話した後、フェイトちゃんはアルフさんを伴ってあの男の人の傍に降りていく。
 きっと約束のジュエルシードを貰いに行くつもりなのだろう。

 当然、わたしの方は見向きもしない。
 あの人は二組にって言っていたけれど、わたしは戦いが始まってからずっと、そこから一歩も動けないままだった。




 2.同日

side Fate.T

「勝ちました」

 芝生の上で寝転がってる彼に声をかける。

 彼が召還したらしいモンスターは、大きい外見通り動きは鈍重で、攻撃させる間もなく叩き潰すことに成功した。
 もう一人の白い子には最初から何も期待していない。彼女は素人だ。
 それに下手に協力して、この後ジュエルシードの奪い合いをする時に余計な感情が足を引っ張るようなことになりたくないせいもある。

 とにかく勝ったのだ。
 これでこの人が約束を破っても、今度はこの人に勝てばいい。勝って、聞き出す。

「蒼い、蒼い心溶け……って……ん? もう終わったの?」

 今の戦いを見ていなかったばかりか、歌まで歌っていた。
 微塵もやる気が感じられない。

「はい。約束どおり、ジュエルシードを渡してください。あの子にも」

 協力していなかったとはいえ、ルールはルールだ。
 奪うのはその後でいい。

 のろのろとした動作で起き上がり、服に付いた芝を払い落として一息つくと、

「そいつは聞けねぇ相談だな」

「アンタやっぱり!!」

 ばっ、と私もアルフも臨戦態勢をとる。






「だって、まだ終わってないし」






 ――え?


「逃げてぇ!!!!」


 白い子の叫び声。
 振り返った眼前に迫る赤い光点と黒い大鎌。

≪Defenser.≫

 恐怖で身体が硬直した私を守るべくバルディッシュがオートガードを起動する。
 しかし袈裟切りに振り下ろされた刃は私に当たることはなく、私と彼の間の地面を抉るように深々と突き刺さった。

「そこ、危ないよ」

 モンスターはあろうことかそのままさらに地面に向かって力を加え、自身を支点にその場で前転するように鎌を振り回して地面を抉り飛ばしてきたのだ。
 逃げる、というより吹き飛ばされるようにして上空に飛ぶ。

 モンスターが飛んできた周辺は土煙で見えない。
 自分の体勢を立て直すことで精一杯だった私は、次の攻撃に対応できなかった。

 はっ、と気がついたときには視界が真っ黒だった。

「フェイト!!」

 横から思いっきり突き飛ばされたかと思うと、すぐ体の横を黒い柱が空へ向かって勢いよく通り過ぎる。
 その長く角ばった柱は、土煙の中から生えていた。

 モンスターの……腕……?

「アルフっ!?」

 視線を追っていった黒い腕の先、私よりも遥かに高い場所でその大きな手のひらに掴まれてもがいているアルフが見えた。

「今助けるからっ」

 魔力刃をさらに強化し、指を切断して救出しようと上昇した途端、その黒い腕が大きく振り下ろされた。ほんの一瞬、アルフと目が合う。

「ア――」

 伸ばした手と声をなぎ払うように、大地に激しく叩きつけるように衝突し、大きな地響きを轟かせる。
 すぐさま目で追った腕の先はちょうど川に突っ込む形になっていた。

「……え?」

 腕がいまだ蠢いたままに気づき、瞬間、把握する。




 これ、伸びて……まさか、川底を引きずって――!?




「あああああぁぁっぁあああぁ!!!!」




 頭の中が真っ赤になった私は、伸長を続ける腕を切断すべく今や川と平行に走るそれに肉薄する。
 振り上げた魔力刃を叩きつける刹那、視界の端で土煙の動きが変化したのを見た。

「しまっ――」

 見えたのは、黒。
 腕は伸びてただけじゃない、途中から体との距離を『縮めてもいた』んだ……!
 腕の伸びた先だけに気をとられ過ぎた、そう気付いたときにはもう真後ろに鎌を持った右手を振り上げているモンスターが――



≪Divine buster.≫



 カッ、と空を裂く雷のように、私とモンスターの間に迸る桜色の魔力。
 振り上げたモンスターの右手を完全に捉えたその砲撃は、持っている鎌ごとその腕を吹き飛ばし、瞬く間に蒸発させた。

 なんて、威力。

「ユーノくん!」

 砲撃を終えた彼女が、おそらく彼女の使い魔だろう動物に声をかける。
 彼女の視線をたどると、川べりに緑色の防御サークルに入れられて保護されてるアルフがいた。
 色々なことを脇に置いて、すぐさま飛んでいく。

「げほっげほっ……余計なこと、すんじゃないよ」

「アルフ! 大丈夫!?」

「ごめんフェイト……油断したよ」

「外傷はほぼないみたい。バリアジャケットのおかげかな」

 傍にいるテンみたいな動物、あの子の使い魔が説明してくれる。

「ただ、バリアジャケットにも破損がほとんどないんだ……。あれだけの衝撃でまったくダメージがないっていうのはちょっと変だ」

 私もそう思う。
 あのモンスターが見せた攻撃は、一発でも直撃したらとても耐えられる代物じゃない。

「はん、結局見掛け倒しってことだろ。それに相当頭も悪いみたいだ。あたしを捕まえて川底に叩き付けたはいいけど、当たってる部分はほぼアイツの腕だったしね。自分で自分の腕を削ってたら世話ないよ」

「「え?」」

 使い魔の子と声が被る。
 それは、やっぱりおかしい。

「ちょ、ちょっとー……!!」

 声をするほうを見上げれば、白い子が一人でモンスターと対峙していた。

「なのは!!」

 使い魔の子が目の色を変えて飛んでいくのを見て、私達もそれに後から着いていく。

「あ、あの……っ」

 白い子は私が近くに飛んできたのを見ると、以前に別れたときのように声をかけてくる。
 それより先に、言わなければならない事がある。

「さっきは、ありがとう。助けてくれなきゃ……やられてた。その前の、男の人に撃たれたときも……」

「にゃっ!? にゃはは……いや、あれくらいなんてことないけど。わたし、さっき何にもできなかったし……」

「でも、ジュエルシードは……譲れない、から」

「え……あ、うん……。あの、あなたは……どうして――」

「フェイト、あれ見なよっ!!」

 白い子の言葉を遮って、アルフが叫ぶ。
 アルフが指差した先はモンスター。そういえばさっきから大人しいなと思ってたけど。

「そ、そうだ! 忘れてた! だから呼んだんだよ~」

 何故かちょっと涙目だ。可愛い。
 もう一度モンスターを見ると、おかしいことに気付く。
 切断したはずの角が修復している。胴体の傷も。
 そして。

「右腕が……生えてく……」

 あの子が吹き飛ばしたはずの右手が、まるで時間が巻き戻るように復元していく。

「魔力素だ……アイツ、周りの魔力素を取り込んで自分の一部にしてやがる」
「みたいだね……。すぐに他から流れ込んできたけど、あの化物の周囲だけ密度が薄い」

 使い魔チームの会話。

「あの人は一体何者なの? 魔力素を直接運用するなんて魔法、見たことも聞いたこともない」

「わたしは、魔法そのものがよくわからないから……けどわかるのは、あの人はこの世界のとある分野に詳しいってこと」

「とある分野?」

「とある分野」

 そして私たちの会話。
 とある分野ってどんな分野だろう。



「■■■■■■■■■――――――ッッッッ!!!!」



 修復が終わったのか、獣のような雄たけびを上げるモンスター。
 ビリビリと空気が振動する。

「仕切りなおし、だね」

 なんだか怖いのに、わくわくする。

「古来から、自動修復する敵はその回復スピードを上回るダメージを与え続ければ勝てるってセオリーがあるの」

 ふん、と鼻息荒い彼女を横目でみやる。アルフ以外の誰かと協力するなんて初めてだ。
 ところで、なんのセオリーだろう。

「ッ、来るよ!!」

 叫んだのはアルフだったか、白い子の使い魔だったか。
 巨体とは思えぬ加速力と最高速。
 呆気に取られた私たちは、次の動作が一歩遅れた。
 振り上げられた大鎌が薙がれ、一発で全滅――



 たった一人反応したのは、白い子の使い魔だった。



 緑色の大きな防御壁。
 私のそれとは似ても似つかないほど強固で巨大なラウンドシールド。
 それをあの一瞬で展開してしまうほどの使い魔。

 あの白い子は魔力が大きいだけの素人ではなかったのか。

 しかしモンスターもただでは引き下がらない。
 持っていた大鎌を一瞬でどこかに消したと思ったら、その大きい両腕をシールドに突き刺し、無理やり引き裂こうとしている。

「くぅ……っ」

 あの強固なシールドでも持たないほどの力を、あのモンスターは持ってるっていうの……?

「ユーノくん! もういいよ!」

 もちろん時間稼ぎにはあまりに十分、すでに私たちは散開している。
 白い子の声に少し遅れて障壁が突然なくなったモンスターはつんのめるように体勢を崩した。

「ディバイィィン――」

≪buster.≫

 その、がら空きの背中に、空中で天地が逆のまま放った白い子の強力な砲撃が迫る。
 しかしモンスターは振り返り様、砲撃の先端に裏拳を入れ無理やり軌道を逸らしてしまった。
 が、威力は殺しきれなかったようで、その左手は肘から先が消失していた。

 ちりちりと砲撃を掠めながらも、まだ残っている右手を砲撃を撃ち終わってない彼女に向けたかと思うと、その掌から黒い魔力弾が数発飛び出す。

「直射弾!?」

「なのは避けてっ!」

 無理だ、あんな砲撃の後で反動もないはずがない。
 助けようにも、使い魔の子も私も距離がありすぎる。

「チェーンバインド!」

「え? きゃぁぁああああぁぁあ!!!!」

 突然彼女の両手首にオレンジ色の鎖が巻きついたかと思うと、引っこ抜けるようにして彼女はその場からいなくなり、黒い直射弾を回避した。

「あ、ありがとうございます」

「これで貸し借り無しだね」

「え? 数があわな――」

「なんか言ったかい?」

「……なんでもないです」

 一番近いところにいたアルフが彼女を助けてくれたようだ。
 私は、オレンジ色の鎖を見た瞬間から次の行動に移っている。

 狙いは、直射弾を撃った右腕――!!

「はぁぁぁああああ!!!!」

 斬、と伸びきった腕を切り落とす。

「いまっ!!」

「「チェーンバインド!」」

 緑、オレンジ、二色の鎖がモンスターを雁字搦めにする。
 傷口を塞いで、復元もさせない。
 とはいえ、敵の力は強い。二人がかりでもしばらくすれば破られる。


 ――だから。


「これでおしまいっ! 全力全開!! ディバイィィィィン、バスターーーぁぁぁああああ!!!!」


 ほとんどタメもなしに、強力な砲撃を撃てる彼女が止めを刺す。
 直上から垂直に放たれた砲撃は、両腕を失ったモンスターを今度こそ確実に捉えた。
 一拍置いて、強烈な魔力爆発が辺りを包む。

「なんて馬鹿げた威力だい……」

 アルフの呟きも納得だ。とてもほぼノータイムで放たれたとは思えない。
 彼女のデバイスが廃熱の蒸気を吹き上げる。


「はぁっ、はぁっ…………えへへ、ぶいっ!」


 私の視線に気がついたのか、彼女もこっちを見て、笑顔で右腕をこちらに突き出す。指が見たことない形をしている。

 後に知ったそれは、ぴーすと呼ばれるサインらしい。

 これで今度こそ、私たちの勝ちだ。

 



 

 …………だから今度こそ、本当に気を抜いてしまった。




「うわぁっ!!」

「ぐうぅっ!!」

 魔力衝撃の余波で起きた土煙の中から、再び現れたモンスター。
 両足を失ったようだが、再生中の両腕で並んでいた使い魔組を、張った障壁ごと左右に弾き飛ばし、一目散に私の方へ突撃してくる。
 アルフと白い子の使い魔のあげた声で初めてその接近を知覚した私は、何の準備も出来ないままそれと交錯した。

≪Defenser.≫

発動したオートガードごと、再生が終わった左手に握りつぶされる。

「――え?」

 私を掴んだまま、今度は白い子の方に高速で移動する。
 私が見えたのは、なにが起こったかわからず呆然とする白い子の顔だった。

「きゃっ――」

 何の抵抗も出来ぬまま私と同じように、今度は再生が終了した右腕に捕まる。

 たった数瞬の出来事だった。


「ゲームセットかな」

 いつの間にか傍に来ていた黒いコートの男の人。

「フェイト!」

「なのは!」

「おっと動くんじゃないよー。見たでしょ、こいつ掌から魔力弾撃てるの」

 あの魔力弾は、ノータイムで撃たれたように見えて、その実内包した魔力量は相当のモノだった。
 私の防御くらいはきっと抜く。そして、彼のそれはどうも非殺傷のものじゃない。



 ……負けた。

「んじゃあ、掛け金出してくれるとありがたいんだけど。5、4、3、2――」

≪put out.≫

「レイジングハート!?」

「ん? まぁいいや。なのはちゃんはこれでよし。さて、フェイトちゃんは?」


 私は……出すことができない。
 なぜなら、一個も手に入れてはいないからだ。


「あら? もしかして持ってないのかな?」

「――っ」

「へぇ。元手も無しにギャンブルとは、たいしたもんだな」

 思わず俯いてしまう。

「さて、どうしたもんかね。この状況は想定してなかったな」

「フェイト!!」



「――動くなって言ってんだろ」



 たまらず飛び出したアルフが、急に威圧感を増した彼の一言で一切動けなくなってしまった。つながった精神リンクから恐怖が流れ込んできたせいで、私も体が震え始める。

「あ、あのっ!!」

 モンスターに掴まれながら声を上げたのは白い子。

「わたしが、二個出します」

「……え?」

 思ってもみない言葉に俯いていた顔を上げる。

「なのは!?」

「ごめんね、ユーノくん……」

「……いいのかい?」

「……はい。レイジングハート、お願い」

≪All right.put out.≫

 白い子のデバイスからもうひとつのジュエルシードが出現し、二つとも彼の手元に移動する。

「ん、確かに。フェイトちゃんはなのはちゃんによーく感謝するんだね」

 言うやいなや、モンスターの両腕が肩から外れる。
 その手は私たちを掴んだままだ。

「しばらくしたら、取れると思うから。じゃ!」

「え? ちょ、嘘、まっ――」

 瞬間彼の姿がモンスターごと夜空に掻き消える。彼が何度も使っていた、転送だろうか。
 逃げるつもりなら、最初から使えばよかったのに。

 今はそれよりも。

「どうして……肩代わり、してくれたの?」

「あ、いや……特に深い理由なんてないんだけど」

 ちなみに、私の傍ではアルフががんばって指を外してくれている。

「あなたとは、戦う前にちゃんとお話したいなって。そのきっかけになればいいなって、それで一緒に戦おうって思ったんだ」

「…………」

「だから、最後のあれはあんまりよく考えてなかったり……にゃはは」

 そうだとしても、今日何度も彼女に助けられてしまったことは事実だ。
 情が移る、とは少し意味が違うと思うけれど。

「話だけじゃ……言葉だけじゃ意味がない。きっと、伝わらないよ……」

「でも、話さないと……言葉にしないと伝わらない事だって、あると思うんだ」

 白い子の目は、とても綺麗で。

「わたしがジュエルシードを集めるのは、それがユーノくんの探し物だから。ジュエルシードを見つけたのはユーノくんで、ユーノくんがそれを元通りに集めなおさないといけないから」

 作業をしながら、アルフも黙って彼女の話を聞く。

「最初はそのお手伝いだったんだ。……だけど、お手伝いをするようになったのは偶然だけど、今は自分の意思でジュエルシードを集めてる。自分の暮らしてる町や、自分の周りの人たちに危険が降りかかったら嫌だから……これがわたしの理由」

 言い終えた彼女は、その綺麗な目をもう一度私に向ける。その目は私に訴える。
 あなたの理由は? と。

「私は――」

「フェイト……」

 ちょうど、私を掴んでいた腕を引き剥がすことに成功したところだった。

「いいんだ、アルフ。……あと、彼女の腕も剥がしてあげて」

「……わかった」

 すすーっと彼女の傍に寄っていって、その黒い指に手をかける。
 彼女たちにアルフを警戒する様子はない。

「ありがとうございます」

「ふん、ご主人様命令だからね」

 そして、私と彼女の視線が再び交差する。

「私がジュエルシードを集めてるのは、それが母さんの願いだから」

「お母さん……の?」

「母さんが何を願うかまでは私は知らないけれど、それでも母さんの願いなら、叶えてあげたいんだ。母さんは、ずっと……苦しんできたから」

 相手の目を見て話す。

「でもあれは本当に危険な――」

「ユーノくん」

「でも……」

「お願い」

 ユーノくん、と呼ばれた使い魔があの石の発見者らしい。もしその話が本当なら、正当性は彼にある。確かにあのロストロギアは危険な力を秘めているのだから。
 それでも。

「だから、ジュエルシードをあきらめる事は、できないんだ」

「そう、みたいだね」

 だいぶ力が弱まっていたのか、私の時より早く指が取れる。

「あなたの理由はわかったけれど、あの人は……」

「私が言うのもなんだけど、素直に話してくれるような人じゃないと思う」

「だよね……」

 二人で思い出すのは、あの黒いコートの人。

「みんなで戦ったのに、負けちゃったね」

「……うん」

「悔しいね」

「……うん」


「だから、次は勝とう。一緒に」

「……え?」

 思わぬ言葉に目が丸くなる。

「あの人に取られるぐらいだったら、ちゃんとお話したあなたの方がいいなって。もちろん、取られたくなんてないんだけど……わたし一人じゃ勝てないだろうし……ね?」

 言って、彼女に満開の笑顔を向けられた。
 どきん、と心臓が跳ねるのを感じる。

「あれ……だ、大丈夫? どこか痛むのっ? 顔真っ赤だよ!?」

「え? え? あ、あぅ……」

 言われて触った顔がとてもすごく熱い。

「ア、アルフ! 行こう!!」

 なんだか動悸が激しくなる、一刻も早くこの場を離れたい。

「待って!!」

 無視だってできるはずなのに、どうしてかその言葉にぴたっと体が硬直してしまった。

「あなたの名前を教えて。わたしはなのは、高町なのは」

 名前ぐらいもうわかってるはずなのに。でも、彼女にちゃんと名前を伝えたい、と思ってる自分もいて。

「フェイト、フェイト・テスタロッサ」

「フェイトちゃん……。やっぱり、すごく綺麗なお名前」

「っ! ……じゃあ、また!!」

「あ、フェイト!!」

 再び顔が燃え上がるのを感じる。いたたまれなくなって、逃げ出すようにその場を後にした。

 冷えた夜の空気で熱をさましながら、心の中で反芻する。

 あの白い子の名前は、なのは。
 なのは。




 3.同日

side Nanoha.T

「ごめんね、ユーノくん。わがままばっかり言って」

「必要なことだったんだよね?」

「うん、どうしても」

 二人が去った後、わたしたちは旅館に戻るべく飛行中。
 ちょっと疲れてスピードが出ません。

「でも残念だったね。結局あの子を説得できなかったし」

「ううん、そんなことないよ」

 負けちゃったけど、ジュエルシードは二つも取られちゃったけど、わたしの心は挫けてない。
 旅館にくる前より、よっぽど充実している。

「分かり合うことは出来なかったけど、分かち合うことはできたんだ。なら、いつかきっと」

 えへへ、あの子『また』だって。
 心は充実してるけど、今日はちょっと疲れちゃったな。





 4.4月23日 深夜

 はい、大絶賛後悔中であります。
 ちょっと昔に流行ったサルの反省なんかよりもよっぽど反省してます。

 実はあのスケィス、念動のラジコン操作みたいなもんでした。
 もう怪我させないように必死必死でした。
 全体見つつ互いがフォローできる位置を確認しながらやってたら、まさか最後やられるとは。

 はい、最後のなのはちゃんの砲撃逸らすの介入しました……。
 あの極太ビームの、スケィスに当たる部分だけくり貫くようにして、あの子たちの言葉で言えば『転送』しました……。
 はい、もちろん反則です。

 まぁうまいこと誤魔化してジュエルシード頂こうと思っていたら、フェイトちゃん持っていませんでした。
 はい、俺と同じでした。

 あんまり棚上げして責めるわけにもいかないので、どうしようかとアタフタしていたら、なのはちゃんがよさげな提案をしてくれたおかげで丸く収まりました。

 ……見事なまでに行き当たりばったり過ぎて泣ける。
 
 心を盛大にやられてようやく帰ってきてみれば、当然家の明かりなどない。
 持たされた鍵で中に入るも気配なし。

 リビングの電気をつけると、食卓に突っ伏して寝ているはやてを見つける。
 その傍に置いてあった紙切れにはこう書いてあった。



『夕飯は冷蔵庫に入れてあります。チンして食べてな~』



 猛省した。



[10538] 第十一話 24日 運命の岐路
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/10 15:38
 1.4月24日 午後

 あの後寝ているはやてを寝室のベッドに移し、リビングで彼女の作ってくれた夕食を、レンジで温めてから頂いた。
 よくよく考えたら朝から何も食べていなかったので、ありがたいことこの上ない。
 ことのついでにゲームを点けてスケィスの確認。
 うわ、確かに全然違ぇ……。

 翌日は、言い訳と謝罪とご機嫌取りでほとんど費やした。
 その中で気が付いたことだが、とっつき易い性格とは裏腹に、はやてはちょっとばかり人に対して卑屈になってしまっているようだった。
 やれ、自分の相手が面倒やから出てってしもたんちゃうか、とか。
 やれ、知らんと傷つけてしもたんやろか、とか。

 こぼれ聞いた話から鑑みるに、そうなった経緯を想像する事は決して難しくはなかったが、8歳の女の子が周囲でなく自分に原因を求めるようになるというのは少々思うところがあった。無論思うだけで、それをどうにかしようとは思わないけれど。

 その手のたわ言を無理やり封殺して、今回は全面的に俺が悪いということを押し通し、誠心誠意全力で謝り倒すことでどうにかはやての方からお許しをもらった。
 まるで誰かの罪を被ったかのような表現だが、実際もクソも一切隈なく100%俺に非があることは明記しておくべきだと思う。

 はやてが謝意のポーズ最終形態『土下仰向寝』の通じる相手でよかった。コンセプトは、「地球の裏側まで」。ちゃんと、「謝る気あんのか」とツッコミを戴いた。

 ちなみに、今度から遅くなるときはちゃんと連絡すると、小学生みたいな約束をさせられてしまった。
 

 そして今日24日は、前日に機嫌取りに勢いで交わした明日図書館いくでー、な約束を守るため車椅子を押しつつはやてと初めて出会ったこの場所にやってきたのだ。
 途中マグナムトルネード! とかギャグでやろうとしたら割りと本気でキレられた。
 切れやすい十代。はやては8歳だが。



 図書館。
 図書館である。
 無料で情報を手に入れることができる場所としてはこれ程秀逸なモノもないが、目標を持たずにくると、なんと手持ち無沙汰なことか。
 本を読むのは嫌いじゃないが、さりとて好きというわけでもない俺は、こうして備え付けられたベンチに行儀悪く座って時間が過ぎるのを待っているわけである。
 一方はやては早々に目当ての本を俺に取らせ、机つきの読書スペースで大絶賛読書中である。
 目の届く範囲にいるので、こちらが眺めていることに気がつくと笑顔で手を振ってきた。可愛いとは思うのだが、なんだか違う意味でため息が出るのは否めない。



 本は読んでいないけれど、考えていることはある。
 今手元にあるジュエルシードは三つ。
 全部で何個あるのかわからないけれど、もし俺がこれを集めきったのだとしても、状況は何も変わらない可能性がある。
 だとしてもこれから先の展望がまったくない現状では、今直面している問題を解決するほかないのだが、それさえもこのまま上手くいくかどうか。

 あの石を集めている二組の存在。
 前回はなんとか大きな怪我をさせずにジュエルシードを掠め取ることに成功したけれど、次はどうなるかわからない。
 脅しをかけるにしろ、どっちの女の子も芯が強そうだったので簡単に諦めてくれるとも思えない。
 ほんとに最終手段をとるしかないのなら、迷わず俺は実行してしまうだろうが。

 あんな小さいのに大したもんだよ。
 魔力とかじゃなくて、その在り方が。
 真似できねー。

 いつかのようにそんなことをつらつら考えていたら、これまたいつかのように俺の視界の先、三つ先の書棚に女の子がやってきた。
 今度は車椅子に乗っているというわけではなく、別段普通の少女だ。ウェーブのかかった紫色の髪を白いヘアバンドで留めている、可愛い女の子である。
 どっかで見たことあるような気もするが、思い出せない。

 初めて会ったときのはやてのように、その少女は本棚を見上げていた。
 しかし、またでかい本棚だな……。
 少し奥に梯子が置いてあるのが見えるが、少女が傾ける首の角度を鑑みるに、あの梯子を使ったとしても目的の高さには届かないんじゃないかと思う。

 振って湧いた暇潰しに興味を抱き、ちょっと目を凝らして書架の横に表示してある分類を見る。
 『機械工学』……? あの手の書棚の最上段ってぶっとい学術書みたいな本ばっかだと思うんだけど……読むのかね、あんな子が。

 そんな思考をつらつらと展開していると、件の女の子がきょろきょろと周りを見回し始めた。その様子はちょっと不安そうで、何かを警戒しているようでさえある。
 んー? 図書館で万引き……いやいや、この図書館はちゃんと手続き踏まないとビービーなるタイプのアレだ。

 じゃあ、どうしたんだろう。
 しばらく辺りを見回しはしたが、どうやら少し離れたところにいる俺には気付かなかったようだ。今は再び本棚の上の方を眺めている。
 うーん、過ちを犯そうとしているなら止めるべきなのだろうが……。


 どうしようか迷っていると、その少女は信じられない行動に出た。
 特に溜めもなく地面を踏み切ると、どこにそんな跳躍力があるのか、簡単に最上段付近に体が届き、その短い滞空の中、分厚い本を抜き取った上で着地したのだ。
 その着地もまったくブレがない。とてもそんな距離を飛んだとは思えないほどに。

「うおっ」

 思わず声を上げてしまった。
 静かな図書館にその声は思ったより響き、その少女の耳にも届いたようだった。
 少し距離はあるが、視線が交錯する。

 ドカッ、と少女は手に入れた本を取り落とすと、その場から一目散に逃げ出してしまった。
 どうでもいいけど、本を落とした音じゃないよな。

「何大声出しとんの?」

 声を聞きつけてやってきたのだろう、はやてがそばに来ていた。

「お前今の見た?」

「今のって何?」

「いや、見てないならいいんだけどさ」

「何やそれ、何見たん?」

「座敷童子」

「近年家々におらんようになったと思ったら、図書館におったんやな……」

 無論、まったく信じている様子ではなかった。

「もう帰ろうぜー……」

「いや、まだ読む」

 家で読めばいいじゃないか。家は家ですることがあんねん。などと押し問答がその後しばらく続いたのだった。




 2.同日 夕刻

side Suzuka.T

 旅行前、なんだかなのはちゃんの様子がおかしかったからアリサちゃんと二人で元気付けてあげようと計画していたのですが、なのはちゃんは二日目からそれまでが嘘のように晴れやかな表情をするようになりました。
 疲れが抜けきってないような様子はあったものの、以前のように深く思い悩むような表情は見られなくなって、アリサちゃんもわたしもとても安心していたのですが、アリサちゃんは問題の解決に自分の力を貸せなかったことが少し悔しかったようです。

 旅行の日程がつつがなく終了し、家に帰ってきてしばらく。
貸し出し期限が今日である図書を思い出したので、急いで返しに向かいました。
 出掛けにお姉ちゃんから借りてきて欲しい本を頼まれ、ファリンが付いてきてくれると申し出てくれたのですが、図書館に行って帰るだけなのでそれは断りました。
 二日空けるだけでも、屋敷の管理は大変だと知っていますから。

 図書館についてすぐに返却の手続きを行い、お姉ちゃんに頼まれた本を探していると、何度かここで見かけた同い年くらいの車椅子に乗った女の子を見つけました。
 何度も話しかけようと思ったけれど、どうしても勇気が足りず、できないでいる。
 今日もそれは変わらない様で、結局声をかけられず、わたしはまた本を探し始めました。

 ようやく見つかったそれは、小学生のわたしがどれだけ背伸びをしようと届くはずのないところで、大人の男の人でも備え付けの梯子を使わないと届かないような場所にありました。
 普通、司書さんを呼んで取ってもらうべきなのだろうけど、わたしには幸か不幸か、あの本を自力で取ることが出来る力がある。
 わたしは辺りを見回して、見ている人がいないかどうか確かめた。
 運がいいことに、誰もいないようだ。


 わたしは軽く足に力を入れて、跳んだ。
 世界が真下に流れていく。
 速い、と感じているわたしと、まるで止まっているようだ、と感じるワタシがいる。
 刹那か永遠か、私が着地したときにはしっかりと目当ての本を抱えていました。


「うおっ」


 静かな図書館に声が響く。
 弾かれるように声がしたほうを振り向くと、男の人がベンチに座ってまっすぐこちらを見ていた。


 ――――見ラレタ。


 脳がそう理解した瞬間、私は思わず逃げ出していました。


 どこをどうやって走ったかも思い出せない。
 気づけば知らない場所に出ていました。
 今いるのは空き地のような場所。使い道もろくにわからないコンクリートの土管が三本、ピラミッドのように置かれている。

「はぁっ……はぁっ……んっ、はぁ……」

 息を整えることが出来ないほど、動揺している。
 恐怖で身体ががたがたと震えている。
 自分の……ヒトでない部分を、初めて誰かに見られてしまった。

「はぁ、はぁ……ふぅ……ふぅ」

 震えが収まってきた。
 呼吸も整い始めると、ようやく頭の中がまとまりのある考えを持つようになる。

「ここ……どこかな」

 辺りを見渡すも、目印になる建物や見覚えのある景色も見当たらない。
 けれど、どこからか聞き慣れたのある音、というか声がする。

「にゃー……」

 それは、空き地に積まれている、下の段の土管の中から。

「野良猫さん……かな?」

 人に慣れているらしいその子は、わたしの足元に擦り寄ってきてまた一鳴きした。

「人懐っこくて、可愛いね……あれ?」

 その子を撫でてあげようとかがんだその時、視界の端、暗い土管の中で何かが煌いたのが見えました。

「わぁ……綺麗……」

 覗き込んで、手にとって親指と人差し指ではさむ様にして夕陽にかざす。
 見る方向も角度も変えていないのに、まるで自身が発光しているかのように輝く、宝石のような蒼い石。

 まるで吸い込まれるようにその石を眺めていると、カバンの中の携帯電話が振動するのがわかった。

 その後、正直に事情を話して、車で迎えに来てもらいました。
 お姉ちゃんに頼まれた本を忘れてしまったと気がついたのは、車に乗ってしばらくした後でしたが……。

 代わりに、カバンの中に入っているのは、あの空き地で見つけた蒼い石。
 

 それが、わたしが本来持っていたはずの『運命』を大きく変えることになってしまうことを、この時わたしは知る由もなかったのでした。



[10538] 第十二話 25-26日 八神家
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/11 14:29
 1.4月25日 午前

「あんなー、ちょう結果でるまで時間かかるんやて。せやから検査入院って形で二日間家に居れんようになるみたい」

「病院行っていきなり入院って大丈夫なのかよ」

「言うても毎回こんなやしな。とにかく、その間家のこと頼むでー」





 今日は朝から病院だった。
 カレンダーの今日の日付には赤ペンでしっかり書いてあったため、定期的な検査というやつなのだろう。
 桜はほとんど散ってしまっていて、ところどころにある八重桜だけが季節を彩るそこそこ距離のある道のりをはやての車椅子を押しながら歩くとやがて目的地に到着した。
 
 しかしなんというか、海鳴にあるものは何でもでかいな……。
 っていうか海鳴がでかい。

 中に入って、きょろきょろしながらはやてに案内されるまま進み、主治医と思われる先生を紹介された。

「八神さんの主治医の石田です。失礼ですが、はやてちゃんとはどのようなご関係で?」

 笑顔で吐かれた言葉は何故かいきなり物凄く威圧的というか、警戒なさっているというか……。
 俺のあずかり知らぬ所ですでに何かやらかしてしまったのだろうか?

「えーっと……自分は――」

「兄ちゃんは近所に越してきたおにーさんなんです。私が困ってるの見かねて助けてくれはったんですよ」

 俺が何かテキトー言おうとする前に、はやてが石田さんにそう言う。
 な? と聞いてくるはやてと、そうなんですか? と目で訴えかけてくる石田さんの両方に肯定の意思を示しておいた。

「そう、ですか。……じゃあいこっか、はやてちゃん」

 それを聞いた石田さんは安堵したような、しかしそれでいて少し残念そうな表情を見せ、それからはやてを伴って診察室の方へ向かおうとした。
 しかし、少し歩いた後はやてに何事かささやいて、石田さんだけこちらに戻ってくると、

「あなたは、今日はもうお帰りに?」

「いえ、帰りもあいつを運んでやるつもりですよ」

「そう……。でしたら、しばらくここで待ってて頂けるとありがたいのですが」

 特に断る理由もなく、むしろそのつもりだった俺はそれに頷き、石田さんは今度こそ診察室へ入っていった。


 割合時間がかかっているが、はやてにやっといてなーと渡された携帯ゲーム機で時間を潰せるので、さしたる問題はない。
 持っててよかったPSP!





 くっそ……天鱗でねー……。

「あの、よろしいですか?」

 突然声をかけられ、顔を上げた先には先ほど紹介された石田さんが。

「随分熱中されてるみたいだったんで、ちょっと声をかけるの躊躇ったんですが……」

 と言いながら軽く苦笑される。大人の微笑みだ。

「いえ、問題ありませんよ。で、はやてのことですよね?」

「それもありますけど、あなたのこともです」

 一応身体は健康だと思っていたのに、医師から直々に宣告を受けると言うのか……ッ、等と一瞬有り得ない戦慄をしたのは内緒である。

「もう一度お聞きしたいんですが、本当のところ、はやてちゃんとはどのようなご関係なんですか?」

 まぁ、そりゃあ聞いてくるよな。
 はやての手前あの場はあれで流したけど……いい先生だな、うん。
 これは、知っておけてよかった。家から出さえすれば、あいつの周りにだって頼りになる大人はいるんじゃないか。
 問題は、はやて自身がどう思ってるかなんだが。

「あー、それよりまず、見た目年下のガキ相手なんですから、もっと砕けた話し方でかまいませんよ」

 考えたところでどうするつもりもないことを頭から追い出して、『はやての頼りになる大人』であるところの石田さんとコミュニケーションを図る。
 実際はともかく、見た感じはそこらの大学生くらいの俺だ。あまり大人の女性に畏まられても対応に困る。
 まぁ本当のことを言えば、少し気合を入れないとフォーマルな会話ができずそのうちボロが出そうになるからだったりするのだが。

「あらそう? 私としてもこっちのほうがありがたいけどね」

「……。それで、はやてとの関係……でしたっけ。さっきはやてが言ってたので概ね間違ってませんよ」

「はやてちゃんの車椅子が変わってたことと何か関係があるの?」

「なきにしもあらず、ですね。はやては何か言ってました?」

「まぁ、聞いたら答えてくれたけど……今はあなたに聞いてるのよ」

 ぐぬぅ……口裏合わせたほうが楽なのに潰しおって……そんなに警戒せんでも……いや、するか普通。
 仕方なし、こういうときは下手に嘘をつかないほうがいい。

「簡単に言えば、はやてがちょっと危ない目にあって、それを俺が間一髪助けたけど車椅子はおじゃん。それ以来懐かれる様になったってだけですよ」

「危ない目?」

「危ない目」

「いや、だからその具体的な事を――」

「石田先生」

 やっぱ表だけのルールの中では話を流しちゃくれないなーなんて思いながら、別に交通事故して助けたら居候って言っちゃっても問題ないんじゃないかと思い始めた頃、石田さんの後ろから近づいてきた看護婦さん(今は看護師だっけ?)が彼女に声をかけた。
 この距離ですら聞き取れない小声で会話する二人を眺めつつ、石田さんの年齢に思いを馳せていると、

「じゃあお願いね。あなたも一緒に来てくれる?」

 看護師さんに声をかけた後、俺にもそう続いた。
 無論断る理由もないので頷くと、病室に案内される。
 中に入るとそこは個室で、ベッドには患者用パジャマらしきものを着たはやてが寝かされていた。

「そうしてるのを見ると、ほんとに病人っぽいな」

「残念ながらほんまの病人やもーん」

「だってお前普段から元気あり過ぎだからなぁ」

「兄ちゃんには負けるわ」

 とりあえず声をかけると、少なくとも今は元気そうでよかった。
 本当に病人らしく見えて、すこしびっくりしてしまった。




 そして、冒頭の台詞につながる。
 家のこと頼むでー、に反応した石田さんが何事か詰問してきたが、後ははやてに任せてその場から逃げ出した。
 8歳の少女に後始末を押し付ける俺であった。



 現在、八神家に一人。
 期せずして望んだ状況が出来上がったわけだが。
 この家に初めて来たときから感じていた違和。張られている薄い結界。
 それらの調査をするには絶好の機会だ。



 とはいえ、すでに一つの目星はついている。
 はやての寝室。
 その本棚に納められた一冊の本。



 ――間違いなく、アレがはやてとそれを取り巻く『運命』の鍵だ。




 2.4月26日 夜

 というわけで、一日とちょっとが経過。
 一人暮らしの少女の家をひっくり返して家捜し……常軌を逸している上に正気の沙汰とは思えない行動のせいか、何度も心が折れそうになったが、その分の収穫はあった。

 ……もちろん変態的な意味ではない。

 例の本はやはり魔導書の類だった。
 魔導書というには、もしかしたら語弊があるのかもしれない。
 俺がこれまで見てきた魔導書と呼ばれるシロモノは、遠目で見ても吐き気を催すような禍々しさを、本を閉じた状態で放っていたようなキッツイものだったが、この本にはそれが感じられない。
 さりとて普通の本ではないことはわかる。
 鎖で十字に縛られている上、その中心には封印術式らしいよくわからない封がなされている。
 ぶっちゃけると、この本に関しては何かを感じ取ったわけではなく、たまたまこの本の装丁の異様さが目にとまり、なんだろうと思って触ってみるとバチィッ!! と電流のようなものが走ってたまらず弾かれたことで発覚したのだ。
 今回触るときは魔力で誤魔化しはしたものの、あんまりやりすぎるとその本の本質を歪めてしまうため、ほとんどやせ我慢で行った。
 物凄い拒絶の意思を感じたが、やはりそこに禍々しさはなく、またあまり力も感じられなかった。



 しかし、こんなものがここにあるという事実は揺るがない。
 やはり八神はやては『特別』な何かであるということ。

 まぁ、俺と関わる人間は大概『特別』なんだろうけど……。

 それと、この家を起点に張られている極薄の結界。
 まるで漂う空気のように薄いそれは、魔に少しでも耐性があるものならばその存在に気づくこともなくその効力を無視するだろう。
 しかし、まったく耐性のないものならどうか。
 『この世界』のこの世界の人間は、殆どが魔力資質を持たない人間のようだ。

 予想通り、この結界は認識阻害のそれだ。
 っていうか、こんな小さな女の子が一人暮らししていたら誰か一人ぐらいお節介焼く人がいてもいいはずである。
 実際、近所に住む人は話してみたらいい人ばかりで、とてもこの状況を看過する人達ではなさそうだった。
 
 しかし気になるのは、ただ結界を張るだけならもっとはっきり張って、隠蔽術式でも組み合わせれば耐性のある人間にも効果があるだろうに、わざと薄く張って耐性のある人間には効果がないようにしてある節がある。


 それはまるで、そういう人間が来ることを想定しているような――。



 次の問題は、誰がこの結界を張ったかということだが、おそらくこれはもう一つの問題と決して無関係ではないように思う。
 この家の財産管理や資金援助を行っている、以前はやてに尋ねた時に父親の古い友達らしいと聞かされたグレアムなる人物。
 
 間接的に今は俺もその人に養われているわけだが……。
 
 最初聞いたときははやての資産目当てか何かかと思ったが、昨日から調べた限りそういうわけではなさそうだ。
 まぁ、そもそも資金援助してくれている上にその累計額がちょっと頭おかしいことになっているのでその考えは最初期に棄却したが。

 むしろ問題はその資金援助そのものにあった。
 毎月一度、封筒に日本銀行券がギッシリという形で送られてくるのだという。
 無論、不可能ではないが不可解ではある。
 ……もしイギリスで日本円に換えているなら、手数料とかバカにならないと思うなぁ等と、聞いたときはまた別の事を考えていたけれど。

 調べてわかったことだが、この現金書留というか現金小包は正規のルートで送金されたものではなかった。
 グレアムなる人物がはやてに世話を焼けるのは、石田さんのように結界の外にいるからだという仮説もあるにはあったが、少しでも不透明な印象を受けると、これはもう疑う余地が出てきてしまう。
 最初にはやてに話を聞いたときからアタリをつけてはいたが、俺の中ではすでにクロである。

 ただ、目的がわからない。
 あの本がそうなら、さっさとかっぱらってしまえばいいのだ。
 それをせずに何年もはやての面倒を見ているというのなら、あの本がここにあることも目的の内なのだろうか。


 とにかく情報が足らなさ過ぎる。
 ジュエルシードのことも、はやてのことも。






 一息ついた時だった。
 それほど遠くない場所で、魔力の発動を感じた。

「位置的にみて……犬耳さんかな。ってことは近くにフェイトちゃんもいるのかね」

 前に付けた発信機で場所を照会する。
 どうやら魔力を流したのは黒い組らしい。
 ついでにユーノもそこから近い場所にいるようだ。

「お」

 直後、それに呼応するかのように別の大きな魔力が空間に波紋を打つように出現し、またそれを覆い隠すかのように少しずつ反応が小さくなり、やがて消えた。

「フェイトちゃんたちがジュエルシードをたたき起こして、ユーノが慌てて結界張ったってとこかな?」

 ザ・独り言だ。

 っとと、落ち着いている場合じゃないな。
 俺も回収に向かわねば。

 とりあえず用意を整えて、というかあの服着るだけだけど。
 玄関を出て、預かっている鍵を閉める。
 ……このコートを着て自宅(じゃないけど)の鍵を閉める姿っていうのはあまりよろしくないな。

 さすがにこの姿で普通の道を走っていくわけにもいかないので、屋根伝いに飛んで行くとしよう。
 はやての家の屋根に飛び移り、現場に向かおうと次の家に飛ぼうとしたその瞬間、突然その屋根の上にいる俺の背後から声をかけられたのだ。



「……そこのお前、止まれ」



 ……知り合いに英雄王ならいるが、勇者王はいないんだが。
 
 振り返った先には趣味の悪い仮面を付けた男が、俺と同じように屋根の上に佇んでいた。



[10538] 第十三話 26日② 一緒なら
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/11 14:58
 1.4月26日 夜

 はやての家の屋根の上。
 少し後ろに踏み出せば、お互いそのまま地面に落下するだろう縁に立って、俺たちは向かい合っている。

「俺がここに来てからずーっと感じてた視線は、アンタのってことでいいのかな?」

「…………」

 仮面を着けているため、当然表情はわからない。
 自然体でありながら、その佇まいには隙がない。

 めんどいなー……結構なやり手だわ。

「沈黙は勝手に肯定ってみなすから悪しからず。で、アンタはどこの誰なのさ?」

「…………」

 このタイミングで現れる理由で考えられるのは二つ。
 俺にジュエルシードを集めさせたくないか、俺と接触したことを第三者に気取られたくないか。

「呼び止めておいてだんまりかよ……。用がないなら俺はもう行くから。こう見えても忙しいんだよ」



 ――そしてこいつはおそらく、後者だ。



「よく聞け、これは警告だ。これ以上あの少女と関わるな」

 そうして仮面の男に背を向け、ジュエルシード発動地点に向かおうとした時、ようやく男が口を開いた。

「へぇ……。あの少女ってのは八神はやてのことでいいのかな?」

 背を向けたまま問う。
 返ってくるのはやはり、無言。

 ふむ、この時点でだいぶ絞り込めた。
 監視の状況からしてそろそろ接触してくるだろうとは踏んでいたけれど、思ったより早かったな。


 なら、予定変更だ。


「なぁ、そいつは聞けねぇ相談だなって言ったら、どうする?」

 言いつつ振り返りながら、『倉庫』から手のひら大の黒い魔力塊を取り出す。

「なら、排除させてもらおう」

 応える様にして男も構えを取る。
 その姿は、それまで以上に攻め込み難い威圧感を放っていた。

 俺は、握るように持っている魔力塊をその男めがけ――




「なんちゃってファイヤーーッ!!!!」




 ――ずに、もう一度振り返ってその魔力塊を明後日の方へ投げ飛ばした。

「なっ……」

 依然仮面のせいで表情はわからないが、突然のことに驚いているのはわかる。


 ――視線が、魔力塊を追っている。


「ッシィ!!」

「っ!?」

 その隙に相手の背後に『跳んで』、空中に横倒しになりながら放った薙ぐような蹴りを、男は野生の勘とも呼ぶべき超反応でしゃがみ、躱す。

 しゃがんだ状態から飛び込むようにして手を着き、そこから大きく跳ね上がるようにして距離を取ろうとする仮面の男に追いすがる。
 瞬間、形を伴った殺気が前面から思いっきりぶつかってきた。

「破ァッ!!」

「うおっぶねっ!!」

 着地直後の体勢の悪い状態から放たれたはずの男の拳は、恐ろしいまでのスピードと破壊力を有しており、紙一重で避けた俺の剥き出しの頬に裂傷が走る。
 男は避けられた右ストレートを引き込むように戻し、右足を軸に外側に抉りこむ様に回転しながら左のひじ打ちを狙ってきた。

 その回転に逆らわず突き出てきた肘を左手で右に流すと、相手もその回転に従ってそのまま右膝を繰り出す。
 間髪いれず俺も左膝を合わせるが、いかんせん威力が足らず俺だけが弾き飛ばされた。

 手を着いてバク転の要領で姿勢を起こすと、既に視界は拳でいっぱいだった。

「……っ! ぃよっと!!」

 地面にさらに伏せるようにして低い姿勢に合わせたアッパーを躱し、四肢を地面に貼り付けた状態から両足だけを跳ね上げ、海老反るように持ち上げた足で相手の首を挟むようにして捉える。

「喰らい――あ」

 そのまま地面に叩き付けて頭をかち割ってやろうとしたのだが、ふとあることに思い至って力が抜けてしまい、その瞬間を見逃さず男は脱出し距離を取った。

「……?」

 男は訝しむように今ので大きなダメージを与えられたはずの俺の様子を伺っている。
 まぁ、もちろん表情はわからないけど。

「いやいや、今結構本気だったからさ、さっきので叩き付けてたら完全に穴開いてたよ、ここ。……さすがにはやてが帰ってきて天井に大穴開いてたら俺も言い訳が面倒だしな」

 いやー、相手が結構強いからうっかり忘れていたけど、はやての家の上だって思い出してよかった。ユーノが張っていたような結界は存在していないみたいだし。

「つーことで、場所を変えてくれるとありがたいんだけど?」

「…………」

「まただんまりですか……」

「……あくまで」

「はい?」

「あくまで、警告に耳を貸す気はないということか?」

 どうやら、はやてが帰ってきて云々が気に障ったようだ。声に隠し切れない怒気が含まれている。
 それに手を合わせてみて、奴から見た俺は早々に処理できる相手ではないとしっかりと理解したことも心を揺らす材料になったようだ。

 なら、俺の本当の仕事はここからだ。

「理由次第では考えてもいいよ」

「貴様の命に関わる可能性もある、としか言えん」

「その程度なら問題ないな」

 その程度では、交渉の余地もない。取引の対価にあげるまでもない。
 っていうか、さっきまでの攻防で1発でもまともにもらっていたら、常人なら軽く2回は死ねると思うんですが。

「それにだ、はやてに云々というよりも、俺自身の目的のためにアンタをどうにかすべきだと、俺の勘が言ってるんだよね」

 もちろんそれは勘だけというわけではなく、今までにわかっていることと組み合わせて考えた上での推論を軸にした仮説に拠っている。
 どちらにしろ根拠はないが。

「状況から考えて、アンタがはやてを何年も隔離して監視してるのは間違いないだろう。詳しい目的まではわからないが、あの妙な本が関係してるのも確かだ」

 何が確かかは自分でもわからないが、とりあえずカマを掛けまくってみると仮面の男の雰囲気が俄かに変化するのを感じる。
 俺の言葉に無反応ではいられないくらいには核心に掠っているということか。

 なんていうか、仮面被っててよかったな、あんた。

「ただ本が目的ならこんな面倒なことする必要はないよなぁ。何年もアイツをただ生かしてるだけなんて、それこそ観察か何かだ」

 都合が悪くなってきたのかどうかは判らないが、あまり話を長引かせる気はないようで、男が再び間合いを測るように動きだすのに合わせ、俺も警戒を強める。
 その冷静な対応から鑑みるに、どうやら『観察』は外れらしい。

「んでもって、今この海鳴ではジュエルシードなる魔力技術によるだろう結晶が大暴れしてるのに、そっちにゃ見向きもしない。それほどのものが八神家にゃあるってことだろ? もし、あの本がそうなのだとしたら……そっちが俺の目的になるかもしれないしな」

「何が……言いたい?」

 うーん、そろそろ切れるカードがなくなってきたんだが。
 残りはほとんど切り札同然。外したらちょっと厳しいな……。

「つまりだ、とにかく俺は情報がないんだよ。でも、何年もあの本を監視してる『お前ら』は結構詳しいと思うんだよね。だから直に話を聞いてみたいと思って、『グレアム』って人に」

「――――ッ……貴様ァァアアッ!!!!」

 お、いきなり飛び掛ってきた。
 その身に乗っているのは、此れまでとは一線を画すはっきりとした『殺意』。あまりにも唐突だが、コイツにとって俺は今すぐ消さなきゃいけない存在になったかのようだ。

 まるで獣のような身のこなしとスピード。しかしそこには、さっきまでと違って人としてのキレがなかった。

「チィッ!!」

 テレフォン極まりない左を余裕を持って避ける。そのわざと見せ付けた余裕が癪に障ったのか、さらに目に見えて攻撃が粗くなった。

 あのカマ掛けフィーバーもいいとこのテキトー推論でこうも逆上するっていうことは、何かしら逆鱗に触れるフレーズがあったってことだ。
 まぁおそらくは『複数犯』か『グレアム』だろうけど。
 だとしてもここまでの効果は予想外だな……ちょっと反応を引き出すだけでよかったんだけど。

「クソッ……くそ!!」

 ますます大振りになって、コンビネーションもクソもなくなった攻撃を悠々避ける。
 てっきり『グレアム』は偽名だと思っていたんだけど、この反応を見る限りどうやらこの場で出てきちゃいけない名前だったっぽいな。
 また、この仮面の男が『グレアム』ってセンもなくなった。

「そォらッ!!」

 ズン、とこれまた大振りの右ストレートを掻い潜ってのカウンターが男の腹に突き刺さり、ついでに蹴り飛ばす。

「……ん?」

 手応えが変だな……。完璧に入ったと思うんだけど。
 まぁいっか。

 とにかく『グレアム』なる人物がはやての現在を取り巻く違和の主犯ないしは中核人物だということははっきりした。んで、こいつはその手足ってとこかな。
 ジュエルシードはかなりいい線いっていると思うが、あの本が俺の目的と合致するなどということは微塵も思ってない。
 ただし、情報が欲しいのは確かだ。
 さて、あとはどうやって『グレアム』を釣るかだな。
 まぁ……情報得るだけならこいつを尋(拷)問するって手もなくはないんだけど……。

「とりあえず無力化すっかね」

 指と首をパキパキと鳴らしながら腹を押さえて蹲っている男に近づいていく。

 やがて至近にとらえ、周囲の魔力素を集めながら男に右手をかざす。よほどグーが効いたのか、立ち上がる素振りさえ見せない。
 まぁそれならそれでラクだけどさ。


「んじゃあ、しばらくお別れかな」


 俺の言葉に少し遅れて、ドン、と小規模ながら爆発が起こる。






「う、お……?」






 何故かそれは、俺の背中で。
 大きく体が揺らぐ。

 ぐっ、っと前に倒れそうになる体を何とか踏みとどまって、突然の襲撃者がいるであろう背後を振り返った。

「……は?」

 二件離れた先の家の屋根の上。そこにいたのは、目の前で蹲っていたはずの仮面の男。
 片手を突き出し、そこから何某かの攻撃を加えたのだと理解する。




 理解して、硬直してしまった。




「しま――」

 巻き起こる強烈な気配にもう一度前を振り向いてみれば、確かに蹲っていたはずの男がやはりそこにいて、体勢を整えて渾身の一撃を――



 爆音が、夜の街に響いた。





 2.同日 夜

side Nanoha.T

 フェイトちゃんに名前を教えてもらってから、4日経ちました。
 あれからのわたしはそれまでの少し憂……ゆーうつな気分とはうって変わって、日々の生活にも魔法の練習にも充実した毎日を送っていました。
 それまですこし元気がなかったわたしを心配してくれていたすずかちゃんとアリサちゃんがびっくりするぐらいの変わりようだったので、何があったのかとたくさん聞かれましたが、言えない部分を除いて説明すると一緒に喜んでくれました。

 そして今日もジュエルシード探索です。
 あれからまだ一個も見つけられていないけれど、今日はなんだか見つかりそうな気がします。
 なんて思いながら市街地を歩き回っていたら、ビルの電光掲示板に門限を知らせる時刻が……。

 残ってもう少し探していくというユーノくんと別れ、しばらくした時でした。
 大きな魔力の発動を感じ、それに応えるようにしてジュエルシードが目覚め、またそれらを覆い隠すようにユーノくんの結界が張られたのがわかりました。

「レイジングハート! お願い!!」

 魔法使いモードに変身してジュエルシードの所に走る。

『なのは、発動したジュエルシードが見える?』

『うん、すぐ近くだよ!』

『あの子達も近くにいるみたい……あの男の人はわからないけど、とにかくあの子たちより先に封印して!』

『わかった!』

 応えて、レイジングハートをシーリングモードに変形させる。
 わたし以外の魔力を感じて、ビルを見上げるとフェイトちゃんもまた同じようにジュエルシードを封印しようとしているのが見えた。

 レイジングハートとバルディッシュから伸びた魔力は、ほぼ同時にジュエルシードに着弾した。

「リリカル! マジカル!」

「ジュエルシード、シリアルⅩⅤ!」

「封!!」

「印!!」

 お互いのデバイスから、先に放った魔力に沿うように封印式を伴った魔力が撃ちだされ、これもまた同時に着弾する。

 まばゆい魔力爆発の後、そこに残ったのは封印が完了し、淡い光を放っているジュエルシード。

「やった! なのは、早く確保を! ……なのは?」

 遅れてユーノくんがやってきて、そう声をかける。
 確かにわたしは今ジュエルシードに手が届く距離にいるけど、これは二人で封印したものだ。

 わたしが勝手に持っていってしまうのは、違う気がする。



「待ってて、くれたんだ……」

 フェイトちゃんがアルフさんと一緒に、ジュエルシードを挟んだ反対側に降りてくる。

「フェイトちゃんも、ゆっくりさんだね」

「私は、取られても奪り返すから……」

「そ、そっか……」

「でも、それとは別に、待っててくれるような……そんな気がしたんだ」

 そう言って、フェイトちゃんがうっすらと微笑む。

「……どうしたの?」

「にゃ!? にゃはは……なんでもないよ~」

 ……思わず見とれちゃったの。
 ほんの一瞬だったけど、その綺麗な瞳から寂しさが見えなくなったフェイトちゃんは、本当に綺麗だと心の底から思った。

「今日は、あの男の人いないんだ」

「わたしたちだけ、みたいだね」

 なら、もうやるべきことはひとつだけ。

「あんまり時間がかかると来ちゃうかもしれないから、始めよっか、フェイトちゃん」

「うん、そうだね」

 二人で空を飛ぶ。

 念話で、ユーノくんに手を出さないで、ということとごめんね、と伝えた。
 なんだか最近、ユーノくんには謝ってばっかりだ。

「いくよ! 手加減なんてしちゃだめだからね!!」

「言われなくても、全力でいく!」



 ぶつかり合う理由は、もう知っているから。



「ん……!? フェイト!!」

 いざ始めようという時に、突然アルフさんの鋭い叫び声が届く。
 アルフさんが指差す先から、大人の手の平大ほどの真っ黒な球体が現れた。
 ふわふわとビルの間を舞うように飛ぶその球体は、わたしとフェイトちゃんの間に来ると、まるで爆発するようにその大きさを急激に増し始めた。

「きゃ――」

 原理も何もわかったものじゃないけど、それに合わせて巻き起こった衝撃波でわたしもフェイトちゃんもそれぞれ後ろに吹き飛ばされてしまった。

 そうして巨大化した球体が今度はひび割れ始め、中から腕が、足が生えてくる。

「これは……っ」

「まただってのかい!」

「あの時の……モンスター」

 最後にガラスが割れるような音が辺りに響き、黒い殻を粉々に砕き切ってその姿を晒し出した。

「スケィス……」

 前回のジュエルシード発動の時に見たのとまったく同じ……ではないが、同一のものだと思える存在感。

「鎌や腰巻は黒いままだけど、膝と脇の角は付け直されてるの……」

「前もそんなこと言ってたね、なのは……」

 いつの間にか隣にいたユーノくんが言う。

「あの化物が出てきたってことは、あの人も近くにいるんだろうけど……結界の中には反応は感じられないな……」

 じゃあ今回はスケィスだけでジュエルシードの回収に? それはなんだか不思議な話だ。



「■■■■■■■■■――――――ッッッ!!!」



 聞くのは二回目だけど、叫び声での空気の振動が痛いという経験は中々に貴重だと思う。

「フェイトちゃん!!」

 呼びかけると、頷いてくれる。
 なんだかそれだけで、嬉しい。



「今度は、負けないから!!」





 3.同日 夜

side Fate.T

「今度は、負けないから!!」

 あの子がモンスターに向かって叫ぶ。
 それを見ていると、なんだか私まで気分が高揚してくる。

 私達の目的はジュエルシード。
 本来なら彼女にあのモンスターの相手を押し付けて、さっさと回収し離脱するのが望ましい。
 けれど。

 ――だから、次は勝とう。一緒に――

 心のどこかに、彼女と一緒に戦いたいと思っている自分がいる。
 そんな自分を、無視できなくなっている。
 私自身の、想い。

 否、母さんの為にジュエルシードを集めることだって、私自身の想いだ。
 母さんが好きだから。
 母さんにまた、笑って欲しいから。


 ――それでも今は、あの子と勝ちたいんだ。

『あのモンスターはパワーだけじゃなくて、見かけによらずスピードもある。前は奇襲で一気にひっくり返されちゃったから気をつけて』

 全員に念話を飛ばす。
 あの子が驚いて、それから笑って念話を返してくる。

『うん!』

「くるよっ!!」

『へ?』「きゃっ!?」

「くっ――」

 念話の途中から肉声の叫び声に変わる。
 けれど使い魔の子のシールドが間に合ったようで、彼女に被害はない。

 鎌の切っ先が緑色のシールドにめり込んでいるものの、それ以上進むことはなく、やがてモンスターは吹き飛ばされるようにして大きく後ろに弾かれビルに激突した。

『……? あの化物、もしかしたら前ほどのパワーはないのかも……』

 今度はあの使い魔の子から、私にも聞こえるように念話が届く。
 以前はあの鎌を使わず両腕で引き裂くように強引にシールドを破壊したのに、今回はそれをせずに吹き飛ばされた。
 もしかしたら、あの人がこの場にいないことが関係しているのかも。

「よーし、頑張って特訓した魔法、いくよ!!」

≪divine shooter.≫

 彼女の周囲に3つの魔力弾が生成され、それぞれが別々の方へ飛び出す。
 まっすぐモンスターの方へ飛んでいった魔力弾は、体勢を立て直したモンスターの鎌に迎撃され、霧散する。
 間髪いれずに、乱立するビルを大きく迂回した魔力弾が飛来するも、それも弾かれる。
 が、モンスターの真後ろのビルを突き破って出てきた最後の魔力弾が、背中に直撃した。


 誘導制御型……。普通、新しい魔法を覚えるのには物凄い時間がかかるのに……。
 本当にあの子は、何者なんだろう。

 あまり関係はないけれど、最後の一個がさりげなく物理破壊設定なのが気にならないといえば嘘である。

「やったぁ! ユーノくん見た!? あたったよ~!!」

 ちなみに、この時その無邪気さがなんだか怖いと感じたことは、墓場まで持っていく秘密になる。思えばこれが走りだったのかもしれないと、後々になって思い至った。

『厄介な修復機能はそのままみたいだね……。アイツがいないからってあのバケモンが面倒な相手ってのは変わらないってことかい……』

 アルフの言うとおり、彼女の魔法で少し抉れた背中が少しずつ復元している。
 魔力素を、取り込む……。

『やっぱり、回復量を超えるダメージだよ! もしくは二度と再生できないぐらい粉々にふっ飛ばすか!』

 ぐっとこぶしを握り締めながら言い換えた理由はよくわからないけれど、確かにそれが最善策であるように思える。
 ついでに、あの子は思ったより過激な子であるように思える。

「わわっ、来た!」

 前回含め、もっともダメージを与えたあの子に第一目標が固定されてるのか、彼女に一直線に飛んでいく。
 もちろん、ただ突っ込むだけでは彼女の使い魔に阻まれてしまう。
 それはこれまでのことで判り切っていることであるはずなのに、あのモンスターは再度その緑色の壁に正面から体当たりし、何も出来ないまま弾かれた。

 ただの召還魔法なら、術者からの魔力供給が滞ることによってパフォーマンスが低下することは考えられる。
 だからといってその思考能力が低下するということは考えにくいんだけれど……。

『こいつ、パワーとかだけじゃなくて、頭も悪くなってるんじゃないかな?』

 彼女の使い魔も私と同じ違和感を覚えたようだ。

『そのバケモンが頭悪いのは前からだよ! 前も自分で自分の身を削るようなマネしてたんだしさ』

『え? え?』

『あなたはさっきの魔法であのモンスターの足止めをお願い』

『あ、うん』

 あの子は話についていけないようだが、アルフの話には疑問が残る。
 もし前回、あのモンスターが『私たちを傷つけないように戦っていた』のだとしたら。
 なのに、今のあのモンスターからは高度な知性を感じられない。

 今もあの子が放った誘導弾に執拗に右の肩を攻撃されて、鎌を弾かれた瞬間に殺到した魔力弾に右腕を吹き飛ばされている。
 前回のあのモンスターなら器用に躱すなり、無視して反撃に転じるなりするはずだ。
 誘導弾を操作するあの子は、あの使い魔の防御を除けば無防備だし。今回現れたモンスターが、前回と違って防御を突破できないと判断しての行動とも考えられるけど、その思考ができるなら先程のように無闇に突撃するような真似はしないはずだ。

 どうしてかはわからないけど、今回あの男の人は来ていない。
 来れないから、このモンスターだけを送り込んだ。
 そしてこのモンスターは簡単な命令しか与えられていない。

 ……その中でも遵守されるのが前回同様『私たちに大きな外傷を与えない』ことであったとしたら?


 目的はあの男の人が来るまでの時間稼ぎ。
 なら、多少賭けに出てでもすぐに破壊するべき……!

『今から少し無茶するから、バインドのタイミング逃さないで』

『へ? フェイトちゃん無茶ってどういう――』

 かざした左手の前に魔法陣が出現する。

「いくよ、バルディッシュ」

 その魔方陣に突きつけるようにバルディッシュを打ち付ける。
 念を入れての物理破壊設定。

「貫け轟雷!!」

≪Thunder smasher.≫

 私の砲撃が、彼女の誘導弾に文字通り体を削られたモンスターに伸びる。
 彼女の誘導弾による攻撃は、二回目の右腕を落としたあたりから精度が落ち始め、今では右腕も復元され大きなダメージは見られない。
 けれど、彼女はしっかりと足止めの役割を果たした。

 次は、私の番だ。

 モンスターは鎌を持っていないほうの腕で、私の砲撃を受け止める。
 雷撃による威力の増加がこんなモンスターが相手では見込めないとはいえ、さすがに片手で受け止められるのは驚いた。

 でも、受け止められるのは想定済み。

 ――ブリッツアクション。

≪Scythe slash≫

 高速で後ろに回りこんだ私は、その受け止めている肩を落とす。
 今まで砲撃を押さえていた腕が無くなり、その余波はモンスターの左上半身を抉るようにして飲み込んで、その後ろにいる私にも襲い掛かる。
 すると、怪物はその砲撃の余波にさらに身を乗り出すようにして私への射線を塞ごうとしたのだ。

 ――やはり、私たちへの過度なダメージを通さないようにしている……。

 保険として待機させておいた二度目のブリッツアクションにて、その場から大きく距離をとる。

「チェーンバインド!」

「チェーンバインド!」

 砲撃が完全に終了し、その体をほぼ崩壊させたモンスターにアルフたちがバインドを決める。

「フェイトちゃん!」

 見れば、彼女もこの間に強力な砲撃の準備を整えていたようである。
 バルディッシュを変形させ、私も準備を始める。

『な、なぁフェイト。ちょっと様子がおかしいんだけど……』

 アルフからの念話。
 指し示す先には黒いモンスターがいる。

 緑とオレンジの鎖に雁字搦めにされているそれは、強固な固定のせいで自慢の自己修復もうまく働いていないようだが、それ以前に今はそもそもその活動を停止したかのように動きがない。
 顔に当たるだろう部分に煌めいていた赤い三つの光点も黒いままだ。

『もしかしたら、もう機能停止したのかもしれない。でも、念には念を入れよう』

 この一撃で決める。

『待たせてごめん、準備できたよ』

『にゃはは、わたしもちょっと残りの魔力が心もとないから時間かかっちゃった』

 縛られたモンスターを挟んで念話を交わす。
 あれだけ魔法使った後に、まだそれだけの砲撃が撃てるだけでも凄いと思うんだけど……。

『いくよフェイトちゃん! せーのっ!!』

 彼女の掛け声で、魔法を同時に放つ。

「ディバイィィン――」

「サンダー――」




『ダメだ! なのは!!』

『待って! フェイト!!』

「え?」

 呟いたのは私だったか、彼女だったか。
 縛られていたモンスターの頭が突然起き上がり――その光点は黒いままだった――、縛られていない場所から――よく見ればオレンジと緑の鎖はその中腹まで黒く侵食されていた――噴出すようにして夥しい数の黒い手が現れた。

 その手は人に似た形をしていながら、まったく厚みを持っておらず、それぞれ直角と直線によって描かれる無生物的な軌道をもって私と彼女にいっせいに襲い掛かってきた。


「バスターーぁぁあああ!!」

「スマッシャーー!!」


 砲撃寸前だった私たちは急な変化に対応できず、またこの砲撃で決められるという確信ももって、魔法を放った。
 砲撃はそれぞれ眼前に迫る無数の黒い手をかき消すように進み、やがてモンスターに着弾する。

 決着を急ぐべく威力を高めようと、さらに砲撃に魔力を込める。

「はぁぁぁぁぁああああああ!!!!」

 少しずつ、モンスターに亀裂が入っていく。
 あと、ちょっとだ……っ。







 その時だった。

 私の視界の隅に入った黒い何かが、バルディッシュの宝石部分を串刺したのは。




「え……?」

 見れば下方から伸びてきたそれは、さっき撃ち漏らしたのであろう黒い手の残りだった。
 突然のことにそのままになっていた砲撃の反動で、バルディッシュにヒビが入っていく。

「え、あっ」

 気づき、すぐに砲撃をやめる。
 晴れた視界で辺りを見回せば、彼女も同じように慌てふためいているのが見えた。

『ユーノくんどうしよう!? レイジングハートが!!』

 まさか、彼女もデバイスを……?
 はっと気がついてモンスターを探すと、元の位置から動かずにそこにあった。
 修復限界を超えたのか、闇に溶けていくようにその存在を魔力素に還元しているのがわかる。
 どうやらもう再生はしないようだ。

「バルディッシュ……平気?」

≪The self-restoration is done within permissible limits.(自己修復の許容範囲内です。)≫

「そう……よかった、本当に」

 どうやらあの子のデバイスもそれほど問題が無いようで、彼女がほっと息をついているのが見えた。
 最初から私たちのデバイスを狙って攻撃していたのかもしれない。
 無力化できずとも、大幅に戦力を削ぐことができるのだから。



 とにかく、今度こそ勝てたんだ……。
 全身の力が抜け、私も一息つこうとした時だった。



 カッ、と視界が一瞬白く染まる。
 大きな魔力の波動に、脱力した身体が吹き飛ばされそうになる。



 ジュエル、シード。



 今の戦いの魔力、特に最後の砲撃の魔力の余波に反応してもう一度覚醒状態に入ろうとしてるんだ……!

「フェイト!!」

 誰よりも早く飛び出した私に、アルフの声が遠く後ろに聞こえる。
 バルディッシュが破損してしまった今、私に出来る手段は力ずくで押さえ込むしかない。
 魔力はあまり残っていないけれど、完全に覚醒していない今ならきっと、出来るはずだ――。




「――――――――っぁ」




 握りこみ、魔力を流し込んだ瞬間、たったそれだけで想像を絶する衝撃が私を襲った。
 
「フェ…ト! ダメ…! 危…い!」

 ジュエルシードが放つ空間の振動音のせいか、アルフの叫ぶ声が途切れ途切れに聞こえる。
 強大な魔力の波動をその身に受けて、ガクリ、と膝が落ちるが、必死に繋ぎとめた意識にて魔力を込めると、足元に封印式を展開した魔方陣が表れ、回転し始めた。

 まるで祈るように、その両手にジュエルシードを握り締めて呟く。

「止まれ、止まれ、止まれ止まれ止まれ、止まって……!!」

 しかしその両腕からこぼれ出るようにして差す蒼い光は、止まるどころかその輝きを増すばかりだ。

「止まって……お願いだから……止まってよぉ……」

 やがて魔方陣はその形に歪みを生じ、回転も遅くなっていく。
 目を閉じ、奥歯をかみ締めて限界まで魔力を振り絞るも、どうしても総量が足りない。



 このままじゃ……っ。





 そっと、両腕が何かに包まれた。



「え?」

 目を開いた先には、自分も魔力の余波受けて辛いだろうに、微笑むあの白い子。
 私の両手の上からさらに両手を添えるようにして、魔力を流し込んでくる。


 声が、はっきりと耳に届く。

「一緒に、やろう」

 その眼はやっぱりきらきらと輝いていて。

「一緒なら、できるよ」

 彼女も膝で座り、額を合わせるようにして重なり合いながら両手に魔力を込める。
 金色と桜色の二つの魔方陣が重なるようにして表れる。

 それまで握った瞬間意識が飛びそうになったほど強力だったジュエルシードの圧力をまったく感じない。
 暖かい何かに包まれているような、遠い昔に覚えがある感覚。

 段々と、手から漏れ出る魔力の波動が小さくなっていくのがわかる。
 それにつられる様に、気力も魔力も振り絞った私の意識も闇に飲まれていく。

「な、の……」

 最後に見たのは、彼女の笑顔だった。





 4.同日 夜

side Nanoha.T

「助けるの、遅れてごめんね……フェイトちゃん」

 膝枕で眠っているフェイトちゃんに謝る。
 ジュエルシードが発動したとき、わたしはまったく動けなかった。
 レイジングハートがいないのにどうしたらいいか、まったくわからなくて、頭が真っ白になってしまった。

 だから。

「このジュエルシードは、フェイトちゃんのだね」

 握り締めて決して離さないようにしているその宝石を、奪うことは出来ない。

「ごめんね、ユーノくん」

 やっぱり、ユーノくんには謝ってばっかりだ。





 5.同日 それから数十分後

「ありゃりゃ、やられちゃったのかよ」

 高いビルの上、すでに結界は解かれて時間は経っているようだが、その残滓を見つけることは出来た。
 あの時倉庫から出して投げたのは、前回作ったスケィスを消しちゃうのがもったいないので手のひらサイズに圧縮して固めたものだった。
 ただ魔力弾撃つだけならわざわざ『倉庫』から出す必要なんてないわけで。
 あの仮面をしばいている間の時間稼ぎとして送ったんだけど、途中で俺とのリンクが切れて暴走状態に入ったらしいから本当に焦った。
 まぁどうやら暴走直後にやられちゃったみたいだけど。

「そう何べんも作れるもんじゃないんだけどなぁ」

 あれはあれで結構気に入ってたから、使いまわそうと思っていたのに


 ジュエルシードもないし、あの子たちが無事かどうかもわからんし。
 やっぱり世の中情報だな。

 とはいえ、だ。
 俺とて収穫がなかったわけじゃあない。



「さて、『こいつら』にどれだけの使い道があるかだな」



 俺の左右、浮かぶ二つの真っ黒い球体の中にそれぞれうっすらいることがわかる、二匹の猫を眺めながら言った。

 つまりはやっぱり、独り言だった。



[10538] 第十四話 27日① 時の庭園
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/11 15:15
 1.4月27日 朝

side Fate.T

 それから眼が覚めた時には、すでに日付が変わっていた。
 見渡さずとも判る、拠点にしているマンションの寝室。
 手に届く位置にあった、床に膝を着いてベッドに覆いかぶさるようにして眠っているアルフの頭をなでる。

 撫でて、それからようやく自分の両手に拙いながらも包帯が巻かれていることに気がついた。
 はっとなって辺りを見回し、枕元に待機状態になっているバルディッシュを見つけて問いかける。

「具合はどう? バルディッシュ」

≪No problem. Put out.≫

 そう言って、待機状態のバルディッシュの中から、蒼い宝石が現れた。

「え……?」

 一瞬目の前のソレがどういうことなのかわからなくて呆然としてしまう。
 彼女が持っていってしまったとばかり思っていた。
 気絶した私からジュエルシードを奪うのは簡単だったはずなのに、彼女は何故そうしなかったのか。

 もし逆の立場だったとしたら、初めて彼女と出会ったときの私なら迷わず奪い取っていっただろう。


 でも、今の私は迷ってしまうかもしれない。
 だからこそ、ここにこの石がある理由が今はわかるような気がする。
 今は静かなその宝石を、まだあの懐かしい感覚が残っているかもしれないと、もう一度そっと握りこんで、その日の私の意識は再び沈んでいった。




 今日は母さんに報告に行く日だ。
 ほんの少し後ろめたい気持ちはあるけれど、予定日までにひとつでも手に入って本当によかった。
 昨日買っておいたお土産を持って、マンションの屋上で転移の術式の準備を開始する。
 破損したバルディッシュは全リソースを自己修復に割り当ててるから、自身の制御で行わねばならない。


「次元転移、次元座標876C44193312D6993583D1460779F3125。開け、誘いの扉。時の庭園、テスタロッサの主のもと――へ?」


 よし、術式は完璧。
 転移の失敗は大事に繋がることが多いから、慎重に慎重を重ねたおかげで問題なく成功した。



 ……成功して、しまった。



 いつもいつも突然だけど、今回のそれはタイミングが悪かった。

 本当に一瞬。
 気がついたとき、というのもおこがましい位唐突に、どういうわけか例の男の人が私とアルフの間に既にいたのだ。

「っあ――」

 目を見開いたアルフが何事か叫ぼうとする。

「あれ――?」

 そんな、何が起こったのか理解できないといった風なまま首をかしげる彼が印象的だった。
 私の方こそ訳がわからないんですが。

 とにかく、突然現れた彼を巻き込んで、私たちは時の庭園に転移してしまった。






 2.同日 朝

 朝のビル街を歩く。
 通勤や通学途中であろう人々を横目に、ふらふらと散策する。
 一応の目的は、昨日の戦闘の痕跡を探して、何があったかを検証することだが、どうにも結界が張ってあったということしかわからない。

 あの結界は、中と外の因果を断ち切るような効果だと思う。
 言うのは簡単だけど、それってかなり凄いことなんじゃないんだろうか。そんな結界をあんな規模で、あんな素早く作れるユーノってもしかして凄い天才児だったりするのかな?
 それとも魔導師って連中はみんなそうなのだろうか。

 あー、でも昔そんな結界張るのが必須技能だった『世界』もあったような……封……何とか? 思い出せねー。

 とまぁ結局はどうでもいいことを考えながら、ぶらつくだけになってしまっているのだが。
 もっと言えば本当は目的などなく、昨日は疲れて早く寝てしまい、たまたま早起きして暇を持て余したために散歩に出かけただけである。

 ちなみに、今日ははやてが帰ってくる日でもある。
 午後に病院に迎えに来いとか、そんな留守録が入っていたような気がしないでもない。




「んあ?」

 ここらでは背が低めであるビルの屋上に侵入し、そこに設置してある自販機の横のベンチの背もたれに、空が正面に見えるほど全身を預けるようにして座りながら、そろそろ帰っかなーなんて考えていたところ、ごく近場での魔力の発動を感じた。

 発信は真上を向いている顔の先、反転した視界を大きく縦に割る高層ビルの上のほうからだった。

「んん?」

 こんな朝っぱらからどこのどいつだこんちくしょー、等と考えながら魔力をより詳しく探れば、現在発動中の魔力よりも先に、そのすぐ近くにある俺の魔力に気がついた。


 犬耳さんじゃん。じゃあこの魔力はフェイトちゃんか。


 えー。
 いくらなんでもこの至近距離で自分が仕掛けた発信機に気づかないってどういうことさ……。
 等と若干落ち込みつつも、より神経を研ぎ澄ませば、この高層ビルを覆うように薄い結界が張ってあるのがわかった。
 薄いけど強力な認識阻害と魔力遮断、はやての家に張ってある様なものとは違う、実用的なものだ。
 ……はやての家の結界といえば、魔法タイプの猫も捕獲して『倉庫』にぶち込んであるけれど、結界は維持できているのだろうか。
 何分薄くて集中せんとわからん。帰ったら見直さないと。

 さて、たまたまといえ折角遭遇した絶賛魔力稼動中のフェイトちゃん達である。
 昨日のこともあるし、安否の確認も兼ねて一応挨拶に行きますか。


 ベンチにだらしなく身体を預けたまま、すっと青空に向けて眼を細める。
 その高層ビルの屋上よりさらに高い高空。
 眼に見えるその場所に『跳ぶ』。

「お、いたいた」

 ちょっと目測を誤って高く『跳び』過ぎたけど、眼下に見える屋上に二人がいるのが落下しながらでもわかる。
 フェイトちゃんと犬耳さんの足元に金色の魔方陣が現れているのも確認した。
 何やってんのかはわからないけど……ほんじゃまぁ、いきますか。

 今度はその二人の間、魔方陣の上に着地するようにもう一度『跳ん』で片手片膝を着きながら音もなく着地する。

「テスタロッサの主のもと――へ?」

「っあ――」

「あれ――?」

 突然表れた俺に対するリアクションを堪能する前に、意識が引き伸ばされるような感覚が俺を襲った。




 ――――思えば、暇だからといって散歩などしてはいけない人間であることを、いい加減俺は自覚すべきなのであった。





 3.同日 同時刻 次元空間にて

side Lindy.H

 かつかつ、と艦橋に向かう私の靴音が狭い通路に響く。
 気密性の高いオートドアを抜け、艦長席の背もたれに手を置いてブリッジにいるクルーに声をかける。

「みんなどう? 今回の旅は順調?」

「はい。現在、第三船速にて航行中です。目標次元には今からおよそ、160べクサ後に到達の予定です」

「前回の小規模次元震以来、特に目立った動きはないようですが、三組の捜索者が再度衝突する危険性は非常に高いですね」

 アレックスとランディの報告を受け、それに応えながら席に座る。

「ふむ、そう」

 我々『海』の人間の重要な任務のひとつである、管理、または管理外世界での魔法技術悪用を阻止するためのパトロール。
 多くの場合、長い任務期間を何事もなく終えることが多いのだけれど、こういうことが起きる可能性があるから手を抜くことが出来ない。

「失礼します。リンディ艦長」

「ありがとね、エイミィ」

 エイミィが持ってきてくれたお茶を飲みながら先の報告に対する返答を続ける。

「そうねぇ、小規模とはいえ次元震の発生は……ちょっと厄介だものね。危なくなったら、急いで現場に向かってもらわないと。ね、クロノ」

 言葉と共に息子であり、また齢14歳で時空管理局執務官の資格を得たクロノを見やる。

 本当に出来た息子だけど、もう少し身長があればなおいい男だといつも思うのよね……。

「大丈夫、わかってますよ艦長。僕は、そのためにいるんですから」

 息子に対するそんな失礼な思考を追っ払いつつ、クロノの答えに一応満足し、暫し目を瞑る。

 今回の事態の発覚はそのパトロール中の特定魔力波動の感知。
 非転移モニタリングの結果、第三種管理外世界において、ミッドチルダ式魔法を行使する二名の魔導師と、データベースにない魔法らしき技術を保持している人物、およびロストロギアの存在と発動を確認した。
 本局に問い合わせたところ、同次元付近を航行していた輸送船が事故により中破していることがわかった。
 今回の件と何らかの関わりがあると見てそちらの調査も進めているが、どうにも本局からのデータ提出が滞っているせいで詳しい情報が掴めない。

 気がかりはもう一つ。
 管理局のデータベースにない魔法術式を使用していると思われる捜索者の一人。
 記録が古いとはいえ第97管理外世界には調査が入り、次元間移動技術および魔法技術がない第三種管理外世界であるというデータがある。
 よって、この人物は他の次元世界からやってきた違法魔導師であるという意見がアースラスタッフの中でほとんどだ。


 私もそう思う。
 思うのだが、どうにも引っかかる。
 女の勘なのか提督としての勘なのか、その類の感覚には何度も助けられてきた経験がある以上、どうにもその違和を捨て去ることが出来ない。
 それがはっきりとした形にならない以上、明確な指示が出せないため、結局は現地に向かって現場を押さえることしか出来ないのだが。

 もうしばらくで目標に到着する。
 どうか、何事もなく終われればいいのだけれど。





 4.同日 午前

side Fate.T

 大広間に続く道をひた走る。

「はっ……はっ……」

 転移直後にアルフが彼に襲い掛かった。
 まだ修理が完全じゃないバルディッシュを使えない私を助けるためだ。
 でも、アルフ一人じゃきっと勝てない。なんとなくアルフ自身もそれを理解していたからか、私から引き離すことを第一にしていたようだ。

 私はまだ彼が本気で戦っているところを見ていない、感じられる魔力も大きくない。けれど、何故か不安が掻き立てられる。
 だから、私の知る限り最も頼りになる人に助けを求めるために。


「母さん!!」


 たどり着いたその広間の門を開けて叫ぶ。

「失態ね、フェイト」

 母さんは椅子に腰掛けたまま肘を着いた腕に頬を預けるようにして、空間モニターを横目で眺めながら言った。
 私のほうは……見ていない。

「ごめんなさい母さん……っ。今アルフが――」

「そっちはもうどうでもいいわ。すでに庭園の防御システムが機能している……何者かなんて興味もないし、あの程度の魔力なら直に始末できるでしょう」

 そう言うと母さんは本当に興味がないようにそのモニターを切って、初めてこちらを見て、ゆっくりと近づいてきた。

「そんなことよりフェイト。目的のものは手に入れたの?」

 そんなこと、と切って捨てられた事にも少なからず衝撃を受けたけれど、それ以上にその言葉の意味するところに思わず体が硬直してしまう。
 確かに手に入れたとはいえ、たったの一個だ。それを口にするのは……とても怖い。

「は、い……一個、だけ……です、けど」

「何? よく聞こえなかったわ。はっきりとおっしゃい」

「ご、ごめんなさい母さん! まだ、一個しかっ――」

 意を決して、目を閉じて言ったその言葉は、バチンという乾いた音でかき消された。
 何が起こったかわからないまま、首から上に衝撃を感じて体が後ろに吹き飛ばされる。
 それから数秒たってようやく、頬に痛みを感じた。
 母さんの持っていたデバイスが鞭に変形しているの確認して初めて、それで叩かれたのだとわかった。

「ねぇ、フェイト。私は貴女にこれだけの時間を与えたのに、一つしか手に入れることが出来なかったと……。それとも、私の聞き違いかしら?」

 その問いに答えることが出来ない私に、もう一度鞭が浴びせられる。
 呻く私を汚いものでも見るように一瞥した母さんは、私の両手首にバインドをかけ、まるで磔にするように宙に提げる。


「残念だわ……あれほど言い聞かせたのに、判ってもらえなかったなんて……。なら、もう一度教えてあげる必要があるみたいね……」









 どれ程時が経ったか、私にはわからない。
 全身を鞭打たれ、痛くない場所などどこにもない。

「これは、あまりにも酷いわね」

 鞭打っていた手を止めて、母さんが呟いた。

「はい……。ごめんなさい……母さん……」

「いい? フェイト。貴女は私の娘、大魔導師プレシア・テスタロッサの一人娘」

 俯いていた私の顎を持ち上げ、視線を合わせられる。

「不可能なことなどあっては駄目。どんなことでも……そう、どんなことでも成し遂げなければならない」

「……はい」

「こんなに待たせておいて、上がってきた成果がたった一つなんて……とてもじゃないけれど、貴女を笑顔で迎えることなどできないわ。判ってもらえた……? フェイト」

「はい……わかりました」

「だから、覚えて欲しいの……もう二度と母さんを失望させないように……」

 再びデバイスを鞭状に変化させ私を鞭打ち始める。
 一頻り打ち終え、私の反応がなくなった頃にようやくその手をとめた。

「ロストロギアは……母さんの夢を叶えるためにどうしても必要なの。特にあれ……ジュエルシードの純度は他の物より遥かに優れている」

 宙に吊り下げられ、まったく反応がない私を見ながら母さんは続ける。
 体は痛いけれど、それ以上に心が痛い。
 母さんの期待に応えられなかった自分の不甲斐無さに。
 
「貴女は優しい子だから、躊躇ってしまうこともあるかもしれないけど……邪魔するものがあるなら潰しなさい、どんなことをしても……貴女にはその力があるのだから」


 私の……覚悟の無さに。

 
 母さんがデバイスを通常の状態に戻すと、拘束していたバインドが解かれ、私は床に投げ出される。

「行ってきてくれるわね…………私の娘、可愛いフェイト」

「はい……行ってきます、母さん」

 振り絞った力で身を起こし、母さんに答えたちょうどその時、強い揺れと魔力の波動が広間を襲った。

「なんて強力な魔力反応……上から? この反応……そっちは、まさか!?」

 その振動で起こしていた体を再び地面に打ち付けてしまった私には見向きもせず、急に様子が変わった母さんは広間の奥のほうへとかけていってしまった。
 精神的にも肉体的にも打ちのめされていた私は、その後を追うことが出来なかった。

 母さんの背中が見えなくなると同時に、私は意識を手放した。





 5.同日 同時刻

「あー……いてて……」

 俺が巻き込まれたのはどうやら移動系の魔法だったらしい。
 ほんの一瞬の感覚の直後、真横から犬耳さんに殴りかかられた。
 あの服も着てなければ特に防御術式も展開していなかったため、当たればちょっときつそうな拳撃蹴撃の嵐を気合で避けていたら、今度はそこら中から甲冑を着込んだ妙なのが沸いて出てきた。
 剣やら斧やらで武装したそいつらは、やっぱり俺に襲い掛かってきたわけで。
 犬耳さんが傀儡兵とかなんとか叫んでいた通り、どうやら魔力で制御されたロボットのようで、試しに最初に肉薄した金色の剣士型を真っ二つにしたら中身が無かった。

 そんなオモチャにいちいち付き合っている道理は無いので、適当にしばきつつフェイトちゃんを探す。
 当初の予定通り挨拶と、ここが何処かもわからなければ戻る方法もわかんないし。
 あのオモチャが出てきてしばらくした辺りで犬耳さんを見失ってしまったけれど、大丈夫だろうか。
 制御がアバウトなのか、犬耳さんまで攻撃のあおりを食っていたようだった。

 建造物に入ってようやく攻撃の手が緩んだところで、戦闘体制を整えることが出来たが(あのコート着るだけ)今度はそれまでの奴が真実オモチャに見えるような、でかい機械兵が現れた。
 そいつだけならいっそ無視して突破できそうな感じだが、飛行タイプが邪魔極まりなく、巧いこと連携をとってくるため、なかなかそれがうまくいかない。



 そして現在。
 あんまりにも鬱陶しいので、全部纏めて消し飛ばしたまではよかったのだが、うっかり足場も吹き飛んでしまい、やたら長い距離を落ちてきたのだった。

 意識せず落ちるときに飛ぶことを忘れる癖は早く直さなければと毎回思う。

 余談だが、あのオモチャのデザインはどれも素敵だった。ちょっと壊すのが惜しいぐらいに。


「また妙なところに落ちてきたもんだな……」


 長い通路。
 植物の根のような物が周囲に張り巡らされており、その中にはとても膨大な魔力が循環しているのがわかる。
 自分が落ちてきた上を向いても真っ黒で何も見えないが、通路の先にぼうっと緑色に輝く何かが見える。
 よほどこの施設が重要なのか、侵入者がいてもさっきまであとからあとから生えてきた鎧はまったく出てこない。

「うーん……」

 なんかやっばい予感がするのだけれど。
 他に目標もないし、松明代わりになると、その明かりを目指し歩いた。


 近づいていくと、その形が次第に明らかになる。

「おいおい……これって……マジかよ」

 自分の目で見たものが信じられず、近づいて手を触れる。

 その淡い光の正体は、ポッドだった。




 ――それはいい。




 中に入っていたのは、ちっちゃいフェイトちゃんだった。





 ――それも、どうでもいい。





 問題は……。

「その子から離れなさい!!」

 ポッドを挟んだ反対側から、悲鳴にも似た叫び声が響く。
 覗きこんだ先にいたのは、ちょっと露出の高い服に身を包んだ女性だった。
 杖を突きつけてこちらを、般若もかくやといわんばかりの表情で睨み付けている。

 平時ならビビッて言うとおりにしているかもしれない。
 けれど。

「俺は、アンタに2,3質問しなきゃならない」

「私の言ってることがわからなかったの? ……離れなさいと言ったのよ」

 片手をポッドにかけたまま、もう片方の手で自分の顔を抑え指の隙間から片目だけでその女性を見る。

「これを造ったのはアンタか?」

「貴方、いい加減に――」




「――答えろ」




 本当の殺気。
 『この世界』にきてすぐに、あの喫茶店で戯れに飛ばしたあれとは次元が違う、本当に殺す気で放つ威圧感。

 それは、読んで字の如く、殺す気なのだ。

「――――ぁ」

 正面から受けた女性はカラン、と杖をその手から落としガクガクと膝から崩れ落ちる。
 威を維持したままゆっくりと近づいてもう一度問う。

「質問を変えよう。アンタは、これがどういう状態なのかわかるか?」

 顔を上げたその女性は、その質問にわけがわからないという表情を向けた。
 そんな反応を見せられたせいか、思わず額に皺が寄り、心内の一部が表情に漏れそうになる。

「本当に、わからないのか?」


 ……どうやら本当に何も知らないらしい。


「ふぅ……ごめんなさい、大丈夫ですか?」

 殺気を解いて抱き起こそうとすると、その手を撥ね退けもう一度杖を手に取り俺に突きつけてきた。
 俺は両手を上にあげ、無抵抗をアピールする。

「あ、貴方は一体……、目的は!?」

「すごい精神力だな、オイ……」

 肩で息をしているとはいえあのプレッシャーを受けてすぐにこの気勢、本当に大したものだと思う。

「ここに来たのは偶然ですよ。偶然なのか『運命』なのかは俺にも判断できませんけど」

 ホールドアップのまま答える。

「一応念のためもう一度お聞きしますが、本当にあの子が今どういう状態かわからないんですか?」

 まともな思考が出来るならそれに越したことは無い、顎で後ろのポッドを指しながらもう一度聞いてみる。

「貴方が……何を言っているのか、わからないわ」

 ギリっという歯軋りが聞こえてきそうなくらい壮絶な表情で、杖を突きつけたままそう言った。

 ふむ……、これは……。
 上げていた手を下げる。



「なら、教えてあげますよ……。それを聞いてどうするかは、あなた次第だ」





[10538] 第十五話 27日② 取引
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/11 15:23
 1.4月27日 午前

「ダメだったか……」

 そりゃそうだろ、と内心自分で突っ込みを入れながら建造物の中を歩く。
 何せ、話せることと話せないことの差が大きすぎる。
 あの人……プレシアさんが見える世界の外のレベルの話をしたところで、信じてもらえるはずが無い。
 そうでなくとも、彼女は何かにとり憑かれたかのように視野狭窄……というか盲目的になっている。自分の信じていること以外は頑なに聞き入れないだろう。
 あのポッドの中の少女がそれに関係しているのは明白だ。あのフェイトちゃんそっくりな女の子、プレシアさんは彼女を娘だと言っていた。ということは、フェイトちゃんの母親でもあるはず。

 あの分だとポッドの子のためにジュエルシードを集めているのだろうけど、そりゃあお母さんもお姉ちゃんもあれだけ真剣になるわけだ。
 ヒステリー起こした挙句いきなり吐血しだしたから話し合いは中断しちゃったけど、もしかしたら何か患っているのかもしれない。容態を見ようとしたら本気の魔法で牽制してきた上、その反動でさらに吐血するとなれば、こちらは退くしかない。
 それに怪我を治す薬はいくらでもあるけれど、病気は専門外だ。まず俺が罹らないし。

 なんにせよ、ある程度の方針変更は余儀なくされた。
 まさか“あんなモノ”が『この世界』にあるとは…………事と次第によっては俺自身の目的すら凌駕して処理すべき事項になってしまう。
 その件についても、この事態……ジュエルシードを取り巻くこの状況をどう調整するかだな……すでにジュエルシードそのものに対する優先度は下がった。
 出来ればあともう一手、現状推移を俯瞰できるような方法が欲しいところだが……。

「それはまた後々考えりゃいいか」

 今現在最も重要なのは、フェイトちゃん達の早期捜索である。

 なんせ、帰れない。
 そもそもここがどこかも結局わかってない。ぱっと見た印象では地球上では見られないんじゃないの? という空の色だった。そもそも空なのかどうか。
 今はまだ犬耳さんに付けた発信機のおかげでどこか遠くに行っていないのはわかるが、もし置いていかれたらアウトだ。
 あんな別れ方したプレシアさんには頼みづらいし。

 この建物、変に入り組んでいるから発信の場所がわかっても、目的の場所にたどり着けない。
 いっそ最短距離に大穴空けてやろうかとも思ったものの、またセキュリティ鎧フェスティバルになるかもしれない真似は躊躇われた。

「お、お! 多分真下だ。うーん……床一枚くらいなら」

 ようやく犬耳さんの反応をすぐ近くに捉えたものの、階下にいけるような階段は近くには見当たらない。
 ならもう仕方ないかな。などと焦りとイライラで若干の短絡思考を展開し始める。
 さすがに発信の真上をぶち抜くわけにはいかないため、そこから少し離れて右手に魔力を集中する。
 犬耳さんの位置はわかるけど、フェイトちゃんの正確な位置はわからない。真下にいませんように。

「ぃよっ!! っと」

 床を殴り抜く。
 今度は足場を吹き飛ばさないように注意して穴を開け、ゆっくりと階下に降りる。



 って高っ。



「うおっ、あがッ!!」

 思わぬ高さに動揺してしまい、先に落ちた拳大の天井だった瓦礫の上に着地し、グキッという鈍い音と共に見事に横転した。
 いってー……完全足ひねったよコレ……。
 高砂(瓦礫)の陰謀だよコレ……。

「ア、アンタ……!?」

「お、よかった……見つけた」

 横転した視界の先、急に落ちてきた天井からフェイトちゃんを庇うように覆う犬耳さんが首だけをこちらに向けて叫んだ。
 てっきりいつも通りすぐに飛び掛ってくるものと思っていたが、どうやら様子がおかしい。
 どうにもフェイトちゃんの反応が鈍いというか、ないというか。

「く、来るな!」

 俺が近づくと、犬耳さんは床に寝たままになっているフェイトちゃんから身を起こし、立ち上がって構えを取ったが、彼女の前からは動こうとはしない。
 犬耳さんがどいたことで、フェイトちゃんの姿が俺にも見えるようになる。

「酷ェな……」

 思わず眉間にしわが寄る。
 彼女の体にはいたる所に裂傷が見られ、顔色も悪く衰弱しているのがわかる。

「何があったんだよ」

「あ、アンタに教える義理はないよ!」

 まぁそれもそうか。
 とは言っても、その怪我が昨日の戦闘によるものだったら(見たところついさっきこしらえた様な怪我だが)放っておくわけにはいかない。まぁ、寝覚めが悪い程度のアレだが。

「来るなって言ったのがわからなかったのかい」

 それまでどことなく落ち着きがなかった犬耳さんの目が鋭くなる。どうやら限界警戒域に足を踏み入れてしまったようだ。
 ため息をついた俺は仕方なく立ち止まって、左手を後ろに隠し『倉庫』から一本のボトルを取り出す。
 次いで、そのボトルを持ったままの左手のコートの袖をめくる。

「……?」

 犬耳さんは俺が一体何をやっているのかまったくわからないという表情をしているものの、警戒は一切解かない。
 確かに自分でも何やってんだか、といった感じではあるのだが。

 右手の中指に周囲の魔力素を集中し、さらにそれを薄く砥ぐ。
 俺自身の魔力を使うとどうにも警戒させてしまうようだが、今は別にコレだけで十分だから問題ない。

「よっ! っと」

 パチン、と剥き出しの左腕をデコピンの要領ではじく。
 たったそれだけで、その部分から大量の血が噴き出した。まさに赤い噴水である。
 あ、やべ……目測誤って思ったよか深い……。げ、顔にかかった。

「アンタ、何を!?」

「まぁ見てろって」

 実際めちゃんこ痛いのだが、それを押し隠しながら左手に持っているボトルを開けて、そこから軟膏のようなものを少量とり、まだ血が出ている傷口に塗る。


 あ、痛い。


 すると、しゅぅぅうという音と共に白い煙が噴き出し、みるみる内に傷口が塞がっていく。
 それを犬耳さんに見せ付けた俺は、ボトルの蓋をしめて、彼女に投げ渡す。

「え? ぅわっ……と」

 ぽかーん、と口を開けながらその光景を見ていた犬耳さんは、目の前にボトルが飛んできた段階でようやくそれに気づき、二、三度手で弾いた後ようやく掴んだ。

「それあげるよ。俺も同じやつもう持ってないけど、ぶっちゃけあんまいらないし」
「アンタの施しなんか受けるもんか! 大体フェイトがこんなになったのだってアンタのせいだよ!!」

 そう思うならそのボトル捨てればいいのに……。
 でも後半は聞き捨てなら無いな。やっぱり昨日の戦闘のせいなのか……?

「それ、昨日の戦闘の怪我なのか?」

 ラジコンでなかったとはいえ、とにかくダメージを与えるなと厳命したのに……。暴走しちゃったらしいからそれが原因かも。
 考えながら、顔に付いた血を親指でふき取る。

「あんなやつにフェイトがやられるわけないだろ!!」

 あれ? 違うのか。いや……容態からしてそりゃないかなとは思っていたけどさ、うん。一応確認としてね? うん。

「じゃあ……プレシアさんがやったのか?」

「アンタ、どうして……!?」

 消去法的な考えの当てずっぽうだったのだが、犬耳さんの反応を見る限り無関係じゃなさそうだ。どちらかというと、なんでその名前がお前の口から出て来るんだよといった印象を受けるが。

「母親なんだろ? なんでこんなことすんだよ」

「知らないよ、あたしが聞きたいくらいさ! ……アンタ、あいつに会ったのかい?」

「ああ、うん……ついさっきな。追い出されちまったけど」

 さすがに娘(の使い魔だけど)の前で血吐いて臥せったとは言いづらい。
 しかしプレシアさんがねぇ、妹さんのほうはあんなに大事にしているというのに。

「その薬、あくまで使わないってんなら俺が直々にフェイトちゃんに塗りたくるけどいいの?」

「い、いいわけないだろ!」

「じゃあさっさと使ってあげなさいな。女の子の体に傷が残るなんて可哀想だろ」

 そう言って後ろを向いて座る。
 音だけで後ろの様子を伺うと、犬耳さんも折れて薬を使い始めたようだ。噴き出る煙の音と、犬耳さんの驚きの声が聞こえる。
 あの薬よく効くけどどこで手に入れたのか忘れちゃったんだよな、もうあれ一本しかないし。まぁ別にいいけどさ。

「俺のせいっていうのはジュエルシードのことか?」

 背中を向けたまま聞いてみる。すると、おぉーっと唸っていた犬耳さんの声が止まり、煙の音だけが聞こえるようになる。

「そうだよ、この子の母親はどうしてかアレをご所望なのさ。アンタに横取りされなきゃもっと数が集まってたはずなのに……」

 プレシアさんがジュエルシードを集めている理由を知らない……? 犬耳さんが知らないだけなのか? さすがにフェイトちゃんが知らないってことは無いはずだし、何か事情があるのかもしれない。俺がとやかく言うことじゃないだろう。

「んで、それがおしおきなの? 随分と入り組んだ家族愛だこと」

「こんなのが愛なもんか!!」

「まぁ、そうだけどさ」

 地面をたたきつけたのだろう音が静かな回廊に響く。

「それでも1個は手に入れたんだ……なのに、なのにあの女……っ」

 犬耳さんの声はだんだんと湿り気を帯びていく。背中を向けているためわからないが、きっと泣いている。
 それはそれとして、昨日手に入れたのはフェイトちゃんなのか。なのはちゃんが何個持っているのかわからないが、俺が3個、フェイトちゃんが1個だな。

「もう薬塗り終わった?」

「……ああ」

 一応断りを入れて振り向く。
 ちらりと目を向けたフェイトちゃんは、顔色はまだよくないものの、その体から裂傷は消えていた。よしよし。
 犬耳さんは目が赤くなっているが、気づかない振りをしておく。

「フェイトちゃんの怪我が治ったところでお願いがあるんだけど……ああ、だからその薬はあげるって。俺さ、元の場所に帰れなくて困ってるんだよね」

 ボトルをこちらに投げて渡そうとした犬耳さんに提案を持ちかける。

「ふん、知ったこっちゃないね。アンタはここで野たれ死んどきな」

「ここでめっちゃ暴れる」

「勝手にしな」

「その子の母親がどうなってもいいのか!?」

「フェイトの悲しむ顔は見たくないけど……あたし個人の感情でいえば構わない」

 うーん、外道人質作戦は失敗か。
 まぁあんなこと言っているけど、フェイトちゃん第一っぽい犬耳さんはそうなったらなったで全力で止めるのだろう。

「とまぁ冗談はさておき、俺とてただでとは言わないさ」

 いつもの要領で後ろ手に『倉庫』から取り出す。

「俺を元の場所に戻してくれるなら、ジュエルシードを一つ進呈しよう!」

 少し格好つけて人差し指と中指の間に挟んだジュエルシードを犬耳さんにかざす様に見せる。が、何故か犬耳さんの反応があんまりよくない。

「アンタ、本気で言ってるのかい?」

「さらに、今回の取引に応じてくれるのならば、さらにもう一つお付けしようじゃないか」

「…………」

 あれ? なんで急に警戒心アップなのかな? 胡散くさ過ぎたか? こちらとしては嘘偽り無い取引なんですが。取引で嘘つくほど俗ボケ云々。

「ここに置いていった方が、これから集めるのが楽になりそうなんだけど?」

「置いていけるのか? 犬耳さんはそうでもフェイトちゃんはどうなのかな?」

 まぁ、そもそも俺をここに置いておくという選択肢そのものがフェイトちゃんからすれば無いはずなのだ。
 犬耳さん個人はあまりプレシアさんを好いてはいないようだが、その娘ならば。可能性の問題ではあったが、先ほどの犬耳さんの言葉で確信した。 
 犬耳さんは寝かされているフェイトちゃんを見て、少し考えた後に言った。

「わかった。……ただし、先にジュエルシードはいただくよ」

「いやいや、それだとどっか別の変なところに飛ばされるかもしれないだろ。先に一つ、転送先で一つってのが当然だ」

 それゆえに二つの提示。転送先に一緒に来てもらうのが一番やりやすい。
 まぁ持ってる3個全部くれてやってもいいのだけれど。

「チッ……わかったよ」


 飛ばす気だったな、コラ。




[10538] 第十六話 27日③ 時空管理局
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/11 15:42
 1.4月27日 夕刻

 そもそも犬耳さんがその移動魔法を使えるかどうかを確認するのを失念していたが、どうやら問題なかったようだ。
 転移した先でユーノにつけてある発信機を感知し、ここが海鳴であることを確認した後もう一個のジュエルシードを渡してとんずらした。
 転移魔法とやらをじっくりみれたのはいい機会だったろう。

 はやての家について、点滅していた電話の留守録を確認すると、病院の公衆電話からかけたのだろうはやてから「はよ迎えにこんかい」的なメッセージが入っていたため、飛んで(比喩表現)迎えにいった。

 病院に電話を入れてから向かったので、入り口には既にはやてと石田さんがスタンバっており、俺を見つけたはやてが一言二言石田さんと話した後、こちらに向かってきた。
 もういいのかと聞いたところ、問題ないとの返事が返ってきたため、とりあえず石田さんに見えるように会釈をして、はやての後ろを押してもう一度家に帰った。
 前回あんな別れ方をしたので、てっきり石田さんから質問責めに合うだろうと危惧していたのだが、そこははやてがうまくやったらしい。
 出来る8歳児だ。



「いいか? 大体最初の勇者のHPを15ないし20前後とするだろ?」

「まぁそんくらいやな」

 今ははやての家のリビングで羊羹をいただいた後のゆっくりとした時間である。
 既に日は沈み始めており、窓から見える空は赤と黒が境界線を作っている。

「そこでいざ冒険が始まると、大概最初の敵はスライムその人だ」

「人かどうかは議論の余地があると思うけど、それで?」

「彼らの攻撃によるダメージは1から3といったとこだろ?」

「最初やしね。星をみるひとみたいにひねくれてないからな、ドラクエは」

「だから悪かったって……。で、だ。間を取ってダメージを2とすると、勇者は8回から10回の攻撃、すなわちスライムの体当たりで死んでしまうわけだよ!」

「……?」

「お前、8回食らったら死ぬ体当たりって想像できるか?」

「できへん……。壮絶やな……」

「だろ? ドラクエはマジ死だからな。“ひんし”じゃないんだ。棺桶引きずるのは伊達じゃない」

「なんてことや……」

「しかも腐っても勇者、冒険出る前から多少なりとも一般人に比べて鍛え上げているはずなんだ」

「あかん、私これからスライム様って呼ぶわ。もう馬鹿にしたりせーへん」

 等と真実アホな会話を繰り広げていたところ、大きな魔力の波動を感じた。
 まぁおそらくはジュエルシードだろう。連日ご苦労なことだ。

「ん? どうしたん兄ちゃん」

 俺がぼーっと外を眺めていたからか、それに気づいたはやてが俺に声をかける。
 うーん……どうしようかな。優先順位が下がったとはいえジュエルシードを手に入れるに越したことはないんだが……それに、なのはちゃんが無事かどうかはまだわからないし、一応様子だけでも見ておこうかな。

「ちょっと出かけてくるわ。遅くなるならすぐに電話入れるよ」

「えー、せっかく……」

 立ち上がってそう言った俺にはやては非難の色を示したが、すぐに首を左右にぶんぶん振って、続ける。

「……いや、ええわ。なるべくはよ帰ってきてな」

「善処する」

「嘘っぽいで、それ」

 とりあえずはやての頭をクシャクシャにしてから玄関を出た。






 2.同日 同時刻

side Fate.T

 庭園で倒れて、気がついたときには既に管理外世界に作った拠点のベッドだった。
 昨日と違うところは、アルフが起きているということぐらいだ。

「気分はどうだい? フェイト」

「大丈夫……あれ?」

 反射的にそう返してかけてあった布団を取ると、奇妙なものが見えた。いや、正確には見えなかったと言うべきなのかもしれない。

 あれだけ鞭打たれた傷跡が、見えないのだ。

「まだ寝てなきゃダメだってば――」

「アルフが治してくれたの?」

 私の体を寝かしつけようとするアルフを制して聞いてみる。
 時計を確認すれば、あれからそう長くは時間が経ってないのがわかった。
 なのに傷跡どころか痛みもない。アルフは優秀だけれど、これほど回復魔法が上手だったろうか。

「それは……」

「……?」

 めずらしく口ごもるアルフを見て、一体どういうことなのかと首をかしげる。何か言いにくい理由でもあるのだろうか。

「教えて、アルフ」

 そう押すようにして声をかけると、声色に多少の申し訳なさを混ぜながらアルフが言った。

「あの黒いコートの男が、薬をくれたんだ。目の前で自分の腕を切って見せてさ……効くのは確かみたいだったから……。実際フェイトの傷にはよく効いたし……」

 あの人が薬を……?
 それについても気になることばかりだけど、連なるようにして思い出した一つの懸案事項。

「そうだ、あの人はまだ庭園にいるの!? 母さんは!?」

 もしあそこに彼を置いてきたのだとしたら、母さんが危ないかもしれない。
 母さんは本当に凄い魔導師だけれど、あの男の人の得体の知れなさはそういう強さとはまったく違うところにある気がする。
 とにかくもう一度庭園に行って――。

「アイツは、あたし達と一緒に地球に転移してきたよ……。転移魔法が使えないからって、それで……」

「え……?」

 その言葉で庭園に彼がいないことを知って安堵したのもつかの間、アルフがどこからか取り出した蒼い宝石を見て私は再び混乱してしまった。

「転移の……代金だとさ」

「そんなことで、二つも……?」

 その行為はあまりに理解を超えていて、頭の回転が追いつかない。アルフも表情から察するに酷く困惑している。
 ジュエルシードを集めることが目的なら、こんな真似はしないはずだ。

≪Those jewels are real things.≫

 コレが偽者であるという懸念をバルディッシュが打ち払う。
 もちろん覚醒状態でないこれらのジュエルシードからも力強い魔力の波動を感じるため、その可能性は低いと思っていたけれど……。
 
 もしかしたら、今渡したところで後で容易に奪い返せると思っているのかもしれない。
 そう考えると、なんだか悔しい。

 アルフの手の上からそのまま、待機状態のバルディッシュの中に格納する。
 一つずつバルディッシュの中に入っていく宝石を眺めながら、ふと思う。

「一つも自分の力で手に入れたものじゃないんだね……」

 そして、母さんの言葉を思い出す。


「覚悟が、足りなかったんだ」


 ベッドから降りてバリアジャケットを展開し、手の甲に装着されたバルディッシュに問う。

「バルディッシュ、どう?」

≪Recovery complete.≫

「そう、がんばったね……偉いよ」

「ちょっとフェイト! 怪我を治しただけでまだ体は万全じゃないんだ。寝てないとダメだよ!」

「ありがとう、アルフ。でも、母さんが待ってるから」

「フェイト……」

「それに、わかるよね? もうすぐ発動しそうなジュエルシードが、近くにある」

「それは……あたしもわかってるけど、でも!」

 涙目になって……いや、もうほとんど泣きながら私の心配をしてくれるアルフ。
 アルフは本当にいい子だ。私にはもったいないくらい。



「大丈夫だよ、アルフ。私は、大丈夫だから」



 そして日が沈み、赤い空が終わりを迎え始めた頃、ジュエルシードが発動した。
 それとほとんど同時と言えるタイミングで結界が張られる。
 あの子達も近くにいるんだ。

 木を媒体にしたその暴走体は、私のフォトンランサーを事も無げに弾いてみせた。

「生意気に、バリアまで張れるのかい」

「今までのより強いね。それに……」




 ――覚悟が、足りない――



「あの子もいるみたいだ……」

 私の攻撃に反応したのか、暴走体は地面に張り巡らせている根を大きな地震を伴いながら地上に出現させる。

「ユーノくん、逃げっ……あれ!?」

 飛行できない使い魔を案じたのだろう彼女の声が、途中で変に裏返る。
 思わず私もそちらを振り向いたが、私の視界の中に彼女の使い魔は見当たらない。

 ふっ、と白い子の体に影がさす。

「危ないっ!!」

「へ?」

 思わず叫んでしまった。
 振り下ろされる木の根を目の前にして、彼女は何故か何も対応せず、私の叫び声に気づいた素振りを見せた時には、その姿は巻き上がる砂埃に隠れて見えなくなってしまった。






「ぺきゃ!!」

「ぐあっ!!」

 血の気が引くのを感じたのもつかの間、今度は真横からドタバタとした音とくぐもった声が聞こえる。
 見れば、狼形態をとっていたアルフの上に覆いかぶさるように目を回したあの子がのびている。

「へ、平気……? アルフ」

「あたしは問題ないよ……ッと」

「ぎにゃっ…………あ、あれ?」

 乗っかっていた彼女を振り落として立ち上がるアルフは、どうやら無事なようだ。
 ついでに彼女も大事ないらしい。振り落とされた衝撃で目を覚ましたけれど、何が起きたか良くわかってないみたいだ。

 それより問題は、この突然すぎる転移。
 地球にきてから何度か見たことのあるこの現象は。



「ん、なのはちゃんも無事なようで何より。後、ユーノ掻っ攫ってごめん」



 後ろから、はかったようなタイミングで声をかけられる。
 振り向いた先には案の定、黒いコートを着たあの男の人が立っていた。

「あ! ユーノくん!! ってあれ、フェイトちゃん!? あれ?」

 どうやら自分が転移させられたことに気づいてないようだ。
 また、彼女の言うとおり、彼の右手には掴まれてぐったりしている彼女の使い魔が見える。

「ぼーっとしてていいの? 相手は俺じゃないんだから待ってなんかくれないよ」

「っ!!」

 その言葉からほんの数瞬後、暴走体が振り上げた木の根が私たちのいた場所に叩きつけられた。
 とっさにアルフが張った障壁でその数瞬の中に一瞬の隙を作った私達は、同じ方向に飛び上がる。

「アークセイバー、いくよバルディッシュ」

≪Arc saber.≫

≪Shooting mode.≫

「いくよ、レイジングハート!」

 私が誘導刃をセットするのに一拍遅れて、彼女が砲撃の用意を始める。

「はっ!!」

 展開した魔力刃を暴走体に向けて横薙ぎに放った。
 高速で回転する刃は、暴走体を守るようにして生えている根をことごとく切り刻み、本体の手前でバリアに止められる。

「撃ち抜いて――ディバイン!」

≪Buster.≫

 アークセイバーで開けた道を、彼女の強力な砲撃が突き抜ける。
 暴走体はこれもバリアで凌ぐが、今までと違ってバリアに余裕が見られない。余波で本体が押されているのが見て取れる。

 なら、あともう一押しだ。

「貫け轟雷!」

≪Thunder smasher.≫

 魔方陣から伸びる私の砲撃も暴走体はバリアで対応したが、さすがにリソースを超えたのか一瞬で消失し、二発の砲撃が本体に殺到する。
 暴走体はたちまち消滅し、内部からジュエルシードが表出する。シリアルは――Ⅶ。

≪Sealing mode. Set up.≫

≪Sealing form. Set up.≫

 もちろん、すぐさま封印に取り掛かる。

「ジュエルシード! シリアルⅦ!」

「封印!」




 眩い光に一瞬目がくらんだが、もう、目的を見失ったりはしない。



「ごめん」

「――えっ? 待って!!」

 彼女も同様に眩しさに目を閉じていたようだが、いきなりジュエルシードに向かって飛び出した私に遅れて、彼女もその後を追い始める。
 きっと彼女は私と戦って、それからどちらがジュエルシードを手に入れるか決めるべきだと思っていたのだろう。


 私もそう思っていた。
 けれど、もう。


 そして、ジュエルシードに後わずかで手が届くというときに、突然目の前から襲った衝撃によって後ろに大きく弾かれてしまった。
 後ろから追っていた彼女に抱きとめられるようにして止まった私は、彼女と同じようにその衝撃の正体を見やる。

 閃光の中から現れたのは人間だった。それも、一目で魔導師とわかる姿の。



「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。詳しい事情を聞かせてもらおうか」



 ――時空、管理局……。





 3.同日 同時刻

side Yuuno.S

 現在僕はあの男の人に捕まっているというか掴まれているというか。
 最初どうも力加減を誤ったのか、かなり強い力で握りつぶされ、ほんのしばらく意識が飛んでしまっていたようだ。
 彼は海が望めるベンチに足を組んで腰掛け、上空の二人をぼんやり眺めている。

「なのは達、封印しちゃいますけどいいんですか?」

「封印は別にいいだろ」

「ジュエルシードが欲しいなら暴走体止めるの手伝ってくれてもよかったんじゃないですか?」

「俺が手伝う余地がなかったろ、アレ。……お?」

 封印が終了したのか、眩い光が辺りを包む。
 その光がおさまらない内から、黒い影がジュエルシードに向かって疾駆し始める。その後ろを少し遅れてなのはが追いかける。

「あの子! ジュエルシードを!」

「みたいだな」

「僕が言うのもなんですけど取られちゃいますよ!?」

「本当にお前がそれを言うのはなんだかねぇ」

 だというのにこの人は動くそぶりも見せない。
 このままでもジュエルシードを手にいれる方法があるのか、はたまた取る気がないのか。
 そんなことを考えているうちに、また状況が動いた。

「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。詳しい事情を聞かせてもらおうか」

 転移の発動を感じた直後に現れた男の子が、そう言った。

「時空管理局……」

「って何さ?」

 僕の言葉を引き継ぐようにして彼が聞いてくる。
 管理局に関しても知らないのか……。嘘をついてる様な雰囲気じゃないし、ここまでくるともう少なくとも管理世界の人間ではないことは確かなようだ。

「前に僕が話した、この世界とは違う世界、次元空間に無数に存在する世界をまとめて管理する治安組織です」

「ここは97管理外世界だったっけ……? 管理外なのにそんなのがなんで出張ってくるの?」

「管理外で起きる魔法的事件の解決も管理局の仕事なんですよ。ジュエルシードが引き起こしかねない次元震はその最たる例ですから、ここに彼らが来るのはある意味当然です」

 それでもこの到着は少し早すぎる気がする。偶然近くを航行していただけかもしれないが。

「で、だ。俺はまだ漠然なイメージしか持ってないからアレだけど、その次元世界とやらの治安を守ろうと思ったら結構でかい組織じゃなきゃダメなんじゃない?」

「うーん、僕個人の意見としてはもはや組織というより世界に組み込まれた一つのシステムに近いかも。一応管理世界内のあらゆる機関のトップにある存在ですから」

「ほう……『この世界』のトップだと思っていいわけだな」

 と、なんだか凄く悪そうな顔で笑う彼から視線を外しなのは達を見ると、執務官の男の子の呼びかけに従ったのか、少しずつ地面に降りていく。


 ひとつ気になったので聞いてみる。

 
「ええ。あの……逃げなくて大丈夫ですか?」

「は?」

「いや、は? じゃなくて。管理外世界での魔法の悪用は管理局法で禁止されていますから……」

「俺魔法なんか使ってないし。っていうか悪用ってどういう意味だコラ」

「うーん……?」

「お、犬耳さんがやらかすぞ」

 なんだか考えるのが面倒になった頃、彼の声を聞いて顔を上げる。
 見ればあの黒い子の使い魔が執務官に向かって直撃コースの直射弾を放っている。もちろん局員の彼はシールドで難なく弾いているが。


 なんてことを……これで彼女達を逮捕する正当な理由ができてしまった。逃げる準備なのだろうが、相手は執務官だ。彼女たちとてそうやすやすと逃げられるとは思えない。

 彼女の使い魔が放った一際強力な魔力弾が地面に当たり炸裂する。
 爆風や瓦礫から逃れるため、その場所から距離をとったなのはと執務官を確認した黒い女の子は、ジュエルシードを回収するべくもう一度飛翔した。

「きゃっ!!」

 が、再びその手があとわずかで届くというところで、青い幾発かの魔力弾のうち数発が彼女を直撃し、制御を失った彼女は地面に落下する。
 一発一発の威力はたかが知れてるけど……あの当たり方は……。

「フェイト!!」

「フェイトちゃん!!」

 それを見た彼女の使い魔となのはの、悲鳴にも似た叫び声が響く。
 女の子は衝突直前に彼女の使い魔が受け止めたが、執務官は次弾を放つべく既に構えていた。


 完全に詰みだ。


 そんな……僕の思考を、彼女は。


「ダメ! やめて!! 撃たないで!!」

 血の気が引きながら目の前がかっとなる、なんて器用なことが僕に出来るなんて、僕自身知らなかった。
 僕の視界には両の手を広げ、あの子達をかばうようになのはが執務官の前に飛び出た光景が広がっていた。


 ――なんて、無茶を!!


「なのは!!」

 僕が助けに行かないと――と逸る気持ちと裏腹に体は一切動いてくれない。心なしか掴まれてる右手の圧力がとんでもないことになっているような気ががががが……。

「逃げるよフェイト、しっかりつかまって!!」

 あの女の子はここからでもわかるぐらい衰弱しており、わずかながら出血しているのも見える。
 それでもなんとか彼女の使い魔の声に頷き、それを確認した使い魔が彼女を背に乗せたまま飛び上がった。

「っ、待て!!」

「だめぇぇーーっ!!」

「なっ!?」

 その、飛び去る彼女たちを狙い打つようにして放たれた魔力弾の射線上に、飛翔したなのはが飛び込む。
 もう無茶がどうこうって話ですらない。形振りかまわず僕が遠隔でシールドを張ろうとするも、この距離と状況じゃ時間が足りなさすぎる。

 なのはに青い魔力弾が直撃しようという刹那、皮一枚とも呼べるそんなギリギリの場所で、その魔力弾が消滅した。

「え?」

 この場に残った、僕を掴んでる彼を除く全員がそうつぶやいたと思う。
 またその直後、今度は僕と執務官との間に直線を引いた真ん中に、今消えたものと同じものと思われる青い魔力弾が上空から飛来し、地面に当たって炸裂音を伴いながら弾け飛んだ。



「…………」



 それを見た執務官は、自然その先にいる僕を見やる。
 正確には僕を掴んでいる、彼を。

「なぁユーノ。時空管理局の執務官とやらは凄いの?」

「結構、いえ、かなり凄いです……」

「それっていきなりあんな小さな女の子撃ち落してもオッケーなくらい偉いの?」

「相手が犯罪者なら……あ、僕個人としては有り得ないと思います、ええ」

 そんな視線を一切気にしてないのか、それとも見られているからこそなのか、やたら大声で執務官に聞こえるように話す彼。僕も特別大きな声ではないのだけれど、辺りが静まり返っているため聞こえてしまっていると思う。

「お前だな、もう一人のロストロギア探索者は。管理外世界での魔法技術の使用は管理局法で制限されているはずだ。知らないとは言わせないぞ……艦でゆっくり話を聞かせてもらおう」

「知らんな、知らん」

「とにかく艦で話を――」

「待ってください! この人は多分本当に――ってうわぁぁぁぁああああああああああ」

 話している途中で椅子に座ったままの彼に思い切りぶん投げられる。
 弁護しようとしたのに何故……。

「え、え!? ユーノくん!? よし! おーらいおーらい……あれ?」

 おそらく彼はなのはのいる位置めがけて投げたのだろう。着地点にはなのはが腕を構えて待っていた。
 そのまま立っていればいいものを、下手に動いたせいで二メートルほどずれていたけど。


「なのはちゃんはともかく、ユーノにしろフェイトちゃんにしろ、ガキの使いかっての。ジュエルシードとやらは大層危険な代物なんじゃないのかよ」

 椅子に座ったまま、肩を竦めるようにして彼は続ける。

「挙句の果てにこのクソガキが時空管理局とやらから送られてきたわけか。笑い話だろ、コレ」

 そしてようやく立ち上がると、首に手のひらを当ててバキボキと音を鳴らす。

「お前らに聞きたいことはあるが、話すことは何もない。それでも話がしたいならここでやれ。カンってのが艦なら責任者も来てるんだろ。こっちこいやと伝えろ、チビ」

 一息でそうしゃべると、今まで顔色ひとつ変えなかった執務官の男の子も少しばかり眉間にしわを寄せ始める。
 ちなみに僕は青ざめながら投げてもらっといてよかったと、心の底から思っていた。

「色々と言いたい事はあるが……とりあえず大人しくついてくる気はないということか?」

「大体執務官ってほんとに凄いのか? あんなガキがなれるようなもんなの? 見たとこ十歳いってるかいってないかだぜ?」

 完全に執務官を無視して僕に向かって大声で話しかけてくる。
 僕はなんと返したらいいか見当がつかないため、青い顔のまま視線をそらすことで答えの代わりとさせてもらう。


「残念だが仕方ない。拘束させてもらおう。……それと、僕は14歳だ!!」

「え?」


 今度は男の人も言った。


「14ね……。じゃあ――――いいか」


 そんな軽い言葉と共に、あまりにも唐突に空気が変わる。
 何度か感じたこの感覚。
 彼が魔力を使う時に発せられる、この恐怖にも似た威圧感と圧迫感。

 慣れたとはとても思えないけれど、それでも目を開けて彼の姿を見ることは出来るようにはなったようだ。
 横目で見れば、険しい顔をしてはいるけれどなのはもしっかりと彼を見据えていた。

「ぐっ、かっ……な、なんだ……コレは……ッ」

 初めてそれを感じているのであろうあの執務官は、驚くべきことにあの場所から一歩も引かずに踏みとどまっている。
 僕が初めてあの魔力を感じたときは、自身に向けられたものではないにもかかわらず体が竦みあがり、呼吸さえままならない状態になってしまったというのに。
 さすがに執務官という肩書きは伊達ではないみたいだ。

 彼がスッと開いた右手を宣誓のようにして掲げる。
 すると、彼の頭上に無数の黒い球体が出現していく。
 一つ一つ、というより一粒一粒といったほうが的確な表現になるその黒点は、執務官の位置からでは空を覆いつくす壁のようにさえ見えるだろう。

 どうやら彼自身の魔力と魔力素を練り合わせてあの黒い球体を作り上げているようだ。
 今回は前に見たのと違って巨大なひとつではなく、小さいが数が多い漆黒球だ。
 ……少し、多すぎる気がしないでもないが。

「なんだ……この数は……っ」

「ほら、ぼさっと突っ立ってると危ねーぞ」

「くっ!!」

 その掲げた右手を勢いよく振り下ろすと、無数の小さな漆黒球が雨のように降り注ぐ。
 執務官の足元から着弾し、その着弾点が地面を食らうように徐々に進む。
 執務官はバク転から何度か大きく後ろに跳ねて、その黒い雨を躱していき、最後は大きく後ろに飛びあがって宙に止まり彼にデバイスを向けた。

 雨はちょうど海を臨む柵までで降りきっていた。まるで、執務官から距離をとることが目的のような……。

「今度はこちらの番だ!」



 そう言って魔力を発動しようとした矢先、何故か執務官の動きが一瞬固まり、さらにどういうわけか戦ってる最中にそのまま後ろを振り向いたのだ。



 ――彼が何かした。

 直感でそう感じた僕は執務官ではなく、彼の方に向き直る。

 その彼もまた、よくわからない行動を取っていた。
 振りかぶった右手で、何もない虚空を殴りつけようと――――。

「え!?」

 僕が驚愕するのと、バキィという鈍い音と共に、真下の海ではなく地面に衝突するように落下し、ゴロゴロと黒い雨で荒れた地面を転がりすべる執務官が僕の視界、つまり彼の足元に転がってくるのは、ほぼ同時だった。

「え? え? 今、何……?」

 僕を抱えているなのはは、何が起きたのかさっぱりわからないという顔をしている。僕も彼を見ていなかったらわからなかっただろう。

「きっと、あの人が……殴ったんだ」

「え!? だって……」

「見えたんだ、彼の右腕が『途中からなくなって』たの……」

「どういうこと……?」

「多分、部分的な空間転移じゃないかな……? だとすると今までの彼の……というか僕の不可思議な転移に説明がつく。いつも気がついたら彼の腕につかまってたし」

「えーと、つまりジャネンバみたいな……?」

「…………?」

 そうこうしている内に、彼が倒れている執務官に近づいていく。
 自分の右手をプラプラ眺めながら、

「あー、なるほどね。バリアジャケットっていうから服だけかと思ったら全身に効果があるのか。通りで殴った感じの違和感がマスクブラザーズと同じわけだ。首ふっとぶか吹っ飛ばないかぐらいの勢いで殴ったんだけどな」

 そんなに力を込めてたのか……なのはやあの黒い女の子に対する対応とはえらい違いだ……。
 そのまま彼はうつ伏せに倒れている執務官のそばに寄って行って話しかける。

「おい、あんまり効いてないんだろ? それともやばい入り方したかな……?」

「……終わりだ」

「ん? 大丈夫か?」

 そう声をかけて、その腕を取って引きずりあげようとした瞬間。

≪Blaze Cannon≫

「うおおぁああっ!!?!」

 飛び起きた執務官が彼に向かって砲撃を放つ。
 その突然の奇襲に驚き、けれど確りと反応した彼は大きく後ろに跳び紙一重で回避に成功した。

 跳び退いた先――そこは、彼が最初に立っていた場所。

「発動!!」

 執務官が勢いよく左手を握りしめながらそう叫ぶと、黒い男の人の周りを球状に囲むように青い鎖が出現し、逃げ場のない彼をそのまま縛り上げた。
 雁字搦めになっていたその青い鎖は、形が整えられ、やがて両手両足両腕を固定する形の環状魔方陣式のバインドに変形する。

「うおおおお、ちょ、コレ動けねぇぇ!!」

「効いてないだと……? 首から上がなくなるかと思ったぞ。……何をしたかも含めて艦で洗いざらい喋ってもらおうか」

 勝った……のか? 凄いや……本当にあの人を拘束してしまうなんて……。

「君たちもいいか? 一緒に来て、話を聞かせてもらいたいんだが」

「え、えと……」

「はい、わかりました」

 相当効いたのか、まだ顎から首にかけてをさする執務官に対し、口ごもるなのはの代わりに答える。

『大丈夫だから、なのは』

『う、うん……』

 念話で一応フォローを入れておくが、まだ少し不安のようだ。それも当然のことだと思うけれど、ここはどうか僕を信用してもらうしかない。





「さて、艦長に転移を――」

「出来た」

 ぽん、と音がしそうなくらい唐突に、縛られている彼が呟いた。
 
 執務官がそれに気づき、寝転がされている彼を振り向く。

 たったそれだけの時間の間に、彼は両手両足両腕にかけられているバインドを全て弾き消し、瞬きするよりも速く執務官に肉薄した。

「な!? がッ!!」

 とっさに後ろに跳びながら薙ぎ払うように突き出した執務官のデバイスを上半身だけ仰け反る様にしてかわした彼は、仰け反ったまま後ろに一回転するように放った蹴り(俗に言うサマーソルト)で執務官の顎を蹴り上げた。

「そらっ、こんな感じだろ!?」

 一回転後に綺麗に着地した彼は、衝撃で上に飛んでいる執務官に右の手のひらを向ける。
 彼が魔法を使うときのあの感覚が一瞬通り抜けたのもつかの間、驚くべきことに彼の足元に魔方陣らしき黒い何かが浮かび上がり、開いた掌から3発の魔力弾が飛び出した。
 3発の魔力弾は飛びながら環状に変形し、吹き飛ばされた執務官に追いつくと急にその輪を狭め、ギリギリと締め上げた。


「ぐあああああぁぁああぁあぁぁぁあ!!!!」


 肩、腰、足の位置を環状で締め上げるそれは、まさしくバインドだった。術式はミッドチルダ式に酷似していたが、執務官の叫び声からして、その締め上げ方は異常とも言える。

「あら、強すぎたか。加減がわかんねーな」

 そう言って、彼が上げたままにしていた右手を下げると、黒いバインドで縛り上げたままの執務官が落下してくる。
 これまでは全く理解の及ばない魔法行使をしていた彼が見せたミッド式に近い魔法……もしかして、執務官のバインドを……!?

「じゃあ実験の最終段階だ」

 思考に埋没しそうだった僕の意識を、彼の言葉が無理やり引き上げる。
 実験……まさか、これまでの戦いが?
 見れば、彼の右腕に魔力が集中しているのがわかる。

 なのはも彼が何をしようとしているのか解ったのか、腕を通して震えと緊張が伝わってきた。


「やめっ――」


 なのはが僕を取り落として叫ぼうとしたそのとき、落ちてきた執務官と彼が重なり、彼女の声を掻き消すほどの爆音が辺りに響き渡った。



「あ、がッ……は……」



 その轟音に一瞬瞑っていた目を開く。
 バインドとバインドの隙間、彼のバリアジャケットの腹部を貫き破らんばかりに深々と彼の拳が突き刺さっていた。

「ふぅ、こんなもんか……」

 ドサッ、と打ち捨てるように執務官を足元に落とす。
 既にバインドは解かれていたが、執務官が動く様子はなかった。バリアジャケットの、特に腹部は何かが炸裂したかのように弾け飛び、素肌がむき出しになっている。
 ただ殴っただけだなんて、見ていなかったら絶対信じられないレベルの損傷だった。

「よし、生きてるな。……あー! あー! 今この様子を見ている時空管理局とやらの人! こいつの命が惜しかったら十秒以内に出てきてください!」

 しゃがみこんで彼の生死を確認すると、突然何も無い空に向かってそう叫び、右手の掌だけ転がっている執務官に向けて周囲の魔力素を集め始める。
 今度は、大きな漆黒球。内包された魔力量は人一人を死に追いやって余りあるものだと、離れた場所からでも十分理解できた。

「9、8、7、6、5!!」

 バインドは執務官のように破られ、シールドは易々と貫かれてしまう。
 そんなイメージに支配されて、大きな声でカウントダウンをする彼を僕は眺めることしかできない。



 僕は。



「4! 3! 2! 1!!」

 彼の声にも力が入る。
 それがまるで彼が本気だと念を押しているようで、思わず目の前で起こるかもしれない惨劇に目を瞑り逸らす。




 怖い。




≪Divine buster.≫

「――っ!?」


 そんな僕の恐怖を吹き飛ばすかのように、横から聞こえた音声にはっとして眼を見開き、前を見る。
 それが何でもないことかのように、まるで当然だと言わんばかりに、黒い男の人をめがけて力強い砲撃を放つなのはが、その視界に飛び込んできた。

 彼はそれを受けず、大きく後方に距離をとった次の瞬間、地面に倒れ臥していた執務官が光に包まれ、消えてしまった。

 ――転移魔法。
 それを確認してすぐに、僕たちの周りにも光が現れ、包み、その場から転移させられたのだった。





 4.同日 同時刻

side Ammy.L

 転送ポートまでの道がやたらと長く感じられる。

 あの男が頭の悪いカウントダウンを始めてすぐに、艦長はあたしに指揮権を移譲して転送ポートに向かっていった。
 しかし、どう足掻いても数秒でたどり着けるわけがないだろう。
 額に汗を浮かべながらそう思っていた矢先、白い魔導師の子がクロノくんを助けてくれた。
 咄嗟にクロノくんと女の子の回収転送を指示した後、あたしはブリッジを放棄して転送ポートに向かって走り始めた。

「艦長! クロノ君!」

 はじめに見えたのは座り込む艦長の後姿だった。
 その腕の中にボロボロになったクロノくんを抱いて、必死に名前を呼びかけている。
 その脇には白い魔導師の女の子が立っていて、心配そうにその様子を見ていた。

「エイミィ、どういう状況なの!?」

「艦長がブリッジを出てすぐ後に、彼女がクロノくんとあの男を引き離したので、そのまま回収転送を指示しました……」

「そう、よくやってくれたわ……。あなたも……」

「い、いえ……わたしは……」

「クロノくんの様子は……?」

「よくないわ……。今メディカルチームを呼んだのだけど……」

 視線がこの部屋の出入り口に向くと、奥から医療斑がようやくやってきた。
 彼らのデバイスが表示するクロノくんのバイタルデータを確認すると、今すぐにでも処置が必要だということをこれでもかというほどに訴えている。

 クロノ君……こんな、酷い……。

 唇をかみ締めながらクロノ君を担架に乗せる手伝いを終えたその瞬間、どういうわけかバチッという音とともに転送ポートが発光したのだ。



「……嘘」



 そこにいたのは、さっきまでクロノくんを酷い目に合わせてた真っ黒なコートを着た男。
 首を一回りさせて乾いた音を鳴らせた後、あたし達に向かって言った。



「ふぅ……。さて、ここは一つ、話し合いとやらをしようじゃないか。言ったでしょ? 聞きたいことがあるってさ」





[10538] 第十七話 27日④ 管理局との対話
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/11 16:03
 1.4月27日 夜

side Lindy.H

「どうやって……ここに……」

 転送ポートそのものである、大型転移魔方陣を背にして立つ黒いフード付きのコートを着た男を前にして、白い魔導師の連れの動物――事前調査で既に人間だとわかっていたが――が、意図せずこぼれ出たようにして呟く。

「説明してやってもいいけどさ、その前にそのガキ、さっさと運んだほうがいいんじゃない? ぼーっとしてると本当に危ないかもよ」

 担架に乗せられ、そのままになっているクロノを顎で指し、まるで自分とは無関係であるかのようにして言い放つ。

 あの子をこんな目に合わせたのは、貴方だろうに……っ!


「行って」

「は、はい」

 ぐっと奥歯をかみ締めながら、固まっている救護班に指示を出すと跳ねるように動きを取り戻し、読んで字のごとく逃げるようにしてクロノを運んでいった。

「で、だ。おねーさん、この船……でいいんだよな? の責任者さんを呼んでほしいんですが」

 その様子を目で追っている最中、運ばれるクロノには一切興味が無いと言わんばかりに私に声をかける。

 通常巡航しているこの艦で、まともな戦力になりうるのはクロノと私くらいのものだ。
 たとえ武装隊を借り入れていたとしても、クロノを倒した時の手並みから見て、頭数を揃えるだけでは意味がないだろう。

 逡巡は一瞬だった。

「私がこの船の艦長、リンディ・ハラオウンですわ」

「あ、そうなんですか。随分お若いのに艦長だなんて……ん? ハラウオン? ハラオウン? 最近どっかで……ああ、さっきデコピンかましたガキがそんな名前だったような……」

「その母親です。その節はよくも」

「アレの姉ちゃ……母ァ!?」

 心底驚いたように目を見開き、指折り14を数えてもう一度私を見てまた驚愕している。
 敵地真っ只中だというのに随分と余裕があるその姿に腹が立つ。クロノと戦っていたときからこの男はそのスタンスを崩さない。
 視界の端では、白い魔導師の子が「あれがデコピン!?」とこちらも驚愕しているようだが、そっちはよく意味がわからない。

「それで、聞きたいことがあるそうですが、こちらも貴方に聞かねばならないことがあります」

「砕けた話し方で構いませんよ。……いいですよ、答えられることには答えます」

 現状の戦力で、こちらに損害を出さずにこの男を無力化するのは不可能と判断。拘束せずにこの艦への侵入を許したのは痛すぎる。クルーをすべて人質に取られたようなものだ。
 どうにかここで暴れられるような事態だけは避けたい。ならば、こちらもその話し合いとやらに応じるしかないということだ。
 目的も実力の底も何もかもわからない相手にここまで懐に入られたことに、艦長だとかそういうもの以前に人間としての危機本能がアラートを最大レベルで鳴らしてはいるが、少なくともまともに会話が出来るというのはありがたい。
 既に酷い痛手を被ってはいるが、得るものが0とは限らないということだ。

「着いてきて。……貴方達も」

「は、はい……」

「Roger!(ラジャー)」

 白い魔導師の子たちにも声をかける。
 彼女は未だ不安そうに周りをキョロキョロ見回しながら、おそらく動物形態をとっている彼と念話で会話しているようだ。
 無理もない。
 周りをキョロキョロ見回しながら、どういうわけか気分が高揚しているらしいあの男の方が異常なのだ。やたら発音のいい魔法言語が余計に癪に障る。

「……?」

 振り返って先導しようとすると、私の後ろにいたエイミィの様子がおかしいことに気がついた。
 転移魔方陣、というよりあの男の方に体が向いたまま、俯いて動こうとしない。
 近づくと、その体が強張り、小刻みに震えているのがわかる。
 嫌な予感が、した。

「エイ――」



「お前っ!! 人ひとりあんなになるまで傷つけて、どうしてそんな普通でいられるの!? 挙句の果てにその子の母親の前でヘラヘラ……一体何様のつもりなのさ!!」



 私の後を着いてくるつもりだったのだろう例の男が近くに来た瞬間、顔を勢いよく上げ、その瞳に零れ落ちそうなほど涙を湛えながら怒号を飛ばし始めた。
 正直初めて見るエイミィのその姿に一瞬面食らってしまい、あまりに危険なその行為を止めるのが遅れてしまう。

「お前みたいな……人の痛みもわからないような奴にっ……」

「エイミィ、それは――」

「ああ、なるほど。うん……まぁそうなのかもしれない」

 違う、と言おうとしたところで、後ろにいる男に被せられるようにして遮られる。
 この男を刺激するような行動に一瞬血の気が引いたが、声色からその飄々とした態度に揺らぎがないことに、安堵と怒りが綯い交ぜになったような感情を覚える。

「まだそんな……っ」

「うーん……いちいち説明すんのも面倒なんだけどな。ごめんなさい艦長さん、ちょっとだけ時間ください。ちょうどなのはちゃん達もいるし」

 ちらり、とさらに自分の後ろにいる白い魔導師の子を見てそう言う。
 見られた彼女は過剰なほどの警戒心を彼に募らせているようだが、彼女たちがいるとどう都合がいいというのか。

「君にとってあのガキがどんな存在か知らないけどさ、あのガキに撃ち落された金髪の子にだってそういう存在がいると思わない? 見えなかった? 血出てたよ」

「……っ。でもそれは、あの子がっ――」

「あのガキの言うことを聞かなかったから? あの時あの場においてあのガキにどんな決定権があったのかな。時空管理局のなんとかだって言っただけでしょ。俺は今現在でもそういう詐欺の可能性も含めて話をすすめてたんだけど」

「そんなことあるわけ……」

「君たちの視点だけでモノを見ちゃダメだよ。本当に次元世界とやらの治安を守ってるってんなら、なおさらね」
 
 まぁ、そのテの人間たちにはありがちだけど、と彼はまた笑った。
 確かにクロノはあの時身分を証明するより先に、黒い魔導師に攻撃を加えてしまった。立場を変えて見たら他のロストロギア探索者と大差がない……。
 場を制圧できていたならそれを有耶無耶にすることも出来たかもしれないが、最早どうにもならない。
 今の話を聞いた白い魔導師の組があからさまに私達を警戒し始めてしまった。


「じゃあ何故貴方はこの艦に来たのかしら?」


 また俯いてしまったエイミィの代わりに私が聞く。

「言ったでしょ、聞きたいことがあるって。最初はあのガキの単独犯かとも思ったけど……その時空管理局にしろ詐欺グループにしろ、後ろ盾があるなら情報もそっちのほうがありそうじゃないですか。言ってしまえば、俺は貴女達がどこの誰であろうと、どうでもいいんですよ」

 そう言って笑うこの男を見て、背筋に冷たいものが走る。
 そこまで考えていながら、この余裕を維持しているその胆力。ハッタリかどうかなんて考えるまでもなく、本当にどちらでもいいと思っているようだ。
 その上でのこの余裕は、既に見せ付けられた実力に裏打ちされたものだろう。本当に嫌になる。

「まぁ見た感じ普通に警察組織っぽいですけどね。医療班乗せてる詐欺グループもいるのかもしれないけど。……もし違ったらついでになのはちゃんを助けないといけなかったんで、それはよかったと思ってますよ」

 その言葉を聞いて、白い子達がぽかーんと口を開けて彼の後ろ姿を見ている。どうやらその言葉はよっぽど予想外だったらしい。

「ユーノもなのはちゃんに対して色々責任があるんだから、気をつけろよ。9歳じゃなかなか難しいかも知れんが」

「は、はい……」

「と言っても、今言ったのは俺の目から見た事実でしかないから、君が言ってることもわかるけどね。可能性の話をしたら、フェイトちゃん達と貴女達がグルって線も考えていたし」

「え? でも……」

 白い子が何を言っているのかわからないといった表情で男を見上げる。

「まぁあんまり何でもかんでも信じるなって話。それが自分の眼で見たものでもな」

 そう、彼は自分の話を締めくくった。
 それはあの白い子にも、エイミィにも向けた言葉であったんだろう。

 しかし。

「つまり、貴方はクロノがどこの誰であろうと、“ああ”したっていうことね」

「あ、ばれましたか」

 男は悪びれもせずに苦笑するようにして答えた。
 エイミィと白い子が、それを目を見開くようにしてみている。

「それじゃあ、今までの話は……」

「考えてはいたさ。まぁどう転んだってあの場はあのガキを叩くのがベストだと判断しただけね」

 食って掛かるエイミィを制すように男が言う。

「それに、一度魔導師とやらとまともに戦ってみたかったんですよ。14歳っつったら人類の存亡をかけて命がけで戦ってもいいくらい一人前だと思ってますからね。小さな女の子を相手にするっていうのはアレだったんで……。それまで男は9歳のユーノだけだったし、子供で、さらに動物モードを殴るわけには」

「動物モード?」

「ん? ユーノって人間だって聞いたんだけど……な?」

 信じられないという表情で彼を見ていた白い子が、彼の言葉に反応し、彼は彼女のその反応こそ意外そうにしながら、彼女のそばにいる動物に確認を取っている。

「あ、はい。もうほぼ回復したんで、この姿でいる必要もないかな」

「へ?」

 そう言うと彼を眩い光が包み、一際大きく輝いた後、そこにいたのは一人の少年だった。
 その髪の色に、動物だったころの面影が残っている。

「ふぅ……なのはにこの姿見せるのは、久しぶりになるのかな」

「へぇ、本当に人間だったんだな」

「信じてなかったんですか……」

 彼がもともと人間であったことを聞いていたらしい黒いコートの男は、それに対して特に大きなリアクションをすることはないようだが、意外なことに白い子がそれを見て固まってしまっている。

「え? ぇぇ……え、ええ? ぇ、ぇ、……ぇぇぇぇええええええええええええ!?」

 と、思ったらこの広い転送ポートに響き渡る大声を上げて再起動した。

「なのは?」

「ユーノくんて、ユーノくんて、えう! そんな、何!? 嘘!? えぇぇーーーっ!!」

 どうやら彼が変身魔法を使っていたということを知らなかったようだ。

「あらら~? ユーノさん。聞いていたのとちょっと話が違うようなんスけど、一体どういうことで?」

 腕を組んでニタニタ笑う男を意識的に無視するようにして彼は白い子と話を続ける。
 ちなみに、小さな子相手に向ける顔では断じてなかった。

「えーっと……僕たちが最初に会った時って、僕はこの姿じゃ……?」

「違う違う! 最初っからフェレットだったよぅ~っ」

「うーーん……………………あ、ああーーーーっ!!!!」

 目を瞑り、頭を数回叩いて考え込むような仕草を見せた後、どうやら思い当たるような節があるようで、こちらも大きな声を上げた。

「ああっ……そそ、そうだ、そうだ! あは、ごめん、ごめん……この姿見せてなかった……」

「だよねっ、そうだよね! びっくりしたぁ」

 彼らの会話が一段落を迎えた頃、すたすたと近づいていったあの男が少年のそばで膝を着き、肩を組んで他に聞こえないように彼に何事か話すと、少年はさっと青ざめ、男は彼の肩をバシバシ叩いて解放した。
 どうやらよっぽど気分がいいようだ。本当に腹が立つ。

「はっはっはっ。あ、艦長さん。ずいぶん時間とってすいませんでした。そんじゃ、どこかメカメカしたとこ……いや、落ち着けるとこにお願いします」





 2.同日

side Nanoha.T

 そうして連れてこられたのは、会議室と呼ぶのが正しいと思われる暗い部屋でした。
 細長い長方形の机の、左右で一番距離がある椅子に機関コートの男の人とこの船? の艦長さんが座り、わたしたちと艦長さんのお付きの人らしいお姉さんは艦長さん側の席に座りました。
 そのせいで向こう側はガラガラの先にぽつん、とあの男の人が座っているという寂しい状態になっています。

「ユーノになのはちゃん、こっちにこない?」

「いや、僕はいいです」

「お断りします」

「そ……そか」

 人並みにさびしいとは思っているようで、なんだか少しほっとしました。
 今日のジュエルシード発動から新しい魔法使いの男の子の登場、さっきまでの会話で、今までさえもよく掴めなかったこの男の人が、さらにわからなくなってしまいました。
 どういった感情を持ってこの人に相対すればいいのか、いまだに固まりません。
 ちなみに、バリアジャケットは解除して、レイジングハートは机の上に置いてあります。

「それで、まず貴方が何者かから聞きたいのだけれど」

 艦長さんが、全員席に着いたのを確認して、お姉さんが男の人以外の飲み物を用意したあと、少し距離のある向かいの席にいる彼にそう問いかける。

「いきなりそれですか? 一応治安維持組織なんですから、現状の説明やこの子らの身元確認とかから始めるべきなんじゃないですか?」

「治安維持組織だから、貴方の正体を聞きたいのよ」


「……あ、あのっ! 彼は、次元漂流者かもしれません」

 男の人にされた質問を、何故かユーノくんが答えた。

「なぜ、そう思うのかしら?」

「彼は、確かに僕たちの使う魔法技術に近いものを所持していますが、その術式はおそらく数多ある管理世界で確認されていない、全く新しいものである可能性があります。また、彼は管理世界出身の人間なら誰もが知っているであろう常識とも呼べる知識を有していません」

「ふむ……と、彼は言ってるけど、どうなのかしら?」

 ユーノくんの言葉を受けて、視線をもう一度男の人に流す。

「大筋で間違っちゃいない、としか言えませんね」

「どうして? 次元漂流者として認定されれば管理局に保護を願い出ることも、もとの次元世界に帰してあげることもできるのに」

「その、次元漂流者云々に関しては無駄だからですよ。多分貴女が理解している『漂流者』とは意味が違いますから」

「言わんとしていることはよくわからないけど……確かにさっき次元転移魔法を使っていたところを見ると、次元漂流者というわけではないみたいね。……“私の知っている範囲”では」

 次元漂流者とかよくわからないけど、この男の人はわたしと同じ世界の人なんじゃないのかな? コスプレとか、スケィスとか。

「話が早い艦長さんで助かりますよ。……そうだ、これを機に一応聞いておきたいんですけど、ジュエルシードって結局何なんですか? ユーノからは危ないモノとしか聞かされてないし、具体的にどう危ないのかも俺にはわからないんですよね」

 この人は、何を言っているのだろうか。
 現に海鳴では発動したジュエルシードが暴走して大きな被害が出てることだってあるのに……。
 それとも、それを被害だなんて捉えていないのかな……?

「俺がユーノから聞き出した経緯では、こいつがあの宝石を掘り出して、輸送中に事故ったやらなんやらで、この世界にアレがばら撒かれたってことらしいけど」

「なるほど……そう、あのロストロギア……ジュエルシードを発掘したのは貴方だったのね」

 男の人の話を聞いた艦長さんが、今度はユーノくんに言葉をかける。

「はい……。それで、僕が回収しようと……」

「あの……ロ――」

「ロストロギアってなんですか?」

 わたしの声を掻き消すようにして例の男の人が艦長さんに聞く。
 幸い聞きたいことはわたしと同じだったようです。
 それを聞いた艦長さんは、少し驚いたような表情で隣に座っているお姉さんと目を合わせている。

「本当にそういう知識は持ち合わせていないようね」

「演技かもしれませんけどね」

「自分で言ってれば世話ないわよ……」

 嘆くようにそう言って、眉間を指で挟むようにしながらため息を吐いた。

「貴女は?」

「いえっ……わたしも、同じ質問でした」

 そう、と呟いてわたしと男の人との間を視線が左右させている。

「あら? なのはちゃんには出来て、俺にはできない話なんですかね」

「いえ、いいわ。知らないんなら、知って危険性を覚えてもらったほうがいいわね」

 艦長さんは、ふう、とまた息をついて、椅子に深く掛けなおしてから語り始めた。

「遺失世界の遺産……と言ってもわからないわね。えっと、次元空間の中にはいくつもの世界があるの。それぞれに生まれて育っていく世界。その中に、極稀に進化しすぎる世界があるの。技術や科学、進化しすぎたそれらが自分たちの世界を滅ぼしてしまって、その後に取り残された失われた世界の危険な技術の遺産。……それらを総称してロストロギアと呼んでいるの」

「オーバーテクノロジーみたいなもんか……。ああいうのは大概パンドラだからなぁ。そこに希望があるかどうかは別にして」

「……使用方法は不明だけれど、使い様によっては世界どころか次元空間さえ滅ぼしてしまうかもしれない、危険な技術。然るべき手続きを以って、然るべき場所に保管しておかねばならない品物」

 話のスケールがそもそもよくわからないわたしにとっては、なんだかとてもすごく大変だということしかわからない。
 艦長さんは完全にわたし達を向いてお話をしているからか、途中であの男の人が言った事を無視するように話を続けている。

「貴方達が探しているロストロギア、ジュエルシードは次元干渉型のエネルギー結晶体。いくつか集めて特定の方法で起動させれば、空間内に次元震を引き起こし、最悪の場合次元断層さえ巻き起こす危険物」

「幸いこの世界ではまだ極小規模の次元震しか観測されていないね……一回だけ妙なデータが確認されているのが気になるけど」

 艦長さんのお話を補足するようにお姉さんが付け足す。

「ねぇ、それっていつの話?」

「…………」

「……五日前よ」

 黒い男の人がお姉さんに質問したけれど、お姉さんはそれに答えようとせず、代わりに艦長さんが答えた。
 五日前……えーっと、温泉行った初日かな。確かスケィスと戦うことになって、負けて、フェイトちゃんと初めてお話できた日だ。

「……なるほどね」

「何が、と聞いてもいいかしら?」

「いやいや、私事ですから。お気になさらず」

「…………」

 だったら言うなよ、と目が語っていて、とても怖いです。

「あ、あの……次元断層って、なんですか?」

 重苦しい空気を変えようと、たぶん聞いてもよくわからないだろうことを質問してみる。

「確認されているのは、旧暦の462年……だったかな」

「ええ、隣接する並行世界がいくつも崩壊した……歴史に残る悲劇」

 わたしの問いを受けたのはユーノくんで、さらに艦長さんが答えてくれたのだけど、思ったとおりなんだかとっても大変なことということしかわからなかった。
 ダメだ、今は何を聞いてもそれしか浮かばないかもしれない。

「繰り返しちゃいけないわ……」

 そう呟いて、手元の飲み物にポトン、とひとつ角砂糖を落とす艦長さん。
 それを見て一瞬顔が引き攣ってしまったけれど、わたしの飲み物が緑茶だったからと言って、艦長さんのがそうであるとは限らないと思い至る。
 暗くてよくわからなくて、本当によかった。

 うあ、ミルクまで入ったの……。







「あ、ところでギル・グレアムって人知ってます?」







 時が、止まった。

 そう、表現するのが一番正解だと思う。
 艦長さんはカップを口元に持っていったまま、ほんの一瞬目を見開いたようにして固まったし、お姉さんも挙動が止まったまま、今の言葉を投げかけた男の人を見ている。

 男の人の質問の意味が全くわからなかったわたしと比べると、その違いが眼に見えてわかる、そんな一瞬。

「へぇ……」

 その反応を確認した男の人は、聞いたものをぞっとさせるような声で、何か楽しいものを見つけた子供のようでいながら、確実に悪意が滲んだ笑みを浮かべた。

「時空管理局の方がご存知ということは、とんでもない犯罪者かなんかなのかな?」

「なっ……そんなわけないでしょっ!! あの方は――」

「エイミィっ!!!!」

 男の人の挑発的な言い方にお姉さんが叫ぶように反論したけれど、艦長さんがそれを無理やり抑える。
 けれど、それだけで十分だったと言わんばかりに、男の人の笑みがさらに深くなったような気がする。

「OK、もういいや。じゃあ、グレアムさんに伝言頼みます。『電源はONになっている』と必ずお伝えください」

 彼がそう言った瞬間、ぐん、と腰を上に引き上げるような感覚がわたしを襲った。
 次いで視界、というか見ていたはずの景色が一瞬で全く別のものに変化する。席に座って男の人を見ていたはずなのに、どうしてか床を見ていた。

「へ?」

「それでは」

「待っ――――」

 いつの間にか男の人の脇に後ろ向きに抱えられていることに気づいたときには彼は走り出しており、前が見えないわたしには衝撃しか伝わってこない。



 会議室の機械的なドアを蹴破る衝撃しか。



「にゃああああああああっぁぁぁあぁああぁぁぁぁあぁ!!!!!!」



 脇に抱えられているため頭がぐわんぐわんシェイクされ、目がくるくると回る。
 後に流れていく景色が途切れ途切れに変わるように見えるのはそのせいだろうか。

 そ、そうだ、バリアジャケットを……あ゛ーっ、会議室の机の上だーぁっ!!

「ん? 平気?」

「だめです……。っていうかなんでわたしを……」

「人質」

 分岐路できょろきょろしている彼が、ぶら下げられているわたしに聞く。
 どうやらわたしは人質らしい。

「なぁ、医務室ってどっちだと思う?」

「なんでですか……?」

「あのガキにトドメを刺しに」

「なっ――」

「冗談に決まってるだろ」

「…………」

「じゃあ、勘でこっち」

 むすっとして喋らないわたしを無視して、男の人は進む。
 それがどういうわけか、わたし達は治療室らしきところにたどり着いてしまった。

「お、ここっぽいな」

「お、お前は――」

「失礼」

 そこにいたお医者さんを含めた数人を大きな真っ黒いドーナツのようなバインドで押さえ込み、わたしを抱えたまま奥に入ってしまった。

「よし、まだ生きてるな」

 その奥で寝かされていたのは、さっきこの男の人に酷い目に合わされた男の子だった。
 体につながれたチューブや電子機器がその痛々しさを強調している。

 それに、こんな風にして誰かがベッドに寝かされているのは――……。


「って、何してるんですか!!」


 昔、といってもそんな前の話じゃない、いやな記憶を思い出していたとき、突然男の人がその男の子の呼吸器らしいマスクを剥がしてしまったのだ。

「まぁ見てろって」

 そう言って目の高さくらいまで上げた右手を何もない場所にゆっくり差し出すと、どういうわけか、その指先から徐々に手首がなくなってしまった。
 思わず一歩身体が後ずさる。

「あった」

 驚きに言葉も出ないでいると、今度は少しずつ引き抜かれていく腕に手首が生え、指先まで生えていく。
 その先には薬指と小指で挟んだオブラートのような袋と、親指と人差し指で持った普通のミネラルウォーターらしきペットボトルが見えた。

「これさ、原料はとある豆なんだけど、すっげー貴重なんだよね。だからつぶして粉にしたほうが効率いいのに気づいたんだよ」

 そういって見せてくれたのは、オブラートの中に入った緑色の粉だった。色的にはちょっと身体にいいものとは到底思えない系の。

 ん? 緑色の……原料がなんて?

「しかしこれ、寝てんのに飲ませていいのかね。……っても時間なさそうだしな」

 そう言ってバインドされて唸っているお医者さんたちを見やると、なるようになれといった感じで男の子の口の中に粉をいれ、本当に少しずつ水を流し込んでいった。
 ごくり、と喉がなったのを確認した男の人は、わたしにペットボトルを持たせると、

「んじゃあ俺は行くから。あ、ちょっと離れて。……まったく、ボコボコにした後転送なんかするもんだから焦ったよ」

「え……?」

 ふっ、と表情が柔らかくなりながらそう言って、彼の足元に黒い魔方陣が浮かぶ。

「なのは!!」

「クロノ!!」

 それと同時にユーノくんと艦長さんがこの部屋に飛び込んできたのを見た男の人は、ちょっと焦ったような顔をしたけど、すぐにまた不敵な笑顔を作る。

「人質、あんま意味なかったな」

 そんな声だけを残すようにして、ふっとその場から消えていってしまった。

「エイミィ、追って!! ……なんですって?」

 それを見た艦長さんが空間に出した映像でさっきのお姉さんにそう伝えたものの、ジャミングがどうとかで足取りが追えなかったらしい。

「なのは! 大丈夫!?」

「う、うん。わたしは……何もされてないけど……」

 それを聞いた艦長さんがゆっくりこちらを向いて、ほとんど表情を失ったままわたしに訊ねる。

「クロノが……何かされたの?」

「あの、えっと……」

 その雰囲気に圧されたのもあって何から説明したらいいか言いよどんでいると、突然がばっ、と跳ね起きるようにしてベッドに寝かされていた男の子が上体を起こした。

「ク、クロノ……?」

「母さ……艦長、状況は……? 僕はあいつにやられて……どうなったんだ? あれ、ダメージが……ない……?」


 その様子を、全員が目を丸くして見ている。



 また、あの男の人のことがよくわからなくなってしまった。

  



 3.同日 夜

 とまぁそんなこんなでフェイトちゃんのマンションの屋上にいる。
 だってここしか座標わかんないし。とはいえ、このマンションには結界が張ってあるから追跡とか断つには都合がよさそうだけど。

 乗り込むときは割合簡単だった。あのテのポートらしきものは座標みたいなのがどこにあっても固定だから3回も見たら覚えられる。
 幸い犬耳さんに見せてもらった転移と同じ術式だったからな。後は変数みたいな部分に当てはめて魔力流すだけだったし。

 しかし。

「疲れたわー」

 神経使ったよ、久しぶりに。
 最初言ったとおり単独犯だと思っていたから、対魔導師の実験をして、ちゃっちゃと治して知っていることを吐いてもらおうと思っていたんだけど、なんか転送されちゃうし。なのはちゃんまで連れてかれてしまうし。
 まぁ虎穴にはいらずんば、ということで吶喊したけれど、どうやら虎子を得たようだ。

「尻尾は捕まえたな、ギル・グレアムさんよ」
 
 今日得た情報と、今までに得た情報。
 期せずして訪れた、現状を俯瞰する手段。
 まぁどれだけ価値のある虎かはまだわからないけれど。

「あ、はやて怒ってるかもなー……。はよ帰らんと」

 なんにせよ、今日はちょこーっと疲れたかな。
 早く帰って寝よ。



[10538] 第十八話 5月1日① ゲーセンとうささんとひき逃げと
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/11 16:15
 1.5月1日 午後

 ここ三日、特に状況に動きは見られない。

 てっきり『グレアム』さんが接触してくるものと思っていたけど……ここでその人物が動けないというのはある意味さらにきな臭いな。
 ユーノと犬耳さんに着けている発信機も、どういうわけか確認できないでいる。こちらに関しては、もしかしたら効果が切れてしまったのかもしれないけれど。

 彼らの姿を確認できないということは、つまり連日ピカピカ光っていたジュエルシードもなりを潜めているわけで。

「ふんふふんふっふんふーん、ふんふふんふっふっふー」

「ご機嫌やーね、兄ちゃん」

 等と並べてみたものの、思い起こせば『この世界』ではいつだって受動で動いてきた俺なので、今更この程度のことであせるわけもなく、今日ははやてと一緒に遠見市にあるゲームセンターに来ている。
 何故だろう、色んなトコを巡って来た俺だが、このテの施設にいるときが一番帰ってきた感があったりする。

「ゲーセン来てテンション上がらんやつはいないだろう」

「せやかて、うるさ過ぎちゃうか、これ」

「慣れだな。俺はここで寝れる」

「……そんな慣れ方は嫌やな」

 はやてはゲーセン初体験らしい。自動ドアを抜けて聞こえる騒音に少し顔を顰めたが、その光景はやはり魂揺さぶるものがあったようだ。眼がキラキラと輝いている。

「よし、地下行くぞ」

「初めての人間にいきなりビデオゲームコーナーか……別にええけど」

 はやてを腕の上に座らせるように抱えながら車椅子をたたみ、反対側の腕でそれを持って階段を下りる。

「兄ちゃんてやたら力あんな。あんまりムキムキちゃうのに」

「ああいうボディビルダーみたいな筋肉ってどうやってつけるんだろうな。別にいらんけど」

「トランクスみたいになるしな」

「言っとくけど、あれクッソ速いからな。スピードが殺されて、とか……見えねーっつーの」

「いきなり何を言うとるん?」

 というやり取りを交えつつ目的地到着。
 やっぱり最初はUFOキャッチャーとかのがよかったかな? なんて思いつつも、はやてははようはようと車椅子を叩いて催促してくる。
 っていうかゲーセンって車椅子いいんかな。もう遅いけど。

「まだこのガンダムあるやん、種デスの。新しいのばかりやと思ってたわ」

「俺はこっちのほうが好きだなー」

「家でやったとき、めっちゃ手ェ抜いた上でボコボコにしてくれたもんな」

「お前ってゲームのことだと結構根に持つよね……まぁこのテのゲームは2対2が醍醐味だから、ほら、やろうぜ」

 そんなこんなで根っからのコントローラー派であるはやてがスティックに慣れるまで少々時間がかかったものの、それから後は短いが濃いゲーム暦で培われたゲーム脳(意味は違うけど)により、乱入者を蹴散らしていった。

「あー、楽しかったわー。やっぱ勝てるとおもろいな」

「しかしお前みたいな小さな女の子相手に負けた連中はプライド粉々だぜ」

「プライドて、大げさな……」

「いや、ゲーセンに来てる人間はそういうのが多いぞ。俺がそうだ」

「変なとこで小さいよな、兄ちゃん……」

 二人でしばらく連勝して負けてを何度か続けた後、タイム! と言ったはやてに従い、現在は上の階のファミリーゲームコーナーの一角にある自販機の前のベンチで休憩中である。

「ここはさすがにこの足じゃ一人ではこれへんからなー」

「普通の足でも8歳の女の子が一人で来るとこじゃねーよ」

 しみじみ言うはやてに、雰囲気を誤魔化すように苦笑しながらそれを窘める。
 どうやら効果は薄かったようで、はやての纏う空気に変化は見られない。

「今月末には、届くねんて。新しい車椅子」

「そっか」

「……なぁ、新しいの来ても――」

 はやては俯きながら、隣に座っている俺ですら聞き取れないような小さな声で何事かつぶやいた後、首を左右にぶんぶん振ってから勢いよく顔をあげ、前を指差した。
 その先には、通称『貯金箱』。

「あ! 兄ちゃんあれ取って! あのでかいウサギ!」
「む、アレか。いいだろう、何を隠そう俺はUFOキャッチャーの達人だ」

 はやてが何を言いたいかくらいはわかるが、今はそれを飲み込んだ気概を尊重して、流されてやる。

 さて、UFOキャッチャーは大の苦手なのだが、どうしよう。





 2.同日 夕刻

「ありがとうなー、兄ちゃん。500円3回を2セット失敗したときは何が達人やねんなんて思ってしもたけど、やっぱ兄ちゃんはすごいなー」

 その帰り道。
 西日差し、影が長く伸びる道を車椅子を押して歩く。

「お、おうよ」

 はやてはその車椅子の上で、自身よりも大きなサイズのうさぎをニコニコしつつ頬擦りしながら抱えている。

 結局、最初の1セットでこいつは動かないと確信した俺は、あの管理局とやらのガキをぶん殴ったのと同じ要領で、『手元の空間』と『キャッチャーの箱の中の空間』を繋げて、少しずつ手で穴に押し出したのだった。
 予想外だったのは、その巨大うさぎの底面がガムテープで貼り付けられていたことだった。派手な動きが出来ないため、もう一セット分無駄にしてしまったが、もう200円で無事に成功した。取れたときの店員の顔がなかなか秀逸だった分で、貼り付けの件はチャラにしてやろう。
 プライド? 女の子の笑顔のほうが大事に決まっているだろう。

 …………ちくせう。

「ほらうささん、この人がとってくれはったんやでー」

 はやては何が楽しいのか、抱えてる巨大うさぎを上に掲げ、俺と目を合わさせるようにしてキャッキャッと喜んでいる。

「うささん?」

「この子の名前や」

 はやてによってうささんと名づけられたこの巨大うさぎは、全身が薄いピンクで統一された体色で、その体型はお世辞にもうさぎとは思えない。完全に手足に指がないだけの人間である。
 しかし、その真ん丸過ぎる頭から長く伸び、途中から手前に折れている耳がウサギであることを強烈に主張している。
 その顔にはこれまた真ん丸の紅い大きな目が二つ。顔の下半分のほとんどを大きく裂けた口が占めており、その口は非常に簡単に描かれた上下に走る斜線によってギザギザの白い歯が閉じられているようになっている。見ようによっては笑っているようでもある。

「可愛いとは……思うよ」

「せやろ、せやろ! 可愛いなぁーもぉーーー!!!!」

 感極まったのか、またその首元をぎゅーっと抱きしめている。
 完全に極まったその絞め技で、うささんと俺の目がもう一度交差する。その生意気にも不敵にも見えるその顔が歪んで泣いているように見えたのは気のせいだろうか……。

「下、ひこずるぞ」

「おっとあかんあかん。うささん汚すわけにはいかんしな」

「とか言いつつとうちゃーく」

「いえー!!」

 鍵を開けて中に入り、玄関ではやてを降ろしてから車椅子に室内用のタイヤカバーを付けてやっていると、突然はやてが叫んだ。

「あーっ、今日買い物行く日やんか。すっかり忘れとったわ」

「ん、なら俺行ってくるよ。はやてはお留守番な」

「せやかて、何買うてくるかわかってるん?」

「ぜひ一覧を作ってください。今日の分の食材はあるんだろ? 作って待っててよ」

「ほんなら、冷蔵庫に貼ってある広告とってきて、丸付けるから」

「御意に」




 と、いうわけで、現在は広告片手に近所のスーパーまでの道のりを歩いているわけである。

「今日は食器用洗剤とケチャップが安いのか……にんにくも」

 持っているチラシに目を落とすと、はやてが赤ペンで丸をつけた商品が目に入ってくる。
 周りに人影はないので、大好きな独り言を飛ばしても問題ないのである。

 やたらと人気がないなー、とか考えながら沈みかけの太陽に向かって歩いていたところ、閑静な住宅街には不似合いな、何か重いもの同士がぶつかったような音や、ガラスが割れるような音が響き渡った。
 あまりに突然だったので、普通にビビリ上がる俺。

「おぉっ、と……近いな」

 野次馬根性丸出しで現場に小走りで向かっていくと、音の発生源と思われる路地から猛スピードで現れた灰色のワゴン車に、





 ものの見事に撥ねられた。





「あがぁッ!!」

 曲がり角で出会い頭にぽーんと吹き飛ばされ、コンクリート塀に激しく打ち付けられてから地面に落下した俺を無視し、さらにスピードを上げてこの場から走り去っていくワゴン車。

 あがー……痛い。
 平時の俺はスペランカー並みの脆さと知っての狼藉か……。

「だっ、大丈夫ですか!?」

 うつ伏せて動かない俺を心配したのか、それとも衝撃映像を見てしまったのか、上から男の人の声がかかる。
 あんまり心配させるのもアレなので、すっと立ち上がってぱんぱんと服を払いながら答えた。

「え……?」

「ええ、大丈夫です。問題ありませんよ」

 言いながら相手を確認すると、声をかけてくれたのは割合長身の初老というには少々老けた男性だった。
 着ているタキシードは埃を被っており、かけている眼鏡にはヒビが入っている。頭からは出血し、赤く滲むようにして垂れている。

 ジェントルマン! な第一印象である。

「事故……当て逃げですか? 怪我してますけど、大丈夫ですか?」

「は、はぁ。私は別に……」

 そりゃあ、あんな派手な撥ねられかたをした人間から逆に心配されれば気の抜けた返事しか出来ないのも無理はない。
 頭の怪我は血が出ない方がヤバイと言うが、出てりゃいいってもんでも無いな、なんて思いながらぼっこりへこんだ高級そうな車を見やる。

「ハッ! いや、こんなことをしている場合では……早く連絡を――」

 ジェントルマンは急に思い出したようにして携帯で連絡を取り始めた。
 俺もとっとと警察なり救急車なりJAFなり呼んで事態の収拾に努めるべきだと思う。

 まぁ野次馬から被害者にランクアップ(ダウン)しそうなので、俺はそそくさとこの場からフェードアウトしてスーパーに……スーパーに……。




 両手が寂しいことに、ようやく気づいた。




「う、うおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!! ジェントルマン!! 俺のチラシを知らないですかッ!?」

 電話していたジェントルマンの両肩に手のひらを叩きつけ、酷い日本語で尋ねる。
 さっきまで撥ねられても大人しかった俺が突然発狂したかのように叫びだしたことに面食らったのか、

「あ、貴方が持っていた紙なら……さっきの車の中に、窓からストン、と……」

 と、顔を引きつらせながら答えた。



 なんだそりゃ!?
 どうやったらそんなことになるんだ……いや、俺ならありえるのか……?
 と、とにかく、あのチラシがないことにはミッションのコンプリートは不可能だ。ついでに当て逃げひき逃げ犯をとっ捕まえて警察に突き出してやる!!

「ありがとうございます、ジェントルマン。では!」

 この住宅街だ、あのスピードでもまだそう遠くは行ってない筈。
 高空からあのアホ車見つけてドカンだこんちくしょー……。



 結果として、俺が行くべきだったのは確かだったが、チラシに関してははやてん家に戻ればそれで済むことだったのに気づいたのは、日付が変わった後だった。



[10538] 第十九話 1日② 吸血鬼
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/11 16:33
 1.5月1日 夜

side Suzuka.T

「起きて、すずか。起きなさいってば」
「ん……ぅ……ぅぅん」

 初めに気づいたのは、自分が眼を瞑っているということと、誰かに身体を揺すられている事。それから少し遅れてアリサちゃんの声を認識した。
 いつ、寝ちゃったんだろう?
 ゆっくりと身体を起こし眼を擦りながら、記憶の糸を辿っていく。

「平気?」

「アリサ、ちゃん……? ――っ!!」

 彼女以外、見覚えの無い景色……次第にクリアになる思考で、自分たちの身に起こった出来事をおぼろげながら把握しました。

「どうやら、誘拐されちゃったみたいね……」

「ゆう……かい……?」

 アリサちゃんはそう言って辺りを見回した。
 わたしもそれにならって周囲の様子を伺ってみる。
 とても最近使われた形跡のなさそうなこの部屋は、見渡してみると暗いながらも非常に広いことがわかる。
 よくわからない資材があちらこちらに散らばっていて、その中には学校で使うような椅子や机があった。

「廃校……かな」

「みたいね。確か、海鳴の端に昔使われてたっていう学校があったような……」

 アリサちゃんは考え込むような仕草でそう呟いた。
 それを座ったまま見上げるようにして言う。

「すごいね、アリサちゃん……こんな状況なのに、すごく落ち着いてて……」

「当然じゃない。……と言いたい所なんだけど、ほら」

 そう言って、右手をわたしの目の前に差し出してきた。
 一瞬どういうことかわからず首をかしげたけれど、その手は暗がりでもわかるほどに震えている。
 それを確認して、もう一度よく見れば、アリサちゃんは本当に小さくだけど、その腕から伝うように全身で恐怖を表していた。

「我ながら情けないわね。たかが誘拐されたぐらいでこんなに怯えちゃって……」

「たかがって……」

 たんたん、と床に座っているわたしの後ろへと歩いていく。
 その姿を眼で追って、わたしもその位置のまま後ろに振り向いた。

「ごめんね、すずか」

「え?」

 視線の先には頭を下げたアリサちゃんが。

「あたしと一緒にいたせいで、すずかまで巻き込んじゃって……謝って許してもらえるようなことじゃないけど……本当にごめんなさい」

 そう言って頭を上げたアリサちゃんの顔は俯いてよく見えないが、左の頬を涙が伝っているのがわかる。全身の震えもさっきより大きくなっている。

 そっか、ただ誘拐されたことだけが、怖かったんじゃないんだね……。

 立ち上がってアリサちゃんに近づくと、彼女はビクッとその身を竦ませた。

 わたしが恨み言でも言うと思っているのだろうか……。
 そっと腕を回して、アリサちゃんを抱きしめて言った。

「大丈夫、アリサちゃんのせいだなんて思ってないよ。……それに、アリサちゃんが一人で攫われなくて、本当によかった」

 アリサちゃんはわたしの言葉に反応するようにその身を震わせた。顔は見えないけれど、驚いたようにこちらに首を回しているのがわかる。

「頼りないかもしれないけど、傍にいないよりは……一緒のほうがずっといいと思う。だから、本当によかったと思ってるんだよ? それに――」


 思い起こすのは、お姉ちゃんの想い人。


「きっと、すぐに助けがくるよ。それまでは……わたしが、アリサちゃんを守るから」

「―――、とう」

 ぎゅう、と強く抱きしめ返してくるアリサちゃんが、耳元にもかかわらず聞き取れるか否かの声でそう言った。


 それからしばらくアリサちゃんが落ち着くのを待って、もう一度自分たちの状況の確認を始めました。
 幸い拘束はされていなかったので調べるのは自由でしたが、わかったことは自力での脱出は難しいということだけでした。
 この部屋唯一の金属製の扉は鍵がかかっていて、わたしの全力でも開けることは不可能だと思います。試そうとしたら、アリサちゃんに見張りの可能性を教えられて止められてしまいました。
 この空間は地下にあるのか、窓らしきものは見当たらず、やはり脱出はあの扉のみということになります。まぁそうでなければ手足くらい縛っていると思いますが。

 あと、何故か真新しいスーパーのチラシが一枚落ちていました。特売のモノに赤丸をつけてあるそれは、この雰囲気にはとても似つかわない物でした。



「…………」



 結局助けを待つしかない、という結論が出てしまい、気持ちが沈みかけた頃にその扉の鍵が外れる音が聞こえた。

 ――――彼が来てくれたのか。

 その淡い希望は、扉を開けた先にいた数人の黒服を着た男の人たちによって砕かれてしまった。


「おや、もうお目覚めでしたか。お嬢様」


 そして、その後ろから遅れて一人部屋に入ってきたスーツ姿の金髪の男の人。他の人たちと比べて線が細く、屈強といった印象は受けないけれど、彼がこの人たちのリーダーなんだと直感でわかる。
 この暗い部屋の中でもサングラスをしていて、その視線を読むことができない。

「アンタね誘拐犯のリーダーは! 一体何の目的でこんなことしたのよ!!」

 わたしを庇うように前に出たアリサちゃんが、金髪の男の人にむかって叫んだ。
 男の人は怯む様子もなく、むしろ一瞬物凄く見下したような表情でわたし達を見た後、こう聞き返した。

「ではお前に問おう。お前は自分にどんな価値があると思う?」

「価値って……」

 アリサちゃんの両親は日米にいくつもの関連会社を持っている大企業の経営者だ。身代金目的の誘拐なら十分以上に対象になりうるはず。

「今考えたので正解、無論金だ。お前はそのためにここにいる。お前にはそれだけの価値がある。それは誇っていいことだ。……だが、今回お前はただのおまけだ。たまたまひっついてきた餌だ」

「え……?」

 すっ、と男が片手の中指でサングラスの位置を正すのを見ていると、今度ははっきりとグラス越しに視線が交錯したのがわかった。
 はっきりと見たわけじゃないのに、背筋がぞっとするような感覚に襲われる。

 鼓動が早くなる。わたしの中のわたしじゃない部分が、警鐘を鳴らしている。


「ようこそ『夜の一族』にして月村家が現当主、月村忍の妹君……月村すずかさん」


 けれどそれは、わたしにとってあまりにも唐突。
 ぴしゃり、と冷水を浴びせかけられたかのように私の動きが凍る。
 それまでの、恐怖からくる震えとか激しい動悸からくる呼吸とか、そういう動き一切が、その一言で止まってしまった。

「夜の……一族?」

「なんだ、知らないのかアリサ・バニングス。調査資料には非常に親密な関係だと記載されていたが、いやはや……。ならば教えてやろう、そこにいらっしゃるお嬢様はな――」

「……っ、やめてぇっぇェェぇええええぇっっ!!!!」

 男の人の発したその単語を聞き返したアリサちゃんの反応に、とても面白い玩具を得たとばかりに男の人の口元が歪む。
 アリサちゃんにわたしの秘密を聞かれるのが怖くて、何も考えることなくほとんど反射的にわたしは男の人に飛び掛った。

「……ハッ」

「ぎっ! かはっ……あ、かっ……は……」

 『夜の一族』たる部分を全開にして突進したわたしを男の人は鼻で哂い、わたしの首を掴み上げることで易々と止めてしまった。
 男からひしひしと感じる、赤黒い嫌な気配。間違いなく、『裏』の世界の人間だ……。

「話の途中で掴みかかってくるとは、月村家では礼節を教えてはいないのかね? ……っ!?」

 わたしを掴みあげていた男の額めがけて飛んできた石のようなものが彼に直撃し、わたしを取り落とした。
 地面に両手両膝を着いてげほげほと咳き込むわたしの視界に、遅れて落ちてきた男のサングラスが入ってくる。

「え……!?」

「チッ……威勢のいい餌だ……」

 男がアリサちゃんの方を向いたので、彼女をかばうべく呼吸が整わないままその前に立つと、アリサちゃんが何に驚いたかすぐにわかった。

 サングラスのないその素顔、その眼。
 常人の白目の部分に相当するはずの部分が真っ赤に染まっており、その瞳の部分は白く濁ってしまっている。

「な……なによ、それ……なんなのよあんた!!」

 アリサちゃんが、理解できないものを見てしまったせいでほとんどパニックになりながら叫んだ。




「化物だよ。そちらのお嬢様と同じ、ね」




 それに対する返答で、さらっと……本当に一切の溜めも無く、男は最も忌避すべきわたしの秘密を暴いた。

「何言って――」

「と言っても私はそのお嬢様と違って出来損ないもいいところだがな。だからこそ、今ここに来てもらったのだが」

「だから! 何言ってんのって聞いてんのよ!!」

「……煩い餌だな。いった通りの意味だ……そら、お嬢様の様子を見れば私が嘘を言っていないことがわかるだろう?」

 その言葉を受けて、アリサちゃんが自身の体を抱く様にして震えているわたしを見てしまう。

 違う、って言いたい。
 そんなことない、って言いたい。

 なのに、知られたショックで震える唇は動いてくれない。
 恐怖でがたがたと震える身体は収まってくれない。

「嘘……でしょ……?」

「嘘ではない。そうでなければ我々が彼女をここに招待する理由がない」

「じゃああたしは……」

「言っただろう? ただのおまけだ。金が成る、という意味では優秀なおまけだがな」

 その言葉の意味するところ……つまり、巻き込んでしまったのはわたし。忌むべきわたしの血が、アリサちゃんを巻き込んでしまったということ……。


 わたしの……せいで……。


「あの風情のないロボットが傍にいると面倒なのでな。ことさらタイミングには注意を払わせてもらった」

 ぎゅっと、それまで自分の服を握り締めガチガチに固まっていた拳を、それまでとは違う力でもって握りこむ。
 沈んでいく心と相反して、ボッと燃えあがるようにわたしの中でひとつの意志が灯った。


「わたしを連れてきた目的は、なんですか……?」


 もう、わたしがするべきことはひとつしかない。
 何もかも手遅れだと言うのなら、怖がられたとしても、嫌われたとしても、アリサちゃんだけは……絶対に助けてみせる。
 わたしが化物だというのなら、それくらいの事は出来たっていいはずなんだ……!

「君自身にも用はあるが、捕らえた理由は別にある。君の御姉様をここにおびき寄せる、という重要な理由がな」

「あなた達の目的が……わたし達の『血』に関係してるなら……アリサちゃんは関係ないでしょう? 彼女を、解放してあげてください」

「すずか、何言って――」

「断る。なぜならその交渉に意味がないからだ」

「どういう、ことですか?」

 つかつかと落ちたサングラスの方に歩いていき、それを拾って掛けなおす金髪の男。
 その眼以外は常人となんら変わりがないため、そうしただけでがらりと雰囲気が変わる。

「化物と一言に言っても、我々と貴女方とは一線を画していてね。貴女方『夜の一族』は人類の突然変異型が定着した種族だが、我々はそうではない。ただ、起源は似た様なものだが」

 わたしは、『一族』のこと以外のこの世界の闇を知らない。
 お姉ちゃんなら何か知っているのかもしれないけど、わたしを“そういうもの”に関わらせまいとしていたことを知っているから、聞こうとも思わなかった。
 わたし達を中心に円を描くように歩く男からアリサちゃんをかばうようにして、わたしも移動する。

「我々はいわゆる『喰人鬼』……グールと呼ばれている存在でね。君たち『吸血鬼』の奴隷のような存在さ」

「吸血……鬼……」

 男の口から初めて出た『吸血鬼』という言葉。
 わたしという化物を的確に表現したその言葉。

 それをアリサちゃんが背後で反芻する。
 またボロボロに崩れ落ちそうになる心を、けれどアリサちゃんを助けるという強い願い一心で繋ぎ止めた。

「作り方は至って単純。人の死体の体内に『吸血鬼』の血を注入するだけ。それだけで人は化物になる」

「そんな……」

 話は聞いたことがない。
 そもそも『夜の一族』は厳密に言えば俗に言う吸血鬼とはまったく違うものだ。その持っている特徴から、そう表現するのが妥当なだけ。
 まるで、本物の吸血鬼が実在するような物言いに面食らった。

「我々『喰人鬼』は人間よりも遥かに強い体を手に入れられるが、その実態は非常に脆いものだ。太陽光を目で直接受けるだけで消滅するし、定期的に人の肉を食わなければその体を維持することも出来ん」

 わたし達『夜の一族』は確かに身体能力が高く、また人にはない能力を持っているけど、その体内で鉄分を生成しにくく、他の生物から血を摂取する必要があるだけで、日の光を浴びて消滅するようなことはない。

「その上『親』となる吸血鬼の支配力は凄まじく、抵抗の意を示すだけで消滅する。しかし、解放されるには『親』を倒しその身を喰らわねばならないときている」

 お手上げだ、と言った感じで男は肩をすくめて見せた。

「ところが、数年ほど前に私の『親』にあたる吸血鬼が人間に狩られてしまってな。無様に逃げ延びたものの、一緒に消滅するものだと思ったのだが、どうやら私は解放されたらしい。しかし、『親』を食らうことができなかったために『喰人鬼』のままとしてな」

 わたしもアリサちゃんも、黙って男の話を聞くことしか出来ない。
 恭也さんが来るまでの時間稼ぎがこれでできればいいのだけれど……。

「それ以来化物らしく人から隠れつつ人を襲い、夜から夜へ徘徊する様な生活……いや、死活とでも言うべきか? を送っていた折、非常に偶然なことに『夜の一族』なる吸血種モドキの肉にありつくことができたのだよ」

「え……?」

「素晴らしいことに、そいつを喰らってから人を喰らわねばならないスパンが長くなってな。そいつが持っていた情報を元に他の『夜の一族』を数人喰ったところ、自身が『吸血鬼』に近づいていることがわかったのだ……。その証拠に私が食らった人間を『喰人鬼』として作り変え、奴隷とすることもできるようになった」

 男は、何人も『一族』を喰った、と言った。
 それでは、ここにわたしを連れてきた目的は……。

「わたしを、食べるために……」

「そういうことだ。無論、君の御姉様もな。月村家が所有している情報には興味があるが、ガラクタの相手は面倒なのでな。それは私が完全に吸血鬼として目覚めてからにしよう。ついでに言えば、そこの人間もだ。最初は奴隷の餌にするつもりだったが、貴様を『喰人鬼』とすることにした。親を喰らわせ、それもまた『喰人鬼』にする。なに、金は何事にも入用なのでな」

 アリサちゃんをかばいつつ、少しずつ扉のほうへ後ずさりする。
 男が移動してくれて助かった。
 恭也さんが来るまで待つべきだとも思ったが、今の話が本当ならわたしはともかくアリサちゃんに人質としての価値は既になく、いつでも殺せるということだ。
 見張りがいることは百も承知だが、強行突破するしかない。

「さて、地獄廻りの片道切符代くらいは話してやったろう。死体でも形がわかれば人質にはなる。メインディッシュが来る前に下拵えをしておこうか」

 だっと、その言葉を聞き終える前にアリサちゃんの手を引いて扉に向かって翔けだした。


 この位置取りなら――




「おっと、どこへ行こうというのかね」




 一瞬。
 彼から視線を離して扉に駆け出したその瞬間には、男は扉に背もたれ、腕を組んで立っていた。

「そんな……」

 アリサちゃんの手を引っ張っていたとか、そんなことが関係ないくらい、身体能力に差があった。
 何が出来損ないだ……。わたしが言える言葉じゃないけれど、よっぽど化物じゃないか。

「これで諦めもついただろう。それでは、さら――」



 男の言葉を遮って、突然どかーん、という陳腐な爆音が広い部屋に響き渡った。
 驚きに眼を閉じるよりもむしろ見開いてしまったわたしは、わたしの目の前を男が扉ごと吹っ飛んでいくのを確かに見た。
 次いで、扉があった場所を見る。
 もくもくと煙が上がっているその場所から、黒い足が突き出ていた。


 彼が来てくれた……!


 その希望は、現れた上半身と声によってまたしても打ち砕かれた。

「消防署の方からきたぜーー!! ……ってな」

 その姿は、黒いフード付きのコートで全身真っ黒に見える人間だった。
 フードを被っており、その顔は不自然に洞のように暗くなっていて見ることが出来ない。
 その服装をどこかで見たことあるような気がするが、その声もまたどこかで聞いたことがあるような、男の人の声だった。

「さて、あらかた調べたから、後はこの部屋にBOSSがいそうな気がするんだが……」

 現れた男の人は何事か言いながらフードごと首をキョロキョロ回し、すぐ隣にいたわたし達を見て止まった。

「なんてこの場所に不釣合いな美少女達……え? まさかこの子らがBOSS? っていうかどっかで見たことあるような……」

 手を顎? フードの中に入れたら手も見えなくなってしまったからわからないけれど、当てて考えるような仕草を始める男の人。
 というか、これは独り言なのだろうか。

「ああ、座敷童子だ」

 と、状況についていけないわたし達がぽかーんとしてしまっている内に、また訳のわからないことを言い出したと思ったら、部屋の端の方で再び爆音が響いた。

「何者だ……貴様」

 扉ごと蹴り飛ばされた金髪の男が、その扉を吹き飛ばして立ち上がってきたのだ。
 破片だけでも重そうなこの金属製の扉を、金髪の人はともかく黒い男の人は一体どうやって……。

「あのさ、チラシ見なかった? スーパーのこういう……」

 だというのに黒い男の人はそれに目もくれず、わたし達にそんなことを聞いてくる。
 そういえばなんかチラシがあったような……。

「どうやって入り込んだか知らんが、この部屋の前にいた奴らはどうした」

「アレがないとマジ困るんだよ、知らない?」

「え、えと……確かこの部屋に……」

 完全に金髪の男を無視する男の人に、とりあえず知っていることを教えてあげようとしたら、わたしに向かっておそらく先ほどの扉の破片だと思われる瓦礫が物凄いスピードで飛んできた。

 目で追えるし、十分避けられるけれど、わたしが避ければアリサちゃんに……っ!!

「……ッ」

「っと危ない」

 反応速度ギリギリで飛んできたそれをダメージ覚悟で壁になろうとしたわたしの目の前で、黒い男の人が逆手でいとも簡単に掴み止めてしまった。

 とても、常人の出来る業ではない。
 
「女の子に向かってこんなもん投げつけるなんて、どうかしてるんじゃない? あんた」

「質問に答えろ」

 腕を交差したわたしの顔面スレスレで止まったその金属片を投げ捨てながら、ようやく黒い男の人が彼を見る。
 今のでサングラスがどこかに行ってしまったのか、彼の異常性を直接訴えるその両の目が剥き出しになっている。
 だというのに、黒い男の人はそれを見ても一切思うところがないかのように適当な視線を投げかけていた。

「見張りの連中はどうした」

「見張りと言わず、周辺の黒服は全員もうこの世にいらっしゃらねーよ」

「……下らない冗談だな。少しは腕が立つようだが、それで我々全員を相手にするなど――」

「全員殺して解して並べて揃えて、晒してやろうと思ったんだけど、最初の段階の途中で一人残らず灰になっちまってな。まぁ、最初からこの世になんかいなかったんだから、当然といえば当然だけど」

 死んで灰になる。
 それを聞いた金髪の男の表情が、途端に険しいものに変わった。

「そんで、お前が最後の一人ってこと。まぁ途中から警察沙汰じゃねーなってことに気づいてどうしようか迷ってたんだけど、結果オーライだな」

「反応がない……まさか、本当に……」

「だから誰もいねーって。で、ちょっと事情が飲み込めないんだけど、アレが親玉ってことでいいの?」

 行動、言葉共に端々からこの黒い男の人にも危険を感じるけれど、とりあえず大人しくそうだ、と答えておく。
 信用は出来ないけれど、あの金髪の人と比べればどちらに身を振るべきかぐらいは容易に判断できる。

「誘拐かなんかかね。リビングデッドに狙われて生きてるってことはそれだけの意味があるってことなんだけど……まぁいいか。だいたいわかるし」

 そう言って、もう一度金髪の男のほうに向き直る彼。

「チッ……どうやら本当に奴隷連中を始末したようだな」

「まぁね」

「不快だな。奴隷を滅した程度で私と戦えると思っているのか」

「楽勝だろうね」

 そう挑発するように答えながら、ジェスチャーでわたし達に離れているように指示する。
 逆らう理由もなく、また彼に金髪の男の注意が向いてくれるなら都合がいい。扉も壊してくれたことだし、見張りも誰もいないなら隙を見てアリサちゃんを連れ出せる。

「たかが人間ごときが、吸血鬼たる私の計画をよくもふいにしてくれたものだな。絶対に……絶対に許さんぞ」

「たかが蚊の親戚のくせに随分日本語が達者じゃないか。それに、吸血鬼だってんなら血の臭いをさせてくれよ。腐った死体の臭いが全然消えてないぜ」

 吸血鬼に向かって『蚊の親戚』……。
 この『血』はわたしにとって忌むべきものだけど、なんだかそう言われると非常に残念な気持ちになるのは何故なんだろう。

「キッ……き、貴様ァァアアぁぁぁアアぁぁあああ!!!!」 

「あら、怒っちゃった? どれが気に入らなかったんだろ。やだねー、下手に知的な下等生物は。キレ方にも品が無い」

「人間風情がぁぁぁぁあァァァああァアあ!!!!」

 ブチッ、という血管が切れる音が聞こえたかと思う程男の表情が怒りに歪み、黒い男の人に向かってわたしの目でも追えない程のスピードで突進してくる。

 そんな刹那の出来事なのに、次の黒い男の人の言葉は、はっきりとわたしの耳に届いた。




「人間を、なめんなよ」




 二人が音も無く交錯する。
 否、交錯したと思った。

 目の前には、今まで以上に理解しがたい光景が広がっていた。

 金髪の男が、常人ではありえないほど長く伸びて尖った爪を、黒い男の人に向かって突き出した、その格好。
 爪が届く紙一重で止まってしまっている、その格好。


 ……天井から、床から突き出した真っ黒な無数の槍によって、体から、腕から、足から突き刺され、空中に縫いとめられたその格好。


「か……は」

「まぁ、俺を人間と言っていいかは相当議論の余地があると思うけど。それでも俺は俺が人間だと思ってるんだよ、一応ね」

 刺さったままの槍がグネグネと曲がりだすと、金髪の男を縛るように巻き上げていき、やがて一本の柱のようになってしまった。
 わたしでさえ目から得た情報をうまく頭で処理できないこの状況を、後ろにいる本当に普通の女の子であるアリサちゃんはどう思っているのだろうか。

「BOSS部屋入るときはそれなりに準備してからが鉄則だな、やっぱ。微妙に眼で追えなかったぞ、今の」

 ふぅ、と一息ついてから、今度はこちらに向かってくるのを見て、体が跳ねるように竦む。
 これまでの彼の言動と合わせ、極めつけの今の異常な現象を目の当たりにして、彼をただただ味方だと判断することは怖くてできない。



 もし味方なのだとしても、怖いのだ。


 それでも、アリサちゃんの前に立ち、精一杯眼で威嚇する。

「しっかし、てっきり『やさしい世界』系だと思ってたんだけど、蓋を開ければこんなもんか……。君たち、大丈夫?」

「…………」

 腕を組んで何事かぶつぶつ言いながら近づいてきて、わたし達の前で止まり、そう訊ねる。
 わたし達が答えあぐねていると、また一人で話を進め始めた。

「うん、そりゃあ警戒するよね……。えっと……あ、そうだ。さっきチラシを知ってるって……――――ッ!?」


 そう言ってわたし達の前に立つ黒い男の人のさらに背後、上から彼に飛び掛るようにして、わたしがずっと待っていた剣士が、ようやく現れたのだった。



[10538] 第二十話 1日③ 吸血姫
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/11 16:50
 1.5月1日 夜

 黒い影が迫る。
 影の左側の腰元、暗がりに鋭く反射した光が、影の獲物が光物だと教えてくれた。

「ッ!?」

 響いたのは、闇を裂く様な甲高い金属音。

 一対の小太刀を左手は逆手、右手は順手に持って二刀で薙ぐようにしたその斬撃を右腕一本で受け止めたのだ。
 本来ならば確実に腕一本失うだろう……また、突然の襲撃者もそれを奪ったと思ったに違いない。

 異常事態。
 それが生み出す硬直は、コンマ数秒をさらに引き伸ばした世界で行われる戦闘において、死に直結しかねないほど大きな隙となる。

「しまっ――」

「やべ――」

 反射で振り上げた手加減無しの左足が、斬撃を防御されたまま空中にいる襲撃者のわき腹に突き刺さる。ろくに防御も出来ないまま、その蹴りをくの字に描くように受けたその影はごろごろと床を勢いよく転がっていった。

 まずい、まさか人間だとは思わなかった。
 リビングデッドの討ち漏らしかと思い、殺す気で攻撃してしまったのだ。込めた魔力こそギリギリ0まで霧散させたが、蹴りの威力までは殺せなかった。

 あー、やべ。今のは完璧に殺っちまったな……。自分から首を突っ込むならまだしも、うっかり抱え込む面倒事は勘弁してほしいんだけどなぁ……。

 そんなことを思いつつ、まだ息があることを割と真剣に祈りながら蹴り飛ばして転がっていったはずの方向を見やる。


「……え?」


 いない。


 そう知覚した刹那、背中を強烈に突き飛ばされるような、都合四発の衝撃が襲った。

「ぐおぉぉっ!?」

 今度は俺が無様に床を転がる。
 その先にはご丁寧に積み上げられた木机があり、どんがらがっしゃーんばりの盛大な音を立てて衝突し、ガラガラと崩れたそれの山の生き埋めになってしまった。
 思いのほか痛い。

「無事か、二人共」

「は、はい……」

「恭也さんまで……」

「遅れてすまない……。少し離れててくれ、まだ終わっていない」
 
 木机やら瓦礫やらの山の中から外の様子を伺っていると、座敷童子ちゃんと金髪ちゃんに襲撃者が何事か言っているのが聞こえた。短い話の内容を鑑みるに、どうやら彼女たちを助けに来たらしい。
 そこでようやく、襲撃者の全容を視界に収めた。

 アイツじゃん。
 シュークリーム屋さんで俺の後追っかけてきたり、温泉で無理やり卓球を迫ってきたりした、あのヤバイ奴だ。
 うわー……ヤバイヤバイとは思っていたけど、魔力以外は手を抜いてない俺の蹴りをモロに食らってピンピンしているレベルのヤバさかよ。
 さっきの蚊モドキよか強いんじゃね?

「どういうカラクリかは知らないが、大したダメージを受けてないのだろう? 出てこい」

「待って、恭也さん。あの人は……」

 二刀を構えてこちらに近づいてくるヤバイのを止めようとしてくれているのか、座敷童子ちゃんが声をかける。
 出来れば説得をお願いしたいのだが、これ以上彼らに関わってもロクなことが無さそうだったため、その間に逃亡を図るとする。
 巧い事木机の間を匍匐移動で抜け、彼らの視界に入らないようにそーっと瓦礫の山から抜け出た。

「待て、貴様にはまだ聞かねばならんことが……お前っ!?」

 という俺の目論見は完っ全にバレていた様で、抜け出た先にいつの間に移動したのか、未だ臨戦状態のヤバイのが待っていらっしゃった。
 そして、俺を見て何事か驚いているようで、急にその声を荒げるように威圧し始めた。

 今更そんな何か驚くようなことでも……と考えて、はたと気が付き青ざめる。
 さっきまでと違い、耳やら頭やらに当たる空気がダイレクト極まりない。

「あらー……」

「よもや貴様だったとはな。ちょうどいい……翠屋や山の宿に現れた件も含めて、さらに貴様を逃がすわけにはいかなくなったわけだ」

 匍匐中に机の足にでも引っかかってフードが取れてしまったようだ。
 この服で作って欲しいとお願いしたのは俺だったけど、この簡単に取れるフードはどうにかならんのかと。

「手応えが妙に無いのは気がかりだが……いくぞ!!」

 匍匐姿勢のままの俺を、掬い上げるように二刀が迫る。
 さすがに生身でこんなものを受けたらひとたまりもないので、天井まで跳ね上がるくらいの勢いで四足のまま跳ね上がり躱す。

「ハイぃ!?」

 跳び上がり、下を向いた時には既に男の姿はなく――。

「これなら、どうだ!!」

 ――空中にいる俺のさらに背後から聞こえてきた男の声と共に、再度強烈な衝撃が背中を襲い、そのまま虫のように勢いよく地面に叩きつけられた。
 決してどうでもいい訳ではないが、これ普通死ぬよね。殺す気なのか、コイツ。

「あがぁッ!!」

 びたーん、という音が非常にマッチするような格好で、受身もとれないまま歪な大の字を作る。
 むき出しだった顔がとてもすごく痛い。

「いってー……」

 そのまま寝ていたら追撃を食らいかねないので、鼻を押さえながらもさっと飛び起きる。
 俺が言うのもなんだけど、本当に人間なのかよ、あの動きで。

 ……まぁ、でもよく考えてみたらもっとヤバイ人間なんかいくらでも見てきた気もしないでもないけど。忘れたい。

「『徹』が効いていない……だと……?」

 めっちゃ効いてるっつの。鼻押さえているのが見えないのかコイツは……。

「あ、貴方は……」

 瓦礫の山からこっち側に俺が飛んできたからか、初めて俺の顔を見たのだろう座敷童子ちゃんが、思い出したように呟く。
 この暗い中、少し距離があるというのによくわかったものだ。やっぱりあの子はちょっと特別な子らしい。前に旅館で感じた妙な魔力は彼女のものだったわけか。

 っていうかこの状況で彼女と面識があるようなそぶりっていうのはまずいんじゃあ……。

「やはり、この件には貴様が関わっているんだな。翠屋に近づいたのはなのはが狙いか……?」

 そして急速に浮上する俺ロリコン疑惑。
 『この世界』での社会的地位なんて皆無な俺であるが、その汚名は甘んじて受けるには重過ぎる。

「あの子は可愛いとは思うが、さすがに子供過ぎるだろ。十年後に期待だな」

 嘘偽り無い、率直な気持ちだった。
 だからこそ、つるっと滑るように出てきてしまった。

「ほう……」

 失言だったと気づいた時には既に遅く、男から発せられる殺気が異常なほどに膨れ上がっていた。
 その纏った威圧感は、かつて翠屋で感じたそれとは一線を画す、より研ぎ澄まされたモノだ。

「どうやら貴様は、俺の可愛い妹をよく知っているらしいな……」

 すげぇな。
 放たれる殺気からさらに滲み出るシスターコンプレックス、もとい妹魂(シスコン)が眼で見えるような気さえする。
 こういう奴はたまにいるけど、どれも面白い人間なんだよなぁ。
 シスコンの兄貴に悪い奴はいないとは誰の言葉だったか。
 というか、なのはちゃんの兄貴なのか、コイツ。

 似てねー。

 とはいえ、だ。
 ここでこのままコイツにボコられるわけにもいかないので、俺もちょっとやる気を出すことにする。
 基本的に殺す気で向かってくる奴にはこちらも同じようにするつもりだけど、この場合はテキトーにしばき倒すだけで十分だろう。

 本当なら座敷童子ちゃん達にあの妹魂を説得して欲しいのだけれど、どうやら完全に俺のことを警戒してしまっているようで、最後に立っているのがあの妹魂でさえあればいいと思っている節が見受けられる。
 さすがにそれはないか……? まぁとにかくあんまり期待は出来ないだろう。


「最後に言い残すことはないか?」

 ジリ、と一歩近づきながら両腕を開いてそれぞれ小太刀握りこみ、掲げるようにして構えながら言う男。

「聞くことがあったんじゃないのかよ」

「貴様を討ち取った後、ゆっくりとその体に訊こう」

 今度は此方からだ。
 間合いを測る男の意識の外。右足に魔力を通し、振り上げる。

「そいつはお優しいこと……でッ!!」

 そのまま床を踏み抜くように、足を振り下ろした。
 それに呼応するように俺の足元から黒い槍……というより細く長い棘が針山のように無数に突き出していき、その先端が生き物のように蛇行しながら進んでいく。

「なっ!?」

 噴出すようにして出てくる黒い針山に一瞬驚いたものの対応は冷静で、何度かバックステップで距離と取るようにして躱し、上に飛ぶと同時にこちらに向かってどこからか取り出した正真正銘の針を数本飛ばしてくる。

「よっと……そォら!!」

 わざわざ当たるわけも無く、剥き出しの顔に向かって飛んできたそれを跳んで躱し、今度は天井を魔力を込めた右腕で殴り飛ばす。
 すると、今度は天井の殴った部分から床と同じように黒い針山が現れていき、うず高く積まれた不安定な瓦礫の山の上に着地したばかりの妹魂に襲い掛かった。

「チィッ!」

 針を飛ばして伸びきった腕を引くような仕草を見せると、構造的に有り得ない急な加速でもって前方に跳躍し、飛び上がっている俺のさらに後方に着地した。

 糸か……! さっき飛ばした針に巻きつけられているそれを手繰り寄せるようにして……って針、どんな刺さり方してんだよ……。

 背を向けたまま着地するのはあまりにも危険なので、天井から突き出ている針の一本に掴まり、そこを支点にその他の針山を蹴り薙ぐようにして妹魂に飛ばす。
 驚異的過ぎる反射神経と動体視力、運動能力でもってそれらすべてを二刀で叩き落とす様を見ながら、安全に着地した。



 ――その、つもりだった。



 視界に収めていたはずの男が掻き消え、次の瞬間には目の前で雷のような斬撃が俺の顔目掛けて振るわれていた。

「ッあ!!」

 左手による一撃目を、落ちる前に天井で折った黒い長針で止め、続く右手による二撃目をその針を犠牲にすることで躱した。
 が、俺を追い詰めるように周囲に生えている黒い針ごと切り裂きながら、その攻撃を休めることはしない。
 上、右、下、左、はたまた同時。
 間断なく放たれる斬撃や突きを紙一重で躱しながら、反撃の機を窺う。

「ぐっ……!?」

 しかし、虎視眈々とカウンターを狙っていたはずの俺の意識をすり抜けるようにして、とうとうわき腹に一太刀浴びてしまったらしい。
 らしい、というのは、当たるまでその一撃を放ったことすらわからなかったからだ。
 無論傷つくことなど有り得ないが、生じた衝撃までは消えず体勢がほんの少し揺らいだ、そのわずかな隙。
 気が付いた時には自分で出した針山を芯にするようにして、先ほど使っていた糸で腕と胴体を縛り上げられてしまった。

「ふぅ……よもやここまでやるとはな……黒い不可思議な術や、その妙な衣服だけではなく、体術まで反則級ときている。だが、ようやく捕らえたぞ」

 あ、くそ。
 抜けようとすると余計に食い込むぞ、これ。

「これで最後だ。何、命までは奪わん……行くぞ」

 ちょっとすぐには抜けられんな。しゃーない。



「すまん」



 ぼそっと呟きながらまたもや目にも留まらぬスピードでこちらに駆け出してきた妹魂の前の『空間』と床の上の『空間』を繋げる。
 以前フェイトちゃんにやったような生ぬるいものではなく、もう床と接地しているほどスレスレの場所が出口だ。

「――――ん? ぶゅっ」

 その超スピードのまま空中から床に突っ込んだ妹魂は、疑問の声を上げると同時に激しい音を伴って、跳ねるように俺の前の空間から飛び出し、仰向けに寝て動かなくなった。

 ……まぁあの頑丈さなら生きてんだろ、多分。

 あー、強かった。
 魔力どころか『空間連結』まで使ってやっと勝てるって人間としてどうなんだろう。
 これが『この世界』の基準だっていうなら俺ももうちょっとはっちゃけちゃっていいんじゃないだろうか。



「くはは。勝ちを確信したとき、そいつは既に敗北しているってな」



 地面にさっきの俺と同じ、歪な大の字を作って昏倒してる二枚目を哂う、針山に縛り付けられた俺。

 そういえば、さっきからあの女の子達の反応が無い。
 一応気にしながら戦っていたんだけど、途中からその余裕がなくなってしまい、今現在ちょっと焦っているわけで。
 多分巻き込んじゃったという線はなさそうだ。ってことはこの部屋から逃げたのかな。まぁ辺りのリビングデッドは全滅させたから、危険ってことはそう無いと思うんだけど。


 ――生きているのは、この部屋で縛り上げているその『親』だけだ。


 そこまで考えて、自分が何かとんでもないことをしてしまった可能性に思い至った。

 奴を縛り上げているこの部屋の中央付近を見る。
 嫌な予感が当たらないようにと願いながら、下からゆっくり見上げていく。
 天井と床から伸びた黒い針で作り上げた檻、その真ん中部分が、ざっぱりと斬られて中身がなくなっていた。

 思わず血の気が引いて顔が青くなる。




「あの妹魂、テキトー斬りやがって!!!!」




 完全に棚上げしつつ、拘束を魔力で犯し切り、部屋から飛び出てかすかに漂う腐臭を追う。

 蚊モドキは俺に穴だらけにされた上、妹魂に真っ二つにされた。
 それでもまだ生きていたとしたら、それは過度に力が足りてない状態だ。確実にその身を補おうとする。
 そんなときに餌、それも極上のものが転がっていたら――。

 それに、気がかりはもうひとつ。
 あの座敷童子ちゃんの妙な魔力でカモフラージュされていたけど……身に覚えのあるこの魔力の波動は……。





 2.同日 同時刻

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 一人分の荒い息遣い。
 アリサちゃんに手を引っ張られて、廃墟の中を走る。

 あの黒いコートの人は、確かにわたし達を助けてくれたのかもしれない。それでも、言葉で言い表せないような、たぶん恐怖によく似た感情から、恭也さんを止めきることが出来なかった。
 わたしなんかまるで意に介さないような本物の化物でさえ、傷ひとつ負わずに倒してのけたあの男の人。

 感謝より先に恐怖が立ってしまった。
 一度起き上がったその感情はわたしの心を塗りつぶし、恩を仇で返すような形になってしまったのかもしれない。
 彼の顔を見て、その不信はむしろ高まった。黒いコートの男の人は、あの時図書館で人外の力を発揮したわたしを見ていたあの人だったからだ。
 あの出来事が、今回の事件となんの関係もないとは言い切れないからだ。

 そして始まった、人間同士(と言っても、片方は自称だけれど)でありながら人外の戦い。
 アリサちゃんもわたしも、目にすら映らないそれを見ていることしか出来なかったが、突然アリサちゃんがわたしの手を引いて部屋の外に走り出したのだ。

「どっ、どうしたの!? アリサちゃん!」

「アイツが……アイツ、あんなになっても生きてた……っ」

 前を向いて走るアリサちゃんの表情は伺えないけれど、あまりに迫の篭るその言葉に不穏なものを感じ、手を引かれ走りながら後ろを見る。
 特におかしい物は見当たらな――

「――っ!?」

 心底ぞっとした。
 さっきまでいた部屋から、扉があった場所の足元のふちに手をかけるようにして、わたし達を誘拐した金髪の男がぬぅっと現れたのだ。

「ひっ……」

 それどころか、そのまま這いずるようにして出てきたあの男は、腰から下がなかった。ずるり、とその中身を引きずるようにしてゆっくりとこちらに向かってきているのだ。既にだいぶ距離を取ったけれど、わたしの眼ははっきりとその姿を捉えてしまった。
 あまりに衝撃的な光景に反して、一度は沈んだ目的を取り戻し思考がいくらか冷静になるのを感じた。

「アリサちゃんっ。きっとあの人の狙いはわたしだから……だから!」

 一人で逃げて。
 そう告げようとしたわたしの、繋いでいる右手がぎゅう、とさらに強く握りこまれた。
 まるで、離さないと強く訴えるように。

「うるさいっ!! 黙ってついてきなさい!!」

 本当なら無理やりにでも手を解くべきだったのかもしれない。
 けれど、繋いだ手から感じられる暖かさがそれを振り払うことを良しとしなかった。
 やがて、さっきよりも幾分か狭い、普通の教室だと思われる部屋にたどり着き、その中に二人で荒れる息を殺し、身を潜めた。

「どうして……わたしなんて置いて……ううん、今からでも遅くない。わたしが囮になるから、その隙にアリサちゃんだけでも――」

 わたしの言葉を遮るように、ぱぁん、と乾いた音が響く。

「もう一度言ったら、絶交するわよ」

 アリサちゃんは、まっすぐわたしの目を見て言った。

 その強い意志が籠められた瞳を見ながら、じんじんと熱を持つ左の頬を触る。
 痛い。

 そうして、言われた言葉の意味を、真っ白に……空っぽになった頭で、ゆっくりと咀嚼し始める。



 ――もう一度言ったら、絶交するわよ。



 それは。
 今まだ、友達でいてくれるというのだろうか。

「何呆けてんのよ。しっかりしなさい、すずか」

 まだ、名前を呼んでくれるというのだろうか。

「……あんたが何者か、なんて話は全部終わってからにしましょ。だから、それまではあたしがすずかを……守るから」

 瞬きもせず、口も半開きなまま、つぅーっと、涙がこぼれたのが自分でもわかった。
 何か言わなくちゃいけないと、必死に頭を働かそうとしたけれど、今の自分の心の、どんな気持ちも言葉になんかならなかった。

「泣かないの。あんたが怖がってることなんて、想像することしか出来ないけど……。きっと、すずかが考えてるような、悪いことになんてならないから……大丈夫」

 そう言って、わたしの体を抱きしめてくれる。
 化物だって、知られてしまったのに、抱きしめてくれる。
 アリサちゃんは……本当に――――






「みィー、つけタァ」






 天井から、声。
 跳ねるように二人で、上を仰ぎ見る。

「あ……ぁ……」

 金髪の男が、千切れた上半身から伸びた赤黒いなにかで、天井に根を張るようにして張り付いていた。
 男の腕が縦に裂け、捩り、鋭く尖らせるように変形させると、まるで待ちきれないという勢いでわたし達に、いや……わたしに向かって直上から飛びかかってくる。

 それはさっきまでの化け物染みた動きではなく、わたし基準でも決して速いわけではないそのスピードを前にして、わたしは動くことが出来なかった。
 単純な死への恐怖。アリサちゃんを守らなくてはという想い。今なら打倒できるのではないかという僅かな望み。
 それら一切が思考を急速に駆け抜け、それ故に足に絡み付いてしまったのだ。



 どん!



 そんなわたしの体が、横から強く突き飛ばされる。

 離れていく視線の先には、腕を突き出したアリサちゃんが。
 わたしをかばって、あの男の前に飛び出たのだ。



 ――あたしがすずかを……守るから――



 フラッシュバックのように頭の中に響く、その言葉。
 アリサちゃんは確かにそう言ってくれた。本当に嬉しかった。



 だけど。



 ――わたしが、アリサちゃんを守る――



 わたしだって、確かにそう誓ったんだ。
 なのに、この時間を引き延ばしたような世界で、わたしはアリサちゃんが殺されてしまうのを見ているしかないのか。

 他の誰でもなく、自分のせいで。






 ――そんなこと、絶対に許すものか。

 アリサちゃんはわたしの秘密を知っても、友達でいてくれたのに! 名前を呼んでくれたのに!
 そんなアリサちゃんを、わたしが裏切るわけにはいかないのに!!






 ポケットが青く、蒼く、輝く。






 『わたしは、どうなったって構わない!! こんな中途半端な力じゃない、アリサちゃんを助ける力が欲しい!!』






 3.同日 同時刻

「チッ……クソ、やっぱり!!」

 ジュエルシードの発動を感じる。それに、この威圧感は……。もともとこの廃墟にあったのか? それとも……。

 発動は……この部屋からか!!
 扉を開け放ち、中を見る。




「くはは……マジかよ……」


 目の前の光景に思わず力なく呟いてしまう。
 無傷の金髪ちゃんが腰を抜かしたのかへたり込んでいる横で、もう一人の女の子が崩壊寸前の蚊モドキの首を片手で抱えあげている。

「じゃあね、出来損ない」

 その手から魔力が迸る。
 たったそれだけで、蚊モドキは急激に空気が抜けるような音を立てて灰になっていった。

「貴方が来たということは、恭也さんは負けてしまったんですね」

 ぱらぱらと灰が舞う背中越しに聞かれる。
 特徴は、確かに座敷童子ちゃんと共通する。
 でも、何もかもが違うと言い切れる。

「わたしとアリサちゃんに手を出さない限りは、貴方にも手は出しません」

 くるり、とこちらに半身を向け、その小さな体に見合わない妖艶な微笑みで以って告げる。
 その顔を確認して、成る程これは厄介なことになったものだと一人肩を落とした。

「ありがたい話だけど、君をそのまま外に出すのは……ちょっとまずい気がするんだよね」

「あら……では、どうなさるんですか?」

「それは、君を捕まえた後に考えるよ」

「ふふ、出来るかしら」

 つい、と歩み寄った彼女の周囲で制御し切れていないのだろう魔力の渦が巻き起こった。漏れ出ただけの魔力量にうんざりさせられる。
 魔力の総量は人間のレベルで量っても無駄だろう。なのはちゃんすら可愛く見えるね、これ。

「ごめんなさいね……まだ慣れてなくて、手加減が上手くできないかもしれません」

「どうせなら、思いっきり手ェ抜いてくれて構わないよ」

「……面白い人。少しは怖がってくれても構わないんですよ」

 ぎょろり、と『紅い瞳』を見開いて俺を見る。
 ばさっ、とその背中から生えるようにして伸びている紅い魔力翼が左右に開く。

「生憎、俺は慣れてるからね」

 それにしても、座敷童子から吸血鬼……いや、吸血姫ってとこかな、鬼って感じじゃないし……とにかく、随分なレベルアップだこと。
 それに、慣れているといっても、『本物の吸血鬼』には一度だって勝てた試しがないんだが。

「どうしてこうなったんだか……」

 深いため息を一つ吐いて、まだまだ続くだろう長い夜を嘆いた。



[10538] 第二十一話 1日④ 石のもたらすもの
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/11 17:11
 1.5月1日 夜

「場所、変えたほうがいいんじゃない? そっちの金髪ちゃんを巻き込みたくはないでしょ」

 彼女から眼を離さないまま、金髪ちゃんの存在を示唆し、提案する。
 実際のところ、彼女を気にしながら戦うだけの自信が俺に無いだけの話だが。

「別に構いませんけど……その必要、あるんですか?」

「自信があるのは結構だけど、あんまり俺を舐めないほうがいいと思うよ」

 売り言葉に買い言葉な台詞に、ぴくん、と彼女の眉が吊り上ったのを見た。

「そうかしら」

 しかし、すぐにその矮躯に似合わぬ妖艶な微笑みをたたえ、言葉通りの意味で羽を伸ばす。
 教室の窓の外に広がる夜の闇に、彼女の眼と翼だけが紅く輝いてコントラストを描いていた。




 一瞬、魔力の流れに動きがあったのは感じた。俺は確かに、その姿から眼を離してなどいなかった。



「――だって、ほら」



 なのに、その次の声は俺の懐で聞こえた。

 首を下に向けるよりも速く、襲ったのは自分の腹が爆発したかのような筆舌に尽し難い衝撃。あまりに強烈なその衝撃に、体がはるか後方にライナーのごとく吹き飛ぶ。
 壁を破り、壁を破り、壁を破り、景色が前に流れてゆく。最後のコンクリートの壁を突き破って尚勢いは殺され切れず、廃校舎の外、空中に投げ出されてしまった。

「……く、おぉぉぉっ!!!!」

 周りの魔力素に自身の魔力を練りこみ、具象化させながらそれを手掛かりに宙に止まるべく手と足でブレーキをかける。空中ではありえない摩擦音が響き渡り、それでも数メートルを引きずってどうにか止まることに成功した。

「かはっ、ゴホ、はっ……く……うげ」

 次いで襲うのは、それほどまでに吹き飛ばされるような衝撃を一身に受けた身体の悲鳴。
 このコートの上からダメージを通すとか、もう化物どころの騒ぎじゃないんですが。
 通ったのは物理的なものよりむしろ魔力的なものか……同じ魔力パンチでも犬耳さんとは桁違いっていうことがよくわかる。

「ね、場所なんか変えるまでもなかったでしょう?」

 俺が空中に膝を着いているという状態の中、俺でぶち抜いた壁の穴のふちに、元・座敷童子ちゃんが座っていた。
 一体全体、どんなスピードしてんだか。最初の高速移動なんか、ほとんど二人いたように見えたぞ……。

「それにしても凄いんですね。本当は突き破る気で殴ったんですよ、今の」

「中々猟奇的なことを考えるお嬢さんだこと」

「――……効いて、ないんですか?」

「そんな馬鹿な、誰が見ても棺桶直行コースだったろう」

 宙に立ち上がり、片手を上げて肩を竦めてみせる。今ので終わりだと思っていたらしい彼女は、初めて驚いたような顔を見せた。
 戦闘続行不能なら空中に止まったりはしてないだろうに、随分力に舞い上がってやがるな……。
 まぁ俺は俺でとにかく挑発するしか方法がないというのは、なかなかに情けないが。

「……わかりました。なら、もう一発お見舞いしてあげます」

 彼女も立ち上がり、紅い魔力で出来た翼を広げる。
 肩甲骨辺りから生えているそれは、全翼が彼女の身長よりも長い、吸血鬼然とした翼だ。(余談だが、枝に宝石が何個かぶら下がっているような羽モドキなら、俺は諦めていた)

「……行きますよ」

「結構です」

 飛び立ち、俺に襲い掛かろうとする彼女の両足を、俺の『手元の空間』と彼女の『足元の空間』を繋いで魔力を通して強化した両腕で掴む。

「え? あ痛っ!」

 すると、その飛び上がったエネルギーを俺の腕を支点に逸らされ、疑問に思ったのもつかの間、廃校舎の壁にびたーん! と勢いよく激突した。……少しばかり勢いがつき過ぎたのか、若干めり込んでさえいる。

 女の子に攻撃を加えたことで少々テンションは下がったものの、そのある意味カリスマあふれる姿を見て思わず噴出し、挑発の意味を込めて過剰気味に囃し立てた。

 外道である。

「くっ……はっ、くははははははははははは。びたーん、て! びたーん、て! それに、あ痛って可愛すぎるだろ! くはは、なんて愉快なギャップだ。あと、その年で黒のフリフリなパンツはどうかと思うな……ぷふっ」

 外道である。

 俺の両手でぶら下がっているため、スカートの彼女はパンツ丸出しなのだ。吸血姫としてはそのチョイスはいいのかもしれないが、座敷童子的にはないな。
 彼女は慌てて俺の手を蹴り払い、宙に浮いて顔中真っ赤になりながら、鼻とスカートを押さえて涙目で俺を睨む。

「ん?」

 赤くなったのは、顔だけではないようで。
 彼女の前面、円を描くように、紅い小さな円が描かれていく。それらはすべて術式の読み取れない魔方陣で、12個の円で以て描かれた円の空白にさらに大きな円状魔方陣が出現した。
 それまではさほど篭められていなかった魔力が、中心の円が現れた途端有り得ないほどのスピードで、有り得ないほどの量が注ぎ込まれていく。

「ちょ、なんてクソ魔力だ……オイ、おいおい待て待て待て!!!!」

「こんっのぉ……消えちゃぇぇぇえええええええ!!!!!!!」

 彼女が魔方陣に向かって両手を突き出すと、周囲の円が時計回りに自転し、中心の円の周りをそれとは逆に公転し始め、さらに紅い輝きが強みを増していく。

 臨界、とも思える輝きを発した後、俺で計算して縦に10人は飲み込めるほどの極太魔力砲が放たれた。
 俺一人を消し去るのに一秒も照射すれば十分であるのに、十数秒近くその砲撃は維持される。こんなの撃つだけでもアホみたいな魔力がいるというのに、体内生成分だけでこれ程とは、だから吸血鬼は……。


「はぁ、はぁっ、はぁっ…………これなら……っ」


 とはいえ、さすがに今のは全体の何割かの魔力を一気に使ったようで、反動からか初めて肩で息をする様な仕草を見せた。
 その上魔力砲が地面をえぐったせいで発生した土煙で前が見えないのだろう、わざわざそんな『やってないフラグ』を立てんでもいいのに。

 別にフラグ関係なくやられちゃいないけど。

「……なんちゃって」

「なっ……」

 声を出し、魔力で土煙を吹き飛ばして存在を教えてやる。(一瞬ジョジョ立ちしてようかと考えたが、ポーズを取る前にやってしまった。)
 無論、あんなもんまともに喰らったらコートとか関係なく死ねるので、俺の『眼前の空間』と『背後の空間』を繋げることで、砲撃の空白地帯を作っただけなのだが。
 実際は超速で殴りかかられたほうがよっぽど厳しい。

「貴方は……何モノなんですか……?」

「言っただろ、人間だってな」

 在ってはならないモノを見てしまったかのように相当動揺しているらしい彼女から初めて視線をはずし、後ろを向いてその惨状を見やる。

 うわー……無いよ、何も。土も木も抉れとるがな。
 そうして視線を遠くにやっていると、無の先の空に気がついた。

「満月か。……なるほどね」

 道理で強いわけだ。
 見た感じ、彼女の強さはあのバカ魔力に依っている。あのアホみたいな身体能力はその魔力強化によるものだ。彼女自身の筋力とか、そういうものは多分変わっていないだろう。……図書館で見た限りではそれも常人とは少し外れているが。
 それでもってこのテの方々は日によったり時間によったりで引き出せる魔力が大幅に変わるから、討伐そのものはそんなに難しくはない。
 まぁ、そんな考察をしたところで今日が満月であることに変わりはないし、俺には月をぶっ壊す手段もないのでどうしようもないが。
 余談だが、射程38万キロの攻撃手段って頭おかしいだろ。





 
「嘘だっっっっっ!!!!」






 突然彼女が叫び、情けないことにちょっとビクつきながらそちらを見る。
 満月が出ているのは嘘じゃないぞ……もしかしたらちょっと欠けているのかもしれないけど。あ、もしかして壊す手段の有無? それこそ有り得ないですけど。


「あなたが、人間であるはずないじゃないですか!!」


 そっちかよ。しかも至極どうでもいいことだし。

「人間の貴方がそんなに強かったら、わたしは……わたしは!!」

 最後はほとんど悲鳴のように叫び、大きく翼を広げてから俺に向かって真っ直ぐ突っ込んでくる。その姿は速さもさることながら、夜闇も相まってやはり俺の眼には映らない。
 わかったのは、至近にて煌めく紅い閃光のみ。

 気がついたときには、彼女の腕が俺の腹を貫いていた。
 懐で見た彼女の表情は歪んでいて。それは、笑っているようにも泣いているようにも見えた。





「やっぱり、あんまり強いと人を貫く感触とかわかんないのかね。それとも舞い上がりすぎなのか」

「――え」

 彼女がその声に反応するよりも早く、左手で俺を貫く腕を掴み抑えて、もう片方の手で彼女の左の魔力翼を鷲掴みにする。

「チェックだ」

 その魔力翼に、俺自身の魔力を流し込んだ。




「う、あ……あああああぁぁっっっっ!!!?!?」




 掴んだ場所から染み込む様にして紅が黒に侵されていく。
 彼女はその翼よりもむしろ、胸を押さえるようにして自身を抱くように苦しみ、悶える。既にその体は、俺を刺し貫いたままになっている腕と、翼とを掴み上げられて支えられているだけになっており、飛ぶこともままならないようだ。

「え……ひぐぅっ……ぁ、ぁ、はんっ……あぁ、何、を……」

「君を殺さず無力化しようと思ったら、とにかくまずはこの夜を越えなくちゃならないからね」

 言いながら、彼女の腕を体から引き抜く。
 無論、そこに傷跡など無く、引き抜かれた彼女の腕には泥や木屑が付着していた。
 その先に伸びる紅い魔力爪でもって、俺が用意した木を刺し貫いたのだろう。

 つまり、彼女が突っ込んでくるずっと前から俺の前面の空間には『穴』を空けといたわけだ。出先はさっき後ろを見たときに確認した彼女の砲撃跡の縁の空間である。
 肉眼で視認しなければいけない条件さえなければと、毎度思う。

 ……にしても、状況は俺が思っていたより不味いらしい。

「君は多分、魔力炉……さっき胸を押さえてたから『この世界』で言うとリンカーコアなのかな、まぁとにかく心臓よりも今はそっちのほうが大事な器官になってるんだよ」

 掴み上げられていないほうの腕で胸を押さえながらいまだ苦しんでいる彼女に説明する。正直、聞こえているかどうかは俺も自信がないけれど。

「で、そこが侵入ってきてる俺の魔力……異物を押し流そうとしてるために、他に魔力が回らないんだよ。普通の魔力ならすぐに君に喰われて終わるんだろうけど、俺のそれはそうもいかないだろうね」

「あぁぁぁ……、は、んぁ……」

 言いつつ、最後の一手の準備を始める。
 さすがに彼女が痙攣し始めたんで、悠長に説明している時間がなくなってしまった。
 ついでに言えば、俺の魔力もである。さっきからずっとかなりの量を彼女の中に流し続けているため、そろそろ枯渇しそうな勢いだ。
 異質だけど、量はたいしたことない我が魔力。その異質な魔力に抗えているこの子の異常性はもはや特筆すべきことでもないが。
 吸血種マジ怖い。
 ……前に発動したジュエルシードだってこれで楽に抑えたんだけどな。

「ほんとはもっとゆっくり説明したいんだけど、お互い時間がないから続きはもっと殺伐としてない場所でやろうか」

 真っ黒になった彼女の翼から手を離し、周囲の魔力素と残りわずかな自身の魔力とを混ぜ合わせる。
 彼女はまだ顔を赤くしたまま呻いているが、侵入ってくる魔力がなくなったことですぐに活動を再開するだろう。
 無論、それまでに終わらせるが。

「それじゃあ、明日の日が昇るまで頭冷やしときなさい」

 腕を放し、落下していく彼女に右腕の魔力球の照準を合わせる。
 選択した術式は捕縛、例のマスクブラザーズが入っているのと同じモノだ。明日の朝までという条件付けで強化はされているが。

「チェックメイトっと」

 黒い魔力球を放つ。
 それは吸い込まれるように落下していく彼女に向かって――。





≪Divine buster.≫





 ――横合いから撃ち出されたピンク色の魔力の奔流に、吹き飛ばされてしまった。
 見れば、元・座敷童子ちゃんは地面スレスレに展開されたピンク色のネットで保護されている。

 衝撃の光景にかなり動揺しつつ、脱力しながら振り返る。




「君は、何回俺の邪魔をすれば気が済むのかな……なのはちゃん」




 この兄妹は、いっぺんどうにかしてしまった方がいいんじゃないのか。
 枯渇しかけの魔力でもって軽く眩暈を起こしながらも、その杖から蒸気を吐き出しこちらを睨む彼女を見やった。





 2.同日 同時刻

side Nanoha.T

「君は、何回俺の邪魔をすれば気が済むのかな……なのはちゃん」

 この人とこうして相対するのは何度目になるんだろう。
 でも、彼がこんなにも怖い顔をしているところは今まで見たことがない。いつでも飄々としていて、その余裕な態度を崩さない彼が、本当に怒っている。
 もしかしたら、わたしが大変なことをしてしまったんじゃないだろうか。そうとさえ思える表情。

 それでも。

「どうして……すずかちゃんを撃ったんですか」

 ジュエルシードの発動が報告されて、急いでブリッジに向かった先で見たモニターで、わたしは信じられないものを見た。
 例の男の人とすずかちゃんが戦っていたのだ。
 そして、その理由はおそらくすずかちゃんが発動させてしまったんだろうジュエルシード。
 すずかちゃんが、多くはないけれど魔力を持っているということは以前ユーノくんに聞いていたけれど、今のすずかちゃんから計測できる魔力値は、人間の限界を簡単に超えてしまっているらしい。
 本当はすぐにでも出て行って、ジュエルシードから解放してあげたいのだけれど、それはただの自殺行為だとリンディさんやクロノくんに止められてしまった。

 わたしはそのために……家族や大切な人たちを守るために、ここにいるのに。

 アースラの人たちが慌ただしく作戦を練っている中、すずかちゃんが彼に放った魔力砲撃を見て、艦内が凍った。
 誰も彼も……わたしもそのでたらめさに呆然としていたら、それ以上にありえない物が次いでモニターに映った。わたしの砲撃が水鉄砲とも思えるような魔力砲撃の直撃を受けた彼が、平然と立っているのだ。その姿には一切の綻びもない。
 今の砲撃を計測していた計器が数箇所壊れてしまったというエイミィさんの報告以外、誰も声を発しようとしない。

 アースラはあの男の人の異常性を知っている。
 管理局の人たちが初めて割って入ってきた時のことだけでも、その不気味さと手に余る感覚を理解するのは十分だったけれども、わたしとユーノくんがアースラに協力を申し出た後にそれまでの彼について知っていることを話すと、クルーの人たちの中でその得体の知れなさはさらに深まったようだった。
 クロノくんいわく、管理局のデータベースにもあの人に該当するような人はいなくて、結局それまで通り犯罪者として対応していくとか。
 リンディさんはそれとは別になんだか複雑な顔をしていたけれど……。

 とにかく、そんなアースラの人たちでさえ、この光景は受け入れがたいモノだったようだ。
 もう理解を飛び越えて何がなんだかよくわかっていないわたしだけが、きょろきょろと唖然とした皆の顔を見回している。

 ようやく皆が正気を取り戻したころ、今度はモニターから突然すずかちゃんが消えた。
 一瞬で男の人との距離を0にしたすずかちゃんのその右腕が、男の人のおなかに深々と突き刺さっていて、思わず吸い込むような悲鳴を上げてしまう。
 でも、クロノくんがすぐに様子がおかしいことを指摘した。突き出るほど刺さっているはずの腕が、見えない。
 それに気づいてすぐ、彼がすずかちゃんを捕まえて何かをしたと思ったら、すずかちゃんが急にひどく苦しみ始めた。
 それを見て、いてもたってもいられなくなったわたしを、クロノくんが行く手を塞いだ。
 けれど、モニターで彼が掌に魔力を集め始めたのを確認したわたしは、ユーノくんに無理を言って魔法で飛ばしてもらって、すずかちゃんに迫るその黒い魔力球を弾き飛ばすことに成功した。



 そして、今に至る。



「すずかちゃんがあんな風になってるのは、ジュエルシードのせいでしょ!? それを、あんな風に……」

「ああくそ……言いたいことは腐るほどあるが、今はそれどころじゃ……ユーノはいるか!?」

「わたしの質問に答えてくださいっ!」

「チッ……ダメだ、話にならん。こういうときに限ってセットじゃないのかよ……」

 お互い焦ってばかりで会話になっていないような気がする。
 でもこれだけはちゃんと問いただしておかないと……そう思っていると、わたしの真横にユーノくんが現れた。

「ユーノくん、大丈夫だったの!?」

「よく来たユーノ! とりあえずめっちゃ堅い結界を張ってくれ! 中から逃がさないことだけに特化したやつを頼む、対象の選択とかとっぱらっていいから!」

「え、え……え?」

「はよせぇやボケ!!!!」

「は、はい!」

 隣にいたわたしが息を飲むほどの気迫に圧されて、ユーノくんが結界の準備を始めてしまう。
 というか、どうして関西弁なんだろうか。





「あら、誰かと思ったら……なのはちゃんだぁ」





 そんな、聞きなれているはずの声が耳元で聞こえた。
 振り返ろうと思ったのに、どうしてか体が動かない。

「わたし、知らなかったなぁ。なのはちゃんが……こんなに美味しそうだなんて」

 この時わたしは、吐息が首筋にかかってくすぐったいな、なんて外れたことを考えていた。
 体だけじゃなくて、頭もなんだかくらくらする。

「だいぶ力使っちゃったから、お腹減ってるんだ。だから――っと、危ない」

 すぐ後ろで感じていた気配が大きく遠ざかるのがぼんやりとした頭でもわかった。
 その後、後ろの襟を引っ張られて、ぶら下げられている感覚。横で同じようにユーノくんがぶら下げられているのが見える。

「もう動けるのかよ。たいしたもんだね、ホント」

「ええ、非常に刺激的な体験でしたけど、どうにか治まりました。先程は取り乱して申し訳ありません。つきましては是非お礼をと思いまして……食事も邪魔されたことですし」

「是非ご遠慮したいね」

「ふふ……そう言わずに。なんだか随分毒が抜けてしまって、あなたも美味しそうな匂いがしますし」

「まいったなー……」

 あれ? わたしのまえでしゃべってるのは、ほんとうにすずかちゃんなのかなぁ……? あんなかお……みたことないや……。

「しっかりしろお前ら」

 ごちーん、と突然目の前に火花が散った。
 痛みで霧がかった頭が急速にクリアになっていく。

「いったーーぁぁいっ!!!」

「いぃぃぃ……ったぁ……っ!!」

 彼に襟首掴まれてぶら下げられたまま、二人して頭を押さえるわたしとユーノくん。

「え!? なんでわたしこっちに!?」

「あたたたた……きっと彼のいつもの転送だよ、なのは。あー……いたい……」

 後ろですずかちゃんの声がした辺りでなんだか頭がぼーっとしちゃって……。

「気をしっかり持て、下手に隙を見せればあの子の魔力に中てられんぞ。俺のと一緒で、ロクなアレじゃないから」

 言って、飛行魔法を確認してからわたし達を放してくれる黒いコートの男の人。
 状況は飲み込め切れないけれど、雰囲気で彼がわたし達を助けてくれたことはわかる。
 だから、そこから離れずにすずかちゃんの方に向き直って訊いた。

「すずかちゃん……だよね?」

「うん、月村すずかだよ。なのはちゃんが知ってるすずかとは、もう違うかもしれないけどね」

「え……?」

「そんな顔しないで、なのはちゃん。思わず引き裂きたくなるじゃない」

 そう言って、また見たことのない顔ですずかちゃんは笑った。
 眼が紅いとか、そういうことと関係なく、あんな顔をしているすずかちゃんを見たことがない。
 背筋に冷たいものが走るけれど、より困惑が先にたつ。

「きっと、ジュエルシードのせいだ。彼女とは別の何かが今の彼女を動かしてるんじゃないかな」

 ユーノくんが言う。
 わたしもそう思いたい。あんなのは、わたしの知っているすずかちゃんじゃない。





 でも、状況はわたしが思っていたより……いいや、想像さえ出来ないほど最悪の状況だったんだ。





「残念だが、アレは正真正銘彼女そのものだよ。裏側か、表かはわからないけど。……ほら」

 そう言って、彼は懐から取り出した手を開いて見せた。
 そこにあったのはわたし達が求める蒼い石、ジュエルシード。





「彼女をああした石の封印は、もう……終わってるんだよ」



[10538] 第二十二話 1日⑤ 1から始めるために
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/12 20:27
 1.5月1日 夜

「さっき彼女を捕まえたときに掠め取って、動きを封じるついでにね。結果は見ての通り」

「そんな……なん、で……?」

 俺の指先で鈍い光を放っているジュエルシードを、なのはちゃんが眼を見開いて呆然と見つめている。よほどのショックを受けたのか、その瞳にはいつもの力が感じられない。

 まぁ無理ないかもね。

「理由は色々考えられるけど、悠長に説明してる時間はないかな」

 言って、満月を背に浮かぶ彼女を見上げる。
 彼女もまた、紅い瞳で俺の手の中のジュエルシードを見ていた。

「……随分と手癖が悪いようですね」

「まぁそう言うなよ。こっちも必死だからさ、色々試さないと」

 言って宝石を懐……『倉庫』に戻す。
 さて、この事態を収束させる上で一番角が立たないであろう方法が頓挫してしまった今、次善策を考えなければならないわけで。

「やっぱりなのはちゃんに邪魔されたのが痛かったなぁ……」

「邪魔って……」

 俺の言葉が気に障ったのか、俯いていた顔を上げ非難の色を見せた。

「どんな理由があったって……すずかちゃんを、友達を傷つける様な……それどころか、死なせちゃう様なことは……絶対に見過ごせないです」

 いつ飛んでくるかもわからない元・座敷童子ちゃん――すずかちゃんという名前らしい――から眼を離すことが出来ないため、なのはちゃんの顔を見ることは出来ない。
 思い起こせば確かに先ほどのシーン。なのはちゃんの目には、俺が彼女の友達にとどめを刺そうとしている様に映ったのも仕方ないのかもしれない。

 けれど。

「結果からだけ言えば、なのはちゃんがやったことはね。最悪の可能性……彼女を殺してでも止めるって選択肢の優先度を上げただけなんだよ」

「え……?」

「今現在をして、俺が彼女を殺そうという意思はない。けれど、彼女をそのままにしておくのは危険すぎる。なら、まずは無力化するしかないでしょ」

「でも……あの魔力弾は……」

「前も言ったけど、捕獲用だよ」


 まぁ、前は嘘だったけど。


「それじゃあ……わたしは……」

「あの状況を作るのに、俺はかなりの魔力を使っちまった。もう一度同じことは出来ないし、あの子もかかりゃしないだろう。……最悪の可能性が、グッと高まったわけだ」

 一応、考えている手はある。
 最善策がそのまま最も善い作戦だったのに比べて、こっちは賭けの部分が多い上に、俺以外の犠牲者が出る可能性が出てきやがる。

「ふふ……『最悪の可能性』? わたしをここで殺してしまうことが? ……おかしなことを言うんですね。『最悪の可能性』っていうのは、貴方たちみんながバラバラの肉塊に変えられちゃうことじゃないかしら」

「すずか、ちゃん……」

 今までにやにやと憎たらしい表情でこちらを眺めていたすずかちゃんが、端正な顔で随分と猟奇的なことを言う。
 なのはちゃんは、その内容如何よりもそんな言葉が彼女の口から出てきたということにショックを受けているようだった。

「んー、多分それはないから大丈夫だよ。君では絶対に俺に勝てないからね」

「……まだそんな減らず口を」

 いい加減俺の挑発を受け流せなくなってきたのだろうか、口調とは裏腹に最初の頃のような余裕が感じられない。
 その証拠に、今までほんの一瞬だった準備動作――彼女の中で魔力が練られるのがはっきりとわかる。

 焦りが、出ている。


 彼女の羽がピン、と伸びた次の瞬間には、それまでどおり彼女の姿は揺らめく残像を残すようにして掻き消えた。



 でも、やっぱり――。



 ガッ、という鈍い音。

「なっ……」

「ほら、な」

 先ほどと同じ轍を踏まないようにか、まっすぐ突っ込まずに真横から俺の首を狙って突き出された紅い魔力爪を、俺は紙一重で手首から掴み取る。
 まさか真っ向から反応されるなどとは思っていなかった彼女は激しく動揺し、次にすべき対応を行動に移せない。

 止められたからって、止まるべきではないのだ。

「なんで……っ」

「君の力は魔力に依り過ぎてるんだよ。動けるようになったからって、さっきまでと同じように戦えるとは思わないほうがいい」

 まだその体には俺の魔力が毒のように回っている。
 直感的に魔力を練り上げて強化していたそのパワーやスピードは、その働きを阻害されて今は半分以下にまで落ち込んでいるはずだ。

 そして何より、彼女にはその圧倒的なスペックと比べ、あまりに経験がたりないのだ。その対処も、戦い方も、何もかも知らない。まぁ、こんな風に戦うのは生まれて初めてだろうから、それも当然ではあるのだが。

 とはいえ、半分以下のスピードでも俺の反応ギリギリであって、またもう一度彼女の活動を封じる手段は俺にはない。

 でも、これなら――。

「ほらよっ!! っと」

「きゃ――」

 目の前に開けた『穴』の中に掴んだ腕を振り回して彼女を投げ込んだ。出先は彼女が抉った魔力砲跡の土壌。悲鳴ごと姿が空中で途切れ、遠くの土の上に頭からダイブしている。

「え……すずかちゃんは……?」

「大丈夫、すぐに切れて襲ってくるさ。……それよりも、なのはちゃん」

 展開についていけてないのであろうなのはちゃんが、唐突に名前を呼ばれてこちらを向く。
 わたしいっぱいいっぱいで色々考えてるけど何も考えられませんという表情をこれでもかというほど前面に押し出している彼女を見て、一抹の不安を覚えるも他に方法も無い。

「君は、あの子を助けたいか?」

「え……?」

「どうなんだ?」

「…………助けたい、です」

「俺だけの手札だったら、もう俺は彼女を殺すことでしか止められない。だけど、協力してくれるなら殺さずに済むかもしれない」

 俺の視線に、彼女の望む指向性を与えられたなのはちゃんもまた定まりつつある視線を向けてくる。
 失礼な話、あんまりモノを考えるのが得意そうには見えないんだから、感じるままにやったらいいのに……それはそれでダメか。

「そのために、すずかちゃんと戦えるかい?」

「なっ……、ダメだよなのは! 彼女と戦うなんて無謀すぎる!」

 なのはちゃんの隣にいるユーノが叫ぶ。あまりにも気にしていなかったせいか、ここにいたのを完全に忘れていた。
 確かに、今までのすずかちゃんの人外っぷりを見ていたら、戦おうなんて気はさらさら起きないだろう。

「……できます」

「なのは!?」

「傷つけるのはご法度……ダメなんじゃなかったかい?」

 瞳を閉じて杖に額を押し付け、俯きながら呟くなのはちゃん。その姿はまるで祈りのようにも見える。

「……もし、あなたの言ったことが本当なら……わたしが、すずかちゃんを助けるのを邪魔しちゃったのなら」


 顔を上げ開いた彼女のその眼に、抜けていた力が、燃えるような意志が宿る。


「わたしには、責任があるから」


 気のせいかもしれないけれど、その姿にほんの僅か目を見張るような何かを感じる。


 これなら、いけるかもしれない。

「…………よし。なら、少しの間だけ二人で彼女の足止めをしてほしい。その間に、俺が彼女を止める準備をする」

「そんな無茶な――」

「わかりました」

「――え!?」

「頼む。だいぶ時間食ったから俺はもう行くぞ」

「待ってください!!」

 校舎に向かって飛ぼうとした俺を、ユーノが大声で止める。

「僕たちだけで彼女と戦えなんて、ムチャクチャ言いすぎだよ!! 下手したら、いや、しなくても死んじゃうようなことをなのはにやらせるなんて――」

「ユーノ、結界はさっきの注文通りに出来てるな?」

「そんなことは――」

「出来ているのか?」

「……さっき途中で止められちゃったから、最初から構築しなおしだよ」

 無理やり威圧してそれだけを聞く。
 ここから逃がさない、という意味ではなのはちゃん達が足止めになってくれればそれは果たされるとはいえ、結界があって越したことはない。
 この中にいれば、最悪の手段とはいえ止めることはできるのだから。

「よし。すぐ戻る……それまでお前が守ってやれ、男だろ」

 渋々といった風に頷くユーノを見て、今度こそ校舎に向かおうとした俺の背後から声がかかった。


「あら、逃げるんですか?」


 ぱんぱん、と服や髪についた土を払いながら、すずかちゃんが戻ってきていた。
 金髪ちゃんも同じ服を着ていたところから見るに、学校か何かの制服だろうその服はところどころほつれていたり、土まみれだったり、羽のせいで背中に穴が空いていたりで非常に残念なことになっている。

「もともと可愛かったけど、いっそう可愛くなったね」

「……ええ、おかげさまで」

 サイドの髪をかき上げながら、顔は笑っているけれど、確実に怒っていることが伝わるような笑顔で言う。
 これならもしなのはちゃん達がやられても、俺を仕留めるまではどこか遠くに行くことはないだろう。

「そろそろお互い疲れただろ、ちょっと休憩入れようと思ってね」

「ご心配には及びません……まだお礼が済んでいませんし」

「君がやる気でも俺は限界だからさ、これで失礼させてもらうよ」

 言って、わかりやすく上に飛び去ろうとする。

「逃がすわけが――、……――っ!!」

 俺と、追ってこようとする彼女との間に、横から飛んできたピンク色の柱が突き抜けていく。
 突然現れたその魔力砲に彼女の動きが止まり、なおかつ視界が覆われた瞬間に、空間に開けた『穴』ではるか下方の校舎の入り口付近に『跳ん』で、すぐさま校舎の中に飛び込んだ。

 すずかちゃんの相手をあの二人に任せるのはかなり厳しい綱渡りだが、この状況を打開できるかもしれない『鍵』の場所を知っているのは俺だけだ。
 なのはちゃん達に探させるよりも、よっぽど早く見つけられるはず。





 すずかちゃんと一緒にいた、もう一人の女の子を。





 2.同日 同時刻

side Nanoha.T

「なのはちゃんもいたんだったね……」

 すずかちゃんはわたしの砲撃が終わって周囲を見回し、あの男の人が見当たらないのを確認した後、大きくため息を吐いてから初めてわたしの方を見やった。

「あれ? そういえば、どうしてなのはちゃんがこんなところにいるのかな?」

 言って、いつもと違うその赤い瞳がすぅーっと細まる。
 なんだかわたしの内側まで見られているような気がして、身体が竦んでしまう。

「へぇ……なのはちゃんも『特別』みたいだね。すごく美味しそうな匂いがするのと、何か関係があるのかな?」

 今度は顔を赤らめてうっとりとした表情になる。
 熱っぽい頬に片手のひらを当てて、わたしを見る。その眼はとてもじゃないけど、友達を見るようなものとは思えなかった。

「すずかちゃんは……どうして……」

「わたしはね、なのはちゃん。もともと普通の人じゃなかったんだよ」

「え……?」

「吸血鬼っていうのが一番近いかな。とにかくそういう化物の一種なんだ」

 足を組んで、まるで空中に腰掛けるようにして浮いているすずかちゃんのその姿は、紅い眼と紅い翼、背後にある満月と相まって『吸血鬼』という存在を強く示していた。
 そんなの有り得ない、という言葉がわたしの口から出てきてくれないくらいには、信じさせて余りある鮮烈な光景。

「でも、すずかちゃんは今まで――」

「ずーっと知られないように隠して生きてきたから。なのはちゃんにも、アリサちゃんにも。なのはちゃんの周りの人で、知っているのは恭也さんくらいじゃないかな」

「お兄ちゃん、が……?」

 思ってもみない名前が出てきて、思わず聞き返してしまう。どうしてかそれが、わたしの中の迷いに対する答えに繋がるような気がして。

「お姉ちゃんもわたしと同じだから。恭也さんは全部知っててお姉ちゃんと一緒にいることを選んだみたいだね」


 わたしは、何にも知らなかった。


「『一族』の中でもわたし達姉妹は『血』の濃い方だったけれど、今のわたしの力なら『一族』はもちろん、この世界にあるどんなものだって問題にならない。もう何かに脅えなくったっていい。壊したいものを壊せて、守りたいものを守れる、そんな力が手に入ったんだ」


 知らないまま、友達になったつもりだった。


「わたしにとって、なのはちゃんはどっちになるのかな? なのはちゃんはお友達だから、特別に選ばせてあげる。ね、あの人はどこに行ったのかな?」

 その顔は、やっぱりわたしの見たことがないすずかちゃんで……とても、とても楽しそうに笑っていた。


 でもそれもきっと――すずかちゃんなんだ。


「わたしは、すずかちゃんのこと……何にも知らなかったんだなぁ」

「…………」

 苦笑い。いや、今自分が笑えているのかすら本当はわからないけれど、そんな顔ですずかちゃんを見上げると、彼女のその笑顔がすっと引いた。

「本当のこと言うとね。ジュエルシードの封印が終わってるって聞いたとき……すずかちゃんを元に戻す方法がないって聞いたとき、すごく怖かったんだ」

 さぁっと、横から吹いてきた風がわたしとすずかちゃんの髪をなびかせる。
 空で、月を背に宙に腰掛ける彼女を見上げながら、わたしは手を胸に当て続ける。

「もう一緒に学校いけないのかな、とか。すずかちゃん家のネコさんに会えなくなっちゃうのかな、とか。もう友達として傍にいられなくなっちゃうのかな、とか。そんな風に理由をつけたりしてたけど、本当は違ったんだ」

 そんなわたしを、すずかちゃんは無表情で見下ろしている。

「わたしは単純に、変わっちゃったすずかちゃんがすごく、すごく怖かっただけなんだ」

「…………」

 さっきまでの怖がってただけのわたしなら絶対に気づかなかっただろう変化。すずかちゃんのその顔は無表情のままだけど、今のわたしの言葉を聞いたすずかちゃんの心は。


 ……きっと、泣いている。


「でも、今は違うよ」

 ――知られないように隠して生きてきたから――

 ――もう何かに脅えなくったっていい――

 すずかちゃんは、わたし達にそんな風に思われるのが本当に嫌で、ずっと苦しんできたんだ。

「違う? 嘘、怖いでしょう? わたしが……化物が」

「化物だって、かまわないよ。友達だもん」

 すずかちゃんの身体の中で、魔力が暴れだすのがわかる。外にもれ出た魔力の圧だけで身体が後ろに流されそうになる。
 本当に、ものすごい量。

「いい……もういいよ、なのはちゃん。あなたを壊して、それからゆっくりあの人を探すわ」

 宙に立ち上がって、真っ赤な羽根を広げるすずかちゃん。月を割るその姿は完全に逆光となって、表情を窺い知る事が出来ない。


 ――恭也さんは全部知っててお姉ちゃんと一緒にいることを選んだみたいだね――


 お兄ちゃんはやっぱり凄いな……。
 でも……こればっかりは、わたしも負けるわけにはいかないんだ。


 知らなかったからもう友達じゃないなんて、そんなの嘘だ。
 友達なら、全部知ってるなんてことだって有り得ない。

 わたしの中で、すずかちゃんと戦う理由が、余りにも大切な理由が出来上がる。
 今までとはまるで違う感覚……戦う意志が、はっきりと燃え上がる。


「すずかちゃん……わたしは何も知らなかったけど、だったらもう一度最初から始めようと思うんだ」


 わたしも魔力を集中させる。
 念話で、ユーノくんとの最終確認もとった。

「もう一度……1から友達を始めよう、すずかちゃん!!」

「……っ」

 ふっ、とその姿がわたしの目に映らなくなる。
 消える寸前、たまたま光の加減で映ったその表情は、今にも泣いてしまいそうな顔をした、わたしの知っているすずかちゃんのものだった。


 紅い閃光。


 わたしの眼には見えない。
 わたしの感覚では反応できない。



 ……でも!



≪protection.≫

「えっ!?」



 わたしには、心強い相棒がいるんだ!

 突き出されたすずかちゃんの左手が、レイジングハートがオートで張った障壁に止められ、その姿を空中に縫い止める。

「こんな……ものっ!」

 レイジングハートに回した魔力のほとんどは、すずかちゃんの超ハイスピードに反応するために使ってしまった。
 わたしの真後ろで張られたそのオートガードは、すずかちゃんにとっては薄い膜のようなものでしかなく、受け止めたように見えた左手を彼女が薙ぐように外側に振ると、ガラスが割れるような音を立てて砕け散った。

「これでっ!!」

 間髪いれず、鋭く尖った魔力爪を伸ばした右手がわたしに向かって突き出される。
 それを避ける術は、わたしとレイジングハートにはない。




 ――――わたし達だけ、なら。




 バチィッっという音を立てて、わたしの目の前で再びすずかちゃんの腕が阻まれた。

「なっ――」

 わたしとすずかちゃんの間に張られた、緑色の防御魔方陣。
 遠隔発生とはいえ、結界を張り終えてからずっと、ユーノくんがこの瞬間のためだけに練り上げた、特製のラウンドシールド。

「ぐ、ぅうぅうううううっぅぅぅッ」

 それさえもピシピシとひび割れ始めている。
 今この瞬間にも眼下の森の中からユーノくんが魔力を込めているのに……すずかちゃんのパワーには脱帽するしかない。
 でも、この瞬間のために魔力を練り上げていたのは、ユーノくんだけじゃない。

「レイジングハート!」

≪Shooting mode.Set up.≫

 最初のオートガードの確実性をあげるために汎用性の高いデバイスモードにしていたレイジングハートを組み替え、その穂先をシールドと拮抗しているすずかちゃんの眼前に構える。
 危険を察知したのか、腕を引き抜こうとするすずかちゃん。しかしそれまで強固なシールドだった緑色の魔力が、突きたてられたすずかちゃんの腕に絡みついていき、やがてバインドに組み変わることでそれを阻止した。



「いくよ、すずかちゃん! もう一度、1から始めるために――」

≪Divine――≫



 ユーノくんが稼いでくれた時間をフルに使って、体の外に出せる限界めいっぱいまで魔力を引き出し、くみ上げた魔力を、想いを乗せて、術式に流し込む。



「バスターーーーぁぁあああ!!!!」


 
 撃ち出された桜色の魔力の奔流が、空と月を切り裂いていった。



[10538] 第二十三話 1日⑥ 紅い桜
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/07/12 20:47
 1.5月1日 夜

side Nanoha.T

「はぁっ……はぁっ……」

 桜色の粒子が、夜空に橋を掛けるように漂っている。
 わたしが出来る渾身の一撃、その砲撃で使った魔力の残り滓だ。
 
「はぁっ、くぅ……っぁ――」

 肩で息をするように上下していた胸が突然軋んで、まるで刺されるような痛みを持ち始めた。
 一瞬で気が遠くなりそうなその激痛に、飛行魔法の制御が乱れ、ふらっと倒れるようにして背中から地上に落下してしまう。

「なのはっ!!」

 朦朧とした意識の中でユーノくんの声が聞こえるのに少し遅れて、身体の落下が止まるのを感じた。
 痛みに胸を押さえながら横を向くと、自分が緑色の魔力で出来たネットの上にいることがわかった。それが、思ったよりも地面スレスレでさっと青ざめる。

「大丈夫っ?」

 ガサガサと音がした方に首を回すと、茂みの中からフェレット姿のユーノくんが現れて、わたしの所まで走ってくると光を伴って人型に戻った。

「どこか痛むの……?」

「ううん、平気……ぁっ」

「胸……? リンカーコアかな……。無茶しすぎだよ、なのは」

 言って、寝ているわたしの胸の辺りにユーノくんが手をかざすと、暖かい魔力が流れ込んできた。痛みがすぅっと引いていくのを感じる。

「ありがとう、ユーノくん」

「僕には……これくらいしかできないから」

「そんなことないよ。さっきの作戦だってユーノくんがいなきゃ出来なかったし……」

「僕はなのはの作戦通りにやっただけだよ。やっぱりなのはは凄いや」

「それでも、わたし達だけじゃすずかちゃんを止められなかったから……。……っ!! すずかちゃんは!?」

 自分でこぼしたその名前に、ぼやけてた頭が一気にクリアになってネットから飛び起き、辺りを見回す。

「いくら彼女が規格外でも、あの砲撃をあんな距離で喰らえばひとたまりもないはずだよ」

「それならわたしみたいに下に落ちちゃってるかもしれないっ……。どうしよう、怪我とかしてたら……早く探さないと!






 ――――――えっ?」






 だっと、すずかちゃんが落ちてしまったかもしれない方向へ駆け出そうとした、その時だった。
 魔力の発動を感じるのと同時……もしかしたらそれよりも早く、細く紅い閃光がわたしのすぐ真横を通り抜けていった。それは、辺りが暗くなかったら気がつくことすら出来なかったかもしれない程の速さで。

 掠めた腕の辺りがチリチリと熱い。
 そんな感想が、何より最初だった。




「え……? あ、ぐ……ぁぁ、ぐううぅぅぅ……ぁぁぁぁあああああああっ!!!!」




 それでも何が起こったのかまったくわからずに呆然としていると、わたしの後ろで突然ユーノくんが苦しみ、叫びだした。
 それがユーノくんの発してる声だとは思えないぐらい、聞いているわたしの心が削られてしまいそうな、声。
 跳ねるように反射で振り向くと、ユーノくんは右の肩を手で抑えて蹲っていて、その手からは赤い何かがとめどなく溢れている。

「ユ、ユーノくんっ!! ひっ……」

 そばに駆け寄って声をかける。
 そこまで近づいてようやく、地面までしたたるその赤い何かが血であるとわかった。
 吸い込むような悲鳴を上げて、思わず体が引いてしまう。けれど、すぐに首をぶんぶんと左右に振ってユーノくんの横に膝を着いて座った。

「ユーノくんっ、ユーノくん! 大丈夫!?」

「僕は、あぐっ……平気だから……、彼女を……っ」

 言いながら自分に回復魔法をかけ始めるユーノくん。物凄い汗をかいていて、時折その術式が乱れるのが見てわかる。きっとわたしが想像も出来ないほど痛いんだと思う。
 でも、彼女って……――



「さっきのちょっと硬い壁はそっちの男の子がやったんだね。……なのはちゃんの他にもう一人いたの、忘れてたなぁ。もともと興味もなかったけれど」

 そんな声が、かかる。
 わたし達から距離をとった後方、さっきわたしがすずかちゃんを探しに行こうと駆け出した先の藪の向こう側から。

「さっきのはちょっと痛かったよ、なのはちゃん」

 その言葉とともに、魔力が風のように噴き付けられる。顔を腕で庇いながら振り返った先、藪が紅い魔力に焼かれるようにしてできた道を、すずかちゃんがゆっくり歩いてこちらに近づいてくる。
 わたしは咄嗟にユーノくんの前に立ってレイジングハートを構えたけれど、さっきのようになんの準備もしてなければ、ユーノくんの援護もない。


 とても、戦いになるとは思えない。


「……すごいね、すずかちゃん。わたしの全力でもちょっと痛いで済んじゃうんだ」

「ふふ、ありがとう。でもわたしだったからよかったけど、きっと、友達になりたいからって向けるようなものじゃないよね」

 ほんの数メートルの距離まで詰めて、すずかちゃんは立ち止まった。
 その身体から感じられる魔力は間違いなく減っている。さっきの砲撃だって、決して効いていないわけじゃない。たった一発当てるのに多くの準備が必要だったけれど、効いているなら諦めるわけにはいかない。
 あれだけの啖呵を切ったんだ。簡単に諦めるなんて、できっこない。

 再び体の中で魔力を練り始めると、すずかちゃんが驚いたように眼を見開く。

「さっきのでダメだったのに、まだやるの?」

「当然だよ、諦める理由がないもん。……それに、わたし怒ってるんだよ? すずかちゃんが傷つけたユーノくんだって、わたしの大切なお友達なんだからっ」

≪Divine shooter≫

 形成した魔力弾は5発。その内3発を方々に撃ち出した。

「……はぁ」

「……っ」

 飛び出したそれらを一つたりとも目で追うことなく、またその場から動く素振りも見せずに眼を閉じて溜息を吐くすずかちゃんを見て、一瞬制御が乱れそうになったけれど、無理やり立て直して集中する。

「シューーーート!!」

 掛け声とともに、すずかちゃんを囲むようにして飛んでいた魔力弾をそれぞれ違う方向から襲い掛からせた。
 けれど、すずかちゃんが閉じていた眼を開くと同時、全身から立ち上るようにあふれ出した紅い魔力が、まるでバリアのような役割をして、数秒の拮抗の末に桜色の魔力弾は溶けるようにして紅色に消えていった。

「まだまだぁっ!」

 かき消されたのはびっくりしたけれど、今のが通用しないことくらい私だってわかっている。
 待機させていた二発のスフィアから、今度はまっすぐすずかちゃんに向けて発射する。

「だからそんなの――」

「アクセル!!」

「――っ」

 コントロールを放棄して、追加コマンドでその内の一発の弾速を上げる。急な加速に不意を突かれたのか、すずかちゃんはさっきのように障壁を張ることなく、とっさに上に飛び上がってそれを躱した。

≪Flash Move≫

「えっ――」

 レイジングハートに任せて高速移動した先は、飛び上がったすずかちゃんのさらに少し上。
 落下しながら振りかぶったレイジングハートを、すずかちゃんめがけて思いっきり振り下ろした。


「せぇぇぇええいっ!!!!」


 バチィッ!! という音と、意図したのと違う手応え。
 見れば、伸びたすずかちゃんの翼が彼女を守るように前方に張り出し、交差してデバイスを受け止めていた。
 瞬間、翼に隠れていて眼は見えないけれど、その口元がつりあがって薄く笑っているのが視界に映りこむ。それにほんの数瞬遅れて、すずかちゃんが指先に魔力を集めながらわたしにそれを向けるべく腕を上げ始める。

「――っ」

 危険を感じるより早く本能で反射し、レイジングハートに集めていた魔力を炸裂させる。その魔力衝撃は彼女の翼をかき消し、わたしとすずかちゃんもそれぞれ大きく後ろに吹き飛ばされた。
 眩い閃光の中、こちらに右手の人差し指を向けながら落下していくすずかちゃんを視界の端に捉えたわたしは、咄嗟に地面付近に待機させておいたシューターの最後の一発を再びコントロールし、彼女の伸ばしたその腕に命中させる。

「っあ……」

「ぐぅっ……」

 シューターが当たった瞬間にすずかちゃんの指先から撃ち出された紅い閃光は確かに狙いを逸らされたけれどわたしの足を掠めてしまい、走った痛みと疲労から魔力制御が乱れ地面に落下したところで、再び緑色のネットに助けられた。
 わたしが元いたところを見れば、ユーノくんが自分の治療もそこそこに、右肩を押さえながらこちらに近づいてきていた。

「ごめん、なのは。一人で戦わせちゃって……」

 言いながら魔弾が掠めた足を治療してくれている。ユーノくんが謝ることなんて何もないのに……。

「ううん、大丈夫。ユーノくんこそ……肩は平気なの?」

「……もう大体の治療は終わったよ。それより彼女は?」

「わたしだけだとちょっと削るだけでこんな状態だよ……。あんな元気なすずかちゃん見たことないや」


「それはそうでしょう。だって、今までの月村すずかとは違うんだから」


 今度は音も攻撃もなく、すっとわたし達の前にその姿を現す。
 すずかちゃんの着ている制服は所々土に汚れ、背中には大きな穴が二つ空いていて、袖はそれぞれ肩近くまで破れてはいても、その身体には傷一つない。魔力だって、最初に比べたら大分減っているけれど、それでもベストコンディションのわたしよりも大きい。
 一方、わたしの魔力は全体の半分も残っていない。ユーノくんが治癒魔法をかけ続けてくれているけれど、脚にダメージを負っている。そもそも運動能力が皆無なわたしは魔力で誤魔化してるだけだから、魔力が切れたらそれまでなのだ。

 でも。

「なのは駄目だよ! まだ足が……」

 だとしても、諦める訳にはいかないんだ。

「なら、わたしは新しいすずかちゃんと、1から友達をはじめるだけだよ」

 足は痛むし、身体はふらふらと揺れるけども、地面に立ってレイジングハートを構える。

「……頑固だよね、なのはちゃんは。本当に頑固。でも、わたしもそろそろ飽きてきちゃったなぁ。なのはちゃんも最初に比べるとあんまり美味しくなさそうになっちゃったし……。これでおしまいにしよっか」

 すずかちゃんの目の前に、紅い大きな円状魔方陣が出現し、それがゆっくりと回転し始める。

「初めて撃ったやつより随分威力は絞ってるけど、二人にはこれで十分だよね。あの人はどういうわけか無傷だったけど」

 十分だなんて、とんでもない。
 モニターで見たあの規格外の砲撃よりは遥かに小さいけれど、今すずかちゃんが用意しているそれは、わたしのバスター以上の威力だ。そんなものを殺傷設定なんかで撃たれたら、本当に跡形も残らないかもしれない。
 ユーノくんも治癒魔法に大分魔力を割いてしまって、残りの魔力を二人で全部防御に回しても防ぎきれるかどうかわからない。



 ……でも、やるしかない!



「ユーノくん、二人で防御魔法! 全力で!!」

「そんな、でも……」

「無理かどうかなんてやった後に考えればいいの!」

 けれどこちらの用意が整う前に、すずかちゃんの準備ができてしまったみたいだ。注ぎ込まれた異常なほどの魔力が、今にも爆発しそうだと訴えるみたいに魔法陣をゆっくりと紅く点滅させている。
 ゆっくりと、すずかちゃんはその魔方陣に触れるようにして右手の平を合わせた。

「最後だから言うけど、なのはちゃんも『特別』だってわかったとき、ちょっと嬉しかったんだよ? わたしみたいに『化物』じゃなかったとしても、秘密を共有できるかもしれないって」

「それならっ――」

「でも、わたしにとって大事なものはもう……一つだけだから。他全部を捨て去ってでも、わたしはそれを守らなくちゃいけないの。そのわたしの邪魔をするなら、壊すしかないの。
 ……じゃあ、長かったのか、それとも短い付き合いだったのかはわからないけど……さよな――」

 最後の最後まで諦めないと足掻いていたわたしは、眼を閉じずに必死にすずかちゃんをの方を向いて、全開での防御魔法の発動をしようとしていた。

 だからこそ、その光景をはっきりと見ることになった。
 ら、と言い切る前に魔方陣にかざしていた腕が、『突然なくなった』のを。
 いいや……正確にはなくなったんじゃなく、その『肘から先だけが上に跳ね上がった』んだ。

「――え」

 なくなった腕を不思議そうに一瞬見やるすずかちゃん。
 が、次の瞬間臨界まで魔力が込められていた魔方陣が制御を失い、それを起点に強烈な魔力爆発が起きてしまった。

「くぅっ……!!」

 対砲撃用に防御魔法を構築していたわたし達はその衝撃に飲まれることなく障壁を展開できたけれど、至近で受けたすずかちゃんはそうはいかない。砲撃に使用した魔力、魔力爆発によるダメージ、決して少なくないはず。
 その上、すずかちゃんの魔力攻撃はすべて人を傷つける設定。そんな魔力の暴走ダメージをまともに受けてしまったら……。


 そもそも、どうしていきなり腕がなくなったんだろう。
 もうもうと立ち込める土煙が晴れると、もとの場所に変わらずすずかちゃんはその場に立っていた。
 さっきわたしのシューターにやってみせたように、全身から立ち上る紅い魔力障壁で間一髪爆発によるダメージを防いだんだ……けれど、感じられる総魔力量がまた大きく減っている。


 それよりも、問題は。


「え……? どういう……」

 すずかちゃんは『肘から先の右腕』を『右手』で掴み持っていた。すずかちゃんの腕が吹き飛んだときは驚きのあまり声も出なかったけれど、さらによくわからない状況に困惑するしかない。
 白い蒸気があちこちから立ち昇る爆発跡の中央で、すずかちゃんは持っている自分の腕に視線をやり、

「いきなり女性の腕を切り飛ばすなんて、剣士の風上にも置けませんね――――恭也さん」

「……可愛い妹が危ないと聞いて駆けつけてみればあの状況だったんでな。お前だと気づいたのは……斬った後だ」

「嘘ですね。元にもどるのがわかってたからでしょう?」

 突然お兄ちゃんの名前が出てきて驚き、すずかちゃんを挟んだ向こう側に本人が二刀を構えて立っていて、もう一度吃驚した。

「それに、わたしだって可愛い妹の一人じゃないんですか? 上に義理ってつきますけど」

「もちろんそう思っているが、姉妹喧嘩にしては少し雰囲気がおかしいだろう」

 ふふ、と笑ってすずかちゃんは興味が無いと言わんばかりにわたし達に背を向けてお兄ちゃんの方を振り向く。それと同時に、持っている『右腕』を地面に投げ出した。すると、その腕は急速に灰になり、風に乗って飛んでいってしまった。

「しかし……まさか一瞬とはな。何があったかは知らんが、再生能力は忍以上か」

「再生能力だけだと思いますか?」

「少なくともプロポーションは忍のほうが圧倒的だと思うが」

「…………」

「…………」

「む、失言だったか。……なのはまでそんな眼で見ないでくれ」

 二人分の冷たい視線に耐え切れなかったのか、目をそらしてギリギリわたしの方まで聞こえる声でそう言った。

「それで、あの黒い人に無様に負けた恭也さんが何しにいらっしゃったんですか? 当初の目的でしたらもう必要ないので帰っていただいて結構ですよ。右腕は迷惑料ということで不問にいたしますわ」

「そうもいかないだろう。なのはのことを抜きにしても、今の君を放っておくわけにはいかないさ。忍を悲しませるわけにはいかないしな」

「お姉ちゃんにしろ誰にしろ、わたしの邪魔をしない限りは無暗に壊したりしませんよ。放っておいてくれたらいいんです」

「それは無理だろうな。なにせ君の周りには節介焼きが多い……俺を含めてな」

「それは――」

 すずかちゃんはわたしに背を向けているため、その変化がはっきりと見える。フラッシュインパクトの時にかき消した紅い魔力翼が、肩甲骨辺りに開いた服の穴から魔力残滓を巻き上げながら大きく飛び出したのだ。
 そして、次の瞬間には視界から消えうせる。


「――残念です」


 思わず肩が竦んでしまう程の、金属同士がぶつかり合うような鋭い音が辺りに響き渡った。
 わたしの眼ではまったく追えなかったけれど、翼を伸ばしたすずかちゃんが一瞬でお兄ちゃんの後ろに回りこみ、右手から伸ばした紅い魔力爪で斬り付けたのだ。

「……貴方といい、あの人といい……本当に人間ですか……っ」

 なら何故そんな音が響いたのか。
 至極簡単なことで、その超スピードにお兄ちゃんは反応し、交差した二刀でその爪を受け止めたからだ。ギリギリと鍔迫り合いの様に力が入っているのが遠目に見てもわかる。

「世の中上には上がいるものさ。……と言っても、俺もまだまだ精進が足りないな。妹の友達にこうまで冷や汗かかせられるとは」

 言って、お兄ちゃんは二刀を跳ね上げ、すずかちゃんから大きく後方に距離をとる。わたしの傍まで来ると再びすずかちゃんに向かって剣を構えた。
 たった一度のその交差のせいなのかはわたしには判らないけれど、その刀は二つとも中腹が欠け、ひび割れてしまっていた。

「お、お兄ちゃん……あの……っ」

「聞きたいこと、言いたいことは山ほどあるが、全部この件が終わってからにしよう。なのはは後ろで伸びている彼を起こしてここから逃げろ」

 言われて初めてユーノくんが後ろで気絶していることに気がついた。わたしが思ってたよりずっと治癒魔法で魔力を使っていて、さっきの魔力爆発に耐えられなかったんだろう。またユーノくんに謝らなきゃいけないことが出来ちゃった。

 でも、すずかちゃんを置いて逃げるなんてことは。

「……できないよ」

「なのは」

「助けられたかもしれないすずかちゃんを、わたしが邪魔しちゃったんだ……だから、わたしが止めなくちゃいけないの」

「しかし……」

「それに、あるかもしれないんだ。すずかちゃんの反則みたいな魔力を一気に削る方法」

 それは、初めて見たときからずっと、自分にも出来ないか考えていたこと。結局その形には至れなかったけれど、似たようで違うものだけれど、きっと想いが願いに届くはずの魔法。

「お兄ちゃんはあの黒いコートの男の人と会ったの?」

「……ああ、なのはがここで戦っていると言ったのが……奴だ」

 なんだか嫌そうに答えるお兄ちゃん。

「もしかして、そのおでこの腫れと何か……」

「関係ない」

 近くで見ないと気がつかなかったけれど、そのおでこが赤く腫れ上がって……というよりちょっと切れて血が出ていた。

「とにかくあの人の話だと、すずかちゃんの力とか速さっていうのは、魔力でたくさん上乗せされてるらしいの。それを0にしちゃえば、もしかしたら……」

「魔力……。なのはには、それが出来るのか?」

「ちょっと時間がかかるけど……やってみせる」

 すずかちゃんから眼を逸らさずに前を見ているお兄ちゃんと視線が合うことはないけれど、わたしはお兄ちゃんのその眼をじっと見つめる。

「……わかった。ならば、その時間は俺が稼ごう」

 やっぱりこちらを見ることはないけれど、力強くそう言ってくれた。なんだかわたしまで力が漲ってくるような気がする。

「話は付きましたか? この場合はむしろ尽きましたか? と聞くのが正しいのかもしれませんが」

 少しの間何も話さず、動かずにいたすずかちゃんが声をかけてくる。どうしてかはわからないけれど、その体から感じられる魔力がさっきより格段に大きくなっている気がする。総魔力量は変わっていないはずなのに……。

「すずかちゃん……もしかして……」

「へぇ、なのはちゃんはわかるんだ。そうだよ、貴女たちがお話してる間に、あの人がわたしの体に流した魔力を大分外に押し流させてもらったの。やっとこの力の使い方がわかってきたかも」

 言いながら、自分の手の平に魔力が集まるのを眺めるすずかちゃん。
 感覚が訴えていたそれを、すずかちゃんから聞いた言葉からさらに少し送れて、ようやく頭が理解する。

 ……それは、非常にまずい気がする。

「どういうことだ?」

 さっきこの場に来たばかりのお兄ちゃんは、それがどういうことなのかわからないのも無理はない。

「さっき言った通り、すずかちゃんの力は魔力を基にしてるらしいの。それで……さっきまでのすずかちゃんは黒い男の人が何かして、その力を無理やり制限されてた状態だったの……」

「それは、どの程度だ?」

「えっと……半分以下だって」

「……冗談だろ」

 つぅーっと、すずかちゃんの方を向いて構えたままのお兄ちゃんの頬に汗が一筋流れた。表情こそ笑っているように見えるけれど、強張っているのがわたしにもわかる。

「で、でも魔力そのものは最初から大分減ってるはずだから! 単純にさっきの倍以上ってことはないと……思う、……よ?」

「出来ればそう願いたいな。……よし、征くか!!」

 言って、わたしの前から風を伴って飛び出していくお兄ちゃん。翼を伸ばすことも、爪を伸ばすこともなく同じ場所にただ立っているだけだったすずかちゃんに一瞬で肉薄し、二刀を振るう。
 わたしの眼には見えないほどの速さで振るわれる嵐のような剣戟を、しかしすずかちゃんはすべて避けきっている。反撃に転じることなく、ただ避け続けている……みたいだ。
 真実それさえはっきりとはわからない世界で繰り広げられる戦いを、思わず呆然と眺めてしまう。

≪Please steady down. Let's do what should be done.≫

「はっ……う、うん。そうだね」

 レイジングハートに“しっかりしろ、やるべきことをやるんだ”と言われ、目の前の非常識についていけずに停まっていた頭が動き出す。
 ここで始めてもいいのだけれど、それではユーノくんが巻き添えになってしまうかもしれない。まずはユーノくんを安全なところに運ばないと……そうだ!

「あのっ! 多分まだモニターで見てますよねっリンディさん! エイミィさん!」

 あれから何の音沙汰もなかったけれど、きっとこの状況を見てるはず。そう思って出来る限り小さく叫んだところ、目の前に小さめの空間モニターが現れた。

『なのはさんごめんなさい。まだ彼女にどう対応すべきか、こちらでも決め切れていないの。わかっていることは、現状私達の戦力では彼女を止めることが出来ないということだけ』

「え、いやっ、そんなことより――」

 リンディさんは映ると同時にそう言って頭を下げた。モニターの向こう側から慌ただしい気配や、人の大きな声が伝わってくる。

『ええ、先程結界が消失したから、直ぐにでも貴女達をこちらに呼び戻せるわ……今エイミィが――』

「待って! 待ってください!! そちらに転送するのはユーノくんだけでお願いします!」

『え……? それは、どういう――』

「すみません、急いでるんで説明は後で必ずします!」

『許可できないわ。彼女はあまりに危険すぎる』

「でも、助けられるかもしれないんです! お願いします、やらせてください!!」

 肘をもう片方の手で抱え込むようにして、支えられた肘の先の指で眉間を押さえる様にしながら眼を閉じて思案するリンディさん。

『でも……いえ、わかったわ。私達ではどうすることもできないものね……。当然モニタリングは続けるから、危険と判断したらこちらで転送させてもらうから、バリアジャケットの設定を変えておいてね。……どうか、無茶だけはしないで』

「はい!」

 返事をするとモニターが消え、それにわずかに遅れてユーノくんが寝ている地面に現れた魔方陣が彼を包み、収束して消え去った。

「……よし」

 これで、心置きなくやれる。

「組んだ式はあれで大丈夫だと思う?」

≪Data is insufficient. It might be imperfect.But…≫

「うん……でも、やるしかないよね」

 まだデータが不十分で、たぶん完全なものじゃないとレイジングハートは言う。が、けれど、と彼女は続けた。
 わたしもその通りだと思う。

「いくよ、レイジングハート!」

 イメージしたのは、あの黒いコートの男の人の魔法。
 自分の魔力を周囲の魔力素と混ぜ合わせながらかき集めて、自身の総魔力量より遥かに大きい魔力弾を作り出す、あの魔法。

 眼を閉じて、集中する。
 集中して、周囲の魔力を感じ取る。

 どれだけ練習しても、ユーノくんやレイジングハートに相談しても、その取っ掛かりさえ掴むことが出来なかった。
 けれど、それらは決して無駄にはならなかった。あの人のものとはまったく違うものだけれど、わたしが掴みかけているそれは、決してあの力にも引けを取ったりはしないはずだ。


 今はまだ名前も付けていないその魔法。わたしが集めるのは、魔力素ではなく魔力そのもの。


 わたしの足元に魔方陣が現れ、レイジングハートの先端が桜色に輝く。そして、一度は眼に見えないほど小さくなった魔力の欠片達が、再び輝きを取り戻しながらわたしの前方に球状の大きな桜色の魔力塊として集められていく。

 これでさえも、すずかちゃんは受けきってしまうかもしれない。

 だから。



 だから、集めるのはわたしのだけじゃなく、この場所に濃密に充ちている膨大過ぎるすずかちゃんの魔力!!



「くっ、ううぅぅぅぅ…………!!!!」



 集束する魔力の範囲を広げた途端、猛烈にかかる負荷。眼を閉じているためわからないが、既に魔力塊の色は桜ではなく紅一色になっているだろう。
 飛ばずに始めてよかった。とてもじゃないけど、この作業と飛行制御を並行して行うのは、今のわたしでは絶対に不可能だ。すずかちゃんの魔力が大きすぎるせいもあるけれど、この魔法そのものが未だ完成に至ってないことも原因に考えられる。
 集めるだけで数度意識を手放しかけたけれど、これでわたしの周囲にある魔力はすべて目の前の魔力塊となった。本当なら距離ももっと広げたかったけれど、これ以上は本当に暴発してしまう。

 後は、引き金を引くだけ。

 眼を開き、紅い巨大な光球ごとレイジングハートを上に振り上げて、すずかちゃんを確認する。お兄ちゃんは時間だけでなく、距離も稼いでくれたようで、最初の位置よりずっと遠いところにいた。
 既に剣の一本は折れてしまったのか、お兄ちゃんが両手で握り振り切った刀の上にしゃがみ込む様な形で翼を広げて立ったまま、二人してこちらを呆然と眺めている。
 わたしが見ていることに気がついたのか、お兄ちゃんのお腹を蹴り飛ばしてすずかちゃんも地面に降り立った。ちょうど、廃校の校舎の入り口を挟むようにして向かい合う。


「あは……なのはちゃん、それって『特別』なんて言葉で許されるようなモノなのかしら。そんなの、立派な『化物』じゃない……」

「じゃ、じゃあ……一緒だね」

 俯いたままかけられた言葉。それが何故だか、悲鳴のように聞こえて。
 わたしは無理やり搾り出した声で、そう答えた。


「何で……あの人も恭也さんも、なのはちゃんまで……どうして人のままでっ! そんなことができるの!?」


 叫んで、紅い瞳から流れてる涙を隠そうともせず、顔を上げたすずかちゃんの前に魔方陣が現れる。中心に大きいのが1つ、その周囲を4つの小さな魔方陣が自転しながら公転している。


「わたしは化物でっ……それでも大切な人一人守る力もなかったのに!! だから、わたしはっ!!」


 すずかちゃんが何に苦しんでいるのか、本当のところ、わたしはわかってなんかいないのかもしれない。けれど、だからってこのまま放っておくなんて、もっと出来ない。
 すずかちゃんの魔方陣から光があふれ出したのと同時に、わたしは掲げていたレイジングハートを振り下ろし、心の引き金を引いた。






「だめぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええっ!!!!」






 地を抉り突き進む二条の紅い砲撃の轟音の中、それでもはっきりと聞こえた。
 わたしが、よく知っている声。
 もう一人の親友の声。
 わたしとすずかちゃんの、親友の声。

 校舎から飛び出してきた、暗闇でも映えるその金色の髪。
 わたしが見えたのは、その走り振り乱された髪だけ。

 一瞬。

 わたしと、すずかちゃんの砲撃の衝突点に飲まれるようにして、その姿は見えなくなってしまった。



[10538] 第二十四話 1日⑦ たったひとつの願い
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/08/09 09:55
 1.5月1日 夜

side Nanoha.T

 砲撃の拮抗はほんのわずかな時間だった。
 ただひたすらに、こちらに向かって殺到しているにちがいない魔力の奔流のことなど一切考えることなく無理矢理に魔力の遮断を行って強制的に砲撃を止めたわたしだったけれど、その向こう側から砲撃が迫ってこないということは、すずかちゃんも同じように中断したということだった。


 けれど、そんなことはひとっつも気に留めてなんかいられなかった。


 砲撃は止めた。
 けれど、わたし達の魔力は確かにぶつかり合った。手応えとも触覚とも違うその魔力に対する感覚。それがその衝突を伝えていた。



 であるならば、その間に挟まれてしまった人間は一体どうなるのか。



 考えたくない。
 考えたくない。
 考えたく、ない。

 自分の手で、親友を■しちゃったなんて――。









「……よくやった、ってことにしとこうかね。怖かったろ、後は任せとけ。……あー、神経使ったわ」



 跳ねるように顔を上げる。
 もうもうと立ち込める、魔力爆発の余波で巻き上がった土煙と余剰魔力。その視界がまったく利かない世界から、声が聞こえた。確かにわたしの耳にも届いたけれど、とても小さい声で、それはわたしに向かって放たれた言葉じゃなかったみたいだ。

 次いでドッ、とその煙の中から黒い魔力が溢れ出す。その寒気すら走る魔力には覚えがあるけれど、今はそれがまるで一筋の希望にさえ思える。魔力の奔流は周囲の煙を吹き飛ばし、わたしとすずかちゃんは初めてその『結果』を見ることが出来た。

「ぁ、あ……」

 わたしとすずかちゃんの間に立ち、その腕をそれぞれの方へ伸ばして、まるで砲撃を受け止めていたかのように構えている例の男の人と、それになりより――

「アリサ、ちゃん……」

 男の人のすぐ目の前で、両膝を着いて座っている金髪の女の子。わたしとすずかちゃんの大切な大切なお友達。
 今は呆然として、心ここにあらずといった感じだけれど、砲撃の中心地にいたというのにその体には傷一つついていない。よくよく見れば、わたしとすずかちゃんが砲撃で抉った地面は、彼の左右でピタリとその侵食を止めている。

「おいおい、ひっでー話だな。よってたかって友達を吹き飛ばそうってのかよ」

 そんな、深い安堵で膝が折れそうになっていた所に、まるで溜めも無く放たれた黒い男の人の言葉が、考えないようにしていたわたしの胸に突き刺さり別の意味で崩れ落ちそうになる。
 落差に、心も体もついてこれない。

「っ……アンタっ! さっきと――」

「(いいからっ、お願いだからちょっと黙っててっ)」

 わたしは、あやうく親友の命をこの手で奪ってしまうところだった。
 その事実を再確認して心が折れそうになった次の瞬間、呆然と女の子座りしていたアリサちゃんが飛び起き、男の人の襟首に掴みかかったのを見て、今度はわたしが呆然としてしまう。
 男の人は声を荒げたアリサちゃんを宥める様にして、雰囲気から特にすずかちゃんに聞こえないように、小さな叫び声をあげた。

「なによっ! アンタがむぐっ――」

「ちょ、わかった、わかったからもうちょい我慢して!」

 とうとうアリサちゃんを羽交い絞めにして、口を塞いでしまった。すずかちゃんに背を向けているため、こっちからは丸見えなのでどうみても誘拐現場にしか見えない。

 ……落差に、心も体もついてこれない。

 中心で大騒ぎしつつ、わたしはそれを呆然と見ているという状況の中、その先のすずかちゃんの様子がおかしいことに気がついた。
 さっきまでの、何もしていなくても肌が痛いくらいにとてつもなかった魔力がまったく感じられないのだ。

「離しなさいよっ!! ……なのは?」

「ってーなこの、噛むな!! ……?」

 その代わり感じたのは、不安。
 それまでの、存在するだけで周りを威圧するようなプレッシャーとは打って変わって、今にも消え入りそうなくらい儚げなその姿。
 無意識の内に、ゆっくりとだけどすずかちゃんのほうに体が動いていく。近くまで来たわたしが何も言わずにさらに歩いていく姿を見て、アリサちゃんが心配そうに声をかけてくれるが、それに反応することはできなかった。


 がくっと、突然すずかちゃんが膝を折って崩れ落ちたからだ。

「すずかちゃ――っ!?」

 思わず彼女に向かって駆け出したわたしの腕が掴まれ、力強く後ろに引き戻された。腕の主は例の男の人。どうして、と抗議するより先に、彼が顎ですずかちゃんを指す。
 一体何を、と腕を掴まれたままもう一度すずかちゃんの様子を伺うと、膝を着いて顔を両手で塞いでいるすずかちゃんの指の隙間から、大きく見開かれた瞳の色が紅と元の色とを点滅しているのがはっきりと見えた。

「わたしは……わたしは、どうして……いや、いやっ……そんなの……」

「すずかちゃん……?」

 すずかちゃんは呼びかけたわたしの声がまったく聞こえていないようで、がくがくと震えながらぶつぶつと何事か呟いている。その瞳はやっぱり点滅を繰り返していて、魔力や存在感もそれと同じように上下し始める。
 どうしていいかわからず、結局傍にいる黒い男の人を仰ぎ見てしまう。

「二人共、そのままで」

 言って、男の人がわたし達の一歩前に出た。

「おかしいとは思ってたんだよね。君のその魔力はなのはちゃん達が使っているのと違って、ずっと俺寄りの魔力だ。しかも吸血種のそれなんて、使い方を誤れば簡単に魔力が魂や精神を汚染してパーになる」

 男の人のその声を聞いて、ようやくピクっとすずかちゃんの体が反応した。
 魔力が……ってどういうことだろう?

「まぁ実際パーになってたんだろうさ。制御のせどころかsすら知らん子がいきなり魔力フルスロットルになったんだから仕方ないと言やぁ仕方ないんだけど……けれど君さ、すずかちゃん。


 
 どうしてあの時すぐ隣にいた金髪ちゃんのことを殺そうとしなかったんだ?」

「え……?」

 声を上げたのはわたしの横にいたアリサちゃん。ちなみに、わたしは話の内容に既に頭がついていってない。ついでに言えば体力も魔力も消耗しすぎていて、ちょっとフラフラする。

「あんなゲージ振り切ってる状態なら、いくら親友だからって普通の人間なんか餌にしか見えなくてもおかしくもなんともないはずなのさ。では何故か。そりゃ簡単、あの石ころは今回きっかけにしか過ぎなかったけど、確かに君の願いを叶えていたからさ」

 その言葉に、すっとすずかちゃんがその顔を上げる。その瞳はわたしの知っているいつものすずかちゃんのもので、眼からいっぱいの涙が溢れて零れている。

「君は、自身の魔力のせいで完全に気が触れちまってる状態でも尚、この金髪ちゃんだけは守ろうとしたわけだ」

「アリサ……ちゃん……」

 黒いコートの男の人の視線がアリサちゃんの方に流れると、すずかちゃんもそれにならってアリサちゃんを見て、名前を小さく呼んだ。

「こうして無理やり正気に戻すか魔力が抜けるかすれば、落ち着いて話すことぐらいはできるから、とっととこういう状況を作りたかったんだけどね、俺は」

 俺は、という言葉とともに今度はわたしのほうをちらっと横目で見てくる男の人。決して鋭いわけではなかったけれど、その視線と言葉に棘を感じて体が竦み、しゅんとしてしまう。
 この人が言ってることが本当なら、わたしがしたことはどこまでも邪魔でしかなかったのかもしれない。
 もっと安全に、この一夜を終わらせられたのかもしれない。



 ――それでも、と今はわたしの中に確かな想いがあるけれど。



「結局なんやかんやで、だったらその根本の願いの方からアプローチしようってことでね。ショック療法さ、君に金髪ちゃんを殺させることで正気に返そうって――」

 そんなことを考えていた最中、急に耳を刺すようなフレーズが飛び込んできて思わず顔を上げる。
 言った本人は特に思うことも無く話を続けているけれど……。

 その殺させる、という言葉を聞いた瞬間、落ち着き始めていたすずかちゃんの瞳が大きく見開かれ、再び紅く点滅する。どくん、と心臓の鼓動の様に、すずかちゃんを中心に魔力が振動し始めた。

「まぁとにかくこうやって落ち着いたわけだし、ゆっく――」

「あ、ぁぁ……あああぁぁあぁぁ……」

 にも関わらずまだ話を続けている彼が、すずかちゃんの触れれば崩れてしまいそうなほど悲痛な声でようやく異変に気付いた。

「――あ?」

 悲しげに絞り出された声がやがて耳を塞ぎたくなるような叫びに変わると同時、内から外へその圧倒的な量の紅い魔力が吹き荒れる。

「あ、やべっ――」

 両手で頭を抑え、肘を合わせるようにして、何かを振り払うように悶えるすずかちゃん。先ほどまで小さくなっていた魔力が爆発的に増大し、その余波だけで吹き飛ばされそうになるわたしとアリサちゃんを、男の人がかばうように抱えて地に伏せた。

 さらに次の瞬間、襲ったのは爆風のような強い衝撃。男の人がかばってくれたおかげで痛みとかそういうものはなかったけれど、問題はそういうことじゃなかった。


「すずかが……いない……?」


 さっきまで目の前にいたすずかちゃんが、衝撃が収束して起き上がったわたし達の目の前から姿を消していたのだ。

 じゃあ、今の爆風は……。

 何が起こったのか気がついたわたしは、すずかちゃんがいなくなってしまった原因でまず間違いない男の人を思いっきり睨みつける。アリサちゃんも隣で同じように怖い顔を向けていた。


「あー、うん。わかるよ? 今のは俺の最悪と言っていいくらい酷い失言だったけどさ……結界張っといてって言ったじゃん……」





 2.同日 その十数分前

「ばんなそかな!?」

 すずかちゃんの相手をなのはちゃん達に任せた後、俺は彼女がジュエルシードを発動させた教室に一直線に向かった。
 俺の体でぶち抜いた穴から中を見渡し、金髪ちゃんがいないのを確認すると思わずそう叫んだ。ここまで進行してしまった事態を丸く収めるためには、彼女の存在が必要不可欠だというのに。

 すぐ戻るって言ったのに、あんまりノロノロしているとなのはちゃんがやられてしまうかもしれない。
 焦りだけが募り、気づけば最初に二人が監禁されていたと思しき広間に出ていた。ここにもいない。いるのは今も情けなく気絶している妹魂だけだ。

 と、そこでこいつを起こし、なのはちゃんの援護に向かわせる考えを思いついた。
 軽く魔力で縛り上げた後、数発ビンタをかまして文字通り叩き起こし、最低限の情報だけ与えて(外でなのはちゃんが危ない)拘束を解くと、消えるような速さで部屋の壁を斬り飛ばして外へ飛び出していった。確かここ3階だったけど……。

 校舎の中を本気で駆けずり回ったにもかかわらず、人っ子一人見つかりゃしない。もしかして外にいるんじゃなかろうか、と考えたところで、一つだけ探していない場所があるのを思い出した。




「いた」


 果たしてそれは的中し、開け放たれた扉から漏れる外気の寒さを感じる、扉の枠で切り取られた夜闇に、それでも世界に映える金色の髪がこちらに背を向けて立っていた。

「そこから見える?」

「ぴぎゃぁっ――――――あ」

「あ」

 足音を完全に殺し(っていうか浮い)て近づき、ピンクと紅の光を呆然と見ている金髪ちゃんに真後ろから声をかけると、飛び上がるほど驚いた。

「うおぉぉぉぉおおおっ!?」

 ……だけならよかったのだが、屋上の縁に立っていたせいで金髪ちゃんはうっかり足を踏み外してしまい、校舎の下にまっさかさま――――は間一髪彼女の片足を掴んで事なきを得た。

「やっぱり君たちくらいの歳なら普通はバックプリントとかだよね」

 が、引き上げた後に顔面を思いっきり殴られた。妹魂の斬撃よりよっぽど痛かった件について。

「で、アンタはなんなのよ!? これはどういう状況なの!? なんですずかがあんなことになってんの!? なんでなのはまでいるの!? どうして二人が戦ってんの!?」

「あー、思ったより元気そうで安心したよ。えっと、どれから答えたものやら……あ、やばい」

「え?」

 殴られた痛みに鼻を押さえながら、金髪ちゃんの怒号のような質問連打を浴びる。質問というよりは処理し切れない状況にとにかく大声を張り上げて自分を保ちたいといった印象を受けるが。
 もちろん下の様子は横目で確認している。さっきまでは少し状況が停滞していたみたいだが、すずかちゃんが魔力砲撃らしき準備を始めたのを見て、さすがにやばそうなので割って入ろうと準備を始める。

「ん、やっぱいいみたい」

「は?」

 が、横合いからちょっと前にたたき起こした妹魂が飛び出したのを見てそれをやめる。
 あいつ、入るタイミングを計ってやがったな。まぁ状況の把握の方が先なのは確かだけどさ……よくわかってもいないのに飛び込まれるとロクなことにならないし。
 それと、いちいち反応してくれる金髪ちゃんはいい子だ。

「きゃ――」

 次の瞬間、すずかちゃんが砲撃用に集めていた魔力が制御を失い、爆散した。爆音と衝撃に尻餅ついた彼女ごと、俺の前に障壁を張る。結構な圧力が俺のなけなしの魔力にかかったが、どうにか防ぎ切る。

 俺いなかったら金髪ちゃん吹き飛んでたんじゃないのか……?

「……すずかちゃんが今ちょっとおかしなことになってるってことはわかるよな?」

 魔力爆発が収まり、障壁を解除して尻餅ついたままの金髪ちゃんに訊ねる。彼女は言葉を発することなく、ゆっくり首を縦に振った。

「彼女を元に戻さないことには、俺……よりもなのはちゃんが拙い事になるんだよ。そのためには金髪ちゃんの協力がいるのさ」

「金ぱ……あたしの?」

「そう、カエルのぱんつの君」

「……次に言ったら殴るわ」

 一番最初に殴ったろうに……。一応俺ってば命の恩人なんですけど……あ、落としたのも俺か。

「でも……一体どうしたら」

「詳しい説明は省くけど、君を彼女に攻撃させるのがベストだと思うんだ」

「え?」

「つったって彼女が自発的に君を攻撃するなんてありえないから、っていうかありえないのを前提にしないと成り立たないんだけど――」

「待って、ちょっと待って!」

 俺の説明を金髪ちゃんが大声で遮る。

「本当にそんなことですずかが元にもどるの?」

「そんなことって……今の彼女の攻撃をかすろうモノならそれだけで死ねるよ?」

「そうじゃなくて、あたしがその……そうしたくらいでってことで」

「俺の考えが正しければね。……絶対の保証はできないけど」

 それを聞いた金髪ちゃんは考え込むような仕草を見せて眼を瞑った。
 横目で下を窺ってみれば、妹魂がなのはちゃんのところまで跳んできていた。そろそろ状況が動きそうだ。

「もちろんそれで君が死んじゃえば彼女の状態はもっと酷い事になるのは眼に見えてるから、俺は全力で君を守るけどね。ようは、『君を攻撃してしまった』と彼女に思わせることが重要なのさ」

「……それで、あたしはどうすればいいの?」

 眼を開いて、それだけを言う。
 その眼は、とてもその年頃の子供とは思えないほど力強いものだった。なのはちゃんしかり、『この世界』の子供はこんな子ばっかりなのだろうか。

 いっそ哀れだ。

「俺を信じるの?」

「正直まったく理解できなかったとはいえ、あたしはここから見てたのよ? 何を話してたかまではわからなかったけど、アンタがなのはを助けたのはなんとなくわかったから。その逆もあったし、それだけで十分よ」

「……そか」

 腕をくんで仁王立ちのように立つその子は、実際の背丈よりもずっと大きく見えた。
 っていうか、時間がないのに俺もそんなこと聞いている場合じゃなかった。

「さっきから彼女達……っていうか、なのはちゃんが撃ってるビームみたいなやつ。すずかちゃんが次にアレを使った時に、そこに飛び込んでもらう」

「マジで?」

「えらくマジだ。そうじゃないと君を助ける算段がないからな」

「……どうやって飛び込むのよ」

「これを使う」

 『俺の右の空間』と『金髪ちゃんの後ろの空間』を繋げて、そこに右手を差し入れる。突然沈むように消える俺の腕に驚愕した金髪ちゃんは、一歩後ろに体を引くようにしてよろけたが、それを連結先の右手が押しとめた。

「へ……? ~~~~~~~~っ!!?!!?」

 突然触られたことで後ろを振り返った金髪ちゃんは、空中に浮かぶ俺の右手を見て声にならない悲鳴を上げる。
 そのまま彼女の腕を掴み、こっちに向かって引き入れる。すると、繋げられた空間を抜けて金髪ちゃんが現れ、俺の横に降り立って止まった。

「これで彼女の前までひとっ飛び。な?」

 心ここにあらずといった状態のまま、こくこく、と首を縦に振って金髪ちゃんは肯定の意を示した。実際に体験させたほうが納得しやすいと思ったんだが、ちょっと刺激が強すぎただろうか。
 そこまで確認して、再び戦場に眼を移す。

「ん……なんか、なのはちゃんがヤバいこと始めてんな」

 金髪ちゃんも上からそれを見て、その光景に言葉をなくしている。周囲からかき集められるようにして魔力がなのはちゃんの前方に集う。しかもそれは彼女の魔力だけではなく、すずかちゃんの途方もない魔力をも吸い寄せている。
 その量はすでにすずかちゃんの魔力の割合が勝っているのか、次第にピンク色から紅い光球となっていった。

「なければ他から持ってくる、か。……本当、たいしたもんだよ、あの子」

「えっと……なのはは何をしてるの?」

「かなり大雑把に言って、元気玉」

「? 何よ、それ」

「…………」

 さすがに誰にでも通じるわけじゃないのか、無念。

「ま、いいや。今こことあっちを繋げたから。ここね、ここ……抜ければ向こうに出れる。彼女らが動くのに合わせてその都度調整しなきゃだけど」

 言いながら繋げた空間を示すように手を抜き差しする。金髪ちゃんがうなずくのを見て再び視線を下に移すと、どうやらすずかちゃんもなのはちゃんに対抗して魔力による砲撃を放とうとしているようだが、そこに飛び出すのはいかんせんタイミングが悪すぎる。
 すずかちゃんだけの砲撃ならどんな威力だろうと防ぎきる自信があるけど、挟まれるとなると厳しい。

「でも不味いな」

「何がよ?」

 ぽつり、と呟いた言葉に金髪ちゃんが反応した。言わない理由も特にないので説明する。

「二人のビームがぶつかり合って、なのはちゃんが勝てばいいけど、万一すずかちゃんが勝てばなのはちゃんは骨も残んねー……同時に、引き起こされる不思議パワー的な爆発から君を守らなきゃいけないし……っておい、ちょっ、どこ行っ――!?」

 次の瞬間には、何故か眼下に映る金髪ちゃんの姿が。俺の繋げた空間を通って、彼女たちの間に向かって激走しているのが見えた。





 3.同日 after1

「というわけだ」

「えと……それじゃ、どうやってアリサちゃんを助けたかがわからないんですけど」

「気合だな」

「アンタ、さっきから答えるのが面倒そうな時って毎回適当言うわよね」

 夜空を並走するなのはちゃんの質問に、説明が面倒だったためテキトーに答える。それに対し、なのはちゃんに手を繋がれて空を飛んでいる金髪ちゃんに図星をつかれる。
 まぁ、自分の左右に『穴』作っただけですけどね。自分が移動してきた『穴』を消して作んなきゃいけなかったから、神経使ったけど。しかもあの場合、結局守れたのは金髪ちゃんだけだったし。
 もちろん『穴』の説明はものすっごいふわっとしたものになった。金髪ちゃんもそれをこの特殊な状況の中でさらに特別とは思っていないようで、特に追求するようなことはなかった。

「ぐっ……あまり揺らすな。脇腹に響く」

「お前さ、最初の蹴りでアバラ何本かイってたのによくあんなに動けたな。人間やめてるよ」

「その言葉はそっくり返させてもらう」

 聞こえてきた声は下から。俺の手から伸びる、魔力で出来た黒いロープ状の何か(自分でも適当)に片手で掴まりながら文句を言ってくる妹魂。
 俺はまだ全然人間だよ、たぶん。

「アリサちゃん、あの……」

「さっきも言ったでしょ、今日のことが全部終わってからでいいってば。覚悟しときなさい、聞きたいこといっぱいあるんだから」

「……うん!」

 金髪ちゃんも大概男前だなぁ、なんて思いながら真下の妹魂に対し話を振る。

「で、兄的にはどうなのよ。妹が知らんうちに魔法少女になってたってのは。……魔法少女の枠内かはかなりグレーだけど」

「……最近様子がおかしいことや夜半に家を抜け出したりしていたことは知っていたが……。まさか貴様のような危険人物と知り合いになっていようとはな」

「あ、思うのはそっちなのかよ。しかし、言っても9歳の女の子だぞ? 随分と放任主義なんだな」

「……ああ」

 含みのある声と表情。
 まぁ家庭の事情は人それぞれ、俺が首突っ込むようなことじゃないだろう。

 ……突っ込むべきは。

「てっきり俺は、捜査はプロだけでやるんだってんで、現地の民間人に協力を要請するような真似はしないと思ってたんだけどなぁ」

『あら、私達はなのはさん達に協力を要請した覚えは無いわ』

 はっきりと聞こえるように、ここにはいない人達に向かって話す。その言葉に応えるようにして飛行している俺の横の空間に音もなく画面が現れ並走するように投影された。
 現れたのはリンディさん。なんというか、よく言うわというか。

「あの! 協力はわたしからお願いしたんですっ」

 まぁそりゃそうでしょうけどね。俺はあの管理局とやらの船に乗り込んだ以来、もうなのはちゃんに会うことも無いだろうと思ってたんだけど。

「タイムパトロールが超危険物を時を越えて捜索中、現地でそれを取り合う二つの勢力を発見。その内片方は凶悪かつ強力で、タイムパトロールの戦力では太刀打ちできない! さぁ、これを踏まえて金髪ちゃん的にはさっきの話どう思う?」

「もう片方の現地勢力を取り込んで戦力増加を図りつつ、支援はしつつも二つをぶつける事で自身の戦力を落とさずに、かつその危険物を回収する機会を増やすってとこかしらね」

「……金髪ちゃん、本当はいくつなんだろうね。ところであのクソガキは今日来なかったんですけど、どうしたんですか? 怪我治ってんでしょ?」

『…………』

 まぁみすみす戦力が削がれるってわかっていて兵を出すほうがどうかしているとは思うけどね、結果だけで言えば正解ではあったし。結果論、とりわけ勘ってのはあのテ仕事じゃかなり重要だと思うし。
 っていうかタイムパトロールはわかるのか、金髪ちゃん。


「でも、その場合『凶悪かつ強力』な勢力ってアンタのことよね」

「り、リンディさん! 反応変わってませんか!?」

『え、ええ! ばっちりそのままよ!』

 現在、この妙なパーティーを組んで飛んでいる理由。当然いなくなってしまったすずかちゃんを追いかけるためである。
 最初はすずかちゃんの中に流した魔力を辿れば楽勝だと思っていたが、反応が感じられない。なのはちゃんの話では体外に押し出してしまったらしい。

 あ、ヤバ……と、ちょっと血の気が引き始めたころに、なのはちゃんが時空管理局の方々を呼んで今現在もモニターしてくださっている旨を伝え、すずかちゃんの行方も絶賛追跡中だと言う。
 なのはちゃんが、杖に転送されたマップを空間に呼び出してすずかちゃんを指す赤い点が示した場所。

 ここって……、と呟いたのはこの辺の地理に明るくない俺や、地図を前に首を傾げているなのはちゃんではない。

 金髪ちゃんが教えてくれたその場所。
 今現在すずかちゃんがいる場所。



「月村邸……か」

 さて、どうしたものやら。



[10538] 第二十五話 1日⑧ 夜明け
Name: 未定◆81681bda ID:0fb14237
Date: 2012/08/09 10:27
 1.5月1日 夜

side Suzuka.T

 アリサちゃんを助ける力が欲しいと強く、強く願ったあの瞬間から、わたしの眼に映る世界はとてもシンプルなものになった。

 アリサちゃんと、それ以外。
 たったそれだけ。

 あの人は狂っていたと言っていたけれど、そこにはちゃんとわたしの意思も意識もあった。
 わたしは確かに自身の力を揮うことを愉しんでいたし、わたしよりも遥かに強いはずの人達を暴力で地に這い蹲らせることを悦んでいた。

 けれど、アリサちゃんを自分の手で殺してしまったと理解したとき、二つだった世界が一つ――真っ白になって、それから色んなものがわたしの中に返ってきた。
 その“色んなもの”を通して見て初めて、今の今まで本気で殺そうと思っていたなのはちゃんが、アリサちゃんと同じくらい大切な親友であることを認識したのだ。

 戦っていた相手がなのはちゃんであることはわかっていたけれど、それがわたしにとってどれほど大切な人なのかがわからなかった。それどころか、まるで獲物を見るような眼で彼女を見ていたと思う。
 なのはちゃんだと知っていて、それでもあの時のわたしは止まる気が無かったのだ。


 正直、あの男の人が何を言っているのかはよくわからなかったけれど。
 彼のおかげで、アリサちゃんもなのはちゃんも無事だとわかってほっとしたけれど。

 けれど、彼の言う通りわたしが二人を殺してしまいそうになったのは、本当のことなのだ。
 とてもじゃないけれど、二人に合わす顔なんてあるはずもない。
 気づけば夜空に向かって飛び出していた。行く宛てもなく、どこをどう飛び回ったかも覚えていない。
 まるであの蒼い石を拾ったときの再現のようだ。

 結局その内に地に堕ち、肉体的なものより精神的な疲労からくる荒い呼吸を整えながら、今は森の中で木にもたれるようにして座っている。


 二人を殺そうとしたこと。
 それは本当に怖いことだったけれど、わたしが恐怖を感じたのはそれだけじゃない。

 物心ついた時から、ずっと考えていたことがある。
 人とは違う、わたしという存在。
 考えて、否定して、そんな風に在りたくないと願い生きてきたけれど。
 今日、初めて触れた自分だったけれど。

 そのわたしの本性というものがあるのならば、“色んなもの”を通さなかったあの時のわたしこそがそうなんじゃないだろうか。

 ストン、と心に落ちる様に。
 カチリ、と歯車がはまるように。

 たどり着いたその考えに、まるで長年の疑問が解決したかのような心持を覚え、それがまたわたしの心を追い詰める。

 どれほどに大切な存在だろうと、餌以外の何にも見えなくなってしまう。
 本当にそれは……なんて、『化物』に相応しい心だろう。

 そこまで考えて、ふっと思わず自嘲の笑みがこぼれる。
 あれだけ恐れていたモノを自分から踏み抜いた挙句、わかったことは身も心も『化物』なんだと再確認するだけだなんて。

 変わってしまった『眼』で、落ち着いて自分の身体を見れば一目でわかる。少し力を込めようと思うだけで、人間を遥かに超える出力が簡単に出せてしまう。


 だから、心だって……いつまた理性を失ってしまうかわからない。




「……すずか」




 ふと、唐突に声がかけられた。
 自分の中に埋没していたとはいえ、こんなに近づかれるまで気づかないなんて――。
 ばっと勢いよく顔を上げて相手を確認すると、さっきまでの自嘲の気持ちがいっそう深くなった。思わず苦笑いのまま顔を伏せる。



「ただいま……お姉ちゃん」


 
一度確認した視線の先にはお姉ちゃんとノエルが立っていて、よくよく落ち着いて周りを見回せば知っている景色が広がっていた。
 あれだけ飛び回って、あれだけ逃げ回って、結局自分の家に帰ってきていたことに、驚きよりもむしろ納得してしまう自分がいて。
 つくづく、わたしという存在が滑稽に思える。

「少し見ない間に、ちょっと雰囲気変わったわね」

 わたしの背中に生えたままになっている紅い翼を見たのか、お姉ちゃんが少し低いトーンで言う。

「ね。あんまり似合ってないよね」

 言葉尻に乗るようにして、顔は伏せたままへらっと笑いながらそれに答えた。とてもお姉ちゃんに向けられない、情けない顔をしているなとどこか思考の片隅でそんなことを考えていた。
 けれど、どんな顔をすれば正解なのかなんて、わからない。

「……今し方、恭也から連絡があったわ。大まかなことしか聞けていないけれど」

 お姉ちゃんはそれきり黙ってしまい、辺りを夜の静寂が包む。
 何を聞いたかはわからないけれど、きっとわたしに何を言えばいいのかわからないんだと、そう思った。

 なんだかわからないことだらけだ。
 どうして……こんなことになったんだろう。


「……お姉ちゃんは誰かを殺したことって、ある?」

 気づけば無意識にそう訊いていた。

「……どうかしらね」

 沈黙を破るわたしのいきなりの問いに少し面食らったのか、間があった後に濁すようにしてお姉ちゃんはそう答えた。
 その言いよどむ姿に、おそらくは肯定に程近い意味が込められていたのだろうけれど、今のわたしにそれを判断するだけの余裕は無かった。

「今日ね、『一族』を探してるって人に会ったの。その人は実は本物の吸血鬼で、わたしを食べるために誘拐したんだって」

 お姉ちゃんの顔色が変わる。
 恭也さんから聞いていなかったせいなのか、はたまたお姉ちゃんが持っている『一族』関連の情報から思い当たる事があったのか、それはわからなかったけれど。

「わたしは手も足も出なくて、心の中で思ったの……化物って。でも笑っちゃうよね……その人、その後どうなったと思う?」

「…………」

 口を開こうとしたお姉ちゃんから、けれど答えはない。
 答えて、くれない。

 ゆらっ、とよろめくようにしながらほとんど背後の木に体を預けつつおもむろに立ち上がる。

「わたしはただ……アリサちゃんを守りたかっただけなの。わたしが人と違うことを知っても変わらず接しようとしてくれたアリサちゃんを……裏切りたく、なかったの……っ」

 眠ったように静まっていたわたしの中の何かが、感情の高ぶりとともに再び動き出すのを感じる。

 『魔力』……そうあの男の人が呼んでいた、この力。
 御伽噺やファンタジーの中でより一般的なこの名前は、わたし達にとっては空想だけのものじゃないことをわたしは知っている。
 わたし自身はほとんど扱えなかったけれど、お姉ちゃんの書斎で読んだ本にはごく当たり前のようにこの言葉が載っている本があったし、時折妙な感覚がわたしの中を走ることもあった。
 後者で言えば、ここ最近なのはちゃんの側によるとその反応が顕著だった。今だからこそわかることだけれど、あれが魔力。なのはちゃんの中にも大きく渦巻いていた力。

 わたしのと彼女とで違うのは、質。なのはちゃんのそれは、とても澄んだ純粋なエネルギーのような魔力だった。彼女と対峙したとき、それがとても美味しそうにわたしの眼には映っていた。
 手のひらを――全身からうっすらと立ち上り始めたわたしの紅い魔力を見る。澄むどころか、(あの男の人曰く)その魔力に中てられて意識が朦朧とし始めたわたしにさえ禍々しさを覚えさせるその力。



 魔の、力。



「ふふっ、そう……その吸血鬼もどきの話だったよね。あの人、わたしをかばったアリサちゃんを殺そうとしたから、殺しちゃった。ちょっと撫でたくらいですぐ灰になっちゃったの。あんなに弱いのに、どうして化物だなんて思ったんだろう、ふふ……あははははは」

 気がついたら殺していた。
 殺したことさえ気がつかなかった。

 それさえ曖昧なほどに呆気なく躊躇無く、わたしは彼を殺した。
 その時の事を思い出し、知らずこぼれ出るようにして溢れる笑みを、残されてる理性で以って手で覆うようにして抑える。
 まるで一瞬だったけれど、その時の高揚感と光景は今も焼きついて離れない。だって、本当に楽しかっ――。




「そう。だからすずかは……泣いてるのね」

「――ははは、は……え?」




 お姉ちゃんは、わたしの話に表情を変えずそれだけを言った。
 言われた意味がわからず一瞬呆けていたわたしの頬。手で隠すようにしていたそこに、何かが伝っているのが遅れてわかった。


 わたしは……泣いてるの? どうして……?


「すずかを襲ったその人を化物と認めてしまったら、自身も化物であると認めなきゃいけない。その人を人だと認めれば、人を殺してしまったことを認めなきゃいけない」

「え……?」

 お姉ちゃんは初めてわたしから視線を外し、自分を抱くように腕を組んで俯き、続ける。

「私達でなかったら、事はもっと単純だったのかもしれないけれど……」

 それは、わたしの心に重く圧し掛かっていると思っていた十字架とは別の真実。聞いて、すっ、とそれまでわたしの中を駆けずり回っていた魔力が霧散してしまう。
 魔力と同じく霧が晴れるようにして思考も回復する。アリサちゃんとなのはちゃんを死なせてしまいそうになったことばかりを考えていたけれど、そうだ……それ以前にわたしは……。



 もう、人を殺していたんだ。



 どうして、そのことを考えずにいたんだろう。
 どうして、わたしは……こんなに……。

「あは」

「……?」

 そっか。
 もう。
 どっちにしても。

「あははは」

 わたしを中心にして、足元から紅い魔力が小さく渦を巻き始め、周りの空間を抉るように、飲み込むように、次第に大きくなっていく。それはやがて、一つの竜巻のように。

 顔を上げる。
 余波が暴風となって叩きつけられているのだろう、立っているのがやっとのお姉ちゃんとノエルが見えた。

 一度引いた魔力が何度目かわからない暴走を起こす。
 無意識に、あるいは意識的に。
 ブレーキを踏む必要なんて、ない。


 何故なら。


「あははははははははははははは!!!!」

「忍様! お下がりください!!」



 もう、戻れないんだから。


 
「くっ!!」


 わたしの思考を、世界を、紅が支配する。


 お姉ちゃんを後ろに押しのけ、今まで黙っていたノエルが暴風をかき分けわたしを止めようと無理やり前に出てきた。
 その腕を伸ばす動作は彼女の本来の実力からすればあまりに緩慢で、わたしを傷つけずに取り押さえようという意思がありありと見て取れる。

「――え?」

 だから、ノエルがその腕をわたしに掴まれたと知覚するより速く、その腕を組んだほうと逆の手から伸びる紅い魔爪で切り上げるように切断するのは非常に容易だった。


 自動人形。
 機械で出来た彼女のその切断面から血が吹き出ることは無く、代わりにわたしには理解できない液体や部品がその顔を覗かせている。

「――ッ」

 腕を切られたというのにその後の反応はさすがと言わざるを得ないもので、このレンジは危険だとわずか一瞬で冷静に判断した彼女は、わたしから距離と取ろうと大きく後ろに跳ぶ。

 けれど。

「っ!? しま――」

 着地する瞬間のノエルのお腹に、わたしに切断され投擲された彼女の腕が突き刺さり、その勢いを殺しきることなくさらに後方へと吹き飛んでいく。
 十数メートルの距離を飛んだ後、木に勢いよく当たる事でようやく止まり、彼女はそのまま動くことなく崩れ落ちた。

「ノエルっ!!」

「あはっ……」

 信じられないものを見たかのように叫び、倒れたノエルに向かって駆け出したお姉ちゃんを見て、湧き出してきた喜悦を隠さずに笑う。
 わたしに背を向け、倒れたノエルを抱き起こしていたお姉ちゃんの真後ろに音も無く一瞬で跳び、お姉ちゃんの肩からノエルを覗き込みながら満面の笑みで以って、

「やっぱりノエルは頑丈だね。貫けるかなって思ったんだけど」

「――っ!?」

 背後からかけられた声に一瞬全身が強張り、間髪いれずノエルを抱えたまま獣のように飛び上がって逃げるお姉ちゃんの、そんな一連の反応を観察して楽しむ。
 それをわたしの表情からすぐに察したお姉ちゃんが、多くの負の感情が入り混じった顔を浮かべてわたしを睨み付けた。

「すずか……あなたっ……」

「そんなに睨まないでよ、お姉ちゃん。傷ついちゃうなぁ」

 言葉とは裏腹、笑顔は張り付いたままに。
 今度は右手に魔力を集中し、反応を楽しむためにわざとギリギリ避けられるような散弾として飛ばそうと振り上げる。

「それじゃあ、これはどう――」





「はいストップ、そこまで」

 ガッと、その腕が聞き覚えのある声と共に背後から掴まれた。
 それと同時、掴まれた腕から流れ込んできた魔力が、集中していたわたしの魔力に這入り込んで溶ける様に消失してしまう。この感覚にも、似たような覚えがある。

「さぁて終局だ。いい加減俺も疲れたしな」

 回した首で肩越しに見えたのは、夜に溶けるような黒いコートだった。





 2.同日 同時刻

「どうして……――っ」

 俺がここにいることが信じられないといった体で一瞬驚きはしたようだが、どうやら心当たりがあったのか、すずかちゃんは直ぐに我に返ると通し直した魔力でもって強化した腕力で俺の拘束を振り払い、距離をとるようにして横に跳んだ。

「せっかく苦労して正気を取り戻したっつーのに、何でまた……。……ん?」

 正直面倒に思いつつ、それを眼で追いながら愚痴にも似た呟きをこぼすと同時、違和感を覚える。
 すずかちゃんから溢れ出す魔力が、どうにもさっきよりブレていて安定していない。まるで雑念が入って、集中できていないような印象を受ける。

 これは……。

「無事か、忍」

 と、思考に埋没しそうになっていたところに正面、つまり片腕の無いメイドを抱えた女性がいたところから妹魂の声が聞こえる。

 ええ、私はと力なく返事をする女性――彼女が道すがら聞いたすずかちゃんの姉だろう――の傍にいつの間にか立ってその安否を確認していた。

 体中、泥だらけで。

「おお、生きてたか。すまんかった、妹魂」

「貴様、本当に謝る気がっ……いや、いい」

 ここに来る途中とうとうなのはちゃんがガス欠一歩手前になり、さらにアリサちゃんを抱えての飛行では速度を落とさざるを得なくなってしまった。
 とはいえ、こちらで何が起きるかわからない現状もたもたしている時間は無く、仕方なく俺達が先行したのだった。
 リンディさんは民間かつ関係のない金髪ちゃんを現場に連れて行くことに反対していたけれど、今一度すずかちゃんが反転してしまっていたら彼女は必要不可欠な存在になると説得し、後からなのはちゃんと一緒に来るよう言ってある。

 彼らの船を経由して空間転移魔法を使う手もあったが、今疲弊した状態で敵(と思われているだろう)地に乗り込むのは勘弁だった。あのクソガキが出て来ていないのも気になるし。組織のやることはいつだって怖い。ちなみになのはちゃんにも『今戻ったら出してもらえないかもよ』と言い含んではある。それに意味が有るか無いかは自分でもわからないが。

 とまぁ、そんなこんなで急行したら案の定危険な雰囲気になっていたので、突っ込む、魔力糸切る、着地頑張って! と最小限の情報をぶら下げていた妹魂に与えて吶喊し、今に至るわけだ。

「あ、貴方が来たってことは……」

 俺から少し距離を取ったすずかちゃんが、俺に、あるいは自分に確認するかのように呟く。きょろきょろと首を回したりはしないが、どうやら辺りの魔力を探っているようだ。
 その表情は、ただただ不安一色に染め上げられていた。

「ふーん、やっぱりそっか」

 そんなすずかちゃんの様子を眺め確信を得た俺は、得心いったように一人ごちる。そんなつもりはなかったのだが、それがやけに周囲の注目を集めてしまい、一斉に視線を浴びた。
 まぁ別に構わないので話を進める。



「なんだ。すずかちゃん、ちゃんとしっかり自分の意識あるんじゃん。なんでそんな無理してんの?」



 え? と返したのはすずかちゃんとそのお姉さん。

「ちょっと魔力に中てられることはあっても、さっきみたいに反転……暴走状態ってわけにはなってないと思うんだけど……冷静に、どう?」

「え? ……あ、だって……え……あ、あ……」

 俺の問いに、さっきまでの不安な表情からさらに狼狽した様子になり、要領を得ないことをぶつぶつと呟いている。
 理由はわからないけれど、魔力を練ることで無理やりハイになろうとしていたようだ。
 本当の暴走状態の彼女なら俺が何か言ったくらいじゃこうも簡単に存在が揺れたりはしないはず。優雅に流されるか、せいぜい怒髪天を突く勢いでキレられて大バカ魔力をぶちまけられるくらいか。
 少なくとも、なのはちゃんを獲物だと心の底から思っているような状態ではない。
 制御が出来ない故に、どうにもアクセルも中途半端にしか踏めなかったらしい。

 だから、今は。

 正気を指摘され、紅い魔力は急速に霧散し、眼ももとの色に、羽も先から空気に溶けるように散っていく。
 輝きを失い、暗闇に残ったのは、本当にそんな力を持っているのかどうかさえ疑わしい、若いというにはあまりに幼い少女。
 後悔に押しつぶされ、今にも夜の黒に消えてしまいそうなほど、その存在は希薄に過ぎた。


「すずか……」

 お姉さんが小さく声をかけるが、反応がない。

 そろそろ真上に差し掛かる満月の光がわずかに走る暗い森の中、吹いた風で揺らめく葉が擦れあう音だけが聞こえる。


「あー……」


 このままだと苦手な空気が蔓延すること請け合い、場違いになること請け合いな俺が、どうにか換気を試みようと声を上げる。
 例によって視線を集めてしまうが、ただの換気トークにそれ程注視されても俺の力量では捌ききれない気がしてならない。
 ぶっちゃけ、彼女ピーキーすぎる魔力炉だなぁぐらいの思考しかしていなかったし。

「あのさ、なのはちゃんや金髪ちゃんが危ない目に遭った件云々は、そんなに気にすることじゃあないと思うよ。……俺が言えた話じゃないけど」

 だから、慣れない上に上っ面な慰めなんて始めてしまった。さっきの不用意な発言を反省して慎重に言葉を選んだつもりだが、何を言っても悪手にしかならない気がしてならない。

 やっぱりチョイスは失敗だったようで、二人の名前を出した途端凪のように静かだったすずかちゃんの肩がびくっと震え、膝を折って崩れ落ちてしまったのだ。
 やってしまったかと焦った俺を追い撃つように、すすり泣くような声が聞こえてくる気がしてならな…………事実だった。

 完全にパニックに陥った俺と、『ああ、女子小学生を泣かしてしまうとか、人として元々終わってたけど、男としても終幕だな』なんて冷静にそんな自分を見つめる俺がいて、頭の中がカオスこの上ないことになっている。

「……チッ、あー! だから、なのはちゃんにしても金髪ちゃんにしても俺が二人を差し向けたようなもんだから君が気にするようなことは何一つないって言ってッ……るんです、はい。ええ……もちろん同意はちゃんと取ったんですけどね」

 少々語調が荒くなり、言ってんだろ!? と怒鳴ろうとするのを何とか押しとどめたり、今の発言を聞いた妹魂から眼に見えないプレッシャーを感じたりして最後の方は尻すぼみになってしまった。
 プレッシャーだけで口を挟んでこないのをありがたいと思うべきか否か。

「もう、心の方は大分落ち着いてるんでしょ? どうして、またここで暴れてたのさ?」

 どうにも反応が得られないため、違う角度からリアクションを引き出そうと試みる。と言っても、少し前に訊いたものの雰囲気でスルーされたのをもう一度繰り返しただけなのだが。

「…………から」

 努めて優しい声が功を奏したのか、ようやくすずかちゃんが喋った。しかしそれは余りに小さい声で、少し距離がある俺の位置では聞き取ることができない。

「ごめん、なんて?」

「…………て、…………った、から」

「え?」

 俺の無神経(自覚は無し)な態度にすぅっ、と息を呑む音が聞こえた。


「わたしは!! もう戻れないって! 人を殺しちゃってっ、その上大好きな友達さえ殺そうとしたの!! そんなの人のすることじゃない! 『化物』のわたしにはもう、アリサちゃん達の友達でいる資格なんてない!! けどそんなの本当は嫌で……それならっ、いっそ――」





「舐めんじゃないわよ馬鹿すずかぁっ!!!!」





 怒号に次ぐ、夜を吹き飛ばすようなさらに大きな怒号。

 俺達に向かって涙を流しながら心内を叫んでいたすずかちゃんの後方、さらに少し距離があるところにいる俺でさえびっくりするような大声で、いつの間にかここに辿り着いていた彼女――――金髪ちゃんがなのはちゃんに肩を貸しながら、すずかちゃんの声をかき消すかのように吼えたのだ。

 金髪ちゃんが腹の底、心の底から叫んだたったその一言に、跳ねるように肩を震わせ、目を見開くすずかちゃん。

「あんまり、下らないこと……グチグチ言ってんじゃ、ないわよ。もう一度言ったら……絶交、するからね」

 腰を上げることなく、呆然としてその場から身と首を捻る様にして後ろを向いたすずかちゃんは、さっきの大声で息が切れたのか途切れ途切れにそんなことを言う金髪ちゃんと、普段なら今の大声で目を回してそうなものなのに、何も言わないけれどしっかりとすずかちゃんを見て微笑むなのはちゃんを見て、くしゃっとその顔を歪め、やがて年相応の泣き顔で大粒の涙をこぼし始めた。

「ひっ……く、ふ……うあ、うわぁぁぁぁ、うわぁぁぁああああんっ、あぐ、ひぐっ……うあああああぁぁぁぁん」

「ばかっ……あんたがそんな風に泣いたら……あたしまで……もう」

「すずか、ちゃん……っ」

 わんわん泣き出したすずかちゃんに二人でゆっくり近づきながら、彼女たちもまた堪え切れなくなったように目尻いっぱいに溜めた涙を流すけれど、その表情は笑顔だった。

 やがて泣いているすずかちゃんのすぐ傍までやってくると、何も言わずに――この位置からは聞き取れないような声で何か囁いたかもしれないが――二人して彼女を抱きしめて、泣きながら笑っていた。

 それを見て安心したのか、俺の位置から見える妹魂とすずかちゃんのお姉さんが静かに笑いあっている。彼女の腕の中にいるメイドさんもどうやら意識を取り戻しているようだった。


「……ふぅーっ」


 ようやく……ようやく、俺も気を抜くことが出来るようだ。
 しかし、端から見たら感動のワンシーンなのかもしれないが、たったあれだけで解決するなら最初から妹魂じゃなくて金髪ちゃんを連れてくればよかったなぁ……なんて、三人を横目で見ながら思ってしまう俺は、やっぱり場違いなのかもしれない。

 少しだけ目のやり場に困り、見上げれば満月が浮かぶ静かな夜に、小さな少女の泣き声だけが静かに響き渡っていた。














「時空管理局のクロノ・ハラオウンだ。事態が沈静化したなら少し話を――――」

「ダァァァクネスッフィンガァァァァアアアアアアア!!!!!!」


 今頃になって突然現れ何か言い出したソレを、言い切らせる前に顔面を右手で鷲摑みにしたままぐん、と後ろに振り上げ、勢いよく地面に叩きつけた上に手のひらから魔力を炸裂させる。
 パァンという音と同時、黒い魔力の残滓がソレの顔面から放射状に弾け飛んだ。

「………………あーくそ、クソガキ一匹殺す威力も出ないとか」

 開けた手の先には、ほとんどダメージを受けずただ気絶しているだけのクソガキ。
 今ので完全に魔力の方は打ち止め。

 本当、気を抜いてられないなぁ。

 なんて、場違いどころか雰囲気をぶち壊したせいで突き刺さる視線の数々(実際には突然何が起きたかわからず戸惑っているだけ)に耐え切れず、俺は一人現実逃避を始めたのだった。





 3.同日 その数分後

「はぁ? 何かと思ったらあの動いてるだけの死体のことかよ……うぐ、可愛い……あんなもんノーカンに決まってんだろ。在るべきものを在るべき姿にしただけだよ……ぁぁ、欠伸した……褒められこそすれ、殺人者の汚名を着ることなんか絶対に無い。君は、誰も殺してなんか無いよ。……一匹くらい持ってってもばれないんじゃ……」

「でも……」

「野郎は完璧に君達を殺す気だったんだ。表のルールでだって、君を裁けはしないさ。だろ? ほーれうりうりー……」

「当っ然じゃない!」

「…………」

 そこかしこにいる猫を愛でながら言う俺の言葉に、すずかちゃんの隣に座っている金髪ちゃんが力強く同意するが、彼女の表情の曇りは案の定晴れない。まぁ、少し言ったくらいで彼女の十字架が取り除けるなら、すずかちゃんは自分から暴れたりはしなかっただろう。ちょっと会話しただけで、それくらいのことは十分承知していた。

「それに、もし誰かに責任があるんだとすりゃ、とっとと野郎にトドメを刺さなかった俺と、所構わず斬り飛ばした妹魂だよ」

「……その通りだ。君にこんな思いをさせてしまって、本当にすまなかった」

「そ、そんなっ。頭を上げてください恭也さん!」

 半ば冗談のつもりで言った言葉を、どういうわけかそのまま受け取ったらしい妹魂が唐突にそんなことを言って思い切り頭を下げ始めた。それを止めようと、床に座っていたすずかちゃんが立ち上がろうとする。

 ……のを、制する。

「駄ぁ目だってば、『そん中』から出ないの」

「はい……」



 あの後3人、というよりすずかちゃんがようやく泣き止んだ頃になって、すずかちゃんのお姉さん――忍さんだと自己紹介された――が俺も含めた全員を家の中に案内してくれた。
 無論俺も名前……というか「で、貴方は何なの?」と聞かれたのでいつも通りテキトーにはぐらかしていたら「じゃあ私は貴方のことを不審者ブラックって呼ぶわ。あら、我ながらカッコイイ名前じゃない」なんてのたまったのだ。
 俺と妹魂、メイドさんの3対の気の毒そうに向けられた視線に忍さんが気づくことはなかった。

 メイドさんはまさかのめいろろぼ……否、メイドロボだったようで、片腕が無いくらい訳ないらしく、今はもう一人のメイドさんと一緒にお茶を出してくれている。

 片腕で。
 っていうか元から取れるとかなんとか。

 なのはちゃんはこれまでの疲労と、泣いた疲れからかとうとう眠ってしまい、妹魂と忍さんが腰掛けているやたら長くてでかいソファに横になって寝ている。その姿は既に魔法少女ルックではなく、女の子らしい普通の私服だった。

 俺はというと、部屋に入ってすぐ視界に飛び込んできた猫達の海に飛び込んで心ゆくまで癒されつくしたいという願望を何とか押さえ込んで、許可も取らずに床に魔方陣モドキを描き始める。
 そこら中に漂う魔力素をかき集めて、自己生成したばかりであろう魔力をほんの少し(しか出ない)だけ混ぜ合わせて形を作り整えていく。
 ルーンやらなんやら、かなりうろ覚えな知識を総動員してどうにか作り上げたその半径1メートルくらいの一切発光しない黒い陣。
 突然そんなことをしだした俺を呆然と見ていた周りの人達も、一体どういうことかと口を開きかけたのを横目で確認し、それを押しとどめてすずかちゃんを手招きして呼び寄せた。
 不安そうに足を出しあぐねるすずかちゃんを、金髪ちゃんが手を取ってこちらに優しく引っ張ってくる。

「ちょっとこの中に入っててくれる?」

「え……?」

「あたしも一緒に入っていい?」

「え? あー、うん。…………………………たぶん」

 目がダメだといっても無駄っぽい。まぁ多分問題ないからいいんだけども。多分。

「ほら……」

 そうして、また金髪ちゃんが手を引いてすずかちゃんと一緒に陣の中に入っていく。その様子を見る限り特に違和感を覚えたりすることは無いようだ。

「んじゃ、ちょっと意識的に魔力を出そうとしてみてくれる?」

「え……でも……」

「あー、やばかったら直ぐに止めたら大丈夫だからさ。俺もすぐ傍にいるし」

 ……勿論、既に空っぽの俺が傍にいたからってどうということはないのだが。

「とにかくやってみてよ」

「……はい」

 それでも不安そうな顔をするすずかちゃんを元気付けるように、繋いでいる手を金髪ちゃんがそっと握りこむのが見えた。
 それが切欠か、すずかちゃんが集中するように眼を閉じたが、すぐに何かがおかしいことに気づいたのか目を開いて疑問の声を上げる。

「あれ……力が、でない……?」

「え……?」

 隣にいる金髪ちゃんもすずかちゃんの呟きを受けて、疑問を揃えた。
 今更だが、もし陣の形成にミスってて魔力が吹き出たら金髪ちゃんやばかったんじゃないのかなー、なんて頭の片隅で思ったけれど口にはしない。

「どういうこと?」

 訊いたのは近づいてきた忍さん。

「んー、詳しいことは省きますけど、あの上とその周辺……もちろん円内が一番強力なんですが、そこで出た魔力ってのは全部下の陣に吸収されてたちまちなくなっちゃうんですよ。まぁ対象の拘束性が無い上に物理的な耐久性が0な時点で実用性は皆無極まりないんですけど、対象に動く気も破壊する気も無いこの場合なら問題はないでしょうね」

 そちらに向き直り掻い摘んだ説明をすると、次はその後ろにいた妹魂が続ける。

「それは解ったが……しかしずっとこのままという訳にもいかんだろう」

「んなこたわかってるっつーの。なんで俺がここまでしなきゃならないんだかって思わないでもないけど、ここまで乗りかかった船だし? 可愛い女の子達の未来の為だと思えばモチベーションもそこそこ上がるしな。任せろ、ちゃんと手は考えてあるよ」

 首を回してゴキゴキ音を鳴らせながら、眼も合わせずにすたすたと歩きながらそれだけを答える。
 その先には気絶したまま転がってるクソガキ。こいつ、よく見たら俺の攻撃とはまったく関係なく最初からボロボロだったのだが、一体なにがあったのやら。

「すいません忍さん、ロープかなんかありますか?」

「ノエル~」

「ここに」

 音もなく現れ、忍さんに縄を渡すとまた音もなく消えたメイドロボ。一切の出来事に突っ込みが入らないのを見るに、ここでは当たり前な光景らしい。
 メイドさんがロボットだって聞いた時は金髪ちゃんも一緒に驚いてたのに……。

「ありがとうございます」

「で、その子はどこの誰なわけ? ブラックが殴る前になんか言ってた気がするけど……」

「もう少ししたら多分わかると思うんで、今はとりあえず拘束しときましょ。……っていうかブラックは勘弁してください」

 とりあえず手首、胴体、足首の3点拘束で動きを封じ、担ぎ上げてすずかちゃんと金髪ちゃんに当たらないように陣の中に手荒く放り込むと、クソガキのトゲつき戦闘服が陣の効果で解除される。

 余談だが、最初亀甲で縛ろうかと思ったけれど、さすがに男の尊厳まで奪うのは躊躇われたので勘弁してやった。しかし随分と人を縛りやすい縄だな……こんなのがポンと出てくるっていうのはこの家はどういう……いや、考えるのはよそう。

「男と女に対する扱いがまるで別物だな……」

 妹魂の呟きにそこそこ自覚はあったが、直す気は皆無である。
 再びすずかちゃん達の方に向き直り、説明を続ける。

「そういうわけで、申し訳ないんだけど最低でも丸1日はこの中から出ないで欲しいんだ」

「え……? え、えと……一日で、いいんですか……?」

「やっぱ長いかな? 死ぬほど頑張っても明日中にどうこうするのは無理なんだけどな。魔力の回復も待たなきゃいけないし」

「そうじゃなくてっ……その、もっとずっと……封印、みたいなこととか……」

「それはないな。少なくとも俺の手札ならもっとハッピーな結末を用意できるよ。……まぁ、そこで伸びてるガキのプランはそんなとこじゃないかなと俺は勝手に思ってるんだけど」

 俺の言葉に、陣の中の二人がぱぁっと顔を輝かせて笑いあったり、ばっと二人の後ろで気絶してるクソガキを振り返ったりする。
 本当に管理局がそんな方法を取るかどうかは推測でしかない上に多分に悪意がミックスされているが、それはこちらの土俵で話した後に判断すべきだろう。


 というわけで、一通りの話が終わってようやくのにゃんこタイムである。『この世界』に来てすぐネコと戯れたような気もするが、どうにもあの時のことは意識がぼやけていてよく思い出せない。だからこれが初のにゃんにゃん時間だ。
 立てかけてあった猫じゃらし入れから一本抜き取って、耳と尻尾が長い黒猫の前でふりふりする。
 しかしおねむなのか、まったく相手にしてくれない。だがそれがいい。可愛い。可愛いは正義。よく見たらこの子左右の眼の色が違うや、青と黄色。眼が可愛い。メガ可愛い。

 まったく何でこんな事になったんだと思っていたものの、こんなにも素晴らしいご褒美が後に待っていたなら俺は明日も戦える。
 でもホント、どうしてこんな……こと、に…………な………………?




 ヒラリ、と脳の片隅でスーパーのチラシが舞い落ちた気がした。




 それから数分後、多数のネコにたかられつつも胡坐をかいたまま微動だにしない俺を不審に思った妹魂が俺の肩を叩いて正気を取り戻すまで、思考が次元の狭間をさまよっていたのだった。


 そうしてどうにか状況が落ち着いてきたころ、冒頭のすずかちゃんへの話に繋がる。
 正直誰を何人殺したとか、少し麻痺を起こしている感のある俺が彼女の為になるような話は何も出来ないだろうけど、少なくともこの場合すずかちゃんに非が無いのは誰が見ても明らかだ。
 足しにもならないだろうが、とりあえずそれだけは言ってやった。
 後ぬこ可愛い。

「それ位で参ってたら殺傷数でジ・アースとタメ張るぐらいの俺はどうすりゃ……あー、それは言い過ぎにも程があるかな。いや、どうなんだろう」

「……?」

「忍様」

 と、こっちの話もそろそろ一段落つきそうというところでメイドロボ1号さんが忍さんに声をかけた。
 どうやら来客らしい。こんな時間と状況だから帰ってもらうよう告げる忍さんに待ったをかけ、1号さんに聞いてみる。

「その人、地球人離れした髪の色の女性でしたか?」

「地球人離れしているかどうかは存じ上げませんが、ハラオウン様とおっしゃっておりました」

「後ろに何人かいませんでした?」

「いいえ、御一人で」

 むぅ、玄関から一人で来たか……さすがにできる。そう都合よくはいかないか。

「ハラオウン……?」

 言いつつ妹魂が今だ陣の中でのびているガキを見やる。

「そういう事。関係者ですよ、忍さん。通してあげてくれませんか?」

 そして程なく俺たちがいる部屋に1号さんに付き添われてリンディさんがやってきた。

「あっ」

 声を上げたのは金髪ちゃん。
 ここに来るまでの空間モニターで画面越しといえど顔を見ている故の反応だろう。妹魂もどうやら警戒を強めているような印象を受けた。

「びっくりしましたよ。まさか一人で、それも玄関からくるなんて」

「よく言うわね。まるで結界が張ってあるみたいに通信も状況の傍受も出来ないようにしてるくせに」

「それでも、もっと数で押して制圧でもしてくるんじゃないかと内心焦ってたんですよ」

「それこそだわ。クロノが捕らえられている状況で貴方相手に不意打ちなんて自殺行為もいいとこでしょう。……クロノは?」

「そこで伸びてます。……あぁ、気絶してるだけですよ」

「…………」

 リンディさんはそちらを見やり、それを確認すると再び俺の方に視線を戻した。

『それに、これ以上彼らの心証を悪くするのは、私達にとってはどうあっても避けるべきことなのよ』

 最後は念話に切り替えての話だったが、なるほど、と一人得心する。これからのこの人の苦労を思えば俺の作業なんて大したことはないだろう。

「お初にお目にかかります。私は時空管理局提督、次元航行艦アースラ艦長のリンディ・ハラオウンです。以後、お見知り置き下さい」

「時空……」

「管理局……?」

 見事なお辞儀でもってそう告げるリンディさんだが、どうにも違和感が拭えないのは俺だけだろうか。
 しかし、俺以外の人間はどうやらその雰囲気と聞きなれない単語に早速飲まれそうになっているようだった。

「私達は――」

「はい、待った」

 それは俺の望むところじゃないのでストップをかけ、後を続けようとすると、

「や、やっぱりあんた達ね!! なのはを無理やり戦わせてるっていうのはっ!!」

 なんと、金髪ちゃんから思わぬ援護射撃が入った。
 ちょっと前にした話と今の状況を結びつけて考えられたようだ。まぁそのつもりでした都合のいい話だし、そうならないと困るのだが。妹魂もいよいよ臨戦態勢に入っている。
 まぁあの子は無理やり戦わされてるわけじゃあ、これまたないんだろうけどなぁ、なんて無関係を装った無責任な感想を今のを聞いて思ってたりもするが。

「つまり、やっぱりあんたはなのはの敵だったわけ……」

 おっとー、援護射撃かと思ったら背後からのヘッドショットだったぞ……。そんな悲しそうな声で言われると俺まで傷つくじゃないか……。

「俺は別に、なのはちゃんにしろ管理局にしろ、『敵』だと思ったことはないよ。味方じゃあないかもしれないけれど」

 とりあえず空気を誤魔化す為に、曖昧に答え相手を煙に巻こうと試みる。無論、煙に巻いただけで不審に充ちた視線が途切れることはなかったが。

「えっと……、まず俺が言いたいのは、リンディさんにはなのはちゃんを預かっている身として、こんな事態になった以上その家族に対する説明責任が生じてるって話」

 月村邸に来る途中に妹魂がなのはちゃんから聞き出した情報を元に、実際に言いたいこととはまったく関係のない話――リンディさんに不利な話を展開して場の再びの掌握を試みる。
 言いながら妹魂の方をチラッと見やると、野郎もそれに答えるように頷いた。

「それは……勿論私もそのつもりでここに来たわ」

「なら、ここにいる人間にだけ話したってしょうがないんじゃないですか?」

「何が……言いたいの?」

「簡単なことですよ。日を改めましょうってだけです。そうだな、明後日……もうちょっとで明日になっちゃうか……その日の午前10時、役者を揃えて同じ場所で」

「ちょっと、貴方何を勝手に……」

 その通りだけどむしろその台詞は忍さんの台詞だと思ったり思わなかったり。

「忍さんと妹魂はそれでいいかな?」

 二人を置き去りにして話を進めていたのに、唐突に振られて眼を合わせあう二人。
 もうナチュラルにシスコン呼ばわりだが、誰も止めるものがいないのはどういうことなんだろう。

「……かまわないわ」

「だそうです」

「…………わかったわ。けれど、彼女は……」

 リンディさんの視線が、陣の中に座ったままのすずかちゃんを捉えた。もともと不安げだったすずかちゃんの瞳がゆらゆらと揺れ、焦点が合わなくなりそうになっている。
 ざっ、とその視線からかばう様に金髪ちゃんがその前に躍り出て、9歳とは思えないほど威圧感のある眼でリンディさんを睨み返した。

「危険すぎる、ですか?」

「……ええ」

「それで? 管理局としてはどうなさるおつもりですか?」

「できれば彼女を連れ帰って検査して、元に戻す方法を……探すわ」

 冷静に言葉を繋いでいたが、最後の最後にリンディさんの視線もまた大きく揺れた。なのはちゃんからすずかちゃんに関してある程度の情報を得ているようだが、どうやら管理局……か、少なくともリンディさんの手元のカードではどうすることも出来ないようだ。

 思わず笑いそうになるのをこらえる。

「くはっ……いや失礼。見つからなかったら?」

「その時は……」

 視線が泳ぐ。答えあぐねる。
 まぁ予想通りろくな方法は出てこないだろう。

「そういえば伝言、伝えてくれました?」

「え? ええ……けど提督は――」

 一瞬何のことだかわからずに呆けていたリンディさんだったが、すぐに思い出して俺が満足いく答えをくれた。
 貸しにしようかと思ったが、それでイーブン。チャラだ。

「いえ、おっけーです。わかりました。彼女、すずかちゃんに関しては俺にいい手があります。もともとそのつもりで明後日という日取りを提案したんですから」

「詳しくは……教えてくれないのね?」

「ええ。なんせ当事者達にも言ってませんから」

 そう言うと彼女は驚き、妹魂たちの方を向いて訊ねる。

「貴方たちはそれでいいの?」

「……正直なところ、いいはずがありません。しかし、俺やなのはがただうろたえるしかなかったであろう状況を最も把握して対処していたのがおそらくこの男です」

「私は、今も本当は状況がよく飲み込めてないんだけど……すずかの為に誰が頼りになりそうかで言えばブラックしかいないなぁ、なんて」

 ブラック? 忘れてください。
 なんて小声で掛け合う。

「いや、本当に大丈夫ですから。任してくださいってば」

「……わかったわ、もう」

「よかった、まだごねられたらクソガキ人質にして脅すしかなかったですからね」

「貴方は……」

 どっ、と疲れが押し寄せたようにリンディさんの顔が歪む。
 すたすたとクソガキの傍まで歩いて担ぎ上げ、縛ったままリンディさんに引き渡す。彼女が持てるかどうか不安だったが、こう見えてリンディさん、力はある方のようだ。コイツがチビ過ぎるだけかもしれんが。

「そういえば、俺が気絶させる前からボロボロだったんですけど、何かあったんですか?」

 母親にお姫様だっこされている14歳を指差して聞いてみる。

「実はさっきの騒動とほぼ同時にもう一つのジュエルシードが発動して、クロノにはそっちに当たってもらっていたんだけど……いえ、この話も明後日しましょう」

 なるほど、クソガキがこっちに来なかったのはそういう理由もあったのか。もしカチ当たるとしたらフェイトちゃん達だろうけど、私見では犬耳さんと二人がかりでもコイツに勝てるとは思えないんだけどな。

「今日のところは、これで解散かな。なのはちゃんは帰宅させても構いませんよね?」

「ええ……。ダメって言っても、そっちの彼は了承しないでしょうしね」

「ですね」

 気がつかなかったが、妹魂の立ち位置は完全にソファで寝ているなのはちゃんを守る構えである。
 俺がそれを確認すると、リンディさんは来たときのように玄関から出て行ってこの場を後にした。




「お前も骨折れてたり、きっつい戦闘したりで疲れてんだろ。ちゃんと休めよ」

「この程度でへこたれるような鍛え方はしていない」

「左様ですか」

「それと……」

「あん?」

「すまなかった……。虫がよすぎる話だが、すずかを……義妹を頼む……っ」

 心底びっくりして思わず振り返ってしまった。
 俺に向かって頭を下げている男の上体を無理やり上げて言う。

「待て待て待て、まだ何もやってないから! ちゃんとやるから! そんなことせんでいいから!」

「私からも、お願いします」

 言って隣にいる忍さんも同じように頭を下げ始める。
 正直こういうのはあまりにも苦手すぎて困ることこの上ない。そう言って頭を下げ続ける二人になんて言ったらいいか答えることが出来ずにいたが、突如天啓が閃いた。

「じゃあ、あれだ。明後日山ほどの持ち帰り用のシュークリームを用意しといてくれ。マジで山ほどな。それと、俺が客として翠屋に行っても追い回さないで欲しい。それで今回の件は貸し借り無し! な?」

「そんなことで……いや、わかった、約束しよう。……ありがとう」

「だからまだ何も……はぁ」

 もう相手にしてられないとばかりにため息を吐いて、魔方陣の方に向かう。

「そういうわけだから、その間ちょっと不自由だけどごめんな」

「いえ……こちらこそ、なんてお礼を言ったらいいか……」

「まぁまだ何もやってないんだけどね……金髪ちゃんはどーするの?」

「アリサ」

「は?」

「あたしの名前はアリサだっつーの! あんまり金髪金髪言わないでよね!!」

「お、おう。アリサちゃん、だな」

「で、あんたの名前は?」

「ああ、俺のことはおにーさんで揃えてくれて構わないぞ」

「いや、だから――」

「あ、言い忘れた、さすがに今晩は不味いけど、朝日が昇ったらトイレぐらいなら行って大丈夫だから。でもまぁなるべくこの上で過ごしてね」

 また名前の話題である。なんでそんなにみんな人の名前が気になるのだろうか。別になんて呼んでくれてもかまわないのに。ブラックでも本当は別にどうでもいいし。
 とりあえず煙に巻くべくそんな話を持ち出すと、案の定すずかちゃんは真っ赤になって俯いてしまい、アリサちゃんは烈火のごとく何事か叫び始めた。

 そんな大きな小言を聞くつもりもなく、黒い魔方陣に触れて、そこに蓄えられた魔力を一部引き出して吸収し、後ろに大きく飛びのくと同時、転移魔法を展開する。

「んじゃあ、また明後日」

 それだけを言い残し、一瞬の後フェイトちゃんのマンションの屋上に立っていた。
 次いで、どたっと崩れるように仰向けになる。ちょうど真上に大きな満月が光っていた。
 どうやら既に日付は変わったようだった。





「あー、もうスーパーやってないだろうなぁ、さすがに」




 本当、どんな謝り方をすればはやては許してくれるだろうか、誰か俺に教えてはくれないだろうか。



[10538] 第二十六話 3日① 家族会議+α
Name: 未定◆81681bda ID:9de1540b
Date: 2012/08/09 10:59
1.5月3日 朝

「くはは、禁止令でゴッドバードアタックを伏せることすらできまい。リミリバでレスキャを指定。通る?」

「……通る」

「優先権を行使して効果発動、デッキから二体の獣族モンスターを特殊召喚。通る?」

「……通る。つか、チューナーちゃうんかい」

「シンクロなど不要。場の三体をリリースしてオベリスクを召喚。通る?」

「神て……通るも何もあらへんやろ……」

「そうね、じゃあバトルフェイズに移行します」

「……どーぞ」

「じゃあオベリスクでBF‐アーマード・ウィングに攻撃。通る?」

「……? 通るけど、アーマード先生は破壊されへんしダメージも発生せぇへんで?」

「ならチェーンして、手札からエネコン発動。アーマードを守備に。どう?」

「守備かて同じ……ってまさか……。なんも止められへんから、もういちいち聞かんでええよ……」

「そか。ならさらにチェーンしてDNA改造手術を発動、獣族を指定。チェーンして手札から禁じられた聖杯を発動、アーマードの効果を無効に」

「…………」

「最後に、チェーンしてリビングデッドの呼び声で墓地の激昂のミノタウルスを特殊召喚な。ほい、4000-1500で2500の貫通ダメージ。はいまた俺の勝ちー。伏せ何? 攻撃反応型の対象指定罠かよ。そりゃとめられんわな……おっと、今のはギャグじゃないぜ。くはははははは!」

「ぐ、ぐぬううぅぅぅ~……」




 のっけからカードゲームである。
 一昨日までの緊張感が嘘のようだ。

 内容がよくわからない方は、最終形態のフリーザをクリリンが太陽拳と気円斬で倒しちゃった、くらいのイメージをしていただけるとありがたい。


「ぐあああぁぁぁっ! 腹立つ! そのカスみたいなギャグとして到底認めることのできへんというか正直何ゆうてるかわからへんそれもめっちゃ腹立つけど、ガチガチに固めた私の最強デッキがそんな訳のわからん正体不明極まりないデッキにこうも負け続けるのが、が、がああぁぁぁっ!」

「はぁ? 俺が練りに練り上げた『貫通神・裏コードオベリスク・ザ・ビースト』がブラックフェザーごとき厨二デッキに負けるわけがないだろ」

「その名前のがよっぽど厨二やからな!」

 仰るとおりで。
 無論言うまでもなく、重度の罹病患者であるところの俺だが、そんなことをおくびにも出さず、おまけに棚上げする。

「だいたい名前からしてどうよ、黒い翼って。なんていうか、ど真ん中じゃん」

「ええやん、黒い翼! かっこええやん!!」

「憧れるのは勝手だけど、間違っても生やそうとしたりすんなよ。これまでの経験上、背中から黒い翼を生やした連中は例外なく叩き潰してきたからな」

 厨二だろうとカッコいいものはカッコいい、ということに幅広い理解を持つこの俺だが、どうにも相性の悪さというものが世界にはある。
 別にそんなつもりはなかったのに、気がついたら毎回戦闘が始まってしまっているのは、決して俺だけのせいじゃない……はずだ。

「……兄ちゃん、時折会話のキャッチボールの中に変な球混ぜてきようね。消える分裂魔球って感じの」

「取れるキャッチャーいんのか、それ……。審判もどこ見ればいいんだろうな」

 ボークといえど砂を巻き上げて消える魔球の真似事は出来るだろうが、硬球を握りつぶすのはさすがに不可能なので、分裂魔球の実現は厳しいだろう。



 はやては、思いのほかあっさりと俺を許してくれた。
 日付が変わってからようやく家に帰ってきて、こっそり鍵を開けて入ってきた俺を、はやてはリビングで夕飯を食べることなく待っていた。

「作って、待っときって言うたから」

 どうして食べなかったんだ? と言ってしまう程空気が読めないわけでもない俺が入り口で立ち尽くしていると、はやてがそう言った。
 こっちを見ないまま、内心を表に出さないように努めて平静にしているのが印象的だった。

「悪い、スーパー閉まってたわ。あとチラシもなくしちまった」

 そんなはやての様子に気づかない振りをして、きわめて普通のトーンでそんなことを言ってみる。
 決まりが悪い時のお約束のように、手を頭の後ろに持っていきながら適当な言い訳を思いつかないまま事実だけが口をついて出た。

「……しゃーないな。お日さん昇ったら、今度は私も行くわ」

 気付かない振り、には多少無理があったのかもしれない。俺の言葉、というより態度に思うところあったようで、ようやくこっちを見たはやての顔は少しだけ明るかった。
 言いたいこと聞きたいこと、それぞれ多々あるのは明白だが、彼女はそれら一切を飲み込んでそれだけを言ったようだ。
 正直、頭の下がる思いである。

「ん、それがいい」

「ご飯あっためたらすぐ食べれるから、手伝ってや」

「承知」

 そして夕食、というにはあまりに遅い食事。
 その最中。

「で、本当のところは何やってたん?」

「え゛? あ……いや、今のはなんかふんわり暖かい空気でそこには触れない流れだったんじゃないの?」

「まさか。言うても、二回目やし」

 すこしばかり昏い笑いを湛えつつ、ハイライトが消えたような目で見てくる。ちょっと……というかかなり怖い。

「あー、行きしな色々あってな。人命救助に勤しんでたんだよ」

「ほんまに?」

「おお、超頑張った。ここ最近で一番のヤマだったわ」

 8歳の眼力に圧され、微妙にかすっている様な説明をしてみる。
 さすがに魔力がすっからかんになるまで動いたのは『この世界』に来てからは初めてだ。俺の場合、魔力≠体力なので、闘うわけでなければなんてことはないのだが。

「正直な話、兄ちゃん実は正義のヒーローだったりするん?」

「唐突だな。いや、そんな真剣な顔でそんなことを言われても困るんだけど」

「一緒に外出たときとか、目に付いた人片っ端から助けたりしとるし…………私を含めて、小さい女の子から女の人ばっかな気がすんのが引っかかんねんけど……」

 後半は声のトーンが低くてうまく聞き取れなかったが、不穏なことを言っているのは雰囲気でわかる。段々と俺の扱いが悪くなっているような気がしないでもないが、信頼の裏返しだと納得しておこう。

「今日、私と一緒にゲーセン行った途中でも、ボール木の上に引っ掛けてもうた子らに登って取ってあげたりしとったしな」

「いや、それは別に大したことじゃないだろ」

 正義のヒーローの仕事にしてはちょっとセコいそれに、笑いながら答え、続ける。

「それに、どうあっても『そういうモノ』からは対極的な位置にいると思うよ。俺が何したとか、してないに関わらずにな」

「……? どういうことなん?」

「ん? 別に深い意味なんてないよ。俺なんてただの一般ぴーぽーってだけの話さ」

「…………」

 茶化すようにして濁す前に、ついつられて真面目な表情で言ってしまった俺のその言葉に何を思ったのか、俯いて小さな声で何事か呟いた後、さっきまでとはまた違った意味でこちらが気圧されそうなくらい真剣な顔を上げたはやてが、

「……ところで、今日助けたのって男の人? 女の人? それとも……女の子?」

「待った。何故か付け足された最後のカテゴリが俺に対する猛烈な誤解を強烈にアピールしてるんだけど」

 それまでとはまったく違う角度から訳のわからないことを言い出した。

「一緒に住んで10日余り、いい加減私は兄ちゃんのその危険思想について――」

「『その』ってなんだコラ。何を指してんだその『その』は」

 机に両肘を突いて組んだ手で鼻を支えるようにしながら、議題がいかにも深刻そうな雰囲気でもって続ける。
 そのポーズは暗い室内でもグラサンが似合うどこぞの司令がやるから威厳が出るのであって、8歳の女の子では無理があるだろう。

「まぁええわ、この件はまたおいおいな。せやったら次、遅くなるなら連絡せぇて言うたよな、私」

「その件に関しては弁解の余地もなく、面目次第もございません」

「つまり?」

「忘れてた」

 笑顔で振るってきた強烈な拳骨をいただいて、その日の追求は終わった。
 次の日は、はやてたっての希望でなんとかっていう温水プールに連れて行かされたり、お立ち台で熱唱させられたりもしたが、とにかく、はやては俺を許してくれたのだった。

 そして日付はさらに代わり、今日は5月3日。
 前述の通り、昨日の日中ははやてのご機嫌取りに費やしたため、今日のために予定していた作業は全て、はやてが寝た後に行った。
 やっぱり見栄張るんじゃなかった、安請け合いするんじゃなかったと何度か後悔しつつも、どうにか全てをこなした頃には朝日が昇り、はやてが起きてきたのだった。

 徹夜で若干テンションが高いまま、気が付いたらカードを握っていた。そういえば昨晩はやてが寝る前に遊んでそのままだったなぁ、なんて片付けている最中にようやく戻ってきた頭の回転でもって思い出す。
 ついでに遊ぶ相手もいなかったのにデッキだけ組んでたんだと思い到ると少し目の前が霞みそうになった。
 なんというか、なるべく手厚くしてやりたい。

「んじゃあ行ってくる。昼前には戻ってこれるはずだから」

 出かける旨は前日から言ってあるため、特に問題もなく午前10時に家を出た。
 9時55分ぐらいまでは『間に合う』と頭のどこかで考えているあたりがどうしようもない。



 それにしても。

「『それでも兄ちゃんは私のヒーローやもん』、ねぇ……」

 叶うことならその気持ちを裏切りたくないと考えるのは、果たして俺にとっては今更なのだろうか。





 2.同日 それから数十分後

side Suzuka.T

「わたし知ってるんだ……フェイトちゃんは、笑ったらすごく綺麗なの。けど、最後に会ったとき……凄く、悲しい顔してた。初めて会った時……ううん、それよりもずっと」

 ソファに座っているなのはちゃんのお父さんとお母さん、その後ろに立っている恭也さんと美由希さんのちょうど正面に立つなのはちゃんが、決して眼を逸らすことなく前を向いて言う。
 優しくても芯の強い子であることはわかっていたけれど、その瞳の真剣さに、面と向かっていないわたしでも思わず気圧されてしまいそうになる。

「あれでお別れなんて、わたしにはできない。悲しい瞳の理由だって、聞けてない。だから、もう一度会わなくちゃいけないの。会って……今度はちゃんと、言うんだ」

 あの時と同じくらい真剣な気持ちで、今そこに立っているからだろうか。満月の夜に対峙した時のなのはちゃんが、その姿に重なるようにして、わたしの目には映っていた。

「友達になろう、って」

 そして、とても尊くて大切なことを口に出すかのように、なのはちゃんは告げた。
 実際、なのはちゃんにとってそれはまさしくその通りなんだと思う。あの夜、ありとあらゆる恐怖を抑え込んでわたしに向き合ってくれた彼女を見なければ、はっきりとはわからなかったかもしれない。

 ともだち。
 わたしにとっても、本当にかけがえのないもの。
 今までもそう思っていて、けれど、今はそれよりもっと……それこそ神聖なもののようにさえ、わたしは思う。
 多分、なのはちゃんにとっても、『友達』とは、そういうものなんだろう。

「……」

 横目で見た、わたしの隣に座るアリサちゃんも思うところがあるのか、俯いて何かを考えているようだった。

「そのために、ジュエルシード探しをやめるわけにはいかないの……探していれば、必ずまた会えるから」

「しかし……っ」

「恭也」

 それまで黙って聞いていた恭也さんが、あの石の話になってとうとう堪え切れず挟もうとした口を、なのはちゃんのお父さんが制するようにして止め、その続きを促した。

「わたしの大事な人たちやこの町の為……その気持ちは、変わってないよ。だけど、今はそれだけじゃないの。わたしが、自分の意志でジュエルシードに関わりたいんだ……フェイトちゃんに、会うために。きっとこうしてる今も苦しんでる。だから友達になって、つらい事や悲しいことは、わたしと半分こにしてあげたいの」

 わたしの秘密を知って、その上牙まで剥いたわたしを、アリサちゃんとなのはちゃんは笑って許してくれた。わたしの秘密を聞いて、一緒に泣いてくれた二人は、もう心配することは何もないと笑って抱きしめてくれた。
 わたしはフェイトちゃんという女の子を知らないけれど、深い悲しみの中にあって、支えてくれる誰かがいるのといないとでは天国と地獄ほどの差があることを身をもって知っている。

「お兄ちゃんに聞いて、すごく危ないってこと……みんなもう知ってると思う……だけど」

 きっと、なのはちゃんもそれを知ってるから、その子を放っておくことができないんだ。



「何を言われても…………うん、悪い子だって、思われたっていい。それでも、泣いてる誰かのそばにいてあげたいんだ」



 ――悪い子だって、思われたっていい。

 このときのなのはちゃんの言葉は、9歳まで生きてきた彼女自身にとって、それまでの自分を乗り越えて先に立つ程の意味と意志を持ったものだったと、もっと後になってなのはちゃんの抱えていたものを聞いた時にわたしは思った。



「……なのはの言いたいことはわかった」

 その、なのはちゃんの言葉を最も近くで、彼もまた眼を一切逸らさずに聞いていた、なのはちゃんのお父さん。

「なのはの話を聞きながら、考えていたんだ。今までこんな風になのはに言葉をぶつけられたことがあっただろうか……ってね。そうして一つ、思い至ったんだ。それどころか、こうして向き合ったことさえなかったんじゃないか、と」

「…………」

「ちゃんと向かい合って初めて、いつの間にかお前が成長していたのをひしひしと感じたんだ。そうしたらまた一つ、浮かんできた。そんな成長したなのはに対して、自分は父親として何かしてやれていただろうか、とね。情けない話だが、何一つ思いつかなかった。そうして振り返ってようやく気づいたんだ。俺が入院する前と、した後のなのはの変化に」

 わたしと出会う前のなのはちゃんのお話。
 視線を動かした先にいたなのはちゃんの瞳は、一切揺らぐこと無くなのはちゃんのお父さんを見据えていた。

「いや、正確にはわかっていたんだ。俺も母さんも恭也も。ただ、そんななのはに甘えて逃げたんだ、俺たちは」

「…………」

「そうやって独りにされたお前が、強くなって今俺の前に立っている……。情けないやら嬉しいやらで……正直な所、何を言ったらいいのか……自分でもわからない。ただ、これだけはハッキリしている」

 キッと、なのはちゃんのお父さんの顔つきが変わる。
 わたしは、知らない、わからないなりに、それが「父親」の顔なんだと、直感で思った。

「俺はなのはを危険な目に合わすような事に、賛成なんてできない」

「……っ」

「俺たちが俺たちの力で、なのはを守ってやれるならそれも許可できた。ただ、話を聞く限りではとても俺たちの手に負えるような代物じゃない。そうだな? 恭也」

「ああ。先ほどのあなた方の説明を聞いても正味実体は掴めないが、実際にそのジュエルシードとやらがすずかに取り憑いた時は……命を賭してでさえも、足止めすらままならなかった」

 なのはちゃんに反対の意を示したなのはちゃんのお父さんは、後ろに立つ恭也さんに話を振り、彼はなのはちゃんを挟んでわたしのちょうど反対側に座っているリンディさんとその後ろに立つ二人の男の子(両方ともわたしは見覚えがあった。一昨日最後に現れた彼は、魔方陣の上で消えたトゲ付きの服ではなく、普通の紺色の制服のような装いだった)に視線をやってから、最後にわたしを見た。




 この『話し合い』が始まってしばらく経つ。例の黒い男の人はまだ現れていない。約束の時間になってすぐ、あの時と同じようにリンディさんが自己紹介をして話を始めた。
 わたしを含めて、あの人が来るまで待つべきだと思っている人は何人かいたようだけれど、事情を早く聞きたい人の方が多かったのか、それを止めることはなかった。
 リンディさんの説明が終わって、次は本当は人間だったユーノくんのお話。そして、なのはちゃんのお話だった。

 実はわたしとアリサちゃんは、昨日ここでなのはちゃんと会って一度事情を聞いていた。わたしも、何一つ隠すことなく真実だけを以って話した。
 アリサちゃんはなのはちゃんの話を聞いて、最初は反対していたけれど、最後には折れてなのはちゃんを応援する側に回った。
 わたしもなのはちゃんに危ない目に遭ってなんて欲しくないけれど、今のなのはちゃんが絶対に自分を曲げたりしないことはわかっていたから、その気持ちだけを伝えて、わたしもなのはちゃんを支える側に付いた。

 ちなみにこれは余談だけれど、昨日なのはちゃんは部屋に入ってきてすぐわたしに飛びついてきて、床に敷いてある魔方陣のせいでフリーズしたりしていた。そのせいもあって昨日も今日も、少しだけ離れたところになのはちゃんがいる。


 そんなことがあったおかげで、わたし達はそれでよかったのだけれど、やっぱりなのはちゃんの家族はそうはいかないらしい。
 それも、わたしのせいで。

「私が口を挟むべきではないとは思いますが、彼女は異例中の異例です。実際になのはさんはジュエルシードの封印処理をこれまでに7回、それも無傷で成功させています」

「だとしても、現実になった可能性に異例も何もないでしょう。すずかちゃんだったからこそ、なのはは無事で済んだんです」

 リンディさんの意見に、なのはちゃんのお父さんがそれでも反対する。
 それに呼応するように一歩、恭也さんが前に出てきた。

「俺は、一昨日のあなた方の対応にも疑問を持っている。無論、そちらの常識や定石などは一切持ち合わせてはいないが、感覚でモノを言わせてもらうならば、あのときのすずかを相手取るのになのはとユーノだけというのは……あまりに無謀が過ぎる」

「お兄ちゃんっ、それは――」

「信頼という言葉で取り繕い理解のある体を装って、ろくに知りも調べもせずになのはを預けた……保護者としての責任を先に放棄した俺たちに先ず非があることは重々承知している。だとしても……っ」

「待って! リンディさん達は行っちゃダメだって、わたしがユーノくんにお願いして無理やり――」

「そうですっ! あの場になのはがいたのは僕に責任が――」

 そこかしこから矢継ぎ早に熱をもった声が飛ぶ最中、それら全てを断ち切るような、静かで……けれど重たい声が響いた。
 ほとんど怒鳴り声の中でその声がみんなの耳に届いたのは、その言葉に乗せる想い故だとひしひしと伝わってくるような、そんな声だった。

「一昨日、なのはさん達の身が危険に晒されたことは……弁解のしようもありません。本当なら、いの一番にそのことについて謝罪せねばならなかったのですが、事情が事情だけに現状の説明を優先させていただきました。……本当に申し訳ございません」

 その言葉と共に、リンディさんはすっと立ち上がって、深く、深く頭を下げた。見れば、その後ろに立っていた男の子……一昨日気絶させられていた彼も一緒になって頭を下げている。
 そのあまりに真摯な様子に気勢を削がれたのか、なのはちゃんのお父さんも恭也さんもそれ以上何も言えなくなってしまったようだった。

「………………」

 二人は頭を上げることなく、誰も何も喋らない。
 チッ、チッ、という、この部屋に備え付けてある古い大きな時計が時を刻む音だけが、やたら大きく感じられた。




「あ、痛」




 だから、それ程大きくもないそんな声も、今のこの部屋にはよく響いたのだった。

 わたしだけが聞こえた幻聴の類ではないようで、部屋にいるみんなが一斉に声のした方を向く。

「……へ?」

 人は理解の及ばないものを前にすると、頭の処理が追いつかなくなるというのは本当らしい。
 一瞬で頭の中がからっぽになったような感覚が、視覚からもたらされた情報のせいで全身をひた走る。


 簡単に言えば、猫が空中に浮いていた。
 約束の時間になる前に、話の邪魔にならないよう全員この部屋から外に出したはずの猫の内の一匹、黒猫のイリス(命名、お姉ちゃん)が地面から数十cmほど離れた場所に存在しているのだ。

「――――っ!?」

 少しだけ冷静になった頭でもう一度よくよく観察すると、それは口と爪で何かにしがみ付いているようであり、さらにその口元を注目すると、これまた空中に一本だけ浮いている人の指に噛み付いているのがわかった。

 もう一回、思考が飛ぶ。


「…………」

「アリサちゃん……?」

 急にそんなホラーまがいな現象が起きたというのに、横にいたアリサちゃんは静かに立ち上がってイリスの方に近寄っていく。
 何の警戒も見せずに歩くその姿に面食らい、名前を呼ぶ以外に声をかけることができなかった。
 アリサちゃんはイリスが噛み付いたままの指ではなく、その周りの空間をぺたぺたと触って何かを確かめているようだった。まるでそこに何かが在るかのように動く彼女の手を見て、ようやくそれがホラーとは無縁の何かであることが感じられた。

「あの時のじゃないのね……箱みたい……ん?」

 ぎりぎり聞こえるような小さい声で何事か呟いた後、何かに気づいたように両手をめいいっぱい開いて、まるで軽いものを持ち上げるような仕草をすると、

「!」

 とまるで警告音なような効果音が一度だけ響き渡り、今まで何もなかったはずの場所から、

「は、はは……。お、遅くなりました」

 時ようやく、あの黒いコートの人の登場だった。





 3.同日 同時刻

「まさかステルスダンボール箱が見破られるとは……、さすがはカーヤ」

 一同唖然、という表現がこの部屋の状況を表すのに最も適切だろう。金ぱ……アリサちゃんだけは抱えたスネーク(箱の名前)をひっくり返したりしながら「これどーなってんの?」とか言いながらいじくり回してる。ちょ、乱暴にしないで!

「カ……カーヤって何ですか?」

 アリサちゃんからスネークを取り返していると、次に近いところ――つまりは、俺の敷いた魔方陣の上だが――にいたすずかちゃんがそんなことを聞いてくる。
 他にも何かあるだろうに、盛大に混乱しているのが見て取れる。愉快。

「この子の名前」

 ひょい、とアリサちゃんにスネークを引っぺがされた拍子に指から落ちた黒猫を抱えあげて答えた。

「妙な名前をつけてウチの猫に変なフラグを立てないでちょうだい。その子はイリスよ、いい名前でしょ?」

 混乱から帰ってきたんだかいないんだか、すずかちゃんの隣に椅子を持ってきて座っている忍さん。賭けてもいいが、その名前はこの人がつけんたんだろう。

「さすがの俺もネコに死亡フラグまでは立たせませんよ……」

「解ってないわね、ブラック。魂は怪獣となって生き続けるのよ。ところで貴方のそれ、ちょっと見せてもらいたいんだけど」

 あれ? あれってそういう話だったけか? なんて思っている内に裏向きにして置いてあったスネークを持ち上げて中を覗いたり外から眺めたりし始める。

「すごい……外からだと何も持っているように見えないのに、中はダンボールだわ……。ほんとこれ、どうなってるの? ノエル、反応あった?」

 離れた部屋の入り口に立つ一号さんは首を横に振ってそれに応えた。
 忍さんは感動した様子でそれを眺めていると、なのはちゃんも興味があったのか、横から食い入るようにそれを見ている。

「もう一度言いますが、ステルスダンボール箱です」

「どっちかにして欲しいの……」

 なのはちゃんの呟きはもっともだと俺も思った。

「ねぇ、是非ともこの装置の作り方を教えて欲しいんだけど……もちろんタダとは言わないわ」

「あー、俺ももらい物なんで、それの作り方とか一切知らないんですよね」

「そんな事言わずに……」

「マジですってば。それ、素材は本当に普通のダンボール箱なんですよ。その辺からわかると思いますけど、人間の技術じゃあないです」

「…………」

 人間の技術じゃない。
 それは人並み外れたという意味ではなく、正真正銘人間外のものだ。
 そういう意味を込めて伝えたそれを正確に理解したか否かは定かではないが、それ以上忍さんはスネークに関して何も言わなかった。

「でも、これ使えば犯罪し放題よね。盗みとか覗きとか」

 ――わけではなかった。
 どうしてかそれがさっきまで一部以外浮き足立っていた室内の空気を沈下させ、まるで室温まで下がったかのような雰囲気を見せ始める。

「ぬ、盗みはともかく、覗きは出来ないんですよね。性的な犯罪に使おうとするとステルスがオフになってさっきの警告音が鳴り止まなくなるらしいです」

「らしい?」

「今まで一度も試したことありませんし、試す勇気もありませんよ。作った人も一応女性で、やるといったらやってしまう人ですから」

 あの人のことだ、それどころかダンボールから出られなくした上で、箱だけを透明化させたりするはず。
 ちなみに、俺のあのコートを作ったのも同じ人である。残念なぐらい、暇な人であった。

「ふーん、でもこれ本当に紙だけなのね。普通に穴が開いたわ」

「うおおおおぉぉい!!?!」

 何もない空間に指だけが沈んでいるのを見て思わず絶叫してしまう。これ以上は不味いと無理やり取り上げて『倉庫』の中に仕舞い込んだ。

「あれ? どこやったの?」

「……言いません」

 忍さんにはもう付き合ってられないとばかりに首ごと視線を動かすと、リンディさんと眼があった。少し驚いているような印象を受けたが、すぐに毅然とした表情に変わる。

「とまぁ、ちょっと前置きが長くなりましたが、改めて。遅くなりました」

「自分で日時を指定しておきながら、ね」

「そう言わないで下さいよリンディさん。これでも今日は徹夜してきたんですから」

 言い訳にならない上に自業自得だが。

「それにしても、驚きました。もっと俺のことボロクソに説明するもんだとばっかり思ってましたから」

「……随分初めの方から聞いていたのね。隠れてないで出てきたら良かったのに」

「いえ、遅れたのはマジですよ。後は……出るタイミングを逸してたというか」

 苦虫を噛み潰したような顔、というには若干渋みが足りないだろうか。端的に言えば気に入らなかったのだろうが、いちいち俺に茶々を入れられる方がよっぽど迷惑だった気がする。
 じゃあ入れんなよ、と自分でも思わないでもないが、隠れてなかったら多分無理。

「しかし、まったく気配を感じなかったぞ……父さんは?」

「俺もだ」

「一流の潜入工作員なら普通のダンボール箱でさっきの俺と同じかそれ以上のことができる。気配断ちなど、初歩の初歩だ」

「じゃあ何で猫は気付いたのよ?」

「…………」

 男二人に格好付けて言い放った手前、アリサちゃんの質問に答えることができない。外で見つけて可愛かったから中に入れて遊んでたらうっかり逃げ出して指だけ出したら食い付かれた、なんて言えない。
 間違いなく気配断ち(笑)になってしまう。

「とにかくそういう訳で、あらかたの話の流れはわかってます。えーと、今はなんでしたっけ? ああ、なのはちゃんをこの先あの石ころに関らせるかどうか、でしたね。いいんじゃないですか? なのはちゃんくらいぶっ飛んでれば何の問題もないでしょうよ」

「貴様っ、何無責任なことを――」

「まぁ待てよ。さっきリンディさんも言った通り、ジュエルシード本体はともかく、暴走体の方なら何匹いたって歯牙にもかけないくらい、なのはちゃんが強いのは事実だ。それに、程度によっては処理こそできないが対処なら妹こ……お前にだって出来るぐらいの相手さ」

 食って掛かってきた妹魂を制するようにして、奴だけじゃなくその家族に向かって言う。妹魂が強いのはもう十分知っているが、座っているなのはちゃんの父親と思しきその人も、相当鍛えこまれているのが見て取れた。
 後ろに立っているだけで全然話に入ってこない眼鏡の女の子は下のお姉さんだろうか。わかる、あれは全く話に付いていけず頭がショートしている顔だ。俺も遙か大昔あーだった。
 父親の隣に座っているのが以前シュークリーム屋さんで見たなのはちゃんの上のお姉さんだとして、母親が見当たらない。まぁ家族総出でくる必要が絶対にあるかといえばそうでもないけど。父子家庭なのかもしれんし。

「しかし……」

「すずかちゃんは、これまたリンディさんが言ってたことだけど、異例中の異例なんだよ。俺の見立てじゃあ、同じ血を引いてる忍さんがあの石ころをどんな使い方しても、あんな風にはならないと思う」

「そうなの?」

 聞いてきたのは椅子に腰掛けている忍さん。隣の床に座っているすずかちゃんもどういうことなのか聞きたそうにしていた。
 俺には椅子、ないんですね。別にいいけどさ。

「そもそも月村家の『事情』っていうのを雰囲気でしかわかってないんで、確証があるわけじゃないんですけどね。忍さんの今の状態から仮定すれば、すずかちゃんに起こったのは一種の先祖返りみたいなものだと思うんです」

「……」

「混ざりがない……っていえばいいのかな。忍さんから感じられる魔力って量如何よりも質がかなり薄いんですよね。いわゆる魔の気配みたいな、そういうのの濃さ。もちろんいくら薄くたって、抑えがたい衝動なんてのはあるんでしょうが、すずかちゃんが放っていたそれはもう完全にオリジナルのものでしたね。幸い、眠ってたのは魔力だけだったんで、連中がもってるような弱点……太陽とか流水とか、そんなものは何の問題もないでしょうが」

 その言葉に、すずかちゃんも忍さんも少しだけほっとしたような表情になる。……一昨日ちゃんと言っとけばよかったな。

「それでもそういうのって中々開いたりしないんですけどね。死んだりとかすると偶に起きますけど。その辺はさすがあの石ってところか。多分、すずかちゃんが思い描く力のイメージが合致したのも原因の一つじゃないかな」

 本当に正直なところ、忍さんが吸血姫化しないなんて保障はどこにもない。できないだろう、という仮説の方が圧倒的に多いだけなのだ。
 絶対にない、とは言えない以上、忍さんがあの石を求めるような動機になりかねない話は潰しておくに限る。

「力の原因は、石じゃなくてすずかちゃん自身にあった。まぁ、『月村家の事情』とやらの中での、さらにその突然変異みたいなもんだね……。奇跡のような運の悪さが重なったんだよ」

「そんな……」

 そして、そんなめぐり合わせの悪さに、『俺』という存在が関わっていない……はずがない。
 だからこそ今日わざわざ徹夜してまでここに来たのだが。

「そうは言っても、すずかちゃんの方はもう心配することないよ」

「え?」

「後でのお楽しみ、な」

 そうすずかちゃんに言って一度話を切り、なのはちゃん達に向き直る。

「それで話が翻るんだけど、なのはちゃんもまた、わかりやすい突然変異なんだろうね。俺の知っている限り、魔力ってのは遺伝と結構な関わりを持つわけで、なのはちゃんの家族……ここにいないお母さんにその資質があって尚且つなのはちゃん以外の母親が違ってんなら話は別だけど、とにかく今ここにいるなのはちゃんの家族にはその才は欠片もない。…………どうしたの?」

 なんだか急に落ち着きがないというか、なのはちゃんの家族だけじゃなく俺以外のみんなが顔を見合わせあっているというか……。
 そんな雰囲気の中、ゆっくりとだが、父親の隣に座るなのはちゃんのお姉さんが手を上げて、

「あの……私が、なのはの母です、よ?」

 そんなことを、言った。

 …………。
 ……?

 なんとなく、ちらっとリンディさんを見てみる。

 …………。
 ……。

「……。……え、ええ。ならばこそつまりは、なのはちゃんのその膨大な才も遺伝によるものじゃないという持論の補強になりますね」

「無理やり納得して飲み込んだわね」

 アリサちゃんは結構図星を付いてきてくださる。

「俺の経験上、『世界』はそんな才を眠ったままにしておくのを良しとしない。実際、もうなのはちゃんの力は目覚めてしまってる。そして『世界』はそんな力を、放っておいたりはしない」

 いや、こんな説明じゃわからんだろう。何を真面目に『俺の事情』で話してんだ俺は。やっぱり頭回ってないかも。

「あー、いや。生兵法は怪我の元っていうか、今度は『力を持っている』ことが理由で何か危ないことに巻き込まれることだってあるかもしれない。そういう時に自分の身を守れる力や、後ろ盾っていうのはあるに越したことないって話。今管理局に恩を売っておいて、ね」

「……どうしてかはわからないけれど、以前と違ってなのはさんがこの件に関わることに随分肯定的のようね。貴方にとっては石を集める上で障害が増えるだけじゃないの?」

 お前はなのはちゃんの敵だろう、と隠してすらいない意思を帯びたリンディさんの言葉に、俺以外のほとんどの人間の顔つきが厳しくなる。
 さっき盗み聞きしていたリンディさんの話で、俺がどんな立場にある人間か、この部屋の人間は理解していたはずだが、改めて言葉にするとやはり思うところがあるようだ。

「なに、なのはちゃんの為を思ってのことですよ。リンディさんが存外『まとも』な人なのは大体わかってますけど、管理局の他の人はどうですかね?」

「何が言いたい?」

 言葉を返したのはリンディさんではなく、後ろのクソガキ。

「自分で考えろ」

「なっ……」

 フッ、と跳ね上がった怒りメーターを何とか深呼吸で押さえつけたらしい。なんとかって役職は伊達ではないらしい。14歳。

「ところでお前、一昨日拾った僕のデバイスはどうした? お前が持っているのはあの時ここにいた彼らの証言でわかっているんだぞ」

「溶けた」

 それはもうドロッと。
 術式の構築やら演算やらの補助用だと見立てて軽く魔力を流したら。

 とうとう頭に血が上ったのか、何事か喚きながらこちらに向かってこようとするのをユーノに羽交い締められているのを無視しつつ、再びなのはちゃん一家に視線を移す。

「で、だ。そのフェイトちゃんとの事以外は兄貴と父親が助けてあげればいいんじゃないの? 多分必要ないけど」

「君もその石を集めているんだろう? 恭也の話ではなのはやすずかちゃんの恩人だとも。そんな人に、刃を向けるような真似はしたくない」

「別にそんなこと気にしませんけど……そうですね、じゃあこういうのはどうでしょう? 俺はなのはちゃんとは戦いません、つっても一度も戦ったことなんかないですけどね」

「え?」

 なのはちゃんが眼を見開くようにして俺を見る。

「発見した石の先になのはちゃんがいたら、俺は手を出しません。俺が先に着いて、それでもなのはちゃんを送り込んできたら、彼らを全力で潰します。まぁ、それはあなた方がなのはちゃんと同様に彼らの船に乗り込んでくれれば、そんなこともなくなるでしょうが。そうですね、前者の場合なら、もしも危なくなったらサポートしてもいいですよ」

 よほど意外だったのだろうか、なのはちゃんの父親や兄貴だけじゃなく、管理局サイドやアリサちゃんまでポカン、とした表情になっている。

「どうですかリンディさん、悪い話じゃないと思うんですけど。なんせ発見さえ早ければ俺に関しては無条件でジュエルシードが手に入るんですから。フェイトちゃんは、なのはちゃんの元々の目的ですから、俺はどうしようもありませんけど」

「え……ええ。私達にとっては、願ってもない話だけど……」

「信じられませんか?」

 まぁそうだろう。
 もちろん、俺がここまでなのはちゃんの関与を求めるのには理由がある。
 一昨日のすずかちゃんとの戦いで、『高町なのは』に対する俺の評価は大幅に修正された。

 俺の目的のために、どうしても必要な存在の候補として。


 今、舞台から降りられるわけには、いかないのだ。


「……なら、先にこっちを片付けちまいますか」

 すずかちゃんの前に立つ。

「さて、すずかちゃん。いい加減そん中にいるのも飽きただろうし、出よっか」

「え?」

「あ、いいや。消しちゃえ」

「え……?」

 右足でもって、思い切り陣を踏み抜いた。パキ、という音ともに表面にヒビが入ったのを確認してから、軽く魔力を流し込む。するとガラスが割れるような音とともに陣は砕け散り、吸収した魔力を魔力素という形で周りに還元していく。

「あ、え……? えっ」

「いや、そんな慌てなくても大丈夫だから、落ち着いて」

「でも、でもっ! くぅっ……ぁ」

「すずかっ! ……あんた、何を!!」

 陣を失ったすずかちゃんは、たった一つの拠り所を失ったかのように右往左往し始める。むしろそんなに不安がると、呼応して良くない魔力が……あー、ほら。うお……やっぱ凄いな。
 崩れ落ちたすずかちゃんの体を慌てて支えるアリサちゃんに、物凄い睨まれ方をした。背を向けてて見えないが、後ろからも俄かに慌しい気配が伝わってくる。

 あんまりこの状態を続けててもアレなので、『倉庫』から取り出したる徹夜の成果をすっとすずかちゃんの首にかけてやった。

「く、あ、あぁ……また、頭が……って、あれ?」

「どう? 平気?」

「え……? は、はい。えっと……あっ、これ……」

 そこで、自分が首から何かを提げている事に気付いたようだった。

「俺が元々持ってた、封印に特化した霊装。『走る教会』だか『跳ねる教会』だったか忘れちまったけど、それをすずかちゃん用に改造したやつ。改造しすぎて中身は元の形と効果を欠片も成してないけどね」

「でも、そんなもので……」

 後ろからユーノの声が聞こえる。確かにあのすずかちゃんと面と向かい合った経験があれば、あんなチャチな十字架が付いたネックレスでどうにか出来るとは思えないだろう。

「気持ちはわかるけど、これのオリジナルはもっと半端ないぞ。あの時すずかちゃんが俺に撃った馬鹿でかい砲撃で傷付くか付かないかってレベル」

「…………」

 その意味するところを理解した連中の驚愕が背中越しに伝わってくる。
 まぁ、俺だってあの砲撃喰らって(ない)も傷一つ付かなかったわけだが、なんて湧き上がる意味の無い対抗心を自身無視する。

「これを付けてる限り、以前と変わらない生活が出来るはずだよ。煩わしいかもしれないけれど、ね」

「…………」

 あれ? 反応がない。
 やっぱり小学生にネックレスは無かったかな……。形に意味があるタイプの霊装だから、変更は効かないんだけど……。

「これだけで……いいんですか?」

「ん?」

「たったこれだけで、いいんですか?」

 そう言ったはずなんだけどな。
 嘘吐く必要もないんで肯定する。

「そだよ、言ったでしょ? 何も心配要らないってさ」

 それを聞いたすずかちゃんはぽかん、と呆けた顔からみるみる内に表情を歪め、泣きそうな顔になっていく。
 あんまり大人びてるっていうのも考え物だなぁ。こんな小さい体で、随分と色んなものを抱え込んでたんだろう。
 そんなことを考えている内に、とうとう決壊してぽろぽろと涙をこぼし始める。

「ありっ……ひっ、ありがっ、く……とぅござっ、ありっ……ひっく」

「あーあー、泣き止んでからでいいし、礼は必要ないよ。なのはちゃんの兄貴に頼んでおいたシュークリーム山ほどもらって帰るからさ」

 くいっ、と服を引っ張られた。

「あの、一応あたしも……すずかを、あたしの大切な親友を助けてくれて……本当にありがとうございました!」

 なんだかアリサちゃんらしくない態度かと思えば、思いっきり頭を下げてそんなことを言う。

「どしたのさいきなり。いや、マジで大したことしてないからさ。あ、そうだ」

「……?」

 再び『倉庫』から取り出す。
 今度はみんなに見えるようにやったので、中には驚いている人もいるようだった。

「ほいこれ」

「え?」

 取り出したのはすずかちゃんに渡したのと同じ、ケルト十字架のネックレス。

「これは形だけで特に付加要素とか無いんだけどさ、学校とかですずかちゃん一人あんなん提げてたらなんかアレじゃんか。お揃いの奴、アリサちゃんも付けてあげてくれるかな?」

「え……あ、うん……わかった」

 なんだか反応が薄い。あげた二人が顔を見合わせる。すずかちゃんが涙どころか鼻水まで出てるのを見て、アリサちゃんが思わず噴いていた。


 くいっ、と再び服を引っ張られた。

「………………」

 物凄い期待に満ちたなのはちゃんの輝く瞳が二つ。

「ごめん、一つしか作ってない。忘れてたわ」

「っっっっ!?」

 今日はずっと真剣だったなのはちゃんのショックフェイス。俺が思うよりずっと深刻なダメージを負ったのか、普通に泣きそうになっている。
 これはこれ以上直接触らないほうがよさそうだ。

「というわけで、月村すずかの危険性、というのは皆無になりました」

「そのようね……何もかも確証が得られないまま、だけど」

 ならば、とこちらのお話を纏め上げて泣き止んでもらおうと試みる。

「そちらの知識不足に付き合うとなると、交渉の余地も無くなるんですが」

「……さっきの貴方の出した提案に繋がるわけね」

「ええ、そちらから欲しい条件は、今回のジュエルシードに関する事件において作成されるであろう報告書、並びに現在あなた達が所有するデータから『月村すずか』に関する事柄を全て削除すること。無論、船の中の人間には緘口令を敷いてください」

「えっ」

「何をっ――」

 反応した忍さんとクソガキを無視し、話を続ける。

「そして、今回の件の引き金になったジュエルシード。それをあなた達に渡すことをこちらからの条件に加えます。これさえそちらの手元にあれば、事実改竄なんて訳ないでしょう?」

「……記録では、貴方は少なくとも二つのジュエルシードを所持しているわね」

「足元見れる立場かどうかは、よく考えるべきだと思いますよ」

「お互い口約束による契約になるけど、いいのかしら?」

「口約束でも契約は契約ですよ。なに、お互い裏切らなければいいだけのことだから簡単です」

 リンディさんは深く考え込むような仕草を見せ、やがて、

「……わかったわ」

 と、諦めたように呟いた。
 何事も誠意を見せるべきと、『倉庫』から取り出した蒼い石ころを一つ、こっちにやってきたクソガキに手渡した。
 高町家の人々や忍さん達は、初めて見る件の石にそれぞれ思い思いの表情を浮かべていた。

「私としては有難いんだけれど、どうして貴方があんな条件を出したの?」

 やがて本物であることを確認して、一時的になのはちゃんの杖に格納されたジュエルシードから目を離した忍さんに訊かれる。

「すずかちゃんは、未だ強力な力を持ってます。繰り返しになりますが、リンディさんが『まとも』な人であることは話せばわかります。けれど、管理局全体がそうであるかは……人の組織である以上、かなり怪しいです。手中にすべく下衆な手に訴えないとも限らない。しかし今まだ不透明なこの段階なら、すずかちゃんに関しては情報を切断できる。……なのはちゃんと違って」

 そして最後に、管理局と高町家両方に釘を刺しておく。
 管理局には文字通り、そして高町家には『高町なのはは、既に逃れられない大きな流れの中にいる』、と。


 後は高町家と管理局の問題だ。
 ある程度俺がコントロールすることが出来たが、これ以上今ここで俺がするべきこともないだろう。

 いい加減お昼時だし。

 とりあえず妹魂にシュークリームのことを聞くと、月村家の冷蔵庫で保管してもらってるらしい。忍さんが一号さんに声をかけると、どこかに向かい、帰ってくると両手の紙袋いっぱいにシュークリームを持っていた。
 聞けば、なのはちゃんのお母さんその人がパティシエールらしい。

「どうも、ありがとうございます」

 と、なのはちゃんのお母さんに声をかけ、カウンターでかけられた「俺が何者か」という質問をかわしつつ、時間を気にしながら屋敷を後にする際、忍さんと一号さんが、最後の駄目押しとでも言うように思いっきり頭を下げてきた。
 いい加減、自分の都合でやってることにこうも謝意を表されると、居た堪れなくなるわけで。真実、逃げるようにして家路を急いだ。










 ……それにしても、後を尾けてくる奴と、このシュークリームの紙袋に仕込まれてる発信機の落とし前は、どうつけてやろうか。
 大事なことをすずかちゃんに言い忘れたことを思い出しながら、そんな益体もないことを考えていた。



[10538] 第二十七話 3-4日 道
Name: 未定◆81681bda ID:9de1540b
Date: 2012/08/09 11:19
 1.5月3日 正午

side Shinobu.T

「はぁ……」

 パタン、と後ろ手に自室の扉を閉め、鍵をかけながら背をもたれるようにして寄りかかる。
 時刻は彼が屋敷を出てすぐ、未だ一階には高町家一同と管理局の人間がいる、のだが……どうにも、疲れた。

 魔法、次元世界、管理局、ジュエルシード、吸血姫……そして、例の彼。

 『表』に顔が利かないわけではないが、その領分は『裏』にこそある『夜の一族』が名士、月村家。この世界の、光の届かない場所にある常識に精通しているはずの私達をして、手も足も出す事さえ適わない別の常識の存在。

 私が耐えてきた自身のいる場所は、闇は、相当深いものだと思っていた。
 そして、そんな闇にこそ支えられていたのだと、知らない常識を前にして崩れ落ちていく自分を目の当たりにして知ったからか。

 あるいは、関わらせまいとしてきた妹が私の手の届かない程の闇に沈み、今一度光の世界に引っ張り上げるために何一つとしてしてあげられなかった自分の、ある意味で、業の浅さとも言うべき限界を知ったからか。

 自分でも意外なくらい、そんな事実に打ちのめされていた。

「はぁ……」

 再びため息を吐き、常時電源を入れてあるPCの前に足を組んで座る。少しキーボードをいじると、反射で私の顔が映る真っ黒な画面からデスクトップへと切り替わった。


 その、すずかの運命を捻じ曲げた、別の世界から持ち込まれたという不思議な宝石。
 わざわざ我が家が管理する海鳴の町にばら撒いてくれた事に関しては、平穏を望む私達にとって憤りを隠せない事態だが、月村家の人間としてこのまま只で済ますわけにはいかない。
 頼りになる親戚にはこの件で連絡を取ったし、管理局と名乗った組織――この場合はリンディ・ハラオウン個人と考えておくべきか――彼女とも今後の海鳴での活動においては私にも事の詳細を報告してくれる約束を取り付けた。
 無論、その内容も約束そのものも100%信じるような抜けた真似はしないが、情報操作や報道規制に関してある程度の協力と理解を得られるとあらば、あちらも無下には出来ないはずだ。

 そして今何より重視すべきは、例の彼の存在。
 初めて会った日から全力で彼の素性を洗ってみたが、ほぼ一切の情報が出てこない。それは裏の世界に関わりがないというレベルではなく、本当にこれまで存在していたのかさえ疑わしい程に。
 元々情報が少ないこと、あまり時間をかけていないことを加味しても、異常だと言わざるを得なかった。
 とはいえこれに関していえば、別世界の存在を知った今ならどうにか納得することはできる。

 相手が力で劣っているならば、これまでそうしてきたように高圧的かつ強制的に情報を吐き出させて処理することも出来ただろうが、彼は私が相手取るべきではないと判断した管理局を向こうに回して、彼ら以上に上手く立ち回ることが出来るほどの存在だ。
 それどころか、自分の都合のいいように相手をやり込めてしまった印象さえ受けた。

 あの時のリンディ・ハラオウンの顔が、さっきの私とよく似た表情だった理由が痛いほどわかる。


 私達の常識の通用しない管理局の常識さえ、彼の常識には及ばないのだ。

 ならばこそ私がすべき事は、管理局より早く彼の詳細を把握し、どんな手を使ってでも彼に私達の味方になってもらうよう働きかけること。
 それが、すずかを守る上で私に出来る精一杯の事だから。

 幸い、掴んだ情報は皆無じゃない。彼の核心には程遠いだろうが、詳しく調べるに値する情報。
 一つは、彼は最近この海鳴の町で見かけることが多いということ。
 それは、彼の拠点がここ一帯に存在している可能性が決して低くないことを示している。

 ディスプレイに、当家御用達の腕のいい探偵からさっきの『話し合い』の最中に挙がってきたばかりの報告書が映った。
 それを眺めながら、知らず笑みが零れる。

 そしてもう一つの情報。
 私の勘が正しければ、一緒にいたというこの『車椅子の少女』。ここから彼に繋がる何かを引っ張り出すことができるはず……。

 そう、暗い笑いを湛えながらふと、思う。
 本当にこの付近にあるのならば、そろそろ彼も自分の拠点に着いた頃かもしれない。仕掛けた発信機に気付いてなければ、今このPCからでもその位置が特定できるのだ。

 鍵をかけた机の引き出しから一本のUSBメモリを取り出して接続する。すぐに一帯の地図がディスプレイに表示され、現在の彼の位置が照会された。

「えっーと……え? これって――」

 どういうわけか、発信は月村邸内部から。
 何かの手違いかと思い、さらに詳細を調べようとしたところで





 ――――全身が硬直した。





「お取り込み中済みません。さっき伝え忘れたこと、言いに来たんですけど」


 ディスプレイ越しに、件の人物の満面の笑顔が写ったからだ。

 そんなはずはない。
 彼はしばらく前に確かに送り出したし、例の妙な箱を使ったとしても鍵をかけたこの部屋に気付かれず侵入できる訳が無い。バルコニーにしても、窓の鍵はちゃんとかかっているはずだ。
 そもそも、常に彼の位置をトレースしていたはずのノエルから、一切の連絡が無かったというのに……。
 驚愕が、次第に恐怖に塗りつぶされ始める。

「……レディの部屋にノックも無しで入るなんて、割と紳士的だと思っていた貴方への評価は改めなければならないようね、ブラック」

 声が上擦りも裏返りもしなかったのは奇跡に近い。
 彼が戦っているところを見たことは無いが、話を聞く限り圧倒的なまでの実力者。その彼に、恩を仇で返すような真似を知られたのだとしたら、とても無事で済むとは思えない。

「それについては返す言葉も無いですね。でも、伝え忘れたことだけだったら後日改めて訪問すればよかったんですが、さすがに此方は早目に処理すべきかなぁ、と」

 ピッと指で弾かれるようにして、私が仕掛けた発信機がコロコロと机の上に転がってくる。手元のキーボードに当たって止まるその発信機は、確かに紙袋の内の片方、底の合わせ目の中に仕込んでおいたものだった。



 詰んだ。



 そう、諦めと共に眼を閉じた時だった。

「明日、まぁ明後日でもいいんですけど、すずかちゃんにちょっと時間を作ってくれるよう言ってくれませんか?」

「へ?」

「管理局の手前さっきはああ言いましたが、やっぱり保険はうっておくべきだと思いまして。まぁ俺個人としては保険というよりこっちが本筋なんですけど」

「え? えと……あら?」

 やばい。
 真剣に理解が及ばない。
 今これ一体どういう状況なの? あれ? 私がおかしいの?

「ちょっと! ちょっと待って!」

「……? どうかしたんですか?」

 どうしたもこうしたもない。

「貴方、これがどういう意味かわかってるのよね?」

 手元にある発信機を掲げるようにして見せ付ける。若干やけっぱちになりながら苛立ちを隠さずに訊いた。

「勿論です。ですから返しにきたんですよ。俺の後を尾けてた二人も、一人は丁重にお帰りいただきましたし」

「二人?」

 私が雇っているのはプロの中のプロだ。まず尾行に気付かれなどしないし、万が一捕まっても依頼主の守秘義務は死んでも守り通すはず。
 しかし状況と言動から見て、どうやら他に新しい腕利きを見つけなければならないようだ。
 ……この場を生き残れたら、の話だが。

「ああ、大丈夫ですよ。手元に残してるのは管理局の方ですから。忍さんが使ってる方の探偵さんは、俺に二度と関わらないことを条件に解放してあげました」

「…………」

 ああ、管理局も同じようにこの男の足取りを追おうとしてたのか。一人状況も忘れて得心する。
 それにしても、どうやって彼を締め上げて情報を得たのだろうか。どちらにしろ、プロであるところの彼が関わらないと言ったのなら、もう関わらないのだろう。

「それで、私をどうするの?」

「いえ、慣れてますんで結構です。とにかくさっきの伝言をですね――」

「…………」

「何でそんな怖い顔してるんですか……」

 その顔は嘘を言っているようには見えない。もちろん今更彼に関して、一見しただけで何かを見通せるなどという自惚れはしていないが、少なくとも何の意にも介してないということはわかった。


 ……そうか。私が自分どころか守るべき妹までベットにして『かけ』た悪意は、この男にとっては取るに足らないようなものだというのか。




 成る程これは……常識など、通じないわけだ。




「そう、伝言だったわね……。保険だか本筋だかって」

「リンディさん個人は信用できても人間そのものは中々信用できませんからね。人の口に戸は立てられぬと言いますし、何かの拍子ですずかちゃんのことが管理局に知られた場合、組織っていうのがどう動くか、ちょっと想像しただけでも面倒なことになりそうでしょ?」

 確かにその通りだが、すずかに関して未だよくわかっていないことが多い私にとって、少々規模が掴みにくい話だった。
 けれど、私も一応それを考えていたからこそ、彼をどうにかして取り込もうとしていたわけだ。
 世界が変わったとしても、『人の集まり』というものの在り方までは変わらないはずだから。

「でも、貴方を尾けさせたのはおそらくリンディさんでしょう? それなのによく信用できるなんて言えるわね」

「……? ああ、でも俺、リンディさんに尾けるななんて言ってないですし、わざわざ取引の材料をくれたんで、むしろ今はいい気分ですよ」

「…………」

 私が言えた話ではないが、少し気になったので皮肉交じりに聞いてみると、笑いながらそんな答えを返してきた。
 本当、この人を相手取るのって、どれぐらい頭が痛いことなんだろうか。
 初めてリンディ・ハラオウンに同情した。

「直接すずかちゃんを狙ってくることだって十分考えられますし、彼女の大切な人……家族や友人達を使って酷い真似してくることだって簡単に予想できます」

「それは、そうだけれど……じゃあどうするのよ?」

 ここで初めて、彼は言いよどむ様な仕草を見せた。
 彼は、自身がそんな姿を見せることで周りがどれだけ不安を感じるか自覚しているのだろうか、などと瞬間的に思う。
 我ながら、虫のいい話だ。
 
「酷な話かもしれないけれど……彼女には、自分の力と向き合ってもらおうと思っています」

「……っ!? それって――」

 彼の話している意図に気付き、そんな自嘲が吹き飛んでしまうくらいに驚愕する。
 しかしそれは、あまりに――。



「すずかちゃんの大事なものは、すずかちゃん自身の手で守ってもらいます」




 2.5月4日 午後

side Alisa.B

 五つの桜色の光に弾かれて、それよりもっと多い空き缶が雲一つ無い宙を舞う。
 カン、カンという金属音は途切れることなく複数重なって聞こえるため、聞きようによっては一種の騒音みたいだ。

「…………」

 けれどこの場にいる人間はそれを不快とは思っていないようで、あたしを含め皆一様に空で繰り広げられている乱舞劇に眼が離せないでいた。

「ラスト! レイジングハート、お願いっ!」

≪All light.Divine――≫

「バスターーーーぁっ!!」

 段々と高度が上がってきた空き缶達を一際大きく跳ね上げると、光の弾たちはフッと消えてなくなってしまった。
 続いて、なのはの大きな掛け声。
 カッ、と目の前が一瞬白く染まったかと思うと、あの夜何度か見た桜色の柱が眼前にそびえ立つ。なのはが構えた杖から迸るように伸びていくそれは、空中でくるくると回転していた空き缶達を全て飲み込んで尚、空へと駆け上っていく。
 やがて桜色の残滓を残すようにして消えていったその射線上には、何一つとして残ってはいなかった。
 確かにアレはぶっ飛んでるわね……。

≪It’s so environment-friendly.≫

「だよね~」

 絶句する高町家の面々をよそに、そんな会話を杖と交わすなのは。
 環境に優しいですって? 絶対に何かが間違ってるわ……。


 ゴールデンウィーク最終日の前日、あたしは高町一家とすずかに着いていく形で、海鳴市の外れにある桜台に来ていた。
 何でこんなところにいるかと言えば、胡散臭いけれど一応すずかとなのはの恩人なあの人が、今日ここに来るようにと忍さんに伝えたかららしい。
 というのも、あの人が月村家を出た後すぐにどこかに行ってしまった忍さんが、しばらくしてあの広間に帰ってくると、私の隣にいたすずかに、

「ブラックから伝言。明日の昼過ぎに桜台まで来るように、ですって」

「え……?」

「来ればわかるからそれまで内緒、とも言ってたわね」

「う、うん。わかった」

 少し戸惑いを見せていたものの、驚くほどあっさり首を縦に振ったすずかに内心驚いたけれど、それよりも一瞬忍さんが見せた悔しそうな顔が心に引っかかった。

「それって、あたしも行ってもいいですか?」

 すずかは既にあの人を完璧に信用しているようだけど、あたしはそうはいかない。もちろん信用していないかといえば、自分にとって大した見返りも無くすずかとなのはを救ってくれたんだからそんなことは無いんだけれど……だからってすずかと二人きりにさせるというのはなんだか……。

「ギャラリー大歓迎だそうよ。それでリンディさん、彼がユーノ君を借りたいと言ってたんですが」

「理由をお聞かせ願えないでしょうか。もちろん、聞いていたらで結構なんですが」

「ええと、自分は結界云々は苦手とかなんとか……」

「……? そうですか。ユーノさん?」

「僕は構いません。いえ、僕個人……彼ともう一度話をしてみたいですから、是非」

「わかりました。なら――」

「あ、あのっ!」

 一斉に声のした方を振り向く。
 その中心にはなのはが。

「それ……わたしも行かせてもらえること、できませんか?」

「それは、どうしてかしら?」

「わたしっていうか、わたしの家族みんなで、なんですけど……。それで、わたしの魔法を見てもらおうと思って」

 なんだかなのはには珍しい、自信に満ちた声だったのが印象に残った。
 それがなのは自身の成長によるものなのか、『魔法』という力を手に入れたが故なのか、その時のあたしには判断がつかなかった。

 結局、明日は忍さんとノエルさん、ファリン以外のここにいる全員が参加することになった。管理局の人がどうするのかはわからなかったけれど。
 なのはは今日は家に帰り、準備を整えた恭也さんとなのはのお父さんと共に明日現地でもう一度管理局の本拠地に移るらしい。
 あたしはというと、本日はこのまますずかの家にお泊りして、明日一緒に桜台に行く予定である。


 そして再び時間は戻り、今日。
 お昼ごはんを食べてすぐに向かったその場所、丘の上の開けた場所にあるベンチの上で寝転がっている例の彼を見つけた。近くのベンチにはユーノと管理局の男の子が座っている。
 近づいてみると、初めて会ったときに着ていた、彼の印象そのものである黒いコートを下に敷いて、空を見ながら歌なんか歌っていた。

「重いふーんふふふー、まくらにふふふー」

 うろ覚えなのか、鼻歌の割合がやたら多かったが。

「ねぇ、来たんだけど」

「争いのないー……お、アリサちゃんも一緒か。こんちゃ、二人とも結構似合ってんじゃん、それ」

「どうも。ギャラリーは歓迎なんでしょ?」

 お揃いの十字架を指したそれに適当に応える。

「まぁねー、君の場合ダメっつっても来ただろうし。どう、すずかちゃん? 調子は」

「はい! おかげさまで!」

 うっ、と急に顕れたその気迫に圧されるようにして、少しよろめくようにすずかと距離をとる。
 横目で見たその表情は眼が燦燦と輝いていて、尊敬に満ちた眼で目の前に寝転がっている男を見つめていた。
 昨日から頭が痛かったが、親友がなんだかおかしな地点に着地してしまった気がする。
 見れば、彼の方もその視線に居心地悪そうにしていた。

「きょ、今日は元気いいね。すずかちゃん」

「はい! おかげさまで!」

 彼が視線であたしに一体どういうことかと訴えてくる。
 どうもこうもない。昨日泊まったとき、嫌になるくらい聞かされた。


 曰く、わたしもあんな風になりたい。


 正直最初、故障でもしてしまったんじゃないかとすずかの頭をポクポク叩いてしまったわけだが。
 どうやらすずかの視点では、助けを求めている人の前に颯爽と現れ、どんな時も余裕を失うことなく不敵に笑い、御伽噺みたいな力と深い知識で誰一人犠牲にすることなく、そんな義理も無いのに全ての泥をかぶったまままた颯爽と去っていく。
 そんなどこかのヒーローのような存在が、この人であるらしい。っていうか泥被ったのに去ってっちゃ意味無いでしょ。

 まるで年中無休のサンタさんみたいだね! なんてよくわからないことを物凄い笑顔で言われたら、反論する気も失せてしまった。
 確かに、ヒーローもサンタも間違ってはいないような気がするのだが、どうにもあたしには飲み込めない。いや、うーん……。
 っていうかサンタはいないって、ずいぶん昔に決着つけたじゃないの……。夢まで取り戻しちゃうとか、すごいわね、ほんと……。

「あ、あの……師匠か、先生って呼ばせてもらっていいですかっ?」

 ちょっと人が物思いに耽ってるときに、この子はまたそんなことを言い出した。あんまりややこしくなるのも嫌なので事情を説明しようとした折、

「あれ? 今日何するか忍さんに聞いてきたの? 言わないほうがいいかもって言ったのに」

 合うはずの無い会話が微妙に噛み合ったような気がして、ん? と言われた意味を咀嚼しようとすると、視界の先にいたユーノがベンチから立ち上がった。

「なのはー!」

「ユーノくーん、みんな~~!!」

 叫び、大きく手を振る。その視線の先にはあの子がいて、こちらも大きな声で呼びかけながら走りよってきた。
 大丈夫かな……一応山道なのにあの子があんな風に走ったら……。

「あにゃっ――」

 案の定、盛大に蹴躓いた。

「――――」

「っ!!」

≪protection.≫

 瞬間、機械的な電子音声が聞こえると同時、なのはの前方に桜色のバリアのようなものが張られ、さらに、どこからか一瞬で現れた恭也さんがなのはの体を後ろから支え、おまけに空中から生えてきた腕が、なのはの襟首を掴みあげていた。
 もちろん、最後のはベンチで寝ているこの人の腕だ。右腕が何も無い場所に突っ込まれたかのように見えなくなっている。

「あ、ありがとう。お兄ちゃん、レイジングハート」

 どうやらなのは自身は気がついていないようだ。横にいるすずかはこれでもかというぐらい眼を輝かせているというのに。
 あたしと言えば、昨日のやたら格好良かったなのはのあの姿が霞む勢いのお姫様ばりの庇護され加減に若干安心したりしていた。

「まったく、出鱈目だな。そんなことまで出来るのか」

「いや、お前も本当たいしたもんだよ、実際」

 言葉だけ並べると少し剣呑な雰囲気だけど、二人が纏う空気は穏やかなもので、表情は笑ってさえいた。
 恭也さんも誤解が元とはいえ、随分とあの人に対して棘が取れたように思う。
 これは後で聞いた話だが、あの人は翠屋に加えあの温泉にも出没していたらしい。そりゃ誤解も深まるわよね……。

 なのはが来てすぐ、その後ろから恭也さん以外の高町ファミリーが揃った。その装いは完璧にピクニックスタイルだったわけだが、今更そこにツッコミを入れたところで仕方が無いので気にしないことにする。

「なのはちゃんとこはまた家族総出か……別にいいけどさ。よし、じゃあユーノ、結界お願いしたいんだけど――」

「待ってくれ。一応君が何をするつもりくらいかは聞かせてほしいんだが」

 それまでじっと黙っていた、リンディさんと一緒にいた男の子。彼があの人を制してそう言った。

「……まぁいいか。簡単に言えば、すずかちゃんの力の封印の補強だよ」

「……どういうことだ?」

「確かに今すずかちゃんの力は完璧にシャットアウトされてる。けどそりゃあの十字架のおかげだ。もし何らかのアクシデントでアレが手元から離れたときに、即ゲームオーバーってんじゃあんまりだろ? だから、力の制御の仕方くらいは教えておいた方がいいんじゃないかなって思ってね」

 男の子は手を口元に持っていって考えるような仕草をする。

「あのロストロギアもどき……いや、例のネックレスが無くなってしまった場合のことは僕達も考えていたが……しかし、可能なのか?」

「なに、やってやれないことはないはずだ。契約を交わした以上、すずかちゃんに関しては一切の危険が無いようアフターサービスまでしっかりこなすさ」

「…………」

「それよりお前こそここにいて大丈夫なのか? なのはちゃんここにいるし、今ジュエルシードが発動したら誰も対応できなくなる気がするんだが」

「それについては心配無用だ。考えがないわけじゃない。」

「さよか」

 結界というのが張られ、まずはなのはが冒頭のようにあたし達に魔法を披露してくれた。
 恭也さんやなのはのお父さん、それに美由希さんも剣を扱うことを知っていたからか、あの夜一度見ていたといっても、なのはのスタイルはその正反対のものと聞いて少し驚いた。
 とはいえ、あの子が剣を握って斬りかかるよりは、よっぽどそっちの方がイメージに合致する気がするから不思議だ。
 攻撃するだけじゃなく、防御や拘束用の魔法なんてのもあるみたいで、試しに後者をかけてもらった恭也さんが全力で抵抗しても、桜色のリングは決して外れることが無かった。
 ちなみに、あたしがなのはを唆して例の彼に同じ魔法をかけさせたが、彼は大した労力も見せないで一瞬でそれを掻き消してしまった。
 それを見たなのはと恭也さんは崩れ落ちるほどショックを受け、一方でなぜかすずかが誇らしそうにしていた。

 そして今はすずかの番。
 十字架をはずして、草むらに敷いた黒いコートの上に座るあの子の顔が苦しそうに歪んでいるのがここからでもわかる。確かに、アレを取っただけでこれでは、とてもじゃないがこれから先普通に生活していけるとは思えない。

「今の君なら解るでしょ? 自分の中にとんでもない力があること。大事なのはイメージだよ、本当に少し、わずかずつ引き出して今の自分に慣らしていくんだ……ん、いい感じ」

 額に汗をかきながら、耐えるように佇むすずかに今のようなアドバイス(なのかあたしにはわからないが)を繰り返す。

 しばらくそうやっているだけだったが、急にすずかの眉間に寄る皺が増えると同時、その口角がふっと吊り上る。
 瞬間周囲に駆け抜ける、ゾクっとした悪寒。それはまるであの夜の再現で、思わず体が後退る。
 そんな変化を無視するかのように一歩近づいた彼が、もっていた十字架をすずかの首にかけてやると、それまで迸っていた重圧が一気に消え失せ、辺りは急速に元の空気を取り戻していった。

 今の感覚を覚えたのはあたしだけじゃないようで、皆一様に顔が強張りつつそちらを見ているのを、少しばかり冷静さを取り戻した頭で確認した。

「最後ちょっと焦ったね。もっとゆっくりいかないと簡単に呑まれちゃうから気をつけないと」

「はぁ、はぁ……は、はい」

「でも想像していたよりずっと才能あるね。いや、あるからこそのこの力なのかな……。とにかく、総量は言うまでも無いけど制御もこの分なら数年で完璧にできるかもよ」


 数年……?


 それを聞いて、安心するよりも先に、どうしてか怒りがこみ上げてきた。
 この時あたしは、これからまだ何年もすずかはこのまま苦しみ続けるのか、なんて感情的な部分で考えていたのだと思う。
 あれほどの力を、たった数年で制御下におけるというその意味を全くわかってなかったが為に。

 この幼稚な憤りを振り上げて、お門違いもいいとこだけど、例の彼に振り下ろそうとしたその時だった。



「はい! 先生っ」



 すずかは、笑っていた。
 それも、今まで見たこと無いくらい綺麗な顔で。

 例の彼越しに見たその瞳は、やっぱりきらきらと輝いていて、渦巻いていた怒りは急速に鳴りを潜めてしまった。
 また、どこかで見たことある光だな、なんて昨日から引っかかっていたことを考えていたら、それが今になってようやくわかった。



 なのはだ。
 ここ最近のなのはの眼の輝きに似ているんだ。
 さっきも見た、家族に『魔法』が認められて、賞賛されたときに見せたあの笑顔。昨日、月村家で見た毅然として家族の前に立つ真剣な顔。
 どちらも、その瞳は光り輝いていた。

 唐突、点と点を繋ぐようにして、思考が開けていく。
 脳裏に映るのはあの時学校の屋上で交わした会話。
 けれど、今のなのははもう、はっきりと未来を視ている。同じ眼をしているすずかが、それをあたしに理解させた。

 今日の予定を忍さんが告げなかった理由、彼が告げないよう言った理由。
 すずかが、あの力を使うことを躊躇うだろうと考えたからだ。それでも忍さんは、それがすずかの為に絶対に必要なことだから黙って送り出した。

 けれど、その二人は知らない。
 すずかが目指しているもの、その為に必要なものを。
 

 なのはとすずか。
 進もうとしている道は同じとはとても言い難いけれど、きっと同じ方を向いているだろう。




 じゃあ、あたしは?




 出来た線の先、突き当たった酷く高い壁にあたしの思考は止められ、なんだか視界まで黒くなっていくような錯覚を覚えた。

 気付けば、あたしだけが全く違う方に……いや、違う。あたしだけが、どこにも進んでいなかったのだ。

 二人は、もう踏み出している。
 このままでいたらきっと、二人の未来の中に、あたしはいなくなる。



 ――けれど、どうしたらいいっていうのよ……。



 あの夜でさえ感じなかった、彼を挟んで座るすずかとの距離が、ここにきて初めて、焦燥さえも遠く果てしないほどに存在することを、この時あたしは知ったのだった。



[10538] 第二十八話 8日 動く『世界』
Name: 未定◆81681bda ID:9de1540b
Date: 2012/08/09 11:43
 1.5月8日 午後

side Nanoha.T

 すずかちゃんを中心にしたあの事件から、数日が経ちました。
 その間、と言うよりも、わたしがこのアースラに乗り込んでから封印したジュエルシードの数は全部で二つ。
 すずかちゃんの事件まで一切音沙汰無かったのが嘘のように、連日の出動でした。

 けれど、いまだフェイトちゃんとお話する機会は得られていません。
 エイミィさんの話では、アースラが探知に成功したジュエルシードを電光石火のごとく封印して去っていったのが一回だけ記録されていたらしいです。
 ちょうど新しいデバイスに以前のデータを読み込ませていた途中だったせいでクロノくんは対応することができず、わたしも例の彼がその場にいないことを確認しないと出動できないために発生したタイムラグの中での出来事でした。

「どっちもあいつのせいじゃないか……」

 とはインストールが終わったクロノくんの談。
 正直あの日はいっぱいいっぱいでよく聞いていなかったけれど、何をしたらデバイスが溶けちゃうなんてことになるんだろう……。

 そんな、不思議がむやみにいっぱいな例のあの人。
 この船に乗ってから一度目の出動の時、厳戒態勢を敷いていたリンディさん達とは裏腹に、あの人は姿さえ見せませんでした。
 ちなみにその時の暴走体は大きなヘビ。森という限定的な空間のせいか、その大きな体からは想像もつかないようなスピードで木々を駆け巡る相手に今までで一番てこずったものの、お兄ちゃんとお父さんの活躍で動きを止めて封印することに成功しました。

 そして昨日、今度は鳥という相手の性質上お兄ちゃん達の援護は期待できず、わたしとユーノくんの二人だけによる封印作業になりました。
 お兄ちゃん達が反発するかもと思ったわたしのそれは杞憂のようで、暴走体のだいたいの強さを把握していた二人は特に何も言わずに許可してくれました。
 それが、自分の力を二人に認めてもらったように感じて、最近まで覚えの無い高揚感のまま出撃し、また一切危なげなく封印に終了した時でした。



「はー、大したもんだね。初めて君の魔法を見たときとは制御やら威力やら段違いだ。これも、すずかちゃんと戦りあったのが大きいのかな」


 ぱちぱちぱち、と手を鳴らしながら、いつも通りいつの間にか現れた例のあの人――最近コスプレじゃなくて、もうあの人オリジナルの服装なんじゃないかと思い始めた――がそんなことを言っている。
 毎回思うのだけれど、この人は普通に出てくることができないのかなぁ……。

「…………」

「あれ? ノーリアクション?」

 今更この人の神出鬼没っぷりに驚くことはないけれど、かといってこれもまた今更彼に警戒心むき出しにするのも何か違う気がする。ユーノくんも似たようなことを考えているのか、視線を流すと意図したわけでもないのに目が合った。

「こ、こんにちは……」

 結局、口から出たのはそんな言葉だった。

「いやー、本当は管理局の船に直接乗り込んで神出鬼没っぷりをアピールしようと思ったんだけどね……どうやら転移座標書き換えられてるみたいでさ、酷い目にあったよ。まぁ、当たり前っちゃ当たり前なんだけど」

 神出鬼没って自分で言っちゃったの……。
 自覚があればいいということではない、って誰かが言ってたような気がするけど、本当その通りだと思う。
 ちなみに『酷い目』について後日ユーノくんと話して曰く「まさか、生身で次元空間……? いやいや、ちょっと何言ってるかわかんない」とのこと。

「そういうわけで君らからリンディさんに取り次いで欲しいんだけど――」

『その必要はないわ』

 ぱっ、とわたしと彼の横に表示される空間モニター。声の通り、リンディさんがアップで映っている。

『そろそろ接触してくる頃だと思ってたわ』

「そろそろ接触しないと可哀想かなーと思ってたんですよ……心労とか、生命維持とか」

『……っ』

 意味ありげに笑顔で被せた彼の台詞にリンディさんの顔がにわかに険しくなった。
 わたしには二人が何を言ってるのかわからないけれど、笑ったまま人をそんな顔にさせる彼からは、言葉にしがたい不気味な雰囲気がにじみ出ていて思わず一歩後ずさってしまう。

 すずかちゃんやアリサちゃん、それにわたしだってこの人に助けられたのに……とてもとても感謝しているはずなのに、時折垣間見せる底の見えない暗闇のような何かが、わたしの心に激しく警戒を叫びかける。
 最近は覚えなかった、この人に対する理由もわからない拒絶感。それが再びわたしの心を波立て、どうしてもこの人に心を許すことができないままでいた。

『なのはちゃん、ユーノくん、お疲れ様。そこはもういいから、転送始めるよ』

「えっ? ちょ――」

 突然、一人考えていたわたしの頭に直接響くエイミィさんからの通信。
 それはわたし達をこの場から離そうという意図が明白で、とっさの事に待ったをかけようとするのもつかの間、有無を言わせぬ早さで転送が始まってしまった。

 けれど、あの人とリンディさんが話をしている光景が光に覆われていく中、そんな意志とは裏腹に別の思考でこうも理解していた。

 闘うことしかできないわたしがこのままここにいたところで、何も出来やしない。
 そして、そんなわたしが闘っても……あの人には勝てない。



 ――今は、まだ。



 そんなことがあった日の翌日、つまりは今日。

「前来た時はあんまり見て回る余裕なかったからなぁ。ちょっとわくわく」

「……見て回らせる自由なんて与えられると思ってるのか?」

「チッ……ダメなのか。ま、しゃーなしだな」

「……? 随分と簡単に引き下がるんだな」

「見張りのお前をぶちのめして一人探検するのは簡単だけど、あんまりリンディさんいじめるのも可哀想だし」

「…………」

 タン、タン、と足音をさせながら前を歩く二人に気付かれないように、後ろから着いていく。

「にしてもなんか随分雰囲気ピリピリしてんな。ついでに、すれ違う人の顔が負の感情を前面に押し出してるんだけど。恐怖とか憤怒とか恐怖とか」

「……君が今日この艦に来ることは一部を除いたクルーのほぼ全員が知るところだ。艦内の空気が張り詰めるのは仕方の無いことだと思わないか? あと、後者は君がここでどう思われてるかが如実に表れてる結果だな……顔に出すべきじゃないとは僕も思うが」

「信用ない上に傷つく話だねぇ。まぁ、別にいいけどさ。……で、曲がり角から片方シッポがはみ出してるアレは一部の側なの?」

「……ああ」

 壁に背中から張り付いて、肩越しに通路の二人を覗き込むようにして様子を伺う。
 気分は……ううん、まさしく一流の潜入工作員なの。

 ところで、はみ出してる尻尾ってなんなんだろう。ユーノくん、また動物モードで遊んでるのかな。


 特にミーティングも出動もなかったわたしがお昼を食べた後に散歩していたところ、例のあの人が平然とアースラの中を歩いている場面に出くわしてしまった。
 見つけた後10秒くらい首をかしげて固まってしまったけれど、とっさに隠れたわたしには気付かなかったようだった。
 落ち着いてよくよく見ればクロノくんも一緒にいて、彼と何か話しながら歩いている。

「えーっと、リンディさんの私室だっけか?」

「艦長室なら君の出した条件に当てはまるだろう?」

「まぁ、確かに往々にしてそういうもんだけどさ」

 目的地はリンディさんの部屋らしい。それと、話を聞いてる内に彼が今来たばかりというわけじゃないことがわかった。

「しかし本当、無茶ばかり言ってくれるな。お前は」

「正当な取引だろ。それに、今回は相当破格の交渉だったと思うけどな」

「それは……」

「心中複雑って感じか。リンディさんの独断だったんだからお前が知らなかったのは無理ないだろ。俺が言うのもなんだが、こういう事になった時のために誰にも言わなかったんだろうし」

 いっつもクロノくんを邪険に扱ってた印象しかないせいか、なんだか珍しい構図にちょっと戸惑う。ユーノくんが言ってた『話せば、話せる人』というのは、こういうことなのかも。

「そういう葛藤は人としては当然だろうし、俺個人としてもそう好きなやり方じゃない。けれど、組織人としてみれば当然の事だ。つか、それくらいはわかってんだろ?」

「当然だ。艦長がやったことについて思うところがないわけじゃないが、それくらいは割り切れる」

「しかし情けないよな、ちょっと汚い手まで使ったってのにそれさえも簡単に利用されて挙句こちら側がより有利になるような交渉を持ちかけられるなんて」

「他人事のように言わないでくれるとありがたいんだがな」

 声は聞こえるのだけれど、何を話してるのか内容がさっぱりわからない。たぶん昨日リンディさんと彼が不穏な雰囲気で話していた『生命維持』とかなんとかについてのお話だと思うんだけど……。

「それに、僕だってやり方如何については最初から納得できている。僕が気になっているのは――」

「人選、だろ」

「…………」

「そう考え込む必要はねーと思うよ。それに関しては、やっぱりリンディさんは相当大した人だってことだし」

「……どういう意味だ?」

「なんてこたない。今回試されたのは、俺の方ってことさ」

「それは……――っ!?」

 クロノくんの声をかき消し、突然、艦内にけたたましくアラート音が響いた。

 たまたまわたしの耳元にあったスピーカーから飛び出したその音は、わからないなりに一生懸命聞き耳を立てていたわたしの鼓膜を直撃し、

「(★〇♨@⌒*(゚∀゚)*⌒◇√♪♨っっっ!!!!)」

 一瞬体が伸びきってしまんじゃないかと思うくらい肩が跳ね上がったけれど、根性で声を上げなかったおかげか二人には気付かれなかった……はずなの。

『エマージェンシー。捜査区域の海上にて、大型の魔力反応を感知』

 ジュエルシード……? でも、これは……。
 まだ耳にうぃんうぃんという音が残ってふらふらしたまま覚えた違和感について考えようとした時、いつの間にか傍に来ていたクロノくんに呼びかけられた。

「何をボケっとしてるんだ! ブリッジにいくぞ、高町っ」

「ふにゃっ!? は、はい!」

 なんて、自分が二人に気付かれないように行動していたことさえ忘れ、且つ完全にばれていたことなど気付きもしないまま、その背中を追ってわたしも艦橋に向かって駆け出したのだった。





 2.同日 同時刻

「な、なんてことしてんのっ、あの子達!」

 警報が艦内に発令されはしたが、俺がブリッジに行くというのもなんだかおかしい気がしてどうしたものかと立ちすくんでいたら、一緒にいたクソガキがいいからお前も来いとかなんとか。
 確かに俺をここに一人にするよりはよっぽどいいかもしれないが、どっかの部屋に閉じ込めておくべきなんじゃね? と走りながら聞くと、それで大人しくしてるならな! いいからもう黙ってついて来い、とのこと。
 確かに。

 ちなみになのはちゃんは俺達のペースについて来れず、途中で膝を折ってぜーはー言い出したため、俺が肩に担ぎ上げて運んでいる。頭ががんがんにシェイクされてる気がするが、強い子だからきっと大丈夫。

 ブリッジに到着した俺達が眼にしたのは正面空間モニターに映るフェイトちゃん。海上に広がる、俺が『この世界』に来て初めて目にする程に巨大な魔方陣の上で何かしている。

「フェイトちゃん達、なにを――」

「なのはっ!!」

 今何が起きているのか正直よく掴めないため、事態を把握してそうなショートの女の子――前ここに来たときに最初に噛み付いてきたあの子――に話を聞こうとしたら、背後から聞き覚えのある声がした。

「おお、なんだ。妹魂達もやっぱりこの船に乗ったんだ」

「あ、ああ……。っ、なぜお前がここにいる? いや、なのはを放せ!」

「落ち着けよ……」

 言われて、まだなのはちゃんを肩に干したままだったことを思い出す。ぐったりして動かない。

「ここにくる途中でダウンしたから担いできただけ。お前の妹にしちゃ体力なさ過ぎだな」

「…………」

 妹魂になのはちゃんを渡しながら言うと、本人も思うところあるのか眉間にしわを寄せながら黙って受け取る。そのまま野郎がなのはちゃんを揺さぶり起こした。

「うぷ……きもちわるい…………ん? ……ってフェイトちゃん!?」

 青い顔をして今にもリバースしそうな雰囲気だったが、たまたまモニターが眼に入ったのだろうか、がばっと音がしそうなほど勢いよく身を起こし、その映像を食い入るように見つめだす。

 次いで、少し高いところから声がかかった。

「それと、今日の彼は一応客人という扱いになっているわ」

 タイミングを計ったかのように、ユーノと一緒に最後に艦橋に現れたリンディさんが俺たちがいるフロアより一段高い場所にある艦長席について『一部』の側に告げる。
 客人扱いというのは俺も初めて聞いたが、この船のクルーは客に向かってあんな顔をするものなのだろうか。

「それで、状況は?」

「対象が海上で儀式魔法を開始。魔力変換による電流で海中のジュエルシードを強制発動させるつもりですね……」

「……先手を打たれた、というより」

 リンディさんの視線がショートの女の子から俺の横にいるクソガキに流れる。

「ええ、好都合だ」

 言葉と同時、膨大な量の魔力雷がモニターの中の海面に降り注ぐ。
 その魔力は海中を疾り、炸裂するとその余波でボコボコと海面が揺れ動き、禍々しい光を発しながらやがて六条の白い光の柱が海上に奔った。

「ジュエルシード位置特定! ……っ。情報通り、残り6つです」

 ちらっと恨みがましい眼で一瞬俺を見た例の女の子が報告をあげる。俺ってばよっぽどあの子に嫌われてんだな……わからないでもないが。

「だから取引で嘘なんかつかねーって言ってるでしょうに」

「そのようね」

 非難がましく言い返した俺に、リンディさんが反応する。その姿は今まで俺と相対した時と違い、随分と余裕を持った表情をしていた。
 ちょっと自分の狙い通りに俺が動いたくらいでいい気になりおってからに……。

「あ、犬耳さんが結界張った。ってことはさっきのド派手な魔法はこの世界にフルオープンってことか。忍さんも結構大変そうだな。どうするんですか、リンディさん」

「……どうしましょう」

 青筋立てたまま子供じみた反抗を試みると、そこそこ効果はあったようだ。リンディさん、顔は笑ってはいるものの、割と本気で口元が引き攣っている。
 彼女個人もあまり忍さんに貸しを作るのは避けたいところだろうが、今回ばっかりは忍さんの手腕に期待するしかないということか。
 俺だけを相手にすればいいわけじゃないんだなぁ……なんて他人事のように思う俺は、やはりちょっと酷いのだろうか。




「さっきのでかい魔法……あれだって相当な魔力を喰っただろうに、そっから石ころ6つ封印なんて可能なんかね?」

 荒れ狂う海から巻き起こるいくつもの竜巻を紙一重でかわしながら空で踊るフェイトちゃんを眺めつつ、思ったことを口にしてみる。
 さっきまでそれを食い入るように見ながら、画面に向かって「危ない!」とか「後ろ!」とか叫んでいたなのはちゃんも同じ心配をしていたのだろうか、顔を上げてこちらを見ている。

「無茶だわ。彼女がいくら才能に恵まれているとはいえ、今はまだこの状況をどうにかできる程じゃない」

「あまりに無謀だ。そもそもあれは、個人でどうこうできるレベルじゃない。間違いなく自滅する」

 ハラウオン(だったっけ?)親子がそれに答える。
 まぁそうだろうと思ったからこそ聞いてみたわけだが、案の定、

「じゃ、じゃあ早く助けにいかないとっ! わたし、もう大丈夫です! きもちわるいの治りましたから、今すぐ現場に――」

「その必要はないよ。放っておけば、あの子は自滅する」

「そんな……っ」

 ――そう……案の定、待ったがかかる。

「仮に自滅しなかったところで、力を使い果たしたところを叩けばいい」

「でも……」

「悪く思わないでくれ。これが『組織』として最も正しい選択なんだ。今の内に捕獲の準備を」

「了解」

 ま、そーなるわな。俺だって同じ立場ならそうするだろうし。
 見回せば、リンディさん、クソガキは言うまでもないが、妹魂やその父親もこの決定に関して何か反意があるわけではないようだった。そりゃあフェイトちゃんの命に危険が迫るようであれば動かないわけじゃないだろうが、そもそも飛べない自分たちができることがない現状、挟むべき口などないのかもしれない。
 けれど、ユーノだけは俯いて何かを考えているようだった。その眼は意志が宿っているかのように強く鈍い光を放っているが、どうも後一歩踏み出せないといった印象を受ける。

 そういえば、と月村邸で聞いた話を思い出す。
 以前も無断でなのはちゃんを出撃させたようだが、二度目と言うのがユーノの足を強く引っ張っているのかもしれない。
 ガキのくせに気にしぃだなぁ……。

「私達は、常に最善の選択をしなくてはいけないわ。残酷に見えるかもしれないけど、これが現実よ」

 納得いかないという表情を崩さないなのはちゃんを追い打つように、リンディさんが組織人としての正論を彼女にぶつける。
 アリサちゃんやすずかちゃんと比べると少し遅れを取るが、なのはちゃんも年の割りに相当聡い。自分勝手な願いが、自分以外の誰かを危機に陥れるかもしれない。
 リンディさんの言うことも分かるからこそ、その表情は苦悶に歪んでいる。

 再びモニターに眼をやると、海流にあおられて吹き飛ばされるフェイトちゃんが見えた。残魔力量が心もとないのか、魔力刃の形成にさえ支障が出ている。
 犬耳さんも自分のことに手一杯で彼女へのサポートが追いついていない。



 ここらが限界かね。



「どこへ行く気だ」

 首をバキボキ鳴らしながらこの場を去るべく扉に向かって歩を進めようとした俺の背中をクソガキが止めた。
 その声に反応したのか、ブリッジにいる全員の視線が俺に集まる。

「いや、よく考えなくても俺がここにいなきゃならない理由はねーな、と思って」

「だからといって、僕達が何も言わずに君を行かせると思うのか?」

「そりゃお前達の都合だろ。俺が先に現場にいた場合、なのはちゃんを送るわけには行かなくなるからな。そうなると、選択によっては戦わなくていい俺をお前一人で相手にするハメになる」

「…………」

「あそこで、もうボロボロのフェイトちゃんと犬耳さんを片付けて6つの石ころを抑え込む、ついでに後からノコノコやってきたお前となのはちゃんを叩き潰す……こいつを俺ができるかどうか、賭けてみるってのも面白くないか? あるいは、これが最善の選択とやらかもな」

 直前のリンディさんの言葉を引用しておどける様に茶化してみる。
 まぁ、それくらいやってやれないことはないと思うが、もちろん俺だって本当にそんなことがしたいわけじゃない。

「なぁ、なのはちゃん」

「は、はいっ!?」

 当人にとっては余りに予想外だったのか、背中を向けたままの俺から名前を呼ばれると飛び退くようにして反応するなのはちゃん。
 いったい俺は彼女にどんな風に思われてるのだろうか。
 ちょっとした興味が湧いたけれど、今はあんまり時間がなさそうだ。

「君は、どうしてここにいるんだっけ?」

「え……?」

 話を切り出す俺以外には唐突に思われるだろう言葉。
 そんなものを急に投げかけられた姿を盗み見るように少しだけ振り返ると、葛藤に迷うなのはちゃんの瞳は、その心と同じようにゆらゆらと揺れていた。
 これじゃ足りないか、そりゃ。
 ため息を一つついて、再び扉に向けて姿勢を正す。

「君がここにいる理由だよ」

「それは……ジュエルシードから、みんなを……」

「それも違わないだろうけど、それは目的じゃないよね。あの日、すずかちゃん家で心に決めたこと、もう一度思い出してごらん。迷ってる場合じゃ、ないんじゃないの?」

 首だけ振り返り、顔を上げたなのはちゃんと目を合わせる。

 それにしても、今の自分は意地の悪い顔してるだろうな、なんて関係ない事を、俺の姿が映るなのはちゃんの大きな瞳を見ながら思う。


「フェイトちゃんと……フェイトちゃんと、友達になる」


 年不相応な葛藤に、それでもちゃんと向き合えていたがために生じた迷いを、はっきりと想いを口にすることで振り切ったようだ。
 その瞳は力を取り戻し、揺れることなく一点を見据えていた。


 そう……君は、それでいい。


「それは、ズタボロになった所を拘束されて、目の前に無理やり引きずり出されてきたフェイトちゃんとで、叶うものなのかな?」

 言いながら今度は視線をユーノに向ける。
 アイコンタクト、なんて高尚なものじゃないが、俺が言いたいことを理解し、またそれが最後の一押しにもなったようで、無言でゲートを開くと俄かにブリッジに緊張が走った。
 本人は不意をついたわけではないだろうが、そこに向かって悠然と歩いていくなのはちゃんを誰一人止めることができなかった。

「……高町なのは、ともだちを助けに行ってきます。それが、わたしがここにいる理由だから」

「ま――っ! くっ!?」

 光に向かって歩き出したなのはちゃんを止めるべく思い出したように動き出したクソガキが伸ばした手の先に、妹魂とユーノが立ちはだかった。
 その一瞬の隙……というほど切羽詰った間でもなかったが、稼いだ一拍、光の中に溶けるように消えた彼女。

 その背中を見送りながら、

「ついでだ、お前も言って来いよ。ユーノ」

「でも……」

「なのはちゃんはもう行っちまったからな。俺がここにいる以上、クソガキは動けん。ならサポートする人間は一人しかいないだろ。ほら、行け」

 それでも足を出しあぐねるユーノだが、肩を竦めて首を左右に振るクロノを見て、自身も光の中へ駆け出していった。





「それで、貴方はどうするつもりなのかしら?」

 俺が行動を起こして以降、一切口を挟んでこなかったリンディさんの声がブリッジに響く。

「またわからなくなったわ……。貴方は酷く傲慢かつ慇懃無礼な振る舞いをしながら、一方でかなり穏便に事を運ぼうとする……女性に対しては特に。けれど、なのはちゃんに限っては危険に向かって積極的に送り出そうとするのはどうしてなの?」

「何事にも例外はあるってことですよ。リンディさんも気をつけないと、痛い目見るかもしれませんよ?」

「……肝に銘じておくわ」

 ……しっかし、かなり見透かされてんな。
 その仮説実証のための尾行作戦だったんだろうから、俺もあんまりこの人を舐めてかかるのはよした方がいいのかもしれん。

 痛い目を見るのが俺だって可能性は、十分あるんだから。

「それに、契約にはなのはちゃんのサポートってのも入ってましたからね。なのはちゃんがフェイトちゃんトコに行きたがってるなら、後押ししてあげないと」

「あら、契約には『現場で』だったと記憶しているけれど?」

「事件は現場でも会議室でもブリッジでも起きてるってことで……あ、いや、なんでもないです」

 ブリッジにいる管理内外世界の人間から白けた眼を向けられて発言を引っ込める。
 虹色でこそなかったが、こちらも封鎖できなかったか。

「それでもう一度聞くけれど、貴方はどうするのかしら? なのはさんが現場に向かった以上、貴方をここに留めて置く意味はないわ。契約通りなら彼女のサポートをしてくれるんでしょう?」

「そうですね。それもいいかも知れませんけど……ほら、見てくださいよ」

 言って、俺に注視していた全員の眼を空間モニターに集める。
 そこには、無事フェイトちゃん達と合流したなのはちゃん達が映っていた。
 何か起こるかもしれないと少しばかり危惧したが、特に悶着もなくスムーズに協力体制が整っているようだ。
 最初フェイトちゃんは俯いてなのはちゃんと目を合わせていなかったけれど、なのはちゃんの言葉を聞いて跳ねるように顔を上げる。
 残念なことに音声は拾えていないようだ。

「魔力を分け与えたのか……」

 俺のすぐそばにいたクソガキが呆れた様に呟くのが聞こえた。

 状況が推移し、ユーノと犬耳さんが縛り上げるように竜巻を纏め上げ抑えている間に、なのはちゃんとフェイトちゃんが膨大な魔力を練り上げていく。

「ね。あれが、俺の助けがいるような雰囲気に見えますかね」

 瞬間、すべてのモニターの映像がロストする。
 音声が拾えていなくてよかったと思う程の魔力爆発が、海鳴の空と海を白く染め上げた。

 そのデタラメさに度肝を抜かれたのか、世界が色を取り戻してからもブリッジの人間は何一つ言葉を発しようとしない。
 かく言う俺も正直かなりびっくりしていたわけだが。

「じゅ、ジュエルシード6個全ての封印を確認しました」

「なんて出鱈目な……」

「でも、すごいわ……」

 ショートの子の報告をきっかけに、クルーの人間も落ち着きを取り戻し始めたようだった。

「さっきはああ言ったけど、やっぱお前の妹すげーわ」

「あ、ああ……」

 彼女の家族の方はいまだ心ここにあらずという雰囲気だ。
 知らぬ間に随分と遠くに行ってしまった末の家族をなんとも形容しがたい眼で見る男二人の背中は、少しばかり煤けているような気がした。
 あんまり触れてやらないのが優しさだろうか。



 モニターからみる空、雲の合間から光が差し込む。
 海の遙か上にて向き合う二人の小さな女の子の間に、封印が完了したジュエルシードが輝いていた。

 なのはちゃんが、フェイトちゃんに手を差し伸べる。
 揺れるフェイトちゃんの瞳に、なのはちゃんが再び声をかけた。
 そして、ゆっくりとだけど、フェイトちゃんの方からもその手を――




「――――ッ!?」




 再び艦内に響く、アラート音。
 どういうわけかモニター類全てが警告を発しているようで、外の映像モニターも切り替わってしまい、二人の姿が確認できなくなった。

「あ、おまっ」

 今いいところだったろうが!

「次元干渉!? 別次元から本艦及び戦闘区域に魔力攻撃来ます! あと6秒!!」

「え」

 対ショック姿勢とか言う前に、あるいは言う気がなかったのか、なんの用意をする間もなく激しく揺れるブリッジ。
 思わずこけそうになって隣にいたクソガキの肩を借りようとした瞬間、その体が蒼い光に包まれて消えてしまう。
 支え(予定)を失った俺の体はバランスを崩し、盛大に硬い床との接吻を果たした。

「逃走するわ、補足を!」

「ダメです、第二右舷クリンチャーが機能停止!」

「機能回復まで、後二十五秒! 追いきれません!」

「……機能回復まで、対魔力防御。次弾に備えて」

「はい!」

「それから、なのはさんとユーノくん、クロノを呼び戻して」

 どうやら今の艦震の下手人を特定することも、逃げるフェイトちゃん達を追跡することもできなかったようだ。

「つかえねー……」

 床にうつ伏せになったまま呟くと、それが聞こえたのかどうかリンディさんがこちらを向く。

「次元跳躍型でアースラにこれほどのダメージを負わせる程の魔導師……どうやら、貴方の言ってたことを信じるしかないみたいね」

「なんだかんだでリンディさんも疑ってたんですか……言ったでしょ? と――」

「取引で嘘はつかない。……どちらかというと、信じたくはなかったというべきかしら」

 台詞を取られたショックで起きる気力を失う俺にかまう事無く、リンディさんは決定的なことを口にした。



「かの大魔導師がこんなことをしでかすなんて、ね」






 4.同日 それから数十分後

side Lindy.H

 自室。
 なのはさんの出身であるこの世界の日本という国の文化に酷似した私のこの部屋に、息子であるクロノと、現在最も注意すべき存在である黒いコートの男が座っている。
 本来この状況は午前の取引が済んですぐ行われるはずだったのだが、先ほどの海上の一件のせいで少々時間がずれ込んでしまった。
 先方はお忙しい身であるが、今日のためにかなりの時間を割いてもらっているらしい。

 ……それがまた、私の勘に引っかかりを覚えさせるのだけれど。

 昨日、彼から接触が合ったときは心の底から安堵したものだ。
 私個人の見解ではそう分の悪い話ではなかったとはいえ、人の命をベットにしたこの賭けは、精神的にかなりクるものがあった。
 その時点での彼の要求は、預かってる人質の処遇を決定するための場を設けること。
 私の思っていた通り、アースラを指定しても彼は拒否したりはしなかった。
 それは彼にとって都合のいい何かがアースラにあることを示していたが、私としてもホームで迎え撃てるならそれに越したことはない。

 そして今日、予告通り現れた彼が提示してきたのは、人質の無傷解放を対価にしたギル・グレアム提督との記録に残らない通信回線を引くこと。
 それはまさしく私の読み通りの展開であり、望んだ通りの賭けの勝利形であった。

 実は、以前彼がその名を口にした時に一度提督とコンタクトを取っており、どういうわけか提督の方からも彼との交信を希望していたため、前日にこの可能性があることを提督に呼びかけていたのだ。
 まさか提督がかなりの時間を割くほどこの案件に積極的だったとは思っていなかったのだけれど……。

 そして、私が尾行という名の餌に使った局員。
 私が選んだのは、訓練こそ受けてはいるものの魔力を持たない事務職の、まだ二十歳にもなっていない女性局員だった。
 人質になっている局員の名前を聞いたときのクロノの目は母親としてはかなり堪える物があったが、それでもこれはこれから先ジュエルシードの事件を抱えながら、かの黒いコートの男と渡り合っていくためには早急に確かめなくてはいけないことだった。


 予想(という名の希望的観測)はしていたが、彼女は無傷どころか一切の衰弱もないまま帰ってきた。
 報告は要領を得ない部分が多々あった。
 それでも彼女の情報は実に貴重な資料になりえるはずと一応記録してある。

 ――捕まってから数日の間、光が差さないのに暗くない黒い空間で、仮面の女と二人で生活していたらしい。食料は大量のシュークリームに、なんの冗談かキャットフードがどこからともなく降ってきたという。
 暇な時間はずっと『時の危機』というタイトルの、モニターにつないで行う体感型のガンシューティングをやっていて、仮面の女とハイスコアを競っていたとかなんとか……。

「質量兵器も悪くありませんね!」

 とか笑顔で言われて謝る機会を逸してしまいそうになった。
 他にもいくつかあったが、概ねまだそこに居たそうな感情さえ読み取れる、そんな報告だった。

 なんにせよ、彼女のそんな様子全てが、かの人物がどんな人間か読み取るに難しくない証拠だった。
 
 その上、取引の収穫はそれだけじゃなかった。
 プレシア・テスタロッサ。
 彼が所有しているジュエルシードの数のついでとばかりに彼からもたらされた、もう一組の魔導師の後ろで手を引いてる人物の名前。
 なのはさんが聞いた黒い魔導師の名前からアタリこそ付けていたのだけれど、実際に会ったというから(彼の存在そのものを除いて)信憑性の高い話だった。
 その彼も、プレシアの目的まではわからないようだったけれど……。

 海中のジュエルシードの数と次元跳躍攻撃が彼の言っていることが真実とより明確に断ずるに足る証拠となった今、取引の結果として今の状況がある。

 ヴン、と表示される空間モニター。
 正面に座る提督とその後ろに立つクロノの師でもある使い魔の片割れが映った。




「こうして直接会うのは初めてですね、ギル・グレアムさん」




 ……しかし、どうしてなのだろうか。

 彼は、邪悪な人間ではない。
 そう判断したからこそ、今ここにこうして彼と提督との会合がなされているというのに。




 ――どうして私の勘は、取り返しのつかないことをしてしまったのだと嘆き叫んでいるのだろう……――。





 おまけ.GW最終日の××さん。

朝 桜台にて

「ちょっ、ちょ! すずかちゃ……焦りすぎってうお!?」

 紅い魔力の余波ですぽーん、と俺の手から飛んでいく十字架。草むらに入って見えなくなってしまう。

「ふふ、あははははははははっ!!!」

「ぎゃーーっ!! もう反転した! 俺抑えなきゃだからアリサちゃんアレ取ってきて!!」

「何やってんのよあんたはぁーー!!!!」


「はぁ、はぁ、なんとかなった」

「す、すみません先生……アリサちゃんも、ごめんね」

「あたしは別にいいんだけど……ねぇあんた、結界とかダメって言ってなかった?」

「まぁヘタクソだけど少しは……」

「さっきモロに眼合ったわよ。普通の人と」

「と、とっつかまえて忍さんところに!!」


昼 図書館にて

「兄ちゃん、そんな真剣な顔で『はらぺこあおむし』読まんといて。読書スペースの兄ちゃんの周りだけ異様な空白ができとるんよ」

「いや、なかなかどうして。興味深い絵本だよな、コレ」

「せやったらこれなんかどうやろか。『ひゃくまんかいしんだねこ』」

「あ、それはダメ。あかんの」

「あかんのか」

「望むのは停滞ではなく変化ってね」

「……?」


夜 八神家にて

「やはり90年代ゴジラは素晴らしい……なんという、すばらしい……」

「初めて見たけどすごいな、特撮怪獣」

「だろ!? お前はやっぱりわかる奴だと思ってたよ」

「せやかてラドンと融合するところで泣きはせーへんけどな……」

「…………」

「……洗い物してくるわ。……って出おったーー! 今年初めてのGや! 疾くヘルプ希望!!」

「任せろ! 俺のGクラッシャーで第二の脳を吹き飛ばしてやる」

「前本で読んだんやけど、Gはマジで二つあるらしいな。脳やのーて神経の塊らしいんけど」

「お前はどうしてそんな本を読んだんだよ……」



 そんなゴールデンウィーク最終日。



[10538] 第二十九話 8-9日 闇か光か
Name: 未定◆81681bda ID:9de1540b
Date: 2012/08/09 11:59
 1.5月8日 夕刻

side Gil.G

『こうして直接会うのは初めてですね、ギル・グレアムさん。最も、テレビ電話もどきで話すのを直接と言っていいかどうかはわかりませんが』

 黒衣の男が、見ようによってはこちらを嘲る様な笑顔でもって言う。データによる報告では何度もその姿を見たが、こうして相対すればなるほど、独特の雰囲気をもっていることがモニター越しでさえわかった。
 その顔が癪に障ったからか、はたまた彼そのものが気に食わないのか。傍らに控える私の使い魔の一人、リーゼアリアがきつく拳を握り締める。

「ああ。初めまして、と言うべきかどうかも私達の間では定かではないね。何度かコンタクトは取っていたのだから」

 その言葉に、モニターの向こうでかの人物の後ろにいたリンディ提督とクロノが息を呑んだ。
 これまでの彼に対するアースラからの報告を見ていれば、その反応も已む無しと言えるだろうか。

『俺は最近までずっとあなたの正体を知らないままでしたけどね。あの時はまさか、俺の存在が嗅ぎ付けられるとは思いませんでしたよ』
「……それで、わざわざこうしてここにいるということは、前回依頼した仕事の方はもう済んだのかい?」
『ええ、イギリスのアレは時計塔地下ごと完全に消滅させました。もう二度と現れることはないでしょうね』
「ふむ……」
『で、俺の本業の方の情報筋に、日本で面白いことが起きてるんでって飛んできて、ややあってようやくあなたの尻尾を掴むことに成功したわけですよ』
「それは、実に残念な話だね」

 かの人物から目を離さないように心がけながら、その後ろの二人に意識を向ける。
 彼女らはこの会話の中にある意味を拾おうと必死に話に耳を傾けているようだった。
 私にとって都合が良いとも悪いとも取れるその反応に、知らず目が細くなる。

「俺にとっては幸運でした。なんせ、ようやく対等のフィールドに立てたんですから。……つきましては、今までの報酬を頂こうかと」

 彼らのその真剣さにこの案件に対する多大な苦労を思い、それを利用する片棒を担がされた自身の力不足を表情に出さず呪う。

 この会合、意味を拾おうとするその行為にこそ意味がないことを、当事者たる私は当然知っている。
 何故なら、何一つとして、私達は意味のある話など一切していないからだ。


 これはすべて、彼の書いた台本どおりに喋らされているだけなのだから。


 事の起こりは新暦65年、地球の暦での4月18日。
 私達が長年監視、隔離してきた闇の書の当代の主である八神はやての前に、正体不明の魔導師と思われる人物が現れた。
 対象の露見、および周囲の変化を望まない私達にとってそれは危惧すべき出来事だったが、特に驚いたことには他者との繋がりを持つことに怯えにも似た抵抗を持つ対象が積極的にかの人物を傍らに引き止めたというのだ。

 後のサーチャーの記録によれば、対象を事故から救ったことがその原因らしい。
 それを知ったとき、私は心の底からかの人物の存在に感謝した。
 可能な限り二人の使い魔を警護及び直接的な監視として対象の傍に配置していたが、あの時は直前に起こった事件のせいでそれが適わず、もしかの人物がそこにいなければ対象の死と共に私の長年の計画も水泡に帰していたことだろう。

 とはいえ、やはり彼がこのまま存在し続ければやがて計画の障害に成りうることは、対象と共に彼を監視し続けることでおのずとわかった。
 如何なる奇運か、同世界の同地域で発生した別件によるロストロギア事件。そこで時折垣間見せる底の解らぬ実力と全く見えてこないその目的。
 何より警戒を抱かせたのは、彼は一流の魔導師さえ騙しきれるはずである対象の周囲の魔力的な違和を完璧に把握していたことだった。
 
 しばらくすれば管理局がこの地の捜査に乗り出し、間違いなく接触するだろう彼から対象、引いては闇の書の存在に気付いてしまうかもしれない。
 そうなる前に彼をどうにかしなければ……。

 そして同月26日、管理局に先んじてロストロギアの暴走に乗じ使い魔によるかの人物との接触をはかり、当初の予定通り同時に戦闘へと流れ込んだ。
 彼の実力は相当なものだと推測してはいたが、一方で私は自身の使い魔に絶対の自信を持っていた。
 ロッテだけでも制圧に足ると考え、それでもなお念には念を入れてアリアも現地に向かわせておいた。


 これでまた監視の日々だと一息吐いていた頃。

 実に、実に有り得ない事に、二人の精神リンクが突然断たれてしまったのだ。

 計画に対する思案も何もかも一瞬で喪失し、一拍置いて何が起こったのか理解した瞬間、私は壮絶な恐慌状態に陥った。
 おろおろと頭を抱え、錯乱し千々に乱れる思考が、それでも確信にも似た一つの答えを提示し続ける。

 二人はかの人物の返り討ちにあったのだと。

 静まらない動悸と纏まらない思考。
 まるでクライド君を殺してしまったあの時の再現だ。
 艦長としての責務から平静を装ってこそいたが、その心中はまさに今と同じ。

 無駄とわかりつつも長距離念話にて二人へ呼びかけようと試みる。
 計画遂行にあたって97管理外世界に至るまでの各世界に専用の中継機を配しているため、念話そのものは可能だった。
 祈るような気持ちで専用の回線を開くと、なんと、返答があった。


『ただいま、念話に出ることができません。念波の届かないところにあるか、電源が入っていないためかかりません』


 二度、頭が真っ白になった。

 念波とは一体なんだ? いや、言わんとすることはわかる。しかし電源が入っていないというのはつまり…………どうなっているんだ?

 理解不能をとうに過ぎて頭の中だけは酷く冷静になったものの、体の方はいてもたってもいられないままだった私は、すぐにでも現地に向かって何が起こっているのかをこの目で確認したかった。
 が、時空管理局顧問官という肩書きがそれを許さない。
 前線から退いて久しいとはいえ、本局内部における仕事は山のように存在する。直ちに休暇を申請しても、少なく見積もっても10日は受理されないだろう。
 私が無茶をして、それが露見すれば芋づる式に計画に気付かれるかもしれない。
 迂闊な真似はできなかった。

 打破できない状況が変わったのはそれから二日後。
 現地で別のロストロギア事件を追っていたアースラ艦長――運命はつくづく皮肉なものらしい――リンディ提督から公的ではなくプライベートな回線にてもたらされた、かの人物からの私宛ての伝言。

『電源はONになっている』

 それを伝えてくれた彼女は、とにかくかの人物に手を焼いているらしい。
 少しでも情報が欲しいのであろう彼女は、私と彼との繋がりを勘繰ろうと苦慮しているのが通信越しでも伝わってきていた。
 しかし、彼女がその情報を公にしなかったことに関しては、皮肉な運命とやらに感謝するほかない。

 そして、その情報そのものについても。

 伝言をそのまま鵜呑みにするのなら、念話が届かないのは二人が死んだのではなく何某かによって遮断されているから。
 また、私の情報は対象および使い魔からある程度漏洩していることは想像に難くない。
 そうでなければ私の名前が彼から管理局に向けて挙がるはずが無いのだから。
 漏れていて、けれどリンディ艦長は決定的なことは何も口にしなかったし、おそらく何も知らない。

 つまり、二人は人質としての価値があるから生かされており、管理局に何も言わないのは私個人との直接的な交渉を望んでいる、ということだ。
 既にヒビが入り始めたとはいえ、計画がすぐさま破綻という事態はどうやら避けられたようだ。
 相手が交渉を望んでいるというのならば、やりようはいくらでもある。


 そしてその次の月の初日。
 使い魔の一人、リーゼアリアが唐突に私の下に帰ってきたのだ。
 これには私も面食らい、自力で脱出してきたのかと問えばどうやら違うらしい。
 両者の(彼はこう言ったらしい)利益を損なわないように細かい口裏合わせが必要だと。
 そのために人質の片方を連絡役にするために解放したのだと。

 さらに涙ながらに続けられた懺悔。
 捕まった後、目の前でロッテのあまりにも凄惨な拷問が行われたこと。
 とても正視に耐え得る光景ではなかったのに、体の自由を奪われ眼も耳も閉じることが適わなかったこと。
 ついには自分たちの目的を喋ってしまったこと。

 闇の書の完全封印。

 響き渡るロッテの、死すら安らぎに思えるようなもはや悲鳴ですらない絶叫。
 それを掻き消したくて、血を吐きそうなほどに振り絞った大声で叫んだ瞬間、目の前の光景がガラスのように砕けたのだと言う。


 その先にあったのは、かの人物がねこじゃらしで行うロッテへのくすぐり拷問だった。

 それを見て完全に放心したアリアに近づいてきた彼が、

「何を見たか知らないけどお疲れ様。ごめんね、こういうのは案外理詰めでモノを考えるやつの方がよく効くんだ。直情的な奴はモノを考えない分信念が曲がらないんだよ、あそこでゲラゲラ涙流して笑ってる子みたいに。ま、ゆっくりやすんでな」

 暗に、自身が最初から裏切ると思っていたと言われたことにその時には気付かないまま、ひーひー言いつつぎっこんばったんするロッテを見ながら、極度の恐怖と緊張の糸が切れてアリアは意識を失ってしまったらしい。

 次に目覚めた時ロッテの姿はどこにもなく、既に拘束は解かれ、目の前にあの男がいて今回のことを言い渡されたようだ。

「概要はまだよく掴めてないが、目的はわかった。これが管理局に知られるとまずいことも。バラされたくなかったら今は大人しく言うことを聞くこと。それから――」

 ――余計なことをすれば、捕まってる彼女よりも先に君が大変なことになる……かもね。


 それを聞いて、瞬間青褪める。
 解放されたはずの今この瞬間にも、アリアの命はかの人物に握られたままだというのか。
 いや、それよりも今こうしてその事実を伝えることは『余計なこと』に入ってしまっているのでは――。

 見れば、アリアは覚悟が決まったかのような目をしていた。
 精神リンクからは耐え切れず計画の目的を話してしまったことからくる後悔の念が絶えず流れ込んでくる。

 けれど、しばらくしても特に変化は無かった。
 彼のハッタリだったのか、もしくは『余計なこと』とやらに該当しなかったのか……。

 しかし、だからといってこれ以上私はそれを試すこともできず、また依然ロッテを人質にとられたままであることは変わらない。

 圧倒的に不利な状況のまま、その時はきた。
 リンディ提督が彼を利用した結果なのか、彼が彼女を利用した結果なのか。
 おそらくはその両方だろう。
 こうして、モニター越しとはいえ私達は直接話している。

「それで、私のもとへ来て今度こそ直接話がしたいと?」

『ええ。あんまり公にできるような話でもないですしね。もちろん、タダとは言いませんよ』

「…………」

『この件、今ここで起こっているジュエルシードの事件に関して俺が手を引く。と同時にこの件で管理局に基本的には協力することを契約しましょう』

「それで?」

『この件が無事解決したのなら、俺を貴方のもとへ送り届けて欲しい。帰りはまた別に考えます』

 ふむ……台本と少々違うな。
 本来は持っているロストロギアと引き換えに、ということだったが……何か別のものでも見つけたか。

「……ということだが、リンディ提督。この契約の相手は君ということになる以上、君の意見を聞かねばならないね」

『……戦力の一点で見れば、彼が我々に協力してくれるというのは破格もいいところです。相手側にかつての大魔導師がいるとわかった以上、この契約は非常に大きな意味を持ちますわ。……しかし』

 言葉に出さずとも彼女は訴えている。
 さすがにそれは、と。

「安心したまえ、彼にとって契約とは非常に大きな意味を持つ。彼が危険な力を持っているというのは疑いようも無い事実だが、彼には彼を縛るルールというものが存在するんだ。だから――」

『――ギル・グレアム』

「……契約にさえ従えば、彼が我々に牙を剥くことはない」

 少々のわざとらしさで以って、芝居をうつ。
 無理やり私の言葉を遮る彼の様子に、リンディ提督もクロノも露骨に興味を示したが、そこにもやはり意味など無いのだ。

「あまりこれ以上君達に迷惑をかけるわけにもいくまい。私なら、ある程度彼の勝手を押さえ込める。彼が提示した契約の関係上、履行後も私の監視下にある。

 ……しかし、そう、リンディ提督が私を信じられないのであれば、やはり契約を結ぶべきではないよ」


 この会合。
 セッティングしたリンディ提督は彼の反応と同時、私を視るためのものでもあったはずだ。
 私がかの人物と如何なる繋がりをもっているのか。それは彼が管理局の前で為した行いで以って大きく意味を変える。
 そして、報告で見る限り彼の行動はあまりに荒唐無稽かつ曖昧が過ぎて、とても個人で判断できるようなものではないだろう。
 おそらくはリンディ提督も決めあぐね、隣のクロノと念話による相談をしているはずだ。



 ――しかし、ここで拒否されるような愚を犯す男であるのなら、これほど対処に苦慮させられることなどなかっただろう。



『……わかりました、契約を結びましょう。その前に一つ聞いておきたいのだけど、“基本的には”とはどういうことかしら?』

『簡単なことですよ。以前交わした契約の内、今回のものと抵触してしまう可能性のあるジュエルシードに関する取り決めを破棄する以外は、以前のものもそのまま履行するってだけです。それを破った場合、必然的に今回の契約も御破算になりますね』

 以前の契約……? 報告には無かった取り決めが存在しているということか……?

『それは……そう、こちらにデメリットがなかった以上、飲まざるを得ないということね』

『そういうことです。一時的とはいえ協力するんですから、仲良くしましょうよ』

『私個人の意見としては、あまり関わり合いになりたくないのだけれど』

 そう言って、軽くだが握手を交わす二人。

『お前もな、クソガキ』

『やめっ、あとずっと無視してたけどいい加減その呼び方をどうにかしろ!』

 続いてクロノの頭の上に手を置こうとして、それを払い除けられる。

『じゃあなんて呼べばいいんだよ』

『普通でいいだろ、普通で』

『クロノ・ハラオウン……略してラオウとかどうだろう』

『略してない! 抜いてるだけだそれは!』

『ちなみに、俺のことは父さんとでも呼んでくれて構わないぞ』

『お断りするわ』

『お断りだ』

『…………』

 彼の冗談に間髪いれず拒否するリンディ提督とクロノの言葉を受けて、がっくりと膝をつきうな垂れるかの人物。






 そんな一連の光景を見ながら、私は背筋に走る怖気を止めることができなかった。
 彼は、もはや疑いようの無い危険人物だ。
 余りにも危険で、我々管理局の手に負えるかどうかさえ計りかねる、それ程の存在。

 また一方で、二人は利口だ。たやすく誑かされることなどあり得ない。

 それが、和気藹々とは言えないまでも、緊張の伴わない会話を交わしているという事実。
 まるで、彼を中心に世界が塗り変えられているような感覚に襲われる。

「父様」

 後ろからかけられたそんな声に、埋没していた思考から急速に引き上げられる。
 そうだ。ここでそんなことを二人に告げたとしても、今ここにいるアリアも、囚われたままのロッテをも失ってしまうかもしれない。
 歯噛みするような思いで、けれど努めて表情に出さないよう彼らに告げる。

「おお、そうだね。さすがにそろそろ時間だ。話が纏まったのなら、私は退席して構わないかね?」

『えっ? ……えぇ、お忙しい中時間を割いて頂いてありがとうございました』

「構わないよ。むしろ、私の方が君たちに多大な迷惑をかけてしまったようなものだからね」

『そんなことは……』

「それでは、私はこれで失礼するよ」

 言って、モニターが切れる瞬間、彼と目が合った。

 途端、今までの怖気などとは比肩することも出来ない恐怖が私の中を駆けずり回る。数多比喩存在する“背筋に氷の柱を入れられたよう”とはこのことか。
 見たものの意思すら奪いさるような凄惨な笑みで告げた言葉が、モニターが切れた後しばらくしても耳をついて離れなかった。





『直接会える時を楽しみにしてます、グレアムさん』






 2.5月9日 午後

side Alf

 フェイトを、助けなきゃ……。あのまま……あんな鬼婆のトコにいたって、幸せになんかなれやしない……。

「酷い怪我やなぁ……ほんまに平気なん?」

 誰……? 知らない匂いだ……。

「まぁ大丈夫でしょ。俺を誰だと思ってるんだよ」

 こっちは知ってる……。あのいけ好かない男だ。

「誰だか知らへんからゆーとるんやけど。しかしまさか獣医さんでもあったとは、驚きやな」

「だろ。獣医じゃないけど」

「え?」

 駄目だ……意識が……。


 …………………。


 …………。


 ……。



「!!」


 勢いよく身を起こして、周囲を確認する。
 とんでもなく広い部屋。高そうな家具。自身にかけられた毛布に、手当てされたような包帯。

 そして、こちらを遠巻きに見つめるたくさんの猫たち。

 がちゃ、と部屋の扉のノブを回したような音がすると同時、跳ね起こした体でもって全力で警戒態勢をとってからようやく、異常に気付いた。
 ――あれだけ酷い怪我をしたはずの体が、全く痛まないのだ。

「お、起きたか。体の調子はどうよ」

 その異常に気を取られて、警戒に対する反応が遅れてしまった。
 あのいけ好かない男と、どこかで見たことがあるような気がする紺色の髪のフェイトと同い年くらいの女の子が部屋に入って近づいてくる。

「……あんたがやったのかい?」

「わっ……ほんとに喋った……」

 男の後ろに隠れるようにしてこちらを見ていた女の子が、獣形態のあたしの言葉に反応して小さく声を上げる。
 魔力も感じないし、どうやらこちら側の関係者ではなかったみたいだ。
 迂闊な行動に少し反省したものの、もう済んだこととして開き直る。

「盛大に穴が開いてたと思うんだけど……塞がってるね、こりゃ」

「おお。すげー怪我だったからやべーかなと思ったんだけど、何とかなってよかったよ」

 以前もフェイトの怪我を治してくれたし、ホントは医者かなんかなのかね、コイツ。
 感心よりも先に、うさんくささが増したような気がする。

「一応……礼は言っとく。助かったよ、ありがとう」

 体を起こして、開いているテラスから外に出ようと歩みを進める。
 怪我が治った以上、やることは一つだ。
 あたしでは鬼婆に勝てないけれど、フェイトをあいつから引き離すことくらいはできるはず。
 本当ならフェイトの意志を尊重してやりたいけど、あの子をこれ以上あんなヤツの傍に置いておくことなんかできない……そんなこと、できるもんか!!

「おいおいおいおい、まぁ待てよ。何があったかくらいは話してくれてもいいんじゃないか。ただで済むほど治療代は安くはないぞ」

 後ろからあの男の声がかかる。
 確かにそれを言われると、話す義理はないなどとてもじゃないが言えないし、少なくともコイツはあたしよりは強い。
 無理やり逃げたって直ぐに捕まってしまうだろう。

「先生……」

「いや、あのね、話を聞くだけだから。金取ったりなんなりしないから。だから、そんな悲しい目をしないで」

 女の子はコイツを『先生』と呼んだ。
 一体どういう関係なんだとわずかに興味が湧いたけれど、

「……あんたはいなかったから知らないかもしれないけど、この前海でジュエルシードを6つ、無理やり叩き起こしたんだ」

 考えてみれば、もはや鬼婆をかばい立てする必要もないことに気がついた。
 あたしにとってはフェイトさえ無事であればそれでいい。
 フェイトやあたしの怪我の治療をしてくれたこの男なら、もしかしたら力になってくれるかもしれない。
 そんな打算的な考えもしながら、目の前の男に向かって事情を説明し始める。

「無茶して無理だったけど、なのはちゃんが助けてくれたんでしょ」

「……なんだ、知ってたのかい」

「管理局と絶賛交渉中だったからね。あいつらの船ん中にいたの」

「相手のホームで個人での交渉って……とにかくそれならその後何が起こったのかは知ってるんじゃないかい?」

「いや、プレシアさんに船が直接攻撃されてモニターが吹っ飛んだ。ついでに詳細は俺には教えてくれなかったから」

「こっちにもあったんだよ、アイツの攻撃。フェイトに直撃したんだ」

「それはまた……」

「あたしは咄嗟にフェイトを受け止めて、ジュエルシードを取ろうとしたんだけど……」

「そういや終わった後、時空管理局執務官様が3つもって帰ってきやがったな」

 そう、フェイトを傷つけたあの執務官だ。
 思い出しただけでもその横っ面とどてっぱらを思いっきりぶん殴りたくなる。

「あたしも三つ、とったんだ。……それをフェイトが渡したらアイツは……あの鬼婆はッ!!」

「以前俺がそっちに行ったときの再現、か?」

「…………」

「あの時残り6つで、温泉でフェイトちゃんは一つも持ってなかったから……合計8つか。それでもプレシアさんは足りないって?」

「鬼婆が考えてることなんてあたしにはわかんないけど、どうやらそうらしいね。……それで、いい加減もう我慢の限界だったあたしは――」

「プレシアさんとこに殴りこみに行って、返り討ちにされた、と」

「……そうだよ。止めを刺される前にランダム転移でどうにか逃げ切れたんだけど……ん? そういや、なんであんたあたしの場所がわかったんだい?」

「そりゃあ発し……たまたまだよ」

「……? それにあんた、昨日あたしの傍にいた子と違うね」

「え?」

 男の傍にいる女の子に向けて言う。
 朦朧としていてよく覚えていないけれど、昨日の子とは匂いが違う。
 あの子は今ここにいる子と違って、こんな鉄っぽい匂いはしなかったはずだ。

「先生は朝方あなたを連れて屋敷に来たから、昨日なんて――」

「つまり! 今フェイトちゃんはプレシアさんとこに一人ってことか!」

「! そうさ、だから早く助けにいかなきゃいけないんだよ!」

「まぁまぁ、そう慌てなさんな。助けるったってどうするつもりさ?」

「決まってんだろ。無理やりにでもアイツからフェイトを引き離す」

「引き離して、どうすんのさ? 逃げ続けられんの? プレシアさんや管理局から」

 そう……問題はそこだ。
 あたしはいい。
 けれど、フェイトにそんな陽の当たらない生活をさせていいのだろうか。いや、いいはずがない。
 けれど、そうする以外方法がないじゃないか……っ。

「じゃあどうしろって言うのさ! あんたがあの子を救ってくれるってのかい!?」

「いいや、俺は救わない」

「ならっ……!!」

 いよいよフェイトはあたし一人の手で救わなきゃならないじゃないか!!
 ……かすかな希望だったとはいえ、裏切られると涙が零れそうになるほど悔しい。
 
「先生……?」

 いや、切り替えるんだ。
 これは、生まれてからずっとやってきたことと何も変わらないじゃないか。
 フェイトの前にある障害は、あたしが全部取り除くんだ。



 それが、フェイトの実の母親であっても――!!



「俺は救わないけれど、フェイトちゃんを救おうと君と同じくらい躍起になってる子をサポートする約束はしてるのさ」


 え?

 思わず顔を上げる。

 フェイトを救おうとしている子。
 脳裏に映るのは、暴走したジュエルシードを、フェイトごと包み込んでくれたあの子。
 フェイトと友達になろうと言い、そしてフェイトもそれに応えようとしたあの白い魔導師。

「あの子が管理局に協力している以上、形的には管理局に投降ってことになると思うけれど、悪いようにはならないはずだよ。少なくともあの船の上層部は有り得ないくらいまともだし」

 けれど、やっぱり逮捕なんてことになったらこれから先のフェイトの将来を閉ざしてしまうことにならないだろうか。
 鬼婆から解放されても、それじゃ意味が無いんだ……!

「だいたい何考えてるかわかるけど、そんな心配することは無いと思うよ。俺や管理局が信じられなくても、白い女の子のことは、少なくともフェイトちゃんのことでは信用できるでしょ?」

「……そう、だね」

「ところでさ、フェイトちゃんってお姉ちゃんか妹か、姉妹がいるってことはない?」

 あまりにも唐突な、意味の読めない質問。
 少し面食らったけれど、とりあえず答える。

「いや、フェイトはずっと一人だよ……」

「そうか」

 言って、手を口元に当てて考え込むような仕草を見せた後、傍にいる女の子に声をかけた。

「もしかしたら、すずかちゃんの秘密が共有できるような新しい友達ができるかもしれない。楽しみに、とは言わないけれど。それはきっといいことだと思うから、受け入れてあげてね」

 この時のあたしに、この言葉の意味を察することは不可能だったに違いない。
 目の前にいる女の子、スズカの秘密も知らなかったのだし、主であるフェイトの秘密さえも知らなかったのだから。

 けれど、それを告げられたスズカの表情から、なんとなくだけれど、霧のような違和を感じていた。
 あたしは、それを知っていたらどうしていたのだろうか。自身の滅びまでプレシアに牙をむき続けたのだろうか。


 ――この霧の先にある真実を知るのは、もうすぐ先のことだった。



[10538] 第三十話 10日① 桜色の剣、金色の願い
Name: 未定◆81681bda ID:9de1540b
Date: 2012/08/10 21:27
 1.5月10日 早朝

 まだ空の闇は黒く、海から臨む日の光の白とで、水平線のほんのわずか上にもう一つの境界線を作り出している。
 ようやく動き始めようとしている人の世は、それでもまだこの場において雑踏を覚えさせない。
 感じ取ることすらできない空気の流れが木々を揺らめかせ、どこからか葉が擦れあう音が届いていた。

「ここなら、いいね。出てきて……フェイトちゃん!」

 眼を閉じて、そんな世界の音を聞いていた俺の耳に、柔らかで、それでいて芯の強さを感じさせる声が響く。

 海を臨む公園。
 吐く息は白く、全身を預けていたベンチから身を起こし声のした方に首を回せば、ユーノと犬耳さんもその傍に。


≪Scythe form.≫


 そんななのはちゃんに応えるように、無機質な機械音声と共に弾ける魔力。
 その反応を辿った先、いまだ光を放つ街灯の上に、フェイトちゃんは静かに佇んでいた。

 既に、臨戦態勢。

「フェイト……もうヤメよう、あんな女の言うこと……もう聞いちゃダメだよっ」

 一歩前に出た犬耳さんが、彼女自身どこかで無駄とわかっているのだろう迷いを孕んだまま説得を試みる。

「フェイト、このままじゃ不幸になるばっかじゃないか……だからフェイト!」

 悲痛な叫び。
 『この世界』の使い魔というシステムを欠片も理解していないと言える俺にとって、その心の通った慟哭には少しばかり驚いた。
 命に代えても主を守るという最低限の機能はこれまでで十分すぎるほど示してくれていたが、主を想うが故とはいえ仕えるべき対象を前にしてその意に反することを許されているのか。

「だけど……それでも私は、あの人の娘だから」

 眉根を寄せ、小さくかぶりを振るフェイトちゃんを眺めながら、そんなことを思う。

 てっきり俺は犬耳さんの足止めが必要かもしれないな、なんて考えながらこの場にいたのだが。
 犬耳さんには確りと心があって、それは決して縛られてなどいなかったということか。
 それとも、フェイトちゃんだからなのか。
 今この場においては既に益体無い事をつらつらと頭の中で並べていると、なのはちゃんもまた静かに戦う準備を整える。

「わたしは、初めて会ったときからずっと……あなたのことばかり考えてた」

 バリアジャケットと呼ばれる魔力で編まれた防護服、デバイスと呼ばれる魔法の補助及び拡張を担う端末。
 それらを一瞬で身に纏ったなのはちゃんの、見ようによっては威すら放とうというあの眼は閉じられており、けれどその姿は凛として輝いていた。


 そこに『在』るという重みが、余りにも他とは違う。
 おおよそ、あの歳の子が放っていい異彩ではない。


「ひと月。たったひと月の間に、ほんとうにいろんな事があったの。魔法のこと、ジュエルシードのこと。管理局の人たちのこと。大好きなともだちのこと。黒い、コートの人のこと」

「…………」

 話を聞く限り、魔法を手にするまでは一応平凡と呼んでいいカテゴリに属していたなのはちゃん。

 よくもまぁ、たった一ヶ月の間にこれだけの経験をしたものだと思う。
 よくもまぁ、ああも毅然と立っていられるものだと思う。

 その経験はただ光り輝く宝石のようなものだけじゃなく、苦悩や葛藤といったものが常について回るものだったに違いない。
 経験して、歪まず折れず、眩しささえ伴うような成長を見せている。

 それも、9歳の女の子がだ。

「それでも、わたしの心の中にはずっとあなたがいた。ずっと、気になってたから。昔のわたしとおんなじ瞳をしてた、あなたのことが」



 けれど、今はこうも思う。

 本当は彼女は最初から歪んでいたんじゃないだろうか、と。
 いや、むしろ『ずれて』いたという表現の方がしっくり来る印象を受ける。
 高町なのはは間違いなく『戦う人』だし、彼女の兄や父親だってそうだ。
 そして、そういうタイプの人間は多かれ少なかれどこかしら壊れてるというのは珍しくない。

「だから、わかるんだ。勝手なことだって思うかもしれないけど、わかるの。フェイトちゃんの気持ち」



 ――俺に思い違いがあるとすればここだったのだろう。

 彼女の父や兄がそうであるから、なのはちゃんもまたそうなのだろう、と。
 そういう生き様を間近で見ているが故に形成された根幹だろう、と。

「だから、ともだちになりたいって思ったんだ。あなたは独りじゃないよって、そばにいてあげたかったの。……けど、今はほんの少しだけ、違うんだ」

 その言葉に、初めてフェイトちゃんが揺れる。
 それまで湛えていた表情から察するに、あまりに悲愴な覚悟をもってこの場にたっていたことは想像に難くない。
 ……何を吹き込んだのやら、プレシアさんも中々酷な真似をするなぁ。


「フェイトちゃんは、笑うとすごく素敵なの。すごく綺麗に、笑えるの」

「……?」

「わたしは……もう一回、ううん……何度でも、笑ってるフェイトちゃんを見たいって思ったの。そう、笑顔のフェイトちゃんの傍にわたし“が”いたい……だから」

 言葉と共に、瞳が開かれる。



「その悲しみを撃ち抜くために、わたしの魔法があるんだ」



 朝日を背負うように立つなのはちゃんからは、それまで以上の魔力とは違う目に見えない力を確かに感じとることができる。
 それを正面から一身に受けているはずのフェイトちゃんは、けれど恐怖する様子もなく、むしろそれまでどこか生気が感じられなかった瞳に光が差し込んだような気さえした。

 当然なのかもしれない。あの子は持てる全ての力を使って、フェイトちゃんを救おうとしている。
 そばにいようとしている。
 そしてそれがわからない程、フェイトちゃんはまだ極まってなどいないのだから。


「ありがとう……なのは。でも、私にも大切な願いがあるん……どうしたの?」

 ぽかん、と口をあけてなのはちゃんが固まっている。
 彼女の言うとおり、確かに初めて見る笑ったフェイトちゃんにはそれぐらいの威力があるかもしれないと密かに思う。

 ……見当違いだったが。

「二度目だね、わたしの名前を呼んでくれたの」

「え?」

「海の上で、フェイトちゃんのお母さんの魔法からかばってくれた時に、危ないって、名前を呼んでくれた」

 それは、モニターが切れていた間の出来事。
 プレシアさんが話題に出たからか、フェイトちゃんの表情が一気に曇る。
 それを見たなのはちゃんの顔は、より凛々しさを増して。

「フェイトちゃんの願い。フェイトちゃんのお母さんの願い。それはきっと、わたしの願いとぶつかり合う。だから賭けよう、お互いが持ってる全部のジュエルシードを!」

≪Put out.≫

 なのはちゃんの周囲に現れる11個のジュエルシード。

≪Put out.≫

 そして、特に命令した様子もないのにそれに呼応してフェイトちゃんのデバイスも8個のジュエルシードを解放した。


「あのっ!」

「へぁ?」

 いきなりこっちに向かってなのはちゃんに叫びかけられ、一瞬自分のこととわからず間の抜けた返事をしてしまう。
 なんと、ここに来てから自分が一言も喋ってないことにようやく気が付いた。
 おそらく『街灯の上に立つ女の子』を確認した辺りから頭が逃避活動を始めていたのだと思われる。
 思えばらしくない思考展開をしていたものだ。


 俺めっちゃあの人苦手だったしな……滅されそうになるほど嫌われてたし。


「あーはいはい」

 言いながら『倉庫』に手を突っ込みお目当てのものを出すと、フェイトちゃんに向かって放り投げた。

「これっ……!?」

 それは、二つのジュエルシード。

「これで数の上ではまぁ対等でしょ。俺はもうその石は必要ないから、二人で煮るなり焼くなりしなさいな」

「でも……っ」

「ここだけの話、前ジュエルシードを賭けて戦ったときに実は俺も掛け金足りなかったんだよね」

「…………」

 言うだけ言うと、背を向けてベンチに寝ころがる。
 確かにさっきまでは脳が停止していたけれど、通常運転だからといってこの二人の間に立ち入るような真似はご法度だと思う。
 柄じゃないかもしれないけど、大人しくしているのがベストだろう。

 高町兄妹とは違うのだ。

「これで、勝った方が全部のジュエルシードを揃えられる。きっと、フェイトちゃんのお母さんの願いにも届くよ」

「そう……だね」

「けど、わたしは止める。フェイトちゃんの願いを、悲しみを撃ち抜くために」

「……うん。でもだからって、私だって止まれない。止まるわけには、いかないんだ」

 犬耳さんの言う事、なのはちゃんの言う事。
 きっとそれが正しいとわかっているから、フェイトちゃんもそれを否定したりはしないのだろう。

 けれど、それでも彼女が願うことを決して諦めないのは。

 ――それでも私は、あの人の娘だから

 なのはちゃんもそれがわかっているから、戦おうとするのだろう。
 そうすることしか出来ない自分が、それでもフェイトちゃんと共に在りたいがために。


 自分の願いと、彼女の願いをぶつかり合わせるために。


「だから、始めよう……最初で最後の本気の勝負っ。わたし達の全ては、まだ始まったばかりなんだから!」





 ――俺の思い違い。

 確かに高町なのはは『ずれて』いた。
 けれど、『運命』は『世界』を整える。


 なんてことはない。
 彼女、高町なのはは。


 魔法を手にすることでようやく『はまった』のだ。





 2.同日 同時刻

side Chrono.H

「戦闘開始、みたいだね」

「ああ」

 モニターに映し出される二人の魔導師。
 その二人が大空に飛び上がるのを見ていたエイミィの、独り言とも取れる呟きに反応を返す。

「けど、珍しいよね。クロノ君がこういうギャンブルを許可するなんて」

 ひょこひょこと揺れるエイミィの旋毛から伸びる一束の髪の毛を眺めながら、別の思考でその言葉の意味を咀嚼する。

「まぁ、高町が勝つに越したことはないけど……あの二人の勝負自体はどちらに転んでもあんまり関係がないからね。……僕達にとっては」

 シートの背部に備えてあるスプレー式の整髪剤を手に取りしゃかしゃかと上下に振りながら、心からすべるようにして付け足された自身の言葉について思う。
 その通り、我々の目的はプレシア女史の逮捕であり、この勝負はその前段階に過ぎないのだ。
 けれど、高町にとってはきっと、この勝負こそが全てなのだろう。
 そのあまりに純化された想いを利用することは、果たして許されることなのだろうか。

「なのはちゃんが戦闘で時間を稼いでくれてる内に、あの子の帰還先追跡の準備をしておく、ってね」

「頼りにしてるんだからね、逃がさないでよ」

 ひらひらと立つその髪にスプレーを噴きつけ、ブラシで撫でる様に梳く。

「あいつにこれ以上借りを作るのは、僕個人としても気に入らないからね」

「…………」

 あいつを話題に出すと途端大人しくなるエイミィ。
 代わりに、撫で付けたはずの髪がぴょこん、と再び面を上げた。
 あいつ曰く、アホ毛と言うらしい。


 アホ毛。


「あの人がフェイトちゃんに渡した二つのジュエルシード、彼だけに分かるマーキングがしてあるって話だよね……なに笑ってんの?」

「い、いや。……そう、もし高町が負けて、その上追跡が不可能だったとしても、奴の言う事が本当なら、既に場所は割れたと見ていい。……ただ」

「……そうだね、絶対つかまえてみせるよ。安心して」

 僕の言いたいことを察してくれたのか、エイミィの気合いの入り方が変わる。
 二人して脇のモニターを見やると、件の男がベンチに寝そべって二人の戦いを眺めているのが映っていた。

「あの人、どうしてあそこにいるんだろう」

「高町の希望らしい。自分たちの戦いに邪魔が入らないようにしてほしいそうだ」

「そうは言っても、結界張ってるのユーノ君だよね」

「“契約”とやらの内なのか……まぁ、あいつがあの場にいる以上、二人に万が一のこともなくなると思うけど」

 僕のその言葉にきゅっと眉根を寄せるエイミィ。
 あからさまに不機嫌そうなオーラを撒き散らし始める。

「いつのまにやら、クロノ君まで随分とあの人を信用しちゃってさ……。クロノ君を酷い目に合わせた張本人だよ?」

「あの時の僕に非が無かったとは口が裂けても言えないよ。それに、怪我も治してもらってる」

「だからって許されることじゃっ……」

「まぁ待ってよエイミィ。僕だってあいつが気に入らないのは一緒さ。けれど、奴の実力は今は大きな武器になる。そして、僕達の目的は大魔導師の逮捕だ」

 脳裏に浮かぶのは、ほぼ相手にもされなかったと考えていいあいつとの戦い。
 そして先日のアースラを襲った次元跳躍魔法。

「気に食わない要素を孕んでいるからといって任務を達成できないような無能に僕はなりたくないし、艦長もそうだろう。それに、少なくとも僕はあいつを信用しているわけじゃない」

「……うん」

 そう、信用できないのだ。
 あいつは決して僕たちに対し好戦的というわけではない。
 むしろ、対等という前提こそ感じられるが友好的と言って差し支えない態度だ。
 先のグレアム提督との会談における、提督の彼に対する証言も多くはそれを裏付けていた。

 けれど、やはりあの会合が僕達の疑念を深めていた。
 知っての通りこの世界は提督の出身世界だ。
 あれほどの大人物、この世界における独自のパイプがあってもそう驚くべきことではない。

 けれど気になるのは、提督があいつにその正体を隠していたことと、提督との“契約”にあいつが応じていたこと。
 この第97管理外世界に魔法及び次元航行技術はないという調査結果が出ている。
 しかし、提督とあいつの話の端々から察するに、少なくとも前者においては似たような何かが存在していることがわかる。
 あいつのような存在がごろごろしているなどと考えただけで頭の頭痛の激痛が激しく痛くてしょうがないが、それならばなるほど、調査隊を煙に巻くくらいは片手間でできるに違いない。

 そして何よりも、そんな強力な存在を提督が管理局に秘匿していたということ。
 また、あいつに管理局の存在を秘匿していたということ。

 それはイコールで、提督はあいつを管理局の手にすら負えない存在だと認識している可能性があるということを示していた。

 そんな存在を、どうして信用できようか。
 二人の“契約”の内容も気になるが、おそらくそれにヒビを入れたのはジュエルシードであり、ひいては僕達アースラなのだ。
 できれば僕達の手でどうにかしたいが、既にあいつという存在が僕達の手に余ることは十分承知していた。

「それにしても……凄いね、二人とも」

「ああ……舌を巻くほか無いよ」

 そんなあいつに対する思索とは別の思考野は、目の前の光景に注視している。

 モニターで繰り広げられる二人の少女の魔法戦は、想像の域を易々と飛び越えていた。
 スピードで分のあるテスタロッサの魔導師が高町を圧倒するだろうと当初の予測では考えていた。
 かく言う僕も、例の月村すずかの事件と同時に発動したジュエルシード事件の際に、既に対象を回収して逃走を計る彼女と接敵した時、追うことすらままならない程の速さの彼女に気をとられ、使い魔の手痛い罠を喰らってしまったのだ。



 そんな予測は正面から裏切られた。



 まず、中距離以遠は高町の独壇場だった。
 相手の直射弾に一拍遅れてなお、セットした誘導弾を相手と同時に放ち、それを避ける相手の体勢が整う前にさらにもう一セットの誘導弾を撃つ。
 たまらずテスタロッサは高町と距離を詰め鎌状に展開した魔力刃で切りかかるが、高町の強固なシールドがそれを通さない。
 さらにはそれを維持したまま誘導弾のコントロールまでやってのけた。
 魔力刃を解除し飛来した誘導弾をシールドで受け止めるが、高町への注意が散漫になったのを見逃さず、ゼロ距離での砲撃が逆方向からテスタロッサへ殺到する。
 瞬発的に構築した砲撃だからだろう、反射で展開したシールドで大きく後ろに押されながらも大部分のダメージを逸らすことに成功したのか、バリアジャケットの損傷は軽微だった。
 お返しとばかりに今度はテスタロッサが砲撃を放つ。
 避ける事もできただろうに、真正面からシールドで受け止めた高町は、受けきった後テスタロッサがいないことに気付く。

 瞬間、背後に現れるテスタロッサ。
 砲撃と同時に発動した高速移動魔法による追撃。

 しかし高町もまた高速移動魔法を発動。
 本来直線的機動に用いられるそれを旋回行動用に組みなおしたと思われるそれは、一瞬でテスタロッサに向き直りつつデバイスによる側面からの殴打に繋げる。
 テスタロッサではなく、彼女のデバイスがオートで発動したのだと思われるバリアが彼女を守るも、出力が足りないのかそれを受けきれず弾丸のように海面に叩きつけられてしまった。

 さすがに疲労がたまったのか息切れする高町を、今度は海中からの直射弾が襲う。
 咄嗟のことで回避が遅れたのか続いて飛来した回転刃をまともにシールドで受け止め、一瞬はっとした顔つきになったのもつかの間、回転刃が爆発を起こす。
 バリアを破られ大きく後ろに飛ばされる高町を追い撃つように、ようやく海から飛び出したテスタロッサが交錯する。
 デバイス同士がぶつかり合い、甲高い金属音が鳴り響いてようやく互いが少し距離をとった。


 お互いが肩で息をしている。


「はぁーっ……あたし今息してなかったよ。これって、二人とも魔力量がどうこうってレベルじゃないよね」

「ああ、そこらの武装隊クラスじゃ相手にならないだろうね」

「こっちの子はともかく、なのはちゃんはこれで魔法に触れて一ヶ月とちょっとだってんだからオドロキだよねぇ……。クロノ君下手したら負けちゃうんじゃないの?」

「今はまだ大丈夫……だと思う……多分」

 そう言えば、と思い出す。
 この戦いの前あいつにどちらが勝つか興味本位で聞いてみたのだ。

『そりゃあなのはちゃんだろ』

『どうしてだ?』

『確かにフェイトちゃんはあの歳の割には凄いけどさ』



 ――すずかちゃんの方が強くて速かったしな。



 それがどうして高町が勝つ理由になるのか良くわからなかったが、この一ヶ月の成長というのがその答えなのだろうか。


 だとすれば、なんという――――


「バインド!? でもっ……」

 エイミィが上げた声に、沈んでいた思考から目の前のモニターに意識が移る。
 見れば、高町がバインドで両腕を拘束されていた。

「さっき接触した時、既に仕掛けてあったんだ。それにこれは……」

「呪文詠唱……まずいよなのはちゃん、大きいのが来る!」

 その時間稼ぎの為のバインド。
 これはさすがに……。
 どうやらテスタロッサの使い魔も高町に向けてその危険性を訴えているようだ。
 けれど彼女は頑として聞き入れない。
 サポートに手を出そうとしたユーノを無理やり押し留めている。

 詠唱と共にテスタロッサの周囲に生み出される計38基ものスフィア。一つ一つが内包する魔力も桁違いのようで、漏れ出た魔力が雷の魔力変換を受けてその表面を奔る。
 制御だけ見ても並みの魔導師が裸足で逃げ出すほどの力。
 気がつけば一歩後退ってしまうほどの才能。

 そして下ろされる腕と共に、全てのスフィアからさながら豪雨の如く直射弾が降り注ぐ。
 一発一発は大した威力じゃないとはいえ、これだけの数で集中砲火を浴びて無事にすむ魔導師などいるはずがない。
 ましてや、バインドに縛られた高町はほぼ無抵抗のはずだ。






 ――なのに。






「どうして、立っていられるんだ……」






 どころか、たいした損傷すら見受けられない。
 間違いなくダメージは受けてるはずなのに。

「38基の発射台から毎秒7発……それを4秒だから計1064発の直射弾を全て受けきったんだね……」

 エイミィが呆然とつぶやく。
 それだけでも度し難いことなのに、高町は続けて砲撃まで放った。
 テスタロッサは今の魔法に相当リソースを割かれていたのか、避ける事すら出来ずに正面からその砲撃を受けてしまった。
 さっきまでの彼女の暴風を噴き返す様な力の殺到。
 受け止めたシールドから零れ落ちる砲撃の余波だけで損傷するバリアジャケット。

 けれど、彼女は残った魔力を総動員してその暴虐を防ぎ切る。



 防ぎ切って。



 桜色に輝く空を見てしまう。



「周辺に散った魔力を、テスタロッサちゃんの魔力まで……これは!!」

 あの時、月村すずかと戦ったときに見せたあの魔法。
 魔法を手にひと月にして、管理局の想像の及ばない存在に一瞬でも比肩してみせたあの魔法。

 見れば、避けようとしたテスタロッサに向けて、現行の魔法と同時にバインドが展開される。
 飛行していることから考えても、その制御力、完成度はあの時の比じゃない。



 有り得ない。
 あれからそう時間が経ったわけでもないというのに……っ。



 ――天賦の才。

 僕にはないそれを、欲してやまなかったそれを、あのテスタロッサの魔導師は確かに持っていた。
 けれど、それさえも軽々と凌駕して見せた高町なのはの持つ“それ”は、一体なんだというのか。


 天から与えられた力すら吹き飛ばし撃ち貫く“それ”はまるで――。


 ――確かに、僕達アースラはあの黒いコートの男という決して開けてはいけない箱を開いてしまったのかもしれない。


 けれど、それとは別に。


 また別の、禁じられた扉を叩いてしまったんじゃないだろうか。


 海に突き立つ桜色の大剣を見て、そんな荒唐無稽な思考を……けれど、否定しきれない自分がいることに、わずか走るさざ波の様な動揺を抑えきることが出来ないでいた。



[10538] 第三十一話 10日② 塗り潰される『世界』
Name: 未定◆81681bda ID:9de1540b
Date: 2012/08/10 22:03
 1.5月10日

side Chrono.H

「うわ……フェイトちゃん、生きてるかな……?」

 エイミィの縁起でもない言葉を窘めるどころか、思わず同意しそうになってしまう程の圧倒的な光景。
 魔力量だけみれば、あの夜月村すずかとの戦闘において放った集束砲の方が格段に大きかったが、今回使ったそれは一つの魔法として既に完成されていた。
 その破壊力も勿論のことだが、魔法を手にしてひと月の女の子が集束砲撃魔法を考案して構築して完成させたというのだ。
 これを異常と呼ばずしてなんと呼ぶ。

 広義で見れば彼女は僕達の常識の範囲内で、天才視はされても決して問題視されることはこれまでに無かった。

 けれど、この瞬間芽生えた感情。
 高町なのはは、あの黒コートや月村すずかと同じ側の存在なんじゃないだろうか……。




 そこまで考えて首を横に振る。
 異端であるから、なんだというのか。
 確かにあの黒コートは今だ油断ならないが、これまでの付き合いだけでも高町なのはは善良な人間だと十分に断言できる。
 その彼女が、大切な親友であると言う月村すずかを信じてもいいと思う程には。

 体制や秩序は重んじてしかるべきだが、それに目が眩んで大切なものを見誤るような真似はしたくない。
 それは時空管理局執務官としても、クロノ・ハラオウン個人としても変わらない矜持だ。

 一つ息をつき、取り戻した平静と共にモニターを見れば、魔力ダメージで昏倒したテスタロッサを空中で受け止め、さらに魔力切れを起こして落下してきた高町をもう片方の腕で受け止める黒コートの男が映っていた。

 ちなみに、それぞれのデバイスはひざの裏と首で挟んでいる。

『いやー、ほんとは直撃確実になった時点で助けようかと思ってたんだけどさ、そんなことしたらなのはちゃんにも君にも怒られそうで……あれ? 生きてる?』

『……はい』

『代わりになのはちゃんがダウンしてんな、無理すっから。ちょっと起こしてあげてくれる? 見ての通り両手塞がっててさ。揺すったら先に杖落ちそうだし』

『わ、私がですか?』

『嫌なら別にいいけど。海に浸ければ多分起きる』

『やっ、やります! えと、えと……どうやって……』

『さっきのお返しにバシーン、と一発ってのはどうよ?』

『そうだ、アルフにするみたいに……』

『いきなり無視って、君もしかすると結構アレだよね』

『なのは、起きて……なのは』

『……ん、う……フェイト、ちゃん……?』

『よかった……なのは』

『あのバカ魔力を喰らってその反応は正直……あ、いや、黙っとくから。だから杖さん達不穏な魔力を練るのはやめて』

 なんだか頭が痛い。
 毎度騙されちゃダメだと思うのだけれど、奴のああいう姿を見るたび、奴に関して深く思索し時には対策会議まで開いている自分たちが馬鹿らしくなってくる。
 素なのか演技なのか判断はつかないが、そういうのが地味にアースラクルーの精神を削っているのは確かだった。

 とんでもない戦闘を繰り広げていた二人はというと、両者共にそう大事ないようで何よりだった。

 ……見かけによらずタフだな、テスタロッサ。

『私の……負け、みたいだね』

『……うん』

≪Put out.≫

 見ようによっては両者ノックアウトとも取れるが、彼女たちの間では明確な勝敗がついていたようで、潔く自分が敗北したと告げるテスタロッサのデバイスから計10個のジュエルシードが放出され周囲を漂う。
 その表情は若干憑き物が落ちたような顔をしており、むしろ高町の方が何か思い悩んでいるような印象を受けた。

『あの、もう飛べますから……』

『そう? あ、その前にちょっと確認したいことあるんだけど、なのはちゃんもジュエルシード出してくれない?』

『……え? いい、ですけど』

≪Put out.≫

 放してくれ、と言う高町に向かって首に挟んだデバイスを渡しながら唐突にそんなことを言う黒コートの男。
 何をバカなと空域に文句を言おうとした僕に先んじて、何も疑わず高町が格納してあったジュエルシード11個を外に出してしまった。

「なっ、何をやって!? 早くすべてのジュエルシードを確保して、それから彼女の身柄を――」

「いや、来た!!」

「――ッ!?」

 念話で高町を怒鳴りつけ、続けてあいつにどういうつもりか尋ねようとした矢先、エイミィが短く叫ぶ。
 想定の範囲内とはいえ、あまりにタイミングが悪いことにプレシア・テスタロッサからの次元跳躍魔法が件の宙域に飛来したのだ。

 テスタロッサを狙ったのであろうその攻撃は、密着しているが故に高町と黒コートにも及ぶ――はずだった。
 彼らのちょうど真上で不自然に紫電が途切れ、その一切が届いていない。衝撃に耐えるべく、目を固く閉じて身を縮めていた二人も異常に気がついたのか、抱えられている彼に倣って上を見るも、困惑はより深まったようだ。


 手持ちの情報であいつを語る以上、決して外せないその事項。
 高町や僕にも何度か見せた、魔力を用いない部分的な空間転移法。
 あの能力の戦闘での攻防における応用力はまさに異常というほかない。
 空間に作用することが可能な次元魔法でさえ難なく防いでみせた現状、何かしら弱点でもない限り、あいつを打破するどころかあれを突破することすら僕たちには出来ないのだ。

『あっ!!』

 鋭く響く高町の声。
 見れば、全てのジュエルシードが弧を描きつつ螺旋状に空へと舞い上がっていくところだった。

「ビンゴ! 尻尾掴んだ!!」

「不用意な物質転送は命取り……だが」

 ――まさか、全てのジュエルシードがプレシアの手に渡ってしまうなんて……ッ。

「座標は!?」

「もう割り出して送ってるよ!」

『武装局員、転送ポートから出動! 任務はプレシア・テスタロッサの身柄確保です!』

 さすがに優秀だ、と感想を抱くよりも早く艦長からのアースラ艦内放送が流れる。
 数を揃えたプレシアが何をするかわからない以上、一刻も早く逮捕しなければならない。








 僕とエイミィがいる電算室のモニターが目まぐるしく情報を映す。
 その一つが、高町達がテスタロッサを連れてブリッジに到着したことを知らせてくれた。
 それを迎えた母さんが席を離れ、一同に労いの言葉をかけてからテスタロッサに挨拶する。
 一瞬目を疑ったが、彼女の腕には簡易型の手錠すらつけられていない。
 おそらく、高町かあの男あたりがゴネでもしたのだろう。まったく、な――


「あー、手錠? なのはちゃんがすげー目で着けようとした人を威嚇したんだよ」


 件の声は肉声で、すぐ傍から。
 本当に、心臓が飛び出るかと思った。
 喉元どころか口内まで来ていた「わぎゃあ」という情けない叫び声を、なけなしのプライドでもって無理やり呑み込んでからゆっくりと訊ねる。

「どうして、お前がここにいるんだ……エイミィ、手が止まってるよ」

 両腕を上げて仰け反ったまま固まっているエイミィに再起動を促すと、はっとなって再び処理・解析を開始する。

「迷った」

「嘘だな」

「嘘だね」

「……嘘だけどさ。結構容赦ないね、君ら」

「べーっだ」

「エイミィ」

 くだらないことをするためにまた一瞬手を止めたエイミィを窘める。
 いい年して、そういう子供っぽいところはどうしてなくならないんだろうか。

「ぶっちゃけるとリンディさんに怒られそうだったのと、シリアス全開になるだろうあっちの空気を壊しちゃいけないだろうと思って」

「高町のジュエルシードを表に出させた件だったら、事態が終息してからみっちりやるに決まってるだろう」

「空気を読んだんだったらこっちの空気も読めってーの」

 だからってどうしてここにくるんだろうか。
 かと言って今更追い出すのも不安だし。
 エイミィが今度は小声でなにやらぶつぶつ言ってるが、手は止めてないようなので無視する。

『総員、玉座の間に侵入。目標を発見』

「お」

 電算室に入ってくるモニターの一つが、プレシアとの接触を伝える。
 それに小さく反応した男は、映像を眺めていると不意に、

「あいつらだな。俺がこの前ここに来たときに鬱陶しい視線やら殺気やらくれてやがったのは」

「……気づいてたのか」

 あそこにいる武装局員は元々この黒コートのために借り入れた部隊だった。
 前回の接触の際には艦内のあちこちに彼らを配し、不測の事態に備えていた。
 状況の変遷に伴って任務こそ変更されたものの、武装隊はそのまま艦内待機を命じられていたのだ。

「最初来たとき思ったんだけど、この船ってなのはちゃんを除けばまともにやれそうなのってお前とリンディさんぐらいだったじゃん。にもかかわらず、あん時はそこかしこから色々漏れてたし」

「わかっていたなら気に入らなかっただろうに、よく暴れなかったものだな」

「……お前が俺をどんな風に見てるかざっくりだけどわかったわ」

 肩を落としながらそんなことを言う黒コート。
 一番最初のコンタクト、気に入らなかったぐらいの理由で僕は死にかけるまでやられたんだろうと勝手に思ってたんだけど、違ったのだろうか。
 多分、半分くらいは当たってるような気がするんだが。

「これは……待って、今モニターに出す」

 ぽつり、と零したエイミィの独り言のような呟きの後、正面に大きく映し出されたのは緑色に輝くポッドだった。
 中で揺らめいているのは、フェイト・テスタロッサと瓜二つの少女。
 不味い、と頭の中で警鐘が響き渡るも、横目で確認すればブリッジにもこれはモニターされており、テスタロッサもまたこの映像を見てしまっていた。

 プレシアを調べて出てきた情報から推測するに、この少女は……そして、プレシアの目的は……。


『私のアリシアに、近寄らないで!!』


 初めて艦内に入るプレシアの声。
 激しい憎悪が滲むその怒声は魔法という形で発露し、ポッドの周囲にいた局員を全て跳ね飛ばす。
 その攻撃に抵抗の意思ありと見なし反撃を試みるも、武装隊の魔法は彼女に一切届かず、さらには虫を払うかのごとく振り下ろされた紫電によって一瞬で壊滅的打撃を被り、すぐさま艦長によって送艦命令が出された。


「別にいいんだけどさ、あいつらで俺に何をする気だったんだよ」

「…………」

 多分に呆れを乗せながら黒コート。
 武装隊が不甲斐無いとは決して思わない。
 相手はかつての大魔導師で、さらには向こうのホームグラウンドだ。

 ……だからと言って任務失敗が許されるわけじゃないが。

 ちなみに当初の運用では、武装隊は全てバックアップに回した上で僕がこの黒コートと対峙し、時間を稼いでいる間に高町とユーノによる封印を行う予定だった。
 頭数を揃えるだけじゃ戦いにもならないだろう、という僕と艦長の意見が一致していたが故の正味苦肉の策でしかなかったわけだが。

 目の前の邪魔者を全て薙ぎ払ったためか、プレシアは独白とも取れる自身の心中を管理局に向けて吐露し始める。
 その狂気を湛えた目は、とても常人のものとは思えない。

『ふふ……ふ、ふははっはははははははははは!!!! 21個、すべてのロストロギアが私の手にある今、アルハザードへの扉を開いてなお余りある力があるわ! この子を亡くしてからの暗鬱とした時間……この子の身代わりの人形を娘扱いした慰みの時間……すべてを帳消しにして、アリシアと共に在る未来が私を待っているの!!』

 “身代わりの人形”という言葉に、ブリッジにいるテスタロッサと高町の表情が露骨に強張る。
 おそらく、既に得た情報から決定的な言葉を聴くまでも無く彼女たちは理解してしまったのだろう。

 失策……予測がついた時点で、少なくともテスタロッサだけは外界と隔離した別室に移すべきだった。


 ――けれど、もう。


『最後だから教えてあげるわ。聞いているのでしょう? フェイト……いいえ、アリシアの偽者のお人形。せっかく大事なアリシアの記憶をあげたのに、そっくりなのは見た目だけ。役立たずでちっとも使えない……そう、ずっと私も思っていたわ』

 信じたくなかった事実に心を打ちのめされ、けれど理解しきって壊れるだけの時間さえ与えられぬ間にかけられたその言葉に顔を上げるテスタロッサ。
 藁にもすがるような、という言葉がまさにその表情に表れていた。


『出来損ないなりに、よくやってくれたわぁ……あなたの無能さの甲斐あって私の悲願はようやく成就する。最初から期待すべきはあなたの能力ではなく、あなたらしいその無能さだったとはね……ふっふふ、あははははははははははははははは!!!!』


 そしてはっきりと、フェイトの心にヒビが入る音が聞こえた。


 プレシアの哄笑が艦内に鳴り響く中、エイミィが悲哀や憐憫の色を乗せながらも、しかしこのタイミングではフェイトへの追い撃ちになりかねない彼女の真実を伝える。

「最初の事故の時にね……プレシアは実の娘、アリシア・テスタロッサを亡くしているの。彼女が最後に行っていた研究は、使い魔とは異なる……使い魔を超える人造生命の、生成。そして、死者蘇生の秘術。“FATE”って名前は、当時彼女の研究につけられた開発コードなの」

『よく調べたわね。そうよ、その通り。だけどダメね、ちっともうまくいかなかった。作り物の命は所詮作り物、失ったものの代わりにはならないわ。考えるのもあまりに億劫だったものだから、出来た人形にはそのままその名前をくれてやったわ』

 嘲る様な、もとい、間違いなく自分の娘を侮蔑した物言いに憤りを感じつつも、ちらり、とこの話の中黒コートに意識を向ける。
 誰もが彼女の話に驚愕ないしは嫌悪の念を浮かべているのに、この男はまるで何でもないことのように表情らしい表情を出していない。

「お前、本当はプレシアの目的がなんだったのか、知ってたんじゃないのか」

 ほとんど独白に近い、思ったことをそのまま口にしただけの言葉。

「彼女がポッドの中の子を死ぬほど大事にしてるのは知ってた。けど、クローン云々に関しては、そうじゃなければいいなとは思ってたよ」

「……そうか」

 だから反応が得られると思っていなかった僕は、そんな意味のない返事をしてしまう。
 こいつに聞きたいことが他にもできてしまったが、今はそんなことをすべきではないと自分に言い聞かせ場に再び集中する。
 この件が終わった後、それらを聞くことにまだ意味があるのかどうかわからないというのが、なんとも腹の立つことだが。

『アリシアはもっと優しく微笑ってくれたわ。アリシアは時々我儘も言ったけど、私の言うことをとてもよく聞いてくれた』

 プレシアが思う、アリシアとフェイトの違い。
 フェイトをただのお人形とプレシアが断ずる、その差異。

 それは無数の刃となって、既にひび割れたフェイトの心をさらにずたずたに切り裂いていく。あまりに惨いその仕打ちに、知らず拳が震えていた。




 だから、ぞくっという悪寒と共に走ったその震えは、握り締めた拳から全身に伝わってきたものだと、一瞬錯覚してしまったのだ。




『やめて』



 それは、口の中で呟かれたかと思うほど、小さな声だった。
 艦内のマイクが拾えたとはとても思えないほどの声量で、しかし身震いと共に確かに伝わる激しくも静かな怒気を孕んだその声は、高町なのはのものだった。

『アリシアはいつでも私に優しかった。……フェイト、やっぱりあなたはただの偽者よ。せっかくあげたアリシアの記憶も、あなたじゃダメだっ……た……?』

 唯一この場でその声に気がつかなかったプレシアが、さらにフェイトの心を責め立てるベく言葉を紡ぐ。
 アリシアが入ったポッドを愛おしそうに撫で上げ、心砕けたフェイトの顔を確認しようとこちらを振り向いたときにようやく、場の変化に気が付いたようだ。
 ほんの僅かだけ生気が戻ったフェイトは、プレシアを見ていなかった。
 代わりに、後ろで俯いて佇む高町を気にしているようだ。


『やめてって言ったのが、わからなかったの?』


 その、フェイトの視線を追っていったプレシアと、顔を上げた高町の視線が初めて交錯する。
 プレシアの眼は狂人よろしく、見るものを戦慄させるような狂気が宿っていたが、高町は一切逸らさないどころか、より強くプレシアを見据えていた。

『……気に食わない目ね。やめろ、ですって? 誰に向かってモノを言っているのか、あなた解って?』

『もちろん、わたしは“フェイトちゃんのお母さん”に言ってるんだよ』

『ふ、くく……あはははははははははっ!!!! 何を言い出すかと思えば、そんなものっ……この世界のどこを探しても存在しないわよ!』

 おそらくそれは高町に向けたものではなく、その前に立つテスタロッサに対して放たれたものだったのだろう。
 自身の母親であることを真正面から否定されたフェイトが今度こそ崩れるようにして膝を着きそうになるが、いつの間にかすぐそばまで来ていた高町が体を支え、そして小さく、しかしはっきりと聞こえるように呟いた。

『なら、“アリシアちゃんのお母さん”も、もういなくなっちゃったんだね』

 それがどんな心境の変化を齎したのか。すっ、と途切れるようにプレシアの顔から表情という表情が一瞬失われる。
 見間違いだったのかと思うほど早く、その顔は再び狂気に塗りつぶされたけれど……確かに今、妙なエアポケットが存在したのだ。

『ふざけた事を言わないでちょうだい。全てはあの子への愛……それは私が、アリシアの母親だからよ』

『フェイトちゃんに“アリシアちゃんの代わり”を押し付けたプレシアさんに、アリシアちゃんの母親を名乗る資格があるだなんて、本当は自分でも思ってないんじゃないですか?』

『何を……』

『本当は、怖かっただけじゃないんですか? アリシアちゃんの居た場所を、心を、フェイトちゃんに取られるのがっ』

『馬鹿なことを……たかが人形に――』




『フェイトちゃんはっ……人形なんかじゃないッ!!!!』




 それまで表面上は冷静だったはずの高町の、押し込めていた怒りが突然爆発したかのような怒声。
 そばにいたユーノがたたらを踏み、艦長やフェイトの使い魔、果てはここにいるエイミィまで耳を塞いでいる。

 けれど、高町に抱えられたフェイトがまったく反応を示さないことに、彼女の心の状態が相当に危険の只中にいることが嫌でもわかってしまった。

『……貴女、思い出したわ。ジュエルシードの周りをちょろちょろ飛び回ってた鬱陶しい白い蝿ね。ちょっとは出来るみたいだけど、あの程度でよく私に向かって吠えられたものね。一体何様のつもりかしら?』

『フェイトちゃんの友達だよ。つもりじゃないですけど』

『奇特な趣味ね。貴女とは仲良くなれそうも無いわ』

『そうですね』

『……もういいわ。そこの人形が起きたら伝えておきなさい。貴女を造り出してからずっと私は、貴女の事が大嫌いだったのよ……とね』

 溢れんばかりに悪意のこもったその無情な言葉に、先ほどの高町の怒声にもビクともしなかったフェイトの体が少しだけ震えた。
 既にかなり危険な状態にあったというのに、そこへああも無残な追い討ちが彼女に届いてしまったのだとすれば……もう……。

『それから貴女、私の城にくるつもりなら覚悟しておきなさい。……絶対に殺してあげるわ』

 振り向いて、背中越しに高町に向けそう告げたと同時、エイミィが異様な反応を捉えてそれを慌ただしく報告する。
 もちろん同じ電算室にいる僕もまた、異常をデータという形で直接得ていた。

「た、大変たいへん、ちょっと見てください! 屋敷内に魔力反応多数!」

 計器はそこら中から漏れ出してくる魔力反応を細かく表示しており、指し示す光点が範囲内を覆い尽くしていく。

「なんだ、何が起こってる!?」

『庭園敷地内に魔力反応、いずれもAクラス!』

『総数60、80……まだ増えています!』

「こりゃアレだ。なんか魔力で動いてるっぽい素敵ロボット」

「知ってるのか!?」

 隣で庭園内の映像モニターを見ていた黒コートが覚えがあるように呟く。

「前うっかりあそこ行ったときに散々追い掛け回された。かなりの数ぶっ壊したと思ったんだけど、まだ相当あったのな」

「らしいです、艦長」

『ええ……にしても、プレシア・テスタロッサ。どうしようというの……?』

 モニターで確認できる限り異変はプレシアがいる区画でも起こっており、鳴り止まない地響きにより今にも建物そのものが崩落してしまいそうだ。
 そんなことを気にも留めないとばかりにプレシアはアリシアの入ったポッドのロックを解除し、自身の後ろを追うように飛行させて移動を開始した。

『私たちの旅を、邪魔されたくないのよ』

 やがて、玉座の間にて立ち止まるプレシア。

『私たちは旅立つの』

 現れたのは21個ものジュエルシード。
 舞うように円を描き、中心に集まっては離れてを繰り返し、また大きな円を作る。

『忘れられた都、アルハザードへ!!!!』

「まさかっ!?」

 かの大魔導師の口から放たれる、有り得ない言葉。
 そう、そんなものは文字通り有り得ないのだ。

『この力で旅立って、取り戻すのよ……すべてを!!』

 その、運命への悲哀とも世界への憎悪とも取れる嘆きと共に、周囲に展開したジュエルシードが青く、蒼く、地響きを伴いながら輝きを強めていく。

『次元震です! これは……規模の計測が……っ』

『維持を最低限までカット、残りの出力をすべて振動制御に回して! ディストーションフィールド!!』

『ジュエルシード16個発動! 次元震、さらに強くなります!』

『転送可能距離を維持したまま、影響の薄い空域に移動を!』

『了解です!』

『しかしこのままではいつ次元断層が発生しても……っ』

 慌ただしいブリッジの様子が、モニターを通して僕たちにも伝わってくる。
 これはいよいよ、一歩間違えば本当に悲惨な災害に発展してしまう……いや、すでに直面していると言ってもいい。


「アル、ハザード……」

「バカなことをっ!!」

「クロノくんっ!?」

 そんなバカな真似、絶対に止めてみせる!
 そう、駆け出そうとした僕の背中を、エイミィが止めた。

「僕が止めてくる。ゲート開いて!」

「まてまて、俺も行くよ。この状況は五割は俺の責任っぽいし」

 そんな僕の気勢をさらに削ぐ様に、黒コートが僕の方、つまりは扉に向かってゆっくりと歩いてくる。
 首に手のひらを充て、パキポキと鳴らすその姿にはいつも通り緊張感が無い。

「しかし……」

「だって、この子と二人っきりって胃に穴空きそうだから」

「……着いて来い!」

 確かに、危機に直面している以上四の五の言ってられないし、精神衛生的にもここに置いていくよりはよっぽどいい。
 腕が立つのはもう十分理解しているし、“契約”には協力が入っている。
 なら、そもそも連れて行かないなんて選択肢はないじゃないか。

「で、アルハザードってなんなのさ?」

 転送ポートへ走る道中、黒コートが訊ねてくる。
 別に嘘をつく必要も黙秘する理由も無いので答えた。

「忘れられた都。もはや失われた禁断の秘術が眠る土地……っていう、ただの御伽噺。空想の産物さ」

「その割に、プレシアさんは結構マジっぽかったけどな」

「正常な判断能力なんて、とうに失われているんだろう。例えあったところで、そんなとこで何をしようっていうんだ」

 過去を、故人を求めるがために他の全てを犠牲にするような蛮行に、思わず吐き捨てるような言い方になってしまう。

「言ってただろ。取り戻すんだとさ、全てを」

「そんなこと、できるわけ無いだろうに!」

 仮に出来たのだとしても、そんなこと僕は絶対に認めない。
 絶対に。


「ああ……全くだ」


 ――この時僕は頭に血が上っていて、前を向いて走ることしか考えていなかった。横を並走する男が、まるで素直に返すそんな言葉を、一切気にも留めなかったのだ。

「前、なのはちゃん達じゃね?」

 男の言うとおり、前から走ってくる一団は先程ブリッジの後方にいた彼らだ。
 フェイトだけは彼女の使い魔に抱えられている所を見るに、いまだ自失してそのままなのだろう。
 合流してすぐ、高町とユーノが一歩前に出てきて告げる。

「クロノくん、行くんだよね? わたしも連れてって」

「僕も行く」

「今度こそ僕らは責任を持って君の家族から君を預かっているんだ。現地は今最悪クラスの次元震が発生している。いつ何が起こるかわからない。だから――」

「ユーノくんに聞いたの。このまま放っておいたら、わたしの世界のみんなも大変なことになっちゃうんだよね?」

「……ああ」

 現在プレシアの居城がある次元空間は、第97管理外世界からそう遠くない。ユーノの言う通り、もし現地で次元断層が発生してしまえば、その存亡さえ危ういラインに彼女の世界は立っているのだ。

「フェイトちゃんのことが一番だったけど……わたしの大切な人たちを守りたいって気持ちは変わってない。それに、大切な人になったフェイトちゃんに見てもらいたいものが、あそこにはいっぱいあるから……わたし、行かなくちゃいけないの」

「……わかったよ」

 駄目だと言って聞くような子じゃないのは理解していたつもりだが、こうまで眼で頑固だと訴えられるとこちらが折れなきゃいけないような強迫観念に囚われそうだ。
 ユーノの苦労が少しわかったような気がする。

「アルフはフェイトについていてあげて」

「わ、わかった」

 そのユーノの言葉を受け、アルフが素直に従う。
 確かに今のフェイトを一人きりにしておくのは危険だし、一応の自由は許しているとはいえ彼女達にあまり勝手に立ち回られるのは好ましくない。
 彼女も十分な戦力になり得るけれど、その判断は適当だった。


 よし、少し時間をロスしたが戦力は整った。

「行くぞ!!」

「ちょっと待った」

 駆け出そうとした僕達を、転倒させるのが目的なんじゃないだろうかと思うほど絶妙なタイミングで黒コートからストップがかかる。

「なんだ!? 既にだいぶ時間を食ってるんだぞ!?」

「悪い悪い、でも一応これだけは言っとこうと思ってさ」

 怒気を隠さず叫んだ僕をさらっと流し、男は使い魔が抱えている、いまだ瞳に光が差さぬフェイトの方へ向き直った。

「こう見えて俺は結構顔が広い方なんだが、そん中にはクローンだとかコピーだとかレプリカだとか、そういうちょっと生まれが特別な奴らもそこそこいた」

 さらっと自然に放たれた、軽く理解を超えた男の話。
 あまりの唐突さ加減に頭がついて行かず、口を挟むことさえ出来ない。

「大概はみんな、自分の存在とかオリジナルとの関係とかで悩んだり苦しんだりしてた。でも、そういうことで思い悩める人間の傍には、いつもそいつを見てくれてる誰かが絶対にいるし、出来るんだよ」

 内容そのものは依然僕の理解の及ばない話だったが、物言わぬテスタロッサに向けてそう続けるその姿は、僕たち管理局がこの男に作り上げたイメージとかけ離れていて。

「フェイトちゃんにもいるでしょ? フェイトちゃん自身を見てくれる誰かが。いるなら、きっとそれだけで自分の『存在』に意味は出来るよ。自分の足で、立てる」

 けれど、やはりテスタロッサは反応を返さない。開かれた瞳は、虚ろに世界を映すだけだ。

「なら次は“フェイト・テスタロッサ”としてやるべきことがあるよね? 先に行って何とかしてるけど、多分もうあまり、時間はないよ」

 届いているかどうかもわからない、ある意味独り言とも取れるそのメッセージをそう締め括ると、僕に向かって視線をくれる。
 もういい、ということだろう。
 今度は何も言わず走り出した僕を、なのはとユーノ、そして黒コートがその後を追う。




 十分に距離をとった後、ぽつりと黒コートが零した。

「さっきはああ言ったけど、造られた存在ってのは普通色々恨むもんだ。創造主、オリジナル……果ては世界まで」

「でも、フェイトちゃんはっ――」

「ああ。大丈夫だろうね、あの子は」

 僕はむしろ、今ここで奴が言ったことの方がすんなりと納得できた。幸いにして僕は自然的な存在であるから想像することしか出来ないが、それらへの感情とは一体どんなものであろうか。
 高町が反論して黒コートが肯定したとおり、フェイトのケースこそ特殊なのかもしれない。

 ……そもそも、フェイトのケースそのものが僕達にとって特殊なわけだが。


 ちなみに高町は既にバリアジャケットを着込み、若干飛びながら移動していた。
 同じ過ちを繰り返さない姿勢は評価に値する。


『クロノ、なのはさん、ユーノくん! それから……あら? そういえば名前……いえ、今はいいわ……私も現地に出ます。貴方たちはプレシア・テスタロッサの逮捕を!』

「了解!」

「リンディさんは向こうで何やるんですか?」

『貴方のおかげで被害が加速度的に拡大しそうな次元震を少しでも抑えようと思いまして』

「…………三人とも先行っててもらえる? すぐ後から追うから」

 トゲたっぷりの艦長の言葉を受け、ポートの真ん前まで来てそんなことを言い始めるこいつ。
 状況的に正直もう付き合ってられないので、無視する形で高町とユーノを伴ってゲートの中に入っていく。

「リンディさんに秘密兵器を渡したらすぐにそっちいくから」

 こっちに向かってなんだか不吉なことを言いながら視界から消えてく黒コート。
 どういうことか問いただそうとした次の瞬間には既に目の前に広がる景色は切り替わり、淀む次元空間を映す空と、半ば崩落した建造物。



 そして、視界を埋め尽くさんばかりの鎧、鎧、鎧、鎧、鎧。



 剣を構えているもの、槍を携えているもの、斧を担いでいるもの、空を飛んでいるもの、中々バリエーションに富んでいる。

「いっぱいいるね……」

 見たままを口にするユーノ。

「まだ入り口だ。中にはもっといるよ」

「クロノくん、この子たちって……」

「近くの相手を攻撃するだけの、ただの機械だよ」

「そっか……なら、安心だね」

 言いながら、高町がデバイスを構える。
 物言わぬ機械なら命を奪う心配が無くて安心、というのは十分理解できるが、だからといって躊躇い無く力を向けられるという高町の方はやはり少し不安だ。
 まだ幼い女の子が、何かを壊すことに力を使って欲しくない……などと、こんな状況で考える僕はまだまだ甘いのだろう。

「この程度の相手に、無駄弾は必要ないよ」

 逸る高町を抑えつつ、一歩前に出る。
 そんな内心とは裏腹に、やはりいかに高町が鬼才の持ち主といえど、僕にも魔導の先達としての意地がある。
 あるいは、見せ付けてやりたい、というちっぽけな男としてのプライドなのかもしれない。

≪Stinger Snipe.≫

 デバイスから飛び出した一条の水色の閃光が、接近してきた小型の傀儡兵達を根こそぎなぎ払いつつ舞い上がり、続いて飛行型の傀儡兵を軒並み撃ち落す。

「スナイプショット!」

 爆音、爆風鳴り止まぬ中、追加コマンドによる加速命令。
 誘導弾は再び空中から地上に飛来しつつ、残りの小型の傀儡兵を全て串刺しにしていき、最後にそれらより二回りほど大きいタイプに当たって砕け散った。
 バリアがそれまでのより少し強い、のは最初からわかっていたこと。
 その残滓を目くらましに利用し肉薄した僕は、デバイスをその傀儡兵の頭部に突き立てる。

≪Break Impulse.≫

 目標の固有振動数を割り出した上で、それに合わせた振動エネルギーを送り込み粉砕する魔法。
 クロスレンジまで飛び込む必要があるものの送り込む魔力は最小……それだけで十分爆砕が可能なパフォーマンスのいい僕好みの魔法だ。
 性質上、対人には使用できないけれど……などと考えながら爆風をバリアジャケット越しに背中で受ける。

「ぼーっとしてないで、行くよ!!」

 後ろを少しだけ振り返り、駆け出す。
 誇るほど自分の技術に驕ってはいないけれど、驚いている高町の顔を見て、少しだけ溜飲が下がったような心持ちになる自分がいることを自覚し、まだまだ精進が足りないことを痛感した。



 既に空間への干渉レベルは危険域を突破しているようで、崩落した床から虚数空間が顔を覗かせている。
 魔法が一切使えなくなるという虚数空間に関する注意事項を高町に伝えながら回廊を抜け、広間への扉を蹴開けるとやはりそこは傀儡兵の巣窟だった。



「ひでーなこりゃ……俺が来たときとはおもちゃの数が段違いだわ」



「……追いついたなら一言いってくれ。君と違って僕たちは気を張ってるんだ」


 扉を開けた段階で、さもこれまで一緒に来たかのように黒コートが沸いて出た。
 僕を含め、高町もユーノもさして驚いていないあたり、だいぶ毒されている気がする。

「酷い言い草だな。これでも俺だって警戒くらいしてるさ。見ろよ、フードしてるだろ」

 親指で自身の頭部を指し、無警戒にすたすた前に出ながら言う。
 確かにいつもは後ろに提げたままのフードを被っているが、それがどう警戒に繋がるのだろうか。
 っていうか、フードを被っただけなのにどうしてバイザーを着けているかのように顔が見えないのだろうか。

 ……ただ出てくるだけであんまり僕の思考をかき乱さないでもらえるだろうか。

「危ないっ!!」

 響く声は高町のもの。
 近くに来たものを攻撃するように設定されている以上、無防備とはいえ当然攻撃範囲内に入ってきた黒コートに襲い掛かる小型の傀儡兵。

 持っている剣を振り上げて、振り下ろす。
 小型といえどそれは傀儡兵の中だけの話で、大きな質量をもったそれは直撃すれば僕たちとてタダではすまない。

 もちろん、この黒コートはその実力ゆえに(大した意味も無く)余裕を見せているだけであり、警戒していないなどというわけではないはずだ。
 今も結局はしっかり反応して、傀儡兵に向けて右手を翳す。

 おそらく、例の部分的空間転移を――――


「あがぁァッ!!!!?」


 ゴッ!! という鈍い音と共に、剣がそのまま男の頭に直撃した。



「え……?」



 ユーノと声が同調する。
 目の前の光景に、脳味噌がついていってない。

 脳天に剣が直撃した男は、そのまま叩き潰され、ヒビを伴いながらうつ伏せのまま床に若干めり込んでいる。

 不謹慎だが、コミカルだと思った。

 いくつかの間(ま)、正直呆然としていた僕達に再起動を促したのは、皮肉にも傀儡兵だった。
 依然一番近いからだろう、床にめり込んだままの男に追撃をしかけようとしたのを見て、慌てて僕がそいつとそいつの周囲の敵を砲撃で吹き飛ばしたのだ。

「お、おい! 大丈夫か!?」

 周囲をクリアし、道を開いたことで男のもとへ集まる僕たち。
 僕が声をかけるも、全く反応が無い。

 まさか、こんなにあっけなく――。

「あのっ……大丈夫ですか!?」

「フードが無ければ即死だった」

 なのに、高町が声をかけるとパラパラと床の破片を撒き散らしながら平然と起き上がってきた。
 そのふざけた発言共々、イラっとする。
 大体、剣で斬られたなら普通真っ二つだろうに、なんで叩かれたみたいになってるんだこいつは……。

「今回復しますっ」

「あ、いや、怪我とかないから。あー、なるほど」

 近寄ってきたユーノを大丈夫だと追い払い、右の肘をまるで抜き差しするように伸ばしたり縮めたりすると、得心言ったように呟く。

「何かわかったのか?」

「今ここの空間ブレブレだからだ。安定してないから、穴なんか開けたってすぐ消えちまうわけか」


 穴。


 なるほどそれは、この男が使う部分的な空間転移を表現するのに相応しい言葉だ。
 つまり、転移というよりも離れた空間同士を一時的に繋げているという……いやしかし、魔力も用いずにそんなことが本当に可能なのだろうか?
 とにかくわかるのは、今こいつはあの絶対的な能力(ちから)を使えないということ。
 そして、原因はおそらく次元震。

 ――これはもしかすると、中々に使える情報かもしれない。

「まぁいっか。こいつら片付けるだけなら使う必要も無いし」

「戦えるのか?」

「だからダメージなんかないっつの」

「どういう体をしてるんだ……」

 だが、いきなり減ったかと危惧したものの、依然戦力として数えられるならこれほど心強い存在もない。
 プレシアがあの数の武装隊を一瞬で無力化するほどの戦闘技能を見せた以上、こいつの力は是が非でも欲しい。

「よし、ここで二手に分かれよう。高町とユーノは最上階にある駆動炉の封印を!」

「……クロノくん達は?」

「プレシアの所へ行く」

「待って、わたしもあの人の――」

「それは許可できない」

「どうしてっ!?」

「プレシアの言葉を聞いたろう? ただでさえここは危険なんだ。その上で彼女の前に君を立たせるなんて真似、出来るはずがないだろ」

「そんなの、わたし――」

「それに、エイミィも言った通りここの駆動炉もジュエルシードと同系のロストロギアだ。封印するには僕か君が向かわなきゃならない。この二つを同時に満たすには、これが最善なんだ」

「…………」

 黒コートもたったあれだけの魔力量で封印じみた真似ができるようだが、僕達の行うそれとは少し違うらしい。
 この不安定な場で、さらに不確定要素を混ぜるのは避けたかった。

「おそらくプレシアが急場で完璧に制御できるジュエルシードの数は16個が限界なんだ。足りない出力を諸々の準備が完了した駆動炉で補っているなら、駆動炉を抑えれば次元震を相当弱めることが出来るかもしれない。……君の世界を、守れるかもしれない」

「…………わかった。ごめんなさい……わがまま、言ったね」

 実際、僕の判断は間違っていないと思う。
 けれど、なんにせよここだけは譲れなかったのだ。
 必ず高町を殺すと宣言したプレシアを危惧したというのも当然あったが、僕自身あの大魔導師には一言いってやらなきゃ気がすまない。
 駆動炉も放置することができない以上、卑怯な言い回しだと自分でも思うが、高町には納得してもらうしかない。

「おもちゃ共もなのはちゃんを優先的に狙うよう命令されてるかもしれないから、頑張れよユーノ。男の見せ所だ」

「は、はい!」

「ほんじゃあ行こうか。道は俺が作る。幸い『倉庫』は開けられるみたいだから」

 どうにか話が纏まった所で、道を切り開くべく砲撃の準備をしていた僕より先に黒コートがそう口にする。
 再び無防備に鎧の群れへと歩みを進めながら、体の前で両の手を合わすかのように持っていくと、(慣れ始めていた僕達でさえ)驚くべきことに、右手の掌に左手の指先が沈み込んでいき、ついには手首まで埋まってしまった。
 衝撃の光景に僕を含む三人は言葉も出ないでいると、一拍おいて差し込まれていた腕が一気に引き抜かれる。
 その左手に握られている、どこからともなく現れたモノは――



「ってホウキじゃないか!!」

「おお。庭の落ち葉から魔法で動くガラクタまで何でも掃除できるスーパーな竹箒だよ」

「ま、前! まえーー!!」

 こちらに振り返って男が説明するそれは、何の変哲も無いただのホウキだった。
 それまでの異常な光景と相まった酷い落差が、僕達の精神を大いに揺さぶる。


 メリットが何一つ無い。


 ちなみにホウキは一応ミッドにも存在するが、既に骨董品の域である。
 あまりに前時代的な清掃用具が、この場でいったい何の役に立つと言うのだろうか。
 そしてユーノが叫ぶとおり、襲ってくる傀儡兵。
 外にいたのと同じ、斧を持った中型タイプだ。

 あれなら今度は完全に床に埋まるだろうな、と一瞬考える。

 上段から思いきり振り下ろされる大斧。
 今度こそさすがと言うべきか、黒コートはそれが直撃する瞬間にはその場から消えうせ、巻き上がる砂埃の中、攻撃してきた傀儡兵の腹の前に飛んでいた。
 左手でホウキを腰に構え、鯉口を切るような仕草を見せると、ホウキの柄をそのまま刀を抜くかのように右手で一閃する。


 白銀に輝く刀身が、右手から伸びる。ホウキから振り抜かれたのは、正しく刀だった。

「仕込み……っ!?」

「銘は箒星。マナ……魔力素を吸うと切れ味とか、レンジとかテキトーになるすげー箒。でも、こっちはおまけ」

 着地と同時、キン、と刀身を鞘――ホウキに戻すと、まるでそれと連動しているかのように、あいつの目の前の傀儡兵が胴体より上と下でずれていく。

「こいつの名前の本領はぁッ!!」

 左手で持ったホウキを、くるっと跳ね上げるように持ち替えて叫ぶ黒コート。


 ――当たり前といえばそれまでだが、僕は地球という世界のスポーツに関してなど調べなかったため、野球という球技におけるバットスイングのフォームそのものだと、この時はわからなかった。

 余談だが、後に体力、頭脳、運、全てがハイレベルで絡む素晴らしいスポーツだと知る。



「ふんぬっ!!!!」



 ホウキのホウキたる部分で、思いっきりフルスイング。
 確かに男の力量を考えれば、もしかしたら可能なのかもしれない。
 が、たったそれだけで、男の目の前にあった傀儡兵の下半身が掻き消え、前方左翼の傀儡兵たちが同じように消失したのは、やはり異常という他無い。

 射出方向の壁に大穴があいていることを確認できた瞬間、大爆発が起こった。

「もういっちょぉッ!!」

 下半身が無くなり、自然落ちてきた上半身にも同じようにフルスイングする黒コート。
 やはりそれは掻き消え、今度は前方右翼の敵郡と壁に大穴を開け爆散。

「くははははははは!!!! 二打席連続ホームランだな!! まさに操(られた)者一掃!」

「やり過ぎだバカ!! だいたい何なんだそのホウキは!!」

「これでぶん殴られた無生物は流れ星みたいになるっていう、だから名前が箒星。元々はとあるふざけた杖のスピンオフ的なパーティーグッズだったらしいよ」

「どこのジェノサイドパーティーだそれは……」

 なのはとユーノは、ぽかーんと口を開けて固まっている。
 もうもうと黒煙と炎を巻き上げる広間だった空間を見ながら、まぁ敵は消えたし、進路はクリアされたかな、なんて考えてしまう僕は、やはり大分毒されているのだろうか。


 ――正確には、こいつに関してまともに考えるのを諦め始めてしまっただけだったが。





 2.同日 同時刻

side Fate.T

 大きな音で、目を覚ます。
 何事かと思って辺りを見回すと、黒いコートの男の人が私の家で破壊の限りを尽くしているのがモニターに映っていた。

 早くも再び自失しそうになる。

 私の家……否、母さんとアリシアの家。
 今思えば、あそこに私の居場所はどこにも無かったような気がする。
 確かに部屋は宛がわれていたけれど、どうしてかずっとここに住んでいるという実感が希薄だった。
 きっとそれは、記憶の中のアリシアが住んでた部屋と私がいた部屋が違うから。

 部屋だけじゃない。
 あそこは全てアリシアのもので、決して私のものじゃなかったんだ。
 それらはもちろん、母さんさえも。

 『自分』として認識できる私の記憶の全ては、母さんのためのものだった。
 母さんに認めて欲しかったから、どんなに酷いことを言われても、どんなに酷いことをされても耐えられた。

 母さんに笑って欲しい。
 あんなにはっきりと捨てられた今でさえも、その気持ちは変わっていない。

 ふと、力なく眺めていたモニターの中に、アルフが映る。
 庭園の惨状に驚いていたようだけど、三人がいっせいに黒いコートの男の人を指差すと彼を蹴飛ばして白い子と金髪の子を伴って上の階へ上がっていった。

 アルフはどう思っているんだろう。
 ずっと私のことを心配していてくれたアルフは、けれど今はあの子達と共にいる。
 いい加減、愛想が尽きてしまったのかもしれない。

 ……ううん、本当はわかってる。
 私の為を思って、今もあの子は戦っているんだ。

 こんな、私なんかのために。

 そして、その傍にいる白い女の子。
 最初は、ただ魔力が大きいだけの素人だと思った。
 次は、私と一緒に戦ってくれた。
 その次は、私を包んでくれた。
 その次は、私を守ってくれた。
 その次は、私と友達になりたいって言ってくれた。
 そして最後は、お互いの願いをぶつけ合った。

 私は負けてしまったけれど、どうしてか気持ちは晴れやかだった。
 本当なら、母さんの願いを裏切ってしまったと、自分の生きる意味がなくなってしまったと、その場で目の前が真っ暗になって、何もかもを投げ出してしまってもおかしくなかったのに。


 なのは。
 私が彼女の名前を初めて呼んだ時、彼女は目を丸くしていた。
 二度目もそう。
 そして、彼女はとても喜んでいた。

 名前を呼ぶということは、きっと、ものすごく大切なことなんだと思う。
 私の名前は、母さんが私にくれた数少ないものの一つだったから、とても好きだった。
 だからなのはに私の名前を褒められた時、本当に嬉しかった。
 それがただの開発コードだとわかった今でも、あの時の気持ちに嘘はないと言い切れるし、それに、その気持ちはさらに強くなったような気さえする。

 なのはが褒めてくれたこの名前は、私だけのもの。
 母さんが私にだけ与えた、アリシアにはないこの『名前』。

 思い出すのは、なんとなく記憶に残っている彼の言葉。

『フェイトちゃんにもいるでしょ? フェイトちゃん自身を見てくれる誰かが』

 アルフとなのは。
 二人は、私を見てくれている。
 私を通して、誰かを見ているわけじゃない。
 私を見て、私を案じてくれている。

 ――私の傍に、いてくれる。

『いるなら、きっとそれだけで自分の『存在』に意味は出来るよ。自分の足で、立てる』

 ベッドから降りる。
 まるで、初めて二本の足で立ったような感覚。
 体の何所にも不調は無いのに、ぐらぐらと世界が揺れているような気がする。

 ――けれど、私は立っている。

『なら次は“フェイト・テスタロッサ”としてやるべきことがあるよね? 先に行って何とかしてるけど、多分もうあまり、時間はないよ』

 なのはは、私達の全てはまだ始まったばかりだと、言っていた。
 けれど、本当にそうだろうか? 私は、走り出せているのだろうか?

 きっと答えはNo.
 私はまだ、スタートラインにも立っていない。
 だから。

「行こう、バルディッシュ」

≪Yes sir.≫

 ずっと、手に握っていたのだと思われる私の相棒。
 きっと彼もまたずっと、私のことを見てくれていた一人だ。
 私がそれだけを言うと、バリアジャケットを展開し同時に転移魔方陣まで敷いてくれる。

「まずは、ちゃんと終わらせよう。でなきゃきっと、私は走り出せない。それから、『フェイト』をもう一度1から始めよう。あんまりのんびりしてると、なのはに置いていかれちゃうからね」

 バルディッシュに微笑みかけると、周囲の魔力光が強くなる。
 転移がはじまったのだ。
 そんな光の中、再び思い出す。

『こう見えて俺は結構顔が広い方なんだが、そん中にはクローンだとかコピーだとかレプリカだとか、そういうちょっと生まれが特別な奴らもそこそこいた』

 あの人はなんだか苦手だけど、その話には興味がある。
 機会があれば、ちゃんと話を聞いてみたいと思った。

 そして一瞬の後、目の前に広がるのは変わり果てた庭園。
 ひび割れ、傀儡兵の残骸がそこかしこに転がるそこは、とても人の住んでいたところだとは思えない。

 なのは達は上に向かったから、おそらく目的地は駆動炉。

 急がないと。






「なのはにっ!! 触るなぁ!!!!」






 そうして、バルディッシュのおかげでみんなを発見した私は、間一髪なのはに肉薄していた傀儡兵を撃ち落すことに成功する。
 なのはの傍に寄って、ぽけーっとこちらを見ているなのはを見てようやく、自分がおかしなことを口走ってしまったのを理解した。

「え、えとっ! 今のはちがくて、あ、いや……違わないんだけど、その」

 何か言わなきゃと思ったのだけれど、しどろもどろになってしまう。
 ここに来るまでにたくさん用意していた言葉が、全部吹き飛んでしまっていた。

「えっと、えっと……なんていうか」

「おかえり……フェイトちゃん」

 そう、なのはに微笑まれて、すっと混乱していた頭が澄んでいく。
 私の笑った顔なんかより、よっぽどなのはの笑顔の方が綺麗だと頭の隅で思う。

 ……やっぱり混乱したままかもしれない。

 とにかくそれに応えようと口を開きかけたとき、私の背後の壁を吹き飛ばすようにして、大型の傀儡兵が姿を現した。

「レイジングハート!」

「バルディッシュ!」

 反射に近い反応。
 言葉を交わさず、すぐに二人同時に迎撃体制を整え、傀儡兵が魔砲のチャージを終える前に一緒に砲撃を放つ。
 まるでそうすることが当たり前だというように流れの如く行われたその動作は、強力なバリアを備えたその傀儡兵をいとも容易く撃ち抜き、爆散させる。

 本来は相当な強敵であるはずの大型の傀儡兵が、こんなにあっけなく倒せるなんて……。
 そんなことを考えながら、これまでに二回、なのはと魔法を合わせた事を思い出す。

 一度目は黒い男の人が出したモンスター。
 力を合わせて勝ったけれど、デバイスを壊されて二人で苦い思いをした。

 二度目はジュエルシード暴走体の大樹。
 申し訳ないと思いながら、一人でジュエルシードへ疾駆した。



 今は。


 なのはが、こちらを見て私に笑いかける。



 ――果たして私は今、上手に笑えているだろうか。



 駆動炉への直通エレベーターまで彼女たちを案内し、私は庭園の下へと進む。
 アルフは彼女たちのところに置いてきた。
 傀儡兵たちが、あからさまになのはを狙っているのがわかったからだ。
 別れ際、彼女は私の手を握って頑張ってと声をかけてくれた。
 きっと、これから先駆動炉に向かうなのはだって大変だとわかっているだろうに。

 途中、一際大きな揺れが庭園を襲い、それが止んだあと、それまで次元震の影響でずっと揺れっぱなしだったその振動がピタリと収まってしまった。
 どういうことかバルディッシュに訊ねると、さっきまで私がいた次元航行艦を経由した空間モニターを私の横に表示してくれた。

『プレシア・テスタロッサ。終わりですよ、次元震は私が抑えました』

 それは、その航行艦の中で会った管理局の艦長、リンディさんだった。
 一人の人間が制御しているとは到底信じられない程莫大な魔力を放出するその翠色の魔方陣なら、なるほどかなりの数のジュエルシードの力を押さえ込んで余りあると理解できる。
 けれど、道中なのはの使い魔から聞いた、母さんが起動させたジュエルシードの数は16個。
 あまりの衝撃的光景に思わず足が止まってしまう。

『駆動炉もじき封印。貴女のもとには執務官が向かっています。忘れられし都アルハザード。そしてそこに眠る秘術は、存在するかどうかも曖昧な、ただの伝説です!』

『あるわ。確かにアルハザードは存在する。入り口は次元の狭間……時間と空間の裂け目へと滑落していくその輝き……道はそこに在るのよ』

 答える母さんの声に反応して、一瞬体が震える。
 体を抱くようにして無理やりにそれを押さえ込み、首をぶんぶんと振ってまた走りだす。



 ――それにしても。



『ところで貴女。その背中の羽は百歩譲って理解できるわ、中々の量の魔力が内包されているもの』

『…………』

『その頭のソレは、一体どういうつもりなのかしら? 趣味?』




 ――どうしてリンディさん、猫耳なんてつけてるんだろう?




『私だって好きで着けてるんじゃないんです! ほっといてください!!』

 後で思い出して、リンディさんに聞いてみたところ、この出撃前にあの黒いコートの人にもらったらしい。
 29歳以上の女性が身に着けると、そのリスクと引き換えに何とかっていう。
 でも……“そのリスク”ってなんだろう? リンディさん、よく似合ってたのに。

『と、とにかく! 貴女はそんなところへ行って何をしようって言うんですか!?』

『決まってるじゃない、取り戻すのよ……私とアリシアの、過去と未来を。取り戻すの……こんなはずじゃなかった、世界の全てを!!』

 そこに、私はいない。
 わかっていたことだけど、やはり母さんの口からそれを言われるのはつらく悲しい。

 もうじき最下層。後は、ここを飛び越えれば……!!

 母さんを肉眼で視認したと同時、私が入ってきた方向とは別の方向から迸る蒼い閃光と爆発。

 ――この魔力光には、覚えがある。

「世界は、いつだって……こんなはずじゃないことばっかりだよ!! ずっと昔から、いつだって誰だって、そうなんだ!!」

 時空管理局の執務官。
 額から血を流す彼は、まっすぐ母さんを見据えてそう言い放った。

「“世界はいつだってこんなはずじゃないことばかり”ね。いい言葉だ、倣わせてもらおうかな」

 その後ろ、瓦礫を吹き飛ばして現れたのは例の黒いコートの男の人。こちらはいたって無傷だ。

「チ。潰れなかったか」

「だから謝ったじゃんか、破片が頭にあたったのはさ。男なんだからグチグチ言うなよな」

 それを無視するような形で、再び執務官が母さんに向き直る。

「こんなはずじゃない現実から、逃げるか、立ち向かうかは個人の自由だ! だけど、自分の勝手な悲しみに、無関係な人間まで巻き込んでいい権利は、どこの誰にもありはしない!!」

 その叫びを聞きながら、母さんから少し離れた地面に降り立つ。
 床はほとんど原型を失くし、足元が狂えば簡単に虚数空間へと落ちてしまうだろう。

「ま、こうなってる今のプレシアさんに向かって何か言ったところで、変わるものなんか何一つ無いと思うけどね」

 執務官の慟哭に対し、黒いコートの人が付け加えるように続ける。
 両手の平を両目の端に添えるようにして、視野狭窄を表しているのだ。

 しかし……だとすれば、私の言葉も母さんに届かないのだろうか。
 最後のチャンスなんだとわかっているけれど、初めから意味がないんだとすればそんなの……。

 いや、怖がっちゃダメだ! 変えるんじゃなく、変わることに意味があるんだ!!

 勢い込んで口を開きかけた刹那、母さんが激しく咳き込んだ。
 頭の中に浮かんだ台詞なんて吹き飛んでしまい、思わず傍に駆け寄ろうとすると、

「何をしに来たの……?」

 視線と言葉で、強烈な拒絶を伝えられる。
 踏み出した足が、止まってしまう。
 けれど、ここで何もかも止まってしまったら、『フェイト』は一生後悔したまま……そんなのは、嫌だ。

「消えなさい、すでに道が開けた以上、あなたにもう用はないわ」

「母さんに、伝えたいことがあって来ました」

「やめなさい……私をそう呼んでいいのは――」

「私は、アリシアじゃないし、アリシアにはなれません。母さんが造った、ただの人形なのかもしれません」

 母さんが、訝しそうに、けれど『私』をはっきりと見る。
 もしかしたら、初めてのことかもしれない。

「だけど、私は……フェイト・テスタロッサは……母さんに生み出してもらって、育ててもらった、母さんの娘です」

「だから何……? 今更あなたを娘として扱えとでも言うの? だったら――」

 静かに首を振る。

「いいえ。きっと、母さんは……それを望まないから。私はアリシアに、なれないから。けれど……たとえそうだとしても、世界中の誰からもどんな出来事からも、母さんを守りたいって……思うんだ」

 これだけまっすぐ、私から母さんを見据えたことが今まであっただろうか。
 知らなかった……母さん、こんな表情もできたんだな……。

「母さんの娘になれなくてもいい、それでも母さんを守りたい、母さんに笑っていて欲しい。それが、私の貴女への愛……貴女が、私の母さんだから」

 ――全てはあの子への愛……それは私が、アリシアの母親だからよ。

 それはきっと、本当に母さんの全てだったのだと思う。
 崩れ落ちた私の心にも、どうしてかその言葉だけは素直に届いたから。

 ――そしてそれは、私にも言えることだったから。

 これまでの『フェイト・テスタロッサ』の全ては、母さんのために在った。
 その造られた理由だけでなく、心さえも。

 アリシアの記憶に引っ張られた部分は確かにあるかもしれないけれど、私は本当に母さんが好きだった。
 記憶の中の、あんなに優しかった母さんが変わってしまった何かを想像するたび胸が痛んだ。

 母さんは、はっきりと私とアリシアは違うと言ってくれた。
 なら、この気持ちはアリシアのものじゃない、私だけのもの。


 私が、ずっと、母さんに伝えたかったことだ。


「そう……やっと、わかったわ」

「……?」

 母さんが小声で呟くように話す。
 それが『私』の記憶にない声質だったせいで、一瞬呆けた顔をしてしまったのを見た母さんが続けた。

「どうして私が、貴女のことをあれだけ嫌っていたか……やっとわかったって、言っているのよ」

 どくん、と心臓が鷲摑みにされたかのような錯覚に陥る。
 覚悟はしていたはずなのに、再び世界が揺れている様な感覚。
 心も身体も、崩れ落ちないよう立っているのがやっとだった。

 やっぱり、無駄だったのかな……。
 私の言葉は、母さんには届かなかった……。

「アリシアは、私には似ても似つかなかった……。魔法資質も、姿かたちも、きっと……その在り方も」

「……え?」

 どこまでも沈んでいってしまいそうな私の精神を、その原因であるはずの母さんの声が繋ぎ止める。
 母さんの憎しみを受け止め続けてきた私にとって、今の母さんの様子が普段と違うことに気付くのは、そう難しくなかった。
 思えば、さっきの“私のことがあれだけ嫌いだった”という言葉も、どうしてかそれ以上私の心を抉らない。本当なら一撃で砕けたって、おかしくなかったのに。

 そう、疑問に思った瞬間、再び母さんが激しく咳き込んだ。
 一目で判るほどさっきよりも酷いそれは、口元を抑えた母さんの手から漏れ出る紅い鮮血という、あまりにも衝撃的な形で私に異常を訴えかけた。

「かっ、母さん!」

「近寄らないでって言ってるでしょう!!!!」

 何度か聞いたことがあるはずのその怒気を孕んだ声に、どんな拒絶をされても構わず駆け出そうとした私の足が止まってしまう。
 どうしてかその怒声の中に、今まで感じた事の無い何かがあるような気がしたからだ。

「……どれだけ魔力を注いでも次元震が起こらない。ジュエルシードは確かに起動してるのに……とんだ化物ね、あの猫耳女。まったく、八方塞がりだわ……」

「母、さん……?」

「ふ、ふふ……最期の最期で、余計なことにまで気がついてしまうし……本当についてないわ。こんなはずじゃなかった、んでしょうけど……もう、何もかも遅いわね」

 ため息と共に、母さんの足元に紫色の魔方陣が広がる。
 ちょうど、私の目の前で途切れるように展開されたそれが、私と母さんを隔てる絶対の壁であるような感覚が私を襲う。

「まずいっ!!!!」

 後ろから響く執務官の声。
 母さんが、ありったけの魔力を21個全てのジュエルシードに注ぎ込んだのだ。止んでいた次元震が再び動き始め、既に崩壊間近だった庭園がさらにその形を失くしていく。

『艦長、ダメです! 庭園が崩れます、戻ってください! 艦長のお陰で、この規模ならアースラだけでもう十分抑え込めますから! クロノくん達も脱出してっ……崩壊までもう時間がないの!』

「了解した。フェイト・テスタロッサ! フェイト!!」

 バルディッシュが開いたままにしていてくれたのか、次元航行艦からの念話が私にも入る。
 その通信を受けて執務官が私にも脱出するよう促すが、私は別のことを考えていてそれどころではなかった。

 普段と様子が違う母さん。
 怒声に籠められた感じたことのない何か。

 今ここで辿りつけなければ、一生後悔してしまう気がして。

「私はアリシアの為に生きて、アリシアの為に死ぬ……それだけは、他の誰にも決して邪魔させない。……よく見ていなさい、フェイト。これが、そういう生き方をする人間の末路よ」

 その答えがまだ出ないまま、確かに『私』にそう言い残し、アリシアの入ったポッドと共に後ろに倒れるようにして視界からいなくなってしまう母さん。




 ――まさか、虚数空間に……っ!?




 脳が気付くよりも早く、体は飛び出していた。
 後ろから追いすがるように執務官も飛んでくるが、それに私は気がつかないし、距離があるから追いつけもしない。

「母さんっ!!!!」

 母さんが落ちた穴のふちを蹴って、真下に向かって飛び立つ。
 落下しながら必死に手を伸ばす私を、本当に驚いたような表情で母さんが見ている。
 初めて見るそんな表情に、心が震えた。


 きっと、まだやり直せる――私も、母さんも――!!


 そして、あともう少しで手が――。


「――え?」


 それはあまりにも一瞬で、最初は見間違いか何かかと思った。

 母さんが、微笑っていた。

 『私』の記憶にない、アリシアの中のそれと寸分違わぬ笑顔で、『私』を見ていた。

 まるで永遠とさえ思えるようなその一瞬の後。
 伸ばした手は空を切り、突然、私の体は跳ねるように後ろに引き戻されてそのまま上へと飛ばされる。
 どういう力でもって投げられたのか、それは母さんと私が落ちた穴の入り口まで一気に舞い上がり、そこにいた執務官に受け止められてようやく止まった。


「え? え……?」


 上へと飛ばされる間に見た、母さんと同じように落ちていく黒い何か。
 虚数空間に入りかけていたあの場所で魔法を行使したとは考えにくいため、誰かが物理的に私を上に送ったということになる。

 混乱した頭で、それでも魔導師として起きた事象を論理的に組み上げてしまう。
 辺りを見回して『彼』がいないことから、何が起きたのかはおぼろげながらには理解できた。


 けれど、根本的なことがどうしてもわからない。


「なん、で……?」


 『助けてもらった』と『あともう少しで母さんに手が届いたのに』という二つの感情がせめぎあって、どうしたらいいか解らないほどには、私は『彼』のことを知らなかった。





 3.同日 同時刻

side Presea.T

 一瞬の空白の後、気がつけば周囲は漆黒で覆われていた。
 確かに私は虚数空間へと堕ちたはずだ。
 ジュエルシードがその効力をほとんど失っていたのだから、ここがアルハザードだというのも考え難い。
 とはいえ、死後の世界というにはあまりに現実味がありすぎる。

 それに、体も――

「ごほっ、ゴホっ……かはっ……」

 鮮血に染まる手のひら。
 やはり、虚数空間へ堕ちる前の私そのものだ。
 命の灯火が消えかかっているのをしっかりと感じとれる。

「……ッ!! アリシアは!?」

 そこまで理解し、はたと思い至る。
 ここがアルハザードでなく、死後の世界でもないのだとすれば、私と共に堕ちてきたアリシアも近くにいるかもしれない。
 いてもたってもいられなくなった私は、悲鳴をあげる体を引き摺り、漆黒の世界を探し回る。
 果たして、アリシアは私から十数メートルほど離れた場所にポッドごと鎮座していた。
 どこにも故障は見られず、また内蔵された魔導機関により問題なく正常に稼動しているのもわかった。

 そこで再び異常に気付く。
 魔導機関が動作しているということは、ここは虚数空間ですらないということだ。

 そういえばこんなにもあたりは真っ黒なのに、自身の姿、赤い血、アリシア、そこら中にある妙なガラクタ、どれもはっきりと色を伴って私の網膜に像を作るのはどうしてなのだろうか。

 気になってアリシアの横に転がっていたアンプルらしきものを手にとって観察する。
 よほど危険なウイルスか何かなのか、全体を樹脂のようなものでコーティングされ密封してある。




「あー、あんまりその辺弄くらない方がいいかも。TとかGとかないとも限らんし」




 あまりに唐突な、私以外の声。
 後ろから届いたそれに反応し飛び退きながら振り返ると、最初に目に飛び込んできたのは、その大きさ故にこちらに覆いかぶさってきそうな圧迫感を感じるほどとてつもなく巨大な門扉だった。

 ここまで来るときには確かに存在しなかったはずのそれは、この漆黒の空間の中でより深い黒を纏っている。
 細かい彫刻や意匠が施してあるその門は、しかしどこもかしこもヒビが走り、人と思われる像は全て首が欠けていた。


「Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate' ってね。“汝この門をくぐる者、一切の望みを捨てよ”……個人的には実に余計なお世話だよって話なんですが」


 その巨大な門の左上に、片足を投げ出すようにして座っているこの男。
 二度、その顔を見たことがある。

 一度目はフェイトの迂闊さに乗じて庭園に侵入してきたとき。
 アリシアに関してわけのわからないホラを吹きまくって帰っていったあの男。

 二度目はついさっき。
 フェイトを投げ上げるのを見て、初めてそこにいたことに気が付いた。

「私とアリシアの旅に貴方を招待した憶えはないのだけれど?」

「それはもちろん。俺があなた方をここに招待したんですから」

「転移魔法……? けれどあの場はすでに虚数空間、一切の魔法の発動が封じられる世界よ」

「俺は『あなた方』が虚数空間と呼ぶ場所について少し理解があるほうなんですよ。それに、以前あなたと会った時にしておいた仕込みが役に立った」

「……?」

「アリシアちゃんのポッドに印を少々。確実にここへ飛ばせるようにね」

 瞬間、正確なことは何一つ解らないまま、その言葉にカッと怒りが湧き出しそうになるのをどうにか抑えこめた。
 以前もこの男はアリシアに並々ならぬ関心を寄せていたけれど、一体何を企んでいるというのか。

「あなたは知らないでしょうが、ここは俺が『倉庫』と呼んでる場所です。本来俺は入れないんですが、多少の準備とリスクで以ってここにいるんですよ。……だから」

 言いながらゆっくりと門を飛び降りて、確認できないけれど確かに存在する私と同じ地平に音もなく立つその男。
 相変わらず何を言っているのかは理解できないが、その纏う雰囲気が穏やかなものではないことは十分に伝わってきていた。

「俺としてはとっとと目的を果たして出たいんですよ、こんな場所。とは言え、プレシアさんも納得も理解もできないでしょうから、ここはシンプルにいきましょう」

 ふっと、私の周囲に突然現れる何か。
 咄嗟のことに肩が跳ねるが、よくよく見ればそれは非常に見覚えがあるもの――ジュエルシードだった。
 目で追って数えれば、21個全てがここにある。

「使っていいですよ」

「貴方……何がしたいの……?」

「あなたの娘さんとその友達第一号がやったことと同じです。互いの願いをぶつけ合わせるんですよ。……まぁ、俺のは願いなんて崇高なものじゃありませんけど」

 苦笑いしながら告げる男から目を離さず、周囲を確認する。
 ジュエルシードから感じる波動は全て正常。
 あの化け物のような猫女や次元航行艦のように遮るものが無いこの空間なら、再び次元震を起こして余りある。

「俺を倒せば、あなたの願いは再び射程圏内です。ただし、俺が勝てば以前の話をもう一度素直に聞いてもらいますよ。今度は強制的にですけど」

 ……何をバカな。
 この目の前の男は、一体私を誰だと思っているのだろうか。
 稀代の大魔導師にして、全てのジュエルシードが私の手元にあるのだ。
 体が不調を訴えるより早く、この男を消し炭に変えることだって容易いというのに。




「それで、もういい……の、かし……ら……っ!?」




 男が魔力を開放する。
 たったそれだけのこと。

 本来ならいちいち反応するのも億劫なほどの魔力量だというのに、そこには思わず吐き気を催しそうなまでの異質さ――生物としての根源的な恐怖が形を持って全身に叩きつけられる。

 しかし、真実私が思考が止まってしまったのは、その魔力の異質さ故にではない。




 ――その忌々しい魔力に、『憶え』があったからだ。




「21個だし……こっちも21個でいいか。たまには本気出さないとマジでダメになるし」

 波打ち、男を縁取るように滲み出る黒い魔力。
 魔力光、などではなく一切の光沢を放たないその黒からボコボコと分離するようにして漆黒の球体が浮遊していく。
 やがて、握りこぶし大のものから人の頭ほどある大きさのものまで、合わせて大小21個の球体が男の頭上に現れた。


 そのすべてが『あの魔力』を放っている。


「じゃあ、いきますよ」


 言葉共に、すべての球体の表面に一線の裂け目が出現し、そこから左右に開かれる。




 現れたのは眼、眼、眼、眼、眼……。




「あ、あ……」

 21個もの漆黒の『眼球』全てが、私を視界に収める。

「死なないといいですね」

「……っ!!」


 呆けている場合ではない。
 すぐさま全てのジュエルシードを制御しにかかる。


 憶えのあるこの忌々しい魔力。

 間違いない。




 これは、アリシアを死に追いやった『ヒュードラ』の――……






 4.同日 十数分後

「よっと」

 黒いコートを着た男が、既に崩落し、原型のない時の庭園に降り立つ。
 左の脇には金髪の少女が入ったポッドをかかえ、右手には全てのジュエルシードをまるでおはじきのように弄びながら握り締めている。

「“世界はこんなはずじゃなかったことばかり”ね……。こんなはずじゃなかったと今まさに誰よりも思ってるのは『世界』そのものだろうな……く、くく……くははは……はぁ……」

 乾いた笑いがため息に変わる。
 トン、と軽い音を立ててポッドを地面に立て、『倉庫』へジュエルシードを格納すると、倒れこむように寝そべった。
 両手を組んで頭の下に敷き、足もまた片足を逆の膝に乗っけるようにして組む。
 目は、閉じられている。

「ま、せいぜいお互い頑張ろうぜ」

 果たしてそれは『誰』に向けた言葉だったのか。
 答えのわからぬまま、放たれた言葉は次元空間に溶けて消えていった。



[10538] 第三十二話 5月 始まりの終わり、終わりの始まり
Name: 未定◆81681bda ID:9de1540b
Date: 2012/08/11 12:31
 1.5月14日 午前

side Nanoha.T

 色んなことに決着がついたあの日から、数日が経ちました。
 アースラの人達は事件が終わってもなんだか忙しそうだったけれど、わたしはと言えばあれだけ大きな戦いがあったのが嘘のように穏やかな日々を過ごしていました。
 与えられた自室、ベッドに寝そべってふと思い返すと、わたしとユーノくんが出会って今日まで、終わってみればなんだかあっという間の日々だったような気がします。

 次元震の余波が収まるまでの間、私たちはアースラの中で過ごすことになったのですが、回復魔法で傷ついたアースラの人達を治療するユーノくんのお手伝いも満足に出来ないわたしは他にすることもなく、贅沢だと解りつつも再び押し寄せる無力感に苛まれてる最中に今回の事件について表彰までされてしまい、すこしだけ居心地の悪い思いをしていた、そんな帰り道のこと。

「フェイトに会いたいか?」

 夜一人で歩くのはちょっと躊躇われる様な暗く細長い通路。
 前を歩くクロノくんが、振り向きもしないままわたしに向けて言い放った言葉に、一瞬ぽかんとしてしまい、遅れてその意味を理解する。

「あ、会っていいのっ!?」

 あの事件が終わってすぐ、その無事を確かめようとしたわたしに対してクロノくんから『彼女たちはいたって無事だ。けれど、事件の関係者に対する処遇は慎重に行わなきゃいけない。お願いだから無茶苦茶な真似はしないでくれ、本当に』と念を押されつつアースラのどこかに隔離されたことを聞いたきり、何の情報も入ってこなかった。

 っていうか念の押され方がどことなく失礼なの。
 場所さえも聞かされてないし、わたしがいったい何をすると思ってるの……。

「本来ならダメだ。事情があったとはいえ、彼女が次元干渉犯罪の一端を担っていたのは紛れもない事実……数百年以上の幽閉が普通なんだが――」

「そんなっ――」

「なんだが! 状況が特殊だし、彼女が自らの意思で次元犯罪に加担していなかったこともはっきりしている」

 数百年以上の幽閉と聞いて抗議の声をあげようとする前に、クロノくんが被せるようにして言葉を続ける。
 後で聞いた話だけど、隣のユーノくんもそれを聞いて、間違いなく『無茶苦茶な真似』をするだろうわたしをどう止めるか物凄く短い時間でありったけ考えたそうな。

 ……よ、余計なお世話なの。

「後は、偉い人達にその事実をどう理解させるかなんだけど、その辺にはちょっと自信がある。だから、心配しなくていいよ」

「クロノくん……」

 それまでと一転してフェイトちゃんを護る立場に立つその言葉に、胸の中にじんわりと暖かいものが広がるような、そんな気持ちになっていく。
 一方で、なら最初からそう言ってくれればいいのに、なんてちょっとスレてしまった自分がいることも自覚したりしてなかったり……優しいけど意地がわるいなぁ、クロノくん。

「何も知らされず、ただ母親の願いを叶えるために一生懸命だった女の子を罪に問うほど、時空管理局は冷徹な集団じゃないから……高町?」

 でも、その言葉は素直に嬉しい。

 ずっと、気になってたことだから。

 フェイトちゃんを助けたい一心だったけれど、そのせいでフェイトちゃんとこのまま永遠にお別れしなきゃいけないんじゃないか……考えれば考えるほど、怖かった。
 終わってからようやくそれに思い至り、わたしはいったい何のために戦ってたんだろうと、自分の考えの無さに何度も泣きそうになった。

 だから、よかった。本当に、よかった……。

「う、ううん。なんでもないよ。……それより、友達なんだからそろそろなのはって呼んでほしいな、クロノくん」

「…………気が向いたらね」

「その誤魔化し方はなんだかあの人っぽいの」

「ぐっ……それは、傷つくな」

「にゃ、にゃはは……」

 安心して出てきた涙を指で拭いながらごまかし半分本気半分でそう言うと、そんな風に煙にまこうとするクロノくん。
 思ったままを返すと、手を口元に当ててこの暗がりでもわかるくらい本気で嫌そうな表情をしていた。
 この場合、可哀想なのはあの人なのかクロノくんなのか、ちょっと判断がつかない。
 口に出すとさすがのクロノくんも怒っちゃいそうだから言わないけれど、なんとなく性格も似てる気がするような……うーん、自分で言っててちょっと自信なくなったの。
 きっちりかっちりのクロノくんと比べるとあの人はあんなだし……。

「それで、だいたいの見通しがついたから面会許可を出せるようになったの?」

「いや、そういうわけじゃない。それでも本来は有り得ないんだ」

 一人、少しだけ釈然としない表情で疑問の声を上げたユーノくんに、顔色がよくないままのクロノ君が答えた。
 そんなに嫌だったの……。


 いや、それは置いといて。
 でも、それじゃあどうして……?


 心の中で湧いた疑問は、続くクロノくんの言葉であっさりと氷解した。


「それが、艦長が直に聞いた奴の最後の言葉だったからさ」





 2.同日 同時刻

side Fate.T

「にゃはは……4日ぶり、なのかな」

「そう、だね……」

 なのはの言葉通り、あれから4日経ってようやく、私達は再会した。
 4日ぶりの彼女の姿は、いつか見た彼女のバリアジャケットによく似た普通の服で、貸与された軽素な私のいでたちと比べると、少し恥ずかしくて気後れしてしまった。

 四日間。
 艦内の一室に隔離された私とアルフは、けれど拘束らしい拘束は一切されず、あまつさえデバイスの所持すら許可されていた。
 自分の事ながら、これはいくらなんでもやりすぎだと思った私が傍にいた執務官に訊ねると、

『君達に逃亡する気がないのは理解しているんだから、僕達も無理に君達を不自由に置く気は無いよ。まぁ、僕自身はいささか行き過ぎている気がしないでもないが、その状況下で君が何も問題を起こさなければ君にとっても僕達にとってもメリットしかないからね。僕達はともかく、なのはを裏切るような真似を君はしない……というのが艦長の判断だ』

 ということ、らしい。
 その条件を断る意味も無く、またなのはのことを抜きにしても逃げるつもりは無かった私は、すべてを受け入れて終日アルフやバルディッシュとこれまでのこと、これからのことを話し続けて過ごしていた。

 そして今日。
 艦内の一室に一人呼ばれた私に、有り得ないはずの面会が行われていた。
 仕切りもなく、手を伸ばせば触れ合える距離に机を挟んで向かい合って座っている。

「元気……じゃ、ないよね。……ごめん」

「ううん……そんなこと、ないよ。母さんのことは……悲しいけど、でも多分……あの時ここを出てった時には……覚悟、してたと思う」

 その言葉に、嘘は無い。
 『これから』を始める為に『これまで』――“母さんに依存していた自分”を終わらせようと立ち上がった時既に、母さんとの別れは避けられないだろうと心のどこかではっきりと感じていた。
 また、そうしなくちゃダメなんだと、解っていた。

 けれど私はやっぱり弱いままで……母さんを目の前にした、『これから』と『これまで』の両方の最後のチャンスで、それでも迷ってしまっていた私を、母さんは『これまで』の私ごとばっさりと切り捨てて持っていってしまった……少し時間が経って落ち着くと、そんな都合のいい幻想がどうしてか私の頭を支配した。
 母さんが死んでおかしくなってしまったんじゃないかと自分で自分を疑ったけれど、最後に母さんから感じた何かに対する答えがそこにあるような気がして、その幻想を素直に受け入れることで、俯いていた顔を上げることが出来たのだ。

 母さんの死を受け止めてなお自分を――『フェイト・テスタロッサ』を保っていられることに……まだ胸は酷く痛むけれど、しっかり前に進み始めた自分を自覚出来ていた。

「なのはは、どう? 元気だった?」

「うん! わたしは特に怪我もしなかったし……あるとすれば、ここじゃやれることがなくて、つまんないくらいかなぁ。ほんの少し前まではわたしの家族もここにいたんだけど……」

 そっか、アルフに一応聞いてたけど、本当に怪我してなかったんだね。
 ……よかった。

「クロノくん……えっと、し……しつぬ? あの、黒いバリアジャケットの男の子が言ってたんだけど、何にも心配要らないって。フェイトちゃん、罪に問われないって」

「そう、なの……?」

 そう言って少しの間そわそわする様な仕草を見せた後、意を決したかのようにぐっ、となのはが机に身を乗り出してきた。
 いきなりの接近で顔が近くなり、少しドキっとしてしまう。


「うん! だからフェイトちゃん、わたしと一緒に海鳴に来ない? もちろんアルフさんも一緒にっ」

「え?」

「わたしの家族にはわたしから話して、絶対納得させてみせるから……だから――」

「多分……なのはと一緒には行けない」

「どうしてっ……?」

「私も……詳しいわけじゃないけど、これから裁判があると思う。どれくらいかかるか、わからない……」

 乗り出していた身をするすると引っ込めるように、ゆっくりとなのはが椅子に座りなおす。

「そう、なんだ……ごめん、早とちりしちゃって……」

「ううん。嬉しい……本当に」

 それがよほど残念だったようで、それきりなのはは黙ってしまった。
 少しの間沈黙がこの部屋を支配したけれど、このままこの面会の時間が終わってしまうのは私としても嫌だったから、少し躊躇いがちに私から一つ、気になったことがあるので聞いてみる。

「さっきも言ったけど、私も詳しいわけじゃないから変なこと言うかもしれないんだけれど……まだ何も確定してない、護送中の人間に面会ってできるの……?」

「ほんとはダメだって、クロノくんが言ってた」

「じゃあ、どうして?」


「あの黒いコートの人が、終わったらわたしを無理にでもフェイトちゃんと会わせろー、みたいな事をリンディさんに言ってたんだって。あれ? ちょっと違ったかな」


 思っても見なかった方向、さらっとなのはの口から飛び出たそんな答えに、一瞬で疑問が2、3個増えたせいで思考が止まり、ただ首をかしげるというリアクションしかできなかった。
 そんな混乱した私の胸中を知ってか知らずか、私のその様子をあまり気にも留めずになのはが続ける。

「そんなの無視すればいいって言ってたクロノくんが結構無理してこうしてフェイトちゃんとお話させてくれたみたいなんだけど……あの人の最後の言葉だから~って」

 ――はっ。

 ぽけーっと聞き流していた自分に喝を入れて首をぶんぶんと左右に振り、とにかくまず他のどんなことより気になったことを、俯き加減のまま恐る恐るなのはに訊ねた。

「えっと、なのははその……あの男の人が嫌い……なの?」

「そんなことないけど、どうして?」




「だって、あの人……――死んじゃったのに」




 そうだ。
 あの黒いコートの人は、私を助けて虚数空間に落ちていってしまったのだ。
 最後までよくわからない人だったけれど、それだけは確かなのだ。
 あれから少し落ち着いて、母さんのことも結論を出して、今は感謝してもし足りないほど感謝してるのに、いなくなってしまったあの人。
 もっとちゃんと、話を聞いてみたかったあの人。

 そんな、死んでしまった人の話を……この優しすぎるぐらいに優しい女の子が、何の躊躇いも無しにするのが、何より違和感を覚えさせたのだ。




「あはは……わたし、あの人があのまま死んじゃったなんて、どうしても信じられないんだ」




 ――え?

 やけに透き通った声で耳に届いたその言葉に思わず顔を上げて、なのはの顔を正面から見やる。
 顔は笑っているけれど、纏う空気は真剣そのもので、何の根拠も無い口から出任せを言っているような雰囲気では決して無かった。

「わたし、まだ誰にも言ったことないんだけどね……フェイトちゃんにだから言うんだけれど……初めてあの人に会ったときからずっと、好きとか嫌いとは違う、変な拒絶……って言うのかな、そんな気持ちをあの人に感じるんだ」

「……っ」

 その言葉に、まるで私の心内を言い当てられたようで、どくん、と心臓の鼓動が一際大きくなったような気がした。

 それは、まるで。

「そのざわざわが今も消えてない。それどころか『あれぐらいで倒せるなら苦労しない』なんて訴えてるような気さえするの」

「…………」


「あ……ごめん、変なこと言ってた……かも」


 まったく反応を返さない私を見て、真剣だったけれどどこか感情を持たないなのはの顔に色がさし、決まりが悪くなったように彼女は場の空気を換えようとした。

 けれど。

「なのはも……なの……?」

「え?」

「なのはも、感じるの?」

「じゃあ、フェイトちゃんも……?」

 あの人に会ってから感じるようになった、あの人に対する拒絶の意思。
 自身の感情までを侵食するようなことはこれまでには無かったけれど、存在するだけで不安だった、心のどこか明確に在るそれが、理由はわからないけれどなのはにもある。

 それを知って、お互い思わず顔を見合わせて固まる。
 なのはが呆然と私を見ているのを見て、きっと私も今こんな顔をしているんだろうなとぼんやり思った。

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「………………」

「…………ぷっ、くふ……っ」

「っ……ダメだよ、なのは……笑っちゃ……くふっ」

「フェイトちゃんだってっ……ちょっと待っ……ふーっ、ふーっ……なんか、もう、笑っちゃうくらい不思議なの、あの人」

「ね、ちょっと、もう……ふふっ……自重して欲しいくらい、だよね」

 もういい加減まともな思考で彼について考えたって無駄なんだろうと二人してわかってしまい、理由も方法もわからないけれどまず間違いなく生きてるということも二人して確信してしまった。
 不安なものを共有しているという安心からか、命の恩人の彼が生きているという安堵からか、はたまた二人しておかしくなってしまったからか、気付けば笑いが止まらなくなっていた。

「だいたい初めて出て来た時にしても」

「いきなり私達の間にどっかーんだったよね」

「言わなかったけど、あの時口の中土まみれだったの」

「それは、酷いね」

 知らなかった。
 同世代の女の子と、笑いながら話す。
 たったこれだけのことが、どれだけ幸せなことなのか。

「私が一つも持ってないって知ったとき物凄い怖い顔してたのに」

「ねー、自分だって一つしか持ってなかったくせにだもんね」

「あの時アルフったらもう少しで」

「いやいやフェイトちゃん、その話はアルフさんの乙女権に関わるの」

 きっとこれが、友達。
 かけがえの無いもの。

 最初は何を話せばいいのかわからなかったけれど、当分これで話の種は尽きないだろう。
 あの人には悪いけど、アルフやバルディッシュにも楽しい土産話がたくさんできそうだ。






 3.同日 午後

「次元震の余波は、もうすぐ収まるわ。ここからなのはさん達の世界になら、明日には戻れると思う」

「……よかったぁ」

「ただ、ミッドチルダ方面の航路はまだ空間が安定しないの……しばらく時間がかかるみたい」

「……そうなんですか」

「数ヶ月か半年か……安全な航行が出来るまで、それくらいはかかりそうね」

「そうですか……その、まぁうちの部族は遺跡を探して流浪してる人ばっかりですから、急いで帰る必要もないと言えば無いんですが……。でもその間、ここにずっとお世話になるわけにもいかないし」

「じゃあ、ウチにいればいいよ! 今まで通りに」

「なのは……いいの?」

「うんっ、ユーノくんさえよければ!」

「じゃあその、えと……お世話になります」

「うんっ! ここを降りる時に、お兄ちゃんがあの人とはまた別にユーノくんともいーっぱい話したいことがあるって言ってたしね!」

「少し考える時間をください」

「えぇー!? なんでー!?」

 短針が頂点を40度ほど過ぎたくらい。
 場所はアースラ艦内の食堂。
 リンディさんと向かい合って、なのはちゃんとユーノが3人で少し遅めの昼食を取りつつこれからのことを話していた。

 そういえばの話になるが、なのはちゃんの父親と兄はフェイトちゃんとの決戦の少し前にアースラを降りてもらっている。
 リンディさんと話し合った結果、本格的に俺が管理局側に手を貸すことになった以上戦力的には十分であり、まぁぶっちゃけ足手まとい感が否めなかったのである。
 本人達もそれを理解していたのか、こちらから話を通す前に向こうから退艦を申し出てきたのだ。
 無論なのはちゃんの安全が絶対条件だったので、事が片付いた(上で彼女がほぼ無傷だった)らケーキを3ホールほど貰うという契約でこれを全力で受諾した。
 無事完遂したし、これなら帰ってもはやてに文句は言われないだろう。


「ったく、あんなに寝てるからだよ」

「だってずっとてつやだったんだよ……? まふぁねふい……」

 最近聞きなれた声に思考を切り替えると、そこにクロノとアホ毛ちゃんのでこぼこコンビが入ってきた。
 あくび交じりの彼女と違って、チビすけはどうやらすぐに3人に気付いたようだ。

 ……まぁ、お前の母ちゃん目立つからな。

「プレシアが目指していた、“アルハザード”って場所……ユーノ君は知ってるわよね?」

「はい、聞いたことがあります。旧暦以前、前世紀に存在していた空間で、今はもう失われた秘術がいくつも眠る土地だって」

 行く前クロノからアバウトな説明を聞いたけれど、ユーノから出てくる情報もあんまり大差ないなぁ。
 そんだけ良くわかってない……真実、御伽噺クラスの話ってことかね。

「だけど、とっくの昔に次元断層に落ちて滅んだって言われてる」

「どーもっ」

 ユーノの言葉尻に乗るようにして、クロノが会話に加わった。
 昼食を調達してきたアホ毛ちゃんがそれに続く。

 あんまりどうでもよくないけど、このガキ、女の子に自分の分の飯取らせるってどういう了見なんだ……?

 二人を席に加え、リンディさんが今の話を引き継いで続ける。

「あらゆる魔法がその究極の姿に辿り着き、その力をもってすれば叶わぬ望みは無いとさえ言われた、アルハザードの秘術。時間と空間を遡り、過去さえ書き換えることができる魔法。失われた命をもう一度蘇らせる魔法。……彼女はそれを求めたのね」

「は、はい」

「でも、魔法を学ぶものなら誰もが知っている。過去をさかのぼることも、死者を蘇らせることも、決して出来ないって」

「だから、その両方を望んだ彼女は、御伽噺に等しいような伝承にしか頼れなかった……頼らざるを得なかったんだ」

 ユーノが会話の間に挟んだ魔法とやらにおける一般常識。
 別に5人の輪の中に入っていくつもりも口を挟むつもりもなかったが、それには少しだけ思うところあったのでほとんど独り言のように呟く。




「確かに魔力系での時間遡行は限りなく無理だけど、死者蘇生はそんなに難しいわけでもないけどな」




 行き過ぎちゃった科学だと前者の方が簡単なぐらいだしなぁ……その技術でもって後者をやろうとすると出来上がるのは別物だったりするからままならない。
 まぁ、『世界』は魔力や科学だけでは成り立ってないわけで、必要な事に必要な力を使うのがベストなんだろうけど……そう考えると俺って出来ること少ないなぁ。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………生きてるなら生きてるで、もうちょっと引っ張って欲しかったの」


 ん、後ろの話が途切れたけど一体……っていうかあんまり聞き取れなかったけどなんか不穏な声が……。
 認識阻害術式を解い……あ、声出した時点で解けてるわ、ほんと才能無ぇな……振り向くと、4つの驚愕絶句の表情が。
 なのはちゃんだけ何故か反応が薄くて、むしろ俺の方が不審に思ったけれど。

「ここの飯うまいっすね」

 X字になっているおかしな机の、俺のちょうど真後ろの席に座っているリンディさんにとりあえずそう声をかける。

「おまっ……おま、お前っ……!?」

 ガタン、と席を吹き飛ばす勢いで立ち上がり、口をぱくぱくさせながら俺を指差すクロノ。
 俺はこいつの人と成りをそう詳しくは知らないが、もしかすると結構レアなシーンなのかもしれない。

「どうしたラオウ、何時にも増して間抜け面だぞ」

「ラオウって言うな!!」

「何でかお前をクロノって呼ぶことに抵抗を感じるんだよな」

「それこそ何でだ!? じゃないっ……何で君が、そんな平然と生きてるんだよ!?」

「何で俺が死んでるんだよ」

「はぁ!? 君は僕の目の前で虚数空間に落ちたんだぞ!? いいか、虚数空間だぞ? 魔法が使えないってことは飛行魔法もキャンセルされるんだ、つまり――」

「別に、ただ飛ぶだけなら魔力使う以外にも色々あるだろ」

 理由はわからないが、なんだかとても憤っていることは伝わってきた。
 まぁこいつは何時もこんなもんかな、なんて考えながら飛行に関してそう返すと、疑問→憤怒→混乱ところころ表情が変わり、最後にとても綺麗な笑顔で崩れ落ちた。
 すかさずアホ毛ちゃんが駆け寄ってクロノの肩を揺さぶるが、どうにも欲しい反応は得られないようだ。

 まぁあの倒れ方じゃしばらくは無理だろうな……。

「彼女達の言ってた通りね……。今までどうしていたのかしら?」

 何か小声で呟きながら、地面にorzしている息子を無視してそう俺に話しかけるリンディさん。
 その表情は極めて複雑で、勤めて表に出さないようにしているとは思うが、安堵と残念が3:7位に思えるのは俺の被害妄想ゆえだろうか。
 クロノはどうでもいいけど、わけもわからずこれはちょっと悲しい。

「帰ってきて飯食ってました」

「私はこの4日間のことを聞いてるのだけど」

「よっ……!? もしかして、地球の日付的には今日は……?」

「14日なの」

 首を伸ばしてリンディさんの奥を覗き込み、この場で唯一地球の暦で生きるなのはちゃんに訊ねると、実に簡潔に答えてくれた。

 参ったね。
 30分もあの中にいなかったはずなんだが……まぁ飯食ってたらそういうの完全に忘れてたけど。

「詳しくは言えないんですが、俺の体感時間的にはほとんどすぐにあの場所を離脱したんで……何をしてたかと聞かれると何もしてなかったとしか……」

 仕方なく、限りなく嘘に近い事実を放り込んでみる。
 どちらかと言えば、限りなく事実に近い嘘だけれど。

「そう……貴方に話してくれる気が無い以上、こちらから踏み込んでも無駄なだけね」

 案の定、ばれてら。

「今はとりあえず、貴方が生きてたことを喜びましょうか。払うだけ払ってもらって、こちらの条件を履行しないまま契約がなくなっちゃうのは、私としても不本意だったし」

「そうですよー、ちゃんと連れてってもらうまでは死ねませんからね」

 この人はともかく、グレアムさんあたりはマジで死んだらいいのにとか思われてそうだなぁ……。
 あ、でも猫の片割れ持ったままだしそれはないかな……別にどっちでもいいんだけど。

「ところで、どうして局員の制服着てるんですか?」

「あの服で飯食ってたら目立つし、最悪食えないかもしれないだろ」

「いや、そういうことじゃ……」

 そんな当たり前のことを聞くユーノにそう答える。

「どこから、その服を?」

「ごめんなさいロッカーからかっぱらいました」

 泰然として開き直れば効果があるかと思って振舞ったが、リンディさんに威圧されてすぐに折れる俺。
 仕方ないじゃないか、こんな身体だけど腹は減るんだもの……。それにあのコートじゃ俺の周囲にかけた俺の結界なんて即ディスペルだもの……。

「まぁ……あの格好で艦内をうろつかれるよりはマシかしらね」

 てっきり怒られるかと思った俺に、地味だけどより刺さるリンディさんのお言葉が。
 この艦のトップから放たれたそれに、俺がここでどう思われているのかが如実に表れていた。
 もしくは、気に入ってるあの格好そのものがアウトということなのか。
 そんなん言ったらクロノの戦闘服だって大概だろうに。

 トゲ。

「よし、お腹いっぱいになったし、運動でもするか」

「あ、ちょっと!!」

 なんだかちょっと居心地が悪くなり、理由をつけて逃走を計るべくいまだorzから帰ってきてないクロノを肩に担ぎ上げるとアホ毛ちゃんから抗議の声があがるが、それを無視して、

「ユーノも行くぞー」

「行くって、どこにですか……?」

「さっきぶらぶらしてる内に見つけた、訓練場みたいなとこ」

「! はいはーい! わたしも行きますっ」

「ごめんな、なのはちゃん。そこの施設、定員3人なんだってさ」

「5人でも10人でもいけるわよ。というか今はそもそもそんな許可――」

「よし、吶喊!!」

「ちょっと!! まだ話は終わってないわよ!!」

「あー!? ユーノくんがいない! 捕まってる!!」

「っていうかあの人、どんだけ食べたのよ……」

 繋げた空間の出口から聞こえたアホ毛ちゃんの声を最後に、その場からガキ二人をかかえて逃げ出した俺。

 ちなみに、結局施設は使わせてもらえなかった。





 4.5月15日 午後

 日付と場所が変わり、月村邸。
 なのはちゃんと一緒に艦を出て彼女を家に送り届け、一度はやての家に戻り、それから学校帰りを見計らってここを訪れた。
 アリサちゃんがいるのは予想外だったが、特に問題になることもないと思い事件の簡単なあらましと、明日からはなのはちゃんも学校行くだろう旨を伝えておいた。

 そして、本題に入る。

「というわけで、今月末から管理局の船に着いてってちょっと出かけるんで、すずかちゃんの制御訓練ができなくなりました」

「何がというわけよ。ちょっと無責任なんじゃないの、それ。

 …………すずか?」

「………………」

 当然の反応として、不機嫌そうに口を尖らせて俺を非難するアリサちゃんに対し、突然目を見開いて呆然としているすずかちゃん。
 その反応は予想外っていうか、え? なに、どしたの?

「どうするのよブラック。だからってすずかをこのまま放置なんてしておけないんじゃないの?」

 高そうな椅子に腰掛け、ティーカップを口元に運んだ忍さんが、俺たちの方を見ることなく言う。
 俺がすずかちゃんを放っておく事などありえないと知っている彼女は、言葉の通り、ではどうするのかということを訊いていた。

「その通りですね。すずかちゃんの力の制御は、彼女のスジがいいのもあって正直順調すぎるくらいですが、やっぱりまだまだ不安定ですから」

「じゃあっ――」

「まぁまぁ、話を最後まで聞いてよ。さっき言ったのはある意味建て前なんだ」

「……?」

 忍さんとアリサちゃんが揃って首を傾げる。一方すずかちゃんはさっきから一切微動だにしないままだが。


 正直怖い。


「俺が行くところはちょっと事情があって、この世界と何時でも行き来できるようにしてあるんだ。だから、本当は今まで通り制御訓練は行えるし、行う」

「つまり、建て前っていうのは……」

 アリサちゃんが、俺の話に対しさっと口を挟む。毎度毎度思っているけど、この子歳の割りに賢すぎないか?

「そ、管理局に対する、ね。だから、彼らと繋がりのあるなのはちゃんにはこのことは伏せておいてもらいたいんだ。日取りは合わせて、俺もバレない様に動くから」

 なのはちゃんもそうだけど、彼女の杖や高町家に滞在するらしいユーノを誤魔化すのは中々至難の技だと思うが、その辺はグレアムさんとこの猫達の手腕に期待するとしようか。
 言うまでも無く、俺単独ではそんなの到底無理だし。

「なのはだって、話せばちゃんとわかってくれると思うわよ?」

「かも知れないけどさ、彼女に嘘がつけるかは別でしょ」

「……そうね」

 目を思いっきり逸らして苦笑いで答えるアリサちゃん。
 期日以降に俺がここにいることがなのはちゃんに知れれば、彼女の意志に関わらずどの道管理局の知るところになると思うので、やっぱり彼女には何も話せないわけだが。
 この子達に嘘を吐かせるのは少々心苦しいけれど、すずかちゃんのためで“も”あることは間違いないのだから、納得してもらうしかない。

「ところで、その『事情』とやらは悪企みかしら? 私も噛ませてもらえるの?」

 リクライニングチェアの背を倒し、そのまま寝転がった忍さんが好奇心丸出しの悪そうな笑顔でそんなことを言う。

「どちらかと言えばそうなのかもしれませんが……今回はやめといた方がいいですね。もともと俺のモノじゃないんで、これからどんな飛び火をするかわかりませんから」

「あら残念。他に面白い話があったらどんどん相談してくれていいからね」

 というかほとんど情報を掴んでないので、いったいどれぐらいの規模のモノになるかもわからないわけで。
 そんなことに彼女達を巻き込めるわけもなく、案外あっさりと諦めてくれたのは助かった。
 忍さんは興味がなくなったのか、今は1号さんにおかわりの紅茶を要求している。

「改めてまして――というわけで、これからも頑張っていこうね」

「…………」

「すずか、別に今まで通り何も変わらないってば」

「…………! はっ、ひゃい!! これからもよろしくおねがいしまひゅ!!」

「お、動いた」

「酷い噛み様ね……あんた、ちゃんと話聞いてた?」

「…………えへぇ」

「…………」

 照れ笑いで頬を染め、ちょっとだらしない印象さえ与える顔ですずかちゃんが笑うと、今度はそれを見たアリサちゃんが立ちくらみにでもあったように崩れ落ちた。その口からはぶつぶつと『あたしの親友がこんなおたんちんなわけが……』とかなんとか呟いている。
 そういえば昨日どこかでこんなのを見たような気もするな、なんて他人事のようにそれを眺めていると、

「先生、ゲームしませんか? 新しい2D格闘買ったんです!」

「いいけど……フレーム単位で画面見るのやめてね、すずかちゃん」

 どうやらすずかちゃんにその気はないようなので、俺がアリサちゃんの介抱をすべきなんだろうが、それは果たして逆効果にならないだろうか。
 そんなことを考えつつ、今日こそこの超反応ゲーマーに一泡吹かせようと息巻いていた。





 5.5月30日 朝

side Hayate.Y

『昨日16時頃、海鳴の住宅街の一角でひったくり事件が発生し、居合わせた近隣住民がこれを撃退する映像の一部始終が監視カメラに記録されていました』
『…………あー、これは……物凄いソバットですねぇ……病院直行コースじゃないですか? これ』
『犯人はコンクリート塀にめり込んで動けなくなったところを駆けつけた警察官に取り押さえられたものの、この近隣住民はすぐにその場から立ち去り、被害者が――』


 とうとう、この日が来てしまった。
 テレビから流れるニュースもろくに耳に入ってこない。

「しかし、何度見てもかっこいいな……そのメカメカしい車椅子」

「せやろ……」

 昨日、新しい車椅子が家に届いた。
 兄ちゃんは間に合ってよかったと喜んでいた。
 私は、素直に喜ぶことが出来なかった。

 事前に言っていた通り、(正確には『空けるかもしれない』だけど)兄ちゃんが家を数日空けて帰ってきた後、夕食後にこう言われた。

『最初の話通り、今月末あたりにここを出てくわ』

 最初は、何を言っているのかわからなかった。
 兄ちゃんはずっと、ここにいてくれるような気がしたから。

 けれど、そう切り出した兄ちゃんに、結局私は何も言うことができず、

『そうかー』

 と気のない返事をするのがやっとだった。


 それから今日までの間、それまで兄ちゃんが頻繁に行っていた外出の数が目に見えて減り、私と一緒にいる時間を作ってくれようとしているのが良くわかったけれど、思いっきり今を楽しもうとすればするほど別れる時のことが怖くなり、焦って、焦って、けれど何も出来ないまま今日という日を迎えてしまった。

 昨日はほとんど一睡もしていない。
 一晩中うささんを抱きながら、やがて朝日が昇ってくるのを恨めしそうに眺めていた。

「ごっそさん、やっぱりはやての作る飯はうまいな。俺とは大違いだ」

「ほんまにこんなんでよかったんか? 最後ならもっと豪勢のが」

「それは昨日の晩十分食ったからな、朝は簡単なのでいいさ」

 最後、と自分で言って泣きそうになる。
 もっと、もっとたくさんの料理を作って食べさせてあげたかった。
 美味しいって、言って欲しかった。

「さて、と。そろそろ行こうかね」

「……!」

 かちゃかちゃと音を立てつつ私の分の食器まで持って流しに入れながら放たれたその言葉に、一瞬身体が硬直し、震える。

「見送りはいいよ、電動とはいえ車椅子じゃしんどいだろ」

「ふふん、νブラックハヤテ号を舐めてもらったら困るわ。見送りどころか、一緒にどこまでも行ける性能を秘めてんで」

「いったいどんな車椅子を選んだんだよ……」

 ため息混じりに言いながら、玄関に向かって手ぶらで歩き出す兄ちゃんを慌てて追いかける。
 旅人やゆうとったくせに、どんだけ軽装でふらふらするつもりやねん、この人。

「外までちゃんと見送らな心配やもん」

「どんな心配する要素があるんだよ」

「主にノラ猫見かけて追っかけはって迷子になったりやね……」

「確かにそれはないとも言い切れんな……」

 言いながら一切手を緩めることなく靴紐を結び、玄関を出ようとする兄ちゃん。

 このままでは、本当に兄ちゃんがどこかに行ってしまう。
 やっとできた『家族』なのに――っ。

「おっ、と」

 ぴん、と自分の腕が引っ張られる感覚。
 無意識の内に、兄ちゃんの服の裾を握り締めていた。

「どした?」

「え? あ、その、な……」


 このままずっと、この家に居て欲しい。
 私の家族に……お兄ちゃんに、なって欲しい。




「さ、最後に……写真、取らへんか?」




 ――たったそれだけのことが、どうしても言えない。




「んじゃあ、今度こそ行くわ」

「ん……」

 くしゃ、っと頭を撫でられる。

「そんな顔すんなって。しばらくしたら、また戻ってくるからさ」

「そ、か……期待せんと、待ってるわ」

 笑顔で見送るはずだったのに、絶対に泣かないように取り繕っているため、ぶすっとした中途半端な表情になってしまっているのが自分でもわかる。

 これじゃあまるで、駄々をこね損ねた子供だ。

 ……まるでも何も、まさしくそのとおりなのだけれど。

 ふぅ、と息を吐く音が、下を向いた私の視線の上から聞こえる。

「よし、じゃあ俺がちょっとした予言をしてやろう」

「……?」

「そんな遠くない未来、かな。はやての周りに、はやてのことを大事に思ってくれる人達が出来る。俺みたいな偽者じゃなく、その人達とぉ――とっ!!?」

「ど、どうしたん!?」

 真顔でわけのわからないことを言い出したと思ったら、急に頭……というより耳を押さえて身体ごと飛び上がる兄ちゃん。
 何かの発作にしても酷い。

「い、いや。ネコの妖精ちゃんが余計なことすんなってうるさくてさ」

「もー、最後まで何ゆーとるんよ、兄ちゃんは」

「その最後だ。いいもんやるから目を瞑って両手を出せ」

「なんやそれ、ちゅーでもする気かいな」

「10年後ならそれもやぶさかじゃないが、今は大人しく従っときなさい」

「はいはい……」

 別に私だってちゅーが欲しいわけじゃないので、目を瞑って両手を出す。
 視界がまぶたに遮られ、わずか入る日光がその裏を少しだけ白く映した。

「これでええ?」

 なにくれるんか知らんけど、これ貰ったらほんまに最後なんやな……。

 そう、心の中で一人ごちた時だった。 




「おう……ちなみに最初に会ったときのアレな、ワープでだいたい正解」

「えっ!?」




 まるでなんてことないように放たれた信じられない言葉に、驚き、閉じていろと言われた目を思わず見開くと、わずか一瞬前まで声がしていたはずの距離、目の前にいたはずの兄ちゃんが、一切の音も無いままいなくなっていた。

「え……?」

 あまりに突然すぎる、不可思議極まりない事態のせいで差し出したまま硬直していた両手の平の上に、ことん、と何かが落ちてくる。

「なっ、なに!?」

 いきなりの触覚に驚き、お手玉のように二、三取り落としそうになるも、どうにか手中に収めたそれは、黒塗りの小さな箱だった。
 よく見れば、何か紙のようなものが挟んである。恐る恐る引き抜いてみると、




『またな』




「そんくらい……自分の口で言いや、アホ」

 でも、なんだかそれが兄ちゃんらしく思えて、少しだけ笑えそうな気分になる。


「……よっしゃ!」


 あの人がまた来るって言うたんや。
 なら、いつかはわからへんけどきっとまた来てくれる。
 それまでずっと泣いてるわけにもいかへんしな。

 一人、というのは変わらないけれど、以前の独りとは違う、新しい暮らしに向けて一つ気合を入れなおしたところで、はたと思い至る。


「そーいや私、最後まで兄ちゃんの名前知らへんかったままやな……」


 思い出すのは、最初に図書館で出会った時のこと。
 あれからずっとおにーさんで、兄ちゃんだった。

「ま、兄ちゃんは兄ちゃんやし……ええか」

 ため息混じりに、そう一人ごちる。




 ――それは、私の運命を変えてくれた人。

 真実、私は彼のことを何一つ知らないままだったけれど。
 この時私はまだ、私に与えられた運命の全貌を何一つ知らないままだったけれど。

 絶望に彩られた運命の出口は既に抜け、私と他の多くの人を巻き込む運命の入り口が、もうすぐそばまで近づいてきていた。


 ――その運命さえ、彼が捻じ曲げ、踏み台にするためのものとは誰一人としてしらないままに。



 6.同日 それから十数分後

「よー、もう始まってんのな」

「遅いぞ」

 どうやらユーノが張ったらしい結界の中に入って、ベンチに座っているクロノと犬耳さん、その肩に乗っているユーノに近づいて声をかけると、クソガキにそう言い捨てられる。

「悪かったな、ちょっと色々あってね……二人は?」

「あっち」

 犬耳さんが指を指した方向に視線を向ければ、ここからちょっと距離を取った橋の上に、二人で手すりに手をかけて何か話をしていた。
 ここからじゃ何も聞こえないが、とにかく二人とも元気そうで何よりである。

「あの、本当にアースラに……?」

 二人が座るベンチとは違うベンチに寝転がるように伸び上がると、途端に眠気が襲ってくる。
 このまま目を瞑れば間違いなく眠っちまうだろうなぁ、なんて考えていると、耳元……よりさらに下で声が聞こえてきた。

「おう、ユーノか。そだよ、ちょっと用があってね。まぁお前にとっては俺みたいのがそばにいるよりはよっぽどいいだろ?」

「そんなことは……」

 落ちないように寝返りを打つ要領で視線を向ければ、二本足で立つイタチが。
 どうやら今日まで俺が管理局と一緒に次元空間の向こう側に行くことを聞いていなかったのだろう。
 ちなみに、今日の連絡に関しては月村家経由で受けられるように手配をしておいた。

「でも、それじゃあなのはの友達の――」

「すずかちゃんに関しては一旦保留ってことになるね。……まぁ用事が済んだら戻ってくるからさ」

「そう、ですか……」

「話は一応聞いてたけどさ、お前こそ家族んとこ戻らなくていいのかよ」

「帰りたいのはやまやまなんですが、ミッドチルダ方面はまだ空間が安定してないらしいんです。本局へは、特に問題がないらしいんですけど」

「ふーん、よくわからんけど」

 正直な話、自分がどこで降ろされるのかすら良く知らなかったりするわけで。
 アホ毛ちゃんにアースラをタクシー代わりに使うなんてとか怒られたりもしたけど、そういうのを加味すると決して不安じゃないというわけでも……俺ってば乗り物酔い酷いし。

 そんなことを考えつつ視線を橋の上の二人にやると、どうやら相当盛り上がってるらしく、抱き合って二人して泣いていた。
 今生の別れでもあるまいに……なんて口にすれば周囲から総スカンを喰らうようなことを思っていると、その二人に臆面も無く近づいていくクロノが見えた。

 あいつマジで空気読めねぇんだなぁ……と今自分が考えていたことを棚に上げつつクロノをいっそ哀れんでいると、あいつに何か言われた彼女たちが、どういうわけか二人してこちらに向かって走ってきたのだ。

「おはよう、二人とも。話は終わったの?」

「うん! フェイトちゃんが、友達になろうって」

「でも、もう友達だったんだよね」

「ふーん……あれ? なのはちゃん髪下ろしてるんだ」

「え? えっと、これは……その、あのね――」

「まぁどうでもいいや。で、どしたの?」

「…………」

 フェイトちゃんの方はあまり気にならなかったけれど、ガラっと雰囲気の変わったなのはちゃんにそう言うと、手に持った黒いリボンをチラつかせてなんだかもじもじし始めた。
 正直言うほど興味があったわけでもないのでその話を打ち切ると、一歩フェイトちゃんが前に出てきた。

「あのっ……お礼が、言いたくて……」

「お礼?」

「虚数空間に落ちたときに……助けてくれたから」

「あー……」

「本当に、ありがとうございました」

「そんな、気にしなくてもいいのに」

 ぶっちゃけるとフェイトちゃんは本当にただのついでだったからなぁ……にもかかわらずこんな可愛い女の子にそう本気で感謝されるとさすがに居心地悪いというかなんというか。
 それに、ある意味彼女の母親の仇のようなもんでもあるし……さすがに今口には出さないけれど。

「それで、もしよかったら……――私と、友達になってくれませんか?」

 その、若干小さいくらいの声量で放たれたそんな言葉を聞いて、フェイトちゃんの隣にいるなのはちゃんがぽかーんとしている。
 多分、俺も似たような顔をしてるんじゃないかと思う。

 それくらい唐突で、予想外だった。

「ダメ、ですか?」

「いやいやいや、大歓迎だけどさ」

 ――友達は選んだほうがいいよ。
 すんでのところまで出掛かった言葉を飲み込んで答えた。

「じゃあ、名前を教えてください」

「……どゆこと?」

「友達になるのは簡単……名前を呼び合うだけでいいって、なのはが教えてくれたから」

 ああ、そういうこと。
 さっきは聞き流してたけど、二人がもう友達だったってそういうことね。




 名前。
 名前か……。

 俺の本当の名前、なんてのはもうどの世界のどこにもないから、いつも必要になったときにテキトーに『その世界』で名乗る名前を決めていたけれど。
 確かに、その内5割以上の場所で名乗ってきた名前というのがないこともない、ある意味でもう俺の名前と呼んでも差し支えないレベルで反応できるのだけれど……なんていうか、正直ちょっと怖い。
 最初は本当に世話になった人の名前だから、という簡単な理由で拝借していたその名前だけど、『他の世界』で『その世界』を調べる機会があって、その名前の重さに愕然とした。

 ――多分、勝手に名乗ってるなんて知ったら秒間百回を数日はぶっ殺され続けるだろうな……。

 そんな事情を知るはずのないこの子達に、名乗るからちょっと待ってくれなんて言っても偽名丸出しだし、かといってこの世界でしばらくは通り続けることになるだろう名前なんかすぐには思いつかず、なんか目の前のフェイトちゃんよりその横のなのはちゃんのがワクワクしてんな、なんて思いながら、






「八雲……八雲って、呼んだらいいよ」




「ヤクモ……なんだか面白い名前だね」

「いきなり怖いことを言わないでください……」

「っていうかちょっと偽名っぽいの……」

 決して偽名というわけではないんだけど、かといって本名であるわけでもないので曖昧に笑って誤魔化しておく。

 なのはちゃんはほんとアレだね。いつも色々余計だね。

「思い出した。二人にプレゼントがあるんだけど、なのはちゃんにはお預けな」

「あーっ! あーっ! 素敵なお名前だと思うのっ!」

 言いつつ、本当に忘れたままになりそうだった贈り物を『倉庫』から取り出す。
 ……危ねー、思い出してよかったわ。

「まずフェイトちゃんね。両手出して」

「こう、ですか?」

「はいこれ」

 ちょっと躊躇いがちに差し出されたその手のひらの上に、そっと『それ』を置く。

「…………?」

「…………なにこれ?」

 それは、真っ黒いバレーボール大のかたまり。
 二人していったいこれはなんなのかと、首を傾げて覗き込んでいる。

「わっ」

 ぴょこんっ、とそのかたまりの両サイドから曲線で描かれた角のような突起物が現れ、真っ黒でつるつるだった表面に紅い光点が三つ、三角形の頂点のようにして現れ、まばたきするかのように点滅する。

「これって……」

「ち、ちっちゃい顔だけのスケィスなの……っ」

「手乗り(というには少々大きい)スケィスですよ。久しぶりに超がんばった」

 フェイトちゃんの手からポン、と跳ね上がり、やたら弾力性のある動きを披露しつつ肩を経由して彼女の頭に乗るとそこで落ち着いたようにまた光点が消えた。
 そう軽いわけではないので、乗りかかられたフェイトちゃんの首がぐらんぐらんしている。

「前に君らが戦ったのと違って、ちゃんと生きてるから気をつけて。ご飯とかは周りに魔力素があればそれで済むから」

「あの……この子を?」

「ん、あげる。ちなみに戦うときは前みたいなでっかい姿になるから、色々頼りにはなると思うよ」

「そ、そんなっ……私――」

「あー、返品は受け付けてないから。それは、フェイトちゃんの傍においとかないと意味のないものだし」

「え?」

「まぁ俺も一緒にあの船乗るからさ、細かいことはまたおいおいね」

 そう言うと、どうにかフェイトちゃんも納得してくれたようだ。
 今は頭から降ろそうとして、けれどどういうわけか剥がれなくて困っている。


「わっ、わたしはっ? スケィスなの!?」


 がばっと、勢い込んでなのはちゃんが前に出てくる。
 これまでずっと俺から距離を取ってるような印象を受けたから、それだけ楽しみと言うことなんだろう。

「まぁまぁ落ち着こうよ。……もっと素晴らしい、俺の超自信作だ」

「うわぁーー!! 何かな、何かなっ!?」

 目のキラキラ度が半端じゃない。
 訓練前のすずかちゃん並の光度だ。
 手乗りスケィスを見てだいぶテンションがあがったように思う。

 ――なら、こいつで間違いは無いはずだ。

「ほら、以前すずかちゃん達にあのロザ……ネックレス渡した時になのはちゃんの分忘れちゃったじゃんかー。あれは俺も結構悪いことしたなーと思っててね」

「あの時は……本当に泣きそうだったの……」

 超ハイテンションだったなのはちゃんに急速に影が差し、バックにどよどよとした暗いものを背負い始めた。
 わ、悪気はなかったんだけどなぁ……。

「ま、まぁ今回は任せろ、(おそらく)ゲーム好きななのはちゃんのために、超格好よく、さらに実用的なものを用意してきたから!」

「お、おぉーーっ!!」

 そう言うとすぐさま太陽みたいな笑顔を取り戻し、ぐいぐいとこちらに近づいてくる。
 ブツを見る前からいい威勢だ。


 さぁ、こいつを見て驚くといいッ!!



「じゃーん!! 俺が着てるのと同じ! 特別製の例の機関コート子供用サイズだぁーっ!!」



 ばさーっと肩の部分を持って見せ付けるように前方に踊りだした。
 さすがに俺がいつも着てるのと全く同じような化物仕様には程遠いが、それでも規格外の防御力を誇る逸品ですよ!!
 っていうかそんなん抜きにしてもマジカッコいいです!!




「…………………………」




「……あれ? リアクションが無いよ?」

 まるで無反応。
 俯いていて、その表情が読めないが、もしかして感動に言葉も出ないと言うやつだろうか。まぁそれも仕方ない――

「レイジングハート、セットアップ」

≪All light.Set up.≫

 と思ったらものすっごい剣呑な雰囲気が。

「あれ? どうして戦闘態勢を……ちょっ、フェイトちゃんどうして離れてるのさ!?」

 頭にスケィスを乗せたままいつの間にか遠くに離れていたフェイトちゃんが、どういうわけか気の毒そうに首を振っている。

「八雲さんのぉ――」

「待って! 性能は確かだから!! カッコいいじゃん!! あれェ!?」




「バカぁぁぁぁぁあああああああっっっ!!!!!!」




 ドッ、という破壊音と共にほとんどゼロ距離で放たれたピンク色に一瞬で視界を覆われ、そのまま飲み込まれていく中、いったい何が悪かったのかどれだけ真剣に考えても答えは出なかったわけで。
 もともと女の子の考えていることなんて俺ごときにわかるはずも無いのだけれど、彼女ぐらい子供だとしてもそういうもんなのかなぁ、なんて思いつつ『この世界』で初めて外的要因で意識を手放した。


 空間連結を思い出したのは、目覚めた後である。


 ちなみに、すずかちゃんの一件が記録から抹消されてる以上『この世界』でノックアウトどころか俺にダメージを与える事自体、彼女が初めてである。
 この快挙は、その後、記録していたデバイス達及びアースラから伝えられ、高町なのはの偉業の一つとして列挙されるのだが……。




 今はまだ、何てことの無い日常の一コマであった。






 X.Next.Ep おまけ予告


 ――それは、一冊の本を廻る運命の、“侵食された”物語の続き。


「私の兄ちゃんはな、魔法使いなんよ」

 過酷な運命の中心で、必死に微笑む少女。

「永遠なんて、ないよ……みんな、変わっていくんだ」

 らせんの運命を断ち切ろうと、立ち向かう少女。

「ごめんなさい……こうなると、加減とかできないの。だから、壊れないでね」

 『世界』が侵され、運命に組み込まれてしまった少女。

「お前にっ!! ただ強いだけのお前に、彼女たちの想いを踏みにじる権利なんて、絶対に無い!! そんなこと……この僕が許さない!!」

 運命に自身の仇を奪われ、けれど過去ではなく未来の為に戦う少年。

「なんでお前がそこにいるんだよっ!? はやては……はやてはお前の帰りをずっと――」

「――烈火の将、その散り際の輝き……とくとみるがいい」

 幸せな運命を掴めるはずだった、騎士たちの慟哭。


「わたしは、お姉ちゃんだから……またね、フェイト」


 舞台は彼女が降りることを良しとせず、無理やりに運命へと捻じ込む。




「さぁ、始めようか。『この世界』で……始まりの終わりと、終わりの始まりを」




 ――そして法の番人が、『この世界』が異端に塗りつぶされ、本当の意味で“運命”が動き出す。


 『人』と『世界』と黒『異』の俺と in リリカルA's、はじまります。



[10538] 幕間1
Name: 未定◆81681bda ID:da6d6917
Date: 2012/08/11 12:39
 0-1.


「――『それ』は、初めは私達の世界と同じ『観測される側の世界』の一つ、さらにその中の仮想空間上にバグという形で現れた。当初仮想空間の創造主兼管理者……まさしくその世界の神とも呼ぶべき人間はそれほどその存在に注意を払ってはいなかったわ。仮想といえども構築した世界は広大……バグの発生など、それほど珍しい事ではなかったから」

 ふぅ、と一息つく様にして間が生まれる。

「とはいえ、気付いていたとしても如何様にも出来なかったのもまた確か……それほどにまで『あれ』は、どうしようもないほどに終わっていた。『あれ』は正しく滅びの具現、自身さえ含めた森羅万象を無に帰すことだけを行動原理とする、生きとし生けるもの全ての天敵」

 パチン、と扇子だろうか、こちらからではよく見えないが、勢いよくそれを畳む破裂音が耳に響いた。

「神が『それ』の本質に気付いたのは既に仮想空間への侵食が危機レベルに達していた頃。ありとあらゆる対策を受け付けない『それ』に神が採った最後の行動は、特別に調整したアバターを使って仮想空間に自ら入り込み内部から初期化プログラムを発動させること。『再生の卵』と名付けられていたその緊急プログラムは、しかしあろうことか仮想空間内部に生きる人間の手によって発動を阻止されてしまった。打つ手すべてを失うことで、それまでの過程において『それ』との接触の果てにある一つの確信を持っていた神は恐慌状態に陥ったわ……すなわち、本来ありえるはずの無い次元の壁を越え、仮想空間から自身のいる『世界』へと滅びの幅を広げるに違いない、と。まさしくその読みは正しかったわ……けれど少しだけ形を、まるで最悪に変えて」

 それまで背を見せ、古い木造家屋の軒と柱によって区切られた四角い空に向かって語り続けていた人物が、外の青に映える長い金髪とゆったりとした紫のドレスを翻すようにして俺の方に振り返った。


 とても、綺麗な女性だった。
 あまりに綺麗過ぎて、本当に人かどうかなんて、一瞬そんなくだらないことを考えてしまうくらいに。


 ふと、その美しさゆえにだろうか。
 俺と彼女の間にある距離はほんの数メートルほどしかないというのに、精神的なそれはもとより、どういうわけか物理的な距離でさえも無限に等しい隔たりを感じるような気がした。
 そんな、目に見えて圧倒されている俺を、特に気にしたそぶりも見せずにその女性は続ける。

「かの『世界』だけが消滅するのならそれもまた運命、決して『世界』が滅びるのは稀ではないわ。けれど、そう……『あれ』は事態を一跳びに最悪にまで引き上げた。仮想空間の神の予想通り、『あれ』は世界の壁を越えてしまった……けれどそれは、決して越えてはならない、越えられるはずのない壁を、ほんのひと欠片の悪意すら帯びず、ただただ滅びに純化され抜いたカタチで以て、超えてしまった」

 言葉と共にふっと、その端正な顔に影が差す。
 畳まれた扇子を持つその手が、きゅっと握りこまれるのが見えた。

「本当に突き詰められ終わっているとしか言いようがない……。そうでなくては超えられなどしないのだろうが、効率良く総ての『世界』に滅びを齎す為にまさか『観測世界』に降り立とうなんて……っ。確かに観る者がいなくなれば必然『被観測世界』は残らず消滅するわ。けれど『被観測世界』同士に横たわる壁と『観測世界』とを隔てる壁はまるで次元が違う。前者なら意にも介さない私でさえ、後者はその掛かりを見つけることさえ敵わないというのに……」

 その女性の、凛として深い知性を感じさせつつもどこか感情の乗っていなかった声に初めて人らしい朱色が差したが、すぐに目を閉じ、開いた扇子で口元を隠しながら一つ息を整えると、再びまるで生きる世界が違うのかと思わされるような超然的な雰囲気を身に纏った。
 その一連の流れに、どこかほっとしたような気持ちになる。

「私達が“外の世界”と呼ぶ場所はあくまで『観測世界』を模した幻想郷(ここ)と連なる『被観測世界』でしかない。私達の『世界』の位階は『観測世界』に限りなく近いけれど、やはり永遠に交わるものではない。その理由は必然、私達の存在だけれど……とかく、其れ程までに条件に利のある私が超えられない壁を『あれ』は容易く超え、遍く総ての『世界』の中心で正と負を、生と死を、創造と破壊を――――滅びの歌を謡い、しかしその果てに消滅は完遂されなかった……今私達がこうして存在しているのだから当然と言えば当然なのだけれど」

 そこまで言い終え、ここにきて、ようやく、初めて、俺と彼女の視線がぶつかった。
 正直、俺はいないことにされてるどころか本当にいないんじゃないかと思わされるくらいのエア(に向かっての)トークっぷりだったので、内心相当動揺していたり。

「修正が余りにも敏速かつ苛烈で、私でさえ何が起こったのか完全に把握しているわけではないのだけれど、確かにあの時『観測世界』の境界は激しく揺らぎ機能を失っていた。比較的近い『世界』の影響なら容易に受けてしまうほどに、ね…………ハァ……何と言うか、本当に運が悪いわね、貴方」

「みひぇ?」

 唐突。
 余りにも唐突に話の引き合いに出され、いっそ絶賛エアトーク中の美女を眺めてるだけでいいかとか考えていた俺は、一切対応する気など無かった為に人の返事とは及びもつかないような声を発することしか出来なかった。
 その金髪美女が今の返事を聞く前から本当に気の毒なモノを見るような目で俺を見たのもその反応の原因の一端かもしれない。
 美人だけどその顔はなんか腹立つ。

 当人は俺のそんな反応にすら興味が無いようで、フリルのついたドレスグローブで眉間を押さえるとそのまま話を再開する。

「問題が解決された『世界』はすぐに修正を施したわ。そんな出来事、初めからなかったかのように。全てをただ一個の物語……『被観測世界』での事象として処理して。『あれ』が降り立つことで崩壊した建造物も、瓦礫に押し潰され圧死した人間も、滅びを間近で請け疾く消滅した存在も、何もかも。



 ――……ただ、一つだけを除いて」



 眉間を押さえたままの指から覗く瞳に射抜かれると同時、こつん、と上から頭に何かが落ちてきて、そのまま畳の上に転がる。
 中央に穴が開いた手のひらサイズの円くて薄いその表面には、何か文字や模様のような印刷が為されていたが、この時の俺にはそれが『俺の世界』で一般的なゲームディスクだということもわからなかった。

「『あれ』が『世界』に降り立ったとき、貴方は他の誰よりも『あれ』の近くにいた。本当なら一番に滅びを受けるはずの場所に。けれど、『世界』の壁が揺らいだために他の『世界』と融和しかけたせいで『観測世界』に生きる以上本来顕在するはずのない貴方の根源が剥き出しにされてしまった。偶然にも、滅びに一時抵抗できてしまうだけのものを……本当、運が悪いとしか言いようが無いわ……いえ、間も頭も悪いのかもしれないけれど……。
 程なくして『あれ』が崩壊し、『世界』の修正が始まった瞬間、最も近くで滅びに耐えきった貴方は、崩れ落ちる『あれ』に潰されてあっけなく死んだわ」

「……?」

 どうやら独り言から俺へと話がシフトしたようで、それならばと内容の方にも耳を傾けたのだが……正直何を言っているのかさっぱりと言っていいほど理解できなかった。
 死んだ? 誰が? あ、いや、さすがに色々と自分がおかしいことくらいはさすがに解り始めていたけど……。
 っていうかさらっと酷いことを言われた気がする。

「『災害』……私はこの一連の出来事をそう呼んでいるわ。その中で貴方は『あれ』と物理的に接触した『観測世界』唯一の存在、『あれ』に滅びでは無く、それに耐えられたが故に直接死を与えられてしまった、数奇な運命の持ち主。
 そして『観測世界』で起きた『災害』は『無かった事』になった。それは同時に、『災害』の原因との接触で死んだただ一人の人間そのものも“いなかった”事にしてしまった…………私としても正直もう十分だと思いたいのだけれど、話はここで終わらないわ」

 解らないなりにちゃんと聞いていた俺だが、理解できないのになんだかお腹いっぱいになったような錯覚を覚える。
 女性もうんざりといった表情をしているが、状況的に鑑みれば俺の方がそんな顔したいわ。

「『貴方』を完成させた最後の過程……そうして、『観測世界』から追い落とされるように弾き出された貴方は、『世界』が再統合、再隔絶していく中で『観測世界』に程近い『世界』から流れ込んだ、二つの余りに遠大な力に飲み込まれたわ。すなわち、『人の意思』と『世界の意思』。前者には人類の保存と記録を、後者によって人類の抹消を……何よりも『観測世界』の存続を、その身に刻まれてしまった。滅びの間際にあったせいなのでしょうけど……はっきり言って、こんなの呪い以外の何物でもないわ。
 そうね、貴方の身と魂に何が起きたかを解り易く要点だけ整理するとすれば、『災害』に巻き込まれたこと。『あれ』の至近にいたこと。根源が顕現したこととその中身。そのせいで『あれ』に直接圧し潰されたこと。ちょうど修正が始まったこと。……最後に『人』と『世界』の意思。これらが全て揃ったことで、貴方というどの『世界』においても『異物』でしかない存在が出来上がったわけだけれど…………訂正するわ。貴方、最初っから呪われていたのね。これだけの偶然の連鎖、運命と呼ぶにはあまりに不出来だもの」

 自分で説明しながら口元が引き攣りだす美女。結局何を言ってるのかは解らなかったが、どうやらよっぽど大変なことがあったらしいということは納得できた。
 その過程で、俺が出来上がったらしい、ということも。




 ――心にはさざ波一つ、立てないままに。




「あのー……」

「なにかしら」

 この状況に陥ってから初めて、人の言葉だと判じることが出来る声を上げる俺。どうやら彼女との意思疎通は可能なようで、かつ発言は許可されたらしい。
 もしかしたらまだエアトークの続きだった可能性があったので、ここでこの反応があったということはやっぱりさっきのは俺に向かって語りかけていたことになる。

 うーん。

「俺が『何』かっていう積年の疑問はあんたのおかげでようやく晴れてよかったんだけどさ……ここはどこで、気付けば俺はこんなザマで、そんなことを知っているあんたは誰なのさ?」

 この話の間中ずっと、畳を下から突き破るようにして上半身だけ生えている格好の無様な俺に向かって、彼女は不敵に微笑む。

「私? そうね、『記録者』の魂に私の名を刻み付けるも一興というとこかしら。私は――」


 それが、彼女との初めての出会い。
 永久に忘れることのない、俺の生き方と、死に方を教えてくれた最初の存在(ひと)。




 この時既に、二つの『世界』が消滅していた。



[10538] 第三十三話 6月2日 胎動と錯綜
Name: 未定◆81681bda ID:291e5005
Date: 2012/08/11 12:54
 0-2.


 思い起こせば、私とて初めはただただ次元世界を平定し、彼らと共に恒久の平和を願う一科学者に過ぎなかった。
 誰もがそれを求め訴えた絶えぬ戦乱の世、口にするのは容易かったがそれを実現させるには非常な困難を極めた。
 しかしだからこそ、それが私に与えられた唯一の使命だと強く自覚しており、同時に乗り越えるべき運命だと信じていた。


 けれど、研究の果てに私は知ってしまった。
 この、広大すぎる程に巨大な次元の海すら、聳え立つ世界樹の一枝に過ぎないという真実を。


 であるならば、私という存在はそのたかが一枝の為に己が全てを捧げる為だけに在ったのだろうか。
 否、『世界』の広さを目の当たりにした私にとって、そんな葛藤すらどうでもよかった。
 問題はそんなことではなかった。
 目の前に未知の世界が、『この世界』で私しか知らない世界が広がっているのだ。
 私は、私の科学者としての情熱を抑えることができなかった。


 無論、次元世界の平定にも力は入れていた。
 実際のところそれは、『世界』の研究に精力を注ぎ込む為の足固めでしかなかったにも関わらず、どうにか一定の目処が付く所までこぎ付けることに成功したのだ。
 あれだけ困難に思えたこの案件も、今私が直面している障害に比べれば児戯に等しい。
 狂喜乱舞する彼らを尻目に、私は一人研究を続けた。


 そうしてついに私は、『外の世界』の観測に成功した。
 その過程の中で、我々が虚数空間と呼ぶ『世界』と『世界』を繋ぐ空間は、ある特殊な要素で埋め尽くされていることがわかった。
 観測した外の世界の一部で「第六要素」「ラルヴァ」などと呼ばれるそれは、生きとし生けるもの全ての害悪であることも判明した。
 同様に、それらと対を成す「第五要素」「エーテル」と呼ばれる要素もわずかながら観測した。これは生物が存在する全ての場所にあり、生物を生かすために必要不可欠なものであることがわかった。
 その他にも『この世界』では考えもしないような発見……否、遭遇とでも言うべき未知との接触の数々。
 『外の世界』の観測実験は、私がこれまで想像したこともないような角度から『世界』を見つめ直すことばかりで、私は憑りつかれたように実験を繰り返した。


 そんな人生で最も充実した生を送っていた最中、まったく考えもしなかった別の壁に突き当たった。
 次元世界を束ねる一翼を担った私でさえ、『外の世界』の研究には単純に肉体の時間が足りなかったのだ。
 けれど、ここで投げ出すわけにはいかない。
 方法ならある。

 私は、己が肉体を捨て去る決意を固めた。

 非常に都合がいいことに、自分たちが構築したシステムの行く末を見守るために彼らもまた肉体を捨ててでも存在し続けたいという相談を受けていた。
 悪くない条件で、労せず一度に三つも程度のいい実験材料が手に入ったのだ。


 幾通りのパターンを試した結果、結局彼らに施した処置は私にとってどれも納得のいくものではなかった。
 まぁいい。
 彼らに関してはあくまでその後の保険程度の心積もりであったのだから。


 残ったのは、最後の手段にしてその後の研究の進展も視野に入れた究極のプラン。
 『世界』と『世界』を繋ぐ空間に満ちたラルヴァへとその身を堕とすことで、観測だけではなく『世界』を遮る壁さえ乗り越えることを可能にしようとしたのだ。

 多少のリスクは存在したものの、実験は成功した。
 今の私を見れば十人が十人とも人であるはずが無いと思うだろう。化物と指差し蔑むに違いない。
 だが、そんなことはどうでもいいのだ。
 どのような存在であっても心が人のそれであるのなら……否、研究さえ続けられるのであれば、魂さえ悪魔に成り果てようと構わなかった。
 しかし、人の身を捨て去り、生きとし生けるもの全ての害悪に身を堕としても、私に『世界』の壁を越えることはできなかった。
 『外の世界』のあまた技術を取り込んでも尚、『世界』の壁は高く険しかったのだ。


 私はここでアプローチの方法を変えた。
 今一度『この世界』に目を向け、私の基となる技術を究極の形に昇華させるのだ。
 そうであるのならばやはり、かのアルハザードの失われた秘術の中にこそその術があるのではないか。

 虚数空間の奥深く――と言ってもそれは、世界の壁を越えようと試みた私にとって真実足が水に浸かる程度に過ぎなかったが、これまで数多研究者が夢見、挫折したその世界に、私はあっさりとたどり着いたのだ。
 私の研究成果である平行世界のアプローチ、ラルヴァそのものとなった私の身体。
 それらが可能にし、たどり着いた神秘は、私の研究を大いに飛躍させた。


 とうとう不完全ながらにも世界移動を可能にした私は、個々の世界のあり方よりも世界全ての形……つまり、それぞれの『世界』がどのように並んでいるのかということに興味が移っていった。
 私は研究と調査を繰り返し、主観数十年程で(『世界』と『世界』をつなぐ回廊は時の流れが違うことが判っていた)おおまかな世界全ての形を描き出していた。



 その中で私は、ついに知り得るに至った。
 全ての世界に接しながら、決して繋がっていないこの『世界』の全ての中心とも呼べる世界の存在を。
 
 かつて、『外の世界』を知ったときのような衝動がこの既に人ならぬ身を突き抜けた。
 情熱は、魂は、一切衰えていないことを叫んでいた。


 無論、私は望む。
 その中心でありながら、果てとも呼べる世界への到達を――――。





 1.6月2日

 両足と片手を同時に付くことで、地面との激突を回避する。
 衝撃が重すぎて、接地した部分がひび割れるんじゃないかと思うぐらい体の中が軋み悲鳴を上げる。
 けれど、息をつく暇なんて与えられるわけがない。
 慣性が死に切っていない状態で無理やり首を上げ上空を睨めば、思ったとおり黒い魔力弾がまっすぐ僕に向かって多数飛来して来ていた。

「くっ――、――ッ!?」

 下手に足を止めて隙を作れば一瞬でやられる。
 シールドを張る時間は十分にあったが、そう判断し前方に飛び込んでちりちりとバリアジャケットを掠めながらもそれらを回避した次の瞬間、目の前から死神の鎌のように振り回された足が僕の視界に広がる。
 その単純かつ必殺の後ろ回し蹴りを、自分でも偶然でしかないと思うほどの反射でもってデバイスで受け止めることに成功した。

 が、その止められた足をそのまま折り畳むようにしてデバイスごと僕を引き込み、急に前につんのめるように体勢を崩した所で、無防備な腹を蹴り上げられた。

「ッおグっ……!!」

 腹の中から空気が全部出て行ってしまうような衝撃。
 一瞬、目の前が真っ暗になってしまったような錯覚を覚える。
 たった一撃の蹴りで自分が真上にふき飛ばされているのを感じながら、彼我の戦力差と自分が今いかに手加減されているかがひしひしと伝わってきていた。


 腹が、立つ。


「――――ッ!!!!」

「……お」

 反応でも反射でもなく、こいつの今までの戦い方を鑑みてヤマを張った、吹き飛ばされた状態から急反転しての防御。
 さっき蹴り飛ばされたときにデバイスを手放してしまったので、対魔力強度は不十分なシールドだったが、どうにかこいつの容赦の無いかかと落としを受け止めることは出来たようだ。

 今のを止められるとは思っていなかったのか、少し驚いたような顔を見せたこいつの足を掴み地面に向かって思いっきり投げつけた。
 そのままさっきのお返しとばかりに直射弾を連射する。
 デバイス無しで放たれたとはいえ魔力弾としての性能は十分なそれらは、奴が地面に落下するよりも早く飛来し、けれどあっけなく落下しながらの奴の腕で弾かれる。

 そのまま奴が地面に両手をついて一回転しながら残りの魔力弾を足で弾いて地面に着地した瞬間、

≪Stinger Blade Jail Shift.≫

 僕のとっておきが遠隔発生させたデバイスから発動する。
 百近い貫通魔力弾を奴の全周360°包囲させ、さらに一発一発にブーストをかける。
 本来は実の無い犯人投降用の魔法だが、今残り魔力の大半を注ぎ込んだそれは、僕の手札では真実必殺の一撃だ。

「……」

 にも関わらず、それを向けられている当人は周囲を見回して薄く笑うだけだった。

「ッ!!」

 心で引き金を引くと同時、待機させていた魔力弾が滝の様に奴に降り注ぐ。
 すぐに魔力爆発が発生したせいで中を確認することは出来ないが、奴が何も対応していないとは思えない。
 常識で考えればオーバーキルもいい所だが、この場においては僕がやってやりすぎるなんてことはないのだ。

 ……本当に、腹が立つ。

 案の定爆心地には、地面から突き出ている無数の黒い針が折り重なって出来た、ちょうど人一人入れるくらいの角錐があった。

 もういっそ素直に感心してしまうくらいの手練手管に脱帽してしまいたくなる。
 みれば、さすがに今のは堪えたのか角錐の表面には無数のヒビが入っており、こうしてる間にもその量が増えていっている。
 今のを何の問題も無く受けきられたら、心底今の僕ではどうにも出来そうに無いので少し安心した。


 さて……残り魔力は心許ないが、もう少しだけ粘ってみるか。

 そう気合を入れなおしたと同時、黒い角錐がガラスが割れるような音と共に弾け飛ぶ。
 思わず身構え攻撃に備えるが、視線の先……崩壊した角錐の中には、誰もいなかったのだ。

「――え?」

 思考に空白が出来た、その瞬間だった。
 嫌な気配に振り返った僕の腹に、空中で横向きになったままの奴の膝蹴りが深々と突き刺さった。
 体の中へ沈み込むような、鈍く重い音が耳の奥で響く。

 効いた。
 声すら出ない。
 こいつは僕の腹になんか恨みでもあるのか。
 体がくの字に曲がったまま、そんなことを思ったのを最後に僕の意識は――




 ――なんて、暗転しそうな意識を、砕けそうなくらい歯を食いしばって引き戻した。



 
 両腕を頭の上で交差して、続けて放たれた空中で反転したままの奴の蹴り――俗に言うオーバーヘッドキックを戦術もシールドも何にも無しの気合いだけで受け止めた。
 もちろん衝撃はまったく殺せていないので、飛行制御のみで吹き飛ばされそうな体を無理やりその場に押し留める。

 ここで吹っ飛ばされてなんかやらない。
 一発でもいい。
 こいつのにやけ面をぶん殴ってやる――!!

 自分の中では裂帛の気合で以って、目の前のちょっと驚いた顔目掛けて、握り締めた拳を突き出した。
 けれど、すんでの所で奴の腕に受け流されるようにして僕の拳は空を切る。
 気にせず、と言うのは無理があるくらいムキになって両腕両足を振り回したけれど、僕がクロスレンジにおける格闘戦がそれほど得意でないことを抜きにしても、まったくと言っていいほど奴に有効打が与えられない。
 あいつは上下反転したまま最初の一発以外はほとんど足だけで捌いているのに関わらず、だ。

「ぐっ……!」

 段々と攻守が入れ替わり、僕が受けきれなくなったところで逆さまのまま奴の蹴り上げた足が僕の肩に直撃し、地面に向かって吹き飛ばされる。
 落下しながら痛みに肩を押さえた一瞬の後に再び奴を睨めば、すでに僕の目の前まで一発の黒い魔力弾――後でモニターで確認すると、僕を蹴り上げた直後に足を入れ替えるようにして魔力弾を蹴り飛ばしていたのだ――が迫ってきていた。

 反射で組んだシールドが、しかし構築が甘すぎる故にほとんどその機能を発揮しないまま砕かれ、爆散する。
 再び軌道を変えるようにして吹き飛ぶ僕に、すでに周囲を警戒する余裕はなくなっていた。

「……ぁ」

 顔を覆うようにして頭を掴まれる感触がするのに少し遅れて、僕の意識はとうとう闇に沈んでいった。





 2.

「お疲れ様。医療班の出番は……なさそうね」

 次元航行艦アースラ、という名前らしいこのでけー船にある訓練及び模擬戦も出来る部屋から出てきた俺に、今の戦闘の様子をモニターしていたリンディさんが声をかけてくる。

「そりゃ、ノーダメですから」

「貴方が肩に担いでる我が艦の切札の話をしているのだけど?」

「ですよねー」

 言いつつ気絶したままのラオウを床に、寝かせると捨てるの間ぐらいの勢いで放すと、リンディさんの隣にいたアホ毛ちゃんが駆け寄ってきてその身を起こした。
 うーん、後30分くらいは起きないと思うからそっとしといてやったほうがいいと思うんだけどなぁ。

「骨も内臓も無事ですよ。打ち身やら何やらは当然ありますけど、男なんだからそんなもん怪我の内にも入りません」

「クロノの状態ならちゃんと把握してるわ。あれだけ何度も派手に吹っ飛ばされたとは思えないくらい、異常無しね」

「バリアジャケットから送られてくるダメージ情報が嘘みたいに規定値ギリギリ上ばっかり……。眼で見てるのとのギャップで頭がどうにかなりそうだったよ……」

 何度か揺さぶってみたものの起きる気配が無さそうだったのか、備え付けの腰掛にラオウを寝かせながらアホ毛ちゃんがリンディさんの後にそう続けた。

 アホ毛ちゃんはこの船に乗っている人間の中でも特に俺に対して嫌悪感を持っていたようなのだが、ここ三日程で何度かラオウと一緒に俺に宛がわれた部屋を訪れては俺のゲームで遊んでる内、ほんの少しだけどトゲが取れたように思う。
 まぁ、あくまでほんの少しだけど。

「ねぇヤクモ。魔力弾は殺傷設定でも魔力量や構成である程度手加減できるけど、ただの蹴ったり殴ったりでどうやってあんな風に微調節してるの?」

 そんなことを思いながら不意にくいくいと袖を引かれて振り向けば、頭に黒くて丸い塊を乗せたフェイトちゃんが。
 渡した直後はふらふらと重そうにしていた手乗りスケィスだが、人間慣れるものらしい。今はなんてこと無さそうに俺を見上げている。
 見ればその後ろにいるアルフ――色々わかった今ではさん付けもどうかと思い、だからって『犬耳』呼び捨てはもっとねぇなーなんて悩むのもバカらしくなって普通にそう呼んだら一切の抵抗も無かった――も気になるのか、うんうんと頷いていた。

 俺個人としては好ましいと思うけど、一応護送中なのにずいぶんと自由だな二人とも。

「そんな大した事はしてないよ……こいつが張ってるバリアジャケットの大体の強度は前に戦った時に覚えただけだし、後はそれと今回のが同じか確認してから威力一定で流す魔力の量だけ変えればいい」

「色々無茶言ってるね」

「強化魔法って、そんな融通利かないよ……」

 そういえば魔法とやらはきっちりかっちりでまず術式ありきで発動するんだったか……すずかちゃんや俺の魔力運用は大概こんな感じだからなぁ……もちろん式は大事なんだけどさ。

「使える使えないは別にして、俺も魔法の勉強くらいはしといたほうがよさそうだなぁ……」

「使えないってことは無いんじゃないかしら。実際に一度、形はいびつだったけれどミッド式によく似たバインドタイプを使ったじゃない」

 敵を知り、己を知れば……というわけじゃないが、暇つぶしぐらいにはなりそうだなと思いながらそんな独り言を飛ばすと、リンディさんが反応を返した。
 そういえば、初めて会った時にラオウがかけてきた拘束式の魔法を解析してテキトーに再現したことがあったのを思い出す。

「機会があれば一度聞いてみたかったんだけど……あれはクロノのバインドを真似たのよね?」

「? そうですよ」

 何でも無いことのようにそう返すと、後ろのフェイトちゃんやアルフがびっくりしたような顔になる。

「どうやって、と聞いてもいいかしら?」

 その言葉には、明らかな警戒の色が乗っていた。
 自分が迂闊な事を言ってしまったらしいことを少し悔やみつつも、しばしの逡巡の後にま、いっかと思い直した。

「フェイトちゃん、ここに拘束……じゃなかった、バインドかけてみてくれる?」

 お馴染みのコートの袖を捲くりながら右腕を指差し、フェイトちゃんに向かって言う。
 無論いきなりそんなことを言われれば困惑するのが当然で、あたふたと周りを見渡した後リンディさんと眼が合ってようやく落ち着いたようだ。
 念話かなんかでも使ったかな。

「いきます」

 自慢の斧……バルディッシュに頼ることなく自力の構成で突き出した指先から金色の閃光が一瞬迸る。
 一拍の間を置いて、俺の腕を空間に固定するように魔方陣が現れた。

「ぃっ!!??」

 ついでに電流も奔った。

「だ、大丈夫……?」

「へ、平気へいき。ちょっとびっくりしただけだから……。さて、このテの拘束を解こうと思ったらぶっちゃけた話、俺の手札では3パターンしかない」

 言いながら腕にちょっと力を篭めると、すぐに腕を固定している部分から魔方陣がひび割れ始める。
 そのまま振り切るように腕を動かすと、ガラスの割れるような音を立てながらバインドは砕け散って魔力素に還っていった。

「一つは力任せにぶっ壊すこと。強度にもよるけどこれが一番ラクだよね」

「……」

「……」

「……? ……? ……!?」

「ラクって、アンタね……」

 一同ドン引きだった。
 同じくこういうことが出来そうなアルフだけが、顔を引き攣らせながらそう言う。
 ちなみにバインドをかけた側のフェイトちゃんは、キラキラと輝く魔力の残滓を眺めながら何が起こったのかも解らないように首を傾げていた。
 これはそんなに無茶苦茶でもないと思うんだが……そのうちなのはちゃんとか笑顔で出来るようになるよ、多分。彼女はそういう素質がある……気がする。

「んで、二個目。こっちがリンディさんに対する答えにもなります。もっかいお願い」

 今度は袖を戻して、黒コートの上からお願いする。
 二回目ということで特に逡巡も無く、それどころか意を決するようにしてフェイトちゃんはさっきより気合の篭ったようなバインドをかけてきた。

「じゃあ……っと、あれ? 違うのか……ええっと……」

 (俺の中では)正攻法で走査をかける。
 すぐにわかったのは術式からして、ラオウがかけたのとは少し異なるタイプのバインドらしいということだった。
 似たような構造だと勝手に考え、一瞬で解けると思っていた俺は、見事に焦る。
 ここがこうなって……お、お、よし。

 パチン、とさっきのガラスが割れるような音とは違う、乾いた音と共に綺麗にバインドが弾けとんだ。

「術式の解析と解除……演算補助も無しでこんなに早く……」

「いや、多分リンディさんが考えてるほど複雑な解析はしてませんよ」

「どういうことかしら?」

「多分、魔力の捉え方が根本的に違うんじゃないですかね。俺は術式そのものをどうにかしてるんじゃなくて……えーっと、イメージで言えば鍵穴に蝋を流し込む感じ、かなぁ」

 その言葉に、手を口元に当てて考えるような仕草を見せるリンディさん。

「つまり、あの時は複製した鍵に対してさらに鍵穴を複製した、ということね」

「イメージだけで言えば、ですけど。中身をそのまま取り出したようなものだから『拘束する』っていう機能以外は似ても似つかなったでしょう?」

 言いながら、今解析したフェイトちゃんのバインドを自分の腕にかける。
 足元の黒い魔方陣、黒いリング状のバインドのそれは、ラオウのものを真似た時とほぼ同じものだった。
 電気も流れない……ってことは、あれは術式じゃなくてフェイトちゃんの魔力そのものの効果ってことか。

 ……リンカーコア、ね。

「フェイト……どういうことかわかるかい?」

「なんとなく、だけど。でも、『どうやって』からがもう想像もつかないや…………結構、真剣に組んだんだけどな、バインド……」

「……というわけだから、安心してくださいよリンディさん。さすがに見ただけ食らっただけの魔法をそのままコピーする、なんて真似は出来ませんから」

「……そのようね」

 フェイトちゃんが小声で発する落胆に一切聞こえない振りをして、リンディさんの懸念が取り越し苦労であることを俺から伝える。
 アホ毛ちゃんでさえ少しは変化の兆しが見えたのに対し、相変わらず相変わらずなリンディさんにちょっと残念な気持ちになりながらも、まぁ仕方ないかと思い直し、自分のバインドを撤去した。

「とまぁバインド解除講座はこの辺でお開きに……」

「え? 3つあるって言ったよね、ヤクモ」

 心底不思議そうに首を傾げるフェイトちゃん。
 さっきまでの悔しそうな顔が一変、なんとか情報を引き出したいと手を変え品を変えいろいろ試してくるラオウやリンディさんとは一線を画す、純粋な知的好奇心がそこにはあった。

「そうねぇ、せっかくここまで見せてもらったんだから、どうせなら最後まで見たいわよ……ね? フェイトさん」

 いつの間に回り込んだのか、もうあからさま過ぎる程の嫌な笑顔のリンディさんがフェイトちゃんの両肩をぽん、と叩きながらそんなことを言う。
 ついで、アホ毛ちゃんがフェイトちゃんに何事か耳打ちすると、




「私、友達にこんなふうに頼みごととかするのってはじめてで……上手なやり方とかわからないんだけど……おねがい、ヤクモ」




 もじもじしながら、恥ずかしそうにフェイトちゃん。

 なんだろうね、この光輝きっぷりは。その背後の淀んだ連中も少しは見習ってほしい。
 いや、二人してガッツポーズじゃねーよ……。

「いやー、でもコレはなぁ……」

「アンタ!! フェイトがここまでしたってのに一体どういう――」

 おおっと、(被)保護者が殴りこんできた。

「わかった、わかったから。じゃあフェイトちゃん、三回目だけどお願い」

 それを制すように押し留めて、そう言うとすぐにフェイトちゃんが魔力を集中させる。
 程なくして、金色の魔方陣が俺の腕を空中に縫いとめた。

「さっきは力任せが一番ラクって言ったけど、ホントにまずい時はコレ頼りなんだよね。あ、もうちょっと離れたほうがいいかも」

 後ろで一人増えて3人でガッツポーズしてる連中を無視しつつ、フェイトちゃんに言う。
 よほど興味があるのか食い入るように見つめているのだけど、多分正面から期待を裏切ることになるなぁ、などと思いながら、



「んじゃあ――――いきます」



 魔力素を通さない、俺自身の魔力運用。
 世界から一瞬熱が奪い去られ、氷の刃の上に立っているような死と隣り合わせの感覚が、この場にいる俺以外の人間全てに襲い掛かる。
 最近は魔力素で誤魔化すのが上手くなったとはいえ、直接使えばどうしても漏れ出してしまう死の気配。



 ――――「ラルヴァ」。



 見れば、その異質な魔力をほんの少し注がれただけで、光り輝いていた金色のバインドは見る影も無いようなドス黒い色に染まっており、グズグズと溶けるようにしてその形を失っていく。
 割れたり弾けたりしていた魔力ではあるが、さすがにこの有様は異様にもほどがあるなぁ、なんて自分でも思いながら、

「こんなふうにもう術式なんかグチャグチャにしちゃうっていうテが……何してるんですか?」

 フェイトちゃんがアルフの背に、アルフがアホ毛ちゃんの背に、アホ毛ちゃんがリンディさんの背に隠れて、遠巻きにこっちを見ていた。
 つまりは物理的にも、ドン引きだった。

 ……だから嫌だったんだ。

「どうだった? フェイトちゃん」

 もう努めて平静にそんなことを聞くと、慌てた様にふいっと出してた半身をアルフの背中に隠してしまった一番後ろのフェイトちゃん。
 タイミングがいいのか悪いのか、べちゃあっという音を立てて黒い魔力塊に成り果てたバインドが地面に落ちた。

「と、とっても参考になりましたぁっ!!」

 ちょっと泣きが入っていることに眼を瞑れば、この艦に乗り合わせてからはじめて聞くような元気のいい声だった。
 だから友達は選んだほうがいいって言ったんだよ。
 言ってないけど。

「と、とにかく……貴方にバインドの類はあまり効果が無いということははっきりしたわね」

 これは果たして混乱から帰還しているのだろうか、あんまり言わなくてもいいことをリンディさんが言った。
 まぁそもそもが俺のデータ収集、さっきのラオウ戦もその一環だったわけではあるが、隠す気も無いのはどうなんだろう。

「あいつはそこんところ、ちゃんと理解してましたけどね」

 いまだ腰掛で伸びているラオウを親指で指しながらリンディさんに言う。

「前に戦ったときもそうですけど、あいつは締めにバインドで相手を拘束するのを前提に戦闘を組み上げてますよね?」

「……そうね、クロノの戦い方は基本的に犯人確保のために培われたものよ」

「あぁ、そういう側面もあるのか……。てっきりバインドじゃなきゃ勝てないって刷り込みでもあるのかと思ってました」

「それは、どうして?」

「あ、いや……なんとなくですけど。相当努力してんなぁ、と」

 あれだけ動きを見れば、それが天性の才能によるものか不断の努力によるものかわかる位には経験を積んだつもりなのだが、あいつはなんと言うか、中途半端に力を与えられたタイプの人間だった。


 才能が無いわけじゃない。
 けれど届かない世界がある。

 そんな、もどかしい現実。


 それでもあいつは、諦めたりせずに精進し続けて今あれだけの実力を身につけている。
 俺は、そういうのは嫌いじゃない。

「貴方から見て、クロノはどう?」

「どのレンジでもそつなく戦えますし、相手の苦手なレンジをすぐに見極める洞察力もあります。手札の数も札の切り方も悪くないですから、普通の相手と戦う分には自身より少し上の実力がある相手まで一切問題なくこなせると思います。
 総じて全体的に高いレベルで纏まっていますね……ですが、これ以上となると何か大幅なブレイクスルーでもない限り相当厳しい。
 なんと言うか、あの年で急ぎすぎって感じ……ですかね」

 一息でそう言うと、リンディさんよりむしろアホ毛ちゃんの反応が大きかった。
 そんなにびっくりするようなことは言ってないと思うんだけど。

「今すぐ何かって言われたら空戦格闘ですかね。独学なのか誰かが教えたのか知らないけど、基本からしてまるで獣っぽい。俺も人のこと言えませんが、あいつには合いませんよ、アレ」

「だったら、貴方がクロノに教えてあげてくれないかしら?」

「別に構わないですけど……今日みたいな露骨なデータ採りは無しですよ? 逃げ足と手加減と猿真似は得意ですが、手元が狂うことだってあるんですから。
 ってもあれ? 確か明日には……」

「ええ、明日には本艦は次元管理局本局に到着するわ」

「俺はあのジ……グレアムさんに引き渡されるんですよね? だったらあいつを見る時間なんて……」

「着いてすぐは事件のこととか、フェイトさんのこととかで立て込んでるけど、それが落ち着けばクルーにはしばらく休暇が出るはずよ」

「でも俺は――」

「提督の許可はもともと頂いているわ。同席の条件つきだからそうそう何度も時間はとれないでしょうけど、お願いね」

 爺ィ……。
 そうまでして情報を集めたいかこいつらは……。

 ま、別にいっか。
 まだ具体的に何をどうするかは決まってないけど……あの爺のことだ……多分、ある種のカモフラージュになるんだろう。

 それに俺自身、クロノのことを勿体無いとは思っていた。
 まだまだ候補にもなり得ないけれど、強くなってもらうに越したことはない。



 なんだかようやく俺の仕事らしくなってきたじゃないか。
 そいじゃあまず手始めに、厄介そうな爺との歓談と参りますか。



[10538] 第三十四話 6月5日 『外側』にいた少女たち
Name: 未定◆81681bda ID:291e5005
Date: 2012/08/11 13:46
 1.6月5日 桜台にて

「ん、OK。もういいよ」

「……はい、先生」

 眼を閉じて、地面から1メートル程の所で音もなく浮いていたすずかちゃんが、返事と共にゆっくりと降りてくる。
 地面に近づくにつれ生い茂る草が彼女を中心に波打ち、あとわずか数センチというところで、背中から伸びる紅色の魔力翼を霧散させた。

 今日のすずかちゃんは背中が割と大胆に開いた白いワンピースにデニム生地のカットソーという動きやすい(?)装いである。
 以前のように、伸ばした翼で服を突き破ってしまうということはない。


 そして何より、その首には――――いつものロザリオがない。


「ど、どうでしたか……?」

「いや、正直すげー驚いてる。ごく普通の魔力制御ならそこそここなせるようになってるじゃんか」

「先生の宿題、ちゃんとやってましたから!」

 ぱぁっ、と花が咲いたように笑うすずかちゃん。

「最後に会ってから10日位しか経ってないと思うんだけど……」

 いくら彼女がそのテの才覚に優れてるからといって、ここまで早い成長は考えてなかったわけで、言葉の通り、物凄く驚いているのだ。
 俺の言葉を受けて、地面に引いたシートの上にすずかちゃんのロザリオを持って座っている、そんなやり取りを眺めていたアリサちゃんが、

「すずか、っていうかなのはもそうなんだけど、二人とも授業中に何かしてるのよね……。なのははどういうわけかちゃんと授業を聞いてはいるんだけど、すずかは……」

「…………」

「き、聞いてるよ! あ、いやっ聞いてますよ!? でもちょっとたまに集中が過ぎるくらいで……何ていうか、その……」

 何より自分の事だからやる気があるのは大いに結構なんだけれど、(少なくとも学業面で)俺が忍さんに謝らなきゃいけないような事態になるのは避けたいなぁ。
 まぁ元の出来が他とは違うだろうから、心配するような事じゃないのかもしれないけど。

 にしても、なのはちゃんも似たようなことやってんのか。
 よっぽど『魔法』にのめり込んでる……ってわけでもなく、以前なのはちゃんが家族に対して言ったように、『魔法』で『何をしたいか』まで見えてるんだろう。

 実にそれらしい――、いい傾向だ。

 ま、それはともかく。

「なんにせよ、すずかちゃんは授業中に中の魔力触るの禁止ね」

「ぅぅ、そんなぁ……はい……」

 手を口元にあて、涙目でしゅーん、しゅーんと小さくうな垂れていくすずかちゃん。
 そんな、世界の終わりみたいな顔をせんでも……。
 うーん……。

「……、……あんまりにもつまらなくて、どうしても眠っちゃいそうなら、許す」

「……ぁ! はっ、はい!!」

「…………甘すぎ」

 ケッと吐き捨てるような顔のアリサちゃんに聞こえない振りをかましつつ、

「ま、まぁ基本的にはちゃんと授業を受けなきゃだめだよ。なのはちゃんみたいに便利なマルチタスクがある訳じゃないんだから」

 どの口がそんなことを言うのだろうかと自分で思いつつ、この口でそんなことを言ってみる。

「マルチタスクって何?」

 が、思いの外効果はあったようで、胡散臭げに俺を見ていたアリサちゃんの表情がすっ、と切り替わった。
 急に真剣な眼をしだしたアリサちゃんを不思議に思いつつも、

「簡単に説明すれば、分割思考ってやつかな。そもそも魔法ってのはどれもこれもが術式……プログラムが先に在って、それを魔力を使って発動させるものらしいんだけど、例えると飛ぶのも撃つのもそれぞれまったく別の式なんだよ」

 最近見知ったばかりの知識をひけらかしてみる。
 若干前のめりになるほど話に聞き入るアリサちゃんとは対照的に、すずかちゃんは真顔で首を傾げていた。
 まぁ、彼女の魔力制御はもっと感覚的なものであって、魔力を使って飛ぶのも撃つのも身体を動かす延長……もっと言えば魔力で身体を動かしているイメージを持って訓練しているので、そんな風に魔力を運用する方法が不思議に思えるのかもしれない。
 いや、後々術式とかは覚えてもらうけどね。『この世界』の魔法でなくても。

「つまり、魔法を使って戦おうなんて思ったら、絶対出来なきゃダメってことね」

「そ。飛行制御、回避行動、防御術式、攻撃魔法、それらを別々に同時展開しつつ、また状況を見ながらさらに次の一手を仕込みつつー、みたいなのが高いレベルで要求される……らしいんだけど、なのはちゃんは結構さらっとこなしちゃってるっていうね」

 個人レベルでは脱帽モノの保有魔力量に加えて、超短期間での制御技術習得。
 ラオウやリンディさんをして常軌を逸した天才と言わしめる弱冠九歳の女の子……ついでに俺に言わせれば、んなもんじゃあ留まらないってのがまた恐ろしい。

「…………」

 それを聞いて、手を口元に当てて考え込むような仕草を見せたアリサちゃん。
 親友二人共がそれぞれ妙な方向へとんでもないことになってる中、この子もこの子で色々思うところあるんだろうなぁ、なんて真実他人事のように考えていると、




「先生! 先生って、何か必殺技とかってありますかっ?」




 何が楽しいのかさっぱりわからないが、弾むような声に視線をやると右手を高らかに掲げて唐突に頭の痛いことを言い出した(暫定)弟子っ娘ちゃんが。
 目線だけでアリサちゃんの方を伺うと、今のが聞こえていないはずがないだろうに気にもせず考え事に没頭している…………慣れたのか、それとも諦めたのか。
 そんな中俺まで無視を決め込むわけにもいかず、

「必殺技……ねぇ。つっても、どんなのが必殺技っていうのか……」

「もちろん、技の名前を大声で叫びながら――」

「期待に添えなくて申し訳ないけど、そういうのは無いかなぁ」

「そうなんですか……」

 だから、そんな世界の終わりみたいな顔を……。

「必殺かどうかは知らないけど、あの離れた場所と場所を繋げるあれは十分そういうものなんじゃないの? ……ま、すずかが同じように出来るかどうかはあたしにはわからないけど」

 助け舟……なのかどうか、それこそ俺にもわからないが、やっぱり聞くことは聞いていたらしいアリサちゃんがそんなことを言う。
 後半はぼそぼそと呟くような声でよく聞き取ることが出来なかったけれど。
 何故かわたわたしているすずかちゃんを眺めつつ、

「うーん……確かにアレはそうかもしんないけど、多分すずかちゃんが言ってるようなものじゃあないと思うんだよね。二人共見たことあると思うけど、俺がテキトーに使ってる魔力弾も針山もそういうイメージに合わないだろうし」

 あの金髪のリビングデッドを刺し貫いた光景を思い出したせいか、二人の表情が少し硬くなる。この子らの前であの話題はタブーだったかもしれない。

「うーん、なのはちゃんなんか判りやすくていいのになぁ……」

 彼女の場合、戦闘の構築そのものが砲撃を直撃させるためのものだ。
 すずかちゃんの言葉を借りれば、必殺技を当てるための戦い方。
 あの奥の手だって、その一環と言える。

 一撃必倒。

 ……ん?

「あ。あー、あるにはあるわ。必殺技」

 なんでこんなくだらない事真剣に考えてるんだろうかと疑問に思い始めたころ、なのはちゃんの戦闘イメージから文字通り思い出したようにして呟くと、

「どっ、どどど、どんな技ですかっ!!?」

 と、物凄い迫力で勢い込んでくるすずかちゃん。
 アリサちゃんも少しは興味があるようで、こちらをじっと見ている。

 口で説明するよりも、実際に見せたほうが早いかな。




「アリアー! 悪いんだけど、適当なシールド一枚張ってくれるかーっ?」




 不意に、こちらから開けた場所を挟んで向こう側へと声をかける。
 視線の先には一匹の猫がちょこんと座っており、(いくら猫を愛して病み気味の俺でも読むことは敵わないがおそらく)たいそう嫌そうな表情を浮かべていた。

 あ、あいつ舌打ちしやがったぞ、今。




 色々あって、今日の、と言うより、これから先のすずかちゃんの魔力制御特訓における結界及びもろもろの偽装工作は、全部あのじーさんの使い魔であるところの二匹の猫の内の魔法担当、リーゼアリアがやってくれることになった。
 マスクブラザーズとして戦った時はあんまり時間がなかったせいでそれほど実力がわからなかったけれど、使い魔の能力としては規格外であるらしく、ユーノやなのはちゃんの杖をだまくらかす位は片手間でやってのける上に、普通の魔法戦ならラオウに勝てないこともないとかなんとか。
 使い魔の実力は主の魔導師の力量と設定に依る所と調べたが、その話が本当なら、あのじーさんの力は俺が思っている以上にとんでもないのかもしれない。

 ま、『共犯者』の腕が立つ分には全く問題無い訳で。
 せいぜい、喰われないように気をつけないと、と気合を入れなおすくらいの話なのだが。

 ちなみに、ここにいる二人には自分の使い魔だと言って紹介してみた。
 片割れの筋肉担当を既に解放したとはいえ、主の命令で俺に手は出さないように厳命されているため、相当不機嫌になりつつも一応指示には従ってくれている。
 猫の使い魔だということでだろうか、すずかちゃんは露骨にアリアに興味を示したけれど、アリアは極力俺たちに関わりたくないようで、すぐに距離をとって不機嫌オーラを撒き散らしていた。

「ふんっ、愛想のないヤツね。これだから――」

 とは、アリサちゃんの談。

 そんなことを考えていると、ちょうど俺とアリアの間ぐらいの所に直径1メートル程の青い円状魔方陣が浮かび上がった。
 もうちょっとこっち側に張ってくれてもいいだろうに、と思いつつそちらに視線をやれば、完全にそっぽを向いてこちらに眼を合わせようともしない。
 まぁ別にいいかと思い直し、ほとんど実の無い魔力弾をキャッチボールの要領でシールドに向かって投げつけてみる。
 案の定、衝突した魔力弾はあっさりと霧散し、後に残ったシールドには傷一つついてなかった。
 ん、強度はそこそこあるね。

「……随分情けない必殺技ね」

「……そんなわけないだろうが」

「そっ、そうだよ! 今のはきっと粉々になった魔力が相手の体内に入り込んで内部からズタズタに――」

「そんなわけないだろうが……」

 明らかに冗談だとわかるトーンだったアリサちゃんはともかく、熱の入り方が尋常じゃないすずかちゃんの方はもしかしたら本当に手遅れなのかもしれない。
 封印霊装を外しっ放しだと魔力だけじゃなくあの夜みたいな猟奇性も若干漏れ出してるんじゃなかろうかと心配になってしまう。

「まぁでも、情けないって意味では正しいのかもね」

 言いながら、半身になって伸ばした右腕の人差し指に、魔力を集中する。
 黒い、蜘蛛の巣のような網目が指先から手の甲までを走った次の瞬間、風を切り裂くような高い音が広場を駆け抜けた。

 伸ばした指の先、アリアが張った青いシールドの中心には、そこだけ最初から何も無かったかのように、直径1センチ程の小さな穴が空いていた。

 ま、こんなもんか、と少々得意げに振り返ると、

「えっ? 終わり!?」

 今度は本当にビックリした顔でアリサちゃんが叫ぶ。

「いや、完璧だったろ」

「どこがよ!? 地味すぎにも程があるっていうか、そもそも必殺技でもなんでもないじゃない!!」

「ん? やっぱわかんなかったかー。あれは――」

 と、オチの解説にも似た気まずさを覚えつつどういうことか説明しようとした矢先、俺たちの横に立つすずかちゃんから不穏な魔力が湧き上がった。
 見れば、さっきの俺と同じように伸ばした指先に魔力を集中させてアリアのシールドを狙っているようだ。
 細めた眼は紅く、込めた魔力は明らかに積載過多。
 それでもどうにか力に遠隔攻撃手段としての体を整えさせたすずかちゃんは、まるで迷い無く、その引き金を引いた。

「きゃ――」

「ばっ――」

 弾丸、というよりレーザーにも似たその紅い魔力弾は、射出時に少し狙いが逸れたせいでシールド中心から少し下側にずれたところに命中し、数瞬の間拮抗した後ガラスの割れるような音ともに粉々に砕いてなお直進。
 そのままちょうどアリアがいたところ辺りに吸い込まれるようにして着弾し、もし結界を張ってなかったら消防警察沙汰はまず間違いないほどの爆発が巻き起こった。

 俺はというと、さすがに突発的過ぎて対応が遅れ、爆風からアリサちゃんをかばうので精一杯だった。

「え……えと……、こんな感じですか? 先生」

 さすがにテンション上がりきってても自分がやらかしてしまったことくらいはわかるのか、すずかちゃんが若干冷や汗混じりにそんなことを聞いてくる。
 小脇に抱え込んだアリサちゃんは小声で「やると思ったわ……」などと呟いていた。

「何から指摘したらいいか悩んでるんだけど……そうだな、せめて師事してる人の話くらいは最後まで聞いて欲しかったなぁ」

「…………ごめんなさい」

「ん、良し。んじゃあ説明に入りたいんだけど――」

「良しじゃないわよバカっ!! 甘過ぎも大概にしなさい! っていうか、あんたの使い魔ってのは平気なわけ!?」

 正直なところさほどどうとも思ってなかったすずかちゃんの奇行に、謝ったんだからいいかぐらいの気持ちで返すとアリサちゃんが爆発した。
 多分、本当の意味で優しいっていうのは彼女みたいな子のことを言うんだろうなぁなんて思いつつ、

「ああ、そっちは大丈夫。今も現在進行で文句言われてるから」

 頭にガツンガツン響く念話から伝わってくる内容(八割は俺への罵詈雑言)を鑑みるに、そんなに時間的余裕があったわけでもないのにアリアはぴんぴんしているらしい。
 結構な威力の魔力砲撃を直撃ではないにしろ干渉を受けてあれだけ元気っていうのは、やっぱり相当な実力があるんだろう。

 無事だ、(俺はぶっちゃけ一瞬忘れてたけど)心配してくれてありがとう、ということをアリサちゃんに伝えると、「別に心配だったワケじゃ――」とか「ぶ、無事なら別に――」とか言いながら静かになっていった。

 余計なお世話だが、俺の経験上彼女はきっと、いろいろ苦労すると思う。

「さて、説明に入りたいんだけど、その前にすずかちゃんにそれ、返してあげてくれるかな?」

「へ!? あ、うん。わかった――ってすずか!?」

 俺の言葉に顔を上げ、持っているロザリオを一瞥してからすずかちゃんの方を見たアリサちゃんの様子が一変する。
 その先にいたのは、眼を閉じ額に汗を滲ませ息も絶え絶えで、今にも倒れそうなすずかちゃんだったからだ。

 俺にとっては、案の定、といった感じだが。

「すずか! ねぇ、大丈夫!? すずかっ!! ちょっとあんた――」

「いいから、そいつをすずかちゃんの首にかけてあげて。それで大丈夫だから…………多分」

 それ以上慌てふためく事無く、聞いたままを即座に実行するアリサちゃん。
 どうでもいいことかもしれないけれど、何気に凄いことだなぁと感心している内、すずかちゃんから魔力が切り離され、彼女の呼吸が安定していく。

「もう大丈夫? すずかちゃん。あ、アリサちゃん、寝かせてあげてくれる?」

「いえ……そんな。大丈夫、ですから……」

「何言ってんの、いいからこっち来なさい」

 フラフラなまま立っていようとする遠慮がちなすずかちゃんをアリサちゃんが無理矢理に引っ張っていってシートの上に寝かせ、自分もシートに座るとそのまま膝を枕にさせた。
 なんか、無駄な動きが一切無くて俺もすずかちゃんも自然に事を進めていたが、はっとしたすずかちゃんが

「あ、アリサちゃん? い……いいっ、じゃなかった、こんなの、アリサちゃんの足に悪いよ!」

「……? 別に気にしなくていいわよ、そんなの。このままでも構わないんでしょ?」

「勿論。んじゃあ取りあえずさっきの続きだけど――」

「ほ、本当に始めちゃうんですね……先生にも失礼なのに……」

「それこそ気にしなくてもいいわよ。多分、なんとも思ってないから」

「それもなんだか、さみしい……」

「――って事なんだけど、聞いてる?」

「ごめん、もう一回お願い」

 うわぁ……聞いてるとは思ってなかったけど、臆面も無く真正面から言われるとなんだかこっちの落ち度で説明しなおさせるような……。

「えっと……魔力の戦闘用制御、と言うより外に働きかける魔力運用は内向きの魔力制御とはまた別の段階にあるから、いくら自制の為の魔力制御を身につけたからっておいそれと手を出しちゃいけないよって事。
 魔力を押し留める訓練ばっかしてたのに、その箍を外すような真似したら決壊しちゃうでしょ。
 実は、結構危なかったんだよ?」

「すいませんでした……」

「にしても、さっきの砲撃の制御そのものは大したもんだったけどね。初めてやったにしては、上手く形が出来てた」

 特に考えもせず思ったままを口に出すと、アリサちゃんからキツイ眼光が放たれる。

『あんたはまたそんな風にこの子を甘やかして! 危ないって言ってるんだったらそれをさせない方向に持ってきなさいよ!』

 なんて、念話を使ってるわけでもないのにひしひしとそんな意思が伝わってきていた。
 一方、言われたすずかちゃんの方は、むしろ少し表情を曇らせて、

「似たような使い方、なのはちゃん達と戦ったときにしたんです……。あの時みたいに上手く出来ませんでしたけど……でも、似てたって……あんな風には、もう……」

 最後の方はうわ言のようで聞き取れなかったけれど、それならなるほどあの精度も頷けない事は無い。
 どちらにしても今の状態であれを成したすずかちゃんの才能は、彼女の魔力を鑑みればいっそ当たり前でもあるが、戦いの方も相当なものだろう。

 まだ時間はかかるかもしれないが、この子はきっと、途方も無く強くなる。
 そうなった時、彼女が誰の障害になるのかはまだわからないけれど、間違いなくこの子の存在は――。


 そこまで考えて、止める。
 今はまだ、余りにも始まったばかりだ。
 まだようやく全体を俯瞰できそうな位置を手に入れられそうだという段階、何かを決め付けてかかるのは時期尚早もいい所。


 すずかちゃんにしても、なのはちゃんにしても――はやてにしても。


 時間は有限だけど、永遠じゃないけれど。
 無いわけじゃ、ない。

 のんびりしたって罰が当たるのは俺じゃない、というのは、喜ぶべきなのかどうか。

「じゃ、ちょっと休憩にしよっか。すずかちゃんが回復し次第、続きをやろう」

 頭の中ではいくらか冷静さを取り戻したらしいアリアが、すずかちゃんのではなく俺が撃った魔力弾がいったいどういうことなのかと喚き立てている声が鳴り響いているが、一切取り合うつもりも無く『倉庫』から二冊のでかくて分厚い本を取り出して一冊をアリサちゃんが敷いたシートの上に置いてその横の芝生の上に座る。

 すずかちゃんが落ち着くまで大体一時間弱ってとこだろうか。
 昼寝にしては短いけれど、幸い時間を潰すあてならたくさん出来たのでどうということはないのだが。

「なにそれ?」

 ピンク色の厚手のハンカチで膝枕しているすずかちゃんをぱたぱたと扇ぎながらアリサちゃんが言う。
 確かにどちらも軽く凶器になりそうなサイズの本だ、興味を惹いてもおかしくないかもしれない。

「『魔法教本~基礎の基礎~』とその専門用語辞書。ちなみに、そっちのより厚いほうが辞書ね」

 以前言ったように別に『この世界』の魔法とやらを習得しよう、なんて積極的な気はさらさらないが、この先絶対に交渉手段としての戦闘をしないなんてことは多分ないだろうし、暇潰しを兼ねて技術的な部分を押さえておくに越したことはないだろうと、アリアに探してもらったものだ。
 幸い使っている言語は同じだから、表記してある文字もよくあるパターンの範囲内なので読むだけなら特に問題も無かったのだが、基礎の基礎とか銘打ってるくせにそれがどういう意味と効果を持つかまったくわからない数式やお堅い専門用語が乱舞する素敵仕様だったので、(こんな当たり前の一般常識もわからないの? という舐め腐った猫姉妹の嘲笑を受けつつ)ついでにじーさんに年季の入った辞書を貸してもらったのだ。

 しっかしなんていうか、本当に数式とプログラムなんだよなぁ。
 管理世界では魔力が純粋なエネルギーとして人間の生活する基盤になってるのが当たり前みたいだし、あんまり応用が利かなそうにみえて戦闘分野における研究は他のカテゴリの追随を許さないぐらい発展してるし。
 ん……おっと、またワケのわからない式が出てきたぞー……何で当たり前のように新しい式が平然と出てくるんだ……この本選んだのは間違いなく嫌がらせだろあのネコ耳……それに引き換えあの辞書の素人に優しいこと優しいこと……まるで魔法をマジでその存在から初めて触れるような人間のためにあるような……

 言いつつ手探りで辞書を置いたあたりを確かめるが、一向に見つからない。
 本から視線を外してシートの上を見やると、そこに置いたはずの辞書が見事に消えてなくなっていた。
 さすがに借りたものを失くすのは不味いと一瞬焦ったものの、さらに視線を傾ければ一心不乱に辞書に眼を落とすアリサちゃんの姿が。

「えーっと……ちょっと、そのー」

 ちょっと返して、と言うだけのことが躊躇われる様な鬼気迫る迫力で本と向かい合うその姿、よく見ればすずかちゃんの頭さえ退けられている。
 さっきの厚手のハンカチを畳んで枕にしてあげているのが最低限の優しさか。

「無理だと思いますよ、先生。こうなったアリサちゃんは自分で気付くまで帰ってきませんから」

「ちょっと心配になるレベルの集中力だな、それは……」

 少し落ち着いたのか、声をかけあぐねている俺を見かねたすずかちゃんがそう言う。
 っていうかアリサちゃんのページを捲るペースがとても違う世界の辞書を読んでるとは思えないぐらい速いんだけど……本当に読んでるのか、コレ。

「やっぱり凄いなぁ、アリサちゃんは」

 なんて、君の方がよっぽどすげぇんだけどな、と感慨深げに言うすずかちゃんを見て思った俺だったが、ほんの数年後には考えを改めさせられることになる。
 何時の時代の、何処の世界にも天才というものは存在して、才能と一口に言っても、その種類は多岐に渡るということを、あまりに秀でた才能に触れ続けた故に失念していた。



 まぁ、本当のところ俺はいつだって失念しっぱなしなので、いつも通りと言えばそれまでなのだが。



 今はっきりとわかる事と言えば、俺は今日この新しい式の意味を理解することはできないっぽい、ということぐらいだった。



[10538] 第三十五話 6月3日 すくわれる者
Name: 未定◆81681bda ID:291e5005
Date: 2012/08/11 14:02
 1.6月3日

 聞いた時は何かの冗談かと思ったが(あるいは管理世界の司法レベルがよほど優秀なのか)、事件の規模に対してあまりに早かったフェイトちゃんの初公判が行われた日……つまりは俺がアリアを伴って海鳴ですずかちゃんとアリサちゃんに会っていた日の二日ほど前の事だ。

 時空管理局の本局とリンディさんが呼んでいたそれは、次元空間内に存在する心底馬鹿でかい艦……というよりはコロニーと呼んだほうがしっくりくるような、とにかくそういう類の建造物だった。
 到着して数時間後にリンディさん達と一緒にアースラを降り、通された応接室で待ち構えていたグレアムさんの使い魔にそのまま引き渡されるようにして彼女らとは別れた。
 別れ際に聞いた話、フェイトちゃん達も基本的にはハラウオン一家と行動を共にするということだから、次に会うときはラオウ達とも一緒ということだろう。
 そんなに期待していたわけでもなかったので、その辺りの工程が非常にあっさりしたものでも特に思うことも無かったのだが、フェイトちゃんに普通に「またね」と言われてしまったので、『別れ際にさよならなんて~』とか『こういう時はばいばいじゃなくて~』とか色々考えていたのが無駄になってしまったのだけが酷く残念だった。






 そして。






「なにはともあれ、初めましてってヤツですかね」

「何かを通さずに、という意味ではそういうことになるね」

「まずは……あぁ、はやての奴が一度ちゃんと会ってお礼がしたいって言ってましたよ」

「……そうか」

「幻想妄想夢想が疾走状態で、あいつの中じゃあなた、三十代黒髪ロン毛のダンディズム溢れる男になってますが。声を色で言うと赤的な。正直、会う気があるなら早めに幻想をぶち壊しといた方がいいと思うんですが」

「…………そう、か」

 なんて、邂逅早々はやてには悪いけどきっと会いにくくなるような先制ジャブを一発入れてみたり。
 反応は薄すぎて判断材料にするには弱いけれど、多分会う気なんて無いんだろうとあたりをつける。
 ちなみに、それはギル違いだろと何度か言っておいたんだがあんまり効果が無かったんだよなぁ。

「さて、せっかく念願かなってこう相対することが出来たんです。そうですね、まずはお互い自己紹介といきませんか?」

「それは、私としても是非ともお願いしたいものだ」

 足の短いガラスのような素材で出来たテーブルを挟んで並んだソファ。
 お互いそれぞれの中央に陣取って、相手を見やる。
 爺さんの後ろでは彼の使い魔の片割れが静かに控え、しかしもはや隠す気も無いらしい敵意と、俺が何か不穏な動きを見せようものなら刺し違えてでも俺の喉笛を噛み千切ろうとせんばかりの覚悟がヒシヒシと伝わってきていた。

 決して狭くない書斎にも似た一室。
 まともな人間なら、吸う息さえも重たく感じられるような張り詰めた空気。
 けれど、目の前の爺さんには切り崩しをかけられるような隙は一切見当たらない。
 現状、人質を握られてはいても俺を完全に外部と遮断したホームに誘い込んだがゆえの余裕か、あるいは――。
 引退してしばらく経つとはリンディさん達に聞いていたが、なるほどまだまだ現役じゃないか、グレアムさん。




 ――こういうのはダメだ。

 ――楽しいと、思ってしまう。


「……知っての通りだろうが、私はギル・グレアム。管理外世界『地球』出身の魔導師で、今は管理局で顧問官なんて役職を宛がわれた……ただのしがないロートルだよ」

「ただのロートルなら、こんなことにはなってないと思いますけどね」

「褒め言葉として受け取っておこうか」

 言って、自分の番は終わりだという風に腰をかけ直し、鋭い目で俺を突き刺す様に睨む。
 お前は何処の誰で何がしたいのか、それを答えろと言っているのだ。

「もう報告はあがってるかと思いますが、八雲と名乗ることにしました。今後はそれで通すつもりなんで、あなた方もそう呼んで頂いて結構です」

「偽名であることを隠すつもりも無いようだね」

「いいえ、紛う事なき本名ですよ。偽名ならこれから先たくさん使うでしょうけど」

 得手不得手は別にして自己紹介から嘘に塗れる感覚というのは中々慣れるものではないのかもしれない。
 実際に『この世界』の話に限れば嘘は一つも言っていないのだが、こういう場で俺の口からついて出る言葉ってやたらと真実味が薄く感じられるんだよなぁ。
 ほら、後ろの猫耳さん、拳握り締めて震えてるよ。全身でバカにすんなっつってるよ。

「出身は……地球ですよ、一応ですけど。所属は特にありません。それでももし何か無理矢理カテゴライズするなら、旅人が妥当ですかね」

「地球……か。私が知らない間に、あの星も随分と様変わりしたものだ。闇の書にジュエルシード……極めつけに君のような存在とは、余程の魔窟だ」

「違いないです」

 俺が云々はともかく、あの星はもう何処にあったって大概が魔窟みたいな所だ。グレアムさんが意図した意味とは違うところで思わず苦笑してしまう。


 その、隙を見せたわけでもないほんの一瞬にグレアムさんの纏う雰囲気が鋭くなり、さらに一歩踏み込んでくるような威圧を伴いながら、




「それで、その自称旅人はこれから何がしたくて、私に何をさせたいんだね?」

「それは、俺が言えば何かしてくれるってことですか?」




 自らこの会談の核心に触れてきたのだ。


「私は大事な家族を人質に取られているんだ。お願いする立場で、何か間違っているかい? 何でもするから返してくれ、とね」

「…………」

 うーん……。
 まぁ、俺が無理を通してまでこんな場を設けた時点で彼らに直接的な危害を加えることはほぼないことが丸解りだろうし、この分だと俺が『この世界』で好き勝手するための後ろ盾として自分を使いたいのも読まれてるかもしれない。
 さっきテキトーに所属は無いって言っちゃったけど、本当に根幹から何処にも所属してないなんて普通は思い至らないと思うんだけどな……。
 『この世界』の何処にも存在しなかったものが突然発生した、などということが。

 今この人とこの話を続けるのはまだ早いかもしれない。

「もうかたっぽの猫ならこの話し合いが終わったらすぐにでも解放しますよ……あぁ、そっちの子にも何も細工なんてしてませんから安心してください。あれはただのハッタリです」

「もう人質は必要ないということかね?」

「ええ、あくまでこの場をセッティングするための措置ですから」

「脅し脅されの関係を望んでいる訳ではない、と」

「勿論。ですが、人質の件を除いてもこちらにはもう一つカードがあります」

 ピッと人差し指を立てる。
 もう一つとは言うが、彼にとってこの一枚が致命的なまでの切札であるのだが。

「……闇の書、か」

 重々しく、憎々しく、その名を口にするギル・グレアム。
 その寄る辺が、間違いなく個の発露であると解るほどの負の感情。




 ――――あぁ、よかった。

     これで、使える。




「ジュエルシードそっちのけで俺にあんな真似をしてきたんです。現地に来た知らない仲じゃないはずのリンディさん達にも一切接触しようとしなかったとこを見るに、少なくとも誰かしらにとって都合の悪い事が存在した、と」

「…………」

「最初は何かろくでもないことをしようとしているんじゃないかと勘繰ったけれど、聞けばあの本を封印しようとか」

 その言葉に露骨に動揺が走ったのは使い魔の猫。
 まぁ自分が吐いた情報だからその反応は仕方ないと言えるのかもしれないけれど。

「では何故それをリンディさん達に伝えないのか。闇の書の封印とやらが実は管理局の不利益になるような行為であるのかもと考えましたけれど、これは我ながら少し穿ち過ぎな気がしますね。アースラの面々が海鳴……というかあの世界にそれほど関心も無かったようですし」

 ジュエルシードと俺だけで十分に手一杯で他の何かを気にかける余裕が無かったとか、俺を警戒して何も悟られないように行動したとか、本当に色々と思い巡らせたものだけれど、実際に俺を通してあの事件の中でグレアムさんとの線が繋がった時の経緯や反応を鑑みるに、これ以上何か別のものが海鳴に存在するとは露ほども思っていないだろうと判断したのだ。
 まぁ、俺が彼女たちにまた別の俺のような存在を示唆したせいで、近くあの世界に調査が入るのか、あるいは危険と判じて完全に手を引くのか、もし前者なら今こうしてグレアムさんと闇の書の件の話をしていると余計なことを言ったものだと思う。
 今さら詮無いことだが。

「俺が出した結論を言えば、闇の書の封印とやらそのものはおそらく是の行為であるということ。あなたは、それを――」

 後ろの使い魔に視線を巡らせる。

 「――まぁ、単独かつ独断でやろうとしているということ。そしてそのために、間違いなく黒と断ずるべき行為に手を染めようとしているということです」

「…………」

 グレアムさんは目を静かに閉じ、ほんの少しだけ深呼吸したくらいで、特に変化は見られない。

 けれど、使い魔の方は違う。
 先ほどまでの『俺が何かしたら』のような生温い威圧ではなく、『何があっても』俺をこの部屋から生きて出す気は無いと言わんばかりの壮絶な殺意、殺威。
 いまだ人質になっている片割れを犠牲にしてでも、自身を生贄に差し出したとしても、成し遂げなければいけない目的に殉ずる覚悟。
 熱く燃え滾るような、冷たく研ぎ澄まされたような、背反した二つを両立したはっきりとした『解答』がそこにはあった。

 そんな圧倒的な意志に、おそらく核心を捉えたことだとか、圧倒的に不穏な空気だとかを完全に無視して、少しだけ感心してる俺がいたりする。

「ああ、勘違いしないでくださいよ。俺は決してどんな罪であろうと裁かれなければならないとか、大事の前の小事を突付いたりとか、悪を成して巨悪を討つことが悪いとか、そんなことを気にかけるような類の考え方はしてませんから」

「……では、その結論を引っ提げてここにやってきた君は、いったいどうしたいと言うんだい?」

 この会談が始まって初めて、グレアムさんが少し諦観のようなものを帯びた声を発する。
 交渉事とは如何に自分が真っ当にイカれてるかを相手に伝えるかだということを誰かが言っていたが、いよいよグレアムさんも俺の相手に疲れてきたってとこだろう。

 ――いい加減わけわかんねぇよ……。

 こんな歳の人にそんなことを思わせていると考えると、やっと少し胸が痛む、気がする。

 たぶん。

「実はそれもここに来るまで……今の今まで、考えてました。あなたと話して、それから決めようと思いまして。正直、あなたは想像以上でしたね。十分、二十分ですよ」

 突然自分を持ち上げ始めた俺を、怪訝な表情で見やるグレアムさん。
 使い魔の方も今にも飛び掛りそうだった戦意を削がれ、いったい俺が何を言っているのかを咀嚼しているようだった。






「闇の書の封印に全力で協力します。その代わり、事が完璧に上手くいったら、俺の言うことを一つ、聞いてください」






 あ然。


 としていたのは使い魔の方だけだったのだが、グレアムさんも決して驚いていないわけではなかったようで、

「君は、自分が何を言っているのか解っているのかね?」

「無論です。グレアムさんだって俺を取り込む算段くらいしていたはずですよね? リンディさんとジュエルシードの件では手を結んだ俺なんですから、やってやれないことはないと考えるのが普通でしょうし」

「しかし君は……いや、そうか……あそこまで思い至る君なら、私の計画の最後の形まで、ある程度予想がついているんだね」

「あ、いや……そこまで具体的なイメージは無いですが、おそらくグレアムさんは色々捨て身なんだろうなって事ぐらいです。先に言ってしまえば、後々のために管理局の中で失権されても困るし、死なれるなんて論外ってことですよ」

「君を組み込んで……悪を成して、巨悪を討って、悪として裁かれぬまま舞台の上に残れと言うのか」

「黒い幕をヒラヒラさせてるのは、俺ですからね。みんな綺麗に飛び込んできますよ、きっと」


 どの道、彼に拒否権はない。
 俺がこの部屋を飛び出し、拡声器でグレアムさんと闇の書とはやてのことを叫びまわる、アホみたいな話だがただそれだけのことで頓挫しかねないような計画なのだ。
 確かに、俺の言うことなどここにいる人間は信用しないだろうし、ただの頭のおかしい奴だとしか思われないだろう。
 けれど今ここには、リンディさん達がいるのだ。
 彼女たちは俺の存在そのものにも、俺とグレアムさんとの関係にもそれぞれ疑念を持っている。
 耳に入ったそれらの情報を何も調べないとは、到底思えない。

 使い魔もそれが解っているからこそ、部屋から出す気は無いような殺気を撒き散らしていたが、根本的に、どうしようもないほど、こいつでは俺を止めることなど出来はしないのだ。

 過信ではなく、諦観。
 仮定ではなく、真実。

 そして、自身の使い魔が身命を賭してさえ俺の足止めにもならないことを、目の前の老人は理解していた。
 もともと行くも地獄、帰るも地獄の最中にいた彼だ。前後共に地獄の釜の温度が上がったからといって、前に進む以外の選択肢などないのだから。

 だから、飲まざるをえないのだ。




「あなた……」




 初めて。
 始まって初めて、彼の後ろの使い魔が口を開いた。
 おそらく、どれだけ感情が高ぶっても決して何も口にするなと厳命されていたんじゃないかと予想していたが、どうやら自制だけでこれまで保っていたらしい。
 この状況がそもそも自分の責任みたいな負い目もあるんだろうけれど。

 とにかく、彼女にとって変わり始めたこの状況で、彼女の片割れの命も、彼女自身の命もここで今すぐ落とさなくて済むかもしれなくなった上に、言葉の上では少なくとも計画後のグレアムさんの安全の保障までかけられ始めたこの状況で、口を開いたのだ。


 何を言うのか、少し興味があった。






「あなた、わかってるの……? 闇の書を封印するっていうことは、あの子を……八神はやてを、犠牲にするっていうことなのよ!?」






 そして、そんなつまらない事を言った。




「……? それで?」




 弾んでも沈んでもいない、感情が一切乗っていない声。
 それは、おかしなことを聞いたせいで篭るべきものが吹き飛んだとか、そういうことではなくて。
 本当に、それが、感情の乗るような類の事実ではないと俺が考えていることを俺以外の二人に無理やり理解させてしまうくらい、静かで暴力的な返答だった……ようだ。
 二の句が告げずに震える使い魔の目は、得体の知れない何かを突然目の当たりにしたかのように恐怖に染まっていた。

「だ、だってあなた……あの子とあんなにっ……」

「あぁ、見てたんだっけ。で、はやてを犠牲に、ねぇ……。そろそろ詳しい話を聞かせてもらってもいいですかね。とどのつまり、闇の書ってのは何なんですか?」

 これ以上こいつと話しても無駄だと判断して、グレアムさんに向き直り事の根幹を尋ねる。
 あんまり土台の無い話ばかりしているといずれボロが出そうなので、こちらは本心から早く聞いておきたい事柄だった。

「第一級捜索指定ロストロギア……と言っても、君が聞きたい答えにはならないだろうね」

「確か、あらゆる世界の古代文明の遺産でしたっけ」

 はやての部屋にあったあの本。
 あれがジュエルシードのような不発弾とは感じ得なかったけれど、この人の話の端々から察するにあの危険物をも上回るような代物らしい。
 正直想像がつかない。

「アリア。彼に資料を」

「っ!? 父様、でもっ――」

「いいんだ」

 食い下がる猫の使い魔をそう制すると、言われた彼女は少しうな垂れて、それから目の前の何も無い虚空をキーボードを操作するように指を走らせた途端、テーブルの真ん中、つまり俺とグレアムさんの間の空間にモニターが投影された。
 映っているのは、紛れも無く俺が見たあの本。

「闇の書とは、ある種ひとつの災害のようなものでね。ひとたび起動すれば自身が滅びるまで凄惨で圧倒的な破壊を世界中に撒き散らす」

「自身が滅びるまで……ね。じゃあコイツは何度も滅びてるってワケですか。つまり――」

「そう、何度でも転生する。我々管理局はずっと、この忌まわしいロストロギアと当て所ない追いかけっこを続けているという事だよ」

 だからこその封印、か。
 その方法はともかく、

「はやてが犠牲になるっていうのは?」

「闇の書とは単体で成すものではなく、書の転生時にランダムで選ばれた主と対となって初めて存在するものなんだ」

「それで、今代の主が――」

「――八神はやて」

 すげぇな、お前。
 六億ジャンボなんて、きっとメじゃねぇぞ。

 なんて適当な感想を抱いたのは一瞬、別に何度世界をやり直したところできっとはやてがそのふざけた貧乏くじを引くのは変わらないだろう、と思い直す。
 決まりきってる、ことなのだろう。

「ランダムだってのに、よくあいつを見つけ出しましたね」

「執念だよ。本当に、それ以外の言葉が見つからない」

「執念、ですか。聞いた話、ロストロギアなんてのは星の数ほどあるらしいですが、貴方があの本にこだわるのは、復讐ですか?」




「……違う、責務だ。



 ……と、気骨を張って言うには少々歳をとり過ぎたか」

 最初にほんの一瞬だけ走った刺す様な圧力を受けた身としては、その言葉は是非とも返上していただきたい気になる。

「もう十一年前になる。その当時の闇の書事件の指揮を取っていたのが私だった。任務は概ね順調で、書の暴走を押さえることに成功し本局へ移送する最中だった」

 話し始めた内容よりも、十年ちょいというスパンに軽い驚きを覚える。
 もっと正確に言うのならばそれは、シンパシーを覚えたと言うべきなのかも知れないけれど。


「書が再び暴走し、保管をしていた一隻の艦のコントロールが奪われ、私はその艦を中の乗組員ごと撃墜するよう命令を下したのだ」


 はぁ。
 普通じゃね? と言ってしまいそうになるが、話してる本人とその後ろの使い魔が今にも死んでしまいそうな顔しているのを見るとそんなことをぶっちゃけない程にはまともな感覚を残してるなぁ、俺、ぐらいの捻じ曲がった感想しか抱けなかった。

「それで、その船にはどれくらい人が残ってたんで?」

「……一人だよ」

「は?」

「乗員は全員退艦済みだった、ただ一人を除いてね……。彼のおかげで、被害は考えうる限りの最小に収める事が出来た……」

 感情を押し殺したような声、と呼ばれるものの立派なお手本になるくらい、静かな声色からは激情が滲み出していた。
 執念とやらの、原動。

「私が葬った者の名は次元航行艦『エスティア』提督、クライド・ハラオウン。君も知ってるだろうリンディ君の夫にして、クロノの父親だよ」




 ――そうか。

   そう、繋がるのか。

「なるほどそれは、忌々しい連鎖ですね」

「もう少し驚くかとも思ったのだが」

「色々納得はしましたけどね。ジュエルシードの一件で貴方とのラインがあまりにもスムーズに通ったこととか」

「不幸中の幸いとも言いがたかったがね。そもそもあの世界に刺激を与えるのは遠慮願いたかったものだ」

「世界はこんなはずじゃなかった事ばかり、だそうですよ」

「至言だな。全くもって痛感させられたよ」

「俺もそう思います。言ったのがクロノだって言うのがちょっとアレですけど」

「…………」

 あ、今のは効いたな。
 いや、凹ませてもしょうがないんだけど。

「で、闇の書ってのは放っといたら勝手に起動するもんなんですか?」

「あなた、わざわざ目の前に展開してある資料くらい目を通しなさいよ……」

 トラウマティックな昔話をした挙句に一発精神的に殴られて、そんなのお構いなしと言わんばかりに話を進められそうな主を助けるべく、使い魔が俺にそう言う。
 視線をモニターに向ければ、彼女が操作したのか該当部分がクローズアップされた。

 えーっと、魔導師のリンカーコアを糧に自身のページを埋めていき、666ページ全て埋まった段階で起動。なお、一度蒐集したコアからは再度蒐集することはできない……じゃあ死ぬまで抜きとりゃいいってことか。リンカーコア云々で死ぬのかどうかしらんけど。
 しかし……、

「なぁ、はやてがこんなこと出来るとは思えないんだけど」

「こっち」

 言って、違う画面に切り替わる。
 守護騎士システム……。ドイツ語か? これ。
 剣の騎士、湖の騎士、鉄槌の騎士、盾の守護獣の4つからなる魔法生命体。闇の書の第1次覚醒と共に現れ、以後闇の書のページを元に戻すために魔力蒐集を行い、同時にその主を守る。
 はー、よくできてんな、コレ。

「ちなみに、一次覚醒は少なくともあと数日以内には起こるわ」

「なんで?」

「は……いえ、主のリンカーコアの成長レベルからの予測よ。だから、あなたには一刻も早くあの家から出てって欲しかったの」

 ただでさえシビアな計画に余計な不確定要素は、ってことね。
 確かに何も知らんといきなりそんなシステムかぶれと接触かますのは俺のよしとする所じゃないしなぁ。

「こいつらがせっせと魔力を集めて、ようやっと書が起動して、圧倒的な破壊ってどういうことだよ。主のメリットが何処にもない」

 使い魔を見てそう言うと、彼女はそのままグレアムさんに視線を向ける。
 目が合った彼はゆっくりと頷くと、彼女は諦めたように手元を操作し俺の前のモニターの画面が再び切り替わった。

 本来の名は『夜天の魔導書』であること。
 作られた元々の目的と在り方。
 歴代の主達のプログラム改変による『闇の書』への変遷。

 ……と、これは管理局に保護を求めた主の資料……ああ、そのまま研究材料コースか。
 わかったことは、主以外によるシステムへのアクセスを認めないってのと、無理に外部から操作をしようとすると、主を飲み込んで転生してしまう……飲み込まれたのか、コイツ。
 で、ゆえにプログラムの停止や改変ができない、か。

 起動直後から暴走直前までの姿や魔力反応が主を問わず一定であるところを鑑みるに、書が融合型のデバイスであり、さらに何らかの融合事故を起こしているという説が……って、融合型とか事故とか何のことよ……あ、触ったら該当リンクに飛んだ。
 ベルカによって開発されたデバイス……ベルカってさっきからちらちら資料に載ってるアレか。
 融合型ってのはとどのつまりオーガノイドみたいな奴のことね。事故はそのデバイスの方が主を乗っ取っちまうみたいなもんか。



 ふむ。




「完成させて、暴走する前になんとかしようって腹か」

「……どうして、そう思うんだい?」

「闇の書の完全封印なんて言うからには破壊はしないんでしょうし、今下手に書をいじって足取りがつかめなくなったら何もかもパー。かと言って暴走したら無限再生機能のある書には資料で見た空間歪曲型反応消滅砲みたいな存在を0にする兵器を持ち出さなきゃいけないわけで、もちろんコレもパー。その上ではやてを犠牲にするってことは、多分融合自体は行われてるんでしょうから、つまりは消去法ですよ。で、どうするんですか?」

 決め付けてかかる。
 と言っても本当にこれ以外に何も思いつかなかったのも事実だが。

「凍結魔法による、永久封印だよ」

「聞くだに不安なんですが、それは時空凍結とかそういうレベルの断絶なんですよね?」

「効果範囲内の状態の変化を停止させるという意味ではね。君の言ったとおり、破壊の意志を帯びた暴走状態に移行されてはどうしようもないのだから」

「ちょっと違……まぁいいか。でもそれって完成直後の闇の書の行動如何では上手くいくかどうか……」

「そこは考慮しなくていいはずだ。完成した闇の書は既に魔力を蒐集する必要が無い。その上主の命令を受けることが出来ない状態では、書自身は動かないに違いないからね」

 んー、まぁ概要聞いただけでも100%の達成率で遂行できる計画じゃ無さそうな上、そんな最後の詰めの部分を今から考えてもしょうがないレベルの綱渡りっぷりだと思わざるを得ない。
 何よりはやてが海鳴にいる以上なのはちゃん達の介入はまず間違いなく組み込まれているのだから、きっと『運命』はこの形では廻らないだろう。
 ならば、その先に在る『この世界』の形を、少しでも俺の有利なモノへと変えるためには、この計画そのものを俺が塗り潰さなくてはならない。

 けれど、この老人が持つ執念は紛れも無く本物。
 その復讐とも形容し難いいばら道をただ盲目に歩んだ結実が目前に迫っているのだ。
 そう簡単に、この机上の論を覆すことは不可能に違いない。






 なんて、思うわけ無いだろうが






「詳細はさておき、大体わかりました。変わる状況に合わせて色々臨機応変に対応しなきゃいけないでしょうが、使い魔二人に加えて俺も自由に使って頂いていいんで、それだけでも相当作戦遂行にずいぶん幅が出来ると思いません?」

「あなた、何を勝手に――」

「本当に、いいんだね?」

「――父様っ!?」

「こちらこそ、いいんですか? 条件、忘れてませんよね?」

「計画の遂行が、今の私の全てだ。それ以外の事……ましてや、全てが終わった後の私に望むものなど何も無い。一つと言わず、この老いぼれに出来ることなら何でも叶えよう」

「それは、本当ですか?」

「神と女王陛下に誓って、とでも言えば信じてくれるのかね?」

「いえ、そういうことでは無くて。




 本当に、計画を遂行しちゃっていいんですか? ということですよ」




 余裕を持って自分を信じろと言っていたギル・グレアムの表情が、そんな本来何の意味も持たないような問い一つに凍りついた。

「君は……何を言って……」

「貴方は結局、『また』失うんですよ? 今度残るのは、空虚が満ちた喪失感だけです。燃え滾る復讐心は、立ち上がるだけの原動力は、そこには在りません。望むものなど、なるほど無いでしょう」

 ソファからゆっくりと立ち上がる。
 位置が高くなる俺の顔を仰ぎ見るように、ギル・グレアムも頭を上げる。

「例えこの世界から消え去ったとしても、悲しむ者などいない鳥篭の中の子供一人の生贄で死屍累々の負の歴史を絶てるのだから」

 眼を、覗き込む。

「だから、貴方は『また』、迷ってしまった。
 よく考えてください。十一年前と、今と、何が違うんですか?」

「……何もかも違う……君も今言った通り、今度はもう、誰も悲しまない……未来にも悲しみを残さない……。クライド君とは違う、そのためにあの子をっ――」

「いいえ、それは違います。貴方は、悲しむ。きっと誰よりも。そして、そんな思いを貴方にさせてしまったはやてが、永劫に泣き続ける。そんな世界がお望みですか?」

「望むと望まずに関わらず、私はより多くの人々が笑っていられる選択をする……そこに私自身を勘定する必要はない……っ」






「じゃあ、そういう方向でいきましょう」






 ぱん、と両の手のひらを軽く前で合わせながら、先ほどまで纏っていた妙な雰囲気を一切取り払って言う。

「は……?」

「言ったでしょ? 十一年前と、今と、何が違うかって。決まってんじゃないですか。

 ここに俺がいます。
 俺が、誰も犠牲にならない『今』を、貴方の言う『より多くの人々』……みんなが笑って迎える『明日』を用意してあげますよ」

「君は、いったい……」




 きっと、ギル・グレアムの迷いは後々膨らんでいく。
 なら、決定的なことになる前に俺が取り去ってやろう。


 ――ギル・グレアムにとって、八神はやてとはどういう存在なのか。


 全てが終わって、抜け殻と化した彼に用など無いのだから。

 誰よりも深く、黒く、笑う俺が、地獄の只中にいる男に持ち掛ける。






「グレアムさんだって嫌いじゃないでしょう? 天下無敵のハッピーエンドってやつは」






 それは、悪魔の取引。



[10538] 第三十六話 6月10日 迂と闊
Name: 未定◆81681bda ID:291e5005
Date: 2012/08/11 14:12
 1.6月10日

「というわけでユーノ、お前には出来うる限りここで俺の手伝いをしてほしいんだ」

「ごめんなさい、何一つとして理解できないんですが」

 だろうなー……等と適当なことを考えながら、横からの抗議を軽く聞き流す。

「いやー大見得切った割にさ、俺って結局『ここ』のこと何にも知らないわけじゃんか。自分の足と目に頼ろうにも時間に限界はあるわけだしさ、やっぱり大元から直接仕入れたほうがいいと思って『この世界』に賢者はいるかって聞いたわけよ。まぁ案の定全然通じなかったけどさ、とりあえず生物である必要はないって言ったらここを紹介されたってわけ」

「何を言って……いや、えっと、それで……。まず、ここはいったい……?」




「無限書庫」




 眼下、どころか上下左右全天周囲に至るまで本、本、本、本…………。
 本の山、本の海というよりも本の空と言うべきだろうか、人を上から押さえつける力どころか、地面さえ存在しないこの広大な空間の中心に、いつものコートの俺とイタチモードのユーノがふわふわと漂っていた。
 ユーノからすれば目の前の景色――平穏そのものである海鳴の町並みが一瞬で切り替わってこんなところに投げ出されたのだから、たまったものではないだろう。

 なのに少し判然としないのは、その仰天且つ動転してしまってもおかしくない事態に際し、本来有り得ないはずの俺の姿を認めると一瞬にして諦めの色が差して大人しくなってしまったことぐらいか。

 ……そんなにスレるくらい無茶した覚えはないんだけどなぁ。


 と、そんなことを考えてはいるものの、実際ほとんど気にも留めずに周囲を見渡す俺。
 まだ片手で数えられるほどにしか訪れてはいないが、その都度ここの迫力には中々に圧倒される。
 なるほど猫たちが言った『世界の記憶を収めた場所』という触れ込みに相違ない……とどのつまり、俺の言う『賢者』そのもので他ならない場所だ。
 大概の場合生物であった方が面倒極まりないからこういう形で、しかもいつでも手の届く存在であるのは非常にありがたい。

 の、だが……スイッチを切り替えるように感覚を尖らせ目を凝らすと、内部の空間は酷く不安定な状態を維持するように調整されているようで、今この瞬間にも膨張と縮小を繰り返しているのがわかる。
 この危うい境界線が常に外から知識を集積し続ける肝なのだろうが、俺から見れば次の瞬間にも空間ごと対消滅しそうな気がして心中穏やかではいられない。
 きっと、そんなことを露ほども理解してないここの連中はおそらく、この『無限書庫』があるここに本局とやらを据えたんだろう。
 治安組織としては外に膨大な情報を開放し続けるわけにもいかず常に管理しなければいけないので別に間違っているなどと考えてはないが、猫達の話を聞くに、管理局の方もどうやら最大限活用できているわけではないようだ。
 未知の案件にぶち当たった時に仕方なく資料捜索チームが組まれ、しかも年単位で発掘調査を行うというのが今の常らしい。
 それ以外は入退室のセキュリティ以外はほとんど放置のような状態だそうだ。書庫と言う名前に相応しく司書等もいるようだが、結局今言った資料捜索チームのメンバーにしか過ぎないとのこと。

 余談だが、リンディさんがここの使用申請を提出したらしいとの情報を猫たちに聞かされた。捜索チームを組まず、アースラスタッフのみでの書架検索とのことで、明らかに先の海鳴における事件に関連した調査だろう。

 鉢合わせたくないなぁ……なんとか却下できないものだろうか。



「無限、書庫……?」

「そ。本局の中のな」

「……僕は、海鳴にいたと思うんですが」

「俺の知ってる人選じゃあ、お前がベストだったんだよ。もともと選択肢とかほぼ皆無だったけどさ。んでも確か、遺跡発掘のリーダーとかやってたんだろ?」

「わざと言ってますよね?」

「うん」

「…………」

 簡単な話だ。
 数日前に始めたすずかちゃん達との制御訓練のついで……本当のことを言えば訓練のほうがついでだったんだが、とにかくそっちに一区切りつけた足でユーノの捕獲に目的を移行して、首尾よくなのはちゃんとその肩の上のユーノを発見。
 いつものように(?)掻っ攫って今も八神家を監視中のアリアにここに直接転移させてもらったというわけだ。



「で、最初に言ったように、ここで馬車馬のように働いて欲しいんだ」

「手伝いのはずがメインに!? じゃなかった、どうして僕が!? あなた本局にいったんじゃないんですか!? っていうか、何が!? 一回冷静になったけどやっぱりよく考えなくてもおかしいってば!! っていうかどこなのここ!?」

「だから無限書庫だってば」

「だから何で無限書庫なのさ!? ……あっ、いえ……なんですか……?」

 ビシッと小動物ゆえ短い手で全力で突っ込んでから言葉遣いを丁寧なものにするユーノ。
 別に気にしないのに。精々あごを下から掴んでうーうー言わせるくらいだ。

「一から説明してもいいんだけど、正直めんどいんだよなぁ。温泉でなのはちゃんの裸に興奮してたことを妹魂たちにバラされたくなかったら素直に言うことを聞けよ」

「面倒だからって流れで脅迫しないでください……それに、恭也さん達なら僕がもう人間だって知ってるからあんまり効果無いですよ?」

「エキサイトしていた点は言い逃れできないだろうさ」

「僕が全力で否定すれば、あの家の人たちはきっと信じてくれます」

 チッ……ガキの癖に信頼が真実を隠蔽する上で相当有用だと言うことをよく理解してやがる。
 こいつが高町家と正面から接触してすでに数日が経つ……末の子を変な道に引きずり込んだ張本人といえど、ユーノの人畜無害かつ子供らしからぬ振る舞いは大方好意的に受け入れられていることが想像に難くない。
 しかもそれを言うのが俺じゃあ信憑性のかけらも……あ、コレはコレで泣ける。
 それにこんなことを交渉(笑)のカードに使っているという事実も酷いと言わざるを得ない。
 そもそも言ったからってどうなるものでもないしな…………ん?


「じゃあなんでお前、フェレットだったんだよ?」

「っ……そ、それは……」

 既に体力も回復し素性がなのはちゃんの近辺では明らかになったおかげでイタチモードになる必要性が全く無かったはずのユーノなのだが、俺が海鳴で掻っ攫った時は確かになのはちゃんの肩に乗っていたのだ。
 確かにもクソも、現在進行でイタチだが。

「ってオイ、何で急にそんな鬱々な顔してんだよ。ちょっと心配になるよ」

 イタチ状態でも解る位急にテンションが下がったユーノを見て、んなこたぁどうでもいいから手伝えと言うかどうか少し迷ったものの、まぁ何があったかくらいは聞いてやらんこともないかという気分になる。

 拉致しといて。

「実は……なのはが」

「ほう、なのはちゃんが」

「……神に」

「え? なんて?」

「いや、神様になっちゃったんですよ……クラスで」

「クラスで!? 何の話!?」


 聞けばどうやら最近『色々』あって――

「『色々』の一番最初はお前だけどな」

「わかってますよ。元を辿れば僕が悪いんです」

 ――人間的に一回りも二回りも成長して、幼いながらも自分が未来に向けてどういう道を歩んでいくかという覚悟を決めたなのはちゃんの魅力がマッハで上昇中らしい。
 もともと隠れファンが多かったらしいが、いまやクラスの男子どころか女子にまで人気沸騰中で、もはや告白がどうこうなんてレベルを周回遅れにしているそうだ。

 ……それで辿りついた先が信仰か。確かに今のあの子の存在感は小学生のガキ共からしたら後光みたいなもんなのかもしれんが。

 なの神さま(笑)。

「まぁ確かにかっこいい時かっこいいもんな、なのはちゃん」

「すずかやアリサに聞いたら、もともと片鱗はあったって言ってたんですが……最近は特にそうで……」

 いつの間にか人間形態に戻っていたユーノが無重力空間で正座しながら言う。聞いている俺は上下反転した状態で胡坐をかいているので、画的にはあまりしまらないなぁなんて思いながら話を進める。

「なのは自身はぜんぜん自覚が無いんですよ。僕なんか、なのはの変化が目まぐるしくてついていけないくらいなのに」

「その間二ヶ月無いって言ってたよな。人間ってすげぇな、やっぱ」

「他人事みたいに言わないでくださいよ……きっかけは僕かもしれないですけど、なのはは相当八雲さんの影響を受けてますよ」

「……? あぁ、俺か。えぇ? 何かすげー嫌われてる気しかしないんだけど」

「……。嫌われてるってことは無いと思いますよ。ほんの少しとても苦手だってだけで」

「なのはちゃんには優しくしてると思うんだけどなぁ」

「僕も正直得意じゃないです」

「それはどうでもいいや」

「拉致はどうでもよくないんですが」

「で、それがどうしてお前がフェレットフェレットしてた話に繋がるんだよ」

「……そんな女の子の傍に、どこからかポッと発生した同年代の男が放課後四六時中一緒にいる現場を何度も押さえられたら、どうなると思いますか?」

「………………」

 想像したくないな。
 神はどうでもいいが、神の名を叫ぶ人間というのは、本当に厄介極まりない。
 もちろん、話のスケールはそういうものではないが。

「それで、勇気ある信者の一人がなのはに聞いたらしいんです。あのなよなよした金髪は誰なのかって」

「すげぇな」

 もはや何が凄いのかわからないが、口からはそんな言葉がついて出た。

「なのは、ノータイムでこう言ったらしいです……『大切な人だよ』」

「うわあ」

「僕だってなのはがそういう意味で言ったんじゃないってこと位はわかりますよ。けど……」

「まぁでも直接的に何かされたわけじゃあないんだろ?」

「一緒に外を歩いていたら、胃がキリキリするような視線を感じるようになりました」

「それで、フェレットか……」

「はい……」

 気の毒だ。
 素直にそう思った。

「そういえば、ついでにこんな話を聞きましたよ。一方ですずかの様子がおかしくなったって」

「あー……」

 思い起こされるのは先日の制御訓練の折に聞かされた学校でのすずかちゃんの様子だ。
 あの子、自分の焦点が合ったことしか眼を向けないっぽいトコがあるからなぁ。しかも基本、悪い方向で。
 アリサちゃんの、集中すると周りが見えなくなる類のそれとは全く違うものだ。

「どうも授業中突然奇声を発するようになったとか、教師に指名されて立ち上がったと思ったらふにゃふにゃしてまた座ったり、首から提げてる大仰な十字架眺めてまたふにゃふにゃしたり――」

「思ってた以上に酷いな! あの子は!」

 ビックリした。
 もういっそ青ざめるぐらいだ。

「そうだ、八雲さんがあげたあのロストロギア……あの十字架だけど、形だけ同じものをアリサに渡したじゃないですか」

「ああ」

「同じものをアリサがつけてるのに、三人仲がいいはずのなのはがしてないことを彼女の信者が不思議に思って直接なのはに訊ねたそうなんですが」

「わかった、今わかった。信仰とかは別に存在しないんだな。そりゃそうだよね」

 人気急上昇あたりはそうなんだろうけどさ。せいぜい憧れですよね。

「なのは、さっと影を背負うようにして『それはあの人に聞いてほしいの……』って」

「お、思わぬ飛び火……いや、信者もクソも、その流れなら俺には何も関係ないな」

「ここだけ聞けばすわ仲間外れかってクラスが戦慄したらしいんですが、次の瞬間『先生を悪く言わないで!!』ってすずかが。教室の真ん中で」




 ……あの子は!!




『一切言ってないの』

『た、確かにちょっとだけ目つきが悪いかもしれないけど……けど、だからって本当に悪い人なんかじゃないの!』

『そういえば人相の悪さを隠すつもりでいつもにやにやしてるんじゃないかってエイミィさんが言ってたけど、むしろ怪しさが際立ってると思うなぁ』

『手を差し伸べる相手が警戒しないようにっていう先生の心憎い配慮だよってその何とかさんに良く言い聞かせておいてくれると嬉しいな』

『クロノくんをボコボコにした時もあんな感じで笑ってたけども』

『歯向かう相手が二度と楯突かないようにっていう先生の心憎い配慮だよ。余裕を演出する溢れ出す優しさゆえの愛のムチだね』

『……すずかちゃんの時は割と余裕なかったから、きっと優しさなんてものは皆無だったっぽいの』

『……だ、誰のせいで先生の余裕がなかったのか、もう一度思い返してみようか、なのはちゃん?』

『うっ……そ、それはやっぱり騒動の中心にいた人じゃないかなぁ……。ねぇ、すずかちゃん?』


 ピシッ、というやたら耳に残る亀裂音が響いた……ような気がしたとかしなかったとか。


『いい加減、目を醒まさせてあげるの……』

『……わたし、久々に怒っちゃったな。屋上に……いこうか』


「みたいな感じになったらしいです」

「…………」

 聞けば聞くほど頭が痛くなるわけだが。

「ちなみになのは達の担任の先生は女の方ですし、男の人もそれだけ言及されるほど目つきの悪い先生はいないそうなので、すぐにみんな校外の人だとわかったそうです」

 そっちも凹むなぁ……。
 やっぱバレてたか……目つき悪いの隠そうと精一杯の笑顔を作ってたのに……。
 っていうかそんなにか? 小学生女子にそんなこき下ろされるくらいなのか?

「ユーノはどう思う?」

 さっと、目を逸らされた。
 別に目つきの事だって言ってないのに。
 ちくしょう……。

「で、でも……それで終わりじゃないんだろ? すずかちゃんは戦闘なんて(まだ)とても無理だし、そもそもあの二人が戦ったら学校なんて軽く吹き飛ぶぞ」

「ええ、今のなのはとすずかだけだったらもしかしたらやりかねないなと僕も思うんですが――」


『望むところなの』

『言っとくけど、お昼まで鍵かかってるわよ』

『『壊す』』

 そんな、文字通り破壊的な言葉が二人の口から出ると同時、全く一切の情け容赦無く、本気で人を殺せそうな本が二冊、それぞれなのはとすずかの頭目掛けて叩き落された。

『はい解散解散~、見世物じゃないわよ~。ったく、何回目よ。そのやり取り』

『ア、アリサちゃんこそ……これ以上わたしの頭の形がべこべこになったらどうするつもりなの……あ、次の時間の小テストの漢字が抜けちゃった……せっかく覚えたのに……』

『痛い……アリサちゃん毎回わたしの方の本が分厚いよ……。っていうか日増しに厚くなってるよ……あと二ヶ月もすればさすがにわたしの頭も首も危険域だよ……』

『このレベルの漢字が抜けて書けないって、その内日常生活に支障が出るわよ。それにすずかは大丈夫よ、頑丈だから』


「――って感じにアリサが上手く二人を止めてくれてるみたいなんです」

「上手くは無いだろ、どう考えても」

 しかもその人が殺せそうな本とやらが魔導教本のことなら、初めて教本を渡したのが五日前くらいで、一日おきに二、三冊アリサちゃんにはせがまれてたけど、その間に頭ベコベコになるくらいってハイペース過ぎるだろ。

 っていうか。

「そんなに詳細に話せるってことは、お前もしかして学校にまでついてってんのか?」

「いえ、なのはと同じ学校だっていう子から……校内新聞がどうこうで直撃取材されたときに」

「なの神すげぇな……」

「あれ……? でも、何を聞かれたんだっけ……」

 私立とはいえ、小学校だろうに……むしろだからこそだろうか、プライバシーなんてクソ食らえだなぁ、なんて本当に普通の常識に疎いがゆえに特に違和感も覚えず聞き流し、それにしても、と続ける。

「仲いいな、ほんと」

「ですよね。以前からもちろん仲が悪かったなんて事は無かったんですが、最近はなんていうか、こう……お互い遠慮がなくなったって言うか」

「簡単な話、もしかしたら嫌われるかもしれない、なんて微塵も思わなくなったんだろ」

「…………」

「なんだよ?」

「あ、いや……まさにその通りだなって思って……」

「まぁガキだろうとなんだろうと、バカじゃない限り普通はそういう遠慮を持って人に接するものだろうけどさ、自分の全部でぶつかれるぐらい信頼できる人間が出来れば、それはそれでいいんじゃないか。ただ受け入れるだけじゃなくて、自分が間違ってればちゃんと否定してくれるってあの子達はお互いわかってるだろうし」

 それでもあの子達は特殊な部類に入ると思うけど。
 なんてオチをつけながらふと、ユーノが変な目で俺を見ていることに気付く。

「んだよ」

「八雲さんがたまに真面目な顔して言うことだけ切り取れば、凄く尊敬できる人ですよね」

「俺達は別に遠慮のいらない仲になった覚えは無いんだが」

 あごを下からガッと掴みあげると苦しそうにうーうーうめき立てる。
 無重力なので別に体勢的に苦しいということは無いだろうが、非常に喋りづらそうにじたばたしている。

「まぁ、なんだ。そんなことは正直どうでもいいから手伝え」

 前置きやらこれまでの話云々をすっとばして思わず本音が出た。

「ふぁ、ふぁっきからてふだえてふだえって……けっきょふ、僕に何をさせたいんでふか」

「もうわかってんだろ?」

「ぷはっ……それは、たぶん資料の捜索ですよね? だから、なんの資料なのかって話です」

 さっき遺跡発掘とか言ってたし、とユーノが呟く。




「お前、闇の書って知ってるか?」




「…………」

 特に溜めも無く、言い放つ。
 瞬間、表情には出さなかったが、ユーノの気配が露骨に切り替わった。
 それまでほとんど最低だった警戒レベルが、一気に跳ね上がったのが見て取れた。

「危険人物の口から危険物の名前が飛び出たぐらいで浮き足立つなよ」

「……そう、ですね」

 肩の力を抜きかけるユーノを、さらに追い撃つ。

「で、その今代の主が見つかったんだよ」

「なっ……」

「なんと、海鳴に住んでる9歳の女の子なんだ」

 事実を確認すれば多くの管理局員が血相を変えそうな事実をユーノに向けて矢継ぎ早に告げると、不意にユーノの緊張が緩んだ。
 どうやら、今のが俺の性質の悪い冗談か何かだと思ったようだ。

 だから。

「これが、それを証明する資料だよ」

 『倉庫』から局が知る一般的な闇の書に関する知識と八神はやてに関する資料、しかもつい先日一次覚醒を果たした闇の書の現在調査記録をつけた紙媒体の資料を空間に放り投げばら撒いた。
 方々に散り始める資料周辺の魔力素をかき集めるようにしてコントロール、ユーノの前にさながら紙の壁になるように資料を並べあげる。

「そんな……嘘でしょ……また、海鳴が……」

「残念ながら真実だ。あそこはこのままならまた、戦場になるな」

 見込んだとおり、ということなのか、膨大な数の資料からわずか数秒で事実を理解したらしいユーノが呆然と零す。

「もちろんなのはちゃんは、確実に巻き込まれる」

「っ! ……なら、早く知らせないとっ」

「すると、この子はどうなるんだろうな?」

「それは……、でもっ」

 海鳴で出来た大事な人達。
 (どこまで読み進んだかわからないが)資料で見ただけのかわいそうな女の子。

 天秤にかければどちらに傾くかなんて瞭然であろうに、目の前のこいつはそんな言葉遊びの範疇にしか過ぎないような二択で見事に迷いはじめた。
 そもそも、天秤で命を量ってなどいないのかもしれない。

 妙なところで、子供っぽさを残してるなぁ。
 いいことなんだけどさ。

「そうだ、この子を局に保護してもらえば、もしかしたら――」

 その先を言わせる前に、展開する資料を追加した。
 ここから出すのは、一般の局員が知りえない闇の書……夜天の書に関する、おそらくは資料として残されたものかどうかさえもわからない、ここ無限書庫での爺さんと猫達の文字通り血と涙の結晶だ。
 新たに空間に貼り付けられた資料の題字は、『諸種の実験的状況下における書と主の反応』。
 非常に軽いものからとてもお子様に見せられないようなものまで、多岐に渡る“狼藉”の数々。
 実際は管理局が行ったもの、そうでないものがあるが、

「これが、捕獲されたり、手にした力の大きさにビビって局に保護を願い出た歴代の主の末路だよ」

「…………っ……!」

 ユーノは飛び込んできた資料にすぐに目を通し始めたが、その中盤でとても正視に堪えられぬと言わんばかりにきつく目を閉じ逸らせた。
 確かに少々刺激が強すぎたかもしれない。
 が、それよりも。

「お前、こんなのあっさり信じるんだな。あんまり意味は無いけどその場しのぎの偽造くらいいくらでも出来るんだぜ」

「…………」

 やるにしてもさすがにこれではあまりにチープだが。

「そうだな、管理局がこんなことするわけないって感じにラオ……クロノあたりにこれを見せたら一瞬で全部灰にして激昂するんじゃないかと思うんだけど」

「……嘘であればいいとは、思います。けど……管理局は治安維持のために存在してるのであって、正義を掲げるだけの組織じゃ……ないですから」

 視線は逸らしたまま、うつむいて言う。

 ふむ。
 流浪の民スクライア。
 今回ユーノを招聘するに当たって、手に入れられるだけの情報は仕入れておこうと思ってある程度その内情を調べたが、これといって深い情報というものは出てこなかった。
 どれも『遺跡発掘を生業にする流浪の民』レベルが限界で、その成果は中々に華々しいものではあったが、中には発掘に手をかけたはずなのにその記録一切が存在しない遺跡調査などもあり、局から事実確認の要請が為されていた。
 大方ヤバイもんでも掘り当てちまったのだろうが、それを局に報告することもなく、しかもどうやらわざわざ埋めなおしてからとんずら図った様な痕跡がわずかながらあったらしい。

 今回まず間違いなく危ない橋を、渡るどころか作るところから始めなくてはならないので、一般的に言う『きれいごと』を呑み込んで動ける人間であることが望ましかったわけで。
 そういう意味で、ユーノはおそらく、『あたり』だ。
 その上、子供である、ということは話がどう転がった場合でも応用が利くのだ。
 俺にとっても、局にとっても。


 まぁ実際のトコ、どの道こいつはもう逃げられないわけだが。


「今俺が依頼されてるのは、犠牲者をただの一人も出さずにこの案件を処理すること」

 唐突に。
 ユーノの前に彼自身が望む希望を示してみせる。
 聞いて一瞬苦悩を解き、ゆっくりと顔が上がった。

「そこには当然、書の主も含まれる。だが、事を大っぴらにする訳にはいかない。わかるな?」

 黙って頷く。
 理由は先ほどの資料、だとユーノは思っているだろう。
 もちろんそれもあるが、それだけじゃないことを今ここで言う必要はない。

「まぁここを使うってことは依頼人が局の人間だって言ってるようなものだけどな。とにかくその人個人の支援は受けられるけど、局の後ろ盾は全く無い。むしろ、警戒してあたる必要がある」

「…………」

 言うまでも無いことだが、依頼などされたわけではない。条件として提示しただけだ。
 まったく、言う必要が無い。

「多分、相当きつい。が、ここまで話したんだ。断ってもらうわけにゃいかない。正直俺だけじゃとても無理だしな。だからもし、YESかはい以外なら今ここで――」

「やります」

「――お前をぺちん、とする理由はなくなったっぽいな、うん」

「……そもそも拒否権がないですよね」

「わかってくれたか」

「そんな笑顔で言われても……」

 目を逸らし、うんざりしたような苦笑いでユーノ。

「僕はともかく、今の僕の周りの人にまで迷惑をかけるわけにはいかないですから」

「お前はほんとに賢いなぁ……その歳で」

 そりゃあ、お前がこの事実を他の誰かに話した場合、そいつら全部消して回るのはさすがに面倒だったから助かるけどさ。
 面子を考えると、ある意味この案件よりも面倒かもしれない。

「……八雲さんが本当にそんなことをするかどうかはともかく、もし本当に誰も傷つかずに済むなら……それに僕なんかで役に立てるなら、断る理由なんてないじゃないですか」

 傷つかずに、とは言ってないが。
 まぁいいか。

「局やクロノにバレたらマジでとんでもなくマズいけどな」

「決心早々いきなり心が折れそうになるようなこと言わないでくださいよ……」

「安心しろ、そん時は俺が引き取って適当に開いた何でも屋のツッコミポジションに据えてやる」

「嫌ですよ、そんなの」

 冷静に拒否された。
 言って、それはそれでありなんじゃないかと思ったりもしたんだけどな。

 いや、やらないけどさ。

「まぁそう落ち込むなよ。あ、今思い出したんだけど、今回お前とタッグを組みたいって依頼人に言ったらさ、(猫ババア二匹には耳が破れそうなほど反対されたけど)えっと……なんつったかな。管理外世界の……あ、いや……第十一無人世界っつったっけ。あそこのほら、なんとかって遺跡――」

「そ、それってミェルテドスのフェトン遺跡っ!?」

 急にがばっと身を起こすような仕草と目の輝きをもって、書庫全体に響き渡るほどの大声でほとんど俺の脳内から消え去っていた単語を叫ぶユーノ。
 見たこと無いくらい元気だな、おい。

「お、おぉ……そんな名前だったな。なんか、そこの発掘調査を交渉のカードに使ったらどうだって――」

「ほんとうですかっ!? あそこに入ってもいいって!? だって、旧暦400年代の明らかに古代ベルカの崩壊に関係あるっていう、あの遺跡ですよ!? 以前局の特別チームが組まれて調査を行ったって記録以外は完全に非公開にされてる……僕の家族が何度申請をを出しても取り付く島もなかったのに……」

「いや、俺は知らんけど……」

「すごいすごいすごい……本当に、ほんとうに僕なんかが……って、僕一人で?」

「そりゃな」

 交換条件だし。

「……その特別チーム、噂では帰ってきた時に4分の1にまで減ってたって聞いたんですけど……」

「そんなこと一言も言わなかったけどなぁ、あの人。まぁ噂だろ。それに、少なくとも俺が護衛でついてくし」

「八雲さんが来てくれるんですかっ!?」

「え、何その急な頼ってくるオーラ。そりゃどんなとこかわからん以上、こっちの案件までは死なれたら困るしな。護衛だけだぜ? 発掘とか無理」

「こっちの案件って……闇の書の主を助けるってことですよね? フェトン遺跡の調査はそれが終わってからなんじゃないですか?」

 交換条件だし、とユーノ。

「ああ、日取りはもう決まってるから。一週間後だってさ」

「……は?」

「なんか、その日に俺の依頼人がそこの調査っていうか警備の点検に行くとかで……? まぁ、とにかく周囲の警備を集めるから、その隙に入れって」

「完全に盗掘じゃないですか!?」

「ああ、安心しろ。警備はその何とかって遺跡の外側だけで中は完全にザルらしい」

「そういうことを言ってるんじゃ……っ」

「そこの管理責任者が入っていいって言ってんだから問題ないだろ、多分」

 アバウトにそう言うと、なんだか疲れたように肩を落とすユーノ。

「期待と不安でなんだか、もう…………ん? フェトン遺跡の管理責任者って、元執務官長のギル・グレアム提督じゃなかったでしたっけ?」






「………………あ」



[10538] 第三十七話 6月20日 前進
Name: 未定◆81681bda ID:2937cd4a
Date: 2012/10/31 21:21
1.6月20日

 考え事に没頭していたために少々無造作になってしまったせいか、空になったコーヒーカップを無機質なデスクの上に置くと、思ったより大きな音を立てて、それでようやく思索の海から抜け出してくることができた。
 顔を上げディスプレイに表示された時計を見ればすでに夕刻。気の早い彼の周囲の人間達から夕飯の誘いがあるかもしれない時間だった。

 せっかくの休暇中であるのにこれでは、とクロノは心中で独りごちる。

「クロノ、もうすぐご飯だって、リンディさんが」

 案の定、自室のドアがスライドし開け放たれた向こう側から現れた金髪の少女――――フェイト・テスタロッサからそう、お呼びがかかった。
 デスクに手をかけ、回転する座椅子を彼女の方に向けながら少し非難がましい目でクロノも応える。

「わかった、すぐ行くよ。……それと、開ける前にせめてノックくらいはして欲しいな」

「ご、ごめんなさい。つい、いつもの癖で」

「エイミィの真似はよすんだとあれほど……」

 事件以来アースラスタッフ、特にクロノやリンディ、エイミィ等と行動を共にすることが多いフェイトは、それ以前の教育方針や環境のせいか知識的にも経験的にも色々と不足している部分がままあることを自覚しており、彼らから直接なり間接なり情報を得て日々の生活に活かしている。

『え? もっと仲良くなりたい? うーんそうだねー、部屋にいきなり押し入ってナニかしてる現場でも押さえれば一気にルート確定して直行も夢じゃないかもとはあたしも思ってるんだけどー……』

 エイミィの言うこともそうだけど、人と接するのって難しいな、等とフェイトが考えているのを見ながらクロノはどうやったらあの悪影響(達)を取り除けるだろうかと再び思索の海へのダイビングを開始しそうになる。


「またヤクモ対策?」

 その間にとてとてと近づいてきてクロノが表示していたディスプレイの一覧を眺めると、ほんの少し呆れたようにしてフェイトが問いかける。

「なのはもクロノもすごいね。あの人に勝ちたいって思えるなんて」

「別に……負けっぱなしは癪に障るだけだよ。他に気になることもあったしね」

 特に隠さねばならないような情報もなかったため、映像を覗き込むフェイトを咎めることなく端末を操作を続ける。
 クロノとリンディは八雲と別れてからも彼の正体とも言うべき実体を掴むべく情報の収集と分析に勤しんできたが、人手の数並びに期間が圧倒的に不足しているとはいえ現状では無限書庫からでさえ何の情報も上がってきてはいない。
 
 とはいえ本当になんの成果も無かったわけではなかった。

「君とアルフが高町や僕らに先んじて行ったあいつとの戦闘」

 クロノが手元の端末を操作すると、元はバルディッシュが記録していた温泉地の夜でアルフの拳が八雲の腕に直撃した映像が映る。次いで、その横にさらにもう一つの映像。

「高町と月村すずかの砲撃を相殺した際のエネルギー情報」

 魔導に身を置く人間なら、その映像と数値を見れば何かの冗談か創作されたものだとしか考えられないような圧倒的な光景。
 しかしフェイトはすでにこれを現実のものだと理解している。彼女の最初で一番のともだちにこの件について話をしたことはないが、初めて見せてもらった時にここに映っていたなのはの鬼気迫る表情や言葉は、とても作り物だとは思えなかったからだ。

 ちなみにフェイトがこの事件の顛末を知ったのは、八雲を本局に送り届けるまでの数日の間のことである。
 どうやら箝口令が敷かれているようであるが、こんなの他の誰かに話したって信じてもらえっこないと対人経験に乏しいフェイトでもわかるような代物だった。

「この二つがどうかしたの?」

「逆に聞くけど、この二つはそれぞれ何が起こってると思う?」

 何がって……。
 聞かれてフェイトは魔導師としての自分で考え込む。
 まず一枚目、アルフの攻撃が当たったシーン。
 あの時は確か、何枚か陽動を重ねて死角を作り続けて、少しずつ接近して最後は自分自身例のよくわからない魔力も使わないで部分的に空間を繋げるとかいう理解が及ばない技で遠くに飛ばされてしまったけれど、それでもアルフが、結果的にダメージを与えることは出来なかったとはいえ八雲をとらえることに成功した、そんなシーンだ。

 次に二枚目、なのはとすずか――なのはの、ともだち――の砲撃を八雲が受け止めているシーン。
 一瞬去来した別の思考を、フェイトはマルチタスクで押し退けるようにして思考野から追い出して、その上で一枚目の検証も同時に進めながら考えを走らせる。
 データを見ればわかるように、受け止めているように見せているが実際に拮抗しているのは二人の砲撃であって、八雲は衝突点をずらしただけに過ぎない。
 なぜそんなことをしたのかと言えば、その空白地帯にいる一般人を助けるためであるというのは一目瞭然であったが、データを参照するに何事もなくあと二十秒も拮抗を続けていればなのはは完全に押し切られていたはずだ。
 その後どうなるかなどということは想像もしたくない、とフェイトは一つのタスクにそう結論づけて終了させた。
 そして、二つ合わせて抱いた疑問をそのまま口にする。






「どうして八雲は、二か所ずつ空間を繋げなかったのかな?」






 その言葉にクロノは目を見開くと、勢いよく椅子を回転させてフェイトの方に向き直った。

「その通りなんだよ。最初の映像にしたって、別にあいつはアルフの攻撃を受け止める必要なんかなかったはずなんだ。二枚目もそうだ、二人が砲撃を中断したからよかった様なものの、それぞれ別の方向に逸らしていれば危険はほとんどなかったはず……なのに」

 二人は、八雲が『別になのはが消えたって構わない』とは考えていないことを前提に話を進めていることに自分自身気が付いていない。
 少なくとも、クロノは知る『契約』を結ぶ以前の話だというのに、だ。
 そのまま、話は続けられる。

「同時に展開できない理由があった……?」

「そう考えるのが妥当だろうね。ついでにこれを見てほしい」

 言って、これまで展開していたウインドウが消え、新たに大きなディスプレイが展開される。サーチャーによる映像データのようだ。

「これは?」

「アースラがあの世界を去るちょっと前の日なんだけれど、あいつが刀を使ったっていうのを高町兄が聞きつけて、一度立ち合いたいなんて言い出してね」

 あぁ、あれ……。
 なんてフェイトは遠い目をしながらかつての我が家を蹂躙しつくしたあの一振りの竹箒を思い出す。
 もう一度画面を見れば、木刀を二本構えた臨戦状態の恭也と一本を肩に担ぐ形であからさまにやる気のない八雲が開けた草むらの上に距離を取って佇んでいた。

「なんか、ものすごい文句言ってるよ、ヤクモ」

「魔力なし、飛行なしとか、おおよそ僕達からしたら厳しいルール設定だからね」

「それは……」

 そうじゃないかなとばかりに苦笑するフェイトをよそにクロノは画面の向こうにいる恭弥に対し、さらにその視線の先にいる彼の末の妹を見て思う。

 なりふり構ってないな、と。

ややあって、開始の掛け声と同時に八雲が槍投げのように木刀を投げ、それを驚きながらも避けた恭也の、さらに真後ろから現れた八雲が自分の頭よりも後ろで飛来する木刀の握りをキャッチしそのまま叩きつけるようにして地面に振りかぶると、一体どれほどの力で振り切られたのか、爆音と共に土埃が巻き上がり映像では何も確認できなくなってしまった。

「ねぇ、クロノ……」

「魔力も飛行も使ってない、だそうだ」

「…………」

 どっちもどっちだ、と絶句したままのフェイト。

 木刀を投げた瞬間に八雲が前に駆け出すと前方から姿が溶けるように消えて、恭也の背後から現れる一連の流れが別のウインドウでスロー再生された。
 通常再生されている方はと言えば、命からがら回避に成功した恭也が、折れた木刀を持って突っ立っている八雲に大声で文句を言っているシーンが映っていた。

「ちなみに、本当に同条件で剣のみの試合をしたら普通に高町兄の勝利だったらしい。剣技は素晴らしいが、剣術は素人だったとその場にいた高町父から聞いた。まぁ、そんな条件で勝ったところでとも嘆いていたが」

 まったくその通りだとクロノも思う。

「それで、この映像がどうかしたの?」

「この、土埃が上がったシーンなんだけど……ほら、ここ」

 クロノが指差したのは八雲が木刀を振り下ろした爆心地ではなく、最初に消えた空間を繋げた入口とも呼べる場所だった。
 その、何もないはずの空間から、もうもうと土埃が湧いて出てくるのが確認できる。

「なんていうか、本当に繋がってるんだね……」

 空間を連結させている、なんて言われて実体験もしている割にいまいちどういうことか掴み切れていなかったフェイトだったが、こうまでわかりやすい映像を見せられると納得せざるを得ない。
 魔力なしでこんなことができるなんて色々便利だなぁ、等と外れた思考を展開し始めるフェイトにクロノが、

「そう、繋がっているんだ。つまり奴の開けた『穴』とやらは、その周辺の空気や魔力素の流れに少なからず乱れを与えるはず。これを素早く察知することができれば、奴と戦う時に相当有利な展開を作り出せる………………と思う」

 デバイスに常に環境状態を監視してもらうことで空間連結による移動に翻弄されず、また連結を攻撃に用いた場合ならこちらからその出口に撃ち込めばダメージを与えることができるのではないか。
 一時は絶対にも思えた八雲の防御だが、どうやら突破口は掴めそうだった。

 の、だが。

「それでも……まだ、足りないんじゃないかな」

 フェイトの言うとおりだった。
 模擬戦という名の露骨なデータ収集を重ねた中でクロノは幾度となく本気で八雲と対峙したが、八雲にとってはほとんど暇潰しみたいなものだったように思えた。
 そもそもの戦闘スペックが隔絶していると痛感させられていたのだ。今のままでは勝てないと誰よりも自分が解っている。

「だとしても一歩前進には違いないよ……高町にもこのことは伝えないとね」

 自嘲気味に、けれど明確な目標があるというのは悪いことばかりじゃないなと考えながら、この話を打ち切るために席を立つ。
 向上心は昔も今も変わったつもりはなかったが、最近は少し慢心があったかもしれない。自分ごときがとんでもないことだ、と少し笑いほんの、ほんの少しだけ八雲に感謝する。いつかお礼がわりにあのニヤケ面に一発ぶちかましてやろう。

「そっか、もともとなのは言い出したことなんだっけ? あのプログラム」

「ああ。仮想模擬戦用に奴の詳細なデータが欲しいなんていうからびっくりしたけど、これが思いの外やりがいがあって自分でも驚いてる」

 データを精査し直して仮想八雲を組み実際に動かしてみると、中々に考察に値するようなあれやらそれやらが次々出てきて、今では訓練の最終調整に大いに役立っている。
 ちなみにあのニヤケ面も100%の再現率だ。腹立つ。

「バルディッシュにも入れてもらったけど……あの一番上の難易度のあれって、何て言うか……本当なの?」

 あれでかなり手加減が上手な八雲である。
 しかも男性と女性でほとんど戦闘パターンが別物と言っていいくらいガラリと変わる。

 しかしあのプログラムは一応真剣な模擬戦用であるため、性差によるパターンの変化は考慮に入れず、代わりに攻撃頻度や反応速度、空間連結の同時使用数等といったいくつかの条件ごとに難易度分けされ、特に一番上の難易度は今までに奴から観測されたパワーやスピード等のもっとも高いデータを統合して作られた上に常にその出力を出し続ける、もしかしたら本物よりも強いかもしれない八雲なのだ。

「なんか、始まった次の瞬間にやられちゃうんだけど……」

「データ見返したらわかると思うけど、たぶん死角に空間連結で移動して急所を一撃で仕留めてるんじゃないかな」

「全周警戒しても、網にかかった瞬間にまた別の角度から刺されて負けちゃう」

「それは空間連結から出て、また別の空間に飛んでるからだと思う。フェイトの場合、足を止めて警戒するより最初から全力で動いた方が生存時間は増すはずだよ…………っていうか、いきなり最高難度でやるのが間違ってるから」

「ヤクモがここにいたとき言ってたよ、『最高難易度以外は甘え』って」

「それは奴がやってたゲームの話だろう……」

 フェイトを脅かす悪影響はアースラスタッフに限った話ではなかったかと頭を抱えるクロノ。

「あんなのに勝とうって思えるなんて、やっぱりなのはやクロノは凄いや」

 自分も製作にかなり関わって置きながら、あえて言わせてもらえるのならば。

 断じて、あんな化け物に勝てる等とは微塵も思っちゃいない。

 うっかりあんな数値を算出しちゃったからと言って、さすがにあれはないだろうとクロノは考えている。
 まぁ裏を返せばあれに勝てれば本物に負ける要素はほとんどないと思うのだが、いかんせんやりすぎの感が否めない。
 定期的にレイジングハートからそれぞれの難易度での模擬戦の結果をデータで届けてもらっているが、黒焦げになってプスプスいったままうつ伏せで動かないなのはを見るたびそう思う。

「今回の発見で、少なくとも最高難度以外での空間連結の同時使用数は1になるから、もしかしたらようやく初白星がつけられるかもしれない」

 なのはにデータを送る前に後で試してみよう等とかなり年上の男として情けないことを考えるクロノだったが、いまだ難易度最低すら突破できてない現状を最初に打破するのは、横でニコニコ笑いながら八雲をあんなの呼ばわりするフェイトであったりする。
 なのはもプログラムアップデートと同時にその報を受け取り、たまたまその場にいたすずかも合わせてフェイトのまったく預かり知らないところでそれぞれ別の猛烈なライバル心を募らせることになるのだが、それはまた別の話。
 たぶんロクなことになんないわね、とは彼女らの親友の談である。




 そう言いながらクロノが端末を操作して落とすと、ウィンドウが次元間放送しているニュースへと切り替わった。






『先日、第十一無人世界のフェトン遺跡で行われた記念式典会場において発生したテロ事件についての続報が――――』







[10538] 第三十八話 6月28日 この『世界』は
Name: 未定◆81681bda ID:2937cd4a
Date: 2012/10/24 17:29
 1.6月28日

「へぇ……なんだ、『この世界』も思ったより見どころあるね。楽しいじゃんか」

 ふよふよと無限書庫内を漂いながら、八雲はここ最近の日課となっている管理世界内で配信しているニュースらしきデータをにやにや眺めていた。
 見出しに『管理世界内連続殺人事件』と銘打たれたその記事に、彼が実際どれ程の興味があるかは窺い知れないが、それでも少しばかり興味を惹かれて書の資料検索の片手間に読書魔法の応用で同じ記事を覗き見すると、即座にユーノは後悔した。


 約20にもわたる管理世界でそれぞれ最低一人、最大で十五人に上る惨殺死体が発見されたというその事件。
 同じ管理世界内とはいえ違う世界同士、情報伝達が遅れたこともあって当初は関連性を疑う声すらなかったが、一夜にして十五人の犠牲者を出した管理世界『レルム』の事件で遅ればせながら動き出した管理局の捜査官までもが殺害されたことでようやく事件の存在を次元世界全域が知ることになった。
 一つの事件と捉えて広域捜査をかければ単純な渡航ルートからすぐに犯人の目星がついたのだが、挙がった人物はあろうことか齢12歳の少女。
 管理局に確保された彼女に、最も多くの犠牲者を出したレルムやいくつかの世界は死刑が当然だと主張したが、管理局法では無期の隔離収監が限界であった。
 管理世界同士の連携の脆弱性及び、世界間の法制度の差異を再び浮き彫りにした事件である。



 ……というのが局内一般で知りえる情報の限界だったはずなのだが、ユーノが盗み見た八雲が閲覧している資料はそこからさらに一歩踏み込んだ、局員が犯人を確保するまでの一部始終をサーチャーで記録した映像であった。
 どうやってこんなものを――なんて考える間もなくタスクに刻まれた情報に眉根を寄せるユーノ。

 どこか大きな都市の路地裏だろうか。
 背の高いビル群に囲まれていて人通りの少なそうな、けれどほんの少しだけ開けたスペース。
 その一番奥の行き止まりで、本当に、本当に楽しそうに、にこにこと顔を綻ばせる長い赤みがかった髪の女の子が一人、後ろ手で腰を組み、小首を傾げて佇んでいた。
 そんな年端もいかない、武器も持たない女の子を地上から空から、大勢で取り囲む武装局員達だが、どういうわけかこちらの表情は恐怖で強張り、多くの局員が構えるデバイスが小刻みに震えていた。

 そんな大人達をひとしきり見やり、おもむろに少女が降参とばかりに両腕を上げると――






 ――そのまま十の爪を自身の首に奥深くまで突き立てた。






 瞬間、一番少女に近いところにいた局員三名が血飛沫と共にバラバラに飛び散った。
 そのちょうど真後ろで、夥しいほどの返り血を浴びながら何が起こったかもわからず、目の前で砕け散った同僚達を呆然と見ていた女性局員の上半身だけが、サーチャーの範囲から消し飛んだ。

 凄惨な光景に一瞬自失し、状況を脳で正しく理解するより早く単純な死の恐怖から本能で反撃に出ようとする局員の体が、懐に飛び込んできた少女の姿を認識する前に、薙ぐように振るわれた細腕に巻き込まれるようにして鮮血と共に千切れて舞った。
 虚を衝かれ、完全に浮足立った隊の体勢を立て直そうと激を飛ばしかけた遥か後方の中空にいた指揮官の首が、信じられないほどのスピードで包囲を抜け飛びついた少女に掴み上げられ、地に叩き落されると同時に声を発することなくそのまま握力だけで握りつぶされてしまった。

 表情は変わらず心底楽しそうな笑顔。けれど浴びた返り血が、今なお舞う鮮血が、もともと赤みがかっていた少女の色をより濃いものにしていた。

 そんな狂気に一瞬の間をおいてようやく、まだ生きている局員による総攻撃が少女の周りの味方すらも巻き込んで行われた所で、サーチャーが故障したのか映像が途切れてしまった。




「………………」




 もともと憂鬱だった気分が、いっそう陰鬱としたものになった。
 なんてものを見せてくれるんだ、あの人は。
 いや……勝手に見たのは自分か。

「この子、今は管理局の拘束施設にいるんだっけ?」

「無理ですよ、さすがに」

 ユーノが資料を盗み見たことを前提に話しかけてくる八雲相手に一瞬すっとぼけてやろうかと考えていたが、それは多分あんまり意味がないなぁと思いその先を答える。
 アレを見て尚へらへら笑うあの人の中身はいよいよ常軌を逸しているけれど、その人が何を考えてるかわかるくらいには自分も毒されてきてることに内心ショックを隠し切れないユーノだった。

「そっかー。ちょっと会ってみたかったんだけどな」

「とても会話が通じそうな相手には見えなかったんですけど」

 映像での少女の無邪気な笑顔を思い出して、また背筋に冷たいものが走る。


「っていうか、そんな暇ないですからね」


 自分を中心に無限書庫全体に蜘蛛の巣のような緑色の魔力糸が張り巡らされ、周囲に検索された本であったりデータであったりが漂う空間を見渡しながらユーノが言う。
 もともとこの作業を始めるにあたって検索用の魔法を自分で組んできたユーノであったが、今使ってるこの正直見た目があまりよろしくない魔法は、ユーノのそれに八雲が無理矢理手を加えた試作魔法とも呼べる代物だった。
 糸自身が巣を拡大するように検索範囲を広げた上でその場に留まり、新たに書架に出現した情報や空間のランダム転移による移動が即座に探知できるので、魔力燃費とゴミゴミしてしまう見た目以外は思いの外有用な魔法であった。
 ここの所自分の周囲で魔法の勉強をしているらしい八雲が、彼の研究していることの片手間にこの魔法を組んだというのだから、わかっていたこととはいえ、やはりただ者じゃないなと舌を巻かざるを得ないユーノであったが、その試作魔法を行使しても、新たに見つかった有用な資料はたったの3つだけということがユーノを焦らせていた。

「もう一次覚醒が終わってるっていうことは、いつ守護騎士たちが蒐集活動を始めるかわからないっていうのに……」

「その辺は大丈夫だろ。猫達の話じゃあ、はやての奴は案の定カツアゲ行為はノーだって連中に言ったらしいし」

「でも、覚醒後に書が主にかける負荷はこれまでの比じゃないって……命すら、蝕む様なものだってこないだ見つけた資料に……」

 そうなった時、プログラム体である守護騎士たちがどのような行動を見せるのかユーノには見当も付かなかったが、できればそれほど状況が極まってしまう前に手札を揃えて行動を起こしたいというのが二人の共通の見解であった。

「つってもなぁ……そもそもこの短期間に新たに資料が見つかっただけでもじーさん達は目を剥いてたぜ? それも短くて断片的だとしても、核心を突くようなものが3つもだ」

「それは……グレアムさん達が長い時間かけて見つけ出したモノを足掛かりに検索したからだって、前にも言ったじゃないですか」

「本気でそれを言ってるから凄いよなぁ」

 それと同じことをあの一人と二匹は今の今までずーっとやり続けてきてるわけなので、ユーノの優秀性を否定するような材料にはならない。
 否定するっていうか、疑う余地がないんだけど……と八雲は考える。
 ユーノに素性がばれたと知った時の、猫達の怒髪天を突くとはこのことかと言わんばかりのキレ方ときたら、さすがにこれはごめんなさいしなければならないと頭を地面に叩きつけたものだったが、ここ最近ではあんたよくあんな逸材を見つけてきたもんね、等と称賛される程の成果だった。
 そんな、上からの声はここ最近喧しくなくなってきていたのだが、一方で近ごろはユーノまで自分相手の対応がぞんざいになってきている気がする八雲であった。

「八雲さんも、なんかよくわからないことやってる暇があったら手伝ってくださいよ」

「何言ってんだよ、検索魔法だったらお前がやるなって止めたんじゃないか」

 この作業を始めてすぐにユーノから検索魔法を教わっていた八雲が試しにと何度か魔法に関する資料を集めるために使ってみたところ、紙媒体や普通のデータなどは特に問題もなく引っ張ってこれたものの、魔力媒体の資料が検索にヒットした瞬間八雲の魔力に浸食し尽され、とても資料として閲覧できる状態ではなくなってしまったのだった。
 それがたまたま本当に貴重かつ歴史的な重みのある魔導書だったらしく、いつにない剣幕でユーノに怒られた八雲は、それ以来自分用の書架の検索をただでさえ忙しいユーノに丸投げしている。

「糸の先に括り付けるんで、自力で検索してください」

「それは検索って言わねーよ。鵜飼の鵜だよ。ついでに最近俺の扱い悪いよ」

 言いながらも書庫中に張り巡らされた糸に魔力を流し続け、据わった目で検索をかけるユーノ。
 本気かどうかわからないが、そのうちの一本が八雲の目の前に突き付けられていた。

「機嫌悪いなー。こないだの遺跡のせいか? ありゃ俺にはどうしようもなかったぞ」

「そういうわけじゃ……ありませんけど」


 言われてユーノは『こないだの遺跡』の件について、最大展開数近いマルチタスクの内の一つを使って思いを馳せる。
 あれから既に一週間以上たったのかと思うと、少し信じられない気分になった。




 以前八雲の言った『警備の点検』とは局内部の人間のみで開かれる記念式典のことだったようで、なるほど遺跡周囲の警戒態勢は普段より落ちると言われれば納得できない話ではなかった。
 当初の予定通り、式典の開始を待ってから八雲の持っているステルスダンボールを二人で被って侵入しようと試み、いざ足を踏み入れたその瞬間に、入口の警備の人間たちが次々と倒れこんだのだ。
 ダンボールの中で、一体何をやったのだと目で非難するユーノに八雲が手を振って冤罪を訴えてる最中、バタバタと大人数がすぐそばを慌ただしく走り回る足音が響く。
 何事かと二人顔を見合わせて覗き穴から外を確認すると、いかにもな招かれざる客達がまだ息のある警備局員にとどめを刺しているところだった。

 ひっ、っと息を飲むユーノの口を押さえ、遺跡の少し奥の方に入り込んでから落ち着いたのを確認した八雲はここからほんの少し離れた場所でグレアムの護衛をしているアリアに通信を開く。

『何よ? もう中に入ったころでしょ? 何かあったの?』

 何の問題もなく通信が繋がったことに八雲もユーノも少し面食らったものの、すぐに今起こっている事態を簡潔に報告した。

『どこのどいつよ、こんな日に……』

「で、俺はどうしたらいい? 全部始末したらいいのか?」

『相手に一切姿を見られずに済むんだったらそれでいいわ。あなた達はここにいないことになってるんだから、尻尾の一つも掴ませるんじゃないわよ』

「一人くらいは生かしておくよ」

『……一応できるなら全部生かしておいてくれると、管理局としてはありがたいんだけどね』

「善処する」

『終わったころにこっちからそれとなく人を――――きゃあ!?』

 ちなみに八雲は念話の対象の選択方法がどうにもつかめず、スピーカーのように思念を大音量で垂れ流すことしかできない。よって、不便だと理解しつつもこのように端末を用いた通信を使わねばならないのだが、その映像がアリアの短い悲鳴と共に乱れて途切れてしまった。

 直前に確認できたのは、大きな爆発音。

 ダンボール箱の中でふたりは顔を見合わせ、瞬時に何が起こっているのか理解した。

「中にいろ、十五秒で片付ける」

 その言葉にユーノは何も言わずに頷いた。
 これがなのは達相手ならば危険だ、やら自分も、だの言うところであるが、そんな心配が杞憂という言葉でさえ遠く無意味に終わる相手だとこれまでで十分に理解していた。
 もっとも、別の言葉で言い換えれば、正しくユーノは八雲のことを信頼していたというだけの話なのだが。

「おい! 遺跡の中だ!!」

 外からの太い男の声が、壁に反響してここまで届く。
 おそらく先ほどの通信の爆音が漏れたのだろう、ここを占拠した連中の一味と思われる足音が近づいてくるのがわかった。

「お、こっち来てくれんのか。十秒で済みそうだわ」

 言葉と共に、箱の中から八雲の姿が掻き消える。
 弾んだような八雲の声が、この本来ならばかなり危機的な状況下において、ユーノが一切自分の身の危険を考慮に入れていない理由そのものであることを、ユーノ自身よく解っていた。
 案の定覗き穴から見た光景では内部に侵入してきた連中がすでに横たわっており、外からは何かの破裂音が数回鳴る程度ですぐに静けさを取り戻してしまった。

「もう終わったぞー。周り誰もいねーから出てこいよ。あ、箱はちゃんと持って来いよ」

 さっきのように入口内部に響き渡る声。
 もちろん今度は八雲のものだった。

「あの……すみません、何も出来なくて。それから、護っていただ――」

 透明な箱を抱え、足元に転がる侵入者を避けながら入口近くまで出ると、そこから先にはさらに多くの数の人――侵入者以外に遺跡の警備などを含め――が横たわっていたが、はっきり死んでいると判ったのは遺跡の関係者達だけだった。
 何はともあれまずは礼を述べなくてはと口を開いたユーノだったが、

「いや、元々そういう約束でしょうが」

 と、たった一言で切って捨てられてしまった。
 短い付き合いだが、八雲は礼を言われることに酷く抵抗があることをユーノは察していた。
 その理由についても、なんとなくだが。

 大方今回は、ユーノへの対価を先に提示している、無償の善意などではないから等といった所だろう。

 シンプルな人だ、と面倒な人だな、と相反する二つの感想を同時に抱く。

「それで、この人達いったい何なんですか?」

「それはその内管理局が調べるだろ。こんだけ聞くアテはあるんだからさ」

「みんな生きてるんですか!?」

「そりゃな、アリアに死なすなって言われてるし。後でボーナス貰おうぜ」

 まぁ、このままほっといたら死ぬヤツいるかもしれんけど、と付け加える八雲。
 それはスルーして相変わらずでたらめにも程があると思わずにはいられないユーノだったが、はたと思い当って声を上げた。

「そうだ、アリアさん! さっきの爆発はきっとここの人たちの――」

「ああ、そっちも大丈夫。どうやらここを押さえるのが連中の肝要だったらしいんだけど、それが叶わなくなって混乱したところをアリア達局員がもう鎮圧したってさ」

「……それは、よかったです」

 いつの間に通信したのかと、その手回しのよさには脱帽せざるを得ないが、そこで困ったような表情で八雲は首の横を押さえて一度、首をくるっと回す。

「それがめでたしめでたしとはいかないようでさ、どうやら局のお偉いさんとこのご息女やらが最初の爆発で吹っ飛んじまったらしくて、こちら側も相当混乱してるみたいなのよ。ここにもすぐ人が来るらしいし、残党狩りだか何だかって遺跡の中まで調べるらしいから、どうにも今日俺たちがここを荒らすのは無理っぽい」

「いや、どの道こんなことがあって、すぐに遺跡発掘なんて僕には無理ですよ……」

「まぁそれもそうかな。だいぶ無駄な時間食っちまったし」


 等とやれやれといった表情で苦笑いを浮かべる八雲に対し、僕はそういうことを言ってるんじゃないと叫びたい衝動にかられたが、少なからずその在り方を掴んできたとはいえ今だこの男との間には筆舌に尽くしがたい大きな隔たりが存在することもまたよく理解できた、そんな厄日だった。






 そう思考を締めて、タスクを切り替え検索の方に回した。
 腕に巻いた地球製の時計――もちろん海鳴のそれにアジャストしてある――を確認すれば、そろそろ今日のリミットだ。
 なのはが学校でいない間この世界を自分の目で見て回りたい等と、我ながら苦しい言い分を押し通したものだと思う。
 とはいえあのままあの家にいるだけとなると、いつの間にかなのはの通う私立の小学校に入れられてしまいそうな雰囲気がそこはかとなくしていたため、この依頼は渡りに船と言えなくもなかった。
 できれば、正式なものであればなおよかったのだけれど……と、溜め息をつくと、思い出したように顔を上げて、

「そうだ、言おう言おうと思って忘れてたんですが、海鳴に来るなら来るで僕にも何か一言いっておいてくれるととてもありがたいんですけど」

 そう言いながら、自分から縦横無尽に伸びる緑色の魔力糸を断ち切るユーノ。供給元を失った糸は手元から魔力素に還元され見えなくなっていくが、その先に張り巡らされた蜘蛛の巣状の魔力は驚くべきことにその場に残って書架の検索状態の保存と監視を続けていた。
 ユーノは与えられた術式を起動しただけであり今現在をして何か特別なことをしている実感はないが、どうにもこの魔法の保全方法、八雲の使う魔力素操作によく似たものを感じていた。
 しかし構成が滅茶苦茶とはいえ、術式ベースそのものは間違いなくミッド式。そこから推測するに、彼が一人で行っている魔導研究の一端が見えてくる。

 すなわち、ミッドチルダ式による魔力素操作の再現だ。

「ん? 一応アリアの付添いや月村家のバックアップなんかがあるから、なのはちゃんにバレるようなことはないと思うんだが」

 なんのためにそんなことをしているのかまではユーノには想像もつかないが、直感だけで言わせてもらえばきっとろくな事じゃないと思わせるだけのことを八雲は余裕顔でこなしてきている。

 それも、決定的なことは何一つやっていないのに、だ。

「数日前、夜遅くのスーパー海鳴で大暴れしたって聞きましたけど?」

「…………誰から聞いたのかな?」

 ユーノ自身話を聞いたときは何かの間違いなんじゃないかと一瞬疑ったが、この反応はどうやら本当らしい。

「美由希さんですけど」

「…………?」

「なのはのお姉さんですよ。ほら、あの眼鏡をかけた」

「ああ、あの子か。そういえば一人いい動きしてた奴いたけど、彼女だったのかなぁ」

 そういえばあの日、この人が海鳴にいたと家族に向けて言った美由希さんはやけにやつれて、ついでに言えば落ち込んでるように見えたのだけど、一体何があったのだろうか。
 彼は今本局にいるはずだからそんなことはあるはずないと高町家全員に必死に訴えた自分と共にそんなことを思い出した。

「いろいろ立て込んでて、すずかちゃんとの約束にかなり遅れちゃってさ。ついでに腹減ったもんだから通り道のスーパーに寄ったらちょうど惣菜コーナーで店員さんが残りモンに半額シール貼ってるとこだったのよ。こりゃあラッキーと思って3つくらい手に取ったら急にどっからか湧いてきた周りの客が訳の解らないこと言いながら襲いかかってきてさ、腹減って気が立ってたし、いい加減時間もなかったから全部蹴散らして店の棚に陳列してきたんだよ。いったい何だったんだろうな、アレ」


 時間がないならそんな無駄なことしなきゃいいのに。

 
 この人はいったい何を言ってるのだろう、と思うよりも早くそんなツッコミを入れそうになる自分は、なんだかもう既に後戻りできないところにいるなぁ、等と他人事のように思っていたユーノだった。





 事実、ユーノは後戻りのできないところに立たされていた。

 無論それは、本人のあずかり知らぬレベルでの話であったが。



 八雲と共に行動するということの意味を、ユーノは後に思い知ることになった。


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