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[101] ”運命”の子供達 ~7日間の黙示録
Name: 行
Date: 2005/02/06 17:39

 


 


1月23日

 


 


 


 


 裏路地の最奥、場末の酒場で加持はグラスを傾けていた。

 熱帯の暑さが店に澱んでおり、空調はあまり効いていない。店は広くなく、数少ない客の柄は非常に悪かった。客は一様に地下の住人が発する特有の雰囲気を身にしている。世界のどこだろうと、チンピラが放つ下劣な空気は変わらないようだった。

 褐色の肌のチンピラ達は敵意に濁った目で加持の姿をちらちらと盗み見ている。どうやら自分達の縄張りに迷い込んだ東洋人が邪魔で仕方ないらしい。加持はもちろんその視線も敵意も肌で感じ取っているが、一切構わずバーボンを味わい続けていた。そして、店の中央に設置されているピアノを眺める。ピアノを弾き唄う歌姫を眺める。

 歌姫は蝶の柄を大胆にあしらったドレスを身にまとい、艶やかな褐色の肌を惜しげもなく晒していた。加持はしばしの間、歌姫の美しい歌声にただ酔いしれる。

 やがて歌姫の歌が終わり、加持はバーテンに頼んでグラスの一つを歌姫へと渡した。歌姫は加持へと妖艶な微笑みを示しながら、それを飲み干す。歌姫はカウンターに肘を付いて、加持の側に立った。

「熱心なのね。もう来ないかと思っていたわ」

「まだ時間はあるからな」

 加持は歌姫と顔を寄せ合い、睦言のように言葉を交わす。チンピラ達の敵意がますます強くなるが、そんなものは無視である。

 やがて歌姫がてをひらひらと動かしながら、店の奥へと下がっていく。加持はそれを追うように店を出た。さらにチンピラ達がそれを追って店を飛び出す。

 加持は素早く店の裏手へと回った。そこには蝶のドレスの歌姫が待っており、彼女は加持の腕に寄り添う。

「あの連中に捕まったら面倒だわ。早く行きましょう」

「判った」

(……帰国が予定より1日遅れるが、構うもんか)

 加持は頭の片隅で囁く懸念を振り払い、歌姫とともに夜の闇の中を歩いていく。歌姫が歩く度に、豊満な肢体を包む蝶が羽ばたくかのように揺れていた。

 


 


 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」まえがき






 行(ゆき)と言います。「”運命”の子供達」第2弾を投稿させていただきます。

 このSSは拙作「”運命”の子供達」の第2弾、別ルートになっております。前作とは全く違う経緯、違う経過を辿った「エヴァっぽい聖杯戦争」を描いたものです。

 前作を読んでないと訳が判らないと思いますので、読んでおられない方はまずはそちらにお目をお通しください。

 それでは「7日間の黙示録」、しばしの間お楽しみいただければ幸いです。









[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月1日・昼
Name: 行
Date: 2005/02/06 17:40

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月1日・昼

 


 


 


 



「来い」

 ただ一言、そう書かれた葉書をシンジは難しい顔をして見つめ続けている。

 差出人の名は碇ゲンドウ。差出人の住所は記されていない。まるで大慌てて殴り書きしたような汚い文字だが、それは確かに父ゲンドウの手によるものだった。

「……たった一言で人を呼びつけるなんて、何様だと思ってるんだよ。父親らしいことをしたことなんか1回だってないくせに」

 その手紙が届いた時、そしてそれに目を通した時、シンジはそれをそのまま破り捨てようとした。実際その手紙は中央から上半分までが破られている。だがシンジはそれを破れなかった。捨てられなかった。破られた葉書はセロハンテープで補修された。

 そして今、シンジは手紙に命じられるままに第三新東京市を訪れようとしている。列車の車窓には流れ行く箱根の森が映し出されていた。

「……ったく」

 シンジは内心に渦巻く思いを言葉にすることができなかった。その思いに一番近い言葉を探すなら、「不満」である。シンジはゲンドウに対するものと同程度の不満を、自分自身の行動に対して抱いていた。

「……?」

 シンジは自分の左手の甲を見つめて首を傾げた。手の甲に、引っ掻き傷のような筋が何本も描かれているのだ。こんな傷がいつの間に出来たのか、とシンジは疑問に思いながらも得意の治癒魔術を自分の手に行使する。

 が、その傷は消えなかった。意地になって3回くらい治癒魔術を行使し、そのことごとくに失敗してシンジもようやく気が付いた。それは傷ではない、何らかの魔術によって描かれた刻印なのだ。シンジを乗せた列車が第三新東京市内に入る頃、その刻印は血が滴りそうなほど深く紅く鮮明にシンジの手の甲に焼き付けられていた。

 シンジは第三新東京市郊外の、高級住宅地に程近い駅で下車する。シンジは憮然としてしばらくの間手の甲を見つめ、その後左手をコートのポケットに突っ込んだ。真冬の風の冷たさに背中を丸めながら、シンジは駅前を歩いていく。

 そのシンジの後を、見つからないよう一定距離を置いて追う者がいる。追跡者は赤いコートを身にまとった、美しい少女だった。

 ……駅前から既に30分ほど歩いている。碇家本邸はもうすぐだ。道路の両側は土塀が延々と続いており、門は見えない。土塀の内側には竹林や松林が広がっているようだった。道路はアスファルトではなく、石畳により舗装されている。

 シンジはこの30分間、何度も何度も後ろを振り返っていた。シンジは武術の達人ではないから人の気配を感じ取るような技術は持っていない。魔力を感じ取るのは魔術師としての基本的スキルだが、魔力を隠すのもそれと同等以上に基本的なスキルである。普通の魔術師なら魔力は隠して当たり前、だからシンジはこの30分間魔力感知の術を行使しようとはしなかった。

 が、ここに来てシンジも言葉にできない予感を覚え、魔力感知の術式を行使する。術式で作られた擬似的な感覚器を立ち上げ、周囲の魔力を受信・解析しようとした。

「……何だこれ……?」

 シンジはいつも行使している疑似感覚器の他に、左手の甲の刻印が疑似感覚器として作動していることを悟った。その感覚器が、何らかの魔力の存在をシンジに教えている。その魔力の存在は、言わば発信器。そして左手の刻印は言わば受信機だ。いや、刻印は発信器と受信機を兼ねているのだ。

 左手の魔力受信機が発信器の存在をシンジに教えている。シンジの至近、シンジのすぐ後ろにそれはある。シンジは身体ごと後ろを振り返った。

「え……」

 シンジのほんの数m背後に、その少女は立っていた。シンジの脳内は一瞬ホワイトアウトする。

 そこにいたのは澄んだ蒼い瞳に赤みがかかった金髪の美少女だった。惣流アスカ・ラングレーという名のその少女は、シンジにとっては物心付いた頃からの幼なじみである。だがいつもは太陽のように華やかで勝ち気なはずの少女が、今はその美しい顔を泣いているかのような暗い翳りで覆っていた。

「シンジ、あんたもこの戦争に参加するのね」

「アスカ……一体」

 アスカが何故ここにいるのかが判らない。アスカが何を言っているのかが判らない。アスカが何故こんな暗い表情をしているのかが判らなかった。

「アスカ、一体何を……何があったんだ?」

 アスカは一瞬悲しげに目を伏せ、すぐに顔を上げる。その時にはアスカから表情というものが消えていた。アスカはシンジに狙いを定めるように、右手を突き出す。

「Flammen-Pfeil!」

 アスカが至近距離から火系攻撃魔術を放った。シンジにそれを避けることができたのは完全な僥倖である。

「アスカ! 何でだよ!」

「うるさいっ! あんたもマスターならあたしの敵よ!」

 アスカの連続攻撃をシンジは防御結界魔術で防ぎながら大慌てで後退する。アスカから約二十m後退し、アスカの間合いから脱してシンジはようやくアスカに向き直った。

「アスカ、何があったんだよ? 教えてくれなきゃ判らないだろ!」

 だがアスカはその問いに答えない。アスカはため息をつくと、虚空に向かって冷ややかな声でただ一言呼び掛けをした。

「セイバー」

 それに応え、何もないところから一人の戦士が現れる。シンジは己が目を疑った。その戦士の圧倒的な魔力量に、そしてそれだけの魔力を持った者が今まで気配を全く感じさせず隠れていたことに。

 その戦士は細身で長身、長い手足は戦うために良く鍛えられている。年齢はおそらく二十歳前後。やや長めの金髪は燃え上がるかのように輝いており、瞳は宝石のように青い。身にしている紅い鎧はボディースーツのように薄く、羽根のように軽そうだ。手にしている長剣はまともに目にするのが困難なほど強烈な魔力を放っていた。

 シンジの目はその紅い鎧の戦士を見つめ続けている。だが、気が付いたら紅い戦士はシンジの目の前にいた。その戦士は二十mの距離を瞬間移動のような速さで走破し、その長剣でシンジを薙ぎ払おうとしている。

 シンジは防御魔術を盾のように両腕に集中させ、それを顔の前で交差させる。長剣の一旋を両腕で受け止めるシンジ。そのまま断ち斬られなかったのはまさしく奇跡だった。長剣に跳ね飛ばされたシンジは弾丸のように宙を飛んで土塀にぶつかり、背中を強打する。

「くはっ……!」

 シンジは血を吐き、石畳の上を転がった。左腕の骨は完全に砕けている。肋骨も何本か折れているようだ。痛みのあまり気が遠くなるが、シンジの意識を覚醒させたのは強烈な殺気だった。何とか頭を持ち上げると、そこには紅い戦士が佇んでいた。紅い戦士は長剣を持ち直し、シンジの身体を串刺しにしようとしている。数秒も待つことなく、シンジに身体はその長剣に貫かれるはずだった。

(殺される)

「……あぁあ……」

(助けを)

 思考が麻痺し、シンジの口から痴呆のような喘ぎ声が漏れる。

(殺される、助けを)

 シンジは己が身体を庇うように左手を突き出そうとした。



(殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを殺される助けを、助けを助けを助けを助けを助けを! 助けを!!)



 その時カチリとスイッチが入るように、左手の刻印とシンジの魔術回路がつながった。光と魔力が爆発し、シンジを中心に渦を巻く。

「ふん、ようやく召還したか」

 紅い戦士はその有様を冷徹に見守っていた。

 膨大な魔力の奔流がシンジの中を流れて通っていく。シンジの魔術回路を通って、巨大な魔力の固まりがこの世界に現れようとしている。


 シンジは自分の身体がまるでパイプのようになってしまったように感じた。パイプと化した自分の身体を、卵のようなものが通っている。卵の中にいるのは、人の形をした魔力の化け物。今の自分はこの人外・常識外の存在を産み落とすための産道なのだ。それを理解したシンジは力の限り叫んだ。

「来いーーっ!!」

 シンジの雄叫びに応え、光の中から爆発するように人影が姿を現した。人影はそのまま矢のような勢いで飛び出し、手にしている短刀で紅い戦士の腹を斬ろうとする。紅い戦士は長剣でそれを受け止めた。

 精根尽きたシンジがやっとの思いで首を持ち上げると、そこには紅い戦士と斬り結ぶ一人の少女の姿があった。

 体格は小柄な部類に入る。東洋人らしき、黒曜石のような黒い瞳。絹のような光沢の長い黒髪は無造作に括られている。身にしているのは簡素と言うよりむしろ粗末なワンピース風の白い短衣。袖と丈は短く二の腕と太股は半分くらいしか覆われていない。臑とその下の足先は毛皮の長靴により防護されている。紐で括られた長剣を背に負い、手にしている短剣は紅い戦士の長剣と鍔迫り合いを演じていた。

「やっと召還したのね、サーヴァントを」

 アスカの言葉は安堵のため息のようだった。

 紅い戦士と白い短衣の少女の力の均衡は短時間しか続かなかった。紅い戦士に押され、短衣の少女はじりじりと後退している。紅い戦士は力任せに長剣を払い、短衣の少女は跳ね飛ばされた。少女はそのまま体操選手のように宙返りをし、大地を蹴って一旦松林の梢の中へと姿を消す。

 紅い戦士は長剣を下に構え、静かに待った。そこに短衣の少女が弾丸のような速度で降ってくる。紅い戦士は長剣でそれを斬り払い、少女は地面に身体を叩き付けられ、転がった。紅い戦士は容赦なく追撃する。長剣を高々と振りかざし、大地を叩き割るような威力を込めて長剣を振り下ろそうとした。が、長剣の軌道は力任せにねじ曲げられる。長剣は飛来してきた矢を薙ぎ払った。

「アーチャー……ではないだろう。何者だ、貴様」

 紅い戦士は新たに現れた二人の人影を見据える。その間に短衣の少女はシンジのところまで大急ぎで後退していた。

 一人は女性、年齢は推定二十代後半。泣きぼくろが特徴的な美女だった。肩の高さで切り揃えられた、金に染められた髪。グラマーな肢体をハイネックのシャツと黒いタイトスカート、黒いストッキングで包み、さらにその上に真っ白なコートを羽織っている。細い煙草をくわえ、色の付いた眼鏡の下の冷たい瞳をアスカと紅い戦士へと向けていた。

 彼女に同行しているのは一人の戦士だった。髪は長く、焦げ茶色。身長は紅い戦士と比べればやや低く、細身である。腰に剣を携え、銀の弓を手にしている。服装は古代地中海世界の軽歩兵風の、短衣と軽い鎧、それに長いマント。人生に疲れたような陰気な雰囲気を漂わせている、不景気そうな戦士である。そして一番異様な印象を与えているのは、包帯のような細い布で両目の部分を完全に包んで隠していることだった。

「ちっ、別のマスターか」

 アスカは舌打ちする。一方シンジは驚きを隠せないでいた。

「リツコさん……?」

 リツコはシンジに構わず、前に進み出てアスカと対峙する。アスカは険しい表情でリツコを睨んだ。

「どういうつもり? そいつもマスターなのに、庇おうって言うの?」

 アスカの問いに、リツコは「ええ」と答える。

「ちょっと事情があってね。シンジ君をここで倒されたら困るのよ。どうする? セイバーのマスター。キャスターとアサシン、二人のサーヴァントを一度に相手する?」

 アスカは一瞬「あれがキャスター?」と怪訝な顔をした。が、すぐにその顔に嘲笑を浮かべて見せる。

「最弱のサーヴァント同士の同盟か、笑わせるわね。それでセイバーに勝てるとでも?」

「キャスターは弱くはないわよ。それにセイバーを倒しきれなくても、時間が稼げればいいのよ。アサシンが貴女を殺せるだけの、ね」

 アスカの口が歯軋りの音を立てた。二人の女性が殺気を放ちつつ対峙を続ける。やがて、先にアスカが肩をすくめた。

「この場は退いてあげるわ。感謝するのね」

「ええ。助かったわ」

 リツコは素でそう返す。アスカは舌打ちを一つして、紅い戦士を連れて立ち去っていった。

 それを見送ったリツコは、安堵のため息をついて汗を拭う。そしてシンジの元に駆け寄った。

「シンジ君、大丈夫?」

 自分に治癒魔術を行使していたシンジは「ええ」と答えた。シンジの横には護衛のように、短衣の少女が立っている。シンジは少女に助けられながら、何とか立ち上がった。

「……えっと、助けてくれてありがとう。でも君は一体……」

「アサシンのサーヴァントです。マスターの召還に応じ、英霊の座より現界しました」

 意味不明なことを言われ、シンジは助けを求めるような視線をリツコに向けた。リツコは小さな苦笑を漏らす。

「どうやら何も知らないようだから一から説明してあげるわ。いいわね、シンジ君」

 シンジは、お願いします、と頭を下げた。

「……戦争が始まったのよ。どんな願いでも叶えるという聖杯を巡る魔術師同士の戦争が。この街でね」

 リツコは真剣な瞳でシンジを見つめた。

 


 


 


 


 シンジはリツコの拾ったタクシーに乗り、移動した。リツコと共にいた戦士は姿を消し、短衣の少女がシンジに同行している。

 タクシーの向かった先は、山間部中腹に建てられている古い寺院だった。シンジもそこを何度か訪れたことがある。そこは碇家の菩提寺となっている寺院だった。

 シンジはそこでリツコから手当を受けた。折れた肋骨と左腕をテープを固定、左手は首から吊っている。

 治療を受けながら、シンジはリツコから聖杯戦争についての説明を受けていた。長い長い説明が終わり、シンジはどうにか状況を理解する。

「……つまり、碇家が聖杯システムという術式を組み上げた。そのシステムに選ばれた7人の魔術師が英霊をサーヴァントとして召還して自分の戦力にして、戦争をする。最後まで生き残った1組が勝利者となり、どんな願いも叶えるという聖杯を手に入れる。

 父さんも母さんも前回の戦争にマスターとして参加して、生き残ったのは父さんだけ。そして今回僕が召還したのはアサシンのサーヴァント。リツコさんはキャスター、アスカがセイバー」

 シンジの理解の度合いに、リツコは満足そうに頷いて見せた。

「ええ。他には弓兵アーチャー・槍兵ランサー・騎乗兵ライダー、そして狂戦士バーサーカーがいるわ。そしてあの子の言う通り、キャスターとアサシンはサーヴァントとしては最弱と言われている。セイバーは逆に最強とされているわ」

 短衣の少女……アサシンはちょっと不満げに頬を膨らませたが、何も言わなかった。

 今度は逆にリツコがシンジに訊く。

「シンジ君はどうしてこの街に?」

 シンジは何も言わず、懐から手紙を取り出してリツコに渡した。手紙を読んだリツコは目を見開く。

「あの人が……まさか」

 リツコはそのまま沈黙する。長い時間自分の思考に囚われたままになっているリツコに、シンジが声を掛けた。

「リツコさん、リツコさん」

「え、ああ、ごめんなさい」

「リツコさん、父さんはどこです?」

 リツコがシンジの問いに答えを返すのに、少し間があった。

「……行方不明よ」

 え、と息を飲むシンジ。

「この戦争が始まる直前から連絡が一切取れなくなっている。あの人は仮でも碇家の当主だから、この戦争の監督役をする義務もあるのに。もしかしたら殺されたのかも知れないと思っていたけど、どうやらまだ無事のようね」

 リツコは安堵の微笑を漏らした。

「その手紙はね、多分あの人なりのSOSなのよ。監禁されているのかどうなっているのか判らないけど、それでもシンジ君には精一杯虚勢を張りたいのね。本当、あの人らしいわ」

 手紙を返してもらったシンジは、それを穴の空くほどに見つめた。リツコはそんなシンジを面白そうに眺めている。

「それでシンジ君、どうする? 代理の監督役に申し出ればサーヴァントとの契約を解除して無傷でこの戦争から降りることも、決して不可能ではないわ」

 リツコの試すような質問に、シンジは即答した。

「戦います。父さんが行方不明になったのはこの戦争に関係してのことでしょう? 父さんを見つけ出さないといけない。それに、アスカのこともある」

 リツコは無関心を装ってシンジの意志を確認する。

「あの子、アスカって言ったかしら。年齢のわりには優れた魔術師のようね。本分に忠実な魔術師なら、聖杯のために幼なじみを殺すことも辞さないのはむしろ当然ではなくて?」

「それでもあんなの、あまりにもアスカらしくありません」

 シンジは断言した。

「最強のセイバーを手にしているのなら尚更です。相手が誰だろうと堂々と五分の条件で戦って打ち倒す、それが本来のアスカのやり方なのに、あんなの……何か事情があるとしか考えられません」

 シンジの記憶は脳裏に、アスカの今にも泣き出しそうな顔を映し出していた。シンジは腕の骨が悲鳴を上げるのも構わず、拳を握り固める。鉄のようなその拳の固さはシンジの意志の強さを示していた。

 シンジはアサシンの少女に向き直り、頭を下げた。

「アサシン、僕は僕の目的のためにこの戦争に参加する。できれば僕に力を貸してほしい」

「もとより、この身は貴方の剣となり盾となるために召還されたもの。マスター、貴方の目的のためにこの身とこの剣を捧げましょう」

「うん、これからよろしく」

 シンジの視線とアサシンの視線が、宙で固く結ばれた。二人が交わした契約のように。

 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月1日・夜
Name: 行
Date: 2005/02/06 17:41

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月1日・夜

 


 


 


 


「今更だけど、シンジ君。わたしと同盟を結ばない? 期間はあの人を見つけられるまで」

 リツコのその提案を、シンジは無条件で受け入れた。シンジはリツコの紹介で、聖杯戦争の代理の監督役と顔を会わせる。ゲンドウの代理は、冬月という名の長身で白髪の老人だった。

 シンジは冬月に戦争に参加する旨を告げ、冬月はそれを受け入れる。手続きはそれで完了し、シンジはアサシンのマスターとして登録された。その後、リツコはシンジを連れて移動する。

「リツコさん、どこに行くんですか?」

「貴方の家よ」

 夕陽は既に沈み、時刻は夜である。シンジ達が到着したのは田園地帯の片隅に建つ古い農家である。そこはシンジが3歳まで両親と共に育った家だった。

「この家は碇家の所有物。この戦争の期間中は貴方が好きに使って構わないと、本家の許可も得られているわ」

 シンジはリツコの言葉が聞こえていないかのように、家の中を見回している。かすかに残る記憶と家の中の様子を懸命に照合させているようである。

「とりあえず今夜は身体を休めて、養生しなさい。明日の昼頃連絡するわ」

 リツコはそう言い残し、碇邸から退出していった。

 シンジは押入から布団を引っぱり出し、炬燵を設える。そして下半身を炬燵に潜らせ、座布団の上に大の字になった。折れた肋骨が軋みを上げ、シンジは顔をしかめる。

 シンジは目を瞑り、何の気なしに左手の甲の刻印……令呪に魔力を流した。令呪が魔力の存在を把握する。シンジから遠ざかっていく魔力が一つ、これはリツコだ。他には探索範囲内に魔力は存在しない……いや、新たな反応が現れた。その新たな魔力は真っ直ぐにリツコの元へと進み、二つの魔力が重なるほどに接近する。

「まさか……他のマスターに襲われている?」

 シンジは発条のように身を起こした。肋骨が悲鳴を上げるがそれに構う暇もない。コートを掴んで玄関へと走り出す。

「アサシン!」

「はい、マスター」

 霊体となっていたアサシンが現界し、シンジと並んで走った。

「リツコさんが、多分他のマスターに襲われている。助けに行く」

「了解しました」

 外へと飛び出したシンジとアサシンは、真っ直ぐ伸びるアスファルトの道路を駆け抜けていった。

 ……そこは田園地帯の真ん中であり、広がる田畑の中央に真っ直ぐに道路が続いている。街灯はなく、民家の明かりは遙か遠い。

 寒々としたその場所で、2組のマスターとサーヴァントが対峙していた。1組はリツコとキャスター。もう1組は、幼い少女と巨人であった。

 少女の年齢は12~13歳くらい。身体は小柄で、折れそうに細い。どことも知れない学校の野暮ったいブレザーの制服と、安っぽいダッフルコートを身にまとっている。髪と肌からは色素が欠落しており、雪のように白い。そして赤い瞳がまるで妖精のような印象を与える、現実離れした美少女だった。

 そして少女の従者は、身長は3mに届きそうな見上げるような巨人である。肌の色はまるで金属のような青銅の色をしている。腰と足先は鎧で固めているが、脚のほとんど、そして上半身は裸である。そして胸から上をフードと一体となったマントで覆い隠していた。

「……あの人が行方不明なのはあなたも知っているでしょう。あの人がいなければこの戦争に勝ったところでわたしには意味はない。それはあなたにとっても同じことではなくて?」

「それとあなたと協力することと、何の関係があるというの」

 レイは無関心を装いリツコに返答する。が、リツコはレイの内心が揺れ動いていることを悟っていた。

「あの人が消息を絶つ原因となった者……それが誰かわたしには心当たりがあるわ。それはわたしとあなたにとって共通の敵とならないかしら?」

 レイは沈黙する。レイが同盟を受け入れるかどうか逡巡しているのが傍目にも判る。あと一押し、とリツコは意気込んだ。だが、

「リツコさーん!」

 シンジとアサシンが全力疾走でその場に現れた。リツコの目前で急停止したシンジは荒い息を継ぎながら胸を押さえる。アサシンは短刀を抜いてレイとバーサーカーに対峙した。

「シンジ君、アサシン、待ちなさい。レイとは今交渉中、敵じゃないわ」

 リツコはアサシンを宥めるように言う。

「……いえ、交渉は決裂よ」

 レイは態度を急変させた。それはまるで氷壁のように頑なで、手掛かりがない。リツコは顔色を変えた。

「待ちなさい、レイ。まだ話は……」

 だがレイは最早リツコの言うことに耳を傾けない。レイは無言のまま紅い瞳をシンジへと向ける。シンジはその瞳の色に確かな殺意を感じ取り、戸惑った。

(な、何で?)

 レイは静かに自らのサーヴァントに命ずる。

「バーサーカー、碇シンジを殺しなさい」

「WWWWWWWWWーーー!!」

 バーサーカーが咆吼とともにマントを剥ぎ取る。露わになったバーサーカーの姿に、シンジ達は息を飲んだ。

「ま、まさか……!」

「ヘカトンケイレス?!」

 バーサーカーの頭部には一本の毛髪もなかった。耳は悪魔のように尖っている。目鼻立ちには凹凸が少なく、作り物めいた印象を受ける。そしてバーサーカーの腕は、10本あった。バーサーカーは6本の腕にそれぞれ長剣・戦斧・盾・短剣、さらに弓と矢を持っていた。

「WWWWWWWWWーーー!!」

 肝が潰れるような雄叫びを上げ、バーサーカーが突進してくる。アサシンが迎撃に出て短刀で斬り掛かるが、バーサーカーの長剣の一旋で十数mも吹き飛ばされ、地面を転がった。

「ちっ」

 キャスターは小さく舌打ちをし、次いでバーサーカーを迎撃する。キャスターはバーサーカーの懐に飛び込んで長剣で腹を薙いだ。が、浅い。皮一枚を切っただけだ。そのままバーサーカーの背後へと駆け抜けるキャスター。バーサーカーはキャスターへと向き直り、戦斧を叩き付けようとする。

「貴様の攻撃は私には届かん!」

 キャスターのその言葉にまるで暗示に掛かったかのように、バーサーカーの一撃はキャスターを逸れてアスファルトの道路にクレーターを作っただけに終わった。バーサーカーは暴風のような勢いで戦斧を振り回し、長剣を閃かせる。だがその攻撃はキャスターにかすりもしていない。キャスターが一旦バーサーカーの間合いの外に出る。バーサーカーが猛獣のような唸り声を上げながらキャスターと対峙した。

 レイは無表情な中にもわずかながら苛立ちを覗かせて、その戦いを見守っている。そのレイの目の前にアサシンが現れた。レイは咄嗟にバスケットボールのような巨大な氷の砲弾を魔力で作り出し、それを撃ち出す。軽自動車くらいなら軽くスクラップにできる威力を込められたその砲弾は、アサシンの目前で砕け散った。アサシンが短刀で氷の砲弾を薙ぎ払ったのだ。

 アサシンはレイの鼻先に短刀を突き付けた。

「アサシン、殺すな!」

 シンジは思わず叫ぶ。アサシンは一瞬シンジに視線を向け、レイに向き直った。

「わたしのマスターもああ言っています。バーサーカーのマスター、今夜は勝負なしとして退いてはもらえませんか」

 レイはアサシンもリツコも眼中になく、ただシンジだけを殺意を込めて見つめた。レイの視線にたじろぐシンジ。

「バーサーカー、退くわ」

 キャスターと対峙していたバーサーカーはゆっくりと構えを解いて、レイの元に戻ってくる。そして二人はシンジ達に背を向け、闇の中へと去っていった。レイのただ一言を残して。

「碇シンジ、貴方はわたしが殺すわ」

 バーサーカーの気配が消え、安堵のあまりシンジはその場に座り込んだ。

「……なるほど、そういうことね」

「何がですか?」

 一人何かを納得しているリツコに、シンジが尋ねる。だがリツコ何も答えなかった。

 


 


 


 


 ……第三新東京市の一隅。郊外のスポーツ施設の広大な駐車場。

 深夜ともなれば人気も完全に途絶える場所である。人払いの簡易結界が展開されていれば尚更だ。今そこは人外の戦士達の戦場と化していた。

 セイバーが長剣を振るい、ランサーが槍でそれを受ける。セイバーの剣が空気を切り裂き、巨大な真空の断層を生み出す。その余波がランサーの髪と肌を裂いた。ランサーは頬に流れる血を舌で舐めとる。

 ランサーは全身を分厚い銀色の鎧で完全に包み込んでいた。年齢はおそらく30代くらい。岩を削り出して作ったような、太々しい面構えは歴戦の戦士のそれである。

 ランサーが槍でセイバーの腹を剔ろうとし、セイバーがそれを避ける。ランサーはそのまま槍を横に薙いだ。セイバーはそれを剣で受けつつ後方にジャンプ、槍の勢いを受け流す。それでも槍の穂先がセイバーの腹をかすめた。槍の魔力とセイバーの全身を覆う魔力が反発し、紫色の電撃が走る。

 セイバーとランサーが距離を置いて対峙する。だがサーヴァントにとってその距離は完全に間合いの中だった。セイバーとランサーが全身に魔力を貯め、殺意を高めている。

 二人のサーヴァントの戦いを、二人のマスターが見守っていた。アスカはセイバーの後方にいて、腰に手を当て仁王立ちしている。冷徹な魔術師を装った仮面の下から、わずかながら不安と苛立ちを垣間見せていた。一方ランサーのマスターたる葛城ミサトは腕を組み、余裕を感じさせつつランサーの戦いぶりを観戦している。

「可愛い顔してなかなか凄いサーヴァントを持ってるわねー。ランサーと互角に戦えるなんて」

「セイバー、何やってるのよ! その程度のサーヴァントくらいさっさと片付けなさいよ!」

 アスカはややヒステリックになって己がサーヴァントに命じる。ミサトはアスカの様子に不審を覚えた。

「マスターの御命とあらば」

 セイバーは長剣を水平に構え、獲物に飛びかからんとする虎のように身体を屈めた。長剣が牙のように白く光る。ランサーは腰を落とし、迎撃のための重厚な構えを取る。二人のサーヴァントの間で戦意が急速に水位を高めていた。

 だがそこに、招かれざる者が現れる。

「良くやってくれているようだね、僕の可愛いアスカ」

 その声がした途端、アスカの顔から冷徹な魔術師の仮面が剥がれ落ちた。仮面の下にあったのは怯える少女の素顔である。ミサトはアスカの豹変に目を見張った。そして声の主へと視線を向ける。

 闇の中から姿を現したのは、白人の男だった。年齢は非常に判り難いが、外見上は20代後半から30代前半。身にしているのは超一流ブランドのスーツであり、コートを肩から羽織っている。

 やや色の薄い金髪は透明感があり、少し長めの髪には癖一つない。身長は高く、身体は細身である。そのマスクは鋭利な印象の美青年だ。丸い眼鏡を掛け、瞳は色の薄い青。細めで若干吊り上がった狐のような目はどこか酷薄な印象を与える。そして、人を小馬鹿にしたような皮肉げな笑みを口の端に浮かべていた。

「お、お父様、どうして……」

「可愛い娘が健気に戦ってるのだから、父親としては手助けをしないと。そうだろう? 僕の可愛いアスカ」

 震える声で問うアスカにその男が答える。巫山戯たような男の口調にミサトは気分が悪くなった。

「何あんたは。マスターでもない者に余計な手出しをされても目障りなだけだわ」

 ミサトは黒鍵を数本取り出し、指に挟んで手に下げた。が、その男はミサトの威嚇にも動じない。

「僕だってマスターさ。これが僕の一人目のサーヴァント」

 男はアスカの肩に手を掛ける。アスカは小さく身を震わせた。

「そしてもう一人のサーヴァントが……」

 男がスーツの懐から黒真珠のような宝石を取り出す。その宝石が漆黒の光を放った。暗幕のように広がる漆黒の影から、馬蹄が大地を叩く音とともにそれは現れた。

 巨大な馬と、それに騎乗する甲冑の騎士。馬は燃え上がるような赤い毛並みで、銀色の鎧でその身を防護している。騎乗する騎士は、身体の線の細さから察するにまだ少年のようだった。騎士は黄金の甲冑で全身を覆っている。金のマスクで頭部も隠し、外から見えるのは騎士の口元だけである。その口元は固く結ばれ、どんな感情も伺い知ることができなかった。

 ミサトは我知らずのうちに後ずさっていた。

「ら、ライダーのサーヴァント……? でもマスターの気配が……」

 黄金の騎士が放つ魔力はサーヴァントの規格を大きく超えている。もちろん人間ではあり得ない。でありながら、その黄金の騎士からはマスターの気配が感じられる。ミサトは混乱しつつも、ある一つのことは嫌というほど理解できていた。

(あれには勝てない)

 ミサトは唇を噛み締め、ランサーに命じる。

「ランサー! 宝具を!」

 持てる最大の攻撃を敵にぶつけ、ダメージを与えてその隙に撤退する。ミサトの意図をランサーは理解し、己を奮い立たせるために雄叫びを上げた。

「うぅおおぉぉっっ!!」

 槍を構えたランサーが全魔力をその穂先に込める。槍とランサーが1本の矢と化し、光の速さで黄金の騎士へと突進した。ランサーが宝具の真名を、その魔力を解放する。

「世界を征する神の槍!」

 救世主の血を受け、手にする者は世界を征するとまで言われている最上級の宝具「ロンギヌスの槍」。どんな英霊だろうと、これをまともに食らって無傷でいられる者は存在しない。そのはずだった。だが、

「な……」

 ロンギヌスの槍は二つに裂けていた。黄金の騎士は剣の先端で槍の穂先を受け止めていた。剣の異様としか言いようのない鋭さと槍の突進力が、最上級の宝具を真っ二つにしてしまったのだ。

 ランサーは槍の残骸を手に呆然としている。何が起こったのか理解できないままでいるランサーの頭頂部に、黄金の騎士が剣を振り下ろす。ランサーは頭部から股までを断ち斬られ、二つになって地面を転がった。

「くっ!」

 ミサトは最後までその有様を見届けることなく身を翻していた。手近な遮蔽物を目指して全力疾走するミサト。背後に圧倒的な熱量と死の気配を感じたミサトは振り返りもせずに横に飛んだ。強力無比な魔力弾がミサトの至近に着弾し、ミサトの身体を木の葉のように吹き飛ばす。ミサトは無様にアスファルトに身体を叩き付けられ、地面を転がった。

 半分以上意識を失いながらも、代行者としての生存本能だけでミサトは行動する。ミサトはそのまま地面を転がり続け、植え込みの中へと飛び込んだ。魔力が着弾して植え込みの木々が爆発し、燃え上がる。ミサトは火の粉を全身に浴びながらも植え込みの中を這いずって移動。1秒でも速く、1mでも遠く、黄金の騎士から逃れようとした。

 やがて植え込みが切れて、ミサトが身体を露出させる。それを狙いすましたように魔力弾が飛来した。ミサトは咄嗟に黒鍵を投擲して魔力弾を迎撃する。だがそれは無謀だった。魔力弾の爆発はミサトの身体を襤褸布のように吹き飛ばした。

 それを確認した黄金の騎士は、自らの宝具をどこへともなく収納する。それは一見では粗末な皮ベルトにしか見えないものだった。

 黄金の騎士の戦いぶり……というよりは狩猟ぶりを眺めていた白人の男は、哄笑する。

「ははははは、圧倒的じゃないか。さすがライダーだよ。そう思うだろう? 僕の可愛いアスカ」

 アスカは身体を萎縮させながら頷くだけで精一杯だった。

「君達がいてくれれば僕が聖杯を手にするのは間違いない。期待しているよライダー、それにアスカ」

 俯くしかないアスカの横に、無表情を装ったセイバーが寄り添う。黄金の騎士……ライダーは無言のままで、男の言葉にも何の反応も示さない。ライダーは馬上にあり、ただ闇の向こうを見据えていた。


 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月2日・昼
Name: 行
Date: 2005/02/07 21:07

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月2日・昼

 


 


 


 


 ミサトは見知らぬ天井を眺めていた。

「ここは……」

 ミサトはベッドから起き上がろうとする。が、全身に激痛が走った。全身がバラバラに砕けているのではないかと疑ってしまう。持ち上げた頭を再び枕に沈め、ミサトは目線だけ動かして周囲を見回した。

 白熱灯の柔らかな明かりで周囲が照らされている。白い壁の狭い室内だ。ベッドの他の調度品は、電気スタンドと机、小型冷蔵庫、ハンガーなど。日本の標準的な安ホテルの設備である。そして、ベッドの横には黒いスーツをだらしなく着崩した男が立っていた。

「加持君……」

「目が覚めたか、葛城」

 ミサトは激痛に顔をしかめながらも起き上がった。滑り落ちた毛布の下から、包帯に覆われた肢体が現れる。

「寝ていろ、動くのはまだ無理だ」

 そう言われながらも、ミサトは何とか身を起こした。

「加持君、わたしどのくらい寝ていた?」

「お前を拾ってから何時間も経ってない。まだ朝になったところだ」

 そう、とミサトは答えて沈黙する。ミサトが再び顔を上げるまでの数分間、加持もまた沈黙したまま数本の煙草を灰にした。

「……加持君はこの戦争の参加者についてどのくらい把握しているの?」

「お前も含めて4人分のマスターの簡単なプロフィールくらいは。誰が何のサーヴァントを召還しているかまでは知らないがな」

 ミサトは代行者の表情をして加持を見つめる。

「なら、その情報を提供してくれないかしら。こちらからはライダーのサーヴァントについて情報提供できるわ。……アスカ、という女の子のこと、知らない?」

「惣流アスカ・ラングレーのことか?」

「ラングレー? ラングレーってもしかして、あの?」

 ミサトは強い敵意を込めてその名を口にする。加持はミサトに頷いて見せた。

「そう、惣流アスカの養父の名はアレックス・ラングレー……ゼーレの最高幹部の一人だ」

 ミサトの口から歯軋りの音がする。

「そいつがライダーのマスターよ……いや、そうとも断言できなかったわ。ライダーはおかしいのよ。マスターなのかサーヴァントなのかが判らない」

 ミサトは昨晩の戦いについて加持に説明した。自分がランサー・ロンギヌスのマスターであり、ランサーはライダーに手も足も出ず倒されてしまったことも、包み隠さず。

 話を聞き終えた加持だが、にわかには信じがたい様子である。

「ロンギヌスは英霊としてはそれほど強くはない。だが『ロンギヌスの槍』、あれを超える宝具は数えるほどしかないはずだぞ。それが全く通用しなかった、と?」

 ミサトは憮然として頷いた。加持は顎に手を当てて考え込む。

「……いや、あるいはロンギヌスの槍だから通用しなかったのか?」

「どういう意味よ」

 ミサトが加持の呟きを聞き咎めた。

「ゼーレがどういう集団かはお前も知っているだろう」

「魔術かぶれのキリスト教神秘主義者、そして白人至上主義者の集団。欧米の政財界に多くの信奉者を有している。魔術師協会とは敵対関係にあるものの、協会幹部にも影響力を有すると言われているわ。聖堂教会からは異端認定されて殲滅対象になっているけど」

 ミサトの言葉に加持が頷く。

「葛城は聖堂教会の所有していた聖遺物を使ってランサーを召還したんだろう? ゼーレもきっと同じだ。あの連中はキリスト教神秘主義を標榜するだけあって聖遺物の収集には熱心だからな。ゼーレの召還した英霊がキリスト教の枠組みの中でロンギヌスより上位であれば、槍が効力を持たない理由となるんじゃないか?」

「でも、そんな英霊がいるっていうの? たとえ十二使徒を召還できたとしても、戦闘力ならランサーの敵じゃないわよ?」

 ミサトが呈した疑問に、加持が答える。

「なら、十二使徒よりさらに上なんだろう」

「まさか……!」

 ミサトは思わず絶句するが、加持は構わず推測を述べた。

「確かにそんなサーヴァントは聖杯システムの枠組みを大きく逸脱している。だが、碇家とゼーレの関係は深い。聖杯システムの構築にはゼーレが協力したらしいし、現当主の碇ゲンドウはゼーレの元幹部だって噂もある。ゼーレが聖杯システムの裏技なり反則技なりを使って規格外のサーヴァントを召還していたとしても、それほど不思議はないんじゃないか?」

 ミサトは自分の思考を抱いて沈黙の海へと沈む。浮上してきたのは随分経ってからである。

「……あのライダーは存在自体が反則技みたいなものだわ。このままじゃ戦争になんかならない、一方的な狩りになるだけよ。監督役の碇家はそれでよしとしているのかしら?」

「良くはないだろうな。だから碇ゲンドウが行方不明なんだろう」

 ミサトの表情に理解の色が広がる。

「それはつまり、ゼーレが碇家を抑え込んでこの街で好き勝手やるために?」

「他に考えられないな。ゲンドウ氏しか知らない聖杯に関する術式がいくつもあるから、多分まだ殺されてはいないだろうが」

 ミサトが戯けた口調で加持に確認する。

「で、時計塔随一とされるエージェントが碇ゲンドウ救出に動くってわけね」

 加持は肩をすくめた。

「教会の中でも指折りとされる代行者はどうするのかな? 負けたからってこのまま引き下がるつもりもないんだろう?」

「ランサーは斃れたけどわたしはまだ生きている。わたしにとどめを刺さなかったことを後悔させてやるわ、アレックス・ラングレーの糞野郎に」

 ミサトの瞳が殺意を湛えて底光りする。加持はアレックス・ラングレーの末路を想像して首をすくめた。アレックス・ラングレーは思い知ることになるだろう、葛城ミサトの名が死神の代名詞であることを。

 


 


 


 


 夢を見ていた。幼い少女の夢を。

 幼い少女を残して母は死んだ。母が残したのは遠い日のかすかな温もりの記憶のみ。ある男が少女を引き取り父親となったが、仕事の都合とやらで少女は1年の内の大部分の時間を養父から遠く離れた異国の地で過ごした。

 少女には友達がいた。少女にとってはただ一人の友達だ。その少年の前でなら、自分が魔術師であることを隠す必要もなかった。幼い少年もまた魔術師の卵だったから。

 だが、少女にとってはその少年は「友達」などという対等の存在ではなかった。良くて子分、悪ければ下僕。少年が自分にとってそういう存在だと、少女は信じて疑わなかった。実際少女は少年に公然と、何度もこう言って憚らなかった。

「あたしの方がゆーしゅーなのよっ!」

「あたしの方が強いのよっ!」

「あたしの方がかしこいのよっ!」

「強い魔術師が弱い魔術師を従えるのは当然なのよっ!」

「あんたはあたしに従っていれば間違いないのよっ! あんた馬鹿なんだから、その方があんたのためなんだからねっ!」

 少年は苦笑しながらも少女の言葉に従っていた。少女の方が魔術師としてもその他の面でも少年より優れていたのは、誰が見ても明白だったから。

 ある時、少年が興奮を隠しきれない様子で少女に報告する。

「今度、お父さんに会うんだ」

 怪訝に思った少女が問いただすと、少年は仕事の都合とやらでずっと会っていなかった父親と会えることになったという。少年が父親の知人の元に預けられて以降、初めてのことである。

「そっか、あんた魔術が下手くそだから捨てられたんだ」

 少女は自分の推理を躊躇なく披露する。それを聞いた少年は自分が捨てられた理由を初めて理解し、今にも泣きそうになっていた。少女は少年を慰める。

「今度お父さんに会った時にあんたのとびっきりの魔術を見せるのよ。そうやって自分がすごい魔術師なんだって証明できれば、捨てられなくても済むんだから」

 経験に裏打ちされた少女の言葉には万鈞の重みがあった。少年はデモンストレーション用の魔術を少女に習うことになる。少年は少女が驚くような熱心さで魔術の練習を繰り返した。

 それからしばらく後。父親との会合を終えて少年が少女の元に帰ってくる。少年は哀れなほどに悄然としていた。少女が少年から事情を聞き出す。それによると、魔術の披露は上手くいったのだが父親は何の反応も示さなかったという。

「あんたの魔術がまだまだ下手くそだからよ。捨てられたくなかったらゆーしゅーな魔術師になるしかないのよ」

 少女が少年をそう叱責し、やがて少年も立ち直る。そして少女を師匠の一人として魔術の修得に勤しむようになった。

 だが、少女は面白くなかった。

(あんたを捨てたお父さんなんか関係ないじゃない。あたしがあんたを拾ってやったんだから)

(あんたはあたしだけを見ていればいいのよ)

(あんたはあたしだけに従っていればいいのよ)

(あんたはあたしだけに守られていればいいのよ)

 少女もさすがにその想いを口にしたりはしなかった。だが少女はその想いを繰り返し念じ続けていた。まるで、少年を縛る呪詛を編むかのように。

 


 


 


 


 午後、シンジはリツコに呼び出されて市街中心地へと向かう。シンジの訪れた先は、路地裏の入り組んだ判りにくい場所にある喫茶店だった。シンジはアサシンを連れてそこに入店する。

「シンジ、あそこです」

 アサシンが示す先のボックス席にリツコが座っていた。シンジとアサシンとがリツコの正面の席に座る。シンジ達は遅めの昼食としてサンドイッチ等の軽食を注文した。

「腕はもう大丈夫なの?」

 リツコの質問に、シンジは左腕をぐるぐる回してみせる。

「ええ。骨は何とか接ぎました。無理しなければ数日で完治すると思います」

 シンジは昨晩のうちに、特異の治癒魔術を行使して折れた骨を強引に接いでいた。リツコが防音の簡易魔術を展開しつつ、作戦会議を開始する。

「戦争の期間も残り6日。シンジ君はどう動くつもりでいるのかしら?」

「どう動くにしても情報が足りません。今日のところは情報収集を中心にしようか、ってくらいしか考えがないんですけど」

 シンジの言葉にリツコはどこか満足げに頷く。

「悪くはないわ。わたし達は弱い。現時点のわたし達の目的は必ずしも勝利ではない。ならば今は無理に戦わず、あの人につながる情報を集めるのが先決」

「ですがシンジ、情報収集と言いますが具体的にはどう動くつもりです?」

 アサシンの問いにシンジは気まずそうに沈黙した。代わりにリツコが答える。

「まず知るべきなのは他のマスターの情報よ。あの人の失踪にはこの戦争が関係しているはず、ならば失踪に関わっている者がこの戦争に参加しているはず、つまりはマスターとなっているはず」

「でも他のマスターが誰かを知るには、他のマスターに会う必要がありますよね。他のマスターも当然サーヴァントを連れている以上、会ったらほぼ間違いなく戦闘になる」

 シンジの言葉にリツコは頷いた。

「ええ、当然そうなるわ。いくら逃げに徹したところで殺される可能性はゼロにはならない。でも引きこもっていても情報は得られない。これが戦争だと判っていて参加した以上、その程度の危険は引き受けてもらうわ」

 もちろんです、とシンジはやや不満そうにしながら首肯した。

「まずはお互いの情報交換といきましょうか。わたしはあの子、綾波レイというバーサーカーのマスターについて情報提供しておくわ」

 リツコはそう言って綾波レイについてシンジに説明した。

「……つまり、綾波レイは父さんが何らかの魔術行使を目的として生み出したホムンクルスで、父さんには娘のようにして育てられた。綾波レイが生み出されるにあたっては母さんの要素が多分に使用されている」

 シンジは嫌悪を滲ませながらリツコの話を要約する。

「ええ。あの人が何を目的としてあの子を作ったのは、わたしにはよく判らないけど」

 リツコは涼しい顔をしてそう言い、煙草を吹かした。「作ったなんて、そんな言い方」とシンジは吐き捨てる。リツコはシンジの感情を無視して話を進めた。

「次は貴方の番よ。セイバーのマスター・アスカって子について教えてくれる?」

「アスカ……惣流アスカ・ラングレーは僕の幼なじみです」

 シンジは気持ちを切り替えて説明しようとした。が、アスカのフルネームを聞いただけでリツコは眉を跳ね上げる。

「ラングレー? あの子はラングレーというの? もしかして父親の名前はアレックス・ラングレーと言わないかしら?」

「え、ええ。確かそんな名前でした。本当の父親じゃなくて義理の父親だそうですけど」

 シンジは戸惑いながらもそう答え、リツコは険しい表情をして沈黙した。

「あの、リツコさん?」

 シンジに声を掛けられ、リツコはそれを契機としたかのように席を立つ。

「確認したいことができたの、夜にまた連絡するわ。有益な情報、ありがとう」

 リツコはそれだけを言って伝票を掴んで颯爽と立ち去っていった。シンジはやや呆然となってそれを見送るしかない。

「リツコさん、どうしたんだろう」

「アレックス・ラングレー、という者があるいは事態の核心を握っているのかも知れません」

 アサシンはそう憶測を披露した。

 ……喫茶店を出、シンジはアサシンを連れて郊外を目指した。

 夕刻、到着した先は第三新東京市郊外の廃団地。第三新東京市建設に際して主に土建労務者が暮らすために用意されたその団地は、取り壊しも決まって今は住む者もいない。放置された団地の棟が墓標のように並んでいるだけである。

 リツコから聞いた話に依れば、綾波レイはどうやらこの団地を拠点として行動しているらしかった。

「……ですが、バーサーカーのマスターに会ってどうしようというのですか? 理由は判りませんが彼女はシンジを憎んでいる。はっきり言って、あのバーサーカーからシンジを守りきる自信はわたしにはありません」

 アサシンの問いにシンジが答えを返したのはしばらく経ってからである。シンジは自分の思いを上手く言葉にできないようだった。

「憎まれているからこそ、かな。何であの子が僕を憎むのかその理由を知りたい。あの子が義理でも父さんの娘だっていうんなら尚更だよ」

 シンジ達は忍者か、あるいはこそ泥のような足取りで慎重に団地へと接近する。不意にシンジが足を止め、彫像のように固まった。

「シンジ?」

「……マスターの気配だ」

 シンジは囁き声でアサシンに答える。シンジは目を瞑って精神を集中し、マスターの気配を探った。探知範囲ぎりぎりの場所にマスターが一人……いや、二人だ。二つのマスターの気配が重なるほどに接近している。さらにアサシンが遠吠えのような微かな叫び声を耳にした。

「今のはバーサーカーの声です」

 バーサーカーが、レイが戦っている。それを理解したシンジは気が付いたら既に走り出していた。アサシンがシンジに併走する。

「シンジ! もっと慎重に行動してください!」

「でも、今バーサーカーが多分他のサーヴァントと戦っている! 今がチャンスなんだ、戦っている最中なら僕達が接近しても手出しする余裕がないはずだ。この隙に他のマスターかサーヴァントの情報を掴むんだ!」

 団地の棟と棟の狭間の駐車場。そこには朽ちた自動車が横転し、雑草と蔦が生い茂っている。シンジ達はその駐車場を囲む棟の一つに登った。その2階廊下から駐車場を見下ろす。その廃墟は今コロセウムと化していた。特等席で戦いを見つめるのはシンジ達で、舞台では二人の英霊が剣を交わし合っている。

「WWWWWWWWWーーー!!」

 バーサーカーが雄叫びを上げながら怒濤のような勢いで戦斧を叩き付けた。セイバーは紙一重でそれを避ける。戦斧は大地を剔りクレーターを作った。セイバーがバーサーカーの腕の一本を薙ごうとする。が、バーサーカーはそれを盾で受けた。セイバーを盾でそのまま押し潰そうとするバーサーカー。セイバーはバーサーカーの力を受け流す。体勢を崩したバーサーカーの脇腹にセイバーの剣が深々と突き刺さった。

「WWWWWWWWW……!!」

 だがバーサーカーは止まらない。バーサーカーの肘がセイバーの脳天めがけて撃ち下ろされる。セイバーは舌打ちしながら後ろに飛んで、それを避けた。

 二人のサーヴァントが距離を置いて対峙する。その後方で、二人のマスターが自らのサーヴァントの戦いぶりを見守っていた。

「セイバー、ピーピングトムがいるわ。宝具は使わないで」

 アスカの命令にセイバーが頷く。レイはアスカの言葉をせせら笑った。

「宝具を使わないでバーサーカーに勝てると思うの?」

「思ってるわよ。バーサーカー程度、切り札なしでも充分よ」

 レイは氷の仮面を被ったように顔から表情をなくす。

「その慢心を後悔するといいわ。……バーサーカー、狂いなさい」

 バーサーカーが歓喜の咆吼を上げる。その声は音を通り越してほとんど衝撃波に近かった。牙を剥き出しにしたバーサーカーがセイバーへと突撃。4本の腕に4種類の武器を持ち、振りかざす。セイバーは矢のような速さでバーサーカーの懐へと飛び込んだ。セイバーの長剣がバーサーカーの喉を貫き、バーサーカーの武器がセイバーの身体を打つ。バーサーカーの戦斧がセイバーの肩を撃ち、長剣が腹を薙ぎ、盾が腕を叩き、短剣が首を斬った。

 それらの打撃は岩を砕いて鉄を断つに充分な威力を持っている。そのはずだが、セイバーには届いていなかった。セイバーの身体は傷一つ付くことなくバーサーカーの武器を跳ね返す。そしてセイバーの長剣が横へと斬り払われ、バーサーカーの巨大な首がコンクリートの地面を転がった。

 アスカは鼻を鳴らして侮蔑の瞳をレイへと向けた。レイはその有様をいつも通りの無表情さで眺めている。アスカがそれに不審を覚えたその時、

「WWWWWWWWW……!!」

 首を元通りに生やしたバーサーカーが動き、セイバーの腹を蹴った。セイバーはサッカーボールのように吹き飛ばされて地面を転がる。アスカは舌打ちした。

「……そうか、ヘカトンケイレスは100本の腕に50の頭を持つと言われている」

「そう。セイバーが今斬り落としたのは50のうちの一つに過ぎない。この再生能力こそバーサーカーの宝具『異形の巨神』」

 起き上がったセイバーが体勢を立て直し、長剣を構える。そこにバーサーカーが襲来した。バーサーカーの戦斧と長剣の乱打を、セイバーは長剣で迎撃する。鉄と鉄が激突する異音が響き、派手に火花が散った。バーサーカーの長剣をセイバーが長剣で撃ち払う。だがその隙に大地を割り砕くような勢いでバーサーカーが戦斧の斬撃を放ち、セイバーは頭頂部にそれを食らった。

 だがセイバーは戦斧を脳天で受けたまま長剣を振るい、バーサーカーの二つ目の頭部を斬り落とす。すぐさまバーサーカーの首が再生し、バーサーカーが吼えた。

 アスカとレイは揃って険しい顔をしてその戦いぶりを見守っている。シンジ達もまた両雄の戦いから目を離すことができなかった。

「バーサーカーの再生能力も異常ですが、セイバーの打たれ強さはそれをも超えています。おそらく宝具でなければセイバーに傷一つ付けることは叶わないでしょう」

 アサシンの呆れたような言葉にシンジが頷く。

「うん。もしかしたらセイバーは『どんな攻撃を受けても傷付けられることがない』って信仰を背負った英霊なのかも知れない。そんなのアキレウスかもう一人くらい……アスカならきっともう一人の方を選ぶよな」

 その間にもセイバーは6個目のバーサーカーの首を斬り落としていた。バーサーカーの首は即座に再生し、セイバーはうんざりしたような表情をする。それまで黙って戦いを見守っていたレイだが、シンジと同じ推論に至ったようである。レイは命令を下した。

「バーサーカー、セイバーの首の後ろを狙いなさい」

 セイバーの表情は微動だにしていない。が、アスカは一瞬顔色を変えてしまっていた。アスカは舌打ちしながらセイバーに命じる。

「セイバー、宝具を使って構わないわ」

 レイはアスカの慌てようを嘲笑する。

「首の後ろで駄目だったら次はアキレス腱を狙う予定だったけど、手間が省けたわね」

「ここで倒してしまえばいいだけのことよ」

 アスカはそう強がった。

 セイバーはバーサーカーから距離を置いて後退し、魔力を長剣へと集中させる。セイバーの長剣が太陽の欠片のように輝き、シンジ達は目を覆った。バーサーカーはその輝きに臆することなくセイバーへと突進する。セイバーもまた限界まで力を貯め、それを瞬間的に爆発させた。セイバーの身体が弾丸となってバーサーカーの懐へと飛び込む。それと同時にセイバーは宝具の魔力を解放した。

「WWWWWWWWWーーー!!」

「怒れる神の剣ーー!!」

 バーサーカーの咆吼とセイバーの怒号が交差する。セイバーと神剣グラムは光の矢となってバーサーカーの胴を貫いた。バーサーカーの胴には人一人通れるくらいの巨大な風穴が空き、バーサーカーの身体が崩れ落ちる。

 セイバーが勝った、バーサーカーは死んだ、全員がそう思った。レイですら一瞬そう信じた。だが戦いはまだ終わっていなかったのだ。

「何っ……!」

 バーサーカーの巨体がセイバーに覆い被さった。さすがのセイバーも虚を突かれる。

「WvWYWxwwWvVVxWW……!!」

 バーサーカーの身体は泥のように溶けていた。魔力が傷口から流出し、再生が間に合わない。隠し持っていた首や腕がごろごろと転がり落ちている。それでもバーサーカーは戦おうとしていた。わずかに残った魔力を根こそぎ掻き集め、長剣を持った腕の一本に力を込める。溶けたバーサーカーの身体の部品がセイバーを拘束しようとする。

 腕がセイバーの右脚を掴んだ。左脚を掴んだ。腹を、胸を、腕を、髪を、首を掴んだ。無数の腕がセイバーの身体に指を食い込ませている。いくつもの首がセイバーの肉に食らい付いている。それでもセイバーの動きを止められるのはほんの数秒に満たない時間だ。だがそれで充分だった、セイバーの弱点を長剣で貫くには。

 セイバーはバーサーカーに弱点を貫かれ絶命する、それは既に確定した数秒後の未来のはずだった。だが、飛来した魔力弾がセイバーごとバーサーカーを吹き飛ばした。

「何……!」

 爆炎がバーサーカーとセイバーを包み込む。地獄の業火のような炎はバーサーカーの身体を焼き尽くし、やがて炎の中からセイバーが姿を現した。セイバーは少し煤けているだけで特に傷は負っていない。

 一同の視線が魔力弾の放った元を追っていた。そこに立っているのは高級スーツを身にした白人の男。そして、巨大な馬に騎乗する黄金の甲冑を身にした一人の騎士。

「な……何だあれは」

「あれがサーヴァントなのですか……?」

 シンジとアサシンは身体の震えを抑えることができなかった。バーサーカーの発する瘴気はサーヴァントの中でも規格外だが、黄金の騎士とその騎馬の放つオーラはさらに桁違いだ。

「わたし達サーヴァントは人間とは桁違いの魔力を持っています。ですがあの騎士は、わたし達から見ても桁違いです。異常としか言いようがありません。おそらくあれとわたし達サーヴァントとの差は、サーヴァントと人間との差くらいはあるでしょう」

 その途方もなさはシンジにとっては想像の埒外だ。一方アサシンにとってはその異常さを感覚的には一応把握できる。それだけに感じる恐怖もひとしおだった。

「お、お父様……」

 アスカが怯えたような声でアレックスを呼ぶ。アレックスはネズミをいたぶるような猫撫で声を出した。

「今の戦いは頂けなかったね、アスカ。バーサーカーごときに後れをとるようでは。ライダーの助けがなければセイバーは倒されていたんだよ?」

「も、申し訳ありません……」

 アスカが小さく身を震わせる。

「君達にはまだまだ僕のために戦ってもらう必要があるんだ。こんなところで負けるなんて認めないよ。いいね、僕の可愛いアスカ」

「は、はい……」

 アスカは顔を俯かせながら、声を絞り出すようにして返答した。アレックスは満足そうに頷き、そしてその冷たい瞳をレイへと向ける。レイは怯えたように後ずさった。

「碇ゲンドウの人形、綾波レイ。君のサーヴァントと共に仲良くこの世を去るがいいさ」

 アレックスの手にしている黒い宝石から魔力が溢れる。それを合図としたかのように、黄金の騎士が騎乗したまま皮ベルトを振りかざし、魔力弾を放った。一撃目は辛うじて直撃を避けるレイ。だがレイの身体は地面に着弾した魔力弾の爆風だけで宙を舞い、コンクリートの大地に叩き付けられていた。

「うう……」

 最早身動きできないレイに、ライダーがとどめの魔力弾を放つ。レイめがけて稲妻のように突き進む魔力弾は、だがレイの目前で打ち砕かれる。

「何……」

 レイを庇うようにそこに立っていたのはシンジ、そしてアサシンだった。アサシンはいつもは背負ったままの長剣を鞘に入れたまま手に持ち、盾のように前に突き出してそれで魔力弾を受け止めたのである。

 唖然としているアレックスにアサシンが襲い掛かる。アサシンの短刀の刃がアレックスのコートを斬った。それより踏み込んだ攻撃ができなかったのは、ライダーがアサシンを魔力弾で攻撃したからだ。アサシンは大地を蹴って団地の2階へと飛び上がり、そのまま身を隠す。そしてアレックス達がアサシンに気を取られている間に、シンジとレイは姿を消していた。

「……! バーサーカーとのアサシンのマスターは?!」

 アレックスは悔しげに周囲を見回すが既に影も形もない。そうこうしている間にアサシンもまた気配を絶って既に逃亡していた。

 もちろんアスカはシンジの居場所を完全に把握している。だが訊かれもしないのにアレックスにそれを告げることは決してない。彼もまたマスターであるはずのライダーは、言葉を知っているのかどうか疑うくらいにずっと沈黙を守ったままだった。

 やがて、アレックスは気を取り直す。

「……ふん、まあいいさ。敗残者と最弱のアサシンとそのマスター、無理をして今倒すまでもない。そうだろう?」

 アスカは無言のまま頷いた。アレックスがシンジから関心をなくしたことを何者かに心の底から感謝しながら。

 アレックスはアスカ達を連れてその廃団地から立ち去る。後に残されたのは、バーサーカーの墓標となったコンクリートの廃墟だけだった。

 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月2日・夜
Name: 行
Date: 2005/02/07 21:09

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月2日・夜

 


 


 


 


 時刻は既に夜である。場所は碇邸。

 シンジ達は負傷したレイを碇邸まで運んだ。シンジがレイの手当をしている最中、来客があった。

「こんばんわ」

 アサシンに案内されて居間に現れたのはリツコだった。リツコはレイの姿を見て一瞬目を見開くが、特に何も言わず炬燵に入る。

 シンジはリツコに対して「どうも」と申し訳程度に挨拶し、レイの手当に専念している。レイはずっと無言のままで、自分の治療をするシンジを何か不思議なものでも見るかのような目で見つめていた。

「よし、こんなもんだろ」

 レイの包帯を巻き終えたシンジは一仕事終えたような爽やかな顔をしている。レイが無言のまま自分に注視していることを悟ったシンジは、小首を傾げた。

「どこか具合の悪いところでもある?」

「いいえ、問題ないわ」

 レイは即答した。そして、少し躊躇いがちに言葉を続ける。

「どうしてこんなことするの」

「こんなことって?」

 シンジはますます不思議そうにする。レイの口調はわずかながら苛立ったようなものとなった。

「わたしと貴方は敵同士なのよ。わたしは昨晩貴方を殺そうとした。なのに何故助けるの」

「でも、君のサーヴァントは倒されちゃったし、君はもうマスターじゃないだろう?」

 レイがほんの一瞬泣きそうな表情を垣間見せる。シンジは自分の物言いを後悔しつつ言葉を続けた。

「義理でも君が父さんの子供なら、僕にとっては妹だ。妹を助けるのは兄の義務なんだよ」

「兄……」

 レイはそれが初めて耳にする単語であったかのように、確認するように小さく呟く。シンジは肩をすくめて意図的に軽い口調で告げた。

「ま、昨日今日初めて会ったところでいきなり家族面されても面白くないだろうけど、我慢してくれないかな? しばらくの間、少なくとも父さんが見つかるまでは僕に君の面倒を見させてほしい」

「レイ、そうしなさい」

 リツコがシンジの援護射撃をする。

「わたしとシンジ君はあの人を見つけるためにこの戦争を続けていく。あなたにも協力してほしいのよ、あの人の捜索を。サーヴァントがなくてもあなたの知識と魔力はきっとシンジ君の助力となるわ」

 レイは躊躇いながらも「判った」と小さく頷いた。シンジは嬉しそうに笑う。

「良かった。これからもよろしく」

 レイが勢いよくそっぽを向いた。シンジはちょっと寂しそうにしながらも「それじゃ、夕食の用意をしてくるよ」と席を立って居間から出ていった。そのためレイは顔を赤らめていたことをシンジに気付かれずに済み、安堵していた。

 ……肉が全く食べられないというレイのためにシンジは少しだけ難儀したものの、メインを湯豆腐にして何とか対応した。そして、一同で湯豆腐をつつきながらの作戦会議となる。まずはシンジから今日の出来事について報告があった。

「……僕も初めて見ました、アスカの父親。でもあいつは令呪を持っていなかった。令呪は黄金の騎士……ライダーの方に反応していました」

「あのライダーは聖杯戦争の規格外です。わたしがサーヴァントではなく、抑止力として万全の状態で現界したとしても果たして対抗できるかどうか……いくら何でも異常すぎです」

 シンジとアサシンは話しているうちに深刻さが募ってくる。が、リツコの様子は普段と特に変わりない。

「ライダーが何の英霊か、あるいは英霊以外の何者なのかはわたしにもまだ判らない。情報が不足しているわ。でもある程度推測することはできる。それにはまず補助線を引く必要があるわ」

 リツコの長い説明を聞いて、シンジが話をまとめる。

「……つまり、アレックス・ラングレーはゼーレと呼ばれる秘密結社の最高幹部。ゼーレはキリスト教神秘主義を標榜していて、キリスト教関係の聖遺物のコレクションも豊富である。救世主本人を召還する触媒だって持っていても不思議ではない」

「ええ。でもライダーが救世主本人だなんて言うつもりはないわよ。世界が持つ『抑止力』システムには英霊だけでなく、神族も戦力として登録されていると言われているわ。でも『抑止力』としての神族が発動されたのは歴史上1回か2回あっただけ。おそらくわたし達はその発動を『ノアの洪水』とか『アトランティス沈没』とかいう名前で記憶しているんでしょうね」

「つまり、『抑止力』としての神族が降り立つのはそのくらい極めて希有で異常なことであり、いくら碇家の聖杯でも神族の召還など不可能である、と」

 アサシンの言葉にリツコが頷く。

「では、あのライダーは何なのです?」

「神族のごく一部、ほんの片鱗を召還しているんでしょうね。ゼーレは碇家とも聖杯システムとも関係が深い。何らかの裏技や反則技を使えば、神族そのものは無理でもその欠片、片鱗の召還くらいならあるいは不可能ではないのかも知れない……けど、一体何をどうすればそんなことができるのか、想像もできないわ」

 リツコはそう言って嘆息した。

 ともかく、とアサシンがシンジの報告をまとめる。

「セイバーは強力な英霊ですが弱点が判っている以上わたし達でも戦いようはあります。ですがライダーはわたし達とは次元が違います。あれに襲われそうになったなら即座に逃げる、それしかありません」

 ちょっと情けないけどね、とシンジは自嘲気味に笑った。

 シンジに続いて、次はリツコからの報告である。

「あの人が消息を絶ったのは、ゼーレ=アレックス・ラングレーに拉致されたためと断言してしまっても、もう構わないと思うわ。ならばアレックス・ラングレーの行動について調査すればあるいはあの人の行方が判るかも知れない。今日調査をさせたのは惣流アスカの行動についてだけど、結果的にアレックス・ラングレーの行動についても調査されている」

 リツコはシンジにA4用紙2枚の調査報告書を渡した。シンジがそれを読む横からアサシンとレイが覗き込む。シンジは数十秒でそれを読み終えた。



「1月24日、養父のアレックス・ラングレーと共に来日。同日第三新東京市に到着。

 1月25日、所在不明。

 1月26日、養父と共に同市内ローレンツ記念病院を訪問。そのまま病院に宿泊。

 1月27日、所在不明。同市内大和ホテルに逗留。

 1月28日、養父と共に碇家本邸を訪問。大和ホテルに逗留。

 1月29日、養父と共に同市内ローレンツ記念病院を訪問。大和ホテルに逗留。

 1月30日、所在不明。大和ホテルに逗留。

 1月31日、所在不明。大和ホテルに逗留……」



「碇ゲンドウ氏が行方不明となったのは何日です?」

「1月25日。工房が踏み荒らされていたことから、ゼーレの手の者に襲撃されて拉致されたと思われる」

 アサシンの質問にリツコが簡潔に答えた。

「使ったのは民間の興信所だけど、たった半日でよく調べてくれた方だと思うわ。所在不明の箇所は魔術がらみで行動していた箇所でしょうから、これ以上調査させても何も出てこないでしょうね。時計塔のエージェントでもいてくれれば話は別でしょうけど」

 リツコは古い知り合いの魔術師の顔を思い浮かべる。魔術師としてはせいぜい二流だが、エージェントとしては超一流の男。あの男もこの戦争に参加しているはず……。

「この、ローレンツ記念病院というのは?」

 物思いに浸りそうになっているリツコをシンジが現実に引き戻す。

「え、ええ。一見は普通の総合病院だけど、内実はこの街における言わばゼーレの出先機関よ。同系列の病院はドイツでは先端医療技術の魔術への応用を研究していて、かなりの成果を挙げているとされているわ」

 シンジは難しい顔をして考え込んでいる。数回何か言いかけて、結局何も言わなかった。まるで、言った言葉が現実となるのを恐れているかのように。

「……そうね、わたしはこの病院についてもう少し調べてみるわ。情報が集まらないうちからあれこれ憶測しても正解には届かないし」

 リツコがシンジの思考を先回りしたかのようにそうシンジに告げる。シンジは「済みません」と頭を下げた。

「シンジ、わたし達はどう行動しますか?」

 アサシンの問いに、シンジは腕を組んで唸った。

「聖杯……」

 そう呟くように言ったレイにシンジ達の視線が集まる。

「この街の地下の大空洞に、聖杯システムの中枢がある。アレックス・ラングレーが反則技を使っているのなら、聖杯システムに何らかの手を加えたのかも知れない」

「そうね、確認の価値はあるわね」

「そうか、聖杯システムを正常に戻せば、もしかしたら戦わずにライダーを退けられるかも」

 シンジが浮き立つように腰を浮かし掛けている。が、アサシンが冷静に突っ込みを入れた。

「ですがシンジ、貴方に聖杯システムの術式が異常かそうでないか、ちゃんと判るのですか」

 シンジは「うっ」と言葉を詰まらせた。レイは無表情のまま一同に告げる。

「わたしが行って確認する」

「そうね、あなたにしかできない。頼んだわよ、レイ」

「そ、それじゃ僕達はレイの護衛をする。それでいいかな、レイ」

 シンジの言葉にレイは「構わないわ」と頷いた。

「わたし達の目的は調査であって戦闘ではありません。定石を外して、普通の魔術師が休んでいる朝か昼間に調査に行った方が安全だと思います」

 アサシンの提案をシンジとレイは受け入れる。調査には翌日の朝から出掛けることにして、今夜はゆっくり休むこととなった。

 碇邸の2階の客間。レイはシンジに布団を用意してもらい、そこで寝ることとなった。

 寝間着を持ってきているはずもないので、シンジからシャツを借りて下着の上にそれを着ている。レイは部屋の電気を消して、窓と雨戸を開け放った。真冬の夜の身を切るような冷気が流れ込む。雲一つない夜空に浮かぶ月は、闇の夜に浮かぶ氷のように輝いていた。

「……『兄』、『妹』、初めての言葉。憎んでいるはずなのに、どうして」

 どうして胸の内がこんなに暖かくなるのだろう。レイは声に出さずにそう呟く。月明かりを浴びたレイの姿はまるで月の妖精のようだった。

 


 


 


 


 同時刻。市街中心部、大和ホテル。

 大和ホテルは外国政府要人も宿泊する超一流の高級ホテルである。そのホテルの最上階は今、アレックス・ラングレーの逗留のためにフロアがまるごと借り占められている。そしてアスカもその最上級のスイートルームの一つに宿泊していた。

 スイートルームのベッドルームは消灯済みである。天蓋付きの、3畳くらいありそうな巨大なベッドの上で、アスカが横たわっている。いや、アスカはベッドの上で身体を転がしていた。腹部を両手で押さえたアスカは苦悶の表情を浮かべ、苦痛を少しでも和らげるために身を右へ左へと捻っている。汗が全身から滝のように流れ、シーツを濡らしていた。

「……くぅうぅぅっ……うぐっうぅぅっ……」

 苦痛のあまり涙が流れ、止まらない。アスカは腹部を押さえ、胎児のように身を丸める。握り締めた手の平に爪が刺さり、血が流れていた。

「……何だってこんな……。……なんて、絶対にいらないのに……!」

 アスカの呪詛のような言葉を紡ぐ。それは誰にも聞かれることなく、闇へと溶けて消えていった。

 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月3日・昼
Name: 行
Date: 2005/02/08 20:33

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月3日・昼

 


 


 


 



 夢を見ていた。幼い少女の夢を。

 優れた魔術師であること、それが少女にとっての全てだった。少女は魔術の修得するために血の滲むような努力をした。

 少女にとっては時間の浪費でしかなかったが、普通の子供と同じように小学校に通った。少女は人前では普通の子供と同じように振る舞い、もちろん魔術のことなどおくびにも出さなかった。神秘とは秘匿されるべきものだったから。一般人に魔術の存在を教えるのは、魔術師にとっては死をもって報いるべき罪だったから。

「あたしはこいつらとは違う」

 少女は魔術を修得するために死の危険に臨むことを繰り返している。そんな生活が日常の少女から見れば、普通の小学校の同級生など幼稚で低レベルもいいところだ。まともに相手にするに値しなかった。自然、少女は学校では孤立した。同級生は少女を敬遠し、少女もそれを当然のものと受け入れた。

「あたしはこいつらとは違う」

 他者の全てを虫けらのように見下す、その強烈なプライドが少女を支える全てだった。それがあればこそ、少女は過酷な修行にも歯を食いしばって耐えていられたのだ。少女にとって友達と言えたのは、同じ魔術師である幼なじみの一人の少年だけだった。

 学年が変わって、少女と少年は同じクラスになった。初めて同じクラスになってみて少女が驚いたのは、少年が多くの友達を持って同級生と馴染んでいたことだった。後になって考えればそれはごく表層的な付き合いでしかなかったことが判る。だがその時の少女にはそれは判らなかった。少女は少年に裏切られたと感じた。

 少女は少年が二度と自分を裏切らないよう強力に縛り付けることにした。魔術の師匠の一人としての権限をもって、同級生の男子との交際を禁止して少女以外の誰とも口を利かせないようにしようとしたのだ。さすがに少年もそんな命令を簡単には受け入れらず、少女と少年は何度も衝突を繰り返した。やがて「少女と一緒にいる場合は少女のことを最優先する」というところで妥協が成立する。

 もっとも、それまでの間に少年は男子の友達のほとんどをなくしていた。わがまま極まりない少女に全く頭が上がらない少年は、男子の同級生から見れば友情を結ぶ相手ではなく、揶揄の対象でしかなかったから。結局少女は自らの望み通りに少年を独占した。

 友達をなくした少年は、いつの頃からかいじめの対象となった。少女の場合、同級生の女子からいじめられることはほとんどなかった。不当な攻撃に対しては十倍にして報復する少女の苛烈さを、同級生の女子は恐怖と共に知り抜いていたから。

 一方穏やかな性格の少年はいじめに対しても特に反撃はせず、受け流すことを常とした。そのうちに、愚かで怖いもの知らずの男子は少女をもいじめの標的にしようとする。その場合は少年はいじめに反撃し、少女のプライドを満足させた。

 ある時、少女は同級生の男子に髪飾りを壊されるといういじめを受ける。壊したのが誰かなのは魔術を使用すればすぐに判明する。だがその結果を証拠として開示することは当然出来はしない。その髪飾りは少年が誕生日のプレゼントとしてくれた物であり、少女にとっては宝物の一つである。

 自制心が尽きた少女は魔術を使用しての報復を実行する。調理実習の時間、火系魔術を使ってガスコンロの炎を暴走させ、いじめの犯人を一瞬だけだが火だるまにしてやったのだ。

 それだけならただの事故で終わっていただろうが、真の事件はこの先から始まる。火だるまになって火傷を負った同級生に、少年が治癒魔術を使っての応急処置を施したのである。そのために同級生の怪我は非常に軽いもので済んだ。教師や養護教諭、それに同級生の多くは常識に捕らわれ、自分の目を信じなかった。元々から大した怪我ではなかったのだろうと考えて、それに沿うように記憶すら改変した。

 だが同級生の一部は少年が何か不思議なことをして火傷を癒したのだと思った。自分の見たものをありのままに信じた。それが魔術だと露見しはしなかったが。

 少年の行動は周囲の大人の魔術師の中で大問題となった。少年が自分は間違っていないという意志を決して曲げなかったために問題はこじれにこじれた。協会から査問官が派遣される騒ぎにまで発展したのだ。少女も事情聴取を受ける羽目になり、その過程で少女が魔術で同級生を傷付けたことも明らかになってしまったが、それは大した問題にはならなかった。少女が神秘の秘匿に関しては誰よりも忠実に行動していたから。

 査問官に対しても自分の正しさを主張しようとする少年を、少女と少年の保護者が必死になって説得した。少年が表面だけでも反省して見せることにより、騒ぎはようやく終息する。もしここまで来て少年が自らの主張を曲げないでいたなら、最悪の場合少年が殺されることもあり得ただろう。

 ただし少年の受けた処分は決して軽いものではなかった。処罰として少年は査問官の手により制約の魔術を施される。その魔術は少年を長期に渡って激しく苛んだのだ。

「あんたバカぁ? あんな奴のためにそんな痛い思いをするなんて」

「別にあいつのために、ってわけじゃないよ。ただ僕は自分が正しいと思う行動をして、正しいと思うことを言っただけなんだ」

 騒ぎのそもそもの原因である少女の行動について、少年は何一つ言わなかった。恨み言も、糾弾に類することも。

 ただそれ以降少女の振る舞いが多少変化した。少女が同級生の女子と友達付き合いをするようになったのだ。それはごく表面的な付き合いでしかなかったが、それでも少年以外誰とも一緒にいようとしなかった以前からすれば飛躍的な進歩であった。それに伴い、少年と少女に対するいじめも次第になくなっていく。

 一緒にいる時間は少なくなったが、少年は少女にとって誰よりも近しい者であり続けた。ただ、以前のように「子分、下僕」などと簡単に片付けられる存在ではなくなっていることもまた確かだった。

 


 


 


 


 日が地平線から姿を現してからまだ間もない時間帯。シンジはアサシンとレイを連れて碇邸を出立した。空には雲一つなく、冷気がシンジの身体を締め付ける。シンジは「寒い寒い」と震えるが、アサシンとレイは寒さを感じていないかのように平然としている。

「そ、それじゃ行こうか」

 シンジ達はバスを使って箱根山麓へと向かう。目指す先は山の中腹の洞窟。そこが第三新東京市地下大空洞の入り口だった。

 1時間ほどバスに揺られ、バス停の終点を降りてハイキング気分で山の中へと足を踏み込む。山道を歩くこと十数分。シンジは他のマスターの気配を察知する。

「……この先に他のマスターがいる。方向と距離から見て、洞窟の入り口で僕達を待ち受けているとしか考えられない」

 シンジ達は足を止めて顔を突き合わせた。

「マスターの数は」

「一人だけ。誰なのかは判らない」

「ライダーではないと思う。あれだけの魔力を放つ存在ならこの距離からでも識別できる」

 レイの言葉にシンジが頷く。

「どうしますか、シンジ」

「進もう」

 シンジはそう即答し、アサシン達も頷いた。

 さらに歩くこと約10分、シンジ達は洞窟に辿り着いた。そして、その前に陣取っているアスカとセイバーの元に。

「朝っぱらからわざわざこんなところに来るなんて。余計な知恵を回さなければ死なずに済んだものを」

 アスカが苛立たしげにシンジに宣告する。シンジはアスカの様子に不審を覚えた。病人のように顔色が悪く、頬が痩けている。髪もいつもほどには綺麗にセットされていない。

「アスカ、大丈夫? 何か具合が悪いようだけど」

 アスカは一瞬唇を噛み締め、誤魔化すように怒鳴った。

「何よ! 敵の体調を心配するなんて、余裕なわけ?!」

「僕はアスカを敵になんてしたくない。アスカが好きで戦っているようにも思えない。アスカが何に苦しんでいるのか判らないけど、それから解放してあげたい。僕はそのためにこの戦争に参加したんだ」

 アスカは泣きそうな顔をシンジから逸らす。少しだけ時間を置いて、アスカがシンジに向き直る。その時にはアスカは冷徹な魔術師の仮面を被り直していた。アスカはただ「敵」としてシンジを見つめる。

「セイバー、アサシンを殺しなさい。シンジを脱落させるわ」

 長剣を抜いたセイバーが無言のままシンジ達の前に進み出る。

「アサシン、頼む。無理しなくていいから」

「そういうわけにもいかないでしょうね」

 短刀を抜いたアサシンがセイバーの前に立ち塞がった。

「貴方のマスターはアレックス・ラングレーに良いように利用されているだけだ。貴方が倒されてしまえばもう利用されることもない、そうは思いませんか? セイバー」

 アサシンの言葉にもセイバーはわずかに眉をひそめるだけだ。アスカは、

「セイバー、そいつをもう二度とそんな口利けないようにしてやって!」

 と怒鳴った。その命を受け、セイバーは疾風のような速さでアサシンに斬り掛かる。アサシンは横に回ってその攻撃を受け流した。セイバーの連続斬撃がアサシンを襲うが、逃げに徹したアサシンはそれを受け切った。

 アスカはセイバーの戦いぶりをただ見物などしていない。シンジ達の前に飛び出し、火系攻撃魔術を放つ。

「Alles verbrenne! Flammen-Pfeil!」

 野球のバットのように巨大な炎の矢が空気を切り裂き、シンジ達へと突き進む。だがとっておきのその魔術は、レイの防御結界によって阻まれた。魔力のバリアに衝突した炎の矢は花火のような火の粉を撒き散らして宙に消える。その結界の堅牢さにアスカは歯軋りした。

「その程度の魔力でわたしに対抗するつもり?」

 レイが冷たくアスカを見下す。レイは凍結魔術でバスケットボール大の巨大な氷の砲弾を生み出し、それを大砲のように撃ち出した。咄嗟に展開した防御結界でそれを受け止めるアスカ。氷の砲弾と結界は相打ちとなって双方消えるが、結界は砲弾の攻撃力を完全には殺せなかった。砕けた砲弾の破片がアスカに襲い掛かり、礫となってアスカを打つ。全身に無数の傷を作ったアスカは大地に膝を付き、前のめりに倒れた。

 レイはとどめを刺すべく巨大な氷の投げ槍を生成している。シンジがレイの腕を掴み、生成の邪魔をした。

「そこまでやらなくていいんだ」

 シンジはそれだけを言うとアスカに駆け寄り、抱き起こす。レイが慌ててそれに続いた。

「駄目、離して……」

 アスカがシンジを突き放そうとするが、その力は弱い。シンジはそれに構わず強引にアスカを腕に抱き、治癒魔術を行使しようとした。

「Beneficentia Sanabilis……!」

 一方レイは、

「セイバー、戦闘を止めなさい」

 アスカに対しいつでも攻撃魔術を放てる体勢を取ったレイが、セイバーに通告する。セイバーはゆっくりと長剣を下ろして構えを解いた。セイバーに首を斬り落とされる寸前だったアサシンは露骨に胸を撫で下ろす。レイはさらに命じた。

「後ろを向いて、貴方の弱点をアサシンに見せなさい。貴方が最後まで無抵抗なら貴方のマスターは死なずに済むわ」

「今私のマスターを救わんとしているのはアサシンのマスターに見えるが?」

 セイバーが皮肉な響きを交えつつレイに問う。レイは言葉まで凍てつかせながら酷薄にセイバーに告げる。

「彼に殺しはできなくても、わたしにはできる。バーサーカーの仇の貴方を許すつもりはないわ」

 アサシンもまた暗殺者に相応しい冷酷な仮面を被り、セイバーに相対する。セイバーは肩をすくめ、長剣を地面に投げ出した。後ろを向いたセイバーが両膝を地面に付く。アサシンが短刀を両手で持って構えた。だが、

「アサシン、セイバーを殺すな」

 シンジの命令がアサシンを留まらせる。アサシンとレイの不満げな瞳がシンジに向けられるが、シンジはそれに構わない。

「今は余計なことはしなくていい。頼むから僕を治療に専念させてほしい」

 シンジは目を瞑り、精神を集中させた。シンジの両掌がアスカの身体の上を滑り、掌が放つ淡い光がアスカの傷口を塞ぐ。レイが付けた主立った傷の治療はすぐに終えるが、シンジはアスカの治療を続行する。アスカの身体から魔力の流れの乱れと強い違和感を感じたからだ。

 シンジはその原因を探るべく肉体解析の術式を起動する。肉体が放射する魔力を受信し解析するだけでなく、超音波のように魔力を放ってその反響から肉体や魔力回路の状況を解析するという魔術である。シンジは特に違和感の強い腹部に集中して解析を進めた。

 掌から魔力を放射し、反射して戻ってくるのを受信する。シンジの掌は確固たる反応を、特異な、特徴的な反応を掴んだ。シンジはその反応の意味を脳内の膨大なデータベースから検索する。

 最初は勘違いだと思った。もう一度掌からアクティブソナーを打ち、受信・解析する。次は自分の受信した反応が信じられなかった。もう一度慎重に発信・受信・解析を繰り返す。結果は同じである。だがどうしてもその事実を信じられず、さらに精神を集中させて同じ魔術を繰り返す。

 だがやはり手にする反応は同じである。シンジはそれでもその事実を受け入れることができず、もう一度同じ魔術を繰り返し、やはり同じ反応を掴んだ。シンジはその事実を受け入れる他なくなる。

「あ、アスカ……」

 シンジはこぼれ落ちそうなほどに目を見開き、震える声でアスカの名を呼ぶ。怯えるように震えながら伸ばした手を、アスカは撃ち抜くように手の甲で払い除けた。アスカの瞳から大粒の涙が溢れ、いくつもいくつも頬を伝う。

「あ、あんたにだけは、知られたくなかったのに……!」

 立ち上がったアスカは泣き顔を隠し、おぼつかない足取りでセイバーの元に駆け寄った。アスカはセイバーに抱き留められ、そのまま抱えられるようにして共に去っていく。シンジは顔を青ざめさせ、呆然とそれを見送っている。

 レイとアサシンはシンジとアスカの様子に戸惑いを覚えながら、両者へと交互に視線を送ることしかできない。そしてアスカとセイバーは木立の奥へと姿を消し、その場にはシンジ達3人だけが残された。

「シンジ、一体どうしたというのですか」

 アサシンが不満を口調に滲ませながらシンジを問い詰める。だがシンジは病人のように顔色を悪くしながら何らかの考えに囚われたままで、アサシンの言葉に反応しない。アサシンが何度も強く呼び掛けて、ようやくシンジの意識は現実へと戻ってきた。

「……ああ、ごめん」

「シンジ、何があったというのです。ちゃんと教えてください」

 アサシンとレイは、揃って不満半分・心配がもう半分といった表情でシンジを見つめている。ともすれば自分の思考の泥沼に頭まで浸かりそうになっているシンジの肩を、アサシンは強く揺さぶった。

「セイバーのマスターの身体に、何があったというのですか?」

 シンジは躊躇いながらも、血を吐くような思いで自分が掴んだ事実を口にした。

「……アスカ、妊娠している」

 アサシンとレイはぽかんとした。数瞬惚けたまま時間を無為に過ごし、やがて何とか再起動を果たす。シンジは苦痛に耐えるかのように歯を食いしばっていた。

「……何かの間違い、ということはないのですね」

「4回も5回も確認した。あんな簡単な反応を間違えるわけがない。一体どうして……」

 シンジはそのまま頭を垂れて黙り込む。アサシンとレイは途方に暮れたような互いの視線を交わし合った。

「どうするつもり?」

「マスターがこれでは聖杯システムどころではありません。セイバーのマスターに関する重要な情報も掴めたことですし、とりあえず引き上げてはどうでしょうか」

「仕方がないわね」

 アサシンが先導し、レイと二人でシンジの手を引いて歩き出す。シンジは二人に導かれるままに素直に山道を歩いた。

 山道をとぼとぼと歩いて数分後。シンジが突然足を止めた。シンジは元来た道を振り返ると険しい表情で道の先を見つめている。

「シンジ、どうしました?」

「……マスターの気配だ。多分ライダーだ」

 レイが魔力受信の術式を立ち上げ、シンジの言葉を追認する。

「あの途方もない魔力を確かに感じられる。ライダーに違いないわ」

 シンジの身体から熱風のような怒気が溢れた。気遣わしげにシンジに声を掛けるアサシン。

「シンジ、今の状態でライダーに戦いを挑むのは……」

「判っている、自殺行為だって言うんだろ。追いかけてこないうちに早く逃げよう」

 シンジは突然全力疾走を始めた。転げ落ちるような勢いで、無様ながらも猛スピードを実現している。レイを抱きかかえたアサシンがシンジに続いた。

(今は逃げる。でも、いずれ必ず……倒す)

 シンジは脳裏に描いたアスカの涙に、それを誓った。

 


 


 


 


 第三新東京市中心部、繁華街。

 繁華街の中でも場末の、猥雑な飲食店や風俗の店が軒を連ねる界隈。その一角の、路地裏の古びたビルの地下。そこにあるのは看板も店名も出ていない店である。一応はスナックらしいが、一見の客は絶対に入ってこない。リツコが訪れたのはその店だった。

 入店したリツコは2人いた先客を見つめる。先客の一人は黒いスーツをだらしなく着崩した男で、カウンター席に座ってウィスキーを煽っている。もう一人はゆったりとした絹のズボンとサンダル、それに派手なネックレスだけを身にした、半裸の褐色の肌の男だった。

「ここに来れば会えると思っていたわ」

「よう、久しぶりだな」

 リツコは加持の隣に座る。加持がリツコの前に空のグラスを進めた。リツコはそれを脇に退ける。

「昼間から飲むのはやめておくわ」

 そうか、と呟く加持。加持の隣の半裸の男は、手酌でウィスキーをまるで水のように飲んでいる。

「ランサーという感じでもなさそうね。アーチャー?」

「その通り。このアーチャーは強力だぜ?」

 加持は悪戯っぽく笑う。

「そのようね。それでもライダーには勝てないんじゃないかしら?」

「多分な。だが出し抜くくらいはできるさ」

 リツコと加持の言葉にアーチャーは少し不快そうにするが、無言のままである。

「碇ゲンドウの居場所、掴めたの?」

「いくつか見当は付けているが、確証がない。揺さぶりを掛けてしっぽを掴みたいところなんだが」

 そう、というリツコの呟きが空気に溶けた。リツコはアレックスの同行に関する調査報告書を加持に渡し、加持がそれに目を通す。

「……ゲンドウ氏が行方不明となったのは?」

「1月25日。工房が踏み荒らされていたことから、ゼーレの手の者に襲撃されて拉致されたと思われるわ」

「確かその日だったかな、この街のゼーレのアジトが一つ壊滅したのは」

 え、とリツコが加持を見つめる。

「おそらくゲンドウ氏もアレックスの襲撃、あるいは暗殺を計画していたんだろう。それは実行されたが結局失敗した。一方同じ日に実行されたアレックスの方の計画は成功した、ってところか」

 わたしに相談していてくれれば……とリツコは呟きながら悔しそうにカウンターを凝視してる。一方加持は密かに冷や汗を流していた。

(……もしかして俺が予定通りに帰国していれば、ゲンドウ氏を助けられたのか?)

「……加持君?」

「ん、ああ、何でもない。ただここの、ローレンツ記念病院でアレックスが何をしていたのかが気になるな、と」

 加持はそう言って話を逸らす。リツコはあっさりとその話に乗ってきた。

「ええ、私もそれを調べたいと思っている。クラッキングを仕掛けてみたけど侵入できなかった」

 加持は懐から小型のDVDディスクを取り出し、滑らせるようにしてリツコへと差し出す。

「ゼーレが独自に使用しているプロコトルのコードだ。俺には宝の持ち腐れだからな、りっちゃんが活用してくれ」

「ありがたく受け取っておくわ」

 リツコはそれをコートの内ポケットへと差し込み、席を立った。

「何か掴めたらまた連絡するわ。それじゃ」

「ああ」

 リツコはコートを翻し、その店から立ち去る。加持はグラスを振って氷に涼しい音を立てさせ、それを見送っていた。

 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月3日・夜
Name: 行
Date: 2005/02/08 20:35

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月3日・夜

 


 


 


 



 リツコはかなり遅い時間になって碇邸を訪れた。あるいはシンジ達は夜の街で行動していて不在ではないかとリツコは思っていたが、予想に反してシンジは在宅中だった。

 居間まで勝手に上がり込んだリツコは、戸惑いを見せる。シンジとアサシンとレイ、3人が炬燵に入っている。何をしているわけでもなく、ただ重苦しい顔を突き合わせていた。重く暗いオーラの発信源はシンジだった。アサシンとレイは互いに困ったような視線をちらちらと交わし合っている。

「お邪魔するわよ」

 リツコは返答を待たず居間に入り込み、炬燵の空いた辺に腰を下ろした。そして努めて事務的に、勝手に話を進める。

「まずは今日の報告から。アサシン、お願いできるかしら」

「え、あ、はい」

 リツコの命令にアサシンは戸惑うものの、「しゃべってまずいことならシンジが止めるだろう」と判断して報告を開始した。洞窟の入り口にアスカとセイバーが待ち構えてていて、戦闘になったこと。アスカを人質に取る形でセイバーに勝利を収めたこと。シンジがアスカの治療をしたこと。そして……

「妊娠……あの子が」

 リツコは大きく目を見開き、一瞬呆然とした。シンジは今にも泣きそうになって唇を噛み締めている。気を取り直したリツコはシンジへと向き直った。

「シンジ君」

「……はい」

 リツコの瞳が真っ直ぐにシンジを見据える。

「責任は取るべきよ」

 シンジが額を炬燵の天板に打ち付けた。

「僕じゃありません!!」

 腰を浮かしてそう叫ぶシンジ。だがアサシンとレイが冷たい瞳をシンジに向けた。

「言い逃れなんて、男らしくありませんよ。シンジ」

「……最低」

 シンジは言葉をなくして酸欠みたいに口をぱくぱくさせている。リツコは笑みを漏らして肩の力を抜いた。

「まあ冗談はさておきましょうか」

 シンジは全身から脱力して炬燵に突っ伏す。「全く……」等と呟くシンジを、アサシンとレイはこっそり笑いを漏らしながら見つめた。

「次はこちらからの報告ね……ローレンツ記念病院にクラッキングを仕掛けたわ」

 リツコは炬燵の上に紙の束を投げ出す。シンジはそれを読もうとして、即座に諦めた。その資料はドイツ語で書かれていたのだ。レイがそれを手にして、目を通している。目次を斜め読みしたレイが驚きの表情をリツコへと向けた。

「……クローニング? ゼーレはクローン人間を作ろうとしているの?」

「そのようね。そしておそらく惣流アスカはクローンの母胎、仮親にさせられた。白人至上主義者のアレックス・ラングレーがどうして東洋人の血の入った惣流アスカを養子にしたのか疑問だったけど、謎が解けたわ。おそらくはこのためだけに養子にしたのよ」

 歯軋りの音が響く。シンジの身体は憤怒のあまり小刻みに震えていた。

「……アスカが望んで仮親になんかなったわけがない。どこの誰とも知らない奴の子供を無理矢理妊娠させられるなんて、レイプされたのと大して変わらないじゃないか……!」

 シンジの拳が炬燵の天板を殴る。レイが怯えたように小さく身をすくませた。リツコが冷徹な口調でシンジに話し掛ける。

「落ち着きなさい、シンジ君。貴方もショックだったかも知れないけど、惣流アスカが受けた苦痛は貴方の比ではないのよ」

 シンジが身体を硬直させる。リツコは言葉を続けた。

「惣流アスカが妊娠したという事実はもう変更しようがない。その上で貴方はどうするの? シンジ君。他人の子供を勝手に孕んだ彼女になんか、用はない? それとも」

「僕はアスカを助けたい、アスカを傷付ける全てのことから」

 シンジの瞳が真っ直ぐにリツコを見つめ、リツコが柔らかに微笑む。

「アレックスとゼーレの呪縛から彼女を解放し、傷付いた彼女の心を癒す。まだ手遅れではないけど、簡単なことでもないわ。それでもシンジ君、そのために戦うというの?」

「もちろん」

 シンジは力強く頷いた。居間の空気が目に見えて暖かで和らいだものとなり、リツコは内心安堵する。

「……ところでキャスターのマスター。ゼーレが結局何を目的としているのか、判っているのですか?」

 アサシンの問いにリツコは沈黙する。答えが返ってきたのはずいぶん時間が経ってからである。

「……それが誰のクローンなのか、何を目的にしてクローンを作っているのか、いくつか可能性を考えることはできる。でも推理を一つに絞るにはまだ情報が足りないわ」

 そうですか、とアサシンとシンジが呟いた。続いてレイがリツコに尋ねる。

「……おとうさまの居場所については何か判ったの」

「それですがバーサーカーのマスター」

 横から口を挟んだのはアサシンである。

「セイバーのマスターの口振りからして、あの洞窟に碇ゲンドウ氏がいた可能性が高いのではないでしょうか」

 あ、とシンジとレイが息を飲む。

「それならあの後洞窟に入っていれば……」

「ライダーに襲撃されてわたし達は全滅していたかも知れません。あそこで逃げたのは間違いではなかったと思います」

 レイを宥めるようにアサシンがそう言った。レイは一応納得したようである。

「それなら今度はライダーに見つからないように忍び込んで父さんを助け出せば? あるいはライダーを誰かが引きつけておいて、その隙に助け出すとか」

「わたしがアレックス・ラングレーなら碇ゲンドウ氏を別の場所に移します。洞窟は既に空になっているでしょう」

 シンジ達が失意のため息をもらした。が、リツコがシンジ達に希望の光を示す。

「あなた達はアレックス・ラングレーへの揺さぶりになってくれたわ。きっと彼が動いてくれるはずよ」

「彼?」

「ええ。時計塔随一のエージェントが、ね」

 


 


 


 


 時刻は未明に近い。場所は高級住宅地の一角。広大な敷地を持つ、古びた洋館。

 閑静な住宅地のはずのその場所が、今は戦場と化していた。侵入者は黒いスーツを身にまとった長髪の男で、両手に軽機関銃を持って出鱈目に撃ちまくっている。

 それを迎撃しているのは洋館にいた黒いスーツの男達だ。それ等アレックスのボディーガードも銃器で武装していたが、持っていたのは普通の拳銃だけで火力が段違いだった。ボディーガード達は瞬く間に打ち倒され、死体と化していく。軽機関銃の弾倉が尽きる頃、洋館の外にいたボディーガードは全滅していた。

 長髪の男は軽機関銃を携えて、無造作に洋館の前庭を進む。洋館の正面玄関が開いて、出てきたのは白人の男である。長髪の男は軽機関銃を全力で投擲する。剛速球と化して空気を切り裂くそれは、白人の男の目前で壁に阻まれた。突如現れた、巨大な馬と黄金の騎士という壁に。

「やれやれ、時計塔のエージェントというのはやり口がスマートではないね」

 白人の男……アレックスは侮蔑の視線を長髪の男へと向ける。

「蠅に周囲を飛び回られても不愉快だ。ライダーにここで踏み潰されたまえ」

 アレックスは振りかざした手を滑るように振り下ろす。ライダーが剣を振り上げ、大地を割り砕くように振り下ろした。生み出された衝撃波が大地に亀裂を作りながら走っていき、長髪の男を飲み込む。男が身にしている黒いスーツは襤褸布と化した。男はぐったりしながらもまだ両足で立っている。アレックスはすぐに男の身体が崩れ落ちるだろうと思っていた。だが、

「何……!」

 男の身体が黒い弾丸と化してアレックス目掛けて疾走する。アレックスは棒立ちとなって何もできない。だがライダーが騎馬と共に黒い弾丸の軸線上に割り込み、自らを盾とした。ライダーと黒い弾丸が激突し、火花が散って紫電が舞った。

「……貴様、サーヴァントか!」

 ライダーと長剣で斬り結んでいるのは、褐色の肌の半裸の男だった。ライダーの剣がアーチャーを弾き、アーチャーの身体が宙を舞う。アーチャーは猫のように宙返りし、音もなく着地した。

 アーチャーはどこへともなく長剣を収納し、代わりに弓を取り出す。

「貴様、アーチャーか。マスターはどうした!」

 アレックスが喚くのをアーチャーは面白そうに見下ろしている。

「貴様もマスターなら令呪で感じ取ってみてはどうだ? 自らマスターとなる気概もなしに戦争に首を突っ込むから、このような下策に引っ掛かるのだよ」

「殺せライダー! この黒い猿を殺せ!」

 アレックスはヒステリーを起こしたかのように喚き散らす。アーチャーは絶対零度の視線でアレックスを見つめた。

「よく言った、下郎」

 アレックスは怯えたように後ずさりし、代わりにライダーが前に進み出る。アーチャーはライダーの放つ底知れぬ魔力に、平静を装うだけで精一杯だった。

(マスター、まだ終わらぬのか?)

 アーチャーは魔力ラインを通して加持へと呼び掛ける。加持からはすぐに返答があった。

(今脱出した、ゲンドウ氏も一緒だ。俺達が安全圏に逃げるまでもう少し時間を稼いでくれ)

 アーチャーは不敵に笑って見せる。

(マスター、余を見くびるなよ)

 アーチャーは獲物を狙う虎のような獰猛な表情を浮かべ、弓に矢を番えた。周囲の魔力がアーチャーの矢へと集中する。ライダーもまた無機質な殺気を自らの剣へと集中させている。

 2体のサーヴァントの殺意と戦意が充満させる。その場所は既に異次元と化していた。遠い神話の時代からずっと絶えていた、人間の想像を絶する戦いが今始まろうとしていた。

 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月4日・昼
Name: 行
Date: 2005/02/09 20:45

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月4日・昼

 


 


 


 



 夢を見ていた。少女の夢を。

 少女は少年とともに中学校に進級する。それに伴い少女を取り巻く環境は大きく変化した。

 少女は美しく成長していた。白人の血の濃い少女は周囲の少女とは隔絶した、輝くばかりの美しさを持つようになった。もう同級生の男子からいじめを受けるようなことは決してない。色気付いた同級生や上級生、他の学校や高校生からも交際の申し込みが後を絶たなかった。だが少女が首を縦に振ったことは一度としてない。少女は相変わらず特に取り柄のなさそうな穏やかな少年と常に行動を共にしていた。

 少女はまた、同級生の女子からもまるでアイドルのように崇められるようになった。美しい容姿、男に媚びを売らない気の強さ、さっぱりとした性格は同性すら魅了した。少女はクラスの女子の中で言わばリーダーとして振る舞うことが多くなった。

 ある時、少女のクラスでいじめが発生する。クラスの女子の支配者たる少女の意向により、少女のクラスでは今まで、少なくとも女子の間ではいじめらしいいじめは起こっていなかった。だがそのいじめは、少女の黙認により行われた。

 いじめられたのはストレートの長髪に眼鏡の、いつも図書室で本を読んでいる大人しい子である。いじめのきっかけは少年だった。その眼鏡の少女が図書室で少年と仲良く話しているのをクラスメイトが目撃し、少女に注進に及んだのである。

「少女の所有物である少年に横恋慕している」

 少女はそれを一笑に付すだけだった。だがクラスの女子は意味不明な義憤に駆られ、眼鏡の少女をいじめの標的とした。

 結局クラスの女子達は、ストレスを解消するために好きなだけ痛めつけてやれる相手が欲しかっただけなのだ。眼鏡の少女は運悪くそれに選ばれてしまった。本来それを止めるべき少女は、ただ傍観していた。

 だが少年は傍観などしていなかった。少年は可能な限り眼鏡の少女と共にいて、彼女をいじめから守ろうとしたのだ。だがそれはクラスの女子に眼鏡の少女をいじめる口実をますます与えるだけである。少年もそれくらいは理解していたが、それでも少年は不器用なりに眼鏡の少女を守るべく努力した。

 また少年は少女を詰問した。何故いじめを止めないのか、と。少女は「自分には関係ない」とうそぶき、少年との衝突を繰り返した。少年と少女の関係は冷え込み、共にいる時間は少なくなった。

 少年は眼鏡の少女と一緒にいて、二人で穏やかに笑い合っている。少女はそれを遠くから見つめていた。

(何でそんな女と一緒にいるのよ。そいつのことなんか関係ないじゃない)

(あんたはあたしだけを見ていればいいのよ)

(あんたはあたしだけに従っていればいいのよ)

(あんたはあたしだけを守っていればいいのよ)

 少女はその想いを繰り返し念じ続けていた。まるで、少年を縛る呪詛を編むかのように。

 


 


 


 


 時刻は早朝、太陽が昇ってまだ間もない。場所は碇邸。

 突然、呼び鈴が打ち鳴らされた。呼び鈴と玄関戸がひたすら乱打されている。1分後、アサシンが警戒しながら玄関へとやってくる。

「どちら様です? 何のご用ですか?」

「加持リョウジという者だ。碇ゲンドウ氏を連れてきた。中に入れてくれないか」

 アサシンは加持に、お待ちを、と呼び掛けてシンジの元へと向かう。アサシンはシンジを叩き起こし、玄関までシンジを引きずって取って返してきた。シンジに戸の隙間から外を覗かせ、確認させるアサシン。

 外には二人の男がいた。黒いスーツを身にした長髪に無精髭の男。そして、彼に背負われている法衣姿の碇ゲンドウ。ゲンドウの姿を認識し、シンジは一瞬で覚醒する。シンジは戸を開け放つと加持とゲンドウを屋内に引っ張り込んだ。

 ……1時間後、リツコが碇邸へとやってくる。タクシーで門前へ乗り付けたリツコは、跳ねるような足取りで碇邸の中へと飛び込んだ。ハイヒールを脱ぐのももどかしく、廊下を駆けるリツコ。居間の戸を開け放つ、だがそこには誰もいない。居間の隣の仏間から人の気配がした。リツコは障子を乱暴に開ける。

「……ゲンドウさん」

 そこには、布団に寝かされたゲンドウがいた。その枕元にはシンジとレイ。さらにアサシンと加持が脇に控えている。

「さっき眠ったところだから、静かに」

 シンジに注意され、リツコはそっと障子を閉めてその場に腰を下ろす。

「ゲンドウさんの具合は?」

「衰弱していますが生命に別状はありません。そのうち目を覚ますと思います」

 リツコは、そう、と胸を撫で下ろした。リツコはふと加持に視線をやり、あることに気付く。

「加持君、貴方……」

「ああ、それについては今から話す。りっちゃんが来るのを待っていたんだ」

 一同の視線が加持へと集中した。

「……この街のゼーレの拠点は多分全部把握できている。俺はその全ての拠点の人の出入りを見張らせていた。魔術防御が薄い拠点は使い魔を放って。魔術防御が厳重な拠点の場合は、魔術を知らない一般人のアルバイトを使って。

 一般人とは言うものの、魔術は知らなくても諜報という業界で生き抜いてきた叩き上げの連中だ。連中から見ればゼーレの魔術師の方が素人同然、見張るのは簡単だったそうだ。バイト代は高くついたが、その辺はゲンドウ氏に泣いてもらおう。

 ……昨日、拠点の一つで大きな動きがあった。アレックス・ラングレーが男を一人連れてきたそうだ。男の特徴と状況から見て、ゲンドウ氏の監禁場所を変更したとしか考えられなかった。

 俺はアーチャーを連れてその拠点へと潜入した。アーチャーに囮をやってもらい、その隙に俺がゲンドウ氏を救出した。だが、アーチャーはライダーと戦うことになった。アーチャーはラインを使って俺に戦闘の状況を逐一報告してくれんだ」

 


 


 


 


 世界は夜の闇に包まれている。その古びた洋館の前は、息が詰まるほどに殺意と戦意が充満していた。

 アーチャーは獲物を狙う虎のような獰猛な表情を浮かべ、弓に矢を番える。ライダーもまた巨大な赤馬に騎乗したまま長剣を構え、無機質な殺気を自らの剣へと集中させていた。両者の殺意が空気を氷のように凍結させる。時間が止まったかのように周囲の何もかもが凍り付いていた。ライダーの背後にいるアレックスはまともに息をすることもできず、窒息しそうになっている。

 そして、アーチャーの裂帛の気合いが氷を打ち砕く。刃のように鋭い声で宝具の魔力を、その真名を解放した。

「天をも滅する神の矢!」

 アーチャーの宝具は流星となって、光の速さで突き進む。それは刹那の間にライダーに着弾、核爆発に匹敵する熱と衝撃波が生み出された。ライダーは溶鉱炉のように灼熱する火柱となって、なおもその場に踏み止まっている。その背後ではアレックスが無様に這いつくばっていた。

「そ、その宝具は『ナラ・アストラ』だな。インドラの矢ともアグネアの矢とも称される、古代インドの伝説上の究極兵器」

 アレックスが震える声でアーチャーに問う。アーチャーはそれを肯定しなかったが、否定もしなかった。

「それを使えて、なおかつライダーにこれだけの打撃を与えられるほど神性の高い英霊となると、ラーマかクリシュナ……クリシュナの方だな。クリシュナは元々実在が確認されている人物、本人に直接つながる触媒さえあれば何とか召還できるだろう」

「それがどうした? 冥土の土産に余に真名でも名乗ってほしいのか?」

 アーチャーはどうでもよさそうにアレックスに尋ねる。アレックスは話しているうちに調子を取り戻してきたようである。立ち上がったアレックスは既にいつもの傲慢さを身にまとっていた。

「何、冥土の土産ならこちらから進呈しよう。ライダーの真の姿をその目にしつつ、『座』へと還るがいいさ」

 アレックスはスーツの懐から黒真珠のような宝石を取り出す。その宝石が漆黒の光を放った。

「何っ……!」

 アーチャーは目を見張った。ライダーを包む灼熱の炎が、まるでライダーに吸収されるようにして消えていく。炎が消え去った時、その場には攻撃を受ける前と何ら変わらないライダーの姿がそこにあった。いや、一つ大きく変わっている。先程までライダーの騎馬は赤い馬だったのが、今は黒い馬となっている。

 アレックスは邪悪な笑いを浮かべ、アーチャーを見下ろしていた。

「いやはや、さすがクリシュナ。大したものだよ、英霊でしかない身で第二の封印を滅ぼすとはね。だが、第三の封印には勝てるかな?」

 ライダーが天秤を掲げる。アーチャーはわずか半歩だけ後ずさりながら、再び弓に矢を番えた。だが、

「こ、これは……!」

 アーチャーの全身から、宝具から急速に魔力が失われていく。ライダーの掲げる天秤がアーチャーの魔力を収奪している。最早宝具を使うどころではない、身体を維持する魔力すら底を尽きようとしていた。

「き、貴様……!」

 アーチャーはついに膝を屈した。だが魔力を根こそぎ奪われ、ただ立つことも叶わず、大地に手を付きながらもその目は未だ戦意を失っていない。アーチャーは這うようにして前に進んだ。アレックスは嘲笑を浮かべ、詠うようにそれを告げる。

「……また第三の封印を解いた時、第三の生き物が『来たれ』と言うのを私は聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そしてそれに乗っている者は、秤を手に持っていた。

 すると、私は四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。『小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油と葡萄酒とを損なうな』。

 ……ヨハネ黙示録にはこう記されている。四つの封印を解くと四頭の馬に騎乗した四人の天使が現れる。それぞれの天使は、地の四分の一を支配する権威・剣・飢饉・死によって人類を殺戮する権限が与えられている。クリシュナ、今君が味わっているのは第三の封印、飢饉の天使の力なのだよ」

 その間にもアーチャーは這い進んでいる。既にアーチャーはアレックスの目前に来ていた。アーチャーの身体には最早魔力は一滴たりとも残っていない。それでもアーチャーはアレックスへと手を伸ばした。だが、黒い馬に騎乗する黄金の騎士が、魔力弾を垂直に撃ち下ろす。アーチャーはそれに撃ち抜かれた。

「ふん、しぶとかったな」

 アーチャーの身体は淡い光の粒子となり、大気へと溶けて消えていく。その場に残されたのはアレックスとライダー、そして全てが死に絶えた大地だけだった。

 


 


 


 


 ……加持の長い話が終わる。一同は衝撃のあまり声を出すこともできないでいた。

「ヨハネ黙示録の四つの封印、それがライダーの真名だというの」

 長い時間が経ってようやく、リツコが震える声を絞り出す。加持は頷いた。

「そんな、いくら何でも不可能よ。桁が違いすぎているわ」

「そうでもあるまい」

 そう答えた者に一同の視線が集まる。

「ゲンドウさん!」「おとうさま」「父さん、気が付いたんだ」

 ゲンドウが布団の上で身を起こそうとする。シンジとレイがそれを手助けした。起き上がったゲンドウはシンジ達それぞれの顔を見つめる。

「加持君、礼を言おう」

「いいえ、仕事ですから」

 ゲンドウが頭を下げ、加持が首を横に振った。

「済まなかったな。リツコ君、レイ、そしてシンジ」

 リツコとレイは無言のまま首を振る。シンジもまた何を言うこともできなかった。そんな一同を代弁し、加持がゲンドウに問う。

「碇さん、教えてもらえませんか。アレックス・ラングレーの企みを。何のためにどうやってライダーを召還したのか」

「それに、アスカを使って何をしようとしているのか」

 シンジが加持に続けて訊いた。

「良かろう……最初から話そう」

 ゲンドウは一同を見回す。一同は無言で頷いた。

「十数年前、私はゼーレの一員としてこの街に入り、碇家と接触した。やがて私はユイと結婚することとなり、私はゼーレとは縁を切った。
私はユイと共に前回の聖杯戦争を戦い、ユイを喪った。そして今回、ゼーレはある目的を成し遂げるために聖杯戦争にアレックス・ラングレーを派遣してきている。アレックスとゼーレの横槍は私には障害にしかならん。戦争が始まる前に始末するつもりでいた」

「だが向こうも同じことを考えていた、と?」

 加持の言葉にゲンドウが頷く。

「油断していたつもりはないのだが、こちらの戦力を過信していたようだ。暗殺工作にこちらの戦力を出したところを襲撃され、私は奴等に拉致された」

「こちらの戦力、とは?」

「アーチャーだ」

 加持達が怪訝な表情をする。ゲンドウが説明を補足した。

「前回の聖杯戦争で私は最後まで生き残った。私とともに戦ったサーヴァントも。聖杯に願い出て受肉化した彼に、私は人間としての戸籍と名前を提供した。戦争以降も彼は私の協力者となってくれている。……人間としての名は渚カヲル、クラスはアーチャー、真名はダビデ」

 リツコ達が息を飲む。

「ダビデ、古代イスラエルの英雄王の?」

「そうだ。私を人質にされたアーチャーはアレックスに抵抗できなかった。アレックスの魔術により洗脳されたアーチャーはライダーのマスターとなったのだ」

 ゲンドウの説明に加持が疑問を呈する。

「しかし、ダビデほどの英霊がアレックス程度の魔術に支配されるなんて」

「確かにアレックスは二流でしかないが、洗脳に関する魔術は一流だ。それに奴は強力無比な魔力増幅器を有している……賢者の石だ」

 リツコが身体を硬直させる。シンジ達はその言葉を腑に落としていた。

「そうか、あの時のあの石が……」

「賢者の石は世界のシステムの裏側に直接通じている。世界のシステムのセキュリティホールが宝石の形を取った物、言わば小型の『孔』だ。それがあれば英霊を一時的に洗脳するくらいはできる。洗脳は一時で構わないのだ。その間にアレックスはアーチャーに四つの封印をライダーとして召還させた」

 リツコがゲンドウに反論するように言い募る。

「ですが、四つの封印は神族の抑止力の中でも最上位に位置しています。そんなものの召還が……」

「実際に行われている」

 ゲンドウはリツコの反論を断ち切った。

「碇家の聖杯にヒントを得たゼーレは長年に渡って神族を召還する術式の研究を続けていたのだ。その成果と、賢者の石。旧約聖書の英霊であるダビデを召還者とし、さらに碇家の聖杯のサーヴァントシステムを利用する。これだけの条件が揃えば神族の抑止力の召還も不可能ではないだろう」

 リツコは反論できず沈黙した。加持が横からゲンドウの補足をするように言う。

「あのライダーは多分、本来持っていた力や属性の大部分を切り捨てている。そうやって自らの力を大幅に弱めて何とかライダーのクラスに収まっているんだ。そうでもなければ、いくらクリシュナが英霊としては上限ぎりぎりに高い神性を有していたところで封印の一つを滅ぼせるわけがない」

「碇家の聖杯が用意しているライダーという器には四つの封印は到底収まらない。だからゼーレはライダーの器と繋がる専用の器を別に用意している。言わば魔術的に器を増設してそこに四つの封印を収めているのだが、それでも多くの属性が切り捨てられている」

「確かに。そうなんでしょうね」

 ゲンドウの付け足しにより、ようやくリツコが納得したように返答する。ゲンドウが説明を再開した。

「四つの封印のうち第一の封印は白い騎馬に乗り、冠を戴き弓を持つ天使。象徴するものはイエス・キリストで、地の四分の一を支配する権威を持って人類を殺戮する。そして地の四分の一を支配する権威は今はアーチャー一人に向けられている。ライダーのサーヴァントがそのマスターを洗脳し、完全に支配下に置いているのだ」

「では、ライダーのサーヴァントは誰にどうやって支配されているというのですか?」

 加持の質問にゲンドウが答えた。

「アレックスが召還の術式に支配の術式を組み込み、ライダーを支配している。支配と言ってもごく単純な条件付けをライダーの器に焼き付けたに過ぎない。アレックスが側にいる場合はその命令に従い、アレックスを守る。側におらず命令を全く受けられなくなった場合、聖杯の前に移動し聖杯を死守する。ライダーはそれだけの条件に従って動いている、戦闘機械のようなものだ」

 つまり、とシンジがゲンドウの話をまとめる。

「騎乗している黄金の甲冑の騎士がライダーのマスターで、元々は父さんのサーヴァント。洗脳されて今は敵に回っている。騎馬の方がライダーのサーヴァント。神族の抑止力に属する存在で、本来よりは遙かに力が弱い」

「とは言うけれどシンジ君。こちら側の戦力、あなたのアサシンとわたしのキャスターでは到底あれには対抗できないわよ」

 リツコはそう言ってため息をついた。加持は顎に手を当てて考え込んでいる。

「……四つの封印は倒せなくても、そのマスターは? 英霊ダビデを殺せばライダーは現世との繋がりを失って元の『座』へと還るのではないのですか?」

「ダビデがあれのマスターと言っても形だけのことだ。ライダーが増設された器により現世との繋がりを確保している以上、ダビデを倒しただけではあれは『座』へは還るまい」

 提案をゲンドウに否定され、加持は肩を落とした。シンジはゲンドウに問いただす。

「それで父さん、アレックス・ラングレーは結局何を目的にしているんだ? 四つの封印なんて反則そのもののサーヴァントを召還して、聖杯戦争に勝って、それでどうするつもりなんだ?」

 ゲンドウはシンジの瞳を真っ直ぐに見据えた。シンジもゲンドウの目から視線を逸らしはしない。

「ゼーレの最終的な目的は全世界の文明のリセットだ。神の抑止力を発動させ、今の地上の文明を一掃させる。人類は滅亡寸前まで弱体化するだろうが、全滅はしない。新たな文明の芽が世界のどこかに残っている。ゼーレは自らをその『新たな文明の芽』とし、荒野となった地上に理想の人類文明を築いていくつもりなのだ」

「そのために聖杯を?」

 加持の言葉にゲンドウが頷いた。アサシンが疑問を呈する。

「ですがもしそれが可能だとしても、それだけ大がかりな魔術となれば必ず抑止力の発動を招きます。英霊が現界してライダーを倒すか、あるいはそれが無理なら聖杯システムを破壊するか」

「まさしくそれがゼーレの狙いだ」

 ゲンドウの言葉はアサシン達を戸惑わせた。ゲンドウが説明を続ける。

「抑止力の発動はゼーレの計画の一環、術式の一部として組み込まれているのだ。ただし、発動されるのは英霊の抑止力ではない。ゼーレの術式が抑止力システムの誤作動を引き起こし、英霊ではなく神の抑止力を発動させるのだ」

 リツコが自らに説明するかのように独り言ちている。

「6人の英霊の魂を回収した聖杯が『孔』を開く、そこにゼーレ独自の術式を使って『神の座』までラインを繋ぐ。四つの封印を召還できるのだからラインは繋がるでしょうね。抑止力システムへのクラッキングにより世界のシステムの警報をわざと鳴らす、世界のシステムは抑止力を発動させる。それが誤作動により、英霊ではなく神が地上に降りてくる、すなわち召還となる……唯一神を召還するつもり? でも召還するにしても触媒が、器が……」

 リツコが何かに気が付いて身体を凍り付かせた。そして人形のように奇妙な動きでゲンドウへと向き直り、驚愕の表情を貼り付かせた顔をゲンドウに見せる。

「あの子、惣流アスカの役割がそれなのですね。唯一神を召還する触媒、そして器」

 どういう意味です、とシンジか声まで青ざめさせてリツコを問うた。リツコに代わってゲンドウが説明する。

「キリスト教には他の宗教にはない特徴がある。イエス・キリストと精霊、そして唯一神が全て同一存在であるとする三位一体説だ。三位一体説はカソリック・プロテスタント問わず信奉されている、キリスト教の根幹でもある。

 ここで重要なのは、人間として地上に生まれたナザレのヨシュアと、天上の唯一神とが同一であることだ。天上の唯一神の召還など何をどうしようと不可能だが、ナザレに生まれたヨシュアという男であれば召還は不可能ではない。そしてナザレのヨシュアを召還することにより、唯一神召還を実現できる。

 聖杯システムにおいて召還に必要となるのは、触媒と器。アレックスは器としてナザレのヨシュアという男のクローンを用意したのだ。それは同時に触媒ともなる」

「そんな……」

 シンジはそれ以上何も言えない。顔を紙のように蒼白にし、今にも倒れそうになっている。ゲンドウはそれに構わず説明を続けた。

「ゼーレは何百年にも渡って聖遺物の収集を行ってきた。その中には本物の聖杯、本物のロンギヌスの槍、本物の聖骸布、いずれかがあるのだろう。要は救世主の本物の血液、あるいは体組織があればいいのだ。そこから核を取り出し、未受精卵に移植し、仮親の子宮に着床させる。それで救世主のクローン、器が完成する」

 アサシンが気遣わしげにシンジに寄り添う。今まで黙っていたレイが初めて口を開いた。

「もし唯一神召還に成功した場合、器となった者は、その母胎はどうなるの」

「砕け散る。絶対に助からん」

 ゲンドウの断言にシンジは身体をふらつかせた。リツコは肩をすくめる。

「確かに、人間の身でそんなものを受け止められるわけがないわね」

「セイバーのマスターはそれを理解しているの」

 レイの独り言のような問いにゲンドウが答える。

「おそらく判っているだろう」

「何故彼女は逆らわないのです? 魔術で洗脳されていると?」

 アサシンの言葉にゲンドウは首を振った。

「いや、魔術による洗脳は行っていないだろう。アレックス・ラングレーは精神的圧迫による洗脳も研究課題としていた。惣流アスカがその実験の題材になっていたのは疑いない。父親としての地位と13年の時間があれば、人一人を思いのままに洗脳するのは容易いことだ」


「どうすれば唯一神召還を防げますか? 母胎の身柄を確保して胎児を堕胎すればいいのですか? あるいは残り3日間をライダーから逃げ回って時間切れを狙えば」

 リツコの提案にゲンドウは首を振った。

「胎児と母胎との魔術的なつながりが強すぎる。堕胎は間違いなく母胎に致命傷を与えることになる。時間切れを待ったとしても、その場合ライダーは自分自身を聖杯に捧げて『孔』を開く。4つの封印全てが聖杯に捧げられれば『孔』を開くのに充分な魔力を貯められる」

 そして一同は沈黙する。思いの外長い時間その沈黙は続いた。

「……疲れた、少し眠る」

 ゲンドウは身体を横たえる。リツコがゲンドウに布団を掛けた。

「はい、ゆっくり休んでください」

 加持も背筋を伸ばし、その部屋から立ち去る。

「俺も少し休む。空いている部屋を使わせてもらうよ」

 シンジは、ええ、と生返事した。そしてシンジも立ち上がる。

「僕も少し頭を冷やしてきます」

 シンジもまたその部屋から出ていき、アサシンが無言のままシンジに付き従う。最後にリツコが立ち上がった。

「レイ、少しだけゲンドウさんをお願いするわ」

 リツコが立ち去り、その場にはゲンドウとレイだけが残される。

「おとうさま……」

 レイは眠るゲンドウの顔を、ただ見つめていた。

 ……シンジは庭に出て佇んでいた。呆然としたように流れる雲を眺め、真冬の冷たい風に身を晒している。アサシンが少し離れたところから、心配そうにシンジの様子を見つめていた。

「シンジ君」

 そこにリツコが現れる。シンジはリツコと目を合わせようとしなかった。リツコは構わず話を始める。

「アレックスの計画を阻止するわ。それをできる者がいるとするなら、あなたとわたしのサーヴァントだけ。判るわね?」

 シンジが少し精気を取り戻す。真剣な瞳でリツコを見つめ、頷いた。リツコは話を続ける。

「計画阻止の一番簡単な方法は何か判る? 惣流アスカを殺すことよ」

「リツコさん!」

 シンジは思わず怒鳴っていた。だがリツコは微動だにしていない。

「事実よ、認めなさい。ライダーを倒すのはほとんど不可能だし、聖杯を破壊するとしてもライダーが守りに回ったならそれも不可能となる。その一方、惣流アスカを守護するのはセイバー。セイバーは強力なサーヴァントだけど、弱点が判っている以上キャスターならほぼ確実に倒せる。選択の余地なんかないでしょう?」

「アスカが望んで協力しているわけじゃない、無理矢理道具にさせられているだけなんだ! それなのに殺すなんて……!」

 シンジの口調は血を吐き捨てているようだった。リツコは冷徹にシンジを告発する。

「もしアレックスの計画が実現するなら数十億の人間が死ぬわ。たった一人と数十億、シンジ君はそれを天秤に掛けて、一人を選ぶというの?」

「だからってアスカを切り捨てることが正当化されるわけじゃない。もちろんアレックス・ラングレーの計画は阻止する。でも僕はアスカも助けます。僕はそのためにこの戦争に参加したんだ」

 シンジはリツコから目を逸らしながらそう言った。リツコが失望のため息をつく。

「……自分でも無理だと思っていることを、他人に了解させようとするものではないわ。シンジ君が協力してくれないのは仕方がないとしておく。でも、わたしの邪魔はしないでね」

 リツコはそう通告し、コートを翻して去っていった。後には身を震わせているシンジが残される。

「アスカ……」

 泣いているようなシンジの呟きは、冷たい空気に溶けていった。

 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月4日・夜
Name: 行
Date: 2005/02/09 20:47

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月4日・夜

 


 


 


 


 時刻は既に8時過ぎである。碇邸での夕餉は既に終わり、シンジはゲンドウの分の夕食をレイに作らせ、用意していた。メニューは卵をふんだんに使ったお粥である。レイはミトンの鍋つかみを手に装着し、やや危なげな手つきで土鍋をゲンドウの元へと運んだ。

 レイが仏間へと入り、ゲンドウの枕元にひざまづく。シンジがその隣に続いた。

 レイは少し、えーと、と考えてゲンドウに告げる。

「おとっつっぁん、お粥ができたわよ」

 シンジは畳に突っ伏しそうになった。ゲンドウは「うむ、済まない」と言いつつそれを受け取る。ゲンドウが「いつも済まないねぇー」等と返さなかったことにシンジは心底安堵していた。

 ゲンドウが黙々とお粥を食し、レイとシンジがそれを見守る。沈黙に絶えかねたシンジがゲンドウに尋ねた。

「ど、どうかな父さん。それ作ったのレイなんだ」

「問題ない」

 ゲンドウの返答をどう受け止めるか、シンジは困惑した。そして次に「余計なことを言って余計な回答を引き出し、レイを傷付けたのではないか」と悔やむ。シンジが葛藤している間にゲンドウはお粥を食べ終えていた。レイは空の土鍋を受け取って、仏間から出ていこうとする。シンジもそれに続いた。そのレイの背中に、ゲンドウが呟くように告げた。

「……旨かった」

 レイは逃げるように仏間から出、早足で台所へと向かう。だがレイの赤らんでいる頬を見、シンジは思わず笑みを漏らしていた。

 台所の流し台で、レイとシンジが並んで洗い物をしている。二人の間に会話はなかった。だが不意に、シンジが独り言を言うようにレイに訊く。

「……レイにとって誰よりも一番大切な人は、やっぱり父さん?」

 レイは無言のまま、だが躊躇いなく頷いた。シンジの質問が続く。

「その父さんと、全世界の数十億の人類。どちらか一方だけを選べって言われたら、レイならどうする?」

 レイが戸惑ったようにシンジを見つめる。シンジは苦笑を漏らした。

「ごめん、変なこと訊いたね」

 そこに突然、アサシンが戸を開け放って台所へと飛び込んでくる。

「シンジ、キャスターのマスターがいません。それにアーチャーのマスターも」

 シンジが身体を硬直させた。硬い表情のままアサシンに確認する。

「外に出たのか、二人で」

「はい、おそらく」

 シンジが険しい顔で考え込んでいる。レイが、

「セイバーのマスターの暗殺に確実を期するため、アーチャーのマスターと手を組む。あの人のやりそうなことだわ」

 そう推測を述べた。それはシンジ達の推測と一致する。

「とにかく僕達も出掛けよう」

 シンジの命令にアサシンは、はい、と頷いた。

 コートを掴み外に飛び出そうとしているシンジに、レイが声を「あの」と掛ける。シンジはレイの方を振り向いた。レイの真っ直ぐな瞳がシンジを見つめる。

「……わたしなら、おとうさまを選ぶ。たとえそれが間違いであっても、わたしにはそれしかないから」

 シンジは少し悲しそうに目を瞬く。そして「ありがとう」とレイに告げ、アサシンを連れて夜の街へと飛び出していった。

 ……シンジは当てもなく夜の街を彷徨い歩く。時刻は既に深夜に近い。場所は市街中心地からやや外れたところにある、公園。

 シンジはベンチに腰を下ろし、小休止していた。アサシンは周囲を警戒するように立ったままである。

 疲れたように身体を伸ばしていたシンジが、不意に身を起こして周囲を見回す。

「シンジ」

「マスターの気配だ。ゆっくりこっちに向かっている」

 シンジは汗ばんだ手でシャツの胸元を掴んだ。

「誰かは判りますか? どう行動しますか?」

「もっと近付かないと何とも言えない。とりあえず隠れよう」

 シンジとアサシンはベンチの後ろの茂みに飛び込んだ。そのまま二人は息を殺して気配を絶とうとする。

(シンジ、誰の場合どう行動するのか聞かせてほしい)

 アサシンが魔力ラインを通じてシンジに尋ねる。シンジは判断に迷いを交えながらも方針を示した。

(リツコさんならもう一度話し合う。アスカなら何とか説得するか、セイバーを倒してアスカの身柄を確保するかする。ライダーなら、アレックスを暗殺して即座に逃げる。……アレックスにはマスターを探知する力がない。ライダーにはその力があるけどその情報をアレックスに提供しているようにも見えない。暗殺は難しいけど不可能じゃないと思う)

(不可能でありませんが、極めて困難でしょうね。方針は了解しました)

 アサシンはやや呆れたような口調の返答をラインに乗せてきた。そのまま二人は沈黙し、ただ時間が過ぎるのを待つ。やがてシンジは超強力な魔力を察知した。

(……ライダーだ)

 シンジは唇を噛み締める。アサシンは小さく身震いした。シンジ達はそのまま息を殺し、身体の震えを必死に抑え、敵が接近するのを待っている。そして数分後、シンジ達の視界はライダーの姿を捕らえた。ライダーと共に歩くアレックスの姿も確認できる。さらに、アレックスに付き従うアスカの姿がそこにあった。

(アスカ……! しまった、二つの気配が近すぎて一つと誤認したんだ)

 シンジは自分の迂闊さを呪い殺さんばかりである。焦燥のあまりはらわたが捻れそうになっている。

(シンジ、どうします?)

 アサシンはシンジを落ち着かせるべく努めて冷静に問い掛けた。

(セイバーの動きが読めない、暗殺は無理だ。アスカが敵にならないことを信じて、やり過ごすしかない)

 アスカがシンジの気配を掴んでいるのは間違いない。だがそれはアレックスに告げられていない。告げられているならアレックスは、こんな物見遊山のような速度で移動してはいないだろう。その理由はアスカが「シンジかも知れない」マスターを殺す羽目になるのを避けようとしているためだ。シンジとアサシンはそう信じ、気配と息をひたすら殺した。ライダーが通り過ぎていくのをただ待った。

 アレックスの一行はシンジ達の前を通ろうとしていた。ライダーが手を伸ばせば届くような距離を歩いている。シンジは全身を硬直させた。自分の心臓の音があまりに煩い。これではライダーに聞こえてしまいそうだ。もしシンジが今ナイフを手にしていたなら、自分の心臓に突き刺していただろう。この騒音を消すためならそのくらいは安い代償のように思えた。

 シンジは固く閉ざしていた瞼をわずかに開ける。ライダーはすぐ目の前にいる。その横にアレックスが、さらにその横にアスカがいて……アスカとシンジの目があった。

 アスカは一瞬心臓が止まったような表情をする。が、すぐに取り繕った。顔から一切の感情を消し、ゆっくりと首を正面へと向けている。

 アレックスの一行はそのまま通り過ぎていき、遠ざかっていく。それでもシンジは全身を硬直させ、気配と息を殺し続けていた。ゆっくりと300数え終えるまで。

(……297……298……299……300……)

 シンジは全身から力を抜き、服が汚れるのも構わず地面に突っ伏した。骨格を失ったかのような無様な姿である。シンジの顔は汗とも涙とも付かないもので水浸しになっており、さらに泥に汚れようとしていた。

(……シンジ、ライダーは)

 アサシンは未だラインを使用し、さらに声を潜めるようにして意思を伝達している。

(まだ探知範囲内だ。でも順調に遠ざかっている)

(逃げましょう、反対方向に)

 シンジとアサシンは身を起こした。シンジは力の入れすぎで全身がこわばっており、真っ直ぐ立つのも困難である。シンジはアサシンに抱きかかえられるようにして歩き出す。

「目の前にいたのに……手が届かなかった。何もできなかった」

 シンジは右手を握り締める。拳は感覚を失い、力が入っているのかどうかもあやふやだった。

「わたしがアーチャーのようにもっと強いサーヴァントなら……」

 アサシンの呟きをシンジが聞き咎めた。

「違うよ、アサシン。弱いのは僕だ。何も決められない僕の心なんだ」

 シンジとアサシンは闇の中を歩く。行く先に一条の光も見出せない、漆黒のような闇の中を当てもなくただ歩いていった。

 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月5日・昼
Name: 行
Date: 2005/02/10 20:31

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月5日・昼

 


 


 


 



 夢を見ていた。少女の夢を。

 夕暮れの教室、そこに残っているのは幼なじみの少年と眼鏡の少女だけだった。少女は偶然それを目撃する。

「わたしね、転校するの」

 眼鏡の少女の頬が赤いのは夕焼けのためだけではないだろう。彼女の声が少し震えている。拳は胸の前で固く握り締められていた。

 彼女の言葉に、少年は少なからぬ衝撃を受けているようだった。

「……そうなんだ、寂しくなるね」

「そう思ってくれる?」

「も、もちろん」

 廊下にいる少女は二人の死角に隠れながら、二人が交わす言葉に耳をそばだてている。こそ泥のように盗み聞きをするなど、誇り高い少女にとってはあってはならないことのはずだった。だが現実に少女は今、みじめで見窄らしい行為に及んでいる。自分にこのような行為をさせている少年に対し、少女は憎しみの炎を燃やした。

「……あの、わたし、これで最後だから、聞いてほしいことがあって……」

 彼女が何を言おうとしているのかを少女は悟る。少年もどうやら理解しているようである。少年の唾を飲み込む音が少女の耳にも届いたような気がした。

(あいつ、普段はぼけぼけの鈍感バカのくせして……!)

 怒りのあまり少女の歯が軋んだ。

「あの、わたし……あの……」

 彼女の声がどんどん小さくなり、囁くような声になる。そして声の大きさは少女が盗み聞きできる範囲を下回った。だが、少年にはその声は確かに届いていた。少年が彼女へと答えを返す。

「……あの、もちろん僕も君のこと……」

 少女は少年の答えを最後まで聞くことなく、その場から逃げ出していた。

(何でそんな女のことを……そいつのことなんか関係ないのに)

(あいつはあたしだけを見てくれていると思っていた)

(あいつはあたしだけと一緒にいてくれると思っていた)

(あいつはあたしだけを守っていてくれると思っていた……これからもずっと)

 子分、下僕、そんな言葉で頑なに心を守り抜いていた。だがその鎧は現実によって打ち砕かれる。鎧の下にあった幼く弱い心に傷を受け、
少女は泣いた。一晩中、涙が枯れるまで泣き明かした。

 数日後、眼鏡の少女は学校から去っていった。少女は胸を撫で下ろす。彼女のために少年との間に空いた隙間を、少女は時間を掛けて慎重に埋めていく。2月も経った頃には少年との関係は以前と同じになっていた。まるで眼鏡の少女が最初からいなかったかのように。

 だが、少女が彼女のことを忘れることは決してなかった。彼女はこれからも、いつまでも少女の心にあり続けるだろう。彼女が教えてくれた胸の痛みと、自分の少年への想いとともに。

 


 


 


 


 時刻は既に正午を過ぎている。碇邸ではシンジが少し遅めの昼食を用意していた。

 昨晩、ライダーとの接近遭遇後、シンジとアサシンは早々に碇邸へと逃げ戻ってきた。布団に潜ったシンジは眠ろうとしてなかなか眠れず、恐怖と悔恨にまみれた夜を過ごしながら明け方を迎える。午前中に何とか睡眠を確保し、ようやく起き出してきた次第である。

 シンジは憂鬱な思いを抱えながら機械的に調理を進める。自分とアサシンしか食べる者がいなければインスタントラーメンで終わらせるところなのだが、レイやゲンドウにそんなものを食べさせるわけにもいかない。アサシンは料理するシンジの背中に主婦の哀愁を感じたような気がしたが、多分気のせいだったろう。

 レイはゲンドウの元へと料理を運んで、二人で食べるようである。シンジとアサシンは台所で卓袱台に付いて昼食を取っていた。自分で作っておきながら美味くもなさそうに箸を進めるシンジ。アサシンはシンジに対し何か言いたげにしていたが、結局何も言わなかった。

「よう、シンジ君」

 突然台所に現れたのは、加持だった。

「えっと、加持さん」

 シンジは確認するように加持の名前を呼ぶ。加持は何かを待つように台所の入り口で佇んだままだ。

「……加持さん、リツコさんはどうしていますか?」

 シンジは躊躇いながらもそれを訊く。加持は少し遠回りをしながらそれに答えた。

「昨日取引をしたんだ。りっちゃんがこの戦争の勝者となった場合、りっちゃんは俺に聖杯に関する情報を提供する。その代わり、俺はりっちゃんが勝てるよう協力する、というものだ。協力の一環として、俺が作った対アレックス用の監視網をりっちゃんに譲り渡した。りっちゃんがそれを使って何をするか、シンジ君には判るかい?」

「今キャスターのマスターが優先しようとしているのは、セイバーのマスターの殺害です。セイバーのマスターが単独で行動するのを把握しようとしているのではないでしょうか」

 シンジに代わってアサシンが答える。加持はアサシンの答えに肯定を示した。

「そういうことだ。そして今、セイバーのマスターがライダーから離れて単独行動をしている」

 シンジが腰を浮かし、膝で卓袱台を蹴った。

「リツコさんが……?」

「セイバーとそのマスターを襲撃しようとしている」

 加持の言葉にシンジは顔を俯かせ、唇を噛み締める。アサシンが、

「場所は判りますか?」

 そう加持に問い、加持が居場所の詳細をアサシンに伝える。アサシンはその一字一句を脳裏に刻んだ。

「……ここから遠くない。セイバーの方もシンジ君とアサシンへの襲撃を企んでいるんじゃないかと思う」

 加持とアサシンは何かを期待するようにシンジの方に顔を向ける。だがシンジは拗ねたようにそっぽを向いていた。

「僕が行かなくったって……セイバーは最強のサーヴァントで、不死身の英雄なんだから」

「ああ、『ニーベンゲルンの指輪』のジークフリートだったか。君がりっちゃんに情報提供したんだろう? 確かにジークフリートは強力な英霊だが、弱点が判っている以上恐れる必要はさほどない。キャスターはジークフリートにとっては天敵みたいな英霊なんだ」

「どういう意味です」

 アサシンが問い、加持はシンジ達に説明する。

「キャスターの真名はオイディプス、その宝具は『呪われた神託』と言う。何千年にも渡る信仰により、オイディプスと『呪われた神託』が一体化してしまったらしい。キャスターが神託したことは必ず実現するんだ。その宝具の本質は確率操作、敵の不運を極大にして死という結果をもたらす……『キャスターの剣がセイバーの弱点を貫く』、そう神託すれば必ずそれが実現する」

 シンジとアサシンは、バーサーカーと戦った時のキャスターを思い返していた。

「貴様の攻撃は私には届かん!」

 確かにバーサーカーはその言葉にまるで暗示に掛かったかのように攻撃を空回りさせていた。あの言葉が宝具だったのだ、とシンジ達は思い当たっていた。

 加持の説明が続く。

「サーヴァントとしての魔力容量・剣の技術・英霊としての信仰、あらゆる点でセイバーはキャスターに勝っている。普通に戦えばキャスターがセイバーの弱点を突ける可能性は非常に低い。だが戦いである以上何があるか判らない、セイバーの弱点を突ける可能性はゼロじゃない。そしてキャスターの宝具は、そのゼロに近いような可能性を強引に100にまで引き上げるものなんだ」

 シンジの身体が左右に揺れる。葛藤のあまりじっとしていられないようである。そんなシンジを加持とアサシンが見つめ、シンジは不審・不満・不安に満ちた視線を加持とアサシンに等分に送る。

「僕にどうしろって言うんですか……? 『世界を救うにはアスカを殺すしかない』、加持さんもリツコさんのその判断が正しいと思うからこそリツコさんに協力したんでしょう?」

「りっちゃんの判断は間違っちゃいないさ。だがりっちゃんに反対することも間違っているとは思わない」

 加持の言葉にシンジは目を見開いた。加持は肩をすくめる。

「正義や真実は人の数だけあるものさ。その中でどの正義を選ぶかは自分で判断して自分で決断するしかない。……俺は君がどんな決断をしようと責めるつもりは一切ない。ただ、自分が後悔しない決断をしてほしい、そう思うだけさ」

 胸の前で汗を握ったり開いたりしていたシンジの拳が、やがて鉄のように固く握り締められた。決意に満ちたシンジの瞳がアサシンを見つめる。

「アサシン、リツコさんを止めに行く」

「了解しました、シンジ」

 アサシンが即答し、発条のように立ち上がった。コートを掴んだシンジが風のように加持の前を駆け抜け、アサシンがそれに続く。加持はそれを微笑みながら見送っていた。

 


 


 


 


 町外れにある、何年も前に閉鎖されたと思しき工場跡。その敷地内の、中庭かグラウンドのようなスペースで、2人のサーヴァントが激突していた。

 セイバーが長剣を閃かせ、キャスターがそれを剣で跳ね返す。セイバーの剣戟は破壊槌のように力強く、流水のように淀みがない。その速度は人間の動体視力の範囲に収まるものではなかった。セイバーの連続攻撃が剣舞のようにキャスターを襲う。だがキャスターはそれを全て剣で受け、あるいは避けていた。セイバーの長剣はキャスターにかすりもしていない。

「何やってるのよセイバーっ!」

 苛立ったアスカがセイバーに罵声を浴びせる。セイバーは一見冷静さを保ったままだが、その剣閃からは次第にしなやかさが失われていった。速さと打撃力だけに気を取られたセイバーの剣は、ますます避け易いものとなっていく。キャスターはセイバーに長剣を空振りさせ、少し間合いを取った。

「無駄だ。貴様の剣は私に触れることもできん」

「無駄よ。ジークフリートであろうとキャスターに敵うはずがないわ」

 キャスターとそのマスターが傲然と言い放つ。アスカはさらに余裕をなくし、ヒステリックになった。

「セイバー、宝具を使いなさい!」

 セイバーはどうやら、キャスターの正体を掴む前に宝具を使うのは気が進まないようである。だがマスターに逆らうことなく、魔力を長剣に集中させた。

 一方リツコもキャスターに命ずる。

「キャスター、貴方も宝具を使って構わないわよ」

 キャスターはわずかに片方の頬を上げた。

 魔力が集中するあまり、セイバーの長剣は目が眩むほどの輝きを放っている。長剣が放射する魔力と死の気配は肌を焦がすほどのものだった。だがそれを真正面から受けてなお、キャスターは涼しげに剣を構えている。

「貴様の宝具が私を傷付けることはない。地面に大穴を開けてそれで終わりだ」

「それは予言か?」

「いいや、神託さ」

 セイバーとキャスターの短い会話が終わる。最早話すことなど何もなかった。あとはただ持てる魔力の全てを叩き付け、敵を存在ごと抹殺するだけだ。セイバーがその宝具の真名を、魔力を解放した。刃のような鋭さで己が宝具の真名を呼ぶ。

「怒れる神の剣!!」

 大地を打ち砕くように、セイバーが神剣グラムを袈裟懸けに叩き付けた。だがキャスターの身体を肩から両断するはずだったグラムは空しく宙を斬り、大地に突き刺さる。神剣グラムは直径数メートルにも及ぶ巨大なクレーターを生み出した。だがキャスターはその淵に無傷で立っている。爆風で吹き飛んだ石礫の一つすらキャスターを傷付けたりはしなかったのだ。

 セイバーは自ら作った爆心地に棒立ちになり、大きく見開いた目をキャスターに向けている。包帯で目を完全に覆ったキャスターは、その表情を窺うのが難しい。だが今キャスターは確かに口の端に皮肉げな嗤いを浮かべていた。

「セイバー!」

 アスカの罵声はまるで悲鳴のようだった。だがセイバーはあくまで冷静にアスカを呼ぶ。

「マスター、奴の性質がやっと判った。奴が口にしたあの言葉、あの神託が奴の宝具だ」

 それを聞いたアスカが多少なりとも魔術師らしさを取り戻す。

「神託が宝具? 『セイバーの剣がキャスターに触れることがない』って言ったあの神託……口にした神託がそのまま実現する宝具ってこと?」

「よく判ったわね、セイバー」

 セイバーの推測をリツコが肯定する。

「キャスターの宝具は『呪われた神託』。キャスターが神託したことは確率を踏みにじって必ず実現する。それがキャスターの宝具よ」

「そんな宝具を使える英雄、聞いたこともないわよっ!」

 アスカが叫ぶように憤懣を吐き捨てた。リツコは薄く笑いながら肩をすくめる。

「そうね、わたしも聞いたことなかったわよ」

「マスター、落ち着け」

 セイバーはアスカを宥めるべく言う。

「確かに強力な宝具だが、それだけに無理があるはずだ。あんな宝具を無制限に使えるわけがない。使用回数、または使用範囲、何らかの厳密な制約があるのは間違いない」

「さすがゲルマン神話の英雄、油断がならないわね」

 リツコが警戒するようにセイバーを見据えた。続けてキャスターへと視線を送る。

「キャスター、足下をすくわれないうちに終わらせてしまいなさい」

 キャスターは「よかろう」と頷いた。そして包帯の下の瞳を真っ直ぐにセイバーへと向け、厳かに宣告する。

「セイバー、この剣が貴様の弱点を貫く」

 キャスターが剣の切っ先をセイバーへと突き付ける。さすがのセイバーも顔色を変えていた。アスカは顔面を蒼白にし、身体を小さく震わせている。

 剣を真っ直ぐに突き出したキャスターが一歩足を進める。セイバーは冷や汗を流しながら一歩後ずさった。キャスターが進む分、セイバーが後退する。両者の距離が縮まらない一方、アスカとセイバーの距離が開いていった。それを見ていたリツコがキャスターに指示を出す。

「キャスター、セイバーのマスターを狙いなさい」

 キャスターが包帯の下の目でアスカを見据え、アスカは身をすくませた。蛇に睨まれた蛙のように身動きのできないアスカ。キャスターがアスカへと向かい、剣を振り下ろそうとする。セイバーが背後からキャスターに追い縋るが、届かない。数瞬の後にはアスカはキャスターの剣に心臓を貫かれるはずだった。だが、

「何……!」

 キャスターの剣は、降って湧いたように突然現れたアサシンの短刀により弾き返されていた。アスカは自分を守ったアサシンの背中を呆然と見つめている。アサシンが追撃すべく短刀を振るおうとするが、キャスターは大きく後退してアサシンとの間合いを取った。

 セイバーは当惑したようにキャスターとアサシンとを等分に見つめている。リツコは苦々しげな顔をしていた。3人のサーヴァントが奇妙な三竦み状態となって沈黙している。その微妙な力の均衡は、最後の人物の登場によって破られた。

「アスカ!」

 全力疾走でこの場に現れたシンジは、前屈みになって荒い呼吸を繰り返している。

「どういうつもり、シンジ君。私の邪魔をしようというの?」

 リツコの詰問に、シンジは即答した。

「そうです。アスカを死なせません」

 アスカが大きく目を見開き、セイバーが片方の眉を吊り上げた。リツコが聞こえよがしにわざとらしくため息をつく。

「アレックス・ラングレーの計画が実現すれば全世界の数十億の人間が死ぬことになるわ。シンジ君はたった一人の女の子のために数十億の人間を見殺しにしようというの?」

 シンジはゆっくりと首を振り、穏やかな口調でリツコに言った。

「間違ってますよ、リツコさん。アレックスの計画が実現すればアスカも死んでしまう。数十億と一人、どちらを選択するかなんて問題じゃないんです」

「確かにそうね、でも結論は同じだわ。数十億とゼロ、どちらを選ぶかなんて考えるまでもないことよ」

 リツコは数字の権化となったかのようにそう言い捨てる。だがシンジはそれでも首を横に振る。

「選択肢はそれだけじゃない。僕が選ぶのは数十億プラス1……アスカは死なせない、アレックスの計画も阻止する、それが僕の選択です」

 シンジは一同を見回し、決然と宣言した。

「聖杯を破壊します」

 アスカの瞳がシンジを見つめ、離さない。シンジがアスカに微笑みかけ、アスカの瞳から涙が零れそうになった。だが、リツコは残念そうに首を振る。

「……無理よ、どんな英霊だってライダーには勝てないわ。シンジ君は敗北し、唯一神が降臨して地上の数十億の人間が一掃される。それを避ける確実な手段がここにあるのに、それを使わない手はないわ」

 顔を伏せていたリツコが再び顔を上げた時、そこには一切の感情を捨てた冷酷な魔術師しかいなかった。

「惣流アスカを殺すわ。邪魔をするならシンジ君、貴方も排除する」

「僕はアスカを守る、アスカを傷付ける全てから」

 シンジとリツコの視線が宙で交差し、火花が散った。リツコが後退し、キャスターがシンジの前へと進み出る。シンジを庇うように、アサシンがキャスターの眼前に立った。そのまま両雄が対峙する。

 シンジは後方に退いてアサシンを見守ろうとする。が、そのシンジの肩に冷ややかな刃が乗せられた。シンジが後ろを振り返る。

「……先程の言葉は本気か? アサシンのマスター」

 長剣の刃と同程度に冷たく鋭い瞳がシンジを射抜いた。

「セイバー、何してるのよ!」

 アスカがセイバーを止めようとするが、セイバーはアスカを無視した。シンジの足は震えそうになるが、シンジはセイバーに対し胸を張って見せる。

「もちろん本気だ。僕はアスカを守る」

「妄想だ」

 セイバーは一言で斬って捨てた。

「ライダーの力がどれ程のものか、貴様は理解していない。人間の身で神に挑むのと同じなのだぞ。それでも戦おうというのか、アサシンのマスター」

「戦う。諦めるなんてできない」

 セイバーの眼光がシンジの瞳を貫く。セイバーの瞳が放つ殺気だけでシンジは気を失いそうになるが、シンジは足を踏ん張った。シンジは瞳に迷いの欠片も交えず、セイバーを見つめ返す。不意にセイバーがゆっくりと長剣をシンジの肩から離し、振りかざした。長剣は光の速さで振り下ろされる。シンジがそれを避けられたのは僥倖以外の何物でもない。シンジは腰を抜かしたように無様にしりもちを付いていた。

「セイバー!」

 アスカが悲鳴を上げるが、セイバーはそれに構わない。セイバーの長剣がシンジの喉笛へと狙いを定めた。

「貴様の覚悟がどの程度のものか、試させてもらう!」

 セイバーの長剣が一閃する。シンジは後ろに飛んでそれを転がり避けた。シンジはアサシンの足下まで転がり這い進む。だがアサシンは既にキャスターと斬り結んでいた。アサシンは短刀を力任せに押し出して一旦キャスターを弾き飛ばし、

「シンジ、これを!」

 その隙に背中の長剣をシンジへと投げ渡した。シンジはアサシンの長剣を掴み取り、鞘を投げ捨てるようにして剣を抜く。

「ほう……!」

 セイバーの口から感嘆が漏れた。アサシンの長剣は剣としては大して長いものではない。せいぜい1mを越えるくらいの長さである。幅はかなり広く、中央部が膨らんでいる。そしてその刀身は水のように透明で氷のように鋭く水晶のように輝いていた。

「それがアサシンの宝具か。私の宝具にも充分対抗できるくらいの、かなりの神秘と魔力を秘めているようだな。それに背負っている信仰も相当に強い」

「当然だ、これは日本最高の宝具、日本最強の神剣なんだ!」

 セイバーが斬撃を繰り出し、シンジは剣を盾にしてそれを受け止める。アサシンの剣はセイバーの長剣を全て受け止め、跳ね返す。だが剣を越して受けた斬撃であっても、シンジには確実にダメージが貯まっていった。一撃ごとにシンジの気力と体力がごっそりと奪われていく。


 一方、キャスターとアサシンは剣と短刀をぶつけ合っている。両者の力量に大きな差はなく、しばらく均衡が続いた。両者の刃が激突し、力と力の押し合いとなる。力となればキャスターに分があった。キャスターがアサシンの身体を弾き飛ばし、アサシンもキャスターの力を利用して後方に飛び、両者の距離が大きく広がる。わずかな隙を作ったキャスターが口を歪め、その宝具を使用した。

「アサシン、貴様の刃は私には届かん!」

 アサシンはかすかに眉をひそめただけで、冷静な表情を保ったままでいる。キャスターがにじり寄るように少しずつ歩を進め、アサシンは獲物へと跳び掛かろうとする肉食獣のように身体を屈めた。

 一方、シンジはセイバーを相手にしてまだ立ち続けている。シンジはアサシンの剣を盾代わりにし、セイバーの長剣をひたすら受け続けていた。シンジからはまだ一度も攻撃していない。

「どうした! 神に挑もうという覚悟を私に示して見せろ!」

 セイバーは左に右にと長剣を振るい続ける。シンジの身体は打ち身と切り傷で既にボロボロである。未だ立っているだけでも充分賛嘆に値した。だがセイバーは容赦なく斬撃を繰り出している。セイバーは気を抜くことも油断することもなかった。シンジの瞳はまだ死んでいない。堅い意志の光を灯し、希望を見つめ続けている。

 セイバーにはシンジの見ている希望が何か見極められなかった。だがその気力ごとねじ伏せてしまえばいいと判断し、力任せに長剣を叩き付ける。シンジの身体は吹き飛ばされ、地面を転がった。シンジにとどめを刺すべく、セイバーが進む。

 一方、アサシンは短刀を腰だめに構え、キャスターの懐へと飛び込んでいく。キャスターはアサシンの身体を両断すべく、剣を両手持ちにして高く振りかざす。アサシンはキャスターの振り下ろした剣を短刀で受け、

「ぐっ……!」

 アサシンの放った蹴りがキャスターの股間に深々と食い込んだ。たまらず屈み込みながら後退するキャスター。続けてアサシンの繰り出した右拳がキャスターの鼻をへし折る。キャスターは血を吹き出しながらぶっ倒れた。

「な……」

 リツコが唖然とする間にアサシンが風となって地を走り、影となってリツコの背後に立つ。リツコが気が付いた時には既に自分の敗北が確定していた。身を起こしたキャスターが見たものは、リツコの首に短刀の刃を当てているアサシンの姿だった。

「キャスター、それまでです。貴方が斬り掛かってこようと、宝具を使おうとしようと、その前にわたしの短刀が貴方のマスターの喉を切り裂いている」

 キャスターは屈辱のあまり顔に血を昇らせ、歯軋りしている。アサシンはそれに構わず、キャスターに命じた。

「キャスター、武器を捨てなさい。そのまま大きく後ろに投げ捨てるのです」

 アサシンが視線と顎で投げ捨てるべき方向を指し示す。キャスターはアサシンの意図を理解したが、敢えてそれに逆らわずアサシンの命令に従う。キャスターは背後へと、自らの頭上越しに剣を投げ捨てた。

 一方、セイバーはシンジの身体を串刺しにすべく刃を下に向けた長剣を振り上げている。そしてその長剣が突き下ろされた。だが長剣は大地を深い穴を穿っただけだ。シンジは身体を転がしてセイバーの股を潜り抜けていた。セイバーの背後に回り込んだシンジが手を伸ばし、キャスターが投げ捨てた剣を掴み取る。シンジはそのまま剣をセイバーの首の後ろに突き付けていた。

「……お前の負けだ、セイバー」

 シンジは肩で息をしながら、必死の思いでそう通告する。

「それで勝ったつもりか? 私はまだ生きているぞ」

 シンジは唇を噛み締めながら剣を持つ手に力を入れた。剣の先端がわずかに首の後ろに沈み、血が流れる。

「せ、セイバー」

 アスカの震える声がセイバーの耳朶を打った。セイバーはため息をつき、肩をすくめる。

「……判った、私の負けだ。認めよう、アサシンのマスター」

「良かった」

 途端にシンジが剣を下ろす。と言うよりは剣を持ち上げているのも限界だったのだ。気力体力が底をついたシンジの身体がその場に崩れ落ちる。

「シンジ!」

 アスカが泣きそうな声で名を呼ぶのをどこか遠くのことのように思いながら、シンジの意識は急速に闇の底へと沈み込んでいった。

 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月5日・夜
Name: 行
Date: 2005/02/10 20:35

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月5日・夜

 


 


 


 



 シンジが目を覚ました時、眼前には天井があった。

「……見慣れた天井だ」

 意味もなく呟いてみる。それは碇邸、シンジの部屋の天井である。シンジは身を起こそうとするが、全身が悲鳴を上げる。頭部を枕に沈め
たシンジは寝たまま自身の身体を解析しようとした。

 全身が無数の打ち身と切り傷にまみれている。身体の機能を損なうような負傷はないようだ。一つ一つの傷は比較的浅い上に、傷には応急的な治療が施されている。もうしばらく横になっていればすぐに動けるようになれそうだった。

「……運が良かったのかな」

 ゲルマン神話の英雄と戦ってこの程度の傷で済んだのは……と口の中で呟いて、シンジは気を失う直前の状況をようやく思い出す。

「そうだ、アスカは!」

 身体の痛みも無視して跳ねるように身を起こすシンジ。だがその時、ちょうど当のアスカが襖を開けてその部屋へと入ってきた。

「お邪魔するわよ、シンジ」

 鍋掴みを手にして土鍋を運んできたアスカは、シンジの枕元へと腰を下ろす。

「あ、うん……」

 シンジは毒気を抜かれながら惚けたようにアスカの横顔を見つめた。アスカは土鍋の蓋を開け、レンゲと茶碗をシンジに手渡す。土鍋の中には卵のお粥が湯気を立てていた。

「お腹空いてるでしょ。これ、晩御飯だから」

「あ、うん、ありがとう」

 シンジはそれを受け取りながら苦笑する。

「別に病人てわけじゃないんだから、普通のご飯で良かったのに」

「作ったのはレイ、あの子よ。あの子、これしか作れる料理がないんだから仕方ないじゃない。あたしとキャスターのマスターの夕飯もこれだったのよ」

 他の料理も教えてあげないとね、等と言いつつシンジはお粥を口にする。意識はしていなかったが確かにかなり空腹だったようで、シンジはものの数分でそれを完食した。

「ふう、食った食った」

 シンジが人心地ついて落ち着いたのを見計らい、アスカが躊躇いがちに口を開く。

「……シンジ、昼間のことだけど」

「そう言えば、あの後どうなったんだ? セイバーは? リツコさんは?」

 アスカの話を聞く前にシンジは現状を確認しようとした。

「勝ったシンジの意志を受けて、とりあえず休戦。アサシン・キャスター・セイバー、皆でライダーと戦うって協定が結ばれたわ」

「そう、良かった」

 シンジは胸を撫で下ろした。だがアスカは暗い表情を隠すように顔を伏せる。

「これでライダーに勝てるとでも思っているの? キャスターの宝具を当てにしているのなら無駄よ。オイディプスが背負っている信仰とライダーが背負っている信仰じゃ桁が5つ6つ違うわ。何を神託したところでライダーを倒せるわけがない」

 アスカは膝の上で手を握り締める。シンジは思わずその手を掴んでいた。

「正直アサシンとキャスターだけじゃどうにもならなかった。でもセイバーが加わってくれるなら勝ち目はある。セイバーとキャスターでライダーを引き付けておいて、その隙にアサシンが聖杯を破壊する。ライダーは倒せなくていいんだ、聖杯を破壊すればそれが僕達の勝利だ」

 だがアスカは首を横に振った。

「確かに勝ち目はゼロじゃないけど、それでもゼロに近いわ。もしあたし達が負けて唯一神が降臨することになったら……シンジ、あんた死ぬほど後悔するのよ」

 シンジはアスカに反論しようとして口を開く。だが何も言えなかった。アスカがどこか悲しげに微笑む。

「だからシンジ、もしもの時はあんたがあたしを殺すのよ」

「アスカ!」

 シンジはそう叫び、それきり絶句した。

「あたしだって死ぬのは嫌よ、だからこれは最悪の事態を想定しての話」

 アスカはそう言うが、シンジには判る。アスカは事態が結局はその「最悪」に至ると確信していた。

「……その時は他の誰でもなく、あんたにあたしを殺してほしい。キャスターのマスターに殺されるなんて最低だけど、あんたなら諦めもつくし」

 アスカが透明な笑みを見せる。シンジは自分でも気付かないうちにアスカの身体を強く抱き締めていた。肌に感じるシンジの身体は思いがけず筋肉質で硬い。シンジの両腕に力任せに締め付けられ、アスカは痛みを覚える。だがその痛みが今は陶然とするほど甘かった。

 二人は抱き合ったまま長い間沈黙していた。

「……判った」

 ようやくシンジが、喉を軋ませるようにしてやっとの思いで言葉を出す。シンジは堅い意志を瞳に宿し、アスカを見つめた。

「僕は全世界の数十億だけじゃなく、数十億プラス1を選択した。だからその実現のために死ぬ気で戦う。でももしそれでも僕の力が届かないなら、その時は僕が責任をとる。アスカだけを死なせはしない、僕もアスカと一緒に逝く」

「駄目よ、シンジは生きて」

 アスカはシンジの腕の中から抜け出て立ち上がる。シンジは腕を伸ばすがアスカには届かなかった。襖を開けたアスカはシンジの方を振り返る。

「シンジは死なないで。あたしのことを忘れないで。ずっとあたしのことだけ想い続けて、いつまでも生きていて」

 アスカの姿が襖の向こうへと消え、シンジの腕が力無く垂れ下がる。シンジは己が無力を痛いほどに思い知りながら、そのまま虚空を見つめ続けていた。

 


 


 


 


 一方、ゲンドウが寝ている1階の仏間。

 リツコがその部屋に入ってきた時、ゲンドウは布団の上に身を起こしていた。その膝元ではレイが横たわり、猫のように身体を丸めて眠っている。ゲンドウはレイの顔を見つめていた……リツコも初めて目にするような表情で。

「リツコ君」

「は、はい」

 言葉をなくしていたリツコが慌てたように返答する。

「私は私の計画のためにこれまで多くのものを切り捨ててきた。踏みにじってきた。だが今私の計画はほぼ瓦解している。今になって捨ててきたものを再び拾おうとしたところで、やはり叶うまい」

 リツコは沈黙したままゲンドウの言葉を聞いている。ゲンドウがリツコに頭を下げた。

「リツコ君。この戦いが無事終わったなら、君にレイとシンジのことを頼みたい」

「お断りします」

 リツコがそう即答し、ゲンドウが目を見開いた。

「貴方は捨てられた側の気持ちが判っていません。貴方がレイやシンジ君にしてきた仕打ちを、多少なりとも埋め合わせられるのは貴方だけなんです」

 リツコがゲンドウの側に膝を付き、ゲンドウの手に自らの手を重ねる。

「この手で償っていってください。わたしが手伝います。わたしがお側にいます」

 長い間沈黙していたゲンドウが、やがて嘆息する。

「……判った。共にいてくれ、リツコ君」

 リツコは微笑みながら頷く。それは憑き物が取れたような、澄んだ穏やかな笑みだった。


 


 




[101] おまけ・サーヴァント解説
Name: 行
Date: 2005/02/11 16:05






☆サーヴァント解説

 


 


 「”運命”の子供達」の冒頭でも書きましたが、本作に登場する英霊の設定や描写にはかなりの無茶があります。その辺について解説なんぞ書いてみました。何かの参考としてください。少なくとも、本編の描写をそのまま信じ込むことのないようお願いします。

 


 


クラス;アサシン
真名;日本武尊
マスター;碇シンジ
宝具;「草薙の剣」


 12代景行天皇の第二子。父王の命を受けて熊襲・出雲・蝦夷を征伐、大和朝廷の日本支配体制を固めた。「ヤマトの勇者」という名前が示す通り、各地の地方勢力を屈服させた大和朝廷の軍事力を象徴化した存在であり、実在ではないらしい。実在するとしたら4世紀前半の人物(景行天皇の在位がそのくらいとされるので)。蝦夷征伐の帰路、悲劇の死を遂げる。

 伝承では「身の丈2mを越える」とされるらしいが、それが本当なら「女装して宴席に紛れ込んで熊襲王を討った」って話が無茶苦茶になるだろ。だから実際は小柄で中性的な美少年だったに違いない。さらに妄想を進めて「実は男装の美少女だった」とすることに。

 キャラ設定には氷室冴子の「ヤマトタケル」という小説を参考にしています。この小説で日本武尊が父王へ寄せる一方的な思慕がシンジのキャラとシンクロしました。シンジのサーヴァントはこいつ以外にあり得ません。外見は、アルトリアを東洋人にしたような凛々しい美少女をイメージしてください。ただし性格は腹黒です。

 宝具「草薙の剣」は天皇家の三種の神器の一つ。元は素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した際にその尾から取り出した剣。その時の名は天叢雲剣。日本武尊が蝦夷討伐の際、草原で敵に焼き討ちにされそうになるがこの剣で草を刈って火打ち石で火を放って、逆に敵を焼き討ちとした。それに因んで剣は「草薙の剣」と呼ばれるようになったそうだが……草刈り鎌かこの剣は?

 派手な能力を持っておらず宝具に仕立てるのに苦労したけど、「あらゆる攻撃を薙ぎ払い、打ち払う。持ち主に絶対の加護を与える」という属性を付与して宝具らしくしました。「月見草」の「月の浮かびし聖なる杯」というFateSSに影響を受けていたり。

 


 


クラス;セイバー
マスター;惣流アスカ・ラングレー
真名;ジークフリート
宝具;「怒れる神の剣(グラム)」


 古代北欧神話の英雄。北欧名ではシグルズ。神話を題材にワグナーが叙述した悲劇「ニーベンゲルンの指輪」の主人公。

 主神オーディンの血統で、父親はジーゲムント。ジーゲムントはオーディンに認められて剣を与えられ、数々の戦場で武勲を立てた。ジーゲムントがヴァルハラに召された後、ジークフリートはあるドワーフを養父として育つ。成長したジークフリートは養父の頼みで邪竜退治をする。その際竜の血を全身に浴びたジークフリートはどんな攻撃も受け付けない不死身の身体を手に入れた。養父の狙いは邪竜の持つ財宝だったため、ジークフリートは養父に殺されそうになる。が、不死身の身体のため殺されることなく、養父を返り討ちにした。

 成長したジークフリートは騎士として取り立ててもらうために、フン族の王アッチラの宮廷に赴く(なおアッチラは5世紀前半の人間なので、ジークフリートもその頃の人物となる)。宮廷の重臣にその武勲を妬まれ騙し討ちに遭い、弱点を突かれて倒された。

 アスカの血筋を考えればサーヴァントとして最適なのはやはりこいつだろうと思います。キャラ的には「Fate」の英霊エミヤとクー・フーリンを足して二で割ったような感じ。外見としては英霊エミヤの要素が強いかと。

 宝具の神剣グラムは、父がオーディンより与えられた剣を材料とし、養父が打ち直して作成したもの。「グラム」は「怒り」を意味し、「オーディン」という名も「怒り」を意味するとのこと。剣の能力がいまいち判らなかったので、とにかく凄い剣と描写。

 


 


クラス;バーサーカー
マスター;綾波レイ
真名;ヘカトンケイレス
宝具;「異形の巨神」


 ギリシア神話の神々の一つ。ガイアとウラノスにより生み落とされるが、ウラノスに忌み嫌われタルタロスに幽閉される。後にゼウスに救出されてその軍勢に加わり、クロノス等ティターン神族と戦う。ゼウスはこの戦いに勝利し、オリンポス神族が全世界を支配することとなる。その中でヘカトンケイレスはティターン神族を幽閉したタルタロスの番人となった。

 一番最後まで決まらなかったサーヴァント。「魔道技術により製造された」「非常に下らない役割を押しつけられながらも、それを全うした」という条件で探したけども適当な英霊がなかなか見つからず。結局ギリシア神話を強引に歪曲して彼にバーサーカーをやってもらうことに。結果的には山本弘の「サーラの冒険」の影響が見られるかな、と。

 レイは触媒なしでこいつを召還しております。上記の条件でレイとの共鳴があったわけです。

 100本の腕と50の頭、というヘカトンケイレスの姿をそのまま宝具に仕立てる。首を50個斬り落とされても即時再生する回復能力が宝具「異形の巨神」。ますますバーサーカーっぽくなって良い感じです。

 


 


クラス;ランサー
マスター;葛城ミサト
真名;ロンギヌス
宝具;「世界を征する神の槍(ロンギヌスの槍)」


 イエス・キリストと同時代のローマ軍の百人隊長。十字架に架けられて処刑されたイエス・キリストの死を確認するために、その脇腹に槍を突き刺す。ロンギヌスは盲目の兵士だったがイエスの聖なる血を受けて目が見えるようになる。神の奇蹟に触れたロンギヌスはキリストの信者として回心。その後カッパドギアを宣教中に偶像崇拝を拒否して捕らえられ、処刑された。後に殉教者として崇拝されるようになる。


 ミサトを教会の代行者としたのでそのサーヴァントはキリスト教関係。クラスをランサーとすると、こいつか聖ゲオルギウスくらいしか選択肢がないかな、と。異英霊召還としてはありふれた選択だったようで、もうちょっと工夫すれば良かったかと今になって思います。

 宝具「ロンギヌスの槍」もあまり工夫がなく、とにかく凄い槍と描写。二又だったり変形したり自力推進したりすれば面白かったかも知れません。

 


 


クラス;キャスター(「7日間の黙示録」)
クラス;アーチャー(「”運命”の子供達」)
マスター;赤木リツコ
真名;オイディプス
宝具;「呪われた神託」


 ギリシア3代悲劇の一つ、ソフォクレス「オイディプス王」の主人公。

 テーバイ王ライオスはデルフォイの神託により「子を作ればその子は父を殺し母と交わる運命にある」と予言され、生まれたばかりのオイディプスを山中に遺棄する。オイディプスは羊飼いに拾われ、やがてコリントス王の実子として育てられた。

 ある時「父を殺し、母を妻とする」と予言され、それを避けるためにオイディプスは故国を捨て旅に出る。だが旅の途中で出会ったテーバイ王ライオスをそうとは知らず殺してしまう。さらにテーバイに辿り着いたオイディプスはスフィンクスを退治。その功績により未亡人となっていたテーバイ王妃イオカステを妻とする。後に全ての真実を知ったオイディプスは自らの所行を悔い、何も見ていなかった両目を自ら潰し、流浪の旅に出た。

 「リツコに相応しいのはどんな英霊か?」から決定されたサーヴァント。我ながらこの選択はヒットだったと思うけども、オイディプスには適当な宝具がない。仕方ないのでデルフォイの神託と一体化してもらい、「口にした神託がそのまま実現する」という宝具「呪われた神託」をでっち上げました。はっきり言って無理が許される範囲を越えている感がありますが、面白い種類の宝具となったので結果オーライと思ってください。

 


 


クラス;アーチャー(「7日間の黙示録」)
クラス;ライダー(「”運命”の子供達」)
マスター;加持リョウジ
真名;クリシュナ
宝具;「天をも滅する神の矢(ナラ・アストラ)」


 元々は紀元前7世紀のインドで活躍した実在の人物。ヤーダヴァ族の精神的指導者として新しい宗教を説き、その神をバガヴァットと称する。死後、クリシュナはバガヴァットと同一化され、神格化した。クリシュナ信仰はインドの民衆に広く浸透し、現在でもインドの民衆の間で最も親しまれ愛されている神となっている。

 インドの主神ヴィシュヌの化身の一つとされる。また「マハーバーラタ」では主人公アルジュナの戦車の御者となり、またアルジュナを精神的に導く役目も果たす。

 加持のサーヴァントをラーマにするかクリシュナにするかなかなか決まりませんでした。当初はラーマを出す予定にしていて、宝具は当然ながら「人がゴミのようだ!」のあれ。けどシーター一筋のラーマよりも性愛に奔放なクリシュナの方が加持向きと思い直し、ラーマ退場。

 ただそうなるとクリシュナの宝具というのが探してもなかなか見つかりませんで。
ネットで見た範囲では「アグネアの矢」と「インドラの矢」と「ナラ・アストラ」が同一の物だという根拠はありません。さらにクリシュナがそれを使えるという保証もありません。ありませんが、「まー使えんこともなかろう、えいっ」て感じで勢いで書いちゃいました。手屁。

 「アグネアの矢」は「マハーバーラタ」に登場する武具で、「古代インドで核戦争があった!」という超古代史愛好家によく愛されています。「ナラ・アストラ」の出典はまた別ですが、その描写は弾道ミサイルのそれを思わせるものです。

 


 


クラス;キャスター(「”運命”の子供達」)
マスター;渚カヲル
真名;ソロモン
宝具;「七十二の精霊」


 前10世紀・古代イスラエル王国の3代目の王。ダビデの息子として王位を継いだソロモンは粛正により反対派を一掃、王権を確立する。
ソロモンの神殿を始めとする神殿・宮殿の建設を行い、王朝は栄華と繁栄を極めた。だが土木工事等の重圧に民衆は耐えかね、ソロモンの死後にそれが爆発。王国は南北に分裂し、衰退した。

 ソロモンの英知や王朝の栄華は「シバの女王」のエピソード等に象徴されている。ソロモンは後世のユダヤ教やイスラム教の書物では卓越した賢者としてだけでなく、精神世界を支配する力を持った人物として描かれている。また、ソロモンは数多くの精霊・悪魔を封印し使役し、数々の奇跡を起こしたとされている。宝具「七十二の精霊」はソロモンの使役する精霊が宝具と化したもの。

 


 


クラス;アーチャー(前回の聖杯戦争)
マスター;碇ゲンドウ
真名;ダビデ
宝具;「巨人討つ神の礫」


 前10世紀・古代イスラエル王国の2代目の王。ペリシテ人との戦争の際、羊飼いの少年だったダビデはただの石投げによりペリシテ人戦士・巨人ゴリアテを討ち果たす。初代王サウルはその功績を讃えて臣下として重用するが、後にその人気を妬むようになった。粛正の危険を感じたダビデはペリシテ人側に亡命。サウルの死後にイスラエルに戻り、内戦の末に玉座に就く。ソロモンに続くイスラエル王国の黄金時代を築いた。

 前回の聖杯戦争にゲンドウのサーヴァントとして参加。最後まで生き残り、受肉化する。人間としての名前は渚カヲル。

 「ゲンドウのサーヴァントで受肉化した英霊」を出したいと思った時に、即座にカヲルを英霊とすることに決定。ダビデ王の人物像はあまりカヲルらしくなくむしろ加持の方が相応しいような感じだけど、気にしない。白髪紅眼であるべき理由が何もないけど、気にしない。

 ゴリアテを討ち果たした石投げが宝具と化して「巨人討つ神の礫」となる。この宝具で投げるのは本当はただの石ころのはず。でもそのまま描写したなら地味さのあまりギャグになってしまうので(「巨人討つ神の礫! えいっ!」こつーん「ああっ、バーサーカーがただの石ころにっ」……てな感じ)絵としての派手さを優先して魔力弾を撃ち放つ宝具とする。

 


 


クラス;ライダー(「7日間の黙示録」)
マスター;渚カヲル
真名;黙示録の四つの封印


 ヨハネ黙示録に記述されている、封印されし4人の天使。天使が騎乗するのはそれぞれ白・赤・黒・青の馬で、彼等には「地の四分の一を支配する権威」「剣(戦争の象徴)」「飢饉」「死」によって人々を殺戮する権威が神より与えられている。

 「神の抑止力」の中でも最上位に位置する普通なら召還は不可能。アレックスが召還したのは言わば四つの封印の形骸に過ぎないが、それでも普通のサーヴァントを遙かに越える力を持っている。

 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月6日・昼
Name: 行
Date: 2005/02/11 19:38

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月6日・昼

 


 


 


 


 碇邸ではシンジ達がやや遅めの朝食を取っていた。

 居間で食卓を囲んでいるのは、シンジ・アサシン・アスカ・レイ・リツコ、それにようやく起きられるようになったゲンドウである。

 ゲンドウはこのアットホームな雰囲気が耐え難いようで、その辺にあった新聞を読む振りをして一同から顔を隠している。ただその新聞の日付は13年前のものだった。

 いつもは人一倍おしゃべりで賑やかなアスカだが、今はあまり口数も多くない。アスカ以外には特別おしゃべりな人間はいないので、食卓には静かで穏やかな時間が緩やかに流れていた。

 不意に、アサシンが独り言のように呟く。

「……戦いが無事に終わったなら、十月十日先にはセイバーのマスターは母親になるのですね」

 アスカとシンジの手から箸が同時に転がり落ちた。氷の柱のように硬直するアスカに、リツコが追い打ちを掛ける。

「そうね、堕胎が不可能な以上産むしかないわ。その年で母親になるのも大変でしょうけど負けないでね。シンジ君も」

「え、僕もですか?!」

 シンジが声を裏返させた。リツコがわざとらしく肩をすくめる。

「『僕はアスカを守る』って言っていたのは誰だったかしら? この戦争が終わっても彼女が背負うものの重さは変わらないのよ。貴方はそれを見過ごすつもり?」

 シンジは酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせている。が、アスカが縋るような瞳で自分を見つめていることに気付き、シンジは腹をくくった。シンジは唾を飲み込みながら一同に宣言した。

「もちろん見過ごしたりしません。誰のクローンだろうとその子がアスカの子供なら僕の子供も同じです」

「シンジ……」

 頬を赤らめたアスカが濡れたような瞳をシンジへと向ける。シンジはとびっきりの笑顔でアスカの視線を迎えようとした。だが、

「何恥ずかしいこと言ってんのよーっ!!」

 アスカが箸を握り締めたまま右ストレートをシンジの顔面へと叩き込む。シンジは吹っ飛ばされてひっくり返った。アスカはシンジに背を向け、ご飯を口へと掻き込んでいる。慌てて起き上がったシンジはアスカの至近にひざまづいて、アスカの顔を覗き込もうとした。
「あの、僕じゃ駄目かな?」

「誰もそんなこと言ってないじゃない」

「……僕をその子の父親として認めてくれる?」

「そんなの……」

 内緒話をするように顔を寄せ合い声を潜めて会話する二人は、端から見ればいちゃついているようにしか見えなかった。リツコ達からすれば阿呆らしくて突っ込みを入れる気にもなれない。ラブラブバカップルな結界を展開させている二人を置いておいて、リツコ達は言葉を交わす。まずリツコが、

「シンジ君が子持ちになるなら、あなたはおばさんになるのね」

 とレイをからかった。レイは即座に反撃する。

「おとうさまと再婚するなら、あなたはすぐにばあさん」

 リツコとレイは互いに氷の笑みを漏らした。

「言うじゃない、おばさん」

「あなたほどじゃないわ、ばあさん」

 シンジ達に続いてリツコとレイも、北極圏のように冷たい異様な空間を作り出している。ゲンドウはだらだら冷や汗を流しているのを新聞で隠していたし、アサシンは湯飲みを両手に持って窓の向こうを見つめ「今日もいい天気ですねぇ」と一人和んで現実逃避をしていた。

 朝食とその後片付けを終え、シンジとアスカはゲンドウにより納戸へと連れてこられていた。リツコ達も野次馬として後ろから付いてきている。納戸にあったのは、大きな葛籠、ベビーベッド、乳母車、玩具等であった。

 ゲンドウが葛籠を開け、中に入っている服の1着をシンジに手渡す。

「お前が生まれた時に使っていた服、それに育児用品だ。これを使え」

 人形用みたいに小さなその服は、赤ん坊のための産着だった。

「気が早すぎだよ、父さん」

 シンジは呆れたような乾いた笑いを漏らしながらも、それを受け取る。さらに産着はアスカの手へと渡った。アスカはそれを愛おしむように両腕で抱き締める。

「……こんなに小さかったんだ、赤ん坊って」

 アスカの瞳から涙が零れ、アスカはそれを誤魔化すように産着に顔を埋めた。アスカがそのままの姿勢で呟くようにシンジに訊く。

「……シンジ、あたしにちゃんと母親ができるかな」

「できるよきっと。僕も手伝うから」

 シンジはそう即答した。アスカの瞳からは未だ涙が流れている。だがアスカは輝くような、澄んだ笑顔をシンジへと向けた。

 だが穏やかな時間も終わりを告げる。シンジとアスカとリツコが同時に何もない壁の方を見、壁を凝視した。

「シンジ」

 アサシンが確認するようにシンジの名を呼び、シンジがアサシンに頷いて見せる。

「マスターの気配が接近している。ここに向かって、真っ直ぐ」

 シンジとアサシンが外に出るべく走り出す。アスカがそれに続いた。

「アスカ、君は家の中にいて」

 シンジはそう言うが、アスカは無言のまま首を横に振る。シンジはそれ以上何も言わなかった。

 碇邸の前に、シンジ・アサシン・アスカ・セイバー・リツコ・キャスターが並ぶ。リツコが人払いの簡易結界を展開し、迎撃の準備は整った。そこに、陽炎のように空気が歪んで何もない空間からライダーとアレックスが出現する。それまで使用していた光学迷彩の結界を解除したのである。

 巨大な黒い馬とそれに騎乗する黄金の騎士、そして白人の男がシンジ達の前に進み出る。シンジ達は揃って身構え、今にもアレックスに襲い掛かろうとしていた。だがアレックスは己が強大さを夢にも疑っておらず、小動物の獲物を前にした狩人のような姿勢でシンジ達に臨んでいる。

「やあ、アサシンのマスター。今日は娘を返してもらいに来たんだ」

 アスカが怯えたように身をすくませる。シンジはアスカを庇うようにアスカの半歩前に出た。アレックスはふざけた態度を保ったまま言葉を続ける。

「僕の可愛いアスカを大人しく返してくれるなら君達にも相応の報酬を与えるよ。そうだね、君達マスターは殺さず君達のサーヴァントだけを殺してあげよう。慈悲深い条件だろう?」

「断る、アスカはお前に渡しはしない。僕達もアサシン達も殺されはしない」

 シンジは言下に拒絶する。アレックスはわざとらしくため息をついた。

「やれやれ、どう抗おうと結果は同じなのに。……アスカ、こっちにおいで」

 催眠術に掛かったかのようにアスカの身体が前に進もうとする。シンジはアスカの肩を掴んだ。

「アスカ!」

 アスカは何とか踏み止まった。アスカの身体が震えている。アレックスが悪魔のように口の端を吊り上げた。

「僕の可愛いアスカ、君は僕に従っていれば間違いないんだよ。それが君のためなんだから。優れた魔術師が他の劣った魔術師を従えるのは当然のこと、世の摂理なんだから」

 シンジの手をすり抜け、アスカが前へと進んでいく。

「アスカ!」

 シンジはアスカの名を叫ぶが、それはアスカの耳には届いていないようだった。アスカは夢遊病者のような足取りでアレックスの元へと歩いていく。その後ろにはセイバーが従っていた。シンジは唇を噛み締めながらそれを見送ることしかできない。

 そして、アスカがアレックスの元へと到着する。

「よし、いい子だ」

 アレックスがアスカの肩を抱き、アスカは小さく身を震わせた。アレックスはスーツの懐から賢者の石を取り出し、シンジ達へと示す。

「さあ、処刑の時間だ。精一杯抵抗して少しでも僕を楽しませてくれたまえ」

 賢者の石から魔力が溢れ出ようとしている。さらにライダーがシンジ達の前に進み出た。シンジ達は戦闘体勢を取るが、その顔には一様に絶望が色濃く浮かんでいる。だがその時、アレックスの手から賢者の石がこぼれ落ちた。……数本の指と一緒に。

「がっ……!」

 3本の指をなくした右手を、左手で押さえるアレックス。セイバーから神剣グラムを借りてアレックスの指を斬り落としたアスカは、さらに素早く賢者の石を拾い上げた。

「あたしは貴方の人形じゃない……! この子だって、貴方の道具になるために産まれてくるんじゃない!」

 アスカは空を翔るようにシンジの元へと走り、シンジの胸の中に飛び込む。

「シンジ……! シンジ……!」

「アスカ、よく頑張ったね!」

 アスカは感極まったように泣き出し、シンジはアスカをかき抱いた。アレックスは瞳から憤怒と憎悪を溢れさせながらそれを凝視している。

「よくも私に傷を負わせたな、この猿ども……! ライダー、皆殺しにしろ!」

 ライダーがシンジ達へと手にしている天秤を突き付ける。アサシンとセイバーは剣でそれに対抗しようとするが、キャスターは違っていた。

「それを貸せ!」

 キャスターはアスカの手から賢者の石を引ったくる。キャスターの意志に呼応し、賢者の石から膨大な魔力が溢れ出た。キャスターはその魔力を集約し、言霊を練る。キャスターは黄金の騎士に剣の切っ先を突き付けた。

「聞け、ダビデ! この剣が貴様を呪縛する洗脳を打ち砕く!」

 キャスターは剣を振りかぶり、それを投擲。剣は矢のように飛んで空気を切り裂き、黄金の騎士の頭部、顔を隠す甲冑へと突き刺さる。甲冑の頭部が二つに割れ、アスファルトの上に落ちて涼しい音を立てた。

 そして仮面の下から英霊ダビデの素顔が現れる。銀の髪と紅い瞳の少年は、未だ夢の中にいるように呆然としていた。だが事態は止まることなく先へと進む。黒い馬が、4つの封印がその身を揺すり、ダビデを振り落とそうとする。ダビデは鞍から飛び降りて大地に立った。

 その間にも4つの封印の姿が急速に変化しており、それまで黒い馬だったのが、今は白い馬へと変貌を遂げていた。そしてそれには冠を被り、弓を手にした騎士が騎乗している。騎士は輝く甲冑を身にまとっており、
顔を覆った仮面には目鼻を抽象化したような線が刻まれている。背中にはマントの代わりのように翼が生えていた。

「あれは……?」

「第一の封印、イエス・キリストを象徴し地の四分の一を支配する権威を持つ天使よ。今までダビデに憑依していたのが、そこから排除されたのね」

 シンジの疑問にリツコが答えた。

「殺せ! 奴等を殺せ!」

 アレックスが見苦しく喚いている。アサシンはアレックスの息の根を止めるべく、滑るように大地を駆けた。アレックスは息を飲んで命令を変更する。

「ライダー、あの者から私を守れ! あの者を殺せ!」

 ライダーがアサシンの前に立ち塞がる。アサシンは急停止し、ライダーと対峙した。接近するライダーに対し、じりじりと後退するアサシン。アレックスは嘲笑を浮かべて唇を歪めた。だが、

「命令の仕方が間違っていたわね」

 それがアレックスの聞いた最期の言葉となる。眼前に迫る黒い刀身がアレックスの見た最期の光景となった。声が聞こえた背後を振り返ったアレックスは、7本の黒鍵により身体を貫かれる。顔面のうち眉間に1本、右目に1本、咥内に1本、さらに喉に1本、心臓に2本、鳩尾に1本。

 黒鍵は完全に身体を貫通し、大地に伏したアレックスは後頭部と背中から刀身を生やした奇妙なオブジェと化した。言うまでもなく、完膚無きまでに、徹底的に絶命している。

「もしかしたらライダーはわたしの接近を察していたかも知れないのに。『あの者』じゃないわたしから貴方を守る義務はライダーにはなかったのね」

 葛城ミサトは路傍の石を見るかのような目でアレックスの死体を見下ろしていた。シンジ達は事態の急変に脳の処理速度が間に合っていない。だがサーヴァント達は現在の最優先事項が何かを忘れてはいなかった。

「キャスター、それを貸せ!」

 今度はセイバーがキャスターから賢者の石を受け取る。セイバーは石から奔流のように溢れる魔力の全てを神剣グラムへと流し込んだ。魔力は凝固のあまり膨大な光と熱を放っており、グラムの刀身が熔け掛かっている。限界を超えて魔力を集約したグラムは今、地上に堕ちた太陽のように輝いていた。シンジ達は眩しさのあまり到底目を開けていられなくなっている。ミサトは一目散に逃げ出していた。

「行くぞライダー! 怒れる神の剣!!」

 セイバーとグラムが一体と化し、彗星となってライダーへと翔ていく。グラムがライダーに触れた刹那、光と熱が爆ぜて怒濤のように広がった。グラムの魔力のほとんどはライダーの身体に叩き付けられており、広がった爆風はただの余波に過ぎない。だがその余波ですら人間の身で耐えられるものではなかった。

 アサシンはシンジ達を守るべくシンジの元まで急速後退し、背中の長剣を盾としてその爆風を受け止めている。キャスターもまた己が身を盾として自分のマスターを守っていた。

 光と熱の乱舞がようやく収まり、シンジは慎重に瞼を開けて周囲の様子を窺う。それを見た途端、シンジの目は大きく見開かれた。

「まだ生きている……!」

 ライダーは、白馬に騎乗する天使は右腕と身体の右半分を失っている。だがまだ死んではいなかった。地の底から響くような奇怪な唸り声を上げ、その怒りをセイバーへと向けている。セイバーはグラムを構え、もう一度宝具を放とうとした。だがセイバーが魔力を根こそぎ使用し、今にも崩れ落ちそうになっているのは誰が見ても明らかだ。そのセイバーの手から、

「今度は僕の番だ、借りるよ」

 紅い瞳の少年が賢者の石をさらっていく。セイバーは目を見開いた。

「貴様……」

「受肉化した僕の攻撃力は君達より高い。余波に備えた方がいいよ」

 ダビデは軽い口調でそう言いながら、頭上に掲げた皮ベルトへと魔力を集中させる。賢者の石から絞り出された魔力の全てが皮ベルトへと集中する。集中しすぎた魔力は空間すら歪めた。ブラックホールのような黒い虚無がそこに生まれ、ダビデはそれに押し潰されそうになっていた。ダビデは何とか足を踏ん張り、軽口を叩く。

「いやあ、ここまで魔力を集めたのは初めてだよ。僕の身体を好き勝手に使ってくれた報いを受けてもらうよ。耐えられるかな?」

 ダビデの背後では3人のサーヴァントが集まって総出で防御を展開していた。セイバーもキャスターも頬を引きつらせている。

「さあ、あるべき場所へと還るがいい……巨人撃つ神の礫!!」

 ダビデが黒い虚無を魔弾として撃ち放った。虚無はライダーへと着弾し、炸裂する。烈震のように大地が揺れ、そこに生まれた余波は魔力の怒濤となってセイバーを、アサシンを洗い流した。アサシンは剣を鞘から抜いて盾として前に突き出す。

「我が剣よ!」

 アサシンの意志に呼応し、その剣は魔力の怒濤を薙ぎ払う。アサシンの剣は奔流を切り裂き、背後のシンジ達を守り抜いていた。

 魔力の怒濤がようやく収まり、世界は静寂を取り戻す。首をすくめていたシンジ達は慎重に頭を上げた。

「……」

 シンジは最早言葉もなく、ただ眼前の光景に絶望した。魔力を使い果たし、ダビデが膝を付いている。その先には巨大なクレーターが作られていた。そしてその中に、巨大な黒い馬がいて宙に浮いていた。馬には天秤を手にした天使が騎乗している。

 第1の封印は滅び去った。だがまだ第3・第4の封印が残っていたのだ。

 だが、黒い馬と天使はシンジ達に背を向けた。黒い馬は宙を歩きながらも馬蹄をならしている。馬蹄の音が次第に小さくなり、黒い馬の姿も空気へと溶けるように遠ざかり、やがて消えていった。

 シンジはその場に座り込んでいた。その横ではアスカもシンジに縋り付いたまま腰を抜かしている。アサシンも膝を屈し、セイバーもダビデもキャスターもリツコも、立っていられる者は一人としていなかった。

「……見逃してくれた?」

「そういうわけじゃないわ。ゲンドウさんが言っていたでしょう、ライダーには条件付けの術式が組み込まれているって。アレックスが死んだからそれに従って聖杯を守るために移動したのよ、きっと」

 シンジの疑問にリツコが答える。

「とりあえず、今のところは助かったってことか」

 シンジは全身から脱力して天を仰いだ。真冬の青空に白い雲が流れていく。シンジは長い時間、ただそれを惚けたように眺めていた。

 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月6日・夜
Name: 行
Date: 2005/02/11 19:39

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月6日・夜

 


 


 


 


 夜、碇邸の居間は人で溢れそうになっていた。まずシンジ・レイ・ゲンドウ・リツコ・アスカ、そしてそのサーヴァントのアサシン・セイバー・キャスターが現界。さらにダビデこと渚カヲル、その上加持・ミサトの両名も加わっている。

 シンジが普通の夕食を用意したのだが、加持やゲンドウが酒を持ち出し、夕食の席はすっかり宴会と化してしまっていた。シンジは酒の肴を用意するのに忙しい。アスカとレイがそれを手伝っていた。

 炬燵ではゲンドウと加持が、ミサトとリツコが酒を酌み交わし合っている。

「……結局この先どうするわけ?」

「今夜はゆっくり休んで、決戦は明日。シンジ君と惣流アスカがサーヴァント達、それにダビデを引き連れて聖杯の元へと行く。ライダーは聖杯を守るためにそこにいる。ライダーを倒すか出し抜くかして、聖杯を破壊する。それで唯一神降臨は阻止できるわ」

 ミサトは缶ビールを水のように飲んでいる。リツコは煙草を美味そうに吹かしていた。

「あの子達が一緒に行く必要はないんじゃない? 危険なだけよ」

「わたしもそう思うけど、あの子達なりのけじめなんでしょう。サーヴァント達にライダーに戦いを挑ませるのは、極端なことを言えばあの子達だけの都合なんだから」

 リツコの説明にミサトは納得する。

「なるほどね。自分達のために戦ってもらうのに、安全なところに隠れている気にはなれない、か」

「そういうこと。わたしはそこまで付き合えないから、安全なところに隠れさせてもらうわ」

 まあそれでもいいでしょうけど、とミサトはビールで喉を潤す。

「……彼等で勝てるの? あのライダーに」

 リツコは沈黙する。リツコ達の視線が、炬燵から離れたところで車座になっているサーヴァント達へと注がれた。

 アサシンは冷やの日本酒を舐めるように味わっている。着ているのはいつものように、白いブラウスシャツと藍色のジーンズである。

「……これだけの面子が揃えば、あのライダーに勝つのも不可能ではないかも知れません」

「それは楽観が過ぎるのではないか? アサシン」

 黒い細身のジーンズと黒いノースリーブシャツというパンクロッカーみたいな姿のセイバーが、ウィスキーのロックが入ったグラスを軽く揺らす。氷とグラスとが鈴のように涼しげな音を立てた。

「何をもって勝利とするかにもよるだろう。いずれにしても我らの生還は期し難いのは違いない」

 キャスターは缶ビールで喉を潤しながら他人事のようにそう言った。キャスターの服装は白いジャケットとそれに合わせた白いパンツ。それにいつもの包帯ではなく大きめの黒いサングラスで目を隠している。

「僕達の最終目的が聖杯の破壊なら、君達の受肉化は叶えられないだろうね。もっともライダーを突破して生きて聖杯の前に立つのも至難だろうけど」

 カヲルは缶酎ハイを飲んでいる。身にしている白いカッターシャツの胸元を大きく開けて、黒いスラックスを履いていた。

「それだけがわたし達の最終目的ではありません。シンジとセイバーのマスター、二人を最後まで守ってこそわたし達の勝利です」

「確かに」

 アサシンの言葉にセイバーが力強く頷いた。カヲルがわずかに皮肉を交えつつキャスターに問う。

「君のマスターは決戦には赴かないのかな?」

 キャスターは真面目に答えた。

「私のマスターは必要のないことはせん。アサシンとセイバーのマスターにしても、わざわざ同行する必要はないのだ。はっきり言えば邪魔になるだけなのではないのか?」

 アサシンとセイバーはそろって肩をすくめた。

「彼らもこの戦いを生き残ってきたのです。邪魔になることはないでしょう」

「まあ、貴様のマスターくらいに割り切ってくれた方が何かとありがたいかも知れんがな」

 キャスターは笑いを漏らす。

「貴様らがマスターに恵まれていないようには到底見えはせんよ」

 その言葉に、アサシン達も穏やかな笑みを漏らしていた。

 台所では酒の肴も作り終えたシンジ達3人が、食器を洗ったりしている。そこにリツコが現れ「アスカ」と手招きをする。アスカは怪訝な表情をしながらもリツコの元へと寄っていった。

「何よ?」

「ちょっと耳寄りな話があるの」

 リツコの表情は何か悪戯を仕掛けようとしているかのようだった。「何なのよ」と話を急かすアスカの袖を掴み、廊下の片隅へと引っ張っていくリツコ。シンジとレイはそれを不思議そうに見送った。

 リツコとアスカの話し声は聞こえない。だが、時折アスカが呻き声を出したり罵声を発したりしているのが漏れ聞こえてくる。シンジは首を傾げながらも洗い物を続けていた。それから数分後、台所にアスカが戻ってくる。

 アスカはトマトのように真っ赤になりながら「うー、うー、うー」とサイレンのように唸り続けていた。

「アスカ、何の話だったの?」

「うるさい、バカシンジ!」

 アスカは八つ当たり気味にシンジの尻に蹴りを入れる。

「ここはあたしが片付けておくからあんたは風呂に入って早く寝なさいっ!」

「何だよ、一体」

 シンジはそう抗弁するがアスカは聞く耳を持たなかった。シンジを蹴り出すようにして台所から追い出すアスカ。

「いいから! 明日は決戦なんだからゆっくり休むのよっ!」

 台所から叩き出されたシンジは首を捻りながらも、アスカの命令に従って風呂に入る。ゆっくり風呂に入り、風呂上がりに台所に行ってみるがアスカの姿はそこにはなかった。洗い物も片付け終わっていたので、居間のゲンドウ達に一声掛けて寝ることにする。

「それじゃ先に休みます……」

「ええ。しっかりね」

「優しくしてあげないと駄目よん」

 意味不明な挨拶を受けながら、シンジは自室へと戻る。冷たい布団に潜り込んだシンジは、大した時間も掛からず眠りへと落ちていった。

 ……が、その眠りは数十分後には覚まされる。頬に痛みを感じたシンジが目を開けると、そこにいたのは頬を膨らませたアスカだった。

「何寝てるのよ、バカシンジ」

「早く寝ろって言ったのはアスカじゃないか」

 身を起こしたシンジは、アスカの姿を目の当たりにして心臓を弾ませた。アスカが身にしてるのはシンジの白いカッターシャツだけだったのだ。カッターシャツと同じくらい白いアスカの太腿がシンジの目に眩しく映る。シンジは赤面しながらアスカから目を逸らした。

「アスカ、なんて格好してるんだよ。風邪引くよ」

 アスカは両手でシンジの顔を掴み、力任せに自らの方へと向ける。シンジの首が奇妙な音を鳴らした。

「あんたが暖めてくれればいいのよ」

「何を……」

 アスカの真剣な瞳がシンジの瞳を射抜く。アスカの頬が赤い。アスカの身体が小さく震えている。それでもアスカはシンジの目から自分を隠そうとしない。シンジのそばから離れようとしなかった。

「アスカ、どうして」

「……キャスターのマスターに提案されたのよ。唯一神召還の条件の一つを無効にする方法があるって。全部の条件を無効にするわけじゃないから単なる気休めだけど、やらないよりはマシだろう、って」

 アスカは消え入りそうな声でシンジに告げる。シンジはアスカの言葉に耳を傾けた。

「……聖母マリアって救世主を処女懐妊したじゃない。だからあたしがバージンじゃなくなれば、召還の条件が一つ失われるのよ」

 シンジはアスカのしようとしていることを理解する。シンジはしばらくの間、目が眩むような惑乱を覚えた。2分ほどの時間を経て、シンジは何度も唾を飲み込みつつ諭すようにアスカに言う。

「でも、そんな理由でアスカを抱くなんて僕は嫌だ」

 その反対理由を予期していたアスカは即座に反論する。

「あんた、好きでもない女が妊娠した子供の父親になろうとしたの?」

「まさか。そんなわけないよ」

 シンジは強く首を横に振る。

「あたしだって同じよ。あんただから抱かれに来たのよ。それじゃ駄目なの?」

 アスカの瞳が強い意志の光を放ち、シンジの瞳を貫いた。ここで「駄目だ」なんて言おうものなら殺してやると言わんばかりである。シンジはちょっと怖じ気づきながらも、おそるおそるアスカに問う。

「……あの、僕でいいの?」

「ちょっと違うわね。あんたじゃなきゃ嫌なの」

 シンジの伸ばした指先がアスカの肩に触れる。アスカは電流を流されたように小さく身を震わせた。

「……あの、アスカ」

「うん」

 アスカの声は本当に小さかった。その声と同じくらい小さくアスカは身体を縮こませようとしている。

「あの、その前に」

 ……やけに厳重な防音の結界を二人掛かりで何重にも展開したシンジとアスカが、その夜をどう過ごしたかは本人達しか知るはずがないことだった。

 


 




[101] 「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月7日・夜
Name: 行
Date: 2005/02/12 19:57

 


 


「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月7日・夜

 


 


 


 


 時は夜。場所は第三新東京市郊外の山中。

 シンジとアスカはアサシン達サーヴァント連合を引き連れて、その山中の洞窟に足を踏み込んだ。第三新東京市地下には広大な空洞があり、碇家はその空洞の中心部に聖杯システムの中枢を組み上げたという。シンジ達6人はその地下空洞を目指して洞窟を歩いていく。聖杯を目指して。ライダーを目指して。

 細く長い洞窟をひたすら歩き続けて1時間以上が経過した頃、シンジ達はようやく大空洞へと辿り着いた。

 洞窟からその広大な空洞へと足を踏み入れ、シンジとアスカは呆然としてその中を見渡した。「広大な空洞」と聞いたシンジは体育館程度の広さを想像していたが、そんな程度ではない。街一つが丸ごと入るほどの巨大な空洞である。その大空洞の中心に柱が立っていた。

 いや、柱ではない。頂点が天井の大地とは接していないからそれは塔である。その塔は人間が作ったにしてはあまりに巨大で岩そのままの姿をしていた。その塔は自然に出来たにしてはあまりに細く不自然で、何者かの意志を感じずにはいられなかった。大地を産み出した巨人が戯れに造り残していったもの、そう考えるのが一番自然であるように思えた。

 塔の頂点、先端は三つ又の岩が指のように伸びている。そしてその指は紅く妖しく光る魔力の塊を掴んでいた。それはこの地の底を夕陽のように照らし出す、あまりに巨大であまりに妖しい魔力の塊。

「……シンジ」

「あれが碇家の聖杯……」

 シンジ達が今いる地点から聖杯までは岩の荒野が続いている。大地には縦横に亀裂が走り起伏があるものの、身を隠せるほどの物陰はない。聖杯の前に陣取っているライダーからは丸見えになるだろうが、堂々と歩いていくしかなかった。

「アサシンのマスター」

 そう呼ぶキャスターに一同の視線が集まった。

「この戦いは時間との勝負になる。戦いで我々が全滅したならライダーと聖杯の術式が起動し、唯一神が召還される。だがもし我々がライダーを倒したとしても、聖杯がライダーの魂を回収してやはり唯一神召還の術式が起動する。だから勝機はライダーを倒して召還の術式が起動する前に聖杯を破壊するか、我々が全滅する前に聖杯を破壊するか、しかない。いずれにしてもわずかな時間の隙を突くことになる」

 シンジとアスカは無言で頷く。キャスターが説明を続けた。

「だから先に言っておく。我々の誰が斃れようと振り返るな、構わず前に進め」

「そんなの……!」

 シンジは反射的に叫びそうになっていた。だがキャスターの伸ばした手がシンジの声を押し留める。キャスターは静かに首を横に振った。

「ライダーはあまりに強大だ、犠牲なしであれに勝とう等と考えるべきではない。我々がここで斃れたところでそれは単に『英霊の座』に還るだけのこと。感傷に浸って勝機を逃すなど認められん」

「キャスターの言う通りです、シンジ。シンジは聖杯の元へと辿り着くことだけを考えるべきです」

 アサシンがキャスターに同調してシンジに説く。だがシンジの感情はまだそれを納得していない。今度はセイバーが言葉を重ねた。

「戦闘に関しては私達の指示に従ってもらいたい。従えないならここに止まっていてくれ。ただでさえ強敵なのに足手まといがいては満足に戦えない」

「ただ見ているだけなんて御免被るわ。これはあたし達の戦いなんだから」

 アスカが頬を膨らませてそう宣言する。すかさずカヲルが言葉を継いだ。

「なら勝つために最善を尽くしてほしい。振り返らず、ただ前に進む。それが君達にできる最善なんだ」

 シンジは目を閉じ、少しの間黙考する。再びシンジが目を見開いた時、そこには迷いの色はなかった。

「……判った。僕達はただ前へと進む」

 シンジが固い決意に満ちた瞳で一同を見回す。アスカも含めた一同が無言で頷いた。

「行こう」

 シンジが足を踏み出す。アスカがシンジに寄り添い歩いた。キャスターとカヲルがシンジ達の前を、アサシンがシンジの横を、セイバーがアスカの横を歩く。4人のサーヴァントはシンジ達を囲む台形を描いて前へと進んだ。

 一歩歩くごとに岩の塔が近付いてくる。しばらく歩いて、シンジは岩の塔の根元に黒い何者かが存在していることに気付いた。初めは黒い影にしか見えなかったその者の姿が、やがて明らかになっていく。巨大な黒い騎馬と、それに騎乗する黒い甲冑の天使。

 シンジは小さく身震いした。すくんで立ち止まりそうになる足を、岩の地面に叩き付けるようにして歩いていく。アスカの腕がシンジの腕に触れ、アスカの手がシンジの手を掴んだ。シンジがアスカの横顔を盗み見ると、アスカも顔を青ざめさせ冷や汗を流している。シンジはアスカの手を強く握る。アスカもまたシンジの手を強く握り返した。

 そして、シンジ達が岩の塔の間近へと辿り着く。ライダーはもう目の前と言っても良かった。その時ライダーが、黒い騎馬が動く。それが最後の戦いの幕開けだった。

 賢者の石を手にしているキャスターが石の魔力を解放する。キャスターの全身が燃え上がるような高濃度の魔力に包まれた。その間にセイバーとカヲルが左右からライダーを挟み込み、

「怒れる神の剣!」

「巨人撃つ神の礫!」

 宝具を叩き付けた。だがライダーには傷一つ付いてない。充分な量の魔力を込めずに放った宝具であるため、セイバー達にできたのは一瞬の足止めだけである。ライダーが手にしている天秤を高々とかざす。その途端、周囲の魔力が天秤へと吸い込まれていく。

「これは……!」

「飢饉の天使の力か……!」

 まるで湖の底に穴が空いたようだ。天秤という穴に魔力という水が流れ込んでいる。シンジとアスカは魔力を奪われ、立っていることもできなくなりその場に這いつくばった。アサシン達も膝を屈している。

 ただ一人立っているのは賢者の石から魔力の供給を受けているキャスターだけだ。キャスターはただ立っているだけではない、無尽蔵の魔力と充分な時間を費やして言霊を練っているのだ。キャスターは魔力の奔流の中で涼やかに剣を構え、その切っ先をライダーに突き付けた。そして、キャスターの神託が下される。

「聞け、ライダー! この剣が貴様の天秤を打ち砕く!」

 キャスターが剣を振りかぶり、投擲する。剣は光の矢となってライダーの持つ天秤に突き刺さり、これを硝子のように粉々に砕いた。天使は自分の武器に何が起こったかを理解できてないようである。手にしている天秤の残骸とキャスターとをゆっくりと見比べている。

 キャスターは賢者の石をカヲルへと投げ渡した。

「私が時間を稼ぐ、その間に魔力を回復させろ!」

 キャスターは無手のままライダーへと突進、ライダーの懐へと飛び込む。地面に落ちていた自分の剣を拾い上げ、そのまま黒い騎馬を下から上へと斬り払った。鋼を叩いたような異音が響き、キャスターはたたらを踏む。

「……! この化け物!」

 キャスターが剣を振るい、黒い騎馬を斬った。薙いだ。払った。突いた。だがその全てを黒い騎馬は跳ね返す。まるで木刀で石柱に斬り掛かっているようなものである。キャスターの顔に焦りと汗が浮かぶ。

「キャスター、ライダーから離れてくれ」

 魔力を回復させたカヲルが皮ベルトを頭上に掲げる。だがキャスターは、

「まだ駄目だ、来るな。第1の封印の時と同じように、セイバーと二人で連続攻撃をしろ。それまで私が一人で時間を稼ぐ」

 カヲルは迷ったように後ろを振り返った。セイバーとアサシンは必要最低限の魔力を回復させている。今はシンジとアスカが魔力回復を図っているところだった。

 その間にもキャスターはライダーへと斬り掛かる。だがライダーに身じろぎ一つさせることができていない。ライダーがキャスターに向かって掌を突き出した。キャスターは勘だけで横へと避ける。弾丸のようなものがキャスターの頬をかすめて飛び去っていく。頬には一直線に黒い痣ができた。キャスターは舌打ちする。

「ただの魔力弾ではない、ほとんど実体化するほど高濃度の飢餓の呪いを撃ち出したものか。だが……」

 キャスターは後ろに飛んで呪いの弾丸を避け、剣を構えた。

「貴様の呪いが私を貫くことはない!」

 キャスターがライダーの懐に飛び込み、剣を振るう。呪いの弾丸を避け、あるいは剣で打ち払い、黒い騎馬を剣で突く。剣は巨岩を打ったかのように跳ね返された。ライダーが呪いの弾丸を連射し、そのうちの1弾がキャスターの左腕を貫いた。キャスターは唇を噛み締める。

「ライダー、貴様の呪いが私を貫くことはない!」

 キャスターは再びライダーへと斬り掛かった。

 キャスターの宝具「呪われた神託」は確かにライダーにも作用している。だがその効果はあまりに短く、弱かった。キャスターは繰り返し「貴様の呪いが私を貫くことはない」と神託を使っている。にもかかわらず、ライダーの攻撃は何度となくキャスターに着弾していた。呪いの弾丸はキャスターの身体を少しずつ削っているかのようである。キャスターの身体で無傷な場所は一箇所もなく、キャスターの身体で思い通りに動く部分は一つもなかった。

「キャスター、待たせたな」

「さあ、今度こそ下がってくれ」

 セイバーとカヲルがライダーの前へと進み出る。両者が手にしている宝具には魔力が限界を超えて注ぎ込まれており、今にも決壊しそうになっていた。キャスターは傷まみれのまま壮絶な笑みを見せる。

「いや、まだだ。私が突破口を作る」

 キャスターは全身にわずかに残る魔力を残らず剣へと集中させた。キャスターの剣が淡い光を放っている。キャスターが大地を蹴り、宙を駆ける。巨大な黒い騎馬の頭上を越え、キャスターの身体が、キャスターの剣が天使の眉間を狙った。天使は掌を広げ、呪いの弾丸を放つ。

「聞け! この剣が貴様の防御に穴を穿つ!」

 キャスターの剣が天使の仮面に、仮面の眉間へとわずかに突き刺さる。それとほぼ同時にキャスターの全身は無数の呪いの弾丸により撃ち抜かれた。キャスターの身体が襤褸布のようになって宙を漂う。

「キャスター!」

 キャスターの身体は大地に触れる前に、全ての魔力を失い霞か霧のように消えてしまっていた。キャスターが残していったのは、ライダーの仮面のごく小さな亀裂だけ。だがそれで充分だった。

「神よ、人の力を知るがいい!」

「あるべき場所に還れ!」

 セイバーが紅蓮の炎と化して燃え上がる。カヲルが黄金の焔となって灼熱した。二人の魔力の全てが今、ライダーを打ち砕くべく放たれる。

「怒れる神の剣ー!!」

「巨人撃つ神の礫ー!!」

 セイバーもカヲルも、寸分の狂いもなくライダーの眉間の亀裂めがけて宝具を撃っていた。吹き荒ぶ爆風と、大地を揺るがす轟音。シンジはアスカに覆い被さり、アスカを爆風から守ろうとする。無数の石ころが礫となってシンジの身体を打つが、シンジはそれに耐えた。爆風が収まり、シンジが顔を上げるとそこにはまだ第3の封印がいた。だがもう滅びる寸前である。

 第3の封印、飢饉の天使の身体は頭部から真っ二つに、Yの字になって裂けていた。鳩尾の付近でようやく身体が再び一つになっている。だが身体の亀裂はますます深くなっている。その身体が完全に二つに分かれるのは時間の問題だった。

「今のうちだ!」

 シンジ達が飛び出す。魔力が底を付いてひざまづいているカヲルを、シンジが背負い上げる。

「どうするつもりだい?」

「時間が惜しいから僕達が君達を運ぶ」

 その間にアスカはセイバーを霊体にしていた。アサシンとアスカと、カヲルを背負ったシンジが走り出す。ライダーの身体の横を駆け抜け、聖杯システム中枢、岩の塔目指して走っていく。シンジ達が岩の塔に辿り着く頃には、第3の封印は完全に滅び去っていた。だがそれは第4の封印の登場を意味している。

「そこに階段がある!」

 岩の塔の外壁には螺旋を描く階段が備え付けられていた。いや、それは階段というより岩が階段状に削れているだけのものだった。シンジ達はその段差もバラバラで今にも崩れそうな階段を全速力で駆け上がっていく。それを追って、巨大な青白い騎馬とそれに騎乗する死の天使が滑るように移動している。死の天使は黒い霧を身体の周囲にまといながら、未だ塔の中腹にいるシンジ達に迫ろうとしていた。

 現界したセイバーが忌々しげに迫り来る巨大な青い騎馬を見つめている。カヲルもセイバーもシンジ達に運ばれている間に魔力の補給を完了していた。だが、

「足場が悪い、狭すぎだ。ここでは全力で戦えん」

「頂上なら少しは開けているでしょう。ともかく一刻も早く頂上へ」

 アサシンに促され、一同は階段を疾走する。だが死の天使は既に至近にいた。宙を駆ける青ざめた馬がその馬蹄でシンジの頭を踏み躙ろうとしている。

「シンジ君!」

 カヲルがシンジに覆い被さり、青ざめた馬からシンジを守ろうとした。馬上の死の天使は身体の周囲の黒い霧を腕のように延ばし、シンジの身体に触れようとする。カヲルが左腕を伸ばしそれを阻んだ。黒い霧がカヲルの腕を掴む。黒い霧が引き戻された時、カヲルの左腕は肘から先がなくなっていた。

「ダビデ!」

 シンジ達が目を見開く。カヲルは失われた左腕を右手で押さえた。カヲルは苦痛を堪えながらも無理に笑ってみせる。

「第4の封印に乗っている者の名は『死』と言い、それに黄泉が従っているという。どうやらこれが死と黄泉の力のようだね」

 カヲルの左腕は未だ死に浸食され続けていた。左腕の肘の部分が、砂で出来た彫像のように少しずつ崩れ、失われていく。左腕の崩壊が止まらない。

 カヲルはその場に止まり、死の天使に向き直った。頭上に掲げた皮ベルトに魔力を集中させる。

「シンジ君、先に進んでくれ。僕はここで時間稼ぎをする」

 シンジは思わず足を止めていた。折れそうな程に歯を噛み締める。だがそれも一瞬のことだ。

「……判った。先に行ってる」

「ああ、僕も後から行く」

 カヲルは透明な笑みを見せた。シンジはそれを振り払うように走り出す。背中でシンジが遠ざかる気配を確認していたカヲルは、青ざめた馬と死の天使に視線を移す。

「さあ、しばらく付き合ってもらおうか」

 青ざめた馬は一旦塔から離れ、空中を旋回した。距離を置いたのは充分に加速するためだ。青ざめた馬は蒼い稲妻となって一直線に宙を翔る。蒼い稲妻は塔の中腹、カヲルのいる場所に堕ちようとしていた。皮ベルトに全魔力を込めたカヲルがそれを迎え撃つ。死の天使が怪鳥の叫びのような高周波音を放つ。あるいはそれは死の天使の歓喜の叫びだったのかも知れない。カヲルもまた必殺の意志を込め、喉をも裂けよとばかりに宝具の真名を解放する。

「巨人打つ神の礫ー!!」

 死の天使の叫びとカヲルの声が響き、続いて轟音が全てを覆い尽くした。巨大な青ざめた騎馬が塔の中腹に激突し、岩の塔が大きく揺らぐ。

「くっ……!」

 シンジ達はまともに立っていることも叶わなかった。階段に這って転がり落ちるのを免れようとするので精一杯だ。やがて揺れが収まり、シンジ達は再び立ち上がる。最早シンジは何も言わなかった。聖杯を目指し、振り返ることなくただ前へと進む。アスカが、アサシンが、セイバーがそれに続いた。塔の頂上はもう目前だ。

 そのシンジ達に、青ざめた馬が迫ろうとしていた。青ざめた馬は塔の周囲を旋回しながら上昇し、シンジ達に接近している。セイバーは手にしていた賢者の石をアサシンへと投げ渡した。

「アサシン、先に戻っている」

「ええ。わたしもすぐに還ります」

 セイバーはそのまま岩の階段を蹴って、宙を舞った。

「セイバー!」

 そう叫んで腕を伸ばすアスカを、シンジが引き留める。シンジはアスカの手を引いて階段を駆け上がった。

 セイバーの身体が優雅な曲線を描いて宙を舞い、何者かに導かれたかのように青ざめた馬の鞍の上に飛び込んだ。セイバーの神剣グラムが死の天使の喉元に狙いを定めている。

「怒れる神の剣ー!!」

 空中に巨大な火柱が生まれた。セイバーの宝具が持てる全魔力を吐き出し、死の天使はそれを受け止める。それはまるでこの地の底に生まれた太陽のような輝き。地獄の業火を一身に受けた死の天使は、それでもなお堕ちることがなかった。

「着いた!」

 シンジ達はようやく岩の塔の頂上に辿り着いた。今シンジとアスカの目の前には、3本の指のような岩に掴まれた巨大な魔力の塊が存在している。それこそが碇家の聖杯、そのものであった。

 アサシンが背中の長剣を抜き、構える。だが背後には青ざめた馬が迫っていた。馬上の死の天使の喉には神剣グラムが突き刺さったままになっている。死の天使は苦痛に呻くように高周波音を発し続けていた。

 鼓膜が破れそうな高音を発しながら、死の天使が黒い霧を放射する。黒い霧は槍のような形状になって真っ直ぐにシンジ達を狙っている。だがそれは、

「やらせませんっ!!」

 アサシンの長剣によって薙ぎ払われた。黒い瘴気の槍が長剣の眩しい煌めきより霧散していく。あらゆる攻撃を薙ぎ払い、持ち主に絶対の加護を与える神剣。日本最強の宝具の力が、今解放されようとしていた。

「草薙の……!」

 アサシンが長剣を振りかぶる。殺気を込めたアサシンの眼差しが死の天使に、死の天使の喉元に狙いを定めている。そしてアサシンが全身全霊を込めて、

「……剣ー!!」

 草薙の剣を振り下ろす。撃ち放たれた魔力はグラムとともに死の天使の喉を貫き、巨大な風穴を開けた。死の天使の頭部が転がり落ち、断たれた首元からは黒い瘴気が吹き出している。死の天使の身体と青白い騎馬は自らの瘴気により朽ち果てようとしていた。

「アサシン!」

 シンジとアスカがアサシンへと駆け寄る。だがアサシンの身体は既に光の粒子となりつつあった。アサシンの身体の向こう側が透けて見えている。

「シンジ……」

 膝を付いていたアサシンが立ち上がった。シンジの方に向き直り、草薙の剣をシンジへと差し出す。シンジは戸惑いながらもそれを受け取る。

「賢者の石の魔力があればシンジ達でもこれを使えます。時間がありません、シンジ達の手で決着を」

 シンジは長剣を握り締め、力強く頷いた。

 シンジとアスカは4本の手により草薙の剣と賢者の石を同時に保持する。アスカが賢者の石を発動させ、その魔力をシンジが草薙の剣へと流し込む。草薙の剣は日輪を照り返す湖のように輝いた。

 シンジとアスカが互いの瞳を見つめ合い、頷き合う。二人の心が今一つとなり、宝具の真名を、魔力を解き放った。

「「草薙の剣ー!!」」

 放たれた輝きが、魔力が聖杯を撃ち抜く。囚われていた魔力が壊れた聖杯から奔流となって溢れ出た。シンジとアスカはそれに飲み込まれないよう必死に岩場に縋り付く。シンジがアサシンの方へと視線を向けると、アサシンは笑顔を残してその姿を消していた。

「……!」

 アサシンの身体が消え、その代わりのように輝く珠が宙を漂っている。壊れた聖杯から同じような光の珠が7つ現れた。その光の珠は燕のような身軽さで宙を舞い、アサシンの光の珠と合流する。光の珠はシンジとアスカの周囲を旋回する。

「これは……」

「多分アサシンやセイバーだよ。聖杯に囚われていた英霊達が『座』へと還っていくんだ」

 シンジは両手で光の珠の一つを包み込み、愛おしげにそれへと語り掛けた。

「……ありがとう、アサシン。ありがとう、セイバー。ありがとう、みんな。みんながいてくれたから戦えたんだ」

 シンジの腕にアスカが寄り添い、横から手の中の光の珠を覗き込む。

「ありがとう、セイバー。ありがとう、みんな。みんなのこと、忘れない。絶対忘れない」

 光の珠はシンジ達の周囲を数周し、それから天へと昇っていく。大地から天へと落ちる流星のような速度で、光の珠は大空洞の天井を突き抜け消えていった。

 聖杯から溢れ出た魔力は光の粒子となって、大空洞を覆い尽くす。シンジとアスカはその光の渦の中で、その光の湖を見つめながらいつまでも寄り添い続けていた。

 


 




 


 


12月25日・夜

 


 


 


 


 数時間前まで修羅場の直中にあった碇邸は、今は穏やかな夜の闇の中にいる。

「ふっ、結婚した途端におばあさんになるとはね……」

 リツコは縁側で煙草を吹かしながらやさぐれていた。その隣ではレイが同じく、

「ふっ、この歳でおばさん……」

 と荒みながらカルピスを自棄飲みしていた。ゲンドウは二人をいたずらに刺激しないよう新聞を読む振りをしている。

 障子の向こう側では、血の繋がらない3人の親子が暖かなひとときを過ごしているはずだった。

「……眠ってる?」

「うん、今寝たところ」

 つい先程産み落とされた赤ん坊がアスカの腕の中にいた。シンジは赤ん坊の顔を覗き込む。アスカはそんなシンジの横顔を見つめていた。

「……何でそんなしかめっ面してんのよ」

 アスカの指摘に、え、と沈黙するシンジ。シンジはしばらくして口を開いた。

「この子、この先どうなるかな、と思ってね」

「決まっているじゃない、世界に君臨する王者になるのよ。この子は惣流アスカの子供なんだから」

 アスカが胸を張ってそう答える。シンジは苦笑した。

「まあ、王者になんかならなくても、普通で構わないから幸せになってくれれば……」

 アスカは包み込むような柔らかな笑みを赤ん坊へと向ける。

「少なくとも、親に利用されて振り回されるような人生だけは送らせないわ、絶対に」

 アスカの言葉に、シンジは無言で頷いた。

 赤ん坊がまだ見えぬ瞳を開き、何かを掴もうとするかのように腕を伸ばす。その子供がその目で何を見るのか、その手で何を掴むのかはまだ誰にも判らないことだった。その子はまだ何者でもなく、その子の"運命”はまだ何も定まっていないのだから。

 


 


(完)

 




[101] あとがき
Name: 行
Date: 2005/02/12 20:02

 


 「”運命”の子供達」アスカルートはこれにて完結です。最後までのお付き合いありがとうございます。


 次の”アサシンルート”はまだ何も決まっておりませんが、必ず書くつもりですのでどうか気長にお待ちください。
 それではまた”アサシンルート”でお会いいたしましょう。

 



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